蒼き瞳とナガレゆく (秋野ハル)
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第1章 蒼き少女(少年)とナガレくる
1-1 蒼き月夜と少年→少女


 民はそれぞれが属する街の、領の、そして大陸全体の財産である。ゆえに保護されねばならない。狂暴な『獣』の脅威から、そして狡猾な『人』の悪意から。

 ゆえに『九都市条約』は定めている――この大陸にある全ての街に、強固な外壁を築くことを。そして街から街への移動には一定の制限を掛けることを。

 つまりはある種の自由と引き換えに平穏を与える。それが九都市条約の選んだ道であった。

 しかしその一方で、条約はこうも定めている。

 

 ――平穏と安住を放棄するならば、代わりに自由と世界を与えよう。

 

 それはすなわち『大陸中を旅する権利』、そして『旅を続けなければならない義務』。その表裏一体を背負う覚悟のある者だけが、この大陸において自由を得る権利を持つのだ。

 だが獣の脅威と人の悪意が交錯するこの大陸において、それは間違いなく危険な生き方だった。しかし、それでも……この大陸から旅人が消えることはない。

 きっと理由は人の数だけあるのだろう。商売のため。夢を叶えるため。強さを求めて。街に縛られたくないから。元より平穏を得られない身の上だから。あるいは……

 

 

◇■◇

 

 

 今夜の満月は、真昼の空を切り取ったかのように蒼かった。

 この世界の月は、ひと月の終わりと始まりの境で蒼く染まる。民間伝承において蒼月はよく”終焉”と結びづけられており、凶兆の象徴として有名である。しかしその一方で地方によっては青空、希望、次のひと月の始まり……”新生”という概念とも強い結びつきがあった。

 そんな相反する概念を宿した蒼光が、とある屋敷のバルコニーを照らしていた。周囲を森で囲まれて虫の声だけがりんりんと響くそこに、しかしふと。

 カチンッ、と硬い音が鳴った。バルコニーの手すりに鉄製のカギ爪が引っかかったのだ。

 カギ爪の尻からはロープがひとつ垂れ下がっていて、それはすぐに1人の客を招いた。小柄な少年が、ロープを伝ってバルコニーまで登ってくる。やがて軽やかな身のこなしで手すりを越えると、小さな足音ひとつだけを立ててバルコニーへと降り立った。

 

「ここまでは予定通り……」

 

 少年はそう呟いて、その身に羽織っているベストのポケットから小さな薬瓶を取り出した。中に入っている液体は、今宵の月と同じ澄んだ蒼を湛えていた。

 

(蒼月の夜にしか効果がない霊薬、ね。理屈は分かるんだが……)

 

 少年は知っていた。蒼月には実際にある種の力を高める作用があることを。

 

(胸が妙にざわつくのは月のせい……だけならいいんだけどな)

 

 少年は警戒心を高めつつも、霊薬をしまい直して顔を上げた。視線の先には屋敷内部へと続く大きな窓がひとつ。向こう側はカーテンに遮られて見えないが、少年はためらわずに歩いていく。

 

「この場所この時間なら見張りに見つからず部屋まで一直線。そういう手筈だったけど……」

 

 窓の前まで来た少年は、窓の取っ手を握って軽く引っ張ってみることにした。窓は両開きであり、構造上は引けば開くはずだが、とはいえ普通は防犯のために鍵をかけているはずである。もちろん少年としてもその確認のつもりだったが……「ありゃ?」窓は、なんの抵抗もなく開いていった。

 

「なんつう不用心な……」

 

 少年が呆れるかたわら、開いた窓へと風が吹き込み、カーテンが捲れてその奥の通路が見えた。灯りひとつなくぽっかりと開いた暗闇がはるか遠くまで続いている。だが少年は臆さず歩き出し、屋敷内へと足を踏み入れて――

 

「動くな!」

 

 左右から、剣と槍を突きつけられた。それぞれ2本ずつ計4本。使い手も1本につき1人ずつ。つまり少年は、待ち伏せていたらしい4人の兵士に取り囲まれたのだった。

 

「賊が侵入したと聞いていたが、まさかこんな子供だとは……」

 

 兵士の1人が驚き半分といった口調で呟いた。しかし少年の方は一切驚いていない様子で、それどころか。

 

「そうだよ、まだか弱い15歳なんだ。だからおじさん、ここは黙って見逃がしてくんない?」

 

 まるで知り合いにでも話しかけるような気さくな口調。

 それが気に障ったのか、あるいは得体が知れないと感じたのか、ともかく兵士たちはさらに警戒を強めた。ある者は武器を強く握り、そしてある者は硬い口調で少年へと呼びかける。

 

「大人しく投降しろ。子供相手に手荒な真似はしたくない」

「したくない、ね」

「きみが抵抗……いや、動いた時点で抗戦の意志ありとみなす」

「仕事熱心なことだ。でもさ……」

 

 その瞬間、少年の表情が変わった。この場にそぐわないような、ニカッと明るい笑みを見せて。

 

「それじゃ、遅くない?」

 

 言葉と共に、地面から灰色の煙が噴き出した。 

 

「なに!?」「うわぁっ!」

 

 ろくな前触れもなく膨れ上がった煙は、兵士たちが状況を把握する前にその場一帯を飲み込んだ。しかしすぐに煙の中からひとつの影が飛び出した。少年であった。

 

「手癖の悪さは『ナガレ』の流儀ってな!」

 

 少年は兵士を置き去りに廊下の奥へと駆け抜けていく。真っ直ぐ目的地を目指しながらも、思案顔で呟く。

 

「バレた気配はなかったんだけどまずったかな……こうなりゃさっさと攫ってさっさと出てくか」

 

 少年の目的はただひとつ。『ブレイゼル家の三男の保護』であった。

 

(目標の部屋は2階のバルコニーから入って)

 

 その理由は『三男を利用して行われるらしい”前王の儀式”とやらを止めるため』。

 

(扉がひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……)

 

 注意事項は『三男を保護したとき、霊薬を確実に飲ませるように』そうすれば最悪の場合でも儀式はすぐに行えなくなると、そういう話だった。

 

(いつつ、むっつ……この角を曲がって右手の部屋!)

 

 前もって教えられた三男の部屋。そこに少年は飛び込んで、

 

 視界の隅から、2本の手が伸びてきた。

 

「!」

 

 しかし少年は即座に反応。己を捕えようとする手を逆に引き込み、そのまま地面へと引き倒す。その直後、どすんと派手な音を立てて襲撃者が地面へと倒れ込んだ。

 

「かはっ!」

 

 息を吐き、苦しそうにうめく襲撃者。部屋の窓から差し込む月光のおかげでその姿ははっきりと見えた。

 

(また兵士かと思ったけど……こいつ、もしや例の三男坊か?)

 

 首元で結われた長髪は金。痛みに細めた瞳の色は蒼――金髪蒼眼。それは正しく話に聞いてた『ブレイゼル家の三男』の特徴だった。

 ゆえに少年は早速彼を取り押さえようと近づいたが、

 

「っ、触るな!」

 

 いきなり足が跳んできた。その蹴りを躱して退けば、三男はその隙に体勢を立て直し始めている。

 

(ただのお貴族様と思いきや、意外と良い反応と思い切り……)

 

 少年は内心で感心しながらも――すでに、三男の懐へと踏み込んでいた。

 

「なっ!」

 

 三男は驚いたが、気づいた時にはもう遅い。

 

「悪いな」

 

 少年の拳が1発、三男の腹にめり込んだ。

 

「がっ……!」

 

 少年よりも一回り大きい三男の体が、しかしいとも簡単に膝をつく。三男はそのまま無造作に倒れ込み、あえぎ声をあげた。

 

「はっ、あ……」

 

 なんとか空気を取り入れようとか細い呼吸を繰り返す。だがその口に飛び込んできたのは――気体ではなく、液体だった。

 

「んぐ!? く、かっ」

 

 少年が三男の鼻をつまみ、霊薬を流し込んでいたのだ。そしてその中身はあっという間になくなった。少年は空になった小瓶を投げ捨ててから一息つく。

 

「これで用がひとつ済んだ。あとは連れ出すだけ……」

 

 三男が苦しみだしたのは、その時だった。

 

「がっ……うあああああ!」

「な、なにごと!?」

 

 少年は驚いた。なにせ霊薬になにか副作用があるだなんて聞いていなかったからだ。

 

(おいおい……! まぁ保護っつってた以上死にはしないんだろうけど、だからってこういうことは事前に――って)

 

 直後、少年の驚きが深まる。淡く漂う”光”に気づいて。

 

「ちょい待ち! なんで体光ってんの!?」

「かっ……あ、ぐぅ……っ!」

 

 三男の体は、いつの間にか淡い蒼色の光を纏っていた。そしてすぐに――彼の体は”変身”を始めた。

 そう。それは正しく変身という他なかった。

 少年より大きかったはずのその体が、まるで成長を巻き戻すかのように縮んでいく。すると相対的に彼が着ていた寝巻きの丈は余り、ぶかぶかになっていく。

 そして端正ながらも男性らしく角のあった顔もまた幼く……というより、柔らかくなっていく。単純な幼さとは似て非なる、綺麗な曲線で縁取られた小顔へと変貌していく。

 蒼い月光に照らされて、そして蒼い光に包まれて、人間の体が変わっていく。その光景はあまりにも非現実的で、少年はただ呆然と見つめることしかできなくて。

 

「……は?」

 

 気づけば少年の目の前には、ひとりの”少女”がぐったりと横たわっていた。

 すでに体の発光は収まっていたが、代わりに月明かりがその姿を照らしている。少年の視線はなんとなく、地面を流れる金の長髪へと吸い込まれていった。月光を照り返して、視界の中心できらきらと金色が煌めく。

 

(なんだ、これ)

 

 金の長髪は首元で束ねられている。首は細く、唇は小さくも肉厚で、そこから呼気が静かに漏れている。

 少女は、どこもかしこも曲線でできていた。

 例えばぷっくりとした唇もそうだし、滑らかな頬も、そして綺麗な弧を描く瞼も……ぼんやり眺めている内に、少女……あるいは三男の目が開いた。

 変身を遂げてもなお蒼い瞳。それが蒼月の光と重なって、宝石のようにちかちかと。

 

「なにを、した」

 

 その問いは、少女特有の清らかな声音で紡がれた。少年ははっと我に返ると、すぐに上ずった声を出す。

 

「な、なにをって……なんだろう……」

 

 少年もまた混乱の中にあった。当然だ。なにせこんな現象、彼だって初めて見たのだから。

 しかし三男……三男? はそんなことを知るよしもなく、疲労で息を荒げながらも少年へと問いかける。

 

「毒か、これは……」

 

 少年はしどろもどろに答える。

 

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……」

「なんだそのふわっとした回答は……!?」

 

 三男は怒りながら上半身を起こして――ふと、固まった。

 1秒、2秒、3秒……おそるおそる、口を開いて、喉を震わせる。

 

「なんだ。なんだ。なんだ、この声」

 

 三男はゆっくりと両手を見た……ぶかぶかになった寝巻きの中に隠れていた。慌てて袖をまくった。細くか弱い、少女らしい手が中から出てきた。慌てて胸を触った。なにかある。思わず股をきゅっと閉じた。なにもない。

 少女は叫んだ。

 

「な、な、な……本当になにをしたんだぁ!?」

「むしろ聞きたいのは! 俺!!」

 

 少女と少年。2人の背後から別の怒号が割り込んできたのはその直後だった。

 

「そこか賊めぇ!」

「今度はなんだクソがーーーーー!」

 

 少年がぶちぎれながら背後を向けば、そこには一人の兵士が立っていた。彼は剣を突き付けながら声を荒げる。

 

「ニルヴェア様の部屋で何をしているか! この賊……め……?」

 

 と、兵士の視線がおろおろ泳ぎだした。その視界には賊と思わしき少年が1人……と、もう1人。

 

「ニルヴェア……様……?」

 

 兵士の困惑、その隙を突いて少年が動いた。

 

「こうなったらヤケだこの野郎! てめぇの主人が人質だぁ!」

 

 少年の行動は早かった。三男もとい、少女もとい、『ニルヴェア様』の首根っこをがっちりとロックして立ち上がったのだ。

 

「うわぁ!」

 

 突然の拘束にニルヴェアが驚いた一方、少年も実は別の意味で驚いていた。

 

(うわ、なんか、ふわっと花の香りみたいな、いや坊ちゃんなんだし良い石鹸とか使ってるってだけだろこいつは男!!!)

 

 少年は降ってわいた思春期を全力で抑えつける。その一方でニルヴェアは――ごくりと息を飲んでいた。

 

「っ……!」

 

 なぜなら彼女の首筋には、いつの間にか銀色の(ナイフ)が突きつけられていたからだ。そしてその持ち主は、己を拘束している少年に他ならない。

 

「いつの、まに」

 

 少年がいつナイフを出して、突きつけてきたのか。ニルヴェアの目にはなにひとつ捉えられていなくて。

 

「ぼさっとしてんな! 主人を殺されたくなきゃ道を開けろ!」

 

 少年の脅しに、主人(ニルヴェア)は思わず肩を竦めてしまった。

 だがしかし、脅された兵士は……その場でおろおろするばかりだった。

 

「な、なにを言っている!?」

「はぁ!? だからこいつが人質だって――」

「そんな、わけっ……ないだろう!」

「「なっ……」」

 

 人質を取った方も、そして人質になった方も絶句するという珍事であった。

 だが……事の真相を知らぬは兵士のみ。そう、彼だけは何も知らなかったのだ。

 

「ニルヴェア様は男だぞ! そんなことも知らずこの屋敷に忍び込み、偽の人質で我々を騙そうとは……益々許せんぞこの賊どもめ!」

 

 ………………………………。

 

「「あーーーーーー!!」」

 

 二人はようやく、致命的な誤算に気がついた。

 

「お前なんなんだよ早く男に戻れよ!」

「お前がやったんだろーーー! ていうか僕まで賊扱いされてるじゃないか早く戻せ馬鹿!」

「戻せるんだったらそうしてるわバーカバーカ!」

 

 いきなり口喧嘩を始めた少年少女。そして1人置いていかれた兵士。

 

「なんだ……仲間割れか……?」

「「仲間じゃない!!」」

「な、なんなんだ貴様ら……! 子供だからといって甘く見ればつけあがりおって! 少々手荒になるが、力ずくでも……」

 

 そのとき、部屋の外からさらに別の声と影が飛び込んできた。

 

「何が起きた! 今大きな声が聞こえたが……」

 

 廊下の向こうから現れたのはもう一人の兵士だった。少年はすぐに「ちっ」と舌を打った。

 

「こんなとこでもたついてるから……!」

 

 そんな悪態を突きつつも、しかし脳裏にふと懸念が過ぎる。

 

(なんか色々あって忘れてたけど、よく考えりゃこんだけもたついてるのに増援がたった1人って、なんつうか……)

 

 そうこうしてる間にも、兵士たちは勝手に話を進めていく。

 

「あの賊どもを捕えるぞ。手伝ってくれ!」

「了解した……」

 

 なんて会話を耳に入れながら、少年は考える。

 

(しゃあない。気は進まないけど力づくでこじ開けて……ん?)

 

 そのときふと目に付いたのは、あとからやってきた方の兵士の動きだった。その直後――少年は咄嗟に叫ぶ。

 

「あぶない、後ろ!」

 

 その警告は、最初の兵士に向けられたものだった。

 

「なにを、うわっ!?」

 

 警告は間に合った。兵士はその手に持った剣でなんとか受け止めることができたのだ――あとから来た、仲間だったはずの兵士の剣撃を。

 

「お前、裏切ったのか……!」

 

 受け止めた兵士の言葉に、しかし裏切った兵士は答えない。代わりに顎をくいっと動かした。ドアの方へと。それはまるで、

 

「外に出ろってか」

 

 意図を理解し、少年は不快そうに呟いた。そしてすぐに思考を巡らせる。

 

(内通者がいるなんて聞いてない。同士討ちも予定にない。そうだ。屋敷に忍び込んでいきなり見つかったのだって、霊薬のことだって。予定外が4つもあれば……)

 

 そんな思考を、しかし少女の甲高い声が切り裂く。

 

「そうか、これもお前の手引きか! 僕だけじゃ飽き足らず屋敷にまで混乱を――」

 

 しかしその瞬間、弾かれるように少年が動き出す。

 

「こうなったらしゃあねぇな! まずは動いてから考えるのがナガレの流儀だ!」

「ナガレ!? まさか、お前は――うわぁ!」

 

 ニルヴェアの悲鳴と共に、その体がひょいと持ち上げられた。両手で抱えられた、いわゆるお姫様抱っこ……からさらにひょいっと。

 

「おわー!? おい! 馬鹿! おろせ! 馬鹿!」

 

 よりにもよって尻を前に出す不格好で、少年の左肩へと担がれた。ニルヴェアは耐え難い恥辱に頬を染めて足をバタバタさせるが、そこに少年の一喝が飛ぶ。

 

「体格的に結構しんどいんだよこれ! 頭から落ちて死にたいならいいけどさ!」

「っ!」

 

 ニルヴェアの口がきゅっと閉じた。それを合図に、少年が走り出した。鍔競り合いを続ける兵士たちの横を一気にすり抜けて廊下へと出る。

 するとそこは――すでに、戦場と化していた。

 廊下の壁面に灯された明かりはまばらで、視界はやや薄暗い。だがそれでもはっきりと見えた。同じ格好をした兵士たちが、仲間同士だったはずの兵士たちがそこかしこで争い合っている惨状が。

 

「マジかよ……」

 

 唖然とする少年の肩の上。ニルヴェアもまた体を捻って顔を向けて、その惨状を目に焼き付けている。

 

「そんな。なぜ皆が、こんなに裏切り者が。嘘だ。そんな、屋敷の人たちは、皆」

「いや、たぶん直接の裏切り者って意味じゃ精々2、3人ぐらいだろ。ただそいつらに手引きされた”賊”が結構な数入り込んでる、かもな」

「賊って……お前こそが賊じゃないのか! 現にさっきの男だってお前に合図を」

「状況が知りたい」

 

 すっと差し込まれたその一言は、いやに冷たい音をしていた。少なくともニルヴェアはそう感じた。

 

「俺もお前も、それは一緒だろ?」

 

 ニルヴェアの肌にほんのわずかだが、確かな寒気が走った。彼女は内心で思う。

 

(なんだ、こいつは)

 

 少年は明らかに”少年”だった。女になったニルヴェアとおよそ同じ体格で、自分が今こうして担がれてるのも不思議なくらいで、それに声変わりだってろくにしていない。なのに彼の声はどこか、なにか、

 

(まるで刃みたいだ)

 

 首筋に刃を突きつけられたように、脳が一気に冷えていった。

 ニルヴェアは結局なにも言えなかった。そしてその無言を肯定と捉えたのか、少年は再び走り出した。

 少年は仲間同士で争っている兵士の脇をするりと抜けて、軽やかに廊下を駆け抜けながら再び喋りかけてくる。

 

「なにがどうなってるのか、真相なら先に進めば分かるだろ。だから先に自己紹介だけしといてやる」

 

 その言葉を聞いて、ニルヴェアの中でひとつの疑問が芽生えた。だから彼女は問いかけることにした。だが声は荒げず、あくまでも少年の走りを邪魔しないようゆっくりと。

 

「お前は『旅客民』なんだよな。おそらく誰かから依頼を受けて、しかしどうやら騙されたらしい……お前の言い分はそんなところか?」

「……へぇ。やっぱ坊ちゃんのわりに良い度胸してるな。ん? 今は嬢ちゃんか」

「お、お前なぁ! 僕だって分家とは言え武人の名家たるブレイゼル家の男子だぞ! これ以上の侮辱は――」

 

 と、少年の足が止まった。「ふぎゃっ」とニルヴェアの声も途切れた。その原因は、眼前に現れた兵士にあった。

 

「見かけない顔め、てめぇも侵入者だな! この俺が来たからにはぁ!」

 

 兵士は屋敷1階へと続く下り階段の半ばで待ち受けていた。少年の進路もまた、その階段の先にあった。ならば道はひとつしかない。

 少年は左腕でニルヴェアを担いだまま空いている右手を背中へと回し、そしてニルヴェアへと語る。

 

「ひとつ言っとく。俺は『旅客民』じゃなくて『ナガレ』だ」

「は? ナガレってあくまでも別称だろ!」

 

 少年の右手がその背に背負った”武器”、その取っ手を掴む。ニルヴェアはそれを視線で追い、目を凝らしてじっと見つめる。

 

(薄暗くてよく見えないけど、まるで長い棒のような……)

 

 その武器は、少年の腰に巻かれているベルトに差さっていた。だが少年はそのベルトから、武器を勢いよく引き抜いて。

 

「旅客民って呼び方はダサい。かっこいい方が気合入るだろ、なんだってさ!」

 

 叫びと共に振りかざす。壁の明かりに照らされて、武器の姿が露わになった。

 複雑な機構を秘めた機関部。そこから真っ直ぐに伸びた銃身。それを見てニルヴェアが声を上げる。

 

「『琥珀銃』……!?」

 

 瞬間、その銃口に紅色の光がばちばちと収束し、少年の顔を照らし出した。赤銅色の髪が風になびき、大きな口が獰猛な笑みを形作っていた。

 

「改めて、自己紹介だ」

 

 ――旅客民。

 それは生粋の旅人を指す総称だ。彼らはこの大陸の住民でありながらも、あらゆる領において部外者とされている。

 彼らは壁の内側で暮らす他の民と違い、街や領ではなく大陸そのものに奉仕する。街に籠る民の代わりに獣を狩り、日銭を稼ぎ、その日暮らしで生きる義務と権利を謳歌するのだ。

 彼らは浪漫溢れる冒険者か、はたまた卑しい浮浪者か。

 とにもかくにも人々は、あるいは彼ら自身もまた、憧れ、感心、嘲笑、侮蔑……様々な意味を込めてこうも呼ぶ。大陸に古来より存在する『流れの民』という概念を受け継いで。

 

「俺はレイズ――『ナガレ』のレイズだ!」

 

 自己紹介と共に、弾丸が解き放たれた。凝縮された紅い光が一直線に飛んでいく。



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1-2 紅き少年と紅き戦場

 ナガレの少年――レイズが放った(あか)き光弾が、階段半ばに立ち塞がる兵士に向かって飛んでいった。突然の強襲に、兵士は狼狽える間もなく光弾にぶち当たる。その瞬間、光弾は一層紅く煌めきながら膨れ上がり――爆発!

 兵士の体が弾き飛ばされて、煙を燻らせながら階段を転がり落ちた。それを合図にレイズは駆け出し、そしてニルヴェアが思わず叫ぶ。

 

「なっ、あれ大丈夫なのか!?」

「加減はしてるし、仮にも訓練受けてるなら受け身のひとつだって取れるだろ!」

「そう、なのか……?」

 

 兵士は階段下まで転がっていった。だがニルヴェアが(レイズに担がれて)階段を通り過ぎる際に目を向けると、兵士はゆっくりとだが確かに起き上がろうとしているようであった。

 その様子にニルヴェアはほっと一息ついて、それからふと思う。

 

(さっき兵士が裏切ったときも咄嗟に助けてたよな。こいつ……)

 

 ニルヴェアが考えている間にも、レイズはひたすらに屋敷内を駆け抜けながら光弾をぶっ放していく。その照準は進路に立ち塞がる兵士はもちろんのこと……仲間の兵士を殺そうとする、”裏切り者”にまで向けられる。

 

「や、やめてくれぇ! なんで、なんでお前が……!」

「お前らとの日々も悪くはなかったよ。でも悪いがこれも任務なんでな……ぐあっ!?」

 

 裏切り者が光弾に倒されて、助けられた兵士がレイズへとおそるおそる問いかける。

 

「ぞ、賊がなぜ……?」

「物のついでだ。あとは勝手に助かってろ」

 

 レイズはそれだけ言い捨てると、すぐにまた走り出した。そんな光景に、ニルヴェアの疑問はますます深まる。

 

「レイズ、だったか。お前、案外お人好し……なのか……?」

「はっ。拉致られてる真っ最中でそう思えるお前の方がお人好しだよ」

「なっ!」

「この騒動の片棒担がされてるのが腹立ってきたし、それで誰かが死んだら寝覚めも悪い。そんだけだ」

「誰かが、死ぬ……」

 

 ニルヴェアの口がきゅっと閉じた。彼女はまだ、人の死というものをその目で見たことがなかった。

 

(僕は今、そういうことに巻き込まれている……のか……?)

 

 ある日突然女になって、年下のように見える少年に拉致られて、かと思えば兵士たちが同士討ちしていて……ニルヴェアはふわふわと揺蕩っていた。現実と非現実の狭間で。

 しかし現実は、彼女を置いてけぼりにして進んでいく――レイズが屋敷の1階、エントランスへと辿り着いた。その時にはもう、”騎士”がそこに立ち塞がっていた。

 

「ようこそ、ナガレの少年。そして……ニルヴェア様」

 

 レイズは騎士の姿を認めると、露骨に表情を変えた。眉をしかめて、疑念を隠さず問いかける。

 

「出迎えご苦労さん、と言いたいけどさ……どーも話が違うんじゃねぇの?」

 

 レイズが言葉を投げたその方向へ、ニルヴェアもすぐに首を向けた。

 エントランスの向こう、開きっぱなしの玄関からは蒼月の光が入り込み、騎士の輪郭《シルエット》をくっきりと照らしている。ニルヴェアはそれを見て、真っ先に思う。

 

(大きい)

 

 騎士がその身に纏う漆黒の鎧は大岩のように分厚く武骨。しかもその右手で握り肩に担いでいるのは片刃の大剣……だというのに。

 

(なのに屈強、とは思えない。この違和感は……顔か?)

 

 その騎士は兜を着けていなかった。だからはっきりと見えるのだ。きっちり刈り上げられた黒の短髪が。生傷のひとつも見当たらない肌が。

 その生真面目かつ清潔感を与える顔は、武人のそれというよりは文官と言われた方がしっくりくるかもしれない。少なくともニルヴェアはそう感じていた。

 

(見た目ひとつで騎士らしさを判断するつもりもないが、でも、なにか……)

 

 ニルヴェアが引っかかりを覚えるその最中、騎士が口を開く。

 

「伝達の相違には謝ろう。こちらも少々事情が変わってな」

 

 彼の声は耳によく響く、張りの良い低音だった。だからこそニルヴェアの中で疑問が深まる。

 

(まるで演説家みたいな喋り方。僕の知る武人とは、兄上とは全然違う……)

 

 ニルヴェアが妙な違和感に警戒を強めていく一方で、レイズも小さく呟く。

 

「依頼してきたときはあんな大鎧着てなかった。これで”5つ目”」

「依頼、ということはこいつがこの騒動の……」

 

 2人が注視する中、騎士が軽い足取りで近づいてきた。お互いの距離を縮めながら、軽い雰囲気で語っていく。

 

「予定が狂いながらも、きっちりニルヴェア様を連れてきてくれたことに感謝するよ。さすが、若くして『越境警護隊』にも認められたその腕前……」

 

 ニルヴェアはその語りに耳を澄ませて――ふと、風を頬に感じた。

 気づけば、騎士の大剣が振るわれていた。

 

「え?」

 

 あまりにもあっさりと、なんの宣言も前触れもなく、大気を巻き込むほどの剣圧が迫り、突然現れた死の気配が視界だけを緩慢にした。

 視界に映るのは横凪ぎの一閃。あの軌道は(狙いは、僕じゃない)おそらくレイズを両断するための、

 

 ボゥッ!

 

「!?!?」

 

 視界がぶわっと縦に弾んだ。

 ニルヴェアは高速で跳んでいた。

 

(違う、跳んだのは僕を担いでいるレイズ(こいつ)だ――)

 

 ニルヴェアが己の状況を理解したとき、すでに彼女たちは騎士の真上まで跳躍していた。

 

(でも、なにが起こったんだ!?)

 

 ニルヴェアはすぐに思い出した。大剣が少年を断ち切るその刹那、直下で響いた爆音に。

 だからレイズの足下に目を向けてみれば、彼の靴からは細い煙がなびいていた。しかしそれがどういうことで、今なにが起こったのか。ニルヴェアにはなにひとつ理解できていない。

 

(なぜ騎士はこいつを殺そうとした? こいつはどうやってそれをかわした? 僕は一体なにに巻き込まれて……)

 

 初めて間近で見せられた命懸けの戦い。浮かんだ数多くの疑問にしかし答える者はいない。ニルヴェアの心ひとつだけが置いてけぼりなまま、レイズがとうとう地面へと着地した。

 人ひとり担いだ上での異様な大跳躍。その直後にも関わらず彼は平然と、右手の琥珀銃を騎士へと突き付けて言う。

 

「アンタがそういうつもりなら、こいつは俺が攫わせてもらう」

 

 それは挑発的な物言いであったが、しかし騎士はそれを咎めなかった……というよりも、

 

「なにをした。なんだ、今の力は」

 

 それどころではないと言わんばかりの驚愕を見せていた。

 そしてニルヴェアも未だ困惑の真っ只中。いくつもの混乱が場を支配するその中で。

 

「目をつむれ」

 

 レイズだけが冷静に、ニルヴェアへと囁いていた。

 

「な、なんで」

「眼に悪いから!」

 

 怒鳴るような言い方がニルヴェアの目を反射的に閉じさせた。そして、

 

「なにっ!?」

 

 騎士の2度目の驚愕が、眩い閃光と共に訪れた。

 

「いつの間にっ……!」

 

 騎士の視界を真っ白な光が覆いつくす。騎士はすかさず腕で顔を覆って光を防いだが……腕をどかしたときにはもう、少年少女はその場に居なかった。

 騎士は「ちっ」と一度だけ舌打ちすると屋敷の奥へとすぐに顔を向けた。それから、同士討ちを続ける裏切り者へとそのよく通る声で呼びかける。

 

「俺は今からターゲットを追う! 誰か1人ついて来い! 外の待機班とも連携をとる!」

 

 それに応えて屋敷の奥から1人の兵士が騎士の下へとはせ参じた。

 

「了解。ナガレの方は手筈通り殺すとして、ニルヴェア様は……やはり傷を負わせず捕縛ですか?」

「それが最善だろうが、しかしこうなっては贅沢な話でもある……まぁ計画の遂行だけで言えば、命さえあれば問題ない。だから構わんよ、両手足ぐらいなら潰してもな」

 

 

◇■◇

 

 

 整然と立ち並ぶ木々。配色を考えて植えられた花々。派手ではないが奇麗な庭園を、しかし荒々しく駆け抜ける少年が1人と少女が1人。

 レイズとニルヴェアであった。

 

「腕と肩がいい加減マジで痛い!」

 

 そんなレイズの事情によって、ニルヴェアはすでに自由の身となっている。だがニルヴェアは、それでもレイズと行動を共にしていた。

 女になり体が縮んでサイズが合わなくなった寝間着を、それでも裾を折り曲げてなんとか着込み、レイズの後ろを走ってついて行く。しかしそのレイズが走りながらひとつぼやく。

 

「適当に逃げてるだけじゃ埒があかない。手っ取り早く外に出られればいいんだけどな……」

 

 その言葉にニルヴェアは少しだけ迷い、しかしすぐに決断して正直に口を開く。

 

「……抜け道」

「!」

「屋敷を抜け出すときによく使っている抜け道がいくつかある。街への近道や、森への直通路とか……」

「屋敷を抜けられるんならどこでもいいけど、その抜け道……お前以外に知ってるやつは?」

「いや。バレると塞がれるからな……逆に言えば今使える道は僕と、もう一人の使用人(メイド)ぐらいしか知らないはずだ。とはいえこんな夜で、しかも闇雲に走ってしまったからな。ここがいくらウチの庭でもすぐには……」

 

 ――ガサガサ!

 

 急に鳴り出したその音に、2人はびくりと肩を揺らして、どちらからともなく振り返った。

 すると2人の視線の先で、茂みがまたガサガサと揺れた。それからすぐにひとつの影が飛び出してきて。

 

「あー! ニルヴェア様はっけ……ん?」

 

 果たしてその場に現れたのは、いかにもメイドらしい服装をした少女であった。

 少女は枝葉を頭にくっつけたまま、きょとんと小首をかしげている。その服の胸を飾るクリアブルーのペンダントが、ニルヴェアの視界できらりと光った。ニルヴェアは反射的に呟く。

 

「アイーナ……」

 

 それは、他ならぬ目の前の少女の名前であった。

 しかし呼ばれた少女の方は、困惑をさらに深めていた。

 

「え、え。あれ? 人、違い……?」

 

 その反応でニルヴェアはようやく思い出した。今の自分の見た目が大きく変わっていることに。

 

「あ、そうか! ああもう!」

 

 はっとしてわっと頭を抱えだした。そんな突然の挙動不審に、レイズが冷ややかなツッコミを入れる。

 

「おい。お前はたから見るとヤバいぞ結構」

「誰のせいだと思ってるんだ! くそっ、こうなったら――アイーナ!」

「え!? なんで私の名前を」

「それは僕がニルヴェアだからだ! なぜか今は女の体になっている、なんて我ながら胡散臭いことこの上ないし僕が僕である証明のひとつすら今は出せない。けど頼む、僕を信じて――」

「あるじゃないですか。その瞳が」

「え?」

 

 アイーナはその幼げな顔に、柔らかな微笑みを浮かべている。彼女の瞳は、ニルヴェアの蒼い瞳を真正面から捉えていた。

 

「女の子になっても、青空みたいに綺麗な色は変わらないんですね」

 

 

◇■◇

 

 

「大体の使用人は屋敷から少し離れた宿舎に住んでて、そっちの使用人は基本的には夜に出歩いちゃいけないって規則があるんですけど」

 

 アイーナは、レイズとニルヴェアを先導して庭園の奥へ奥へと歩きながら語っていく。

 

「でも、だからこそたまに散歩したくなっちゃって……なりません?」

「アイーナ……僕だって気持ちは分かるけど、それでも規則には意味があるんだから。現に今だって危ないことに……」

「脱走常習犯のニルヴェア様には言われたくありませーん。そ、れ、に、私がこうして抜け道への案内をしてなかったら、もっと危なかったんですよね?」

「ぐっ。それはそうだけど……あ。もし本当に危なくなったらきみはすぐに逃げてくれよ」

「はーい。でもそう言われると、ニルヴェア様の方が心配だなぁ。なんかいざとなったらどんな相手にでも立ち向かっていっちゃいそうだし」

「きみは僕のことをなんだと思ってるんだ……」

 

 がっくりと肩を落としたニルヴェアと、その前を軽やかに歩くアイーナ。そしてレイズもそんな二人を眺めながら、その表情を緩めていた。

 

「ははっ。もしかしなくてもお前って実は腕白だな?」

「うるさいな……」

「そうなんですよ! ニルヴェア様ったら仮にも貴族様なのに街を出歩くだけじゃ飽き足らず、森で野宿までしだして! あのときはいつの間にか居なくなったから屋敷中大騒ぎで……」

「そ、そんなこと言い出したらなぁ! そもそも最初に抜け道なんて悪知恵吹き込んだのはきみだろう!? ていうかもっと静かにしなよ! 見つかったらどうするんだ!」

「おいおい、お前が一番うるさいぞー」

「ぐっ……」

 

 レイズの一言で黙らされたニルヴェア。それを見てふふふと笑うアイーナ。のんきな空気が流れているが、しかし一行は未だにまだ追われる身の上でもあるのだ。ゆえにレイズは周囲に気を配りつつ、「そういえば」とニルヴェアに尋ねる。

 

「成り行きでこうなってるわけだけど、しかしよく俺に協力してくれるよな。俺が言うのもなんだけど普通もうちょっと取り乱したり、怪しんだりとか……」

「もう十分に取り乱したり怪しんだりはしたよ。ただ、そういうのは過ぎたというか……」

 

 そのとき、ニルヴェアの脳裏には過ぎっていた。あの騎士の大剣が。レイズに向けて振るわれた、人間を殺すための一閃が。

 

「お前の言いなりになるつもりはない。まだ信用だってしていない。だけど僕たちに今必要なのは現状の打開策を見つけることで、そのためにはまず落ち着いて状況の整理をできる場所が欲しい。お前だってそこはたぶん同じなんだろう?」

「へぇ、ちゃんと考えてるもんだな」

「馬鹿にしてるのかお前。こんなときに考えなくてどうするんだ」

「いや馬鹿にしてねぇって。むしろこんなときに考えられるのは……」

「お2人とも。着きましたよ」

 

 2人が気づいたときには、アイーナはすでに無数の蔦に覆われた壁面を背に立っていた。その壁を見てニルヴェアも思いだす。

 

「森への抜け道だな……あ、蔦の向こうの壁もどかしてくれたのか」

 

 びっしり生えた蔦の向こうは本来壁で覆われているのだが、ニルヴェアが視線を向けている一か所だけは、よく見れば蔦の隙間から微かに月明かりが漏れていた。実はその一か所だけ、壁が取り外しできるようになっていたのだ。

 

「はい! 屋敷がなんか騒がしいことに気づいた時点で、一応と思って。でもまさか本当に使うとは……ちょっとワクワクしますね!」

「それに助けられたんだから今は咎めないけどさ……って立ち話している場合でもないか。ここを早く抜け出して……」

 

 と、ニルヴェアはそこで気づいた。レイズが抜け道……ではなくその反対。遠くの茂みをじっと見つめていることに。

 

「おい、早く行くぞ」

「……」

 

 レイズが黙っていたのはほんの僅かで、彼はすぐに振り返って。

 

「伏せろ!!」

「なっ!?」「きゃっ!?」

 

 二ルヴェアとアイーナを押し倒し、むりやり地面に伏せさせた――その直後、びゅんと風を切り空気を貫いた一閃が、ざくりと音を立てて壁に突き刺さった。

 それは、一本の矢であった。

 レイズはその矢を見上げると、瞬時に体を起こして銃を構えた。矢の飛んできた方向から狙いを逆算して、定める。

 

「そこだ!」

 

 紅いエネルギー弾が銃口で収束、収束、収束――今までで最も紅く、激しく迸る弾丸が撃ちだされた。それは目にも止まらぬ速さで飛んでいき、一見誰もいない茂みの向こうへ飛び込むと――ゴォッ! 爆発が周囲の草木を巻き込んで、火の粉を激しく撒き散らした。

 

「どーやら張られてたみたいだな。それか単純に後をつけられたか……おい2人とも!」

 

 レイズは振り返らずに後ろへと――状況についてこれず、呆然とへたり込んでいた2人へと呼びかける。

 

「ひゃい!」「あ、ああ」

「まだ追手が潜んでてもおかしくない。殿(しんがり)は俺に任せて先に行け」

 

 レイズは銃を構えたまま、茂みを燃やす炎をじっと見つめている。追手を待ち構えて1人で戦おうとする少年の背に、ニルヴェアは少し迷ってからしかしすぐに立ち上がり、そして決断する。

「ちゃんと追いつけよ。まだ聞きたいことも山ほどあるんだ」

「おう」

 

 返ってきた答えはあまりに短かった。だからニルヴェアはレイズの背中を少しだけ見つめて、しかしすぐに視線を外すとアイーナへと手を差し伸べる。

 

「……行くよ、アイーナ」

「は、はい」

 

 アイーナがおずおずと手を繋いた。それを合図に手を引っ張ってアイーナを立ち上がらせると、そのまま彼女を引っ張る形で抜け道へと向かう。

 だが……その繋ぐ手と手がアイーナを動揺させていたことに、ニルヴェアは終ぞ気づかなかった。

 一方でアイーナの視線は繋がれた手を中心に、うろうろとさ迷っている。

 

「えっと……」

 

 右へ、左へ。俯いて、それからゆるりと上へ……その瞬間、彼女の瞳にそれは映った。

 壁沿いに生えた樹、その上から飛び出そうとする一人の影が。

 

 手と手が不意に解かれた。ニルヴェアはその感触にすぐ気づいた。

 

「え?」

 

 疑問と共に、何気なく振り返ったその瞬間、

 

「え」

 

 視界に黒が広がった。

 目の前に立ちはだかった人影の、首のようなところから黒色が噴き出している。

 ぐらりと、影が横に揺れて。それからどさりと倒れて、ふと気づく。

 

(血だ)

 

 黒く見えたのは、夜がそう見せていただけだった。

 

(血?)

 

 倒れた影の正体に、ようやく気がついた。

 

「あ、あ、あ」

 

 ニルヴェアの瞳には映っている。倒れ伏したアイーナと、その首から今もこぼれる黒だけが。

 そう。

 今のニルヴェアに――アイーナの首を斬った”暗殺者”はもはや映っていないのであった。

 

(まずは両足を断ち逃亡を阻止する)

 

 全身黒衣の暗殺者が狙いをつける。眼前のターゲットはただ呆然とそこに立っていた。

 『生死は問うが重軽症の具合は問わない』それが上からの命令だ。ゆえに暗殺者はまず真っ先にニルヴェアを行動不能に陥らせるつもりだった……が、その段取りにケチをつける者がどうやら1人いるらしい。

 暗殺者とニルヴェアの間にいきなり割り込んできたそいつは、右手に長銃を構えた小柄な少年だった。アイーナが斬られたその瞬間から動きだし、そして今暗殺者の懐に飛び込んできた彼は、暗殺者にとってもう1人のターゲットであるナガレのレイズだ。

 

(ずいぶんと手が早い――!)

 

 暗殺者が内心で舌を巻いたその刹那、レイズが銃を突きつけてきた。暗殺者の体からほぼゼロの距離で光が収束。間髪入れずにトリガーが引かれ、爆発が暗殺者を包み込む!

 ごうっと風が唸り炎と熱が纏わりつくその渦中で――しかし暗殺者は平然と踏みとどまり、状況を分析していた。

 

(やはり想定内の威力。”樹上で観ていた通り”、貫通力は殆どない)

 

 その余裕に違わず、彼が身に纏う黒衣もまた炎の中にあって焦げ目ひとつ付いていない。耐火に耐刃、耐衝撃、その他多くの耐性を併せ持った暗殺特化の黒衣が、暗殺者に不意の好機をもたらした。

 

(互いの視界は爆風に遮られ、相手は一撃当てたと気が緩む。ここを逃す手もあるまい!)

 

 暗殺者はナイフを構え直した。それはアイーナの首を斬り、これまでも無数のターゲットの命を葬り去った凶刃だ。暗殺者はその刃をもって、眼前の爆風が消えるその前にその向こうへと飛び出して――ガキンッ!

 打ち鳴らされた甲高い金属音は、刃物が刃物に相殺された証だった。

 

「!」

 

 そして暗殺者は見た。レイズもまたナイフを振って、己の刃を止めていたのだ。そのナイフが握られているのは左手。そして右手には未だに握られている長銃が。少年は右腕を回し、今度は暗殺者の脇腹目掛けて長銃を突きつけてきた。正に目にも止まらぬ早業に、内心で感心を覚える。

 

(末恐ろしい少年だ、が)

 

 しかし暗殺者は止まらない。

 

(だからこそ歪でもある)

 

 その所作は間違いなくただの少年のそれではない。だが先ほど効かなかった銃一本に頼らざるを得ない選択肢の狭さは、ある意味少年らしい愚直さだと見て取れる。ゆえに暗殺者は回避を捨てた。

 それは彼の長銃――俗に『琥珀銃』と呼ばれる武器の性質に基づく思考でもあった。

 ①威力は多少調節できても、打ち出される弾丸の性質自体は変わらない。

 ②弾丸そのものを変質させる機構でもあれば話は別だが、彼の銃はそう複雑な物でもないように見える。

 それらの根拠に加えて、先に一発直撃を貰った実体験から取った見積もりを。

 

(燃焼でのダメージは皆無。爆風はそれなりだが、強行できないほどでもない。むしろあの威力なら、それを放つ反動の方が大きいはずだ。ならば狙いは一点)

 

 射撃と同時に踏み込んで、首を一閃。

 狙いを定めた暗殺者はその一瞬を待つ――眼下で迸り始めた、紅い光を見下ろしながら。

 

(そうだ、撃ってこい)

 

 そして暗殺者の予測通り、引き金(トリガー)は引かれて、

 

 じゅあっ。

 

「ぐご、ぉ」

 

 肉が灼ける音が文字通り、暗殺者の腹の奥から響いた。

 

「こ˝、お˝」

 

 苦痛が悲鳴すら通り越して、濁った呻きとして絞り出された。しかしレイズはそれを意にも介さず、銃を体の外に向けて振った。じゅわぁっ、と暗殺者の脇腹が自慢の黒衣ごと焼き切られた。

 

「か˝あ˝っ……!」

 

 ナイフをその手から滑り落とし、それでも反射的に後ずさって距離を取った。気力一本で踏みとどまり、歯を喰いしばり、何が起きたのかと顔を上げてレイズを見たが、

 

「ありえない」

 

 その瞳に映ったのは”紅い槍”であった。

 琥珀銃の銃口には未だに光が宿っている。1発打ち切りの弾丸ではなく、槍の穂先のように固着された紅い光が。

 そしてそれこそが、火中すらもろともしないはず黒衣を貫通して肉を抉り取った正体だった。暗殺者はもはやニルヴェアのことすら忘れ、ただ愕然として呟く。

 

「それは、ただの、琥珀銃じゃ」

 

 ごっ! と頭に響いた一撃が、暗殺者の意識を刈り取った。

 

 暗殺者を吹き飛ばしたのは、レイズによる頭部への回し蹴りであった。

 暗殺者は地面を無造作に3回ほど転がって、それきり一切動かなくなった。

 一方、蹴った当人は倒れ伏した暗殺者を一瞥。ぴくりとも動かないのを確認すると、それ以上は興味ないとばかりにナイフと銃をしまい始める。ナイフは腰ベルトの左側に、銃は背中側にそれぞれホルスターがついているので、そこにしっかり差し込んだ。

 淡々とそこまで終わらせて、それから面を上げた。そして今までの一部始終をただへたり込んで見ていたニルヴェアへと目を向けて、声をかける。

 

「立てるか?」

 

 ニルヴェアは、思う。

 

(なんだ、こいつは)

 

 ニルヴェアには、なにもかもが理解できなかった。

 

(なんなんだこれは)

 

 いきなり奇襲を仕掛けられたかと思えば、瞬く間にレイズが飛び込んできた。

 ついさっきまで軽口を叩き合っていたはずの少年が、次の瞬間には未知の紅槍で人の肉を焼き切り、その頭を蹴り飛ばして、

 

(生きてる? 死んでる? 死、あ)

「アイーナ」

 

 思い出してしまった。目を向けてしまった。己のすぐそばで仰向けに倒れ、もう二度と動かない少女へと。

 

「あ、あ?」

 

 ニルヴェアはまだ揺蕩っている。現実と非現実の狭間で。

 だが不意に、レイズがアイーナの前に立ちはだかった。彼はニルヴェアに背を向けて、つまりアイーナの正面を向いてその場で屈みこむと、それから彼女の体へと手を伸ばした。

 

「!」

 

 ニルヴェアは目を見開いた。レイズの手の動きは彼自身の背に遮られて見えないが、

 

「なにを、している」

 

 アイーナの体を触っているのは間違いなかった。

 

「なにをしているんだ!!」

 

 しかしレイズは答えない。それどころかすぐに立ち上がると、そのまま歩き出す。

 

「行くぞ」

 

 振り返らずに短く告げて、蔦に覆われた抜け道へと向かう。

 

「待て、おい、アイーナを置いていくのか!?」

「もう死んでる!」

「――――」

 

 ニルヴェアはアイーナを見た。彼女は動かなかった。首から赤黒い血を垂れ流していた。と、少年の声が耳に届く。

 

「早くしないと追手が来る。最初に撃ったやつだって、確実に仕留めたわけじゃない」

(最初に、撃った)

 

 そういえば、最初の奇襲へのカウンターで撃った1発。ニルヴェアがその方向を見ると、炎は未だに燃え盛っていた。

 周囲の草木にも少しずつ延焼し、拡がっていく炎の暴威。ニルヴェアの脳裏にある2文字が過ぎった。

 

(戦場、なのか)

 

 現実が染み込んでくる。ばちばちと燃えていく炎のように、勝手に拡がり侵食してくる。

 

「行くぞ」

 

 レイズは蔦をかき分けて先へと行ってしまう。それにようやく気付いたニルヴェアは、

 

「待て」

 

 その背を追いかけようと慌てて立ち上がる。足がもつれて一度こけた。それでもなんとか立ち上がった。

 

「待て」

 

 レイズの後を追い、蔦をかき分けながら……彼女は自身の寝間着、そこについているポケットへと視線を向けた。右手をそこにそっと入れて、そして取り出したのは……

 

「待てっ……!」

 

 鞘に収まった、1本の短剣であった。



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1-3 少年とあらすじ(前編)

「この森は馴染みが深い。だから僕が”知らない”道を先導する」

「お、おう……?」

 

 抜け道を通ってからのニルヴェアは、奇妙なまでに冷静だった。淡々と先を歩きだした彼女に対して、レイズはどこか不安を感じつつもその背に大人しくついて行くことにした。

 

「でも知らないって……ああ、お前が知ってる道だとバレてる可能性があるからか」

「そういうことっ……だ!」

 

 少女の手によってぶちぶちと目の前の蔦が引きちぎられていく。ニルヴェアは自らの手や服が汚れるのもいとわず蔦を千切り、草葉を分け入り、森の深く暗い方へと強引に進んでいく。

 

「おいおいアグレッシブだな、お坊ちゃん……」

 

 レイズは少し顔を引きつらせながらも、冷静に考えを巡らせていく。

 

(親しい娘が死んで、さっきまであんなに取り乱していたはずなのに……いや、今はそれよりも)

 

 レイズはニルヴェアの背中へと提案を投げかけた。

 

「少なくともこの街から離れない限り、追われるリスクは捨てきれない。つっても話し合える場がないと方針のひとつも決められない。だから適当な広場でも見つけたらさ、一旦落ち着こうぜ」

「ああ、僕もそう思っていた」

 

 ニルヴェアは一切振り返らず、またその歩みも一切止まらなかった。その迷いなき背に、レイズの不安を静かに煽る。

 

(こいつ……)

 

 それから適当な広場を2人が見つけるまで、そう時間はかからなかった。

 そこは湖畔であった。

 目の前には小さな湖が拡がっていて、地面は剥き出しの土と背の低い雑草が半々程度に敷き詰められている。レイズはその光景をざっと見渡してそれから後ろを振り返った。すると少しの距離を置いて、先ほど自分たちが通り抜けてきた森が広がっている。その左右と上と、ぐるりと見回してみるが人の気配は見て取れなかった。

 

「とりあえずは撒いた、ってことかな。結構無茶な道のりだったし、一応抜け道も塞いであるし、これでちょっとは落ち着けるか……」

 

 と、一息ついた――その瞬間。

 

「!」

 

 レイズの視界が一気に揺れて背中から引っ張られた。間髪入れず仰向けになる形で地面に叩きつけられた。響く衝撃に呻く――その暇も与えないと言わんばかりに眼前で光がぎらついた。

 蒼月に照らされたそれは、1本の短剣だった。刃を突きつけてきたのはニルヴェアだった。つまるところ、レイズは彼女に馬乗りにされていたのだ。

 続いて少女の悲鳴じみた怒号が夜の空にこだまする。

 

「お前のせいなのか!?」

 

 たった一目見ただけで分かる。少女の蒼い瞳は深い憎しみと……それ以上の悲しみに満ちていた。

 

「お前は一体なんなんだ!? お前が来てから全部おかしくなったんだ!」

 

 叫ぶたびにその目尻からは涙がこぼれ、レイズの顔にぽたぽたと当たった。甲高い女声が、レイズの耳にガンガンと響いた。

 

「なぜ僕の体を変えた! なぜ僕をさらった! なぜ兵士が同士討ちしている! なぜっ……なぜアイーナが殺されなきゃいけなかったんだ!!」

 

 それでもレイズは目を逸らさなかった。ただ静かに眼前の叫びを受け止めて、それからぽつりと呟く。

 

「本気で殺したいんなら、もっとしっかり捕まえとけよ」

「なにっ……」

 

 実のところ、馬乗りにされているとはいえ両手足は全くの自由だった。だからレイズは左手を伸ばして掴むことができた――ニルヴェアが突きつけていた、短剣の刃を。

 

「それに、そんな玩具じゃなにも切れねーだろ」

 

 レイズの手は短剣を掴んでいるというのに、全く傷ついていなかった。

 それもそのはず。その短剣の刃は、何も切れないように潰れされていたのだから。ゆえにレイズは迷わず、空いた右手でニルヴェアの胸倉を掴んだ。さらに彼は全身を思い切り捻って、ほとんど投げるような形でニルヴェアを押し倒す。

 

「ぐあっ」

 

 地面を転がり全身を強く打ち付けたニルヴェアは、たまらず目をつぶって痛みにうめいた。それでもすぐに目を開けて――決着は、すでについていた。

 

「っ……!?」

 

 今度はニルヴェアが馬乗りにされていた。しかしニルヴェアの未熟なそれとは全くの別物であった。

 レイズはまずニルヴェアの体をうつ伏せに押し倒し、それから左手一本で彼女の両手を縛り上げた。そして右手ですかさず彼女の首筋に突きつけていた。己のナイフを――ニルヴェアの短剣とは違って、本当に命を奪える鋭さを宿した武器を。

 レイズがそっとナイフの刃先をニルヴェアの首に当てた。ニルヴェアの首に金属が触れて、冷たい感覚が走る。

 

「っ、ひっ」

 

 それだけで、十分だった。

 レイズはあっさりと拘束を解いて離れた。するとニルヴェアの四肢は糸が切れたように地面に投げ出された。

 

「はっ、あっ、ふっ」

 

 少女の全身から冷や汗がどっと吹き出す。体ががくがくと震える。

 

「う、あぐ、うぅぅぅ」

 

 土草にまみれるのも構わず全身を丸めて、ぎゅっと縮こまって。

 

「なんで、なんで僕なんかを庇ったんだ」

 

 体を抱いて、歯を喰いしばった。それでも涙が溢れるのは止められない。

 

「僕が、主人で、僕が、護ってやらなきゃいけなかったのに、ちくしょう。ちくしょう……!」

 

 と、ニルヴェアの額に。

 

「ま、積もる話もお互いあるだろうけどさ」

 

 こつん、となにかがぶつけられた。

 

「ぇ……?」

 

 ニルヴェアが見上げると、そこには少年の少し困ったような笑みと、彼の五指につままれたペンダントがひとつ。そこに埋め込まれたクリアブルーの鉱石が、ニルヴェアにその所持者のことを思い出させる。

 

「それは、アイーナの。いつの間に……」

「手癖の悪さはナガレの流儀ってな。……こういうときは、死人優先だろ」

 

 

◇■◇

 

 

 地面に1本、十字架が立てられた。

 それは適当な木と蔦をナイフで加工して組み合わせることで作られており、高さだって子供の背丈ぐらいの小ぢんまりとしたものだった……とてもではないが理想的な墓とは呼べない。それでもそれは墓であった。

 それはこの大陸中に広く伝わる十字の祈り。満足に死者を埋葬できなくとも、ときには死体すら見つからなくとも、せめて弔いの心そのものまでは忘れぬようにと編み出された、簡易的な埋葬手法。

 

「悪いな。無作法で」

 

 その墓を作った張本人であるレイズは墓の前でそっと屈むと、アイーナのペンダントをそこに引っ掛けた。そんな彼の後ろから、ニルヴェアが言葉を返す。

 

「これもひとつの作法だろう。なら構わないさ」

 

 その言葉を聞いたレイズはふっと微笑んで、それから両手を合わせて目をつぶった。その祈りに倣うように、二ルヴェアも隣に屈んで目をつぶり、祈りを捧げる。そして……心中で懺悔する。

 

(『レプリ』の僕なんかを庇う必要なんてなかったのに。僕が先に気づいていれば……)

 

 …………。

 これまでの慌ただしさが嘘だったようにゆっくり、ゆっくりと時間が流れていく……そして。

 

「案内を頼むべきじゃなかったんだ」

 

 レイズが声に気づいて目を開けた。その横では、ニルヴェアが目をつぶったままなにかへと言葉を投げかけていた。

 

「道だけ聞いて、先に帰らせていれば。違う、僕が捕まっていれば。兵士の同士討ちだって」

 

 するとレイズは溜息をひとつ吐いて、握りこぶしを緩く作って、それからそのこぶしを。

 

「いたっ」

 

 ニルヴェアのおでこにこつんと当てた。するとニルヴェアは目を開き、すぐに怒りの表情を見せる。

 

「なにすんだよ!」

「懺悔と祈りは似てるけど違う。死人の後を追うのはその辺にしとけ」

「で、でも!」

「元はと言えば俺が騙されなきゃ良かった」

「っ……!」

 

 レイズはただ静かに墓を見つめながら、淡々と語り始める。

 

「そもそも依頼を受けたときからもっと警戒しておくべきだった。部外者を巻き込む判断を見過ごしたのも俺だ。自分の実力を過信してた。他人を護りながら戦えるほど強くなかったのにな。それに抜け道に待ち伏せされる可能性……森の中じゃ樹上が絶好の隠れ場所だなんて経験から分かっていたはずなんだ。だから先行して囮になるとか、牽制で1発撃っとくとか、本当は方法なんていくらでも」

「そんなの!!」

 

 ニルヴェアは叫ぶことで、レイズの言葉を堰き止めた。それから表情に迷いを浮かべて、それでもゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「そんなの……お前は、戦えない僕らを護って、あの騎士から逃げて……騙されて殺されそうにもなったのに……そんな中で、なにもかもを完璧になんて……」

「そういうことだよ」

「!」

 

 レイズはニルヴェアへと優しくほほ笑む。

 

「もしも、あのとき、なんて考えたってキリがない。お前が捕まっていたらそれこそ証拠隠滅のために屋敷の兵士は皆殺しにされていたかもしれないし、アイーナだってもし1人で逃がしたとしてもその先であいつらに会ったら結局は殺されていたかもしれない」

 

 だから気にするな……とまでは言わなかったが、しかしニルヴェアはそう励まされたように感じた。そしてその気遣いが、ニルヴェアにひとつの事実を気づかせる。

 

「お前は……大人なんだな。そんな小さいのに」

「べつに言うほど……ってちょっと待て。背丈で言えばお前だっておんなじぐらいだろ」

「そっ……それは性別が変わったからだ! 今の姿は仮だ! 本当はもっと大きいし、この寝間着だってほら、こんなぶかぶかに」

「うるせー知らねー今だけを見て生きるのがナガレの流儀なんだよー」

 

 レイズはぶっきらぼうに言葉を投げながら、再び墓へと視線を戻した。それから言う。

 

「とにかくだ。こうして祈るのは前に進むためであって、後ろに戻るためじゃない。俺は俺よりも大人なやつにそう教わったんだ。まーその人は俺の師匠みたいな人なんだけどさ」

「師匠……みたいな人?」

「みたいな人。そいつが言うにはさ、死者と生者はまず世界が違うから生者にできることなんてろくにないんだと。だというのにその摂理にそぐわず死者を想い過ぎると、人は引きずられてどこかおかしくなる。その一方で死者への痛みや尊厳を忘れると、それはそれで人間として狂ってしまう。だから生者は死者を決して忘れず、それでいて前に進まなきゃいけない。ゆえに我らは楔を打つのだ。死者を心の中にちゃんと刻み込んで、ひとつの区切りをつけるために……ってな」

 

 レイズは語り続けた。地面に打ち込まれた墓を見ながら。ニルヴェアもその隣で墓を、そこに掛かっているクリアブルーのペンダントをじっと見つめていた。

 

「区切りをつける……前に進むために……」

「お前は俺を憎んでもいいんだ」

「っ!?」

 

 驚いてレイズを見た。彼はただ静かにほほ笑んでいた。それがニルヴェアの脳裏に過ぎらせた。彼が現れてから起こった騒動の全てを。

 全てはこの少年が現れてから始まった。少なくともニルヴェアから見てそれは事実だ。しかし。

 

 ――この騒動の片棒担がされてるのが腹立ってきたし、それで誰かが死んだら寝覚めも悪い

 

 レイズが兵士をできる限り傷つけまいと立ち回っていたのも事実だ。

 

 ――まだ追手が潜んでてもおかしくない。殿は俺に任せて先に行け

 

 己の身よりもニルヴェアたちを優先していたのも、また事実だった。

 

「……真実が知りたい」

 

 それがニルヴェアの、正直な気持ちだった。

 

「真実、か」

「僕から見て、この騒動の発端はお前だ。屋敷に騒乱をもたらし、僕の性別を変えた。だけど僕を護ってくれたのも、こうしてアイーナの墓を作ってくれたのもお前だ。そこまでが僕の知る”事実”だ。だけどそれはまだ”真実”とは言えない」

 

 ニルヴェアは真っ直ぐ、レイズへと目を向けた。その蒼い瞳には憎しみでも悲しみでもなく、明確な意思が灯っている。

 

「この騒動の裏に潜む真実を僕はなにも知らないし、知りたい。だからその手始めとして、お前がここに来た理由を教えてくれ。それを知らなきゃ、お前を許すことも憎むこともできないしな」

 

 その真っ直ぐな言葉にレイズが表情を変えた。驚くように目を開いて、それからふっと一息吐いて。

 

「ちょうどいい。俺からもそれを話そうとしてたんだ」

「そうなのか?」

「おう。俺だっていい加減に状況を整理したいし……それに、お前の”これから”を考えるためにも必要なはずだからな」

「僕の、これから……」

「まずあの黒騎士から逃げるのか否か。逃げ延びたらどうするのか。この騒動が収まったその先は? 近い目的でも遠い方針でもなんでもいいし、少しずつでいいからさ。考えておけばいざってときに迷わない。いつだって己の目的を第一に考えるのが、ナガレの流儀だ」

 

 ニッと笑ってみせたレイズに対して、ニルヴェアも釣られて苦笑する。

 

「ナガレの流儀って、なんだよそれ。でも、そうだな。目的か……」

 

 レイズの言葉はニルヴェアの胸にすとんと落ちた。慌ただしくここまで来たが、選ぶべき”これから”は確かにいつか、あるいはすぐ近くに迫っているのだ。それを彼女は実感して……

 

「とりあえず、だ」

 

 その声にニルヴェアは面を上げて、すぐに気づいた――空気がひりついていることに。

 

「ひとつの例として、俺の目的から先に言っておく」

 

 ニルヴェアの眼前には、少年が1人。彼の見た目相応に大きな眼はしかし今、鋭く苛烈な熱を帯びている。籠った意志はすぐ言葉となって、ニルヴェアへとぶつけられるのであった。

 

「俺は片っ端からぶっ潰す。俺を利用して殺そうとしたあの騎士を。あいつの裏に黒幕がいるんならそいつも。俺をガキだからと舐め腐って、こんな事件に巻き込んでくれたことを後悔させてやる……誰が相手であろうと、な」



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1-4 少年とあらすじ(後編)

 この大陸は九つの領に分断され、九つの都市がそれぞれを治めている。

 誰がどのように主権を握っているのかは、領ごとに異なるが……少なくとも『剣の都ブレイゼル』が治める『ブレイゼル領』では、領が”国”だったかつての時代から引き継いで『ブレイゼル家』が領の、そして都の主を代々担っている。

 つまり『ブレイゼル』の家名とはその領において王に連なる者の証であり、誰よりも貴ばれる血筋なのだ。ごく一部の、例外を除いて……。

 

 あるとき、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルは空を見上げていた。

 ブレイゼル領内であり、しかし剣の都からは遠く離れた田舎街に建つ、静かな屋敷のバルコニーで。そこから見上げる広くて狭い空の向こうに、少年は夢を見ていた。

 

 ――いつかこの屋敷を出て、兄上のような誰よりもかっこいい武人になりたい。

 

 あまりにもささやかで、どこまでも見果てぬ夢であった。

 

 

 ◇■◇

 

 

「俺は片っ端からぶっ潰す。俺を利用して殺そうとしたあの騎士を。あいつの裏に黒幕がいるんならそいつも。俺をガキだからと舐め腐って、こんな事件に巻き込んでくれたことを後悔させてやる……誰が相手であろうと、な」

 

 レイズの言葉に迷いはない。だからニルヴェアは愕然とする。

 

「お前は、本気で戦う気なのか。あの騎士と、この騒乱と……」

 

 そう呟いて、しかしふと気づく。

 

「む? でも『ガキだからと舐めた』って、どういうことだ?」

 

 するとレイズはさも当然のように断言する。

 

「だってそうだろ。今思えばってやつだけど、騙して殺すためじゃなきゃ俺みたいなガキを”依頼”の相手に選ぶ必要もなかったんだ」

 

 依頼。そう、旅客民は基本的に他者からの依頼をこなすことで収入を得て生きている。この騒乱もまた、その依頼の一つだった……らしい。

 

「依頼って、僕をさらうことだよな……あと……この体も……?」

「ああ。大陸を揺るがしかねない極秘の依頼だと俺は聞かされていた。あの『黒騎士』に、な」

 

 初めて耳にする名に、しかしニルヴェアの脳裏にはあの黒鎧の巨体が即座に浮かぶ。

 

「えっと……黒い鎧だから、黒騎士?」

「おう、分かりやすくていいだろ。それでだ、話を戻すと……お前に飲ませた霊薬あったろ。あれも依頼のときに貰ったやつなんだよ、最悪でもそれは飲ませろってな」

「なんだよそれ……」

 

 ニルヴェアは自分の体を見下ろした。ぶかぶかになった首元からは、決して小さくない双丘が覗いていて……慌てて視線を外してからレイズに問う。

 

「なら黒騎士は僕を、その……女に変えてどうしたかったんだ?」

「俺が知りてーよ。そもそも性別が変わるってことすら知らなかったし」

「そんな……」

 

 ニルヴェアはがっくしとうつむいて、再び自分の体を見下ろし……すぐに視線を上げてから、なにかをごまかすように慌てて話題を変える。

 

「そ、そういえば大陸を揺るがす依頼って言ったよなお前。そもそも……」

 

 ニルヴェアはそこで言葉を切って、それからレイズを上から下まで眺めた。どこか炎を思わせる赤褐色の髪を持つ少年。生意気で勝気な雰囲気こそあるが、しかしその少年らしい未成熟な体は戦士と呼ぶにはあまりにも頼りなく見えた。

 

「お前、そんな依頼を受けられるほど強いのか……?」

 

 ニルヴェアの口からぽろっと漏れた疑問が、レイズを露骨に不機嫌にさせた。

 

「いいよな実績って。見た目だけじゃ舐められなくなるから」

 

 彼はぶっきらぼうにそう吐き捨てて、懐から一つの物を取り出した。

 それは丁度手のひらに収まるくらいの”勲章”だった。円盤状の金属に彫られている意匠は『この大陸の全体図と、それを守るように重なっている大きな盾』。

 

「『越境勲章』っていうんだ」

 

 レイズはそれに視線を落としながら語り始める。

 

「こいつは『九都市条約』の下で大陸全体の治安維持に務める武装組織『越境警護隊』に多大な協力、貢献を行えると貰えるものでさ、ナガレにとってはこれを持っていること自体が証明になるんだ。犯罪組織と渡り合えるほどの実力と、治安維持に貢献するような人格があるってことのな」

「実力と、人格……」

 

 ニルヴェアがレイズをまじまじと見つめる一方、彼はどこか自嘲的な口調でひとつ付け足す。

 

「だからこそ秘密裏の依頼が来てもそういうもんかって納得できちまう。それに……確たる証拠まで見せつけられたからな。そのせいでろくに疑いもできなかったんだ……まぁ、単なる言い訳だけどな」

 

 越境勲章を握る少年の手にぐっと力がこもったのを、ニルヴェアははっきりと見た。そこにこもる感情はいかほどのものか。ニルヴェアはわずかに目を伏せて、それから問いかける。

 

「証拠って、具体的にはなんなんだ……?」

「ブレイゼル領の首都『剣の都ブレイゼル』。そこの重鎮が『神威』と手を組んでる、って証拠だ」

 

 レイズの言葉にニルヴェアがはっと面を上げた。

 

「神威って、聞いたことあるぞ。たしか大陸一大きな犯罪組織って言われる……!」

「ああ。その神威が剣の都の重鎮に手引きされて領内で悪さをしている。そういう証拠をいくつも見せられた。そして黒騎士が言うにはその手引きしている重鎮の中心が、すでに引退した前領主ってことらしい」

「前領主ってことはブレイゼル家の……僕の父上か!?」

 

 レイズはすぐに頷いた。ニルヴェアの言う通り、前領主『ゼルネイア・ブレイゼル』はニルヴェアの父に当たる人物であった。

 陰謀に身内が関わっている。その事実にニルヴェアが緊張を深めた一方で、レイズの話はまだ続く。

 

「しかも黒騎士いわく、あいつは前領主の息子であり今の領主『ヴァルフレア・ブレイゼル』から勅命を受けたんだとさ。『ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル』、お前の身柄を使って前領主が謎の儀式を行おうとしている。だからお前の身柄を”保護”することでそれを阻止しろ……ってな」

 

 ニルヴェアが大きく目を見開いた。

 

「あ、兄上が……!?」

 

 なぜなら――ヴァルフレア・ブレイゼル。それはニルヴェアにとって、最も偉大な兄の名であったのだから。

 

「あの人が父上を止めるために……それに、僕を使った儀式ってなんだ……? 全然心当たりがないぞ……」

 

 ニルヴェアは頭を抱えるほどの困惑を見せた。だからレイズもまた困ったように髪を掻く。

 

「やっぱ分かんねぇ、か……」

 

 しかし彼はすぐに表情を切り替えて、ニルヴェアの目を真っ直ぐに見つめた。

 

「ま、細かいことは一旦置いとけ。とにかく俺にとって今の現状は元々聞いていた依頼と全然違うんだよ。だから俺はこうして逃げてるわけだし……つまり黒騎士の依頼には、どこか嘘があるはずなんだ」

「嘘、か……」

「そしてそれが、お前の知りたがっていた”真実”を紐解く鍵になる……かもしれない」

「!」

 

 ――この騒動の裏に潜む真実を僕はなにも知らないし、知りたい。だからその手始めとして、お前がここに来た理由を聴かせてくれ。それを知らなきゃ、お前を許すことも憎むこともできないしな

 

 ニルヴェアはこの話の目的を思い出して、面を上げた。それを合図にレイズがまとめへと入る。

 

「黒騎士の語ったことは主に3つだ」

 

 ①黒騎士が現領主ヴァルフレアの遣いであること

 ②剣の都と神威が繋がっているという明確な証拠

 ③前領主が行おうとしているらしい謎の儀式

 

 レイズが挙げたそれらの事柄に対して、ニルヴェアは考える。

 

「なるほど。その3つの虚実を紐解けば、そこから真実が見えてくるということか……なら、お前の見解はどうなんだ?」

 

 そう問われれば、レイズはすぐに断言する。

 

「俺としてはまず”証拠”だけなら9割9分本物だと思ってる。なんでかといえば単純に、あの証拠が正確かつ詳しかったからだ。それこそ今思えば、内部の人間じゃないと知り得ないであろうほどにな」

「ふむ。『嘘をつくときはあえて本当を混ぜるのがコツ』と聞いたことがある。お前を納得させるためにそこであえて真実を使ったとしても、不思議ではない……か」

 

 ニルヴェアはさらに推測を深める。

 

「剣の都が神威と繋がっている。もしその証拠が本当だとして、ならばそれを主導しているのが引退したはずの父上で、兄上はそれを止めようと……でもそのあたりが嘘なら……」

 

 果たして、ひとつの可能性に辿り着いた。

 

「もしかして、黒騎士は兄上ではなく父上の配下なんじゃないのか? 実は父上が儀式を企んでいるのも本当で、”兄上からの勅命”だけが嘘だった。それでお前をそそのかし、僕の身柄をさらいにきたとか……」

 

 しかしレイズは、そこで唐突に一言。

 

「お前、もしかして……ブラコン?」

「ぶら……こん?」

「この場合は、兄貴に偏った愛情を持ってることな」

 

 ニルヴェアがキレた。

 

「誰が偏った愛情だ! 僕は純粋に兄上を尊敬しているだけで……そもそも僕がいつそんな話をしたと言うんだ!」

「いや、態度からにじみでてた」

「態度からにじみでてた!? というかいきなりなんだ、こっちは真面目に話しているんだぞ状況を考えろ!」

「考えてるから聞いたんだよ」

「っ!」

 

 レイズの眼差しはいたって真剣だった。そして口調も。

 

「だって俺は、お前が尊敬するその兄上……『ヴァルフレア・ブレイゼル』こそがこの騒動の黒幕だって考えてるんだからな」

「っ……!」

 

 ニルヴェアは即座に反論しようとした。しかし……できなかった。

 だって、脳裏に過ぎってしまったから。

 そしてそれを言語化するかのように、レイズが告げる。

 

「あの黒騎士がヴァルフレアの勅命を受けたのも真実。ただし、前王の儀式を止めるためじゃなくてむしろ自分がその儀式とやらを行うために、お前の拉致を俺に依頼した……とかな」

「……」

「そもそもだ。剣の都の中枢を操って秘密裏に神威と繋がるなんて、隠居したロートルにそこまでできるか? 今の領主が直々にお目こぼししてるって方が、話としての筋は通るだろ?」

「それ、は……」

 

 ニルヴェアは結局、ただ静かに項垂れることしかできなかった。

 明らかに気落ちした少女に、レイズは「あー……」と困ったような声を漏らして、それから。

 

「その、なんだ……所詮は推測に推測を重ねた暴論だ。そもそも単純に拉致するだけなら屋敷内に潜伏してた”敵”だけで行えば良かったし、だから俺に依頼したりこんな騒乱まで起こす理由もないはずなんだ。そこらへん含めてまだ分からないことだらけなんだから、そこまで気を落とすなって」

「ああ、すまない……」

 

 そう言いながらも、ニルヴェアは俯いたままだ。その姿からは滲んでいる。ニルヴェアが兄をとても慕い、ゆえにショックを受けるその気持ちが。

 だからこそ、レイズはひとつの疑問を持った。

 

「なぁ、なんだってそんなに兄貴が好きなんだよ」

「は? なんだいきなり……」

「いや、依頼のときに軽く聞いたんだけどさ……お前の『レプリ』ってミドルネーム。それってブレイゼルの”本家”と”分家”を区別するために付いてるんだろ?」

 

 ニルヴェアはその問いに目を見開き、しかし静かに頷いた。無言の肯定を受けて、レイズがさらに話を進める。

 

「ブレイゼルの本家はこの領の首都……『剣の都』にあるんだろ。なのにお前は分家だからって首都から遠く離れたこんな片田舎に隔離されてるんだってな。それで思ったんだ。もし俺がお前だったら、本家のトップで領主な兄貴なんて絶対に尊敬とかしてやれねーなってさ」

 

 レイズがそう言いきると、ニルヴェアは「あはは……」と苦笑いを見せる。しかし彼女はそこから怒ることも悲しむこともせず、ただ微笑んで、懐かしむように語り始める。

 

「確かに本家とは色んな意味で遠いし、分家ゆえの不自由だってあるよ。僕を産んだ母は死んだと聞かされているし、今の『レプリ』は僕1人だけだ。物心ついたときから1人だったっていうのは、確かに悲しいのかもね」

「かもねって、お前……」

「だけど僕はたぶん、人が思うより悲しくも寂しくもなかったんだ。だって遠い本家からでも兄上は、ヴァルフレア兄上だけはわざわざ足繁く通ってくれたんだから。それが僕にとっては本当に嬉しかったんだ……まぁ6年ぐらい前からは領主の仕事で忙しいらしくてあまり会えないんだけど、さ」

 

 ニルヴェアはそこで一瞬だけ表情に影を落として、

 

「それに兄上は本当に凄いんだ!」

 

 しかしすぐにぱぁっと明るく光らせた。

 

「あの人は歴代最強の『剣帝』って呼ばれてて……あ、剣帝っていうのはブレイゼル家の当主にのみ代々与えられる通り名なんだけど、要するに兄上は脈々と続くブレイゼルの血筋の中でも最強なんだよ最強! まだ26歳の若さだっていうのにすでに数多くの逸話を各地に残しているし、領主としての人気も本当に高いんだ。僕自身は分家とはいえ、そんな凄い人と同じ血が流れていることを僕は誇りに思っているんだよ!」

 

 兄を語る少女の目は大きく開いて、その蒼い瞳は宝石のようにきらきらと輝いていた。しかし……それもすぐに陰ってしまった。目の前の現実に。

 

「だから……僕はお前の言うことを信じたくない。信じたくないけど、でもそれに一理あるって、そう思ってしまう僕も確かにいるんだ。だから分からないんだ、僕の”これから”が……これからどうするべきなのか……こんな中途半端なままで――」

「どうするべきなのか、なんて誰にも分かんねーよ」

「!」

 

 ニルヴェアが面を上げると、レイズはぶっきらぼうに言い放つ。

 

「結局、大事なのは自分がどうしたいかだ。俺はいつだって俺がやりたいように動いている。だからお前も好きにしろ」

「自分がどうしたいか……僕は……」

 

 ニルヴェアの脳裏に様々な断片が巡った。

 前領主の儀式。黒騎士の真意。巨大犯罪組織、神威。黒幕の正体。尊敬する兄上……

 

(そもそも、僕なんかにできることがあるのか? 変わってしまったこの体で……違う。体がどうとか関係なく僕は分家で、なんの力もなくて、仮にもブレイゼルの血を継いでいるのに、剣のひとつすら……)

 

 誰ひとりとして口を開かない。蒼き月下に静寂が広がった。

 そんな中でも鳴り響くのは……風のざわめき、虫の鳴き声、鳥の羽ばたき。そして、ざくざくと草を踏み分ける、

 

「っ!」

 

 瞬間、レイズが動いた。いきなりニルヴェアへと飛びつき、その体を突き飛ばしたのだ。

 

「っわぁ!?」

 

 考え込んでいたニルヴェアは当然無防備なまま地面を転がった。ならば憤慨するのも当然だ。すぐに体を起こしながら、

 

「おい! なにを」

 

 ズゥンッ!!!

 

「なあっ!?」

 

 ニルヴェアの眼前で、地面がいきなり爆発した。吹き荒ぶ土煙がニルヴェアを覆う。「っ……!」腕で顔を守り、息も止めて……すぐに土煙が晴れていく。

 

「けほっ……」

 

 咳き込みながら腕をどかしたその先に――いた。

 聳え立つ岩のように巨大なシルエットが、土煙の向こう側に。そしてシルエットだけでも分かる。そいつは地面から、巨大な剣を持ち上げていた。

 

「ちっ、話し過ぎたかな……」

 

 舌打ちひとつと少年の声。

 

「!」

 

 ニルヴェアが目を向けると、レイズがすぐそばで立ち上がっていた。

 彼はとっくに気づいていた――草陰から一気に飛び出し、自分たちを斬りつけてきた敵の正体に。

 

「思ったより早かったなぁ、黒騎士さんよぉ!」

 

 返答は、晴れていく土煙の中から帰ってくる。

 

「黒騎士? それは俺のことか。なるほど、当たらずとも遠からず……まぁ悪くない呼び名だな」

 

 ”黒騎士”が勝手にひとりで納得するその間に、もう土煙は晴れていた。

 果たして土煙の中から姿を現したのは、巨大な黒の鎧と担ぎ上げられた大剣。その風体は確かに騎士以外の何者でもない。だがそれを身に纏う男の顔は、やはり武人と言うにはどこか違和感のある小綺麗な顔つきであった。

「自己紹介は一旦省こう。君たちは君たちで、それなりに意見交換をする時間もあったはずだろう? ならば先に用件を伝える方が適切だ」

「「…………」」

 

 少年少女が警戒心を剥き出しにしている中、黒騎士はニルヴェアへと視線を向けた。

 そして目と目が合った、その途端に。

 

「――っ!」

 

 ニルヴェアの背筋をぞわっ……と謎の怖気が走った。

 

(なぜだ? なんの変哲もない黒目。むしろ騎士にしては、戦う人間にしては威圧感が足りない気さえする。そのはずなのに)

 

 だがニルヴェアが自身の体感、その意味を掴むことはなかった。黒騎士が次に告げた”用件”が、ニルヴェアの心を激しく揺さぶったのだから。

 

「お迎えに上がりましたよ、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル様――貴方の兄上、剣帝ヴァルフレア・ブレイゼルの命により、ね」



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1-5 黒の虚実と蒼の真実

「お迎えに上がりましたよ、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル様――貴方の兄上、剣帝ヴァルフレア・ブレイゼル様の命により、ね」

 

 黒騎士が恭しく頭を下げると、その鎧ががちゃがちゃと音を立てた。だがその雑音はもうニルヴェアの耳には入っていなかった。

 

「貴様、今なんて言った……兄上だと!?」

 

 ニルヴェアの頭には一瞬で血が上り、それが怒りの声を叫ばせた。しかし黒騎士は眉ひとつ動かすことなく言ってのける。

 

「ええ。そこの彼から聞いていませんか? 俺の主が誰なのかを」

「それはっ、貴様が勝手に……!」

 

 騙っただけ。そう言いたかったが、

 

 ――だって俺は、お前が尊敬するその兄上……『ヴァルフレア・ブレイゼル』こそがこの騒動の黒幕だって考えてるんだからな

 

 想いは喉でつっかえて、声にならなかった。

 しかしニルヴェアがためらっている間にも、黒騎士はすでに行動を始めていた。彼は自らの腰に付けていた布袋へと手を入れて、そこから何かを取り出してみせた。

 

「これでは証拠に足りませんか?」

 

 黒騎士はその手に掴んだなにかを高らかに掲げた。それがニルヴェアの瞳に映ったその瞬間、

 

「なっ――」

 

 彼女は絶句した。絶句せざるをえなかった。

 その視線の先。黒騎士の手の中で月光を浴び、虹色の光を煌めかせるそれは……大陸でも非常に希少な鉱石で造られたペンダントであった。

 そしてそこに彫られているのは『剣を象る十字と、その背に抱く日輪の紋章』……知っていた。その紋章が、そのペンダントが持つ意味をニルヴェアは知っていたのだ。

 

「ブレイゼル領章……『剣ノ勲章』……!?」

 

 ニルヴェアが愕然と呟いたそのすぐそばで、レイズもまた「ちっ」と舌打ちをひとつして。

 

「越境勲章の上位互換みたいなもんだったか。あれよりさらに希少な鉱石に領章を模した彫刻を掘った勲章……たしか九都市の領主が直々に、直接認めた相手にのみ送る勲章だって話だよな。実物は初めて見たけど……おい、なんであんたがそれを持ってる!」

 

 レイズは威嚇するように大声で問い詰めた。だが黒騎士はあっさりと答える。まるで常識でも語るかのように。

 

「なにを言っている? そんなもの、かのお方……剣帝当人から頂戴する以外にないだろう?」

「嘘だっ!」

 

 否定したのはニルヴェアだった。彼女は黒騎士の言葉、その真偽を考えることなく叫び、そして捲し立てていく。

 

「そんな貴重な物を兄上が貴様なんかに渡すものか! どうせ偽造したか、あるいは正統な持ち主から奪ったか――」

「ひとつ。これが偽物かどうかは、この光を見れば明らかでしょう?」

「っ!」

 

 ニルヴェアの視界の中で、『剣ノ勲章』がちかりと光った。その色は七色の虹。その輝きに気圧されるように黙ってしまったニルヴェアへと黒騎士は語る。

 

「この鉱石が放つ奇怪な虹色は、大陸中を見渡してもこの鉱石にしか出し得ない色です。そしてその唯一無二の特性と希少さゆえに現存するその全てが『九都市条約』によって管理されている。加えてこの鉱石を領章という緻密な形を再現して削る技術もまた、条約により秘匿下にある……そう。全てはこの勲章を、強固な信頼の証として機能させるために!」

 

 黒騎士はまるで演説しているかのように両手を広げて、高らかと語り続ける。奇妙なほどよく通るその声には、他者の口を挟ませない覇気が確かにあった。

 

「ふたつ。言うまでもないがこれはとても貴重な物だ。これを渡す権限は領主当人にしかなく、これを渡されるというのはすなわち領主から直々に、これ以上ない信頼を置かれているということだ。そしてこの場合における信頼とは立場や人格……いや、それ以上に純粋な”力”こそが要となる! なにせどこぞの馬の骨に奪われでもしたら、それだけで領の行方すら左右しかねない代物だからな……ゆえに、逆にお尋ねしたい。もしやとは思いますが……ニルヴェア様はあの剣帝ヴァルフレアが、そんな重要な物を託す相手の”力”を見誤ると。そう易々と奪われるような弱者に託すとお思いで?」

「ぐ……!」

 

 ニルヴェアは歯噛みした。誰よりもヴァルフレアを信頼している彼女は……結局、選ばざるをえなかった。この問答から逃げることを。

 

「そんなもの詭弁に過ぎない! 偽造も強奪も、可能性はゼロにはならない!」

「おやおや、身も蓋もないことを。これでは議論すら成り立たない……」

 

 黒騎士は肩を竦めながらも、しかし口を回すことは止めない。

 

「ではとりあえず、俺の言い分というものも聞いては貰えませんか?」

「なんだと……!?」

「おそらくはすでにそちらの彼から、この事件のあらましを聞いたのでしょう? だがそれはあくまでも一方的な言い分に過ぎない。貴方の言葉を借りれば、彼が嘘をついている可能性だって決してゼロにはならない。そうでしょう?」

「それは……」

 

 ニルヴェアの額からは、じわじわと脂汗がにじんできていた。彼女が感じているのはある種のプレッシャーであった。

 黒騎士の声音、抑揚、口調……その全てが嫌な説得力を醸しだしているのだ。目をそらしたいのにそらせない。耳を塞ぎたいのに塞げない。『この男の言葉には一考の価値がある』そう思わされる。まるで心を侵食されるように。

 ゆえに押し黙ってしまったニルヴェアに対して、黒騎士は再び口を開く。まるで心を喰らうように。

 

「ゆえに俺は思うのですよ。両面から話を聞いて、その上でフェアに……ブレイゼル家に産まれた者として何ができるのか、そうお考えていただければと」

 

 その瞬間、ひとつの声が盾のように割り込んできた。

 

「あんたのペースには乗ってやんない」

 

 それは少年の声だった。聞こえた瞬間、ニルヴェアにかかっていたプレッシャーがふっと緩くなった。

 

「お前……」「おやおや」

 

 ふたりが同時に視線を向けた先には、赤銅色の髪を持つ少年が立っていた。己が愛銃を黒騎士へと向けて、プレッシャーを跳ね返す強固な意志を瞳に宿して。

 

「質問すんのはこっちからだ。黒騎士」

「ふむ……」

 

 黒騎士は少しだけ考え込んだ。が、しかし次の瞬間にはあっさりと言う。

 

「いいだろう。きみには問答無用で殺そうとしてしまった詫びもあるしな」

 

 それはあんまりにも、いけしゃあしゃあとしか言いようのない開き直りだった。ニルヴェアは思わず「ふ、ふざけてるのか……!」と憤慨したが、一方で殺されかけた当の本人は。

 

「んじゃまずはひとつ目だ」

 

 こっちもこっちで面の皮が厚かった。ゆえにニルヴェアひとりだけが頭を抱えた。そんな中、奇妙な質疑応答が始まる。

 

「黒騎士。あんたは偽の依頼で俺を騙して、殺そうとした。それは明らかだし、その理由もおおよそ予想はつく……あんたは俺の死体を屋敷に残して、この一連の騒動の罪を俺に被せるつもりだったんだろ?」

 

 レイズの推理にニルヴェアは驚く、間もなく。

 

「素晴らしい。この状況からよく辿り着いたものだ」

 

 黒騎士当人がいともあっさり認めた上、軽い拍手までして見せた。だからニルヴェアは心底驚く。

 

(なんなんだ、この会話! というかなんなんだこいつら!?)

 

 ついていけないのはニルヴェアひとりだけであった。黒騎士はどこか楽しそうな声音で白状を続けていく。

 

「きみの推理に免じて白状しよう。今回の筋書きは『愚かなナガレの少年が金品欲しさに犯罪組織と手を組んだが、土壇場で裏切られて殺された。そしてニルヴェア様は犯罪組織に攫われて行方不明……』というものだった」

「な、なんだよそれ!」

 

 ニルヴェアは当然怒った。なにせ人を勝手に拉致して、偽造工作まで行うつもりだったのだ。

 しかしその一方で、偽装工作のために殺されかけた少年本人は未だ動揺ひとつ見せない。

 

「そんなこったろうと思った。『俺が屋敷に忍び込んだ』って事実はすでにあるんだ。後は死体とセットで揃えれば、大体それっぽくなる……つっても、ひとつだけ疑問もある」

 

 その瞬間、レイズの視線が一段と鋭く尖った。そして彼の語気もまた、一段と重くなる。

 

「俺の死体が欲しいなら、俺だけを殺せば良かったはずだ」

 

 突き付けている琥珀銃。その引き金はいつ引かれてもおかしくない――二ルヴェアは直感的にそう感じて、同時に思う。

 

(こいつ、本当に怒ってくれているのか)

 

 そんな内心をよそにレイズは問い続ける。

 

「屋敷から離れたところで受け渡して、そのとき罠にでも嵌めればそれで良かった。なのになんで、わざわざ屋敷に無駄な騒乱を」

「無駄ではないのだよ!」

 

 レイズの声と気迫を掻き消すほどに張りのある声が響いた。無論、黒騎士のものである。

 

「騒乱が大きければ大きいほど犯罪組織の、神威の匂いが深まる。それが今回の作戦に欠かせなかったのさ」

 

 その白状に、ニルヴェアの唇がぶるりと震えた。

 

「なにを、言って」

 

 彼女にはなにも理解できなかった。屋敷内の兵士の同士討ちも、アイーナの死も、全部必要なことだった? そんな馬鹿な!

 だがレイズには見えているらしい。黒騎士の描く筋書きが。

 

「なるほどな。屋敷の内部から裏切って、腹の中から金品も人質も全部喰い破ってとんずらか……いかにも神威のやりそうなことだ。犯罪組織としての知名度だってこれ以上ないしな。『これは神威の仕業だ』と決め打ちされれば、その時点で剣の都……ひいては領主様がマークされなくなる。か」

 

 そして黒騎士当人もそこに追従する。

 

「きみの死体ひとつ見つかっただけだと、『果たして誰と手を組んだのか』という線で捜査を進められてしまうかもしれないだろう? それでも構わないといえば構わないのだが……おそらく捜査には越境警護隊の手も入るだろう。あれは小うるさい犬どもだが、犬だけに嗅覚だけはあながち馬鹿にならない。だから我々が”神威に扮して”その匂いを残していく必要があったのだ」

 

 あまりにも易々と白状された全容に、ニルヴェアは愕然とした。

 

「犯罪組織の、偽装? 自分たちが目を向けられないために? そんな、そんなもののために……!」

 

 脳裏に過ぎる、兵士たちの同士討ち。そして己を庇い、死んだ少女が、

 

「お前たちは! 人の命をなんだと思ってるんだ!!」

 

 それはありったけの感情が籠った叫びだった――が、黒騎士は全く動じない。むしろそれによって背中を押されたと言わんばかりに堂々と、分厚い黒鎧に覆われた両腕をぐわっと拡げて。

 

「領にとって民もまた財産! それがこの大陸の共通理念! ゆえにこんなもの、数千の犠牲に比べれば!!」

「なっ! 数千の、犠牲……!?」

「嘘をつくコツは(きょ)(じつ)を織り交ぜること。そして今まで語ったのは虚の面。なれば今からは嘘偽りのない実を白状してみせましょう」

 

 黒騎士はわざとらしいお辞儀を一度見せて、それから語り始める。

 

「神威と前領主との繋がりも、前領主の儀式も、封印の霊薬も全ては本当のことだ。あれを止めなければ数人程度の犠牲では済まない。数千、いや数万を越える大陸最大の災厄と化す!」

「そんな、馬鹿な……」

「その現実はすでに間近に迫っている。秘密裏に阻止しながら前王の目を欺くためには貴方の身柄が今ここで必要なのだ! そうでなくとも……貴方の兄上は、剣帝ヴァルフレアは領主である前にひとりの兄として心配なさっているのですよ。弟君である貴方をね」

「兄上、が」

「彼は本家の人間の中でも唯一、分家である貴方を強く気にかけてここにも足繁く通っていたとお聞きします。もっとも彼が前領主、父上のあとを継いで領主になってからはその責務ゆえに疎遠になったとも聞きますが……それでも、その程度であの御方は愛情を捨てるような薄情者ではない。そこについては貴方自身が誰よりもご理解なされているのでは?」

「多くの、犠牲……僕の身柄、防ぐために……兄上、僕は」

 

 ニルヴェアの頭の中では思考の断片が纏まらず、ぐるぐる回り続けていた。そしてそれに追い打ちをかけるように、黒騎士の声が頭の中へと染みこんでいく。

 

「もう一度言います。ブレイゼル家に産まれた者として、何が正しいのか。貴方自身でご決断いただければと」

(ブレイゼル家に産まれた。僕は、兄上のためにするべきこと、僕は……!)

 

 考えが全く纏まらない。

 視線がうろうろとさ迷い……不意に、レイズと眼が合った。

 彼は黒騎士に向けて琥珀銃を構えたまま、しかし顔はニルヴェアへと向けてただ静かにほほ笑んでいた。

 その途端、ニルヴェアの脳裏に言葉が過ぎる。

 

 ――結局、大事なのは自分がどうしたいかだ。俺はいつだって俺がやりたいように動いている。だからお前も好きにしろ

 

(僕は、何がしたい……?)

 

 視線が再びさ迷って、さ迷って……そして。

 

「あ――」

 

 ようやく視線が止まった。そこには先ほど黒騎士が剣を叩きつけたことにより、陥没した地面が広がって……そして、ある物が転がっていた。

 それは十字の墓、だった物。

 蔦で十字に編まれていた枝は黒騎士の一撃の余波を受けてバラバラになっており、そこに掛けられていたアイーナのペンダントもまた無造作に地面を転がっていた。

 それは泥にまみれながらも月光を浴びて、クリアブルーの輝きをニルヴェアに見せた。

 その瞬間、ニルヴェアは思い出す。

 

 ――ニルヴェア

 

 それはいつかの昔、誰よりも敬愛する人から託された。

 

 ――お前はお前だけの剣を

 

 

「――断るっ!!!」

 

 

 ニルヴェアは理性よりも先に、感情をもって叫んでいた。だけど追いついた理性もまた、その感情を否定しなかった。

 彼女の中で、もう答えは決まっていた。

 

(きっと、屋敷が騒乱に巻き込まれたときからずっと)

 

 ニルヴェアは黒騎士に向き直ると、両足をぐっと広げて仁王立ち。

 

(僕がやりたいことはひとつだったんだ!)

 

 腹の底から決意の声を張り上げる。

 

「人の命を必要な犠牲だなんて軽んじるやつを、僕は決して認めない! たとえそれが、僕の身を救うことになるとしてもだ!」

 

 しん……と空気が静まり返った。

 だがそれもほんの一瞬。黒騎士が、いやに淡々と問い返す。

 

「それは、剣帝の命であっても? 万を超える命を天秤に掛けるとしても?」

「兄上が貴様のようなやつに剣ノ勲章を与えるなんて到底信じられない。その犠牲とやらもお前のでっち上げとしか思えない。だけど万が一……万が一、その全てが本当だったとしても、本当の敵が誰であったとしても!」

 

 ニルヴェアは臆さず言い切る。もう迷いはないから。

 

「その陰謀の全ては、己が(つるぎ)への誓いを胸に正々堂々と立ち向かうべきだ! それが剣の都を治めしブレイゼル家の在り方だ! ゆえに僕は『ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル』の名において、このような人の道を外れた悪行は決して認めない!」

 

 ――お前だけの剣を信じろ。いつだって、真実はそこにある

 

 それこそニルヴェアが自身の兄、ヴァルフレアよりかつて託された言葉であった。

 たとえ体がどう変わろうとも、たとえ状況が混迷の中にあろうとも。蒼の双眸は託された言葉の通りに己の在り方を信じ、貫き、黒騎士を射抜いていた。

 だが、その揺るぎない視線に。

 

「……はっ」

 

 黒騎士はつまらなそうに息を吐き、そしてうつむく。

 

「ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルの名において……か」

 

 次に黒騎士が面を上げたその瞬間、ニルヴェアはようやく気づく。最初にその眼を見たとき感じた、謎の悪寒の正体に。

 

(――そうか、僕が恐ろしかったものはこれなんだ)

 

 黒騎士の黒い両目が、今ではまるで底なし沼のように見えていた。

 

(こいつはきっと、本当は人を殺すことをなんとも)

 

 ニルヴェアの全身が、今度は明確な恐怖に震えた。その直後、

 

代用品(レプリカ)風情が、存在意義に逆らうなよ」

 

 漆黒の巨体が、尋常ならざる速さで踏み込んできた。

 

「っ!?」

 

 己よりも遥かに大きい巨体が一気に迫る。その威圧感は凄まじく、それに気圧されニルヴェアの反応が遅れる中で、黒騎士の大剣がぐわっと持ち上げられた。おそらくは右から左へ横に薙ぐつもりだろう。視えたが、視えただけだった。脚が全く動かない。

 

(まずい。死――)

 

 だがその予感はそこで止まった。ニルヴェアの眼前で、赤銅色の髪がいきなりなびいた。

 レイズが、2人の間に割り込んできたのだ。

 身を屈めた低姿勢で飛び込んできた彼は、そこから一気に跳躍。体を捻って、大剣――ではなく突っ込んでくる黒騎士本体へと蹴りを放つ!

 

(駄目だ! 体格差があまりにも!)

 

 ニルヴェアは思わず息をのんだが、しかしレイズの蹴りが当たったその瞬間、その打点が爆炎をごうっと巻き上げた。

 

「うわっ!」

 

 吹き荒れる風に踏ん張るニルヴェア。一方のレイズは爆破の勢いを利用して反対側へ跳躍。ニルヴェアの目の前へと着地した。

 

(まただ。あの爆発……)

 

 黒騎士から逃げるときに見せた跳躍。そのときと同じく、跳び戻ってくる彼の靴裏からは煙がたなびいていた。つい反射的に問いかけてしまう。

 

「なぁ、今のは」

「下がってろ」

 

 たった一言で止められた。レイズは未だ前を見据えて警戒を崩さない。ニルヴェアもそれにつられて視線を向けると、レイズが上げた爆炎。その残滓である煙の中から。

 

「危ないじゃないか。両足だけじゃなく、胴体まで斬ってしまったらどう責任を取ってくれる?」

「おいおい、『ニルヴェア様』に対して随分と大層な扱いじゃねーか。黒騎士さんよ」

 

 問答している間に煙が晴れきって、黒騎士がその姿を見せる。

 

「無論、彼女の命には敬意を払っている。我々にとって大事な”鍵”なのだから」

 

 黒騎士は、全くの無傷であった。

 しかしレイズは動揺することなく琥珀銃を構えると、再び戦闘態勢へ……

「ああ、それとレイズくん」

「ああ?」

 

 ふと黒騎士が呼びかけてきた。彼の口調はこの場この状況だというのになぜか妙に気さくで、その調子のまま彼は軽々と言い放つ。

 

「我々と手を組まないか?」

 

 …………。

 しばらく沈黙が続いて、それから。

 

「なっ!?」

 

 いの一番に驚いたのはニルヴェアだった。

 しかし、勧誘を受けたレイズ本人はというと。

 

「…………」

 

 ただ黙したまま、戦闘態勢も解かない。ゆえに黒騎士は言葉を重ねる。

 

「ここまで逃げおおせたきみの実力は、ここで殺すにはあまりに惜しい。正直きみが単なるナガレとして収まっていたのが不思議だと思ったくらいだ。だから俺はきみを仲間に誘いたい。無論、報酬は高く用意しよう。その若さでナガレとして旅を続けるなら、それ相応の理由があるのだろう?」

「!」

 

 反応したのはまたしてもニルヴェアだった。

 

(そうだ。僕はこいつがこの依頼を受けた理由をまだ知らない。金か、名誉か、それとも)

 

 ニルヴェアの胸中に不安が渦巻いていく中、黒騎士の語りが続く。

 

「きみが欲しいのはなんだ? 金ならばいくらでも積もう。居場所なら土地を与えよう。地位が欲しいなら、こちらから剣帝に」

「もう、黙れよ」

 

 引き金は、すでに引かれていた。

 

「む――」

 

 琥珀銃から放たれた光弾が黒騎士の顔面へと飛んだ。だが黒騎士は鎧を纏った腕で無造作に防ぐ。着弾、そして爆破。

 

「子供だから楽に殺せるって舐めやがった」

 

 黒騎士の分厚い鎧には、またしてもろくな傷がつかなかったが。

 

「ナガレだから物で釣れるって舐めやがった」

 

 しかしレイズに傷つけるつもりなど最初からなかった。

 

「一々癪に障るんだよ。あんたはもうとっくに」

 

 喧嘩を売る合図になれば、それでよかったのだから。

 

「――俺の敵だ!」



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1-6 騎士と侍

「一々癪に障るんだよ。あんたはもうとっくに――俺の敵だ!」

 

 レイズが真正面から踏み込んだ――その直後、さらにぐっと姿勢を屈めて加速、黒騎士の懐へと一気に潜り込む。銃口を突きつけ、紅い光を迸らせながら。

 しかしその銃の光弾は、さきほど黒騎士には効かなかったはず……だからこそ、ニルヴェアは理解できた。

 

(あのときと同じだ)

 

 レイズは使う気なのだ。暗殺者を倒したときと同じ、あの光の槍を。

 レイズの銃口は黒騎士の右手を狙っている。大剣を握るその手を潰そうとする一撃に、しかし黒騎士はそれを防ぐため左手の方で銃口を塞ぎにかかっていた。

 光弾の威力を侮ったようなその行動を見て、ニルヴェアは再び思う。

 

(あのときと同じだ)

 

 果たして、黒騎士の左手がレイズの銃口と接する。その瞬間、レイズがトリガーを引いた。

 じゅあっ! 槍の形を成した光が、鎧に覆われた左手を一瞬で貫通した。黒騎士の顔があっという間に苦痛で歪む。

 

「ぐうっ!」

 

 突如手のひらを貫き、手甲から生えてきた紅い光。鎧が溶け、肉が灼けて、異臭を放つ煙が上がった。

 

「ふ、ふは」

 

 しかしその中で、黒騎士の表情が。

 

「ははははは! その力、やはり興味深い!」

 

 みるみるうちに変貌した。未だに左手を焼き続ける紅い光に、尋常ならざる笑みが照らされた。

 その額ににじむ脂汗も、否応なしに歪む口角も、全て苦痛の証であるのは明らかで、だというのに。

 

「貴様の中を開いたら、一体なにが出てくるのだろうなぁ!?」

 

 黒騎士は止まらない。左手をさらに前へと突き出して、それを貫く光の発生源である銃口を掴み取り――そのままぐしゃりと握り潰す!

 

「嘘だろっ!?」

 

 レイズが驚愕したその瞬間、ひしゃけた銃口から光が一際大きく瞬いて、ぼんっとあっけない音を立てた。それは琥珀銃が破壊されたことを示す音であった。

 そしてそれを見ていたニルヴェアもまた、ただひたすらに驚愕する。

 

「そんな、無茶苦茶だ……!」

 

 第三者さえも唖然とするほどの所業。ならばそれを受けた当人の驚愕はいかほどのものか。

 レイズは慌てて飛び退き、そしてつい視線を向けてしまった。銃口の潰れた琥珀銃へと。

 それが、大きな隙となった。そして黒騎士はそれを見逃すほど甘くなかった。

 黒騎士はその巨体をもって一気に踏み込み、身の丈ほどもある大剣を軽々と掲げて、そして振り下ろす。大剣は月光を遮り、レイズを覆う黒い影と化した。

 

「っ!」

 

 レイズが頭上の影に気づいて反射的に飛び退く。が、その瞬間――片刃の大剣、その背に”火が灯った”。火はあっという間に炎と化して、レイズを瞠目させる。

 

「っ――!」

 

 直後、炎が大剣を一気に押し込んで、瞬く間に地面を粉砕――ズドンッ!!!

 大地が爆発し、突風が吹き荒れ、土煙がごうごうと舞い上がった。

 その余波は爆発から離れていたニルヴェアにまで及んだ。彼女は思わず腕で顔を覆いながらも、しかしその隙間から爆発の規模を覗き見て、そして衝撃を受ける。

 

「そんなっ――!」

 

 あんな一撃を受けて、レイズは果たして無事で済むのか。

 脳裏に過ぎった最悪の予感。それを振り払うように、ニルヴェアは慌てて首を回して少年の姿を探す――と、すぐになにかが土煙の中から飛び出してきた。

 その小柄な人影は地面を飛ぶように転がって、しかし受け身はしっかりと取り、すぐにむくりと起き上がる。舌打ちをひとつしながら。

 

「ちっ、そーいう琥珀武器か……」

 

 レイズであった。その全身は土で汚れているものの、四肢に目立った傷は見当たらない。ニルヴェアの口から安堵の吐息が漏れた。

 

「良かった……」

 

 ニルヴェアはほっとして、それから黒騎士へと目を向け直した。すでに土煙は晴れていた。視界に映る黒騎士は、大剣を地面に振り下ろした直後の体勢だった。そして地面を抉った大剣、その鍔の辺りから排出音がばしゅっと鳴った。

 

「あれは……」

 

 大剣の鍔から(から)になった琥珀(こはく)が――透明な、こぶし大ほどの結晶が落とされた。

 それを見て、ニルヴェアがようやく気づく。先ほど大剣から噴き出した炎を生み出した”エネルギー”の正体に。

 

(あれも、『琥珀武器』なのか……)

 

 琥珀。

 遥か昔から大陸中に埋まっているそれは『太古からの贈り物』とも称され、現在においては大陸中の多くの機械、あるいは武器の動力として使われている汎用的なエネルギー結晶体である。

 そして今、黒騎士の大剣から排出された琥珀は無色透明。それは琥珀内のエネルギーが尽きたことを示していた。

 ゆえに黒騎士は、自らの腰に付けていた新品の琥珀をひとつ掴んだ。

 砂糖飴のように透き通った黄褐色――大陸では『琥珀色』と称されるその色が新品の証であった。黒騎士は留め具で鎧と繋がれていたその新品を外すと、すぐに大剣の鍔へと嵌め込んだ。それだけで装填は完了。大剣がぶぅん……と重く静かな唸りを上げた。

 黒騎士は再びレイズの方へと向き直り、語りかける。

 

「きみの主力武器は潰した。そろそろ増援も来るはずだ。きみにもはや勝ち筋はない。ゆえにもう一度問おう……我々の下へ来い、レイズ」

「おい、命令形になってんぞ」

 

 レイズは未だに強気を崩さない。だが黒騎士の言う通り、彼の琥珀銃は既に使い物にならない。ならば他に通用しそうな武器は……ない。

 レイズは身軽であった。

 やたらとポケットが多い奇妙な上着(ベスト)。丈夫でありながら通気性も確保された質の良いズボン。それに琥珀銃やナイフを収めるための腰ベルト……それだけが彼の装備であった。

 小物を入れるスペースこそ数あれど、銃以外に目立つ武器といえば精々ナイフぐらい。黒騎士の強固な鎧を破る術がないことは、誰の目から見ても明らかだった。

 だが、それでもレイズは強気を崩さない。

 

「俺じゃなくて力が目当てだって口走ってたよな」

「ああ。それを戦力として重用するか、実験材料に使うかはきみの選択次第だがな。しかし我々は同志を無下にはしない」

 

 レイズと黒騎士が睨み合うその一方で、それを眺める第三者は確かな不安と恐怖を感じていた。

 

(そんな、増援まで……)

 

 ニルヴェアの足が思わず一歩、後ずさった。

 

(違う。逃げるな。あいつを見捨ててなんて……)

 

 だけど同時に思う。

 

(僕がここにいても足手まとい? だったら逃げた方があいつのためにも? でも増援と鉢合わせたら、それこそどうしようも……)

 

 思考がぐるぐる回って定まらない。だが――

 

「大丈夫だ」

 

 そう言ったのはレイズだった。それは黒騎士ではなく、確かにニルヴェアへと向けられた言葉だった。

 

「レイ、ズ」

 

 ニルヴェアがその名を呟いた……直後、レイズが走り出した。ニルヴェアではなく、黒騎士の下へと。

 すると黒騎士もまた迷いなく、片刃の大剣を振り上げた。

 

「最も愚かな選択を選んだな!」

 

 だが2人が交わるその直前、レイズの足下から灰色の煙が噴き出した。少年の姿をあっという間に覆い隠したそれは、黒騎士にとっては屋敷での閃光に続く、

 

「また目くらましか! だが所詮は小細工!」

 

 その声と共に、煙が大きく渦を巻いた。

 黒騎士が大剣を横薙ぎに振り回して風を起こし、煙を絡めとるかのごとくあっという間に散らしてみせたのだ。そして剣を振り回す勢いで弧を描いて背後を向けば、既にレイズが回り込んでいた――今にも立ち上がろうとしている、不格好な姿勢で。

 

「体を、崩したなっ!」

 

 おそらく煙を撒くと同時に転がりこんで、素早く脇を抜けたのだろう。だが立ち上がりが遅い。

 今の中途半端な姿勢のまま背後に飛べば、背中から転がり大きな隙になるのは明らかだ。だが左右への回避では、横薙ぎに振るわれる大剣からは逃れられない。

 そこまでを見切り、黒騎士は嗤った。大剣にさらに力を込めてその勢いを増しながら。

 少年の身の丈よりも巨大な刃で、少年の体が断ち切られるその瞬間を脳裏に浮かべながら、

  

 ――――――。

 

「……あ?」

 

 黒騎士はそのとき、ただ呆然としていた。

 彼は大剣をもう完全に振り抜いていた。だというのに、眼前ではレイズが。

 

「はっ」

 

 黒騎士を嗤っていた。

 

「な、に、を」

 

 ――カチンッ。

 

「!?」

 

 いきなり響いた音の正体を、黒騎士は考えるまでもなく理解していた。なにせその音は剣士ならば誰もが耳にしたことがある、剣を納めたときの一音なのだから。

 

「これでおぬしの剣は潰した」

「っ!?!?!?」

 

 黒騎士の視界の中で、いつの間にか茶色のぼろ布が揺らめいていた。

 正確には、ぼろ布をフードとして纏った何者かがそこに立っていたのだ。腰を緩く屈めた居合の体勢で。そしてその手元とぼろ布の隙間からは鞘に収まった”刀”が見えて――

 

「増援も通りすがりに叩いておいた。おぬしこそ、もはや勝ち筋などないぞ」

 

 その声は、声変わりを終えた男の声帯から出る高さ……ではない。だが女性と断言できるほど高い声音とも言い難い。眼前の何者かに向けて、黒騎士はなんとか言葉を絞りだす。

 

「なんだ、貴様は」

「大した者ではない。通りすがりの(さむらい)でござるよ」

「馬鹿か……」

 

 馬鹿以外、評しようがなかった。

 

「初対面で馬鹿呼ばわりとは口の悪い騎士様だ……まぁそれより、騎士というのも剣に生きる身なのだろう? ならば一太刀交えれば、互いの実力はおおよそ理解できると思うのだが」

 

 自称侍に言われて、黒騎士はようやくある可能性に気がついた。だから首をぎこちなく動かし、振りぬいたままの大剣を見て……可能性は、真実に変わった。

 

「――!?」

 

 黒騎士の大剣。その刃はおよそ半分が失われて……否。すっぱりと断ち切られていた。目にした途端に怖気が過ぎるほど、その切り口は見事な物であった。

 

「あの一瞬で割り込んで、居合切りで断ち切ったと……!?」

「アンタが長々と演説してくれたおかげで、タイミングを合わせる余裕ができた」

 

 会話に割り込んできたのはレイズだった。

 

「っ、貴様……!」

 

 そして自称侍がそこに続く。

 

「うむ。正にその勧誘のあたりでこう、木の影からちらちらとな?」

「ま、それでも銃を潰されたのはさすがにビビったけどな。てかあのときで良かったじゃねーか、出てくんの」

「いやぁ、銃なしで弟子がどこまでやれるのか。見たくなるのが師匠心というものでござろう?」

「弟子じゃねぇし、こっちは体張ってんだよ」

 

 いけしゃあしゃあと軽口の応酬を始めた2人。

 黒騎士はようやく全てを理解した。

 

「あの煙玉は、元より囮のつもりで……」

「分かってんじゃん。ぶっちゃけ体勢を崩したのもわざと。ひひっ、隙を作るコツは”もう一押し”ってな」

 

 少年の悪戯じみた笑みと共に明かされた答え。それに対して黒騎士は……ふっ、と静かな微笑みを見せた。

 

「……なるほど。まったく参ったな。見積もりが甘かったか」

「なんだ。妙に殊勝じゃねーか」

「素直なのは良いことでござる。なにせまだ事を起こす気なら……今度は剣だけでは済まないゆえにな」

 

 自称侍の言葉は明確な脅しであった。黒騎士もそれは分かっていた。

 

「確かに今の一閃なら、この鎧ごと俺を両断できるだろうな」

「つーわけだ黒騎士」

 

 レイズは壊れた琥珀銃をその場に置いて立ち上がり、代わりにナイフを抜いて黒騎士へと突きつけた。

 

「ここであの自称侍に斬られるか、この騒動の裏にある全部を洗いざらい吐くか。今度はあんたが選ぶ番だぜ」

「選択か……仕方ない。こんな形で死ぬのは俺も本意でないからな……」

 

 それは黒騎士の、嘘偽らざる本音であった。ゆえに彼は選ぶ――刃を断たれた大剣をぐっと握りしめて、

 

「これが、俺の選択だ!」

 

 振り上げる。

 それと同時に、自称侍が動いた。脅しは嘘ではない。自称侍は刀に手をかけてすかさず居合の一閃を、

 

「「っ!?」」

 

 自称侍が、そしてレイズまでもが黒騎士から飛び退いた。

 そのとき2人の目に映っていたのは、黒騎士の鎧の隙間から突きだしてきたいくつもの”なにか”だった。

 しかし2人がその正体を見極める前に、大剣が再び火を吹いて地面に叩きつけられた。

 ズドンッ! 本日3度目の爆音と土煙……それが晴れたあとには、ただ地面が抉られた跡だけが残っていた。

 

「ちっ。逃げやがったか……」

「なるほど。離脱のためにあえて琥珀によるブーストをとっておいたのか。妙な触手といい、抜け目のないやつでござるな」

「そうそれ! やっぱなんか出てたよな!」

「うむ。ぱっと見、触手としか呼びようのない見た目に思えたが……やつもおそらく『神威』なのだろう? ならば自らを改造するぐらい有り得ない話でもない」

 

 そう言いながら自称侍はフードを脱いだ。果たして中から出てきた顔は……ぼさぼさの髪を後頭部でまとめた、大人の女性のものであった。

 

「あ、やっぱり女の人なんだ……」

 

 その声は、2人とは別のところから発生した。

 それが誰かといえば、今の今まで置いてけぼりだったニルヴェアなのであった。

 

「…………あっ」

 

 レイズは、やっと彼女の存在を思い出した。

 

「あっ、じゃない!」

 

 今の今まで口を挟む隙が一切なかった。完全な置いてけぼりに鬱憤が溜まっていたニルヴェアは、その分一気に捲し立てようとするが……。

 

「なんだお前! お前、この人、いきなり、お前……なん、なんなんだよ!」

 

 悲しがな、語彙がだいぶ消失していた。なにせニルヴェアからすればこの数分であまりにも色々あり過ぎたのだ。混乱がぎゅっと詰まった語彙のない疑問に、しかしレイズがすぐ答える。

 

「混乱してんのは分かったから。はい、アカツキ説明よろしく」

 

 その言葉に応えて、自称侍がニルヴェアの前に出た。

 

「拙者、名を『アカツキ』と申す。いったい何者かと簡潔に説明すれば……ナガレの侍であり、レイズの師匠といったところか」

「師匠じゃねぇ」

 

 レイズがなにやら訂正して、それから補足を追加する。

 

「えーっとだな……さっき墓作った時に言ったろ? 『師匠みたいな人の受け売り』って。あれがこれだ」

「師匠……侍……ござる……」

「頭おかしいと思うだろ? 俺もそう思う」

「おぬし、師匠をパシりに使っておいて随分な言い草でござるな。昔はもうちょい可愛げが……」

「師匠じゃね~~~」

 

 と、

 

「あの刀捌き! 本当に侍なんですか!?」

 

 ニルヴェアが急に顔を輝かせてきた。レイズが「は?」と怪訝そうな顔をしたかたわらで、アカツキがわざとらしいしたり顔を見せる。

 

「そうそう。かの『桜の都』が支配する『リョウラン領』にて古来より受け継がれし、宵断流剣術の使い手でござるよ。ちなみにさっきのが宵断流居合術『暁ノ一閃』でござる」

「もう命名から侍って感じだ……! お前、すごい人と知り合いなんだな!」

「ほれ、この御仁を見習えレイズ。おぬしに足りないのはこういうアレでござるよ」

 

 2人の視線を一身に受けて、レイズはみるみるうちにげんなりしていった。

 

「心の底からうぜぇ……あのなぁ、大方創作物の知識なんだろうけど、現実じゃ侍なんてもう時代遅れもいいとこだし、ましてやこんなわざとらしい口調なんて……」

「お前、そういうのは風情があるっていうんだよ。分かってないな……」

「レイズぅ~分かってないでござるぅ~」

「ただただうざい! な~も~いいだろ~そんなクソどうでもいいことよりもよ~~~整理すべきことが山ほどあんだよ! てかいい加減色々疲れたし!」

 

 少年がやけっぱちに叫んだ。それに対して、アカツキは辺りを見回しながら答る。

 

「せっかちな弟子だが一理ある。やつらも、おそらくはもう引き上げているであろうしな」

「やつらっていうと……この屋敷を襲ったやつらですよね。でも本当に引き上げたんですか? あの黒騎士を見るに、かなりの執着を感じましたけど……」

「だからこそだ。拙者はあとから追いついた身であるゆえに細かな事情こそ知らぬが……しかしここまで追い詰めておきながらそれでも手を引いたということは、ここが潮時であるということなのだろう。悪事を働くときも、身を引くときも徹底的に。それが神威という組織でござる」

「神威……あの黒騎士の話が本当なら、剣の都と繋がりがあるっていう……」

「ふむ。そこら辺の情報も交換したいところだが……そうだな。まだ神威だと断定まではできんが、ただいずれにせよこの規模の騒乱を引き起こせる犯罪組織ならばやはり引き際も弁えておるのだろう」

「引き際、ですか……」

「うむ。この場における指揮官らしいあの騎士に身を引かせた。それに、屋敷内のそれっぽいやつらや森に居た増援も叩けるだけ叩いておいた。多少は逃がしてしまったが、まぁこれ以上は泥仕合だと向こうも――」

「あ、ありがとうございます!」

 

 ニルヴェアが急に頭をがばっと下げた。

 いきなり飛んできたお礼にアカツキは「む?」と首を傾げたが、それに気づいたニルヴェアは今度は慌てて頭を上げた。

 

「あ、いえ。すみません。でも屋敷が心配だったから、どうしてもお礼が言いたくて……」

 

 その言葉にアカツキは「ふむ……」と少し悩む素振りを見せてから言う。

 

「察するに、おぬしがあの屋敷の主……『ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル』殿でよろしいのでござるか? 男子だと聞いていたのだが、しかし……」

 

 アカツキはまじまじと正面を見つめた。その視線の先、そこには誰がどう見ても金髪蒼眼の少女しかいなかった。柔らかい曲線で形造られた顔。くりっと大きな瞳。それに寝間着の上からでも膨らみが分かる胸……

 

「は、はい。実はこの姿には訳があって」

「いや。みなまで言わなくても構わぬ」

「分かってくれますか! さすが侍……!」

「うむ。リョウランでも稀にあることだ……男子として育てられた。そういうしきたりなのだろう?」

「ちがーーーーーーーーう!!」

 

 ニルヴェアはキレた。それから腕をぶんと大きく振って、とある一点をびしっと指差す。

 

「僕は! こいつに! 女にされたんです!」

「はぁ!?」

 

 指を差されたレイズは目を丸くして、すぐに反論を口に出す。

 

「だからあの霊薬については俺も知らなかったって言ってるだろ! あのなアカツキ、こいつは」

 

 しかしアカツキはすっと手を突きだして、レイズの言葉を堰き止めた。それから一言。

 

「我が弟子よ」

「弟子じゃねぇ」

 

 なんかニヤニヤしながら。

 

「おぬしもスミにおけないなぁ」

「は?」

 

 レイズは、そしてニルヴェアは、意味が分からずにお互いなんとなく顔を見合わせて……

 …………

 ……………………、

 

「「!?」」

 

 少年少女の真っ赤な叫びが、蒼月の夜に響き渡る。

 

「そんなんじゃねぇー!」「そんなのじゃなーい!」



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1-7 これまでとこれから(前編)

 『女にされた』というのは本当に文字通りの意味であり、決してそれ以上でも以下でもないのだ。

 それを少年少女が2人がかりで説明すると、アカツキは「面妖なこともあるものだ」と述べながらも驚くほどではないのか、それとも信じてないのか。とにかくあっさりと流してからこう告げる。

 

「なにはともあれ、ぼちぼち状況整理といきたいのだが……その前に、ニルヴェア殿。貴殿にはやるべきことがひとつある」

「……なんですか」

 

 まだ出会ったばかりではあるが、ニルヴェアはなんとなく悟っていた。このアカツキという人物はおそらくかなり強いのだが、おそらく結構ろくでもない。

 

「あ、露骨に警戒されておるな? いやしかしこれは真面目な話でござるよ。なにせ清潔であるというのは、それだけで人の気持ちを落ち着かせるものだ」

「へ?」

「せっかくすぐそばに湖畔があるのだ。先に水浴びぐらいはしておいた方が今後の相談も捗るというもの。そうは思わぬか?」

「あ。それは……そうかもしれませんね……」

 

 それは、自らの体を見下ろしたがゆえの感想であった。

 森を駆け抜け地面を転がり、ニルヴェアの寝間着はすっかりぼろぼろになっていた。加えて元より体が縮んでサイズが合わないのを、裾を折り曲げて無理矢理着ていた代物だ。鏡を見ずとも、相当みすぼらしくなっているであろうことは容易に想像がつく。しかも問題は服だけに留まらない。

 

(なんか一度意識すると土汚れとか汗のべたつきとか、すごい気になってくる……)

 

 自身の肌までもが相当汚れていることを、ニルヴェアはようやく自覚した。

 ここまで散々汚れた経験は、覚えている限り1度や2度くらいしかない。ゆえにニルヴェアは急にそわそわと、落ち着きを失くし始めて。

 

「なら、すみませんが早速……って」

 

 しかしいざ水浴びを決行しようとすれば、懸念事項がいくつも頭を過ぎった。あれとか、それとか、これとか……

 

「あ、あの。やっぱとりあえず状況整理からしませんか?」

 

 ニルヴェアの中で、全身の不快よりも”懸念事項”が勝った。そしてそのうちのひとつを口にする。

 

「ほら、着替えだってないし……」

 

 だがアカツキは「それなら大丈夫だ」と一言。そしてぴゅう、と口笛をいきなり吹いた。

 

「へ?」

 

 ニルヴェアが首を傾げた直後、森の向こうからガサガサと草木を揺らして――それは現れた。

 細身ながら精悍な四本の足で颯爽と地を駆け抜け、自らの長い首を美しい栗色のたてがみによって彩るその生き物は……

 

「う、馬!?」

「愛馬の『ハヤテ』だ。いざという時のため、最低限の荷物はこいつに積ませておいたのだ」

「な、なるほど……?」

 

 ニルヴェアが目を丸くしたその先で、ハヤテは大人しく佇んでいた。

 その背と側面には少なくない荷物が積まれていたが、彼は重さを感じないかのように堂々とした立ち姿を見せている。

 そんなハヤテの登場を機に、レイズも会話に入ってくる。

 

「なぁ、俺の荷物は? バイクに積んでたやつ」

「ああ。全部は無理だったから、適当に選んでこっちに載せ替えておいたぞ? このまま逃げる可能性もあったし、とりあえず金や服辺りの必需品を……ああそうそう。ニルヴェア殿の替えの服なんだが、おぬしのを貸すことにしたからな。背丈も似ておるし丁度いいだろう」

「いや決定事項かよ! せめて許可取れや!」

「ならば素直にうんと頷いてくれるのか?」

「いや。それは……」

 

 レイズはちらっと、ニルヴェアへと視線を向けた。すると少女のくりっとした両目が「?」きょとんとレイズを見返してきた。レイズの表情がなにやら微妙な感じになった。

 

「アンタの服でもいいだろべつに……」

 

 そんな、微妙に煮え切らない系の男子にアカツキがそっと耳打ちをする。

 

「拙者のではサイズがな……ぶかぶかだとやはり色々見えてしまうでござろう? たとえば谷間とか」

「ぶっ!」

 

 アカツキは少年少女と比べて、頭ひとつ分以上背丈が高い。つまりはそういうことだった。レイズは結局、頭をがしがし掻いてから観念するしかなくなった。

 

「勝手にしろ! 俺は支柱とか焚き火の木でも探してくる! あとついでに見回り!」

 

 それだけを言い残すと、レイズは返事も聞かずに森の中へと入っていってしまった。その背中をニルヴェアはぼけっと見送ってから、首を傾げる。

 

「……支柱?」

「テントのな。本来は鉄製の支柱があるのだが嵩張るから一旦布だけ持ってきたのだ。拙者の荷物を見てそこら辺を察したのであろう」

「えっと……なんというか、すごい手慣れていますね。あいつも、貴方も」

「この状況こそ想定外でも、準備が足らない状況それ自体はよくあることだ……常に準備は怠らず、それでいて非常時への心構えも忘れない。無いなら無いなりに、有り合わせでどうにかするのがそうだな……あやつ風に言えばナガレの流儀、というやつか」

「ナガレの、流儀……生き方……?」

 

 ニルヴェアはゆっくりと、噛み締めるように呟いた。しかしアカツキはおかまいなしに言う。

 

「というかそんなことよりも水浴びでござるよ! 着替えの問題も解決したし!」

「うっ!」

 

 ニルヴェアが痛いところを突かれてうめいた。

 

「なんでそんなに嬉しそうなんですか……」

「男の水浴びはむさ苦しいだけだが、女子(おなご)の水浴びは美しく目の保養になる。それ以上の理由がいるか?」

「えぇ~……」

 

 ニルヴェアは若干引いて、それから恥ずかしそうに俯いた。彼女の頭の中では、最も大きな懸念事項が渦を巻いていた。

 

「分かりました。浴びます。でも……その前に、見えないとこまで離れてくれませんか……?」

「む? こんなみてくれだが、拙者も一応は女だぞ?」

「いや、それはむしろとても分かってるんです。分かってるんですよ」

 

 薄汚れたぼろ布とぼさぼさの髪が目立つが、よく見ればアカツキは美人の部類である。

 

(同じ剣士だから? 兄上にも少し似てる、かも。全体的にシュッとしてるというか、毅然とした雰囲気とか、刃のように鋭い目つきとか。かっこよくて綺麗な顔立ち。だからこそ……)

「アカツキさん。貴方は女性で、つまり僕にとっては異性なんです。だから僕が男として普通に恥ずかしいんですよ!」

 

 その白状に、アカツキはしばらく無言で考えて……。

 

「あれ、マジでござったのか」

「マジですよ!!!」

 

 

◇■◇

 

 

 湖畔の浅瀬は立っていても腹が浸かるくらいの深さで、今の時期は水温も丁度いい。だからニルヴェアは屈みこんで思う存分肩まで浸かり、遠くまで続く水面を眺めながら、自身の長い金髪に手櫛を入れて解きほぐしていた。

 

「なんか、やっと落ち着けるかな……」

 

 長髪にときおり水を掛けてはゆっくりと大事そうに梳いていくその姿は……誰がどう見ても、少女らしい少女にしか見えないだろう。

 だがニルヴェアにとって長髪は別の意味を持っている。ニルヴェアにとってそれはむしろ”男らしさ”の証であった。

 

 ――ブレイゼル領において、男の長髪というのは一種の贅沢だ。

 なぜかといえばこの領では首都たる『剣の都』の名が示す通り、剣に己が正義を誓い、魂を込めて剣を振るう”騎士”という職が栄えているからだ。

 ならばなぜ、騎士が栄えていると長髪が贅沢扱いされるのか?

 理由はごく単純だ。騎士は体を鎧で、頭を兜で覆うのだが、その兜を被るのに長い髪が不必要だからである。

 むしろ髪が長いと被りにくいし蒸れるしで余計なだけ……つまり騎士にとって長髪は贅肉であり、ひいては騎士業に不真面目な証ともとられかねない。そこに元より質実剛健を重んじるブレイゼルの土地柄も併せれば、騎士の長髪が良い目で見られないのは明らかだろう。

 加えてブレイゼル領における騎士とは、基本的には男の仕事として認識されている。ゆえに『騎士の髪は短くあるべし』→『男の髪は短くあるべし』とブレイゼルの領民全体にその風潮が伝わっていった。

 それがこの領と”男の長髪”を取り巻く歴史であり……だからこそ、それが一種の差別的要素として。富裕層とそれ以外を分ける境目として機能しうるのだ。

 身を削り、体を張る男たちにとって長髪が贅肉とされるその一方、その贅肉を楽しむ余裕のある富裕層がいる。あるいは目的を手段に……富裕層として良く見られるために髪を伸ばす者もいた。

 そしてこの領における富裕層の最たる者、領主ヴァルフレア・ブレイゼルもまた髪を伸ばす男の一人であった。

 ただ彼は、長髪を単なる贅沢ではなく、庇護下にある民と一線を引き国を率いる者としての威厳を保つシンボル。そのひとつとして利用していたのだ。

 つまるところ、ニルヴェアにとって男の長髪とは国を率いる男の威厳であり、尊敬する兄上を構成する一要素であり、彼もとい彼女が髪を伸ばしていた理由もそこにあるのだ……とはいえ、当人以外にその想いを知る者はこの場にはいないわけで。

 

清髪剤(シャンプー)でもあれば良かったんだけど、贅沢は言えないよな」

 

 金の長髪を気遣う少女は、まぁ普通に少女にしか見えなかったりするのだが。

 そう。誰がどう見たって、少女にしか見えなかったりするのだが。

 しかしニルヴェア自身はそれを全く意識することなく、満足いくまで髪を梳き終えると。

 

「……そろそろ上がるか」

 

 そう呟いて腰を上げた。すぐに上半身が水から上がり、その胸部に付いている柔らかな双丘も姿を現して――ざばんっ。

 

「っ……!」

 

 ニルヴェアは再び肩まで、いや今度は熱くなった頬を冷やすため口のあたりまで水に浸かって、ぶくぶくぶくぶく……

 

(なんで、なんで、僕はいつか兄上のようなかっこいい男に……なのに、なんでこんなものが……!)

