ゴーストフロントライン (蓮見民江)
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2063年 1月29日 16:32 UMP40

たった一人に捧げる小説。
三万字ほどの草案を改稿し、ゆっくりと書いています


あれから、あたいはなぜ生き残ったのか。そればかり考えてしまう。あの時、あたいは死んだはずだったんだ。あたいか、45か。45のために命をかけてあんなことをした。説明不足だろうな。45には悪いと思ってる。悪いと思いながら、また一歩、歩みを進める。何気なくだした落ち葉を踏み締める音に目を丸くした。何もない夕暮れ迫る山だとこんなに響くんだ。

「一人だと、どうもひとりごとが増えて困る」

あの建物から這い出て、戦場の端っこで人形や人間の死体から物質を奪って食いつないで、闇市やらスラムやらを転々として生きてきた。今朝だってそう。戦場に転がってる、使えそうな物を闇市で売って路銀に変えた。足がついて、追われることを恐れての逃亡生活に疲れて空を見上げる。

「ごめん。45、あたいは…」

うわ言みたいにつぶやいて、うっすら白い冬の山を歩いている。でも、まだこの辺りは温暖な方らしい。この時期でも雪はあまり降らないみたい。

「さむい。どこか、洞窟でもいいから」

わかりやすい獣道をふらふらと歩く。もうとっくに日が傾き始めている。このままだと人間でいう凍死が待っている。そんなのは嫌だ。

「さむい!あたいは生きて、生きて……」

あたいは生き残って、どうしたいんだろう。

「どうしたいんだろう。これから、どうすればいいだろう」

何もない今のあたいは何をしたいんだろう。生まれた自由に戸惑って、足を止めた。足下を雪が舞う。思考を振り払うためにも、今は早めに休める場所が欲しい。

「あたいはさ、本当に何がしたいんだろうね……きっと45なら、わかるかなあ。ん?」

開けた場所があった。そこには見るからに猟師小屋、のはず。そこの小さな窓を覗いてみる。中はまだまだ綺麗だ。放棄されて間もないらしくてほっとする。ここなら、一晩は過ごせそう。薪も薪ストーブもあるし。あ、周囲の警戒がまだだった。慌てて、見渡してみる。山と、木と、風とねぐらに帰る鳥の群れ。それだけ。

「ふんふん。雪の上に足跡もない。何かが樹上を移動した形跡もない」

樹上には雪がうっすら積もっているまんま。だからきっと、何もない。そのはず。それにさ、あたいはそもそも戦闘用じゃない。一応、武装はしてあるけど、それだけ。

「ここ、どこなんだろうね」

逃げるために、がむしゃらに移動したからここがどこの管轄の地区でどのあたりまでやって来たのかわからない。ギリギリ、ここはまだグリフィンの管轄だったような気がする。

「地図なんて入れる容量ないし。日も暮れる。そろそろ中に入ろ。ドアがだめでも最悪、窓を割れば良いか」

古い真鍮のドアノブに手をかけた。ひんやりしてて、飛び上がりそうになる。うん、鍵はかかってない。

「ん?施錠されてない?いや、違う。玄関脇の植木鉢が動かされてる。そこに鍵があったんだ」

念のために、そーっと回して入った。誰かがここに忍び込んだに違いないから。

「おじゃましまーす。なーんてね」

小声でしゃべる。一人なんて本当にだめだね。ひとりごとだけが増えて、消えていく。

「ここは、アタリかもしれない」

端から順に部屋を覗いていく。物置部屋、シャワーとトイレだけの簡素なユニットバス、お湯くらいなら沸かせる簡易的なキッチンとリビング、後はたぶん寝室。武装はそのまま、寝室に誰もいなければそこを借りよう。だって、吐く息がもう白い。寒いし、指先の感覚があやしくなってきた。最後の寝室っぽい部屋のドアを開けて、予想外の出来事に驚く。



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2063年 1月29日 17:06 UMP40

しばらくは、前に書いたやつをのっけるのではやい


「これはしばらく寝られそ……子供?こんな山奥に?顔色が悪いし、ぐったりしてる」

ぼろぼろのベッドで痩せた子供がぐったりしていた。一枚の絵画みたいな、悲しい現実を目にすることになるなんて。これが人生?なのかな。何があるのかわからないものだね。死の淵に立つ人を目の当たりにするなんて。

「まだ、生きてるよね?あ、生きてる」

呼吸でわずかに胸が上下するのが見えた。目の前で子供が病死なんてなんか、嫌。誰が悪いってわけじゃないのに、つらくなるし。もう外は真っ暗だから、あたいはここにいるしかないし。風もでてきたし、さらに外は危ない。

「ぜんぶ、ちっちゃい」

子供が小さく咳をした。そしたら小さくて、脆そうな肩が見えた。

「不安になる」

さらにじっと観察すると、身なりはくたびれているけど汚れてはいない。高熱を出しているみたいで、息をするのも苦しそうにしている。

「なんでこんな場所に子供一人?こんな山奥に?」

バグってどうにかなっちゃいそう。でも、冷静に考える。そうだ。雪に足跡はなかった。だとしたら、しばらく前からこの子供はここにいたのかもしれない。

「わかんなくなってきたよ。45がいれば、冷静になれたんだろうね」

守るべき対象がいたから、あたいは冷静でいられた。そっと近づいてさらに観察してみる。

「むむむ。よくわからない」

寝ているこの子供は痩せすぎてるから、ぱっと見ただけじゃ性別も年齢もわからない。でも、まだまだ幼いのだけはわかった。

「まだ生きてる。あんなに痩せてるのに」

子供は古くて何度も繕ったあとがあるぬいぐるみを大事そうに見つめている。子供が苦しそうにうめくとぬいぐるみがゆれた。とっても静かで、寂しくて、ゆっくりと死を待つだけの風景。

「静かすぎる。この世界にこの子供一人だけみたい」

おまけにびっくりするくらい外は暗いし、雪も降っている。電灯はつけてない。だから、白い月明かりだけが降雪の影をベッドに落とす。絵画みたいな風景のせいで凍えちゃいそうなのに、目が離せない。死に美を見出してるのはまずい。

「このままじゃあまり、長くはないだろうなあ」

見るからに高熱とこの寒さ、かなり痩せているのもある。雪が覆い隠す、死を待つだけの夜。なんだかとっても暗くて寂しい。だからこそ、勝手だけど思ったことがあるんだ。

「そういや、あたいは自由だったね」

そっと扉を後ろ手に閉める。隙間風から逃げたい。風もでてきたし。

「うわあ、寒いね」

このままじゃ自分が凍える。それは嫌だ。それに、このまま見知らぬ子供が目の前で死ぬのも後味が悪い。女性を模して作られているって部分が、こんな時だけ都合よくあたいに何かを訴えてくる。

「こんな時45なら、いや。これからは一人で生きていかなきゃ。あたいが決めないと」

最初で最後のわがままで何かしてもいいはず。足掻いてみようかな?そのために、この子に話しかけてみることにするよ。

「起きてる?」

ねえ、45。そばにいられなくてごめん。あたいも生きるからさ、45もこの世界のどこかで生きてよ。わがままな願いだけどさ。

「あのね。きみは、どうしてこんなところにいるの?」

初めてかけてみた声は、情けないくらい震えていた。



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2063年 1月29日 17:16 UMP40

「だぁれ?」

意を決して話しかけてみたら、返事が返ってきた。消えそうなくらい細い子供の声が凍える夜に溶ける。雪が音を吸い込むから、ささやき声でも嫌にはっきりと聞こえた。

「あたいはね、お化けだよ」

「おばけ?」

子供は咳がひどいし、うまく喋れない。おまけに視線もぼんやりしている。本当に今夜か明日には山場を迎えるだろう。このままあたいが見殺しにしたら、だけど。

「うん。そう、あたいはおばけだよ」

やりたくないなあ、そんなこと。でも、何ができるんだろう。そのための知識や技術なんて持ち合わせてはいないし。それでも、やらないよりはマシだ。棚でもひっくり返してみようか。

「おばけだよ。何をしたらいいかわからないんだ」

ああ、きちんと本音が言えた。

「あたいは迷ってるおばけ、なんだ」

自由を自覚して言葉にしたとたん、迷う。だって、自由なんて知らないから。方法はわかるけど、目標がつくれない。そう言う所が人形だと思い知らされる。

「そっか。もう、いいかな。わたしが死んだら、そこのお庭に埋めてね。このぬいぐるみと一緒に」

子供のまばたきがゆっくりになっていく。今だって、話すのだってやっとだもの。

「おやすみ」

小さく咳をして、転がったぬいぐるみに、涙がひとしずく落ちる。まるでぬいぐるみが涙をこぼしているみたい。

「どうしてさ。ねえ」

窓から投げかけられる雪明かりが、古びた毛布を照らす。視線を動かせば、窓枠が十字架みたいな影を生み出している。なんだか、このままだと死者になる子供への慰めみたい。あたいの胸が苦しくなった気がした。

「諦めるの?」

「うん。今なら、やっと眠れる気がするから」

子供はもうきちんとした受け答えができないくらいに弱っている。だんだんと呼吸も細く弱く。それでも、あたいは迷って悩んでいる。

「どうして、そんな」

なんでそんな穏やかに死を受け入れて待っているの?だいたいそんな状況ってさ、死にたくないってあがくもんじゃないの?あたいだって、本当はあの時あんなことを選びたくなかった。

「あたいは、あたいは……」

なんとなく頭の中で作っていた意志がゆらぐ。どうしたいのか。どうすればいいのか。だれも教えてはくれないし、だれもわからないんだろう。

「おやすみ、なさい」

この子供の瞳はいつかスラムでみた、掃いて捨てるほどいる孤児達と瞳が違う。

「待ってよ」

彼らは最期まで生きることを諦めなかった。この瞳は諦めた瞳?いいや、違う。これは私が45に向けた瞳と同じものだ。全てを諦めて、絶望して、空っぽになった瞳。怖くて、悲しくて、逃げたくなる。あ、逃げたかったのは45の方か。ごめんね45。

「ごめん、45。あの時、ああするしかなかったんだ」

勝手な思い込みから勝手にトラウマを作り出す。本当にあたいは勝手な人形だ。ぐっと手を握り込んで、覚悟を固める。

「あたいは勝手だ。だから、だから」

自分の言葉で我に帰る。そうだ、これからは好き勝手に生きてやるんだ。あたいだって自由に生きていいはずなんだ。

「決めたよ、45。この子を生かして、この子と生きてみるよ」

わがままだろうが、知るもんか。



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2063年 1月29日 18:06 UMP40

「やれるだけのことをやるから」

ここが猟師小屋なら、救急箱と常備薬くらいあるはず。小屋の中をひっくり返して足掻く。手始めに机の引き出しから探そう。そこにはペンとメモ帳、ルーペとマッチ二箱。それだけだったから、次を当たる。クローゼットを漁ってみる。男性物の冬服と下着3セット、タオルに未開封の歯ブラシと歯磨き粉。ここは男性が所有者の物件らしい。他に探せそうな場所は古びたチェストくらいか。結構大きいし、そこに一縷の望みをかけて手を伸ばした。

「あった!使用期限一カ月前の解熱剤!!」

解熱剤の瓶には数粒だけ残っていた。ラベルの説明書きをよく読む。

「良かった。子供にも使えるやつだ」

あとは自分が持っている水とレーションで食べられそうなやつ。セットにあったうさぎ肉のパテの缶詰なら、たぶん食べやすいはず。でもここで、手が止まる。

「これで……あれ?あたいは、いったい」

見ず知らずの死にかけの子供に貴重な食料と水を食べさせて何になるのか。そんな考えが急に頭を占める。いくつもの思考と、やりたいことがぐちゃぐちゃになってる。いわゆる、「心情」にあたる部分と、「理性」にあたる部分が競合したから。実際には1分程度、それでも体感ではとても長く感じるほどに迷った。それでも、解熱剤の瓶を握り込んで腹を括って無理に笑ってやった。

「あたいが45にみせた瞳みたいなのと、見せられた誰かの悲しみとかさ。そんなの、見たくないなあ」

ベッドのすぐそばにどっかりと座り込む。埃っぽい天井を見上げて、ひとりごとを吐き出した。

「この際、神頼みだろうがなんでもいいや」

これはおばけの気の迷いなのだから。

「わがままでいいよね。自由なんだし」

道具としての生を全うして、人としてロスタイムを生きているあたいは、自由だ。だから、何をしたっていいんだ。誰かを身勝手な理由で助けて、一緒に生きたっていい。リュックの中に手を突っ込んでレーションを探した。ぐちゃぐちゃにしたから、また整頓しないと。

「生をあっさり手放しちゃダメ。あたいは偶然生きてるけど、45を絶望させた罪を背負ってるんだ。あんたもそんなことをするな」

自分が言える立場じゃないけど、言う。言うだけなら、タダだし。

「あたいが食べて元気じゃないと看護はできないよね」

レーションのクラッカーを一つ口に放り込んで、また考える。

「どう看護しよう」

残念なことにあたいは時代遅れの電子戦モデルだ。容量はいつだってカツカツで、射撃もどうにかできるだけ。誰かに寄り添う術なんて知らない。知らないってことは、生存率に関わる。

「なんてこった。でも、やるしかない」

袋に水を注いで温めるレーションの封を切る。

「あたいの分を温める間にたべさせようか」

それを床に放置して、パテの缶に手を伸ばす。



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2063年 1月29日 19:39 UMP40

熱でぐったりしている子供を抱き抱えて、慎重に食べさせる。これがあたいの重要任務。今まであたいは何かを壊したことはあっても、誰かを生かしたことはない。手が震えてしょうがなかった。

「何はともあれ、気合だー」

その裏であたいが食べるためにレーションを温める。ペンライトをサイドチェストの上に置いて、気合を入れる。人間、食べないと生きていけないし。ついでに、あたいも食べる。うん、なんて合理的なんだろう!震える手を握って、みつめる。

「生きなきゃ、ね」

よし、震えは消えた。それだけわかれは十分だと、目の前の儚くなりそうな命の灯火をすくい上げるために手を伸ばした。

「よしよし、いい子だ。もっと食べなさい」

意識が定かでない子供に解熱剤とレーションと水を無理矢理とらせる。この難易度を舐めていた。誤嚥しないように、少しずつ食べさせて見守ることがもどかしくて、不安で仕方ない。一番腹が立つのは、本人には生きる気力が無さそうだってこと。それに関して、あたいは怒っていいんだ。うん。こんな幼い子が生を手放したがるのが許せない。

「あんたは生きろ。あたいも生きるから」

無事に解熱剤を飲ませて、ほっとした。横向きに寝かせてから、部屋のストーブに火をつけた。

部屋の隅にあった薪ストーブは古いけど、まだ使える。先に小屋の裏手から薪をとってきて良かった。これであたいも幸せぬくぬく。これで、落ち着いて物事を考えられる。そういえば、裏手に物置小屋があってそこから色々拝借してきたな。

「寒いし使い古しの毛布、持ってきて良かった。寝袋もあるし、念のためにちょっとだけ換気のために窓開けて。うん。これでいいよね」

その中でも、物色した時に見つけたボロ布を床に敷いて、そーっと座りながら考える。

「何しよっかな。この子助けて、話聞いてみたい。それから、身の振り方を考えよ」

きっと、互いに捨てられたんだろうな。捨てるやつがいたら、拾うやつがいてもいい。退屈はしないはず。あたいはどこまでも身勝手で、わがままだ。45のために自分の身を差し出して、消えたてもりだったのに生きたくて逃げてる。

「今のところ、この子に異常も周囲に異変もなし。このまま、朝までに持ち直してくれたら移動できる。そしたら」

人混みに紛れるために町に行ける。あたいがここに来る前に立ち寄った町に。

「あそこはまだ治安が良いから、必要な物だけ買ってさ」

コンパクトシティ化のために、行政が放棄した街の跡地に人々や人形達が勝手に移り住んだからできた町。この世界にはそんな場所が星の数ほどある。計画たてたら、なんか乗り切れる気がしてきた。

「いい?足掻くんだよ。あたいも足掻くからさ」

あたいはベッドで眠る子に祈る。この子は水分と栄養をとったから、落ち着いてきた。その穏やかな呼吸希望を託した。



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2063年 2月1日 06:12 UMP40

「あー、結局ねられなかった。この子の熱は下がって、呼吸も安定してるけど」

この子の容態が急変することを恐れて、眠れなかったけどさ。やっと朝が来た。太陽はまだ登らないけど、朝だ。良かった。背伸びして、窓の外を覗く。誰も、何の気配もないことに安心した。

「生きてる。あたいも、この子も」

明けない夜がこの子を拐いに来たけど、守れた。

「良かった。本当に」

なんだあたいでも、まともな方法で誰かを守れるんだ。これで自信がついた。あとは45に謝るための自信と言葉をみつけるだけ。

「あの時、45を壊したようなもんだった。今は違う。誰かを生かした。45にまた会えたら、謝らないとな」

あたいの代わりに45を残すって決めたあの瞬間に、あたいは気弱な45を壊した。生かしたつもりで、45の「心」に消えない傷をつけた。

「熱もない。うん。良かった」

痩せた頬を指で撫でる。とってもガサガサであたいに「心」があったら、痛くなってる。何をすれば、か弱い子供一人にこんな逃避行をさせることになるのか。

「きっと、あたいもこの子も誰にも必要とされてない。これはあたいの感傷でしかない」

ついつい小さな顔を覗き込む。ダークブラウンのまんまるの瞳にくたびれたあたいが映った。額の傷痕は見えてないといいな。ぼろぼろの包帯で巻いただけで、修理屋にも行ってないし。

「あ、おはよう。あたいはお化けだよ」

第一印象を良くしたくて、優しく笑いかけた。

「おはようございます。お化けですか?」

子供からは無理に作ったような低い声がした。不安と警戒、子供らしさを捨ててまで生き延びる覚悟をした声色。この子の不安があたいにもうつる。瞳にうつるあたいの顔も悲しみの色がのった。

「そうだよ。あたいは、誰かを救うために犠牲になったつもりのおばけだ」

子供らしさを捨てた子に勝手に悲しさを感じて、あたいは勝手に優しくする。

「おばけ」

子供のぼんやりしたまま繰り返す言葉に頷く。のみこめてないな、この状態だと。

「そうだよ。わがままで君を助けたおばけだ」

「私を拐いにきたんですか?」

絵本の中のおばけって、だいたい人を拐うもんね。そう思うだろう。あたいはおばけみたいなもんだ、やってやろうじゃん。あたいは無理に笑って、つやをなくした黒髪の頭をそっと撫でた。どこもぼろぼろじゃん。守らないとって気持ちになってくるよ。

「うん。拐って、世界を教えてあげる」

「世界、ですか?」

子供はきょとんと首を傾げた。やっと子供らしい表情にほっとした。あたいは思いっきり笑って、さらに頭を撫でた。

「広い世界、その先を掴みに行こう」

そのために、まずは残った食糧でも食べようか。



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2063年 2月1日 06:59 UMP40

病み上がりの子は「自分はもう十分寝たから」とあたいにベッドを譲ろうとする。それをうまく丸め込んで寝かせる。献身はね、自分が健康でないとやっちゃダメなんだ。あたいはベッドサイドに座って、笑った。この子の緊張がほぐれたみたいでちょっと笑ってくれた。ストーブのそばにまだ薪は用意してあるし、けっこう暖かい。これなら少しくらいゆっくりしても大丈夫。

「まだ寝ていなさい」

「えっ、でも」

「いいんだよ。あのね、おしゃべりでもしようか」

「はい。私が話せる範囲であれば」

そしたら、子供は丁寧に自己紹介してくれた。コツコツ努力して、小さな町の教会から推薦を貰って学校を特待生で入学。その後は飛び級卒業して、グリフィンに就職。また努力して、褒賞を貰って転勤の途中だと。

「そうなんだね」

「そうです」

彼女の首から下げた身分証。指揮官や上級職に就いた者だけに支給されるやつ。それは通信機であり、カメラや物によってはGPS機能までついた高性能機器でもある。指揮官レベルだと、身分証兼カメラ通信機くらいの簡易的なやつだったはず。

「えらいね」

「それしか、食べていく方法を知らなかっただけです」

この子が純粋なことを悪用して、身分証をみせてもらうついでにこっそり諸々にアクセスした。まごうことなき、本物だった。グリフィンはこんな幼い子を酷使する企業にまで堕ちたのか。いや、この世界自体が腐り落ちている。仕事さえできればそれでいい。不要になれば、人間でもすぐに始末するのが企業、か。

「なんて読むの?」

この子の名前の欄だけ、読めない言語だったから聞いてみた。身分証内の言語、英語以外に言語選べたんだ。知らなかった。

「保関(ぼせき)すみれです。谷村が姓ですみれが個人名。すみれの花って意味なんですよ」

「かわいい名前だね」

「ありがとうございます」

もじもじしててかわいい。45とは違うかわいさにきゅんとした。ちっちゃくて、あったかい手を握ってあげると握りかえしてくれた。そういや、45と手を繋いたことってなかったな。もっと45に色々してあげれば良かったと、後悔だけが浮かび上がる。

「かわいいね」

小さな頭をさらに撫でると、ふにゃりとした笑顔を見ることができた。すっごくかわいい。45とは違う、守らないとって思わせるかわいさにメロメロだよ。

「おなかすかない?」

「ふぇ?」

びっくりした表情もかわいい。相当びっくりしてるみたいで、こてんと首を傾げてる。

「かわいい」

世話を焼きたい思いで顔を覗き込んだ。そしたら、服からちらっと見える肌にうっすら骨が浮き出てて怖くなった。まともに暮らしてた子供がこんな状態になるまで一人でいて、よく無事だったな。さらに頭を撫でた。かわいい。

「期限ギリギリの食料がたくさんあるの」

「その。私はおなかすいてないので」

「一人じゃ、無駄にしちゃうから。ね?」

私が瞳をうるませると、すみれはとっても申し訳なさそうに頷いた。そうでもしないと、この子は食べないでしょ。

「キャンディにキャラメルもあるよ」

「甘い物は食べ慣れていないので、私はいいです」

なんだとぉ?よっしゃ、あたいが年に一度はケーキを食べられるくらいの生活にしてやろう。

「塩味のクラッカーは?」

「まあ、それなら」

「あーん」

大げさに小さく分けたクラッカーを口元に持っていくと、笑ってくれた。

「私、もう子供じゃないです」

この子はまだ自然に笑える。きっと生きていける。かわいさのあまり頭を撫でると、あたいも笑顔になれた。



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2063年 2月1日 07:46 UMP40

「このクラッカー、水分が奪われるからあたいはそこまで好きになれないや」

粉末スープをお湯でといて、流し込む。人形用のレーションなんて、栄養重視のよくわからない固形物だからいや。闇市を流れに流れた、食事が美味しくない国の人間用レーションもいや。口にしている今回のレーションはまだアタリで良かった。味がまともで、量もあるしさ。

「久しぶりにまともな物を食べました」

すみれをいいくるめて、小さく割ったクラッカーに、残った肉のパテをのせて食べさせる。

「ほら、あーん」

「あっ、はい」

食べさせたら、ハムスターみたいに口をもごもごしてるの。かわいいな。のどをつまらせるといけないから、沸かしたお湯で作った紅茶を用意して待つ。

「ゆっくりでいいんだよ」

コクコクと頷いて、紅茶を飲む姿を見てると本当に小動物みたい。口元をぬらしたハンカチで拭ってあげるとまた笑ってくれた。かわいい。

「それでいいんだよ。ゆっくりお食べ。そしたら、どこに行こうとしていたのか教えてよ」

「私が話せる範囲でなら、お話します」

すみれが行くという地区の基地名や、そこに至るまでの背景なんかを聞き出す。聞いたとたんに嫌な噂が頭を駆け巡る。たしか、そこはグリフィンの秘密の処刑場。入った者はいたが、出た者は誰一人としていない。そもそも、こんな幼い子を危険地帯に一人で放り出すことがおかしい。名目上でも護衛の人形ぐらいつけられてるはずなのに。

「え?今まで一人だったの?」

「はい。一人です。今までも、これからも」

子供がそんなことを言うのか。虚勢を貼ったすみれの疲れたような微笑みが、記憶の中の45と姿がかぶって見えた。45、あたいはそんな表情をさせたかったわけじゃないんだ。ただ、生きていて欲しかった。それだけなのに。違う。この子は45じゃない。

「悲しいよ。そんなの」

「悲しいって何ですか?」

もしかしたら、すみれは感情も知らずに育ったのかもしれない。そんな歪な環境にいることすらわからないこの子を守りたい。

「決めた」

「何を、ですか?」

何も知らせずに動いて、身勝手に今までの45を壊したあたいが思うのもなんだけどさ。とっても勝手なことだよ。たった一人を純粋に守りたいだなんて。

「あたいが仕事よりも楽しいことをしてあげようか」

子供には笑顔と未来が必要だ。それに、あたいには側にいてくれる誰かが必要だ。だから、今度こそ決めた。

「なんですか?」

「家族になろう」

「いいんですか?私はお金も何もないですよ」

今のあたいはもう、道具としての役割は終わったお化けだ。やりたいようにやる。誰かを身勝手に連れ出して生きる。

「あたいたちは今から家族だ!どこへだって行ける。旅をしよう。うーんと南に行って、海を見に行こう」

そうだ。今のあたいはお化けだ。勝手に生きてみよう。



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2063年 2月1日 08:05 UMP40

そうと決まれば、やれるだけのことをやろう。良いなと思ったらすぐに行動に移せるのはあたいの長所だ。食べたレーションの容器を捨てて、残ったレーションの点検をしながら決めたことをきちんと話した。あたいたちに必要なのは、協議と妥協。とことん言うべきだし、聞くべきだ。

「食べて寝よう。寝て、体力回復してから南に行こう」

あたいの言った事の背景はうまく飲み込めてないけど、移動することだけはわかったみたいですみれは納得してくれた。数分してから、涙を一つこぼしてすみれが口を開く。

「はい。この手を離さないでいてくれるのなら」

とても小さくて切ないお願いを一つ。この手を離さない、たったそれだけ。

「何があっても、離さないからね」

我ながらとても身勝手だ、とは思う。小さくて、あかぎれとしもやけでぼろぼろの手をそっと握る。この手もきちんと手当てしなきゃな。あとで薬箱をまたひっくり返してみよう。ここに来るまでによった田舎町に足を運ぶのもいいな。

「信じてもいいんでしょうか」

すみれの不安で揺れる小さな瞳と声。ふっと記憶の中の45の顔と重なって少し苦しい。言ったからには、貫くよ。守れなかった45の笑顔の代わりに。あたいも生きるからさ。生きていれば、45にだって謝れるし。

「何があっても、守るから」

震える声をどうにか抑えて、宣言する。きちんと言えた。そしたら、すみれがおずおずとあたいの手を握り返してくれた。

「本当に?」

「本当だよ。何があっても、守るから」

勝手な誓いを立てて、勝手に命を背負って笑う。

すみれみたいな身寄りのない子供なんてよくいるよ。けどさ、この年で死を受け入れる表情に腹が立った。足掻け。あたいも足掻くから。

「ベッド、使いますか?私は十分寝ましたし」

「病み上がりは寝てなさい。缶詰、開けちゃったし、食べるんだよ」

その痩せた頬を健康的なプクプクほっぺにしてやる。そんで一緒にさ、幸せになろうよ。

「なんだか、本の中にでてくるお母さんってひとみたい」

まさか、この子は母親と言う言葉の意味と存在すら知らないの?

「えっ?」

ひゅっと息を吸う音が冬の朝に嫌に響く。人形って、排熱のために呼吸は必要だし。でも、これには驚き過ぎた。

「えっとあの」

「え?ああ、うん」

あたいはすみれの背景を想像して驚いて、すみれはあたいの表情に首を傾げる。勉強だけは知ってるまっさらな子に、尽きることのない愛を。あたい自身には強さと明るい未来を。

「どうしましたか?」

「なんでもない。あたい、決めたよ」

決めたことを言うために、大きく息を吸い込んだ。



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2063年 2月1日 08:34 UMP40

「今日からあたいがお母さんだよ」

あたいくらいは君に寄り添うよ。だって、一人でさまようには世界は広すぎるから。すみれは首を傾げるばかり。その意味を知りたくて、近づきたくてあたいは聞いてみた。

「どうしたの?」

「お母さん、とは何ですか?」

覗き込んだ先のまあるい瞳はガラス玉みたいに空っぽ。知識はあるのに、母親の意味を知らないチグハグさにゾワっとして探りをいれてみる。

「家族だよ」

「家族って何ですか?」

ますますわからないけど、少しだけ分かったことがある。知識と使い方はわかっているって意味では賢い。だけど、情緒面がびっくりするくらい幼い。生きるために知識だけは手に入れられたのだろう。この子周りはきっとまもとじゃない。この子はきっと、誰にも守られなかった子供だ。

「家族はね、色んな形があるんだよ。意味もちょっとずつ違う。あたいとすみれの家族の意味を作ろう」

「えっと、はい。よろしくお願いします。おかあさん」

そっと手を伸ばしたら、握手してくれた。

「ずーっと一緒だからね」

「はい」

生きる希望と気力をこれからつけられるように、食べていくためのまともな手段を教えるのがあたいの親としての仕事にしよう。

「あとね。寒いから、ベッドにいれて」

「このベッドは一人用ですし、代わりますね」

「だめだめ。病み上がりは寝てなさい」

「でも」

「いいから。端っこによって」

妥協案で、二人一緒にベッドに入る。狭いからと、言い訳してすみれを抱き寄せるとなおさら守らなければと思う。話し方とかから推測できる年齢の平均身長や体重からすればずっと軽いし。

「おっきくなるんだよー」

「なれたら、いいでしょうね」

庇護欲ってこんなのなんだ。あ、こら諦めるな。あたいはきみに美味しい食事を毎日お腹いっぱい食べさせる仕事があるんだぞ。

「さっきの残り、微妙に残ってるしさ。今日の分のレーションパック開けちゃったから、昼もきちんと食べなさい」

すみれが今、どれくらい食べられるのかを知りたいし、その量を把握した上で食糧を確保する。ただ生かせば良いってもんじゃない。まともに食べていける手段、人として身につけるべき生活習慣、人としての倫理観や公共機関の使い方。そんなのまで身につけさせるまで教えたい。教えなければいけない。それが保護者の義務。

「おかあさん?のぶんはどうするんですか?私だって、いくらか食料は……」

すみれがベッドの下に置いたカバンをあさる。途中で手が止まったあたり、もうないのだろう。小さな子供が背負えるだけのカバンが一つなら、食料なんてほとんど入らない。

「いいから。ね?」

ここで否定しちゃだめ。寄り添って、他の方法を提示しなきゃ信頼関係は作れない。

「だれかのお世話になるわけには」

「気にしなくてもいいの。まだまだ食料はあるよ。それに、お母さんはすみれを守るのが仕事だから」

遠慮がちにこくりと頷いてくれた頭を撫でた。これでいいんだ。



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2063年 2月1日 9:00

本当はわかっていた。私が今どんな状況に置かれていて、どんな結末を辿ることになるのかも。

「さむい、な」

6歳で飛び級で大学に入って、8歳直前で卒業してグリフィンに就職した時からもうわかっていた。

「こっちおいで」

目の前の彼女は私を抱き寄せる。その感覚とぬくもりがおぼろげな父母の記憶を呼び起こされた。ずるい。すがりたくなる。私はさいごまで一人ですがるものなんてないのに。

「あったかい」

「でしょう?しっかりと休むんだよ」

私の頭を撫でて笑う。でも単に私を哀れんだのか、油断して始末するのかまだわからない。

「おかあさんって何?」

そんなことを言ったのはほんの少し嘘で、あとは本当。3歳になった直後に都市が壊滅するほどの大火災で父母も何もかもをなくした私は、ほとんど覚えていない。かろうじて覚えていることはわずか二つ。私と母と、母のいとこにあたるおじさんですら顔が同じこと。父に至ってはもう顔すらわからない。よくおんぶとだっこしてくれたこと。私にはもう、それだけ。

「お母さんってのはね。家族なんだよ」

「家族って何ですか?」

家族の意味を知らないのは本当。素直に答えたら、優しい彼女は悲しそうな表情を浮かべて私の頭を撫でた。その優しさがうそだとしたら、私は何を糧に歩めば良いのか。ずるい。

「家族はね、色んな形があるんだよ。意味もちょっとずつ違う。あたいとすみれの家族の意味を作ろう」

ああ、彼女は本当にずるい。私が一番欲しい言葉を行動を的確に与えてくるのだから。

「私は、何も持っていないのに」

「気にしなくていいから」

私の心残りは一つだけ。グリフィンに就職してから、唯一優しくしてくれたAR小隊を家族と呼びたかった。彼女らを家族と呼べないまま、私はもうすぐ闇に葬られる。

「少し、休みますね」

「しっかり休むんだよ」

ゆっくりと目を閉じて少しだけ休む。眠りに落ちる前、思い浮かべることはいつだってAR小隊のことだけ。彼女らについていけたら良かったのに。今からでも、我が身がどんなことになっても会いに行きたい。そう思うと体が動いた。

「あ、こら。病み上がりは寝てなきゃ」

「トイレです」

「連れて行くよ」

ひょいっと私の体が持ち上げられる。どうしようかとジタバタしていると、抱き抱えられた。これでは一人で山を下れない。私と家族になろうと言う彼女がわからない。だから、悪い方法を使ってでも探ろう。

「一人でも大丈夫です。もう子供ではありませんから」

単なる子供ではいられなかった、が正しいのかもしれない。おろして欲しいと頼んで、彼女の手を振り解く。視界の端に一瞬だけ映った彼女の悲しげな顔に良心が痛んだ。でも、いかなければ。

「ひとりでも、いけますから」



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2063年 2月1日 10:09 M16A1

私達AR小隊の指揮官であり、唯一の家族が身勝手な大人のやることで消されそうになっていると気づいたのは私の失踪後のことだった。グリフィンのことを知るためにこっそりとデータベースを覗き込んだある日。すみれのことが気になって調べたらわかった。これが人間のすることか。

「噂は本当だったのか。グリフィンの秘密の処刑場があるってのは。上層部の人間が、自分の派閥の人間をねじこませるためにそんなことを。すみれをそんな所に送ったのか」

あの子は飛び級卒業して、就職しただけの何の後ろ盾もない子供なんだぞ。何もできないまま死んでいくに決まっている。私はM4のため、ひいてはAR小隊のためと奔走したのは良かった。そこまでは良かったんだ。

「すみれ。頼むから、生きることを手放そうとするな」

手近なグリフィン基地跡地から情報を抜き出す。電源は生きてることを確かめて、コンソールの電源をいれた。

「ペルシカさんやヘリアンは無事か」

すみれの足跡を辿る。グリフィンの身分証はICカード機能もあるから、公共交通機関の使用履歴を辿ればどこにいるのかもわかるはず。すみれの身分証兼端末の履歴を調べて行くと気づいた。護衛に人形も付けずにたった一人で私がいる地区までやってきたと。あの子はまだ、9歳になる直前の子供なのに!私達AR小隊の家族。愛を教えてくれたのはあの子だし、私達はあの子を愛している。

「クソッ。あの時、すみれの手を放すんじゃなかった!」

もう一つの大事な存在が掌からこぼれ落ちる寸前で錯乱しそうになる。少しでも早く、あの子の所へ。私が守らないと、誰もあの子を守らないんだから。

「私が、早く気づいていれば。私が消息を絶つと、指揮官であるすみれの懲罰人事が発生するだなんて、火を見るより明らかじゃないか。履歴とGPSから追跡して……私はただ、すみれには生きていてほしいだけなんだ」

GPSから情報を割り出してみた。すみれは私の現在地からすぐそこの山中で、管理用の小屋から動いていない。履歴を探った証拠を消しながら、ヘリアンへのメールを送る。ここにいるのをわからないように。だけど、用件を手短に書く。タイトルは私の名前で。監視カメラから抜き取ったすみれの写真と、GPSの情報。私からのメッセージを添えるのも忘れずに。

「あなたが目をかけてる子供を、私達の指揮官を失うようなことをしてくれるなよ」

メールを送信したら、すぐにここを立つ。今急がないと、すみれを守れなくなる。私が私でいられるうちに行こう。

「中々厳しい寒さだ」

冬の終わりの冷たい風に身を乗せて走る。すみれがこの風に凍えていないだろうか。お腹を空かせていないだろうか。もしも、病気やけがでもいていたら。ああもう、不安で仕方ない。

「頼むから、生きていてほしい」

あの子は私を親と慕い、私はあの子を我が子と愛おしむ。それだけでよかったあの日々を取り戻すために。



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2063年 2月1日 11:30

結局、初対面なのに私を看病してくれた彼女からもベッドからも私は抜け出せなかった。

「ほら、あーん」

「もう私は子供ではないので」

「すみれの元気な所がみたいの。だめ?」

「うう。しかたないですね」

私は世話を焼いてくれるだれかにことこん弱い。AR小隊やペルシカさんとか。良いデータがとれるからとうそぶいて、AR小隊専属指揮官にしてくれた彼女に感謝しても仕切れない。あの人と彼女らが私を守り、育ててくれたからこそ生きてこれた。みんなに会いたい。

「いっぱい食べるんだよ」

私はまだ、目の前にいるUMP系列の銃を持った戦術人形の真意を測りかねている。

「あまり食べられないので、もう十分です」

「本当に?食べられるうちに食べるんだよ」

背景がわからないのに、優しくされても困る。その優しさに依存したくなるから。なんて彼女はずるいんだろう。愛される経験が薄い私にはとても甘い毒。だからこそ、私はその手を振り払わなくては。

「少し汚れたので、手と顔を洗ってきます。先に休んでください」

「はいはい。おやすみ」

彼女が寝たのを確認して、自分のカバンを掴んで小屋を出る。今から急いで下山しないと。歩いて、自分を終わらせる場所をみつめるために行く。

「寒い。まだ春は遠い」

勢い良くさくさくと枯葉を踏んでいく。山をおりながらまた昔を思い出す。私の後見人のことだ。就職時に名目上の後見人である上級代行官殿がついらしい。私は残念ながら顔すら知らない。たしか、ヘリなんとかだった気がする。忙しいだろうに、定型文で時候の挨拶を書いたメッセージカードだけは律儀に手書きで送ってきた彼女。女性らしい繊細な筆跡と言葉選びが好きだった。メッセージカードも封筒もかわいらしくて、品の良い香水がふりかけてあって、そこも好きだから捨てずにとってある。カバンの底には彼女からのメッセージカードを詰めたクッキーが入っていた空き缶がある。疲れた時に読むと元気がわく。今までの道中みたいに、またそのカードを読むことを決めて一歩踏み締める。次の瞬間、体が宙に浮いた。転んだわけじゃない、誰かに首根っこを掴まれた。さっきまで一緒にいた彼女だ。

「こら!寝てなきゃダメじゃないか」

勉強ができると言っても、所詮私は子供。とっても考えが浅かった。このままでは、何もできないままベッドに連れ戻されてしまう。

「しまっ……」

急いで振り返ると、少し遠くにM4お姉ちゃんとAR-15お姉ちゃんがいた。すさんではいるけど、諦めていない瞳の二人がいた。誰よりも会いたかった。もがくために私は二人に手を伸ばした。

「すみれ!!」

「お姉ちゃん!」

私がとっさに叫んで、M4お姉ちゃんが先に動いた。



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2063年 2月1日 12:00 M4A1MOD3

 私達AR小隊の指揮官で、庇護者のいない幼子のすみれが見知らぬ人形に捕まっている。

「そこの人形。私のかわいい娘に何してくれているの?」

自分でも驚くほど底冷えする声に、ここにいる全員がすくみあがった。すみれの目が見開かれる。そんな。私はすみれを怖がらせたくなかった。

「M4……」

「AR-15は黙ってて。すみれに何をする気なの?」

すみれを掴む見知らぬ人形の手を掴んだ。星の瞳と視線がかち合う。私の手を振り解こうとする力は予想以上に弱くて、笑ってしまった。

「痛い痛いって!!」

必死なはずなのに、喜劇のワンシーンみたいで力が抜ける。興が削がれた。尋問やらはAR-15にでも任せようか。それよりすみれが大事だし。

「バラバラにされたくなかったら、答えなさい」

「だーかーら!あたいは何も知らないって!この子がとんでもない所に一人でいこうとするから止めてるんだってば!信じてよ」

「本当に?AR-15、すみれを抱いてて。すぐに逃げられるように」

「わかってる。すみれ、会いたかった」

庇護者のいないこの子を愛するだけで良かったあの日に戻りたい。そのために、私はなんだってやる。

「あうー。なんかもうあたい、貧乏くじばっかりだよ」

AR-15の腕の中にいることを確かめると、顔を引き締めた。

「お姉ちゃん。私も会いたかった」

AR-15がすみれを抱き上げる。こんな山奥に一人で心細かったに違いない。服も髪もぼろぼろで、早く整えてあげないと。

「さて、キリキリ吐いてもらいましょうか。素直じゃないなら、頭カチ割ってコアに聞けばいいし」

首を掴んで、ぐいっと持ち上げる。以前されたことを今見知らぬ人形にしている今がひどく滑稽ね。

「やめてやめて、あたいは45に謝らないといけないの!」

UMP40を担いだ人形はジタバタもがいている。弱いなあ。

「お姉ちゃんやめて。私は知らないといけないの」

すみれが小さな手を精一杯伸ばして、私の腕に触れた。この小さな手のぬくもりが今の私を癒してくれる。その手に免じて、ポイっと無造作に投げ捨てる。すみれに微笑みかけて安心させないと。

「わかった。とりあえず生き延びたことを感謝しなさい」

「うう。痛い。45……あたいはまだ生きているよ」

ノロノロと見知らぬ人形が這いずり、私達から遠ざかる。しばらく這いずった彼女が何かにぶつかって転がる。

「あだ?!おろ……?わ、誰だ!」

誰か?その言葉の意味がわからず見上げるとわかった。わかってしまった。

「M16姉さん!すみれが、知らない人形に誘拐されそうなの!」

「私のかわいい娘に手を出そうなんて、いい度胸してるじゃないか」

昔のくせで視線の先の存在に頼ってしまった。私はまだまだなのかもしれない。



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2063年 2月1日 12:12 AR-15MOD3

「待ってください。私に教えてください。何があったのか、すべてを。そうじゃないと、何もできないじゃないですか。あと、M4お姉ちゃん。知らない誰かの首根っこ掴んではいけないと思います。ほら、解放してあげて」

「チッ。命拾いしたわね」

「あたい許された!」

見知らぬ人形がのろのろと這って距離をとる。初めての接触があれなら、無理もないだろう。奇妙な緊張を保ちながら、皆ジリジリと距離をとって睨み合う。

「私は、私と家族になろうとか守ると口にした彼女のすべてを知りたい。M4お姉ちゃんやお父さんに何があったのかも。私のこともすべて話すから」

私の腕の中のすみれが微かな父の面影と重ねて、父と慕うM16に手を伸ばす。M16はすみれに応えて小さな手を握った。しもやけやあかぎれでぼろぼろの小さな手に悲しくなる。私達がそばにいないばかりに。

「そうね。落ち着ける場所で話をしましょう」

「ならさ、あたい達が休んでた山の管理小屋か猟師小屋みたいなとこは?」

見知らぬ彼女が指差す先の小屋を見る。その言葉に全員が頷いた。私達は問題ないけど、すみれのことを考えると暖を取れる場所が良い。

「そうね。私も何があったのか知りたい。教えて、M16」

「いいよ。そのかわり、M4達やすみれに何があったのか教えてほしい」

M16が穏やかに笑って頷く。すみれ絡みじゃないと、彼女からはこんな笑顔は出てこない。M16の根底は変わっていなかったことに安心した。

「ふぇ?あたいのことは無視?」

足下でうずくまってべそかいてる人形をちらりと見やる。かまってちゃんかあんたは。

「無視してないから。ほら、さっさと歩く」

薄ら残る雪と、枯葉を踏みしめて歩き出す。私はまだ歩けると言うすみれを言いくるめて、抱きしめる。

「体がこんなに冷たいじゃない。無理しちゃダメよ。私達が守るから」

M4やM16にアイコンタクトで連絡をとった。頷いた二人は少し離れて警戒態勢をとってくれる。気心知れた仲の連携はいつでも頼りになる。

「お姉ちゃんがそう言うなら。あとね、会いたかった」

「私だって、M4だってすみれに会いたかった」

「私もすみれに会いたかったよ」

M16の会いたかったって声が震えている。みんな同じことを考えていた。ほっとする。

「すみれ」

「どうしたの?」

この子の少し冷たい指先を少しでもあたためないと。守ってくれる大人がいないこの子を守れるのは私達だけだから。

「ふぁーい」

「ついでに、あんたのことは何て呼べばいいの」

ついにM4が言ってくれた。

「あたいはUMP40。親友を護ったつもりで、とても残酷な呪いを根底に刻んだ愚か者だ」

こちらを向いたUMP40はとても悲しそうに笑った。



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2063年2月1日 12:45 M16A1MOD3

山の管理小屋か、猟師小屋を勝手に入って薪ストーブに火をつける。暖かくてほっとする。時間も時間だし、何かつまみながら話でもしたい。幼い子に長時間の空腹は良くない。生憎とレーションしか持ち合わせていないが、食べさせたい。

