樹海に入れる特殊体質の少年(前世持ち)が愛する三ノ輪銀のためにいろいろ頑張る話 (exemoon)
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鷲尾須美の章
出会い


ミノさんのこと考えたら夜も寝れなかったので初投稿です。


―――だれにも頼ってはいけない。

 

この体になってから常にこの強迫観念染みた考えが頭にこびりついていた。

その考えを自覚したのがいつだかは分からない。

ただ、理由は分かる。

自分、赤嶺頼人(よりと)にはいわゆる前世の記憶というものがあった。

前世の自分は失敗も多かったが懸命に働き、比較的若くに死んだ。

それ故に、なのだろう。

身体は子供でも、自分は大人なのだという意識が心に巣食い、歪んだプライドが醸成されていった。

無論、自分は幼く一人では生きていけないことは自覚していたし、この体の親は優しく、感謝の気持ちもあった。しかし、どうしても心の底から家族だと思うことはできなかった。

この人たちは前世の自分より年下なんだ、という捻くれた見方を無意識にしてしまい、彼らに甘えることをプライドは、自分は拒否した。

本当に、こんな狂った強迫観念があるのに頼人なんて名前は皮肉が効きすぎているとしか言いようがない。

こうして、子という役割を果たし親を困らせない「いい子」という歪な存在が生まれた。

思えば、この時から俺には生の実感というものが致命的に存在していなかったように思える。

何をするにも、前世の自分が思い描く完璧な振る舞いでしか行動できない。

おかげで、この世界の節々に感じる違和感もそれほど気にせずにいられる。

 

自分が新たに生まれ落ちた家はどうやらそれなり以上の名家であったらしく、子供には少々過度な教育を施していた。

自分が小学校に入った時点ですでに基礎的な武術、高等教育レベルの教養を叩きこまれていた。

だがこれは、俺には前世から引き継いだ記憶と知識があったことが原因であろう。前世の世界とは文化の細部が違っていたとはいえ、これ等の蓄えは大いに役立ち、家庭内教育において常に期待以上の結果を自分は出し続けていた。

それに応えるよう親は教育のレベルを上げ、当初の想定以上の教育を自分は施されたのである。

 

ほどなく、自分は赤嶺の麒麟児と呼ばれるようになった。

小学校に入ったばかりの子供が高等教育水準の教養と知性をモノにし武術などの才能も持ち合わせていたのだ、ある種当然の反応だ。また、こう呼ばれたもう一つの要因は大人に対し、可能な限り理知的かつ礼儀正しく振舞っていたからであろう。早い話が前世で学んだ処世術だ。この国は礼節を重んじるものを好むものが非常に多い。特にそれが幼子であれば余計にだ。余所の大人たちは自分の振る舞いに甚く感服したらしく、こうした贔屓目もこの呼び名の原因であったのだろう。

 

小学校に入ってからも、前世の処世術は役に立った。クラス内で快適に過ごすのは簡単な話だ。適度にクラスメイトと外で遊び、勉強を教え、分かりやすい形でみんなに優しくする。

例えば、クラスで孤立している子には積極的に話しかけて、友人関係を結ぶ。孤立している子ほど優してくれた相手に懐きいろいろと便宜を図ってくれる。故に、これは周囲に優しさをアピールするだけではなく、自分の味方を増やす非常に有用な策となった。

そして、神樹館小学校は名門で風紀や生徒のモラルが良好だったため、表立って自分を嫉むような存在もいない。実に理想的な環境であった。

だが、相変わらず生の実感は得られていない。

理想的な環境にも拘らず、毎日に現実感がなくまるで夢を見ているように生活する日々。

あるいは、実感がないからこんな理想的な、人形染みた生活を送れているのだろうか。

どちらにせよ、前世の記憶が思い描く理想的な日々を人形のように過ごすだけで、自分の一生は終わりを告げるのだろう。

 

 

小学校に入り二度目の秋を迎えたある日、自分は風邪をひいた。厄介なことに小学校に登校してから症状を自覚してしまい学校を休むことはできず、また早退はしなかった。早退となると親に連絡がいき、車で迎えに来てもらうことになる。それは、自分にとって親を頼るようで、また体調管理のできない人間とも思われるようで酷く耐えがたいものだったからだ。なので、結局自分は保健室で適当な理由をつけて風邪薬だけもらい、そのまま授業を受けた。それは、大人としてみても不完全な対応で、とても完璧な振る舞いとは言えなかった。

 

そして、放課後。

この熱は思ったより重傷だったらしく、案の定というべきか、当然というべきか、俺は下校途中で動けなくなってしまった。馬鹿な話だが、それでもなお誰かに助けられることを嫌がった自分はできるだけ目立たない場所で小さく蹲っていた。その姿はまるで路傍の石。

 

―――そんな石ころを、彼女は見つけた。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

大きくも、幼さを色濃く残す女児の声。

どうやら、自分を心配しているらしい。ここまで来たのに、まさかこんな女児の手を借りるわけにはいかない。

最早、ただの子供の我儘だ。

大丈夫だから、と彼女を拒絶する。しかし―――

 

「そんな格好してて大丈夫だなんて、そんなはずないだろ!?って、すごい熱じゃないか!とりあえず、アタシの家行くぞ!すぐそばだから!」

 

彼女に肩を貸されて、ふらふらと歩く。制服を見ると、どうやら彼女も神樹館小学校の生徒らしい。しばらく彼女に連れられていると、少し大きな日本家屋に入った。その時にはもう意識も朦朧としていて、目を開けるのも一苦労だった。やがて、身体が柔らかな感触で包まれ、意識が遠くなっていく。ああ、布団に入れられたんだと気づくと同時に彼女の名前を聞きそびれたことが妙に気になった。

 

気が付けば自室。あのあと、家の人間に迎えに来てもらったようだ。久方ぶりに両親に怒られた。いや、ここまで怒られたのは初めてかもしれない。もう少し親を頼りなさいだとか苦しいことは苦しいと言いなさいだとか色々な事を言われて、抱きしめられた。

両親の、俺への愛情は本物なのだと感じ、少し胸が痛んだ。

だが、そんな事は俺にとっては些細なことだ。

自分を助けたあの少女の事が気になって仕方がない。

両親に尋ねると俺を助けてくれた彼女は三ノ輪さん、というらしい。

彼女が学校経由で迎えを呼んでくれ、その上看病までしてくれていたそうだ。

両親の口ぶりからするに自分と同学年の生徒のようだ。

学校に行ったら、探してみよう。少女に借りを作ったままというのはいただけない。

 

二日後、熱が下がった俺は学校に行き、担任の教師に三ノ輪さんのことを尋ねた。

数日前、下校中の俺を助けてくれたのでそのお礼が言いたい、と事情を説明すれば先生は快く教えてくれた。

どうやら、隣のクラスの子らしく朝はいつもギリギリの時間に登校するらしい。遅刻することも少なくないそうだ。

ならばと、休み時間に彼女を訪ねると今日は風邪で休むとあの後連絡があったらしく、教室にはいなかった。

ほぼ間違えなく、彼女は俺に風邪をうつされたのであろう。

彼女への負債が膨らんでいくのを感じ、何とか返済方法を考える。

そこで隣のクラスの担任教師に、その日のプリントや連絡事項を家に伝えに行く役目を自分に任せてほしいと頼む。先程と同じことを説明すると教師は簡単に了承してくれた。

教師の覚えめでたい振る舞いをしていて助かった。日頃の行いの大事さを実感する。

 

そうして、放課後。俺は三ノ輪の家の前に立っていた。

呼び鈴を押してしばらくすると、三ノ輪さん本人が扉を開けて出てきた。

少し、驚く。これはつまり病人が、しかも小学生の子供が家に一人きりであることを示している。

負債がまた少し大きくなった気がした。

 

「あれ、この前の…?」

 

どうやら、俺を覚えていたらしい。

この前の礼を言うついでに学校のプリントを届けに来たと伝える。

 

「そっか、もうよくなったんだな。よかった、よかった。あ、プリントありがとな」

 

不思議だ。

同じクラスでもなく、ほとんど初対面同然の相手が突然押しかけてきたのだ。もう少し戸惑ってもいいはずだ。

それに風邪を引いた原因は俺なのだ。なぜそんなに無邪気に喜べるのだろう。

まぁ、考えても仕方ない。

これ以上病人に立ち話をさせるわけにもいかないので、続きは家の中でにしよう。

看病させてほしいから家に上げてくれと頼む。

 

「えっ、いや、そんな気にすんなって。アタシはへーきだからさ」

 

そう彼女は言うがそんな赤い顔で平気だと言われても説得力は皆無だ。しかも、現状彼女は家に一人。そんな状態の彼女を放っておくのは危険だ。

何より、借りを返さないまま帰るのは俺の気が済まない。

なので、風邪の原因が自分にあることと先日助けてくれたお礼をしたいからと告げ、半ば押し入るような形で家に上がる。ここまでしたら彼女も看病を受け入れる気になったようだ。単純に断るだけの気力がなかっただけかもしれないが。

 

三ノ輪さんには布団に戻ってもらい、自分は台所へ向かう。昼食を用意するためだ。彼女は先ほどまで眠っていたらしく、まだ食べていないらしい。案の定、冷蔵庫にはお粥が入っていた。彼女の親が用意していたに違いない。ついでに、見舞いの品として持ってきた洋菓子を冷蔵庫に入れておく。お粥を電子レンジで温め、買ってきておいたスポーツドリンクと共に三ノ輪さんに食べてもらう。

その間に、濡れタオルと水をためた桶を用意しておく。

彼女がおかゆを食べ終わったので食器を片付け、風邪薬を飲ませる。

その後、汗を拭くから上の服を脱ぐように指示する。

 

「いやいやいや流石にそれは」

 

小学生とはいえ流石に女の子。少々恥ずかしいらしい。

自分が拭くのは背中だけだし、そのままでいるのは気分が悪いだろうと告げると

 

「……いいって言うまでこっちみんなよ」

 

と彼女は顔を赤らめながら言い、此方を可愛らしく睨んだ。おとなしく顔をそむける。

いい、と言われたので背中を拭き始める。

不意に…

 

「なぁ、なんでここまでしてくれるんだ?」

 

と尋ねられた。

…なぜだろう?

正直なところ、自分でもなぜここまで彼女の看病をしているのかよく分からない。

恩返しにしろ何にしろ、ここまでする必要はないだろう。

見舞いの品とプリントを渡すだけでも良かったのだし、看病するにしても昼食の準備をするだけで十分だったはず。なのに自然と、必要以上に看病していた。

心当たりはないではないが、いくら何でも子供相手にそれはあり得ないだろう。

やはり分からない。

分からないが、理由は作っておかないと彼女に不気味に思われるだろう。

なので、先日看病してくれたと聞き自分も同じことをしただけだし、病人が家に一人きりというのは放っておけなかったからとその場で考えた理由を伝えると

 

「そっか…優しいんだな、赤嶺くん」

 

なんて言って納得していた。

行き倒れの俺を助けてくれた三ノ輪さんにはかなわない、と伝えると

 

「そうかな?じゃ、おあいこだな」

 

なんて言って笑った。

そういえばなぜ彼女は俺の名を知っていたのだろう。

ふと気になって尋ねる。

 

「ああ、うちらの学年じゃ赤嶺くんは有名だからなー。新入生代表のあいさつもしてたし、それでだよ」

 

なるほど、そういえばそんなこともあった。四月生まれという理由で代表のあいさつを任されたことが思い出される。だが、それで顔を覚えられていたのなら納得だ。あとはそれなりに周りの子の人気を得ていたから名前を知っている子が多かったのだろう。

気が付けば背中は拭き終わっていたのでタオルを洗い、彼女に手渡す。

三ノ輪さんが自分で体を拭いている間、台所にいるから何かあったら呼んでくれと言い部屋を出る。

今の間に先ほどの食器を洗い、ついでに簡単に掃除をしておく。あまり余所の家事をするのは気が引けるが、どうにも落ち着けず、何もせず待つことができなかった。

 

掃除が一段落したので三ノ輪さんがいる部屋に向かう。

部屋に入る前に一応、彼女にもう入っていいかと襖越しに尋ねる。

しかし、返事がない。もしかしてと思い部屋に入ると、彼女は静かに寝息を立てていた。

薬が効いたのだろう。

これ以上、自分にできることもあまりない。日も暮れてきたので、じきに親御さんも帰ってくるだろう。

タオルを片づけたらお暇させていただこう。

 

片づけを済ませて、玄関に向かうと小さな男の子を連れた女性と鉢合わせた。

三ノ輪さんの母君らしい。とすると、男の子は彼女の弟か。

彼女に銀のお友達かと尋ねられる。

挨拶をして、ここにいる訳の説明と先日のお礼、そして勝手に家の物に触ったことの謝罪をした。

母君は得心いったとばかりに微笑み、家の物に触ったことも快く許してくれた。

あと、小さいのにしっかりしてるね、なんて言われた。まあ当然ではあるが。

見舞い品の洋菓子を冷蔵庫に入れているので召し上がってくださいと告げ、挨拶をして家を出る。

帰り際にいつでも遊びに来てほしいと言ってもらえた。

なぜだか、その言葉が妙に嬉しかった。

 

次の日、なんとなくいつもより遅めに登校する。

普段なら学校に到着してるような時間に家を出ると、両親やお手伝いさんから不思議がられた。

まあこれまでこんな時間に家を出るなんてことがなかったので、そう思われるのも当然か。

歩いていると、自然と足が三ノ輪家に向いてしまう。

なんてことはない、存外、家が近かったから少し登校ルートを変えただけのことだ。

なんて、自分に言い聞かせ、三ノ輪の家の前に差し掛かるとちょうど三ノ輪さんが家を出てきた。

心臓が弾んだような気がした。

あの様子だともう元気なようだ。後ろから声をかける。

 

「あれっ?赤嶺くん、なんでここにいるんだ?」

 

驚いた顔をして三ノ輪さんが尋ねる。

歩きながら、自分の家もここから近いので通学路が重なるのだと説明し、体の具合を尋ねる。

 

「なんだ、そうだったのか。アタシはもう大丈夫だ!おかげさまで完全復活!あ、昨日はごめんな。折角、看病してくれてたのに、勝手に寝ちまって。」

 

途中で寝てしまったのはお互い様だから気にしないでほしい、と言うと彼女はそれもそっか、と言って笑った。

その笑顔に少しどぎまぎしてしまう。

おかしい。生まれ変わってから、こんなことはなかったはずなのに。

平静を装いつつ、彼女に昨日の洋菓子の感想を聞いたり、他愛のない話をしながら登校していると、道端で泣いている女の子と遭遇した。

三ノ輪さんが気付いて駆け寄っていく。

どうやら、女の子は転んで怪我をしたらしい。服装を見るに近くの別の小学校に通う子供のようだ。

このまま、女の子が自然と泣き止むまで待っていては遅刻してしまうので、手早く泣き止んでもらうことにしよう。

自分も駆け寄り、女の子の手当てをする。手持ちのハンカチや水筒に入れた水、絆創膏を使えば処置は簡単だ。おまけで、飴玉を一つあげれば女の子はそちらに気を取られて簡単に泣き止んでくれる。

ほとんど時間はかからず、女の子はお礼を言って再び学校へ向かっていった。

時計を見ると、歩いて行ってもまだ学校には間に合うことが分かる。

三ノ輪さんに行こうと声をかけ、再び歩き出すと、

 

「赤嶺くんって、すげえな!あんなに、パパッと怪我を治せるなんて!」

 

唐突に言葉をかけられる。

少々こそばゆい気持ちになる。

前世の知識内のことであるし、家で教えられていたことでもあるので大したことではない。

それより三ノ輪さんの方が動きが手慣れているような感じがした。

そのことについて尋ねると、

 

「ああ、なんでか妙に困ってる人とかトラブルに遭遇すんだよなアタシ。慣れてるように見えたのはそのせいかな」

 

なるほど。ということは遅刻することが多いというのも、それが理由か。

何故、先生にそのことを伝えないのだろう。

遅刻よりも困った人を放っておくほうが叱られる事由のはずだ。

そう聞くと彼女は

 

「それは、なんかさっきの子とか困ってる人のせいにしてるみたいで……結局どんな理由でも遅れたのは自分の責任だしさ」

 

何でもない事のようにそう言った。

いやはや、まったく呆れてしまう。

三ノ輪さんは気付いていないが、そんな考えを子どもは、いや大人であってもそうそう持てない。

なんだかだんだんと腹が立ってきた。

彼女はいい事をしているのに損をしている。そのことに無性に腹が立つ。

気が付けば、

 

「明日から一緒に登校しない?」

 

なんて彼女に言っていた。

自分の発言に驚く。おかしい、考える前に言葉が出ていた。

俺はそんなに感情的な人間ではなかったはずだ。

だが、不思議と自分の言葉に違和感はない。

それどころか、今までで一番血の通っていた言葉のように思える。

 

「いいけど……毎日アタシに付き合ってたら、遅刻が増えちまうかもしれないぞ?」

 

なんて、考え事をしていると彼女が返事をしてくれていた。

さて、どう答えようかと頭は考えるが、心は勝手に浮き立って口走る言葉を止められない。

 

「構わないよ。それに、二人なら何かトラブルにあってもすぐ解決できるし、なにより俺が三ノ輪さんと一緒に登校したいってだけだから」

 

ああ、まったく恥ずかしい。

くさい台詞は、今までも口にしたことはあるが、ここまで恥ずかしいと思うのは初めてだ。

およそ、感情に任せて発していい台詞じゃない。

まったく、どうかしている。

他ならぬ自分自身の言葉のせいで頭が痛くなる。

そんな俺の内心を知ってか知らずか―――

 

「はは…そっか、それじゃ、明日からよろしくな!」

 

彼女は少し照れて、けれども満面の笑みでそう答えてくれた。

その笑顔から目が離せなくなる。

なぜだか、心臓は早鐘を打って、顔が赤くなっていくのが分かる。

こういうことをなんていうんだったっけ?

確か、これは……

 

―――ああ、納得した。

 

彼女の笑顔が全てを明らかにしてしまった。

どうやら俺は彼女のことを好きになってしまったらしい。

何たる様だ。散々自分は大人だと信じ込んでいたのに、こんな小さな女の子に絆されてしまうなんて。

何が大人なんだろう?

自分は、俺はこんなに単純な男だっただろうか?

正直、自分で自分の感情が信じられない。

それでも、認めざるを得ないだろう。

 

―――俺は三ノ輪銀に恋をしている。

 

 

 

それから、彼女と過ごす時間は増えていった。

 

「おはよ、銀」

 

「ああ、今日も悪いな頼人」

 

三ノ輪家の朝の忙しさを知ってからは、一緒に登校するだけでなく自分も朝の家事を手伝うようになり、自然と名前同士で呼び合うようになった。

 

「お、同じクラスじゃん。やったね」

 

「これで、朝も少しは楽できるなあ」

 

次の年にはクラスも一緒になり、ますます彼女といることが増えた。

 

「頼人ー算数の宿題手伝ってくれー」

 

「はいはい、ほら見せて」

 

また、この頃からは毎日のように三ノ輪家に寄り、銀に勉強を教えてあげたり、代わりに学校の準備をしておいたり、何かと世話を焼くようになる。

 

「頼人―。明日家族で出かけるけど一緒に来る?」

 

「そうだな。ご一緒させてもらおうかしら」

 

必然的に彼女の家族とも仲良くなり、三ノ輪家全員で出かけるとき自分もご相伴に預かったり、家に泊めてもらうなんてことも増えた。

 

「頼人にーちゃん、ご飯はー?」

 

「もうすぐできるよ。あ、銀。そこのカレールー取って」

 

「ん、はい。それじゃあ、アタシはサラダ盛り付けとくよ」

 

そして俺たちが五年生になるころ、銀のお母さんが妊娠したため、俺はより一層、家事など三ノ輪家の手伝いをすることが増えた。皆は俺に家族のように接してくれた。

 

ああ、本当に幸せを感じていた。

本当に、三ノ輪家の皆が大好きだった。

三ノ輪のご両親は、俺にまるで自分たちの子供のように優しくしてくれた。

鉄男は良い子で、しょっちゅう自分にじゃれてきた。まるで、弟ができたみたいで嬉しかった。

生まれたばかりの金太郎は本当にかわいくて仕方がなくて、世話をしてるだけで楽しかった。

 

本当に、銀の傍にいるだけで、トラブルにも何気ない時間にもかけがえのない価値を見出せた。

俺が彼女を好いているように、銀も俺のことを好いてくれているのが実感できた。

それがうれしくて仕方なくて、二人きりの時にはむしろ俺が銀に甘えていた。

膝枕をしてもらったり、お菓子を食べさせてもらったりとささやかなことであったが、俺が他人に甘える日が来るなんて想像すらしていなかった。

銀と一緒にいれば、不確かな生の実感なんて必要なかった。

ただ、彼女を感じているだけで満たされていた。

だから、銀とずっと一緒にいようと決めた。

 

そう、その時は彼女と共に一生を送っていくのだと信じて疑わなかった。

 

本当に…なんて甘い考えだろう。

自分は知っていたはずなのに……

人の命がどれだけ儚い存在なのかを……



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happen to me

神世紀298年4月、それは唐突に起こった。

いつものように、教室で朝の号令を行い皆が着席しようとした瞬間、時が止まった。

まわりのクラスメイト達の動きがぴたりと止まっている。

意識があるらしいのは、銀、鷲尾さん、園子ちゃんの三人だけのようだ。

思考が空白に染まる。少々混乱している。

まともに考えれば、これは夢とかそういった類の現象だ。

だが、頬をつねっても痛いし、おそらく現実。

だとすれば……これは樹海化の前触れか?

ということは、鷲尾さんと園子ちゃんもそうなのか。

しばらく前に銀から「御役目」のことを聞き、自分でもそれなりに調べていたので推測はできる。

しかし、樹海化の詳しいプロセスについては掴めていなかったため確証は得られない。

そして、何よりこれが樹海化によるものだとして、なぜ自分も動けているのかが分からない。

少し慌ててしまい、きょろきょろ辺りを見渡してしまう。

 

「え、どうして、赤嶺くんも動いて…?」

「あれ、ライ君?」

「頼人!?何で動いてんだ!?」

 

三人が気付き、口々に疑問を述べる。

やはり、彼女達も混乱しているようだ。

この様子を見るに、彼女たちもこの状況に陥るのは初めてなのだろう。

と、そこで廊下の向こうから光が広がっていく。

それは映画で見る終末の光のよう。

 

「銀っ!」

 

死を意識したせいか、気付けば銀を抱き庇っていた。

樹海化ならこれくらいでは危険はないはずなのに、つくづく銀のことになると体は勝手に動くらしい。

まぁ、万一死ぬとしても銀と一緒なら悪くないかもしれないな、なんて馬鹿なことを考えながら目を閉じる。

 

目を閉じていてもわかる。

全てが光に包まれていく。

 

 

「く、苦しいって頼人!」

 

銀の声がして、目を開けた。

気が付けば、周りはおとぎの国のよう。

四国が色とりどりの樹木に変化していた。

あまりにも幻想的な風景にしばし見惚れてしまう。

 

「こらー!いい加減放せー!」

 

おっと、銀を抱きしめていたのを忘れていた。

放してあげると、銀は頬を赤く染め、こちらを可愛らしく睨んできた。

かわいい。もう一度抱きしめたくなる。

 

「おーおーお熱いですなぁ二人ともー」

「み、三ノ輪さん、赤嶺くん!わ、わわわ私たちには、ま、まだそういうのは、は、は早いと思うわ!」

 

鷲尾さんと園子ちゃんはいまだに混乱しているらしく、よくわからない事を言っている。

とりあえず、二人を落ち着かせて、この状況を整理するべきだろう。

 

「あ、あそこ見て!」

 

と、思ったら園子ちゃんが突然叫ぶ。

大橋だったと思しき場所に巨大な怪物が浮かんでいる。

あれがバーテックス…なのか?

この距離からでもあんなにはっきり見えるとは…

思っていたものより、格段にでかい。

あんなのと銀は、彼女たちは戦うのだろうか?

不安が高まる。正直行ってほしくない。

そんな俺の内心を知ってか知らずか、

 

「あ、あれが敵だな!よし、さっさと行こう二人とも!」

 

銀が慌てた様子で二人をせかす。

何をそんなに慌てているのだろう?

……もしかすると、銀は俺に「御役目」について話したことがばれたくないのだろうか。

俺はわざわざ言うつもりはないけど……あり得るな。

 

「待って、三ノ輪さん。赤嶺くんを放っておくわけには…」

 

「大丈夫だって!ここは大橋からかなり離れてるし、ここで待っててもらったほうが安全だ!それに早くあいつを何とかしないとだろ?」

 

「うん、私たちで止めないとだね!」

 

「……そうね。今はお役目を果たすのが先決だわ」

 

話しかける間もなく、気付けば自分を抜きに話がまとまっている。

流石に扱いがあんまりだと思い、話しかけようとすると、三人が携帯端末を触りながら、何か祝詞のようなものを唱え始める。

そして、彼女たちが光に包まれたと思ったら、不思議な衣装に身を包み、それぞれ武器を携えていた。

園子ちゃんや鷲尾さんの武器はまだ現実味があるけど、銀の斧剣は常軌を逸している。あんなの大きなもの二振りも持つなんて大人でもできるか分からない。

 

「じゃあな、頼人!ここでおとなしくしてろよ!」

 

呼び止める間もなく、銀が跳んで行った。

瞬きする間に銀の姿が小さくなっていく。

速すぎる。確実に人間のそれじゃない。

 

「ミノさん、私もー」

 

「二人とも、待ちなさーい!」

 

二人も続けて跳んで行ってしまった。

………………完璧に取り残されてしまった。

この扱いはさすがにひどい気がする。

 

落ち着かないから、彼女らの近くに行きたいのだが、どう考えてもここから移動するだけで一苦労しそうだ。

仕方がないので、ポケットから携帯端末を出し、怪物を撮影する。

かなり距離があるが、怪物は非常に大きいため、カメラのズーム機能を使えばそれなりに様子は分かる。

怪物が突然ビームのようなものを打ち出す。あの散らばり方を見るに、あれは水流か?

どちらにせよ、あんなものをうけたら只じゃすまない。奴がバーテックスなのだとしたら当然攻撃しているのは銀たち、勇者。

銀は、あの三人は大丈夫なのだろうか?

心配で心配で気が狂いそうになる。

何もできない自分が歯がゆい。

 

しばらくすると、水流は止まり怪物は再び移動し始めた。

それはつまり…

 

「やられ…た?」

 

銀が負けた?

そんな簡単に?

こんなにあっさり、世界は滅ぶのだろうか?

 

…………いや、まだそうだと決まったわけではない。

あの怪物が水球を吹きだした。

あれはおそらく攻撃、なら対象となる存在がいるはずだ。

それはつまり、まだ勇者が生きていることを示している。

 

しかし、またすぐに怪物は移動し始めた。

現状、怪物にほとんどダメージを与えられていないことから銀たちは攻めあぐねているのかもしれない。

やはり、安否が知れないことも不安であるが、それ以上に彼女たちの力になりたい。

奴が移動している今なら問題ないだろう。

銀の端末に通話をかける。正直、この空間でつながるかどうか不安だったが、無事につながった。

 

『……ぁぃ』

 

妙に気持ち悪そうな声。

不安が募る。

 

「どうした!?どこか具合が悪いのか!?」

 

『サイダーの途中でウーロン茶になった………』

 

「は?」

 

言ってる意味が分からないが、ともかく無事なようだ。

言葉は聞き取れないが、鷲尾さんと園子ちゃんの声も聞こえる。

三人とも無事なのが分かって少しホッとする。

 

『あっ、そうだ!頼人もあいつの倒し方考えてくれ!』

 

元気になった声で唐突に言われる。

よし、それなら多少は役に立てるかもしれない。

やる気が出てくる。

 

「よし、手早く三人に出来ることを教えてくれ」

 

何をするにもまずはデータが必要だ。

幸い怪物に出来ることはある程度観察して分かった。

後は勇者の能力だけだ。

 

『ああ、まず…ってどうした園子?え、うんうん。…それなら行けそうだな!悪い頼人大丈夫そうだ!』

 

つー、つー、通話が切れた音がした。

…………………やっぱり俺の扱いがひどい気がする。

とはいえ、銀と少し話しただけで冷静さになれた。

まったく我ながら、単純な奴だ。

 

気を取り直して、もう一度怪物の撮影に戻る。

しばらくすると、再び怪物が水流を放った。

何かが、それを弾きながら接近している。

なるほど、勇者のうちだれかが盾を持っているのか。

それで、三人で無理やり接近し、叩く。

良い作戦だ。

 

水流が止まった。

その瞬間を狙ったらしい。直後に、怪物の球のような部分が破裂する。

そして、紅い閃光が怪物の体を駆け巡る。数瞬後には、怪物の体はごく一部しか残っていなかった。

 

唐突に大橋を中心に明るくなっていく。

気が付けば、怪物の姿は影も形もなくなっていた。

どうやら撃退に成功したらしい。

良かった…

と思ったら、轟音と共に再び光が広がっていく。

 

今度は目を閉じなかった。

気付けば、学校の屋上にいた。周りを見ても誰もいない。

パニックになりそうな心を押さえつけ、できるだけ冷静に通話をかける。

 

『あ、よかった!頼人、無事か!?今どこにいる!?』

 

矢継ぎ早に繰り出される質問。

いつもの銀の声だ。たまらなく安心してしまう。

 

「こっちは今、学校の屋上。そっちはどこ?三人とも無事?」

 

『ああ、みんな大丈夫だ!アタシたちは大橋横の公園にいるよ。全員上履きのままだけどなー』

 

三人は同じ地点にいるらしい。みんな無事で何よりだ。

肩の力が急に抜ける。

 

「了解、無事でよかった……迎えは来るの?」

 

『ああ、大赦の人が迎えに来てくれるってさ』

 

「そっか。じゃ、またあとで」

 

そう言って、通話を切る。

同時に現実を思い出してしまう。

 

「ああ、教室に戻りたくないなー」

 

今頃、教室は大騒ぎだろう。おそらく大赦の人間がフォローするのだろうが問題は自分自身。

勇者でない自分もいなくなっているのだ。

今戻ったら、絶対に厄介なことになる。

しかしながら、この件は遅かれ早かれ対応しなければならない。

しかも現在地は学校の屋上。

どんな行動をとろうと最終的に発見されてしまう。

結局行くしかないのだ……

 

「消失マジックって言ったら、誤魔化されてくれないかなぁ…」

 

益体もないことをつぶやきながら、重い足を頑張って教室に向けた。

 

予想通り、教室に戻ったらさらに大騒ぎになった。

安芸先生が一番驚いている。

これは先生も大赦の人間だったと考えるのが自然か…

 

その後、授業そっちのけでどこかの病院に連行され、色々な検査を受けた。

また大赦の人からかなり質問攻めにあったが、すべて知らぬ存ぜぬで押し通した。

実際、なんで樹海に自分がいたのかも分からないし、なんで帰りは自分だけ学校にいたのかも分からないのだ。

分からないことだらけだったので、逆に樹海やバーテックスのことを知らないふりして聞いてみた。

当然、答えてくれなかった。

残念、まあ大方、判断を決めかねているのだろう。

結局、その日の検査では何も分からないのが分かったので、家に帰された。

 

赤嶺家に帰ったら、両親が待ち構えていた。

心配をかけたらしく、また同じようなことを聞かれる。

当然知らぬ存ぜぬで返すしかない。

答えてくれないとは思ったがもう一度バーテックスや勇者について聞いてみる。

 

だが、意外なことにある程度のことは答えてくれた。

とはいえ、教えてくれたのは既知の事実だけだった。

バーテックスが世界を壊すもので勇者が守る存在。

勇者は神樹に選ばれた少女たちで構成され、神樹の力を宿す彼女たちでないとバーテックスには対抗できない。

バーテックスはウイルスの海から生まれ、人を襲う存在。その目的は神樹の破壊。

聞けたのはここまで。

やはり、バーテックスやウイルスとやらの詳しい情報は得られないか。

 

まあいい、とりあえず三ノ輪家に行くとしよう。

両親には今の話を聞いて銀に会いたくなったと説明し、準備のために部屋に戻る。

ついでに今日は三ノ輪家に泊まるとも伝えておく。

今はとにかく銀に会いたい。

 

夜。

三ノ輪家に行くと、あちこちに包帯を巻いた銀が出迎えてくれた。

胸が苦しくなる。

でも、それ以上に元気そうな姿が見れて安心した。

横から飛びついてきた鉄男を抱え、家に入る。

なにか、ようやく日常に戻れた気がした。

 

 

「んー、結局何もわかんないのなー。頼人―ほんとになにも心当たりないのか―?」

 

布団で横になりながら、今日のことについて話す。

三ノ輪家に泊まるときはいつも鉄男と銀と川の字になって寝ている。

鉄男は隣でとっくに寝てしまっていて、三ノ輪のご両親と金太郎は別の部屋だ。

 

「ないよ、本当に。明日も俺は大赦の方に行かなきゃいけないらしいからその時にでもまた聞いてみるさ。それより、銀。そっちこそ、本当に体は大丈夫なのか?」

 

「アタシはご覧の通り、全然平気さ!銀様をなめんなよー?こんなもん屁でもないね!」

 

―――鉄男が起きちゃうから声落としなさい

 

―――すみません…

 

小声で銀を軽く叱る。

 

「だけど、樹海の中で電話した時、気分悪そうだっただろ?本当に悪いとこはないのか?」

 

そう、あのとき電話したとき、銀は妙に気分が悪そうだった。

おまけによくわからないことを口走っていたし、体に異常はないのか心配になる。

 

「あー、あの時か。あの少し前に、バーテックスの出した水球に閉じ込められちまって、仕方がないからその水全部飲み干したんだ。ただ、味が初めはサイダーで途中からウーロン的な味わいに変わって、気持ち悪くなってさ……」

 

「それで、サイダーからウーロン茶に、なんて言ってたのか……一応聞くけど、飲んでも大丈夫だったんだな?」

 

「ああ、検査でも異常なかったし、そんな心配すんなって」

 

安心すると同時に少し呆れてしまう。

本当に型破りな奴だ。

しばし、静寂が訪れる。

 

ふと、銀の手を握る。

いつもあたたかくて、とてもやさしい手。

その手が今日は少し傷ついていた。

武器を握っていたんだ、と信じたくないけど実感してしまう。

できることなら、戦わせたくない。代われるものなら代わってやりたい。

だけど、俺が戦わないで、なんて言っても銀を困らせてしまうだけだろう。

なら、そんな意味のない事を言っても仕方がない。

無理しないで、とも言えない。きっと、銀は必要ならどんな無理でも無茶でもしてしまうだろう。

その時に余計な罪悪感を持ってほしくない。

だから、ただそっと手を握る。

 

「銀」

 

「ん、どした?」

 

手を握り返される。

俺の一番大切な存在。

誰よりも温かい女の子。

 

「好きだ」

 

ぽつりと言葉が漏れる。

結局、この一言に尽きる。

どんな心配の言葉や安堵の言葉より俺が伝えたい言葉。

理屈も何もかもすっ飛ばしてしまう、どこか気恥ずかしい台詞。

きっと、俺は自惚れている。

どんな言葉よりも、この言葉が一番こいつを強くすると思ってしまう。

呆れた考えだけど、これが俺の真実だ。

誤魔化すことなんてできやしない。

 

「ああ、アタシもだよ」

 

頬を赤く染めながらも、微笑みながら銀がそう言ってくれる。

いつもなら、もっと照れたり冗談交じりで返してくるけど、今日は俺の不安を感じたのか真剣に返してくれた。

それが、どうしようもなく嬉しかった。

 

 

次の日、学校で安芸先生が勇者に俺を加えた四人が御役目でいなくなることがあるとクラスメイトに紹介していた。

正直、俺を含められるのは心外でしかないが、こうする他に場を穏便に済ませる方法はなかったらしい。

おかげで、また質問攻めにあってしまった。まあ、言えないんだと答えるだけなのだが。

 

放課後、俺はまた安芸先生に連れられて病院で検査を受ける羽目になった。

昨日したのとは違うものらしいが、さすがに疲れる。

検査が終わったと思えば、今度は神樹近くの大赦の施設に連れていかれる。

そこで、また神官やら何やらに質問攻めをされる。

答えは変わんないんだけどなぁ……

 

色々聞かれては知らぬ存ぜぬと答えるプロセスを繰り返していると、神託が下ったとかなんだとかで尋問タイムが中断される。

何やら慌ただしくなっている。

俺は完全に放置状態。

こういう時は、大抵良くないことが起こっているんだけど……

しばらくすると、神官服を着た安芸先生が来て言った。

 

「赤嶺くん、突然ですが神樹様に”御挨拶”する栄誉を授かりました。」

 

「―――――――」

 

言われた意味が分からない。

ゆっくりと言葉を咀嚼していくと、その言葉の重さが理解できた。

これはやばい。絶対やばい。

そもそも、神樹に挨拶なんて聞いたことがない。

神樹はそれこそ神聖不可侵な存在とされているのに、勇者でもないただの小学生が接触するなんて間違えなく厄ネタ、絶対、異常事態だ。

受けたら多分やばい展開になる。

 

「…………誰がですか?」

 

せめてもの抵抗。分かってはいても、信じたくない。

 

「もちろん、赤嶺くんがです」

 

絶望の鐘が鳴り響く。

勿論、普通ならこれは想像もできないほどの栄誉なんだろうけど、この状況から急遽こうなってることを考えるとどうしても喜べない。

猛烈に嫌な予感がする。

 

「すぐに着替えてもらいます。まずは水垢離よ」

 

今からすべきことに意識を向け、無理矢理思考を冷静にする。

水垢離、確か冷たい水を浴びて体を清めること…

暖かくなってきたとはいえ未だ四月、水浴びは少々辛い。

正直断りたいけど……仕方がない。

どのみち、拒否権はないのだ。

ここで駄々をこねたら最悪、家の名に傷がつく。

それはできるだけ避けたい。

腹をくくるしかないか。

まぁ、水垢離といっても少しの間水風呂に入るだけだろうし、挨拶だってすぐに終わるだろう。

 

 

甘かった。

寒い寒い寒い寒い寒い。

滝に打たれるとか聞いてない。

 

「あばばばば」

 

歯がカタカタなる。

全身がものごっつい震える。

身体が芯から冷えてきた。

さすがにもういいだろう。

とはいえ、無様な姿は見せられない。

平静な顔を装い、滝を出る。

 

 

巫女が神樹の下へと案内してくれる。

初めて見た神樹は、前世で見た縄文杉を思い出させた。

不思議と緊張や畏れは感じなかった。

 

―――これが、この世界の生命線か…

 

この神樹がいなければ人類は生きていられない。

前世の世界を知る身としては、歪んだ世界にも見える。

しかし、同時に前世の世界のような問題はなく、理想郷のようにも映る。

果たして、どちらが正解なのだろうか。

 

なんて考え事をしていると、巫女の言葉が耳に入る。

どうやら、神樹に触れていいらしい。

そっと、手のひらを幹に触れさせる。

 

―――少し、温かい。

 

銀の手を思い出す。

あれほど、嫌な予感がしていたのに、こうしていると安心感すら感じる。

しばらくすると、巫女の声が耳に入る。

もう下がっていいらしい。

教えられたとおりの礼をして、神樹から離れる。

 

それにしても、なぜ俺にこんなことをさせたのだろう。

よくわからんな。

仮説はいくつか立てられるけど、どれもこれも確証がなさ過ぎて絞り切れない。

神託の内容自体はある程度予想できるけど、やっぱり神樹の意図が読み切れない。

とりあえず、安芸先生に色々と聞くことにしよう。

 

と思ったんだが、安芸先生曰く現状情報を精査中だから、詳しいことはまだ分からない。

何かわかったら今後の処遇と共に伝えるとのこと。

………おー、まじか。

前々から思っていたが、やっぱり大赦は隠蔽体質あるなこれ。

せめて、神託云々に関しては教えてくれてもよかったんちゃう?

もっとも、見方を変えれば高度に政治的な事案である故、小学生に聞かせる必要はない、という感じにもとれる。

普通に考えて只の小学生にいちいち情報を与える訳もない。

とはいえなあ………

是非もないし、この件は後に回そう。

どうやら、今日はここで泊っていかなきゃいけないみたいだし。

 

与えられた部屋のベッドで寝っ転がりながら、これからのことを考える。

おそらく、今の俺の扱いは保留中といったところか。

樹海に入ったのが、一度だけのアクシデントなのか、もしくは恒常的なものなのか。

次にまた四国が樹海化した時に判断されるということだろう。

今日の神樹との接触も十中八九関係してるだろうし……

んー。今のうちに何かしら準備していたほうがいいかもな。

 

とそこで、銀から電話がかかってきた。

コミュニケーションアプリじゃないのは珍しい。

通話に出る。

 

「もしもし銀、どうかした?」

 

『ああ、頼人。今大丈夫か?』

 

やっぱり銀の声を聞くと落ち着く。

これからのことも、何とかなりそうだと思える。

 

「大丈夫だよ、ちょうど銀の声を聞きたかったし」

 

『はいはい。それで何かわかったか?今日は大赦に行ってたんだろ?』

 

俺のこっ恥ずかしい台詞も簡単に流されてしまう。

随分なれたもんだ。

昔の初々しい反応が懐かしくなる。

 

「あー、結局何もわからなかったけど、結構とんでもないことになった」

 

『ん、なんだ?とんでもない事って』

 

訝しげに銀が言う。

 

「なぜか、神樹様に挨拶した」

 

『え、マジ?』

 

まぁ、当然こんな反応になるよな……

いまだに俺にも実感がないのだから。

 

そうして、今日あった色んなことを話した。

今日は勇者三人で祝勝会をしたこと。

鷲尾さんと園子ちゃんのこと。

金太郎のこと。

とりとめもない話だけれど、こうして話してる時間が嬉しい。

銀の話を聞いてるだけで元気が湧いてくる。

もし、世界が滅べば、こういう時間も無くなってしまうのだろう。

それは嫌だな。

 

『それじゃあ、そろそろ寝るから切るよ。おやすみ、頼人』

 

「ああ、おやすみ、銀」

 

そう言って、電話を切る。

銀と話してて決めた。

やっぱり手段を選んではいられない。

集められるだけの手札は集めておこう。

 

―――とりあえず、赤嶺の掌握から始めるか

 



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駆け引き

神樹に挨拶してから半月ほどたち、二体目のバーテックスが現れた。

 

何の因果か、また俺は樹海に入ってしまっている。

とはいえ、今回はそれなりの準備ができた。

それは、インカムや大型の双眼鏡だったりで、それほど特別なものではない。

しかし、インカムを勇者の三人にも着けてもらい、常時通話状態にすると、双眼鏡の力も相まって前回より格段に現場の状況が分かるようになった。

三人とは事前にこのような事態に陥った時、こちらから助言できる状態を作れるよう話を詰めておいたのだ。

なお、大赦からは指示は出てないので完全なスタンドプレーなのだが…

インカムを通して勇者たちの声が聞こえる。

なかなか以上に苦戦しているみたいだ。

 

今回、現れたバーテックスは、二十メートルくらいの天秤のような形をしていて、天秤の左右には分銅のようなものをぶら下げていた。

バーテックスは両手の分銅を振り回し、竜巻のような風の流れを巻き起こす。

三人とも風圧のせいでバーテックスに近づけない。

しばらくバーテックスを観察していると、中心部が台風の目のよう無風になっていることが分かった。

すると、頭頂部になら攻撃が通用する可能性は十分にある。

この状況なら最も有効なのは……

考えがある、と三人を一旦風の範囲外に出てもらう。

 

「鷲尾さん、聞こえる?」

 

『あ、赤嶺くん?ええ、聞こえるわ』

 

「風を避けて、奴の頭頂部を曲射することはできる?」

 

 

 

「斃れなさい……!!」

 

鷲尾さんが連続で弓を射かける。

矢の一部は風や分銅に引き付けられ命中しないが、流石のバーテックスも直上から来る矢の全ては回避できないらしい。

徐々に、頭頂部は崩れ、やがて、体の接続部が壊れ始める。

奴を取り巻いていた風が勢いをなくしていく。

 

「今よっ!」

 

「うん、いっくよー!」

 

「おっりゃああああああ!!」

 

バランスの崩れたバーテックスに三人が突撃していく。

俺の立てた作戦はこうだ。

鷲尾さんの弓による頭頂部から接続部の破壊。

そこで、奴のバランスが崩れたところで、三人で吶喊、撃破。

シンプルで難しい作戦だったが、どうやらうまくいったらしい。

今回の敵が分かりやすく攻めがたい敵だったのは、幸いだった。

これで、大赦に俺の有用性をアピールできる。

勇者のダイレクトサポートを俺の「御役目」とさせ、赤嶺の発言力も上げる。

そのための準備だったのだから。

 

やがて、鎮花の儀が始まり、樹海化が解除されていく。

俺がいたのは大橋記念公園の正面入り口あたり、突然現れた俺に周りの人々がぎょっとしている。

あとで大赦からフォローしといてもらおう。

とりあえず、ここからなら、三人が転送されるという場所も近いだろう。

さっさと合流しよう。

 

合流し、持って来ていた医療キットを使い、三人の怪我を手当てする。

しばらくすると迎えが着て、三人は学校に戻り、俺はまた検査を受けるため病院に行く羽目になった。

長く、退屈な検査。中々、辛い。

結局、異常も何もなしだったが、終わった時にはまた日が暮れていた。

 

「赤嶺くん、お疲れさま」

 

検査が終わると、待合室で安芸先生が待っていた。

どうやら、送ってくれるらしい。

それと、今後についての話もあるそうだ。

ようやくというべきか、早いというべきか。

 

車の中で安芸先生の話を聞く。

内容は予想通り、俺に勇者のダイレクトサポートをさせるといった話だった。

また、場合によっては補給等の補助だけでなく、勇者の指揮、作戦立案等も権限として許されるらしい。

予想以上の大盤振る舞い、仕込んだ甲斐があった。

さしあたっては、次の襲来まで間があるため、勇者の連携を上げるための合宿を行うという。

その合宿に自分も同行させるらしい。

目的は勇者個々人の能力や性格傾向を深く認識させることで、状況の判断精度を上げさせること。

そして、勇者との信頼関係を醸成させ、連携を効率化すること。

そのほか、戦術や治療技術なども俺に学ばせる腹づもりらしい。

なるほど、これは好都合だ。

安芸先生は言ってないが、この合宿はおそらく俺の性能を試す場でもあるのだろう。

ならば、この合宿であらゆる期待を凌駕する結果を打ち出し、次の襲来を乗り切れば、俺の立場は盤石のモノにできる。

そうなれば、もう少し派手に動いても問題なくなる。

 

そんな俺の皮算用を知ってか知らずか、安芸先生は申し訳なさそうな顔をしている。

大方、勇者でもない只の子供を巻き込むことに抵抗があるのだろう。

まったく、この人は優しいな。

勇者のお目付け役であるのも辛いだろうに。

この人は信用できそうだ。

とりあえず、家に帰ったら合宿の準備をしなくちゃいけないな。

 

 

そうして、合宿初日。いつものように朝は三ノ輪家で過ごし、銀と共に家を出る。

そして、当然のようにトラブルに巻き込まれる。

自転車ですっころんだ子、道に迷ったお爺さん、持ってた書類をぶちまけた大学生らしきお姉さん。

毎度ながら、よくここまで巻き込まれるなと感心してしまう。

 

「いやー、やっぱ頼人の言った通り、かなり早めに出ててよかったな。何とか時間には間に合いそうだ」

 

「さすがにパターン読めてるから。大事な日ほどこういうの増えるし」

 

「いやぁ、いつもすみませんねぇ。旦那ぁ」

 

「もう慣れたし、嫌じゃないから気にしなさんな。女将さん」

 

芝居がかった口調でじゃれあっていると、気が付けば待ち合わせ場所のバスに到着していた。

待ち合わせ時間ギリギリだが何とか間に合った。

 

「お待たせ―。ふぅ、ぎりぎり間に合ったぁ」

 

「二人とも、おはよう。って園子ちゃんは寝てるのか」

 

バスに乗り込むと、鷲尾さんと園子ちゃんはもう来ていた。

園子ちゃんは鷲尾さんに肩を借りて寝てしまっている。

いつも思うけど、よく眠る子だな。寝る子は育つというけれど。

 

「遅いわよ、三ノ輪さん!…あれ、どうして赤嶺くんもここにいるのかしら?」

 

鷲尾さんが疑問の声を上げる。

どうやら、情報が行き渡っていないようだ。

銀には昨日直接話してたから忘れていた。

 

「ああ、正式に勇者のサポート役になったからね。自分も合宿に同行することになったんだ」

 

「そうだったのね…」

 

「あれ、お母さん、ここどこぉ?」

 

説明していると園子ちゃんが起きた。まだ寝ぼけてるみたいだけど…

鷲尾さんが呆れた顔をしている。

そういえば、三人の中で隊長が園子ちゃんに決まったのだとか。

十中八九、鷲尾さんは隊長は乃木さんだけど、自分が頑張ってまとめなくちゃとか考えているのだろう。

その一人で抱え込む傾向も、この合宿で何とかなってくれればいいのだけれど。

 

そうして、合宿は始まった。

ただ自分は同行しているとはいえ、三人と共に行動することは少ない。

一部の連携訓練と勉強以外は三人と行動を別にし、その道のプロから戦術や医療技術等の教授を受けている。

なので、個人的な会話ができるのは、寝る前くらいなものだ。

もっとも、自分の部屋は安芸先生と同室だったことに加え、その時間に俺は前回の戦闘レポートを纏めていたので、あまり話せなかったのだが…

この合宿で、他に変わったことといえば、俺の彼女たちの呼び方と端末をもらったことだろう。

 

連携訓練は勇者のみで行うものと自分が指示を出すものの二つに分かれている。

勇者のみの訓練は、戦闘における個々人の連携につなげるためのものであるが、自分が加わる方は、勇者たち三人が緊急時にどれだけ素早く、こちらの言葉に反応できるかという反射訓練的な側面が強い。

だが、自分が指示を出す際、今の呼び方ではコンマ数秒時間を取られる。

そこで、二人の名前も呼び捨てさせてもらうことになった。

園子は喜んでいたが、須美は少々慣れないようだった。

まぁ、須美は他の二人のことも未だ名字で呼んでいるくらいだから、仕方ないといえば仕方ないのだけれど。

 

あとは、大赦から勇者の使用する端末と同型のものが支給された。

勿論、勇者になる機能はないらしいが、代わりにこの端末を所持しておけば、戦闘終了後に勇者と同じ地点に転送されるらしい。

仕組みはよく分からないが、説明によると呪術的な力を勇者のそれとつなげることで、俺の体を勇者と同期させて転送させるのだとかなんとか。

どのみち、俺にとっては非常に助かる代物だ。

これで戦闘後のごたごたにも巻き込まれないし、銀たちの手当ても素早くできる。

そして、これは本格的に俺を使う気になったという大赦の意思表示でもある。

いいタイミングでもらえたものだ。

 

 

そうして、合宿最後の夜。

俺は部屋で安芸先生と向き合っていた。

このタイミングで聞かなければならないことがあり、時間を作ってもらったのだ。

 

「それで、そんなに改まって、聞きたい事って何かしら?」

 

「はい、単刀直入に伺います。バーテックスとは何ですか?」

 

そう、バーテックスがウイルスの海から生まれた謎の存在なのだとしたら、腑に落ちない点が多すぎる。

おそらく、大赦は何かを隠している。決定的な何かを。

 

「っ…………先日の授業でも言ったはずよ。ウイルスの海から生まれた人類の天敵です」

 

一瞬言葉に詰まるも、安芸先生は冷静に言葉を返す。

今の反応をみるに、何か知っているのは間違いないだろう。

勿論、彼女が真実を知っていたとして、当然、こんな子供に教えるはずもない。

そんなことは分かっている。

だが、今回の質問は答えを得るのが目的ではない。

 

「ええ、それでは質問を変えましょう。大赦は何を隠しているんですか?」

 

さて、ここからが肝心だ。

これでもう後戻りはできない。

これは賭けだ。

 

「隠すって……何を?」

 

なかなか尻尾は出さないな。

だが、それでいい。

 

「そうですね。例えば、ウイルスなんて存在しないとか?」

 

「――――――」

 

今度こそ、安芸先生の表情が凍った。

なにか、信じられないモノを見るような眼で俺を見つめてくる。

確定か。

半ば、ブラフだったが、仮説の一つが証明されてしまった。

 

「………何を馬鹿な事を言っているの?実際に、この四国は神樹様が作った壁に守られているのよ?ウイルスがなかったらそんなもの必要ないじゃない。」

 

駄目だ、安芸先生。

ウイルス説はこの四国ではもはや常識なんだ。

あなたはさっきの俺の言葉を一笑に付すべきだったんだ。

一瞬でも迷う時点で、その言葉は間違っている。

それに、壁を理由にするのは明らかなミスだ。

 

「ウイルス以外にもいるじゃないですか。バーテックスが」

 

「だから、バーテックスはウイルスの海から生まれ―――」

 

「―――天津神」

 

再び、安芸先生の動きが止まる。

二つ目の賭けも成功か。

 

「何故、そこまで……っ!」

 

「語るに落ちましたね」

 

人生で言いたい言葉ランキング三位達成。

こんな状況でも馬鹿な思考が走る。

 

「っ!赤嶺くん……あなたは………一体?」

 

ここまでで十分だな…これ以上、安芸先生の心労を増やすのは忍びない。

犯人が言うことじゃないけど。

 

「ごめんなさい、安芸先生。要するにそれなりの情報を自分は得られるんです。やろうと思えば、勇者の面々にこの話をすることもできる。でも、実際にするつもりはありません。その代わりに、もう少し情報が欲しいなぁって。あるんじゃないですか?過去の戦闘データ」

 

そう、この話をした目的は大赦にゆさぶりをかけて情報を引き出すため。

この情報は赤嶺の管轄でないため、秘密裏に入手することができなかったからだ。

合宿最終日を狙ったのは、可能な限り自分の価値を示しておきたかったからだ。

俺が、このように情報提供を迫った場合、大赦の取りうる手段は凡そ二つに絞られる。

取引か、俺を排除するか。

大赦はこの合宿を通して、自分と勇者の信頼関係や、俺自身の能力を把握しているはず。

そして、あの端末を俺に預けたということは、それなり以上に期待をしているということを示している。

また、現時点で俺を排除するのは、勇者のメンタルへ影響しかねないなど「御役目」に支障をきたす恐れがあり、おまけに、俺は赤嶺本家の長子だ。大赦からすると、俺の排除はリスクが高すぎる。

以上から、大赦が選ぶのは、取引の可能性が高い。

 

「勿論、安芸先生の一存では決められないということは分かっています。なので、この件を上につなげていただくだけで結構です。」

 

重要なのは、あくまで情報。先ほどまでの演出も、そう簡単に騙せる相手じゃないぞ、というある種の警告。

大赦に虚偽の情報を送るリスクを認識させるためである。

とはいえ、こちらのリスクも大きい。

最悪、赤嶺の情報管理能力が疑問視され、発言力が下がる恐れもある。

だが、上手くいけば、逆に俺の情報収集能力の高さなどが評価され、俺を大赦内に取り込む動きも起こるだろう。

まさしく、これは賭けだ。

 

「なぜ…この話を私に?」

 

「簡単な話ですよ。安芸先生は優しいから。あなたがあの三人を大切にしてくれていることは分かります。そして、現状あなたは勇者のお目付け役という大任を任されている。間違えなく、能力は高い。そんなあなたなら、この件を報告する上でも、少なくとも勇者の不利になるような立ち回りをしないと思いましたので」

 

安芸先生が信用に値する人間かどうかは、学校生活やこれまでの合宿を通して既に分かっている。

だからこそ、これほど早いタイミングで話をできた。

中々以上の賭けだけれど、やってみる価値はあった。

 

「それじゃあ安芸先生、自分はもう一度風呂に入ってきますので」

 

そう言って、部屋を出る。

彼女からの返事はなかった。

 

 

「はぁ……ちょっと疲れたな」

 

大したことはしていないのだが、流石に安芸先生みたいな良い人を追い詰めるのは心に来る。

無論、必要なことだとはわかっている。

それに大変になるのはこれからだ。

泣き言を言ってる暇はない。

ただ、無性に銀に頭を撫でられたい。

癒しが欲しい。

とはいえ、向こうは三人部屋だし、他の二人の前で甘える訳にもいかない。

仕方がないので、温泉で癒しを代用するという訳だ。

 

 

「あ~、いい湯だったー」

 

いやはや、本当にここの温泉は良き湯だった。

肉体的な疲れだけでなく、精神的にも幾分か癒される。

これなら、あの気まずい空間でもなんとか寝れそうだ。

とはいえ、やっぱり今は顔を合わせにくい、休憩所のベンチでコーヒー牛乳を飲みながら時間を潰す。

やはり、風呂上りはこの一杯が至福だ……

今、この旅館は貸し切りらしく、周りには誰もいない。

ついつい、ぼーっとしてしまう。

 

「どーしたー?頼人。こんなところでぼーっとして」

 

のんびりしていると、銀がやってきた。

片手にジュースを持っているところを見るに、飲み物を買いに来たらしい。

なんでこの子は俺が来てほしい時に来てくれるんだろう。

これ以上彼女にいかれちまったら日常生活にも支障をきたしそうなのに。

 

「ああ銀。いやぁ、なんていうか安芸先生とちょっとぎくしゃくしちゃってね…今は少し、部屋に戻りづらいんだ」

 

完全に自分が原因なわけだが、それを言うわけにもいかないのでぼかして説明する。

 

「ぎくしゃくって、安芸先生と?頼人~何かやらかしたのかぁ~?」

 

「ああ、音楽の方向性の違いで意見がぶつかってね」

 

そう言って、笑いあう。

お互い冗談めかして話してる、こんな時間が何よりも大切に思える。

ちょっと我慢できなくなって、つい我儘を言ってしまう。

 

「銀、ちょっと頭撫でて…」

 

「ん。久々に甘えん坊さんだな」

 

銀の腰に抱き着き、頭を撫でてもらう。

風呂に入るより、何百倍も癒されてしまう。

こうしていると、これからの不安だとか恐怖だとかが全て消えていく。

本当は戦っていない俺なんかより、銀の方が労わられるべきだと思う。

でも、どうしようもなく、この温かさの魅力に理性は打ち勝てない。

 

と、そこで小さな奇声が耳につく。

なんとなく嫌な予感がして、ゆっくりと声をしたほうへ顔を向ける。

すると、そこには物陰から顔をのぞかせる須美と園子がいた。

二人とも顔を赤くしており、特に園子の方はかなり興奮しているようだ。

 

「………………」

 

深呼吸して、ゆっくりと銀から離れる。

 

「なんだ?もういいのか?」

 

この事態に気が付いていないらしい銀が優しく声をかけてくる。

その優しさは嬉しいが、今はそれどころではない。

風呂に入って流れた汗とは別のそれが俺の背中を流れる。

頭がこの状況の打開策を必死で考えるが、今日はいつになくいい案が出ない。

 

「どうしたんだ、急に固まって…って…え!?須美!?園子!?」

 

銀も気付いてしまったらしい。

ばれて観念したのか二人も近づいてくる。

 

「ど、どこからご覧になってました……?」

 

恐る恐る尋ねる。

 

「えっとね~、ライ君がミノさんに抱き着いたとこから!」

 

残念。俺の冒険はここで終わってしまったらしい。

これまでの学校生活では常に完璧なイメージを保っていたというのに、こんなところで瓦解してしまうとは。

小学生は残酷だ。

これから俺は永遠に変態の名を背負って生きていかなければならないのだろう。

ちなみに、銀と須美は隣で真っ赤な顔して放心状態になってる。

かくなる上は買収しかあるまい。

 

「………何が欲しい?」

 

「二人のなれそめを聞きたいかなー」

 

うん。園子は駄目だ。無敵すぎる。

後は須美だが…

 

「ふっ、二人とも!合宿で何やってるの!」

 

と、そこで、須美が復活した。

真っ赤な顔で怒ってる。

お説教されるな流れだこれ。

 

予想通り、休憩室で俺たち二人は須美のお説教を食らった。

完全に銀は俺のとばっちりを食らってしまった形なので、罪悪感が半端じゃなかった。

不幸中の幸いだったのは、安芸先生がこの場にいなかったことだろう。

面白いことに、最初はがみがみ言っていた須美も、だんだん俺たちの話を聞きたがるようになり、最後にはただただ四人でだべっていた。

そうしているとなぜだか、みんなとの距離も近くなったみたいで、少しうれしくなる。

もしかしたら、俺は視野が狭まっていたのかもしれない。

こうして、みんなで過ごす時間も悪くない。むしろすごく良い。

それなのに、俺は無意識に彼女たちの人格を無視し、勇者としてしか見れていなかった。

銀だってただの女の子なのに、須美と園子がそうじゃないはずもないのに。

さっきなんて彼女たちを人質のように言ってしまった。

自分の醜さが嫌になってくる。

………これから頑張ろう。彼女たちのためにも。

 

こうして、合宿は終わりを告げた。

帰る前に銀と二人して、トラブルに巻き込まれてバスに遅れてしまったのはご愛敬だ。

 

 

 

 

 



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甘さ

書き溜め終了のお知らせ。


合宿が終わり、俺たちはいつもの学校生活に戻った。

いつもと変わらない、銀たちと過ごす日々。

やはり、こういう生活が一番心安らぐ。

今日も変わらず、三ノ輪家に朝からお邪魔し、銀と一緒に登校したのだが…

 

「仕方ない……拾っていくぞ頼人!」

 

「おー、まじか……」

 

まさかの捨て猫と遭遇。放っては置けず、拾っていくことになった。

とりあえず、学校にいる間は用務員さんにでも預かってもらおうということになり、俺たちは用務員室に向かった。

すると…

 

「二人ともどうしたの?もう朝の学活始まるわよ?」

 

何の因果か安芸先生と遭遇してしまう。

時刻はもう学活が始まる直前。訝しがるのも無理はないだろう。

なんと言い訳したものだろうか。

 

「あっ、ええっとですねぇ」

 

銀が誤魔化そうとした瞬間にランドセルの隙間から子猫の頭が飛び出す。

なんてタイミング。

ああ、これで誤魔化すという手段は潰えた。

正直に話すしかあるまい。

 

「すみません……実は通学路で子猫を拾ってしまいまして…」

 

「………可愛いわね」

 

「………先生?」

 

何か先生が小声で言った。聞き間違えじゃなければ可愛いとか言ってなかったかな。

 

「んんっ…仕方ないわね。放課後まで職員室で預かります。あなた達は教室に行ってなさい」

 

「本当ですか!?ありがとうございます!」

 

まさかこうも簡単に預かってくれるとは…ありがたい限りだ。

それにしても少し意外だった。

てっきり怒られるものかと覚悟していたのだが。

 

そうして放課後。

俺は先日の件で話があると、安芸先生に呼び出された。

銀たちには子猫を連れて先に帰ってもらっている。

合宿以降、安芸先生に特に変化はなかった。

俺と話をするときも、以前と変わらぬ態度で接してくれている。

そんな彼女の真意を、今日知ることができるのだろうか?

 

「お待たせしました。それで先生、お話とは例の件でしょうか」

 

教室で、安芸先生と向き合う。

いつもより表情が硬い。今朝とは違う人のように見える。

 

「はい、赤嶺くん。結論として大赦は情報提供に条件付きで合意しました」

 

「なるほど、それで条件は?」

 

まさか、大赦が何の条件も出さずに一方的に情報を与えてくれるはずもない。

特にこのような危険な情報を、小学生相手に。

 

「はい、まず伝えられる情報はかつてのバーテックスとの戦闘に関わるモノのみになります」

 

当然だろう。これは想定内だ。

この情報は勇者の御役目にも役立つし、断る理由は少ない。

おそらく危険なのは、あくまでそれに付随した状況の情報だろう。

大赦としては、余計な情報を与えて、問題を起こされるわけにもいかないだろうし。

 

「二つ目は?」

 

「この情報を勇者と共有することは禁じます。古い情報も多く含まれているので、余計な先入観を勇者に与えるリスクは犯せません」

 

そう来たか。

確かに正論だが、それはバーテックスの来襲が相当古いことを認めてしまっているようなものだ。

やはり、神世紀とバーテックスには深いかかわりがあるらしいな。

 

「なるほど、それだけですか?」

 

「いえ、あともう一点あります」

 

さて、これが本命か。

幾つか考えてはいたが、俺に最も効果的な条件は

 

「……三ノ輪さんとの接触を今より控えてください」

 

やはりこれか…

 

「…………………一応、理由をお聞きしても?」

 

「現状、あなたと三ノ輪さんの距離は近すぎます。大赦としてはあなたが御役目の際、三ノ輪さんの身の安全のために適切でない指示を下す可能性が懸念されています」

 

そう、この条件こそ難敵。

特に、銀は近接戦闘を主とした勇者だ。

身の危険性は他の勇者よりも高い。

そんな銀を必要な状況で、危険を負わせる指示が俺に出来るか、という点が問題となる。

面白いのは、この件に関して俺がどんなに言葉を尽くして問題ないと主張しても、実際の戦闘において証明できなければ意味がないというところだ。

もっとも、大赦の本音としては大方、勇者の条件である無垢を少年が穢さないか心配だといったとこだろうが。

なら、こちらの出方は…

 

「すみません、先生。確かに自分と三ノ輪は親しい間柄です。しかし、そういった理由であれば、今更距離を置いたところで、解決にはならないのでは?」

 

条件そのものに疑問を呈する。

これならば、先ほどの理由は意味が無くなってしまう。

 

「ええ、ですがあなたが三ノ輪さんと距離を取ることで、あなた自身の視野が広がるのではないかという意見もあります。特に赤嶺くんはこれまでの振る舞いからも、大赦関係者からの評価は高く、三ノ輪さんと距離を取ることで、御役目においてもより客観的な立ち振る舞いができると期待されています」

 

酷い詭弁だ。

大赦の本音を隠すための言葉。

此方をおだてているつもりなのだろうか?

それで銀と距離を取らせようとは、少し腹が立つ。

 

「詭弁ですね。その程度の理由のために、個人の交友を制限すると?」

 

「ええ、ですので断っていただいても構いません」

 

この言葉で己の過ちを自覚する。

しまった…これは乗せられた。

最後のは、俺を試すための言葉だ。

大赦としては、俺が真に勇者たちに情報を漏らすかどうか確かめたかったのだろう。

仮に、俺が情報を漏らした場合、勇者と大赦の信頼関係にひびが入り、結果として勇者を危険にさらす恐れがある。

この危険を、俺が犯すことができるかどうか確かめられた。

そして、俺は即答してしまった。少しでも考えるそぶりを見せるべきだったのに。

おそらく、俺の銀への執着からそれはあり得ないと思われた。

なら、この取引を大赦は行わなくてもまるで問題はない。

………してやられた。

 

「少し……考えさせてください」

 

今はこのように言うほかない。

普通に考えれば、今後の御役目のためにも情報を得ることが先決だろう。

しかし、今の俺に銀のいない生活はあり得ない。

なんて体たらくだろう。

赤嶺の麒麟児が聞いてあきれる。

本当に銀のこととなれば、頭に血が上ってしまうからいけない。

あの程度のブラフは読めてしかるべきだ。

ある意味、安芸先生の言っていた詭弁染みた意見は正しいのかもしれないな。

…まったく、この手の情報が赤嶺の管轄ならもっと楽な方向に話は進んだものを。

考えを練り直す必要があるな。

 

 

 

そうして、答えの出ぬまま日曜日を迎えた。

俺はいつものように、三ノ輪家でお手伝いをしている。

無論、いかなる状況で樹海に入ってもいいよう、装備を詰めたバックパックは持って来ている。

学校にも置いているし、ランドセルの中にも常備している。

あんまり気は張りたくないのだがなぁ…

 

さて、これからどうしようかな…

俺は台所の掃除をしながら、今後の動きを考えていた。

正直、三ノ輪家の手伝い自体はそう問題ではない。

このまま放っておいても、大赦からお手伝いさんが派遣されるだろうし、そうなれば手伝いは不要となる。

もっとも、三ノ輪家の面々と顔を合わせられなくなるのは問題だ。

特に、銀と会えなくなった場合の俺のメンタルがどうなるかは推して測るべしだ。

とはいえ、みすみす情報を見逃す手も…

かといって、条件を踏み倒して情報提供後に銀とまた距離を詰めたら俺の信用にかかわる。

今後のことを考えたらそれは避けたい。

………難しい。

 

そうこう考えていると、台所掃除が終わってしまった。

いいタイミングなので、と金太郎を愛でにいこうとすると、ちょうど銀が買い物に出かけるところだった。

 

「ああ、銀今から買い物行ってくるのか。何かあったらすぐ電話するんだぞ?すぐ飛んでいくから」

 

「はいはい。まったく、頼人は心配性だなぁ。たかが、買い物でそんなに心配してたら胃潰瘍になっちまうぞ?」

 

「銀はいつも何かしらに巻き込まれてるからなぁ。いつかなるかも」

     

そう軽口をたたきながら銀を見送る。

さっさとほかのとこの掃除も済ませてしまおう。

 

そうして、家の掃除をあらかた済ませたところで、突如時間が止まった。

日曜に来るとは嫌な奴だ。三人も合流に少々時間が取られるだろうし。

そう考えながらも、体は動く。

樹海化する前にバックパックに手を伸ばす。

インカムを装着し、樹海化の完了と同時に勇者たちに通信を飛ばす。

 

「こちら、頼人。銀、須美、園子。それぞれ現在地を教えてくれ。」

 

まずは、それぞれの現在地を訪ねる。合流が先決だ。

それにしても、インカムをつけるとどうしても口調が芝居がかったそれになってしまう。

 

『ああ、頼人か。こっちはもう三人集まってる』

 

意外なことに、もう集結しているそうだ。

遭遇したとなると、現在地は…

 

「了解。そうなると、今三人はイネスか。それじゃあそのまま大橋へ向かってくれ。こちらは三ノ輪家周辺の位置から敵の観察を続ける」

 

耳に元気な声が届く。

さて―――

双眼鏡から覗くバーテックスは巨大な四つの角をぶら下げていた。

四本角とでも呼称すべきか。

須美が様子見のために矢を放とうとしたその時、四本角はおもむろに角を地面に下ろす。

途端、地震が起き始めた。

大橋から離れたここでさえ、かなりの揺れを感じる。

大橋上の振動はこの比じゃないだろう。

事実、今須美が放った矢も振動により弾かれてしまったようだ。

なんて、防御力。

しかし、これは同時にチャンスでもある。

奴らは神樹への到達を目標としている。

ならば、この地震は必ず止み、再び四本角は移動を開始するはずだ。

その瞬間を狙えば、容易に敵を崩せるはず―――

 

「園子!狙うのは―――」

 

『うん!地震が収まった瞬間だね!』

 

流石、真の天才少女。此方の考えも簡単に理解してくれる。

やがて、地震が収まる。と、同時に奴が角の一本を三人に繰り出した。

あれが奴の攻撃か…

だが、園子も然るもの。盾を素早く展開し、角を弾く。

 

『よぉし、敵に近づくよぉ!』

 

園子が叫び、三人が四本角に接近していく。

しかしその瞬間、敵は空高く飛翔した。

同時に角を銀と園子に向かって叩きつける。

幸い、二人は素早く回避したが、問題はそこではなかった。

直後に須美が矢を放つが、四本角には届かない。

 

『制空権を取られた!』

 

……まずい。このままでは手が出せない。

 

「園子!須美を……!?」

 

言いかけて、四本角が何かを仕掛けようとしているのが分かった。

角を束ねて、何かを狙っている?

奴の角の先にいるのは……銀!?

悪寒が体を貫く。

 

「―――銀!防御!!」

 

叫んだ瞬間、四つの角が射出される。

 

『根性ぉおおおお!』

 

高速回転した角を銀がかろうじて防御している。

まずいまずいまずい。

このままでは銀が殺られる!

どう考えてもあれでは横からの救助は無理だ。

なら――

 

「園子!須美!お前らで奴を叩け!弓を届かせろ!銀はあと三十秒持たせろ!」

 

『がぁあああああ!!りょう、かいぃいいい!!』

 

銀の苦しげな声に心臓が止まりそうになる。

だが、これしか方法はない。

指示と呼べるかも怪しい無茶苦茶な言葉だったが、果たして園子は理解したようだった。

 

『うん!わっしー上!』

 

『りょ、了解!』

 

園子は槍で足場を作り、須美はそれを駆けあがり矢を放った。

 

『届けぇええええええ!!』

 

矢が命中し、四本角が体勢を崩す。

おかげで、銀への攻撃も中断された。

 

『ここから、出ていけぇ!!突撃ぃいい!!』

 

間を置かず、園子が四本角に突撃し、奴の体に大穴を空ける。

そして、四本角が墜落していき、決定的な隙をさらす。

園子と須美が何かを叫ぶ。

 

『三倍にして返してやる!釣りはとっとけぇえええええ!!!』

 

須美と園子の叫びに応えるかのように、銀が四本角の体を中心から破壊していく。

紅い閃光が四本角を駆け、その閃光が消えた瞬間、辺りが明るくなってきた。

やがて、樹海化は解除されていく。

気が付けば、大橋近くの公園にいた。周りを見渡せば三人もいる。

 

「あいててて」

 

銀の声を聞き、慌てて医療キットを取り出す。

 

「ほら、銀。座って?」

 

「ミノさん、大丈夫ー?」

 

銀を座らせて怪我の手当てをしていく。

何たる様だ。

今回の戦闘で、俺は何の役にも立っていない。

傍から声だけ聞けば、冷静に指示を出していたように見えるだろうが、今回敵を首尾よく倒せたのは園子の力が大きい。

おそらく、園子ならもっと冷静に、そう、銀にあとどれだけ持つか確認したりして、俺が指示を出さなくとも素早く四本角の撃破に至っただろう。実際、槍で足場を作るなんて発想、俺にはなかった。俺は、園子の槍で須美を上空に飛ばすなんていう非効率的な考えをしていた。園子は俺以上の発想力を持つことをその行動で証したのだ。

それに比べ、今回の俺の指示は間違えなく銀の命を危険に晒した。

焦って、銀の状況も確かめず、まるで具体性のない指示を出してしまった。

何が実績だ。何が俺の立場を盤石にできる、だ。

己の自惚れに吐き気を催す。

 

「おーい、頼人ー?頼人ー?」

 

「ん?」

 

「どうしたんだ?呼びかけても全然返事しないし」

 

「ああ、ごめん。考えごとしてた」

 

自己反省と治療に意識をやりすぎて周りの声が聞こえていなかったらしい。

俺も焼きが回ったものだ。

と、そこで須美が泣き始めた。

 

「どうした、須美!?どこか痛いのか!?」

 

慌てて、銀と園子が須美に寄る。

 

「違うのぉ…私…次からは…初めから息を合わせる…頑張る…」

 

彼女の言葉に心を打たれる。

ああ、そうか。彼女も俺と同じだったんだな。

自惚れと失敗。

だが、俺に比べ、彼女は立派に結果を出している。

今日だって須美がいなければ、四本角の打倒はなしえなかった。

もっと、自信を持ってほしいと思う。

やがて、彼女はおもむろに園子をあだ名で、銀を呼び捨てで呼び始めた。

彼女たちの喜ぶ声が聞こえる。

 

――そうだ。

彼女のように、変化を恐れずに一歩踏み出す勇気を持たなければならない。

俺も、今の甘さを持ち続けていてはきっといつか後悔する。

なら、俺は選択しなければならない。

後悔しないで済む道を……

自分は大人だなんてプライドは最早持ってても、何の意味もないんだから。

 

「あっ、頼人が自分だけ名前呼んでくれなくて拗ねてるぞ!?」

 

「え?」

 

また思索にふけってしまっていたようだ。

意識を目の前に戻す。

 

「あっ、ご、ごめんなさい…よ、頼人君…」

 

唐突に名前で呼ばれる。

だけど、なんだろう?思っていたよりも嬉しい…

 

「うん、これからもよろしくね。須美」

 

やっぱり、変化というものは良いこともいっぱいあるみたいだ。

俺も…頑張ろう。

こうして、三体目のバーテックスとの戦いは幕を閉じた。

 

 

次の日。

放課後、俺は安芸先生を呼び出していた。

 

「待たせたわね。それで、前回の答えを聞かせてくれるのかしら?」

 

今日の安芸先生は、前と違い表情は硬くなかった。

すこし、安心する。

 

「はい、その前に一つだけ。安芸先生、先日の合宿では大変失礼しました。あのような態度を取り、誠に申し訳ありません」

 

まず、謝罪する。あの時の俺はどう考えても、脅迫するような態度で先生と話していた。

その非礼を詫びる。正直、あれは無かった。

まるで、ド生意気なガキだ。

反省しても、し足りない。

 

「ええ、確かにあの時は驚いたわね。いきなりあんなこと言いだすから、何事かと思ったわよ?」

 

「面目次第もございません………」

 

「だけど、赤嶺くん。あなたはもっと純粋に頼ってくれてもいいのよ?大赦のことを抜きにしても、私はあなたたちの先生なんだから」

 

先生は優しい言葉を俺にかけてくれる。

ああ、やはり俺は間違っていたんだな。

頼るのが怖くて、つい取引という手段をもってしか、先生を信じられなくなっていたんだ。

何が信頼できる、なんだろうか。

俺が、もっと純粋に安芸先生に頼っていたらこんな取引は起きていなかったのかもしれない。

だけど、過ぎ去った時間は元には戻せない。

俺は今できることをしよう。

 

「ありがとうございます、安芸先生。それでは早速お言葉に甘えてしまいます」

 

さて、ここが分水嶺となる予感がする。

深呼吸して―――

 

「あ、ちょっと、待って。赤嶺くん。先に取引の変更点を伝えるわ」

 

おや、出鼻をくじかれた。

つい、生返事をしてしまう。

変更点か…条件の上乗せだろうか?

 

「前回話した、三ノ輪さんとの距離を取る条件は撤回することになりました」

 

「―――え?」

 

これはさすがに想定外だ。

もしや…昨日の戦闘か?

 

「昨日の戦闘での貴方の指示は、三ノ輪さんが危機的な状況であったにも関わらず、迅速かつ的確だったわ。なら、距離を取ってもらう理由はないでしょう?」

 

正直心外ではあるが、理由は分かった。

それにしたって、この早さはないだろう。

それ以外の理由でも、俺を銀から引き離したい連中は多いだろうし…

 

「………まさか…先生?」

 

「ふふ、言ったでしょう?私はあなたたちの先生だって」

 

やられた………。

完敗だ…。

今度こそ、俺の歪んだプライドは吹き飛んでしまった。

 

「まったく、安芸先生には敵いませんね。感謝の言葉もありません」

 

きっと、安芸先生がいろいろ手を回してくれてたんだろう。

こんなにすごい人がいるのに、なんであれほど自惚れていたんだろうか。

やっぱり、この人は真に信頼できる人だ。

銀がいなければ、まず間違えなく惚れてたな…

 

「それじゃ、こちらも本題をお話ししましょうか。まず、条件を飲みます。そして、図々しいですが、一つお願いがあります」

 

正直、今のやり取りをした後にいうのは少しはばかられる。

が、どうしても話す必要がある。

さて、これは受け入れられるだろうか。

多分これなら大赦にデメリットはあまりないし、受け入れてくれると信じたいが…

おそらく、これが分水嶺。

意を決して話す。

 

「勇者システムの開発に自分も立ち会わせてください」

 

 

―――火色舞うよ。

 

心で呟く。

これからが俺の御役目だ。

 



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interlude

閑話、三章構成。
それぞれ繋がりはありません


「御役目」

ある日、銀から絶対内緒だからな、と教えてもらった言葉。

曰く、壁の外からやってくる悪い奴らから世界を守る御役目。

それに、銀が選ばれたそうだ。

正直なところ、初めはまた銀が冗談を言っているのだと思った。

そんな荒唐無稽な話、簡単に信じられるはずがない。

だけど、銀の顔を見ると、不思議と、銀は本気でそう言っていると信じることができた。

なぜだろう。彼女は本当にいつも通りだったのに。

 

そうして、彼女の言葉を信じた途端、どうしようもなく怖くなった。

だって、世界を壊せるような存在と銀は戦うのだという。

世界を壊せる存在なら小さな少女を壊すことなど造作もないだろう。

だけど、戦えるのは神樹に選ばれたごく一部の少女だけだという。

彼女らは勇者と呼ばれるそうだ。

聞かされた話を受け止めきれなくて、その日は早めに家に帰った。

 

家に帰って、聞いた話を思い返す。

この話について考えると、とてつもない違和感が体を襲う。

 

―――あれ?

   何かが、おかしい。

 

この話から湧く違和感は、同時に世界全体に対する違和感にまで波及する。

一つ一つ考えてみよう。

この世界に対して抱いていた違和感を自ら穿り返す。

 

この世界は神樹により死のウイルスから守られているらしい。

だが、この話自体に違和感を覚える。

現在は神世紀298年。つまり、死のウイルスとやらが蔓延して三百年近くたっているのだ。

前世の知識を掘り返す。

確か、ウイルスは自己増殖ができず、故に人などの生物に寄生し、増殖する。

そして、前世の記憶にあるインフルエンザウイルスやノロウイルスは空気中では長く生きることはできなかったはずだ。

三百年もの間、宿主もなしにウイルスが生きていられるだろうか?

それだけ時間があっても、ワクチンを作ることはできなかっただろうのか?

分からない。

正直、この世界は神樹の存在といい、前世とは常識が違いすぎる。

本当に、人間じゃどうすることもできない常識外のウイルスが存在する可能性も捨てきれない。

もしかしたら、人類以外には感染しても、あまり害はないウイルスなのかもしれない。

断定はできない。

が、教科書に書かれていることを鵜呑みにするのは危険だろう。

 

もう一つ、大きな違和感があった。

この世界の学校には神道の授業が存在する。

神樹という実物がいるのだから当然なのだろうが、問題はその授業の中で、天照大神などいわゆる天津神に関する記述がほとんどない。

本来、天照などは神道における最高神でもあり、神道を学ぶ上でその存在には深く触れなければならないはずだが授業では国津神に関する記述が多く占めている。

また自分が知る限り、現在この四国にある神社は、神樹を祀るものばかりで天津神を祀るところはない。

神樹は土地神の集合体らしいので、信仰を集中させるための策だとも考えられるが、歴史的建造物を大切にする日本において、いくらなんでも一つとして残っていないのは異常だ。

 

これ等の違和感に加え、謎の敵の存在。

四国から出られない人類。

不自然なまでに記述されていない天津神。

 

―――ふと、国譲りの逸話が思い出された。

 

 

発想が飛躍する。

 

ふと、建御名方神という神のことを思い出した。

 

日本神話において国譲りを天津神が迫った際、建御名方神は建御雷神と力比べをし、敗北。その後、諏訪に逃亡し、そこから出ないことを誓ったという。

今の人類を建御名方神に当てはめて考えてみる。

諏訪は四国にあたり、人類が建御名方神とすると、人類は世界をかけて三百年前に「何か」と力比べをし、四国へ敗走。以後四国から出ないことを「何か」に誓った、という感じになるだろうか。

思った以上にしっくりくる。

この説を事実と仮定して掘り下げてみる。

 

「何か」はおそらく天津神。

ここまで存在が隠されていては当然そうなるだろう。

おまけに国譲りの神話にもぴたりと符合している。

では、神樹という存在は何なのか。

いくつか考えられるが、最も有力なのは人類に味方した神々であるという考えだろう。

現に、今の四国の生活は神樹なくしては成り立たない。

まさか、敵である神が人類を助けているとは考えにくい。

もう一つ考えられるのは、神樹は人間を生かし監視する役目を天津神から与えられているという考え方。

あまり考えたくはないが、可能性は零ではない。

しかしながら、銀の言っていた「敵」が天津神、もしくはそれに準ずる存在であるならば神樹と天津神は敵対関係にあると考えられる。

ならば、やはり神樹は人類に味方していると考えるべきか。

 

ここまで考えて、少し冷静になる。

まったく、証拠も何もないただの想像。

発想が飛躍しすぎている。

推理とは到底言い難い。

いや、妄想だといってもいいくらいだ。

神々の戦いが現世で起きるなんてあり得るはずもない。

 

しかし、なぜだか笑い飛ばせない。

なにせ、神樹という存在が神話を肯定しているのだ。

状況証拠は揃っており、銀の教えてくれた「御役目」についても気になる。

やはり、大赦が国民に何かを隠しているのは間違いないだろう。

少なくとも、ウイルスにより四国から外に出られないという話は信じられそうにない。

 

それにしても、どのような形で「敵」は攻めてくるのだろう。

「敵」が天津神として、なぜこのタイミングで攻撃を仕掛けようとしているのだろう。

そもそも、なぜ戦うのが銀たちなのだろう。

何故「御役目」のことが隠蔽されてているのだろう。

現状分からないことだらけだ。

…………知りたい。

 

本当はこんなことに首を突っ込むべきではないのだろう。

しかし、銀がこの件について関わっているのなら放ってはおけない。

特に、命がかかわることであれば…

 

確か、赤嶺家は大赦のなかでもそれなりの力を持っていたはずだ。

ならば、「御役目」に関する詳しい情報を知りうる立場にあると思われる。

しかし、面と向かって両親に「御役目」やこの世界について尋ねる訳にもいかない。

搦手を使うしかあるまいか。

 

両親が家におらず、俺に甘い使用人がいる日をあらかじめ狙っておく。

目標は父の書斎。しかし、鍵がかかっていて父がいないときには入れない。

なにで、その日の前日に、父の書斎に入れてもらい気付かれないように窓の鍵だけ開けておく。

これが非常に難しかった。父は赤嶺の当主だけあって、その観察眼は侮れない。

そのため、父から不審がられないよう毎晩書斎に通うようにした。おかげで無事、気付かれずに窓の鍵を開けることができた。

そしてコトを起こす日。

使用人に買い物を頼み、家に一人でいる瞬間を作る。

その間に、窓から父の書斎に侵入し、情報を集める。

この日のためにパソコンのパスワードは入手しておいた。

 

結論から言うと、「御役目」や世界についての具体的な情報は得られなかった。

しかし、ヒントとなるような情報は得られた。

父のパソコン内にはとある書きかけのレポートがあった。

内容は、勇者とバーテックスの戦闘により生じた被害を原因とする治安への悪影響並びにその対応策。

 

どうやら、銀の言っていた「敵」とやらはバーテックスというらしい。

確か、最高点、山頂、頂点、天頂といった意味を持つ英単語。

到底、ウイルスから発生した怪物につける名だとは思えない。

増々、「敵」が天津神に関係するという説の信憑性が高くなる。

気になる点はまだある。樹海化という単語。このレポートによると、世界が神樹と同化し、その間、四国内の一切の時間が停止する。その世界で動けるのは勇者とバーテックスだけ。どうやらこの「樹海」が勇者の戦闘場所になるらしい。そして、この樹海の被害が、現実世界で自然現象としての被害になるとのこと。

 

未だ、全貌は分からないが、ある程度状況は掴めてきた。

これまでの情報を纏めると、四国外よりバーテックスと呼ばれる存在が侵攻してくる。

バーテックスについての詳細は不明。目的は神樹の破壊?

これを阻止するための存在が銀たち勇者。

此方も戦闘方法などの詳細は不明であるが、神樹に選ばれたこと、人類のために戦うことは確か。

戦闘中は四国は樹海化し、おそらく人々はそれを感知できない。

 

こんなところだろうか。

重要なのは、銀の話がある程度、裏付けられたということだろう。

まさか、父が冗談でこんな文書を作るはずもない。

まったく、冗談で済めばよかったものを…

やはり、大赦は色々と隠している。

こっちを洗ったほうが情報は得られそうだ。

 

この日を境に、俺は大赦について色々と嗅ぎまわるようになった。

 

赤嶺はそれなりに力のある家で、治安維持を主な役目としているらしい。

故に、俺はまず人脈を広げることを優先した。

赤嶺の家の大きさに加え俺自身の評判から、娘を俺と婚約させようとする家は昔から多い。

赤嶺の分家などはそれが顕著だ。

「御役目」について知ってから、俺は大赦内で一定の地位を占める家と関りを持ち、度々食事などを共にした。

そして、面会する日は単独で会いに行き、俺は親から話を聞いている体で家の者に大赦関係の様々な話題を振り、御役目等の情報を少しずつ聞き出していった。

無論、怪しまれないよう細心の注意を払っていたことに加え、個々から得られる情報はかなり断片的なものであったため、まとまった情報を得るのにはかなりの時間がかかったが。

 

そして、俺が樹海に入れることが分かって以降、俺を欲しがる家はますます増えた。

これは危険なことでもあったが、同時にチャンスでもあった。

「御役目」のためと言い、踏み込んだ情報を直接尋ねることができるようになったのだ。

これにより、それまでと比べ物にならないほどの情報を集めることができた。

勇者システムの件や、鷲尾須美が養子であること。

大橋のシステムについてや現状、勇者は大赦内で力のある家柄からしか輩出されないようにしていること。

その中でも特に貴重な情報として、過去にも勇者が存在したという事実や、バーテックスがこの数百年間現れていなかったことを知った。この情報は、話していた相手の失言によるもので、それ以上詳しく尋ねることはできなかった。

こちらとしては、断片的にとはいえ、核心をつく情報を手に入れられたうえ、彼らの弱みを握ることができたので万々歳なのだが。実際この情報のおかげで、俺自身に勇者のサポートをさせるか否かの大赦内の議論では、両親だけでなく彼らにも俺の立場向上を支持してもらえるよう取り計らえた。

このように分家の弱みを握ることで赤嶺の掌握は少しずつだが、着実に進んでいった。

 

対して情報収集については一定の成果を上げた後、流石に行き詰まった。

これ以上の機密情報を得るには直接大赦にアプローチするしかない。

問題はどのタイミングで揺さ振りをかけるか。

そんな折、二体目のバーテックスが現れ、合宿の話が持ち上がる。

非常に好都合なタイミングだった。

 

こうして、情報収集は次の段階へと入っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

side:乃木園子

 

赤嶺頼人という少年は、乃木園子にとって初めての友人だった。

園子は赤ん坊のころからスローライフを貫いており、小学校でもそれは変わらなかった。

そのため、小学校に入りたての子供たちの中では彼女はやや浮いた存在だった。

彼女の速度に合わせるのは子供には難しく、またそれくらいの歳ごろでは、特に活発な者が人気を得るからだ。

そのため、彼女に自分から話しかけようとする子供は少なかった。

少数ながらも、乃木さんには失礼のないようにね、などと子に言い含めていた親がいたことも原因の一つだろう。

 

そんな彼女に初めて近づいてきたのが頼人であった。

変わっていることにその男子生徒は、友人が多くいるのに、彼女に話しかけていた。

彼女のマイペースな振る舞いもまるで気にせず、彼女を自らの環の中に入れた。

園子が初めてあだ名で呼んだ相手も頼人だった。

頼人をライトと呼ぶクラスメイトが多くおり、彼女もそれにあやかって、彼をライ君と呼ぶようになった。

 

そうして、彼女がクラスメイトと話す機会は多くなって、頼人以外の友達も作ることができた。

不思議なことに、赤嶺頼人は園子にしたようなことを、孤立しているクラスメイトみんなにしていた。

先生などは、赤嶺くんは優しいわね、としか反応していなかったが、彼の行動は少しおかしいほどだった。

なぜだか園子は、その光景を見るたびに、寂しくないのかな、と思ってしまう。

あまりにも平等に優しくするその姿は、見方によってはあまりにも歪。

けれども、いやだからこそ園子は彼の傍にいたいと思ってしまった。

その行動の真意は何であれ、確かに園子は、彼らは頼人に救われたところがあったのだ。

そう、頼人はどれだけ頼られても、どれだけ甘えられてもそれを許容していた。

必然的に彼の周りに人は集まる。だが、聡い園子には、頼人に対等な友人がいるようには思えなかった。

だから、彼が寂しくないように、頼人が心を許せる相手になりたいと園子は思ってしまった。

だから、園子は頼人のことをいつも見ていた。

それは、恋とも言えないような淡く優しい想いだった。

 

そして、時は経ち、頼人は急にある一人と行動することが増えてきた。

その相手は三ノ輪銀。園子にとっては、声が大きく気圧されてしまう少し苦手な相手だった。

だけど、銀と共にいる頼人の表情を見て、園子は理解してしまった。

銀は頼人にとって特別な人なのだと。

彼はもう孤独ではないのだと。

それは、喜ばしくも少し切ない気持ちを園子に感じさせた。

それからは、園子は友達として頼人との関係を続けている。

 

彼女の恋ではない淡い想いは終わったのだ。

 

 

 

side:鷲尾須美

赤嶺頼人という少年は鷲尾須美にとって親切なクラスメイトという認識だった。

何かと親切にしてくれる、三ノ輪銀といつもいるクラスの人気者の一人ぐらいにしか思っていなかった。

その認識が変わったのは、「御役目」が始まってからのことだ。

 

最初の「御役目」からしばらくして、勇者の三人は頼人により集められた。

頼人が勇者を集めた理由は、二回目の襲来に備え、勇者とある装備を共有するためであった。

それがインカム。勇者同士には不要であるが、頼人が勇者と樹海内で話すためには必須のものであった。

初め、須美はこんなものが役に立つのかと訝しんだ。

ある種、それは当然だろう。勇者でもない只の小学生が「御役目」において、適切なアドバイスを出せるとはだれも思わない。

しかし、二回目の襲来において、頼人は勇者が考えつかなかった作戦を提案し、その評価は一変した。

特に、須美自身その作戦に大きく貢献したことにより、自らへの自信を深め、彼を信頼するようになった。

 

だが、同時に彼が多くの人に評価されていることを知り、小さな競争心も生まれた。合宿で共に訓練をする中で、明確に仲間意識も生まれたとはいえ、彼が大人から評価されている面ばかりを見てその完璧さに近寄りがたさを感じたのだ。

 

しかし、合宿の最終日に休憩室でいかがわしいことをしている銀と頼人を説教したり、そのあと四人で色々なことを話し合う中でその近寄りがたさも感じなくなっていった。

 

こうして、須美は頼人とも友達になれると思い始めた。

 

 

 



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誓い

取引の結果、俺はようやく過去の戦闘記録を閲覧した。

しかし、その内容は、俺の想像をはるかに超えていた。

 

過去の勇者の戦闘記録、その内容は凄惨の一言であった。

文字通り、身を削り戦い続けた勇者達の死闘は、これまで考えていた楽観論を崩壊させるには十分すぎた。

過去存在した星屑、進化体、完成体の三種のバーテックス。

現在、来襲しているバーテックスは完成体と同型らしいが、現状、一体相手でも勇者たちは苦戦している。

だが、記録に残っている最後の戦いでは、七体もの完成体バーテックスが同時に侵攻していた。

この眼で見てきたから分かる。 

 

―――無理だ。

 

それほどの相手が同時に侵攻してきた場合、間違いなく今のままでは勝てない。

にも、関わらず大赦はこの情報を伏せ、ほとんど何も知らない少女たちを戦わせている。

………吐き気がする。

大方、老人たちは現状の結果だけを見て満足しているのだろう。

確かに、過去の勇者システムに比べて、現状のそれは大幅に強化されている。

だが今後、バーテックスが複数体、同時出現する可能性を考えたら性能が足らなさすぎる。

もとより現状の勇者システムが力不足だという認識はあり、先日の「お願い」をしたわけだが、事態は想像以上に深刻だった。

本当に…まだ11や12の少女には、過酷すぎる運命だ……。

 

戦闘記録により、能力が分かった完成体バーテックスは六体。確認された完成体は九体であったが、うち三体は一人の勇者が命と引き換えに打倒したため、詳しい情報はなかった。

だが、能力が分かった六体のうち、水球を放ったものと、四本角は特徴が一致したため、それ以外の四体の情報は、これからの戦闘で大いに役立つと思われる。

この記録におけるバーテックスの情報は、本当に綿密に記載されており俺は一つの確かな遺志を感じた。

 

―――これは、願いだ。

 

この記録を遺したものたちの、真摯で、尊く、強き願い。

記録を見ればわかる。

これは、いつかまた勇者がバーテックスと戦うときに役立ててほしいという想いが形になったものだ。

読めば嫌でも理解してしまう。

人類は奪われたのだ。

世界を、自由を。

未だ、確たる証拠はない。

だが、俺の中で確信が生まれた。

仮説は正しかったと。

 

―――あなたたちの想い、無駄にはしません。

 

心の中でそう誓う。

おそらく、大赦の連中にはこれを只の戦闘記録としか思わなかったのだろう。

そうでなければ、これほどの想いが詰まった記録を見せられるはずもない。

これは、直に戦場にいたものにしか伝わらないだろう。

たった一度の戦闘の、これほど詳細な情報を纏めることの難しさを知らないのだろう。

分からないから、こうも簡単に握りつぶせたのだろう。

 

この時、俺は確信した。

現状の大赦では、この先のバーテックスとの戦いは必ず破綻する。

事が起こってからでしか対応しない悪癖を、過去からそのまま引きずっている。

家柄にとらわれて、勇者を三名しか用意できていない時点で全てを勘違いしている。

これは戦争だ。

間違いなく、死力を尽くさねばならない戦いだ。

家柄なんぞを考えている余裕は人類にはないのだ。

やはり、大赦は構造的に腐敗している。

パワーゲームに明け暮れてきた結果がこれだ。

恐ろしいことに、それに疑問を持っている人間が殆どいない。

常識がそのように定まってしまっている。

数百年もの間、平穏な時が流れたせいか、大赦はものの見事に平和ボケしている。

このままではだれか死ぬ。

 

早急に大赦を改革しなければならない。

可能な限り穏便に済ませるべきだ。

だが、場合によっては、外科的な処置も必要になるかもしれない。

無論、現状俺にはそこまでの力はないし、今はバーテックスとの戦いに集中すべきである。

だから、今は土台を作る…

 

これ以後、俺は今まで積み重ねてきた人脈を余すことなく使い始めた。

まず、俺が行ったのは信頼できる味方を作ること。

本格的に権力闘争をするとなると、一人ではほとんど何もできないからだ。

最初に安芸先生や、今まで俺についていてくれた使用人である秋隆に可能な限り事情を話し、俺の味方になるように頼んだ。

これは本当に綱渡りだった。

何故なら、俺の頼みはある種の裏切りを頼んでいるようなものだったからだ。

安芸先生は大赦に、使用人は俺にではなく赤嶺の家にそれぞれ忠を置いているのだ。

彼らがその忠を貫けば、俺の立場は地に堕ちる。

だが、彼らから協力を得られなければ、俺の計画が成功するはずもない。

これは絶対に必要な条件であった。

 

果たして、俺は賭けに勝った。

これにより、俺は安芸先生の持つ情報や、両親が持つ情報を秋隆を通じてある程度得られるようになった。

そして、赤嶺全体の弱みを探ってもらい、そのほかの使用人の篭絡も同時に行っていった。

勿論、表立って動き回ればすぐに気付かれ、面倒なことになる。

しかし、赤嶺の次期当主とその使用人がグルになってしまえば、大抵のことは気付かれずに行うことができた。

安芸先生には、大赦の動向について注意を払っておいてもらった。

赤嶺の掌握に必要なものが着々とそろっていく。

 

そして、俺は人生最大の挑戦を行う。

赤嶺の当主である父親に、協力を求めたのだ。

ここまで来るのは本当に大変だった。

父を説得できるだけの材料の確保、相互理解のための長きにわたる対話、万一拒否された場合のための用意。

揃えるため労力は並大抵のものではなかった。

 

しかし、それでも説得は非常に難航した。

当然だろう。どれほど言葉を尽くしても、どれほど材料を作っても、結局のところ12の子供が親に大赦を裏切れと言っているのだ。

普通の神経ではまず、受け入れられないだろう。

だから、俺は禁じ手を使った。

俺自身を使ったのだ。

要求が受け入れられなければ、俺は自害すると伝える。

無論、これだけでは只の子供の駄々だ。

秋隆に拳銃を用意させ、その拳銃が本物であることを確認させた後、父の目の前でロシアンルーレットを行う。

俺か大赦か選ばせたわけだ。

赤嶺がその性質上、治安組織にも太いパイプがあったのは幸運だった。

おかげで、拳銃はたやすく手に入った。

こうなると、父も俺が本気であると思い、俺の頼みを受け入れてしまう。

これで事実上、赤嶺の掌握は完了した。

 

もっとも、これは半ば詐欺のようなもので、俺は事前にシリンダーの回転を目で見ずともコントロールできるように訓練していた。

それでもリスクはあったが、結果的に、無事に俺は狙いを果たせた。 

しかし、親の愛すら利用するとは何て醜い存在なのだろうか。

俺のような奴をおそらく、人でなしというんだろう。

だが、それでも俺は止まれない。

銀の、みんなの未来がかかっているのだ。

 

 

それから少し経ち、俺は安芸先生と共に勇者の訓練に立ち会っていた。

戦力把握のための視察だ。定期的に行っているモノであるが、今日は視察の周期から外れていた。

安芸先生によると、今日で一旦訓練は中断し、しばらく三人に休養を取らせるとのこと。

次に訓練が行われるまで間があるため、俺も臨時で視察を行いに来たのだ。

 

無論、休暇といっても勇者だけの話であり、俺には関係のない話だ。

むしろ、先日の一件から得た膨大な情報の処理や、情報を基にした研究などのため俺は今までよりはるかに忙しくなっている。

放課後や休日に三ノ輪家に行くこともままならなくなっており、俺のメンタルダメージは中々ひどいことになっている。まぁ、それは大した問題ではないが。

 

それにしても―――

合宿を行った時に比べ、彼女たちは格段に腕を上げている。

三人とも、技のキレや素早さ、正確さが段違いに向上しており、また以前に比べ一挙手一投足に落ち着きが見られる。

前回の四本角戦以降、三人の距離も縮まっており、それに付随するように連携能力にも著しい向上が見られる。

安芸先生が休暇を許可するのも納得できる完成度だ。

三人も着実に自信を深めている。

これで休みを取れば、まさしくベストコンディションとなるだろう。

それでも、まるで安心できないのだが…

 

しばらくして訓練が終わり、安芸先生が三人にしばらく休養をとるようにと告げた。

それを聞き、ほころぶ三人の顔を見て改めて思う。

この子たちは絶対に死なせてはならないと…

 

 

その日の夜、園子からメッセージがとんできた。

曰く、今度の休日うちで遊ぼうぜ!とのことだった。

それならグループチャットの方で全員に話せばいいのではと思ったが、どうやら銀と須美にはサプライズで家に押し掛ける腹積もりだが、俺は最近忙しそうだったので、事前に連絡しておいたらしい。

正直、そんな暇はないので断ろうかと思ったが……

そこであることを思いついた。

 

 

 

 

そうして、休日。

 

「園子様。この御恩は必ずやお返しします。」

 

「ふふふー。よきにはからえー」

 

俺は園子に跪いていた。

理由は、目の前にいる銀だ。

珍しくフリフリの服を着ている。

乃木家で臨時のファッションショーをしているのだ。

それにしても…

可愛い。超かわいい。べらぼうにカワイイ!!