 

 乳房である。乳房がある。

 

(しかも結構大きい……大きいよな、たぶん……他の女性の、む、むねとか、全然みたこと、ないけど……)

 

 水の中で、人差し指を立てて、ちょっとだけ触ってみる……ふにっ。

 未体験な、柔らかい感触が、

 

「~~~~~~~~~~!!!!!」

 

 ニルヴェアは今度こそ、躊躇なく立ち上がった。ざばぁっ! と激しく水面が波打ったが、それを掻き消すほどの大声で自分自身に言い聞かせる。

 

「なにやってるんだ僕は! 状況を考えろ! そうだニルヴェア・レプリ・ブレイゼル! 兄上ならきっともっと男らしく! こ、こんな裸ひとつで動揺なんて! よし上がろさぁ上がろ!」

 

 決意しながら体を反転。陸の方へと顔を向けて――ぼろ布纏った女侍と目が合った。

 

「ウワーーーーーー!!!」

 

 ニルヴェアの体がひっくり返り、水面が再び激しく波打った。しかしすぐに立ち上がり……「っ!」やっぱり体を沈め直して、顔だけを水面から出して叫ぶ。対岸でニヤニヤしている女性(アカツキ)へと。

 

「見ないでって言ったじゃないですかぁ!」

「うひひ。良き反応するなぁ」

「見ないでって! 言ったじゃないですか!!」

「まぁそう邪険にするな。着替えを持ってきてやったのだ」

「着替えだけ置いていってください!」

「それは無理だ。なにせ”これ”も込みでの着替えだからな。おぬしが元々男で服もレイズから借りるというなら、”下”はともかく”上”には困るだろうとな」

 

 アカツキはそう言いながら両手を使って、一見すると包帯のような白く長い布をピンと張って見せた。

 

「侍に興味があるというならば、リョウランの文化も多少は知っておるのだろう? サラシ、というのは聞いたことないか?」

「サラシって。えっと……」

 

 記憶を漁ればすぐに出てきた。それは要するに、女性の胸を押さえる――

 

「ひっ……1人で! 巻けますから!!」

「それは駄目だ。なにせ下手な巻き方をすると形が崩れてしまうし、単純に痛い。女性(おなご)乳房(ちぶさ)とはおぬしが思っているよりも繊細なのだ」

「ち、ぶ、さ」

「男らしく裸なんかでは動じない。さっきそう言っていたであろう?」

「う˝。いや、だからって、人に見られるのは話が別……」

「なんでもいいが、拙者はこれを巻くまで退くつもりないぞ? 実力行使でどかすというならもちろん受けて立つが」

「暴力にも程がある! もういいですよべつに巻かなくたって! どうせ服着るんだから……」

「分厚い寝巻きならともかく、単なるシャツだと透けるぞ? わりと普通に。それでなくとも、尖る」

「……………………………………」

 

 どこと言わずとも、なにと言わずとも、この瞬間だけは以心伝心だった。

 

「――よもや『剣帝』の血を受け継ぐ誇り高きブレイゼル家の男子が、破廉恥な恰好のまま真面目な話をするはずもあるまい?」

 

 

 ◇■◇

 

 

 そんでもって。

 やがて戻ってきたレイズが、持ってきた木材と蔦を使って器用に支柱を組みテントを張っていく。その一方でアカツキもレイズから木材を貰い、手早く焚き火を起こしてから……そこに加えて、もうひとつ。

 アカツキは持ってきていた荷物から小さな鍋と瓶詰の牛乳、そして紙に包まれた角砂糖を取り出すと、ちょっとした料理を始める。

 まずは鍋の中に牛乳を流し込むと、焚き火を使ってひと煮立ちさせる。そこに角砂糖をいくつか落としてかき混ぜれば……出来上がったのは。

 

「ホットミルクでござるよ。砂糖も入っておるからな、疲れた体にはよく効くはずだ」

 

 アカツキは2つのコップにホットミルクを注いで、レイズとニルヴェアにそれぞれ手渡した。

 

「……ありがとうございます」

 

 ニルヴェアはなんかむすっとしながら受け取り、次にレイズが苦笑しながら受け取った。

 

「ったく、こういうとこは普通に気が回るんだもんな……って2人分? アンタはいいのかよ」

「おぬしとの2人行動までしか想定していなかったゆえな。それに、拙者よりもおぬしらの方がよほど疲れておるだろう?」

「そういう話なら、ありがたく貰うぜ」

 

 それから3人で焚き火を囲んで座りこめば、これで一通りの準備は完了した。なんの準備? 決まっている――これまでと、これからと。

 

「さて、それじゃあ俺たちの状況から説明してくぜ」

 

 話し合いの口火を切ったのはレイズだった。彼はこれまでの粗筋をアカツキに説明し始める。

 まずは屋敷に忍び込んだことから始まり、ニルヴェアに霊薬を飲ませ、混迷の中で屋敷を脱出し、アイーナを殺されて、彼女の墓を作り……

 

「――そこに黒騎士が強襲してきた。あとはあんたも知ってるだろ? 隠れて見てたわけだし」

「うむ。拙者の方は屋敷の内外に散らばる敵を倒しつつ司令塔を探していたのだが、そしたらおぬしらと黒騎士が対峙している現場に出くわしたのでな。あとはこっそりと様子を伺いつつ……というわけだ」

「なるほどな。そうだ、屋敷の感じはどうだった? それに、倒した敵も……」

 

 と、レイズはなぜかそこで言葉を止めた。それから、視線をちらりと横へ向けた。そこにはひとりの少女が座っていた。

 レイズのおさがりであるTシャツとズボンはわりと丁度良いサイズ。そんで特徴のひとつである長い金髪は着替え前と同じく首下あたりで括り、もうひとつの特徴である蒼眼は……何故かむすっと閉じていて、彼女はただ静かにホットミルクを啜っているばかりであった。

 そんなニルヴェアの様子に、レイズはアカツキへと小声で尋ねる。

 

「……なぁ、なんでさっきから怒ってんの。あいつ」

「覚えておけ。時に女子と言うのは、秋の空に例えられるほど気難し」

「女じゃないし怒ってない!!」

 

 小声なのに聞かれていたらしい。アカツキが「うひひ」と笑った一方で、

 

(怒ってんじゃん……)

 

 レイズは内心で呆れ、しかし口にはしなかった。なんか知らんけど面倒くさくなる気がする。ナガレの直感だった。

 それが功を奏したのかは謎だが、ニルヴェアもようやく口を開いて話題に参加してくるのだった。

 

「……そういえば、まだ聞いていませんでした。アカツキさんが僕らを助けてくれた理由? というか、都合良くこの屋敷にいた理由。『通りすがりの侍』って仰ってましたけど、まさか本当に通りすがっただけじゃないでしょう?」

「うむ……実はあらかじめレイズに呼ばれておってな。『神威に繋がる依頼があるから、いざという時は協力してほしい』とな。それゆえに屋敷近くで待機しておったのだが、そこで騒動の気配を感じて乗り込んだわけだ」

「なるほど……」

「しかしまったく、師匠使いの荒い弟子だな」

「弟子じゃねぇ」

「とにかく助かりました。貴方のおかげで……ってちょっと待て」

 

 ニルヴェアはふと気づいて、アカツキではなくレイズへと問いかける。

 

「おいお前、これ仮にも”極秘の任務”って触れ込みじゃなかったのか? なにさらっと他人に教えてるんだ?」

 

 しかしレイズはしれっと。

 

「ばっかバレなきゃセーフなんだよ何事も。それにアカツキがいたおかげで助かったのは事実だろ?」

「くっ、確かにその通りだから怒るに怒れない……!」

「ふはっ。生真面目なのは嫌いじゃないけど、もっと器用に生きることも覚えろよ?」

 

 レイズはニルヴェアの歯痒そうな表情を笑いつつ、話を進めていく。

 

「それで話を戻すけど、屋敷の方はどうなったんだ? アンタのことだしそれなりに後始末もつけてあるんだろ」

 

 レイズの提供した話題にニルヴェアも表情を変えた。切羽詰まったように顔を強張らせて、アカツキへと叫ぶように問う。

 

「そうだみんなは! 兵士たちは大丈夫なんですか!? それに宿舎の使用人たちも……!」

「まぁ落ち着くでござるよ」

 

 ニルヴェアの興奮をなだめてから、アカツキは語り始める。

 

「まず宿舎とやらについては分からぬが……しかし敵は屋敷とその近辺。あとはおぬしらが逃げた森の中にのみ展開されておった。それにおぬしらから聞いた話を鑑みても、『騒乱を見せつけて神威の匂いを残すため』に屋敷を荒らすことこそあれど、それ以上被害を拡げる理由はないはずだ。無暗に陣を広げたところで、連携や撤退が面倒になるだけでござる」

「ということは、宿舎は大丈夫……?」

「屋敷以外に被害はない。おそらくな。だが……」

 

 アカツキはそこで迷うように間を置いて――しかしレイズがそこに割り込む。

 

「逆に言えば、屋敷の兵士からは死者が何人出てもおかしくないってことでもあるな」

 

 その言葉にニルヴェアが「っ……!」身を震わせた。レイズの歯に衣着せぬ物言いに、アカツキが溜息をつく。

 

「おぬしなぁ……」

 

 だがレイズの目はアカツキではなく、ニルヴェアへと向けられていた。

 

「真実を知らなきゃ選ぶこともできない。そう言ったのはお前だよな」

 

 ニルヴェアはそれに小さく、しかし確かに頷いた。

 

「……僕のことは気にせず、続けてください」

「あい分かった。気分が悪くなったら言うが良い」

 

 アカツキはニルヴェアが再度頷いたのを確認して、それから話を再開する。

 

「まず、拙者が騒乱に気づいて屋敷に辿り着いた時点で……死傷者はすでに何人か出ておった」

 

 ニルヴェアは、静かに口を押さえた。だが何も言わない。ゆえにアカツキは話を続ける。

 

「だが……そうだな。酷な言い方ではあるが、今思えばだいぶマシな状況だったのだろうな。おそらくおぬしらの捜索に人員が割かれていたのと……兵士の1人に聞いたのだが、レイズ。おぬしも何人か助けたそうだな?」

「あんときゃ邪魔するやつは普通の兵士だろうと撃たざるをえなかったし、”敵”との割合は良くて五分五分だ。だから良いことみたいに言うのはやめろ」

「ふむ。おぬしはそう言うが、その行いのおかげでいくらか信用も得られたのだ。そう卑下するでない」

「ああ? 信用って……」

「要は生き残っていた兵士と協力したのだ」

 

 ニルヴェアの目がはっと開いた。それを見ながらアカツキは語り続ける。

 

「裏切り者は恰好こそ同じだが、身のこなしが明らかに違う。それを拙者が片っ端から叩いて、兵士たちには負傷者の手当てや街の自警団への連絡などを担当してもらったのだ。ああ、そのついでに『屋敷に侵入した少年は賊ではなく、秘密裏に神威を捕えに来た協力者である』とも吹き込んでおいたぞ?」

「それは普通にナイス! でも兵士もよく信じてくれたよな」

「もちろん兵士たちから疑念が消えたわけではなかろうて。しかし状況が状況だ。土壇場で助けに現れた拙者は、少なくとも裏切り者よりかは信用できるだろう。そしておぬしの助けが、その信用を後押ししてくれたわけだな」

「なるほどね……あっ。そういえば兵士に話を聞いたってんなら、俺と一緒にいたこいつのことはなんか言ってたか?」

 

 レイズはそう尋ねつつ、ニルヴェアを指差した。そのことによってニルヴェアは思い出した。今の自分が他人にどう見えているのかを。

 

「そういえば、屋敷のみんなは僕が霊薬で女に変えられたって知らないんだよな……」

「むぅ、それなのだがな……」

 

 アカツキはどこかバツの悪そうな表情と共に語る。

 

「兵士からは『謎の少年とそいつに担がれた謎の少女の2人組』と聞いていた。当然、拙者もそのときは真実を知らなかったわけでな。まぁ疑問には思ったが、レイズが同行しておるなら敵ではなかろうと”謎の少女”も協力者だと言ってしまったのだ。しっかしこうなると、完全に『ニルヴェア』とは別人扱いになってしまうでござるな……」

 

 それを聞いて、ニルヴェアはがっくりと項垂れた。

 

「しょうがない。しょうがないですよ。でも……そうか、やっぱ分からないよな。性別が変わる霊薬ってなんだよって話だしな……」

「まぁまぁ。とにもかくにも、拙者の方から出せる情報はこのぐらいだ。これで”これまで”の情報交換はおおむね終わった……はずだな?」

 

 その言葉にレイズも、そしてニルヴェアも頷いた。

 さて、”これまで”が終わったというならば次に話すべきは?

 

「これでやっと本題に入れるな」

 

 レイズの一言にニルヴェアが首をかしげた。

 

「本題?」

「おう。要は”これから”の話だな」

「これからの……」

 

 ニルヴェアはオウム返しで呟いて、それから静かに考え込む。その一方で、

 

「つっても俺はもう決まってるけどな」

 

 レイズの言葉に迷いはなかった。

 

「あの黒騎士を、そしてこの事件の黒幕を見つけだしてぶっ潰す。俺を巻き込んでくれたことを後悔させてやる」

「ならば拙者も同行しよう」

 

 アカツキもすでに決めていた。

 

「どういう形なのかはまだ分からぬが……今回の事件に神威が深く関わっていることは間違いないでござろう。あるいはあの黒騎士が神威の幹部クラスの可能性もある」

「一応、やつ本人は『神威に扮した』って言ってたけどな」

「最後に見せた触手モドキ。あの手の人体改造は神威の技術に他ならない。もしもやつが改造”された”のならば、ああも明確な自我は残されぬだろう。ならばあれは自分で体を改造”した”。そして改造を指示できるような立場にある……あくまでも推察だが、しかし推察できる程度の可能性があるならば追わない手もない」

「あんたならそういうと思った。今回もよろしく頼むぜ」

 

 あれよあれよと話が進んでいく。

 レイズとアカツキはすでにお互いの方針に納得しているようだったが……ニルヴェアの方はといえば、話を追いかけるだけでも一苦労であった。彼女は会話の中身を遅れて飲み込み、そこで浮かんだひとつの疑問をアカツキへと問いかける。

 

「あの……今の内容から察するに、アカツキさんは神威を追っている。ということですか? なんかあの組織に精通しているみたいですし……」

「まぁ年単位で追っているのは確かでござるよ。なにせちょっとした私情があってな」

 

 そしてアカツキはさらっと答える。

 

「ざっくり言えば仇討ちというやつだ」

「か、仇……!?」

 

 ニルヴェアはいきなり出てきた物騒な単語に思わず驚いたが、しかしそれについて追及する暇は与えられなかった。

 

「まーそんなことより、今はニルヴェア殿。おぬしの選択の方がよほど大事だ」

「!」

 

 なにせニルヴェア以外の2人にとって、今話すべき本題(これから)はとっくの前に決まっていたのだから。

 

「拙者もレイズも、結局はやることなどハナから決まっておるのだ。なにせ我々は『ナガレ』だからな。ゆえに我々は旅を続ける。そこに降りかかるものが火の粉だろうと隕石だろうと、邪魔をするならば斬り散らすのみ。ナガレとはそういう生き物であり、それを選んだのは我々自身だ」

 

 ニルヴェアは、アカツキの話をただ呆然と聞いていた。ナガレ……旅客民という概念はニルヴェアも知っている。それでもそれは、ニルヴェアにとって知らない世界の話であった。

 

(無茶苦茶な理屈だ。でもこれがナガレ。旅客民。旅を宿命づけられた人たちの……?)

 

 どう飲み込むべきなのか。自分は今どう思っているのか。曖昧な気持ちのまま、ただなんとなくレイズへと視線を向けた。

 

(こいつも、そういう生き方を)

 

 しかしレイズはただ黙って、じっとニルヴェアを見つめ返している。

 

(僕の、これから……)

 

 ゆらゆらと曖昧な気持ちが、ぐるぐると曖昧な渦を巻いている。

 

(僕はあの黒騎士と決別した。この事件の首謀者に与しないこと。それが僕のやりたいこと……違う。今必要なのはその先? 具体的な行動? この騒動が許せないのは僕だって同じ。だったらやらなきゃいけないことはひとつ? 僕も、この2人と……)

 

「――だがニルヴェア殿。おぬしは違う」

 

 ニルヴェアがハッと気づいて面を上げた。

 するとその視界にはアカツキが映った。だが……すぐ目の前に居るはずのアカツキは、不思議ともっと遠くにいるように思えた。

 

「おぬしはナガレではない。安住できる家と、安心できる地位がある……無理に我々に付き合う必要はないのだ」

「っ!?」

 

 ニルヴェアの想いは全て見透かされていた。アカツキは一閃を研ぎ澄ますように、その鋭い目をスッと細めてニルヴェアを射抜く。

 

「レイズが拙者を呼びつけたように、実は拙者も拙者でひとつ手を打ってあるのだ。まさかこう使うとは思わなかったが……おかげで、『おぬしを信頼できる筋へと引き渡す』という一手が打てる」

「信頼できる筋って……アカツキさんにも協力者がいるってことですか……?」

「うむ。とはいえあやつは多忙の身。予定の調整が難しく、この街とは別の街で後日落ち合う予定になっているのだが……とにかくその協力者の人格と能力については保証する。なにせあやつは『越境警護隊』の一員だからな」

「それって、たしか条約の下に大陸全体の治安維持に努めるという……」

「その通り。まぁ拙者個人としてあの組織そのものが信用に値するかというとまた別の話になるが……それでもあやつなら、おそらくおぬしの安全を第一にして的確に動いてくれるはずだ。当然100%安心保証とはさすがにいかぬだろうが……しかし考え得る限り、最も安全な一手であるのも確かだ」

「つまり……僕はその人に保護してもらって、貴方たちがこの騒動の全てを解決して安全が確保されるそのときまで待っていろ。というわけですか」

 

 ニルヴェアの解釈に対して、アカツキは首を横に振った。

 

「これは命令ではない。選択肢だ。我々が勝手に決めたように、おぬしも勝手に決めれば良い。もっとも、それを受け入れるかどうかも我々の自由だがな」

 

 それきり、アカツキはなにも言わなくなった。

 

「僕は……」

 

 レイズだって、なにも言わなかった。

 

「僕は……!」

 

 やがてニルヴェアが動かしたのは……口ではなく、手であった。

 彼女はズボンのポケットに手を入れるとそこからなにかを握って取り出し、そして握った手をゆっくり開く……やがて姿を見せたそれに、レイズがぽつりと一言呟く。

 

「アイーナのペンダントか……」

 

 レイズの視線に応えるように、ペンダントに嵌め込まれたクリアブルーの鉱石がちかりと光った。



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1-8 これまでとこれから(後編)

「アイーナのペンダントか……」

 

 ニルヴェアは頷いた。彼女の手の中、クリアブルーのペンダントはただ静かに蒼月の光を宿している。それに視線を落としながら、

 

「ブレイゼルの血は大陸最強の剣士の血統。そのはずなんだ」

 

 ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルは語り始めた。

 

「血統による才覚と、それを開花させる長年のノウハウ。それらを基盤として幼い頃から修練を積み重ねてきた次期当主は、やがて当主の座と『剣帝』の称号を受け継いで大陸中にその名を轟かせる。兄上……剣帝ヴァルフレアだって、僕ぐらいの歳の頃にはすでに大人顔負けの実力を身に付けていたんだ。だけど分家の……『レプリ』の僕はその真逆だった」

 

 ニルヴェアがゆっくりと、手のひらのペンダントを握りしめていく。

 

「分家の血筋っていうのは、要するに予備なんだよ。本家になにかあったとき、その血筋を絶やさないための」

 

 その発言を受けて、レイズは腕を組み考える。

 

「予備だからこんなところに……剣の都から遠い場所に隔離されてる? 剣から……いや、戦いそのものから遠ざけるためか?」

 

 ニルヴェアは表情に影を落として、しかしこくりと頷いた。

 

「予備を戦に関わらせて、そして失ってしまっては本末転倒だ。だから僕は剣士の血筋でありながら、剣を握ることすら許されなかったんだ。それでも兄上に憧れて、剣を握れずとも独学でできることはやってきた。つもりだった……だけど結局はなんの役にも立てなかった。僕はアイーナを護るどころか、彼女は僕を庇って……!」

 

 ぎゅっと、ペンダントが強く握られる。硬質なペンダントはそれを握る手にぐっと刺さり、強く痛みを伝えてくる。それでも、だからこそニルヴェアは握り続ける。もっと、もっと強く。痛みで涙がにじむほどに。

 

「ブレイゼルの血を継いでいるくせに、僕はなにもできなかった! 僕はどうしようもなく無力なんだ! 2人のように誰が相手でも、なんて決して言えない! 僕が旅についていったところで、きっと足手まといになる! そんなのとっくに分かってる! だけど、それでもっ……!」

 

 ペンダントを握りしめたまま乱暴に涙を拭って、ニルヴェアはぐっと頭を上げた。そして今出せる精一杯の声と想いを張り上げる。

 

「お願いします! 僕に力を貸してください!」

 

 レイズもアカツキも、表情ひとつ変えなかった。ただ黙って彼女の声に耳を傾けている。

 

「僕1人じゃこの騒乱の全てを暴き、解決に導くことなんて絶対にできない! だから僕も旅に連れていってくれ! 僕にできることなら、荷物持ちでも雑用でもなんでもする! この命を懸けたって構わない! だから、お願いします。図々しいことだって分かってる。それでも、僕にはもう貴方たちしか」

「理由がない」

 

 レイズの一言。たった一言で、ニルヴェアの息が詰まった。

 

「世間知らずの箱入りで、戦う術もろくに知らない足手まとい。そんなやつを連れていく理由が俺たちにはない」

 

 その厳しい物言いに、ニルヴェアの瞳がレイズからそれてしまった。しかしそれはほんのひと時。ニルヴェアはすぐに再びレイズを見返して、言い放つ。

 

「それでも僕にはついていきたい理由しかない。だからお前たちがなんと言おうと、僕はついていく以外の選択肢を認めたくない」

 

 今度は、レイズの瞳がそれた。彼は視線を落とすと、溜息をついてから言う。

 

「なんでもするとか、命を懸けるとか、易々と言うもんじゃねーよ」

「易くない」

「そう思ってんならなおさら問題だ。命を懸けるっていうのはお坊ちゃんが思ってるほど」

「分かってる!」

 

 少年の言葉は、少女の叫びに堰き止められた。

 

「僕には実感がない。命を懸けた経験がないから、それがどれだけ恐ろしいことなのか僕は知らない。逃げ出すほど怖いのか、それとも耐えられるのかなんて、実際に命を懸けなきゃ分からないんだ。だったら僕にとってそれはためらう理由にならないんだ……今のところは、な?」

 

 ニルヴェアは小首を傾げて、茶目っ気混じりにほほ笑んだ。彼女の蒼い瞳には、唖然とした少年の顔が映っていた。

 そんな2人のすぐそばで、アカツキがくすりと笑う。

 

「ああ言えばこう言う、か」

「あのなぁ……」

 

 レイズはたまらず頭を描いた。言うべき言葉を探すように、困った顔で視線をさ迷わせて……やっと開いた口から、問いがひとつ吐き出される。

 

「なんでそこまで頑なになる。それは使命感か? 復讐心か? それとも……」

「全部だ」

 

 ニルヴェアは断言した。

 レイズが目を見開き、それからなにかを言おうとするが、

 

「ブレイゼル家として悪事は見過ごせない。それもある」

 

 彼女は問答無用で喋り続ける。

 

「屋敷に戦いをもたらした者を許せない。それもある。だけどなにより……」

 

 ニルヴェアはそこで一度言葉を切ると、持っていたペンダントをズボンのポケットにしまって、代わりに別の物を取り出した。

 

「僕は僕の剣から逃げたくないんだ」

 

 それは……鞘に収まった短剣であった。

 短剣の鞘にはさりげなくも緻密な装飾が施されており、高級品だと一目で分かる代物だ。ニルヴェアはその鞘から短剣を静かに引き抜いた。

 するとすぐに鞘の中から光がきらりと瞬いて……月光を反射するほどによく磨かれた刀身が、その姿を現した。しかしよく見ればその刃は潰されており、なにも切れないものだと分かる。

 短剣はあくまでも、儀礼用に作られた(なまく)らであった。それでも。

 

「この短剣は幼い頃に兄上から貰ったんだ……僕はそのとき、兄上から『剣の誓い』も一緒に授かった。ブレイゼルにおいてその儀式は、そうだな……たとえば初めて真剣を手にしたとき、騎士になったとき、あるいは偉大な功績を成したとき……明確な決まりはないが、そういった節目に行われる慣習となっているんだ。師や王、父など自らの先達に導かれて、僕らは剣に誓いを立てる。己が剣を振るうその意味を忘れないために、何度でも……」

「ならば、おぬしが剣に誓ったものとはなんなのだ?」

 

 口を挟んだのはアカツキだった。それは興味本位か、はたまたなにかを試すためか。いずれにせよ、彼女もまた剣士である。そんな彼女の問いに、ニルヴェアはためらうことなく答える。

 

「兄上のような武人を目指す。どんなやつより強くて、なによりもまっすぐで、誰よりもかっこいい。そんな男を目指すんだと、僕はあの人の前で誓ったんです」

「……その兄上は、剣帝ヴァルフレアは目下『神威と組んでいる』という疑惑がかかっておるのだぞ。このまま先に進めば、敵対する可能性だってあろう」

「分かっています……と言うには、やっぱりまだ実感がないだけなのかもしれません。だけど少なくとも今は思うんです。この先になにが待っていようと、あの日の誓いは変わらないし、変えるべきじゃないし……変えたくないって」

「分かった。ならば拙者から問うことはもうない」

 

 そしてアカツキは視線をレイズへと送った。それを合図にレイズが口を開く。

 

「断ち切ってこその”剣”だろ」

 

 レイズはなんの遠慮もなく、ある種の核心を貫いた。

 

「他者を害し、命すら断ち切る力がそこにはある。だからこそ、それを振るう意味を問い質すことにも意味が生まれる。それぐらいは部外者の俺でも分かるよ……だけど逆に言えばさ、なにも斬れない偽物(おもちゃ)になにかを誓ったところで、そんなものは子供のごっこ遊びに過ぎないんだ」

 

 ニルヴェアの短剣の無力さ。それをレイズは知っていた。なぜならレイズは一度、その偽物を素手で握っているのだから。

 だけど、それでも。

 

「返す言葉もないよ。本当にその通りだ」

 

 ニルヴェアは率直に認めながらも、未だに口を閉ざさない。ああ言えばこう言うのを、止めない。

 

「この剣は僕だ。刃はみてくればかりの鈍らで、誓った想いさえも所詮は子供の夢物語で。それでも……」

 

 だってニルヴェアの心には、いつだって刻まれているから。

 

「兄上は応えてくれたんだ。『お前はお前だけの剣を信じろ。いつだって真実はそこにある』って。僕はなにがどうなったとしても、それだけは信じ抜きたい。うん、そうだな。僕はあの日の誓いをごっこ遊びで終わらせたくない。だから僕は、2人と行くことを選びたいんだ」

 

 ニルヴェアはそこまで言いきると、ふぅと息を吐いて。

 

「僕に言えることはこれが全部だ。あとはお前が決めてくれ」

 

 その言葉を合図に、レイズもまた息を吐く……溜め込んだものをゆっくりと、

 

「はぁ~~~~~……」

 

 全て押しだすように吐いて、吐いて、また吐いて。言葉通りの溜め息を、心の底からの呆れを、これでもかと吐き出してから……思いっきり叫ぶ。

 

「ほんっとうに頑固で不器用なんだなお前は! なんか薄々気づいてたけどさぁ!」

「僕は頼む側なんだから、全てを包み隠さず誠実に話すのは当然だろう」

「ったく、もう少し器用になった方がいいって言ったろうに……」

「おぬしも大概不器用なくせにか?」

 

 アカツキはいきなり一言挟むと、なにが面白いのかすぐにくつくつと笑い始めた。

 それにニルヴェアは目を丸くしたが、レイズの方は重ねて溜息を吐いていた。

 

「どいつもこいつも……」

 

 レイズはぶらりと両手を上げた。それは要するに……降参の証であった。

 

「ぶっちゃけさ。連れていく理由とおんなじぐらい、連れていかない理由もなかったんだ」

「……え?」

「すげー身も蓋もないこと言っちゃうけどさ、ブレイゼルのお坊ちゃんを護衛すんならともかく、世間に『ニルヴェア』と認識されていない謎の少女が旅の中で死んだって、俺たちはべつに損しないわけだ。マジで損得の話だけで言えば、足手まといになった時点で切ればそれで済む。お前にとっちゃ気の悪い話だろうがな」

「いや、それは気にしなくていいんだが……つまり?」

「べつにどっちでもよかったんだけど、連れていきたい理由ができちまった」

 

 ニルヴェアの表情がじわりと変わっていく。レイズの言葉と共に。

 

「譲れない物があるならなにがなんでもまかり通す。それがナガレの流儀ってもんだ。そうだよな、アカツキ」

「それって……!」

「要するに、こやつは最初からおぬしをつれていく気でいたということだ。まことに不器用なやつだな」

「おい待て。生半可な気持ちだったら置いていく気だったぞ……なんだアカツキその顔! マジだからな! っておい、お前も笑うな!」

「はは。あの厳しい物言いは僕を試していたからか。確かに不器用なやり方かもな」

「ぐ……べつにそんなんじゃねぇって!」

 

 少女が無邪気に笑い、少年は顔を赤くして声を荒げた。

 

「一時の衝動とか変な使命感だけなら置いてくつもりだったのは本当だ! ただ……その、だな……」

「ただ?」

「……お前は違うんじゃないかって、なんとなく思った。その中身に興味があったからむりやりにでも覗いてみたかった。そんだけだ」

「それで、僕はお前のお目かねに叶ったのか?」

「知らねーよ、まだ会って1日も経ってねーのを忘れたか? ま、だけどさ……譲れないならまかり通す。他ならない俺自身がそう決めてるんだ。なのに意地でも譲る気のない頑固者を放っておくのはなんつうか、流儀に反する気がした。そんだけだよ」

 

 レイズの言葉はぶっきらぼうで投げやりなものであった。だが、

 

(結構優しいやつ、なのかも)

 

 ニルヴェアの胸中に、不思議な想いがじわりと広がっていく。

 

(最初、さらわれたときはなんだこいつって思ったけど)

 

 ニルヴェアは自然と思い返していた。レイズが屋敷の兵士を裏切り者から助けてくれたこと。その一方で、暗殺者に対しては容赦なき強さと怖さも見せていたこと。

 

(正直、まだ分からない面もたくさんあるけど)

 

 だけどレイズはアイーナの墓を共に作り、祈ってくれた。こちらの決意を厳しく試して、真剣に向き合ってくれた。

 

(信じてみたいって、そう思ってる。『己の剣を信じろ』、なら僕は……)

 

 ニルヴェアが考え込んでいる、その一方で。

 

「そういえば」

 

 アカツキが不意に口を開いた。

 

「連れていく理由がないとレイズは言ったが、とっておきの理由がひとつあるぞ?」

「え?」

 

 ニルヴェアが面を上げると、そこにはニヤリと意地の悪い笑みがひとつ。

 

「やつらの狙いはニルヴェア殿だ。ならばやつらを引き寄せる餌として、これ以上の存在もあるまい?」

 

 その言葉に一瞬だけニルヴェアは怯んだ、が――しかし一瞬だけだった。

 

「望むところです!」

「その意気や良し!」

 

 パンッ! とアカツキが両手を叩いた。

 それが終了の合図であることを、ニルヴェアもレイズもすぐに理解した。長くて短い夜が、ここにようやく終わりを告げようとしていた。

 

「次の夜明けと共にこの街を出るゆえ、2人とも今日は早く寝ると良かろう。とはいえニルヴェア殿としては、こんな粗末なテントでは寝苦しいでござるか?」

「大丈夫です! 野宿の練習ならしたことありますし!」

 

 なぜだか妙に自信満々なニルヴェアであった。そんな彼女にレイズは苦笑しながらも聞いてみる。

 

「なんだよ野宿の練習って」

「たまに街や森に抜け出すって話したろ? その一環でやってたんだよ。だってほら、騎士団は遠征のとき野営もするから、それに倣って……」

 

 なんて語りながら、ニルヴェアはレイズへと目を向けた。すると目の前には、右手が1本差しだされていた。それはレイズの手であった。

 

「なんか、案外楽しい旅になるかもな」

「えっと……」

「しばらくは一緒に旅する仲なんだ。よろしく頼むぜ、『ニア』」

 

 ニルヴェアは差しだされた手の意味をようやく理解した。その瞬間、彼女の言葉も手も自然と出ていた。

 

「ああ! こちらこそよろしく頼む、レイズ!」

 

 終わりと始まりを司る蒼い月。それが見守る夜の終わりを彩るように、少年少女は新たな絆の産まれに握手を――結ぶその寸前で、ニルヴェアがふと気づく。

 

「いやちょっと待て。なんか今、変に略さなかったか!?」

「おう。ニルヴェアって微妙に呼びにくいんだよな。こう、ルヴェの辺りが」

「だからって丸々抜くな! ていうか『ニア』って、お前、なんか、女みたいなあだ名じゃないか!」

「いいじゃん今は女なんだし」

「あ˝あ˝!?」

「うむうむ。ところでニア殿?」

「えっ、アカツキさんまで!?」

「これは重要なことなのだが、おぬしって今何歳なのだ?」

「は? いや15ですけど……そんなことより、そのあだ名はやめてください!」

「おお、レイズと同い年か! へぇ、はぁ、ほ~~~ん?」

「え……?」

 

 ニルヴェアは驚いた。さらっと知らされた新事実……レイズが自分と同い年であることに。

 するとレイズがずかずかと、ニルヴェアへと詰め寄ってきた。

 

「おいこら、その『え……?』ってなんだ!」

「あ。いやべつに」

 

 ニルヴェアは慌てて口を閉じたが間に合わない。己と同じ高さの目線を持つ少年が、くわっと両目を吊り上げてきた。

 

「誰の服着てると思ってんだ! 大体一緒のサイズだろおらっ!」

「でも僕、女になって結構縮んだし。正直僕の1、2歳ぐらい下かなって考えてたんだけど、そうか同じ歳かぁ……」

 

 へぇ、はぁ、ふぅん。

 ニルヴェアはこれみよがしに感心してみせた。それは妙なあだ名を付けられた仕返しであったが、しかし復讐は復讐を呼ぶ。それが世の常だ。

 

「良い度胸してんなニアちゃんよぉ……!」

 

 レイズが額に青筋を浮かべた。譲れない物があるならば罷り通すのがナガレの流儀。彼は容赦なき報復のために大股で歩み寄って。

 

「なんならここで格の違い、うぉっ?」

 

 レイズの足をしれっと引っ掛けた足が1本――アカツキの足であった。

 気配を完全に消した上で、極めてさりげない奇襲……無駄に精密な高等技術が、レイズの体勢を一気に崩した。

 

「アカ、おまっ!」

 

 完全な不意打ちを喰らったレイズは全く成す術なく倒れ込む。彼ができることといえば、反射的に両手を伸ばすことくらいであった。

 しかしレイズは忘れていた……伸ばした手の先に、ニルヴェアが立っていたことを。

 

「どわぁ!」「うわぁっ!?」

 

 必然的に少年少女はあっという間にもつれこみ、2人一緒に倒れこんで。

 

「うひっ」

 

 アカツキが変な笑い声を発したその先で、少年少女は固まっていた。

 

「お、うわ」

 

 少年の喉から、上ずった声がひとつ。彼の突き出した手のひらは今、少女の胸のあたりにしっかりと乗っかっていた。

 少女は、固まっていた。

 

「わ、わ」

 

 少年は顔を真っ赤にして、転げ落ちるように少女から離れた。そこにアカツキがすかさず屈みこんでインタビュー。

 

「感想は?」

「え、あ、なんかつぶれ……あ、サラシか!」

 

 ――ズドンッ!

 どてっぱらをぶち抜く右ストレートが炸裂した。

 もちろんニルヴェアの右が、レイズの腹へと、である。レイズはたまらずその場に崩れ落ちた。

 

「おまっ、箱入りのくせに、中々の、キレ……!」

「わははははは想像以上に見事な入り方だなさすがだぞ我が弟子!」

「なに言ってんですか!? なにやってんですか!?!?」

 

 ニルヴェアは顔を真っ赤に染めて、思いっきり怒声を上げた。ぴくぴくと痙攣するレイズを後ろに残して。

 

「いーっひっひっひ。いやなに、これも勉強というやつでござるよ。我々の仲間になるというなら覚えておくべきだと思ってな」

「はぁ……?」

 

 ニルヴェアは顔をしかめて、いかにも胡散臭い物を見る目をアカツキへと向けた。しかしアカツキはそんな視線を意に介さず、むしろ面白いと言わんばかりに楽し気な声音で言い放つ。

 

「ナガレとは自由な生き物だ。そして自由というのは無軌道でたちが悪い。早いうちに慣れておかねば、振り回されてすっ飛ばされてしまうぞ?」

 

 頭がくらっ……とした。

 ニルヴェアにはこの立ち眩みが、単なる気のせいだとは思えなかった。

 

(なんだか胡乱な人たち。先行きの見えない陰謀……それに加えて、訳も分からず変えられたこの体……)

 

 ――己の剣を信じろ。いつだって、真実はそこにある

 

 尊敬する兄上はかつてそう教えてくれたけど。

 

(兄上。僕は本当にこの心を、この人たちを信じて大丈夫なんでしょうか……)

 

 ニルヴェアはたまらずに空を仰いだ。彼女の蒼い瞳に映るのは、同じような蒼さを湛えた月ひとつ。終わりと始まりを司る光に見守られて、少年(少女)ナガレ(少年)の旅がここから始まる。




1章完結。2章はワクワク古式ゆかしいTSラブコメ編です。


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第2章 意地っ張りと意地っ張り
2-1 旅客民とナガレの誇り


 大陸というのは、かつてこの世界にひとつだけのものであった。

 その大陸には無数の人類が住まい、そして英知と栄華の極みにあった。しかし人類は愚かにもその極みをもって大陸中を巻き込むほどの戦争を起こし、やがては多くの命と共に大陸そのものを砕き割ったのだという。

 そしていくつかに割れた大陸と共に人類は散り散りになり、その力は大きく衰退した。

 しかしそれでも人類は、方々の大陸でなにやら好き勝手に立ち直ってきていた。

 やがてかつての文明が『旧文明』と名付けられるほど遠い昔となったとき、とある大陸の人々は自分たちが住まうそこに名前を付けた――グラド大陸、と。

 

 そして時は流れて現在。そのグラド大陸には今、大きく分けて2つの脅威が幅を利かせていた。

 ひとつは獣。

 やつらは人よりも屈強かつ多種多様。その上で弱肉強食の理に支配された、純粋な暴威である。そんなやつらとの戦いこそが、グラド大陸の歴史を築いてきたと言っても過言ではない。

 しかしその傍らで、新参者とも言えるもうひとつの脅威が徐々に頭角を現し始めていた――それこそが、人の悪意であった。

 

 遡ること30年前。

 『十都市条約』が結ばれたことにより、グラド大陸の中で最も大きい十の国々が初めて繋がり一丸となった。正確に言えば彼らは”国”であることを放棄し、”領”として条約の下に属することを選んだのだ。

 その当時、大陸中の国々はその大半が疲れ果てていた。元より絶え間なき獣の脅威に。その中でも終わることのない国同士の戦争に。

 数多くの国が勝手に産まれては滅ぶ中、十の大国が選んだのは『条約の下に団結して、この大陸から争いを排すること』だった。

 これにてめでたしめでたし、となればよかったのだが……国が繋がったその裏で、繋がってしまった悪意があった。

 それまで国々で勝手に活動していた悪党たちが国境を越えて手を組み、あるいは抗争を始め、独自のネットワークを築き始めたのだ。

 大陸を牛耳る野望を抱えた者。単純に闘争や略奪を望む者。あるいは秘密裏に『旧文明の遺産』を研究する者……彼らが裏で関わり合うその中で『神威』のような一大犯罪組織が産まれたのはひとつの必然だったのかもしれない。

 

 そういった事情ゆえに条約は、幾度かの改定を経て定めた。

 『民もまた領の財産』という理念の下、人の悪意と獣の暴威から民を護るため、全ての街や村に一定以上の防壁を築くことを。そして民の街から街、あるいは領から領への移動を記録、管理し一定の制限下に置くことを。

 しかしそれにはリスクが伴った。せっかく大陸中が繋がったのに人の流動がないのでは、経済が回らず技術発展なども望めない。それに加えて、大陸に元から居た『流浪の民』と呼ばれる一派や旅の商人、あるいは流れ者の傭兵など、旅を生活の基盤とする者は数多く、彼らからの批判も相次いだ。

 

 ……ここまで来れば、察する者もいるだろう。

 そう。『ナガレ』――正式には『旅客民』と呼ばれるその地位は旅する者たちの受け皿であり、そして彼らを通じてグラド大陸全体に様々な物を巡らせることで大陸を活性化させる。そのために作られた地位なのだ。

 しかしそんな出自ゆえに、旅客民に就いている限り定住は決して許されず、大陸全体への貢献のために旅を続けなければならないという決まりも生まれてしまった……そんな文面をだけを見ればまるでちょっとした流刑かなにかのようであり、実際に『地位を剥奪して旅客民として追放する』という刑も地域によっては存在している。

 しかし定住を許されずとも、たとえ旅を続けることがどれだけ厳しくとも……この大陸から旅客民は失われなかった。

 なぜならば、一定の義務と引き換えに得られる『旅をする権利』にはそれだけの魅力があるからだ。その権利は単に旅をしていいという許可だけのものではない。その一言にはいくつもの特権ともいうべき権利が内包されているのだ。

 そのひとつが、例えば――

 

 

◇■◇

 

 

 涼しげなそよ風が森の木々を揺らし、ゆっくりと登っていく朝日が湖をちかちかと照らしている。そんな爽やかな明け方に、少女の甘い声が響き渡る。

 

「うわ、わ、ふわー……」

 

 金髪蒼眼の少女ニルヴェアはその小さな両手を存分に動かして、目の前に広がる栗色の毛並みをわさわさとかき分けていた。

 

「すごいな。この滑らかな触り心地……」

 

 ニルヴェアの前に立っているのは一頭の馬であった。アカツキの愛馬ハヤテ。彼は主人以外の無遠慮なわさわさにも、微動だにせず立派に佇んでいる。

 

「でもその下の筋肉はすごいがっしりしてて……相当鍛えられてるんだろうな……」

 

 ニルヴェアが感心する一方、隣ではアカツキがうんうんと頷いていた。

 

「ハヤテはリョウラン領の中でも有名な名馬2匹のサラブレットだ。毛並みも体格も掛け値なしの一級品だぞ?」

「はぇぇ……うわー……かっこいいなぁ……」

 

 ハヤテを延々と撫でまわし続けているニルヴェア。しかしそんな彼女の背から、どこか投げやりな声が届く。

 

「おいおい。この領には騎士なんてごまんといるだろー? 仮にも首都に『剣の都』って名前が付いてるんだし。なのにたかが馬のなにがそんなに珍しいんだか……」

「そこなんだよ!」

 

 ニルヴェアが、大声と共にぐるっと振り返った。するとその視線の先にいたのは、地面に座り込んでいたレイズだった。

 

「わっ、なんだなんだ!」

 

 いきなりの大声にレイズは驚いたが、しかしニルヴェアはそれを気にも留めず意気揚々と語り始める。

 

「レイズ。確かにお前の言う通りブレイゼル領には騎士が大勢いるし、その乗り物といえばやはり馬だ」

 

 少女の頬。その白い肌がほんのり紅く色づいていく。

 

「竜騎士というのも浪漫あるけどあいにくブレイゼルに竜はいないし、そうでなくとも騎士の王道と言ったらやっぱ馬だろう! 洗練された細身の内に強靭な膂力を秘めた、質実剛健を体現するその肉体! そして寡黙で忠義に厚い、騎士に通ずるその性格!」

(馬にも色々いると思うんだけど、ツッコむと間違いなく面倒くさくなるな)

 

 レイズは内心でこっそり思い、それの代わりに当面の疑問を口にする。

 

「いや。俺が言いたいのは騎士が栄えてる領ならそれこそ馬なんて腐るほど見るだろって話で……」

「自分で言うのもなんだが、僕は箱入りだぞ」

「……? や。よしんば騎士と会う機会がなかったとしても、貴族なら愛玩や乗馬用に1頭や2頭……」

「そういうのって基本的に小柄で安全なやつだろう? それなら屋敷にも昔いたし、僕も乗ったことあるけど……あれは馬であって馬じゃない……」

「馬過激派かよ……でも、それじゃあなんだ? お前はまさか馬を1回も観たことがないっていうのか?」

「遠目では何回か観る機会もあったが、それだけだ……この街は長らく平和だった。だからこそ僕という”予備”が住んでいたわけだし、平和なところに騎士が来る理由もない」

「まぁ、そう言われりゃ……そういうもんか……?」

「なんだよ。随分頑なだな」

「あー、なんつうか……ピンと来ない……?」

 

 レイズが首を傾げたその直後、

 

「旅を続けていると、ある種の実感が薄まっていくのでござるよ」

 

 横合いから割り込んできたござる口調に、ニルヴェアもまたきょとんと首を傾げた。

 

「ある種の実感?」

 

 ニルヴェアが顔を向けると、そこにはぼろ布纏った女侍ことアカツキが立っていた。

 

「一般的に人は自らの産まれた街と、精々その2つ隣の街までの世界しか知らないまま日々を過ごしていくものだ。条約により移動に制限がかけられた今の世なら尚更な」

「……あ!」

 

 ニルヴェアがなにやら閃いて、それからぐるっとレイズの方に向き直った。

 

「根本から違ったんだ!」

「なに、どういうことさ?」

 

 未だピンと来ないレイズに、ニルヴェアが説明を始める。

 

「僕とお前じゃ文字通り世界が違うんだ。お前は旅をしてきたから色んな”移動手段”を見てきたんだろうし、たぶん地域によっては生き物を積極的に使うところもあるんだろう。だから『馬くらいそこら辺で見るんじゃないか?』という感覚があるんだと思う。だけど少なくともブレイゼル領の一般の民において、普段目にする移動手段なんてものはひとつしかないんだ」

 

 そこでニルヴェアは一度言葉を切って、それから突然問いかける。

 

「ところでレイズ。お前はたしか単車(バイク)を使ってるとかって言ってたよな?」

「え? お、おお……」

 

 ――なぁ、俺の荷物は? バイクに積んでたやつ

 

 それはレイズが昨晩の会話でちらりと話していたことだった。

 

「つっても、今は街の中に置きっぱなしだけどな」

「でもとにかくお前も”車”を使ってるんだろう?」

「まぁな。そりゃ今のご時世……って」

 

 そこでレイズは気づいた。とあるひとつの事実に――九都市条約が定めたある制約に。

 

「そっか。普通は車だよな、特別な理由でもない限り」

 

 ニルヴェアは頷いて、それから話を引き継いで続ける。

 

「正確には公共の乗合自動車(バス)が民にとって基本的な移動手段なんだ。獣の脚より速い速度と、獣の牙を通さない鉄の箱は何よりも手早く安全で、しかも一度にまとめて送れるからその行き来の管理や記録の手間も削減できる。ならそれを使わない理由もないだろ?」

「つーかそもそも、馬みたいな生き物だって条約で規制されてる移動手段のひとつだもんな。ってなると自然と見れる場面も限られてくる、か……」

 

 旅客民の大きな特権。そのひとつがこのグラド大陸において、個人で”移動手段”を持てることであった。

 街が城壁に護られ、民の移動に制限がかかっているこの大陸において、個人で移動手段を持てる地位はごく限られている。

 領を護るための武。あるいは旅をするための脚。それらが本当に必要な人間にのみ、移動手段の所持は許されているのだ。そのひとつが旅客民なのである。

 

「なるほどなぁ。旅続きでそこら辺あまり意識してなかったし、田舎でもナガレの1人や2人立ち寄るだろと思ってたけど……」

 

 レイズはアカツキの愛馬へと視線を向けてから言った。

 

「車なんてものがあるご時世、ナガレだって移動に生き物を使う方が珍しいんだ。そりゃところによっちゃ見る機会なくてもおかしくないか」

「そういうこと……だけどな! それでも未だに馬は騎士の乗り物として適任とされている。ということは、やはり馬にしかない魅力が多々あるんだよ! 例えば同じ単騎の移動でもバイクより馬の方が積載量は多いし融通も利く。過去から培った人馬一体の戦術だってあるし、あとはあとは……」

(薄々感じてたけどこいつ……語らせると長くなるタイプじゃね?)

 

 というわけで、レイズは決めた。この話題をさっさと切り上げることを。ニルヴェアが馬トークに夢中になって本来の目的を忘れる前に、彼は立ち上がって言うのであった。

 

「ま、とにもかくにもまずは出発しようぜ。みんな準備できたんだろ」

 

 レイズの一言を聞いて、ニルヴェアの口が止まった。さらに彼女の表情は、みるみるうちに青ざめていき……

 

「そういえば関門、どうしよう……」

 

 不安が口をついで漏れだした。それもやはり条約のルールに基づくものであった。

 基本的に、街への出入りの際は旅客民だろうと一般民だろうと関門を通り怪しい人物ではないかを検査、記録を残す必要がある。もちろんやましいことがなければあっさりと終わるものなのだが……

 

「今の僕って、わりと戸籍不明なんだよな……?」

「わりとじゃなくて完全に、な」

「謎の薬で女になりましたーって、信じて貰えると思うか……?」

「”遺産”に深く関わってるならなんつうか、不思議なことの1つや2つ動じないかもしんないけど……少なくとも一般的な検問じゃ無理じゃねぇかな」

「だよなぁ。それに検問自体も厳しくなってるかも。なにせたぶん僕は行方不明ってことになっているし、屋敷から死傷者だって出たんだ……」

「しかも元々屋敷に神威が潜伏してたんだ。ならお前を逃がさないため、検問にだって同じように裏切り者が混じってるかもな」

「……もしかして、結構詰んでる?」

「ってことだけど、どーするアカツキ?」

 

 不安がるニルヴェアに対して、しかしレイズはこれといって焦ることもなくアカツキへと話を振った。するとアカツキもまた、全く動じずに答える。

 

「ま、懸念事項は山ほどあれど、行ってみなければ分からんだろう」

「そ、そんなさくっと……」

「結局なるようにしかならんのが世の常だ。それに、拙者の読みが正しければ案外――」

 

 

◇■◇

 

 

 街をぐるりと囲む外壁のごく一部。ぽっかり空いた穴のような関門で、2人の旅客民が検査を受けていた。

 1輪のバイクに乗った少年と、荷馬車を引く1頭の馬に乗った女侍である。

 検査には大きく分けて2つのステップがあった。

 まずは身分証明の提示。2人は旅客民としての身分証明証を、そして少年の方はさらに越境勲章を提示した。

 続いて荷物の検査。関門の守衛は、少年のバイクやそれに積まれた荷物を目視でチェックした。続いて、女侍の馬が引く荷馬車の中も同様に覗き込む。キャンプ道具、食料、衣類の山などがわりと適当に積まれていた。整理整頓はともかく、積み荷自体に怪しげな物は見当たらない。

 守衛はすぐに荷馬車から顔を外して2人に告げる。

 

「旅客民のアカツキとレイズ。確かに両名の素性および勲章の正当性については確認させてもらった。すでに”依頼”の連絡も受けている……ニルヴェア様を頼んだぞ」

 

 こうして2人の旅客民は、ごくあっさりと関門を通り抜けることができた。

 それから2人は関門から続く長い1本道をのんびりと走っていった。バイクに内蔵された琥珀が回すエンジン音と、馬の蹄が地面を叩く音だけが街道に響いている。だだっ広い草原に左右を囲まれた素朴な街道を走って、走って、背後の街が米粒ほどに小さくなったところで……

 

「本当にあっさり通れましたね……」

 

 ニルヴェアがひょっこりと、馬車から顔を出してきた。その表情はどこか不安げなものだった。

 

「い、いいんですかね……? 仮にもブレイゼル家の人間が行方不明になったというのに関門があんなに緩くて……」

 

 荷馬車から馬上へ。少女の疑問を聞き届けたアカツキはあっさりと答える。

 

「元より屋敷の兵士から各所に連絡を飛ばすよう伝えたのは拙者だ。そのついでにナガレとして『神威と思われる奴らからニルヴェア様を奪還する』依頼を引き受けておいたわけだな。だから話がスムーズに進んだのがひとつ。加えてこの手の信用証明として、レイズの持つ越境勲章は非常に便利なのでござるよ」

「越境勲章ってたしか、昨晩に見せられた……」

 

 ニルヴェアは『希少金属に”大陸を護る大盾”の意匠が彫られている勲章』を脳裏に描いた。その直後、彼女の耳に少年の声が届く。

 

「あれは越警からの信頼の証。要するに正義の証明ってこった」

 

 ニルヴェアが隣を見てみれば、レイズが速度を落として荷馬車と並走していた。

 

「正義の証明?」

「おう。例えば緊急を要する状況……それこそ今みたいなときに関門で引っかかって時間を食うなんて馬鹿らしいだろ。そんなときにこの勲章を持ってれば他のやつより優先的に関門を通して貰えるってわけだ。さらにこの勲章は越警から人格者として認められた証でもあるから、検査の時間だってかなり短縮される……ま、それを利用して俺たちは違法行為をしてるわけだけどな! 身元不明の人間を隠して関門を通り抜けるっていう!」

「う˝っ」

 

 ニルヴェアが表情を苦くした、その途端に馬上からも追撃の言葉が飛んでくる。

 

「越警の権威は素晴らしいでござるなぁ。とはいえ拙者だって諸々の辻褄合わせはめっちゃ頑張ったんでござるよ? ま、あれもこれもバレれば普通に犯罪でござるが」

「う˝う˝っ!」

 

 ニルヴェアの胸にざくざくと罪悪感が突き刺さった。なにせ彼女はアカツキが荷馬車内にわざと散らかした荷物の中へと身を潜めることで、関門をやり過ごした張本人なのだから……と、そんな彼女の心境を知ってから知らずかレイズが無遠慮にからかってくる。

 

「素性不明な上に犯罪者。ニア、お前も中々箔がついてきたな?」

「そのあだ名はやめろ! 大体、僕だって本当はこんなこと……!」

 

 仮にも屋敷住まいの貴族だったはずが、一夜にして無残に転げ落ちていく。ニルヴェアの脳裏には嫌が応にも今後の心配がぐるぐる回っていた。

 

「というか、僕はこの体が元に戻るまでずっとこんな生活をしなきゃいけないのか? いや、騒乱の真相が公になればせめて身分は……って、それはつまり僕が女になったことが世間にばれるってことじゃないか!? そうなると、まずはやはり男に戻ることから……そうだよ。体さえ戻れば証明の手段だっていくらでも、いやでも霊薬ってなんなんだよ! 結局は事件を追わないと始まらない……」

 

 うだうだと考え込むニルヴェアだったが、しかしアカツキはその真反対の表情をしていた。からからと笑って、気さくに言う。

 

「何事も、なるようにしかならぬでござるよ~」

「ちょっと! そんな簡単に――」

「少なくとも当面の身分についてはぼちぼち考えてある。素性不明に関しては、今日中にでも晴らしてみせよう」

「え? それってどういう……」

「それよりもニア殿?」

「えっ。というかあだ名……」

「そういえば聞いておくべきことが1つあったのだ――おぬしはナガレという存在について、どう考えている?」

 

 いきなりの質問に、ニルヴェアは意味が分からず言葉に詰まった。およそ3秒の間を置いて、アカツキが補足を差し込む。

 

「そうだな……貴族など地位の高い者には、ナガレに対して一括りに浮浪者だとまとめて見下す者もいるでござろう? 無論、ニア殿がそうでないことはすでに分かっておるが……だからこそ逆に、おぬしの意見が気になってな。それに今は共に旅をしておるのだ。そのあたりの距離感というやつも掴んでおきたい。だから遠慮せず、正直に語ってくれ」

「なるほど……」

 

 ニルヴェアは少しだけ考えて、しかしすぐに口を開く。

 

「良くも悪くも自由奔放、ですかね」

「ふむ……良くも悪くも、というと?」

「貴方たちを見ていれば嫌でも分かる。旅客民というのは特定の居場所を持たず、それでも己の身ひとつで生きていける強さを持った人たちだ。その自由で逞しい生き方はある種の尊敬に値すると思うし……正直、屋敷からあまり出られなかった僕にとっては眩しい生き方でもあります」

「なるほど。思ったより好意的でありがたいが……だったら”悪くも”というのは?」

「定住するというのは、護るべき物があるということでもある。そう僕は思ってます。例えば家族、居場所、祖先や血筋。それに……従うべき主や、護るべき民だって」

 

 ニルヴェアの蒼い瞳はいつだって見ている。誰よりも尊敬する、兄上の背中を。ゆえに彼女は思っている。

 

「そういうのを全て捨てる生き方。それは、その、少しだけ……」

「無責任に見えるでござるか?」

「い、いや! そこまで言いたいわけじゃ!」

「構わんよ。というか普通に正しいのだ」

「え?」

 

 ぽかんとしたニルヴェアに対して、アカツキはくつくつと笑いながら語っていく。

 

「昨日も言ったがナガレというのは基本的にたちが悪い。もっと具体的に言えば、自分がなにかに縛られるのを嫌う面倒者ばかりだ」

 

 そして横からレイズも便乗。

 

「つーか絶対じゃないけど、”街で真っ当に暮らせないやつらの受け皿”って面は大なり小なりあるしな。大体『ナガレ』ってあだ名だって元はその手の流れ者を指す蔑称なわけだし?」

 

 そう言われれば、頭の中にぽんと疑問が浮かんできた。

 

「そういえばずっと気になってたんだけど……なんで2人とも『旅客民』じゃなくて『ナガレ』と自称しているんだ? なにか特別な理由でもあるのか?」

 

 その疑問にはレイズが真っ先に答える。

 

「あ? 言ったろ、そっちの方がかっこいいって。旅客民って呼び方は堅苦しいし回りくどいんだよ」

「そういえばそんなことを言われた気がしなくも……いや、でも元が蔑称だって自分でも分かっているんだろ……?」

「べーっつになぁ。俺としちゃあ、俺がナガレになった頃からナガレはナガレだったわけだし。つーか自分で自分を旅客民って呼んでるナガレもほとんどいねーし」

「そういうものか……? アカツキさんはどうなんですかそのあたり」

「そうだな……拙者の感覚としては『しっくり来る』と言った方が正しいのかもしれん。なにせナガレなんてのものはろくな生き物じゃない。そう考えると蔑称ぐらいが丁度良いと思わんか?」

 

 アカツキはそうあっけらかんと語ってみせた。だがニルヴェアの表情はむしろ渋くなっていて。

 

「自分からわざわざ蔑むんですか……」

「くくっ、お気に召さないでござるか?」

「さっきも言った通り、僕は旅客民というものを尊敬していますから。正直に言えばもっと誇ってくれてもいいと……」

 

「やっぱ貴族って、名前を大事にするもんなのか?」

 

 横からぽん、と疑問が投げられた。声の主はレイズだった。

 

「なんだよ、また馬鹿にしてるのか」

「いやそんなムッとすんなって。ほら、森の中で馬トークしたときにさ、お前だって言ってたじゃん。『世界が違う』って。それで思ったんだよ。そういうの、結構面白くないか?」

「まぁ、それは分からなくもないが……」

「だろ? 考えてみりゃ違う世界を知るのも、旅の醍醐味ってやつだ……」

 

 レイズはそこでふわりと笑みを浮かべると、それから遠くへ目を向けた。彼の視線は、ずーっと続く1本道の向こうへと。

 

「ナガレに誇りなんて大層なものがあるのかないのか。あるいはあったとして、それがどこに宿ってるのか。知ってみるのも一興かもな」

「えっと、それはどういう……」

「ニア殿。前を見てみるといい」

「え?」

 

 アカツキの言葉に釣られて、ニルヴェアも道の向こうへと顔を向けた。すると遠くからなにかが近づいてくるのが見えた。

 

「白い、箱……?」

 

 3人が道を走るその反対側から、白い箱のようななにかが近づいてきている。程なくして、白い箱の正体が見えてきた。それは人を乗せ、琥珀を燃料にして走る鉄の箱。

 

「バス……?」

「それにしては小ぶりでござるな。しかし単なる乗用車にしては大きめだ。領から一時許可を受けた商人や貴族が乗っている可能性もあるが、その場合は随伴の護衛を付けるのが基本だ。しかしあの車は単体で走っている。つまり……」

「あれにも旅客民が乗っている、と?」

「同乗者に護衛を乗せている場合もあるがな。しかしあの規模の車なら旅商人か、あるいは……」

 

 そうこうしている間にも車はすぐ近くまで迫り、その外観を見せつけてきていた。

 機体の前方2割ほどが運転席、残り8割がコンテナで占められた運搬車≪トラック≫のようだった。それはやがてのんびり安全運転で、3人とすれ違い――

 

「アンタたち、ナガレだろ!」

 

 突如、街道に声が響いた。3人がそちらへと、今まさにすれ違ったトラックへと顔を向けると、その運転席からひとりの青年が顔を出して3人を見つめていた。

 青年は快活な笑みを浮かべながら、自身が乗っているトラックをくいっと指差していきなり妙なことを言うのだった。

 

「うちで飯食っていかないか! 今日のおススメは、ついさっき入ったばかりの新鮮な牛肉だ!」



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2-2 ナガレの誇りと少女の飛び蹴り

「よーし、ちょっと下がっててくれよ」

 

 青年の指示通りに3人がトラックから離れた。すると、がこんっ!

 大きな音が鳴って、トラックのコンテナ部分がゆっくりと開き始めた。

 

「わっ」

 

 ニルヴェアは目の前の光景に思わず声を上げた。

 うぃーん、がこっ、がこん。

 コンテナから響く機械仕掛けの異音はニルヴェアにとってあまり聞き慣れないもので、だからおっかなびっくり見ていれば、果たしてコンテナが開いて中から現れたものは……

 

「ちゅ、厨房……?」

 

 展開完了後、トラックの主である青年は自慢げに胸を張った。その身に纏った真っ白なエプロンが、彼の動きに合わせて大きくはためいた。

 

「時も、場所も、時間さえも問わない! ナガレの飯屋の開店だ!」

 

 

◇■◇

 

 

 折り畳み式の安っぽいテーブルがひとつ&椅子がみっつ、街道沿いの原っぱに広げられている。そこにニルヴェア、レイズ、アカツキが座って待っていると、街道に停められたトラック……もとい厨房の方から青年が料理を持ってやってきた。

 

「待たせたな。今日のおすすめ、鉄板定食3人前だ!」

 

 並べられたのはパンとスープ。そして鉄板にででんと乗った牛肉のステーキだ。ステーキは今もなお、鉄板の上でじゅうじゅうぱちぱち音を立て、香ばしい匂いを派手に撒き散らしている。

 

「へー、いい感じじゃん!」

「もりもり食べるでござるよ、おぬしは育ち盛りなのだから。なんなら拙者のも一切れいるか?」

「いやそういうのいーから! いただきます!」

「昔はもう少し可愛げがあったのに、つれないやつだ……いただきます」

 

 ナガレ2人が早速手を付け始めた一方で……ステーキが放つ豪快な雰囲気に、屋敷育ちのニルヴェアはちょっと圧倒されていた。

 

「うわ、すご……これってもう食べられるんですか?」

「もちろん! 焼き加減はお好みで選んでくれ。あ、ソースもちゃんと揃えてあるからな」

「焼き加減……」

「迷うなら、中がまだ赤いうちに今すぐ食ってみればいい。いわゆるレアって焼き加減なんだが、いかにも肉を喰らってる! って感じが堪らないんだよな。特にそいつのそれは格別だと思うぜ!」

「肉を喰らってる感じ……」

 

 ニルヴェアは喉をごくりと鳴らし、そして決意した。大陸で普遍的に伝わる、命を食する言葉と共に。

 

「いただきます」

 

 予め用意されていたナイフとフォークでステーキを切り分けて、それからテーブル中央に置いてあるソースの瓶に手を伸ばした。いくつか種類があったのだが『店主おススメ特製ソース!』と自己主張のやたら強いラベルが速攻で目に留まったので、とりあえずそれを肉にかけてみた。

 まだ生の部分がしっかり残った牛肉の上から、玉ねぎベースのとろっとしたソースがかけられて、鉄板がさらに激しく音を鳴らした。

 

「わ、わ、わ」

 

 小気味良い音が、香ばしい匂いが、豪快な見た目が、全てが食べごろであることを訴えている。ニルヴェアは慌ててフォークをぎゅっと握りしめると、

 

「えいや!」

 

 と肉にぶっ刺してその勢いのまま口に運んだ。すると熱々の肉がはふはふと口内で踊る。ちょっぴり口の中を火傷して、それでもためらわずに肉をぎゅっと噛み締めてみれば、

 

「!!」

 

 じゅわっと肉汁が溢れ出て、肉の味が口いっぱいに広がった。

 

(なに。なんだろう、これ)

 

 暴力的なまでに濃い生の味。えも言われぬ肉の旨味が舌を打ち、その一方で奇妙な生臭さが鼻にがつんと突き抜ける。しかしこの瞬間においてはそれすらもアクセントと化していた。

 

(ほんとに、なんか、すごく肉だ。野性味溢れるっていうか、すご……すごいな!?)

 

 屋敷では決して味わうことのなかった、洗練された粗暴の極みとも言える一切れをニルヴェアはじっくりと噛み締めて、それから飲み込む。そして考える前に再び肉を突き刺しては口へと運んでじっくり味わう。それを何度も何度も繰り返し……その殆どを平らげた頃、不意に少年の声が耳に届く。

 

「これ、もしかして『黄刃牛』か?」

 

 声の方に視線を向ければ、レイズが青年になにやら尋ねているようであった。ニルヴェアはそれに聞き耳を立てながら考える。

 

(初めて聞いた名前だけど、たしかその手のネーミングって……)

 

 ニルヴェアがそんな予想を立てる中、問われた青年は嬉しそうに答える。

 

「おお、よく気づいたな少年!」

「多分アンタほどじゃないけど、俺も飯にはこだわりを持ってる方だからな。たしかブレイゼル領を中心に生息してる獣で、その肉は正に野生を喰らうよう……だったか? ガイドブックかなんかのうろ覚えだけど」

「たぶん俺の読んだやつとおんなじだな! ここら辺だとちょっと街道を外れて探せばわりと簡単に見つかるし、実際さっきも1匹狩ってたんだよ。だからそれ、マジの獲れたてほやほやなんだぜ?」

 

 そんなことをレイズと青年が話しているその隣で、ニルヴェアも「へー」と感心していた。なにせそれは彼女にとって、知らない世界の知らない話なのだから……

 

「ってこれ家畜じゃなくて獣なんですか!?」

 

 野性味溢れるどころか、野生そのものだったらしい。

 ニルヴェアの驚愕に対して、青年は堂々と胸を張ってここぞとばかりに声を上げる。

 

「そりゃそうさ! なんたって俺は、獣料理を極めるためにこうして旅をしてるんだからな!」

「…………」

 

 ニルヴェアは唖然とした。

 青年の一言は彼女にとって情報量が多過ぎて、どこからツッコめばいいのか分からなかったのだ。

 しかしそんなニルヴェアの心境を代弁するように、レイズが青年へと質問を投げかける。

 

「店主さん。アンタはなんでそんなことやってんだ?」

(直球で聞くなお前!?)

 

 ニルヴェアは内心でぎょっとしつつも、しかし口は挟まなかった。

 

(でも、結局はそういうことだよな……)

 

 ニルヴェアも気になったのだ。

 だって彼女は知っていたから――旅客民がそう簡単に辞められないものであることを。旅をする義務というものは、たかが料理ひとつのために背負うにはあまりに重いのだということを。

 だが、しかし。

 

「最高に旨い飯を創るための武者修行。料理人が旅に出る理由なんてそれ以外必要ないだろう?」

 

 青年は堂々と、なんのてらいもなく断言してみせた。だからニルヴェアはびっくりして、つい口を挟んでしまう。

 

「そ、それだけなんですか!? 旅客民って、たしか一度申請したら1年は元の生活に戻れない決まりとかありますよね!」

 

 ニルヴェアの言うことは正しかった。

 旅客民はある種の自由を得る代わりに、大陸全体への奉仕を義務付けられている存在だ。

 奉仕の手段それ自体は、大陸各地の獣を狩ることや商売により経済を回すことなど個々人の自由だが……どんな手段にせよ、旅を続ける。その一点だけは決して揺るがない。

 ゆえにそれを強制するための制度がいくつか存在する。ゆえに、旅客民は普通の民に比べて過酷な立場である……はずだが。

 

「なぁきみ、俺の料理は旨いか?」

 

 藪から棒にニルヴェアは問いかけられ、そして反射的に頷いてしまった。

 

「は、はい。そりゃあもう」

「だろうな。俺の料理は旨い!」

「は、はぁ……」

「だけどまだまだだ。こんなもんじゃないはずなんだ!」

 

 青年の声がどんどん熱くなっていく。まるで肉がじゅわっと焼けるように。

 

「この大陸には未知の獣がごまんといる。だというのに世に出回る肉は狩りやすいごく一部の獣か、あるいは品種改良されて大人しくなった家畜のものばかりだ。野菜だって魚介類だって……きっと一生かかっても研究しきれないほどの食材がこの大陸には眠っている。それなのに壁の内に籠っているなんてもったいないったらありゃしない! 飯も人生も残さず平らげてこその料理人だ。そうだろ!」

「…………」

 

 ニルヴェアは再び唖然としてしまった。青年の熱気に押されたのが半分。もう半分は、

 

(言いたいことは分からなくもない。情熱が有り余っているのも伝わる。だけど、でも)

 

 だからと言って。

 

「それなら普通に依頼でもかければよくね?」

「!?」

 

 ニルヴェアはびっくりしてレイズの方を向いた。びっくりしたのは彼の不躾な物言いに対して半分。しかし、もう半分は。

 

「折角ナガレなんて物好きがこの大陸にはごまんといるんだ。料理人なら、自分がナガレになって命を張る理由もないだろ」

 

 またしても、ニルヴェアが感じていた疑問を代弁されたからだった。そしてそのとき、彼女は思い出した。

 

 ――ナガレに誇りなんて大層なものがあるのかないのか。あるいはあったとして、それがどこに宿ってるのか。知ってみるのも一興かもな

 

(もしかして、こいつ……)

 

 ニルヴェアがレイズの意図を考察するその一方で、青年が断言する。

 

「料理人だから理由がある」

 

 青年はそう言いながら腰に手を回すと、その腰に巻いてあるベルトから包丁を1本引き抜いた。ごく自然に。ごく気楽に。

 

(え?)

 

 ニルヴェアが疑問に思った矢先、青年がいきなり包丁を投げた。手首のスナップを利かせて、どこか遠くへ一直線に。

 

「えっ!?」

 

 ニルヴェアがぎょっとして声を上げた、その直後。

 

『ビギィ!?』

 

 しゃがれた悲鳴が、どこからともなく響いてきた。

 

「えっ、えっ、えっ?」

 

 ニルヴェアが慌てて振り返れば、そこにいたのは『猪』の群れであった。

 およそトラック2,3台分の距離を空けて、6匹の猪たちがこちらに敵意のような視線を向けている。そしてその内の1匹、もっとも目を血走らせている猪の額には……包丁がものの見事にぷっすりと突き刺さっていた。

 

「あれは……獣!? いつの間に……!」

「命を美味しく喰らうのが料理人だ」

 

 ニルヴェアが声に釣られて視線を向ければ、青年の目つきはすでに変わっていた。

 

「喰らい合いを体で覚えるのが、料理の腕を上げる一番の近道だ」

 

(ナガレには、ろくなやつがいない)

 

 ニルヴェアの脳裏に、どこかの誰かの言葉が過ぎった。そしてすぐに、

 

「御馳走さま。道理で旨かったわけでござるな」

「『赤銅猪』じゃん。腹ごなしの運動には丁度いいな」

 

 アカツキとレイズが立ち上がった。アカツキは懐の刀に手を添えて、レイズもナイフを抜いて構えた。そこに加えて、

 

「赤銅猪は見た目ごついけど、実際は脂肪多めでジューシーな食べ応えだ! ステーキはもちろん、ローストなんかもありだな」

 

 青年はそう言いながら、厨房から巨大な鉈を取り出していた。

 誰も彼もが、すでに臨戦態勢へと移行している……ただひとりを除いて。

 

「な、なんで整備された街道に獣がいるんだ!?」

「ま、こういうこともあんだろ」

 

 事もなげに答えたのはレイズであった。

 

「単に群れからはぐれたか、あるいは群れで人を襲って味を占めたか……あの図体なら下手すりゃバスだって押し倒せるかもだしな。なんにせよ、売られた喧嘩は買うだけだ。ちょうど飯代にもなるしな」

「そんな気楽な……ってちょっと待て。お前、たしか黒騎士に琥珀銃を壊されていたよな!? そんなナイフ1本で――」

 

 と、不意にニルヴェアの眼前へと掌がかざされた。

 

「まぁ見てろって」

 

 赤褐色の髪を揺らし、歯を剥き出しにして笑う。レイズの表情には恐れなんて微塵もなくて。

 

「ぁ……」

 

 ニルヴェアの気持ちがふっ、と楽になったその瞬間。レイズの姿が目の前から消えた。レイズはすでに赤銅猪へと向かって走り出していたのだ。

 

「1人2匹だ! 行けるなアカツキ、店主さん!」

 

 その声にアカツキと青年もそれぞれ応える。

 

「うむ。店主よ、あまり傷つけぬ方が良い部位とかあるか? 具体的には飯代になる部分とか」

「どこも無駄にはならないだろうけど……今一番欲しいのは(タン)だな。前々から試してみたいと思ってたんだ」

「了解した。なら首を落とすのが一番早いな」

 

 そして2人もまた猪の下へと駆けだした。

 やがてレイズも含めた3人は、6匹の猪を打ち合わせもなしに立ち回りひとつで攪乱。レイズの指示通り、1人2匹の戦闘に持ち込んでそれぞれ戦い始めた。

 その中で唯一ニルヴェアだけがいきなり始まった戦闘に呆然としていたが、しかし彼女もはっと我に返るとすぐに顔を向けた。3人の中で最も非力そうなレイズの方へと。

 すると視界に映ったのは2匹の巨大な猪。そしてそのど真ん中へと躍り出た小柄な少年の姿だった。

 

「なっ……!」

 

 ニルヴェアの心臓がドキッと跳ねた。なにせ猪は胴体の太さだけでも少年(レイズ)の身長より大きいのだ。頭から尻までの全長に至っては、レイズを3人並べてもまだ足りない。そんな巨体に挟まれれば、否が応でも彼は小さく見えてしまう。

 

(無理だ)

 

 そう思ってしまった途端、その予感を煽るように2匹の猪が同時に走り出した。少年の体を挟み撃ちにしようと、左右から迫ってくる。

 

「あっ――」

 

 と思わず声を上げてしまった次の瞬間――ガツンッ!

 

「っ!」

 

 2匹の猪がぶつかり合って、衝突音が打ち鳴らされた。その激しさに、ニルヴェアは肩を思わずきゅっと竦めた。が……すぐに気づいた。衝突したのは2匹の猪”だけ”だということを。

 いわく『バスだって倒せる』ほどの破壊力をもった突進で同士討ちした2匹は、お互いにぐらぐらと体を揺らして明らかに目を回しているようだった。

 ならばレイズはどこにいる? その姿はすぐに見つかった。

 彼は目を回している猪の1匹、その首の下に潜り込んでいたのだ。そして、ニルヴェアが彼の姿に気づいた直後。

 

『んぎぃぃぃぃ!』

 

 猪は一際大きな声を――ニルヴェアの鼓膜を震わす”断末魔”を上げた。その首下からは真っ赤な鮮血が滝のように零れ落ち、草原の緑を塗り潰していた。

 だがその頃にはもうレイズは猪の首下から転がり出ていて、ニルヴェアの下へと歩いてきていた。彼は歩きながら、ナイフについた血を適当な布でふき取っている。

 それはつまり彼が赤銅猪を――獣を、ナイフ一本で切り殺したということであった。

 戻ってきたレイズは気さくに笑いかけてきた。その頬や服にもいくらか返り血が付いている。

 

「赤銅猪って首の下が意外と薄いんだよ。元々脂肪多めで柔らかい肉だし、だからナイフ1本でもぐっと押し込めば、な?」

「あ、ああ」

 

 ニルヴェアは分からなかった。一体どんな言葉をかければいいのか。しかしそんな彼女を置いてけぼりに、レイズは言う。

 

「つーわけで心配すんな。大人しく待ってろよ」

 

 その一言だけを残して、レイズは再び戦場へと戻っていく。その彼の行く先では、残る1匹の猪が高らかに吠えている。

 

『プギ――――――!』

 

 正面衝突の衝撃か、あるいは仲間の血の匂いを嗅いだせいなのか。いずれにせよその両目は激しく血走り、向かってきたレイズを瞳に映すと何のためらいもなく突進してきた。

 しかしレイズはそれを軽やかに躱した。すると猪は、まるでその眼にレイズしか映っていないかのように再び突進を仕掛けてくる。そしてまた、レイズはそれをあっさり躱してみせたのだ。

 それがニルヴェアの目には、まるで1人と1匹で仕組んだ曲芸のように映っていた。

 

(猪を操り踊っている……そう見えるくらいに、あいつは本当に余裕なんだ。自分よりずっと大きな獣相手なのに。僕には絶対に真似できないことを、あいつはいとも簡単に……)

 

 そのとき、不意に鼻の奥がキンと刺激された。

 

(鉄錆びの匂い? 違う。これは、獣の血が……)

 

 ニルヴェアは気づいた。猪が振り撒いた血の匂いが、”戦場”の後方にまで漂ってきているのだ。

 ニルヴェアはぐっと拳を握った……握ったということに、自分でも気がつかないまま。

 

(なんで)

 

 視界の中に映る少年。獣と戯れ”戦場”に舞うその姿がぶれて、遥か遠くの理想と重なる。

 

(どうして)

 

 剣帝ヴァルフレアもまた、15の歳を数えたときには、すでに戦場で活躍していたのだという。

 

(僕はあの場にいないんだ)

 

 誰にでもなく問いかけて。

 

(分かっている。怖いんだ。だってあんな突進、喰らったら死ぬに決まってる。死が目の前に迫れば立ち竦んでしまう。昨日の夜のように、僕はまたなにも……なにか、できなければ……また……!)

 

 昨夜の騒乱が脳裏を過ぎった。奪われ、失い、それでもなにもできなかった後悔が。

 

(兄上、僕はどうすれば――)

 

 そのとき、ふっと脳裏に浮かんだ。本が1冊。

 

『剣帝名言集百選 ~歴代ブレイゼル王の足跡を辿る~』

 

 ――数年前に出版されたそれはニルヴェアの愛読書であり、ブレイゼル領内で近年最も売れたベストセラー本でもあった。

 そしてそこで語られる剣帝の中には、現ブレイゼル領主であるヴァルフレアも含まれていた。歴代の中で最も早く当主の座に就き、剣帝の中で唯一の”二刀流”を扱い続けるヴァルフレア。

 彼は戦場において、ただの1度も自らの双剣を手放したことがないという。二対の剣を握り続けるということは、すなわち彼は戦場において決して盾を持たないということでもあった。それに加え、彼は二刀流による高速戦闘の強みを生かすために鎧すらも纏わなかったのだ。

 己の護りを全て捨てて、体ひとつで戦場に飛びこむ。その姿ははたから見れば恐れ知らずに他ならない。しかしヴァルフレア自身は、そんな己の戦闘スタイルについてこう語っている。

 

『常にこの身ひとつで戦い、そして死を恐れ続けること。それが俺の最大の武器だ。恐れが心乱すからこそ、より一層強く在れと志せる。さらに恐れは人の生存本能を呼び覚まし、それこそが己の限界を超える力を引きだしてくれる。つまり恐れとは戦いにおいて最高の導師なのだ。ゆえに戦士よ、戦場を常に恐れよ。その上で戦い続け、そして勝ち続けることを忘れるな。それが常在戦場の心得。恐れは常に、お前たちの隣にある』

 

 一方で、レイズは猪の猛攻を躱しながら考えていた。

 

(ちっ、派手に血を撒き過ぎたかな。興奮し過ぎて逆に隙が見つかんねー)

 

 ぶっちゃけわりと手詰まりであった。

 興奮を越えてもはや錯乱した猪の突進そのものは単純明快で、誘導も回避も余裕ではある。だがその乱暴さが、逆にレイズの飛び込む”隙間”を消してもいた。

 

(ああも首をぶんぶん振ったりじたばたしたり……下手に飛び込んだらミンチになりかねないな。俺が)

 

 赤銅猪は首下に柔らかい弱点がある。だがそこには飛びこめず、そこ以外に致命傷が与えられる部位も見当たらない。愛用の琥珀銃による光の槍でもあれば弱点もくそもないのだが、今の武器はナイフ1本だけなのだ。

 

(さーて他に方法は、と)

 

 一応、他にも道具を持っていないわけではない。

 

(煙玉は……たぶん嗅覚でバレるな。閃光玉で目を潰して……そしたら余計に暴れるだけか?)

 

 他の手段だって、なくはない。

 

(でもなぁ。たかが猪に”炎”まで使いたくないんだよなぁ。こーなったらアカツキにばっさり斬ってもらう方がなんか色々楽っぽいか? つってもなぁ、ニアに恰好付けた手前なぁ……)

 

 などとつらつら考えながら、本日10度目となる突撃を躱した。すると猪は勢い余ってごろごろ転がり、しかし乱暴に首を振ってすぐに起き上がる。その一連の動作が地面の草をこれでもかと抉り、土砂もろとも派手に舞い上がらせた。ぶわっと立ち昇る茶と緑の柱を見てレイズがぼやいた。

 

「うーわ。さすがにナイフ1本でどうにかすんのは馬鹿らしいか。しゃあない……」

 

 レイズは今、ナイフを右手に握っている。ゆえに彼の左手はがら空きだ、が。

 

「こうなったら、ドカンと1発……」

 

 手のひらに、紅い光がほのかに集う。次の瞬間、

 

「――だああああああ!!!」

  

 レイズの声が、少女の叫びに上書きされた。

 レイズの眼前に、金色の髪が躍りでた。

 

「!?」

 

 首元で1本に纏めた金髪をなびかせて、少女が跳んだ。

 

「ああああああ!!!」

 

 少女は吠えながら右脚を突き出した。その先には、今にも突進しようとしていた猪が――どすんっ!

 

『ギュッ!?』

 

 少女の飛び蹴りが猪の鼻っ面を直撃し、その巨体をぐわりと揺らした。そして少女の金髪が、馬の尻尾のようにふわっと跳ねた。

 そしてレイズはやっと理解する。目の前の少女が誰であるかを。

 

「ニア!?」

 

 突然の乱入者にレイズがびっくりした一方、蹴り込んだ当の本人はその反動を活かして一気に背後へと飛び退いた……までは良かったものの。

 

「あうっ」

 

 彼女は受け身のひとつもろくに取れず、地面に素っ転んでしまった。それから急いで上半身を起こし……目が、合ってしまった。

 

「あ――」

 

 猪が、その血走った両目をニルヴェアへと向けていた。『次の標的はお前か』そう言わんばかりに、獣の濁った瞳が少女の姿を映してこんでいる。

 

「はやく、立たなきゃ」

 

 ニルヴェアは足をばたつかせた。違う、本当は立ち上がろうとしたのに上手く動かないのだ。早く、早く、早く。必死に命令を送り続ければ、足は覚束ないながらもなんとか大地を踏みしめて

 

『ブギィァァァァァ!!』

 

「!?!?!?!?」

 

 全身がどくんっっ!と思い切り跳ね上がった。正確には、全身が跳ねたかと錯覚するほど心臓が大きく跳ねたのだ。

 猪の威嚇。それだけで、ニルヴェアの全身から力が抜け落ちた。体が石のように固まった一方で、心臓だけが激しく脈打っている。まるで警報を鳴らすように。

 

「あ、あ、あ」

 

 ニルヴェアの眼前。威嚇を行った猪の口は大きく開き、その汚らしくも太く硬い歯をありありと見せている。涎が歯を伝い滴り落ちて、猪自身が抉った地面をねちょりと濡らしていた。

 

 ニルヴェアは動けなかった。

 

 猪も、口を開いたまま動かない。

 

 ニルヴェアは動けない。

 

 猪も……ニルヴェアが、ふと気づいた。

 

「あ……あれ?」

 

 その疑問の声が偶然にも合図となり、猪が動いた。

 ぐらりと、横向きに。そのまま傾いて傾いて。

 ずぅん……その巨体にしては静かな地鳴りを立てて、猪は倒れ伏した。

 

「……………………あっ」

 

 ニルヴェアはようやく気付いた。

 猪の首からどくどくと流れでている血の河に。そして、

 

「ナイスキック!」

 

 猪の隣で、獣の血に濡れた親指を立ててサムズアップを決めている少年の姿に。

 

 

◇■◇

 

 

「これ配分どうするでござるか?」

「食えるとこくれるんなら、食えないとこは全部もってっていいぞー」

「それはこちらとしても助かるが、そちらは6匹分も保管できるのか?」

「元より自給自足でやってるからな。この手の保存はお手のものだし、そうじゃなくてもこんなところに”餌”を残しちゃ二次被害も出てくるだろ? それになにより……創った飯も狩った命もきっちり平らげてやらなきゃ勿体ないってもんだ」

「料理人のプライドというやつか。良きこだわりでござるな」

「あんたこそ、侍って言ったっけ? とんでもない剣術だな……こんな綺麗な断面した肉なんて早々お目にかかれねぇぞ。ある意味じゃ今回一番の収穫かもな」

 

 やいのやいのと軽快に語り合いながら、ナイフ片手に猪の死体をサクサク解体していく自称侍&エプロン姿の青年。その姿を遠目に眺めて、ニルヴェアは思う。

 

(なんというか、シュールな光景だなぁ……)

 

 それからニルヴェアは視線を正面に向けた。彼女の目の前ではレイズもまた手慣れた手つきで解体を続けている。

 

「皮と爪。牙は生えてないから歯と……こいつの骨ってなんかに使えたっけ? まぁなんかには使えるだろ」

(……こっちも大概シュールだよな)

 

 真っ赤な返り血を全身に浴びた少年が、自らよりもだいぶ大きい獣を軽快に捌いているのだ。その光景は、狩りと縁遠いニルヴェアにとって結構猟奇的な光景に見えていた。

 

(戦いを日常とする生き方、か……)

 

 ニルヴェアがなにやら思いを馳せている間にも解体は進む。

 レイズがふと作業の合間に額の汗を腕で拭った。すると腕についていた血が、汗に濡れた額をぬめっと這いずった。

 

「うげ。やっぱあとで着替えないとな」

 

 その独り言で、ニルヴェアは気づいた。アカツキの馬車に積まれ、自分が身を隠した衣類の山。その本当の意義に。

 

「だからあんなに着替えが多いのか……」

 

 ニルヴェアが呟いたその言葉に、レイズが解体を続けながら答える。

 

「荒事に汚れは付き物だしな。だからこそ、常に清潔さを心がけるのがナガレの流儀だ。たまにいるんだよなー、ナガレ生活にかまけてそういうの疎かにするやつが……ああいう大人にはなりたくねーよなマジで」

 

 レイズは平然とぼやいたが、ニルヴェアは平然と……していられなかった。

 

「お前は、当たり前のように戦っているんだな」

 

 ぽつりと呟かれた小さな言葉。しかしレイズはそれを逃さず聞いていたようで、彼は解体する手を動かしながらニルヴェアへ問いかける。

 

「初めてなんだろ、獣との戦闘は。なのによく1発かまそうなんて思ったな」

「……悪かった。いきなり飛び出して」

「理由が知りたいだけだよ、俺は」

「…………」

 

 ニルヴェアは少しだけ迷って、しかし正直に答える。

 

「なにもできないまま戦いが終わる。それがどうしても嫌だったんだ」

 

 するとレイズはふはっと笑って。

 

「その割には腰抜かしてたけどな」

「こ、腰を抜かしたんじゃない! ただびっくりしただけで、その……」

 

 ――恐れは常に、お前たちの隣にある

 

「……恐れに打ち勝つって、やっぱ難しいんだな」

 

 レイズの背中に兄の背中が重なっていく。すぐ近くに見えるはずの背中が、しかし遥か遠くへと、

 

「それでも、あのデカブツをガツンと揺らして隙を作ったのはお前だろ」

「!」

 

 レイズが振り返って、血にまみれた快活な笑みを見せた。

 

「勢いしかなかったけど、勢いだけは中々良いキックだったぜ」

「ぁ……」

 

 頬になにやら微熱が集まってくる。ぽわぽわと。ニルヴェアがそのとき感じたのは不思議な高揚感だった。

 

「そ、そうか。その……」

(謎にむずがゆい。妙に照れくさい。しかしブレイゼル家の者として、お礼はちゃんとだな……)

 

 ありがとう。

 ニルヴェアがそう言おうと、口を開きかけたそのとき。

 

「箱入りにしちゃあマシってだけだ。これに懲りたら坊ちゃんらしく、大人しくしとけよな!」

「むっ……!」

(急に褒めてきたり馬鹿にしたり、なんなんだこいつは!)

 

 なんか知らんが腹立たしい。そんな感情がニルヴェアを動かした。彼女はいきなり手を伸ばすと、レイズの手からナイフをふんだくった。

 

「うわっ、返せ俺のナイフ!」

 

 ニルヴェアはレイズの言葉を聞かなかった。それどころか、猪の死体の前にしゃがみこむと。

 

「僕もやる」

「はぁ? お前こういう解体したことあんの?」

「……騎士団の遠征においては、道中で獣を狩って食料を節約することも多いらしい」

「なんだよいきなり」

「だから練習したことがあるんだ。屋敷の料理人に頼んでだな、鶏とか小さい家畜を捌くぐらいなら……」

 

 ニルヴェアはそう語りながら、猪にナイフをぐさっと突き立てて――ぶちゅっ。

 

「うひゃあああ」

 

 いきなり噴きだした鮮血に悲鳴を上げた。

 

「あーあーそりゃ狩りたてほやほやだからな。練習っつってもどうせ血抜きとか済んでるやつだろ? ほら代わるって」

「……やる!」

 

 再びナイフを突き立てて、ぶちょ。

 

「ひゃわぁぁぁ」

「つくづく諦めの悪いやつ……」

 

 そうぼやきながらも、しかしレイズはナイフを取り上げてこなかった。その代わりに一言。

 

「でも、お前のそういうとこは嫌いじゃないぜ」

「?」

 

 ろくな前触れもなく、ぽんと置かれた好意の言葉。なんのこっちゃとニルヴェアは首を傾げる。

 

「いきなりなにを――」

 

 と。ニルヴェアの脳裏にふと、昨日の”トラブル”が浮かんだ。押し倒されて、胸を思い切り掴まれた――

 

「気持ち悪いこと言うな変態!」

「はぁ!? なに勘違いしてんのお前みたいな男女こっちからお断りだっての!」

「分かった。今のお前なら気兼ねなくバラせそうだ」

「刃先を人に向けんなばーか! やっぱ返せ、箱入り坊ちゃんはそこで見てろ!」

「なんだとお前こそ見てろこのくらい、ぴゃあぁぁぁ……」

 

 少年少女はやいのやいのと騒ぎながら、猪の解体を進めていく……そんな彼らは自分たちのことで手一杯で、全く気づいていなかった。

 少年少女を見守る大人たちの、生暖かい目線というやつに。

 

「うーむ、この青臭くて甘酸っぱい感じ。若さってやつは独特の旨味があるな!」

「やみつきになる旨さでござるよな。しかもあれを引っ掻き回すと、また味わいが変わってきてなぁ……」

 

 そんなこんなで猪の解体はつつがなく終了し、3人は青年と別れて再び旅路に戻った。そして日が暮れるまで走り続けた頃、果たして目的の街が見えてきたのであった。



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2-3 少女ニアと旅の醍醐味

 長い街道の向こうには、高い外壁に囲まれた街がある。外壁のせいで中は見えないが、しかし壁の規模だけでも分かることはあった。

 

「ずいぶんと大きい街だな……」

 

 ニルヴェアは荷台から顔を出して外壁を眺め、ぽつりとそう呟いた。少しずつ迫ってくる灰色の壁に対して、彼女は静かに考え込む。

 

(あの街でアカツキさんは”協力者”って人と合流する。そしてレイズは黒騎士に壊された銃を直したり、必要な物資を買い込んだりするらしい。だったら僕は……どうしよう……)

 

 ニルヴェアの肩にずしりと重くのしかかる。それは無力感であった。

 

(僕ひとりじゃなにもできない。だから二人を頼ったけど、だからって、なにか僕にだって……)

「――殿、ニア殿!」

「え?」

 

 気づけばアカツキが馬を止めて、ニルヴェアを呼んでいた。

 

「えっと……あれ? なんで止まるんですか? 街はすぐそこなのに……」

 

 その問いには、隣でバイクを止めたレイズが答える。

 

「だってお前、まだ素性不明じゃん」

 

 そう言われて、ニルヴェアは困惑した。レイズの言っていることは確かにごもっともなのだが、

 

「また隠れて入るのは駄目なのか? いや駄目かいいかといえば駄目なんだけど……」

「あの外壁は外部の侵入者から民を護るためのものなんだ。だから基本的に、出るより入る方が厳しいんだよ。それに街の規模がでかいと検査も必然的に厳しくなっていく。確かそういう決まりがあったはずだ」

「つまり、今朝みたいにやり過ごすことはできないと……? な、なにか策はないのか?」

 

 その言葉に対して、レイズはにやりと笑って見せた。まるで待ち構えていたかのように。

 

「あるに決まってんだろ――とっておきのアレがな」

「……アレ?」

「うむ、アレでござる」

 

 なぜかアカツキも口を挟んできた。なぜか、馬から降りながら。

 

「だからアレってなんですか」

「やり方はいたって簡単だ。まずはニア殿も荷台から降りてくれぬか?」

「はぁ、いいですけど……」

 

 ニルヴェアはよく分からないまま、しかし従わないわけにもいかないので大人しく荷台から降りた。するとすぐにアカツキが近づいてきた。ごく自然に、いつも通りの雰囲気で。

 

「痛くはせぬ。安らかに眠るが良い」

「え――」

 

 すとん。ニルヴェアの首に、手刀が落とされた。

 

「なに、を」

 

 ニルヴェアの意識があっという間に閉じていく。

 彼女が最後に見たのはアカツキの、『拙者いかにもなにか企んで候』的な胡散臭いにやけ顔だった。ほんの一瞬めちゃくちゃに嫌な予感が背筋を走ったが、それごと全てが闇に閉ざされて――

 

 

◇■◇

 

 

 ――そこはすでに街の中。それも『旅客組合』の施設の中であった。

 旅客組合。

 それは越境警護隊と同じく九都市条約の下に属する組織であり、その職務は大陸中の旅客民の諸々を取り仕切り、管理することにある。また旅客民にとって欠かせない収入源である”依頼”の提供も大半がここを通じて行われていた。

 旅客組合の施設はどこの領に関わらずほぼ全ての街に1件は存在しており、そして組合の施設には必ず旅客民用の依頼や各種手続きをする窓口がある。

 しかし組合に必要な設備というのは、究極的にはそれだけだ。つまり他の仕様は自由にしていいということであり……例えばこの街の組合には、宿屋と食堂が併設されていた。

 というわけで、その組合内の食堂の一角にて。

 

「正直、色々、言いたいことがあり過ぎて」

 

 ”彼女たち”は食事用のテーブルを囲んでいて、

 

「もうなにから怒ればいいのか分かんないんですが、とりあえず!」

 

 そのテーブルをばんと叩き、”彼女たち”の1人である、金髪蒼眼の少女の叫びが、

 

「この服を着せたのは、どっちだ!!!」

 

 食堂中に響き渡った。

 すると周囲の雑多な人々がぎょっとして少女を見た。だが当人はそんな視線を気にも留めず、正面に座る”2人組”を睨みつけていた。

 

 ――ところでこれはちょっとした余談になるが、この食堂は組合のうんぬん抜きにしても飯屋として普通に評判がいい。つまり旅客民から街の住民まで様々な人が通っているため、昼夜問わず常に人で賑わっているのだ。

 そのおかげで、実のところ少女1人の大声程度なら無数の喧騒の中に紛れてしまう。だから食堂内の全員が一様に少女に注目した、なんてことはないのだが……しかし人が多いということは、少女の周囲に居る人間だって多いということ。

 そしてそんな周囲の彼らを振り向かせる程度には、少女の怒鳴り声は大きいものだった。

 ゆえに彼らは少女を見て……瞬間、彼らの脳裏に浮かんだ単語はおおむねひとつであった。

 

 可愛い。

 

 そう、少女は単純に可愛かったのだ。

 とはいえ、その恰好自体は決して派手な物ではない。着ているのは爽やかで素朴な、薄緑色のワンピースのみ。しかしだからこそ、そこから伸びる腕や足の眩しさが映えるというもの。

 傷も日焼けもろくにない白い肌。それでいて健康的に引き締まった肢体は、一目見ただけで育ちの良さを伺わせる。

 それは首から上も同様だ。澄んだ空のように蒼く大きな瞳も、首元で結ばれた艶やかな金髪も、やはり傷ひとつない綺麗な顔立ちも……いや、その顔は今現在進行形で怒りに歪んでいるわけだが、ともかく彼女を見た誰かが(お忍びで街に降りた貴族かな?)と邪推する程度には全体的に育ち良さげで、可愛らしい少女だった。

 

 もちろん、ニルヴェアのことである。

 

 そうなると、彼女が睨みつけている2人組といえばアカツキとレイズ以外にいないわけで。

 しかし当の2人は、ニルヴェアがガンを飛ばしまくっているにも関わらず平然と席に座ったままだった。ただし、それぞれの動作は少し違っていた。

 レイズはアカツキを指差していた。アカツキはにまにまと実に楽しそうな笑みを浮かべていた。つまりそういうことであった。

 

「アカツキさん」

 

 ニルヴェアの声は冷めていた。怒りが一周回って逆に落ち着いたがゆえの声音であることは、誰が聞いても明らかだった。が、アカツキは一切悪びれることなく。

 

「良く似合ってるでござるよ」

 

 ニルヴェアは、机をばんと叩いてぶちぎれた。

 

「いくらなんでも! 無茶苦茶が過ぎる! 仮にも大人でしょ貴方!!」

 

 しかしアカツキは全く動じることなく……それどころか顔を隣へ、無料の水をちびちびとすすっているレイズの方へと向けて。

 

「レイズ、レイズ」

 

 呼ばれた彼は、椅子を引いてやや距離をとった。

 

「やめろ。こっちにまで飛び火させてくんな」

「実はあれ、下着まで変えてあるのだがどう思う?」

「ぶっ! げほっ、げほっ!?」

「~~~~~~~~!!!」

 

 レイズは咳き込み、ニルヴェアは顔を真っ赤にした。彼女はたまらず、机に乗っていた自分用のコップ(水入り)を掴んだが……

 

「ぐぐぐぐぐ……!」

 

 理性がぎりぎりストップをかけた。見た目に反さない育ちの良さが功を奏し、あるいは仇となり、結局ニルヴェアはコップを振りかぶることなく椅子に腰を降ろしてしまったのであった。

 

「もう! 本当に全くもう……アカツキさん! 今回はいくらなんでも度が過ぎています!」

「はて。度が過ぎているというと……具体的にはどこからどこまでだ?」

「その言い方分かってますよね!? 全部ですよ! 街の前で気絶させられてから、今の今まで片っ端から!」

 

 ――曰く、『これはニルヴェアの身分をでっち上げるための作戦』であった。

 

①まずニルヴェアを気絶させる

②すぐに街の関門に駆け込んで「身元不明の少女が1人で倒れていた! 今すぐ医者に見せてくれ!」

③旅客組合の宿屋で寝かせている間に、アカツキが服を着替えさせておく

④ニルヴェア、目覚める「え、何!? なんで服が」「ニア殿、目覚めていきなりで悪いのだが、ちょっと記憶喪失になってくれ」「は???」

⑤そのまま組合の人から事情聴取を受けて「な、なにも覚えてないんです。何か思い出そうとすると、うっ頭が、痛いー」「そうか。そこまで強いショックを負ってしまったんだな……」

⑥気づいたときには『獣により両親が惨殺されてただ1人生き残ったが、代わりに多くの記憶を失ってしまった悲しき少女』が無から産みだされていた。「いやこんなの通るわけないでしょう!?」

⑦通った。

 

「嘘でしょう! 旅客組合ちょっと大丈夫!?」

「まぁナガレにはままあることでござるしな。それに、レイズという信頼ある身元引受人がいたことも大きい」

「まーた越境勲章ですか……ってちょっと待ってください。僕、同い年の男子に身元を引き受けられるんですか!」

「まーまーまー、(仮)でござるよかっこかり!」

 

※ちなみにここまで、着せ替えられたことによるメリットは皆無である。

 

 そんなこんながあったのだった。

 

「なにひとつまともなやり方じゃないですよね! 正直前々から思っていたんですが、倫理観大丈夫ですか!?」

「前々から思われていたのは若干悲しい。なぁ弟子よ」

「弟子じゃねぇし妥当な評価だと思うけど、でもなニア。実際この方法が一番楽なことぐらいはお前も分かるだろ? 他にいい方法思いつくか?」

「う。まぁそれは……ないといえばないが……」

 

 ニルヴェアは反論の1つすら捻りだせず、結局はぐでんと机に突っ伏してしまった。そうするしかない無力感に体を支配されていたのだ。

 

(僕はまた、なにもできない。結局はまかり通した者勝ちなわけで、こうしてまかり通ってしまい、しかも僕自身が恩恵にあずかっている以上はなにも言えない……とはいえ!)

「それでも言いたいことはありますー!」

 

 ニルヴェアは再びがばりと起き上がった。その勢いのままアカツキへと文句を飛ばす。

 

「やっぱどう考えても、服を着替えさせた意味ってないですよね!?」

「なにを言う。恰好が変われば気分も変わる。こんな大変な今だからこそ、ここは気分を上げていくべきだと思わぬか?」

「この服じゃ僕の気分は上がらないっていうか、そう言う貴方はいつものぼろ布フードじゃないですか!」

「自分より人を着飾る方が楽しい。嫌がる生娘相手だともっと楽しい。ぬはは」

「こ、この人は……おいレイズ!」

「は! なんで俺!?」

「お前からもなんか言ってやれよ、弟子なんだろ!」

「弟子じゃねぇけど、こういうときは経験上なに言っても無駄だし力づくで止めるのは無理だ。そんで、俺が無理ならお前はもっと無理だ。諦めろ」

「……やはり、必要なのは力……」

 

 ニルヴェアの体がふらりと揺れた。この世を支配する弱肉強食の理を前に、軽く倒れそうになった。だがそれでも彼女は踏ん張った。その眼はまだ、死んでいない。

 

「もう服のことはひとまず置いときます。着替えればいいだけですし! だけどもうひとつ、これだけは言わせて!」

 

 その言葉と共に、ニルヴェアは右手でバン! と音を立ててテーブルを叩いた。その手の下からはなにやら一枚の紙片がはみ出していて、ニルヴェアはそれを右手ごとずいっと2人の前に押し出す。

 

「これ!」

 

 続いてニルヴェアは右手を紙片からどかした。そして露わになった紙片、その一点をすぐに指差す。

 

「ここ!」

 

 指差した箇所には、こう記載されている。

 

『氏名:ニア』

 

「決めたの、誰!」

 

 アカツキは隣を指差して、レイズは手を挙げた。

 

「なるほど」

 

 ニルヴェアは机からコップを引っ掴むと、その中の水をレイズにぶっかけた。

 

「つめたっ! おまっ、迷いがねぇな!?」

「傍観者気取っておいてお前もきっちり加担してるじゃないかちょっとだけ信じてたのにー!」

「信じてたとさ。良かったでござるなレイズ」

「黙れエセ侍。そんで待て! 弁解の余地をくれ!」

「分かった。ちょっと待て。水を汲んでくる」

「あ、はい……」

 

 レイズはなんか察した。

 ニルヴェアが席を離れたあと、今度はアカツキが”戻ってきた”。いつの間にか席を離れ、そして戻ってきたエセ侍はその手に白い布を持っていた。

 

「布巾を貰ってきた。ほれ、これで存分に濡れられる」

「くそっ。7割ぐらいはあんたのせいだろこれ……」

 

 そう言いつつもレイズは渡された布巾で濡れた体を拭きつつ、ニルヴェアの置いていった紙片に視線を落とした。

 それは掌サイズの長方形で、普通の紙より厚みのある素材で出来ている。その紙片を、レイズは自分から離れた位置にそっと置き直した。

 

「耐水性もあるけど、だからって濡れていいもんでもないよな。仮にもあいつの『身分証明証』なんだし……」

「――待たせたな」

 

 と、ニルヴェアが戻ってきた。なみなみと水を注いだコップを2杯、両手に持って。

 

「なんか増えてるんだけど……」

「使うかどうかはともかく、力はあるに越したことないからな……!」

「おーけー分かった。要は弁解が通ればいいわけだ」

 

 そう言ってから、レイズは身を乗り出して顔をずずいと近づけて。

 

「一応、アレな話だからな」

 

 レイズが小声でそう言えば、ニルヴェアとアカツキもまた身を乗り出して顔を近づけた。

 それを合図に、レイズが弁解を始める――ニルヴェアの、旅客民としての身分登録について。

 

「まずそもそもとしてさ、さすがに『ニルヴェア』で登録するわけにはいかないじゃん? 一応は神威から逃亡中の身だし、あいつら相手だとどこから情報が漏れるかも分からないし」

「理屈は分かるけど……でも旅客組合って条約傘下の大規模な組織なんだろう? その手の個人情報はきちんと管理してるんじゃ……」

「そこが神威の厄介なところでござる。あらゆる場所、機関にやつらは潜んで秘密の情報網(ネットワーク)を張り巡らせておるのだ。それこそ……大陸の治安を護るはずの越境警護隊なんかにも、な」

「えっ!?」

 

 ニルヴェアはびっくりして大声を上げてしまったが、しかし慌てて口を塞ぐと今度は小声で問いかける。

 

「……それって、かなりの秘密じゃないんですか。アカツキさん、本当に何者なんですか?」

「ただの流れ者の侍でござるよ。ああそうそう。越警にスパイが潜んでいるのは間違いないのだが、正直誰がどうだというあたりは全く分からぬ。だからこれは他言無用でな?」

 

 そう言ってアカツキはお茶目にウインクをひとつ決めたが、しかし横からレイズが真面目な顔で問いかける。

 

「……おいアカツキ。あんたの”協力者”とやらも越警の人間なんだろ。大丈夫なのかそこら辺」

「それに関しては心配ない。どちらかと言えば越警というより一個人として、拙者はあやつに信頼を置いているのでな……と話が逸れてしまったな。さて、あとは若い2人で存分に話してくれ」

 

 そしてアカツキはすっと後ろに身を引いた。

 

「なんだそのノリ……」

 

 レイズは呆れながらも、言われた通りにニルヴェアと向き直って話を戻す。

 

「ま、そういうわけでどうせ新しい身分を作るなら、神威に目を付けられないよう名前を変えておくに越したことはない。ここまでは納得したか?」

「まぁ一応……」

「まだ不満そうだな、それじゃあもう1つ……どうせ偽名を使うんなら、前と似たような名前の方がいい。ってのは分かるか?」

「うん? 隠すためなら元の名とかけ離れていた方が良くないか?」

「いやいや。同名ならともかく自分と似たような名前のやつがこの世に何人いると思ってんだ。そこが似てるってだけで疑ってたらきりがないだろ」

「なるほど……」

「むしろ”呼ばれても気づかない”とか、ちょっとした挙動から怪しまれる方が危険だ。そう考えると、呼ばれて反応しやすい名前の方がいいって思わないか? それこそあだ名なんてぴったりだ」

「確かに、理屈には沿っている」

「だろ? それにたぶんお前は男らしい名前ってやつを所望してるんだろうけど、これもやっぱりはたから見て違和感が残る。些細な要因かもしんないけど、怪しまれる可能性は消しておくに越したことないだろ? その点『ニア』って名前なら今の姿にぴったりだ……お前自身の心境がどうであれ、他者からの印象ってのは否定できないはずだ」

「そうだな。その通りだ」

「ようし納得してくれたな。つまり俺は怒られるどころか、非常に合理的でスマートな判断を下したわけで、むしろ感謝してくれても」

「――でも、事前に相談しなかった理由にはならないよな?」

 

 レイズが固まった。

 

「理屈的には十分に分かる。だからあらかじめ話してくれれば僕だって心構えができたと思うし、あるいは代案の1つだって考えられたかもしれない……なにせ日が暮れるまで走っていたんだ。話す時間はいくらでもあったよな?」

「…………」

 

 レイズはすん……と視線を逸らした。ニルヴェアの方から、アカツキへと。

 アカツキもまた、レイズを見た。目と目が合って、師弟ふたりで頷き合って。

 

「「だっていきなりの方が面白いし」」

 

 2つのコップから、2杯の水が解き放たれた。

 

「おっと」「冷たぁ!」

 

 アカツキにはぼろ布でガードされたが、レイズには普通に直撃した。そんでもって、ニルヴェアがぶちぎれる。

 

「人の戸籍をおもちゃにするんじゃなーーーーい!!! というか前々から思ってたけど、2人とも『ナガレはろくでもない』ってのを免罪符にしてないか!? 旅客民がどうこうという前に、まずは人としての常識を」

 

 ――ごほんっ。大きな咳払いが1つ、どこからか聞こえてきた。

 

 ニルヴェアが反射的に顔を向けると、その先には1人の従業員(ウェイター)が立っていた。

 彼は料理のお盆を両手に乗せて、爽やかな営業スマイルをニルヴェアへと向けたまま、一言。

 

「当店の飲料水は確かに無料ですが、それはあくまでも飲み水だけの話であります。痴話喧嘩への使用はご遠慮いただければと」

「あ、はい。すみません……」

 

 しゅん、と頭が冷えた。しゅん、と席に座った。

 

「あの、本当に、ごめんなさい……」

「お分かりいただければ結構です。それではこちら、ご注文の『豚肉と旬の野菜のスパイシー炒め定食』になります」

 

 ウェイターは両手に持っていた2皿の料理を華麗に置くと、そのまま華麗に去っていった。胡乱な客相手でも揺るぎないその背中が人混みに紛れたのを見計らって、レイズがアカツキへと尋ねる。

 

「てかなんだよこの料理。しかも2人分しかないし」

「拙者が頼んでおいたのだ。そして拙者は今から用事があるからな、2人で仲良く食べるが良い」

「ふーん、そういうこと……いやちょっと待て。このタイミングで逃げる気かアンタ!?」

「逃げるとは人聞きが悪いな。ぼちぼち協力者と待ち合わせの時間なのだ。ああそうそう。場合によるが今日から2、3日は留守にするかもしれん。たまには様子を見に来ようと思うが、まぁ拙者のことは気にせずしばらく自由に過ごすが良い」

「いや自由にって、そんないきなり」

 

「――いただきます!」

 

 割り込んできたのは女子の声。

 

「あっ」

 

 レイズが気づいたときにはもうニルヴェアは勝手に食べ始めた。その表情にはむすっと露骨な反骨心が描かれている。

 レイズは内心でこっそりと、冷や汗をかき始めていた。

 

(いや、こんな状態のこいつと2人きりって)

 

 するとその内心を読んだかのように、アカツキがレイズの耳へとそっと口を近づけてきて。

 

「これも修行だ我が弟子よ。拙者がいない間、おぬしがちゃんとエスコートしてやるのだぞ?」

 

 アカツキはそれだけを言い残すと、満足そうな笑みと共にその場を立ち去った。やがて人混みの向こうへと消えていった女侍をレイズは呆然と見つめて、それから額に手を当てて。

 

「弟子じゃねぇ……」

 

 そうしてしばらく黙ったあと、ちらりとニルヴェアの方を覗いてみた。

 

「…………」

 

 ニルヴェアは、黙々と食べ続けている。

 

「…………はぁ」

 

 レイズも大人しく、目の前の食事に手を付け始めた。

 『豚肉と旬の野菜のスパイシー炒め』はその名の通り、油の乗った豚肉&甘みの強い数種類の野菜をピリッと辛みの効いた香辛料で和えて炒めた料理で、シンプルながら育ち盛りの少年少女に人気がある。この食堂の定番メニューの1つでもあった。

 つまりどう考えても旨い。特に育ち盛りの少年であるレイズにとっては問答無用で旨い。はずなのだが。

 

(味に……集中できねぇ……)

 

 場を支配する嫌悪な雰囲気が、味覚すらも塗り潰していた。あるいはレイズが勝手にそれを感じているだけかもしれないが、ともかく眼前のニルヴェアは一言たりとも喋らない。

 無言の女子(女子ではない)と二人きり……

 

(アカツキがいなくなった途端、頭が冷えてきたっつうか……うわ。なんかいかにもガキ臭いぞ俺。うーわー……)

 

 今になって、レイズの胃を罪悪感がきりきりと締め上げてきた。食欲が失せて食事の手も止まる。それでもレイズはなんとか口を開く。それは飯を食べるためでなく、

 

「あー、えっと、な……悪かったよ……」

 

 謝罪をするために。

 

「その、なんだ。正直、あだ名とか偽名とかって、俺たちにとっちゃそんな珍しいもんでもねぇし……ニアって男でも一応通用するし、まぁいいかなぐらいに思ってたとこはあって、だな……軽く見てたのはまぁごめんっつうか……」

「…………」

 

 ニルヴェアは、黙々と飯を食べ続けていた。

 

「ぐ……」

 

 レイズの胃がさらに強く締め上げられた。

 

(なんも分かんねぇ。不機嫌な女子のなだめ方なんて旅じゃ培えねぇんだよ。いや女子じゃねぇけど……)

 

 レイズはちらりとニルヴェアを見た。天井の灯りを受けて輝いている金の髪。晴れ渡った空のような蒼い眼。温室育ちの白い肌。黙々と食べ物を放り込む小さな唇……

 

(口の周りが全然汚れてない。綺麗な食べ方してるんだな)

 

 胃がぎりぎりと。

 

(こうしてみると貴族っぽいのに、口を開きゃ妙に腕白でどこか馬が合うっつうか付き合いやすいっつうか)

 

 ぎりぎり、ぎりぎり。

 

(今日含めてたった2晩の付き合いで、分かっちまう程度には、真っ直ぐで、いいやつで)

 

 ぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎり。

 

(だから、つまり、あの、なんだ、あれが、あれで、あれが)

 

 ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ、

 

「っ、だーーーーーーーー! こんなんクッソだせぇやってられるか!!!」

 

 レイズがいきなり、爆発した。

 

「いた! だき! ます!」

 

 やけっぱちな叫びからのやけ食いが始まった。

 レイズは食器を乱暴に掴むと、目の前の飯をどんどん口の中へと放り込んでいく。豚肉と旬の野菜のスパイシー炒めも付け合わせのスープやサラダも混ぜこぜに噛み砕いて飲み込んで。上品の対極にある食べ方が口の周りがベタベタに汚すが最早知ったことではない。

 そんないきなりの暴飲暴食は――当然、相席の少女を呆然とさせた。

 

「レ、レイズ……?」

 

 その声に、レイズは口一杯に飯を詰め込んだまま顔を上げた。料理が来てから初めて2人の目と目が合った。その瞬間、レイズの瞳がぎらりと光った。

 レイズはいきなり手元のコップから水を乱暴に飲み干した。その勢いで口内の一切合切を押し流し、それからコップをどんとテーブルに叩きつけた。そして再びニルヴェアとしっかり目を合わせて、堂々宣言!

 

「もう夜も遅いけど、これ食ったら少し外出るぞ!」

「え。外って……」

 

 瞬間、ニルヴェアの目の色が明らかに変わった。そしてレイズはそれを見逃さなかった。

 

(やっぱお前は興味津々だよな。町の外で気絶させられて、そのまま組合《ここ》に放り込まれたんならなおさらだよな!)

 

 女子のなだめ方なんて、旅の中で習わなかった。

 だけどレイズは知っている。老若男女を問わない浪漫を、旅の中で知っている。

 

「新しいなにかとの出会いこそ、旅の一番の醍醐味だ!」

 

 

◇■◇

 

 

 すでに日が落ちて長いというのに外は――組合の前の大通りは、とても明るかった。

 光源は大きく分けて2種類ある。

 1つは大通りに等間隔に配置されている街灯。

 もう1つは、あちこちで無秩序に吊り下げられている提灯の明かりだ。そしてそれぞれの提灯の下では、いくつもの出店が開かれていた。

 きらびやかな光景が、ニルヴェアの前には広がっている。

 

「うっ……わ……!」

 

 ニルヴェアの口から感嘆の声が漏れた。それは隣に立つレイズの耳にも届いていて。「すげーだろ?」ニッと笑ってから解説を始める。

 

「組合には当然ナガレが集まる。そんで大きな組合になればなるほどそれは増えるし、そもそもナガレ自体が『昼に旅をして夜に街に泊まる』やつが多いんだ」

「つまりこの賑わいは旅客民向けの商売ってことか?」

「大きな組合がある街ではよくあるこった。にしてもここは出店が多いと思うけど……そこが街の特色ってやつかもな」

「はぁ……なんていうかすごいな、本当に……」

 

 ニルヴェアはどこか夢でも見ているような気分で、街の景色を見つめていた。

 なぜならニルヴェアが住んでいた街にとっての夜は、ただ寝静まるだけの時間だったのだから。

 

「たった1日分しか離れていない街でも、景色がこんなに変わるのか」

 

 ニルヴェアは呟きながら1歩踏み出して、くるりと辺りを見回して……ふと、甘い匂いが鼻孔をくすぐった。彼女は迷いなくその匂いを辿っていった。

 果たしてその先にあったのは、1軒の出店だった。ニルヴェアがそこを覗くと、

 

「わぁ……」

 

 カラフルな飴玉の袋詰めが、所狭しと並んでいた。

 提灯の光できらきらと輝く飴玉。それを夢中で眺めていると、店主が店の奥から顔を出した。恰幅&人柄の良さげなおばさん店主がニルヴェアへと声をかける。

 

「お嬢ちゃん、一個舐めてみるかい?」

「……」

「おーい」

 

 ニルヴェアはそこでようやく気付いた。『お嬢ちゃん』が自分を指していることに。

 

「え、あ。もしかして、僕のことですか?」

 

 僕。その一人称に店主は一度目を丸くしたが、しかしすぐに笑みを浮かべて。

 

「変わったお嬢ちゃんだ。もしかしてナガレかい?」

「え? まぁ……はい。一応……」

「あははっ。一応ってなんだい。まぁともかく旅の記念にほら、舐めてみなよ」

 

 店主はそう言って、ニルヴェアに飴玉を1粒渡した。

 

「ありがとうございます。それじゃあ遠慮なく」

 

 ニルヴェアも素直に飴玉を口の中へと放り込んだ。それからころころ転がせば、優しい甘みが舌の上に広がった。

 

「知り合いの菓子工房が作った飴なんだけどね。どうだい?」

「美味しいですよ。なんか優しい味っていうか……」

「良い感想だねぇ。そうそう、お嬢ちゃんはこの街初めてかい?」

「はい。というかここまで明るい夜自体が実は初めてなんですよ。自分が田舎者だと思い知ったと言いますか……」

「ははっ、賑やかだろう? ここはちょっとした職人街ってやつでね。釣り下がってる提灯もこの街の職人が作ったものだし、出店で売られてるのもそういう手作りの物ばかりなのさ。例えばどこかの工房の、変な試作品とかね?」

「え? それって――」

 

 ぱちぱちっ!

 

「!?」

 

 その音はニルヴェアの口内から鳴った。正確には口の中の飴玉が急に”弾けた”のだ。

 

「んむっ。むぇ?」

 

 弾けた、といっても文字通りに割れたわけではない。飴玉を舐める度にぱちぱちと、舌の上に小気味よい刺激が踊るのだ。

 

(まるで炭酸水をそのまま舐めているみたいだ)

 

 ニルヴェアが驚いて目を丸くすると、店主はそれを待っていたと言わんばかりに大きな笑みを見せた。

 

「あっはっはっ! 本当に良い反応するねぇお嬢ちゃん。それ、まだ名前はないけどアタシらは『ぱちぱち飴』って呼んでるんだ。まだ世に出回ってない試作品だし、旅の記念にちょうどいいと思わないかい?」

「なるほど、商売上手ですね。なら1袋……」

 

 と、そこでニルヴェアは気づく。

 

(そういえば僕、無一文なんだよな。寝間着のまま逃げたし今も勝手に着せられた服だし……ん?)

 

 考えた途端、服の裾辺りが若干重いことにも気づいた。

 だから服の裾に視線を向けてみれば、そこにはポケットがひとつ付いていた。そこに手を入れてみれば、中にはなにかが入っていた。

 

(これが感じた重さの正体?)

 

 ニルヴェアはポケットからそれを取り出して……「ははっ」呆れたように笑った。

 

「こういう心遣いなら、素直にありがたいんだけどなぁ」

 

 ポケットの中に入っていたのは、カエルの口のように丸っこい財布。それは桜の都リョウラン発祥の『がま口財布』であった。

 

 

◇■◇

 

 

 やがてニルヴェアはぱちぱち飴を2袋買って戻ってきた。組合の前で待っていたレイズの下へと。

 

「お、なんか2つあるじゃん。俺の分も買ってきてくれたの?」

「……これはおまけで貰っただけだ」

「『お嬢ちゃん可愛いから~』って?」

「なんで知ってるんだ!」

「わはは、カマかけただけだっつーの。でも着せ替えられた甲斐あったじゃん」

「うるさい! お前には絶対に分けてやらん!」

「くくっ。そりゃいいんだけどさ……それ買った金、アカツキが用意してくれてたんだろ?」

「む。やっぱあのがま口財布、アカツキさんのだったのか……あの人、基本的にろくでもないのに妙なところで繊細というか、手回しがいいんだよな……」

 

 ニルヴェアの率直な感想に、レイズも「マジでそれなー」と同意をみせた。呆れたような声音で、しかしうっすら微笑んで。

 

「なに考えてんのかよく分かんねーことも多いけど、それでもなんか色々考えてくれてるやつなんだよ。きっと」

「それは、なんとなく分かる気もするが……」

 

 そのときニルヴェアは思い出した。アカツキが語った一言を。

 

「恰好が変われば気分も変わる、か」

「そーいやそんなこと言ってたっけ。ま、あれも結構マジだったんじゃね?」

「だからってこんなの無茶苦茶だ。それに……」

 

 ニルヴェアはそこでわずかに目を伏せて、遠くを見つめた。

 

「あまり楽しんでいい旅でもないだろう。僕らには目的があるんだか、」

 

 こつんっ。

 

「ら?」

 

 額にほんの小さく1発、お見舞いされた。

 レイズが拳を緩く握り、ニルヴェアの額に当てたのだ。

 痛くはないけど分からない。きょとんとしたニルヴェアに、レイズがはっきりと断言する。

 

「そんなもんあってたまるか、バーカ」

「なっ、こっちは真面目に……!」

「メリハリつけて生きるのが、ナガレの流儀だ」

「っ――」

 

 ニルヴェアは思わず言葉を詰まらせてしまった。だってレイズの表情が本気のそれだったから。

 

「ガキ扱いされるのは嫌いだけど、それでも俺たちはまだ全然ガキだろ。歴戦の戦士でもあるまいし、四六時中気を張ってたら本当に大事なときにへばっちまう。それに……楽しい思い出ってやつは、そういうときこそ心の支えになるもんだ。ニア、お前だってそういう思い出があったから、今ここにいるんだろ?」

「……!」

 

 ニルヴェアは目を見開いた。その瞳は現在を越えて、蒼き月下の誓いを映した。

 

 ――僕はあの日の誓いをごっこ遊びで終わらせたくない。だから僕は、2人と行くことを選びたいんだ

 

「……ああ、その通りだ」

「だ、か、ら!」

 

 いつの間にやら、レイズの表情はもうすっかりおどけていた。

 

「明日は街の散策だ。昨日の今日で思うところもまだあるだろうけどさ、俺のためだと思って一緒に楽しんでくれよ。な?」

「レイズ……」

 

 ニルヴェアはそのとき確かに感じた。肩の重荷が、ふっと消える感覚を。

 

(僕にできることはきっと少ない……だったら、できることくらいはちゃんとしなきゃな)

 

 その第一歩として。ニルヴェアは手に持ったぱちぱち飴の袋をひとつ放り投げた。それはふわりと放物線を描いて、レイズの胸へと吸い込まれていく。

 

「うおっと?」

 

 レイズは反射的に袋を受け取って、それから目をぱちくりと瞬かせて……

 

「店主さんに言われたんだ」

 

 声に反応してレイズが面を上げると、蒼い瞳が真っ直ぐな視線を向けてきていた。彼女は実に楽しげな想いを視線に乗せて、声も思い切り弾ませて言うのであった。

 

「『良ければ友達にも広めてくれ』ってさ!」



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2-4 夜の陰謀と朝の喧騒

 ニルヴェアとレイズが夜の街に出たところから、時は少しだけ遡って。

 

「これで『ニア』さんの仮申請は完了となります。こちらが身分証明証です」

 

 アカツキは組合の受付にて、ニルヴェアの身分証明証を受け取っている最中であった。

 組合の職員に渡された掌サイズの厚紙。その表面には氏名、顔写真、登録日などの個人情報が。そして裏面には旅客民への簡易的な注意事項の一覧が載っていた。

 

「本申請には後日、ニアさん本人あるいは同伴による再度の申請が必要となりますが、それに関してはどこの組合でも受託できるのであとは期間だけお忘れなきようお伝えください」

「了解した。いきなり飛び込んできて、おぬしらには世話を掛けたな」

「これも仕事ですから。それに、ああいう子に居場所を用意してあげるのも組合の意義で……あ、そうそう。アカツキさんに手紙が来ていましたよ?」

「手紙?」

 

 旅客民同士の手紙の受け渡し。それもまた旅客組合の仕事の一つである。

 なにせ旅客民はその性質上、住所というものがない。ゆえになにかしらを連絡するなら旅客民を統括している組合を介するのが一番早いのだ。

 

「はい。えっと……ああこれこれ。氏名は『ブラク・ワーカ』。この方も旅客民で、職業は記者ということですが……」

「ふむ……」

 

 職員の言葉に対して、アカツキはなにやら腕を組んで考え込んだ。

 

「えっと……お知り合いの方であっています、か?」

「ん? ああ、相違ない。受け取らせてもらおう」

 

 アカツキは平然とそう答えて手紙を受け取った。

 だが実のところ……彼女は『ブラク・ワーカ』なる名前には、全く心当たりがなかった。

 だがその一方で、”知り合い”というのも嘘ではないだろうと踏んでいた。アカツキの脳裏には、”協力者”の顔がちらついている。

 

(ブラック)労働(ワーク)か……ブロードよ。おぬしも相変わらず元気そうでござるな)

 

 

 ◇■◇

 

 

 やがてアカツキはレイズたちから逃げ……別れたあと、組合からいくらか離れた一軒の酒場へと赴いた。

 そこは『ブラク・ワーカ』の手紙に記されていた住所であった。のだが……果たしてアカツキを出迎えたのは、漆塗りの気品溢れる看板を掲げた立派なお店。

 そこは見るからに、高級路線な酒場(バー)だった。

 そこは誰がどう見ても、ぼろ布を纏った自称侍には似つかわしくない場所だった、が。

 

「たのもう」

 

 アカツキはなんの迷いもなく店内へと足を踏み入れた。すると入り口に待機していた、いかにも質の良い身なりをした店員がアカツキを出迎え……

 

「……」

 

 ることなく、むしろ警戒するように眉をしかめた。妥当な判断であった。だがアカツキはアカツキで、その視線をこれっぽっちも気にせずに尋ねる。

 

「拙者、名をアカツキと申すのだが……ここにブラク・ワーカなる者は来ておらぬか?」

 

 するとその瞬間、店員の表情があっという間に接客スマイルへと切り替わった。それは彼の中で、アカツキが不審者から客へとランクアップした証拠だった。

 

「アカツキ様でございますね。ええ、ワーカ様より伺っております。どうぞこちらへ」

 

 そうしてアカツキが通された部屋は、完全な個室であった。

 

(仕切りなどではなく、部屋そのものが完全に別個になっている。防音性はまずまずか)

 

 アカツキはそう分析しつつ個室に入って、

 

「――うわっ」

 

 アカツキを出迎えたのは、そんな驚きの声だった。しかしアカツキはそれにも動じず、開口一番。

 

「久々に会った友人に対する第一声がそれか。失敬なやつでござるな」

 

 そう言ったアカツキの眼前、その”青年”はすでに席に座っていた。その青年は呆れたような声音をもって、アカツキへと言い返す。

 

「こういう店にその恰好で来る方が失敬だと思うけど。君にはTPOって概念がないの?」

 

 青年はそう言うだけあって、きっちりとした身なりをしている。鈍色の髪をオールバックに整えて、小奇麗なスーツに身を包み。

 つまり誰がどう見ても今一番浮いているのはアカツキなのだが、しかしアカツキはアカツキなので。

 

「そんな物弁えるくらいなら、この口調から先にやめておる」

「ああそう、うん……」

 

 そこまで堂々と開き直られては何も言い返せない。青年は諦めて、その柔らかな垂れ目を困ったように手元のグラスへと向けた。飲みかけの酒に視線を落としながら彼は言う。

 

「こうして会うのはわりと久々だし、お互い積もる話もあるんだろうけどさ……」

 

 青年が顔をあげた。全体的に人の良さそうな顔を、しかし真面目に引き締めて。

 

「正直、時間が惜しいんだ。だから早速本題に入りたい」

「ふむ……それはそうと『ブロード』よ。お主に尋ねたいことがひとつあるのだが」

 

 この侍、いきなり話の腰を折ってきた。

 ゆえに青年……ブロードは、がくっと首を落として呆れ果てた。

 

「いや時間が惜しいって言ったよね? 君ほんと人の話聞かないよね……」

「いやいや、拙者はこう見えて超真面目だからな。ちゃんと聞いた上で外しに行ってるのだ」

「余計に性質悪いね……で、なにさ? 手短に頼むよ」

 

 するとアカツキは言われた通りにあっさりと、手短に一言。

 

「お主、越警をクビになったのか?」

「さすがに怒るよ!?!?!?」 

 

 ブロードは怒った。

 

「なんだ違うのか。偽名&別職業だろう? とうとうなにかやらかしたのかと……」

「そんなやらかす人に見える!? 偽名も記者も潜入捜査の一環! そりゃ物書き自体は結構好きだから! 貯金が貯まったら越警なんてさっさと辞めて、そっち方面でのんびり暮らしたいって人生設計はあるけど! いやむしろ今すぐ辞めたいクビにできるものならクビにしてくれ!」

「あっはっはっ! お主も随分溜まっとるようだなぁ。どうだ、今宵は飲み明かすか!」

「だーかーらー、時間がないんだってばマジで~~~」

「なんだなんだ。そんなに切羽詰まっておるのか?」

「分からない」

「はぁ?」

「まだ情報が足りないから単なる直感の域はでない。というわけでさ……そっちの方はどうだった? 例の”依頼”。なにかあった……いや、なにが起こったんだ?」

 

 そのときにはもう、ブロードの表情は静かな剣呑さを湛えていた。その表情からアカツキもまた察する。

 

(さすが、良い嗅覚をしておる)

 

 ――ブロード・スティレイン。

 彼こそがかの越境警護隊の一員であり、またアカツキが個人的に信頼する”協力者”の正体である。

 

「そうさな。たしかに事態はお主の言う通り逼迫(ひっぱく)しておるのかもしれんな……」

 

 アカツキはそう前置いてから話し始めた。ニルヴェアの屋敷で起こった一部始終を。そしてそのニルヴェアを連れて旅を始めたことを……。

 

「くそっ、金髪蒼眼の少女ってそういうことかよ……!」

 

 一通り話を聞き終えて、ブロードが最初に行ったのは頭を抱えることだった。彼はそのまま1人でぶつぶつと呟き始める。

 

「でもちょっと待て。飛空艇、通信機、どれ使っても噂が広がるのが早すぎ……ってことは予め次善策として、周辺の街に噂を流してた?」

 

 そんな彼の様子にアカツキもまた「ふむ」と顎に手を当てて考える。

 

「どうやら本当に、ゆるりと晩酌を楽しむ余裕はなさそうだな?」

 

 その言葉に、ブロードはようやく面を上げて答える。

 

「……とりあえず今夜は徹夜決定として、その前に僕の方で得た情報を共有しときたい。いいよね」

「えー、それ聞いたら拙者も徹夜で働け的な? でも拙者にはレイズたちを定期的にからかうという任が」

「――実は僕も、君に呼びつけられる前からすでにブレイゼル領内を調べ回っていたんだよね。もちろん表向きは『旅客民≪ナガレ≫の記者』として、ね」

「うわこやつ問答無用で話し始めた……」

 

 アカツキは嫌々ながらも、仕方なく聞き手に回ることを決めて黙した。それを確認してからブロードも話を再開する。

 

「これはここ数か月の出来事なんだけどさ、ブレイゼル領内で小規模な事件が立て続けに発生してるんだ。で、それらはおそらく神威の仕業だって言われてる」

「……おそらく?」

「越警や現地の騎士の対応で現行犯は一応毎回捕まえてるんだけど……なんか尻尾切りっていうかさぁ。捕まるのは誰かに依頼された野盗とか、何も知らない下っ端とか、言葉は悪いけど”どうでもいいやつら”ばかりなんだよね」

「尻尾切り……つまりそいつらは囮ということか?」

 

 ブロードは素直に頷いた。

 

「僕もそうなんじゃないかって思ってる……実のところ、個々の事件の規模に対して越警から割かれる人員が明らかに過剰なんだ。そりゃ神威を主とした、大陸を股にかける悪党の撲滅が越警の本懐ではあるんだけど……」

「ふふん、なんか色々きな臭くなってきたな?」

「まーねー。とはいえここら辺は首突っ込むと話長くなるから、一旦置いといて……実は本当にヤバいのは、もう1つの方かもしれない」

「もう1つ、というと?」

 

 アカツキの問いに、ブロードは少しだけ黙ると……その口を、ほんの小さく動かして呟く。ニルヴェア様、儀式、噂……語るためでなく、整理するための呟きをひとしきり終えたあと、ブロードは改めてアカツキへと向き直った。

 

「君たちが会った黒騎士は『前領主がニルヴェア様を使って儀式を行おうとしている』って言ったんだよね」

「ああ」

「それと関係がある……とは断定できないけど、実はここ1か月ほど前領主……ゼルネイア・ブレイゼル様の姿が見えないんだ」

「姿が見えない……?」

「言葉の通り、目撃情報が全くないんだ。とはいえ元々ゼルネイア様は領主の座を息子に譲り渡したあと、剣の都から遠く離れた別荘で半ば自給自足の隠居生活を送ってるんだ。奥様にもすでに先立たれてるし、目撃情報が少なくても納得はいくけど……」

「ならば、その前領主の別荘とやらはどうなっておる?」

「半月ほど前に一度尋ねたけど留守だったよ。とはいえ自給自足の畑は手入れされてる様子だったし、行方不明とは断言し難い……さすがに核心もないのに前領主の別荘に忍び込むわけにはいかなかった。だから引き返したんだけど……くそっ。ためらうべきじゃなかったかな」

「なるほど。いずれにせよ、あの黒騎士の言葉と重なる形でなにかしらの動きはあると……」

「なにかしら、じゃすまないかな。もう現時点で明確な動きが1つあるんだ」

 

 ――他でもない、この街でね

 

 ブロードがそう語ったその瞬間、アカツキの両目がすぅっと細まった。

 

「おぬしが先ほど取り乱したのはそれが理由か」

「そういうこと……僕も今朝がたこの街に着いたばかりだから、正直詳しいことはまだ分からない。だけど、どうも”良くないやつら”の間でね……」

「神威の策なら実働隊は使い捨ての雑魚か、あるいはそこら辺のゴロツキが定番だろう」

 

 ブロードの言葉に先んずる形で、アカツキが言葉を重ねた。

 

 ――ざっくり言えば仇討ちというやつだ

 

 長年神威を追い続けているアカツキにはすでに見えていた。やつらの策の定番が。

 

「――金髪蒼眼の少女を攫えば、多額の報酬が手に入る。どうせ、そんな噂でも流れておるのだろう?」

 

 

◇■◇

 

 

 街に入った次の日の朝。組合に併設された宿屋の廊下にレイズは立っていた。

 レイズはいつも通りの――動きやすいラフな上下に、ポケットのたくさん付いた奇妙なベストを羽織った――格好をしていた。

 しかし1つだけ変わった点もあった。彼はなぜか壊れた琥珀銃を腰ベルトのホルスターにしまい背負っているのだ。

 そんなレイズは今、人を待つためそこにいた。ならば待ち人は誰なのか……

 

「待たせたな」

 

 ここ数日ですっかり聞き慣れた少女の声が、レイズの耳に届いた。彼はその声の方へと、なにげなく顔を向ける。

 

「お、準備長かったな……って」

 

 レイズの言葉はそこで止まった。彼は目を丸くして、目の前の少女……ニルヴェアをしげしげと眺めた。

 長い金髪を首元で括ったところはいつも通り。だが首から下が、すっかり様変わりしていた。

 空色と若草色に彩られた素朴なエプロンスカート。それを軸にコーディネートされた、昨日とはまた違う装い。

 それを見て、レイズは考える。

 

(昨日がどこぞの令嬢風なら、今日はさながらパン屋の看板娘辺りか?)

 

 なんて感想を抱いていたら、ニルヴェアがちょっと後ろに引いた。

 

「おい、あまりじっと見るな……!」

「や。そう言うわりにはきっちり着替えて、お前も楽しんでるじゃん?」

「違う! 部屋にこれしか着替えがなかったんだ! しかも着替え方のメモ書きまで丁寧に置いてあったし……!」

「そういうことね、はいはい」

 

 レイズはなんか色々察した。一方でニルヴェアは、苦渋に顔をしかめて。

 

「服を……」

「あ?」

「頼む、服を貸してくれ……! お前のならサイズも合うし、やはりこの格好で外に出るのはこう、色々とだな……」

 

 しかしレイズはさくっと言い返す。

 

「いいじゃん、わりと似合ってるし」

 

 そんなことを言われれば、ニルヴェアは露骨に嫌そうな顔をして。

 

「お前、まさか本当に僕のこと……!」

「おいおい自意識過剰かよ。見た目だけとはいえ、似合ってる方が付き合うこっちとしては楽しいもんだ。なぁニアちゃん?」

 

 そう言いながら、レイズはニルヴェアに背を向けて先を歩き出した。だからニルヴェアは慌ててその背を追いかける。

 

「待てよ馬鹿レイズ! さっさと服貸せ!」

「えー、そしたらその服無駄になるぞ? どーせアカツキのことだから、わりと良い服選んでるんだろうなぁ。それを無下にすんのはなぁ、どうなんだろうな~?」

「ぐ、ぐぐ。それは……」

 

 ニルヴェアの足が思わず止まった。レイズの言う通り、アカツキが用意したであろう服は昨日も今日も間違いなく良い生地を使っている。それは着心地からしても明らかで、だからニルヴェアは律義に葛藤してしまう。

 

(せっかく買ってもらったのに1度も着ないというのは確かに道理に反するか……!? いやでも、よくよく考えれば完全に押し付けられただけであってだな……!)

 

 ぐるぐると悩んでいる間に、レイズはどんどん先へと行ってしまう。

 

「ははっ、そういう律義さがお前の良いところだよ。つーわけでさっさと行くぞー、朝一で寄りたいところあるんだから」

「あっ。おい待てって!」

 

 遠ざかっていく背中をニルヴェアは慌てて追いかけた。するとレイズはそれを見計らったように早足で歩き始める。そうして気がつけば、服を着替えに戻るのが面倒なくらいに、二人は宿屋から遠ざかっていたわけで。

 そうなればニルヴェアにはもう、悪態を投げるぐらいしかやれることがないのであった。

 

「師匠も師匠なら弟子も弟子だ! どいつもこいつも全くもう!」

 

 

◇■◇

 

 

 琥珀工房。

 それはこのグラド大陸に広く普及しているエネルギー結晶『琥珀』及び、それを消費する道具を専門に扱う店を指している。

 レイズとニルヴェアがまず最初に訪れたのも、その琥珀工房のひとつだった。レイズは店に入るやいなや、その工房の親方に頼んだ。

 

「親方。この琥珀銃を直してくれないか?」

 

 レイズが背負っていた琥珀銃を見せれば、親方はその強面に怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「なんだぁ? お前さんみたいな坊主が一丁前に……む。これは……おい坊主。こいつはお前さんのオーダーメイドか?」

「おうさ。設計書はこれな。この通りに直してくれりゃそれでいいから」

「ふーむ……なんだ、本当にこれでいいのか? この図面……お前さんが素人じゃないのは分かるが、しかしこいつは……」

「そこはそれ、俺専用の武器だからってことでさ。それでできるの? できないの?」

「ちっ、生意気な坊主だ。誰ができないっつったよ。ウチはこの街一番の腕利きで通ってるんだぜ!」

「それを見込んで頼んでんだ。期待してるぜ親方!」

「ったく口の回る坊主だ。ま、とにもかくにも故障箇所を見なきゃな――」

 

 といった感じでレイズと親方が琥珀銃を囲んであーだこーだしている、その一方で。

 

「大きな工房だな。さすが職人街……」

 

 ニルヴェアは工房内をきょろきょろと見回していた。

 

(僕の街にも琥珀工房はあったけど、こんなに大きくなかったし……)

 

 工房内はきっちり整理されていて、多種多様な『琥珀機械』が――灯りを点ける、水を汲む、車を動かす……その他数えきれないほどの恩恵を人々に与える道具たちが――所狭しと並んでいる。

 

(この手の物にはあまり興味を持ってなかったな。思えば学ぶ機会だってろくになかった気がする……剣と同じく、戦闘にも深く関わる分野だからか……ん?)