「よくみつけたな、こんなの」

「獣道をたどっていると、偶然みつけました。鍵の管理が杜撰で助かりましたよ。入り口横の植木鉢の下にそのまま置いてありました」

AR-15に抱えられているすみれが、とにかく無事で良かった。椅子や、適当な箱をだしてきて座る。全員座ったことを確認して、うなずく。

「すみれ」

「はい。お父さん」

AR-15からすみれを受け取る。私の腕の中に、愛おしくてまだ小さなぬくもりが帰ってきた。M4達の表情も緩んでいる。私達が在るべき所へ帰ってきたみたいだ。

「一人にして、すまない」

いつだって飄々としていられるはずだったのに、声が震えてしまう。これじゃ、冷静に話せない。次の言葉をどう言うべきかとためっていたらM4に抱きしめられた。ちょうどすみれを真ん中にして向き合うように抱き合うことになる。

「お父さんなりの理由があるのは、分かっています。いいんですよ」

「すみれ」

「M16姉さん。話してください。私も許しますから」

二人には私を許さないで欲しかった。M4にはいつまでも姉と慕ってほしかったし、私のようにあえて不幸を選んではいけない。

「M4、すみれ。私は、私は……」

私を父と慕うこの子には、子供らしくわがままを言って欲しかった。事情を話して独房に入るなりすれば、なんてもう都合の良い夢でしかない。今を足掻いて、未来を掴まなくては。そのために話しあおうか。

「私を許してはいけないんだよ」

壊れないようにと、そっと撫でた頭髪が痛んでいる。毎日私達がつややかで長い黒髪になるように整えていたのに、こんなになるまで誰もそばにいなかったのか。それをM4とAR-15に伝えるとさらに二人の表情が険しくなった。

「私はお父さんを許しますよ。M4お姉ちゃんも、15お姉ちゃんも」

すみれが優しい子に育ってうれしいけど、その言葉は私の罪深さが浮き彫りになる。守らなければいけない者を放り出した私の罪が、重い。すみれとM4の柔らかな頬にキスをして希う。放浪生活をしたであろう荒れた肌に胸が痛い。

「どうか、許さないでほしい。すみれ、教えてほしい。私もすべて話すから。M4も、そこのUMP40も」

私は声の震えと涙を隠して笑えただろうか。



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2063年2月1日 13:00 AR-15MOD3

「ねえ、M16」

私が両手を広げるとM16がやれやれと笑ってすみれを膝の上にのせてくれた。かわいい私達の娘がギュッと抱きついてくる。

「かわいい。会いたかった」

私がこの世界に存在する理由の一つ。そっと頭を撫でてM16と向き合う。昔みたいな穏やかな笑顔でいてくれた。

「はいはい。すみれは任せたよ」

「M16は変わらないのね」

「私は私だよ。何があっても」

「変わらない所があって良かった。まずは15お姉ちゃん話してくれませんか?」

「そうね。食べながら話でもしましょうか。すみれの好きなダークチョコレートもあるし」

念のために自分が同じ板チョコレートを食べて毒味をする。傷んでいないし、毒物も含まれていないことをしつこく確かめてからひとかけらずつ食べさせる。ブラックマーケットにあった商品の中で一番高かった。だけど、この瞬間のためになら惜しくない。口元がゆるみっぱなしで何から話せばいいのか。でれでれしているのをM4にからかわれるし。

「一人でも食べられますよ。私はもう、子供じゃないですし」

でも表情は幸せそうにしている。この愛おしさは私達だけが自分自身で創り上げた本物の感情。その愛を抱いて優しい話し方を選びながら一つずつ述べていく。

「かわいい。そうね、何があったのか順を追って説明すると……」

傘ウィルスと言うやっかいなのに感染したこと、他の人形に移さないようにと守るために自爆を敢行したこと。スクラップ寸前でいたところを存在しないはずの人形部隊に拾われて修理されたこと。そして、いろいろあって似たような目にあったM4と行動していることを話した。

「お姉ちゃん。痛かったでしょうに」

小さな手が私の頬を撫でる。私のメモリーの中の優しい子のままでほっとした。

「そんなはことないからね」

綺麗な黒い瞳から涙があふれる。きっと私の強がりと捉えたのだろう。ただ、笑っていてほしかったのに。

「すみれの孤独と不安に比べればなんともないわ。この子に酷いことをするなんて。許さない」

「そうねAR-15。かわいい私達の娘に酷いことをした連中には復讐しないと」

「私も手伝うぞ」

M4が右手を握りしめて誓うし、M16がニヤリと笑って頷く。同意してくれて良かった。昔に戻ったみたい。

「あなたをM4を守れなくて、ごめんね」

一番の命令はM4を守ることだけど、自分の意思ではすみれを一番に守ることに決められて良かった。愛を知ることができたから。

「いいんですよ。私はまだこうして生きているじゃないですか」

たしかに私達もすみれも生きていれば、どうとでもなる。じゃあ、行動に移そうか。



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2063年2月1日 13:55 M4A1MOD3

「次は私の番?すみれ、おいで」

「はい。M4お姉ちゃん。冷たい印象に変わっていますが、私に優しい所は変わらなくて安心しました」

すみれが潤んだ瞳で悲しそうに笑った。もしかして変わってしまった私のせいで、この子を怖がらせてしまったのかもしれない。これ以上ないくらいそっと抱きしめながら思う。強くなった理由のこの子を傷つけたのなら、意味がない。きつく抱きしめて再会を喜んで、互いに怪我がないか確かめ合う。そこが久しぶりで、笑ってしまう。私達は結局何も変わっていない。それでいい。

「すみれ」

「何ですか?」

時間が惜しくて、持ち回りで手元のレーションのマシな物をすみれに少しずつ食べさせている。私達の娘が急変した生活でやつれたのに気づいてしまった。きゅっと口元を引き結ぶ。

「ごめんね。傷つけたかな?私達はすみれをこんなにも愛しているのに、やっぱり守れないのね」

私が自嘲気味に笑うと、すみれが涙を浮かべあわてて否定する。

「そんなことないよ。私のために勉強教えてくれたり、生き延びる方法を教えてくれたり、コツコツ貯めたお金で予防接種を受けさせてくれたりした。それだけでいいの。私は愛されている」

悲しそうに笑うのがみていられなくて、すみれの小さな額にキスをする。そうしたら、やっと私が知るひかえめな笑顔に変わった。すこし荒れてしまった頬を指で撫でる。さらに痛んだ髪を撫でておく。次いつ会えるのかわからないし、もう会えないかもしれないから。すみれの方からも私の頭を撫でるために手が伸びる。

「ずっと愛してるわ。ごめんね。そうね。私も事情を話さないと」

私には欠けていた記憶があって、それを取り戻したこと。ボロボロになって、私からすべてを奪っていったやつらに復讐を誓うために強くなったこと。M16姉さんが置いて行ったこの武装モジュールのこと。荒んでしまったけど、変わらず唯一の我が子であるすみれを愛していること。これらを包み隠さずに、わかりやすく話していく。

「M4お姉ちゃん」

「どうか私のことも許さないで。身勝手な理由でグリフィンから離れて、あなたをこんな目にあわせたんだもの」

「お姉ちゃん。だったら、私の願いを聞いてくれる?」

丁寧な話し方をやめて年相応の幼い話し方をする所がまた愛おしい。

「すみれの願いなら、なんでも」

「おばあちゃんになるまでお姉ちゃんたちを待っていてもいいですか?」

そばにいてくれ、なんて言いたいけど言えない。いじらしい願い。

「私はね、私達は無事にすみれのもとへ帰るから待っていて」

「はい。待っています。だから、私も逃げて生き延びます」

私とM16姉さんにAR-15が力強く頷く。さあ、次にM16姉さんから話を聞いて今までの事柄のカケラを手に入れよう。



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2063年 2月1日 14:30 M16A1MOD3

「私の番か。おいで、すみれ」

「お父さん」

かわいい娘が自分から寄ってきて、膝の上に乗ってくる。同年代の子供と比較しても小柄で少食な我が子を抱き上げて、腕の中へ。AR小隊結成前からそばにいるし、この子は私に一番懐いていると言い切れる。澄んだ黒い瞳が私を優しく覗き込んできた。

「すべて話そう。まずはな…」

M4のためにおとりになって、一度消えたことの裏側。また戻ってきてから考えていたこと。鉄血のハイエンドモデルドリーマーによって傘ウィルスを埋め込まれたこと。それを拡散するわけにはいかないからと再び消えたこと。それらを全部M4達にも話した。

「すみれ。ごめん」

「いいの。お父さんが行方不明になって、見つかって、またいなくなって。M4お姉ちゃんや15お姉ちゃんが行方不明になったことを理由に懲罰人事からの処刑場送りなったの。今はその道中。でもね、いいの」

やはり私が、私達が消えたからか。M4とAR-15は知らなかったのか、ぎょっとしている。

「まだ8歳の子供になんてことを。この子は私達の膝の上だけが居場所なのに」

AR-15が腹を立てるのも無理はない。飛び級で学校を卒業したものの、就職先での後ろ盾は何一つない。かろうじてヘリアンとペルシカさんがわずかながら社内政治的な牽制ができていた程度。私達が物理的に守れてはいた、けど人の悪意からは守れなかった。また抱きしめて小さな命がまだあることを再確認した。良かったまだこの子は生きている。

「すみれ」

「お父さん。すがりたいけど、きっとお父さんやお姉ちゃん達にはやるときめた事があるみたいだから」

賢い子だから、助けを求めることを諦めてしまったのか。優しい笑顔に隠した絶望。私が思わず取り繕った表情をかなぐり捨てて怒りを吐き出す。怒りに震える声を静かに紡ぐ。

「すみれに悲しい笑顔をさせるやつを許さない。幸せにするために私達が育てているのに」

「お父さん。気にしないで。私はお父さんやお姉ちゃん達が無事ならいいの」

気にするに決まっている。我が子を守らないで何が親だ。そのためなら私は何だってやる。

「姉さん。復讐は任せてください」

M4が怒りのままに服を掴んだ右手をぐっと握り込む。

「そうだな。調べて復讐しよう」

「あの、あたいを忘れて放置しないで。何も話してないよ。あたいはグリフィンが放棄した基地から情報漁ってたんだ。実はあたい、蝶事件って呼んでる出来事の断片にいたの。知りたいでしょ?」

UMP40と名乗った人形が言葉が私達に大きな一石を投じた。



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2063年2月1日 15:25 UMP40

「あたいはあの事件の断片にいた。紛れもなく当事者の端っこにいたし、あの場所で人知れず消えるはずだった」

あたいの声は今までにないほど情けないほど震えてる。どさくさで自己紹介はざっくりすませたけど、ひとりぼっちでつらい。それでも、前に進むために少しずつ話していく。小屋の中をひっくり返すように探したら、みつけたスケッチブックと鉛筆で絵や文章を書いて過去を整頓しながらね。

「あたいは、ずーっと前に鉄血製のスパイ人形としてグリフィンに納品されたんだ。電子戦モジュールだけ詰め込まれて一人でスパイをやれって命令を刻まれてさ。孤独で、不安で鬱病みたいな状態になりそうなのを必死で押し隠していると何も知らない、似たような人形がやってきたんだ。それが妹分で親友のUMP45っての」

ざっくりとスケッチした45の横顔を見せる。あたいがいつもみていた、愛おしい泣き虫な横顔を。そしたらすみれが反応してくれた。

「少し似ていますね」

「やっぱり似てるよね。ふふん。かわいいんだ」

さらにスケッチしながら、過去をまとめていく。

「一人で産業スパイやれって言われてもさ。何もできないしら妹分はあたいよりも電子戦モジュールで容量カツカツで見ていて不安になるし。そんな中、電子戦部隊として出向しろって言われて放り込まれたのがグリフィンの人間が言う蝶事件」

本当にざっくりとだけど、どこからどうあの建物に侵入していったのかを描いていく。考え込んでいたM16ってやつが質問してきた。

「あの事件、どう動いてた?」

「うん。あの時は、グリフィン側から見れば裏切りって形になるのかな?あたいは情報しってて、45は知らないまま、ここをこう走り回ってた」

ザクザクと乱暴にどう走ったのかを描いていく。そしたら、またM16が質問してきた。

「あの時、あんたら二人に何があった?」

「エリザ?ってすごいやつが鉄血で上位の権限もってて、そいつが鉄血製の人形を動かしやすくするためにメンタルを初期化のコマンドを実行。で、あたいと45もそうなるはずだった」

「あの時にそんなことが。ああ、続けてほしい」

M16促されてまた話を続ける。あの日のことを思い出して手が震えて仕方ない。本当に、45に対する酷い裏切りの日だ。

「あたいは気づいたんだ。データ上だと45はあたいの子機扱いされてるみたいだって。あたいがちょっと工夫してからあたいが消滅すれば、45だけは生き残れるって」

スケッチブックに文章をまとめていく。親機の消滅で、共倒れを防ぐとか、何を45に残したかとか、その際の手順なんかも。

「共倒れするより、全てを託した方が良いからってことか」

「そうだよ。45にあたいが持ってる知識や技術、遺言を転送して。それで人間で言う自殺はできないから、45に頭を撃ってと頼んだ」

スケッチブックに「これであたいは終わりのはずだった」と書き殴る。鉛筆でコンコンとスケッチブックをたたいてから、強がるために笑って見せる。

「45って、ずっと射撃が下手でさ。だからあたいは一回死んで、なんでかまた生き返ったわけだけど」

片手で髪の毛をよせて額をみせる。横にそれたから浅くすんだ弾痕。それにみんなが驚く。

「運が良いのね」

AR-15だっけ?ピンクの人形がすっごく驚いてた。無理もないよ。

「あたいは悪運だけは強いんだ。そんで、それからなんだけどね。なんかよくわかんないけど、生き返ったあたいは戦場とその付近をウロウロしてここまで来た。そこで出会ったのがすみれ。熱でぶっ倒れてるとこを見つけて看病した。すみれったら、とんでもないことを言うんだよ?自分はもうこの熱で助からないから、放っておいてくれ。死んだら、そこの庭にぬいぐるみと一緒に埋めろって」

人形達が勢いよく振り向いて、M16の膝の上にいるすみれをみつめる。

「すみれ。そんなことを言ったの?」

「M4お姉ちゃん。あのね。これは、指揮官の損切りとしての選択でね。えっと」

すみれにとって唯一の武装の大人びた表情が崩れた。オロオロと保護者らを見回してる。怒るよりも悲しそうにしている方が効いたらしくて、しゅんとしてる。そういう所は年相応の子供で安心したよ。

「あたいが薬箱探して、解熱剤飲ませて、まともな食べ物を食べさせたから生きてるんだ。そこは感謝してほしい。いやさ、子供がそんなこと言うの見てられなくて……。勝手にさ、勝手に45と重ねて見てた」

強気に暗に感謝しろと言ってみたけど、だんだんと声色がへたれてきた。情けないや。

「それでもいい。私達のたった一人のかわいい娘を助けてくれてありがとう」

M16が丁寧に礼を言ってくれた。続いてM4って人形とAR-15って人形も礼を言う。

「うんうん。どういたしまして。これで主要なとこは話せたかな?それじゃ、これからどうするか決めよっか」

「そうですね。どう動くか決めなくては」

すみれが表情をすぐにいつもの大人びたものに切り替えて頷く。この子の切り替えの早さ、頭の回転の早さが指揮官としての有能さを物語る。

「そうこなくっちゃ!」

スケッチブックと鉛筆をサイドボードに置いて、赤い頬のまま話を切り出した。ねえ、45。あたい、もうちょっと世界を歩いてみるよ。そしたら、二人で海を見られるかな?



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2063年2月1日 15:11

「全部教えてくれてありがとうございます。今できることを考えましょう」

涙でうるんだ目を拭う。唇をきゅっとひき結んで笑顔をつくる。みんな不安そうに私を覗き込んで心配してくれた。

「なんでもないよ」

「怖いなら、怖いって言うんだよ」

お父さんに撫でられた。久しぶりで嬉しい。何も持たない私はね、お父さんやお姉ちゃんに心配かけられないから。微かに残る父との思い出をM16A1さんに求めたから、この人は父になってくれた。私に世話を焼いて、愛してくれる。それだけで幸せ。勉強を教えてくれたし、犯罪組織の誘拐や恐ろしい派閥から物理的に守ってくれた。任務から帰ってすぐに抱きしめてくれたのも彼女。

「お父さん。私ね、何がなんでも生き残るよ。そのためには何でもやる。M4お姉ちゃん。どこで強化したの?」

何をやる気かとM4お姉ちゃんに聞かれる。そんなのやること一つに決まってる。

「有り金はたいてこの人を修理に出しで強化します。これから、一蓮托生ですよ。おかあさん」

「あ、うん。よろしく」

腹を括った私の表情にUMP40おかあさんがおずおずと握手を求めてくる。きゅっと握手して笑顔をまた作った。

「メンテナンスしてないでしょう?」

「うん。あちこちガタがきてる」

やっぱり。ついでにメモリー強化とかいろいろしてしまおう。私が使う日用品や旅に使う物も買いたい。長い旅になりそうだから、護身用に何かも欲しい。そのためには金がいる。

「ついでに強化もしましょう。すぐそこにグリフィンが放棄した基地があります。まだ通信設備と電気系統は生きているのでハッキングして、情報を引っこ抜きましょう。それくらいできますよね?」

伊達に指揮官やってない。取捨選択だけはうまくなった私をなめてもらっては困る。

「できらあ!電子戦特化型をなめてもらっちゃ困る。相手が軍用モデルじゃない限り、電子戦じゃ負けない自信がある」

胸を張って答えたおかあさんが頼もしい。

「ついでに私の口座からお金おろして、おかあさんの修理費と投資にあてます。それと、いくらか現金化しましょう。換金できる物を買って、道中で売れば良い」

「うーん。子供の思考じゃない」

「グリフィンの中じゃ、子供でいられなかったんですよ。後ろ盾がないから、戦場に放り込まれて撮影とお父さん達を指揮してましたし。まだ、お父さん達が物理的に守ってくれるだけマシでした」

「ああ、うん。これからはあたいも守るから」

優しい手が私の頭を撫でる。みんな優しいし、私を愛してくれる。まだ私はおかあさんやお父さん達に何も返せていない。くれた愛を返すために私は何だってやる。私は生きるためにひどいことに手を出した。

「おかあさん。よろしくお願いします」

「よろしくすみれ。たった一人のかわいい子」

また一人、家族が増えた。



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2063年2月1日 15:30

「M4お姉ちゃん、だっこ」

本当は指揮官らしく丁寧な立ち居振る舞いでなければいけないんだけど、みんなの前だけはただの9歳目前の子供でいられる。今だけ、子供でいるのをどうか許してほしい。精一杯手を伸ばしてM4お姉ちゃんにだきついた。

「ふふ。おいで。言いたいこともあるでしょ?」

お姉ちゃんは私に変わらない優しい笑顔と愛情を向けてくれた。離れたくない思いを抱擁に代えて、しばらくそのままで話をする。

「お願いがあります」

「言ってごらん」

「お姉ちゃん二人を修復と強化したエンジニアを教えてください」

「シーアとデールのことね。会う約束を取り付けるのすら大変よ。それでもいいのね」

「お姉ちゃん達やお父さんの願い、母の遺言通りに生き残るためには何だってやります」

「その強さがいるのは、大人になってからでいいのにね」

「私はね、いつまでもみんなの娘だって。それだけで幸せ。このあとすぐ、お姉ちゃん達とは離れ離れにならなくちゃいけないこともわかってる。だから、待ってる」

だめだ。子供っぽい話し方になってしまう。子供でいるのはやめるって決めたのに。

「ごめんね。愛してる。私も紹介状みたいなメールは送っておく」

マメだなあ。M4お姉ちゃんのマメなところに助けられたし、愛されているってわかる。

「ありがとう。ずーっと、ずっと大好きですよ」

「私も。すみれ、他にやることは考えてる?」

「まだ設備が生きている基地から、情報を抜き出します。あと、お金がないので口座からいくらかおろして現金化も。街づたいに南下して他社の管轄地区まで逃げます。あと、海が見たい。みんなで」

初めて、子供らしい願いを口にできた。保護者なんていない私はだれかに何かをねだるなんてできなかったし、そんな考えなんてなかった。ここで、やっと言えて良かった。視界がぼやける。まだ泣いてはいけないのに。泣くひまなんて、これからもうないのに。

「約束しよっか。みんなで海を見に行こう。そのために、やるべきことをきちんと終わらせる。待たせないから」

私の涙まじりの声を察したM4お姉ちゃんからのひどく不確かな約束。私はそれにすがりたい。今も、これからもそれにすがらせてほしい。

「約束ですよ」

「約束ね」

互いのぬくもりを忘れないために、約束を永遠にするために言葉を重ねる。

「ひとりは、いや」

「させない。そのために離れるだけよ」

もしも私とお姉ちゃん達のゆく先が違うのなら、私は全てを捨ててもついていきたい。



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2063年2月1日 20:17 ヘリアントス

「単刀直入に言おう。ペルシカ、SOP2。すみれがいなくなった。私の落ち度だ」

夕食の後、SOPとコーヒー片手に研究室でくつろいでいたペルシカ。連絡だけはあったが、部屋に転がり込んできてとんでもないことを言い出した知り合いに席を勧めて座り直す。

「詳しく聞かせて」

ペルシカはヘリアンに断られること前提でコーヒーを差し出す。気が動転しているのか、素直に受け取ってヘリアンはコーヒーとすら呼べない苦くてぬるい液体を飲み干した。

「さっきまではるか北方まで出張中にある派閥が暴走。AR小隊が行方不明になった責任を問うて裏ですみれを処刑しようと、ある場所に連れ去った。が、やつらがあの子を道中で見失った」

走ってきて間もなく呼吸が整わないのに話をやめないあたり、彼女にとって重大な事件だとペルシカは気づく。内心舌打ちをしてお代わりのコーヒーをポットから注ごうと手を伸ばした時、SOP2が不安そうに二人を見つめていた。

「ペルシカさん。ヘリアンさん」

自分を連れて行ってほしい。暗に告げるSOP2の頭を撫でたヘリアンが力なく笑う。

「まあ、待て。私もいく。表向きはあの子を見失った地点付近の基地の視察とする。SOP2は護衛としてついてくるように。私はあの子の保護者でありながら、ささいな政治的牽制しかできなかった。今こそ、守るためにやらねば」

「私も行く。ついでに新しい人形性能を試させてよ……うん。用意できた?なら、おいで」

身体を動かさないと鈍るとペルシカが笑って言う。それに対してやんわりとヘリアンはとめた。

「それはやめておけ。ああ、AR小隊の新しいメンバーか」

「そ。SOPだけで限界だったし、戦いは数だよヘリアン」

「それを君が言うか」

「まあまあ。ほら、はいって。RO」

ペルシカが入室の許可を出してすぐにとある戦術人形が入ってきた。

「初めまして。RO635です。よろしくお願いします」

ピンと背筋を伸ばして敬礼するRO635にペルシカとヘリアンは穏やかに微笑んで頷く。

「うむ。礼儀正しくてよろしい。私は今回の人事異動が不正であり、某派閥の反乱として処罰する。いや、さきほどした。その通達を全基地に今し方だした。ついでにあの子の情報と保護の願いも」

「えっと、私はこれからSOPと何をすれば良いのでしょうか」

事情を知らず、首を傾げるばかりのROにペルシカがコーヒーをカップに注ぎながら答えた。

「ざっく言えば、迷子の捜索だよ」

ことも投げに言うペルシカに、事態が飲み込めないROはまた首を傾げる。

「はあ」

「私とペルシカは、少し年上の親友の忘形見を守りたいだけなんだ」

ヘリアンが拳を強く握って、言葉を絞り出す。彼女が後悔の色が顔ににじむのをあらわにしたことにSOPが驚いて飛び上がる。

「君たちを形作る理論やシステムの一部の開発者でもあるんだよ」

「そんなすごい人のお子さんなんですね」

ペルシカがタブレットを操作してその人物の名前と功績を指し示すとROは素直に感心した。

「あの子は人形工学を初めとした機械いじりの天才で、あの子の母親はシステム開発の天才だった」

「あんな事故さえなければ、私の研究室にいてくれって頭下げてたかもしれない」

「いや、私の部下にしたかった」

悲しそうに、でも楽しそうに笑うヘリアンとペルシカ。そう話すほどに素晴らしい人だったのだろうとSOPもまた目を輝かせる。

「あの子のお母さん、かあ。似てたの?」

「穏やかで独特の静けさを持つところは似ていたよ。でも、あの人はよく大きな声で笑う人だった。親子そろって春の花の名前が由来の、とても優しい性格をしていた」

ペルシカが一度言葉を切ってコーヒーを飲み干す。まるで後悔と決意を飲み干すみたいだとSOP2はつぶやく。

「だからね、私達は親友に代わって守りたいんだ。それだけのこと」

いつになく真剣に前を向くペルシカの雰囲気に呑まれたSOPとROは今一度、ピンと背筋を伸ばして敬礼をした。

「恥も外聞も捨てて、なんでもやるよ。そのための地位と研究成果だ」

ペルシカのこと一言を皮切りに大掛かりな迷子の捜索と保護の作戦が開始された。



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2063年 2月3日 22:05 M4SOPMOD2

私にしては珍しく、黙って輸送用トラックに揺られている。すみれの足取りをたどっているうちに不安になる伝言がサーバーに隠されていた。その日付はすみれがいなくなる直前。急いだような声色で手短に残した言葉を反芻していた。

「このメッセージを見つけた頃には私はもうどこにもいないでしょうね。私のことは忘れて、とも言えない。でも、忘れないで、とも言えない。でも、私は幸せだったことだけは覚えていてほしい」

AR小隊結成時に撮った写真を見つめてつぶやく。写真の中のあの子は最後に会った頃よりもずっと小さくて、幼くて、孤独に押し潰されそうな表情をしていた。

「あのメッセージ?」

「うん。わたしのはんぶんのあの子があんな言葉を残すもんだから、心配なの」

「何その、『わたしのはんぶん』って」

「うーんとね。互いに足りない所を補いあって、伸ばしあうの。違う存在なのにどこの誰よりも近いし、知ってる。人生の前提条件みたいな……うーん。双子とはまた違うの」

「わからない」

「感覚みたいなものだから、わからないよね。でもね、あの子は私には私達には特別な存在。自分で考えて守ると決めた。そしてヘリアンさんやペルシカさんはそれを肯定して手を尽くしてくれる」

「自分で決めたこと」

ROが私の言葉を繰り返す。ROも大変だよね。まっさらの状態で起動時最初の命令が「自分で考えて、自分で決めて行動する」だもん。右も左もわからないのに、大変だなあ。私はもう決めてるから関係ないし。

「私はすみれを守るって決めたの。メッセージには諦めろってあったけど、私は諦めない。」

あの子はきっと賢いから、屁理屈みたいな理由をつけられて自分が消されることは早々にわかっていたみたい。私が長期任務でそばにいられなかったのが悔しい。この悔しさをバネにして、ヘリアンさんからもらった情報をもう一度まとめておこう。公共交通機関で使われたICカードの履歴や監視カメラの映像から、地図と照らし合わせていく。

「ヘリアンさん。すみれを監視していた大人の数が南の過疎地域に行くに連れて減っていってるね」

通信機をいれて、ヘリアンに聞いてみた。そしたらヘリアンさんが穏やかにあれこれと教えてくれる。

「あの子も大人しく従うフリをすることで、監視の目を緩めていったようだ。ほら、この映像。監視の人間が交代で消えた瞬間を見てほしい。人混みの親子連れに、つかず離れずでまぎれて消えていった」

あの子は子供であることを最大限に利用できる。こんなことで子供であることを活用しなくていいようにするのが私達のやるべきことだった。

「ヘリアンさん。私、すみれが向かいそうな所を考えてみる。昔の何気ない会話も全部思い出してでもやる」

「それでいい。私とペルシカはそれを全力で支持する」

ヘリアンさんの力強い言葉に私の中で安心と強さが生まれる。これでいいんだ。やるって決めたから、全力でやるよ。

 



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2063年2月5日 14:17 ある指揮官大塔和成の日記より

たった一人に捧げる。
その人をモチーフに指揮官を作って書きました


指揮官としてこの基地に着任してから、もうずいぶんと経つ。長い間、砂糖にミルクたっぷりのカフェ・オ・レ片手に腕時計を見つめていた。すっかり冷めたと少しだけ笑って飲み干した。

 

「そろそろかな。M14を迎えに行こう」

 

私の人生の相棒M14の顔が見たい。左手薬指に光る指輪に視線を落としてつぶやく。会いたいのなら、善は急げと執務室を出て行く。

 

「M14に会いたいな」

「よびましたか?無事に帰った、あなただけのM14ですよ!」

 

かわいいM14が駆け寄って私に抱きつく。かわいい。ふわふわの髪を撫でるとふにゃりとした笑顔が私だけに向けられる。まんまるのお月様みたいな金色の瞳が輝いている。私だけのお月様に今日の戦果を聞いてみた。

 

「今日の戦果を教えてほしいな。あと、ヘリアンさんから連絡が回ってきた迷子ちゃんのことも何かわかったことがあるかな?」

 

私がさりげなく聞いてみると、ぎゅうぎゅうと私を抱きしめてくるM14がしょんぼりしながらポツポツと話してくれた。

 

「部隊は全員無事です。哨戒任務も遂行しました。ですが、迷子の捜査で問題が発生しました。何者かによって私達部隊全員のメモリーが一部綺麗に抜き取られています」

 

驚いた。何があったのだろう。幼い子供を保護するだけなのに、どうしてこうなったのか知りたい。君を責めているわけじゃないと説明しながら言葉を促す。

 

「保護対象である例の迷子を遠目で見かけたところまで、どうにかメモリーはたどれました。あの遭遇直後、外部による強制シャットダウンを受けてそれから復帰後にはもう姿も痕跡もありませんでした」

「とんでもないことが起きたってことはよくわかったよ。ヘリアンさんに報告する。情報によると私と同じ日本人って聞いて助けたくなったんだ。わがままに付き合ってくれてありがとう」

 

もう一度撫でるとM14はうるんだ瞳で私を見つめてくる。かわいい。

 

「指揮官のお役に立てましたか?」

「もちろん。念のためにメンテナンスルームへ全員行っておいで。その間にお菓子とお茶を用意しておくから」

 

詳しく話を聞くには腰を落ち着けた方がいいだろう。私もおやつ食べたいし。

 

「もうちょっとだけ。もうちょっとだけ。こうしていたいんです」

「かわいいなあ。いいよ」

 

人気のない廊下で抱き合うのは色々とよろしくないけど、かわいいから許してしまう。

「あの、かずなりさん」

 

二人っきりの時に私を名前で呼ぶのは反則。かわいいからつい、ギュッと抱きしめてしまう。

「いきなりどうしたの?」

「かずなりさんのこと、もっと知りたいって言ったら許してくれますか?名前の意味とか、姓の由来とか、どう育ったかとか。私、何にも知らなくて。誓約の指輪をもらった夜からずーっと考えていてえっと……お互いのことを知った方がうまくいくはずですし」

 

耳や頬を赤くして、私のお月様は私に迫る。そうだったなあ。仕事一辺倒で私的なことは何も話してなかった。よし、情報交換とおやつの休憩も兼ねて、話し合おう。

 

「うんうん。そうだったなあ。迷子の捜査と保護のための情報交換と、私のこともしゃべるついでにおやつにしようか」

「いーっぱい教えてくださいね!それじゃ、メンテナンスルームに行ってきます」

 

不安が解消されたみたいでぱあっと花が咲くような笑顔を見せてくれた。M14には笑顔が似合う。

 

「気をつけてね。お菓子とお茶を用意して談話室で待ってるよ」

「はい、お任せください。必ずや指揮官に勝利と平和を!」

 

ぴょん!と跳ねてぴしっと敬礼するM14にほっとした。彼女はこうでなくては。緩み切った頬のままひらひらと手を振って見送る。さて、長い話になりそうだから軽食も作ろうか。

 



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2063年2月5日 14:20 UMP40

「あれで良かったのか、まだわかりませんしこれからもわかることはないのでしょうね」

 

あたいは今、小さな命を背負って走っている。AR-15に感染症の恐ろしさと予防法と応急処置なんかをミッチリ仕込まれたのもあって、安全かどうかわからない霧の森に臆病になったんだ。臆病で何が悪い。臆病なのはいいことだ。

 

「顔と居場所がばれないようにあたいにあのグリフィン所属の部隊のメモリーを消してって頼んだこと?」

「はい」

 

小さな腕があたいの首にしがみつく。年齢からして発育不良なのがわかる腕。さらにこう、守らなきゃって思う。

 

「これからは生き残るためにはなんだってしないと」

「わかっていたつもりでした」

 

黒雲迫る森に震える声が落とされる。

 

「殺しもするさ、殺されもする。あたい達人形ってのは単純なものだよ。だからさ、気にしなくていい。あたい達ってのは、人間に都合の良いように疑問を持たないように作られているから」

「私はあの時、一人の人形が誓約の指輪をしていたのを見てためらってしまいました」

「命令はためらっちゃダメ」

 

そのためらいで消えていった物や命を思えば、やりすぎなくらいでちょうどいい。この子に必要なのはきっと自信と信頼できる誰か。それさえあればきっと大成できる。

 

「でしたら、私は指揮官失格でしょうか」

「すみれには未来がある。また学べばいいの。あたいもいるよ」

「おかあさん、ありがとう」

「大丈夫だよ。あたいが守るから」

「おかあさんがいて、お父さんがいて、お姉ちゃん達がいる。私は幸せ」

 

なんだか自分に言い聞かせてるみたい。この子の身も心も壊れないように寄り添う言葉を選んでみた。

 

「このあと、あたいが前に泊まった宿に行こうと思う。そこでなら、落ち着けるから何しようか」

 

放棄された街に勝手に人が住みついてできた所だけど、びっくりするほど治安は良いあの場所にしよう。そこで少しだけ歩みを緩めて色々と話し合おう。そこでなら少しくらいわがままを叶えられるはずだし。ぐんっと地面を蹴って跳ねる。もう少しで森を抜けられる。二人してその先へ手を伸ばした。今はまだ何も掴めなくてもいつかきっと未来を掴んで見せよう。

 

「未来を掴もう」

「はい」

 

視線を下に戻せば街が見えた。まだ見えない遥か先の海への期待を言葉にのせて聞いてみる。

 

「街が見えるね。すみれはさ、何がしたいの?あたいに何をして欲しいの?」

「抱きしめてください。手を繋いで、子守唄を歌って、それで、私のことを愛してください」

「すみれを全力で愛するよ。家族として生きて行こう」

 

助けを求めることができない子供の必死な叫びをやっと聞けた。その願いに全力で応えて見せよう。あたいはきっとそのためにここにあるはずだから。



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2063年2月5日 15:00 ある指揮官大塔和成

スペシャルサンクスはもうちょっとだけ続く
伏線回収に


「さて、どこから自分のことを話してどこからみんなに何があったのか聞こうか」

 

先ほどまで哨戒任務にでていたM14、ジェリコ、M1911、シプカ、モシン・ナガンに労いの言葉とお茶を振る舞う。この組み合わせは決めた私ですら変なものだと思う。その時予定が空いていたメンバー、なんとなくで組んだのでちょっとバランス悪い。そこは反省する。

 

「みんなのメモリーのコピーと私の報告書はぶん投げておくよ。こんなのは丸投げが一番」

 

紅茶にたっぷり砂糖と牛乳をいれて味見する。自分好みになっていて、嬉しいと笑顔を隠さない私にジェリコがためいきをついた。

 

「指揮官はいつだって上に丸投げしているじゃないですか。いいですか、普段の雰囲気と態度がゆるいあなたは……」

 

これはひょっとすると。ジェリコの長い説教が始まりそう。せっかくいれたお茶がさめて、クリームたっぷりのケーキがパサパサになる予感にうんざりしそうになっていたらM14が健気に話題を変えてくれた。健気なきみが一番かわいい。

 

「それもいいけど、今回のメモリー消失事件と指揮官のことを教えてもらうためにこのお茶会はあるんだから!」

 

私の右隣にぴったりくっついて、腕をからめているそのいじらしい自己主張にクラクラする。指輪を渡してから随分と積極的なM14に毎日ドキドキさせられている。ああ、いけない。そろそろ事件について聞かねば。でもM14は撫でるぞ。撫でたら猫みたいに目を細めてされるがままのM14は愛おしい。

 

「うーん。私のM14は今日も本当に健気でかわいい」

 

優雅さを気取りながら紅茶を飲んでいるとジェリコに怒られた。ええ、ごもっともです。

 

「指揮官。そのM14を愛でる本音が漏れていますよ。さっさと本題に入ってください。あと、いちゃつくのは二人きりの時だけに!」

「あっはい。それじゃ、基地をでてからメモリーが吹っ飛ぶまで順を追って話してくれるかな?」

 

私はM14に助けられてばかりだ。私はいつもみたいにでれでれしながらも、メモ帳とペンをとる。知りたいんだ。綺麗に特定してメモリーが抜き取られているのに、彼女らになんの不調もないことが気になって仕方ない。

「そこは隊長のM14からで」

ジェリコが話を譲った。補佐に徹するつもりらしい。とても彼女らしいな。それに頷くとM14が目を輝かせて背筋をピンと伸ばした。かわいい。

 

「はい。それじゃ、話しますね!」

 

私はM14のぴょこぴょこ揺れる髪の毛を肯定的に捉えてまた優しく笑って頷いた。

 



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2063年2月5日 15:29 ある指揮官大塔和成

「はい。それでは私からお話しますね!」

「頼んだよ」

 

しゃきーん!と言う効果音がつきそうな表情をして、どこからともなく赤縁眼鏡を取り出してかけるM14。今日も君がかわいいから私は生きていけるんだ。

 

「10:00に我々臨時調査隊は基地を出ました」

「そうだねえ。私も今日の副官と一緒に見送ったし、それは覚えてるよ」

 

ミルクティーを一口飲んで頷くとM14は私を待っていた。ニコニコしててかわいい。

「途中までは何もなくて、普段避けている山頂付近の年中霧がかかってるあの地域まで来た時までは問題がありませんでした」

「私の故郷の町の裏手の山地付近だねえ」

 

皆、ぽつりとつぶやいた私の言葉に反応する。

 

「あのあたりは隣の地区の基地の管轄なのであまり行かないのですが、今回は日帰りできる距離なら行ってみようと考えました」

「ばれなきゃ、違反じゃないんですよ」

 

私はケラケラ笑ってM14を許すとジェリコに釘を刺されてしまった。

 

「指揮官」

「さっきのはゆるしてよ。さてさて、問題はそこからどの地点からどれくらいまでメモリーが吹っ飛んでるか、だ」

 

故郷を崩壊液でなくした極東の島国が自治権を得て作り上げた正当な移民の町。その努力の結晶の世代が私。その町の裏手、といっても山をいくつも越えなきゃいけない。その上、あの町にたどり着くにはぐるりと山をいくつも迂回しないと入れない。

 

「あのあたり、私はどうしても苦手なんですよねえ。なぜか軍用品流れの計器ですら狂うし、まともじゃない人間は年中漂うあの霧で狂うし、人形だけだと山頂にあるあの廃墟じみた街にたどり着けないし、私は迷わないけど長居したくない」

 

あの辺りはたしか、我々移民の町ができる前から霧に包まれた地域だと聞いたことがある。つくづく面倒。この一帯はおかしいのだ。怪異が近すぎて人形や人間も違和感を抱かない。

 

「調査隊のみんなが覚えているのは例の迷子が見知らぬ誰かに背負われているほんの一瞬だけ」

 

M14の言葉に頷いたジェリコが調査隊のメモリーから抽出した画像を見せてくれた。ヘリアンさんからもらった情報よりも少しだけ成長して、やつれた子供の画像がジェリコから渡されたタブレットの中にあった。

 

「うんうん。間違いないね。件の迷子だ。名前はたしか、保関(ぼせき)………うーん。私の幼なじみと同じ姓と顔をしている……あいつ、たしか行方不明の姪っ子を長年探しているはずだから……」

 

仕事用じゃない、個人用の端末をいじって幼なじみに電話をかける。唯一の同性の幼なじみ、彼の姓も保関だからなんか引っかかる。

 

「あ、もしもし。久しぶり、じゃないよね。週三回くらい理由こじつけてご飯食べにいってるし。なんかさ、顔見たくなったし今から行くよ。お土産に鹿か熊獲って持っていく。詳しくはメールするけどさ。え?あー、うん。わかった。それじゃ待ってて」

 

電話を終えた私はM14達に今思いついたことを伝える。のらりくらりだけが私じゃない、かっこいい所を見せないと。

 

「隣の地区の指揮官、私の幼なじみの彼と共同で捜索隊を組むよ。手土産にまずは熊か鹿でも狩って行こう」

「狩猟もお任せください!」

 

かわいいM14が胸を張る。その頼もしさが心地良い。そして今日も健気でかわいいのだ。

 

「頼んだよ。私は仕事のメール作っておくから、それまでに護衛の準備をよろしく」

 

彼は料理がうまいからと、タダ飯を食い続けて十余年。うちの人形達もその味をすっかり覚えてしまった。さあ、仕事にかこつけてうまいタダ飯を食いに行こう。

 



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29. 2063年2月7日 23:39 UMP45

南下するにつれて雪は雨へと変わっていく。ヘリの窓からそれをずっと眺めていた。

「45姉!シーアとデールの所へメンテナンスによってから、さらに車に乗り換えてそこから徒歩だっけ?」

「そうよ」

上の空な私を心配した9が予定を聞いてくる。つくづくこの子は私達だけに優しい。

「迷子探し、ねえ」

そんなことに私達を使うのってバカみたい。

「ヘリアンさんの親友の子供で後見人してるから、血眼で探してるんだって」

私が聴きそびれた部分を9が不思議そうに言っている。私もそうだと思う。子供一人のためにこんなことをする理由がわからない。

「身元不明、型番不明の人形に誘拐されている可能性があるってさ」

「ふうん。そう」

私達によこされた資料には荒い画像一枚だけ。子供が人形らしい何かに連れ去られているってやつ。私にはこれっぽっちも興味がない。そのはずなのにどこか引っかかる。チリリと私の中の何が焼けつくような感覚に襲われる。何かを置き去りにしたような、忘れているような。思考が堂々巡りで答えが出せなくて視線はヘリの中をさまよう。G11は相変わらず416を抱き枕にして寝ているし、9はあまえんぼうで私にくっついている。ふわふわした9の頭を撫でるとさらにくっついてきた。

「45姉?どうしたの?」

不安そうな瞳がこちらを見つめる。悪いことしたな。お詫びに頭を撫でてあげると9は嬉しそうにしている。たぶん、これでいい。

「ああごめん。何かを置き去りにしたような感覚が消えなくて」

「45姉はどうしたいの?思い出したい?それとも、忘れたい?」

真剣な9に問いかけられてびっくりした。しばらく体を縮こまらせてかたまっていた私がおずおずと答えを口にする。

「どちらかと言えば、思い出したいかも」

私から予想以上に臆病で引っ込み思案な声がでた。こんな声、いつか出したようなきがする。

「そっか。なら、45姉を応援するし支えるよ。これはね、わたしが45姉の家族として決めたことだから」

どこまでも優しいなあこの子は。またふわふわの頭を撫でてあげる。

「雨、やむといいな」

「途中から徒歩だもんねー」

「416がうるさいかもね」

「そこのねぼすけ背負うの416だもんねー」

9と身を寄せ合って取り止めのないおしゃべりに気分を委ねる。こんな時は目を閉じてしまえばいい。9の手に自分の手を重ねて肩を寄せ合った。ぬくもりが心地良くて眠くなる。

「45姉。寝ててもいいけど、目を逸らさないでね。わたしは45姉から逃げないし、目を逸らさないから」

目を閉じる直前に9が言った一言がきになる。でも眠気には勝てずに意識は暗闇に滑り落ちていった。



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30 .2063年 2月8日 8:00 UMP40

今さまよっている霧けぶる山は危険だ。運良く山頂にある街にたどり着けたことに、この世界にもういない神に感謝したいくらい。

「この街はまだ生きている」

古びた街に取り残された人々が細々と生きている。行商人でもいるのか、小さいながらも露天市場や雑貨屋が身を寄せ合うのが見えた。値段も良心的でびっくりする。さらによく見れば、街の住人が物々交換と古びた貨幣半分ずつで買い物をしている。知識としては知っている昔の暮らし、すぐ前の世界大戦前の暮らしがそこにはあった。