こんないいものを拝謁できるとは園子様万歳!

 

まず髪につけた花飾りはその美しさで、より一層銀自身の可愛さを際立たせている。

胸元のリボンや服の至る所に見られるフリルは見るものに柔らかな印象を与え、普段見られない銀の魅力を最大限にまで引き出している。

特に普段と比べ弱々しい銀の雰囲気も相まって、可愛らしいスカート姿はたまらなく庇護欲を感じさせる。

控えめに言って最の高である。

はぁ………好き…………。

 

「とても、似合ってるわ…銀!」

 

須美も銀の可愛らしい格好に鼻血を出して喜んでいる。

しかも、なかなかいいカメラで銀の姿を収めている。

くそっ。こんなコンパクトなデジカメじゃなくて俺も一眼レフを持ってくればよかった!

 

「須美様、後程そのデータをお借りしてもよろしいでしょうか。引き換えに昔の銀の写真を差し上げます故」

 

「勿論いいわよ、取引成立ね!」

 

須美とがっちり握手する。

ああ、俺はなんていい友人を持てたのだろう。

こんな同胞を得られるなんて、思いもしなかった。

 

「やめろぉ、二人とも!アタシの写真を勝手に取引するなぁ!」

 

銀が真っ赤になって叫ぶ。

その姿すら愛らしい。

 

「安心しろ銀!お前は世界で一番かわいい!」

 

「そうよ、銀!もうこれは…金よ!」

 

「わけわかんないぞぉ!?」

 

「打点高いよー?」

 

様々な服を着せ替え、三人で銀を愛でる愛でる。

そうか…ここが極楽浄土だったのか…。

本当に今日来ておいてよかった。

最近のメンタルダメージが見る見るうちに回復していく。

今日のことは一生忘れないだろう。

 

 

 

ファッションショーも一段落し、彼女らが着替えるようなので俺は部屋を出た。

もう少し一緒にいたかったけど仕方あるまい。

頭を切り替える。

 

「お待たせしました。それでは、お願いします」

 

部屋の外で待ってくれていた乃木家の使用人に声をかける。

そう。

今日乃木家に来た本当の理由は、他にある。

乃木家の昔の資料を見せてもらいに来たのだ。

昔、園子に乃木家には古い本が多くある、という話を聞いていたので、その中に勇者に関する資料がないかを確かめに来た。ちなみに持ってきていたデジカメも資料の撮影のためのものだ。

そのことについて、園子から使用人に伝えてくれており、自分を案内するため、彼らは今まで部屋の外で待ってくれていたという訳だ。勿論、乃木の当主にも話は通している。

思っていたより待たせてしまった。

 

そうして、書庫にたどり着いたわけであったが…思ったより膨大な数だった。

とりあえず、勇者に関係するモノだけを探すことにする。

何人か家の使用人も連れてきているので、手分けすればそれなりに手早く済ませられるはずだ。

 

探し始めて早一時間。ようやく一つだけ手掛かりらしきものを手に入れた。

「勇者御記」と題された本。

どうやら、勇者の日記のようだ

中を見てみると、ほとんどの文が黒線と赤線で塗りつぶされている。これは検閲が二回あったということか。

すると、大赦の隠蔽体質は徐々に強くなっていったということか。

 

だがそれでも、人名など一部の表記は検閲を免れていたらしく、残っていた。

乃木若葉…土居球子…伊予島杏…高嶋友奈…。

そして、名前は消されているが、もう一人勇者がいたのだろう。

過去の戦闘記録を見たときに感じた違和感。過去存在した勇者は四人だとされていたが、記録の節々にもう一人いたように感じされる点があった。

その違和感が今、解決した。全文消されているのに、名前だけ残されているページがあるのが証拠だ。

本来、名前だけは消さなくてもいいはずなのに、名前まで消してあるページがあるのは、意図的に隠されている人がいたという事実を示している。

間違いなく、過去に勇者は、最低五人はいた。

おそらく、何らかの理由で彼女は記録から消されたのだろう。だけど、彼女が悪い人間であったとは思えない。

そうでなければ、戦闘記録においても、もっと徹底的にその存在は隠蔽されていたはずだ。

ならば、彼女は大赦にとって都合の悪い人間であったのだろうか。

分からない。

だが、その人のことは調べるべきだと思う。

数少ない、消されていない文章を見て思った。

彼女たちは、本当に苦しい中で戦い続けてくれていたのだ。

その想いをなかったことにはしたくない。

 

………感傷に流されてるな。

深呼吸する。

ともかく、乃木家には悪いがこの資料は持ち帰らせてもらおう。

分析によっては、検閲されたページの内容を知ることができるかもしれない。

そう考えながら、最後のページをめくる。

そこには、綺麗な女の子の写真が貼られていた。

これが初代勇者、乃木若葉さんか…

手を合わせて呟く。

 

「この世界を守りたかった、あなた方の想いは引き継ぎます」

 

さて、撤収準備だ。

これは大赦に対する有効なカードになるかもしれない。

十分な収穫だったといえるだろう。

とはいえ、こんな本を真正面から下さいなどといえるはずもない。

 

「秋隆」

 

「はい、若」

 

「この本のコピーを作ってくれ。見た目を最優先で頼む。その間、俺は注意をひいておく。どれだけあればできる?」

 

重要な書物を発見した場合のために、写本を作る機材は用意しておいてきた。

実際、中身だけの写本は既に何冊かこの部屋で作っている。

だが、今回は原書を拝借する必要があるため、見た目も気付かれないモノにしなければならない。

 

「見かけだけでいいのでしたら、三十分もあれば。持ち帰るのは原書の方で?」

 

「そうだ、頼む。他の者には引き続き、資料探しをさせる。必要なら使え」

 

「かしこまりました」

 

小声で素早く伝え、部屋で作業を手伝ってくれている乃木の使用人に声をかける。

好意で手伝ってくれているのだろうが、今は少し邪魔だ。

少しの間だけ、書庫にいるのを赤嶺の人間だけにする。

園子たちにお菓子を作ってあげたいので、台所をお借りしたいと頼む。

乃木の使用人達は少し戸惑ったが、許してくれた。

ついでに少し手伝ってほしいといえば、彼らは簡単に釘付けになる。

ちなみに作ったのは蒸しパンとスイートポテト。

彼らの分もお礼として作ってあげると、なぜだか甚く喜ばれた。

 

「わーい!ライ君のお菓子だー!おいしー!」

 

「スイートポテト…美味ね…」

 

「めっさ美味しいな!頼人、今度うちでも作ってくれ!」

 

三人にも結構喜ばれたので、悪くない策であったと思う。

ふむ…少し多めに作っておいたので今日は三ノ輪家にいくつか持っていこうかしら。

 

書庫へ戻ると、秋隆は期待通りの働きをしていてくれた。

少し全体の様子をうかがった後、平静を装い作業の終わりを使用人たちに告げた。

途端に、皆素早く撤収作業を行っていく。

終わり次第、戻っておくように告げる。礼代わりに余剰分のお菓子を皆で食べてくれと渡しておく。

さて、今日くらいは、俺も三ノ輪家で過ごしていいだろう。そろそろ顔を見せないと心配かけてしまう。

銀たちのところに戻ろう。

 

 

夕方。

俺は三ノ輪家の縁側で、銀が拾った猫と戯れていた。

お前も、かわいいのぉ……

三ノ輪家にはかわいい奴しかいないのか?

あぁ~肉球が柔らかいな~。

疲れた頭は中々馬鹿なことしか考えない。

 

「よーりと」

 

と、後ろから銀に抱き着かれる。

銀からこういうことをされるのは少し珍しい。

甘く優しい、良い匂いがしてきて鼓動が早くなる。

 

「どーした銀?今日はお前が甘えん坊さんか?」

 

少し茶化して尋ねてみる。

 

「まぁ、そんなとこ。……なぁ、最近どうしたんだ?頼人がここまで、うちに来てなかったのは初めてじゃないか?」

 

流石に気付かれるか…。当然だわな。

もっとも、全てを語るわけにもいかない。

 

「なに、ちょっと野暮用でね。もうしばらく忙しいままだろうけど、じきに元通りになるよ」

 

隠し事はしたくないけど、こんなドロドロした世界のことを銀には知ってほしくない。

今は取引のこともあるし、伝えられない。

 

「……アタシたちのためか?頼人がそんなに頑張ってるのは…」

 

「…いや、ただ自分のやりたいことをやってるだけだよ。だから、銀が気に病む必要はないぞ」

 

そうだ。結局俺は、ただ銀が、俺の好きな人たちが幸せになってほしいから動いているだけだ。だから、これは俺の願望からくる行動。偉そうに銀のために、だなんていうことはできない。

 

「そー言うと思ったよ。……なぁ…もう少し頼ってくれよ。アタシも頼人の力になりたいんだ」

 

銀の言葉は嬉しい。本当に嬉しい。こういう奴だから、俺はここまでいかれちまったんだろう。

だけど、だからこそ、ここでだけは甘える訳にはいかない。

今甘えてしまったら、俺は俺を貫けなくなる。

 

「ありがとう、銀。その言葉だけで、俺は十分救われてるんだ。だから、大丈夫。そう心配しなくても、もう少ししたら頼りまくってやるんだから」

 

「……そっか、分かった。仕方がないから信じてやるよ。だけどほんとにヤバそーだったら勝手に助けちゃうからな!」

 

「銀のそーいうとこ、好きだよ」

 

体をひねって銀を抱きしめる。

温かい。

 

「わっ!不意打ちはやめろぉ!」

 

赤くなった銀にポカポカ叩かれる。

そうだ、大丈夫。この日常がある限り、俺はどんな道でも歩いていける。

銀が笑っていられるなら、どんなことでもできる気がする。

銀はきっと、俺がどれほど銀に救われたのかを知らない。

 

自分で自分をだましていたあの頃。辛くて、苦しくて、本当は誰かに助けてほしかったのに、大丈夫だと自分に言い聞かせていたあの時、君だけが俺を見つけてくれた。君だけが俺を救ってくれた。

俺が初めて人を頼った瞬間。

君が俺を変えてくれたんだ。

君が俺の人生に意味を与えてくれた。

だから、必ず君を幸せにする。

 

それが、赤嶺頼人の誓いなのだから。

 

 

 



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陰陽

書いてるたびに今後の勇者史外典と矛盾したらどうしようと不安になるので初投稿です。


神樹館の生徒指導室、そこに俺と安芸先生はいた。

名目は、俺の進路相談だが…

 

「老人たちの動きは?」

 

「依然、静観を続けているわ。現状維持が多数派の様ね」

 

実際は時たま行う情報共有のための密会。

最も周りに不審がられないのは、やはり学校なのだ。

 

「そうですか。して、革新派の割合は?」

 

「全体の一割にも満たないわね。革新派自体主張がバラバラだし、取り込むのは難しそう」

 

「了解です。革新派、保守派共にプロファイリングを進めさせます。今端末使えないので、そちらの情報は秋隆に」

 

「分かったわ。例のプランは?」

 

「乃木と鷲尾は自分が直接交渉します。あそこの力はこの先必要になりますので、今の内にパイプを太くしておこうかと。親子の情があれば情報を漏らすこともしませんでしょうし。ただ、念のため三ノ輪には父に頼みます。分家なので、最悪こちらの存在が気取られてしまうので。赤嶺の動きはどうですか?」

 

「問題ないわね。特に不審がられてもいないし」

 

「了解しました。では、安芸先生は引き続き、大赦の監視と職員のチェックをお願いします」

 

「了解よ。…それにしても赤嶺くん、あなた最近ちゃんと寝てるの?今まで、授業中に眠そうにしてるなんてことなかったじゃない」

 

「三時間は寝てるので、まだ大丈夫ですよ。安芸先生こそ、仕事増やしてる立場が言うのもなんですが大丈夫なんですか?」

 

「私の方は大したことないわ。それより赤嶺くん、もう少し休みなさい。そんな調子じゃ、あなたの体が持たないわ。三ノ輪さんや乃木さん、鷲尾さんにも心配かけてるでしょ」

 

「…あんな仮説立ててしまったんです。おちおち寝てられないんですよ」

 

「……襲来の間が開くと、何かしらバーテックスは対策を講じてくる…か…。」

 

過去の戦闘記録。

それを見れば、嫌でもわかる。奴らは徐々に強大になっていった。

それが、今起こらないという保証はどこにもない。

 

「ええ。ですが、次の襲来までに勇者システムの強化も、増員も間に合いそうにはありません。西暦からオミットされた機能を緊急用に復活させたかったですが、流石に、今そんなことをすれば老人たちも黙っていませんし」

 

一応、保険はかけてるけど、あれは危険で未知数だし、そもそも使いどころが限定されすぎている。

 

「それで、全ての襲来パターンを検討してるのよね…。でも赤嶺くん、それを一人だけでするのは無茶よ。もっと、周りを頼りなさい」

 

「勿論、一人きりではありません。でも、自分が一番勇者とバーテックスの戦力を知っているんです。それに、必要な時に自分の頭に入ってなければ何の意味もない。だからやっぱり、自分がやらなきゃいけないんです」

 

「……ごめんなさい。本当はこんなこと、私たち大人がすべきことなのに…」

 

「気にしないでください。たまたま自分ができる立場にいただけですし、何より安芸先生がいなければここまで来れなかったんですから。さて…そろそろ休み時間も終わりますし、戻りますね」

 

気が付けば、もう教室に戻らないといけない時間になっている。

今日の「進路相談」はここまでだ。

 

 

教室に戻ると妙にリアルな瑞鶴の絵が黒板に描かれていた。

ついでに銀が顔を赤くして、園子と須美はにやにやしてこっちを見ている。

これは少々嫌な予感がする。

流石に教室でからかわれるのは、ご勘弁願いたい。

という訳で先手必勝。

 

「ただいま。それにしてもリアルな絵だねー。関係ないけど七面鳥が食べたくなってきちゃった」

 

須美にめっちゃ怒られた。

襟元掴まれてぐわんぐわん揺さぶられた。

ここまで過剰反応するとは…

しばらく帝国海軍を賛美しながら言い訳すると許してくれた。

ついでにこれ以後、須美に、書いた小説を読んでほしい、とかこの手の話題で鼻息を荒くして、迫られることが増えた。

やっぱこの子面白いわ。

 

 

 

それから数日経ち、学校から家に戻ると秋隆から思わぬ朗報を得られた。

 

「本当に、御記の隠蔽部分が分かったのか!?正直、駄目元だったんだが…どんな方法を使った?」

 

「ええ、こちらとしても難しいと思っていましたが、黒塗りによる隠蔽だったのが幸いしました。筆圧です。ESDAを使いました。」

 

ESDA、紙のへこんだ部分に静電気で特殊な粉末をため、筆圧痕を浮かび上がらせる装置。

思っていたより、かなりハイテクな方法だった。治安組織にパイプのある赤嶺だからこそ取れた方法だ。

とはいえ、こんな理由で情報が洩れるとは笑えてしまう。

 

「なるほど、大赦もそこまでは考えてなかったか…。よし、とにかく、中身を見せてくれ」

 

 

 

 

「郡千景さん……か……」

 

復元された御記を読みおわり、呟く。

やはり、勇者は五人いた。

大赦に隠蔽された存在。

だが、彼女もやはり真の勇者だったのだろう。

若葉さんの言葉がそれを裏付けている。

千景さんは自分のことを覚えていてほしいと、御記に書き残していた。

そんな彼女の願いすら葬られていたと思うと、やりきれない気持ちになる。

…だからせめて、俺だけでも覚えておこう。

そしていつか、彼女の名を取り戻すべきだ。

それが、彼女たちに守られた世界に生きる者の責務だと思う。

 

そして…

御記には、本当に彼女たちの素直な想いが記されていた。

やはり、初代勇者たちも銀やみんなと変わらない普通の女の子だったのだろう。

御記からは彼女たちの悲しみ、苦しみ、そして理不尽に抗い続ける強い意志を感じた。

ある日突然、世界の重みを背負わされ、どれだけ辛かっただろう。どれだけ苦しかったのだろう。

それでも彼女たちは戦い続けた。周りから非難されようとも…

その意志に心からの敬意を表する。

 

 

…感傷が過ぎるな。

どうにもいけない癖だ。

深呼吸して頭を切り替える。

正直、この御記で得られた情報はほとんど既知のものだった。

だがもう一つ、とても大きな収穫があった。

若葉さんは世界を取り戻すことをあきらめていなかった。

今日まで勇者システムや戦闘記録が残されていたのも、彼女たちの遺志を引き継いでのモノだろう。

これは、現状維持を望む者には、劇薬となる代物だ。

 

この数百年の時が証明している。

大赦は世界を取り戻すことを諦め、ただこの四国で生きていければいいと思ったのだろう。

大赦のシステムが全てを物語っている。

家柄中心体制による反乱の予防、隠蔽や情報操作に特化した性能、信仰を利用した人心の掌握。

一つの世界を平和に保つには、この上なく優秀な機関であるといえるだろう。

確かに、この三百年の平和を保った功績は、否定できない。

 

だが、今は戦時だ。

今のドクトリンでは、到底持たない。

それでも、このやり方で生きてきた連中は、固執するだろう。

伝統だから…と。

だが、それは若葉さんの遺志に反する。そこを攻める。

散々、自ら神聖化してきた初代勇者の言葉だ。

立派な大義名分になるに違いない。

これで計画の確度を上げられる。

 

「秋隆、最後の若葉さんの記述を材料に加えておいてくれ」

 

「かしこまりました。それ以外の記述はいかがいたしますか?」

 

「コピーして保存。いつでも取り出せるようにはしておけ。それと、乃木の当主とのアポはとれたか?」

 

「はい、ご要望通り、勇者が訓練している時間に。気付かれるへまもしていません」

 

「結構。親父殿は?」

 

「変わらず、分家を中心に根回しをお続けになっています」

 

「そうか。政界の方はどうだ?」

 

「はい。やはり、現政権は上層部の息がかかっていますので、そちらの内偵を中心に進めています」

 

「よし、引き続き頼む。……すまん、風邪薬を用意してくれないか?すこし、気分が良くない」

 

「かしこまりました。少々お待ちを」

 

秋隆が部屋を出ていく。

 

「………ふぅ」

 

流石に疲れがたまっている。身体が気怠いし、風邪だろう。

いまだ、勇者の休養期間内なので、襲来はないだろうが、そろそろ体調に気を付けていくべきだな。

ようやく、戦術研究もひと段落したし、少し休んでもいいはずだ。このところ、忙しすぎた。

念のため、かかりつけの医者を呼び、診てもらう。

案の定、疲れが溜まりすぎているせいだといわれた。

当然か。

薬を飲んで、しばらく休めばすぐに治るとのことだった。

 

次の日、俺は学校を休んだ。

最近までずっと、体調には気を使っていたので、本当に久しぶりの風邪だ。

最後にひいたのは、銀と出会ったときじゃないかと思ってしまうくらいだ。

昨日のうちに、部屋を整理しておいてよかった。

見舞いは一応断っているが、これで銀たちが来ても俺のしていることはバレないはずだ。

時刻はもう放課後、昨日の内から休んでおいたので、もう熱は下がったが…銀たちは来ちゃうんだろうなぁ。

一応、マスクをして部屋を除菌しておこう。

 

「頼人―来たぞー大丈夫かー?」

 

「やっほー、へいへいライ君大丈夫~?」

 

「お、お邪魔します、頼人君!お加減いかがでしょうか!」

 

「やあ、三人とも。こっちはもう熱も下がったし大丈夫だよー」

 

しばらくすると、マスクをつけた三人がやってきた。

秋隆にマスクを配るよう頼んでおいてよかった。さすがに勇者に風邪をうつすわけにはいかないし。

それにしても、銀と園子はいつも通りだけど、須美はなにやら緊張している。

なるほど、男子の部屋に今まで入ったことがなかったのだろう。

 

「まったく案の定、体調崩しちまって。あんま心配かけんなよー?」

 

「そうよ、頼人君!もうあなた一人の体ではないのよ?」

 

「なんにせよ、大丈夫そうでよかったよ~。あ、これお見舞いのゼリー。おいしいよ~?」

 

「ああ、園子ありがとう。皆、ご心配おかけして誠申し訳ない。しばらく休むことにするよ」

 

残り少ないが、勇者の休養期間中は彼女らと共に休もう。そのほうが、三人にも罪悪感を与えないだろうし。

まったく、普段自分たちが命を張っているんだから、こっちの心配なんてしなくてもいいのに…。

つくづく、この子たちは優しすぎる。

だけど…その優しさが勇者に選ばれた理由なのだとしたら………やりきれないな。

 

「みんな、来てくれて本当にありがとうね」

 

御役目のことを考えれば、今日会うべきではなかったんだろうけど、来てくれたのが嬉しくてつい甘えてしまっている。

 

「気にすんなって。お見舞いくらい当たり前だろ?」

 

「そ~だよ~?ライ君。気にせず休んでていいんだよ~?」

 

「ええ、いつも助けられてるし、これくらい当然のことだわ」

 

こうして話しているだけで心が安らぐ。

少し休んだら、また頑張ろう―――

 

 

それから少しの間ではあったが、俺は彼女たちと休みを過ごした。

正直、楽しかった。

大赦やバーテックスのことなどで気が休まるか少し不安であったが、それは全くの杞憂だった。

三人が行う下級生へのオリエンテーションの準備を手伝ったり、一緒にプールに行ったり、ただ教室で一緒に過ごしたり本当に良い時間だった。

そして、あの日は忘れられない。

最初は久しぶりに銀の家族と一緒に出掛けて、そのあと、須美と園子に合流して、四人で一緒に過ごしてそのまま銀の家で泊った。

ただ、それだけの日。

だけど、それこそが俺の日常だったんだ。

この日常がずっと続いてほしい。そんな小さな願い。

慣れないことをしていて、忘れかけていた自分の原点。

そのために、俺は俺にしかできないことをしよう。

 

 

 

それから、勇者の休養期間も終わりを告げ、訓練が再開された。

そして、俺はその訓練日を狙い、乃木家に来ていた。

 

「さて、赤嶺頼人くん。折り入って、話したいこととは何かな?」

 

目の前には、大柄な男性と、園子に似た女性が座っている。

人払いも済ませてある。

まずは第一段階だ。

問題は、彼らがどれだけ大赦の価値観に染まっているかだ。

 

「はい。それでは、まずこちらの資料からご覧ください」

 

そう言って、彼らに資料を渡す。

これでもう後戻りはできない。

 

「これは……?」

 

「西暦の勇者の戦闘記録を纏めたものです」

 

「それで、これを私たちに見せて何が言いたいんだい?」

 

「それでは、単刀直入に申し上げさせていただきます。」

 

そう言って、深呼吸する。

これから、俺は親の情を利用する。

その罪に向き合う。

 

「このままではご息女は戦死されます」

 

二人の顔が驚愕に歪む。

流石に、こんな子供にそんな衝撃的な事を言われるとは思ってもみなかったのだろう。

だが流石、乃木家の者というべきか。

すぐに平静を取り戻す。

 

「………理由を聞いても?」

 

「はい。そちらの資料にあるように、バーテックスは敗北を重ねた場合、強化、もしくは数を増やして襲撃してきています。そして、現在は勇者三人で一体のバーテックスに辛勝している有様。西暦では最大で七体の完成型バーテックスが襲来しました。現状の勇者達では、複数体相手では対応しきれません。そうなった場合、運が良くても勇者の戦死。運が悪ければ神樹様ごと世界は滅びます」

 

「あなたっ!」

 

「黙ってなさい。なぜ……そう言い切れるんだい?」

 

母君が叫ぼうとしたが、父君が抑える。

今の言い方で両方怒ると思ったが、父君は存外、冷静だ。

 

「自分が、最も近くで勇者の戦いを見てきたからです。そして、過去のデータをまとめたのも自分です。このままでは間違いなく世界は滅びます」

 

淡々と事実だけを語る。

本当にひどい事実を。

 

「………それで、本題は何だ?まさか、そんな話だけをしに来たわけじゃないだろう」

 

父君の冷静さが崩れかけている。

この反応なら…いけるか?

 

「はい。これから赤嶺はあるプランを大赦の上層部に提案します。そのプランに乃木家のご助力をいただきたいのです」

 

「その……プランとは?」

 

「勇者システムのアップデート並びに大赦外を含めた勇者の再選定及びその増員」

 

「なっ!?」

 

再び、父君の顔が歪む。

当然だろう。

この話はつまり―――

 

「つまり、伝統を崩せと……?」

 

伝統を崩す。それは言葉で言うほど生易しいものではない。

大赦の名家は主に「御役目」を担ったものが祖となっている。

そして、一番の名家である乃木家は初代勇者を輩出したことによりここまで大きくなっている。

つまり、外様が勇者を輩出した場合、それまでの大赦のパワーバランスが一変する可能性があるのだ。

実際、それを避けるために、鷲尾家は分家の東郷家から須美を養子としている。

まぁようするに、自分たちで力を独占しておきたいわけなのだ。

 

「今ならまだ間に合います。ご息女の、ひいては世界のことを考えれば、選択の余地はないかと思われますが」

 

「しかし……システムのアップデートだけでは不足なのかい?」

 

流石に食い下がるか。

確かにアップデートの提案だけなら敵はそう増えない。

だが、そんな事を言っている場合ではない。

 

「強化の具合によっては一概に不足とも言い切れませんでしょう。しかし、世界が滅びるというリスクを勘案すると、現状の三人体制はとても十分とは言えません。勇者の数を増やせば、個々人の負担も大幅に軽減されるでしょうし、増員のメリットはそのデメリットとは比較にならないほどだと思いますが」

 

「……………」

 

おそらく、今彼らは大赦としての立場と、親である立場の板挟みで悩んでいるのだろう。

辛い立場なのだろうが、ある意味前提が間違っている。

 

「どうやら、何か勘違いしているようですね。あなた方のご先祖である乃木若葉様を含め、初代勇者の皆様は皆、一般家庭の生まれでした。そして、巫女の才能がある者たちも生まれを問わず、各地から集められました。その頃の大赦は能力主義だったといえるでしょう。その初心を忘れないのであれば、家名にこだわることこそ、乃木若葉様の御遺志に反しているとは言えないでしょうか」

 

大赦はもともと、バーテックスに対応するために生まれた機関だ。

今の大赦がその本来の在り方に則るのなら、この提案には必ず乗るべきなのだ。

特に…乃木であるのならば。

さて、駄目押しだ。

 

「わかりやすく言いましょう。今ここで選択してください。ご息女を、世界を守る道を選ぶか。大赦の制度を守る道を選ぶか」

 

なんて、狡い言い方だろう。

これで大赦の制度を守るなんて言える人間はいない。

 

「………わかりました。その提案に乗りましょう」

 

「お前っ!?」

 

意外なことに、先に返答したのは母君の方だった。

 

「…これは乃木なら受け入れなければならない提案よ。それに、園子のためにもなるというのなら選択の余地はないわ」

 

「……しかし……そうか………そうだな」

 

ご両親ともに納得していただけたようだ。

これで、大赦は大いに揺れ動くことになるだろう。

 

「ありがとうございます。ご助力いただけるようで何よりです。提案時の詳しいお話は、再度父から連絡いたします。また、自分がこの件に関わっていることはくれぐれもご内密にお願いいたします」

 

「……分かりました。………どうか娘を…園子をよろしくお願いします」

 

母君からそう頼まれてしまう。

おかしいな。そんなこと頼まれるようなことは言ってないはずなのに。

 

「微力を尽くします。それでは自分はこれで失礼いたします。本日は貴重なお時間をありがとうございました」

 

挨拶をして部屋を出る。

まだ、体が強張っている。

とりあえず、これで乃木はクリアだ。次は鷲尾か…。

先に乃木をおさえている分、鷲尾の説得は容易だと思うが、あちらは養子だ。

未知数な部分がある。

とりあえず、最大派閥はおさえ、とっかかりは掴んだ。

乃木も鷲尾もこれからゆっくり落としていけばいい。

千里の道も一歩からだ。

 

 

 

 

「あれが…赤嶺の麒麟児か…」

 

乃木の当主が独り言ちる。

……麒麟児どころか怪物だ。

それほど彼にとって、先ほどの会談は衝撃的なものであった。

この数百年の時を経て、大赦は名家同士の馴れ合いによる体制を築いていた。

先の少年の提案に乗ることは、その馴れ合いが一気に崩れることを意味している。

それが分かっていながら、彼は、彼らは提案を飲まざるをえなかった。

………あれが本当に子どもの言葉なのか?

いずれにせよ、これで乃木は赤嶺と同じ旗に立つと他家からは思われることになる。

これから大赦内部はきな臭くなってくるだろう。

 

「ただいま~」

 

間延びした幼い声。

園子が部屋に入ってきた。

 

「ああ、お帰り園子。疲れただろう」

 

男は乃木の当主の顔ではなく父として、その少女を迎えた。

当主としての葛藤は無論あったが、父としての彼は先ほどの提案を喜ばしく思っていた。

娘のために動けるという点でもそうだが、その理由は先の少年自身にあった。

少年は、世界のためという点や乃木であるなら協力すべきだという点を強調していたが、彼自身は園子たち勇者のために行動していることが理解できた。

娘のために動いてくれる人間がいる事実は、僅かながらも彼自身の心を温かくしたのであった。

 

「ねぇ、お父さん。聞きたいことがあるんだけど~」

 

「ん、なんだい?」

 

園子が何かを聞こうとする。

少し、珍しい事だった。

なぜだか、その声色はいつもと違うように聞こえた。

口元は笑っているのに、目が笑っていない。

 

「ライ君と何を話してたの?」

 

 



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メメント・モリ

窓から海風が流れてくる。

そのさわやかな風はじめじめした教室の空気を洗い流してくれるようで、とても気持ちがいい。

季節はもう夏真っ盛り。

とはいえ、前世の夏よりかなり涼しく感じる。

これも、神世紀特有のものなのだろうか。

 

「………はい。これでいいよ」

 

「ありがとねぇ~、ライ君。助かったよ~」

 

神樹館の教室。

園子が手のまめが痛いというので、俺は手まめ用に加工したドレッシング材を巻いてあげていた。

銀も時々こうなるので、常に用意していたのが幸いしたな。

 

「だけど、頼人はこんなのどこで用意してくるんだ?そんなの保健室にもないじゃん」

 

「ネットとかで調べて事前に用意しとくのさ。これでも、サポート役ですので」

 

「お~、流石ライ君だね~」

 

まぁ、元々は赤嶺の訓練で自分もよくこうなっていたから、知っていただけなんだけど。

と、そこでドスンという重い音と共に、バカでかい本が三冊園子の机の上に置かれた。

本には旅のしおりと書かれている。

 

「三人にはこれを渡しておくわ」

 

「す、須美さん。なんすかこれは!?」

 

「見てのとおり、遠足のしおりよ。データ版は三人の端末に送っておいたわ」

 

「須美さんや。なぜ自分の分もあるのでしょうか?班はちがかったと記憶しておりますが……」

 

「それでも、行程はほとんど同じじゃない。二人分作るのも三人分作るのも大して変わらないわ」

 

………これを………持って帰るのか…………?

かさばり方がすごいことになるぞ。

というかこれ一人で作ったのか。何気にすごいな須美。

 

「わっしーは凝り性さんというか、のめりこむタイプだよねー」

 

「将来、須美の旦那になる奴は幸せだけど、苦労しそうだ」

 

まったくである。

このしおりを持って帰るだけでも一苦労だ。

…あれ?須美はこれ三冊も家から持ってきたのかな?

どう見てもランドセルに入る大きさじゃないんだけど…。

謎だ。

 

「なんでそういう話になるのよー」

 

「この三ノ輪銀のような男がいればなぁー」

 

「お似合いの二人だね~」

 

おお、須美が照れてる。

それはそうと今のは少し聞き捨てならないな。

 

「須美、銀を取らないでくれー」

 

「取らないわよっ!……んんっ。ともかく、このしおりを活用して遠足の準備を済ませておきましょう。遅れるとお灸よ」

 

そう言うと須美はお灸を取り出す。

それ言って本当に用意する人初めて見た。

しかもかなりでかい。俺の知ってるお灸じゃない……。

しかもこれ、イネスで売ってるらしい。

やっぱ須美おもしれーわ。

……それはそうと、三人とも程よくリラックスできている。

いい傾向だ。遠足では何もなければいいんだけど…。

 

 

 

家に帰って、遠足の準備を済ませてしまう。

ふと通知音が鳴ったので、端末をみると、三人とも遠足の準備は終わったようだ。

さてと、あとは秋隆の報告を聞くことにするか。

 

 

 

「それで……会議の進み具合はどうだ?」

 

「ええ、やはり選定範囲をどこまでにするかで未だにもめてます。もうしばらくは長引くかと……」

 

「まったく、素直に四国全土にすればすっきりするのに。よほど現実が見えていない連中が多いな」

 

そう、先日のプランは既に大赦に提出されている。

鷲尾との交渉が非常に素早く済んだのが幸いした。

どうやら、養子ではあるが鷲尾の両親は須美を溺愛しているらしく、乃木との交渉よりはるかに楽だった。

ついでに、須美をよろしくお願いしますなんて言われた。

やはり、おかしい。俺は交渉に関わる事実しか口にしていなかったのに。

ちなみに三ノ輪の本家には父が交渉を済ませてくれた。銀の家は分家筋だったので、そちらからは話も通りにくいし、俺が出るメリットがなかったからだ。

 

そんなわけで、乃木、鷲尾、三ノ輪の助力を得たおかげで赤嶺のプランは大赦にもスムーズに通った。

実際、すでに勇者システム研究予算は以前に比べ倍加し、アップデートに向け研究が進められている。

ただ、研究が完了しても、バーテックスの襲来予測期間内ならアップデートすることはできないため、どのみち次の襲来は、現状のシステムで対応するしかないのだが。

それよりも問題なのは、勇者の増員の方で、選定範囲を大赦関係者内で収めるべきか四国全土に広げるべきかで激論が繰り広げられている。

思っていた以上に、この件は大赦にとって、劇薬だったらしい。

なにせ、大赦で有力な四家が合同して事にあたってもこれほど反発が起きているのだ。

何か策を講じる必要があるな…。

勇者を輩出した三家とは、現在、特に関係が深まってきているので、そちらの線を使うのが望ましいか。

とはいえ、今何かを指示できるわけでもないので、秋隆にはもう休んでもらう。

 

「さてと……」

 

寝る前にいつもの戦術研究のおさらいをしておく。

特に最近は複数体来た場合を重点的に想定している。

現状、想定している戦闘では、襲来するバーテックスの相性がよければ、三体まではぎりぎりで対応できるものと考えている。方法は徹底した各個撃破。

しかしながら、相性が悪い敵の場合は厳しいだろうと感じる。

例えば、今想定できる中で、最も嫌な三体組は、分裂するタイプ、西暦の勇者が破壊できなかった太陽のようなタイプ、そして二つ口を持った遠距離攻撃を行うタイプの組み合わせだ。

無論、他にも危険な相手はいる。特に蠍型のバーテックスは毒を持っているらしく、できれば相手はさせたくない。

だが、組み合わせとなるとやはりこの三体だ。

 

この三体相手だと、分裂型に足止めされているうちに他の二体から飽和攻撃を受ける可能性がある。しかもそれぞれ対処に時間がかかるため、各個撃破が困難である。

一応、それでも作戦はある。遠距離型がいるどの組み合わせにも共通するが、まずほかの敵は無視し、二つ口を狙う。

特に、分裂型は斬撃により分裂するが、分裂しなければ攻撃力はそう高くないため、対処は後回しのほうがよい。二つ口を撃退後、太陽のようなバーテックスを狙う。その間、須美が分裂型を足止めし、銀と園子の突破力を用いて太陽型を撃退。その後、三対一で分裂型を撃退させる。

懸念もある。西暦では二つ口は少し遅れて戦線に入ったらしい。

これからの襲来においても同様であるなら、三人が戦闘中に不意打ちをされる恐れもあり、その点でも、二つ口は非常に危険な存在といえるだろう。

正直、どのような場合でも綱渡りのような作戦になるはずだ。

データにないバーテックスの襲来も考えておく必要があるし。

常に、最悪の事態は想定しておかなくては…。

 

 

 

そうして、遠足当日。

やってきたのは県庁所在地のとある公園。

アスレチックコースもあり、家族連れに人気のスポットだ。

そんでもって、今の時間、子どもたちはみなアスレチックで遊びまわっている。

だが、俺は御役目用の荷物から離れられないので、銀たちが遊んでいるのをぼーっと眺めていた。

そうしてたら、怪我をしている子が目に入り、手元に医療キットもあるので簡単にその子の手当てをしてあげることになった。

そんなことを何度か繰り返していると、なぜか俺の周りの空間が休憩場所のようになっており、人が多く集まっている。おれは保険の先生じゃないんだがな。

もっとも、おかげで話し相手に困りはしなかったが。

 

「まったく、こんなとこにまで来て何やってんだー?せっかくの遠足なんだから遊ばなきゃ損だぞー」

 

「そーだよー?ライ君、あそぼーよー」

 

「頼人君、御役目が大事なのもわかるけど、楽しむときに楽しむのも大事よ?」

 

そんなことをしていると、三人に気付かれてしまった。

むー。そうだな、荷物はわずかな時間でも取りに行ける場所においておけばいっか。

それにしても、須美も丸くなったもんだな。

 

「そこまで言われちゃ仕方ないな。久しぶりにこういうとこで遊ぶのもいいだろうし。それじゃあ山伏、ちょっと行ってくるわ」

 

「うん……赤嶺。行ってらっしゃい」

 

「そうだ、しずくも一緒にいかないか?」

 

「………三ノ輪。友達が休んでるから。気にせず行って……」

 

「そっか、了解」

 

そんなわけで、それ以降銀たちに連れまわされて一緒にアスレチックコースを回った。

正直、女子の集団に混じるのは少々気恥ずかしさもあったが、周りが気にしてなさそうだったので良しとしよう。

 

「これを登ったらお昼だね~」

 

昼食前、最後の遊具は大壁のぼりだった。

銀が気合を入れて右手だけでロープを持ち上っていく。

 

「いや~、ちょっと簡単すぎるな。片手で登れるよこんなの。」

 

………あれ。確か今朝、手にマメできてなかったっけ。

念のため、銀の真下で待機しておこう。

 

「こら、銀。ふざけないの」

 

「そうだぞ、もう少し注意しなさい」

 

「へーき、へーき」

 

俺たちの注意も聞かずに上っていくが……

 

「ん、マメが!」

 

「危ない!」

 

銀がロープを離してしまい、落ちてくる。

準備しておいて正解だった。

ちょうどよく、抱き留められた。

 

「「「おー」」」

 

周りから拍手が上がる。

こんな映画どっかで見た気がする。

 

「あー、びっくりしたー。サンキュ頼人」

 

「だから言っただろ?まったく、しょうがないんだから」

 

「大丈夫~?ミノさん」

 

「銀。楽しいのは分かるけど浮ついてないかしら?御役目の重さ、よく考えて」

 

「すみません、反省します……。口数を減らします!」

 

ほんとかなぁ…?

 

 

 

そんなわけでお昼ごはん。

班の友達とバーベキューしたり、焼きそばを作って食べる。

我ながらいい出来だ。

と、そこで、安芸先生がピーマンに悪戦苦闘しているのを目撃する。

仕方ない、世話になってるし、今日くらい食べてあげるか。

 

「ほら、先生。ピーマン食べてあげます」

 

「いいの!?………じゃなくて、大丈夫よ赤嶺くん…ちゃんと、ちゃんと食べるから…」

 

どうやら、教師の立場とピーマンの脅威を比較しているらしい。

ほんと可愛いなこの人。

 

「いいから下さい。ピーマン結構好きなので、気にしないでください。ただ、その分ちょっと安芸先生の焼きそばもらいますね」

 

「あ、赤嶺くん…あ、ありが―――」

 

「先生、頼人と何話してんですか?」

 

oh…タイミングが…。

適当に誤魔化すか…。

 

「ちゃ、ちゃんと、食べるわよ!?ちょっと苦手だけど…」

 

あー、誤魔化す前に自白しちゃったよ。

 

「ピーマン?もしかして先生、頼人にピーマン食べてもらおうとしてたんじゃ…?」

 

「そんなはずないでしょ銀。きっと、頼人君にピーマンを食べるコツを教わっていたのよ」

 

「なるほど~。そういう時は、食べるとピーマンの精が夜中に会いに来てくれると思うと楽しいですよ?」

 

「そ、それはユニークね…ありがとう…スムーズに、食べられるわ…」

 

銀たちは先生に褒められたと喜んでいる。

どう見ても、スムーズに食べられなさそうなんだが…。

しょうがない、後でこっそりもらってあげよう。

 

 

お昼ごはんの時間が終わり、銀たちはアスレチックを制覇しに行った。銀たちに一緒に回らないかと誘われたが、班の連中に用があると断った。

まあ実際は再び、保険の先生染みたことをしているのだが。

しばらくそうしていると、安芸先生がやってきた。

 

「赤嶺くんは遊びに行かなくていいの?」

 

「ええ、なんだか装備から離れるのが落ち着かなくて。こんだけ、間が開いちゃってるので少し怖いのかもしれません」

 

「そう……。どうかしら、私が荷物をもつから一緒に回らない?」

 

「ふふ、ありがとうございます、安芸先生。その気持ちだけで十分です」

 

本当に、この人は優しい。

信頼できてよかったと、心からそう思う。

 

「あら、そんなに気にしなくていいのよ。これくらい教師の仕事の範疇なんだから」

 

「ほんとにいいんです。それに、安芸先生に話しておきたいこともありましたから」

 

どうしても、安芸先生に言っておかねばならないことがある。

言えるタイミングはここしかないかもしれないし。

幸い、今はちょうど、周りに人がいない。

ただ、これから言う言葉は間違いなく彼女を傷つける。

それだけが残念だ。

 

「あら、何かしら?」

 

「次の襲来で、もし自分が死んだら、後のことは頼みます」

 

「――――――――」

 

安芸先生が絶句する。

いきなりこんな事を言われるとは思わなかったのだろう。

 

「どういう…事かしら?」

 

「次の襲来なんですが、なんとなく、嫌な予感がしましてね。一応保険はかけといたんですが、その保険を使ってしまうと多分、自分は死にます」

 

「………その保険って………何かしら?」

 

「次の襲来を乗り切れたらお伝えします。今言ったら、止められちゃいそうですし」

 

「当たり前でしょ!いいから詳しく話しなさい!」

 

「駄目ですよ先生。そんな大声出しちゃ」

 

周りの人たちがこっちに注目してしまっている。

 

「……とにかく、自分の命を捨てるような手段は認められないわ。説明しなさい。」

 

久しぶりに聞く真剣な声。

ああ、こういう人だから俺は信頼できるんだ。

 

「………未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」

 

「……何を言っているの?」

 

「旧世紀の精神分析学者の言葉ですよ。あまり有名な人ではありませんでしたが…。この言葉を聞いて思ったんですがね。成熟した人間が、理想のために自らの死が必要不可欠となったら、果たしてどのような選択をするんでしょうかね?」

 

「……分からないわ。でも、あなたは生を選ぶべきよ。あなたが死んだら、どれだけ周りの人が苦しみ、悲しむと思っているの?大赦の改革だって、これからじゃない……!」

 

「ええ、だからこうして今、安芸先生に頼んでいます。大丈夫ですよ。父にも秋隆にも自分が死んだあとの動きは伝えてますし、遺書も用意しているので、大赦の改革についてはあまり心配はしてません。それに自分が死んでもきっと、みんな立ち直れます。だって、こんなにいい人たちがお互い支えあっているんですから、立ち直れないはずありません。安芸先生だっていますしね」

 

「…………なんで、そんなに落ち着いていられるの?死ぬのなんて誰でも怖いはずなのに、なぜそんなに平然と自分が死んだ後のことを考えられるの?」

 

「そうですね…。安芸先生にだけは自分の秘密を教えてあげます。銀にだって内緒のことです」

 

まったく、俺は何を口走ろうとしているのだろう。

こんなこと言っても、何の意味もないのに。

でも……そうか。

俺は自分のことを知っておいてほしいのか。

この、無条件であの三人の力になろうとしてくれた、唯一、自分が同士だと思えたこの人に。

 

「俺はね、前世の記憶があるんですよ」

 

「……本気で言ってるの?」

 

「ええ、勿論。だから俺は、人より死に寛容で、臆病なんだと思います。フロイトの言葉の例外ですね」

 

「人間は自分の死を正確に理解できない故に自分が死ぬという事実を本気で信じられない…か」

 

「よく知ってましたね?そんな旧世紀の言葉」

 

「たまたまよ。……それより、それが本当なら、なおさらあなたは死が怖いはずじゃないの?」

 

思っていたよりも、だいぶ簡単に受け入れられている。

もしかしたら、思い当たる節があったのだろうか?

いや、確かに思い当たる節だらけだったな、俺の行動。

 

「ええ、勿論怖いです。でも、それよりずっと、銀が、須美が、園子が死ぬのが怖いです。あんないい子たちがあの若さで死ぬほうがもっと痛ましい。なら、もとより死人だった俺が代わりになったほうがいい。……大丈夫ですよ安芸先生。可能な限り、そんな事態にはならないように努力しますから。安芸先生に言ったのは、念のためですよ。念のため」

 

と、そこで安芸先生に突然抱きしめられる。

少し驚いて、つい、暑くないのかな、なんて間の外れたことを考えてしまう。

 

「…赤峰くん…約束して。必ずみんなで戻ってくるって。人に希望持たせておいて勝手にいなくなるなんて許さないわよ」

 

「あはは、映画のセリフみたいですねそれ。まぁ、そうならないように今までずっと頑張ってきたんですから。きっと、大丈夫ですよ」

 

「………あのね、赤嶺くん。前世の記憶があろうとなかろうと、あなたは私の生徒なの。生徒が教師より先に死ぬなんて絶対駄目なんだから」

 

………いかんな。本当に惚れそうだ。

こういう人たちがいるから、俺も安心できるんだと思う。

彼女たちに会えただけでも、生まれ変わった価値はあったな。

 

「………ありがとう、先生。やっぱり安芸先生に会えて良かった」

 

「そんなこと言わないで!、私だってあなたがいなかったら………」

 

「………ほら、そろそろ離れてください。こんなところ、人に見られたらまずいですよ?もうすぐ、集合時間ですし」

 

そう言うと、しぶしぶといった様子で離してくれる。

まったく、この人は優しいんだから。

 

「それじゃあ、自分は着替えてきますので。またあとで」

 

そう言って、何か言いたげな安芸先生を残して更衣室へ向かう。

他の子たちとは違う動きをしてたけど、やっぱり遠足は楽しかったな…。

少しだけ、童心に帰れた。

遠足中に襲来もなかったし、良かった。

 

帰りのバスの中ではみんな疲れて眠ってしまっていた。

あんまりよくないことだけど、銀と須美と園子が三人一緒に寝てるところなんかはとても可愛らしく思えてしまって、ついつい写真を撮ってしまった。こっそり、待ち受けにしておこう。

さて、自分も少し眠くなってしまった。

到着まで少し眠ろう。

 

やがてバスは神樹館につき、四人で一緒に帰路に就く。

三人は今日の感想を言いあいながら、とても楽しげな様子だった。

やっぱり、こうして彼女たちを眺めているだけでも幸せだと感じる。

 

そうして、時が止まった。

樹海化の前兆。  

 

………ついに来てしまった。

さて、鬼が出るか蛇が出るか。

 

 



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火色舞う

評価バーが赤くなってる上に、日間ランキング入りしてて、おっタマげました。


大橋に現れたバーテックスは二体。

やはり、複数体で現れたか…。

 

『ええぇ!二体!?』

 

『そう来たか』

 

三人に動揺が走る。

 

『力を合わせれば、二体だろうと大丈夫よ!』

 

『それな!』

 

しかし、須美が周りを鼓舞し、すぐに皆落ち着きを取り戻す。

俺が口をはさむまでもなかった。

三人とも本当に成長したな…。

 

襲来した内の一体は例の蠍型だった。毒を持つという非常に危険な個体。西暦の勇者は奴に二人もやられたという。

もう一体は、データにないバーテックス。尾には鋏がついており、周囲に六本の棒のようなものを纏わせている。鋏付きとでも呼称するか。

さて、こういう場合には…

 

「銀は鋏付きを、園子は蠍型を相手取れ!須美は遊撃。蠍の棘には注意しろ。あれには絶対にあたるな!」

 

インカムから元気な返事が聞こえ、銀と園子が突撃していく。

こういった場合、銀と園子が一体ずつ相手取るの確定していた。わざわざ敵の割り振りをしたのは、盾を持つ園子の方が銀より蠍を相手にするリスクが低いからだ。

銀が突撃すると、鋏付きの六本の棒から板のようなものが生える。

どうやら、あれが盾の役割を果たしているらしい。

盾は銀の攻撃をものともしていない。

 

『わかりやすい!アタシ向きだ!』

 

三人の連携は見事だ。

二人が攻撃を受け流しつつ、敵の隙を作る。

そこを須美が矢で狙い、敵の体勢を崩し、さらに生まれた隙を二人が狙う。

そうして、三人で的確に相手にダメージを与えていく。

現状、明らかに優勢。

このままいけば、怪我人も出ずに倒しきれるだろう。

だが、こういう時こそ、奴に注意すべきだ。

大橋の奥を双眼鏡で睨み続ける。

………頼むから、現れないでくれ。

だが、その願いは届かなかったらしい。

レンズが光を捉えた。

 

「下がれっ!全力後退だ!下がれるとこまで下がれ!奴らの間合いでは絶対に防御するな!!」

 

三人が反射的に後退していく。

これまでの訓練の賜物だ。

数秒前まで彼女たちがいた場所に、無数の矢が刺さっていく。

…危ないところだった。警戒していなかったらと思うと冷や汗が出る。

 

『三体目っ!?…やばかったな』

 

『少しでも遅れていたら、やられていたわね………』

 

『危ないとこだったね~』

 

三人とも、落ち着きを失っていない。

よし、これならまだまだ十分戦えるな。

似た襲来パターンなら研究済みだ。

勝機は十分にある。

 

「三人ともよく聞いてくれ。作戦を伝える。まず、須美は蠍と鋏付きの射程外からあの二つ口が付いたバーテックスを攻撃しろ。その間、園子と銀で須美の盾になってくれ。二つ口が攻撃できなくなったところで、銀がとどめを刺せ。園子と須美は、銀が二つ口を倒し終わるまで、蠍と鋏付きの足止めをしろ。その後は、さっきと同じ方法で蠍と鋏付きを撃退する。質問はあるか?」

 

『ないけど…よくこの短時間でそこまで考えられたな』

 

『ほんとだよ~。私もそこまでは考えられなかったよー』

 

『さすが、頼人君ね!』

 

まあ、そのあたりは予習の差だ。

そんなに褒められたことじゃない。

特に、彼女たちには情報を隠している身だ。

罪悪感もある。

この戦闘が無事に終わったらいくらか事情を説明するかな。

過去の戦闘データが有効であるとわかれば、勇者に事情を伝えても構わなくなると思うし。

 

「理由は後で話す。今は戦闘に集中してくれ。勝って、全員で帰るぞ!」

 

そう言うと、三人が元気よく返事をしてくれる。

さて、ここからが本番だな。

 

 

須美が連続で二つ口に矢を放つ。

しかし、鋏付きの盾が邪魔をし、なかなか攻撃が当てられない。

そして、二つ口の動きが止まったかと思えば、口から幾千の光の矢が放たれ、土砂降りのように三人に降り注ぐ。

園子が槍を傘のようにして三人を守る。

やはり、口で言うように簡単にはいかないか……。

矢の雨が止んだかと思ったら、二つ口が矢を放っていた下の口を閉じ、上の口を開く。

口の中には長い槍のようなものが装填されている。

 

『わっしー!あの口を狙って!』

 

園子の声に反応し、須美が再び矢を放つ。

その瞬間、二つ口が槍を射出した。

 

『こんじょぉおおおお!』

 

射出された槍を銀が斧剣を重ねて受け止める。

対して、須美の放った矢は奴の口に飛び込み、二つ口の体勢が大きく崩れる。

攻撃する瞬間だけは、奴らも防御ができない。そこを狙ったのだ。

やはり、園子は天才だ。

 

『やった!』

 

「よし、今だっ!」

 

『うん!突っ込むよ~!』

 

園子を先頭に三人が突っ込む。

須美は走りながらも鋏付きの尾に矢を当てて、攻撃手段を封じる。

そして、園子は突っ込んだ勢いのまま、蠍に攻撃し銀から注意をそらす。

二つ口はもう回復したようだが、位置関係から三人に直接矢を当てることはできない。

須美と園子が作った道を駆け、銀が二つ口の懐に飛び込む。

 

『とった!!』

 

銀が叫ぶ。

二つ口は防御力が低い。銀の攻撃を受けては只では済まないだろう。

俺も勝利を確信する。

 

――――なんて、油断。

 

二つ口が突然、あらぬ方向に矢を放つ。

苦し紛れか……?

…………違う!!!

 

「園子、七時だ!」

 

園子は素早く体をひねり、斜め後ろの方向に盾を構える。

瞬間、その盾に矢が降り注いだ。

鋏付きの周りを漂っていた六枚の板。

あれは盾などではなく、反射板だったのだ。

あらぬ方向に飛ばされた矢を複数の反射板が偏向させ、園子へとたどり着かせた。

 

「須美、援護!」

 

そう叫ぶも間に合わない。

動きが止まった園子に蠍の尾が叩きつけられる。

 

『そのっち!!』

 

「駄目だ!須美!」

 

吹き飛ばされた園子を須美が抱き庇う。

その体に、蠍の尾が再び叩きつけられた。

華奢な二人の体が宙を舞う。

まずい。まずい。まずい。

 

「銀!一撃入れたら二人を回収して、後退しろ!」

 

二つ口を野放しにしていたらまともに下がることもできない。

危険だが、こうする他ない。

果たして、銀は俺の意を汲み、二つ口の上下の顎を切り裂いた。

直後に、二人の回収に向かってくれる。

 

「須美!園子!返事をしてくれ!」

 

二人に叫びかけるも、一向に返事は帰ってこない。

インカムがいかれたか…もしくは………。

悪寒が止まらない。考えるのも恐ろしい。

………俺のせいだ。

反射板を只の盾だと思い、バーテックスが連携攻撃を前提とした武装をもってるなど想像もしていなかった。

どこかで、油断が残っていた。

その結果がこれだ……。

 

『大丈夫だ、頼人!二人は気絶してるけどちゃんと生きてる!』

 

銀の声が耳に入る。

…よかった…本当に良かった。

一瞬、肩の力が抜ける。

 

「了解、一度ここまで連れてきてくれ。此方で治療する」

 

『………ごめん頼人。そこまで戻ってたら、奴も回復しちまうし、大橋を渡り切られる。だから、二人は手近な安全な所で、休んでてもらうよ』

 

「……まて、銀。……何を言ってる?」

 

おかしい。銀の言っている意味が分からない。

 

『戦えるのは私だけだからさ。ここは、怖くても頑張りどころだろ!』

 

「………待て、銀。頼むから待ってくれ!」

 

『大丈夫。頼人もみんなもアタシが守るから』

 

「命令だ!待て、銀!!!」

 

『…またね!』

 

「銀!?銀、返事をしろ!!」

 

それきり、銀からの返事は帰ってこなくなった。

まさかあいつ、インカムを捨てたのか!?

最早、迷ってはいられない。

保険を使う時が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

勇者システム。

神樹との霊的経路を生成し、神の力をその身に宿すもの。

神樹が水源で霊的経路が水道管、勇者自身は力を放出する蛇口のようなものだろう。

樹海化が解除される際、俺は勇者と共に転送される。

その仕組みは、俺と勇者との間で呪術的な力をつなげ、体を勇者と同期させ転送するというものだ。

すなわち、俺と勇者の三人には霊的経路が確立されている。

そうであるならば、俺も勇者を介して神樹の力を行使できるのではないかと考え、研究を秘密裏に進めた。

しかしながら、この霊的経路は神樹によりもたらされたモノではない、人工的なモノ。

勇者と神樹の霊的経路が大きな太い水道管だとすると、俺と勇者の間で繋がっているそれはホースのようにか細い。

調べたところ、俺が神樹の力を行使できたとしても、勇者並みのスペックは持てず、むしろ他の勇者の性能が大幅に低下するため、使用するメリットはほとんどないとのこと。

 

研究結果では、三人全員の端末と俺自身の端末を物理的に接続し、霊的経路を最大限まで広げることでようやく勇者一人分に迫る性能を出せるとのことだった。ただ、その方法を取った場合、三人の勇者の性能は極限まで下がるため、やはり使いどころはない。

おまけに、出力が上がれば上がるほど、俺の肉体が神樹の力に耐えきれず壊死する可能性が高くなり、事実上研究は失敗に終わったかに思えた。

だが、そんな出来損ないな代物でも、活用できる道はあった。

途中で戦闘不能になった勇者の穴を、その力で埋めるという道。しかし、連携が大きな武器である今代の勇者とはその方法は相性が悪く、一工夫する必要があった。

そして、完成させたそのシステムを俺は疑似勇者システムと呼んだ。

 

 

 

 

端末を操作し、須美と園子を介して神の力をその身に宿らせる。

服が変化する。銀のものを模した赤い戦闘装束だ。

武器はない。もとより、そこまでの力は今はない。

途端、体中を激痛が走り、嘔吐感がせり上がる。

 

「がぁっ……!げほっ………!」

 

我慢できずに胃の中のものをその場で吐き出してしまう。

だが、時間はない。

痛みをこらえ、荷物と共に須美と園子の下へと向かう。

今の性能では銀は助けられない。

まずは彼女らの端末が必要だ。

急げ。

 

 

「ごめん、須美、園子。今は手当てしてる時間がないんだ」

 

小さく二人に謝る。

なんとか、須美と園子の下にたどり着けた。

手元の端末を操作し、須美と園子の手元に、彼女自身の端末を顕現させる。

そう、このシステムは限定的にだが彼女たちのシステムをコントロールできる。

もっとも、まともにコントロールできるのは、彼女たちが意識を失っている時だけだが。

自身の端末と彼女らの端末を専用のコードで物理的に接続させる。

こうしている時間すらもどかしい。

 

「がはっ……」

 

体の痛みが増す。

しかし、これで須美と園子の力を限定的に行使できる。

須美の弓と園子の槍を顕現させ、銀の下へと駆ける。

お願いだから、間に合ってくれ………!

走る。

走る。 

走る。

 

間違いなく、車なんかより遥かに素早く移動している。

だが、一秒一秒が長く感じ、焦りが深まっていく。

頭の中を嫌な想像が支配する。

いやだいやだいやだ。

銀を失うなんて絶対に嫌だ。

徐々に視界内のバーテックスが大きくなっていく。

銀は、銀は何処だ!?

 

―――いた!

 

一人で三体のバーテックスを圧倒している。

やっぱり銀はすごい。

心に安心感が生まれていく。

 

……そこで、一本の矢が銀の脇腹を貫いた。

 

「………は?」

 

間の抜けた声が出る間にも、銀は墜落していく。

そこに蠍の尾が叩きつけられた。

銀が地面に倒れ伏す。

意識が空白に染まる。

 

「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいん!!」

 

槍を二つ口へ投擲し、弓で蠍と鋏付きへ矢を連続で放つ。

 

「下がれぇえええええええ!!」

 

しかし、あまりにも威力が足りない。

足止めになっているのかも分からない。

だが、それでも銀の下へたどり着けた。

 

「よりと……?なんで…?」

 

茫然とした銀の声。

だが、俺の意識は混沌としていた。

 

よかった、生きてくれている!

 

血だらけだ、手当てしなきゃ!

 

まだちゃんと、生きてくれてる!

 

脇腹に穴が開いてる!どうしよう!?

 

間に合った、間に合った、間に合った!!

 

助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ!!

 

傷だらけの銀を、痛ましく思う気持ちと銀が生きていることを喜ぶ気持ちで精神が無茶苦茶になる。

だが、それでも俺の体は最適解を選び出した。

銀を抱えて、その場を離れる。

行先は、須美と園子がいた場所だ。

 

 

「はなしてくれ……頼人……あたしが戦わないと…」

 

「大丈夫だから、おとなしくしてて」

 

銀の手当てを素早く行っていく。

銀はまさしく満身創痍の体だった。

こんなになるまで、一人で…。

どれだけ怖かったんだろう、どれだけ苦しかったんだろう。

こうして手当てをしているだけで、辛くなっていく。

だけど、この分なら命に別状はない。

それだけが安心できる材料だった。

精神がわずかながらも落ち着きを取り戻していく。

さて、今度は俺の番だ。

 

「ごめんね、銀」

 

そう言って、彼女の首筋に自動注射器を刺す。

しばらく眠らせるだけの薬だ。

このまま戦えば間違いなく、銀は死ぬ。

それでも銀は戦い続けようとするだろう。

だから、強引にでもしばらくここで休んでてもらわなきゃいけない。

 

「よ…りと………な…に………を………」

 

銀が伸ばした手を握る。

ああ、やっぱりこの手を握ると落ち着いてくる。

 

「あの時、俺を見つけてくれてありがとう。銀のおかげで俺は一人じゃなくなった。人の温かさを思い出せた」

 

「何………いってる……んだ………?」

 

「夢みたいに幸せだったよ。本当に、銀に会えて良かった」

 

今までの思い出を振り返る。

思えば、楽しかったことばかりでつい口元がほころんでしまう。

 

「これから大変かもしれないけど、どうか幸せになって」

 

それだけ言って、銀のおでこに口づけする。

そして、いままで一度も口にしたことのない言葉を一言だけ囁く。

これで、十分だ。

 

「じゃあね」

 

「よ…り…………」

 

おやすみ、銀。

 

さて、始めよう。

今こそ保険を………切り札を使う時だ。

 

 

三体のバーテックスの下へ向かう。

走りながら、先ほど手に入れた銀の端末を自分のものと接続させる。

 

「ぐぅ……」

 

この痛みにも、段々慣れてきた。

それはさておき、最早奴らは大橋の出口付近まで迫ってきていた。

まさしく、時間がない。

だが、心は落ち着いている。

奴らの壁になるように立ちはだかり、銀の斧剣を顕現させる。

 

…さて、生涯、最初で最後の勇者の御役目だ。

心が滾る。

そう。この時、この瞬間だけは―――

 

 

―――赤嶺頼人は勇者である

 

 

「―――火色舞うよ」

 

先祖から受け継ぎし言葉。

これを言うのも最後かもしれない。

銀の、皆の顔を思い出す。

ああ、いい人生だった。

 

「来い―――」

 

保険としていた機能を呼び起こす。

勇者の休養期間中に改造していた端末。

そこには、俺を疑似的に勇者にするシステムのほかに、西暦の精霊を宿すシステムを仕込んでおいたのだ。

そうして、三人の勇者の力を通して、神樹の概念的記録に無理矢理アクセスし、ある精霊を引っ張り出す。

俺が相性的にかろうじて使えるある精霊。 

勇者でない俺が使えば、まず間違いなく死ぬという精霊。

躊躇いはない。

覚悟はとっくに済ませている。

 

「――――大嶽丸!!!」

 

かつての京の都で酒呑童子と並び称されたほどの大妖怪。

鬼神魔王と称えられるほどの強さを誇り、自身を守る武器である三明の剣を奪い取られなければ倒せないとされるほど。

西暦では日本三大妖怪の一指に入るとされた存在。

その埒外の力を身に宿す。

 

「がぁあああああああああああ!!」

 

先ほどまでとは比べ物にならないほどの激痛。

歯を食いしばり、根性で耐える。

自分でわかる。今この力を解除すれば間違いなく、自分は死に至る。

俺の装束が変化していき、斧剣が歪なほどに巨大になっていく。

差し詰め、こいつが、三明の剣ってところか。

迫りくるバーテックスを睨み、慎重に狙いを定める。

おそらく、俺がこの力を扱いきれるのは最初の一撃だけだ。

それ以降は肉体が持たない。

なら最初に狙う相手は決まっている。

 

「ぐぅうおおおおおおおおおお!!」

 

狙いは二つ口。銀の腹を貫いた仇。最初に奴を叩く。

精霊の力により極限まで引き上げられた脚力は、一息で俺の体をバーテックスに届かせる。

代償は俺の肉体。体中の筋肉、神経、そして内臓、脳に加速度的に負荷がかかっていく。

だが、この戦闘の間だけ持てば問題ない。

勇者を名乗る以上、初代勇者達や彼女たちに恥じない戦いをしなければならないのだから。

 

 

「ふぅきとべぇええええええ!!」

 

二つ口が矢を放つ間もなく、真っ二つになる。

今なら分かる。

神世紀の勇者システムと西暦の精霊システムを兼ねそろえたこの力は、間違いなく歴代の勇者の力を凌駕している。なら、たかが三体、鎧袖一触にせねば笑われる。

 

着地しようとすると、無様に地面を転がってしまう。

見れば、左足がひしゃげていた。

 

「ぐっ、げほっ……!!」

 

嫌な咳をしたと思ったら、胸元が赤く染まっている。

吐血もしたらしい。

こうも何も感じないあたり、最早痛覚が意味をなしていない。

好都合だ。

今の俺の動きにようやく気が付いたのか、蠍と鋏付きが此方を向く。

だが、遅い。

右足だけで無理やり跳躍する。

ぐちゅりという音。どうやら、右足も死んだらしい。

跳んだ勢いで、そのまま、二つ口の残った部分を切り裂いていく。

かつての銀の戦いを思い出し、その動きを再現する。

 

「―――――!!」

 

切り裂いた部分が次々と塵のように消えていく。

おかしなことに、根性と叫んでいるはずなのに何も聞こえない。

喉か、聴覚のどちらかがいかれたのか。

と、そこで、かすむ目が四角錐の物体を捉える。

なんだあれは?

分からないが、バーテックスの体内から出てきたものなら破壊してくべきだ。

 

四角錐の物体を切り裂く。その瞬間、膨大な光の奔流があふれ出てきた。

今のは一体………?

だが、目の前の敵は考える間も与えてくれない。

鋏付きの反射板が俺を挟み、押しつぶそうとしてくる。

運がいい。

反射板を弾け飛ばし、その反動で、鋏付きへ突っ込む。

 

「―――――!!!」

 

貴様らさえいなければ…。

鋏付きを頭から無茶苦茶に切り裂いていく。

刃がバターのように鋏付きの体を通り、俺が地面に墜ちる頃には奴の体は原型をほとんどとどめていなかった。

あと…一体………!!

 

体を起き上がらせようとしたところで、左腕がぐちゃぐちゃに折れ曲がっていることに気付く。

仕方がないので、左の斧剣を無理矢理、口で咥える。

次の瞬間、蠍が尾を叩きつけてきた。

右の斧剣を地面に叩きつけ、その反動で強引に回避する。

奴がもう一度、攻撃してくる前にこちらから仕掛ける…!

 

右の斧剣を奴に投擲し、奴の胴体へ突き刺す。

次で終わらせる。

本当に俺の体は良く持ってくれた。

 

右腕を使い、一息で蠍の下へ跳ねる。

見えてはいないが多分、右腕ももう使い物にならないだろう。

奴の棘が俺の体を掠めるが、もう遅い。

 

―――これで終わりだ

 

口に咥えた斧剣を、奴の体に刺さった斧剣に叩きつける。

瞬間、奴の体が砕け散った。

こちらの顎も砕けたらしく、血と涎にまみれた斧剣が落ちていくのが見える。

 

――――見たか、バーテックス。これが人間の気合と根性ってやつだ

 

奴らに向かって勝ち誇る。

俺は勇者の名に恥じない戦いができただろうか。

ああ、だんだんと目が視えなくなってきた。

意識も遠くなっていく。

……もう死ぬのだろうか。

だったら、最後に銀を抱きしめたかったな。

さっきは抱きしめ損ねてしまったし。

まぁ、血の匂いがする以外、五感は無くなっているみたいだから、分からないかもしれないけど。

ああ……何かいい匂いがしてきた。

どこか安心する、優しい匂い…銀の香りだ。

そっか、銀に抱きしめられているのか。

なら、思い残すことは…ない…かな………

 

 

 

 

 




色々展開考えてたけど浪漫には勝てなかったよ…。


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不屈

地味に難産でした…。


須美と園子が傷だらけの体に鞭を打ちよろよろと大橋を歩いていく。

二人の傷は動けるまでには回復していた。

 

「銀…頼人君…!」

 

「いこう!」

 

二人は嫌な予感を抑えきれずにいた。

敵が三体いるには静かすぎるのだ。

そして、彼女たちが倒れていたそばには、なぜか頼人の荷物が置いてあった。

にもかかわらず、彼の姿はない。

さらに、大橋の上にはおびただしい量の血痕が残されていた。

彼女たちの脳裏に最悪の想像がよぎる。

 

やがて、彼女たちの耳に微かだが声が届いた。

 

「この声…!」

 

「うん!ミノさんだよ!」

 

二人の顔が歓びに染まり、安堵の気持ちが広がっていく。

銀の声がするのなら二人とも無事のはずだ。

やがて、人影も見えてきた。

銀は座り込んで休んでいるようだ。

 

「ミノさんが……追っ払ってくれたんだね、凄い、本当に凄いよ~」

 

「すごいわ銀……!本当に…!もうすぐ樹海化が解けるわ。戻ったら病院に行かない……と――――」

 

言葉を投げかけていく二人。

だが、そこで気付く。

銀は休んでいるのではなく、誰かを抱きかかえているのだ。

 

「………須美、園子…!助けてくれ…!頼人が、頼人が死んじゃう!!」

 

銀が悲鳴のように叫ぶ。

銀のこんな不安と恐怖の入り混じった泣き顔を二人は見たことがなかった。

見れば、頼人の四肢はひしゃげ、体中から血を流している。

かろうじて息はある。

だが、これほどの傷だ。

長く持たないのは誰の目から見ても明らかだった。

それでも、彼女は諦めなかった。

園子が素早く行動する。

 

「わっしー!吸引器とAED、呼吸器も準備して!ミノさんはライ君を寝かせた後、上の服を破いて!」

 

的確に指示を出し、園子自身は持って来ておいた頼人の荷物から止血帯を取り出し、四肢の根本を縛っていく。

銀が頼人の服を破こうとするも、精霊を宿した頼人の装束はそう簡単に破けない。

 

「銀、これを使って!」

 

須美が矢を顕現させ、銀に手渡す。

銀は受け取った矢の鏃部分を使い、無理矢理、頼人の服を破る。

やがて、樹海化が解除された。

夕焼けが彼女たちを照らす。

平時なら見とれてしまうような景色。だが、今はそのような時ではなかった。

 

樹海化が解除された瞬間、園子は端末で大赦の医療班を呼び出す。

頼人の傍に転がっていたものを回収していたのだ。

この医療班は、勇者の治療を専門にしているため、通常の救急車よりも到着時間がずっと早く、また搬送中の処置が可能なドクターカーを配備している。

園子は通話を切らず、頼人の状態を可能な限り伝えていく。

インカムが生きていたため、その間も治療の手を休めない。

過去に教授された知識を最大限生かした、考えうる限り最善の対応。

 

だが、あまりにも頼人の体は手遅れだった。

呼吸も心臓も停止していく。

 

「ミノさん!心臓マッサージ!」

 

言われるや否や、銀が胸骨圧迫を始める。

須美が口腔内に溜まる血を取り除き、園子は人口呼吸器を用いて頼人の肺に酸素を送る。

やがて、AEDの準備ができる。

 

「二人とも、離れて!」

 

銀が体から手を離すと同時に、AEDの解析が開始される。

解析の結果、ショックが必要との判断が下され、須美が電気ショックを流す。

しかし、心音は回復しない。

再び、胸骨圧迫と人工呼吸を行う。

 

「嫌だからな!こんな別れ方絶対嫌だからな!」

 

三人とも涙をあふれさせがらも、最善の行動をとり続ける。

しかし、一向に頼人の心音も呼吸も回復しない。

三人の心に絶望が広がる。

 

「死ぬな、よりとぉおおおお!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大嶽丸

 

田村の草子において、鈴鹿御前に三明の剣のうち大通連と小通連の二振りをだまし取られ、弱ったところを田村丸という名の将軍に打ち取られた鬼神。

しかし、この話には続きがある。

一度死んだ大嶽丸は、天竺においていた三明の剣、最後の一振りである顕明連により、蘇生し、再度、田村丸と戦ったのだ。

 

それでは、精霊としての大嶽丸の能力は何だったのか。

それは使用者の武具に三明の剣の能力を付与するものであった。

この力により、頼人は初の戦闘にも関わらず、三体のバーテックスを圧倒することができた。

大通連は、武具の威力を底上げするモノ。

小通連は、使用者に最適な行動を悟らせるモノ。

そして、顕明連の力として付与された能力は使用者が絶命した際、一度だけ、使用者の致命傷を治癒し、蘇生させるものであった…

 

 

 

 

 

 

 

「…………がはッ!」

 

その瞬間、頼人が息を吹き返した。

途端、頼人の着ていた服が制服に戻る。

 

「頼人っ!!」

「ライ君!!」

「頼人君!!」

 

三人の心に希望が差し込む。

同時に、その場に医療班が到着した。

ドクターカーに頼人が収容されていく。

三人は頼人の傍に居続けたかったが、車両に彼女たちが乗れるスペースはなく、彼女らは別の救急車で運ばれることとなった。

と、そこで銀が倒れこむ。

 

「ミノさん!?」

「銀!?」

 

二人が、慌てて抱き留める。

もとから、満身創痍だったことに加え、頼人に打たれた薬の効果が残っていたのだ。

頼人が息を吹き返したことで、緊張の糸が切れたのだろう。

別の救急車が用意されていたことが幸いし、三人もすぐに運ばれる。

病院に到着すると、頼人は手術室に運ばれ、また銀も入院することになった。

銀は幸いにも命に別状はないとのことだったが、頼人は今夜が山場だという。

須美と園子は入院の必要はなかったが、希望によりその日は病院に残ることにした。

二人とも、疲労困憊だったが、とても休める気分ではなかったのだ。

 

 

 

二人は治療を終えた後、手術室の前へ向かった。

手術室の前には、安芸や赤嶺家の面々が集まっていた。

何やら怒鳴り声が聞こえる。

そこでは、周りの制止を振り切り、安芸が秋隆につかみかかっていた。

 

「死ぬのを前提としたシステムですって!?しかも、その協力を付き人であるあなたがしてたなんて……!あの子はあなたの主でしょ!?止めるのがあなたの仕事でしょ!?あの子が今までどれだけ頑張ってきたか…一番知ってるのはあなたのはずなのになんでそんなことができるの!?」

 

「先生のおっしゃる通りです…。言い訳はしません」

 

「逃げるなっ!理由を聞かせなさい!」

 

安芸がこれほど感情をむき出しにする姿を、誰も見たことがなかった。

周りの人間も彼女の怒気に圧倒されている。

 

「……………若はこれを保険だと、最後の手段だとおっしゃっていました。使わなければ、世界が滅ぶような状況でしか機能しないものだと…。そう言われれば、協力しない訳にはいきませんでした。特に、若の覚悟を無駄にするようなことは…」

 

「そんなっ……ことっ……だからって……だからって……!」

 

安芸が顔を歪ませる。

否定したいができない。

なぜなら、既に三人の少女を戦わせている身だ。

この言葉を否定することは、勇者というシステムを否定することにつながりかねない。

 

「………どういうことですか」

 

須美が呆然と呟く。

彼女には、彼らが何を言っているのか理解できていなかった。

 

「鷲尾さん……乃木さん……」

 

そこで、安芸が二人に気付く。

彼女は二人が見たことのないような顔をしていた。

やがて、園子がゆっくりと口を開いた。

 

「先生…。ライ君が今まで何をしていたか…全部教えて……?私…少しは知ってるんだよ……?」

 

「……え?……そのっち?」

 

「乃木……さん……でも……」

 

「ライ君が私のいないうちにこっそり家に来てたのも……ライ君が安芸先生と何かをしてたのも知ってるんだよ…?だから…教えてほしいな……」

 

そう、園子は頼人が裏で何かをしていることを知っていた。

しかし、詳しいことは結局わからず、また頼人が情報を隠そうとしていたことから、彼自身に尋ねることも憚れていた。

だが、このような事態になり、頼人に聞こうとしなかったことを園子は後悔していたのだ。

 

「…………先生、教えてあげましょう。きっと、若も許してくれます」

 

「でも………そう…ですね……あのね、二人とも、赤嶺くんはね――――」

 

 

 

そうして、二人は今までの、赤嶺頼人が行ってきたことを知った。

彼が、彼女らに隠していたこととその理由を。

彼が大赦と取引をしていたこと、勇者の現状を変えようと奔走していたこと、一人でバーテックスと戦ったこと。

 

 

「そんな、そんな事って……………!!」

 

「ライ君……。少しくらい教えて欲しかったよ………私も、ライ君の力になりたかったのに………」

 

須美と園子の頬を涙が伝う。

二人が知った事実は想像をはるかに凌駕していた。

特に、彼が自らの命を投げ捨てて戦った事実は、彼女らに計り知れないほどの衝撃を与えた。

彼女たちはただ、最善を尽くしただけだが、二人はどうしても、今彼が死にかけているのは自分のせいだと考えてしまう。

彼女たちの優しさや強さが、かえって彼女たち自身を苦しめていた。

 

「聞いて、二人とも。彼がああなったのは、あなたたちのせいじゃないわ。…………こういう状況を生んだ、わたしたち大人の責任なの。だから、どうか気に病まないで」

 

「でも…私があの時、攻撃をよけられていたら……勝ててたんだよ…?ライ君もミノさんも、きっとこんな怪我してなかったんだよ…?」

 

「違う…違うわそのっち……あの時のそのっちは間違ってない………あの時私が気付いていれば…もっと早く援護できていたら……こんなことには…」

 

それでもなお自分を責め続ける彼女たちを、安芸がそっと抱きしめる。

 

「いいえ、あなたたちは最善を尽くしてくれていたわ……その証拠に赤嶺くんはまだ生きてる。あなたたちのおかげよ。三人ともこれまでずっと、頑張り続けてくれていたわ。だから、お願い…自分を責めないで…」

 

その言葉を聞き、二人の瞳からさらに涙が溢れだす。

彼女たちは何もできない無力感を、今までで最も強く感じていた。

 

 

 

手術は、深夜まで続いた。

須美と園子は、お互いの手を握りあいながらじっと、手術の終わりを待っていた。

一言もしゃべらず、じっと、ベンチに座り待ち続けてる。

やがて、手術中のランプが消え、一人の医師が手術室から出てきた。

大人たちが口々に頼人の安否を聞く。

 

「手術は成功しました。未だ予断を許さない状況ですが、一先ず命の危険はなくなりました。しかし、四肢の損傷が激しく、後遺症は覚悟しておいてください」

 

「そう…ですか………乃木さん!?鷲尾さん!?」

 

その言葉を聞いた瞬間、須美と園子がその場に倒れこむ。

張りつめていた緊張が切れ、それまで後回しにされていた疲労が一気に押し寄せたのだった。

安芸は二人の体を抱きとめることしかできなかった。

 

 

須美が目覚めると、そこは小さな和室。

どうやら、病院の仮泊室のようだ。

勇者のために部屋が用意されたのだろう。

となりを見ると、布団ですやすやと園子が寝ている。

時刻を見ると、もう昼に近い。

 

「そのっち。ねぇ起きて、そのっち」

 

「……うぅん。わっしー?…ここは?」

 

「病院のようね。それより、そのっち。銀と頼人君の様子を見に行きましょう?」

 

「うん、行こう!」

 

須美の言葉を聞いた途端、園子が元気に立ち上がる。

二人が部屋を出ると、安芸が待ち構えていた。

 

「おはよう、乃木さん、鷲尾さん」

 

「おはよ~、先生」

 

「……先生………おはようございます」

 

「赤嶺くんの様子を見に行きたいんでしょ?案内するわ、三ノ輪さんもそこにいるから」

 

「先生、ありがと~。あれ?学校はいいの?」

 

今日は平日だ。

クラスを受け持つ教師がなぜここにいるのだろうかと園子が訝しむ。

 

「ええ、私はあなたたちのお目付け役でもあるから。学校は別の先生にお願いしてるわ。あなたたちも今日は休むことは連絡しておいたから、安心しなさい」

 

「そうなんだ~先生、ありがと~」

 

「そうだったんですね…あの…先生、頼人君の具合は?」

 

「………昏睡状態が続いているわ。……今は集中治療室にいる」

 

「そう……ですか……」

 

須美が暗くなる。

未だに、昨日の衝撃をひきずっているのだ。

そんな須美に園子が明るく声をかける。

 

「ほら、わっしー行こ?」

 

「ええ、そうね。行きましょうそのっち」

 

 

 

 

頼人の部屋へ向かうと、銀が窓越しに頼人を見つめていた。

未だに部屋に直接入ることは許されていないのだ。

 

「銀!よかった、もう平気なの?」

 

「ミノさん、元気そうでよかったよ~」

 

「須美…園子……。ああ、アタシはもう元気だよ…アタシは…ね…」

 

いつになく、暗い顔をしている銀。

理由は病室を覗けば嫌でもわかってしまった。

頼人は体中に包帯を巻き、その姿は見るものに否応なしに痛々しさを感じさせる。

一瞬ほころんだ須美と園子の顔もすぐに暗く沈んでしまう。

 

「アタシさ、今までずっと、頼人に助けられてきたからさ………勇者の御役目なら、今までの借りを返せるって、頼人を守れるって思えて少しうれしかったんだ。だけど……結局、一番大事なところで頼人に守られて………」

 

「ミノさん…」

「銀…」

 

「頼人が死にかけてた時、アタシ一人では何もできなかった…。先生に話を聞いて、アタシがどれほど、頼人に甘えて、守ってもらっていたかを思い知ったよ……。アタシが甘えすぎたから、こうなったんだ…。だから…こうなったのは、アタシのせいなんだ…」

 

「銀、それは―――」

「だから―――!」

 

「だから…アタシは決めたんだ。もう絶対、こいつの傍を離れないって。今度はアタシが助けるんだって…!でも、今のアタシ一人じゃできない事ばっかりだ…」

 

銀が強く拳を握り、言う。

三人はその姿を黙って見守る。

 

「だから………頼む!須美!園子!力を貸してくれ!アタシは強くなりたい!今度こそ、頼人を守りたい!アタシと一緒に強くなってくれ!一緒に頼人を守ってくれ!」

 

銀が強い意志を込めた瞳で二人に呼びかける。

この不屈の精神こそが彼女を勇者たらしめる強さだ。

 

「ええ……ええ!銀!私たちみんなで、頼人君を守りましょう!一緒に強くなりましょう!」

 

「うん、ミノさん!強くなって、ライ君が起きたら、皆でびっくりさせよう!」

 

そして、その情熱は須美と園子にも伝播する。

凍った空気も熱を帯びる。

1+1+1+を10にも100にもしていく力。

これこそが、今代勇者の力。

 

「三人とも、病院では大声出さない」

 

「「「すみません…」」」

 

もっとも、病院ではトラブルにつながりかねないが…

 

「だけどよかった。このまま元気がないままだったらどうしようって思っていたけど……杞憂だったようね」

 

そう言うと、安芸は何かを園子に手渡す。

それは小さな記録メディアだった。

 

「先生……これは…?」

 

「それは、赤嶺くんがこれまで研究してきた戦術データよ」

 

「戦術データ?」

 

「ええ、彼が整理した過去のバーテックスの情報とその対応戦術がまとめられているわ。赤嶺くんのお父様から預かったの。あなたたちに渡すようにって」

 

「頼人君、そんなものまで…」

 

「まったく……あいつは心配性…なんだから…自分が動けなくなった後のことまで………考えてるって……」

 

銀の眼に涙が浮かぶ。

 

「ミノさん、大丈夫?」

 

「…ああ、アタシは平気さ。あいつが起きるまでは絶対泣かないって決めてるから」

 

「そっか…。それじゃあこれを見て、作戦会議をしよ~」

 

 

 

そうして、三人はデータを基に次に複数体のバーテックスが現れた場合の対応について徹底的に語り合った。

特に、どうすれば昨日の三体を倒せたのかについて、重点的に話し合った。

幸い、データには複数体のバーテックスが来襲した際の戦術パターンがかなりの数あり、対応策を考え付くのはそう難しいものではなかった。 

 

「それにしても、本当によくまとめられているわ。きっと、ここまで情報を集めるのも、並大抵の苦労じゃなかったはずよ…」

 

「そうだね……。私たちにすら隠されてた情報だもんね…。流石ライ君だよ~」

 

「あーもう!あいつは一人で抱え込みすぎだ!起きたら絶対説教してやる!」

 

「おー、ミノさんが説教って珍しいね~」

 

「銀はいつも説教される側だものね」

 

「二人とも、そこには突っ込まないでくれよ………」

 

三人は共に作戦会議をする中で、徐々に心の余裕を取り戻していった。

勿論、未だに口惜しさは消えない。

だが、まだ頼人は生きている。バーテックスはまたやってくる。

なら、こんなところで立ち止まっていてはいけない。

そんな強き思いが三人の心を支えていた。

 

 

そして――――

次の日、新たなバーテックスが襲来した。

 

 

「あいつか…今のところ一体だけみたいだな」

 

三人の勇者が大橋の上で敵を待ち構える。

樹海化した世界はいつも通り、厳かな雰囲気を漂わせていた。

前方から、一体の大きな異形が現れる。

かなり生物的なフォルムで、布を纏っている。

データにはなかったタイプのバーテックスだ。

 

「そうね…だけど時間差で来るかもしれないから、気を付けないと」

 

「こういう時になると普段、全体を見ててくれる頼人のありがたさが身に染みるな…」

 

「そうだね~。とりあえず、二体目が来る気配はないから基本に忠実に行こうか~。」

 

園子が双眼鏡を下ろして言う。

頼人が持っていたものを借りているのだ。

戦闘を前にしてもなお、彼女たちは冷静だった。

だが、普段よりも空気は張りつめていた。

油断なく隙も無く、バーテックスを排除する。

冷たく、鋭い敵意が彼女たちの心にはあった。

 

「わっしーは援護をお願い。私とミノさんで突っ込むよ~」

 

「了解!分かりやすくて助かる!」

 

「ええ、援護は任せて!」

 

銀と園子が異形に近づいていくと、異形は尻尾のような部分から、いくつかの丸い塊を射出させた。

人間大のその塊は、銀と園子に向かって飛んでいくも、須美が冷静かつ迅速に、すべて撃ち落とす。

撃ち落とされた塊は、銀と園子に届くことはなく、空中で爆発した。

 

「爆弾か!?ナイス須美!助かった!」

 

「わっしー!爆弾があいつから出てくる瞬間を狙って!」

 

「了解!」

 

返事が済むか済まないかの内に、須美が矢を放つ。

その一撃は正確無比。見事に射出される瞬間の塊を撃ち抜き、一際大きな爆発が起きる。

その爆発は異形を巻き込み、その巨体が大きく傾く。

 

「敵増援無し!行けるわ!」

 

周囲を確認した須美が叫ぶ。

その機を逃さず、銀と園子が突っ込んでいく。

すると、その突進にカウンターを合わせるかのように、異形が布のような部分を稼働させ、銀と園子に攻撃を仕掛けた。

 

「それは読んでたよ!」

 

だが、布の怪しげな動きを観察していた園子は、この攻撃を予測していた。

布の攻撃は容易く、盾で受け流される。

その瞬間、異形は完全に無防備となった。

 

「ミノさん!」

 

「頼人の分だ!受け取れぇえええええ!!」

 

銀が異形の隙を突き、吶喊する。

赤い閃光が異形の体を駆け抜け、その巨体が崩れ落ちていく。

爆発でダメージを受けていたこともあり、異形の体は瞬く間にその原形を失っていく。

 

「見たかぁああああ!!」

 

着地した銀が雄叫びを上げる。

やがて、辺りが光に包まれ、バーテックスは樹海からいなくなった。

 

「やったよ…ライ君…」

 

「これなら、頼人もほめてくれるかな?」

 

「ええ、きっと喜んでくれるわ」

 

これまでにないほどの、完勝。

彼女たちの心に達成感が生まれる。

そして、轟音と共に樹海化が解除されていった。

 

 

「しまったー、今日雨だったの忘れてたな。スリッパのまんまだし」

 

樹海化が解けると三人は雨の大橋記念公園にいた。

須美と園子は今日は学校に行っていたが、銀はまだ退院していない。

そのせいで、銀だけ患者服のままだ。

 

「ミノさんは病院からだったもんね~」

 

「傘を用意してきてるわ。ほら、そのっちも銀も入って」

 

須美が持っていた荷物から折り畳みの傘を取り出す。

 

「わっしー、よく傘なんて持って来てたね~?」

 

「ええ、頼人君みたいに襲来の時のための荷物を用意していたの。今日は雨が降ってたから、一緒に入れといて正解だったわ」

 

「おおー、えらいぞー須美。お礼に撫でてやる」

 

須美が顔を赤くしながらも素直に撫でられる。

しばらくすると、銀が真剣な顔で言った。

 

「だけどさ…今日は一体だけだったから何とかなったけど…」

 

「ええ…何体も来てたら、危なかったと思うわ…」

 

三体のバーテックスが襲来してから、まだ二日しかたっていない。

彼女たちの体はまだ回復しきっていなかった。

それにもかかわらず、バーテックスを圧倒できたのは、これまでの鍛錬の成果と戦術データを基にしたイメージトレーニングの力が大きかった。

 

「……ミノさん、わっしー。今は体を休めて、傷を治そ?勇者システムも強化されるみたいだし、これからもっと鍛錬すれば、今よりずっと強くなれるよ~」

 

「ああ、勇者システムのアップデートも頼人が頑張ってくれたおかげなんだもんな。なら、今は休まないと頼人に怒られちまうか」

 

「そうね。なら、今の内に頼人君が目覚めた後のことでも考えておきましょうか」

 

「あっ、わっしー、それ賛成!私は~みんなで夏祭りに行きたいなぁ~」

 

「それいいな!」

 

彼女たちはそうして、未来を語る。不安や罪悪感、好意、感謝、悲しみなどが複雑に入り混じった頼人への想いを心の奥底に押し込めて。

そうやって、前を向き続ける。

もう二度と、大切なものを失わないために…。

 

 

 

 




ちなみに大嶽丸の能力で治るのは致命傷だけなので、頼人の体はボドボドのままです。


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変革

でかでかと主張する入道雲。

無限に広がっている青の色。

八月に入ってしばらくしたある日、安芸は頼人のいる病室を訪ねていた。

あれから彼はまだ、目を覚ましていない。

昏睡状態に陥ったままだ。

医者によると、精霊を宿した際の脳の負荷が原因だという。

医者にはもう目を覚まさないかもしれないとすら言われていた。

 

「結局、ほとんどあなたの思い通りに事が運んだわね…………」

 

安芸が眠る頼人の髪を撫で、独り言ちる。

 

あれから、大赦は大きく揺れ動いた。

バーテックス三体による襲来、そしてその顛末。

それによる衝撃は大赦全土を巻き込んだ。

特に、頼人が用意していた仕掛けによる影響は大きかった。

赤嶺の当主が勇者輩出家を中心に改革のための説得を開始したのである。

頼人が用意していた材料は、まさしく劇薬だった。

赤嶺がこれまでに収集した内偵情報や、頼人がまとめた大赦の問題点とその改善案などが記された資料、さらには改革の大義名分となる過去の秘匿情報。

 

反応は劇的であった。

乃木家を中心に、大赦の組織構造を抜本的に改革しようとする派閥が急速に拡大した。

いわば、大赦を本来のバーテックス対策を中心にする組織に、つまり勇者の支援を中心にする組織へと先祖返りさせようという動きであった。

勿論、その動きに反対する勢力も出現する。

 

老人を中心とした現状維持を望む者たちの連合派閥。

今まで大赦内で権勢を誇っていた彼らの拒絶反応は凄まじいものであった。

反抗や妨害工作を繰り返し目論見、改革派の台頭を何とか防ごうとした。

しかし、大赦内で最大級の発言力を持つ乃木を中心に鷲尾や赤嶺、三ノ輪など力のある家が多く集まった改革派に対して、反対派の発言力は低く、また赤嶺の内偵により反対派に所属する者の弱点は筒抜けとなっていた。

反対派は完全に準備の差で負けており、徐々に駆逐されていった。

四国全土を対象とした勇者の新規増員案もすぐに可決され、改革も順調に進むかと思われた。

 

しかし、一つだけ誤算もあった。

反対派の一部の人間が、大赦関係者内の勇者適正値の高い少女たちを、改革派に先んじて取り込もうとしたのだ。

改革派に勇者輩出家が集中していたことから、反対派でも勇者を擁立することで権力の保持を狙ったのだ。

この動きは、事前に赤嶺の手の者が察知して阻止できたものの、改革派に大きな衝撃を与えた。

権力のために勇者すら利用しようとする反対派の人間は、勇者の親である者の逆鱗に触れたのだ。

結果として反対派の排除はより苛烈なものとなったが、同時に問題も生まれた。

勇者の新規増員に向けた動きに大幅な遅れが発生したのだ。

 

大赦内の権力闘争が沈静化しない限り、勇者の新規選定は反対派に利用されかねない。

もしそうなった場合、反対派が息を吹き返し、権力闘争は長期化することになる。

さらに、勇者候補に危害が及ぶ可能性を考慮すると、改革派はどうしても不安因子を先に取り除いておく必要がある。そして、四国全土の調査の場合、どれだけ注意しようと必ずどこかに反対派が介入できる隙が生まれてしまう。

可能な限り適正調査を急がせてはいるが、その動きはどうしても慎重なものにならざるを得なかった。

 

結果、この問題への対応策として、一つの案が進められることとなる。

大赦関係者内の勇者候補から一名だけを選抜し、四国全土の調査結果を待たずに先んじて勇者とする。

大赦内ならば、現状でも改革派の手のもので勇者候補者は保護できるからだ。

既に選抜は始まっており、その責任者として安芸が選ばれていた。

 

このように非常に大きいトラブルはあったものの、勇者への大幅な情報開示が行われたり、頼人の研究データを参考に基に戦術研究部が新たに設立されるなど、変革は着実に始まっていた。

多少の誤算はあったものの、凡そ頼人の望んだとおりの展開となっている。

 

 

 

「……まったく、こうも見事だと怒る気持ちもなくなっちゃうわね」

 

今ならばわかる。

あの遠足の日、あの時点で頼人の準備は完了していたのだ。

だからこそ、あそこまで落ち着いていられたのだろう。

あの日のことを思うと、安芸はどうしようもなくやるせない気持ちになった。

 

「あ、安芸先生。来てたんですね」

 

ふと、声をかけられる。

銀だ。

どうやら、花瓶の水を入れ替えていたらしい。

 

「ええ、最近忙しくて来られてなかったから」

 

「まったく、頼人も罪作りな奴ですよねー。こんだけ皆を待たせておいて、まだ眠りこけてるなんて」

 

「………そう、ね」

 

銀は明るく言っているモノの、その心中を察すると、どうしても辛くなる。

彼が意識を取り戻さないまま一か月近くが経過している。

その間、彼女は毎日欠かさず、頼人のもとを訪れているのだ。

ましてや、最後に頼人と話したのは彼女だという。

辛くないはずがないだろう。

 

「そういえば、乃木さんと鷲尾さんは?今日は一緒じゃないのかしら?」

 

安芸はふと気になり尋ねる。

彼女たちも銀と共にこの病室に通い詰めていたはずだ。

 

「ああ、須美と園子なら家の方で用事があるみたいで、アタシだけ先に来てるんです」

 

「そう………それじゃあ私はもう行くから、二人によろしくね」

 

「あれ、もういいですか?先生来たばっかりじゃ?」

 

「いいの、少し赤嶺くんの顔を見に来ただけだから。仕事も残ってるしね」

 

そう言って、安芸は病室を出ていった。

病室が静まり返る。

その静けさに耐えられなくなったのか、銀が頼人に話しかける。

 

「やっぱり、先生も大変そうだよなー。そんな先生の仕事を増やしてたなんて頼人の問題児っぷりには頭が下がるよ」

 

そう言って、頼人の頬をつつく。

そうして、銀は自分の手にマメができてることに気が付いた。鍛錬によるものだ。

いつもは頼人がケアしてくれていた手。

その手は以前よりも傷が目立つようになっていた。

 

「……早いとこ起きてくれよ寝坊助さん。アタシの手がカサカサになっちゃうだろ?そうなったらもう撫でてやらないぞ」

 

冗談めかして銀は言うが、その言葉に反して表情は暗くなっていく。

医者に刺激を与えて続けてやるのがいいと聞き、様々な方法を試した。

しかし、効果はなく、頼人は目覚めないままだ。

それでも、彼女は話しかけ続けた。

たとえ、返事はなくとも………

 

「金太郎さ、ハイハイしだすようになったんだ…。見るのが楽しみだって言ってただろ?鉄男だって、お前と遊べなくて寂しがってるんだ………。須美や園子も、学校の奴らだって待ってる。何より……アタシは頼人と…。だから……………よりとぉ……」

 

一滴の涙が頬を伝った。

 

 

 

 

 

 

―――声が聞こえた。

 

 

何か、酷く懐かしい声。

言葉の内容は分からなくても聞いてるだけで安心してしまう。

 

ふと、気付く。

 

闇の中だ。

 

死後の世界?いや、前に死んだときにはこんなものは見ていない。

 

前に死んだ?