 

 ニルヴェアの視線がふと止まった。彼女が見つめるのは琥珀関連の書籍が並んでいる本棚。そこに置いてある1冊の本であった。

 

『獣でも分かる! 10歳から始める琥珀学』

 

 そんなタイトルに惹かれて近寄ってみれば、本にはご丁寧に『立ち読み可』のシールが貼られていた。

 ニルヴェアはレイズの方をちらりと見た。彼はまだ親方と話を煮詰めている最中だった。

 

「おい坊主。こりゃ回路自体が完全に焼き切れてるぞ。こりゃ射撃中に砲身潰されてショートしたってとこか? にしたって、こいつは瞬間的に潰されでもしなきゃ……」

「さすが目ざといな親方。実際、一撃で握り潰されたんだよ」

「おいおい一体なにを相手にしたんだ? まぁなんにせよ回路総入れ替えだと丸々作り直すようなもんだ。高くつくし時間も掛かるぞ? いっそ別のを買い直した方が……」

「それはなしだ。金に糸目はつけないし、とりあえず2、3日ぐらいはここに居る予定だからさ。それでなんとか――」

 

(……まだ終わりそうにないな)

 

 ニルヴェアはそう見積もると、『10歳から始める琥珀学』を手に取って読み始めた。とりあえずぱらぱらと捲って、ざっくり斜め読みしていく。

 

『およそ60年ほど前、『魔の大陸』から伝わった技術が元になっているという説が――』

『琥珀によって発達した機械や武器、なにより車の存在が大陸中を繋げ、30年前に十都市条約を結ぶきっかけを――』

『琥珀を用いることで従来の武器にはない性能を発揮する武器。それらを総称して琥珀武器と――』

 

 ニルヴェアの手はそこで止まった。

 

(琥珀武器、か)

 

 今開いているページに、じっくりと目を通していく。

 

『琥珀技術の発達により産み出された新しい武器。それが”銃”である。琥珀のエネルギーを弾丸として射出あるいは熱線として照射するその武器は、同じく遠距離用の武器である弓よりも圧倒的に手軽に、そしてさらに遠くから獣を撃つことができる革命的な存在だった』

(なるほど……確かにレイズの琥珀銃は強いし取り回しも良さそうだったな。それに……認めるのは癪だけど、黒騎士の大剣みたいな”いざというときの切札”も浪漫がある。それにそれに、聞いた話によれば兄上だって”光の斬撃”なる超かっこいい必殺武器を持っているってことだし……)

 

「お、琥珀武器に興味あんのか?」

「!」

 

 背後から聞こえた声に思わず振り向けば、レイズが後ろから本を覗き込んでいた。それに対してニルヴェアは反射的にムッと眉をしかめた。

 

「勝手に覗くなよ、不躾だな」

 

 服を貸してくれなかった恨みがまだ若干残っていた。それゆえの当てつけだったのだが。

 

「琥珀武器。興味あるなら試してみるか? 護身用にひとつぐらい持ってくれるとこっちも気が楽だし」

「本当か!?」

 

 ニルヴェアの表情がころっと明るくなった。

 

「案外現金なやつだなぁ」

 

 レイズは苦笑しながらも、ニルヴェアにひとつ質問をする。

 

「お前、なんか使える武器ってあるのか?」

「う。それは……」

 

 ニルヴェアは分家(レプリ)であるゆえに、戦闘関連の知識は学ばせて貰えなかった。武器への接触も禁じられていた。だからできることはごく限られていた。

 

「武器は扱えないが、格闘術ならなにもなくても練習できるから少しは独学でだな……」

「格闘術ねぇ。んじゃあナックルにブーツ……っつっても琥珀武器って内蔵する機構の都合で基本的にでかくなるんだよな」

「そういうものか……ん? でもお前は足から炎を出したりしてたよな。あれも琥珀を用いているんじゃないのか?」

 

 その言葉に、レイズは少しだけ驚いたような表情を見せた。だがそれはほんの一瞬だけで。

 

「あれはな。なんていうかな」

「なんていうか?」

「俺にしか使えないんだ。仕組みは企業秘密ってことで」

「はぁ? なんだよそれ、ちょっとずるくないか!」

「ずるじゃねぇって。とにかく、お前の琥珀武器についてはおいおい考えてくとしてさ。ひとまず俺の用事は済んだし、今日のところは引き上げようぜ。修理には結局3日ほどかかるらしいし、それまでは”自由時間”ってやつだ。のんびり行こうぜ」

「そんな……」

 

 立ち尽くすニルヴェアの前で、レイズは「とりあえず飯だ飯!」と先に出て行ってしまう――その瞬間、ニルヴェアの中でひとつの感情が生まれた。

 

(置いていかれたくない)

 

 考える前に足が動いていた。妙な焦燥感に急かされて。

 

(憧ればかりで、結局はなにもできない……なんでこんなことばかり、思い浮かぶんだろうな)

 

 近くて遠い少年の背中を、少女は早足で追いかける。



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2-5 少年の修行と少女の戦い

 この街の名物は、一言で言えば出店だ。正確に言えば出店に並べられる、様々な職人たちの様々な品物だ。

 ではなぜそうなったのかと言えば、事のきっかけはおよそ10年ほど前まで遡る。

 この街には当時から多種多様な職人たちが多く住んでいたのだが、物作りに携わる人間が多い。それはすなわち制作物や原料の流通のために多くの人が行き交うということでもあった。

 そしてそこに目を付けたのが当時の町長だ。彼はあるとき、とある職人が通行人に技術を宣伝するため違法で出店を開いている現場を目撃して……むしろ閃いた。出店を開くための敷居を、その当時よりも大幅に低くすることを。

 そしてそれは、ものの見事に職人たちの競争心に火を付けた。ゆえに出店文化はあっという間に広がって、やがては現在の『多くの職人たちが己の技術を見せつけるために出店を開く』という名物の礎となったのだった。

 そんなわけで今、この街はどこへ行っても出店が開かれている。大通りで、街角で、あるいは怪しげな路地裏で。

 ゆえにこの街は、職人製の名品珍品で溢れている。街のどこを切り取っても、よその人にとっては珍しい光景になるだろう……それこそ田舎から来たおのぼりさんなんかは、きっと目移りが止まらないはずなのだ。

 

(見たことない食べ物。綺麗なアクセサリ。珍妙な琥珀機械……あ、武器まで売っているのか!)

 

 そんなわけでおのぼりさんど真ん中ことニルヴェア・レプリ・ブレイゼルは、初めてだらけの街にあちこち視線を泳がせている真っ最中……なのだが、

 

「お。なんだあれ人形劇か? ニア、ちょっと見ていかね?」

 

 隣の少年から話しかけられた、その途端にツンとすまして。

 

「いまさら人形劇なんて。子供じゃあるまいし」

 

 なんて言いつつ、ちらちらと。

 

(職人街ってだけあって人形もよくできている……うわっ、竜の口から炎まで出てる。本物? って違う違う! 興味ないったら興味ない!)

 

 ニルヴェアは内心で葛藤しつつ、表ではあくまでも興味なさげな態度を貫く。そんな彼女に対してその隣を歩く少年、レイズは困ったような笑みを浮かべていた。

 

「つれないな。15なんでまだ子供だろ?」

「なんだよ。ガキ扱いされるのは嫌いなんだろ」

「舐められるのが嫌いなんだよ。子供ぶって楽しめるなら儲けものだろ?」

 

 彼の余裕ある、飄々とした立ち振る舞い。それはニルヴェアの胸にちくりと刺さった。だから考えるよりも先に、苛立ちがつい口に出てしまう。

 

「お前はすぐそうやって!」

「そうやって?」

「……僕の方が子供だよな。こんなのじゃ」

 

 思考がようやく追いついて、ニルヴェアは冷静になれた。

 

(こんな意地の張り方、逆に格好悪いだけだ。分かっているはずなのに)

「はぁ……」

 

 口から勝手にため息が出た。ニルヴェアが気落ちする姿を見て、レイズがくつくつと笑った。

 

「すげーきょろきょろしてたもんな。興味津々ならそう言えばいいんだ」

「気づいていたのか!?」

「むしろ気づかない方がおかしい」

「ぐっ……!」

「我慢せず、楽しめるときに楽しめって言ったろ。どうしたんだ?」

「なんでもない! ちょっと昼ご飯買ってくるからそこで待ってろ!」

「は? さっき飯食ったしまだそんな腹減ってな……行っちまった」

 

 レイズが止める間もなくニルヴェアはどこぞの出店へと向かってしまい、その背はあっという間に人混みへと紛れてしまった。

 その場で1人取り残されたレイズは、ただ頭をがしがしと掻くことしかできなかった。

 

 ――これも修行だ我が弟子よ。拙者が居ない間、お主がちゃんとエスコートしてやるのだぞ?

 

「ったく、意外と難しい修行じゃねえか……」

 

 

◇■◇

 

 

 やがてニルヴェアが買ってきた昼ご飯は、ソーセージと野菜を巻いたクレープであった。彼女は両手に1つずつクレープを持っており、その片方をレイズへとすぐに手渡す。

 

「ほら、お前の分だ」

「お、おう……」

 

 レイズはおそるおそる受け取った。するとクレープの下部を包む紙から、出来立てほかほかの温かさがじんわりと伝わってきた。

 

「なんだその顔。まさかお前の分を買わないとでも思っていたのか?」

「いや、そんなわけじゃ……」

(正直ちょっと思ってたけど)

 

 レイズのそんな内心を知ってか知らずか、ニルヴェアはすぐ近くにあったベンチに腰を降ろすと、

 

「さっさと座れ。せっかくの出来立てなんだから、熱いうちに食べないと」

 

 そう言って先に食べ始めた。

 ニルヴェアは小さい口で、小鳥がついばむようにちょっとずつ齧っていく。口が汚れないよう丁寧に食べていくその仕草は、やはりどことなく上品で……だからこそ、レイズはひとつの疑問を感じていた。

 やがて2人揃ってクレープを食べ終えたあと、レイズはニルヴェアに言う。

 

「お前、普通に買い食いとかできるのな」

「はぁ?」

 

 ニルヴェアの表情が訝しげなものになったが、レイズはすぐに自分の意図を語ってみせる。

 

「いや、なんつうか俺の考える貴族ってやつは買い食いとかしないよなって。こう言っちゃなんだけど、下品とか思わねーの?」

「……上品ではない、とは思うが買い食い(これ)もこの場においてはひとつの作法だろ?」

「作法ってまた大げさな……ま、でもこういうのは外で買って外で食う方が旨い。そりゃ確かだな」

 

 レイズのそんな同意に、ニルヴェアは「ふふん」とご機嫌そうに口元を緩めた。彼女は興が乗ったのか、その語りも徐々に饒舌になっていく。

 

「ここほどじゃないけど、僕の街にだって出店の一つや二つあったからな。初めて屋敷を抜け出して街に降りたとき、一緒に屋敷を抜け出したアイーナにこの作法を教わったんだ」

「っ――」

 

 レイズが、目を見開いた。

 だがニルヴェアはそれに気づかない様子で、過去の思い出を掘り返していく。

 

「でもあのときは2人揃ってメイド長にこっぴどく怒られてさぁ。でもでも、一度覚えた悪知恵というのは中々忘れられないんだよな。結局、僕はそれからも度々屋敷を抜け出して森や街へ行くようになって、その度に兵士と追いかけっこしたり抜け道を作っては塞がれたりしていたんだ」

 

 レイズは口を挟めない。

 

「兵士に見つかったら当然連れ戻されちゃうんだけど、でもたまーに見て見ぬふりをしてくれるんだ。誰がっていうわけじゃなくて、月に1、2回ぐらいの間隔でさ。今思えば”そういう日”をこっそり決めてくれていたのかな。で、僕も見逃してくれた見返りに、屋台でお土産なんかを買っていって」

 

 ぽろり、と。

 ニルヴェアの目から涙がこぼれた。

 

「なっ!」

 

 レイズはぎょっと驚いたが、

 

「え?」

 

 一番驚いていたのは、当の本人だった。

 ニルヴェアは不意にこぼれ落ちた涙。その意味を自覚できていなかったのだ。

 しかし当人に自覚がなかろうとも、その目尻からは堰を切ったように、ぽろぽろと。

 

「え? あれ、うそ。違うんだ、これは」

 

 大粒の雫がとめどなく溢れては流れていく。

 ニルヴェアは慌ててポケットからハンカチ(※財布と同じくアカツキが準備してくれていた)を取り出して涙をぬぐった。しかし涙は止まらず、彼女の表情も変わっていく。

 

「えぐっ、ひぐ。ううぅ……!」

 

 こぼれていく涙に表情が追いついた。顔を歪め、声を押し殺して泣き続けるニルヴェアに、レイズはあわあわと慌てる。

 

「わ、わ、わ。泣くなって。いやこういうときは泣いた方がいいのか? と、とにかくどうすりゃいいんだ?」

 

 こんなとき、果たしてどうすればいいのか? 女の子の涙の止め方なんて、旅は教えてくれなかった。

 しかし、それでもレイズは知っている。旅の醍醐味とは新しいなにかとの出会いであることを。

 

(いつだって諦めずに勝機を見出すのが、ナガレの流儀!)

 

 そしてレイズは両手を使って、自らの頬を叩いた。

 パン! と快音が響いた次の瞬間には、もう少年の表情は変わっていた。

 

「おっしゃあ!」

 

 一気に立ち上がって、すぐにその場を離れた。そして向かったのは、そこら中にある出店のひとつであった。

 

 一方、ニルヴェアはレイズがその場を離れたことに気づかなかった。

 だってとめどなく溢れる涙を、ぎゅーっと胸を締め付ける痛みを、そして勝手に浮かんでくる思い出を止めるのに精いっぱいで。

 

「違う、こんなつもりじゃないのに、なんなんだよ、これ」

 

 ――我慢せず、楽しめるときに楽しめって言ったろ

 

(アイーナも、みんなも、屋敷の全部、楽しい思い出なのに。だからちゃんと笑って、辛い思い出になんてしたくないのに)

 

 ハンカチで両目を何度も拭いながら、ニルヴェアは深く願う。

 

 ――俺のためだと思って一緒に楽しんでくれよ。な?

 

(できることくらいはちゃんとしなきゃ。そう決めたんだ。だから泣くな僕。ブレイゼルの一族で、兄上の弟で、あの事件の真実を知るって決めてて。だから負けるな。負けるな。負けるな!)

 

 そして彼女は、最後にぐっと強く涙をぬぐった。

 

「……よしっ!」

 

 全然良くないが、とりあえずもう涙は止まっていた。

 ニルヴェアはふんすっと気合を入れ直してから面を上げて……ようやく気づいた。

 

「あれ? レイズは……」

 

 ぴたっ。首筋に、ひやっと冷たい物が。

 

「うひゃあ!?」

 

 ニルヴェアは思わず腰を浮かせて、それから慌てて振り返った。すると視線の先にはレイズが立っていた。いかにも冷たそうな瓶を片手に1本持って。

 

「レ、レイズ! お前な――」

「まずは飲め! 旨いぞたぶん!」

 

 ニルヴェアが怒る間もなく、レイズは瓶を押しつけるように手渡してきた。

 

「わっ。な、なんなんだ」

 

 ニルヴェアはその強引さにびっくりしながらも、ついつい瓶を受け取ってしまった。そのキンキンに冷えた瓶を眺めてみれば、中には透き通ったオレンジ色の液体が入っていた。

 

(柑橘系のジュース……か?)

 

 疑問と共に正面へと視線を移すと、レイズがなんかにまにまと笑っていた。

 

「……露骨に怪しいんだが」

「いきなり泣くやつよりも怪しくないから安心しろって」

「ぐっ、それは……くそっ……!」

 

 ニルヴェアは観念せざるをえなかった。しぶしぶ、瓶のキャップを捻って開けた。

 そして意を決し、口を付けて、一気に瓶を傾けて――!

 

「っ……げほっげほっ! す、酸っぱぁ!? おまっ……お前ー!」

「マジかよ、俺の分買わなくてよかったー!」

「おまっ、お前、ほんとそういうとこ、すっぱ!」

「いやー、いいもん見せてもらった。そんで本番はこっからだ!」

「はぁ!? って、うわっ」

 

 その途端、ニルヴェアの手から瓶がひょいっと奪い取られた。奪い取ったのは他でもないレイズだ。彼はすかさず瓶の中になにやら錠剤らしき物を一粒だけ落として、それから。

 

「ほら、飲んでみ?」

「絶対に嫌だ」

 

 当然である。しかしレイズも負けじとぐいぐい押しつけてくる。

 

「お前なぁ。俺がせっかくあの手この手で気を紛らわそうとしてやってるんだから、なんとなく察して素直に実験台になれよな」

 

 あんまりにもあんまりな言い草であった。

 

「うぐっ!」

 

 しかしあんまりだからこそ、ニルヴェアの心には直球で突き刺さったわけで。

 

「慰めるんなら、言葉を選べよ馬鹿野郎……!」

 

 なんて悪態を突きながらも、瓶を受け取らざるをえなかったわけで。

 

「……まずかったら一生恨む」

 

 その一言を遺書代わりに、ニルヴェアはおそるおそる瓶に口を付けた。

 それからゆっくりと、瓶を傾け中の液体を口内へ……

 

「…………」

 

 ごくり、ごくり。いくらか飲んでから、口を離して。

 

「おいしい……」

 

 思わず呟いてから、はっと我に返った。

 

「えっ、美味しい!? すごい甘くて美味しいぞこれ!」

 

 ニルヴェアの驚愕に対して、レイズは指を鳴らしてみせた。ぱちんっと景気の良い音が鳴った。

 

「『ミラクルオレンジ』なんて胡散臭い名前だから半信半疑だったけど、マジだったんだな! どうだ、中々面白いだろ?」

「オレンジってことは、やっぱ柑橘系だったのか。さっきはその手の酸っぱさが、今は甘さがぎゅっと詰まったような味だったが……これも出店で売っていたのか?」

「おう。さっきそこ通りすがった時にちらっと見てさ。『不思議な薬を1粒混ぜるだけで味が変わる魔法のフルーツ』なんて謡い文句が胡散臭すぎて印象に残ってたんだけど、覚えといてよかったな」

「いや不思議な薬ってなんだよ!」

「大丈夫だって。聞いた話だと、薬はとある香草から抽出した無害な成分なんだと。それがそのミラクルオレンジとやらの成分に反応して酸味を甘味に変えてるらしい。正に魔法みたいにってやつだな」

 

 レイズの解説を受けて、ニルヴェアは瓶の中の液体をしげしげと見つめた。

 

「味の変わる液体か。世の中には不思議なものがあるんだな……」

「ま、それ言ったらお前の方が不思議だけどな」

「む、どういう意味だ?」

「だってお前、謎の液体で性別変わってんじゃん」

「…………確かに」

 

 言われてみればそうだった。

 

「もしかして、あれも魔法……だったりするんだろうか」

「魔法ねぇ。グラドとは別の『魔の大陸』からうっすらと伝わっているおとぎ話……だけどそんなのより、よほど現実的なものがこの大陸にはひとつあるだろ?」

「なんだよそれ?」

 

 するとレイズは右手をグーにして掲げ、そこから人差し指をピンと立てて、最後に断言した。

 

「遺産だよ。この大陸でなんでもありの象徴っていえば、もうそれしかねーだろ」

 

 遺産。

 正確には『旧文明の遺産』。

 

 ――かつてこの世界において大陸はたったひとつしかなく、その上に築かれた文明は今の人々から見れば途方もない英知と栄華を極めていた。しかしあるとき、かつてない規模の戦争が起こった。それは文字通り大陸を砕き、そして世界と文明を一度破壊しつくしたのだという……。

 

 と、それ自体は半ばおとぎ話のような伝承である。

 だがしかし、この大陸には実際に、超常的な力を秘めた遺跡や道具……それこそ旧文明のロストテクノロジーとしか思えない代物が数多く眠って、あるいは稼働しているのだ。

 ゆえに旧文明の存在は肯定され、その代物たちは纏めて『旧文明の遺産』と呼ばれている。

 

 ……という概要だけならニルヴェアも知っていた。一応、知ってはいたのだが。

 

「遺産なんて僕からすれば魔法と同じようなものだ……だって、実際に見たことないし」

「そうか? 旅すりゃわりとごろごろ見れるぞ。たとえばそうだな……『氷天花(ひょうてんか)』って知ってるか?」

「ひょうてんか……? どこかで聞いたことはあるような……」

「有名な遺産のひとつだな。旧文明の天候操作装置が暴走した物とかなんとかって話でさ、その周りの地域は雪が1年中降り続けているんだよ」

「あ……それなら確かに聞いたことあるぞ! でも、まさかそこに行ったのか!?」

「おうよ。噂どおりすげー寒いとこなんだけどさ、でも人間って逞しいんだよな。そんなとこでも街はちゃんとあるし、むしろ雪と寒さを利用したそこだけの特産品や文化だってたくさんあるんだ」

 

 それを聞いた途端、ニルヴェアは大きく目を開いた。蒼い瞳が好奇心できらきら輝く。

 

「すごい。いいな! ブレイゼルは雪が全然降らないから……なぁ、積もった雪ってふわふわで柔らかいって聞くけどそれって本当なのか? あと涙や鼻水が出たそばから凍るって……」

 

 と、そこでニルヴェアは気づいた。レイズがどこか安心したような笑みを向けてきていたことに。そのせいかふと、先ほど言われた一言を思い出す。

 

 ――俺がせっかくあの手この手で気を紛らわそうとしてやってるんだから、なんとなく察して素直に実験台になれよな

 

 その瞬間、一気にこみ上げてきたのは……熱い羞恥心であった。

 

「~~~~~~!」

 

 ボッ! と顔を真っ赤に染めて、それからその場にしゃがみこんでしまい。

 

(かんっぜんに乗せられた! 勝手に怒って勝手に泣いて、そのくせあいつの励ましひとつでころっと機嫌良くなるなんて、なんだこれ! 我ながらどんだけ情緒不安定なんだ!?)

 

 ニルヴェアは目をぐるぐると回して後悔しまくったが、それもはたから見ればだいぶ情緒不安定である。

 もちろんレイズもびっくりして、おろおろと慌て始める。

 

「えっ!? 今度はなんだ、腹でも痛いのか? ミラクルオレンジが当たったか!?」

(駄目過ぎる。今日の僕は本当に駄目過ぎる。分かっている。原因はひとつだ)

 

 脳裏にちらつくのは、同じ年齢に同じ性別(※体の方はともかく)のくせして、自分よりずっと強くて大人な少年の背中だ。

 ちなみにその少年は現実の方で絶賛大慌て中なのだが、ニルヴェアはもちろん気づいていない。

 

(僕に似ているのに、僕なんかよりもずっと兄上に近い。あくまでも同じ年齢ってだけならアイーナがいた。だけどその上で男子の知り合いとなるとろくにいなかったし、それに加えて”戦う側の人間”となればなおさらだ。つまり要するに、僕はあいつを意識しまくっているんだ)

 

 ニルヴェアの脳裏に様々な単語が過ぎっていく。対抗心、焦燥感、嫉妬、羨望、癇癪、やきもち……

 

「負けて、たまるかー!」

 

 ニルヴェアは叫んで、立ち上がった。そんでレイズはびっくらこいた。

 

「わー!? もうほんとなんなのお前!」

「おいレイズ!」

「なに!?」

「今日は全力で楽しむぞ!!」

「はぁ???」

 

 誰がどう見ても、ニルヴェアのそれは空元気であった。だからむしろ、レイズの方が冷静になった。

 

「……よく分かんねぇけど、今日のお前ちょっとヤバいぞ。楽しめっつったのは俺だけど、まぁなんつうか無理して楽しむのもなんかちが……」

「無理だろうがなんだろうが楽しめる時に楽しむのが今の作法だろ!」

「だから作法って大げさな……」

「とにかく今日はそういう日で、僕は負けたくないんだ! だから行くぞ! ほらあそこにまた珍しそうな物が売ってる!」

 

 ニルヴェアは早口でまくし立てて、それから意気揚々と走り出した。ぶんと揺れる金髪と、ぱたぱたはためくエプロンスカート。

 少女の後ろ姿を見て……レイズは「はぁ」と溜息をついた。

 

「負けたくないって、お前はなにと戦ってんだよ……」

 

 しかしレイズの表情は、どことなく楽しそうでもあった。

 

「ったく、変なところで変に強いやつだなぁ」



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2-6 インタビューとアクセサリ(前編)

 なんやかんやと街を歩き回ってしばらく。

 ニルヴェアの情緒がそこそこ安定してきて、『街の散策を楽しむ』という当初の目的もぼちぼちこなせるようになってきて、2人の間に漂う空気もほどよくゆるーくなってきて……そんな頃であった。ニルヴェアがいきなり声を上げたのは。

 

「あ! レイズ、あそこちょっと寄ってもいいか?」

「ん、アクセサリの出店か? まぁべつにいいけど……」

 

 ニルヴェアが先を行く形で2人が赴いたのは、様々なアクセサリが店頭に並べられた出店であった。ニルヴェアは店番をしている店員に早速話しかける。

 

「すみません。これもやっぱり手作りなんですか?」

「もちろん、ここは職人街ですから!」

 

 年若い女性店員は、にこにこと愛想よく答えてくれた。

 

「デザインから製作、販売まで手芸仲間と一緒にやってるんですよ。誰にでも似合ってー、ちょっと素朴でー、だけどふとした瞬間に印象に残る。そんな庶民派アクセサリーショップがウチのコンセプトなんですよ!」

「なるほど……確かにこのアクセサリーたち、ワンポイントを重視してるというか、派手じゃないけど造りが緻密だったり素材の良さを活かしているって感じが……あ、この羽根飾りとか素敵ですね」

「お嬢様、お目が高いですね! これ私が創った新作なんですよ! ここにお好みで紐を通せる穴があって、ネックレスや髪留めなどお好きなところに――」

 

 やいのやいの。ニルヴェアと店主はアクセサリ談義に花を咲かせていく。しかしふと、ニルヴェアの後ろから。

 

「ふあ……」 

 

 あくびがひとつ聞こえてきた。振り返ってみればレイズと目が合った。どこか眠たげな、完全に暇を持て余している目であった。

 

「あ、すまない。お前はこういうのに興味なかったか?」

「あんまりな。そらかっこ悪いよりかっこいい方がいいのは分かるけど、余計な物はいらないっつーか……俺的に大事なのは機能美ってやつだからな。てかむしろ、ブレイゼル領こそ風土的に質実剛健であまり着飾らないって印象があったんだけど……そこら辺どうなんだ?」

「そうだな。機能美、質実剛健か……他者の目を気にせず、純粋に己を研ぎ澄ます。確かに一理ある考えだと思うし、領全体の傾向としてもおそらく間違っていないが……」

 

 ニルヴェアは腕を組んで考える。記憶の中の知識を探って引き上げて、それを言葉に変えていく。

 

「昔、兄上がファッションについてインタビューを受けた時にこう言ったんだ。『人の上に立つならば、人は決して無視できない』ってね。言い換えれば『外見を気遣うのは、自分ではなく他者のため』ってことになるかな」

「ふーん。ブレイゼルのトップがねぇ……意外っちゃ意外かもな」

「だろ? でも兄上はトップとして人目に晒され続けることを、そして前領主の父上と比べられる年若きリーダーであることを常に意識していたんだ。だからむしろ、この手のこだわりに関してはむしろ人一倍強いんだよ」

「なるほど。ま、つまりは『人と会うなら身だしなみに気をつけろ』ってこったな。そりゃ確かに一理ある」

「あはは、ざっくりしてるけどそういうことだ。あっ、だからって外面を気にしない人間が全員粗雑だとはもちろん思わないし……逆に外面ばかり着飾って内面を磨かない、なんてのは論外だな」

「それも確かにだ。でも、そうだな……なにげに気になってたんだけどさ。ファッションにこだわってるっていうなら、お前仮にも男だったのにすげー髪長いけど、それもなんか理由とかあんの?」

「仮にもって言うな過去形にするな!」

 

 ニルヴェアは律義にツッコミを入れて、それから答える。

 

「まぁ理由ならある。正直、僕の長髪は兄上の受け売りなんだが……その兄上が仰られていたんだ。『この長髪は高貴を自慢するためではなく、人の上に立つ者としてのシンボルだ』ってね。だから兄上も僕みたいにこう、首の付け根の辺りで結ってるんだけど、兄上の髪はとても綺麗な銀色でさ。それが1本に纏まると業物の剣のようにしゅっとなるんだ。どうだ、兄上の長髪はかっこいいだろ?」

(だろ? と言われても知らんし)

 

 レイズはこっそりと思った。

 

(お前の長髪はどっちかって言わなくても可愛い感じだし……)

 

 こっそりと思った。

 それはそれとしてレイズは言う。

 

「ま、要はお洒落な兄貴に倣ってお前もこういうのにこだわってるってわけだ」

「そういうことだな」

「だったら、俺のことは気にせず好きに見てろよ。今日は楽しむんだろ?」

「そうか? ならもうしばらく見させてもらうが……あまりにも暇なら遠慮せず言えよ?」

「りょーかい」

 

 というわけでニルヴェアが再びアクセサリを物色し始めた、その一方で。

 

(つっても暇なもんは暇なんだよな……お、雑誌も売ってるのか)

 

 レイズは出店のすぐ横に置かれた簡易的な本棚に気づいた。表紙を見せて並べるタイプであり、こちらは主に新聞や週刊誌などの既製品を売っているらしい……と。

 

「剣帝ヴァルフレアの秘密に迫る、特別インタビュー掲載……?」

 

 レイズが眉にしわを寄せた。彼が読み上げたのは、とある雑誌の表紙に書かれている煽り文句だ。そしてその文句と共に、表紙には1人の青年の顔写真がでかでかと載せられていた。

 

「こいつが剣帝ヴァルフレアか……」

 

 雑誌に映る青年。その首元で1本に括られた銀の長髪は、ニルヴェアの言う通り確かに一振りの剣を連想させる。それに細長い顔つきも、鋭く研ぎ澄まされた眼光も。

 

(なにもかもが剣って印象……剣の都の王様、か……)

 

 正確には”王様”ではなく”領主”なのだが、それはそれとしてレイズはヴァルフレアの姿を今の今まで知らなかった。それだけでなく彼の人柄や身辺情報なんかもろくに知らないことに、レイズは今になって気がついた。

 

(俺たちの敵に回る可能性のある男……)

 

 だからレイズはその雑誌を手に取ろうとして。

 

(……ニアの前で読むのもあれか)

 

 やっぱりやめた。が、その横からひょいっと伸びてきた1本の手が、当の雑誌を手に取って。

 

「変な気を回すな」

 

 声に気づいて隣を見れば、いつの間にかニルヴェアが立っていた。

 

「ニア……」

 

 ニルヴェアは手に取った雑誌を腕に抱えながら、呆れた表情をレイズへと見せる。

 

「お前、たまーに分かりやすいよな」

「んなっ」

「あのな……確かに今日は楽しむと決めたわけだが、それは現状から目をそらすためじゃない。兄上の情報が欲しいんだろ? だったら、僕がいた方が捗るに決まってるさ」

 

 少女はなぜか、妙な自信に満ちていた。

 

 

◇■◇

 

 

 2人は雑誌を買ったあと、出店を一旦離れて、近くのベンチに並んで座った。

 それからレイズが雑誌を開き、ニルヴェアが横から覗き込む形で一緒に読み始めた。もちろん真っ先に例の特集ページから開いた。すると、

 

『若き名君にして大陸最強の剣士ヴァルフレア、その弛みなき努力とそれを支えるプライベートの秘密に迫る! ライター:ブラク・ワーカ』

 

 そんな見出しから始まって、まず冒頭ではヴァルフレアについての概要が書き並べられていた。その中に、こんな一文があった。

 

『信じられないような話だが、今からおよそ14年前。齢12の頃から、なんと彼は既に戦場の最前線で戦い続けていた。類稀なる天賦の才に加えてブレイゼル家が積み重ねてきた英才教育を施されていた彼は、初めて戦場に出て以降、1度たりとも戦いに負けたことがないのだという……。』

 

「12の頃から無敗、ねぇ……」

 

 レイズが雑誌を読みながら呟けば、すぐに横から「これは大事だから補足しておくんだが」ニルヴェアの解説が飛んできた。

 

「兄上が双剣使い……二刀流なことは知っているか?」

「いや、初耳だけど……」

「なら説明が要るな。まずこの二刀流……重鎧を纏わず、両手にそれぞれ剣を持って身軽に戦うスタイルはリョウラン伝統の構えなんだけど、しかしブレイゼル領ではほとんど使われていないんだ。ここの主流はむしろ鎧を着こんで一対の盾と剣、あるいは盾としても扱える大剣1本を構えた、いわゆる騎士流剣術だからな」

「ふーん。なら黒騎士の戦い方も案外正統派に近いってことか」

「そうだな……でもブレイゼル本家が抱える騎士団には1人だけ、二刀流を扱える騎士がいたんだ。そして兄上は、その人に師事して二刀流を習った……というのが、あの人が初めて戦場に出るさらに1年前の話だ。つまり兄上は初めての戦場からずっと、二刀流を愛用し続けてきたわけだな」

「ガキの頃から鎧無し盾無し剣だけのノーガード特攻野郎ってことか。まぁ剣の王様らしいっちゃらしいかもな」

 

 レイズは納得して、それから読書を再開しようと、

 

「そう、そこも兄上のかっこよさなんだよ! あ、二刀流ついでに補足しておくと『決して敗北することはなかった』っていうのは間違いだな。確か11年前に兄上とその仲間の騎士団は領を脅かすほどに大きな竜と戦ったことがあって、そのときに1度敗走はしているんだ。もちろんそのあとに再戦を挑んで見事討ち取ったんだけど、のちに仲間の騎士がこう語ったんだ。『仲間たちが次々と剣を手放し倒れていく中で、ヴァルフレア様とその師だけは剣を終ぞ手放すことがなかった。2人は共に殿を務めて最後の最後まで竜を引きつけ続けたのだ。彼と彼の師がいなければ、私は今頃こうして語ることすらできなかっただろう』ってね。その話が象徴する通り、兄上が戦場で双剣を手放したことは一度たりともないんだけど、それがたまに誤解されてこういう風に伝わっちゃうんだよな」

「お……おう……」

 

 レイズはちょっとだけ引いた。

 

「とりあえず、次読んでっていいか……?」

「大丈夫だ。ちゃんと補足は入れていくし、分からないところがあればなんでも聞いてくれ」

 

『やがて7年前の『鋼の都攻略戦』を機として、彼はその1年後に領主の座を受け継ぎ、今のブレイゼル領の隆盛を築いた……ここからは、武人ではなく領主としての彼の仕事ぶり。さらに領主業の合間での修行などについて実際にインタビューを行っていく。』

 

 鋼の都攻略戦。

 聞き慣れない言葉にレイズは首をかしげた……が、その単語を記憶から引っ張り出すのに、さほど時間はかからなかった。

 

「鋼の都攻略戦ってーと……そうだ、思い出した。たしか『十都市条約』に加盟してた『鋼の都』を首都に置く『ダマスティ領』が条約違反に当たる戦争をいきなり吹っかけてきたって話だよな。で、結果的にダマスティ領は敗北。他の領に分割統治される形で消滅して条約も『九都市条約』に更新された……だったか?」

 

 そこにニルヴェアがすかさず補足を加えてくる。

 

「大雑把には合っているが、ここで重要なのはダマスティ領が戦争を仕掛けた相手がブレイゼル領だったってことだな。だけどブレイゼル領の騎士団は、他の条約加盟都市からの応援もあって、最終的には鋼の都にまで敵勢を追い込んだんだ。そこで起こった最後の戦いが『鋼の都攻略戦』。そしてその戦において、鋼の都の心臓部である『ダマスティ城』の攻城戦を任されたのが当時19歳だった兄上と、兄上が率いる百人の精鋭騎士団だったんだよ。ただ……」

 

 そこで一度ニルヴェアは悲しげな表情を見せて、それから静かに語っていく。

 

「ダマスティ城は別名『鋼鉄要塞』とも呼ばれる難攻不落の城だったんだ。詳細は分からないけど、その城が百人の精鋭を……全滅に追い込んだらしい」

「全滅って……そりゃまた、なんつうか……」

「それでも兄上はたった1人生き残り、ついには最深部まで辿り着いた。そしてダマスティ領主の首を討ち取り、帰還した。それが決め手となって戦争は終わり、やがてその功績を父上に評価されて……だから兄上は若くして領主の座に就くことができたんだ」

 

 一側面においては喜ばしい戦果だが、しかし一側面においては悲痛な事実であった。ニルヴェアは兄を想ってか黙りこくってしまったが、しかしあるいはだからこそ、レイズはあえて明るい態度を貫いてみせた。

 

「オーケー。それじゃ歴史の授業はこのぐらいにして読み進めてこうぜ? 剣帝のプライベートってのも気になるしな」

「気になるか!? 兄上のプライベート!」

 

 いきなりテンションがぶち上がったニルヴェアに、レイズはわりと引いた。

 

「うん。だからとりあえずまずは読ませて?」

 

 レイズは再び雑誌を読み進めていく。どうやらここからは実際のインタビューをそのまま会話形式で載せているようだ。

 

『領主家業で忙しい上に、こうしたインタビューなどのファンサービスなんかも積極的に行っていると聞いています。しかしそこまで多忙だと、当時のように剣を振るう暇もないのでは?』

『確かに父上の時代と比べれば今は平和になった。それにつれて領主という立場の意味も変わっていった。このような場への対応もその一環であり、ゆえに修行実戦問わず剣を振るう機会が少なくなったのは確かだ。しかし……だからこそ、自分の中で一振り一振りが重くなった』

『と、言いますと?』

『例えば、より密度が濃く効率の良い修行の方法を考えるようになった。それに実戦も、そうだな……例えば騎士団が賊の制圧を行うときなどに無理を言って参加させて貰うことがあるのだが、これもまた様々な意味で貴重な機会だと大事にしている。つまり日々の自由が減った分、逆に時間の大切さが身に染みるようになったのだ。そう思えば、この多忙な生活も己の惰性を改める良い修行だということになるな』

『なるほど。領主でありながら、武人としてのストイックさは変わらず、ということですか』

 

「……多忙こそ修行の機会って、領主就任1周年記念の時点で語って知れ渡ってるじゃん。なんで今更そんなのを掘るんだよ。返しのコメントもありきたりだし……」

 

 なんか隣でぶちぶち文句が聞こえてきたけど、

 

(さーて次行くか次!)

 

 レイズは見て見ぬふりをして、さらに読み進めていく。

 

『ただ業務に忙殺されることなくそれすら修行に変えるとは、流石としか言いようがありません。しかしそんなヴァルフレア様もまた人間、であるならば趣味や癒しの時間というのも決して欠かせないのでは?』

『そうだな……”取り入れること”全般が好みなのは、今も昔も変わらないな。例えば執務中の息抜きは、騎士団の鍛錬を眺めることだ。少し前に今年の入団試験が終わって若い騎士が新たに入ってきたのだが、やはり若さというのは眩しいな。無鉄砲で荒い剣筋は、だからこそ成長の芽を感じさせ』

 

「訓練をいつでも眺められるよう、鍛錬場のすぐ近くに新しい執務室を造ったのは有名な話だな」

 

 補足が横からいきなり割り込んできた。

 

「まだ途中だからちょっと黙っててくれない?」

 

『あとは本もよく読む。昔は戦国絵巻や兵法書などが中心だったが、最近は立場柄どうしても政治関係が多くなってしまうな。昔はリョウランの文化が趣味だとも自称していたが、ここ数年はろくに触れる機会がない……忙しいのは良きことだ、とはいえ少し寂しくも』

 

 横から補足が以下省略。

 

「さっき二刀流はリョウランから伝わったって言ったろ? 実は兄上は幼い頃から、リョウランの戦を物語調に描いた『戦国絵巻』のファンだったんだ。二刀流もそこで知って憧れたんだって。『そのヒロイックな戦い方が人の上に立つ武人として相応しいと直感的に感じた』って理由なんだけど、でもブレイゼルの質実剛健な気質を背負って立つ兄上がこういうこと言うのはちょっと不思議に思うだろ? でもでも、そこがミソなんだよ」

「あのさ、あのさ、あのさ、あのさ」

 

 補足以下略。

 

「さっき出店でも言ったけど、兄上は常に外観に気を遣う人なんだ。だけどそれはあくまでも人のため、民のため。ひいては戦場で隣り合う仲間の士気を上げるため、というのが本質なんだ」

「ちょっっっっといいか???」

 

 補略。

 

「だから兄上の戦装束は軍服の改造品で、戦闘から公務までいつでもどこでも使える正に常在戦場の、ちょ、なんだいきなり揺するなまだ話の途中だぞ!」

「俺は! まだ! 読んでる! 途中!!」

 

 レイズ、心の底からの訴えであった……が。

 しかしニルヴェアは「はぁ……」と溜息をついてから、さも当然のように言い放ってみせる。

 

「って言ってもな。どうせそのあともしょうもない質問が続くんだぞ? 最初から最後までヴァルフレアという人物そのものには興味ないってのが丸わかりなんだよ。所詮は人気目当ての三流記事ということだ。だったら僕がちゃんと補足しないと情報収集にならないじゃないか」

「なんか薄々気づいてたけど……さてはお前、この本持ってるな!?」

「なにを言っているんだ。僕は分家とは言え一領を治めるブレイゼル家の一員だぞ……」

「ニア……」

「――古今東西あらゆる兄上情報の収集、保管ぐらいできなくてどうするんだ?」

 

 レイズはマジで普通に引いた。

 

「うっそだろ権力の使い方ヤバいなお前。それ大体ストーカーじゃん!」

「人聞きの悪いこと言うな! 弟が尊敬する兄上のことを知りたがってなにが悪いというんだ! ちゃんと公開されている情報しか取り扱っていないし、隠し撮りとか怪しげなリークにだって頼っていないぞ!」

「なんで微妙に分別つけてんだよ逆にこえーよ……」

 

 レイズはいい加減ドン引きしながらも、しかしそのニルヴェアの情熱によってひとつの事実に気づかされた。

 

「でもま、なんつうか……」

 

 雑誌に視線を落として言う。

 

「そこらの週刊誌にインタビューが載ってるってことは、この手のサービスにも気兼ねなく応じてくれる人柄ってことでもある……民にとっては親しみやすくていい領主さんなんだろうな」

「もちろんだろう。今更なに言っているんだ?」

「はいはい……」

 

 レイズは開いたままの雑誌をじっと眺める。だがその思考は雑誌ではなく、もっと遠くへと向いていた。

 

(領主にしちゃ年若くて、だけど人望があって、実戦経験も豊富で、しかも努力家で)

「見てみろよこれ。兄上はダマスティ攻城戦以降『少なくとも10年は結婚せず領と大陸の平和に尽くす』って宣言しているのに、未だに色恋沙汰について質問しているだろ。ほんと人気目当ての記者って低俗で嫌だよな」

(ブレイゼル領はまだそんな回ってないけど、各街の治安もかなり良い方だと思う。この街だってまだ首都からは遠いのにこんなに賑やかだ。統治者としても優秀なんだろうな)

「なんでこう、上っ面をなぞるだけのインタビューが製本されて罷り通ってるんだ? まったく情けない……本当に良いインタビュアーというのはこう、もっと奥から魅力を引き出すもので……」

(平和な統治の裏に神威の暗躍、なんて俺だって疑いたくはないけどさ……)

「ファンクラブの会報で低評価受けていたのも頷けるというものだ。兄上が人気になるのはそりゃ嬉しいけど、まったくこうもニワカが増えると資料の精査が面倒で」

「うるせーーーーーーーー!!!」

 

 レイズがキレた。

 ニルヴェアはびっくりした。

 

「なんだいきなり!」

「なんだいきなり!? 我ながらよくここまで我慢したと思うよ俺! むしろお前こそ俺に申し訳ないって思って! 一般人にとってはこのインタビューでもわりと十分なの分かって!?」

「レイズ、お前……妥協するつもりかよ! これも言ってみればひとつの戦いじゃないのか!?」

「俺が知りたかったのはざっくり色々分かる程度の概要であって、べつに執務室がどうとかファッションがなんだみてーなささやかエピソードはいらないんだよ悪いけどさ!」

「……レイズ」

「な、なんだよ」

「今日は楽しむ日なんだろ」

「で?」

「僕は兄上のことを語れて楽しい」

「ごめんな俺はだいぶ辛いんだ」

「でもさっき出店で『俺のことは気にするな』的なこと言ってたろ。だから僕もいい加減に遠慮はやめようと思うんだ」

「んああああああああ」

 

 レイズは思わず頭を抱えた。わりと本気で頭が痛かった。

 

(このままじゃ頭おかしくなってヴァルフレア博士にされちまう! いやこういうときこそ諦めないのがナガレの流儀! なんかこう、上手い具合に話をそらす手段をだな……!)

 

 レイズはなんとか気力を振り絞り、頭を上げて、急ぎ周囲をきょろきょろと見回す。そして――一縷の希望を見つける。

 

「あっ」

 

 目が合ったのは、先ほどの出店の女性店員であった。

 彼女はなぜか店の外に出て、遠巻きにだがレイズたちを観察して待っていたらしい。その証拠に目が合った途端、ひらひらと手を振ってきたのだ。

 

(ありゃ俺たち……というか、もしかしてニア待ちか?)

 

 それは根拠のある理屈というよりも、単なる直感だった……もっと正確に言えば。

 

(うんそうだなそうであってくれ頼むから!)

 

 思い込みを信じて、というよりそれに縋って、ニルヴェアに言う。

 

「ニア。情報収集もいいけど、お前を待ってる人がいるぞ。ほらあれ、さっきの店員だろ」

「へ?」

 

 レイズが指差し、ニルヴェアが促されてそちらを見ると、店員が小走りで寄ってくるところだった。

 

「ニア。はい、スタンドアップ&ゴー! 待たせちゃ悪いだろ!」

 

 レイズはニルヴェアの肩や背中をぐいぐい押した。ベンチからむりやり立たせて、そのままわっしょいわっしょい押し出していく。

 

「えっ、なに? なんだ?」

「知らんけどなんかあるんだろ。つーわけで店員さんあとよろしく!」

「はいは~い!」

 

 レイズのパスを、店員は見事に受け取った。どうやら予想は当たっていたらしい。レイズがこっそり拳を握るその一方、店員はニルヴェアの肩をわしっと掴みながら一気に捲し立てていく。

 

「あのですねぇ、さっきの羽根飾り。お嬢様にぜーったい似合うなと思ったらどうしても気になっちゃって! ちょっと付けてみるだけでもいいですから、ね?」

「で、でも今は大事な話の途中で」

 

 その瞬間、レイズがすかさず援護射撃を飛ばす。「大丈夫大丈夫!」腕の良い射手は一瞬の隙も見逃さないのだ。

 

「もうなにもかも終わってるから好きに弄ってやってくれよ店員さん! いやー俺お前に似合う羽根飾りって超気になるな気になるぅー!」

「よーし彼氏さんからの許可も貰えましたし、それじゃあ早速店の中に行きましょうゴーゴー!」

「いや、こいつは彼氏じゃな、ちょ、力つよっ、ばっ……馬鹿レイズー!」

 

 ニルヴェアはそんなあられもない捨て台詞を吐きながら、拉致……丁重に連れていかれた。そんな彼女を、レイズは爽やかに手を振って見送った。

 そのときの表情はあとから振り返っても、今日一番に晴れやかなものであったという……。



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2-7 インタビューとアクセサリ(後編)

 レイズに見送られて、出店の裏側へと引きずりこまれたニルヴェア。

 彼女は自身を引きずりこんだ店員によって有無も言わさず適当な椅子に座らされて、そのまま髪をほどかれて、そして櫛で梳かれ始めた。

 ニルヴェアは、すっかり困惑の最中にいた。

 

(なにがどうしてこうなった……)

 

 髪を大事にしているニルヴェアにとって、髪に櫛が通る感触は心地良いものではあったが……しかしそれをろくに見知らぬ他人にされるのは、微妙に心地よろしくない。

 

「あの、これは一体……」

「サービスですよ~」

 

 しかし店員は楽しげにそう言って右手に持った櫛で髪を梳きつつ、左手に持った霧吹きでたまに水のようなものを髪に吹きかけていく。

 

「この水には少しだけ植物性のオイルが混ざってて、髪に色艶を出してくれるんですよ。ちなみにアクセサリーではありませんが、これもウチの商品なので良ければあとでおひとつどうです?」

「は、はぁ……」

 

 ニルヴェアの困惑は、しかし櫛の通りが良くなるにつれて髪と一緒に徐々にほぐれていった。

 

(そういえば、アイーナもたまにこうして梳いてくれたな……)

 

 気づけば少しだけ痛く、少しだけ懐かしい気持ちにぼんやり浸っていた……が、不意に。

 

「外面を気遣うのは人のため……でしたっけ?」

「!」

 

 店員の言葉で目が覚めた。

 

「それは……」

「お嬢様が店の前で話してたこと。店主としてお客様の会話を盗み聞きするまいとは思ってたんですが、職業柄と言いますか、そこだけはどうしても気になってしまって」

「す、すみません! 素人なのに店の前で偉そうに……」

「いえいえ素敵な話ですよ! ただ、だからこそもったいないなぁって思っちゃったんですよね」

「もったいない? それって……わっ」

 

 ニルヴェアは驚きの声を上げた。急に髪を持ち上げられたのを感じたからだ。

 それからくい、くいと何度か引っ張られた。後頭部から伝わる感覚で、自分の髪になにが起こっているのかなんとなく察する。

 

(結われている。普段とは違うところで)

 

 やがて髪を引っ張られる感触が収まった。代わりに店員の元気な声が聞こえてくる。

 

「はい、出来上がり! ちょっとの工夫でもっと可愛くなれるのなら、同じ女として見過ごせないってものですよ」

(って言われても……)

 

 ニルヴェアはつい数日前まで男だったわけだが、店員はそんなことを知るよしもないわけで。

 

「職人として『誰にでも似合う』をモットーにしてるとはいえ、可愛い子が付けてくれるのはやっぱり嬉しい。そして商売人としてはせっかくのセールスチャンスなので逃せない! というわけで、鏡ちゃんの登場で~す」

 

 がらすこがらすこ。車輪(キャスター)が回る音と共に、大きな姿見が店員によって持ち込まれた。

 しかしニルヴェアはそれを視界に捉えた瞬間、反射的に目をつぶった。自分の姿を認知してしまうその前に。

 

(い~~~、見たくない! なにせ中途半端に僕の顔なんだから!)

 

 ――実のところ今までも、女になった己の姿を見る機会そのものは度々あった。

 しかしその最初の1回目。レイズたちと出会った夜の水浴びの際に、水面にぼんやり映った自分の顔を見て「うわ女の顔っぽいのに自分だ」と、なにやら心の脆い部分にざっくり刺さって一瞬で目を背けてしまったのだ。それからはもう、水面も鏡もろくに見れていない。

 

(兄上のような武人に、男の中の男になりたいと夢見ていたのに、中途半端に女の顔で、女物の服を着ていて、つまり女装した自分なるものを見せつけられる。こう、男のプライドにざくざくと……)

「……お嬢様?」

「わひゃっ」

 

 店員に呼ばれて、思わずびっくりして、目を開けてしまって。

 

「あ」

 

 目の前には鏡が。とうとう見えてしまった――金髪蒼眼の、少女の姿が。

 

「……あ?」

 

 ぱちくりと瞬きをした。鏡の向こうから、蒼の瞳が不思議そうにこちらを見つめてきていた。ニルヴェアもまた、不思議な気分になっていた。

 

(……僕に妹がいたら、こんな感じなんだろうか)

 

 初めて真っ向から直視したその顔は、卵のように丸くて愛嬌に富んでいた。そしてそこにちょこんと付いている小ぶりな唇は、ちょっと微笑んでみればどことなくおませな可愛げを感じさせた。

 

(ていうか、なにもかもが小さいっ! 視線も低くなったし縮んでいるとは思っていたけど、それどころじゃないな……)

 

 全長が縮み、体格が細くなり、きゅきゅっとコンパクトになった全身を、初めてじっくり眺めてみる。鏡の中にいる、エプロンスカートが目立つ小柄な少女は、

 

(どこかのお店の看板娘って感じだ……服が違う。体が違う。顔が違う。そんでもって髪型が違う)

 

 店主によって結われたのは、いわゆるポニーテールだった。今まで首元で括っていたのとは似て非なる、後頭部の真ん中あたりという高い位置で結ばれた髪型は、少女の顔が持つ活発な印象をより一層引き立てていた。

 そしてそのポニーテールの結び目からぴょんと出ている羽根飾りは、この出店で最初に目をつけた物であった。それを形作るのは二枚の小ぶりな白羽根だが、よく見れば羽根の表面にぽつぽつと水晶の粒が埋め込まれていた。

 首を軽く揺すってみれば、ポニーテールと羽根飾りがゆらりと揺れた。

 艶のある金の髪が、白羽根に埋め込まれた水晶粒が、太陽の光を跳ね返してきらきらと輝いている。

 

(賑やかで、綺麗で……別人、だよな。なんか、1周回ってよく分かんない……でも、他人の体を僕が動かすなんて珍しい体験ではあるよな)

 

 なんとなく興が乗って、首をもっと動かしてみれば、首元。金の髪と白い肌の間には”うなじ”ができていた。傷ひとつない肌の上で、綺麗な弧を描いている金の生え際。それはこう、なんかこう。

 

(ちょっとドキドキするというか……あー、これ。目の前の女の子が僕じゃないとして、例えばこう、後ろ姿を見たりしたら――)

 

 ふと、鏡に映る少女の向こうにそれを見つけた――炎を連想させるような赤銅色の髪を持つ、少年。

 その幼さを残した顔が、少年自身の髪色に負けないぐらいに赤く染まっていたのを。

 

「あ」

 

 思わず振り返った。すると後ろに立っていたレイズと目が合って。その瞬間、レイズがニヒルな笑みを”作った”のを、はっきりと見た。

 そしてレイズは口を開く。

 

「ちょっと見にきてみれば楽しそうにやってんじゃん。わりと似合ってるぜ、ニアちゃん」

「ふはっ」

 

 ニルヴェアはついつい笑ってしまった。

 

「なんだよ!」

 

 だってレイズの強がりが、あんまりにもおかしくて。

 

「そこで似合ってるって言ってくれるのが、なんとなくお前らしいよな」

「は……はぁ!?」

 

 さっきとは別の意味で、レイズの顔が赤くなった。しかしそれを置き去りにするように、ニルヴェアは椅子から立ち上がって宣言する。すぐそばで一部始終を微笑ましく見守っていた店員へと。

 

「これ、買います。あと艶出しのオイルも」

 

 すると店員の顔は、あっという間に笑顔一色へと染まっていった。

 

「毎度あり~! 良い物見せて貰った分、お安くしちゃいますよ!」

 

 

◇■◇

 

 

 あえて、レイズの前を行くために早歩きをした。そして前に出てしばらく……いきなりぐるっと振り返ってみれば、後ろのレイズは露骨に視線を逸らしていたりするわけで。

 

(なんか楽しい)

 

 ニルヴェアはにまにましながらレイズにずずいと近づいて、それから質問をひとつ。

 

「なぁ、お前ってこういう女の子が好みなのか?」

「っ、ぁあ!?」

 

 すっごい裏返った声が飛びでてきた。それがおかしくておかしくてたまらなくて。

 

「はははっ、お前ってやっぱりたまに分かりやすいよな。たぶん僕よりも!」

「なんっ、このっ……!」

 

 レイズは悔しげな視線を向けてきたが、しかし真っ向から見返してやればあっという間に視線がそれた。

 

(あれだけ強くて遠いと思っていたのに、こういうところは普通に男子なんだな)

 

 それがやっぱりおかしくて、なんだかとてもすっきりして。

 

「同じ男として気持ちは分かるよ。こんな子が歩いていたら、僕もきっと見てしまうから」

「う……うーわ。とうとう自分で言い始めたよこいつ。ナルシストかよ。それともとうとう心まで女になったのか?」

「……こうして聞くとお前の皮肉って、結構可愛いよな」

 

 レイズがすごい顔をした。

 だからニルヴェアはすごい気持ち良くなった。レイズの前で踊るようにステップを踏みながら、弾むような声音で語る。

 

「心まで変わったつもりはないけどさ、でも楽しめって最初に言ったのはお前だろ? いつかはちゃんと男に戻る気だけど、それはそれとしてこんな機会は滅多にないだろうし……だったらお前のそんな顔が見られるのだって、今だけかもしれない」

 

 そこでくるりと回って振り返り、レイズに再び顔を向ける。蒼い瞳で三日月を作って、満面の笑みを向ける。

 

「僕は精一杯楽しむよ。だからお前ももっと楽しめ、レイズ!」

 

 

 ……ぽかーーーーん。

 

 

 レイズは、完全に間が抜けていた。

 きっとレイズ史上、もっとも間抜けな顔で立ち尽くしていた。

 

「あはははは!」

 

 ニルヴェアがまた笑った。レイズは完全に固まっていた。ニルヴェアはぐるりと体を翻して、意気揚々と周りを見渡す。次なる目的地を求めて。

 

「さて、次はどこへ行こうか……」

「――強盗だー! 自警団はいないのかー!?」

 

 突如、大声が空を切り裂いた。

 

「!?」

 

 ニルヴェアが声のする方へと目を向けてみれば、大通りの向こうから1人の男が走ってくる姿が見えた。

 ニルヴェアは反射的に飛びだして、その男へと話しかける。

 

「どうしたんですか!?」

「うわっ。お、お嬢ちゃん!? いや、今向こうの方で荒くれ者が店に押し入ってて、だから自警団の人を探してたんだが」

「あっちですね、分かりました!」

 

 男が方角を指し示した途端、ニルヴェアは一目散に駆けだした。スカートを翻して走り去っていく少女を男はぽかんと見守っていたが……すぐ我に返って叫ぶ。

 

「えっ、ちょっとお嬢ちゃん!? 危ないから戻ってきなさーい!」

 

 その声はもう、少女に届かなかった。が……しかしもう1人には届いていた。

 

「はっ……あれっ、ニア?」

 

 ようやく我に返った少年が、ぽつんと1人。

 

「って、ニアー!?」

 

 レイズが気づいたときにはもう、金髪ポニテはすっかり遠くに見えていて。しかもなんか周囲からは「なにがあったの?」「強盗?」「自警団はいないのか!」「さっきあっちの方で……」などと、分かりやすく不穏な話が聞こえてきているわけで。

 

「あんの野郎……」

 

 レイズはすぐに大体の状況を察した。駆け出していったニルヴェアが、なにをしようとしているのかも。

 

「もう無茶はすんなって言ったろ」

 

 呟いて、それから叩く。自分の両手で自分の頬を、一発。

 パシン! と快音を火種にして、さっきまで間の抜けていた瞳に一瞬で熱が灯った。レイズはすぐに駆け出した。

 少女の姿はずいぶん遠く、しかし彼我の距離をぐんぐんと縮めながら、その背に向かって思いっきり叫ぶ。

 

「お前はろくでもねぇやつだなぁ、ほんっとうにさ!」



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2-8 痛みと恐怖と闘う者たち

 ニルヴェアが駆けつけた先、通りの一角ではひとつの出店が文字通り派手に潰されていた。

 テントにはいくつもの穴が開き、支柱もへし折られ、破壊された陳列棚や商品が無造作に床を転がっている。そして店主らしき男もまた、地面に這いつくばり呻いていた。

 

「う、うう。どうして……返済期日は、まだ……ぐっ!」

 

 男の頭を、ずたぼろな革靴が踏みつけた。革靴はそのままぐりぐりと動いて男を地面にこすりつける。「ぐぅ……!」男の呻きを、しかし気にも留めず踏みにじり痛めつけるそいつは、薄汚れた皮鎧と錆びかけた琥珀銃を装備した物騒な荒くれ者であった。

 

「どうしてだとう? そんなんボスの気が変わったからに決まってんだろ! この世に金貸しより偉いもんはねぇんだよ。黙って今すぐ金返すか、さもなくば店の権利書を売っぱらってくれてもいいんだぜひゃーっはっは!」

 

 荒くれ者は男の頭を踏みにじったまま、天に向かって景気良く琥珀銃を乱射した。いわゆる『マシンガン』と呼ばれる部類のその銃から、幾重ものエネルギー弾が空高く打ち上げられる。

 ズガガガガガッ! 連射音が空気を震わせ、それに合わせて銃身もがたがたと震えていた。

 ……もしもそこに琥珀銃に詳しい人間がいれば、銃身のぶれも連射音の喧しさも、所詮は安物かつ整備不足のせいだと一蹴できていただろう。

 だが彼らの周囲、騒ぎを見に来た野次馬たちにそんな人間はいなかった。野次馬たちはみな一様に派手な銃声に怯えて、遠巻きに様子を見つつも誰一人として近寄れなかった……ただ1人の少女を除いては。

 

「!」

 

 荒くれ者はすぐに気づいた。通りの向こうから少女が1人、一目散に向かって来るのを。荒くれ者はその容姿を認めた途端、驚愕に目を見開いた。

 

「金髪蒼眼の、なんでこっちに……!?」

 

 だが荒くれ者はすぐに気を取り直した。琥珀銃を少女へと迷いなく向けて、

 

「いや、だが殺さなきゃいいんだろ!」

 

 トリガーを引く。

 だがしかし少女――ニルヴェアの動きにも、迷いはなかった。彼女は蒼い瞳を研ぎ澄まし、荒くれ者の力量を見積もる。

 瞬間、脳裏を掠めたのは紅き炎弾と光の槍。

 

(なんとなくだけど、レイズの銃より怖くなさそう。なら!)

 

 ニルヴェアは覚悟を決めて、一気に身を屈めた。さらに足を前に伸ばして、駆け抜けた加速を維持したまま一気に滑る!

 

「んなっ!」

 

 荒くれ者は動揺したが、すでにその指はトリガーを引いていた。琥珀銃が錆びた銃身を震わせ、小粒の弾丸を雨あられと吐き出した。

 だがそのことごとくは地面を滑っていったニルヴェアを捉えきれず、石畳の地面を虚しく叩くばかりであった。ダダダダダダッ。音を背後に置き去って、ニルヴェアは荒くれ者の懐へと潜り込んだ。

 間髪入れず、彼女は足をすぐに引き戻して屈み直した。さらに右手の拳を強く握り、屈んだ姿勢を利用して全身をバネのように跳ね上がらせる。思いっきり上へ、前へ、荒くれ者のどてっ腹めがけて!

 

「ぐぉ!?」

 

 ニルヴェアの拳が、皮鎧で守られた腹に突き刺さった。見るからに安物の皮鎧はそれでも幾ばくかの衝撃を抑えたが、

 

(落とせなくてもいい。勢いさえ乗れば!)

 

 ニルヴェアは全身の勢いを前へと集中。いっそぶん投げるように拳を振りぬけば、その勢いが荒くれ者の体を浮かせ、吹き飛ばした。

 荒くれ者はたまらず琥珀銃を手放し、受け身すら取れずに地面を転がった。だがニルヴェアは荒くれ者をすかさず追いかけて捕縛。その瞬間、いつかの月下が脳裏を過ぎる。

 

 ――本気で殺したいんなら、もっとしっかり捕まえとけよ

 

 ニルヴェアは荒くれ者の両腕を一気にわし掴むと、さらに足を使って荒くれ者の背を踏みつけて、そのまま両腕もぎちっと引っ張った。そこに重ねて手首を強引に捩じり上げてやれば。

 

「いだだだだだ!? 降参、降参!」

 

 荒くれ者はあっという間に白旗を上げた。

 決着がつき、野次馬から歓声が上がった。颯爽と現れた謎の少女が、街を脅かす荒くれ者をあっという間に捕まえた!

 野次馬が勝手に沸き立っている中、ニルヴェアは拘束を維持しつつもほっと一息つく。

 

「ふう。このぐらいならイケるもんだな……」

 

 と、気を緩めたその瞬間。

 ざりっ。地面をこする足音がひとつ。ニルヴェアがそれに気づいて振り向くと、すぐ近くの路地裏から人影が飛び出してきたところだった。

 

(新手!?)

 

 はっきりと視認すればナイフを構えた男が1人、ニルヴェアへと襲いかかってきていた。直前で気づいた不意打ちに、しかし思考が追い付かない。

 今抑えている荒くれ者を手放してでも逃げるべきか?

 そんな問いが一瞬脳裏を過ぎり、そしてその一瞬が命取りとなる。迷って動けないニルヴェアへと、男が迷いなくナイフを突き出す――その直前で、男の体が回転した。

 

「え?」

 

 ニルヴェアの目の前で文字通り、ぐるんと一回転。そのまま石畳に頭と背中を同時にぶつけて「ぎゃんっ」悲鳴を一度上げたきり、ぐったりして動かなくなった。

 そんな一連の流れに呆然としたニルヴェア。と、不意に聞こえる苦言ひとつ。

 

「ったく、お前はどーしてそうすぐに飛び出すんだか」

 

 ニルヴェアがハッとして面を上げると、そこには少年の不満顔ひとつ。それを見た途端、ニルヴェアの口から「あはは……」と罰の悪そうな苦笑が漏れた。

 

「あはは、じゃねーだろ。猪かお前は」

「いや、その、神威や獣ならともかくそこら辺の人間相手ならイケるかなって……でもほら、実際どうにかなったし!」

 

 ニルヴェアはその証拠を見せつけるように、拘束中の荒くれ者の腕をぐいぐいと引っ張った。荒くれ者は引っ張られるたびに「いだだだだ!」と悲鳴を上げて身を捩っている。

 レイズは荒くれ者へと視線を向けつつも、先ほど己の手で投げ飛ばした男を親指でくいっと指して。

 

「だったら、俺の助けはいらなかったか?」

「ぐ。それは、その……すまなかった。それとありがとう」

「分かれば良し。まーお前、こういうの見過ごせないっぽい感じするもんな。今度からはちゃんと言ってくれりゃ、時と場合によっちゃ付き合ってやらんこともなくはない……」

 

 レイズはそんな軽口を叩きながらも、彼の目はニルヴェアが抑えている荒くれ者をじっと捉えていた。

 だからレイズはすぐに気づけた。痛みに何度も身を捩っている荒くれ者。その、どことなく不自然な雰囲気に。

 

「っ! ニア、離れろ!」

「え?」

 

 次の瞬間、荒くれ者の懐でぷちっとなにかが潰れた。直後、その腹の下から白い煙が一気に噴き上がって辺りを覆う。

 

 ――『玉』と総称される道具類がある。

 それはいずれも親指サイズの球体で、潰したり地面に叩きつけたりすれば破裂して種類に応じた効果を発揮するという代物だ。

 そして今、荒くれ者が身を捩ることで潰したのもその一種。それはレイズもよく使っている、

 

「ちっ、『煙玉』か!」

 

 レイズは白煙に巻かれながらも、即座に判断を決めていた。その証に――彼の右手には、すでに”炎”が纏わりついている。そこに火種なんてないはずなのに、それでも煌々と、紅く激しく燃えている。

 

「しゃらくせぇ!」

 

 レイズが右手を大きく振った。そこに渦巻く炎の勢いを持って、前方の煙をごっそり掻き消す。

 するとぽっかり視界が開けて――見えた。ニルヴェアが2人の荒くれ者に連れ去られていく光景が。

 1人がニルヴェアを担いで走り、もう1人が追加で煙玉を撒いてきた。再び煙が立ち昇り、荒くれ者とニルヴェアの姿を隠した。もくもくと吹き出す白色を眼前に、レイズは思考を巡らせる。

 

(やぶれかぶれな人さらい、にしちゃあいくらなんでも連携が周到過ぎる……いや、違う? まさかあいつら、最初からニアが狙いで!? この騒ぎは、ただ人を集めるためだけに)

 

 そのとき、足首がなにかに掴まれた。

 

「!」

 

 レイズが足下を見れば、地を這う煙に紛れて荒くれ者の1人がレイズの足を掴んでいる。そいつはニルヴェアが拘束していたやつで、

 

「どけっ!」

 

 途端、レイズの足下が――爆発した。

 紅い爆炎が、荒くれ者の手首を飲み込む程度の大きさまで膨れ上がって破裂したのだ。爆風がその場に残っていた煙を吹き散らし、全てを白日の下に晒した。

 だがそこに、もうレイズはいなかった。

 

「ぎゃあああああ!」

 

 代わりに荒くれ者が1人、悶え苦しんでいた。そいつの両手は焼け爛れ、半ば原型を失っている。

 野次馬の数名がその光景に悲鳴を上げ、それからしばらくして自警団が駆けつけてきたのであった。

 

 

◇■◇

 

 

 一方、ニルヴェアはしばらく担がれたあと、適当な路地裏へと放り込まれていた。

 小さな体が乱暴に投げ飛ばされて、建物に挟まれた薄暗い石畳を転がる。

 

「あうっ」

 

 全身に痛みが走り、アカツキから貰った服が泥に汚れた。それでもニルヴェアは負けじと面を上げて……目が合った。2人の荒くれ者の、下卑た目と。

 

「ははっ。金目当てだったが、随分な上玉じゃねぇか」

 

 その汚らしい視線は、ニルヴェアがおよそ15年の人生を生きた中で初めて受けたものであった。しかし、それがどういう意味を持つかはすぐに分かった。その途端、全身にぞわりと怖気が走る……が。

 

(身代金目当てか、どこかに売る気なのか……あの騒ぎは最初から、手頃な相手をおびき出すための?)

 

 ニルヴェアは未だに冷静さを保ち、思考を続けていた。

 なぜならこの世には暗殺者、黒騎士、獣……もっと怖いものがいくつもあるのだから。ゆえに彼女は目をそらすことなく、ゆっくりと立ち上がっていく。

 だがはたから見れば、それはか弱き少女の悪足掻き。むしろ荒くれ者たちにとっては刺激(スパイス)のひとつに過ぎなかった。

 

「おーおーそそる目をしてんねぇ! でもボスが言うには……命さえありゃあなにしてもいいって話だったよなぁ?」

「!」

 

 荒くれ者の言葉がニルヴェアに思い出させる。黒騎士がかつて放った一言を。

 

 ――無論、彼女の命には敬意を払っている。我々にとって大事な”鍵”なのだから

 

(狙っているのは僕の命だけ? まさか、こいつらも神威の……!)

 

 ニルヴェアの中で、警戒のレベルが引き上げられた。彼女はすぐにスカートのポケットに右手を入れた。そしてそこからある物を取り出し、構えた。

 すると荒くれ者の1人がひゅうっと口笛を吹いた。

 

「勇ましいお嬢様だなぁ、おい!」

 

 露骨に馬鹿にされて、それでもニルヴェアはただ前だけを見据えている。

 

(刃の潰れた、ただのお守り。それでも)

 

 彼女が右手に構えたのは、兄から託された短剣だった。お守りとして常に持ち歩いていたそれは、護身用と呼ぶことすらできない鈍らであったが。

 

(鞘から引き抜かない限りは刃の有無なんて分からない。ハッタリぐらいにはなるはずだ)

 

 短剣の鞘に左手を添えながら、覚悟を決める。2人の荒くれ者、そしてその向こう側の大通りへと狙いを定めて。

 

(やつらが僕を侮っているうちが勝負。さっさと1人を行動不能にして大通り側に抜ける。1対1に持ち込むか、たぶん追いかけてきているレイズと合流するか……)

 

 そして、駆け出す。

 

(いずれにせよ、まずは一撃当ててからだ!)

 

 荒くれ者たちとは、すでに10歩踏み込まずとも届く距離にある。

 しかし荒くれ者たちはニルヴェアが動いてもなお、その余裕を全く崩さなかった――ニルヴェアの予想通りに。

 

「いいねぇ、活きのいい女は好きだぜ?」

 

 2人のうち1人だけが、腰からナイフを1本引き抜きながら前に出てきた。”お守り”とは違い人を殺せる鋭利な刃物を前にして、しかしニルヴェアは止まらない。

 

(的が1人に絞れたのなら、都合がいい!)

 

 左手で鞘を握り、右手で短剣を一気に引き抜き――そのまま投擲!

 

「うおっ!?」

 

 荒くれ者から見れば、短剣がいきなり眼前に迫ってきた形になる。だが手練れならともかくとして、そこら辺のゴロツキに刃の有無など見切れるはずもなく。

 ゆえに彼は反射的に、そして大振りに短剣を避けた。それから再び前を見たが、そこには誰の姿もなく――ゴキュッ!

 脇腹にねじこまれた一撃に、荒くれ者がうめく。

 

「おぐっ……!?」

 

 脇腹に突き刺さっていたのは、短剣の鞘であった。武器として見ればおよそ鉄の棒であるそれは、脇腹の柔らかい部分へと吸い込まれるようにねじこまれていく。

 ねじこんだのはもちろんニルヴェアであった。彼女は確かな手応えに、そっと口角を上げた。

 

(入った! やっぱ僕でもやれる。まずは一人)

 

 鈍い音が、鳴った。

 

(え?)

 

 ぐわん、と。こめかみの奥が大きく揺れた。

 すると全身の力が抜けて、手から鞘が滑り落ちた。そのまま全身も崩れ落ちて、それから稲妻のような痛みが頭に走った。

 

「あぐっ……!?」

 

 両手を床につきながらも、なんとか目を開いて少しだけ顔を上げると……そいつはまだ、立っていた。

 

「ふざっ、けんなよっ、クソガキが……!」

 

 荒くれ者が突かれた脇腹を押さえながらも、憎々しげにニルヴェアを睨みつけていたのだ。

 

(殴られ、返された? 思い切り、突き刺したのに、しまった、早く体を)

 

 鋭い衝撃に、腹を抉られた。

 

「がはっ……!」

 

 ニルヴェアは蹴り飛ばされていた。後ろに控えていたはずの、もう1人の荒くれ者によって。

 少女の体が薄汚れた地面をごろごろと転がっていった。しかし荒くれ者はそれに目もくれず、未だ痛みにうめいている相方をせせら笑う。

 

「おいおい、めっちゃやられてんじゃん。だっせー!」

「うるっ……せぇんだよクソが!」

 

 彼は挑発に激昂したが、しかしその怒りの矛先は倒れ伏している少女に向いていた。

 だらりと力の抜けた小さな四肢。少女の下へと、荒くれ者が腹を押さえながら近づいてきた。だが少女は動けない。息の1つでさえも満足に吸えない。どこもかしこも鈍く、痛い。箱庭育ちでは決して味わえない類の痛みが全身を駆け巡っている。

 

(苦しい、痛い、でも、立たなきゃ)

「おらっ!」

 

 自慢の長髪が、急に引っ張られた。

 

「うぐ……!」

 

 荒くれ者に面を上げさせられて、さらに頬を鷲掴みにされた。その衝撃に頭が揺れて、走った頭痛が涙腺を刺激した。じわりと滲んでいく視界。だが荒くれ者はお構いなしに、

 

「いいもん見せてやるよ」

 

 むりやり、反対側へと顔を向けさせられた。その勢いがニルヴェアの目から涙を散らし、すると涙で滲んでいた視界が晴れて――

 

(なんだ)

 

 薄暗い路地裏。その隙間からわずかに届く日光にうっすらと照らされて、1頭の獣が立っていた。

 

(なんだ、あれ)

 

 だが獣は大人しく立っているだけであった。なぜならその長いマズルには金属製の枷が嵌っていて、その枷から伸びる鎖の手綱をもう1人……3人目の荒くれ者が握っているのだから。

 だが、それでも。

 

(なんなんだ、あれは!?)

 

 四足歩行と長いマズルの獣顔。それに全身を覆う灰色の体毛。

 一見するとまるで狼の類を彷彿とさせるそれは……しかし狼とは、いくつかの点に置いて決定的に異なっていた。

 まずその四肢は、狼の素早くしなやかなそれから遠くかけ離れたものであった。丸太のように太く逞しい筋肉が、今もなおびくりびくりと脈動している。

 さらにその全身を覆うのは、ただの体毛だけではない。全身のいたるところから、体毛の代わりに緑色の鱗が生えてきていた。毛と鱗のまだら模様とでも言うべき、奇妙な体表であった。

 

 強靭な四肢に強固な鱗。それはグラド大陸において獣の頂点と謳われる『竜種』の特徴であるのだが、ニルヴェアはそれに気づかない。

 だが、だとしても。今目の前にいるアレが、生物として歪な存在であること。それだけは半ば直感的に理解できていた。

 

(化物)

 

 びくりと。本能が少女の体を震わせた。それを合図とするように、獣を連れていた3人目がその口枷を外した。ごとん、ごとんと重い枷が地面に落ちた。そして、

 

『ゴアアアアァァァァァ!』

 

 獣が吠えた。その顎を露わにして。

 

「っ!?!?」

 

 ぶわり! 全身の毛が逆立つような恐ろしさであった。

 異様に発達した歯は、その全てが通常の狼の犬歯並みに鋭い。ならば犬歯は? もはや口内をはみ出すほどに伸びて、自分の口元すら切り裂いていた。そこからじくじくと流れる血が粘っこい唾液と混ざり合い赤黒い粘液となって、獣の歯から滴り落ちている。

 

 ――獣の血と己の血があそこで混じり合う。そんな光景が脳裏を、

 

(殺される。殺される。殺される!)

 

 ニルヴェアの思考が一色に染まった。なにも考えられず、しかし全身だけががたがたと震えて、

 

「アレを見れば、どんなやつでもそういう顔をするんだよ」

「!」

 

 わずかに正気を取り戻した――胸をぎゅっと、鷲掴みにされたせいで。

 

「ひゅ、ぁ」

 

 きっと、正気になんて戻れない方がマシだった。

 

「誰だって命は惜しいよな、あんなのに喰われたくないよなぁ」

 

 むりやり獣の方を向けられていた顔が、再び荒くれ者の方へと引き戻された。

 突きつけられる。にちゃりと粘っこい笑みが、薄汚い口内から漂う吐息が。

 ひゅ。ひゅ。

 喉から息が漏れた。叫びたい。助けてほしい。なのに声が出てこなかった。

 

「でも安心しろよ。命は奪わねぇ。手足をアレの餌にしようと、女として使い物にならなくなろうと、命だけは奪わねぇからよぉ!」

 

(たすけて)

 

 祈りが、炎と化して煌めく。

 

 ニルヴェアの目の前で、突如、荒くれ者の頭が――紅く燃えた。

 

「ぎあああああ!?」

 

 荒くれ者がニルヴェアを手放し、しゃがれた悲鳴を上げて悶え苦しんだ。だが次の瞬間には、”爆破の勢い”を乗せた裏拳1発がその頭に直撃していた。

 

「お˝」

 

 鈍い音と共に、荒くれ者の頭から炎が消えた。そいつは頭から煙をたなびかせて、ろくな悲鳴さえ上げずに沈んだ。

 

「な、なんなんだこのガキ!?」

 

 動揺の声を上げたのは、今の今まで後方で見守ってた2人目の荒くれ者であった。荒くれ者は”ガキ”に向かって迷わずナイフを振りかざしたが、ガキはさらに迷いなくそして速い。荒くれ者のナイフが振り下ろされるその前にどてっ腹へと蹴りを入れて――そのまま爆破。

 

「ぶぇっ」

 

 荒くれ者は綺麗に弾かれ、壁へとまっすぐ叩きこまれた。一瞬だけへばりつき、それからべちゃりと床に落ちて、それきり動かなくなった。

 終わった。

 ニルヴェアを連れ去った2人は、物の数秒で倒された。その間、ニルヴェア当人はただ呆然とへたり込んでいた。

 ニルヴェアは全てが終わったあと、たった一言だけぽつりと呟く。

 

「れい、ず」

 

 レイズが、ニルヴェアの方をちらりと見た。そして少しだけ微笑んだ。しかしすぐに視線を外して3人目の荒くれ者へと、正確には彼が従える異形の獣へと向き直った。すると、

 

『ガアァァァァ!』

 

 獣が吠え猛った。今の戦闘によって闘争本能を煽られたのだ。荒くれ者は「お、おい落ち着け!」と慌てて獣を制御しようとしたが、しかし。

 

「待て、まだ合図は、うわぁ!」

『ゴァァ!』

 

 獣はいきなり走り出した。一直線にレイズへと、そしてへたり込んだままのニルヴェアへと。

 

「ひっ!?」

 

 ニルヴェアは思わず悲鳴を上げたが、しかしそんな彼女の前にいきなりなにかが飛び出してきた。

 それはレイズ、ではない。先ほど頭を燃やされた荒くれ者が、ニルヴェアの前に転がってきたのだ。

 もちろんそいつに意識はない。その体を蹴り飛ばして転がしたのはレイズであった。彼は振り上げていた脚をゆるりと戻しながら口を開く。

 

「『合成獣』は神威定番の人造兵器、あーんど主力商品だ」

 

 レイズは語りながら歩いていく。その足取りは悠々としたものだった。すぐ目の前には異形――合成獣がいるはずなのに。だがしかし。

 

「売り物だっていうんなら、誰でも制御できるように”調整”されてなきゃな。例えば枷を外して合図を見せない限り暴れないとか、あるいは特定の匂いがついたやつだけを襲わないとか」

 

 合成獣は立ち止まっていた。

 レイズが転がした荒くれ者のすぐそばで『グルルル……』と唸りを上げながらも大人しく、ただそこに佇んでいた。

 だからレイズは悠々と、1歩ずつ進んでいく。逆に合成獣の主人は、1歩ずつ後ずさっていく。

 

「な……なんなんだよぉ、お前!」

 

 レイズはその質問に答えないまま、果たして合成獣のすぐ隣で足を止めた。それでも合成獣は動かない。ただ躾けられたルーチンに従って行動するだけの商品に向けて、レイズはそっと呟く。

 

「今、楽にしてやる」

 

 レイズが右腕を振る。それはまっすぐに、合成獣の首をなで降ろすような軌道を描き――直後、描いた線から鮮血が噴き出た。

 レイズの右手にはいつの間にか、紅い血に濡れたナイフが握られていた。

 

 ――!?!?!?

 

 ニルヴェアも、荒くれ者も、ただ絶句していた。

 路地裏を静寂が、そして撒き散らされた鉄さびの匂いが満たしていく。その中で合成獣が――狼と竜の混ぜ物が、ゆっくりと倒れ伏した。

 レイズはそれを見届けてから、ナイフの真っ赤な血を拭き取った。真っ白な布を使って、淡々と。

 やがて布が血の色に染まるとレイズはそれを捨てて、荒くれ者へと向き直る。少年らしい幼さを残した双眸が、荒くれ者を映し出した。

 

「ひ……!」

 

 瞳に映る荒くれ者は、どっと冷や汗をかいていた。

 そう。彼は恐ろしかったのだ。

 同僚の荒くれ者たちなんかよりも、犯罪組織から買いつけた合成獣なんかよりも、それら全てを無傷で倒してみせた目の前の少年が。得体の知れない炎を操り、この状況になにひとつ動揺を見せないなにかが。

 

「う……うわぁぁぁぁ!」

 

 荒くれ者は逃げ出した。路地裏のさらに奥へと。

 だがレイズはそれを追うことなく、むしろ興味なさげに背を向けた。彼が振り返った先、ニルヴェアは未だにへたり込んでいた。

 レイズはナイフをしまってから、優しく呼びかける。

 

「ニア、大丈夫か?」

 

 それから手を伸ばした。ごく当たり前のように、転んだ人に手を貸すように……ニルヴェアには、なにも分からなかった。

 

(なにが、起こったんだ)

 

 なにも分からないまま、なにもかもが終わっていた。

 薄暗い路地裏。動かない荒くれ者たち。鮮血に沈んだ異形の獣。なにもかもが異常な世界でただ1人、目の前の少年だけはごく普通に手を差しのべてきていた。

 ニルヴェアはよろよろと右手を伸ばした。なにも分からないまま、なにかに縋ろうとして。

 やがて、少年の手に触れて――視界が明滅する。

 全てが蘇った。

 自分を連れ去ろうとした黒騎士。アイーナを殺した暗殺者。己に殺気を向けてきた獣。己を犯そうとした荒くれ者。常識の埒外にあった合成獣。なにもかもが恐ろしかった。

 だけどそのなにもかもよりも、この少年は。

 

 パンッ! 大きな音で、目が覚めた。

 

 気がついたら、自らの手がレイズの手を叩いていた。

 

「え」

 

 ニルヴェアはなにも分からなかった。分からないままふらりと顔を上げて。

 

「――――」

 

 それを見た。

 だから、思わず、言い訳を、

 

「あの、違うんだ。レイズ、今のは」

「腹、痛むのか?」

「……え?」

 

 そのときにはもう、レイズはただ困ったような笑みを浮かべているばかりであった。

 

(え。さっき見たものは、いつっ!?)

 

 ずきんっ、と腹に痛みが走った。そこに視線を向ければ、左手が傷を庇うように腹を抑えていた。どうやら無意識のうちにそうしていたらしい。

 

「そういえば1発蹴られていたんだっけ……」

「だったらこれが効くかもな、ほれ」

「わっ」

 

 ニルヴェアの懐へと、急に一つの小瓶が投げられた。落ちる前に慌ててキャッチしてから観察してみれば、手のひらサイズの小瓶の中で緑色の液体が揺れていた。

 

「これは……?」

「『ポーション』っていうんだ。魔の大陸から輸入された飲み薬らしくてさ、それは内臓の傷に良く効くんだと。お前、そういう珍しい物好きだろ?」

「……今日は変な飲み物と縁があるな」

 

 ニルヴェアは苦笑しつつも、そのポーションとやらを素直に飲んだ。するとさすが薬というだけあってか、体に良さそうなキツイ苦みが舌の上を走っていく。だが我慢して飲み終えて、しばらくすると。

 

「あ……確かになんか楽になってきたかも。お腹の中が温まる感じが……」

「なら少し揺れてもイケそうだな」

「へ……うわっ!?」

 

 ニルヴェアが悲鳴を上げたそのとき、彼女はすでに持ち上げられていた。それもレイズに膝裏と背中を支えられた横抱き……いわゆる、お姫様だっこの態勢で。

 

「なっ、なにするんだ!?」

「ちょっとだけ我慢しろ。こんなとこじゃ落ち着かねーし……自警団に長々と事情話せる気持ちでもねーだろ」

「それってどういう……わぁ!」

 

 レイズが一気に駆けだした。

 

 

◇■◇

 

 

 そのあとは早かった。

 路地裏をさっさと出たレイズは、ようやく駆けつけてきた自警団にその場をむりやり押しつけて。

 

「そこの路地裏になんか色々転がってるからあとはよろしく警官さん!」

「なに!? 君たちはいったい、というか路地裏って……うわぁ! ば、化物!?」

 

 ニルヴェアを抱えたまま、街中を一気に駆け抜けていった。

 やがて辿り着いたのは、郊外にある草原地帯だった。そこはあくまでも壁の内側ではあるのだが。

 

「ここは『キャンプ場』って言ってな。泊まるには申請やら代金やらが要るんだけど、街住みのやつらが壁の外で野宿するにはなにかと面倒だからな……要は娯楽として野宿っぽいことがやれる場所ってことだ。宿より野宿が好きなナガレにも需要があったりするな」

 

 レイズはそう説明しながらニルヴェアを降ろした。一方、降ろされたニルヴェアは戸惑いながらもレイズに声をかける。

 

「えっと、その、世話をかけてしまったな。すまない……」

「あ、そういや忘れもんだ」

 

 レイズは急にある物を差しだしてきた。ニルヴェアが目を向けてみれば、それは紛れもなく彼女の”お守り”であった。短剣の方はぶん投げて、鞘の方は殴られた拍子に落としてしまったはずだが、そこには確かに短剣があり、きちんと収まるべき鞘に収まっていた。

 

「いつの間に……」

「手癖の悪さはナガレの流儀ってな。大事な物なんだろ?」

「ああ……」

 

 ニルヴェアは短剣を両手で受け取って、そっと胸に抱きしめた。

 

「……ありがとう。本当に」

 

 それからニルヴェアは面を上げて――視界に入ったのは、レイズの背中であった。なぜか向き合わず背中を見せた少年に、ニルヴェアが思い出す。先ほど自分が手を払ってしまったときの、レイズの表情を。

 

(あ……)

 

 レイズはあの一瞬だけ、ほんの一瞬だけ……あまりにもちっぽけで、あまりにも弱々しくて、きっと誰よりも孤独だった。

 

(あんなのレイズじゃない……違う。僕のせいなんだ)

 

 彼を突き放して、あんな顔をさせてしまったのが誰なのか、本当はもう知っている。

 

(弱いのに勝手に旅についていって、勝手に飛びだして、勝手に危険な目に遭って。全部僕のせいなのに。こいつはずっとずっと、僕を助けてくれていたのに、僕はまた)

 

 痛い。殴られた頭が、蹴られた腹が、どうしようもなくじくじくと痛い。

 しかしレイズの方はといえば、青空を見上げながら気さくに伸びをしつつ、今後の方針について考えていた。

 

「さーてどうすっかな。合成獣ってこたぁ、少なくとも神威と繋がりがあるのは確定だよなぁ。街よりもここに泊まる方が見晴らしいいし安全か? べーっつにただ神威の威を借るゴロツキだってんならまだいいけど、もしあいつらが本当に追手ならアカツキとも相談して……」

 

 と、レイズは不意に背中が引っ張られたのを感じた。

 だから振り返ろうとした、その直前。背中になにかがぐっと押し付けられた。すぐに、くぐもった声が響いてきた。

 

「ごめん」

 

 レイズは振り返れなかった――押し付けられたのが、ニルヴェアの顔だと分かってしまったから。

 しかしレイズは、あえて明るい声音で言う。

 

「ははっ、珍しくしおらしいじゃん。べつに気にすんなよ。むしろ俺が遅か」

「差し伸べてくれた手を払ってしまった。僕が弱いせいで」

「っ――」

 

 レイズの口が一瞬固まった。だが、彼はなんとか言葉を紡いで。

 

「しょうがないだろ。あんな状況なら誰だって」

「ごめん、アイーナ、兵士のみんな。ごめんなさい。僕が弱いせいで」

 

 レイズは今度こそ、なにも言えなくなった。

 

「強ければ怖がらなかった。怖くても立ち上がれた。なにも分からないまま、なにも護れないまま、通り過ぎていく。強ければちゃんと手を伸ばせていたはずなのに。っ、僕は間違ってたんだ! 想いだけならあるつもりでいたのに真っ先に折れて、なにもできないのになんでもするって(うそぶ)いて!!」

 

 泣きじゃくる。くしゃくしゃな声音に乗って、支離滅裂な懺悔が続く。

 レイズの唇がきゅっと閉じられた。

 

(自分を恨むくらいなら俺を恨めよ。この旅は、俺のせいで始まったんだろ)

 

 今すぐそう口にしたい。怒りの矛先を向けて欲しい。文字通り、吐きたくなるほどの罪悪感。

 

(俺は黒騎士に騙された挙句、お前の大事な人たちをろくに護ってやれなかったんだ。今だって俺がもっとしっかりしてれば……分かってたはずなのに。こういうことも想定した上での護衛(エスコート)だって、分かってたはずなのに!)

 

 レイズは腹の中で暴れまわる激情を、しかし歯を噛みしめてぐっと呑み込む。

 

(俺を恨め、なんて言っても絶対に否定するだろこいつは。そんでそう言わせた自分を責めて気にするんだ。たった数日の付き合いでも簡単に想像できる。そのくらいにこいつはいつもまっすぐで)

 

「強くなりたい」

 

 ふっ。と、レイズの思考が止まった。彼は思わず尋ねてしまう。

 

「今、なんて」

「すごく痛かった。すごく怖かった」

 

 背中からはすぐに答えが返ってきた。震える声で、それでもはっきりと。

 

「でもそんなの闘いならきっと当たり前なんだ。最強で最高の武人なら、そんなものには絶対負けないんだ」

(まさか、こいつは、まだなにも諦めて)

「憧れるなら、絶対に逃げちゃいけなかったのに!!!」

 

 ――僕は僕の剣から逃げたくないんだ

 

 レイズの目が大きく開いた。そのときにはもう、彼女の声は震えてすらいなかった。

 

「頼むレイズ。僕を鍛えてくれ。僕はもう足手まといになりたくない。逃げないための力が、心が欲しい。それにはきっと僕に一番近くて僕から一番遠いお前の助けが必要なんだ」

 

 ニルヴェアは言いきった。レイズの背中にしがみついたまま、それでもはっきりと言いきってみせた。

 だからレイズは。

 

「ったく、まじでろくでもねぇな。とりあえず服離せ。裾が伸びる」

「あ、ああ。すまない」

 

 ニルヴェアは慌てて手を、そして顔を背中から離した。しかしレイズは振り返らず、ただぽつりと一言。

 

「格上狩り≪ジャイアントキリング≫」

「え?」

「俺の信条みたいなもんだ」

 

 レイズは、応えた。

 

「俺はまだ15のガキだし、同年代の中でもむしろチビな方だし、だからってアカツキみたいにずば抜けた腕を持っているわけでもねー。ってなわけでさ、俺にとって俺よりでかいやつ、強いやつ……そういう格上を相手にするってのはわりと当たり前のことなんだ。それでもやりたいことをねじこんでまかり通す。そんな術ならそれなりに教えてやれるし、きっとお前が今一番望むものでもあるはずだ」

「それはつまり、弱者のための闘い方……?」

 

 ニルヴェアはゆっくりと面を上げた。真っ赤になるまで泣き腫らした彼女の目は、それでも希望に輝いていた。

 

「教えて……くれるのか?」

「その力があればな」

「それって……」

 

 ニルヴェアはその言葉の意味を飲み込んで、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

「力が欲しいのに力が前提になるのか? 難儀だな……」

「見込みのないやつを1から教える。そんな時間もやる気もない。お前もさっき言ったろ、『僕は間違っていた』って。俺もそう思うよ。お前はやっぱりアカツキの協力者ってやつに保護されるべきなんだ」

「っ。それでも、僕は……!」

「闘いたいんだろ」

「……ああ。だからここにいる」

「お前の流儀がそれならそれで構わない。だとしても、自分の道は自分で拓くのがナガレの流儀だ。だから――」

 

 レイズが体を回して振り返り、右腕を軽く振った。何気ないその仕草と共に、

 

「認めさせてみろよ、お前の力を」

「!」

 

 ニルヴェアの眼前へと、銀色の刃が突きつけられた。合成獣の首を斬ったそれは、すでに血を拭き取られている。だがそれでも、匂いは確かに残っている。

 少女の鼻をつんと突いたのは、武器と血を形作る鉄の匂い。戦いを象徴する匂い。

 ナイフを構えているのは、1人の戦士であった。

 

「俺が認められるなにかを持ってりゃ、稽古の1つでもつけてやるよ。だけどな……」

 

 赤銅色の髪が、風に煽られ炎のように揺らめいている。

 少年らしい大きな目が、しかし今はただ冷たく前を見据えている。

 快活な笑みの似合う口が、しかし静かに宣告を告げる。

 

「それができないってんなら、お前とはここでお別れだ」



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2-9 紅の試験と世話焼き侍

 いわゆる(かしら)に属する者の戦い方は、大きく2種類に分かれている。

 いの一番に先陣を切るか、それとも一番後ろで指揮に努めるか……かの剣帝ヴァルフレアはこてこての前者であったのだが、そのくせして彼は軽鎧すら身に着けることなく戦いに臨んでいた。

 ヴァルフレアの戦装束は、機動性重視の改良を施した特注の軍服であった。そしてその背中には、常に立派なマントを背負っていた。

 戦場においては派手で浮ついているとも言える服装で、しかし彼は自身の戦い方についてこう語る。

 

『敵を引きつけ戦場を荒らし、なおかつ仲間の士気を高めることでその力を最大限まで引き出すのが俺の仕事だからな。派手というのも悪いものではないさ。それに特別な戦装束があるというのは、正直なことを言えば俺自身もいくらか昂るものだ。さらに少々余談となるが、マントというのもあれはあれで咄嗟の目くらましなど使いでが――』

 

「要するに、気合で負けたら始まらないわけだ」

 

 ニルヴェアは己が敬愛する兄上の在り方を思い返し、腕を組んで呟いた。

 彼女は今、テントの中で胡坐を組んで座っている。

 

 ――僕を鍛えてくれ

 

 あのあと、ニルヴェアとレイズはキャンプ場で(勿論別々にテントを立てて)一夜を明かした。そして今、ニルヴェアは悩んでいる。

 なぜならここから出れば、レイズによる”試験”が始まるのだから。

 

 ――認めさせてみろよ、お前の力を

 

(なにをすんのか知らないけど、なにかと戦うことには違いない。必要なのは戦装束……とはいえ選択肢は少ないんだけど)

 

 ニルヴェアの前には、2つの選択肢が置かれていた。

 1つはいつも使ってた簡素なヘアゴム。

 もう1つは昨日買った、羽根飾り付きの髪留め紐。

 要はどっちでどのように髪をまとめるか。それが問題であった。

 

(なにも着けないのはさすがにうっとおしいだろう。べつにいつも通り、普通のヘアゴムで兄上を真似て首元で括ってもいいけど……これは僕ひとりで戦う試験なんだ。いくら兄上とはいえ、ただ他人を模すだけっていうのも……なにか違う、気がする)

 

 そう感じ、羽根飾りに手を伸ばして。

 

(いや、今から戦いに行くんだぞ! ”可愛い”はさすがにないよな……ない……か?)

 

 ふと過ぎった。昨日、鏡越しに見た少年の表情が。

 

(僕が唯一、あいつに勝てたもの)

 

 思ったときには手を伸ばし、掴んでいた。

 

(あいつに勝つ。認めさせる。なにがなんでも)

 

 勝利をくれる験担ぎは、きっと多い方がいい。だからニルヴェアは決意し、そして手に取った――羽根飾り付きの髪留め紐を。

 昨日と同じように後頭部の中心あたりで髪をまとめて、それから紐で括ってやれば、羽根飾りがぴょこんと飛び出て、金のポニーテールがわずかに揺れた。

 

「とにもかくにも、気合で負けたら始まらない」

 

 

 ◇■◇

 

 

 ニルヴェアがテントの外に出ると、出迎えてくれたのは爽やかな日差しであった。

 時刻はおよそ昼前。空は試験日和の快晴。地には澄んだ風が流れていく。かさかさと、だだっ広い草原を揺らして。

 

「準備はできたか?」

 

 声に気づいて振り返ると、そこにはレイズが立っていた。

 レイズの、そしてニルヴェアの服装はお互いに大体同じだった。いくら汚れても構わないシャツとズボン……それはレイズが試験を行うにあたって指定してきた服装だった。

 それに加えてニルヴェアは羽根飾りをつけているわけだが、一方でレイズもひとつ、身に着けている物があった。

 

「なんだそれ?」

 

 ニルヴェアの視線の先、レイズの両手には奇妙なグローブが嵌っていた。中の手が見えるほどに透き通った無色透明。まるで水をそのまま押し固めたかのようなグローブだった。

 

「『スライム』って素材で作ったグローブだよ」

「スライム?」

「切断に弱いけど衝撃には強いって特徴があるんだ。触ってみ?」

 

 そう言われれば是非もない。ニルヴェアはそのスライムグローブへとおそるおそる近づいて、そして指で無色透明な表面を突っついてみた。

 

「……ぷにぷにというか、ぶよぶよというか」

 

 率直な感想を言ってみれば、レイズが解説を付け加える。

 

「その柔らかさが衝撃を吸収するんだよ。衝撃を受けたときはもちろん……こっちから殴ったときも、な」

「なるほど……」

 

 とニルヴェアは感心しかけて――しかし、その真意にすぐ気づいた。

 

「つまり、これなら何度殴っても傷にはならない。そういうことか……?」

「察しの良さは及第点ってところか」

 

 ニルヴェアの表情が緊張で硬くなった。それを見計らったかのようにレイズが言う。

 

「俺が認めるまで、あるいはお前が立てなくなるまで素手で殴り合う。ルールはそれだけだ、簡単だろ?」

「……僕はグローブを着けなくてもいいのか?」

「はっ。拳の1発でも当てられたらその時点で認めてやるよ……」

 

 レイズはそう言ってニルヴェアから適当な距離を取り、なにげなく振り返って、さくっと一言。

 

「ほら、いつでも来いよ」

 

 それが試験の始まりであることは、ニルヴェアにも分かった。

 しかしそれはあまりにもあっさりした宣言で、さらにレイズは構えの1つすら取っていない。完全なる自然体であった。

 

(かんっぜんに舐められてる。実力差があるのは分かっているけど、それでも腹立たしいものは腹立たしい……)

 

 その舐めた態度が、昨日の荒くれ者と重なった。昨日は確かに色々不覚を取った。取ったのだが。

 

(だけど1発、1発当てればこっちの勝ちだ。昨日だってちゃんと1発は当てたんだ)

 

 屋敷の中で独学で覚えた格闘術。

 そのなにもかもが通用するわけじゃないけど、だからってなにひとつ通用しないわけでもなかった。そういう意味において昨日の対人戦は、ニルヴェアにとって確かな自信にもなっていた。だから彼女はためらわなかった。

 

「あまり舐めていると痛い目見る……いや、見せてやるからな!」

 

 ニルヴェアは迷わずに駆け出した。いきなり一直線にレイズへと殴りかかる……と見せかけて。

 

(さすがに素直に殴りかかって当たる相手じゃないだろ。フェイントから仕掛ける!)

 

 一気に左に踏み込んで、重ねて一気に右へ跳ぶ。そこから1発、

 

「うわっ」

 

 ニルヴェアの体が宙に浮いた。そのまま視界がぐるりと回って、

 

「あだっ!」

 

 草原の上にダイブした。雑草を撒き散らしながらごろごろ転がりぶっ倒れて。

 

(なにが起こった!?)

 

 ニルヴェアは慌てて起き上がり、レイズへと顔を向けた。しかしレイズは相変わらずの自然体である。強いていえば、これ見よがしに左足を浮かせてぷらぷらとさせているくらい。

 

「足払い……」

 

 たったそれだけ。

 理解した瞬間、ニルヴェアは怒りと共に勢い良く立ち上がる。

 

「この野郎!」

 

 少女は再び突進した。今度は急制動を活かした前後のフェイント……こかされた。

 

「まだまだ!」

 

 ならば今度は素直に殴りにいった。こかされた。

 右と見せかけて左。上と見せかけて下。手と見せかけて足。両手を使った二連撃。やけっぱちの飛び蹴りその他諸々。

 全部こかされた。

 

「うわぁ!」

 

 もう何度目か分からないすっ転び。ニルヴェアの全身が再び地面に打ち付けられた。草原と柔らかい土が、その衝撃をある程度吸収してくれる……とはいえ、こうも何度も打ち付けられては、さすがにダメージも蓄積されてくるというものだ。

 じわりじわりと、全身の痛みが意識を侵食していく。薄暗い路地裏、石畳を転がされた痛みを、体が思い出す――

 

「くっ……そ!」

 

 気合で負けたら始まらない。

 ニルヴェアは弱気を振り払って立ち上った。すると泥に汚れた顔から、しかしその泥さえも洗い流さんとばかりにぼたぼたと汗がこぼれ落ちた。

 その一方で……レイズは全くの無傷無疲労だった。彼はつまらなさそうな目をニルヴェアに向けて、その上でつまらなさそうに吐き捨てる。

 

「目線も動きも騙す気しかない。いかにもなびっくり箱に引っかかる馬鹿がどこにいるんだ? 騙すんじゃなくて殺す気で来いよ。じゃなきゃフェイントとは言えねぇ」

「ぐっ……!」

 

 レイズの言葉が、態度が、全てがニルヴェアを苛つかせた。途方もない実力差を見せつけられた気がした。だから彼女はがむしゃらに叫ぶ。

 

「なんだよ……たまには殴ってこいよ! それとも女は殴れないか!? お前、そういうところ分かりやすいもんな!」

 

 苦し紛れの挑発は、しかしレイズの顔色ひとつ変えられなかった。むしろその事実こそが、ニルヴェアの琴線に触れてしまった。

 

「こんのっ……負けて、たまるかぁぁぁ!」

 

 ニルヴェアはただ無我夢中に殴りかかった。その策もなにもない愚直な拳に……しかし、あるいはだからこそか、初めてレイズは手を出してきた。

 スライムグローブの嵌った右手を静かに振りかざし、そして振りかぶる。

 

「っ!」

 

 ニルヴェアは反射的に目をつぶってしまった。

 その途端、むにりと柔らかい一撃が顔に入って、体がぐわっと弾き飛ばされた。思わず目を開けば視界からグローブが一気に遠ざかり、そのまま空を見上げて、

 

「かはっ!?」 

 

 背中にどんと衝撃が走った。勢い良く、まっすぐに背中を打ち付けたのだ。当然、ただ転ばされたときよりも痛い。

 

「ぐ……!」

 

 思わずうめきながら、それでもなんとか起き上がろうと、

 

「今、目ぇつぶったろ」

 

 いつの間にか、レイズが冷ややかに見降ろしていた。彼はニルヴェアの胴の上に跨っていたのだ。

 それに気づいた直後、今度は頬を殴られた。スライムグローブのおかげで殴られた箇所自体は痛くなかったが、しかし殴られた衝撃で頭を地面に打ちつけた。

 それでも、負けじと声を

 

「この、」

 

 上げる前に1発打ち込まれた。頭を打ちつけた。

 

 ――路地裏の闇が。

 

 2発目。

 

 ――与えられた痛みが。

 

 3発目。

 

 ――ただされるがままの無力感が。

 

 断続的なフラッシュバック。全身から一気に力が抜けていく。

 するといきなり両腕が絡めとられた。絡めとったのはレイズの両手だ。彼はニルヴェアの両腕を地面に押し付けると、そのまま左手でそれを押さえ、右手を再び振りかざす。

 

「や、やめ」

 

 ニルヴェアは懇願をする、暇もなく

 

「んんー!?」

 

 グローブによって口を塞がれた。なにもかも拘束された。

 逃げられない。叫べない!

 少女の瞳を涙が覆った。ぼやけた視界の向こうで、男がこちらを見下ろしている。

 

「怖いよな」

「っ!?!?」

「箱入りの坊ちゃまがいきなり女にされて、外の世界に連れ出されて、獣に襲われて、あげくの果てには男にさ……」

 

 つんと、鼻を突く匂いを嗅ぎとった。じめりと湿った空気を肌に感じた――ここはもう、昨日の路地裏だった。

 

「お前は俺よりずっと弱い。ここには助けだってこない。俺は今すぐにでも、お前を好きにできる」

(僕にはなにもできない。また)

 

 走馬灯のように脳裏を駆け抜ける。

 調子に乗って、

 叩き潰されて、

 犯されかけて、

 恐怖に怯えて、

 助けられて、

 

 なのに、拒絶してしまった。

 

(きっと、誰よりも優しいその手を)

 

 ――ぷつり。

 

 なにかが切れた、音がした。

 

 レイズがその異変に気づいたきっかけは、音であった。

 本当に微かにだが、なにかが聞こえた気がしたのだ。

 

(今、なにか)

 

 だからなんとなく視線を向けた。押さえつけていたニルヴェアの両手へと。そして見た。

 

「え」

 

 その光景が示す意味を、彼は一瞬理解できなかった。

 ――ニルヴェアの右手の五指が、左手の平と甲に食い込んでいる。

 そして五指の先に生えた爪が、左手の肉をぷちり、ぷちり。喰い込んだ先から、血がじわりと染み出して、

 

(自分で抉ってるのか!?)

 

 理解した瞬間、動揺してしまった。拘束を緩めてしまった。

 そして、そこが分かれ目となった。ここぞとばかりにニルヴェアの腕が思い切り振られたのだ。動揺により力の抜けていた拘束が、あっという間に外された。

 

「しまっ――」

 

 レイズは再び取り押さえようと、

 

「っ!」

 

 そのときレイズが後ろに飛び退いた理由は、おおよそ直感でしかなかった。しかしレイズが離れたその直後、ニルヴェアの全身がぐるっ! と回り始めた。

 

「バク転!?」

 

 レイズの眼前。ニルヴェアは地面に両手をつき、そのまま両足をぐわっと持ち上げて宙返り。1周回って両足を地面に着けて――勢い余って後ずさりながらも、しかしすんでのところで倒れず、堂々と仁王立ちを決めてみせた。その瞬間、ほどけた金の長髪が、ぶわりと波のように広がった。

 

「マジかよ……」

 

 レイズは呆然と呟き、そしてふと気がついた。視界にふわりと舞い降りてきた、1枚の羽根に。

 小さな水晶粒を埋め込まれた羽根は、太陽の光をきらきら弾きながらゆっくりと落ちていく。それはニルヴェアが昨日買った髪飾りであった。

 散々地面を転がった上にバク転の勢いも加わって、とうとう髪から外れてしまったらしい。

 

(綺麗だ)

 

 光を浴びながら落ちゆく白羽根にほんの一瞬見惚れて――「っ!?!?!?」鳥肌がぶわりと全身を波打った。

 白羽根の向こうに見えた少女の姿。蒼の双眼が、ぎらりと闘志を迸らせている。少女はなにひとつ、諦めていなかった。

 

「どいつも、こいつも、やりたい放題、しやがって」

(懲りるって言葉を知んねーのか、こいつは)

 

 レイズの頬をたった一筋、それでも確かに一筋の汗が伝った。その瞬間、

 

「ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルを、舐めるなぁ!!!」

 

 少女が吠えた。レイズの鼓膜がごうと震えた。

 それもそのはず。少女特有の甲高い声が大音量で響きわたれば、それはなによりもやかましく、尖っていて、びりびりと耳にこびりつくものだ。

 だから刻み込まれた震えは、いつまで経っても鼓膜から離れてくれなかった。だからレイズは、

 

「ふはっ」

 

 笑った。少年の顔に、確かな闘争心が宿った瞬間であった。

 

「だったら俺に示してみろよ。言葉だけならなんとでも言える。だから……」

 

 レイズは闘う者として、拳を構えて向き直る。

 

「お前の全部を賭けてこいよ。精々ぶっ倒れるまで付き合ってやるからさ!」

 

 

◇■◇

 

 

 この街の一角には、普通の住民なら誰もが近寄らないような廃墟群がある。

 そこは荒くれ者たちのボスが牛耳る一角でもあり、それはすなわちこの街に潜む裏社会の象徴――だった。今日、この日までは。

 

「た、助けてくれ、ぎゃー!」

「たかが木剣一本で俺たちがぐわー!」

 

 右から左に左から右に荒くれ者たちが宙を舞い、あるいは地面を転がり、いずれにせよ次々と倒されていく。

 廃墟群の中心にあり、ボスの根城でもあるその廃墟の中は、あるときなんの前触れもなく阿鼻叫喚の修羅場と化した。

 

「なんなんだお前ぇ! 俺たちになんの恨みがあるんだぁ!」

「誰かと聞かれれば通りすがりの侍でござる。恨みというなら、うちのツレに手を出したことだな」

 

 修羅場の原因はただひとつ。自称通りすがりの侍……もといアカツキが、構成員を次々と叩き潰しているのだ。しかもその得物は、下手すれば子供でも買えるような訓練用の木剣1本だというのだから、襲われた側からすればたまったものじゃない。

 

「は、早くこいつを殺せぇ! でないとてめえらを殺すぞ!」

 

 そう叫んだのは、この街の裏を牛耳るボス本人だった。しかし彼を護るのは、今や5人の部下のみであった。

 ……ちなみに最初は30人以上いたのだが、ほとんどアカツキに倒されたか、そうでなくとも怯えて逃げてしまっていた。

 だが残った5人は流石に忠誠心に厚いようで、誰1人その場から逃げることなく一斉にアカツキへと襲いかかってきた。前方から1人、左右から2人。だが、

 

「まずは一点へ突貫」

 

 アカツキはすでに踏み込み、その間合いを詰めていた。彼女はまず真正面の1人へと木剣を突き刺した。そのどてっ腹に剣を深々とめり込ませると、そのまま全身をぶん回して。

 

「次に円を描き、薙ぎ払う」

 

 木剣が、突き刺さった部下もろとも高速回転。左右の4人を纏めて巻き込み、ごうっとつむじ風を吹き散らす。

 風が止んだときには、5人ともすでに吹き飛ばされていた。

 それは、一筆書きで全てを薙ぎ払う抜刀剣術。

 

「『宵断流(よいだちりゅう)黄昏ノ型(たそがれのかた)・悪鬼散らし』。本来は魑魅魍魎に対する技なのだが……まぁこやつらも悪鬼のようなものだ。おおよそ誤差であろう」

 

 そう淡々と語ったアカツキの眼前では、室内に唯一残ったボスが腰を抜かしてへたり込んでいた。

 

「な、なんなんだ。なにが目的だてめぇ!?」

「そちらから問うてくれるとはありがたい。『金髪蒼眼の少女をとある筋に引き渡せば多額の報酬が貰える』その話の出所が知りたくてな。だからちょーっと街のゴロツキに尋ねてみれば、頭であるおぬしの命令だと言うではないか。だから直接訪ねに来たのだ……というわけで、これは誰の差し金だ? おぬしの背後にいるのは、金髪蒼眼の少女を真に狙っているのはおそらく神威なのだろう?」

「へ、へへ……そういうことかよ……」

 

 ボスは明らかに怯えていた。腰を抜かしたまま、冷たい床をずりずりと後ずさる……だがアカツキには見えていた。ボスの目からは、未だ敵意が消えていないことを。それでも彼女は黙ってボスを見守った。

 しかしボスは質問に答えることなく、やがて背後の壁に突き当たるまで後ずさりきって。

 

「知りたいなら教えてやるよ……その体になぁ!」

 

 そんな台詞と共に背後の壁を叩いた。正確には、壁と同化させていた押しボタンを叩いた、その直後。

 ドカンッ! 天井が派手に爆発して、アカツキの上からなにかが降ってくる。

 

「なるほど。天井の気配はそれか」

 

 アカツキは動揺することなく”それ”の着地点から飛び退いた。その1秒後、けたたましい音を響かせて、それは地面に降り立った。

 それは1つの檻だった。そしてその中には1匹の合成獣が、狼と竜の合いの子が閉じ込められていた。

 

「合成獣ということは、まぁハズレではない……か?」

 

 呑気に首をかしげたアカツキの眼前。落下の衝撃で檻はすでに開いていた。加えて、合成獣には口枷の1つも嵌められていない。

 すぐにその異常発達した四肢が動きだし、合成獣はのそりのそりと檻から出てくる。それでもアカツキは動じない。

 

(竜と狼の合いの子。神威製の中では最もポピュラーな商品だ、ということは……そこまで深く繋がっているわけではないのか?)

 

 アカツキは自身の経験と照らし合わせて考え込む。だが合成獣はアカツキの思考など待ってくれない。歪な口で一度大きく吠え猛り、そのまま一気に飛び掛かって――

 

「今、楽にしてやる」

 

 アカツキの手は、すでに木剣から離れていた。

 彼女はその身に纏うぼろ布の内側、愛刀の鞘に左手を、そして柄に右手を添えて。

 瞬きひとつ。

 

「――暁ノ一閃」

 

 かちん。小さく音を鳴らして刀を”納めた”。

 その瞬間、アカツキの”背後”で――合成獣の胴体が、真っ二つに断ち切られた。

 

『ギッ……!』

 

 悲鳴を上げる暇もなく絶命。落ちた2つの肉塊が地面を鳴らして、決着の合図を告げた。ずしん、ずしん、と重苦しい音が2度響いて……ボスが、間抜けな声を上げる。

 

「は……?」

 

 ボスはなにひとつ理解できていなかった。なにせ彼から見れば、アカツキはただ合成獣の隣を通りすがっただけに過ぎないのだから。

 しかし現に、切札だったはずの合成獣はもはやただの肉と化している。そしてそれを成した自称通りすがりの侍は、今ゆっくりと己の下へ迫ってきている。

 

「お……おおおおお!」

 

 ボスは慌てて立ち上がった。そう、立ち上がれたのだ。実のところ、へたり込んだ理由の半分は油断させるためのフリであった。

 なにせ街1つとはいえ、仮にも裏社会を牛耳る人間なのだ。ある程度の強かさは持っていて当然だろう……例えばこっそり秘密の逃げ道を準備してあるとか。

 

(こんなこともあろうかと、壁の隅には回転扉を隠してる! 1人入れば勝手に鍵がかかる特別仕様のな! しかも出口は地下の車庫! あとは車で逃げられれば――)

 

 ガラスの砕ける音がした。

 

「は?」

 

 がしゃがしゃと、破片が撒き散らされる音が続いた。ボスは何事か一瞬分からなかったが、しかし音の鳴った方を見てすぐに理解した。

 廃墟の壁に嵌められた窓を割って、何者かが飛びこんできていたのだ。

 

「こ、今度はなんだぁ!?」

 

 ボスの問いに対して、乱入者はすぐに答える。グラド大陸とそれを護る大盾――越境警護隊の紋章が描かれた手帳をかざしながら。

 

「僕は越境警護隊のブロードだ! 貴方たちには神威との共謀の疑いが――」

「うるせぇ、そこをどけ!」

 

 ブロードと名乗る男は隠し扉を埋め込んだ壁のすぐそばに、要するにとても邪魔な位置に立っている。

 だがそのブロードは、誰がどう見ても背後の自称侍よりも10倍ほど一般人な優男に見えた。ゆえにボスは躊躇わずに突進を仕掛ける。愛用のサーベルを腰の鞘から抜き放ち、叫ぶ。

 

「どかねぇとぶっ殺すぞ!!」

 

 そのドスの効いた怒号は裏社会で培った代物のひとつだ。大勢の部下を竦み上がらせる一声は、眼前のなよっとした優男に……これといって効かなかった。

 

「犯罪者には情けは無用。悪いけど、それが越境警護隊のモットーだからね」

 

 それどころか優男は、携行していた両手持ちの琥珀銃をすかさず構えて、弾丸を連射し始めたのだ。

 それは容赦なくボスの体に叩きこまれ、いくつもの火傷を負わせた……が。

 

「マシンガンか! だが真っ二つにされるよか百倍マシだ!」

 

 ボスの歩みは止まらなかった。体中を走る痛みに顔をしかめつつも、彼はついにブロードの眼前に辿り着く。それとほぼ同時にマシンガンの射撃が止まった。

 

「弾切れか!」

 

 思わぬチャンスにボスはニヤリと笑いながら、迷わずサーベルを振りかざし――ズドン! と大きな音がひとつ。

 すると、ボスの体がふらりと揺れて……仰向けに、倒れた。

 

「……ふぅ」

 

 ブロードは銃を降ろして、倒れているボスを見下ろした。ボスはぐりんと白目を剥いて、ぴくぴくと痙攣していた。

 どうやらちゃんと気絶しているらしい……と、横から声が投げかけられる。

 

「ほう、大した怪我を負わせずに気絶させるか」

 

 倒れたボスをしげしげと観察しながらそう言ったのはアカツキであった。

 彼女の言う通り、ボスは軽傷だった。まぁ彼の服の腹部分は焼き切れており、剥き出しの腹には琥珀銃特有の焦げ付いた銃痕が無数についていたりするのだが、しかし決して風穴などは空いていない。

 

「弾種の切り替え機構といい、器用な武器でござるな」

「仕事が仕事だからね。器用に越したことはないよ」

 

 ブロードの琥珀銃は、連射弾(マシンガン)収束弾(ショットガン)の二種類を切り替えて使える変弾銃(マルチプルガン)であった。その得物は持ち手の職業柄、殺害ではなく捕縛を目的として貫通力より衝撃力重視の設計をされている。

 そのショットガンモードを用いて気絶させたボスに対して、ブロードは手持ちの手錠をかけて拘束した。それからアカツキへと告げる。

 

「こいつらは街の自警団を通じて越警に引き渡すとして……ここさえ締め上げれば残ったゴロツキも下手に手を出さなくなるだろうし、ひとまずは安心かな」

「自警団に連絡は?」

「もうつけてある。じきに来るはずだよ」

「ならば拙者がここにいても仕方ないか。落ち合うのは一昨日と同じ酒場で……」

「あ、ちょっと待って」

「?」

 

 アカツキがきょとんとブロードを見ると、彼は少し困ったような表情を浮かべていた。

 

「昨日も聞いたけど……やっぱりまだ、ニルヴェア様を僕に預ける気はないんだよね」

 

 それは昨日のうちに2人で交わしていた話。そのリピートだった。

 ブロードは未だ納得いかないようであったが、アカツキもまた譲る気はなかった。

 

「ここを締めれば、少なくともこの街で襲われる心配はなくなる。ならばそれで良かろうて」

「だからこそ、預けるなら今のうちなんだよ」

 

 ブロードはそう言ってから、合成獣の死体へと目を向けた。自然界に存在しないその歪な生き物は、他ならぬ神威の手で造られた商品だ。これがあるということは、それすなわち大陸一の巨大犯罪組織『神威』と多かれ少なかれ繋がっているということを意味している。

 

「『金髪蒼眼の少女の噂』も含めて、どう考えても裏で神威が1枚噛んでいるはずだ。加えて言えば、これは君たちが会った『黒騎士』あるいはその背後の黒幕があらかじめ仕込んでいた予備プランでもあるはずだ。つまり敵は大組織かつ、本気でニルヴェア様をつけ狙ってるってことだ。だからあの人はこれからも危ない目に遭うかもしれない……昨日のように」

 

 2人はもう知っていた。昨日、ニルヴェアの身に振りかかった事件を。

 アカツキは昨晩、レイズの下へと赴いてそこら辺の情報交換をすでにしていたのだ。そしてブロードもまた、アカツキ経由でその話を聞いていた。だからこそ、彼は今このタイミングでこの話を切り出したわけだ……が。

 

「そのときはまたレイズに護らせるだけだ。それに……はっきりと言うが、今の越警に預けたところで100%安全とは言えぬはずだ。なにせそっちもだいぶきな臭い状況になっておるのだろう? だからこそおぬしもあくまで『越境警護隊』ではなく『ブロード』として、こうして個人的に”お願い”をしてきているわけだ」

 

 アカツキの瞳がブロードを見透かす。研ぎ澄まされた一閃のように鋭く静かな視線を受けて、ブロードの目がわずかにそれた。

 

「……ウチを信用してもらえないのは僕らの不徳だ。君の経緯を考えれば、なおさらしょうがないことだとも思う。だけど、それでも僕らの仕事は……」

「分かっておる。組織がどうであれおぬしは信用しているし、諸々を考慮したとてやはりおぬしに預けるのが1番安全なのだろう。今のニア殿は、戦をあまりにも知らなさ過ぎるしな」

「だったら!」

「だがなブロード。ニア殿の運命を決めるのは、やはり拙者たちではないと思うのだ」

 

 アカツキはまっすぐにブロードを見つめ、そして微笑んだ。

 だがそれと対照的に、ブロードは苦々しげな表情を浮かべている。

 

「……君は同情してるのか? ニルヴェア様に。彼女の生い立ちは少し――」

「違うと言っておろう。決めるのは我らでも、ましてやニア殿自身でもない」

 

 アカツキはブロードの言葉を遮って、断言する。

 

「それを決めるのはレイズ、我が弟子だ」

「……は?」

「ふふふ、実はおぬしに内緒にしていたことがひとつあってな?」

「は??」

 

 困惑するブロードの眼前、アカツキの表情はすでに変わっていた。ほのかな微笑みから、胡散臭いニヤつきへと。

 

「昨晩レイズと情報交換したついでに聞いたのだがな。なにがどうしてそうなったのか、あやつはニア殿と約束を結んだらしいのだ」

「約束……?」

「そう。ニア殿をこれからの旅に連れていくべきか、否か。それを測るためにひとつ試験を行うとな……おそらく今頃、その真っ最中なのであろうな」

 

 アカツキは目を細めて、割れた窓から差し込む太陽の光を楽しげに眺めていた。

 だがその一方で、ブロードの困惑はさらに深まっていた。

 

「いや試験って……相手は貴族様だろ? しかもブレイゼル本家ならともかく、分家は戦いが許されずほぼ軟禁状態とも聞いてるし。そんな子が、内容がなんであれ君たちナガレの言う試験とやらを突破できるとは思えないけど……」

 

 それは至極真っ当な意見であったが、それでもアカツキは逆に一層笑みを深めて。

 

「ふふふ。そうかもしれぬが、そうでないかもしれぬ。一度脱がしてみたのだが、中々悪くない体つきだったぞ? 色んな意味で」

「脱がしてみたって、君、立場とか、ていうか倫理的に……いや違う。今言うべきはそうじゃなくてだな……要はあれか。その試験の結果次第で、ニルヴェア様を僕に預けてくれる。そういうことでいいのかな」

「その通り! と、いうわけで……ニア殿がレイズの試験を突破するかどうかに、今夜の1杯でも賭けぬか?」

「はぁ?」

「拙者は当然、突破することに賭けるし、おぬしは……やはり突破できないことに賭けるのでござろう?」

 

 アカツキはそう決めこんだが、その予想に反してブロードはなにやら考えこむ様子を見せた。

 

「おや?」

 

 アカツキが首をかしげたその直後、ブロードはようやく口を開く、が。

 

「結局さ、君はなにを期待してるの?」

「妙な質問だな……『ニア殿が試験を突破すること』では不服か?」

「うーん。ちょっと言葉にしづらいんだけど、そうだな……たぶん、期待してる対象が違うんじゃない? いや、本当にニルヴェア様に期待してる部分もあるんだろうけどさ」

「と、いうと?」

「君の本命……それはあくまでも『レイズ君が、ニルヴェア様を認めること』。もっと具体的に言えばニルヴェア様をぶつけることで、レイズ君のなにかしらが変わることに期待してるんじゃない? まぁ僕はレイズ君と面識がないから、具体的にどうとまでは言えないけどさ」

 

 そんなブロードの推理に……アカツキは目を丸くして、驚きの表情を見せていた。

 

「お、珍しい顔。もしかしてわりといい線いってた?」

「ふっ、やはりおぬしは鋭いな。しかしそれは理屈による推察か? それとも単なる直感なのか?」

「推察4割、直感6割ぐらいかな。ほら、君は世話焼きだから弟子のこともずいぶんと気にかけてるんじゃないかなーっていう思い込みと、まーあとは適当に」

「世話焼きなぁ……そんな大したものではないよ。からかい甲斐のある少年に面白おかしくちょっかいをかけたい。そんな遊び心というやつだ」

「遊び心、ねぇ……」

 

 ブロードがなにやら考え始めた一方、アカツキは遠くから響いてくる音に気がついた。

 

「む、足音が近づいてきたな。おそらく自警団のものだな……話の続きはまたあとにするか」

「へ? 僕には何も聞こえないけど、どんな耳してるんだ君は……」

 

 呆れたブロードを尻目に、アカツキは割れた窓から逃げようと歩き始めた。だが、

 

「ちょっと待って、今決めた!」

「む?」

 

 アカツキが振り返ると、ブロードは楽しげな笑みを浮かべていた。

 

「僕も、試験を突破する方に賭けるよ」

「はぁ? それでは賭けにならぬぞ」

「それじゃ、お祝いで1杯奢ってやる。もちろん職業柄としては良くないし、僕としても預けてほしい気持ちは変わらないんだけど……それはそれとして、ね?」

「……まぁ奢って貰えるならなんでもよいが、しかしどういう風の吹き回しだ?」

「さーてね。それより早く行ったら?」

「なんだ、そういう意味深なのは拙者の特権だぞ……などと、さすがに言っている場合ではないか。ではまたあとでな」

 

 アカツキはひょいっと一跳び。それだけで窓を飛び越えて建物を抜けだした。

 その直後、ブロードの耳にも音が届いた。どたどたと床を踏むいくつもの足音が。

 

「うわ、本当に来たよ……」

 

 ブロードは侍の聴覚に顔を引きつらせて、しかしそれからそっと目を細めて懐かしんだ。それはすっかり思い出となった、いつかの出会いであった。

 

 ――なぜ僕を助けた! 僕はお前を捕まえようとしたんだぞ!? それにお前は主人殺しの大罪人じゃ……!

 ――誰よりも情と義に厚く、どんなときでも揺るがぬ信念を刃に込めて。それが姫様の望んだ侍でござる。ゆえに拙者はおぬしを助けた……姫様に仕えし正義の侍としてな

 

 アカツキが逃げた窓の外。そこから入り込む陽光に向かって、ブロードはそっと呟く。

 

「ほんと、いつだって世話焼きなんだからさ」



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2-10 食らいつく者と手を伸ばす者

 涼やかな緑の草原に、燃えるような茜色が少しずつ混じっていく。

 静かに暮れていく空の下、1人の少女が立っていた。しかし彼女は誰がどう見てもぼろぼろであった。

 少女の衣服は、地面を転がり過ぎたせいでところどころが擦り切れていた。その端正な顔や綺麗な髪だって今は土や草、そして擦り傷にまみれている。

 膝はがくがくと震えて、両腕も力なく垂れ下がり、時折げほげほとえづいていて、誰がどう見ても満身創痍であるが……それでも、彼女の蒼い瞳だけは爛々と輝いている。ただ一点だけを見つめている。

 その中心。

 そこに立つ少年――レイズは、未だに無傷であった。

 

「ぶっ倒れるまで付き合うって言ったのは俺だけどさ……」

 

 だが傷はなくとも疲労はかなり溜まっている。頬を伝ってぽたぽたと垂れている汗がその証拠であった。

 

「いい加減腹が減ってしゃあないんだ。それに避けるだけってのも、案外疲れる……」

 

 と、少女がいきなり口を開く。

 

「当てやすくなって、丁度いい」

「マジかよ……」

 

 レイズはその執念に呆れながらも、心中では冷静に算段を立てていた。

 

(あと一発小突いたら終わるな、確実に)

 

 その一方で少女――ニルヴェア自身も、それを自覚していた。

 

(体が、重い。なんで立ててるかも、分からない)

 

 なにをやってもかわされ続けて幾星霜、とまではいかないが……すでに数時間は経っている。しかも時折(スライムグローブ越しにだが)反撃だって受けていた。

 すでに全身の痛みも、体力も、そして心も限界ぎりぎりだった。あるいはもう、限界なんてとうに過ぎているのかもしれない。

 

(次動いたら、もう終わり。殴られても、避けられても、当たっても、当たらなくても、同じ……同じ?)

 

 もはや思考すら覚束ない脳味噌に、しかし一筋の閃きが走った。

 

(当たっても、当たらなくても、同じ)

 

 閃きの上からばちばちと閃きが交わり、重なる。

 

 ――格上狩り(ジャイアントキリング)

 

(格上。普通に戦っても勝てない相手。普通にやっても駄目なら、普通にやらなきゃいい。普通は喰らっちゃ駄目。なら今は喰らってもいい。喰らっても、喰らいつけば)

 

 思考が定まっていく。ただ、一点に。

 

「なにがなんでも、喰らいつく」

 

 ニルヴェアは踏みだして、そして駆けだした。それは誰がどう見ても最後の力を振り絞った、一度きりの特攻であった。

 一方それに相対するレイズは、舌打ちをひとつ。

 

「ちっ。まだ走れんのかよ」

 

 そして祈る。

 

(いい加減、倒れてくれよ)

 

 祈りながらも、しかしレイズは構えを解かなかった。満身創痍の身で迫ってくる少女に向けて、そっと呟く。

 

「ごめんな」

 

 そして、右の拳を振るった。

 スライムグローブに包まれた拳はいとも簡単に、ニルヴェアの顔面へと直撃した。あまりにもあっけなく、まるで吸い込まれたかのようにど真ん中へ――その瞬間、レイズが気づく。ニルヴェアの突撃、その真の意図に。

 

(そういう、ことか!)