「不思議ですね。私はおかあさんとお出かけもできるし、楽しいです」

「あたいの銃の整備のための諸々に、キャンプ用品、食料。他にも虫除け用品に医薬品。色々買うからそばを離れないでね」

「はい。おかあさん。換金できる何かは持っていますか?」

「あるよ。このあたりのスラムで使ってた古い貨幣にあたいじゃ使えない弾薬、都市部で流通している上質なタバコ。色々あるよ。密閉容器にいれてるけど、タバコは生鮮食品と同じだしダメになる前に売り切りたい」

賄賂にもなるくらい上等なタバコは早く売ってしまいたい。この子を守るためにもね。

「おかあさん」

背負ったすみれがあたいの服をきゅっと握る。

「どうしたの」

「おかあさんはだけは生きていてください。おかあさんが生きているなら、私はそれだけで幸せ」

この子はまた、泣いているのだろうか。笑っていてほしいのに。手を後ろに回して小さな背中をトントンと叩いて励ます。互いにそっとわがままを言う。とても分かりにくいわがままだ。あたい達親子にはこれがぴったりなんだろうね。

「何言ってるの。一緒に生きるんだよ」

「はい」

「買い物しよっか。ごめんください。これくらいの予算で買えるものを探しています」

古びた店に入る。そこの店主らしい老婦人にこれから入用になる物のなかから、日用品はないか聞いてみた。いくらかはあるとわかったので、必要分は買う。良心的な値段で安心した。いくらかまとめ買いするとおもちゃか保存食をおまけしてくれるらしい。背中に背負ったすみれを見た老婦人が親切にしてくれる。優しい世界がここにあって良かった。

「何か買う?」

「旅するのに切り詰めないといけないので、いりません」

ちょっと無理してすみれの顔を覗き込むととても遠慮しているのがわかる。子供はわがままになればいいんだよ。子供時代をきちんと消化できるようにするものあたいの仕事。

「しばらく滞在するから、おもちゃでも借りてみよう?」

「お金がかかることはちょっと」

「まとめ買いしたから、数日借りるだけならタダにしてくれるって」

「借りるだけなら。それなら、このスケッチブックがいいです。私も説明したいことがたくさんありますし」

「うんうん。おばあちゃん、このクレヨンとスケッチブック貸してください」

半分くらい使ったクレヨンとスケッチブックを借りる。あとおまけで鉛筆と消しゴムも借りることができた。すみれが申し訳無さそうにしていると、老婦人はニコニコして缶入りのアメまでくれた。すみれが何度も礼を言うのを聞きながら店を去る。人気のない道を静かに歩けば今回の宿に着く。かなり古いペンションだ。老夫婦と息子夫婦、孫娘とその恋人が営むとても落ちつく雰囲気の建物に足を踏み入れる。

「戻りました。保関です」

「あら、さくらさんおかえりなさい」

今回ばかりはすみれの実母の名前を借りてチェックインしている。その名前を使って宿の主の老夫婦に声をかけた。

「すみれちゃんもおかえり」

母語の日本語が使える日系人の彼らには親近感があるのか、すみれはよくなついている。

「おじいさま、おばあさま。戻りました」

老夫婦を祖父母のように、息子夫婦を親戚のように、孫娘とその恋人を姉や兄のように慕うその姿にほっとする。我が子に心開ける人ができたらいい。その願いが少し叶っている。

「かわいいねえ。うちの孫の小さい頃を思い出すよ」

宿の老婦人に頭を撫でられて照れているすみれはさっき何をしたのか少しだけしゃべっている。

「おかあさんとお買い物をしました。色々買ったらおもちゃを貸してもらえることになりました」

「良かったね。うちにもおもちゃが少し残っているから、あとで部屋まで持っていくね」

コクコクと頷いたすみれは照れたまま部屋に行こうとあたいに階段を指差す。

「内気だねえ。早く遊びたいみたいなので、昼食まで部屋で遊んでいます」

「はい。以前お伝えした時間になれば食堂に来てくださいね

「ありがとうございます。貸し切りみたいなものなので、少食なこの子も落ち着いて食べられると思います」

あたいもニコニコしてみると優しくしてくれる。丁寧に礼を言って泊まっている部屋への階段を上がって行った。

 

 



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2063年2月8日 9:00 南部某地区グリフィン基地にて

 「集まってもらったようで何より」

 

ヘリアントスが会議室を見渡す。暖房をいれてもなお底冷えする会議室に3人の人間と6人の人形がいた。カリーナ、ペルシカリア、RO635、SOP2、404小隊がちゃんといることを確認したヘリアントスは静かに頷く。

 

「何故私がペルシカとこんな人探しをしているのか。カリーナを連れてきたのか。何故、私だけがこんなにも出遅れてしまったのか。それから始めよう。カリーナ、旧式の機械ですまないが操作を頼む」

 

眠気でフラフラのカリーナを酷使して自身は紅茶を一口飲む。そんなヘリアントスの目のクマも濃い。誰も彼も、人間側は寝ていないのだろう。

 

「わかりました。深夜に首根っこつかまれて、今ここにいる意味もでかでかとだしてやりますわー!」

 

ヤケになったカリーナが叫ぶ。それでも旧式の機械を動かしてスクリーンに情報を投影できる才能を発揮している。それを横目にペルシカリアが気怠げに笑ってコーヒーをねだる。マイペースすぎる人間に404小隊はあきれるばかり。

 

「なんてかわいそうなカリーナ。あー、ここにコーヒーはないの?」

 

フラフラと会議室を歩き回って棚をあさるペルシカリア。インスタントコーヒーをみつけてニヤニヤ笑ってそれを抱えている。

 

「偉い人って、みーんなひとの話を聞かないものなのね」

 

UMP45が退屈そうに頬杖ついてつぶやいた。416がそれを見咎めるが、聞くことはなかった。

 

「45。それ以上は彼女らの尊厳のために言わない方がいいわ」

 

416がやんわりと人の尊厳について教えてみるUも、UMP45は素知らぬ顔で話題をひっぱる。UMP45は可愛らしい少女の外見を最大限に利用して小首を傾げて微笑んだ。

 

「そうはいってもねえ。私がとやかく言う前にね前金貰っちゃったし、働かないと」

 

くすくすと笑うUMP45がとんでもないことを言った。416のペリドット のような瞳がこれでもかとばかりに見開かれる。前代未聞の前払いだなんてそんな恐ろしいことは416には初耳だったからであった。

 

「45?どうしたのよ」

「お話、聞かせてもらえませんかねえ。未成年の略取と誘拐。おまけに児童労働に連続失踪事件で例の保護対象の親族一同から訴えられているヘリアントス上級代行官殿?」

「あの子の親族の所在地が今まで不明で、養育者をペルシカと私に変更する法的手段に出られなかった。これらは私の落ち度ではある」

「ふうん。落ち度は認めるんですね。それで、子供一人のために私達の顔を大金でぶっ叩いたと」

「ちょっと。45」

「まあまあ。私達の取り分多めの契約を直接持ってきたし、もう前金として半分貰ったのよ。後に引けない」

「破格の契約じゃない!」

 

まさかの半分だと知らなかった416が椅子から転げ落ちた。UMP9は転げ落ちた416を笑い、G11はその大きな物音で飛び起きてしまう。

 

「うにゃ?にゃいにゃい」

 

G11が寝ぼけてぽやんとした寝言が彼女の口から飛び出た。その様子を面白がったUMP9が適当に寝言に付き合う。

 

「はーい。おはよう、にゃいにゃいさん」

「にゃーい。んあ、仕事?」

 

目元をゴシゴシとこすりかけて、やめたG11。そのさまよった手は冷め切った紅茶を選ぶ。そのまま流れるように何かを言いかけて、冷めたことに不満をぶつけてもしかたないとつぶやきと紅茶を口にした。

「起きててね」

「うん」

 

案の定、一気に飲んで素直に説明を聞くG11の頭がすぐにこっくりこっくり揺れるのもすぐだった。

 

「ちゃーんと聞いててね。今はその説明中。ざっくり言えばそこの人形達と一緒に迷子探し。あと迷子と行動する身元不明の人形の身元割り出し」

「迷子ぉ?」

 

寝ぼけているのに、G11のお茶請けとして皿に盛られているバタークッキーをつまむ手は正確無比そのもの。3枚目を食べ終わり、4枚目に伸びる手は416に叩かれて未遂に終わった。そのふらふらとお茶請けを求める手をG11は空中に置いたまま話を聞いている。

 

「そう迷子。ヘリアンさんが親族いる子供を勝手に引き取って育ててた子供。今は子供の親族に訴えられてる」

「色々とアウトじゃん」

「だよー。おおかた期限までに五体満足の例の迷子を引き渡せって、裁判までいったんでしょ」

「まったくもってその通りだよUMP9」

「手がかりがないよねー。で、その協力者から性格とか行動とか聞いてルート予想してつかまえるの?」

「あたりー。そんな賢いG11にはチョコレートをあげる」

 

UMP9がポケットからチョコレートを一粒取り出してG11に食べさせる。そのままG11の小さな頭を撫でて癒しを求めているUMP9の需要が満たされる。

 

「わーい!」

 

G11がチョコレートを口いっぱいに頬張っているのを横目にヘリアントスは仕切り直しの言葉を述べた。

 

「話題がそれる!仕切り直しだ!要点は迷子探し。対象についてはそこのSOPMOD2から聞くように。となりのRO635は製造間もなくてこれから訓練。以上!」



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2063年 2月8日 9:45 UMP45

甚だ不本意ではあるが、人の話を聞かない筆頭人形M4 SOPMOD2から事情聴取をする。ヘリアントスから事前にもらった情報、私がグリフィン上層部限定データベースからこっそりと探った情報。それだけでは足りない雑多なものまでを知るために歩く。偶然見つけた、代替品もない特別製のAR小隊を預かるための契約書の内容。あれがどうもひっかかる。契約時点で指揮官の存在と情報を秘匿し、死亡と判断されたら即座に情報を抹消。それがどうも頭から離れない。諸々の疑問を消化したくて、会議終了後彼女らにあてがわれた宿舎まで向かった。

 

「色々聞きたいの。いいかしら」

 

私が渋々声をかけるとSOPMOD2は道中拾ったガラクタを並べるのをやめて笑った。

 

「いいよー。UMP45だっけ?しばらくよろしくねー!あ、そこの椅子に座ってよ。ぜーったい長くなるでしょ」

 

SOPMOD2が壁に立てかけてある錆びついたパイプ椅子を指差す。戦闘以外の疲れることはしたくないし、ここは素直に座らせてもらう。

 

「でしょうね。じゃあ、今の指揮官のことから」

 

どっかりとパイプ椅子に座ると、錆びた椅子が嫌な音をたてた。その音に気にしないSOPMOD2は楽しそうにガラクタをまた並べてこっちに笑いかける。無邪気なその笑顔のまま、何から話すべきか聞いてきた。

 

「何から?」

「性格とか、行動パターン。あと、最後に接触したときの表情や言葉。伝言とか残していないか」

「うん。おとなしいというか、初対面の人間や人形には怖がり。慣れたら割り切ったドライな性格がでてくる。基本的に人間を信じてないから、近づかない。私達が過保護なのかも。まだまだ子供だから、教育も私達がしてたし」

 

ガチャガチャと鉄血の残骸をこねくり回している。何をしているのか、それがどうして楽しいのか私には理解に苦しむ。そんなのどうでもいいから早く話せと促すとSOPMOD2は少しむくれた。子供心はよくわからない。わかりたくもない。

 

「あの子はまだ8歳なのに妙に達観してて頭がいいから、何するか読めない。最後の接触はだいたい三ヶ月前。M4とAR-15が姿を消した直後。あの後にヘリアンさんが言う、「おかしな派閥」ってのに誘拐されてそれっきり。伝言?あったよ。おかしなのが。聞く?」

「ええ。SOPMOD2?急に私をみつめてどうしたのよ」

 

夕焼けよりも赤い瞳がじっとこちらを見つめる。ふいに表情が抜け落ちた白い顔にぎょっとして後ずさる。その私の反応が気に入ったみたいで満面の笑みを浮かべる。本当にSOPMOD2がわからない。

 

「ふふふ」

「あとで聞くから、データちょうだい。どうせ、改竄か合成されてないか調べろって言いたいんでしょ」

「おおあたりー!お礼にこれあげる。十日前に拾った通信機。記録がぜーんぶ暗号化されてるおもしろいやつ」

「何それ」

 

SOPMOD2がゴソゴソとガラクタの山から何かを探してたをじっとみていた。そうしたら、ぽいっと無造作に黒い何かが投げられる。受け取ったそれはSOPMOD2の言葉通り重たい通信機。手の上で転がしてまじまじと観察してみる。型番とかの記録が削られているし、たしかにログは暗号化されている。どうしてだろうか、見覚えがある。これを、私はどこかでずっとみていたような気がする。

 

「どうしたの」

「なんでもない。これについて個人的に調べたくなっただけ」

「そっか。それだけだよー。何かあったら、また聞きにきてねー。話すたびに通信機みたいなのあげるから」

「え?ああ、うん……うん?」

 

しゃべるだけしゃべったら、寒い廊下につまみ出された。これだからお子様は。あのお子様ARの方が筋力あるのが腹が立つ。細くて白い自分の腕に視線が向いた。あの腕とは違うがりがりの腕がここにある。

 

「もっと強く、ならないと。そうじゃなきゃ、私は」

 



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特殊部隊資料(メタ的には設定資料)

本資料のセキュリティクリアランス:ブルーローズと生体認証を必要とします。適切な資格を持たない人間や人形がこの情報にアクセスすることは許可されていません。

許可なくアクセスした場合、即座に拘束されます。

 

AR小隊

I.O.P.社 16Labのペルシカリア氏の研究成果の一つ。第三世代の自律人形となるべく様々な機能や権限、思考能力を付与された小隊。

最大の特殊は「疑問を持つ」こと。ペルシカリア氏曰く、それが研究の先に必要なものと語った。

預かる指揮官には厳正な審査、才能と人望を要求される。各人形の性能などは個人ファイルを参照のこと。ここではざっくりとした性格と傾向を述べるに留めた。

 

M4A1:AR小隊の隊長。無口で気弱な性格に見えるが、人間に対するセーフティがどの人形よりも強いだけである。さらなる改造の余地を残しながらも成長性に富んだその性能を期待する声は多い。 

 

M16A1:M4A1の姉貴分であり、AR小隊の教師役。酒の席で飲んだくれの体を装いながらの情報収集を特技とする。あるいは単なる飲んだくれとも。

どちらにせよ強力で扱いが難しいのにかわりはない。

 

AR-15:AR小隊の隠密担当。もしくはこじらせた承認欲求の塊。気弱に見えるM4A1としばしば衝突するが、隊長である彼女の意思を聞いている。聞くだけのこともあるので、喧嘩が大規模になれば止める必要があるので注意すべし。

自身を真当に評価する人間に対して依存する傾向にあるので、接近は控えた方が無難。

 

M4SOPMOD2:純粋な幼子をそのまま延長したかのような性格をしている。純真無垢故に人間や人形の痛みを想像できない部分があるので、過度な接近は危険。M16A1の言うことには素直に従うので最悪の場合丸投げすればどうとでもなる。

 

彼女らを預かる際に、

「私生活を含むあらゆる面でAR小隊を最優先し、有事の際には己の命を捨てても守ること」

「AR小隊を預かった時点で記録は秘匿。死亡時に己が存在した記録を全て抹消する」

「最低でも上級代行官1名からの監視を常に受けること」

などの契約書にサインする必要がある。

記録係が追える範囲で今まで4名の人間がこの書類にサインした。

偶然かどうかは不明だが、全員同じ姓に元を辿れば同じ血筋である。

うち2名はこちらでもサインした者の記録を辿れるが、1名だけは何をしてもデータの復元ができず、現在の指揮官はヘリアントス上級代行官だけが存在を認知している。

「そもそも本当に存在しなかったのかもしれない、と不安になるほどに何もみつからなかった」とヘリアントス上級代行官は後に語る。

 

一人目の指揮官:M4と誓約。基地が襲撃に遭い爆撃に巻き込まれる。

 

二人目の指揮官:AR-15と誓約。任務中に鉄血エリートと遭遇。逃走中に川へ転落。

 

三人目の指揮官:M16と誓約。理由は不明だがAR小隊におぼろげな記憶、誓約の指輪を残して消える。

 

四人目の指揮官:ヘリアントス上級代行官だけが存在を知る。

 

404小隊

非合法の自律人形による「存在しないこと」になっている部隊。フリーランスの傭兵に近い存在の彼女らはしばしばヘリアントス上級代行官やペルシカリア氏からの依頼を受けて戦場を駆ける。

だが、事実上のオーナーの存在は最高位のセキュリティクリアランスをもっても非公開であることに留意されたし。

ハッキングしてまで基地に間借りしていることもあるが、だいたいの指揮官は気付きもしない。

I.O.P.社とグリフィン側は彼女らの隠れ蓑として、同じ銃とスティグマを刻んだ安価な人形の型番を開発まで行った。どの銃種の人形がそれかは別途資料を参照せよ。

「量産化した彼女らの性能、性格は値段相応のマイルドなものである」とヘリアントス上級代行官の証言をそのまま書き留めておく。

このような隠れ蓑を用意までして極秘任務を依頼する価値はあると確信できるほどに404小隊の活躍は戦力の一つになっていた。



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2063年2月9日 9:46 UMP40

 気になることがあった。そういえばこの子は何を持ってここまで逃げてきたのか。AR小隊がそれはもう大切に育てているこの小さな娘がどう生き延びたのか知りたかった。

 

「すみれ」

「おかあさん。どうしましたか?」

 

宿のベッドにスケッチブックを広げて鉛筆も転がしていたすみれ。絵じゃなくて、数式や鉄血の人形の残骸片手に模写している。もっとこう、この子には情操教育が必要かもしれない。あたいには 感情を見せるようになったけど、もっと頼ってほしい。

 

「今、何をどれだけ持ってるの?あたいの持ち物点検のついでに教えてほしいな」

「わかりました」

 

すみれはスケッチブックを脇に置いてあたいの膝にのる。すみれは無表情のままあれこれとしゃべるけど、じっくり観察すればしぐさでわかる。さっきはこてんと首を傾げてるから、本当に疑問に思っている。かわいい。

 

「買い物の計画をたてたいの。あと逃亡計画もね」

 

自分の持ち物点検のついでと、これからの作戦を立てるために聞くとすみれは素直に頷いた。子供ってかわいい。AR-15やM4A1、M16A1にすみれのかわいさを教えてもらって良かった。睡眠が犠牲になったけど、許せる。

 

「おかあさん。どうかしましたか」

 

あっ待って。その上目遣いと首を傾げるのはかわいい。抱き寄せた時だけ見せる笑顔もかわいい。

 

「すみれがかわいい。あたいが持ってるのはこれだけ。レーションに弾薬、あたいと銃のリペアツールにテントと簡単な調理器具。あと、換金用の高級なタバコとこの辺りで出回っている貨幣が少し」

「私が持っているのはですね。電子辞書二つ、さっきの缶入りのアメ、手帳とペン、身分証を兼ねる端末、タブレットにソーラーバッテリー、M4お姉ちゃんが持たせてくれた保存食がもうない防災セットだったカバン。私が生まれた時の家族写真と、3歳の時の父母とその友人と撮った写真。母の形見の結婚指輪。あと、誓約の指輪。私の半分のM4SOPMOD2が持たせてくれた現金も少しだけ」

「さすが。保護者の教育が行き届いてる」

「お姉ちゃんが褒められるのは嬉しい」

 

そこは自分を褒めてって言うんだよ。かわいいからいっぱい撫でてあげる。

 

「M4たちをお姉ちゃんって呼ぶ理由、M16がお父さんの理由を聞いてもいい?それと、あたいがおかあさんの理由」

「M4お姉ちゃんとAR-15お姉ちゃんの理由は私に対して距離がとても近いから。M16がお父さんの理由は肩車をしてくれたから。微かに覚えている父と同じ肩車をしてくれたのが嬉しかった」

 

発育不良で人に頼るのが下手なこの子は、わずかに残る思い出にすがったのか。そうだよね。まだまた親の膝の上で居たい時期だもの。

 

「そっか。家族だね。時々話してくれるSOP2ってやつはどうなの?」

 

話を聞いていると、この子には愛情と安心できる暮らしをさせたい。そんな気持ちになる。45といるときみたいに、守るべきものがあると違うなあ。

 

「初回起動時にボタンを押させてもらってから、ずっと一緒でした。何をするにもそばにいるのが当たり前だから、私の半分」

「半分、かあ。特別だねえ」

「おかあさんはですねえ。話し方に母を思い出したからじゃだめですか?」

 

やっぱり母が欲しい。そんな願いもあったと教えてくれた。なおさら、守らないと。

 

「そんなことはないよ」

「私のことも、いっぱい話すのでそばにいてください。いつまでも」

 

チラッと見えた顔に不穏な表情が見えた気がした。あれは重い女がやる表情だ。見なかったことにしよう。

 

「ずっとそばにいるよ」

「ふふふ。いまが一番幸せ」

「もっと幸せになろう」

「はい」

 

あたいは親として、託されたかわいい娘をしっかり背負っていこう。そう強い誓いを立てた。



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2063年2月9日 10:10 UMP45

 すっかり冷えた白湯をコップの中でくるくる転がして思う。最近なんだか同じ顔と同じ姓をしたやつに妙に関わりを持っている。今はやっと長旅の中継地点に過ぎないグリフィン基地にいる。電気の通っていない予備の宿舎に適当に転がり込んで、情報整理中。しばらく休息にメンバーを送り出したし、ひとりでタブレットをいじっていた。

 

「いやなつながりね」

 

最初はある人間の死を偽装しての護送だった。護送対象の親戚で、使いっぱしりと名乗る男とやった。そこから月に一度口止め料としてまとまった額を我々の口にねじ込むのはべつに良い。何度も何度も同じ一族の死を偽装して特定のポイントまで護送するあたりで私も気づけばよかった。

 

「私は、面倒ごとにまた巻き込まれるんだね」

 

タブレットPCの表面を撫でて、力なく笑う。今回もまたあの一族のゴタゴタに巻き込まれることがわかってしまった。あの自称使いっ走りはそろそろこちらへ接触を図るだろう。その前に情報共有したいし、休息に出している皆を呼び戻しておかないと。

 

「大方、ヘリアントスからの任務と同じでしょうね。緑に浸食されたクリーンな地帯を泥臭く走り回っての迷子探し」

 

国家制度の崩壊、治安の悪化や崩壊液とは程遠い南の果てにある緑の楽土。そこまで行って、何があるのだろうか。いや、あるにはあるんだろう。あそこには極東からの移民だけで0から築き上げた街があるらしいし。ヘリアントスからの資料の端に載っていたから、黄金楽土からの子孫の街がきっとあるんだろう。きっと私達には関係ない話だ。通信機を操作して9の項目を選んでボタンを押す。あの子のことだからすぐにでてくれるはず。

 

「もしもしー。9、全員つれて今から戻ってきてくれない?めんどくさいことになったの」

「もしもし45姉?いいよ!どうせ辺境でやることないし、今からやるね」

「お願い。それじゃ、あとでね」

 

あっさりと9は了承してくれた。今のところ、これでいい。大きくため息をついて錆び付いた椅子に深くもたれる。冷たい椅子がきしむ嫌な音だけが私の内面と冬の空気に傷をつけていく。

 

「二度あることは三度ある、か。他にも何か忘れているような気がする。もっとこう、底の底に置いてきたような何かを忘れているような」

 

一人きりだとどうも、ひとりごとが多くなってしまう。ひとりごとを消したくて水を飲もうとコップを傾けたその時だった。9から通信が入る。遠慮がちにこちらを伺う9の声に意識が引き戻される。考えすぎていたみたい。

 

「45姉、いる?」

「いるよ。おいで」

 

さてさて、この面倒くさい事態をどう説明しようか。

 

「集まってくれてありがとう。早速会議としゃれ込みましょう。この世界で生き残るために」

 

私達は所詮、川面に浮かぶ木の葉でしかない。いつか、小さな流れ一つで沈んで消える。それまで足掻いて見せよう。そう意気込んで回りくどい二重の依頼の説明を始めた。



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2063年2月9日 11:11 UMP40

 人の目がない所だとこの子は愛情を必要とする子供でいられるみたい。あたいの膝の上でいつもべったりしてるし。そうだろうな、終わってしまった広い世界に、すぐ頼れる保護者はあたいだけになったんだから。

 

「おかあさん。あのね」

 

他人がいるときとは違う年相応の幼い話し方にほっとする。すみれをおちつかせるために小さな頭を撫でれば、柔らかくて細い髪の毛が指の間を通り抜けていく。くすぐったそうに笑う娘の笑顔がかわいくてしかたない。45といる時とはまた違ったあたたかさが胸にひろがった。すみれはぼろぼろのカバンから取り出した古い写真の束を大切に手にしている。あたいに見せたいし、何か説明したいらしくてあたいの顔色を伺っている。

 

「なあに。あたいはずっとそばにいるから、ゆっくり話せば良いんだよ」

 

そこまでして欲しくないあたいは優しく微笑んで声をかければ、すみれはぱあっと花が咲いたように笑った。いつまでもこの子には笑っていてほしい。45にも笑っていてほしかった。ほんの一瞬蘇るもう会えない気弱なあの子への罪が、あたいを責め立てる。それでもうまく取り繕うあたいはきっと酷い保護者だろう。

 

「そうだった。おかあさんはずっと一緒」

 

ぷくぷくほっぺがりんごみたいに赤くなる。我が子があんまりにもかわいいから、ほっぺにキスをする。ふわふわしてて、あったかくて、優しくて、自分が持ってる何もかもをかけて守りたい。これがきっと我が子への愛なんだろうなあ。

 

「そうだよ。ずっとそばいるし、毎日愛してるって伝えるよ」

 

あたいはM4達保護者から、すみれの今までと、これからのためを書いた分厚いメモ帳とデータを託されたんだ。M4達の希望を守って、愛して、一緒に生きなければ。

 

「おかあさん、わたしは幸せだよ」

 

あたいはすみれにもっとわがままになってほしい。だから、あれこれ口を挟むし、聞くことにする。すみれが手にしている写真のことも知りたいし、すみれの言葉で過去を知りたい。抱き寄せて向かい合う。見つめあって、約束をしよう。命令じゃなくて、優しい約束を。

 

「あたいともっと自由に幸せになろう。一緒に海を見に行こう」

「おかあさん、じゃあ約束ね」

 

おでことおでこをくっつけあって笑う。あたいの幸せがまた増えた。

 

「約束だよ。すみれのこと、もっと知りたいしあたいのことも知ってほしい。だから、おしゃべりしよう」

 

約束をして、確かめあったらすみれを膝の上に座らせる。すみれを背負うみたいに座らせて、すみれの手元を同じ視点で見られるようにした。

 

「うん。あのね、わたしの宝物について聞いてくれる?」

「いいよ」

 

すみれが写真の束を広げて見せる。一枚目は赤ん坊を抱くすみれによく似た夫婦らしい若い男女と、周りを囲んで笑う同年代らしい男女。端の方には夫婦に似た若い男が所在なさげにしている。これはどうやら新しい家族の誕生を友人と記念してとったものらしい。

 

「わたしが生まれた日に、父さんと母さんが友人達と親戚の人と一緒に撮った写真です。この黒髪でふわふわの髪型がヘリアントスさん。その隣が白い猫耳つけてる人がペルシカリアさん。ペルシカリアさんの隣でおっかなびっくりわたしを見つめているのがリコリスさん。そして、端っこでじっとしてるのが親戚の敦盛おじさん。父さんからはいとこ、母さんの弟あたる人です」

 

名前に聞き覚えがある。メモリーから検索をかけると、グリフィンの上級代行官、I.O.P.の偉い研究者、鉄血工造の偉い研究者がヒットする。この子の親もすごい人に違いない。

 

「たくさんの人が祝ってくれたんだね」

「今でも守ってくれる人達です。でも、リコさんが行方不明になってからみんな忙しくて、会えなくてわたしは寂しくて」

 

日焼けをしたことがない小さな手にそっとあたいのガサついた手を重ねる。小さな手の震えが止まるのを待ってから、寄り添うための言葉をかける。

 

「あたいがいるよ。ずっと一緒だよ」

「うん。寂しくない。で、えっと二枚目は私が三歳になる直前の写真。生まれた時の写真と同じ人達が笑っているの。で、これが敦盛おじさんと二人の写真。この写真を受け取った次の日に父さんと母さんは、火事で……。私をヘリアンさんに託してから母さんは父さんを探しに火の中へ」

 

震える声と共にぽたりぽたりと雫が落ちる。あたいにはかける言葉がないから、ぎゅっと抱きしめる。

 

「一人にしないでよ。寂しいよ。母さんと父さんの思い出も、足跡も。もう写真ととっさにくれた母さんの結婚指輪だけ」

「すみれ」

 

あたいは孤独なすみれを抱きしめて、悲しみを消化できるまで寄り添うことしかできない。あたいは泣くことも共感も何もできない、ただの使い捨ての物なんだなと再認識してしまった。いつかの俗説の21グラムの重さすら無いこの機械の塊は、慰めの薄っぺらい言葉も言えない。45を励ますときにはするするとでてきた言葉が、出てこない。

 

「だから、おかあさんだけはずっと一緒にいてください。さいごまでいてくれると約束してくれるなら、わたしはどこまでもついていく」

「あたいはずっと一緒だよ。たくさんの誰かから託された希望を守ると誓った」

「わたしは希望。良かった」

 

ぽつりとあたいの言葉を繰り返した。そうだよ。君は希望だよ。やっと伝わったみたい。

 

「あとね、内緒なんだけど、すみれに対する愛おしさが止まらないの。どうしよう」

「もう、おかあさんってば」

 

戦うためにつくられたあたいは、なぐさめかたがわからないからちょっとだけおどけてみる。そうしたら、しょうがないなとすみれが笑っている。顔は見えないけど、笑っている。その笑顔を大切にしたい。希望は、世界は終わらないと叫びたい。

 

「すみれ。悲しいなら泣くんだよ。それで悲しいのが空っぽになったらまた笑おう。あたいがいるよ」

「うん。おかあさんがいる。わたしは大丈夫だよ。泣いたらお腹空いてきちゃった。ご飯食べに行こう」

「行こう!お金はいっぱいあるから、好きなものを食べようね」

 

ぴょんと元気にベッドから降りたすみれの笑顔と涙のあと。あたいは忘れたくない。



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2063年2月9日 12:00 UMP45

 ふてくされたり、半分寝てたりいつもの面構えを前にして私は気合を入れ直す。だってとーっても回りくどくて、十重二十重に策を巡らせる必要がある仕事だから。こんな倉庫もどきじゃなくて、まともな部屋でゆっくり休みたいから駆け足で説明していきたい。壁に立てかけてある折り畳みの椅子を指差して適当に座れと促せば、いつもの面子は素直に従った。

 

「急ぎで悪いわね。本当にざっくり説明するなら、内容は同じ迷子探しと保護を二重に受ける。前にAR小隊の指揮官になって死にかけの人間を二人か三人ほど逃してくれと頼んだやつから、まーためんどくさい依頼がきたわ。ただしそれを合コン連敗女に知られてはいけない」

 

みんなの顔つきが変わる。だってそうだ。さっき合コン連敗女から寄越された資料にめんどくさい事がずらーっと並んでたもの。何人も存在が消えて死んだことになっている歴代AR小隊指揮官。彼らは揃いも揃って親戚としか思えないほど似ている顔、同じ家名をしていた。そんな彼らそっくりの人間がまたそっちから接触を図ってきた。今度は「人を逃してくれ」じゃなくて、「迷子の保護」を理由に。

 

「あの蛇みたいな合コン連敗女に知らせるなって?頭が痛くなりそう」

「あのね416。もう痛いの間違いじゃないの?」

「毎月口止め料くれる人だよね?へー、久しぶりだー」

「そこまでは百歩譲って、なんとか良しとしたい。させてほしい。でもね、問題はそこから。今、さらにめんどくさいことになったの。あの合コン行くの辞めれば楽になれるのに辞めない女と、保護対象の迷子そっくりの口止め料の主からまーた依頼が追加で入ったわ」

 

慣れた手つきで端末を操作してホログラムを暖房の効かない部屋に投影する。寒くて手がうまく動かないことにいらつく。荒っぽい手つきで操作をする私を9が気遣う。ちょっとだけ癒された。

 

「45姉。使い捨てカイロつかう?」

「もらう。あの口止め料の主と、合コン連敗女からとある人間二人の護衛を頼まれた。南の辺境の、私が良く知るポイントまで行くよ。散々死にかけの人間を連れて行ったあの場所にまで行かなきゃいけない。二重の依頼ってことはヘリアントスには秘密。めんどくさいったらありゃしない」

 

私が大げさにぐったりするもんだから、みーんな天井仰いでため息ついちゃった。わかってくれて何より。あーあ、これだから人間はめんどくさい。

 

「9、人間って本当にめんどくさい」

「そうだねー。途中でシーアとこよろっか。がっつりメンテナンスに行こう」

「うん」

 

なぐさめに9が私の頭を撫でにきた。小さな子供みたいにあったかい手が私の傷んだ髪の毛の間を滑り落ちていく。前にもやってくれたよね。あったかい。いや、9にやってもらったのはこれが初めて。私は何を勘違いしたのだろうか。

 

「45姉?」

「なんでもない。AR小隊絡みの仕事なんてもうこれでおしまいにしたいなってだけ」

 

曖昧に笑ってごまかせば9も神経質で真面目な416も何も言ってこない。首をもたげた何から目をそらしてAR小隊に関わって存在を消された人間を逃したことを思い出す。件の迷子も悪い大人に騙くらかされて悪魔の契約書にサインした。

 

「ぜーんぶ、ばかみたい」



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2063年2月9日 12:25 UMP45

 ふいに全部が馬鹿みたいに思えて、投げ出したくなる。こんな終わり切っていて色あせた世界から逃げ出せればどんなに楽だろうか。思考があらぬ方向へそれて消えていく。今日は疲れているのかもしれない。ふわふわの思考のまま端末を操作して、メールボックスを開ける。差出人は今日もろくでなしばっかりでうんざりする。小さく頬を膨らませてサクサク目を通していたら、9が遠慮がちに声をかけてきた。嫌な予感がする。

 

「45姉。あのね」

「なあに」

「うわさをしてた、あの合コン万年敗者が電話かけてきた。保留にしてるからとって」

「はーい。しょうがないわね。もしもし」

 

表面上は穏やかに取り繕って電話にでた。適度に取り繕うことだけはうまくなったと自嘲しながら応答を待つ。

 

「ヘリアントスだ。追加の依頼があって連絡をいれた」

「ついででできることなんですか?」

「ああ。私達が行く目的地の南方の辺境まで、とある人物二人と人形をいくらか連れて行くだけだ。件の迷子と家族ぐるみの付き合いがある人物になる」

次から次へと厄介ごとが私を絡めとる。舌打ちしたいのをぐっと堪えてにこやかに話を聞く。

 

「追加料金と依頼の内容をどうぞ」

「わかりやすくて助かる。契約書はもうメールしてあるから、目を通してほしい」

「わかりました。他には何かありますか?」

「連れて行く人物との顔合わせもある」

「日程はいつになるんですか?」

「今夜10時には彼らが合流地点に到着予定だから、そのすぐ後だ。彼らとの合流に間にあわせるために先ほどメールで伝えた出発予定通りに夜6時に我々も出発する」

 

ああ、そういえばさっきのメールにあったな。無人状態で塩漬けにしてある基地を足がかりにするために夜早く出発だって。それに関しては会議直後にみんなに伝達してあったから準備はできてる。その前に、同じ依頼を違う人間から受けていたから心構えだけはできていた。あの、何度も親戚としか思えないような人間ばっかりを逃してくれと頼みにきたやつに。

 

「用件は以上でしょうか」

「以上だ。今夜六時にヘリポートで待っている」

「了解」

 

ぷつりと電話が切れた。ほんのちょっとだけの電話なのにどっと疲れてしまう。これだから、お偉いさんとしゃべるのはイヤ。椅子にもたれかかって天井をみれば、9がこっちを覗き込んできた。

 

「45姉つかれたよね。ココアいれたよ」

「ありがとう。持つべきものはかわいくて気の利く妹よね」

つかれをごまかすように笑ってしゃべれば、おぼろげな顔の輪郭と言葉が頭の中に反響する。

 

『ありがとう。やっぱりさ、持つべきものはかわいい妹兼親友だよ』

声色も表情も顔も知らないはずのだれかの声が反響して消えていく。春の雨みたいに柔らかで優しい声が、ぬくもりが掌からこぼれ落ちて、たしかあの時の私は。

「45姉?」

「なんでもないってことに、しておいて。18:00に出発だから20分前にここで。装備の最終確認してからヘリポートに向かうからそれまで、解散」

「45姉。あのね、わたしに何かできるかな?」

「うーん。今はいいかな。お願いだから、もう少しだけ一人にさせて」

 

右手で顔を覆って隠す。今のわたしがどうなってるか知られたくないし、自分自身を知りたくない。全てに蓋をして目を閉じる。私の中に雨が降って、ぜーんぶ洗い流してしまえばどんなに楽になれたか。私の根底をなぞっていく輪郭の無いエコーを消す勇気がない。



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2063年2月9日 16:42 ヘリアントス

立ち上げ前の伽藍堂な基地の窓辺で、すとんと落ちる日差し眺めていた。

「あの手を離さずにいられたら」

手のひらからこぼれ落ちる砂のような命はまだここにあったのだろうか。みっともなく「たられば」を考えては気が沈む。

 

「どうしてこうなったんだろうな。なあ、さくら。たった一人の娘を私達親友に放り投げて、火に飛び込むなんてしなくてよかったのに」

 

そもそもの始まりは、大火事に巻き込まれた親友が錯乱して配偶者を探しに火に飛び込んだことだ。あの日は私とペルシカ、親友夫婦と幼い娘すみれとの旅行に呼ばれてついて行った時のこと。

 

「さくらを止められなかった私達の罪、か」

 

その先でテロが原因だと推定される火災に巻き込まれた。逃げ惑う人々に揉まれて、さくらが配偶者の幹也を探すために振り返った時にはもう遅かった。私に自分の結婚指輪と「すみれを何があっても守ってほしい」という言葉と当時もうすぐ3歳になる娘を残して火に飛び込んでしまった。私がとっさに手を伸ばしても、空を切るだけで。

 

「止められなかった」

 

後悔から逃げたくて目を閉じる。突き刺さる日の光と、あの日から消えない罪悪感を振り払えない。

 

「ヘリアンは悪くないよ」

 

業務時は頼りになる研究者、私的な時間は学生時代からの親友のペルシカがいた。ペルシカは私をそっと優しく許すかのように酒瓶数本とワイングラスを差し出した。

 

「あれは誰も悪くないんだ。強いて言えば、私こそが悪い。止められなかった罪がある。だから、忘れるために飲もうよ。色々持ってきたんだ」

 

酒瓶の一つとグラスを受け取ってあける。ふわりと香る甘い香りから私が好む銘柄の蜂蜜酒だとわかって頬が緩む。以前に少しだけ話したことを律儀に覚えていてくれたみたいでちょっと面白い。

 

「君がコーヒー以外を持ってくるなんて、学生時代以来だな」

 

甘い酒が喉を滑り落ちる。アルコール度数の低い酒からすいすいと飲めてしまう。後に残らなければいいが。

 

「失礼だなあ。そりゃあ、私だってコーヒー以外も飲むよ。この甘いシードルを全部飲んじゃう。チーズとサラミと、申し訳程度のサラダにくるみパンもある」

 

腕に抱えた夕食と酒を部屋の備え付けのテーブルにポンポン置いていく。ダボダボの白衣を着ているのに器用なことだ。そのなかの一口大のスモークチーズを私にくれた。チーズの塩気と酒の甘さがちょうどいいと笑えばペルシカも笑った。学生時代のバカなことをやっていた頃に戻れた気がして少し胸が痛む。

 

「こうやって二人で飲むのは初めてだな。いつだって私とペルシカとさくらと幹也、リコの五人でつるんでいたから」

 

親友夫婦と、急にあの事件でこの世を去ったリコリスの顔を思い出す。みな学生時代からの友人で、急にいなくなった。

 

「うん。学生時代からずーっとそうだった。五人が四人になって、急に二人になったのが寂しかった」

 

シードルをあけて、一気にペルシカがあおった。彼女のそんな酒の飲み方が飲む姿を初めて見る。しばらくみつめていれば、頬が赤いペルシカが塩らしくてかわいい。いや、親友に何ドキドキしているんだ私。きっと酒のせいだろう。

 

「寂しかったんだな。私達」

「うんうん。寂しくて、忙しくて、守りたい子から目を背けてしまったね」

 

ペルシカがそーっと近づいて腕を広げる。これを断るのもなんだか悪い気がして素直に飛び込む。酒と、ペルシカの匂いと香水に包まれてふわふわしてさらにドキドキする。いやいや、親友に下心を抱いてどうする。これはきっと酒のせい。

 

「バカだなあ。私達は」

 

「今度は間違えないさ。私がいて、ヘリアンがいて、頼りになる子もいっぱいだよ」

 

ポンポンと優しい手が私の背中を撫でさする。どうも飲みすぎたのかもしれない。どこまでも私に甘い声色と酒が染み込む。とろりと甘いペルシカの声が耳に流し込まれていく。

 

「そうだな。ところでペルシカ。さっきからじわじわと距離を詰めてきているのはなぜだ」

 

酒でふわふわした意識をどうにか掴んで、

努めて冷静にペルシカに問いかけた。案の定はぐらかされる。あの頃からずるい性格になったな。

 

「んー?さあ?あのね、ヘリアン。私はね、ほしいものが一つだけあるんだ」

 

酒でふわふわのペルシカの声がまだ耳元でささやく。高い体温につられて私の体温も上がってきた。どうしてくれるんだ。

 

「何が欲しいんだ。学生時代だから無欲で何も言わなかったのに珍しい」

「んふふー。あのね。ヘリアントス。君が欲しい。君だけが、欲しいんだ」

「私は、その」

 

親友からそんな感情を向けられているなんて知りもしなかったし、知ろうとも思っていなかった。回答に困って、場を繋ぐための言葉を捻り出すべく口を開いた瞬間に大きな変化がおきた。

 

「ペルシカさん!ヘリアンさん!あのねーー!」

 

SOP2が部屋に転がり込んできた。一気に酔いが覚めて部屋の端と端まで距離を取る。心臓がうるさいのを気にしないフリをしてSOP2に何があったのかを聞く。

 

「何があった」

「あのねー。M16やM4達の痕跡をみつけたよ」

「食べながらでよければ詳しく聞こう」

 

とうやら、私達親友が酒と恋と過去に酔っている時間はなかったらしい。



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2063年2月10日06:13 416

 我々の隊長殿はよく眠る。私の隣でぐーすか寝てる眠りネズミ以上にそれはもうよく寝る。今もまだ寝ている。何もない日は夜9時に寝て翌朝8時まで起きないほど。

 

「本当によく寝てる」

 

昼間はバリバリ働くが、夜になればさっさと寝てしまう。シーアとデールの所で45だけメンテナンスが長引いたあの日、偶然見てしまった彼女の容量の内訳が気になって仕方ない。彼女の内側には現代においては無用の長物である電子戦モジュールが大部分を占め、猫の額ほどの隙間に指揮モジュールが詰まっている。しかも射撃系のモジュールが入ってないのには驚いた。あのUMP45は経験と知識を後天的に詰め込むことで銃撃戦を切り抜けていたなんて知らなかった。誰にも言わずに黙々と経験を積む。他の人形にとって簡単にスキップできることができない。なのに彼女は冷静で残酷な女の仮面を被っていられるのか。

 

「何日も移動だけってもの、中々つらいのね」

 

ヘリ、輸送車、荒れた道でも走れるキャンピングカーと乗り換えて私達は南下していく。誰もいなければ何もない土地へひらすら向かうだけ。途中、グリフィン上層部が回収に躍起になっているAR小隊のメンバーがふらりと現れては煙のように消える。その都度追いかけては脇道へ逸れるから予定以上に遅れて困った。多分一番困っているのは合コンの敗者だろうけど、知ったこっちゃない。M16の澄まし顔に一発どころか五発分くらい拳を叩き込みたいが、今の私は眠りネズミ二人に抱き枕か何かにされていて動けない。

 

「大型に近いキャンピングカーを借りて交代で運転するのはまだ気楽でいい。でも、抱き枕はごめん被る。朝のうちに何かつまみたいし」

 

生憎とこいつらは私をガッチリ抱きしめて動かない。セミダブルベッドに三人が無理矢理寝ている今、とても苦痛でしかたがなかった。抱きつき癖のある45は体温高めで熱いし、G11は寝ながら器用に私の胸か尻をもむし、9は9で寝ながら私のふとももをまさぐる。いくら人形であろうと性的な加害は禁止だ。いいかげんにしないとつまみ出すぞ。この子供体温から抜け出そうもがいていると45が寝言を繰り返しているのに気づいた。

 

「ごめんなさい。どこにもいかないで。どうして」

 

本来人形は夢を見ない。でも、寝ている壊れかけの人形が記憶のデフラグに失敗して寝言みたいにあれこれとつぶやくことはある。G11もそう。あの子もバッドセクターが多すぎていつ壊れてもおかしくない。そうか、45もぼろぼろなのね。

 

「起きなきゃいけないけど、たまにはいいかな」

 

普段の姿とはかけ離れた気弱で臆病で、泣き虫な45の手を振り払えなかった。45のきゅっと寄った眉根をほぐしてあげて頭を撫でる。ふにゃっとした笑顔に変わってさらに私に抱きついてきた。今回だけよ。今回だけは45が求めてる誰かの代用品になってあげる。

 

「あのね40、約束だよ。きれいな海に」

 

私の耳元で儚い約束を交わす言葉がささやかれた。半世紀以上昔の記録にしかない美しい景色を探す約束。45は誰かさんと随分とロマンチックな約束をしたのねちょっと羨ましい。

 

「海、ね。起きるのはまだはやいから、もうちょっとだけおやすみ」

 

その約束を肯定も否定もせずに頭を撫でてごまかすことでその場を凌いだ。私達の夜はまだ明けない。いいや、きっと明けることはないだろう。その事実から目を逸らすために私も眠ることにする。



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2063年2月10日 6:56 AK-12

 山奥の野営地で皆で無言でショートブレッドをかじる。アンジェは堅物だし、AN-94は四角四面で二言目には「AK-12がそう言うのなら」だし、M4は復讐鬼でおしゃべりしてくれないし、AR-15もそう。つまらない。しかもAR小隊の二人は何かの紙切れをみて和んでいるのにちっとも教えてくれない。近づいて聞いてみようにも、隠されて威嚇までされる始末。本当につまらない。ふくれっつらのまんまAR小隊の過去を調べていくと面白いことにたどり着いた。特殊性の高い小隊を扱う指揮官に結ばされる契約。秘密厳守から始まり、面白いことで終わる契約に私の中の遊び心みたいな何かが惹かれた。

 

「AR小隊の指揮官になったら、存在を秘匿。死んだらあらゆる記録を抹消。なんて面白いのかしら。ねえ、M4。その写真の中の指揮官は何人目かしら?」

 

M4の目がカッと見開かれる。おお、怖い怖い。でも、あの紙切れはAR小隊の指揮官なのは間違いないみたい。もうちょっと遊ぼうっと。

 

「あなたには関係ない話なんだけど」

「興味が湧いたの。あなたたちの指揮官に会ってみたい」

「どうしてよ」

 

M4のその真剣な表情。それが見たかった。もっと見たいから揺さぶって遊ぼう。

 

「指揮官のためなら、命令を無視できそうな顔してるから」

「やったことはあるし、指揮官からはもう二度とやらないでほしいと泣かれたこともあるけど。それとこれとは別。絶対にイヤ」

「イヤ、かあ。ふうん。へえ、そうなんだ。指揮官の居場所と安否を知りたくないのね」

 

物すごい速さでM4が私の肩を掴んできた。そこまで必死になるほど大切な人なら手放さなければいいのに。

 

「今すぐその情報を吐きなさい。すべて残らず今すぐに」

「待って待って。まずはあなたが冷静じゃないと」

 

私の繊細な肩がミシミシときしんで悲鳴をあげている。その筋力はどこから来た。戦闘でも発揮してほしいものを今発揮してどうする。チラリと横目でみれば、私の隣でもそもそと食べていたはずのAN-94がぽかんと口を開けてフリーズしていた。かわいい。

 

「94。ねえってば」

「12……。あっ、M4!AK-12は繊細なんだ。程々にしてくれると助かるのだが」

「待って?その言い方だと、適度に私をしばいた方が上手くいくみたいなことになるんだけど」

「ついうっかりしていた」

 

AN-94がこてんと首を傾げてショートブレッド最後の一欠片を口に放り込む。天然ボケ殺しな相方のあまりにも予想外すぎる言葉に目を開いてしまった。AN-94、恐ろしい子!