 

おかしいな、そんな人間いるはずもないのに。

 

何か…忘れている気がする。

 

この声は誰だっけ?

 

とても大切な人だった気がするのに。

 

思い出さないといけない。

 

確か……そう、女の子だった。

 

とても可愛くて、凄くかっこよくて、誰よりも優しい女の子だった。

 

そんな彼女に俺は救われたんだ。

 

……………銀。

 

…そうだ。彼女の名は三ノ輪銀だ。

 

俺の一番大切な女の子。

 

これは銀の声だ。

 

寂し気な泣き声。

 

銀のこんな声は初めて聞いた。

 

銀には泣き声よりも笑い声が似合ってるのに。

 

何とかして、彼女を笑わせてあげたい。

 

だけど、このままじゃどうにもできない。

 

なら、起きないと。

 

生きてるのか死んでるのかも分からない。

 

銀を守れるのなら死んでもいいと思った。

 

でも、声を聞いたら、未練ができてしまった。

 

銀の涙を拭ってやりたい。

 

もっとずっと、あいつの傍に居たい。

 

あいつを俺の手で幸せにしてやりたい。

 

何より、もし今中途半端に生きているのなら、彼女を不幸にしてしまう。

 

それだけは嫌だ。

 

やっぱり俺は、銀が不幸になるのだけは許せない。

 

なら、死んでいようと生き返るしかない。

 

どうやって?

 

銀ならこう言うだろう。

 

―――気合と根性だ。

 

起きろ

 

起きろ!

 

起きろ!!

 

瞼をこじ開けろ!!

 

体を起こせ!!

 

喉を震わせろ!!

 

俺がまだ生きてると世界に証明して見せろ!!

 

 

 

 

「…………ぃ…………ん………」

 

微かな…本当に微かな声が漏れ出る。

その直後、はっきりと声が聞こえた。

必死な声。

銀だ、銀の声だ。

早く、彼女の姿が見たい。

瞼にすべての意識を集中させる。

開け 開け 開け

―――瞼がゆっくりと持ち上がっていく。

途端、閃光が俺の眼を焼く。

この眼は随分光を捉えていなかったらしい。

白い世界に包まれる。

やがて、光に包まれた世界が少女の姿を映し出した。

涙にぬれた銀の顔。

そっか、俺のために泣いてくれたのか。

左目は未だ白い世界から抜け出せていないが、それでも俺の右目ははっきりと彼女の姿を捉えていた。

 

「頼人…!!よりとぉ…ああ、よかった…よかったよぉ…」

 

銀が泣きながら俺を抱きしめてくれる。

ああ、温かい。

やっぱり、俺が欲しかったのはほかでもないこの温もりなんだ。

 

「………ぎ……ん…ぁ……りが…と…」

 

駄目だな、まだうまく言葉が出せない。

銀に伝えたいことがいっぱいあるのに、もどかしい。

 

「もう……もうどこにも行かないでくれ…!ずっと、傍に居てくれ…!!」

 

だけど………いっか。

焦らないで、今はただ、この温もりを感じていよう。

俺にはまだ時間があるのだから――――

 

 

 

しばらくすると、銀は落ち着きを取り戻してくれた。

同時に自分の状態もなんとなく分かった。

両手両足共に、感覚はあるがうまく動かせない。

自分としては四肢がつながってるだけでも儲けものだが…まともに動くようになるんだろうか?

少なくとも、今は駄目そうだけど。

とりあえず、声はまともに出せるようになってきた。

それにしても―――

 

「あの……銀?いったん放してくれない?少しだけでいいから」

 

「…………やだ」

 

銀が俺を抱きしめたまま、放してくれない。

こうしているのは俺も嬉しいんだけど、抱きしめられてからもうかなり時間が経ってる。

医者も呼ばなきゃダメだろうし、ちゃんと銀の顔も見たい。

 

「銀の顔を見たいんだよ。大丈夫、どこにも行かないから………ね?」

 

「…………………うん」

 

そう言うと、ようやく銀は俺から離れた。

そして、可愛らしい顔が俺の眼に入る。

だが、左目は相変わらず白い闇ばかりを映している。。

左目は駄目か……。まあ、でも聴力は生きてて、口も利ける。

死を覚悟した身だったんだ。

生きてる歓びに比べれば、些細なことだ。

そうだ。

本当に………俺は生きてるんだ。

銀とまた会えたんだ。

 

「頼人………?」

 

銀が不安そうにこちらを見つめる。

しまった。すこし、不安にさせてしまったか。

 

「ああ、ごめん。銀の顔に見惚れてた」

 

くさい台詞で誤魔化す。

どうやら俺も少し舞い上がってるみたいだ。

 

「………バカ。どれだけ心配したと思ってるんだ。このまま起きなかったらどうしようって……」

 

そう言って、また銀の瞳に涙が浮かぶ。

 

「ごめんごめん。もう大丈夫だから、泣かないで」

 

「………泣いてない」

 

そう言うと、銀はぷいと顔をそらしてしまった。

珍しく拗ねてる。

そんなとこも愛しく思える。

 

「………ありがとう、銀。声、聞こえたよ?そのおかげで戻ってこれた」

 

そう言うと、また銀に抱きしめられた。

 

「アタシの方こそ、ありがとな。これまでずっと守ってくれて。これからはアタシが頼人を守るから」

 

「何言ってるんだ?銀はずっと俺を守ってくれてたじゃないか。怖い思いまでして頑張ってくれてたじゃないか」

 

「……知ってるからさ。アタシたちのために頑張ってくれてたこと。感謝の一つくらい、素直に受け取ってくれ」

 

そっか、色々知られちゃったか。

そういわれてしまえば、どうしようもない。

とそこで、扉の開く音がした。

 

「やっほ~、ライ君。ミノさんいる~?」

「遅くなって、ごめんなさい。思ったより時間が―――」

 

いつかの合宿を思い出す展開だな。

 

「あ、須美!園子!頼人が、頼人が起きたぞ!」

 

銀が俺を放して、二人に呼びかける。

途端、駆け寄ってきた二人にまたもや抱きしめられた。

 

「頼人君!心配したんだから!本当に心配したんだから!!」

 

「ライ君、良かったよ~!本当に良かったよ~!!」

 

「須美も園子も、心配かけたね。ごめん」

 

須美と園子は泣いて喜んでくれている。

ああ、腕が動かないのが残念だ。

頭を撫でてあげたいのにできない。

まあ、この先の楽しみにとっておくか―――

 

 

それからいきなり騒がしくなった。

銀の叫びを聞きつけた医者がやってくるわ、俺が起きたと聞いて両親がやってくるわ、大騒ぎとなった。

騒ぎが収まったと思ったら、いろんな検査させられ大忙しになるし。

とてもゆっくり話せる状況じゃなくなった。

検査の結果、やっぱり俺の左目は失明していた。

どうやら左の視神経が駄目になったらしい。

一先ず、医療用の眼帯をつけることになった。

あとは、聴力も若干落ちていたが、これは日常生活ではあまり問題にならないそうだ。

顎の方は、俺が寝ている間に大方治ったらしい。

聞いたとこによると二週間ほど、俺の口はワイヤーで固定されていたそうだ。

顎の骨折治療は辛いと聞いてたからその間、眠ってて良かったかも。

あとは四肢についてだが、これから様子を見ていく必要があるとのことだ。

今は、骨へワイヤーを通して固定しているらしく、うまく動くようになるかは術後のリハビリ次第だという。

どのみち、以前のようには歩くのはむずかしいとのことだが……。

検査も多くしなければならないらしく、まだしばらく入院生活は続くようだ。

多少の苦労は覚悟しないとな。

 

 

――――と、思ってたんだが

 

「ほら、頼人。あーんしてあーん」

 

「頼人君、ぼた餅もあるわよ」

 

「ライ君のために~小説を書いてきたんだぜぃ。今度感想聞かせてねぇ~」

 

数日後……俺はもの凄く甘やかされていた。

 

本当は、入院している間に大赦の改革に関する資料を作ったり、戦術の研究とかしておきたかったんだけど三人に禁止されてしまった。

曰く、入院してる間ぐらいは休めとのこと。

最近、忙しすぎたから少し落ち着かない。

おまけに須美から―――

 

「次に私たちに隠れて危ない事したら、監禁するわよ」

 

との非常に怖い脅しを受けてしまった。

冗談だと思いたいが目がマジだった。

銀と園子に助けを求めるも―――

 

「まあ、それくらい言わないと頼人はまた何かやらかしそうだし」

 

「ライ君、そろそろ年貢の納め時だよ~?」

 

などと完全に須美の側に回ってる。

恐ろしいことに、秋隆にもすでに話が回っていて、俺がこっそり秋隆に仕事を頼もうとするとやんわり断られてしまう。

この子たちの手腕怖すぎなんだけど。

そんな俺の内心を知ってか知らずか、彼女たちは楽しそうに俺の世話を焼いてる。

このままじゃ堕落一直線だ。

 

「三人とも、気持ちは嬉しいんだけどそんなに過保護にしなくても………」

 

「両手ともほとんど使えないのに何言ってんだ?ほら、おとなしく甘えてな」

 

「そうよ、頼人君。それに放っておいたらまた無茶なことするでしょう?」

 

「ライ君もこんな時ぐらい、頼ってくれていいんだよ~?」

 

「だけど、そういうわけには……」

 

「いいからおとなしくしてなさい。でないとほんとにお灸よ?」

 

そう言うと、須美はいつぞやのでかいお灸を取り出す。

何故ここにあるんだ…

 

「………まだ持ってたのか、そのでかいの」

 

「ええ、使いどころがなくって」

 

おいおい、院内は禁煙だぞー

 

「頼人―、これ以上須美を刺激しないほうがいいぞー?」

 

「そうだよライ君~。おとなしくしていたほうが身のためだよ~?」

 

刺激するなって、須美はテロリストか何かなのか……。

 

「そんな事より、わっしーのぼた餅美味しいよ~?はい、あーん」

 

「ちょっと、そのっち。勝手に取らないの!」

 

やっぱり園子はマイペースだなぁ。

少し安心してしまう。

お、このぼた餅うまいな。さすが須美だ。

 

「ありがと須美。このぼた餅、凄い美味しいよ」

 

「本当!?なら頑張った甲斐があったわ」

 

そう言って須美が微笑む。

いつぞやの俺が作った洋菓子の礼だとか言ってたけど、須美のぼた餅はあれのクオリティを超えてると思う。

 

「やれやれ、頼人もアタシたち三人に看病されてんだ。こんな贅沢なことないぞー?それとも、嫌なのか~?」

 

「そうじゃないけどさ……」

 

むしろ、甘えすぎてて不安なくらいだ。

 

「なら、決まりだな!」

 

うーん、快適すぎて少し怖いくらいだけど、ここまでされちゃ仕方ないか。

おとなしくすることにしよう。

甘えるのが癖にならなければいいけど…。

 



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interlude Ⅱ

「しかし、ただ休むというのも中々落ち着かないもんだな……」

 

一人きりの病室でぽつりとつぶやく。

もう夜だ。

見舞いは皆、もう帰っていて一人きりの時間が生まれる。

昼間が騒がしい分、一人になるとやけに病室は広く感じる。

 

病室には、毎日誰かが見舞いに来てくれている。

特に、銀たちは毎日どこかしらで時間を作ってきてくれていて、少し申し訳なくなる。

勿論、とても嬉しいのだが、毎日鍛錬漬けだという彼女たちの負担になっているのではないかと少々不安になってしまう。

次によく来てくれるのは安芸先生だ。

新勇者の選定などの仕事も増え、非常に忙しいと聞いているが、わざわざ時間を作ってきてくれる先生にも感謝の念が尽きない。

色々情報も仕入れてきてくれるし、今もとても助けられている。

もっとも、情報をもらえても仕事をさせてくれないというのは秋隆と同じだけど。

他にも、学校の子や三ノ輪家の面々など様々な人たちが見舞いに来てくれていて、孤独を感じる暇もない。

本当にありがたいことだ。

 

 

「さてと……」

端末を使って銀と須美にメッセージを送る。

八月三十日は、園子の誕生日だ。

どうやって祝おうかと三人で相談しているのだ。

 

『やっぱり、園子はただプレゼントを贈るよりも、一緒に遊んだり何かしてあげるほうが喜ぶんじゃないか?』

 

『確かに…。そのっちも特に欲しいものはないとか言ってたし…。一緒にイネス行ったときとかすごく楽しそうだったものね…』

 

確かに銀の言うとおりだよなぁ…。

園子の家は、文字通り別格の名家だ。

欲しいものは何でも揃ってしまう。

ならば、高価なプレゼントをあげるより、一緒に何かして遊んだりするほうが園子は喜ぶだろう。

問題なのは、園子がどのように祝ってほしいかというところだ。

今まではもっと簡単に、手作りのお菓子だったり、園子に似合いそうな小物をプレゼントしていただけだったが、こんなご時世だ。

できるだけ盛大に祝ってあげたい。

 

「うーん。やっぱり、園子に直接聞くのがいいのかね……」

 

結局、色々話しあった結果、直接園子にどうやって祝ってほしいか聞くことにした。

勿論、プレゼントも用意するが、きっと園子も誕生日に一緒に何かするほうが喜ぶだろうし。

この件はもう少しゆっくり考えるべきだな……。

ん、待てよ。

そこで一つ面白いことを考えた。

銀と須美に相談してみると賛成してくれる。

これなら園子も喜んでくれるかな?

多分、銀と須美も楽しんでくれると思うし。

この件はゆっくり詰めていこう。

 

とそこで、病室の扉がそろりと開く。

こんな時間に誰だろう?

看護師さんならノックの一つもするはずだし。

小さく開かれた扉から少女が滑り込んでくる。

あれ…?この人どこかで見たような気が………。

 

「………って弥勒さん!?」

 

「しーっ、しーっですわ!」

 

弥勒夕海子さん。

赤嶺家と共に、神世紀72年の大規模テロの鎮圧に貢献した弥勒家のご令嬢。

もっとも、力を得た赤嶺家とは対照に弥勒家は数百年で没落してしまっているけど…。

それはさておき、赤嶺家とは盟友のような関係の家なので、自分も当然彼女とは面識がある。

彼女の実家は祖父の家と同じく高知にあるので、祖父の家を訪ねた際などにはよく顔を合わせていて、いまも連絡を取り合う仲だった。

確か、今は勇者候補生として大赦の施設で訓練を受けてるはずだけど…。

 

「んんっ…。お久しぶりですわね頼人さん。お加減はよくって?」

 

「ええ、自分は大丈夫ですけど……どうしてここに…?」

 

「盟友である頼人さんが目覚めたと聞いたのですもの。見舞いに行かないわけにはいきませんわ。ちょうど香川にいたことですし」

 

「うん、それは嬉しいんですけど、今は大赦の施設にいるはずじゃ?」

 

「あら、ご存じでしたのね。ええ、詳しくは話せませんが、今わたくしは重大な御役目の候補者として日々訓練を行っていますの」

 

うん知ってる。

元はと言えば、提案したの俺だし。

 

「だけど、あの施設って今外出禁止じゃなかったでしたっけ?」

 

そう、改革反対派の介入を抑えるために勇者の選抜期間中は候補生は外出禁止になっていたはずだ。

こんな夜更けだし、まさか………。

 

「な、なぜそれを……?」

 

弥勒さんが急に固まった。

やっぱりそうか…。

 

「弥勒さん………まさか抜け出してきたんじゃ………」

 

「ま、まま、まさか、そ、そんなこと、あ、あ、あるはずありませんわ!」

 

「………抜け出したんですね」

 

「し、仕方がなかったのですわ!ほかに方法はありませんでしたもの!」

 

意外とあっさり認めたな。

はぁ……。まったくこの人ときたら。

気持ちは嬉しいのだけれど、下手しなくてもこれがバレたら選抜に影響するだろうに。

弥勒家の再興が悲願であるならこんな迂闊なことしないほうがいいのに、純粋に俺を心配してきてくれているのが分かるから始末に負えない。

まったく、どうしてこう俺の周りには自分より他者を優先する人が多いのだろう。

 

「仕方ありませんね……。迎えを呼びますから帰りは家の車を使ってください」

 

「そ、そこまでしてもらう必要ありませんわ!自分で戻れますから!」

 

「あの施設、中から抜け出すならともかく外からこっそり戻るのは無理ですよ。警備が厳重すぎるので」

 

あの施設の警備には赤嶺も関わっている。

外からの侵入は難しかったはずだ。

だけど、少女一人に抜け出されてるって中々不安だな。

外からはともかく、中からなら抜け出しやすいのだろうか。

後で確認させよう。

 

「し、しかしこんなことでご迷惑をおかけするわけには………」

 

「勿論、ただではありませんよ。代わりに、迎えが来るまで自分の話し相手になってください」

 

「頼人さん……で、ですが……」

 

「気にしないでください。お見舞いに来てくれた盟友をきちんと送り返さないと、それこそ赤嶺の名折れですから」

 

そう言って、秋隆に迎えをよこすよう連絡する。

それと、弥勒さんが施設を抜け出したのは赤嶺の警備チェックに協力してもらったからだということにしておいてもらう。さすがにこういうことなら秋隆も素直に仕事を引き受けてくれた。

これで大丈夫なはずだ。

 

「頼人さん……。この御恩は必ずお返ししますわ!」

 

弥勒さんは俺のお見舞いに来てくれただけなのに、恩を感じる必要ないんだけどな…。

弥勒家らしい生き方というのもなかなか大変そうだ…。

 

「あ、入院中退屈でしょう?お礼にという訳ではありませんが、この本を差し上げますわ!」

 

そう言って、弥勒さんは「弥勒家三百年史」という本を俺に手渡してくる。

カバーから見るに自費出版っぽいな…。

内容はかなり誇張されてそうだし。

 

「あ、ありがとうございます…」

 

「これくらい、礼には及びませんわ!」

 

それから、迎えが来るまでの間、俺たちは本当にとりとめもない話をした。

学校の話だったり、入院生活についてだったり本当に他愛のない話。

彼女が病室を出て行ってから、ふと気づいた。

ああいういい子たちを自分は危険な目に合わせようとしているんだな……と。

無論、銀たちのことを考えたら勇者の増員に迷いはない。

だが、新しく勇者になる少女たちには、何も知らずに平和に生きる道だってあったのだ。

俺が、その道を潰すということをもっと強く自覚しなければならない。

 

「はぁ……七面倒な時代だな……」

 

まったく、天の神なんて厄介な奴がいなければもう少し青春を謳歌できたものを。

まぁ、愚痴を言っても仕方ないよな。

今は俺に出来ることをするだけだ。

もう少し休んでいようかとも思ったけど、そろそろウォームアップくらい始めなきゃな。

端末を操作し、通話を掛ける。

 

「赤嶺です。先生、新規勇者の選抜についてなんですが―――」

 

状況は未だ、解決には程遠いのだ。

むしろ、神樹の寿命のことといい、バーテックスのことといい、状況は加速度的に悪くなっていってる。

そうそう休んではいられない。

 

「ええ、選抜に自分も一枚噛ませていただきたく―――」

 

さて―――御役目を続けよう。

 

 

 

 

side/秋隆

 

硯秋隆の家は、代々赤嶺家に仕えていた。

いわば、赤嶺にとって最も信頼に足る家系。

秋隆も例に漏れず、赤嶺家に仕え、当主の信頼を得ていった。

故に彼が、赤嶺の長子である頼人の付き人になったのも、ある種、当然の流れであった。

 

秋隆は極めて優秀な人材であり、彼の高い情報収集能力は赤嶺においても注目されるものであった。

実際に、赤嶺現当主の付き人が何らかの理由で動けなくなった場合、彼がその代わりを務めることもある。

そんな彼が頼人の付き人をやめなかった理由は、ある種の好奇心であったといえよう。

結局、赤嶺の使用人といえども行っているのはルーチンワーク。

そんな中で、頼人の傍でその成長を見守る仕事は、秋隆にとって唯一変化を楽しむことのできる仕事なのであった。

 

少年自身はとても変わっていた。

幼くも麒麟児とさえ呼ばれた少年には、その高い能力に反して、自惚れや傲慢さのかけらも見当たらなかった。

使用人に対しても、何かを頼むということはほとんどなく、一人で完結しているかのような振る舞いをしている。

ある意味、完璧ともいえるような子供。

秋隆は、そんな彼が何を見ているのか、なぜそんな振る舞いができるのかがなぜだか気になったのだ。

 

そんな少年が、ある時期から急激にその振る舞いを変化させていく。

 

きっかけは、三ノ輪の長女との接触だろう。

あれから、頼人は使用人に何かを頼むことが増えていった。

それまで、執着というものが致命的に欠けていた頼人が、初めて執着した存在。

それからの少年は今までよりもずっと快活になり、今までより完璧さというものは薄れた。

しかし、秋隆にはそちらのほうが人間味が豊かなように思え、変化を好ましく思っていた。

恋というものは子供ですら変えるのだな、と感心さえした。

しかし、少年の異常性にはまだ気づいていなかった。

 

ある日から少年の動きには不審なものが増えた。

頻繁に、様々な名家の人間と接触し始めたり、家の中でも一見そうとは分からないように人払いをしたり、怪しい行動が多い。

両親には将来のために今の内に関係を強くしておくと説明しているようだが、違和感が拭えない。

おそらく、何かを企んでいる。

今までずっと、頼人を観察していた秋隆だからこそ分かった。

彼が三ノ輪の長女よりも名家との接触を優先していること自体がおかしいのだ。

心配になった秋隆は、秘密裏に彼の情報を集めることにした。

次期当主への内偵は裏切りを疑われても仕方のない行為であったが、秋隆は頼人への不安と一縷の好奇心を抑えることができなかったのだ。

 

しかし、調べてもその行動の真意は杳として知れない。

頼人が接触した名家の情報を集めても、赤嶺の分家が多いということや頼人を欲しがっている家が多いことくらいしかわからず、頼人が接触していた理由もよく分からない。

なにせ、ただ話したり、食事をとっていただけだったのだ。

念のため、会話の内容を集めたものの大したことは話していなかった。

若干、大赦関係の話が多かったぐらいだが、その話題も一過性のもので大した情報はない。

確かに、名家とのパイプを太くするためだというならば筋は通る。

だが、どうしても他に何か意図があるように思えた。

 

そこで、秋隆は別の角度からのアプローチを始めた。

三ノ輪家の長女に何か変化があったかどうかを調べることにしたのだ。

結果は大当たり。

彼女が勇者の御役目に選ばれたという情報を掴んだ。

これが頼人の行動の原因であることは容易に考えられた。

しかし、それでも頼人の行動の意味は読めない。

情報を欲しがっているのかとも思ったが、接触の際の会話はあまりにも断片的な話しかしていない。

勇者についての情報を得たいのであれば、直接ご当主に聞くなどほかの手段を試すはずなのだ。

あるいは、ご当主に聞いても答えてもらえない情報を探っているのか。

 

そんな折、頼人が勇者の御役目に巻き込まれる。

それにより、ご当主から頼人も勇者についての情報を教えられた。

しかし、その後も彼は名家との接触をやめなかった。

やはり、情報が目的ではなかったのか。

秋隆はそう思い、確認のために再度、頼人が名家の人間と接触した際の情報を得ようとして…気付く。

今までに比べ、格段に情報が集まりにくくなっていたのだ。

何を話していたかなど、今まで名家側の使用人経由で探っていたが、そもそも使用人を同席させずに話をするケースが増えていた。

いくらなんでも不自然過ぎる。

しかも、その後の頼人の処遇を決める会議では、彼が接触していた名家の殆どは頼人の立場向上を支持したという。

 

挙句の果てには、ご当主をすっ飛ばし、直接大赦上層部と何らかの取引を行ったという情報まで出てきた。

たしかに、その時点で頼人は御役目に関しての一定の立場を得ていた。

だがそれでも、大赦と直接取引を行うなど、いくら赤嶺の長子であるとはいえただの子供には絶対に不可能だ。

何らかのカードを持っていなければできない。

秋隆は何とか取引の内容を探ろうとしたが、赤嶺の力を使わない、秋隆個人の力だけではまるで情報は得られなかった。

この時、秋隆は言葉に出来ない敗北感というものを初めて味わった。

自分の情報収集能力について一定の自信を持っていた彼が、取引の内容を推察すらできなかったのだ。

しかも相手は小学生の子供。

自信を喪失しかけるのも無理のない話であった。

 

そんなある日、秋隆は頼人に呼び出された。

そこで頼人から教えられた情報は、秋隆の想像をはるかに上回ったものであった。

しかも、頼人は大赦の改革を行うつもりだから手を貸してほしいと言う。

 

そこで秋隆は理解した。

この少年は三ノ輪の長女一人のためにここまでやったのだ。

 

なんて常識外れで、大胆な子供、いや人間であろうか。

好きな少女一人のためにここまでするのは、大人でも早々できない。

笑ってしまいそうになるほど愉快に思える。

 

それでいて、頼人の語った手段は、計画的かつ現実的なものだった。

しかも、今まで赤嶺の分家の掌握を行っていたという。

彼は本気でこの計画を実行しようとしている。

もはや、秋隆に頼人を只の子供だと思う気持ちは微塵も残っていなかった。

赤嶺頼人は誰よりも特異な存在だ。

 

そんな彼が今、秋隆を頼っている。

その信頼はとても重く、そして得難いなものだ。

その信頼に応えたいと思う。

そして、間違いなく、赤嶺に忠を尽くすよりもこの人に忠を尽くすほうが、価値的かつ面白いだろう。

 

選択に迷いはなかった。

この人は自分が仕えるに値する存在だ。

 

この日、硯秋隆は己の主を赤嶺頼人に定めた。

 

 

 

side/???

 

概要1

 

赤嶺頼人。

赤嶺本家の長子として生を受け、その際立った才から若くして頭角を現す。

交渉力並びに情報収集能力が非常に高く、大赦の改革を促す遠因ともなった。

勇者の御役目が開始されて以降、樹海に入ってしまう特異性が発覚。以後は、勇者の支援に従事する。

三体のバーテックスが襲来した際には、独断で勇者システムの使用並びに精霊(詳しくは後述)を顕現させ、最終的には単騎でこれを撃退した。(後に、この件から勇者システムの管理体制の不備や同人の危険性が取り沙汰されたものの、バーテックス撃退の功から不問となっている。)

 

勇者システム並びに封印されていたはずの精霊をなぜ扱えたかは、同人の特異性と共に未だ不明。

前述の戦闘により一時は危篤に陥るものの、約一か月の昏睡状態を経て意識を取り戻す。

なお、前述の負傷の大部分は、戦闘記録からバーテックスを原因とするものでなく、勇者と精霊の力に対する身体の拒絶反応及び反動によるものではないかと推測される。

 

覚醒後の検査により、左目の失明、聴力の低下など一部の身体機能に問題が見られたものの、筋肉組織、神経系などはおおむね回復しており、覚醒の二週間後に退院。

だがこの際、回復の異常な早さから精霊による侵食が示唆された。

次項では、西暦時代の勇者である伊予島杏様の遺した研究結果を基に精霊の解説を行っていく。

 

概要2

 

神樹様には地上のあらゆるものが概念的記録として蓄積されている。その記録にアクセスし、抽出し、力を自らの体の顕現させる――これが旧世紀の終末戦争において活躍した精霊の概要である。

 

今回、赤嶺頼人が使用した精霊は、対象者の戦闘力の向上と一度の蘇生を可能とする大嶽丸。

この精霊の力は、西暦の勇者が使役した酒呑童子、大天狗にも匹敵する。

 

これ等精霊は悪鬼怨霊の側面を持っている。精霊を呼び出し、人の身に人外の存在を宿らせることは降霊術に近い。

降霊、憑依という現象は、人類文化の中で遥か昔から存在する。

シャーマニズム。イタコ、ユタ、審神者。彼らは人ならざるものを自身の体に宿す。犬神憑き、狐憑きといった現象もある。

だが、どれも危険が伴う。犬神憑き、狐憑きに至っては呪いのようなもの。人と人ならざる者の境界は、時としてあいまいになる。

切り札はその境界の先に半身を浸すようなものなのだ。

 

このように、精霊を体の中にいれる行為を続けてしまうと体内にケガレが溜まり、精神に悪影響を及ぼすという欠点が見られた。

不安感、不信感、攻撃性の増加、自制心の低下、マイナス思考や破滅的な思考への傾倒……等々、精神が不安定になって、危険な行動をとりやすくなるのだ。

しかし、同人の身体にはこれらの悪影響だけでは説明のつかない異常が起こっている。

その説明は次項で行うとする。

 

概要3

 

担当医師の報告によると、回収された直後の赤嶺頼人の身体は、四肢だけでなく、内臓器官にも多大な損傷が認められ、回復は絶望的であったという。

少なくとも、半身不随は避けられないというのが医師の見方であった。

 

しかし、昏睡状態から覚醒した時点で身体機能の大幅な回復が認められ、また一か月の昏睡を経たにもかかわらず、筋力の衰えなどがほとんど見られなかった。

この回復力は勇者のそれと比較しても尋常な物でなく、すぐさま医療面、呪術面双方からの原因究明に向けた調査が行われた。

 

まず、赤嶺頼人が心肺停止の状態を脱した際、装束の変化があった。このことから、同人は大嶽丸の蘇生能力を使用し致命傷を回復させたと考えられ、同人が致命傷を受けた部位の検査を実施。

結果、該当部位における筋肉組織の強化と神経の発達が確認される。

このことに加え、システム解除後も異常な回復が続いたことから、同人の体内に精霊が残留し、影響を与え続けていると判明。

 

今のところ、身体の回復へのみ、精霊の力は向けられているが、怪我が完治した以後、同人の身体にどのような影響が出るかは未知数である。

精霊の残留が続くことを想定すると、最悪の場合、同人は人ならざるものへと変化する可能性もある。

また、現状問題はないが、精神への悪影響も予想され、速やかな対処が求められる。

 

当初は勇者への悪影響を未然に防ぐため処理が提案されたものの、同人の能力は非常に貴重かつ稀であり却下される。

そのため、次善策が採用された。

次項においてその説明を行う。

 

概要4

 

鬼は古来より、悪や恐怖の象徴とされてきたが、同時に強さの象徴でもあり、時に神として祀られることも多々あった。

そして、大嶽丸は鬼神という神の側面も持ち合わせているため、その性質は顕著である。

したがって、大嶽丸は神と同じように力を封印することが可能であると考えられる。

 

この推察を基に、注連縄の技術を流用し、精霊の力を封印可能な眼帯を作成。

これをもって、同人への精霊からの影響を最小限に抑える。

しかしながら、これはあくまで対症療法であるため、根本的な解決には至らない。

精霊の摘出に関しては今後も研究が必要である。

 

なお、本件は赤嶺頼人本人には秘匿する。

本人が精霊の存在を自覚した場合、封印で抑えられていた影響が解放される危険性があり、そうなった場合、勇者の力による処理以外に無力化できなくなる恐れがある。

現状の赤嶺頼人の影響力を見るに、そうなった場合の被害は計り知れない。

 

故に、この件は大赦の最重要秘匿事項の一つとして今後扱われる。

反対意見は封殺する。

 

以上。



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偽装教師

上里ひなたは巫女であるがカクヨムさんで掲載されてるそうなので、未読の方は読んで♡


雲一つない青空。

鳴り響く蝉の声。

 

「夏だねぇ……」

 

空を仰ぎ、独り言ちる。

この時期に車椅子で外に出ると、色々蒸れて仕方がない。

まぁ我慢するしかないんだけど…。

 

「では若、行きましょうか」

 

「ああ、頼むよ」

 

秋隆に車椅子を押してもらい、学校に似た施設に入る。

俺たちは、大赦のある施設に来ていた。

勇者選別のための訓練場のような施設だ。

俺はこの施設に一週間ほど滞在させてもらい、どの人物が最も増員される勇者に適しているか報告書を書く。

本来なら、俺の意見は参考にしてもらいたいくらいにしか考えていなかったのだが、どうやら現状の俺の発言力というものは自分の思っている以上に大きいらしく、勇者選別が最終局面に入っていることもあり、俺の報告書は選別を左右するほどの影響力を持ちかねないとのことだった。

 

随分と俺のことを買いかぶってくれているようだ。

名誉勇者なんて称号がいい例だろう。

俺が寝ている間に上から与えられたらしい。

まったく、名誉称号とはいえ、勇者の名など俺には荷が勝ちすぎる。それでも、今までの行いが評価された証だと考えればそう悪い気がしないのも事実だけど…。

正直複雑な気分だ。

見知らぬ大赦の職員さんからかしこまった態度を取られるのも中々居心地が悪い。

 

それでも、発言力が上がるのは悪くない。

退院を無理矢理早められたし、この計画をねじ込めたし。

利用できるものは利用しないと。

ここに来たのも勇者の選定だけが目的じゃないんだしな。

 

 

正面玄関をくぐると、施設の中はシンと静まりかえっていた。

おかげで秋隆の足音と車椅子の奏でる不協和音がよく響く。

夏休み中の校舎はこんな感じだったなと、どうでもいい事を思い出してると事務室につく。

職員に挨拶を済ませる。安芸先生は、直接候補生の訓練を見ているそうだ。

今の時間だと訓練場所は屋外らしいので、その間に施設の内部を確認しておくことにした。

 

「それでは、私がご案内いたしますね」

 

そう職員の女性が申し出る。

二十代後半の幸薄そうな顔をした女性。確か名前は真鍋さん。

この後帰ってしまう秋隆の代わりに、この施設にいる間の世話を見てくれることになっている。

 

「若、やはり自分も残ったほうが……」

 

「いや、秋隆には秋隆の仕事があるんだし戻ってくれ」

 

「しかし……」

 

「大丈夫ですよ、私たちが付いてますから。安心してください」

 

「心配してくれているのは分かるが……頼む秋隆」

 

「………分かりました。失礼します」

 

それだけ言うと、秋隆は足早に部屋を出ていった。

本当に秋隆には苦労と心配を掛ける。

 

「それでは、お願いします」

 

「ええ、お任せください」

 

座学用の教室、医務室、武道場、食堂等々自分の目で確かめ、施設の形を頭に入れていく。

二、三十人ほどしか候補生はいないというのに思ったより広いな。

やはり、見取り図を只見るのとは印象が違うものだ。

 

「赤嶺様。これで、凡そ見て回りましたが、他に何か気になるところはございますか?」

 

「いえ、十分です。それより、真鍋さん。その呼び方と敬語はやめて下さい。俺はそんなに敬意を払われるような人間じゃないですし、候補生にも疑われてしまうので」

 

「あら、そう…。分かった、赤嶺君。これでいいかな?」

 

「ええ、ありがとうございます」

 

便宜上、候補生たちの前では俺は座学の講師として振舞う。

今の自分の立場を隠すための措置だ。

多少は不審がられるだろうが、騙す対象が勇者候補生に絞られている点、そして一週間しか俺はいないということを踏まえれば真実は十分隠し通せる。

それに俺が担当するのはバーテックス戦の戦術だ。奴らに関することなら授業をこなす自信はある。

万一疑われても、大赦からフォローを入れてもらえるから問題ない。

まあどのみち、傍から見たら俺は車椅子の小学生なのだ。

これだけ話を盛っておけば、俺の目的が悟られるはずもない。

ちなみに弥勒さんにはすでにカバーストーリーを話している。

騙す形になるのは心苦しいが、必要なことだ。

 

 

「ところで赤嶺君、いきなり授業なんて大丈夫?」

 

「ええ、既に準備してありますので問題ありません。今までの研究を纏めるだけだったので楽なもんです。」

 

「ほとんど用意する時間もなかったって聞いてたのに、すごいね。流石は天才ってとこ?」

 

「おだてないでください。それより、授業の時間まではまだ時間があるはずです。用意していただいたという部屋に案内していただけませんか?少し、休みたいので」

 

そうして、俺は用意してもらった部屋に来たわけだが、広いうえにバリアフリーに対応していて中々良い。

訓練施設だから多少の不便は覚悟していたのだが、これなら一人でもなんとかやれそうだ。

見れば、荷物ももう用意してくれている。

 

「赤嶺君、本当に一人で大丈夫?不安だったら、ここにいる間、傍についてるけど?」

 

「お気遣いありがとうございます。だけど、大丈夫です。これでも結構、体は動きますので」

 

「そっか、それでも困ったことがあれば何でも言ってね、力になるから。それじゃあ、一時間くらいしたら迎えに来るね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

彼女はそう言って、部屋から出ていった。

人との距離を詰めるのがうまい人だな。

さて、一人になったし、やることをやってしまおう。

 

 

 

 

 

「それじゃあ、気合入れていきますか」

 

教室の扉の前で深呼吸する。

廊下が静かな分、教室の中の安芸先生の言葉がよく聞こえる。

これから、バーテックスについての講義を行う講師を紹介すると言ってる。

今、この中にいる候補生たちは既に勇者の御役目の内容を知っており、バーテックスについてもある程度聞かされているのだ。

彼女らはなかなか優秀で勇者の選考にあぶれても別の計画に参加してもらいたいと思っている。

そのため、本来予定されていた訓練には存在しなかったバーテックス戦に関する講義をすることにしたのだ。

このタイミングなのはそのためだ。

 

それにしても、まさかこの年で教師のまねごとをする羽目になろうとは、思いもしなかった。

今世は前世の十倍アバンギャルドなことしてるよな……。

やがて、教室の中から入ってくるよう呼ばれる。

 

「真鍋さん、お願いします」

 

「がんばろうね、赤嶺君」

 

そう言葉を交わした後、真鍋さんに車椅子を押してもらい教室に入る。

「え、男の子?」「なんでここに?」「誰?」

途端、教室をざわめきが包んだ。

車椅子の少年が入ってきたんだ。当然の反応だろう。

 

「静かに」

 

安芸先生の声が響いた瞬間、教室のざわめきが収まる。

規律正しく結構なことだ。

 

「彼は若くして大赦内でバーテックス戦の戦術研究をしており、その道の第一人者ともいわれています。故に、彼が講師を務めるのが最適だと判断されました。自己紹介を」

 

安芸先生が話を盛りながら俺を紹介する。

背筋がむずがゆくなってしまうな。

 

「赤嶺頼人です。歳は12と皆さんと近いので、気軽に接してください。一週間と短い期間ですが、どうぞよろしくお願いします」

 

簡単に自己紹介を済ませると、教室に静寂が訪れる。

中々居心地が悪い。

 

「先生、質問があります」

 

とそこで、候補生の一人が沈黙を破り手を挙げた。

この空気の中で発言できるとは肝が据わってるな。

 

「どうぞ、楠さん」

 

「失礼ですが、いくら優れた研究者であっても優れた教師たり得るとは思えません。それに赤嶺さんはまだ12歳です。バーテックスについても教職にある方が講義を行うほうがよろしいのではないですか?」

 

うーん。まごうことなき正論。

まあ、普通に考えたらそうだよな。

とはいえ、ここで引き下がれるわけもなく―――

 

「問題ありません。あらゆる角度から考慮した結果、最も彼が講師にふさわしいと判断されました。まずは彼の講義を受け、もし不満があればその時に改めて述べなさい」

 

流石は安芸先生。一歩も引かずに受け流した。

少女が分かりましたと席に着く。

意外と素直だ。

 

「それでは、あとは任せるわ」

 

そう言って安芸先生は教室を後にする。

さてと、授業の始まりだな。

 

 

講義の内容は大きく三段階に分けてきた。

まず、バーテックスについてその種類、行動、目的などの詳しい情報を覚えてもらう。

次に、実際の戦闘記録を参考にしつつ大まかな戦術の考え方を身に着けさせる。

最後に、こちらが想定した状況で兵棋演習を行わせ、自身で戦術を考えられるようにさせる。

ここまでを七日間でやるのは骨が折れるが、仕方あるまい。

幸い、真鍋さんがよく手伝ってくれることもあり、授業はつつがなく進行した。

自分で戦術を研究してた分、今楽ができているな。

候補生の中では特に、先ほども質問をしていた楠さんが熱心に取り組んでいた。

確か彼女は成績ツートップの内の一人で、かなりの努力家なんだっけ。

 

講義が終わると何人かの候補生に囲まれた。

「ねえ、赤嶺君ってどこから来たの?」「赤嶺ってやっぱりあの赤嶺?」「もう大赦で働いてるの?」

結構色々質問される。

 

「みんな、赤嶺くんが困ってるから落ち着いて。ほら、次の訓練すぐに始まるんでしょ?」

 

が、すぐに真鍋さんがを窘めてくれ、彼女たちは渋々といった様子で離れていった。

助かった。

やがて、次の訓練のために少女たちが次々と教室を出ていく。

講義の後片付けが終わったころには、もう教室に人は残っていなかった。

弥勒さんが約束を忘れて突っ込んでくるかもと思ってたけど、すこし安心した。

 

「赤嶺君、お疲れさま。いい感じだったよ。ちゃんと先生できてたし、やっぱりすごいね」

 

「いえ、真鍋さんに手伝って頂いたのでこんなにうまくいったんですよ。自分一人じゃ何もできなかったです」

 

「謙遜しないで。私も教職免許を持ってるから分かるんだ。長時間話し続けたり、生徒に気を配り続けるのは結構大変でしょ?」

 

「ええ、確かに少々疲れましたね。それでも、自分で研究してた内容でしたから授業はそんなに苦ではありませんでしたよ」

 

「そっか。だけど、あんなに堂々と話すことは大人でも中々できないよ。自信をもって」

 

「堂々としてたのは、ぼろが出ないようにするためですよ。大胆な嘘ほどバレにくいのと同じ理屈です」

 

「………赤嶺君って、意外と頑固なんだね」

 

真鍋さんが呆れたように言う。

 

「そうですか?自分は柔軟な人間だと思ってたんですが」

 

「意外と自分を理解できてる人は少ないの。赤嶺君は自分の頑固さも凄さも理解してないんだよ」

 

「はは、褒めても何も出ませんよ?それより、移動しましょう。彼女たちの訓練も見たいので」

 

「……はぁ。はいはい、分かりましたよ、赤嶺先生」

 

「その呼び方もやめて下さい……」

 

 

 

訓練場に行くと、候補生たちが剣術の訓練を受けていた。

今回の選抜では特に近接戦闘を重視している。

というのも、中、遠距離射程の武器を最大限活かすには高い連携能力が必要であるが、近距離戦闘を主とした場合、連携能力は比較的求められず、なおかつ新システムとの相性も良い。

要するに、近距離型の勇者が一番都合がいいという訳だ。

ちなみに新規勇者のシステムは準備期間短縮のため、銀のデータを流用することが決定してる。

そのため、銀のそれと似たシステムになるらしく、武装は双剣になるのだとか。

 

それはさておき、動きはやはり三好夏凜と楠芽吹の二人が断トツでいい。

事前にもらった情報のとおり、最有力はあの二人だな。

それにしても、この短い期間でよくあそこまで仕上げられたものだ。

弥勒さんは…………うん、普通だ。

とりたてて優秀という訳でもないが動きが悪いわけでもない。

むしろ、この短期間ではよくやっていると思う。

ただ上には上がいるというだけで………。

 

 

やがて、全ての訓練が終わり、放課後となった。

選別が最終段階に入っただけあって、殆どの候補生が訓練場で鍛錬を続けている。

俺はその様子を離れたところから観察していた。

こうしてみると、楠さんの必死さが際立っているのが分かる。

完全に自分の世界に没頭し、鍛錬を続けている。

三好さんも一見、同じように見えたが、何故か突然隣の人に話しかけた。

なんだろうと思って見ていると、隣にいた人の動きが少し良くなった。

まさか、アドバイスでもしていたのだろうか?

このタイミングでそれをしているなら、かなりのお人好しだな。

ライバルになる相手にアドバイスなんて、本来できるものじゃない。

訓練の様子からそんなに余裕があるようにも見えないし、真意はみえないけど…。

まあこの一週間で判断できるだろう。

 

 

しばらく放課後の鍛錬を見た後、部屋に戻り夕食を取ることにした。

食堂で食べないのにはいくつかの理由があるが、一番の理由は候補生たちとできるだけ距離を置くためである。

俺が食堂にのこのこ姿を現したらきっと声をかけてくる人がいるだろうし、俺から色々聞きだそうとする候補生も出てくるはずだ。

そうなれば、感情的な判断が混じるのではないかと思われたり、最悪俺の報告書の価値が下がりかねない。そういった事態は避けたい。

自分の立場を隠しているのもそのあたりが理由だ。

ところで…

 

「なんで、真鍋さんもここに?」

 

「いいからいいから、ご飯は誰かと一緒に食べるほうがおいしいよ?」

 

一人で食べるはずだったのだが、真鍋さんが二人分のご飯を持ってきた。

断るわけにもいかないので、二人で食事をとる。

今日のメニューは肉じゃがだった。

 

「赤嶺君って食べるの凄いゆっくりなんだね?」

 

「ええ、医者からしばらく食事には時間をかけるようにと言われてますから。そっちのほうが体にいいらしいですよ」

 

真鍋さんは色々俺に質問してくるから話が途切れることはない。

候補生の情報なども色々聞けるし有益だ。

 

「一つ聞きたいんですけど、真鍋さんから見て、三好さんと楠さんってどんな人ですか?」

 

「あ、やっぱり気になるんだ。そうだねぇ、二人ともアスリートみたいに自分に厳しい感じだけど、楠ちゃんは筋金入り。誰よりも長く一生懸命訓練してて、体調が悪かろうがお構いなしで訓練のしすぎで倒れちゃったこともあるくらいだよ。三好ちゃんも似てるけど、彼女は困ってる子とか悩んでる子がいたらほっとけないみたいなんだよね。時々、他の子のアドバイスをしたり、訓練を中断して具合の悪い子に付き添ってたこともあったね」

 

その話を聞いて、ふと銀のことが頭をよぎる。

少し、似ているかもしれない。

もしかして、今日のあれもそうだったのか。

ますます、三好さんに興味が出てきた。

それと同時に楠さんの徹底した態度にも、ある種の敬意を感じる。

普通の人間にできることじゃない。

 

「そうだ。聞きたいと思ってたんだけど、勇者様ってどんな人たちなの?」

 

「三人とも、とてもいい子たちですよ。三ノ輪さんは活発で誰とでも仲良くなれて、困った人を放っておけないかっこよくて頼りになる方で、鷲尾さんは規律には厳しいけど、人のために行動出来る友達想いの可愛らしい方です。乃木さんはとてもマイペースな方ですが、とっても賢くて、とってもみんなに優しい方です。本当に、神樹様が選ばれたのにも納得してしまいます」

 

「なるほどねぇ。だけどその饒舌具合。もしかして赤嶺君、三人の中で好きな子でもいるの~?」

 

「ええ、三人とも好きですよ」

 

「え~。もう少し照れてよ~」

 

「無茶言わないでください。小学生相手に何言ってんですか」

 

気が付けば弛緩した空気が漂っている。

お互いの表情も柔らかい。

 

「そういえば、赤嶺君って安芸さんと仲悪いの?あんまり話してなかったけど、たしか担任の先生でしょ?」

 

「ああ、前はもう少し話してたんですけど、最近は少しぎくしゃくしてまして……」

 

「あらまあ、何かあったの?」

 

「何かあったという訳でないんですが、最近避けられてるみたいで……。隠し事されてる感じもしますし…」

 

「そっか…。ねぇ、よかったら私が調べてあげよっか?これでも人から話聞くの、得意なんだ」

 

俺の深刻な顔に反応したのか、真鍋さんがそんなことを申し出てきた。

 

「いやいや、真鍋さんにそんなスパイみたいなことさせられませんよ」

 

「いーのいーの、気にしないで。それに私、昔はスパイに憧れてたんだ。」

 

「だけど……ばれたら真鍋さんの立場が……」

 

「大丈夫だよ。そんなに危険なことするわけじゃないし、知り合いに軽く話を聞くだけだから」

 

「…………それじゃあ…頼んでもいいですか?」

 

「ええ、任せて!」

 

真鍋さんが笑顔でそう言う。

やがて、食事も済み、真鍋さんは帰った。

部屋に一人取り残される。

 

ため息が出そうになる。

正直、今日は疲れた。

思っていたよりもかなり。

明日の講義の準備をしたらすぐ寝よう。

と、そこで銀から電話がかかってくる。

少しだけ迷った後、インカムをつけて通話に出る。

 

『もしもし頼人。ちゃんとおとなしくしてるかー?』

 

「おかげさまでね。やることがなくて暇してるよ」

 

言葉を発する度に胸がずきりと痛む。

銀たちには、高知の祖父の家で一週間療養することになったと嘘をついている。

 

『それならいいけどさ。高知土産、期待してるぞ?』

 

「確か塩ケンピで良かったよな、任せといてくれ」

 

『ほんとはアタシもついていきたいぐらいだったんだけどなー。頼人の爺ちゃんちも見てみたかったし』

 

「鍛錬があるんだから仕方ないさ。いずれ連れてくよ」

 

『約束だかんな。破ったら承知しないぞ?』

 

「勿論だよ。絶対、連れていくから」

 

そうして、俺たちはしばらくとりとめもないことを話した。

正直、直接会いたい。

会って、抱きしめたい。

今すぐ全部話してしまいたい。

そんな欲求を無理矢理抑え込み、別れの挨拶を済ませ通話を切る。

………駄目だな。少々弱気になっている。

切り替えなければ。

まだ、初日が終わったばかりなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗闇の中、女性の声だけが響く。

 

 

―――はい、順調です。今のところ対象が警戒している様子はありません

 

………ええ、タイミングは…………はい

 

ええ、護衛はありません。やはり、外部に集中しているようです

 

資料は………分かりました。届き次第……

 

はい、すでに偽装の準備は整っています

 

ええ……そうなった場合には適切な形で処理します

 

……それでは

 

 



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理由

訓練施設に来てから、早くも三日目となった。

経過は順調。

今日は西暦の『丸亀城の戦い』を参考に、大量の星屑を相手取る際、どのような戦術が適してるかを考えさせている。

 

 

「数千体にも及ぶ星屑の侵攻、このような場合、どのような戦い方が望ましいと考えられるでしょう。分かる方は?」

 

真っ先に弥勒さんが元気よく手を挙げ、それに続くように三好さんや楠さんが手を挙げる。

 

「それじゃあ、弥勒さん。どうぞ」

 

「先手必勝ですわ!一気に総攻撃して素早く倒しきるのがいいと思いますわ!」

 

弥勒さんが立ち上がり元気よく話す。

元気があるのはいいけれど、この突撃癖は何とかしてほしい。

 

「確かに、進化体を出させないという意味ではいい考えですね。ただ、この場合だと星屑の数が多すぎて倒しきるのは難しいでしょう。一気に突撃してしまうと最悪、包囲されてしまいますしね。それじゃあ…楠さん、分かりますか?」

 

弥勒さんがむむむ、と唸りながら席に着き、入れ替わるように楠さんが立ち上がる。

 

「はい、この数ですと長期戦は避けられません。分散し星屑の侵攻を抑えつつ持久戦に持ち込むのがよいかと思います。また、人員に余裕があれば、ローテーションを回し、個々の負担を抑えるべきかと考えます」

 

「いい答えです。事実、西暦の勇者達は持久戦を選択しました。そして、役割を分け、ローテーションを回しながら戦闘を続けました」

 

やはり、戦術の講義だと楠さんが最も優秀だ。

彼女は指揮官としての適性が高いな。

三好さんも優秀だが、戦術においては楠さんが一歩先を行く。

そんなこともあり、この三日間を通して、勇者に選別されるべきはやはり、楠さんか三好さんのどちらかしかいないと感じた。

そういうわけで、今は特に、この二人の動向を注視している。

 

そして、四日目の早朝。

俺は訓練場を訪れていた。

理由は楠さん。

彼女に尋ねたいことがあって来たのだ。

 

訓練場につくと既に彼女は木刀を振るっていた。

これでもかなり早くに来たつもりだったのだが、彼女の様子を見るに、俺が来る結構前から剣術の練習を始めていたらしい。

休憩するまで待っていようと、離れたところから練習を眺めるが一向に休もうとしない。

先日も思ったが、少々ストイックすぎやしないかね。

とそこで、ようやく楠さんが手を止めた。

少し休むようなので、彼女に近寄る。

 

 

 

「おはよう、楠さん。朝早くから精が出るね」

 

「………おはよう、赤嶺君。さっきからじろじろ見てたけど、何の用?正直止めてほしい」

 

楠さんが棘のある声で聞いてくる。

選抜も最終段階に入ってるし、かなりピリピリしてる。

しまった。

少々、デリカシーが足りなかったかもしれない。

 

「それは申し訳ない。一つ聞きたいことがあってね。質問が終わったらすぐに退散するよ」

 

「ならいいわ。で、質問って何?」

 

早く訓練に集中したいのか、彼女は急かすように尋ねてくる。

 

「ああ、楠さんはなぜそこまで頑張れるのかなって。たとえ、どれだけ想いが強くても普通は体の方が追いつかないし、事実、倒れたこともあると聞いた。それでも、頑張り続けてる。なんでかな?」

 

そう。俺はそのことがどうしても気になってしまった。

彼女ほどひたむきな人もそうはいない。

選別の上で絶対に聞いておきたかった。

 

「………理由なんてないわ。努力を続けて、自分を高める。それが私の生き方。ただ、それだけよ。………そんなことを聞くためにわざわざ来たの?」

 

すごいな。

本当に、世が世ならかなりのスポーツ選手になってたんじゃなかろうか。

 

「まあ、ね。気になることがあるとどうしても知りたくなっちゃうんだ。ところで、それはやっぱりお父さんの影響?」

 

「パ………こほん。父さんを知ってるの?」

 

「勿論、大赦では結構有名だし。あの腕は素晴らしい。職人って感じが、楠さんに似てるかなって」

 

彼女の父は大赦から最も厚い信頼を受けている宮大工だ。

重要な社殿の建造や修復の多くに関わっているまさに職人。

いつぞやか四国の神社を調べたときに名前が出てきたし、事前にもらった資料にも情報が載ってたので知っていたのだ。

 

「そうね…。昔から父さんの背中を見続けてきたから、こうなったのは父さんの影響かもしれないわね」

 

「お父さんのこと、誇りに思ってるんだね」

 

「ええ、だから私も父さんのように尊敬される仕事ができる人間になりたいの………なんで私、こんなこと話してるのかしら……」

 

楠さんが額に手をやる。

ここまで話す気はなかったんだろう。

だけど……そうか、これが彼女の理由か。

 

「教えてくれてありがとう。お礼にこれどうぞ」

 

彼女に持ってきたスポーツドリンクを手渡す。

 

「………受け取っておくわ。ねぇ、私からも一つ聞いてもいいかしら?」

 

「何かな?」

 

「あなたは何者?やっぱり、勇者でもないただの小学生がバーテックスの研究をしてたなんておかしすぎる。家の力が強いのも、あなたに能力があるのも講義で分かったけどそれだけでは説明がつかないわ」

 

おっと、まだ気にしてたのか。

まあ確かに怪しすぎるもんな。

 

「………友達がさ、勇者に選ばれてね。どうしてもそいつの手助けがしたくて、家の力を使って無理矢理バーテックスの研究をさせてもらうことにしたんだ。まさか、第一人者とまで言われるとは思わなかったけどね」

 

これくらいなら話しても構わないだろう。

あながち嘘ってわけでもないし。

何より、彼女ならこのことを誰かに漏らすようなことはしないだろう。

 

「…………無茶苦茶なことするのね」

 

「おや?信じてくれるんだ」

 

「正直まだ信じきれないとこはあるけど、筋は通ってるし、一先ず信じてあげる。………ねぇ、今の勇者って―――」

 

楠さんが勇者について尋ねようとする。

が、それは駄目だ。

 

「悪いけど、それは答えられないな。選別に集中できなくなってもいいというのなら話は別だけど」

 

今、彼女たちのことを話しても楠さんのためにはならない。

勇者の人物像を話しても選別の役には立たないし、変に意識させても意味がない。

 

「…………………そうね。今のは忘れて」

 

それが分かったのか楠さんも追及しなかった。

 

「うん、それじゃあ自分は退散するよ。邪魔して悪かったね」

 

車椅子を旋回させ、出口へ向かう。

 

「ねぇ、もう一つだけ聞いていいかしら?」

 

と、そこで背中から声を掛けられる。

 

「ん、なんだい?」

 

「車輪の下敷きって意味わかるかしら?」

 

「―――――」

 

車輪の下敷きになる(Unter die Räder geraten)。ドイツ語で落ちぶれるを意味する。

だが俺は、言い回しそのものよりもヘッセの「車輪の下」を連想した。

天才的な少年ハンスが努力の末、神学校に入り、自分の生き方に疑問を覚え、やがては落ちぶれていく話。

楠さんの小学校時代の記録を思い出す。

彼女は誰よりも努力を欠かさず、小学校でも勉学、運動共に常に一番だったという。

考えてみれば、今の楠さんは神学校に合格するまでのハンスに境遇がひどく似ている。

 

「なぜ、そんなことを?」

 

「ここに来るとき、誰かから言われたの。車輪の下敷きにならないようにって。あなたと話してたら何故か思い出したの」

 

多分、それを言った人はただの激励の言葉のつもりだったんだろう。

だが、彼女の境遇を考えると皮肉が効きすぎている。

………何と答えるべきだろうか。

 

「…………それは古いドイツの言い回しだよ。落ちぶれるっていう意味」

 

結局、俺は正直に話すことにした。

どのみち、調べてしまえばすぐに分かってしまう言葉だ。

 

「――――そう………。教えてくれてありがとう………」

 

彼女に表情の変化はなかったけど、それでも何か思うところがあったようだ。

 

「…………それじゃあ、もう行くよ。無理はしすぎないようにね」

 

そう言って、今度こそ俺は訓練場を後にした。

なぜだか、一抹の不安を感じながら。

 

その後は、それまでの三日間と特にやることは変わらなかった。

報告書を纏めたり、バーテックス戦の戦術を纏め講義の準備を行ったり、真鍋さんと話して時間は過ぎていった。

ただ、問題なのはいよいよ銀に会えないフラストレーションが限界に近づいていることだ。

無論、毎日電話で話してはいるがそれだけでは到底足りない。

今のところ平静を保てているが、この調子であと三日間過ごすのは意外と辛い。

もっとも、ここまで来ておいて是非もないけど。

 

そんな調子で迎えた五日目。

俺はいつものように訓練場で候補生たちの動きを眺めていた。

真鍋さんには先に戻ってもらった。

やがて、夜も遅くなり、候補生は一人、また一人と去っていく。

ついには、訓練場に残っているのは三好さんと楠さんだけになった。

頃合いを見計らって、俺は一足先に訓練場を出る。

そして、訓練場から少ししたところで三好さんが出てくるのを待つ。

ストーカーすれすれの行為だが、周りに知られずに話すにはこれ位しないといけない。

しばらく本を読んで待っていると、三好さんが出てきた。

 

「やあ、三好さん。お疲れ様」

 

「赤嶺……?一体、何の用よ?」

 

三好さんが訝しげに尋ねてくる。

 

「一つ質問があってね。時々、他の人の訓練とか手助けしてるでしょ?一応、これは選別だし、理由を聞きたいなって思って」

 

「何よ、あんたも楠みたいに甘いって言いたいの?」

 

あらま、楠さんにも似たこと言われたらしい。

この反応は予想外だ。

 

「や、そういう訳じゃなくて……」

 

「私は甘くないわ!人に教えるのは自分の鍛錬にもなるし、他人を助けてるのも実は全部、私自身の鍛錬に結びついてるんだから!」

 

三好さんはそう言うと、立ち去ろうとする。

が、途中で俺の方に戻ってくると小瓶を手渡してきた。

 

「それ、効くから」

 

三好さんはそれだけ言うと、寮の方へと去っていった。

しまったな、もう少し色々聞きたかったんだけど……。

ふと小瓶を見ると、それはクエン酸のサプリメントであると分かった。

あれ……クエン酸の効果って……。冷たい汗が背中を流れる。

………とりあえず、部屋に戻ろう。

 

 

 

部屋に戻ると、真鍋さんが食事を用意して待っていた。

最近は特に真鍋さんとの距離が近く感じる。

毎日一緒に食事をとって、傍で過ごしているのだから当然だけど。

 

「だけど、今日はまた随分と遅くまで訓練見てたんだね」

 

「ええ、選抜も終わりが近いですし、見てたらつい考え事してしまって」

 

夕食を取りながら話す。

今日のメニューはチキン南蛮だ。

 

「それで、こんなに遅くまでか。つくづく君は変わってるね」

 

「そんな自分に合わせてくれる真鍋さんも大概じゃないですか?」

 

「ふふ、そうかもね」

 

「でも、本当にありがとうございます。ここまで良くしてくれて。真鍋さんがいなければきっと、こんなに楽しくできてなかったと思いますから」

 

「そんなことないよ。私の方こそ赤嶺くんと一緒にいれて楽しいよ?」

 

「そうですか?少し照れますね」

 

そう言って、二人笑いあう。

そんなこんなで夕食を食べ終わると、突然、真鍋さんが真剣な表情で俺に語り掛けてきた。

 

「ねえ赤嶺君、この前言ってた話なんだけどね……」

 

「ああ、初日にお願いした件ですか。なにか、分かりましたか?」

 

「うん……。思っていたよりもかなり大事だったよ。正直、真実を教えるべきか今も迷ってる。君にとってはかなり不都合な話だ。それでも、知りたい?」

 

「…………はい。不都合な真実だろうと自分は知っておかなければと思います。どうか、話してください」

 

「わかった。どうか………落ち着いて聞いてね」

 

そうして、真鍋さんはゆっくりと語り始めた。

俺の体に精霊が残留していること。

このままでは人間でなくなること。

このことを俺の周りの人間が隠していること。

 

「そんな…………嘘だ……人じゃなくなるなんて……絶対に嘘だ!」

 

「落ち着いて赤嶺君。信じられないのは分かるけど、頑張って受け入れないと」

 

「証拠は!?証拠はあるんですか!?」

 

「証拠ならあるよ。君の体がその証拠だ」

 

「……は?」

 

「あれほどの大怪我では本来、まだ退院できるような状態じゃないんだよ。なのに、君は一人で部屋にいても問題ない。それが証拠だよ」

 

「…………そんなの、信じられません!もっとちゃんとした証拠を見せてください。それがない限り絶対に信じません!」

 

「…………わかった。明日の夜持ってくるよ。それまでに心を落ち着けておいてね」

 

そう言って、彼女は部屋を出ていった。

彼女が出ていった瞬間、秋隆に電話を掛ける。

 

「秋隆、どういうことだ!?」

 

『若、落ち着いてください。どうしたんですか?』

 

「何故、俺の体について黙ってたんだ!答えろ!」

 

『若…まさか……』

 

「ああ、聞いたよ。真鍋さんからな!」

 

『今から向かいます。少し待っててください』

 

一旦息を落ち着け、深呼吸する。

 

「いや、来るな。今は会いたくない」

 

『しかし………』

 

「明日の夜、部屋に来い。そこですべて話してもらう」

 

それだけ言って、通話を切る。

その日は一睡もしなかった。

 

次の日、やはり顔色が悪くなっており真鍋さんに心配された。

だが、講義を休むわけにもいかない。

できるだけ、普段通りに過ごす。

だが、いろんな人に心配をかけてしまったらしく、いつもより多くの人から声を掛けられる。

少し、申し訳ない気持ちになった。

 

やがて、講義が終わり、夜になるまで自室で過ごすことにした。

日が暮れてきたところでようやく、真鍋さんがやってくる。

 

「おまたせ、赤嶺君。落ち着いてくれたみたいで良かったよ」

 

「いえ……。昨夜はすみません。話してほしいといったのは自分なのに、取り乱してしまって」

 

「気にしないで。あんな話されたら、誰だってああなるよ」

 

「そう言ってもらえると、気が楽になります」

 

「それはよかった。それでね……これが証拠だよ」

 

ベッドに座る俺に、真鍋さんが封筒を手渡してくる。

中には、病院での記録と、報告書が入っていた。

 

「………やっぱり……ほんとだったんですね」

 

「うん………辛いと思うけど……」

 

「………実は使用人をここに呼び出していまして、詳しい話を聞こうと思っています。その時、真鍋さんも一緒にいてもらってもいいですか?」

 

「勿論、一緒にいるよ?」

 

「ありがとうございます。だけど真鍋さん、この資料どこから手に入れてきたんですか?機密情報だったんじゃ?」

 

「ふふ、秘密だよ」

 

真鍋さんが小さく笑みを浮かべそう言う。

とそこで、玄関がノックされた。

 

「うちのものが来たようですね。すみませんが、出迎えてやってもらってもいいですか?」

 

「分かった。ちょっと待っててね」

 

そう言って、真鍋さんが部屋の入口に向かう。

扉が開く音がし、その後小さな悲鳴が聞こえた。

やがて、秋隆が真鍋さんを拘束し、複数の部下と共に部屋に入ってくる。

 

「あ、赤嶺君………」

 

「何をやってる秋隆、彼女を放せ」

 

「若、すみませんが、そのご命令は聞けません。彼女は不正に機密情報にアクセスしました。拘束しなければなりません」

 

「しかし……」

 

「これは御当主の命令です」

 

「親父の!?」

 

「ええ、そしてありとあらゆる方法を用いて、彼女に口を割らせるように言われています」

 

「そんな…………。何とかならないのか?」

 

「申し訳ありませんが不可能です。どうかご容赦を……」

 

「………すみません、真鍋さん。自分のせいでこんなことに」

 

「…………いや、大丈夫だよ赤嶺くん」

 

彼女は俺を安心させるようにそう言うと、秋隆に話しかけた。

 

「聞いてください。この情報は不正に手に入れたものではありません。上里家から正式に頂いたものです」

 

「あなたが上里の手のものだとでも?それを証明するものは?」

 

秋隆が疑うように言う。

 

「先日この書類にアクセスした者の名前を言えます。直接、上里の当主に確認を取っていただいても構いません」

 

「真鍋さん。あなたは一体何者ですか?」

 

「私は上里の命で反対派の情報を探っていたの。今回のはその伝手を使っただけです」

 

「すると……あなたは上里のスパイだったと?」

 

「ええ、赤嶺君。そういうことになるわね。だから大丈夫よ」

 

真鍋さんが俺に向かって微笑みかける。

ああ、本当に胸が痛むな。

 

 

 

「秋隆、録れたな?」

 

「はい、若。問題ありません」

 

 

 

瞬間、真鍋さんの顔が凍り付く。

 

「え……?赤嶺君………これは一体?」

 

彼女は混乱した様子で俺に尋ねてくる。

……始めるか。

 

「真鍋さん。あなたが上里の手の者であることは初めから分かってました」

 

「な………!?」

 

「そして、精霊の情報を俺に教えることこそが今回、あなたに与えられた役目なのでしょう?」

 

「違うよ!?これは赤嶺くんが困ってたから……」

 

真鍋さんが慌てた様子で話す。

 

「でも、調べることを提案したのはあなたですよね?」

 

「そんな……違うよ。私はただ……」

 

「勿論、証拠ならありますよ?」

 

「…………え?」

 

秋隆から文書を受け取り、彼女に見せる。

 

「これは………」

 

「はい、あなたがくれた報告書とほとんど同じものです。ただ、此方は概要4の項目が少々違います。お分かりですね?自分に情報を秘匿する旨が記されています。あなたがくれた資料にはなかった項目ですね」

 

本当に俺に言われて情報を手に入れたのなら、こんな小細工はする必要がない。

この細かな違いが、俺に見せることを前提にしていた証拠だ。

 

「待って!私はそんなこと聞いてない!」

 

真鍋さんは驚愕した様子で叫ぶ。

これが演技なら大した役者だな。

 

「おや、知らされてなかったんですね。まあ大した問題じゃないのでいいですが。」

 

もっとも、個人的な心情としてはそのほうが幾分か楽なんだけど。

 

「ちょっと待って。なんで貴方はこの文書のことを知ってるの?貴方には秘匿されてるはずでしょ?」

 

少し落ち着いたらしい彼女が俺に尋ねる。

 

「そんなの決まってるじゃないですか。この文書は赤嶺が偽造したんですよ」

 

そう。この文書は俺に手を出させるための仕込みだった。

作成し、実際に極秘資料として扱うことで真実味を持たせ、上里を誘導した。

故に、俺の体は未だぼろぼろだが精霊を宿してるわけではなく、ぎりぎり普通の人間のままだ。

人外になる危険性もない。

正直、俺に手を出させるように誘導できれば中身は何でもよかったのだが、少々趣味が高じてしまった。

 

「そんな……!?嘘でしょ、だって病院の記録は―――」

 

「そんなのこっちで改竄しただけですよ。あなた方を釣るために」

 

「でも、あなたの体は……まさか、あの記録も!?」

 

「いや、流石にそこまでは改竄してませんよ。本当ならまだ病院に居なければならない身ですし。いやはや、ぼろを出さないようにするのには苦労しましたよ。おまけに部屋に盗聴器なんてお人が悪い」

 

盗聴器が仕掛けられてるのは初日の時点で分かっていた。

おかげで、自室では碌にくつろげなかった。

何より、怪我を隠して生活するのは想像以上にきつかった。

盗聴器のせいで誰かの助けを借りることもできないし、心身ともに負担は酷いもの。

リアリティのために下手な演技までする羽目になったし。

それに真鍋さんと一緒にいるときなど、一時も気が休まらなかった。

食事の際に、食べるのが遅いと指摘されたのはまさに冷や汗ものだった。

危うく、腕が治りきっていないことがばれてしまうところだ。

何とか誤魔化せてよかった。

それでも三好さんからは軽くバレてたみたいだけど。

 

「本題に入りますか。大赦関係者内の勇者適正値リスト、流したのはあなたですよね?」

 

さてと、答え合わせといこうか。

 

「なっ………!違うよ!なぜ私がそんなことをする必要があるの!?」

 

しばらく絶句した後、混乱から立ち直った彼女は容疑を否認し始めた。

 

「そのほうが上里にとって都合がよかったからですよね」

 

「だから、そんなことをしてなぜ上里が得をするの?上里だって改革派だよ?」

 

しょうがない。一つずつ説明していこうか。

 

「ええ、勝ち馬に乗るために改革派についた。乃木や赤嶺を筆頭とした有力な名家が改革を宣言したのだから、上里単騎では分が悪いですからね。大義名分も改革派が握ってしまっていますし」

 

元々、上里は政治色の強い家だ。

権力闘争にかけては他の追随を許さない。

過去に大赦を完全掌握しただけのことはある。

だからこそ、かつて大赦を改革し最大の力を誇った上里こそが、今現在の大赦の腐敗にも大きく関わっていることは想像に難くなかった。

閉鎖的な組織の場合、腐敗で最も得をするのは他でもないトップなのだから……。

故に、改革最大の障害は上里家であると前々から考え、そのための策を練っていた。

それが、上里が気付いた時点で改革の状況を完成させておくという方法だった。

これにより上里も改革派に乗らざるを得なくなる。

本当に、親父殿はうまくやってくれた。

 

「しかし、改革により大赦内のパワーバランスは大きく変わった。勇者を輩出し、改革を主導した乃木の発言力は大幅に増え、乃木と上里のツートップ体制が崩れ始める。おまけに、赤嶺が上里に迫る勢いで大きくなっていく。上里のご老体は当然焦る。このままでは上里の立場が危うい。だが、改革の動きは余りにも速く、今から権力保持を狙っても間に合わない。なので、裏から反対派を動かし、時間稼ぎを図った。違いますか?」

 

「上里が反対派とつながっていた?そんなことありえないよ」

 

「反対派と繋がりを持ってたあなたがそれを言うとは、中々笑いのセンスがありますね」

 

「何のこと?確かに、私は反対派の動きを探っていたけど、それで繋がっていたといわれるのは心外だよ」

 

「認めませんか。まあいいです。話を続けましょう。上里は反対派を使い時間を稼ごうとしたが、ここで誤算があった。改革派の、もっと言えば赤嶺による反対派の排除が予想以上に速かった。だから……でしょう?リストを反対派に流したのは」

 

「分からないね。リストを流して何の意味があるの?」

 

「本当は分かってますよね?勇者選抜の遅延です」

 

真鍋さんが歯噛みする。

いよいよ余裕がなくなってきたらしい。

 

「全国からの勇者選抜を実質的に主導してきたのは赤嶺。これで、戦果が出てしまったら赤嶺の発言力はますます強くなる。そうなれば、上里の発言力を赤嶺が超えかねない。だから、リストを横流しして時間を稼いだ。反対派の目論見が失敗することを見越してね。そして、それを理由に大赦関係者の家族から先に勇者を輩出させる。大方、その勇者を上里の養子にして発言力を強めるつもりだったんでしょう。実際、この選別を提案したのは上里だったようですし、そのような状況で上里に反対できるものはいませんからね」

 

とどのつまり、上里は赤嶺が怖くなったのだ。

今度の改革で、赤嶺はその力を知らしめすぎた。

だから、できるだけ早く潰しておきたかったんだろう。

 

「自分に近付き、資料を見せたのは自分を丸め込むためでしょう。次期当主を押さえ赤嶺の力を削ぐ。うまくいけば、俺を通して赤嶺の力を手中に収めることができ、ご老体としては万々歳だ。しかも、万一俺が壊れて、今代の勇者を巻き込んでも、その時は追加の勇者を用意すれば問題ない。実に老獪ですね」

 

本当に、殺意が湧くほど老獪だ。

初代の、上里ひなたさんのことは尊敬してるが、今の上里の、特にご老体には心底腹が立つ。

三百年という時間はかくも残酷なものなのか。

 

「…………それで、そっちの証拠はあるんだろうね?なければ、この件は正式に抗議させてもらう」

 

意外としぶといな。わずかな時間で冷静さを取り戻すとは。

 

「ええ、もちろんありますので心配しないでください。秋隆、流してくれ」

 

俺が指示すると、秋隆の端末から声が響き始める。

声は真鍋さんがこれまでしてきたことを話していた。

 

「この声……まさかっ!?」

 

「ええ、上里の次期当主です。上里も最早一枚岩じゃなくてですね、我々に協力すれば、今後も上里の地位を保障すると言えば乗ってくれましたよ」

 

中々素直な方だったらしく、集めた情報片手に交渉すれば、あっという間に落ちてくれたらしい。

これは中々いいニュースだった。

この情報のおかげで、俺たちは彼女や上里の動きを察知でき、この作戦を実行できた。

赤嶺が諜報戦で一枚上をいったということだ。

 

「そ…んな………売られた……?私が……?」

 

真鍋さんが呆然とした様子でうなだれる。

流石に堪えたか。

ここで完全に折る。

 

「あとは、反対派に潜り込ませた者からの報告もありますし、それと、この部屋に仕掛けられた盗聴器も。これ以上何かありますか?」

 

「若、彼女の部屋から証拠品が出たと報告が」

 

秋隆が新しい情報を俺に教えてくれた。

赤嶺の者に手を回させていた甲斐があった。

 

「結構。これで言い逃れはできませんね」

 

「この手際……まさか………最初から?」

 

「はい。私がここに来た一番の理由はあなたですよ。真鍋さん。あなたを現行犯で押さえるためにすべての準備を進めてきた。上里の政治的手腕は侮れませんからね。確実に潰せる材料を確保しておきたかったんですよ」

 

相手は最大級の権力を持っている。

打倒するには、次期当主の裏切りだけでは足りない。

真鍋さんを押さえるだけなら簡単だったが、彼女自身に上里とのつながりを話してもらうことが重要であった。

 

「自分の世話係になったのも、ご自分の工作によるものだと勘違いしていたようですが、こちらで手を回した結果ですし、自分がここに来てからはあなたのことはこちらの者に監視させていました。どうです、他に何か言いたいことはありますか?」

 

「………私を……どうするつもり?」

 

そろそろ折れたか。

さて、ここからが本番だ。

 

「ここからは、あなたが選んでください。身の破滅か我々のために働くか」

 

「裏切れっていうの?」

 

「捉え方は自由ですよ。さて、あなたのことはこれでもかなり評価しているつもりです。今までの仕事ぶりは称賛に値する。報酬も上里以上のものを保障しましょう」

 

「もし………断ったら?」

 

「断れませんよ。いずれにせよ、今回の一件で上里のご老体が失脚することは確定です。断れば、あなたは大赦の敵となる。そうなれば、金も仕事も大義も信用も友人も家族もすべて失う」

 

この閉鎖的な世界において、大赦を敵に回すことは神樹を、つまり世界そのものを敵に回すということであり、そんなレッテルを貼られれば、まともに生きていくことはできない。

社会的な死と同義だ。

おまけに家族にまで影響は及ぶ。

 

「赤嶺君……あなたは優しいと思ってたけど、本当は悪魔だね」

 

真鍋さんが俺を睨みながら言う。

 

「いいですね、悪魔。その通りだと思います」

 

もとより、一度は鬼を宿した身だ。

今更、悪魔など言われてもその通りだとしか言いようがない。

 

「………………………………………分かった。使われてあげる」

 

彼女は長い間瞑目した後、ポツリとこぼした。

ようやく、陥落したか。

もっとも、たとえ偽りの降伏であろうとこれからの展開は変わらない。

最早、裏をかこうとしても無駄だ。

 

「大いに結構。それじゃあ秋隆、後は頼む」

 

そういうと、秋隆が部下に彼女を連行させた。

これでいい。

彼女の情報網を利用しこれからの不穏因子を一掃する。

これこそが俺の真の目的だったのだから。

それでも、心は痛む。

正直、彼女のことは嫌いではなかった。

願わくば、次に会う時にはお互い偽りなく話したいものだ。

 

「若、大丈夫ですか?」

 

「ああ、少し………疲れた……………」

 

額に手を当て、返事をする。

正直、本当に疲れた。

自分を偽り、相手を騙し、体の痛みに耐え生活する。

想像以上の負荷だった。

最後には彼女の心を徹底的に折ることになったし。

もう二度とやりたくないのが本音だ。

 

「とりあえず、今日はもう休む……一人になりたいから帰ってくれていい」

 

「かしこまりました。それでは失礼します」

 

秋隆が部屋を出ていこうとする。

が、そこで言い忘れたことを思い出し、声をかける

 

「秋隆、昨日は怒鳴って悪かった。すまない」

 

「いえ、そんなことお気になさらないでください。それでは、明日の講義が終われば迎えに来ますので。ゆっくりとお休みください、若」

 

微笑みながらそう言うと、今度こそ秋隆は部屋を出ていった。

本当にあいつには苦労を掛けっぱなしだ。

そういえば……昨日は寝てなかったな…。

もう睡魔が限界だ……。

 

気が付けば俺はベッドに倒れこんでおり、あっという間に眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

ふと、目が覚めた。

頭を撫でられてる感触がする。

とても心地いい。

ベッドの脇を見ると、安芸先生がいた。

 

「おはよう、赤嶺君。よく眠れたかしら?」

 

「安芸先生……。おはようございます。なんだか、随分久しぶりに話せた気がします」

 

「そうね。彼女がいる間、話せなかったものね」

 

そう、安芸先生と距離を取っていたのは事前に示し合わせてのことだった。

安芸先生がいると、真鍋さんは警戒して、最悪俺の演技に気付きかねなかったからだ。

俺自身、正直安芸先生の前で演技を続けられるか怪しかったし。

 

「なんというか……ほっとしますね。安芸先生といると」

 

「そうね。私も少し安心したわ。朝食を用意してあるから、食べましょう?」

 

見れば机の上にご飯、納豆、みそ汁、焼き鮭が用意されてる。

 

「あ、用意してくれてたんですね。ありがとうございます」

 

「気にしないで。………すこし、じっとしてて」

 

安芸先生はそう言うと、俺を抱きかかえ、車椅子に乗せてくれる。

どうしよう。

ここのところ、ずっと一人でしてたことだから、こういうふとした優しさがとても心にくる。

何というか癒される。

無条件に信頼できる人が傍に居る。

それだけで、こうも心は安らぐ。

 

「安芸先生、惚れちゃいそうなのでそんな優しくしないでください」

 

「はいはい、馬鹿なこと言ってないで食べなさい」

 

おっと、口に出てしまっていたらしい。

想像以上に心が参っているようだ。

注意しなくては。

 

 

「それで、選抜の方は決まったのかしら?」

 

朝食を食べ終わると、安芸先生が尋ねてきた。

 

「ええ、既に報告書も完成させてあります。あとで送りますね」

 

「分かったわ。それで、あなたは誰を推薦するの?」

 

「三好さんです」

 

「三好さん……か。選んだ理由は何かしら?まさか、性格的な面じゃないでしょ?」

 

やはり、安芸先生も三好さんがどこか銀に似ているところがあると気付いていたらしい。

 

「勿論、そんな事では決めませんよ。決定的だったのは彼女の視野です」

 

「視野……?ああ、そういうことね」

 

安芸先生もこの一言だけで理解したらしかった。

 

「ええ、彼女は自分の訓練中でも、周りの子が困っていたらすぐに気付いた。自分の訓練に集中しながらも周りの様子に注意を払える。この彼女自身も自覚していない才は、実戦で必ず役に立つ」

 

決定的だったのは、俺にクエン酸のサプリを渡したことだ。

どうやら、授業をしてる中で、俺の腕の動きが悪いことに気が付いたらしい。

大方、それを筋肉痛だと考えて、それに効くクエン酸のサプリをくれたのだろう。

本当によく気付いたものだ。

おかげで、ぼろを出したのではないかと思ってかなり焦った。

 

「なるほどね……。三人の連携に合わせることを考えたら、三好さんの方に分があるのね」

 

「そういうことです。……ただ、戦術の講義での成績は楠さんが一番でした。なので、楠さんにはあっちの件を任せたいと考えています」

 

「あれはまだ研究段階の代物でしょ?気が早いんじゃないかしら。上の説得もまだ済んでないんでしょ?」

 

「ええ。ですが、いずれは必要となるものです。どのみち、彼女たちの訓練は継続させるべきだと思います」

 

「そうね……。分かった、こっちでも手を回してみるわね」

 

「はい、お願いします。そういえば、時間は大丈夫ですか?」

 

見れば、もう訓練の始まっている時間になっている。

 

「ええ、他の人に任せてるから大丈夫よ。あなたの講義が終わるまでは傍に居るわ」

 

なんでまた人の琴線に触れる言葉を言うのだろうか。

弱った心も相まって、嬉しくて仕方がない。

いかんいかん、まだ講義も終わってないのだから意識を切り替えないと。

 

 

 

しばらく、安芸先生に連れられ、施設を見て回った。

一週間という短い時間であったが、候補生たちの懸命さは痛いほど伝わってきた。

それを実感できただけでも、ここに来た甲斐はあったと思える。

そうこうしてる間に、講義の時間となり教室へと向かった。

さて、この七日間という短い教師生活もこれで終わりか。

教室を前にして、しばし感慨にふける。

……行こう。

 

 

講義はいつも通り粛々と行われた。

彼女達は皆真剣で、良い生徒だったと思える。

なぜだか、あまり交流もなく、高々一週間近くで過ごしただけなのに、候補生である彼女達に感情移入し始めている。

まったく、なんて様だろう。

 

 

 

「これで、講義を終わります。皆さん、一週間という短い間でしたが、自分の拙い講義に付き合って頂きありがとうございました」

 

やがて、講義が終わり、最後の挨拶と共に頭を下げる。

と、そこで小さな拍手が響いた。

見れば弥勒さんが拍手してくれてる。

やがて、拍手は教室中に広がっていく。

 

参ったな。

俺にはそんな拍手を受け取る資格はないのに。

それでも嬉しいものは嬉しい。

俺は再び、頭を深く下げた。

 

 

 

 

「それじゃあ安芸先生、また連絡しますね」

 

迎えの車に乗り、安芸先生に挨拶をする。

 

「ええ、赤嶺君。ゆっくり休むのよ?」

 

「勿論です。流石に、少し疲れましたしね。では、失礼します。秋隆、出してくれ」

 

そういうと、車が発進し施設から離れていく。

いやはや大変な七日間だった。

やがて、車は病院に到着する。

入院しないといけない体なのに、七日間も外に出ていたのだ。

流石に色々検査しなくてはいけない。

多分また入院する羽目になるだろうけど。

 

 

 

「お疲れ、頼人。検査は終わったか?」

 

「え……銀!?」

 

検査が終わり、病室に移るとなぜか銀が待ち構えていた。

何故だろう。

とても会いたかったのに、銀の妙な迫力のせいで動けない。

まるで蛇に睨まれた蛙だ。

まさか、嘘がばれてるのだろうか?

いや、もしそうなら既に銀は、俺に怒りをぶつけてるはずだ。

こいつはどちらかというと、直情的に怒るタイプだ。

怒ってて、こんなに冷静なはずがない。つまり、銀は怒ってない。

そのはずだ。

というか、そうであってほしい。

 

「ところで頼人、一週間何処にいたんだ?」

 

「あ、ああ……。言っただろ……?高知にいるって……」

 

「そっか。あくまでしらを切るんだ……。これはきついお仕置きが必要だな……なあ、須美、園子」

 

途端、両肩に手が置かれる感触がした。

あかん……ばれてる……。

とてもじゃないが、怖くて振り返れない。

 

「頼人君………。私たちに隠れて危ない事したらどうなるかって……前に話したわよね………?」

 

「ライ君~?今度は私もちょっと怒ってるんよ~?」

 

あ、だめだこれ。

本格的に年貢の納め時らしい。

 

「…………怪我が治るまで待ってもらえないでしょうか?」

 

「無理矢理退院したお前が言うなぁああああ!!」

 

胸ぐらをつかまれ揺すぶられる。

病院ではお静かに…。

 

「アタシたちに嘘までついて!話聞いて、ほんとに心配したんだからな!」

 

「うう……ごめんなさい……」

 

銀にここまで怒られるのは初めてだ。

見れば少し涙目になってる。

罪悪感とか申し訳なさで胸が押しつぶされそうになる。

 

「それじゃあ、お仕置きしないとだね~」

 

と、そこで園子が物騒な事を言い始める。

いつもより笑顔が怖い。

 

「そうね。まさか、本当にお灸をすえることになるとは思わなかったわ…」

 

須美がまたあのバカでかいお灸を取り出す。

超怖い。

 

「頼人、約束を破ったんだ。覚悟はいいよな?」

 

三人に取り囲まれ、とても逃げられそうにない。

 

「お、お許しを……」

 

「だめ」

 

この後、滅茶苦茶お仕置きされて滅茶苦茶お説教された。

須美のお灸もやばかったが、園子のくすぐりが予想以上に辛かった。

大昔ではくすぐりが拷問に使われたというが、その理由がようやくわかった。

 

 

 

 

「はぁ……ひどい目にあった…」

 

ようやくお仕置きから解放され一息つく。

 

「これくらいで済んでよかったと思えよなー。須美なんて首輪着けると言い出してたし」

 

「ちょっと、銀!誤解を招くようなこと言わないの!」

 

本人は否定してるけど、正直言っててもおかしくないよな。

最近の須美ほんと怖い。

 

「はいはい。……だけど、なんで俺の嘘がわかったんだ?結構頑張って隠してたのに」

 

わざわざ、病院の記録まで改竄したのに、なぜバレたんだろう。

 

「ああ、それは園子が気付いたんだ」

 

「ん?どういうこと?」

 

「実はね~ライ君を担当してた先生って私の家でもお世話になってて~まだ退院できる体じゃないって聞いたんよ~」

 

「それで療養の件が嘘だとばれたのか………」

 

「そうだよ~。無理矢理退院してまで高知に行くのはおかしいからね~」

 

なるほど。流石に医者の記憶をどうにかできる訳じゃないからな。

だけど、それを聞き出せるとは……。

園子……恐ろしい子!