 

 拳が当たったのと同時に、ニルヴェアの両腕がぐわっと伸びてきたのだ。

 つまるところ、玉砕覚悟のカウンター。ニルヴェアは、レイズが放ったパンチをあえて受けた上でその腕を掴もうとしたのだろう、が。

 

「っらぁ!」

 

 彼女の手が届くその前に、レイズの拳がさらに加速した。

 半ば倒れ込むように全身を捻りこみ、一気に拳を押しだす。すると拳は放物線を描くように、ニルヴェアの顔面を地面へと持っていく――ぐわんっと、ニルヴェアの全身が大きく波打った。

 レイズの拳が、ニルヴェアを地面に叩きつけたのだ。

 するとすぐに彼女の四肢は弛緩、大の字を描いてぐったりと倒れた。そしてそのままぴくりとも動かなくなった。

 レイズは息を荒げながらも、ニルヴェアの顔面にスライムグローブを押しつけたまま語りかける。

 

「はぁっ、はぁ……カウンター自体は悪いことじゃねーが、いくらなんでも無謀過ぎだ。だからこいつは授業代……って、聞こえてんのかこれ?」

 

 ニルヴェアは動かない。

 文字通りぶっ倒れるまで付き合って、ようやく決着がついたらしい。

 そう理解したレイズは、ニルヴェアの顔からグローブを引き抜こうと……

 

「ん?」

 

 グローブが、動かない。まるでなにかに固定されたかのように……ミチッ、ミチッ。

 

「!?」

 

 異変に気づいたその瞬間、ブチブチッ! なにかが引きちぎられていく。その異音の発生源はグローブの下に、

 

「まさか、こいつ」

 

 ぶちゅ! ニルヴェアの口元で、スライムの”中身”が突如飛びだした。粘性の高い液体がびちゃびちゃとこぼれて、彼女の顔面を盛大に汚していく。

 

「おわぁ!?」

 

 レイズは慌ててグローブから手を引っこ抜き、たたらを踏んで後ずさった。

 

「うーわ……マジかお前」

 

 レイズは顔を引きつらせた。その目の前で、ニルヴェアがゆっくりと起き上がってきた。すっかり中身を吐きだして萎んだスライムグローブを顔面に貼り付けたまま。

 やがて彼女が立ち上がった、と同時にグローブがべちょりと落ちて、粘液塗れの顔が露わになった。元々顔中が土で汚れていたところに粘液が混ざったことで泥と化し、もうぐちょぐちょのべちょべちょであった。

 

「ひっでぇ顔だな」

 

 レイズはついそんな感想を漏らしてしまった。だがニルヴェアはそれに一言も返さず、その代わりに「ぺっ」と口からスライムの皮を吐き出した。レイズは、心の底から呆れた。

 

「食用じゃねーんだぞ、それ」

「不味いなこれ。おかげで目が覚めた」

 

 蒼の眼光は未だ潰えず。

 真っ赤な夕焼けの下、顔中に滴るスライムの隙間から、ニルヴェアの双眸がレイズを睨みつけて離さない。

 

「武器は奪った」

「いや、べつにグローブは武器じゃ……」

「これがあれば何度でも殴れる。そういう前提だった。だったら、これがなきゃ、殴れないってことだろ」

「な……!」

 

 レイズは絶句した。絶句せざるをえなかった。

 なにせ、なんか知らんうちに勝手な前提を作られて、なんか知らんうちに勝手に喰い破られていたのだ。

 

(間違っちゃいねぇ。間違っちゃいねぇけどよ……)

 

 実際、中身がなんであれ女子を素手で殴るのは気が引けた。だからこそのグローブではあったのだが、それにしたって。

 

「馬鹿か。馬鹿だろ……」

 

 すると馬鹿が問答無用で1歩踏みこんできた。そして、宣言。

 

「勝負だ」

「っ……!」

 

 たった一言で、レイズの全身がぞわりと泡立った。彼は反射的に身構えて、

 

「……?」

 

 すぐに異変に気付いた。

 ニルヴェアが、動かない。

 レイズが気づいた直後、彼女の体はふらりと傾いた。

 そんでそのままうつ伏せに、どさっと倒れた。

 残されたレイズはただ呆然とした。

 ……………………やっと一言、呟く。

 

「馬鹿だ……」

 

 それからちょっと困ったように頭を掻いて。

 

(ま、ここら辺が潮時か)

 

 そう考えたあと、1歩を踏み出そうとして、

 

「あっ」

 

 気づいた。己の足が、1歩だけ後ずさっていたことに。

 

「ふはっ」

 

 レイズは笑った。それから歩き出した。未だぶっ倒れているニルヴェアの下へ。

 

「生きてっかー?」

 

 果たしてニルヴェアを見下ろせる位置までやってきたのだが、彼女からの返事はない。

 だからレイズは屈んで、両手を使って、ニルヴェアの体をごろんと転がしてみた。

 

「にゅあっ」

 

 ニルヴェアは変な声を出しながら、無抵抗のまま仰向けに寝転がった。

 彼女の顔を覗き込んでみれば、彼女の方もうっすらと目を開けてレイズを見ていた。しかし先ほどまで爛々と輝いていたはず眼光は、今やすっかりぼんやりしている。

 

「やーっと止まったよまったく……しっかしひでー顔してんなぁ」

 

 土とスライムが混ざった泥でぐちゃぐちゃになった、その上からさらに土や草が張り付いて、最早端正もくそもない。はずなのに、

 

「ほんとにひでーや……でも」

 

 なんとなく、ずっと眺めてしまうのは。

 

「なんだろうなぁ」

 

 レイズの頬がふわりと緩んだ。

 それは彼が間違いなく――油断した、証だった。

 ぺちん。

 頬に1発、なにかが触れた。

 

「え」

 

 レイズが自らの頬に視線を向けると、視界の隅でなにかが落ちていった。見下ろしてみれば、そこには泥にまみれた手がひとつ。ニルヴェアの手であった。

 だからニルヴェアの顔へと視線を向けた。するとニルヴェアは、にへらと笑って。

 

「ひっさつ、しんだふり」

 

 ――1発でも当てられたら認めてやるよ

 

 レイズは自分で言ったことを思い出した。

 

「は、ははは」

 

 思い出して、喉を震わせて、それから大きく口を開いて。

 

「は~~~~~~~~超! 疲れた!!」

 

 ニルヴェアの隣で、全身を大の字に広げてぶっ倒れたのであった。

 

「あーもう負けだ負け! 俺の負けだー!!」

 

 今日初めての大声を上げてみれば、なんだか胸の内がとてもすっきりとした。

 しかも見上げた大空は果てしなく、どこまでも透き通ったような茜色で。

 

「もうこんな時間かよ。ったくなにやってんだか……」

 

 全身がずっしり重く、しかしどこか心地の良い疲労感が満たしていった。

 

(くっそ疲れてんのに妙に清々しい。久々かもな、こういうの)

 

 ふと、そよ風が流れてきて草原を揺らした。レイズは体中の汗をゆっくりと冷やしてくれる心地良い風に身を任せて、空を眺める。

 

「まぁ我流の考え方なんだけどさ……格上に勝とうってんならまずは絶対諦めず、最後まで考え続けることが大前提になる。だって相手は普通じゃ勝てないんだ。どっかで諦めるくらいなら、最初から挑むなってことになる。そうだろ?」

 

 ニルヴェアがレイズの方へとゆっくり顔を向けた。一方のレイズは、まだ空を見上げながら語り続ける。

 

「細い勝機かもしれない。そもそもあるのかすらも怪しい。それでも全力で手繰り寄せて、ないなら無からでっち上げてでもまかり通す。そういう気概が必要で……お前は本当にでっち上げてみせた。馬鹿でも無茶でも、きっとまずはそこからなんだ」

 

 レイズは上半身だけを起こして、ニルヴェアへと顔を向けた。

 少女の蒼い瞳の中に、少年のニカッと明るい笑みが映りこむ。

 

「一発当てたら認めてやる。そういう約束だったよな」

「それじゃあ……もしかして……」

「合格だ。つーか、これで認めない方がかっこわりぃ……あ」

 

 レイズはひとつ、閃いた。

 

「かっこ悪く足掻いてでも、かっこ良く生きるのがナガレの流儀。お前、案外ナガレ向きかもな」

「ぁ……」

 

 少女の口がぽかんと開いて、なぜかそのまま固まった。

 

(……あれ?)

 

 レイズとしては褒めたつもりだったのだが、しかしニルヴェアの瞳は……じわじわと、潤っていった。さらにその潤いは夕焼けをきらりと反射して――すぐに大粒の涙となり、ぽろりとこぼれた。

 

「え!?」

 

 レイズがびっくりした。それを合図に少女の目からぽろ、ぽろぽろ、ぽろぽろぽろ。次から次へと涙が溢れて零れていく。

 しかし彼女の腕にはそれを拭う力すら残っていないようで、結局は四肢を大の字に広げたまま、くしゃりと顔を歪めて静かに泣き続けていた。

 

「も……もしかしてナガレに向いてるって、そんなに嫌だったか!? かなり忘れてたけど、そういや貴族だもんなお前!」

 

 しかしニルヴェアは首を横に振った。だからレイズは余計に分からなくなった。

 

「じゃ、じゃあどうしたんだよ……」

 

 問いかけてみれば、ニルヴェアの口がゆっくりと動いていく。

 泣きじゃくって、喉も詰まって、なにかをぐっと堪えて……それでもやっと、たったひとつ。本当に微かな声で。

 

「ありがとう」

 

 だけど、どんなに微かな声でも……届くべき所には、ちゃんと届いていた。

 その証拠に、レイズはぱくぱくと口を開け閉めしていた。なにかを言いたくて、だけど。

 

「あ……いや、えっと……べつに……」

 

 もにょもにょと。

 

「あー、礼とかいきなり……むしろ、こっちが、やりすぎっつうか……」

 

 もにょもにょと。

 

「いや、なんだ。お前も、その……」

 

 もにょもにょと、頭を掻いたり、あちこち視線をやったり、挙動不審を極めた挙句。

 

「ほんっと、お前といると調子が狂う!」

 

 ついにキレながら立ち上がった。それから堂々言い放つ。

 

「泣くな!」

 

 力強い一言と共にニルヴェアを見下ろして呼びかける。

 

「まだ始まったばっかだろ! これからの旅がどうなるのか、鍛える時間がどれだけあるのか。まだなにも分かんないけどさ……お前が諦めない限りは、こっちも全力で付き合ってやるから」

「……うん」

 

 ニルヴェアはまだ涙目だったが、しかしその瞳はしっかりとレイズを見据えていた。だからレイズも少し屈んで。

 

「早速ひとつ目の特訓だ。限界超えてもあと1回だけ踏ん張る練習。泣きたいなら立ち上がったあとで好きに泣けばいいから、今はしっかり立ち上がれ!」

 

 レイズはそう言ってから、ニルヴェアに手を差しのべて――脳裏を過ぎった。路地裏で、差しのべた手を拒絶された記憶が。

 

「……!」

 

 レイズはすぐに手を引っこめようとした。が、むしろいきなり引っ張られた。

 小さくぼろぼろな少女の手が、それでもぐっと力を振り絞って、レイズの手を握り返したのだ。

 繋いだ手と手の温もりに、気持ちが少しだけほころんだ。

 

「……ほんと、ろくでもねーやつだな」



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2-11 姫様の侍と夜空の向こう

 黒色の空にぽっかりと大きな月が輝いている。そしてその真っ白な輝きを取り囲むように、小さな星がいくつも散らばっていた。

 無限の夜天を、無数に彩る光の粒。その並びは……ニルヴェアにとって、間違いなく見覚えのあるものだった。狭いバルコニーから、何度も見上げた広い空。

 

「ブレイゼル領の夜空は見慣れている……はずなんだけどな」

 

 ニルヴェアはキャンプ場の草原に座り込んで、ぼんやりと空を見上げている最中だった。

 汗と泥と草とスライムはすでに洗い落としていて、今は2着目のTシャツとズボンに着替えてさっぱりしていた。試験の途中で落ちた羽根飾りもすでに付け直しており、今は風に吹かれて優しく揺れている。

 穏やかな時間がゆっくりと、静かに流れていく……ふと、ニルヴェアは呟く。

 

「不思議だな。屋敷で見ていたよりもずっと綺麗な気がする」

「くく、懐かしい。姫様も同じようなことを仰っておったな」

「!」

 

 いきなり背後から聞こえた声。すぐにそちらへと顔を向けてみれば、目の前にはアカツキが立っていた……のだが。

 

「あ、ぼろ布脱いでる」

「洗えるときに洗ってやらねばな。拙者はこう見えて綺麗好きなのだ」

 

 今のアカツキは(普段はぼろ布の下に着ている)古びた着物姿であった。

 足首まで覆うスカート状の下衣が目を惹くその着物はブレイゼルではほとんど見ない、リョウラン領独特の代物である。しかしニルヴェアはそれに見覚えがあった。

 

「その服ってたしか侍が鍛錬に使う……剣道着って言うんでしたっけ?」

「お、よく知っておるな。ふむ……やはりニア殿はリョウラン文化に造詣が深いと見える」

「あはは、そこまでじゃないですよ。兄上のまねっこというか影響というか……って、そういえばレイズとはもういいんですか?」

 

 ニルヴェアはそこで思い出した――たしかアカツキとレイズは少し離れたところで、今日1日の情報交換をしていたはずなのだと。

 そのとき、ニルヴェアは試験の疲労が溜まりに溜まって頭がぼんやり状態だったので、話には参加せずこうして離れた場所で休憩を貰っていた。

 という経緯だったが……しかしアカツキはあっさりと返事を返す。ニルヴェアの隣に腰を下ろしながら。

 

「あやつには晩飯の支度を任せてある。あとはニア殿も交えて、晩飯ついでに話すつもりだ。だから今は、単に拙者がニア殿と喋りたくて来たわけだな。隣いいでござるか?」

「座ってから言うんですか。べつにいいですけど」

(わがままなんだか気遣い屋なんだか、相変わらず分からない人だなぁ)

 

 ニルヴェアは苦笑しつつも、「そういえば」とひとつ気づいた。

 

「アカツキさんとこうして1対1で話すのは初めてですね」

「うむ。レイズとは1対1でなにやらお楽しみだったようでござるが……」

「なんですかその言い方……」

「くくっ。実際のところ、楽しかったでござるか? この2日間は」

 

 ニルヴェアはそう問われた途端、まるで呆れたような表情をみせた。

 

「そのあたりはレイズから聞いたんでしょう? もうほんっとーに大変で……」

 

 実際、ニルヴェアは呆れていた。しかしその対象は他でもない、

 

「――楽しかった、って言えちゃうんですよね。自分でもちょっとどうかと思うんですけど」

 

 などと苦笑交じりに言ってみせたニルヴェア。しかしその答えを聞いて……アカツキはけらけらと、とても愉快そうに笑った。

 

「良いではないか! こんな世の中だ、気骨が太いに越したことはない……しかしそうだな。おぬしはやはり、どこか姫様に似ておるのかもな」

「姫様……?」

 

 アカツキが誰を指してそう呼んだのか、ニルヴェアには分からなかった。しかし侍を名乗る人間が、どういう立場の人間を指してそう呼ぶのかは知っていた。

 

「えっと、もしやアカツキさんにも仕えている主≪あるじ≫が……?」

 

 その言葉を待っていた。そう言わんばかりに侍はニッと笑い、そして高らかに声を張り上げる。

 

「ならば語って進ぜよう、拙者と姫様との馴れ初めを! 潰れかけた道場に取り残された一人娘が、かのリョウラン領主の三女に見初められて共に歩んだそのドラマをな!」

「おお……!」

 

 ニルヴェアはなんだかワクワクして、小さくぱちぱちと拍手を送った。アカツキはそれを受けて満足したような表情を見せて、それから改めて口を開く。

 

「九都市条約の加盟都市のひとつで、リョウラン領の中心でもある『桜の都』。拙者はその郊外にあった貧乏道場の産まれでな……」

 

 そうしてアカツキは語っていく。

 彼女の母は元々病弱な体であるにもかかわらず、跡継ぎを遺すためにアカツキを産み、それが原因で体を壊して亡くなってしまったこと。

 さらに父は父で、時代と共に廃れていく道場を子供1人抱えながらむりやり支えていく生活に、その体を少しずつ蝕まれていったこと……。

 

「しかし拙者が父の病魔を知ったのは、拙者が『宵断流』……我らが道場の流派。その全てを受け継いだあとだった。父は宵断流の伝授にその命の全てを賭けておったようでな。厳しい修行の果て、拙者はついに宵断流の極意である『暁ノ一閃』を会得したのだが……それを機に父は堰を切ったように衰弱していき、そしてあっという間に逝ってしまったのだ」

「…………」

 

 ニルヴェアは、ただただ唖然としていた。

 

(こ、これ、気楽に聞いていい話なのか……!?)

 

 しかし当のアカツキはあっけらかんとしていた。むしろその語り口調はどこか楽しそうでさえあって。

 

「母は笑って逝ったと聞いた。父も拙者が見守る中、満足した顔で眠りについた。きっと2人は自らの信じるなにかに殉じられたのだ。それがなんなのか当人以外には分からないのだろうが……しかし、殉じられたのならそれで良い。拙者はそう信じている……とはいえ、誰が何人死のうと世界は続いていくわけだし拙者も生きねばならぬわけだ。せっかく母と父が命を賭けてこの体を産み落とし、技まで授けてくれたのだ。なのにすぐ後を追うなどと、さすがに勿体ないでござろう?」

「は、はぁ……」

 

 ニルヴェアは正直、ちょっとした気まずさを感じていた。一方でアカツキは軽々と語っていく。

 

「しかし生きるとは厳しいものでな……両親を失い、道場の門下生だってもう途絶えて久しい。その上当時16歳だった拙者は、修行に明け暮れた日々のせいで剣を振るうことしか知らなかったのだ。数少ない遺産を食いつぶしながら途方に暮れて、それでもがらんどうの道場で剣を振るい続けることしかできず……しかしそんな拙者を見初めてくれたのが、姫様――リョウラン領主の三女であらせられた」

「お、ついに姫様が出てくるんですね!」

「うむ。姫様は三女というその生まれゆえに、将来的には政略結婚のため嫁に出される運命が待っておったのだ。しかし!」

 

 アカツキはそこでいきなり声を荒げた。まるで舞台役者がごとく身振り手振りまでぶわっと加えて!

 

「当時12歳だった姫様はその小さな体に、しかしとても大きな野望を抱えていたのだ!」

「なんだか話が大きくなってきましたね! その野望とは!?」

「ふふふ、その野望とは!」

 

 アカツキは溜めて、溜めて、溜めに溜めて――!

 

「ま、それは置いといて少し歴史の授業でもするとしようか」

「もう! 貴方ってそういう人ですよね本当に!」

 

 そのツッコミは肩透かしが綺麗に決まった証。アカツキはそれに満足したように頷いて、それから宣言通りに話題を変える。

 

「まぁまぁ。なにを語るにせよ前提というのはしっかり共有すべきであろう? 特に姫様の野望というのは、リョウランがまだ国であった時代。九都市条約の前身である十都市条約が結ばれる、さらにその前まで遡るのだ」

「それはまた随分と……えっと、ダマスティの離反から九都市条約になったのがおよそ7年前。で、十都市条約そのものが結ばれたのが確か……30年前でしたっけ?」

「そうそう。その30年よりもっと前、リョウラン”国”内では王を目指すいくつもの軍勢が日々争いを繰り広げていた。そこに加えて国内には古くから『魑魅魍魎』なる化物が跳梁跋扈していた……らしい。とにもかくにも当時は戦の絶えぬ時代だったようだが、やがて今の領主に連なる血筋が国を平定。その勢いで魑魅魍魎も絶滅寸前まで追い込み、ほどなくして結ばれた十都市条約にリョウランも乗っかった……というのがいわゆる『戦国時代』。その一連の経緯となるな」

「なるほど。それで当時の戦や伝説が、『戦国絵巻』や『歌舞伎』として今でも受け継がれているんですね!」

「うむ。そんなわけでリョウランはようやく平和への道を歩み始めた。よその領やその文化などと交わりながらな。無論、それ自体は喜ばしいことだったのだが……しかしそこには弊害もあった。戦がなくなり外の文化が流入してくる中で……戦国の時代が、技が、そして魂ですらも過去の遺物として廃れていったのだ。ゆえに姫様は常々仰られていた。『この世に楔を打ちたい』とな」

「く、楔?」

 

 再び話に現れた姫様は、なんだかずいぶんと物騒な単語を引っ提げてきていた。

 ニルヴェアがそれに目を丸くしたのを見てアカツキはニヤリと笑い、そして声高にこう言った。

 

「『あなたこそ、真の侍に相応しい器だわ!』 ……姫様は開口一番にそう仰られたのだ。もう拙者しかいない道場にいきなり飛び込んできて、な」

「な……なんか、その時点で只者じゃないことだけは分かっちゃいますね!」

「だろう? しかも姫様は続けて語ったのだ。『今の侍の剣術は誰もが見栄えばかり追いかけて、中身が空っぽ』なのだとな」

「とても12歳とは思えない発言ですね……」

「とんでもない大言だろう? だが実際、そう的外れでもないのだ。条約をきっかけに流入した数多の異文化や技術……その中でもとりわけ戦闘に関するそれはリョウラン独自の戦法を大きく塗り潰してきた。例えば弓や刀……リョウランの主戦力は基本的に”それを扱う高度かつ専用的な技術”によって支えられている。だがそれらはもっと便利かつ手軽、汎用性も高い”銃”などにシェアを奪われた。そうでなくとも条約によって大陸全土が昔よりだいぶ平和になり、武器を取る必要性自体も大幅に減ったのだ。ゆえにそういった過去の遺物の価値は、歌舞伎などの娯楽物に集約されていく……これがどういうことか、ニア殿には分かるかな?」

 

 突然そう問われたニルヴェアは少し驚いて、しかしすぐにピンと来て答えた。

 

「歌舞伎って要は戦国絵巻の演劇版ですよね? 兄上が以前に語っていました。『演劇における”魅せる剣術”というのもあれはあれで卓越した技術だが、しかしやはり”戦う剣術”とは趣が異なる』って。その戦う剣術が必要のない世の中なら、魅せる剣術だけが流行ってくるのも必然……あ。もしかして、アカツキさんの道場が廃れてしまったのもそういう……」

 

 ニルヴェアの頭の中でぱちぱちと、発想が繋がり嵌っていく。

 

「そうなると……姫様が求めた『真の侍』というのはその戦う剣術を、過去の遺物を未だに受け継いでいる侍のことだった……?」

「うむ。見事な推理だ!」

 

 アカツキは大げさに頷いて、それから夜空を指差した。あるいは星よりも遠き、遥か彼方を。

 

「すなわち姫様の野望とは、この平和に甘んじた温い剣術を駆逐し、真なる剣術の素晴らしさをリョウラン中……いや大陸中に見せつけることで、『真の侍』なる概念を再び蘇らせることにあったのだー!」

 

 ドンドンパフパフー! ……なんてファンファーレが鳴ってもおかしくない、それぐらいに勢いのある宣言を夜空に向かって打ち上げたアカツキだった、が。

 しかしニルヴェアの頭の中には、素直な疑問がひとつ浮かんでいた。

 

「あの、そのわりにはアカツキさんってすごい演技がかっていますよね、なんか色々。いや僕は良いと思うんですけど。でも戦う剣術とか、質実剛健みたいなのとはちょっとイメージが……」

「えー、拙者そんなふざけているように見えるでござるか?」

「はい」

「いやいやこれでも真面目なりに日々頑張ってふざけようとしているんでござるよマジで。てかそもそも姫様は、歌舞伎も戦国絵巻も大好きでござったしな」

「えっ。でもそれこそ姫様的に『温い剣術』というやつなのでは……」

「本人いわくそれはそれ、これはこれなのだと」

「え~……?」

「むしろな? 今の拙者の立ち振る舞いは全部姫様に叩きこまれたものなのだぞ? 『真の侍は見た目から』なんて方針で、いつでもどこでも『姫様が考えた侍らしい立ち振る舞い』なるものを強制されたのだ。あれはともすれば父上の修行よりも厳しい修行でござったな、色んな意味で!」

「あはは……まぁでも兄上だって見栄えは気にするし、真の侍っていうのを世界に見せつけるのが目的ならそういうのも分かる……のかも?」

 

 ニルヴェアは半分納得、半分疑問の心地で首をかしげた。そしてそんな彼女を見て、アカツキはふふっと笑った。

 

「やはり似ておるな……ニア殿、実は姫様もおぬしに負けず劣らず腕白だったのだぞ?」

「えっ……僕、そんな腕白に見えます?」

「将来のため過保護に育てられていたのに、城を勝手に抜け出すなんて日常茶飯事でな。拙者という護衛がいるからって危ない場所にも平気で足を踏み入れてしまうのだ」

「あの、僕そんなに腕白……腕白なのかなぁ……」

「しかも拙者だってわりと世間知らずだったから、結局は2人一緒にあの手この手で苦労してな……その度に一緒に新しいことを覚えて、一緒に世界を拡げていったのだ」

「アカツキ、さん……?」

 

 ニルヴェアの眼前。アカツキの表情は、いつの間にか静かな微笑みに変わっていた。

 

「剣を振ることしか知らなかった”私”に、姫様はたくさんのことを教えてくれた。姫様に振り回される日々は私にとってあまりに目まぐるしくて、恥ずかしくて、怖いこともたくさんあって……それでも、楽しかったのだ。新しい日々の中で私は変わっていく。そうすれば物の見方も変わる。もっと新しい景色が見えるようになる。そうして感じた想いや気づいた世界を私が語れば、姫様は本当に楽しそうに聞いてくれたのだ」

「……素敵な、姫様だったんですね」

 

 アカツキは静かに頷いた。

 

「あの人の笑顔をもっと見たい。あの人の理想に誰よりも近づきたい。だから私は”拙者”になった。今の拙者を創ってくださったのは、姫様なのだ」

 

 アカツキは夜空を見上げた。星より遠き、遥か彼方をじっと見つめて。

 

「拙者はあの日々を絶対に忘れない。命より大事な、かけがえのない思い出だ」

 

 ニルヴェアは、なにも言えなかった。

 

(アカツキさん、あなたは……)

 

 痛みがぎゅうっと、その胸を締めつけていたから。

 

 ――ざっくり言えば”仇討ち”というやつだ

 

(旅客民は旅を続けることで大陸全体に奉仕している。だから”誰か1人に仕える”ということは決してできない。それでもアカツキさんが旅客民という道を選んだのは、きっと……)

 

 そこでふと脳裏に過ぎったのは、自分と似て非なる少年の背中であった。

 

(きっとレイズにも)

 

 ――譲れない物があるならなにがなんでもまかり通す。それがナガレの流儀ってもんだ

 

(あるんだろうな。旅をする理由が……)

 

 ニルヴェアの思考が、ゆっくりと沈んでいって。

 

「さて、次はニア殿の番でござるよ!」

「うひぃ!?」

 

 いきなりアカツキに話しかけられたことで、肩をびっくり震わせてしまった。

 

「ニア殿?」

「いえ、いえいえなんでもないんです」

「ふむ。そんなつもりもなかったが、考え込ませてしまったか?」

「あ、あはは……」

(レイズのことを考えていた、とはちょっと言えないかな……)

「まぁとにかく拙者は腹を割って己のことを話したのだ。ならばニア殿も包み隠さず話すべきではないか? 具体的にはレイズのことを」

「うぇ!?」

 

 ニルヴェアの心臓がドクンと飛び跳ねた。なにせついさっき、そのレイズのことを考えてたのだから。

 

「おや。その反応、確実になにかあるな! 当ててやろうか?」

「な、なんですかいきなり」

 

 アカツキの眼光が鋭く光った。彼女はニルヴェアの動揺を瞳に捉えて、畳みかけるように突きつける。

 

「ずばり! その髪飾り、レイズに買ってもらったのではないか?」

 

 …………。

 

「へ?」

「む、違うのか? レイズにこの話を振ったらえらく動揺しておったのでな。てっきりそういうことかと」

「あ……あー、そういうこと……」

 

 ニルヴェアはおおよそ悟った。

 

(要するにこの人は”勘違い”しているわけか。まぁでも……)

 

 ニルヴェアはくすりと笑った。この髪飾りを初めて着けたときの、レイズの表情を思い出しながら。

 

「完全に的外れってわけでもないのかも。これを着けたらあいつが照れた。だから買ったんですよ、これ」

 

 途端、アカツキの目がまん丸になった。このときの彼女は今までにないくらい分かりやすく驚いていたのだが、しかしニルヴェアはそれに気づかず楽しそうに語っていく。

 

「あいつ、意外と女子への免疫がないんですよね。中身が僕だっていうのにあんなに照れちゃって……変なやつですよね。普段は見た目より大人びているのに、たまに年相応になる……うわっなんですかその顔」

 

 びっくりしていたアカツキに、ニルヴェアもようやく気づいてびっくりした。その直後、アカツキは静かに右腕を上げた。手を胸の辺りへすぅっと持っていき、ぐっと拳を握って一言。

 

「類稀なる才がある」

「あの、変な勘違いされる前に言っておきますけど……僕は男ですよ? 照れるあいつをからかうのは確かに楽しかったです。でもそれは……そう。言うなれば対抗心というやつですよ」

「たいこうしん」

「そりゃ対抗しちゃいますよ。だってあいつは僕と同い年のくせしてあんなに強いし、自分の生き方に信念だって持っているんだ……」

 

 ニルヴェアはそこで言葉を一旦切ると、アカツキの方へとちょっと体を寄せた。それから小声でそっと言う。

 

「あいつに認められた。それだけで僕は泣いてしまったんです」

 

 その瞬間、アカツキの表情が変わった。その顔から”おふざけ”がすっと消えた。

 アカツキはただ静かに、ニルヴェアの話へと耳を傾ける。

 

「兄上のように、誰よりも強くてかっこいい武人になりたい。それが僕の夢で、だけど僕なんかよりもその夢にず~~~っと近いやつが僕のことを認めてくれたんですよ!」

 

 ――かっこ悪く足掻いてでもかっこ良く生きるのがナガレの流儀。お前、案外ナガレ向きかもな

 

「初めてだったんです。ただ無我夢中で勝ちを欲したのも、その想いを認めてもらえたのも……その初めてが、レイズで良かった」

 

 そうして語り終えたニルヴェアは、最後に一言付け加える。少し恥ずかしそうに頬を赤く染めながら。

 

「これ、本当は秘密なんですよ? 貴方の昔話の分、特別に教えてあげただけで……いいですか、だから絶対に漏らさないでくださいよ。特にレイズにはぜっっったいに!」

「ふっ、もちろんだ。しかしこれは予想以上というか……」

「はぇ?」

 

 ニルヴェアは首をかしげたが、しかしアカツキはしばらく考えこんで……やがてその真面目な雰囲気のまま、ニルヴェアへと向き直る。

 

「ニア殿。我が弟子の行った試験についてはあやつ自身からある程度聞き及んでおる。最終的に、本当に1発だけ当てたこともな」

「は、はい。まぁ当てたと胸を張って言えるかは怪しいですけど……」

「全くもってその通りだ」

「んなっ!」

「満身創痍の末、やっと1発。それも実戦においては1発とすら言えないようなもの……おぬしはそれで満足なのか? 所詮は試験という名のスタートラインを踏んだだけに過ぎない。だというのになにかやりきった気になってはおらぬか?」

 

 アカツキの眼光が鋭い一閃のように煌めき、ニルヴェアを斬りつけた。図星を突かれた彼女は思わず「うぐっ」と目をそらしてしまう。

 

「い、いいじゃないですか今ぐらい、少しは浮かれたって……」

 

 そんな甘えを、アカツキはすぱっと切り捨てる。

 

「浮かれたときほど足下を掬われる。未熟者ならばなおさらだ。決して目の前の勝利で慢心せず、ただひたすらに高みに上り続けることこそ武を極める唯一の近道……おぬしが尊敬している兄上もまた『大陸最強の剣帝』と呼ばれる身。なればきっと同じようなことを述べるであろう」

「う。兄上を出すのはずるい……」

「厳しいことを言うようだが、もっと強くならねばこの先の戦いにはついてこれぬぞ。そして拙者の見立てでは、ニア殿がまず鍛えるべきは”技”でござるな」

「技!? というと、アカツキさんの居合切り……『暁ノ一閃』でしたっけ。もしや、ああいう感じの……!」

 

 ニルヴェアが食いついたその瞬間、アカツキはニヤリと笑った――なぜなら侍の一閃は、決して好機を逃さないのだから。

 

「そう。いわゆる必殺技を、拙者はおぬしに伝授しようと考えておる」

「必殺技!?」

「それもレイズに勝てる……否、必勝できるほどの超絶な破壊力を誇るものだ!」

「レイズに必勝!?」

 

 ニルヴェアは興奮のあまり思わず立ち上がってしまった。それをアカツキはにんまりと眺めて、それからさらに声高く。

 

「うむ。曲がりなりにもレイズの試験に打ち勝った今のおぬしならばこの技も使いこなせよう。というかこの必殺技はおそらく、おぬしにしか扱えぬ!」

「ぼ、僕だけにしか……!」

「まぁとりあえず座ってくれ。この必殺技自体は今すぐにでも口伝で伝えられるものであるゆえ……もちろん、使いこなせるかはニア殿次第だがな」

「は、はい!」

 

 ニルヴェアは慌ててアカツキの隣にしゃがみこんだ。

 するとアカツキはニルヴェアの耳にそっと口を近づけて囁く。いかにも内緒話っぽい雰囲気を醸しだして。

 

「おぬしもぼちぼち分かっているとは思うが、レイズの良きところはああ見えて”擦れていない”ところだ」

「はぁ……」

 

 必殺技の伝授というには妙な出だし。ニルヴェアがそれを訝しむその一方で。

 

「しかもあやつはおよそ2、3年ほど前からずっと1人旅を続けてきたのだ。仕事としての付き合いならともかく、プライベートにおいて女子への免疫はおそらく皆無と言っても良い。あやつ自身が自覚しているであろう以上にな」

「は……はぁ……?」

「要するに強烈な一撃をかましてやれば、それだけで防御(ガード)ごとぶち殺せるはずなのだ」

「あの、なんか話が」

「思春期の男子をぶち殺す必殺技はただ1つ!」

 

 アカツキは有無を言わさず、それを伝授し(押しつけ)てきた。

 

「――可愛い女の子の、接吻《せっぷん》でござるよ」

 

 ……………………接吻(キス)

 ニルヴェアの脳裏に、なんか過ぎった。

 

「ふ、ふ、ふ」

 

 瞬間、心と顔が真っ赤に染まった。

 

「ふざけんなー!!!!」

 

 その場でぐわっと立ち上がりながら叫んだ。だがしかし、アカツキの表情はすっかりおふざけ全開で。

 

「いやいやマジも大マジでござるよぉ。これぞ正しく殺し文句!」

「そんなので! 得た勝利に! なんの価値があるんですか! むりむり絶対むり男となんてましてやレイズとなんて」

「俺がどうかしたか?」

 

 その声は背後から聞こえた。ニルヴェアがついそちらへと振り向けば、そこには噂の少年が1人。

 

「オアーーーーーー!!」

「ウワーーーーーーー!?」

 

 反射的に全力で突き飛ばしてしまった。レイズはものの見事にひっくり返った。

 

「あ、ごめん!」

「なんだいきなり!? こちとらさっきまで夜飯作ってたんだぞお前の分の飯抜くぞこの野郎!」

 

 レイズは立ち上がりながら当然文句を吹っかけてきたわけだが……しかしニルヴェアとしては、キスがどうとかなんて絶対言えないわけで。よって彼女が最終的に絞りだした一言は。

 

「全部、アカツキさんが悪い……」

「なるほどな」

「おっと我が弟子?」

「弟子じゃねぇ」

 

 レイズの元気が秒で消えた。露骨に呆れて、投げやりに告げる。

 

「ったくアホなことしてないで早く戻って来いよ。せっかくの飯が冷めたらどうすんだ」

 

 レイズはそれだけ言い残すと、アカツキたちに背を向けて歩いていってしまった。しかしアカツキはその場を動かず、レイズの背を見送りながら言う。

 

「やるなニア殿。数年来の付き合いである拙者を差し置いて信頼を得るとは」

「いや貴方と数年付き合っていたからこその対応でしょあれ。僕ですら分かりますよ」

 

 ニルヴェアもまたアカツキに呆れながら、レイズに続いてその場を去ろうと歩き出した。が、

 

「レイズを頼んだぞ、ニア殿」

 

 ニルヴェアの足がぴたっと止まった。

 

「頼んだっていきなりなにを……」

(まーた、からかってきている……わけじゃない?)

 

 ニルヴェアにはアカツキの意図が読めなかった。なにせ、からかっていると決めつけるには、あまりにも静かな声音だったから。

 

「アカツキさん」

 

 ニルヴェアがアカツキへと振り返れば、彼女もすでに立ち上がり、そしてまっすぐにニルヴェアを見返していていた。

 

「あやつの”道”は、たった15の少年が背負うにはとても酷な物だ。しかしそのくせしてあやつは妙なまでに擦れていない……いや、擦れることができないのだろう」

「どういう、ことですか?」

「人の根幹というのは中々に度し難いものだ。たったひとつの出会い、たった一言で全てがひっくり返りうるほどに脆く移ろいやすい。そのくせして、環境に押し流されれば楽になれるのにどうしたって変われないこともある……いつまで経っても優し過ぎるのだ、我が弟子は」

「……!」

(そうだ、あいつはずっと……)

 

 ニルヴェアはまだ、なにも知らない。

 アカツキが危惧しているなにかも、レイズの旅路も、彼が抱えている想いも。だけど、それでも。

 

「……あるんですか。僕なんかでも、できることが」

 

 アカツキはその問いに応えた。頷く代わりに瞳を閉じて、そして再び開けてから。

 

「前から思っていたのだ。あやつには友が必要なのだと……それも、あやつに負けないくらいに意固地なやつがな」

「!」

「飄々としているようで実は純粋。そのくせして微妙に秘密主義。それがレイズという男だ。ガツンと強烈にかまさねば、ガードのひとつも破れんぞ?」

「なんですかそのしょうもない挑発。何度も言いますけど、キスとかそういうのは期待するだけ無駄ですからね! ま、でも……」

 

 瞬間、ニルヴェアは笑顔を見せた。それは鋭く逞しい、挑戦的な笑みであった。

 

「あいつのガードをぶち破る。それはとっても楽しそうですね!」

 

 そして、ニルヴェアは今度こそ歩き始めた。夜飯を作って待っているレイズの下へ、意気揚々と。

 

 ……しかしアカツキはまだその場を動かない。去っていくニルヴェアを見送って、

 

「ひとつの出会いが全てを変えることもある」

 

 楽しげに揺れている少女の背へと、優しく言葉を投げかける。

 

「ニア殿。おぬしは確かにまだ未熟だが、そこから産まれる強さもあるはずだ……それこそ、姫様のようにな。だからその高潔な性根を貫け。己の信じる刃を研ぎ澄ませ。おぬしの剣はきっと、鈍らなどではないのだ……」

 

 ――だからいつか、その一振りで断ち切ってくれ。我が弟子を縛るしがらみを。



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2-12 緑のご飯と蒼の決意

(やたらめったらに緑だ……)

 

 それが、目の前に並んだ料理に対するニルヴェアの感想であった。

 鳥の焼き物は緑色のタレと絡めてあるし、野菜炒めも全体的に緑多め。スープに至っては緑色の中により深い緑の草が細切れで入れられているようだ。

 ニルヴェアは鼻を近づけて料理全体の匂いを嗅いでみた。すると鼻の奥まですぅっと抜ける清涼感をいの一番に感じた。それはそこまで不快な感覚でもない……のだが。

 

「なんか、薬草っぽいな」

「ぽいんじゃなくて薬草だっつーの。正確には香草とかもあるけど」

 

 そう言ったのはレイズだった。彼は今机の上に3人分、お手製の料理を並べている真っ最中だ。

 草原の上にシートを敷いて、その上にテーブルを乗っけて、そんで料理をお出しして。そんな準備を慣れた手つきで進めながら、レイズは口を尖らせる。

 

「匂いきつくても我慢しろよ? 今日は散々体を痛めつけたんだ。今は楽になったように思えても筋肉痛は遅れてやってくる。がっつり栄養つけて早く回復しなきゃな」

「筋肉痛か。それはやだな……」

 

 ニルヴェアが苦い顔をしたその一方で、料理の匂いをすんすんと嗅いでいる者がもう1人。

 

「ふむ……この鳥の焼き物に使われてるのは滋養強壮の、こっちのスープは血行改善の薬草だな。野菜炒めにもいくつかの香草……だけではないな。この赤い根野菜は疲労改善に効果があるのだったか」

 

 アカツキが匂いを嗅いだだけで薬草の効能を見切っていた。その謎の特技に、レイズは若干引いた。

 

「うわっ。匂いだけで嗅ぎ分けられんのかよ」

「よく嗅いだ匂いだからな。なぁ我が弟子よ」

「弟子じゃねぇ。……ま、でもここら辺はあんたに教わったやつだしな。嗅ぎ慣れてんのも当然か」

 

 などと雑談している間にレイズが料理を並べ終えて、食事の準備は整った。

 全員で机を囲んで座り、『いただきます』と声を合わせて、それからみんなで食べ始めた……と、思いきや。

 

「ちょっとドキドキするな……」

 

 緑多めな料理を前にして、ニルヴェアが緊張の面持ちを見せていた。なにせ彼女にとってここまで緑な料理は初めてだったから。しかしそんな態度に、料理人が不満を示す。

 

「じっと見つめたって味は変わんねーぞ。不味かろうが旨かろうがきっちり平らげてもらうからな」

「そ、そうだよな。活力つけるのだって修行の一環だもんな……よし!」

 

 ニルヴェアは意を決して、野菜炒めにフォークを突き立てた。そのまま一気に口に運んで、そんでもって咀嚼して……

 

「……美味しい! 確かに薬っぽい苦さはあるが、それが逆に癖になるような味つけなんだな」

「ほれみろ俺を舐めんじゃねぇよ。流浪の生活だからこそ、衣食住は大事に扱う。それがナガレの流儀ってもんだ」

「などと偉そうに言っておるが、料理の腕も薬草の知識も拙者仕込みでござるからな。むしろ下手な物を作られては師匠の沽券にも関わるというもの」

「弟子じゃねぇし、旅で培ったものの方がもう多いっつーの」

 

 そんな師弟コントをニルヴェアは横目で眺めつつも、ひたすらに料理を食べ進めていた。

 だって一口食べれば、また一口食べたくなるのだ。それは料理の美味しさあってのことだが、しかしなによりも疲れた体が栄養を求めていたのだろう。

 口を汚さぬ上品さを保ちつつも、もぐもぐあぐあぐ……少女の止まらぬ食欲に、料理人からもいつの間にか笑みがこぼれていた。

 

「いー食べっぷりだな。あんだけ動いたあとにそんだけ元気があんなら、案外心配はいらなさそうだ」

「うむ。よく動いてよく食べてよく寝る。それもまた修行のひとつなり。しかしレイズよ、ふと思ったのだが試験のあと街に戻る時間はなかったのだろう? つまりこの薬草含む材料は予め買っておいたもの……くくっ。やはりおぬし、ニア殿がここまで喰らいついてくると信用しておったな?」

「けっ。そんなんじゃねーよ。この手の草は買いこんでも無駄にならないしそんな嵩張りもしないだろ。それより、もしこいつが試験を突破してきたら一日でも早く修行に取りかかるべきだって考えただけだ。……どうせ、時間はそんなにないんだろ」

 

 もぐっ。ニルヴェアの食事の手が止まった。もぐもぐごっくん。彼女は口の中の物を飲み込んでからレイズに問いかける。

 

「時間がないって……どのくらいなんだ?」

「いや、ただの予測……っつうか予感なんだけど、まぁそこら辺はアカツキからなんかあんだろ。つーわけであとはよろしく」

「うむ、我が弟子の予感は正しい。おぬしらに残された時間はおよそ半月だ。遅くともそこで決着をつけようと我々は――拙者と拙者の協力者は、そう考えておる」

 

 その宣告が、レイズとニアの表情に緊張を走らせた。

 

「半月後……なぁレイズ。たったそれだけで人は戦えるようになるのか?」

「そうだな……そもそもお前は、たぶんお前自身が思うほど非力じゃない。半月あればまぁ自衛に困らなくなるくらいには持っていける……つうか持っていかなきゃ話にならない。そうだろ、アカツキ」

「ニア殿が”決着”に参戦する意思があるのならそうなるな」

「やります」

 

 即答。

 ニルヴェアはアカツキをまっすぐ見据えていた。しかしアカツキもまたまっすぐ視線を返して。

 

「先に言っておくが、ここでいう決着とはおぬしの屋敷から始まった一連の事件。その首謀者と相対することを指しておる。そしてここからが特に重要なのだが……我々は、おそらくそれが剣帝ヴァルフレア――お主の兄上になるであろうと想定しておるのだ」

「!」

 

 その瞬間、ニルヴェアの視線が揺れ動き、明確な迷いを見せた。だがアカツキは迷わずに淡々と語っていく。

 

「詳細は今から話す。そしてそれを聞いた上で、おぬしには覚悟を決めて欲しいのだ。それも時間の猶予を考えると、今日ここで決めてもらわねばならない。もしそれができないというのなら、おぬしには戦わせられない。言うなれば、それが拙者からの試験となるのだが……構わないか?」

「っ……」

 

 ニルヴェアの視線が、しゅんと落ちてしまった。

 彼女は弱気な表情で地面を見つめて、固く拳を握って……それでも「分かりました」と言葉を絞りだした。

 

「僕は大丈夫ですから……話してください」

「ならば話そう。そうだな……拙者の協力者が越警の人間だというのは少し話したと思うのだが、やつはやつでブレイゼル領に潜む神威の影を探っておったようでな。その一環でやつは『ナガレの記者』という偽りの身分でヴァルフレアと接触し、そしてひとつの情報を手に入れたのだ」

 

 アカツキはそこで一拍だけ置いて、それから再び口を開く。

 

「今日より数えて15日後。剣の都の外れにあり、ブレイゼル家が所有権を持っている『旧文明時代の遺跡』へと、ヴァルフレアが直属の護衛騎士1人だけを連れて赴く予定が入っている……らしい」

「旧文明時代の遺跡……?」

 

 ニルヴェアはつい昨日、レイズとした話を思い出した。

 グラド大陸には強大な力を秘めた旧文明の遺産がわりとごろごろあって、レイズも旅の中で実際に目にしたことがあるとか。だがしかし……ニルヴェアにはひとつ、ある覚えがあった。

 

「その遺跡なら僕も一応知っていますが、たしかすでに調査は終わったって聞きましたよ? 単なる歴史的な遺産として一般公開もされているって……」

「その通りだ――1年ほど前までは、な」

「え……?」

「その遺跡は1年ほど前から再び閉鎖されており、再調査中という扱いになっておるのだ。さて、ヴァルフレアがその遺跡に赴くのは名目上その再調査の一環なのだが……」

 

 アカツキはそこで話を止めるとレイズへと視線を向けた。師匠と弟子の以心伝心。レイズはすぐに説明を引き継いで。

 

「簡単な話、『神威』に『旧文明』が絡んだら大体ろくなことになんねぇのさ。そうなると”調査”ってのも怪しくなってくる。適当に言い分立てて、工作員的なやつを送り込むにはうってつけ……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話が見えないんだが、それだけで繋げるというのは」

「神威ってのは、神の威を借ることを目的に創られた研究機関だ」

「か、神……?」

「っていうのが今のところ有力な説ってやつな。実際のとこはそれこそ神威のやつらにしか分かんないだろうけど……いずれにせよあいつらは旧文明の力――神にも等しい力を常に狙ってる。それは本当のことだし、胡散臭い陰謀に遺産が絡んでりゃその裏には神威がいる。それもお決まりのパターンだ。な、アカツキ」

「うむ。やつらは単純な犯罪組織ではなく、人体改造や合成獣の製造といった生命を弄る研究に長けておるわけだが、それもまた神なるものに近づく手段のひとつだと聞く。それが正しいのなら、やつらが遺産を狙うのも頷けよう……それこそ、ニア殿の身柄を狙うのも一種の遺産絡みである可能性が高い」

「それって……!」

 

 ――神威と前領主との繋がりも、前領主の儀式も、封印の霊薬も全ては本当のことだ。あれを止めなければ数人程度の犠牲では済まない。数千、いや数万を越える大陸最大の災厄と化す!

 

 かつて黒騎士が声高に騙ってみせた演説が、今になってニルヴェアの脳裏に響きわたった。

 

「数千、数万を越える災厄……僕には全く心当たりがないけど、遺産ならありえるのか……?」

「そーいやあの黒騎士野郎が自分で言ってたな。虚実を混ぜるのが嘘をつくコツ……だっけか。だからやっぱり真偽は分かんねーけど、もしその災厄とやらが本当なら……怪しいのは『封印の霊薬』ってやつかもな。たとえば実は『男を女に変えた上で災厄とやらに必要な鍵にするための薬』とか……」

「なんだよその回りくどすぎる薬は……」

「まぁ俺も半分冗談なんだけどさ。でも遺産が絡んでいる以上、どんな想定も有り得ないとは言えないだろ」

「なんだかまたややこしくなってきたな……」

 

 ニルヴェアは眉にしわを寄せて考える。頭の中では遺産だの霊薬だの神威だのがぐるぐると回っているが……しかし一旦、それらは横に置いておくことにした。

 

(結局のところ、僕が今向き合うべきはただひとつ)

 

 ニルヴェアは心を定めて、問いかける。

 

「結局、アカツキさんたちが『兄上が首謀者だ』と考えているのは、その”遺跡への視察”が決め手になった……ってことですか?」

「それもあるが、どちらかと言えば今までの情報諸々を照らし合わせた総合的な推察でござるな。まぁざっくりとまとめてみればだな……」

 

 アカツキは言葉と共に握り拳を掲げて、そこから指を1本2本と立てながら語っていく。

 

「『なんかいかにも怪しい黒騎士とつるんでおるらしい』『なんかいかにも怪しい予定が入っておるらしい』。それに『剣の都周辺や越警に怪しい動きがあるらしい』『前領主ゼルネイアが失踪して久しいらしい』……そういった諸々の情報を結んで囲んでみれば、その中心にはどうしてもヴァルフレアが浮かんできてしまうのだ」

「なるほど……って、えっ! 父上って失踪したんですか!?」

「協力者いわく1か月ほど前からな。黒騎士が言うには前領主こそが災厄の首謀者だという話だが……我々はむしろ彼が事件に巻き込まれた側ではないかと踏んでおる。ま、実際に調査してみなければ詳しいことは分からんがな」

「ちょい待ち」

 

 アカツキの語りに待ったをかけたのはレイズだった。

 

「調査っつーことは、もしかしてアカツキは俺たちと別行動になるってことか?」

「うむ。拙者は協力者と共に剣の都へと乗りこんで、できる限りの調査を行うつもりだ。なにをするにしても今は情報不足だからな……なんだなんだ、寂しいのか?」

「うっざ! そうじゃなくて、追手とかは大丈夫なのかよ。ニアが襲われたことは知ってんだろ」

「それなら問題ない。この街の”頭”はすでに潰したゆえ、しばらくは安全だろう。だからレイズ、お前は期限ギリギリまでこの街でニア殿の修行に専念しろ。その間、拙者たちは15日後に備えて剣の都を探り、できる限りの情報を集めておく。そして15日後に、この地図上に示したポイントで合流だ。できるか?」

 

 アカツキは懐から折りたたんだ地図を一枚取り出して、レイズに渡しながら問いかけた。レイズは地図を受け取りながら答える。

 

「やるしかないんだろ。追手の心配がないなら今はそれでいい。あとは……」

 

 レイズは地図を懐にしまうと、ニルヴェアへと視線を向けて。

 

「こいつの覚悟次第だ」

 

 話を振られたニルヴェアの顔は、すでに緊張で強張っていた。無言でじっと固まっている少女に、アカツキもまた向き合って。

 

「ニア殿、今一度問おう。今話した考察がもし正しかったとして、おぬしの兄上が神威と手を組み全てを仕組んでおったとして……おぬしは本当に、尊敬する兄上と戦うことができるのか? もちろん単なる実力差とは別のところで、な」

「……僕、は」

 

 ニルヴェアは反射的にうつむいてしまった。すると彼女の視界に、ぎゅっと握られた右の拳が映りこむ。

 その拳には、大事な思い出が宿っていた。

 

 ――ひっさつ、しんだふり

 

 たった1発。弱々しい1発。それでも確かに掴んだ初めてだから。

 

(己の剣を信じろ。たとえその言葉をくれた人が敵に回ったとしても、僕は……僕の信じたものは……)

 

 やがてニルヴェアは面を上げた。

 目の前ではアカツキが、そしてレイズがじっとニルヴェアを見つめている。

 二人のナガレに届くように、ニルヴェアははっきりと断言する。

 

「ぶん殴る。この事件の果てにいるやつが誰であっても構わない。とにかく1発ぶん殴って、それから捕まえて、ちゃんと真相を明らかにさせる」

「ぶん殴る、ね……」

 

 それは半ば呆れたような声音。投げかけてきたのはレイズだった。

 

「あんだけ兄貴マニアなお前がその兄貴をぶん殴る姿って、正直想像がつかねーんだけど」

 

 しかしニルヴェアはぐっと胸を張って、その上で堂々と笑ってみせた。

 

「もし兄上が相手ならこれは兄弟喧嘩ってことになる。実は少し憧れていたんだ、拳で語り合うってやつに。その相手が兄上なら、なおさらかっこいいシチュエーションだろ!」

 

 あまりにも図々しいその言葉にレイズは一度ぽかんとして、しかしすぐにくつくつと笑い返した。

 

「なんつうか、お前はほんとぶれねーな」

「なんだよ、馬鹿にしてるのか」

「おう。頭悪いなこいつって半分ぐらいは思ってる。けど――」

 

 レイズもまた、右の拳を握ってみせた。彼はその上で左の手を開いて、それを右の拳で殴りつけてみせた。パン! と気合の入る快音を鳴らして。

 

「もう半分は乗り気だぜ! そんで、どうせやるなら全力でぶん殴ってやれ。それがナガレの流儀ってもんだ」

「いやその流儀、絶対今作ったろ」

「大事なのはノリだノリ。ともかく、お前が黒幕をおもいっきりぶん殴ったら俺もスカッとするなってなんか思ったんだよ。俺もできる限り手伝ってやるからさ――いっちょ派手に殴りこんでやろうぜ!」

 

 レイズの高らかな宣言に、ニルヴェアも力強く応える。

 

「――ああ!」

 

 こうして決意を新たに盛り上がり始めた少年少女。

 

「うんうん。若さというのは眩しいものでござるな」

 

 しかし、そこに茶々を入れたがるのが大人というものであった。

 

「そういえばニア殿。知っておるでござるか?」

「え?」

「なんとなく気づいておるかもしれんが、『ナガレの流儀』なんてものはぶっちゃけ存在しないのでござるよ。要はレイズが勝手に言い張っているだけだからな」

「あ。ぶっちゃけそんなところかなって思っていました」

「なんだとお前らぜんっぜん分かってねぇな! 言い張りゃテンション上がるし心構えも身に付くんだよ! 1人旅だからって、いやむしろ1人旅だからこそそういうのは大事でな――」

「レイズ、レイズ」

「んだよ!?」

「僕は好きだよ、そういうの」

「っ!?」

「あれれ~レイズゥ~顔赤くないでござるかぁ~照れてるか~照れてるでござるかぁ~~~?」

「うっっっっざ単刀直入に死ね! つーか真面目な話終わったんならもう黙って飯食えよ冷めたら旨さ半減するだろばーか!」

「なんだなんだちょろ甘思春期風情が生意気な口をあっこら師匠の肉を奪うでない!」

 

 やいのやいのと騒ぎだした師弟をよそに、ニルヴェアもまた食事を再開しながら思う。

 

(あんな真面目な話のあとなのに、二人とも切り替えが早いよなぁ)

 

 そういうニルヴェアもまた、穏やかな表情を浮かべていた。

 賑やかなひと時に身を任せながら、美味しい料理に舌鼓を打つ――時折震える拳を、机の下にそっと隠しながら。

 

(兄上、本当に貴方が黒幕なんですか? だとしたらなんで僕に、あんな言葉を)

 

 ――己の剣を信じろ。いつだって真実はそこにある

 

(貴方に貰った言葉こそ、僕の信念。それはたとえ貴方が嘘をついていたとしても、どんな裏があろうとも覆らない……本当に?)

 

 思い出す。かつて己がアカツキに言った言葉を。

 今と同じように、兄と敵対する可能性を示唆されて、それでもちゃんと言えた。そのはずだったあの言葉を。

 

 ――この先になにが待っていようがあの日の誓いは変わらないし、変えるべきじゃないし……変えたくないって

 

 現実と言う名の足音は、否応なしに近づいてきている。

 

(貫きたい。貫かなきゃ。貫くって決めたんだから……兄上……)



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2-×× 剣の帝王と百の声

 ――1か月前――

 

 剣帝。

 それはブレイゼル領の首都である『剣の都ブレイゼル』を治める主が代々受け継いできた二つ名である。ブレイゼル領がまだ国だった時代より、彼ら剣帝は誰1人の例外もなく剣を愛し、剣に愛され、各々の時代を象徴するに足る大陸最強の剣士で在り続けた。

 なれば当然、ブレイゼル家前当主にしてブレイゼル領前領主『ゼルネイア・ブレイゼル』もまた超一流の剣士であった。

 

 ――息子に当主の座を譲り一線を退いて6年。鎧を脱ぎ捨てて、ゆるりと隠遁生活を送り続けてきた、今この瞬間でさえも。

 

「なぜ……なぜだヴァルフレア! なぜお前ほどの男が神威と手を組み、かの”封印”を解こうとする!」

 

 ゼルネイアは護身用の大剣をしかと構え、正面に向かって叫んだ。

 その彼のスタンスは武骨にして不動。年季の入った大木が如き四肢を頼りに、これまた武骨な大剣をただ真正面に構えている。ある種愚直の極みとも言えるそのシンプルな構えは、しかしだからこそ彼自身の巨大な存在感をあるがままに知らしめていた。

 ”ここ”は本来、戦場などではない。ゆえに彼は鎧のひとつも纏っていないラフな格好である。だがそれでも、だからこそ、今日まで鍛え続けてきた自慢の肉体が純粋な威圧感を放ち続けていた。

 剣帝の威圧。単なる一兵士ならそれだけで全身が竦み上がることだろう。

 しかし今、彼の目の前にいる敵はその圧を受けてもなお、柳のようにゆるりと佇んでいる――抜き身の双剣を両手に握って。

 

「ブレイゼルの血脈が剣を振るう理由は、究極的にはただひとつ。そう教えてくれたのは父上。貴方だ……」

 

 彼らが今向かい合っているのは、ゼルネイアが隠居暮らしに使っている別荘。そのリビングであった。

 役割を終えた領主が穏やかな余生を過ごすために建てた木組みの空間に、しかし今は下手な戦場よりも苛烈な威圧感 (プレッシャー)が火花を散らしあっている。

 なにもかもが巨大な男ゼルネイア。それと相対するのは、なにもかもが細身の男……彼こそがブレイゼル領において数少ない双剣の担い手にして、次代の大陸最強と謳われし若き剣帝。

 

「眼前の全てを断ち切り、己が道を全うする。そのために俺は今、ここにいる」

 

 ヴァルフレア・ブレイゼルが、刃よりも鋭い視線で父を射抜いていた。

 

 ――2人の剣帝はすでに理解していた。この闘いが文字通りの死闘であることを。それでも決して譲らないであろうお互いの性根を。

 父と子と。2人の関係は本来決して不仲というわけではない。

 むしろ扱う剣種こそ違えど剣帝としての在り方を学び学ばれる師弟として、あるいは武骨な父と真面目な息子として、共に尊重し合える関係であった。

 少なくとも父はそう思っていた。今でもそう信じている。だからこそ、

 

「7年前の……鋼の都の悲劇を繰り返すわけにはいかんのだ」

 

 彼は息子へと刃を向けた。せめてこれ以上、罪を重ねさせないために。

 

「前領主として、父として、お前をここで終わらせてやる」

 

 ゼルネイアの記憶には刻まれている。かつての”きっかけ”である百の墓標が。

 

「貴様があの暴君と同じに成り果てる、その前に――」

 

 ゼルネイアはその逞しい足を、木組みの床から持ち上げて、

 

「このっ……馬鹿息子がぁっ!」

 

 全力で踏み込んだ。瞬間――ズガンッ! 木組みの床が異音を立ててひび割れた。

 だがゼルネイアはためらわずに駆け抜けて、その巨体に見合わぬ速度でヴァルフレアへと迫る。そして間合いに入った直後、

 

「はぁぁぁぁ!」

 

 かつて”城塞”とも例えられた自らの巨体――よりもさらに大きな剣を横薙ぎに振るった。

 風圧だけで百の兵をも吹き飛ばしそうな一撃は、しかしヴァルフレアが顔色ひとつ変えずに退いてかわせる程度の単純な一撃であった――が、剣帝ゼルネイアの脅威はこの一閃の先にこそ。

 不意にヴァルフレアを影が覆い、そして迫った。ゼルネイアの剛腕による、間髪入れない縦一閃だ。

 ヴァルフレアはそれも避けてみせたがその途端、床が爆発して木片を散らした。

 そして――宙を舞う木片の向こうから、追撃の切り上げが襲いかかってくる。

 ゼルネイアの連撃が、止まらない。

 横薙ぎ、切り下ろし、切り上げ、突き……まるで小剣でも扱うかのように、巨大な刃が縦横無尽に振るわれていく。ヴァルフレアもヴァルフレアでそれらを全て見切っていた……のだが、だからといって反撃には移れなかった。

 高密度の連撃は、もはやそれだけで攻防一体。見切ろうが避けようがそこに反撃する隙間などありはしない。そしてそれこそがゼルネイアの戦い方、その本領であった。

 かつてのゼルネイアは重鎧を着こんだ上で大剣1本を自在に振るい、その猛撃をもってあらゆる敵を蹂躙する豪胆な剣士であった。

 そして現在、彼は齢50を過ぎているがそれでもなお衰えぬ膂力。そして隠居後もいざというときのために続けていた鍛錬。

 それが彼の全盛期の”99%”を引き出していた。それは誰の目から見ても間違いなかった。そう。それはヴァルフレアの目から見ても、

 

 ――1%の間隙に、一閃が滑りこんだ。

 

「な……!?」

 

 突如、ゼルネイアの刀身が真ん中から両断されて宙を舞い、そして床に突き刺さった。断ち切ったのは、ヴァルフレアの左の剣だった。

 それは隠居後6年という歳月がゼルネイアの剣をほんのわずかに、しかし確かに鈍らせていた証でもあった。

 そしてヴァルフレアは、そのまま間髪入れずにゼルネイアの懐へと飛び込んだ。

 その細身がゆえに、目にも止まらぬ機動力。加えてヴァルフレアは双剣使いだ。たとえ左の一刀を振るった直後でも、右の二刀目が残っている。

 だがその一方で、

 

「まだだっ!」

 

 ゼルネイアもまた止まらない。刀身の半ばから断ち切られた大剣で、しかし問答無用にヴァルフレアへと突きを入れたのだ。狙うはその首1本のみ……それが、ゼルネイアという男であった。

 彼に恐れるものはない。かつて全てを堰き止める重鎧を纏い、全てを断ち切る大剣を軽々と振るい続けた彼に、恐れるものなどなにもない。

 それゆえに迷いなく放たれた突きは、確かに削いだ――首の皮、1枚だけを。

 その直後。

 ゼルネイアの生身に一筋の光が走り、紅い飛沫が弾け飛んだ。

 

「が、あっ……!」

 

 ゼルネイアの巨体が崩れ落ちていく。その胸から噴き出した血を、ヴァルフレアはただ黙って浴びる。

 そして父が床に倒れ伏した直後、彼は父の血に濡れたその口を開く。

 

「父上……貴方は恐れを知らなさ過ぎた。貴方の剣は、老いた人間に振るえるものではなかったというのに」

 

 ゼルネイアはその声に反応して、ゆっくりとヴァルフレアを見上げた。 

 親を斬り伏せ、その上でただ淡々と敗因を語ってみせた息子。しかしゼルネイアは、それでも僅かにほほ笑んで、擦れた声で。

 

「変わらんな、お前は」

 

 ヴァルフレアはそれに応えなかった。彼はただじっと、その瞳に刻み込んでいる……ゼルネイアの表情が、悲痛なそれに歪んでいく様を。父の今わの際の、後悔を。

 

「なのに、そうか……7年前のあの日から、もう、お前は、狂って、変わって」

 

 そこで、ゼルネイアの時間は止まった。永遠に。

 父の死を見届けて、ヴァルフレアはようやく応える。

 

「俺はどんなときでも俺ですよ、父上。たとえどれだけ狂おうと、俺以外には決してなれないし、なるつもりもない。だから……」

 

 ヴァルフレアは荒れ果てたリビング、その奥へと静かに歩き出した。それからほどなくして、壁に埋め込まれている金庫の前で立ち止まった。

 そして金庫の錠へと、迷いなく一閃。

 それだけで金庫は単なる鉄の箱と化し、勝手に開いていった。金庫の中には、小瓶がたったひとつだけ入っていた。

 ヴァルフレアは迷わずそれを手に取った。そうして明るみに出た小瓶の中には、蒼き液体が満ちている。

 それは同じ色だった。ひと月が巡る狭間に現れし蒼の月と。そして、

 

 ――兄上!

 

 脳裏に蒼き瞳が過ぎり……百の声が、その全てを掻き消す。

 

『貴方が』『貴方様だけでも』『ヴァルフレア様』『お前に全てを託す』『未来の剣帝よ』『ブレイゼルの未来を』

 

 剣帝ヴァルフレアは、迷わない。

 

「いくらでも狂ってみせよう。俺が望んだ未来のために」




2章はここまで。次回からは3章です。少年少女も大人たちもなんか色々頑張る編。


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第3章 紅き炎と貫くもの
3-1 炭の記憶と炎の記録


 血の代わりに、溶けた鉄が血管を流れているんじゃないか。

 そう感じてしまうほどに熱い。痛い。わけの分からない力がぼくの全身を駆け巡っている。

 それなのにぼくの意識は消えてくれない。

 声が、断続的に聞こえてくる。

 

『実験』『成功』『兵器』『適合』

 

 歓声、歓声、歓声、驚愕、悲鳴、悲鳴、悲鳴――いつの間にか、声は止んでいた。

 ふと気がついたとき、ぼくの周りは炭でいっぱいだった。

 たぶん建物の柱だった、炭の棒。たぶんなにかの機械だった、炭の塊……ここはたぶんどこかの建物だったのだと思う。だけど今は、開けた空から降り注ぐ太陽の光が目に眩しかった。

 そんな光に目が慣れてきた頃、ぼくは気づいた。体中を駆け巡っていたはずの力をもう感じないことに。

 ただそれでも体の外側がひりひりと痛かった。体の内側がじくじくと熱かった。そのくせ頭は不思議と回らずぼんやりしてて……でもだからって、こんな炭だらけの場所で突っ立ってるだけなのも落ち着かない。

 だからぼくはとりあえず歩き出した。炭と炭と炭で創られた世界の中をただふらふらとさ迷って、さ迷って……かさっ。なにかを踏みつけた。

 それはぼくの裸足に踏まれただけで、あっさりと欠けた。

 それもまた、炭だった。

 髑髏(どくろ)の形を辛うじて残した、真っ黒な炭だった。

 きっと眼が嵌っていたはずの真っ黒な穴が、ぼくをじっと見つめていて、

 

『っあああああああ!!??』

 

 

 ◇■◇

 

 

 悲鳴と共に、少年は目覚めた。被されていた毛布を跳ね除け、上半身を一気に起こして、

 

「はぁ、はぁ……あれ……?」

 

 炭の世界はすでに消えていた。少年は呆然としていたが、不意にぱちぱちっとなにかが弾ける音を耳にして、思わずそちらを向いてしまった。すると視界に映ったのは小さな焚き火だった。揺らめく炎の向こうに、炭の世界が。

 

「ひっ」

 

 思わず肩を竦めてしまったが、炎にはもうなにも映っていなかった。

 

「ゆ、ゆめ……?」

 

 思ったことを呟いてみれば、自然と安堵が胸に広がった。ほっと一息吐いたところで、ふと気づく。

 

(体の中、もう熱くない……だけど外側はちょっとひりひり……?)

 

 少年は異変を確認するため、自分の腕に目を向けて……気がついた。自らの全身に包帯が巻かれていることに。

 

「わ、わ、わ」

 

 慌てて立ち上がりながら確認すれば腕に、脚に、そして(いつ着たか覚えてない)シャツを捲り上げると胴体にも白い包帯がぐるぐると。ついでに頭も触ってみれば、そこにもなにか巻かれている感触が。

 

「なにこれ……」

「全身に火傷を負ってたのでな」

「!?」

「勝手に巻かせてもらったが、下手くそなのは勘弁してくれ」

「!?!?」

 

 少年は心底びっくりして、ぎゅんと顔を向けた。いきなり聞こえた謎の声のほうへと。

 すると彼女? はそこにいた。

 少年とは焚き火を挟んで反対側で腰を降ろし、ただ静かにほほ笑んでいる。焚き火に照らされるその口元は柔らかく、確かに女性的なのだが。

 

(女の人……だよね……?)

 

 少年には判断が付かなかった。先ほどの声が中性的なせいもあったのだが、なによりも全身をすっぽりと覆い隠すぼろ布フードが少年の判断を迷わせていた……しかし、分かることもひとつだけあった。

 

「えっと、あの、ありがとうございます……?」

 

 包帯を巻き、手当てをしてくれたのは、どうやら目の前の人物らしい。

 

(でも全身に火傷って、ぼく何かしたっけ……? まだ頭がぼんやりする……けど騙されてるわけじゃない……よね……?)

 

 少年はぼんやりと考えながらも、ひとまずは焚き火の向こうへと目を向けて。

 

「あの、ところであなたは一体……?」

 

 おそるおそる尋ねてみると、謎の人物は頭に被っているフードを脱いでから答える。

 

「拙者、名はアカツキと申す」

 

 フードの中から現れたのは、雑に1本でまとめたぼさぼさの黒髪と少しやせ気味な女性の顔だった。

 

「名乗れる家名は無いが、敢えて名乗るなら『ナガレのアカツキ』とでも言っておこうか」

「ナガレ……」

 

 少年はその単語のことをなんとなく覚えていた。

 

(どこかで教えられたような気がする。たしか、大陸中を旅して生きてる人たち……だっけ……)

「――拙者は名乗った。今度はおぬしの番だ」

「!」

 

 少年は慌てて顔を上げた。すると、焚き火の向こうには相も変わらず優しいほほ笑みがあって。

 

「強制はせぬが、これもなにかの縁だ。おぬしが良ければ是非、な?」

 

 アカツキはそう言いながら、お茶目なウインクをぱちんとひとつ。少年の目にはそれがなんだかとても様になっているように見えて、だから少年の気分は少し楽になって。

 だから安心して、口を開いて、

 

「分かりました。ぼくは……」

 

 名前を、

 

「ぼくは……」

 

 思い出そうと、探して、

 

「ぼくは……?」

 

 名前って、わざわざ探す物だっけ?

 

「あれ……あれ?」

(変だな。まだ頭が回ってないのかな。でも忘れたわけじゃないよね。だってほら、今までのことだってちゃんと思い出せる……)

 

 ――ぼくは小さな街にいた。ごく普通の家で、両親がいて、兄妹もいて、自分はいたずらっ子で、たまに学び舎の授業を抜け出したりもして、平凡な田舎に飽き飽きしながらそれでも楽しくて……

 

(楽しくて……楽しかった、はずで。だって暖かい人たちに囲まれて)

「あれ?」

 

 気づいた。

 

(暖かい人って、どんな人たちだっけ?)

 

 顔が思い出せない。

 

「え、あれ、え」

 

 どんな言葉をかけられて、ぼくはなんて返して

 

「う、う、うう」

 

 どんな家で、どんな人たちと

 

「ああ、あ、うああああ」

 

 名前、自分、他の、ない、なにも、なにも、なにも

 

「――大丈夫」

 

 気づけば背中をさすられていた。

 ゆっくりと、優しい手つきで。

 

「ア、カ、ツキ、さん」

 

 アカツキがそこにいた。

 

「ゆっくりな、息を吸って吐くのでござるよ。意識が混乱しているというのなら、一つずつ引き揚げればいいのだ。呼吸と共にゆっくり、丁寧に……」

 

 アカツキはそう語りながら絶えず背中をさすってくれている。その暖かな手が、霞がかった記憶に溺れる苦しみから少年をゆっくりと引き上げていく。

 

「う、ううう……!」

 

 やがて感極まり涙腺を震わせ始めた少年に、アカツキが凛とした声音を持って応える。

 

「大丈夫。おぬしは絶対に大丈夫だ」

「だい、じょうぶ?」

 

 少年は涙で潤んだ瞳をアカツキへと向けた。するとアカツキはニカッと潔く笑って断言する。

 

「なにせ今ここには、かの宵断流を受け継ぎし侍がいるだからな」

「……?」

 

 少年にはその言葉の意味がろくに分からなかった。

 だがそれでも、その奇妙な口調と自信満々の口ぶりは、少年の心を確かに軽くしたのだった。

 そしてそのおかげか……少年の胸中からふわりと。ひとつの記憶が浮かんできた。

 

「……ィズ」

「む、どうした?」

 

 アカツキが聞き耳を立てると、少年は今度こそはっきりと声に出すのであった――他でもない、己の名前を。

 

「レイズ。それが、ぼくの名前……」

 

 

◇■◇

 

 

 ――”約束の日”まであと10日――

 

 ブレイゼル城。それは剣の都ブレイゼルの中心にそびえ立ち、また政治的な観点から見てもあらゆる執務がそこに集中している心臓部でもあった。

 しかしその一角にある領主用の執務室では今、密かにとある陰謀が進められていた。一人の男の語りと共に。

 

「――その事件により、研究所は全て焼失。焼け跡からは職員及び実験体と思わしき、多くの死体が見つかりました」

 

 彼の声はまるで政治家のような良く通る声だった。いや、声だけではない。

 きっちり刈り上げられた黒の短髪。生傷のひとつも見当たらない肌。その生真面目かつ清潔感を与える顔つき……その顔を見た誰もに『腕より口の方が達者そうだ』と思わせるであろう彼は、しかしその顔に似合わず岩のように大きく堅強な鎧を纏っていた。

 

 ――黒騎士。

 それがとある一行によって付けられた、彼の仇名であった。

 が、その黒騎士が現在纏っている鎧は……なぜか黒ではなく白だった。黒騎士なのに白鎧。しかしそれに言及する者はこの執務室の中にいなかった。

 今ここで、黒騎士の話を聴いている者はただ1人。

 

「ほう。思わしき、か……つまり死体が判別できなくなるほどの火力でその一帯は焼かれた。そういうことだな?」

 

 その男は椅子に深く腰掛けて、目の前の机にいくつもの資料を広げて。そして剣のような鋭い双眸をもって黒騎士を見据えている。

 彼こそが剣帝ヴァルフレア――この執務室の主にして、ひいてはブレイゼル領の主でもある男だった。

 そんな彼の問いかけに、白鎧の黒騎士が答える。

 

「ええ。ゆえに当時実験中だった『三十二号』もまた共に燃え尽きた。そう推測され、実験も凍結された。はずだったのですが……」

 

 黒騎士はその手に持っていたファイルから一旦目を離すと、今度は机の上へと目を向けた。

 そこにあった資料群。それは全て――旅客民のレイズ。彼の旅、その全てを記した公式の記録だった。

 3年前、アカツキを身元引受人として登録したこと。そのあと彼が辿った3年間の旅路。その中で『蒼の都の内乱』終結に多大な貢献を行い、越境勲章を授与されたこと。その他組合を通して受けた、あらゆる依頼の成果について……。

 それら全てはヴァルフレアが正規の手段で、旅客組合より取り寄せた代物だった。

 

 ――旅客民はその性質上、特定の領には属さない。しかしその立場は完全なフリーというわけではなく旅客組合の……ひいては『九都市条約』の下に属している。それは言い換えてしまえば彼らの身柄は九都市全ての下にある。ということでもあり、ゆえに九都市の重役たちは彼らの身柄について詳細なデータを閲覧する権限を条約から与えられているである。

 もちろん、これは個々人のプライバシーにも大きく関わるため、閲覧の権限と言ってもピンからキリまで存在するのだが……それこそ九都市の一角を治める主ともなれば、たかが一旅客民の全データを取り寄せるくらい容易いことなのであった。

 

「これで納得がいった」

 

 そう呟いたのはヴァルフレアだった。しかし黒騎士の方はその言葉の意図が分からず、ゆえに尋ねる。

 

「納得、とは?」

「まだ年若き少年がこの過酷な旅路の中で生き残ってきた理由。そして『エグニダ』、お前ほどの男がこの少年……レイズを取り逃がした理由だ」

 

 ヴァルフレアの言葉に黒騎士、もといエグニダはただ深く頭を下げて謝る。

 

「……申し訳ございません」

「構わん。お前の判断自体は間違っていないのだからな。策の信憑性と機密性を上げるために『越境警護隊』の名を騙り、やつらとゆかりのある相手を選ぶ。対象は誘導も処分もやりやすいよう、なるべく未熟で疑いを知らぬ勇み足……つまりなるべく若い者が好ましい。ただ今回は、その対象があまりにもイレギュラーだったということだ。だが……あえて失敗を挙げるなら、ここまで若いのに越境勲章を賜ったという事実。そこに秘められた”可能性”を侮ったことだろうな」

「可能性、ですか……」

「若さゆえの勇み足。実力が伴っていなければ単なる無謀だが、それがいくつもの死線を潜り抜けた猛者となれば逆に計算し難い脅威にもなろう。そこに加えてやつが本当に例の実験体ならば……ふっ。おそらく俺の計画にとって、最も大きな障害となるやもしれんな」

「…………」

 

 エグニダはヴァルフレアの言葉に対して、肯定も否定もしなかった。彼はただじっと腕を組み考え込んで、それからようやく口を開く。

 

「差し出がましく、また言い訳がましくもありますが……それでも俺は未知の可能性より、既知の脅威の方を警戒すべきだと感じています」

「既知の脅威、か」

「ええ。その視点で言えばあの少年よりも……やつに同行している女侍の方がよほど恐ろしいかと」

「女侍……お前の大剣を断ち切ったというやつか。確か名はアカツキと言ったな」

 

 その言葉にエグニダは頷いてから話を続ける。脳裏で神速の一閃を思い出しながら。

 

「確かにかの少年の脅威度は未知数であり、また現時点ですらその歳に見合わぬ強さを持っているには違いありません。しかしこう言ってはなんですが、手合わせした実感においてあの少年は只者でなくとも、しかし絶対的な強者とも呼べなかった。事実として俺にあの少年の炎はほとんど効かず、逆に獲物を潰して追い詰めるところまで行ったのです。しかし……」

「あの女侍の一閃が戦況を変えた、か。確かにあの大剣の断面はあまりにも鮮やか過ぎた。それを見た瞬間、放たれた一閃の鋭さを思い描いてしまうほどにな」

 

 一体なにを思い描いたのか、ヴァルフレアの口端が上がった。

 リョウラン文化に触れるのが趣味。かつてそうインタビューで語った彼は、リョウランの侍についてもどこか楽しげな声で語っていく。

 

「神速の居合斬り……俺の二刀流も元はリョウランの出ゆえに分かるのだが、あそこの剣術はなにかと癖が強く、ただ振るうことさえ難しい。というのにまさか、このブレイゼルにそこまでの使い手が訪れていたとはな……」

「剣を1度交えれば、互いの技量はおおよそ測れる。そのような通説がありますが、その点で言えばたった一閃の交わりで刃を折られた俺は、決してあの女侍に勝てないのでしょう。そして……失礼を承知で申し上げるならば、あの女侍は俺が知る中で唯一、貴方に迫る剣士かもしれない」

「……ふっ」

 

 ヴァルフレアは肯定も否定もせず、ただ静かに笑った。その一瞬、瞳の眼光がわずかに和らぎ……しかし次の瞬間には、もう前だけを鋭く見据えていて。

 

「確かにあの女侍の実力もまた、俺の計画の障害に成りうるな」

「実力……だけではないのですよ。俺が危惧しているのは」

「ほう?」

 

 ヴァルフレアが興味を示した直後、エグニダは先ほど”事件”を語るときに使ったファイルから数枚の用紙を抜き出してヴァルフレアへと手渡した。

 

「これはあの女侍について俺が独自に集めた情報です」

 

 エグニダから渡された資料へとヴァルフレアは目を通していく……そしておよそ10秒後、とある事実に気がついた。

 

「これは……正規のルートではないな。使ったのは神威の情報網か?」

「ええ。蛇の道は蛇と言いますか、やつからは”同族の匂い”を感じましてね」

「同族の匂いか。具体的にはどういうことだ?」

「要は単なる直感ですよ。大した根拠などない……ですが直感というのも馬鹿にできないものでしてね。実際、思い当たる伝手をいくつか漁ってみたら見事に当たりましたよ。あの女侍の正体はおそらく……復讐者だ」

 

 エグニダが語り続ける。その間にもヴァルフレアは渡された資料に目を通し続けていた。

 『殺害』『背信』『重罪』『逃走』……瞳にいくつもの単語を映しながら、エグニダの語りに耳を傾ける。

 

「これは神威としての経験則ですが、復讐者というのはそのことごとくがなりふり構わない生き物なのです。それこそ……若さゆえの勇み足など及ばないほどに」

「復讐者……」

 

 ヴァルフレアはぽつりと呟いた。資料をじっと見つめたまま。

 しかしそれだけだった。彼は再び黙して、それきり何も語らない。ゆえにエグニダは話を再開した。

 

「実際、あの女侍がどれだけの復讐心を抱いているのか……ということに関しては直接確かめる他ありません。しかしそれは裏を返せば、あの女侍が己の命を捨ててでも我らを殺しに来るかもしれない、ということでもあるのです。つまりはあの女侍もまた、例の少年に負けず劣らずの未知性を、策を狂わせる脅威を秘めた存在だということになるのです……」

「…………」

 

 エグニダが語り終え、ヴァルフレアは応えず。ほんのわずかな間、静寂が執務室を支配した。

 しかしそれはすぐに破れた。ヴァルフレアの一言によって。

 

「10日後だ」

「それは、”決行の日”……」

 

 ヴァルフレアはアカツキに関する資料を机に置くと、面を上げてエグニダを見据えた。

 

「レイズはお前が危険視しているアカツキと繋がっている。そしてそのアカツキは、どうやら例の”偽記者”と繋がっているらしい……3日前、アカツキと偽記者が剣の都に入都した、という情報はお前も知っているな」

「もちろん。それはつまり女侍がニルヴェア様の下を離れているということでもある……今なら、ニルヴェア様を確保するチャンスとも思われますが」

「いや。そちらは捨て置け」

「しかし、ニルヴェア様は計画の鍵では……」

「ああ。だがやつのそばにはまだレイズが居るはずだ」

「そこまであの少年を危惧しておられるのですか……」

「要は舞台の問題だ。広い空間、突発的な戦闘こそ旅客民の得意とするところ。言ってしまえばこの大陸そのものが、彼らの庭のようなものなのだ。ならば散発的にこちらから仕掛けても戦力を減らすだけ……無論、神威の情報網や人員を強引につぎ込めばやりようもあろうが、後々のことを考えれば無暗に戦力を減らすわけにもいくまい」

「舞台の問題……なるほど、ある種の自由度が高い空間での戦闘は相手の有利になってしまう。しかしその逆……貴方が真っ向勝負できる舞台に敵を引き込めれば、剣帝たる貴方に負ける道理はないと」

 

 エグニダはヴァルフレアの意図を察してくつくつと嗤いながら、饒舌な語りを続ける。

 

「つまりそのための偽記者だと。本来はこそこそ嗅ぎまわる邪魔者を炙り出すためにあえて流した”決行の日”の日時だが、それこそが女侍と少年を連れてくると。そして”どこに潜んでいるか分からない”神威の性質上、ニルヴェア様もまた彼らの側を離れないはず……なにせどこかに隠れるくらいなら、強者のそばにいる方が安全だから。そういうことなのでしょう?」

「……概ね間違いないが、しかし一つだけ過大評価が過ぎるな」

「おや。心当たりがありませんが?」

「『負ける道理がない』とお前は言ったが、100%勝てる勝負などこの世には存在しない。さらに言えば、わざわざこちらの舞台に引き込むのだ。”真っ向勝負”などに甘んじるつもりもない。だが……もしやつらが全ての策を踏みこえ、俺の前に立つというならば。そのときはただ、真っ向から断ち切るのみだ。眼前に立ちはだかる壁は全て切り拓く。それができなければ、俺に『王』たる資格はない」

 

 王。それは条約により”国”が失われ、共に消えたはずの概念である。

 

「そうです、その潔さ。それでこそです――我が王よ」

 

 エグニダは賞賛と共に、恭しくお辞儀をしてみせた。だがヴァルフレアはそれを意にも介さず、逆にエグニダへと問いかける。

 

「ゆえに俺は決行の日まで予定通り準備を進める。それでエグニダ、お前はどうするつもりだ?」

「決行の日までニルヴェア様を泳がせておくというならば、俺のやるべきことは決まっています」

 

 エグニダは自分のファイルからまた一枚の資料を抜き出してヴァルフレアへと渡した。

 

「これは……」

 

 ヴァルフレアがわずかに目を見開いた。今日初めて驚きを見せた彼に対して、エグニダは堂々と語っていく。

 

「あの女侍は俺よりも遥かに強い。だからこそ、やつより弱い俺がやつを止められれば、その分だけこちらが得するということにもなる。そしてその得には、俺の命さえも捨てる価値があるはずです」

 

 ヴァルフレアはただ黙って資料を眺め……やがてひとつ尋ねた。

 

「この実験の、成功確率は?」

「先の実験が実は成功していた。そう仮定して、そのデータに今の神威の技術が合わされば”融合”自体は問題なく行えるでしょう。無論、その資料にもある通り普通の肉体ではまず間違いなく負荷に耐えきれず崩壊しますが……しかし俺の肉体は普通ではない。理論上、その崩壊は多少緩やかになるはずです。少なくとも、決行の日までは保たせてみせますよ」

「保たせてみせる……か」

 

 その瞬間、ヴァルフレアの口元がほんの少しだけ緩んだ。

 

「前々から感じていたが、エグニダ。お前は案外、精神論者の気があるな」

「魂を重んじなければ騎士ではありませんよ」

「魂を重んじる、か。しかしお前は大陸にその悪名を轟かせる犯罪者集団、神威からの協力者及び監視者だろう? そして……」

 

 その声音には少しだけ抑揚が付いていた。それは嘲るような、皮肉るような。

 

「その一方でお前は神威を密かに裏切って、俺の二重スパイとなり神威の情報を横流ししている……お前の道は背徳と背反で彩られているのだ。それでもお前は騎士道を語るのか?」

 

 しかしエグニダは顔色ひとつ変えなかった。それどころか、どこか楽しげさえ滲ませた口ぶりで。

 

「もちろん、俺は騎士ですから。そもそも騎士道とは己に課すべき命題以上でも以下でもありません。ゆえに俺は俺の騎士道に殉じていると断言できるのですよ――そう。背徳も背反も、全ては我が王のために」

 

 エグニダは声高に語って、それからわざとらしくその場に跪いてみせた。その動きに合わせて白の鎧ががちゃがちゃと音を立てる。

 だがヴァルフレアはそれを一瞥もしなかった。ただ手元の資料を眺めながら、くすりとほほ笑んで。

 

「本当は、俺でなくとも良いのだろう?」

「ふむ?」

 

 エグニダは面を上げてすぐに立ち上がると、主に向かって問いかける。

 

「質問の意図が少々読めませんね。俺が貴方を裏切る、とでも?」

「……あるいはな。そもそもお前が神威を裏切り俺に仕えることを選んだのは、俺がこの大陸の王を目指しているゆえにだろう? ならばもし、俺よりも王に相応しい人間が現れたら、お前はそちら側に着くはずだ。いとも簡単に神威を裏切ってみせたようにな」

「俺の騎士道は歪んでいる。貴方もそう仰りたいのですか?」

 

 問いに返された問いは、しかし答えを雄弁に物語っていた。だからヴァルフレアもまた答えを返す。

 

「そうだな。お前は騎士として間違いなく歪んでいる……しかし俺の道もまた、とうの昔に歪んでいるんだ。俺はそれでもこの道と全うすると決めている。だからお前もお前の好きにすればいい……どのみち俺の敵はこの大陸全てなんだ。俺に王たる資格がなければ、お前に裏切られずとも負けるだけだろうさ」

「……そう。それでこそ、俺もこの命を捨てて仕える甲斐があるというものです」

 

 その賞賛に、しかしやはりヴァルフレアは反応しなかった。むしろ彼は「しかしエグニダ」と切り出して、いきなり話題を変えてくる。

 

「お前がもうじき死ぬとなれば、お前に代わる神威とのパイプ役は新たに用意してあるのだろうな?」

「抜かりはありませんよ。なるべく愚鈍で手綱を握りやすい者を選出してあります。さすがに二重スパイには仕立てられませんが……貴方なら、今まで俺が流した情報だけで既に十分でしょう?」

「そうか。ならば良い。あとはお互い、決行の日までに準備を進めるとしよう……話は以上だ」

「御意」

 

 エグニダは一礼してから、机の隅へと手を伸ばした。そこに置いてあるのは、素顔を隠す白兜。彼はそれを被ってからヴァルフレアに背を向けた。それから執務室を出るため歩き始めて……

 

「エグニダ」

 

 主の呼び声が、エグニダの足を止めた。その背に主の言葉が届く。

 

「俺にとっては神威もまた敵だ。今はその力を利用しているが、いずれは全て駆逐するつもりだ。だが、それでも……エグニダ。お前の在り方は嫌いじゃなかった。よくここまで、忠義を尽くしてくれたな」

「…………」

 

 エグニダは振り返ることも、白兜を外すこともなく。たった一言だけ、主へと返すのだった。

 

「私なんぞには、もったいなきお言葉です」 

 

 

 ◇■◇

 

 

 執務室を出て、長い廊下を歩き続ける白鎧の騎士。その兜の下には――鋭く、歯を剥き出しにした笑みが隠れていた。

 

「醜悪な立場を超えて、最強の主に認められた。ああ、冥途の土産としては十分すぎるな」

 

 エグニダは分厚い鎧の中でずっと滾らせている。闘志を、忠義を、そして夢を。

 

「あの屋敷で作戦が失敗したときはどうなることかと思ったが……中々どうして、これ以上ない舞台が見えてきたじゃないか」

 

 彼は楽しみで楽しみで仕方がなかったのだ。あの記憶に刻まれた一閃。それを振るった女侍との再会が。

 

「待っていろ、『ユウヒ=ヨイダチ』」

 

 王のため、強大な敵と相対するその瞬間が。

 己が命を真っ直ぐに燃やし尽くせる、その瞬間が。

 

「俺の騎士道を見せてやる」



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3-2 心と体とそして技

 ――約束の日まで残り14日――

 

 日はもうすっかり昇っていた。白雲がのどかに空を泳ぎ、太陽の光がぽかぽかと草原を照らしている。今日は絶好の修行日和!

 ……だというのに。

 

「痛い、痛い。なにこれ、こんなの知らない……」

 

 ニルヴェアはテントの中でぐったりと倒れ、うめいていた。

 その理由は単純明快。昨日の”試験”の疲労が一晩明けて筋肉痛へと変わったのだ。うつ伏せの姿勢からすっかり動けなくなった彼女に、しかし救いの手は突然ひょっこりと現れる。

 

「ニア、入っていいか?」

「う。レイズか……いいけど……」

 

 了承を受けてテントの中へと入ってきたレイズ。彼はニルヴェアの様子を直に見ておおよその事情を察した。

 

「いつまで経っても起きてこないと思ったら……やっぱりこうなったか。ほれ、湿布持ってきてやったぞ。自分で貼れるか?」

 

 レイズは持ってきていた数枚の湿布を見せたものの、ニルヴェアの反応は芳しくない。

 

「……悪いけど、貼ってくれるか……」

「すっかり萎びてんな。いつもの元気はどこいった?」

 

 レイズは苦笑しつつニルヴェアの背へと回り、さっそく湿布を……と、彼はそこで気づく。

 

(湿布を貼るってことは、こいつの肌に触ったりシャツを捲り上げたり……)

 

 レイズの体が固まった。そのままざっくり5秒ほど、

 

「レイズ?」

「あ。いや。大丈夫、大丈夫。今から貼る、うん」

 

 レイズは慌てて我に返ると、意を決してニルヴェアの小さな背中へと手を伸ばした。

 2人の彼我を隔てる物は薄手のシャツが1枚のみ。レイズは横目でちらちらと見たり見なかったりしながら、シャツをそっと捲ってその下にある柔肌を視界に入れて――

 

「……!」

 

 少年の目が、大きく開いた。

 視界の中心。少女の白い背中には、ところどころに青い痣ができていた。昨日レイズに散々こかされて、何度も背中を打ち付けた。その痛々しい痕跡が、レイズの頭をすっと冷やした。

 

「昨日は、悪かったな」

 

 ぽつりとこぼれたその一言。それが意味するところをニルヴェアもまた理解していた。

 しかし、だからこそ……彼女はくすりとほほ笑んで。

 

「急にしおらしくなったな。昨日は『お前を好きにできる』とかひどいこと言いながら押し倒してきたくせに」

「いや、その、あれは! そういう意味じゃなくて!」

「そういう意味ってどういう意味だよ。ほんと、変なとこでうぶなやつ――」

 

 ぺちゃっ。青痣の上に湿布が叩きつけられた。

 

「うひゃあ!」

 

 背中を襲ったひやっと冷たい感触に、少女の喉から悲鳴が上がった。しかし少年はためらわず、眼前の白い背中に次々と湿布を貼っていく。

 

「ニアのくせに生意気なんだよ!」

「ちょ、つめたっ、わひゃっ」

「いちいち身をよじるな声出すな! 男なら大人しく我慢しろ!」

 

 そんなこんなで貼り終わり。

 そんなこんなでニルヴェアは……なんだかすっかり蕩けていた。

 

「うあー、これすごい良い……いっそ全身に貼りたい……」

「おいおい。それはさすがに臭いがヤバいだろ……これから街に行くってのにさ」

「え、なにそれ。聞いてない…………行ってらっしゃい……」

「諦めるの早いなおい! ったく、こりゃ思ったより重症だな……しゃあない。とりあえず寝たままでいいからちょっと聞け」

 

 レイズはもう知っていた。すっかり萎びたニルヴェアの、この本来は好奇心旺盛な相方の活力を取り戻す特効薬を。だから彼は腰を降ろして口を開く。

 

「約束の日まで残り14日。その間に俺が課そうと思ってる”修行”ってやつについて、ざっくりと説明してやる」

「むっ」

 

 案の定、ニルヴェアの目つきがちょーっと変わった。レイズはそれを見計らって語りだす。

 

「『(しん)()・体《たい》』。アカツキ曰く、リョウランにはそういう考え方が昔からあるらしい」

「それ……聞いたことある。『心に雑念あらばそれは技に伝わり、技を持たざれば体を持て余し、体が鈍れば心を映せず』……だったか?」

「あー、俺がアカツキから聞いたのはもうちょい違ってたけど、まぁ大体そんなもんか。要は”心”と”技”と”体”。その全てが充実してこそ、人は初めて自分の本領を100%発揮できるってこったな」

「……ということは、僕はそれらを鍛えろ。そういう話なのか?」

「正確には足りない部分をこの期間で補強して、お前の100%を引き出せるようにする。それができれば最低限、自衛ぐらいはできるはずだ」

「僕の100%……? でも……」

 

 ニルヴェアの脳裏には自然と浮かんだ。昨日、散々レイズに打ちのめされた事実が。

 

「全力ならあのときだって。だけど全然……」

「昨日の試験のこと言ってんなら、あれは要するに心と技が体に追いついてないってだけだ。『一発だけ当てればいい。それぐらいならやれるはず』そういう雑念が攻撃を甘くした。それにそもそもお前には経験も知識もないんだから、あの場で俺に1発当てるための技なんて最初からなかったんだよ。最後の1発を除いて、な」

「なんだよ。やっぱ全然駄目じゃないか……」

「凹むのはいいけどほどほどにな。まだ話は終わってねーんだから」

「え?」

「言ったろ? 体に追いついてないだけだって。昨日の試験……それに今までの獣や荒くれ者との戦いぶりなんかも見てて思ったけど、身体能力それ自体は普通に高いっぽいからなお前」

「本当か!?」

 

 ニルヴェアはピコッと反応して、ガバッと起き上がって、

 

「はぅっ……!」

 

 再び地べたへと倒れ伏した。そんな一連の動作に対して、レイズはぽつりと感想ひとつ。

 

「馬鹿だなぁ」

「うるさい……」

「ははっ。まぁでもさ……たしか屋敷で自主練してたんだろ? ならそれがちゃんと活きてるってことだ。体を作るのは毎日の地道な積み重ねだからな……よく頑張ったじゃん」

「……!」

 

 その途端、ニルヴェアの表情がみるみるうちに変わっていった。

 

「ふ、ふふふ……」

「なんだいきなり。ちょっと怖いぞお前」

「ちなみに」

「あ?」

「ちなみにどこが良かったとか、なんかこう、もっと詳しく聞きたい」

「おい雑念出てきてんぞー」

 

 いかにも調子に乗った要求であった。

 レイズはそれに呆れながらも、しかしどこか楽しげな表情を見せる。

 

「でもそうだな……あぁ、昨日のバク転なんかは結構驚いたな。あれは俺でもできるかちょっと分からんし」

「バク転……そんなのやったか……?」

「なに、覚えてないの? 俺が、その、押し倒したあとにだな、お前が手に爪を喰い込ませて……」

「む。なんか微妙に思い出してきた……でもあのときは無我夢中だったし、お前に押し倒された印象が強すぎてな」

「ぐ、この……!」

「あはは、冗談だよ冗談。でもバク転か……実はそれも練習したことあるんだよな、昔。だってできるとかっこいいかなって思って、でもそのときはできなかったんだが……」

 

 それを聞いたレイズは、ニルヴェアの四肢へと目を向けた。簡素な半袖半ズボンから出ている細い四肢へと。

 それからレイズはすぐにひとつの仮定を挙げる。

 

「女になって、体が柔らかくなったから……かもな」

「あ……なるほど。その可能性もあるのか」

「可能性っつうか、もうそういうことにしとこう。その体も捨てたもんじゃないな!」

「はぁ!? 雑だな他人事だと思って!」

 

 レイズの大雑把な結論にニルヴェアは当然怒ったが、しかし当の本人はどこ吹く風とばかりにニヒヒと笑った。

 

「いいじゃねぇか。なんでも前向きに考えて、使える物はなんでも使えよ。それが新しい体だろうがな」

「……それも、ナガレの流儀なのか」

「ま、そういうことだ」

「なら……分かった」

「おお。妙に物分かりがいいな?」

「妙にってなんだよ。その『ナガレの流儀』っていうのも言ってみれば修行のひとつなんだろ。要はお前なりの心構えなんだし」

「お、分かってんじゃん。つーわけでまとめると、そこそこ動けるお前の体に残る2つ。心と技を追いつかせる。それが、この14日でお前にやって欲しいことになる。オーケー?」

「オーケー、だけど……」

 

 ニルヴェアにはひとつの疑問があった。

 体が、日々の積み重ねの結実というのなら。

 

「心と技……その2つも体と同じく、毎日の積み重ねが大事なんじゃないのか?」

「まーそこら辺もピンキリだな。まず心に関してだけど、まぁなんつうか心って一口に言っても色々あるだろ。たとえばそうだな……お前自身の覚悟的なやつだと俺からは何も言えないと思う。だけどその一方で、俺が教えられることも結構あるはずだ。それこそナガレとして培ってきた旅や戦闘への心構え、とかな」

「それがナガレの流儀……だよな」

「そうそう。さっきも言ったろ、『使える物はなんでも使え』って。あれもだいぶ真面目な話なんだぜ? なにせ格上ってのは、普通にやっても勝てないからこそ格上なんだ」

格上狩り(ジャイアントキリング)……」

 

 ――それでもやりたいことを捻じ込んでまかり通す。そんな術ならそれなりに覚えがあるし、きっとお前が今一番望むものでもあるはずだ

 

「味方、相手、周囲の状況。全部をよく見て、時には突然のアクシデントさえも追い風に変えて、ワンチャンスをこじ開ける。勝機は一瞬かもしれないけど、一瞬でも見えればあとはそこにぶちこむだけだ。その過程がどんなにかっこ悪くても、まかり通っちまえばかっこいいし気持ちいい。そういうもんだろ?」

 

 それを聞いて、ニルヴェアはハッとした。

 

「それは、試験の……」

「ほら、これでひとつ覚えたな」

「!」

 

 ――かっこ悪く足掻いてでもかっこ良く生きるのがナガレの流儀。お前、案外ナガレ向きかもな

 

「……そうだな。うん、絶対に忘れない」

「だったらよし! それでだな、この心構えってのは技にも直結してくるわけだ」

「技にも? どういうことだ?」

「それはあとでのお楽しみ」

「なんだよそれ!」

「続きは街に行ってからってことだよ。つーわけで、ぼちぼち立てるか?」

「む、無茶言うなよ……!」

 

 ニルヴェアはそう毒づきながらも、なんとか立ち上がろうと動き始める。

 

「んぐぐ……!」

 

 手足で体を支え、腰をぷるぷると持ち上げ、た……ところで、ぺしゃり。力が抜けて、再び床へと倒れ伏した。

 

「……しんどい」

「マジで立てない?」

「やろうと思えばやれるから」

「じゃあやれや」

「でもあと1日だけ待って……痛いし重いしこのまま寝たい……」

 

 寝たいというか、むしろ寝そう。ニルヴェアの瞼はすでにじわじわと落ちかけていた、が。

 

「剣士が技を振るうには剣が必要であるように、ナガレの心構えを技として活かすのにも必要な物がある」

「へ……?」

「今日はお前の装備を見繕ってやろうと思ったんだけどなー」

「装備」

 

 瞼はすぐ、ぱっちりと開いた。

 

「道具に服、それに武器だって色々あるんだけどなー」

「道具に服、それに武器」

「お前、見た目にもこだわりあるみたいだし色々見て回ろうと思ったんだけどなー。この街にはナガレ御用達の、見た目よし機能性良しの有名ブランドの店もあったんだけどなー。でもしょうがねぇよなー、お前立てねえもんなー。よしこうなったら俺が勝手に――」

 

 ニルヴェアが立ち上がるまで、時間はそうかからなかった。

 

 

◇■◇

 

 

 旅客屋。

 そう呼ばれる類の店が、このグラド大陸の各地には存在する。

 それはあくまでも通称であり、店によって取り扱う品物は様々だが……しかし旅客屋には総じて共通する特徴がひとつだけあった。

 それは旅客民向け、つまり旅の必需品を揃えた専門店であることだ。

 例えば旅向けの動きやすく丈夫な軽装。とりあえず1本は持っておくと便利なサバイバルナイフ。あるいはテント、携帯食料、獣除けの香などなど……。

 

「本当に色々売ってるんだな……なぁレイズ、これはなんだ?」

「一口で旅客民っつっても需要は色々だしな。そんでそりゃ折り畳み式の琥珀灯だ。なんかでっぱりあるだろ? それを上に引っ張って縦に開くと、それだけで灯りが点くんだよ」

「なるほど……」

 

 ニルヴェアがレイズに連れられてやってきたのも、その旅客屋のひとつであった。

 例のごとく例によって、ニルヴェアは物珍しい品々に目移りしていたのだが……

 

「楽しそうなのはいいけど、ぼちぼち説明始めるぞ?」

 

 レイズの言葉に対し、慌ててシャキッと姿勢を正した。レイズはそんなニルヴェアの様子に苦笑をひとつこぼしてから説明を始める。

 

「『心構えが技に直結する』ってのは、要するにどういう戦い方をしたいかってことだ。まず自分なりに戦うための心構えや持論があって、だったら実際にはどうやって戦う? ってのを突き詰めていくわけだ。誰であろうと技の根幹には心がある、とも言えるかな」

「なるほど……そう言われるとなんかイメージできたかも」

「で、これは俺なりの持論なんだけど……格上狩りの基本ってのはとにもかくにも”隙”を作ることにあるんだと思う」

「隙を作る……格上相手なのにか?」

 

 そのときニルヴェアの頭に思い浮かんだのは、彼女にとって格上筆頭であるヴァルフレアだった。

 二刀を緩く握り、柳のようにゆらりと立つのが彼の構えだ。それは一種の脱力状態なのだとか。体の力は抜き、神経だけを研ぎ澄ませる。周囲の気配を色濃く感じ、あらゆる変化に対して瞬時に対応するための戦型。

 

(……隙を作る。イメージが、全く浮かばない……)

 

 ニルヴェアはついつい眉にしわを寄せてしまった。だがレイズは「だからこそだ」と前置きしてから説明を再開する。

 

「相手の方が力強いのに力押しなんてできっこないだろ。だから僅かな隙を作って、それをこじ開けて、最後にでかいのを1発ぶちこむ……敵がどれだけ強かろうが獣だろうが人間だろうがあるいは生き物じゃなかろうが……それでもどっかに弱点は必ずあるんだ。極端な話、ぐっすり眠ってるところに心臓ぐさっとされたらまぁ死ぬだろ大抵のやつは」

「逆に死なないやつもいるのか……? というか本当に極端な話だなそれ」

「おう。でもぐっすりすやすやが無理だろうと……例えば、3秒あれば心臓ぐさっとするには十分だとする。たったの3秒だ。それなら……」

 

 レイズはいきなり左手をぶらりと上げてから、そのまま話を続ける。

 

「例えば相手が片手剣使いだったとして、そいつが剣を振ってきたときに俺の左手を犠牲にして受け止める……気合入れて受け止めれば、まぁ3秒ぐらいはイケそうじゃん? あとは空いた右手でナイフを握ってぐさっとするだけだ。簡単だろ?」

 

 ニルヴェアの顔から、さっと血の気が引いた。

 

「物騒な例えをするな! それもそれで極端だし!」

「まぁな。そりゃ隙を作るためっつっても一々自分を犠牲にしてたら、割に合わないどころの話じゃない。だから実際は武器とか道具とかあの手この手を使うわけだ。そんで……」

 

 レイズはぷらぷら持ち上げていた左手を、そのまま自身の左側へと伸ばしていった。その手の先にあったのは、いくつもの商品が置かれている大きな棚だった。

 レイズはそこから一つの物を摘まみ取ると、それをニルヴェアに見せた。

 

「隙を作る。そのために俺が一番よく使う道具がこの”玉”だ」

 

 ”玉”の大きさはおよそ親指サイズで、その色は灰一色だった。

 ニルヴェアはそれをまじまじと覗き込んだ。彼女の記憶にそれと一致する物はなかったが……

 

(玉っていうとレイズとか、あと荒くれ者も使ってた……)

 

 ニルヴェアは脳裏に浮かんだ道具類を口に出してみる。

 

「煙玉に閃光玉……いわゆる目くらまし系の道具か?」

「その2つは玉の中でも最もポピュラーな物に当たるな。”玉”それ自体はそうだな……一種の共通規格を持った道具群の総称、って言えばいいのか? 地面に叩きつける、あるいは指で潰すとか、一定の圧力を加えれば起爆する親指サイズの道具。そういうのは大体ナントカ玉って名前になるんだ」

「ふーん。それじゃあ、煙玉と閃光玉以外にもあるのか?」

「もちろん。まぁ戦闘で使える物ばかりじゃないけど……あ。例えばこれとか地味に便利だな」

 

 そう言いながらレイズが棚から取ったのは、先日のスライムグローブに似た材質らしき半透明でぶよぶよした玉だった。

 

「名前はそのまんま『水玉』って言うんだ。中にはちょっと粘っこい水が入っていて、主に火を消すのに使う。あ、もちろん食用じゃないからな」

「うーん、便利なようなそうでもないような……」

「焚き火を急いで処理したいときとかな、地味に便利なんだぜ? ま、それはそれとしてだ」

 

 レイズは水玉を棚に戻すと、改めてニルヴェアへと向き直った。

 

「ニア。お前にはこの玉のうち閃光と煙の2つだけを、状況に合わせて使いこなせるよう教えていきたい」

「む。2つだけでいいのか?」

「おう。俺だって戦闘中は基本この2つしか使わないし、実際の戦闘だと玉以外にも選択肢は結構あるだろ? 身ひとつで躱すとか、手持ちの武器を使うとかな。その上で戦況ってやつは刻一刻と変化を続けるんだ。あまり選択肢が多過ぎても判断に困るだろ」

「なるほど。有り過ぎて困ることはない……わけでもないのか」

「常に考えながらも迷わない程度に、ってのがコツだな。選択肢が少ないと不測の事態に対応できなくなるし、かといって多くても迷いが出ちまう。よく言うじゃん、一瞬の迷いが命取りになるって」

「確かにな。常に考えながら迷わないか……覚えておくよ。これもまた心構えだな」

「そういうこと。んでもって、そういう思考を軸に他の装備も選んでいくわけだ……っと、その手のコーナーは向こうだな。早速行くか」

 

 というわけでレイズが連れてきた一角。そこは防護用のベストや登山用のシューズ、道具の収納ベルトに旅用のリュックなどが壁一面、あるいは棚一杯に揃えられている区画だった。

 

「装備を決める基準のひとつは道具の取り回しだ。例えば俺が普段から着てるこのベストなんだけど……」

 

 レイズがそう言いながら摘まんでみせたのは、彼自身が今も服の上から羽織っている袖なしのベストだった。ニルヴェアはそれをまじまじと観察して、考える。

 

(明らかに分厚そうな素材で、ポケットもいっぱいあるな。どう見ても実用性重視。着飾るためじゃなくて戦闘用の……)

「普通、こういうベストはよく防弾や防刃のために着られるんだ。いくら用心が必要とはいえ、旅を続けるのに騎士みたいな全身鎧なんて着てらんないしな。まぁ間を取って軽鎧って選択肢もあるけど、俺的にはあれでもちょい重いと思う。基本的には身軽に、すぐ動けるに越したことないってのが俺の考えだ」

「ふむ……確かに、僕らぐらいの体格だとちょっと防御力を上げたところで焼け石に水なのかもな」

「まーそうなんだけど、とはいえ念のために最低限の防御力は確保しときたい……ってのがこれを着るひとつ目の理由だ」

「ひとつ目?」

「そうだな……俺が今着てるこのベストと、そこの壁に掛かってる売り物のベスト。ちょっと見比べてみ?」

「?」

 

 ニルヴェアはとりあえず言われるがままに、売り物のべストへと目を向けてみた。

 それもまたレイズのベストのように分厚い素材で作られているのが一目で分かった。とはいえ、ちょっとしたデザインとしての線が入っていたり、ワンポイントとしてブランドのロゴのようなマークも刺繍されていたり。

 

(実用性重視とはいえ、見た目も結構凝られているものだな)

 

 なんて感心を覚えつつ、今度はレイズのベストに目を向けて……一目で気がついた。

 

「あっ。ポケットの数か!」

「正解!」

 

 先ほどニルヴェアが見た売り物のベストにはポケットがなかったのだが、レイズのそれにはポケットが付いている。それもひとつではない。小さなポケットがベストの前面にたくさん付いているのだ。

 

「見てろよ、こいつはな……」

 

 レイズがそのポケットのひとつへと右手を伸ばす。そこでふと、ニルヴェアは気づく。

 

(あのポケット、蓋が上下に付いているのか? 少し変わったデザインだけど……)

 

 しかしその疑問はすぐに解決することとなる。文字通り、ポケットへと添えられたレイズの手によって。

 レイズの手がポケットをすっと撫でた。上から下へと静かに、滑らかに――

 

(あれ?)

 

 いつの間にか、レイズの右手にはなにかが握られていた。彼がその手をニルヴェアの目の前で開くと、そこには煙玉がちょこんとひとつ乗っていた。

 

「……え? あれ、今ポケット、開けて……えっ?」

 

 その反応を見て、してやったりとばかりにレイズが笑った。

 

「ちょっとした手品だな。種明かしすると……このポケット、下からも開くんだよ」

 

 そう言いながら、レイズは今さっき手で撫でたポケット。その上下に付いた蓋の下側を人差し指で押してみせた。すると蓋はいとも簡単に開いた。しかもレイズが指を離せば、その途端に蓋は勝手に閉じてしまった。

 

「わっ。なんだこれ」

「本体と蓋に磁石を仕込んであるんだ。だから押せば開くし、離せば閉じる。簡単な仕組みだろ?」

「それで中の煙玉をさりげなく手の中へと落としたのか。確かに手品みたいですごい。すごいけど……戦闘で使うのか? それ」

 

 ニルヴェアの疑問に対して、レイズは事もなげに答えた。

 

「上から取り出すより下に落として取る方が速いからな」

「それだけ?」

「それだけ。ちなみにポケットの数を増やして小分けにしてるのは、この方法だとポケットの中身が全部落ちるからだな」

「……ちょっと早くするためだけに、そこまで?」

「納得いってないって顔だな」

「速さが大事なのはさすがに分かるが、凝った作りのわりに……とは」

「だったら実践してみるか」

「え――」

 

 ほんの一瞬。

 銀の刃が煌めいて、

 

「っ!?」

 

 ニルヴェアの眼前には、すでに突き付けられていた。鋭く光る銀色のナイフが。

 そしてそれを握っているのは、他ならぬレイズの右手であった。彼はナイフの向こう側からニルヴェアを真っ直ぐ見つめ、そして断言する。

 

「一瞬の迷いが命取りになる。だったら出し入れに掛かる1秒が、命を左右しないわけがない」



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3-3 小さな銃と秘密主義

「一瞬の迷いが命取りになる。だったら出し入れに掛かる1秒が、命を左右しないわけがない」

「……!」

 

 ニルヴェアは息を呑んだ。今、文字通り目と鼻の先にある1本のナイフに。そして、目にも止まらぬ速さでそれを抜いてみせたレイズ本人に。

 だがレイズの方はすぐに表情を緩めると、ナイフもあっさりと引っ込めた。

 レイズのナイフの定位置は、腰の右側に付いているホルスター。そこにナイフを戻してから、再びニルヴェアへと目を向けた。

 

「お守り、持ってきてるんだろ?」

「へ? ……あ、ああ。もちろん」

 

 ニルヴェアは言葉を返すとすぐにズボンのポケットからお守りを――彼女が肌身離さず持っている、兄から貰った儀式用の短剣を取り出した。

 

「これでどうするんだ?」

「そこの棚にあるベルトを使ってお前も一度抜いてみろ。こういうのは実践した方が覚えやすいしな」

「わ、分かった」

 

 ニルヴェアの脳裏には、突き付けられた刃の煌めきが未だこびりついている。

 

(僕もあんな風に、できるのだろうか)

 

 ニルヴェアは少し緊張した面持ちで、レイズに指示された棚のベルトを手に取った。ベルトを腰に巻いて、それからベルトに付いているホルスターへと目を向ければ、確かにちょうどお守りが収まる程度のサイズだったが。

 

「これって鞘ごと入れるのか? それとも抜き身でいいのか?」

「そのホルスターなら抜き身でいいぞ。それ自体が鞘代わりになるからな」

「なるほど」

 

 ニルヴェアはその指示通り、鞘から短剣を抜いてそれをホルスターに収めた。これで準備は完了だ。

 

「それじゃあ……やるぞ」

 

 ニルヴェアは意を決して、ついに抜剣を始めた。

 まずホルスターの位置は腰の左側。利き手である右手をぐっと伸ばして、ホルスターに差し込まれている短剣の柄を握って引っ張り……

 

「むっ」

 

 ちょっと引っかかる。こなくそっ。

 

「せいっ」

 

 力任せにぐっと引き抜く。抜けた。目の前に掲げると、よく手入れされた刀身が新品同様の輝きを放っていた。

 

「…………」

 

 なんだかやるせない気持ちになりながら、レイズの方を向いた。

 レイズは、苦笑を浮かべていた。

 

「まぁ、なんつうかあれだな。逆に新鮮かもな」

「うるさいな……僕が下手なのは分かったから、どうすれば改善できるのか早く教えてくれよ」

「向上心が強いのは良いことだ。じゃあまずはホルスターの位置から気をつけてみ?」

「ホルスターの……」

 

 ニルヴェアはレイズのベルトへと目を向けて、「あっ」すぐに気づいた。レイズのナイフは腰の右側に収められていることに。続いて自らのナイフを見てみれば、それは腰の左側に収められている。

 ニルヴェアはしばらく考えて……やがてひとつの仮定を見いだす。

 

「僕はホルスターの位置が左側だったから右手を反対側へと伸ばさなきゃいけなかったけど、お前は右手を下げればそのまま右側のホルスターに触れられる……つまり僕は、お前よりも手を伸ばす距離が長かったのか」

「まぁそーいうことだな。刀みたいに長い得物なら話は別だけど、ナイフぐらい短けりゃ単純に距離が近い方が早く抜ける。とはいえ下手に近すぎても腕が変に曲がるから、そこら辺はホルスター自体を調節する。こういうのは位置や向き、あと高さなんかも変えられるようになってるから、そこら辺を自分で調節して”力まずに抜ける位置取り”を見つけるんだ」

「力まずに、力を抜いてか……でもそうすると、引き抜くための勢いが……」

「俺も最初はそう思ってたんだけど、いわく『その本気は剣を抜いたあとにとっておけ』だとさ。もし下手に力んで体が強張ったら、剣を抜いたあとすぐ行動に移せない。だからごく自然な、手足を扱うような抜剣を目指すんだ。そんでその究極系が、アカツキの必殺技『暁ノ一閃』だな」

「なるほど……つまり”いわく”というのも、アカツキさん直伝ということか」

「まーな……っと、説明は一旦これくらいにしてあとは適当に見て回るか。なにはともあれ今日中に装備一式と、あとは武器の目星なんかも付けておきたいからな」

 

 その言葉に、ニルヴェアの目がピコッと輝く。

 

「武器!」

「おう。ナイフは色々使える必需品だからこれは絶対(マスト)として、それとは別に護身用にもひとつくらいは欲しいだろ。なんかテンションも上がるし」

「上がるな!」

「つっても、まだ思いつかねぇんだよなー。銃系の琥珀武器がいいんじゃねーかってぼんやり思ってるんだけど。とりあえず引き金ひとつで撃てるし。射撃の技能を諦めたとしても、まぁ接近戦なら数撃ちゃ当たったり当たらなかったり……っつっても結構重いんだよなあれ。銃に限らず琥珀武器自体が機構の都合上そうなりがちでさ、扱いが楽でも振り回すのに腕力が要るってなると本末転倒……」

「ちょっと待て。僕とお前は同じくらいの体格だけど、お前は普通に銃を振り回してるよな。だったら僕でもできるんじゃないのか?」

「いやいや、あれこそ技能と工夫の結晶だから。振り回す時の力加減とか立ち位置とかだな……とにかく残り14日で覚えられるもんじゃねーよ。それに俺の銃は特別製だし、俺自身だって腕力にはちょっと自信があるしな」

「……技能や銃はともかく、お前がそんなに筋肉もりもりには見えないけど。お前、僕が女の体だからって侮ってるんじゃないか?」

「そういう話じゃねーよ。あー、まぁ武器もあとで一緒に見て回るとしてだ。それよか先にベルトを選ぼうぜ。それに関しては俺の方でもう条件を考えてあるからさ」

「条件?」

「おう。とりあえずお前の手持ちはベルト1本でなるべく完結させるつもりだからな」

「ベルト1本で……さっき言ってた『多過ぎると判断に迷う』というやつか」

「そういうこった。だからそのベルトに必要な物は、そうだな……」

 

 レイズは指折り数えながら語っていく。

 

「まずはナイフのホルスター。あとはまだ見ぬもう1本の武器も収められりゃいいな。それに閃光玉と煙玉の収納ポケット。底が深過ぎると取り出しにくいけど浅過ぎて1個しか入らないのもあれだから、できれば2、3個は入る感じで、ポケットの数も2つ、3つくらい……」

「レイズ、レイズ」

「ん?」

 

 レイズが気づいたときには、ニルヴェアがすでにじっと見ていた。レイズの、ポケットがたくさん付いたベストを。

 

「僕もお前と同じベストがいいんだが」

「……うぇっ?」

 

 レイズが変な声を上げた。だがニルヴェアは気にせずまくし立てる。

 

「だって早く取り出せるとかっこいいし、その方が戦闘的にも良いんだろ。ベルトのポケットからわざわざ玉を取り出すよりお前のベストの方が早い、ってくらいは僕でも分かるぞ」

「あー。まぁそりゃそうなんだけど、でもこいつはな……」

「――それ、オーダーメイドだろう?」

 

 ふと、横から声が割り込んできた。

 2人がそちらの方を向くとそこには店のレジのあって、さらにそのレジ越しにふくよかな男性が1人、小さく手を振っていた。

 いきなり話に割り込んできたその人物に、返事を返したのはレイズだった。

 

「そうだけど、よく分かったな。あんたがこの店の店主さんか?」

「まーねー。そういう商品を扱ってるから分かるんだけど、君のそのベストは既製品とは明らかに違う。蓋の上だけならともかく下まで磁石で留めてるポケットなんて、まず出回るほど需要がないよ。下手すればうっかり中身が落ちかねないからね。あとポケットの数もちょっと多過ぎる。既製品っていうのはまず扱い易さ第一で作られてるものさ」

 

 その解説はニルヴェアを素直に感心させた。

 

「なるほど……」

「お嬢ちゃんの方は見たところナガレ初心者なんだろう? だからまずは扱い易さ優先でいいと思うよ。それに……『ベルト1本に持ち物を集中させる』っていうのもその一環かな。『何かあったらとりあえずベルトを触る』って体に覚えさせれば、いざというときの迷いが減るだろう?」

「それは……確かにそうですね……」

 

 ニルヴェアが神妙な表情で納得した。その横でレイズもまたうんうんと頷いた……が。

 

「大体そんな感じなんだけどさ……ところで店主さん。俺たちになんか用でもあんの?」

 

 レイズにそう問われると、店主はその丸い顔に軽い苦笑を浮かべた。

 

「いやぁ。用というか、噂通りの面白い子たちだなと思ってつい声をかけちゃったんだ。申し訳ない」

「それはべつにいいんだけど……噂?」

 

 レイズは思わずニルヴェアの方を見たが、ニルヴェアもまたきょとんとレイズを見返していた。お互い”噂”とやらに心当たりがないせいで、なんとなく顔を見合わせるしかなかったのだが……店主いわく、

 

「そうそう。ナガレの少年が街を騒がせていた荒くれ者や化物を倒した、って話が最近広まってきてね。しかも彼は金の髪に蒼い眼をした少女を”お姫様抱っこ”して街を駆け抜けていったらしいじゃないか」

「「!?」」

 

 少年少女はびっくらこいた。そしてそんな露骨な反応が、店主の表情を明るくする。

 

「やっぱり君たちか! するとあれだろ? そっちのお嬢ちゃんが記憶喪失で、君はその記憶を取り戻すのに協力してるんだろ? いいねぇそういうの、おじさん素敵だと思うよ!」

 

 少年少女はまたもやびっくらこいた。

 

「はぁ……はぁ?」

「どうすんだよレイズ! お前が変な抱え方したせいで話に変な尾びれが付いたじゃないか!」

「いやいやこれ俺のせいじゃねーだろ! あんときゃ色々切羽詰まってたんだし!」

「おや、もしかして噂は間違ってたのかい?」

 

 店主の疑問とそのきょとんとした表情に、少年少女は2人揃ってウッと唸ってしまった。そしてまた顔を見合わせて……やがて、レイズが一言でまとめる。

 

「まぁなんつうか、好きに想像してくれ」

 

 ニルヴェアもただ頷くのみであった。

 露骨に訳あり。そんな2人の様子を見て、店主はふむと顎に手を当てる……結論は、すぐに出た。

 

「それなら噂は本当だったということで。むしろその方が野暮な詮索も入らなくていいだろう?」

「話の分かる店主さんで何よりだ」

「君たちナガレとは良い関係でいたいからねー。と、話がそれちゃったけど……きみたち、琥珀武器を探してるんだろう?」

 

 その言葉に少年少女はまた顔を見合わせて、それから今度はニルヴェアが尋ねる。

 

「えっと、はい。僕みたいな体格かつ武器の経験がなくても扱える。そんな物を探してるんですが……もしかして心当たりがあるんですか?」

「どうだろう。お目かねに適うかは分からないけど……こないだ知り合いの、琥珀工房をやってる親方から話を聞いたんだ――女子供にも扱える護身用の銃が最近出回ってきたからそのテスターを募集している、ってね」

 

 

◇■◇

 

 

 旅客屋の店主に教えてもらった琥珀工房は、レイズが琥珀銃を預けた工房でもあった。

 だから2人は一旦旅客屋をあとにして工房へと足を運んだ。そしてレイズの銃を引き取るついでに例の武器について尋ねてみれば、工房の親方はひとつの武器をニルヴェアへと手渡したのだった。

 

「ハンドガン……?」

 

 ニルヴェアがその手に”小さな銃”を握りながら首を傾げれば、親方がすぐに説明してくれる。

 

「おう。最近小型化に成功したってんで、試験的にいくつか出回ってるんだよ。もちろん普通の銃より威力と射程はかなり弱いんだが、逆に重量も反動も軽いってわけだ」

 

 その説明に対して、今度はレイズが問いかける。

 

「親方。それって照準の精度なんかはどうなんだ?」

「可もなく不可もなくだな。しかしどのみち射程がくそ短いから接近戦以外じゃ使えねぇし、下手なやつでも目の前の人間を撃てばまぁどこかには当たるだろ。そんで当たれば火傷ぐらいは負わせられる。もちろん、誰が引き金を引こうと関係なくな」

「下手でも非力でもとりあえずは使える。だから女子供の護身用に丁度いいってわけか」

「そういうこった。だから嬢ちゃんがテスターになってくれるなら俺としても都合がいい。ま、実際買うかどうかはともかくさ。とりあえず適当に触ってみちゃくれねぇか。あっちの試射場も使ってくれて構わねぇからよ」

「はい。それなら遠慮なく」

「よし、ならこいつが説明書だ。つってもこれ一枚で収まるくらいに使い方は簡単なんだけどな」

 

 親方が用意した1枚の用紙。それをニルヴェアが受け取ると、親方は次にレイズへと声をかける。

 

「おい坊主。お前さんから預かった銃は注文通りに直してやったが、いくつか確認したいこともある。ちょっと付き合え」

「ほいほい。俺も追加で頼みたい仕事が1個あるしな」

「なんだぁ? ってことは坊主、お前まだこの街に残るのか」

「もうしばらくね。だからその間にさ――」

 

 2人が長話を始めた。その一方で、1人とり残されたニルヴェアは親方に言われた通りに小さな銃(ハンドガン)を触ってみることにした。

 

(しかし本当に小さいな……)

 

 普通、銃といえばレイズの愛銃のように結構な長物であるはずだが、しかしニルヴェアの持つハンドガンは女子(ニルヴェア)の手のひらでもそのグリップが握りこめるくらいに小さい代物であった。

 

(なんだか頼りないけど……ある意味、今の僕には丁度いいのかもな)

 

 そんなことを考えながらもハンドガンの観察を続ける。

 そのボディは黒一色で、凹凸(おうとつ)も少なかった。これが道端に転がっていても、10人中9人ぐらいが単なる鉄の塊としか思わないであろうその見た目。

 

(なんかこれでぶん殴った方が強そうだな)

 

 そう思いながら説明書を見てみれば、『グリップ部分が特に丈夫なので、打撃武器としても使用可能』的なことが書いてあった。

 

「銃っぽさはともかく、いざとなればぶん殴れるのは分かりやすくていいな」

 

 そう呟きながら説明書を読みこんでいると、ひとつ気になる項目を発見した。

 

「ふむ。グリップを握ったまま上の方のボタンを押せば、グリップから弾倉が出てくると……」

 

 説明書の一文を読み上げながら、その通りにグリップを右手で握り、そのまま右手の親指でグリップの上の方に付いているボタンを押した。すると、カシャッ。

 

「うわっ」

 

 排出音と共に、グリップの底から弾倉(マガジン)が出てきた。すぐにグリップから滑り落ちそうになったそれを、説明書を持ったままの左手で慌てて受け止めた。

 今はまだ自分の物ではない。商品を落とさなかったことに一息ついて、それからマガジンをじっくりと眺める。

 

「なるほど。銃を握ったままリロードができるようになってるんだな……」

 

 マガジンは長方形の琥珀と、その角を覆う金属質の外装で構成されていた。とはいえ中の琥珀は現在、暴発防止のため(から)の物が入っているのだが。

 エネルギーが尽きて色のなくなった水晶体をぼんやりと眺めながら、考えに耽る。

 

(どっかのうろ覚えだけど……琥珀武器の原則として『戦闘中のリロードを容易く行えるような設計にする』というのがあった気がする。そうだ、たしかあの黒騎士の大剣だって……)

 

 ニルヴェアはいつか見た黒騎士の大剣を脳裏に思い描いた。たしかあれは鍔に琥珀が付いていて、それが1発打ち切りで勝手に排出されていたはずだ……と、そこでふと疑問が浮かぶ。

 

(そういえば、レイズの銃ってそこら辺どうなってるんだ?)

 

 思い立ったらすぐ行動。ニルヴェアは横目でちらりと、レイズと親方の話し合いを覗いてみた。すると丁度、2人は机の上にレイズの銃を置いて話し合っているところだった。

 

「やっぱすげー気になるんだけどよお、ここが」

 

 親方はレイズの銃、その持ち手の辺りを指差しながらそんなことを言っていた。だからニルヴェアもまたそこに目を向けて……

 

「ん?」

 

 奇妙なことに気づいた。

 親方が指差すその持ち手にはグリップ……ではなく、琥珀が取り付けられていたのだ。それも中身がなく、硝子のように透き通った透明な琥珀が。ゆえにニルヴェアの疑問が一段階深まる。

 

(戦闘中はあそこに新品の琥珀を入れて、持ち手として使うのか? でもあんなところに琥珀を入れてたらリロードするときに一々持ち手を離さなきゃいけないような……)

 

 そんなニルヴェアの胸中に同調するように、親方もまたレイズにその真意を尋ねている。

 

「わざわざ空の琥珀を持ち手に加工して、お前さんはどうしたいってんだ。単なるデザインとかならとやかく言わないが、こいつの動力はここしかねぇだろ。これを本当に武器として振るうんなら、まぁ坊主なりの理屈もあるんだろうが……」

「そう。俺には俺なりの合理性があってこいつを組んでる。だからいいんだよこれで」

「……んじゃ折角だから、試し撃ちぐらいしてけ」

「うーん……そんなに気になる?」

「そりゃあな。俺だって商売人である前に一人の技師だぞ。それに、ちゃんと動かなかったら商売人としても傷かついちまう」

「あはは。まぁでもそこら辺は企業秘密ってことで、な? それにこいつがちゃんと直ってることは一目見りゃ十分わかる。親方、本当に良い腕してるんだな」

「けっ、若いくせに口が回るやつだ……」

 

 どうしても気になるらしい親方と、それをのらりくらりと流していくレイズ。

 そんな2人の煮え切らない会話は、ニルヴェアの興味を否応なしに煽りたてていた。

 

(企業秘密、企業秘密なぁ……)

 

 ――でもお前は手とか足から炎を出したりしてたよな。あれも琥珀を用いているんじゃないのか?

 ――俺にしか使えないんだ。仕組みは企業秘密ってことで

 

 思い出したのは以前この工房に来たときに交わした会話。

 

(そういえばあのときも同じこと言ってたな。まぁなにもないところから炎を出すなんて、琥珀武器には違いないんだろうけど……僕にもああいうことができれば、格闘術と組み合わせてこう、良い感じに……)

「よっ。待たせたな」

 

 ニルヴェアが顔を上げれば、レイズは琥珀銃を背中に携えて戻ってきたところだった。だからニルヴェアは今考えていた疑問を素直にぶつけてみる。

 

「なぁレイズ。こないだも言ったけど、やっぱり僕もお前みたいに炎を出す琥珀武器? みたいなのを使えれば……」

「それも企業秘密っつったろ」

「むっ。だから企業秘密ってなんだよ」

「素人に説明すんのは面倒臭い、複雑な事情ってやつがあるんだよ」

 

 有無を言わさず突っぱねられて、ニルヴェアの眉間にむむむとしわが寄った。だがレイズは間髪入れずに言葉を続ける。

 

「つーか人のことより自分のことだろ。試し撃ちぐらいしてみろよ、武器は使ってなんぼだぜ?」

「あっ」

 

 レイズはニルヴェアの手からひょいっとハンドガンを取り上げた。それから親方に向かって声をかける。

 

「親方、やっぱ試射場借りるわ。こいつの試し撃ちだけどな」

「ったく……好きにしろよ」

「さんきゅ。ほら行くぞニア」

「こら、勝手に……!」

 

 ニルヴェアの制止も聞かず、レイズはさっさと店の奥へと向かって行ってしまった。その後ろ姿に対し、ニルヴェアはむっと睨みつけて唇を尖らせる。

 

「なんだよあいつ……」

「おい、嬢ちゃん」

「そういえばアカツキさんもなんか言ってたっけ。秘密主義とか……」

「おうい、嬢ちゃんってば」

 

 肩を軽く叩かれた。とんとん、と。

 

「は、はい!?」

 

 慌てて振り返ると、親方が苦笑していた。

 

「おっさんだからって無視はひどいぜ。そりゃ娘にはしょっちゅう嫌われてるけどよ……」

「す、すみません。そんなつもりはなかったんですが……ところで、どうされたんですか?」

 

 ニルヴェアが尋ねると、親方はいきなりニヤリと笑みを浮かべた。

 

「嬢ちゃん。あの坊主の鼻を明かしたくはねぇか?」

「へ? それはどういう……」

 

 言い切る前に、親方から1冊の本が差し出された。

 

「工房おススメの、初心者向け指南書ってやつだ」

 

 『獣でも分かる! 10歳から始める琥珀学』それが本のタイトルだった。

 

「この本、前にもここで立ち読みさせてもらった……」

「俺とて商売人の端くれだ。商売としちゃあこれ以上客の事情に突っ込む野暮もできねぇわけだが……嬢ちゃんなら、話は別だろ?」

「!」

 

 ――飄々としているようで実は純粋。そのくせして微妙に秘密主義。それがレイズという男だ。ガツンと一発かまさねば、ガードのひとつも破れんぞ?