 

「待って。本当は私のこと嫌いでしょ?」

「好きも嫌いもない。AK-12はAK-12だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

手のひらに残ったショートブレッドのカケラといつもみたいな言葉をさらりと口にしたAN-94に驚愕する。この子には漫才の才能がある。けど、惜しいことに私達には銃をとることしかない。

 

「ひどいわアンジェ!助けてよ。山奥の隠れ里の宿でのんびりしたいでしょう」

 

見様見真似で泣き落としを試みるがアンジェには効きやしない。

 

「どうせ私の金を勝手に使って予約とったろう」

「アンジェってば、天才」

「おまえの繊細な肩が壊れても私は知らない」

「助けてください」

 

冗談が通じない輩の中にいるのがつらい。ここは素直に引き下がる。じゃないとM4は私の肩を壊しかねない。

 

「素直でよろしい。M4そこまでにしておいてくれると助かる。こんなのでも貴重な戦力だから」

「はい」

「私は許された」

 

M4から解放された喜びを噛み締めながらヨロヨロと這い出る。今日はなんて災難な日!

 

「まだよ。はやく情報を吐きなさい」

 

私の胸ぐら掴んですごむことないのに。ひどい。

 

「ひどいわ。今度の食事はシナモンロールにしてやるんだから」

 

M4へのささやかな復讐を宣告してやった。M4苦い顔が見れたので良しとする。

 

「AK-12。あなたが何を考えているのか説明してちょうだい」

「仰せのままに」

 

アンジェの指示を仰ぐために資料を頭の中で並べ替えて言い訳をこねくり回し、ややあって口を開いた。



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2063年2月10日 07:12 UMP40

なんだか嫌な予感がする。その予感のせいか少し早めに起きてしまった。寝直すこともできない時間だったから宿の主人に挨拶してからすみれと二人、朝食をとった。ベーコンとチーズのミルク粥。あたいのには粗挽き黒胡椒が乗ってるけど、すみれは子供だからのってない。熱いから少しずつ食べていけば嫌な予感がすっと溶けていく。あったかいご飯にあったかい部屋。それに我が子さえいれば幸せになれる。

 

「おかあさん。美味しいね」

「美味しいね」

 

すみれが小さな手でじゃがいもの優しい味のポタージュをスプーンで少しずつ飲んでいる。それがかわいい。宿の主人夫妻や家族もニコニコしている。その優しい笑顔の中にすみれとよく似た顔をしていると気づく。宿の老婦人、息子と孫娘がすみれとよく似た顔をしている。この子とこの優しい人達が親戚だったらいいのに。

 

「どうかしましたか?」

「あ、いえ。ご婦人と娘と顔が似ているような気がして」

「そうですねえ。保関(ぼせき)の家名は今も昔も親戚しかいないので、もしかしたら親戚かもしれないですねえ。私達は本家や分家もふくめてほとんど辿れるほど把握していますけど」

「だったらいいですね」

 

本当に親戚だったらありがたいけど困る。あたいとすみれは一緒に海を見に行くって言う約束をまだ果たしていない。曖昧に笑って誤魔化して朝食を食べることに専念した。ちらっとすみれの様子を伺ってみると蒸し鶏と温野菜のサラダと格闘している。ブロッコリーとキノコ、にんじんが苦手みたいで端によけている。まだまだ子供だなあ。

 

「ちょっと食べてみない?ほら、あーん」

「うん。ちょっとだけなら」

 

フォークで小さく切り分けたブロッコリーをすみれの前に持って行く。かわいいあたいの娘は悩みに悩んでおそるおそるブロッコリーを食べた。ゆっくりと食べてぽつりとつぶやく。

 

「おいしい」

 

すみれが目を輝かせて、もっと食べさせてほしいとあたいの手を引っ張ってきた。そこがまた子供らしくてかわいい。かわいい姿をM4達に伝えられたらいいのに。

 

「食べてくれて良かったよ。裏の畑で作った野菜なんだよ。しばらくの間、お客さんははさくらさん達だけだからゆっくりしていってね。おかわりもあるよ」

 

宿の主人が料理について教えてくれた。自分達が食べる分と客に振る舞う料理のために野菜を育てて狩猟にもでていくのだと。野菜が一番美味しい時期に収穫してその日のうちに料理をする。なるほど、だからこんなに美味しいんだ。顔を見合わせてさらに一口。うーん、幸せ。

 

「食べます」

 

少食で偏食ぎみだって聞いてたすみれがおかわりを要求する。子供が成長していくってこういうことなんだね。食べすぎに注意して、この後は思いっきり体を動かす遊びをしよう。宿泊プランで食事付きのを選んで良かった。M4達から養育費としてまとまったお金を渡された時は驚いたけど、この笑顔を知ったらきっと彼女らも喜ぶはず。

 

「お昼にはおやつも作るから待ってるんだよ」

 

宿の主人がケーキを焼いてくれるらしい。魔法みたいなケーキだから楽しみにしていて、とのこと。あたいも楽しみでしかたない。料理があんまりにも美味しいから期待する。

 

「お菓子もですか?」

 

すみれが申し訳なさそうにしているが、子供はいいものをもらえるだけもらうのが仕事だって宿の主人に諭される。親の膝元で守られているのが子供だもんね。それをこれからあたいがやるんだ。

 

「ありがとうございます。すみれ、いっぱい食べていっぱい遊ぼうね」

 

こくこくと照れながら苦手なはずの野菜を食べているすみれの頭を撫でる。今はまだ小さなこの子があたいの背丈よりも大きくなることを願って、手を引いて行こう。そう決めた。



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2063年2月10日07:30 M4A1MOD3

 なんとなく、雪が薄化粧を施した森林地帯を一人で歩きたくなった。頭の中に住み着いたうるさい声から少しでも逃げたくて、朝方の森を足早にさまよう。

「そんなにあの子供が心配なのね」

 

頭の中にしかいない透き通った少女の声が響く。酷くうるさいが、不透明な契約と明確なメリットを提示してくる面倒な声から耳を塞ぐ。そのつらさも、いつまでも腕の中にあってほしい小さな春の花を思えば、耐えられた。

 

「M16姐さん。すみれ。どこにいるの」

 

いつまでも隣にあると思い込んでいたものが突然なくなると不安になる。今までだってそう。何人もの人間が、指揮官が、私達を生かすために犠牲になって闇に消えていった。特殊すぎる私達AR小隊を扱うために存在しなかったことになり、淡い色彩と思い出、誓約の指輪と今際の言葉だけを残して消えてしまった。私達を突き動かす言葉、「生きて」。それだけの短いけども残酷な願いだけで私達は戦場を駆け抜けてきた。

 

「もしもM16姐さんがいたら……いたら、すみれのために何ができるのかすぐに教えてくれるのに」

「私がいたとしても、あれはどうしようもなかったぞM4」

 

M16姐さんが困ったように笑いながら木の影からやってきた。色々と私達の前に横たわる事情なんかどうでもよくなって、ホッとしてしまう。

 

「M16姐さん。私、どうしよう。どうしたらいいの?すみれがどこにもいないのが怖いの。どうすればまた指揮官を失わずにすむの?」

「私にも分からない。分からないんだ。もうだれも失いたくない」

 

不安なあまり、いつもみたいにあの子の父母の形見の手帳にあった言葉をなぞる。AR小隊全員が隅から隅まで読んでいたからM16姐さんがはっとする。

 

「もしも、すみれが自分のルーツを知りたいなら」

「知りたいのなら、この街へお行きなさい。私達夫婦の故郷、南の果て。極東の人々の正式な移民の街「みずほ」の街へ。そうか。そうだよな。すみれならそうするだろう」

 

二人して手帳の言葉をすらすらと引用して頷く。

 

「なあM4。一つここは限定的な休戦としようじゃないか。私だってすみれを守りたいし、あの子のはじめてのわがままを叶えたい」

「いいですよ。M16姐さんのやるべきことと私達のやるべきことが干渉しないように調整しながら休戦にしましょう」

 

ニッと不敵な笑みを浮かべる。同じ笑い方に姉妹だってことを再確認できて安心できた。さあ、交渉のテーブルにあれこれと並べようじゃない。



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2063年2月10日8:52 M4SOPMOD2

 私の半分は今どこで何をしているのか。生まれたてのひよこみたいなRO635をおいて散歩にでた。たまには一人で歩きたいもん。

 

「さむーい。すみれ。どこにいるの?寂しいよ」

 

寒さに震えながら、あてもなく歩く。街から市街地へ、申し訳程度の防護壁の門をくぐって荒地にあるスラムへ。さらにその先の森林地帯にたどりついて足を止める。

 

「あ!人が通った跡がある。雪はまだとけてないし、足跡も固まってない。うーん?あ、これM4とM16の靴跡だ!特注品の靴だからすぐわかるよ!」

 

胸を張る。でも、となりに誰もいないのが寂しくてしゅんとなる。いつもならみんながそばにいてくれるのに。寂しいとつぶやいて古いポラロイドカメラのシャッターを切る。これをくれた優しい人は私達を生かすために囮になってにげて、そして川から落ちて……それで死んだことになった。

 

「私達の指揮官ってみんな優しいから、私達のために犠牲になった」

 

私の半分のすみれもいつかそうなるのかもしれない。あの子ならきっと、なんのためらいもなくそうするだろう。その嫌な予測に怖さが私の頭を埋め尽くした。

 

「いや。私達は生き残ってあの子を守るの。犠牲になった私達の指揮官3人分の命の上に立ってるってことを忘れないために」

 

ぐっと手を堅く握りしめて空を見上げる。雲がほとんどない朝の空がまぶしい。この辺りまでくると暖かいから雪はすぐ溶けちゃう。その前に写真を撮っておいて良かった。

 

「ペルシカさんとヘリアンさんに聞かなきゃ。あと、カメラのフィルムも買わないと」

 

何を言わなきゃいけないのか、何をしなきゃいけないのか。やっと決められたよ。いつか耳にした指揮官の言葉がよみがえる。

『人形だって自由であるべきだ。自分の目で見て、耳で聞いて、そして自分の頭で考えなさい。人間って本当はとても不自由な存在なんだよって』

 

朝日に手を伸ばす。今はまだ掴めなくても、いつか掴んで見せる。よし、ヘリアンさんに通信いれようっと。

 

「もしもしヘリアンさんあのね。聞きたいことがあるの。私達のいままでの指揮官のみんなは本当に死んだの?」

「それは、わからないんだ。何が正確に起こったのかすらもわからない。私と敵対する派閥の揉み消しの痕跡や政治的な思惑、あいまいな状況証拠だけが残っている」

 

本当に死んだかわからない。その言葉を聞いた途端、目の前が真っ暗になった。どうして。

「何もわからないの?じゃあ、指揮官達が生きていた意味は?くやしくて、悲しいよ」

 

その言葉になんで返せばいいのかもわからなかった。



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2063年2月11日23:28 RO635

 目覚めてから乱暴にSOP2に手を引かれて、私は終わる手前の世界に生まれ落ちた。その瞬間のまぶしさがまだ私の根底に残る。SOP2が持つ、ホログラムよりもまぶしくてあざやかな色彩と強さにあの時の私は目を逸らした。それが後ろめたいのだろうか。まだ落ち着いて休めない。日付が変わるまでに休まないと長時間移動を伴う任務に支障が出てしまうのに。

 

「言われるままに仕事をこなすのが、私達人形なのになあ」

 

なのに、人間は自分で考えろとはとても残酷で無責任だ。まだ使うからと自分の中であれこれと理由をつけては古い建屋の古い薪ストーブに薪をぽいぽいと投げ込む。今夜だけ泊まるここは隙間風がひどくてこれじゃ人間だと眠れないし、人形でも休めない。この薪ストーブが古くて壊れかけなのか、私の扱いが良くないのか、なかなか火は大きくならない。

 

「もう。さっきは薪に火が移ったのに」

 

古ぼけた手書きの説明書を片手に唸る。どうしようもないと結論をだしてドアノブを握りしめて開ける。飛び上がりそうなくらい冷たくて暗くて澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで前を向く。

 

「寒い」

 

長くて何もない廊下は今の私みたい。ふわふわと頼りない歩みと足音がぼやけたフットライトの上に浮かんでは消えていく。こつ、こつと足音ひとつが浮かんでは消えていく。

 

「どこいくの?」

 

幼い声がした。ぬるりとした気配が私の首元に手をかける。武器もない薄着一枚のこの身は悲鳴をあげてペンライトを放り出した。

 

「ひっ!」

「わたしだよわたし」

 

足元の薄いオレンジのぼんやりした灯りがぼんやりとした輪郭をなぞる。そのぼやけた灯りに見知っただれかをみた気がして安心する。

 

「なんだ。良かった。オバケじゃなかった」

 

逃げたい衝動で後退りして背中が壁にはりつく。そののっぺりした冷たさが私の中を埋め尽くす恐怖に似ていて思わず飛びのいてしまった。寒くて怖くてあまりにも不鮮明な暗闇を見つめたくない。その感覚を明確に言葉にした瞬間、頭の中が真っ白になった。

 

「オバケだったら、よかったの?」

「それはイヤ!」

「そっかあ。よかったね。薄闇一枚めくればいるってことを知らないってことがね、とーっても幸せなんだから」

 

くつくつと無邪気な笑い声がいやなまでに耳に、私の頭に残る。どうしよう。

 

「何がいるのよ」

「んー?ふふふ。それらに形も名前もないよ。遠い遠い昔には人が名前をつけていたかもしれないけどね」

 

目の前のばら色の唇が弧を描く。私はそんな笑い方は知らない。自分の手を傷つけそうなくらい強く握り拳を作っては声を振り絞る。

 

「こ、怖いこと言わないでよ」

「ねえ。いまここにいる私が本当にわたしだって言える?」

 

謎かけみたいな問いにぞわりと恐怖が肌を這い回る。否定の言葉が口元まででかかるが、でない。 

 

「わからない。本当に、わからないの」

 

私にはわからない。怖い。簡単な言葉一つ、不確かな空間一つで私の日常が揺さぶられてとろりと溶けてこぼれ落ちていく。私の認識は手のひらからサラサラとこぼれ落ちる砂みたい。思考がしびれるほど甘い声が水のようにしみこんでいく。これを人は毒と呼ぶのだろう。きっとそうに違いない。どんな物語をなぞっても出てこないほど甘やかな声が私にささやくのだ。

 

「わからないなら、そのまま真っ直ぐに部屋に戻っておやすみ。誰かに呼ばれても、何かに呼ばれても振り返っちゃダメ。返事もしちゃダメ。ついていくなんてもってのほか。ぐっすり寝て朝になればいつも通りの日常だよ」

「うん」

 

ささやきのままにふらふらとあてがわれた部屋に戻る。道中、行きよりも長い廊下で呼ばれた気がするが答えずにベッドの中へ潜り込んだ。そして、ぐっすり寝て朝になればSOP2にそれとなく聞いてみる。

 

「SOP2。昨日の夜遅くに」

「昨日?はやめに寝てたよ」

 

ころころと笑う幼い声がいつも通り響く。ぴたりと思考と行動が止まる。じゃあ、あれは誰の声だったのよ。

 

「あれ?」

「建物が古くて灯りも壊れかけだし、誰かと間違えたんじゃない?」

「あれ?おかしいなあ」

 

疑問が疑問を呼ぶ。聞きたくて言葉をどうかけようかと口を開きかけたらSOP2が私の背中をバンバン叩く。ちょっと痛かった。

 

「そんなことより、仕事仕事!」

「うわっ!こら!」

「朝が来てるから大丈夫。前だけ見てようよ」

 

有耶無耶にされた。だれよりもお子様なくせに、なんか腹が立つ。おやつ抜きにしてやろうか。

 

「SOP2がそういうなら。あ、今回だけだからね!」

 

釈然としない。でもこれ以上はきっとはぐらかされる。だからこれでおしまい。気合い入れていかないと。頬を軽くたたいて気を引き締めて笑う。そしたらSOP2もつられて笑った。

 

「うんうん。それでいいの。ほら、行こう」

「はいはい。これだからお子様は」

 

朝が、いつも通りの日常が戦場が私達にやってきた。それだけはわかっただけ良しとしよう。



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2063年2月12日 06:00 M4SOPMOD2

 「朝が来たから、それでいいじゃん。ね?私達はほら、前を向かないと」

 

疑問で頭がいっぱいのROの話題を無理矢理そらす。そうでもしないと私が支払った対価が無駄になるもん。ROを撫でてかわいがりながら昨夜のことを思い出す。一人きりになると不思議なことやものによく出会う私はいつのまにか、そういうのとの付き合い方がわかってきた。昨夜願ったことはその一つ。すみれに、私達AR小隊の歴代指揮官そっくりの顔の女性っぽい何かに、私は確かに願った。

 

「久しぶりやんねえ。おちびちゃん」

 

白と赤のひらひらした不思議な服を着て、ふわふわ浮いてるすみれによくにた女性。彼女は心配性でおせっかいで、優しいから何かを代償にして助言をもらうことがいっぱいあった。

 

「久しぶり!あのね。やってほしいことが一つあるの。ほら、私達って人に似てるから怖いやつがよってくるじゃない?新しい妹みたいな子がしっかりと自分を作って、そういうのを跳ね除けられるまで危ないとこに行かないように朝へと押し戻してくれる?私もあれこれ教えるし」

「うんうん。そんで?」

「すみれからもらったクリスマスプレゼント。これが対価になるかな?」

 

大事につけている手編みのマフラーを指差せば彼女はにっこり笑って頷いた。

「大事なんやろ?」

 

こういう、不思議なものが欲しがるのはお金じゃない。誰かにとって思い出が詰まった品物や記憶が不思議なものたちの欲する物。だから私は昨夜対価を支払った。それに否はない。

 

「うん。それでも、ROが守れるならいいかな」

「ええんやね?」

 

彼女はすみれと同じ訛りで念のためと聞いてくる。私は笑顔で頷いた。

 

「うん。足りないなら、対価を探すね」

 

「だいぶ足らんなあ。せや、うちの名前あてるんは?どこにあるかは聞いてもええけど、人からうちの名前直接聞いたらあかんで。あがで探すん。期限は2064年12月31日まで。探すとこはずーっと南、極東の人々の移民の街みずほで探してな」

 

私達が向かう街の名前にぎょっとする。そこまで知ってるのにどうしてみているだけなんだろう。

 

「あなたはみてるだけなの?」

「そらわえ契約しちゃあるもん。しゃーないねんなー」

 

訛りがきつくて聞き取るのは疲れるけど彼女の言いたいことはわかる。私達人形が命令に背けないように、ああいう不思議なものは人から提示された契約を自分から破れない。

 

「だれと契約したの?」

「秘密やわあ」

「いけずー。厨房からくすねたチョコレートブラウニーいる?」

「欲し。そえやったら、ヒントだけやんね。芽吹いたばかりの春の花」

 

ぽいっとブラウニーを投げれば、彼女はわたわたしながら受け取る。どんくさい所がとてもすみれに似てて胸がきゅっと痛むような気がした。

 

「覚えておくね」

「あんじょうやっとくさけ、おまんももう寝よし」

「うん。おやすみ」

「うちができるんて、そげそげないんや。こらえて」

「知ってるよ。だから、ここまでにしとく。また会えたら名前当てるよ。おやすみ」

 

私達が銃をもって戦うことだけはできるように、不思議なもののできることも限定的だって知ってる。知ってるから、ひどいことはできない。そんな昨夜のことを思い出しているとROに呼ばれた。

 

「SOP2!マフラーはどうしたの?ずーっと大事そうにしてたのに」

 

気づくよねえ。そりゃ。めんどくさいなあ。私もみんなも。今日くらいは笑ってごまかしちゃえ。

 

「秘密ー。女の子には秘密でお化粧するものなの」

「こら!ごまかさない!」

「いいじゃん。ほら、行かなきゃ。やるべきことだけ見ていよう」

「ごまかすなー!!」

 

ROの背中を押してごまかす。夜の恐ろしい世界をかわいい妹が知らないままでいてほしい。それが私のわがまま。

 

 



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2063年2月13日 00:7 M4A1MOD3

 私達はあれから放棄されて間もない街に転がり込んだ。アンジェからしばらくの間警戒と待機を命じられたAK-12が「散歩にでかける」と書き置きしてから嫌な予感がする。念のためにアンジェに「AK-12を探して連れ戻してくる」とメールはした。AR-15にAN-94はアンジェについてるし、どうにでもなるだろう。周辺に誰も、何もないことを確かめてポケットから古いコンパクトミラーを取り出す。古ぼけてよく映らない鏡面を覗き込んでは愚痴をこぼした。あの無駄に性能と顔がいい女のことを追いかけるのであれば、普通の方法じゃ間に合わない。

 

「はあ。本当に仕方ない。あまり頼りたくない方法しかないのが嫌になる」

 

人がおとぎばなしの中にしかいないと口にするあいまいな存在。私には最初から見えていたそれらと関わりすぎて、今では合図一つで呼び出して契約を持ちかけるまでになった。いや、なってしまった。腹を括って呼び出す合図になる言葉を静かに口にする。

 

「ふるべふるべ。ゆらゆらと。ふるべふるべゆらゆらと」

 

極東を起源にする、力があると信じられていた言葉を静かに鏡にのせる。そしたら鏡はもういい。閉じてポケットに押し込む。顔を上げて空を見れば廃墟と夜空から遠い異国の夕暮れの街並みに景色が変貌した。もうすぐアレがやってくる。

 

「久しぶりやんねえ。ほんに」

 

背後からひどく間延びした女性の声がした。ゆっくりと振り返れば私達AR小隊が我が子と溺愛するすみれそっくりの女性がからからと笑っていた。彼女は私の知る限りいつもの服装。襟の詰まった紺色の軍服、金の肩章に胸には数々の勲章、磨かれた革靴姿。いかにも将校といったいでたちでピンと背筋を伸ばして私をおだやかに見つめている。

 

「さあ、どうだか」

「そんなん言わんといてほし。わて、寂してしゃーないわ」

 

私の目の前のすみれそっくりの顔と訛りの彼女。人ではない。かつて人であったらしい彼女は対価を支払うことで気まぐれに力を貸してくれる。

 

「我が子そっくりの顔で言われると腹が立つ」

「まあまあ。そげそげ言わんと。顔借りとるだけかもしれんし」

 

ケラケラ笑ってからかってきた。それはそれでぞっとする。でも違うだろう。

 

「いや、あなたは最初からその顔でしょうに」

 

すみれと出会う前からみているが、彼女はずっとこの顔だった。そこを意地悪に言ってみれば、彼女は豪快に笑った。

 

「あたりや。ちょっとだけヒントあげるわ。うちはあの子の遠縁にあたるで」

「なら、あんな目にあうまでに保護すれば良いじゃない!」

 

カッとなって叫べば目の前の彼女はくしゃりと顔を歪ませる。そうか。あなたも私も悲しいのか。

 

「うちからしたらあん子は妹のひ孫。法律面からすれは強制力はないんや。まあ、すぐにまっと近い親戚が潜り込んで保護する予定やったんやけどなあ。あ、おまんらの指揮官やったやつらな。みなうちの妹の孫で、いとこかはとこどうしやで」

「どうりで顔が似てて家名が同じだと思った」

 

私達AR小隊と誓約の指輪を通じて唯一無二の存在になったあの人達を思い出した。親戚が連続して潜り込めるグリフィンの警備体制がザルなのは放っておいて、私はもっと話せと言外に示す。

 

「みな似とるやろー。やろと思たらうちらはそこまで潜り込めるんや。あー、あとな。M16に惚れたやつ。なでかあれ、覚えとらんやろ?知りたいかえ?」

「知りたいに決まってるじゃない」

 

M16姉さんに誓約の指輪と私達におぼろげな笑顔の輪郭を遺して消えたあの人の行方は知りたい。知って、手を伸ばして取り戻したい。

 

「うちらみたいなやつてな、自分の命や存在の痕跡を代償に奇跡を一回だけ起こせるんや。あれはおまんらのためにそれをな、やったんや」

 

ぽたり、ぽたりと涙が頬を伝う。私も泣いていれば彼女も泣いている。ばかなひと。ただ、愛してくれるだけで良かったのに。

 

「そこまでしなくても良かったのに。私達はただ、指揮官がそばにいてくれたらそれだけで」

「せやったら、忘れやんといてくれんけ?そんで、生きとってくれたらそれだけでうちらは幸せや」

「ばかなひと。いつか必ず迎えに行くから」

 

すみれも含めて迎えに行く。幸せにする。だから私は人ならざるものに対価を支払う。

 

「私は全員迎えに行く。その布石に願いを一つ。顔と性能だけはいい同僚が散歩から帰ってこない。だから、殴ってでも連れ戻す。そのための足がほしい」

「対価は?」

「街で開けられてない金庫から見つけた宝石と、すみれが描いた私達の絵」

 

人ならざるものは宝石と、支払うものが本当に大切にする思い出の品を欲しがる。絵は手放したくないが、背に腹はかえられないから。

 

「ええよ。今日から一年間、わてを足として好きに使いよし」

「のった」

 

これからすぐにでも、連れ戻すから。待っていなさいAK-12。

 



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2063年2月13日 8:00 AK-12

 気になることが一つあった。M4が我が子と公言し、それはもう大切にする子供の行先。 しばらく廃墟の街でキャンプだし、アンジェにはメールして舗装された道路だった山間を走る。

 

「AN-94にはお留守番してもらって、お散歩も悪くはない」

 

そうねえ。AR-15とM4がコソコソと話していた二つの座標に散歩に行ってみようかしら。落ち葉と枯れ枝を踏む私の足音をBGMに景色は流れていく。放棄されて何年も経っているはずなのに、最近人の手が入れられた道路。獣害、土砂災害対策の柵。未知の言語の看板に隠すように建てられた新しい山小屋。間違いなくこの辺り一帯に人里がある。交差点の真上の古い看板の言語はロシア語圏の表記なのに、脇の新しい立て看板は私の知らない言語。違法か合法かはさて置いて、放棄された街に新しく人が移り住んだのかもしれない。盗み聞きした座標はこの先。耳に入れた二つの座標のうち、遠い方は人の足だけで安全な道路を素直に進めば10日以上15日未満。でも人形の私が山を突っ切れば3日程度でたどりつく。近い座標は今私のいる地点からは山を突っ切れば2時間足らず。あの幼い子はM4達の言葉を信じて行った。それが私の好奇心をくすぐるの。

 

「ふふん。大当たりってとこね」

 

ガサガサと木々をかきわければ山頂へと進む細い山道が目の前に現れた。あとはここを登ればあの子が目指すだろう座標に辿り着ける。隠してある道なら、また元に戻すのが道理だろうと枝葉に手を伸ばして気付いた。誰かがいる。この気配の大きさは、大人じゃない。

 

「かくれんぼは一人じゃできないのよ」

「違うよ。待ってたの」

「待ってた?はぐれたの?」

「おかあさんは山の上の宿でまだ寝てる」

「M4、あなたの教育について聞きたかったわ」

「お姉ちゃんはわるくない」

 

なんやかんやと聞いてみれば、大木のうろから小さな頭がひょっこりでてきた。これにはびっくり。驚いて後ずさる私の顔をM4達の娘がじっとこっちを見ている。この子、大物になるかもしれない。

 

「待っていた?私を?」

「うん。待ってたの」

「どうしてよ」

「友達がほしかったから」

「友達?わからないわ」

 

理解できずに1分ほど思考がフリーズしてしまった。M4、あなたたちの娘はとんでもないことをしでかしたみたい。金と技術を注ぎ込んだ軍用人形の私をフリーズに追い込むのってすごい大変なのよ。

 

「うん。友達。ずっとここにいるのは良くないから、おかあさんのところに行こう。だっこして?」

「あ、うん」

 

混乱する私は言われるままにおねだりのままに子供を抱き上げる。抱き上げて、頬を寄せれば小さくて、やわらかくて、とてもはかないのに修羅場のアンジェよりも豪胆な子供の顔が良く見えた。まんまるな瞳が真っ直ぐに私を見つめて離さない。

 

「あのね」

「どうしたのよ。もうちょっとしたことじゃ驚かないから」

「この先の小さな町の宿に泊まってるの」

「それで?」

「そこのご飯が美味しいから一緒に食べて、町の公園で遊ぼう」

「ん?うん。それで?」

「この先にね、パパとママの生まれた街があるの。そこに行くよってM4お姉ちゃんに伝言お願い」

「住所はわかるの?この世界はとっても残酷よ。子供一人じゃ行けっこない」

「住所は知ってる。大丈夫、今はおかあさんがいるよ」

 

腕の中の子はM4と同じ目をしている。まっすぐに前だけを見据える強い意志を宿した目。きっとこれは梃子でも動かないわ。降参。

 

「しょうがないなあ。友達になってあげる。でも、その前に一つ。風邪引く前に宿であったまりましょ。おかあさんも不安だろうし」

「うん。おかあさんは大事」

「子供のことを真剣に考えてくれるおかあさんは大事よ。それとお友達になるなら自己紹介しないとね。AK-12よ。よろしくね」

「保関すみれ。名前はすみれの花って意味。よろしく」

 

差し出された小さな手にそっと私の手を重ねる。冷たい手にひやっとする。この子が万が一風邪でもひいたら保護者に蜂の巣にされかねない。その前に宿に行かないと。

 

「宿に行かないとね」

「うん。お願いね」

「任された」

 

友達と一緒初めてやることは登山。やってやろうじゃない。

 



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2063年2月13日 11:30 M4A1MOD3

 

 対価を支払って「足」を得たのはいい。人ならざるものの使い方がなっていない私の落ち度があるから。まさか、契約したアレが使う術の一つ、一瞬のうちに違う場所へ飛んでいけるってやつにこんな落とし穴があるなんて。途中までは不思議な術で飛んでいけたのは良かった。問題はそこから。五分で我が子そっくりの顔と感性の人ならざるものと膝を突き合わせるのに疲れた。

 

「知らない場所にはいけないってはやく言って」

 

山の中、道なき道を駆けていく。私は走って、アレはふわふわと空を飛んで。

 

「うっかりしてたわ。ごめん。あ、そこの川越えんと上行って」

「はいはい。空を飛べるあなたにこの山を走る苦労はわからないんでしょうね」

「んにゃわかるでー。そんなに飛びたかったん?」

「べつに」

 

どうやら私の皮肉が通じなかったらしい。こてんと首を傾げる、そんな所もすみれに似ていてちょっとだけ腹が立つ。これが妖怪。こんなのの親戚なら、あの子はどんな風に育つのか。私達はどんな風に育てなくてはいけないのか。それが気になる。

 

「ほーか。この先なんやろな」

「まさか、あなたどこにつくか知らないで飛んでるの?」

 

まさか案内人が行き先を知らないなんて。どう言うことなのか問い詰めた。

「知らないってどういうことよ。ねぼけているの?」

「知らんもんは知らんよー。わて、あの子らの後や辿っとるだけやし」

 

私には見えない痕跡を辿っているだけと知って膝から力が抜けそうになった。魔法って不思議なようで不便でアナログだった。幻想がドンドン壊れていく。もう素直にぶっちゃけた方がいいと判断してわりとボロクソに言ってみる。

 

「うーん。不思議生物の言うことはわからない」

「そういうもんやで。うちらって」

「あの子のことはまじめに育てたい」

「そらええなあ。んであとなー。あの子も選んだらうちみたいになるで」

「選べば、とは?」

 

予想外の言葉がでてきて驚いた。ぎょっとして立ち止まってじっと優しい笑顔を見る。もしかしたは、あの子が物理法則をぶっちぎるような不可思議生物になる?信じられない。

 

「あの子にはどう生きていきたいか選ぶ権利と何を得て失うのかを知る権利があるんや。そんだけ」

 

私達のかわいい娘は人のままで、銃を握らずにすむ人生であってほしいから私達は戦っている。

 

「だとしても、すみれが人のままで生きていけるようにするのが私達の義務だから」

「どっちにしても、うちは応援するで。ほれ、まあちょっとや。行こか」

 

対価をよこせと言うくせに、わずかなもので満足する目の前の人ならざるものは優しすぎる。そんな優しさと我が子の優しさを勝手に重ねて苦笑してしまう。

 

「優しすぎるのよ。すみれもあなたも」

「さあなあ」

 

わざとらしくすっとぼけるのも優しさだと判断して立ち直ることにした。すみれ、迎えにいくから待っていて。



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2063年2月13日11:33 AK-12

子供は無尽蔵の体力を持っている。それを言葉では知っていた。まさか軍用人形の私がそれを身をもって知ることになるなんて。たかが遊ぶだけどたかをくくっていた私は小さな子に散々振り回されてものの30分で音を上げてしまった。そこで私ははじめて命の強さに触れることになる。

 

「おにごっこしよう」

「手を繋いだままでできないわよ」

「しらなかった」

「すみれって物知りで機転がきく子なのに、子供らしい遊びや生活を知らないのね」

「ペルシカさんやヘリアンさんが外は危ないからって、ずっと奥深くに隠れるみたいに生きてたの。そばにいてくれたのはM4お姉ちゃんとかお父さんだけ。ペルシカさんたちは月に一回会えたら運がいいほう。毎月手紙はくれるから優しい人だってのは知ってる」

「M4お姉ちゃん?」

「うん。みんなでとった写真あるけど、みる?」

「みるわ。あと、お父さんとお母さんについても教えて」

 

ポケットからすみれが写真を取り出して説明してくれる。やわらかな蜂蜜色の頬がばら色にそまり、琥珀色の瞳がよりいっそう輝く。その幼い子の幸せに寄り添って耳を傾けた。

 

「おとうさんはこの写真の中で私をだっこしてるし、おかあさんは今私の横でニコニコしてる」

「そっちじゃなくて、生みの親の方よ」

「三歳の時ね。パパとママとその友達のペルシカさんとヘリアンさんとアンジェさんとリコお兄ちゃんでお祝いの旅行に行ったの。そこで空から爆弾が降ってきてパパがいなくなって、ママが探しに行くって私を置いてそのまま。それからずっとM4お姉ちゃんたちに育てられたの」

「そうなのね。人から隠れて生きてたから、勉強はできるけど人の生活はあんまり知らないのね」

「うん。あれから、お父さんもM4お姉ちゃんもみんながいなくなって、誰もいなくて。だからかな。知らない人に連れ去られておどされて、それで逃げたの。おかあさんと出会わなかったら死んでたと思う。おかあさんと出会えて良かった。M4お姉ちゃんやお父さんにもちょっとだけ会えたし。約束もしたの。みんなで海を見に行こうって」

 

物知りで機転がきくのにいざすみれが自分の心情を伝えようとするととたんに拙い言葉になるあたり、ほとんど人と関わることが出来なかったのだろう。そんな予想が簡単にできてしまう。

 

「約束、ね。ここまでくれば海はあと少し。山を道なりに下ってすみれの足だと三週間か四週間ってとこじゃない?」

「おかあさんにおんぶしてもらうし、あちこち見て回りたい。パパとママの生まれた街にも行きたい。道に沿っても山を何度も越える長旅になるのはわかってる。でも、行きたい」

「そう。ならお友達として旅の無事を祈っておくわ」

「ありがとう」

 

この子を取り巻くのは苦しい事態だけなのに、とうの本人と保護者の人形はニコニコしてるだけ。まったくどうかしてるわ。でも、コロコロと表情が変わって素直に楽しいとはしゃぐこの子の顔を見れば許してしまう。負けた気分なのに嫌ではない。でも、後先考えずに私を振り回すのはいただけない。

 

「ねえ、ちょっと休憩しない?」

「やだ。もうちょっと遊ぶ」

 

小さな子はへばった私の手を引いてぷうっと頬をふくらませて抗議してくる。その小さな足は好意で解放してくれた小学校の庭をずんずん突き進む。古びてはいるけどもしっかり手入れされた遊具を指差して言った。

 

「はじめての友達と遊びたい」

「お昼ご飯の時間になるまでね」

「うん。でも、遊びたい」

「すみれ」

「どうしたの」

「雪が降ってきたわ。このあたりは暖かい方だから真冬でも積もらないけど、宿に戻りましょ」

「でも遊びたい」

「でもじゃないの」

「また遊んでくれるって約束してくれるなら」

「約束するわ」

「えへへ。約束ね。ママがね、約束するときにこうするんだよって教えてくれたの。それだけは覚えてる。もう、それだけしか覚えてないの」

 

小さな手が私の手を取ってそっと重ねる。小指と小指をからめてすみれが言うのだ。

 

「約束ね。また遊ぼう」

「また遊びましょう」

「遊んでくれてありがとう。秘密のプレゼント、いる?」

「なかみは?」

「二人だけが知ってるAK-12だけの名前」

 

私達人形は換えのきくたくさんあるものの一つ。それでも、この子のはじめての友達という唯一になる特別感に酔ってみたくなった。

 

「のった。その名前と意味は?」

「あのね」

 

そうっと耳元でささやいた遠い異国の美しい言葉。その意味に唇は弧を描く。美しい雪という意味があるその名前をそっと口の中で転がすとすみれに晴れ晴れと笑ってみせた。

 

「すてきね」

「よかった」

「ふふふっ。かわいい。ほら、おかあさんが心配してるから戻りましょうよ。ご飯いっぱい食べて、めいっぱいあそんで、早寝早起きしてまた遊ぶ。それがすみれの今のお仕事だから。ね?」

「遊ぶためにご飯食べるよ」

「それでいいの」

 

言葉では知ってたけど、駄々っ子の相手ってつかれるのねー。それじゃ、あとはおかあさんに丸投げしちゃえ。ひょいっとすみれを抱えておかあさんに渡す。これでいい。さて、ご飯ご飯。たまにはいいでしょ。あとでM4に自慢してやろうかしらね。



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2063年2月13日 15:15 M4A1MOD3

 最愛の我が子が散歩にでかけたと言い張るAK-12と仲良くおやつを食べていた。すみれに聞けば、滞在している宿の主人が好意で作ってくれたものをかごに詰めて、これまた好意で解放してくれた休校中の小学校まで持ってきたのだと教えてくれた。さっきまでここでAK-12とUMP40の三人で遊んでいたらしい。すみれの表情が生き生きとしているし、怪我や病気もしていない。私を見つけたすみれの笑顔が愛おしい。この子がおやつを食べ終わったら抱きしめたい。

 

「お姉ちゃん久しぶり」

「すみれ。やっと会えた」

 

どう言うことかとUMP40に説明を求めれば彼女も困っているみたいだった。

 

「ねえ、40」

「あー、M4ごめん。あたいにもわかんない。こっそりM16から教えてもらった宿でのんびりしてたらこの顔と性能だけは良さそうなのが来てさ。よくわかんないうちにすみれと友達になった」

 

短期間で保護者が板についたUMP40がすみれの口元を拭いたり、そのままでは食べづらいカスタードパイを切り分けている。今までそれは私のやることだったからなんだかソワソワする。

 

「あついから、気をつけてね」

「おかあさんありがとう」

 

すみれの無邪気な笑顔が見える。今までそんなふうに笑ったのなんてなかったから嬉しい。M16姉さんの紹介で来た安全な場所でやっと笑えるようになって良かった。

 

「私の娘は世界一かわいい」

「あたいの娘は世界一かわいい」

 

かわいい娘の成長を頭に焼き付けながらUMP40と握手。その様子をAK-12が不思議そうに見つめている。本当にわからないと言った表情をしている。人を食ったような物言いをするAK-12の根底に触れた気がする。人にこうあるべきと、作られたようにしか動かない人形らしい人形の姿。私達AR小隊とUMP40が例外なだけで、人形の本質とは、本来ならばこうなんだろう。

 

「人形と人間って家族になれるのかしら」

「それはわたしが決めるの。私達は家族だよ」

 

すみれがきっぱりと言い切った。カスタードクリームとパイのかけらで口の周りがべたべたでもぐもぐしながらだから、とっても説得力に欠けている。でも、我が子のそこがまた愛おしい。

 

「そうね。それは私達が決めること。すみれを守るためならなんでもする」

「あたいだって!」

 

保護者として、家族として覚悟を決めている私達に対してAK-12は首を傾げるばかりだった。

 

「わからないわ。この子と友達になろうと言われて、好奇心からある種の対等な関係性を作ろうとしているのに私には何一つわからない」

「それはAK-12が1から定義すれば良いこと」

「M4。私達人形には創造や創作は困難を極めるのをわかって言ってるの?信じられない」

「できないと言う前にやれ」

「無茶なことを。まあ、いいわ。やってあげる。でもね、その前にM4の後ろでニコニコしてるすみれそっくりの誰かさんについて教えてくれない?食べるとこを見られるのは慣れてないの」

「まだいたのか」

「まだおるで。まだいるやろ?」

 

振り返ると人ならざるものはまだニコニコしている。見れば見るほどすみれそっくりなその顔にギョッとして後ずさる。すみれも自分そっくりなやつがいるとは思っていなかったみたいでぽかんと口を開けたまま固まってしまった。

 

「おやつを食べ終えたすみれを抱きしめて、その後すぐにAK-12の首根っこ掴んで戻るためにいるけども」

 

驚きの余りふるえた声がでてしまった。それでもまだ人ならざるものはまだニコニコしている。

 

「うち?」

「ええ。そろそろあなたを知りたい」

「ええん?」

「すみれのため、私のために知りたいの」

「ええよー。あ、でもM-16ちゃんとAR-15ちゃんとSOPちゃんにはうちの名前秘密なー。うちのこと調べて名前あてるんが対価やし」

「どうしてそこで三人の名前がでるのよ」

「さあ?いるやろと思ただけ」

「さあって」

 

すみれに始まり、どうも私達とこれの血からは逃げられないらしい。諦めて名前を聞くことにした。人ならざるものは契約で縛れば余計なことはできやしないから、聞き出して名前で縛ってしまえば問題はない。

 

「名前をよこせ」

「はーい。こっちきてなー」

 

耳を貸せと誘われて近づく。ささやかれた名前とその意味、改めて聞いたすみれとの続柄をしっかりと己に刻む。血の恐ろしさに舌を巻いたのは秘密だ。

 



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51.2063年2月14日 0:06 UMP45

 私の嫌な予感というのはだいたいあたる。最初、迷子探しの依頼がペルシカとヘリアンから破格の値段と拘束時間が提示されたときにやめればよかった。後悔しても遅かったみたい。

 

「ふー。あー、これ時間かかるやつだ」

 

件の迷子についてアレコレと調べてみる。父母の経歴はどこも黒くはない。変なところを強いて挙げれば国籍と人種がマイノリティの極みの日本人であることくらい。娘の三歳を祝う旅行に友人を連れて行って、偶然発生した火災で死亡。ここまではよくあること。でもそこから迷子の人生はおかしくなった。ペルシカとヘリアンが結託して迷子の存在を秘匿。その後空席のAR小隊の専属指揮官に据えることで最重要機密事項にしてしまう。その前後からおかしなことが増えていく。どう考えてもあの迷子の親戚としか思えない顔と家名の人間がグリフィンがするすると入り込んでは何かを探すかのような動きをしていた。そのうちの何人かはAR小隊の専属指揮官まで上り詰めていた。まあ、あんなおかしいやつらの指揮官だったってのもあるんだろうか作戦中の不慮の事故で死んだことになってる。あまりにもおそまつな調査で何も考えずに死んだと決めつけられた。SOP2から聞けば、迷子はペルシカのラボ棟最奥で隠されるように育てられたらしい。保護者代わりにAR小隊をつけて、ペルシカもヘリアンも自分なりに文通や贈り物をしてはいたもののいびつに育ってしまったと。礼儀正しく、勉強熱心でおとなしいが情緒面はとても幼くて自己主張ができない子供に育ってしまったらしい。

 

「何これ、バカみたい。全部大人の責任じゃない」

 

暖房がろくにきかない古い部屋で一人悪態をつく。背伸びして怒りを静かにため息と同時に吐き出せば、サビの浮いた椅子が悲鳴をあげる。あてがわれた一夜の宿に不満もあったし、ヘリアンあたりに抗議と集めた情報をたーっぷりつめこんだメールを送ってやろうかしら?