 

「まったく、頼人君もせめて一声かけてくれればそれでよかったのに」

 

「……はい、ごめんなさい。次から気を付けます……」

 

散々説教された後なのでおとなしく謝る。

さっき、同じこと言われて反論したら、余計怒られたし……。

 

「ライ君珍しくしおらしいね~。かわいいよ~」

 

慣れない事を言われ、つい顔が赤くなる。

落ち着け、子どもの戯言だ…耐えろ。耐えるのだ。

園子が変わった事を言うのはいつものことじゃないか。

 

「確かに頼人君のこういう姿は新鮮ね。少し……可愛いかも」

 

いかん。須美まで影響されてしまった。

このまま辱めにあう訳には……。

 

「おっ、顔が赤い。さては頼人、照れてるな?」

 

銀がそういいながら頭を撫でてくる。

ええい、かなり恥ずかしいのにこうも撫でられては言い返せない。

反論しようとしても、意識が全部銀の方に持っていかれる。

だんだん何も考えられなくなっていく。

もういいや、今日はこのままおもちゃにされよう。

なんだかんだ言っても、三人といるだけで楽しいんだから。

 

 



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或る晩夏

難産of難産。


「ウフフ~。ライ君、髪留め似合ってるよ~。次はこのリボンとヘッドドレスもつけてみようか~?」

 

園子が色んな雑貨を片手に車椅子に座る俺の頭をいじくりまわす。

 

「ちょっと待って園子。頼むからもう許して……」

 

「駄目だよ~?今日は何でも言うこと聞いてくれるんでしょ~?」

 

「いや我が儘言っていいとは言ったけど…。銀と須美からも何とか言ってくれ……」

 

「いや~男なら約束は守らないといけませんなぁ、ねえ須美さん」

 

「そうよ、頼人君。おとなしく写真を撮られなさい。安心して、似合ってるわよ?」

 

にやにやしてる銀に、カメラから手を離さない須美。

残念ながら俺に味方はいないようだ。

今日は八月三十日、園子の誕生日。

園子がウィンドウショッピングがしたいと言うので、俺も病院から外出許可をもらい、同行しているわけだ。

今はイネスの中の雑貨屋に入っていて、俺が身動きできないのをいい事に園子が俺をおもちゃにしている。

まさかこんなことになるとは……。

 

「二人とも、絶対面白がってるだけでしょ……」

 

げっそりしながら呟く。

どうやら、この調子で弄ばれるらしい。

誰も止めてくれないうえに、他のお客さんや店員さんが微笑ましいものを見るかのようにくすくす笑っている。

恥ずかしい。

羞恥心が半端ない。

とはいえ、園子は無邪気に喜んでくれてるし、銀と須美も楽しそうだからこれくらいは致し方ないと割り切ろう。

 

「せっかくだから、今日はこのままでいよっか~?」

 

「頼むからそれだけは止めてくれ」

 

やっぱり、割り切れないかも…。

 

 

 

 

「そういえばさ、新しい勇者ってもう決まったんだっけ?」

 

雑貨屋を出て、モール内をぶらぶらしていると、銀に後ろからそんなことを尋ねられる。

 

「ああ、もう決まってて、二学期に合わせて神樹館に転校してくるらしいよ」

 

新しい勇者は三好さんで確定となり、連携のために自分たちのクラスに先んじて転校してくることが決まっている。

正直、小学六年生の二学期という時期に転校を強いるのは申し訳ないと思っていたのだが、本人は気にしていないらしく話はトントン拍子で決まったそうだ。

 

「どんな子なのかしら?愛国心が強い子なら理想的なのだけれど」

 

こんな時でも須美はぶれない。

最早尊敬の念すら抱く。

 

「あっ、私も気になってたんだ~。教えて教えて~?」

 

「ストイックな性格だけどいい子だよ。困っている人をほっとけないところとかは銀に似てるかも」

 

七日間という短い時間だったが、三好さんは根本的なところでとても優しい子だということは分かった。

きっと、三人となら仲良くなれるだろう。

 

「へぇ~、それなら仲良くなれそうだね~。会えるのが楽しみだよ~」

 

「銀にねぇ、それはまた仕込み甲斐がありそうね……」

 

「わーなんか須美が怖いこと言い始めた」

 

彼女たちの楽しげな声が広がる。

やっぱりこういう時間が一番落ち着くな。

とそこで、園子のお腹が小さく鳴った。

 

「えへへ~。歩いてたらお腹が空いてきちゃったよ~」

 

「それじゃあ、あそこ行こっか?」

 

「そうね、さっき準備ができたって連絡もきたし、ちょうどいいわ」

 

「ん~?あそこってどこ~?」

 

俺と須美の会話がよく分からないようで、園子がキョトンとした顔で尋ねる。

 

「へっへー。それは行ってのお楽しみだ!」

 

 

 

 

「パフェだ~!大っきなパフェだよ~~!」

 

園子が目を輝かせて喜んでいる。

テーブルの上には、アイスやフルーツが山盛りになったパフェが用意されていた。

 

「園子のために、三人で超大型パフェを予約しておいたんだ!」

 

「うふふっ。流石にこれは、家では食べられないでしょ?」

 

ここはモール内のデザート屋。

園子への誕生日プレゼントとして、密かに準備していたのだ。

それにしても、思っていた以上に喜んでくれていてよかった。

見ているこっちまで嬉しくなってしまう。

 

「みんなありがと~!とっても嬉しいよ~!」

 

「ふふ、園子ならこういうの好きかなって思って。喜んでくれたみたいで良かったよ」

 

「本当ね。そのっちがこんなに喜んでくれるなんて、私も嬉しいわ」

 

「そうだ、みんなで食べようよ~!ミノさんはい、アーン」

 

「いいのか?よーし、それじゃ遠慮なく、いただきまーす!」

 

園子がパフェをスプーンですくって、銀の口の中に入れる。

銀の顔がとろけている。

凄いうまそうに食べるな。

 

「ほらほら、わっしーもライ君も一緒に食べよ~?」

 

園子の言葉に甘え、俺たちもパフェをつつき始める。

なるほど、うまい。

このパフェは、見掛け倒しじゃない……!

 

「そういえば、誕生日っていえばあの占い思い出すよな」

 

パフェをつつきながら銀がふと、そんな事を言いだす。

 

「占いって園子が持ってきた古い本のあれ?」

 

「『占術秘儀宝鑑』…だったかしら」

 

「そうそれ、よく名前まで覚えてたな須美」

 

「あの占い結構当たってたよね~。だけど、ライ君のはちょっと外れてたんだっけ~?」

 

「いや、今だから言えるけどあの時期本当に色々あったから、正直占い見たときは冷や汗ものだったぞ」

 

ちょうど、俺が安芸先生や秋隆の助けを借りて改革の準備を始めた頃、園子が占いの本を持ってきた。

その本によると、四月生まれの俺と須美は、『古風で頑固な考え方の持ち主。でも周囲の人との触れ合いによって変化していくことも。間もなく大きな変化の時。蛹から蝶へ変わるかもしれません』……とのことだった。

あの頃は安芸先生や須美に感化されたりして、色々考え方を改め始めてた時期だったから聞いたときには戦慄が走った。

俺の場合、古風の意味が違ったけど占いというものも馬鹿にはできないなと思ったものだ。

 

「へえ~。じゃあやっぱりあの本すごかったんだね~」

 

「ほら、銀の占いも当たってたのよ」

 

銀の占いの結果は『正義感がとっても強く、やると決めたことは絶対にやり通す意志の強さを持ちます。でも、そのせいで猪突猛進になることもあるので、注意しましょう。普段の言動とは対照的に心の中は純情です。一番の乙女です』という内容だった。

まさしく、銀の本質を突いている。

本人は一部に納得がいってないみたいだけれど。

 

「いやいや、だから乙女ってのはないって」

 

「いくら自分で否定しても真実は変わらないぞー銀。今年の二月だって―――」

 

「わっ、わぁああ!その話はするなー!」

 

銀がポカポカと俺の肩を叩く。

全然痛くない。かわいい。

 

「やっぱり、ミノさんは一番の乙女だよね~」

 

「そうね、いい加減認めればいいのに」

 

須美と園子がパフェを頬張りながら、のんびりとそんな事を言っている。

平和だなー。

 

 

それからしばらく買い物を楽しんだ後、俺たちは乃木家でちょっとした誕生会をした。

今は園子の部屋に集まっている。

 

「改めて、お誕生日おめでとう、そのっち。これは私たちからのプレゼントよ」

 

須美がそう言って、園子に三つの包みを渡す。

 

「わああ……!こんなにいいの~?開けてみていーい?」

 

「勿論。三つとも三人一緒に考えて用意したんだ」

 

そう言うと、園子は嬉しそうに包みを開けていく。

 

「これは……フォトフレーム?遠足の時の写真だ~!。あ、今度はイネスに行った時の写真に変わったよ~?」

 

「みんなで撮った写真がかわるがわる写るのよ。気に入ってもらえたかしら?」

 

「うん!お部屋に飾らせてもらうね~!」

 

まず、最初のプレゼントはフォトフレームだ。

これには、今まで俺たちが撮った写真のデータがたくさん入っている。

選んだ理由は陳腐なものだが、思い出は金で手に入れられないと思ったからだ。

 

「喜んでくれて良かったよ。ほれほれ、他のも開けてみ?」

 

銀に促され、園子が他の包みも開いていく。

 

「ふぉおお~!ちっちゃなサンチョだ~~!これもしかして手作り~!?」

 

「いひひ、アタシたちの自信作だ」

 

次のプレゼントは小さなサンチョのぬいぐるみだ。

三人で協力して密かに作っておいたのだ。

 

「ありがとう~!これからは毎晩この子と一緒に寝るよ~!」

 

園子がぬいぐるみを抱きしめながら飛び上がって喜ぶ。

 

「もう、そのっちったらはしゃぎすぎよ」

 

「まあでも、園子らしいよな」

 

須美と銀が楽しそうに微笑む。

 

「ほら園子、最後のも開けてみてくれ」

 

「うん!これは~?ねこさんのストラップだ~!」

 

「ふふ、実はそれ私たちのとお揃いなのよ」

 

須美がそう言って園子のと色違いのストラップを取り出す。

つられて俺と銀も自分のストラップを園子に見せる。

少し気恥ずかしいな…。

 

「……わっしー、みのさん、ライ君……本当にありがとう~!こんなに嬉しいプレゼント初めてだよ~!」

 

「ははっ、園子は大げさだなー」

 

「ううん、そんなことないよ~。私、三人に会えて良かった。これからもずっと一緒にいてね」

 

「そのっち……ええ、私たちはずっと一緒よ」

 

「ああ、そうだよ。たとえ、御役目が無くなっても、ずっとな!」

 

彼女達が嬉しそうに言葉を交わす。

本当にその姿は微笑ましくて、尊くて、何よりもかけがえのないものだと思う。

この子たちに会えて良かったと心からそう思う。

 

「そうだな……今更、離れてくれなんて言われても聞いてやらないんだから」

 

「いや、アタシとしちゃあ、お前が一番心配なんだが……」

 

「そうね、勝手に突っ走っちゃうし」

 

「ライ君無茶ばっかりしてたしね~」

 

「そ、その節は御迷惑を……」

 

彼女たちの笑い声が響く。

それだけでなぜか心地よく思える。

本当に、こういう時間がずっと続けばいいのに。

 

 

 

やがて、夜も更けその日は解散となった。

銀と須美は先に帰ったが、俺は病院への迎えが来るまで園子の部屋で待たせてもらう。

しばし、園子と隣同士座って待つ。

 

「それにしても~ライ君と二人きりになるなんて久しぶりだね~」

 

「確かにね。このところ、ずっとみんなと一緒だったし」

 

御役目が始まってからは特にそうだ。

彼女達も常に三人で行動してたし。

 

「……ねぇ、ライ君覚えてる?ライ君が初めて誕生日プレゼントくれたときのこと」

 

「ああ、覚えてるよ。確か、クッキーか何か渡したんだっけ」

 

随分前のこと、初めてお菓子作りに挑戦した時のことだったからよく覚えている。

園子がとても喜んでくれた記憶がある。

 

「そうだよ~。私、すっごく嬉しかったんだ~。誕生日プレゼントもらうなんて初めてだったから~」

 

「あー。そういえば、なんでも誕生日前に揃っちゃうんだったっけ」

 

「そうなんよ~。だから、あの時のお菓子、もったいなくてなかなか食べられなかったよ~」

 

「いやいや、それはすぐに食べてくれよ」

 

それにしても、随分前のことなのによく覚えていたものだ。

少し、感心してしまう。

 

「ねえ、ライ君」

 

「ん?どうしたんだ、急に改まって」

 

「ありがとう。いつも、私たちを守ってくれて」

 

園子が俺の手を握り、優しい表情でそんな事を言った。

一瞬、言葉に詰まってしまう。

 

「……………………お礼を言わなきゃいけないのはこっちの方だよ。いつも怖い思いをして、それでも頑張ってくれてるじゃないか」

 

「………ライ君はいつもそうだよね。いつもみんなのために何かしてて、でもそれを当たり前みたいに思ってる。私たちが今こうしていられるのはライ君のおかげなんだよ?本当のことを聞いても平気でいられたのは、ライ君が諦めずに頑張ってくれてたのを知ってたからなんだよ?」

 

「………園子」

 

「私にもライ君のしてること手伝わせて」

 

園子が俺の眼を見て、はっきりと言った。

なぜだか、園子がいつになく大人びて見えてしまう。

 

「……園子はもう十分頑張ってくれてるんだから、そんなこと気にしなくていいんだぞ?」

 

園子は乃木の長女で勇者だ。

それに普通の大人より、よほど鋭かったりする。

協力してくれたらきっと、これまで以上にいろいろなことがスムーズに運ぶだろう。

けれど、ただでさえ危険な勇者の御役目を行っているのに、これ以上大変な目に合わせたくない。

できれば、三人にはこんなこと気にせずに日常を送っていてほしい。

 

「もう、ライ君こそ頑張りすぎなんだよ~。入院してても無茶しちゃうし~」

 

「それは………でも園子がやる必要なんてないんだ。今は沢山の人が手伝ってくれてるし、心配しなくても………」

 

「私がやりたいんだよ~。それに、ライ君ほっといたらまた無茶しちゃうでしょ?………私は、もうあんなのやだよ」

 

彼女たちの泣き顔がフラッシュバックする。

そこを突かれると痛い。

 

「………………でも」

 

それでも園子を巻き込みたくはない。

これはたんなる我儘だけど、そう簡単には譲れない。

 

「私聞いちゃったんだ~。満開と…散華のこと……」

 

「――――――」

 

満開、それは初期に考案された勇者システムのアップデート機能案の一つ。

勇者が戦っていくうちに溜め込まれていく力を一気に開放し、全能力を一定時間飛躍的に向上させるシステム。

そして、満開を重ねる頃に勇者の力は強くなっていく。

単純に強さだけを追い求めるならこれ以上のシステムは存在しないだろう。

しかし、このシステムには散華と呼ばれる、体機能を喪失させるというおぞましい代償があった。

それを俺はどうしても許せなかった。

有用性を理解はできても、納得はできなかった。

故に、本システムの実装は見送られた……というよりも見送られるように追い込んだ。

この案の存在は忌まわしく思うが、このデメリットを材料に加えることで、勇者輩出家を改革に踏み切らせることができた面もあり、正直、複雑な気持ちだ。

ただ、こんなシステムが考案されていたことは、三人には知らないでいてほしかった……。

 

「園子……二人には……?」

 

「伝えてないよ~。きっとびっくりしちゃうから~」

 

「そう……か……」

 

「……本当、ライ君は一人で抱え込みすぎだよ~」

 

「……ごめん」

 

園子に余計な重荷を背負わせることになってしまった。

そのことを思うと胸が痛む。

 

「謝ることないよ。私たちの為だったんだよね。……だけどね、だからこそライ君が私たちを守ってくれてるように私もライ君を守りたい。わっしーやミノさんを守りたいんだよ…。だから……お願い…」

 

「…………………」

 

「駄目だっていうなら、私にも考えがあるよ」

 

園子は本気だ。

その目を見れば分かる。

……まさか、園子にここまで言わせてしまうとは。

きっと、今の園子ならどんなことでも押し通せてしまうだろう。

……俺の負けか。

 

「……本当にいいのか?多分、すっごく頼ることになるし、色々大変になると思うぞ?」

 

「わぁ~。頼ってくれるの~?嬉しいよ~」

 

園子がにこりと笑い返す。

この無邪気な笑顔には毒気を抜かれてしまう。

やはり園子には敵わない。

 

「はぁ……分かったよ。だけど、それは次の襲来を乗り切ってから。それでいい?」

 

そういうと園子の顔がほころぶ。

 

「うん!私頑張るよ~!」

 

……はぁ。

結局、頼ってしまうことになった。

不甲斐ない。

だけど、嬉しさも感じてしまう。

 

「……ありがとう、園子。正直、心強いよ」

 

そう言って、園子の髪をなでる。

すると、園子は目を細めて俺に抱き着いてくる。

温かい。

この温もりを大切に思えてしまう。

我ながらここまで絆されるとは思っていなかった。。

本当に……気付けば、随分と大切な存在が増えてしまった。

もう二度とこの子たちは泣かせたくない。

……もっと頑張ろう。

 

 

 

「若。今日は楽しめましたか?」

 

迎えの車の中、秋隆が車を運転しながらどこか楽しそうに聞いてきた。

 

「ああ、楽しかったよ。毎日がこうだといいんだけど」

 

「そういうわけにもいかないのが辛いところですね」

 

「ほんとにな……。それで、検査の実施は?」

 

頭を切り替え尋ねる。

確か今日、検査の日程を決める会議があったはずだ。

 

「九月中旬頃に開始されるそうです。やはり、先日の一件が大きかったようですね」

 

「そうか、それはよかった」

 

ほっと一息をつく。

上里の一件以来、大赦内の不穏分子は最早完全に力を失い、改革派の動きが妨げられることは無くなった。

そのおかげで、勇者適正値の検査実施の目途が立ったのだ。

随分と風通しが良くなったものだ。

未だ、全ての改革が終わったわけではないが、不要な手続きや慣習の多くが廃され、組織の意思決定プロセスが大幅に変わったことにより、以前とは比べ物にならないほど、大赦は組織としての柔軟性を取り戻していた。

そのおかげで、以前に比べ民間からの人材を大幅に登用できるようになるなど、様々な面でメリットが増えていっている。

勇者システムの開発部がいい例だ。

改革後、開発部には大幅な人員の増加が行われた。

無論、今までも優秀な人材が採用されていたのだが、大赦の性質上、家柄や思想などの面も採用材料に入っていた。

しかし、改革後は完全な能力主義となり、今まで大赦が忌避してきたような人物が各方面から多く登用された。

はぐれ者、一匹狼、変わり者、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、挙句の果てには神樹の一部を切り取って解析したいなどと言い出す危険人物までもが開発部に加わった。

多少の不安はあったが、大幅に研究が進んだのは事実であり、満開の代替案など成果も確認できている。

 

 

「……そういえば、真鍋さんはどうだ?」

 

「予想以上に働いてくれています。能力は確かですし、いい拾い物をしたものです」

 

「そうか、彼女にも何か思うところがあったのかもな」

 

真鍋さんは今、秋隆の管轄で働いている。

彼女の持っていた情報網は想像以上に役に立ち、不穏分子の無力化に大いに貢献してくれた。

それにしても、思っていた以上に有能らしい。

 

「それで、政界に変わった様子は?」

 

「ええ、やはり多少の混乱は見られますが、表立って新体制に反発する人間はいません。念のため、上里や反対派とつながりの深かった者はマークさせています」

 

「引き続き頼む。ないとは思うが、これを機に大赦から実権を奪おうとする輩が出るかもしれん。注意を怠らないでくれ」

 

「かしこまりました。しかし、連中にそこまでの度胸はありますかね?」

 

「今の状況を正確に把握している政治屋なんていないんだ。失脚した連中に唆されたらやりかねんよ」

 

「真実を知らなさすぎるのも考え物、というわけですか」

 

「ああ。とはいえ、事が事だ。いつかは変えるが、今しばらくは無知のままでいてもらう必要がある」

 

少なくとも、大赦の改革が完了するまでは余計な横槍を入れられるわけにはいかない。

政府には今しばらくおとなしくしておいてもらう必要がある。

 

と、そんな話をしていると気が付けば病院に着いていた。

車から降ろしてもらうと、少し涼しさを感じる。

もう、夏も終わりか。

今年の夏は寝てばっかだったなと、自分の有様に苦笑してしまう。

来年はもっとみんなと過ごしたいと思う。

だから―――次の準備を始めよう。

 

 

 

 



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覚悟の在処

ゆゆゆ3期決定やったー!


九月下旬、俺は大赦の訓練施設に来ていた。

理由は勿論、勇者の訓練を視察するためだ。

前衛組の連携を見るが……中々悪くない。

夏凜が合流して一か月足らずだというのが、信じられないほどだ。

 

「くっ、ワンテンポズレてる!銀、園子、もう一回お願い!」

 

「了解!最初からでいいか?」

 

「とーぜん!」

 

「よ~し、もう一回がんばろ~!」

 

夏凜には特に、銀と園子との連携を重視して訓練してもらっている。

これは勇者システムがアップデートされたことにより、須美の武器がライフルに変更されたことに起因している。

須美がこれまで以上に他の勇者とは距離を置いて戦うようになった分、前衛を務める三人の連携がより一層重要となったからだ。

勿論、四人での連携訓練も行っているが、須美が新しい武器の調整訓練を行っている際などには、こうして三人だけでの連携訓練を行っている。

正直、夏凜が他の三人の技量についていけるか少し不安だったが、よくやってくれている。

それにしても、夏凜も随分と馴染んできたものだ。

銀たち曰く、転校した直後は中々以上の尖り具合だったらしい。

ただ、一緒に訓練を行ったり、連携のために再び合宿をする中で信頼関係が築けたようで、また銀たちがいろいろと連れまわしてくれたこともあり、結構仲良くなってきているみたいだ。

夏凜本人は、仲良くなってないと言い張っているが、なんだかんだで彼女たちと行動を共にしていることからも照れ隠しなのは明らか、いい傾向だ。

ちなみに、俺は少し距離を取られてた。

哀しい……。

まあ最近になって徐々に話してくれるようになってきたからいいけど。

 

「安芸先生から見て、最近の夏凜はどう思いますか?」

 

「周りに合わせて連携を取るのがうまくなってきたわね。三ノ輪さんが引っ張ってくれてるのが大きいのかしら。学校でも訓練でもリラックスした表情が増えてきているし、この調子なら心配ないと思うわよ?」

 

彼女達から視線を離さないまま、隣にいる安芸先生と話す。

未だ、退院できていない俺にとって先生の情報は貴重だ。

 

「それは良かった。中々、様子を見られませんからね。少し不安だったんですよ」

 

「無理もないわ。ところで、退院は三日後だったわよね?」

 

「ええ、ようやく学校に戻れます」

 

「長かったわね……。足の調子はどう?この前の手術から、もう二週間ほど経ってるでしょ?」

 

「はい。術後の経過も良好で、リハビリも続けてるんですが、まともに歩けるようになるにはまだまだ時間が必要ですね。もうしばらく車椅子生活は続きそうです」

 

「そう……手伝えることがあったら何でも言うのよ。力になるから」

 

「ありがとうございます。でも、もう十分力になってくれてますよ」

 

そうこう話しているうちに、予定の時間が近づいてきた。

今日見た限りでは、仕上がりは上々。

それが分かったことだけで十分だな。

 

「すみません安芸先生、お先に失礼します」

 

「あら、最後まで見ていかなくていいの?」

 

「ええ、連携は問題ないようですし、それに人と会う約束があるので」

 

「ああ……今日だったのね」

 

「そういうことです。それじゃあ、皆によろしくお願いします」

 

そう言って、俺は訓練場を去った。

銀たちには後で連絡を入れておこう。

 

 

移動した先は、大橋近くのある喫茶店。

貸し切りにしているため、店内は閑散としていた。

奥の席へ行くと、背の高い、容姿の整った男性が俺をみて立ち上がり、お辞儀をする。

 

「お待たせしました。三好春信さん。お会いするのは初めてですね」

 

「いえ、赤嶺様が初めて本庁にいらっしゃったときに一度お目にかかっています。もっとも、あの時は仮面をかぶっていたのでお気づきにならなかったのも無理はありません」

 

「そうでしたか、それはとんだ失礼を」

 

三好春信。

夏凜の兄で現在、大赦で働いている。

若くして頭角を現しつつある、非常に優秀な人物だ。

前々から目をつけており、間接的に接触はしていたのだが会うのは初めて。

それにしても、こういう人たちに敬語を使われるのは、まだまだ慣れないな。

席についてもらい再び話しかける。

 

「それでは三好さん、改めて宜しくお願いします。あと、自分に敬語は使わなくてもいいですよ」

 

「なら、そうさせてもらうよ。それと、下の名前で呼んでくれていいよ。妹と紛らわしいでしょ?」

 

これはまた気さくな人だ。

この感じ、どこかの誰かを思い出すな。

 

「それではお言葉に甘えて、春信さんと呼ばせていただきます。それと自分のことも名前で呼んでくださって構いません」

 

「分かった。此方こそよろしく、頼人君。いつも、妹が世話になっているね。様子はどうだい?」

 

「訓練などでも、よく頑張ってくれています。他の勇者とも仲良くやっているみたいで、学校でもよく一緒に行動しているようですし、訓練の調子も上々。いい妹さんをお持ちですね」

 

「そうか……。ありがとう。少し、安心したよ」

 

春信さんは表情を緩ませ、ふっと息をついた。

きっと、あまりお互いの近況を知らないのだろう。

 

「妹さんのこと、大切に思っていらっしゃるんですね」

 

「ああ……、もっとも妹の方からは嫌われてるみたいだけど。随分長いこと、まともに会話もできてないから」

 

「いや、きっと彼女は春信さんを嫌ってはいませんよ。この前、軽く話を聞いた感じでは、むしろあなたに嫌われてると思い込んでいるみたいでしたから」

 

少し前に夏凜に春信さんの話題を振ったら、嫌われてるかのような事を言っていた。

ある意味、似たもの兄妹なのかもしれない。

 

「え……!?まさかそんなはず……!!」

 

春信さんが随分と驚いた顔をする。

やっぱり、夏凜に嫌われてると思っていたらしいな。

きっと、色々とすれ違いがあったのだろう。

それにしても、大事に思っている妹が勇者に選ばれるというのは、辛いはずだ。

それなのに、妹を巻きこんだ張本人を前にこれほど冷静に、優しく話しかけられるとは良い人、なんだろうな。

この人ならば、任せてもいいだろう。

 

「今度ゆっくり話してみてください。連絡は取れるようにしておきますので」

 

「いいのかい?……ありがとう、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 

「これくらい、気にしないでください。そう大したことじゃありませんし」

 

「そう言ってもらえると助かるよ。……それじゃあ、用件を聞こうか?」

 

春信さんが不意にまじめな顔になる。

切り替えが早いな。

こちらとしても助かる。

 

「……春信さんは、今の大赦内で赤嶺がどのように思われているかご存じですよね?」

 

「ああ、それはもう恐れられているね。上里の一件が決定的だ」

 

「はい。必要とはいえ、少々やりすぎてしまいまして。赤嶺を危険視する面々を放っておくと、次なる不穏分子になりかねません」

 

改革を通して、赤嶺はえげつない程に徹底的に反対派を排除した。

しかも、大赦内で最高レベルの権勢を誇っていた上里の御老体すらも排除してしまったのだ。

赤嶺を恐れる名家の連中は多く、それにより発言力も強まった。

しかし、過度な恐怖は時として理性を鈍らせる。

こういう状況を放っておけば赤嶺を危険視するあまり、その存在を排除しようなんて連中が出かねない。

流石に、これ以上の厄介事は御免被りたい。

 

「……そういうことか。つまり彼らを懐柔してほしいと」

 

「話が早くて助かります。彼らが次なる不穏分子になる前に、あなたに鎮静化して頂きたい。これ以上、組織が混乱するのは良くありませんからね。どうでしょう、引き受けてくれますか?」

 

「大赦を可能な限り安定させたいわけか。だけど、今の自分の立場では纏めきるのは難しい。なぜこの件を自分に?」

 

「理由はいくつかあります。春信さんは大赦内のあちこちにパイプを持ち、人心掌握にも長けている。能力面では今の大赦であなたに比肩する者はいないでしょう。それに、妹さんが勇者に選ばれている。赤嶺を敵に回しても対応できると皆思うでしょう」

 

「まさか、赤嶺と対立する派閥を作れと?」

 

「いえ、別に対立してもらう必要はありません。ただ、彼らの受け皿になっていただければと」

 

「なるほど。それで、方法は考えているんだろうね?」

 

「ええ、まず、あなたには半年で上まで駆け上がってもらいます。勇者を身内に持つ貴方が上に立ち、彼らを纏め上げれば、危惧される事態にはならないでしょう。ある種の抑止力という奴ですね」

 

おそらく春信さんなら、自力でも、あと二年あればかなり上のほうまで行けるだろう。だけど、これほど優秀な人材には、少しでも早く出世してもらったほうが都合がいい。

 

「半年……?無茶苦茶だ。何故そうまで急ぐ?……いくら何でも速すぎるし、状況を分かっているのならある程度そちらで管理できるはずだ。それに、そういった人間を纏めるだけなら、俺を出世させなくても他にいくらでも手段はある。他にも何か、理由があるんだろう?」

 

「ええ、おっしゃる通り、貴方を出世させる理由は他にもあります。半年後から始まる、あるプロジェクト。春信さんにはそちらを主導していただきたいと思っています。そのためにも、貴方には出世してもらう必要がある」

 

「もしや例の……?随分と買ってくれてるようだが、実際問題、そんなことが可能なのか?」

 

「問題ありません。そのための準備は既にすましています」

 

「……準備って具体的には?」

 

「上から色々と仕事を回します。非常に扱いが難しいものですが、その分成功させたときの手柄は大きい。貴方なら期待通りの結果を出してくれると信じてます。あとは、その手柄を最大限評価し、上層部へ続く切符とします。幸い、改革も完了していないのでポストの一つくらいは作れますしね」

 

「……そんなことができるとは……まるで君は大赦そのものじゃないか」

 

少し、顔が引きつっている。

まあそう簡単には信じられないよな…。

それにしても、この人でもホームズとか読むんだな。

少し意外だ。

 

「自分じゃなくて家の力ですよ。この件に関して、赤嶺が乃木と上里とこの方法での解決で合意した結果です。自分はあくまで提案しただけですから。」

 

「実質君が指示したようなものじゃないか………。それで……その仕事って例えば?」

 

春信さんが小さく溜息をついた後、俺に尋ねてくる。

 

「結界外の調査計画の立案だったり、次期勇者に関することだったり、他にも新プロジェクトに関わるものを色々沢山やってもらいます。大変だと思いますけど、頑張ってください」

 

「それ、やるの一つずつだよね……?」

 

「並行してやってもらいます。無理難題を押し付けられてる形にしないと、ただただ贔屓されてるようにしか見えませんからね。大丈夫、貴方ならできるはずです」

 

「……拒否権は?」

 

「勿論ありますよ。あくまでこちらがお願いする形ですので。ただ、どのみち仕事は振ります」

 

「聞かなきゃよかった……」

 

春信さんががっくりと肩を落とす。

正直、非常に膨大な量だし、一件一件が面倒な仕事だから、頼むのは非常に申し訳ない。

とはいえ、これくらいしないと半年という馬鹿げた短期間で上に駆け上がってもらうことはできない。

やってもらわないと少し困ったことになるし。

 

「安心してください。可能な限り優秀な人材をつけますので」

 

「やれやれ……。知り合いが君のことを悪魔だと呼んでたけど、その理由がなんとなく分かったよ……」

 

「あれ、真鍋さんとお知り合いだったんですか?」

 

「ああ、彼女からは色々と聞いたよ。君を子供だと思うなっていう彼女の言葉は正しかったようだ」

 

考えてみれば、真鍋さんも春信さんも顔が広い人物だ。

真鍋さんの仕事を考えると、顔を合わせていたのも当然か。

それにしても、やっぱり俺への恨みは中々のようだ。

会う機会があったら菓子折りの一つでも用意しておこう。

 

「ははは………それで、引き受けていただけますか?」

 

「答える前に、いくつか質問をしてもいいかな?」

 

「ええ、構いませんよ」

 

さて、今度は俺が試される番か。

 

「まず、君が自分から出張った理由はなんだ?ほかの人を使えばわざわざ人目を気にすることもないし、リスクも低いはずだろ?」

 

「そうですね……春信さんとはこの先長い付き合いになると思いましたし、こういう大事なことは直接自分で話したかったんです。それに、春信さんとは前々から話してみたかったんですよ」

 

「それだけじゃないでしょ。俺を見定めに来たんだろ?」

 

「あ、やっぱりわかっちゃいます?」

 

「なんとなくね。どうやらお眼鏡にかなったようだけど、期待にそぐわなければ、どうするつもりだったんだい?」

 

「いやだなぁ、別にどうもしませんよ。ただちょっと頼む内容が変わっただけです」

 

「どうだか…どうせ碌な事じゃないだろうし。それで、も一つ質問いいかな?」

 

春信さんが再び表情を引き締める。

こっちが本題という訳か。

 

「なんでしょう?」

 

「なぜ満開の実装を却下した?どうせ、裏で君が糸を引いていたんだろう?」

 

その件に俺が関わっていたことに気づくとは……。

やはり、この人はかなり優秀だ。

しかもこの質問、一発で俺という人間を見定める腹か。

妹とも関わりのある問題だというのに、平然と聞けるとは剛毅なことだ。

 

「通達通りですよ。あんな非人道的な機能は認められませんからね」

 

「それは知っているけど、それだけじゃないはずだ。一番バーテックスの脅威を分かっている君なら、満開の使用は避けても、実装そのものは止めないはずだ。特に、以前の勇者システムが能力不足だと一番最初に指摘し、その身を投げ打ってまで戦った君がすることとは正直思えない。」

 

流石鋭い。

これは、今まであまり俺と関わってこなかったからこそ気付けたのだろう。

 

「そんなこと言って、本当は薄々気が付いてるんじゃないですか?」

 

「君の口から聞きたいんだ。それとも本当に情だけが理由なのか?」

 

「……情が一番の理由であることは否定しません。しかし、個人的な感情を無視しても、満開の実装は止めたでしょう。確かにあれは戦闘力という面では凄まじい有用性を持ちます。しかし、それ以外のメリットが皆無。それどころか実装した場合、全てを台無しにしかねませんからね」

 

「全てを?」

 

「ええ、順を追って話しましょうか。そもそも大赦は巫女や勇者という個人に頼り切った組織であるにもかかわらず、個々人に対する扱いを軽視しすぎていました。それは改革前の巫女の扱いや、勇者へのサポート体制の不備からも明らかです。一連の改革はこれは今後のことを考えると、絶対に是正しなければならなかった。あなたなら、その理由もお分かりのはずだ」

 

「やはり、本気であれを……」

 

「ええ、そのためにこれからより多くの人材が必要となる。そして、大赦が個人を犠牲にする組織だと思われるのは何としても避けたい。仮にそう思われれば、協力を渋る者や最悪、反体制的な勢力が現れかねませんからね」

 

「なるほど、大赦は正義の味方と思わせる必要があると」

 

「ええ、なので満開の実装自体が悪手なんです」

 

「それなら、情報を操作すればいいだけじゃないのかい?大赦のお家芸だろ?」

 

「今は改革でごたついています。中途半端な情報操作はむしろ組織への不信感を増長しかねません。それに、いつまた不穏分子が発生するかも分からない。満開実装の情報がそういった者たちに漏れたら非常に面倒なことになりますし、下手をすれば満開の実装自体が不穏分子を生むきっかけにもなりかねませんしね」

 

「そうか、となると満開の情報がこっちまで流れてきたのはやはり、大赦の意思表示という訳か」

 

「ええ、大赦の変革を知らしめ、なおかつ個人を切り捨てることはしないという意思の表れです。どのみち、改革が始まった時点で後戻りはできなくなったんですから」

 

そう、今後の計画のためにも、満開の実装は絶対に阻止しなければならなかった。

そして、大赦内の一定以上の立場の者にこの件を通知したのも、組織が根本的に変革したのだと彼らに自覚させるために必要だった。

こんな忌々しい計画でも使い道があったというのは、少し複雑だけれど。

 

「だが、実際問題、危険もあるのでは?次の襲来は今までで最も厳しいものだと言われているだろ?」

 

「確かに、次の襲来は大変なものになると思われます。ですが、今までの戦いのほうがよほど綱渡りなものでした。アップデート後と比べると、勇者の攻撃力も防御力も低く、また、敵を完全に殲滅する手段もなく、今世界が滅んでいないのが不思議なくらいです」

 

「つまり、今の戦力で十分だと言いたいのかい?」

 

「次の襲来のレベルが分からないので、十分だと断言するのは危険でしょう。しかし、今の彼女達には以前の三体が同時に襲来したとしても、完封できるだけの力があります。次の襲来が複数体によるものでも対処は可能であると考えています」

 

「少し、甘い考えのようにも思えるけど?」

 

これはまた随分と厳しい質問だ。

しかし、だからこそ安心できる。

彼ならばきっと、どんな時も感情に左右されずに正しい判断を下せるだろう。

この人なら仕事を任せられるという確信を持てたのは僥倖だ。

 

「かもしれません。ですが、勇者である彼女たちはどんな時でも諦めずに戦い続けてくれていました。ならば、彼女達に守られている我々が、安易に満開という手段に逃げるなんてことは許されるはずがありません。最大限、出来ることをすべきなんですから」

 

「勇者の力を信じるということか……」

 

「いえ、満開の実装見送りを受けて、色々な人がそれはもう頑張ってくれました。自分はその人たちの努力と、勇者の力の両方を信じたいと思います」

 

安芸先生や秋隆、両親、乃木や鷲尾、開発部など協力してくれた方々、彼らのおかげでここまで準備が整った。

そして、いつも頑張ってくれている勇者たちなら、この準備を最大限活用してくれるだろう。

訓練を見ていれば分かる。

本当に、自分一人では何もできなかった。

だからこそ、彼ら、彼女らの力を信じられる。

上も腹を決めてくれた。

勇者も世界も一蓮托生という訳だ。

 

「たとえ、世界が滅んでも?」

 

「これで世界が滅ぶようなら、そこまでです。これだけやっても、満開を実装しなければどうしようもないというのならば、どの道、この世界に未来はありません」

 

「世界を賭け金にするというのか?」

 

「はい。それが私の、いえ私たちの覚悟です」

 

世界をどうにかしようというのなら、この先奇跡なんてものはダース単位で必要なのだ。

この程度の覚悟も持てないのなら、よりよい未来を掴めるはずもない。

 

「……………なるほど……大赦も変わるわけだ。君は根っからの理想主義者なんだな」

 

「自分を理想主義者だと思ったことはありませんよ。ただ自分に出来ることをしているだけですから」

 

「やはり、君は面白い。分かった。さっきの話、受けさせてもらうよ。確かに君とは長い付き合いになりそうだ」

 

表情をふっと緩ませながら春信さんが言った。

どうやら、自分は認められたらしい。

少し安心する。

 

「それは良かった。それじゃあ早速こちらの資料を」

 

手元から、今後の仕事に関する資料を手渡す。

 

「………このレベルのを並行して?」

 

資料を読みだすと急に春信さんの顔が青くなった。

断りたいと顔に出ている。

 

「半年間だけですから頑張ってください。それからは多少、楽になるはずです」

 

「回す量……減らしてもらっても?」

 

「駄目です。回す仕事は全部、この半年の間に済ませないといけない代物ですし、これくらいしないと上層部へは食い込めませんよ?それに、半年後からは上の立場でやってもらいたいことがたくさんありますから」

 

「……鬼」

 

春信さんが急に恨み言を吐き出す。

仕事を振る張本人が言うのもなんだが、気持ちは分かる。

とはいえ必要なことだし、撤回するわけにはいかない。

 

「まぁまぁ、その代わりに色々と便宜は図りますので」

 

「……夏凜の写真」

 

「え?」

 

顔を俯かせていた春信さんがぼそりと呟く。

一瞬、何を言われたのか分からなくなって聞き返してしまう。

追い詰めすぎたのだろうか。

 

「これから毎週、夏凜の写真を送ってくれ。それで手を打とう」

 

「そんなことでいいのなら……」

 

「よし、それと……夏凜に手を出そうとするやつがいたら………ね?」

 

「あの、小学生相手に何言ってるんですか?」

 

急に元気になったと思ったら、春信さんは物騒なことを言い出した。

しまった、便宜を図るなんて安易に言うべきではなかったか。

 

「あんなにかわいい子なんだよ!?周りの男どもが放っておくわけないじゃないか!」

 

「頼むから落ち着いてください……。さっきまでのあなたはどこに行ったんですか……?」

 

やばい、この人かなりのシスコンだ。

違う意味で夏凜の兄とは思えない。

意外な弱点を知ってしまった。

早いとこ夏凜に何とかしてもらわないといかんかも……。

それはさておき、春信さんからの承諾を得られたのは大きい。

これからの計画の確度もあげられるし、万々歳だ。

 

 

 

「あ、ライ君戻って来たよ~」

 

「おお、やっと来たか」

 

「あれ、みんななんでここに?」

 

話し合いが終わり病院へと戻ると、病室に銀たちがいた。

丸椅子を並べて、駄弁っていたようだ。

夏凜までいるのは少し珍しい。

ちょっと嬉しくなってしまう。

 

「なによ、頼人。来ちゃ悪かったのかしら?」

 

「いや、来てくれたのは嬉しいよ。特に夏凜は中々来てくれないから」

 

「べ、べつに、今日はたまたま時間があったから来てやっただけよ!」

 

「それでも嬉しいよ。ありがとね」

 

そう言うと夏凜は顔を赤くしてそっぽを向く。

その赤くなった頬を園子がツンツンとつつく。

 

「相変わらずにぼっしーはツンデレさんだね~」

 

「誰がツンデレよ!」

 

それにしても、にぼっしーとはまた変わったあだ名だよな。

初めは、みよっしーとか呼んでたらしいけど、先日行った合宿であまりにも夏凜がにぼしを食べてたことから、にぼっしーに格上げになったらしい。

夏凜もしばらくは抵抗していたようだが、最早諦めている。

 

「あはは……それで、何かあったの?」

 

「特に何かあったという訳ではないのだけれど、今日頼人君、訓練の途中でどこかに行ってたでしょ?少し、気になってしまって」

 

「まったく、アタシらの訓練ほっぽってどこ行ってたんだ?素直に吐けば、かつ丼くらい用意してやるぞー?」

 

「田舎のおふくろさんが泣いてるぜぇ~」

 

「あんたらはどこの刑事よ」

 

しまった。

病院に戻ってから連絡すればいいと思ってたけど、もう少し早くに連絡しておけばよかったな。

これ以上要らない心配をかけるのはよくない。

 

「ごめんごめん。実は夏凜のお兄さんに会ってたんだ。すごく忙しい人だから、こういう時にしか会えなくて」

 

「え、兄貴に!?」

 

夏凜が立ち上がり、叫ぶ。

流石にここでお兄さんの話が出てくるとは思っていなかったのだろう。

 

「そうだよ、夏凜も随分お兄さんに愛されてるねー。夏凜のこと心配してたよ?」

 

「兄貴が……本当に……?私のこと、嫌ってたんじゃ…?」

 

「むしろあの感じだとお兄さん、夏凜のこと大好きだよ」

 

「だから言っただろ、夏凜。弟や妹が嫌いな兄ちゃん姉ちゃんはいないって」

 

「で、でも…兄貴、私に話しかけなくなったし……てっきり愛想尽かされたって………」

 

「全然違ったよ。逆に、夏凜に嫌われてるって思いこんでたから」

 

「は!?」

 

夏凜が一際大きく声をあげる。

どうやら、かなり意外なことだったらしい

 

「夏凜、自分からお兄さんのこと避けてたでしょ。それで、嫌われたと思って話しかけづらくなったんじゃない?実際、お兄さんへこんでたし」

 

「そんな……それなら、そうと……」

 

「まあ、いい機会だと思うわ。今度、お兄さんとゆっくり話してみてはどうかしら?」

 

「そうだね~。お兄さんもきっと喜ぶよ~」

 

「ほら、端末にお兄さんの連絡先送っといたから」

 

「べ、別に私は話さなくても……!」

 

「いいから連絡してみなって。兄妹なんだから、そんなに肩ひじ張る必要ないだろ?」

 

「そうそう。それに、お兄さんも寂しがってたみたいだから、ね?」

 

「……そ、そこまで言うならしょーがないわね!今度連絡してやるわ!」

 

銀と俺が促すと照れながらも夏凜は承諾した。

ふう、この分だと二人とも仲直りできそうだ。

よかった、よかった。

春信さんもさぞ喜ぶことだろう。

とそこで、須美に肩を掴まれる。

 

「ところで頼人君、本当にそれだけよね?ほかに危ないことしようとしてないわよね?」

 

言葉は穏やかなのに、圧がすごい。

謎の恐怖を感じる。

 

「は、はい!誓って危険なことはしておりません!」

 

「本当ね……?もし、また嘘を吐いてたら……」

 

須美が手元から縄を取り出す。

今度は縛られるんだろうか…?

 

「落ち着けー須美。そんなに脅かしたら聞けるもんも聞けなくなるぞー?」

 

「でも確かに、にぼっしーの話をするだけなら、病院で話せばいいよね~。他にも理由があったんでしょ~?」

 

流石に園子は鋭いな。

こういうことに、すぐに気付いてしまう。

 

「実は大赦がらみでちょっとした仕事を頼んでまして…。会ってたのが露見しますと少々困ったことになりますので、皆様におかれましては何卒口外されぬようお願い致します」

 

「なんで敬語なのよ……というか、ばれたらまずいってどういう状況よ」

 

「色々あるんだよ……でも危ない事ではないので信じてください」

 

「……はぁ。一先ず信じてあげるわ。だけど、何かあったら必ず相談するのよ?」

 

「そーだぞ頼人、あんまり一人で突っ走るなよー?」

 

「銀もあんまり人のこと言えないでしょ?」

 

「げっ!飛び火した!?」

 

「そうね、あんたもしょっちゅう突っ走ってるじゃない。何かあったら所かまわず首突っ込んでるし」

 

「ライ君とミノさんはそ~いうとこ似てるよね~」

 

「今はアタシのことはいーだろー!?」

 

彼女達がわいわいとじゃれている。

こうしてみると、本当に夏凜も馴染んできたなあ。

皆もリラックスできてるし。

よきかなよきかな。

 

 

 

 

 



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interlude Ⅲ

そのっち誕生日おめでとう!


side/三好夏凜

 

三好夏凜。

厳しい選抜を乗り越え、新たな勇者に選ばれた少女。

そんな彼女は今―――

少女たちに絡まれていた。

 

「なぁなぁ、三好さ~ん。一緒にイネス行こうぜイネスー。今日こそはイネスのジェラートを食べてもらう!」

 

「だから、私は行かないっての!」

 

「いいじゃんかー。これから一緒に戦う仲間なんだからさー。毎日毎日鍛錬漬けじゃ、肝心な時に持たないぞー?」

 

「私はそんなヤワじゃない!」

 

放課後の教室。

転校してから彼女は毎日のように、他の勇者にイネスへと誘われていた。

 

「みよっしー、行こうよ~。ジェラートすっごくおいしいよ~?」

 

「だからその、みよっしーってのやめなさい!」

 

「ええ~?みよっしーってあだ名、可愛くないかな~?」

 

「そのっち、多分かわいいとかそういう問題じゃないと思うわよ…?それはそうと三好さん、私も歓迎会を兼ねてイネスに行くのは賛成よ?」

 

「か、歓迎会なんて必要ない!私は私で鍛錬があるから、邪魔しないで!」

 

「ええ~?みよっしー、嫌なの~?」

 

園子が少し悲しそうな声をあげる。

途端、夏凜が慌て始める。

夏凜はこういう反応に弱かった。

 

「わ、分かったわよ…。連携のためにも今日だけ、今日だけなんだから!」

 

「やった~!みよっしーとイネスだ~!」

 

「イェーイ!早速行こう!」

 

「あ、待って、銀、そのっち!」

 

銀が夏凜の手を引き、教室を飛び出す。

 

(本当にこいつらが話に聞いていた勇者なのかしら…)

 

夏凜は、本当にこの少女たちが今までバーテックスと戦ってきた勇者なのか、疑問を抱き始めていた。

今まで抱いていたイメージと、あまりにもかけ離れていたからだ。

しかし、この疑問はすぐに消えることとなる。

後日、初めての合同訓練が行われた。

銀、須美、園子はいつものように各々の武器を振るう。

その姿は洗練されており、無駄な動きが一切なく、見るものに優美ささえ感じさせる。

 

(何よ……。いつもとまるで雰囲気違うじゃない!)

 

その光景は、今まで彼女たちの日常しか見ていなかった夏凜にはひどく衝撃的だった。

呆けていては、新参者である自分は足手まといになる。

そんな危機感が夏凜を襲い、同時に、彼女達を疑った自分を恥じた。

 

「悪かったわね…」

 

「ん、どーした―夏凜?」

 

訓練の後、夏凜は三人に話しかけていた。

ちなみに親睦会の後から、銀は夏凜を呼び捨てで呼ぶようになっている。

 

「あんたたちのこと、本当に勇者なのか少し疑ってたわ……」

 

「気にすんなって。ここ最近、アップデート前だからって休みが続いてたからな。そう思うのも無理ないよ」

 

「そうだよ、みよっしー。細かいことは気にしないほうがいいんだぜぇ~」

 

「そのっちの言う通りよ、三好さん。私も、最初は似たようなものだったから」

 

「懐かしいなー。あの頃に比べると、須美も丸くなったよな」

 

「そうだね~。こんなに仲良くなれるなんてあの時は思ってなかったよ~。だから、みよっしーとも、きっともっと仲良くなれるよ~」

 

「わ、私は馴れ合いなんて…!」

 

「まあまあ、そう言うなって。一緒にいたほうが絶対楽しいぞ?」

 

「……………」

 

この言葉に影響されたのか、これ以後、夏凜は彼女たちを行動を共にしていくようになっていった。

そうなると当然、銀たちから頼人の見舞いについてこないかと誘われる。

赤嶺頼人は夏凜にとってどうにも苦手な人物だった。

嫌いだという訳ではないのだが、その評判がどうにも兄を想起させて、あまり関わりたくないと思っていた。

おまけに、訓練所では短期間とはいえ、自分たちの講師までやっていた存在だ。

これから否応なしに関わっていくことは分かっていても、どうにも避けてしまい、見舞いの件も断り続けていた。

その意識が変わるきっかけになったのが、連携を深めるために行われた合宿だった。

合宿を一緒に過ごす中で須美と園子の夏凜への呼び方が少し変わるなど、少しずつ変化が生まれていたその日。

鍛錬が終わり、部屋で許されたわずかな自由時間に、ふと、園子が疑問を口にした。

 

「にぼっしー、にぼっしー。聞きたいことがあるんだけど~」

 

「だからにぼっし―って……まあいいわ。で、何よ?」

 

にぼしをたくさん食べるからにぼっしー。

みよっしーと語感が似ているからと付けられた新たなあだ名を、夏凜は最早諦めるかのように受け入れていた。

 

「どうして、にぼっしーはライ君のこと避けてるの~?」

 

柔らかな口調に反して、園子の言葉は鋭い。

園子と出会って間もないが、夏凜は園子の鋭さを正しく認識していた。

 

「…なんでそう思うのよ」

 

「だって、にぼっしー転校してきてからライ君に会ってないでしょ~?なにか理由があるのかな~って」

 

「確かに、夏凜ちゃんはまだ頼人君のお見舞いに行ってないわね」

 

「まさか…噂の訓練所で頼人がなにかやらかしたのか!?」

 

「…別にそんなんじゃない。会う必要がないだけよ」

 

夏凜が興味なさげに答える。

しかし、その答えに園子は納得しなかったようだ。

 

「そう~?でも、安芸先生に、ライ君とちゃんと話をするように言われてなかった~?」

 

「問題ない。私は訓練所であいつの能力を知ってるんだから、これ以上話すことなんてないわ」

 

「なあ夏凜。夏凜は頼人と会うの嫌か?」

 

「だから、なんでそんなに気にするのよ」

 

「だって、夏凜も頼人もアタシらの大事な友達で仲間だからさ。二人がぎくしゃくしてるってんなら、それをどーにかしたいって思うのは当然じゃん?」

 

「と、友達って…私は……」

 

当然のように言われた言葉に、夏凜は思わずたじろぐ。

 

「私もにぼっしーとライ君には仲良くなってほしいな~」

 

「ねぇ夏凜ちゃん、よかったら理由を聞かせてくれないかしら?理由が分かれば、きっと力になれると思うの」

 

「理由なんて………」

 

「そんな難しく考えんなって!夏凜が話したいことだけ話してくれればいいんだからさ」

 

銀の言葉が夏凜の胸を打つ。

銀のストレートな言葉には、いつも心を動かされる。

そして、彼女たち三人はいつも真っ直ぐに、色眼鏡をせず夏凜を見てくれる。

それが分かるからこそ、避ける理由を話しづらい。

けれども、それでも夏凜は自分のことを話したくなってしまった。

この三人になら話してもいい、聞いてもらいたいと思ったのだ。

 

「………それじゃあ、少し話聞いてくれる?」

 

夏凜は気が付けば、口を開いていた。

 

「もちろん!」

 

銀が力強く返事をし、須美と園子も口々に肯定の意を示す。

この返事で、夏凜は事情を話す決心がついた。

 

「……あいつは……赤嶺は、私の兄貴にちょっと似てたのよ」

 

夏凜がぽつりぽつりと話しはじめる。

 

「へぇ。夏凜って兄ちゃんいたんだ」

 

「ええ……優秀な兄貴でさ。はやくも大赦の内部で働いてるし」

 

「そっか~、エリートさんなんだね~」

 

「自慢のお兄さんなのね」

 

「優秀すぎてね…我が兄貴ながら。品行方正、文武両道。親も完璧超人の兄貴にばかり目をかけていてさ、兄貴の邪魔はするなってよく言われて……悔しかった、すごく」

 

夏凜がゆっくりと話していく。

誰にも話さないと決めていたはずだったのに、紡ぐ言葉は止められない。

 

「……夏凜」

 

「…だから、私は兄貴と話さないようにした。なのに、兄貴は何かと私に構ってきて、私のフォローをしてくれて…それがまた、なんか精神にきたわ」

 

三人は口を挟まず、じっと話を聞き続けている。

 

「そんな私に、勇者選抜の話が回ってきた。チャンスだって思って…必死に努力した。それで、選抜の終盤に赤嶺に会ったんだけど……どうにも、雰囲気が兄貴に似てて、おまけに超優秀、周りはみんなあいつを褒めてたし、兄貴を思い出さない方が無理だったわ………それで、選抜も終わりが近づいてて気が立ってた時、赤嶺に話しかけられたんだけど……それが兄貴に声を掛けられてるみたいで嫌になって……つい、あたるような返事をしてしまって…」

 

あの時、夏凜自身はそんなに強く当たったつもりはなかった。

しかし、翌日の頼人の調子がとても悪そうに見え、鍛錬を見に来ることもなかった。

その原因が自分が頼人の話をほとんど聞かずにあたるような返事をしたことによるものではないかと夏凜は思ってしまっていたのだ。

 

「それで、顔を合わせづらくなっていたのね…」

 

「ええ……きっと赤嶺も私になんか会いたくないって思ってるはずよ…」

 

そうして話を終える。

もしかしたら、この話のせいで軽蔑されるかもしれない。

けれども、何故か夏凜に後悔はなかった。

と、そこで銀が突然声をあげる。

 

「……よし!合宿が終わったら一緒に頼人のとこ行こう!」

 

「銀、あんた人の話聞いてたの…?」

 

「大丈夫だって!頼人はそんなことくらいじゃ夏凜のこと嫌いになったりしないからさ!」

 

「うんうん。それにライ君言ってたよ~。にぼっし―はストイックだけどいい子だって~」

 

「赤嶺が………?」

 

てっきり嫌われているものだとばかり思っていた夏凜にとって、この言葉は意外なものだった。

と同時に、いい子だという自身への評価が気恥ずかしく感じられた。

 

「ライ君は昔からちょっとやそっとじゃめげないからね~。喧嘩腰のシズシズを相手にしても気にせず話しかけるぐらいだもん~」

 

「そのっち、私それ初耳なんだけど」

 

「ああ、頼人がシズクと決闘したってあれだろ?軽く伝説になってるやつ」

 

「決闘って…何したのよ?」

 

車椅子姿の頼人しか記憶にない夏凜には、どうにもイメージが付かない話だった。

 

「アタシは見てないんだけど、教室でチャンバラ騒ぎになったんだって。しかも、超ハイレベルで先生も決着がつくまで止められなかったらしいよ」

 

「頼人君がそんなことを……想像もつかないわ…」

 

「まあでも、その後、友達になったって話だから、夏凜も安心しなって。それくらいで怒るような奴じゃないからさ?」

 

「なんだか、赤嶺が分からなくなってきたわ…。あいつ、優等生じゃなかったの?」

 

「まあ成績とか授業態度はいいんだけど、アタシに付き合って、遅刻したり先生に怒られたりなんてこともたまにあるからなー。一口に優等生とは言えないかも」

 

「昔はまさに優等生って感じだったんだけどね~」

 

「なんか意外ね…」

 

夏凜は、今まで抱いていた頼人のイメージが崩れていくことを感じた。

ふと、思い返すとこの三人に対しても、今と最初では持っているイメージが違う。

 

「夏凜ちゃん。やっぱり一度、頼人君とちゃんと話してみた方がいいと思うわ」

 

「そうだよ~。話してみないと分からない事っていっぱいあるからね~」

 

「……はあ。しょうがないわね。いいわ…会いに行ってあげる」

 

そう、返事をした途端三人が喜ぶ。

結局、夏凜は頼人に会うことを決めた。

この三人が信頼する少年が気になってしまったのだ。

 

「まったく…能天気な連中ね……」

 

この非常時に人の心配をしているなんて変わっている。

だが、悪い気はしなかった。

無意識のうちに、夏凜は彼女らと過ごす日々を心地よく感じはじめていた。

 

 

 

そうして、合宿が終わった次の日、夏凜は一人、頼人の病室を訪ねていた。

他の三人と来なかったのは、自分一人で頼人に聞きたいことがあったからだ。

ここに来る前、頼人の居場所を安芸に尋ねた際に、あることを聞かされたのだ。

息をのんで病室の扉を開ける。

 

「し、失礼します!」

 

上ずった声が出る。

少し気恥ずかしさを感じるも、意を決して病室の中へ入る。

 

「あれ、三好さん?」

 

すると、ベッドから少年が不思議そうに声をあげた。

少年は左目に眼帯をつけ、病衣を着ている。

ベッドテーブルの上には、パソコンや本、様々な書類が所せましと広げられており、病室でありながら仕事場のような印象を見る者に与える。

 

「ええと…その…そう!先生に言われて、顔を見にきてやったわ!」

 

「そっか、来てくれてありがとう。自分も三好さんに会いたかったから、嬉しいよ。だけど、なんでまた突然?」

 

「……ふ、ふん、ただちょっと話したいことができただけよ」

 

「それなら、そこの椅子に座って。お茶でも出すよ」

 

頼人がベッドテーブルの上を片付けながら呼びかける。

 

「いらない、長居するつもりはないから」

 

「そういわずに、ちょっと待ってね」

 

そう言うと、頼人は体をずらし、ベッド横の机の上から紙コップを取ろうとする。

だが、上半身だけで無理やり取ろうとしてる分、その動きは酷く不安定で見ているだけでも大変そうだった。

 

「ああ、もう何やってんのよ」

 

その有様を放ってはおけず、つい手を出してしまう。

結局、夏凜はコップや飲み物の用意を自分でしてしまった。

 

「ごめんね、お客さんなのにこんなことさせちゃって」

 

「いいわよ。突然押しかけたのはこっちなんだから」

 

「やっぱり、三好さんは優しいね」 

 

「なっ、何恥ずかしいこと言ってんのよ!それにやっぱりってどういう意味よ!?」

 

不意に優しいと言われて夏凜はつい照れてしまう。

 

「そのままの意味だよ。訓練所でもそうだったでしょ?」

 

「…あれはそんなんじゃない。あくまで自分の為よ」

 

「それでも、ああいう風に行動できるのはすごいと思うよ?それに、自分のことも気遣ってくれたし、三好さんは優しいよ」

 

「気遣ったって…何の話よ?」

 

「ほら、アミノ酸のサプリくれたでしょ?結構、驚いたけど嬉しかったよ。ありがとう」

 

「……あの時のこと、気にしてないの?」

 

「少しは。お礼を言いそびれてしまってたからね」

 

「そうじゃなくて、あの時あんたにあたるようなこと言ったでしょ?だから……その…」

 

「ああ、そんなこと全然気にしてないよ」

 

「でも、あの後から急に元気なくしてたじゃない」

 

「あー……ごめん、それ全然違う理由。あの日、つい徹夜しちゃって」

 

「…………………へ?」

 

完全に予想外の答え。

夏凜は呆気に取られ、つい間の抜けた返事をしてしまう。

 

「だから、三好さんが気にすることないよ。心配かけてごめんね」

 

「う、うっさい!そんなの分かってたし、別に心配なんてしてなかった!」

 

夏凜は真っ赤になって否定するも、照れ隠しなのはバレバレだった。

なぜだか、その反応を見た頼人の様子はどこか楽しげであった。

 

「そっか。ならいいんだ…それで聞きたいことって何かな?」

 

「……もういいわ。あんたに聞いても碌な答えが返ってこなさそうだし」

 

「あれま、じゃあ逆に自分の方から一つお願いしたいことがあるんだけどいいかな?」

 

「……何よ?」

 

「これからは下の名前で呼んでもいいかな?」

 

「い、いきなり何でよ!?」

 

「ほら、これから一緒にやっていく仲間なわけだし……駄目かな?」

 

「…ふん、好きにすればいいわ」

 

「ん、そうするよ。改めて、これからよろしくね」

 

「安心しなさい。私の力見せてやるわ」

 

「ああ、そうさせてもらうね。……ところで、お前たちはいつまでそこにいるんだ?」

 

突然、頼人が部屋の扉に向かって呼びかける。

夏凜がぎょっとして、振り向くと、銀たち三人が部屋に入ってくる。

 

「あ……あんたたち……!」

 

夏凜が思いっきり動揺する。

 

「あはは、ごめんごめん盗み聞きするつもりはなかっただけど真剣な様子だったからさ」

 

「ええ、ちょっと入りづらくって。ごめんなさい二人とも」

 

「ごめんね~。でもでも~照れてるにぼっし―が見れて私は満足なんよ~」

 

三人が口々に謝る。

園子は謝ってるのかどうか怪しかったが。

 

「何言ってんの!私は照れてない!」

 

「そんなこと言って―、夏凜もまんざらでもなかったんじゃないのか~?」

 

銀が夏凜の肩に手を回す。

 

「そ、そんなことないわよ…」

 

「おぉ~いいよいいよ~そのアングル~創作意欲がわいてくるよ~!」

 

夏凜と銀の姿に何かを感じたのか、園子が端末で二人の写真を撮り始める。

銀はピースまでしている。

 

「園子!勝手に撮ってんじゃないわよ!」

 

「え~?いい雰囲気なのに~」

 

「そのっち、撮るならこっちのカメラに!」

 

須美がどこから出したのかプロっぽいカメラを構える。

 

「わっしー準備いいね~」

 

「須美もカメラしまいなさい!」

 

「いいじゃん、夏凜。…そうだ!折角、全員一緒に集まれたんだから、みんなで写真撮ろうよ!」

 

「そうだな。全員で集まったのは初めてだし、いい考えかも」

 

「あんたら本気…?」

 

とそこで、都合よく看護師さんがやってきた。

少々騒ぎすぎたらしい。

しかし、怒ってはおらず少し様子を見に来ただけだったようで、写真を撮ってほしいと銀が頼むとすぐに引き受けてくれた。

 

「それじゃあみんな、ライ君のベッドの周りに集まろう~」

 

「ほらほら、夏凜ももっと寄りなって」

 

「わ、私は……」

 

「いいからいいから」

 

結局、夏凜も流されるままベッドに寄ってしまう。

 

「それじゃあ撮りますよー」

 

「はーい、お願いします!」

 

準備ができたところで看護師さんが声をあげ、それに対し銀が元気に返事をする。

ハイ、チーズという使い古された掛け声とともにシャッター音が鳴り響いた。

 

 

 

 

「この非常時に…ほんと、のんきな連中ね…」

 

その夜、夏凜はベッドに寝転がりながら、独り言ちる。

そうして、端末に映る今日の日の写真を眺める。

初めて、みんなで集まったから。

そんな下らない理由で撮った写真。

初めて、一緒に撮った写真。

下らないもののはずなのに、気付けばこの写真を眺めてしまっている。

 

「しょうがないから、付き合ってやるかしらね……」

 

小さな言葉。

夏凜の口元は自身も気付かないまま、自然と緩んでいた。

 

 

 

 

 

side/鷲尾須美

 

三度目の襲来を経て、須美は急速に銀や園子、そして頼人と仲が良くなっていった。

特に頼人は旧世紀の軍に関する知識もさることながら、かつての世界の様々なことを不思議なほどに知っていて、須美とは驚くほどに話が合った。

しかも、旧世紀の人々の暮らしのことや、昔の裏話などは、須美以上に知っていて、話すたびに様々な刺激を受けた。

なぜもっと早く話してなかったのだろうかと、軽く後悔してしまうほど、頼人との会話は楽しかった。

そんな風に思えたのはきっと、西暦のことを話す頼人が、とても楽しそうな顔をしていたからだろう。

頼人はただ知識を持っているだけでなく、まるで、西暦の時代をこの目で見てきたかのように話していた。

話しているその姿は、どこか嬉しそうで、だからこそ須美は少年と話すのが好きだった。

そして、その少年は本当に優しくていつでも力になってくれた。

そうやって、仲良くなってから気付いた。

転校してきてからしばらく、少年がよく親切にしてくれていたのは、自分が早く学校に馴染めるようにと思ってのことだったのだと。

本当に今更気付くとは鈍感だったなと須美は感じたが、それでも、少年の優しさに気付けたのは嬉しくて、須美は頼人のことを友達として好きになった。

銀といい、園子といい、本当にいい友達をもてたと、ただ、そう思っていた。

あの日までは。

 

あの遠足の日。

事実上、彼女達はバーテックスに敗れた。

そして、最終的に赤嶺頼人により世界は、彼女たちは守られた。

だが、埒外の力をその身に宿した代償は大きかった。

バーテックスからは一撃たりとも攻撃を入れられなかったのにもかかわらず、頼人は重体。

本来、自分たちが守るべき友人に守られて、挙句、その友人はそのせいで死にかけている。

それだけでも、自分を責めるのには十分に足る理由であったのに、さらに安芸から今までの頼人の行動を、その覚悟を知ってしまった。

この事実は、須美に計り知れないほどの衝撃を与えた。

 

 

やがて、少年が目覚めたとき、彼の体を抱きしめたとき、須美はあることに気付いた。

気付いてしまった。

ずっと、気付かないふりをしていた感情。

少年を大切に思う気持ち。

この気持ちのことをきっと―――

 

けれど、この想いは叶うことはない。

彼と銀がどういう関係なのかを知っているから。

だから、この気持ちを口にすることはないだろう。

ただ、彼を支えていこう。

彼を守り続けよう。

それだけでいい。

 

この日を境に、須美はある一つの決意をした。

許される限り、彼の傍に居続けよう。

たとえ、この気持ちが届かないモノであったとしても構わない。

彼の為ならば何だってしよう。

それくらいしか、恩を返す手段はないのだから。

 

 

そうして、九月のある日、須美は頼人の病室を訪れた。

今日は一人、他の面々とは時間が合わなかったのだ。

 

「頼人君、お邪魔します」

 

病室に入ると、少年はいつものように書類を広げ、パソコンを触っていた。

何かしらの仕事をしていたのだろう。

須美としては、入院している間ぐらいゆっくり休んでいてほしいのだが、少年は止めても聞かない。

それが辛くあるも、自分たちのためだと思うと、少し嬉しくもあった。

 

「ああ須美、いらっしゃい…と、髪型変えたんだ」

 

すぐに気付いてくれたことが嬉しくて、須美は少し頬が熱くなることを自覚した。

 

「ええ、そのっちから貰ったリボン、髪につけてみたの。どう…かしら…?」

 

次の戦いでは、須美が重要な役割を背負う。

そのことを少し不安に思っていた折、園子が須美にお守り代わりに自分の着けていたリボンをくれたのだ。

須美はそんな園子の優しさに感謝していた。

 

「ああ、とてもよく似合ってるよ」

 

「本当…!?」

 

「ああ、すごくいいと思う」

 

「ありがとう、とっても嬉しいわ」

 

それから、二人はいつものように他愛のない話をした。

二人きりで話をするのは随分久しぶりで、須美は頼人に話したかったことをたくさん話した。

頼人はどんな話でも聞いてくれて、その優しさが須美にはとても嬉しかった。

しばらく話した後、頼人があることを須美に尋ねた。

 

「須美、本当に良かったのか?元の家族に会いに行かなくて」

 

「ええ、会いに行くのは次の襲来を乗り切ったらって、決めているから」

 

この夏、須美の下に東郷の家に戻らないかという話が何度も来ていた。

どうやら、大赦の改革が進んだ結果、勇者が名家の者である必要性も無くなったらしく、鷲尾家の両親が気を利かせてくれたと須美は聞いていた。

しかし、須美はまだ東郷の家に戻る気も、元の家族に会う気もなかった。

 

「顔を見に行くぐらいはいいと思うけど?きっと、ご両親も安心すると思うし」

 

「それでも、今は会うつもりはないの。私はまだ、務めを果たせてないから」

 

「須美は十分頑張ってくれてると思うよ。須美がいなかったら危ないところなんていくらでもあったし」

 

「でも、私は一度負けた。負けてはならない戦いで…。このまま元の家に戻っても合わせる顔がないわ。だから…家族に会うのは、次の戦いを乗り越えて、胸を張れる私になった時。それまでは帰れないわ」

 

「そっか…須美は強いな……」

 

頼人はそう言ったが、須美にとっては頼人の方がよほど強い人だ。

大赦の改革に伴い、須美たちには世界の真実が明かされた。

旧世紀から神世紀への移り変わり。

その真実を。

人類が滅びかけたのはウイルスによるものなどではなく、天の神が作り出したバーテックスによるものなのだと。

壁の外は天の神により理が書き換えられ、炎の世界になっているのだと。

そんなひどい現実を知ってなお、彼女達が変わらずに居られたのは、他でもない彼が、それでもなお動き続けていたからだろう。

少年が諦めていなかったのに、自分達が現実に絶望してはいられない。

自分達は勇者なのだから。

けれど、真実を知ったのが、自分一人だったらどうしていたのだろう。

その真実を、友達に話せなかったらどうしていたのだろう、

そのことを考えると、本当に強いのはこの少年なのだと須美は思っていた。

 

「そんなことないわ。私より銀やそのっちのほうが、頼人君の方がすごく強いと思う」

 

須美は今までの襲来のことを思い出す。

とても、自分一人だけでは乗り越えられなかった。

仲間達がいたからこそ、ここまでやってこれたのだと痛感する。

 

「何言ってるんだ?須美は、いつだって、全力を尽くしてくれてきたじゃないか。それに、須美がしっかりしてくれていたから、ここまでやってこられたんだ。いまだって、よく助けてくれてるし、本当に須美はすごいよ」

 

そう言って、少年は微笑む。

その微笑みを見るたびに、彼女は胸が締め付けられるような思いを感じる。

須美は知っていた。

頼人が、鷲尾の両親に須美が元の家族と会えるようにしてあげてほしいと頼んでいたことを。

須美が東郷の家に戻れるようにと根回ししていたことを。

本当に…彼は優しすぎる。

駄目なのに、彼に対する想いがだんだんと強くなっていっている。

それでも、この想いを伝える訳にはいかない。

伝えればきっと、彼を困らせてしまう。

これ以上、彼を苦しめさせたくはない。

ただ、傍に居られればいい。

彼は自分たちから離れないと言ってくれた。

ならば、それだけで十分だ。

それ以上に望むことはない。

たとえ、それがどれだけ苦しくとも―――

 

 

side/乃木園子

 

―――夢を見た。

 

夢の中では、彼は私だけを見てくれる。

優しくぎゅっと抱きしめてくれる。

耳元でそっと愛を囁いてくれる。

 

そんな、あり得なくて、少し切なくて、とても幸せな夢―――。

 

目を覚ますといつものように自室の光景が目に入る。

カレンダーの表記は八月三十一日。

昨夜、彼と二人きりで過ごしたからあんな夢を見たのだろう。

園子はそのように結論付けた。

 

 

 

この夏で大赦は大きく変わった。

きっかけは一人の少年。

たった一人の小学生の献身が、壊死寸前であった組織を大きく変化させた。

言葉にすれば簡単だが、それがどれだけ難しい事であったか園子は知っていた。

あの遠足の日。

あれから、園子は多くを知った。

頼人が行ってきたこと。

この神世紀の成り立ち。

世界の真実。

これまでの歴史。

今までの大赦の行い。

満開と散華。

 

結局、自分達がどれだけ命を賭して戦っても、大赦はバーテックスとの戦いを儀式としてしか見ていなかった。

人身御供に選ばれた少女たちが、化け物を追い払うという儀式。

勇者を名家からしか輩出させず、満開というシステムが本気で考案されていたのがその証だろう。

バーテックスの戦いよりも秘密の保持を優先した大赦も、生贄を求めた土地神も、自分たちのことしか考えていなかった。

両親ですら、仕方のないことだと園子のことを半ば諦めていた。

 

―――彼だけだ。

 

彼だけが自分達のために戦ってくれていた。

彼だけが、諦めずに現実に向き合っていた。

ただ、延命だけを考える大赦を変えようと動き続けていた。

満開という手段を否定し、自分たちの力を信じてくれた。

結局、この改革の動きも彼抜きでは始まらなかった。

彼がいなければきっと―――

その先は想像したくもなかった。

 

だけど、園子には分かっていた。

きっと、根本的には、彼は銀のために戦っていたのだろう。

長年、園子は彼の近くにいた。

故に、分かってしまった。

確かに、彼は園子のことも大切に思ってくれている。

傍に居たのだからそれくらいは分かる。

けれど、彼にとって銀は特別だ。

本当に、どうしようもなく。

だからこそ、園子はこれまで、頼人と友達としての関係を維持していた。

園子は銀のことも大好きだったし、みんなで一緒にいる、心地いい時間を失いたくはなかったから。

ただ、傍にいられたら、それだけでいいと思っていた。

 

そんな想いもあの日、壊れてしまった。

園子は誰よりも後悔した。

頼人の行動の片鱗に気付きながら動けなかったことを。

彼に自分の想いを伝えられていなかったことを。

最早、園子は自分の気持ちを抑えきれなくなってきていた。

始めて友達になってくれた。

沢山の思い出と、居場所をくれた。

自分達のために命を懸けてくれた。

その彼の為だったら私は―――

 

 

そして、園子は決めた。

彼のために自分もできることは何でもしよう。

大切な友達と、そして、彼とずっと一緒に居られるようにしよう。

いつかきっと彼にこの気持ちを伝えよう。

彼を一番支えられる人間になろう、と。

幸い、彼は自分達の傍から離れるつもりはないと言ってくれた。

ならば―――

 

乃木園子。

富、名声、権力、知性、美、その全てを持ちうる少女。

普段はあまり、本気にならない少女。

その少女が今―――

 

「ライ君は次の襲来を乗り切ったらって言ってたけど、下拵えくらいならいいよね~」

 

園子は、本当に楽しそうに微笑んだ。

朝日に照らされて。

純粋無垢で、穢れの欠片も見当たらない、咲き誇る花のように―――

 

 



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帰校

「芙蓉友奈は勇者でない」の一話がとても良かったので初投稿です。


晴れ渡った空。

頬を撫でる風が冷たさを帯びてきた九月の末、俺はようやく退院した。

本当に、長い病院生活だった。

 

退院した翌日から、俺は再び学校に通い始めた。

久しぶりに教室に行くと、たくさんの級友が待ちかねていて、一斉に俺の退院を祝ってくれた。

少々驚いたものの、日常に戻ってきたことが感じられ、とても嬉しく思う。

顔ぶれを見れば、よそのクラスからも結構人が来ているようだ。

 

「ライト、もう体は平気なのか?」

 

「とりあえず大丈夫だよ。もうしばらくは車椅子生活だけど」

 

「その眼帯かっけーな!政宗みてーだ!」

 

「おいおい、政宗の眼帯は右目だろ?」

 

「……赤嶺。………学校で会えて。安心した」

 

「心配かけてごめん。もう平気だよ」

 

沢山の子たちが俺の体を心配してくれたり、回復を喜んでくれる。

素直にありがたく思う。

 

「ほら皆さん、嬉しいのは分かりますが、学活の時間です。席についてください」

 

そうこう話していると、安芸先生が教室に入ってきた。

そして、銀が車椅子を押してくれて…気付く。

 

「あれ?席の場所変わったんだ」

 

「ああ、頼人が入院してる間にな。アタシの隣だ」

 

席は二学期になって調整されていたようで、自分の机は最後方の廊下に面した場所にあった。

自分の席は、車椅子用の少し大きめの机になっていたり、隣の席に銀がいたりと安芸先生の配慮がうかがえる。

本当にありがたい。

ちなみに銀はいつも俺の車椅子を押してくれたり、朝も一緒に登校してくれたりと何かと世話を焼いてくれている。

今までは朝、三ノ輪家で過ごしてから銀と共に学校に向かっていたのだが、未だ車椅子を手放せない身ではそれは難しい。

そういうわけで、俺は車で直接神樹館に向かうことになっている。

ちなみに銀は朝、こっちの家に来てくれて一緒に登校してくれている。

ただ、車だとトラブルに遭遇することもないため、普段よりずっとスムーズに登校できてしまうのには苦笑してしまった。

本当に、こいつがいなかったら俺はどうしてたんだろう。

 

「にしても、あんたって意外と人望あるのね」

 

「確かに、朝のあの様子には驚いたわね」

 

「ライ君はすっごい人気だもんね~」

 

「まぁ、みんな良くしてくれてるから」

 

休み時間、いつものように集まって話す。

園子や須美も大体いつも傍に居てくれて色々と助けてくれるし、夏凜もよく一緒にいてくれて、何かとサプリを勧めてくる。

最近は、鉄やビタミンのサプリを主に持って来てくれてる。

その熱意は、流石の俺も少し引いてしまうほどだ。

銀はロックだなとか言ってたけど…。

 

「それにしても頼人、あんた、車椅子の下に色々入れてるみたいだけど、それ何入ってんのよ?」

 

「ああ、装備を色々と。双眼鏡とか簡易的な医療キットとか諸々、水や食料も少し入れてる。これがあれば何時でも御役目に対応できるからな」

 

この車椅子は特注でシートの下部、車輪の間のスペースが一般的な車椅子よりも大きくなっている。

そのおかげで、必要な装備の殆どはこの車椅子に常備することが可能となったのだ。

他にも、パソコンだったり、予備の通信機だったり色々と詰められている。

 

「へぇ、便利なのね」

 

「にぼっし―、せっかくだから~にぼしも入れてもらったらどうかな~?」

 

いや、いくら煮干し好きでも流石にそんなことは…。

 

「……ありね」

 

「「ありなのか…」」

 

中々予想外な反応が返ってきて銀と二人、驚いてしまう。

そこまで煮干し好きなのか…。

 

「車椅子に装備…。常在戦場の心構え、私も見習わないと……」

 

「や、ただ単に車椅子に装備突っ込んだだけだから、そんな見習うようなことじゃないぞ?」

 

「まあ、いいじゃん。頼人のそういうとこ、真似しても損はないし」

 

「そうよ!国防にかける頼人君の姿勢は、皆見習って然るべきなのよ!」

 

「おおう、急に話がでかくなったな…」

 

「でもライ君はそういうとこ、結構わっし―に似てるよね~。凝り性さんだったり用意のよさとか~」

 

「方向性がちょっとちがうけどな」

 

「方向性って何よ?」

 

「だって、あんたよく暴走するじゃない。お灸をすえるって言って、本当に用意するのは須美ぐらいよ」

 

その話を聞いて、背中のあの熱さを思い出す。

お灸怖い。

でかいの怖い…。

それにしても、こういう風に学校で話していると、退院したのだという実感がわいてくるな。

ただ、夏凜もいるから懐かしさと共に新鮮さも感じる。

こういうのもいいな。

 

 

 

 

その日の放課後、次の襲来の作戦会議をするため、神樹館の会議室に俺たちは集まっていた。

神託で近日中にバーテックスが襲来することが分かったからだ。

 

「御国を守るための作戦会議……否応なしに護国精神が高まるわ…!」

 

「おお、須美が謎に興奮してる!」

 

「わっし―、こういうの好きそうだもんね~」

 

「あんたら、もう少し緊張感ってやつを持ちなさいよ………」

 

夏凜が呆れたような声をあげる。

とはいえ、怒った感じはせず、夏凜がこの雰囲気に慣れてきたことがうかがえる。

良い傾向だ。

みんなが精霊を出してるから少々締まらないけど、とりあえず、始めるとするか。

意識を切り替える。

 

「こほん…まず、現在神託や過去のデータからわかっていることを整理しよう。神託の情報を纏めると、次の襲来ではバーテックスは三体で侵攻してくるものと考えられる。おそらく、西暦で確認され、未だ出現していない二体の完成型も投入されてくるだろう」

 

「確か、須美も神託受けたんだよな」

 

「ええ、まさかこんな形で役に立てるとは思ってなかったわ」

 

「勇者なうえに巫女の素質まであるなんて須美ってばロックな才能持ってるよな」

 

「ロックな才能って何よ……?」

 

「本当にわっしすごいよ~。この総合力の高さ、旧世紀の明智光秀超えてるよ~」

 

「…誰だか、知ってるの?」

 

「えへへ~、ただ何となく~」

 

「知らないんじゃない」

 

気付けば四人がじゃれ合っている。

それはさておき、須美の見たイメージは、三つの炎に包まれた星が降ってくるものだった。

星の数から襲来してくる敵の数は三、これまで以上の脅威が訪れることは明白であった。

イメージからして例の奴が出てくる可能性は高い。

 

「話を続けるが、次の襲来で最も注意するべき敵は、西暦の勇者でも倒せなかった獅子座のバーテックスだ」

 

スクリーンに獅子座のデータを映す。

大赦が用意したイメージ映像もあり、獅子座の巨大さがよくわかる。

ちなみに、新型の勇者システムにレーダー機能が付与されたこともあり、個々のバーテックスにはそれぞれ神託に基づき、名前が付けられた。

獅子座とは別の、分裂するタイプは牡羊座と呼称されている。

 

「こいつの攻撃力は埒外だ。しかも、大橋の構造上、攻撃の回避も難しい。その特性からしても、こいつが一番の難敵であるのは間違いないだろう」

 

「まさしく、敵の総大将って訳ね。まぁ、この私がいるんだから心配ないわ!」

 

「落ち着け夏凜、お前の力は認めているが、初陣でもある。油断はするな」

 

「い、言われなくても分かってるわよ!……まったく、いつもと感じが違うし調子狂うわね」

 

「ああ、なんか頼人、襲来の時とかになると雰囲気変わるんだよな。アタシも樹海以外では初めて見るよ」

 

「まるで別人じゃない……」

 

「そういうギャップもいいんだよ~」

 

「もう…。三人とも、話がそれてるわよ?……それで頼人君、対策は考えてるんでしょ?」」

 

「ああ、といっても言葉にするだけならそう難しい話でもない。基本的には獅子座を孤立させ、集中攻撃するというだけの話だ」

 

「でも、今度来るのは三体なんでしょ~?ほかのバーテックスに邪魔されちゃうんじゃないかな~?」

 

園子が皆の疑問を代弁してくれる。

こういう所で質問を入れてくれるのはありがたい。

 

「ああ、だから、想定されるいくつかの侵攻パターンに分けて、複数の作戦を考えている。それを今から説明する」

 

特に今回は、敵の数や種類をある程度絞り込めているため、想定するのは楽だった。

大赦内で新設された戦術研究部からのデータもあったし、

 

「侵攻パターンは大きく分けて三つ考えられる。三体が同時に侵攻してくるパターン。二隊に別れ時間差で侵攻してくるパターン、三体バラバラに進行してくるパターン。この中で特に危険となるのは、時間差での襲来パターンだ」

 

「あの時と同じ………」

 

「そういうことだ、獅子座以外の二体が先に侵攻してくる場合、撃破に時間がかかる。特に牡羊座は分裂するから、対処を誤ればかなり面倒なことになるし、獅子座がその火力で他の奴らごと攻撃してきた場合、かなり危険なことになる」

 

「なら、どーすんのよ?」

 

「須美の切り札を使う」

 

「国防砲ね!!」

 

「そんな名前じゃないだろ……」

 

98式大出力霊的エネルギー放射砲。

須美が勝手に国防砲と呼んでいる、須美専用に開発された武装。

バーテックスに一撃で『鎮花の儀』が発動できるほどの損傷を与えることを目的として設計された。

大地からの霊的エネルギーと勇者が持ちうるエネルギーを収束、加速させバーテックスへと放出する兵器。

桁違いな大きさの代物で、エネルギー充填中は移動は不可。

その分、威力は非常に高いらしいが、試射を行うこともできず、その威力に砲身が持たない可能性すらある危険な存在。

おそらく、満開が実装されていれば、世界で最も高価な鉄くずだと揶揄されていただろう。

とはいえ、獅子座を殲滅するには十分すぎるほど有用で、本作戦の要ともなる。

 

他にもアップデートにより様々な機能が勇者システムに追加実装された。

バーテックスの心臓部を引きずり出す『封印の儀』

致命傷となりうる攻撃を自動で防ぐ『精霊バリア』

戦闘中に蓄積された力の一部を消費し、武器の一時的な強化を可能にした『限定開放機能』

基礎性能もかなり上昇しており、今まで戦ってきたバーテックス相手なら圧倒できるとのことだ。

採れる戦術も幅広くなり、こちらとしたら万々歳だ。

 

 

「まあいい、聞いているはずだが須美が持つ大型砲で獅子座を狙撃する。ただ、エネルギーの充填にある程度の時間を取られる。その間、銀、園子、夏凜で先行する二体を叩き、敵の注意を引きつける。須美は、充填時間中は遠距離から援護射撃。二体の殲滅が完了し次第、大型砲で獅子座をアウトレンジから狙撃。封印、殲滅する」

 

「獅子座以外を倒しても充填が終わってなかったら、私たちでやっちゃっていいのよね?」

 

「ああ、充填が完了していなかった場合、三人は獅子座の封印に移行。封印が難しいようなら、充填完了まで可能な限り獅子座を攪乱。須美が大型砲で獅子座にダメージを負わせたところで再び突撃、封印するという流れだ」

 

「もし、獅子座が他のバーテックスごと攻撃してきたら~?」

 

「その時は園子が皆を守れ。強化された盾ならば、一度は奴の攻撃を防ぎきれるはずだ」

 

「よ~し!私が皆を守るよ~!」

 

「頼りにしてるぞ。…皆、今の時点で何か分からないことはあるか?」

 

「まあ要するに、アタシたちはとにかく突っ込めばいいんだろ?」

 

「ざっくばらんに言えばそうなるな、だが未確認のバーテックスを含め、奴らの能力は未知数の部分も多い。常に注意を怠るな」

 

「大丈夫だって。精霊のバリアもあるし、背中は三人に任せられるしな!」

 

その言葉に応えるかのように、銀の傍に精霊が現れる。

鈴鹿御前。

大嶽丸が言い寄ったという話を考えると、俺は徹底的に避けられるはずなんだけど、何故かそんなそぶりはない。

 

「銀、だからと言って突っ込みすぎは良くないわよ?しっかりとした状況判断を心掛けないと」

 

銀が須美に注意されてる。

この光景は久しぶりに見るな。

 

「分かってるって。須美は心配性だな」

 

「ふふ、ミノさん、またわざと注意されるようなこと言ってるよ~」

 

「もう、こういう所は治らないんだから」

 

「まあ安心しなさい。あんたたちの背中くらい、私が守ってやるわよ」

 

「おお~。にぼっしーかっこいい~」

 

「流石、姉御!頼りにしてますぜ!」

 

「誰が姉御よ!」

 

夏凜がつっこむ。

ほんと、仲良くなったねこの子ら。

 

「はぁ……。それで、他のパターンで攻めてきたらどうすんのよ?」

 

「同時侵攻の場合は、三体纏めての封印が可能になるため、一気に畳みかける。分散してきた場合は砲撃の準備をしつつ、獅子座を集中攻撃してもらう形になるな」

 

大橋のシステムと封印のシステムの相性は非常にいい。

敵の侵攻ルートを限定できることから纏めて殲滅するには好都合だし、万一封印に失敗しても、鎮花の儀という保険もある。

何より、敵の殲滅に必要な時間が大幅に短縮できる。

本当に、いいシステムを開発してくれた。

 

「皆。おそらく、次の戦いは奴らにとっても決戦となるはずだ。これまでで最も強大な敵を相手にすることになる。だが、こちらの準備も万端だ。夏凜も仲間に加わってくれたし、勇者システムも強化された。お前たちならばやれる。勝つぞ」

 

「もちろん、任せておきなさい!完全勝利よ!」

 

「ああ、アタシたちが力を合わせればなんだってできるからな!」

 

「大丈夫。絶対、皆を守って見せるわ!」

 

「うん!みんなで頑張ろうね~!」

 

彼女たちの力強い声が、胸に響いた。

この声を聞くと、不思議と不安は無くなっていき、何とかなる気がしてくる。

 

 

 

 

そして、それからさらに数日が経った日の放課後、俺たちはイネスに来ていた。

コンディションを整えるための久々の休息だ。

イネスの周りには、カボチャが多く並べられており、ハロウィンがもうすぐあるのだということを思い出させる。

 

「かぼちゃだかぼちゃだ~。外国のお祭りだ~!」

 

「我が国の懐の広さよね」

 

須美の視点はやっぱりどこかズレてるな。

 

「須美、なんか言い方が怖いぞ…」

 

「こんな感想もつ奴なんて、きっと須美ぐらいね…」

 

「でも~わっし―の言う通り、色んなお祭りが楽しめるのはいいよね~」

 

「だな!そうだ、今年のハロウィンもクリスマスもみんなでパーティーしようよ!」

 

「ほう、いいこと言うな銀。みんなでパッーとやろっか」

 

「さんせ~!ハロウィンの日は全員仮装だぜぇ~!」

 

「か、仮装?何でそんなこと…!?」

 

「まあいいじゃん夏凜、こういうのは楽しんだもん勝ちなんだからさ」

 

「仮装……やはり、ここは国防仮面を……」

 

「お~、わっしーノリノリだ~」

 

「外国由来のかぼちゃ祭りでこそ、真の愛国心を人々に知らしめる必要があるのよ……!」

 

「必要あるか……?」

 

須美、また暴走してる……。

というか、ハロウィンをかぼちゃ祭りと呼ぶのはいかがなものだろう?

 

「ま、まあ、須美も乗り気だしさ。夏凜もたまにはいいんじゃないか?」

 

「いい、仮装なんてガキっぽい真似する気はないわ」

 

俺の言葉を夏凜は拒むが、その守りは薄い。

 

「ほほう、もしや三好さんちの夏凜さんは仮装に自信がないのではございませんの?」

 

「な!馬鹿言わないで!仮装ぐらいなんだってのよ!ちょろいわ、それくらい」

 

あっさり銀に乗せられてしまった。

夏凜がちょろすぎて、心配になってくるレベルだ…。

さらに、そこで須美が援護射撃をする。

 

「それじゃあ、夏凜ちゃんは何かいい考えがあるのね?」

 

「あ、当たり前でしょ!仮装のアイディアぐらい、幾つも頭の中にストックしてあるわ」

 

うん、絶対嘘だ。

仮装のアイディアをストックしてる小学生はそうそういないぞ。

でも、ハロウィンの写真を春信さんに送ったら喜ぶだろうな。

 

「にぼっしーすご~い。私は何にしようかな~。…あっ、とぉう!」

 

「わっ、なに!?」

 

「わっしー、この帽子かぶって~」

 

そうこう話しながらイネスの中をぶらついていると、百円ショップの前に差し掛かったところで園子が突然足を止める。

そして、店の前に並べていた黒いとんがり帽子を須美に後ろからかぶせた。

 

「ほら、わっしー。似合ってるぜぇ~」

 

「そ、そう?」

 

「おー、確かに似合ってるぞ須美。そのまま箒に乗ったら、魔女に見えちゃうだろうな!」

 

「魔女は嫌ね……」

 

何故だろう、銀と須美の中の魔女のイメージがそれぞれ違ってるような気がする。

 

「その帽子でハトを出す芸覚えてみるの良いかも~」

 

と園子が言った瞬間、園子の頭の上に精霊、烏天狗が顕現した。

もしや今の話聞いて出てきたのか?

お前はハトじゃなくてカラスだろ…。

 

「こら、出てきちゃだめだよセバスチャン」

 

「あんたの精霊、そんな名前じゃないでしょ!?」

 

「えへへ~。実はミドルネーム付けてみたんだ~。烏・セバスチャン・天狗」

 

そう言うと、園子は指を鳴らす。

途端、烏天狗は姿を消す。

 

「な、なんでセバスチャン…?というかまだ浮いてるぞセバスチャン」

 

みれば、再び出てきて、かぼちゃの中に入って浮いてる。

傍から見れば怪奇現象だなこれ。

 

「えっ?もう、また勝手に出てきちゃだめだよ~」

 

「もう、精霊のしつけぐらいちゃんとしときなさいよ」

 

「神樹様が使わした精霊……この子たちがねぇ…」

 

こんな可愛らしい見た目してて、その能力は強力なんだから世の中分からないものだ。

ふと思ったが、俺が宿した大嶽丸も顕現すると、こんな感じの可愛い見た目なんだろうか?

なんか……イメージ崩れるな……。

そんなこと考えてたら通りかかった親子にかぼちゃが浮いてることを見られてしまう。

須美がマジックで浮かしてると誤魔化してくれて助かった。

その後、ハロウィンの仮装会場に寄ったのだが、まさかの衣装貸し出しを行っており、園子がみんなで仮装しようと言い出した。

最初は銀も乗り気だったのだが、途中で俺ごと逃亡。

園子がきわどい服ばかりを選ぼうとしたのが理由だろう。

ただ、銀のコスプレ姿は見たかった……。

残念。

 

 

「うーん、しょうゆ豆味はやっぱり私のなかでピンとこないわねー」

 

「ほう、人の取っといて随分なおっしゃり様ですなー須美さん」

 

しばらくした後、俺たちはフードコートにジェラートを食べに来た。

いつもなら銀が須美のジェラートを先にスプーンでとるところだが、今日は須美が先制攻撃を行い、銀のジェラートを少しだけ食べてしまった。

本当にたくましくなったものだ。

 

「ふっ、隙をさらした銀が悪いのよ」

 

「あんたらジェラートくらい静かに――」

 

「隙ありっ!」

 

「ってちょっと銀!私のとうふ味勝手にとるんじゃないわよ!」

 

「いひひ、ここはもう戦場だぞ夏凜。油断したものから食われるのだ」

 

「ちぃ、ならば…って須美!避けんじゃないわよ」

 

「ふっ、防御も戦術の内よ。私の宇治金時味は誰にも渡さないわ!」

 

「バトルロイヤルだ~、私たちも気をつけなきゃだね~。はい、ライ君あ~ん」

 

園子がバニラ味のジェラートをスプーンで掬って、俺に差し出す。

今までなら断ってるところだが、入院生活中にすっかり躾られてしまい、今では反射的にスプーンをくわえるようになってしまっている。

 

「ありがと、園子。バニラ味もうまいな。はいお返し」

 

自分の分のジェラートをスプーンですくって園子にあげる。

 

「うわ~和三盆味もおいしいね~」

 

と、そこで妙な視線を感じる。

ふと見ると、他の三人がスプーンを構え、こちらのジェラートを狙っている。

 

「あんたたち…何我関せずでいちゃついてくれてんのよ……」

 

「いや、別にそんなつもりは…」

 

「銀、夏凜ちゃん、ここは共同戦線を張るわよ」

 

「いいぜ須美、そういうの嫌いじゃない」

 

三人が同盟を組んでしまっている。

これはまずい。

 

「は、はわわ~」

 

「待て、話せばわかる!」

 

「問答無用!総員、攻撃開始!」

 

この後、滅茶苦茶ジェラート奪われた。

 

 

そうして、皆で帰路につく。

放課後にイネスか……。

随分久しぶりだったけど、楽しく過ごせた。

次に来るときには、自分の足で来たいものだ。

そうして、帰っていると一際強い風が吹き、須美が突然振り返る。

 

「……来るのか?」

 

「うん、来る」

 

「分かるようになってきちゃったね」

 

「そう固くなるなって。何があっても、アタシらなら大丈夫だよ」

 

「ええ、安心しなさい!この私が加わったんだから、負けはあり得ないわ!」

 

「そうね。ありがとう。皆で頑張りましょう!」

 

「うんうん、いっぱいがんばろ~」

 

彼女達が気合を入れていく。

心強い。

やがて、俺たちの端末から一斉に音が鳴り響く。

樹海化警報。

アップデートにより追加された機能の一つだ。

そして……時が止まる。

 

「みんな、準備はいいな?」

 

「当然!この時を待っていたわ!」

 

「私も準備万端だよ~。お休みのおかげでコンディションばっちり~」

 

「アタシもだ!強くなったアタシらの力、見せてやろうぜ!」

 

「勿論よ。気を引き締めていきましょう」

 

本当に、強い子たちだ。

こいつらなら、きっと大丈夫だ。

 

「よし―――それじゃあ、いこうか」

 

やがて、世界の色が変わっていく。

 

「―――火色、舞うよ」

 

言葉を紡ぎ、意識を切り替える。

戦いに余分な思考を削ぎ落し、冷静な判断を下せる人間に自分を変化させる。

さて―――

士気は十分。

打てる手はすべて打った。

これまでの襲来に比べ、圧倒的なまでに準備ができている。

この襲来はまさに、人間の力が試されることとなる。

信じよう、彼女たちの力を、人間の力を。

 

 

 

 

 

 

 

 



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瀬戸大橋の死闘

四国の樹海化が完了し、まずレーダーを確認する。

……やはり三体か。

獅子座、魚座、牡羊座。

魚座は、データにないが、見たところ地面を自在に潜行できるようだ。

しかし、度々地上に出てきているということは、長時間の潜行は不可能なのだろう。

そうでなければ、潜行したまま神樹に向かうはずだ。

なら、やり様はいくらでもある。

何より、ほとんど想定通りの状況だ。

これなら十分に勝機はある。

 

それにしても、獅子座は桁違いにでかい。

大橋のかなり奥のほうにいるというのにはっきりと姿が見えるほどだ。

太陽のようだと前から思っていたが、実物を見ると増々そう思えてくる。

その存在感と神話の伝承を鑑みれば、やはりあいつがバーテックスの頭であることは間違いないだろう。

 

 

さて、現状、魚座、牡羊座の順に奴らは接近している。

獅子座はまだ動いていない。

様子見を決め込むらしい。

ならば――――

 

「どうやら獅子座は様子見を決め込むらしい。好都合だ。作戦通り、一気に前方の二体を叩け。念のため、もう一度言っておくが牡羊座は斬撃により分裂する。また、封印のチャンスは一度きりだ。注意しろ」

 

「問題ない!すべて完璧にこなしてやるわ!」

 

「ああ!あたしたちの力見せつけてやろうぜ!」

 

夏凜と銀が気合を込めて、叫ぶ。

そうして、彼女たちは端末を操作し、勇者の装束をその身に纏う。

すると、夏凜の精霊である義輝が現れ、「出陣」と声を出し、ほら貝を吹き始めた。

お前……話すだけじゃなくほら貝まで吹けるのか……。

不覚にも、少し力が抜けそうになった。

 

「よ~し、みんな行っくよ~!」

 

「バックアップは任せて!」

 

だが、彼女達には逆に力が入ったようで、戦場へと移動を始める。

まず須美には、事前に決めておいた、大橋の入り口にあたるポイントに移動してもらい、放射砲の準備をしてもらう。

 

『頼人君、設置完了よ』

 

須美は放射砲を顕現させ、狙撃位置につく。

ここから肉眼でみれるとは、放射砲も流石に大きい。

旧世紀の高角砲に酷似したその砲身は、見る者に威圧感を与える。

 

「了解、充填を開始する」

 

発射に至るまでの管制システムはこちらで受け持っている。

少しでも須美の負担を減らすためだ。

手元のパソコンを操作し、放射砲の発射準備を進めていく。

全緩衝装置、固定を確認。

霊的経路、接続完了。

充填、第一段階を開始。

薬室内、圧力、正常に上昇中。

よし、今のところ動作に問題ない。

と、そこで須美が声をあげる。

 

『頼人君、樹海が……色を…』

 

「何…?」

 

須美の地点を確認すると、確かに放射砲を中心に徐々にだが樹海が色を失っていく。

これは、放射砲の負荷が原因なのか…?