 

 それが脳裏を過ぎった瞬間、親方の笑みが深まった。

 

「小生意気なやつを驚かすのはいつだって楽しいもんだ。だからこいつで勉強して、おっさんの代わりにあの坊主をびっくりさせてやれよ」



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3-4 ブロードとアカツキ(前編)

 5年前、とある事件が起こった。

 桜の都リョウランを治める領主。その実娘である三女が何者かに殺されたのだ。

 その死体の第一発見者は『ユウヒ・ヨイダチ』という女性だった。また彼女は用心棒として三女に仕えていた侍でもあった。

 そのユウヒ・ヨイダチの通報を受けて、捜査はすぐに始まった。それに当たったのは現地の役人及び、当時発足してまだ間もない越境警護隊であった。

 そして程なくして犯人は特定された。

 その名は――ユウヒ・ヨイダチ。

 事件の第一発見者こそが犯人だったのだと、あらゆる証拠と証言が示していたのだ。

 だがしかし……ユウヒ・ヨイダチは逃亡した。

 彼女を連行しようと集まった越境警護隊。その包囲を刀1本で切り崩し、そのまま行方をくらませたのだ。

 ゆえにユウヒ・ヨイダチは、今でもリョウラン領及び大陸全土における指名手配犯として扱われている。まだ幼き主を殺し、領主を裏切った大罪人として。

 

 

◇■◇

 

 

 ――約束の日まであと10日――

 

 剣の都の郊外に、1件の豪邸が建っていた。広大な敷地を高い塀が囲い、そして入り口は正門ひとつだがそこには屈強な警備兵が常に詰めている。

 そんな屋敷をブロードは”ほぼ真上から見下ろしつつ”、隣の相方へと声をかける。

 

「見えるかい、アカツキ。今日の目的はあの屋敷だ。表向きはとある富豪の別邸ってことになってるけど、その実は小規模な犯罪組織の根城だ。そいつらが神威と繋がっている、そんな証拠を上層部が掴んだらしい」

「だから襲撃、もとい強制捜査を仕掛けろということか。なるほど……正面突破はちと時間がかかりそうだが――”空”からなら随分と楽そうだ」

 

 ブロードとアカツキは、空を飛びながら話し合っていた。

 正確には、空飛ぶ何かに搭乗してそこから屋敷を見下ろしながら話し合っていた。

 それは卵を横に寝かせてその側面に翼を付けたような、奇妙な形をした乗り物であった。

 卵型の上半分は透明なガラスで覆われており、そこから見える内部は前後2つずつの座席が付いた4人乗り。

 ブロードは前側の運転席。そしてアカツキはその隣の助手席に乗り込んでおり、彼女は今そこから眼下の屋敷を見下ろして感心の声を上げている。

 

「しっかし”飛空艇”とは、越警もとんでもない技術を隠し持っていたものだなぁ。この手の技術はまだ諸々の都合で実用化されていないと聞いたが」

 

 その言葉に、ブロードは操縦桿を握りながら答える。

 

「まだ試験運用の段階でしかないよ。なにせこれは僕らにとっても未知の技術なんだから」

 

 未知の技術。気さくに飛び出た怪しげな単語に、アカツキが眉をひそめた。

 

「なんだその妙な触れ込みは。まさかとは思うが……遺産でも使っているのか?」

「あっはっは。そんな地に足付いた道具じゃなくて、もっと夢と浪漫に溢れた代物だよ」

「なーにを言っておるのだ。遺産以上に夢と浪漫に溢れた代物など、この大陸には……」

 

 ふと、アカツキはそこで言葉を止めた。それはなにかしらを察してしまったがゆえに。だが、彼女が口を開く前にブロードが告げる。

 

「そう。この大陸じゃない、別の大陸の技術を使っているんだ」

「まさか……魔法か? 人が箒に跨って空を飛ぶとか、そういう……」

 

 魔法。それはグラド大陸から遠き『魔の大陸』より微かに伝わる、おとぎ話のような代物である……はずなのだが、しかしブロードは当たり前のようにあっさりと語っていく。

 

「琥珀からエネルギーを抽出してなにかしらの現象を起こす。その技術の発端は魔の大陸から伝わってきた……って言われているんだ。だから逆に、今この大陸で独自に発達している琥珀技術に魔の大陸からの技術を掛け合わせれば上手いこといくんじゃないかって」

「ふむ。ということはなんだ? 越警は魔の技術を解析しているということなのか?」

「いやまさか。微かに伝わったそれをなんかそれっぽく組み込んでみただけさ。最初の5回はうんともすんとも言わなくて、次の3回は起動した瞬間に爆発して、あと2回は制御が効かず遥か彼方に飛んで行って、そんでよく分からないけどなんか安定してるのが今乗ってるこれね」

 

 要するに、爆弾に乗って空を飛んでいるようなものだった。

 そんな現状にさすがのアカツキもぽかんと口を開けていた……が、彼女も彼女で次の瞬間にはすぐ落ち着きを取り戻していて、

 

「よくもまぁ、そんなものに平然と乗れるな」

 

 そんなことを平然と言った。しかしそれに対してブロードもまた平然と返事を返す。

 

「しょうがないよ。いつだって今有る物でどうにかするしかないんだからさ。そりゃ僕だってリスクリターンぐらい天秤に掛けたけど……多少のリスクを考慮してでも、飛空艇(これ)がもたらすリターンは大きいだろ? ほら、今みたいにね」

 

 ブロードは会話している間も飛空艇の操作を続けていた。ゆっくりと旋回しつつ、屋敷の屋上へと近づいていたのだ。未知の技術によって飛ぶ飛空艇はほぼ無音で、屋敷の誰にも気づかれないまま屋上へと近づいていく。

 やがて飛空艇は屋上の開けたスペースに接近。そして着陸を試みた。まずは卵型の本体底部に格納されていた4足のホイールをにゅっと出して、それから地面に降り立った。

 接地の瞬間、一度だけ機体がぐわんと揺れたがそれによる騒音はほとんどなかった。あとは最後に本体側面の出入口(ハッチ)を開くだけ。

 こうしてブロードとアカツキは堂々と、しかし誰に気づかれることもなく飛空艇から出てこれたのだった。

 屋敷の屋上、敵地のど真ん中でアカツキは伸びをぐーっとひとつ。それから気さくに尋ねる。

 

「さて、今回はどうする。また片っ端から捕まえるか?」

「いや。上層部からの指令は(かしら)と幹部の捕縛だ。そして僕らの目的は……」

「神威と剣の都との繫がりに近づく手掛かりを掴むこと、だな。ならば”質”の違う動きをするやつがいたらヤクザ共とは別に捕縛。あるいはそれっぽい資料があれば適当に掻っ攫う。そんな感じで行くか」

 

 ブロードはそれに頷いた。その左手に何やら奇妙な武器を、大きなハサミを連想させる機械仕掛けの武器を握りながら。

 

「……また妙な武器を使うのだな」

 

 アカツキはブロードが持っているそれに疑問を抱き、それから自身の所感を述べていく。

 

「機械仕掛けの大バサミ……というには、断ち切るための刃が付いてないな。ならばどちらかと言えばレンチか?」

 

「そう。君の言う通り、これは断ち切るためじゃなくて挟んで捕獲するための武器だよ。飛空艇と同じくウチの技術部が試作した、捕縛特化の琥珀武器。『ワイヤーアーム』ってとりあえず呼んでるんだけど、変な見た目のくせして融通は利くんだよね」

「……飛空艇もそうだが、その技術部とやらは珍妙な物ばかり作るな。そしてそれを好んで使うおぬしも大概物好きだ」

「珍妙なのは同意だけど、これも飛空艇と同じで使えるから使ってるだけさ。と、立ち話もなんだし早速行こうか。時間は大切にしなきゃね」

 

 ブロードのそんな言葉に対して、アカツキは同調するように溜息をひとつ吐いた。

 

「確かに、剣の都に着いてからもう三日だ。ぼちぼち”当たり”のひとつも引かねばいい加減つまらぬな」

「つまるつまらないの問題じゃないんだけどね……」

 

 なんて呆れたブロードだったが……しかし狙い通り、あるいは図らずしも、このあとすぐにアカツキの言う”当たり”を引き当ててしまうのであった。

 

 

◇■◇

 

 

 屋敷の制圧は、瞬く間に完了した。

 屋上から侵入。不意打ちに次ぐ不意打ち。最後は乱闘になったが、それもアカツキが手ごろな火掻き棒1本(もちろん屋敷からかっぱらった)を振り回し、ちぎっては投げちぎっては投げの大立ち回り。ついでにそのちぎ投げされた敵をブロードが片っ端から気絶させたり手錠かけたり縄で縛ったり。

 そんなこんなで極めて作業的にかつスムーズに終わった”上層部からの任務”であったが、”2人の目的”としてはここからが本番であった。

 というのも、乱闘の最中にてアカツキが不審な動きをする少年を1人見つけて、それをブロードがすかさず捕えたのだ。それも例のワイヤーアームを使って。

 ワイヤーアームとは要するに、機械仕掛けのナックルから巨大なレンチを飛ばす琥珀武器である。ナックルとレンチは1本のワイヤーで繋がっており、ナックル側の操作でレンチを飛ばしたり掴んだりできるのだ。その上、琥珀を動力としてレンチから電撃を流すこともできる。

 つまりブロードはそのワイヤーアームを飛ばして不審な少年を掴み、電撃を流して行動不能にしたのであった。

 

 そして現在、屋敷の制圧が終わったあとも少年は拘束されたままだった。感電したその四肢はぐったりと投げ出されており、そうでなくとも巨大なレンチがその胴をがっちりと押さえている。

 それでも少年はブロードのことを強く睨みつけていて抵抗の意志を見せていた。しかしブロードはブロードでその敵意に動ずることなく、それどころか少年のそばへと歩み寄りながら優しい口調で尋ねる。

 

「僕が聞きたいのはひとつだけだ。君は、本当に神威と繋がっているのかい?」

「……」

「そう警戒しないでくれ。僕らは神威の情報が少しでも欲しいだけなんだ。もし情報を提供してくれるというなら、君の身柄の安全は越境警護隊の名に懸けて保証するからさ。もちろん、神威からも護ってみせるさ」

「……」

 

 少年は、なにも答えなかった。しかしその代わりに、侍が横から茶々を入れる。

 

「こやつは神威と繋がっている。そこは間違いないはずだ」

 

 アカツキが、少年へと歩を進めながら淡々と語っていく。

 

「潜入か派遣かは知らんが、いずれにせよただのヤクザの小間使いなら襲撃の際に冷静に周囲を観察し、人混みに紛れて窓から脱出しようだなんて器用なこと、考えられぬだろう?」

 

 やがて少年のそばへと辿り着いたアカツキは、歩みを止めて愛刀に手を掛ける――次の瞬間、少年の首元にはすでに白刃が突きつけられていた。

 

「……!」

 

 少年の表情が変わった。彼は息を飲み、恐れ混じりに白刃へと視線を向ける。対してそれを突き付けたアカツキは眉ひとつ動かさず、冷淡な声音で宣告する。

 

「潔く死ぬか、それとも全て吐くか、この場で選べ」

 

 少年の目がありありと開かれた。その瞳に映る感情は明らかだったが、しかしアカツキは動じない。

 

「拷問など侍には相応しくないからな。このまま黙秘を貫くというのなら、一太刀でその首を落としてやろうぞ」

 

 少年は何も答えない。しかしその顔は確かに蒼ざめていった。

 なにせ少年は知っていたのだ――この屋敷にいたヤクザの大半を打ち倒したのがこの女侍だという事実を。しかも彼女は今の今まで手持ちの刀すら使わず、適当な火掻き棒1本でそれを行ったのだという事実を。

 少年の心臓が、命の危機にドクドクと警報を鳴らした。少年の目が泳ぎ、その口がぱくぱくと開いては閉じた。

 しかし……少年の目も口も、やがてはきゅっと閉じて頑なに結ばれた。

 そんな彼の心境は如何なるものなのか、いずれにせよ少年は吐いて助かる道を選ばなかった。

 つまり彼は選んだのだ。女侍に首を落とされるその瞬間まで、ただ黙って耐える道を――

 

「いいよ。もう行って」

 

 青年の優しい声が、少年の耳へと届いた。

 

「……!?」

 

 少年がおそるおそる目を開くと、女侍はいつの間にか退いていて、代わりに少年を捕まえた青年が立っていた。

 

「電撃を流した上での捕縛。実力差を見せつけた上での脅し。それでもなにも言わないんなら、大した情報を持っていないんだろう。万が一そうじゃなくても、僕だって拷問とか嫌いだしね。子供相手ならなおさらだ」

 

 そんな言葉と共に、ワイヤーアームによる拘束が解かれた。ブロードの操作によってレンチ部分が開き、そして彼の手元へと巻き戻っていったのだ。

 一方の少年はといえば、突然戻った自由にしばらくぽかんとしていた。が、状況に気づくと慌てて立ち上がり、それから一目散に逃げだした。

 やがて少年が視界から消えて、屋敷内が静かになった。そしてその頃合いを見計らったかのように、アカツキが溜息を漏らす。

 

「やれやれ、電撃を喰らったばかりだというのに元気なことでござるな。それはつまり拷問への耐性があるということで、つまりは”そういうこと”ではないのか?」

「だろうね。死ぬまでなにも吐かないように、きっちり”訓練”されてるみたいだ」

「ならばなぜ逃がした?」

「大人は子供を護るもんでしょ」

「随分と甘いな……大陸における犯罪の撲滅が越境警護隊の存在意義。そうでなくとも『条約』としては犯罪者を殺してしまったとしても大抵の場合、正当防衛で成り立つと聞いたが?」

「おいおい……そりゃこの大陸は物騒だし確かにそういう法もあるけどさ。だからといって殺し合いなんて普通に嫌だし、正当防衛だって時と場合による……って、無駄話なんてしてる場合じゃないな。ここにはじきに越警の別働隊が来るはずだ。後処理は彼らに任せて、僕らはさっさと飛空艇であの少年を追うよ!」

 

 ブロードの言葉にアカツキは目を丸くした。が、その意図を理解するとすぐに鋭い笑みを浮かべて。

 

「くくっ。なるほど、あの少年を囮に他の構成員を炙り出すわけか。ある意味では拷問よりも鬼畜だな?」

「いーや。確かに囮には使うけど、だからといってあの少年に危害が及ぶ前にはきっちり保護するよ。僕の見立てじゃ”喋らない”というよりも”喋れない”って感じだったしね。やっぱ放っておけないだろ」

 

 ブロードはそう言いつつも、その足はすでに飛空艇へと向けて早足で歩き始めていた。ゆえにアカツキもそれを追いつつ、そして再び声をかける。

 

「上層部からの任務に独自の調査、それに子供の保護か。時間がないくせして、余裕は随分とあるようだな?」

「余裕の有無なんて関係ないだろこういうのは。越境警護隊はグラド大陸を、ひいてはそこに住む人々を護るためにある。こんな危ない仕事早く辞めたいけどさ、でもそこに籍を置いている間くらいは役目を果たさないとね」

「なんというか、ありきたりな所感でござるな」

「ふんっ。どーせ君と違って僕は凡人ですよーだ」

 

 前を歩くブロードの肩が少しだけ大げさに揺れた。それを見て、アカツキはくすりと笑う。それからそっと、小さな声で。

 

「……そうだな。それがおぬしの美徳なのだろう」

 

 ――おぬしはなぜ拙者を信じられる? おぬしの命を救ったとはいえ、拙者が冤罪である根拠も証拠もないのだぞ?

 ――理由なく命を救ってくれた人がいる。なら理由なく信じたっていいだろ? でもそうだな……強いて言うなら君の刀捌きってすごいかっこいいし、男子はみんな居合切りとか好きなんだよ

 

 アカツキが静かにほほ笑む。しかしブロードは振り返ることなく、アカツキの表情を見ることもなく。

 

「今なんか言ったー?」

「いいや。おぬしはまっこと珍妙なやつだと思ってな」

「なんだよいきなり! てか君にだけは言われたくないしこのエセ侍!」

「随分な言い草だなぁ。前は刀捌きがかっこいいとか言ってくれたではないか」

「それはそれとしてその茶化し癖はなんとかしろとも前から言ってるよね! まったく、こんな切羽詰まったときにどうしてこう真面目にできないかな……」

 

 ブロードが呆れながら振り返ると、そこには堂々とした笑みだけがあった。真面目と不真面目の間ぐらいの、妙に自慢げな表情だった。

 

「そう焦らなくても大丈夫だ、ブロード。なにせおぬしの背にはこの拙者が、ユウヒ・ヨイダチがついているのだからな!」



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3-5 ブロードとアカツキ(後編)

 ――約束の日まであと8日――

 

 そこは剣の都の市街でも有数の、とある高級ホテルであった。そして今夜、とある男女2人がそこの部屋を1室だけ借りていた。

 つまりホテルの1室に2人の男女。ならばすることなどひとつしかない。

 

「例の少年を追って、彼と合流した神威の構成員たちを捕まえて、そこからようやく見えてきた物があるわけだ」

「つまり、ようやく当たりを引いたのだな?」

 

 そう、会議である。

 片や鈍色の髪をオールバックに整えた青年。片やぼさぼさ髪を適当に纏めた女侍。

 見るからに対照的な2人はしかし今、いくつかの資料が乗った机を挟んで向き合い、2人でひとつの議題に取り組んでいる真っ最中であった。

 

「当たり……とは言い難いけど、少なくともハズレではないかな」

「回りくどいな。あれか、手掛かりの手掛かりみたいなやつか?」

 

 アカツキの問いにブロードは頷いた。

 

「僕らの最終目的は剣の都と神威との繫がりを明白にすること。そうすれば逮捕に踏み込めるし、上層部だって動かせる。もちろん、まだそこまでには至ってないんだけど……それでも今回の件で見つかった手掛かりは相当大きな物のはずだ。なにせ、剣帝ヴァルフレア直属の護衛騎士である『白騎士エグニダ』に繋がってるんだから」

 

 ブロードが出したその名に、アカツキは顎に手を当てて考え込む。

 

「護衛騎士……主君専用の用心棒みたいなものか。懐かしい響きではあるが……しかし、そのエグニダとやらがどうしたというのだ?」

「そうだな……君はその口ぶりから察するにエグニダのことを知らないんだろ? だったらまずそこから話すよ」

 

 そう前置いてから、ブロードは語り始める。

 

「この白騎士エグニダって男はその二つ名の通り真っ白な鎧を身に纏ってるんだけど、公の場において彼はその白鎧を脱いだことがないんだ。本当に一切、兜すら取らず、誰もその中身を見たことがないんだよ」

「ふむ。真っ白な鎧に不詳の素顔か……どことなく、寡黙で忠に厚そうではある、が」

「そう。君が、あるいは世間がイメージするようなそういう性格だってよく言われてるね。正に騎士の鏡だと」

「なるほど……ならば実力の方はどうなのだ?」

「そもそも主である剣帝が超強くて、その直属の護衛騎士っていうくらいだ。少なくともブレイゼルの中じゃ実力も名声もエリート中のエリートといって差支えないはずなんだけど、そのわりに所有する屋敷は小さくて、しかも剣の都の端の方。人気のない森の中にひっそりと建てられてるんだってさ……と、ざっくりあらましを話してみたわけだけど、ここまで聞いてどう思った?」

 

 ブロードの問いにアカツキは腕を組んで、しばらく押し黙ってから……やがて結論を一言で。

 

「ウケはいいだろうな」

「というと?」

「一切気取らず自己主張もせず、ただ粛々と主に付き従う。それは主従における理想形のひとつであろう。加えて主が音に聞くような厳格で勇ましき剣帝とあらば、なおさらそれらしくも見えるか」

「その通り。実際、2人の主従関係は民衆にウケてるんだよ。エグニダの素性が曖昧だから、想像だって色々捗るらしいしね」

「であろうな。中身を見せず、ろくに語らず、屋敷だって森の中……怪しい仮説も、いくらだって立てられる」

 

 アカツキの瞳が鋭く光った。

 彼女の眼には、すでに映っていた。白……ではなくその真反対の色を纏う、1人の”騎士”が。

 

「黒騎士――その正体こそが白騎士エグニダだ……そう言いたいのか? ブロードよ」

 

 アカツキが答えを導き出した。その途端、ブロードの顔に苦笑が浮かぶ。

 

「まぁそうなんだけど、先に言われちゃったなぁ……」

「ふふふ、拙者は真面目さと聡明さに定評があるからな」

「どこの定評だよ……」

「今考えた。しかしあれだな。ヴァルフレア直属の護衛騎士(イコール)黒騎士だというならば、納得がいくことも多いな」

 

 ブロードはそれに同意して頷き、それからひとつの例を挙げる。

 

「剣ノ勲章、とかね」

 

 それはかつて黒騎士がニルヴェアを説得するために掲げた勲章。九都市の領主が直々に、直接認めた相手にのみ送る貴重な勲章であった。

 

「うむ。やつが護衛騎士だというなら持っていてもおかしくない。むしろ持っていないとおかしいくらいだ……なるほど、段々面白くなってきた」

 

 アカツキは鋭い眼光に重ねて、獰猛な笑みを浮かべした……が、そこでふと思いだす。

 

「ああそうだ。話を少し戻すのだが……結局、その『白騎士エグニダについての手掛かり』とは一体なんなのだ?」

「あ、そういえば話が逸れてたね。そうだな……そもそも僕らが押し入ったヤクザたちは運送業を営んでいたんだ。なにかといわく付きな品物を運ぶ、裏の運送業ってやつをね。で、そいつらがどうもエグニダの屋敷にもなにかを届けていたみたいなんだ。それも神威の下っ端を通じて、ね」

「神威がヤクザと組んで胡乱なブツを、か……ところでその届けていた中身というのはもう分かってるのか?」

「いや、そこまでは掴めなかった。自分たちの運んでいた物がなんなのか、誰1人知らなかったらしいんだ」

「なるほど。神威らしいというべきか、未だ実態は曖昧だが……しかし胡乱っぷりは良い感じに充満してきたな」

 

 アカツキの言葉に、ブロードはただ無言で頷いた。それから彼は神妙な面持ちでこう告げる。

 

「ひたすらに怪しく、ひたすらに曖昧。まだ決定的な証拠はなにも掴めてない……」

「ならばどうする?」

「エグニダの屋敷に直接乗り込んで、確かめる」

 

 その断言に迷いはなかった。ゆえにアカツキは「ほう!」と感心の声を上げつつも、しかしすぐに問いかける。

 

「しかしいいのか? 万が一なにも見つからなければ、犯罪者は我々の方になるぞ。拙者はべつに構わんが……」

「これは半分直感なんだけどさ、もうためらってる時間はないんだよたぶん。だから今ある手札で足掻けるだけ足掻いてみようよ。まぁなにもなければ犯罪者だし……そうでなくとも相手は大陸最強の剣士と名高い剣帝の護衛なんだ。当然、実力も折り紙付きのはず。もし直接対決ともなれば苦戦は必至、それでも……」

 

 ブロードはその優しげな垂れ目で、しかし力強くアカツキを見据えた。

 

「賭け金が大きい分、上手くいけば実入りも絶対に大きい。やつが『黒騎士』である証拠を掴めれば、芋づる式に黒幕にも手が届くかもしれないんだ。これを逃す機会もないだろ?」

「ふはっ。相変わらず、妙なところで思い切りが良いでござるなおぬしは」

 

 と、アカツキはそこであることに気づいて表情を変えた。

 

「しかしブロードよ。そういえばおぬしだって一応、越警という組織の一員であろう?」

「一応て」

「元より単独行動の多いやつだとは思ってはいたが、こればかりはさすがに仲間などを呼ばなくて良いのか? それに仮にも組織なのだから、上司の許可など面倒な手間暇が必要だったりもせんのか?」

「あー……うん、まぁ本来はそうなんだけど……その、ほら、うちって成果主義だし、事後報告でも、まぁ……そこはプレキシブル的な……」

 

 ブロードは何やらごにょごにょと呟きつつも、その表情を徐々に悩まし気なものへと変えていく。

 そんな様子をアカツキはじっくりと観察していた。にやにやと、イヤミったらしい嗤いを浮かべて。

 

「それとも、これも”握り潰される”のか?」

「……」

 

 ブロードはやがて、「はぁ……」と溜息一つだけを吐いた。それが解答の代わりであることを、アカツキはすぐに察したのであった。

 

 

 ◇■◇

 

 

 それは今より6日前。

 調査のために越警技術部お手製の”飛空艇”で剣の都へと飛んでいく、その道中での会話であった。

 

「”調査”を一旦打ち切り、他の隊員と協力して”事件”の鎮圧に当たれ。そんな命令が実は上から出てるんだ」

 

 ブロードが飛空艇を運転しながら語ったその事実に、助手席のアカツキは目を丸くした。

 

「調査って、たしかおぬしが進めておる剣の都の調査のことか?」

「その通り。それで上が言ってる事件ってのは、これも話したと思うけど『ブレイゼル領内で散発的な事件が立て続けに発生してる』ってやつだ」

「なんか聞いた気がせんでもないな。神威の仕業っぽいとかなんとか……」

 

 アカツキはやや薄れてきた記憶から、該当する会話をなんとか思い出していく。

 

 ――越警や現地の騎士の対応で現行犯は一応毎回捕まえてるんだけど……なんか尻尾切りっていうかさぁ

――尻尾切り……つまりそいつらは囮ということか?

――実のところ、個々の事件の規模に対して越警から割かれる人員も明らかに過剰なんだ

 

「ほほう? なんとなく読めてきたぞ。要は今の越警にとってはおぬしもまた邪魔者なわけだ」

 

 アカツキがしたり顔でそう言えば、ブロードは途端に苦い顔を見せた。

 

「悪いのは、上層部に巣食うごく一部の人間だけだ。ほとんどの隊員はこの大陸をより良くしようと頑張ってるし、上にだって信頼できる人はいるさ」

「くくっ、すまないな。おぬしを見ていれば、全部が全部腐っているわけではないことくらい分かるでござるよ。まぁそれはそれとしてだ……上からそんな命令が来たというのに、おぬしはこうして剣の都に直接乗り込んで調査を続行する気だ。それは普通に命令違反ではないのか?」

「べつに、命令に背くつもりはないよ。そのために君を連れてきたんだし」

「……ほう?」

「上からの任務を手早く終わらせて、空いた時間で剣の都の調査を続ける。君という実力者も、この飛空艇っていう胡乱な代物も、全てはそのために用意したんだ」

 

 

◇■◇

 

 

「まったく、苦労が好きな男だな。おぬしは」

 

 アカツキのからかうような一言。それに対してブロードは、またひとつ溜息を積み重ねてから返事を返す。

 

「好きじゃないから頑張ってるんだよ。のちのち本当に苦労しないようにね」

「ふむ。のちのち、というと”約束の日”のことか?」

「とりあえずはね……ここでエグニダ(イコール)黒騎士という大きな証拠を挙げて公にする。あるいはいっそあいつ自体を捕縛してしまえば、上層部だってもう取り繕えないだろ。上の思惑がなんであれ『越境警護隊』としての体面を護らざるをえない状況に持っていく。そして約束の日までに組織を動かして貰って速やかに事件解決、といけば万々歳だ」

「なるほど。大捕り物で組織全体を動かすとは、大それたことを考える……まぁ拙者としては少年少女と合流してから黒幕と直接対決としゃれこむのも悪くないと思うがな」

 

 アカツキのそんな軽口に、ブロードはすぐジト目を向ける。

 

「……君がなにを考えていようとも、僕は今でもニルヴェア様を巻き込むのには反対だからね」

「なんだ。1杯奢っておきながら、まだそんなことを考えておるのか? 諦めの悪いやつだな」

「君が諦め良すぎるんだ。それに、どこまでいってもニルヴェア様はまだ15の子供で、しかも戦う必要なんてない世界で生きてきた子なんだ」

「そうだな。しかしニア殿はおぬしが思っているような箱入り息子……娘? ではないかもしれんぞ。芽が出るかはニア殿次第だが……」

「正直、できることならレイズ君にだって頼りたくない」

「ほう?」

 

 アカツキはそこで気づいた。ブロードの真意……というには、あまりに素朴な感性に。だから彼女はあえてその質問をぶつけてみる。

 

「くくっ……しかしなブロード。レイズは越境勲章を持っておる。つまりおぬしの組織そのものが、あやつを実力者として認めているのだぞ。それでもおぬしはあやつを子供とみなすのか?」

「みなすもなにも子供は子供だ。そして僕ら越境警護隊は”未来”を護るのが仕事なんだ」

 

 ブロードは迷うことなく断言した。

 しかしそれからすぐに、ふっと表情を緩めて。

 

「正義の侍なら、そこら辺分かってくれると思うんだけど?」

 

 アカツキはその言葉に一瞬だけ目を見開き、しかしすぐにほほ笑み返す。

 

「まっことお主はどこまでも普通で、どこまでも変なやつだな」

「え? なにそれ、馬鹿にしてる?」

「馬鹿にしてる」

「君ねぇ……」

「しかしだからこそ、信用に値する」

 

 ユウヒ=ヨイダチの笑みが、不敵なそれに変化した。

 

「賭け金が大きいほど実入りも大きいというのなら、一人より二人の命を張った方が返りも大きいということだろう? ならば拙者も、お主の賭けに一口乗らせてもらおうか」



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3-6 少年少女と遠い憧れ

 ――約束の日まで残り7日――

 

 ニルヴェアは昨日からずっと考えていた。

 

 『自分の道をはっきりさせろ』

 

 昨日、レイズにそんな宿題を課されたからだ。

 彼曰く、心技体がひとつ。心が折れないためには譲れない物が必要なのだという。

 例えば目の前の目標、将来の願望、やりたいこと、護りたいもの……とにもかくにも未来を望むその意思が、今の自分を踏ん張らせるのだと彼は説明した。ひとつの問いと共に。

 

『この事件を解決したあと、お前はどうしたいんだ?』

 

 ニルヴェアはずっと迷っていた。今でもまだ迷っている。

 

(僕が欲しい未来。僕が目指している人は……)

 

 とはいえただ迷っていても、貴重な時間が過ぎるばかり。だからニルヴェアは迷いを頭の片隅に置きながらも、今は目の前の修行に集中していた。

 

「ふー……」

 

 ゆっくり息を吸って、吐き、眼前の”敵”へと神経を研ぎ澄ます。それに合わせるかのように、敵を括りつけた木の枝がぎしぎしと音を立てた。

 

 ――ところで本日の敵は、ニルヴェアお手製のサンドバッグ(麻布製)である。

 実はニルヴェアは屋敷にいた頃から、自主練のためにこの手の練習器具をたまに手作りしていたのだ。

 

『え、なにその謎特技。やばっ』

 

 とはレイズの言だが、それはそれとしてニルヴェアはこういう状況には結構慣れ親しんでいたのである。

 

(よく練習している連携と、それに武器を絡めるだけだ。だから気負うことなく、力を抜いて……)

 

 サンドバック相手での蹴る殴るの練習は、自主練でもよく行っていた。今回はそこに加えて、敵が怯んだところで腰に差した短剣を間髪入れずに抜き放つ……。

 

「……っし!」

 

 イメージと決意を固めて、それから最初の1歩を踏み出して、そのまま一気に駆け出した。

 視界の中でサンドバッグがずわっと大きくなっていく。だがそれに臆さず体をひねり、1回転からの回し蹴りをぶつける。

 己の脛と麻布の表面がぶつかり合い、バスッと激しく打ち鳴らされた。サンドバッグが大きく揺れて、視界から一瞬消える。しかし蒼の瞳はそれをすかさず捉えて追撃に入った。

 脚を踏み込み、腰を落として、体をぐっと捩じりこんで、限界まで力を引き絞る。

 

(女になって体が柔らかくなった。しなやかな弓のように、もっと力を引き絞れるようになった……はず。まぁ比べる術も、大した根拠もないけれど)

 

 ――なんでも前向きに考えて、使える物はなんでも使えよ

 

(前よりも良い一撃になる、多分!)

 

 そう信じて溜めこんだ力を解放。右の拳をおもいっきり振りかぶる!

 バスンッ! 快音が耳に響き、視界の中ではサンドバックが一層大きく揺れた。

 ニルヴェアは確かな手応えに頬を緩め、さりとて気は緩めることなくすぐに体勢を戻した。そしてその頃にはもう、サンドバッグはニルヴェアの目の前へと迫ってきていた。振り子のように、あるいは逆襲者のように。それに対してニルヴェアは1歩だけ後退ったが、

 

(闘うって決めたなら、逃げちゃいけないんだ)

 

 決して視線はサンドバッグから離さなかった。むしろ突っ込んでくるそれとタイミングを合わせて、跳躍。右脚を槍のように突き出して、サンドバックへとぶっ刺した。

 

「せいっ!」

 

 3度目の快音。3度目の手応え。それをしかと感じながら、蹴った反動を使って後方へと跳んだ。そのまま綺麗に……

 

「おっ、と」

 

 少したたらを踏みながらも着地に成功。サンドバッグとの距離が離れたことを目視で確認するとすかさず武器へと、腰の右側に差したお守りの短剣へと右手を添えた。

 無駄に力まないよう、されど勢いは落とさないように素早く柄を握ってホルスターから引き抜き――つるっ、と。

 

「あっ!」

 

 気づいたときには手からすっぽ抜けていた。

 力を抜き過ぎて、しっかり握れていなかったのだ。しかしニルヴェアがそれを自覚したときには、短剣はもう宙をくるくると舞っていた。その1秒後、短剣はぽてっと地面に落ちた。

 

「あ~~……」

 

 ニルヴェアは露骨にげんなりしながら短剣を拾いにいった。一方、地面に落ちた短剣は太陽の光を浴びてちかちかと光っていた。まるで自らの居場所を示すように。

 

(おかげで失くさないのはいいけど、今はこの眩しさが目に刺さる……ついでに心にも刺さる……)

 

 まるで己の未熟さを咎められているような気分。それが被害妄想であることを自覚しつつも、しかし気分は勝手に落ち込んでいく。

 

「アカツキさんたちと合流するまであと1週間。時間がないってのに、こんな調子じゃ……」

 

 なんて呟きながら、右手で短剣を拾い上げた。それから土埃を左手で軽く払う……と、その綺麗な刀身に金髪蒼眼の少女の顔が映りこんだ。まだまだ幼げで丸っこく、ニルヴェアが目指す”理想”には何もかもが足りていない顔だった。

 

「ああもう! この体が男のままならもうちょっと、迫力だって……」

 

 言いかけて、しかし首を横にぶんぶんと振って邪念を払う。

 

「今は文句言ってても仕方ない! そうだよ、べつにこの顔だって兄上みたいにもうちょっとこう……」

 

 ニルヴェアは右手で短剣をもったまま左手を左目の端まで持っていくと、そこを指で押してきゅっと引っ張り左目を釣りあげてみた、けど。

 

(全然イメージ通りにならない……)

 

 なんてがっくしきて。

 

「なーに面白いことしてんだ?」

「うひゃあ!」

 

 不意な呼びかけに跳びあがった。慌ててすぐに後ろを振り返ると、そこにはすっかり見慣れた相方が。

 

「今日の昼飯は俺お手製のサンドイッチだ」

 

 存外可愛らしいバスケットを持って立っていた。

 

「出来立てが1番旨いんだから、とりあえず食べようぜ」

 

 

◇■◇

 

 

 いわく『どんなときでも飯は旨い方が良い。それがナガレの流儀』らしい。

 というわけで今日の昼飯は新鮮なレタスにトマト、それに焼き立ての豚肉をこれまた焼き立ての食パンでぎゅっと挟んだレイズお手製のサンドイッチである。シンプルながら、色鮮やかな見た目良し。香ばしい香り良し。そして当然味も良しと、三拍子が揃って食欲をそそる一品を、2人で並んで原っぱに座りいただきます! と思いきや。

 

「…………」

 

 ニルヴェアはひたすらにもそもそと、なにも喋らずに食べていく。

 

「……はぁ」

 

 なぜか時折ため息までつきながら。

 そしてそんな彼女の隣では、レイズがやたら挙動不審になっていた。彼はニルヴェアが一口食すたびに彼女のことをちらりと見ては、そわそわしたり肩を落としたりしているのだ。

 ちなみに、修行中の料理担当は7割がたレイズである(残りの3割は外食)。

 しかしレイズが待てど暮らせど、ニルヴェアはただもそもそ食べているばかりだ。やがてしびれを切らしたのか、レイズはおそるおそる話しかける。

 

「な、なぁ」

「……えっ、あ。どうしたんだ?」

「いや、その……なんていうか、いつもはもっと旨そうに食うじゃん……」

「えっ、と……?」

「だ、だから! もしかしたらこれまずかったのかなって思っただけだよ!」

「! いや、そんなことないぞ! お前の料理はいつも美味しいし、今日のだってすごい好きだ!」

 

 ニルヴェアはそう力強く言うと、今までの調子から一転して一気にもしゃもしゃ食べ始めた。

 その勢いの良い食べっぷりに、レイズは少しだけ頬を緩める。

 

「お、おう。だったら良かった」

 

 しかしその顔にはどこか心配の色を残していて。

 やがてバスケットの中が空になった頃、レイズは率直に尋ねる。

 

「で、結局なんでしょげてたんだ?」

「え……?」

「修行で悩んでることがあるなら早く言えよな。本当はそこまで手助けするべきじゃないと思うんだけど、ぶっちゃけ時間ねーからさ。俺にできる範囲でなら一緒に考えてやるよ」

「レイズ……」

 

 ニルヴェアは少しだけ、ためらうような素振りを見せた。だがやがてぽつりと口を開く。

 

「いつかこの屋敷を出て、兄上のような誰よりもかっこいい武人になりたい」

「!」

「ぼんやりと、ずっとそんなことを願っていたんだ。だけど……」

 

 そう語るニルヴェアの表情は苦と笑で半々だった。

 

「今こうして屋敷の外で、強くなるための修行をしていて、それで改めて実感したよ。まだまだ兄上には全然届かないってことをさ」

「ニア……」

「あ、べつに諦めたわけじゃないぞ! 届かないから諦める、なんて兄上なら絶対に言わないからな。だから僕だって強くなることを諦めない。だけど……」

「憧れの人が遠すぎると、なんか分かんなくなるよな」

「!?」

 

 ニルヴェアは驚きと共にレイズを見た。蒼の瞳に映る少年は、少しだけ照れくさそうに笑いながら語る。

 

「俺なんかが本当にあの人みたいに強くなれるのか。そもそも俺なんかとはなにもかもが違い過ぎて、その背を追う道筋すら分からないのに。こんな曖昧なまま進んでいいのか? もっと堅実な着地点を目指すべきじゃないのか? 届かないものは、結局なにをしたって届かないんじゃないのか……」

「っ……!」

 

 胸が苦しくなるほどの共感。ニルヴェアが思わず胸の辺りで拳を握ったその直後、レイズの照れが一層深まった。

 

「その……実は俺も、アカツキに憧れてたんだよ。つうか……今でも憧れてる」

「……へ?」

「なんだその顔」

「だってお前、弟子じゃないー! っていつも意地張ってんじゃん」

「うっせ! それはそれとしてだ! だってあいつの居合切りってかっこいいだろ! なんでも一発で斬っちまうし! あ、これ絶対あいつに言うなよ! 言ったらマジで怒るからな!」

 

 なんてことをレイズは一気に捲し立ててきて、だからニルヴェアは少しの間ぽかんとしていた……けれど話を飲み込めば、素直に納得ができた。

 

「分かった分かった。実際かっこいいもんなあの人。真面目にやってればだけど」

「そうなんだよ。真面目にやってりゃかっこいいんだよ。真面目にやってりゃな」

 

 そんなことを言い合い、お互いに笑い合う……と、ニルヴェアの中でふと疑問が湧いてきた。

 

「そういえば、お前とアカツキさんって結局どんな関係なんだ? お前がアカツキさんに色々手ほどきを受けた、ってことはなんとなく分かるんだけど」

「あー、それな……どっから説明したもんかな……」

 

 レイズはしばらく迷う素振りを見せていた。だがやがてニルヴェアと向き合って、それから語り始める。

 

「そうだな……アカツキはさ、俺にナガレとして旅をするための全部を叩きこんでくれた恩人なんだよ」

「全部……?」

「旅をするための基礎知識とか戦闘技術とかな。つまり俺が今こうして旅を続けられるのはあいつのおかげで、そういうことだから一応まぁ、尊敬とか恩義とかも結構あるし、そうなるとさ、やっぱ俺だって刀、使いたくなるじゃん?」

「っていうわりに今は使ってないよな。むしろ銃って真逆の遠距離武器だし」

「……すっぱり言われたんだよ」

「なにを?」

「お前に剣の才能はないって」

「あ……あ~~~~~~」

「むかつくなその反応!? とにかくだから憧れの人に届かないって悩むお前の気持ちも少しは分かるってそんだけ! はいこの話終わり終わり!」

「あ。なんかいっこ分かったかも」

「は? なんだいきなり」

「要はお前、拗ねてたのか!」

「なんだいきなり!?!?」

 

 レイズが目を引ん剝いた。だがしかし、ニルヴェアの頭は納得でいっぱいだった。

 

「お前がアカツキさんを師匠って呼ばない理由。刀を教えてもらえなかったから拗ねてるんだろ」

「すっ……拗ねてねーよ! ただ、その、だな……剣技のひとつも習えないのに師匠って呼んでも締まりがわりーだろ!」

「そうか? でも……」

 

 ――レイズを頼んだぞ、ニア殿

 

「……師匠って言ってあげれば、喜ぶと思うんだけどな」

「余計なお世話だ! んだよ人がせっかく心配してやったっつうのに……もーいい。そんだけ言う元気があんならさっさと修行に戻れよ。しっしっ」

 

 レイズは実に嫌そうな顔をして手を払い、ニルヴェアを追い返そうとした……が。

 

「そういえば、もういっこ分かったことがあったんだ」

「今度はなんだよ……」

 

 レイズはげんなりしながら尋ねたが、逆にニルヴェアはほほ笑んで言う。

 

「無駄にはならないんだなって」

「……なにが?」

 

 レイズにはその意図が全く分からなかった。が、しかしニルヴェアいわく。

 

「お前はアカツキさんと同じ剣を振るえないけど、それでもアカツキさんから色々教わって、それが今お前の力になっている……だから思うんだ。もし憧れて目指した誰かになれなくても、その背を追いかけて積み上げたものは、ちゃんと力になるんだろうなって。だから僕も、今は僕の憧れを信じてとにかく前に進んでみたいって、そう思ったんだ」

 

 彼女は語りきった。ただ真っ直ぐに前を見据えて。

 しかしその一方で、そんな彼女の横顔を見つめるレイズの表情はぽかんとしていて。しかし、しかし。

 

「……ふはっ」

 

 レイズは唐突に笑った。

 堪え切れなくて、つい。そう言わんばかりの笑い方に、ニルヴェアの眉根がむっと寄る。

 

「なんだよ」

「いーや? そういう図太いっつうか、妙に気の抜けるとこがお前の良いとこだよなって改めて思っただけだ」

「お前、まさか馬鹿にしてるのか!?」

「してねーよ。『今は僕の憧れを信じてとにかく前に』か。いいじゃん、お前らしさあって」

「やっぱ馬鹿にしてるだろ!」

「だからしてねーって。ほら、お前のそういう図太さは兄貴好きを拗らせた結晶だろ? ちゃんと積み上がってるなーって」

「やっぱ馬鹿にしてる! ぐぬぬ……ちょっと待て! お前はだな……えーっと、あーっと……」

 

  ――おぬしにもぼちぼち見えてると思うが、レイズの良きところは……

 

「擦れてないのがいいとこだ!」

「……は?」

「あと意外と世話焼き! 家事炊事が上手い!」

「え、なに。なにが始まったのこれ。なんか話ずれてない?」

「それにいつも強いし、たまに冷たくて怖いけど、でも結局はいつも僕に選ばせてくれていただろ」

「な……!」

「黒騎士から逃げたとき、旅に出たとき、修行を決めたとき……お前はいつも僕に道を示してくれた。そういうのがなんとなく分かってきて、そしたらお前の冷たさや怖さへの見方も変わってきた」

 

 ニルヴェアは一方的に押し付け続ける。ただただ唖然とするレイズを置いて。

 

「兄上語録に『魂剣一体の心得』というのがあるんだ」

「今度はなんだ!?」

「ざっくりかいつまむと、この心得は2つの教えに別れているんだ。まずひとつ目が『剣を振るう時には魂を乗せろ』……つまり剣を振るう理由を自分の中でしっかり持てってことなんだけど、ここら辺はむしろお前の方が肌身で感じているだろうから詳細は一旦省く。で、今重要なのはもうひとつの教えの方なんだ。それこそが『どれだけ魂を乗せようとも、剣を振るえなければそれは魂が乗っていないのと変わらない』というものなんだよ。この意味も分かるよな?」

「お、おう……それってつまり、どんな想いがあろうとも行動しなきゃ意味がないってことだろ。なんつうか、手厳しい正論って感じだよな……あっ」

 

 レイズは意見を口にしてから、はたと気づいた。この兄上拗らせ女(男)に下手なこと言ったらまだ面倒なことになるのではないかと。

 しかしその予想に反して、ニルヴェアの表情は穏やかなものだった。

 

「そうだな。だけど優しい言葉でもあるって僕は思うんだ」

「優しい……?」

「だってこのあとにはこう続くんだ。『人はただの道具に魂を乗せられる。言葉で意志を伝えられる。行動で己を立てられる……想いを形にできることこそが人とそれ以外を分つ境界線。人だけが持つ唯一無二の力だ。だから己が信じた剣を振るい続けろ。信念を世界に示し続けろ。諦めさえしなければそれはいつか形を成し、届くべき場所に届くだろう』ってね」

「それは……」

 

 長く、そして重いその引用をレイズが飲み込む……その前にニルヴェアが先んじた。

 

「レイズ。お前がその正しさを示してくれたんだ」

「っ!」

「だってお前の強さも怖さも冷たさも、全部優しさの裏返しだったことを僕はもう知っているんだ。誰かのために強くも怖くも冷たくもなれる……」

 

 ニルヴェアは、少しだけ照れくさそうに頬を染めながらはにかんで。

 

「それがお前の1番の良いところだよ、レイズ」

 

 瞬間、レイズが爆発した。

 

「っ!?!?!?」

 

 当然、ここで言う”爆発”とは顔を耳の先まで真っ赤にして全力で視線をあらぬ方向へと向けてついでに「なななななんだよいきなりこっぱずかしいこと言いやがってばーかばーか!」と負け台詞をぶん投げることなのだが、しかしニルヴェアは臆することなく、むしろにやにやと。

 

「こうやって直球で言うと結構照れるのも良いとこだと思うよ僕は」

「くっっっそすげーむかつく!!!」

「よし勝った! すごい満足した! それじゃあ修行に戻るな!」

「ばーーーーーーーーーか!!!」

 

 レイズは吠えながらも体を丸めて顔を隠していた。一方のニルヴェアはすでに元気よく立ち上がっていた。

 ここに両者の勝敗は決した。ゆえにニルヴェアは意気揚々と修行に戻ろうとしたが、

 

「あ! そういや宿題、忘れてねぇだろうな!」

「はえ?」

 

 ニルヴェアが振り返ると、レイズは未だに丸まっていた。だがその声だけは微妙に威勢が良かった。

 

「とにかく前に進むのはいいけど! それはそれとして、せめてこの旅が終わったらどうするのかくらいは決めとけよ! ほんとモチベに関わるからなそういうの!」

「あ、それならひとつだけ……」

「ひとつだけ?」

「……やっぱ内緒!」

「はぁ!? まぁべつにあるならいいけどよ……」

 

 そう言いながら、レイズはついに重い顔を上げた。まだ赤みの残った頬を見せながら、よっこいしょと立ち上がって呟く。

 

「明日からのことを考えると、気力が充実してるに越したことはないしな」

「ん、どういうことだ?」

 

 ニルヴェアはきょとんと首を傾げて、対するレイズはそんな彼女へと視線を向ける。彼の顔にもう火照りはなく、むしろ真剣な眼差しがニルヴェアをしっかりを捉えているのであった。

 

「明日にはこの街を出る。ここからは実戦で鍛えるから、覚悟しとけよ」



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3-7 秘密と秘密を探る人たち

 ――レイズはあまり過去を語らない。

 僕が知ってることといえば、アカツキさんにナガレのノウハウを教えて貰ったこと。ずっと1人で大陸中を旅してきたこと。そして僕と同い年なのに越境警護隊に認められるほどの実力を持つこと……それぐらいだ。

 だけどたぶん、それだけじゃない。あいつの過去にはどうも大きな秘密があるらしい。

 ……って言っても、べつにそれ自体はいいんだ。だってレイズは旅客民(ナガレ)なんだから。

 そこかしこに獣が跋扈し、街がすべからく壁で囲まれ、街から街への移動でさえも管理されているこのグラド大陸において、定住を許されない義務を背負ってでも旅を続ける権利をあいつは選んでいるんだ。

 むしろそこにはなにか事情が有る方が自然で、例えばアカツキさんだって『姫様』との思い出をあんなに楽しそうに語りながらも、今ナガレをやっている理由をあまり語らないのだって、つまりはそういうことなのだろう。

 そういう事情を無暗に暴き立てるのは良くないことだ。特にレイズには返しきれないほどの恩があるのだから、なおさらだ。

 だけど、それでも僕は……

 

 

◇■◇

 

 

 ――約束の日まで残り6日――

 

 そこはもう街の外だった。

 街を取り囲む外壁のすぐ近くで、レイズは相方を待っていた。その傍らには旅の荷物を乗せたバイクが静かに寄り添っている。

 

「天気は快晴、風もなし。絶好の旅日和だな……って、やっと来たか」

 

 見上げていた青空から視線を降ろして前を見る。すると外壁に設けられた関所の向こうから、旅の荷物を括りつけた1頭の馬とそれに跨った少女が近づいてきていた。

 馬はその立派な脚で悠々と歩いてくるが、その上に乗っている少女はおそるおそるといった調子であり、彼女が乗馬初心者であることは誰の目から見ても明らかだった。

 

「ははっ。まだまだ乗らされてるって感じだな」

 

 なんて言っているうちに、馬は少女(ニルヴェア)を連れてレイズのそばへとやってきた。するとレイズは真っ先に馬へと手を伸ばした。

 

「流石だな、ハヤテ」

 

 そうねぎらいながら馬の首を撫でてあげた。

 アカツキの愛馬、ハヤテ。二人旅のためにアカツキが貸し与えた彼は主人と違い寡黙で聞きわけもよい優秀な馬であった。そんな彼にニルヴェアも馬上から声をかける。

 

「短い間だけどこれからよろしくな、ハヤテ」

 

 するとハヤテはかけられた声に応えるように『ぶるるっ』と一鳴きしてみせた。

 

「わっ。お前、言葉が分かるのか?」

「まぁアカツキよりも賢いからなそいつ」

「あはは。それはちょっと言い過ぎだろ」

「いやいや、これは結構マジな話なんだけど……っと、この話は旅の気晴らしにとっておくか。つーわけで改めて確認するけど、忘れ物はないよな?」

 

 レイズの問いに、ニルヴェアは馬上で胸を張って答える。

 

「もちろん! 昨日は中々寝れなくて3回ぐらい確認したしな」

「おいおい、寝不足は旅の天敵だってこないだ教えたろ? ま、でも確かに準備は万端そうだな」

 

 レイズの視線の先。ニルヴェアの装いは、上から下までほとんど2人で選んだ物だった。

 まず足回りたるブーツとズボンは動きやすさと丈夫さ、あとついでに蹴りやすさを重視していた。なのでブーツの踵には鉄片がこっそり仕込まれていたりする。

 続いて腰に付けたベルトは、おおよそレイズが決めていた通り玉用のポケットが3つと、あとは2つのホルスターが付いている。ホルスターのひとつにはハンドガン。もうひとつにはお守り……ではなく、本物のサバイバルナイフが収まっていた。

 さらに続いて上衣には、これまた動きやすく丈夫な生地のシャツと、その上に防護用のベストを羽織っている。実はベストを決める過程で機能性がどうとかデザインがどうとか若干もめたのだが、最終的に折衷案として、胸にポケットがひとつとあとはワンポイント、ブランドのロゴが隅っこに入ったシンプルな物で落ち着いた。

 

『ロゴ入りってだけでこんな値段が上がるんだからボロい商売だよな……』

 

 とは、当時のレイズの言だ。

 そして最後に、自慢の金髪を後頭部で結んでポニーテールを形作れば完成である。髪を結ぶのに使ったのは、いつぞや買った羽根飾り付きの紐だった。

 

『え、それ使うの?』

『こっちの方が気合入るからな。それとも……似合ってないか?』

『いや。べつに。似合ってない、わけじゃねーけど……』

 

 なんて会話があったとかなかったとか。

 そんなこんなで出来上がったナガレっぽい装いに、

 

「わりと様になってんじゃん」

 

 とレイズが認めれば、ニルヴェアもまた瞳をきらきらと輝かせて答える。

 

「そうだろ! 早起きして、変じゃないか4回ぐらい確認したからな!」

「気合入ってんなぁ……ま、それなら地図も忘れず持ってきてるよな。一応、ルートをおさらいしておくぞ」

「分かった!」

 

 ニルヴェアはベストの胸ポケットから、折り畳まれた用紙を1枚取り出してすぐに広げた。

 それに載っているのはブレイゼル領全体の地図であり、2人が現在居る街と目的地である剣の都ブレイゼルを結ぶ形で1本の赤線が引かれていた。手書きで引かれたその線こそが、これから2人が辿るルートなのだが……しかしそのルートは明らかに非効率的で、なおかつ険しい道のりでもあった。

 

「アカツキとの待ち合わせまでは残り6日だ。ここから真っ直ぐ進めば剣の都まで2日3日で到着するけど、そこをあえてぎりぎりまで遠回りすることでお前にできる限りの実戦経験を積んでもらう。まーこれはお前を追って来るかもしれない追手を警戒する意味もあるんだが、いずれにせよこの旅にあまり余裕がないわけで……」

「だから僕が怪我とかで動けなくなっても、それを治療している時間はない。その時点で僕は戦力外になるわけだ。分かっているさ」

「あるいは、その逆でもな」

「逆って、僕が足を引っ張るならともかく……」

「ばーか。旅はなにが起こるか分からないって教えたろ? 常に最悪の状況を想定して、その上でいつでも前向きに立ち向かえ。それが」

「ナガレの流儀?」

「ま、そういうこと」

 

 レイズは気さくに笑って、しかしすぐに表情を変える。

 

「……正直さ、すげぇ怖いよ」

「!」

 

 ニルヴェアは驚きに目を見開いた。その瞳に映っていたのは、歴戦のナガレとしての強さでも怖さでも冷たさでもなく。

 

「たった1週間で教えられることなんて、片手で数えられる程度しかない。その片手で数えられる程度でも万全を期すなら1か月は欲しい。だけど今からは、それを実戦でむりやり覚えさせるんだ。否が応でも体に刻み込むんなら、命を張るのが1番早いからな」

 

 レイズは静かに目を伏せて、しかし言葉は濁さない。

 

「今更だけど白状しとく。俺は1人旅ばかりしてたからさ、誰かを守りながら旅するなんて慣れてないんだ……だからもしお前に危険が迫っても、助けられない可能性だって」

「――いざってときは、1人でどうにかするさ」

 

 レイズの弱音に、ニルヴェアの断言が覆い被さった。彼女はそのまま問答無用で語り続ける。

 

「というかこれは、僕が1人でも戦えるように鍛えるための旅なんだろ? 実は僕も白状すると、全部が全部『覚悟の上だ』なんてまだ言えないくらいには怖いよ。それでも……いざというときは覚悟を決める。そのくらいの覚悟はできているつもりだ」

「はは。なんだよそれ……でも、そうだな」

 

 レイズの表情が、少しだけ明るくなった。

 

「お前のそういうところを信じてる。だから……ちゃんとついてこいよ」

 

 その一言が、ニルヴェアの脳裏にアカツキとの約束を過ぎらせる。

 

 ――レイズを頼んだぞ、ニア殿

 

(僕は、お前に)

 

 ニルヴェアは、ゆっくりと口を開いて……

 

「……もちろん、意地でもついていくさ」

 

 それだけ伝えると口を閉じた。本当に伝えたいことは、まだ心の奥に秘めたまま。

 

(そうだ、絶対についていく。こんなところで置いていかれるくらいなら、きっと僕に”資格”はないんだ)

 

 ニルヴェアはそんな決意を隠し、そしてあえて大きな声で宣言する。  

 

「よし、早く行こう! むしろ僕がお前を置いてくぞ!」

 

 それからハヤテの手綱を引いてやれば、指示を受けたハヤテは体をひと揺らししてから歩き出す……と、「うわわっ」ニルヴェアは軽くバランスを崩しかけた。

 

「威勢がいい割にはへっぴり腰だな」

「う、うるさい!」

 

 レイズに笑われながらもニルヴェアは進み始めた。その小さな体に大きな決意を背負って。

 

(レイズ。僕は最後までこの旅から逃げないぞ。そしてこの旅が無事に終わったら……今度は僕がお前の道を助けたい。僕はお前に恩返しがしたいんだ)

 

 ――あやつの”道”は、たった15の少年が背負うにはとても酷な物だ。しかしそのくせしてあやつは妙に擦れてない……いや、擦れることができないのだろう

 

(だけど助けになるためには、お前の道を知らなきゃいけない。お前は優しいから、無理やり聞きだせばもしかしたら教えてくれるかもしれないけどさ……だからって首を突っ込んだのになにもできなかったりしたら、ただ傷つけるだけになってしまうだろう? だからまずは証明しなきゃいけないんだ、僕が1人でも戦えることを。お前の道を助けられる力があるってことを……)

 

 ニルヴェアはもう知っている。レイズのように、アカツキのように、どこにも属さず1人で闘い、旅を続ける者たちの名を。

 

(もしもこの旅で、僕が1人のナガレとしてお前に認めてもらえたら、その時は……)

 

 

◇■◇

 

 

 ――約束の日まで残り5日――

 

 剣の都の郊外、その一角には広い森林地帯が存在する。

 森林地帯、といっても壁の内側にあるため人に害を成す獣はほとんど間引かれており、その一帯は主に木材や動植物といった各種資源の自給のために使われているのだが……しかしそこにはひとつだけ、小さな屋敷が建っていた。

 剣帝ヴァルフレア直属にして唯一の護衛騎士、白騎士エグニダ。その屋敷であった。

 ……とはいえその肩書に反して庭は小さく殺風景で、屋敷自体もこじんまりとしている。ともすれば、ある程度の資金がある庶民の家の方がまだ大きいかもしれない……そんな屋敷を、現在とある青年が双眼鏡を使って覗きこんでいた。

 彼は屋敷からいくらか遠くにそびえ立っている大きな樹。そこから伸びた太い枝の1本に跨って、屋敷を偵察しているのだ。

 

「偵察3日目。相変わらず人通りはなし、と……人払いの話は本当だったってことかな」

 

 そう呟いて、ブロードは双眼鏡を目から離した。彼はそれから樹の下に向かって呼びかける。

 

「アカツキ。気配の方はどうだい?」

 

 樹の下では、(アカツキ)が”禅”を組んでいた。

 独特な形で足を組んで座り、静かに目を閉じて、ただ黙して、一切微動だにせず……彼女は今までその姿勢で1時間ほど過ごしていたのだが、やがてブロードの呼びかけに応じて目を開き、それから告げる。

 

「……いるな。ここからでは曖昧だが獣らしき気配が複数、屋敷内にばらけて存在している。それに……どこか覚えのある気もな」

「それは……黒騎士の?」

「それっぽいが……少し違和感もあるな。距離が遠いこともあって上手くは言えぬが……」

「いるのは確かなんだろ? それが分かればとりあえずは十分だ」

 

 ブロードはそう言って、樹の上から飛び降りた。そのままアカツキの隣に着地して、再び彼女に話しかける。

 

「しかし気配が読めるって便利な能力だ。侍っていうのはほんとすごいね」

「そんな大層なものではない。所詮は直感、当たるも八卦当たらぬも八卦だ」

「了解。もちろんなにが起こってもいいように備えていくよ」

 

 ブロードはそう言いながら、樹の根元に置かれていた道具類を手早く装備していく。

 腰にはいくつかの道具とワイヤーアームがひとまとめに留められたベルトを巻いて、肩からは大きな鞄を掛けて、最後に可変式の琥珀銃を両手で抱えて準備完了……と。

 

「アカツキ、君は相変わらず手ぶらなんだね」

 

 ブロードにそう言われ、アカツキはようやく禅の体勢を解いて立ち上がった。そしてその身に纏ったぼろ布、その懐から愛刀の柄をちらりと見せて。

 

「研ぎ澄まされた刀と健康な肉体があれば、大抵のことはどうにかなる。とはいえ刀で肉を捌くわけにはいかんゆえ、サバイバルナイフの1本ぐらいは持っておるがな」

「じゃあ刀1本と健康な肉体と、ついでにナイフ1本でどうにもならなかったら?」

「死ぬしかないだろうな」

「……なら、絶対にどうにかしないとね。それでもどうにもならなかったら、素直に逃げよう。うん」

「潔いのかそうでないのか分からん宣言だな……」

 

 アカツキが呆れたように言った。しかしブロードはそれを気に留めることなく、改めて屋敷の方へと目を向けた。双眼鏡を外して樹の上からも降りた今では、屋敷自体は森に阻まれて見えないが……。

 

「エグニダが最近、屋敷の使用人のほぼ全員にお暇を出した……その噂はどうも本当だったらしいね。代わりに邸内には、獣の気配が複数と……今ならほぼ確実に、漁ればなにか出てくるはずだ」

「ふっ、鬼が出るか蛇が出るか……むしろ誘い込まれておるのかもしれんぞ?」

「かもね。少なくとも敵は、僕らが剣の都に入った事実を知ってるはずだ。なにせ関門に記録が残るし、領主や護衛騎士なら閲覧だって簡単だろ」

「確かにな。だとしても、向こうが歓迎してくれるなら逆に喜ばしいであろう? なにせ賭け金が大きいほど実入りも大きいのだから」

「そりゃ相手が準備万端ならそれ自体が証拠になる……んだけど、やだなぁ。なにしてくるんだろうなぁ」

 

 ブロードは心底嫌そうな顔をして、うつむいて、大きな溜息をついた。しかし次に顔を上げたとき、彼はもう開き直っていた。

 

「でもこれも仕事だ。いつも通り、やれるだけやってみようか」



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3-8 侵入者と逃走者

 薄暗い部屋に、いくつもの琥珀機械の光が明滅している。あちこちの機械からはチューブが伸びており、そのチューブは全てが首に刺さっていた――漆黒の大鎧を身に纏った、1人の男の首に。

 そして男の周囲では、数人の研究者がそれぞれなにかの作業を行っていた。ある者は機械を見張り、ある者は資料を整理し、そしてある者は黒鎧の男の様子を注意深く観察している……と、

 ズゥン……! 天井から、地鳴りのような音が響いてきた。

 研究者たちはそれに一体何事かと慌てふためいた……が、しかし黒鎧の男だけは慌てることなく口を開く。

 

「侵入者か」

「は……?」

 

 いきなりの一言に、研究者は目を白黒させた。だが男は構わずに自らの手で、自身の首に刺さっているチューブを乱暴に引っこ抜いた。ゆえに研究者は再び慌てる羽目になった。

 

「エ、エグニダ様!? いきなりどうなされたのですか! 貴方の体はまだ調整が……」

「おそらくは例の女侍と偽記者だろう。そろそろ俺の正体に勘づいているとは思っていたが、ついに直接乗り込んできたか」

「し、侵入者のことですか? しかし屋敷内には警備用の合成獣(キメラ)や罠が……」

「その程度では止まらんよ。少なくとも女侍の方はな」

 

 黒鎧の男――エグニダはそう吐き捨ててから、すぐ近くの壁に立て掛けてあった片刃の大剣へと歩き出した。その光景に研究者の焦りが深まる。

 

「ま、まさか今の状態で戦うおつもりですか!?」

疑似遺産(レプリカ)との最終同期は元より実戦で行うつもりだった。貴様らのやり方では時間の浪費にしかならん」

「し、しかし今の状態では肉体への負担が大き過ぎます! 今だって、本来ならば痛みで動けないはず……」

「現に動けているだろう。なら何も問題はない」

「そ、それは……まさか、もう馴染んで……?」

「いや? そうだな……例えるなら、全身を流れる血液に針が混じっているようなものか? 部位を問わず内側からじくじくと抉られるような痛みを感じる。中々に貴重な経験だが……なに、掌を焼き貫かれるよりはマシというものだ」

 

 そう言いながら、エグニダは鎧に包まれた右手を握って開く。かつてレイズに焼き貫かれたはずのその手はすでに完治しているようであった。その右手で壁に立て掛けられていた大剣を握って、研究者たちへと言い放つ。

 

「じきにここは戦場と化す。貴様たちが本当に欲しいのは俺の身柄ではなく、疑似遺産の研究データなのだろう? ならば今すぐ資料をまとめてさっさと出ていけ」

 

 言われた研究者たちは全員で顔を見合わせて、しかし程なくして行動を始めた。それぞれが手早く資料をまとめて、部屋の一角にある通路からそそくさと出ていく。

 しかしエグニダは彼らには一切目もくれず、体の調子を確かめるように大剣を何回か振り回していた。その動きに一切の澱みはない。

 

「普通に戦う分には問題ない、か。あとは……」

 

 エグニダは大剣を両手で構えると、しばらくそのまま佇んでいた。すると……片刃の大剣、その背にゆっくりと”火”が灯った。大剣の背には噴出孔が並べられており、そこから小さな火が噴き出ているのだ。エグニダはそれをしばらく見つめて、そしてほくそ笑む。

 

「疑似遺産も予定通り機能している。あとは実戦で馴染ませるだけ……」

 

 ――ドガガガガッ!! くぐもった轟音。いくつもの振動。強烈ななにかが天井に叩きつけられ、

 

「む」

 

 エグニダが見上げた次の瞬間――部屋の天井が突然崩れ落ちてきた。がらがらと激しく音を立てながら、無数の瓦礫が落ちていく。

 しかし幸いというべきか部屋の天井はその全てが崩れたわけではなく、エグニダが立っていたその頭上も崩落を免れていた。だから彼はその場から1歩も動かなかった。当然、目の前ではいくつもの琥珀機械が瓦礫に潰され、火花を上げ、なにもかもがぐちゃぐちゃになる大惨事が繰り広げられたわけだが……それでもエグニダは動じることなく、ただ呆れたように呟くのだった。

 

「他人の自宅をこうも遠慮なく爆破するなんて、人間の風上にも置けないやつらだ」

 

 

◇■◇

 

 

 天井崩落から、少し時間は巻き戻って。

 ブロードとアカツキは準備を終えると、早速エグニダ邸へと乗り込んだ。それも堂々と正門から入り、屋敷の庭を通る形で。

 しかし……玄関の大扉。その目の前に辿り着いた今でさえ、見張りの一人すら姿を見せていないわけで。

 

「ふむ。本当に誰もいないでござるな。どうする? 今更だがこのまま正面突破で良いのか?」

「気配は屋敷中に散ってるんだろ? だったらどこから入っても変わらないよ」

「大雑把だが、それもそうだな。ならば――暁ノ一閃」

 

 一瞬の閃光、一瞬で両断。実にスマートに大扉を”開錠”すると、そのまま扉を開いておじゃまします。

 そして2人が最初に目にしたのは、だだっ広いエントランスホール……だったが。

 

「誰もいない……?」

 

 ブロードは両手で銃を構えて周囲を見渡した。しかし人の気配は愚か、獣の気配すらなく……ふと、背後から声が聞こえる。

 

「上か」

 

 それはアカツキの呟き。ブロードも釣られて上を見て、そしてすぐに驚く。

 

「双頭の、大蛇!?」

 

 天井を渡る一本の柱に、蛇が絡みついていたのだ。しかも蛇といってもそれは自然界には存在しないような異質な姿をしている。

 具体的には、首が2つに分かれていたのだ――ならば当然、顔だって2つある。

 片や毒々しい赤色の蛇顔。片やこれまた毒々しい黄と黒の斑色な蛇顔――それらが今、2人の頭上から落ちてこようとしていた。

 

「っ!」

 

 ブロードはその蛇の落下地点からすぐに飛び退いて銃を構えた……が、その眼前に女侍が躍りでる。

 

「宵断流の本懐は、魑魅魍魎から人々を護ることにある。あれもその一種と言って差し支えなかろうて」

「アカツキ!?」

 

 ブロードは思わず声を上げた。なにせアカツキが立ったのは、ちょうど大蛇が落ちてくるその真下だったのだ。しかしアカツキはブロードの声に答えることなく、ただゆるりと”剣”を掲げた。

 

「宵断流、黄昏ノ型」

 

 しかしその剣は、たまたま玄関のすぐそばで飾られていた観賞用の剣だった。

 アカツキはなぜかその剣を拝借して今掲げているわけだが、剣はあくまでもお飾りであり武器としてはあまりにも鈍らだ。だがそんな剣の上に、果たして大蛇は落ちてきて。

 

「――轆轤(ろくろ)絡め」

 

 アカツキが軽く剣を振るうと、次の瞬間には大蛇が剣に巻き付いていた……否。大蛇は剣に絡めとられていたのだ。

 アカツキはそのまま剣を振るい、絡まった大蛇を軽々とぶん投げて、それから脚を踏み込む。

 

「かーらーのー?」

 

 軽い口調に反してその踏み込みは強かった。一瞬で速度を上げて駆け出し、宙舞う大蛇を追いかける。そして大蛇が落下してくると共に、タイミングを合わせて剣を振り上げ、そして振り下ろした――

 

牛頭(ごず)砕き!」

 

 ズズンッ! 地面をぶち抜く一音……双頭の大蛇は、すでに絶命していた。2つの頭を地面にめり込ませて。

 ……文字通りの瞬殺。一連の光景を目の前にして、ブロードは軽く顔を引きつらせていた。

 

「あー……なんかもう、戦闘は全部君に任せていいかなぁ」

 

 ブロードはそう言いつつ、すでに琥珀銃を手放していた。

 その銃には手放しても肩に掛けられるようベルトが通されており、ゆえに実際手放された今はぶらぶらと、どこかやる気なさげにぶら下がっている。まるで持ち主の心情を現したようなその姿へとアカツキは目を向けて、それからからかうような口調で言う。

 

「なんだ、堂々とサボり宣言か? おぬしも男ならもうちょっと恰好付けようぐらい思わんのか」

「いやいや。かっこいいとこを見せたいのが男なら、かっこいいとこを見たいのもまた男の心理ってやつさ。例えば侍の剣捌きとかね?」

 

 ちなみにそんな雑談の最中、アカツキは蛇をぶっ叩いて見るも無残にひん曲がった剣を投げ捨てて、適当な壁から適当に飾られていた適当な剣を適当に拝借しているのであった。

 

「ていうかアカツキ、さっき刀1本で十分とか言ってなかったっけ? なんか普通に剣パクって使ってるけど、それってどうなのさ?」

「かーっ、男のくせに細かいことをぐちぐちと! 遊び心というやつを知らんのかおぬしは。そういうものも覚えねば、人生はどんどんつまらなくなっていくぞ?」

「いやー、むしろ人生楽しく生きるために真面目にやってるんだけどなぁ……あ、それはそうとさ。黒騎士っぽい気配って今どうなってる?」

 

 ブロードの問いに、アカツキは気配を探る素振りすら見せずに答えた。

 

「先ほど一気に膨らんだ。今の一撃で向こうもこちらの侵入を察したのでござろう。こうなれば最早探らずとも分かる……」

 

 アカツキは借り物の剣で地面を突いて、こつこつと鳴らした。

 

「この真下から、馬鹿でかい殺気がひとつだけ。おそらく黒騎士の物だが、以前とは何かが違う……ような気もするな」

「了解。なんにせよ地下にいるのは間違いないってことか……」

 

 ブロードは腕を組んで考えこむ。その一方でアカツキはすぐに提案を挙げる。

 

「部屋をひとつずつ調べて、地下への入り口でも探してみるか?」

「うーん……」

「気配の在り方から察するに、各部屋に合成獣が配置されている可能性は高いな。だが幸い、やつらは共食い防止のため、基本的には1部屋に1匹ずつしか配置されぬはずだ。確かに1部屋ごとに合成獣を相手どるのは面倒ではあるが、しかし各個撃破なら大した強さでも……」

 

 と、そこでブロードがいきなり口を開く。

 

「地道に探すのも悪くはないし、時間短縮のために別れて探索するってなればそのための備えだって準備してある。だけどさ、生物ならともかくどんな罠を並行して置いてるかまでは、君でも分からないだろ?」

「む……だがいずれにせよ突っ込むのだろう? ならば結局は出たとこ勝負だ。もし罠が怖いというなら、2人一緒に行動すれば最悪の事態にはなるまい?」

「まーね。君の言う通り、最後はいつも出たとこ勝負。今有る物でどうにかしなきゃいけないんだ、いつだって……」

 

 そう言いながら、ブロードは持ってきていた鞄からなにかを取り出した。

 それは白く四角い、傍目では豆腐にも見える箱状のなにかであった。

 

「だから有る物でどうにかしてみようか。ちょっと壁の方で待っててくれるかい?」

 

 それからブロードは早速行動に移った。

 彼はエントランスの中央の方へ歩いていくと、その豆腐っぽいなにかを床に置いた。そしてそれに向かって屈むとなにやら作業を行った。

 それが済むと、彼は鞄から同じ豆腐をもうひとつ取り出した。そしてまた床に置き、また屈んでなにやら行い……。

 その一方でアカツキもまた、ブロードの指示通り壁際へと移動した。それから彼女はブロードに尋ねる。

 

「それもまた、越警技術部の謎道具とやらか?」

「まーね」

 

 ブロードは豆腐を床に置く作業を繰り返しつつ、今度は彼の方からアカツキへと尋ねる。

 

「そうだアカツキ。『無線』って知ってる?」

「無線? どこかで聞いたことあるな……」

 

 アカツキは少しだけ考え、すぐに思い出した。

 

「たしか距離が離れていても声が届く……そういう技術が試験的に、旅客組合の連絡網(ネットワーク)に導入されているそうだな?」

「よく知ってるね。でもその旅客組合も、そして越境警護隊も共に九都市条約の下にある組織なんだ。だから組合のノウハウを越警に輸入することもあれば、越警の技術を組合で試験運用することだってある」

「つまり越警が無線技術の本元で、今お主が並べてるのがその無線技術を利用したなにかだと?」

「そう。この箱も飛空艇と同じくウチの試作品なんだ」

「なるほどな。しかし、遠くに声を届ける技術で一体なにをするのやら……」

 

 アカツキがそんな疑問を口にした辺りで、ブロードの方は作業がひと段落着いていた。

 最終的に床に置かれた”試作品”は8個。それらは丁度八角形を描くように、そして八角形の中に数人入れそうな程度の空間を確保する形で置かれていた。ブロードはそれを見渡して確認したあと、アカツキの下へと戻ってきた。

 

「お待たせ。危ないからもうちょっと離れて……はい、アカツキ」

 

 と、ブロードがアカツキに手渡してきたのは、これまた謎の箱だった。

 先ほどのは白色だったがこちらのは黒色だ。そして箱の1か所から鉄の棒がピンと1本伸びている。アカツキはそれを受け取って観察し、ふむと顎に手を当てて。

 

「よく見ればボタンのような物が付いておるが……もしや、これが噂の無線機か?」

「まぁ無線機っちゃ無線機だ。機械の中央に赤いボタンが付いてるでしょ? それを押してみて」

「ふむ。ならば素直に、ポチッとな」

 

 次の瞬間、地面に置かれていた白い箱。その全てがカッと光って――ドガガガガガガ!!

 アカツキの目の前で派手な轟音と火と煙が、つまり爆発が巻き起こった。

 

「…………」

 

 アカツキは、ボタンを押したまま呆然と立ち尽くしている。

 すでに爆発は止んでいた。煙も少しずつ晴れていった……その向こうには大穴が空いていた。

 ふと、瓦礫が大穴の中へと転がっていき、しばらくしてからごつんと小さな落下音を立てた。

 アカツキが、ぼんやりと呟く。

 

「地下への道、見つかったな……」

「君のそんな顔が見れただけでも、準備してきた甲斐があったな」

 

 アカツキが隣を見ると、ブロードがにこにこと笑っていた。アカツキはようやく察した。

 

「届けるのは声だけではない、ということか」

「そういうこと」

 

 ブロードは鞄から白い豆腐……もとい爆弾をまたひとつ取り出してみせた。

 

「遠隔で起動命令を送れる爆弾さ。今のところは『無線爆弾』って僕らは呼んでる」

「なるほど。確かに便利ではあるが……起爆スイッチはこれひとつだけか? それだと誤爆……それこそおぬしが今持っているそれに誤って火がついたりとかは……」

「確かに起爆スイッチはそれひとつだけど、起動した爆弾だけに信号が行くような仕組みになってるから大丈夫。とはいえやっぱり完全に安全とは言い難いけどね」

「…………」

 

 アカツキは、手に持った起爆スイッチをジト目で見つめて。

 

「つまりポチッと押した瞬間、おぬしがいきなり弾けてた可能性もあったわけか……」

「あはは。まぁ爆弾が入ってるこの鞄は耐爆性の素材でできてるし、万が一誤爆しても腰が砕けるぐらいで済むんじゃないかなぁ」

 

 ブロードはその物騒な言葉とは裏腹に、穏やかな顔でのほほんと笑っている。ゆるい垂れ目の優男にアカツキは溜息をこぼして、それから問いかける。

 

「あの飛空艇もそうだが、おぬし……案外博打とか好きだろう?」

「えー。賭け事なんて胃に悪いこと、好きなやつの気が知れないよ」

「ならばこれは?」

 

 アカツキが目の前の大穴を指差せば、ブロードは事もなげに言ってみせる。

 

「単に気をつけて調査するってだけが安全策じゃないだろ? そもそも地下への正規ルートなんてどーせ罠だらけに決まってるんだ。だったらこっちで道を創ってやった方が安全だと思わない? あとエグニダが地下にいるんなら、もののついでにダメージ入ればいいかなって」

「たまにはちゃめちゃなことを素面で言うなおぬしは……まぁ合理的といえば合理的だが」

 

 アカツキの視線は、未だに地下へと注がれている。

 

「しかし気配は薄くなるどころか濃くなった。どうやら藪を突いたかもしれぬ……」

 

 刹那、大穴の向こうからなにかが飛来してきた。

 

「むっ」

 

 アカツキは軽く首をひねって飛来物をかわす。するとそれはアカツキの顔のすぐ横を通過して、そのまま壁に当たって砕け散った。ばらばらになったそれは、なんの変哲もない瓦礫であった。地面に落ちたそれを見て、ブロードが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「うわっ、豪速球じゃん。ダメージも全然ないかなこれじゃ」

「人んちの床を爆破しといてその言い草とは、つくづくいい根性しているでござるな」

「まーねー、そうじゃないとこんな仕事やってらんないよねー。まぁとにもかくにも……」

 

 ブロードもまた大穴へと視線を向けた。

 ここまで来れば侍でなくとも感じ取れる……ヒリつくような殺気というものを。それでもブロードは迷うことなく相方へと呼びかける。

 

「行くよ、アカツキ!」

 

 アカツキもまた、獰猛な笑みを見せてそれに応える。

 

「くくっ。リョウランには『藪を突いて蛇を出す』なんてことわざがあるが……はたして地面を爆破したら、一体なにが出てくるのでござろうな?」

 

 そして2人は、大穴へと飛び込んでいく。

 

 

◇■◇

 

 

 ――約束の日まであと3日――

 

 アカツキ&ブロードによるエグニダ邸潜入から、時間はいくらか進み、場所もいくらか変わって。

 そこはとある山の中であった。

 その山には申し訳程度の山道が1本通っていた。一応は車でも通れる道だが、本当に一応通れるだけ。そのくらいに荒れたでこぼこ道を、しかし1輪のバイクと1頭の馬が猛スピードで走り続けていた。

 やがてバイクの搭乗者である少年が、馬を駆る……というか馬にしがみついている少女へと声をかける。

 

「ニア! 後ろの様子はどうなってっとっ、ああもうくっそ揺れるなここ!」

 

 少年(レイズ)の声に応えて、少女(ニルヴェア)は馬にしがみついたまま背後へと目を向けた。その視線の先は下り坂……つまり”追手”からすれば登り坂なのだが、しかし追手はそれをもろともしていない様子だった。

 

「まだっ、追ってきてる!」

 

 ニルヴェアの視線の先では5頭もの狼が、坂道を全力で駆け上がってきていた。

 灰色の毛と牙を持つ5頭の狼。その全てが一様に口をはしたなく開き、長い舌を揺らして、必死の形相でニルヴェアたちを追いかけてきている。

 

「レイズ! 本当にこのまま逃げ続けていいのか!?」

「『灰牙狼(はいがろう)』は集団での狩りを徹底してる! たぶん他にも隠れてるし足を止めたら一気に囲まれるけど、逆に1度引き離しちまえば深追いはしてこない。それくらいには賢いやつらなんだよ!」

 

 レイズはそう叫びつつ、バイクの操作に全力を注いでいた。

 一応、彼のバイクは世界を旅するために難所だろうと悪路だろうと構わず走れるような造りになっている……のだが、とはいえ荒れた山道を走るにはどうしても集中力を要する。

 その一方で、実のところニルヴェアにはまだ余裕があった。もちろんニルヴェア自体は乗馬初心者であり悪路慣れだってしていない……が、本来アカツキの愛馬であるハヤテは別だ。彼はニルヴェアの命令がなくとも冷静に自己判断を行い走り続けられるほどに賢く、また山道を走る術も心得ていた。

 だからニルヴェアはこうしてレイズの代わりに逐一背後を振り返り、狼の様子を報告しているのだが……その最中。

 

(……ん?)

 

 ニルヴェアはふと、違和感を覚えた。狼たちの必死の形相に。

 

(灰牙狼は集団で狩りをする、理性的な生き物……なんだよな?)

 

 狼たちは間違いなく必死だった。目を血走らせ、涎まで垂らして、今の今までニルヴェアたちを延々と追い回している。なりふり構わず、がむしゃらに……

 

(本当に追いかけている、のか?)

 

 その瞬間ぱちんと、閃きが脳裏を走った。

 

「レイズ!」

 

 ニルヴェアは閃きが導くままに、相方へと叫ぶ。

 

「あいつらもしかして、逃げてるのかも!」

「なにっ!?」

 

 レイズの目が大きく開き、そして細くなった。レイズは考える。運転の傍ら、思考をぶつぶつと口にしつつ。

 

「森の中、灰牙狼の天敵、確かいたはずだ。集団戦とは逆、単体で襲って来る……」

「レイズ……?」

 

 ニルヴェアが不安そうに見守る中、レイズはハッとして面を上げた。そして間髪入れず、ニルヴェアへと告げるのであった。

 

「予定変更だ。やっぱ迎え撃つぞ!」



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3-9 拒絶の炎と小さな手(前編)

「予定変更だ。やっぱ迎え撃つぞ!」

 

 逃亡劇から迎撃戦へ。決断した相方へとニルヴェアは反射的に叫ぶ。

 

「いいのか!?」

「たしか灰牙狼には天敵がいたはずなんだよ。あいつらが逃げてるとしたらたぶんそいつからだ。そんでもしこの追いかけっこの最中にそいつが突っ込んできて混戦になったら、それが一番最悪だと思う。だからそうなる前に狼たちを速攻で倒して、そいつらを餌に俺たちはさっさと逃げるって寸法だ」

 

 レイズは一通り説明すると、バイクのスピードを緩めて後ろを振り返り、狼たちの様子を確認した。

 長い下り坂の奥、5頭の灰牙狼はニルヴェアが様子を伺ったときと同じく、必死な形相で走り続けている。

 

「確かにありゃ狩りどころじゃなさそうだな。統率が取れてないし、群れが控えてるわけでもなさそうだ。よし……ここで一気に畳むぞ、ニア!」

 

 レイズはそう叫ぶやいなや、バイクのブレーキを一気に踏んだ。

 ズザザザザザッ、とタイヤで地面を擦ってドリフト。車体の側面を狼の群れに向けると、背負っていた琥珀銃を素早く構えて――

 

「まず1体!」

 

 エネルギー弾を解き放った。紅の光が一直線に空を切り裂き、1頭の灰牙狼。その鼻っ面へと着弾した。瞬間、紅が眩く煌めいて膨張、爆発。

 

『ギャインッ!?』

 

 灰牙狼は悲鳴を上げて吹き飛んだ。そしてそのまま坂道をごろごろと転がっていき、その向こうへと姿を消した。そんな仲間の姿を見て、残る4頭の狼たちが足を止めた。

 目の前に、敵がいる。

 狼たちはようやくそれを認識して、平静さを取り戻したらしい。彼らはすぐさま密集すると、警戒心に満ちた瞳でレイズを睨んだ。

 対するレイズもまた、琥珀銃を狼たちへと向けたままバイクを降りて戦闘態勢に入る。

 

「ニア、俺が前に出てやつらの気を惹くからフォローを……」

 

 ふと、レイズの眼前で金色のポニーテールがふわりとなびいた。

 

「仲間外れにするなよ」

 

 ニルヴェアはすでに、レイズの一歩前へと出ていた。レイズは少し驚いて、しかしすぐニルヴェアへと問う。

 

「びびってねーか? 無理はすんなよ」

「この道中で何度獣と遭遇したと思ってるんだ? いい加減に慣れてきた、っていうか慣れなきゃこの旅の意味がないだろ」

 

 凛とした声と、無駄に堂々とした背中。それがレイズの決断を促した。

 

「ったく、しゃあない……なら1人2匹だ! しくじるなよ!」

 

 レイズは声を張り上げて、ニルヴェアの背から一気に飛び出した。

 

『!』

 

 狼たちの方もレイズの動きには反応した。が、しかし彼らが動くよりも早くレイズの銃が光を発した。放たれたエネルギー弾が狼たちの中心へとねじこまれる。

 だがそれが着弾する前に、狼たちも動いた。彼らは左右へと散開することでエネルギー弾を躱したのだ。ただし、群れの分断と引き換えに。

 2匹と2匹。左右に別れた塊に向かってレイズが、そしてニルヴェアがそれぞれ別れて飛び込んでいく。

 果たしてニルヴェアが2匹の狼の前に躍り出たとき、彼らもまたニルヴェアへと照準を定めてきた。狂暴な獣の血走った瞳がニルヴェアを貫く。

 

「っ!」

 

 ニルヴェアはほんの一瞬息を飲んだが、しかしすぐにそれを振り払って思考を切り替える。

 

(びびってる暇があるなら倒す策を考えろ。まずは隙を作るとこから!)

 

 ニルヴェアは視線を狼へと固定したまま、腰ベルトのポケットに手を添えて指を突っ込んだ。ベルトに付いたポケットは3つ。それぞれに入っている”玉”の配置はしっかりと覚えてある。だからポケットに目を向けることなく玉をひとつ抜き取り、そして叫ぶ。

 

「閃光、使うぞ!」

 

 視界を塞ぐ玉を使うときは、非常時を除いて明確な形で合図をすること。それが2人で決めていた約束だった。

 

「こっちは気にすんな!」

 

 相方からの許可を聞き、ニルヴェアは意を決した。そのときには狼は2頭とも、すでに己に向かって走り出してきていた。

 ゆえにニルヴェアは目を瞑って顔を背けた――それは恐怖から、ではなく立ち向かうために。

 瞬間、ニルヴェアと狼を眩い光が包み込んだ。それはニルヴェアが地面に叩きつけた閃光玉の光であった。

 

『ギャウッ!?』

 

 狼の悲鳴が耳に入った直後、ニルヴェアはすぐに目を開けて顔を正面へと向けた。すると真っ先に視界に入ったのは一頭の、視界を潰されて怯んだ狼だった。

 だからニルヴェアは即座に動いた。狼の眼前まで一飛びで踏み込むと、体に覚えさせた技を引っ張り出す。

 

(左足を軸に、腰を捻って、勢いを全体に伝えて……!)

 

 しなやかな肉体をバネにして、右足をぶん回す!

 

「っせい!」

 

 ゴスッ! と鈍い音を立てて、ニルヴェア渾身の回し蹴りが狼の頭を直撃した。その瞬間、足の脛からぐわんと響いたのは確かな手応え。そして視界には地面を跳ねて転がる狼の姿が映っていた。ニルヴェアは口端を僅かに上げ、勝利を確信する。

 

(まずは一頭)

 

 しかし油断は禁物。勝利の余韻に浸ることなく態勢を立て直し、視線を動かして探すべくは。

 

(あと1頭。そいつも目が潰れている内に――っ!?)

 

 不意に、ニルヴェアの視界を灰色が覆う。それは灰色の毛と、灰色の牙。

 

「このっ……!」

 

 反射的に両腕を動かす。右手で腰からハンドガンを引き抜き、左腕を盾にして守る。それを実行した直後、灰牙狼が覆い被さってきた。そして少女の体はあっけなく押し倒された。

 

「だっ!?」

 

 背中から地面に叩きつけられて、鈍い痛みが走った。さらに、盾にした左腕にも狼の前足が乗っており、その短い爪がニルヴェアの腕の皮を今もぶちぶちと貫いていた。

 

(ぐっ……しまった! 最初の1頭だけ見て、2頭目にも効いてるって思い込んでた……!)

 

 脳内で反省する間にも、狼の鋭い牙は容赦なくニルヴェアの顔を喰らって――いなかった。

 

(でも、運が良い)

 

 狼の口内に、1本の銃がつっかえ棒のように突っ込まれていたからだ。そう。それはニルヴェアが押し倒されながらも突っ込んだハンドガンであった。

 

(運が良い。運が良い)

 

 依然、脅威は眼前に在る。

 開きっぱなしの獣口からは嫌な生温さと、鼻をつまみたくなるような悪臭が漂っている。さらに口内からは涎が絶えず垂れてきており、その下にあるニルヴェアの体を今も濡らしている。それでもニルヴェアは腕を引き抜かない。その細腕の上下に、ギロチンのごとく鋭い牙が待ち構えていたとしても。

 

(運が良い。運が良い!)

 

 怖気が、鳥肌が、問答無用で全身を駆け巡る。それでも。

 

 ――いいかニア。いつでも使える超すごい呪文をひとつ、教えてやる

 

 修行の最中で伝授された魔法の呪文。それこそが!

 

(死んでないなら、運が良い!!)

 

 ニルヴェアは胸中で唱え、そして眼前へと吠える。

 

「っあああ!」

 

 叫びと共にトリガーを引く。一度二度三度がむしゃらに連射しながら、腕を一気に引き抜いた。その途端に、

 

『ギャウッ!?』

 

 狼が飛びあがり、ひっくり返って、ごろごろとその場を転げまわった。それは間違いなく狼にダメージを与えた証だった。

 無論、即死とはいかない。なぜならハンドガンの殺傷能力自体はごく低いからだ。その豆粒のようなエネルギー弾では軽度の火傷が精々だが、しかし軽度とはいえ皮膚を焼くのだから当たりどころ次第では馬鹿にならない。

 現に、口内という柔らかい部分を焼かれた狼はパニックに陥っているようだった。

 

(隙ができた、なら一気にぶちこめ!)

 

 ニルヴェアはすぐに立ち上がった。未だのたうち回っている狼の下へと駆け寄りながら、ハンドガンを持ち替える。彼女はその銃身をあえて持ち手として握ると、本来持ち手だったはずの短いグリップを――狼の頭へと、全力で叩きつける。

 女子供や初心者でも扱える、取り回しの良さとシンプルさ。

 そんなコンセプトから生み出された小さな銃(ハンドガン)は弾丸自体の威力や精度と引き換えに、とにかく扱いやすくシンプルで……しかも丈夫にできていた。それこそ、打撃武器としても扱えるぐらいに。

 つまるところ狼の頭蓋に振り下ろされたのは、単純に硬い鉄の塊だった。

 ごすっ。鈍い音が一つ鳴った。

 狼はあっけなく、糸が切れたようにその場へと崩れ落ちた。

 ニルヴェアは、倒れ伏す狼を視界に収めながらその場に立ち尽くした。

 彼女の表情には、恐怖と興奮が入り混じっていて……。

 

「はぁ、はぁっ……」

 

 不意に、背筋が震える。

 

「っ!」

 

 半ば直感的に振り返れば、視線の先では狼がふらふらと立ち上がっていた。それは、先ほど回し蹴りで倒したはずの一頭目であった。

 

(仕留めきれてなかったのか)

 

 ニルヴェアがそれに気づいたとき、狼は顔を上げた。

 獣とニルヴェア、両者の視線がかち合う……それを合図に、狼が走りだした。身を低くして、一直線に襲い掛かってくる。

 そして……その狼の姿勢が、ニルヴェアの中に閃きを呼びこむ。

 

(そうだ、狼の視界は僕よりも低い。そしてここは森の中。ならば僕はもっと、高く――)

 

 しかしその思考を切り裂くように、狼は真正面から飛び掛かってきた。

 だがニルヴェアも臆さない。彼女は咄嗟に左へと動くことで狼の軌道から身を外した。そうして空いた空間へと、すぐに狼が飛び込んだ。

 

『グウッ』

 

 躱された。狼はそれを理解して唸りを上げつつも、すぐにニルヴェアが逃げたはずの左方向へと目を向けた。それはもちろん追撃のため、だったが――そこに、ニルヴェアの姿はなかった。その代わりに、1本の樹が立っている。

 狼はほんの一瞬きょとんとして、しかしすぐに周囲を見渡して――

 

『ガッ!?』

 

 頭蓋に響く打撃音と共に、その視界が黒く染まった。

 

 狼の頭には(かかと)が突き刺さっていた。鉄片を仕込んだブーツの踵が。

 そしてそれを振り下ろしたのはニルヴェアであった。彼女はすぐに蹴り込んだ反動を利用してジャンプ、地面に着地してから正面へと目を向けた。その直後、彼女の目の前で一頭の狼がどさりと倒れた。

 狼は倒れたまま動かない。ニルヴェアはそれを確認して、ほっと一息つく。

 

「上手くいって良かった」

 

 いわゆる踵落としというやつだった。ニルヴェアは樹を蹴って、狼の視界が届かぬ真上へと跳躍してからそれを放ったのだ。

 

「敵も、自分も、周囲の状況も。全部を生かして追い風に変えろ……レイズの受け売りも少しは身についてきた、かな」

 

 ニルヴェアはそう呟いてから、視線を動かし始めた。先ほど、自分とは別に2頭の狼を相手取ったはずのレイズの方へと。

 

(あいつのことだから、どうせ僕よりも早く戦闘を終わらせているだろう)

 

 なんて気楽に考えながら。

 

「レイズ。そっちは」

 

 ――赤銅色の髪と紅い光が、視界の中で舞う。

 

「!?」

 

 驚愕に固まるニルヴェア。その顔のすぐ横を、”光の槍”が打ち貫く。

 

『ギャッ』

 

 獣の悲鳴。どさりと何かが落ちた音。

 ニルヴェアが反射的に後ろを向く。すると彼女の足元では、一頭の狼が顔の半分ほどを焼き貫かれて絶命していた。

 

「最初に銃でぶっ飛ばしたやつだな」

「!」

 

 ニルヴェアが再び振り返ると、そこにはレイズが立っていた。彼の琥珀銃からは、今も光の槍が伸びている。

 

「獣は人よりもずっとしぶとい。殺すまで油断できないって教えたろ」

 

 静かな口調でそう言い放ったレイズに対して、ニルヴェアはただ謝ることしかできなかった。

 

「す、すまない……」

「……ま、でもこんだけ動けりゃ上出来だろ。つーわけで処理だけ済ませとくからちょっと待ってろ」

 

 レイズはそれだけ告げると、すぐに”処理”を始める。

 それは、いたって単純で簡単だった。

 レイズはニルヴェアが気絶させた2頭の狼。そのうちの1頭の前に立つと……じゅっ。光の槍で、狼の頭を貫いた。

 これで処理は終わり。

 その瞬間、どくんっと跳ねた――ニルヴェアの心臓が。

 

「レ、レイズ」

 

 ニルヴェアは反射的に追いかけようとした。1歩を踏み出して、腰のベルトに仕舞ってあるサバイバルナイフへと手を添えて。

 しかし……そこまでだった。

 

「っ……!」

 

 ニルヴェアの体はひたすらに固まっていた。心臓だけが、その中でどくどくと激しく脈を打っている。

 やがて、レイズが2頭目の狼も処理した。

 全部終わった。レイズは光の槍を消した。そして、ニルヴェアは。

 

「ごめん」

 

 ただ、それだけを呟いた。

 するとレイズはそれに気づいて、ニルヴェアへと目を向けた。しかしその目に、ニルヴェアを責める意思は全くなかった。

 

「謝ることじゃない。気にすんな」

 

 ニルヴェアの胸に、ずきりと痛みが走る。

 

(なんで怒らないんだよ)

 

 ニルヴェアは望んでいた。己が未熟さを突き付けられることを。甘さを咎められることを。

 なのに、レイズは優しく言い聞かせてくる。

 

「強くなることと、獣を殺せることはイコールじゃない。なんつうかさ、きっと”そういう気持ち”は無いより有った方が人として正しいんだよ。特にお前はさ……この旅が終わったら、今まで通りの屋敷暮らしに戻るんだろ? だったら尚更、大事にした方がいいはずだ」

「それは……!」

「お前は自分を護れるくらいに強くなればそれでいい。こういうのは、俺に任せろ」

「っ……!」

 

 ニルヴェアが手を伸ばした。己が心の中だけで、どこにも届かない小さな手を。

 

(レイズが遠のいていく。試験を受けて、修行をつけてもらって、少しずつでも近づけてきたと思ったのに)

 

 ニルヴェアの胸中で焦燥が渦を巻く。

 

(お前に全部押し付けたくないのに。早くお前の助けになりたいのに。なのに、なんで……!)

 

 焦燥が、苛立ちへと変わっていく。そして苛立ちが口を開かせ、

 

「レイズ、お前の言葉はいつも優しいな」

 

 感情を、形にしてしまう。

 

「ニア?」

「それでもお前は、旅を続けるんだろ」

 

 蒼の瞳には紅の少年が、そして未熟な己自身が映っている。埋まらない力の差、照らされてしまう心の弱さ。

 

「旅をする限り、お前は戦い続ける。獣を殺し続ける。きっと必要となれば……人でさえも」

 

 それは誰への当てつけか。得体の知れない濁りを吐き出して……風通しが良くなったおかげか、すぐ我に返った。

 

(あ、僕は、なんてことを)

 

 子供じみた癇癪。残酷な理への糾弾。違う、そんなことをしたかったわけじゃないのに。

 

「レイズ。違うんだ、今のは」

「そうだな」

「――!」

 

 ニルヴェアが目を見開いた。

 しかしその視界の中、レイズの表情はなにひとつ変わらない。

 まるで凪いだ水面のように、彼は穏やかだった。

 

「他の命を奪ってでも生きていたい。それだけで俺は戦えるんだ」

 

 レイズはゆっくりと背中を向けて、そしてただ静かに言う。

 

「所詮ただの流れ者だからさ、俺は」

(そんなこと、言うなよ)

 

 ぐんにゃりと、ニルヴェアの視界が歪んだ。

 

(そんなこと言うなよ! いつもみたいにナガレの流儀とか言い張ってくれよ! 僕は、僕はお前がお前だから……!)

 

 そこにあるはずの少年の背中が、遠く遠くへと離れていく。

 

(いつも優しく手を差し伸べてきて、そのくせ優しく突き放して、きっとお前にとって僕は護るべき存在でしかなくて、そうじゃないって言いたいのに!)

 

 いくら手を伸ばしたって、ちっぽけな手じゃなにひとつ掴めない。

 

(もっと怒って欲しいのに! もっと頼って欲しいのに!)

 

 無論、全てはニルヴェアの心象風景だ。

 現実としてレイズの背中は目の前にあるし、手を伸ばせばすぐに掴める。それでもニルヴェアの体は動かない。

 

(僕が弱いから? お前の隣に立つ”資格”がないから? だったら、僕だって……!)

 

 ――いざというときは覚悟を決める。そのくらいの覚悟はできているつもりだ

 

 無力感が、全身の力を奪う。

 

(できている、って思っていたのに)

 

 ニルヴェアは半ば無自覚のうちに、右手を動かしていた。彼女は縋るように腰のナイフへと……なにひとつ斬れないお守りとは違う、本物の刃へと手を添えて――

 

 蒼の月光。

 紅の鮮血。

 己を庇って、崩れ落ちた少女の姿が

 

「ニア」

 

 不意に呼ばれて、視界に現実が戻ってきた。

 今、そこにあるのはレイズの横顔。彼の表情は、いつの間にか警戒心に満ちていた。

 

「やばいのが来る。少し下がってろ」



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3-10 拒絶の炎と小さな手(後編)

「やばいのが来る。少し下がってろ」

 

 レイズは警戒を露わに、下り坂の向こうを見つめている。

 そしてニルヴェアもまた、レイズの警戒している理由までは分からないものの指示自体にはすぐ従って後ろへと控えた。こういうときはレイズの指示をちゃんと守る。それもまた、二人で取り決めた約束だった。

 

「ニア、『インパクト・ボム』を使うぞ」

 

 レイズはニルヴェアの後退を確認してからそう言った。腰のベルトへと左手を添えながら。

 以前、レイズのベルトには琥珀銃とナイフだけが収められていた。だが……今はそれに加えてもう2つ、とある秘密兵器が付けられている。

 秘密兵器、と言っても見た目は兵器らしくない。むしろその見た目はおよそ『金属質の卵』としか言いようがなく、一目見ただけでは使用方法が全く分からないような代物だ。

 しかしレイズはそれを迷うことなく腰から外してその手に握った。その光景が、ニルヴェアにいつかの出来事を思い出させる。

 

(『インパクト・ボム』。たしか、あれを使うときは……)

 

 

 ◇■◇

 

 

 それはまだ街で修行していたあくる日のこと。そのときニルヴェアは、レイズにとある物を見せてもらっていた。

 

「インパクト・ボム?」

「おう。琥珀工房でな、銃を直すついでに2つだけ作ってもらったんだ。ちょっとした秘密兵器ってやつさ、ほれ」

 

 と、レイズは軽い調子でその『インパクト・ボム』のひとつをニルヴェアへと手渡してきた。それはぱっと見では金属質の卵型の物体、としか言いようのないよく分からない代物だったが……しかしニルヴェアとしては警戒せざるをえなかった。なにせ名前が爆弾(ボム)なのだ。

 

「……これ、急に爆発とかしないよな」

 

 そう訝しげに呟きながらインパクト・ボムを受け取ったニルヴェアに対して、レイズはあっけらかんと笑ってみせる。

 

「ははっ、大丈夫だよ。そいつは正確には爆弾じゃないし、それ単体じゃなんの機能もないんだから」

「機能がない……?」

 

 ニルヴェアは疑問を覚えつつ、手渡された爆弾(爆弾ではないらしい)を観察してみた。

 金属質の卵型、その表面には意味の分からない幾何学模様が複雑に刻まれていた。それを眺めながら卵をくるくる回してると……見つけた。表面の一か所に小さな押しボタンのようなでっぱりが付いているのを。

 

「……なんだこの、妙に押したくなるけどなんとなく危険な香りもするボタンは……」

「べつに押していいぞ?」

「えっ」

 

 口では驚きつつも、ポチッ。指は勝手に動いていた。

 

「あっ」

 

 ニルヴェアが我に返ったその途端、ピィィィィン……とインパクト・ボムが小さな唸りを上げだして、ついでに表面の幾何学模様もなにやらぽわっと光りだした。

 

「レイズ、レイズ、なんか光ってるんだが!?」

「大丈夫って言ってんだろ。ほら見てみ」

「え……あ、なんか収まってきた……」

 

 ニルヴェアが呆然とする中、インパクト・ボムの光と唸りはゆっくりと収まっていき、やがて再び大人しくなった。

 

「えっと……結局なんなんだ、これ?」

 

 ニルヴェアが困った顔で首を傾げれば、レイズは待ってましたと言わんばかりに解説を始めた。

 

「『インパクト・ボム』ってのは正確に言えば一種の現象なんだよ」

「現象?」

「そ。まず琥珀機械っていうのは中に『回路』が仕込んであって、それを通すことで琥珀エネルギーを別の力に変換するんだ。例えば灯りを点けたり、車を動かす動力にしたり。あるいは、エネルギーをそのままに形状だけ変えて使うこともある。要は銃の弾丸として打ち出すとかな……と、ここで問題だ。今挙げた前者と後者、その違いはなんだと思う?」

「そりゃあ……琥珀エネルギーが原型を保っているか否かってだけの話じゃないのか? だけっていうのもあれなんだけど、とりあえず光とか動力とかに変えたらもう琥珀エネルギーではない、とは思うが……」

「8割方正解だな」

「……8割?」

「正確には、回路を通した時点でエネルギーはすでに変質してるんだ。確かに別の力に変換したらもう完全に別物だけど、たとえエネルギーの形を保っていてもその構成は通した回路によって微妙に違ってるんだよ。で、この”微妙な違い”ってやつこそがインパクト・ボムを引き起こすんだ」

「えっと……」

 

 ニルヴェアは困り顔のままだった。なんとなく分かるような、分からないような。

 

「つまり、なにがどうなるんだ?」

「微妙に質が違う2種類の琥珀エネルギー。それもある特定の組み合わせ同士をぶつけると、その2つが激しく反応し合って強烈な爆発を引き起こす。それがインパクト・ボムって現象だ」

「ということは……」

 

 ニルヴェアは改めて、その手に持たされた卵型を眺めた。いわく単体ではなんの機能もない機械、その真骨頂とは。

 

「こいつを起動して、別の琥珀エネルギーをぶつけると爆発する。ってことでいいのか?」

「そういうこと!」

 

 レイズは解答ついでに親指をぐっと立てて、それからまた解説を追加する。

 

「ま、正しくは俺の琥珀銃だけに反応するよう作ってあるんだけどな。そういう回路を組み込んだ上で、こいつを起動すると中でエネルギーがしばらく循環するようになってるんだ。そんだけの仕組みだからこれ単体じゃ意味がないんだけど、それは言い換えれば火薬式の爆弾と違って誤爆の危険性が無いのと、敵に盗られても利用されない。そういう利点もあるんだ」

「ふーん。これはこれで結構便利なんだな。でも……それなのに、たった2つしか作ってないのか? 誤爆しないなら尚更たくさん作ってもよさそうだけど」

 

 そんな疑問をニルヴェアが口にすれば、レイズは彼女の手からインパクト・ボムをひょいと取り上げながら答える。

 

「こいつはさ、単体で役立たないとはいえ琥珀機械を丸々ひとつ作るようなもんなんだ。ぶっちゃけ費用が馬鹿になんないし、2個しか作らなかったんじゃなくて作れなかったんだよ。だからこれは秘密兵器……使わざるをえないときだけ使う、そういうもんだって覚えといてくれよな」

 

 

 ◇■◇

 

 

 レイズは腰のベルトに留め具で繋がれている2個のインパクト・ボム。その内の1個を留め具から外して掴み取り、ボタンを押して起動した。それからなんの迷いもなく正面に向けて放り投げた。

 内部でエネルギーを循環し、発光しながら宙を舞う卵型。その投擲先をニルヴェアも目で追った。すると、すぐにそれは見えた。

 

「あれは……!?」

 

 描かれた放物線のさらに向こう。坂の下から、漆黒の影が”飛んで”きているのだ。

 ニルヴェアは目を細めて、その姿を視認しようとした……が、はっきりと見えるその前に影はインパクト・ボムへと突っ込んでくる――その瞬間、逆から飛んできた紅のエネルギー弾がインパクト・ボムに激突した。

 紅の光が瞬く間に膨れ上がり、漆黒の影を飲み込む――ごうっ!

 いくつもの炎が中空で爆ぜて、いくつもの熱風を周囲へと撒き散らしていく。もちろんニルヴェアたちに対してもそれは平等に降り注いだ。

 

「うわっ!」

 

 ニルヴェアは思わず両腕で顔を庇って熱風を防ぐ……確かに熱いが、火傷や痛みを感じるほどではなかった。だからニルヴェアはすぐに腕をどかすことができた。彼女は急いで顔を上げて、眼前の様子を伺う。

 するとその目に映ったのは、円を描くように焼け焦げた地面とその周囲に飛び散ったいくつもの”欠片”であった。

 焼け焦げた黒い羽根。あるいは黒い毛に覆われた謎の塊。あるいは鳥類の千切れた足……。

 

「これは……」

「首狩鳥、って獣がいるんだ。まぁその名前の通り鳥類なんだけどさ、そいつが灰牙狼にとってのいわゆる天敵に当たるんだよな」

「だから、狼たちは必死に逃げていたのか……?」

「そ。でもその首狩鳥は基本的に単独行動しかしないはずなんだ。だからこうして仕留めちまえばとりあえずは大丈夫だろうけど……でも俺たちはすでに森の中で死骸を撒き過ぎてる。こうなると、匂いに釣られて他の獣が……それこそ別の首狩鳥がやってくる可能性まであるんだ。真面目に戦うと結構厄介だからなあいつ……」

「だからインパクト・ボムを使ってまで倒したのか。本当に危険なのは戦いの匂いに釣られる新手。そいつらから逃げる時間を確保するための秘密兵器ってことだな」

「分かってるじゃん。つーわけで、とっととずらかる――」

 

 がさがさっ。草木を掻き分ける音がいきなり響いた。

 

「「!?」」

 

 レイズもそしてニルヴェアも、思わずそちらへ視線を向ける。するとそこにあった草むらを描き分けて、一頭の灰牙狼が姿を現した。

 

「ちいっ!」「なにっ!?」

 

 突然の乱入者に2人は驚きながらも、しかしレイズはすぐに琥珀銃を構えてニルヴェアもまた拳を握った――その直後、狼は捕らえられた。狼を追いかけて草むらから飛び出してきた”漆黒”に。

 瞬間、狼の姿がその場からかき消えて、ほんの一拍。すぐ近くの樹がどすっ、と音を立てて揺れた。

 レイズたちがそちらを見ると、消えたはずの狼はその体を樹に叩きつけられていた。1羽の怪鳥によって。

 ただひたすらに黒く、毛深い鳥だった。

 狼よりも一回り大きいその怪鳥は、狼を樹へと叩きつけたあとその体を今度は地面へと投げ捨てた。すると狼はただ力なく倒れ込んだ。

 だが怪鳥もまたそれを追うように地面に降り立つと、すぐに脚を振り上げた。その脚の先には鎌のように鋭く、歪曲した鳥爪がついている。怪鳥はそれを容赦なく狼へと振り下ろして――狼の首。その肉と血管が、いとも簡単に抉り取られた。狼は絶命した。

 目の前で突然行われた殺戮。文字通りの弱肉強食を目の当たりにしてニルヴェアは慄き、そして気づく。

 

「あれが、まさか、首狩鳥」

 

 と、視界の隅で紅い光が瞬いた。

 

「!」

 

 それはレイズが発砲した光であった。ニルヴェアの隣で放たれたエネルギー弾は漆黒の怪鳥、その頭部へと寸分違わずぶち当たり……しかし、それだけだった。

 

「効いてない……!?」

「ちっ。やっぱこーなるか」

 

 ニルヴェアが驚き、レイズが舌打ちをした。その2人の視線の先、怪鳥は全く動じていなかった。なぜならば、怪鳥の頭部にびっしりと生えている黒い”毛”が爆発のダメージを堰き止めていたからだ。

 

 首狩鳥。

 首から下は鳥類らしい羽毛に、そして首から上はなぜか人毛のような細い毛に覆われているその不気味な鳥は、広い地域において凶事の証として忌み嫌われていた。

 実際、その見た目の不気味さもさることながら巨大な体躯と強靭な膂力を併せ持ち、一度狙った獲物は執念深く追いかけ回す性質まで備えているこの鳥は、これそのものがもはやひとつの凶事とも言えた。今、この瞬間のように。

 

「あの毛深さが厄介なんだよな。さて、どう切り崩すか……」

「――閃光玉を使う!」

「っ!?」

 

 レイズが驚き隣を見ると、すでにニルヴェアは閃光玉をその手に掴んでいた。彼女の表情は焦燥に満ちており、『とにかく動きを止めなければいけない』と判断した末の行動であったことは明確だった。

 が、しかしレイズもまたそれに対して焦りを見せる。

 

「ちょ、待て! あいつには――」

 

 だがレイズが制止する間もなく、ニルヴェアは閃光玉を投げた。それは首狩鳥の足下で炸裂し、ほんの一瞬眩い閃光を放った。

 ……だが、それだけだった。

 首狩鳥は顔の体毛を盾にすることで、閃光からその眼を守っていたのだ。そしてそいつはゆっくりと首を振って、ニルヴェアへと視線を向けた。

 顔中を覆う深い黒毛の向こうから、血のように真っ赤な瞳がニルヴェアを覗き込む。

 

「!?!?!?」

 

 ぞくりと、ニルヴェアの全身に寒気という形で予感が走った。

 標的にされている。それを彼女が理解したそのときには、すでに首狩鳥は翼を広げて羽ばたいていた。巨大な翼の勢いと鳥類らしからぬ太い脚を持って、一気に加速。瞬く間にニルヴェアへと飛び込んでくる。

 

「しまっ……!」

 

 ニルヴェアは動けない。肉体も思考も、追いつかない――

 

「下がれっ!!」

 

 ニルヴェアは声に弾かれ、反射的に後ろへ飛び退いた。

 そしてその隙間に割り込むように、小さな体躯が立ちはだかった。レイズが銃を盾にする形で、首狩鳥の前へと躍り出たのだ。

 しかし首狩鳥はレイズの姿を認めると、接触の直前でその脚を下から上へと大きく振り上げる。円弧を描き、レイズの銃を掬い上げて弾き飛ばそうとするその一撃を、レイズは躱すことができない。

 

「がっ!」

 

 ガキンッと耳障りな音と共に、銃が高く舞い上がる。だがレイズにそれを追うことは許されない。なぜなら振り上がったはずの首狩鳥の脚が、次の瞬間にはレイズに向けて振り下ろされていたからだ。間髪入れずに襲い掛かってきた鳥爪を前に、しかしレイズは目を逸らさず咄嗟に左腕を盾に使った。

 鎌のような鳥爪が、決して少なくない肉を刈り取り血飛沫を散らせて「ぐうっ!」それでもレイズの瞳は死なない。

 

「こな、くそぉ!」

 

 まだ、右手が残っている。レイズは迷わずその手を伸ばし、黒鳥の肉体を覆う羽毛群を掻き分けて――爆破! 紅い炎が黒鳥の体から噴き出した。

 

『グァッ!?』

 

 首狩鳥は悲鳴を上げると、すぐに大きく羽ばたいた。その反動でレイズとの距離を取ってから地面へと着地。体の一部からぷすぷすと煙を上げながらも、その太い脚でしっかりとそこに立っている。

 そしてその一方で、

 

「っ、はぁ。はぁ……!」

 

 レイズは抉られた左腕から血を流し、右手からは炎の残滓たる煙をたなびかせ、しかし彼もまた揺るがぬ姿勢で首狩鳥と相対している。

 どちらからともなく睨み合う両者。張り詰めた雰囲気が空間を覆う……

 

 レイズの後ろに控えていたニルヴェアただ1人を、蚊帳の外に置いたまま。

 

「レイズ!」

 

 ニルヴェアはレイズの負傷へと目を向けながら、慌てて駆け寄ろうとした。だが、

 

「来るなっ!」

 

 レイズは振り返ることなく叫んできた。

 

「なに言ってるんだ!?」

 

 ニルヴェアは驚いたが、しかしレイズは返事を返すことなくひとつの玉を真正面へと放り投げた。首狩鳥のすぐそばで炸裂したそれは煙玉。灰色の煙が首狩鳥の姿を隠したほんのひととき、レイズが振り返らずに言う。

 

「銃を拾ってすぐこっちに投げろ。そしたらそのままハヤテに乗って先に行け。次の街はもう近いはずだ」

「なっ……僕1人で逃げろって――」

 

『ガァァァァァァッ!』

 

 突然。耳を貫くような鋭い鳴き声が、ニルヴェアの言葉を遮ってきた。

 

「っ!?」 

 

 発生源は灰煙の向こう。レイズの表情にも焦燥が深まる。

 

「急げ! あいつは目が悪いけど鳴き声で周囲を把握できるんだ!」

「そ、そういう問題じゃないだろ! なんで僕が逃げなきゃ」

「余裕がないんだよ」

 

 その小さな呟きは、それでもいやにはっきりと聞こえた。

 

 ――今更だけど白状しとく。俺は一人旅ばかりしてたからさ、誰かを守りながら旅するなんて慣れてないんだ

 

 思い出したいつかの弱音が、ニルヴェアに歯を噛ませる。ぎりりと軋む音がした。

 

(お前はっ、なんでいつも……!)

 

 また、目の前には背中があった。

 正面を向けば優しく手を差し伸べ、背を向ければ優しく突き放す。レイズはそういう少年だった。

 

(僕はどうすれば)

 

 分かっている。本当はレイズの指示に従うべきなのだとニルヴェア自身も分かっている。それでも彼女は納得できない。レイズに、自分に、なにもかもに。

 それでも、レイズは勝手に動き出すのだ。彼は傷ついた左腕も含めて両腕を伸ばし、両手を正面に開いた。するとその両手のすぐ先、なにもないはずの空間に紅い光がぽつぽつと生まれ、それはすぐ1か所に集まり渦を形作っていく。

 

(なんだ、あれ)

 

 ニルヴェアが驚愕を覚える中、光は次から次へと産み出され、渦へ飲まれ……そして炎へと変わっていく。

 そのときニルヴェアの脳裏に過ぎったのは、とあるひとつの仮定であった。

 

(そうだ。やっぱりあいつの力は、琥珀武器とは別の……)

 

 ぶわっ! 突風がニルヴェアの肌へといきなり打ち付けられた。

 ニルヴェアが驚き、思考を止めて突風の出所へ視線を向ければ、灰色の煙が風に煽られ散っていた。そしてその中心では、黒き怪鳥が翼を大きくはためかせている。

 それが飛翔の直前だとニルヴェアが気づいたときには、首狩鳥はもう空を叩いて跳んでいた。鳥のくせして”飛ぶ”というよりも”跳ぶ”に近い低空飛行。その黒き弾丸はレイズに向かって一直線に――

 

「今だっ、ニア!」

 

 レイズが叫び、炎が吠えた。

 彼はその手に収束した炎を一気に燃焼、拡散させて燃え盛る壁を作ったのだ。炎の壁は地を焦がし、舞い散る木の葉を焼きながら、首狩鳥を堰き止める。

 そしてニルヴェアの瞳もまた捉えていた。レイズが炎の壁を展開したその瞬間、首狩鳥が反射的に急停止していたのを。

 

(人も、獣も、炎を本能的に怖がるんだ)

 

 炎は命を拒絶する。眼前に拡がった紅い拒絶を、それでもニルヴェアは蒼い瞳でしかと見据えて。

 

「お前の炎は綺麗だな」

 

 ニルヴェアは、前に進むことを選んだ。炎を展開するレイズの隣にそっと立って、それからたった一言だけ告げる。

 

「任せろ」

 

 そしてニルヴェアは迷わず炎の中へと飛び込んだ。だが炎に触れれば当然焼ける。白い肌がじりりと焦がされる。

 

「っ……!」

 

 痛みという名の拒絶がほんの一瞬その身を強張らせる。しかしそれを押し殺して突っ切れば壁は思いのほか薄く、熱と炎はほんの一瞬で通り過ぎた。そして壁の向こう、開けたその眼前で。

 

(やっぱり、あいつは重いんだ)

 

 空中で急停止した首狩鳥が今にも着地しようとしている。そんなところに出くわした。

 

(狼を樹に叩きつけたあとも、レイズが攻撃を受け止めたあともそうだった。たぶん1度突っ込んだら着地せざるをえないんだ)

 

 巨大な体躯。強靭な筋肉。びっしり生え揃った毛と羽……確かにニルヴェアの推察通り、爆発的な跳躍力と堅牢な防御力の代償としてその体は非常に重かった。

 

(炎で急停止した直後なら尚更そうせざるをえない――そこに、隙がある!)

 

 ニルヴェアは確信と共に両腕を伸ばした。宙から降りゆく首狩鳥、その太い脚を両手でしっかり掴んで、

 

「どっせぇぇぇぇい!」

 

 前方へと思い切り叩きつける! が、首狩鳥の反射と膂力がそれを許さない。

 首狩鳥は掴まれたその瞬間に強烈な力で暴れ出し、逆にニルヴェアの体を引きずり回す。しかしニルヴェアだって意地でも離さない。ゆえに必然、両者はもつれ合いながら共に地面へと叩きつけられた。その衝撃でニルヴェアの手が離れる。そして、先に立ち上がったのは首狩鳥の方で。

 ニルヴェアが遅れて顔を上げたそのときにはもう、鋭い鳥爪を携えた脚が大きく振り上げられていた――

 

 ――いいかニア。隙ってのはただ作ればいいってもんじゃない。なにせ相手はこっちより強いんだ。予測なんて越えられて当たり前。隙と思って攻撃したら逆にそこを狙われて手痛い反撃を喰らう……そしたら俺たちのか弱い体じゃひとたまりもないだろ?

 

 ――でも、そんなこと言ったらなにも始まらなくないか? 格上を想定して戦うなら、絶対安全な隙なんて結局有り得ないと思うんだが

 

 ――確かにお前の言うことは正しい。結局はどこかでなにかを賭けなきゃいけない。だけど……

 

 鳥爪が振り下ろされるその前に、ニルヴェアは動いていた。

 立ち上がるのではなくその場を転がって、鳥爪の着地点から退避する。遅れて鳥爪が地面にずんっ!と突き刺さった。

 目の前で地面を抉ってみせた鳥爪。しかしニルヴェアは恐れることなくベルトのポーチからひとつの玉を取り出すと、間髪入れずにその場で潰す。

 

 ――勝ちの可能性をギリギリまで拡げることはできる。そのための魔法の呪文を教えてやる

 

 修行の中でレイズに教わったその呪文を、ニルヴェアは唱える。

 

「もう一押し、だ」

 

 灰煙が膨れ上がり、ニルヴェアと首狩鳥を包み込んだ。その瞬間、ニルヴェアは立ち上がることを迷わず選んだ。ある確信と共に。

 

(いきなりの取っ組み合いからいきなりの煙玉。パニックになれば、習性に頼らざるをえないだろ!)

 

 ニルヴェアは右手でナイフを素早く抜いて握ると、煙る視界の中、それでも一直線に”そこ”へ向かう。

 

(視界が潰れて、鳴き声で位置を探るその瞬間が!)

『ガァァァァァァッ!』

 

 2度目の鳴き声が鼓膜を揺らす。そのときにはもう、黒毛が目の前にあった。ナイフを握った右手だって大きく振っていた。

 そして首狩鳥の方も一拍遅れてニルヴェアに気づいた、その直後。

 

「ああああああ!」

 

 ニルヴェアが叫びとナイフを黒毛の中へとねじこんで、その奥にある首筋を貫いた。

 

 ――ぶちりと皮膚を切り裂き、ずぶりと肉に沈み込む感触。遅れてぷしゅっと溢れ出す鮮血。

 

 蒼の月光。紅の鮮血。彼女を殺したのも、鈍く輝くナイフだっ

 

「っうああああああ!!!」

 

 叫びでなにもかもを吹き飛ばして、ナイフを振り切った。

 すぐに噴き出した血が顔にかかり、鉄さびの匂いが鼻を突き、やがて煙が晴れて……ニルヴェアの視界の中で、首狩鳥が転がっていた。

 ニルヴェアは、呟く。

 

「相手が、こっちの予測を、越えてくる。それを前提に、もう一押し」

 

 彼女はうわ言のような声を出しながら、歩きだした。地面にこぼれた染みを踏みしめて、跡を辿り、近づいていく。

 

「1つなら単なる隙でも、2つ、3つと重ねれば、それは、大きな、パニックに変わる……」

 

 ニルヴェアは、ふと立ち止まった。

 足元では、首を裂かれた首狩鳥がぴくぴくと痙攣していた。その傷がすでに致命傷なのは誰の目から見ても明らかであり、放っておいてもその命はじきに消える。

 だが、それでもニルヴェアはゆっくりと屈んで、静かにナイフを振り上げた。

 

「ごめんな」

 

 

 ――レイズは、全てを見ていた。

 己が生み出した炎の中に飛び込んでいったニルヴェアを。

 首狩鳥ともつれ合い倒れこみ、踏み潰されそうになったニルヴェアを。

 そして今、首狩鳥にトドメを刺したニルヴェアを。その背中を。

 その全てを見届けて……レイズは倒れ込み、尻もちを着いた。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 レイズは息を荒げて、呆然として……やがて己の両手へと視線を向けた。

 小刻みに震える手のひらからは、ほのかに煙が燻っている。

 レイズは次に、ニルヴェアを見た。もう動かない首狩鳥の前で屈む彼女もまた、時が止まったかのように動かない。

 レイズはよろよろと立ち上がった。

 

「ニア」

 

 あだ名を呼ぶと、ニルヴェアはようやく反応してゆっくりと振り返った。

 無邪気な笑顔の似合う顔に、今は真っ赤な返り血が張り付いていた。それでも少女は、ぎこちなく笑顔を作る。

 

「レイズ。できたよ、僕ひとり、でも」

 

 と、少女の体がぐらりと揺れた。その手からナイフが滑り落ちた。からんっ、とナイフが落ちた音。それに続いて、どさりと少女が倒れた音。

 ニルヴェアは気絶した。

 それを理解した瞬間、レイズは歯噛みして、それから叫ぶ。

 からからに乾いた喉をむりやり震わせてでも、彼はその一言を叫ばざるをえなかった。

 

「このっ……馬鹿野郎!!」

 

 

◇■◇

 

 

 ――約束の日まであと5日――

 

 時はまた遡り、エグニダ邸にて。

 無線爆弾によって空いた大穴へと飛び込んだアカツキとブロード。地下へと降り立った二人の眼前には、荒れ果てた景色が広がっていた。

 エントランスの床&地下部屋の天井であった瓦礫がそこら中に転がり、崩落に巻き込まれて潰れた琥珀機械がばちばちと火花を上げている。しかし瓦礫の下に生物の姿はなく……その代わり瓦礫の向こうには堂々と、1人の”騎士”が待ち構えていた。

 アカツキは1歩前に出て、その騎士へと呼びかける。

 

「久しいな、黒騎士。いや……白騎士エグニダと言った方が良いか?」

 

 首から下を覆う、大岩のような黒鎧。そしてその背に担ぐは身の丈以上に巨大な片刃剣。いかにも豪快無比な剛剣使いといった風体の騎士は、しかしその風体にそぐわぬ知性的で端正な顔に、ただ静かな笑みを張り付けている。



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3-11 三流記者と触手野郎

「久しいな、黒騎士。いや……白騎士エグニダと言った方が良いか?」

 

 アカツキがそう問いかけた直後。その隣に立つブロードもまた、懐から手帳を取り出してエグニダへと突き出した。手帳の表面に描かれているのは、大陸を護る大盾のエンブレム。

 

「いきなりで悪いけど越境警護隊のブロードだ。白騎士エグニダ、貴方には神威との共謀の疑いが掛かっている。大人しく投降するなら手荒な真似はしないけど、抵抗する気なら実力行使も――」

「一々前置きが長いんだ。貴様の言葉も、貴様が描く記事も」

 

 唐突にエグニダが口を開いた。ブロードの言葉を遮ぎって。

 

「なぁ、そうだろう? 『ブラク・ワーカ』……いや、『ブロード・スティレイン』だったか」

「……ま、そりゃバレてるよね」

 

 ブロードは『旅客民(ナガレ)の記者』という身分を隠れ蓑に、剣の都の潜入捜査を長期間行っていた……どうやらその事実は、先方に筒抜けだったらしい。

 そのことを彼は理解して、しかし特に動じることなく。

 

「で、投降するの? しないの?」

 

 そう問えば、エグニダは鼻で笑ってくる。

 

「ふん。まさか素直にするとでも?」

「君はたしかアカツキと1戦交えたって聞いたよ。その時は”剣1本”で済んだみたいだけど、今度はそれが胴1本になるかもね。そして僕らの法はそれを咎めないし、僕個人としても仕方ないことだと割り切れる」

「おいおい、正義の味方の言葉とは思えないな。これが世も末というやつか?」

「世も末にしてるのはお前たち神威だろ」

「十把一絡げにして語らないでくれよ。神威だって一枚岩じゃないんだ。俺は神の威を借りるとか世界の破滅とか、そういうつまらんことを望んじゃ」

「――増援でも待っておるのか?」

 

 アカツキが、会話を断ち切り割り込んだ。

 

「少なくともこの部屋に限って言えば、おぬし以外に生物の気配はない。ならばだらだら語る理由など、外部からの増援以外にないだろう」

「趣味なんだよ、会話するのが」

「”白騎士”は寡黙で従順な騎士らしい騎士だと聞いておったがな」

「人にはいつだって裏の顔があるものさ。なぁ――かの主人殺しの大罪人『ユウヒ・ヨイダチ』なら、理解できないわけがないだろう?」

 

 そのエグニダの言葉に驚いたのは、アカツキ当人ではなくブロードの方だった。

 

「そこまで調べ上げてたのか……」

「無論、それが冤罪だということも知っている――神威と、そして越警に潜む内通者の手によって、貴様が犯人に仕立て上げられたことも含めてな?」

 

 ……アカツキは、ただ黙するのみだった。だから代わりにブロードが言葉を返す。

 

「随分と仕事が早いね。そんなに剣を斬られたことが悔しかった?」

「もちろんだとも。こちらにとってはリベンジ戦なのだ、手は尽くして当然だろう?」

「だってさ。随分と買われてるね、アカツキ」

 

 そう言われて、アカツキはようやく口を開く。

 

「いずれにせよ斬れば同じでござるよ……死人に口なし、だ」

 

 アカツキはすでに姿勢を変えていた。腰を低く落とし、愛刀の柄に手をかけた居合の姿勢をエグニダへと見せつける。だが見せつけられた方は呆れたように肩を竦めるだけで。

 

「なんだ、まさか分からないわけではあるまい。俺は貴様の冤罪を晴らせる重要参考人なんだぞ?」

 

 しかしアカツキもまた、揺らぐことはなく。

 

「どうせなにをしようが、なにも吐く気はないのだろう? ならば……今すぐ斬る方が無駄な手間もかかるまい」

 

 アカツキの殺気が鋭い眼光となってエグニダを貫いた。が、やはり彼はそれをそよ風のように受け流し、好き勝手に喋るのだった。

 

「まったく……ろくに喋らない。他者の話も聞かない。人斬りにさえ躊躇がない。そんな、人の暖かみというものがまるでない復讐者には……」

 

 エグニダが不意に、ゆるりと手を挙げる――その手にはいつの間にか、ひとつのスイッチが握られていた。

 

「同類こそが、相応しい」

 

 エグニダがスイッチを押した。カチッ……と小さな音が鳴って。

 直後、アカツキとブロードの背後からがしゃがしゃと物音が響いた。

 

「うそっ!?」「なにっ!?」

 

 ブロードが、そしてアカツキまでもが驚き背後を振り返る。それと同時に2人を2つの影が覆った。しかしアカツキは即座に動きを見せる。

 

「どけっ、ブロード!」

 

 アカツキの声がブロードを反射的に退かせた。その直後、

 一閃。瞬く間に、2つの影が横一線で断ち切られた。

 2つが2分割、合計4つの塊となったなにかは力尽きたように地面に落ちて、妙に硬質な音を立てた。それは決して、生き物の肉が落ちたときの音ではなかった。

 だからブロードはすぐ床に目を向けて、そして驚愕する。

 

「これは、機械仕掛けなのか……?」

 

 ブロードの視線の先では、4つの塊――琥珀機械がばちばちと火花を上げていた。アカツキもまた機械を見下ろして納得している。

 

「なるほど。生き物でないなら気配を読めないのも道理か……」

「――機械兵、というのだよ」

「「!!」」

 

 二人が振り返ったその瞬間、ガキンッ! と快音が打ち鳴らされた。その音源はアカツキの懐。次の瞬間には、彼女の刀はすでに宙を舞っていた。

 

「貴様っ……!」

「アカツキっ!?」

「神威の新作、お気に召してもらえたようでなによりだ!」

 

 刀を弾き飛ばしたのは、エグニダの胴体。その鎧の隙間から伸びた1本の触手であった。いやに赤黒く生々しいそれは、かつてアカツキとレイズから逃げおおせるときに使った物の正体でもあった。

 エグニダはその触手を、『機械兵』を呼んだ直後に放つことでアカツキの刀を狙い打ったのだ。

 そして侍から刀が離れた今、エグニダはこの好機を逃さんとばかりに自身の大剣を振りかざし、アカツキへと襲い掛かってきた。一方、狙われたアカツキは舌打ちひとつ。

 

「ちっ、やはり体を弄っていたか! もはや人間よりも妖怪に近いな!」

 

 エグニダへと悪態を吐きつつも、彼女の眼は刀が飛ばされた方向をしかと捉えていた。だがしかし、刀が飛ばされたその先では、人を模したからくり仕掛けの兵士が――エグニダ曰く機械兵が、群れを成して立ちはだかっているのであった。

 

(あの人形どもがどれほどの動きをするのか分からんが、いずれにせよあの鋼の体躯……刀がなければ斬れぬか)

 

 そう考えながら再び視線を戻せば、エグニダはもう目の前に迫ってきていた。

 

「刀無き侍など、最早侍とは呼べんなぁ!」

 

 叫びと共に、大剣の刃が高く高く持ち上がる。その直後、ぼぅっ! と激しい噴射音が鳴り響き、大剣の背が眩く燃えた。

 それはかつての月夜にも見せた、琥珀仕掛けのジェット噴射。炎の勢いが大剣を押し込み、恐ろしい勢いで迫りくる。

 しかしアカツキはそれから視線を逸らすことも、そこから逃げることも選ばない。

 

「おぬしの言うことも一理ある、が」

 

 彼女はその身に纏うぼろ布をばさりとなびかせると、懐に隠し持っていたもう1本の剣を――予め拝借しておいた儀礼用の剣を掴み取った。そしてそれを躊躇なく、頭上から向かって来る大剣に合わせて振るう。大剣の腹へと己の剣を這わせ、そのまま全身を回すことで大剣の重圧をぬるりと”流す”。

 

「なに!?」

 

 使い手の驚愕と共に、片刃の大剣が地面を砕いた。そしてその隣で、

 

「黄昏ノ型・火車流(かしゃなが)シ」

 

 アカツキは悠々と佇んでいた。

 受け流した侍と受け流された騎士、二人の視線はすぐに交わった。その途端、騎士の方は反射的に後方へと飛んだ。あるいは飛ばざるをえなかった。

 しかし相対する侍はそれを追わず、その場で剣を突き出して堂々宣言。

 

「おぬしにひとつ教えてやろう。刀を振るうから侍なのではない。侍が振るうから刀なのだ」

「はっ、粋なことを言ってくれる! だが……」

 

 エグニダは頬に一筋の冷や汗を流して……それでも彼は嗤っていた。

 なぜならアカツキが見せつけている儀礼用の剣、その端はすでに摩擦熱で溶けかけていたからだ。鈍らで大剣を受け流したその代償は明確。ゆえにエグニダも確固たる口調で言い返せる。

 

「そのお飾りの剣で、あと何度受け流せるか! 試してみ――」

 

 白!

 

「っ!?」

 

 エグニダの視界を、あっという間に白い煙が覆った。

 その煙はアカツキの姿を隠し、今もなおどこからか噴き出し続けている。エグニダはすぐに煙の流れを辿ってその発生源を探し……己の足下に、それを見つけた。

 白煙の発生源は、床に転がっていた1本の筒だった。

 

「ちっ、越警の犬め……!」

 

 その筒の名は『スモークグレネード』。

 それは旅客民がよく使う煙玉を元に越境警護隊が開発した、より多くそして長く煙を撒くための道具である。

 

「悪いけど、2度目はないよ」

 

 不意に、エグニダの耳へと声が届いた。彼ははっとしてすぐに振り返り、

 

「ハサミ!?」

 

 エグニダは咄嗟に右腕を盾にした。直後、その右腕を巨大なハサミ――もといワイヤーアームがガキッと掴み、バチバチッ! エグニダの黒鎧を、青白い稲妻が激しく駆け回った。

 琥珀仕掛けの電流一撃。それを仕掛けたのは越警の犬ことブロードであった。

 

「鎧だったらよく通るだろ!」

 

 濃くなっていく白煙の中、ブロードから見ればエグニダの姿はおぼろげにしか見えなかった。

 だがブロードは確信していた。この電撃は生物に耐えられるものではないと。ゆえにほんの一瞬気を緩めてしまった、そのときだった。

 

「うおっ!?」

 

 ワイヤーアームが尋常ならざる勢いで引っ張られた。ならば当然、その持ち主であるブロードも勢いに引きずられていく。

 

「マジかっ……!」

 

 ブロードは焦りながらも迷わず、その手に握るナックルを操作。ワイヤーアームによる拘束を解除してそれを引き寄せる。

 

(肉体改造のせいか知らないけど、全然効いてないみたいだ。ってことは……!)

 

 ワイヤーアームのアーム部分がナックルへと引き戻って接続されたその直後、眼前の白煙を切り裂いて黒い巨体がずわっと姿を現した。

 

「さすが三流記者はやることも姑息だな!」

 

 エグニダが罵倒と共に大剣を振り回してきた。

 だがブロードは咄嗟にバックステップを踏んで大剣の間合いから身を躱す。さらにワイヤーアームを腰のホルスターにしまい、ついでにきっちり文句も返す。

 

「誰が三流記者だこの触手野郎!」

 

 そしてブロードは琥珀銃を構えて応戦しようとした。だが、エグニダの踏み込みはそれよりも速い。

 

「貴様の文章には”熱”が籠っていないのだよ!」

 

 苛烈な大剣の攻めに、付け入る隙間は残されていなかった。

 

「こんのっ……!」

 

 ブロードは歯噛みしながらも逃げの一手を選択する他なく、ゆえにエグニダは攻め続けられる。

 エグニダの腕は身の丈ほどもある大剣を軽々と振り回し、エグニダの口はブロードへの罵倒を軽やかに振り回していく。

 

「インタビュー対象への予習復習を怠るばかりか下賤な質問ばかりを並べたて、あのお方に興味がないのが丸見えだ! これではスパイだとばれるのも必然だというもの!」

 

 罵倒がそして大剣が、縦横無尽に襲い掛かってくる。

 

「まじっ、このっ、結構自信あったのに……!」

 

 ブロードの表情に苦渋が滲む。それは罵倒がざくざく心に刺さった証拠……である以上に、

 

(どういう腕力してんだこいつ! いい加減止まれよこの……!)

 

 上から下から左右から。攻めは一向に止まることなく、息つく暇すら貰えない。

 一応、一振り一振りの速度自体はブロードでも見切れるものであり、現に直撃はまだ貰っていない。

 しかし躱し続けることによる単純な疲労が体を、そして一振りごとにブロードの体を打ち付ける風圧という名の殺気が心を削っていく。この一振りを、はたして直に喰らったらどうなるか……。

 ブロードの心身がじわじわと追い詰められていく。その最中、それは不意に起こった。

 

(!)

 

 幾度目かの振り下ろしの直後、大剣の動きが止まったのだ。

 

(隙間が空いた!?)

 

 ブロードは反射的に琥珀銃を構えて、その間隙にためらいなくぶっ放す。彼の銃は可変式であるが、この一撃に選択したのは収束弾(ショットガン)モードだった。

 

(せっかく顔が剥き出しなんだ。狙わない理由はないだろ!)

 

 捕縛のために貫通力を抑えたエネルギー弾は、決して顔をミンチになどしない安心設計だ。しかし捕縛のために衝撃力を高めてあるので、たぶんきっと死ぬほど痛い。そんな安心設計万歳な銃口にエグニダの顔面を捉えて、ブロードはトリガーを引いた。

 ガキキキキキキンッ!

 それは収束された散弾が、金属にぶつかり打ち鳴らされた音だった。

 

「……あっ」

 

 トリガーを引いて、一拍遅れて、ブロードは気がついた――散弾の全てが、大剣の腹で受け止められていたことに。

 

「まさか、フェイント――」

 

 気づいたときには、既に大剣が動き出していた。刃がぶんと大きく動いて、1度エグニダの脇で止まる。続いて繰り出されるのは横薙ぎの一閃……そうブロードは予測して、それから見積もる。

 

(まだ見切れる。まだぎりぎり躱せる。強引に飛べば――)

 

 !?!?!?