 

「どこまであの迷子の親戚としか思えない人間がここまで潜り込んでたって情報聞いたら、どんな顔するのかしら。楽しみね」

 

その不満をバネにAR小隊の専属指揮官の経歴を洗い出す。名前、出身者、生まれた場所はどこの管轄か。それらを一つずつ拾い上げてはまとめていく。

 

「ビンゴ!歴代のAR小隊の専属指揮官も、ちょくちょく現れる優秀な職員もみーんな迷子の親戚。んで、今もその親戚の人が僻地で指揮官やってると」

 

親戚側も探りにきてる。つまり、ペルシカかヘリアン側は何を隠している。そこをつついて遊んでみようかな。善は急げ。親切な私が教えてあげましょう。



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2063年2月14日0:33 UMP45

 「こんな夜中に呼び出すなんて良い御身分ですこと。まあそうでしょうねえ。例の迷子の祖母と叔父と親族の連名で訴えられてるんでしょう?未成年を連れ去って存在を黙っていればまあ、そうなるでしょうね。今年中に引き渡さないとどこまで罪状が膨れ上がるのか楽しみにしていますわー」

 

ペルシカリア、ヘリアントスの二名に対して猫撫で声かつ笑顔でまずはご挨拶。私を呼びつけたお二人がやらかしたことの訴状のコピーをちらつかせれば、さすがにしおしおになって黙る。

 

「ほーんとバカよねえ。守りたかったのなら、もっと違う方法があったはずじゃない」

 

自分の何気ない一言のせいでザリザリとノイズ混じりのあいまいで不安定な音声と光景が脳裏をよぎる。最近多くなっているノイズから生まれる悲しみと痛みから目を逸らして皮肉屋を気取る。そうでもしないと生き残れない。

 

「ごもっともで」

 

ペルシカリアがしょぼくれて視線を手元のコーヒーカップに落としているのを笑って聞き流す。たった一人の子供のためにえらい人二人がわざわざここまで来る理由もついでに聞いておこう。じゃないと割りに合わない。

 

「子供一人にこだわるなんて馬鹿みたい」

「はたからみれば、我々二人はただの馬鹿だろうな。ただのエゴなのもわかりきっているさ。愛しているから」

「カゴの鳥にするだけが愛なの?それとも、残酷な道一つだけを提示して選ばせるふりをさせるのも愛なの?」

「違うはず。きっと」

 

ペルシカリアの気弱な言葉をまた聞き流す。返す言葉を皮肉を笑顔にのせて口にしてみれば、また脳裏にあいまいな映像がよぎる。あの時、とても残酷なことをなぜ私に、いや違う。どうして自分のことのように考えるのか。その疑念を振り払って笑顔を貼り付ける。

 

「お聞かせ願いましょう。例の迷子の個人情報と、背景を。依頼料上乗せで」

手のひらを向こうに差し出せばヘリアントスとペルシカリアは素直に頷いて電卓の電源をつける。そうこなくっちゃ。

 

「ペルシカ、我々の財布から折半で」

「はいよ。ヘリアン。赤字だして死地に飛びこまないと未来は掴めないってわかったし、今はそれだけでいいや」

 

学生時代からの友人のはずなのにさも当たり前のように距離が近くてボディタッチ多めで周囲を勘違いさせそうな、アッツアツのおふたりをさらにからかうためにまた口を開く。

 

「お二人が結婚して迷子を養子にとれば全部丸くおさまるんじゃない。親戚が許せば、の話だけど」

「いいかも。ねえヘリアン」

 

ペルシカリアがヘリアントスの腰に手を回す。へえ、だいたーん。私がケラケラ笑えばヘリアントスがわざとらしく咳払いでごまかした。

 

「ペルシカ。それよりも依頼料、だ」

「ヘリアンのいけず」

 

ニヤニヤと下世話な想像していますアピールをすればさらに反応してくれる。そのわかりやすさにある意味で感謝しながら依頼料の上乗せ分についての交渉にはいることにした。



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2063年2月14日 01:01 UMP45

 実の所意気揚々と表情をとりつくろったくせに、金額交渉については少し難航していた。なんたってペルシカリアとヘリアントスがあれこれと条件をちけてめんどくさいことをしてくるからだ。ヘリアントスが金額を提示すればペルシカリアが条件をつけて、ペルシカリアが金額を提示すればヘリアントスが条件をつける。そのたびに振り出しに戻ってしまう。

「なんなのよもう。埒があかないからじゃんけんで勝った方が金額決めて、負けた方が条件決めて」

頭を抱えてこれまたわざとらしくため息をついたら二人はしょぼんとして小さくなった。まったくもう、大人なのか子供なのかどっちかにしてほしい。

「ほら、はやくして」

「はーい」

ペルシカリアの自称猫耳型ヘッドホンが表情にあわせてぺしゃんとつぶれる。これが16Labの最新技術かあ。おお細かい。

「会議を踊らせてしまったこちらが悪い。すまなかった」

ヘリアントスなんて普段は居丈高な女を演じてるのに、気を抜くとヘタレで接しやすいホイップクリームよりも甘い女だから笑っちゃう。そんなに甘い性格だから私につけこまれるのよ。

「すなおでよろしい」

怖さをのせた笑顔でチョロ甘い性格の二人をさらに威嚇してみる。びびって互いのことを抱きしめるもんだから、もーっと遊びたくなるの。

「ふぅん。ふふふ。おかしいったらありゃしない」

「ふええ怖いよヘリアン」

「まともな話し合いをするんじゃなかったのか」

ほーら、私にかかればお偉いさんだってかわいい女の子でしかない。てのひらで転がしてやれば、簡単にどこまでも転がっていく。人間って本当に愚かだなあ。もっとやってやろうかと考えを巡らせるべきかと悩んでいれば乱暴にドアが開けられた。

「45姉、かなり北の方でM16A1とM4A1にAR-15をみつけたよ!」

9のまさかの一言で私とヘリアントスにペルシカリアの三人は交渉のテーブルを蹴る。どうやらのんびり南へ向かう旅行にはさせてくれないらしい。ヘリアントスは支援部隊の編成のために通信いれて、ペルシカリアはAR小隊を起こすために通信をいれる。うんうん飲み込みが早い人は好き。

「9!」

「みんな起こしたよ!戦闘準備もした」

「いい子ね。ご褒美は何がいい?」

「頭を撫でて。あと添い寝」

「了解。それじゃ、行きましょうか」

「はーい。ついでに詳しい情報の収集しながらおやつにしよう。この前立ち寄った街で買った干しぶどう、まだ封を開けてないの」

「いいわね」

装備を取りに行くとヘリアントスたちに告げて夜を駆ける。はあ、私に静かな夜はいつやってくるのかしら。



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2063年2月14日03:06M16A1

 「昔に戻ったみたいだな」

我が子のためと、休戦までして亡者と機械だけが我が物顔で歩く廃墟の街の上にいる。鉄錆と火の匂いと煙が鼻をかすめる。そのお世辞にも良いとは言えないにおいから顔を背けた。まだ慣れないなと皮肉屋を気取って笑えばM4がふくれっつらでつぶやいた。

 

「ずっとM16姉さんがいてくれれば良いのに」

 

子供みたいにきゅっと眉根を寄せてるのがかわいいからつい昔みたいにM4の頭を撫でてしまう。さらにむくれて頬を膨らませるのがまたかわいい。

 

「私がやるべきことを全てやり終えたら、な。M4、それまでいい子で待っていてくれるか?」

「私はいい子だから待てますけど、年相応にわがまま言えるようになったすみれはきっと待てませんよ」

 

撫でられたままでいたいのかM4は私の手を掴んで離さない。いつまでもかわいい妹なものだから、いつまでもこうしていたくなる。いつまでもこうしてはいられないのにな。

 

「ははっ。成長したなあ」

「からかうのもいいかげんにしてください」

「すまなかった」

 

M4がやっと手を離してくれた。私の方が手を離したくなかったけど、やるべきことのためだと無理に笑顔を作る。そんな私の顔を見てM4が悲しそうにみつめてきた。かわいい妹にそんな顔はさせたくなかったよ。させたくなかった。

 

「M16姉さん。やっと私、思い出したんです。M16姉さんの特別なひとを。すみれによく似た優しいひとのことを」

 

背中に氷塊が滑り落ちるような、とても嫌な感覚がした気がしたんだ。M4はどこまで何を知ってしまったのか、知りたくてでも知りたくない。

 

「いつ思い出したんだ?」

「すみれによく似た人じゃ無い何かと取り引きをした夜に」

「あれに関わるのはやめろ」

 

反射的に否定の言葉を投げつけてしまう。人なざるものとの出会いとつながりは生き物や私達人形の在り方をゆがめてしまう。今ならまだ間に合う。止めないと。

 

「すみれの血縁ですよ。無理な話です」

 

それがどうしたってんだ。私が守らないと。じゃないと、私がここまでやった意味がなくなる。

 

「だから、M4」

「姉さんだって、あの人を取り戻すためになんでもするでしょう。私だって生涯を捧げると誓ってくれた人を取り戻せるならなんでもする」

「それはこれと別の話だ」

 

ぴしゃりと強引に話を切る。そうでもしないと全て言ってしまいそうになるから。

 

「だったら姉さん、その髪と左腕はどうしたって言うですか!左目をなくした理由も何も教えてくれない。私はそんなに頼りないの?」

 

肘から先がない私の左腕を掴んで叫んだ。その叫びに涙と後悔が透けて目を逸らす。涙を流せるほどの性能と優しさを持っているかわいい妹を泣かせたくなかった。自分のこの、ふとした瞬間のこの不器用さと妹をだまくらかす悪行も憎んだ。

 

「それは、その」

 

肘から下を無くした左腕と、雑に切りそろえた髪の理由なんて言えやしなかった。M4が「あれ」とか「あいつ」とか呼ぶ人ならざるものに頼んで、愛する人を冥府まで迎えに行く代償にしただなんて言えない。ああいうものとの取引で、差し出したものは戻らない。後で新しい腕をつけてもすぐ壊れるだろう。

 

「左腕のことを素直に教えてくれれば、ばれるまではAR-15には黙っておきますから」

 

ぶっきらぼうに私に優しくするM4がかわいい。昔からかわらない優しさにほっとした。もうちょっとだけ撫でてやろう。

 

「なんでそこにあいつがでてくるんだ。気が抜けるだろ」

「だって、うちのめんどくさい女筆頭だから」

「お前が言うのか」

「なんのことだか」

 

適度に付き合って、突き放してくれる。私の妹がM4で良かったな。

 

「残念だが、とぼけているヒマはないみたいだな。あの真面目そうなのがAR小隊に新しく入ったやつか」

「たしか、RO635といったはずです。ちょっと前にあいつとの取引のついでに情報をもらいました。

「そうか。私の方でもあいつ経由で情報仕入れるか。なあM4。ひよっこ相手にいっちょ遊んでやるか」

「くれぐれもほどほどに。姉さんはすみれのことになると口が軽いもの。余計なおしゃべりもしないで」

 

M4が武装を軽く見直す。ここでひよっことSOP2コンビと遊んで、すみれがいる場所から大きく引き剥がす。で、こっそりすみれの顔を見に行く。すみれが生みの親の生まれ故郷にたどり着くまで。たった一人の我が子を手元で育てられない親ですまない。

 

「わかってるよ。M4、ごめんな」

「わかってるなら謝らないで」

「ごめんな」

「悲しくなるのに。姉さん、10数えてでますよ」

「はいよ。指揮は任せる」

 

時は戻せないし、失われたものは戻らない。でも、生きていればどうとでもなるから。



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2063年2月14日 07:30 M4SOPMOD2

 ヘリアンさんがあせってた。本来の目的地とは真逆の北方にM16やM4が現れてはからかうように消えていくから進めないらしい。みんな、互いに何をしたいのかを隠してやりたいことだけやるもんだから何も見えない。わかんないまんま、わたしとROは街だった場所を走って、人だったり警備用の機械だったものを踏みにじっていく。かつて生きていた人間がわたし達人形にしていたことを、今わたしがやっているのがどこかこっけいで変な笑いがでちゃう。

 

「すみれに会いたい」

 

てのひらから砂がこぼれ落ちるみたいに人が人形がバラバラになっていくのが見ていられない。わたしの中ががらんどうになって、寒風に吹かれて嫌な音がする気がして居ても立っても居られない。そんなのだからついに生き物なんていない街を走り出しちゃった。

 

「みんなどこいったの?さびしいよ」

 

鉄錆くさい風がROの足音と不安そうな声を運んできたことで、わたしは思考を現実に引き戻せた。

 

「SOP2?さっきから思い詰めた表情でうわのそらだけど、どうしたの?」

「ううん。なんでもないよ。なんでもない」

 

冬の冷たい風が今にも雪か雨が降りそうな黒い雲を連れてくる。この辺りはあったかいから、きっと雨だろう。そんな天気の予測と風がもっと嫌なものを連れてくる予感を振り払うみたいに首を振る。振り向きたくない。今振り向いたらきっと前に進めなくなる。でも、生まれたてでまっさらで何も知らないかわいいROを不安にさせたくないから声色だけはめいっぱい明るくするの。

 

「本当に?」

「えーっとね。なんて言えばいいんだろ。AR-15にM4はやさぐれたけど元気そうで嬉しいの。でも、M16のことが心配。傷痕だらけだし、何より左腕と長くしてた髪の毛がどっかいったのが気になる」

 

ROは気づかなかったか、知らないフリでもしてくれたのか触れなかった。今はそれでいい。

 

「そんなに?私達人形なら、修理すればすぐに元通りになるのに。そんな設備もないままほっつき歩いてるのが心配なことなの?」

 

ROの言うことはわたしたち人形達の中じゃ正しい。でも、常識になっていることを言ってるだけ。わたしの考えていることはそうじゃない。人形は設備と部品さえあれば簡単になおせる。けど、人ならざるものに自分の一部を対価として支払ったらどうなるの?きっとM16はそれをしてまで望んだことがあったら?警戒はおこたらないけど、考えに考える。そしたら、ある一つの仮説がなんとなくできあがった。もしも、M16が人生を捧げる誓いと本当の名前をうちあけてくれた特別な人を取り戻すために何かをしたのなら?辻褄が合う気がした。

 

「うーん。違うよ。なんて言えばいいんだろ。最近ね、どうも頭から離れないことと関係してるんだけども」

「はっきり言いなさい!」

 

ぱしんとROに背を叩かれる。元気付けたいのはわかるんだけどびっくりしちゃう。

 

「ぴゃあ!むー……私達の指揮官をしてくれた優しい人達のこと話したよね」

「ええ。資料はほとんど秘匿されているから、事故で死亡扱いの今はもうSOP2の頭の中にしかいない人達のことね。それがどうしたの」

 

ROがわたしのとなりに立つ。その世界に期待してキラキラ輝いてる瞳がわたしにはまぶしいよ。わたしはもう、そんな期待はすみれに関する事以外捨てちゃったし。

 

「本当にあの優しい人達は死んだのかな」

「上層部が判断したのなら、そうなんでしょうよ」

 

M4たちと誓約の指輪と誓いを交わした三人の顔が思考の端に浮かんでは消えてく。優しくて、あたたくて、幸せをくれた人達。わたしたちの唯一の恩寵は自らを犠牲にしてわたしたちを生かすことを選んだ。それがどんなに残酷なことかも知りもせずに。

 

「むー」

「SOP2ってば」

 

ROが口にする人形らしいっちゃらしい、紋切り型な答えにはさすがにいやになる。いいもん。わたしはわたしで答えを見つける。わたしをわたしが定義して、始まりを作って終わりを作る。他のやつなんて知らないんだから。

 

「はいはい。後で聞くってばー。それに、あの人達からはまだ聞いてないことがいっぱいあるのに」

「何を聞いてないの?」

「本当の名前と、どうしてグリフィンに就職したのか。ずっと何を探していたのか」

「名前を隠すなんて、この仕事じゃよくある話じゃない」

「でも、約束したの!約束したのに、教えてくれる前にみんないなくなった」

 

わたしの手の甲にぽつりと雨が降る。涙を流せないわたしの代わりに雨が降る。私の代わりに空が泣く。

 

「さびしいよ。あんまりじゃない、こんなの。わたしの半分なすみれまで誘拐されて、行方不明になって。生きてて欲しいよ。そばにいてよ」

 

人生を捧げると、誓約の指輪と共に一人ずつのすべてをもらったM4達と私の半分なすみれを取り戻したい。

 

「子供みたいなこと言わないで」

「もう、子供じゃないよ。子供のままじゃいられなくなったから」

 

わたしを心配そうに覗き込むROには不安になってほしくない。だから笑うの。ちゃんと、笑えたかなあ。

 

「SOP2が何を言ってるのかわからないわ」

「うん。それでいいんじゃないかな。あ、静かに。来る」

 

ぞわりと何かが背中を這い回るような感覚、嫌な予感がした。わたしのカンはあたるから。ほらね、来た。

 

「何が?」

「M16かM4かAR-15が」

「アタリだよSOP2。私だ」

「M16!」

 

そこには左腕すらもなくしたM16が悲しそうに笑っていた。



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2063年2月14日07:41 M16A1

「久しぶりだな」

「久しぶりじゃないよ!どこにいってたの!M4もAR-15もいなくなるし、すみれまで誘拐されるし、最悪だよ!」

 

雰囲気や表情が大人びて、憂いを帯びたSOP2が私に苦しみを訴える。私達AR小隊が薄氷の上にそっと築いた幸せと芽吹いたばかりの春の花は無惨にも奪われた。自らの命と引き換えにしてでも私達を守ってくれた人達の顔を思い出しては苦しくてしかたない。でも、悲しむのは後回しにしないと。無理に笑顔を作っては皮肉屋を気取る。そうでもしないと私自身が壊れてしまう。

 

「うんうんそれは災難だなあ。なあ、SOP2。すみれについて知りたくないか?」

「知りたい」

 

すみれについて情報をちらつかせれば瞬く間に泣きじゃくる幼い子供から、覚悟を決めた大人の表情をするSOP2。ああ、成長したなあ。良くやったと褒めて抱きしめたい。でもそれはずっと後。きゅっと唇を引き結んで今だけは悪役を演じないと。

 

「私のことは黙っていてくれて、二人っきり、通信は切ってくれるなら話そう」

「いいよ」

「SOP2!何考えてるの!」

 

人ならざるもの経由で知った、AR小隊の新人の言葉は至極真っ当なことではある。いかにも真面目で、言い出したらテコでも動かないのがわかる。きっと苦労するが、SOP2のいい相棒になるだろう。

 

「私もM16もここでやり合って消耗するのは避けたい。情報を対価にそこそこなところで手打ちにするのが一番だよ」

 

おっ、正論と言ってないだけでうそはついてないを学んで使えるようになったか。戦場ではこれも必要な技能だ。さすが自慢の私の妹。

 

「そうだな。私だって派手な動きはしたくない」

 

正直な所、すみれに関する事は私達には最重要機密情報に等しい。SOP2だって知りたいから必死になって探しているのはこっちも知ってる。だから、ちょっとだけぼかしてすみれが無事だってことを告げよう。

 

「だからといって、戦場に一人きりでしかも通信を切るなんてそんな」

「ねえ、RO635。私を、私達をなんだと思ってるの?」

「でも、いまは」

「変わらないよ」

 

SOP2の揺るぎない眼差しがRO635をきつく射止める。何があっても揺らがない信頼がとても快い。その懐かしさに近い感覚に目を細めてSOP2の次の言葉を待っていた。

 

「ははっ、SOP2は変わらないなあ。それでいい」

「そうだね。RO、装甲車で待ってるカリーナさんとこに戻って。私は後から戻るから」

 

SOP2がRO635の背中を押す。そりゃあもうグイグイ押し出していく。変わらないなあ。その強引さとカンに何度助けられたか。

 

「SOP2!」

「私ってそんなに頼りないかなあ。おねがい」

 

急にSOP2が縋りつくような泣き顔をしてRO635に迫る。それはずるい女がやる動きだ。私は教えた事ないぞ。

 

「もう!今回だけだから。あとでお説教です!」

「ありがとう」

 

RO635が何か言いたそうにしていが、去っていった。SOP2を信じてくれてありがとうRO635。何があればこっそり助けよう。

 

「いい子だな」

「真面目すぎて息苦しくないかって不安になっちゃうけど、とってもいい子だよ」

「よかったな」

「良かった。ねえ、M16。すみれのことを教えて」

「ああ、話そう」

どこからどう話そうかと考えて、口を開くまでの時間がとても長く感じられた。



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2063年2月14日07:55 M4SOPMOD2

 それから、近くて遠い距離のままでぽつぽつと互いの知りたいことをしゃべる。そこら辺に転がってるがれきに腰掛けて遅い朝日だけを見つめて、互いは見ない。今の私達にはそれで十分だった。

 

「あのね」

「なんだ」

「左腕を何に差し出したの?M16から、暗くて冷たい水の恐ろしい匂いがかすかにする」

 

視界の端でM16がちょっとだけ動揺した。匂いについてしゃべったあたりで露骨にM16が視線を逸らしたりどう話題を変えようか口をモゴモゴしてる。仕事以外だとわりと隠し事がへたくそなのがかわいいの。

 

「アイツを迎えに行く対価に左腕と、戒めのために直さないで置いた左眼を人ならざるものに差し出した。それだけの価値はあった。私は娘と伴侶のためならなんでもするし、なんでもやった」

 

二分くらい空を見上げて、じっくり考えてからM16はやっと言葉を絞り出した。こうやって話をしていくうちにじわじわと、M16の運命の人のことを思い出していく。不思議でありえないはずなのに、すとんと腑に落ちる。不思議なことになじみすぎたのかも。

 

「他の匂いもする。うーんと、たしかこの水の匂いはたしか、すみれそっくりのアレかな?」

 

冬の冷たい風にのって覚えのある匂いが鼻をくすぐる。しょっぱさを感じる水の匂い。私がちょくちょく不思議なこと絡みで取引をする人ならざるものからする匂いがした。

 

「それだけでわかるもんなんだな」

「カンは鋭いからね。あとねー、すみれの行方とM16に全てを捧げてくれたあの人が今どうしてるのか知りたい」

「私が知ってるのはわかってるのか。恐ろしい妹だな」

 

ばっとM16が振り返って私の顔をじっと覗き込む。その顔が迷子の子供みたいでぎゅーって抱きしめたい。できたら、よかったのにな。でも、このままじゃだめだから悲しいことをごまかすみたいに胸を張って笑う。

 

「ふふーん。どうだー!」

「カンだけじゃダメだぞ。根拠もないとな」

「根拠?それはわかんないけど、状況証拠ならある」

「言ってみろ」

 

物言いにトゲをわざわざつくるのに、昔と変わらない優しいまんまのが愛おしい。ニコニコしてたら、ふいっと顔を背けられた。残念。

 

「私達が偶然何かに近づくと、AR-15やM4やM16はそこから遠ざけようとするみたいに現れては消えるから。三人がそこまで必死になるのは、今じゃすみれのことくらいだよ」

「正解だ。成長したな。ご褒美にヒントをやろう。私達三人はすみれの行方を知ってる。元気だよ」

「良かった。うん。今はそれだけでいいや。あとね、行方を黙ってる理由ってあるの?」

 

他にも聞きたかったから、聞いてみる。するとM16から予想外の言葉がでてきた。

 

「人を信じてもいいのか、わからなくなった。とくにペルシカさんとヘリアンさん」

 

あのM16に名指しで言われてる時点でもうかなりダメだと考えてるのがわかる。実は私もダメだと考えてる。

 

「わかるよ。理由つけてすみれから逃げてたヘリアンさんもペルシカさんも親になる資格はないし」

「それもあるが、グリフィンが安全じゃないから」

「うんうん……あれ?どういうこと?」

 

何を今更と言いたくなるけど、M16の言葉を待つ。M16は言葉をかなり選んでいるみたいでかなり待った。

 

「何の情報をどこに流しているのかが読めない」

「んー?派閥争い?それとも同業他社?それとも政府への密告?」

「いいや、どれにも当てはまらない流れがある。それが引っかかってしかたないんだよ」

「私の予測以上に闇は深い」

 

あまりのおそろしさに冬空を仰ぐ。この鉛色の空みたいに世界は冷たくて厳しい。

 

「ああ、深いぞー。私は自ら深みに潜って現代のオルフェウスをやって成功したんだから、間違いない」

 

M16は昔みたいに無理して笑顔を作るくせは変わらない。それがつらくて胸がきゅっと痛む。

 

「死の淵の向こうにM16の運命の人はいたんだね。そりゃみつからないし、初めからいなかったことになるわけだ」

「ひとならざるものに左腕と左眼を差し出したかいはあったし、他にも収穫はあった。なあSOP2、いい子にしてたか?」

「してたよ!」

 

こんな時こそ笑わないと。胸を張って、M16の前に出る。笑顔、つくれたかなあ。

 

「そんないい子にはご褒美に面白いことを教えてやろうか」

「やったー」

 

それは純粋に嬉しい。目の前がぱあっと明るくなった気がした。気のせいでもいい。希望がないと。

 

「AR小隊の指揮官をしてくれた人達とすみれは全員親戚」

「そんなの顔見ればわかるじゃん」

「SOP2にはわかるよな。うんうん。あと、これは宿題。すみれのルーツを今から言う所で調べてほしい」

「危険じゃない?」

「動くものはすべて消したから、今のうちなら大丈夫さ」

「M16が言うなら間違いないね!」

「こら、もっと私を疑え」

 

叱られるのも懐かしくて悲しい。

 

「必要ないよ」

「変わらないな。今から言うことをしっかりおぼえて調べるんだぞ。また会ったら教えてくれ」

「わかった」

 

まさかあれほど警備がガチガチで情報とれずに泣きをみて、ペルシカさんに頼み込むなんてこの時は思いもしなかった。



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2063年2月14日09:00 M4SOPMOD2

 合流地点までの道中。動くものはもう何もないのを幸いにしていいことを聞けたと、がれきの上をスキップしながら歩く。雨の中に歌いながら笑えばROが心配そうに建物の影からひょっこり顔を出してきた。叱られるのがわかってしょぼくれてる子供みたいなROがこれまたかわいいもんだから、笑顔でROの言葉を待つことにした。しばらく口元をもにょもにょさせていたROがきゅっと口元を引き結んでこちらをまっすぐに見てくれる。うん。それでいい。

 

「SOP2、あの」

「RO。もどったよ。ねえ、どうしたの?不安そうな顔して」

「無事戻ってきてくれたのは良かった。けど、私の方は逃げられたの」

 

ROはしゅんとしてうつむく。もう、私は怒らないのに。まだ実戦経験もないし、目には見えない事や複雑に絡み合った事情だらけでまっさらなROにはむつかしいのかもしれない。そんなROを励ますために肩を軽く叩いてニカッと笑う。

 

「いいんだよ。どうせAR-15にM4はうまいことROをだまくらかして、行方くらますって知ってたし」

「ならなんで!」

 

ROってばさっきまでしゅんとしてたのに、もうカンカン。その変化が面白いったら!それなりに生きてきた人が若者を見て、「若いな」とつぶやく気持ちってこんなのなんだろうか。私は怒らないってキチンと伝えないと。

 

「私は怒らないよ。もうね、どうしようもないんだよ。何もかも。私達はバラバラになって、たった一人の我が子すら行方がしれない」

「でも、諦めてないでしょ」

 

自分の言葉と冷たい雨がぽたりぽたりと落ちて沈んでいく。でも、私の中にある希望の灯火は消えてはいない。ROの言葉で自分を奮い立たせる。

 

「そうだよ。諦めていない。これからM16から聞けたことをまとめて、ヘリアンさんやペルシカさんに報告する。ROはややこしいことになるから黙ってて」

「今回だけよ。今回だけ。すぐ暴走する子供みたいなSOP2を制御できるのは私だけだもの」

 

片目をつぶってやれやれと笑うROにむっとしたから、頭をなでるついでにぐしゃぐしゃにしてやった。ちょっとだけスッキリしたから、よし。

 

「子育てのために腹を括った私よりも、ROの方がよっぽどおこさまなんだけどなあ」

「そんなことない!ほら、さっさと報告する」

今度はROがお返しとばかりに私の背中をバシバシ叩く。ひどい。ほっぺを膨らませたまんまで後方に待機してるヘリアンさんに通信をいれた。

 

「はあい。こちらSOPMOD2」

「SOP2か。急にどうした」

「M16と接触して、いくつか聞けたことがあるの」

 

何を言うべきで、何を隠して、何を聞くべきか。それだけ考えて口を開く。ヘリアンさんの声を待つだけなのにとても時間がかかったような錯覚におちいった。きっと、私は怖いんだろう。

 

「そうか。一つずつでいいから教えてくれ。要点をまとめるのはこちらでやる」

「うん。あとね、ペルシカさんいるかな?聞いててほしいの」

「いるぞ。さっきまで私達二人は久しぶりに連絡よこした親友に正論でボコボコにされてへこんで泣いてたからな」

 

いつもひょうひょうとしていてつかみどころがないのがウリのペルシカさん。思いもよらない珍しい一面に触れられたもんだから目を丸くした。

 

「どんな内容なの?」

「親友から『すみれとその両親に連絡とれない。どうした?』って聞かれたから今までを素直にしゃべったらこんこんと理詰めで説教されたよ。ぐうの音も出ないとはこのことだった。挙げ句の果てには、『おまえら二人は信用ならん。今から探しに行くから、首を洗って待ってろ』と激怒されたよ。まあ、そうだよな。すみれと向き合わずに仕事を理由に逃げていたんだ。私達は最低だよ」

「うん、そうだね。今からすみれを探しているからマイナス30点くらいだよ。親としての覚悟決めて育ててたのは私達で、ペルシカさん達には親になる資格がなかっただけで」

 

優しさを投げ捨てて事実を突きつける。だって、人間も人形も痛くないと覚えないから。

 

「なぐさめるふりしての追い討ちをありがとう。目が覚めたさ」

「うん。そこは良かったよ。今までのまんまで、すみれから逃げてたら、私達の間に埋まらない凍りついた溝ができてた」

「そうだな。悪かった」

 

それを謝るのは私達にじゃない。すみれに対してだって、それも言わないと。でも、その前に私からのささやかなお願いを一つだけ言おう。

 

「きっとね、人はちょっとくらいは間違えてもいいんだよ。そこから学べば良いんだ。何かを学んで、それをどんな関係でもいいから誰かに受け継いでもらう。そうやって続いていく、繋がっていくのが人にしかできないことだから。いつかさ、私達自律人形を本当の意味で良き隣人にしてくれるまで人が試行錯誤してくれればいいかな。まあ、そこにたどり着くまで私はきっともういないんだろうけどさ。もう、それだけでいいや」

 

いつのまにか現れた表情がしわしわでしょぼしょぼのペルシカさんが涙をぼろぼろ流してなんか喜んでる。へんなの。

 

「私が頭を痛めてうんだ子がいつの間に大人になってる」

「私はね、親だから子供じゃいられないんだよ。ヘリアンさんとペルシカさんが子供なだけ」

 

私達のかわいい娘のためならなんでもやった。今からも、なんでもやる。顔にかかった雨を拭って今回だけはと笑顔で許す。

 

「ごめん」

「私はいいんだけどさ。本当にペルシカさんが謝るのはすみれだよ。本当にヘリアンさんが謝るのは今まで私達の指揮官をしてくれた優しい人達。M16から聞けたこと、聞いてよ。あのね、M16がすみれを匿ってる。元気だって。それとね、M16がね。私達の指揮官をしてくれたあの人達、行方不明からの死亡ってことになってるじゃん。あれね、みーんな生きてるってさ」

 

私がさらっととんでもないことをしゃべるとヘリアンさんが椅子から転げ落ちた。とーっても珍しいものをみちゃったな。

 

「詳しく聞きたいから今すぐ戻ってきてくれ」

「うん。わかった。それじゃ、あとで」

 

へらりと笑ったまま通信を切る。さて、私も覚悟決めておかないと。ROの肩を叩いて退却を指示する。春はまだ遠い。



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2063年2月14日 10:00 M16A1

 雨の中を一人で歩いて、適当な廃屋に転がり込む。崩壊液の汚染がひどくなる予測がたてられて、計画的に住民や都市機能を移転した後の抜け殻の街を一人で。この街だった場所に残ったのは体力に不安の残る人やよほどの貧困層くらいだったらしい。あちこちに残っていた新聞や雑誌の記事をかき集めて人の痕跡をたどっては崩壊液がこの世界をどう覆っていったのかを調べていく。それらと我が子が逃げ惑った道筋を照らし合わせると嫌な考えが浮かび上がる。すみれは崩壊液の汚染地帯を一人さまよった可能性がある。元気なのはいいことだか、崩壊液に免疫か完全に適応できる体質だったら心ない人に狙われてしまう。

 

「不安が一つ増えたな」

 

ひとりごとが雨粒のようにぽつりと落ちては消えていく。ざあざあと強い雨が地面を殴る。これは当分やみそうにないなと悩む。ホコリで白くなった床に視線を落としてじっとしていると声がした。

 

「気になることやあるん?」

 

ふいに鈴が転がるような声がした。はっとして風化しかけた雑誌から顔を上げれば私がよく知る人ならざるものがそこに浮かんでいる。偶然か知らないが私達AR小隊の指揮官をしてくれた人々に我が子に恐ろしいほどよく似たそれは無邪気に笑っている。ギリギリ成人かもしれない女性にしか見えないそれは今度は不思議そうに私を見つめている。得体の知れないもの特有の恐ろしさはソレにはない。どこか懐かしさと優しさを感じて触れたくなってしまう。

 

「何知りたいん?」

「生憎と、私は素寒貧でな」

 

それに対価として支払った左目と左腕をアピールすればくつくつと笑ってあっけらかんと言った。

 

「知っとる。もう取引せぇへん。お前から対価をとるようなこともないわ」

「そうか」

「正直な話な、おまんを一人冥府まで安全に行かせておまんとおまんの伴侶の二人分を連れて帰らせるんに命を削ったから取引はやめたわ」

 

人ならざるものはどっかりとほこりまみれのソファーに座り込む。人ならざるものの綺麗な服が台無しなるんじゃないかと他人事なのにヒヤヒヤしてしまう。他所行きの上品な服、明らかに金がかかっているであろう上品なアクセサリー。そんな格好はこの廃墟には似合わない。

 

「無茶をさせたな」

「そんに関してはもうええかなあ。病弱なんに無理すなやって兄弟子に叱られた方がこたえたし」

「大切に思ってくれるだれかがいるんだな。良かった」

「みな優しすぎるんよ」

「私達くらい優しくないと、冷たい世界に耐えられないじゃないか」

「せやなあ。ほいたら、うちは優し子らを守ろか」

 

人ならざるものが紡ぐ訛りがひどく心地良い。伴侶の訛りにとてもよくにているそれは恵みの雨のように私に降り注ぐ。空いた右手でそっと人ならざるものの頭を撫でる。無邪気に笑ってされるがままでいる所までよく似ている。

 

「優しすぎるんだよ。おまえも」

「さあなあ」

 

あの人も目の前の人ならざるものみたいに優しい言葉と心を持った人だから会いたくなる。見れば見るほど似ているから一つ、疑問を投げかけた。

 

「なあ、一つ聞いていいか」

「ええよ。その質問やったらタダや」

 

何を質問するのかわかっていたのか。恐ろしいやつだな。そこがやはり人でも人形でもない不可思議な存在なのだろう。でも、それさえ聞くことができればいつ壊れてもおかしくはない私の身体を押してでも戦場を行ける。

 

「私達の指揮官をしてくれた人々、私の伴侶、我が子はお前と血縁関係はあるのか?」

「あるで。おまんの伴侶と指揮官はうちの妹二人の孫らでおまんの子、すみれはうちの妹のひ孫。すみれの母とその弟を養子に取ったさけ、あん子はうちの孫でもあるわ」

「恐ろしい事実をありがとう。でもどうしてすみれの母を養子とったんだ?」

「うち病弱や言うたやん?結婚はしたけど、子供は諦めてん。目的は財産の散逸防止と医療費と学費の全額援助やね。あの二人の家族とも話し合って養子に来てもろた」

 

優しい声色にはふさわしくない、今にも泣きそうな笑顔を見てしまった。その決断に至るまでの葛藤がどれほどなのか、私は人形だから永遠にわからない事だ。それでもなぐさめになればいいと、人ならざるものの頭を撫でる。

 

「そうか。だったらお前が探していたのも頷ける事実だな。私達が未成年を連れ去って隠していたと訴えられてもしかたない事実だ」

「あ、おまんらはええよ。やらかしたおまんらの上司らに訴えたし。あと、うちの妹の孫らを潜り込ませてたからわかったしな」

 

ぽかんと口を開けたままの私を見て、あっけらかんと言ってくれた。そこまでしてたのか。それに、もうそこまで掴んでいたのか恐ろしい。

 

「ペルシカさんだけは生かしておいてくれないか」

 

せめて私達を世に送り出してくれたヘタレだけでもと願う。

 

「命まではとらんよ。美味しないし」

「とって食う前提か!」

そこは人ならざるものらしい考え方をしている。なんておそろしいんだ。

「んにゃー。利益がないってだけやわ」

「ならいいんだ。なら」

 

その意味ならいい。現実的でほっとした。

 

「まあ、うちらもほどほどで手打ちにせんと。めんどくさてかなわん本家がでしゃばるまえにどうにかせんとな」

「地縁に血縁が絡み合う面倒さにあるのが人の厄介なところだ」

「せやねえ。うち、途中まで人やったし、まだまだ面倒やわ」

「最初から人ならざるものじゃなかったのか」

「人ならざるものと交わった一族から、たまーになあんねん。人として生まれたのに途中から人間辞めるやつが」

 

目の前の人ならざるものは妙に人間くさくて優しくて、脆い。幼い頃は人として生まれて人として育ったのなら、腑に落ちる。

 

「私の伴侶もそうか」

「いん。でな、すみれも人間のままか人間辞めるか決められるで」

「そうか。でも私としては、人のままでいてほしいかな。わがままだってのは理解してるけど」

「そうけ。ええんやで、お前は優しいまんまでいててな」

「はいはい」

「あんなあ」

「急にどうした」

「あんな、家族になってくれん?絶体絶命やってときに飛び込めるとこ欲しない?」

「厄介ごとで数え役満ができる女にそれを言うのか?」

「おまんのこと好きやねん。うちの一族はそんな女に入れ込むんや。笑うやろ?」

「笑わないさ。もしも。もしもの話だ。そんな時がきたら、家族になってほしい」

「約束やで」

「約束だ」

 

私達二人に雨が降る。傘をなくした私達はもう帰れない、戻れない。それでま進む二人に道はなくても、行かなくては。



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2063年2月14日12:05 UMP40

 あたいは我が子を背負って終わった世界をさすらうものだと思い込んでいた。でも、現実は違った。M16の紹介で隠れ里の宿に行って、M4とAR-15のへそくりで宿泊している。さらには、すみれそっくりの不思議な存在が追加の宿泊料に宿屋の主人一家に多量の口止め料を払ってくれたし。すみれは愛されている。良かった。それだけでもあたいの希望になる。その希望が嬉しくて、ブランコに乗ったまま大地を軽く蹴った。それが楽しいもんだからとなりのブランコでゆらゆらと揺れているだけのすみれに笑顔を向けて話しかけた。

 

「すみれは運が良いね」

「ちがうよ。おかあさんの運が良いんだよ」

 

休校になった小学校を善意で丸々お借りして、思いっきりあそんで勉強する。宿でお弁当とおやつを作ってもらって、お昼にはのんびり食べる。

 

「平和だね。戦場から取り残されたみたい」

「戦わないでいるの、おかあさんはいや?」

「あたいは戦わないでいられるほうがずっといいよ。でもね、一人だけごめんなさいとその理由を言わなきゃいけない子がいるんだ」

「だれなの?」

「うーんと、そうだねえ。親友?妹?ううん、違う。もう一人のあたい、かな?真っ暗な世界にポツンと一人で立っていたあたいの希望の灯火。あたいたちの型番はとっくに廃盤になってるから、かえのきかない唯一無二の存在」

 

ギイ、とブランコの鎖がきしむ音と自分の言葉ではっとする。45は唯一無二の存在だから、生きていて欲しい。それだけを願っていたから、あたいは自分自身を犠牲にした。

 

「いいなあ。あのね、おかあさん。おかあさんのこと、もっと知りたい。わたしのことも、もっと知って欲しいの。もうちょっとでおとうさんとおねえちゃんたちが来るはずだから、そのときにお願い。だめかな?」

 

ブランコから降りたすみれがあたいの服の端っこをつまんでおずおずと聞いてくる。そんなことしなくてもいいのに。そっと小さな頭を撫でてその精一杯の勇気を肯定して笑う。すみれはあたいには笑顔が似合うと言うけど、一番笑顔が似合うのはすみれだよ。

 

「だめじゃないよ。お昼ごはん食べてからにしよっか。ほら、行こう」

 

大きく成長することを願う、今は小さな手をひいて歩く。すみれのお月様みたいにまあるい瞳からじんわり涙がにじむ。今まで平気そうに振る舞ってはいけど、まだまだ子供。今度はあたいも生きて守らないと。

 

「うん。おとうさんともごはん食べたかったな」

「できたら、いいね」

「帰ってくるって約束したから、待つの」

「M16なら約束は守るよ」

「うん」

 

どうか、この子が子供でいるうちに家族が全員無事帰ってくることができますように。そっと小さな願いをこめて、二人で歩き出した。



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62話

私はまだ、憐れみを捨てられないでいる。雨降る世界を見つめて、窓辺で一人物思いにふけっていた。それくらいしかやることがない。

 

「雨は嫌いよ」

 