見たところ、バーテックスの侵蝕とはまた違った印象を受ける。

希望的観測ではあるが、現実世界への影響は少なくともバーテックスの侵蝕よりも低いだろう。

それに獅子座の殲滅にはこいつの力がきっと必要になる。

リスキーだが……発射態勢は継続せねばなるまい。

 

「須美、今は気にするな。援護に集中してくれ」

 

『了解、頼人君を信じるわ』

 

さて、そろそろか…。

意識を大橋に向けると、ちょうど三人が接敵するところだった。

魚座が跳ねる瞬間を狙い、夏凜が脇差を投擲する。

投擲された脇差は、魚座の巨体へと刺さり、爆発。

その衝撃に、魚座の動きが鈍った。

確実にダメージが入っている。

 

『一番槍ぃいいい!!』

 

夏凜はそのまま、魚座の頭部を切り裂き、その動きを完全に止めた。

その隙を見逃す彼女達ではない。

 

『アタシらも負けてらんねぇなぁああ!!』

 

『突撃ぃ~!!』

 

動きを止めた魚座に、銀の斬撃と園子の槍撃が襲い掛かる。

三人の猛攻に、魚座の巨体が次第に形をなくしていく。

そんな魚座の危機を助けようとするかのように牡羊座がにょろにょろと前進してくる。

だが、救援はかなわない。

 

『墜ちなさい』

 

須美が牡羊座の脳天と思わしき場所を正確に撃ち抜く。

この一撃で牡羊座の動きが止まり、さらに隙をさらす。

 

『すごい…これなら…!』

 

須美はそのまま冷静に牡羊座を狙撃し続け、そのウナギのような体をハチの巣にしていく。

これには、流石に牡羊座も浮遊し続けられなくなったらしく、魚座の隣に墜落する。

本当に、あの距離でよくあそこまで正確に命中させられるものだ。

須美がいなければきっと、戦いはさらに厳しいものになっていただろう。

さて―――

準備は整った。

獅子座は三人に接近しつつあるが、まだ距離がある。

いける。

 

「よし、この機を逃すな!」

 

『了解~!二人とも、位置について~!』

 

三人が二体のバーテックスを取り囲み、封印の儀の準備をする。

だが、封印が始まる直前、魚座が突如黒煙をまき散らした。

 

『何これ?何も見えない…!』

 

『ガス…?』

 

『煙幕なんてズルいよな…!これじゃあ…!』

 

面倒な…!

あれでは三人の視界は完全に奪われているだろう。

どうする…?

この状態で封印の儀を行うのは危険だ。

視界が奪われている今、封印を持続可能な時間内に殲滅するのは難しいだろう。

ならば、魚座にさらにダメージを与えて、黒煙を止めてから封印するべきか。

よし―――

 

「須美、そこから魚座の座標に―――」

 

『はっ!そんなの必要ないっての!封印開始!』

 

「夏凜!?」

 

だが、黒煙を意に介さず夏凜が封印を強行する。

くそっ、黒煙のせいでここからでは状況が…!

止めるべきか?いや、既に封印は始まってしまっている。

これ以上、時間をかけると獅子座に合流されてしまう危険性もある。

放射砲の充填も第二段階に入り、発射まで五分はかかる。

仕方がない、ここは夏凜に任せよう。

 

『こんな目眩まし……気配で見えてんのよ!』

 

夏凜の声が響くとともに、色とりどりの光が迸る。

同時に黒煙が晴れ、レーダーから魚座の反応が消失する。

あの状況下で、御魂を破壊できるとは…大した奴だ。

視界がクリアになり、牡羊座からも四角錐の御魂が引き釣り出されていることが確認できた。

どうやら、封印の儀は正常に作用しているらしい。

 

『やるな、夏凜!おっしゃぁあ、アタシもぉおお!!』

 

続けて、銀が牡羊座の御魂に二丁の斧剣を叩きつける。

瞬間、光が天へと駆けのぼった。

そして、牡羊座の体が砂となり、レーダーからも消滅する。

これで、残りは獅子座だけだ……!

 

『よし!これであとはあいつだけだな!』

 

『このまま、一気に殲滅するわよ!』

 

『みんな、油断しないで。ここからが本番よ』

 

『うん、まだまだ頑張るよ~!』

 

士気は高く、程よく緊張感も残っている。

疲労も少ない。

これなら問題ない。

獅子座が三人に接近してきている。

放射砲の充填完了まで残り三分。

あと三分間、奴を足止めできれば勝てる…!

 

「よし、三人は散開して、獅子座への攻撃を開始。須美は放射砲の発射態勢に。獅子座にも隠し玉があるかもしれん。全員、注意を―――」

 

と、言いかけたその時、獅子座に動きがあった。

奴の背部にあたる円形の部分が二つに割れ、その間からちいさな火球のような物体が大量にあふれ出してくる。

あの火だるまの形状は……星屑か!?

 

『わぁああ~!なんかいっぱい来た~!』

 

『……星屑!?』

 

「作戦変更だ!三人とも、その場で散開!園子は大橋中央に、銀は右翼、夏凜は左翼に!全力で星屑を食い止めろ!須美には絶対に手を出させるな!園子はいつでも盾を張れるようにしておけ!」

 

『了解~!わっし―は私たちが守るよ~!!』

 

『言われなくても……西暦に比べれば、この程度の数!』

 

『ああ、何体来ようと須美には手出しさせない!』

 

三人がその場で散開し、簡易的な陣を敷き、火だるまになった星屑との戦闘を開始する。

思考実験程度のものではあったが、彼女達に星屑との戦いを想定させておいたのは正解だった。

おかげで、かろうじてだが戦線を保てている。

正面と左右に広がることで、誰か一人が星屑に囲まれるような事態は起こりにくく、対処が比較的容易になる。

初代勇者達が採った作戦、まさかこんなところで役に立つとは……。

 

『せめて援護を…!』

 

「駄目だ須美、お前は砲撃の準備に集中しろ!」

 

『くっ、了解!』

 

充填完了まであと一分。

たった一分。

だが、その僅かな時間で、状況はさらに悪くなる。

突如、獅子座が巨大な火球を作り始めた。

獅子座の本体すらも凌駕する巨大さ。

此方を纏めて潰す気か……!?

 

「園子!!」

 

『うん!!みのさん!にぼっしー!』

 

園子が叫ぶと同時に、銀と夏凜が園子の傍に移動し、園子が盾を構える。

次の瞬間、獅子座が火球を発射した。

その火球に対抗するように、園子の盾が巨大化する。

本来、満開に回されるはずだったエネルギーをすべて、武器に注ぎ込み、盾を強化したのだ。

 

『気合ぃい~!!』

 

園子の盾が火球と激突する。

瞬間、世界が赤く染まった。

 

『こんじょぉおおおおおお!!』

 

『負けるかぁああああああ!!』

 

園子を銀と夏凜が支えていることもあり、何とか火球を押しとどめられている。

しかし、火球の威力は凄まじく、三人はじりじりと押されていく。

このままでは…!

 

『頼人君、まだなの!?』

 

「あと二十秒!」

 

『くぅ…!はやく……!』

 

施条回転開始。

砲身に祝詞の文言が浮かび上がり、周辺の地面が光り始める。

もうすぐだ…頼む、もう少し耐えてくれ……!

だがその前に、火球が突如、爆発する。

その衝撃で、三人が大きく吹き飛ばされた。

 

『みんな!!』

 

三人が樹海に倒れ伏す。

見れば、大橋が完全に崩壊してしまっている。

海上にいる獅子座を封印して撃破することは非常に難しい。

これで……須美の一撃に全てを賭けるしかなくなった…!

充填の完了を確認。

後は須美に託すだけだ。

 

「撃てぇえええ!!須美ぃいいいいいいいい!!」

 

俺の声に須美が応えた。

 

『当たれぇえええええええええええええええええ!!!』

 

須美が引き金を引いた瞬間、辺りを閃光が包んだ。

 

―――それは、文字通り光の線だった。

 

その一条の光は容易く獅子座の中心部を飲み込み、壁を掠め、結界外の天へと伸びていく。

獅子座からは、鮮やかな光が迸っていき、やがて残骸も砂となり、消滅していった。

 

「獅子座の消滅を確認……!」

 

『やった……?』

 

須美が呆然と呟く。

信じられないのも無理はないだろう。

俺自身、未だに信じられない。

それほどの威力だった。

だが、その代償として、砲は完全に機能を停止している。

第二射を放つことはできなかっただろう。

 

『あはは、一撃で倒しちゃうなんて、わっしーすごいよ~』

 

『まったく……いいとこ……持ってかれちゃったわね……』

 

『流石だな、須美……かっこよかったぞ』

 

三人の声が聞こえる。

どうやら無事のようだ。

良かった……。

 

「みんな、よくやってくれた。お疲れ様」

 

そういうと、普段より小さく、されど力強い声が返ってきた。

ただ、やはりその声には安堵と疲労が感じられる。

本当に、よく頑張ってくれたものだ……。

勝利…か……。

本当に、紙一重の勝利だった。

そして、払った犠牲もまた大きい。

先ほどの獅子座の一撃で、大橋が見るも無残に破壊し尽くされてしまっている。

獅子座の能力は可能な限り高く見積もっていたが、それでも、こちらの想像の上をいっていた。

現実ではどれほどの被害になることか……。

……今考えても仕方ないか。

彼女達は最善を尽くしてくれた。

続きは、現実世界で考えよう……。

 

 

―――瞬間、レーダーが光を灯した。

 

 

「……え?」

 

随分と間の抜けた声をあげてしまう。

レーダーが信じられずに壁のほうを見ると、赤く染まった巨体が次々と姿を現していく。

反応は次々に増え、やがて、その数は二十まで膨れ上がる。

 

『何て数……』

 

『何だよ……これ……?』

 

『まさか、これ全部が完成体だっての…?』

 

『うそでしょ……?』

 

彼女達が何か言っているが、脳が受け付けない。

……バカな。

なぜ今になって……?

思考が空白に染まりかける。

 

 

―――だが、そんなことは許されない。

 

 

胸ポケットに入れたボールペンを勢いよく左手に突き刺す。

鋭い痛みが脳を支配する。

なんて、バカな行為。

だが、思考は戻った。

 

落ち着け。落ち着け。落ち着け。

こんなところで絶対に諦める訳にはいかない。

まずは観察しろ。

観察して、思考しろ。

俺に出来ることなんてそれだけなのだから、だからこそ、それをやめることだけは駄目だ。

目を瞑り、大きく深呼吸する。

……動揺は完全に鎮まった。

さて……始めよう。

 

双眼鏡で奴らを見ると、今まで見てきた完成体と違い、表面が赤く染まっており、また、完全な形を保っている敵は存在していない。

そして、先ほどまでの三体が敗れた後に奴らは現れた。

色を失った樹海、大橋を失った四国。

西暦の記録。

今までの戦術研究。

現勇者の能力。

ここから、導き出される結論は―――

 

 

 

 

『頼人!聞いてるのか頼人!?』

 

「ああ、聞こえてる。何だ?」

 

気がつけば、銀の呼びかける声が聞こえた。

 

『何だ、じゃないわよ!今からどう戦うかって話をしてんのよ!』

 

夏凜から怒られる。

どうやら、しばし思考に没頭しすぎたらしい。

いけない癖だ。

少々、彼女達を不安にさせてしまったかもしれない。

だが、既に話し合い始めてるところを見るに、皆諦めていない。

ならば、問題ない。

 

「すまん、作戦考えてた」

 

『頼人、何かいい考えがあるのか!?』

 

「一応な。とりあえず、みんなこっちに戻ってきてくれ」

 

『そんな悠長なこと言ってる場合?』

 

「現状、奴らとはまだ距離がある。作戦も説明したいし、まずは戻ってくれ」

 

そういうと、なんだかんだ言いつつ、夏凜は承諾してくれた。

さてと、あいつらが戻ってくるまでに色々決めておこう。

 

 

 

「さて、あまり時間はない。手早く済ませよう。まずレーダーを見てくれ。敵の数は二十。このままの侵攻速度なら、あと十五分ほどで上陸するものと考えられる。」

 

戻ってきた四人に休んでもらいながら、説明をしていく。

荷物に水分や食料などを入れといてよかった。

これで少しは体力を回復できるだろう。

ただ、夏凜からは「危機的状況なのに、緊張感がまるでないわね………」と呆れられてしまった。

もっとも、夏凜もにぼしをかじりながら話を聞いているので人のことは言えないと思うが…。

 

「十五分……あまり時間がないわね……」

 

「それで頼人、作戦はあるんでしょうね?」

 

「勿論。まず作戦の第一段階として、須美には沿岸部にてこちらが指定する敵への攻撃を始めてもらう」

 

「敵を足止めすればいいわけね。」

 

「ああ、だが一部の敵には攻撃を避けてもらう」

 

「上陸のタイミングをずらすんだね~」

 

「そうだ、可能な限りバーテックスの上陸が一体ずつになるように敵の動きを調節し、上陸してきた奴を各個撃破する。難しいとは思うが、須美ならできるはずだ」

 

「ええ!任せておいて!」

 

「頼りにしてるぞー須美ー」

 

「ってことは、私たち三人が敵を各個撃破すればいいわけね!」

 

「いや、射手座が二体いるからな。園子には須美の護衛をしてもらう」

 

「よ~し、わっし―は私が守るよ~!」

 

「よろしくね、そのっち」

 

「なら、上陸した奴はアタシら二人で倒していけばいいんだな!夏凜、アタシらの実力見せてやろうぜ!」

 

「当然!一匹残らず殲滅してやるわ!」

 

「それでライ君、下がるのは敵がいっぱいきたらでいいんだよね~?」

 

今の話を聞いてそこまで理解するとは…。

やはり園子は滅茶苦茶賢いな。

 

「ん?下がるってどういうことだ?」

 

「流石に、二十体全ての上陸をずらすのはできないからな。複数体の同時上陸が避けられなくなった時点で戦線を内陸部まで後退させ、さっきのように陣形を組んで戦ってもらう。フォワード三人は先程のように中央、右翼、左翼に広がってもらい、須美には後方からの援護を担当してもらう」

 

正直、もう少し戦力に余裕があればまた違った戦術を取ったのだが、現戦力で実現可能かつ最も迎撃成功確率が高いのはこの案なのだ。

それに、奴らが戦術というものを理解しているのなら、どこかしらのタイミングで孤立を避ける戦い方をしてくるはずだ。

そうなった時のことを考えると、この戦術が最も有効だ。

また、丸亀城の戦いなら彼女達も知っているため、作戦の理解度も他のそれより高い。

少しでも早く説明を済ませられるのは利点の一つだ。

 

「途中からは、一人で何体も相手にする訳ね」

 

「なんだ夏凜、自信ないのか?」

 

「まさか!少し物足りなかったくらいよ。誰よりも多く殲滅してやるわ!」

 

あえて挑発するような言葉を選んだが、期待通り夏凜はさらにやる気を見せてくれる。

頼もしい限りだ。

 

「だけど頼人、一人じゃ封印の儀はできないぞ?それはどうするんだ?」

 

「それも問題ない。奴らの体は不完全だ。おそらく、御魂を持たない急ごしらえだろう。西暦と同じように殲滅できるはずだ」

 

西暦の時代に御魂が確認された報告はない。

それどころか、体が欠けている未完成な大型バーテックスも多く見られたとのことだ。

ならば、見た目だけの完成体もどきが存在しうることは間違いない。

現に、今まで戦ってきたバーテックスならば、この話している時間に完全に回復しているはずだ。

だが、奴らの体は欠けたまま治りきっていない。

奴らが御魂を持たない出来損ないである証拠だ。

おそらく、本来は御魂を持つバーテックスだけが、結界を突破できるのだろう。

奴らが侵入できたのは、結界が弱体化しているため、といったところか。

大橋の破壊によるダメージと砲撃の負担が神樹に多大な負荷を与えてしまったのだろう。

このタイミングで侵攻してきたことがその証だ。

だが、星屑が侵入してない辺り、完全に結界が消失したわけではなさそうだ。

ならば、奴らを殲滅すれば事は終わる。

 

「ええと……なるほど、そういうことか!」

 

銀が分かったのかわかってないのかよく分からない答え方をする。

後でちゃんと確認しとこう。

 

「さて、みんな。奴らは戦術的に絶対にやってはならないことをした。戦力の逐次投入だ」

 

獅子座があの中にいるのならいざ知らず、完成体を一体も引き連れずに挑んでくるなど、愚の骨頂だ。

二十という数は逆に、個々の能力不足を如実に物語っている。

水瓶座に至っては、二体いるうちの一体は、頭部しかまともに残っていない。

質を下げて数で勝負といったところだろうか。

 

「確かに数は多くピンチに思えるかもしれないが、奴らは未完成で脆い。そのうえ、奴らの戦い方は既に割れている」

 

確かに、あれほどの数の敵が連携して攻撃してくれば、それなり以上の脅威だ。

しかし、これまでずっと研究を重ねてきたのだ。

相手の出方は予測できる。

また、圧倒的な火力を持たない分、獅子座を相手取るよりも神樹に攻撃される危険性は少ない。

 

「この延長戦、長く厳しい戦いになるだろう。だが、今のお前たちならば必ず勝てる。さぁ、かかるぞ!」

 

彼女達の気合のこもった声が耳朶を打つ。

大丈夫、勝てる。

自分にそう言い聞かせる。

こんなところで終わってたまるか。

 

 

 

『頼人君、位置についたわ』

 

インカムから須美の声が聞こえる。

さて、第二ラウンドの始まりだ。

 

「よし、まずは魚座を誘引する。遠距離攻撃が可能な射手座と乙女座は優先して叩け。また、魚座は二体いる、そのうちの一体は上陸間際で叩いてもらう。タイミングはこちらで知らせる。魚座の次は、牡羊座を誘引する」

 

『了解!』

 

まずは、魚座を誘引して叩く。

奴らは地中に潜行でき、煙幕を張れる。

混戦状態になればなるほど、非常に面倒な敵だ。

また、潜行しているため、その足止めにはかなりの注意を向ける必要があり、須美の負担も増大する。

そのため、可能な限り、早めに叩いておく必要があるのだ。

現状、バーテックスは横一列の単横陣のまま接近してきている。

魚座さえ何とか出来れば、侵攻時間の調整は容易だろう。

…と、そこで須美が射撃を開始した。

須美の迅速な攻撃を受けた敵は、次々と動きを鈍らせていく。

そして、その攻撃はとても的確で、乙女座の射出口だけを吹き飛ばし、その攻撃手段をうまく封じている。

もう一体の乙女座や何体かのバーテックスは須美の攻撃で、海中に沈んでおり、また、頭部のみの水瓶座などは、須美の射撃だけで撃破できてしまった。

あんなものをどうして戦力にしたんだろう……?

だが、こちらにとっては運がいい。

これで奴らに御魂がないことが証明された。

 

『確かに脆い……!行けるわ……!』

 

『わっしー、すごいよ~!もう、一体やっつけちゃった~!』

 

園子の興奮した声が響く。

敵は予想以上に脆い。

これなら……!

だが、うまい話ばかりでもない。

 

『蟹座が射手座を守ってる…?』

 

敵中央と右翼に一体ずつ存在する射手座。

その二体の射手座と須美の間にそれぞれ蟹座が割り込む。

予想以上に素早く、奴らは須美の攻撃に対応してきた。

だが、対処法は分かってる。

 

「射手座が二体ともに槍を装填、来るぞ」

 

『そのっち』

 

『うん!任せて~!』

 

蟹座がずれた瞬間、二体の射手座が同時に槍を射出する。

その瞬間、射出された槍を須美が狙撃し、相殺。

もう一体の射手座からの攻撃は園子が盾で受け流した。

そのまま、隙をさらす射手座に須美が冷静に射撃を命中させる。

射手座がその体勢を大きく崩し、海中に沈んでいく。

これでしばらく奴は動けないだろう。

続けて、須美はもう一体の射手座を守る蟹座に射撃を集中させる。

反射板を持たない不出来な蟹座はその射撃をもろに受け、いとも簡単に動きを止まる。

その隙に、須美はもう一体の射手座にも攻撃を仕掛け、その動きをも完全に封じ込める。

完璧な対処。

 

『おぉー。すっごいコンビネーション!』

 

『恐ろしいくらい正確な射撃ね…。須美がいてくれてよかったわ…』

 

銀と夏凜がそれぞれ感想を述べる。

夏凜の意見には全面的に賛成だな。

とそこで、魚座がいい位置まで接近してきた。

 

「よし須美、続けて二時の魚座を叩け」

 

『了解』

 

返事を聞こえた途端、頭を出した魚座に須美の射撃が命中する。

攻撃を受けた魚座は動きを止め、海中に没していく。

その間に、先行していた魚座が陸地に到達する。

 

「銀、夏凜、いけるな?」

 

『ああ、銀様に任せときな!行くぞ夏凜!』

 

『ええ!一緒にやるわよ、銀!』

 

跳ね上がった魚座に銀と夏凜の斬撃が炸裂する。

まったく同じタイミング。

銀と夏凜の鮮やかな連撃は、魚座を瞬く間に消滅させた。

やはり、銀と夏凜のコンビはかなり相性がいい。

破壊力が段違いだ。

 

「よし、二体目の魚座も同じように頼む。須美、あとどれくらい持つ?」

 

『あと十分はなんとか持たせられる。けど、それ以上は…』

 

須美が射撃を継続させながら答える、

これほどの数を相手に、それほど持たせられるのなら十分すぎる。

牡羊座の誘引もうまくいきつつある。

 

「了解した。園子は、一体目の牡羊座を誘引後、撃滅に参加。須美は中央の牡羊座の誘引完了まで足止めを継続、その後に指定のポイントへ移動を」

 

『了解!』

 

『わかったよ~!』

 

牡羊座は可能な限り素早く撃滅しないとまずいことになる。

須美を単騎にするのは、危険だがやるしかない。

と、そこで銀と夏凜が二体目の魚座も撃滅する。

残り、十七体。

 

『楽勝!次はどいつだ!?』

 

「次は十時から接近中の牡羊座だ。あれを試せ」

 

『了解!分裂なんてさせる間もなく細切れにしてやるわ!』

 

銀と夏凜が一体目の牡羊座の上陸予測地点に向かう。

そろそろか。

 

「よし、園子も向かえ」

 

『うん!わっしー、気を付けてね?』

 

『ええ、そのっちも』

 

園子が二人と合流し、樹海を駆ける。

良いタイミングだ。

おかげで、上陸した瞬間に三人は接敵した。

 

『じゃあ、いくよ~!』

 

『よし、タイミング合わせるぞ!』

 

『あったりまえよ!』

 

接敵の瞬間、三人は散開し、三方向から同時に攻撃を繰り出す。

園子が正面から槍を突き、動きを止め、銀と夏凜が牡羊座の体を細切れにしていく。

分裂する間もなく、牡羊座は完全に破壊される。

牡羊座を斬撃による攻撃で可能な限り、素早く倒すために考えた結果がこの攻撃だ。

西暦の時代、初代勇者がこいつと相対した際、判明した事実は二つ。

一つは、斬撃により分裂すること。

もう一つは、分裂しても司令塔となる個体を潰せば、各個撃破できるということ。

ならば、徹底的に奴を細切れにしてしまえば、分裂されずに撃破が可能になるのではないか。

そう考えたわけだが、どうやらうまくいったらしい。

三人は続けて、二体目の牡羊座も同じように排除した。

と、そこで動きを止めていた二体の射手座が海中から姿を現す。

やはり、不完全体とはいえある程度の再生能力は有しているらしい。

だが、対処を間違えなければ問題ない。

そう考え、須美に射手座の迎撃を指示しようとして―――気付く。

射手座が回復したのなら、乙女座も回復してる可能性は高い……なのになぜ動かない―――

―――まずい!

 

「須美、下がれ!!」

 

『えっ!?りょ、了か―――!?』

 

須美が返事をしきる前に、異変が起こる。

海中から突如、複数の岩のような塊が飛び出した。

乙女座の爆弾。

海中から射出したらしい。

バーテックスが死んだふりをするなど……。

このタイミング……やはり、奴らは戦術を駆使している…!

須美がその場を離れると同時に、二体の射手座が幾千もの矢を放ち、また、それに合わせるかのように、乙女座からの爆弾が、須美へ殺到する。

須美は滞空しながらも、爆弾を打ち落としていくが、複数の方向からの同時攻撃には対処しきれず、吹き飛ばされてしまう。

 

『わっしー!!』

 

『須美!!』

 

『須美!くそっ!』

 

「三人は牡羊座の殲滅を急げ!まだ間に合う!」

 

『くぅ……了解!』

 

三人が上陸したばかりの牡羊座へと向かう。

確かに射手座が生きている今、牡羊座への攻撃はリスキーだ。

だが、ここで牡羊座を叩いておかないと、最早陣形を組むどころの話ではない。

危険だがやらざるを得ないのだ。

 

「須美、大丈夫か!?」

 

『大丈夫……精霊の…バリアがあるから…すぐ動けるから…』

 

しかし、その声は苦しげだ。

当然だろう。

難敵との連戦だ、須美もみんなもかなり疲弊している。

そこに、あの攻撃を食らってしまえば、回復は容易じゃない。

だが、今須美に長いこと休んでいてもらうわけにはいかない。

全ての感情を抑え込み、彼女に指示を出す。

 

「っ……分かった。なら、三人の援護を急いでくれ」

 

『了解、すぐに……』

 

今回の戦い、彼女達みんなにかなり無理をさせている。

そうせざるを得ないほどに敵は強大だ。

流石に、このような状況になるとは、まるで予測できなかった。

だが、敵はこちらの都合などまったく考えない。

射手座の内の一体が上の口に槍を装填する。

 

「全員散開!!」

 

俺が叫ぶと同時にまとまっていたフォワードの三人が別方向に散る。

次の瞬間、射手座が槍を射出する。

だが、その狙いは勇者ではなかった。

射手座の攻撃が、牡羊座を直撃し、その体を二分する。

すると、牡羊座がぶるぶると蠢き始め、気が付けば牡羊座は二つに分裂していた。

 

『うわっ!ずっこい!!』

 

『わざと撃たれるなんて~』

 

『ちっ!増えたところで…各個撃破すればいいだけよ!』

 

『だな!』

 

三人が再び、集まり牡羊座を各個撃破しようと迫る。

しかし、攻撃の瞬間、射手座や乙女座の攻撃が、三人を妨害してしまう。

結果、攻撃は不完全なものとなり、射手座の攻撃により、奴はさらに増殖してしまう。

四体に増えた奴らは、そのうちの一体をそのほかの三体で守りながら、三人に迫る。

面倒な…!

三人なら本来、一瞬で殲滅できる敵だが、他のバーテックスの妨害が厄介だ。

 

『こいつ…頭に来るわね…!』

 

『ちょっとやばいかも~』

 

「仕方ない、一時後退を…」

 

と言いかけた刹那、須美の弾が司令塔と思しき牡羊座を撃ち抜く。

分裂した分、防御力が下がっていたのか一撃で撃たれた牡牛座は消滅する。

狙撃ポイントに向かう道中、空中で狙撃をしたのだ。

須美はそのまま、射手座や乙女座への攻撃を再開し、奴らを再び黙らせる。

 

『みんな今よ!』

 

『ナイス須美!』

 

『さすがわっしー!これでもう怖くないよ~!』

 

『こうなりゃこっちのもんよ!纏めて殲滅してやるわ!』

 

こうなれば、彼女達を阻む者はない。

三人が一気呵成に残りの牡牛座を殲滅する。

今度は分裂することなく消滅していった。

 

「よし、全員指定されたポイントまで後退しろ!」

 

四人が返事をしつつ、移動を開始する。

自分も移動することになる。

まだ使う装備をすべてカバンにまとめる。

車椅子はここに放棄していくからだ。

 

敵、残り十四体。

ここからは、まったく違う戦い方になる。

須美が後方から支援をしつつ、射手座や乙女座を押さえ、フォワードの三人がそれぞれ複数体の敵を相手どる。

彼女達にはかなりの負担をかけるが、数が数だ。

せめて、勇者がもう一人いてくれれば、もう少し負担は減らせたのだが、無いものねだりをしても仕様がない。

 

「頼人君、しっかりつかまってて!」

 

須美が戻ってきて、俺を抱きかかえる。

ここから一気に内陸部まで後退するためだ。

大橋前の土地は埋め立て地であり、陸繫島であるため敵が広範囲まで広がり、包囲しようとしてきた場合、面倒なこととなる。

そのため、陣形を築く地点は内陸部である必要があるのだ。

須美が俺を運ぶ理由は、陣形を組む際、須美の役割が後方での援護のため、俺が須美と同じ地点に位置することとなったためだ。

 

「すまない、苦労をかける」

 

「大丈夫よ。それよりしゃべらないで、舌を噛むわ」

 

そう言うと、須美は跳躍する。

それにしても、須美は迷わず俺を抱きかかえた。

普段ならもっと恥ずかしがるか、俺を背負うなどほかの方法を取るはずなのに。

やはり、相当余裕がなくなってきているのだろう。

 

やがて、全員が指定したポイントへ到着した。

内陸部まで下がった分、ある程度時間を稼げた。

敵の動きは俺が警戒しておき、奴らが到着するまでの短い時間、皆を休ませる。

少しでも体力を回復してくれればいいのだが……。

既に、樹海に入ってから一時間以上経過している。

そして、さらに戦いは激しくなる。

これ以上の長期戦は厳しい。

なら、ここから俺が採るべき作戦は―――

 

「みんな、そのまま聞いてくれ――」

 

 

 

バーテックスがまとまって押し寄せてくる。

可能な限り、須美の狙撃で先ほどと同じように、敵の一部を孤立させようとしたものの、予想通り、奴らはまとまっての進軍をやめようとはしなかった。

また、射手座はこちらに近付いたものの、敵の後方に位置し続けており、逆に乙女座は、前衛に加わっていく。

ゆっくりと確実に、こちらを突破するつもりらしい。

中央、園子のいるところに、計六体。乙女座、蟹座、水瓶座、山羊座が一体ずつ。天秤座が二体。

右翼、銀には、蟹座、天秤座、山羊座が一体ずつ、計三体が向かう。

左翼、夏凜は、計三体、乙女座、蟹座、天秤座を相手する。

中央に戦力を集中させ、中央突破を図る気だ。

想定した中で、最悪のパターン。

しかし、最も短期決戦を狙えるパターンでもある。

 

「須美、三人と奴らが接敵する前に、射手座と乙女座の攻撃手段を封じてくれ」

 

「了解、すぐに済ませるわ」

 

返事をした刹那、須美が発砲する。

その正確無比な射撃は再び、射手座を撃ち抜き、その巨体を地に叩き落とす。

孤立した分、無防備になっているのが幸いした。

直後、須美は素早く狙いを変え、乙女座への攻撃を開始する。

数度、他のバーテックスが攻撃を阻もうとするも、先ほどよりも距離が近くなっているためどうしても隙は生まれる。

須美の弾はバーテックスの間をすり抜け、乙女座に到達する。

その射撃により、乙女座の下腹部は激しく損傷した。

須美の圧倒的なまでの絶技。

これでしばらく爆弾は射出できないだろう。

おかげで準備は整った。

後は……。

 

「頼むぞ、園子……」

 

『待ってなさい、園子!こんな奴らすぐに片づけてやるからっ!』

 

『ああ、少しだけ辛抱しててくれ!』

 

『大丈夫だよ~。二人が来るまでは絶対に持たせるから、安心してね~!』

 

園子が間延びした声で応える。

俺たちを安心させるためだろう…。

こんな気遣いをさせてしまうとは…少し情けなくなる。

ここからの戦いは、まさに時間との勝負だ。

俺の立てた作戦はこうだ。

中央の園子は応戦しながら、ゆっくりと後退。

可能な限り時間を稼ぐ。

銀と夏凜は逆に戦線を押し上げ、右翼、左翼の三体をそれぞれ片付けた後、二体の射手座を排除。

その後、六体のバーテックスを三方向から包囲、殲滅。

須美は、射手座の無力化と園子の援護を担当。

口にするだけなら簡単だが、各人の負担は凄まじい。

不完全体相手の時間稼ぎだとはいえ、園子の相手は六体。

須美の援護があっても時間稼ぎだけでも一苦労だろう。

同様に、銀や夏凜にもかなり、厳しい戦いを強いることになる。

あの二人の攻撃力なら三体相手でも、時間をかければ問題なく殲滅できるだろう。

しかし、今回は時間をかける訳にはいかず、須美の援護もない。

奴らとの戦い方について簡単に説明はしているモノの、かなりの負担になるはずだ。

半ば賭けのような作戦。

だが、俺はこれが最も成算があると確信している。

 

「大丈夫、そのっちは私が守るわ!」

 

『お願いね~!わっしーもライ君も私が守るよ~!』

 

やがて、前衛の三人が接敵する。

直後、地面が激しく揺れ始めた。

山羊座によるものだ。

園子はいったん空中に跳び、地震による影響から逃れる。

そこを狙い、水瓶座の水球が園子を襲う。

園子が盾ではじくも、このまま地面から離れているのは危険。

確かに、山羊座の攻撃は面倒だ。

しかし、ここには須美がいる。

 

「須美、山羊座を。角の接続部を狙え」

 

刹那、須美が、山羊座の角と本体を結ぶ接合部を正確に撃ち抜く。

同時に地震は止まり、山羊座がバランスを崩し、倒れ伏す。

しかし、危機はそう簡単には去るはずもない。

園子が着地した瞬間を狙い、蟹座の鋏が、乙女座の白い巨大な帯が同時に襲い掛かる。

鋏は須美の狙撃で弾き、帯は園子の盾が受け止める。

盾が帯を弾いた瞬間、さらに水瓶座が水流を園子に叩きこんでくる。

園子はその水流を避け、そのまま、敵の懐に潜り込む。

侵入してきた園子に、分銅を叩きつけようと二体の天秤座が腕を振る。

しかし、奴らは腕が一本しかない不完全な存在、以前のように風のカーテンは作れずにいる。

故に、隙が生まれる。

園子はその勢いのまま、天秤座の攻撃をかいくぐり、そのうちの一体に突撃する。

 

『突撃ぃいいいいいい!!』

 

園子が天秤座の中央部に突撃、胸のような部分を抉り、大穴を開け、突き抜ける。

途端、胸を穿たれた天秤座は形を崩し、消えていく。

まさしく、獅子奮迅の戦いぶり。

須美の援護もあり、この分なら今しばらく持ちこたえられるだろう。

 

 

銀、夏凜もまた戦闘を優位に進めていた。

特に、銀は鬼気迫る勢いで戦い続けている。

空高くから繰り出される山羊座の角、蟹座の鋏、天秤座の分銅を、強化した斧剣により時には防御し、時には避け、そのまま、一本腕の天秤座に突っ込んでいく。

銀は跳躍し、斧を振るいながら天秤座の腕を駆けあがっていく。

そして、天秤座の頭頂部まで到達したのち、再度跳躍。

 

『墜ちろぉおおおおお!!』

 

無理矢理、山羊座のいる地点まで跳び、その巨体を二丁の斧剣で切り裂く。

元から不完全な体であった山羊座の巨体がゆっくりと崩れ落ちていく。

これで奴らは二体。

しかも、天秤座のダメージは深い。

最早、奴らは銀の敵ではない、じきに奴らの包囲網を突破してくれるはずだ。

 

一方、夏凜はその機動性を生かして、三体のバーテックスを翻弄している。

敵の攻撃を避けては痛撃を与え、器用な立ち回りで少しずつ着実に奴らにダメージを与え続けている。

だが、これ以上時間をかけるわけにはいかない。

 

「夏凜、乙女座の下腹部を狙え。須美が攻撃を当てた場所だ」

 

『分かってるっての!!』

 

夏凜は素早く乙女座の白い帯を躱しながら、その巨体に脇差を投擲する。

脇差は乙女座の下腹部に直撃し、その巨体が大きく崩れる。

その瞬間、夏凜は乙女座へ吶喊。

その動きを妨害しようと迫る天秤座や蟹座の攻撃を掻い潜り、乙女座に到達、その曲線的な体のことごとくを解体していく。

やがて、乙女座は完全に消滅し、ダメージの残った天秤座と蟹座が残される。

こちらももう少しで突破できる。

だが一方で、園子はかなり消耗してきている。

敵の攻撃を躱し、弾き続けているも、

この分だと、およそ―――

 

「銀、夏凜。あと五分で射手座を含め殲滅しろ。できるな?」

 

『…ったく、無茶言ってくれるわね!やってやるわ!』

 

『任せとけ…!それまで、園子も耐えてくれ!』

 

『りょう………かい……!ミノ…さん……にぼっしー……待ってる………よ……!』

 

園子が敵の攻撃を捌きつつ答える。

息も絶え絶えの様子で、かなり余裕がなくなってきている。

これ以上はまずいな…。

 

「須美、乙女座と水瓶座に攻撃を集中。遠距離攻撃を封じろ」

 

「了解…!」

 

「園子は一旦、距離を取れるか?」

 

『うん……ちょっと…やってみるね~』

 

そうして、須美が援護しつつ、園子が下がろうとするも、そうそううまくはいかない。

山羊座が残った角を園子に繰り出し、後退を妨害してくる。

さらに、そのタイミングで射手座に再び動きが見られた。

厄介な…!

あともう少しだけおとなしくしてくれれば良かったものを…!

 

「ちぃ…!須美、目標を射手座へ変更!園子、あと三分耐えてくれ!」

 

「くっ!こんな時に…!」

 

『大丈夫……三分くらい…持たせられるよ~』

 

園子はそう言うが、敵の多さやその消耗具合を考えると、一撃喰らっただけで動けなくなるだろう。

あまりにも危険な状態だ。

また、銀と夏凜はそれぞれ残りの二体を今、排除したところだ。

二人が射手座を排除し、園子の下へたどり着くにはもう少し時間がかかる。

須美は今射手座の対応を行っている。

事実上、園子は孤立している状況だ。

そんな中でも、園子の戦いぶりは凄まじい。

五体のバーテックスからの攻撃のことごとくを最小限の動きで躱し、弾き、時に反撃をしている。

初代勇者もかくやというほどの激しさだ。

そして、須美が射手座を再び黙らせ、銀と夏凜が射手座の巨体に迫る。

これなら、間に合うか…!?

 

刹那―――爆風が園子を襲った。

 

「そのっち!!」

 

「園子!?」

 

瞬間、体中を悪寒が駆け抜ける。

さっきのは乙女座の爆弾…。

なら…!

 

「須美――――」

 

口走ると同時に、眼前に爆弾が飛び込んできた。

殺られる…!

 

「頼人君!!」

 

直後、須美が俺に覆いかぶさった。

轟音とともに、体中に衝撃が走る。

感覚が麻痺し、今自分がどんな状況なのかもわからなくなる。。

 

「が………はっ……!」

 

肺から空気が溢れだす。

息ができない。

が、かろうじて意識は残っている。

どうやら、爆風に吹き飛ばされたらしい。

遮二無二、瞼を開くと、須美の顔が視界を占める。

何かを叫んでいるようだが、耳鳴りが酷くて聞こえない。

駄目だ。俺を気にするな―――

今は……!

 

「ぉれの……ことぁ……いい……!ぁやぅ、そのこの……ぉぇんごぉ……」

 

肺に残ったわずな酸素を絞り出し、須美に頼む。

園子への援護を頼む言葉、まともに発音できていたかも怪しかったが、果たして、須美は俺の頼みを聞いてくれた。

須美は一瞬、酷く苦しげな顔をした後、再びライフルを構え、援護射撃を始める。

強い子だ。

本当によくやってくれている。

俺もこんなところで倒れてなどいられない。

ようやく、僅かながらも息ができるようになってきた。

気分は最悪で体中が痛いが、四肢はついてるし、聴力も戻りつつある。

なら、戦況を把握しなければ…!

体を起こそうと、地に手をつくと、ぬるりとした感触。

見れば、小さな血だまりができている。

頭から出血しているらしい。

少々良くない出血量だ。

だが、今は構っていられない。

無理矢理体を起こし、状況を確認する。

 

途端、視界に園子が乙女座にとびかかる瞬間が移りこんだ。

槍が一撃で乙女座を地に叩き落とす。

だが、その動きは余りに直線的すぎた。

攻撃した直後、園子が水球に飲み込まれる。

園子が俺たちを守るために無理矢理乙女座に突っ込んだせいだ。

俺がこんなところで足手まといになるとは……!

須美が反射的に水瓶座を攻撃し、本体の動きは止まる。

しかし、水球は無くならない。

やはり、完全に叩き切らなければ駄目か……!

さらに、山羊座がその角を水球に突き入れ、同時に角を振動させ、水を高速でかき混ぜる。

あれでは脱出の策も打てない!

蟹座と天秤座は神樹と向かおうと動き始めている。

銀と夏凜は射手座の排除を完了しているものの、到着まであと少しかかる。

ここは―――

 

「須美、山羊座を園子から引き離せ!」

 

「了解!!そのっちに手を出すなぁああああああ!!」

 

須美が山羊座に火力を集中させ、その巨体を園子から引きはがす。

瞬間、水中の園子が槍を大きく伸ばし、その穂先を蟹座へと突き刺す。

そのまま、園子は穂先を起点に槍を縮め、水球から飛び出し、その勢いのまま、蟹座に接近。

 

『行かせ……ないよ……!!みんなは……私が守るんだ……!!』

 

槍を引き抜き、そのまま蟹座の胴体に槍撃を叩きこんでいく。

蟹座は体中に大穴を開け、消滅していく。

そうして、蟹座を倒し、着地した園子は大きく隙をさらす。

途端に、天秤座や乙女座が園子に向かい山羊座と水瓶座がその体を起こしていく。

だが、もう遅い。

 

「銀は水瓶座を!夏凜は乙女座!須美は天秤座だ!終わらせろ!!」

 

『アタシのダチに手ぇ出してんじゃねえぇええええええええええ!!』

 

『私たちの力ぁあああああああ!!思い知れぇええええええええ!!!』

 

二人が雄叫びをあげながらバーテックスに突っ込んでいき、園子が須美と天秤座に襲い掛かる。

 

「「「「はぁあああああああああああああ!!!」」」」

 

四人が吼え、人類の敵を次々と屠っていく。

まさしく、修羅のごとき戦いぶり。

これでもう……大丈夫だな………。

急速に意識が遠のいていく。

どうやら少し、血を流しすぎたらしい。

本当に頑張っているのは彼女たちなのに…情けない……。

意識を無理矢理繋ぎ、端末のレーダーに目を凝らす。

徐々にバーテックスの反応が消えていき、やがて完全になくなる。

ああ……良かった……何とか……なった……。

帰ったら……いっぱい……褒めてあげないと……。

もう……意識を保っていられない……。

……なんだろう?誰かの声が…聞こえる。

まあ……いいや。

目覚めたら……ちゃんと聞こう……。

そうして、俺の意識は闇におちていった。

 

 




捏造兵器解説

・98式大出力霊的エネルギー放射砲
いわゆるロマン砲。
理論は完成し、設計段階に入っていた千景砲を須美用に再設計した代物で見た目は旧海軍の四十五口径十年式十二糎高角砲そっくり。かなりでかい。
充填の第一段階で大地からの霊的エネルギーを吸い上げ、第二段階で勇者としてのエネルギーを充填していく。
そのため、充填の第一段階時には一応ライフルは射撃可能。
第二段階でも撃てるっちゃ撃てるが充填時間が余計にかかることになるため止められた。
千景砲同様に巫女の体が回路になるため、巫女と勇者両方の才能を持つ須美以外には扱えない。
ついでに建造費用も馬鹿みたいに掛かるうえ、一発で満開数回分の負担が神樹にかかる。
出力こそ、須美の満開展開時の最大値を超えるものの、それ以外の全ての性能が満開を下回るため満開実装されたらまじで要らない子。
ぶっちゃけ出すかどうかかなり悩んだものの、浪漫には勝てなかった…。


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責任

難産オブ難産オブ難産。
遅筆すぎてごめんなさい……。


ふと、目が覚めた。

瞳に映るのは無機質な白。染みまで見飽きた天井だ。

どうやら、いつもの病室らしい。

病室に明かりがないところを見るに、今は真夜中のようだ。

ふと、違和感を覚え右手で自分の頭に触れる。

 

「いっつ……!」

 

触った途端、鋭い痛みが走った。

そういえば頭を怪我してた気がする。

この痛みはそのせいだろうけど…まぁいいや。

普通の病室ってことはそんなに大したことないはずだし。

とそこで、左手の温もりに気付く。

―――銀だ

丸椅子に座った銀が俺の左手を握りながら、ベッドに頭をのせて眠っている。

病衣を身に纏っていることから、銀もまた入院しているのだろう。

見たところ大した怪我もなさそうだし、少し安心する。

 

本当にこいつは一番いてほしい時に傍に居てくれる。

顔を見るだけでほっとして、帰ってこれた実感が湧いてくる。

本当に……長い…戦いだった。

きっと、凄く疲れているはずだろう。

それでも、俺のところに来てくれた。

それがどうしようもなく嬉しくて、銀のことがたまらなく愛しくなってきてしまう。

 

「まったく、風邪ひいちゃうぞ?」

 

ゆっくりと体を起こして、空いてる右手で銀の髪を優しく撫でる。

銀の髪はさらさらしていて、撫でてるこっちも気持ちがいい。

そういえば、髪を下ろしてる銀を見るのは結構久しぶりかもしれない。

ここ最近はまともに三ノ輪家にも行けてなかったからか、酷く懐かしく感じる。

それにしても、薄着だし少し寒そうだ。

何かブランケットでもかけてあげようと辺りを見回すが、残念ながらそういうものはなかった。

仕方がないので、布団をかけようとするも、流石に右手だけじゃうまくかけられない。

 

「ん………あ…れ……より……と…?」

 

そうやって、布団と悪戦苦闘していると、銀が起きてしまった。

 

「ごめん……起こしちゃったな」

 

「…よりと………頼人!体は大丈夫か!?痛いとこはないか!?」

 

一瞬、寝ぼけ眼で俺を見つめた後、銀はすごい勢いで俺の両肩を掴み、矢継ぎ早に質問を繰り出した。

 

「大丈夫だから落ち着いて。まだ夜中なんだし」

 

「あ…ああ、ごめん。でも、ほんとに大丈夫か?看護師さん呼んでこようか?」

 

「大丈夫だよ。少し頭は痛むけどそれだけ。それより、銀の方こそ平気?」

 

そう言うと、銀は安心したようで、ほっとした表情を見せた。

 

「アタシは全然へーきさ。結構疲れたけどな!」

 

銀は明るく笑って言う。

見る者全てを元気にするひまわりのような笑顔。

ずっと見たかった笑顔。

銀の言葉とともに、その笑顔は俺の心を溶かしていく。

 

「だったらいいんだ。他のみんなは?」

 

今回の戦いでは、皆にかなりの負担をかけてしまった。

戦っていた時間も過去最長だったし、どうしても心配になってしまう。

 

「ああ、頼人を救急車に乗せた後アタシらみんなぶっ倒れちゃって、まだみんな寝てるよ。大丈夫、疲れてるだけで大したことないって」

 

「そうか、良かった……」

 

安心してつい吐息が漏れる。

皆無事だったか…。

胸のつかえが取れる。

本当に良かった。

 

「それで、アタシだけちょっと早く目が覚めたから、頼人の様子見に来たんだ」

 

「なるほど、病室を抜け出してきたわけだ」

 

「うげ、ばれてらっしゃいましたか」

 

「銀は分かりやすいから。でも…嬉しかったよ、すごく。目が覚めた時、銀が傍に居てくれて本当に安心した」

 

「アタシも……頼人が無事でいてくれて安心したよ。ほんと一時はどーなるかと思ったんだからな」

 

「ごめん、心配かけちゃったな」

 

そう言って、また銀の髪をなでる。

昔はずっと心配する側だったのに、気が付けば心配をかける側になってしまった。

少し、申し訳なく思う。

と、そこで銀がくしゅん、と可愛らしいくしゃみをした。

薄着でしばらく寝てしまってたせいだろう。

 

「ほら、こっちおいで、銀」

 

体を少しベッドの右側に寄せ、空いたところをポンポンと叩く。

 

「い、いや、いいって。アタシはもう自分のとこに戻るからさ」

 

銀はそういうけど、俺は銀と離れたくない、もっと傍に居てほしい、なんて欲求に心を支配される。

ここ最近、あまり銀に甘えていなかったせいか、どうにも気持ちを抑えきることができない。

考える前に、引き留めるように銀の手を掴む。

 

「お願い。一緒にいて」

 

気付けば、そんな言葉を口にしていた。

銀は少し目を瞬かせた後、頬をほんのり赤く染め、しょうがないなと笑った。

ただそれだけで、心は浮き立ってしまう。

本当、これは一生治りそうもないな。

とことん、こいつにいかれちまってる。

そして、銀がそろりとベッドに入ってきた。

しばし、身を寄せ合い、互いの手を握る。

 

「まったく、頼人は甘えん坊さんだな」

 

「甘えられるのは嫌?」

 

「そんなことないよ。頼人が傍に居てくれるだけで嬉しいから」

 

銀はそう言うと、ゆっくり俺を抱きしめる。

銀を抱きしめ返し、その体温を確かめる。

温かい…。

互いの心音を感じられ、鼓動が否応なしに速くなっていく。

 

「頼人、ここにいるんだよな…?どこにも行かないよな?」

 

「うん、ここにいるし、どこにも行かないよ。……どうして?」

 

「……怖いんだ。目を離したら、頼人がいなくなっちゃうんじゃないかって……。また、アタシを置いてどこかに行っちゃうんじゃないかって……。今日だって、またこんなになって……」

 

「……大丈夫、銀を置いていなくなるなんてことはしないから。なにがあっても、絶対銀のところに帰ってくるから」

 

「本当だよな……?もう、あんな思いするの嫌だからな……?」

 

銀が手に少し、力が入ったことを感じた。

その力と共に、銀の想いが感じられて、より一層こいつのことを愛おしく感じてしまう。

 

「本当だよ。……ごめん、不安にさせてばかりで」

 

「約束だからな。絶対破るんじゃないぞ?」

 

「ああ、約束するよ」

 

「じゃ、じゃあ……証明してくれ」

 

「ん、証明?」

 

「ああ……その、あ、あ、あああいし…………いや、ええと……」

 

「銀?」

 

「………あの時のあれ」

 

少し、慌てた様子を見せた後、銀は顔を薔薇色に染め、小さく言葉を発した。

 

「あの時って……」

 

「………あの日、樹海で最後に言ってくれた言葉……ちゃんと……言ってほしい」

 

「―――――――」

 

刹那、あの日の出来事がフラッシュバックする。

覚えていてくれたのか……。

 

「駄目……か……?」

 

いつになくしおらしい様子で聞いてくる銀。

少し不安そうに俺を見つめてくる。

その顔で、ありったけの勇気を出して言ってくれたのだということが分かった。

 

―――まいった。

いくら何でも反則過ぎる。

なんていじらしいのだろう。

なんて可愛いのだろう。

なんて愛おしいのだろう。

必死で押さえていた感情が溢れだして止まらなくなる。

これじゃあ、まるで耐えられない。

 

「頼人……?」

 

動きを止めた俺の顔を、銀が不思議そうにのぞき込む。

このタイミングでそんなことされたら――駄目だ。

もう一秒だって我慢がきかない。

 

「もし――んんっ―――!?」

 

 

――――瞬間、俺は銀の唇を奪っていた。

 

 

小さくて、柔らかい唇の感触が伝わってくる。

半ば強引で、少しぎこちないキス。

それは余りにも甘美で、信じられないほどの多幸感が胸の内に広がる。

もう、この一瞬が全てでいいとすら思えてしまう。

そうして、ゆっくりと口を離し、告げる。

 

「愛してる」

 

あの日。

どうしようもない状況で銀に伝えた言葉。

ずっと、ずっと銀に言いたくて、けれど何かが変わってしまいそうで言うのを躊躇っていた言葉。

ようやく、ちゃんと言えた。

きっと、傍から見れば子供の戯言に見えるだろう。

そんなことは分かっている。

だけど、この想いは嘘偽りのない俺の真実だ。

今更、誤魔化すことなんてできやしない。

 

「え……え…?頼人……今……」

 

だけど、銀は何が起こったのか分からないようで、呆然としている。

だから、もう一度ゆっくりと伝える。

 

「愛してる、銀。この世界で一番。誰よりも、何よりも、愛してる」 

 

そうして、再び唇を奪う。

ほのかに感じる銀の温もり。

その全てを愛おしく感じ、感情がさらに昂っていく。

しばし、その感触を味わった後、ゆっくりと離れる。

すると――――

 

「え……あ……あぅ……」

 

銀はさっきよりも、ずっと顔を赤く染め、俯いてしまった。

見れば、耳まで赤くなってしまっている。

可愛いくて仕方がない。

またキスしたくなって、顔をあげてもらおうと頬に手を伸ばすと、銀は顔を隠すように、俺の胸にしがみつく。

 

「や、やめてくれ頼人……アタシ……今、顔見せられない……」

 

やはり、銀は恥ずかしがって、意地でもこの体勢から動かないつもりのようだ。

ならばと、逆に銀が逃げないようにしっかり抱きしめ、耳元に唇をよせる。

 

「銀、可愛い。大好きだよ」

 

優しく、耳元で囁く。

途端、銀はびくりと震え、俺にしがみつく力が強くなる。

その力の分だけ、愛おしいという想いが強くなっていく。

やがて、もっと色んな反応を見たい、なんておかしな欲求が脳髄を支配し、思わず、耳を甘噛みしてしまう。

 

「うひゃぁああっ!?」

 

銀が奇声を上げ、身をよがらせる。

すると、銀に一瞬の隙が生まれた。

その隙に、再び銀と唇を重ね合わせる。

柔らかで、温かくて、銀の匂いがする。

銀は微かに震えるも、脅えた様子はなく、だんだんと俺を受け入れていく。

そうして、銀の両手が俺の背中に回される。

本当に、なんて幸せな時間なんだろう……。

 

「ば、ばかぁ……。よりとのばかぁ……。アタシ……はじめてだったんだぞ……」

 

そっと、離れると銀は頬を薔薇色に染め、恥ずかしそうに言った。

少し涙目になり訴えかける、その姿はたまらなく可愛しい。

 

「うん、知ってる。嬉しい」

 

「う、嬉しいってなんだ!?」

 

「銀はこうされるの、嫌?」

 

「えっ……えと……い、いやじゃ……ない……けど……」

 

目をそらしながらも、そう言ってくれる。

その言葉にまた、心が昂る。

 

「じゃあ、いいよね?」

 

「で……でも……」

 

「銀は俺のこと好き?」

 

「え………ええええと……!ア、アタシは……!アタシ……は……」

 

銀は慌てたように言葉を発した後、俯いて沈黙してしまう。

思えば、銀は俺の好きだという言葉に応えてくれることはあっても、直接、俺に好きだといったことはなかった。

少し、意地悪な質問なのは分かってる。

だけど、どうしても、銀から直接聞きたかった。

静かに、銀の返答を待つ。

心の焦りや不安を、柔らかく押し潰して。

 

「……好き」

 

やがて、銀は言葉をぽつりと零した。

その小さな言葉が、全身を駆け、心を潤していく。

銀は呟くように言葉を発した後、ゆっくりと顔をあげ、俺の目を見つめる。

 

「…………アタシも……頼人のこと好きだよ」

 

そう、銀ははっきりと言ってくれた。

とても、恥ずかしそうだったけれど、その言葉は真剣で、とても真っ直ぐな想いが伝わってくる。

嬉しくて、言葉も出なくて、少しの間互いに見つめ合う。

ああ、愛おしい。

この少女の全てを守りたい。

この女の子の全てを愛したい。

様々な想いが体中を巡り、心まで支配する。

どれだけ、こいつにいかれてしまってるんだろう……。

ただ見つめ合っているだけで、お互いの想いが通じているように思えてしまう。

それぐらい、温かい時間。

 

「ん……」

 

そうして、気が付けば唇が重なり合っていた。

どちらかから求めたわけではなく、本当に自然に……。

……信じられない。

もうこれ以上ないってほどに銀にいかれていると思っていたのに、さらに深く魅了されていく。

あんなに愛おしかった銀のことが、もっともっと何倍も愛しく感じられる。

嬉しかった。

銀をこんなにも感じられることが。

銀が俺を受け入れてくれたことが。

この温もりは、二度と離したくないほど、大切でかけがえがない。

守り抜こう。

何があっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

暖かな日差し。

まぶしさを感じ、意識が戻ってくる。

朝か……。

されど、もう少し眠っていたいという欲が瞼を開けることを拒否する。

 

と、そこで隣にある温もりに気付く。

そうだった、銀が……。

ゆっくりとその温もりを抱きしめ、その髪を撫でる。

長く、柔らかい絹のような髪。

撫でるのが癖になりそうだ。

…………………長く?

銀の髪が突如伸びたんだろうか?

……そんなことあるはずない。

もしかして…………。

恐る恐る、瞼を開ける。

 

「Zzz……すぴ~」

 

「…………園子?」

 

何故か、園子がいた。

すやすやと眠っている。

うん、状況が全く分からん。

 

「ふぇ~ライ君~?ご飯はまだだよ~?」

 

と、声をあげたせいか、園子が目を覚ましてしまった。

完全に寝ぼけていらっしゃる。

 

「失礼します」

 

「頼人ー来てやったわ……よ……?」

 

そこで、須美と夏凜が病室に入ってきた。

タイミング……ひどい……。

 

「…………」

 

しばし、空気が凍る。

 

「あ、あああんた達、病院で何やってんのよぉおお!?」

 

夏凜が顔を真っ赤にして叫ぶ。

どう考えても、誤解されておられる。

 

「いや、これは…………」

 

とりあえず、弁解しようと体を起こすも…。

 

「頼人君、目が覚めたね!?大丈夫!?体に異常はない!?」

 

言い訳する前に、須美が詰め寄ってきた。

近い、距離が超近い。

 

「す、須美。俺は大丈夫だから……」

 

とりあえず須美をゆっくりと落ち着かせる。

 

「でも、昨日はあんなに血を流してたじゃない……!病院に行かないと!」

 

「ここが病院よ!」

 

やばい、須美がかなり混乱してる。

 

「あ、わっしーとにぼっしーだ~。おはよ~」

 

「あんたはマイペースか!」

 

園子はまだ寝ぼけてる……。

なんだか、かなり混沌とした状況になってきた。

 

 

 

少しして、ようやくみんな落ち着いてくれた。

園子は落ち着きすぎて、俺の膝の上でまた寝てしまったが……。

まあ、昨日一番体力を消耗したのは園子だし、これぐらい大目に見てあげよう。

 

「まったく、朝っぱらからあんたら自由過ぎんのよ」

 

夏凜が頭を抱えながら言う。

 

「病院で騒いでしまうなんて……面目ないわ……」

 

「まあ、須美は心配してくれただけなんだし、気にしないでくれ」

 

「でも……」

 

「いいから、須美はそういうの気にしすぎだぞ?」

 

「頼人君……」

 

「ふぉ~、わっしー……でれでれ~……むにゃむにゃ……」

 

と、そこで園子が寝言を言い、弛緩した空気が流れる。

 

「器用な寝言だな……」

 

「ええ。さすが、そのっちね……」

 

「ほんとに寝てるのかしら……」

 

起きてるんじゃあるまいな、とも思うが園子のことだ。

寝ながら、周りの言葉に反応するくらい、普通にやってのける。

 

「んで、頼人。怪我の方は問題ないのね?」

 

「ああ、ちょっと痛むぐらいだし、心配ないよ」

 

と、そこで須美の顔がまた、暗くなっていく。

 

「……ごめんなさい頼人君。……私が守れなかったせいで……また、怪我をさせてしまって……」

 

そういうと、須美は涙まで浮かべてしまう。

どうやら、俺の怪我にかなり責任を感じているようだ。

本当、気にしすぎる子なんだから。

 

「何言ってるんだ。須美が守ってくれたから俺は助かったんだよ?だから、ありがとう」

 

そう言って、須美の頭を撫でる。

あの時須美が庇ってくれなかったら、間違いなく俺は死んでいた。

本当に、須美には感謝してもしきれない。

 

「頼人君………」

 

また、須美の目に涙が浮かぶ。

むぅ、どうすれば泣き止んでくれるだろうか。

と、そこで園子が起き出して、須美の頭を撫で始める。

 

「よしよし、いいんだよ~わっしー。わっし―、いっぱい頑張ったもんね~」

 

軽く寝ぼけてるようだが、須美の声に反応して起きたようだ。

まったく、優しい子だ。

 

「胸を張りなさい須美。獅子座を仕留めて、頼人を守ったのはあんたなんだから」

 

「そうだな。須美は本当に頑張ってくれたから。勿論、園子も夏凜も。本当にみんな、よくやってくれた。ありがとう」

 

空いてる手で園子の髪も撫でながら言う。

 

「今まで、ライ君が頑張ってくれてたからね~。そのおかげだよ~」

 

「………ええ、頼人君が頑張ってくれたから、私たちもここまで頑張ってこれたのよ。だから、お礼を言うのはこっちのほうよ」

 

「ま、まぁ私がいたから勝利は当然だったけど、あんたの力が役立ったのも事実よ。だから感謝してやっても…」

 

「ほんと、にぼっしーは素直じゃないんだから~」

 

「そうね。こんなこと言いながら、夏凜ちゃんもすっごく頼人君のこと心配してたのよ?」

 

「うっさい!だからそういうこと言うんじゃないわよ!」

 

夏凜が顔を赤く染め、怒鳴る。

皆慣れたもので、ただただ微笑ましいものにしか映らない。

 

「……ところでそのっち、何で頼人君のベッドにいるの?」

 

須美がジトッとした目で園子を見る。

 

「今更!?」

 

「えへへ~。ライ君がすっごく気持ちよさそうに寝てたから、つい私も眠くなっちゃって~」

 

「だからって、頼人君は怪我人なんだから勝手に潜り込んでは駄目よ?」

 

「まぁまぁ、俺は全然平気だから大丈夫だぞ?」

 

「もう、頼人君は甘やかしすぎよ。そのっちの教育によくないわ」

 

「あんたは母親か……」

 

「甘やかしてるつもりはないんだけど……。……ところで、銀はどうしたんだ?」

 

「そういえば、ミノさんどうしたんだろ~?ライ君のことならすぐ飛んでくるはずなのにね~?」

 

「銀なら途中まで一緒だったんだけど……」

 

「銀の奴、ここに来る途中でいきなり用事を思い出したとか言って、どっか行ったのよ」

 

「用事ねぇ…」

 

「ええ、ただ少し様子がおかしかったのよね。銀が頼人君より他の用事を優先するなんていうのもおかしな話だし……」

 

「ふむ……ちなみに様子がおかしかったってどういう感じで?」

 

「なんだかあいつ、頼人の病室に行くの避けてるみたいだったわね。なんか顔赤かったし、いつもよりおとなしいっていうかぼーっとしてるっていうか…」

 

「う~ん。ミノさん、風邪でも引いたのかな~?」

 

「でも、銀に体調のこと聞いても大丈夫って言ってたのよね……。一体どうしたのかしら…?」

 

須美が心配そうに言う。

風邪じゃない。

途中まで一緒に来てた。

ということは………逃げたか。

おそらく、今更になって、また恥ずかしくなってきたのだろう。

分かりやすい奴だ。

大体俺のせいではあるが。

流石に昨夜は少し、暴走しすぎた。

……いけない、昨日のことを思い返すだけで顔が弛緩してしまいそうになる。

気を付けておこう。

 

「それじゃあ皆でミノさんを探しに行こっか~。直接色々聞いた方がきっと早いよ~」

 

「だめよ、そのっち。私たちにはこれから検査があるのよ?検査が終わったら自然に合流できるはずだから、その時に聞きましょ?」

 

「ったく、銀も世話が焼けるわね」

 

と、そこでまた病室の扉が開いた。

 

「やっぱり赤嶺君、起きてたんですね……」

 

「あ……」

 

入ってきたのは、いつもお世話になってる看護師さんだった。

そういえば、目が覚めたこと病院側に話してなかったな……。

少し騒がしくしてたから、それで気付かれたらしい。

看護師さんから目が覚めたのならすぐナースコールを押してください、と怒られてしまう。

それ自体はいいのだが、問題は須美が結構気にしてしまったことだ。

 

「頼人君の体を思うなら、すぐに看護師さんを呼ぶべきだったのに……何たる不覚……!」

 

「須美、そんなに気にしなくても……」

 

「いいえ頼人君。頼人君の身の安全を預かる立場として、こんな失態は許されないわ…」

 

「いつからそんな立場になったのよ……?」

 

「わっしーは気にしすぎだよ~」

 

「園子はもう少し気にしなさいよ……」

 

「まあまあ、とりあえず自分も検査うけなきゃみたいだからまた後でな」

 

そう言って、検査を受けるため、看護師さんにより移動させられる。

検査を受けた後、医者から話を聞くと、頭の怪我は意外と軽傷だったらしい。

派手に出血はしたものの、頭蓋骨や脳に損傷はなく、ひとまず安心していいそうだ。

ただ、念のため数日間入院してもらうという話をされた。

ほんと、何度入院すればいいのだろう……。

 

 

 

 

 

 

「すまん、秋隆。また心配をかけたな」

 

病室に戻った後、俺は秋隆を呼び出していた。

あいつらが検査に行っている間に聞きたいことがあったからだ。

 

「お気になさらないでください。若が無事であればそれでよいのですから」

 

「そう言ってもらえると助かる。それで……被害は?」

 

「………瀬戸大橋の崩壊、沿岸工業地帯での火災、その他、大規模な山火事が発生しました。火災はいずれも、今朝までに鎮火されています」

 

「……人的被害は?」

 

「重軽傷者、多数。また、大橋において行方不明者が二名とのことです」

 

「――――そう……か……」

 

急激に体が、心が重くなっていく。

行方不明者…事実上、死者を出したということだ。

……覚悟はしていた。

否、していたつもりだった。

満開の機能を排除することで、結果的に被害が大きくなる可能性も。

犠牲者が出る可能性も………。

分かっていた。

分かっていて、自分は満開を否定した。

そのことに何ら、後悔はない。

だが、見誤っていたことがあるのも確かだ。

俺は、獅子座の攻撃力を実際よりも低く見積もっていた。

だが、それでもバーテックスの知能を考えれば、獅子座が大橋が破壊を図る可能性は小さくなかった。

それを予測すらできなかったとは……。

仮に、想定できていたならば、大橋周辺の立ち入り禁止区域をさらに拡大することもできたはずだ。

想像力が足りなかったせいで、犠牲者を出してしまう羽目になった。

今まで、バーテックスについて研究し、そして、直接その戦いを見たのは俺しかいない。

この事態を予見できたとすれば、俺しかいなかっただろう。

たらればに過ぎないことは分かっている。

だが、防げたはずの被害を防げなかったのは事実だ。

全くなんて、無能だ。

自分の馬鹿さ加減に吐き気を催す。

 

「そのお二人について聞いても?」

 

「大赦に勤めていた犬吠埼夫妻です。民間人を避難させていたそうですが、夫妻は逃げ遅れ、犠牲になったと」

 

つまり、自身の無能のツケを彼らに押し付けてしまったということだ。

どうしようもなく胸が痛む。

 

「―――ご遺族は?」

 

「ご息女がお二人いらっしゃったとのことです」

 

「歳は?」

 

「お二人とも、若とさして変わりません」

 

つまり、銀とさして年の変わらない少女が、一夜にして両親を失ったということだ。

ますます、気分が悪くなる。

幼い子供にとって、親は自分の世界のほとんどを占める存在なのだ。

彼女達の心中は察して余りある。

今、彼女達はどれほど辛いのだろう。

どれほど、不安なのだろう。

 

「そうか。………その姉妹が大人になるまで生活に不自由をしないよう取り計らっておいてくれ」

 

本当に、嫌になる。

ご夫妻は多くの人を救ったというのに、その行為に報いるために出来ることはこれくらいしかない。

 

「かしこまりました。ただ、一点問題が……」

 

「なんだ?」

 

「この姉妹の勇者適正値は高く、姉妹ともに有力候補に挙がっています」

 

嫌な情報。

また、頭が痛くなる。

どうすべきだろうか……。

少し、考える。

 

「――――候補から外せ」

 

「……よろしいのですか?」

 

「かまわん。二人ぐらいならさして問題はない。それに、バーテックスに復讐心を持ちかねない。危険だ。」

 

両親の死の原因となったバーテックス相手に、その少女たちがどのような感情を抱くかは分からない。

だが、両親の死の真実を知れば、復讐心を持つ可能性は十分にある。

仮に、復讐心を持った者が勇者になれば、厄介なことになりかねない。

復讐にとらわれ、勝手な行動をし、他の勇者に危険が及ぶ可能性は排除しなければならない。

現に、西暦では初代勇者が復讐のために動いた結果、問題が生まれたケースもある。

英雄とされる、乃木若葉さんですらそうだったのだ。

可能性は摘んでおくに越したことはないだ。

 

「ご当主は快く思われないのでは…?」

 

至極当然の指摘。

結局、俺個人には大した権限はない。

それでも、色々動けているのはあくまで家の力が大きいからにすぎない。

特に、重要な事項について家の力を使う場合、父の説得と根回しは必須。

このような場合、少々面倒なことになりかねない…が、これについては仕方がないのだ。

特に、もう一つの理由が大きい。

 

「これくらいしなければ、ご夫妻が浮かばれないだろう……。親父には直接話す」

 

きっと、夫妻は娘を戦わせたいとは思わないだろう。

彼らが正しく親だったのならば、きっと娘の幸せを第一に考えていたはずだ。

偽善だと言われるかもしれないが、ご夫妻が安心できるように取り計らうべきだと思う。

 

「……僭越ながら、若はご自分の責務を拡大解釈しすぎているように思われます。ご夫妻の犠牲をご自分の責任だと考えられているのでしたら、それは見当違いです」

 

と、そこで突然秋隆が声をあげた。

珍しいことに、俺を慰めてくれてるようだ。

気持ちはありがたいが、無用のものだ。

 

「慰めならやめてくれ。俺がほんの少し、想像力を働かせていれば、この事態は避けられていたんだ。責任がないはずもない」

 

「そうではありません。若、このように動いていれば事態を変えられた、と思われるのは自己過信が過ぎると言わざるを得ません。それに、若の理屈なら、大赦の人間にも、考え方によっては勇者の皆様にすら責任があると言えてしまうでしょう。若は彼らの責任まで問うおつもりですか?」

 

驚いた。

秋隆にこのように諭されるとは、初めてのことだ。

おかげで、少し冷静になれた。

確かに、自惚れが過ぎた考え方だ。

挙句、秋隆の言を慰めだと勘違いするとは……。

なんて様だ……。

 

「…………すまない。少し、傲慢になっていたらしい。反省する」

 

どう取り繕っても、今の俺は十二のガキなのだ。

なんでもかんでも、自分の思い通りになるはずもない。

なんて、傲慢な考えをしていたのだろう。

我が事ながらぞっとしてしまう。

注意しなくては……。

 

「いえ、私の方こそ出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。お許しください」

 

「いいんだ。それに、少し気が楽になった。秋隆のおかげだ。だが、勇者の選考からお二人は一度外す」

 

「若?」

 

「勘違いしないでくれ。流石に考慮すべき点が多すぎるからな。どのみち、一度見直すべきだろう」

 

「そういうことであれば、かしこまりました」

 

「すまんな………そういえば、親父や安芸先生は病院には来ていないのか?」

 

「はい。今朝から、本庁にて緊急の会議があり、お二人ともそちらに出席されています」

 

確かに、現状況下だと今後の方針を定めるのは急務だ。

考えてみれば当然のことだった。

流石に、上もこれほどの事態になるとは予想しえなかっただろうし。

 

「わかった、会議の内容、結果共に詳細が分かり次第教えてくれ」

 

そう言って、秋隆を下がらせる。

正直、気は重いままだが………今後のことを考えよう。

頭を無理矢理切り替える。

今回の襲来により、大赦は瀬戸大橋を失うこととなった。

この事実がもたらす影響は凄まじい。

即ち、これまでの迎撃パターンは役に立たなくなるということだ。

今までの戦術研究の殆どは、大橋を主戦場と想定してのものであった。

バーテックスの侵攻ルートを限定することにより、常に待ち伏せが可能。

また、敵の行動も把握しやすかった。

そして、何より被害の抑制が可能であった。

大橋を失ったということは、つまり、これらのアドバンテージもまた、失ったという事実を示している。

 

大橋の再建は最早、不可能だろう。

何しろ、西暦においても、着工から竣工まで十年かかっているのだ。

地質調査なども含めるとさらに時間はかかっている。

さらに、大橋のシステム復旧のことまで考えた場合、いったいどれほどの時間がかかることか…。

再建してるような、時間は最早ない。

 

幸いにも、『封印の儀』のおかげで、大橋のシステムがなくとも、迎撃自体は可能だ。

戦術について、大幅な見直しが必要になるだろう。

そもそもの話、大橋付近の地域は人口密度も高く、戦場としては正直、向いていない。

戦域の再設定もまた、必要になる可能性が高い。

救いがあるとすれば、次の襲来までには勇者の増員が可能であることくらいか。

おそらく、会議でも似たような話をしているのだろう。

 

「あとは、この結果が改革を加速させる一助になってくれれば……」

 

今回の襲来は様々な点で大赦に影響を与えることになるだろう。

敵の殲滅に成功したという観点から見れば、改革の成果の一つとも考えられ、また、甚大な被害を被ったという点は今後の反省材料にもなりえる。

故に、この襲来を材料に、さらに組織全体としての意識改革を図ってくれれば、と思うのだが…。

無論、被害や現在の状況を考えるに、まるで楽観することはできない。

なにしろ、今回の戦いもぎりぎりでの辛勝だったのだ。

また、根本的に結界外の状況も変わっていない。

全てはこれからなのだ。

 

……こんな考え方はいけないな。

分をわきまえなければならない。

俺は扇動しただけで、実際に改革を推し進めたのは親父たちなんだから、彼らを信じるべきだろう。

いらないところにまで気を回すのは自重しなければ。

いずれにせよ、俺は俺に出来ることをやるだけなのだから。

とはいえ、何をするにしても親の力任せなのだから、少々締まらないけれど。

 

と考えに耽っていると、唐突に病室の扉が開いた。

 

「さあ着いたわよ、観念しなさい」

 

「うぅ…だから何もないって……」

 

「嘘おっしゃい。何かあったのは分かってるの。銀にも頼人君にも根掘り葉掘り聞かせてもらうわ…!」

 

「この感じ、特ダネの匂いがするんだぜぇ~」

 

「園子はいつ記者になったのよ…?」

 

「う~んと、今日から~?」

 

「完全に素人じゃない…。まあいいわ、じっくり聞かせてもらうわよ、銀!」

 

「だから、やめてくれぇ…」

 

恥ずかしそうにしている銀を三人が連行してきた。

楽し気にしているこの子たちを見ていると、心が重くなってしまう。

あれほどの被害、この子達が気付くのは時間の問題だろう。

気付いた時、どのように思うだろう……。

無論、彼女達はただ最善を尽くしただけだ。

被害の責任が問われるはずもない。

それでも、この子たちは優しすぎる。

きっと、責任を感じてしまうはずだ。

特に、犠牲者が出ているのだから……。

この子達に人の死を背負わせたくはなかった……。

きっと、すぐに話すべきなのだろう…。

だけど、もう少しだけ……もう少しだけ、こういう時間があってもいいはずだ。

この子達は、何も悪くないのだから。

 

「おいおい、突っついたってなにも出ないぞ?」

 

そうして、彼女達と談笑する。

いつものように、顔色を変えず。

大切で温かな日常をゆっくりと感じる。

だけど、覚えておかなければならない。

そういう日常を奪われた人たちがいるのだということを。

失われた命はあまりにも重い。

だから……だからこそ、もう二度と犠牲者を出さぬよう、さらに努力を重ねなければならない。

……頑張ろう。もっと、ずっと。

 

 



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戦間期
平穏な時と……


月末投稿が定番になりつつある今日この頃。
遅くてごめんなさい……。


「あ~気持ちいい~」

 

「変な声出すなって。一応、お手伝いさんいるんだからな」

 

頭を怪我が治り、退院してから少ししたある日。

俺は、三ノ輪家にいた。

現在、鉄男は友達の家に行っており、金太郎は母君と共に定期検診へ行ってる。

家にお手伝いさんはいるものの、他に銀の家族はいない。

つまり、珍しく銀を独占できる状態。

なので、銀の部屋で俺は死ぬほど銀に甘えていた。

 

「銀の耳かきがうまいのが悪いんだぞぉ。こんなに気持ちいいの、声を我慢する方が無理ってもんだ……」

 

銀の耳かきはかなり上手い。

膝枕の心地よさも相まって、極楽状態だ。

 

「大げさな奴だなぁ……ほら、綺麗になった。もういいぞ」

 

銀の手が離れる。

とはいえ、もう少しこうしていたい。

 

「うーん銀、もうちょっと頭撫でて」

 

「はいはい。ったく、頼人は最近ふにゃけすぎじゃないか?今だってすごい顔してるし、そのうち須美に怒られるぞ?」

 

「誰かさんが、しばらく冷たかったからなー。その分を補充してるのだ」

 

頭の怪我で数日間入院したわけだが、その間の見舞いの際、銀はいつもこそこそしていた。

あの夜のことがずいぶん恥ずかしかったらしい。

 

「あれは頼人が悪いんだろ?いきなり人に、あ、あんなことしておいて……」

 

「知らない。それより、銀が入院中、冷たかったから寂しかった。」

 

頭をぐりぐりと銀の膝にこすりつける。

 

「あーもう。かまってやるから、じっとしてろ」

 

そう言うと、銀は俺の髪をくしゃくしゃにする。

 

「そーする。銀大好き」

 

「だから、そーいうの軽々しく言うなって。恥ずかしいだろ?」

 

「好きなのに好きって言って何が駄目なんだ!」

 

「なんでそこだけ真剣な顔に戻るんだ……」

 

と、言いながらも銀の頬が少し赤らんでいる。

少々照れてるらしい。

可愛い。

 

「でも……ちょっとほっとしたよ」

 

「ん、何が?」

 

少し気になって体を起こす。

何かしたっけ?

……心当たりが多すぎて分からんな。

 

「最近の頼人、いっつも気、張りつめっぱなしだったろ?皆で遊んでる時もさ、楽しんでるけど緊張感を残してるっていうかなんというかさ……」

 

「そーかな?」

 

「そーだよ。最近の頼人は馬鹿なこと全然言ってなかったじゃん。ほら、事件の香りがするだろ?」

 

銀が冗談めかして言う。

 

「なんと、俺はボケ役だったのか。そういうのは須美と園子で間に合ってると思ったんだが」

 

「園子はともかく、須美に聞かれたら説教されるぞ……。まぁ……だからさ、やっぱり無理してたんだろ?」

 

「……無理なんて」

 

「お前はそう思ってなくても、無理してたのは丸わかりだって。いい加減認めろ」

 

そう言うと、銀は隣に座る俺の頭をまた撫でる。

気持ちいい……。 

 

「……ほんと、銀って俺のこと見てくれてるよな。俺より俺のこと知ってるんじゃないか?」

 

「当たり前だろ?何年一緒にいると思ってんだ。……それで、しばらくはゆっくりできるんだよな?」

 

銀が俺の胸に抱き着いてきた。

嬉しいけど、少し驚いた。

 

「銀?」

 

「たまには、アタシにもいいだろ……。で、休めるんだよな?」

 

「ああ、流石に今度ばかりは、親父にもしっかり休めって言われっちゃったから。慌てるタイミングでもないし、少しは休むよ」

 

今回はかなり徹底して休まされてる。

秋隆を別件の仕事で駆り出すことまでしてくれて、俺が動けるルートの殆どが閉鎖されてる。

安芸先生も、最近は大赦に行ってることが増えてるし。

少し出ばなを挫かれた感じではあるが、少しは休んで皆を安心させないと、この先いよいよ仕事をさせてもらえなくなる。

そういう訳で、本当に久しぶりに、俺はこの日常を謳歌していた。

 

「そっか……。なら、よかったよ……。ほんと、お前は無茶しすぎるんだから、心配ばっかかけてさ」

 

「ちょっと前までは、心配かける側だった銀がそんなこと言えるのか?」

 

そう言って、銀のほっぺたをこねくり回す。

柔っこい。

 

「やーめーろ!話を逸らすな!」

 

そうして、銀が俺の手を掴むと、気が付けば、互いの顔が間近に迫っていた。

会話が途切れ、しばし、見つめあう形になる。

……こうしてみていると、やっぱり、すごく可愛い。

ずっと、見てていたくなる。

と、そこで、自分が随分惚気たことを考えてることに気付く。

本当に、こいつにいかれきっているな……。

と、頬が緩んだ瞬間、銀の顔が近づいてきて、唇をついばむようにキスされた。

思考が空白に染まる。

 

「え……銀……今の……」

 

唇が離れると、無意識に言葉が零れる。

 

「こっち見るな……」

 

銀が顔を真っ赤にして、もじもじしてる。

 

「でも今のって……」

 

「ア、アタシがしたかったんだ!いいだろ別に!」

 

銀が顔をぷいと背け、ぶっきらぼうに言う。

やばい可愛すぎるやばい。

 

「銀好き、大好き、愛してる」

 

銀を抱きしめ、その髪に顔をうずめる。

すごくいい匂いがする。

頭がくらくらしてくるほどだ。

 

「こら、調子に乗るな!はなせー!」

 

銀が腕の中で暴れるが、知ったこっちゃない。

嬉しすぎて、好きすぎて、どうにかなってしまいそうだ。

俺をこうしたのは、銀なんだから責任とってもらわないと嘘ってものだ。

しばらくすると、銀は諦めたのか暴れるのをやめ、ゆっくりと俺の背中に手を回してきた。

互いの心音だけが聞こえる。

温かい……。

 

「なあ、頼人……もしさ、もしも他の人と仲良くするなって、アタシだけ見てほしいって、言ったら……どうする?」

 

「…………え?」

 

唐突に、銀は小さな声で俺に質問を投げかけた。

少しの間、銀の言葉を頭で反芻して、飲み込む。

ちょっと……驚いた。

突然のことだったし、銀そんなこと言うなんて、思っていなかったから。

 

「……何かあったの?」

 

「そんなんじゃないよ。心理テストみたいなもんだからさ、答えてくれ」

 

……もしかして、少し不安にさせてしまったのだろうか。

例えば……俺の、須美や園子との距離の近さが気になったのだろうか。

いや、そうならこんな言い方はしないだろう。

もっと、冗談めかして、三股は駄目だぞとか言うに違いない。

第一、そうならばみんなでずっと一緒に、なんていうはずもない。

自惚れた考えではあるが、銀はずっと俺を好いてくれていたと思う。

あの話をした日も、きっと。

だからこそ、銀の言葉の真意が分からない。

分からないけど……ただ、銀を不安にさせたくはない。

だったら………実際にそう言われたらどうするかではなくて、自分の気持ちをはっきりと伝えておくべきだ。

 

「もし、銀がどうしてもそうしてほしいんだったら……そうするよ」

 

そう、俺は銀を幸せにすると決めたんだ。

もし、そうすることで、銀を幸せにできるのならすべきだと思う。

 

「………そっか」

 

銀が呟くように言う。

口調は変わらない。

もしかすると、銀の望んでいた答えではなかったのかもしれない。

なら、もう一つの答えもちゃんと伝えておこう。

 

「だけど、ほんとにそんなこと言ったら、その前に絶対理由を聞き出してやるからな。ただでは聞いてあげないんだから」

 

「うん……そうだよな。……よしっ!甘えるの終わり!そろそろ須美と園子が来るからな!」

 

そういうと、銀は俺から離れてしまう。

急なことだったので、つい抱き留める力が抜けていた。

胸の温もりがなくなったことに、少しの寂しさを感じてしまう。

 

「ほら、頼人も髪整えとけよ。だいぶ、くしゃくしゃになってるぞ」

 

「ああ、そう…だな……なぁ銀、さっきの質問って」

 

「気にすんなって。そんなに大した話じゃないからさ」

 

「でも……」

 

やっぱり、さっきの質問が気になってしまう。

いつになく、深刻な感じだった。

なのに、俺は銀の気持ちをちゃんと分かってやれなかった。

俺は銀の不安を拭えたのだろうか……。

と、そこで、玄関のチャイムが鳴る。

 

「来た来た。呼んでくるから、ちょっと待っててくれ」

 

「……ん。分かった」

 

どうやら、この件について聞くのはまたの機会になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

「よし、それじゃあ夏凜捕獲作戦の計画を立てるぞ!」

 

「銀……捕獲って、夏凜は動物か何かか……?」

 

「でもにぼっし―、ほんとにすぐどっか行っちゃうよね~。どこ行ってるんだろ~?」

 

最近の夏凜は何かと、俺たちを避け、すぐどこかへ行ってしまう。

そのうえ、SNSにも返信がない。

明らかにおかしい。

……というわけで、今日ここに集まったのは、夏凜をどうにかするためだった。

 

「やっぱり、どこかで鍛練か何かしてるんじゃないかしら。夏凜ちゃん好きそうだし」

 

「あー。確かに夏凜って鍛練厨だもんなー。あの熱意には負けるよ」

 

「たんれんちゅーって響き可愛いね~。虫さんみたい~」

 

「そんなこと考えんの園子ぐらいじゃないか……?」

 

やっぱり、園子のセンスはよく分からん……。

 

「でも、そうね……。一度、ちゃんと話を聞くべきよ。もしかしたら、何か悩み事があるのかもしれないし……」

 

「だけどなかなか捕まらないんだよなー。夏凜も休み時間くらいじっとしてればいいのに」

 

「確かに……。まずは足止めする必要があるわね」

 

「はいは~い!煮干しを机に置いとけばいいと思うんよ~!」

 

「猫かあいつは……。却下だ」

 

そんなこと言ってるけど、さっき銀も捕獲とか言ってたよな…。

 

「ええ~?いい案だと思ったのに~」

 

「実際にやったら、怒るぞ多分……」

 

「そうかな~?でもにぼっしーだよ~?」

 

「理由になってないだろ……」

 

「それじゃあ、直接家に行くのはどうかしら?家ならゆっくり話せると思うし」

 

「でも、夏凜の家行ったことないからな……。そもそもどこなんだろな」

 

「安芸先生に聞けば分かると思うわ」

 

「でも、突然行っても驚かれるだけなんじゃ?常に家にいる訳でもないだろうし」

 

「だったら、家の前に朝から張り込みましょう。一日尾行すればおおよその行動を把握できるはずよ!」

 

「ストーカーすれすれじゃねーか……」

 

しかも、やけに自信満々。

少々、気になるな…。

 

「そういえば、前にもわっしーと一緒にミノさんを家から尾行してたよね~。楽しかったな~」

 

「そんなことあったのか……。全く知らなかったぞ……」

 

いつの間にそんな探偵染みたことしてたんだろう…。

 

「ああ、頼人だけあたしんちだったもんな。ほら、三体目のバーテックスが来た日だよ。あの角持った奴」

 

「山羊座でしょ?銀たら、もう忘れたの?」

 

「へへ。いやさ、あんなに種類いたら、たまにこんがらがっちゃわないか?」

 

「ならないわよ。戦いの最中に度忘れしたらどうするの?」

 

「はい……ちゃんと覚えます……」

 

「話がずれてるぞ?それで、あの日、須美と園子がどうしたんだ?たしか、途中で一緒になってたような」

 

樹海化が起きる直前、三人とも合流してたよな確か。

 

「わっし―がミノさんの私生活を調査しようって言ってね~。尾行してたんだよ~」

 

「そんなことしてたのか……」

 

「だって、銀に何か問題があるなら、私達が力にならないといけないでしょう?」

 

「あ、改めて言われると、やっぱ照れるな」

 

銀が顔を赤くして頬をかく。

可愛い。

 

「でも、あの日のミノさんかっこよかったよ~。色んな人の問題次々解決してて~」

 

ああ、やっぱり……。

ジトッとした目で銀を見る。

 

「だ、大丈夫だったから気にすんなって。須美や園子も手伝ってくれたし」

 

「私たちはほとんど何もしてないわよ。……それにしても、頼人君がいない間、銀の遅刻が増えたのはやっぱり」

 

「まぁ頼人がいたら、トラブルにあっても割と何とかなるからな。その分いなくなった時の跳ね返りがね……」

 

「頼人君に頼ってばっかりじゃダメじゃない」

 

「ですよねー、はい。気を付けます」

 

「まあまあ、最近は俺も助けてもらってるし、随分、そういうのも少なくなってきたんじゃないか?」

 

朝とか逆に家に来てくれるし。

そういう意味では以前より遅刻することは少なくなった。

 

「そうかしら?」

 

「ねえねえみんな~。ちょっと思ったんだけど~」

 

「ん?どした園子」

 

「そろそろ、にぼっし―の話にもどろ~よ~」

 

「「「……あ」」」

 

閑話休題。

 

「ともかく、夏凜を捕まえるには学校より外の方がいいだろうな」

 

「そうね。学校だときっと、大捕物になってしまうわ。それでみんなに迷惑をかける訳にもいかないし」

 

「おーとりもの?……鳥?」

 

銀が初めて聞いた単語に首をかしげる。

 

「大騒ぎってことよ。きっと、あの様子だと夏凜ちゃん、本気で逃げかねないから」

 

「なるほど。アタシも安芸先生にはあんまり怒られたくないしね」

 

安芸先生か……。

ほんとに、最近の安芸先生は少し様子がおかしかったりする。

この前とか、「今、楽しい?」って聞かれたり、不意に抱きしめられたり、大赦で何かやってるらしいけど、それが大変なんだろうか?

結構心配だ。

今度、ちゃんと聞いてみよう。

と、そこでずれたことを考えていると気が付き、思考を元に戻す。

 

「それじゃあ、夏凜がどこにいるか考える必要があるな」

 

「そうだね~。だけど、にぼっし―がよく行く場所とかあんまり知らないよ~?」

 

「うーむ。こうなると園子の案が現実味を……」

 

「おびんわ。煮干しで釣ろうとすると、後が怖いぞ?」

 

銀に突っ込まれる。

意外といい案だと思うんだけどな……。

 

「やはり、張り込みを……!」

 

「須美はその発想から離れろ……」

 

「ピッカ~ン!ひらめいたよ~!」

 

「おお、何かピカーンしたか園子」

 

「にぼっしーのお兄さんに聞けばいいんだよ~」

 

「あ、そっか」

 

完全に盲点だった。

あの人確か今、夏凜と連絡を取り合ってたはずだ。

 

「そういえば、頼人は夏凜の兄ちゃんと知り合いなんだったっけ」

 

「ああ、最近会ってなかったから完全に忘れてた。ちょっと、聞いてみるけど……あんまり期待しないでくれ」

 

夏凜の行きそうな場所を知らないかと、メールを打つ。

流石に知らないと思うけど、連絡くらいはとれるはずだ。

 

「送信っと…………って早っ!」

 

秒で返ってきた。

夏凜は大橋記念公園の近くにある砂浜によくいるらしい。

鍛練でもしてるんだろうか?

それにしても、早すぎて怖い。

分かるのも怖い。

 

「なぁ、夏凜の兄ちゃんってさ……」

 

「やっぱり、シスコンさんだね~」

 

「それで、頼人君。なんて?」

 

「記念公園の近くにいることが多いってさ。鍛練か何かしてるみたいだな。休日なんかもずっとらしいよ」

 

「よし、早速行ってみるか!」

 

「待って、銀。いきなり押しかけても迷惑かもしれないわ。会ってどうするか、もう少し考えましょう?」

 

「そうだね~。よくいる場所は分かったんだから、会いに行くのは明日にした方がいいかも~」

 

「あーそっか。もう夕方だもんな。遊びに行くにしても中途半端なじかんだし、明日は休みだし」

 

なんやかんやで、今日は平日なのだ。

放課後のこの時間から遊びに誘うのは、やや悪手だ。

 

「じゃあじゃあ~、にぼっし―をどこに連れていくか考えとこうよ~」

 

「ふふふ、そういうことならこの銀様に任せときな。アタシのとっておきイネスフルコース巡りにご招待!これで夏凜も骨抜きになること間違いなしだ!」

 

「それじゃあ、明日は夏凜ちゃんを誘って、そのまま遊びに行きましょうか」

 

「うんうん。明日は一日、思いっきり楽しんじゃお~!」

 

こうして、夏凜を引っ張り出す作戦が決定し、その日はお開きとなった。

 

 

「それじゃ、お先に」

 

「ああ、頼人。また明日な」

 

「ええ、また明日ね頼人君」

 

「朝、迎えに行くからね~」

 

 

そうして、俺は一足先に、三ノ輪家を後にした。

あの三人は、別件で話し合いか何かするらしい。

詳しくは教えてもらえなかったけど。

銀の質問といい、少々気になるが……なぜかこの件を深く考えてはいけない気がする……。

何故だろう?