 

 直感が、思考よりも先に体を動かした。

 直後。ブロードの身体は、炎を噴き出し加速した大剣に弾かれて軽々と吹き飛び、壁に激突したのであった。

 

 ――ところで、越境警護隊の装備というのはそのブラッ……過酷な任務に耐えうるべく、とにかく頑丈に作られている。

 例えば、超加速した大剣の一撃にさえ耐えきれるほどに。

 

「っ……たぁ……!」

 

 ブロードは壁に背中を打ち付けてへたりこみながらも、未だに意識は失っていなかった。

 彼が咄嗟に盾にした琥珀銃は”くの字”にひん曲がって最早使い物にならない……だがそれと引き換えに、体の方は大事を負わずに済んでいた。

 

「ぎりぎり、セーフ……! でも聞いてた、話と違うなっ……!」

 

 ブロードは思い返す――先ほどの一撃、自分が銃を盾にしたあの瞬間、エグニダの大剣は間違いなく炎を噴いていた。

 

(『大剣のブーストは一発打ち切りで琥珀が空になり、勝手に排出される』それがアカツキから事前に聞いていた情報だ。だからリロードしない限り、2度目のブーストはないと読んでいた……けど、結果は違った。よく考えれば、最初のブーストのあとに琥珀の排出がなかった気がする。単なる見落としかもしれない。あるいはこの煙の中でリロードしただけかもしれない。だけど……)

「なんとなく、あのブーストはもうリロードなしで、げほっ、パなせる……そう考えた方がいい、かな」

 

 ブロードは時折咳き込みながらも、しかしその目から闘志を失ってはいなかった。彼はゆっくりと己の四肢を動かして、その感覚を確かめる。

 

「まだ体は、十分動く……はは、僕って悪運だけはわりと強くない?」

 

 ブロードは顔を上げた。目の前は白一色。スモークグレネードによる白煙が、エグニダと自分との間に壁を作ってくれている。

 

「やれるだけやってみる。これも、仕事だしね」

 

 そう呟いて、ワイヤーアームを握りしめた。



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3-12 三流騎士と暁ノ一閃

 ブロードがしぶとく生きていたその一方で、エグニダは。

 

「……断ち切れなかったか。我ながら未熟だな」

 

 大剣を振りぬいたときの手応えで、ブロードの生存を察知していた。彼は大剣の炎を念じることで収めると、今しがたブロードを吹き飛ばした方向へと目を向けた。

 しかし視線の先には白煙が漂うばかりだった。敵の姿もすっかり煙の向こう側、ということらしい……と、その白煙に穴を空けていきなり飛んできた物がひとつ。

 それは鋼鉄の大ハサミ、もといワイヤーアームであった。先方はどうやら煙に紛れて奇襲を図ったようだが、

 

「苦し紛れだな!」

 

 エグニダは飛んでくるアームの軌道をすぐに見切って左腕を振った。黒の手甲による裏拳一発。鈍い打音を響かせて、ワイヤーアームはいとも簡単に跳ね飛んだ。それからすぐワイヤーに引っ張られて、白煙の中へと引っ込んでいく。

 

「そこか」

 

 エグニダはすぐさま剣を構え直した。なぜなら他ならぬワイヤーアームが敵の居場所を教えてくれたからだ。

 

「愚の骨頂とは正にこのことだな!」

 

 エグニダは大剣を携えて走り出そうとした。が、すぐにまた白煙に穴が空く。飛んできたのは、謎の白い箱だった。エグニダはそれをまた手で払いのけようとして、

 

「むっ?」

 

 引っ付いた。

 白い箱がエグニダの手に……正確にはそれを覆う手甲に引っ付いたのだ。その奇妙な現象の正体に、エグニダはすぐさま勘づく。

 

「これは、磁石――」

 

 爆発!

 白い箱を破り、膨れ上がった炎がエグニダの腕を喰らった。が、

 

「……無線爆弾か」

 

 エグニダの鎧はろくなダメージを受けていなかった。彼は爆発を受けた手甲から立ち上る煙に対して、ふんと鼻で笑った。

 

「本当に姑息なやつだ……なにっ!?」

 

 不意に煙の中から2個3個、白箱があちこちから飛んできた。それらはさも当然のようにエグニダの鎧へと吸い付くと、次々に爆発していく。

 

 ――もちろんエグニダは知らないのだが、ブロードは今回、様々な状況に対応するため複数種類の無線爆弾を準備していた。そしてその中には、起動と共に磁力を発生させて金属に吸い付くタイプもあったのだ。準備した当人いわく『全身鎧が相手ならなにかしら使えるでしょ多分』ということであったが、それは正に今が使いどころなのであった。

 というわけでさらに続けて4個5個6個……四方八方からいくつも飛んでくる無線爆弾in磁石に、さしものエグニダも苛立ちを見せ始める。

 

「ええい、性根の腐った武器を使う!」

 

 とはいえ爆発それ自体に鎧を貫通する威力はない。ないのだが……

 

(爆弾の軌道から察するに、やつは移動しながら投げているらしい。そもそもその軌道自体、磁石が勝手に補正を掛ける。それを辿って追いかけるは不毛というものか……とことん姑息な。時間稼ぎのつもりか?)

 

 エグニダの脳内を、一撃必殺の居合が掠める。

 

(まだ機械兵は試作段階。その安い自動制御で、刀を弾いたとはいえあの女侍を抑えきれるとはさすがに思えん。ゆえに偽記者に構っている時間はない……だが)

 

 それでも、エグニダはその場に留まることを選んだ。一方で爆弾は飽きもせず飛んできていたが、

 

「急がば回れ、というやつか」

 

 エグニダは構えていた大剣をあえて床に突き刺してから堂々と仁王立ち。鎧に爆弾が引っ付き爆発しようとも、もう動じることはない。

 

(”剣”よりも”口”の方が射程はずっと広い――せっかくだ。2人同時にかき乱してみるか)

 

 爆発の硝煙とスモークグレネードの白煙が混じり合う、その向こう側へとエグニダは声を張り上げる。

 

「おい、偽記者!」

 

 返答は来ない……しかし、爆弾は止んだ。

 

(やはり時間稼ぎが目的か。ならばお望み通り付き合ってやろうじゃないか)

 

 エグニダはそこで1度、耳を澄ませた――どこか遠くで、ガキッガキッと硬い音が断続的に響いている。それはおそらくアカツキと機械兵との戦闘音だ。

 

(こちらが聞こえるなら、向こうにも聞こえるだろうさ)

 

 エグニダはその思考を頭の片隅に置きながら、高らかに声を上げる。

 

「あの女侍は、嘘偽りでできている!」

 

 ……返答はない。だが構わない。

 

「俺は女侍に敗北を喫したあと、その素性を調べ、次に流派を調べ、そしてその歴史を調べ……やがて一つの矛盾を見つけた。ああそうだ。結論から言えば、宵断流には存在しないはずなのだよ。”居合の構え”という概念そのものが、な」

 

 やはり霧の向こうから返答はない。断続的な戦闘音も変わらない。それでもエグニダは語り続ける。

 

「そもそもユウヒ・ヨイダチの家に代々受け継がれてきた『宵断流』とは、魑魅魍魎から人々を護るために産まれたいわば守護剣術というやつだ。それは四方八方から群れ成し襲い掛かる化物どもを効率良く受け流し、」

「――時には三昼夜もの間、ただの1度も刀を納めることなく戦い続けた。なんて伝説もあるほどの、由緒正しき”抜刀剣術”でもある……だろ?」

 

 霧の向こうから、青年の声が響いてきた。ゆえにエグニダはほくそ笑む。

 

(釣れた。一体なんの琴線に触れたのかは知らんが……)

 

 エグニダは静かに、地面に突き刺していた大剣の柄へと手を掛ける。その一方で、霧の向こうから再び声が届いてくる。

 

「人には前振りがどうとか言っておいて、そっちも大概長いじゃないか」

「ふん、三流記者でもこの程度は知っていたか。ならば問おう――あの居合斬りは、一体なんだ?」

 

 エグニダは、大剣の柄を握りしめながら。

 

「俺は公に流れている宵断流の情報を洗えるだけ洗った。だがそこに居合の技などひとつたりともなかった……だというのに、あの居合斬りは間違いなくその道を極めた者の一撃に他ならない。ならばあれは何者だ? お前にはあれがユウヒ・ヨイダチだと、本当に断言できるのか?」

「さぁね。結局のところ、僕は彼女の自己申告を聞いただけだ」

 

 青年の声に迷いはなかった。しかしエグニダは、その迷いのなさを愚かさだと断じて嗤う。

 

「はっ。記者としても越警としても三流……いやそれ以下だな!」

 

 黒鎧の手が地面から大剣を引き抜いた。黒鎧の足がゆっくりと歩き始めた。そしてその足音を掻き消すように、素顔の口が高らかに声を発する。

 

「矛盾を知りながらただの自己申告ひとつで信じ込むなど!」

「いや……たぶん究極的にはなんでもいいんだよ。彼女の正体がなんだってさ」

「ほう。と、いうと?」

 

 エグニダは歩いていく。青年の声を響かせるその音源へと。一方、声は語り続ける。その場から決して動くことなく。

 

「僕は大した人間じゃない。自分だけの高い理想だって、なにを捨てても護りたいものだってない。僕はいつだってありきたりなことしか志せない。だからこそ僕は、僕を助けてくれた恩人を信じてる。それが、人として当たり前のことだからね」

「……はっ!」

 

 エグニダは嘲笑を放ち、踏み込む。

 

「ろくな情報を持っていない。信念さえもあまりに薄い……もはや貴様と語らう必要など、ありはしない!」

 

 剛脚が地面を砕き、黒の巨体が一気に加速した。その勢いをもって周囲に漂う白煙を吹き散らしながら、目指すべくはただ一点。

 三流記者の声を鳴らす、その発生源へ……

 

「――無線っ!?」

 

 霧の向こうにあったのは、黒い箱が1個だけ。

 正確には黒い箱状の機械が1個、ひしゃけた琥珀銃を支えに立て掛けられていた。

 

『無線爆弾があるなら、こういうのがあってもおかしくないだろ?』

 

 突如、青年の声が黒い箱から聞こえてきた。

 

「!?」

 

 だがエグニダは反射的に、声とは真逆の方へと振り返った。そして鎧を纏った腕を盾にする――ぼんっ! 破裂音と共に、いきなり爆風が襲い掛かってきた。

 

「ちぃっ、三流風情が……!」

 

 爆風は小さく、エグニダにダメージは通らない。だが彼の表情は確かに歪んでいた。そしてそこに追い打ちをかけるように、背後から声が響く。

 

『その言葉、そっくりそのままお返しするよ』

 

 しかし”やつ”は消えゆく爆風の向こう、エグニダの正面に立っていた。

 鈍色のオールバックに穏やかな垂れ目の優男。彼はその顔に似合うほほ笑みを浮かべながら、己が手に持ったもう1個の黒い箱――『無線通信機』へ、そっと囁く。

 

『信念の薄い三流記者にしてやられた気分はどうだい? 三流騎士さん』

 

 無線通信機。それは無線爆弾の元となった、声を離れた場所へと届ける琥珀機械である。

 その通信機を伝って、エグニダの背後から挑発が響いた。それは、エグニダの表情に。

 

「は、はは、ふはは……」

 

 笑みを作った。裂けるように吊り上がった口端。沼のように開いた真っ黒な瞳。深く色濃い殺意の笑みを。

 

「っはぁ! 意趣返し程度で勝ったつもりとはなぁ!」

 

 エグニダは吠え猛り、そして大剣を高らかに振り上げた。するとその直後、今までで最も高く激しい火柱が大剣の背から噴き上がる。

 

「この鎧を貫く決定打のひとつすら持たないくせに、前に出て!」

 

 銃はすでに潰した。ワイヤーアームも爆弾も効かない。そして……時間稼ぎの甲斐あってか、視界を隠す白煙も徐々に薄れてきている。もはや逃げ場も小細工も、無用。エグニダは確信する。

 

(力押しで、真っ向から断ち切る!)

 

 エグニダが加速した。苛烈な踏み込みに加えて大剣のブーストで体を引っ張り、ただ一直線に突っ込む。愚かにもそこで棒立ちしている偽記者へと、今までで一番速く力強い、渾身の一撃を――

 

「僕に決定打なんて、必要ないだろ」

 

 その瞬間、エグニダの脳裏に一閃(デジャブ)が過ぎる。

 

「! まさか、」

 

 ――黄昏ノ型・火車流シ。

 エグニダの巨体が、そして火を噴く大剣が、全てが瞬く間に”流される”。

 その瞬間エグニダが己が剣から感じたのは、ぬめりと力が抜けるような手応え。そして実際に、エグニダの突撃はブロードのすぐ隣を綺麗に流れていった。彼が気づいたそのときには、自らの体はすでにブロードを後方へと置き去りにしていた。

 

「ちぃっ……!」

 

 エグニダはすぐに大剣の火を消すと、一気に地面を踏み込んだ。強引な加速を止めるための強引な減速でがりがりと地面を砕きながらも、果たしてエグニダの体はすぐに止まった。そして彼はすぐに振り返る。

 その視線上はすでに晴れていた。他ならぬ彼自身の突撃によって煙が掻き消されたのだ。ゆえに、そいつの姿はくっきりはっきり見えている。

 

「女、侍……!」

 

 エグニダが見据える正面に建つのは1人の偽記者と、そしてぼろ布纏う1人の女侍だった。

 女侍はエグニダから視線を向けられた直後、その手に持っていた1本の何かを放り投げてきた。それはエグニダの足下でからんっ、と虚しい音を立てた。

 それは……熱と圧でぐにゃりとひん曲がった、儀礼用の剣だった。続いて、女侍の吐き捨てるような声音が。

 

「剣士が剣で語らぬから、こうも足下を掬われる」

 

 エグニダがはっとして面を上げれば、アカツキはただつまらぬものを見つめ、つまらぬことを語っている。

 

「人形で遊び、物を語り……もはや剣士というより演劇家だな。だがその人形は全て斬った。つまらぬ語りもネタ切れでござろう。もう余興はおしまいだ」

 

 アカツキの隣で、ブロードもまた言葉を重ねてくる。

 

「これが最後通告だ、エグニダ……ここで投降するなら命の保証はしよう。だけどこれ以上やろうっていうなら、ここから先はなにひとつ保証できないよ」

 

 すでに煙はほとんど晴れている。部屋のあちこちには瓦礫が、機械の残骸が、そして機械兵だったものが転がっている。もはや逃げ場も小細工も、無用。

 

「お2人からの御忠告、痛み入るよ」

 

 それでもエグニダは嗤う。

 

「だがひとつだけ、大事なことを間違っている」

 

 エグニダは右手で大剣を軽く振った。するとまたしても、その背から小さな火が灯される。

 

「「!」」

 

 アカツキが刀の柄に手を掛けた。ブロードもまたワイヤーアームを握った。2人の視線が大剣に向いたそのとき……エグニダの左手は、すでに別の物に触れていた。

 それは鎧の腰部分に密かに取り付けられていた、ごく小さなスイッチであった。

 

「俺は剣士ではない――騎士だ!」

 

 地面が、突如沸き上がった。

 ばこん! ばこんっ!! いくつもの破砕音が地面を鳴らしたかと思えば、そこを発生源に炎がごうっと噴き上がった。瓦礫が吹き飛び、わずかに残っていた白煙もその全てが散らされる。

 その現象は部屋のあちこちで無作為に発生していた。しかし完全に部屋を埋め尽くすほどでもなかった。

 だからブロードはなんとか炎をかわして、まだ被害のない壁際へと転がり込みながら叫ぶ。

 

「まさか、自爆スイッチ!? 屋敷を爆発させるつもりか!」

 

 その一方でアカツキも、次々と地面を砕いて立ち上る炎を踊るようにかわしながら考察していく。

 

「ほう。これも一種の無線爆弾か? まぁ越警にある技術なら神威がパクってもおかしくはないが……」

「はー! はっはぁ!」

 

 突如、炎の向こうから高笑いが飛んできた。ブロードとアカツキが視線を向けると、真っ赤な炎と炎の間で真っ黒な騎士が堂々と笑っていた。

 

「剣も口も王道も邪道も、全ては忠義を全うするためにあるのだよ! それが騎士というものだぁ!」

 

 エグニダは言いたい放題言いきると、すぐに身を翻してその場から逃げ出した。炎と炎の隙間を迷いなく潜り抜けてその向こうへと消えていくエグニダに、しかしブロードも迷わず叫ぶ。

 

「追え、アカツキ!」

 

 アカツキもまた、なにひとつ迷わなかった。ブロードの声を聞いた瞬間弾かれるように走りだし、エグニダのあとを追いかけて炎の隙間へと身をねじこんでいく。

 その背中を見送りながら、ブロードは1人呟く。

 

「悪いねエグニダ。実はアカツキから前に少しだけ、教えて貰ったことがあるんだ」

 

 彼はすぐに懐から取り出した……無線爆弾の起爆スイッチを。

 

「『暁ノ一閃』は黄昏を越え、夜を越え、夜明けの間際にほんの一瞬煌めく太陽を象ってるんだってさ。だから」

 

 彼はそっと、スイッチを押した。

 

「ほんの一瞬で、十分なんだ」

 

 

 一方、エグニダはその脳裏に爆発の配置を描き、安全地帯に入りこんでいた。

 そう。ブロードたちの読み通り、エグニダが押したのは自爆スイッチであった。それはいくつかの段階を経て、最後には屋敷全体を崩壊させる仕掛けだった。

 そしてこの自爆の意義はいざというときの秘密保持&逃走経路確保……要するに今のようなときのためにある。

 ゆえにエグニダは自爆と同時に逃げられるよう、安全地帯ももちろん把握していた。だから彼はその一角に飛び込むと、しかしさらに逃げることはなくむしろその場で振り返って大剣を構える。

 

(追いかけてくるはずだ、やつが本当に復讐者なら……)

 

 エグニダは、まだ勝利を諦めていなかった。

 

(一閃を見切れなくともルートさえ絞れれば!)

 

 構えは上段、狙うは縦一閃。エグニダは大剣に火を灯して待ち構える。眼前に拡がる爆炎、そのただひとつの隙間から飛び込んでくるであろう女侍を、

 

(――来た!)

 

 果たして炎の中から垣間見えたのは、ざっくばらんにまとめられた黒い髪と、薄汚れたぼろ布。

 女侍の姿を認めた瞬間、エグニダは勝利を確信しながら大剣を振り下ろ――がくっ、と。

 ほんの少し。

 ほんの少しだけ左足が、揺れた。

 

(まさか、あの、三流)

 

 揺らしたのは、小さな爆発ひとつだけ。

 

(どこで、仕掛け、)

 

 ――それはエグニダが無線機に気づいて振り返り、無線爆弾を喰らったその直後、その爆発を目くらましにして密かに仕掛けられた最後の1発であった。

 だがエグニダがその回答に至ることはない。なぜならば、彼の眼前ではアカツキがすでに”背中を見せていた”からだ。

 

「拙者の居合がなんなのか、おぬしは知りたがっていたな」

「き、さま……!」

「いくら妖を退け人を護ろうと、それだけでは明けぬ夜もある」

(急げ、急げ、今すぐ斬らなければ)

 

 エグニダは目の前の背中へと大剣を、今度こそ振り下ろそうと、

 

「ゆえにこの一閃にて宵を断ち、明日を斬り拓く」

 

 かちん。

 アカツキの懐で、刀の収まる音が鳴った。

 

「――暁ノ一閃」

 

 その瞬間エグニダの鎧に、胴体に、一筋の光が煌めいた。

 

「がふっ……!」

 

 エグニダの口から、そして胴から黒い血が噴き出し舞い散る。その飛沫の中で、女侍はただ静かに謡う。

 

「たとえこの手を同胞の血に染めようとも、斬らねば明けぬ世があるならば……これぞ宵断流、唯一無二の居合剣にして裏の極技なり」

 

 そして、切なげな視線を床に落とした。それは鎮魂の祈りがごとく。

 

「これは手向けだ。散った命に善悪など無いからな。せめて、安らかに眠れ……」

 

 と、不意に。床を大きな影が覆った。

 それを目撃したアカツキの眼が大きく開く。彼女がはっとして、頭上を見上げたその直後、

 

「にょわぁ!?」

 

 珍妙な叫び声と共にアカツキは飛び退いて――ズドンッ!

 床を鳴らす破砕音にアカツキがすぐ振り返れば、先ほどまで彼女が立っていた場所には片刃の大剣がめり込んでいたわけで。そのまま視線を上げれば……そこにあった光景に、「……ははっ」アカツキはつい乾いた笑いをこぼしてしまった。

 

「間違いなく、胴を断ったはずなのだがな」

 

 エグニダが、立っている。彼は剣を振り下ろした姿勢で、そして明確に意識のある眼でアカツキをじっと見つめている。

 もちろん、無傷であるはずはない。彼は確かに斬られた黒鎧から黒い血を滴らせ、口からもごぽりと黒い血を吐いていた。

 黒い……そう、黒い血であった。比喩ではなく、彼の血は真っ黒だった。

 

「拙者は本当に妖怪でも斬ったのか?」

「騎士だと、ごふっ、言っただろう……しかし、斬られた甲斐は、あったな……」

 

 エグニダのその声音はどこか奇妙だった。声自体は確かに吐血混じりでくぐもった、瀕死の人間の声である。だというのに、それでもどこか奇妙な活力に溢れていた。

 なにはともあれ、それは今すぐ死を迎える人間の声音ではない。アカツキはそう判断して、エグニダへと歩み寄る。

 

「もう2、3回ぐらい斬っておくか。万にひとつ不死身であろうとも、とりあえず四肢を断てば動けなくなるでござろう?」

 

 すぐにエグニダのそばへ、居合の射程圏内へと寄ると歩みを止めて、再び刀に手を

 

「本当はもう、どうだっていいんだろう?」

 

 アカツキの手が止まった。同時に、エグニダの足が動いた。

 彼の足はまるで紙でも破るように、石造りの床を踏み抜いた。するとその瞬間、ぼこんと音を立てて床が綺麗な円状に崩れた。丁度人ひとり分の体を落とせる程度の穴が、そこに開いた。

 

「なにっ!?」

 

 アカツキが驚愕したときにはすでに遅く。エグニダの体はなんの抵抗もなく穴の中へと落ちていく。高らかな宣言だけを残して。

 

「また会える日を、楽しみにしている!!」

 

 アカツキはその声に答えることなく急いで穴を覗き込んだ。しかし穴の中には、果ての見えない暗闇が広がるばかりであった。

 

「に、忍者もびっくりの逃げ方でござるな……」

 

「――アカツキ!」

 

 声に気づいて振り返れば、ブロードが後方から駆け寄ってきていた。一直線にやって来た彼を見て、アカツキはふと気づく。

 

「む、もう爆発は収まったのか」

「ここはね。でも……」

 

 ブロードが天井を見上げた。そこには彼が爆弾で開けた大穴があって、そしてその向こうからズゥン、ズゥン……と規則的に妙な音が聞こえてきている。

 

「どーやら時間差で屋敷全体が爆発してるっぽいね。早く逃げないと生き埋めになる……」

 

 と、ブロードはあることに気づいて大声を上げる。

 

「あ! ていうかエグニダどこだよ!」

 

 するとアカツキは「あー、なんだ……」ちょっと気まずそうな顔をした。

 

「すまん。仕留め損なった&逃げられた」

「えー!? 1番最悪なやつじゃんそれ! くそっ、だったらせめて屋敷内の資料だけでも……!」

「そんな時間もなさそうだ。ほれ、どうにもならなかったら大人しく逃げるのだろう?」

「ああもう! こんなの働き損の罵倒され損じゃないか! 覚えてろよあの三流騎、」

 

 ズゥン!

 一際大きな音が響いて天井の大穴、その向こうから大きな瓦礫がごうと降ってきた。

 ブロードはそれに気づくとすぐにその場から退避する、が。

 アカツキはというと、あえてその真下に立つことを選んでいた。そして彼女は愛刀の柄に手を添えて、

 

 ――本当はもう、どうだっていいんだろう?

 

「眼前の敵は全て斬り伏せる。それだけだ」

 

 暁を掴む一閃が、崩れ落ちてきた瓦礫へと迸る。

 

 そのおおよそ5分後。剣の都の郊外で、ひとつの屋敷が盛大にしかしひっそりと崩れ落ちたのであった。

 

 

◇■◇

 

 

 紅い血と、紅い炎と。

 

「ん、んぅ……」

 

 ニルヴェアは、目を覚ました。

 

「あれ、ここは……」

 

 視界には知らない天井が見えている。木製造りの茶色の天井は、どこか心を落ち着かせる雰囲気を発していた。

 

「……どこ?」

 

 ニルヴェアはきょとんとして、それから気づいた。自分は今、ふかふかのベッドで寝かされているのだということに。なんだかよく分からないけど、

 

「やわらか……気持ちいい……」

 

 気づけば頭の下には枕まで敷かれていた。だからニルヴェアは遠慮なく、その枕へと顔を埋めてふかふかを堪能し始めた。

 そうしてぼんやりゆるゆる過ごすことしばらく。

 

「――おや、目が覚めたのかい!」

「うひゃあ!?」

 

 突然耳に響いた声が、ニルヴェアの脳をくっきりはっきりと醒ました。

 彼女は慌てて飛び起きると、すぐに背後を振り返った。するとそこには……妙齢の女性が1人、開かれた扉のそばに立っていた。

 

「えっと、貴方は……?」

「いきなりで悪いねぇ。わたしゃこの宿屋の店主だよ」

「宿屋……そっか。ここ、宿屋なんだ……」

「そうさね。あんたのツレの男の子があんまりにも必死な顔して飛び込んできたもんだからこっちまで心配になっちゃったけど、その様子だと大丈夫そうだねぇ。ところであんた、腹は減ってないかい?」

「そうか。あのあとレイズが……って、お腹?」

 

 尋ねられた途端、ぐぅ。と腹の虫が自己主張を始めた。

 

「うっ。すいてる……みたい、です……」

 

 ニルヴェアは羞恥から思わず頬を染めてしまったが、しかし店主は「アハハ!」と豪快に笑い飛ばした。

 

「夜までずっと寝てたんだ、腹が減る方が健全だってもんさ! ほら、これでも食ってあの男の子に元気な姿でも見せてやりな!」

 

 店主はそう言いながら、その手に乗せていたお盆を差し出してきた。

 盆の上には飲み物が2杯。

 それと、熱々の焼き鳥串がたくさん乗っていた。



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3-13 優しい炎と重なる手

 ――炎は命を拒絶する。その熱で、その猛りで。

 

 獣も、そして人でさえも本能的に恐れる力。それはきっと誰よりも孤独な紅。

 だけどそれは、僕をずっと護ってくれていた。何度も僕の窮地を救い、道を照らしてくれていた。

 だからあのとき思ったんだ。あの炎はあいつ自身なんだって。強く、恐ろしく、そして誰よりも優しい紅。

 

「お前の炎は綺麗だな」

 

 

 ◇■◇

 

 

 レイズは色々やっていた。

 具体的には、気絶したニルヴェアを連れ急いで山道を抜ける→近隣の街に着くやいなやニルヴェアをすぐに宿屋へと放り込む→宿屋に併設されていた馬小屋にハヤテを停める→自分の腕の手当をする→物資の補充とかなんやかんや。

 そうこうしているうちに、日はすっかり暮れてしまって。

 

「着いた頃にはまだ昼だったのに。あいつ、そろそろ起きたかな」

 

 なんてことをぼやきながら、レイズはニルヴェアを放り込んだ宿屋へと戻ってきた。

 そして宿屋の前でなんとなく空を見上げてみれば、ふと噂のニルヴェアと目が合った。宿屋の2階、部屋に備え付けられているバルコニーから寝間着姿の少女がレイズを見降ろして、左手をぱたぱたと振って、その帰りを歓迎している。

 しかしレイズの視線は、彼女の右手が持っている肉の串へと注がれていた。

 

「よく食えるな、あいつ……」

 

 

 ◇■◇

 

 

 程よい高度で空を一望できる、見晴らしのいいバルコニー。夜の空には数多の星が広がって、加えて少年と少女はたった今、2人きりでそこにいる。そんな絶好のロケーションの中で、やるべきことはただ1つ……

 

「レイズ、お前も食うか?」

 

 2人で一緒にご飯である。ニルヴェアが差しだしてきたのは、1本の焼き鳥串であった。

 こんがり焼かれたぷりっぷりの鶏肉に、見た目からして香ばしいタレがかかっている。

 

(旨そうだ。いや旨いんだろうけど)

 

 間違いなく旨いのだろう。絶対旨いに決まっている。だけど、しかし、だからこそ。

 

「なんだって、よりによって焼き鳥なんだ……」

 

 レイズはなんだか、とてもげんなりしてしまった。しかしニルヴェアの方はその意味が分からずきょとんと首を傾げていて。

 

「なんだ。いらないのか?」

「いや、夜飯は別で食ったし……」

「そっか。んじゃ遠慮なく」

 

 ニルヴェアは言うやいなや幸せそうに焼き鳥へとかぶりついて、ついでにすぐそばのテーブルへと手を伸ばした。そのテーブルに乗っているのは、まだ手を付けていない焼き鳥串の皿1枚と、炭酸ジュース入りのコップが2杯。

 

「これ、1杯はお前の分だからな」

 

 ニルヴェアはそう言いつつコップを手に取って、そこに差してあるストローに口をつけて、ちゅーっとジュースを吸い上げていく……その味がよほどお気に召したのだろう。彼女はストローに口をつけたまま、すぐに頬をふにゃりと緩めた。そんな呑気な様子にレイズが呆れる。

 

「ったく、人の気も知らないで……」

「そういえば、お前に後処理を全部任せてしまったんだよな。ありがとう。それとあんなところで倒れてすまなかった」

「……あのなぁ。謝るならもっと別のことがあるだろ、馬鹿」

 

 その言葉にニルヴェアは目をぱちくりとさせた。言葉の意図が伝わらなかったことは明白で、だからレイズは重ねて言う。その口調に薄くだが確かな怒りをにじませて。

 

「なんで俺の指示に従わなかった。逃げろって言ったろ」

「あそこでお前を見捨てて先に行くのは違うって思った。それに勝算もちゃんとあったしな」

 

 即座に返ってきた返答。むしろ言葉を詰まらせてしまったのはレイズの方だった。

 

(こういうときのこいつはほんとに分かっててやってるっつうか、変なこと考えてるっつうか……とにかくろくな気がしねぇ)

 

 それは、ここまで曲がりなりにも二人三脚でやってきたゆえの経験則。

 

(馬鹿じゃないくせに馬鹿みたいに突っ込んでくのが、こいつのたち悪いとこだよな)

 

 レイズはあからさまに苦い顔をして頭をがりがりと掻いて、それでもなんとかニルヴェアを言い聞かせようとする。

 

「勝算ってな……それが外れる可能性も十分にあったろ」

「そんなのいつだって、誰だってそうだろ。『100%勝てる勝負などこの世には存在しない』と、兄上だって常々仰っていたしな」

「また兄上かよ……まぁそれは分かるけどさ、でもいくらなんでも限度があるだろ限度が。そりゃほんの一瞬かもしんないけど、だからって自分から炎の中に飛び込んでくなんて、度が過ぎてる……」

「お前の炎なら、大丈夫かなって思ったんだ」

「は……?」

 

 いきなり放り投げられたのは、謎の一言であった。

 レイズがその意図を全く読み取れずにぽかんとした一方で、ニルヴェアは少しだけ照れくさそうに頬を掻いてから言う。

 

「まぁとにかくさ、結果オーライってことで良いじゃないか!」

 

 その瞬間、レイズがぎりっと奥歯を噛んだ。……ことに、ニルヴェアはまだ気づかない。気づかないまま、彼女は言葉を続ける。

 

「でもこれで分かったろ。僕だって、やろうと思えば」

「――ぶっ倒れたくせに調子乗ってんじゃねぇよっ、この馬鹿!!」

 

 突然、暴言、爆発。ニルヴェアはびっくりして、でもすぐに口を開こうとしたが、それよりも先に。

 

「勝手に炎の中に飛び込んで、勝手にぶっ倒れて! 俺がどんだけ心配したと思ってんだ! 毎度毎度毎度毎度お前は何度突っ込めば反省すんだこの猪女!!」

「なっ、ぼ……僕は男だぞ!」

「ツッコむとこはそこじゃねえだろバーーーーカ! 脳味噌筋肉! 兄上馬鹿!」

「な、そ、そんな馬鹿馬鹿言うことないだろ。そりゃ僕だって、悪かったとは思ってるけど、でも」

「なんでもっと、自分を大事にしないんだよ」

「――――」

 

 いつの間にか、レイズは項垂れていた。そこにあった表情は、ニルヴェアでも読み取れることができた。苦しい。悲しい。怖い。辛い……ニルヴェアの口もまた、きゅっと引き結ばれた。しかし彼女は、それでもその口を解いて言う。

 

「お前だってそうだろ、レイズ」

「っ!?」

 

 レイズは弾かれたように顔を上げた。するとそこには蒼が広がっていた。すでに陽のない夜空の下で、しかし果てしなく広い空のような瞳がただ真っ直ぐにレイズを見つめている。

 

「きっとお前のことだから、いきなり倒れた僕を本当に心の底から心配してくれたんだよな」

「んなっ、べつに俺は、そこまで」

「だけど、それでも僕はまた同じことをすると思う」

「なんだよ、それ……」

「もちろん、そうすべきときが来ればの話なんだけどさ……そもそも先に僕を庇って怪我したのはお前の方じゃないか」

 

 ニルヴェアはそう言ってレイズの腕を指差した。昼間首狩鳥にやられたそこには、今はレイズが自分で巻いた包帯が巻かれていた。しかしレイズはその腕を慌てて背中に隠して。

 

「お、俺はいいんだよ。べつに、慣れてるし……」

「慣れてるからって、怪我していい理由にはならないだろ。むしろ慣れてるからこそ、そういうのに鈍感になっちゃいけないと僕は思う。お前はたぶん、もっと怖がった方がいいんだ」

「なんだよ、それ……」

 

 レイズの視線がニルヴェアからそれた。それでもニルヴェアの視線はレイズからそれない。

 

「だから僕が大事にするよ。お前がお前自身をないがしろにするっていうなら、その分僕がお前を大事にする」

 

 蒼の瞳が少年をまっすぐ映す。

 

「っ……!」

 

 蒼の中で、少年の頬に朱が差した。レイズはとうとう視線だけでなく顔までそらして、それからごにょごにょと呟く。

 

「べつに俺は、自分をないがしろになんて……てか俺とお前じゃ立場とか、色々違うだろ……」

「今は僕も同じナガレだ」

「っ……”かっこかり”のくせに……!」

 

 レイズはもにょもにょしている。ごにょごにょしている。煮え切らない様子であーだこーだと、挙動不審にきょろきょろと……

 

「あーーーーーーー、もう!!」

 

 なんかいきなりキレた。それから、いきなり焼き鳥をひとつふんだくって食い千切った。そんで、一言。

 

「……うめぇ」

「だよな!」

 

 ニルヴェアが屈託なく笑った。レイズもそれを見て、表情を緩めた。

 

「無茶をやめろ、っつってもお前はどーせ聞かねーんだろうな」

「お前が無茶をするならな」

「…………」

 

 レイズはほんの少しの間、黙ってニルヴェアの目を見つめていた。

 だが不意に視線を外して、それを自分の手のひらへと向けた。炎の壁を生み出した、その小さな手のひらへ……やがて、ぽつりと呟く。

 

「それでも無茶のやり方ぐらいは選べよ。俺が無茶すんのは生きるためだ。誰かの代わりに死ぬのも、死なれるのも、俺はごめんだからな」

 

 ニルヴェアもまた、レイズの手のひらへと目を向けた。

 

「それは、ナガレの流儀?」

「……おう」

「なら分かった。それと……ごめんなさい。本当に心配と世話をかけたな」

「……ん」

 

 それから2人はしばらく喋らなかった。

 ただ静かに焼き鳥を食べて、ジュースを飲み、そしてなんとなく夜空を見上げていた。香ばしい焼き鳥の香りとジュースの甘い香りが混ざり合い、そして夜風に吹かれて空の彼方へ溶けていく。真っ白なお月様といくつもの星が照らす夜空へ……ふと、ニルヴェアが言葉を空へと投げかける。

 

「最近さ、夜が待ち遠しいんだ」

 

 レイズはきょとんとした。ただただ意味が分からなくて。しかしニルヴェアは夜空を見上げたまま、ゆっくりと語り始める。

 

「こうして旅をしていると思うんだ。新しい場所で夜が来て、空を見上げるたび、そこにはまた同じようでどこか違う。そんな星空が広がっている……たったそれだけのことだけどさ、それだけで僕は不思議とわくわくしちゃうんだ」

「それ、は……」

 

 レイズの胸中で、なにかがじんわりと芽生えてきた。そしてそれを育てるように、ニルヴェアの話は続く。

 

「新しい星空を眺めながら、美味しい物を食べながら、お前とこうして語り合える。僕はこの時間が本当に楽しいし、それはあのとき炎の中に飛びこんで、この手で首狩鳥を仕留めたからこそ得られた物だと思っている。だから反省はしてるけど後悔はできない……かな。って言うと、なんか開き直ってるみたいだな?」

「つか開き直ってるよな完璧に」

「あ、あはは……やっぱ……だめ?」

「さてな。反省してるだけマシというべきか、反省してるなら開き直るなと怒るべきか……」

 

 そこでレイズも空を見上げて……ふっと、表情を緩めた。

 

「スリルを楽しむ、ってわけじゃないけどさ……命からがらやりきって、旨い飯を食いながら、こういう時間をのんびり過ごす。いいよな、そういうの」

 

 その表情に宿っているのは、共感という感情であった。

 レイズもまた1人の旅人として、その体に刻み込まれているのだ――旅の醍醐味や快楽が。そして……危険や苦難もまた。

 

「ニア。お前はなんであのとき首狩鳥を殺したんだ? お前はずっと、”命のやり取り”を怖がってたはずだろ?」

 

 その言葉にニルヴェアは腕を組んで考えた。しばらく思案に耽って……それからこう切り出す。

 

「これは『兄上語録』からの引用なんだけど、人も獣も究極的には変わらないんだってさ」

「なんて???」

 

 言葉にそして頭にクエスチョンマークが山盛りで乗っかった。が、ニルヴェアはごく当たり前のように言う。

 

「ん? ああまだ説明してなかったか。実は各所から集めた兄上の名言を僕が手ずからまとめたファイルがウチにあってだな。それを僕は兄上語録と読んでいるんだが、まぁ要するに兄上の名言からの引用だ」

「そう……うん……好きにして……」

 

 レイズの投げやりっぷりとは対称的に、ニルヴェアの声音はなんか元気3割増しであった。

 

「生きることは闘い続けること。獣はその先達であり教師なんだって」

 

 ニルヴェアはそこでこほんと咳払い。それから声のトーンを低くして語り始める。まるで誰かの真似でもするように。

 

「人もまた命を喰らって生きている。それは食事という生存のための行為だけに留まらず、なにかのために武力を振るうときも同じだ。”正義””守護”そんなお題目で着飾ろうとも、武力を振るうというのはとどのつまり他者を侵略するということであり、侵略というのはつまりなにかしらの形で命を喰らうということだ。ゆえに武力の権化たる我々は、ある意味では獣に最も近い人なのだ……」

 

 ふざけた口調はともかくとして、中身はそれなりに真面目らしい。レイズもまた腕を組んで少し考えこむ。

 

「まーそういうことも言えるわな。誰かを傷つけるために振るうのが力だし、そこに人も獣もない……か」

 

 ニルヴェアもそれに頷いて話を続ける。今度は真似っ子じゃなくて普通の口調で。

 

「だからこそ、獣を食す際には正しく敬意を払わなければいけないし、『いただきます』と日々祈ることも忘れちゃいけない。これはそういう教えなんだ」

「あ、これ飯の話!?」

「せっかくご飯食べてるんだしな」

「そ、そうか……」

 

 レイズはまだ皿に残ってる焼き鳥へと目を向けた。そういえばまだ、言ってない気がする。

 

「いただいてます」

 

 己が血肉となった鳥さんに祈りを捧げ、それから改めてニルヴェアへと向き直った。

 

「で、結局なにが言いたいんだよ。まさか本当に飯の話をしたかったわけじゃないだろ?」

「あはは。どっちかっていうと兄上の話がしたかったんだ」

「うっそだろお前」

「うん、半分冗談」

「おいおい、半分はマジかよ……」

 

 しかしニルヴェアはそれに答えなかった。彼女はその代わりに今着ているラフな寝間着、そのズボンのポケットからあるものを取り出した。

 ニルヴェアが手のひらに乗せて見せたそれは、クリアブルーの鉱石が嵌ったペンダントであった。

 

「それは、アイーナの……」

 

 ニルヴェアは頷いた。ペンダントは月光を反射して、きらりと光っていた。

 

「人も獣も変わらない。なら、獣を殺すことに慣れてしまえば人を殺すことにも慣れてしまうんじゃないか。いつかアイーナが死んだあの夜の痛みも消えて、彼女を殺したやつと同じになってしまうんじゃないか。僕が本当に怖かったのはそれなんだ」

「…………」

 

 ――旅をする限り、お前は戦い続ける。獣を殺し続ける。きっと必要となれば……人でさえも

 

 レイズにはなにも言えなかった。励ましも、否定も、かけられる言葉なんてなにひとつ……

 

「でもレイズ、お前は違うだろ」

「!」

「アカツキさんだってそうだ。ナガレが生きるためには獣を狩り続けなきゃいけない。時には人を傷つけてでも護らなきゃいけないものだってある……そんな厳しい世界の中で、それでも2人は僕のことを何度も助けてくれたじゃないか。僕はもう知っているんだ。たとえ戦いの中で命のやり取りに慣れることはあっても、それが必ずしも人の本質を変えるわけじゃない……本当は知っていた。知っていたのに、それでもあの夜を思い出すと、どうしても足が竦んで……」

「それでも今日、お前は首狩鳥を仕留めたんだな」

「ああ……」

 

 ニルヴェアはペンダントからレイズへと顔を向けた。蒼い視線が少年を静かに射抜いた。少女の金髪が夜風になびいて、少年の心臓が熱を帯びた。それを合図にするかように、ニルヴェアの口が開く。

 

「足が竦んで、どうしても怖くて、それでも踏み出さなきゃいけない。ってあのとき思った。だって僕はナガレになりたかった……お前と一緒に戦える、そんな自分になりたかったんだ」

 

 レイズはその言葉の意味を、うまく飲み込めなかった。

 

「ナガレに……? それに、俺と一緒にって……もう戦ってるだろ……」

「違うよ、一緒じゃない。だってお前にとって、僕は護らなきゃいけない足手まといだったはずだ。だからお前は僕の甘えを許して、殺し合いから遠ざけて、今日も僕だけを逃がそうとした。違うか?」

「あ、足手まといなんて! 思っちゃ、いない、けど……」

 

 声が尻すぼみになっていく。否定できない部分があるのも事実だった。しかしニルヴェアもまた「それはしょうがないことだ」とすでに受け入れていた。

 

「だってお前は強くて、僕は弱いんだから。だけど、それでも僕はお前と一緒に闘える自分になりたい。実力はまだ追いつかないとしても、せめて志ぐらいは並び立てるようになりたい。だから僕は僕自身の手で首狩鳥を仕留めたんだ。僕も1人のナガレなんだぞって、その証を立てるために」

「証って……べつにナガレなんて、そんないいもんじゃ……」

「孤独の中でも自分を見失わず、強い信念をもって旅を続けられる。そして自分が闘うべきときを自分で決めて、そこに命を懸けられる。そういうかっこいい人たちが、僕にとってのナガレなんだよ」

「!」

 

 レイズは一瞬目を見開いて、しかしすぐに目を伏せた。その瞳に宿るのは、黒く濁った――劣等感。

 

(俺は、そんなかっこいいやつじゃない)

 

 ずしんと重くのしかかったそれに、きゅっと唇を噛み締めて、瞼を閉じて……しかし、すぐに開く。

 

(それでも憧れてくれるなら、俺は……)

 

 レイズは選んだ。吐きだすのではなく、問いかけることを。

 

「戦うべきときを自分で決めて、そこに命を懸けられるのがナガレ……だったら、お前はなにに命を懸けるんだ?」

「兄上だ」

 

 ニルヴェアの返答に迷いはなかった。

 

「もしもこの先にいる敵が本当に兄上だったらってずっと考えていた……それで思ったんだ。きっとあの人なら、誰が相手だろうと絶対に命を懸けて目的を果たそうとするはずだって。だから、えっと……獣との戦いだってそうだけど、相手が命懸けで挑んでくるのにこっちがためらってちゃ話にならない。だろ?」

「だろって……言うのは簡単だけどさ、本当にそのときが来てもためらわないって言えるのか? たとえ……尊敬する兄貴を殺さなきゃいけない、そのときが来たとしてもだ」

「う~~~~~ん……どうだろう?」

「うんうん、そりゃ悩むよな……ってここで悩むのかよ! ほんっといちいち締まらないやつだな!」

「いやでもさ、兄上が本当に黒幕だったら絶対ショック受けると思うぞ? だって僕の兄上は世界で一番かっこいいって10年ぐらい思い続けてきたわけだし、なんなら今でも思ってるし。うん、結局はそのときが来ないと分からないよ。やっぱりさ」

「あのなぁ……」

「――でも、一度決めたら最後まで貫きたい」

「っ!」

「もしそのときが来て、なにかを決めなければいけなくなったら……僕はちゃんと決めるよ。そしてこの命を懸けてでも、最後の最後まで貫き通してみせる。なんていうかさ……殺す殺さないよりも結局はそういうことなのかな、って思ってる。なんとなくだけどな」

 

 ニルヴェアはそこまで言いきると……いきなり自らの手を差しのべた。その手の先に立っているのは。

 

「だからレイズ。僕に力を貸してくれ」

「……!」

 

 レイズは息を飲んだ。差しのべられたその手に、かけられた言葉に、レイズの脳裏でかつての決意が重なる。

 

 ――お願いします! 僕に力を貸してください!

 

「なんだよ、今更……」

 

 レイズは思わずそう呟いたが、しかしニルヴェアはすぐにそれを否定する。

 

「僕はかつて、無力な僕を護ってもらうためにお前の力を欲した。だけどもう護ってもらわなくてもいい。その代わり……僕の隣で、一緒に戦ってくれ。今度は僕が僕の決断を貫き通すそのために、お前の力を貸してくれ」

「ニア……」

 

 レイズの手がゆっくりと持ち上がって……そこで止まった。レイズはただじっとその手を見つめて。

 

「俺は……」

 

 そのためらいに、ニルヴェアは笑顔を見せた。どこか自慢げな、いわゆるドヤ顔。ダメ押しとばかりに明るい声で押しこんでいく。

 

「それにほら、『無茶は選べ』っていうのがナガレの流儀なんだろ? だったら1人より2人の方が、選べる無茶だって広がるじゃないか!」

 

 どうだこの名案! ニルヴェアの表情が語っていた。しかしレイズはそれを見て……ただただ、唖然とした。

 唖然。呆然。そして……乾いた笑い。

 

「は、はは……ははは……」 

 

 だがその乾きに、湿り気がじわじわと混じっていく。

 

「はははっ、ははっ……あはははは!」

 

 気づけば大きな笑い声が、遥か遠くの夜空へと放り投げられていた。今度はニルヴェアの方が目を丸くする番だった。

 

「なんだ!? まさか変な物でも食べたのか!?」

「いやお前じゃあるまいし、んなわけねーだろ!」

「そっかならよかっ……いやちょっと待てそれって僕が変な物を食べそうってことか!?」

「だってお前、俺を呆れさせる天才じゃん!」

「なんだそれ! こっちは真面目だっていうのに!」

「あー笑った笑った。あれで真面目だってんだからお前はほんっと……」

 

 レイズはいつの間にか目尻に溜まっていた涙を拭って、ようやくニルヴェアへと向き直った。そしてすっかり宙ぶらりんになっていたニルヴェアの手へと目を向けて。

 

「あのなぁ、無茶を選べってそういうことじゃねーよ。てか決意がどうであれ、やっぱり俺より弱いやつを俺の前に出すわけにはいかねーし」

「うぐっ。で、でも……」

 

 瞬間、小さな手と手が繋がった。

 

「!」

 

 驚いたのはニルヴェアだった。繋いだのは、レイズだった。

 

「だから俺の隣で闘えよ。後ろからいきなり飛び出されるより、隣にいた方がまだよっぽどマシだからな」

「……!」

 

 蒼い瞳が大きく開いた。しかしそれを見たレイズは、慌ててぱっと手を離した。そしてすぐに顔を背けてまくしたてる。

 

「つっても、実力を認めたわけじゃねー! むしろこいつは心配だからこそ……つーわけで調子に乗んな! そんで無茶するなら相談必須! ここまで妥協してやったんだからお前もちゃんと守れよそこら辺!」

 

 しかしニルヴェアの方はといえば、にへらと表情を緩めてすっかり浮かれた様子であった。

 

「へへっ。一緒に闘ってくれるなら、この際心配でも信頼でもなんでもいいよ」

「ったく、ほんと図太いやつだな……」

 

 と、レイズの視線が一点で止まった。そこにあったのは焼き鳥串……から焼き鳥を引いたただの串。少年の瞳が、そこに懐かしい記憶を映しだす。

 

「俺が初めて獣を仕留めた夜はさ、喉をなんにも通らなかったんだ。胃の中の物だって全部吐いてさ」

「えっ。お前が……?」

「そういう時代もあったってこった。だからさ、そこら辺だけで言えば……お前って本当にナガレに向いてるのかもな」

 

 それはレイズなりの冗談&誉め言葉であった。『ナガレになりたい』そう語ったニルヴェアを認めたがゆえに、彼はその言葉をかけたのだ。目の前の少女を喜ばせたい、なんてちょっとした打算もあった。

 しかし……ニルヴェアは、なぜかぐっと息を飲んて表情を強張らせる。

 

「っ……!」

「ど、どうしたんだ? なんか俺、変なこと……」

「レイズ」

「え?」

「僕をナガレとして認めてくれるなら、そして力を貸してくれるというなら……ひとつだけ、教えて欲しいことがあるんだ」

「なんだよ、改まって……」

 

 そのとき、レイズの背筋になにか嫌な予感が走った。寒気のようなそれに体をぶるりと震わせて、しかし彼の心臓は徐々にその”熱”を増していた。そしてそれに呼応するかのように、ニルヴェアがその問いを口にする。

 

「――お前の炎って、なんなんだ?」



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3-14 紅き過去といつかの未来

「俺が初めて獣を仕留めた夜はさ、喉をなんにも通らなかったんだ。胃の中の物だって全部吐いてさ」

「えっ。お前が……?」

「そういう時代もあったってこった。だからさ、そこら辺だけで言えば……お前って本当にナガレに向いてるのかもな」

「っ……!」

 

 そう言われた瞬間、ニルヴェアは思った。

 

 ――もし1人のナガレとして、あいつに認めてもらえたら、その時は……

 

(僕はレイズよりまだ全然弱い。だから今の僕が”それ”を問う資格があるのか、正直自信はない。でも……)

 

 ニルヴェアはすでに予感していた。もうあと3日後に迫った”約束の日”。そこで全ての決着がつけば、結末はどうであれこの旅も終わるのだろうと。

 

(事件の黒幕を捕まえて、旅が終わればレイズはまた旅に出る。そして僕は……屋敷に戻ることになるだろう。きっと一緒にいられる時間はもう少ない。あいつの助けになりたいっていうなら……今、知らなきゃいけないんだ)

 

 だから、ニルヴェアは決めた。

 

「レイズ」

「え?」

「僕をナガレとして認めてくれるなら、そして力を貸してくれるというなら……ひとつだけ、教えて欲しいことがあるんだ」

「なんだよ、改まって……」

 

 困惑するレイズを前に、ニルヴェアはごくりと喉を鳴らした。せっかく認めて貰えた矢先だというのに、これ以上踏み込んだら逆に嫌われてしまうかもしれない。あるいは傷つけてしまうかもしれない。

 

(それでも、決めたんだ)

 

 だから。

 

「――お前の炎って、なんなんだ?」

「――っ」

 

 瞬間、レイズがびくりと肩を震わせた。あからさまな動揺。なにかしらの核心に踏み込んだことは確かであった。だからもう1歩。

 

「お前の炎って、琥珀武器とは違うんだろう?」

「っ!?」

 

 動揺がさらに大きくなった。しかしそれはほんの一瞬のことで、彼はすぐに平静を取り繕おうとする。

 

「な、なんだよいきなり。前も言ったろ、トーシロには」

「『10歳から始める琥珀学』。実は工房の親方に勧められて、こっそり勉強していたんだよ」

「だ……だからどうしたってんだよ」

「それで知ったんだけど……琥珀エネルギーっていうのは琥珀から取り出した時点で一気に不安定になるんだってな」

 

 その時点で、レイズの顔色にはすでに隠しきれない苦渋の色がにじんでいた。だがニルヴェアは目をそらさず、しかし彼の反応をあえて無視して語り続ける。

 

「だから明かりを点けるとか車を動かすみたいな”他の動力へ変換して使う”のは容易くても、”琥珀エネルギーをそのまま使う”方法は、未だに弾丸やビームを放つ程度に限られているんだってさ。射出の際にほんの数秒だけエネルギーを固着させる、それが現代の技術の限界のはずなんだよ。つまりレイズ、お前の光の槍は……”安定した熱量と形状を保つエネルギーの塊”なんてものは、現代の技術じゃ決して作れないはずなんだ」

「…………」

「それだけじゃない。お前は何度も手足から炎や爆発を生み出していたけど、あれに至ってはもっと説明が付かないんだ。最初はこっそり琥珀機械を潜ませてそれっぽく出しているだけかとも思ったけど、でもお前だって言っていただろう? 『琥珀機械は小型化が難しい』って。なのにお前の炎は、例えば僕のハンドガンなんかとは比べ物にならない火力がある。でもあの炎と同じ火力を琥珀機械で出そうとしたら、ハンドガンなんかよりもよほど大きくする必要があるんだ……それこそこっそり仕込んで隠すなんて、絶対にできないくらいに」

「…………」

 

 レイズはずっと口を閉ざしている。ただ黙って、ニルヴェアの推理を受け止めている。

 

「そういうわけで、僕は逆に考えてみた。もしもお前の炎、あるいは光の槍を生み出す源が琥珀以外のなにかに起因していたら? そう考えたらひとつだけ思いついたことがあった。馬鹿みたいなことだけど、でもこれしか説明が付かないとも思ったんだ……」

 

 ニルヴェアはレイズの、まだ幼さを残す丸い瞳をじっと覗き込んだ。まるでその奥に潜む正体でも見抜くかのように……そして彼女は、告げる。

 

「レイズ。お前は――『魔法使い』なのか?」

 

 それはグラド大陸より遥か遠き、魔の大陸。そこに存在すると言われている、神秘の技を扱う者たちの総称である。

 

「…………」

 

 レイズの表情はひたすらに硬かった。彼はひたすらに沈黙していた。まるで閉じた宝箱のように、その口を真一文字に結んでいたが……しかしやがて、観念したかのように口を開ける、と。

 

「っ、はぁぁぁ~~~~~!」

 

 とてもとても大きなため息をひとつ吐いて、それからおもいきりツッコむ。

 

「こんっ、の……最後の最後で外すなよな! そこまで来たらもう当てろよ馬鹿!」

「えっ! 嘘、ハズレ!?」

「あーもうなんなんだよ! 俺の緊張返せ!」

「で、でもだって手から炎とか、琥珀機械じゃなきゃあとは魔法くらいしかないだろ実際!」

「あのなぁ……そんなおとぎ話よりも、よほど現実的な物がこの大陸にはひとつある。って前に教えなかったか?」

「え……」

 

 そう言われれば、脳裏にはとある単語がふっと思い浮かんだ。だからこそ、ニルヴェアは困惑してしまう。

 

「いや、でもアレこそ、そんなに小さくなんて……」

「そりゃ単なる思いこみだ。アレを俺たちの理屈で考えるなよ」

 

 そう言いながら、レイズは自分のベストに手を掛けた。そしていきなりそれを脱いでそこら辺に放り投げ、続いてその下にあるシャツの裾にまで手を掛けた。

 

「え、なんで脱ぐんだ……?」

 

 ニルヴェアの当然の疑問に、しかしレイズはほんのりと顔を赤らめて。

 

「いいから黙って見てろ」

 

 その一言と共に、勢い良くシャツをまくり上げた。果たしてニルヴェアの視界に映ったのは。

 

「これが、俺の心臓だ」

「なんだよ、これ……」

 

 人体において本来は心臓があるであろう位置。胸の中心にそれは埋め込まれていた。

 肌とくっきり境目を刻む銀色の輪っか。そしてその内側にすっぽり嵌っている紅い水晶玉。それが、レイズの心臓であった。

 

「なんなんだろうな」

 

 レイズが自嘲気味に吐き捨てた。そしてそれに呼応するかのように、水晶玉の中で紅い光が揺らめいた。ニルヴェアはふと思う。

 

(似ているな、レイズの炎に)

 

 ニルヴェアは自然と、その紅へと手を伸ばしていた。やがて細い指が水晶玉の表面に触れて、それをつぅ……となぞった。返ってきたのは見た目通り水晶のようなつるつるとした手触り。そして人の温もりのような、ほのかな暖かさ……

 

「変な触り方すんな、くすぐったいんだよ」

「す、すまない!」

 

 ニルヴェアが慌てて手を離すと、レイズはすぐにシャツを下ろした。どこか恥ずかしげに唇を尖らせている彼を見て、ニルヴェアは今しがたのつるつるした感触を思い出した。

 

「神経まで通っているのか。本当に不思議だな……」

「それが『旧文明の遺産』ってやつだ。人知を超えた謎と力を持つ超技術の欠片……それを俺は3年前に移植されたんだ。神威のとある研究所で、本物の心臓と引き換えにな」

「そんな……本当にそんなことが……!?」

 

 心臓の代わりに遺産が埋め込まれているという異常。それが人工的な移植だという狂気。

 その事実がニルヴェアを戦慄させた。しかしその一方で、レイズは淡々と語っていく。まるで他人事のように。

 

「なんで俺が選ばれたのか。どこのどいつに攫われたのか……移植される前の記憶は正直よく覚えてない。故郷や親があったことは覚えてるけど、顔も名前も思い出せないんだ。だけど、ただひとつ確かなことは……俺にこれを移植した研究所は、他でもないこれの”暴走”で焼き尽くされたってことだけだ。建物も、資料も、人でさえも。俺が目を覚ましたときには、全てが真っ黒な炭になっていた」

 

 ニルヴェアはなにも言えなかった。それがあまりにも壮絶だったから……というよりも、それが現実に起きた出来事であると実感できていなかったからだ。

 分家(レプリ)の屋敷という箱庭で生きてきたニルヴェアにとって……あるいは普通に生きる大半の人々にとって、今の話はそれこそ魔法じみたおとぎ話に近いものであった。

 しかし現実は目の前にある。紅い心臓にも実際に触れたのだ。

 

(僕はもしかして、とんでもないものに踏みこんでしまったのか?)

 

 心臓に触れた指が今になってじんわりと熱を持った。そんな気がした。

 

(でも、だからって、逃げる理由にはならない……こんなに重いものを聞かされたのなら、なおさら)

 

 ニルヴェアは心臓に触れた指で拳を握り、レイズに話の続きを促す。

 

「それで、お前はどうしたんだ……?」

「すぐに気絶したよ。俺も暴走のせいで全身に大火傷を負ってたからな。でもそこでたまたま神威を追っていたアカツキに拾われて、それからしばらく面倒を見てもらってたんだ。それに……不幸中の幸いというべきか、俺の体はどうも遺産のおかげで強化されてるらしくてな。常人より身体能力や治癒能力が高くて……とりわけ火傷に対する回復力はかなりのもんらしい。だからほら、さっき肌も見たろ? もう火傷の跡なんてどこにも残ってない」

「ちょ、ちょっと待て。大火傷とか、アカツキさんとか、色々気になることはあるけど……」

 

 ニルヴェアはあーだこーだ考えて、とりあえずは目の前の疑問を解決することに決めた。

 

「火傷に……炎に耐性があるってことは、逆にお前が手足から出して操っている炎も……?」

「この遺産の力だな。見ての通り、手と足から……んー、やろうと思えば全身どっからでも出せると思うけど、そこまではやったことねーな。服も燃えるし」

「なるほど……ん? でも靴は燃えてないよな?」

 

 ニルヴェアがふと過ぎった疑問と共に見下ろせば、そこにはレイズの靴がある。ぱっと見では、なんの変哲もない靴に見えるが……。

 

「おう。こいつは特殊な素材を使っててな。靴底が遺産の力を素通りするようになってんだ。だから炎は足の裏を通して靴底から出てくるってわけ。ま、言ってみれば琥珀機械の親戚みたいなもんかな」

「琥珀機械の親戚……あ。ということは、お前の琥珀銃も?」

「そ。この遺産をエネルギー源として使えるように改造してあるんだ。だから普通の琥珀武器と違って、こいつにはエネルギー切れもリロードも存在しないんだよ」

「なるほど。だから普通の琥珀機械じゃ実現不可能なはずの現象……光の槍なんかも形にできるのか?」

「まーそうなんだけど、あれはどっちかって言えば”収束して固めてる”っていうよりも”出しっ放しにしてる”って方が正しいな。蛇口の水を捻りっぱなしにするみたいに……それこそ、本当の琥珀なら秒で尽きるぐらいの勢いでな」

「なるほど……? えっと、とにかく、お前の遺産はそういう無尽蔵なエネルギーを秘めている……ってことでいいのか?」

「そんなとこだ。それで、他に質問とかはあるか? ここまで来たら、隠すようなこともねーしな」

「いや……とりあえずは話を先に進めてくれ。えっと、アカツキさんに拾われて……それからお前はどうしたんだ?」

「そうだな……俺はアカツキに拾われたあと、あいつにナガレとして生きるための諸々を叩きこまれたんだ」

「ふむふむ」

「で、遺産のおかげもあって半年ぐらいで独り立ちできるようになったから、そこからはずっと1人旅だな」

「ふむ」

「それから旅の途中でこの靴や琥珀銃を作ったり、ちょっとした事件に巻き込まれて越境勲章を貰ったりして、なんやかんやで今に至る。と……こんなもんでいいか?」

 

 レイズはそうあっさりと締めくくった。が……ニルヴェアは「ふむ……」まだ考え込んでいる。

 

「なんだその微妙な顔。まだなんかあんのか?」

「いや、なんというか……3年前ってお前12歳だろ? そこから半年修行したとしても、良くて13歳だ。まだそんな幼いのに、よく1人で旅に出ようなんて思ったな。他の誰かに……それこそアカツキさんに頼ろうとか思わなかったのか?」

「あー、そこ引っかかんのか……」

「まぁ、僕がもしお前だったら……と思うとな」

「……そんなに気になる?」

「『もう隠すことはない』って言ったのはそっちだろ。僕だってもう十分驚いたし、これ以上はなにを聞いても驚かないさ」

 

 そう断言して、ニルヴェアはふんすっと胸を張った。そろそろぼちぼち飲み込めてきたし、飲み込めればぼちぼち開き直ることもできてくる。

 毒を食らわば皿までだ。そんな意思を態度で示してきたニルヴェアに、レイズは観念して溜息をひとつ吐いた。そして、

 

「まぁ、べつに驚くような話でもないんだけどさ……」

 

 レイズは静かに話し始めた。 

 

「この遺産にはリスクがあるんだ」

「それは……研究所を焼き尽くした暴走、というやつか?」

「ああ……こいつは俺の精神に反応して昂るんだ。それこそ、心臓が脈打つようにな」

「昂り、脈を打つ……」

 

 ニルヴェアは己の胸に手を当てた。すると手のひらへ、どくんどくんと心臓の鼓動が伝わってきた。人間の心臓は、持ち主の心や体の状態に応じて鼓動の速度を大きく変えるものだ。ならば……。

 

「それならレイズ。お前の遺産は、その……例えば急な運動をしたり、あとは驚いたりとか、そういうのでも昂って暴走するのか?」

「ははっ。確かにそーいうのでも昂るっちゃ昂るけど、でもそんな簡単には暴走はしねーよ。むしろ多少の昂りなら出力を上げてくれるんだ。だけどたぶんそれには閾値みたいなものがあってさ……それを超えると、自分でも制御が効かなくなるんだと思う」

「思う、か。なんか曖昧だな」

「そりゃ暴走したらヤバいしな。ただの化学実験じゃねーんだから、どこまでいったら暴走する? みたいなのは流石にできねーだろ」

「それはそうだが……しかしそれなら最初の1回以降、暴走したことはないのか?」

 

 問いかけたその瞬間、レイズの表情に苦みが差した。

 

「……1回だけ」

 

 目を伏せて、唇を振るわせる。今の少年の表情に、ナガレとしての強さは宿っていなかった。

 

「暴走寸前……自分じゃ止められないとこまで昂ったことがある。そのときは本当にヤバくて、がむしゃらで、とにかく死んで堪るかって一心で……たぶん、生存本能みたいなやつなんだろうな。体の中が勝手に熱くなってきて、頭じゃ分かってるのに止められなくて……」

 

 ニルヴェアは思わずごくりと、生唾を飲み込んでいた。

 

(自分の心臓が自らの制御下を外れ、内側から全てを焼き尽くすなんて、想像しただけでも怖い。だけどこいつは……その想像の何倍も怖い世界でずっと生きてきたんだ)

 

 そのことを思うと、これ以上は踏みこまない方がお互いのためなのかもしれない。そんな考えが頭を過ぎり……しかしすぐに消え去った。

 

(違う。だからこそ僕は知らなきゃいけないんだ……僕の想いを貫き通す、そのために)

 

 だからニルヴェアは、レイズの世界に踏みこむ。

 

「でも寸前ってことは、そこで止まったんだろ? 自分じゃ止められないのにどうやって止めたんだ?」

 

 問いかけたのは止める方法。レイズは苦い表情のまま答える。

 

「そんときたまたま一緒にいたやつに、死ぬほど強烈なのを貰ったんだ」

「死ぬほど、強烈な……?」

「つまり気絶させられたんだよ。そしたらなんか1周回って収まった。多分だけどさ、こいつは俺の精神に呼応してるから……それがぷっつり途切れれば収まるんじゃないかな。たとえば寝てるときに暴発したりってことはないしさ」

「ふむ……精神との呼応、生存本能、暴走の閾値……」

 

 ぽつぽつと呟いていくニルヴェア。その脳裏には、レイズのこれまでの立ち振る舞いが過ぎっていた。

 普段の飄々とした余裕ある態度。時折見せる冷酷にも近い冷静さ。それに、どこか他人と一線を引いているように見える秘密主義……ニルヴェアは、そこからひとつの答えを引き上げる。

 

「つまりレイズ。お前の立ち振る舞いというのは、その暴走を抑えるためのものなのか?」

 

 その途端、レイズの顔がぎくりと強張った。図星なのは明らかであった。

 

「なんでお前、そういうとこだけは鋭いんだよ……」

「ちょっと待て。まるで普段は鈍いみたいじゃないか!」

「実際なにかと鈍いだろ……ま、バレたならこの際教えてやるけど、実際日頃から気をつけてはいるんだよな。例えば普段から平静を保つこと。特に戦闘ではパニックにならないよう、常に考え続けること。あとは精神面以外だと……」

 

 レイズはそこで一度言葉を切った。そして自らの胸の前へと手のひらを出して上へと向けた……その直後、ボッ。小さな紅が手のひらに灯る。

 

「うわっ」

 

 ニルヴェアが目を丸くした。彼女の視線は手のひらの真ん中でゆらゆら揺れている炎に注がれていた。だがそれはすぐに消えて、レイズの説明と入れ替わる。

 

「実はさ、こうして炎を出すにはちょっとだけ気張らなきゃ……つまり自分を昂らせなきゃいけないんだ。昂れば昂るほど火力は上がるけど、でも火力を上げるほどに暴走の危険も高まる」

「……言われてみれば基本的には炎より銃を使ってるよな、お前」

「ああ。銃のエネルギーとして引き出すだけなら炎を直接出すより楽だし、安定もするんだ。だから普通はそっちで戦ってる……っつっても、その銃にだって念のためにリミッターを掛けてあったり」

「リミッター?」

「そ。あの銃はさ、一定量以上の過剰なエネルギーを注ぐと、ボディが耐え切れずに爆発する。そんな設計になってんだよ」

「うぇっ、なんでそんな物騒な……って、そりゃ暴走を止めるためか……」

「おう。感情が昂り過ぎてうっかり無茶しそうになっても、自爆すりゃ頭だって冷えんだろ……って爆発してんのに冷えるってのも変な話か、ははっ」

 

 そうレイズは軽口を叩いてみせたが、しかしニルヴェアの頭は逆に冷え込むばかりであった。

 

「幾重にも対策を重ねて、それでもまだ危険な爆弾を抱えて……」

「ニア?」

「なのに、なんでお前は旅ができるんだ? そこまでしてお前が欲しいものって、なんなんだ?」

 

 青空のような瞳が、しかし今は曇天のように寂しげに揺れていた。しかし……あるいはだからこそか、レイズはあえて胸を張った。ナガレとしての強い意思が、再びその表情に宿る。

 

「決まってんだろ。暴走するから危ないってんなら、完全に制御できるようにすればいいんだ」

「制御って……そんなことできるのか?」

「それは実際やってみないとなんともな。だけどもし制御できる可能性があるとして、それに必要な”鍵”はもう見つけてる……っていっても、今はまだその名前を知ってるぐらいなんだけど」

「鍵……?」

「『祈石(いのりいし)』。それが俺の探している物の名前だ」

「いのり、いし……?」

 

 それはニルヴェアにとって、全く聞き覚えのない名前であった。

 

「石というからには鉱石の一種なのか?」

「ああ……つってもただの鉱石じゃない。未だ採掘場所は見つかってないし、人工的な生成も不可能っていう超希少な鉱石だ。そのくせしてそいつは……現存する旧文明の遺産。その多くに素材として使われてるらしいんだよ」

 

 そこまで聞いて、ニルヴェアはハッと気づく。

 

「もしかして、お前の遺産にも……!」

「そう。旅の中で遺産の研究者と会ってさ、そいつに調べてもらって分かったんだ」

 

 レイズはそう言ってから、再びシャツを捲って胸の遺産を見せた。”心臓”が紅い光を揺らめかせる。

 

「この球が遺産の核に当たるんだけど、その周りに金属の輪っかがあるだろ? ここに祈石が混ぜ込まれてるらしいんだ」

「なるほど……それで、その祈石とやらはどんな効能があるんだ?」

「分かってることはそんな多くない。ただ『感情や意思を伝播させることで遺産を制御する』って力があるのは確からしい」

「感情や意思……つまりその祈石があれば、遺産を自分で自由に操れるようになるのか?」

「そうなるな。つっても、祈石をどう使えばこいつを完全に制御できるのか。それはまだ全然分かんないし、まだ道のりは長いんだろーけど……とにもかくにも『祈石を手に入れること』。それが今の俺の目的ってことになるな」

「なるほど、な……」

 

 ニルヴェアは腕を組んで、それきり黙り込んでしまった。なにやら神妙に考え込むその表情に、むしろレイズの方が慌てて言う。

 

「あー、なんか気まずくしちゃったな。悪い。えっと、なんつうかさ……そんな気にすんなよ! てか俺だって言うほど気にしてないし!」

 

 しかしニルヴェアは返事を返さない。彼女は思考の海に沈んでいる。ただひたすら、レイズという人間について想いを馳せている。

 

(胸の遺産、暴走への恐怖。それがレイズを旅客民(ナガレ)にした根幹……いや、それだけじゃないはずだ)

 

 自然と脳裏に浮かんだ。以前、アカツキに託された言葉が。

 

 ――やつの”道”は、たった15の少年が背負うにはとても酷な物だ。しかしそのくせしてあやつは妙に擦れていない……いや、擦れることができないのだろう

 

 ――いつまで経っても優し過ぎるのだ、我が弟子は

 

(レイズは遺産の暴走に他人を巻き込みたくないんだ。きっと自分が死ぬよりも、人を巻き込む方が怖いんだ。だからこそあいつは誰にも頼らず、今まで1人で旅を続けて……)

 

 ニルヴェアがじっくりと考え込むその一方で、レイズはなんとか空気を明るくしようと奮闘している。

 

「そりゃこの遺産がクソなのは事実だけどさ、でもこいつのおかげで生き残ってこれたんだし持ちつ持たれつってやつだよ! 実際、火のないところでも火が起こせるってマジですげー便利だし、暴走さえしなきゃただの便利グッズだよこんなん! えーっと、とにかくこの話で一番重要なのは、そうあれだ。もし俺が暴走しそうになったらお前はすぐ逃げろってこと! 言いたいのはそれだけ! はいこの話はもう終わ」

「逃げない」

「っ!?」

 

 レイズの奮闘は、たった一言で堰き止められた。さらにニルヴェアは間髪入れず、はっきりと断言する。

 

「だって僕はこの旅が終わったら、お前に恩返しがしたいんだ」

「おん、がえし……?」

「祈石の情報が欲しいなら一緒に集めてやる。僕も一応貴族の端くれなんだし、資金援助だってできるさ。なんなら、お前と一緒に旅に出て手伝ったって構わない! レイズ、とにかく僕はお前から逃げないぞ。お前が僕をここまで連れてきてくれたように、僕だってお前の旅に最後まで付き合ってやる!」

 

 ニルヴェアは一気にまくしたてると、そこから文字通り一気に踏みこんだ。足でバルコニーの床をだんっと踏み鳴らして、レイズの眼前まで急接近。レイズは思わず後ろに後退ったが、しかしニルヴェアはぐっと顔を近づけて逃がさない。

 

「暴走で誰かを巻き込むのが怖いっていうなら、僕がずっとそばにいて、何度だって止めてやる。死ぬほど強烈な一撃、で止まるんだろ? だったら……」

 

 ニルヴェアはそこで、わずかに唇を震わせた。

 

(怖い)

 

 命懸けの意思を形にして、誓う。それは想像以上に怖いことだった。それを今、初めて知った。

 

(それでも決めたんだ。僕は僕の決断を最後まで貫くって)

 

 だから誓う。

 

「レイズ。たとえお前を殺してでも、暴走はこの僕が絶対に止めてやる。だからお前は暴走しないよ、絶対に」

 

 ニルヴェアは言い切った。そしてそのとき……すでにレイズは、彼女に背を向けていた。

 

「…………」

 

 その後ろ姿は沈黙を貫き、表情も伺い知れない。

 

「レイズ……?」

 

 ニルヴェアは不安と共にその背を見つめて、1秒、2秒、3秒……

 

「なにその気になってんだよ、バーカ」

 

 不意にニルヴェアのおでこが、人差し指にちょいと押された。彼女が驚いたそのときには、すでに勝ち気で生意気な少年の笑顔が目の前にあった。

 

「お前が暴走してどーすんだよ」

「んなっ! 僕は暴走なんて……」

「お前にはちゃんと、帰る場所があるんだろ?」

「っ……!」

 

 ニルヴェアはその瞬間、自らの手のひらの重みを思い出した。彼女の手には今もなお、クリアブルーのペンダントが握られている。

 

「ニア。たとえお前の実家が”籠の鳥”で、狭い世界だったとしても……楽しかったんだろ? 大事な居場所なんだろ? そうじゃなきゃ、思い出しながら泣いたりなんてできねぇよ」

 

 ニルヴェアはただ、こくりと頷くことしかできなかった。

 

「帰れる家があるならさ、きっとそれに越したことねーんだ。それに、いくらお前が分家だとしてもお貴族様ならさ、たぶん責任とか色々あるんだろ。お前はそういうを捨てないタイプだと思ってたけど?」

「…………」

 

 ニルヴェアはうつむいて黙りこんだ。しかしやがて、その口にほんの小さな笑みを浮かべて。

 

「……ああ、そうだな」

「そうそう。お互い”世界”が違うんだから――」

「それでも、僕はお前にまた会いたいよ」

 

 レイズがぴしりと固まった。しかしニルヴェアはそれに気づかないまま、うつむいたまま語り続ける。

 

「恩だってたくさんあるけど、それだけじゃない。せっかくこうして仲良くなれたんだ。僕はお前との繫がりを、ただの一期一会で終わらせたくは……」

「資金援助と情報提供」

「へ?」

 

 ニルヴェアが顔を上げれば、少年の顔はちょっぴり赤くなっていた。

 

「さ、さっきお前が言ったんだろ!? 金はとりあえず大事だ! それに兄貴の情報を四方八方から取り寄せられるお前なら、祈石の情報だって案外集められるかもしんないしな!」

「それじゃあ……」

「だから、たまに寄ってやるよ。そんで宿代代わりに旅の話を聞かせてやる」

「……!」

 

 ニルヴェアの目の前にふっ、と。その光景は現れた。

 ある日ふらりと現れてはお土産片手に広い世界を物語る、赤銅色の髪の少年。そして彼の話に聞き入る、金髪蒼眼の少年が――

 瞬きひとつ。すぐに消えたその光景に、しかし少女の笑みが深まった。

 

「お土産は、食べられる物がいいな」

「いや真っ先にそこかよ。つか食べ物は日持ちがなぁ……」

「あ、そうだ!」

「うわっ、今度はなんだよ?」

「ウチでと言わず、旅の話は今聞きたい! せっかくこんな良い夜なんだしさ!」

「せっかく、ねぇ。いつもと同じ夜だと思うけど……」

 

 レイズはそうぼやきつつも、しかしその頬は緩んでいた。どこか肩の荷でも下りたかのように、彼はゆるりと空を見上げた。

 星は満天に、月は空高く。

 

「じゃあ遺産のことも話したし、それ関係の話にするか……そうだな。あの変な研究者と出会ったのも、ちょうどこんな夜のことだったんだ」

 

 夜が明けるには、まだ遠いから。

 

「大陸の端の方に広がっている森林地帯。その奥深くにひっそりと佇み『秘境』と呼ばれる遺跡群の中に、そいつは住んでいた。例えとかじゃなく、マジで住んでたんだよ。なんでも古代の人々の生活を体で知るとかって――」

 

 少年が楽しげに語らい、少女が安らかに耳を澄ませる……そんな穏やかな時間は、文字通り夜が明けるまで続くこととなる。

 いつの間にか昇ってきていた太陽に2人がびっくりして、慌てて旅の予定を組み直すまであと、あともうしばらく。



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3-15 約束の日と対峙する剣

 それはどれだけ望んだって、どれだけ手を伸ばしたって、もう二度と届かない遥か彼方。

 

『姫様の頬は、桜餅みたいでござるな』

『ちょっとユウヒ! 私ってそんなにぷっくりしてるのかしら!?』

『いやいや、べつに侮辱する気など! むしろほら、桜みたいに明るくて餅みたいに可愛らしいという……』

『それってただ良い感じに言い換えただけじゃない。貴方も言うようになったわね!』

『ふふっ、おかげさまで。でも拙者としては本当に好ましいのでござるよ。その頬のもちもち感も、血色の良さも、姫様が健やかに育っておられる証でござるゆえ』

『それは……一理あるわね! そうよ。これからこの広い大陸に伝説を刻もうってときに、がりがりのひょろひょろじゃ気合だって入らないわ! というわけでユウヒ、貴方ももっと食べなさい! 前々から思ってたけど貴方はちょっと痩せ過ぎよ』

『えっ、なぜに拙者も!?』

『決まってるじゃない、貴方は私の侍なんだから。一緒に食べて、一緒に育って、それで一緒に強くならなきゃ! というわけで、今日はとことん甘味屋を回りに行くわよ!』

『あ、そういうことでござるか……しょうがない。このユウヒ、姫様のためなら地獄から甘味処まで、どこへなりともお供するでござるよ』

 

 春ごろのリョウラン領の空には、いつも薄桃色の花びらが舞い散っている。それはリョウラン領固有の樹木であり『桜の都』の由来ともなった『桜』の花びらだ。

 太く立派な樹木にたくさんの小さな蕾。春の間だけ咲いては散りゆくその花は、リョウランにおける春の風物詩であり、領外から人を呼び込む名物であり……そして春という、新たな芽吹きと出会いを告げる希望の季節。その1番の象徴でもあった。

 

 ――かつて拙者が桜餅に例えたその頬は、今や音もなく積もる雪のように白く、干乾びた餅のように固く。

 彼女は己が腹から溢れた真紅の布団に被さり、ただ静かに眠っている。

 四肢は強張り、呼吸は止まり、その眠りが覚めることは永遠にない。

 それを理解した瞬間、からりと虚しく音が響いた。

 私の手から、刀が滑り落ちた音だった。

 

 

 ◇■◇

 

 

 だだっ広い街道の脇に、1本の看板が立っている。そこにはこんな文面が書かれていた。

 

『この先の遺跡は現在、調査のために一時閉鎖されております。ご迷惑をおかけして申し訳ありません』

 

 そんな丁寧口調に対して、しかし図々しく寄り掛かる者が1人いる。

 

「…………」

 

 ぼさぼさな黒髪を適当に纏めて、茶色のぼろ布フードを纏っている。アカツキはぼんやりと看板に寄り掛かって、のどかな空を眺めていた。

 ……どれだけの間そうしていたのだろう。ふと、青年の声が聞こえてくる。

 

「もしかして、エグニダの行方が気になる?」

 

 アカツキが振り返ると、そこには相方(ブロード)が立っていた。

 

 ――結局、2人は”約束の日”までに確たる証拠を挙げられなかった。剣の都と神威との繫がり。そしてニルヴェアの屋敷で起きた事件の黒幕を捕まえるための証拠を……。

 

 だから彼らは予定通り、剣の都の郊外にある遺跡。そこからほど近い草原で少年少女を待っているのだが。

 

「唐突になんでござるか?」

「いや、なんていうかさ……最近よくぼーっとしてない?」

「べつにそんなつもりはないが……ま、しかしエグニダの行方か。気になると言えば気になるな。奴の改造された肉体、そして情報収集能力は厄介だ。それに……やつは『暁ノ一閃』をもろに喰らってもなお生きていた。闘志も潰えていなかった」

 

 ――また会える日を、楽しみにしている!

 

「間違いなく、また相まみえるのだろうな」

「……一応、見張りで確認したのはヴァルフレア1人だけだったけどね」

 

 ここで言う見張りとは、今朝がた件の遺跡を2人で見張っていたときのことである。

 2人はそのとき、ヴァルフレア1人だけが遺跡に入っていったところを確かに目撃していたのだ――だが、目では見えなくとも。

 

「ヴァルフレアが入る前から、すでに遺跡内にいくつかの気配があった。それも、おぬしから貰っていた見取り図にはないような場所で、な」

「隠し部屋や通路があるってことかな、まぁそんなとこだろうとは思ってたけど。でも相変わらず便利だねその能力……気配の中にエグニダのはあった?」

「なにぶん距離が遠いゆえ、そこまでは分からん。上半身をぶった切られた数日後に戦いに来る阿呆もおらんだろうとも思う。だが、そもそも上半身ぶった切られて生きているようなやつにその手の常識を説くのもアホらしい」

「……やっぱ、来るかなぁ」

「立ち塞がるなら斬る、それだけだ。一度目は剣を断った。二度目は体。ならば次は命を絶つ。三度目の正直だ……この刀に誓って仕損じはせぬよ」

「三度目の正直、ね……」

 

 ブロードはしばらくなにかを考え、それから言う。

 

「……エグニダのやつは君の事情についてとやかく調べ、だらだら喋ってくれてたわけだけどさ。もしそれを気にしてるんだったら……」

「『僕はいつだってありきたりなことしか志せない。だから僕は、僕を助けてくれた恩人を信じてる』」

「!」

 

 アカツキの口から出たその言葉は、ついこないだのエグニダ戦でブロードが口にした言葉そのままであった。

 

「エグニダの言葉におぬしは惑わされなかった。どうもおぬしを含め、この世には拙者のような流れ者でも信じてくれる奇特なやつが何人かおるらしい……ならば拙者はそれで十分だ。だからあんな三流騎士なんぞに」

「なーにらしくないこと言ってんのさ!」

 

 パシンッ! と快音がアカツキの背から響いた。「うぉっ!?」アカツキの背中を急に叩いてきたのはブロードであった。

 

「やってくれたな。侍の背中を不意打つとは……」

「あれっ? てっきり避けられると思ってたんだけど……本当に、らしくないんじゃない?」

「ブロードのくせに言ってくれる」

「確かに僕なんかが口出しすることじゃないのかも。でもアカツキ、君はさ……かのリョウラン家の姫様にも認められた由緒正しき宵断流、その最後の後継者なんだろう?」

「む……」

 

 アカツキの眉根にしわが寄った。その一方で、ブロードは語りのテンションを上げていく。

 

「そしてユウヒ・ヨイダチの冤罪を世に明かし、宵断流に着せられた汚名と殺された姫様の無念を(そそ)ぐ。それが君の目的のはずだ。だったら『何人かに分かってもらえばいい』なんて言わず、もっと図々しくなりなよ。『今に見てるでござるよ真犯人! 貴様の首根っこひっ捕まえて、再び宵断流が返り咲くための礎にしてくれるわ!』ってくらいにさ?」

 

 冗談めかした口調と言葉。しかしそれはアカツキに笑顔をもたらさなかった。むしろアカツキは余計に苦い表情を見せて。

 

「おぬし、拙者のことをなんだと思っておるのだ……というかなんなのだ今更」

「いやね? 君のモチベはこの際どうであれ、ユウヒ・ヨイダチの冤罪だけは是が非でも晴らしてもらわないと、僕の将来設計にも関わってくるんだよ。だからしゃんとしてもらわないとさ」

「はぁ……?」

 

 アカツキはいよいよもって胡散臭い物を見るような視線をブロードへと向けたが、しかし当の本人はそれをさらりと受け流して。

 

「あれっ、言ってなかったっけ。僕は将来、ユウヒ・ヨイダチの自伝を描いて一儲けしたいんだよ」

「…………」

 

 アカツキが心底嫌そうな顔をして、ブロードが心底楽しそうに語りだす。

 

「だってさ! 今や廃れかけた本格剣術の使い手たる侍が自らの冤罪を晴らし、主君の仇を討って、そして最後には再興した宵断流の弟子に囲まれて長い生涯を終えるんだよ? 絶対熱いって!」

「おい。人を勝手に老衰させて架空の弟子に囲ませるでない……冗談としても笑えんぞ」

「まぁそこら辺は冗談なんだけど、でも自伝は結構やる気なんだよね」

 

 その時点でアカツキの口からは二度目の「はぁ?」が飛び出していた。だがブロードはそれもしれっと受け流して。

 

「だって将来はこんな危険で過労な仕事なんてやめたいしさぁ。そのあとはもっと楽で楽しい仕事で生計立てていきたいわけじゃん? それが趣味ならなおさら良い。ほら、僕は潜入捜査の嘘身分として記者を名乗ってるわけだけど……でも、それを抜きにしても楽しいんだよね。物を描くのってさ」

「そのわりに黒騎士にはボロクソ言われておったがな」

「あの三流騎士に見る目が無いだけだよ! とにかく僕が君とこうして協力関係を結んでるのは、そういう下心も込みなんだよね。もし君の冤罪が晴れれば僕は君という恩人に恩を返せるし、ついでに僕の将来も確約されるから仕事を止める目途もついてwin-win! ってなわけだからこれからも頑張って――」

 

 アカツキはすっ……と手を挙げて、一言。

 

「いや、そもそも自伝とか普通に嫌だが……」

 

 ブロードは一瞬固まって、それからおそるおそる。

 

「……マジ?」

「まぁ、マジ」

「え、うそ……僕の将来どうすんの……」

「知らんがな」

「なっ……なにが、逆に聞くけどなにが駄目なの!? 君はこういうの絶対ノリノリでやる方だと思ってたのに!」

 

 ブロードがずずいと近寄り問い詰め寄ったが、しかしアカツキの態度は変わらない。

 

「まー拙者としてはどうでもよいのだが……でもほれ、拙者を描くというのは、すなわち姫様を描くということでもあろう?」

 

 姫様――かつてアカツキが仕えていた、リョウラン家の三女。彼女の身に起きた事件についてはブロードも当然知っている。

 

「そりゃあね。だって2人は切っても切り離せない関係だろ?」

「だからだ。拙者は良くても姫様のことを茶化されるのが気にくわん」

「うーん、茶化すつもりはないんだけど……」

「自伝とて物語(ドラマ)だ。なればそれはドラマチックな場面の切り貼りといくらかの脚色で作られる物だろう。そうしなければ人の一生など娯楽にならぬからな」

「それは……一理あるかもね。なら君はそれが気にくわないの?」

「少なくとも姫様にそれをされるのはな。そもそも、拙者が本当に大事にしたいのは……物語に残らぬような些細な日々と、文章に起こせぬような想いだ。だ、か、ら!」

 

 瞬間、ブロードの頭をこつっ、となにかが打った。ブロードが反射的に見上げると、そこには1本の木の棒が。ブロードの頭を小突いたのはアカツキであった。彼女はいつの間にやら拾っていた木の棒を、バトンのようにくるくる弄びながら言う。

 

「この話はここでおしまいだ。確かに拙者はおぬしには感謝しておるが、それはそれとして将来設計とやらは他を当たるのだな」

 

 アカツキはすっかりいつもの、からかうような笑みを浮かべていた。

 だがその一方で……今度はブロードの表情が真面目なものとなっていた。

 

「たしかに、君の要望に沿うような物は自伝じゃ描けないかもしれない。それでも……自伝に限らないけどさ、なにかの形で思い出を残しておくのは、きっとそんな悪いことじゃないよ」

 

 アカツキは、木の棒を弄ぶのを止めた。それからただ静かにブロードへと目を向けて。

 

「どうしてそう言い切れる?」

 

 問えば、答えはすぐに返ってくる。

 

「個人的な感想であれだけどさ、こんな世の中でこんな仕事だし僕だっていつ死ぬか分からないじゃん? だから自分の生きた証の1つや2つ残せたらなんとなく安心するし、物書きが好きなのはそういう理由もある。それにいつか僕がいなくなっても、僕が遺したなにかが誰かの人生を変えるかもしれない。そう思うと……ちょっとワクワクしない?」

 

 答えに対する答えも、すぐに返す。

 

「……よしんばどこかの誰かの人生を変えたとして、それを死んだ当人が知ることもあるまいて」

 

 だけど、またすぐに返ってくる。

 

「まぁ死んだあとなんて実際は分かんないけど、でも今そうやって空想できるのが楽しいんだよ僕は。ってことでさ、今すぐ決めなくてもいいからまた考えてみてよ。ね?」

「ね? と言われてもな……」

 

 アカツキはそこで言葉を切った。

 彼女はそのままブロードから視線を外すと、その右手に持っていた木の棒をぶんと振り回して、ぴたりと一方向を向けて止めた。棒の指す先にはだだっ広い街道が広がっており、他にはなにもないように見える。だがアカツキには見えている。

 

「とりあえず、死後のことを今相談しても縁起が悪いだけであろう? まずは、この先の戦を生き残ることだけを考えるのだな」

 

 その一言に導かれるように、街道のずっと奥から二つの影が近づいてきた。

 少しずつはっきりしてきたその姿は、バイクと馬。そしてそれを駆る少年と少女。やがて彼らはアカツキたちの下まで真っ直ぐ辿り着くと、

 

「たぶんセーフ!」「間に合いました!?」

 

 2人一緒に声を張り上げて、2人一緒にアカツキへとその顔を見せた。

 赤褐色の髪の少年と金色の髪の少女。2人はそこそこ傷ついていた。

 擦り傷切り傷かさぶた絆創膏包帯……傷や治療の跡は顔に、そして服から覗く肌にいくつも付いている。だがそれでも2人の眼は活力に溢れている。五体満足の肉体にも力が漲っている。

 女侍の口元には、自然と笑みが浮かんていた。

 

「よくぞここまで送り届けてくれたなレイズ、ハヤテ。そしてよくぞここまで来たな、ニア殿」

「ったり前だろ!」「頑張りました!」

 

 加えてヒヒィン! と馬が鳴いた。みんなの元気な返事に一層笑みを深めながら、アカツキはニルヴェアへと視線を定める。

 

「さて、いきなりで悪いがニア殿。少々試したいことがあるゆえな。ハヤテから降りてこっちへ来てくれぬか?」

 

 そう言ってアカツキはその場を離れて、人気のない街道の真ん中辺りに立った。その手に持った木の棒をぷらぷらと弄びながら。

 一方、呼ばれたニルヴェアもきょとんとして、しかしすぐに馬から降りてアカツキのそばへと歩いていった。2人の間が狭まっていく。3歩分、2歩分、あと、1歩の距離まで――

 ビュンッ! 木の棒が空気を切り裂き、ニルヴェアへと突き出される!

 

「うわっ!」

 

 ニルヴェアが驚きの声を上げた。しかして彼女の体は、すでに回避行動に移っている。ぐっと身を反らして突きを回避すれば、あっという間に木の棒は引っ込んだ。

 ニルヴェアはその棒を目で追う。するとその先にはいる。アカツキが、一回転しながら踏み込んで、その勢いで!

 

(横薙ぎ!)

 

 ニルヴェアは閃きと共にその身を屈めた。瞬間、ひゅおっと大気が鳴り響いて頭上を木の棒が掠めていった。ぴすっ、と頭をわずかに撫でる感触に臆さず顔を上げた。するとアカツキは派手な一撃を振ったせいで胴体ががら空きであった。だからニルヴェアは迷わず拳を握りしめて、

 

 ――殺!

 

「っ!?!?!?」

 

 全身を貫く怖気がニルヴェアを突き動かした。反射的にその場から飛び退いてアカツキを見れば、彼女はただゆるりと佇んで、じっとニルヴェアを見つめている。

 ニルヴェアの全身が、寒気に凍り付いてる。頬からは冷や汗が伝い、筋肉が強張り、思考が委縮して――パンッ!

 ニルヴェアは両手で頬を思いっきり叩いた。そのあとにはもう、なにもかもが吹き飛んでいた。

 

「かかってこい!」

 

 胸を張って、堂々と言いきった。するとアカツキはその口端を鋭く吊り上げて。

 

「く、くくくっ……『気当て』をこうもあっさり弾くか……!」

 

 一体なにが面白いのか、小刻みに肩を震わせて笑っていた。「へ……?」ニルヴェアはぽかんとした。そんな2人の間に少年の声が割り込んでくる。

 

「おいおい、試すのはいいけどいきなり過ぎんだろ」

 

 2人の間に立ち入ったのはレイズであった。

 

「なにを言う。いきなりでなければ試しにならぬではないか、なぁニア殿?」

 

 アカツキがそんなことを言えば、ニルヴェアも構えを解いて歩み寄ってきた。

 

「あはは、確かにそうかもですね。それよりさっきの、なんか全身にゾワッと来たやつってなんだったんですか?」

 

 ニルヴェアは先ほどの一瞬を頭の中で反芻していた。横薙ぎを避けて殴りかかろうとしたその瞬間。アカツキに見下ろされたその瞬間、『見えない一撃に弾かれた』そう表現しても差し支えないほどの強烈ななにかを感じた。そしてそれはアカツキいわく。

 

「『気当て』という技だ。自分で言うのもなんだが、優れた剣士は己が気配すらも剣と成す……つまりは殺気を飛ばして相手をビビらせる技だ。拙者としてはそこそこ自信があったのだが……しかしそれをこうもあっさり弾くとは、ニア殿は良い胆力を身に付けたのだな。それとも天性の才というやつか?」

「後者じゃね? こいつ肝っ玉だけはハナから無駄に丈夫だったし」

「無駄に丈夫ってなんだよ! まぁでもそんな大層なものじゃないですよたぶん。ほら、僕ってまだまだ弱いですし。だから強い獣も強い人も、大体死ぬほど怖いんですよ」

 

 それを聞いてアカツキは「ふふっ」と声を上げた。

 

「なんでも強くて怖いから1周回って慣れる、か。それもまた才能かもしれんな……」

 

 とひとり言のように呟いて、それから彼女は別の方向へと顔を向けた。その先には1人の青年が立っている……口を挟むタイミングを失い、すっかり置いてけぼりになってしまったブロードが立っている。

 

「ここまで動ければ、頭数くらいには入るでござろう?」

 

 ブロードは呼びかけられて、はっとして、それから困った顔をする。

 

「だ、だからって君なぁ。もうちょっとやり方とか……」

「「……誰?」」

 

 そういえば、少年少女はブロードのことを知らないのであった。

 ぽかんと丸くなった2×2つの瞳に、ブロードもようやく気づいた。彼はすぐに2人に近づき、それから自己紹介をする。

 

「ごめんごめん。アカツキのせいですっかりタイミングを逃しちゃったけど、僕は越境警護隊のブロード・スティレインだ。アカツキから聞いてるとは思うけど、僕も彼女に協力して今回の事件を追っている。えっと、君がレイズくんで……貴方が、ニルヴェア様ですね」

「えっ、あ、はい……」

 

 様付け。敬語。久々の(うやうや)しい対応にニルヴェアは困惑したが、ブロードはそのまま綺麗に頭を下げる。

 

「申し訳ありません。越境警護隊として、本来は真っ先に貴方の護衛に向かうべきだったのですが、今の今までお守りできず……」

「い、いえいえいえ! 顔を上げてください! 全部僕が選んだことですし、というか僕が協力してもらう立場なんですから、様付けとかも全然いりません!」

「そ、そう? それじゃあ……」

 

 ブロードは言われた通りに顔を上げて、しかしすぐに悩む素振りを見せる。

 

「だったらなんて呼べばいいかな。ニルヴェア……さん? くん? ちゃん?」

「えっと……なんなら呼び捨てでいいですよ?」

「高貴な人にそれはちょっと気が引けるけど、まぁそう言われて断るのも逆に失礼か……だったら、ニルヴェア。君に言っておくことがひとつある」

 

 次の瞬間、ブロードの表情はもうピンと張り詰めていた。

 

「僕は越境警護隊として君を連れて行くのは正直反対なんだ。君は本当はただの貴族で、まだ子供で、しかもおそらく敵が狙っている目標そのものなんだ。それでも君は……」

「行きますよ、なにがなんでも。大丈夫です! 自分の身は自分で守りますし、『行くな』という言いつけ以外ならなんでも守りますから!」

 

 間髪入れずに言いきられた答え。ブロードは観念したように溜息を吐いた。

 

「だよなぁ。どう見てもやる気満々だもんなぁ」

 

 それから彼は両手を上げた。それが降参の白旗代わりであることは明白であった。

 

「ぶっちゃけ、僕からしたら君がここまで来た時点で詰みなんだ。ここまで来たからには僕らの方が敵に察知されている可能性も高いし、だったら君を1人残して行く方がむしろ危ない。それに、さっきのアカツキとの一戦は実際良い身のこなしだった。確かに自衛ぐらいは任せても良さそうだ……」

 

 と、ブロードはそこで優しげな垂れ目をむりやりキッと鋭く尖らせて。

 

「た、だ、し! 敵の狙いは君だってことを自覚して、基本は後ろに下がること! それと、もしもの時は僕らよりも自分の身を第一に行動すること! そのくらいの判断はできるよね!」

「はい!」

「ならよし! それじゃあ、突入前に作戦と陣形の確認を……」

「あの、ブロードさん。その前にこちらからも1ついいですか?」

「ん、なんだい?」

「えっと……そもそもの話なんですけど、越境警護隊って言うわりに……」

 

 ニルヴェアは周囲をきょろきょろと見渡した。ブロード、アカツキ、レイズ。他には看板とだだっ広い街道と草原ぐらいしか見当たらなかった。

 

「ここって、ブロードさん1人しか来てないんですか?」

「ぐうっ……」

 

 ブロードが苦し気に悶絶して、その隣で「くふっ」とアカツキが笑った。

 

「痛いところを突かれたでござるなぁ」

「うるさいエセ侍……その、なんというか、内輪の事情ってやつかな……や、一応僕だって1人じゃないんだだけどね? こうして時間を取れたのも仲間の協力あってのことだし。まぁでも諸々の事情がありまして実働要員はまぁご覧の通りと言いますか、はは、お恥ずかしい限りで……」

 

 ブロードは言い終えるやいなや、すぐに首をがくっと落として項垂れてしまった。どこか哀愁漂うその姿に、ニルヴェアは「えぇ……」とちょっと引いた。

 だが、それを吹き飛ばすように。

 

「ある物使ってなんとかするのがナガレの流儀!」

 

 少年の元気な声が響きわたった。

 

「むしろこうして予定通り集まれただけ上出来ってもんだろ!」

「レイズの言う通りでござるな。ままならないことに贅沢言ったところでなにも始まらんぞ?」

 

 師弟コンビのお気楽な方針に、ブロードの表情も少しだけ緩む。

 

「話には聞いていたけど、本当に似た者師弟なんだね」

「そうでござろう?」

「弟子じゃねぇ!」

 

 そんな掛け合いを見て、ニルヴェアもくすりと笑った。

 

「なんか久々だな、そういうの」

 

 そして〆に、ブロードがパンと手を叩いた。

 

「とにもかくにも作戦会議だ! ま、正直突入してからはなるようにしかならないけど、陣形ぐらいは決めとかないとね」

 

 と、レイズが横から手を挙げた。

 

「ちょっといいか? なるようにしかならないっつっても遺跡の見取り図ぐらいあんだろ。侵入経路とかは考えなくていいのか?」

「それなんだけど、あの遺跡って本当に小さいんだよ。正面に入り口がひとつ。ちょっとした通路が1本。そんで大広間がひとつ。それだけ……公の情報ではね」

 

 そこにアカツキが補足を付け加える。

 

「だがおそらく隠し部屋や通路の類はあるだろう。ゆえに敵の総数は未知数。その上、罠の可能性もあり得る……『機械兵』のこともあるしな」

「機械兵? 聞いたことねーな」

「うむ。おぬしたちと別行動をしている間、拙者たちもエグニダ……おぬしたちの言う黒騎士の屋敷に乗り込んだのだが、そこで人を模した機械に襲われたのだ。とはいえ所詮は機械仕掛け。標的を見つけ次第単純な動作で殴りかかるだけゆえ強さ自体は大したことないが、しかし無生物ゆえ気配が読めないのと鋼鉄の体の硬さが……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 慌てて会話に割り込んできたのはニルヴェアだった。

 

「え、エグニダって、あの白騎士エグニダですか!? 兄上の護衛騎士の……!」

「そうそうそのエグニダでござる」

「うそ、あれの中身があれなの……そんなぁ、いやだったら剣ノ紋章持ってたことにも納得いくけど、うわぁほんとにショックだ……」

 

 ニルヴェアはその場で頭を抱えてしゃがみこんでしまった。一方、そんな彼女の様子にレイズはきょとんとして。

 

「……誰?」

「あの黒騎士の正体はヴァルフレアの護衛騎士エグニダ……つまりヴァルフレアに最も近しい騎士だった、ということだ」

「まじか。つーことは……」

 

 レイズが言うのをためらったその先を、ブロードが引き継ぐように言う。

 

「この事件の黒幕はやはり剣帝ヴァルフレア・ブレイゼルの可能性が非常に高い、ということさ。実際僕らは少し前まで遺跡を見張ってたんだけど、この遺跡に入っていったのはヴァルフレア1人だけだった……つまり、だ。ニルヴェア、君の兄上は黒幕にせよそうでないにせよ、必ずこの先に待ち受けている。それは間違いないんだ。改めて確認するけど、それでも君は……」

 

 ニルヴェアはすでに立ち上がり、顔を上げていた。

 

「最後までこの事件から逃げない。僕はもう決めてますから」

 

 視線と視線が交差した。やがて、ブロードの方が観念して目を伏せた。

 

「……分かった。ならそろそろ陣形の話に戻ろう。といっても組み分けは単純だ。僕とアカツキが前で、レイズくんとニルヴェアが後ろだ。みんな、異論はあるかい?」

「大人は前で、子供は後ろでござるか」

「この組み分けの方がお互いやり慣れてるだろ? もし前と後ろで分断されても、僕とアカツキなら大抵の状況はどうにかなるしね。だからレイズくんは万が一の場合、ニルヴェアが捕まらないことを最優先にしてすぐ逃げて欲しい……と、そういう感じで考えてるんだけどどうかな?」

「拙者は問題ない」

「僕も大丈夫です」

 

 アカツキとニルヴェアが同意した。しかし……レイズだけは挙手をして。

 

「異論はないけど、意図は聞きたいな」

「意図かい?」

「過保護だなって思ったから。べつに気に障るとかそんなんじゃねーけどさ」

 

 その直球な物言いに、ブロードが苦笑を見せる。

 

「鋭いね。でも僕は越境警護隊だから、やっぱり子供は庇いたいものなんだよ。そこに実力とか経験とかは関係ないって僕は思ってる」

「……なるほど、アカツキの類友感あるな」

 

 その言葉にブロードが「えっ」と驚き、アカツキが「そうでござろう?」と笑った。そしてレイズは続ける。

 

「なら今回はアンタのポリシーに従う。実際、ニアが狙われてる以上誰か1人は側にいてやらないといけないし、だったら俺が付くべきだ」

「ほう? 言うようになったな」

 

 アカツキがにやにやして、ニルヴェアもにこにこしている。

 そしてブロードが全員を見渡して、話を締める。

 

「よし。それじゃああとは罠とかに気をつけつつ突入。ヴァルフレア……いや、黒幕が黒幕たる証拠を発見次第、その時点で取り押さえる。あとは各々やるべきことをやろうって感じで行こうか」

「ざ……ざっくりしてますね!?」

 

 実にざっくりした作戦にナガレかっこかり(ニルヴェア)が驚いた。しかし残るナガレ2人は、そんなの全然気にしていない様子で。

 

「ま、こんなもんだろいつだって」

「うむ。そもそもナガレが3人、不良隊員が1人。こんな面子に密な連携など求める方が酷というもの」

「2人がそういうなら……分かりました!」

「話は纏まったね。それじゃあ最後にひとつだけ――とにかく生きて帰ること。まずはそれを1番大事にしてくれ」

 

 

 ◇■◇

 

 

 石造りの遺跡はブロードの情報通り、こぢんまりとした入り口とその奥へと続く1本道の通路で構成されていた。

 4人は罠や伏兵を警戒しながら進んでいくが、しかし静かな通路には硬い足音が響くばかり……だがアカツキが、ふと呟く。

 

「待ち構えておるな」

 

 その一言に、全員の表情が強張った。空気が一気に張り詰めたが、しかし引き返すわけにもいかない。ゆえに先へ進んでいくと……突然、一気に視界が開けた。

 辿り着いたのは、遺跡の最奥である大広間だった。

 

「なんだ、あれは……?」

 

 第一声を上げたのはニルヴェアだった。彼女の、そして一行の視線はすでにただ一点へと注がれていた。

 大広間のさらに奥。大きく広がる壁の根本に、”なにか”が立て掛けられていた。

 

(まるで卵を半分に割ったみたいな……なんの機械だ?)

 

 ニルヴェアがそう形容したそれは、卵型の”器”と”蓋”らしきものがくっついてできた機械……のようなものであった。

 上部にぱかっと開いている”蓋”を閉めれば綺麗な卵型になるかもしれない。大きさは、おそらく人ひとりがすっぽりと収まる程度……などと特徴を並べたところで用途の全く解らぬそれは、だからこそ得体の知れない不気味さを持って一行の視線を釘付けにしている……と。

 カツッ。広々とした空間に足音が反響した。まるで”自分たち”の存在を知らしめるように。

 そう。足音に目を向けた一向の先で、その2人は待ち受けていたのだ。

 1人は大岩のような黒鎧を纏い、身の丈ほどの大剣を携える騎士。

 

「ようこそ諸君!」

 

 数日前、アカツキに胴体を断ち切られたはずのそいつが、今はこれ見よがしに両腕を広げて一行を歓迎していた。

 そして……その隣に立つもう1人は。

 

「あに、うえ……!」

 

 ニルヴェアが隠しきれない衝撃と共に呟いた。見開かれた蒼の瞳に、彼の全容が映りこんだ。

 美しき銀の長髪は剣の如く1本にまとめられ、細い双眸は鋭い一閃を彷彿とさせる。まるで剣という概念を人の形に押し固めたのような面。そしてその身に纏うは常在戦場を体現する改造軍服。腰には己がシンボルたる二対の剣を、ぶ厚い鞘に納めて立っている……と、彼は不意に二対のうち一刀を手に取った。

 柄に手を掛け、その柄に付いた”トリガー”を引きながら、剣を引っ張る。すると奇妙なことに、双剣は鞘ごと持ち上がっていく。鞘を納めているホルスターから、鞘が剣ごと引き抜かれていく。

 抜刀ではなく、納刀したまま剣を持ち上げる。その奇妙な仕草が、しかしニルヴェアの背筋に寒気を走らせる。

 

(あの鞘は、琥珀武器だ)

 

 細身の双剣を納めるには少々ぶ厚過ぎる。そんな鞘の表面に彫られた幾何学模様が、徐々に光を帯びていく。ヴァルフレアは鞘付きの剣を高く掲げた。すると鞘の光が、一層眩しく輝いて――

 

「みんな逃げろ!」

 

 ニルヴェアは反射的に叫んでいた。

 

「兄上の、光の斬撃だ!!」

 

 その直後――剣帝ヴァルフレアが、一刀を上から下へと大きく振るった。瞬間、幾何学模様が光を放ち、ごうと大気を震わせる。

 その隣で、エグニダがそっと言葉を付け足す。

 

「それでは、さようなら」

 

 剣帝の鞘の先端から、琥珀の熱線(ビーム)が解き放たれた。果てしなく眩い光が、対峙する4人の全てを照らし出す。




3章終了。次から4章=最終章。どーぞ最後までお楽しみください。


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第4章 蒼き魂と誓いの刃
4-×× 百の祈りと――


 7年前のあくる日。『鋼の都ダマスティ』を首都に置く『ダマスティ領』が突如、ブレイゼル領に戦争を仕掛けてきた。

 すでに十都市条約によって領間での戦争が禁止とされていた中で勃発したこの戦争。ブレイゼル領はもちろんのこと、周辺諸領も条約の下に団結し、『条約連合軍』としてダマスティ軍の侵略に対抗した。

 しかし『鋼の都』の名は伊達ではなくダマスティ領は鉄鋼産業、とりわけ軍事方面での技術力に優れ、その軍もまた強力な武装で固めた手強いものであった……が。

 結局は複数の領から集まった連合軍との物量差。そして当時の剣帝ゼルネイア・ブレイゼルとその息子ヴァルフレア・ブレイゼルの一騎当千の活躍によって、ダマスティ軍は瞬く間に最後の防衛線である鋼の都へと追い詰められたのであった。

 やがてダマスティ軍は首都から一般市民を全て追い出し、都全体を使って籠城を始めた。しかしそれが最後の抵抗であり、ダマスティ軍に余力など残っていないことは誰の目から見ても明らかであった。

 ゆえに当然、連合軍は間髪入れずに都攻めを敢行。

 その中で都の中心地であり核とも言えるダマスティ城を落とし、この戦争の首謀者であるダマスティ領主を捕縛する大役を任せられたのが、他ならぬヴァルフレア……そして彼が自ら選りすぐった百人の兵団であった。

 

 きっと、誰もが安心しきっていた。

 

 当時18歳。グラド大陸においては成人したばかりの齢であるヴァルフレアは、しかしすでに実の父親にすら迫る戦闘力と指揮能力を持っていた。ブレイゼル家の血が与えた天賦の才と、それに驕らず鍛錬を続ける高潔な精神。加えて幼き頃から父に連れられ戦場というものを肌身で学び続けた日々……ヴァルフレア・ブレイゼルは、単なる貴族などではなく誇り高き、そして圧倒的に強き武人として誰からも認められていた。

 だからこそ、彼に付き従う百人の兵もまた、彼を次代の剣帝だと信じて疑わず忠義あるいは友誼を誓っていた。それは己が命を託すほどの――

 

「隊長! 俺たちが囮になります。だから一刻も早く城の最奥へ!」

 

 そう叫んだのは片手剣使い。将来有望な若き部下であった。

 

「ふざけるな! 俺に仲間を見捨てろと――」

「貴方は俺たちの未来なんだ!!」

「み、らい」

 

 呆然と立ち尽くす隊長(ヴァルフレア)の目の前で、部下が敵へと突撃していく。

 

「領主を捕えればこの戦争は終わる! そしてそれを成せるのは次代の剣帝である貴方しかない! だから、」

 

 ぐしゃり。人ひとりのなにもかもが、一瞬で潰れた。

 潰したのは合成獣であった。継ぎ接ぎだらけの巨躯を持ち、もはや元がなんの生き物なのか。その原型すら分からないような化け物。

 

「っ……あああああ!」

 

 ヴァルフレアは激昂した。

 しかしそれを制する者もそこにいた。

 

「やつの遺志を無駄にする気か!」

 

 そう叫んだ初老の男は、ヴァルフレアの師匠であった。立場こそ部下でありながらもヴァルフレアの幼き頃より二刀流を教え続けてきた師は今、ヴァルフレアの前にその背を向けて立ちはだかり双剣を構えている。

 

「将が立ち止まるということは、将が率いる全てが立ち止まるということ! ならばこそ、お前が前に進む限り我々は生き続ける! だから迷うな、まっすぐ進め!」

 

 ヴァルフレアは前に進んだ。合成獣へと立ち向かう師と、それに供する仲間たちを置いて。

 

 ――結論から言えば、ダマスティ領はとうの昔に巨大犯罪組織『神威』の傀儡と化していた。

 その中心地である鋼の都も連合軍が突撃したときにはすでに神威の実験場と成り果てており……その中でももっとも被害が酷かったのは、都の核であるダマスティ城。その内部だったという。

 

「生き残ってください」「未来を託す」「お願いだ」「護ってくれ」「子供たちに」「頼む、ヴァルフレア」「次代の主よ」

 

「――俺たちは、最初から誘い込まれていたというのか!」

 

 気づいたときには遅かった。無秩序に解き放たれた合成獣の群れによって退路は断たれ、『領主を討てば全てが終わる』と信じて前に進む他なくなった地獄の進軍。

 果たしてヴァルフレアは、百の兵に託された遺志の通りに領主を討った……首から上だけ辛うじて人の形を残していた、合成獣の親玉を討った。

 

「俺が死んでも」「お前と共に」「貴方がいれば」「信じられる」「希望なんだ」「託したぜ」

 

 戦争は終わった。敵味方合わせて数千人規模の死傷者という凄惨な犠牲と、領ひとつが犯罪組織の手に落ちていたという恐ろしき事実を残して。

 特に後者の影響力は凄まじかった。ダマスティ領を失い『九都市条約』として新生した条約はその根本的な内容から見直すことを余儀なくされ、大陸全体の治安維持を行う『越境警護隊』が設立される直接的な要因にもなったのだ。

 しかし現在。その『鋼の都攻略戦』の詳細な経緯は公の記録には残されておらず、人同士の単なる凄惨な戦争として公表されている。なぜならばそのあまりにも恐ろしい事実は、間違いなくグラド大陸を激震させてしまうからだ。大陸全土の民へともたらされるであろう恐怖を始めとした様々な影響……それらを防ぐため、九都市の領主はその全員が事実の隠ぺいに同意した。

 ゆえに今、この戦争の真実を知るものはごく少数……あるいは真実を知る者など、本当はもういないのかもしれない――その災禍の中心から生き延びてしまった、たった1人を除いては。

 

「僕らの分まで」「君ならば」「お前しか」「貴方様なら」「貴方だけが」「君だけが」「お前だけが」「貴方だけが」「未来を」

 

「俺が……俺だけが」

 

 男の耳には今もなお焼き付いている。己に未来を託して逝った、百の祈りがいつまでも。



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4-1 思い出と真実(前編)

 ――7年前――

 

「ニルヴェア。お前にこの短剣と、そして『剣の儀式』を捧げよう」

 

 緻密な装飾が施された鞘に収まった1本の短剣。それを持つ青年は、銀の髪と鈍色の瞳を持っていた。そして彼の目の前にいる少年は、青年と対になるような金の髪と蒼い瞳を持っていた。

 銀の髪の青年はその場に屈むと、その手に持った短剣を、金の髪の少年の前でそっと鞘から引き抜いてみせた。

 瞬間、ちかりと光が瞬いた。頭上の太陽の光を刀身が反射したのだ。良く磨かれた美しい刀身を見て、少年は思った。

 

(まるで太陽をぎゅっと押し固めたみたいだ)

 

 少年は短剣の輝きにただひたすら見惚れていた。すると青年が苦笑しながら言う。

 

「さすがに刃は潰してあるぞ。ゆえに実戦では使えないが……それでも剣は剣だ。だからニルヴェア、まずはこの鞘を受け取れ」

「鞘を……?」

「ああ。そして鞘の口を俺に向けるんだ」

 

 少年はおずおずと鞘を受け取ると、ぽっかり開いた鞘の口を青年へと向けた。すると青年はどこか厳かな雰囲気を漂わせつつも優しく微笑み、そして短剣で空を切り始めた。

 まずは、上から下へ。

 

「剣の儀式は王から騎士へ、師から弟子へ、あるいは親から子へ……剣を託し、託されるときによく行われる儀式でな」

 

 続いて、左から右へ。

 

「剣を託す者がそれを鞘へと納め、両者が剣に誓いを立てて、そして託される者が剣を引き抜き掲げることで成立する……」

 

 十字を切り終えた青年は、少年が口を向けている鞘へと短剣をそっと差し込んで、問いかける。

 

「ニルヴェア。お前はこの剣になにを誓う?」

「ぼくは……」

 

 問われた少年は、その小さな両手に握りしめた鞘を、その中に納まっている短剣を見つめて……やがて小さな口を、大きく開く。

 

「ぼくは、兄上のような武人を目指します!」

 

 蒼の瞳をめいっぱいに輝かせて、ありったけの願いを剣に込める。

 

「どんなやつより強くて、なによりもまっすぐで、誰よりもかっこいい。そんな男にいつかぼくもなってみせます!」

 

 その宣言を聞き届けて……青年は鈍色の目をそっと伏せた。そして静かに言葉を紡ぐ。

 

「戦場は、騙し合いが支配する」

「兄上……?」

「もしかしたら、そこには真実なんて存在しないのかもしれない。そして俺たちは常在戦場。人生という名の戦場からは決して抜け出すことができない。ならば俺たちは、いつだって嘘の中を生きているのだろう」

「えっと……」

 

 まだ今年で8歳。幼き少年に、青年の言葉の意味はあまり理解できなかった。ただそれでも、なんとなく。

 

「全部嘘って、それはなんだか寂しいですね……」

 

 少年の表情を漠然とした不安が曇らせた。しかし青年はすぐに面を上げて、ふっと優しく笑いかけた。

 

「だからこそ、俺はこの剣に誓おう。剣と共に在り続ける、ブレイゼルの名に懸けて」

 

 青年はその節くれだった手を、少年の持つ短剣の柄に重ねて誓う。

 

「お前がお前で在り続ける限り、お前は俺の弟だ」

 

 

 ◇■◇

 

 

 ヴァルフレアの振るった光の斬撃――琥珀武器による熱線(ビーム)が天井を抉り、宙を裂き、そのまま地へと叩きつけられる。

 ドーム状の空間を斜めに横断する形で放たれた熱線を、レイズとニルヴェアは後ろに下がることで。アカツキとブロードは前に進むことで回避した。大人たちは前へ、子供たちは後ろへ。それは事前に打ち合わせていた通りの動きだった、が。

 

「良い位置だ」

 

 そう呟いたのは黒騎士エグニダ。彼の手には小型のスイッチが握られており――カチッ。スイッチを押した小さな音と……ガシャガシャ!

 

「人形遊びか!」

「うわまた出たっ!?」

 

 けたたましい落下音と共に姿を現したのは、人を模した機械仕掛けのお人形。10体近くもの機械兵が、ちょうどアカツキとブロードの周囲を取り囲む形で落ちてきたのだ。

 

「前に出るならお前たちだと思っていたよ。三流記者、女侍――」

 

 エグニダはさらにもうひとつのスイッチを用意して、即座に押しこむ。

 

「ウチの床を爆破してくれたお礼だ!」

 

 ズガガガガッ!! 2度目の音は、地面が爆ぜた轟音であった。アカツキとブロードの周囲の地面が、いくつかの機械兵をも巻き込みながら爆発していった。あっという間に地面が切り取られて、その中だけがずごごと音を鳴らして落ちていく。

 

「うおお!」「うわぁ!?」

 

 ふたりの姿も短い悲鳴も、地面の崩落にまとめて飲み込まれて消えてしまった……そんな光景を前にして、残された少年少女が呆然と……はならなかった。

 レイズは「ちっ」と舌打ちひとつ。即座にニルヴェアへと呼びかける。

 

「とりあえず逃げるぞ!」

「おい! 逃げるって……」

 

 ニルヴェアは一瞬だけ迷い、しかしすぐに遺跡の外で言われたことを思い出した。

 

 ――もし前と後ろで分断されても、僕とアカツキなら大抵の状況はどうにかなるしね。だからレイズくんは万が一の場合、ニルヴェアが捕まらないことを最優先にしてすぐ逃げて欲しい

 

 言いつけはちゃんと守る。それがブロードとの約束だった。

 

「……分かった!」

「よし。ならすぐ出口に――」

 

 と振り返ったレイズたちの目の前で、がらがらっ! となにかが崩れ落ちた。次の瞬間には、遺跡の外に通ずる通路を大量の瓦礫がみっちりと塞いでいた。それが人為的な爆破による崩落であることはまず間違いなかった。

 

「くそっ、大雑把なんだか用意周到なんだか!」

 

 レイズが悪態を突きながら振り返れば、エグニダは手に持ったスイッチを投げ捨てて答える。

 

「大仕掛けほど周到に用意するものだよ。さて……邪魔者も消えたし、ようやく本題に入れるな」

「てめーの本題なんて知ったことかよ!」

 

 レイズは強気に叫んでから、しかしすぐにニルヴェアへと小声で言う。

 

「こうなったら時間を稼ぐぞ。ブロードさんは正直分かんねーけど、アカツキならまず生きてる。とにかく俺たちだけじゃ太刀打ちできねぇからな、せめてアカツキが戻ってくるまで――あ」

 

 と、不意にレイズの口が大きく開いた。そして、歪む。

 

「っぐぁ!?」

 

 その口から突然絞り出されたもの。それは悲鳴であった。

 

「あ、ぐあ、があああああ!?」

「レイズ! どうした!?」

 

 ニルヴェアが咄嗟に呼びかけたが、しかしレイズは応えず……というより応えられず、ただひたすらに胸を抑えて苦しんでいる。

 

「い、一体なにが起こって……」

「なんでだっ……!」

「レイズ!?」

 

 焦るニルヴェアの目の前で、レイズが脂汗に塗れた面を上げた。その視線の先に立っているのは黒鎧の騎士。

 

「なんでアンタが、それを持っている……!」

 

 エグニダは、いつの間にかその左手に鉱石の塊を乗せていた。まるで宝石のように透き通った黒色のそれは、しかしその内側から白色の光を放っている。

 

「くくく。まぁ神威の伝手というやつさ。なにせこの『祈石(いのりいし)』は、遺産絡みの実験などにも欠かせない貴重な鉱石だからな」

 

 祈石。その名を聞いた瞬間、ニルヴェアも弾かれるようにエグニダへと顔を向けた。

 

(祈石って……じゃああれが、レイズの旅の目的……!?) 

 

 レイズがずっと探してきた物。それが今、敵の手の内にある。その事実にニルヴェアが愕然とすれば、その表情を読み取ったかのようにエグニダが語り始める。

 

「少年も知っての通り、この鉱石には遺産を制御する力がある。より正確に言えば、これは遺産に人の意思を伝え、そして調律する力を持っているのだ」

 

 その言葉に、ニルヴェアは眉をしかめる。

 

「調律……? つまり、その石でレイズの遺産を操って苦しめているということか!?」

「まぁ大雑把に言えばそういうことだ。もっと詳しく言えば俺は今……その少年の遺産を、暴走させようとしているのだよ」

「っ!?」

 

 ――俺にこれを移植した研究所は他でもないこれの”暴走”で焼き尽くされたってことだけだ。建物も、資料も、人でさえも。俺が目を覚ました時には、全てが炭になっていた

 

(レイズがあんなに恐れていた暴走を、こいつは……!)

 

 しかしエグニダはもうニルヴェアから視線を外していた。彼の目はすでに、隣に控えていた主へと向いていて。

 

「王よ。申し訳ありませんが、祈石を使っている間はここから動けません。あとは貴方が……」

「分かっている」

 

 剣帝ヴァルフレアが、ニルヴェアの下へと歩き始めた。

 

「兄上、本当に……!?」

 

 胸の内からこみ上げてくる悔しさ、悲しさ、怖さ。ニルヴェアはそれらに歯噛みしながら、それでも考えることは止めない。

 

(アカツキさんたちと分断されて、レイズも動けなくなった。でも僕ひとりであの2人をどうにかできるわけがない。だったらいっそレイズを連れて、僕らも穴に飛び込んだ方が……)

 

 と、地面に空いた大穴へと目を向けたその瞬間――トンッ、と軽い音を立ててヴァルフレアが大穴の前へと降り立った。改造軍服の肩に付けられている真紅のマントが、翼のようにはためいた。

 

(あ、あの大穴をあんなにあっさり……ってそうじゃない。僕は絶たれたんだ、唯一の退路を!)

 

 いよいよ逃げ場はどこにもない。そしてニルヴェアの正面、鈍色の双眸は感情のない鏡のように、ニルヴェアの姿をただ映し返している。

 

「兄上……」

「…………」

「兄上!」

 

 ヴァルフレアは応えない。だがニルヴェアは叫び、問いかける。

 

「なぜっ……なぜなんですか! どうして貴方のような人があんな男と、黒騎士なんかと手を組んで!」

 

 ヴァルフレアはなにも答えない。だからニルヴェアは腰のベルトからハンドガンを引き抜き、構える。

 

「行方不明になった父上も貴方が殺したのですか!? 数千数万を滅ぼす災厄とは一体なんなのですか!? お答えください、兄上!!」

 

 ヴァルフレアが、口を開く。

 

「震えているな」

「っ……!」

 

 剣のように鋭い双眸。それが見つめる先、ハンドガンを構えるニルヴェアの手は、確かにがたがたと震えていた。しかしそれでも、彼女の声だけは震えなく毅然としている。

 

「撃ちます」

 

 ヴァルフレアが一歩、踏み込んだ。

 

「これ以上近づいたら撃ちますっ!」

「無理だな!」

 

 高らかに声を上げたのはヴァルフレア、ではない。エグニダであった。

 

「己の信じるものに殉ずる。それが人というものの(さが)であり、当人が高潔であればあるほどむしろそれに逆らえなくなる! なればこそ、貴方に剣帝は殺せませんよ。剣帝を信じ、その生き様に憧れ、ゆえに無謀にもここまで来た貴方にはね!」

「っ……!」

 

 エグニダの言葉が、ニルヴェアの手の震えをさらに強めた。だが……ニルヴェアの足下には、未だ足掻く者がもう1人。

 

「ざっけんなっ……!」

 

 レイズが苦し気に胸を押さえながらも、辛うじて立ち上がり……。

 

「君とはゆっくりと話をさせてもらおう……またあとでね」

「ぐあああああ!?」

 

 エグニダの手の中。漆黒の祈石が脈打つように白光を強めた。するとレイズは一層激しい苦悶の声を上げて再び地面に倒れこんだ。

 

「レイズ!?」

 

 ニルヴェアはすぐにレイズへと目を向けたが――カツン、と地面を鳴らす音。反射的に正面を見れば、ヴァルフレアが1歩、また1歩と歩き出していた……自らの双剣を、鞘から引き抜きながら。

 天井の光を浴びて、二対の刃がぎらりと輝く。その瞬間、ニルヴェアの表情がまた一段と強張った。

 

「本当に撃ちますよ!?」

「撃てばいい」

「っ……!」

 

 小さくか弱い手の中で、小さな銃(ハンドガン)ががたがたと震えている。

 少女の視界の中で、ヴァルフレアの存在が大きくなっていく。カツン、カツン、カツン。あと4歩、3歩、2歩……少女の手から、するりと銃が落ちて――銃を離した手が、そのまま真下へと振りかぶられた。

 直後、世界が白く眩く染まる。

 大穴の向こうでエグニダが叫ぶ。

 

「閃光玉!? 我が王!」

 

 手癖の悪さはナガレの流儀。レイズ仕込みの隠し玉を放った瞬間、ニルヴェアは目をつむって一気に踏み込む。

 

(決めたんだ、最後まで貫くって!)

 

 もう体に震えはない。心にだって迷いはない。右足を軸に、左足を鞭にして。再び目を開けながら、渾身の回し蹴りをその眼前へとぶちかます――

 

「俺が背負っているのは、単なる飾りではないぞ」

 

 眼前でぶわりと広がっていたのは、領主の威を示す真紅のマント。

 

「っ!?」

 

 ニルヴェアの脚がマントを蹴り払ったそのときには、眼前にはもう誰もいなかった――直後、がら空きになった懐へと、眩い銀の髪が躍りでていた。もはや体勢を立て直す暇すら与えられない。ニルヴェアの目に一筋のきらめきが映りこみ、閃。

 最初に感じたのは、ほのかな熱だった。視界にきらめいたのは、紅い飛沫だった――

 

「かはっ……!」

 

 ニルヴェアが、苦悶の息を吐き出した。

 少女がその身に受けたのは二連の閃光。胴体に×の字を走らせ、鮮血を散らしながら、ニルヴェアが仰向けに倒れる。

 

「ニアーーーー!!」

 

 叫びを上げたのはレイズだった。しかしヴァルフレアは倒れ伏したニルヴェアをただ見下ろして。

 

「手の震えは本物だった」

 

 ただひとり言のように呟く。

 

「だがあえて恐怖を飲み込み、それを利用してきたか。なるほど悪くない戦法だが……気力に実力が伴っていないな」

 

 言いたいことは言い終えた。そう言わんばかりにヴァルフレアは黙して、足下に転がっている(ニルヴェア)の首根っこを掴んでそのまま持ち上げた。そしてそのまま首を締める。

 ぎりり……首から軋むような音が鳴り、ニルヴェアが苦しげにうめいた。それでも彼女の瞳から、まだ意思の光は消えていなかった。

 

「あに、うえ。こんなこと、やめて」

 

 まだニルヴェアは足掻いていた。力の籠らない弱々しい手で、それでも(ヴァルフレア)を止めようとその腕を必死に掴む。

 そしてレイズもまた地面に這いつくばりながら、それでも苦しみに抗ってヴァルフレアのことを強く睨みつけていた。

 

「なにっ、やってんだよ……アンタの弟だろ! ぐっ」

 

 ”心臓”から全身を蝕む痛みが、叫ぶ邪魔をする。それでも叫ばなければいけないことがそこにあるから。

 

「そいつはっ、ずっとアンタを信じて! すげー兄貴なんだって本気で尊敬してて! それでも……だからこそ、アンタを止めに来たんだよ! 今だってっ、アンタのことを信じてるはずなんだ! なのに、なんで」

「弟ではない」

 

 ほんの一瞬、なにもかもが止んだ。

 

「……は?」

 

 レイズが呆然とした。

 

「……え?」

 

 ニルヴェアの手から力が抜け落ちて、ぶらりと垂れた。

 

「なにを、言ってるのですか。兄上?」

 

 問いかけた少女を、ヴァルフレアが見つめ返した。その瞳にはなんの感情も宿っていない。

 

「言葉のままだ。俺とお前は血が繋がっていない。そもそもお前は我がブレイゼルが保有する、ただの兵器だ」

「へい、き?」

 

 ――お前がお前で在り続ける限り、お前は俺の弟だ

 

 ヴァルフレアはニルヴェアを持ち上げたまま、大穴へと向かって歩きだした。真紅のマントを地面に置き去ったまま。

 

「人間の女性を基盤に製作されたその兵器は強大な力を秘めながらも、人を模したことで一定の寿命を持たざるをえなかった。しかし人を模したことで、逆に自ら新たな命を孕み遺伝子情報……つまり兵器としての設計図をコピーし、受け継がせる機能を持っていた。その機能により親から子へと継承(コピー)を続けることで、実質的に恒久的な稼働を可能とする……」

 

 ヴァルフレアはニルヴェアと共に大穴を軽々と飛び越えて、そして淡々と真実を告げる。

 

「それこそ我々一族が受け継いできた旧文明の遺産、『人造偽人(レプリシア)』だ」

「あにうえ、あにうえ。なにをいってるのですか」

 

 ニルヴェアはもう、胸を斬りつけられた痛みなんて感じていなかった。なにも理解できない頭を、ただふるふると横に振り続けていた。

 しかし……レイズの方は気づいていた。語られた真実と結びつく、ひとつの現実に。

 

「待て。まさか、分家(レプリ)ってのは」

 

 ヴァルフレアは振り返らずに答える。

 

「ただの隠れ蓑だ。分家というのはあくまでも対外的な方便でしかない。人造偽人は設計図を正しく受け継ぐために1人で子を成し、そして死ぬ。これの母親に当たる人造偽人も、それに殉じて1人でこれを産み、死んだ。ゆえに人造偽人とそれ以外の血が交わることなど有り得ないのだ。決してな」

「うそ、うそだ。あにうえ」

 

 ニルヴェアの顔がくしゃりと歪んだ。目から一筋の涙がこぼれ落ち、それは彼女の首を掴むヴァルフレアの手に落ちて、そのまま流れていった。

 

「だって、兄上は、ずっと、弟だって! 僕が僕で在り続ける限り、弟だって!!」

「俺はこうも言ったはずだ。戦場は嘘が支配する、と」

「そんな……ぐぅ!」

 

 ニルヴェアの首を握る手の力が強まった。まるでその口を黙らせるように。

 そして……ヴァルフレアはすでに到着していた。遺跡の最奥、卵型の機械のすぐそばへと。

 

「これの名は『揺り籠』。本来は人造偽人の調整、育成、あるいは継承に用いるための遺産だ。父上はかつてこの遺産で母体に不具合(バグ)をインプットすることで、本来は女として産まれるはずだったお前を男として産まれるようにした。なぜかと言えば、ちょうどその頃……十都市条約によって各領の軍備の縮小が決定されていたからだ」

「う、あぐっ、じゃあ、僕は……!」

「人造偽人を男として産む。それは遺産という名の戦力の封印と同義であった。なぜかと言えば男として産まれた……つまり肉体に異常をきたした人造偽人はその内に秘めた力を扱うことができず、また命を宿すことによる継承も行えなくなるからだ。しかし一方で父上は、緊急用のセーフティを残してもいた。俺は父を殺し、それを奪い、そしてお前に飲ませた――それこそが人造偽人の不具合を取り除き正常な状態に……つまり女の肉体に戻すことができる霊薬だ」

「……!」

 

 その瞬間、蒼の瞳からなにかが抜け落ちた。小さな口から、虚ろな言葉がぽとりと落ちる。

 

「ぼくは、あにうえみたいな、武人に……ぼくは、男ですら、なかったの?」

「そうだ。お前を取り巻くなにもかもは空虚な嘘でしかない。それが、真実だ」

 

 ヴァルフレアはそれだけを告げると、『揺り籠』の中へと少女の体を叩きつけた。

 

「あぐぁっ!」

 

 少女のうめき声と共に、その胸の傷口が思い出したかのように血を噴き上げた。揺り籠内に血飛沫を撒き散らして、それでも少女は手を伸ばす。

 

「まって、やだ、あにうえ!」

 

 しかしそれを遮るように、揺り籠の蓋が閉まっていく。その向こうから、青年の声が聞こえる。

 

「揺り籠は今、人造偽人の力を全て吸い上げるための装置に改造されている。理論上、全ての力を奪われた人造偽人は死ぬはずだ」

「あにうえが、ころす。ぼくを」

「……ただの兵器に、夢も未来も必要ないだろう」

「ぁ――」

 

 揺り籠が閉まりきった。すると突然、どこからか揺り籠内へと得体の知れない液体が流れ込み始めた。

 

「がぼっ、ごぼぼっ」

 

 それはあっという間に少女の体の内外へと浸透し、揺り籠内を満たし――やがて、少女の体を蝕み始めた。

 

「っ、あああああああああ!!!」

 

 心も体も思い出も、痛みに引き千切られていく。



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4-2 思い出と真実(後編)

 いつか兄上が言っていた。

 

――俺は、臆病者だな

 

 昔の僕はその意味がよく分からなかったけど……今なら少し、分かる気がする。

 

 

 ◇■◇

 

 

 人ひとりが入るくらいの卵型の機械――揺り籠が、蒼い光を放ち始めた。

 光はやがて、揺り籠上部に密集している透明な管の束へと移り、そして管の束が埋め込まれた壁の向こうへと送られていく――

 

「っ、あああああああああ!!!」

 

 突如、揺り籠の中からくぐもった悲鳴が響いてきた。

 

「ニアーーーー!」

 

 レイズの叫びは届かなかった。揺り籠の中でニルヴェアはしばらくもだえ苦しんで、それからがくりと首を落とした。

 

「ニア。おい、嘘だろ」

 

 一方、ヴァルフレアはレイズを一瞥だけすると。

 

「エグニダ、あとは任せる」

 

 それだけ言い残して動き始めた。彼は懐からひとつの鍵を取り出すと、最奥の壁にひとつだけ開いている小さな穴へと突き刺した。するとがこんっと音が鳴り、壁の中に隠されていた扉が開いた。扉の向こう、先の見えない真っ暗な通路へと、ヴァルフレアはすぐに立ち去っていく。

 そして、それを見送る騎士ひとり。エグニダは主が扉の向こうへと去っていったのを確認してから、再びレイズの方へと振り返る。

 

「さて、王の用事は済んだ。邪魔者もいない……あの夜の、続きといこうか」

「そこを、どけっ……!」

 

 レイズの目にエグニダは映っていなかった。レイズはエグニダの背にある揺り籠。そこに囚われている相棒だけを見据えて思考を続ける。

 

(剣帝はなんて言ってた? 力を奪い、殺す? 早く助けなきゃ。いざとなりゃ……!)