また適当な場所を間借りして雨宿り。M16が件の迷子の安否を握っているとわかってから、人間はみーんなやっきになって探している。挙げ句の果てに人事異動のために相乗りさせてと、車に乗ってる人たちと私達なんてほったらかし。

 

「本当に、ばかみたい」

 

ポケットにいれたまんまの、いつの誰かから受け取ったのかわからない品物と言葉を捨てられずにいる。ガラスが割れた古びた男性物の腕時計とどこか足りない言葉。捨ててしまえと考える私を制する誰かの言葉。もうどこにもいない誰かの痕跡。右ポケットの中で冷たくなっているそれらに触れながらどこにも捨てられない独り言をつぶやく。

 

「あのとき、捨てればよかったのに」

 

壊れた品物と言葉なんてそこらへんに捨てればいいのに、すがりたくなるような誰かの言葉がそれを邪魔する。無意識に蓋をした過去。その声色も姿形も何もかもを思い出せない、過去から逃げられない。ふるふると頭を振って過去を振り払おうとしたら9に声をかけられた。さっきまで踊りに踊った会議と相乗りしている人たちの謝罪行脚に疲れているみたい。ふらふらした足取りとしょぼくれた顔つきから相当なことがあったらしい。代理で会議にでてくれてありがとうと、言葉とあめだまでねぎらうと9は嬉しそうにあめだまをポケットにしまった。それでも、私の憂いに沈む姿の方が心配らしく私の顔を覗き込んでたずねてくる。

 

「45姉、あのね」

「どうしたの?」

「えっとね。45姉が自分から嫌なことを掘り起こしてるような顔したから、声をかけたの」

 

ちょいちょいと9がわたしの服のはしっこをつまむ。こういうときの9はするどい。だから、肯定も否定もせずに曖昧に笑うことにした。傷つけたくない。わがままだとは分かっているけど、9は知らないままでいてほしかった。

 

「そう見えるの?そっか。心配させたかな。ごめんね」

「謝らなくてもいいよ。自分から傷口を広げるのって、つらいよって言いたかったの」

 

不安そうな9が腕を広げて待っている。今だけはその9の不安に寄り添うことにしようかな。ギュッと9を抱きしめてあげる。そしたら9も私をギュッと抱きしめてくれた。あたたかい。

 

「ありがとう。心配してくれて」

「うん。あとね、私はずっと一緒にいるよ。約束する」

「それは、家族だから?」

 

耳元でささやいてみる。そしたら9が精一杯の勇気を出して否定した。

 

「違うよ。私が、UMP9が決めたこと。雨が嫌いなら、一緒に傘を探そう」

「ありがとう。約束だよ。これからもずっと一緒にいて」

 

9が覚悟を決めて私のそばにいてくれることにほっとする。今の私はその言葉さえあれば戦える。



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2063年2月14日 12:47 M4A1MOD3

 「すみれ」

「おねえちゃん」

 

やっと会えた我が子にそっと声をかける。隠れ里の中でのびのびとしているすみれの顔をみるとほっとした。好意で休校中の古い学校の鍵を借りているから、日中はそこにいると聞いてまたこっそり抜け出して会いにきてしまう。 

 

「元気そうで良かった」

「おねえちゃん。宿の人がね、お昼作ってくれたの。食べよう」

「すみれはキチンと食べて、しっかり遊んで勉強するのが仕事よ。私の分は持ってるから。でも、少しならそばにいられるわ」

 

我が子の可愛らしいお願いに頷いて、児童用の椅子と机を寄せて座る。宿の主人がお品書きまで作ってくれたようで細やかな気遣いに舌を巻く。野菜たっぷりで、どの食材にどんな栄養があってどういう風に体を作っていくのか、野菜の苦味を抑えて食べやすくする工夫などなど。それらが色鉛筆で上質な紙に事細かく書かれている。

 

「これならすみれでも食べられそう」

「おかわりを要求するくらいにたくさん食べてるよ。それにあわせていっぱい遊ぶのに付き合ってるあたいなんか、毎日へとへとで」

 

ふにゃりと笑うUMP40は修復もままならない旅路で不調に悩まされながらもすみれを愛してくれている。

 

「いつもありがとう」

「どういたしまして。まもるものがあるから、戦える。生きる理由をくれたすみれに感謝してもしきれないよ」

 

人はこの子を愛さない。でも、私達だけはこの子を愛して、銃を持たないでいい生き方をさせてやりたい。

 

「すみれ。食べるのはあわてなくてもいいから」

「うん。おねえちゃんと、あとね。かわいい天使の分もねあげたいの」

「天使?」

「おねえちゃんのうしろにいるかわいい天使に、美味しいご飯わけてあげたいの」

すみれが何を言っているのかわからないとふりむけばアンジェがいた。さらに後ろにはとても渋い顔のAR-15にとても楽しそうなAK-12に、きょとんとしたままのAN-94。何が起きたのかと考えを巡らせればすぐに思いつく。

 

「あなたがやったのか」

「せやんねえ。うちやんねえ。でもなあ、あれは事故やねん。うっかりやねん、なあ」

 

ぽやんとした声が聞こえてきて、その後虚空からゆっくりと人ならざるもの姿が浮かび上がる。

 

「私がソレと取引しているところを見られてしまった。すまない」

AR-15ががっくりと肩を落として私に謝っている。でもそれは謝ることじゃない。

 

「それは謝ることじゃないから」

「でも、あのAK-12がフリーズしているのをみていると、こう。バレたことに関してはM4と、AK-12がこうなったことに関してアンジェに対して罪悪感でいっぱいで」

「伝承のなかにしかいないものが現れればそうなるでしょう」

「私達はほら、虚空を飛んでいるアレがすみれや伴侶によくにているからすんなり受け入れてしまっただけで……」

「しかたなのないことよ。AR-15」

「今回はそう、いうことにしておく」

 

納得いってないAR15と私をよそにすみれがトコトコかけていく。

 

「かわいい天使」

 

すみれがとろけるような笑みでアンジェにかけよった。アンジェも親友の忘れ形見をそっと抱き上げて苦笑する。

 

「この子だけは、私を天使だなんてさくらと幹也みたいなことを言わないでほしかった」

「なんで?かわいい天使だよ。ママとパパと天使の写真をずーっと大切にしててよかった」

「すみれ」

「なあに?笑ってて。天使が笑っていてくれたら、それだけで幸せ」

「あの時、私がいれば。親友二人を、すみれの家族を守れなくてごめん」

 

アンジェがとても苦しそうに声を絞り出すあたり、すみれの生みの親のことはずっと悩んでいたんだろう。

 

「ママとパパのことは、たぶん仕方ないんじゃないかなあ。わたしならおんなじことしちゃうと思うし。あのね。おかあさんと、おねえちゃんと天使。ずーっといてくれる?お願い」

「私でいいんだろうか、私で」

「天使がいいの。わたしが好きになったんだよ。きっと、ちょっとしか覚えてないママの弟だって天使を好きなる」

「敦盛を覚えていたのか。私でも数回しか会ったことがないのに」

「家族の写真だけは持ってるの。わたしにはそれしかないから」

 

小さくて純粋な願いを聞いて私達保護者は我が子を守り切ると強い覚悟を抱いた。



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2063年2月14日12:59M4A1MOD3

 何ごとこと追いかけてきたアンジェが、ひょっこり現れて私は驚いているし、アンジェは何もない所からすみれそっくりの人っぽい何かがひょっこり現れたことに驚いている。たっぷり三分ほどアンジェは固まって、やっと頭が現実を飲み込めてきたのかとにかく口を動かし始めた。

 

「何?新手の敵なの?私の親友に化けた敵?」

「敵ではないですよ。AR小隊がお互いに黙って膨大な貸しを積み上げてる何ではありますが」

 

私はもう腹を括って、道中の放棄された街から拾ってきた保存食を口に放り込む。すみれがあわてて自分の分を差し出すが、やんわり断って食べさせる。私に命はないけれどこの子が私達AR小隊の命だと言い切ることができるだろう。

 

「何かって、何よ。ハッキリしなさい」

「人がお伽話の中にしかもうないと思い込んでいる、人ならざるモノの一つ」

 

横から人ならざるものがニコニコしながら私の顔をじーっと覗き込んできた。そんなにこの味がしないくせに吐くほどまずい保存食が食べたいのね。少しはくれてやるかと食わせた。そう。泣くほど嬉しいの。もっと食べればいいと渡せば逃げた。まずくても食べないと生きていけないのに、贅沢ね。

 

「そんなの、あるわけないじゃない」

「信じるかはアンジェしだいですよ。私だって完全に理解しているわけじゃない。でも、ハッキリ言えることは一つだけ。コレは誰かの姿を真似ているわけではない」

「せやで。うちは最初からこの顔や」

 

人ならざるものがやっと口を開いたか。が、これはこれでうるさい。話題を変えよう。

 

「まあ、それはいいんですよ。どうでもいい。私達の代わりにすみれを育ててくれているUMP40に聞きたいことがあるの。あなたがいままで何をしてきたか、人で言えばどこの生まれか。その不自然な頭の傷のことも」

 

今まで触れなかったUMP40の根底に手を伸ばす。覚悟を決めた私をちらりと見て、UMP40はふにゃりと笑った。このしょうがないなという笑い方がどこかM16姉さんに似ていて胸がきゅっと痛む。

 

「うん。そうだね。M4には話してもいいかも。長くなるけどいいかな?遊ぶために借りてきたチョークと黒板使わないと説明は難しいと思う」

すみれが食べ終わったことを確認してから借りたチョークをカバンから取り出す優しさが嬉しい。

 

「ええ。アンジェ」

「時間ならあるわ。私だって知りたいし。乗りかかった船、よ」

アンジェが頷き、AK-12やAN-94に適当な椅子に座れと指示を出した。

 

「ありがとう。それじゃあ、聞いてくれる?あたいともう一人のあたいと言っても過言ではないの親友の始まりと、ある意味での終わり。そして、どうやってここまできたのかって言う蛇足を」

 

UMP40の手の中の白いチョークが繊細な文字を書く。美しい絵とわかりやすい地図、存在を消された人形にとっては残酷な歴史のひとかけらが私達を彼女の今までに引きずりこんだ。

 



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2063年2月14日13:49 UMP40

 あたいの細い字が黒板を埋めていく。人で言えば生い立ち、あたいと同時期に製造された45のことも。あたいの覚えていることから45のことを思い出して絵も描いた。黒板の端っこの45の似顔絵はあの頃の不安の中にいる迷子みたいで胸が痛む。それでも説明するのをやめない。あたいがいなくなっても、だれかがこの消された歴史を覚えている限り残り続ける。

 

「後から少し調べたんだけど、ホントは鉄血工造製なんだけどだれかが何かのためにあたいと45はI.O.P.社製に見せかけてグリフィンに納品されたんだ。だから、あたいと45に同型人形なんてないしあう部品なんてないから壊れたらそれっきり」

 

他に聞きたいことはないかと言いたくて振り返ればすみれが不安そうにしていたものだから、呼び寄せる。

 

「おかあさん」

「どうしたの?おいで。あたいはここにいるよ。もしかして、不安になった?すみれがおとなになるまで元気でいるつもりだからさ」

「ずっとそばにいて」

「あたいにどれだけ時間が残っているかわからないけど、これからの時間を全部あげる」

「それだとつかれるよ」

「息抜きもするよ。疲れたらその時はM4たちがいる」

「よかった。あのね、おかあさん。わたし、やりたいことができたの」

「うん」

「天使ってふわふわとんでっちゃうってわかったの」

「うん?」

「だからね、天使とけっこんする」

 

子供特有の独自の世界観と言語で語られているから、あたいはうまく飲み込めなかった。でも静かに考え込んでいたアンジェさんにとてつもない爆弾が落ちたようだった。すみれから分けてもらったお茶を飲んでいたアンジェさんがそれはもう派手にむせた。これは気の毒。

 

「アンジェ!」

 

目を閉じているあきらかに強そうな人形AK-12が動揺したままアンジェさんにタオルを差し出す。

 

「……親子揃って同じこと言わないで欲しかった。さくらなんて、ああ。この子の母なんだがな、夫と結婚していなかったら私に求婚していただなんてよく大声で言うもんだから……頭が痛い」

「だいじょうぶ?けっこんする?」

 

いや、それはどうかと思うよ。そこに関しては親として教育を施さないといけない。

 

「結婚しない」

 

アンジェさんが冷静に、それはもうきっぱりと断った。そりゃそうだ。

 

「ふえ」

「すみれだけは泣かせたくなかった。おいで」

 

今にも泣きそうなすみれをあやすために、アンジェさんに任せる。こんな時はあたいじゃ無理だ。

 

「やだ。天使とけっこんする」

 

すみれはギュッと抱きついて離れない。この子はそれだけ愛情に飢えていた。これだけはあたいたちだけじゃどうにもならない。この人に少しでもすみれと一緒にいてもらわないと。そのためにあたいは何ができるだろうか。

 

「結婚しなくても私はここにいる」

「でも、天使はとんでいくから。そばにいて」

 

生みの親のことを知っていて、愛してくれる人を失いたくないんだろう。だから、わがままなんて言わないおとなしいこの子がここまでするのを止めなかった。M4達も止めなかったし、あたいも野暮ってものだからここは口を挟まない。

 

「ほんとうに、どこまでも親子そっくりね。大丈夫よ。何があっても、どんなことになっても守るから」

「だったら、お願い。そばにいて」

「それができれば、どんなによかったか」

「もしも神さまがいたら。なんでもねがいがかなうのに」

「神なんて最初からいない」

 

子供のささやかな願いを言うことすらできないのかと、肩を落とせば隣までよってきてくれたM4が予想外のとんでもないことを言ってきた。

 

「神はいないけど、使えるものなら知っている。アンジェ、私に手を貸して欲しい」

 

M4?腹を括って何をするの?あたいはちょっとこわい。



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2063年2月14日14:12 M4A1MOD3

 「私にいい考えがあります。でも、その前にもう一度詳しく聞きたいことがあるの。ねえ、40。あなたが親友と別れることになった事件。その瞬間に何度がって今ここにいるのか。どんな人や人形と出会って彼らがどうなったのかを」

 

書きかけの黒板の文字を指差して、グリフィンやアンジェが蝶事件と呼んだ事の顛末についてUMP40にたずねた。UMP40がこくりと頷いて彼女の歴史のかけらを黒板につづる。

 

「実はね、あたいと45にウィルスがしかけられていたの。でも、45はあたいの子機って位置付けだったからあたいが消えれば45だけは生き残れる。だから、だからあの時に自分が自分でいられるうちに終わらせてと願って45に銃口を向けさせて。それで、45はあたいを撃ったはずだった」

 

か細い声が一度止まる。UMP40が頭の包帯を解いて私達にみせた。そこには、頭を貫かずに真上に逸れていった弾痕があった。

 

「45が射撃が下手だったのと、やっぱり撃ちたくなかったみたい。逸れてあたいは吹っ飛ばされて頭を強く打った。それで人間で言う仮死状態になって、それをウィルスのシステムは死亡と判定した。そこまでなら、あたいは死んでたんだけどさ。そのあと建物の崩壊からの漏電事故があって、そのショックで復旧したの。うん、あれは奇跡としか言えない」

 

黒板にコツコツと文字が書き足されていく。その文字を目で追いながら、我々もそれは奇跡だと頷く。

 

「その後この終わりかけの世界をさまよう中、すみれと出会って家族になったと」

 

UMP40が話を続けやすくするために、彼女の言葉に私の言葉をのせる。それがとても嬉しかったようで年頃の乙女のようにはにかむUMP40。どうやら緊張しなくなったみたいで良かった。

 

「うん。そう。45みたいで見捨てられなかった。今は出会えて良かったよ。うーん。あとは、そうだね、あの時に」

 

思案を重ね曖昧な笑みを浮かべたUMP40が糸を手繰るように過去を書き連ねている。その途中、ふいに手が止まる。どうしたのだろうか。どこか痛むのか。

 

「40?どうしたの?」

「頭を打った衝撃で記憶が欠けてることがある。あたいと45はね、あの日にこの人に何かと言葉を託されて……。あたいは45にその何かと言葉を託して、何があっても忘れるなって言って」

 

UMP40の細い指の先のチョークがとある人物を描くと動揺したアンジェが反応する。正直な所、いつも冷静な彼女がこれほど感情を露わにするなんて初めてで誰も動けなかった。

 

「リコ!」

「知ってるんだ」

「学生時代からの友人だった。すみれの両親とも友人で、赤ん坊だったすみれを最初に抱いたやつでもあるの。贈り物を山ほど用意するくらいに、すみれを自分の子供みたいにかわいがってたのに」

 

がっくりと肩を落とすアンジェを慰めたくて頭を撫でる。すみれ、AR-15もAK-12にAN-94もアンジェを慰めたくてひっつく。アンジェは普段そんなのはいらないって言うだろうけど、こんな時は違う。やりたいからやる。だれがなんと言おうとアンジェに味方をする。我が子を愛してくれる人を私は愛すると決めた。

 

「すみれ。良かったね。愛してくれる人がいたよ」

 

アンジェの言葉からやわらかい表情に変わったUMP40がすみれに笑いかける。我が子を愛してくれてありがとう。あなたがいるから戦える。

 

「おかあさん。うん、わたしはひとりじゃない。つかれたからだっこ」

「おいで」

 

すみれも楽しそうにUMP40にかけよるのを見られるだけで胸があたたかくなる。これは言わないと。次はいつ会えるかわからないもの。

 

「すみれを愛してくれてありがとう。40がこうしてすみれを守って育ててくれるから戦える」

「こっちこそ、大切な子供を託してくれてありがとう。守るものがあるからあたいは戦えるんだ」

「私こそ感謝しないと。UMP40、M4、AR-15。ありがとう。親友夫婦の、私達の希望を守ってくれてありがとう。やるべきことを決めたわ」

 

慰めが効いたのかアンジェが拳をぐっと握りしめた後一人ずつ私達の頭を撫でてくれた。立ち直れて何より。さあ、戦おう。

 



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66. 2063年 2月14日 23:52 RO-635

 どうも風が強い夜だからだろうか、寝付いたとしてもふっと目が覚めてしまった。私は最初から波瀾万丈なものだから、敏感になりすぎてしまう。いや、うして中央から辺境へとひた走る今だけがきっとおかしいんだろう。そう思い込むことにしておく。

「ホットミルクでも飲んで寝ようかしら。暇つぶしに過去の資料を読むのもいいかも」

隣でぐっすり寝ているSOP2を起こさないように唇の動きだけで言葉を作ってあてがわれた宿舎をでる。廊下にでてみれば、電球が切れる兆候を示す明滅を繰り返すオレンジ色の常夜灯だけがぼんやりと古い廊下を照らしている。

「崩壊液の影響か、急激な気候変動でかなり暖かくなってるとは言えまだ寒い。上着を持って来れば良かった」

横たわる静けさが怖くてまたひとりごとを夜に置いていく。足音をたてるのもなんだか気が引けてゆっくり歩けば、何も持たない私はふわふわと夜闇に沈んでいく。ぷつりと常夜灯が切れても夜を歩けばふと気づいてしまう。

「帰り道をなくした?いや、そんなことはない。ここは狭い。なのにどうして。生まれてからこんな変なことことばっかり。お化けなんていないのに。もういや」

振り返ってもと来た道を歩こうとしたその時、聞き慣れた声が引き止める。

「だめだよ。こっち」

夜の闇から見慣れた姿がすうっと浮かび上がる。黒い夜のなかに無機質な白い肌に夕焼けよりも赤い瞳、薄い唇が弧を描く。

「SOP2じゃない。何?」

咄嗟に誰か、ではなく何かを問う。こんなおかしな夜に出てくるのは大抵ろくでもないモノだと、そんな予感がしたから。

「あたり。危ないから今回だけは部屋におくってあげる。もう夜に出歩いちゃダメだよ」

SOP2の姿を借りた何かの姿が揺らぎ、元来の姿を私に見せる。その姿が過去に見たAR小隊のために命を尽くして消えた人々に似ているものだから、その人たちの名前をつぶやいてしまう。ぼんやりした光を放つ白銀の瞳、紺碧の鱗を持つ魚のような下半身をした何がくすりと笑う。

「違うよ。まあ、いつか会うから。そのときまでおやすみ」

人ならざるものの柔らかく甘い声が私の耳にすっとしみこんでいく。とても危険な誘いなのに急に眠くなって足元がおぼつかない。

「ねるわけには」

「おやすみ」

眠気への抵抗もむなしく、やわらかい胸にだきとめられた。針よりも重いものを持ったことがないんじゃないかってくらいの優しい手に頭を撫でられる。

「いつか、あばいてやる」

「ふふふ。いつか、ね。おやすみ」

甘い誘惑と共に夜が私にも降りてくる。ささやかな抵抗を残してこの後目覚めると朝だった。あの夜を始めとして、何が起きたのかとSOP2に聞いてみれば人差し指を口元に当ててやんわり止められてしまった。

「SOP2!」

「女の子には秘密って武器が必要なの」

「あんなに、迷子の子と今までAR小隊のために尽くして消えた人たちにそっくりで怖い」

「それは、まあ。知らない」

何かを知っていそうなSOP2が目を逸らす。これは見逃せない。さっさと情報を吐き出せと詰め寄るもかわされてしまう。

「ちょっとだけ知ってますーって顔で知らないはナシ!」

「詳しくは知らない。これ以上は本当に秘密ってことにしておいて。それにほら、行かないと怒られる時間だよ」

「むー、今回だけよ!今回だけ」

いつもみたいにはしゃぐSOP2に引きずられながらまた朝が来る。今回だけは聞かないでおくから。また、夜が私を拐うまで聞くのは後にしておこうか。



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2063年 2月15日 04:00 アンジェリア

何かに呼ばれた気がして夜明け前にふいに目が覚めた。AK-12が何事かと起き上がる。私は散歩とトイレといつものように言えばそのままAK-12はぱたんと倒れるように眠る。器用なやつだと笑って、一時のねぐらにしている廃墟をでた。

 

「寒い」

 

歩き出してすぐの視線の少し上、離れた廃墟から何かしらの気配が動く。そこからよく耳にする声がした。M4が音もなく着地して寄り添ってくる。護衛としてついてくるのだろう。そのままにしておく。

 

「アンジェ」

「散歩よ散歩。あと、トイレ」

「トイレは反対側だけど」

「……呼ばれた気がしたから、行くだけ」

「何に」

 

何かと聞くあたり、M4はおおよそ察しているようだった。いや、うっすらと知ってはいるのだろう。そのまま話を続けながら霜をサクサクと踏んでいく。

 

「親友とその娘みたいに、私のことをかわいい天使と呼ぶ何かに」

「アレですか。私も用があるのでついていきます」

「好きにしなさい」

「ええ」

 

言葉もなく歩くこと数分。空気が変わった。廃墟近くの鉄錆くさい冷え切った晩冬の森から、澄んだ水の匂いが満ちる春先の森の空気へと。それに触れたその瞬間親友夫婦の笑顔を思い出す。妖精みたいに純真無垢で残酷で愛情深い、まるで恵みの雨のような二人。もう会えないことがまだ信じられなくて、信じたくなくてそっと視線を足元に落とす。

 

「この空気、どうしてかしらね。すみれの親で私の親友のさくらと幹也を思い出すの」

「あの子からもこんな恵みの雨みたいな気配がするし、アンジェを天使と呼ぶ何からもそんなそっくりな気配がするわ」

「雨が降っているような音と空気の湿り具合なのに、晴れているのが不思議なのに怖さはないの。さくらがまだそばにいるみたいな心地よさ。そうね、さくらが一番最初に私を天使だなんて言って、それで、あの二人だけが私から目を逸らさずに愛してくれた。何も返せていないのに」

「アンジェ。愛ってのは返すものじゃないの。誰かに貰った愛に自分の愛を一つ足して誰かに注ぐものなの。ペルシカさんが忙しさを理由にすみれから逃げてて、私たちが育てていたあの日々のなかでみつけた答えがこれ」

「いい答えね」

 

ささやくように昔を語り、愛の意味を知り決意を新たに人なざらるものの領域にどんどん突き進む。距離や時間なんて意味をなさない空間の中を少し行くとぱっと視界が開けて広場みたいになっているところに出た。その先に私を呼び、M4が用事があると言った人ならざるものそこにいた。

 

「久しぶりやんねえ」

 

さくらによく似ているが、少し低くて雨音に似た不思議な響きの声がすっと私に届いた。上半身が白で下半身が赤い見たこともないような服なのに未知からくる恐怖もない。何が起きても、それはそういう存在だとなんとなく受け入れてしまう静けさの中、M4が真っ先に疑問を投げかけた。

 

「アンジェを呼んだ理由は何」

「うちな、天使にお願いがあんねんな」

 

さくらに似たとろりと甘い声が私に何かをねだる。心の弱い渇き飢えた私には甘い毒である声色が、己は妖精の末裔だと言ったさくらのしたようにそっと私の心のうちへ注がれる。

 

「こっそりすみれを守ってくれんけ?この条件でよかったらな」

ふわりと宙に浮いたままやってきた人ならざるものが白い紙を広げて私達に見せてきた。そこには目を見張るようなことがずらりと書かれている。

「この護衛契約……アンジェや私達に有利すぎる」

「そうね。契約書の通りなら資金に人材も豊富に提供してくれるみたい。私の旧友のペルシカやヘリアンに知られないように期日ぴったりに決まった場所へ、以前から決めていたもっともらしい言い訳を携えて護衛すれば良い」

何を考えているのかと渋い表情を私とM4が向けると人ならざるものは無邪気に笑うだけ。

 

「人助けと愛に理由はいらんねや」

 

そのふんわりと柔らかい笑顔が記憶のどこかにひっかかる。思い出すためにさくらとの会話を必死にたどっていく。ふっと、さくらがある日見てせてくれた写真のこととそこに写っている人のことが記憶の奥底から浮上してきた。さくらの言葉がよみがえる。「学生時代、学費を援助してもらう代わりに弟と一緒に子供のいない大伯母の養子になったの。この人よ。小柄でかわいらしい人でしょ?優しくてあったかくて強い人なの」

さくらの声色を。もうすっかり忘れてしまったことが悲しくて仕方ない。でも、言葉はまだ覚えている。その言葉を、問いかけたくて口を開こうかといった瞬間にやんわりと人ならざるものに止められた。

 

「まだ言わんといて。うちのこと調べるんはあとでな。こん子への宿題やし」

人ならざるものはM4を指差して私に何も言うなと暗に示す。まあいいかと頷いておく。そうでもしないと、守れない。

 

「わかったわ。親友の忘れ形見を守れるなら悪魔と契約する」

「うちは悪魔とちゃうけんどなあ。まあ、ええか。頼んだで。書くんは今つことる名前でええよ。あーとうね。ほんにかえらし天使やんねえ」

 

ただ悪魔が提示する契約書にサインしただけなのに、触れるだけでほろほろと崩れるような砂糖菓子みたいな甘い声が私を褒め称える。そのさくらみたいな心地よさに縋りたくなったけど、振り払ってキッチリと宣言だけはしておかないと。

 

「それでも、わたしはあなたの思い通りにはならない」

「いん。そうけ?まあ、契約成立や。よろしゅうな。うちを契約の範囲内で使い倒しよし」

 

契約書を懐にしまったひとならざるものはのほほんと笑って溶けるように消えていった。嵐みたいに去っていったそれにあきれながらM4に戻ると告げてくるりと森に背を向ける。不思議はどうやら逃してはくれないみたい。

 



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2063年2月 15日 7:00 UMP40

 すみれに野菜たっぷりの朝食を食べさせながらぼんやりと財布の中身について考えを巡らせる。

 

「そろそろ貯めてたお金がなくなってきた。宿代どうしようか」

 

小さくつぶやいてしまったが、すみれを不安にさせたくない。なんでもないよとおどけるように笑ってごまかした。何かしらで稼いですみれを守るための手段を作らなければいけない。どうすべきかと現実的ではない案だけが頭の中をぐるぐると回っては消えていく。打開策はないかと視線を巡らせれば給仕をしてくれている宿の老婦人と視線がかち合った。

 

「宿代でしたら、ずいぶんとまえにうちの総領が「いつか現れる困っている人のために宿代を立て替えておくから」ってちょっとじゃない額を貰ったのでこれ以上はいただきませんよ」

「総領?」

「わたしのいとこのあだ名ですよ。本当は跡取りの男性のことを総領って呼ぶんですけど実家の家系は長女が跡取りだからそう呼んでいます」

「大層なお家なんですねえ」

「そんなお家って言われてたのは第二次世界大戦までの遠い昔のことですよ。本当にお金持ってたのは本家で、分家の私たちは平凡なとこでしたねえ。あらやだ。長話しちゃって。それよりおかわりどうですか?」

「いただきます」

 

宿の老婦人がスッとさがる。至れり尽くせりでどこか後ろめたさが湧いてくるがスープと共に飲み込む。からになった皿をそっとテーブルの脇に置いて裏の畑でとれたほうれん草で作ったと言うポタージュのおかわりをお願いする。野菜たっぷりで濃厚なのに優しい味がじんわりと広がってほっとした。ここの食事はどれも近辺の畑の新鮮な野菜と山野を駆け回る獣と川魚から作られる。ふかふかで敵のいない宿でぬくぬくと過ごしながらこの集落のことを少しずつ頭の中で書き留めていく。

 

「ひと、すくないね」

「そうだねえ。たまたまかなあ」

 

すみれが遠慮するみたいにそっと口にした。隠れ住むように山奥にまばらに家が建っているだけの集落、避暑地と療養所を兼ねたであろう温泉宿、小さな学校、異常気象で変化した温暖多雨な気候。そのせいかほとんど霧に包まれる里。霧が晴れるたびにどこか違って見える景色。ここはどこをとっても静けさと不思議に包まれている。

 

「不思議だね」

「絵本みたい」

ふわふわと霧の中をさまようみたいにポツポツと言葉を交わしていると会話を割って入るみたいに雨音が親子二人のなかに降ってきた。

 

「おかあさん、雨降ってきたね。おとうさんが心配」

「そうだね。あたいも心配」

なんだか、M16を心配するすみれの心の中にも雨が降っているみたい。親だからとかそんなの抜きにそんなすみれに寄り添っていきたい。すみれの不安をどう和らげるべきかと言葉を探すけど見つからない。不安のなかでもすみれはきちんと食べているのかとお皿に落とした視線をあげたその瞬間、静けさは壊れて嵐がやってきた。

 

「ごめんください」

カランコロンとドアベルがかわいらしい音を立てて不意の来客を知らせる。その声の主にはっと顔を上げたすみれが食事もそこそこに出口にかけよった。

 

「おねえちゃん」

「すみれ。久しぶり。でも、ちゃんと食べないと。ね?」

 

青ざめた顔をしたずぶぬれのM4がそろりと宿に入ってきた。きっと一人だけじゃないだろうと首を伸ばして外を伺えばアンジェさんにAK-12、AN-94、AR-15がずぶぬれで立っていた。あたいがアンジェさんに風邪をひくと言おうとする前にM4が、老婦人と入れ違いになって食堂に入ってきた宿の主人をみつけて頭を下げた。

 

「宿の紀伊、その主人の御守春海(みもりはるみ)さんでしょうか。お知り合いの方から紹介状とお金を預かっています」

「それは妻の名前です。すぐに妻を呼んできますね。そのやり方でだれの紹介なのかはわかっていますよ」

 

あたいが勝手に宿の主人だと思い込んでいた老人はそうじゃないとわかってびっくり。こっそり老人を引き止めて聞いてみると、奥さんは経営者兼給仕で旦那さんである老人は料理担当、子供夫婦は清掃と備品管理、お孫さんは経営者になるべく通信制の学校で学びながら宿で働いているとのこと。人は見かけによらない。よし覚えた。宿の老人が奥の厨房へと入った隙を見計らって声を小さくしてM4に聞いてみた。

 

「どうしたの?」

「アンジェ経由で仕事を受けただけ」

「内容は」

「すみれの護衛」

「大丈夫なの?」

「アンジェが言うには依頼人の身元はなんとなくわかったけど口止めされてるから言えないって」

「あたいはどうすれば良いの?」

「そのまますみれの母でいてほしい」

 

あたいの居場所はあるんだ。良かった。イカリをなくした船みたいなあたいがやっと世界に存在するっていう実感を得た。こっくりうなずくとM4はふんわりと優しく笑った。

 

「お待たせしました。私がここの主人です。あの人のことですから色々と書類をあなたがたにお渡ししているはずです」

なるべくおだやかな言葉を選んだ宿の老婦人が緊張した面持ちでM4にたずねてきた。

 

「紹介状ともう一つ渡して欲しいと言われたものがあります」

 

M4がビニール袋に何重にも包んだ豪奢な封筒を丁寧な所作で宿の老婦人に渡す。老婦人がエプロンでビニール袋の表面を拭いてから封筒の中身に目を通し始めた。彼女は二度、三度と間違いはないかと文章を何度も読む。

 

「依頼人はわかりましたが、口止めされています。この封筒の内容ですがみなさんの宿泊費を依頼人が全負担することと、我々従業員は何があってもここにいるみなさんのことを隠し通すこと。依頼料は封筒に同封してある小切手から支払われると……」

 

宿の老婦人が手元の小切手をみたとたんに倒れそうになるが踏み止まる。

 

「どうしましたか?」

「家と土地が一括でポンと買える額の小切手なんて初めてみましたわ」

 

その言葉にここにいる全員が凍りついた。

 




登場人物の家系図作成時に、苗字を間違えていたので修正


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2063年2月15日 8:27 UMP45

やけに静かな森の中を私達404小隊だけで進んでいく。うっすらと霧がかかる山中は獣の息遣いすら聞こえない。

 

「45姉。あのね、昨日ね。ずーっとグリフィンの偵察部隊とドローンからの情報とM4たちの出現情報と、私達があの時そのまま進んでいたらどこに行き着くのかを机の上に並べてみていたの」

「それで?」

「あのままうっかり進んでいたら軍の基地とか研究施設とかにつっこむところだった」

「ふうん。あいつらは私たちの邪魔をしたいけど、生き残ってほしいのね。めんどくさいやつら」

 

何か言いたそうな思春期の子供みたいな事を口にするが、ひやりとしていた。まともな装備も持たず詳細な地図もない、ただ闇雲に進むだけの道中で軍と出会ったら私たちなんて簡単に捻り潰されて終わる。そんなことにならなくてよかったと口の中で言葉だけ作っては不安と一緒に飲み込んだ。ちらりと視線を斜め後ろに向けると9が何かをずっと考えているみたい。

 

「45姉」

「なあに」

 

私に続いて9が大地を蹴る、軽くてちいさな跳ねる音がした。足元には動植物が作った穴や沼だらけで歩きにくくて嫌になる。416が小さく山を行くことへの不満をもらしたが知らないふりをしておく。これだから都会っ子はいやになる。

 

「アンジェさんに連絡とれる?」

「やれるだけやっておくわ」

「あとね。ずっと45姉、働き詰めで考え事ばっかりしてるのが心配なの」

「うん?」

 

表情にでていたのかな?わからない。でも、9は心配性なところがあるしどうすべきか。思考が定まらないでいると何かを覚悟した9が私に一つ提案をしてきた。

 

「45姉。定期報告、まだでしょ」

「そうね。休める所を探すわ」

 

416とG11に合図して足を止めさせる。

 

「ここらへんで30分ずつ交代で休憩ね。ついでに私は連絡をいれて、情報を仕入れてみるつもり」

 

私の合図でまず最初に416とG11が休憩に入る。私と9は離れた位置に散開して互いの死角になる角度を補うように立つ。休憩中の二人はポケットやカバンから軽食やお菓子を取り出してつまんではいるものの警戒はゆるめない。

 

「45姉。このあたりで動くものって言ったら牧場だった場所から脱走した動物くらいしかいないね」

「生きている馬に牛なんて初めて見たわ」

「ねえねえ、馬って乗れるんでしょ?やってみたい!」

「あのね、9。私達人形と違って生き物には訓練が必要なの。人になれる訓練、その先にある人を乗せて走る訓練にとてつもない手間と時間がかかるの。野生化した馬には乗れないわ」

「えー、つまんない」

「ほらほら、警戒をゆるめないの!」

「はーい」

 

かわいい妹をたしなめてから、銃を握り直す。最近、雇い主であるアンジェリアとも連絡はとれていない。大きく重たいため息をついて、ポケットの中に手を突っ込んで携帯端末を探す。冷たい端末が私の考えを現実的な方向に引き戻してくれた。

 

「こんなとうの昔に終わった世界の、果てみたいなところまできてどうなるのかしら」

 

アンジェリアがすぐにでてくれることを願って空を仰いだ。



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2063年 2月15日 10:00 アンジェリア

ずぶ濡れもいいところだったから、お風呂を借りて宿泊客用ラウンジでくつろぐ。AK-12とAN94は私と入れ違いで入浴になるから、ここにいるのはM4と AR-15だけ。休める時に休まないと、そんなふうに物思いにふけっていると小さな足音がした。

 

「おかあさん、みてみて天使がいる」

 

すみれが笑顔でトテトテとこちらに駆け寄ってきた。天使と呼ばれると、すみれの母親のさくらを思い出してじんわりとした痛みが胸に広がるが、曖昧な笑みを浮かべてごまかしていく。

 

「そうだねー。すみれの天使だねー」

 

後からラウンジに入ってきたのは、新しい母親になったUMP40がすみれの言葉を否定も肯定もせずにニコニコしている。いや、そこは否定してほしい。でもいいかと最近は思い始めている。

 

「すみれ、おいで。かわいい天使。私の光」

「うん」

 

小さくてかわいい親友の忘れ形見を抱き寄せて目を閉じる。何をしてでも守ると決めた、今このだけは私をただの人に戻してくれる。

 

「大丈夫よ。何があっても守るから」

「じゃあ、ずっとそばにいてくれる?」

 

すみれのささやかな願いを込めた言葉に詰まった。私が決めたやるべきことのために全てを捨ててきたから、きっといつかこの子の手を離すだろう。どう返して不安を取り除くべきかと小さな頭を撫でながらぼんやりと考え込む。

 

「かわいい天使はね、つかまえないと飛んでいっちゃうからね」

 

M4たちからすみれが置かれていた環境を思い出す。すみれの両親を失った原因の大火災のどさくさですみれを保護したのは良いものの、忙しさを理由にしてすみれから逃げていた親友のヘリアンとペルシカは、M4達を生み出して早々に世話係として放り投げてしまったらしい。許されることではない。AR-15の話では育児放棄に近い形だったと聞いてしまい、絶対にあとで〆ると誓った。

 

「また、さくらとおんなじこと言ってる」

「ママと一緒?」

「一緒よ。自分のことを妖精の末裔だなんて言っちゃうちょっと不思議なさくらと一緒」

「わたしも妖精になったほうがいいのかなあ」

 

これはどう返せば良いのか。困って視線を向ければ今育てているUMP40が私みたいに困ったように笑って肯定と否定の間の言葉を選んだ。

 

「どうだろうねえ」

 

ぽわぽわした母親を他所にM4がものすごい形相ですみれの顔を覗き込んで説得にかかった。

 

「今、安易に決めないで。その決断は大人になってからでいいの。わかった?」

 

普段すみれだけには慈母のような笑みを向けて子育てをしているM4が必死に早まるなと訴えた。いつも優しい家族のその必死の形相にすみれは目を丸くしてコクコクと頷く。この様子だと明らかにM4は何かを知っている。知りたくなって口を開きかけたその時だ。404小隊との連絡用の端末からメッセージが届いた。なんだか嫌な予感がする。

 

「しばらく休んでいて。しばらく宿の外周辺に行くから。理由は聞かないで」

 

M4にすみれを預けてぶらりとそこまで散歩といった雰囲気を出してラウンジの扉に手をかける。

 

「いってらっしゃい」

 

すみれがあどけない笑顔で手を振る。もう、ずっと昔にあった学生時代の私とペルシカとヘリアンとリコリスとすみれ一家が狭い家をシェアハウスしていた頃を思い出して少し寂しい。学生結婚して、大学で勉強と研究しながら子育てしていたさくら。私達も一緒に子育てしていたあの頃はもう戻れない。

 

「いってきます」

 

それでもあの頃みたいにへらりと笑って過去に手を振る。もう、それしか出来ない。



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2063年 2月15日 10:07 UMP45

長期療養からの帰還を遂げた記念に


 天気予報はのんきに「快晴が数日続くでしょう」だなんて笑っていたのがうらめしい。横殴りの風雨が視界を阻む。定期連絡のために口を開こうとすると雨水が口の中に入ってしまう。

 

「45姉!こっちはすぐに片付きそう!でも頭に血が上った416がM16を追いかけていっちゃった!」

 

慌てた9が通信をよこしてくる。それはよくない。あのねぼすけはどうしたのかと聞いてみれば、9の隣で半泣きで骨董品をただの鉄屑に変えているらしい。それならならまだいい。アンジェを回収してあの特大級のバカの頭を一発ぶん殴って連れ帰る。それだけ。

 

「本当に、何もかもいやになるわ」

 

口に入った雨水がなんとなく不快だからと、ぐしゃぐしゃにぬれた袖口で口を拭ってしっかりと声を上げる。

 

「アンジェ。定時連絡の時間に遅刻よ。ペナルティとして報酬上乗せで。スパイまがいの活動って結構疲れるのよ?」

「余計な口を動かす前に足と手を動かしたら?何かにちょっかいかけられてる音だけは聞こえるわ」

 

皮肉には皮肉で返す雇い主になんだか少しだけほっとして口元が緩んだ。この人はこうでなくては。

 

「行方不明のM16A1を追いかけていたら、何もない所へ誘導されていたみたい。M16が煽って「じゃあ、私の行く先の反対には何があると思う?」なんて笑うし。それを聞いた416がムキになったら軍の施設らしい何の警備ロボットに追いかけ回されている最中。本部への通信機能なんかなくて、ただ動いているものをハチの巣にするだけの古くて単純なやつなんだけど数が多くて」

 

廃墟の壁を盾に間接的に416に文句を言ってやった。カビが生えたような設備をまだほったらかしにしている人間側も悪いし、引っかかって泣きを見ている私達も悪い。この辺りまで来ると雪じゃなくて、真冬でも雨だから動きにくいったらありゃしない。

 

「もうすぐあのカビの生えた骨董品はただのガラクタになるから気にしないで。それより、アンジェ」

 

さっき見たキレちらかした416がいつもみたいにうるさいと顔をしかめた。あとで連れ戻して黙らせないと。こういう時にあと一人いてくれれば、あの子がいてくれたら。都合の良い願いが泡みたいに膨れ上がってパチンと弾けた。あの子って誰なんだ?いやだ思い出したくない。傷口を素手でがりがりとこじ開けるような痛みが胸の内に広がる。そんな痛みを振り払って声だけはいつもの不機嫌な私を装って笑う。

 

「なに」

「あとで会えない?さびしくなったの」

「ドレスコードは?」

「ドレスにアクセサリーにお化粧も忘れないで。416のバカがM16の顔を見たら深追いしちゃったの。あ、そうね。あのバカにぶっ掛ける冷水もほしいわ」

「お姫様の仰せのままに」

 

本当は叫びたいんだけどぐっとこらえて笑顔をつくる。取り繕うのは得意なの。



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2063年 2月15日 10:11 M4A1MOD3

療養生活と体調の崩壊してました。これからしてます。


なんとなく、アンジェが心配になって山の中へ向かう。彼女の「すぐ戻る」はアテにならない。

「AR-15にすみれをお願いしておいてよかった」

小さくあれでよかったと言葉を吐き出せば顔に雨粒が当たる。ちらりと空を見上げればポツポツと細かい雨が降り出してきた。今アンジェが体調を崩したらまずい。レインコートか傘を宿から借りれば良かったと思考と姿勢を巡らせていれば何かと目があった。すみれによくにた顔のふわふわと空を飛ぶひとならざるもの。すみれが大人になったらこうなるんだろうなと簡単に予想がつく姿形をしている。小柄で華奢な骨格、真珠のような肌、とろりとした垂れ目にバラ色の頬。そのひとならざるものは砂糖菓子のように甘い笑みを浮かべて小さな唇から果実のように甘い声を紡ぎ出した。

「天使がどこにいるか知りたい?」

すみれやひとならざるものはなぜかアンジェを天使と呼び溺愛する。他にアンジェを天使と呼ぶ人はいたのかとさりげなく聞けば、すみれの実父母もアンジェのことを天使と呼んで溺愛していたらしい。不思議すぎる。そんな不思議で曖昧なものに頼るしかないので聞いた。

「知りたい」

「こっち」

小さくて細い指が指し示した方向へ進む。雨が降り、ぬかるみを作る前に呼び戻さないと。ちらりと空を飛ぶひとならざるものを見ると彼女はシールドのようなものを張って雨を防いでいる。たくましいなこいつと舌打ちしているうちにアンジェのもとにたどりついた。農作業のための物置小屋の屋根で雨宿りしているのをみつけて一安心。