そういえば、最初のキスの件ももっと追及されるかと思ったらそうでもなかったし……。

謎は深まるばかりだ……。

そんなことを迎えの車の中で考えてると、ふと夏凜のことを思い出した。

もしかしたら、前の戦いで何か思うところがあったのかもしれない……。

それ以外にも悩み事があるなら、一足先に聞いておくべきだろうし。

もし、夏凜の悩みが予想通りなら、あいつらにあまり聞かせたくない話題になる。

………うん、やっぱり先に会っておこう。

思い立ったら、行動だな。

運転手さんに頼んで、夏凜がいるという場所に送ってもらう。

割とすぐ近くだ。

車を降りると、運転手さんが車椅子を用意しようとしたけど、丁重にお断りする。

リハビリがてら、少し歩きたかったし、大した距離でもないので、杖があればなんとかなる。

とはいえ、思った以上に疲労してしまう。

昔は一日中体を動かしても平気だったのに、今じゃ少しの距離を歩くだけで、息も絶え絶えだ。

やっぱり、あんまり調子に乗るべきじゃなかったかも……。

 

そうして、砂浜へ行くと、やっぱり夏凜がいた。

見れば、二本の木刀を器用に振っている。

いつ見ても、見事な剣舞だな……。

水のように滑らかでありながら、火のような激しさも併せ持つ。

見ていて飽きない。

そうして、近づいていくと、夏凜は不意に動きを止め、こちらに振り向いた。

 

「頼人……?」

 

「気配を消したはずだが、気づくとはやりおるの」

 

「何言ってんのよ。杖を突く音ですぐ気づいたわ」

 

「おっと、これは不覚だな」

 

「……なんで、ここにいんのよ。あんたたちにこの場所を教えた覚えはないわよ」

 

夏凜が少し不審そうな顔をして尋ねる。

疑問は最もだな。

 

「春信さんが教えてくれたぞ?一瞬で」

 

「なぁ!?あの、馬鹿兄……!人の個人情報をぺらぺらと……!」

 

中々怒ってる。

……当然か。

その間に、その場に腰を下ろさせてもらう。

それに合わせるかのように、夏凜もまた隣に座ってきた。

 

「はぁ……。で、何しにきたの?」

 

「最近の夏凜は、付き合いが悪いから。様子を見に来たんだよ」

 

「……ほっといて。今は鍛錬に集中したいの」

 

「でも、休み時間くらいは一緒にいてもいいだろ?皆寂しがってたし」

 

「だからほっといて。そんなことしてるほど私は暇じゃないのよ」

 

「時間ならあるだろ?せっかく、バーテックスがしばらく攻めてこないのが分かったのに」

 

そう、神託により、バーテックスたちが暫く攻撃を仕掛けていないことが分かったのだ。

おかげで、俺たちは休暇をもらえることになったのだ。

 

「……だからよ!私は戦うためにここに来たの!なのに、一回戦っただけで、すぐ休めだなんて、出来る訳ないじゃない!それに……それに、犠牲者だって出してしまったのよ!?のんびりしてていいはずがない!」

 

やっぱり……か……。

 

「夏凜……そのことなら何度も話し合っただろ?誰も悪くないって」

 

「でも……私がもっと鍛錬に集中してれば……!そうすれば、きっと……!」

 

夏凜の顔が歪む。

それを見て、また胸が苦しくなる。

夏凜は何も悪くないのに、苦しませてしまっている。

だけど、だからこそ、夏凜には事実に向き合ってもらわなければならない。

 

「…………いや……それでも大橋の崩壊は止められなかったと思う」

 

「違う!犠牲はなくせてたはずよ!私は初めての戦いだったんだから、遊んでる暇なんてなかったのよ!」

 

「…………俺もさ、似たようなこと思ったことあるよ。あの時こうしとけばよかったとか、こうすればもっとやれたとか」

 

本当に、もっと早く覚悟を決めて、大赦と取引しとけばよかったとか。

取引の約束を破ってでも、あいつらにもっと早く真実を教えておけばよかったとか。

大橋の件にしても、そう考えてしまうことは多々ある。

 

「…………あんたでも、そんなことあるのね」

 

「結構よくあるよ。……だけど、そのことをある人に漏らしたら怒られたよ。自己過信が過ぎるって」

 

「自己………過信……」

 

「ああ。あと、その理屈なら皆に責任があるともな。俺にも、あいつらにも……」

 

あの時の秋隆の言葉は衝撃的だった。

本当に、随分思い上がっていたと思う。

だけど、あの言葉のおかげで、俺はかなり救われた。

過去を忘れず、それでも前を向こうと思えた。

 

「それは……!」

 

夏凜が何か言いかけてやめる。

もしかしたら、夏凜自身にもその答えが分からないのかもしれない。

そうして、思う。

きっと……この件について、あいつらがあまり口にしないのは、俺達の為なんだろう……と。

少し、自惚れた考えだけれど、あの犠牲をなくせる可能性が高かったのは、俺や安芸先生、そしてあいつらの親御さんなど、大赦にいる人間だ。

そのために、いつも通り明るくしてくれてるんだとも思う。

俺達が暗くならないように……。

 

 

 

「……それにさ、こうも考えられるんじゃないか?連携が取れてなかったらあの戦いには勝てなかった。夏凜がみんなと一緒に過ごしてたから、うまく連携が取れて勝てたって」

 

「そんなの……ただの結果論じゃない……」

 

「そうかもな。だけど、それを言うなら夏凜のもそうだろ?」

 

「…………」

 

「……皆、本当に頑張ってくれてた。銀も、須美も、園子も…夏凜だって、自分の限界以上の力を出してた。あの戦いを直接見ていたから分かる。あの状況ではあれ以上の結果は出せなかった。……頼むから、自分を責めないでくれ。夏凜はよくやってくれたんだから」

 

本当に、あの戦いに勝てたのは奇跡のようなものだ。

それほど、ギリギリの勝利だった。

獅子座を一撃で仕留められたのも、結界を突破したあのバーテックスたちを前に、勇者たちの体力が持ったのも、本当に奇跡的なモノだ。

神託や過去の研究で、奴らの手の内がある程度わかっていなければ危なかったし、誰か一人でも欠けていればまず間違いなく負けていた。

勇者システムのアップデートがあれほどの完成度じゃなかったら、勝ち目はなかったし、全ての皆が限界以上の戦いをしてくれたから、何とかなったと、本当に思う。

それなのに、夏凜にそんな風に、思い詰めてほしくはない。

 

「……それでも、やっぱりあんた達といる意味なんてないわ」

 

しばらく沈黙した後、夏凜はぽつりとそう言った。

 

「夏凜……?」

 

「もう連携をとる必要もないのに、一緒にいる意味なんて……ない……!」

 

夏凜が俯き、絞り出すように言う。

まるで、自分自身に言い聞かせているようだ。

 

「まったく、何言ってるんだ?これからも一緒に戦ってくってのに。それに、もし勇者の御役目がなくなったとしてさ、それでサヨナラなんて寂しすぎると思わないか?俺もみんなも、そういうの関係なく、もっと夏凜と一緒に居たいって思ってるよ」

 

「でも……戦わない私になんて価値がなくて、だからあそこにも居場所なんて……」

 

「……てい」

 

夏凜のおでこに軽くデコピンする。

 

「な、何すんのよ!」

 

「夏凜が馬鹿なこと言うからだろ?価値がないとか居場所がないとか、そんなわけないんだから。それに言ったろ?皆夏凜と一緒に居たがってるって。今日なんてさ、夏凜を連れ出そうってみんな張り切ってたんだぞ?」

 

「あいつらが……?」

 

「ああ。まあ色々、えらそうなこと言ったけど、結局、ただ夏凜も一緒に居てほしいんだけなんだよ。俺もみんなも夏凜のこと好きだから」

 

「なっ……!」

 

夏凜が顔を赤くする。

どうにも、こういう言葉に耐性がないらしい。

 

「あと、銀曰く、俺はボケ役らしいからな。ツッコミの権化たる夏凜に居てもらわなきゃ困るんだよ」

 

「そんなもんになったつもりないわよ……。…………ったく!しょうがないわね!そこまで言うなら、付き合ってやるわよ!」

 

ようやく、夏凜が元気な声を出した。

うん、やっぱり夏凜はこうじゃないとな。

 

「よし。じゃあ明日みんなで遊びに行くから、SNSにちゃんと反応しろよ?スルーされるの意外と悲しいんだぞ?」

 

「……ほんと強引ね。兄貴に似てるなんて思ってたのが馬鹿らしくなるわ」

 

と、そこで端末が震える。

家からの連絡。

見れば、俺に客が来てるそうだ。

誰かは書いてないけど、もう帰らないとダメだな。

 

「それじゃ、俺はもう行くよ。また―――っと」

 

立ち上がろうとして、バランスを崩し転びかける。

と、そこで夏凜が腕をつかんで支えてくれた。

おかげで、なんとか転ばずに済んだ。

 

「なにやってんのよ?やっぱり、まだ治ってないんじゃないの?」

 

「あはは、大分ましにはなってきたんだけどな……」

 

「しょうがないわね。ほら、途中までついてってあげるから行くわよ」

 

「ありがと。……やっぱり夏凜は優しいな」

 

「うっさい!おいてくわよ!」

 

そんな事を言いながらも、夏凜はちゃんと車まで送ってくれた。

なんやかんやで、夏凜はすごく優しい。

なんにせよ、夏凜も明日、一緒に過ごせるのはよかった。

それに、少しは元気になってくれたみたいだし。

心労を僅かでも減らせたのなら良かったけど。

 

 

 

 

「……それで、お客人は?」

 

そうして、家に帰ると、いつものように使用人が出迎えてきた。

お客さんが来ていると聞いたけど、誰だろう?

なんか、真鍋さんの紹介だとしか言ってなかったけど……。

 

「応接室にいらっしゃいますよ?」

 

「そうじゃなくて、どなたがいらっしゃったんですか?」

 

こういう時、秋隆がいないのだと実感する。

秋隆ならもうとっくに……なんて、詮のないことを考えてしまう。

 

「犬吠埼風様です」

 

「………は?」

 

……………どういうこと?

 

 



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[番外編]彼と彼女の思い出

銀、お誕生日おめでとう!

(誕生日記念回、短いです、一応セーフ?)


―――夢を見た。

懐かしい夢。

あれは、まだ銀と出会って、一年程しか経ってない頃のことだった。

互いのクラスが一緒になって、今まで以上に一緒に居る時間が増えてきた頃。

俺はもっと銀と居たいと思い、俺は赤嶺家で施されていた家庭内教育のカリキュラムを、さらに圧縮したものにしてもらい、少しでも早くすべてのカリキュラムを終えられるように、自宅では常に勉強や武術の稽古を行っていた。

あの日もそうやって、家で朝早くから武術の稽古をしていた。

その頃は夏休みの期間で昼過ぎから、銀の家に行く約束をしていたから、その分、早めにその日のノルマをこなしていたともいえる。

そうして、稽古を終えると、いつものように冷蔵庫に寝かせておいたお菓子を片手に、銀の家に向かった。

 

 

 

「なぁ頼人、やっぱりちょっと眠いんじゃないのか?ちょっと瞼がトロンとしかけてるぞ?」

 

「大丈夫大丈夫、ちょっとお腹が膨れて、一瞬、睡魔が来ただけだから、へーきへーき」

 

持ってきたプリンを食べてしばらくすると、突如として睡魔が訪れた。

夏休みな分、鍛錬を普段よりも密度を濃く行っていたからであろう。

若干の疲れが現れていた。

 

「そんな目して、まったく説得力ないぞ……?」

 

ジトッとした目で見つめられる。

随分、ひどい目をしているらしい。

 

「大丈夫だって、なあ鉄男~?」

 

俺の膝に座っていた小さな体を抱き上げてそう聞くと、鉄男はきゃっきゃと笑ってくれた。

かわゆい。

この頃には、鉄男は俺のことを、にーちゃ、にーちゃと呼び始めてくれて、かわゆさがより一層高まっていた。

 

「鉄男、お姉さまを差し置いて、頼人に尻尾を振るとは、大きくなったら覚悟しとけよ?」

 

「何言ってんだ銀。そんなこと言ってたら、いつか反乱を起こされるぞ」

 

「いひひ、そうならないようにじっくり教育してやるのサ」

 

「ほほう?それじゃあ、教育を知るためにもまずは、この宿題をどうにか片付けないとな」

 

「あの……頼人さん、今日はもういいんじゃないですかね?ほら、算数の宿題は終わったんだし」

 

「ダメ。言ってただろ?宿題は早めに終わらせて、八月はたっぷり遊ぶんだって」

 

「えーちょっとぐらい、いいじゃんかー」

 

「いいから、ほら国語のプリント出しな」

 

早いとこ、宿題を終わらせきってもらわねば、遊べないんだから。

 

 

 

 

「よし。これで国語も一通り終わったな」

 

そうして、またしばらく宿題を進めていき、何とかまた、一教科終わらせることができた。

といったところで、また眠気が来て、つい大きな欠伸をしてしまう。

やはり、鍛錬の疲れが少々たまっていたらしい。

当然、その様子は目の前の銀に見られていた。

 

「やっぱり、眠いんだな。しょうがないな、ほら、膝貸したげるから、ちょっと昼寝しな」

 

「いや大丈夫だから。それに、銀の足も疲れちゃうだろ?」

 

「気にすんなって。普段の借りもあるし、ちょっとぐらい甘えていいんだぞ?」

 

「おいおい、そもそも貸したつもりはないぞ?それに、鉄男も見とかなきゃだし」

 

「鉄男はアタシが見とくから大丈夫だって。ちょうど寝てくれたとこだしな。それより、銀様の膝枕なんて滅多に拝めないんだぞ~?見逃していいのか~?」

 

「でも……」

 

「いいから、休めって。それとも、アタシに膝枕されるのは嫌か?」

 

流石にそこまで言われたら断ることはできない。

俺は銀の厚意に甘えることにした。

それが、後戻りできない劇薬だと知らず―――

 

「それじゃあ……お邪魔します……」

 

そうして、銀の太ももの上にゆっくりと頭をのせる。

瞬間、安らぎで心が満たされた。

温かくて、柔らかでいい匂いがする。

今まで味わったことのない、本当にリラックスできる時間だった。

これほどまでに人に甘えたことは一度としてなかった。

特に、誘われたからとはいえ、自発的に人に甘えるなんてことは。

されど、一線は守り続けていた。

このまま、眠ってしまっては、何かがまた変わってしまうと思って。

そうして、瞬く間に微睡の淵に立たされながらも、何とか意識を保っていると、ふと、頭を撫でられる感触がした。

その時、理解してしまった。

俺はもう、この温もりから逃れることはできない。

それまでの意地だとかなんだとか、余計なものが銀の前でだけは気にしなくていいと、思えてしまった。

きっと、それは只のきっかけに過ぎなかったんだろう。

でも、十分すぎるきっかけだった。

それを自覚した瞬間、今までよりさらに銀のことが好きになってしまっていった。

気が付けば、自分なんかよりもよほど大切な存在になっていた。

この日を境に、俺は銀に甘えることが増えていった。

 

一緒に居るだけで、楽しくて、笑顔になれる。

そんなかけがえのない存在。

きっと、銀は大したことをしたとは思っていないんだろう。

けど、それでいい。

銀は、そのままでいるのが一番似合ってるんだから―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――夢を見た。

 

懐かしい夢。

あれは、まだ銀が頼人と出会ってあまり間がない頃のことだった。

互いのクラスは違っていたけど、登下校は一緒にしていた頃。

その日も、銀は頼人と共に帰路についていた。

よく晴れていたが、寒さが身にしみる冬の日。

朝、雨が降っていたせいか、水たまりが道端に残っている。

そんな道を、二人で歩いていた。

 

「なー頼人、昨日のあれ、かぼちゃのタルト、ありがとな!めっさ美味かった!お父さんもお母さんも喜んでたし、また作ってきてくれ」

 

「ほうほう、口に合ったみたいだな。良かった良かった。そんなに気に入ったんなら、今度作り方教えようか?」

 

「ほんとか!?よーし、頼人の技全部盗んでやる。鉄男が大きくなったら食べさせてやるんだ!」

 

「鉄男か……そういえば、赤ちゃん用のお菓子とかあったな。今度試しに作ってみようかな?」

 

「へー、そういうのも手作りできるんだな。お店とかじゃないとそういうの難しいと思ってたけど」

 

「確か、基本は離乳食とかと同じだったはずだから、材料とか気にすれば作れたはず」

 

「そのお菓子作りへの執念はどこから来るんだ?ここか?」

 

銀が頼人の脇腹をつつく。

そこは、頼人の弱点の一つだった。

 

「ちょっ、銀!脇腹はやめい!」

 

「はは!にしても、ほんと頼人ってお菓子作るの上手いよな。店開けるんじゃないか?」

 

「そんなに褒めても、新しいお菓子しか出ないぞ?」

 

「やっりぃ!吾輩はプリンを所望いたしまするぞ?」

 

いつも通りの、何気ない会話。

ただそれだけで、とても楽しかった。

まるで、同い年の兄弟ができたようで、何でも話せて嬉しかった。

そんな存在。

 

そうして、話しながら家へ向かっていると、二人の目の前を大きな柴犬が駆けていった。

それを追いかけるように初老の男性が走ってくる。

どうやら、犬に逃げられたらしく、男性は息を切らしている。

 

「よし、行くぞ頼人!」

 

「えっ、銀!?」

 

途端、銀は駆けだした。

銀はよく外で遊んでいたし、足もクラスの中で早い方だったから、すぐに犬を捕まえられると思ったのだ。

しかし、柴犬は狭い路地に入り込み、縦横無尽に逃げ回る。

中々捕まえられない。

 

「ちょこまかとっ!やるなワン公!って、そっちは駄目だ!」

 

そうこうしているうちに、柴犬は大通りの方へ向かってしまう。

朝から車が多い道。

下手をすれば事故が起きてしまうかもしれない。

あれだけ暴走している犬だ。

可能性は少なくない。

早く捕まえなければ。

そう思い、銀は脚にさらに力を籠める。

 

「もう……少しっ…!って頼人!?」

 

必死で犬を追いかけ、もう少しで届く…といったところで、進行方向に頼人が突然現れた。

柴犬は頼人に抱き留められ―――銀はその勢いのまま、頼人にぶつかった。

視界がぐるりと回り、少しの衝撃を感じる。

だが、不思議なことに痛みは感じない。

 

「あれ、頼人?」

 

「いつつ……銀、怪我はない?」

 

気が付けば、銀は頼人に抱き留められていた。

柴犬と一緒に。

とはいえ、頼人は完全に受け止めきれたわけではなく、銀は頼人を下敷きに倒れる形となっていた。

 

「アタシは平気だけどさ。頼人は?」

 

「あー、ちょっと良くないかも」

 

「えっ!?怪我でもしたか!?」

 

「いや、背中が……」

 

「あ……」

 

見れば、頼人の背中は水たまりにびっしょりと浸かっていた。

 

 

 

 

 

「ランドセルを下ろしたのは間違いだったな……」

 

「ごめんな頼人。アタシのせいで」

 

「銀は悪くないって。俺のタイミングが悪かったんだからさ」

 

柴犬を無事確保し、飼い主に引き渡した後、二人は一先ず三ノ輪家に帰っていた。

頼人は速く走るため、ランドセルを下ろしていたせいで、水たまりに背中がもろに浸かってしまった。

流石に、寒い日なので、風邪をひかないためにも、早めに服を乾かすべきだと考えたのだった。

 

「……なあ頼人。何で頼人はこんなにいつも手伝ってくれるんだ?アタシに付き合わなきゃ、こんなに苦労することはないだろ?」

 

出会ってから、度々抱いていた疑問。

今までは、あまり気にせずにいたが、今日のように巻き込まれても態度を変えない頼人を見て、つい聞いてしまったのだった。

 

「何言ってるんだ?別に銀は悪いことも何もしてないのに、それで苦労なんてするはずないだろ?今日だって、あのワンコを捕まえられたのは、銀が追い詰めてくれたからだし」

 

「でもさ、アタシが無理に顔を突っ込まなきゃ、頼人に迷惑掛けなかったことだっていっぱいあるだろ?……分かってるんだ、アタシはお節介だってこと」

 

何をいまさらと、呆れるように言う少年に銀は告げる。

銀は分かっていた。

自分が遭遇するトラブルに、無理に介入する必要のないものがあることを。

だから、そのことで頼人に迷惑をかけているのではないかと、気にしていたのだ。

 

「まったく、らしくないぞ銀。そんなつまらないこと気にしないでくれ」

 

「でもさ、今日だってアタシに付き合って、そのせいで濡れ鼠にしちゃったし」

 

「いいんだよ、好きで付き合ってるんだから」

 

「だけどさ」

 

「俺はそういう銀の困った人を放っておけないところも好きだからさ、そんなことは聞いてやらない」

 

その言葉を聞いて、銀は頬が紅潮するのを感じた。

好きという言葉に対する耐性がなく、少し照れたのだった。

と、同時に自分がそういうことをしなくなったら、頼人はどうするのか気になってしまい、質問が口から零れた。

 

「じゃあ、アタシがトラブルに顔を突っ込まなくなったらどうするんだ?」

 

「そういう時は俺が勝手に顔を突っ込むから、銀は放っておいてくれ」

 

「何言っんだ!そんなことできる訳ないだろ?」

 

「だろ?というか、そもそも銀が困った人を放っておける訳ないんだから、今更じゃないか?」

 

「むぅ……。分かったようなこと言って、こやつめ」

 

銀は口ではそう言いながらも、頼人の言葉が当たっていると感じてしまった。

故に、照れ隠しのような言葉しか出てこなかった。

それを知ってか知らずか、少年はさらに言葉をつづける。

 

「まぁ、俺もそういうの放っておけなくなってきたし、だったら一緒に解決した方がいいだろ?そっちの方が楽しいし」

 

「はは!楽しいってなんだそりゃ!?」

 

「そーいう性分なんだから仕方ないだろ?」

 

「ったく、頼人は物好きだな!」

 

嬉しかった。

トラブルも含めて、一緒に居るのが楽しいと言ってくれたことが。

困った人を放っておけないとこを、好きだと言ってくれたことが。

きっと、この日からなのだろう。

三ノ輪銀が赤嶺頼人を他の誰とも違う、大切な存在だと、思うようになったのは―――

 

 

 

 

 

 

 

―――そうして、目が覚めた。

 

目の前には自分の大事な、大切な人な顔が広がっている。

どうやら、二人とも同時に目が覚めたらしい。

思わず、笑みがこぼれる。

そうして、いつものようにじゃれ合って、互いを抱きしめた。

 

―――ずっと、一緒に居られますように

 

それはきっと、お互いに想い合っている言葉。

変わることのない想いなのだろう―――



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In the end, everyone will be hypocrites

投稿頻度上げられるよう頑張ります


「彼女がここに?何故ですか?」

 

告げられた名前に衝撃を受ける。

犬吠埼風、先日亡くなられた犬吠埼ご夫妻の長女。

彼女らとは今まで面識など一切なかったはずだし、こんな形で名を聞くとは思わなかった。

 

「お聞きしたのですが、真鍋様はお名前をお伝えすれば分かると」

 

「……それで、真鍋さんは?」

 

「犬吠埼様をこちらにお連れになった後、お帰りになりました」

 

犬吠埼さんを一人残して帰った?

何か帰らないといけない理由でもあったのだろうか?

きな臭いにもほどがある。

……とはいえ、状況が未だに読めないし、まずは犬吠埼さんから話を聞くべきか。

 

「………………………分かりました。それでは、会いましょう。っと―――」

 

「大丈夫ですか!?」

 

一歩踏み出したところでふらついて倒れそうになった。

しまった。

少し調子に乗って歩きすぎたらしい。

 

「すみません。車椅子をお願いします」

 

「はい、ただいま!」

 

メイドさんが慌てて車椅子を取りに行く。

いやはや、随分リハビリにも慣れて来たと思っていたのに、これではな……。

もう少し、リハビリの時間を増やすかな。

と、今は余計なことを考えてる場合ではないな。

なにはともあれ、会わなければどうにもならない。

 

 

 

 

「は、初めまして、犬吠埼風です。と、突然お邪魔してすみません!」

 

「初めまして、赤嶺頼人です。こちらこそ、大変お待たせして申し訳ありません。どうぞ、おかけになって下さい」

 

応接室に向かうと、中学生くらいの少女が立ち上がって、大きな声で挨拶した。

どこか、緊張した様子だ。

 

「えと、本当に……あなたが赤嶺さんなんですか……?」

 

俺を見た彼女が、少し驚いたような顔をする。

 

「ええ。もしかして、真鍋さんから何かお聞きになりましたか?」

 

「た、大したことは……」

 

「そうかしこまらないで、楽になさって下さい。敬語を使われることもありませんよ?」

 

「いえいえいえ!そういう訳には!」

 

「そ、そうですか」

 

すごい迫力で断られた。

間違いなく、真鍋さんに色々と吹き込まれたのだろう。

やっぱり、それなり以上に恨まれているらしい……けどそうなら何故、俺のところを選んだんだろうか。

嫌がらせにしては、妙な感じだし……用件を聞けばわかるか。

 

「……して、本日はどういったご用件でしょうか?」

 

「あの……ここに来れば、おと…両親のことについて、教えてもらえると聞いて来たんです……!」

 

犬吠埼さんは少し逡巡した様子を見せた後、ゆっくりと、されども、はっきりとした口調でそう言った。

その言葉は俺にある種の納得をさせるものになった。

 

「犬吠埼さんのご両親……ですか。申し訳ございませんが、ご両親と自分は面識もなく、大したことは存じ上げません。よろしければ、ご両親と親交のあった方をこちらからご紹介いたしましょうか?」

 

「そ、そうではないんです!大橋の事故のことです。あなたなら、本当の事を教えてくれるって聞いたから来たんです!」

 

「………………本当の事……ですか」

 

やはり、複雑な話になりそうだ。

 

「あれは……只の事故じゃなかったんですよね?」

 

「何故……そのように思われたのですか?」

 

「少し前に、たまたま両親が話してるの聞いてしまったんです。詳しい内容は聞こえなかったんですけど、今、何か大変なことが起きてるっていうのは分かって……。それが今回の事故と無関係と思えなくて、両親の知り合いとか、知ってる大赦の人から知ってそうな人を辿って……それで―――」

 

「それで、真鍋さんにたどり着いたわけですか……。彼女はなんと?」

 

「私は教えられないけど、教えてくれる人を紹介するって……ここに」

 

「そういうことですか……」

 

彼女がここに来た理由は凡そ分かった。

後は……真鍋さんの思惑を知る必要があるな。

 

「やっぱり、知ってるんですね!?お願いです!本当の事を教えてください!」

 

俺が沈黙した様子を見て、犬吠埼さんが身を乗り出して聞いて来た。

どうやら、俺がこの件について事情を知っていると判断したらしい。

それにしても、かなりの剣幕だ。

……それもそうだろう、何人もの人間にたらい回しにされたようなものなのだ。

そう思うのも無理はないだろう。

さて、どう答えるべきか。

正しい答えが存在しないな………。

仮に、全てを正直に話したとする。

道義的には正しい事だろうが、彼女は俺を尋ねてくるほどの行動力を持った人だ。

復讐のため、勇者になりたがる可能性は否めず、今後の彼女の処遇にも変化が生まれるだろう。

また、教えるということは機密漏洩と同義。

いくら勇者候補で、両親が大赦の職員であったからといっても、彼女自身は只の中学生だ。

また、この件を紹介してきたのは真鍋さんである以上、上に話が行ってる可能性もあり、そんな彼女に、今この場で情報を流すことはできない。

様々な面で、リスキーであるし、彼女自身に面倒が及ぶのは避けたい。

では、彼女に話さなければどうなるか。

一時的には、問題はないだろう。

しかし、彼女はある程度の情報を得ているため、いずれ大赦と何かしらの形で接触することは間違いなく、そうなれば、彼女の立場は非常に微妙なものとなる。

知らなかったとはいえ、彼女の行動は一歩間違えれば、世間に大赦の機密を流しかねないモノであったからだ。

そして、犬吠埼さんにこれ以上の行動を許せば、彼女の立場が危うくなるだけではなく、自分を含め、彼女と接触した全ての職員に責が及ぶだろう。

それは避けなければならない。

……個人的には、真実を教えてあげたい。

既に彼女は、両親の死に不審な点を感じており、そんな中で真実を隠され続けるのは、許せない行為であろう。

それに、俺が同じ立場ならきっと真実を知りたいと思う。

しかしながら、教えれば彼女を戦いに巻き込むことになりかねない。

無論、既に多くの人を巻き込んでいる身だ。

これからも多くを巻き込むことになるし、そんな感情を持つことは好ましくない。

それでも、可能な限り、犬吠埼ご夫妻の意を汲み取りたいけど…………。

真実を伝えるにせよ、伝えないにせよ、不用意な行動は慎まなければならない。

どちらにせよ…………結局、偽善だと言われるような行動であることに違いはないが……。

 

――分かってる。

俺の考えは余りにも矛盾している。

意を汲み取りたいと言いつつも、それはあくまで俺の想像。

ただご夫妻に対して、後ろめたさを感じているだけだ

真実を告げない根拠とはなりえない。

同様に、彼女を特別扱いするなんてことは、許されるはずもなし。

親がいない少女をも、これから戦いに巻き込もうとしているのに、中途半端な同情心を抱くわけにはいかない。

そもそも、銀達をこれからも戦わせようとしている身だ。

せめて、こういったことに余分な感情は抜きして、この人に対しても可能な限り誠実であるべきだ。

うん、やっぱり話すべきだと思う。

この先、犬吠埼さんがどのような立場になろうとも、この件について、彼女は知る権利がある。

無論、何もせずにただ知らせると、問題になるから、何かしらの手は打たなければならない。

なら、まずは―――

 

 

「お話しする前に、いくつか確認したいことがあるのですが、よろしいですか?」

 

「え、ええ……なんでしょう?」

 

「今までに、この件についてあなたが話した方の情報を教えてください」

 

「それは…………」

 

犬吠埼さんは顔を俯かせ、少々渋る様子を見せる。

 

「口止めされてるのは分かりますが、これはその方たちの為でもあります。それに、仮に彼らのうちの誰かが犬吠埼さんのことを上に漏らしていたら、少々良くないことになります」

 

「…………ですが」

 

「大丈夫です、念のための措置ですから。それが済み次第、あなたに全てをお話しします。信じていただけないでしょうか?」

 

「……本当ですか?」

 

「そう思って頂いて結構です」

 

 

彼女は、しばらく迷った様子を見せた後、おもむろにカバンから複数の名前と連絡先が書かれたメモを取り出し、俺に手渡してきた。

 

「絶対、この人たちに迷惑は掛からないんですね?」

 

俺がメモを受け取ろうと掴むと、彼女はメモを掴む手を離さず、俺の目を見てこういった。

 

「約束します」

 

その目を見つめ返しそう言うと、彼女はメモを手放した。

どうやら信じてもらえたらしい。

 

「ありがとうございます。では、少しだけここでお待ちください。お茶請けも新しいものを出しますので」

 

「あ……い、いえ!お気遣いなく」

 

「遠慮なさらずにどうぞ。どうやら気に入っていただけたようですし」

 

テーブルの上に用意されてたお菓子はキレイになくなっていた。

犬吠埼さんが全て食べたのだろう。

結構な量を用意してたはずだけど、皿は洗い立てのモノのようにキレイだった。

犬吠埼さんが少し赤面している。

まあ、恥ずかしいのはよく分かる。

状況を考えると緊張していたのも無理はないし、そのせいで余計に食べてしまったのだろう。

 

「あ、あはは……すみません……。あの、押しかけておいて申し訳ないんですがお時間ってどれくらいかかりますか?家に妹を残して来てるので…………」

 

とそこで、彼女はちらりと壁にかかった時計を見て言った。

見れば、もう辺りが暗くなる時間になっている。

妹さんのことが気になるのだろう。

この上にさらに時間がかかるというのなら、そう思うのも無理はない。

家の者を呼び、車の準備をするように伝える。

 

「それでは、詳しいお話はまたにしましょうか。それまでにお話しできる準備を整えておきますので。犬吠埼さんは明後日など、お時間はおありですか?」

 

「あ、はい。アタシはいつでも大丈夫です」

 

「それでは、当日迎えを行かせますね。もう少々お待ちください、今、車を回しますので」

 

「いえいえ、そこまでしてもらう訳には……」

 

「そう言わずに。結局、ここまで来てくださったのに、碌にお話もできませんでしたし、これくらいさせて下さい」

 

「す、すみませんね……」

 

犬吠埼さんが頭をかきながらそう言った。

 

「…………次にいらっしゃるときには心の準備だけはしてきて下さい。きっと、とてもショックを受けるお話だと思いますし、これまで通りではいられなくなるかもしれません」

 

「これまで通りって……」

 

「この件は、犬吠埼さんが思っていらっしゃる以上に、根が深いものです。知ってしまえば、後戻りはできません。それから、貴方がどのような選択をしようとも、その真実は今後、ずっと付きまとうことになります。知らないままでいればよかったと思われるかもしれない。次にいらっしゃる時まで、そのことをお考え下さい」

 

はっきり言って、彼女の想像を遥かに超えた話になるだろう。

俺だって、初めて知った時には、動揺を隠せなかった。

 

「…………それでも、それでもアタシは知りたいんです。何かあるってわかってるのに、知らないままでいることの嫌なんです。それに、お父さんやお母さんがいなくなったのに、これまで通りではいられませんから」

 

どこか、寂しそうなその言葉に、胸を締め付けられる思いがした。

そうだ、既に彼女の日常は崩れ去ってしまっている。

俺が分かったような事を言うべきではなかった。

 

「……すみません。失礼なことを申し上げました」

 

「いえ、いいんです。むしろ、心配をおかけしてすみません」

 

犬吠埼さんがそう言ってくれる。

不躾な言葉であったのに、優しい方だ。

そういう優しい人が、これほど苦しんでることに、やりきれなさを感じた。

 

 

 

 

 

 

「それでは、これで失礼します。今日はありがとうございました」

 

それから少しして、車の用意ができたので、俺は玄関まで見送りに来ていた。

そこでまた、違和感を感じた。

勘違いかもしれないけど……一応聞いておこう。

 

「こちらこそ、大したおもてなしもできずにすみませんでした。あと……勘違いされてるかもしれないので申し上げますけど、自分は犬吠埼さんよりも一つ下の年齢です。なので、そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ?」

 

「えっ、一つ下ってことは……小学生!?ほんとに!?アタシの一個下!?」

 

犬吠埼さんが驚いた様子で声をあげる。

やはり、勘違いしてたようだ。

 

「ええ、そうですよ。なので、ほんとに敬語は使われなくて結構ですよ」

 

「でも、大赦の偉い人って……」

 

「確かに家はそれなりに大きいですけど、自分個人は、末端に籍を置いてるだけで、さして偉いわけではありません。きっと、真鍋さんが少々話を大きくしすぎただけですよ」

 

どうせ、真鍋さんが色々と吹き込んだんだろう。

大体予想はつく。

 

「いや、でも……ええ……?」

 

犬吠埼さんはなんだか、納得のいってないような感じだ。

 

「そんなに意外でした?」

 

「いや、話し方とか雰囲気とかで完全に年上だとばかり……。先輩にも背の低い人はいたし……」

 

「これでもランドセルをまだ背負ってますから」

 

「ラ、ランドセル……イメージが……。え、でもなら何でアタシの知りたいことを知ってるのよ?機密なんでしょ?」

 

「ええ、それについても、明後日、一緒にお話ししますね」

 

「は、はぁ………」

 

その後、二、三言葉を交わした後、犬吠埼さんはこの家を後にした。

なんだか、随分と締まらない別れ方になってしまったな……。

まあいい。

さて、部屋に戻ってお仕事の時間だ。

 

 

 

 

 

『意外と遅かったね』

 

部屋に戻って、犬吠埼さんから教えてもらった番号に電話を掛けると、開口一番こんな言葉がとんできた。

 

「何しろ、突然のことでしたから。真鍋さんが最初からいれば、少しは話も違ったんですよ?」

 

『おや、奇襲は好きなんじゃないのかい?人にあんなことを仕掛けておいて』

 

「するのはともかく、されるのは苦手でして」

 

『可愛げがないね。まったく』

 

「これは手厳しい。で、どういうことか説明していただいても?」

 

流石に、これは余りにも恣意的すぎる行動のように思える。

どこまで話が通っているのかなど、分からないことが多い。

 

『君、女の子が好きだろう?ちょっと早いクリスマスプレゼント……って言ったら満足かい?』

 

「流石に早すぎます。せめて、あと一月は待たないと」

 

『……嫌にノリがいいね君。なるほど、そっちが素って訳だ』

 

「そういう訳ではありませんが……。そういえば、犬吠埼さんになに吹き込んだんですか?結構、緊張してましたけど」

 

『なに、君が見かけよりずっと大人な大赦の偉い人で、気に障ったことを言えば、社会的に殺されちゃうよって言っただけだよ』

 

「なんてことを……」

 

道理であんなにかしこまっていたわけだ。

そんな言い方だと、犬吠埼さんが俺を自分よりも年上だと思うのも無理はない。

 

『実際そうだろ?まぁいい。くだらない掛け合いはここまでにしておいて、本題に入ろう』

 

「伺います」

 

さて、ここからだな。

 

『単刀直入に言おう、犬吠埼姉妹を勇者にしてやってくれ』

 

身構えた途端、真鍋さんはさらりととんでもない事を言った。

 

「……本気でおっしゃっているんですか?まともに答える気がなければ、切りますよ?」

 

『待て、最後まで話を聞け』

 

「………どうぞ」

 

『君も知っているだろう?彼女たちは現時点で勇者の有力候補となっている。だが、誰かさんのせいでその扱いがややこしいことになった』

 

「それが何か?」

 

『分かっているだろう?彼女たちは勇者にならない場合、君の進めている計画、例の防人に選ばれる可能性は高い』

 

「勇者にさせたいというよりも、防人にさせたくないと。理由をお聞きしても?」

 

『……あの子たちが死ぬ可能性を少しでも減らしたい。それに、勇者になれば、彼女達の身の安全は大赦に保証される。そのためにだ』

 

「人の事を言えた義理ではありませんが、矛盾してますね。ならなぜ、彼女達を戦わせないよう取り計らえと言わないんです?勇者の重責、知らないあなたでもないでしょうに」

 

『分かってる。だがこの先、君の立場では彼女を戦わせないように手を打つのは難しくなる。どの道、戦わせなくてはいけないのなら、より立場が守られる勇者にすべきだ。違うかい?』

 

今の言い方、少し違和感があった。

俺の立場?

 

「真鍋さん、俺の立場って、どういう意味ですか?」

 

『知りたいのなら、こちらのお願いを聞いてくれればいい。それで丸く済む』

 

「ふざけないでください。そもそも、自分がその言葉に乗ると本気で思っているんですか?」

 

『どうだろうね。正直なところ、半々だ。だけど、君は乗るさ。きっとね』

 

「自信がおありなようですが、そもそも今の俺にその権限はありません。第一、勇者の選定には人間が関われない部分があることを知っているはずです。三好夏凜のあれはあくまで特殊な例だと」

 

『君も嘘つきだね。権限がなくても、君は人を操れる。気持ち悪いぐらいにね。それに、次の勇者の選定にしても、特殊な存在がいるだろう』

 

「……何のことでしょう?」

 

『とぼけなくていい。結城友奈。彼女はかなり濃い『友奈』だ。君の御先祖以上にね。彼女が次の勇者に選ばれるのは間違いない。勇者適正値もそれを証明している。そして、彼女の傍に勇者適正値の高い人物を現勇者と共に配置すれば、その者たちが一緒に勇者に選ばれる可能性は非常に高い。そうだろう?』

 

「……あれ、確か、かなりの機密だったと思うですけど」

 

『これでも、情報収集は得意でね。大赦も外部への守りは強いけど、内部となるとそうでもないのさ』

 

「……で、仮にそれが可能だったとしても、彼女らを選ぶメリットがない以上、この話はここで終わりになりますが?」

 

『メリットもなにも、適正値に関していえば、彼女らが最有力だ。訓練所にいた面々は勇者適正値が高いとは言えない。楠芽吹も含めてね。それに、楠嬢の受けが悪いのは承知のはずだ。安芸さんも含め、彼女を勇者とするのは避けるべきだという意見は多い』

 

「だとしても、いえ……そうならば、放っておけばよかったのでは?」

 

『そうもいかない。ただ勇者になったのでは、親のいない彼女たちは一部の者に利用される可能性がある』

 

「待って下さい。そんなことができる連中がまだ残っているとは思えません。特に、今の首脳部がいる間は」

 

『事情を知りたいかい?だが、駄目だ。君がこの件について確約してくれない限りはね。ただ、すべて真実だ』

 

「なぜ、そこまで彼女達に肩入れするのですか?ただの同情という訳ではなさそうですが」

 

『……犬吠埼さんには昔、世話になってね』

 

「そう……ですか」

 

『あの子たちを危険な目に合わせるということは分かってる。だがそれ以外に方法はなくてね』

 

「……………いいでしょう。条件は?」

 

『そう来なくっちゃね。私が求めるのは、勇者選定に彼女達を君から推薦すること。そして、彼女達の後見を赤嶺で行うことの二点だ』

 

「引き換えには何を?」

 

『現時点における、大赦内のありとあらゆる情報。特に、君に秘匿されている情報を教えよう。おまけで、お偉方の弱みもね。あとは、私個人の忠誠といったところかな?』

 

真鍋さんが楽しそうに話す。

本気かどうか怪しいと言わざるを得ないな….。

 

「残念ですが、情報ならこちらでも集められます。あなたがヒントをくれたので、取引材料にはなりません」

 

『どうかな?現状、君の伝手は封じられているはずだ。そう簡単にはいかないよ。それに君の協力者とて、この件に関しては箝口令を布かれている。気になるなら、調べてみるといい』

 

「そうします。いずれにせよ、今すぐに返事をするわけにもいきませんし」

 

『ああ、それでいい。だが、お早めにどうぞ?君にとって、取り返しのつかないことになるかもよ?』

 

「その時はその時です。……それと、確認ですが犬吠埼さんが接触した方々は、この件を上に知らせなかったのですか?」

 

『させていないよ。こっちにも都合があってね』

 

させてない?

これは、犬吠埼さんと接触した面々は真鍋さんと繋がりがあったということか。

となると、この状況は偶然発生したものではなく、意図的に引き起こされたと考えるべき。

ちょっと嫌な感じがするな……。

 

「……分かりました」

 

『君はきっと、この取引に乗る。真実を教えれば、あの子は必ず勇者になりたがるだろうし、それに、君は僕の持つ情報をきっと知りたがる』

 

「さて……どうでしょう?」

 

『まあいいさ。断られた時はまた考えるしね』

 

「………最後に一つだけ教えてください。真鍋さん……あなた、本当に彼女たちのために行動してるんですか?」

 

『………………どうだろうね。案外、全部が嘘かもよ?』

 

さっきと言ってる事が違う。

増々怪しい。

が、少々様子が変わっていた。

 

「……答える気はないと。本当に、取引を成立させる気があるんですか?」

 

『心外だね。大ありさ』

 

「はぁ……。まあいいです。ただ相応の覚悟はなさってください」

 

『そっちこそ、自分に押しつぶされないようにね』

 

彼女がその言葉を告げた直後、プツリと通話は切れた。

随分と嫌な捨て台詞だ。

とはいえ、彼女との会話で凡その状況は予想できた。

問題は、彼女の言をどこまで信じていいのか。

行動に明確な一貫性もなければ、今までのような論理性もない。

他にもっと良い手段はあったはずなのに、何故それを選ばなかったのか。

そうなると、取引に応じたら、罠でしたという可能性も否定できない。

それでも、犬吠埼さんが出てきている時点で、動かないという選択肢は潰されたも同然だ。

なんだか、嫌な予感がする。

どちらにせよ、今はこの件に集中するしかあるまい。

部屋の本棚から、ある百科事典を取り出し、辞典の間に挟んでいた書類を抜き取る。

書類の中身は、今まで俺が接触してきた名家の人間の連絡先。

赤嶺としての権限が使えなくとも、動けるようにと準備していた代物だ。

春信さんの連絡先だけ、夏凜の写真を送るために登録しておいたが、それ以外の多くの人達との連絡手段はこちらに、確保していた。

ここ最近、両親は家を空けているし、少しぐらい動いても問題はないはず。

部屋の時計を見ると、まだ何とか、電話を入れても失礼には当たらない時間だった。

メールも色々と打たないといけない。

さて……まずは。

書類を見ながら、電話番号を入力する。

久しぶりの、家を介さない工作になる。

時間がかかりそうだ――――

 

 

 

 

 

 

 

「もしもし、春信君?……うん、予定通り。これで、あの子も動くだろうね。……………ああ、分かってるよ。安芸さんには悪いけどね。ただ、監視は要らないと思う。むしろ、こちらが把握していたことが知られたら厄介そうだし……はいはい。使える物は、でしょ?だけど、一つだけ覚えておいてよね」

 

彼女は楽しそうに、気楽に話す。

内容の不可解さとは裏腹に。

だが、突然そのトーンは下がる。

 

「私にここまでさせたんだから、覚悟はしろ。もしこれであの子たちに何かあれば、私は君を許さない」

 

怒りをにじませた声。

そして、その声には、一抹の悔恨がにじんでいた。

 

「……確かに、私が言えた義理ではなかったね。ごめんごめん、つい気が立っちゃって」

 

声の様子が元に戻る。

 

「……分かってるのなら、結構。それじゃ、我らが救世主様にご期待しよう。あれ?救世主は鷲尾のお嬢ちゃんだったっけ?ま、どっちでも同じか」

 

ふざけたような言葉。

だが、その声は冷たく響く。

 

「ああ、一元的な戦争指導。その実現は可及的速やかに―――」

 

 



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interlude IV

一.

 

 

神世紀二九八年十月中旬

 

大赦内の一室で、複数名の神官が集まっていた。

彼らは穏健派と呼ばれ、改革においても日和見を決め込み、改革後も強大な権力を自分達から求めようとしなかったために、一定以上の権力を保持しえたという共通点を持っていた。

一見すると、ただ幸運を拾った立場のようにも見受けられるが、当人たちにそのような意識はない。

なにせ、大赦内で最高の権力を誇った上里ですら、御老体が失脚し、赤嶺の言いなりとなっているような状況下において、一時の過失で容易く破滅する(少なくとも、彼らにはそのように思えた)彼らはどうしようもなく薄氷の上に立つ存在であったからだ。

それ故に、乃木や赤嶺に権力が集中している今、自分達の身の振り方をどうすべきか、度々集まって討議していたのである。

ある種、大赦内で最も不穏分子に近い存在とも言えよう。

 

「やはり、このまま赤嶺との協調路線を取り続けるべきだろう。最早、今の大赦は赤嶺の独裁に近い。我々が生き残るためには、如何に彼奴から不興を被らないかではないか?」

 

「言いたいことは分かるが、流石に卑屈が過ぎるのではないか?確かに、赤嶺の動きは目に余るが、それでも乃木の顔は立てておる。流石に、大義もなしに動くことはないはずだ」

 

「どうだかな。昨今の会議でも、乃木や鷲尾の面々はしきりに、赤嶺の意見を気にするではないか。上里の件もある今、赤嶺の意見ならばどのようなものでも通りかねん。もし、彼奴が我らのような存在を排除しようとしても止められるかどうか」

 

場に重苦しい空気が漂う。

いまだ、表向きの立場としては乃木や上里のツートップ体制というのは崩れていないが、晩夏の一件により上里は赤嶺に頭が上がらず、また乃木や鷲尾といった有力な名家が過度に赤嶺の意見を求める為、事実上、赤嶺の発言力が最も強くなっているというのは最早、周知の事実であった。

とはいえ、赤嶺が発言力を強めただけであるなら、彼らもあまり反応しなかったであろう。

なにせ、前々から有力な名家が権力を握っている構図自体はあったのだ。

組織の構造が変わったとはいえ、考え方によっては、頭がすげ変わっただけとも言える。

それでも、ここまで彼らが反応する理由は、強硬に改革に反対した者たちの末路にあった。

名家としての特権を失い、職を追われた者たち。

赤嶺の主導による徹底した腐敗の排除と、粛清。

流血こそ伴わなかったものの、一連の改革は上からのクーデターと揶揄されるほど苛烈なモノであった。

 

「しかし、身内大事さにここまでやりおるとは……」

 

満開の排除は一定以上の立場の者には通知されていた。

それは、通知を決定した少年の意図した結果を完全にはもたらさなかった。

むしろ、改革自体を身内大事さに行ったものではないかという見方を、現首脳部を快く思わない一部の者達にさせてしまったのである。

しかし、話の筋自体は通っていたこと、そして、表だって少女を犠牲にしろ、などと言えるようなものが殆どおらず、また言えたものの多くは反対派として排除されたことから、この話は余り表沙汰にはなっていない。

とはいえ、そのような見方をするものが一定数いるのは確かであった。

 

「しかも、随分と外様の者が増えたではないか。このままでは、我らの居場所はいずれ……」

 

「ふん。中途半端に能力主義的になったのは確かだが、実権は彼奴らが握っておるのだ。いずれ、歪が生まれよう。焦ることはない」

 

「だが、歪が生まれたところで、我らの状況が変わるわけでもあるまい。やはり、何かしらの手を打つべきだろう」

 

「だが、どうするのだ?あの赤嶺だぞ。少しでも、怪しげな動きをすれば、我らとてただではすむまい」

 

「うむ。上里ですら一杯食わされたのだ。慎重になるべきだろう」

 

「何、そうと分からなければよいのだ。やりようはある」

 

「自信ありげだな。何か策でもあるのか?」

 

「そうだ。あの救国の英雄などと持て囃されている赤嶺の子倅を使えばいい」

 

「あの小僧か。だが、あれは今や勇者の称号を与えられているではないか。迂闊には手を出せぬぞ」

 

「まぁ聞け。先日、面白い話を耳にしてな。その子倅が、実質的に赤嶺を動かしているというのだ。あろうことか、改革を乃木に吹き込んだのはその子倅だと」

 

「馬鹿な。子供としては、確かに聡いとは思うが、そのようなことができるはずなかろう。第一、あの男がそんな真似を許すはずもあるまい」

 

「左様。作り話にしても精彩に欠けるな。そもそも、そんなことをする理由があの子倅にはないだろう」

 

「出来の悪い与太話のように感じられるのも無理はない。だが、この話の出所を聞けば、気も変わろう」

 

「ほう?赤嶺から息子の功績でも自慢でもされたか?」

 

「……これは三好春信からの情報だ」

 

瞬間、空気が張り詰める。

その名前は彼らにとって重大な意味をもたらすものであった。

 

「それは真か?」

 

「ああ、彼奴から直接聞いた話だ」

 

「……だとしても、俄かには信じられん。仮にそれが真実だとすると、あの男がたかだか十二の小僧に手玉に取られたことになるぞ?」

 

「待て、そもそも情報の出所はどこだ。我らでも知りえなかった事実を、三好春信は何所から手に入れた?奴からの情報だとしても、詳しい出所を聞かぬことには……」

 

「そのことか。どうやら、赤嶺の部下に裏切り者がいるらしくての。そこから情報を得たそうだ。情報の裏付けも行ったが、虚偽のモノはなかった。信じてよいだろう」

 

「あの赤嶺だぞ。罠の可能性は―――」

 

「だから、罠だとしても問題ない方法を取ればよいのだ」

 

「そのような方法が本当にあるのか?一歩間違えれば我らは破滅だぞ?」

 

「まあ待て。まずは話を聞いてみようではないか。……して、どうするつもりだ?」

 

「簡単な話だ。まずは――――」

 

 

それは、傍から見れば間違いなく権力にすり寄る行為であり、改革後の大赦においてはとても褒められたものではなかった。

この年に起こった改革において、瑕疵があったとすれば、改革を迅速かつ確実に実行するために、改革派に属する権力者たちの既得権益をある程度認めてしまったことであろう。

実際問題、この手段を取らなかった場合、反対派の数はさらに増加し、改革に要する時間がさらに増え、最悪の場合、大赦内外においても混乱が波及したであろう。

それ故、一概に批判できる類のものではなかったが、それでもこのような問題が生まれる遠因になったのは確かなことであった。

時代はまた、動いていく―――

 

 

 

 

 

 

 

二.

 

真鍋美奈津は、昔から人の心に入り込むのがうまかった。

相手の表情を観察するのが得意で、相手が求めるような言葉を昔から簡単に分かった。

だから、自分の居心地のいい空間を作って、いつもそこでぬくぬくと過ごしていた。

工夫すれば簡単に都合のいい友達はできたし、学生生活でも人間関係に困ったことはなかった。

それなり以上に成績も優秀で、家も大赦に関係しているところだったから、卒業後は大赦で働けることになった。

大赦で働き始めても、私は人の心に入り込んで、うまく立ち回っていた。

おかげで、あの上里家に目をつけられ、職員としての仕事に従事しつつ、上里の命で様々な部署との裏取引など工作員のようなことをし始めた。

そのことに疑問は抱かなかった。

むしろ、あの上里の下で働けることに優越感すら抱いていた。

順風満帆な人生。

このままいけば、栄達の道が拓けると本気で思っていた。

事実、私は上里の役に立つ仕事ができたらしく、日に日に重要な仕事を任せられるようになっていた。

そうして、幾つもの部署を転々としながら人脈を作り、上里の仕事に従事していたとき、あの夫婦に出会った。

 

犬吠埼夫妻。

夫婦ともに大赦で働いているという、たまに見かけるような組み合わせの二人。

その二人は、今まで会ったどんな人たちよりもお節介で……優しかった。

仕事の中だろうがそうでなかろうが、彼らはよく私を気遣って、世話を焼いてきた。

私が毎日、スーパーの弁当ばかり食べていることを気にして、わざわざ弁当を作ってきてくれて、それを恩に着せることもなく、二人分作るのも三人分作るのも一緒だからと笑いかけてくれた。

きっと、私が色々な部署を転々としていると聞いて、何か別の想像をしたのだろう。

けれど、嬉しかった。

両親は物心ついた頃には、事故で失っていて、祖父母に育てられたから、きっと両親がいれば、こんな感じだったのだろうと思えて、本当に。

二人はよく、二人の娘の話をしてくれた。

姉の方は、明るくていろんな人と仲良くなれる子で食費がかかることだけが悩みだと言って、妹の方は、少し臆病だけど歌がうまくて実は芯が強いところもあると。

そして、二人ともとても優しくて可愛い子だと。

本当に、子供のことを語る夫婦は幸せそうで、自分も、こんな家庭を作りたいなと思った。

 

そんなある日、大きな事件が起きた。

バーテックスが三体同時に襲来し、大赦が擁していた勇者三人が事実上の敗北を喫したのだった。

それでも、世界が存続しえたのは、赤嶺の一人息子の手によるものだった。

この一件で赤嶺の息子は一躍、救国の英雄として祭り上げられることになった。

同時に、これまで勇者の増員やシステムのアップデートに反対していた面々の発言力は大きく低下し、反対に赤嶺の発言力は爆発的に向上した。

だが、話はここで終わらなかった。

この事件を契機に、大赦に大規模な改革の動きが見られるようになったのだ。

 

上里はこの動きに何とか対抗しようとしたが、準備の段階から改革派に後れを取っていたらしく、その危機感は真鍋自身すら感じられるものであった。

そんな折、勇者適正値を反対派に流すように指示された。

真鍋は上里の意図を完璧に読み取り、上里が関わっていると周りに気付かれないように、なおかつ、反対派の工作が露見するように立ち回った。

それがおかしいことなどとは一切考えなかった。

世界の危機なのは自覚していたが、この一件だけで、それほど事態が変わるとも思っていなかったし、どの道、自分は上の指示に従うだけの存在である以上、考えても仕方ないと思っていたからだ。

 

しばらくして、勇者候補の訓練所に訪れる赤嶺頼人の世話役となり、同人にある情報を流すように指示された。

流石に、この件の意図は真鍋自身も正確には読み取れなかった。

しかし、仕事は仕事。

真鍋は完璧にやり遂げる自信があった。

そして、順調に仕事を進めていった。

触れ合ってみると、少年は優しく、まるで、自分のように相手の求めることがよく分かっているような気がした。

故に、ちょっとした親近感を覚え、少年にある種の好意を持った。

随分、仲良くなれてきたと感じ、少年を謀っていることに罪悪感を覚えてしまうほどであった。

だが、それらはすべてまやかしだった。

嵌められていたのは、自分だった―――

 

少年が自身を追い詰める様を見ていて、気付いた。

この少年は自分とは違う。

少年は自分の信念の為なら、文字通りなんでもやってのける。

人を動かし、必要なら自分を囮にすらする。

私のように、ただ上からの指示に従うだけの人形じゃない。

人の上に立つような人物。

少年はわずか数ヶ月で、私が今まで必死に積み上げてきた物以上のモノを手に入れ、上里すら追い詰めて見せた。

その時、自分が何年も時間をかけて得た信用も地位も、何の意味もないのだと言われたような気がした。

だから………私は少年を憎んだ。嫉妬した。嫌いになった。

まさしく、少年は私にとって悪魔のような人物だった。

 

 

 

それからは、赤嶺で働くことになった。

皮肉なことに、赤嶺の仕事は性に合っていたらしく、待遇も周囲からの評価も以前よりも向上した。

 

 

そして、あの日が来た。

過去最悪の襲来。

多くの被害がでて、犠牲者も出た。

当初はこれほどの被害が出たのだから、犠牲者が出るのも当然かと、どこか他人事のように感じていた。

……亡くなったのが、仲良くしてくれた犬吠埼夫妻だと知るまでは。

 

 

事実が受け止めきれなくて、頭の中で色んな事を考えた。

大赦への八つ当たりのような感情、残された娘たちはどうなるのかという心配、色んな感情がごちゃ混ぜになり、そうして、気付く。

気付いてしまった。

自分が勇者適正値のリストを流したことを。

そのせいで、勇者の増員が遅れ、この戦いに間に合わなかったことを。

彼女の中で、様々な想いが交錯し、嫌な想像が膨らんでいく。

もし、勇者の増員が間に合っていたら、もし自分がリストを流していなければ、もし自分の行為をもっと真剣に考えていたら………被害はもっと、少なかったのではないか?

 

―――あの二人も亡くなっていなかったのではないのか?

 

―――それじゃ……あの二人が死んだのは……私のせい……?

 

それは、彼女の思考を飽和させるに十分すぎるモノであった。

 

 

どうしてもっと真剣に考えなかったんだろう?勇者の戦力が減れば、被害が拡大する可能性なんていくらでも考えられたのに。ああ、畜生。こんなことなら、あんな命令に従わなければよかった。これもすべて上里のせいだ。あいつらがあんなこと指示しなければ全て収まったのに。いや、違う。違う。違う。私だ。やったのは私だ。私のせいで二人が死んだ。優しかった二人が死んだ。折角、今度家においでと言ってくれてたのに。なんで行かなかったんだろう。私のせいで、私のせいで、私のせいで―――――

 

 

後悔した。

後悔した。

後悔した。

這いつくばって、涙を流し、赦しを乞うた。

しばらく、働けるような状態ではなかった。

そうして、後悔に苛まれていた時、私に三好春信が接触した。

春信は私にこう告げた。

後悔に苛まれるぐらいなら、夫妻の為に動け。

世界を残せるよう努力しろ。

彼らの娘を勇者にすることで、守れ。

どの道、彼女達はこの先、危険な御役目を背負う。

ならば、少しでも彼女たちが優遇されるように手を貸せ、と。

当然、怒った。

両親を亡くした少女たちにこれ以上、何をさせるのかと。

だが、自分が怒れる立場かと問われると、何も言えなかった。

しばらく、色んな事を考えた。

今、自分が何をすべきなのか。

どうすれば償えるのかと考え続けた。

そうして、結局、償える道なんてないと気付いた。

けれど、今、自分の意思で動かないと、私は一生人形のまま。

また、無責任に誰かを傷つけるかもしれない。

けれど、どの道、生きていかないといかないのなら、もう決して、後悔しない道を選ぼう。

自分の為すことの意味を考え、前へ進もう。

どうしても、人を傷つけてしまう道であるなら、せめて自分の意思で傷つけよう。

 

そして、真鍋美奈津はもう一度、歩み始めた。

これまでと違う道を。

もう二度と、間違えないために。

悔恨を背負いながら、生きていく―――

 

 

 

三.

 

 

 

犬吠埼さんと会った翌日、俺達は予定通り、イネスに遊びに来ていた。

昨夜中に、何とか犬吠埼さんに真実を話せるよう、根回しを終わらせられたおかげで、時間ができた。

こっちの都合で予定をすっぽかせば、みんなが怖いことになるのは目に見えているから、時間ができて良かった。

特に、夏凜にあんなこと言った翌日なのに、自分だけすっぽかせば、恐ろしいことになる。

まあ、自分が遊びたかっただけというのもあるけど……。

そんなこんなで、イネスに来たわけだが、ゲームだったり、雑貨屋だったりを一通り回って今はお昼時。

皆でフードコートに昼ご飯を食べに来ていた。

ざるに載ったうどんを、素早くつけ汁につけ食べる。

うむ、うまい!

 

「あんた、もう十一月だってのに、よくそんな冷たいもの頼めるわね」

 

「頼人は、昔から冬でも平気でざるうどん頼むからな。謎のこだわりがあるらC」

 

「ざるうどんはいいぞ。うどんののど越しや食感を一番味わえる至高の食べ方だ。薬味で味を変化させられるし」

 

「でも頼人君、冷たいものばっかりだとお腹壊しちゃうかもしれないわ。ほら、温かいお茶よ」

 

須美が湯呑に温かいお茶を入れて、持って来てくれる。

気遣いが身に染みるなぁ……。

 

「ありがと須美。助かるよ」

 

「お~。わっし―流石~。良妻賢母だね~」

 

「そのっちったら、お茶くらいで大げさよ?」

 

と言いながらも、須美は嬉しそうにしている。

 

「相変わらず過保護ね……」

 

夏凜が呆れたように言う。

うん、俺もそう思う。

ただ、一番怖いのは、これがデフォルトになりつつあることだ……。

いけないと分かってるのに、つい甘えてしまう。

この調子で大丈夫かな……。

 

「まあ須美だしな。それでさ、この後なんだけどアタシ、ちょっと行ってみたいところがあるんだ!」

 

「あれ、銀?今日はイネスフルコースなんじゃなかったのか?」

 

「アタシも最初はそのつもりだったんだけどさ、昨日、お母さんがこんなのもらってきたんだ。期限が明日までだったから使っていいってさ。皆で行ってみないか?」

 

銀が差し出した紙を見ると、それは水族館のチケットだった。

どうやら、これ一枚で五人とも入れるらしい。

 

「わ~!ここ行ったことないとこだよ~!」

 

「あら、いいわね。私も久しぶりに行ってみたいわ」

 

「ん、いいんじゃない?私もそういうとこ、あんまり行ったことないし」

 

「じゃあ決まりだな!」

 

ということで、俺たちは、午後からは水族館に行くことにした。

中に入ってみれば、意外と広くて人も結構な数が入っていた。

 

「へぇ、こういう風になってるんだ。にしても意外と盛況なのね」

 

夏凜が物珍しいように言う。

やっぱり、あんまり来たことはないのは本当らしい。

 

「ええ、休みの日だからか人が多いわ」

 

「だね~。ここの水族館初めて来たけど人気なんだ~」

 

「おぉ!!みんな水槽を見てみろ!マンボウがこっちに向かってくる!」

 

銀が俺の車椅子を押しながら言う。

 

「わぁ!!可愛いね~。あ、口をパクパクさせてるよ~」

 

「ふふ…私達とお話ししたいのかしらね」

 

結構みんなはしゃいでいる。

平和で良いことだ。

 

「あ、そっか。ん~……マボマーボマボマボ~」

 

「なんだ園子、新手の呪文か?」

 

おかしな言葉を発し始めた園子に、銀が尋ねる。

 

「マンボー語喋れないかなぁと思って。マボマーボマボマボ~」

 

「あんた、いつから魚類になったのよ!?」

 

「待って夏凜ちゃん、そのっちは人よ?この場合は半魚人になるじゃないかしら?」

 

「須美はツッコミどころがおかしすぎるわよ!?」

 

「落ち着け、夏凜。周りに見られてるぞ」

 

銀が夏凜を落ち着かせる。

 

「そうよ、夏凜ちゃん。公共の場では静かにしないと」

 

「くっ……なんで私が……」

 

夏凜が三人に思いっきり振り回されてる。

不憫だ……。

 

「どんまい、夏凜」

 

「うっさい!あんたがツッコミなさいよ!」

 

励まそうとしたら怒られてしまった……。

 

「まあまあ。機嫌を直せ、夏凜!次のクラゲのとこ行ってみよ、不老不死だって」

 

「そ、そうね。せっかく来たんだし、楽しまないと損よね……」

 

銀がなんとか別に注意を引いてくれ、夏凜の調子が戻る。

よかったよかった。

そうして、銀が言ったクラゲのコーナーへ移動する。

そのコーナーは他に比べて人もあまりおらず、水槽から漏れる照明だけが光源となっていたため、どこか幻想的な雰囲気を漂わせていた。

そうして、水槽に目をやると可愛らしいクラゲがたくさんいた。

ほう……ベニクラゲか……。

ゼリーのような半透明の体に綿毛のような触手を出したクラゲ。

中心が薄い赤に染まっていて水中をふわふわ漂っている。

結構可愛い。

 

「わぁ……ユラユラ綺麗だね~」

 

「あぁ、すごい……光が透けてきれいだ」

 

気が付けば、園子と銀が見入っている。

 

「タンポポの綿毛みたいね……。確かにきれいだわ……」

 

「……ん。本当ね」

 

須美と夏凜にも好評のようだ。

それにしても、マンボウやベニクラゲなど、結構、色んな生き物が残っているんだなと感心する。

世界が滅んでも、ここの生き物たちは滅びずに、三百年間、種を存続させてきたんだな……。

ベニクラゲは不老不死だというから、ひょっとしたら、ここのクラゲも西暦の時代から生き続けているのかもしれない。

そう思うと、少し、感慨深く思えた。

 

「ん~………」

 

「どうかしたか、園子?」

 

いつもと少し違う表情でクラゲをじっと見つめる園子に銀が尋ねる。

 

「……このクラゲさんたちね、長生きだし色んな海を泳いでここにやってきたのかな~?」

 

どうやら、園子も俺と似たようなことを考えたらしい。

 

「そうかもしれないわね」

 

「何しろ、不老不死だからな」

 

「…だとしたら、壁の外の世界も見てきたのかもしれないね~。それとも、この水族館で生まれて育って……私達と同じなのかな」

 

「同じってどういうことよ?」

 

「…壁の中の世界しか、知らないのかなぁって」

 

夏凜の質問に園子が答える。

そうか……。

考えてみれば、この子達は四国以外の世界を見たことがない。

世界の事もだし、日本のことですら、知識でしか知らないことが多い。

新幹線や、大きな飛行機、城や古くからの史跡など西暦では当たり前に見られたものの多くもこの子達は、いやこの世界の人々は見たことがない。

そのことが、何故かとても寂しく思えた。

だから、つい言葉が転がり出ていた。

 

「………じゃあさ、向こうの世界を取り戻したら、皆で見に行こうか。色んな所をさ」

 

「え、頼人君?」

 

「みんなに見せたいところがいっぱいあるんだ。景色だとか建物とか、一杯……」

 

富士山とか日本アルプスとかの山々だったり、沖縄の綺麗な海だったり、北海道のラベンダー畑とか冬景色とかも見せてあげたいし、横須賀の三笠や、色んな城も見せてあげたい。

外の世界はすっごく広いんだって、一緒に行って、教えてあげたい。

色んな所に連れて行ってあげたい。

前世、俺が居たところを案内したい。

 

「うん……そうだね!その時はみんなで一緒に行こうね!」

 

「ああ、みんなで一緒なら、面白そうだ!」

 

「外の世界か……。悪くないかもね」

 

園子が嬉しそうに言い、銀や夏凜も同意する。

そうして、皆が、楽しそうにする中、けれど、須美は浮かない顔をしていた。

気になってふと、声をかけた。

 

「どうした須美?」

 

「……少し、怖いって思ったの」

 

須美は少し不安げな顔でそう言った。

 

「怖いって、どうして?」

 

「ひょっとして、外の世界が怖いのか?まあ確かに今はあんなだけど」

 

銀がそう言う。

まあ、今は灼熱状態だしな。

 

「そうじゃなくて……みんながどこか遠くへ行ってしまいそうで……」

 

「まったく、何、不安になってんのよ?そんなわけないでしょ?」

 

夏凜が優しく言う。

 

「そうだよ~。不安にならなくて大丈夫だよわっしー。行くときはみんなで一緒だから~。みんなで一緒じゃないと楽しくないもんね~」

 

「みんなで一緒……?」

 

「ああ、そうだ!言っただろ?ずっと一緒だって」

 

銀が須美を安心させるように言う。

 

「え、ええ……」

 

「そうだ、須美は外の世界で行ってみたいところはないのか?」

 

須美なら、古風な建物とか好きそうだなと、聞いてみる。

 

「………え、英霊の墓参りには常々」

 

「渋いわっ!」

 

夏凜が突っ込む。

うん、俺も史跡あたりだと思ってた。

予想の斜め上だ。

 

「あはは、でも須美も考えてたんじゃん!アタシはやっぱりイネスだな!世界中のイネスを回ってみたい!」

 

「外行ってもイネスかい!もっと他にあるでしょ!?っていうか、旧世紀にイネスってあるのかしら……?」

 

「なければ作ろう!」

 

「なんでそうなるのよ!?」

 

銀までボケに回り、夏凜が苦労している。

いや、半ば本気だなあれ。

 

「ふふ、じゃあ、行くときはみんなで一緒に沢山回らないといけないね~」

 

「そうね……。でも、みんなで一緒なら、沢山回っても退屈しなさそうだわ」

 

「だな!」

 

須美の言葉に銀が同意する。

世界を取り戻す理由がまた一つ増えたな……。

きっと、こいつらと一緒ならどこでだって、楽しいと思えるはずだ。

ずっと、一緒に居たいと、本当にそう思う。

 

「それにしても頼人、あんたってたまに、旧世紀を見てきたようなこと言うわよね」

 

と、そこで夏凜がよろしくないことを言い出す。

その話題は非常によろしくない。

 

「確かに、頼人のそっち方面の知識、謎に濃ゆいからな。須美ともタメ張れるくらいだし」

 

「怪しーね~。もしかして、ライ君って前世の記憶あったりしない~?」

 

まさかのドストライク。

え、怖っ!?

もしかして……園子気付いてる?

 

「何言ってるの。確かに頼人君の話はためになることが多いけど、そんなことあるはずないでしょ?」

 

ごめん須美。

それ当たってるんだよ……。

 

「ま、そりゃそうよね。もし頼人に前世の記憶があったら、こんな風に遊んでられないだろうし」

 

あかん。

夏凜の言葉がグサグサ刺さる。

 

「そうかな~?ライ君に前世の記憶があったら色々納得できるんだけど~」

 

やめて園子。

そんな目で俺を見ないで。

 

「ま、頼人に前世の記憶があってもなくても関係ないけどな!頼人は頼人だし!」

 

あ、銀好き。

ちょっと泣きそう。

銀の言葉にみんなも納得した様子を見せる。

嬉しい。

 

「それより、次のとこ見に行こう!あっちは熱帯魚だって!」

 

そう言って、また銀が車椅子を押してくれる。

その横顔を見て想う。

本当、どれだけこいつの好きなところが増えてしまうんだろう。

どれだけ大切になっていくんだろう。

それだけに、こんなことでも、隠し続けるのは少し嫌に思える。

言ったとき、どんな反応をされるのかが怖くて、ずっと言えてなかったけど……うん、いつか、この事を伝えよう。

もっとずっと、先の事だろうけど、いつかは。

大丈夫。

銀なら、大丈夫。

ずっと一緒なら、どんなことがあっても大丈夫だ―――

 

 



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選択

過去最長。
分けるべきかどうか悩んだものの、まとめて投稿。


その日は、朝から小雨が降り続けていた。

肌寒さを感じる十一月の秋の日。

ただその分、家では少し早めに暖房を入れており、暖かさは損なわれてはいない。

だが、そんな中でも目の前の少女は、赤い顔をしている。

 

「バーテックス……?世界が滅んでる……?何よそれ……!」

 

犬吠埼風さん。

先の合戦で亡くなられた犬吠埼夫妻の長女。

結局、俺は彼女にすべてを伝えることにした。

この世界の全てを。

 

「そいつらのせいで………お父さんとお母さんは…………!!」

 

彼女は肩を震わせ、拳を強く握りしめ、その瞳には、涙さえ浮かんでいる。

無理もない。

只の事故なら、誰かを憎むことはできない。

怒りという感情は、抑えねばならない。

しかし、その原因がバーテックスだと分かれば話は違う。

これまで溜め込んでいた、理不尽な状況への怒りや両親を失った悲しみが、一気にバーテックスへの憎しみに変換される。

どれほどの辛さだろうか、俺には想像することしかできない。

 

「………赤嶺さん、お願いがあります」

 

やがて、犬吠埼さんは静かに、しかし強い口調で話しかけてきた。

その内容は凡そ、予想がつく。

 

「……勇者になりたい……と?」

 

「分かってるのなら、話は早いわ。アタシには適性があるんでしょ?あの時は意味が分からなかったけど、今なら理解できる」

 

「犬吠埼さん、申し訳ありませんが、今ここで返答はできかねます」

 

「……何でよ?私の適性値は高いんでしょ?勇者になれる可能性はあるはずよ」

 

犬吠埼さんはゆっくりと、何かをこらえるように言葉を紡いでいく。

その様子は危うげで、今にも感情を爆発させかねないように見える。

 

「ええ、ですが、もう少しよく考えてください。勇者になるということは、国を守る責任を負うということです。それに、今の犬吠埼さんは、冷静ではありません。感情的にならないでください」

 

こんな冷や水をかけるようなこと、本当は言うべきじゃないし、言いたくはない。

けれど、こうでも言わなければ、彼女は何があろうと勇者になろうとするだろう。

まずは彼女に冷静になってもらわないといけない。

 

「……なら、なんで教えたのよ!!こんなこと聞かされたら、誰だってこういうに決まってるわ!教えておいて、戦うなってどういう神経で言えるのよ!」

 

彼女の言うとおりだ。

こうなる可能性が十分にあると、分かったうえで俺は話した。

 

「はい。その通りだと思います。ただ、勘違いなさらないでください。貴方に戦うなと言ってるのではなく、もう少し考えてから答えを出していただきたいんです。どうか、お願いします」

 

頭を下げ、お願いする。

我ながら、酷い事を言ってる自覚はある。

だが、どうか一時の感情だけで、全てを決めてほしくはない。

随分、勝手な話ではあるが、そう思ってしまう。

 

「………また、来ます」

 

犬吠埼さんが立ち上がり、そう言う。

 

「なら……」

 

「今日は送ってくれなくていいわ……」

 

「分かりました……何かあれば、いつでも連絡してください。力になりますから」

 

犬吠埼さんは少し立ち止まった後、結局、何も言わずに部屋を出ていった。

部屋がしんと静まり返り、空気が冷たくなる錯覚を覚える。

ああ、こうなったか……。

犬吠埼姉妹を勇者に、という真鍋さんの言葉が頭に浮かぶ。

返事はしていない。

結局、俺は取引に応じないことにした。

可能な限り、彼女たちの意思を尊重することに決めた。

そして、彼女達がどちらを選ぼうとも、大人になるまでの生活を保証する。

甘さは承知している。

矛盾した行為であることも。

だが、けじめをつけるにはこうするべきだと思う。

きっと、両親をなくすというのは想像を絶する苦しみだろうから……。

故に、彼女が真実を知ってもよいように根回しをし、今日ここで話した。

偽善であることは、承知の上だが、彼女のああいう表情は思った以上に堪えるな……。

ああいう顔をさせてしまうのは、心苦しい。

とそこで、端末に電話がかかってきていることに気付く。

電話をする気分じゃないが、内容が内容なので出なければならない。

 

『横手です。頼人様、今お時間はよろしいですか?』

 

「ああ、横手さん。大丈夫ですよ。何か分かりましたか?」

 

横手さん。

俺の協力者の一人で、比較的若い男性の神官さんだ。

大赦内での地位はそう高くはないものの、今まで改革などに際しても、多々お世話になった。

様付けは止めてと言っても聞いてくれないのはあれだけど。

今回に関しては、一定以上の地位の方に箝口令が敷かれていることが分かったため、その箝口令が行き届いていない横手さんに、情報収集を依頼していた。

幸い、箝口令の件以外は、自分の協力者の方たちは驚くほどに要望に応えてくれ、犬吠埼さん関係の工作は容易に為った。

本当に、あの夏以降、彼らは本当に協力的で、頼りになる。

故に、その彼らが答えくれないレベルの情報が非常に気になるのだが……。

 

『ええ、ある程度はですけど。やはり、議題は頼人様のお立場についてのようですね』

 

「ふむ、具体的なところは分かりましたか?」

 

『いえ、そこまでは。ただ、二つの意見が対立してるようです。安芸さんが片方の立場を代表しているような話を聞きました』

 

「安芸先生が……?」

 

『ええ。噂レベルの話ですが、安芸さん側の方が立場が悪いとのことで』

 

きな臭い。

あの安芸先生の立場が悪いと言うのなら、問題は想像以上に深刻かもしれないな。

 

「他家の様子についてはどうでしょう?」

 

『すみません、そこもまだ詳細は分かっておりません。ただ、今日にも議論に決着はつくかもしれないとだけ……今日も早朝から会議が始まってるようですし。……中途半端な情報で申し訳ありません』

 

今日にでも、とは動きが早すぎる。

いや、違うな。

ここまで話が進行したタイミングで、俺が首を突っ込んだというだけ。

むしろ、俺の動きが遅かったことを意味している。

非常にまずい……。

 

「いえ、無理を言ったのはこちらなのですから、謝るのは自分のほうです。それより、犬吠埼姉妹の扱いについては?再度検討されたはずですが」

 

俺が家の力を使えなくなる直前に頼んでおいたプロセスは実行されたらしいが、その結果については聞き及んでいなかった。

 

『ええ、その結果、さらに勇者候補としての評価が高くなったとのことです』

 

「高く……?理由をお聞きしても?」

 

『はい。両親を亡くしたのが原因ですね。バーテックスに対する敵愾心を持つ可能性などから、戦意も他の少女より高くなるのではと考えられた結果です。また、次点の楠芽吹に比べ、姉妹ともに非常に勇者適正値が高いので、そちらも考慮されてのことですね。姉妹をセットで考えたら、結城友奈と併せて、定員の三名がちょうど埋まりますし』

 

やはり、追加の勇者が合計で三名だというのが少々ややこしいな。

最も、結城さんはマストで必要だから、こちらで誘導できるのは二名。

満開をオミットしないフルスペックの勇者システムなら、追加できるのはせいぜい二名だったそうだけど……。

もし二名なら、犬吠埼風さんの選択次第でどうとでもなったんだが、三名となると、妹さんをこの件に関わらせるかどうかという話になる。

もし、風さんが戦うことを決意したのなら、楠さんと一緒に勇者になってもらうか?

しかし、正直なところ、楠さんは能力的に、防人の隊長に向いている。

次点だとは言え、一時的に施設で暴れたことが響いて、勇者候補としての受けが悪いのもよくない。

残念ながら、犬吠埼姉妹が勇者になるのが、最もおさまりがいいというよくない状況にある。

そもそも論になるが、姉妹に匹敵する適正値の持ち主がそういないのが問題だ。

 

「やはり、今のところ、適正値が優先されるという動きは変わらず……ですか?」

 

『ええ。どうやら、最近になって、例の次世代型に光明が見えてきたそうです。そちらの運用を前提にすれば、やはり単純な能力よりも適正値の方が優先されますからね』

 

「ほう。あれって、実現は難しいと言われていたのでは?」

 

『おっしゃる通りなのですが、先日の合戦のデータなどで一気に研究が進んだらしく』

 

「なるほど……ということはそちらの定員も?」

 

『ええ、むしろ同人数でも、こちらの方が余裕を持てる計算になるらしいですよ。まだまだ完成には程遠いようですけどね』

 

まずいな…。

こうなると、姉妹の価値はさらに高まることになる。

楠さんをごり押しして、妹さんだけでも戦わせないようにはできるだろうが、そうなれば、相当立場が悪くなるのは目に見えている。

やはり、彼女達を戦わせないという選択は難しいのか……?

……必要以上に肩入れはすべきでないと分かっているが、先ほどの彼女の顔を思い出すと、辛くなる。

これ以上、姉妹を苦しませたくはないが……覚悟はしておいた方がよいのかもしれない。

秋隆の言を思い出すが、自分の意志で犬吠埼さんに真実を話した以上、これからの彼女たちに俺は責任を持たねばならない。

恨まれることも覚悟しないといけない……。

 

『頼人様?如何されましたか?』

 

考え事をして、沈黙した自分に横手さんが話しかける。

やはり、これはいけない癖だな……。

 

「……それは一先ずいいです。復讐心による暴走の危険性についてはどうでしょう?」

 

『ええ、そちらも検討されたようですが、暴走されたのが乃木若葉様だったのが問題ですね。むしろ、英雄との共通点として評価が上がる要因になってしまっています。また、頼人様ならその危険性を抑えられるとも言われているようで』

 

「そうですか………」

 

しまった……。

初代勇者への信仰を甘く見ていたな……。

この国は、過去の偉人と同じ特徴があることを喜ぶ傾向にある。

それが、国を守った英雄ともなれば、かなりの理由となりうる。

あと、俺の存在も考慮されてるとなると……再検討は悪手だったか?

 

『……どうなさいますか?なにか、こちらから働きかけておくこともできますが』

 

「そうですね……。その前に、横手さんのご意見を聞きたいのですが?」

 

『そんな。私の意見など……』

 

「横手さんの立場からしか見えないモノもあると思うんです。どうか、聞かせてもらいませんか?」

 

『……かしこまりました。正直なところ、今動かれるのは得策ではないかと思います』

 

「というのは?」

 

『あまりにもきな臭い雰囲気がありますし、状況が急変しそうな気配もあります。今動けば藪をつつくことになるのではないかと』

 

「蛇を出す必要もなし……ということですか。……姉妹を確保しようという動きについては?」

 

『そういった動きは今のところ確認できてませんね。噂レベルでもそういったことは』

 

……やはり、真鍋さんは嘘を言ってると考えるべきか。

無論、全てが嘘ではないんだろうけど、犬吠埼さんに関することは話半分に聞いていたほうがいいだろう。

 

「……分かりました、そちらはノータッチでいきましょう」

 

『……本当に、よろしいのですか?私の意見など採用して』

 

「自分も同じ考えでしたし、横手さんの見解を信じてますから」

 

『頼人様……』

 

「引き続き、情報収集をお願いします。短い時間でありがとうございました。何かあれば、また連絡を。それと、万一の場合は自分の名を出してください。責任はこちらで取りますので」

 

『ですが……いえ、かしこまりました』

 

「すみませんが、今後もお願いします。それでは」

 

電話を切り、手に入れた情報についてゆっくりと考える。

俺の立場か……。

大橋が破壊された責任を取らされるのか、もしくは、指揮の功が認められ出世でもするのか。

ただ、俺に都合のいい話なら、真っ先に知らされているはずだ。

となると、責任を追及されていると考えるべきか?

そうならば、親父が俺の交渉ルートを潰そうとした理由にもある程度筋が通る。

俺がその責任から逃れるような手を打ち、結果として余計に傷が増えるという状況を作らなせないという考え自体は分かるし。

だが、俺が連絡を取った面々はそのような様子を見せなかった。

そもそも、責任を取らされるのであれば、彼らは俺の味方をするはずで、そのことも俺に教えてくれるはず。

なぜなら、俺がやってきたことは彼らの協力なしではできなかったからだ。

俺の責任が追及されるならば、彼らの責任も問われることとなる。

自身の身を守るためにも俺の身を守ろうとするはずだし、俺には少々特殊な人脈があるため、彼らはそれを利用しようとするはずだ。

しかし、そうなっていない。

それに、もしそうなら、真鍋さんは真っ先にこの事実を利用するはずだしな……。

もっとも、横手さんの情報などからも、真鍋さんの言を信用するのは危険ではあるが……。

やはり、安芸先生や春信さんに、この件について尋ねるのが手っ取り早いな。

ただ、春信さんからは、メールが返ってきてないし、安芸先生にしても、連絡はとれない。

明日は学校だし、その時に安芸先生に聞くのが一番だが……

だがその前に、議論が終わってる可能性が高い。

さて……どう動くべきか……。

しばらくの間、考え込みながら、端末の待ち受け画面を見ていると、不意に軽やかな音が端末からした。

見れば、春信さんからのメールだ。

内容は……これから、この家に来るとの連絡だった。

このタイミングで春信さんから……まさか………裏で糸を引いていたのは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、数名の神官が俺の下を尋ねてきた。

見知った人も、その中にいたが、俺と話をするのは春信さん一人のようだ。

応接室で、二人だけになる。

 

「それで、説明していただけるんですね?」

 

「ええ、勿論です。まずは、大赦内で行われていた会議。その詳細をお話いたします」

 

春信さんの雰囲気や口調が以前と違う。

なるほど、今日は神官としての立場で来たということか。

ならば、俺も口調などをとやかく言うべきではないだろう。

 

「……お願いします」

 

「事の発端は『瀬戸大橋跡地の合戦』の勝利にあります。過去最高の質を持った敵、過去最大の数を誇った敵。その双方の殲滅は、大赦にとっても非常に喜ばしい結果と言えました。ですが、その勝利により、新たな問題が生まれました」

 

「問題……?」

 

「バーテックス対策よりも大赦組織の安定を優先すべきなどといった楽観論を唱える者が急増し、同時に、再び権益を手にしようという動きも一部の者には見られるようになったのです」

 

「……あれほどの犠牲を払ったのに……ですか?」

 

「残念ながら、敵の規模が想定よりも遥かに大きく、むしろ、あの程度の被害で済んだと思う者は多いのです。この程度の被害は必要経費だと言う者や、結果だけ見たら大勝利だと言う者も……」

 

「必要……経費……?」

 

人が死んでいるのに、必要経費で済ませるのか……?

あの少女の表情が思い出され、ふつふつと怒りがわき上がる。

 

「頼人様のお怒りも最もです。ですが、この見解自体は大赦内で根強くなっております。問題はむしろ、楽観論者の方です」

 

「政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない……ですか……」

 

無理矢理、怒りを抑え、呟く。

やはり、組織改革を行っても、どうしようもなく現実を直視できない人間はいる。

いや、違うな。むしろ、目の前の現実しか見えない者というべきか。

未だ、危機的状況にあるのは変わりないのに……。

 

「堕落論ですか。おっしゃる通りですね。お分かりのとおり、このまま、楽観論が広がれば、近い将来問題となり、我々の計画にも影響が出かねません。故に、我々は行動を起こしました」

 

「……何をしたんです?」

 

「ある提案が首脳部に通るように取り計らったのです」

 

「提案……?具体的には?」

 

「現在進行している、バーテックス対策部署の一元化はご存じでしょう?頼人様に、これらの部署の統括を行って頂いてはどうかというご提案です」

 

「―――――」

 

余りの事に絶句する。

何故、どうして、と頭の一部が疑問符で埋め尽くされるが、同時に妙な納得も覚えた。

だが、納得はできても理解はしきれていない。

 

「それほどまでだとは、考えていませんでした。……本気ですか?国防の要ともいえる実務の統括を小学生にやらせるなんて、正直、正気の沙汰とは思えませんが」

 

「恐れながら、頼人様はご自身の立場を正しく理解されていないようですね。貴方の卓越した先見の明、人を動かす力、そして、御一人で三体のバーテックスから国を守ったという事実から、既に頼人様は救国の英雄とされています」

 

「持ち上げすぎですね。大体、常に戦ってきたのは彼女たち勇者です。救国の英雄とされるのは彼女たちの方でしょう」

 

そう、いつだって、恐怖を押し殺し戦い続けてきたのはあの子たちだ。

真に称賛されるべきは、彼女達であるはずなのだ。

 

 

「貴方を崇拝している面々にとっては違います。元々、大赦内でも今の人類の状況の拙さを理解している層はある程度いました。彼らの心を救ったのは貴方です」

 

「救った……自分が?」

 

「彼らは、状況の悪さを正しく理解し、何とかしようと常に行動していました。しかし、藻掻けば藻掻くほど、立場は悪くなり、周りに押しつぶされていく。しかも、対応できる唯一の組織は、腐敗し、硬直化しており、戦争指導もほとんど行われていないに等しい。そもそも、名家出身でなければ、余程の才を持たぬ限り、組織の意思決定に関わることは難しく、たとえ、組織の中枢に食い込めたとしても、一人で大赦の方針を変えることなど不可能に近い。他ならぬ、人間の手によって、首を絞められているも同然だったと言えるでしょう。そこにあなたが現れた、数百年、変わらなかった体制が数ヶ月で変わってしまった。彼らが貴方を見る目がどうなるかは、お分かりでしょう?」

 

「待って下さい、彼らというのはもしかして」

 

「ええ、貴方にこれまで協力してきた面々です。もっとも、全員がそうだという訳ではないのですが」

 

そうか……彼らが春信さんに協力していたのならば、全て説明がつく。

俺を上にあげる為に、一時的に俺に協力しなかったのか……。

しかし……。

 

「ですが、そんな名声があったとしても、実務を小学生に任せる理由にはならないと思いますが?自分は余りにも若輩です。納得しない方も多いはずです」

 

「その点についても、頼人様は勘違いなされています。大赦の人間は神事の専門家ではありますが、戦争に関して門外漢なのです。そして、三百年前の終末戦争は、そういった門外漢たちによる戦争指導が行われた結果、巫女様にクーデターを決意させるほどの失敗が生まれました。同じ轍は踏めません。戦争指導は戦いの現実を知る方にこそやっていただかなければならないのです」

 

「それは……」

 

「頼人様以上に、戦争に知悉している人間は大赦にはいませんし、貴方の指揮能力、戦略眼などは既に実績を持って証明されています。何より、貴方は勇者の称号を贈られた、国防の最前線に立つ人物です。この人事が不適格だと口を挟める者はおりません」

 

「……しかし、そう思わないものも多いのでは?組織運営に関しては自分とて素人ですし」

 

「その点も、御心配には及びません。細部の調整は我々が行いますのし、これから学んで頂ければ結構です。それに、神世紀初頭、大赦の実権を握った巫女様は、当時十代半ばでした。そして、頼人様は既にその巫女様に劣らぬ実績をあげています」

 

「だとしても、この件で再び大赦に不穏分子が現れる可能性を考えれば、リスキーでは?」

 

「確かに、赤嶺家や乃木家などがこの件を持ち上げた場合、面倒なこととなります。故に穏健派を使いました」

 

「穏健派を?しかし、楽観論者は穏健派の者が主なのでは?一番、その人事に反対するように思えるのですが」

 

「ええ。そこに、彼らからこの案が提案してもらう意義があったのです。無論、全ての不満を消せるわけではありませんが、軽減させることなら可能ですから」

 

「それは分かりますが、実行するのは難しいでしょう。どういう手品を使ったんです?」

 

「簡単なことです。彼らは自らの立場の弱さを自覚しています。そこに隙がありました。今の状況を打開したいのならば、頼人様を出世させるように、提言するべきだと。頼人様が要職に就き結果を出せば、あなた方の手柄になるでしょう、と情報を片手に言えば、すぐに話に乗ってきました」

 

「……逆に、何かしらの失敗をすれば、上層部の自分に対する信頼も揺らぎ、赤嶺と乃木との間に楔を打ち込むことができる。結果として、穏健派の発言力が上がるか、赤嶺の発言力を衰えさせる結果を齎せる……ということですか。春信さん、ひょっとして、自分がそのどちらかに傾くように工作するとか言ってるんじゃないですか?」

 

「おっしゃる通りでございます」

 

「酷い詐欺ですね……」

 

春信さんには、前あった時に彼らとの接触をお願いしていたが、まさか、こんな形で彼らの力を利用するとは……。

一歩間違えれば、春信さんこそ不穏分子として処罰されかねないのに、よくもまあこんな無茶をできるものだ。

 

「返す言葉もありません。ともあれ、このように、穏健派から提言が出されるように手を打ち、いくつかの家にも根回しを済ませておきました。……が、そこで問題が」

 

「安芸先生……ですか」

 

「はい。正直なところ、彼女があれほど頑なに反対するとは読めませんでした。彼女は我々に反対する者を糾合し、また乃木や鷲尾、御父上などに、根気強く説得を行っていました」

 

「それで、これほど議論が長期化したわけですか」

 

「はい。なので、我々もある策を用いました。頼人様もご存じかと」

 

俺が知ってる?

一瞬分からなかったが、この数日間で変わったことが続いていたと気付く。

そして、そのきっかけが誰であったかも。

 

「あぁ………そうか、真鍋さんですか………」

 

「ええ、そうして、貴方が犬吠埼の長女に真実を伝えるために行った工作、それを利用しました。既に頼人様は次の勇者候補に接触し、連携を取ろうとされている。家の力を封じられているのにもかかわらず、この国の未来のために動かれている。なのに、我々はこの会議で無為に時間を消費している、と。これが決定打になりました」

 

ああ、そうか、真鍋さんの思わせぶりなセリフも何もかも、俺に行動を起こさせるための仕込みだったのか。

完全に前の意趣返しだな……。

俺の癖を利用された形だ。

俺が行動を起こした時点で彼女の目的は達せられていたなんてな……。

しかも、箝口令の影響下にあった俺の協力者も、春信さんに協力していたとのいうのなら、どうやっても、この状況を変えられなかっただろう。

……やってくれる。

と、そこで気付く。

俺が接触したことを理由にするのなら……。

 

「と、いうことは…………あの姉妹は……」

 

「ええ、勇者になって頂きます。そうでなければ、この件を正当化できませんので」

 

途端、頭に血が上る。

利用したのか、あの姉妹を?

両親を亡くしたばかりの二人まで……?