「おやおや、嫌われたものだな。俺は君を嫌うどころか興味津々だというのに」

 

 エグニダは冗談のように肩を竦めて、それから軽々しく言う。

 

「改めて言おう、レイズ君――我々の同士にならないか?」

 

 それはかつて、ニルヴェアと出会った蒼月の夜にも行われた誘い。しかしレイズの返答もまた、あの夜と同じであった。

 

「くたばれ。神威の仲間になるなんて死んでもごめんだ!」

「おっと、ひとつ勘違いしないで欲しいのだが……この場合の同士というのは神威のことではない。むしろ逆だ」

「は……?」

「ここだけの話なのだが、俺は神威を裏切っているのだよ。今この瞬間も、ね」

 

 レイズには、エグニダが語る言葉の意味が分からなかった。

 

「なに言ってんだ。ヴァルフレアはお前と……いや、神威と手を組んで」

「二重スパイ、というやつだよ。俺は神威の立場を利用して、神威側の監視であるフリをして、実のところは我が王に神威の情報を横流ししているのさ!」

「なに……?」

「そもそも俺にとって神威とは、俺が理想とする王の下に就くまでの仮宿に過ぎないのさ。そして俺は今その理想を叶えている……」

「意味分かんねぇし、てめーの理想なんて知ったことか」

「おっと、話がそれてしまったかな? すまないな。要するに、だ……レイズ君。俺は君に、神威を潰す手伝いをして欲しいのだよ」

「なっ……!?」

 

 レイズの表情が驚愕に染まり、エグニダが歯を剥いて笑った。

 

「レイズ……いや実験体三十二号。君の素性をこちら側は、ともすれば君自身よりも把握しているわけだが……なぁ、憎いだろう? 君の体を弄んだ神威が。抑えたいだろう? いつ体を燃やすとも知れない炎を……ならば、俺と共に王へと下れ」

「…………」

「王は、そう。領主ではなく王だ。彼は人造偽人の力を使いこのグラド大陸を統べ、最終的には神威すら大陸から駆逐するおつもりだ。つまりは王に跪くことこそが、神威に復讐する一番の近道というわけだ。それに……」

 

 エグニダは改めて、見せつけるように掲げた――他ならぬレイズが旅の目的としている『祈石(いのりいし)』を。

 

「これも君に渡そう。これがあれば君の炎を安定させるも高めるも自由自在だ。王は君に宿る可能性を高く買っている。その力があれば成れるんだ! ただのナガレじゃない、王の側近に! 世界の頂点の一握りに!」

「俺はナガレだっ!!」

「む……?」

 

 エグニダとは大穴を挟んで向かい側。レイズがゆっくりと立ち上がる。度重なる苦痛がその肉体を痙攣させ、滝のような汗を顔から滴らせ。それでも拳を固く握りしめて、眼光を鋭く研ぎ澄まして。

 

「そこをどけって、言っただろ……!」

「ふっ。もしやこの状況で、俺から祈石を奪おうとでも画策しているのか? ますます見上げた根性ではある、が……」

 

 エグニダは祈石へとさらに力を込めた。持ち主の意思と響き合い、白光が一際強くなる。響き合う。小さな体に閉じ込められた膨大な力と響き合う。

 

「あ、が、ぐぅ……!」

 

 レイズの脚は一気にがくがくと震え、彼はすぐに膝をついてしまった。

 

「人を超越してこその遺産だ。子供の体ひとつで抑え込めるわけないだろう?」

「だったらっ、試してみるかっ。その遺産のフルパワーってやつを……!」

 

 レイズはむりやり立ち上がった。その体内では”炎”が暴れ狂っている。今にも皮膚を突き破って噴き出すのではないか、そう錯覚するような膨大な熱量を全力で抑えこんで、右手ひとつへとかき集める。

 

(たとえ、暴走しようとも、ニアだけは……!)

 

 揺り籠の中で眠る少女へと意識を向け、そして。

 

「それで君は、また全てを炭に変えるわけだ」

「っ!」

 

 精神が乱れる。手の内にこもる炎が荒れ狂い、がくがくと五指を暴れさせる。

 

「かつての研究所のように……いや、今度は大切な仲間たちをも巻き込んで、かな?」

「俺は……あのときとは……!」

 

 暴れる五指をむりやり硬く握りしめた。血管が浮かび上がるほど強く握られた拳へと、エグニダが視線を向ける。

 

「まぁ好きにするといい。とはいえ……そこまで乱された遺産の力を1度でも引き出せば、もう後戻りはできないだろうがな」

「うるせぇ……!」

 

 レイズは奥歯を噛む。噛み締める。ぎりぎりと。それでも彼は今すぐに飛び込むことができない。炎を解放することができない。

 その脳裏には蘇っている。忌まわしき炭と炎の情景が。自分を見つめる真っ黒な骸が――蒼い瞳が焼き尽くされて、奈落のような空洞へ。

 

(ニアッ……!)

 

 無意識のうちに視線が動く。揺り籠の中に眠っているはずの少女へと。

 

「!」

 

 瞬間、目が合った……うっすら開いた、蒼色と。

 

 

 ◇■◇

 

 

 どうやら僕に、ブレイゼルの血は流れていなかったらしい。

 どうやら僕は本当は、男じゃなくて女だったらしい。それどころか、人間ですらなかったらしい。

 どうやら僕がずっと信じていた兄上は、僕を殺そうとしているらしい。あの人にとって僕は弟じゃなくて、ただの兵器だったらしい。

 だったら僕は一体、なんなのだろう。そんなことを考えて……でも、答えなんてもうずっと前から知っていたんだ。

 

 ――譲れない物があるならなにがなんでもまかり通す。それがナガレの流儀ってもんだ

 

 ……なぁレイズ、お前はまた呆れるんだろうな。でもさ、今回ばかりは僕だって我ながら呆れているんだ。

 

 ――お前にはちゃんと、帰る場所があるんだろ?

 

 だってもしも僕が何者でもないのだとしたら、帰る場所なんて最初からなかったのだとしたら……

 

 ――お前が僕をここまで連れてきてくれたように、僕だってお前の旅に最後まで付き合ってやる!

 

 またお前と一緒に旅ができる、なんて思ってしまうんだ。

 

 ――お前はお前の剣を信じろ。いつだって真実はそこにある

 

 そうだ、なにも変わらない。

 兵士のみんなに屋台のお土産を持っていった思い出も。アイーナが僕を庇って死んでしまった事実も。みんなのために、そして僕自身のために事件の真相を明かしたくて旅に出たことだって。

 そうだ。やるべきことも、やりたいことも、なにひとつ変わらない。兄上だって……たぶんきっと変わっていない。

 なぜあの人が僕を殺し、遺産の力を悪用する気なのか。そこまでは分からないけど……でも1度決めたら父上であろうと弟であろうと手にかける。あの人はきっとそういう人で、そうやってなにがなんでも貫き通す。そんなところに僕は憧れているんだ。

 ほら、やっぱりなにも変わらない。……っていうと、お前はやっぱり呆れるのかなぁ。

 

 ――僕の隣で、一緒に戦ってくれ。僕が僕の決断を貫き通すために

 

 なにも変わらないのなら、諦める理由なんてどこにもない。だからまだ……こんなところで終われない……!

 

 

 ◇■◇

 

 

 痛みと熱に擦れる視界。その中で、たったひとつの蒼だけは、確かにはっきり見えている。

 

「ほんっとに諦めが悪いんだもんな、お前はさ」

 

 レイズの心臓は脈を刻まない。

 

「そうだよな……偉そうに導いて、修行までつけちまって」

 

 脈の代わりにじくじくと、灼熱が全身を駆け巡っている。

 

「お前を焚き付けたのは俺なのに、その俺がこんなとこでへばるなんて――」

 

 むりやり抑え込んでいた炎に通り道を作る。全身から右手へ。右手から外界へ。荒れ狂う熱の全てをただ一点に。

 

「かっこわりぃよな!」

 

 紅蓮を、迸らせる。

 

「――なにっ!」

 

 黒騎士の眼前で、紅蓮の光が爆発した。

 爆心地は大穴を挟んだ対岸の一点。急速に膨れ上がった焔が暴れ出し、渦を巻く。その中心にはちっぽけな少年だけが立っている。

 

「黒騎士。これが三度目の正直ってやつだ……」

「まさかっ、本当に暴走を……!」

 

 掲げられた右手には光が迸っている。それは人を超越せし遺産の力を凝縮した、紅蓮の光。レイズが右手を突き出し吠える!

 

「そこをっ……どけぇぇぇぇぇ!!!」

 

 光が瞬く間に燃焼、爆発。急速に膨れ上がり、うねり、竜が如き炎と化して大穴を越えて迸る!

 

「ちぃっ、さすがにこれは……!」

 

 エグニダは眼前の光景に驚愕しつつも判断を迷わなかった。彼は急ぎその場から飛び退いた。が、炎の竜は構わず直進。揺り籠の頭上を全力で喰らう――壁面と激突したその瞬間、竜は再び光に還り、光は爆発と化した。

 ほんの一瞬なにもかもが止んで……ごうっ! 続く衝撃と熱風が、退避して距離を取ったはずのエグニダの体をも襲った。

 

「ぐおぉぉぉぉ!?」

 

 エグニダは脚で地面を砕いて踏み込み、狂える熱風の中を耐え忍ぶ。やがて風が収まった直後、エグニダはすぐに揺り籠へと目を向けて……唖然とした。

 

「なんだ、これは……!?」

 

 揺り籠の頭上の壁。その一部がぽっかりと消滅していた。砕く、どころの話ではない。まるで最初からそうであったかのように、先の爆発に巻き込まれた一切合切がそこから消え失せている。壁を構成していた岩も、揺り籠から壁に伸びていた管の束も。そして揺り籠上部のごく一部……丁度、蓋と本体の繋ぎ目の部分も。

 ゆえに揺り籠の蓋はいとも簡単に外れた。がこんと蓋が落ちて、揺り籠内部に溜まっていた液体が流れ落ちた。中に閉じ込められていた少女と一緒に。

 

「遺産をこうも容易く破壊するとは……っ!?」

 

 エグニダは背後に”熱”を感じた。すぐに遺産から視線を外して背後へと振り返った。すると眼前にはすでに迫ってきていた。大穴を飛び越え、右腕から炎を振るうレイズの姿が――炎刃一閃! 巨大な紅が黒鎧を一気に呑み込む。

 

「ちぃ……!」

 

 エグニダは炎をその身に浴びながらも、しかしすぐさま退避。わずかに髪を焦がしながらも炎から逃れて面を上げれば、その先には倒れ伏した少女とそれを護るように拡がっている炎の渦。そして……。

 

「……ふん。揺り籠が壊された以上はここに留まる意味もない、か」

 

 エグニダはそう呟くと祈石を持ったまま、炎の渦に背を向けて歩きだした。先ほどヴァルフレアも入っていった扉へと向けて。

 

「それよりも”戦艦”が心配だ。理論上は7、8割ほどのチャージでも動くはずだが……」

 

 呟いているうちに扉の前へとたどり着いた。エグニダは最後にもう1度だけ、炎の渦へと振り返り。

 

「……まったく、惜しい人材だったが仕方ない。全てが燃え尽きたあとでもし遺産が自壊していなければ、それだけでも回収しに来るとしよう」

 

 そしてエグニダもまた、扉の向こうへと去っていくのであった。

 

 

 ◇■◇

 

 

「ん、んんっ……」

 

 視界がゆっくりと開けていく。

 最初に感じたのは体内の倦怠感。まるで全身の体力が奪われたような感覚。

 次に感じたのは体外の熱だった。

 

(まるで暖炉か焚き火のすぐそばにいるような……って、火?)

 

 ニルヴェアはなにかを閃き、すぐにがばりと体を起こした。その直後、すぐそばから少年の声が聞こえてくる。

 

「なんだよ、全然元気じゃねぇか。なんか知んねーけど斬られた傷口も塞がってるみてーだしな」

 

 それはすっかり耳に馴染んだ声だった。何度も聞いた軽口だった。

 

(そうか、レイズが助けてくれたのか)

 

 まだ2人揃って生きている。その事実にニルヴェアは表情を明るくして、「レイズ!」と振り返って。

 

「――なんだよ、それ」

 

 蒼の瞳が、驚愕に震えた。その瞳には今もなお映っている。レイズの右手から、右腕から、そして右肩から。

 

「ちょっと、本気出し過ぎちまってな……」

 

 紅い炎がとめどなく噴き出している、そんな現実が。

 

「お前、まさか……」

 

 レイズの右手から肩にかけて、すでにその部分の衣服は燃え尽きていた。それどころか炎はレイズの皮膚を少しずつだが焦がし、あるいは剥がし、その体を傷つけ始めている。

 ニルヴェアは目の前の現象を初めて見た。だけどそれがなんであるかは、もう理解していた。

 

「暴走しているのか……まさか、僕を助けるために!?」

「気にすんな、どのみちこうしなきゃ誰も助からなかったんだ……」

 

 炎に己が身を焦がされゆく中で、それでもレイズはほほ笑んでいた。

 その表情をニルヴェアは知っている。危機から救ってもらったとき、あるいは一緒に食事しているとき、あるいは修行を見てもらっているとき……彼は不意にそういう顔をするのだ。

 

(何度も見た優しいほほ笑み。なんで今、そんな顔を)

 

 そして、レイズは告げる。

 

「ニア、今すぐここから逃げろ」



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4-3 強さと弱さとナガレの流儀

「ニア、今すぐここから逃げろ」

「なにを言っているんだ! 僕のせいでそうなったのに、僕だけが逃げられるものか!」

 

 ニルヴェアはそう叫んで、すぐに行動を始めた。腰のベルトに付いているポーチから1粒の玉を取り出して、迷わずレイズの炎に向けて投げつけたのだ。

 その玉は透明な水を押し固めたような見た目の、いつぞやレイズから玉について教わったときにも見せられた『水玉』であった。いわく、粘性のあるその水は焚き火などの消火に役立つのだというが。

 

(こういうときにレイズの炎を少しでも消せれば。そう思って一応準備しておいたけど……!)

 

 しかしニルヴェアが投げた水玉は、レイズの炎に当たるとほんの一瞬だけ煙を上げてあっという間に蒸発してしまった。虚しく立ち昇る煙へと、レイズが視線を向けて言う。

 

「無駄だ。こいつは遺産の炎なんだぜ? 普通の方法じゃ消火なんて……ぐっ!」

「レイズ!」

「はは。見ての通り、もう抑えきれねーんだ……認めるのは癪だけど、黒騎士の言う通り本当にこの一帯を焼き尽くしちまうかもしれない。だからお前はなんとかアカツキたちと合流して、そんでできる限りこの場から――」

「言っただろ! 約束しただろ!」

 

 ――暴走で誰かを巻き込むのが怖いのなら、僕がずっとそばにいて、何度だって止めてやる。死ぬほど強烈な一撃、で止まるんだろ? だったら……

 

「たとえ、殺してでも!」

「逃げろって言ってんだろ!!」

 

 レイズの炎が一気に膨れ上がり、ニルヴェアへと弾け飛んだ。ニルヴェアは咄嗟に後ろへと引いたが、しかし炎の飛沫のいくつかは頬や腕へと落ちて白肌をちりりと焼く。

 

「あつっ……!」

「ぁ……」

「!?」

 

 ニルヴェアが慌てて顔を上げれば、そこに少年の弱々しい表情がひとつだけ。

 

「違うっ、レイズ。こんなの全然」

「頼む、頼むよニア。俺にお前を焼かせないでくれよ」

「っ……!」

 

 ぎりりと歯を噛んだニルヴェア。その目の前で、レイズは両の手のひらを地面についてうつむいた。そして、ぽつりと。

 

「楽しかったんだ」

「え……?」

 

 レイズは笑っていた。あるいは泣いていたのかもしれない。

 

「始まりは最悪だったけど、それでも本当に楽しかったんだ。アカツキ以外のやつと2人きりでこんなに長く旅したことなんて、初めてだったんだ」

 

 レイズは語っていく。懐かしむように、うわ言のように、あるいは走馬灯のように。

 

「俺より意地っ張りなやつを見たのも初めてだった。同じ誰かに毎日飯を作って、それを毎日旨そうに食べてもらえるのも初めてだった。お前は何度倒れてもすぐ起き上がるし、物覚えだっていいし、性根だってまっすぐだ。すごい早さで毎日成長していくお前が眩しかった。ほんと、俺なんかよりよっぽどナガレに向いてるよ。お前はさ」

「らしくないこと言うなよ。最後まで諦めないんじゃなかったのかよ! ナガレの流儀はどこ行ったんだよ!!」

「あんなのただの強がりだ。俺はお前に憧れてもらえるような人間じゃないんだ。だから……俺なんて見捨てていいんだ。大丈夫。これからなにがどうなっても、お前ならひとりでだってやっていけるだろうし……それにほら、俺って悪運だけは自信あるからさ。案外生き残るかもしんねーし?」

「なんでだよ。なんでお前はこんなときまで、人のことばかり」

「だから違うんだ。俺はそんな大層な人間じゃないんだよ。いつだって自分のことばかりだ。今だってそうなんだ。なぁ、なんで……」

 

 レイズがゆっくりと面を上げた。くしゃくしゃに泣いている。それでもなんとか笑顔を浮かべようとしている。どうしようもなく歪んでいた。

 

「なんでこんなに大事なのに、殺したり殺されたりしなきゃ駄目なんだ?」

「――――」

 

 ニルヴェアはこの瞬間、初めて知った。

 

 ――レイズ。たとえお前を殺してでも、この僕が絶対に止めてやる。だからお前は暴走しないよ、絶対に

 

(僕はなにを買い被っていたんだろう)

 

 ――なにその気になってんだよ、バーカ

 

(こいつはずっと強がっていただけなんだ。本当は誰よりも逃げたいのに、それでも闘うしかないから自分をむりやり奮い立たせて、弱い自分を必死に押し殺して虚勢を張り続けていただけなんだ……!)

 

 目から涙が勝手にこぼれた。手が勝手に胸を押さえた。苦しくて、痛くて、寂しくて、そしてなにより――

 

「……ほんっと、ずるいよなぁ。お前は」

 

 嫉妬していた。きっと自分に1番近くて、自分から1番遠い少年に。

 しかしレイズは「違う、だから俺は」と否定しようとして、

 

「恐れこそが武器だ!」

 

 少女の叫びが一切合切を吹き飛ばす。

 

「その身ひとつで恐怖に耐え抜き、幾度となく死線を超えてきた強者に背を向けるなど男の、武人の、剣と共に在るブレイゼル家の誇りが許さない!」

 

 その体は本当は女のものであった。その体は本当は人ですらなかった。その体に本当はブレイゼルの血など一滴も流れていない。それでも。

 

「死の恐怖に誰よりも怯え、ずっと助けを求めてきた弱者を見捨てて自分だけ助かるなど、最強で最高の武人ならば絶対に有り得ない!」

 

 信じ続けた兄にはなにもかもを裏切られた。そもそも彼は兄ですらなかった。だとしても!

 

「ここで逃げるくらいなら死んだ方が百倍マシだ! ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルの名に懸けて、絶対に僕は逃げないぞ!! 分かったら少し黙ってろ馬鹿レイズ!!!」

 

 レイズはただただ呆然とした。そうするしかなかった。

 

「なんで……」

 

 レイズはもうとっくの前から知っていたのだ。こういうときのニルヴェアは、もう誰にも止められないのだということを。

 

「なんでそんなに頑固なんだよ。馬鹿野郎」

「決まってるだろ」

 

 ニルヴェアは乱暴に涙を拭って堂々と胸を張る。兄に斬られて、×の字に血がこびりついているその胸を。

 

「兄上譲りだ!」

 

 その一言にレイズは目を見開き、そして「馬鹿……」と呟いたきり項垂れてしまった。ゆえにニルヴェアは確信する。

 

(勝った!)

 

 勝ったではない。

 

(だけどどうする? おそらく時間はほとんどない……)

 

 ニルヴェアはいつかの夜に語られたことを、改めて振り返る。

 

(遺産はレイズの感情に反応して……あるいは生存本能。レイズの体が危機に瀕したときに暴走したとか言ってたっけ)

 

 考えながら周囲を見渡し、なにかないか探してみた。とはいえ周囲に転がっているものといえば、精々が黒騎士により爆破された地面の破片ぐらいであった。

 

(死ぬほど強烈な一撃を与えれば止まる……たとえばあの石でガツンと頭を殴りつけて気絶させれば……でも、もし失敗したら? 例えばぎりぎり意識が残ったりしたら、逆に死の危険を感じてさらに暴走が激しくなるんじゃないか? でも、そんなことを言ったら確実な方法なんて。それこそ本当に殺す勢いで……)

 

 ――要するに強烈な一撃をかましてやれば、それだけで防御(ガード)ごとぶち殺せるはずなのだ

 

「……んん?」

 

 ふと脳裏に過ぎった、あまりにも場違いで胡散臭い女侍ボイス。思わず首をかしげてしまったが、はて……あれはなんの話だったっけ?

 

「いやまて。いくらアカツキさんとはいえそんな馬鹿な。でも……」

 

 物理で駄目なら精神は? 閃いたアプローチが、蒼き瞳に希望を灯す。

 

(これならレイズの体を傷つけない。駄目なら駄目で生存本能とやらも呼び起こさないだろうし、今すぐできるというのもいい。それに……)

 

 ――なんでこんなに大事なのに、殺したり殺されたりしなきゃ駄目なんだ?

 

 ニルヴェアは項垂れているレイズへと、率直に尋ねてみる。

 

「なぁレイズ。お前、もしかして……僕のことが好きだったりするのか? こう、恋愛的な意味で」

「!?」

 

 するとレイズはがばっと面を上げて、露骨にびっくり。

 

「ごめん、変なこと聞いたよな! てか僕って仮にとはいえ男だったんだし、べつに女らしくもないし、良くて見た目だけっていうか」

「んで……」

「へ?」

「なんで今更気づくんだよ、この鈍感馬鹿野郎……!」

 

 少年の顔は頬から耳まで、炎にも負けないくらい真っ赤に染まっていた。

 だから、決めた。

 

「約束したろ」

「え……」

 

 ニルヴェアはそっと、レイズの頬に手を添えて。

 

「お前を殺してでも止めてやるって」

 

 思春期の男子をぶち殺す方法はただひとつ――ニルヴェアはその小ぶりな唇を、レイズの唇へと迷いなく重ねる。

 

(ここは思ったより、熱くないんだな)

 

 ほんの一瞬触れ合って、ほんの一瞬で離れた。

 ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル15歳。人生初めてのキスは……ぷすんっ。そんな気の抜けた音と共に、あっけなく終わった。

 

「炎、消えたな」

 

 ニルヴェアの正面には、真っ白な顔がひとつあった。真っ赤を通り越し真っ青も通り越して、真っ白。レイズが燃え尽きていた。

 

「おい、レイズ。死んだか」

「ふあ」

 

 なんか気の抜けた返事。しかしとりあえず火は消えている。ならば問題などなにもない。

 

「よし1回死んだな! だったらあんな祈石(石ころ)のことなんて一旦忘れろ!」

「へあ」

「いいか。お前が僕を勝手に攫ってくれたお返しに、今度は僕がお前を攫ってやる!」

「ふあ」

祈石(いのりいし)がお前を苦しめるというのなら、僕が勝手にぶっ壊してやる! そして全部が終わったら、どこまでも一緒に探してやる! だからこんなとこで諦めるなよっ……レイズ!!」

「へあ」

「…………」

「ふあ」

 

 …………ちゅっ。

 

「〇×◇△■◎□!?」

 

 少年の顔が一瞬で発火した。もちろん比喩的な意味である。

 

「お。起きたな」

「※Δ§Д÷ΘЖ?!!?!?」

「なに言ってんのか分かんないぞ?」

「ひっ、は、ふ、きょ」

 

 レイズは喉から奇妙な声を吐き続ける。「か、こ、き、きしゅ」ようやく微妙に言語っぽくなってきて。

 

「おまっ、今、なにしっ」

「そりゃまぁ……キスだけd」

「あ゛ーーーーーーーーー!」

「さっきからどうしたんだお前!?」

 

 少年がとち狂い、少女が慌てた。

 てんやわんやな2人の横から「あっはっはっ!」不意に割り込んできた笑いひとつ。

 

「必殺技、想像以上の威力でござったな!」

 

 ぶらりと現れたのはアカツキであった。その後ろからはブロードもついてきていた。

 

「アカツキさん! ブロードさん! どこから出てきたんですか!?」

「そこそこ。隠し通路があってな」

 

 と、アカツキが指差した場所は壁の一角。ヴァルフレアたちが姿を消した扉とはまた別の隠し扉がそこにはぽっかりと開いていた。

 

「あやつは本当に拙者たちを分断できればそれで良かったのだろうな。拙者たちが落とされたのはただの地下道でござった。それゆえにこうして地下を抜けて扉から戻ってこられたわけだが……」

 

 そこでアカツキはちらりとレイズを見た。レイズの方はいつの間にやらその場にうずくまっていたわけだが、しかし彼もまたアカツキをちらりと見返して。

 

「……見た?」

「ばっちり」

「ま゛ーーーーーーーーー!」

「え、どこから見てたんですか?」

「『楽しかったんだ』のあたりから」

「結構がっつり見てるじゃないですか! それはさすがに助けに来てくださいよ!」

「いやぁ。拙者もいざとなれば半殺しにしてでも止めようかと考えておったのだが、しかしよくよく眺めてみればみるみる面白い風向きになってきたではないか。というわけでなっ、ブロード!」

「いや僕は止めたんだよ!? あ、いやアカツキが助けるのを()めるのを()めたっていうか結局は止められてないんだけど、アカツキがあんまりにも真剣な表情で止めるもんだからなんか秘策があるものかと……まさかこんなことになるとは思わなかったけど……」

「よいではないか。終わりよければ全て良しだ」

 

 アカツキはそう楽しげに言うと、レイズのそばへと歩いて屈み、覗き込む。

 

「で、おぬしはいつまで恥ずかしがっておるのだ。それでも拙者の弟子か?」

 

 そう言われると、レイズはうずくまったまま真っ赤な顔を少しだけアカツキへと見せて。

 

「弟子じゃねぇ……」

「侍の弟子がここで勝ち名乗りを上げなくてどうする? 胸を張れ、レイズ。おぬしは初恋の相手を見事射止めてみせたのだぞ。ま、この場合はおぬしが射止められたと言えるかもしれんがな?」

「アカツキ……うん。そう、だな」

 

 レイズがやっと笑顔を見せた。それはほんの小さな照れ笑い。まだまだ顔は赤いけれど。右肩から右手にかけての火傷も痛々しく残っているけれど、それでも少年は確かに幸せそうで……

 

「あ、その、ちょっと言いづらいんだけど……」

 

 ニルヴェアがなんか控えめに手を挙げてきた。

 

「お、なんでござるかぁ?」

 

 するとどこか上機嫌なアカツキが、恥ずかしがっていたレイズが、蚊帳の外だったブロードが、一斉にニルヴェアの方へと向いた。どこか幸福感漂う空気に、なにやら期待のこもった眼差し……ニルヴェアはたじろぎながらも、しかしはっきりと告げる。

 

「えっと、レイズが僕のことを好きなのはすごい伝わってくるんだ。でもさ、ほら。やっぱり僕も男だったわけで、今は男同士でその、色恋とかは考えられなくて……だからすまない!」

 

 ニルヴェアはがばりと頭を下げた。いくら鈍感でもここはさすがに頭を下げる場面だと理解していた。そして1秒、2秒、3秒……誰もなにも言わないので、とりあえず頭を上げて

 

「はぁ~~~~~~~~~~~?????????」

 

 少年のマジギレなフェイスが視界いっぱいに飛び込んできた。ニルヴェアは思わずのけぞる。

 

「うわぁっ、なんだよそんな怒るなよ!」

「怒るわボケェ! お前、き、キスなんて、好きな人とじゃなきゃなぁお前ー!」

「普段ならそうだけど、今回ばかりはしょうがないだろ! ていうか口づけひとつで命が助かるなら儲けものだろ!? 言ってみればこれは人工呼吸みたいなもので」

「は~~~~??? 命の危機なんてそんな二束三文のたたき売りより色恋の方が百億倍重要に決まってんだろ馬鹿鈍感阿呆猪脳筋天然間抜バーカ!!」

「馬鹿って2回言ったな!? いや、そりゃ僕だって悪かったと思ってるけど、でも今回だって元を辿ればほら、アカツキさんのせいなんだぞ!?」

「え、拙者? もしかしてなんでも拙者のせいにすればいいと思ってる?」

「そういうわけじゃないですけど、でもほらアカツキさん言ったじゃないですか! 接吻(キス)こそが思春期の男子への必殺技だって! あれは冗談のふりして、実はレイズの暴走に備えてのことだったんでしょう!?」

 

 そうビシッと指を差されたアカツキは、少しだけ考え込んで……一言。

 

「拙者、さすがにそんな頭悪くないが……」

「拙者、さすがにそんな頭悪くないが!?」

 

 目ん玉ひん剥いてびっくりしたニルヴェアに、ブロードからも横槍が入る。

 

「あのシチュあの台詞あのタイミングで恋心ないっていうのは、正直越警的にも不正義……」

「越警的にも不正義!?」

 

 前から後ろからボロカス言われたニルヴェアへと、最後にまっすぐな声音が突き刺さる。

 

「ニア」

「レ、レイズ。いや確かに僕も軽率だったかもだが、しかしお前も僕の気持ちを考えて欲しい。例えばお前がいきなり男に告白されたとして、たとえ相手がどんなに大事な人だとしてもすぐに受け入れられるか? それにだ、ほら! お前だって前に男女はごめんだとか言ってたじゃ」

「忘れた」

「は?」

「もうお前の男の姿とか忘れたもんね! そもそも1分も見てないし俺の中でお前は完全にちょー魅力的な女の子だから問題ありませーん!」

「人の15年を一瞬で忘れるな馬鹿ーーーー! お前さすがに僕だって怒る」

「お前のその意固地なところに憧れた」

 

 ニルヴェアの両手を、急にレイズの両手が握りしめてきた。

 

「え、なに」

 

 レイズの手のひらは、まだ幼さを残しつつも皮がところどころ硬く節くれ立った、努力の証が宿る手のひらでもあった。ニルヴェアがその感触に惹きつけられる中で、レイズは謡うように語っていく。

 

「その綺麗な髪にいつも見惚れる。夢中で飯を頬張る姿が本当に可愛い。表情がころころ変わるのが楽しくて、ついついからかっちまってた。お前が戦って危険に晒されるのは本当に怖かったけど、だけど戦うお前の顔はすげーかっこよくて、ずっと見ていたいって思っちまうんだ」

「う、あ」

「思えばきっと一目惚れだったんだと思う。だってその青空を切り取ったような瞳が、出会ったときからずっと心に残ってたんだから」

「ぁ……」

 

 ニルヴェアは少し、だが確かに頬を赤らめて、うつむいて、沈黙……からの。

 

「よしあと一押しだ行け弟子よ!」

「弟子じゃねぇけど任せとけ!」

「一押しもなにもあるかこの馬鹿師弟ー!」

 

 ニルヴェアは慌てて手を振り払った。

 

「てかレイズお前キャラおかしくないか!? そんなペラペラ口説くようなやつじゃなかっただろ!」

「うるせー! ここまで来たらもう開き直るしかねーだろうが! リョウランで言うところの背水の陣だ、こうなりゃ死ぬまで開き直ってやる! ニアー! 好きだーーーー!!」

「天井に向かって叫ぶななんか恥ずかしくなってくるだろ馬鹿ー!」

 

 やんややんやと少年少女が元気よく騒ぎだした。

 その一方で、大人たちはというと。

 

「あーあー、仲良きことは良いことだけどさ……ねぇアカツキ」

「なんだブロード。今良いところだぞ」

「気持ちは分かるけど……レイズくんが無事立ち直ったわけだし、ぼちぼち行かない?」

 

 そう言ってブロードが指差したのは、ヴァルフレアたちが通っていった方の隠し扉であった。

 

「あー、そういえば。すっかり忘れておったがこの事態を解決せねば青春もなにもあったものでないな」

 

 というわけで、アカツキはやんややんやな少年少女に呼びかけようと――

 

「っ、ブロード!」

 

 アカツキはなぜか相方を呼びつけて、しかしその脚は少年少女の下へとひとっとび。2人の襟首を引っ掴んで「うおっ」「わぁっ」一気にその場を飛び退いた、次の瞬間。

 ピシッ。

 最奥の壁に亀裂が走って――バコンッ! 壁が一気に砕け散る!

 

「なんだよ今度は!?」「あっ、あれは!?」

 

 少年少女は襟首を掴まれたまま、驚愕と共に青空を見上げた。

 そう、青空だ。最奥の壁が砕け、天井の一部が崩れ、がらがらとけたたましい音をBGMにして、青い快晴が顔を覗かせていた。しかしその中心にあるのは太陽ではない。太陽を覆うほどの巨大ななにかが、一行の頭上に浮いていた。

 その正体を、アカツキの呼びかけで退避していたブロードが呆然と呟く。

 

「飛空艇……いや、もはや飛空戦艦だ……そんな技術まで持っているのか……!」

 

 そして少年少女もすぐに気がつく。

 

「レイズ、あれの動力って!」

「ああ。十中八九、お前から抜き出した人造偽人(レプリシア)の力だろうさ」

 

 その言葉にブロードがいち早く反応する。

 

「人造偽人ってどういうこと!? もしかしてそれがニルヴェアの狙われてた理由!?」

「そうなんですけど、それはとりあえず横に置いといてくれません?」

「いやさすがに気になるんだけどすごく……」

「それよりもあの戦艦って……ブロードさんたちが乗ってきた飛空艇、でしたっけ? それで追うことってできるんですか?」

「う、うん。まぁ……」

 

 ブロードが空を再び見上げれば、すでに戦艦は米粒程度にしか見えなくなっていた。

 

「……あくまでも目測だけど、速度自体は大したことないな。ウチの飛空艇の方が断然速いはずだし、準備や手当ての時間を含めたとしても十分追いつけるはずだ」

「それならいいです。アカツキさん、放してもらっていいですか?」

「む。そういえば掴んだままだったか」

 

 アカツキはすぐにニルヴェアの襟首を、レイズ共々手放した。ニルヴェアはすとんと地面に降り立って、それからすぐに「レイズ」と呼びかけた。レイズもすぐに返事を返す。

 

「なんだよ?」

「お前はこれからどうしたい?」

「は? 本当になんだよいきなり」

「祈石は、まだエグニダが持っているんだぞ」

「っ……!」

 

 レイズは思わず息を飲み、心臓の……遺産のあるあたりを手でぎゅっと押さえた。しかしニルヴェアはそれすら抉りこむように、強く断言する。

 

「だけどそんなの知ったこっちゃない。僕が言いたいのはただひとつ」

 

 蒼き瞳でまっすぐ見据えて、挑戦的な笑みをニヤリと魅せて。

 

「たとえ男だろうと女だろうと、こんなところで立ち止まるやつに僕は一生なびかないぞ?」

 

 ぽかんとした。

 レイズが、アカツキが、ブロードが。みんなまとめてぽかんとして……やがてレイズだけが、おそるおそる口を開く。

 

「って言っても、お前、さっき『男と付き合うなんて考えられない』って言ったばかりじゃね……?」

「なんだお前、背水の陣だって言っておきながらその程度で僕を諦めるのか?」

「そんなつもりはねぇけど……」

「ワンチャンスあるかもしれない。もしかしたらないかもしれない。正直、僕自身にもよく分からない……それでも全力で手繰り寄せて、ないなら無からでっち上げてでもまかり通す。そういう気概が必要なんだろ?」

 

 無邪気でいたずらっぽい笑みが、レイズの瞳に飛び込んできた。

 

 ――馬鹿でも無茶でも、きっとまずはそこからなんだ

 

「あ……」

 

 レイズが呆然とした。その一方でブロードがアカツキにこっそり囁く。

 

「かっこよく言ってるけどさ、それって要は『惚れてもないのに女の体を餌にして釣ってる』ってことだろ? 同じ男としては……ああいうのを天然の悪女っていうのかなぁ」

「ははっ、全くだな。どうも我が弟子は最高にタチの悪い女に釣られてしまったらしい……」

 

「あはっ」

 

 微かな声は、レイズの口から漏れていた。

 

「は、ははっ、はははっ」

 

 徐々に大きくなっていく声量。まるで鎖を引きちぎり、解き放っていくように、彼の口は開いていって――

 

「ははははっ……あははははっ!」

 

 解き放たれた大声が、青い空へと飛び立っていく。

 

「あーっはっはっはっは!!」

 

 レイズは上を向いて笑う。笑う。笑い続けて……やがてぴたりと声を止めた。そして今度はすぅーっと息を吸い込み――パァン! 自分の頬を両手で叩き、快音と共に前を向いた。

 ブロードが、アカツキが、そしてニルヴェアが見守っている。その中で、

 

「一切合切ぶっ倒すに決まってんだろ」

 

 レイズは迷わず堂々と、いつも通りの強気を見せる。

 

「譲れない物があるんなら、なにがなんでもまかり通す。それが――ナガレの流儀だ!」



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4-4 ここでクイズと勝算と

 なんやかんや話しているうちに、飛空戦艦とやらはすっかり見えなくなってしまった。というわけでさっさと出ようとっとと行こう、とレイズはふと思い出す。

 

「つか外に出る1本道は黒騎士のやつが爆破して塞ぎやがったんだけど、どーすんのさアレ」

「まぁ爆破で塞がれたんなら爆破でどかすのが筋じゃない?」

「は?」

 

 ブロードの爆弾が瓦礫をぶっ飛ばして道を拓いた。

 

「よし!」

 

 満足げなブロードの後ろで、ナガレ2名がこそこそ話し合う。

 

「なぁあの人って爆弾魔かなんかなの?」

「そうそう。あやつはどうも、なんでも爆破すれば解決できると思ってる節があるようでな」

「こらそこのナガレたち! 人聞きの悪いことを言うのはやめなさい! そんな好きで使ってるわけじゃないよ。ただ便利ってだけだ。非力でも威力出せるし応用だってかなり効くし……」

((やっぱ好きなんじゃん)) 

 

 

 ◇■◇

 

 

 そんなこんなで遺跡近くの林の中。適当な茂みに隠してあった飛空艇を引っ張り出して、一行は戦艦へと向かう準備を始めた。ブロードいわく、

 

「ここである程度時間を使っても追いつけるから、そこは心配しなくていいよ。それよりも……あの戦艦を飛ばすことがヴァルフレアの真の目的だっていうなら、つまりは戦艦を潰せばようやく決着が着くわけだ。彼もあの戦艦の中にいるだろうし……だからみんな、準備は怠らないようにね」

 

 ということだったが、とはいえアカツキやニルヴェアは元より荷物が少ない。ブロードもさして道具を消耗していない。というわけで、時間は主にレイズの治療と彼の道具類の準備に充てられることとなった。

 バイクや(ハヤテ)に積まれた荷物を各々取り出し、分担して作業を始める。

 

「いいってアカツキ、自分でやるってあだっ!」

「あまり動くな、背中の方まで火傷が回っておるのだぞ。いくらおぬしが火に強いとはいえ……念のために火傷用の薬を持ってきたのは正解だったか」

 

 アカツキがレイズを座らせ、半分ほど焼失した衣服を脱がせて、右半身の火傷部分を塗り薬やら包帯やらで治療している。その傍らで、

 

「レイズー、予備のベルトってこれのことか?」

「そーそー。それに小さいポーチが付いてるだろ? そこに閃光と煙が2つずつ入るはずだからな」

「分かった。それとナイフや銃のホルスターはどうするんだ? 前のベルトからこっちに付け替えといていいのか?」

「じゃあついでに頼むわ」

「了解!」

 

 ニルヴェアはレイズの指示を受けて、彼のバイクに積まれている荷から予備のベルトや道具を取り出していた。そんな彼女の足下にはレイズが元々身に着けていた衣類やベルトが転がっている。正確には、暴走の際に燃え残った元衣類や元ベルトであるのだが。

 

「そうだニア。ついでに服の換えも出してくんね? ただの防護用だけど予備のベストも一応入ってるから、それも一緒にさ」

「おっけー。えっと、服類はたしかここら辺に……あ。ついでに僕のも出しとくか。ベストごと兄上に斬られたわけだしな……」

 

 などと呟きながらバイクの荷を解き、衣類を引っ張り出していく。しかしそんなニルヴェアの後ろ姿を、腕を組んでじっと見つめている者がひとりいた。

 

「……ニルヴェア」

「はい?」

 

 ニルヴェアが何気なく振り返ると、そこにはブロードの真剣な面持ちがあった。

 

「君が本当はブレイゼル家の遺産であり、しかしその力を抜き取られた今……もう狙われる理由がなくなった今だからこそ、言っておきたいことがある」

「えっと……?」

 

 戸惑うニルヴェアへと、ブロードは単刀直入に告げる。

 

「僕は君を、飛空艇に乗せるつもりはない」

「え……?」

 

 ニルヴェアはただぽつりと、そう漏らした。一方でレイズはなにも言わず、アカツキもまた治療の手を止めない。

 沈黙の中でニルヴェアは少し考えて、それから言う。

 

「それは僕がここに来たせいで敵の……兄上の目論見が進んでしまったからですか?」

 

 しかしブロードは横に首を振って、否定の意を見せた。

 

「アカツキたちに協力を仰いだは僕の方だ。そんな彼女らが君をここに連れてきたというのなら、そこは一蓮托生さ。それにそもそもいつだって悪いのは悪事を働く方なんだし、狙われただけの君がそこに責任を感じる必要なんてこれっぽっちもないんだよ」

「だったら!」

「だから、責任を感じて戦う必要もないんだ」

 

 そこには、ただ優しく子供を見守る大人の顔だけがあった。

 

「戦わなくていいはずの人が、戦わないままでいられる。そのために僕ら越境警護隊はあるんだ。だから……頼む。今度こそ、僕に仕事を全うさせてほしい」

「ブロード、さん……」

 

 ニルヴェアはブロードへと、静かに頭を下げる。

 

「ありがとうございます。もう何者でもない僕なんかをそんなに心配してくれて」

「何者じゃなくとも君だってこのグラド大陸の住民で、なにより未来ある若者なんだよ」

「はい。でも……だからこそ……」

 

 ニルヴェアは面を上げた。その蒼き瞳は、いつだって前を向いている。

 

「僕は闘いたいんです。僕自身の、未来のために」

 

 交差する視線と視線……先に目をそらしたのはブロードの方だった。

 

「はぁ。そういうと思ってたよ……だけど今回ばかりは僕も折れたくない。なにせ相手は剣帝で、しかも逃げ場のない空の上――」

「俺たちはナガレだ」

 

 それは少年の声だった。ブロードが、そしてニルヴェアが振り返ると、レイズが治療を受けながらもまっすぐにブロードを見つめている。

 

「ブロードさん、アンタはアンタの信念を貫けばいい。だけど俺たちも俺たちの信念を貫く。子供だろうがなんだろうがナガレはナガレだ。だから自分の闘う場所は自分で決める。そうだろ? ニア」

 

 ニア。

 それはニルヴェアにナガレとして与えられた、もうひとつの名前である。

 

「……ああ!」

 

 ニルヴェアは相棒に力強く頷いて、それからブロードへと向き直る。

 

「貴方の気持ちはすごい嬉しいです。貴方みたいな人が越境警護隊にいるという事実も……だけど、さっきも言った通り今の僕は何者でもない。それなのにここで逃げてしまったら、僕は本当の意味で何者にもなれないと思うんです。だからここだけはなにがなんでも譲れない……僕が僕として、これからを生きるために」

 

 ブロードは言いきられた。だから彼はうつむいて「あぁ、もう……!」なんて嘆きながら頭を掻いて……やがて、ぐっと顔を上げた。

 

「分かった、こうなったら僕も腹を括る! ただし、さすがにヴァルフレアと直接対決はさせられな」

「あ、それ無理です。兄上はこの手でぶん殴ると決めているので」

「いやぶん殴るって相手は大陸最強の剣」

「俺もそれ手伝うって決めてるから。ニアを連れてかねーなら俺も行かねーぞ」「それじゃあ拙者も~」

「こ、この厄介師弟め……!」

 

 面倒臭いナガレ2人もとい3人に囲まれた三面楚歌。しかしブロードは諦めなかった。

 

「大体そうは言ってもニルヴェア、君に勝算はあるのか!? たとえその正体が人造偽人という遺産だったとしても、力を抜き取られちゃ一般人も当然だろう!」

 

 その瞬間、ニルヴェアはニヤリと口端を上げた。待ってましたと言わんばかりに。

 

「ところがどっこい、そうじゃないかもしれません!」

「どころがどっこい!?」

「いや僕もできるか分からないんですけど……ちょっと見ててください」

 

 ニルヴェアはそう言うやいなや、両手のひらを開いて前に突き出した。それから「むむむ……!」となにかを手のひらに込めていく。

 すると……ぽっ。ぽぽっ。手のひらに、青白い光が少しずつ灯っていく。それはまるで、レイズが手から炎を放つときのような――ブォン!

 

「できた!」

 

 突如、手のひらを中心にして蒼色の光の壁が出現した。

 それを見て他の3人も『おおっ』と歓声を上げた。いきなり見せられた不可思議な力……その正体にいち早く気づいたのはレイズであった。

 

「それ、もしかして人造偽人の力ってやつか!?」

「みたいだ。『揺り籠』に力をむりやり引き出されて、そこで初めて僕の中にある力を感じられるようになったんだよ。大半はもう抜き取られたけど、今でも感じるんだ。少しだけ、お腹の下あたりに残っているのが……」

「ふーん、それじゃああれか? ヴァルフレアに斬られたとこの血が止まってるのもその力のおかげか?」

 

 レイズが指を差した先には、×の字に斬られて赤くこびりついた血の跡があった。痛々しい跡ではあるがしかしすでに干乾びており、新たな出血がないのも明らかであった。

 

「うん。不幸中の幸いってやつ? 力を引き出されたそのついでに体中に力が巡って治ったみたいなんだ。もう全然痛みもないし……」

「――ニア殿」

「アカツキさん?」

 

 返事を返したときには、すでにアカツキはレイズの治療から離れてニルヴェアの――光の壁の目の前に立っていた。

 

「その壁、というか盾か。しばらくそのまま掲げてもらってもよいか?」

「え? いいですけど……」

「レイズ。治療中にすまないが、おぬしの『光の槍』でこの盾を焼いてみてはくれぬか? 強度や耐性を見ておきたいのでな」

「そういうことか。ま、俺も遺産の調子を見たかったし……」

 

 そう言ってレイズは立ち上がり、そして地面に転がっていた愛銃を手に取ると、遺産の力を銃へと込める……すると銃口に光が収束し、やがて槍の穂先のように尖った。

 

「っし、ちゃんと安定してる……」

 

 それからレイズは光の槍の先端を、ニルヴェアが展開している『光の盾』へと近づけた。紅光の槍が蒼光の表面をゆっくりと貫く……と思いきや。

 

「お。こいつは……」

 

 レイズはさらに銃を押しこんでいく。しかし紅光は蒼光に触れたそばから散っていき、一方で蒼光は傷ひとつ付いていない。アカツキがその様子をまじまじと見ながら感想を述べる。

 

「なるほど。この手の熱やエネルギーへの耐性は相当なものでござるな……レイズ、もういいぞ。下がっておれ」

 

 レイズは素直に光の槍を消して、その場から退いた。すると入れ替わるようにアカツキが光の盾の前にゆるりと立ち――ガキョッ!!! 

 硬く異様な音が鳴り、ニルヴェアがぽてっと倒れた。そしてその手のひらから、光の盾がふわりと消えた。

 

「ふむ。さすが遺産の力だけあって凄まじい強度でござるな」

 

 そう納得したアカツキの右手には、1本のサバイバルナイフ……だった前衛芸術が握られていた。すっかり面白いくらいにひしゃけて曲がった刃をしげしげと眺めているアカツキを他所に、レイズが慌ててニルヴェアへと駆け寄る。

 

「うわー! ニア大丈夫か!?」

「……びっくりした」

「だろうな!」

 

 そしてブロードは額に手を当て呆れていた。

 

「アカツキ、君はもうちょっとこうさ、前置きとかをさ……」

「いきなり爆弾のスイッチを押させたやつが言うでない。それよりもだブロード。見ての通り、この盾の強度は申し分ないでござろう? たとえ暁ノ一閃でも断ち切れるかどうか……つまり、だ。この盾はヴァルフレアの斬撃、そして鞘型の琥珀武器から放たれる熱線にも耐えうるはずだ」

「……つまり、それだけでも勝算になり得ると?」

「うむ。まぁ強いて言えば……」

 

 アカツキは未だにびっくりしたままのニルヴェアへと目を向けて。

 

「あとはニア殿の踏ん張り次第でござるな。物理的衝撃のない熱線はともかく、今のような斬撃では盾こそ破れずとも体勢を崩される可能性はある。まぁそれも今、体で覚えたでござろう。なぁニア殿?」

「…………」

 

 ニルヴェアは、まだびっくり顔のままだった。

 

「……ニア殿?」

「……あの、いい感じに助言してもらったところ申し訳ないんですけど……」

 

 びっくりしたまま。倒れたまま、告げる。

 

「これ、使い捨てっぽいです」

「「……は?」」

 

 ナガレ師弟がぽかんとした。

 

「なんか、光が消えた瞬間、体からすっと”力”が抜けて。たぶん、あと6回? くらいじゃないかな、体感的に……」

 

 直後、ブロードが腕を交差させて×印を掲げた。イキイキと、それはもう無駄にイキイキと。

 

「はい駄目でーす! どんだけ強くても所詮は使い捨ての盾を勝算とは呼べませーん!」

 

 ブロードが全身で無理駄目絶対を示せば、ナガレたちはニルヴェアに向かってあーだこーだと吹き込み始める。

 

「バッカお前そういうのは黙っときゃいいんだよ!」

「そうでござるよ一度通ってしまえばこっちのもの!」

「こらそこ悪いことを教えない! ともかく、絶対とは言わずともせめて筋が通る勝算のひとつでもない以上はヴァルフレアとなんて戦わせられない! ニルヴェアとレイズ君にはエグニダを、そしてアカツキにヴァルフレアを抑えてもらう。そんで僕はその間に戦艦の制圧だ。そういうのは越警の仕事で慣れてるし、最悪剣帝たちを倒せなくても戦艦さえ奪えれば……」

「敵を知り己を知れば、百戦危うべからず!」

 

 ニルヴェアがなんかいきなり叫びながら、体をばねのように跳ね上げて起き上がってきた。そこにレイズがそっとツッコミを添える。

 

「またなんか言い出したな」

「この場において、兄上のことを1番知っているのは僕です! つまりこの場の誰よりも、僕は兄上に強い!!」

 

 堂々と胸を張ったニルヴェアに、しかしやはりブロードが立ちはだかる。

 

「確かに一理ある……あるかな? まぁ百歩譲ってあるとしよう。だけどヴァルフレアに詳しいっていうなら僕の方が詳しいはずだ。なにせ僕はナガレの記者としてヴァルフレアに直接インタビューしたこともあるくらいだからね!」

「兄上に、インタビュー……?」

 

 レイズはこっそり「あっ」なんか察した。しかしなにも察していないブロードは、趣味だと自負する自分の活動について意気揚々と語り始める。

 

「いやー僕としては隠れ蓑兼趣味のつもりなんだけど、でも意外と仕事があってねぇ。それこそ1か月ぐらい前に発売された週刊誌にもヴァルフレアへのインタビュー記事が載ってるんだよ!」

 

 そこでニルヴェアが、振るえた声で尋ねる。

 

「もしかして、『ブラク・ワーカ』名義の……?」

「そうそうそれ、読んだのか~! で、どうだった? 中々いいインタビューになったと……」

 

 ニルヴェアの目は、深い憐みと悲しみに満ちていた。

 

「ここ数年で唯一☆1評価を叩きだした、あの記事の……!?」

「どこの何点評価!?」

「ファンクラブの、会報で、5点中……え、嘘。あんな、インタビューする人へとの予習復習を怠ったどころかただ上っ面をなぞっただけの下賤な質問ばかり並べ立てた、あんな記事で……そんな自信満々に……?」

「ウワーーーー! ごく普通に滅茶苦茶ムカつくーーーー!!」

「ブロード、おぬし……やはり記者の才能ないのでは?」

「うるさいな! だ、大体上っ面をなぞっただけって言うけどな、そもそもヴァルフレアは君を裏切ったんだぞ! もう彼は君の知るヴァルフレアとはちが」

「兄上を舐めないでください!!!」

「ひょえっ」

 

 ブロードは思わず竦み上がってしまった。

 

(な、なんなんだこの謎の威圧感)

 

 目の前の少女に、威圧感などないはずだ。

 きらきらと太陽に輝く羽根飾りを付けた金色のポニーテール。子供らしく可愛らしくも、どこか美人の兆しを感じさせる少女の顔。その印象をさらに明るく魅せる活動的なナガレの衣装は、しかし×の字に裂かれて血がこびりついている。

 やはりどこからどう見ても、威圧感の欠片もないはずだ。

 だがしかし、その蒼き瞳には確かに宿っていた。おおよそこの場の誰もが理解できないような、得体の知れない情熱が――

 

「ここでクイズです」

「なんて??」

「第1問!」

「なんで!?」

「兄上は見ての通り僕を1度斬り倒しました。そしてそのとき、あの人はこう呟きました」

 

 ――手の震えは本物だった。だがあえて恐怖を飲み込み、それを利用してきたか。なるほど悪くない戦法だが……気力に実力が伴っていないな

 

「そう。これは知っての通り兄上がよく行う癖です。『戦闘後に自己分析を欠かさず、そしてつい口に出してしまう』これは兄上が幼き頃より続けてきた癖であり、兄上元来の生真面目さと勤勉さ。加えてちょっと天然な気質までもが盛り込まれた素晴らしい癖なことはもはや言うこともありません……が!」

 

 が! もなにも、『知っての通り』のあたりでブロードとレイズは顔を見合わせていたわけだが、そんなの知ったこっちゃない。

 

「味方にとっては愛すべきこの癖、ならば敵にとってはなんと呼ばれているでしょう!」

 

 ビシッと不躾に指を差されたブロードは、「えぇ……」と心底げんなりしながらも律義に答える。

 

「えっと……斬られる側からしたら……死神的な、予兆的な……」

「戦闘後ってことはばっさり斬られて死んだあとですよ。予兆もなにもなくないですか?」

「正論だけど釈然としない!」

「重要なのは斬られた敵が、戦闘後に、その分析を聴いていることです。そう、剣帝に斬られてもなおそれを聴いて、生き残っている。つまり……」

 

 ニルヴェアはそう言いながら――なぜか、脱いでいた。

 ×の字に斬られたベストを脱いで、そこら辺に放り捨てていた。そして脱いだその下には、ベストを貫通して×の字に斬られたシャツがあった。

 ニルヴェアはなぜか、その×の隙間に両手の指をかけて――

 

「正解は……せいっ!」

 

 掛け声と共に、シャツを真ん中から引き裂く! ビリィッ!

 

「「ウワーーーーーーーー!?」」

 

 男子ひとりと青年ひとりが、絹を裂くような悲鳴と共に目を覆った。

 

「なにしてんだ馬鹿!」「なにしてるの頭大丈夫!?」

 

 異口同音に文句を言われて、しかしニルヴェアはその一切を気にすることなく半裸のまま胸を張り、乳を揺らした。ちなみに下着(ブラ)も千切れていた。

 そして残ったアカツキ1人だけが、ニルヴェアの胸に平然と目を向けていた。

 

「ふむ、なるほど……」

 

 ヴァルフレアが×の字に放った二閃。その痕跡は出血跡として、柔らかな双丘から小さい臍のあたりまでくっきりとこびりついている。しかしニルヴェアが自分の親指につばを付けて血の跡を軽く拭いてみれば、血の下の傷はすでに塞がっており、治りかけのかさぶた程度にしか残っていなかった。

 

「おお。本当に傷が治っておるな」

 

 アカツキが感心した直後、ニルヴェアは血を拭いた親指でぐっと傷跡を指差して、はっきりと言い放つ。

 

「これは、(ほまれ)です」

「「は?」」

 

 男どもが(目を隠しながら)疑問の声を上げた。アカツキだけが「ほう!」と妙に感心していた。

 

「いいですか。そんじょそこらの雑魚相手なら自己分析するほどでもありません。つまりこの分析が入った時点でそれは分析に値する戦いをしたということになります。そしてこの分析を拝聴するには戦いに決着がついた上で生き残らなければいけない……もちろん死闘に生き残ってしまうことそれ自体が恥という考えもあるでしょう……しかし!」

 

 ニルヴェアは惜しげもなく半裸を見せびらかして断言する。

 

「誇りと命、共にあってこその武人。それが兄上のお考え! かつて兄上と斬り合い、分析を拝聴し、その上で生き残ったナガレの剣士を兄上は高く評価して自分の部下に誘ったという、そんなエピソードがありました。そしてそこから産まれたものこそが、『ヴァルフレア・ブレイゼルの自己分析を聴けることは武人としての誉である』という風評なんですよ!」

 

 ニルヴェアは照れくさそうに鼻をこすって、最後にこう締めくくる。

 

「つまりこれで僕も、ちょっとは一人前の武人に近づけた。ということになりますね、えへへ……」

「中々愉快な語りでござったが、とりあえず着替え直した方がよいな。下着も含めて」

 

 アカツキがそう言って替えのシャツとベスト、それにブラを渡すと、ニルヴェアは「ありがとうございます」と素直に受け取ってもぞもぞと着直した……やがて布擦れの音が消えたあたりで、ブロードが目を隠したまま尋ねる。

 

「ねぇ、服着た?」

「あ、はい」

 

 するとブロードは目を開けて、そして同じく目を開けたレイズに向かって言う。

 

「レイズ君、元男とか関係なくこの子だけは止めておいた方がいい。いつか絶対なんかやらかすから」

「もうだいぶやらかしてると思うけど、でもやばくないニアなんてニアじゃないしなぁ」

「拙者は良いと思うぞ。割れ鍋に綴じ蓋と言うではないか」

「まさかと思うけどみんな僕のこと馬鹿にしてる? いや違うそんなことはどうでもいいんだ。とにかくブロードさん、僕が言いたいことはですね……」

 

 その声にブロードが振り向いた直後、ニルヴェアが言う。

 

「兄上は確かに度し難い凶行に及んでいます、が……今言った通りあの人の癖は昔のままでした。それに詳しく話すと長くなりますが、その在り方や立ち振る舞いだって以前の兄上のままです。よって兄上は僕の知っている兄上に間違いありません!」

「分かった、分かった。君がヴァルフレアのことを滅茶苦茶に好きなのも、僕より詳しいのも十分に分かったから」

「それじゃあ!」

「だけど、それでもだ――もし凶行に及ぶ明確な理由が、彼の人格を清く正しい領主から狂気の王へと変えるに足る理由があるとしたら?」

「兄上が、変わる理由……?」

「……本当は越警の中でもかなりの機密事項だし、話すつもりもなかったんだけどね」

 

 ブロードは表情に影を落とし、重苦しい声音で告げる。

 

「それは7年も前のことだ。かつて起きたブレイゼルとダマスティの戦争……そして『鋼の都攻略戦』の真実を、九都市条約は隠蔽してるんだよ」

 

 

◇■◇

 

 

 ――鋼の都がすでに神威の手に堕ちていたこと。それをきっかけに越境警護隊が設立されるほどに『鋼の都攻略戦』が悲惨なものであったこと。そしてヴァルフレアがただ1人生き残ったダマスティ城こそ、その災禍の中心であったこと……全てを語り、ブロードは最後にこう付け加える。

 

「僕はこの戦争の当事者じゃないからあくまで伝聞なんだけど、戦争が終わった直後の城内はもう表現しようのないくらいに酷い有様だったんだって。ろくに死体の判別もつかず、最終的にはなにもかもを燃やした上に墓標を立てるしかなかったくらいだったって……だから、そんな災禍の中心にいた人間が正気を失い、仇であるはずの神威と手を組んででも世界を相手どろうとしても、それは決しておかしくないことじゃ……」

「逆、なのかもしれません」

 

 ニルヴェアがぽつりと言った。ブロードが、そしてレイズやアカツキまでもが目を丸くした。その中で、ニルヴェアだけが考察を深めていく。

 

「狂ったから凶行に走ったんじゃなくて、狂えなかったからこそっていうか……なぁレイズ。エグニダは自分のことを『二重スパイ』だって言っていたんだよな。兄上が最終的に神威を潰す、とも」

「おう。そんでそれを餌にして、俺を性懲りもなく勧誘してきたわけだな」

「……うん。やっぱり道理には合うと思うんです」

 

 ニルヴェアは立てていく。この場の誰にも見えていない、自分だけの道筋を。

 

「あの人は不器用だから、自分が背負うべきだと思ったらとことん背負ってしまう……のかも。神威への仇討ち。条約への反旗。たぶん他にも……いや、そこら辺は結局兄上にしか分からないんですけど。でも、もし”全部”を本気で成そうと決意したのなら、あの人はそれがどんな道であろうとも進むことしか選べないと思うんです。憎き神威を利用しようとも、誰を殺そうとも……」

 

 ニルヴェアはそこで面を上げた。すると他の3人はただ黙ってニルヴェアを見つめ、言葉の続きを待っていた。6つの瞳が見つめる中、ニルヴェアは臆さずに言う。

 

「だからこそ、兄上には付け入る隙があると思うんです。実際それが本当にあるのか、あったとして引き出せるのかはもう戦ってみないと分かりませんが……」

 

 そこでニルヴェアは1度、レイズへと目を向けた。レイズもまたニルヴェアを見つめ返して堂々と言い放つ。

 

「言ったろ、手伝ってやるって」

 

 ニルヴェアは力強く頷いた。

 

「僕の『光』とレイズの『炎』という2つの遺産。そこに僕らの経験やできることを全部つぎ込めば……勝算は、あります」

 

 

 ◇■◇

 

 

 ニルヴェアが”勝算”の全てを語り終えたあと、初めに口を開いたのはブロードであった。

 

「しょ……」

 

 その口はなにかを堪えるように震え、しかし堪えきれないようにまた震えて、やがて。

 

「勝算んん~~~~???」

 

 それはもう渋々に渋い声と顔色であった。しかしその隣では「あっはっはっはっ!」と実に愉快そうに大口を開けた侍が1人。

 

「確かに策と呼ぶにはアドリブに頼り過ぎだが、だからこそナガレらしくもあるか? おいレイズ、おぬしはどうなのだ。拙者の目から見てもだいぶ無茶ぶりされておると思うが?」

 

 名前を呼ばれた少年は、迷うことなく断言する。

 

「まかり通せたらきっと最高に気持ちいいぞ。命を懸ける価値なんてそれだけで十分だ」

 

 そんな、全くもってブレないナガレ師弟に。

 

「こ、これだから……これだからナガレってろくでもないんだよ……!」

 

 ブロードがその温和な顔をひくひくと引きつらせた。

 誰がどう見ても荒事に向いていない雰囲気。睨んでも凄味なんて出ない垂れ目。ゆえに少しでも威を出そうと(出せてないが)日々整えている鈍色のオールバック……そんな顔を上から下までめいいっぱい歪めて、ブロードは地面へと愚痴を垂れ流し始める。

 

「どいつもこいつも毎回毎回こんなんばっかだ、仮にも世界の危機かもしれないってのに自分のことしか考えないし、これでどいつもこいつも毎回どうにかしちゃうから余計たち悪いし、そもそもウチがもっとまともな組織で人員もあればわざわざ他所に頼まなくたって済むのに……」

 

 ぶくつさぶつくさ恨み言をBGMに、ナガレ2人+1人はこそこそと。

 

「噂には聞いてましたけど、やっぱり越境警護隊って労働環境悪いんですかね」

「あやつに関しては単独行動が多過ぎる気もするが、ろくな環境でないのは間違いなかろう。そもそも逐一現地のナガレひっ捕まえなきゃ人手足りないって組織としてどーなのだ色々」

「俺も実は越警勲章貰ったときにスカウトされたんだけどさ、まぁ秒で断るわな。絶対いやだぜ大陸なんか護るためにあちこち飛び回るなんて。やっぱ自分の人生なんだから自分のために生きなきゃな」

「こらーーーー君たちーーーー!! 僕だってねーー! 怒るときは怒るんだぞーーーー!?」

 

 ブロードが怒るときに怒ったので、3人は解散。しかしすぐにアカツキが口を開く。

 

「しかしなブロード。勝算の”中身”はともかく、”配置”についてはむしろ理にかなっておるだろう?」

「配置って……」

「この策で行く場合、必然的におぬしの配置案とは逆になる。つまり拙者がヴァルフレアと当たるはずなのをレイズとニア殿に譲り、代わりに拙者がエグニダを抑えるわけだな。確かにおぬしの懸念する通り、剣帝にたかだか齢15の少年少女をぶつけることは無謀にも思える。だがはっきり言ってな、拙者にはろくな策すらないのだ。所詮は刀を振ることしか知らぬ侍だぞ?」

「それは……そうだけど……」

「おぬしの信頼は嬉しいが、しかし噂に名高い剣帝とどこまで打ち合えるかは実際のところ未知数。良くて五分五分の賭けだ。それならば明確な策があり、剣帝を知り尽くしているニア殿たちに任せた方が可能性は高いかもしれぬ」

「むぅ……」

「それに、だ。レイズの最大火力である光の槍はかつてエグニダに防がれたと聞いた。ならばもうあやつを斬れるのは拙者しかあるまい。『三度目の正直』と言ったろう? 次は逃がさんよ……それに、拙者がエグニダをさっさと斬れば少年少女やおぬしの援護にだって回れるのだ。まぁまた人形遊びのような時間稼ぎを仕掛けてこないとは限らぬし、これも未知数ではあるがな」

「…………」

「とまぁ慣れぬ講釈を長々と語ってしまったわけだが、ブロード。おぬしとて本当はそこら辺も分かっておるのだろう? そうでなければ拙者の目が曇っていたということになるが」

「…………はぁ。分かった、分かってるよ」

 

 ブロードはしかめ面のまま、しかし両手をぶらりと上げた。それは降参の証であった。

 

「ほんっと、ナガレってろくでもない……けど、僕らはそのろくでもなさにいつも助けられてるんだ。越境勲章を持つレイズ君に。あるいは僕が知る中で一番かっこいいナガレのアカツキに。そして……」

 

 ブロードがしかめ面をふにゃりと緩めて、ニルヴェアへと向けた。

 

「ニルヴェア。君のそのむちゃくちゃ意固地なところにもきっと助けられるって、僕も信じることにしたよ」

「ブロードさん……もちろん、絶対に貫いてみせます!」

「あー、ごめん。そこまで気張らなくてもいいよ正直」

「はえ?」

「前にも言ったけど、なによりも大事なのは命だから。誇りのために命を懸けるのはいいけど、誇りと引き換えに命を捨てるのはよしてくれ。君たちがナガレだからって、何者でもなくたって、その命は君たちだけのものじゃないんだ。それを、忘れないでほしい」

 

 その言葉には、間違いなく真摯な想いが籠っていた。だから少年少女は顔を見合わせて……それからブロードの方を向いて、2人一緒に頷く。

 

「はい!」「ああ!」

「よしっ。それじゃあ話もまとまったことだし、最終決戦に向けて急いで準備しようか!」

「ですね。敵も待ってくれないし……と、レイズ。お前その火傷で動けるのか?」

「あ? 余裕余裕。アカツキの薬も効いてるし、あとは包帯巻いときゃそのうち治るだろ」

 

 そう言ったレイズの右肩から腕にかけては、すでに包帯がびっしりと巻かれている……のだが、しかしその右手だけはなぜか剥き出しになっていた。

 

「なぁ、手には巻かなくていいのか?」

「ま、どーせ燃えるしな……もう出し惜しみはなしだ」

 

 レイズはそう言ってから、火傷の跡が残る右手から炎をぼぅっと出して、それをすぐ握り潰した。

 それからレイズはすぐに着替え始めた。ニルヴェアの用意した予備のシャツを着て、その上からポケットがひとつもない予備のベストを羽織って、予備の腰ベルトを巻いて……と、そこまでしてふと気がついた。ニルヴェアが、彼女自身の手に持ったなにかをじっと見つめていることに。

 よく見てみればそれは彼女が常日頃からお守りにしている――そしてヴァルフレアから貰った――短剣であった。

 

「どーすんだよ、それ」

「ん? どうするって、そりゃ決まってるだろ」

 

 さりげなくも緻密な装飾が施された鞘。その中から少しだけ引き抜かれた刀身は、よく磨かれており美しい光を放っている。その光を瞳に刻んで、ニルヴェアは刀身を鞘に納めた。

 

「お守りなんだから、一緒に持っていくよ」

 

 裏切り者(ヴァルフレア)から貰った、なにも斬れない鈍ら。それでもニルヴェアは、ベストの内側にあるポケットへとそれを大事そうにしまって。

 

「出し惜しみはなしなんだろ? だったら、持っていける物はありったけ持っていくさ」

「いいな、それ。そんじゃ……ありったけ使いきるために、対剣帝の作戦会議といくか!」

「ああ!」

 

 少年少女が盛り上がり、最終決戦へと作戦を練り始めた。

 しかしその一方で。

 

「アカツキ、ちょっと」

 

 少し離れた位置からブロードがアカツキを呼びつけた。

 

「なんだブロード、拙者は今眼福だというのに……」

 

 なんて小言と共にアカツキはブロードのそばへと寄った。するとブロードは小さな声でぽつりと言う。

 

「実はさ、僕は君をエグニダと戦わせるのが怖かったんだ」

「なに……?」

「君は三度目の正直と言ったけど、二度あることは三度ある……エグニダは暁ノ一閃を二回受けて、そして生き残った。だからなんだと言われると困るけど、でも……」

「一度目は単なる脅しだ。二度目はやつが想定外の人外だった。だがもうその技量も能力も見切っておる。だから下手な心配はせんでよい」

「でもあいつは、根本的なところでは自分の技量にも能力にも頼ってないように見えるんだよ……これは越境警護隊としての単なる経験則でしかないけどさ、もしかしたらああいう手合いが一番恐ろしいのかもしれない……」

 

 ブロードがアカツキをじっと見つめる。少年少女への心配とも、ナガレの無法に対する気苦労とも違う目で。

 

「僕は君にも生きてて欲しい。だから呑まれるなよ、アカツキ」

 

 しかし対するアカツキは、いつも通りに不敵に笑った。その表情だけでも『心配無用だ』と語るように。

 

「むしろ呑まれてやれる理由がないさ。なにせ拙者には宵断流と、我らが両親と、そして姫様がついておるのだからな」



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4-5 突入と激突

 グラド大陸に生きる人類の技術を遥かに超越した旧文明の遺産。それを動力に青空を飛ぶ巨大な戦艦……の側面近くを、戦艦から見れば随分とちっぽけな、卵のような飛空艇が飛んでいた。ブロードいわく魔の大陸の技術を応用したという、これはこれで胡散臭い飛空艇の中から。

 

「戦艦ヴァルフレア、ねぇ……」

 

 後部座席に座っているレイズが、戦艦の側面を眺めて呟いた。彼の視線の先、側面の一部分には金属製のネームプレートが貼られており、そこに彫られている名こそが今しがたレイズが呟いたものであった。

 

「自分の名前を戦艦に付けるってなぁ、随分と自己主張が激しく見えるけど……」

 

 と、レイズの隣からすぐに返答が飛んでくる。

 

「確かに自己主張は強いけど、たぶん権威とか自慢とは別物じゃないかな」

 

 もちろん、ニルヴェアであった。

 

「まぁお前がそういうならいいけどよ……とにかく、追いついたはいいけど側面からこっそり乗り込むのは無理みてーだな」

 

 レイズが声をかけたのは前方の運転席。そこに座る運転手(ブロード)もレイズの言葉に同意する。

 

「だね。こうなったら真っ向から……真上の甲板から突っ込むことになるけど、覚悟はいい?」

 

 するとレイズが、そしてブロードの隣に座っているアカツキも頷く。

 

「元よりそのつもりでござるよ」「派手に乗り込んでやろうぜ!」

 

 しかしニルヴェアだけは……少し遅れて、軽く挙手をして。

 

「あの、ひとつ質問があるんですが……この出入口(ハッチ)って、飛びながらでも開けられたりします? や、もし敵が甲板にいたらこう、文字通り派手に乗り込めるかなーって……」

 

 

 ◇■◇

 

 

 戦艦の上部のおよそ半分近くを占めるだだっ広い甲板。そこには漆黒の鎧を纏った騎士がひとり、空を見上げて立っていた。

 

「……む?」

 

 やがて黒騎士エグニダは気がついた。戦艦の頭上を旋回しつつ甲板へと近づいてくる、卵型の飛空艇の存在に。

 

「あれは……もしや越警の飛空艇というやつか? ふん、三流記者め。大人しくしていれば助かった命を……」

 

 ふと、真っ黒な瞳が大きく開いた……エグニダの視界は捉えていたのだ。飛空艇の中から垣間見える、赤銅色と金色の髪を。

 

「馬鹿な。あの少年、暴走を抑えたのか……? それに人造偽人も。王に斬られたはずでは……?」

 

 しかしすぐにふっと笑みを作って気を取り直すと、鎧の腰に付けていた布袋からひとつの鉱石を取り出した。まるで宝石のような純黒に宿るは、遺産を律する奇跡の力。

 

「丁度良い。ここで少年の遺産を暴走させれば、今度こそあの飛空艇もろとも一網打尽というわけだ!」

 

 言っている間にも飛空艇は徐々にその高度を下げてきている。しかしエグニダは動じない。むしろ真っ向から迎え撃つように祈石を左手に掲げた。エグニダの意思を汲み取って、黒色の内から白い光が滲みでる――

 

「白騎士、いや黒騎士エグニダー!」

 

 突如聞こえたその声は、女のものであった。まだ上空だというのになぜか徐々に開いていく飛空艇の出入口。その向こうから聞こえてきていた。

 

「……なにをする気だ?」

 

 眉にしわを寄せたエグニダの視線の先で飛空艇のハッチが開ききった。すると姿を現したのは、2本の脚で堂々と立つ金髪蒼眼の――

 

「どっせぇぇぇぇい!」

 

 少女が突然、上空から飛び蹴りもとい飛び降り蹴りをぶっ放してきた。

 

「……阿呆か」

 

 ぐんぐん近づいてくる少女の靴底。しかしエグニダは冷静に対処する。祈石を持つ左手を引いて、代わりに右手を伸ばし、鎧に包まれた五指を開いた。

 それだけで、少女の蹴りはがつんっと止まった。手のひらを押しこむ蹴り足を、エグニダはそのまま五指でぐわしと掴んだ。

 

「お元気そうでなによりです、ニルヴェア様。しかしせっかく助かった命をこんな戯れに」

「――使える物はなんでも使うのがナガレの流儀」

 

 エグニダの眼前で、ニルヴェアが鋭く歯を剥いて笑った。

 

「僕の命も例外じゃないってね」

 

 ニルヴェアの手から、するりとなにかが放り投げられた――エグニダの左手。そこに掴まれている祈石へと向かって。

 それはぱっと見では、金属質の丸い球体のようであった。

 

(爆弾か? だがその程度のサイズで俺の手を吹き飛ばせると思ったか。それに祈石自体の強度も相当な……)

 

 と、球体の表面にいきなり光が走った。ぼわっと浮かび上がった幾何学模様のラインが、エグニダの脳裏に閃きを走らせる。

 

(琥珀の光!? あれは、まさか)

 

 エグニダの思考はそこで止まった。なぜならニルヴェアの放り投げた球体に、いきなり上空から飛来してきた紅い光弾が着弾したからだ――瞬間、光が瞬き爆発が生まれた。エグニダの左手を、祈石ごと呑み込んで。

 

「うおぉぉぉぉ!?」

 

 インパクト・ボム。

 レイズが秘密兵器として用意していた最後の1発が炎を風を、そして砕けた祈石の欠片をあちらこちらに撒き散らした。

 

「まさか、旅の目的を、自分から……っ!?」

 

 エグニダはそこでようやく気がついた。インパクト・ボムに釣られて右手による拘束を緩めていたことに。捕えていたはずの少女に、銃口を向けられていたことに。

 少女の声が、そして銃口が吠える。

 

「顔なんて出してるから!」

 

 パンパンパンッ! ハンドガンが3度音を鳴らし、豆鉄砲のような弾丸を飛ばした。当たってもちょっと火傷するだけ。それが鎧なら当たっていないのと同じであろう。だけど、当たり所が悪ければ?

 たとえば兜を着けていない素顔の騎士、その右目の中に入りこんだりでもしたら?

 

「うがぁっ!」

 

 エグニダが悲鳴を上げて右目を押さえた。それと同時にニルヴェアが跳び、甲板へと着地した。

 さらにその後ろでは飛空艇が甲板に降り立ち、すぐに中からレイズが飛びだしてくる。

 

「『そこをどけ』って言ったろ黒騎士! 行くぞニア!」

 

 そしてブロードもまた、レイズと共に。

 

「内部への扉を爆破する! そのまま一気に突入だ!」

 

 ブロードとレイズがエグニダの脇を通り抜け、さらにニルヴェアもそれについていく。生意気な捨て台詞を吐きながら。

 

「黒騎士なんてセンス悪い。白騎士の方がかっこよかったぞ!」

「ちぃっ! 貴様ら、逃がすか……!」

 

 エグニダはすぐに追いかけようとした。インパクト・ボムによりひしゃけて原型を失った左手をぶんと振りかざして、右手は背中に背負った大剣を握りしめる。しかし、

 

「少々付き合ってもらうぞ、人外の騎士よ」

 

 立ちはだかるはぼろ布纏った女侍。その姿勢は一刀の届く全てを両断する居合の構え。

 騎士は見えなくとも引かれた一線に思わず足を止められながら、それでも毎度のごとく大胆不敵な笑みを見せる。

 

「全くもって都合がいい。俺もお前と遊びたかったところだ!」

 

 対峙する騎士と侍。試合を告げる合図を鳴らすかのように、甲板の奥から大きな爆破音が響いた。

 

 

 ◇■◇

 

 

 ブロードの爆弾で扉を吹き飛ばして階段を少し降りれば、あとは1本道が続くばかりであった。先が見えないほどに長いその通路を観察しながらブロードが言う。

 

「空を飛んでるからインパクトこそあるけど、普通の戦艦としてみれば小規模な方かな。シンプルに考えれば奥の方に指令室的なものがあるはずだ」

「これは直感ですけど、こういうとき兄上は1番奥で待ち構えていると思います」

「だったら突っ切るしかねーな。ブロードさんもそれでいいか?」

「こうなったら直感でもなんでも信じさせてもらうよ。だからさ……」

 

 がしゃんっ!

 突如地面を鳴らして3人の前に現れたのは、またもや機械兵であった。どうやら天井に張り付いていて、侵入者に反応する形で現れたらしい、が。

 

「殴る蹴るは、あまり趣味じゃないんだけどねっ!」

 

 機械兵の顔面にはすかさず蹴りが撃ち込まれ、鋼鉄の体が音を立てて通路を転がっていく。

 綺麗なハイキックを撃ち込んた直後、その姿勢のままでブロードが叫ぶ。

 

「僕はこのまま船内の雑魚を片付ける、だから2人とも!」

「了解!」「サンキュー!」

 

 よたよたと起き上がろうとする機械兵。その横を少年少女はあっという間に通り過ぎて、一気に通路を駆け抜けていく。だがそれに反応するように、次々と機械兵が通路に落ちてきて。

 

「せいっ!」「どけっ!」

 

 ニルヴェアの蹴りが、レイズの光弾が、次々と機械兵をなぎ倒していった。だが騒動は騒動を、敵は新たな敵を呼び寄せるものだ。通路の側面にいくつもある扉が開いて、今度は人間が次々と姿を現した。ある者は騎士のような鎧姿と剣を持ち、ある者は黒ずくめの装束に琥珀銃を構えて。

 

「なにがあった!?」「侵入者だと! こんな上空で!?」

 

 1本道にぞろぞろと現れた騎士と神威の混成軍らしき面々は、床に転がった機械兵を見て、次に奥へと走っていく少年少女を見て、すぐさま彼らを追いかけようとするが……その背後から、巨大なレンチが飛んできた。越警印の試作武装ことワイヤーアームは騎士の1人に喰らいつくと、その鎧にバチバチと激しく電流を流し込んだ。

 

「おぎゃっ!」

 

 痛々しい悲鳴&どさりと人が倒れた音=その場の全員の視線がブロードの方へと大集中。

 ブロードはすっかり注目の的となりながらも、あえて目立つよう大振りな動作でワイヤーアームを引き戻し、堂々と恰好をつけようとする。

 

「悪いけどそっちは通行禁止だ。通りたくばこの僕を――」

「エグニダ様が甲板で戦っているようだぞ!」

「なにっ、我々はそちらの援護に向かうぞ!」

 

 ブロードの背後から、つまり甲板側からもなんか色々聞こえてきた。

 

「ああもう、前も後ろもぞろぞろと!」

 

 ブロードは素早く手持ちのポーチを漁ると、先ほど扉をぶっ飛ばしたときにも使用した爆弾を2個ほど適当に取り出して放り投げた。今にも甲板へ向かおうとする兵士たちの道を塞ぐように……そしてそのまま愛用の変弾銃(マルチプルガン)を、連射弾(マシンガン)モードで構えてぶっ放す。狙うは兵士、ではなく放り投げた爆弾へ。

 

「インパクト・ボムほどの威力はないけどね!」

 

 連射連射連射! 無数の弾丸が爆弾を叩いた。本来は無線でスイッチを入れるのだが、今回は熱と衝撃で強引に――爆破!

 瞬間、通路に壁を作るように炎が膨れ上がり、兵士たちを堰き止めあるいは薙ぎ払った。さらに爆風が狭い通路を激しく叩き「こっち来るな……ぎゃっ!」通路内の兵士が転んで、絡み合い、混乱が広がっていく。

 それでも優男1人だけはしっかりと踏ん張っていた。鈍色のオールバックも決して崩れることはない。

 

「悪いけど、そっちも通行禁止なんだ」

 

 

 ◇■◇

 

 

 最奥の扉は、まるで少年少女の到着を出迎えるかのように勝手に開いた。

 天井から降ってきた機械兵と同じようになんらかの方法で人間を感知したのか、それとも別の技術なのかは少年少女には見当もつかないが、しかし今更それをつける必要もないだろう。

 なぜならば最奥の部屋に入り込んだ2人を出迎えたのは、他でもない剣帝ヴァルフレア・ブレイゼルなのだから。

 ヴァルフレアが立つその室内は、ただシンプルに広々とした空間であった。小さな操作盤らしき設備こそヴァルフレアの背に置いてあるものの、他に特筆すべきものはなく、あとは青空を一望できる広々とした天窓がヴァルフレアの背後の壁を中心に広がっているばかり。

 ヴァルフレアが、口を開く。

 

「やはりと言うべきか、まさかと言うべきか……」

 

 その言葉と共に、レイズとニルヴェアの背後でぱしゅんっ、と扉が勝手に閉まる音がした。しかし2人はそちらには見向きもせず、ヴァルフレアへと視線を集中させる。

 

「はっ。マジで馬鹿正直に待ち構えてるたあな」

「兄上……」

「生きていたか、旅客民のレイズ。それに……」

 

 剣のように鋭い瞳が、無感情にニルヴェアを刺し貫いた。

 

人造偽人(レプリシア)

 

 しかし蒼の瞳もまた1歩も引かない。

 

「おかげさまで元気いっぱいですよ。それよりも兄上、ひとつお聞きします」

 

 むしろ1歩踏み込んでから問いかける。

 

「父を殺し、屋敷を襲い、僕から人造偽人の力を奪い取って……それでなにを為さるおつもりなのですか!」

 

 レイズはこっそりツッコミを入れる。

 

「いや直球で聞くなお前」

「この大陸を統べ、唯一無二の王となる」

「いや答えんのかよ……」

 

 レイズはこっそりツッコミを入れた。

 

「兄上はこういうお方だ」

「お前はなんでちょっとドヤ顔してんだよ」

 

 レイズは律義にツッコミきってから、ヴァルフレアへと向き直る。

 

「王になるってどーいうこった。この大陸じゃもう”国”って概念すらねーだろ。少なくとも、条約に属してる領においてはな」

「ならば簡単な話だ。条約そのものを破壊すればいい」

「随分とご大層な目標だ。じゃあこの戦艦は大陸を統べるための力ってか?」

「そういうことだ。どうやら途中で抽出を阻止されたがゆえに想定の8割程度の出力となったようだが、それでも計画に支障はない。俺はこの戦艦の力を持って――今から首都ひとつを消し飛ばしに行く。この戦艦の主砲には、それが行えるだけの威力がある」

「――っ!?」

 

 ヴァルフレアの言葉ひとつが、レイズの背筋に悪寒を走らせた。

 

(マジでそんなことやろうってのか、こいつは)

 

 ナガレの直感が理屈を超えて、レイズになにかを訴えかけてくる。謎の焦燥に急かされて、レイズはつい問いかけてしまう。

 

「アンタなに言ってんだ。都市ひとつって……」

 

 いつか、黒騎士が語っていた。

 

 ――数千、いや数万を越える大陸最大の災厄と化す!

 

「マジで災厄を起こそうってのか! そんなことしたら王になるどころか大悪党――」

「目標は『アズラム領』が首都、『波の都アズラム』」

「っ!」

 

 ヴァルフレアは有無も言わさず、淡々と語っていく。

 

「グラド大陸最大の港湾都市。海上、河川といった水上における運輸の要にして、大陸有数の観光地としても知られている」

 

 まるで辞書の内容でも読み上げるように、己の計画をすらすらと述べていく。

 

「波の都上空に到達後、避難勧告。3時間の猶予をもって、残存者の有無を問わず波の都を消滅させる――これは報復だ。我が父、ゼルネイア・ブレイゼルを……そして我が弟、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルを殺した波の都への、な」

 

 レイズは一瞬、その言葉の意図を理解できなかった……しかしすぐその真意に気づく。

 

「まさか、全部の濡れ衣を押し付けようっていうのか」

「”証拠”は都ごと消し飛んでいる。ならば大陸中に蔓延る神威のネットワークを使えば裏工作など容易い。そうして罪を明らかにすることに重ねて、父と弟の死を使いブレイゼル領の世論を先導させ、領一丸となって条約に、大陸全土に反旗を翻す」

「馬鹿か、アンタは馬鹿だ」

 

 そう言ったレイズの声は、しかし震えていた。

 

「それにすげー大雑把だ。マジでそんな計画が通るとでも……」

「まかり通す」

 

 ヴァルフレアの断言が、レイズの疑問を断ち切った。

 

「元より我が領は国である時代から剣を、ひいては武を貴んできた。その武を縛る条約に不満を持つ貴族や騎士たちは数多く存在し、そして彼らとはすでに密命を結んでいる。あるいは、領外のそれともな。ゆえに領の民全てが覆らなくとも構わない。最低限でも密命を結んでいる戦力と、神威と、俺自身と、なによりこの戦艦の力があれば大陸の制圧を成せる算段だ」

「……本気で、本気で全部に喧嘩を売るつもりなのかよ、アンタは」

 

 レイズの頬につぅ……と一筋の冷や汗が流れる。雫に頬を撫でられて、レイズはようやく気がついた。いつのまにか自らの息が詰まっていたことに。

 

(会話ひとつで気圧されてんの、か? はっ、らしくねぇな……)

 

 すぅ、はぁ、と一度息を吸って、吐いて、平静を取り戻し――ガラララララララ! けたたましい音と共に、視界が一瞬で暗闇に落ちた。

 

「!?」

 

 意識が落ちた、わけではない。手は動く。足も動く。と、いきなり天井の明かりがバッと点いて視界が眩しく点滅した。

 

「っ!」

 

 レイズは急いで瞬きを数回、視界の調子を取り戻す。するとようやく目の前の光景がはっきりと見えてきた。

 

「知ったからには……というわけではないが」

 

 ヴァルフレアは押していた。背後の壁から出っ張っている小さな操作盤。そこの表面に有るガラスで覆われたスイッチを、ガラスごと叩いて押していた。

 そして間違いなくそのスイッチのせいだろう。先ほどまで青空を映していた天窓も、そして背後の自動扉も、全てが鉄製のシャッターに覆われていた。

 

「お前たちを逃がす気はない」

「だろうな……」

「俺も逃げる気はない」

「!?」

「言うなれば闘技場(コロシアム)。ここは俺が侵入者を迎え入れ、殺すためだけに存在する場所だ」

 

 濃い鼠色。剣の鋼にも似た色。鈍色の瞳が、レイズをぎらりと睨みつけた。その途端、レイズの全身にぶわりと激しい怖気が走った。

 

(冗談じゃ、ねぇ!)

 

 レイズは怖気を振り払うように、あえてニヒルな笑みを形作って生意気な態度を見せる。

 

「はっ、なんだよ。こんな戦艦の最奥なんだし指令室みたいな場所じゃねーのここって? いいのかよ、そんな遠慮なく戦って。ほんとに壊しちまうぞ?」

「構わない。ここに航行を司る機能は一切ないからな。無論、罠も存在しない」

「はぁ? ここはアンタの本拠地だろ。一体なにを……」

「ずっと考えていたんだ。数多の死線を潜り抜け、この戦艦まで追いつき、俺の目の前に立ちはだかる。そんな敵がもし存在したのなら……それを真っ向から断ち切らねば、きっと俺に王になる資格はないのだと」

 

 鈍色の瞳は、レイズをじっと見つめている。

 

(なんだ、これは)

 

 レイズは違和感を感じた……違う、本当はずっと感じていた。ヴァルフレアと対面したその瞬間から。

 

(息が苦しい)

 

 そんな気がする。

 

(全身が重い)

 

 そんな気がする。

 

(まるで風邪でも引いたみてーな……)

 

 それは、熱に浮かされたような倦怠感にも似ていた。

 

(まさか……そこまで剣帝の野望とやらに気圧されてるのか? 馬鹿言えよ。条約とか王になるとかなんて、俺には知ったこっちゃない。いずれにせよこいつをぶっ倒せばそれで終わりなんだ。しかもなんだ、この部屋には罠がないだって? そんなの好都合じゃねーか。そうだ、元々逃げるつもりもなかったんだ。べつになにも変わらない、のになんだ……)

 

 レイズが違和感の正体を探り続ける最中、今度はヴァルフレアから問いが飛んでくる。

 

「質問はもう終わりか? それとももう問答は飽きたか……お互いに」

 

 その瞬間、レイズは感じる。全身がまた一段と重くなるのを。

 

(また、だ。こいつ、なにを――)

 

 しかし不意に耳に届く。凛とした少女の声が。

 

「――どうでもいい」

 

 それだけで、レイズの全身から倦怠感がかき消えた。

 

「ニア……」

 

 レイズの相棒には、そもそも倦怠感など微塵もなかった。彼女は四肢に力を漲らせて、ヴァルフレアを強く睨みつけていた。

 

「貴方がなにを企んでいようと、僕らのやるべきことは変わらない」

「質問したのはお前だろう、人造偽人」

「あれは義理です。事件に巻き込まれた屋敷のみんなと殺されたアイーナに、僕はその全てを明らかにすると誓った。だけど……それだけだ」

 

 敵は大陸最強の剣士。ここは逃げ場のない闘技場。だとしても、ニルヴェアは前に踏み込み拳を掲げる。

 

「僕が僕としてやるべきことは、なにがあろうとも変わらない!」

 

 全てを貫きまかり通す、ただそのためだけに。

 

「ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルの名に懸けて、剣帝ヴァルフレア・ブレイゼル! 貴方を一発、ぶん殴る!!」

 

 その宣言に呼応して、レイズが獰猛な笑みを見せる。

 

「……ふはっ!」

 

 少年の顔には、完全に活力が戻っていた。

 しかしヴァルフレアだけはただ無言で、なにも変わらない無表情で……己が武器に手をかける。二対の鞘型の琥珀武器。そこに収まった二対の双剣の柄に。

 

「あまりにも中途半端だ」

 

 二対の剣が鞘から抜かれ、刀身を露わにする。天井の光をぎらりと返し、薄く鋭い刃が姿を現した。

 

「『殺す』の一言すら言えない者に、ここへ来る資格はない」

 

 ヴァルフレアは双剣をその場で一度振った。空を断ち斬る音がぶんと、脅すように一鳴りしたが、しかしニルヴェアは動じない。

 

「資格なんて知ったことか」

 

 その断言にレイズも続く。

 

「アンタ、話聞いてなかったのかよ」

 

 ヴァルフレアはすでに戦闘態勢へと移行していた。抜き放った双剣を浅く握り、両腕をだらりと垂らして、静かな1歩を踏み出した。

 しかしレイズもまた両の手に炎を纏い、その両手を突き出しながら吠え猛る。

 

「俺の相棒は『ぶん殴る』って言ったんだ!」

 

 紅き炎が迸り、開戦の合図を告げた。



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4-6 無情の刃と復讐者

 1歩、2歩、3歩、そして急加速。ヴァルフレアが尋常ならざる速度で斬りこんできたが、しかしそれを堰き止めたのはレイズが生み出した炎の壁であった。

 

「ただ炎を放つだけではないか。応用が効く力だ」

 

 ヴァルフレアが足を止めたその眼前で、炎の壁はすぐに散っていく。火の子が空気に溶け、壁の向こうから――少年のいたずらな笑みが垣間見える。

 

「行くぜ、剣帝」

 

 その直後、炎と入れ替わる形で灰色の煙がヴァルフレアの眼前で膨れ上がった。

 

「煙玉……」

 

 ヴァルフレアは煙から逃れるために後ろへ跳んだ……と、いきなり煙を突っ切ってなにかが飛んできた。ヴァルフレアの左右をいくつも通り過ぎていくそれの正体を、彼の眼はすでに見切っていた。

 捉えたのは、琥珀色の小さなエネルギー弾であった。

 

「……やつのハンドガンか」

 

 ヴァルフレアの脳裏に過ぎったのは、遺跡で自身と対峙したニルヴェアが構えていた小さな銃。また、それがここしばらくで出回っている試作武器であることもヴァルフレアは知っていた――それが女子供の護身用であることも、精度や威力に難があることも。

 

「あの距離に加えて煙玉越しの射撃……ハナから囮か」

 

 当たらぬ射撃に付き合う気はない。ゆえにヴァルフレアは弾丸を無視して視線を動かしていく。右へ、左へ。

 

(どこだ、レイズ)

 

 それともあえての正面突破か――と、不意に気配を感じたのは。

 

「上か」

 

 瞬間、彼が頭上へ向けて跳ね上げたのは左の一刀。そして断ち切ったのは紅の光弾。本来なら着弾後に爆発するはずの光弾は、その中心から真っ二つに斬られてそのまま大気へと霧散した。

 だがヴァルフレアはそれを気にも留めず即座に背後へと翻った。すると、目が合った。すでに背後に着地していた紅き炎の少年と。

 

「その心臓、貰うぜ」

 

 紅槍を展開した琥珀銃を右手に構え、低姿勢から体を跳ね上げ突撃してくる。宣言通りヴァルフレアの心臓を狙うその一撃に対し、しかしヴァルフレアはその槍と平行になるよう体を回した。体の向きを変える、その最小限の動きだけで刺突を紙一重で躱し、

 

「貰うのはこちらだ」

 

 レイズの伸び切った胴体に斬りかかる。だがその瞬間、レイズは”予め準備していた”左手をヴァルフレアへと突き出した。開かれた手のひらには、すでに光が灯っている。

 

「アンタとまともに斬り合うわけねーだろ!」

 

 光が爆破となったその瞬間、「む……!」ヴァルフレアはすでに後退していた。続いて彼の視界にぐわっと炎が拡がった。

 

(ここまで遺産を制御下に置き、戦闘に織り込むか……想定内ではあるが、だとしてもやはり厄介……)

 

 奇襲に次ぐ奇襲。炎に次ぐ炎。その全てを退けてもなお、ヴァルフレアは警戒を緩めず眼前の炎へと集中する。

 

(気配がある。炎の向こうから殺気が近づいてくる)

 

 炎が散り、気配の正体が露わになる。

 

(次はどう来る、レイズ……)

 

 紅蓮の世界をこじ開けて――1本に束ねられた金色の髪が、熱風の中で踊っていた。

 

「兄上っ!」

 

 炎の向こうから突っ込んできた気配。その正体はニルヴェアだった。彼女はなぜか空の両手を前方へと突きだしていた。

 

(無謀な!)

 

 ヴァルフレアは反射的にそう断じて、刃を振りかざそうとする、が。

 

「っ!」

 

 一瞬の判断――結果的に突き出したのは、脚であった。

 ヴァルフレアはそのまま”壁”を蹴り、その反動で後方へと跳躍。とん、と軽く地面を鳴らして着地して、面を上げればそこには在る。

 

「……『絶対防御』か」

 

 ピンと突きだされた両腕。手のひらから展開されている蒼い光の盾。展開しているのはニルヴェアであった。

 そしてその隣に寄り添うように、炎の遣い手たる少年が立った。

 

(二重の遺産による連携(コンビネーション)。これが、こいつらの……)

 

 ヴァルフレアは立ち止まった。彼は立ち塞がる光の盾――いわく『絶対防御』へとその目を向けると、自らの記憶を引っ張り出してそれを語る。

 

「人造偽人が本来持つ力のひとつ。絶対防御とは即ち超高密度のエネルギー障壁であり、その強度は歴代の剣帝であろうと断ち切れなかったと聞く……」

「絶対防御ね……なんだ、知ってたのかよ」

「まさか発現できるとは思わなかったがな」

「貴方がむりやり引き出してくれたおかげでコツを掴めたんですよ。蹴り飛ばしたのは斬れないって分かっていたからですか?」

「……」

 

 ニルヴェアの挑発にヴァルフレアは答えなかった。

 その代わりに彼は抜き身の双剣を鞘に――鞘型の琥珀武器に収めた。そしてそのまま右手の柄の”トリガー”を引きながら剣を持ち上げる……すると、その細みの剣には不釣り合いなほどぶ厚い鞘が、剣を納めたままホルスターから引き抜かれた。

 

「断ち切れないものを断ち切れないままで、剣帝は名乗れん」

 

 ヴァルフレアが鞘ごと掲げてみせた一刀。

 それを見てレイズが思い出したのは、決戦前の作戦会議の一幕であった。

 

(あんときニアが言ってたな。光の斬撃……)

 

 ――兄上の剣は、その柄に付いているトリガーを引くことで鞘型の琥珀武器と連結する仕組みになっているんだ。そして……

 

(トリガーを引くと同時に起動を開始して、鞘から熱線(レーザー)をぶっ放すんだってな!)

 

 レイズはすぐにニルヴェアの背後へと下がった。それとほぼ同時にヴァルフレアは鞘付きの一刀を左へと振りかぶる。すでに鞘の先端には琥珀色の光が収束していて、

 

「遺産の力……測らせてもらうぞ!」

 

 剣の帝王が、光の斬撃を解き放った。

 軌道は横薙ぎ。射程は部屋全体。琥珀色の熱線は容赦なく部屋の壁を抉り、融解させながらも止まることなくニルヴェアたちへと襲いかかってくる。

 しかしレイズは、そして彼の前に立つニルヴェアは逃げなかった。彼女はその両手に『絶対防御』を展開したまま足腰に力を込めて踏ん張り、そして祈る。

 

(レイズの槍だって効かなかったんだ。止められる、止められる、止められる――)

 

 轟! ニルヴェアの眼前、蒼い光の向こう側が琥珀色に染め上げられ、バチバチとエネルギーの弾ける音が耳をつんさく。

 しかし、衝撃は思いの他感じなかった。やがて光の衝突も静かに収まっていった……ニルヴェアが立っている背後以外の壁は抉られ、あるいは高熱で溶けて煙を発していた。それでもニルヴェアは、そしてレイズも無事であった。

 

「と、止められた……」

 

 ニルヴェアはほんの一瞬気を緩めかけて「来るぞ!」レイズの声に背中を押されて前を向いた。

 すると空になり鞘から排出された琥珀――を置き去りに、ヴァルフレアが突撃してきていた。いつの間に抜剣したのか、その両手に再び抜き身の双剣を握りしめて。

 透き通る光盾の向こう。天井の光に煌めく二刀が、ニルヴェアの視線を釘付けにする。

 

(ひとつひとつのアクションがめちゃくちゃ速い……聞いたことがある。鞘そのものを琥珀武器とする都合上、高速の抜刀&納刀技術を会得しているって。これが、本物の剣帝の――)

 

 ほんの一瞬見惚れかけて、しかしすぐに「のぞむところだ!」絶対防御を張ったまま待ち構えた。

 するとヴァルフレアは、今度は絶対防御に対して真っ向から二刀を同時に振り下ろし――ガガガガガガッ!

 

「っ――!」

 

 ニルヴェアの腕から肩へそして足腰へと、強烈な振動が襲いかかった。ニルヴェアは見切れなかったがその瞬間、一刀に付き五閃。合わせて十閃もの斬撃が盾を斬りつけていた。

 しかし、それでも絶対防御は傷つかない。ニルヴェア自身は斬撃に押されて後ずさったが、しかしそれだけであった。

 

「なるほど」

 

 なにかを納得したかのようにそう呟いたヴァルフレア――の左から、レイズがいきなり光の槍で奇襲を仕掛ける。

 狙いは再び心臓一点、と見せかけて、レイズは右手に握る銃から光の槍を消し去った。そして代わりに左手を突き出し、爆破!

 

「またその手の合わせ技か」

 

 ヴァルフレアもまた、先ほどの焼き直しのように見切り、躱し、下がって、そして気づいた。

 己が体を喰らおうと追いかけてくる、爆破の連鎖に。

 

「なにっ……!?」

 

 まるで数珠でも繋ぐように、炎の中から新たな炎が二度三度と膨れ上がり、ヴァルフレアへと向かって爆ぜていく。普通の炎では有り得ないその挙動はヴァルフレアを捕らえることこそ叶わなかったが、しかし彼と少年少女との距離を否応なしに引きはがした。

 

「やはり、エグニダの報告よりも火力が上がっている……?」

 

 大気へ溶けゆく炎の向こうで、レイズがその質問に答える。

 

「俺もおかげさまでコツを掴めてきたぜ。たまには暴走すんのも悪くないな」

(まさか成長しているのか、この戦いの中で……!)

 

 堂々と立ちはだかるレイズへと、ヴァルフレアは警戒をより深く強めた。

 そしてその一方で、レイズの背中を見つめるニルヴェアもまた、ひとつの確信を深めていく。

 

(押している。僕らが兄上を押している!)

 

 琥珀武器による熱線。双剣による斬撃。そのどちらにも光の盾――絶対防御は破れない。

 そしてレイズの炎もまた、ヴァルフレアの接近を許していない。

 

(僕らの力は兄上にも通用する)

 

 そこに加えて、ニルヴェアの目は捉える。

 

「光と炎、二重の遺産は伊達ではないか……」

 

 ヴァルフレアの表情にわずかだが、しかし確かな陰りができたのを。動揺は隙間だ。隙間はこじ開けるものだ。

 

(ここだ。あの人が僕らの力に慣れる前に、もうひと押し!)

 

 ニルヴェアは絶対防御を構えたまま、大声で叫ぶ。

 

「この程度かよ、剣帝ヴァルフレア・ブレイゼル!」

「…………」

 

 ヴァルフレアはなにも応えなかった。それどころかその目をニルヴェアからそらし……というより興味ないと言うように視線を外して、自らの腰に付けているいくつかのホルスターのひとつへと手をかけた。そこに収まっていたのは、新品の琥珀であった。

 しかしニルヴェアはニルヴェアで、そんなヴァルフレアに構わず叫び続ける。

 

「そうだ。貴方は僕に応えない。それどころか遺跡で再開してから僕の名前すらろくに呼んでいない!」

 

 ヴァルフレアはホルスターから琥珀を取り出して、先ほど撃ち切った鞘型の琥珀武器へとゆっくり嵌めこみ、リロードを行っていく。ニルヴェアの訴えをBGMにして。

 

「貴方は執拗に僕のことを兵器扱いし続ける。まるで自分が非道だって、僕のことなんて最初からどうでも良かったっていうように! でもそれは『剣帝』のやり方じゃないだろ! 断ち切れないものを断ち切れないままで剣帝は名乗れないっていうんなら、目をそらすな!」

 

 ――お前がお前で在り続ける限り、お前は俺の弟だ

 

「僕を、貴方の弟を、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルを殺すって、それくらい言ってみろよ!!」

 

 ……そして、ニルヴェアは見た。レイズも見た。

 ヴァルフレア・ブレイゼルの双眸が、今度は明確に見開かれた瞬間を。その焦点がはっきりと、ニルヴェアただひとりへと合わせられたのを。

 

「そうか。そうかもしれないな……」

 

 ヴァルフレアが再び、ゆっくりと双剣を掲げた……剣は2本とも、鞘に収まったままであった。そして彼はその鞘の先端を2本とも、ニルヴェアへとまっすぐに向けた。

 

「来る……!」

 

 ニルヴェアが歯を喰いしばり、絶対防御を掲げた。

 そしてレイズはその後ろで、この一瞬だけ呼吸を殺し、思い返す。

 

 ――兄上は兄上のままで、だからこそあの立ち振る舞いには矛盾を感じる。だからまずはそこを突いてみようと思うんだ。

 

 ――ってーことはアレか? 精神を動揺させてその隙を突くってやつか?

 

 ――いや。正直ちょっと痛いところ突かれたくらいで兄上が動揺したり動きが鈍るとか、そういうのはないと思う。だけど……僕に集中してくれるかもしれない。お前のことが一瞬でも視界から外れるかもしれない。そうしたらレイズ、お前は……

 

(こっからこじ開けるのは、俺の仕事だ!)

 

 二対の鞘の先端に光が収束していく。しかしそれに先んじて、レイズが光の槍を展開した。

 

(さすがに鞘を持ち上げた状態から、剣を抜くことはできないだろ)

 

 レイズはニルヴェアの背後から飛びだして、その斜線から外れるように回りこんでいく。

 

(トリガーを引き、鞘と連結した時点でチャージは始まっているんだ。あの熱線の反動も考慮すりゃあ、おそらく姿勢だって下手には動かせない……)

 

 光槍を構え、ヴァルフレアへと狙いを定めて、一直線に飛びこもうとする。

 

(2本とも構えたのが仇になったな――ちょっと待て。2本?)

 

 なにかが引っかかり、その足を止めた――その一瞬。ほんの一瞬、ヴァルフレアの双眸がレイズを捉えた。

 

「――――!」

 

 レイズの脳裏を怖気と閃きが同時に貫いた。そうだ、悪寒の正体は!

 

「ニアッ、逃げろーーーー!」

「え?」

 

 突然の叫びにニルヴェアが呆けた表情をレイズへと見せて――その表情も、光の中にかき消える。

 世界が、爆発した。

 どこか爆心地かも分からない。部屋全体を覆うような光と、音と、爆風と。それら全てが収まったあと……どさり。軽い音がひとつ、鳴った。

 やがて部屋中を覆う煙が少しずつ晴れていく……その中から、レイズが五体満足の姿を見せた。

 

「くそっ……!」

 

 なんとか爆発の範囲から逃れたレイズは、急いで周りを見回した。すると消えゆく煙の間に、荒れ果てた地面の上に、探し人の姿を見つけた。

 

「ニアッ……!」

 

 ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルが、壁のすぐそばで倒れ伏していた。うつ伏せで倒れているあたり、背中から壁にぶつかったであろうことは想像に難くない――

 

「この二対の琥珀武器は、微妙にその性質をずらしてある」

「っ!」

 

 声を発したのはレイズではない。もちろんニルヴェアでもない。もっと凛々しく、気高く、落ち着いた青年の声だった。

 

「やってくれたな、てめぇ……!」

 

 レイズが憎々しげな視線を向けたその先に、ヴァルフレア・ブレイゼルは立っていた。二対の鞘をホルスターへと戻しながら。

 

「特定の2種の琥珀エネルギーをぶつけることで、それらが反応し合って爆発と化す現象……インパクト・ボム。琥珀に近しい力を宿すお前なら、知らぬものでもないだろう」

「ああ、まったくだ……」

 

 レイズはその幼い顔に強気な表情を保ちながらも、しかしその内心では冷や汗をかいていた。

 

(まずったな……)

 

 確かに絶対防御には斬撃も熱線も効かない。しかしその防御は絶対であって絶対ではない。その隙間を突かれたのだ。

 

 ――物理的衝撃のない熱線はともかく、今のような斬撃では盾こそ破れずとも体勢を崩される可能性はある

 

 ヴァルフレアの狙いは絶対防御ではなく、それを扱う本人のノックダウンであった。いかに堅牢な盾であろうとも衝撃は防げない。小さな体の軽さだって誤魔化せない。すでに、なにもかもが見切られていた。

 

(完全に上をいかれた。くそっ、琥珀武器が2つあるならインパクト・ボムを使う可能性も思いつけたはずなのに……いや、そこまで計算済みか!)

 

 室内なら爆発系の攻撃など使用しないはずだ。あれだけの出力の熱線なら1本ずつしか使用しないはずだ。双剣使いで2対とも同じデザインなら、その中身だって同じなはずだ……

 

(そういう思いこみを利用された。そんでもって、ニアがあっさりぶっ飛ばされたってことは、あいつもこれは知らなかったはずだ……)

 

 レイズの思念を読み取るように、ヴァルフレアが言葉を放つ。

 

「よもやカタログスペックが全てだと思っていたのか?」

「っ――――!?」

「条約に、大陸全土に反旗を翻そうというのだ。公開していない切札のひとつやふたつ持っていない方がおかしいというもの。そもそも、俺はすでに『なにもかもは空虚な嘘だ』と言ったはずだがな……」

 

 ヴァルフレアは二対の鞘から、今度は剣だけを引き抜いた。

 

「とはいえたしかに、俺の無意識下には甘えがあったのかもしれない。だがそれもまた単なる障害。いずれにせよ断ち切るだけだ……」

 

 ヴァルフレアは倒れて動かないニルヴェアへと視線を向け、そして断言する。

 

「俺の弟。ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル。俺は、お前を、殺す」

 

 言葉と共に、剣帝が踏み込んだ。その剣が狙うは倒れ伏した弟の、

 

「させるかよっ!」

 

 すかさずレイズが琥珀銃で応戦。光弾を放ったが、やはりあっさりと斬り捨てられた。

 

「ちっ、エネルギー弾をぶった切るってどーなってんだよ」

 

 レイズは舌打ちしながらも、琥珀銃を携えてニルヴェアの前に立ち塞がった。そして迫りくるヴァルフレアへと一喝。

 

「おい、剣帝!」

 

 するとヴァルフレアの足はすぐに止まった。それを見てレイズは考える。

 

(やっぱり。なんでか知んねーけど、こっちが喋りゃ応じてくれるわけだ)

 

 レイズは背後のニルヴェアへと意識だけを向けて語りかける。

 

(俺は俺の役割を貫くぞ。だからニア、お前も……!)

 

 役割を貫くそのために。レイズはヴァルフレアへと問いかける。

 

「そーいや大事なことをひとつ聞き忘れてた」

「なんだ」

「動機だよ、どーき。条約を壊して王様になる。そりゃなんのためなんだ? 世界征服して喜ぶタマでもなさそうだけど」

「……」

 

 それに応えて、ヴァルフレアはゆっくりと口を開く――その前に、レイズが先んじて自ら答える。

 

「死んだ百人の仲間。その復讐か?」

「…………」

「アンタの部下が全滅したっていう鋼の都攻略戦……その真実は神威による実験と虐殺だったんだってな。そんでエグニダから聞いたぜ。アンタは神威を利用した上で潰すつもりなんだって。なぁ、アンタの本当の目的は神威への」

「それもある」

 

 短い一言。波風立たせぬ声音。だがそれでも、妙に良く通る声であった。

 

「なに……?」

 

 レイズが眉にしわを寄せて語りを止めた。その間隙を突くように、今度はヴァルフレアが語り始める。

 

「常在戦場。眼前では常に脅威が牙を剥いているというのに、俺たちは常に条約という鎖に縛られている。条約が国を領へと貶め、武力さえも縛り、それゆえに領間のパワーバランスを大きく崩す遺産も……例えば人造偽人なども封印されてしまった」

「政治のことはよく知んねーけど……でもしょうがねーだろ。上手い具合にバランスとってみんな仲良くやってきましょうってのが条約の」

「単なる人と人との繫がりなら、それでも良かったのだろうな」

 

 またもヴァルフレアはレイズの言葉を断ち切った。

 

「しかしこの大陸には獣という名の暴力が、あるいは神威を始めとする悪意がはびこっている。人外の力そのものと、人外の力を求める者と。それらから目をそらして武力の縮小を強制した結果……ダマスティ領は神威の傀儡となり、そしてあの戦争が起こったのだ」

「じゃあなにか? 条約がなけりゃそもそも戦争自体が起こらず、アンタの部下も死ななかったってわけか。そんで戦争を起こしたのが神威とはいえ、それを隠蔽して事実を捻じ曲げたのもやっぱり条約だ。だからアンタは条約をも恨んで」

「それもある」

「っ!」

 

 3度目の断絶が、レイズの背筋に悪寒を走らせた。理屈ではなく直感が、説明のつかない悪寒を走らせた。

 

「ちょっと待て。さっきからそれもそれもって……神威や条約への復讐以外にアンタが王になりたい理由なんて、弟や父親を殺してまで大陸を統べる理由なんてあんのかよ!」

「今も、聞こえるんだ」

「は……?」

 

 その瞬間、剣のような双眸が静かに伏せられたのをレイズは見た。

 

(あの目、どこか似てるような)

 

 ほんの少しだけ脳裏に過ぎったのは、どこぞの女侍の後ろ姿だった……しかし、違う。目の前のこいつは、明確になにかが違う。

 

「俺自身が選りすぐった精鋭たちは皆、その俺に”未来”を託して死んでいった。将来が楽しみな部下がいた。生涯の友と誓った者もいた。背を預けるに足る仲間も、尊敬すべき師も……俺が彼らを殺した。皆、ずっとここにいる」

「なに言ってんだよアンタ」

 

 ヴァルフレアの言う『ここ』がどこなのか、レイズには理解できない。

 

「あのときの声が、託された祈りが、耳に焼き付いて離れないんだ。みんな俺の背中を押してくれている。剣帝になれと、未来を創れと」

「なんなんだ、アンタは」

 

 そのとき、レイズの耳に声が届く。いくつもの、声が届く。

 

『僕らの分まで』『君ならば』『お前しか』『貴方様なら』『貴方だけが』『てめぇだけが』『お前だけが』『貴方だけが』

 

 ――未来の剣帝よ

 

「!?!?!?!?」

 

 その瞬間、ヴァルフレアと相対しているという現実が頭から消えた。全てを忘れて背後を振り返ってしまった。

 だがそこには、倒れ伏しているニルヴェアしかいなかった。

 

「っ……っ……!?」

 

 声はもう聞こえなかった。代わりに心臓の音がうるさい。喉もからからに乾いている。

 振り向くのが恐ろしくて、それでも気力を振り絞り……やっと、振り向いた。

 ヴァルフレアは変わらぬ様子で、斬りかかることもなく、ただそこに佇んでいた。

 

(今の、単なるイメージか? こいつの語りが、そうさせただけ? でもこいつには、まさか、聞こえてるのか、あんなものが、ずっと)

「だから俺は忘れないでいられる。過去の誓いも、掴むべき未来も」

「未来……?」

「全部だ」

 

 レイズは乾いた喉で、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

 ――なんでそこまで頑なになる。それは使命感か? 復讐心か? それとも……

 

 ――全部だ

 

(兄譲り、か……!)

「俺は全てを認めない。彼らの死が汚され、忘れ去られることも。このまま武力を縛られ、人外どもに蹂躙され続けることも。条約などという実態無き空虚に己が行く末を託すことも。彼らの命を踏み台にしておきながら、ただの領主として生涯を終えることも……!」

 

 ヴァルフレアの語気が徐々に強まっていく……それと共に強まっていくものがもうひとつ。

 

(やっぱりだ。体が、重い……!)

 

 己の両肩に、なにかが()しかかってきている。戦闘前にも感じた倦怠感と同質で、しかしそれよりもはっきりとしたなにかが。

 

「貫くためなら俺の現在(いま)を全て捧げても構わない。俺自身を殺したって構わない」

「めちゃくちゃ言ってやがる。正気じゃねぇな、アンタ……!」

「正気ひとつで掴み取れるなら、そんなものはいくらでもくれてやる――それで、問答は終わりか?」

「ぐぅ……!」

 

 視線一閃。揺るぎなき瞳に斬りつけられて、レイズの四肢が勝手に竦み上がり固まった。しかしそのおかげで、レイズはようやく思い至ることができた。己が体に圧しかかるなにかの正体に。

 

「優れた剣士は気配すらも剣と成す……だったよな」

 

 およそ半年、ナガレとして自らを育て上げた女侍。彼女のそれと似て非なる、あるいは非だが似ている威圧感(プレッシャー)

 

「アンタは意図的に俺を威圧し続けてきたんだ。例えば視線で、立ち振る舞いで、それにこういう喋り合いでも……だからわざわざ問答にも応じてる。俺の精神を追い詰めるために」

「その通りだ……旅客民のレイズ」

「ああ?」

「お前たち4人の中で俺が最も警戒しているのは、お前だ」

 

 レイズの頬からは汗が垂れている。もはや1粒どころではなくいくつも、いくつも。

 

「……そりゃどーも。剣帝に目をつけられた、なんて聞いたらニア(あいつ)が嫉妬するだろーさ」

「齢15というその若さ。その上で旅客民としていくつもの死線を潜り抜けてきた経験。加えてその肉体に埋め込まれた遺産の力……お前の中の”可能性”は、あまりにも大き過ぎる」

 

 ヴァルフレアは再び双剣を構え、威風堂々と仁王立ちを見せつけてきた。部屋中に充満する、王の威圧と共に。

 

「ならば俺はあえて受け身に回ろう……お前が遺産の力を振るうなら、真っ向から断ち斬ろう。ニルヴェアを使って精神的に揺さぶりをかけるなら、その全てを受け止めよう。旅客民らしい奇策を講じるなら、むしろ飛びこみ打ち破ってみせよう」

 

 罠も逃げ場もない闘技場で、全てを断ち切る剣の帝王が宣言する。

 

「だからお前の全てを懸けて来い、旅客民のレイズ。俺はその策を断ち斬り、その魂までもを断ち斬り……お前の全ての可能性を、完膚なきまでに断ち斬ってやろう」

 

 狂える暴威のど真ん中。少年がなんとか声を絞りだす。

 

「やれるもんならやってみろ」

 

 その声はだだっ広い闘技場の中において、あまりにもちっぽけであった。

 

(冗談だろ……完全に気圧されてんのかよ俺。なぁおい、勝てるビジョンがなにも思い浮かばねぇんだけど)

 

 ちっぽけな心と体を覆うのは果てしない無力感。その場に立ち尽くすレイズへと、剣帝が問いかける。

 

「もう策が尽きたのか? あるいはそれも策の内か?」

「さーね……ビックリ箱は開けてみてからのお楽しみってな」

「一理ある。なら……斬り開いてみるか」

 

 ヴァルフレアはそう言うやいなや一気に飛び込んできた。半ば跳躍するように地を駆け抜け、双の刃をぎらつかせる。

 

「っ、来るなぁ!」

 

 レイズはどこか悲鳴のような叫びを上げて、それでも腰のポーチから淀みなく閃光玉を引き抜いて、ヴァルフレアの手前の地面へと放り投げた――しかしヴァルフレアは”空中”へと剣を一振り。それだけで、終わった。

 

(爆発……しない!? まさか地面にぶつかる前に斬ったのか、あんな小さい玉を!?)

 

 しかしレイズが驚愕しようともヴァルフレアは止まらない。彼我の距離が残り3歩ほどまで迫り、

 

「ざっけんな!」

 

 レイズが左手を突き出した。そして燃え上がる。

 またも炎を壁にして、足を止めた隙に回りこみながら距離を取っていく。そこにはヴァルフレアをおびき寄せる意図もあった。

 

(ぶっ倒れてるニアを巻き込むわけにはいかない。だからって、絶対防御がないから近づけもしない)

 

 ヴァルフレアは消えゆく残り火の前に立ち、回りこんだレイズから見れば背を向けているところだった。

 

(今はとにかく距離を取るしかねぇ。取ったら取ったで熱線が飛んでくるけど……)

 

 銃から光弾を3発。トリガーを引いて撃ち込んでいく合間にも思考を続ける。

 

(あの熱線がいくら強力でも、1発撃たせりゃ空になるのは確認した。そんで双剣使いなら鞘が2本で合わせて2発。だったらむしろ全部撃たせて、その隙に仕掛けるか……!)

 

 レイズが覚悟を決める中、ヴァルフレアが振り向く。彼は飛んでくる光弾に対して振り向きざまに左の剣を軽々と振るった。

 一閃、二閃、そして三閃。光弾はやはり断ち斬られ、花が散るように消えていく。

 

「だからなんで斬れるんだ――」

 

 レイズが文句を言い終える直前にヴァルフレアが振り返りきった。そこで、レイズの視界にようやく映った――”鞘に収まった”右の剣が。

 鞘にはすでに光が迸っていた。

 

「やっべ」

 

 そのまま放たれた横一閃。その軌跡は極太の光と化してレイズを薙ぎ払おうとしたが、しかし紙一重でレイズの反応の方が速かった。

 

(1発目!)

 

 小柄な身を素早く屈めれば、髪が焼かれるぎりぎりのラインを光の斬撃が通り過ぎた。

 しかしすぐに顔を上げれば、ヴァルフレアはすでに左の剣を鞘に納めていたわけで。

 

(もうかよ! アカツキの居合みたいなもんか!? だが……)

 

 ヴァルフレアは間髪入れずに左の剣のトリガーを握り、そのまま一気に引き抜きすくい上げる!

 今度は縦一閃。床を焼きながら迫りくる熱線に対し、レイズは銃を腰のホルスターへと納めた。両手を空にして、それから思いきり跳んで躱す。靴のつま先を熱線がチッと掠めた。

 

(これで2発目!)

 

 回避はできたが体勢は崩れた。腹ばいになって床を滑ってしまったが、しかしレイズは冷静に、すぐ起き上がろうとする。

 

(これで撃ち切り! 今度はこっちの番――)

 

 ヴァルフレアが、小さな声で呟く。

 

「崩れたな」

 

 レイズは床に手をついて、ばっと面を上げた……ところで。

 

「なぁっ!?」

 

 驚愕。その瞳にヴァルフレアの掲げた剣が映りこむ。

 それは先ほど熱線を撃ったはずの左の剣。それは鞘に納まったままの状態で、高らかと振りかざされていた――その先端では、すでに光の収束が始まっている。

 

(おい、待て、マジか!?)

 

 これぞ、高速の抜刀および納刀技術を応用した、高速のリロード技術である……とはいえこの技もまたニルヴェアが知らない非公開情報であり、ゆえに当然レイズが知るよしもないのであった。

 

(ま、ず、い)

 

 レイズの視界の中で、ヴァルフレアが光の斬撃を振り下ろす。その軌道は左上から右下への袈裟斬り……とはいえ軌道もなにも、極太の光はひとたび命中すれば少年の全身などたちまち呑み込んでしまうだろう。良くて致命傷、悪ければ死体の判別すらつかなくなる。

 

「くっ、そ、がぁ!」

 

 ぼぅっ! 熱線が来る前に先んじて、床についていたレイズの手のひらから炎が放たれた。その勢いで体を一気に跳ね上げて、そのままぐぐっと姿勢を反らした――直後、レイズの眼前を熱線が横切った。じゅうっと布が焼ける音こそ聞こえたが、それでも紙一重でかわすことができ、

 

「しまっ……!」

 

 焼き切られたのは、武器と道具を納めていたベルトであった。それがずるりと腰から落ちていく感触が、レイズの焦燥を一気に膨らませる。

 

(嘘だろっ、早く回収を――っ!)

 

 またも背筋を走った怖気。ナガレの直感がベルトではなく、先ほど放たれた熱線の方へとレイズを向かせた。しかし、それでも遅かったのかもしれない。

 

(はや、すぎる)

 

 一刀のように美しい銀の髪。一閃のように鋭い眼光。やつの手には、すでに抜き身の二刀が握られていた。やつはすでに、レイズの眼前まで迫っていた。

 やつは最短距離で、一直線に、右の剣でレイズの肉体を突き穿とうとしていた。はっきりと見えている。だが見えていようと、今の無茶な体勢では。

 

(かわせない)

 

 凶刃が、迫る。

 

 

 ◇■◇

 

 

 長く、分厚く、そして速い。片刃の大剣が炎にその背を押しこまれ、獲物を潰し斬らんと一気に迫る。が、

 

「――遅い」

 

 刀身に走った閃光。瞬間、そこから刀身が真っ二つ。その上側があっけなく、あらぬ方向へと飛んでいき、大剣の使い手――黒騎士エグニダが舌を打つ。

 

「ちっ……!」

 

 エグニダの眼前では、女侍が居合の姿勢で構えていた。

 エグニダは一度跳んで後退しつつ右手をかざした。すると右腕を覆う鎧の隙間からぼこり、ぼこりと赤黒い肉塊がはみ出して、それはすぐに細長い触手となり女侍へと襲いかかった。その数は合計4本。文字通り四方から弧を描いて迫っていく。

 だが、それもまた。

 

「拙者の言えたことではないが、芸がないな」

 

 居合一閃。さらにもう一閃。たった2度の抜刀で、触手は全て断ち切られた。

 

「ぐぅ……!」

 

 触手に神経でも通っているのか、エグニダの顔に苦痛がにじんだ。そしてアカツキが言い放つ。

 

「拙者は弟子たちの援護に向かわねばならぬのだ。悪いが、お前にかかずらっている暇はない」

 

 アカツキは居合の体勢のままさらに深く腰を落とし、そして躊躇なく踏み込んだ。だがエグニダもまた真っ向から挑む姿勢を見せる。

 

「悪いが俺には用があるんでね。まずは”試運転”に付き合ってもらうぞ!」

 

 エグニダの叫びに呼応するように、突如その身に纏う鎧が変形を始めた。がしゃんっ、がしゃんっと腕や脚、あるいは肩や腰の一部分が展開して、そこからキィィと風を切るような音が鳴り――ごう!