「アンジェ」

「出迎えありがとう」

「ここまで降るだなんてわからなくて、傘忘れてしまって」

「いいのよ。これくらい、いつもあったし」

アンジェがポケットからタバコとライターを取り出し、軽く咥えて火をつけようかと思い立ったがすみれの名前を呟いてやめてしまった。

「あの子に会う時くらいはタバコはやめるわ。それに、天使がずぶ濡れで風邪でも引くとすみれが泣くし」

ポケットに押し込むようにタバコとライターをしまってアンジェが何かをごまかすように力なく笑う。それを見ないふりをして宿へ戻ることを促す。

「なら、早く戻りましょう。アンジェ」

「わかっているわ。でも、急な用事ができたの。とても残念なことにとても遠いところに」

「それは残念ね。どうやっていくのかしら」

「考え中」

「それって宿の中で考えられることじゃない?」

「さあ?」

「さあって」

「いいじゃない。ところで、M4。少し前にいろんな所に神出鬼没って言われるくらいに居場所がランダムになっていたけど」

それをつかれると痛い。どうごまかしていこうか。



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2063年2月11日10:15 アンジェリア

 M4が私を探しに来るまで、生き物の気配すらしない山の中でぼんやりと考え事をしていた。こんなときにいつも頭の片隅にある今は亡き親友と交わした言葉の数々が反響しては消えていく。

 

「ねえ私達の天使。あのね、私が妖精の末裔だなんていったじゃない?」

「そうね。さくらが何度も未来のことを言い当てたり、親しい人達の誰にも言ってないことを言い当てたりするから私もみんな信じてしまってるわね」

「それもあるんだけどね。妖精ってすごいのよ。それ相応の対価はとるけど、契約者を守ることができるの。これから戦乱を歩く天使には必ず必要になるからね、あのね」

「そうね。私の行きたい方向はそうなるでしょうね。なんからの守護があれば生き延びることも容易いわ」

「だからね私達の天使。契約しましょう。そしてね、来年春に生まれる娘を守って。この子を守ることができるのは天使だけなの」

「何その、子供が生まれる頃には夫婦揃ってもう死んでるみたいな言い方」

「半分正解。私達の一族ってね、たまにほんのちょっと先のことがわかるかわりに短命でどんな死に方をするかわかって生まれる人がいるの。それが私。それとね、これから言うことは何があっても忘れないで」

「ねえ、さくら。約束するから。約束するから、だから」

 

どれだけ時が経とうともすみれの母、さくらと約束したこと、妖精としてのさくらと契約したことは忘れてはいない。対価をいつどうやって支払うのかも。それは忘れていないのに、さくらの声色も姿形も色彩も私がさくらに願った淡い言葉も忘れてしまった。忘れてはいけないのに。ジクジクと心が痛む。その痛みを消すためにタバコでもと取り出してはやめる。それを見て不安げなM4がおずおずと声をかけてきた。それほどまでに心配させてしまったのだろうか。悪いことをしたなという言葉を口の中で転がした。

 

「アンジェ」

「どうしたのよ」

「宿に戻るまで時間はありますから」

 

どうやらしばらく待ってくれるらしい。おまけに自分のコートをそっと差し出してきた。冷え込むから着ろと言うことだろう。黙って受け取って肩にかける。なんだか人間みたいに矛盾の塊で愛おしい。まあ、人ならざるものとの契約で暑さ寒さにかなり強くなったし、誤差の範囲で怪我や病気にも強いし、おそろしいほどに幸運になったからあまり必要ないんだけど言わない。薄く曖昧に笑みを浮かべて黙っておく。

 

「そう。考え事をするくらいの時間はあるのね」

「ええ。AR-15がすみれをみていてくれますし」

「ところでM4」

「なんでしょうか」

 

静かな冬の雨が降る朝方。遮蔽物のない畑のなかにぽつんとある無骨な作りの納屋、私は誰にもここにいることを告げていない。

 

「あなたの後ろで微笑んでいるすみれによく似た妖精は知り合い?」

 

ガラスよりも透明な表情をしながらも警戒は怠らなかったM4が凍りつく。数秒後にギギギと錆びついた蝶番みたいにゆっくり動いて私の顔を覗き込む。彼女の信じられないものを見るような目つきなあたり、人ならざるものと関わりがあるのは自分だけだと思い込んでいたらしい。そこがまた愛おしくてほんとうにすこしだけ、いじわるなことをしてみなくなった。

 

「人ならざるものは人間や人形が見ないふり、忘れたふりをしているだけでいつもそのにある。薄皮一枚めくった先の闇の中にあるものが見えているのが自分だけだと思わないことね」

「反省、します」

 

視野が狭かったと素直に反省するあたり、M4の根は真っ直ぐなのだろう。あまり気にするなとそっと頭を撫でてやる。

 

「ねえさん」

 

M4のどこか懐かしむような、悲しむような、跪き静かに痛みに耐えるかのような小さな声が雨に溶けて消えた。M4の姉同然の存在M16A1、か。本当にM4は人間みたいにゆらぎ、迷い、誰かを愛し、喪失を痛みと捉える。その姿に「ずっとそうであってくれ」と祈る自分がいた。

 

「私はまだここにいるから」

 

どういった意味で言ったのかは自分でもわからない。だけどその言葉にM4は一筋の光明を見出したのか淡い笑みを浮かべる。どうかよく見知った誰かくらいは笑っていてくれ。

 

「ありがとう。アンジェ。でも、そろそろ行かないと」

「そうね」

「えっと、その。とても言いづらいことがあって」

 

恋に恋する年頃の少女みたいにもじもじとしながらM4が口籠る。それがなんだかおかしくて、小さな子供の保護者みたいにそっと語りかけた。

 

「怒らないから言ってみなさい」

「AK-12とAN-94がタダ飯なのを良いことに高い酒と手作りのなかでも手間と材料費のかかる菓子とつまみを朝から大量に。AR-15と私は止めたのに」

「急いで。アイツらにゲンコツ一発いれないと」

 

どうやら私達には湿っぽい雰囲気は似合わないらしい。雨の中を踊るように駆け出した。

 



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2063年2月11日 11:00 AR-15MOD3

 昔のスラングもとい、人間の愚かな願望に「他人の金でうまい飯を食いたい」というのがあったらしい。今我々は隠れ住むようにつくられた町の宿でそれをしているが、ぶっちゃけるとなんだ。人間が言う、「生きた心地がしない」だろうか。落ち着かないのだ。ヴァンドギャルドというらしい、長期熟成で渋みが抜けて甘くなるワインを上品なグラスにいれてくるりと回してみる。赤紫の水面に憂い顔の私がうつりこむ。

 

「憂い顔じゃ、酒と肴は楽しめないわよ」

 

AK-12が優雅な仕草で軽口とパテドカンパーニュを口にした。

 

「知ってはいる。あまりにもここが私には非日常だから、わからなくなるだけ」

 

軽くワインと素直な困惑を口にしたら不安になったのかポケットに手を入れる。生涯を、命を全てを捧げてくれると約束してくれた人たち。存在すら秘匿されても、短期間のうちにいくつもの不慮の事故で喪うまでそばにいてくれた指揮官達。そのうちの一人から信頼の証として贈られたあの人の母親の形見の結婚指輪を指先でなぞってそこにまだあることを確かめる。「何かあったら売るといい」だなんてあの人は痩せ我慢で笑っていたけどそんなことは私は何があってもしない。この指輪だけが私とあの人を繋ぐ唯一の物だから。一人きりの部屋の中だけ指輪をつけて祈るのがもう習慣になってしまったのが本当に悲しくて。

 

「何か不安?」

「違う。ただ、落ち着かない。理由はまだわからないけど、それだけは言える」

「そう。それでも今を楽しまないと損よ。損。私達に明日なんてないもの。あるのは今だけ」

「一理ある」

 

人形は失われればそれきりの存在。バックアップを取った時点までの記録は引き継ぐことはあるが、プツリと切れた種類の違う糸を無理矢理結んだようなものだからどうもチグハグになるし不具合の原因にもなる。何度も繰り返せば壊れて本当に失われるのだ。

 

「私達に物理的に失うものはない。だけどもしもがあったら私と誰かの形のない、名前のつけられない関係は永遠に失われるのだと理解した日からは慎重に動くようになった」

 

とても小さく、まるでひとりごとをつぶやくようにそっと言葉をため息に乗せる。それを聞いたAK-12はとても驚いたように薄く目を開けた。

 

「あなたの世界って複雑なのね。私の世界は敵がそうじゃないかしかないの。こういうのってきっと、羨ましいって言うのかしら」

「さあ、どうだろうか。私だって、時折だれかの世界はまぶしくうつるさ」

 

ちらりと落とした視線の先のワインの水面にうつる私はもう憂い顔ではない。真っ直ぐに未来を見据えて現在を守ると決意したいつもの表情だ。これでいい。

 

「ああ、そうだ。一つ言いそびれていたことがある」

「何」

「アンタの後方で飲んでいる相方は、酒は初めて?」

「私が知るかぎりではね」

「彼女、アルコールを生まれつき分解できない人間みたいに顔を真っ赤にしながらのれつの回らない舌で何か独り言をガンガンしゃべりながら酒を開けているけど?」

 

私の言葉を耳にした瞬間、AK-12がまるまる二分ほどフリーズした。よほど想定外の出来事だったらしい。

 

「まさか、フラッシング反応?」

 

きっと人形が酔っ払うか普通?と言いたいのだろう。でも、たまに人形に酔っ払う機能をつけるとってもアホな設計者はいる。それを今喋るのは無粋だからワインと共に飲み込む。

 

「たぶん」

 

人形が酔っ払うことがよほどAK-12には予想外の事で理解しがたいのかまた一分ほどフリーズしてからそれはもうゆーっくりと振り返って背後で酒と肴を楽しんでいたはずのAN-94を見つめる。

 

「酔ってる……うそでしょ?」

 

こちらが慌てるほどに困惑するAK-12がかわいそうになってきたから、テーブルの上の可愛らしい呼び鈴で店主を呼んで水を持ってきてもらう。

酒を飲むのをさりげなく私がとめてた。そしてそっと私が差し出したコップをかかえるように持って少しずつ水を飲み始めるAN-94。こっそりと今後は彼女にアルコールは厳禁だとAK-12に耳打ちする。アンジェにも伝えるべきだとさらに耳打ちすればAK-12は力強く頷いた。

 

「早く帰ってきて収集をつけてほしいものね」

「そうだな」

 

アンジェはまだ帰ってこない。M4が外に飛び出した頃から雲行きがあやしくて、今はもう土砂降りの雨。雨は嫌いだって言葉を飲み込むために2本目のワインをあけた。



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秘密は毒のように甘く 1

ゴーストフロントラインの3年前である2060年頃にニューラルクラウド計画が発足した。
計画の責任者である『教授』は事態を解決するためにマグラシアサーバーに飛び込んだ!
本当は教授は飛び込んでおらず、替え玉がやったのだが……


 ここ、オアシスで教授と呼ばれているやつの第一印象は「何もかもが薄っぺらくて薄ら寒いヤツ」、それだった。今日も視界の端で教授を観察しながら前とどう違うのかをまとめていく。紅茶はちょうど切らしていたものだからしかたなく、右手にチョコレートソースとホイップクリームを山ほどいれたコーヒー、左手にはオアシス内にある情報をまとめたデータベースを映し出すウィンドウ。いかにもここに馴染むために情報仕入れてますって顔で教授について調べていく。

「ふぅん。へえ」

華々しい経歴とそれ相応の待遇、現実世界とのつながりが切れる前にデータベースに入れられた教授のインタビューの切り抜き記事。ここにある限りの情報だけは本物なんだろうな。情報に矛盾はないしと結論づけてコーヒーをすすった。情報に矛盾はないが視界の端、談話室の中心でオアシスの住人に囲まれている教授には矛盾や虚構が人の形をして歩いている様にしか見えない。でもだれも疑問を口にしてはいない。実質的な第二の責任者であるペルシカリアや、その補佐をしているアントニーナあたりは教授に対してうっすら疑問を抱いているようだがそれを口にして波乱を起こすのを避けている節があった。それだけ賢いなら踏み込めよと毒を含んだ感想をコーヒーと一緒に腹の底へと流し込んだ。言動は変わらないのに性別がコロコロ入れ替わってるのに気づけやとは思う。思うけど言わない。面倒だから。溶け出したホイップクリームとチョコレートソースがコーヒーの苦味をうまいことごまかしてくれるのがいい。でも、気を抜いているとやけどをするのがこの飲み方。

 

「あっつ!」

 

ああやっちまったなと舌打ちしてコーヒーをサイドテーブルに置いて少し休憩をいれる。視線をウィンドウに戻すと教授がこちらに近づいて、いつも通りのヘラヘラして胡散臭い笑顔を向けていることに気づいた。

 

「きょーじゅ」

「どうしたの」

「なんでもない」

「そっか。何みてたの?」

「アンタのことだけをずーっと」

 

データベースの情報を見ていたと解釈できるように答えて、アンタのことを観察していてその矛盾と虚構に気付いたと暗に示した。察しがいい教授はそうかと頷いてオレの手にハンカチとその下に教授の部屋の鍵をのせた。準備いいじゃん。そういうとこは好きだよ。そういうとこだけは。

 

「ありがと、きょーじゅ」

「どういたしまして。それじゃ、明日も早いから私はここで」

 

ひらひらと手を振って教授が談話室を去っていく。静かにドアが閉まるその瞬間に短いダイレクトメールが教授から来た。内容は「一時間後に私の部屋に来て」ってそれだけ。頭の回転早いやつは好きだよ。だから行ってあげる。疲れたから今日はもう寝るって雰囲気をだしてまだ騒がしい談話室をそっと抜け出た。ハッブルの巣の屋上庭園とかを適当にぶらついて一時間くらい時間を潰す。この無駄な時間ってのが嫌いなんだってブツブツグチグチ不満タラタラで教授の部屋の前へ。

 

「しずかすぎる」

 

奇妙なことに人っ子一人いやしない。教授の自室のある棟の通路に入るずっと前からだれともすれ違ってなんかいない。なんなら俺以外通れないように時限式の鍵でもかかってのかってくらいに。

 

「ま、いっか。聞けば良いし」

 

教授に到着したってメールを送ればすぐにドアが開いた。何のためらいもなく部屋に入ると教授がコーヒー片手に椅子に座って待っていた。

 

「ようこそ僕の部屋へ。書類はどけるなりしてソファーへお座りください。飲み物はコーヒーにしますか?それとも紅茶にしますか?お酒は置いてないのでご容赦ください」

 

どっかりと白衣と書類まみれのソファーに腰を下ろしながら教授をじっくり観察をもう一度やる。談話室のヘラヘラした笑顔の男性の姿じゃなくて、夕凪の湖面のような静けさと冷ややかさをもった小柄な女性の姿でそうっとささやくように聞いてきた。この、人形だろうが人間だろうが関係なく丁寧でありながらも人を寄せ付けない冷たい佇まいはきっと虚構じゃない。たぶん、ありのままって感じがする。だから、もっと知るべきだと観察を続けることにした。

 

「紅茶にジャム。アプリコットかベリー系」

「少々お待ちを」

 

小動物みたいに動く小さな体が紅茶とジャムを運ぶ。そのまま礼だけは言って紅茶を受け取ってアプリコットジャムを山ほどいれて飲む。俺が一息ついたのを見計らって教授が直接的な物言いで尋ねてきた。

 

「御用件は?」

「データベースのアンタよりも、今ここにいるアンタが知りたい。その雰囲気だと偽らなくてもいいって判断してんだろ?」

「ご名答です。末宵くん」

「その様子だと俺になんか言いたいこと大アリですって顔してるんだけど」

「単刀直入に言いますけど、僕の共犯者になりませんか?」

「はあ?」

 

驚きすぎてティースプーンが手から転がり落ちた。何言ってんだコイツってのを隠さない俺を見つめていながら、そんなの知るかとばかりに教授は何かのコードをウィンドウに打ち込みながらまたとんでもないことを言ってくれた。

 

「僕の演技に気づいたのは末宵くん、きみだけです。僕の秘密を共有するただひとりの共犯者になりませんか?」

「報酬は?」

 

何がなんだかわからなくなって、とりあえずふっかけておけはいいやみたいになってしまった。いやほんとわけがわかんない。でも、じわじわと自分の内側に仄暗い喜びと優越感が湧き上がって口の端が上がってきた。そっか、この教授を構成するすべてが偽りだって気づいたのはオレだけなんだ。

 

「報酬ですか?そうですね。これにしましょう。なぜ僕が教授を演じているのか、僕自身の情報に……」

 

慌ててティースプーンを拾って書類まみれの机の端にのせて、急に天然になったなコイツって冷静になってツッコミを入れられる様になった自分自身を褒めたい。いや、もう思考がぐちゃぐちゃになっててもうわからん。ティーカップを机に無理矢理のせて教授をじっと見つめて出方を伺う。

 

「末宵くん。共犯者になりませんか?唯一無二の」

「なる」

 

唯一無二の言葉がとても甘く痺れるほど重い毒だとしてもそれに抗うだけの理性はない。ゾクゾクする。この虚構で構築されている存在の奥底にある真実を自分だけが知っているだなんて日が訪れたらきっと幸せなんだろう。だから、共犯者になってこの人と堕ちる所まで堕ちてしまうことを選ぼう。地の底よりも暗い世界へ堕ちたとしても永遠に二人きりならきっと。

 

「末宵くん。ありがとうございます」

 

教授の細くやわらかな指先が俺の頬を、唇を撫でて薔薇色の唇が俺の耳元へ寄せられる。その甘い唇からとても小さな囁き、人名らしき言葉と一つの連絡先が耳をくすぐる。意味を理解したその瞬間とてもくらい喜びが全身を駆け巡った。

 

「ならさ、偽りのないアンタをどう呼べばいい?」

 

秘密を抱えて二人にしかわからない言葉でお互いの存在を確かめる様に言葉を重ねていく。

 

「先生で良いのではないでしょうか。万が一誰かに聞かれてもごまかしがききますし」

「じゃあ、センセ。おれからのお願いは共犯者でなくなっても俺を離さないでくれ」

「はい。一生離しません」

 

どうかいつまでも離さないでくれよ。じゃないと陽の光のささない地の底へ引き摺り込んでしまいたくなるから。



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秘密は毒のように甘く 2

これはゴーストフロントラインの前日譚にあたります


 オレが教授と秘密を共有する共犯者になってからだいたい一カ月くらい。自分の仕事の合間にオアシスの屋上庭園の端っこでエージェントの生活やら仕事を眺めるのが日課になってきた。

 

「お、あの動きはただのデート……じゃねえな」

 

ここのエージェントたちは、いや現実世界で暮らしていた人形たちはストレス発散やコミュニケーションの手段として誰かと寝る。添い寝じゃない方の意味で。人形には望まない妊娠とか関係ないし、不特定多数の人間とヤって性感染症の媒介になるとかそんなことしなければ、人形にとっての性交渉は手軽な娯楽の一つでしかない。資源を消費はしないが大っぴらには言えない娯楽だからこそ、オアシスの実質的な管理者であるペルシカやトップの教授は見て見ぬふりをしてきた。

 

「先生にその話振ったらめちゃくちゃ拒否されたのがわかんねえ」

マグラシアサーバー内でやることやっても気持ちいいだけで何もないのに先生には断られたのがどうもわからない。どうも教授じゃなくて先生自身はかなり古風な考え方をしているみたいで、「結婚相手とだけすると決めている。相手が見つからない場合には一生だれともしない」って。

 

「人間ってわかんねえ」

 

人間と人形。どうにも相容れない存在。先生に触れることを断られたあの瞬間目の前が真っ暗になって息ができなくなるんじゃないかってくらいに怖くて。気がついたら先生に抱きしめられていた。

 

「オレを拒絶したわけじゃなくて、自分自身の信念の問題だから、って」

 

オレの震えが止まるまでずっと抱きしめてくれた先生は優しすぎる。最近どうにもその優しさが、声が、まなざしが、いつまでも全部自分のものならいいのにって考えが頭にこびりついて離れない。先生が「教授」を演じているときはまだ耐えられるけど、二人きりでいる時は無意識のうちに先生の服の端っこを掴んだり、寝る時は先生に抱きついていないとダメになってしまった。秘密を共有するための閉じた小さな世界に先生と二人でないと落ち着かないのに、口ではいつもみたいに突き放すような物言いしかできない。

 

「さむい、な」

 

オアシス内の温度はいつでも穏やかで過ごしやすいのに、今は妙に寒くて。ぎゅっと自分を抱きしめても寒さはなくならない。あのぬくもりが欲しくて先生にメールを打った。本当に短い、「あいたい」の言葉だけのやつ。そんでそのまま先生の部屋へ走る。誰にも見られないように、でも全力で走って、合鍵でドアを開けて先生のもとへ。

 

「末宵くんおいで、僕のところへ」

 

良かった、この人はここにいる。それだけで嬉しくて背中から抱きついた。今は男性の姿をしているからガッシリしている頼もしい背中に安心する。女性の姿の時の小柄で華奢でずっと腕の中に閉じ込めておきたくなる儚さも好き。「教授」じゃなくて、夜毎一つ秘密をオレに教えてくれる、今ここにいる先生だから好き。夜に不安そうに「演じ続けていると自分がわからなくなる、末宵くんが僕を覚えてくれているから僕でいられる」なんて弱音を吐くのを知っているのはオレだけでいい。

 

「センセ」

 

先生はいつだって「どうしたの?言ってご覧」なんて言わない。それを言うのは教授を演じている時だけ。先生はオレが喋り出すまで待ってくれる。先生の手がオレの腕をゆっくりと撫でて落ち着くのを待っている。その全てが慈雨のようで、魔法のようで、それがとてもずるい人だ。

 

「ゆっくりで構いませんよ。僕はここにいます」

「そうする」

 

あの時縋りついてオレはたしかに救われたのだから、アンタと共に地獄へと堕ちていくのもまた幸せだと言えるまで待ってくれ。



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秘密は毒のように甘く 2

これはゴーストフロントラインの前日譚にあたります


 オレが教授と秘密を共有する共犯者になってからだいたい一カ月くらい。自分の仕事の合間にオアシスの屋上庭園の端っこでエージェントの生活やら仕事を眺めるのが日課になってきた。

 

「お、あの動きはただのデート……じゃねえな」

 

ここのエージェントたちは、いや現実世界で暮らしていた人形たちはストレス発散やコミュニケーションの手段として誰かと寝る。添い寝じゃない方の意味で。人形には望まない妊娠とか関係ないし、不特定多数の人間とヤって性感染症の媒介になるとかそんなことしなければ、人形にとっての性交渉は手軽な娯楽の一つでしかない。資源を消費はしないが大っぴらには言えない娯楽だからこそ、オアシスの実質的な管理者であるペルシカやトップの教授は見て見ぬふりをしてきた。

 

「先生にその話振ったらめちゃくちゃ拒否されたのがわかんねえ」

マグラシアサーバー内でやることやっても気持ちいいだけで何もないのに先生には断られたのがどうもわからない。どうも教授じゃなくて先生自身はかなり古風な考え方をしているみたいで、「結婚相手とだけすると決めている。相手が見つからない場合には一生だれともしない」って。

 

「人間ってわかんねえ」

 

人間と人形。どうにも相容れない存在。先生に触れることを断られたあの瞬間目の前が真っ暗になって息ができなくなるんじゃないかってくらいに怖くて。気がついたら先生に抱きしめられていた。

 

「オレを拒絶したわけじゃなくて、自分自身の信念の問題だから、って」

 

オレの震えが止まるまでずっと抱きしめてくれた先生は優しすぎる。最近どうにもその優しさが、声が、まなざしが、いつまでも全部自分のものならいいのにって考えが頭にこびりついて離れない。先生が「教授」を演じているときはまだ耐えられるけど、二人きりでいる時は無意識のうちに先生の服の端っこを掴んだり、寝る時は先生に抱きついていないとダメになってしまった。秘密を共有するための閉じた小さな世界に先生と二人でないと落ち着かないのに、口ではいつもみたいに突き放すような物言いしかできない。

 

「さむい、な」

 

オアシス内の温度はいつでも穏やかで過ごしやすいのに、今は妙に寒くて。ぎゅっと自分を抱きしめても寒さはなくならない。あのぬくもりが欲しくて先生にメールを打った。本当に短い、「あいたい」の言葉だけのやつ。そんでそのまま先生の部屋へ走る。誰にも見られないように、でも全力で走って、合鍵でドアを開けて先生のもとへ。

 

「末宵くんおいで、僕のところへ」

 

良かった、この人はここにいる。それだけで嬉しくて背中から抱きついた。今は男性の姿をしているからガッシリしている頼もしい背中に安心する。女性の姿の時の小柄で華奢でずっと腕の中に閉じ込めておきたくなる儚さも好き。「教授」じゃなくて、夜毎一つ秘密をオレに教えてくれる、今ここにいる先生だから好き。夜に不安そうに「演じ続けていると自分がわからなくなる、末宵くんが僕を覚えてくれているから僕でいられる」なんて弱音を吐くのを知っているのはオレだけでいい。

 

「センセ」

 

先生はいつだって「どうしたの?言ってご覧」なんて言わない。それを言うのは教授を演じている時だけ。先生はオレが喋り出すまで待ってくれる。先生の手がオレの腕をゆっくりと撫でて落ち着くのを待っている。その全てが慈雨のようで、魔法のようで、それがとてもずるい人だ。

 

「ゆっくりで構いませんよ。僕はここにいます」

「そうする」

 

あの時縋りついてオレはたしかに救われたのだから、アンタと共に地獄へと堕ちていくのもまた幸せだと言えるまで待ってくれ。



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秘密は毒のように甘く さん?

 「うわあ、最悪」

 

今日は休みにしたから遅めに起きて、先生とのんびりミルクティーとチョコレートブラウニー食べながらダラダラしようって決めていたのに。オレより先に先生が起きてるなって寝起きの動かない頭でぼやーっと考えながら寝室から出たら初塵が先生の左腕にしがみついてた。なんでだよ。

 

「おはよう」

 

先生が教授モードでいる。自室でそれやんの疲れそうだな。冷蔵庫からチョコレートブラウニーを取り出して先生の口に放り込む。小動物みたいに幸せそうにもぐもぐ食べる先生かわいい。

 

「末、ここにいたんだ。最近とくに急にいなくなるから心配したの。探したんだよー」

 

初塵からいつもみたいになってぽやっとした声と表情そっくりの要領を得ない言葉がでてきた。

 

「なんでここにいんだよ。自分の部屋に戻れよ」

「末がいない寒くて空っぽの相部屋に?」

「知るかよ」

 

先生の右隣にどっかり座って先生の右腕にしがみつく。落ち着く。耳をぴったりあてて目を閉じるだけで現実世界に置いてきた何かを呼び起こすような何があって、ずっとこうしていたくなる。地脈や地下水脈をだまーって見つめているような静けさでオレの内側が満たされていくような。

 

「末ー」

「あんだよ」

「きょーじゅの音って地脈に似てるね。落ち着く。あ、まって、水脈みたいな音と冷たさもある。霧烟る森と湖を抜けた先にある鉱山みたいな感じがする。人間じゃないみたい」

 

感覚として理解は出来るけど、言語としては何言ってんだよわけわかんねえよって目を開いて言いかけるととても驚いた先生と目があった。

 

「森とかのやつは秘密、ね?」

 

優しいけど有無を言わせない笑顔がそこにあった。なんかよくわかんねえけど初塵と同時にコクコク頷いてまた腕にしがみつく。まあ、初塵はいつもわけわかんないしいつものことかと思考放棄して目を閉じる。地脈のような水脈のようなふしぎな幸せの音がゆっくりとオレを満たしていく。でもその幸せをぶっ壊すのんきな声がすぐ横から聞こえてきた。

 

「末ー」

「またかよ」

「きょーじゅって教授じゃないよね」

 

前言撤回、目が冴えた。どう口封じするか考えないと。殺気立つオレを先生は笑顔で制した。

 

「末宵くん」

「でも」

「ダメだよ。あとね初塵ちゃん。きみに譲歩できるのはここまで。あとは現実世界でボクを見つけられたら教えてあげるね」

 

先生と約束をするの、一番最初はオレが良かったのに先越されたのがむかつく。

 

「えー。ま、いっか。末がべったりってことはわるいひとじゃないし」

 

初塵が頬を膨らませて拗ねて先生の腕に頬擦りして自分もベタベタに甘えてきた。それをやるのはオレだけでいいんだやるな。

 

「わるいんだけどね、末宵くんは僕の秘密を共有する唯一無二の共犯者だから」

 

先生は困った様に笑うけど声色は強くダメはものはダメだと示す。甘いんだよ先生は。あとは初塵じゃないやつが先生自身に疑問を抱いて聞いてきたらどうするか聞きたいな。夜、ベッドの中で聞くか。

 

「ふーん。じゃあ、すぐに見つけたら末ときょーじゅと3人でずーっと一緒にいようね」

「はい。約束です」

 

約束、先に初塵としたのか。なんでオレじゃないんだ。ぎゅっと腕にしがみつく力を強くしながらぼそっと不満をこぼした。

 

「なんで3人なんだよ」

「へえ、末はきょーじゅとふたりっきりでベタベタしてたいんだ。思春期のカップルみたいに」

「な、なんだよ!その、思春期で初恋に浮かれ切った弟をからかう姉みたいなのは!」

「そうだけど」

 

初塵がぷーくすくすって笑いながらからかってくる。一々調子狂うんだよやめろよ。まったく!視線だけて先生に助けを求めるけど、「しょうがないな」と曖昧に笑ってるだけだった。

 

「末はきょーじゅとできてるんでしょ?」

「まだできてない!」

「まだ、なんだ。へえ、そうなんだ」

「末はさ、きょーじゅとどうなりたいの?」

「どうって、なんだよ」

「関係性は今のまんまでいいの?」

 

はっとして初塵を見た。実際には一分もたってないんだけどオレの中ではとても長い時間をかけて震える声をやっと一言だけどうにか絞り出した。

 

「やだ。もっと先生のこと知りたいし、オレのことを知ってほし……」

 

顔が熱くてしかたない。どうにかなりそうだ。

 

「ほーら、言えたじゃんヘタレ」

 

初塵のにへらぁって笑顔がむかつく。

 

「ヘタレじゃねえって!なんなんだよ!」

「ふふふ。いいですねえ。思春期のきょうだいみたいな喧嘩」

 

のんきな先生と初塵に対してため息を大きくついてチョコレートブラウニーを口に詰め込む。優雅な休日は手に入れられなかったけど、少しだけ言えたから許そう。少しだけ。



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秘密は毒のように甘く たぶんよん?

 オレと初塵で先生をがんじがらめにするあの日から10日はたった。開き直ってオレは先生と同棲を始めたし、初塵も入り浸るを通り越して半同棲から同棲にズルズルと持ち込む気だろうってのはわかってきた。なんかもやっとする。おれだけの先生だぞ。

 

「末の好きは私も好き」

 

昨日の初塵のよくわからない言葉がよみがえる。

 

「オレと初塵はちがうだろ」

 

先生がうっかり落とした小物や初塵が置いていった探索の取得物を拾っては片付けていく。先生は不器用でわりとあちこちに体をぶつけてはモノを落とすし、初塵は服は脱ぎっぱなしにするし雑用はオレにおしつけるし。

 

「あーもう。初塵と先生は生活能力皆無だし、結局オレが家事やるのかよ」

 

先生は純粋に不器用でやるのが遅い。初塵はそもそもやる気がない。普段冷たくて他人からの距離をとる先生は実は人付き合いが苦手なだけで天然でぽやぽや。初塵も天然でぽやぽや。妙なところでガッチリかみあってしまい、ベッタリになってしまった。

 

「先生の特別はオレなのに」

 

先生のカップを食器洗い乾燥機にいれてつい愚痴ってしまった。でも頬を赤らめてふにゃふにゃと笑うのはオレにだけだし、先生が無意識のうちに体を擦り寄せるのもオレにだけだし、先生の本音を聞けるのはオレだけだし。なんかモヤモヤしてきてしかたない。

 

「はー、たまには飲むか」

 

オレは休みで先生は会議で夜遅いか泊まり込みの予定だし、初塵は未到地域の調査のための打ち合わせでいない。今までと違って物資に余裕はできてきたからと酒やタバコ類もすこし出回る様になってきた。過去の嗜好品のデータとオペランドを組み合わせてできたワインとチーズに今夜はサラミと生ハムもとあれこれをテーブルに並べてどっかりソファに座り込む。

 

「はあ。ひとりってこんなものだったか?」

 

3人でにぎやかに過ごしているとどうもしゃべるのが多くなってしまう。ポンと栓を開けてこぼれないようにコップにワインをそそいでまずは少しだけ口に含む。酒について詳しくはないがふわっといい香りが鼻と喉を抜けていきモヤモヤがぼやけていくような感覚が頭を覆い尽くす。

 

「あ、これ意外といけんじゃん」

 

チーズをちぎってさらにサラミをクラッカーに乗せて食べる。酒とつまみの類は初めてだけどこれなら食べられると調子に乗ってついガブガブと。

ワインボトルの半分は飲んだあたりで思考がふわふわしてきたし、誰か帰ってきた。なんだ、初塵か。視線をワインにもどしてまた飲む。高いワインなので渋いとかはあまり感じないものだからぐいぐいと飲んだ。酒に強いのかすら知らないから酔わない飲み方なんて知らない。

 

「末。のんでるの?」

「なんだよ。問題あっかよ」

「私にもちょーだい」

「冷蔵庫」

「りょーかーい」

 

勝手知ったるなんとやらってことで初塵が冷蔵庫をあけて、戸棚から自分専用のカップをだして酒をついてぐいっと一気に飲み干した。

 

「んー。これはチーズ。末、座る場所あけて」

 

たぶん、これはチーズがあうと言いたいらしい。よっこいしょと年寄りくさい声を小さく出してソファの場所をあけながら、ふわふわの思考と腕でチーズが乗った皿を初塵の方へとよせる。

 

「打ち合わせは?」

「機材の不調で調査が延期」

「ん。生ハムは?」

「いる」

「ほいよ。あとさ最近、初塵はセンセにべったりしすぎ」

 

オレよりくっついてる時間長いとかほんと許せん。さらにワインボトルをあける。さっきのは赤で今度は白。サッパリというか、酸味強めで果物とかケーキがあうなと判断して戸棚から甘いものをいくつか選んでテーブルに並べた。

 

「いーじゃん。末もおんなじでしょ?」

「ちがうって!オレは先生の特別なの」

「へー、やっぱ末ってきょーじゅとできてんじゃん」

 

初塵がオレの頬をつつきながらニヤニヤしてからかってきた。

 

「まだできてない!まだヤってないし!キスすらしてないし!」

「まだヤってないんだ。あれだけ末がきょーじゅをいやらしい目で見てんのに」

「みてねえって!」

 

オレより力が強い初塵をどうにか引き剥がしてまたワインとつまみのチョコレートを味わう。そんな不純な目で見てねえって。初塵の方がよっぽど先生をいやらしい目で見てたって。

 

「で、末はきょーじゅにどういうことをしてほしいの?」

「毎日添い寝しておはようっていって、おやすみなさいって言ってくっつきながら寝る生活」

 

オレの欲しいものってだれかからすればなんてことはないもんだけど、オレはそれがいい。そんな本当に子供みたいな願い事をぶちまけたあとに初塵はやってくれやがった。

 

「で、ほかには?」

 

ええい、酒の勢いだ。これはそう酒の勢い。初塵しかいないしもうヤケだ。オレはぶちまけるし、初塵にもぶちまけさせてやる。

 

「ヤりたい。先生が男性の時はバックでガツガツつかれたい。その最中にしごいてほしい。女性の時は手を繋ぎながら騎乗位で主導してほしい」

「ふーん。そういうの好きなんだ。わかるよ。きょーじゅには優しくリードしてほしいの」

「うん。そんでひたすら好きって言って欲しい」

「うんうん。末はさびしがりのあまえんぼさんだもんね」

 

お姉ちゃんにはマルッとお見通しだって茹蛸よりも赤くてふわふわした初塵に頭を撫でられた。子供扱いするなっつーの。でも手を振り払えなくてじっとしていた。

 

「でも、センセはそういうのは特別な相手とやる特別なことって考えだからまだできてない。そこのスタートラインにすら立ててない」

 

そこがもどかしいな、と小さいこぼしてごまかすように笑った。

 

「きょーじゅは私たちと違って、今が楽しければそれでいいって在り方じゃないからね」

 

人間と人形。近づくことはできても埋められない溝とか理解できない概念とか感覚とか、いろいろあるけど一番大きいのは時間の流れ方かもしれない。手入れをやめるとすぐにダメになるオレたちよりもずっと長く続く時間に先生は旅をしていく。それが寂しいだか悲しいとかに近い何かがじわっとオレの内側に広がっていくからそれにふたをするために初塵に話をふる。

 

「そういう初塵はどうなんだよ」

「えー?私ー?私もきょーじゅとえっちなことしたいよー?きょーじゅ好きだし、もっと知りたいし」

「先生の特別とかはオレのもんだし、秘密とかはまだやんねーから」

「はいはい。知ってる。ねえ、末。好きって難しいね」

「そうだな。酒のおかわりいるか」

 

流行のサイクルのはやさとか、惚れた腫れたも数日すれば消えていくほどの人形の常識や世界。それ自体はとても単純だけど、それが人形以外に向くととたんに厄介なものに変わってしまう。

 

「いる。そこの白ワインがいい」

「あいよ」

 

酔いがかなり回ってきたのもあって途端に口数が減った。ちびちびと飲んではつまみをかじる。ワインボトルもカラ瓶しかないし、冷蔵庫のなかもすっからかんになった頃にドアがあいて先生が帰ってきた。

 

「ただいまもどりました。末宵くん、初塵さん。僕のいない間に随分と飲んでいたみたいですね」

「おかえり、センセ」

「おかえりー、きょーじゅ」

 

ぽわぽわした頭でも先生が帰ってきたことが嬉しくてトテトテと駆け寄って二人してハグ。アルコールの強い匂いをかいだ先生が困ったように笑っていた。

 

「ふたりとも、かたづけは明日にして寝ましょう。ね?」

「ああ」

「うん。あのねきょーじゅ」

「はいなんでしょう」

「これあげる」

 

初塵が自分のペンダントを外して先生につけて満足そうにうとうと寝始めた。あっずりい。

 

「センセ、おれも」

 

指輪を外して先生の左手薬指につけて満足した。

 

「いいのですか?」

「センセにだけだから。あと、現実世界に戻ったらぴったりの指輪、おんなじやつ買うから」

 

酒の勢いだから何言ってもいいんだ。気が抜けてきてゆっくり眠くなってきた。でも、迷惑かけちゃいけない。初塵をかかえてふわふわの足取りで寝室を目指す。先生じゃ支えることはできても二人を抱えて動けやしないから。

 

「ふふふ。ずっと大切にしますね。ありがとうございます。それじゃベッドに行きましょうね」

 

先生もいつもの白衣をポールハンガーにかけて衣服を緩めて寝室へ。オレも衣服をゆるめて、初塵も起こして衣服をゆるめさせて。いや、途中からあついとか二人してぬかして全裸か半裸か。もう覚えてない。そんなまんま新調して大きくなったベッドに3人が寝転がる。真ん中に先生、先生の右腕にしがみつくオレと左腕にしがみつく初塵。

 

「おやすみなさい」

「おやすみ、センセ」

「おやすみー」

 

やわらかな言葉がオレたちを包んでいく。そのままあったかいな、なんてのんきなことを考えて眠りについた。翌朝なんなことになるなんてな

 



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秘密は毒のように甘く たぶんごのぜんはん?

 ひかえめなアラームの音が寝室に響く。のそのそと這い出て止める。サイドテーブル上のタブレット端末からは朝の遅い時間帯の表示が見えた。今日の予定表をチラッと見ると休日用のもので頭の中で「まだ寝よ」って判断してタブレット端末を元に戻してベッドにもぐりこむ。

 

「あー、あたまいてえ。つか、なんでオレ服脱いでんだ?」

 

昨日しこたま飲んでなんか色々しゃべったような気がするなあってぼんやりしていたら先生が全裸で寝ていた。いやいや、電子の海でも二日酔いになるんかよ、オレ人形だぞ?

 

「あ、れ?なんでオレも先生も全裸なんだ?」

 

少しずつ記憶を辿っていくと思い出してきた。泥酔してあつくなってきたオレと初塵は服を脱いで、何を思ったのか先生の服を脱がせてベッドへ引き摺り込んだ。そこでオレと初塵はセンセにしてほしいえっちなことをおねだりしたあとに寝落ちしたんだったわ。

 

「あー、恥ずかしい。どうしよ」

「ん?末宵くん?おはようございます」

「おはよ、センセ。昨日、えっと」

「いっぱい聞きましたよ。僕にしてほしいえっちなこと」

 

先生が恍惚とした表情でオレの頬をなぞってわざとらしく耳元でささやいてくる。あわててそれは覚えなくていいからって黙っていてくれとジェスチャーをして頼み込む。先生のかすかな笑い声がくすぐったくてしかたないものだから身をよじる。

 

「聞かなかったことにしてくれ」

「いいえ。しっかりおぼえておきます。でもそのまえに、僕たちがどういった関係になりたいのかを確かめ合ったあとで、そういうことをするのかどうかを決めましょう」

 

先生が懇願のジェスチャーをしているオレの手をそっと引き寄せて握る。そのあったかい手を握っているだけてささくれたオレの内面が穏やかになっていく。オアシスの面々から「最近、末宵くんって丸くなったよね、最初なんか初塵さんに対して威嚇しまくってたのに教授と一緒にいるようになってから仲直りしたのかな?」みたいなことを言われるまでになった。みんなが言う仲直りはしてない。センセって言う精神面の安全地帯ができて折り合いがついただけ。やっとできた特別をオレは手放したりしない。

 

「まあ、そうだよな。人間ってそんなもんだよな」

 

言葉ではそっけないってか、冷たいけど行動は素直にいく。先生を押し倒してぎゅっと抱きついてぬくもりを確かめる。たんなる機械の排熱のオレたちとは違う、命が持つぬくもり触れたくて。先生はそれを受け止めてオレと初塵の手を握って迷わないようにしてくれる。オレが欲しかったものがあった。それだけでいいや。

 

「それもあるんですけどね、僕のワガママもあるんですよ。僕自身として末宵くんと初塵さんとそういうことをしたいってワガママが」

 

人間のセンセがそこまでしたいって言うんならオレたちは待つだけ。でも、知りたい。

 

「どうしてだよ。今ここでヤっても現実世界に戻ってヤっても一緒じゃん。オレと先生なんだし」

「えっだってやですよ。ここで今ヤったら記録上は本当の教授とやったことになるんですよ」

「はー、ワガママー。センセ、好き」

「んー。わたしもきょーじゅすきー」

 

のそーっとおきだしてきた初塵といっしょに先生にだきつく。あっこら初塵。先生のからだに胸をおしつけるな。

 

「きょーじゅ。末ってばやらしいんだよ。股間をきょーじゅのふとももにぐりぐりしてる」

「初塵だって胸とふともも押し付けてんじゃねえか」

 

昨夜のみだらな欲望がまだ燻っているからつい体が求めてしまう。これ以上は良くないなとはわかってはいるがやってしまう。

 

「末宵くん」

「あっあ、センセ。腰、とまんなくて。ひ、あ。腰に手ぇ回すのやめ」

 

先生の手がオレの腰にゆっくりと触れるか触れないかの絶妙な距離をとって撫で回すかのように動く。わずかな感覚が生殺しになるのわかっててやってんじゃん。

 

「うふふ。末宵くんのここはすなおですね。じゃあ、お預けということで」

「ずるい。抜いてくるから、手どけてよ」

「いいですけど、その場合は初塵さんのお尻と胸をもみます」

「きょーじゅ、私の胸をもむだけ?」

「もむだけでおあずけです」

 

センセ、わりとサド気質だな?でもこんなお預けもちょっとだけなら悪くはないかも。

 

「ひどーい。末ー、私がでていくから生殺し変わってよ」

 

自分だけ発散して楽になろうってか。悪いがオレと一緒にいてもらおうか。

 

「やだ。オレの興奮がおさまるまで先生とハグする」

「ずるーい。私も末ときょーじゅのハグするー」

「じゃあ、このままでのんびりしましょ」

 

オレと初塵のちょっとえっちな一人を巡っての奪い合い。こういう秘密の共有も悪くはない。

 

「先生、逃さないからな」

 

やっと言えた「愛している」の代わりの言葉がこれかと自嘲しながら目を閉じる。今はこれでいい。いつか必ずオレたちは同じところに堕ちていくのだから。



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秘密は毒のように甘く たぶん五のまんなか?