そんな勝手が―――いや、落ち着け。

落ち着いて、まずは話を聞け。

状況を把握しろ。

どの道、俺に怒る資格はないんだ。

深呼吸し、荒くなりかけた呼吸を整える。

 

「意外と、落ち着かれていらっしゃるのですね。もう少し、お怒りになるかと思いましたが」

 

「まだ……全てを聞き終わっていませんから。…………それで、自分を、これからどうするんですか?」

 

「先ほども申し上げた通り、これまで分散していた、国防にかかわる部署を一元的に統括できるよう、構造改革を行い、頼人様には、以後、大赦にてこれ等の部署を統括して頂くことになります。差し当たって、大赦に居を移して頂き、まず、大赦で働くにあたり必要なことを学んで頂きます。しかる後に、実務に移って頂く形になるかと。衣食住など、必要なものは全て大赦で用意します。可能な限り、執務に専念して頂ければと存じます」

 

「なるほど、自分に自由はないという訳ですか。学校に通うこともできなくなるんですね。大赦の外に出る機会は、どれくらいありますか」

 

無言の返答。

やはりか。

考えてみれば当然のことだ。

こういう立場になる以上、覚えることは大幅に増えるし、学校で勉強している暇などない。

特に、俺に高等教育レベルの学力があるのは随分前に知れ渡っている。

つまり、小学校で教育を受けてもらう必要性は低い。

彼らからすれば、無駄な時間に見えるだろう。

それに、俺を快く思わない連中もいる。

この体制を盤石にするには、ある程度の時間がいる。

トップである以上、その期間を含め、大赦から動くことはほとんどできなくなる。

つまり、俺の日常は無くなる。

……やっぱり、安芸先生は俺の為に動いてくれてたのか。

俺の日常を守るために、反対してくれてたんだ。

ここ最近の態度にも得心がいった。

ありがたく思う気持ちと申し訳なさが胸に募る。

 

 

「…………自分でなければならない理由を、聞かせてください」

 

「頼人様もご存じのとおり、これまでの平和な時代と違い、今は戦時なのです。指導者に求められる資質も要因も、これまでとは、大きく異なります。現実を見据えながらも、緻密な計画を練られる構想力、皆を纏め上げ、納得させられる指導力、どんな状況でも、自ら動く果敢な行動力。これらの資質が必要不可欠なのです。しかし、これらを兼ね備えている者は今の大赦にはおりません。貴方だけなのです」

 

「買いかぶりすぎです。それに、その要素は、春信さんにもあるのでは?今回の件にしても、貴方が主導したのでしょう?」

 

ここまでの状況を整えるには、今、春信さん自身が口にした資質が必要のはずだ。

ならば、彼自身にもその資質があると思えるが。

 

「いえ、私は以前の大赦の在り方に反感を持ちながらも、体制を覆そうというまでの気概を持つことはできませんでしたし、何よりこの件は、貴方に上に立っていただきたいという面々の協力なしには実現しませんでした。その点だけでも貴方の方が指導者にふさわしいと言えるでしょう。それに、私はあくまで一人の神官にすぎません。やはり、頼人様が上に立たれるのがよろしいかと」

 

「………………違いますね。本当は誰でもいいんでしょう?組織の意思統一を図れるなら。貴方は指揮系統の一元化の大義名分として、自分を使いたいだけ。そうでしょう?」

 

最後の抵抗。

ちょっとした八つ当たり。

けれど、聞いておく必要のある話。

 

「そのようなことは……」

 

「自分に箝口令が敷かれてた理由、今なら分かりますよ。建前としては、自分がこの件を知っていれば、その会議がどちらに傾いたとしても、自分の関与が疑われる。自分に権限を与える結論が出れば、赤嶺頼人は権力を得るために動いたと言われ、その逆になれば、責任を放棄したと言われる。それを防ぐためでしょう?表向きは。と言っても、安芸先生がこの件を黙っていたのはまさしくそれが理由なのだと思いますので、あながち建前とは言い切れないでしょうが」

 

春信さんは黙して、何も語らない。

ここまでは、正しいらしい。

 

「しかし、あなた方は違う。むしろ、自分にこの件を知らせ、協力させた方が都合がいい。安芸先生への牽制として非常に有用ですし、力を手にすれば多少の批判など、どうとでもなりますから。だが、そうはしなかった。何故か?それは、自分をあくまで、形式的な指導者にするためですよね?自分が協力の見返りとして、実権を要求すれば、困る方が増える。権力は自ら握っておきたいのが人の性ですから。自分を人形にしておきたかったのでしょう?」

 

事実、先ほど、春信さんは俺の生殺与奪の権を握ることを条件に、穏健派の協力を取り付けた。

そして、そのためには、俺に実権を握らせないことが必要条件になる。

統括というのも名ばかりだろう。

 

「そもそも、楽観論の蔓延を防ぐための人事だとおっしゃっていましたよね?つまり、彼らがいなければ、自分を上にあげるつもりはなかったということ。違いますか?」

 

結局、俺は能力ではなく、英雄というイメージや有力な名家との繋がりが深いことを理由に選ばれたのだろう。

他の勇者ではなく、俺なら、まだ彼らも納得するから。

とどのつまり、彼らは俺の能力ではなく、俺の影響力が欲しかっただけだ。

英雄とやらの名声が持つ影響力を……。

幼君を盾に権力を得ようとする摂政とさして変わりない。

 

「……少しだけ、間違っておられます」

 

「と、言うと?」

 

「確かに、頼人様を快く思わないものも存在します。実際、頼人様のおっしゃったこと通りのことを考えている輩もおりましょう。しかし、我々は、この大赦を導くことができるのは、頼人様以外にいらっしゃらないと確信しております。故に、そういった者たちの思惑を利用させてもらったのです」

 

「……………」

 

「そして、恐れ多い事ですが、敢えて申し上げます。現在、大赦内で立案されている反抗計画は事実上、頼人様が主導し生まれたものです。この先の、明確なビジョンを描いているのは貴方だけなのです。なのに、今の頼人様個人には殆ど権限はございません。これでは本末転倒です。我々は頼人様に表舞台に立って頂きたいのです」

 

確かに、俺が始めたことである以上、俺がやらねばならないのだろう。

なのに、今の俺はどうしようもなく、日常に溺れている。

あいつらと過ごす日々が温かくて、親父の休めという言葉を免罪符にしていた。

……理由はどうあれ、俺は多くの者の人生を狂わせた。

そして、これからも……。

そんな俺が、安穏と日常を送り続ける訳にはいかないのは分かっている。

だけど……ほんの少し、ほんの少しだけの猶予も認められないのだろうか……?

ああ、認められないだろう……それほどまでに、事態は逼迫している。

事実、日常のなかで休んでいた期間、行動することを選んでいれば、このような結果にはならなかっただろう。

因果応報……か。

 

「伏して、お願い奉ります。我らの上にお立ち下さいませ」

 

春信さんが頭を下げ、そう言う。

 

「大赦も改革が進んでいるとはいえ、結局は組織です。上に立たれる方の力により、麒麟が駑馬になることもあれば、その逆にもなります。頼人様なら、この大赦を麒麟に出来ると、我らは信じております。どうか、御決断を」

 

君ならできる……か。

全く……酷い殺し文句だ。

この言葉に踊らされた人間はどれほどいるだろうか?

だが……分かっている。

これは、最早、提案というよりも通知に近い。

俺に断る道など、残されていない。

確かに、この人事はこの先も動いていくことだけを考えれば、喜ばしいもののはずだ。

バーテックス対策の全てを統括する立場となれば、これまで以上に、迅速かつ効果的に動けるようになる。

最初の内は形式的な立場となるだろうが、実権を握れるように工作すれば済む話だ。

喜ぶべきだろう。

これほど、出世できるのだから。

どの道、上で決まったことである以上、俺に選択肢はない。

けれど……どうしようもなく、断りたい気持ちが離れない。

自身を持ち上げる言葉の全てが気持ち悪く感じる。

国防の指導者という立場。

俺に与えられた勇者の称号と併せれば、これ以後、俺は大赦内で最も力を持つ存在になりかねない。

当然、権力を持った以上、敵も増える。

責任もさらに大きくなる。

俺のミス一つで………誰かが死ぬ。

俺の所為で、犬吠埼さんのような人を増やしてしまうかもしれない。

世界が……滅んでしまうかもしれない。

この世界の全ての人の行く末に、責任を持たなければならない。

それに、何より、大赦に行けば、俺に日常が戻ってくることは無くなるだろう。

銀にだって、あいつらにだって、ほとんど会えなくなるだろう。

あの温もりを感じられなくなると思うと、目の前が暗くなるような思いになる。

けれど、断ることはできない。

ここで断れば、今までの努力が水泡に帰す。

俺がここまでやってこられたのは、一重に協力してくれる方たちの信頼があったからだ。

俺のお願いを聞いてくれていたのも、そうすれば、もっと状況がよくなると信じてくれていたからだ。

その人たちが、俺がこの立場に立つことを望むのなら、断れない。

彼らの信頼に背くことはできない。

もし、彼らの信頼を裏切れば、これからの計画も大きく後退することになる。

それだけはできない。

弱気な心に活を入れる。

そう、今までだって、俺のミスで世界が滅ぶ危険性はあったんだ。

今更、責任が増えるからと言って、怖気づくわけにはいかない。

深呼吸して、春信さんの目を見る。

春信さんは既に覚悟をしている。

自分がしていることの意味を理解しながらも、躊躇わずにいる。

なら、俺がここで躊躇するわけにはいかない――――

 

「――――分かりました。その御役目、謹んでお引き受けいたします」

 

そう言うと、春信さんは再び頭を下げた。

しばらくして、頭をあげると、春信さんは矢継ぎ早に話し始める。

 

「早速ですが、無駄にできる時間は最早、一刻とてありません。今日にでも、大赦に来ていただきたく存じます」

 

「急な話ですね……。なるほど、準備はとっくにできてたわけですか」

 

「はい、会議をしている間に済ませておきました」

 

全ての準備は整えてあるということか。

この周到さ、流石だと言うしかないな……。

結局、全てこの人の手の平の上だったわけだ。

 

「そう……ですか…………分かりました。ただ、その前に三日……いや一晩だけで結構です。どうかお時間をいただけませんか?」

 

「………かしこまりました。明朝、お迎えに上がります」

 

「ええ。……と、帰られる間に少々よろしいですか?安芸先生と……少し、話をさせてください」

 

 

 

 

 

 

春信さんが去った後、間を置かずに安芸先生が部屋に入ってきた。

やはり、さっきの神官のうちの一人は安芸先生だったらしい。

 

「赤嶺君……。ごめんなさい、私は……」

 

先生は少し躊躇いを見せた後、目を伏して、悲しそうに謝ってきた。

それだけで、この人がどういう気持ちで、戦ってきてくれたのかがよく分かった。

ただ、この人にこんな顔はさせたくなかったな……。

 

「気にしないでください。それより、嬉しかったです。守ろうとしてくれたこと」

 

俺が今の日常が大事だと思っているから。

新たな立場になれば、この日常が失われるから。

それを分かってくれていたから、安芸先生は俺のために動いてくれた。

それが嬉しくて……少し辛かった。

 

「赤嶺君……」

 

「ありがとう、安芸先生。俺のために」

 

先生の手を握り、心からの感謝の気持ちを伝える。

いつも、この人は俺のことを考えてくれていた。

一人の人間として、俺と向き合ってくれていた。

 

「だけど、私は貴方を、貴方の日常を守れなかったわ……。ごめんなさい。私達が、背負わなければならないことのはずなのに……」

 

「いいんです。どの道、誰かがしなきゃいけない事なんですから。だけど、一つだけお願いがあります」

 

「…ええ、何でも言って」

 

「あの子たちを…お願いします。どうか、傍で見守ってあげてください」

 

安芸先生は、俺の人事に反対の立場をとっていた。

そのせいで、今、安芸先生の立場は随分と悪くなってしまっているはずだ。

無論、勇者のお目付け役の任が解かれることはないだろうが、今後、俺の傍で働いてもらうのは難しいだろう。

だからこそ、この先も安芸先生には彼女たちを見守り続けてもらいたい。

安芸先生ほど、優しくて、信用できる人はいないから。

 

「……分かったわ。あの子たちのことは任せておいて」

 

「ありがとうございます。これで安心して行けるってものです」

 

俺がそう言うと、安芸先生が俺の体を抱きしめた。

温かく、優しい力。

ああ、本当に優しい人だな。

だからこそ、傷つきやすいはずだ。

それが分かって、少し悲しくなった―――

 

 

 

 

 

 

家で荷造りを終えた後、俺は三ノ輪家を訪れた。

いつも通り、何気なく。

今日は皆、銀の家で集まってて、晩御飯も、三ノ輪家の面々に加え、園子や須美、夏凜たちと一緒に食べた。

やがて、明日は学校だからと、三人が家に帰ったあと、ご両親に、泊まりたいと言ったら、鉄男たちと優しく受け入れてくれて、一緒に喜んでくれた。

猫を撫でてたら、鉄男がとびかかってきて、反撃するためにもみくちゃにすると、楽しそうに笑った。

金太郎がハイハイしてきて、可愛くてつい抱くと、嬉しそうに笑いながらに俺の指を握ってくれた。

嬉しかった。

ずっと、ここに居たいなと思った。

そうして、夜いつものように銀や鉄男と川の字になって寝ていると、ふと銀が俺の傍に来た。

 

「頼人、ちょっと来な」

 

銀が部屋の襖をあけて、縁側へと俺を誘う。

 

「ん、どうして?」

 

「いいから」

 

少し強引だったけど、結局俺はその言葉に従った。

銀の手を借りて、縁側に出ると、綺麗な三日月が夜空に浮かんでいる。

 

「頼人、何かあったんだろ?ほら、この銀様に話してみろって」

 

隣に座った銀が、俺の手を握りながら聞いて来た。

なるほど、鉄男を起こさないように、ゆっくり話すために移動したのか。

それにしても、本当に勘のいいやつだ。

 

「………やっぱり、分かっちゃうもんだな」

 

「見てれば分かるって。今日は中々うまく隠してたみたいだけど、アタシの目は誤魔化せないぞ?」

 

銀が誇らしげな顔で言う。

それが嬉しくもあり、少しだけ辛くもある。

言うべきかどうか、悩んでいたから。

けど、やっぱり言わなきゃダメなんだよな……。

 

「……大赦の本部に行くことになった。しばらく、会えない」

 

その言葉で、銀の表情は一変した。

穏やかな表情から、焦ったような驚いたような顔に。

 

「え……本部って………ど、どういうことだよ!?当分はゆっくりできるって言ってただろ!?」

 

「ああ、そのはず……だったんだけどね。事情が変わっちゃって。ごめんね、銀」

 

銀は、俺が思っていた以上に動揺していた。

少しでも、動揺を鎮められるようつないだその手をぎゅっと握りしめ、謝る。

すると、銀は少しだけ落ち着いてくれた。

 

「……いつ、戻ってくるんだ?学校だってさ、もうすぐ卒業だろ?」

 

「……ごめん、いつになるかは分からない。もしかしたら、もう神樹館には戻らないかもしれない」

 

「そん……な……」

 

銀が顔を歪めて、悲しげな声を出す。

その顔をどうにかしたくて、無理矢理明るい声を出す。

 

「みんなにもよろしく。俺がいなくても、遅刻するんじゃないぞ?金太郎が可愛いからって、構いすぎて学校に遅れたら駄目なんだから」

 

「なんで……なんで頼人が行かなきゃいけないんだよ!?そういうのは、大人の仕事だろ!?」

 

「色々あって、ね。ごめん……」

 

再び動揺した様子を見せる銀に、俺はただ、謝ることしかできない。

それが辛くて、つい顔を伏せてしまう。

 

「………頼人が謝ることじゃ…ないだろ?ごめん、困らせたよな」

 

「銀……」

 

俺の表情を見たせいか、銀が謝る。

気を遣わせたくないのに、気を遣わせてしまった。

銀が謝ることじゃないのに……。

 

「………アタシのとこに帰ってくるんだろ?大丈夫、待っててやるからさ」

 

そう言うと、銀は淋しそうに笑った。

痛い。

心が痛い。

銀にこんな顔をさせてしまう自分が恨めしい。

今すぐ、全部嘘だと、どこにも行かないと言いたい。

だけど…言えない。

きっと、その言葉は皆を、自分を、銀を裏切る言葉になってしまう。

今までの全てをなかったことにしてしまう。

だから、その言葉だけは絶対に言えない。

 

「……銀、渡したいものがあるんだ」

 

ポケットに入れていたものを銀に手渡す。

 

「これって……」

 

「ちょっと早いけど誕生日プレゼント。作っておいたんだ」

 

小さなヘアゴム。

誕生日に渡すつもりで、用意していた物。

本当は、別のモノも渡すつもりだったけど、今日すぐに用意できたのはこれだけだった。

 

「……結んでくれ」

 

銀が俺に背を向けてそう言う。

銀のその言葉に応え、その髪にゆっくりと指を通し、少しずつ髪を纏めていく。

風呂上がりの銀の髪を乾かしたり、梳かしてあげたりしていたことを思い出す。

こういう時間を得られるのは次はいつだろう。

そんな事を考えながら、手を動かしていると、あっという間に結び終わっていた。

 

「……できたよ」

 

「ん、ありがとな。……似合ってる…か?」

 

銀は振り向いて尋ねてくる。

その様子がまた、似合っていて、とても可憐だった。

 

「ああ、似合ってるよ。すごく可愛い」

 

「へへ、そっか」

 

素直な気持ちを伝えると、銀は、はにかんだ様子で微笑んだ。

その笑顔に、また心が奪われる。

本当に、銀のことがどうしようもなく愛しく感じる。

 

「ありがとな、頼人。手作りなんて超嬉しいよ」

 

「いいんだよ。……誕生日は会えないだろうから、せめてこれくらいはね」

 

「……ったく、なんて顔してるんだ?そんなんじゃ、色んな人に笑われちまうぞ?」

 

「ごめん、心配かけてるよな」

 

「いや、そうだけどそうじゃなくって……あーもう!」

 

不意に、銀が俺を抱きしめ、キスをしてきた。

そして、唇を離すと、銀は俺の目を見て、こう言った。

 

「アタシは大丈夫だ!だから、頼人もシャキッとしろ!ずっと、待っててやるから、安心して行ってこい!」

 

赤く染まった頬。

恥ずかしさを、抑え込んで、俺に活を入れるために勇気を出してくれたんだとわかる。

その強い言葉に、優しさに胸が熱くなる。

 

「銀……」

 

「頼人にしかできない事なんだろ?だったら、アタシはそれが正しいんだって信じるよ」

 

銀の強い言葉が胸を打つ。

弱い心が薄れ、前向きな気持ちが生まれていく。

それが、嬉しくてたまらない。

 

「……ふふ、いつぞやの時は怒ってたのに」

 

「あの時はアタシに嘘ついてただろ?今度はちゃんと言ってくれたからな。黙って行ってたら、殴り込みに行くとこだ」

 

「あーあ、じゃあ黙って行けばよかった。そうすれば、いつでも会えるようになってたのに」

 

「おいおい……本当に甘えん坊だな、ならこうしてやる!」

 

銀に、唐突に抱き寄せられる。

気付けば、銀にしがみつくような体勢になっていて、その温かさをじかに感じられるようになっていた。

 

「元気出せって、今生の別れじゃあるまいし。いつでも電話で話せるんだから……。それでも、どうしても、辛くなったら呼んでくれ。何処に居たって、絶対迎えに行くからさ」

 

銀が俺の髪を撫でながら優しく言う。

本当に、こいつには敵わない。

俺なんかよりもずっと強い。

ああ、話してよかった……。

俺がなんで頑張ってこられたのか、なんのために頑張るのか、その理由を再び確認できた。

 

「ありがと銀。大好き」

 

「ああ、アタシも大好きだ」

 

銀はそう言うと、向日葵のように明るく、可愛らしい笑顔を俺に見せた―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、銀が目覚める前にそっと、三ノ輪家を後にした。

外は、随分寒くなっていて、鼻が少しツンとした。

家までの道のりを杖を突きながら、ゆっくりと歩いていく。

いつもの道。

もしかしたら、この道を歩くのは、これが最後かもしれない。

彼女達の中学はきっと、大橋から離れた場所になる。

そうなれば、銀の家は引っ越すことになるだろうし、俺がこの道を歩くこともなくなる。

道中、何度も立ち止まりかけた。

何度も振り向きたくなった。

けれど、振り返ったら、立ち止まったら、あの家に戻ってしまう予感があった。

だから、歩き続けた。

家の前に着くと、既に多くの神官が待っていた。

お早いことだ。

 

「お待たせしました。それでは、お願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大赦に来た翌日。

夕暮れ時のその時間、俺は多くの人々の前にいた。

眼前には多くの神官が集まっている。

自分がここに来た瞬間などは皆、平伏していた。

過剰すぎるほどの敬意。

およそ、人間に向けるようなものではない。

平伏されている間、まるで自分が人でなくなったような気がして――酷く、気分が悪くなった。

そうして、気付いた。

これが全ての原因だと。

大赦の人間は、神樹の力を最も近くで、文字通り肌で感じている。

なるほど、神樹の力は凄まじい。

少女に超人的な力を与え、この四国の全ての人間が暮らせるだけの恵みを与えている。

まさに神様だ。

故に、人間の力と言うものを信じられなくなる。

人間という存在を軽視し、無力感に苛まれ、人としての努力を怠っていく。

その結果が、あの腐敗につながったのであろう。

勇者にしても、巫女にしても、彼女たち自身が凄い、というよりもその力が凄いという考えが根強く存在している。

凡そ、俺がこの立場に据えられたのも、俺が今までやってきたことが何らかの形で神に結び付けられ、正当化されたからなのだろう。

結局、今の大赦の首脳部も、以前のパラダイムから抜け出せきれていない面が存在する。

……意識改革が必要だ。

三百年にも及ぶ歳月により醸成された、神への盲信。

少しずつ、改善へと向かっているが、より一層変えなくてはならない。

これには、時間がかかるだろう。

だが、それでも、行わなければならない。

俺もこれまで以上に成長しなければならない。

ここが本当のスタートラインだ。

状況は依然として最悪だが、希望はある。

 

火色…と、呟こうとして、やめる。

これからは、これが日常になる。

一々、頭を切り替えていても仕方がない。

息を深く吸い込む。

さて、道化になる時間だ。

 

 

―――始めよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大赦内部に存在する社殿。

いくつかある社殿の中でも、特に大きいその場所に、多くの神官達が集まっていた。

彼らの前に少年は静かに座っていた。

その日、彼らはこの少年が行う新たな御役目の就任挨拶のために集められていた。

しかし、少年は現れてから一言も発せず、瞑目するばかり。

沈黙のまま、ただ座しているだけ。

それだけで、神官達は息苦しさを感じていく。

既に少年が、為した実績のその全ては、先の会議の結果が通知される際、共に明るみになっていた。

齢十二の少年の行動が、大赦の多くの人間を動かし、ついにはその体制すら変えたという冗談のような実績は、一度、世界を救ったという事実と共に、少年にある種のカリスマ性を付与し、その姿を実際よりも大きくみせ、少年の端正な容姿と、社殿の雰囲気に似合わぬ眼帯が少年をさらに非現実的な存在のように感じさせていた。

そんな少年がもたらす無言の圧迫感に彼らは徐々に飲まれて行き、緊張感が高まっていく。

やがて、赤嶺頼人はゆっくりと口を開いていく。

 

「人類が天の神に赦しを請い、およそ三百年間。人類は徹底して、天の神に恭順の姿勢を示してきました」

 

神官達は、その張りつめた緊張感を保ったまま、少年の言葉に引き寄せられていく。

 

「バーテックスは余りに強大で、人類は、多くのモノを奪われました。尊い人命、国土、そして、人としての誇りを。それからの歴史は皆さん、ご存じのとおりです」

 

屈辱の歴史。

多くの神官たちが忘れかけていたそれを、少年は思い出させていく。

 

「それから数百年経ち、神世紀二七〇年代には壁外でバーテックスが観測され、ついにはこの年、再び、バーテックスの侵攻が始まりました。残念ながら、当初は準備も万全でなく、その結果、一時は世界が滅びかけるという事態にまで陥り、多くの被害も生まれました。犠牲となった方もおられました―――」

 

少年の言葉を、多くの神官が聞き入っている。

既に、この場は少年により支配されていた。

 

「それでもなお、人類が危機にある状況は変わっていません。神樹様の御寿命は迫っており、バーテックスは襲来のたびに強大となっていきます。このまま、事態を静観していれば、世界が滅ぶのは明らか。我々は圧倒的に不利な状況にあります」

 

暗く、辛い現実を少年は語っていく。

絶望的な状況を神官たちが直視していく。

そこで、少年は一際声を大きくして告げた。

 

「ですが、大赦は変わりました!平和な世をただ維持する組織ではなく、バーテックスに立ち向かう気概を持った組織に!そして、ついには、過去最悪の襲来をも乗り越えられるまでに人類は成長を遂げた!」

 

一気に場の空気が熱を帯びる。

それまで身じろぎ一つしていなかったはずの神官が、その迫力に圧され、体に動揺が現れる。

 

「先の『瀬戸大橋跡地の合戦』一番の勝因は何か!勇者の奮闘でしょうか?勿論、彼女たちの限界を超えた奮闘がなければ、勝利はあり得なかったでしょう!ですが、一番ではありません!それでは、指揮か?これも、違うでしょう!勇者の力が前提である以上、一番の勝因とは言えません!一番の勝因、それは、一重に戦いの前の準備、すなわち、我々皆の努力の積み重ねにあったと、自分は確信しています!神託に基づく敵規模の事前調査、勇者システムの改良、戦術の研究、これら全ての積み重ねがあの戦いの勝利へと導いたのです!そして、その立役者は、他ならぬ我々なのです。確かに、我々はバーテックスと直接戦う力を持ちません!しかし、我々には戦う力こそなくとも、このように、勇者を勝利に導く力があるのです!」

 

この空間に、轟くのは少年のよく通る声のみ。

しかし、その声一つで、言葉一つ一つが、聞く者の心を熱くさせていく。

 

「かつて、初代勇者である乃木若葉様はおっしゃいました!我々一人一人が天敵に立ち向かう勇気を持つ勇者だと!瀬戸大橋が崩壊するという甚大な被害が発生しながらも、何故あれほど被害が少なかったか!それは、犬吠埼夫婦の勇気ある行動があったからに他なりません!彼らは現実と戦える人間の力を証明したのです!!」

 

場は異様な熱気を漂わせていた。

 

「なればこそ!我々もまた、現実と戦わなければならない!我々は只、少女達に守られるだけの存在なのか!?ただ、与えられた平和を甘受するだけの存在なのか!?否、断じて否です!我々は守られるだけの存在ではない!我々こそが勇者と共に、世界を救う存在新たな勇者とならねばならない!身を挺して、多くの人々を救った夫妻の為にも!バーテックスと戦う少女たちの為にも!そして、友人や家族や恋人が生きる未来の為に!我らは団結しなければならない!我々が団結し、反抗計画に全力を注げば、必ずや我らの愛する人々が生きる道は拓けます!」

 

既に神官たちは、完全に少年の演説に呑まれていた。

ある者は、前のめりになり、又ある者は、少年の言葉に頷きを見せる。

 

「自分が皆さんにお願いしたいのは、ただ、一点です!我々こそがどんな時でも諦めない勇者であると!世界を救う勇者であるとの自覚をもって共に戦って頂きたい!世界を取りもどすために!人々の未来を守るために!」

 

 

そうして、四半刻程、少年の挨拶という名の演説は続けられた。

少年の演説の評価は様々なモノであったが、概ね好意的にとらえられた。

少なくとも、少年への信望はこの演説により、また高まったと言えるだろう。

多くの者が大赦がこれからより一層変化していくことを、肌で感じた。

だが、この状況は、計算されていたものであった。

この時間帯に定められたのも、演説の声の抑揚、間のとり方、構成、その全てが演出されたものであった。

この技法は、西暦で最も有名な独裁者が使ったものとしてよく知られ、初代勇者もまた使用した演出であった。

これら全てが大赦の人間の心をつかむために行われていた。

赤嶺頼人は誰よりも、大赦で働く人々の力が重要であると理解していたのだ。

頼人が行ってきた工作も何もかも、彼らがいなければ成立することはなかった。

故に、新たな御役目を効率的にをこなすためのイメージ戦略として、同時に彼らを奮い立たせるために、このような神官達向けに調整された演説を行った。

 

 

 

「素晴らしい就任挨拶…いえ、演説でございました」

 

演説を終えてしばらくした後、頼人に春信が声をかけた。

 

「皮肉ならよしてください。道化なのは自覚してます」

 

頼人は疲れを交えた声で答えた。

体力が戻っていない中、長時間演説をしたことで疲労していたからだ。

 

「率直な感想でございます。意識改革の第一歩としてはこれ以上ないものでしたから」

 

「………で、反応はどうでしょう?」

 

頼人が春信に尋ねる。

春信に事前に、演説を聞いた者たちの反応を探るように頼んでいたのだった。

 

「凡そですが、好意的な反応をしたものは七割。今後の動き次第だと、慎重な反応が二割。否定的反応をしたのが一割といったところです」

 

「……想像以上ですね。半分の方が好意的にとらえてくれたら万々歳だと思っていましたのに」

 

頼人は少し苦い顔でそう言った。

どのような形であれ、亡くなった犬吠埼夫妻を利用したことに罪悪感を感じていたのだ。

また、演説自体にはあまり中身がないと頼人は思っており、故に、演説が好意的に受け取られても、素直には喜べなかった。

 

「頼人様の勇者としての信望は頼人様が思っていらっしゃる以上に、厚いのです。無理もないでしょう」

 

春信の言葉に、頼人は黙して返事を返さなかった。

今まで会ったこともない者たちからの信望というものが、どうにも実感できなかったからだ。

とはいえ、その信望とやらを利用したのだから、それをとやかく言うこともできない。

しばし、場を沈黙が支配する。

やがて、頼人はおもむろに口を開いた。

 

「……春信さん、まずは、国防に関わる全権を手に入れます。手伝ってもらいますよ」

 

旧態依然とした神官が聞けば、間違いなく後ろ指をさされるような言葉。

だが、春信は平然とその言葉を受け入れた。

頼人は、国防の指導者という立場を手に入れたが、それはまだ形式的なモノで、全ての実権を手に入れたわけではない。

無論、形式的なモノであれ、遠回しに工作すれば、凡そのことはできる。

しかしながら、それでは時間が余計にかかり、動きに迅速性が失われる。

いわば、今までと違い、立場に縛られる形となったのだ。

それを解決するために、頼人は実権を手に入れるべきだと考えたのだった。

 

「その言葉をお待ちしておりました。既に手はずは整っております」

 

「ここまで予想済みってことですか。まあいいです。それより、そういう仰々しい話し方は肩がこるのでやめて下さい。かしこまった態度も。すみませんがお願いします」

 

「……分かりました。ただ、流石に敬語は崩せませんので、その辺りはご勘弁を」

 

春信の声が変化する。

硬かった敬語から、やや砕けた柔らかいそれに。

 

「ありがとうございます。それで結構です。あと、信用できる方を集めてください。此方でも、集めますので。今はとにかく一人でも多く味方が欲しい」

 

「ええ、骨太な連中を知ってます。ご期待に添えるかと」

 

「お願いします。これから忙しくなります。これまで以上に、貴方を酷使すると思いますのでお覚悟を」

 

「望むところです。新たな時代の為にも、出来る限りのことはさせて頂きます」

 

春信が笑みを浮かべて言う。

春信は、他の名家の下で働くよりも、この少年の下で働く方が、自分の力を発揮できるだろうと感じていた。

 

「お願いします。全てはこれからなのですから」

 

かくして、赤嶺頼人は自ら英雄として振舞うことを選んだ。

英雄という名を利用することを。

大赦はこれまで以上に大きく変わっていく。

そして、働く人々もまた同様に。

世界を救うという大義名分の下、多くの者が動き始める。

だが、その道は長く険しい。

それでも、彼らはその道を選んだ。

絶望的な状況にあっても、未来を見据え戦う、苦しみと希望に満ちた道を―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頼人が大赦に向かったその日。

神樹館の教室に、一人の教師と四人の生徒が集まっていた。

話している内容は、赤嶺頼人の処遇について。

銀たちが安芸に尋ね、詳しい話を説明してもらっていたのだった。

 

「そっか……ライ君が……」

 

「……何で…何で頼人君ばっかり、苦労しなくちゃいけないの?頼人君が一番傷ついて、頑張って来たのに……!」

 

「アタシの所為だ……アタシが背中を押したから……」

 

「三ノ輪さんの所為じゃないわ。これは、本来、私達大赦の人間が背負うべきものなんだから……」

 

話を聞いた少女たちは、一様に暗くなる。

皆、頼人が何よりも日常を大切にしていたことを知っていた。

だから、どんな無茶をしても日常だけは手放さないと、思い込んでいた。

しかし、頼人はもう学校に通うことはないだろうという。

この事実は、彼女たちを大いに動揺させた。

頼人は、頼人が思う以上に、彼女達の精神的支柱となっていたのだった。

特に、銀は、頼人は自分の意志で決めていたのだとばかり思っていた分、祭り上げられる形になっていたことや、また、これほど根の深い問題だと知って、安易に背中を押すべきじゃなかったのかと、より一層悩んでいた。

 

「なんで、こんなことになったんですか?」

 

夏凜が安芸に問いかける。

 

「あなた達も、壁の外のことは知ってるでしょう?神樹様の御寿命のことも」

 

四人の少女はそれぞれ肯定の意を示す。

絶望的な真実。

だが、彼女達は真実を知ってなお、希望を失っていなかった。

その状況を変えようと抗う人達を知っていたからだ。

 

「私たち、大赦の人間はそれまで、世界をどうにかできるなんて希望する勇気すら持てていなかった。目の前の現実に誰も真剣に向き合えていなかった……。だけど、あの子は一人で立ち上がって、みんなを奮い立たせて、たくさんの結果をあげていった。この世界を守り抜いた。だから、みんな思ってしまったの……。この人についていけば大丈夫って。この人に任せておけば大丈夫って……」

 

「それじゃあ……それじゃあ、皆、頼人君に全部押し付けて、楽をしたいみたいじゃないですか!?」

 

須美が怒りを露わにそう言う。

 

「…………その通りよ」

 

「そんな!?」

 

須美が悲しげな表情で叫んだ。

それは、どうしようもない人の性であった。

非情な現実を直視して、それでも未来を見据えられる人間はごく僅かだ。

そして、世界の行く末が絶望的な以上、現実を直視できる者すら本当に稀だ。

だからこそ、そのような状況を変えようと立ち上がり、道を指し示す者が現れれば、人々は容易に夢を見る。

結局、大多数の人間は、根本的に自主的思考とそれに伴う責任負担よりも、命令と服従とそれに伴う責任免除を好む。

言い換えれば、全ての苦労を英雄なり勇者なりに背負ってほしいと考える者の方が、殆どであるのだ。

 

「……私、ちょっと兄貴に詳しい話聞いてくる!」

 

夏凜が端末を握り締め、駆け出そうとする。

 

「待って、にぼっしー」

 

それを園子が呼び止めた。

 

「なんでよ!?」

 

「話があるんだ、みんなに。それを、にぼっし―にも聞いてほしいんだ……」

 

いつになく、真剣な口調で園子が語り始める。

いつものような、ぼんやりとした雰囲気は感じさせず、戦場にいる時のような超然的な雰囲気を漂わせている。

 

「……園子、どうしたのよ?」

 

「ちょっと待ってね、にぼっしー。……ねえわっしー、ミノさん。私達で決めたよね。ライ君をみんなで守るって」

 

「ええ、勿論よ。何があっても守るって決めたもの」

 

「……ああ、アタシも忘れてないよ」

 

「うん。私は、ライ君の日常も守りたいんだよ。だからね―――みんなに、ライ君が少しでも普通の日常を送れるように手伝ってほしいんだ!にぼっし―にも、安芸先生にも!」

 

「そのっち……だけど、そう簡単には……」

 

「大丈夫。私に考えがあるから」

 

「でも園子、安芸先生ですら駄目だったのよ?悔しいけど、私達だけじゃ……」

 

夏凜が悔しそうな声で言う。

 

「うん、確かに私もライ君が今までみたいに学生生活を送るのは難しいと思うよ。だけどね、ライ君の立場を変えずに、ある程度、日常を送れるようにすることはできるんじゃないかな?」

 

「乃木さん……本気なの……?」

 

「勿論だよ、安芸先生。それにね、ライ君はずっと前からこういうことしてたんでしょ?たった一人で、私達の為に」

 

「だけど、あれは……」

 

あれは、多くの人を納得させられるだけの大義と材料があった。

故に安芸は、頼人のようなことをするのは難しいと言おうとして、その前に園子が口を開いた。

 

「うん。私一人じゃライ君みたいにするのは無理だと思うよ。だけどね、みんなが一緒ならできるって思うんだ!」

 

園子の強い言葉が、心が、周囲に伝播する。

園子は、頼人の手伝いをすると決めて、その約束を守りたいと思っていた。

だからこそ、頼人の動きには注意していたのだが、頼人にばかり気を取られていたせいで、この件に気付くことはできなかった。

きっと、頼人だけでなく、頼人の周りの人間にも気付かれないように大赦は注意を払っていたのだろう。

こんな状況では約束の守りようもない。

だから、まずは動こうと思った。

かつて、彼がしたように。

 

「園子……ああ、そうだな!そうだよな!アタシたちが一緒なら何でもできるよな!」

 

その言葉で銀は、再び元気を取り戻した。

もとより、銀は悩んだまま、何もしないなんてことはできない。

そして、頼人に関わることなら、何でもやろうと決めていた。

 

「ごめんなさい……少し弱気になってた。私も覚悟を決めるわ!みんなで力を合わせて頑張りましょう!」

 

須美もまた、決意を述べる。

須美は常々、頼人に恩を返したいと思っていた。

守ってあげたいと思っていた。

今度こそ、その誓いを果たしたかったのだ。

 

「ったく、しょうがないわね!私も一肌脱いでやろうじゃない!」

 

夏凜も、そう宣言する。

出会って、あまり時間は経っていないが、それでも夏凜は頼人を友達だと思っていた。

頼人の人柄が好きだと思っていた。

友達の為にも大切な仲間達の為にも手伝いたいと思ったのだ。

 

「安芸先生も……協力してくれる?」

 

「…………ええ、乃木さん。私も、協力させてもらうわ」

 

安芸も腹を括った。

元より、頼人がいなければ、大赦の歯車に過ぎなかったのだ。

それが、改革の立役者の一人にまでなりえたのだ。

だからこそ、頼人の為に動きたいと思っていた。

一時は、諦めかけたが、勇者達の言葉により、再び決意を新たにしたのだ。

 

 

 

「待っててねライ君。すぐ迎えに行くから」

 

園子は少し前から、いつでも頼人の手伝いができるように準備を進めていた。

それを利用し、動き始める。

大切な友達と共に―――

 

 

 




日常壊れる。壊れた。


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大赦での日々

ふと、目が覚めた。

枕もとの時計を見ると、今は四時五十分。

目覚ましなしでこの時間に起きれるとは、我ながら、体が慣れてきたと見える。

大赦の朝は早い。

ここに住み込んでる神官は朝五時には起き出して、身支度を整え始める。

故に、俺もそれに合わせて起きるようにしている。

 

「おー、さぶさぶ……」

 

掛け布団をめくり、上半身を起こすと、不意にそんな言葉が漏れる。

大赦本部に来てから、早二ヶ月。

もうすっかり冬だ。

寒さが身に染みる。

寝台からそろりと足を下ろし、床に素足を付けると、冷たさが足から全身に上っていく。

やっぱり、寒いのは少し苦手かもしれない。

それでも、だいぶ慣れてはきたが……。

寝台横に設置された、手すりに左手をかけ、ゆっくりと立ち上がる。

数ヶ月間リハビリを行ってきたが、左足が未だにうまく動かない。

一番左足の損傷が激しかったらしく、何度手術をしても、完治はしないだろうとのことだった。

まあ、歩けるようになっただけでも、奇跡的らしいので、文句のつけようもないのだけれど……。

そうして、顔を洗おうと一歩踏み出した時、部屋に誰かが入ってくる気配がした。

あらまあ……今日は早いな……。

顔を部屋の入口の方へと向けると、俺の世話役をしてくれてる女性神官の方たちが薄い微笑と共に立っていた。

 

「おはようございます、早乙女さん、久保さんも。今日は早いんですね」

 

「おはようございます、頼人様。そろそろ頼人様が目覚められるかと思いましたので、早めに参りました。やっぱり、またお一人で起きられてたのですね。呼び鈴を鳴らして頂ければよいのに」

 

筆頭の神官さんが口を開く。

早乙女さん。

ここに来てから、ずっと俺の世話をしてくれてる方。

最初の内は、言葉も動きも何もかもが凄くお堅い感じだったけど、最近はとても柔らかく、優しく接してくれてる。

また、単なるお世話係という訳でもなく、秘書としての仕事もしてもらっている。

 

「顔を洗うだけのつもりでしたから。手を借りるほどの事でもありませんしね」

 

「頼人様、私共のことを考えて下さるのは嬉しいのですが、もっと頼って下さってもよいのですよ?ぞんざいに扱って下さっても私共はよいのですから」

 

「ぞんざいって、そうはいきませんよ」

 

「要するに、もっと、気楽になさってくださいってことです。私共は頼人様にお仕えしてるんですから」

 

「十分、気楽にさせて頂いてますよ。皆さんのおかげで」

 

「嘘でも嬉しいです。それじゃあ、お召し替えをさせて頂きますね?」

 

「はい、お願いします」

 

そうして、いつものように彼女達に着替えを手伝ってもらう。

本当なら一人でやりたいし、そうすべきなのだけど、なかなかどうしてそうもいかない。

俺の負担を少しでも減らすためだと言われれば、断ることは難しい。

ただ、女性に全部任せるのは中々恥ずかしいので、一度、せめて男性に変えてくれないかと言ったのだが、早乙女さんに何でもするのでどうかこの御役目からは外さないでほしいと直談判され、なんやかんやで彼女のお世話になってる。

秋隆がいてくれたら…と思うのだが、秋隆は基本的に赤嶺の仕事をしてもらってるので、大赦内で俺につきっきりという訳にもいかない。

だが、流石に暫く一緒にいたら慣れてくるもので、今や、彼女のおかげで大分、楽をさせてもらっている。

 

そうして、身支度など済ませたら、軽い運動をするために部屋を移動する。

大赦内に設けられた、俺のリハビリの為の部屋。

本当に、頭が痛くなる話だ。

わざわざ、俺のリハビリや運動の為に、器具などをそろえて部屋を作っているとは、中々に信じがたい。

まあ、とてもありがたい話ではあるのだが……。

専用の器具などがあるから、足がうまく動かなくても筋トレや有酸素運動ができるし、体力を戻せるのは喜ばしい。

筋力などもかなり衰えてるから、できるだけ元に戻したいし。

一応、俺が使わない時間は他の神官の方や職員の方が使えるように開放してもらってるし、そう悪くない事でもない。

それでも、こう優遇されると気後れしてしまうけど……

 

簡単な運動やストレッチを終えた後、汗を流すために浴場へと向かう。

さすがに風呂場では、付き添いは断ってる。

危なくないかと結構気にされたけど、流石に一々風呂にまで付き合ってもらうのは申し訳なさすぎるし、それに、風呂場でくらい一人になりたい。

それでも、という声があったので相談した結果、浴場に手すりを新設してもらうことでこの件は決着を見た。

体の汗をシャワーで軽く洗い流した後、水風呂へと浸かる。

寒いったらありゃしないが、巫女の子たちは滝垢離を毎日してるそうだから、この程度で文句を言うわけにはいかない。

この入浴には一応、垢離としての役割もあるのだ。

俺は脚がよくないので、滝垢離などは少々危険でできない。

故に、浴場で水風呂に浸かることでその代わりとしてるのだ。

まあ、入った後すぐに隣の温かい湯船に入れるので、まるで辛くはないのだけど。

 

浴場を出て、着替えたら朝食になる。

俺に用意された住まいは、執務室なども兼ねた部屋など、複数の部屋で構成されており、一個人に与えられるものにしては、馬鹿みたいに広い。

そのため、複数人で食事をとるのも余裕なので、毎朝、それなりに大きな丸テーブルを囲み、色々な神官の方と共に、朝食を取りながら今後の戦略や、研究についてなどバーテックスに関わる様々なことについて話し合う。

今日は、勇者システムについての話題だった。

 

「やはり、実戦データなしには頭打ちという訳ですか」

 

確認するように左隣に座る丸眼鏡をかけた男性に尋ねる。

 

「ええ……。勿論、なくとも技術研究自体はそれなりに進むんですが、新規データのあるなしじゃ、まるで研究の進み方は違いますね」

 

防衛研究部一課課長の伊藤さん。

防衛研究部はバーテックス関連部署の統合、一元化がすすめられた影響により、開発部とバーテックス研究部が統合され出来た部署で、一課が勇者システムの開発を、二課がバーテックスの研究を行う形で分けられている。

伊藤さんは元々、サイバー課の勇者システム開発係の係長だった方だが、改革をきっかけに、開発係は一気に部に拡大され、そのまま部長へと出世するという中々珍しい出世の仕方をした人だ。

とはいえ、これは襲来を乗り切るまでの一時的な措置で開発部の混乱を抑えるためにという配慮からの人事だった。

ただ、その後、癖の強い面々を纏め上げた功績や、勇者システムのアップデートの功績が認められ、防衛研究部一課の課長として正式に就任した。

自分自身、前からお世話になってる人物で、色んな無茶を聞いてもらった。

今も、勇者システムに関しては、この人に頼りっぱなしだ。

 

「伊藤さん、それでも以前より遥かに研究速度は上がったと聞きましたけど?」

 

右隣に座る春信さんが尋ねる。

春信さんは現在、俺の補佐官をやってくれていて、この朝食会の人選なども任せている。

 

「はい、それはもう。ただ、扱いに困る連中も多いんですけどね……」

 

「例のマッドですか……。神樹様の一部を切り取って研究したいなど、よく大赦に入れたものだな……」

 

「一歩間違えれば危険人物ですもんね」

 

春信さんの意見に同意する。

ほんと、この世界では珍しいやばい人って印象だ。

 

「いえ頼人様、一歩間違えなくても危険人物です。先日も、霊的エネルギーを極限まで圧縮し、臨界点で開放することで広範囲を爆破する兵器など考えてたんですが……」

 

「ん、発想自体はよいのでは?何か問題でも?」

 

「ええ、問題なのは、勇者システムとリンクしていることを前提にした理論ですので……要するに、勇者様ごと爆発する自爆兵器みたいな代物なんです。精霊のバリアがあるから問題ないと当人は言い張ってますが……」

 

「「うわぁ……」」

 

春信さんとはもる。

いやはや、発想がクレイジーすぎる。

開発に関しては天才なのらしいが……。

うん、まさにマッドだ。

伊藤さんが抑えててくれてるようでよかった。

 

「もっとも、データの揃い具合では、この理論を別のところで使える可能性もあるんですが……」

 

「それは、七月まで待って下さい。そこからはデータに不自由しなくなると思いますので。それまでは、他の研究も交えて、手広くやって頂ければ」

 

「かしこまりました。なんとか彼らに待てをさせておきます」

 

「苦労をお掛けしますね……」

 

「いえ、ジャジャ馬ぞろいですが、なんだかんだでいい人たちですよ。それに、頼人様がいつもご配慮下さるおかげで、ずいぶんやりやすいですし」

 

伊藤さんがくすりと笑う。

良い人だ……。

こういう人が手伝ってくれていて本当に助かるな。

 

 

朝食を終えると、自室に移る。

そこで、新聞などに目を通しながら、珈琲を楽しむ。

また、銀達からメッセージが飛んできてたりするので端末でSNSにアクセスしたりして過ごす。

この時間は本当に大切に思えるけど……残念ながらそんなに時間はとれない。

その後すぐに、執務室に移動しなくてはならず、そこで様々な部署の神官と会談を行う。

今日は、防衛計画部の神官と十五分間、会談。

 

「つまり、ゴールドタワーの工期の短縮が可能になると?」

 

ゴールドタワー。

結界外の探査を担う予定の防人と呼ばれる少女たちの、根拠地となる予定の建物だ。

元々が、遊戯施設で、タワーの中間層が鉄骨のみという構造だったのだが、防人が生活できるように、大規模な改修工事が現在行われている。

ちなみにかなりの突貫工事だ。

なお、大赦内では上里の提案で千景殿と呼ばれたりもしている。

俺は余りこの呼び名は使わないけど……。

 

「ええ、工事全般について根本的な見直しを行い、工法など様々な点で調整を行えば、予定より三週間早められるとのことです」

 

「ありがたい話ですが……安全面や業者との摩擦は大丈夫でしたか?」

 

「安全面はご心配なく、技術面で今までより優れた工法を取り入れた結果、むしろ安全性は以前よりも高くなっています。摩擦についても、以前から管理を任せているところは引き続き任せてくれるのならと、先方も納得してくれています。頼人様の御裁可を頂ければ、すぐにでも取り掛かれます」

 

「やはり、この件は宮武さんにお任せしてよかったですね。すぐにでもお願いします。正式な書面は追ってお送りするので、先に動いていただいて結構です」

 

その後、間髪入れずに春信さんと十分間会談し、それが終わると、勇者システムの統合運用全般の研究や訓練の調整などを行う、運用部の神官と会談する。

 

「やはり、これ以上は実際に戦わないと分からないと……」

 

「ええ、勇者と防人の共同運用となると、前例がありませんから。また、防人は旧システム同様に、個々人の技量によりその性能が大きく左右されます。実際に、防人となる少女たちの練度が想定以上に達するかが問題ですね」

 

「しかも、戦場が戦場、防人の心理的負担は相当のモノでしょうし。初陣で戦えなくなる防人が出てくる可能性も考慮しなければなりませんしね。一応、デフュージングなどを積極的にしてもらう予定ですが、それがどこまで効果を発揮するかも分かりませんから」

 

「難しい問題です。ただ、勇者適正がある以上、ストレスなどへの耐性は一定程度あるとは言われてますが……」

 

「それも、樹海の中での話ですからね。結界外の過酷な環境下では話も違ってくるでしょうし。ただ、その分、初陣を乗り越えれば、精強な勇者になることは間違いないと思います」

 

「初陣、ですか……。確かに、何事も始めが肝心と言いますね」

 

「ええ。何にせよ、今は準備を怠らないことが肝心です。大和田さん、今後ともよろしくお願いします」

 

会談を終えると、すぐさま大赦内の会議室に移動する。

最近の議題は、この世界の真実を国民に発表するか否かというところがメインになっている。

とはいえ、これに関しては大方の意見はまとまっている。

流石に、いきなり発表した場合、非常に危険な事態になることは想像に難くないので、反抗計画の成算が立つまでは発表せず、また発表に際しても、可能な限り綿密に関係各署と話を詰め、世論を可能な限り誘導した状態で行うべきという話になっている。

まあ、まだまだ先の話だし、この件に関してはゆっくりと考えていけばよいだろう。

何しろ、世論は非常に危険な存在だ。

慎重に事を進めなければ、必ずやどこかで破綻する。

場合によっては全ての事を済ませた後に発表する手もある。

 

会議では、その他、巫女の扱いや組織改革についての話だったり、今後の組織方針についてなどを話し合う。

ただ、困るのは、どんな話題でも多くの人が俺に意見を求めてくるところだ。

既に俺は、大赦の幹部として扱われていることに加え、対策組織の一元化が進められたことを功績扱いされたこと、先日、国防に関わる全権を握ったという点、そして勇者という称号のおかげで、議長の役割を果たしている乃木の当主よりも、はっきり言って、発言力が高くなってしまっている。

故に迂闊な発言はできない。

そういった俺の意見を重視しすぎる傾向を、乃木が抑えてくれればいいのに、むしろ乃木までもが一緒に俺の意見を求めてくる。

目の前に俺の親父がいるのに……。

自由に自分の職務をやれるのは助かるのだが、正直こういった場面では困る。

最近、特にだが、みんな俺の年齢というモノを忘れている気がする。

中身はともかく、俺は小学生なのだが……。

 

会議を終えると、また執務室で話し合い。

兎に角、話し合わなければいけないことが多い。

春信さんをはじめとした補佐官の方達や総務部の方たちと共に、ゴールドタワーの人事について話し合う。

 

「教育に関する責任者としては、烏丸女史が適任ではないでしょうか?彼女は以前から、巫女様の教育係のようなこともしてましたし。今も、防人予定者の家族には彼女が接触していますから、能力的にも信頼関係の構築という面でも彼女がふさわしいかと」

 

「そう言った面では適任かもしれんが、千景殿において必要なのはむしろ、管理能力だろう。その点に関しては花本か十六夜のほうが良いのでは?」

 

「だが、烏丸は巫女様との信頼関係をすでに構築している。そもそも、教師としての経験は花本も十六夜もない。彼女以上の人材はそれこそ、安芸ぐらいしかいないだろう。これ以上の人物は見込めないと思うが」

 

「なら、安芸を千景殿につけさせるのは?彼女も教師として役に立つでしょうし」

 

「いえ、彼女には、今後とも勇者のお目付け役をやって頂きます。ゴールドタワーを任せる訳にはいきません」

 

「ならば、やはり……」

 

「ええ。烏丸さんが適任だと思います。あとは、彼女の意思次第ですね」

 

話がまとまったら、昼食……なのだが、これも完全な自由とはいかない。

大抵、名家の人と共に食事をとったりする。

今日は、乃木夫妻。園子の両親だ。

彼らの影響力の高さから、時折頼み事などもしている。

今日もそうだった。

 

「なるほど、この件に関して、私たちの方からも、他家に働きかけておいてほしいんだね」

 

「はい。不躾なお願いであることは承知していますが、お力添えを頂ければと」

 

「ああ、だけど、この件なら上里や花本に頼めば動いてくれるのでは?」

 

「ええ。先日、お会いした際に、ご助力を確約して頂きました」

 

「流石、周到だね……」

 

本当なら、親父も一緒に、というようなことになるのだが、大抵先方は俺だけと一緒に食事をとりたがる。

理由は……簡単だ。

 

「それで……頼人君。園子のことをどう思うかしら?」

 

でた。

母君のキラーパス。

 

「ええ、とても良い子だと思います。賢くて、優しいですし」

 

「それは良かったわ。園子はあなたのことをよく話してくれてたの」

 

「ああ、君のことはずっと聞いていたから、仲はいいのだろう?君さえよければ―――」

 

この通り、自分の娘を俺とくっつけたがる面々が非常に多いのだ。

親父はこの点に関しては結構厳格というか、大人になってから決めるべきだというスタンスを崩さないので、先に俺を落とそうという目論見の人が多く、結果として親父抜きでの食事会になることが多い。

穏便に断るのも大変なのだ。

普通に考えたら、名誉なことなんだろうけど……胃が痛くなる……。

 

「お気持ちは大変ありがたいのですが、今は仕事のこと以外考えられないんです。申し訳ないのですが、反抗計画が完遂するまでは―――」

 

「その後なら、考えてくれるのね?」

 

「いえ……そういったお話はできることなら、娘さんの意思を尊重してあげてください。差し出がましい事ですが、娘さんとよく相談されからの方が、お話もまとまりやすいかと」

 

「その点なら、問題ない。園子も君のことを好いているよ」

 

「いえ、ですから―――」

 

ああ、胃が痛い……。

何というかストレートすぎてやばい。

乃木家はある種の執念みたいのを感じるから怖い。

こういうのはよくない……。

 

「頼人君。勝手な話だと思うけど、私たちは園子に幸せになってもらいたいんだ。私たちは園子を守れる、笑顔にできる人に傍に居てほしいと思っている。君ならそれができると思ってるんだ」

 

「ええ、それに、貴方と出会ってから園子には笑顔が増えたわ。貴方には園子の傍にいてほしいの」

 

「買いかぶりです。それに―――」

 

「頼人様、そろそろお時間でございます」

 

と、そこで後ろに控えていた早乙女さんが声をかけてくれる。

ぎりぎりな行為だが、正直助かった。

見れば、お二人が無言で早乙女さんに圧力をかけている。

怖い……さっさとお暇しよう。

 

「申し訳ありません。お話の続きはまたいずれ」

 

「ああ、忙しいところすまなかったね」

 

挨拶を済ませて、部屋を出る。

食事時とは思えない緊張感だった……。

それでも、落ち着いた顔を崩せないのは中々辛いところだ。

 

「すみません早乙女さん。正直助かりました」

 

自室に戻り、早乙女さんに礼を言う。

 

「いいのですよ、いつものことですから。頼人様はああいう口車に乗せられてはいけませんよ?きれいなままでいてくださいね。……熱いので、お気付けください」

 

ソファーに座った俺に、珈琲を差し出しながら、早乙女さんは言う。

お礼を言って受け取り、ゆっくりと啜る。

……おいしい。

冬は特に温かな珈琲が美味く感じる。

 

「自分も赤嶺の人間ですし、良くないこともしてきました。早乙女さんが言うように、きれいな存在じゃないですよ?」

 

「何をおっしゃっているのですか?頼人様は伝統と格式に乗るだけの他家の連中とは違います。結局、連中は頼人様がいらっしゃらなければ何もできなかったんですから」

 

「早乙女さん、その辺で。一応ここ、大赦の中なんですから」

 

「失礼しました。……早く、お引越ししたいですね」

 

「もうすぐですから、もう少しだけ我慢してください」

 

早乙女さんは時々言動が危うい感じになる。

慕ってくれてるのはいいのだが、時々他家に対して、攻撃的になる。

気持ちが分かる面もあるのだが、彼女自身のためにも、もう少し押さえておいてもらいたい。

と、そこで少し眠気を覚える。

 

「少し寝ます。いつもどおり二十分後に起こしてください」

 

「はい、お休みなさいませ」

 

昼食後は大抵、このように少しの時間、睡眠をとる。

休憩時間は必要だし、短時間の昼寝は疲労回復にもパフォーマンス向上にもなる。

珈琲を寝る前に飲んどけば、起きるのも楽だし。

まあ一番の理由は、ここで休まないと疲れた顔を周りに見せかねないからだ。

つくづく体力が戻り切ってないことが痛く感じる。

昼寝をした後は、再び執務室に移り、各部署からの要望書や、報告書に目を通す。

自分の裁可が必要な書類などは、春信さん等の、補佐官の方達と話し合いながら処理し、直接話す必要のあるものは別途、纏めておく。

それが終わったら、各部署の人員を集めて会議。

こっちの議題は、主に、今後の反抗計画についてで、全般的な方針などを話し合ったりする。

時間がないので、何もかもを突貫でやってもらってるから、こういう時には可能な限り、細部を詰めておかないといけない。

その他にも、大赦内の状況について話したりもする。

やらないといけないことが多すぎる。

それが終わると、夜まで可能な限り、多くの人と会う。

神官の方、管轄の違う別の部署の方、他家の方、場合によっては巫女の方たちとも。

夕食も、住み込みで働いている方たちと共にして、打ち合わせなどと一緒にする。

何をするにも、人との繋がりは大切だ。

俺の唯一の武器でもある以上、この繋がりを絶やすわけにはいかない。

それに、直接話して分かることもある。

この大赦にも、個人として人格面で優れている方はそれなりにいる。

道徳の授業が学校で多く設けられているだけはある。

しかし、組織人としては、全体的に主体性に欠けている面が見られる。

これは旧体制の影響が未だに残っていると考えられた。

元々、神官達は首脳部や神託に絶対的な服従を行うことを求められ、そのように行動してきた。

無論、改善の方向へと向かっているが、長年染みついた行動パターンと言うモノは中々変わらない。

首脳部が俺の人事を認めるのも、なんとなく分かる。

何はともあれ、このように改革すべき点は多々あるということが話していればよく分かり、同時にその解決案も話し合えば生まれることもある。

自分がこの世界の人たちとは少し違う視点を持つように、彼等からしか見えない視点もあるのだと気付かされることもある。

本当に、まだまだ学ばないといけない事ばかりだと苦笑してしまう。

 

 

 

そうして、食事後にまた入浴して、就寝時間となる。

大赦は朝が早い分、夜も早い。

九時には消灯したりする。

だが、俺はそのまま寝る訳にはいかない。

日付が変わるくらいまでの時間、上がってきた戦術研究の報告書に目を通しながら、自分でも検討を重ねる。

仕事が多い分、このように勉強する時間は限られている。

そのため、こういう時間をうまく使わないといけない。

ただ、この時間は同時に俺にとってかけがえのない時間にもなる。

 

『もしもし~みんな、聞こえる~?』

 

『ああ、園子。ばっちりだ』

 

『私の方も感度良好よ』

 

『ったく、あんたらも毎日毎日飽きないわね』

 

『とか言いつつも、毎日参加する夏凜くんなのであった』

 

『う、うっさいわよ、銀!たまたま時間があっただけよ!』

 

『でも、夏凜ちゃん。いつもきまってこの時間空けてくれてるのよ?』

 

「そっか、夏凜も毎日時間作ってくれてるんだ。ありがとな」

 

『べ、別に作ってなんか!』

 

『いや~、にぼっしーいいね~。電話越しでも創作意欲が湧いてくるよ~』

 

イヤホンから柔らかな声が響く。

この作業をしている間、俺はSNSで銀達と話す。

数少ない、自由な時間。

日常の残り香。

今日もまた、いつものようにお互いのことを話し合う。

ただ、話していると、どうしようもなく神樹館に戻りたくなる。

それでも、我慢しないといけない。

今の俺は、そういった我が儘を言うわけにはいかない。

たとえ祭り上げられた立場であろうとも、周囲の期待を裏切るわけにはいかない。

それが、この子達の為なんだから――――

 




作者の妄想考察

興味のない方はそのまま飛ばして頂いて大丈夫です。
参考までにどうぞ。
かなり、個人的な見解なので、鵜呑みにはされないようにお願いします。
後半殆どツッコミですが……。

大赦

情報が出れば出るほどやべー組織というのがよく分かる。
腐敗とか経年劣化が凄まじい。
そもそも、ここまで腐敗した原因の一つは名家制度にあると思われる。
というのも、名家指定された家は大赦から特別な援助が受けられることが明言されており、また、名家が台頭しているという設定から、大赦の首脳部が名家の人間で占められていたのは間違いない。
いわば、名家制度は貴族制度と同義と言える。
そして、一部の名家が権力を独占していれば、馴れ合いや忖度が横行し、腐敗するのは明らか。
特に、大赦は圧倒的な権力を持つため、腐敗のリスクは特に高い。
それでも、数百年の平和が保たれたのは、主に神樹の恵みによるものだと思われる。
ゆゆゆ世界は、はっきり言って現代社会の食糧問題、エネルギー問題、経済問題、外交問題がないに等しいと考えられ、その分のリソースを教育、環境、社会福祉問題に当てれば、社会問題はほとんど解決できると考えられる。(実際、道徳の時間が増やされている描写があるなど教育に気を遣っていたと見られる)
つまり、ゆゆゆ世界はびっくりするほど社会的には健全だと考えられるのである。
そして、閉鎖社会である以上、社会環境の変化も乏しい(ゆゆゆ世界の文明レベルが二十一世紀のそれと大差ないのが証拠)。
すなわち、政府や大赦などの首脳部が無能であっても、慣習や前例に従って動いていれば、問題が生まれないものと考えられる。
そうなると、大赦の首脳部に求められるのは、いかに前例や慣習、伝統を守るのかであって、リーダーシップも何もいらない。
むしろ、変化を齎すものは酷く嫌われかねない。
まあ元から、日本は事なかれ主義的なところがあるから、というのもあるが、下手に動いて既得権益を損ないたくないと考える面々が多数存在すると考えられるから。
要するに、大赦の首脳部が伝統に縛られた者であっても問題ない、むしろ、伝統を遵守する者が好まれたことと考えられる。
実際、『追憶の園子』などで神官達の柔軟性のなさが指摘されている。
そう言う面々が、戦争指導をやれと言われても、もちろん無理。
そもそも、全体的に平和すぎる分、西暦を生きてた人間よりもはるかに戦争の知識が不足していると考えられる。
実際、まともな戦争指導が行われた描写も皆無。
こんなんじゃ、戦争になんないよ……。
おそらくだが、単純な資質という面では、神世紀の大赦首脳部は、西暦の大社首脳部とどっこい、もしくはそれ以下と考えられる。
というのは、流石に戦争が遠くなりすぎてて、危機感やバーテックスへの恐怖がかなり欠如してるから。
劇パト2の後藤さんのセリフの元ネタ、ダニガン先生の言葉がここまでしっくりくるのも珍しい。
『虐殺の場から遠ざかると、楽観主義が現実にとってかわる。最高の意思決定のレベルでは、往々にして現実が無視される。戦争に負けているときは、とくにその傾向が強い』
完全に大赦首脳部ですね、本当にありがとうございました。
首脳部がこんなんじゃ、下の人間も勿論、伝統に縛られる。
伝統を打ち壊そうという人間はまず淘汰される。
やっぱりディストピアじゃないか……。
そういう状況で、安芸先生とか春信さんとか、一部の人間がいくら頑張っても駄目なもんは駄目。
根本的に首脳部が変わらなきゃダメ。
多分だけど、理想と現実の狭間で苦しんでる人間もかなり多かったのではないかと予想される。
あの世界は、道徳の授業が増えてる分モラルも全体的に高く、まともな人は結構いると思われる。
実際、ゆゆゆいなどで、大赦入ったばっかだけど頑張りマス!的なフレッシュな人もいたし。
それでも、首脳部が無能だと全部だめ。
くめゆの番外編で、神官は大赦と同じことしか考えない、あくまで手足に過ぎないと言われているように、一神官には、まるで権限がない。
そうして、気高い精神を持った人々も権威主義に取り込まれて腐っていく。
私は悲しい(ポロロン)。

また、妄想に近い事ではあるが、大赦の首脳部には明確なリーダーがいないものと思われる。
というのは、わすゆの勇者御記にある乃木家の発言権が大赦内で増したという記述が根拠。
まず、乃木家の発言力は絶大だというのは、わすゆ内でも言われてたことであるが、ならば、発言権が増すというのは、どういうことなのだろうか?
元から絶大で、全ての権限を持ちうるのなら、今更、発言権が増しても意味がない。
大赦は乃木と上里のツートップという発言から、上里に比べて、という趣旨の可能性もあるが、そもそもツートップという時点で、大赦内に明確な指導者となる人間がいないことと考えられる。
つまり、某ジェダイ評議会みたいに、明確な指導者はいないけど、発言権の高い一部の人間達が全体的な組織運営をしているのではないだろうか。
事実、防人側の最終決戦を描いた、『落花枝に帰らず、破鏡再び照らさずにて』、大赦内の思惑が一致していなかったとの安芸先生の証言がある。
おそらくではあるが、大赦の実権を上里ひなたが独占したことにトラウマを覚えた層が、明確な指導者を立てることを良しとせず、若葉とひなたの死後、首脳部の形を都合のいいように変えたのではないだろうか。
もしそうだとすると、かなり恐ろしい状況だったと予想される。。
会議などしても、派閥の力関係や発言力の競い合いが重視され、結局ことなかれ主義で完結する。
いわば、専制主義体制特有の、家柄、格式主義とから生じる人事の流動性の欠如という短所と民主主義体制に見られる足の引っ張り合いや意思決定が遅いという欠点の双方を抱えた最悪の支配体制。
船頭多くして船山に上る。
多分、現代だったら、国が亡ぶ奴。
それでも、前述のとおり、平和なうちは、難しい事は何もないから、問題ない。
その分有事の際は、やばい。
普通の民主国家でさえ、戦争が起きれば戦時体制になり、意思決定が非常に迅速になるのに、大赦はおそらく平時の意思決定プロセスから変わってない。
理由を大赦の人間に聞いたら多分こうなる。
だって、そんな前例ないから。
これはもう駄目みたいですね……。
おそらくだが、宗教色の強い組織であるため、その分、伝統というのがさらに大事にされてしまったのだと推測。


あと、全体的に設定を見直したらツッコミどころが満載。
くめゆで大赦は勇者の勇気を信じて、反抗することにしたで!とか、大赦は世界を取り戻すことを誓っていた!
とか言ってるけど、バーテックス観測されたの神世紀二七〇年代やで?
もっとはよ動けたんちゃう?二十年以上、君ら何してたん?
わすゆで合同訓練できてなかったとか、訓練時間が十分じゃなかったとか言われてるけどマジ?
大赦、大丈夫?
あと、何で、神樹の寿命尽きかけてるタイミングから動くん?
そもそも、勇者が暴走したのに、防人の扱いが雑すぎる。
個人的には、防人関係が一番の大赦無能の象徴のように思える。
というのも、防人は犠牲を前提にしてる分、高い損耗率が予想されてたのに、予備人員を育ててもいない。
つまり、当初の大赦の計画通りなら、防人は戦えば戦うほど、初期の人員は減っていき、訓練を十分に受けていない新兵が増え、さらに犠牲が増えるという悪循環が起きていたと考えられる。
めぶーが滅茶苦茶頑張ったから、何とかなってたけど、こんな感じだったら、防人たちの怒りが有頂天に達してもおかしくない。
というかなる。
風先輩とか東郷さんが反乱起こしたばっかなのに、どうして防人が反乱を起こさないと思えるのか。
仮に、勇者全員使って、止めようとしても、防人は三十二人、めぶーが陽動使うなりなんなり、戦略立てて動いたら、まず大赦への攻撃は可能。
防人レベルの性能でも、一般人の虐殺は十分に可能。
虐殺しなくても、制圧はできるだろうし、一人でも大赦に乗り込めば作戦は成功したも同然。
敵は大赦にあり!とかめぶーが言って、防人が蜂起する話、誰か書いて(他力本願)。
纏めると、大赦は意思決定プロセスがどうしようもなく、戦争に向いてなくて、伝統や前例に縛られた組織であるため、そういった問題点や腐敗、経年劣化問題を解決することもできない。
おまけに首脳部は、指導者としての才覚も持たず、家柄と格式だけで成りあがった者たちで構成されている。
会議は名家同士のパワーゲームに終始し、まともな戦争指導もできない。
そういった、上の無能に下の人間は全面的に服従せねばならず、良い心を持った者も大赦の腐敗に絶望しながら腐っていく。
うん、纏めるとかなりひどい仮説になってしまった……。
とはいえ、このレベルの腐り方じゃないと、前述のようなミスをしまくるかと思えてしまう。
可哀そうなのは、大赦に所属しながら良心を忘れてない安芸先生みたいな人達。
クーデター起こさなきゃ(義務感)。
大満開の章はこういう、やべー首脳部が纏めて吹き飛んでるから、安芸先生や春信さんがまともな組織運営することを期待。
もっとも、大満開の章では、大赦は力を失ってる可能性高いけど………。

お目汚し失礼いたしました。


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彼から見た少年と……

春信さん視点。
次からようやく新章……。


薄暗い部屋に窓から、木漏れ日が差し込む。

その部屋では数名の神官と、一人の少年が話し合っている。

その部屋の主は赤嶺頼人という少年。

神官達は少年の側近の者であった。

 

「―――穏健派、旧反対派の連中は取引に応じ、こちらの指示に全面的に従うとの事です。経過観察は必要でしょうが、今のところ、動くことはないかと」

 

「順調だな。彼奴らも事ここに至っては、立場を明確にせねばならぬ身だ。勝手な真似はせんだろう」

 

「ですが、大人しくしているうちに力を削いでおくことも選択肢として考えるべきではありませんか?連中は目先のことしか考えられるような輩です。利用するよりも排除した方がいいように思えますが」

 

「相変わらず早乙女は過激だな。そんなに奴らが気に入らないのか?」

 

「実力も才能もない癖に、権力を持っている輩は嫌いですが、そうではありません。妬心を隠さぬ連中に甘い顔をする必要がないのではないかと思うだけですよ」

 

「確かに、予定通りとはいえ、奴らの立場を保障するというのはあまり気持ちのいい話ではありませんね。ですが、こちらから取引を反故にするわけにもいかないでしょう。連中も数はそれなりにいますし、一口に排除するわけにもいきませんから」

 

「ですが、万一、連中が頼人様に害を為そうとすれば、どういたしますか?ただでさえここ最近、頼人様を逆恨みする連中が多いというのに……」

 

「早乙女の懸念も分かるが……」

 

しばし、部屋は重苦しい雰囲気に包まれる。

と、その空気を破るかのように部屋の主が口を開いた。

 

「大丈夫ですよ。もし何かしようとしても、こちらの者がすぐに察知します。彼らの排除は今、考えなくてもよいでしょう」

 

「しかし頼人様……」

 

「いきなり排除しようとすれば、流石に手間がかかりすぎますから。皆さんの貴重なリソースをそんな些事に費やすわけにはいきません。それに、害をなすようであれば、その事を理由に彼らを排除すれば済む話です。無理に排斥するよりも、ずっと楽に、そして遺恨なく彼らの権限を手中に収めることができるでしょう」

 

ほう、と感心したような声が神官から漏れる。

 

「そこまでお考えであらば、これ以上何も申しません。差し出がましいことを、申し訳ありませんでした」

 

「いえ、自分が説明不足でした。ご心配をおかけしてすみません」

 

どうやら、この神官は少年の判断こそが最も正しいと信じ込んでいるようだった。

自身の半分以下の年齢の子供の判断を。

しかし、そのことをおかしいと指摘する者はこの場に居なかった。

 

「ところで、例の政策はどうなっていますか?」

 

「既に内閣、与野党共に根回しは終えております。今年度中には法案も成立する予定です」

 

「ふむ、他家や政界の反応はどうですか?」

 

「大赦の一部の者からは越権行為ではないかと批判の声が僅かに見られます。政界では、法案自体が少々不審がられていますね」

 

「仕方あるまい。この国の未来の為なのだから、多少の不満は飲み込んでもらうべきだろう」

 

「そうですね。……この件は、できるだけ早められるようにお願いします。遅れれば、国民全体に影響が出る可能性がありますから」

 

「かしこまりました。ただ、不審がられている以上、正攻法ではこれ以上の短縮は難しいかと存じます」

 

「ふむ……。限定的な情報開示も視野に入れるべきですかね……」

 

「だとすると、現内閣を取り込むのがよろしいかと。今後の動静にも関わりがありますから」

 

「ですね。どのみち、この件は上にあげる必要がありそうです。一先ず置いておきましょう。他に報告は?」

 

「はい。懸案だった新型のシステムについてですが、防人のモノと勇者の壁外戦仕様、共に、調整を完了致しました。実戦までには、テストも問題なく行えるかと存じます」

 

「それは良かった。……で、防人のシステム、自分が使える可能性は?理論上は使えると聞いてますが?」

 

「頼人様……まさか、まだお考えでいらっしゃったのですか?確かに、次の襲来には必要になるやもしれませんが、頼人様が壁外探査に参加する必要はありません。勇者様がいらっしゃるとはいえ、防人の装備では危険が大きすぎます。頼人様に万一のことがあれば、この国は……。」

 

「横手の言う通りです。頼人様はご自分の背負われているものをお忘れなのですか?指揮を執られるにしても、結界内等、後方からの指揮にされるべきです」

 

春信もまた、そう言って止め、また、この部屋にいる神官全員が反対の立場をとる。

ある種の四面楚歌のような状況。

だが、少年は譲らない。

 

「彼女達に無理強いをしているんです。戦う力があるのなら、戦場に立たねば。戦場に立てるのに安全な場所に居ては、彼女達からの信頼は得られません。彼女達の信頼なくして、世界を守ることは不可能なんですから」

 

「ですが、頼人様の御身体では……。頼人様の御覚悟は全神官が知るところにあります。徒に危険を冒すべきではないかと……。戦場に身を晒すことだけが戦いではないとおっしゃってくれたのは頼人様ではありませんか」

 

「ですが、自分は本来得られるはずのない勇者の称号を頂いた立場です。戦場に立たねば、今まで戦ってきた全ての勇者に合わせる顔がありません。それに、自分は結局子供なんです。戦場にも立たぬ小僧に、皆の希望を背負う価値があるでしょうか?」

 

「しかし………」

 

「頼人様…………かしこまりました。テストの御用意を致します」

 

「三好君!本気!?」

 

早乙女から悲鳴のような声が上がる。

 

「落ち着いて下さい、早乙女さん。まだ決まったわけじゃありません。いずれにしても、次の襲来までには、準備をする必要はありますから」

 

春信はテストについては了承したが、実際に壁外に出ることを認めたわけではなかった。

 

「頼人様、今しばらくこの件は保留に致しましょう。まだ、実戦まで幾ばくかの時間はございます。性急に結論付ける必要もないかと」

 

春信が纏めるように言う。

 

「……分かりました。とまれ、テスト次第で色々と変わりますからね」

 

少年がそう言うと、横手や早乙女など、この部屋にいた面々の多くが、分かりやすくほっとした表情をした。

その後、二三の別の話題を済ませ、解散となった。

少年が他家の者と会談するため移動し、その場には神官達だけが残される。

 

「いやはや全く、大したお方だ。頼人様のお考えは我々の遥か先を行かれておられるな」

 

「ですが、あのように自ら危険を冒す癖は直して頂きたいものです。ほとんどお休みになられていないようですし、見ていて不安になるときがあります」

 

「そうだな……。だが、あのような気概を持たれるお方だからこそ、あの若さであっても、ついていこうと決断できたのだ。あまり大声では言えないが、救世主と呼ばれるべきなのは、あのお方だとさえ思う」

 

「自分もそう思います。あのような体になっても、戦い続けようとするその姿勢……我らも御役目を果たさねばと、奮い立たされる思いです」

 

少年が去ったその場で、神官達が口々に少年を称える。

微笑ましいようにも、歪なようにも見える、およそ真面な組織には似つかわしくない光景。

だが、その光景をおかしいと指摘する者はいない。

違和感を覚えるものすらも殆どいない。

きっと、この状況に最も違和感を覚えている者は少年自身なのだろう…。

こうした原因が自分にあることを思い出し、春信は苦く思う。

そうして、ゆっくりとこれまでの事を思い返し始めた。

 

 

 

全ては、この一人の少年が樹海に入り込んだことから始まった。

本来、勇者でなければ認識することすらできない樹海。

その樹海に入り込んだ時点で、少年の異常性は明らかだった。

だが、麒麟児などと持て囃されていても、ただの少年。

樹海に入れるという特異性についても、多少調べられこそしたが、バーテックスの襲来という明確な危機の前では、重要視されることはなかった。

樹海に入れるとはいえ、ただの十二の子供が何の役にも立つことはないだろう。

その、ある種の赤嶺頼人への侮りこそが、当時の上層部の最初の失敗だったと言えよう。

少年は自身への注目が少ないことをいい事に、その間にパイプを持っていた名家の協力を取り付け、自身の権限を拡大。

そして、そこから得た情報を元手に大赦との交渉を成立させた。

どう考えても異常な事態であるのに、事ここに至っても、大赦は少年を侮っていた。

情報を与えても何も変わることはないと。

当然の帰結。

だが、それは大きな間違いであった。

少年はさらにその情報と、自身が観測したデータを駆使し、多くの味方を作っていった。

そして、有力な名家の支持を取り付け、勇者システムのアップデートと勇者の増員を大赦に押し通させた。

無論、反発も大きかった。

だが、それが後の権力闘争に影響することとなっていく。

 

ここで、少年が勇者システムの開発に立ち会ったことが、当時の体制を崩壊させるきっかけとなったといえるだろう。

勇者システムのアップデート案に含まれていた、満開と散華の機能。

人身御供という概念がここに極まれり、といった内容ではあったが、大赦の性質を考えれば、本来否定しえないものであった。

なにせ、半ば神樹の意志のようなものなのだ。

否定できるものは存在しない……はずであった。

 

ここからの、少年の行動は一歩間違えれば、世界の敵ともいわれかねないモノであった。

少年はありとあらゆる手段を用い、アップデート内容から満開を排徐されるように仕向けた。

特に乃木に対して、現状であれば満開の実装は不可避であるが、大赦を改革することにより、回避が可能になると信じ込ませる用意をしておくなど万一の備えも行うなど、非常に周到なモノでった。

さらに、赤嶺家を通して、繋がりの深い名家連中に改革について、徐々に根回しを行い、一方で、名家でない大赦職員の篭絡も並行して行っていった。

最早、クーデターの準備といってもいいほどであっただろう。

斯く言う春信自身も、多少の手伝いをしていた。

 

そして、ターニングポイントが訪れた。

バーテックスの三体同時襲来。

三人の勇者が戦闘不能となり、最終的に勇者としての力を得た少年が、精霊の力を行使、二体のバーテックスを撃退し、一体のバーテックスの殲滅に成功した。

三人の勇者が事実上の敗北を喫したというのは、記録を閲覧した者には明らかで、この戦いは、大赦の見通しの甘さを証明するものであった。

 

ある意味、少年が戦線に加わったタイミングは完璧だったといえよう。

勇者・三ノ輪が重傷を受けた瞬間に戦線に到着。

後から分かったことだが、少年の処置が遅ければ、同勇者に命の危機すらあったらしく、そのまま戦い続けていればまず落命していたことは間違いなかったそうだ。

つまり、少年がいなければ、運が良くても勇者一名が落命、悪ければ世界が滅んでいたのだ。

そして、後者の方が可能性が高かったのは言うまでもないことであった。

 

かくして、少年は救国の英雄として扱われることとなった。

また、この戦闘データにより、バーテックスに核となる部分があることが発覚するなど、少年は単なる勝利以上の恩恵を齎した。

結果として、少年は自らの価値をそれまでと比べモノにならないほどに高め、以前から少年と接触していた者に、絶対な信頼感を植え付けることとなった。

特に、少年の活動に早くから協力していた者達のそれは、熱狂的ともいえるものであった。

今、彼の側近となっている者の中には、こういった人物も多く含まれていた。

 

一方で、この事件は、大赦の在り方を大きく変えるきっかけとなった。

当時の上層部、特に勇者システムのアップデートや増員に反対していた者たちの発言力は大きく削がれ、一方で赤嶺の発言力は大幅に上昇した。

これは、救国の英雄となった息子のおかげでもあったが、同時に勇者システムの不足を指摘していた点が高く評価されたものであった。

 

 

こうして、この事件により大赦内の力関係が大きく変わり……改革が始まった。

この改革のタイミングも実に見事であった。

先の戦いにより、組織全体の危機感はこれ以上ない程に高まり、多くの者が上層部に不信感を覚えていた。

つまり、改革が成立する土壌が完全に整ってしまっており、さらに、長期間にわたる赤嶺家からの根回しとの相乗効果で改革の機運はこの時、これ以上ない程だったといえよう。

ある種、当然のことだ。

誰だって、死にたくはない。

少しでも生き残れる可能性が高い方につくのは当然のことだ。

特に、旧態依然とした連中との対比により、赤嶺の言に乗る方がよいと考える者が増えるのは必然ともいえるものであっただろう。

このような背景もあり、改革は見事なまでの迅さで進行していった。

 

しかし、この改革は、既得権益にしがみつき、変化を嫌う者たちにとってはたまったものではなかった。

特に、勇者の増員などに反対していた者たちはいっそ、哀れなほどであった。

なにせ、改革が乃木や赤嶺を中心に行われていくのだ。

改革後の大赦から、彼らの居場所がなくなるのは目に見えていた。

自分達の地位を守るために改革に反対せざるを得なかったのだろう。

だが、その末路は決していた。

そもそも、組織のトップと、対人に特化した名家が改革を始めたのだ。

趨勢は最初から決まっていたともいえる。

さらに、反対派は拙い手を打ち、一気にその立場を崩し、また、その原因が上里の御老体にあったことが発覚したことにより、完全に崩壊することとなった。

ある種、当然のことであろう。

いくら不利な立場にあったと言えども、反対派は潰されるために反対していたわけではないのだ。

それが、上里に誘導され、ただ利用されていたのだと分かれば、その存在意義を失うも同然。

自己崩壊に陥るのも当然のことであった。

 

かくして、改革の流れは最早、止められないものとなり、大赦の権力はこれまで以上に、一点に集中することとなった。

考えてみれば、これにより、少年は大赦の掌握に成功したとすらいえるだろう。

権力というものは、集中すればするほど小さなところを抑えることにより、全体を支配できるものだ。

改革の多くは赤嶺が関係しており、乃木や上里の顔こそ立てているものの、乃木は少年に絶対の信を置き、上里は赤嶺に頭が上がらず、事実上、赤嶺に最も発言力があるのは、誰の目にも明らかであった。

そんな状況下で、少年は赤嶺を掌握していた。

しかも、少年自身を神聖視する者も多く、彼の行動を知る者は赤嶺の行動の裏に少年の姿を見ていた節もあった。

ある種、この動きは少年個人への崇拝の予兆とも言えた。

 

 

 

そして、この傾向は『瀬戸大橋跡地の合戦』において、完成することとなった。

過去最高の質の敵と過去最大の量を誇る敵との攻防戦。

当初の予想をはるかに上回る襲来。

なるほど、満開が必要とされるわけだ。

しかし、その戦いに勇者達は勝利した。

満開無しで。

すなわち、少年の行動の正しさが証明されたのだ。

同時に、この結果は、勇者たちの力が神樹の予想すら上回ったことを意味した。

これは、大赦の者たちにとって大きな衝撃となった。

赤嶺頼人の判断が、悉く結果を最善の方向へと導いていると信じる者が増え、少年の価値はその協力者以外の者にも認められ始めた。

 

元々、大赦内でも今の人類の状況の拙さを理解している層はある程度いたのだ。

そして、理解度の高い者ほど、その絶望は深いものであった。

なにせ、対応できる唯一の組織は、腐敗し、硬直化しており、戦争指導もまともに行われていなかったのだ。

何とかしようと藻掻けば藻掻くほど、立場は悪くなり、周りに押しつぶされていく。

そもそも、名家出身でなければ、余程の才を持たぬ限り、組織の意思決定に関わることは難しい。

たとえ、組織の中枢に食い込めたとしても、一人で大赦の方針を変えることなど不可能に近い。

他ならぬ、人間の手によって、首を絞められているも同然だ。

そんな中、あの少年が現れる。

本当に、都合のいい存在だ。

 

絶望的な状況にあっても、未来を見据え、目的地を示す人間。

そんな存在が現れた時、彼らは容易くその人間に夢を見る。

そして、絶望が深かった者ほど、その夢に熱狂する。

少年は気付かぬうちに、自身がその役割を担える存在であると思わせてしまった。

つまり、少年を知る者たちは、赤嶺頼人という存在に夢を見てしまったのだ。

 

自然と、少年に上に立ってもらおうという考えが一部の者に生まれた。

常識的に考えれば、有り得ない考え。

だが、勇者の称号や、その特異体質、何よりもその実績が少年に神聖性やカリスマ性を与え、それにより彼らは少年が上に立つ正当性を見出した。

少年の十二という若さすら、少年の特別性に説得力を与える材料に成り下がり、最早、少年の扱いは人へのそれではなくなっていった。 

 

一方で、別の者たちには、『瀬戸大橋跡地の合戦』は違う影響を与えた。

強大な敵を倒したことにより、一部の者に楽観論が蔓延し始めたのだ。

その者たちの多くは、穏健派と呼ばれた者たちであった。

ある種、大赦の経年劣化の象徴ともいえるような者たち。

春信は彼らを見ると、耐えがたい嫌悪感に襲われた。

それは、彼ら自身により齎されたものではなく、平和な時代が続いていれば、自分もこうなっていたのではないかという恐れからくるものであった。

三百年というあまりにも長きにわたる平和は、組織人の質をも腐らせていた。

一先ずの猶予が生まれたことにより、彼らの興味は権益の確保に移っていたのだ。

何も状況は変わっていないというのに―――

 

だが、この状況に危機感を覚えていたのは、春信だけではなかった。

多くの元改革派の神官達はこの状況を良しとせず、特に影響力を持つ者達で秘密裏に話し合いが行われた。

この話し合いが、どのような意味を齎すかも知らず。

 

 

「穏健派……改革の時には都合のいい存在だと思っていたが……ここで面倒事を起こしてくれるとは……」

 

「ええ、彼らを放置するのは危険ですね。一刻も早く、対処を考えねば、大赦が以前の状況に戻りかねない」

 

「三好君は彼から、穏健派の受け皿になるように指示されてると聞いたけど、そちらから動けないの?」

 

「パイプはありますが……流石に、彼らの行動を抑制することはできませんね。多少の影響力はあるでしょうが、根本的な解決は難しいかと」

 

「いっそ彼らを排斥することはできないのか?これ以上害をなされては……」

 

「それこそ、悪手でしょう。ようやくまとまって来たのに、また要らぬ争いをする羽目になりますよ?」

 

「だが、ここで根を断たねば、後々までの禍根になるぞ。折角、ここまで来たというのに」

 

様々な意見が飛び交う。

改革後も強烈な危機感により組織がまとまっていた分、一度、危機感が薄れれば、意思統一が崩れかけるのも無理のない事であった。

だが、未だ、根本的な状況が改善されていない今、穏健派のそれは余りにも、楽観的な考えだった。

それでいて、対処するのは難しい。

数だけはそれなりにいるのだ。

それに、ただ意見を述べているだけなのだから、排除するわけにもいかない。

そんな中、一人の女性が声を上げた。

 

「……皆さん、対症療法を考えるのもいいですが、根本的な解決法を考えませんか?」

 

早乙女涼音。

何故だか、彼女は特に少年に心酔しており、初期から少年に協力していた面々の内の一人でもあった。

特に事務処理能力に長けており、様々な面から少年を助けていたという。

 

「だから、今、その根本的な解決法に話し合っているのではないか」

 

冷や水を掛けられた形の神官が不快感を隠さずにそう言う。

だが、早乙女は顔色を変えずに言葉を返す。

 

「いえ、皆さんはこの問題の本質を理解されておりません。問題は、穏健派自体ではなく、楽観論が許される土壌自体にあります。何故、この土壌を変えようとお考えにならないのですか?」

 

「それを今の改革でやっているんじゃないですか?それとも、早乙女さんには別の見解が?」

 

「ええ。そもそも、この大赦に明確に指導者がいないことが問題なのです。改革が進み、組織自体が変わりつつある今、皆を纏め上げられる指導者がいなくてはなりません」

 

指導者。

今の大赦に明確に欠けている存在。

組織の意思決定自体は首脳部が行っているものの、組織の運営機構としての側面が強く、求心力はあまりない。

この言からすると、彼らを指導者として早乙女は認めていないらしい。

 

「今の首脳部では不足だと……?」

 

「なら、他に誰がいるんです?今の首脳部には改革を主導したという実績がある。家柄も格式も高い。勇者を輩出したという点も評価されている」

 

「その通りです。たとえ、突出した人材がいたとしても、これ以上の実績をあげた者がいない以上、誰も納得しません。第一、首脳部がはいそうですかと受け入れるはずがないじゃないですか」

 

早乙女の言葉に神官たちが口々に疑問を述べる。

 

「いや……一人だけいます……」

 

否定的な意見が多い中、春信は、早乙女が誰の事を言わんとしているのか理解した。

 

「誰だ?まさか、自分自身だと言うつもりじゃあるまいな?」

 

冗談めかして春信に神官が言葉を投げかける。

 

「それほど自惚れてはいません。彼……ですね?早乙女さん。赤嶺……頼人様」

 

その言葉に皆が息をのむ。

彼らは頼人の若さから無意識にその選択肢を頭から排除していた。

 

「流石、三好君。その通り。改革についても、頼人様なしには行われなかったですし、これまでも頼人様は多大な実績をあげています。しかも勇者の称号を得ている。指導者として、これ以上の人物はいないでしょう?」

 

「待って早乙女さん!貴女、自分が何を口にしているのか分かってるの!?」

 

安芸が早乙女に食って掛かる。

大赦の指導者。

そんな冗談のような立場に立てば、最早、頼人の日常や自由など存在しなくなる。

それが分かる安芸にとって、この提案は許容できないものであった。

 

「ええ、勿論ですよ安芸さん。誰よりも、この件について理解していますよ」

 

「なら、分かるでしょう!?それがどれほどの重責か!貴女は、私たちに出来ることすら彼に押し付けるつもりなの!?」

 

「安芸さん、重責だなんて今に始まったことではありませんよ。私達は、ずっと少女たちに最も危険な御役目を押し付け続けてきたんじゃないですか?今更、そんな事を言う資格は、私達にはないんですよ」

 

「だからって、押し付けていい理由にならないでしょう!私達に出来ることは私達でやらないと―――!」

 

「安芸さん……いや、この場にいる皆さんにお聞きします。……皆さん、本当に今の首脳部に組織運営を任せておいて良いと思いますか?立場の弱い穏健派一つも抑えておけない連中に」

 

その言葉で、多くの者たちが俯く。

彼らには、以前の首脳部への不信感が根付いていた。

そして、その不信感は今の首脳部へも、部分的に向けられていた。

 

「それでも、改革のために一番最初に動いたのは彼らよ。貴女が文句を言う資格なんて……!」

 

「違いますよ安芸さん。一番最初に動いたのは頼人様です。連中じゃない。それに、皆さん気付いているでしょう?今の首脳部だって、頼人様がいなければ動くことはなかった。無能な判断を下した旧首脳部の連中と大差ありません。家柄主義の考えや古い伝統から抜け出せていない」

 

安芸が早乙女個人に話しかけているのに対して、早乙女はその場にいる全員を意識して話している。

早乙女はこの言い争いを通して、周りの人間を駆り立てようとしているのだった。

 

「それでも、ここまでやってこられたのは彼らの尽力によるものというのも事実よ」

 

「それと、彼らに指導者としての才がないのは別の話です。安芸さんにも分かってるはずでは?」

 

「だけど、彼はまだ小学生なのよ?上が納得するはずない」

 

「納得しますよ。事実上、今の首脳部が、頼人様の意を受けて動いているのはご存じのはずです。反対する理由がないでしょう」

 

「でも若すぎる……!」

 

「若さなんて関係ないでしょう?上里ひなた様だって、学生をやっている歳で大赦の実権を得たのに、頼人様が駄目だというのは道理が合いません。重要なのは、実際に何を為したか、違いますか?」

 

早乙女が淡々と答えていく。

彼女が、ここに来る前からこのような質問を想定していたことは明らかだった。

 

「それで、彼の自由を奪うの?それが許されると…!?」

 

「必要だからです。そもそも、神官が戦争を指揮するというのが、おかしな話なんです。今の首脳部も含めて、根本的に我々は神官に過ぎない。特に、この数百年間で大赦は秩序の維持を最優先とする組織となり、私達もそのように育てられてきました。つまり、私たちは只の管理人です。戦争を指揮する器を誰も持たない」

 

「だから彼に押し付けると?それは只の責任放棄よ…!」

 

「私達に戦争を指揮する器があれば、そうしてます。ですが、私達に統率者としての才はなく、一方で頼人様は多くの名家を動かし、戦いの指揮を執り、統率者としての器を示してきました。そして、ここにいる者は皆、頼人様の意を受けて動いてきました。安芸さんも含めて。……皆さんに問います。大赦の中に、頼人様以上のことができる方がいると思いますか?いるというのなら、その方の名を挙げてください」

 

その場にいた者が皆、沈黙する。

彼等はあくまで神官であり、根本的には神事や組織運営以外のノウハウは、酷く限定的なものしか有していない。

事実、有事にあっても少年のように行動したものはいなかった。

故に、彼等は沈黙するしかなかったのだ。

その様子を早乙女は満足そうに眺め、再び口を開く。

 

「皆さんは、感じたはずです。頼人様の指示を受け動くようになってから、世界が変わっていくのを。固まっていた時間が動き出すのを。そして、他ならぬ私達がそれを為しているのだと、実感していたはずです。皆さんは、今の首脳部の下で働くか、頼人様の下で働くか、どちらのほうが良いですか?」

 

早乙女の言に、多くの神官が動揺する。

神官達の多くは、安芸のように全てを頼人に任せていいものかと考えていたが、必要という言葉に揺らぎ、拙い判断を首脳部がするリスクに恐怖し、全てを少年に任せてしまいたいという欲に歯止めが利かなくなりつつあった。

 

「いい加減にしなさい!彼は都合のいい道具じゃないのよ!」

 

「いい加減にするのは貴女です!今のこの状況、打開できるのは頼人様しかいない!この世界を守りたいのなら、頼人様に上に立って頂く必要がある!この国には開明的な指導者が必要なんです!頼人様が上に立てば、家柄よりも能力が重視される体制を作り上げられるんです!」

 

「そんなことを理由に、私達の義務を子供に押し付けるなんて許されるはずがないでしょう!」

 

「綺麗事を言わないで下さい!これまで勇者様に、散々戦いを押し付けてきたくせに、今更何を!」

 

互いに一定の理がある言葉を口にし、激しく言い争う。

常識的に考えれば、安芸の言のほうが正しい。

いくら言葉を重ねても、赤嶺頼人は十二の子供。

そんな子供に、国の行く末を任せられるはずがない。

しかし、既にそのような子供たちに国を守られているという異常な状況にある今、ただの正論では、魅力的な奇論に打ち勝つのは難しい。

そして、奇論の方が安心出来る結果を齎せると、多くの者が思いつつあった。

 

「双方、落ち着きなさい。周りの意見も聞くべきだ」

 

この中で、最も年長な神官が二人を宥める。

安芸も早乙女も、ひとまず落ち着き、静かな、されど居心地の悪い空間が広がる。

その空気を換えるかのように、止めた神官が口を開く。

 

「……私は……頼人様に立って頂くのがよいと思う」

 

「っ……!」

 

「改革が行われても、大赦の人間が未だに団結しきれていないのは核となる存在がいないからだ。だからこそ、今、大赦には人類を団結させるための旗頭となる人物が必要なのだ。それは、神官にはできない。巫女様にも。勇者様にしかできないことだ。そして、勇者様の中からその一人を選ぶのなら、私は頼人様こそがふさわしいと思う」

 

その言葉で場の空気が変わる。

 

「ですが、宮武さん……!」

 

「―――ただ、実務は可能な限り、我々で担当すべきだろう。流石に頼人様一人に全てを執り行って頂くわけにはいくまい。あくまで、象徴的な存在として立って頂くべきだろう」

 

この神官の言葉でまた、多くの者が少年を祭り上げる考えに傾いた。

特に、赤嶺頼人に全てを任せきるということに罪悪感を感じていた者達には、早乙女の言よりも影響を与えたと言える。

早乙女の方も、特に反対はしなかった。

一先ず、赤嶺頼人を出世させるという点で一致すればそれでよかったからだ。

いずれにしても、この神官の言で一気に頼人を出世させる考えが場に浸透し始めた。

 

「……三好君……あなたの意見は?」

 

そのような空気を感じ取り、安芸は彼らが発言するより早く、春信に意見を求めた。

春信はこの中で一番の出世頭で、周りからも信用されている。

そして、勇者の兄でもある。

故に、春信が反対すれば、この空気は変わる。

安芸は春信が反対する方に賭けたのだ。

春信が夏凜を通して、頼人の日常を知っていたから。

 

「私は――――」

 

だが、春信は迷っていた。

小学生を上に立たせる組織が、果たして健全と言えるのか?

あの少年の自由を奪うことが正しい事なのか?