 響いたのは爆音。開いた鎧の隙間から炎が一気に噴き出して、エグニダの体を加速させた。彼は今までとは比にならない速度でアカツキへと迫ると、先ほどレイズに潰された左手を――しかし未だ黒鎧を纏っている大質量の左手を、まるでハンマーのように乱暴に振るった。

 しかし、それでも。

 

「秘密兵器、というにはまだ足りんな」

 

 ほんの一瞬の交差。

 瞬間、アカツキの背後で「ぐうっ!?」絶たれたのは左腕。真っ黒な血飛沫を上げながら宙をくるくると舞い、やがてどしゃりと地面に落ちて転がった。

 左腕を失い、額に脂汗をにじませて、エグニダが振り返った。その視線の先では、ぼろ布が黒の血飛沫を受け止めていた。

 しかしぼろ布はふと甲板を流れてきた風にふわりと連れ去られて、代わりに剣道着を纏った女侍が姿を現した。彼女の瞳は、まるでエグニダの全てを見透かすようにじっと細められている。

 

「やはりその鎧、それに大剣も。レイズの銃と似た仕組みでエネルギーを転用しているようだな。大剣のブーストを琥珀のリロードなしで使えるのもそのためか。もしやレイズを参考にしてその身に遺産でも埋め込んだか?」

 

 問われたエグニダはその顔に浮かぶ苦悶を、しかし強引に笑みへと塗り替えてみせた。

 

「おおよそご名答。神威謹製の『疑似遺産』というやつさ……」

「なるほど。人並み外れた再生力もそのためか? しかしあれだな。エグニダ……おぬしが使えば、それも宝の持ち腐れだな」

「言ってくれるな……!」

「強烈な加速力を持つ大剣と、それを振るえる剛腕。不意打ちから陽動にまで使えうる触手に加えて、堅牢でありながら高速戦闘まで可能とする重鎧……おそらくその全てが神威の改造で手に入れた力であろう。確かにそれ自体は人外の域に達しているようだ。しかし……拙者なら、もっと巧く扱える」

「!」

 

 エグニダの表情に、確かな驚愕が現れた。

 

「例えば、だ。その触手は大剣と併せて使えば、大剣だけでは賄えない範囲をカバーした広範囲攻撃になるだろう。それに今のブースターにしてもそうだ。あんなものがあれば戦術のバリエーションなどいくらでも増やせように、しかしおぬしは単純に殴りつけることを選んだ……いや、それぐらいしかできなかったのだろう」

「…………」

「この際はっきり言おう――おぬし、戦闘のセンスがないな?」

 

 視線が視線を突き破り、射抜いた。エグニダの目は大きく開き、逆に残った右腕がぶらんと力なく垂れた。

 

「まったく、反論のしようもないよ……これが埋められない力の差、というやつか」

「もう悪足掻きはやめろ。拙者は今すぐ斬り捨てても構わぬが、ブロードがおぬしのことを捕まえたがっておったからな。抵抗を止めるというのなら、逃げられないようにしてそこら辺に転がすぐらいで……」

「復讐者が、ずいぶんと慈悲深いんだな」

「復讐者が見境ないと誰が決めた? そもそも復讐目的ならば、貴様を締め上げて情報を吐かせた方が……」

「こちらからもひとつ、尋ねさせてもらってもいいか?」

 

 ――飲まれるなよ、アカツキ

 

 アカツキは1歩ずつ、エグニダの下へと歩き始める。

 

「言ったはずだ、おぬしにかかずらっている暇などない。降参するかしないか。それ以外の問答は」

 

 しかしエグニダは構わず、口を開く。

 

「なぜ黄昏ノ型を――宵断流本来の抜刀術を使わない? お前はかつて俺のことを妖怪と称したが、ならば妖怪退治にアレを使わない道理もないだろう? それで、俺は思ったんだ……」

「言葉遊びか。だが拙者はブロードほど付き合いが良くない。降参以外の言葉を発せば、その時点で今度こそ殺す」

 

 だがエグニダは、構わない。

 

「本当は使わないんじゃなくて、使えないんだろう?」

 

 その瞬間、エグニダの胴を白刃が滑り、人外の黒き血が舞い散った。



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4-7 夢の終わりと、(前編)

 私には、夢というものがよく分からなかった。

 母上が命と引き換えに私を産んでくれたから、その分まで生きようとは思っていた。

 父上の喜ぶ顔が見たいから、血のにじむような修行にも励めた。

 姫様に振り回される日々が心の底から楽しくて、それで十分満足していた。

 私はいつだって目の前のことだけで精一杯だったし、そんな自分を疑問に思うことすらなかった。

 だけどあるとき、そんな拙者にも夢ができた。

 

『こんな小さな城で政略結婚に使われて終わるなんて、まっぴらごめんよ! だから宵断流を、真の侍を大陸中に広めてこの大陸に名を遺すの! きっといつか教科書にだって私たちの名前が載るわ! それって素敵だと思わない?』

『わた……拙者は正直、よく分かりません。後の世になにかを遺したって、今の拙者たちにその価値は測れないし……』

『でも今の貴方を遺してくれたのは貴方の両親なんでしょう? 貴方のお父さんとお母さんだって、言ってみればユウヒ・ヨイダチという存在を通じて自分たちの生きた証を後の世に遺そうとしてたのよ』

『それは……』

『ねぇユウヒ。私が戦国絵巻や歌舞伎、それに侍が好きな理由は色々あるけど……結局はそういうことだと思うの。自分がいなくなってからも生きた証が、”魂”がそこに遺って、遠い未来で遠い誰かがそれに憧れて、そしてまた受け継がれていく……私はね、私の好きな物から学んだの。人の命は、それがどんなに偉大な人でもどんなに強くても結局は短くて儚いものなんだって……だけど、魂は消えない。ううん、むしろ憧れが憧れを呼んで、それが果てしなく続けば、いつかこのおーっきな大陸すら動かすかもしれないのよ! それって最高に浪漫じゃない!』

『浪漫……?』

『そう。私はね、その果てしなく大きくなっていく流れを想像すると、とってもドキドキしてくるの! だから私は絶対に後世に名を遺したいし……ユウヒ、誰よりも”受け継いできた”貴方となら、きっとそれができるはず」

『誰よりも、受け継いできた……拙者が……』

『不躾な話かもしれないけど、貴方はもう受け継ぐことの大切さを知っているんじゃないかしら?』

『……拙者はやはり学がないので、そんなに難しいことは分かりません。でも……拙者は父も母も立派な人だったと尊敬しております。この想いが、両親の歩みが、いつかの未来に遺るというなら……確かに、素敵なことかもしれませんね』

 

 そうだ、だから拙者は。

 

『ならば姫様、拙者はここに誓いましょう。拙者はこの命を懸けて姫様の刃となり、貴方の夢を叶えるために戦い続けることを』

『あら。夢を見てるのは、私だけ?』

『え、いや、それは……』

『じー……』

『う……あの、ご無礼かもしれませんが……姫様の夢は、拙者の夢も当然です。だから、その、姫様が良ければ、一緒に夢を叶えたい、と……』

『もうっ。いいもなにも、最初からそのつもりだったわ! ユウヒ、貴方は真面目過ぎるし空気も読めない、そんなところがまだまだね!』

『ええっ!? いや真面目はともかく、空気読めないのはむしろ姫様の……』

『黙らっしゃい! 貴方が私の夢を叶える。その代わり、私が貴方の夢を叶える! それが1番かっこいい主従ってものでしょう! だからね――』

 

 姫様との思い出は全部、全部覚えている。覚えているはずだった。覚えていたかったのに。

 姫様が死んだあの日から、私は未だに夢の続きを思いだせない。

 

 

 ◇■◇

 

 

 白刃が断ち斬り、黒血が噴き出した。

 その胸に刻まれた傷も、噴き出した血の量も、はっきりと致命傷を示しているはずだった。それでもなお、エグニダは血飛沫の向こうから、右手を固く握りしめて折れた大剣を振るってくる。

 

「やはり居合か! だろうな! 護るべきものもないのに、守護剣術は使えんよなぁ!」

 

 受けた傷ゆえにその動きは緩慢で、だからアカツキは血飛沫を浴びながらもあっさりとその場を飛び退いて一撃をかわした。

 しかしエグニダは退いたアカツキに構わず、大口を開けて――空に吠える。

 

「うおぉぉぉぉぉ!!」

 

 すると胸の傷……ぱっくり斬られた鎧の隙間から、赤黒い肉塊がぼこぼこと沸きだした。まるでお湯が沸騰するように膨れ上がり、弾けて、縮み、やがて肉塊は鎧の隙間をびっちりと覆った。

 すでに胸の……そして先に斬られた左腕の出血もまた、完全に止まっていた。

 

「面妖な……」

「くくっ。少年の暴走はその身から炎を溢れさせたが……まぁこれも暴走の一種と言えよう。最も、ここまでしたからには俺の寿命はあと1時間ももたないだろう……が、ふっ……!」

 

 止血の代償というように、エグニダの口から黒い血がどろりと零れた。

 

「だが……それだけあれば、十分だ……」

 

 その言葉と共に、エグニダは右手から大剣を滑り落とした。そうして空いた右手を、今度は腰へと伸ばす。よく見れば鎧の腰部分には薄っぺらい鞄が紐で縛られ留められていた。

 その鞄はまるで書類でも入れるのに使うような、黒鎧にはまったくそぐわないような代物であった。

 

(なにをする気だ? いや、いずれにせよ斬るだけだ)

 

 アカツキは勘繰り、しかし迷わずに再び腰を落とす。

 しかしエグニダは逃げる素振りを見せず、鞄を腰から強引に引きちぎると、鞄を閉めていたボタンを右手だけで弾いて開く。

 アカツキが姿勢を整えて、駆け出す。

 エグニダが開いた鞄を逆さまに掲げた。鞄からずるりとなにかが落ちてくる。

 すでにアカツキはエグニダを居合の範囲内に捉えている。あとは柄を握り、剣を抜く。それだけで、

 ぶわぁ! だだっ広い甲板を、一陣の風が流れていった。

 続いてばさばさっ、といくつもの音を立てて、沢山の紙が空へと舞い散った。その1枚1枚に多くの文字が書かれ、あるいは写真が貼られたその紙は、しかしすぐ風に巻かれて、甲板を離れて、果てしない青空へとあっという間に散っていった。

 

「――女侍。お前ほどの剣士なら、今の一瞬でもおおよそ捉えられただろう?」

 

 それらの紙は、エグニダが掲げた鞄の中から出てきたものだった。そして、その紙に書かれていたものとは。

 

「お前の主君の死、その真相を……な」

 

 アカツキはエグニダの目の前で刀の柄に手を添えながら、それでも目を見開き固まっていた。

 エグニダは掲げた右手から、鞄をするりと落とした。

 

「お前は『締め上げて情報を吐かせる』と言ったが、もうその必要はない。なぜなら俺は、今からそれを教えてやるつもりなのだからな」

 

 しかしその語り、あるいは騙りを拒絶するように、アカツキはすぅと目を細めて吐き捨てる。

 

「どうせ、いつもの戯れだろう」

 

 アカツキは今度こそ、柄に手をかけて。

 

「俺を斬ったら嘘か真かも分からないぞ?」

「……!」

 

 アカツキの頭の中にぶわりと沸いた。

 『家臣』『神威』『密約』『目撃』『殺害』『濡れ衣』いくつもの単語が踊り狂う。姫様の、リョウラン家の家臣の、あるいは神威の幹部の顔写真がぐるぐると回っている。

 

「俺だってさすがに命懸けの大勝負で嘘をつけるほどの度胸はないさ。そもそもこの手の駆け引きには本物を使わねば意味もないし、そうでなくとも……お前の目から見て、あの資料が嘘に見えたか?」

 

 いくつもの情報がちらつき、仮定が勝手に組み上げられて、思考がろくに纏まらない。その中で、エグニダの声だけが嫌に良く通っていた。

 

「やはり真相は知りたいよな。それがお前の生きる意味なんだよな。なぁ、ユウヒ・ヨイダチ?」

「っ……!」

 

 アカツキは歯を噛んで、しかしそこから動くことはなかった。その一方でエグニダは空になった右手を大きく振り、気さくな表情を浮かべて、まるで友達にでも話しかけるような調子で言う。

 

「まぁそれは一旦置いといて、その前にちょっと昔話でも聞いてくれないか? どうせもうすぐ死ぬのだから、思い出話のひとつでもしておきたいんだよ」

「ふざけるな……!」

 

 アカツキは敵意を吐き捨てたが、それに反して体は固まったままであった。そしてエグニダもそれが分かっているように、すでに互いの間で合意でも成されているかのように勝手に堂々と語り始める。あまつさえ、アカツキにその背を向けて。

 

「これはとある男の話なんだがな……その男は騎士の家に産まれ、主従の尊さを寝物語に育てられ、主君を護るための研鑽を続けることを日常としていた。だから男は必然的に夢を見たんだ。『最高の主君に仕え、その目的遂行のために命の全てを捧げたい』と。やがて男は騎士としてとある主君に仕え――そして人を殺した」

 

 そこでエグニダは振り返って、アカツキを見た。彼女は柄に手をかけたままだった。それでもエグニダは生きている。生きているからその口は語り続ける。

 

「なぜかといえば理由は単純。そいつが主君の障害になる政敵だったからだ。そして男は主君に語った。『貴方の敵を排除しました。もちろん証拠も残しておりません』と……そう。男が、そして主君が黙っていれば全ては順風満帆にいくはずだったのだ。しかしあろうことか、主君は男を公の場へとつるし上げた。『騎士として許されないことをしたこの男を、領から永久追放する』という宣告と共にな。さて……ここで問題だ! 追放された男はこのあとどうしたと思う?」

 

 問われたアカツキは、エグニダをじっと睨みつけたまま……やがて口を開き、答える。

 

「復讐のために主君を殺した、か」

 

 その瞬間、エグニダはにぃっと口を裂くように大きく笑う。ニルヴェアに潰された右目は固く閉じたまま、真っ黒な瞳を宿す左目だけが弧を描いた。

 果たしてエグニダはアカツキの答えに笑ったのか。あるいは、アカツキが答えたという事実そのものに笑ったのか。いずれにせよ彼は次の瞬間、高らかに声を上げて右腕を大きく広げる。

 

「そんなわけないだろう! 男は最高の主に仕えることを夢見ていたというのに、復讐などしてなんになる? そんなことは時間の無駄だ! ならば男はどうしたと思う? そう、とある犯罪組織に潜りこんで待ったのさ。善悪の彼岸などというつまらない一線を踏み越えて、ただ一直線に覇道を進む力と意志を持つ。そんな真なる王に出会える日を夢見て、ね……」

「それで最後には、その覇道とやらの捨て駒として終わるわけか。ずいぶんとつまらぬ人生だな」

「なにを言う! 人間という知的生命体と、単なる獣とを分けるもの。それこそが夢だ! 本能を凌駕するほどの大きな夢! そのために生きてこそ、初めて人間となれる! 王になりたいと願ったのなら、どんな手段を使ってでも王になってこそ! 忠義を貫きたいと願ったのなら、なにがあっても忠義を貫いてこそ、初めて人生は正しく完結するのだ! 俺も……そしてお前も!」

「ふざけるなっ! 拙者はお前とは違う……」

 

 アカツキが、表情を変えた。

 

「もういい、今すぐ”真相”を話せ! 『姫様を殺したのが神威ではない』というのは――『真犯人がリョウラン家に仕える家臣のひとり』だと言うのは、本当か! それとも否か!?」

 

 アカツキが叫び、問い詰め、しかしエグニダは顔色ひとつ変えず、逆に問い返す。

 

「その前にひとつ聞きたい。本当の仇を知ったとして、お前はどうするつもりなんだ?」

「決まっている! そいつを捕まえ、事件の真相を公にして、姫様の無念を――」

「もうこの世にいないやつの無念を晴らしてなんになる!?」

「っ!」

「まさか勝訴でも墓前に供えたら主人が墓から蘇ってお前を褒めてくれるとでも思っているのか!? お前の主人は『私の仇を討って』などと、墓の中から手紙でも出したのか!?」

「っ……殺して、やるっ……!」

 

 アカツキは知らない。今自分がどんな顔をしているのか。

 ニルヴェアにも、レイズにも、ブロードにも、父上にも、母上にも、そして姫様にも。誰にも見せたことのない顔をしていることに、アカツキは気づいていない。

 

「そうだ。真相なら元より私自身の手で見つけるつもりだった! 貴様は今、ここでぇ!」

「粛清したよ」

「は……?」

「だから、お前の主人を殺したリョウランの家臣は、もう神威が粛清したんだ。おめでとう、君の仇討ちはもう成されているんだ!」

 

 エグニダは祝福でもするように、残された右腕を高らかと空に掲げてみせた。

 その目の前でアカツキは……誰にも見せたことのない顔をしていた。

 姫様の用心棒も、面倒くさい師匠も、頼もしき助っ人も、堂々と生きるナガレも、そこには誰もいなかった。

 

「そんな、たわごと」

「ならばお前の愛すべき主人が、リョウラン家の三女が殺された理由はなんだった? たしか資料にはそのあたりも書いてあったはずだが?」

 

 アカツキは半ば無意識のうちに思い出して、そしてうわ言のように呟く。

 

「家臣と神威との、密約の、現場を目撃した……」

「そう……とは言ってもね、神威だって馬鹿じゃない。一目で神威だと分かる格好はしていなかったし、話の内容だってそうだ。おそらく三女だって一目見ただけでは精々『重役同士が重要な話をしている』くらいにしか思わなかっただろうし……もしそうでなかったとしても、だったら”誰よりも頼れる用心棒”くらいにはなにか話すはずじゃないのか?」

 

 語り続けるエグニダの眼前。そいつは使い古された剣道着を身に着けている。そいつはぼさぼさの髪をざっくばらんに後頭部で結んでいる。そいつは見るからに年季物の薄汚れた鞘を、それに納められた刀を腰から下げている……それだけだった。

 

「しかし現にお前はなにも知らされず、そして三女は殺された。それはなぜかといえば、密約を交わしていた家臣の方が過剰に恐れたからだ。ゆえに彼は万が一にでも密約がバレないように三女を殺し、それから三女と最も親しく密約が漏れている可能性も高い用心棒へと濡れ衣を着せた。きっと最後には用心棒を死刑に処し、全てを闇に葬るつもりだったのだろう……」

 

 何者でもない誰かは、ただそこにつっ立ってエグニダの話を聞いていた。あるいはもう、聞こえていないのかもしれない。

 

「だがな。先も言ったが、たかが10歳そこらの娘に一目見られたところで神威としては問題なかったはずなんだ。むしろそれを殺して騒ぎ立てることで、そこから足が着く方を神威は恐れた。そしてその程度すら考えられない愚かな家臣を疎んだ。ならば……粛清も当然のことだろう?」

「……っ!」

 

 アカツキの口がようやく震えて、吐息を吐き出した。エグニダはそれを左目でじろりと観察しながらも、淀みなく言葉を吐き出していく。

 

「ま、あれだ。真相など紐解いてしまえばいつだって取るに足らないものなのだよ……さて、それでは改めて聞こう。ユウヒ・ヨイダチ、お前は本当の仇を知ってどうするつもりだ? 仇はもはやこの世にいない。ならば理屈的にはもうあの世に逝くしか」

「貴様たちがっ!!!」

 

 瞬間、膨れ上がったのはただ一点を貫く殺気と眼光であった。修羅の如き形相をもって、アカツキが愛刀の柄を握る。

 

「神威が、貴様らが存在しなければ姫様が死ななかったことに変わりはない! ならば拙者にとって貴様らは――」

「そう自分に言い聞かせるのも、いい加減飽きて来ないか?」

 

 アカツキは、刃を抜けなかった。

 

「なにを言うっ……!」

「言っただろう? 俺もお前の忠義に生きているのだと。死人に口はないんだよ。命令を下されることも、お褒めの言葉を頂戴されることもない。主従関係というのはな、どちらかが死んだ時点で完結するものなんだよ……お前も本当は分かっているはずだ、ユウヒ・ヨイダチ!」

「……黙れ……」

「本当はもう存在しない空虚な忠義を護るために神威を追い、実験体の少年を助け!」

「黙れっ……」

「三流記者を助け、人造偽人を助け! それでも、本当はもうなにもかもがどうだっていいんだろう!! その全てに護るべき価値などなにひとつ感じていないのだろう!!! だからこそ、お前は宵断の守護剣術を――」

「黙れぇぇぇぇ!!!」

 

 修羅が怒りを叫びに乗せて、殺意の刃を解き放つ。

 それは宵断流唯一の居合剣にして、全てを断ち斬る裏の極義――

 

「まったく。剣だけで語り過ぎるのが、剣士の悪いところだな」

「そんな、馬鹿な……!」

 

 暁を象るその一閃は、しかし夜闇のような鎧へと半端に食い込んだところで止まっていた。

 

「宵断流、唯一無二の居合剣……いや『殺人剣術』とでも言った方がいいかな? 俺の屋敷で1度。左手を斬られたので2度。そのあと胴を斬られて3度目……それだけ体を張って受ければ、その太刀筋の正体にも確信が持てるというもの……」

「くっ……!」

 

 アカツキはむりやり刀を引き抜き、たたらを踏んで後退った。その顔にもう修羅は宿っていない。ただ目の前の現象を理解できないという困惑と悔しさに満ちていた。

 

「まさかまだ自覚がないのか? ならば教えてやらねばな! 才能のない俺でも知っているが、刀剣は使い手の心を映す鏡だ。そして俺はその心を、『暁ノ一閃』を文字通りこの身に、魂に刻みこまれた。だからこそ分かる。あれはたった一念以外を削ぎ落し、それのみを極限まで研ぎ澄してこそ放てる一撃だ! 本来は魑魅魍魎から人を護るためにあるはずの守護剣術がしかし人を斬り捨ててでも、そして己が心を捨ててでも、ただ一心に大切なものを護り続ける! そのために編み出されたはずの技なのだろう!?」

 

 それは正しくど真ん中。見透かされた真実に、他ならぬ宵断流の継承者が戦慄する。

 

(馬鹿な……この男は己の体感ひとつからそこまで読んだというのか!?)

 

 アカツキの声に動揺が、抑えきれない震えが混じる。

 

「だ……だったらどうした! 姫様が死んだあの日から! 拙者は貴様ら神威を、姫様の仇を許さないという一心で」

「雑念なんだよそれすらも!」

「っ!?!?!?」

 

 アカツキの背筋に怖気が走った。それがなぜなのかは本人にさえ分からない。考えるより先に心が耳を塞ぎ、体が縮こまろうとする。気づけば口が動いていた。

 

「やめろ」

「ハナから仇討ちなんて興味ないんだろう! 本当はもう全てが終わったと分かっているんだろう! だったらなにがお前を動かしているというんだ!」

「やめろ……」

「そう、お前の心にはもうなにも残っていない。そしてそれこそが『暁ノ一閃』の、そしてお前の正体!」

「やめろぉぉぉ!」

 

 アカツキは叫びと共に、再びエグニダへと居合斬りを放った。しかしそれはもはや、鎧に食い込みすらしなかった。

 

「――虚無だ!!」

 

 エグニダの拳が、アカツキの顔面を捉えた。

 

「がふっ……!」

 

 拳をぶちこまれた鼻っ面から血を流して、アカツキはいともあっさりと吹き飛んだ。己が刀を握りしめたまま。

 

「主人が死んだ事実から逃げて、一生忠義を果たせないことから逃げて!」

 

 エグニダは床に落としていた大剣を拾い上げ、床を転がったアカツキへと歩み寄っていく。

 

「すでに単なる過去でしかない忠義に従い人々を助け、そもそも命令すらされていない仇討ちを正しいと言い聞かせ!」

 

 よろよろと立ち上がったアカツキを、エグニダは折れた大剣で斬りつけた。アカツキはなんとか退いて避け、きれない。その胸から腹にかけてを、折れた刃が抉り裂いた。致命傷には至らない程度の傷だが、それでも出血は少なくない。アカツキの顔に苦悶の色がにじむ。

 

「それでも本心ではなにひとつ感じていない。その奈落のような虚無感こそが、あらゆる雑念を打ち消し、お前の刃を極限まで研ぎ澄ました!」

 

 アカツキは息を荒げながらも、なんとかエグニダから離れようとした。しかしエグニダは己が胸の傷を埋めた肉塊から赤黒い触手を1本解き放って、アカツキの胸の傷へと突き刺した。触手はドリルのように回転し、血に染まる傷口をさらに抉り、押し広げていく。

 

「あがっ、ぐぅ……!」

 

 アカツキは痛みに悶えながらも刀を振るい、触手を斬ろうとした。だがその前に触手が引っこんでエグニダの体へと戻った。

 そしてエグニダは、展開する。

 

「だがなぁ、今のお前にぃ!」

 

 がしゃんがしゃんと音が鳴り、黒鎧の一部が開いていった。その各所に仕掛けられたブースターへと『疑似遺産』が力を与え、炎を灯し、黒い巨体を一気に加速! 痛みで動けないアカツキへと!!

 

「俺はぁ、斬れんっ!!!」

 

 迷いなきただの突撃が、アカツキを跳ね飛ばした。

 あまりにもあっけなく、あまりにも軽々と、女侍の体はその手に握りしめた刀と共に宙を舞い……そして甲板の壁に激突した。そのままずるずると滑り落ち、壁にもたれかかって項垂れた。

 一方でブーストを止めたエグニダは、改めてアカツキの下へと歩き始める。

 

「お前はもう逃げられない。お前はもう虚無にはなれない。俺が憎いだろう? 仇が憎いだろう? あるいは分からないのだろう? 俺の語ったことが真実か、それとも嘘か? 主君は本当にただの不幸で死んだのか?」

 

 底なし沼のように真っ黒な瞳でアカツキの心を見透かし、呑み込む。

 

「仇討ちすらできないというなら、自分の生きる意味なんて本当にあるのか? そもそも仇討ちしたとして、それが一体なんになるのだ? などと、今のお前を支配しているのはそんな雑念の数々だろう。そんな定まらない心に暁ノ一閃は決して使えまいて」

 

 1歩、また1歩とあえてゆっくり歩みを刻んで、念入りに語り聞かせていく。

 

「しかしその一方で、宵断流本来の守護剣術も使えまい。なぜならお前には本当に護りたいものがないからだ。剣士は剣に嘘をつけない……そう、お前が宵断流の抜刀剣術を振るうのは”自分の剣を使っていない”ときだけだ。借り物の剣なら嘘をついても許されるとでも思っていたのか? それこそがお前の欺瞞の証明だよ」

 

 果たしてエグニダはアカツキの前に立ち、その姿を見下ろした。

 

「ああそうそう、最後にひとつ聞きたかったんだが……」

 

 エグニダが大剣を振り上げた。折れた刃と減らず口。

 

「全てに嘘を吐いて虚しく生き永らえる。そんな人生の、なにが楽しいんだ?」

 

 騎士の剣が振り下ろされる。

 そのときアカツキは、

 

(ああ、そうか。私は)

 

 自らを理解した。

 

(こんなにも、生に興味がなかったのか)

 

 虚ろな瞳に映るのは、憎しみと、悲しみと、失意と、恐怖と……それすら飲み込む真っ暗闇。

 それと初めて向き合って、アカツキはむしろどこか安堵していた。

 

(姫様。私もやっと、貴方の下へ……)

 

 もうすぐ全てが終わる。それを理解した瞬間、しかしなぜだろう。

 

 ――あ、ありがとな……師匠

 

 いつか照れくさそうにそう言われたのを、思い出した。



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4-8 夢の終わりと、(後編)

 たまにふと考える。拙者はなぜ、レイズを弟子と呼んだのだろうか。

 正直、あやつに剣術の才能がないことは早々に気づいていた。よしんばそれが隠れていたのだとしても、稽古を悠長につけていられるほどの時間がないことも分かっていた。

 それよりもあやつに埋め込まれている遺産のことを考えれば、一刻も早くその制御法やナガレとして生きる術を身に付けさせなければいけなかったのだ。

 それになにより拙者は気づいていた。遺産の暴走に拙者を巻き込まないため拙者から離れたがっていた、そんなあやつの優しさに。

 だから結局剣術は教えなかった。

 だけど剣術以外の色んなことは教えた。

 レイズはああ見えて勤勉だ。だから飲み込みが早い……かはさておき、辛くても涙を拭ける意地と、地道に積み上げることを是とできる根気があった。それが翻って日を追うごとに小生意気になっていったのは惜しい……いや、それもまた楽しかったのだろうな。

 そうだ、楽しかったのだ。

 元々あやつを助けたのは神威の情報を探すついでだった。あやつを鍛え上げたのは、姫様の望む侍ならきっとそうするだろうという義務感だった。だけど、それでもあやつと共に旅をした半年間は……。

 

『なんだレイズ、そんな急がなくても良いだろう。本当に忘れ物はないか? 次の街まで送っていっても良いぞ?』

『うっせーな! 俺はもう子供じゃねーんだよアカツキ。旅に必要なことは全部覚えたし、”炎”だってコントロールできるし!』

 

 そのときのレイズは相変わらず意地っ張りで、別れのときだというのに拙者に背を向けてばかりであった。

 

『こないだ13になったばかりの子供がなにを言う。大体、呼び捨てでなく師匠と呼べと何度言えば――』

『あーもうなんでこういうときばっか過保護なんだよ、普段はクソみてーな修行ばっか押し付けてくるくせに! ナイフ1本でジャングルに放り込んでサバイバルさせたり、河原の石を延々と積ませたり!』

『片や実戦力、方や集中力を鍛える立派な修行ではないか。どれもこれも愛ゆえだというのに、どうしてこんな生意気に育ってしまったのか……』

『アンタの性格がわりーからだろ! まっ、そんなアンタともこれでようやくお別れなんだ。清々するぜまったく!』

『レイズ』

『……んだよ』

 

 あまり真面目過ぎると姫様に怒られてしまうわけだが、それでも……これだけはちゃんと伝えたいと思った。剣こそ教えられなかったが、それでも拙者の教えを、心を、初めてちゃんと受けとってくれたその背中に。

 

『拙者にとって初めての弟子がおぬしで良かった。この半年間は想像以上に楽しかったぞ』

『なんだよいきなり……ったく……』

 

 そのときの光景を、拙者は今でも覚えている。

 それまでずっと背を向けていた少年が、顔だけぎこちなくこちらへと向けたところも。その頬をほんのりと紅くして、照れくさそうに口を尖らせたところも。

 

『い、1回しか言わないからな! その、俺も、アンタに拾われたから生きてられるっつうか……結局剣は教えて貰えなかったし、なのにこんなんかっこわりーって思ってたけど……でも、その……』

 

 結局は恥ずかしさに耐え切れなかったのか、あらぬ方へとそっぽを向いたその瞬間だって、ちゃんと覚えている。

 

『あ、ありがとな……師匠』

 

 

 ◇■◇

 

 

 宵断流、黄昏ノ型・火車流シ。

 流水のように柔らかな一振りが、燃え盛る火車も黒騎士の剣もただ静かに受け流す。

 

「……!?」

 

 エグニダがはっと気づいたとき、目の前には己が振り下ろした大剣のみがあった。先ほどまでそこに座りこんでいたはずの女侍の姿は、もうどこにも存在しなかった。

 

(なにが起こった!?)

 

 エグニダは反射的にさきほどの一瞬を脳裏で反芻してしまう。

 

(俺は確かに、確かにあいつを斬ったはずだ)

 

 しかしそのときに感じたのは、まるで水でも斬ったかのような本当に微かな感触だった。そしてその直後、気づけば眼前からはアカツキの姿が消え失せていたのだ。

 目の前で起こった魔法のような現象に唖然として、しかしエグニダはすぐにその”技”を思い出す。

 

(火車流シ、と言ったか?)

 

 かつてアカツキは儀礼用の(なまくら)1本でエグニダの全力を受け流してみせた。しかしあのときは軽くとも”流された手応え”はあったはずだ。

 だが今のはどうだ? それすらも感じなかったのではないか?

 

(馬鹿な……そもそもやつは守護剣術を使えないはずだろう!?)

 

 エグニダはそう頭で否定して、しかし表情には焦りを浮かべながら、急いで背後を振り返る――

 

 

(なにが起こった?)

 

 アカツキもまた、困惑していた。

 彼女は自分が今なにをしたのか理解できていなかった。それでも確かに感じている。今もなお両手に固く握られている、それの重みを。

 

(なぜだ。なぜ私は……刀を手放していない?)

 

 アカツキの一刀はエグニダの刃を受け流し、そのまま前方へと突きだされていた。

 果てしない快晴の下、侍の魂たる一振りが太陽の光を浴びてきらりと輝く。まるでなにかを訴えかけてくるように。

 

 ――いつか僕がいなくなっても、僕が遺したなにかが誰かの人生を変えるかもしれない。そう思うと……ちょっとワクワクしない?

 

 ――僕は僕の剣から逃げたくないんだ

 

 ブロードが、ニルヴェアが脳裏に過ぎって、別の誰かと重なっていく。

 

(私は、拙者は、なにがしたいのだ?)

 

 心の内に問いかけると同時に、背後から感じた気配へと反射的に振り返った。すると迫りくるのは幾本もの触手で――

 

 宵断流、黄昏ノ型・悪鬼散ラシ。 

 しなやかに舞い踊る白刃は、悪鬼だろうと触手だろうと一網打尽に斬り散らす。

 ぼとぼとと落ちていく触手の向こうに見えたのは、エグニダの驚愕であった。

 

(なぜ拙者の体は動く。なぜ黄昏ノ型を振るう。もう、護るべきものなんてないはずなのに)

 

 正面。エグニダが歯を噛みしめて、折れた大剣を構え直した。

 

「なぜだ……貴様は一体なんなんだっ、女侍――!」

 

 エグニダが叫びながら突撃してきた。迫りくるは最速最短の一点突き。しかしアカツキの瞳は、すでに折れた刃のど真ん中を捉えていて、

 

 ――私も貴方の刀に誓うわ、ユウヒ

 

 宵断流、黄昏ノ型・牛頭砕き。

 あらゆる物体の脆き一点を見極め穿ち、牛頭であろうと大剣であろうと一切合切を割り砕く。

 

「ぐあぁっ!!」

 

 大剣の破片が飛び散って、エグニダの体も吹き飛んだ。彼の右手は剣を巻き込む形で潰されて、もはや原型を留めていなかった。

 

「なんだ今のっ、俺の手ごと、砕いただとっ……!」

 

 ――私はもっと色んなことを学んで、貴方をもっと広い世界に連れて行ってあげる! だからアカツキ、貴方はもっと強くなって……ううん、一緒に強くなりましょう!

 

(そうか。拙者は……やっと思い出せたのか)

「そうか。貴様……捨てたな! 忠義を、復讐を!」

 

 エグニダが閃きと共に立ち上がった。それと同時に潰された右手が再び蠢き、出血を止めた。

 

「自分を護るためだけに、執着を捨てて守護剣術を使うというのか!」

 

 ――こんな狭い街も領もすぐに飛びだして、そしていつかこの大陸に……ううん、もっと遠くまで私たちの名前を轟かせるの! 最高の姫と、そして最強の侍として!

 

 エグニダは鎧のブースターを全展開。火を灯して、潰された右腕を。そして断ち斬られた左腕をも広げた。

 

「ならば……己の芯を失った貴様にもう二度と暁ノ一閃は使えん! 残った剣術が専守防衛と言うなら……この再生能力をもって、力づくで捻じこむ!」

 

 エグニダの尽きぬ闘志に応えるように、火が炎と化してその巨体をぐぐぐと押し込み。

 

「貫けるものなら貫いてみるがいい! 俺は望むところだぞ女侍――!!」

 

 炎が爆発。漆黒の人外が女侍へと迫る。

 

 ――だからこれだけは忘れないで、アカツキ。私たちはいつだって、どんなときだって

 

 彼我の距離が零となるその瞬間、騎士の瞳はそれを捉える。

 

「!? 刀を、納め」

 

 宵断流・暁ノ一閃。

 夜明けを象るその煌めきは人も獣も人外も、全て平等にぶった斬る。

 

「がっ……ああああああああ!?!?」

 

 エグニダの上半身と下半身が、腰から別れて甲板の上を飛ぶ。ブースターを展開したまま2つの体が勢いよく地面を転がり、その軌跡に夥しい量の黒血を撒き散らした。すぐにブースターの炎は消えたが、下半身は未だに意志を持つかのように、その場でびくびくとのたうち回っていた。

 しかし実際のところ、エグニダの意思はまだ上半身に残っている。

 

「あぐっ、ごぼっ、ぐ……」

 

 目から耳からそして口から血を吐いて、それでも必死に両腕でもがいて、地面を這いずり、アカツキを探して見上げる。

 

「なぜだ……なぜ、暁ノ一閃を……」

 

 アカツキはかちんと音を鳴らして刀を納め、そしてエグニダへと振り返って答える。

 

「姫様との誓いを、やっと思い出せたからな」

「は……?」

 

 ――2人で一緒に闘ってるの。それをぜーったい、忘れないでね!

 

「なぁエグニダ。死んだ主人は墓から蘇らないとお前は言ったが、本当にそうなのか?」

「なにを、言っている」

「いや、よしんばそれがこの世の摂理だとして、ならばなぜ人は己の死んだあとになにかを遺そうとする? なぜ母は命と引き換えに拙者の体を産み、父は命を燃やして拙者に技を教えたのだ?」

「知るかっ……がふっ……!」

「そうだな。拙者も知らぬ。だから知りたくなった」

 

 アカツキは床に転がったエグニダをじっと見ていた。

 だがエグニダは直感で分かっていた。その瞳が本当に見ているものは、決して己などではないことを。

 

「あの世があるかどうかなぞ、生者には決して分からぬ。だがもしもそれがあったとして、姫様や父上や母上がそこで見守っていたのだとしたら……無様な姿は見せられん」

 

 そしてアカツキは歩き出す。上半身のみとなったエグニダの下へと。

 あるいは、その屍を踏み越えようとしているのかもしれない。

 

「死んでみなければ分からないというのなら、今この場で諦める理由などない。本当に終わっているのか確かめるため、姫様の遺言を真の意味で果たすため……エグニダ。おぬしの命、我らが伝説の礎とさせてもらうぞ」

 

 瞬間、エグニダの左目が大きく開く。

 

(なんなんだ、こいつは!?)

 

 刻一刻と迫りくる女侍。その存在をエグニダはなにひとつ理解できなかった。あの一瞬でなにが起こった? なぜこいつは再起した? こいつはなにを言っている?

 いや、正確にはひとつだけ理解したことがある……それは理解できない、ということ。言い換えてみれば。

 

(化物だ。こいつは本物の化物だ)

 

 肉体を改造して、命を削り、人外の力を得て、いくつもの策をも立てて……それがどうした? なにもかもあの一閃に断ち斬られるだけじゃないか!

 

(本当は分かっていた。初めて剣を断たれたあの夜からずっと分かっていたんだ。俺はどうあがいても、こいつには決して勝てない……)

 

 やがてアカツキが立ち止まった。彼女はもうエグニダのすぐそばで、彼のことを見下ろしていた。処刑人のようにエグニダの鼻面へと抜き身の刃を突きつけて、それから振り上げる。

 

「おぬしのおかげで大事なものを思い出せた。せめてもの礼だ、この一太刀で終わらせてやる」

 

 慈悲と共に高く掲げられた刀。下半身を失い、それを見上げる自分。ここに在る全てが彼我の差を証明している。だから、エグニダは。

 

「ふ、ふははは……」

 

 擦れた笑い。それを気にも留めずアカツキが刃を振り下ろす、瞬間。

 

「はぁーっはっはぁ!!!」

 

 黒鎧が爆発! 怒涛の勢いでブースターから炎が噴き荒れ、エグニダの体を一気に持ち上げた!

 

「なにっ!?」

 

 アカツキが驚愕し、刀が止まったその一瞬の隙を突いて、上半身だけのエグニダが両腕でアカツキの体をぐわしと挟む!

 

「これが命のやり取りとでも思ったかぁ女侍ぃ!!!」

 

 止まらない。エグニダが止まらない。上半身の底から血と肉片をぼとぼとと落としながら、顔の穴という穴から黒血を流しながら、甲板の壁まで一直線!

 

「かはっ……! まさかここまで動けるとは……!」

 

 黒鎧と壁に挟まれて、アカツキが赤い血を吐いた。それでも彼女はエグニダを引きはがそうと、あえて刀を手放して両手でその体を掴んだ。だがエグニダもフルブーストでアカツキを押し込んで、さらに千切れた胴の断面から触手を2本ひりだして!

 

「ハナから貴様の命になど興味はないぃ! お前に決して勝てない俺が、それでもお前を足止めできればそれだけで戦果になる! そしてぇ!」

 

 触手を槍状に捩ると、押さえ込まれて無防備となっているアカツキの脚を一気に刺し貫いた!

 

「ぐあっ……!」

 

 アカツキが苦悶にうめいたその直後、エグニダが堂々と勝鬨を上げる。

 

「俺の命ひとつで貴様を戦闘不能に追いこめるなら、それは最高の誉というものよぉ!」

「おぬし、まさかハナから勝てないことを見越して……!」

「戦力としての貴様を削げばそれでいい! そうすればもう、王に敵う者はこの艦からいなくなるのだからなぁ!」

 

 下半身を失い、残った上半身さえもとうに再生能力の限界を超えて出血が止まらない。それでもエグニダはただ一点の曇りもない笑顔を浮かべている。

 

「こんっ、のぉぉぉ!」

 

 しかしやがてエグニダの体は、アカツキによって力づくで持ち上げられた。そして1度持ち上がってしまえば、ブーストの勢いも重なってもはやその体は止まらない。ゆえにアカツキはエグニダ自身の勢いをも利用して脚を貫く触手を引き抜きながら、エグニダの体を壁の向こうへと放り投げる!

 

「どっせぇい!」

 

 エグニダがアカツキの手を離れ、壁を越え、上空へと放り出された。戦艦に戻ることはもう叶わない。それでも彼の笑顔に陰りは生まれない。

 

「王の勝利はもう揺るがない! これで俺の騎士道は完遂され」

 

 そのまま壁の向こうに落ちて、姿も声も消え失せた。

 甲板に残ったのは、アカツキひとりだけであった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 息を荒げ、ずるずると壁にもたれかかってへたりこんだ。アカツキは傷だらけであった。両脚はエグニダに貫かれて、腹部は大きく切り裂かれて、それでも彼女はすぐに立ち上がろうとする。

 

「さて、レイズたちを助けに行かねば……」

 

 が、脚をぴくりと揺らしただけで。

 

「あいだだだだだ!」

 

 激痛に身を捩り、再びその場にへたりこんでしまった。各所の傷からは、今もじくじくと血が流れている。

 

「さすがに動けぬか。とりあえず適当に止血して、むしろ拙者が助けを待つ側でござるな……」

 

 エグニダいわく、命の取り合いとでも思ったか。

 アカツキの命ではなく戦う力を奪う、そんな彼の目論見はきっちりと達成されてしまったらしい。

 

「なにもかもを利用し尽くして、最高の形で自分の人生を完結させるためだけに生ききったか……敵ながら天晴であった。勝負に勝って試合に負けたというやつか……いや違うな。エグニダ……やはり、おぬしの負けでござるよ」

 

 アカツキはほほ笑んで、ゆるりと空を見上げた。まるでどこかの少女を思い出す、澄んだ蒼へと祈りを捧げる。

 

「おぬしの敗因はヴァルフレアの強さに驕ったこと。そして、あの2人を舐めすぎたことだ……と、言ってやりたいからな。だから――絶対に勝つでござるよ、ニア殿。レイズ」

 

 

◇■◇

 

 

(かわせない)

 

 レイズの体を狙うのは、最速最短の一点突き。

 

(だったら……!)

 

 レイズはなんとか身をよじるがその直後、ヴァルフレアの凶刃がレイズの衣服(シャツ)を貫く。捉えられたのは、レイズの心臓ど真ん中――

 ガキンッ! 甲高い金属音が鳴り響き、レイズの体が吹き飛んだ。受け身のひとつも取れず地面をごろごろと転がって、

 

「……見事だ」

 

 ヴァルフレアの賞賛と共に、レイズはむくりと起き上がり、そして立ち上がった。

 

「ってぇな、神経通ってんだぞこれ……!」

 

 本来、少年の心臓があるはずの位置。服こそ破けているものの、そこからは血ではなく光が顔を出していた。心臓の代わりに埋め込まれている遺産が、鼓動の代わりに紅い光で激しく脈を刻んでいる。

 

「まさかここで仕損じてしまうとはな。あえて心臓で受けるとは、酔狂な発想をする……」

「そりゃどーも。仮にも遺産だ、硬さには自信がある……ってよく見りゃちょっと抉れてんじゃねぇか! つかこれって傷つくもんなの!?」

 

 レイズが”心臓”に直撃した刺突の威力に驚いている一方で、ヴァルフレアもまた内心で密かに驚いていた。

 

(威圧は十分以上に与えたはずだ。インパクト・ボムも、3発目の熱線も使った。あまつさえ一太刀浴びせたというのに、それでもまだあの少年は立っている……もっと前に会えていれば、その力に尊敬すら覚えたのかもしれないが)

「だからこそ、お前はここで排除せねばならない……!」

 

 ヴァルフレアが抜き身の二刀を凛々しく振りかざして闘志を放った。するとレイズの体を再び重圧が襲い、その心をあっという間に絶望感が覆いつくす。

 

(もう駄目だ。戦うどころか逃げられる気さえしねぇ。なら……1周回って、開き直っちまえるな)

 

 ヴァルフレアが再び踏みこんできた。しかしレイズはそこから動かず、ただ左手をズボンのポケットに突っ込んで、それから小さく呟く。

 

「借りるぜ、ニア」

 

 レイズは空いている右の手のひらを、ぐっと握りしめた――自らの爪が、手のひらの肉を抉るほどに。

 

 ――ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルを、舐めるなぁ!!!

 

 暴走ですでに火傷を負っている手のひらを、それでも強く抉っていく。「っ……!」ぽたぽたと血が滴り、痛みが脳を洗い、プレッシャーで曇っていた視界が明瞭になった。すると間近に迫りくるヴァルフレアの、訝しむような表情がはっきりと見えた。

 血に濡れた手で拳を作り、レイズは笑う。

 

「行くぜ必殺ぅ!」

 

 その瞬間、ヴァルフレアの表情に警戒が宿る。

 

「これ以上はやらせん!」

 

 さらに加速してきた剣帝から逃げることなく、全力で息を吸いこんで――魂を、解き放つ!

 

「好きだーーーーーーーー!!!」



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4-9 剣と未来(前編)

 レイズの右手から、激しい炎が迸る。

 

「好きだーーーーーーーー!!!」

 

 瞬間、ヴァルフレアの眼前で紅き炎が燃え上がり、舞い踊るその向こうで――レイズの姿がかき消えた。

 

「なにっ!?」

 

 それが発火で目を眩ませてからの高速移動だとヴァルフレアが理解したときには、すでに背後に熱と殺気が。

 

「!」

 

 ヴァルフレアは振り向きざまに一刀を振るったが、しかし断ち斬れたのは炎のみ。そしてその向こうの空中で、靴から煙をなびかせて、レイズが鋭く笑っていた。視線と視線が交わって、

 

(なんだ、この違和感)

 

 ヴァルフレアの直感になにかが引っかかった。

 

(あの発火能力自体に変化はない。足に着火しての大跳躍もすでに見ている。だったらなんだ。俺はなにを警戒している)

 

 戦場に置ける直感とは、戦いの中で研ぎ澄まされた感覚と蓄積された経験とが濃縮された警報である。それを肌身で理解しているがゆえに、ヴァルフレアは直感を信じてその正体を探り続ける。

 対して、空中跳躍でヴァルフレアから距離を取ったレイズはそのまま地面に着地して――その足下に転がっていたベルトから、琥珀銃だけを引き抜いて拾い上げた。

 

「それが本命か……!」

 

 睨みつけるヴァルフレアに対して、レイズは返事を返す代わりに右手で琥珀銃を構えた。間髪入れずにそのまま連射。いくつもの光弾がヴァルフレアへと襲いかかるが、彼もまた間髪入れずに二刀を振るい、全ての光弾を両断した――そのときにはすでに、やつは。

 

「速いっ……!」

 

 見上げたヴァルフレアの視界に映ったのは、文字通り宙を跳んでいる少年の姿であった。跳び蹴りでもするかのように両足を揃え、その靴裏をヴァルフレアへと向けている。遺産の力を素通りさせる特殊金属製の靴底には、すでに光が収束していて。

 

「喰らえっ!」

 

 ごばぁっ!!! 津波のような爆発が、ヴァルフレアの姿を飲み込んだ。

 いや、違う。飲み込めてはいない。ヴァルフレアは爆発するより先に退避を選んでいたのだ。ゆえに紙一重でわずかに焼かれ、しかし紙一重で逃れられた。彼は爆風に乗る形で後退って、その残り香たる熱風に体を晒しながら「はぁ、はぁ……」と息を荒げた。

 その衣服や髪のところどころからはぷすぷすと煙が上がり、肌も少し火傷を負っていたが、もはやそんなことに構う猶予などない。

 なぜなら先ほど感じた直感が、すでに確信へと変わっていたからだ。

 

(やつは今はっきりと、空中で両足を使ってみせた。やはり……やはりそうなのか、レイズ……!)

 

 思考を続けるヴァルフレアの視線の先、徐々に淡くなっていく炎の向こうから「おい剣帝!」不意にレイズの声が聞こえてきた。

 

「アンタ、『氷天花(ひょうてんか)』って知ってるか!」

 

 突然の問いに、ヴァルフレアの思考が一度途切れた。

 

「いきなりなにを……だがその名は聞いたことがある。広範囲の土地に雪と氷を降らせる遺産だろう。正確には、旧文明の天候操作装置が今もなお暴走しているということだが……」

 

 ヴァルフレアは記憶を引っ張り出して答えながらも、頭の中で再び警戒と思考を巡らせる。彼我を遮る残り火を見つめながら。

 

(なにを企んでいるかは知らんが、これ以上時間を与えさせるわけにはいかない……そうだ。やつは今まで”地面から跳ぶ”ことに炎を使っても、”空中からの再跳躍”には一切使っていなかったのに)

 

 ――好きだーーーーーーーー!!!

 

(あの一瞬からなにかが変わった。再跳躍もそうだが、絶対防御もなしに果敢に接近戦を挑む戦いぶりも。そして炎の出力までもが、さらに高まっているように思える……)

 

 残り火が消えていき、ヴァルフレアの視界が晴れていくその一方で。

 

「そーだよ。雪でバイクは動かねーし、景色は一面真っ白でマジつまんねーし。だからさ、あそこを旅してるときすげー思ったんだ。『なんで俺、こんなとこにいるんだろう』ってさ」

 

 少年の思い出が空間に響き渡っていく。

 

(やつがなにを狙っているのかは分からんが、いずれにせよこれ以上時間を与えても、おそらくは……!)

 

 思考を研ぎ澄ましながら、ヴァルフレアは待っていた。炎に隠された視界が完全に晴れてレイズの姿が、その企みが露わになる瞬間を。

 

(視界を攪乱してからの不意打ちは旅客民(やつ)の得意分野。ならば剣帝《俺》は、白日の下でそれを真っ向から叩き斬る!)

 

 狙いは不意打ちへのカウンター。ゆえに剣帝は脱力する。肉体の力を抜き、精神だけを鋭く研ぎ澄ます。周囲の気配を色濃く感じ、あらゆる状況に瞬時に対応する。そんな構えと共に、その一瞬を待ち望む……と、不意に。

 

「でもあいつはきっと、そんなんでも楽しいんだろうな。初めて見る雪にはしゃいで、クソ寒い街の特産品に目を輝かせてさ」

 

 聞こえてくる思い出が、未来への想像に変わった。

 そのとき……ヴァルフレアの脳裏に一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、蒼い瞳がちらついた。

 

(こいつはなにを考えている。なぜ今、そんなことを語る……)

 

 半ば無自覚のうちに意識が惹かれる。それに応えるようにレイズの語りが続く。

 

「知らない場所も知ってる場所も、あいつと一緒ならどこへ行ったって楽しいんだ」

 

 炎が消えて、その対岸にようやくレイズの姿が露わになる。

 

「あいつと同じ物を見て、同じ物を食べて、一緒に語って、辛いことだって一緒に越えて! そしたら絶対! もっともっと楽しい景色が待ってるんだ!!」

 

 その姿を認めた瞬間――ヴァルフレアは、完全に確信した。

 

「やはり……今この瞬間も、お前は成長を続けているというのか!?」

 

 ヴァルフレアの視界には映っている。

 例えば、未だ地面に倒れたままのニルヴェアが。例えば、再び地面に置かれていたレイズの琥珀銃が。

 しかし今、ヴァルフレアの瞳が真に捉えているものはただひとつ。

 

「俺はそれが見てみたい! 俺はあいつと旅がしたいんだ!!」

 

 レイズは今、その場の誰よりも激しく輝いていた。

 齢15の幼き瞳は、しかし決して揺るがない眼光に満ちている。

 小さな左手は強く硬く握られており、その拳の隙間からは白い光が放たれている。

 だがしかし、なによりも、その右手……いや、それどころか右腕自体に激しい炎が宿っていた。蛇のように腕に巻きつき、さらにその先へと長く伸びて、煌々と輝く炎の渦。それを大きく振りかざし、そして一気に振り下ろす!

 

「だからっ! 絶対に!! 負けてたまるかぁぁぁぁ!!!」

 

 解き放たれた炎が大地を迸り、大気を喰らい、そして一気に膨れ上がる。その姿は正しく竜! 炎の咢をごうと拡げて、ヴァルフレアへと喰らいつく!

 

「う……うぉぉぉぉ!!」

 

 ヴァルフレアは裂帛の気合を叫び、十字二閃。縦斬りと横斬りを同時に放ち、真っ向から炎の竜を切り裂いた。しかしそれを退けてもなお、ヴァルフレアの表情に安堵や歓喜は浮かばない。むしろそれらとは真逆の感情と共にレイズへと問いかける。

 

「なんだ……その力は!?」

「決まってんだろ」

 

 答えは、消えゆく竜の向こうから。

 

「恋の力だっ!!」

 

 光の槍が、ヴァルフレアの眼前へと突き出された。レイズの右手に握られた琥珀銃が放った、容赦なき顔面狙いの一撃を。

 

「それでも……!」

 

 ヴァルフレアは全身をひねって紙一重でかわす。ピッと頬に一筋の火傷が走ったが、しかし構うことなどない。

 

「俺とて、負けられんのだ!」

 

 ヴァルフレアは狙いを定めた。光の槍を突き出した勢いで伸び切ったレイズの胴体へと、右の一刀をすかさず振り下ろし!

 

「だったら、もう一押しだ」

 

 レイズが笑う。

 その瞬間、光の盾が両者の間にねじ込まれ、激突の音が響き渡った。

 

 ――たぶんさ、光の盾がいくら無敵だって言っても兄上なら慣れればどうにかしちゃうと思うんだ。だからもしこの盾が破られたら、そのときはちょっと死んだふりしてみるから、レイズはなるべく喋って兄上を”引き出して”ほしいんだ

 

 ――だいぶ言ってる意味わかんねーんだけど……とりあえずあれか? 戦闘しながら話せってか? 大陸最強の剣士と?

 

 ――たぶん結構応じてくれるよ。その上で真っ向から打ち倒す……って感じの逸話もいくつかあるんだ。とはいえ1対1で兄上と戦うのはしんどいと思うけど……

 

 ――はっ……大物狩り(ジャイアントキリング)は得意分野だぜ。それに『ひっさつ死んだふり』か。いいじゃねーか、使えるもんは全部使うのがナガレの流儀だ!

 

 光の盾――絶対防御に剣帝の刃が弾かれて、蒼色と鈍色の視線が交差した。立ち塞がる者にヴァルフレアが歯噛みする。

 

「ニルヴェア……!」

 

 眼前の少女は声に応えるその代わりに、大胆不敵な笑みを返した。

 その瞬間、ヴァルフレアはその場から引くことを選んだ。即座にバックステップで下がったその直後、ほんの一拍遅れて光の槍が空白を穿つ。

 

「まだ追いつかねぇか!」

「退くぞレイズ!」

 

 直後、すでに絶対防御を解除していた二ルヴェアが煙玉をポーチから取り出して床へと叩きつけた。着弾の衝撃で玉が破裂し灰色の煙となって、その場をすぐに覆いつくした。

 

「やってくれる……!」

 

 ヴァルフレアは即座に双剣で煙を斬り裂いて、視界を確保。するとある程度の距離を置いてレイズが、そしてニルヴェアが。2人並んでヴァルフレアを睨みつけていた。

 

(ニルヴェアの意識があるのは気配で察していた。だが、まさかあの際どいタイミングで割り込んでくるとは……)

 

 今の連携はヴァルフレアの目から見ても噛み合っていた。それどころか、噛み合い過ぎていた。

 

 ――だったら、もう一押しだ

 

 そこでヴァルフレアは思い出した。先ほどレイズが”炎の竜”を放つ直前、その後ろにはニルヴェアが倒れていたことを。その位置取りの本当の意味を。

 

「仕込んだか、レイズ」

 

 ヴァルフレアの推察に対して、レイズは「はっ」と鼻で笑ってから堂々と言い返す。

 

「見誤んなよ剣帝。俺たちはいつだって2人で闘ってるん」

「兄上ぇ!!」

「なんで台詞被せた?」

 

 呆れたレイズの隣から、ニルヴェアが堂々過ぎるほどに堂々と大きく一歩踏み込んできた。羽根飾り付きのポニーテールをなびかせて、しゃきっと背筋を伸ばして、ぐっと顔を上げて!

 

「貴方にひとつ、物申したいことがあります!」

 

 それは誰がどう見ても、死闘に水を差す無粋な申し出であった。ゆえにヴァルフレアはただ無関心な視線を、そして声をニルヴェアへと放り投げる。

 

「お前との問答に意味などない……言ったはずだ。お前を殺す、と」

「言ってないだろ!!!」

「っ!?」

「ヴァルフレア・ブレイゼルなら、あそこは殺すと言ってからぶっ殺しに来る場面だっ!」

 

 ヴァルフレアは率直に思った。

 

(こいつはなにを言っているんだ)

 

 実はレイズもこっそり思っていた。

 

(こいつはなに言ってんだ?)

 

 しかしニルヴェアは止まらない。止まるわけがない。

 

「名前にしたってそうだ。兵器とか人造偽人とか、結局1度たりとも僕と向き合って本名を呼んじゃいない!」

「なにをわけ分からぬことを……」

「貴方は『カタログスペックが全てだと思ったか』って言ったな。ああその通りだよ、だって貴方の一貫性はカタログからでも十二分に伝わってくるんだ! そこらの三流記者にさえ律義に答えてしまうクソ真面目な人柄も!」

 

 ヴァルフレアは理解できなかった。その目に映るちっぽけな少女の意味不明な演説を。そして、それに耳を傾けてしまっている自分自身も。

 

(なぜ俺は動かない? なぜ俺はこんな話を聞いている?)

 

「ずっと貴方に憧れて、何度も何度も幼い日の邂逅を思い返して、来る日も来る日も貴方の情報を集め続けて、今日やっと貴方の本心を知って……僕はようやく、結論を導けた!」

 

 ニルヴェアはそこでいきなり右手の人差し指をピンと立て、天を指し、一気に降ろしてヴァルフレアへとまっすぐに向けて!

 

「剣帝ヴァルフレア・ブレイゼル! 貴方は嘘つきなんかじゃない! ここぞというときにしか嘘をつけない、超不器用な正直者だ!!」

 

(なにを……なにを言っているんだ)

 

 分からない。ヴァルフレアには分からない。

 

「ずっと二刀流にこだわって! ずっと剣帝にこだわって! なんでも自分で背負うことにこだわって!」

 

 目の前の少女の理論が、結論が、なにもかもが分からない。だがしかし、分かったことがひとつある。

 

(殺さなければいけない)

 

 なぜ? 分からない。しかし理由を問うより先に体が動いた。双剣を握りしめ、一直線にニルヴェアへと突っ込む。それでもニルヴェアは再び絶対防御を展開して、叫び続ける。

 

「『戦艦ヴァルフレア』なんて名前をつけたのも、その中にこんな罠ひとつないコロシアムを造ったのも、全部自分で背負うためだ! 罪を背負い、世界を背負い、民を背負う者として、先頭に立ち続けるためだ!」

 

 ヴァルフレアは足に力を込め、一気に跳躍した。それは絶対防御を飛び越えて、ニルヴェアの背後に回るためだったが。

 

「空中なら、こっちの方が有利だぜ!」

 

 同じく宙へと躍りでたのはレイズだった。彼はすかさずヴァルフレアへと右の蹴りを放つ。

 

「ちぃっ!」

 

 ヴァルフレアが二刀を交差させて盾にしたその直後、レイズの蹴りがその中心にぶち当たり、ドカンッ! 強烈な爆破がヴァルフレアの全身を弾き飛ばした。

 しかしヴァルフレアは即座に体を反らせ、弾かれた勢いで宙返り。すんでのところで足から着地して地面を滑る――その間も彼の耳には絶え間なく聞こえてくる。なにか得体の知れないものが迸っている少女の叫びが。

 

「そこまでこだわりのある人が今を捨てる? 自分を殺す? 馬鹿言うなよ!! できもしないことやろうとして、死んだ人間の声なんてわけ分かんないものにまで縋って!!」

 

 ニルヴェアの前に立ちはだかるように、レイズが着地した。ヴァルフレアはそれを見て反射的に叫ぶ。

 

「そこをどけぇ!」

「どうしたご機嫌じゃねーかぁ!」

 

 レイズは脚を大きく上げて、それからずどんと踏み込んだ。するとその脚の下から一気に炎が噴き出して、それはすぐに壁となって少年少女の身を護る。

 

「剣帝ヴァルフレアってのは、全てをその身ひとつで背負い、全てを真っ向から斬り拓く最強で最高の武人の名だろ!!」

 

『僕らの分まで』『君ならば』『お前しか』『貴方様なら』『貴方だけが』『君だけが』『お前だけが』『貴方だけが』『未来を』

 

 虚空に響く百の声が、ヴァルフレアの背を押し続ける。

 

(殺せ、殺せ、早く、殺せ!)

 

 ヴァルフレアは焦り、ゆえに躊躇なく炎の壁へと突っ込んだ。そのまま左の一刀を右へと振って、炎の壁を斬り拓く。すると壁の向こうではレイズが待ち構えていた、が、その顔はすぐに驚きへと変わる。

 

「なっ!?」

 

 レイズの目の前に、すでにヴァルフレアの姿はなかった。

 ヴァルフレアは炎の壁を斬りつけながら、一気に右方向へと走っていたのだ。レイズの意表を突くことで時間を稼ぎ、その間に部屋の壁へと接近すると、そこから一気に跳躍して、壁面を蹴りこみながら、ニルヴェアへと狙いを定める。

 ニルヴェアはまだ真正面を向いたまま精一杯叫んでいた。その手からは絶対防御も消えている。

 

「最高の武人が自分に嘘ついて、嘘ついていることからも目をそらして!!」

「もう……黙れっ!」

 

 ヴァルフレアはぐっと壁を蹴り、ニルヴェアへと飛び込む。だが――蒼の瞳は、すでにヴァルフレアを捉えていた。

 ガキンッ! 盾と剣がぶつかり合う音が再び鳴り響いた。

 

「絶対、防御……! 貴様、まさか誘って……!」

 

 がちがちと刃を防ぐ蒼き盾の向こうで、盾よりもなお蒼き瞳がさらに鋭く研ぎ澄まされる。

 

「みんなを裏切り続ける痛みも、苦しみも、ここにいない死人に全部押しつけて……!」

「やめろ」

「そこまでしても、弟ひとり殺すことさえままならない!」

「それ以上言うなっ!!」

 

 (ヴァルフレア)の端正な顔が歪み、苛烈に歯を剥いたその瞬間。

 

「そんな悲しい人なんて」

 

 (ニルヴェア)は、ただ寂しそうにほほ笑んだ。

 

「僕らの憧れた、ヴァルフレア・ブレイゼルじゃないですよ」

 

「!?!?!?!?」

 

 ヴァルフレアの視界はすでに塗り替わっていた。

 そこにいたはずのニルヴェアが、もうどこにもいなかった。

 その代わりに、

 

(炎が)

 

 違う。それは炎のように激しくなびく、赤銅色の髪であった。

 それに気づいたその瞬間、ヴァルフレアは反射的に退いて、しかしその直後、腹から胸にかけて強烈な痛みが走った。火傷の痛みであった。

 

「やあっと捉えられたな」

 

 ヴァルフレアの目に映ったのは、下から上へと光の槍を振り上げたレイズの姿であった。

 遅れてヴァルフレアは気づいた。自らの体が浅くではあるが光の槍で斬りつけられていたことに。もしもあと、コンマ一秒でも退くのが遅れていたら。

 

(死んだのか、俺は!?)

 

 どっと冷や汗が流れでた。逃げなければならない。一度退いて、体勢を立て直さねば……

 

「投げるぞ!」

 

 聞こえたのは少女の声だった。

 

(投げる? なにを、急いで、対処を)

 

 思考がまとまらないまま、足下で光がちかっと瞬いて――白い閃光が、ヴァルフレアの双眸を貫いた。

 

「ぐぅぅぅぅぅ!?!?」

 

 視界が壊れたように点滅を繰り返している。焼かれた胸の痛みがじくじくと訴えている。なんでもいい、なにかしなければ殺される!

 

「俺はっ……俺はぁ!!」

 

 ヴァルフレアはがむしゃらに動く。視界を潰されながらも、体に染みついた十年来の動きをもって双剣を鞘に収めた。そのまま一刀のトリガーを握りしめ、鞘ごと引き抜いてとにかく振るう。

 ズガガガガ! と床を抉る音が鳴り響き、しかしヴァルフレアにはなにも見えていなかった。

 

「なぜだ……!」

 

『貴方こそ――』『お前だ――』

 

 今のヴァルフレアには、なにひとつ見えていない。

 

「なぜっ……!」

 

『王よ――きm――……僕らの憧れた、ヴァルフレア・ブレイゼルじゃないですよ』

 

「なぜなにも聞こえない!?!?」

 

 

 

「なんか知んねーけど、ぶっ刺さったみたいだな」

 

 ヴァルフレアが振るった熱線。それは彼我の境界線となって、地面へと焼きつけられていた。

 境界線の向こう側ではヴァルフレアが頭を抱えて苦しんでいるが、しかし彼の引いた一線は未だ高温に紅く溶けて、踏み込むのもままならない。

 だが構わない。むしろちょうどいい。

 

「いくぜ、ニア」

 

 レイズはそう言って、すぐそばに立っているニルヴェアへと左手を差し出した。ずっと硬く握りしめていた拳をようやく開いて、その中に収めていた”それ”をニルヴェアへと見せる。するとニルヴェアが目を丸くした。

 

「これ、まさかエグニダの……拾っていたのか!」

 

 黒色の表面に白色の光。レイズの手の中にあったのは、ごく小さいがそれでも確かに『祈石』の欠片であった。

 

「手癖の悪さはナガレの流儀ってな。さっき”ぶっつけ本番”で試したんだけど、意思を乱せるならその逆も……意思を束ねて整えることだってできるんだ。だから……」

 

 レイズはニルヴェアへと顔を向けて、優しくほほ笑む。

 

「お前の想いも俺にくれ」

 

 その一言に1秒たりとも迷うことなく、ニルヴェアがレイズの手を握る。

 

「約束したろ? 今度は僕がお前を攫ってやるってさ」

 

 少女の両手が祈石を包むように、少年の手と重なった。すると手の中の祈石が、2人分の想いを光に変えて輝きを放った。

 ニルヴェアが、そっと呟く。

 

「本当に、お前の炎は綺麗だな」

 

 レイズの掲げた右腕には、すでに巨大な炎が迸っていた。

 2人の想いが形作ったのは――剣であった。長く、ぶ厚く、鋭い炎。部屋の天井にすら届くほどの莫大な熱量を想い2つで抑えこみ、そして一気に解き放つ!

 

「「いっけえぇぇぇぇぇぇ!!!!」」

 

 振り下ろされた炎の剣が、地面に引かれた境界線を堂々と踏み越えて、そして――

 

「がっ……ああああああああ!!!!」

 

 剣の王の悲鳴ごと、全てを紅蓮に呑み込んだ。

 

 

 ――全てが燃えていく。野望も、勝利も、そして未来も。

 

(俺は……負けるのか)

 

 ヴァルフレアの肉体が、そして心までもが、炎に焼き尽くそうとしていた。

 

(なにもかもを捨てた、捨て去ったつもりでいたのに、それでも中途半端なまま、なにも成せないまま)

 

 熱に霞んでいく意識の中で、暗くなっていく視界の中で。

 

 ――それでも今日ここで誓ったことは、絶対に忘れないから

 

 魂の剣が煌めきを放つ。

 

 

  ◇■◇

 

 

 ――7年前、ダマスティ城跡地――

 

「どうしてみんな、俺なんかを助けたんだろうな」

 

 ぽつりと呟いたヴァルフレアの目の前には、墓標が広がっていた。全てを灰にして、更地にして、その上に建てられた百の墓標が。

 

「すまない……俺はきっと、みんなが望んでいた俺にはなれないよ」

 

 今日は晴天。虚しいほどに高く広いがらんどうな空の下で、ヴァルフレアはひとり語り続けている。

 

「ただの良い領主じゃ前と変わらないんだ。みんなの命を奪い、背負ったというなら、俺はさらに高く飛ばなければいけないんだ」

 

 そしてヴァルフレアは1本の剣を掲げた。しかしちっぽけな剣では、青天井になんて未来永劫届かない。

 

「高く、もっと高く飛ばないと、この大陸を覆う悲劇と災禍には届かない。みんなの生きた証を正しく残すことすらできない……もしもそれが人に許されない領域だというのなら、俺は人間なんてやめてやる。正気じゃ死人に届かないというのなら、そんなものいくらでもくれてやる」

 

 ヴァルフレアは一閃。天から墓標へと剣を振るった。それからその剣を鞘に納めて、未来の自分に剣を誓う。

 

「その結果、これからの俺がどんなに歪んても、志すら忘れたとしても……それでも今日ここで誓ったことだけは、絶対に忘れないから」

 

 ブレイゼル領に古くから伝わる剣の誓い。それは託す者が剣を納め、託される者が剣を引き抜くことで誓いを成す。

 ヴァルフレアは鞘に納めた剣を再び引き抜いて、掲げた。

 

「みんなのおかげでここまで来れた。みんなの願いは無駄じゃなかったんだって、いつか胸を張って言える未来を創ってみせるから。だからもう少しだけ、待っていてくれ」

 

 

 ◇■◇

 

 

「「!?」」

 

 空間が、断ち斬られた。

 そう少年少女に思わせるほどに鋭い気配が炎の中心で吹き荒れて、

 

 ――斬!!!

 

 炎の剣が、×の字に斬り裂かれた。

 境界線の向こう側。散りゆく炎をしかと見て、レイズが体を震わせる。

 

「マジですげぇな、お前の兄貴」

 

 しかしニルヴェアは、目の前の光景が当然だとでも言うように、微塵も動じることなく前を見ている。

 

「今更なにを言ってるんだ……僕の兄上は、誰よりも最強で最高な兄上なんだぞ?」

 

 少年少女が見つめるその先。儚く消えゆく紅蓮の中心で、彼は堂々と立っている。

 しかし鞘型の琥珀武器は2丁とも吹き飛んでいた。常在戦場の改造軍服はぼろぼろに焼け焦げていた。かつてニルヴェアが『剣のようだ』と憧れ真似した銀髪も、その髪留めが焼かれたために無造作に広がっていた。

 そして、過熱された双剣の柄が今もなお、その両手をじゅうじゅうと焼き焦がしていた。

 彼はなにもかもがぼろぼろで、しかしそれでも双剣を落とすことなく、堂々と立っている。

 

「俺は正しく狂っている」

 

 彼が二刀流を使い始めてからおよそ10年。その双剣を落とした者は、このグラド大陸に誰ひとりとして存在しない。

 

現在(いま)の俺なんて俺にはいらない。最初から全てを捨てる道を覚悟したというならば、俺が俺でないというのは正しく未来へと進んでいる証拠だ!」

 

 グラド大陸最強の剣帝。ヴァルフレア・ブレイゼルが、立っている。

 

「俺は過去(あの日)の誓いを絶対に忘れない、消させない! 未来を掴むのは……最後に勝つのは、俺だ!!」



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4-10 剣と未来(後編)

「俺は過去(あの日)の誓いを絶対に忘れない、消させない! 未来を掴むのは……最後に勝つのは、俺だ!!」

「そうです。それでこそ……僕らの憧れた剣帝です!」

 

 信念を、命を、魂を、そして未来を賭けた死闘の幕は、ニルヴェアがヴァルフレアへと”斬りかかる”ことで切って落とされた。

 すでに冷めた境界線を踏み越えて、ガキンと音鳴り撃ち合ったのは、鋼の刃と光の刃。ヴァルフレアは双剣を重ねて受け止め、ニルヴェアは……その右の手のひらから、蒼い光を剣のように薄く鋭く伸ばしていた。

 

「盾が有りなら、こういうのも有りですよね……!」

 

 絶対防御というならば、絶対の攻撃力にもなり得るか。剣帝の二刀を押しこんで踏ん張るニルヴェアにヴァルフレアが瞠目する。

 

「この土壇場にきて使い方を拡げてきたか。お前もまた、大きな可能性を秘めているのだろうな」

「兄上っ……!」

 

 鍔競り合う剣と剣。ニルヴェアも、そしてヴァルフレアも1歩も引かない。

 

「お前は正しい。剣帝として、武人として、なにより俺自身として! なにを裏切ろうとも裏切ってはいけなかったものを、俺は貫徹できなかった! だからこそ!!」

 

 ヴァルフレアの双剣に力がこもり、「ぐっ……!」ニルヴェアの体をぐぐぐと押し込む。その最中、ニルヴェアの目は確かに捉えていた。心を殺した無表情でも、信念を見失った苦悶の表情でもなく、もはや一片の曇りさえない気高き武人の表情を。

 

「今ここで宣言する! 俺よりも俺を知り、未知なる可能性を宿し、いつか真の脅威に成りうるお前を……ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルを! 俺は今っ!! ここで殺す!!!」

 

 ガキィンッ! 双剣が凄まじい力で振るわれ、真っ向から絶対防御(光の剣)ごとニルヴェアの体を宙に浮かす。

 

「うわっ!」

 

 ニルヴェアは思わず絶対防御を解除してしまったが、なんとか両足で地面に着地できた――ときには、すでに二対の凶刃が迫ってきていた。だがしかし、その刃を止めるための絶対防御だ。

 

「させない!」

 

 両腕を突き出し咄嗟に盾を展開すれば、やはりというべきか再び双剣が阻まれた。その光景は、本日何度目かの焼き直し……いや、違う。

 ヴァルフレアの表情が、今までとは違っている。

 

「その力、精々あと1、2回といったところか」

「!?」

 

 ニルヴェアの表情が驚愕へと変わり、逆にヴァルフレアはふっと笑みを浮かべた。

 

「まだまだ甘いな」

「まさか、カマかけ!?」

 

 それに対するヴァルフレアの返答は、足であった。

 彼は両足で跳ぶと絶対防御へと足裏をかけて、そのまま一気に踏みこんだのだ。するとニルヴェアは勢いに押されてたたらを踏み、一方ヴァルフレアは空中でくるりと身を翻す。

 そして1秒前まで2人がいた空白を、紅の光弾が通り過ぎた。

 

「無駄にかっけー避け方しやがって!」

 

 射撃を放ったレイズは悪態を突きながらも、しかし重ねてトリガーを二度三度。

 

「鞘を失ったアンタにもう熱線(レーザー)はねぇ! だったら射撃で削り取るぞ!」

「分かった!」

 

 レイズの言葉にニルヴェアも動く。腰のベルトからハンドガンを引き抜き両手で構え、即座にトリガーを連射した。

 果たしてヴァルフレアへと襲いかかるのは、それぞれ別方向から放たれた2種の光弾。彼は先に飛んでくるレイズの光弾を迷わず双剣で斬り落としたが、しかし続く小粒の弾丸は斬り落とすこともかわすこともできなかった。

 使い手も銃も未熟な弾丸はその多くが外れながらも、しかしいくつかはヴァルフレアの四肢へと無作為に当たった。ほんの小さな火傷にヴァルフレアを止める力はなかったが「ぐぅ……!」しかし彼に確かな苦痛を。

 そしてニルヴェアに、確かな確信をもたらした。

 

(こんな攻撃にも対応しきれていない。いくら兄上でも限界が近いんだ。だったら……!)

 

 ニルヴェアは左手にハンドガンを持ち替えると、腰のベルトへと手をかけた。

一方でレイズは射撃と炎の弾幕をもって、ヴァルフレアの足を縫い留めにかかった。

 左手には祈石の欠片を握り、右手で琥珀銃のトリガーを絶えず引き、そして足からは炎を生み出し地を走らせて、ヴァルフレアの行く手を遮る。

 もはや何度目から分からない光弾を断ち斬って、その直後に迫ってきた炎を躱しながら、ヴァルフレアは「ちっ」と舌を打った。

 

「足1本で炎を走らせるとは、また厄介な技を……!」

「即席の思いつきだけど、剣帝のお墨付きを貰えるたぁ嬉しいな! せっかくなんだ。もうちょいこいつの調整に付き合ってもらうぜ……!」

「――レイズ!」

 

 レイズの耳に届いたのは、相棒の声だった。だから横目でそちらを見れば、その相棒がレイズの下へと駆け寄ってきているところであった。

 もちろんヴァルフレアもまたその光景を見ていたのだが、しかしニルヴェアが走りながらハンドガンで、さらにレイズも射撃と炎を重ねて牽制してきたために近寄ることができない。

 そのうちにニルヴェアはレイズの下へと到着して、彼にある物を突き付けた。それは……ニルヴェアが自分の腰から外したベルトであった。

 

「全部、お前に託す!」

 

 力強い言葉と眼差し。レイズはその意を即座に汲んで、迷わず応える。

 

「任せろ!」

 

 レイズは左手に握っていた祈石をポケットへとしまってからベルトを受け取り、失った自分のベルトの代わりに急いで腰へと巻きつけ始めた。

 だが、光弾と炎が途切れたことで動き始めた者がいた。ヴァルフレアが、少年少女を睨みつけて踏み込む。

 だかヴァルフレアの視界はすぐに捉えた。己が顔面を狙うように、くるくると飛んできた1丁のハンドガンを。

 そう、銃弾ではなく銃本体。ニルヴェアがその左手に持っていたハンドガンを、ヴァルフレアへと投げつけてきたのだ。それは苦し紛れの時間稼ぎか、はたまた別の目的があるのか。

 いずれにせよ剣帝として、やるべきことはただひとつ。

 

(障害は斬るのみ!)

 

 ヴァルフレアは迷わず、そして立ち止まらずに一刀を振るった。ハンドガンをあっさりと斬り捨てて――その向こうから1本の刃が飛んできていることに気がついた。

 ヴァルフレアはすぐに思い出した。ニルヴェアのベルトにはハンドガンの他に、サバイバルナイフも差さっていたことを。

 どうやらニルヴェアは『全部託す』と言いながら、こっそりサバイバルナイフを抜き取っていたらしい。

 

(いけしゃあしゃあと、言ってくれるな)

 

 ヴァルフレアの口角が自然と上がった。視界の中ではゆっくりと、サバイバルナイフが迫ってきている。死闘の中で引き延ばされた一瞬が、ヴァルフレアに思考の時間を与える。

 

(このままでは腹に刺さるか。斬れないわけではないが、しかし距離が近すぎる。立ち止まらなければ斬れないが、立ち止まっている暇などない。ならば――己が躊躇を、断ち斬る)

 

 果たしてヴァルフレアは選んだ。彼は走りながら両腕を広げて――庇った。腕を庇い、腹でナイフを受け止めた。

 

「ぐぉ……!」

 

 ぼろぼろの軍服からじわりと血がにじみ、肉体が痛みという形で警告をやかましく鳴らしたが、しかしそれを振り払って駆け抜ける。

 

(剣士の命は(ここ)にはない。腕が使えれば、剣は振るえる!)

 

 ヴァルフレアの真正面には少年少女が映っている。2人ともがヴァルフレアに対して驚愕の表情を浮かべていたが、しかしニルヴェアの方がレイズを庇うように立ち塞がってきた。

 そしてやはり即座に展開された、絶対防御。かつての剣帝ですら破れなかったという蒼き盾を前にして……ヴァルフレアは、ほほ笑んだ。

 次の瞬間、絶対防御に奔る二重の閃光――そして、なにかが砕ける音がした。

 

「ニアーーーー!!」

 

 それはベルトを付け終えた直後。レイズの視界に映ったのは四方に飛び散る光の破片と、なにかに弾かれたかのように吹き飛んだニルヴェアであった。

 レイズはすぐにニルヴェアの下へと走り出したが、ニルヴェアの方は受け身も取れず地面を無造作に転がっていった。

 

(なんだ、なにが起こった!?)

 

 決して砕けないがゆえの絶対防御、それが砕かれた。その現実に動揺しながらも、レイズはすぐにニルヴェアへと追いついて、その体を見下ろし……息を飲む。

 

「っ……!」

 

 ニルヴェアの両腕は、なぜか細かい切り傷のようなものでずたずたに引き裂かれており、そこからの出血で真っ赤に染まっている。ひどい有様であった。

 

(なんだこれ。一体なにが)

過負荷(オーバーロード)……」

「!?」

 

 レイズがすぐに振り返れば、視線の先ではヴァルフレアが腹からナイフを引き抜いていた。

 

「ぐっ……!」

 

 血に染まったナイフを無造作に投げ捨てて、それからレイズたちを見据えて語る。

 

「絶対防御といえど、完全な無敵ではない……一筋でも亀裂が入れば、超高密度のエネルギーは即座にバランスを崩し、暴走を起こし、使用者への反動となってその肉体を傷つける……ぐっ。はぁ、はっ……」

 

 ヴァルフレアは息を荒げ、満身創痍な姿を見せながらも、しかし彼の言葉はあるひとつの現実を示していた。

 

「こうも何度も撃ち込めば、脆く揺らいだ部分のひとつも見えてくる。言っただろう、断ち斬れぬものを断ち斬れぬままで、剣帝は名乗れんと……!」

 

 ここにきて、ヴァルフレアの剣はさらに研ぎ澄まされている。

 立ちはだかる現実が、レイズの身をぞくりと震わせる。

 

「なにが見えてんだよ、アンタ……」

 

 そのときレイズの脳裏に過ぎったのは、全てを断ち斬る一閃を振るう女侍の姿であった。

 

「これだから、剣士ってやつはろくでもねーんだ」

「それでも、勝つのは、僕たちだっ……!」

「「!」」

 

 レイズが驚き振り返り、そしてヴァルフレアもまた目を見開いた。

 2人の視線の先で、ニルヴェアがゆっくりと起き上がった。血まみれの両拳を硬く握り、蒼の瞳でヴァルフレアをぎろりと睨んだ。

 

「まだ立ち上がるか。まったく、ここまで頑固だったとはな……」

「貴方が頑固だから、僕はもっと頑固になれるんですよ」

「ふっ、言ってくれる……だがニルヴェア。今やお前に手持ちの武器はなく、そして絶対防御もおそらくは残りわずか……そうでなくとも、俺とて今のでコツを掴んだ。お前が何度でも立ち上がるというのなら、何度でも断ち斬るまでだ。お前の力が、可能性が、全てが尽きるそのときまで……!」

 

 剣の王が、気迫を威と化し解き放った。

 空間に充満する威圧感(プレッシャー)がニルヴェアの肩をわずかに押しこんだ。しかしそれ以上はない。両足でしかと踏ん張り、口からは血の混じった唾をぺっと吐き捨て、ついでにおまけの一言も吐き捨てる。

 

「やれるもんならやってみろ」

 

 威圧を弾いて喧嘩を売りつける。少女の言葉が呼び覚ましたのは、その傍らに立つ少年の確信であった。

 

(ここが限界。ここが、賭け時だな)

 

 レイズは分析した。自身と相棒の体力と気力。手持ちの道具。それになにより絶対防御の残数……。

 全てが訴えている。ここしかない、と。だから!

 

「ニア、さっきのもう1発やるぞ!」

 

 レイズはそう呼びかけながら、琥珀銃を二ルヴェアへと託す。するとニルヴェアも迷うことなく琥珀銃へと手を伸ばした。

 

「任せろ!」

 

 ニルヴェアが琥珀銃を預かると、レイズは再び祈石を取り出して左手に乗せた。すぐにニルヴェアの手も重なった。想いと想いが重なり合って、祈石が光を放つ。

 2人の想いを炎に変えて、レイズが右腕を振りかざした。再び紡がれる炎の剣。それをヴァルフレアは……その場を動くことなく、ただじっと見つめていた。

 

「断ち斬れぬものを断ち斬れねば、剣帝は名乗れん……」

 

 己が肉体を限界寸前まで焼いた炎。煌々と燃え盛る力を前に、今度は真っ向から双剣を構えて挑む。

 

「……来い!」

 

 その闘志にレイズもまた、炎をさらに激しく燃え上がらせながら応える。

 

「なぁ剣帝。文句は色々あるけどさ……それでも、アンタと全力で闘えて良かったよ。だからちゃんと、こういうことは言わなきゃな!」

 

 言葉に、炎に、ありったけの想いを乗せて、必殺の一撃を振り下ろす。

 

「アンタの大事な弟は、俺が一生を懸けて攫わせてもらうぜ! お義兄(にい)さん!!」

 

 ごうっ! 風を斬り、空気を喰らい、炎の剣がヴァルフレアへと迫りくる。しかし――斬!! 交差する二閃が剣を切り裂き、炎は火の粉へとあっという間に散らばっていく。

 だがその最中にヴァルフレアは感じていた。遺産の力を断ち斬ろうとも決して断ち斬られない闘志を。全身全霊、正真正銘の必殺の予感を。気配は、正面から来る。

 

「レイズ。お前ならば来るはずだ」

 

 ヴァルフレアは知っている。あるときは視覚外から、またあるときは炎の中から幾度となく強襲してきた光の槍を。その直撃すれば必殺の一撃を容赦なく急所へと突き立ててきた、レイズの殺意を。

 

(あの炎は2人がかりの必殺。だがレイズ、お前1人の必殺はまだ終わっていないはずだ!)

 

 ゆえに受けて立つ。ゆえに待ち構える。火の粉渦巻く世界の中で。

 

(炎や光弾ならば斬って打ち消す。だがもしも光槍ならば……突き立てられるよりも速く、お前を斬る!)

 

 その読みがどこまで正しいのか。それはこの死闘の果てにしか分からないのだろう。

 ただひとつ、火の粉渦巻く向こう側にある事実として――レイズは今、左手には祈石を。そして右手には琥珀銃を握っていた。

 

(なぁヴァルフレア。俺さ、正直アンタのことが嫌いだったんだ)

 

 ニルヴェアを置いて、レイズはひとりで走り出していた。

 

(ニアにあーだこーだ尊敬されてんのが腹立つし、そんなニアを裏切ったのも腹立つし、あと二刀流ってのも無駄にかっこよくてやっぱり腹立つ)

 

 目指すは眼前、断ち斬られて散りゆく炎の中。槍を突き出すように琥珀銃を構えて、一直線に飛び込んでいく。

 

(だけどアンタと闘って分かったんだ。アンタはすげー強くて、すげー真面目で、そんで……すげー潔いやつなんだって)

 

 紅蓮の中に、銀の髪と二対の刃。ヴァルフレアの姿が見えた。

 

(だから俺も頑張りたいんだ。アンタみたいに、ニアに憧れて貰える男になりたいから――)

 

 レイズは祈石を握りしめて、琥珀銃へとありったけの力を注ぎ込んだ。銃口から、紅い光が迸る。

 

「――来るか!」

 

 炎の向こうに殺気を感じて、ヴァルフレアも動いた。

 すでにその視界は捉えている。赤銅色の髪の少年を。そして琥珀銃から伸びる光の槍を。

 

(やはり光の槍か、ならば!)

 

 ヴァルフレアは即座に右の一刀で狙いを定めた。脳裏に描くは光槍をかわし、琥珀銃を斬り、そのままレイズの首を落とす一筋の軌道。果たして刃を振るい、それを辿る――その瞬間。

 

「俺も、潔くなるぜ」

 

 琥珀銃がぼこりと奇妙に膨れ上がり、歪んだボディの隙間から、眩く紅い光を放ち。

 ヴァルフレアはようやく悟る。レイズが本当に狙っていた一撃は、必殺などではなく。

 

「まさか、自爆――」

 

 光が爆破に昇華して、2人の姿を飲み込んだ。

 徐々に散りゆくはずの火の粉が一瞬で吹き飛ばされ、その代わりに灰色の煙があたり一面を塗り替えた――と、煙の中から2つのなにかが吹き飛んだ。

 片やくるくると縦回転して、ざくりと地面に突き刺さった。天井の明かりできらりと輝いた1本のそれは、ヴァルフレアの剣であった。

 そしてもうひとつは、地面にどさりと落ちるとそのままごろごろ転がって、最後にはうつ伏せでぶっ倒れた。それは1人の小柄な少年……レイズであった。

 

 ――あの銃はさ、一定量以上の過剰なエネルギーを注ぐと、ボディが耐え切れずに爆発するような設計になってんだよ

 

 レイズの全身には壊れた銃の部品がいくつも突き刺さっている。全身から血がにじみ、あるいは流れている。爆発の直撃に加え、多量の出血。レイズにはもう、立ち上がる力など残されてはいなかった。

 だけど、それでも……その顔に、後悔の色は一欠片もなかった。

 

(俺は、俺のやるべきことを果たしたぜ……)

 

 ――この十年間、兄上が双剣を手放したことは一度たりともない。それは逆に言えば双剣のうち1本でも奪えれば、十年間使い続けてきた二刀流を打ち砕けば、そこには絶対隙ができるってことだ

 

 ――理屈は分かるけどよ、それでもまずは奪うための一撃。それをぶちこむための隙を作らなきゃ始まんねーだろ?

 

 ――うん。だから……僕らはぎりぎりまで、兄上を”殺すつもり”で戦おう。そしたらさ、きっとそこには意識の差が、付け入る隙が生まれるはずだ。僕じゃ無理だと思うけど、お前なら突けるだろ?

 

 ――突けるだろ? って無茶言ってくれるなぁ。そもそも、本気で殺しにいったら本当に殺しちまうかもしれないぜ?

 

 ――ぜーったいに無理だから安心してぶっ殺しにいけよ! なんせ僕の兄上は、最強で最高なんだからな!

 

 うつ伏せのまま顔だけを上げた少年の瞳には、少女の姿が映っている。金のポニーテールをなびかせて、煙の中へと飛び込んでいく勇ましい姿が映っている。

 少年が、力なき声を力いっぱい張り上げる。

 

「行けよニア――ぶっ飛ばせ!」

 

 

 炎に代わって灰煙が渦を巻いているその中心で、ヴァルフレアは未だに踏み止まっていた。

 右手の剣は爆発に弾き飛ばされ、全身には銃の破片がいくつも刺さり、それでも剣帝は倒れない。退かない。なぜなら彼にはひとつの確信があったから。

 

(この状況こそがお前の真の狙いか、レイズ!)

 

 ヴァルフレアにそう判断させた理由は、ただの爆発の煙にしては異様に濃い灰色の煙にあった。

 

(自爆に紛れて煙玉を撒き、ダメージを与えながら視界を潰す二重の策……)

 

 手癖の悪さはナガレの流儀。ヴァルフレアの推察通り、レイズは自爆の瞬間、密かに用意していた煙玉を撒いていたのだ。

 

(己の身を犠牲にした1度きりの賭け。ならばここしかないはずだ。そうだろう、ニルヴェア――!)

 

 瞬間、ヴァルフレアの身を突き刺すような闘気が襲った。対して反射的に左の一刀を構えた直後、

 

「――兄上ぇぇぇぇぇ!!!」

 

 甲高い叫びが煙の向こうから迸ってきた――その瞬間、ヴァルフレアの脳裏には少年少女との死闘、その全てが過ぎっていた。

 光と炎の連携も。

 本気でこちらを殺しに来たレイズの殺意も。

 何度倒れても立ち上がってくるニルヴェアの闘志も。

 そしてニルヴェアが、すでに全ての武器と道具を手放していることも。

 

(この綱渡りのような死闘、秘密兵器があるならばとうの昔に出ているだろう。ニルヴェア……全ての武器を失ったお前が俺を殺すには、絶対防御――光の剣しか方法がないはずだ!)

 

 剣のような双眸を、さらに鋭く研ぎ澄ます。視界不良の煙の中で、たった一筋の光を探して。

 

(遺産だろうが、光だろうが、弟だろうが、何度だって断ち斬って!)

 

 そのとき、灰色の中で一筋、ちかりと光が瞬いて――神速の一閃が、一切合切を断ち斬った。

 全力で振りぬいた左の一刀が、煙も光も両断して視界をぶわっと斬り開いた。

 全てが白日の下に晒されて……ヴァルフレアは、絶句する。

 

(――ナイフ!?)

 

 そこにあったのは、天井の明かりで輝く小さな刃。そして刃を失った小さな柄だけであった。

 

(しまった! やつはどこに……っ!?)

 

 煙が消えて視界が晴れた今、ヴァルフレアはすぐにその姿を見つけることができた。

 なぜならばニルヴェアは、ヴァルフレアの懐で、全身全霊でぶん殴る体勢に入っていたのだから。

 地に脚を踏み込み、腰をしっかりと落として、全身を捻り、拳を硬く握りしめて。完全に殴る気しかない。防御をかなぐり捨てたその体勢に、ヴァルフレアは直感する。

 

(斬れる!)

 

 全力で振りぬいた左の一刀を引き戻す時間はない。だがしかし、まだもう1本がある。だからこその二刀流。

 ゆえにヴァルフレアは右の一刀を振りぬくべく、右手を硬く握りしめ――そして思い出した。

 レイズの自爆によって、右手の剣がすでに奪われていたことを。

 

「っ――――!!!」

 

 彼が二刀流を覚えてからおよそ十年。その双剣を手放させた者は、このグラド大陸に誰ひとりとして存在しなかった……ほんの少し前までは。

 一刀は弾き飛ばされ、一刀は空を斬り、がら空きになったその腹へと。

 

「だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 ――貴方を1発、ぶん殴る!!

 

 全身全霊の拳がまかり通った。

 ヴァルフレアは、悲鳴すら上げることなく吹き飛んだ。最後の一刀をも手放し、腹部の刺し傷から血を撒き散らして、自らが造った闘技場を跳ねて、転がって、そして止まった。最後に息をひとつ吐く。

 

「かはっ……!」

 

 もはやヴァルフレアには、指1本動かす力すら残っていなかった。

 

(俺は……負けたのか……?)

 

 実感が湧かない。

 思考がはっきりしない。

 それどころか視界に映る無機質な天井は、徐々にその光度を落としていく……明かりが消えるのではない。消えていくのは自らの意識だ。

 それを自覚して、ようやく納得する。

 

(俺は……負けたのか……)

 

 全身を蝕む虚脱感。すーっと暗くなっていく視界の中に……ひょっこりと、蒼い空が映りこむ。

 

「実はもう、絶対防御なんて残っていなかったんですよ。これっぽっちも」

 

 すると意識を失いかけていたはずなのに、気づけば口が動いていた。

 

「そうか……お前たちはずっと……本当に、1発殴るためだけに……」

「レイズと約束してたんです。『俺たちはどうせ細かい連携なんてできないんだから、一度決めたことはなにがなんでも貫き通せ』って」

「決めた……こと……」

 

 そこでヴァルフレアの言葉は途切れた。もう口を開く力でさえ、彼には残っていなかった。それでも兄を誰よりも知る弟は、その意思を確かに汲み取っていた。

 

「レイズが剣を1本弾き飛ばして、そしたら僕がもう1本をどうにかする。最初は絶対防御で止めてそのままぶん殴る……とか考えてたんですけど、そしたらあっさりと絶対防御ごとぶっ飛ばされてしまって。でも兄上なら絶対防御でもいつか破るだろうって思っていたから、サブプランもいくつか考えていたんです。それが死んだふりだったり、あえて絶対防御を見せつけて意識させたり……一応、そのあたりまでが予め考えていた作戦です」

 

 その解答にヴァルフレアは「ふっ」と小さくほほ笑んだ。戦闘後に自己分析を欠かさない男は、自らの敗因を理解して……いや、まだひとつ、疑問は残っている。だから最後の力を振り絞って問いかける。

 

「あの、ナイフは……最初から……?」

「あー、その……まぁ死んだふり以降はそれを狙って、あえてレイズに手持ちを全部渡したり、盾が破られても強がったり、小細工をいくつか仕込んでたわけですけど……でも実はお恥ずかしい話なんですが、正直、ただの思いつきだったんですよ。死んだふりしている間にちょっと閃いたんです。兄上はきっと”僕”じゃなくて、”僕の力”を見ているんだなって」

 

 薄暗い視界の中で、弟が照れくさそうにはにかんだ。

 

「だから……もしかしたら僕自身と同じもの。なにも斬れない、なんの力もないただのお守りなら、貴方の隙を作れるんじゃないかなって。本当に、それだけの思いつきなんです」

「……ああ……」

 

 ヴァルフレアはその瞬間、全てを悟った。最後に斬ったナイフの正体を。

 

「そうか……」

 

 そして、自分が本当はなにに敗北したのかを。

 

(俺の野望を止めたのは、俺が、託した――)

 

 意識が深く、沈んでいく。

 

 

◇■◇

 

 

 ――7年前――

 

 今日も空は蒼く、そして果てしない。

 

「すまないな、ニルヴェア。しばらくお前とは会えなくなる」

 

 当時18歳のヴァルフレアは、当時8歳のニルヴェアの頭を優しく撫でながらそんなことを言った。

 するとニルヴェアは撫でられる感触にくすぐったそうに身を揺らして、しかしすぐにその幼い顔に心配げな表情を浮かべる。

 

「屋敷の兵士たちが話してました……戦争、なんですよね?」

 

 ニルヴェアの言う通り。時はダマスティ領が条約を破り、ブレイゼル領へと戦争を仕掛けてきた直後であった。そしてヴァルフレアは剣帝の息子として、そして精鋭揃いの騎士団を預かる団長として出立する。今日はその1週間前であった。

 だがしかし、ヴァルフレアは気負いの欠片も感じさせない安らかな微笑みと共に問いかける。

 

「この俺が負けると思うか?」

 

 ニルヴェアは迷いなく答える。

 

「負けません! だって僕の兄上は最強で最高だから!」

「最強で最高は言い過ぎだ。父上や師匠に比べれば、俺はまだまだ未熟者だ」

 

 ヴァルフレアは楽しさ多めな苦笑を見せたあと、しかしすぐにその表情を真面目なものへと切り替えた。

 

「ニルヴェア。お前の夢はなんだ?」

 

 ニルヴェアは元気いっぱいに答える。

 

「兄上のような武人になることです!」

 

 するとヴァルフレアは、少しだけ視線を落として、ためらって……しかしやがて口を開く。

 

「レプリ・ブレイゼル」

「!」

 

 ニルヴェアは目を見開き、体をきゅっと縮めこませたが、それでもヴァルフレアははっきりと告げる。

 

「お前は妾の子であり、屋敷に軟禁されている不自由な立場だ。ゆえに決して俺たち本家と同等にはなれないだろう。お前がいくら俺に憧れていても、その夢は届かない運命なのかもしれない……」

 

 ヴァルフレアは顔を上げて、しっかりとニルヴェアを見つめて言う。

 

「それでもお前は、その夢を目指すのか?」

 

 鈍色の瞳が見つめるその先で、ニルヴェアは視線を落としてしゅんとした。お互いに沈黙が続く。5秒、6秒、7秒……ヴァルフレアもまた、しゅんと視線を落としてしまった。

 

「その、すまなかった。お前の夢を愚弄するつもりとかはないのだが……」

 

 少し慌てて弁護をしつつ、ヴァルフレアは面を上げた――その先に、蒼く果てしない空が広がっていた。

 大きくて、まんまるで、幼い瞳で、少年はまっすぐ前を向いていた。

 

「大丈夫です! だってもし兄上なら、家とか決まりとかそんなもので諦めないから! ですよね!」

 

 始まりと終わりを司る蒼き月。それと同じ色を背負った瞳は、ブレイゼルと血が繋がっていない確かな証。少年が本来は人造偽人(レプリシア)……人ではなく、古代の兵器である証。

 だけど、それでも、そんなことは関係なく。ヴァルフレアはその瞳を愛していた。

 

「ああ……その通りだ」

 

 狭き運命の中で、しかし誰よりも自由であろうとするその蒼が。ヴァルフレア以上にヴァルフレアを信じて同じ信念を貫こうとしてくれるその蒼が、ヴァルフレアは誇らしかった。

 

「お前の瞳は、本当に綺麗だな」

「?」

 

 ニルヴェアは1度きょとんとして、しかしすぐにぱぁっと花咲くような笑顔を見せる。

 

「それ、この前アイーナにも言われました!」

「……アイーナ?」

「はい! この前ウチに来た使用人(メイド)の子なんですけど、ぼくと同い歳なんですって!」

「ああ、こないだブレイゼル家(ウチ)で引き取った孤児のひとりか……と、あまり長話している暇もないな。そろそろ用件を済ませなければ」

「用件?」

「ああ。お前に渡したい物があるんだ」

 

 ヴァルフレアは懐から、1本の短剣を取り出した。

 

「ニルヴェア。お前にこの短剣と、そして『剣の儀式』を捧げよう」

 

 瞬間、ニルヴェアの瞳がわっ! と輝きを放った。元々丸い目をさらに丸くして、短剣を見つめている。

 そしてその期待に背を押されるように、ヴァルフレアはその場に屈んで短剣を鞘からそっと引き抜く。

 緻密な装飾が施された鞘から、刀身がゆっくりと姿を現す……瞬間、刀身がちかりと太陽の光を反射して瞬いた。

 良く磨かれた美しい刀身を見て、ニルヴェアは真っ先にこう思った。

 

(まるで太陽をぎゅっと押し固めたみたいだ)

 

 ニルヴェアは、短剣の輝きにただひたすら見惚れていた。その視線に苦笑しながらヴァルフレアが言う。

 

「さすがに刃は潰してあるぞ。ゆえに実戦では使えないが……それでも剣は剣だ。だからニルヴェア、まずはこの鞘を受け取れ」

「鞘を……?」

「ああ。そして鞘の口を俺に向けるんだ」

 

 ニルヴェアはおずおずと鞘を受け取ると、ぽっかり開いた鞘の口をヴァルフレアへと向けた。これが『剣の儀式』の始まりの合図であることを、ニルヴェアはなんとなく理解した。

 一方でヴァルフレアはどこか厳かな雰囲気を漂わせ、しかし優しく微笑みながら短剣で空を切り始める。

 まずは、上から下へ。

 

「剣の儀式は王から騎士へ、師から弟子へ、あるいは親から子へ……剣を託し、託されるときによく行われる儀式でな」

 

 続いて、左から右へ。

 

「細かい作法は数あれど、基本的には剣を託す者がそれを鞘へと納め、両者が剣に誓いを立てて、そして託される者が剣を引き抜き掲げることで成立する……」

 

 十字を切り終えたヴァルフレアは、ニルヴェアが口を向けている鞘へと短剣をそっと差し込んで、そして問いかける。

 

「ニルヴェア。お前はこの剣になにを誓う?」

「ぼくは……」

 

 問われたニルヴェアは、その小さな両手に握りしめた鞘を、その中に納まっている短剣を見つめて……やがて小さな口を大きく開く。誓いはもうとっくに決まっていた。

 

「ぼくは、兄上のような武人を目指します!」

 

 蒼の瞳をめいっぱいに輝かせて、ありったけの願いを剣に込める。

 

「どんなやつより強くて、なによりもまっすぐで、誰よりもかっこいい。そんな男にいつかぼくもなってみせます!」

 

 その宣言を聞き届けて……ヴァルフレアは鈍色の目をそっと伏せた。そして静かに言葉を紡ぐ。

 

「戦場は、騙し合いが支配する」

「兄上……?」

「もしかしたら、そこには真実なんて存在しないのかもしれない。そして俺たちは常在戦場。人生という名の戦場からは決して抜け出すことができない。ならば俺たちは、いつだって嘘の中を生きているのだろう」

「えっと……」

 

 まだ今年で8歳。幼きニルヴェアに、ヴァルフレアの言葉の意味はあまり理解できなかった。ただそれでも、なんとなく。

 

「全部嘘って、それはなんだか寂しいですね……」

 

 ニルヴェアの表情を不安が曇らせた。しかしヴァルフレアはすぐに面を上げると、ふっと優しく笑いかける。

 

「だからこそ、俺はこの剣に誓おう。剣と共に在り続ける、ブレイゼルの名に懸けて」

 

 ヴァルフレアは、ニルヴェアが持つ短剣の柄に手を重ねて誓う。

 

「お前がお前で在り続ける限り、お前は俺の弟だ……この先にどんな宿命が待っていようともこの剣に懸けて、俺の命に懸けて、この誓いだけは決して裏切らない」

「兄上……」

 

 このときのニルヴェアはなにも知らなかった。

 自分の正体も、これから待ち受ける運命も。だけど、それでも、誰よりも尊敬する兄がすごい約束をしてくれた。それだけでもう十分だった。

 

「……はい! ぼくも絶対にずっと、兄上の弟です!」

 

 元気いっぱいな約束を貰って、ヴァルフレアも笑顔を深めた。

 

「これで俺もお前も誓いを立てた。あとは剣を引き抜き掲げれば、それで誓いは成される……やってみろ」

「はい!」

 

 ニルヴェアは小さな左手で鞘を持ち、小さな右手で柄を握り、そっと剣を引き抜いた。

 なにも斬れやしないが、なによりも美しく光る。誇り高き鈍らの剣を、ニルヴェアは高らかと掲げた。

 太陽が短剣を輝かしく照らす。

 蒼き瞳にその輝きが焼きつく。

 興奮で頬を紅潮させたニルヴェアを……ヴァルフレアは、なぜか悲しげな目をして見つめていた。

 

「……正直言うと、怖いんだ」

 

 不意に呟かれたその言葉の意味が、ニルヴェアには分からなかった。あの兄上が……怖がっている?

 

「敵はダマスティ領ひとつ。こちらは条約連合軍。元より有利な戦いで、その上でなにもかもを万全に整えて……それでもずっと、嫌な予感が消えないんだ。なにひとつ根拠がない。誰に話すこともできない。そんな漠然とした不安に、こんなにも怯えている……」

 

そのときのヴァルフレアの表情は、幼きニルヴェアにとって初めて見たものであった。

 

「俺は、臆病者だな」

 

 ヴァルフレアが言いきった。しかしその目の前には、ぽかんと目を丸くした少年が1人。

 

「……あ、いや、すまない。せっかくの誓いに水を差すつもりはなかったんだが……今のは忘れ」

「恐れこそが武器なんですよね!」

「!」

 

 ニルヴェアがずずいと迫ってきた。8歳の顔と18歳の顔がぐっと近づく。

 

「正直、ぼくには兄上が負ける姿なんて考えられません。兄上が仰ることもよく分かりません。でも、でもでも! 兄上はかっこいいんです! 怖がったって、負けたって、逃げたって、かっこいいんです! えっと、えっと、その……そう!」

 

 ニルヴェアは託された短剣を右手でぎゅっと握りしめて、断言する。

 

「それでも最後に勝つのがヴァルフレア・ブレイゼルなんです! だから絶対、大丈夫です!!」

 

 ヴァルフレアは呆然として……それから気が抜けたように、柔らかい笑みを浮かべた。

 

「……そうだった。確かにお前の言う通りだ」

 

 ニルヴェアがふんすと胸を張ってドヤ顔を見せた。その幼い顔と、そして陽の光に輝く短剣とを見比べてヴァルフレアは言う。

 

「みんなが、父上が、お前が信じてくれるから、俺は俺でいられる。俺はみんなが信じてくれるヴァルフレア・ブレイゼルで在りたいんだ」

 

 ヴァルフレアはニルヴェアの手を、短剣を握っている小さな手を、自らの節くれだった手で上から包み込むように握り、祈る。

 

「だから兄としての誓いではなく、俺自身の願いとして……お前に頼む。どうか忘れないでくれ、今日の誓いを。この剣の輝きを」

「……!」

 

 ニルヴェアは、兄の願いを叶えている。

 

「いつだって、どんなときだって。迷ったときは剣に従うんだ。たとえ誰になにを言われようとも、お前を取り巻く全てが嘘であったとしても……」

 

 ニルヴェアは今日というこのときを、これから一瞬たりとも忘れない。

 

「お前はお前だけの剣を信じろ。真実はいつだってそこにある」

 

 その願いはいつまでも、いつまでも……ニルヴェアの中心に、刻みこまれている。



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エピローグ&プロローグ 蒼き瞳とナガレゆく

 包帯の巻かれた小さな手が掴んでいるのは、1本の短剣であった。刀身のほとんどを斬られて失った、もはや短剣と呼べるのか怪しいそれを、しかしニルヴェアはほほ笑みと共に眺めている。すると不意に、聞き慣れた声が耳に届く。

 

「待たせたな。ちょっとバイクの改造に手間取ってよ」

 

 ニルヴェアが顔を上げれば、そこにはレイズが立っていた。ニルヴェアはベンチに座ったまま返事を返す。

 

「いや、こっちもさっき一通り終わったところだから」

「そっか。それで……”検査”はどうだったんだ?」

 

 ここは、待合室であった。

 どこのかと言われれば、剣の都に存在する『越境警護隊ブレイゼル支部』。そこが保有する施設のひとつである病院の待合室であった。

 

「ああ、それなら問題なかったよ。とりあえずはな」

 

 『戦艦ヴァルフレア』での決戦からおよそ1週間。レイズとニルヴェアはグラド大陸史に残るような大犯罪を止めた協力者として、聴取とか報酬とか治療とかその他諸々のために、しばらくこのブレイゼル支部で世話になっていたのだ。

 そして今、少年少女が待合室のベンチに座って喋っている内容もその一環であった。

 具体的にはニルヴェアの……人造偽人の健康状態についてである。

 

「とりあえずって……引っかかる言い方だな」

「一通り検査したけど、僕の体は普通の人となんら変わらなかったってさ。異常な再生能力も結局『揺り籠』に入っていた一度きりだった。絶対防御を生み出す”光”だってすっからかんのままで、1週間経っても全然戻らないんだ」

 

 ニルヴェアはつい先ほどまで、その体に精密検査を受けていた。それは人造偽人としての力をむりやり引き出された後遺症などのあれこれを調べるためであった……が。

 

「普通の人と同じならいいじゃねーか。つまりは健康ってこったろ」

「うーん。そうなんだけど……兄上が言ってたじゃないか。『理論上、全ての力を奪われた人造偽人は死ぬはずだ』って」

「あ……」

「僕は人造偽人としての力を確かに全て失った。だけど今、こうして生きている。ブレイゼル本家に保管されてあった人造偽人の説明書《マニュアル》を漁っても同じ事例は出てこなかった。それが中途半端に力を抜き取られた結果なのか、あるいは兄上が手心を加えてくださったのか、他にもいくつかの仮説は立てられるけど……あれだ。結局はよく分からないんだよ。すでに力を失ったはずのこの体にいつどんな異常が起こるかなんてさ」

「マジかよ……」

 

 さらっと知らされたその事実に、レイズはおっかなびっくりした。しかしそれを告げた当の本人はあっけらかんと笑い飛ばして。

 

「これでお前とお揃いだな、レイズ」

 

 レイズはさらにびっくりして、ニルヴェアはさらに笑みを深めた。

 

「そんなわけで、お前みたいに僕も遺産のことを……人造偽人のことをもっと知りたいし知らなきゃいけないんだ。だからこれからの僕らは『遺産という名の爆弾を抱えた同盟』ってことになるな」

「なんだよその物騒な同盟はよ」

 

 そう言いながらも、レイズはその目を楽しげに細める。

 

「……悪くねぇな」

「だろ?」

 

 ニルヴェアはにかっと笑って、それから手元の短剣へと視線を落とした。彼女は刀身がほとんど失われた短剣を、大事そうに鞘へと納めた。とはいえ刃がほとんどないので、そこは紐で縛ってきゅっと固定した。

 

「いいのかよ。刃は直さなくて」

「いいんだ、お守りだからこのままで」

「そっか。ならいいな」

 

 と、レイズはふと思い出す。

 

「あ、そういやわざわざ呼びつけてきた理由って結局なんなんだ? 『今日1日付き合ってくれ』だなんてさ。検査結果を聞かせるため……ってだけでもないんだろ?」

「そうだな。もうそろそろ良い時間……」

 

 そう呟きながらニルヴェアは視線を上げた。その先、待合室の壁には時刻を示す時計が掛かっている。ただいま午前9時25分――

 

「あ!」

 

 ニルヴェアはベンチから立ち上がった。”約束”の時間は10時きっかり。待ち合わせ場所は剣の都のとある路地裏。

 

「行くぞレイズ――あの人が出発する前に!」

 

 

 ◇■◇

 

 

 時刻は午前10時きっかり。人気のないとある路地裏に、2人の人影があった。

 片や越境警護隊所属の身なりが良い優男。

 片やぼろ布まとってその身を隠した指名手配犯。

 そんな2人が路地裏に集えば……やることなどひとつしかない。

 

「ほら、これが”餞別”だよ。アカツキ」

「遅いぞブロード。ま、しかしこれでようやくこの場を離れられるわけだ」

 

 新たなる旅と、その見送りである。

 

「拙者、一応は指名手配犯なわけだしな。支部とはいえ越警の近くをちょろちょろするのは肝が冷えるというものよ」

 

 アカツキは口でそう言いつつも、その目はブロードから手渡された封筒へと注がれていた。

 

「肝が冷えるなんて嘘ばっか。指名手配の顔写真はもっと美人さんじゃないか」

「なにを言う。今の拙者とてこれはこれで需要が……と、別れのときにだらだら駄弁るのも不格好でござるな」

「そういうもの?」

「そういうものだ。別れるときはすっぱりと、それが粋というものよ。ゆえに用件をさっさと済ませよう……結局のところ、エグニダの証言の裏は取れたのか?」

 

 ――お前の主君の死、その真相を……な

 

 アカツキに渡された封筒は、アカツキが見せられエグニダが語った”真相”について、ブロードが独自に調査した内容をまとめたものであった。しかし……

 

「結論から言うと、半分嘘で半分本当……かもね」

「なんだ、ぽやっとしておるなぁ」

「おいおい、これでも結構頑張ったんだぞ? 僕だって先の戦いでわりと怪我したってのに休む暇もなく事後処理に駆り出されて、エグニダの死体探しとも並行してあーだこーだとだね……」

「む。エグニダの死体……落ちていった上半身か。見つかったのか?」

「いーや。戦艦の軌道下は大体洗ったけどどこにも残ってなかったよ。やだなぁ、どう考えても生きてないと思うけど、だからこそヤな予感がするんだよなぁ」

「……再び合間見える時が来るというなら、それはそれで面白そうだ。さらに強くなってくれれば、拙者もまた得る物があろうて」

「それ、僕もまた苦労しそうで嫌なんだけど……」

「その手の裏方はおぬしの専売特許だろう。きりきり働け若人……と、話がそれてしまったな」

 

 アカツキはからかうように笑っていたが、そこで表情を引き締めると改めて問いかける。

 

「『半分嘘で半分本当』とは、つまるところどういうことなのだ? 『命懸けの大勝負で嘘をつけるほどの度胸はない』とエグニダのやつは言っておったが……」

「だったらそれが嘘なんだろうね」

「なんと……つくづくろくでもないな、あの騎士は」

 

 アカツキは言葉とは裏腹にどこか楽しげであった。一方のブロードは「まったくだ」と言葉通りに溜息を吐いてから説明を続ける。

 

「細かい説明はその封筒の中に入ってるけど、君が教えてくれた”真相”と、リョウラン家三女殺害事件の資料だの当時のリョウランの情勢だのを照らし合わせたときに、いくつか矛盾があったんだよ。まず間違いなく、エグニダの情報は全てが真実じゃない。だけど同時に、全てが嘘ってわけでもなさそうだった。そんでそこら辺を調査分析して組み立ててみたのがその資料ってわけさ。とはいえ僕の憶測もだいぶ混じってるし、精度は全然保証できないけど……」

 

 ブロードはそこで少しだけ間を置いてから、告げる。

 

「もしかしたら姫様が巻き込まれたのは、相当に根が深い陰謀なのかもしれない。その封筒に入っているのは、それを手繰り寄せる手掛かりでもあるんだ」

 

 それからブロードは申し訳なさそうにうつむいて。

 

「本当は僕も力になりたいけど、まだ今回の事件の後処理が山積みなんだよね。それに……領主を失ったブレイゼル領の治安だってしばらくは不安定になるだろう。そしてそういうときこそ僕らの出番ってわけさ。だから、しばらくは君ひとりに任せることになるけど……」

 

 そう言いながらブロードは顔を上げて……そこで彼は見た。堂々と胸を張り、歯を見せて笑う女侍の姿を。

 

「陰謀上等でござるよ! 敵のスケールが大きければ、我らが伝説にも箔が付くというものよ!」

「で、伝説……?」

 

 ぽかんとしたブロードへと、アカツキは当然のように言い放つ。

 

「拙者たちの生き様が自伝として遺るというなら、やはりどでかい伝説のひとつやふたつ創っておかねばつまらぬでござろう?」

 

 ブロードはほんの数秒固まって、その言葉の意味を飲み込んで……それから、ぱぁっと表情を明るくして。

 

「まさか、描いてもいいのか!?」

「思い出したのだ。亡き主君の遺志を託された侍が一念発起して伝説を創る。その手のシチュエーションは姫様の大好物なのだとな」

 

 アカツキは冗談のようにそう言って、しかし瞳は優しく細めて。

 

「それに……姫様はその生き様を未来へ託すことを夢見ていた。それが遥か遠くの未来に、肉体が死したあとにも続く夢だというのなら……まだ姫様と拙者の夢はなにひとつ終わっていない。きっとそういうものなのろう?」

「……素敵だね。うん、きっとそうだよ」

 

 視線と視線が穏やかに交わって……ふとアカツキが問いかける。

 

「なぁブロード。おぬしは知っておったのか?」

「なにを?」

「拙者が本当は復讐に興味などなかった、ということをだ。だからおぬしは拙者に語ったのではないのか。未来へなにかを遺すという夢を……」

 

 するとブロードは一度きょとんとして、しかしすぐにその口を大きく開けて。

 

「あっはっはっ! 過大評価し過ぎだよ!」

 

 今度はアカツキがきょとんとする番だった。

 

「なんだと?」

「あのねぇ、僕はそんな大した人間じゃないっていつも言ってるだろ? ま、でも……そうだな。復讐したらどうするのかな、とは思ってた。君はあまりやりたいことがなさそうに見えたんだ。でも僕は君に憧れてるわけだし、憧れの人にはもっと楽しく生きて欲しいって思うのが普通じゃん?」

 

 ブロードがそう言って小首をかしげると、アカツキはやがてひとつの結論に思い至る。

 

「……もしかして拙者、わりと分かりやすいのか?」

「君は真面目過ぎるんだよ」

 

 単刀直入に言われたのであった。

 

「ふはっ。拙者もまだまだ修行が足りんな」

 

 それからアカツキはぼろ布のフードを頭から被って、ブロードに言う。

 

「さて……話すべきことは話したし、そろそろ行くとするかな。これからもお互い大変だとは思うが、拙者は夢のため……おぬしはそんな拙者をいつか描くため。死ぬでないぞ、お互いにな」

 

 しかしブロードは、なんだかばつの悪そうな表情を見せて。

 

「あー、うん。できる限り死なないつもりだけどさ……はは……」

「なんだその頼りない返事は。そのうち死ぬ予定でもあるのか?」

「まぁ、その……実はね? 僕は今回みたいに、単独行動から現地のナガレと協力して事件を解決ーみたいなことがまーちょいちょいあってさ。だからもしかしたらって思ってたけど、今回の大金星でとうとう目をつけられちゃったんだ……要するに、昇進するみたいなんだよね、僕」

「なんだ。めでたいことではないか……と、諸手を挙げて喜べることでもないか」

 

 今の越境警護隊はきな臭い状況になっている。以前ブロードの口から語られていたことであった。

 

「つまるところ、おぬしは首輪を付けられるわけか」

「そーいうこと。僕はこれから越警の中でも『修羅』とか『鬼教官』とかそんな物騒な二つ名で噂されてるヤバい上司の直属になるらしい。その人が神威と関わってるのかまでは分かんないし、本当に単にヤバい人なだけかもしれないけど……はー、やだなぁ。いずれにせよ命がけになることは確定だもんなぁ」

「なんだ、そう言うわりには悲しそうには見えないぞ?」

「……ま、実はね。結局はなるようにしかならないし……正直、なんとかなるんじゃないかなって適当に楽観してるよ」

 

 ブロードはそこで自らの腕に巻いてある時計に一度視線を落とすと、それから再び顔を上げた。

 

「あの2人を見てたら、なんかそう思えちゃうんだよね」

「ふっ……なるほどな。しかし、それでもなんとかならなかったら?」

「やるだけやって駄目なら、あとはもう逃げるだけさ」

「まったく、おぬしは不真面目だな。でも……それもおぬしの美徳だ。その気持ちを忘れるなよ」

 

 そう言い残してアカツキは背を向けた。それは今度こそ、別れの合図…… 

 

「あ、ちょっと待って!」

「なんなのださっきから! もっとすぱっと別れさせぬか!」

「あーっと、そのー、僕もそうしたいんだけど……」

 

 ブロードはあーだこーだと挙動不審な素振りを一通り見せて、それからようやく話を切りだす。

 

「……2人には会わなくてもいいの?」

 

 アカツキはきっぱりと答える。

 

「我々は流れ者だぞ。一々別れの挨拶などしていたらキリがない……会えるときは会える、会えないときは会えない。それがナガレというものだ」

「なるほど確かに一理ある。けど……やっぱり君は真面目過ぎる」

「なに? ……むっ」

 

 そのときアカツキはいち早く気づいた。自分たちのいる路地裏へとまっすぐ近づいてくる、およそ2人分の足音に。

 

「ほれみろ。おぬしがぐだぐだしておるから誰か来るぞ。越境警護隊の者なら面倒……」

「お、やっと来たかな?」

「なに?」

 

 そこでアカツキはようやく気づいた。やたらと自分を引き留めてきた、ブロードの思惑に。

 

「まさかおぬし……」

「真面目を貫くのもいいけどさ、たまには不真面目に遊んでみてもいいんじゃない?」

 

 路地裏にどたばたと、少年少女が駆けこんできた。

 

「遅れてすみません間に合いました!?」

「おいアカツキ! なんだってこんな分かりにくいとこにいるんだよ!」

 

 どわっと迫ってきたニルヴェアとレイズへ、アカツキはさくっと言う。

 

「拙者これでも指名手配中の身でござるし、越警の支部の周りをうろつくのもなぁ」

「まぁ、そりゃそうだけどよ……」

 

 レイズは納得して、ニルヴェアは目を丸くした。

 

「え、なんですか指名手配って」

「拙者、実は大事件の濡れ衣を着せられて追われておるのだ。そしてその冤罪を晴らすために姫様の仇を追っておるのだ!」

「えー!? なんですかそのとても気になる裏話!」

「そんで拙者の生き様をそのうちブロード(こやつ)に一筆描いてもらう予定がさっきできた」

「え……?」

「つくづくそういうとこムカつくな君は! いつか僕が売れっ子作家になったとして、絶対に君だけは描いてやらんからな後悔してももう遅いぞ!」

「おーいアンタ越警の仕事どこいったー?」

 

 レイズがさくっとツッコミひとつ。それからアカツキへと向き直って言う。

 

「で、普段は師匠面してしつこいくせに、こういうときは黙って行くのかよ」

「そうですよ! まだちゃんとお礼だって言えてないのに!」

「お礼と言ってもな……今回のMVPはおぬしら2人でござろう? 拙者は大したことなど」

「僕だってアカツキさんの弟子なんです!」

「っ!?」

「僕はレイズに色々教えて貰ったけど、それはつまりアカツキさんがレイズを育ててくれたおかげなんです。だから僕にとっても貴方はナガレの師匠です! レイズを拾ってくれて、育ててくれて、ありがとうございました! 僕はこの旅で学んだことを絶対に、絶対に忘れません!」

「ニア殿……」

 

 どう言っていいのか分からない。そんな困惑を見せたアカツキに、一番弟子《レイズ》が続けて言葉をかける。

 

「ったく、『僕だって』ってなんだよ。俺は弟子じゃねーって何度言わせんだ……おいアカツキ、いつまでも師匠面してんなよ。なにせ俺たちはあの剣帝ヴァルフレアだって倒したんだぜ? だからよ、アカツキ……」

 

 少年の小さな拳が、力強く掲げられた。

 

「なんか困ったら俺たちを呼べよ。そんときゃアンタと肩を並べる仲間として、どっからでも駆けつけてやるさ!」

 

 レイズが威勢よく言いきった。その小生意気な誓いに、アカツキの口は小さく開いて、すぐに閉じて。それから……ぐわっと、大きく開いて。

 

「弟子たちー!!」

 

 女侍はあっという間に少年少女の懐へと飛び込んだ。そして2人の頭を両手でわしゃわしゃかき回す。ぼろ布フードが跳ね上がって、満面の笑みが露わになった。

 

「あっはっはっ! 弟子の成長とはまっこと早いものだなぁ!」

「だから弟子じゃねーしやめろー!」「わー! あはははは!」

 

 きゃーきゃー騒ぐ少年少女をわしゃわしゃ×2堪能して、それからようやく手を離して。

 

「……おぬしらと出会えて良かった」

 

 不意に、その頭を下げた。

 

「ありがとう、みんな」

 

 すると三者三様、ばらばらの返事が返ってくる。

 

「ほんとに変な人ですね。助けて貰ったのは僕らなのに」

「まったくだ。訳分からん礼で頭下げるくらいなら、普段の悪ふざけを謝れってんだ」

「君はさ、そういうとこが真面目過ぎるんだよ」

 

 言葉はばらばらでも、全員の表情は同じだった。

 ニルヴェアが、レイズが、ブロードが、じっと己を見守る中で。

 

(父上、母上、姫様……拙者は貴方たちに『託して良かった』と、そう思ってもらえるような侍にいつかなってみせます。だからその日まで……もう少しだけ、お待ちください)

 

 アカツキは最後に選ぶ。別離(終わり)再会(始まり)を意味する一言を。

 

「みんな……またな! でござる!」

 

 

 師匠が次の旅へと去ってすぐ。

 一番弟子はわしゃわしゃされた髪を手櫛で直しながらぼやく。

 

「おいニア、お前の用事ってのはこれのことかよ。ったく……」

 

 しかしその問いには、なぜかブロードが答えてくる。

 

「それは違うよ。これはどっちかって言うと、僕の交換条件ってやつさ」

「は? なんの?」

「飛空艇の運転代。僕と一緒に見送ってくれたお礼に、僕が君たちを送ってあげるよ」

 

 

 ◇■◇

 

 

 

 飛空艇から降りたとき、すぐ目の前には石造りの外壁が広がっていた。そしてその中に、ぽっかり開いた関所がひとつ。

 ごくありきたりな街の入り口に、しかしレイズは明確な見覚えを感じていた。

 

「ここは、まさか……」

「そう。ここはお前と出会った街……そして、僕の故郷だよ。レイズ」

 

 関所を通って街の中へと入り、一行が目指す目的地。そこはニルヴェアの実家であり今回の事件の原点でもある、分家(レプリ)の屋敷であった。

 そのせいか道中の話題は自然と事件についての話となり、その中でニルヴェアはブロードへとひとつの疑問を尋ねる。

 

「そうだ。兄上の処遇はこれからどうなるんですか?」

「それは……」

 

 言葉を詰まらせたブロードに、レイズがすぐ忠告する。

 

「そいつの図太さを舐めるなよ。はっきり言わないとむしろ面倒になるだけだぜ」

「さっすがレイズ、よく分かってる」

 

 本人にまで胸を張られちゃあしょうがない。ブロードは観念して話し始める。

 

「一領の主が神威と手を組んだ。それは条約にとってダマスティ領の再来にも等しい叛逆行為であり……本来なら、死刑以外に有り得ないんだ」

「本来なら、ですか?」

「そ、本来ならね。でも……彼は自身の計画の全てを、そしてエグニダから流された神威の情報を素直に白状してくれた――越警の調査部も真っ青になるほどに、有益で膨大な情報をね」

 

 一行の行き先には、いつの間にかニルヴェアの屋敷が見え始めている。

 

「彼は本気で神威を潰すつもりで情報を集めていたようだし、それは間違いなく大陸全体に益をもたらすものだ。もちろん罪と益は単純な足し引きじゃないし、今後彼がどうなるかまでは分からないけど……ただ少なくとも、今はまだ生かされるはずだ。僕らの”上”が、大陸一の愚か者じゃなければね」

「でもアカツキから聞いたぜ。越警には神威の手先が紛れてるんだろ?」

「そうだね……だけど全部が全部ってわけじゃない。信頼できる人はちゃんといるし、僕自身も少しは上に近づいてきたみたいだし……ま、あれだ。君たち子供を護るのが僕の仕事だって言ったろ? だからさ……」

 

 ブロードはそこで一度足を止めた。彼の瞳は、少年少女をまっすぐに映して。

 

「やれるだけやってみるよ。君たちの笑顔を護るためにも、ね」

 

 その言葉に、少年少女の足も止まった。2人一緒に振り向いて、しかしニルヴェアだけが口を開く。

 

「……兄上はどんな運命であろうとも、きっと受け入れるのだと思います。僕も兄上が裁かれることに異存はありませんし、僕なんかにその罪の裁量が測れるとも思いません。だけど、それでも……」

 

 ニルヴェアは、静かに頭を下げた。

 

「兄上のことを、よろしくお願いします」

「……ああ、任せてよ!」

 

 ブロードが胸を張って断言したその向こう。屋敷はすぐそばまで近づいていた。

 やがて辿り着いたのは、大きな屋敷の大きな門。そこに人の気配はなく、しかし門は開かれていた。

 門からは舗装された道が伸びていて、それは奥の方でいくつかに枝分かれしているが、しかしそのほとんどには通行止めの証として、越境警護隊の紋章入りの柵が立てられていた。

 

「ここも今は越警の管轄なんだ。例の事件において重要な場所としてね。それに……本来の(あるじ)もいなくなっちゃったし、ね」

「!」

 

 ブロードの言葉にハッとしたのはレイズであった。彼は弾かれたようにニルヴェアを見たが、しかし当の彼女は落ち着いた素振りを見せていて。

 

「……それじゃ、行ってきます」

「うん。行ってらっしゃい」

 

 ブロードと短く言葉を交わしたあと、レイズに向かって言う。

 

「ついてきてくれ。この先に1本だけ、封鎖されていない道があるんだ」

 

 そしてニルヴェアはすぐに門の向こうへと歩いていってしまう。

 レイズは困惑しながらも置いていかれないように歩き出して、しかしすぐにブロードの方へと振り返った。

 

「アンタはいいのか?」

「いいよ。それがあの子との約束だしね」

 

 ――レイズと2人きりで話がしたいんです。だってあの場所は僕にとって、終わりと始まりの場所で……

 

「行ってきなよ、レイズ君。これは君たち2人が勝ち取った未来なんだからさ」

「……? まぁ大事な話なんだろうとは思うけどさ……告白……とかは期待しねー方がいいよな。あいつのことだし」

 

 レイズは疑問を残しながらも、ブロードに背を向けて、屋敷の敷居を跨ごうとして……。

 

「あ、ちょっと待って。ヴァルフレアから君へ、伝言がひとつあるんだ」

「俺に? ニアにじゃなくて?」

「うん――『弟を頼む』だってさ」

 

 

 ◇■◇

 

 

 封鎖されていない唯一の道をレイズは進んでいく。しかしそれは屋敷には続いておらず、むしろ屋敷から離れてひっそりとした林の中へと伸びていた。木漏れ日に彩られた道を歩いていると……不意に、景色が開けた。

 

「ここは……墓地、だよな……」

 

 真っ白な墓石と、そこから生えた十字の墓標。それがいくつも立ち並んでいた。

 レイズは周囲を見渡してニルヴェアの姿を探す……すぐに見つけた。

 ニルヴェアは墓地の一角で、目を閉じて祈りを捧げている。レイズがそこへ歩み寄ると、ニルヴェアは目を開けてレイズを見た。

 

「ここはさ、身寄りがない使用人や兵士の共同墓地なんだ」

「身寄りがないって……こんな屋敷で働いてるのにか?」

「ああ。ブレイゼル家には定期的に身寄りのない子供を引き取って、関連機関で育成や雇用をする慣習があるんだ。そしてそのひとつがここ、分家の屋敷なんだよ。……アイーナも、そのひとりだったんだ」

 

 ニルヴェアが祈りを捧げた墓標の根本。そこにはクリアブルーのペンダントが置かれている。

 

「やっと返せた。僕が『ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル』として成すべきことは、これで全部終わったんだ」

「ニア……?」

 

 レイズが困惑と共に呟いた。

 ニア。その名はただのからかいから始まって、偽名にもなり、これまで何回も呼び続けたあだ名であった。

 それに対してニルヴェアは、なにかを承知してこくりと頷く。

 

「うん。僕がお前を呼んだ理由は、この先にあるんだ」

 

 

 道は墓地の奥にもまだ続いていた。

 墓地を通り過ぎて、さらに奥の林の中。しばらく進むと、そこには木々の隙間からこぼれる木漏れ日と……それに照らされた、大きな石碑がひとつだけ。

 ニルヴェアが石碑を見るなり苦笑した。

 

「立派だなぁ。こんなにしなくてもいいのに」

 

 レイズには言葉の意味が分からなかった。だからとりあえず石碑を見て……呆然と、呟く。そこに刻まれし少年の名を。

 

「ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル……」

 

 レイズの瞳に映る石碑。その正体もまた、墓であった。

 

「なんだよこれ……!」

「見ての通り、僕の墓だよ」

「なんで!? だってお前はここに!」

「僕はもう、ニルヴェアじゃない。お前も知ってるだろ?」

「……!」

 

 そう、最初からずっとそうだった。女になったニルヴェアは、屋敷の人間からニルヴェアとして認識されていなかった。

 そしてニルヴェアを男にした不具合(バク)を取り除き肉体を女に戻す霊薬はあっても、その不具合を今の彼女に再度追加する方法は現状存在しない。それは越境警護隊の捜査により、すでに確定事項となっていた。

 もちろん、グラド大陸には他に性別を変える技術も遺産も未だに存在しない。

 

「僕が……ニルヴェアが女になったことが世間にバレるということは、すなわち人造偽人の存在も同時にバレるということだ。偉い人たちにとっては公然の秘密みたいだけど、まぁそれでも秘密は秘密だしさ。だからこの事件自体は世間に公表されたけど、人造偽人のことだけは未だに伏せられているんだ。で、その辻褄合わせのため、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルはこの事件に巻き込まれて死んだことになったんだよね」

 

 事実はまるで他人事のように軽々しく、あっさりと語られた。

 

「お前はそれでいいのかよ……」

 

 するとニルヴェアはその懐から、1枚の封筒を取り出してレイズに見せた。

 

「これはブレイゼル本家からの手紙だ」

 

 その言を証明するように、封筒の表面には『剣を象る十字とその背に抱く日輪の紋章』……いつか見た、『剣ノ紋章』と同じ紋章が描かれている。

 

「内容は簡単に言うと、『人造偽人のことは黙秘すること。その代わりに新たな身分、名前。そして今後一生、不自由のない暮らしを与える』っていう契約書みたいなものかな」

「っ……!」

 

 レイズは拳をぎゅっと握った。

 

 ――きっと、帰れる家があるならそれに越したことねーんだ

 

 脳裏に過ぎったのは、彼自身がいつかニルヴェアに言った言葉であった。

 

「それで……お前は、どうしたいんだよ」

「僕は僕のやりたいようにやるよ。それよりも、お前はどうしたいんだ?」

「ぁ……」

 

 ふっ……と、レイズの手から力が抜けた。強張っていた拳が開き、垂れ下がる。

 

「俺は……お前が幸せなら、それで……」

 

 口で言いかけて、しかし心が否定する。

 

(違う)

 

 ――アンタの大事な弟は、俺が人生を懸けて攫わせてもらうぜ! お義兄(にい)さん!!

 

 ――弟を頼む

 

(潔くなるって決めたんだ)

 

 再び拳を握りしめ、心の炎を燃やして叫ぶ。

 

「旅がしたい!」

 

 ニルヴェアはただ黙って聞いている。

 

「俺はお前と一緒に旅がしたいんだ! それがお前にとって良いことか悪いことかは正直分からない……もしかしたらいつか、お互いに後悔するのかもしれない! それでも絶対に後悔させねぇから! たとえどんな未来になったって、この道を選んで良かったって、お前が思ってくれるように頑張るから!! だからっ……!」

 

 そのとき、ふわりとそよ風が吹いた。

 

「むしろ、嫌だと言っても連れて行く」

 

 金の髪を風に揺らして、白い歯を見せた眩しい笑顔がそこにはあった。

 

「攫ってやるって、言っただろ?」

 

 瞳を細めてにっこりと形作られた蒼い三日月。それがやがて、ゆっくりと開いていく……蒼い満月は、このグラド大陸において、終わりと始まりの象徴である。

 

「お前のおかげで、僕は僕の想いを最後まで貫けた」

 

 ――ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルの名に懸けて、剣帝ヴァルフレア・ブレイゼル! 貴方を一発、ぶん殴る!!

 

「だからいいんだ。もう男じゃなくても、ブレイゼルじゃなくても、ニルヴェアじゃなくても……それよりも!」

 

 閑散とした林の中で、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルの墓の前で、もう何者でもない少女は堂々と胸を張る。

 

「僕を取り巻く全てが嘘だったっていうんなら、今度こそ僕は探してみたいんだ! 僕だけの真実を、ひとつひとつこの目で見て、選んで、掴み取りたい……」

 

 そして少女は懐から、もう1枚の紙を取り出した。それは長方形の小さな紙で作られた、素っ気ない証明証であった。

 

「そのための鍵なら、もうここにあるんだ」

 

 

 ◇■◇

 

 

 今日も空は蒼く、そして果てしない。

 そんな空の下。剣の都ブレイゼルの関門から伸びるだだっ広い街道に、少年と少女は並んでいた。しかしこれから2人で旅に出るというのに、その隣にはバイクがたった1台だけ。それに視線を向けて少女の方がぼやく。

 

「僕もバイクの運転覚えようかなぁ」

 

 正確に言えば少女の視線はバイク……の横にちょこんと付けられたサイドカー(おまけ)へと向けられている。

 その一方で、少年はすっかりご満悦であった。

 

「いいじゃねーかサイドカー。いかにも”見せつけてる”って感じが特にいい!」

「だから嫌なんだよ。なんかいかにも甘えてる感じでさ……決めた。やっぱそのうち絶対覚える!」

「はいはい。でも運転覚えたとしてもバイク買う金を稼がなきゃな。言っとくけど俺は出さねぇからな~」

「ハナからそのつもりだよ、僕だってナガレなんだからな!」

 

 少女が拳を握って意気込めば、少年の表情は穏やかに緩む。

 

「ま、そういうのはおいおいな。それよりも……行き先はちゃんと決めたか?」

 

 少年がそう言って指差したのは、延々と続いている街道の方であった。街道は途中でいくつか道が分かれていて、それぞれが別の街へと続いているのだが。

 

「一晩中考えたけど、実はまだ決まってないんだ……」

「はぁ? お前なぁ……やりたいことと、目的地。それさえ決めれば後は勝手に決まるもんだ、って昨日言ったろ?」

「だからそれが決まらないんだよ。遺産のことを調べたい、もっと強くなりたい、綺麗な景色を見てみたい、美味しい物が食べたい……やりたいことも目的地もいっぱいあってさ。どれかひとつなんて絞れないんだ」

「……ま、そんなこったろうと思ってたけどな」

 

 少年はニヤリと口角を上げた……まるで『待ってました』と言わんばかりに。

 

「お前が決めないなら俺が決める。つーわけで……次の目的地は『波の都アズラム』だ!」

「波の都……ってあれか。アズラム領の首都で、湾岸都市としても有名な……ということは海か! 海の幸だな!?」

 

 少女がいきなり興奮した。その理由は、ブレイゼル領の立地にあった。

 実はブレイゼル領には海がない……そう、ブレイゼル領は四方を陸に囲まれているのだ。そのため少女は海というものを生で見たことがなく、ゆえに未知の食に心を躍らせているわけだが……しかし少年の目的は、団子よりも花にあった。

 

「そう。波の都といえば海。そんで海といえば……とびきりのデートスポットだ! そんで水着だぁ!」

 

 少女の顔が、あっという間に茹でタコになった。

 

「却下だ!! み、水着ってあれだろほとんど下着みたいなやつ! あんな姿を人前に晒すなんて……破廉恥(はれんち)だ破廉恥! しかも今の僕の場合、その……女物になるんだぞ!?」

「そりゃそうだろ。なにが問題なんだ?」

「なにもかもだ馬鹿ー! そ、そもそも僕とお前はデートとか、まだそういう関係じゃないだろ!」

「まだ?」

「言葉のあやだっ!」

「つか結局お前って俺のこと無理なの? イケるの?」

「それが分かれば僕だって苦労しない! 今まで色恋なんて全然縁がなかったし、よく分かんないんだ……そんな状態で、なし崩しにとかは嫌なんだよ。確かにお前は大事な相棒だけど、だからこそこういうのはきっちり決めないと、不義理というかだな……」

 

 少女は頬に熱を溜めて、ごにょごにょもじもじ呟いている。そんな煮え切らない態度に、しかし少年は(今のところは)十分に満足していた。

 

「んじゃあデートはまたの機会にとっておくか。ま、気長に落としていくさ」

「お、落としていくって。お前なぁ……」

「それに……だ」

 

 そこで少年は今着ている真新しいベストに手を添えた。磁石仕込みのポケットがたくさん付いた、少年特注のベスト。そのポケットのひとつから落として取り出したのは、手のひらサイズの小瓶だった。

 

「俺は俺で、デートとは別にやりたいことがあるわけだ」

 

 少年が小瓶を振ってみせると、中でからからと音が鳴った。音を鳴らしているそれの正体は、宝石のように透き通った黒い鉱石。その欠片であった。

 

「これってまさか、祈石か!」

 

 しかも1つじゃなくて、3つも入っていた。

 

「あの戦艦に転がってたのをあとで搔き集めたんだよ。ほとんどは爆破したときに戦艦の外に飛んでったけどな……ま、一欠片だけでも効果があったんだ。こんだけありゃ俺の遺産も少しはマシになんねーかなって思ってるんだけど……なにをどうすりゃいい感じに使えるのか。まだその目途すら立ってねーし、とりあえずはそこからだな」

「……うん、それなら僕も手伝いたい」

「ったりめーだ! お互いのやりたいことを全部一緒にやってこうぜ。大丈夫。俺たちはガキで、時間なんてきっとたくさんあるんだ。だからさ……」

 

 レイズは笑う。なんの憂いもない眩しい笑顔で。

 

「気長に行こうぜ、ニア!」

 

 ニアは応える。想いと笑顔を一緒に重ねて。

 

「……ああ!」

「っつーわけで、結局全部回るんだ。だから行き先はぱぱっと決めるのが、ナガレの流儀!」

「ナガレの流儀か……だったらぱぱっと決めないとな」

 

 ニルヴェアは顔をぐっと上げて空を見た。

 視界いっぱいに映るのは、果てしない蒼と、自由に流れる雲ひとつ。

 道しるべなんて、それだけで十分だった。

 

「――あっち!」

 

 今日もまた、どこかで誰かの旅が始まる。自分だけの未来を求めて。




物語はこれにて完結です。反省点は多々あれど作者としては描き切れて良かったのですが、そんなことより大事なのは読者の皆々様方です。さてどうだったのでしょうか。
読み切って良かった。ほんの少しでもそう思えるような物語だったのならば、それが何よりの幸いです。


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