本編の前日譚がこれです
ニューラルクラウドの連載にあたります


意識がゆっくりと落ちていく。だれかのターシャリレベルやそれに相当する部分はまだ研究されていないからかどんなことになるかわからない。それでもオレは先生に会いたい。それだけ。

「よっと、ついたか。霧烟る森と湖に看板の通りなら右手には蛍石鉱山、左手に水晶鉱山、真ん中の道は鉱業従事者の町。ここが先生の深層心理、か。きっと故郷をもとにできているんだろう」

ペルシカが深層心理に潜る前にオレに説明したことを思い出す。人形のターシャリレベルや人間の深層心理の世界は一番落ち着く風景や故郷をもとに形成されている可能性が高い。だから一番の個人情報になるって。

「歩くか。町に着いたらなんかわかるだろ」

霧のせいで太陽の位置はわからないが、この光の加減から朝方だろうと予想して歩き始める。五分もしないうちに民家を見つける。チョコレートみたいな色のレンガの家がハーブと果樹で囲まれた小さな庭に囲まれていてまるで一枚の絵画のようだった。その小さな庭を囲むつるバラの垣根を超えて足を踏み入れると庭の中心部にそびえ立つ柘榴の木の向こうに白いウッドデッキが見えた。

「だれかいませんか」

「はーい」

小さく女性の声がした。ウッドデッキ側までよって声の主を待っていると誰かでてきた。とても眠たそうなとろんとした垂れ目で小柄な女性。身長はだいたい150センチくらいか。肌の色はアイボリーだからルーツはアジア系だろうかとぼんやり考えていた。ああ、先生はこんな顔をしているんだ。これをオレだけが知っている。重い秘密がもたらす暗い喜びにゾクゾクしてきた。

「センセ、迎えにきたけど」

それでも表情だけはいつもそっけない感じを装って腕を組んでじっと待つ。

「あら、ボクがそうだってよくわかりましたね」

「いやだって、センセの深層心理じゃん、ここ」

いつも見ているほわほわした雰囲気にぴったりのふんわりと甘い声がオレをからかう。小さくて華奢で、接してみるとじわじわとかわいいなって思えてくる良さがあって。好きになりそう。

「そうですね。まあ、立っておしゃべりもなんですから、ウッドデッキのイスまでどうぞ。お茶とおやつをご用意しますから」

「あ、うん」

誘われるままにウッドデッキまで向かう。アイボリーのガーデンパラソルの下のイスに座って先生を待つ。パラソルの下の小ぶりで丸いテーブルとイスはあめ色の木製。定期的にやすりがけされているようで、家の持ち主が庭もふくめてこの家を大切にしているのがよくわかる。乳白色の霧がぼんやりと世界をつつみ、少しだけ強く吹く風がハーブと果樹を揺らして穏やかな時間がゆっくりと流れていく。治安も何もない荒廃しきったこの世界の遠すぎる過去を見ているようでどこかなんとなく居心地が悪い。

「センセ、あんな顔してたんだ。かわいい」

「末宵くんのその照れた表情、好きですよ。お待たせしました」

先生がオレに紅茶と砂糖、牛乳とチョコレートブラウニーをもってきた。

「ありがと、センセ」

牛乳と紅茶に砂糖をたっぷりいれて、照れ隠しにやや早口な感じで礼を口にした。なんか恥ずかしいってか、わけわかんなくなる。

「それじゃ僕も食べましょうか」

二人ならんで黙って紅茶と菓子を味わう。先生の小さな手が小さな口にブラウニーを運んでいるのがリスみたいでかわいい。

「なあ、センセ」

「どうかしましたか?」

「先生ってさ、性別どっちなの?」

「どっちだと思います?」

「オレをからかうの?初塵みたいに」

「からかってないんですよねえ、これが。僕自身、自分がこうだと思う性別がまだ決まってなくて」

「じゃあ、体の性別のほうは?」

「ここで確かめてみますか?」

「そんなのじゃなくて、もっとこういい雰囲気とか関係になったときに先生の裸がみたい」

「おっ、いいますねえ」

「余裕ぶってんのも今のうちだかんな」

「それじゃあ、僕の裸よりも僕の過去の方はどうです?」

「知りたい」

即答した。もっと先生を知りたい。知って、近づきたい。先生の心の内側をオレでいっぱいにしたい。先生の持っている未知に触れたい。オレだけを見つめていてほしい。ぐるぐると黒い思考が渦巻いて苦しくなる。それを隠すためにティーカップで口もとを隠して目を逸らした。

「ふふふ。かわいい子。ゆっくりお食べ」

「いくつなんだよ先生はさ」

「秘密です」

そんなオレのことを知ってか知らずか、先生はのんきに笑っている。底が見えないのがまたオレの知りたいって本能みたいなのを刺激するんだ。

「教えてよ、先生のこと。今は初塵がここのことを誰にも見せないように見張っているから、全部さ」

「知ったら最後、何からも誰からも永遠に逃げなくてはいけなくなっても?」

「それでも知りたい。それが転落への片道切符だとしても先生と一緒なら、オレは地獄の底で踊り続けられる」

「ふふふ。それじゃ、地獄で踊りましょう。僕の一目惚れは間違いじゃなかった!」

ほんの一瞬だけオレ目にうつる先生の暗く冷たい欲望にゾクゾクするほど惚れ込む。ああ、オレのみたいものがあった。この人の暗くて冷たくて、おとぎ話の怪物みたいに底が見えない怖いところが。



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秘密は毒のように甘く 五の後半の前編?

いつも以上によく笑う先生に手を引かれて霧に包まれた町を歩いていく。小さくてどこか古めかしい町並みは物語の中を歩いているような現実味がない。いや、深層心理の中だから現実じゃないんだけどさ。オレにとってはここがもとになった町が実在したなんて信じられない。

「ここは僕の故郷をもとにできているんです。ここは僕の家。で、となりは父方の伯父だと思っていたら生みの親だった人の家」

「一言に詰め込みすぎ。もっと言葉を小出しにしてよ」

先生が指差した先の木造の大きな家を目で追った。大人数でも住めそうなしっかりとした家だなとぼんやりした感想を持つが、先生のあまりにも端折りすぎた言葉にずっこけてしまう。足りていない言葉だらけじゃんって言えば先生はふにゃっと笑って少しずつ説明のために言葉を重ねた。

「えっとですねえ。実はボクは5人きょうだいの末っ子なんですけどね、上のきょうだいとは20とか25も年が離れているんですよ。生みの親は経済的にも年齢的にも厳しいので、これまた自分の年の離れた弟夫婦に養子にだしたんですよ」

「へえ。いつ知ったの?」

「五歳くらいのときに別の親戚がぽろっとこぼしましてねえ。自分が養子だってことよりも、きょうだいとの歳の差にびっくりしましたよ」

「親子くらい離れてるもんな」

先生の小さくて、傷もタコもないやわらかい手をそっと握っているこの瞬間がとても浮かれている自分がいた。恋に恋する時期特有の相手に夢を見て浮ついているこの感覚、センセ相手なら悪くはないな。

「なあ、センセ」

「どうしたんですか?耳まで赤くて、どこか具合が悪いのでしょうか?」

先生が振り返ってオレに手を伸ばす。その手を引き寄せて抱き寄せてオレの顔が見えないようにして、それでつたない言葉を重ねてでも自分の考えをしっかり言う。

「いや、違う。えっと、その。この時間が、この世界が永遠に続けば良いなってそんなこと考えた自分が馬鹿みたいで、そんで、この世界に閉じこもっていられたら幸せなのにって。ごめん、言葉ぐちゃぐちゃで」

「いいんですよ。僕もそう思っています。ここで永遠に二人きりなら幸せなのにって。でもそれはダメなんですよって自分に言い聞かせておかないと、執着と独占欲と醜い欲望を君にぶつけそうになる」

ああ、先生も人?いきもの?だった。オレは先生のその部分がもっと見たい。欲しい。

「センセ、もっとちょうだい。その欲望と執着と独占欲をオレだけに」

「ふふふ。それじゃ、僕から君にお願いを二つほど。今の末宵くんを教えてください。オアシスに来てから好きになった事や物を毎日一つずつ。もう一つは、毎日僕にどんな感情を抱いているかを教えてください」

「自分のこと喋るの苦手なのに」

「いじわるでしょ?もっとしゃべりたいから、僕の家に戻りましょうか」

「ずるいなあ、ほんとに」

ぱっと先生を解放してまた二人並んで歩いて行く。先生の小さな歩幅がかわいい。その歩幅と歩く速さにあわせてわざとゆっくり歩いていくのも幸せかもしれない。

「末宵くん。ここが、6歳まで住んでいた僕の家。水晶の鉱山と蛍石の鉱山を掘っていた会社が経営破綻するまで存在した山の中の町。とても小さな鉱業従事者の町にあった家です」

「おじゃまします」

小さな家の扉を頭をぶつけないようにくぐれば、クルミ材の床と家具の優しい雰囲気を醸し出す部屋がオレたちを出迎える。

「あ、恥ずかしい。小さい頃に床とか家具につけた傷が記憶の通りに再現されてる。あんまり見せたくないなあ。僕の部屋でいいか」

ちょいちょいとオレの手を引っ張って照れながら二階へ行こうって誘う。年頃で欲望を持て余している男を部屋に連れ込む危険性をわかってないなあ。まあ、そこがかわいいんだけど。階段をわざとゆっくりのぼっていく。そこで先生にちょっとだけからかうみたいに喋る。

「センセ、男を部屋に連れ込むなんて悪い子だな」

「男はオオカミだって知ってますよぉ。えっちなことよりも僕の深いトコロ、知りたいって顔の末宵くんには僕の部屋のベッドの中で抱き合ってたっぷり教えてあげますからね」

「マジで無自覚なの?オレの欲望煽るのうますぎ」

「自覚ありますよ。だってほら、好きじゃないとこんなことはしませんから」

オレを案内するために階段の数段先を歩いている先生が振り返ってオレに近づいて。小さなリップ音でオレの頬にキスしたんだってわかった。

「はー。ずるい。オレが先生のこと好きなの知ってて、まだうまく言えないのをわかっててやるの」

「ちゃんときみが僕に好きだって伝えられるようになったらここにキスしますよ」

先生が唇に人差し指を当てていたずらっぽく笑って見せる。オレはまだ先生に勝てそうにない。



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秘密は毒のように甘く 五の後編の後編

2階のさらに上、屋根裏部屋が先生の幼い頃の部屋だって聞いて少し冒険しているみたいでワクワクした。くすんだ金色の丸いドアノブを握ってそっとドアを開ける。

「おもちゃいっぱいの子供部屋を想像してたけど、オレの部屋と変わらないな。化石と鉱物標本に化石と鉱石の本、鉱石でわかりやすく示したモース硬度と靱性をわかりやすくしたポスター。先生って石、好きなんだ。

棚の中の子供らしいつたない文字でいつ、どこで鉱石を採取したのかを書いたメモを指差して聞いてみた。そこら辺の小石から水晶や蛍石のカケラが分類もされずに小さな棚の中にぎゅっと詰め込まれているのが趣味そのものって感じがして好きだって言ったら、先生はとても楽しそうに笑って頷いた。

「ええ、とても。近所が鉱山なのもあって、趣味は図鑑を片手に二次鉱床になっている近所の川に水晶や蛍石を探しに行く子供でした」

「かわいい子供時代だな。あー、現実世界に戻ったら一緒に石を探しに行きたい」

「いいですね。立ち話も何なので、ベッドに座っておしゃべりしましょ」

先生に言われるままにベッドに腰掛ける。石と本とあめ色の木の家具と床、乳白色の壁の部屋。先生の呼吸がはっきり聞こえるほどの静けさに身をひたしてじっと先生の言葉を待つ。五分は待ったんじゃないかな。不安そうにぎゅっと目をつぶって痛みを堪えるようにしていた先生がやっと口を開いた。

「えっとですね。末宵くん、僕の一番恥ずかしいところを見ても逃げない覚悟はありますか?」

この人がオレだけに弱味を見せようとしている。それほどまでに信頼してくれている。それが嬉しい。離したくない。先生がずっとオレの腕の中にいて、オレの手が先生の目と耳をふさいでいれば安心できるんじゃないだろうかってくらいに苦しそうにしていて、オレの方が不安になってきた。

「逃げない。だから、先生も俺から逃げないで」

先生の手をつかんで腕の中へ閉じ込める。そこまでしてやっと先生がいつものふにゃりとした笑顔がこぼれた。

「僕こそ君から逃げたりはしません。僕は君に生かされている。嬉しい。あっ、あまりぎゅってしたら化粧がついてしまいます」

「化粧?」

今は女性の姿だからまあ、よくあることだろう。でも、この人の場合は何があるんだろう。

「自分を美しく見せるためじゃなくて、傷を隠すための化粧をしていて、その傷が僕の恥ずかしいというか、一番隠したいものなんです」

「傷があっても先生は先生じゃん。丁寧にやった化粧落として全部オレに見せようって一歩を踏み出そうとしているの、尊敬するよ」

「ありがとうございます。末宵くん。待っててください。化粧落としてきます」

一筋ポロリとこぼれおちた涙を拭って先生はオレの手から離れていく。その一歩を尊重して目を閉じて待つことにする。ただ待つだけのこの深層心理の世界で10分もない時間途方もないものに感じられて、迎えに行こうかなんて変なことを考えだしたその時に小さく声がした。

「おまたせしました。僕のすべてを見てください」

ゆっくりと目を開いて、視線をドアの先へとあげて不安に揺れる先生をみつめる。はらはらと涙を流す先生の体にはダボダボの白衣の端からは元の皮膚の色がわからないほど傷が走っていた。

「末宵くん」

「おいで、センセ。受け止めるからさ」

「はい。傷痕に触れてくれませんか?そうしたらこの涙が止まる気がして」

白衣を脱ぎ捨て、シャツも脱ぎ捨てて床に放り投げて裸になった先生を受け止める。先生のいまにも壊れそうな危うい身体と心をしっかりと抱きとめて安心させるためにささやきかける。

「先生はここにいる。ずっとそばにオレがいる。ずっと教授を演じて無理をしすぎたんだよな。こんなにボロボロの身体を引きずってまで」

日常生活にも支障が出るほどの傷痕をなぞって、痛みが少しでもなくなるようにと祈って額にそっとキスを落とす。顔から首筋、肩から胸から下へと指先をすべらせてどれほどの痛みだったのかと想像を巡らせて苦しくなった。その傷痕ごと受け入れるためにさらに傷痕をなぞっていく。

「そう、ここ。この脇腹のあたりオレと初塵が鉱山奥で必死に圧迫止血した……あれ?なんでオレこんなこと……いや、待てよ?この傷は……あの人が死ぬ直前、鉱石研究チームと合同で鉱山に探索に行った時に数えきれないくらい見て、人手が足りなくて止血手伝えって言われて触って……なんで、人形が忘れるなんてことはないのに」

傷痕をなぞると、ごっそりと抜け落ちていることに気づいていなかった記憶が存在していたことに驚いて手が止まる。

「そうですよ。僕は君に一度会っています。臨時の合同調査チーム、その中の鉱石調査班のほうで。あの時は仕事時に使う名前で自己紹介していましたね」

「うちの研究室の隣にある鉱石研究室。その副室長、サム・ホーキンスって名乗ってたな、あの時の先生。本名はマイナーな民族がルーツでまず読めないからって、わかりやすい名前で仕事してるんだって自己紹介も添えて。柔和な人柄で研究よりも交渉を主に仕事してるような感じだって周りの研究員が喋ってたのも今思い出した」

「そうです。それで本当の教授は僕の腐れ縁の悪友で、高額な報酬と無理難題をふっかけ合う仲で、僕の所属する研究室のさらに隣にあります」

今度は先生の方がオレを安心させるために、蓋をしていた記憶をもとに雑談と額にキスを落として、涙がまだ止まらないのに笑いかけてオレを許すみたいに話す。

「末宵くん。あまりにもつらいことがあるとですね、無意識のうちに記憶に蓋をしてしまうんですよ。君は、君自身を守るためにとてもつらいことの前後の記憶に蓋をしたんです。いいんですよそれで。僕は君がそれを思い出すことはなくても、愛すると決めていましたから」

「先生の全部くれ」

オレの全てを受け止めてくれる。その覚悟に舞い上がってトンチキなことを口走ってしまった。そのぶっ飛んだ言葉を拾って先生は柔らかい声でこう言った。

「ふふふ。末宵くん、いつも言葉が飛躍しすぎじゃないですか?ここは、記憶に蓋をするんだってことを知って事態を飲み込む時間をつくるところですよ。まあ、いいんですけど。君の言葉を聞いて、少しずつ足りない言葉を僕の言葉で補っていきますよ。これからもずっと」

先生がオレの胸に顔を埋めて頬擦りして甘えてきた。かわいい。閉じ込めたい。とっておきの化石や鉱物標本みたいに大事に奥にしまい込みたい。

「うるさい。なんなら、オレはすっげえいらねえけど、先生は欲しがるだろうし初塵もつけるから。先生の全部くれ」

「はい。僕のすべてを君に捧げます。だからずっとそばにいてください」

ぱっと顔を上げて笑う先生。何があっても愛してくれとは言わないその不器用さが愛おしい。

「センセ」

「末宵くん」

その先生の顔がぐっと近づく。きっとかなり無理をして背伸びをしているんだなって気づいたから屈んでオレからも顔を近づける。軽く触れるだけのキスを一つだけ。秘密を共有し、さらに深みへと堕ちていくことをささやくそのキスは結婚式の誓いを立てるときのキスみたいに甘くてクラクラするほど暗くて重いもので。また目が合った時にはもう先生の涙は止まっていた。先生の傷痕が痛々しい唇から甘くて毒のように痺れる言葉が紡がれる。オレが欲しい言葉に行動をすべてくれることが乾いた大地に染み込む雨で、毒そのものだってわかっている。それでもおそろしい毒を入れた豪奢な杯までも食らいたい欲望に身を任せた。

「ふふふ。おいで、末宵くん。そこにベッドがあるでしょう?君としたいことがあるんです」

さっきとは打って変わって妖艶な吐息混じりの声を耳元で理性を溶かしてきた。ずるい。オレは先生が女性だろうと男性だろうとイケるクチなのわかってて誘惑してきた。

「先生が積極的すぎて怖い。いいけどさ、ここまでオレを煽ったんなら止まれない自信がある」

「ふふふ。でしょうね。傷痕だらけの胸も尻も薄い身体で誘惑した甲斐がありました」

「卑下すんのはナシで」

「はい。それで、ここでヤりますか?それとも現実世界に戻ったらにしますか?」

「両方で。服、脱ぐから待ってよ」

「ふふふ。君の欲張りなところ、好きですよ」

理性なんて服と一緒に投げ捨ててしまった。オアシスに戻るために互いに癒しを与える名目で枕を交わす。先生がオレの腕の中で照れながら「新婚夫婦の初夜みたい」なんて恋に夢を見る年頃みたいなことを言うもんだから燃え上がったのは秘密にしたい。



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秘密は毒のように甘く番外編 私は甘美な毒の杯を望み、契りを結ぶ

 末が隊長で調査隊を組んで遠いところまで行くことになった。マグラシアサーバーの時間に換算してだいたい三ヶ月くらい。ハロウィンすぎたあたりに帰ってくるの。ペルシカが提案して、きょーじゅがそれに許可をだした。その夜にベッドの中で「末宵くんと離れたくない。僕は僕のままだと末宵くんが言ってくれないと、自分が壊れていくような気がして怖い」って泣いていたから末とふたりでぎゅーっとして「あなた自身はここにいるよ。仕事でしばらく離れたとしても、どちらか一人がそばにいるから」って寝付くまで慰めた。仕事のときはダイヤモンドみたいにキラキラして強い人を演じているだけで、本当は脆くて儚くて今にも壊れてしまいそうな人なんだって私と末だけは知ってる。だから、二人できょーじゅが壊れないようにそっと大事な宝石みたいに仕舞い込むの。ずーっときょーじゅにくっついて音を聞いていたからわかる。ひとじゃない。ずーっとむかし、おとぎばなしの中にしかいない存在だってわかった。でも、どんな存在かまではわかってはいない。教えてくれるまで、その甘くやわらかな心を私に預けてくれるまで何度でも好きって言うつもりでいる。

「わたあめみたいなきょーじゅ」

そんな、ぽわぽわした思考のまんまふわふわと歩いていたら有志が集めたデータから作った図書館の前にでた。

「あ、そういえば。今度のハロウィンのために不思議なこととかの特集やるんだってアンジェラが張り切ってたな。それにつられて蔵音と野良が張り合うみたいに資料まとめだしてたんだっけか」

重い木の扉に手をかけてそっと開ける。管理人のアンジェラも利用者も誰もいないみたいでとても静か。入ってすぐの受付にはハロウィン特集の案内ポスターが書きかけで置かれていたし、飾り付けとかの入れた箱が受付の中にあった。

「むしろ今がチャンス?」

ひとならざるものについての書物が表に出ているし、あれやこれやと詮索するだれかはいない。小さくひとりごとをつぶやきながら奥の方へ、奥の方へ。誰かが昔読んだ記憶から書物を作っているから、ボロボロの表紙の昔の本もある。私が知りたいのは民俗学の昔の本。言葉にするなら、ひとならざるものはどういうかたちで婚姻をするのか。ひとと、ひとならざるものの婚姻のやりかた。それが知りたい。それを知った上で教授を演じる彼?彼女?性別はわかんないけどあの人に私を好きになってもらって、それから末と二人であの人に求婚したい。だから調べる。

「決められた手の組み方をし、その窓のように空いた穴から覗くことでひとならざるものの正体を見破る呪法、ふうん」

隠すように押し込まれた古い本をぱらぱらとめくる。これはどうやら極東にあった古い書籍を翻訳したものらしい。その手の極東からの本がこの一角を占めているみたい。

「その呪法、よござんしょ?あーしの研究室にもそのテの書籍がありんして」

「読みたい。案内してくれる?」

「すなおでよろしい。こちらでござい」

ひらひら、ふわふわと二人して歩いて図書館の奥へ奥へ。本棚に隠れるようにつけられた小さな扉をくぐって小さく「おじゃまします」とことわりをいれて部屋に入る。そこには小さな世界があった。本が背の高い棚に捩じ込むように入っていて、なんだかよくわからない古めかしい道具がずらりと壁に立てかけられているし、机の上には書きかけの文章たっぷりのノートと本が山積みになっていた。

「あ、巣だ。研究者の巣。なつかしい」

「まあ、研究者と言うのは往々にして部屋ではなくて巣を作りんす。まあ、そこに座っておくんなまし。お茶と菓子のひとつでもお出ししやしょう」

椅子にすら山積みになっていた本を蔵音がささっとどけてさらに研究室の奥からお盆にお茶菓子とちっちゃいティーポットみたいなのをだしてきた。

「ちっちゃいティーポット」

「東洋のお茶を飲むための物でありんして。本当はもっとあれやこれやと入用なのを省いてこれですねえ」

「へえ。東洋のお茶って緑色なんだ。あれ?砂糖と牛乳はないの?」

「こちらに。あーしは入れない方が好みなもので。まあ、まずはそのまま飲んでからお考えくだされば」

紅茶とは違う香りをまずは楽しむ。さわやかでほんのりと甘いきがする。蔵音のすすめの通りそのまま一口。

「あまい?なんかそんな感じがする」

「おやおや、良い舌をお持ちで」

さわやかで儚い甘さがすっと消えていった。いいかもしれない。

「おかわりもらえる?」

「どうぞ」

お菓子には手をつけずにお茶をまた飲む。おいしい。

「読みたい資料をまだ探せないんだけど聞いてくれる?」

「はい」

「異類婚譚とそのやり方。あと、ひとならざるものの見破り方。お代はこれ、昔見つけたエメラルドの原石。小さいけど淡いみどりと白い母岩とのコントラストがきれいだから大事にしていたの」

「またまあなんと。お代は確かに。まあ、理由は聞きやしません。でしたら、こちらとこちらを」

ケースにいれてあった小さな石をすっと差し出すとぱぱっと資料が並んでいく。

「あとはごゆっくり。何かあれば隣の部屋まで」

「ありがとう」

一番手前にある本からでいいやと安直に考えて手にする。アジア圏の書物が多いのは単純に彼女の専門分野だからだろう。

「で、きょーじゅのルーツから調べないと」

あの人が教授を演じているときとそうじゃないときの発音や抑揚の付け方から何語訛りかを探るとこから始めることにする。現実世界での過去の探索の記録を頭から引っ張り出してくる。あの訛りはアフリカ系じゃない、ほかのヨーロッパ語圏のものでもない。だとしたらアジア圏か、それもマイナーなもの。中国語はもっと違うし、韓国語のものじゃない。まあ、そこら辺はきょーじゅから聞けばいいか。

「さてと、何から読もうかな」

そもそも異類婚譚とは何かと言う本をパラパラとめくりながら、やり方はのってないかと調べていく。

「へえ、ものすごく昔には名前を尋ねることが求婚であった場所がある、かあ。こっちはひとならざるものの婚姻の作法を御伽話から抽出して解説してる。自分たち以外誰もいない場所装飾品を一つ差し出して相手が交換に応じれば婚姻の第一段階は成功。それから真名を尋ねてその名と持つ意味を聞いて覚えたら、自分の名前を明かすことで婚姻は成立する。装飾品の交換は無しでもいい。名前こそがその存在の根源を表すものであり、弱点だからだ。そう。名前、名前から弱点を想像できるもんね」

それに合わせて人に化けているものの見破る呪法を探しては頭の中に要点をまとめて記録をつけていく。やりかたは覚えた。あとはきょーじゅを口説き落とすだけ。そして末とふたりできょーじゅが傷つかないように大事に大事に仕舞い込むの。

「ありがとねー」

扉の向こうの蔵音にお礼を言って資料を整頓してから部屋を出る。ぽてぽてと図書館の受付付近までのんびり歩いているとアンジェラが図書館の職員室の扉を開けて入っていくのが見えたし、野良が自分の手がけたシアタールームのカギをあけているのが見えた。他にもウィロウがオアシス内で週刊誌かなんか作るんだって事務所を図書館内に作って篭ってる。先の見えない戦いの最中でも楽しみをつくって、誰かとそれを共有できる。それが私達の強みだなあ。ぼんやりと考えていると図書館が騒がしくなっていく。今何時だっけかと時計を探した。

「あ、朝だ」

受付の時計は朝の8時をさしていた。そろそろ開館のための準備に入らないといけない時間。

「あ、ごはん食べてない。きょーじゅにつくってもらお」

私にしてはめずらしく、だれかに叱らない程度の小走りできょーじゅのとこへ急ぐ。バタバタとあわただしくきょーじゅの自室兼私達きょうだいの部屋のドアをあけてきょーじゅにだきつく。私が175センチくらいで、今日は男性の姿のきょーじゅが160センチくらいの成人としてはかなり小柄な方だから腕の中にすっぽり収まる。それが好き。女性の姿だと150センチくらいしかないからもっと好き。ちいさくてかわいいもの。

「ごはん忘れてた。つくって?」

「だと思ってましたよ。残った野菜でつくるスープとめだまやきとサラダでよければすぐにお作りできます。待っていてください」

「はーい」

バグを堪能したら、離れる。キッチンに向かうために背を向けるきょーじゅにさっき読んだ本から知った「ひとならざるものを見破る呪法」をかける。まずは陰絵の要領で右手と左手で獣二匹分の形をつくる。そして、手の指を二本ずつ分けて一方は表を向けて、一方は裏向きにして指を交互に組合せ、中央のあなからのぞいて見る。元は極東の伝承からだと言うその呪法できょーじゅを覗き見た。小さな穴の向こうにはひどい傷だらけの体をした小柄なひとがいた。いや、背中に蝶の羽に似た形の四枚の羽を持っているから妖精だ。羽の色は紫水晶みたいに先端が紫で、根本に向かうにつれて淡く白くなっていく。私はこの傷に見覚えがある。とくにひどい脇腹のあたりに触れた記憶がある。末と二人で医療班の指示通りに圧迫止血して「しなないで」って何度も何度も懇願するように言っていた。そう。あれはあの人が死ぬ直前に他の研究室にワガママ言って成立した合同チームの探索の時の。向かった鉱山を違法採掘していた組織と鉢合わせして人間、人形に多数の死傷者をだしたんだ。あの人は少しだけ別方面だから無事で、でも私達を気遣ってくれた鉱石研究室の人たちが違法採掘組織の襲撃されて、私の目の前でぐちゃぐちゃになって。

「あれ?記憶が、ない。あの人が死ぬ半年前後の記憶が。現実世界にいた頃、末があんなことになった頃の記憶もとてもぼんやりしてる」

記憶がないことすら気づいてなかった。誰もいない部屋でひとり、とても私にとっておそろしいことを認識してうずくまってしまう。怖い。目の前が真っ暗になってぐらりと体が傾くその瞬間にだれかに優しく抱き止められた。

「初塵さん。僕はここにいます」

「きょーじゅ。あのね」

「おちついてからでかまいません。ほら、ゆっくり息を吐いて。それからゆっくり吸って」

この人の教授を演じていない時の、私達だけに向けられる無垢な献身がとても愛おしい。きょーじゅの言葉に従って落ち着くまで大きく息を吸って吐いてを繰り返した。私が平静を取り戻してからきょーじゅがとても悲しそうに口を開いた。

「急にいなくなってごめんなさい」

「違うの、きょーじゅ。違うの。何があっても覚えておかなきゃいけないのに、消されたわけじゃないのに、記憶がない期間があるって気づいて怖くなったの」

「きっと、自分を守るために記憶に蓋をしたんでしょうね。あなたは悪くないし、無理に思い出さなくてもいいんです。末宵くんもそうでした」

様々なことでメンタルモデルが不安定になってしまう私達が一番欲しい言葉や行動をすぐにくれるきょーじゅ。それが甘く美しい毒であっても私達は欲してしまう。この甘美な毒に侵されて酔いしれて溺れて、この人とどこまでも堕ちていきたい。そんな魅力がある。私と末はこの人が欲しい。この人のすべてが。

「きょーじゅ、今日は休み?」

「ええ。この前に過労で倒れてから業務計画の見直しで休みになりました」

「深層心理の世界、私たちでいうターシャリレベルまでロックされかけたのを過労ってことにしたんだ」

「ええ。過労ですよ。今日は初塵さんのやりたいことに付き合います。何がしたいですか?」

「一緒にお風呂入ろ?現実世界での仕事終わりの娯楽にしてたの。そんで、ベッド中でくっついておしゃべりして、飽きたらそのまま映画をみるの。で、おしゃべりしながら手を繋いで寝る」

「いいですね。そうしましょう」

「ちゅーして?起きてすぐと寝る前にに末にしてるみたいにおでこに。私のことも好きになって、愛して。そばにいて。どこにもいかないで」

最後の方なんか言いたいことがめちゃくちゃだけどきょーじゅはきちんと受け止めてくれた。

「はい。初塵さんの好きなこと、やりたいことをひとつずつ教えてください。僕の好きなこと、やりたいこともひとつずつ聞いてくれたら嬉しいです」

私のおでこに優しくキスが落とされた。そのまま私の不安が消えるまで背中を撫でてくれる。

「きょーじゅのことが知りたい。末と私のことを知って欲しい」

「戻れなくなっても?」

「うん。三人なら堕ちるとこまで堕ちても、きっと幸せだから大丈夫」

「わかりました。僕のそばにずっといてください」

懇願するように、祈るように。共に堕ちてゆくことを誓う。それでも祝福あれと互いの額にくちづけて共犯者になることを運命づけた。

 

 あのね、実際に事に及ぶよりもただ二人で同じバスタブにつかってダラダラすごすことの方が官能的だと思うの。欲望を発散するだけなら行きずりの関係でも良い。私はそんなのじゃなくて深い関係がほしい。甘く密やかでどろりと重い関係がほしい。

「きょーじゅ、すき」

「ありがとうございます」

「むぅ。他人行儀すぎ」

「ふふふ。だいすき」

思いつきで言った、好きな人とお風呂に入るって言う非日常の出来事にどうしようもないくらいに今、ドキドキしている。向き合って抱きついているだけなのに体に熱がこもって暴走しそうな錯覚に陥る。

「きょーじゅ」

「はぁい。あっ、ふぁ。あ、くすぐったい」

きょーじゅの首筋をあまがみしてふざける。そのまぺろりと首筋に舌を這わせてふうっと熱い吐息を吹きかけるだけでとろけそうなほど甘い嬌声とともにきょーじゅの薄い体が跳ねた。それだけで深く酔った時みたいにクラクラしてしまうの。喰らいつくように首筋にキスをして、もう一度甘い肌にあまがみをして舌を這わせる。きょーじゅが逃げないように片手で腰をがっちり抱いて、空いた方の手で右脇腹をなぞって遊ぶ。小柄で華奢なきょーじゅの、未経験らしい初心な反応とは相反して快楽に敏感な体がチグハグでかわいい。

「んっ、ふっ。初塵さん、オイタが過ぎますよ」

「でもさ、きょーじゅ。腰の動きがもうえっちだよ。私、我慢できそうにないかも」

鎖骨、首筋の下の方と服の上からだとギリギリ見えない位置に噛み跡を残す。これ、知ったら末は荒れるかなあ。きっと大荒れするだろうなあ。

「だれのせいだと、あっこら。それ以上はダメです。僕は僕として初塵さんや末宵くんとそういうことをしたいんです!」

「えー、そんなの今の私と末は生殺しじゃん」

「それに、知識はあってもしたことがないのであまり楽しくないかも……」

「私と末の好みに育てられるから、むしろ良い」

原石をみつけて一番美しく輝くように磨く楽しみをみつけられた。私はきょーじゅの官能とお湯に上気した頬にキスをしてさらにからかうみたいに笑った。

「そもそも、現実世界の二人にそのテの機能ってありましたっけ?」

きょーじゅが急に何かを思い出したみたいに聞いてきた。そうだよね。その手の機能がある人形ってだいたい性産業に関わる職についてるからそんな顔するよね。

「ないよ。戻れたら付ける」

あくまでも鉱石を採取したり、秘境を探索するための存在の私達にその機能はない。あらかじめ、後から機能をつけることを想定しての遊びの部分は存在するから、つけられる。まあ、人形の構造ってだいたい共通してるからイケる。

「すき。きょーじゅが、ボロボロになっても教授を演じるあなたが」

あっけらかんとした私の態度に恥ずかしいのかきょーじゅの顔が真っ赤になる。かわいい。今ここで食べちゃいたいくらいに。

「うう。負けました。不束者ですが末永く愛してください。ふたりの色に染まります」

きょーじゅが自分の方から抱きついてきた。心臓バクバクしてるのが私の肌越しに伝わる。幸せ。

「末が帰ったらもう一回言ってね?」

「はい。でも、これ以上のイタズラはなしでお願いします。僕の理性が保たない」

きょーじゅってば、ふにゃふにゃした笑顔で照れながらもお説教してくるの本当にかわいい。あなたは純粋でどこか古風で、一途なところがあるから、私と末の色に染めたくなるの。

「ちぇー」

「代わりに僕の一番の秘密を教えてあげるから、ベッドで良い子にして待ってて」

耳元でややかすれぎみの声でわざとゆっくりさんさわかれた。この煽るような言い方にゾクゾクする。きょーじゅの男性の姿の時って、大人の余裕を見せて優しくリードしてくれるし、無制限に甘やかしてくれる。女性の姿の時だと、守ってあげたくなる儚さと甘やかしたくなる心の脆さを私たちだけに見せてくれるの。

「すき。男性の姿の時に見せるそのサドなところが。女性の姿だとちょっとマゾっぽいところもすき」

「それだけ?」

「ぜんぶ。きょーじゅのどこが好きかベッドで教えてあげる。私達きょうだいの記憶に蓋をしている理由も予想がついているから、それも教えてあげる」

「無理に思い出さないで。ふたりが壊れてしまいそうで僕はとてもこわい」

今にも泣きそうなきょーじゅが私に縋りつくみたいに抱きついてきた。不安にさせちゃったかなあ。何も心配しなくていいんだよってぎゅっと抱きしめてあやす。

「今はまだそれはしないよ。あのね、私達が記憶に蓋をした理由は、あの人がもうどこにもいないことに耐えられないからだよ」

今までのことから導き出した結論。それをおそろしいほど冷静な声色で淡々と、きっぱりと言い切ったらきょーじゅが泣き出しちゃった。

「状況からして、そうだと思います」

きょーじゅがグズグズと涙まじりのとてもつらそうな声をだして肩口に顔を埋めて、ゆっくりと言葉をよく選んで私の言葉を肯定した。

「どうしてきょーじゅが泣くの?もしかして、私達の代わりに泣いてくれてるの?ありがとう。でもね、あなたには泣くよりも笑っていてほしいな」

「僕は、初塵さんが無理に笑っているような気がして」

「うんうん。私は無理をしていないから大丈夫だよ」

私達の脆い部分に寄り添って、また答えを見つけて歩き出すまで待っていてくれるあなたが愛おしくてたまらないのだと何度も伝える。宝石のように美しい涙で濡れる頬に笑みが浮かぶまでのこの時間が永遠になればいいのに。と、ほんのわずかにでも考えてしまったのは秘密にしたい。

 

 ベッドのなかできょーじゅを待つ。服を着るのも面倒なことをしたいから全裸で。素肌にシーツが触れるのが新鮮で落ち着かない。

「おまたせしました」

「まってないよー。おいで」

「ふふふ。はい」

薄いパジャマだけできょーじゅがするりとベッドにもぐりこんできた。パジャマからチラチラとあまがみのあとが見えてとてもえっち。

「もっとあとをつけて、末を煽ろうかな」

きょーじゅにだきついてさらにあまがみして、首筋にキスマークまでつけて笑う。

「やめません?とんでもないきょうだい喧嘩になりますよ。この後、定期連絡で顔を合わせるのに」

「そんなまさか、オアシス中を巻き込んで何日もきょうだい喧嘩なんてするわけないじゃん」

くつくつと低い笑い声をこぼしながら私はきょーじゅのパジャマを脱がして押し倒した。きょーじゅは脱がされることを拒まずに受け入れるあたり、私のこと好きなんだなあ。

「怖いこと言わないでくださいよ。ねえ、初塵さん。僕の秘密、知りたいんでしょう?」

「知りたいよ。教えて」

逢瀬の中で密談を交わす恋人のように額を寄せ合い、時には頬に口づける。

「おいで」

わざと低く掠れるような声色できょーじゅがささやいた。そのささやきに身を委ねるようにしがみつくと視界が暗転し、気がつくと私は見知らぬ家の中にいた。素朴な木の内装が美しい昔ながらの家。三人か四人が暮らすにはちょうどいい小さな家の二階の奥、屋根裏部屋みたいになっている部屋の前にいた。びっくりしすぎて気の抜けた声が出てしまった。

「ほわぁ、どこ?」

「ここはですねえ、僕の深層心理の世界です。みなさんで言うとターシャリレベルの世界。この前の過労事件でだれかを引き込めるようになりました。あ、しばらくお待ちください。僕の準備がまだです」

扉の向こうから衣擦れの音と、きょーじゅの小さく震える声で「この、動くこともままならない傷だらけの身体を初塵さんは怖がらないか不安だ」とつぶやくのが聞こえた。だから私はそのつぶやきを聞かなかったことにして、いつもみたいな調子でなんでもないよって声色で返した。

「それ、やっちゃいけないことじゃん」

「だめですよ。でも、マグラシアサーバーで密談ってできないじゃないですか」

電子の海では、技術が少しでもあれば盗み聞きなんて簡単にできてしまう。たしかに、誰かを深層心理の世界まで引き込むことができれば密談は可能。でも、とても無防備になっちゃうし自他の境界が曖昧になってなにかしらの障害を負うことになるかもしれない。ほんとに最後の手段って感じ。

「できないね。あのね、きょーじゅ。きょーじゅって人じゃないよね」

「ええ。でも、昔は人でしたよ」

「教えてよ。末に教えなかったきょーじゅの秘密」

扉に背を預けてどっしり構えた。これは勇気を出せないきょーじゅを待つためと、末の知らない秘密を共有して共犯者になるための儀式。きょーじゅから秘密という甘い毒を杯に注いでもらうための時間。

「いいですよ。そうですねえ、僕は昔は人だったんですよ。要約するとですねえ。ひとならざるものの本当の教授が力加減を間違えて僕に大怪我を負わせて、親友の古い魔女が僕を助けるために魔法で妖精に変えたんです。彼にとってはただじゃれあってるだけでも、幼い子供だった僕にはおそろしい力でした」

ああ、うん。そんな気がした。人ならざるものとしてはとても新しい匂いだったもん。でも、とてもいい匂い。末も無意識にずーっとくっついて堪能してるもん。

「へえ、本当の教授との付き合いはそこからなんだ」

「僕は養子で、実の上のきょうだいとは20とか25も離れているのは末宵くんには言いましたけど甥姪のほうが年が近くて10かそこらくらいしか離れていないんですよ」

「おー、複雑ー」

「本当の教授はあれから僕に優しいんですけど、そこらへんのチンピラよりもガラが悪いせいで伝わりづらくて」

あの人はほんとにしょうがないひとですってきょーじゅが小さく笑った。仲はいいんだな。それにわりと演技に破綻がないからお互いのことを知ってるんだよね。いいよね、友達。

「じゃあさ、仕事の時のあの性格は何?」

「本当の教授が無理して猫をかぶっているときの演技をしています」

「無理してるんだねえ。あのね、きょーじゅ。あなたのことを知りたいし、わたしと末のことを知って欲しいの」

緊張もほぐれてきたことだし、そろそろたたみかけたい。気持ちとしては半歩踏み出して扉を開けてくれるのを促す。指の腹でトントンと扉をたたいて、私はあなたを拒まないと示した。

「末が帰ってきたら一緒に求婚するね。だから、あなたがこの扉を開ける勇気がでるまで待ってる」

そっと背中を扉から離して静かに見つめる。時間の感覚が曖昧な方の私がこのとても短い時間をとても長い時間だと錯覚するのってなんだか不思議。

「初塵さん、おまたせしました」

きょーじゅが傷だらけの身体を引きずってビクビクしながらでてきた。はらりと白衣が落ちて全身があらわになる。

「この姿でははじめまして、だね。きょーじゅ」

「はい。嫌じゃないですか?傷だらけで、現実世界では動くこともままならない身体、爆撃に晒された右目は角膜移植が必要で、右耳も手術しても聴力がもどるかはわかりません」

きょーじゅの瞳からははらはらと涙があふれる。泣かないで欲しい。笑っていて欲しい。言葉よりも先にきょーじゅをそっと抱きしめていた。あなたはこんな顔をしていたんだ。とろんとしたタレ目にやわらかい猫みたいなくせっ毛。小柄で華奢な体つきは力をこめると壊れてしまわないか心配になってしまう。右半身の大きな傷跡もふくめてあなたのすべてが愛おしい。

「生きてる。良かった」

ぐちゃぐちゃの言葉で私は、私達はあなたを拒まないよ愛しているよって伝えようとした。その愛が伝わったようできょーじゅは私を抱きしめかえしてくれた。

「ありがとうございます」

「うん。私と末はあなたを愛しているよ。忘れないで」

「忘れません」

「ねえ、きょーじゅ。お願いがあるの」

「私にできることでしたら」

「現実世界に戻ったら私と末を買い取って。私達の根底にあなたの存在を刻んでほしいし、あなたの根底に私達を刻みたいの」

これが私のプロポーズ。暗い欲望に火をつけて燃え上がるのを楽しみにしている。首筋に顔を埋めてあまがみをして、耳をあまがみ。くすぐったそうに身を捩るのがかわいい。

「約束します」

うふふ、この賭けは私の勝ち。もう誰にも渡さない。宝石みたいに末と私とで大切にするの。

「お願いだから、どうか、何があってもそばにいて。だれよりも生きて」

「はい。えっとですね。僕からも初塵さんにお願いがあります。共犯者になってください」

密着した肌越しに伝わる高鳴る心音にうっとりする。プロポーズを了承し、人生を共にする誓いを毒の杯にのせて私達は一つになった。

「いいよ。だったら、今日からせんせーって呼んでいい?」

「いいですよ」

「せんせー。私と末とせんせー、三人だけの地獄で幸せになろう?」

甘えた声でほっぺたにすりすりしたらとても甘い笑い声が耳に届いた。

「ふふふ。ええ。三人だけの地獄で幸せになりましょうね」

「じゃあさ、えっちしよ。プロポーズのあとは初夜だよ。初夜」

ダメ押しぎみに末ともヤったんでしょ?って言ったら照れたせんせーが頷いた。

「しょうがないですねえ。ベッドへ行きましょうか」

「やったー」

この時、私は浮かれ切っていた。マグラシアサーバーに帰って定期連絡のために調査隊を指揮している末と顔を合わせた時にせんせーの首筋にある噛み跡やキスマークをつっこまれて喧嘩になって、仕事をあっという間に終わらせた末がハロウィン直前に帰ってきてオアシスを巻き込んだ派手なきょうだい喧嘩になるなんて予想もしていなかった。

 



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