多くの疑問が、葛藤が春信の頭の中を埋め尽くしていた。

今まで、夏凜から色々な話を聞いて、春信は少年がいかに慕われているか、いかに日常を大切にしていたのかを知っていた。

個人的な心情としては、少年にはこのまま日常を送ってもらいたい。

だが、大赦に旗頭が必要なのも承知していた。

有史以来、強力な国には、必ず有能な指導者となる人物がいた。

そして、有能な指導者をなくした途端、国が亡んだ例もある。

それほど、全体の指揮を執る指導者が果たす役割は大きい。

有事の際は特に、組織の旗頭となる存在は重要だ。

そして今、多くの者が強い指導者を求めている。

確かに、神樹の寿命が尽きかけている現在、大赦が真に纏まるためには、核となる存在が必要だ。

だが、今の大赦には、そんな人材はいない。

大赦の秩序維持を優先した体制は、指導者を必要とせず、故に、そのような人物が育成されることもなかった。

名家制度の弱点だろう。

今の首脳部も己の才幹ではなく、家柄によって、その立場に就いた者達だ。

彼らは組織の運営こそ可能だろうが、周りから支持を得られる、強い指導者となることはできない。

改革を為したのが彼らだとしても、この状況を放置していたのも彼らなのだ。

ここに集まったのは、改革のために尽力してきた者たちだ。

故に、本当の意味で、彼らを信頼できている者は、ここにはいない。

そして、指導者の才を持った者は、今この組織にはおらず、いたとしても周りを納得させられるだけの実績や名声を持った者はいない。

それに、現首脳部とて古いやり方しか知らず、以前よりもましになったとはいえ、人事の判断などでも、一部では未だに家柄や格式が重視されてしまっている。

これでは、真に能力主義的な組織に変えるのに時間がかかりすぎる。

今、この状況を変えられると思われているのは、指導者としての才を示しているのは他ならぬ少年であった。

酷い話だ。

強い指導者が必要だという話になって、十二の子供がその筆頭として挙げられるとは。

これは、少年が異常なのか、大赦が異常なのか。

おそらく両方だろう。

元々、大赦の人間にとって、勇者とは敬うべき伝説的な存在であり、大赦は長い時間をかけて徹底的に勇者を神格化してきた。

それ故に、勇者の名を背負えば、ただの少女であっても、信仰の対象となる。

だが、あの少年は元々、勇者ではなかった。

勇者の名を持たず、なのに、多くの人間を動かしてきた。

天性のものか、少年は間違いなくカリスマ的な人望を持っている。

特別な人間と言われても仕方がないだろう。

その上で、後天的に勇者の称号を手にした。

早乙女のように、彼に心酔する者が生まれるのも仕方がない。

残念ながら、彼の他に、これほど多くの者から信頼を受けている人間はいない。

このことを知らない者達も、彼の実績を示せば納得するしかないだろう。

散々自分達が祭り上げてきた勇者様だ。

権威に盲従してきた連中では逆らえないだろうし、否定することは勇者の神聖性を否定することにつながりかねない。

それに、彼だけは襲来の先を見据えて行動していた。

以前、与えられた仕事を思い出す。

全てを零から任されるのかと思いきや、草案は既に纏められていた。

その草案を纏めたのは他でもない、彼だ。

彼は、彼だけはこの先の未来を見据えている。

この国の未来展望は、春信ですら拓くことはできなかった。

行く先を示し、人々に希望を与えられる人間はそういない。

それができる人間こそ上に立つべきだろう。

万一、彼に統率者としての才がなくとも、彼の名声さえあれば、自分達だけでも国防の体制を盤石にできる。

否定できる材料はあまりない。

だが、この人事の有用性を理解しつつも、迷いは捨てきれない。

妹の友達を、こんな立場に祭り上げて良いのだろうか、と。

これは事実上、子供を英雄という立場に縛り付けるということだ。

彼個人の自由など、最早無視される。

事実上、少年は大赦を守るための機関になる。

多くの者を導き、世界を守る責任を負うという、想像を絶するほどの重責を背負わせることになる。

そんなことが許されるのだろうか……。

 

と、そこで、黙る春信に業を煮やしたのか、早乙女が言葉を発した。

 

「三好君。これは勇者様の為でもあるの。頼人様なら、きっと他の勇者様にも寄り添った判断を下せる。夏凜様だって―――」

 

「早乙女さん……!」

 

安芸が非難するように早乙女の名を呼ぶ。

 

「すみません。要らぬ口を挟みました」

 

早乙女はそうして口をつぐんだが、春信に与えた影響は甚大だった。

その言葉で春信は妹のことに夏凜のことに考えを巡らせてしまった。

今の首脳部のままで、夏凜を守れるだろうか、と。

考えてしまった。

夏凜が生きる未来。

その未来を今のままで守れるのだろうか、と。

こんな、纏まり切れない組織のままで。

前線を知らない人間達が組織運営を行っていて。

春信はそこで思い出した。

初代勇者たちが次々に戦死していったことを。

そして、必死ながらも、戦いの門外漢たる大社が戦争の指揮を執った顛末を。

改革を為したからと言っても、根本的に今の首脳部も、古いやり方しか知らない。

今は、前線を知る少年が裏から口を出し、その言葉を首脳部が尊重しているためうまくいっている。

だが、彼らの匙加減一つで、その状況は揺らぐ。

首脳部が楽観論に染まれば、取り返しのつかないことになる。

体制の揺らぎは勇者の安全に直結する。

守らないといけない。

大切な妹を。

また話せるようになってきた妹を。

あの妹の笑顔を、絶対に守らないといけない。

そのためなら――――

 

「―――私も、頼人様に上に立って頂くべきだと思います」

 

「そんな……!貴方まで、そんなことを!?」

 

安芸が信じられないと言った様子で春信を見る。

それに対して、春信は罪悪感を抱きながらも、淡々と自分の考えを述べていく。

 

「貴女だって分かっているはずです。今のこの状況の悪さ。人間同士で争っている暇はありません」

 

「だからって……だからって、彼を縛り付けていいはずがないわ!」

 

「安芸さんも本当は認めているんでしょう?頼人様に指導者の才があると」

 

「何を……!?」

 

「貴女は、一度も頼人様には無理だと口にしてないじゃないですか」

 

「っ―――!」

 

「確かに、十二の小学生に大赦のトップを任せるなんて、常識的に考えれば、正気の沙汰じゃありません。もし実際に口にしたら、まず、多くの人ができるはずがないと言うでしょう。ですが、安芸さん。貴女はこの提案を止めようとしているのに、この言葉を一度も出さなかった。それは、貴女も、頼人様ならできると思っているからですよね?」

 

「違う。そんなこと―――」

 

「それでは、改めてお聞きします。安芸さん、頼人様にこの大赦を率いる素質はおありだと思いますか?私情を交えず、お答えください」

 

「それ……は………」

 

安芸はその言葉にすぐには返答できなかった。

それが、答えだった。

この瞬間、場の流れは決定づけられた。

春信からすれば、この質問に意味などなかった。

ただ、少しの間、安芸の発言を封じられればそれでよかった。

 

「皆さんもお分かりのはずです。今の頼人様のお立場は酷く危うい。首脳部の信頼があるからこそ、頼人様の意見が大きく反映されていますが、根本的に頼人様には何の権限もありません。一歩間違えれば、頼人様の意見は容易く無視されてしまう。この体制は不健全であり、画竜点睛を欠いていると言えるでしょう。この状況を正すには、頼人様に上に立って頂かねばなりません。」

 

「三好君の言う通りです。私達には頼人様が必要なのです。今、私たちが動かなければ、反抗計画にも影響がでてしまいます。急がなければなりません」

 

春信が一気に畳みかけ、早乙女もまたその言に便乗する。

両者とも、自身の目的の為、とっさに連携することを思い付いたのだった。

そして、春信までもが頼人の推挙に積極的な反応を見せたことで、多くの者が声を上げ始める。

内容は似たり寄ったりで、皆、頼人の推挙に賛成するものだ。

皆、今の状況に不安を覚えていたのだった。

折角、推し進めてきた改革に遅れが生じるのではないか。

再び、貴重な時間が失われてしまうのではないかと。

そして、その解決策として、少年を祭り上げる策が有効だと認識された。

この策には様々な思惑が交じり合っていた。

早乙女のように、赤嶺頼人に大赦の指導者になってもらいたい、全権を委ねたいと考える者達。

年長の神官、宮武のように、実権はさておき、反抗計画の旗頭に、象徴のような存在になってもらおうと考える者達。

他の楽観論者に対する牽制として有効だと考え、消極的ながらも賛成する者達。

だが、春信の考えはやや異質であった。

権力を握ってもらい、国防に関わる部署を全て統括してもらう。

そして、その権力と彼自身の影響力により、当該部署を事実上の治外法権的な地位に置く。

そうなってしまえば、これから楽観論者がいくら増えようとも、心変わりを起こす首脳部がいようとも、反抗計画は揺らがぬものになる。

改革が遅れることもなくなる。

春信は、他の者達の思惑を全て利用し、最も成算の高い方法を取った。

他の神官達も、この世界の為になると、一定の利益をこの人事に見出し、それぞれの思惑を利用し合う形で賛成した。

だが、ただ一人、安芸は頼人への思い入れが強すぎた。

故に、どんな理由があろうとも、頼人を利用するやり方に賛成することはできなかった。

 

「貴方達は………彼の意向を差し置いて、自分達だけで事を進めるつもりですか……。後ろめたく思わないんですか……!?」

 

「これは頼人様の為、ひいては世界の為です。なんとおっしゃっていただいても構いません」

 

早乙女が安芸の批判を真っ向から受け止める。

彼女らは共に、頼人のことを考えていたが、頼人への見方は、どうしようもなく違っていた。

安芸が自分の生徒として、人間として頼人を見ていたのに対し、早乙女は英雄として、理想の人物として頼人を見ていた。

片や日常を望み、片や出世を望む。

互いに頼人のことを想いながらも、その感情が向く先は正反対であった。

 

「……私は……納得できない」

 

安芸は小さく呟くと、おもむろに席を立った。

 

「安芸さん、どこへ行かれるんですか?」

 

「私は貴方達とは別の選択をするわ」

 

安芸は早乙女の疑問に答え、立ち去った。

春信など幾人かがそれに気付くも、声を掛けられるものはいなかった。

既に議題は、頼人をどう出世させるかという話し合いに変わっており、安芸がその場にいる意味などなかった。

 

そして、春信達は少年を祭り上げる為、工作を始めた。

春信が目を付けたのは、穏健派の人間であった。

この件について、最も反対すると思われるのは穏健派の面々であり、仮に、赤嶺や乃木などからこの人事が提出された場合、さらに彼らの溝は広がることとなる。

ならば、穏健派の人間に提案してもらえばいい。

彼らが提案すれば、間を置かずにこの人事は通るだろう。

穏健派を焚きつけるのは簡単だ。

彼らは、赤嶺の専横を快く思っておらず、また自分達の発言力をあげたいと考えている。

そこに付け入る隙がある。

春信はパイプのあった穏健派の中でも、比較的発言力のあった神官に話を持ち掛けた。

 

今の状況を打開したいのならば、少年を出世させるように、上に提言するべきだ。

あの少年が要職に就き結果を出せば、あなた方の手柄。

逆に、何かしらの失敗をすれば、乃木の少年に対する信頼も揺らぎ、赤嶺と乃木との間に楔を打ち込むことができる。

結果として、あなた方の発言力が上がるか、赤嶺の発言力を衰えさせる結果を齎せる。

必要ならば、自分がそのどちらかに傾くように工作する。

結局、いくら勇者などと持て囃されても、あれは只の十二の少年。

必ずやうまくいくだろう……と。

予想通り、簡単に話に乗ってきた。

疑われないよう、情報を与え、見返りに自身も出世させてほしいと告げたこともよかったのだろう。

 

それから、この議題は正式に首脳部で討議されることとなったが、結論が出るまでにはかなりの時間を要した。

この討議が、これほどまでに長期化したのには、安芸の尽力もあったが、何より赤嶺が徹底的にこの件に関して、中立の立場を取ったことが原因としてあった。

それが、無用な争いに巻き込まれたくないためか、息子への最後の親心だったのかは分からないが、しかして、決着は乃木や上里、鷲尾などといった名家に委ねられることとなった。

安芸は根気強く、これ以上少年に負担をかけるべきでない、自分達に出来ることは自分達で行うべきだと主張し続けた。

 

しかし、既に少年は只の小学生として扱われなくなっていた。

両陣営で水面下で工作が行われ続けたが、赤嶺頼人を英雄視する者が多数派であり、次第にこの人事に賛成する者が増えていった。

結局、世界を守れる判断を下せる自信を誰も持ち合わせていなかったのだ。

やがて、有力な名家の多くはこの人事に賛成の立場をとっていったが、それでも上里など一部の名家は答えを出そうとしていなかった。

安芸家は上里家と古くから繋がりがあったため、殊更に安芸の意見を重視したのだろう。

故に、春信達は少年自身の性質を利用した。

動く理由があれば、どのような状況下でも、最善の道を探し、自ら行動するというその性質を。

流石にここまですれば、反対の立場を貫ける名家は少なかった。

上里が落ち、この議論はついに趨勢が決した。

 

穏健派や宮武派等の望み通り、赤嶺頼人の権限は形式的なものに定められた。

そして、早乙女派の人間には、実権は後々に握ってもらえばよいと話を通しておき、動きの速さを重視。

かくして、この状況が生まれた。

 

春信は議論が長期化している隙に、頼人が大赦にいつでも来られる用意はしておいた。

だが、まさかあの少年がこれほど早く決断するとは思っていなかった。

もう少し、日常を感じていたかっただろうに。

この理由が分かったのは、それから少しして、頼人が本格的に大赦で働くようになってからの事だった。

 

働いているところを見て分かった。

彼は人前で隙を見せない。

弱音を吐くなど、人に弱いところを見せない。

自分の周りで働く者の顔と名前は全員覚えている。

周りの者にいつも感謝と称賛を欠かさず物腰柔らかく優しく接し、なおかつ仕事には妥協しない。

涼しい顔をして、仕事もリハビリも休むことすらも計画的に行っている。

ある種の理想を具現化したとも言える存在。

勿論、その有様を不気味がる者もいたが、それよりずっと多くの者は、彼が特別な存在であるとの確信を深め、彼が子供であることも忘れていった。

夏凜を通して、彼の日常を知っていたから分かった。

それが、彼の作った像であると。

皆の望む『赤嶺頼人』を演じているのだと。

『赤嶺頼人』は迷わない。怯えない。動じない。偉ぶらない。

常に泰然自若として神官達に指示を与える。

ほぼ毎日、働き続ける。

いくら休むよう言われても、構わず、淡々と仕事を続ける。

この半年間、彼が職務から離れたのは、神樹館の卒業式の日ぐらいなものだ。

殆ど迷わずに大赦に向かったのも、そういった自身へ向けられる期待が崩れないようにとの思いからだろう。

そのような真似、大人であってもできるものはそういない。

いったい、どれほどの精神力なのだろうか。

だが、これはいい事ばかりでもなかった。

赤嶺頼人は余りにも優秀すぎた。

大赦に来てからも、人材を民間から積極的に登用し、全部署の再編を行い、また職員や神官の綱紀粛正を徹底させ、短期間での組織再編と国防体制の改革を成し遂げた。

そして、穏健派などに対しても、自分がその地位にあり続ける限り、その立場を保障するとしてその勢力を丸ごと自らの味方にし、権力基盤を安定させた。

間違いなく、有能だと評価される存在。

だが、彼はあまりにも強力な指導者として辣腕を振るいすぎてしまった。

彼が大赦に来て半年ほどしか経っていないのにも関わらず、既に部下たちの心には彼への依存心が芽生え始めている。

 

もう少し、もう少しだけでいいから、彼が無能であってくれればよかった。

そうであれば、大赦の体制が整ったところで、彼を日常に戻すことだってできた。

元々、春信が必要としたのは大赦を団結させるための存在。

国防体制の構築に横槍を入れられないようにするための盾の役割を担ってもらう存在だった。

極論、少年には体制が整うまで、大義名分としてその場にいてもらえればよかった。

改革をスムーズに進行するため実権を手にしてもらったが、体制が盤石になってしまえば、彼には象徴になってもらい、実務は他の者で担当してもよかった。

だが、彼は自身の価値をあまりにも素直に示しすぎた。

赤嶺頼人は大赦の人間、とりわけ彼の部下にとって絶対的な存在になりつつある。

いや、一部の者には既にそうなっており、最早、彼以外の人間を上に仰ぐことなど考えられないといった考えを持つ者すら存在している。

これでは、彼を日常に戻すことなど不可能だ。

はっきり言って、赤嶺頼人は異常だ。

その能力も埒外だが、視野が他の者に比べ広すぎる。

防人についての会議で、防人及び勇者のメンタルヘルス問題を取り上げ、有識者による検討会を設置し、旧世紀の軍隊における研究を基に新たに研究を始めさせるなど、他の者より、一歩も二歩も動きが早い。

特にPTSDに関する研究は、神世紀では日常内におけるものが中心であった分、御役目においても起こりうると思いつく者さえ稀だった。

また、神樹が消失した後に予想される食糧問題にすら、農畜産物の生産性を向上させる政策を政府に実施させようとするなど、今の時点から手を打ち始めている。

春信でさえ、国防に視野が囚われ、ここまで多岐にわたる問題を認識しきれていなかった。

大赦のしがらみを無視したその行動は、一部の者達からは批判されたが、それ以上に多くの神官達から支持され、その信望は最早揺るがぬものになっている。

元々、彼を利用するつもりで出世させた者たちですら、彼に呑まれていっている。

今更、彼に学生に戻ってもらおうなどと言っても、周囲は納得しないだろう。

むしろ、彼を失うことを避けたいと考える者の方が大多数だ。

 

これは、まずい。

一個人にここまで依存する体制は、あまりにも危険だ。

万が一、彼を亡くした場合、起こりうる結末は最悪のモノ。

彼に何かあった時、代わりとなる人材がいればいいのだが、生憎そんな人間は見当たらない。

春信自身、自分が上に立っても、ここまではできない、代わりには為れないと理解していた。

能力云々も多少関係するがそれよりも、称号や名声が違いすぎる。

ただの象徴に過ぎない存在であれば、他の勇者にも何とか務まっただろう。

だが、今の彼の代わりには為れない。

そして、今再び、彼は危険を冒そうとしている。

休みを取らないこともそうであるが、彼は自らを軽んじすぎている。

まるで、自らを傷つけないと気が済まないのではないかと思うほどだ。

平時なら美点としても捉えられるだろう。

だが、既に彼は替えのきかない存在となっている。

その有様は危うすぎる。

せめて、彼にとってブレーキとなる存在が必要だ。

だが、今の彼の立場では………。

 

そうして春信は、そういった現状の危うさを想いながら一日の仕事を終え、自室へと戻った。

自室でメールの確認をすると、安芸から勇者に関する報告で直接話したいことがあるとの連絡があった。

日時や場所など確認すると、会えないことはない。

だが、なぜ直接話す必要があるのだろうか。

と、そこで、春信は自分の妹に思考が至った。

もしかしたら、妹に関するデリケートな話題かもしれない。

ならば、必ず行く必要がある。

春信は了承のメールをすぐさま安芸に送った。

こういった面では、春信もまた、単純なのであった。

 

少しして、会う予定の日となり、待ち合わせ場所の喫茶店に入ると、奥の個室に案内された。

名乗ってもいないのに、通されたことを不審に感じながらも個室に入ると、春信の予想した人物はいなかった。

代わりに一人の少女がそこにいた。

煌めくような美しい髪と芸術品のように整った顔立ち。

生きる伝説ともいわれる勇者の一人。

ふと、間延びした声が掛けられる。

 

「あ、きたきた~。はじめまして~。三好……春信さん?」

 

部屋にいたのは、乃木園子だった―――



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皆さま明けましておめでとうございます。
昨年は誠にお世話になりました。
感想、お気に入り登録、評価など、非常に励みになっています!
本当にありがとうございます!
今年も可能な限り、更新していく所存ですので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

亀更新は許して………


ふと、気が付けば、地獄にいた。

紅く焼け爛れた大地。

その様はまるで溶岩。

空は暗く、そこら中に化け物が蠢いている。

まさしく、地獄。

その光景だけなら、知っていた。

けれど、その光景には致命的に欠けているものがあった。

厳密には―――その光景しかなかった。

神樹の姿が致命的に欠けていた。

代わりに、見知った存在が大地に呑まれていた。

守ると誓った大切な人たち。

大切な仲間たち。

愛している少女。

 

彼らが、人の形を崩し、紅い大地に呑まれていく。

だが、俺はなにもできない。

声は出ず、体は動かず、涙さえも出ない。

ただ、彼らが大地に溶けていく様を見ているだけ。

 

不意に、彼等の口が動き始める。

殆ど人の形を保っていないのに、その口が動いていることだけは分かる。

聞こえないはずなのに、聞こえる。

 

貴方を信じてついて来たのに

 

貴方ならやれると思ったのに

 

貴方なら救えたのに

 

声が俺を責め立てる

 

お前が俺達を殺した

 

お前が私達を巻き込んだ

 

皆を地獄へ引きずり込んだのはお前だ

 

そうして、みんなみんな溶けていく。

紅い大地に溶けていく。

やがて、炎が全てを覆いつくして――――

 

 

 

 

 

 

 

「は……ぁ……は……ぁ……」

 

肺が活動を再開し、急激に空気を取り込む。

体中が熱く、湿っていて、酷い吐き気を感じる。

その不快感が、これは現実だと教えてくれた。

体を起こし、枕元に置いてある水差しに手を伸ばす。

コップに水を入れ、口を潤す。

ゆっくりと吐き気が収まっていく。

おかげで、思考にゆとりを持つことができた。

 

ああ……まただ。

また、この夢だ。

 

大赦に来て以来、この妙な夢を見る機会が増えた。

夢は、決まって俺があることを考えた日に見てしまう。

今の自分の仕事を人に任せて、銀や皆に会いに行きたいと考えた時だ。

夢を見ると一時的にその欲は恐怖と責任感でかき消すことができるが、どうしても考えてしまう時がある。

結局、俺は中途半端なんだろう。

分かっていても、止められない。

銀の声が無性に聞きたくなる。

枕元に置いてあった端末を手に取り、銀に電話を掛けようとして……気付く。

まだ、四時だ。

銀が起きてるはずないし、電話して起きたとしても、今の自分の声を聞かせれば心配をかけてしまうだけだ。

深呼吸し、感情を落ち着かせる。

…………もう、大丈夫。

この程度で赤嶺頼人が動じてはいけない。

とはいえ、二度寝するような気分でもない。

少し、本を読もう。

寝台横の手すりを掴みながら、ゆっくりと立ち上がり、部屋の本棚まで移動する。

こういう時は読み慣れた孫子がいい。

 

 

椅子に座り、本を開く。

勝ち易きに勝つ。

まず勝ちて後に戦う。

孫子の中でも、この言には特に影響を受けた。

結局、戦術をいくら研究しようとも、蠍座、天秤座、射手座の三体相手に勝つことはできなかった。

多くの人が、俺があの戦いで勝利したと、救国の英雄になったというが、それは大きな間違いだ。

事実上、俺はあの戦いに勝利できなかった。

あいつらが勝てるように指揮を執ることができなかった。

指揮官としては、間違いなく完全な敗北だった。

それを精霊の力で、自分の負傷で誤魔化しただけだ。

戦術だけでは限界がある。

勝てる状況を戦いの前に整えておく、戦略の方がよほど重要だ。

とはいえ、戦略的な見識についても俺はまだまだだと言わざるを得ない。

瀬戸大橋跡地の合戦、俺は十二分に乗り越えられる準備を整えられたと考えていたが、結果は辛勝。

あいつらにも大きな負担をかけてしまった。

全く……自分の未熟さを感じて仕方がない。

こんなのが英雄と呼ばれるなんて、世も末だろう。

 

それにしても、こうして本を読んでいると、前世の友人から聞いた話を思い出す。

どこかの誰かの受け売りだと言ってた言葉、指導者を志す者は読書を欠かしてはいけない、という文言。

その時は当たり前だと思ったが、今の立場になって考えてみれば、つくづく道理だと感じる。

本を読めば、歴史が知れる。

歴史を紐解けば、人間が起こしうる殆どの失敗は、過去の人々も起こしている。

マーク・トウェイン曰く、歴史は同じようには繰り返さないが韻を踏む、らしい。

要するに、歴史において全く同じ状況が繰り返されるわけではないが、同じ性質の事柄は繰り返されるということだ。

終末戦争時の大社も例に漏れず、見事に過去のリズムを踏んでいる。

情報統制の失敗による、治安の悪化。

第二次大戦時の日本においても、情報統制は失敗したし、もっといえば、ベトナム戦争においてはそれがきっかけで世界各地で反戦運動が起き、最強だったはずのアメリカは敗れた。

誤った判断により生じた勇者の喪失。

これもよくある話だ。

ミッドウェーやインパールもその類型だし、致命的な判断ミスにより壊滅的な被害が生まれるなんてことは日常での交通事故や医療ミスなど民間レベルまで広げるといくらでもある。

そして、巫女による事実上のクーデター。

これは、その後の大改革を見るに乙巳の変、というよりも大化の改新そのものだ。

見事なまでに韻を踏んでいる。

こうして歴史を見つめなおすと、本当に笑えない。

考えてみれば、今だってそうだ。

例えば、江戸時代における黒船の来航。

当時の幕府の混乱は有名だが、真に恐ろしいのは、黒船の来航を幕府はその前年に知っていたという事実だ。

幕府は多少防備を強化したが、他の外国船と同じように打ち払えばよいと、黒船を甘く見ていた。

その結果として、ペリーの強硬な態度に屈する形で、幕府は不平等条約を米国と結ぶこととなり、幕府の崩壊が始まった。

この構図は、大赦と恐ろしい程に重なる。

かつてのデータから、バーテックスが増強されていくという事実を知っていたのに、バーテックスの存在を甘く見、結果として、勇者が全滅しかかるという事態を招いた。

そして、この一件が引き金となり、それまでの体制が崩れる羽目になった。

いやはや……頭が痛くなってきそうだ。

ただ、注意しなければいけないのは、歴史から学ぶというのは言葉にすれば簡単ではあるが、実際できるかと言うと非常に難しいということだ。

この点に関してヘーゲルは、かなり辛辣な言を残している。

曰く、民衆や政府が歴史から何かを学んだことは一度たりともなく、歴史から引き出された教訓から行動したことなど全くない。

理由はというと、それぞれの時代はそれぞれに固有の条件の下に独自の状況を形成する、からでその為、他の時代の教訓は役に立たないという。

確かに、時代ごとに人々の価値観は大きく異なるものだし、それが他国ともなればまるで状況が違うなんてことは多々ある。

また、為政者が歴史を学ばず、失敗したなんて言われてしまうような事例は腐るほどある。

実際、俺の前世であった、西暦の世界の人間と神世紀の人間ですら、価値観や文化などに差がある。

理由は、神樹の存在と、世界が四国で完結しているという点にあろう。

神世紀と西暦は、根本的な常識からして異なってしまっている。

おかげで、西暦の歴史が自分達の今と地続きになっているという、簡単なことすら理解できていない人間が多い。

これは西暦の時代の世界を、根本的に違う世界の話だと考えてしまっていることが原因で、それにより歴史の軽視につながっている面がある。

神という存在のせいで、人間の力を信じられなくなった者も少なくない。

これが、大赦の腐敗に拍車をかけた面は否めない。

まあ、神との戦争だなんて御伽噺染みた状況は、終末戦争以前には考えられなかった。

戦争指導が神職に任されていた状況を鑑みても、何故歴史から学ばなかった、と大社や大赦を非難するのはやや酷かもしれない。

とはいえ、個人的にはヘーゲルの言について、全てが正しいと思うことはできない。

その根拠もまた歴史にある。

武帝は始皇帝を手本にし中国全土を回り、三国志の英雄、曹操は光武帝を手本に人心を掌握した。

そして、徳川家康が貞観政要から多大な影響を受け、治世の手本にしたことも有名だ。

戦後、日本が敗戦の反省を踏まえ大きく成長したのもその一類型だとも考えられる。

そもそも、歴史を研究し、その教訓を纏めたものが孫子であり、戦争論であり、君主論だった。

一度たりともというのは無理があるように思える。

E.H.カーも、「人間は何一つ歴史から学ばないという主張は,誰の目にも明らかな事実によって反駁される」と述べているし。

もっとも、ヘーゲルが哲学者であったことや、この言を発した講義が歴史の中に神を見出す弁神論を目的にしたものであったことを鑑みるに、俺の浅はかな批判は全く的外れなモノなのだろうし、現にこういう議論はかなりされている。

とはいえ、この議論自体は俺にとって重要ではない。

重要なのは、人は歴史から学ぼうと努力することはできるということ、これに尽きると思う。

たとえ、ヘーゲルの言の全てが正しいのだとしても、本を読むなど学ぼうとする姿勢を崩さない限り、自分の行いが絶対に正しいという傲慢に陥ることはないし、致命的な判断ミスをするリスクも減らせる。

それとは別に、それぞれの時代はそれぞれに固有の条件の下に独自の状況を形成する、という点については全面的に同意できる。

この点は、孫子や君主論など、昔の書物を読むにあたっては特に重要だと感じる。

君主論は当時の西洋情勢を踏まえたものであり、道徳的観念や求められる君主像など、日本をはじめとした東洋的思想のそれとは大きく異なっている。

また、神との戦争において、孫子や戦争論の論理の全てが適応されるかと言うと否だと言わざるを得ない。

だが、本質的な面で、それらの書物の有用性は微塵も揺らいでいない。

彼を知り己を知れば百戦殆からず。

罠を見ぬくには狐でなくてはならず、狼を追い散らすには、ライオンでなければならない。

指揮官は困難な戦況や惨状に自分自身が堪え、さらに部下にも堪えさせねばならない。

これ等の考え方を己の血肉とし、あくまで判断基準の一つとする。

さすれば、書物の古さなど問題ではなくなる。

守破離にも通ずる考え方だ。

勿論、これだけ常識が通じない戦争である以上、単一の書物に囚われるのは危険なので、可能な限り多くの考え方を学ぶことは重要だ。

呉子をはじめとした孫子以外の武経七書を読んだり、君主論や戦争論を学ぶのもその一環だ。

十八史略を入り口に史記や漢書にも目を通したし、過去の為政者の伝記や手記や、ミルやウェーバーなどの政治学に関する書物も可能な限り読むようにしている。

挑む相手は神。

どれだけ学んでも学び足りない。

むしろ、学べば学ぶほど不安になる。

人間同士の戦争ですら、勝利までの道のりは途轍もなく複雑で信じられないほど困難なものであるのに、神に勝利するなんてことが可能なのかと考えてしまう。

歴史上の偉人たちは、この四国の何倍も大きな国を統治し、多くの戦いや困難を乗り越えていった。

西暦には、神樹の恵みなど存在せず、また思想や宗教の統一がされていないことが多い。

外交問題、食糧問題や、エネルギー問題など、今の四国には存在しない問題も多く抱えていた。

それでも、彼等は多くの人々を救い、不可能を可能にしていった。

俺は、必要と感じることを無理矢理推し進めているだけで、国政には直接関与していない。

ただ、大赦の内部組織の頭を務めているだけ。

執務の殆どを周りの人間に頼る形で。

それだけで、こんなにも苦労している。

こんな俺が、うまくやれるのだろうか……。

俺が間違えていれば、文字通り世界が滅びる。

人間という種族が、いや神以外の全てが燃え尽きる。

こんな仕事、誰もやりたがらない訳だ。

特に、神を絶対視する大赦の神官のそれは俺以上だろう。

俺も結末を考えただけで、吐き気がしてくるほどだ。

俺があと五年程、年をとっていたら、もう少し楽をできただろうに……。

こうも若すぎると、神官の方たちは皆、年上になってしまうから、人との接し方や指示の出し方など一挙手一投足に気を使わないといけない。

心理学の本に加え、カーネギーの自己啓発本にまで手を出すことになるとは正直思っていなかった。

まあ、読んだことのない類の本で、意外と為にはなったけど。

こうして考えて見ると、自分を作っている辺り、俺は指導者としては二流なのだろう。

勇者という権威がなければ、こうはならなかった。

本当なら、勇者への信仰や個人崇拝なんてものは壊してしまいたかった。

否定してしまいたかった。

だが、それを利用している以上、自分で否定することはできない。

こんな中途半端な指導者がいるだろうか……?

たまに、真に指導者としての才を持つのは園子ではないかと思う。

戦いの時、誰よりも俺の指示の意図を理解してくれるし、地頭は俺より間違いなく良い。

いざという時の爆発力もあるし、園子自身は気付いていないが人を惹き付けるカリスマ性も持ち合わせている。

俺のような前世の知識と経験で天才を装っているのとは違う、本物の天才だ。

自分達がもう少し年を取っていたなら、園子がトップで自分がその補佐をすれば、かなり楽をできたろう。

まあ、できればこんなきな臭い世界に園子には足を踏み入れてほしくはないから、これでよかったとも思う。

約束を破った形になったのは申し訳ないけど、園子やあいつらにはこれ以上、苦労を掛けたくない。

あいつらは俺とは違って、人生で経験していないことが多い。

貴重な学生生活を送る時間を失ってほしくない。

直接バーテックスと戦えない俺が、こういうところを担当すべきなのは、最初から分かっていたこと。

やると決めた以上、自分を信じるしかない。

俺がもっと頑張ればいいだけの話。

そもそも防人となる子たちの自由を奪い、戦いを強要している身だ。

そんな俺が、安穏と学生生活を送るわけにはいかないのも事実。

結局、俺がやってるのは事実上の徴兵。

しかも、年端もいかない少女たちを対象にした。

西暦なら、世界中から非難されるような所業だ。

ここまでしておいて、もし彼女達を死なせでもしたら………。

ほんの少し、脳裏をよぎるだけで酷く気分が悪くなる。

 

 

 

「おはようございます頼人様。……また、眠れなかったのですか?」

 

と、そこで早乙女さんたちがやってきた。

もうそんな時間か……。

 

「おはようございます。いえ、ちょっと早く目が覚めただけですよ。今日は大切な日ですから」

 

そう、今日は大切な日だ。

とても、大切な日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慰霊碑に花を添え、手を合わせる。

ここは大赦が管理している、とある慰霊碑。

英霊之碑。

過去の、勇者、巫女、鏑矢などの御役目に就いていた方たちの碑だ。

俺の先祖や園子や銀の先祖、須美や弥勒さんの先祖の名もここにある。

最前列には、初代勇者の方達の碑がある。

そして、今日、その列の無記名だった碑に新たに名が刻まれた。

 

郡千景。

 

ようやく、彼女を再び勇者に認めることを、上に納得させることができた。

国防の実権を手にして以来、根気強く説得し続けた甲斐があった。

慰霊碑を見て思う。

三百年……。

余りにも、長い時間だ……。

………果たして、郡さんはこのことを喜ぶのだろうか?

いや、今更過ぎると、怒るだろう……。

それほどに、惨い仕打ちだった。

戦いに殉じた者から、その名誉を奪うことは許されない所業だ。

だが、たとえ憎まれようと、罵られようとも、この礼儀だけは絶対に怠ることはできない。

こうでもしないと、本当の意味で大赦は変わったのだと、胸を張ることはできない。

自己満足だと言われても、立場を悪くすると言われようとも、この責務にだけは逃げてはならない。

なにせ、多くの少女を戦いに駆り立てている身だ。

彼女達の一人たりとも、絶対に死なせないと、ここに眠る方々に誓うくらいのことをしなければ今までと何も変わらない。

この偉大なる先人達の努力がなければ、今の世界はないのだから………。

この世界の礎を築いたのは、守ってきたのは、まさしく彼女達だ。

彼女達の献身により、この世界の安寧が保たれてきた。

彼女達を犠牲にして、この世界は生き永らえてきた。

どれほど辛かっただろう……。

どれほど痛かっただろう……。

どれほどの……絶望だったのだろう……。

俺には想像することしかできない……だが、ほんの少しなら分かる。

きっと、ここに名前を刻まれていない多くの人達がいたのだろう。

名を残せずとも、悩み、苦しみながら、それでも戦い続けていたのだろう。

 

……もう、神の時代は終わりにしなければならない。

彼女達の想いに報いる道を選択しなければならない。

彼女達の想いはまだ、この世界に生き続けているのだから……。

その為にも、もっと頑張らないと………。

今、この世界を生きる人たちの為にも。

彼女らの悲願に報いるためにも。

俺がやらなきゃいけない―――俺が――――

 

 

 

 

 

 

 

 

『やぁ独裁者様。自己陶酔の時間は終わったのかい?』

 

「真鍋さん……開口一番、何言ってくれてるんですか……?」

 

迎えの車の中、真鍋さんに用があって電話したら、いきなり皮肉が飛んできた。

しかも、割と心に刺さる奴。

 

『正直な感想だよ。今日、だったんだろ?まったく、こんなことに私の貴重な情報を使いやがって……』

 

真鍋さんが疲れた様子で言う。

 

「こんなことって…………。あの……真鍋さん、自分に忠誠を、とか言ってませんでしたっけ?忠誠心を微塵も感じられないんですが……」

 

そう、結局俺はあの後、真鍋さんと取引をした。

犬吠埼姉妹が勇者になることが殆ど確定してしまった以上、取引を受けないという選択肢はなかったからだ。

まあ、真鍋さんが了承するとは思っていなかったから、少し驚いたけど。

 

『へぇ。君、人に忠誠心求めるんだ。酷い人だね』

 

「別に求めてはいませんが……先に言ったの、真鍋さんですよね?」

 

『そうだよ。だから協力してるじゃん』

 

「じゃあ、もう少しだけでいいのでオブラートに……」

 

厳しい意見をくれるのはありがたいのだが、流石に攻撃力が高すぎる。

もうちょっとでいいから穏便に話してほしい。

 

『ふん。自己満足のために、貴重な情報を使うような人にそんなことをしてやるわけないだろ』

 

「すみません……。確かに自己満足にすぎないかもしれませんが、それでも、これは絶対必要なことなんです」

 

『はぁ……。君は何言ってるんだい?君が見るべきは未来だ。過去じゃない。過去の為に、未来の駒を消費するなんて、馬鹿げてるとしか言えないじゃないか』

 

「おっしゃることは分かりますが、これくらいしないと申し訳が立ちませんから。それに、丸っきり無駄という訳でもありませんよ?」

 

『上里と花本の事を言ってるのかい?確かに、多少は両家の心証がよくなったかもしれないけど、それよりもマイナスな面が大きいと思えるけどね』

 

「たとえそうでもいいんですよ。とりあえず、この件は置いといて本題に入りましょう。旧反対派の隠しルート、洗い出しは終わりましたか?」

 

『八、九割方はね。全く、人の仕事を増やしてくれちゃって』

 

「すみません。この件に一番精通してるのは真鍋さんですから、秋隆には別の件を頼んでますし」

 

『やれやれ……。とりあえず、隠しルートが使われた形跡はないね。最も、まだ見つかってないのもあるから、そっちで動かれてたらわからんね。まぁ、監視はしてるし、そんなことする度胸もないでしょ。まあ、君を嫉む人間はごまんといるが、そう、神経質になる必要はないと思うよ?』

 

「今は大事な時期ですから。少しでも不確定要素は潰しときたいんですよ」

 

『その大事な時期にこんなことしたのは誰だい、まったく……』

 

「ふふ、でも結局は協力してくれましたよね?感謝してます。いつも、違う側面からの正論を言ってくれますし、仕事も速くてすごく助かってます」

 

『……君、変わったね。前の方が幾分ましだ。そういう所、本当に気にいらない』

 

真鍋さんが苦々しい、本当に嫌そうな口調でそう言う。

骨の髄まで嫌われてるなぁ……。

でも、彼女に助けられているのは事実だ。

一時は、彼女のことを嫌に思ったりもしたけれど、なんだかんだで彼女は、よくやってくれている。

 

「……子供でいる訳にはいきませんから。それより……犬吠埼さんの様子、聞いてもいいですか?」

 

『………精神的には安定してるよ。使用人も断って、姉妹だけでちゃんと生活できてる。ただ、君は少し恨まれてるみたいだけどね』

 

「……当然ですね。あんなこと言っておいて、結局勇者になることが決まってしまいましたから……しかも、妹さんまで巻き込んで……恨まない方がおかしいですよ」

 

『ああ、そうかい。…………そういえば、今、大橋のあの場所にいるんだけど、いつもより花が一つ多いね。……君か?』

 

「……………真鍋さんも…行ってたんですね」

 

『……なんだ、さっき人に過去を振り返るなと言ってたばかりだとでも言いたいのかい?』

 

「いえ、ただ……先ほどの問いを思い出して。改めて、ちゃんと答えさせてもらいませんか?」

 

『さっきのって……』

 

「……今日あの場所に行ったのも、郡さんの件も……ただ、忘れたくなかっただけなんです。ただ、それだけなんです」

 

『……………』

 

「理解してほしいとは言いません。結局、自分の我儘ですから」

 

『……………やっぱり、君は嫌いだ』

 

真鍋さんは小さくそう言うと、しばらくだまって、やがて大きなため息を吐いた。

 

『……嘘だ』

 

「……え?」

 

『さっきの恨まれてるってのは嘘だ。安芸さんがよくあの子たちの面倒を見ているらしくて、ついでに君の弁護をしてるそうだよ。あの人に感謝しとくんだね』

 

「安芸先生が………」

 

自分が恨まれてしまうかもしれないのに……安芸先生は優しすぎる。

俺のことなど放っておいてくれていいのに……。

 

『前々から言おうと思ってたけどね、何もかもを自分で背負ってる風な態度、気持ち悪いから止めてくれ。一々、腹立つんだよ』

 

「そんなつもりはなかったんですけどね。分かりました、気をつけます」

 

『そうやって、肯定するとこも嫌いだ。………この際だから言っておくよ。君の苦労人を気取ってるとこも嫌いだし、自分一人で世界をどうにかできると考えてるとこも嫌いだ。家の力でのし上がったのも嫌いだし、今日みたく善人を気取っているのも嫌いだ。ああ、私は君の何もかもが嫌いだ』

 

「真鍋さん……」

 

『それを分かってて、私に頼るんだから………。ったく、ここまで危なっかしくと手を出したくなってしまうだろ……しょうがないから、もう少し使われてやる。精々愛想を尽かされないように励むんだね』

 

「ええ、頑張ります」

 

『頑張らなくていいからボーナスを増やしてくれ。頼んだよ勇者様』

 

その言葉を最後に、電話はぷつりと切れた。

勇者様……か。

変わったものだな……俺も彼女も…………。

 

 

 

 

 

 

 

頼人が大赦に戻ると、春信から様々な報告を受けた。

早乙女は現在、別件で席を外していた。

 

「現状、防人の訓練は予定通りに進行しています。特に、楠芽吹の実力が突出しており、彼女が周りにも影響を与えているようですね」

 

「流石ですね……。それで彼女らの精神状態などは如何ですか?何か問題などはありませんか?」

 

「精神的には全体的に安定していますね。多少のトラブルはあるようですが許容範囲内とのことです」

 

「そうですか。近いうちに視察したいですね。移転先の施設も見ておきたいですし、予定を早められませんか?」

 

「今からでも、六月中旬になってしまいますがよろしいでしょうか?」

 

「ええ。それでお願いします」

 

「かしこまりました。それと、少々お耳に入れておきたいことが」

 

不意に春信が頼人にいつもと違う様子で話しかけた。

 

「なんでしょう?」

 

「東郷美森様が、来週末より巫女の訓練をこちらにて始められるとのことです」

 

「須美が……?」

 

頼人は口に出して気付く。

彼女はもう鷲尾須美という名ではない。

彼女が東郷家に戻ってから既に、二ヶ月も経ってる。

頼人はそのことに、ほんの少しの切なさを感じた。

 

「はい、本人の強い希望があったとのことで、休日は可能な限りこちらに来られたいと」

 

「そう……ですか……」

 

「どうなさいますか?」

 

「……自分が口を出すことではありません。どのみち、いつかは訓練をしてもらう必要がありましたし。それより、エネルギー問題に関する報告を聞かせてもらえませんか?」

 

「かしこまりました。先日の専門家会議で―――」

 

報告を受けながらも、頼人の頭の中は須美が大赦に来るという事実が大きく占めていた。

何故、どうしてこのタイミングで、と考えるも答えは出ない。

先日通話した時もそんな話題はまるで出なかった。

と、そこで頼人は、自分がこの話題一つで随分、動揺していることに気付いた。

少しの期待と不安が心の中でせめぎ合ってる。

まったく、こんな体たらくでは……。

こんなことに心を動かされるなんて、許されるはずもないのに。

頼人は自嘲気味にそう思った。

 

「―――ですので、火力発電には頼れません。水力、風力、太陽光発電のみでは全国の電力は賄いきれないため、備蓄燃料が尽きるまでに、如何に化石燃料を確保できるかが課題になります。こちらが詳細の資料になります」

 

「予想はしていましたが、なかなか厳しいですね……。結局、外界頼りになりそうですね」

 

「はい。ですが、頼人様の予測通りならば問題はないかと」

 

「そう願います。もっとも、それもすべて反抗計画がうまくいけばの話になりますし」

 

「……国造り……うまくいくと良いのですが」

 

「どうでしょうかね。どのみち、儀式の実施は早くて来年でしょうし、その前に敵の戦力も叩いておく必要がありますから。天の神の出方も考えると課題はいっぱいです。もっとも、目的さえ果たせれば、儀式の成否はあまり重要ではありませんが」

 

「ですが、手段と目的を逆に考えている者はそれなり以上に居ます。よろしいのですか?」

 

「今はまだいいです。春信さんが分かってくれていればそれで」

 

「……買い被るのはおやめください」

 

この部屋には今、春信と頼人しかいないとはいえ、少々危険な発言だ。

春信は否定するしかない。

 

「そんなことありません。自分にもしものことがあれば後のことは春信さんにお任せするつもりなんですから。春信さんにもそのつもりでいてもらわないと」

 

頼人は、自分の後任がいるとしたら、春信以外にいないと感じていた。

事務処理能力や他部署との折衝など、組織運営の能力に関して、頼人は春信に遠く及ばないことを分かっており、事実、頼人が強権を振るえているのも春信の手腕によるものが大であった。

そして、春信には人を纏め上げる資質もあり、なおかつ、今の状況も正確に理解できている。

統率者として必要な才能を充分に満たしている。

頼人は、春信の才能は自分以上にあるだろうと考えていた。

というのも、頼人は、自分のこの立場を得られたのは家の力や勇者の称号のおかげだと考えており、この体制下であれば、自分以上に仕事をできる人間は多いだろうと考えていたのだ。

 

「……頼人様、あまり軽々しく仰らないでください。私などでは……」

 

とはいえ、春信からすればたまったものではない。

他の幹部職なら自身にも務まるだろうという自負はあったものの、頼人のポストを継げる自信はなかった。

これは、頼人のポストが大赦内で最も特殊なモノであることが原因であった。

事実上、頼人が長を務める鎮守府と呼ばれる大赦の内部組織は、大赦の首脳部の意向すら無視しうる、いわば、『国家内部における国家』のような組織となっている。

そのような体制が許される背景には、赤嶺家の後ろ盾や、勇者の称号の持つ絶対的な権威、頼人の異常なまでの人心掌握能力の高さなどがあり、春信からすれば、この役職は頼人にしかできないとしか思えなかった。

だが、頼人の考えは違った。

現在は非常時であるため、自身に何かあったとしてもその役職は誰かにすぐに引き継がれるだろうと、この体制が簡単には崩れないと確信しており、自身が手を打っておけば、万一の時も円滑に職務が引き継がれるだろうと考えていた。

 

「春信さんだから言うんですよ。この状況をどうにかするまでは死ぬつもりはありませんが、何かあっても大丈夫なように備えておかなければならないのですか―――」

 

その言葉を言い終わる前に、頼人は苦し気な咳をした。

春信が、すぐさま頼人の背中をさすり、咳が収まったところで水をゆっくりと飲ませる。

 

「すみません、だいぶ楽になりました」

 

「お気になさらないでください。すぐに人を―――」

 

頼人が落ち着いたのを確認し、春信が他の者を呼ぼうとすると、不意に腕を掴まれた。

 

「大丈夫です。人を呼ぶほどのことじゃありません」

 

「しかし………」

 

春信は無理にでも人を呼ぶべきではないかと迷った。

頼人はここ最近、体調を崩すことが増えてきている。

それは、大赦の御役目という激務に加え、戦衣を身に纏っての訓練を開始したためであった。

だが、周囲に疲弊した様子を見せることは殆どなかった。

頼人が、自分が弱っている様子を見せれば、周囲を動揺させてしまうと考えているからだ。

春信もそのことを分かってはいたのだが、それでも、一度休ませるべきではないかと考えたのだった。

 

「頼人様……一度休まれたほうがよろしいのではないでしょうか。今のスケジュールは過密にもほどがあります」

 

春信からすれば、よくこれほど持っているものだという認識であった。

精霊を宿し、ボロボロになった体を十分に癒やしきることもできず、今なお、殆ど休まず激務に身を晒し続けている。

体調が悪かろうが、発熱しようが、頼人はほとんど休まず仕事を続ける。

その過酷さを、傍に居続けた春信は誰よりも理解していた。

 

「そういう訳にもいきません。今、無駄にできる時間なんてないんですから」

 

だが、春信の心配の言葉にも、頼人は首を縦にはふらない。

承諾すれば、友人に会うことだって可能であるのにも関わらず。

 

「ですが、その前に頼人様が倒れられては元も子もありません」

 

「……鞠躬尽力(きっきゅうじんりょく)し、死して後に已む。成敗利鈍(せいばいりどん)に至りては、臣の明の能く(あらかじめ)()するに非ざるなり」

 

「……出師の表……ですか」

 

「ええ、この先、成功するか失敗するか分からない。だからこそ、死力を尽くす。自分もその精神に倣いたいと思います。課題は多く、時間もないのですから、自分だけが休んでいるわけにもいきません。……大丈夫ですよ、自分は若いので多少無理しても問題ありません。あと数年程度は問題なくもちます」

 

「ならば………ならば、せめて壁外調査への参加はお見送りください。これ以上、ご無理をなされば………」

 

「それもできません。自分が前線に出ねば彼女達に要らぬ疑念を抱かせてしまいますし、そもそも防人は皆、実戦経験がありません。いくら勇者の護衛があるとしても、彼女達の統制が取れなくなる危険性は否定しきれません。その危険性を減らすためにも、彼女たちの信頼を勝ち得るためにも、何があろうとも彼女達と共に戦う必要があるんです」

 

「頼人様……」

 

「どのみち、戦衣に慣れておかないと次の襲来の時が危ないんですから。見方を変えれば、自分の為です。どうか、この我儘を聞いて頂けませんか?」

 

結局、頼人は変わらずに仕事を続けた。

それが、周囲にどのような影響を与えるかも知らず。

 

 

 

その日の夕方、春信は頃合いを見計らって早乙女の下を訪れた。

 

「早乙女さん、お話が……」

 

「ああ、三好君………。頼人様のこと?」

 

「はい、今の頼人様がオーバーワーク状態にあるのことは間違いありません。体調の悪さを隠していらっしゃいますが、これ以上は危険です。早乙女さんの方で一度、無理にでも休んでいただくように手配はできませんか?」

 

「無理ね………頼人様は絶対に首を縦には振らない」

 

「………既にお諫めされていたんですね」

 

「ええ。何度もお止めしたわ、何度も。けれど、時間がない今、休むわけにはいかないと………」

 

春信は小さく嘆息した。

確かに、頼人の言葉には一理ある。

今この瞬間にも、神樹の寿命は刻一刻と迫っているのだ。

そのような危機的状況であるのに、自分だけ休んでいていいはずがないという理屈は分かる。

だが、このまま仕事を続けていれば、その前に頼人の体が持たない。

 

「医者はなんと?今しがた検診していたんですよね」

 

「既に過労になりかけているそうよ。………できることなら、しばらくの間、休養を取るべきって。……けど、頼人様は休む気はないとおっしゃってるわ」

 

「やはり………」

 

このままではまずい。

春信は焦燥感にかられた。

きっと、今のままでも彼は仕事をこなして見せるだろう。

先ほどのような体調が悪そうな様子も二人の前でしか見せておらず、今も、ほとんどの仕事を恐ろしい程に卒なくこなしている。

周囲への接し方も微塵も変わっていない。

言い換えれば、彼の負担は変わらない。

今しばらくは問題ないだろう。

だが、結界外の探査が始まれば、彼の負担は激増する。

その負担に、彼は耐えられるだろうか?

彼の肉体は怪我から治りきっておらず、体力も回復しきってはいない。

普段の激務と合わされば、彼の身体が駄目になってしまうかもしれない。

それでも、彼は仕事を行い続けるだろう。

なにせ、四肢を砕きながらも、バーテックスと戦い続けたような人間だ。

今の異常なまでの仕事への執着からも、下手をすれば、血を吐きながらでも働こうとしかねない。

だが、こんなところで彼を失うわけにはいかない。

第一、彼に何かあれば、他の勇者たちが黙ってはいまい。

二ヶ月前のことを思い出す。

あの奇襲にはしてやられた。

交渉事には慣れていたはずだったが、十二の少女にここまで振り回されることになるとは思っても見なかった。

子供の意地も、実力が伴えば、非常に危険なものになるという証左だろう。

おかげで、東郷美森を彼に接触させる手伝いをする羽目になった。

やはり、乃木園子の狙いが、彼を自分達の傍に置くことにあるのは明白だ。

この状況に彼をおいたことを、乃木園子をはじめとした勇者達は快く思っていない。

夏凜にも、チクチクとその件で攻められる。

これで、彼が倒れでもしたら………。

考えるだに恐ろしい。

と、そこで春信は、二か月前と状況がやや変わっていることに気付いた。

状況が変わっている以上、乃木園子に協力することは悪手ではない。

優先順位を考えたらむしろ好手ではないか?

ならば………。

 

「早乙女さん、聞いていただきたいことがあります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

香川県讃州市にある、とある中学校の家庭科準備室。

そこに、乃木園子を筆頭とした四人の勇者が集まっていた。

 

「―――わかりました~。また連絡しますね~」

 

園子が端末を操作し、通話を切る。

 

「どうしたの、そのっち?嬉しそうだけど……朗報?」

 

「そうだよ~。にぼっしーのお兄さんが協力してくれるんだって~」

 

「そう……!これで……!」

 

「ああ、一歩前進だな!」

 

「それにしても、なんというか、あれね………身内が迷惑かけてるわね……」

 

「夏凜は悪くないだろ?気にすんなって」

 

「けどそのっち、あの人がこっちに協力するってことは頼人君は………」

 

「……うん、すごく無理してるみたい。だからね、わっしー。ライ君をお願い」

 

「……ええ、そのために準備してきたんだもの」

 

「気を付けてね。安芸先生でもライ君に会えないくらいだもん。私達の狙いがバレちゃったら、きっと邪魔されちゃうから」

 

「任せてそのっち。もしもの時は……実力を行使するから」

 

「あんたまで暴走してどーすんのよ。」

 

「おいおい、頼人を誘拐する気じゃないだろうな……」

 

「大丈夫よ。ばれないようにするから」

 

「東郷……ばれないように立ち回るってことよね……?ばれないように暴れるってことじゃないわよね……?」

 

「あの……美森さん……?わたくしめもちょっと不安になって来たんですが、大丈夫ですよね……?」

 

夏凜と銀が心配して声を掛ける。

二人が声を掛けたのは、かつて鷲尾須美と呼ばれた少女。

彼女は中学に入る際に生家に戻っており、東郷美森に名を戻している。

美森自身は以前と同じ、須美という呼び方でよいと言ったのだが、流石に学校ではややこしい為、それぞれ名字や名前で呼んでいる。

それでもタマに、須美と呼んでしまうらしいが。

なお、園子は相も変わらずわっしー呼びだ。

こういう時、あだ名って便利。

 

「二人とも心配しないで。大船に乗ったつもりでいなさい。そう、例えるなら戦艦長門に乗った気分で!」

 

「また長門か……」

 

「長門は凄いのよ!憎き米帝の水爆を二度も受けて、それでもなお、三日も沈まずに持ちこたえたんだから……!」

 

「あーうん、分かった、分かったから」

 

「園子、これ大丈夫なの?もう暴走してる気がするけど………」

 

「大丈夫、大丈夫~。きっと、久しぶりにライ君に会えるって思って少し興奮してるだけだよ~」

 

「少し………これが……?」

 

夏凜が目を向けると、美森が銀に絡んで、旧世紀の知識を吹き込もうとしている。

 

「いい機会だから、長門の戦歴についてじっくり語ってあげるわ!」

 

「もういいから!もう十分聞いたからー!」

 

「何言ってるの?いつぞやの合宿の分だけではまるで語り足りないわ。長門の凄さ、もっと教えてあげる」

 

夏凜がこれで少しかと園子に目で訴える。

 

「……うん!いつも通りだから大丈夫だよ~!」

 

「こっちの目を見て言いなさいよ!ったく、先行きが不安だわ……」

 

彼女達がそうこう話していると、不意に部室の扉が開き、二人の少女が部屋に入ってくる。

 

「結城友奈、もどりましたー!」

 

「たっだいまー。いやー、やっぱバレーとか運動系の手伝いは腰に来るわねー」

 

「ゆーゆ、ふーみん先輩。おかえりなさ~い」

 

「おかえりなさい。友奈ちゃん、風先輩。今、お茶とぼた餅を用意しますね」

 

銀に絡んでいた美森が、一瞬で二人の出迎えに移る。

「変わり身はええな……」と銀は言ったが、どうやら美森には届かなかったらしい。

部屋に入ってきた二人は結城友奈と犬吠埼風。

先日、勇者に選ばれた少女達だ。

 

「わーい!東郷さんのぼた餅!」

 

「ありがと東郷。ほんと、よくできた後輩ねー。誰かさんも見習ってほしいものだわ」

 

二人が早速、ぼた餅に舌鼓を打つ。

 

「何よ風。この完璧な後輩のどこに不満があるっての?」

 

「べっつにー。ただ、ほんとに完璧な後輩は、先輩には敬語を使うってもんよねー」

 

「そうね、尊敬できる先輩には敬語を使うべきよね」

 

「ほう、つまり私は尊敬には値しないと?」

 

「それ以外の言葉に聞こえたかしら、犬先輩」

 

その言葉をきっかけに、風と夏凜がじゃれ合い始める。

最早、日常の風景の一つだ。

園子は二人のじゃれ合いを見て、目を輝かしながら何かメモを取っている。

「うひょ~いいよいいよ~!」とか言って、最早別の世界へ行ってしまっている。

あの三人にはしばらく近づかないようにしようと銀は決めた。

 

「ところで、銀ちゃん、東郷さん。さっき、何の話してたの?部室の外まで聞こえてたよ」

 

「よく聞いてくれたわ友奈ちゃん。我が国の誇る戦艦長門について話していたの。友奈ちゃんにも教えてあげるわ」

 

「ちょ、ちょっと難しそうだね……」

 

「友奈にまで変な事吹き込むのはヤメロ」

 

銀が美森に軽くチョップする。

 

「変なことじゃないのに……」

 

美森が口をとがらせ、いじけるように言う。

 

「そういや友奈。安芸先生はどーしたんだ?一緒じゃなかったのか?」

 

「安芸先生は、何かの打ち合わせがあるとか言ってたよ?遅くなるかもしれないから、先に解散してていいって」

 

「そっか、それじゃ、かめやにでも行かないか?アタシ、結構お腹すいちゃってさー」

 

「そうね。今日は他にすることもないし」

 

「さんせー!そうだ、樹ちゃんも時間あったら呼ぶのはどうかな?」

 

「おお、ありだな!そうと決まれば……って三人とも何やってんだ?」

 

銀が三人に目をやると、風と夏凜が園子を部屋の隅に追い詰めている。

 

「は、はわわ~。にぼっしー、ふーみん先輩。お願いだから、この子は取らないで~!一生懸命育てたんよ~!」

 

「何が育てたよ!私達をネタにした怪しげなメモじゃない!」

 

「ふふふ、安心しなさい園子。そのメモは私達が責任もって育ててあげるから。そう……地獄の業火の中で」

 

夏凜と風が、じりじりと園子との距離を詰める。

狙いは園子のメモらしい。

 

「あわわわわ。ミ、ミノさん、わっしー助けて~!」

 

「すまんが園子、年貢の納め時だ。おとなしくお縄につけ」

 

「そのっち、たまには大人しくメモを差し出すべきよ」

 

「み、見捨てられた~!?」

 

騒がしい声が部室に響きわたる。

楽しい日常の光景。

ここは讃州中学勇者部。

世界を守る勇者たちが、日常を謳歌する場所だ。




鎮守府

頼人が長を務める大赦の内部組織。
国防に関わる全ての部署がこの鎮守府という括りにまとめられている。
名前の由来は日本海軍のあれ………ではなく防人同様古代日本からで、陸奥国に置かれた軍政を司る役所の鎮守府から。
鎮守という言葉には元来、その土地を鎮護する神、もしくはその神を祀る社という意味がある。
すなわち、土地神の集合体たる神樹とも、言い換えれば大赦の信仰とも縁のある名称であり、軍政を司るという性格とも合致したためこの名がつけられた。
とはいえ、名前のイメージ的には海軍のあれなので、美森はこの名前に大層興奮したとかしなかったとか。
なお、ここの長を務める頼人には、新たな御役目の名が用意されていたが、本人が嫌がったため役職名で呼ばれることがほぼなく、それ故、頼人は大赦内でも名前で呼ばれている。
また、外部から大量の人材を登用した結果、最早大赦ではないと頼人を嫌う人間から揶揄されるほど組織性格が変質しているが、組織の目的はこの上なく大赦元来の目的に即したものであるため、ある種、大赦の中でも、最も大社らしい組織と言えるかもしれない。
ちなみに、民間上がりの人間が多く所属しているため、大赦本庁で仕事をするには摩擦が大きく、後、増えた人員も全ては抱えられないので、現在お引越しの準備中。
組織の成立過程とか、能力主義なとことか、イメージ的にはZガンダムのティターンズ。
だけどこっちは毒ガスとかは撒かない。
地球至上主義とか、地球から人を一掃しようとかやべー思想もない。
女みたいな名前だなと、人の名をからかうような輩も多分いない。
綺麗なティターンズ。


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安らぎ

静謐とした道場。

俺のほかには早乙女さんを含めた数人だけしかおらず、誰も言葉を発しないため酷く静かだ。

他の方は端の方で正座をして俺を見つめている。

深呼吸。

さて、始めるか。

道場の中央で正座をし、刀の鞘を左脇に持つ。

立ち上がり三歩進んで、左膝を折り敷き、右膝を立て、座構えを取る。

一連の動作はぎこちなかったが、一応及第点。

なら、いけるか。

左膝は着けたまま腰を浮かし、柄に右手をかける。

左親指を鍔の上に掛け、鯉口を切る。

 

 

教えられたことを思い出す。

刀は手で抜くのではない。

身体で抜く。

力は要らず。

故に余計な筋力もまた、必要ない。

 

―――抜刀。

 

白刃が閃き、鞘から小気味良い風を切る音が鳴る。

刃はぴたりと眼前で止まっている。

ゆっくりと納刀し、再び構える。

そして、もう一度、一から居合の動作を確認する。

 

ここは大赦の中にある道場。

最近は、ここで戦衣を纏って鍛練をすることが多い。

今は体捌きの訓練として、居合を抜いているところだ。

戦衣を使い始めたばかりの頃と比べ、随分ましになってきた。

使い始めの頃は酷かった。

体のバランスが崩れているせいで脚は居つくわ、体捌きは死ぬわでとても居合と呼べるような抜刀ができなかった。

剣術、棒術、薙刀術などの他の型も試してみたが似たような感じで、素振り一つすら正しく出来なかった。

戦衣を纏えば、その運動補助の機能で歩いたり身体を動かすことはできるが、無理にバランスを取っている分、体捌きに影響が出てしまうということは分かっていた。

が、実際に体験してみると、普通に歩くことができる分、意外にショックなものだった。

俺が実戦で使うのは他の防人同様、銃剣なのだが以前のような体捌きができるようになるには、昔から学んでいた型稽古をするのが一番。

しばらくは苦労していたが、親父が稽古に付き合ってくれたりしたおかげで、居合の真似事ができる程度にはこの妙な戦衣の心地にも慣れてきた。

それにしても、筋力が衰えた状態で刀を振るうと、つくづく、武術とは単純な力ではないのだと感じられる。

型通りの体捌きができると以前と全く同じ、とまではいかないでも近い速さで抜くことができる。

以前の自分と比べ、肉体的には間違いなく劣っているのにも関わらずだ。

柔らかく、軽く刃を振るう。

力まない方が、刃は速くなる。

本当に「型」というものは奥深い。

体の動かし方が型だけで確認でき、先人達の凄さが身に染みてわかる。

そういえば、乃木若葉さんも居合術を修めていたという。

居合は剣術中の精髄とも言われるほどで、居合を正しく抜けるのならば、例え体術をあまり学んでいなくとも、柔術や空手、その他の体術を捌けるだけの体捌きを自然と会得できるという。

これは、居合術があらゆる状況下での抜刀を可能とするための術であるからで、狭い場所での抜刀、手を抑えられた状態からの抜刀、などに求められる身体操作技術は、そのまま多くの武術に共通するからだ。

例えば、こんな話がある。

夢想流という居合流派の開祖、上泉秀信は父親から剣術を学ばせてもらえず、居合術を学ばせられたと言われる。

すなわち、居合を知っていても、剣術は学んでいなかったわけである。

そんな秀信は江戸時代初期、尾張徳川家に召し抱えられることになったが、その際、尾張藩の剣術師範の高弟と試合をすることとなった。結果は、一本目こそ籠手を譲ったものの、二本目以降は上泉が勝利した。

また異説では、当の剣術師範とも立ち会い、引き分けたという話もある。

この時の剣術師範が、尾張柳生家の礎を築いた柳生利厳であったことからも、上泉秀信の実力が分かるだろう。

この逸話からも、居合の術技に長けたものは、そのまま剣術ひいては他の武術に対しても十分以上に対応できることがよく分かる。

だが、高等技術だけあって、その体捌きは精密で非常に難しく、習得は容易ではない。

居合は人を選ぶ、居合の方で人を選ぶ、と言う方もいたほどだ。

そのことを考えると、居合を修めていたことが、若葉さんが戦い抜けた一因になったのではないかと思う。

俺も多少は心得があるつもりだが、多くの実戦を駆け抜けた若葉さんには及ばないだろう。

そもそも、こういう体になった以上、居合を完全に修めることは難しいだろうし。

まったく、自分にはまだまだ課題が多いと思い知らされる。

未だ回復しきっていない体力についてもそうだ。

戦衣に慣れてきたとはいえ、結界外で活動する以上、どうしても体力は必要となる。

身体を動かせても、体力がなくて調査途中で力尽きてしまうようでは、ただの足手纏いだ。

特に結界外は敵地で、環境も過酷である以上、基礎体力の回復は急務。

仕事がある以上、鍛錬にあまり時間は取れないが、それでもやることはやらねばなるまい。

こんなところで立ち止まるなんて、許されるはずもないのだから。

 

 

 

 

 

 

仕事を終え、いつものように浴場で汗を流す。

浴槽に浸かった途端、嫌な倦怠感を自覚した。

意図せず、ため息が零れる。

疲れが思ったよりも溜まっているようだ。

全く、明日も早いというのに疲労困憊とは……と、自身の酷いさまに笑ってしまいそうになる。

だが、いくら疲労がたまっているとはいえ、予定を変える訳にもいかない。

明日も長い。

少しでも、休んでおかないと。

何も考えずに目を閉じておけば、ある程度は回復できるだろう。

そう思い、まぶたを閉じるも……何も考えないとは存外難しいらしく、気が付けば、まぶたの裏には今後の展望が映っている。

つくづく仕事中毒になっているな……。

まあ、頭を整理するにはちょうどいいだろう。

思考をこれからのことに向ける。

目先のこととしては……結界外調査。

調査には、副次的な目的が存在する。

勇者、防人の練度向上と、勇者システムの実戦データの取得だ。

ある意味では、この調査は彼女達の実戦訓練とすら言える。

結界外の過酷な環境下で、星屑や進化体との戦闘を経験しておけば、今後の戦いにも精神的に余裕を持つことができるし、完成体、乃至はそのモドキと会敵すれば、襲来の予行演習にもなる。

訓練としてはこれ以上のモノはない。

防人にしても、将来的には天の神に対しての戦力とする予定なので、今の内から実戦経験を積んでおいてもらわなければ困る。

その際の戦闘データも、勇者システムのアップデートや戦衣を強化をする上で必要となる。

無論、この調査には多大な危険を伴う。

調査に出る子たちが危険に晒される、というのもあるがそれだけではない。

結界外に出ることは、ある種の禁忌に触れることに等しく、天の神がどのようなリアクションをするかを、予測しきることはできない。

もっとも、その反応を探ること自体もこの調査の目的だし、そもそもバーテックスが襲来しているような状況だ。

こちらの意図が読まれない限りは問題ないとは思うし、調査期間は限定している。

多少、結界外で活動したとて、最悪の事態にまではならないとは思うが……。

極力慎重になるべきだが、かといって積極性を欠くこともできない。

いやはや、この辺りのバランスはなんとも難しい。

まあ、それよりも喫緊の問題は、何人の防人が戦闘のストレスに耐えられるかだ。

初陣を終えれば、精神的に折れる子も出てくるだろう。

仕方ない面もある……が、問題はその数だ。

ある程度ゴールドタワーにいる防人の人員には余裕を持たせており、また全国で予備人員を練成させてはいるが、それでも限りある人材だ。

防人一人を練成するのにかかる時間を考えると、許容可能な交代人数は最大で二十。

それ以上減れば、防人全体の練度が許容範囲を超えて低下する。

無論、それなり以上に対策もしているが、結界外での活動による心理的影響は未知数。

流石に心が折れた子を無理に戦わせることはできない。

無理に戦わせても、部隊を危険に晒す要因にしかならないし、第一そんなことをすれば彼女たちの反発は必至。

個人的にも、出来るだけそういうことはしたくない。

やはり、初陣が肝心だな……。

こういうことを考えているとつくづく思うが、銀達は本当に強い。

訓練も充分にできていない状況で、命や世界の懸かった戦いに放り込まれる。

それでまともに戦えるなんて、前世の常識では考えられない。

過去の戦争においても、充分に訓練を受けた兵士ですら実際に戦場に出れば怯え、まともに動けなくなるケースはあったと聞く。

初代勇者の伊予島さんは最初の戦いで震えて動けなかったというが、それが当たり前なのだ。

特に、初代勇者の面々は星屑が人間を食い殺していった現場を目の当たりにしているはずで、いくら力があったとしても年端のいかない少女が奴らに立ち向かえる方が不思議というべきだろう。

客観的に見るとよく分かるが、銀達が戦い抜けたのは奇跡だとしか考えられないな……。

本当に、よく世界が滅ばなかったなと呆れ半分、恐ろしさ半分で思ってしまう。

まあ、それも本を正せば勇者への信仰が原因だが……。

それで世界が滅びかけるとは本当にやるせない。

全く、権力者の視野窮策ほど恐ろしいものはない。

まあ、ある種そうなるのは必然なのかもしれないけど。

西暦の心理学者曰く、人間は権力を持つと視野が狭くなる傾向があるという。

これは、権力を持った人間は他人の状況や感情に共感する必要がなくなり、他人を牽引し感情に流されずに決断するという、いわゆる非共感能力に頼るようになることが原因だという。

そうして他者への共感能力が減少し、結果、他者の視点というものを想像することが非常に難しくなり、視野が狭まる。

つまり、権力者は他者を軽視しがちで、視野窮策に陥りやすい傾向にある。

これだけでも、権力と言うモノが如何に危険か分かるだろう。

特に、大赦の権力は神の存在を背景にしたものだから格別だ。

前世の世界の権力や政治機構は、その乱用を防ぐため凡そ法により縛られていた。

だが、神を人の法で縛ることはできない。

故に大赦の権力もまた、縛られることはなく、人の人権すら容易に踏み躙られてしまう。

散華はその最たるものだとも言える。

絶対的な権力は絶対的に腐敗するというが、実際目の当たりにすれば笑い事じゃない。

それでも、今はその権力が必要だ。

勿論、全てが終われば大赦は力を失うだろうし、そうなる必要もあるだろうけど………その前に、俺が堕落してしまえば元も子もない。

今は変な欲はないし、これから持つ気もない。

だが、人間は弱い。

気高い理想を持っていても、権力に溺れ身を滅ぼした人間は数えきれないほどいる。

他者を軽視するようになり、権力欲に取り付かれ、多くの人間を巻き込みながら腐っていく。

そういう人間になってしまう可能性がないといえるほど、俺は俺を信用できていない。

義士も聖女も堕落する、とは坂口安吾だったか。

その言葉通りなのだとすれば、俺が堕落しないなんて言えるはずもない。

腐った醜い存在にはなり下がりたくない……けれど、もしそうなってしまったら………?

今も腐りつつある途上で、視野が狭まっていることに気付いていないだけだったら……?

そう思うとぞっとしない。

本当に……俺は銀のところに帰れるのかな……?

 

「はぁ…………」

 

思わず、溜息が零れた。

嫌な思いが溢れたかのようなそれに、増々気が滅入る。

いかんいかん。

思考がよくない方向へ向かっている

こんな風に思い悩んでいる姿を早乙女さん達に見せる訳にはいかない。

切り替えなければ。

そういえば、もう随分と長い間、風呂に浸かっている。

浴場内の時計に目をやると、いつもならとっくに風呂を上がっている時間だった。

考え事をすると、いつもこうだ。

この癖も、直さないといけないな……。

とりあえず風呂から上がろう。

浴場に取り付けられた手すりを掴み、ゆっくりと立ち上がる。

途端、地面が揺れるような感覚がした。

足がもつれそうになり、倒れる前に手すりに寄り掛かる。

頭が重い。

心臓が早鐘を打っている。

これは……のぼせたらしい。

呼吸を整えないと。

浴場の床に腰を下ろし、手すりを背もたれのようにする。

体中が熱を帯びていて、頭がくらくらする。

その分、手すりと床の冷たさが妙に鮮明に感じられた。

深呼吸して、何とか体調を良くできないかと試してみるも、あまり効果はない。

どうやら、最近の疲れも一緒に出てきた結果らしい。

天井を仰ぎ見て、この気分の悪さを楽しむ。

たまにはこういうのも悪くない。

 

「頼人様!!」

 

浴場の扉が音を立てて開いたと思ったら、早乙女さんが慌てた様子で駆け寄ってきた。

素早いな……。

俺に何かあった時の為、浴場内にカメラが設置されているのは知っていたが……やはり、カメラのチェックは早乙女さんがしてたのか。

ああ、これで……一人でゆっくり風呂に入る時間もなくなるな……。

それにしても……妙に眠い。

最近あんまり寝れてなかったからかな……?

まあ……いいや。

少し……疲れた……。

今日の仕事は終わらせたんだし、少しくらい寝てもいいはずだ。

明日も長いんだから……。

そう思ったっきり、意識は闇におちていった。

 

 

 

 

 

 

 

―――冷たい。

 

何かひんやりとしたものが額を覆っている。

冷たくて気持ちいい。

同時に左手には仄かな温もりを感じる。

なんだろう?

この手はなんだか安心する。

銀……?

ちがう………この手は……。

ゆっくりと瞼を開く。

 

「よかった頼人君、目を覚ましたのね……!」

 

「……須……美?」

 

俺の手を握っていたのは、須美だった。

 

 

 

それからは例のごとく大騒ぎだった。

俺は一晩眠ってたらしく、目が覚めたのは朝だった。

それからすぐに、医者の検診を受けたり、早乙女さんに謝られたり、予定のキャンセルだとか変更とかで春信さんと、最低限必要な事項だけ話し合ったり、もうてんやわんやだった。

俺は普通に仕事するつもりだったが、流石にドクターストップに加え、須美の雷が加わってしまえば是非もなし。

今日一日は休むことになった。

そうして、ようやく須美と二人だけで話す時間ができた。

自室のベッドで、二人並んで座る。

 

「着いたと思ったら、頼人君が倒れたなんて知らされるんだもの。心臓が止まるかと思ったわ」

 

須美が、大きく息を吐きながら言う。

 

「驚かせちゃったよな……ごめんな」

 

須美は大赦に着いてから、ずっと傍に居てくれたという。

感謝とか申し訳なさとかで、胸が締め付けられる。

 

「本当に心配かけて!もう、頼人君……あれほど一人で無茶しては駄目って言ったでしょ?何かあれば相談してって……!」

 

「ひょめん、ひょめん……ゆるひて……」

 

頬を引っ張られながら怒られる。

ちょっち痛い。

 

「けど、良かったわ。頼人君が無事で」

 

須美は頬を引っ張る手を離すと、逆に俺の頬をその両手で包み込んだ。

そうして、真っ直ぐに俺の目を見つめる。

須美の瞳があまりにも綺麗で、見惚れてしまいそうになる。

こうしてみると、須美が美人だということがよく分かるな……。

そんな少女が自分をこんなにも案じてくれている。

その優しさが嬉しくもあり、こそばゆくもあり……なんとなく恥ずかしくなってしまう。

 

「無事って……。別に敵地に乗りこんだわけじゃないんだから」

 

その恥ずかしさを隠すように、口を開く。

 

「似たようなものじゃない。いきなり大赦で働くなんて……しかも、こんなにも責任の大きな立場に立って……。大変じゃないはずないでしょう?」

 

「……まあ、多少は大変だけど、俺よりも凄い人がいっぱいいて、すごく頑張ってくれてるからさ……その人たちに比べれば、俺の苦労はそう大したものじゃないよ」

 

本当に良く思うが、この組織には自分よりも能力の高い凄い人たちが大勢いる。

春信さんのような組織の運営能力や、早乙女さんのような事務処理能力然り、研究など専門的な分野においては俺はまるで役に立たない。

本当に、こんな人たちがいて、どうしてあんな事態に陥っていたのかと思ってしまったほどだ。

以前までの体制が、如何に人物の活用を怠っていたかがよく分かる。

 

「またそんなこと言って……。頼人君が一番頑張ってるって色んな人から聞いてるの。それに倒れたこともう忘れてるの?」

 

「あ、あはは……。そこを突かれると痛いな……」

 

「まったくもう……。しょうがないから、ここにいる間、頼人君のお世話は全部私がしてあげるわ」

 

「へ……?」

 

「連休でよかったわ。これなら頼人君が休んでる間はずっと見てられるもの」

 

「ま、待って須美。俺が休むのは今日だけのつもりなんだけど?」

 

「駄目よ。過労だって診断されてるんだから、少なくとも私がいる間は仕事なんて許さないわ。有無は言わせない」

 

「けど巫女の訓練は?そっちもしなきゃなんだろ?」

 

「ええ。だから、私がいない間はこの子に見張っといてもらうわ」

 

須美がそう言うと、端末を操作しだす。

すると、空中に卵のような形をした精霊、青坊主が現れた。

 

「頼人君が勝手に仕事しようとしたら、私に通報してもらうから」

 

須美の言葉に反応するかのように、青坊主が敬礼する。

角度もばっちり海軍のそれだ。

 

「まるで部下のそれだな……」

 

精霊ってこんなに従順になるものだったっけ?

 

「それともこっちのほうがよかったかしら」

 

須美が持ってきたリュックから、また荷物を取り出そうとする。

 

「まだ何かあるのか……?」

 

「ええ、とっておきのがね」

 

そうして、リュックから出てきたのは……黒い首輪だった。

しかもチェーン付き。

思わず、冷たい汗が背中に流れる。

 

「ふふふ……。私ね、考えたの。お灸をすえるだけじゃだめならどうすればいいかって」

 

「それで……首輪……?」

 

「そうよ。これなら頼人君がどこに行こうとしても止められるでしょ?」

 

胸を張って得意そうに言う須美。

怖い。

須美が怖い。

謎の悪寒が止まらない。

 

「これが嫌なら、大人しくすることよ?」

 

「けど……」

 

「休むことも大事だって、頼人君も知ってるでしょう?ずっと頑張ってたんだから、頼人君も少しくらい休まないと」

 

唐突に、須美が俺の頭を優しく抱きしめる。

少しだけ驚く。

あまりにも突然だったし、いつもなら須美は恥ずかしがってこんなことはしない。

だけど、そういう疑問よりも先に、安心感が胸を支配してしまう。

いけないと分かっているのに、どうしようもなく心が安らいでいくのを感じる。

涙が出そうなくらい温かくて、息が詰まりそうになるくらい柔らかい。

 

「……いいのかな……休んでも」

 

思わず、口からそんな甘い言葉が漏れる。

分かってる……俺は……俺だけは休んじゃいけない。

なのに、違う言葉を期待してしまっている。

須美を抱きしめ返そうと、手を伸ばそうとしてしまっている。

 

「大丈夫、私が傍に居るから。少しくらいなら大丈夫だから……ね?」

 

そんな俺に、須美の優しい言葉が染み込んでいく。

甘えてしまえと、囁く声が聞こえる。

このまま、須美に守って貰え。

きっと、助けを求めれば須美は守ってくれる。

きっと、銀や園子、夏凜だって。

ただこの温もりだけを感じて、こんな仕事は投げ出してしまえ。

充分、人材は集まった。

計画も随分煮詰まった。

もう、俺が居なくても何とかなる。

なら―――

 

瞬間、あの夢が脳裏をよぎった。

熱に浮かれた思考が急速に冷え、落ち着きを取り戻す。

そうして、思い出す。

結局、バーテックスと戦っているのは彼女達であるということを。

この状況が生まれた原因は、自分にあるということを。

自分が多くの少女たちの青春を奪っていることを。

そういう事情を無視して、自分だけ休んでいるわけにはいかない。

俺は、俺だけは休むわけにはいかない。

全てが終わるまでは、立ち止まれない。

 

「ありがと須美。けど、いいんだ」

 

抱きしめ返そうとした手を引っ込め、ゆっくりと須美を引きはがす。

ただそれだけの動きなのに、何故だか酷く疲れる。

 

「頼人君?」

 

「ごめん須美。行かないと。会わなきゃいけない人もいるし」

 

杖を使って立ち上がり、須美に背を向ける。

須美の厚意を無碍にしてしまっている。

ただ、それが辛い。

けど、必要だから、仕方がない。

 

「じゃあ須美、また後――――ぐえっ……!」

 

須美に話しかけた瞬間、腰に何かが絡みつき、身体が一気に後ろの方へと引き寄せられた。

気が付けば、ベッドの上で須美に後ろから抱き留められている。

なんだ、何が起きた!?

 

「言ったでしょ?有無は言わせないって」

 

そういう須美の手には先ほどの首輪があった。

腰を見れば、首輪のチェーンが上手いこと俺の腰に絡まっている。

さっきの感触はこれか。

あの一瞬で須美に自由を奪われたらしい。

このような技をいつの間に………。

 

「どうやら、頼人君にはこれが必要らしいわね」

 

須美が後ろから、何かを俺の首に装着する。

金属が擦れる音から察するに………うん、首輪だ。

須美を見ると、心なしか嬉しそうだ。

………まずい、この状況はまずい。

 

「あの、須美さん?もう一度話し合いませんか?流石にこの首輪を周りに見られるわけにもいきませんし……」

 

「勿論、いくらでも話し合いましょう。頼人君がちゃんと休むのなら、その首輪のことも考えてあげるわ」

 

「すぐに外してもらう訳には……?」

 

「駄目よ?これは頼人君の為なんだから」

 

と言いながらも須美さんはご機嫌だ。

まるで、こうなることが分かってたかのように。

あれ………?

もしかして………。

 

「須美……。もしかしてこうなるってわかってたの?」

 

「頼人君のことだもの。どういう反応をするかくらい分かるわ。言っておくけど、逃げ場はもうないわよ。ここの方たちの協力は取り付けてるから」

 

「……………春信さんにも?」

 

「当然、あの人にもよ」

 

春信さん……。

いや、落ち着け。

落ち着いて打開策を考えよう。

まずはここの脱出だ。

須美の気を引いて、その隙に……ダメだ。

現状、俺の体では須美に太刀打ちできないし、こっそり逃げようとしても俺の機動力では逃げ切れない。

動きも多分読まれるし、そもそも首輪がある以上、身動きは不可能。

なら、救援を求めるのはどうだ。

早乙女さんやうちの人間に助けを求めれば………いや、これも駄目だ。

大赦の人間は須らく勇者である須美に手出しはできないし、万一大事になれば、もっと恐ろしいことになりかねない。

これは……詰んだ?

 

「頼人君、国防のことが大事なのは痛い程分かるわ。頼人君ほどの憂国の士は他にいないもの。けど安心して。いい事を考えてきたから」

 

「いい事?」

 

「休みの間、じっくりとこの国の未来について語り合いましょう!話し合った内容を国防に活かしていけばいいのよ!」

 

須美が目を輝かせながら力説してる。

とても、楽しそうに嬉しそうに。

 

「……………ふふっ」

 

その様子があんまりにも可笑しくて、可愛らしくて、思わず笑いがこみ上げる。

……ああ、そうだった。

すっかり忘れてたけど、こいつらとの日常はいつだってそうだった。

どんな話でも楽しくて、一緒にいるだけで嬉しくて、どうしようもなく不安な気持ちも、どれほど重い責任でも、一緒にいればまるで苦じゃなかった。

だから、こいつらと一緒にいるのが好きだった。

だから、この子達が好きなんだ。

気が付けば、さっきまでの焦燥感が嘘のように消えていた。

つくづく、自分は単純な人間だ。

須美が来た途端、こうなってしまうとは。

 

「わかったよ、須美。少しの間、休むことにするよ」

 

そう言うと、須美は安心したように笑った。

 

「だから、とりあえずこの首輪外してくれない?」

 

そう言うと須美は少しの間、考え込むそぶりを見せた。

しばらくすると、手をポンと叩き、須美は口を開く。

何故だろう?

猛烈に嫌な予感がする。

 

「……分かったわ。写真を撮り終えたら外してあげる」

 

「………え゛」

 

須美がベッドを降りて、荷物の中からカメラを取り出す。

銀を撮ってた時と同じ、お高い奴だ。

いかん、冗談では……!

 

「頼人君の和装姿を撮り逃すわけにはいかないもの。それも首輪付きだなんて、滅多に見られないんだから……!」

 

須美がレンズをこちらに向ける。

ああ……あの時の銀の気持ちが少しだけ分かった……。

しかし、この姿を撮られるわけには……。

 

「か、堪忍してつかぁさい……」

 

思わず顔を隠して懇願する。

さらに醜態をさらしている気がしないでもないが、こうでもせねば……!

 

「ぶふっ……!な、なんて扇情的な……!」

 

変な声が聞こえたかと思うと、須美が鼻を押さえている。

指の隙間からたらりと鼻血が滴るのが見えた。

なにこれ怖い。

かと思ったら、須美がものすごい勢いでシャッターを切り始めた。

かなり興奮してる須美には、最早声は届かないらしい。

 

「ああ……!頼人君……いいわ……!最高よ……!」

 

「ああ……。銀、助けて……」

 

須美はだんだんとポーズまで指定してくるようになった。

なんだか、須美が遠い所へ行ってしまったような気がする。

何で……こうなっちゃったんだろう……?

 

「次はもう少し上目遣いでお願い……!」

 

「もう、いい加減にしてくれ……」

 

ああ……今の俺は、きっと虚ろな目をしているに違いない。

なのに、心のどこかで安らぎを感じている自分がいる。

ほんと……なんなんだろう、これ……?

 

 

こんなよく分からない感じで、俺の休みは始まった。

色々と事情があって、外に出ることはできなかったが、それでも随分休ませてもらった。

須美が傍に居てくれたからか、久しぶりに……本当に久しぶりによく眠れた。

運動も体への負担が少ない簡単なモノに限定したし、食事も須美が一緒だったおかげで、ずいぶんリラックスできた。

ただ、風呂の件は一悶着あった。

一度風呂場で倒れてしまった以上、流石に一人で入らせるわけにはいかないという話になったのだ。

早乙女さんが自分が一緒に入ると言い出し、それを聞いた須美が猛反対。

静かな言論闘争が始まり、最早当事者の俺は蚊帳の外。

挙句の果てに、ヒートアップした須美が俺と一緒に入るとか言い始めた。

勿論、双方の意見は却下。

結局、大浴場をできるだけ控え、部屋の浴室の使用頻度を上げるということにした。

大浴場を使用する際にだけ、男性の神官さんに付き添ってもらう形だ。

この結果には、須美も早乙女さんも少しだけ残念そうだった。

……理由は考えるまい。

あと、ちょっと驚いたこともあった。

須美が巫女の訓練に行ってる間、確認したいことがあって、自室のノートパソコンをつけると、青坊主が隣にいて笛みたいなものを手に握っていた。

仕事をするつもりなら、通報するぞ……ということらしい。

「ちょっと確認したいことがあっただけだから大丈夫、すぐ消すよ」というと、青坊主は笛をしまった。

言葉も通じるし、高性能というかなんというか……。

あと何気にこの子を従えてる須美もすごい。

まあ、そんなこんなで休みは大きな事件もなく進んでいった。

そうして連休の最終日、俺の下に思わぬ来客があった。

親父が嫌な知らせを持ってやってきた。

 

「模擬戦……?防人と……?」

 

「ああ。この模擬戦で、お前が結界外での活動が可能か判断する」

 

本当に……なかなかどうしてうまくいかないものだ……。

 



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楠芽吹の章
ゴールドタワー


神世紀二九九年五月。

まだ日も昇っていないような早朝。

薄暗い道場で一人の少女が木銃を振るっている。

直突、脱突、下突、連続突き、それらを組み合わせた応用技。

その技のどれもが素早く無駄のない動きで、彼女が銃剣術を学び始めて日が浅いとは誰も信じないであろう。

しかし、少女の顔に満足の色はない。

一動作ごとに筋肉や関節の動きを調整し、より理想的な動きへと昇華させていく。

少女の名は楠芽吹。

人並外れた努力家である少女。

勇者に選ばれなかった少女。

彼女の胸には強い怒りが渦巻いていた。

 

 

 

 

 

勇者の選抜。

誇りと陶酔と勝利への意欲に満ちた、夢のように不思議な時間。

そのなかで、芽吹は学校や試験や全てを超えて、より高い存在に思いを馳せ、憧れに胸を焦がした。

夢や願望や予感に身を任せ、鍛え続けた日々。

だが、そんな時間は余りにもあっけなく去っていった。

芽吹は勇者に選ばれなかった。

 

どうすれば良かった……?

どうすれば私が勇者に選ばれた……?

成績は負けていなかった。

むしろ、私の方が一部では優れていた。

だったら、どうやったらあの時、私が勇者になれていたのよ……!?

 

芽吹は選抜の後、実家に戻されてからも、芽吹は延々と答えの出ない疑問を考え続けた。

なぜ、どうして?

私は車輪の下敷きになったのだろうか。

そんな屈辱的な思いが芽吹を支配し、惨めで苛立たしい気分になってしまう。

だが、現実は変わらない。

無意味な行為を、芽吹は延々と繰り返していた。

 

そんな芽吹の下に、大赦の使者が再び訪れた。

新たな御役目の為に訓練を受けるようにと、使者は告げた。

その御役目とは防人と呼ばれるもので、結界外の探査を行うことが主な任務だが、勇者と同じく、極めて危険な御役目であるため、今の内から訓練をしておく必要がある。

だが、今現在、防人の拠点となる施設は完成していないため、それまで学校に通いながら大赦関連施設にて訓練を行ってもらう。

そして、使者はこう続けた。

場合によっては、新たなる勇者として選ばれる可能性もあるため、心して訓練に励むように、と………。

この訓練は新たなる勇者の選考にも関わるのだと芽吹は思った。

淀みかけていた精神に火がつく。

まだ、自分は車輪の下敷きにはなっていない。

まだチャンスはある。

そう、思ってしまった――――

 

それからと言うものの、芽吹は再びかつてのような、鍛錬に打ち込み続ける日々に戻った。

勿論、小学校には通い続けていたが、少しでも鍛える時間を増やすため、課題などは全て学校の休み時間などに済ませ、放課後は全てトレーニングに費やした。

食事にも気をつかい、ほとんどの時間を銃剣術の訓練にあて、ひたすらに自分を鍛え続けた。

それは今までよりもずっと厳しく、ずっと無茶な生活であった。

だが、芽吹は止めなかった。

今度こそ、勇者となるために。

その為だけに、血を吐くような努力を続けた。

そして、神世紀二九九年、春。

芽吹はゴールドタワーに呼び寄せられた。

防人の御役目に就く為に……。

芽吹はまたも、選ばれなかったのだ――――

 

集まった少女たちの前に一人の女性神官が現れた。

顔を見て、以前、大赦の使者として楠家に訪れた神官だと分かった。

神官は語った。

集められた少女達に、御役目の詳細を。

防人達は勇者システムを量産化したものを用いて、結界外の調査を行う。

そして、調査に際しては、勇者が護衛をする、と。

その言葉で、周りの少女たちが少し安心した様子を見せる。

だが、芽吹にとってはこれほど屈辱的なことはなかった。

その言葉は、芽吹を激怒させるに足る十分すぎるモノであった。

 

大赦は私を失格にした。

そのくせ、人手が必要だからと別の役目を与えた。

都合のいい道具扱いだ……!

しかも私達は勇者じゃない。

量産型のくだらない役目………そのうえ、勇者に守られながら働け……!?

目の前で格の違いを見せつけられながら下らない役目をさせられ続ける……これほど屈辱的なことがある……!?

どれだけ人を馬鹿にすれば気が済むの……!!

 

だったら―――

だったら、認めさせてやる。

 

勇者と共に御役目を果たすことになるというのなら、好都合だ。

この御役目で、大赦の連中の想定以上の成果を、勇者以上の成果をあげてやる……!

私の力を認めさせ、勇者にふさわしかったのは私なのだと教えてやる……!

私を選ばなかったのは間違いだったと思い知らせてやる!!

 

その日から芽吹は、凄まじい速度で組織的な戦い方を身につけていき、やがて防人部隊の隊長に選ばれるまでに至った。

だが、芽吹の顔に満足の色はなかった。

彼女の目標はもっとずっと先にある。

 

私は、必ず勇者になってやるんだ……。

そのためなら、どんな事だってやってやる……!

 

芽吹は怒りに突き動かされ、今日も自らを鍛え続ける。

自らの誇りの為に、自らの生き方を誰にも否定させないために―――

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

一息つき、タオルで軽く額の汗をぬぐう。

もう昼時だ。

今日は神官たちの打ち合わせがあるらしく、午前の授業がなかったため、芽吹は昼までずっと訓練を行っていた。

芽吹も流石に空腹を消すことはできない。

昼食を採るためタワー内の食堂に移動すると、既に多くの防人が集まっていた。

どうやら出遅れたらしい。

いつものメニューを注文して、空いてる席を探す。

 

「おーい、メブーこっち空いてるよー!」

 

と、そこで後ろから声を掛けられる。

見れば、同い年の加賀城雀が芽吹に手を振っていた。

二年生の弥勒夕海子や、同級生の山伏しずくもいる。

妙な感じだと、芽吹は思う。

今までこんな風に、他人と関わりを持つことはなく、全てが自分一人で完結していた。

それが隊長になり、徐々に変化が生まれてきている。

 

「ありがとう、雀」

 

「いいのいいの、気にしないで。ただ、御役目の時は守ってね!」

 

「またそんなことを……」

 

「雀さん、安心なさいな。わたくし弥勒夕海子がいる限り―――」

 

「ほんと頼むよメブ。メブが守ってくれないと私死んじゃうからね」

 

「大丈夫よ。私の部隊で死者なんて出さないから」

 

「流石メブ、頼もしいよう!」

 

「ちょっと!わたくしを無視しないでくださりませんこと!?」

 

無視された夕海子が怒って立ち上がる。

 

「弥勒……。うるさい」

 

「弥勒さん、食事中なのでお静かにお願いします。周りの迷惑にもなります」

 

途端、しずくと芽吹から逆に注意される。

 

「なんでわたくしが怒られてますの!?」

 

納得いきませんわー!と頭を抱え叫ぶ夕海子の隣に不意に小柄な少女がやってきた。

 

「皆さん、仲良しなのはいいですが、ケンカはいけませんよ?」

 

国土亜耶。

小学六年生でゴールドタワーで生活する巫女の一人だ。

 

「ケンカなんてしてないわよ亜耶ちゃん」

 

「ええ、それに仲良しというのも違いますわ」

 

「ふふっ。そういうところが、仲良しに見えますよ」

 

亜耶の笑顔に皆、毒気を抜かれ、皆おとなしく食事に戻る。

 

「あやや、そういえば今日、巫女の子達が神官さんたちと打ち合わせするとか言ってたけど、何かあったの?」

 

このゴールドタワーには、防人だけでなく、多くの巫女たちも生活している。

元々、巫女はその性質から世界の真実を知ってしまう為、世間一般から隔離され、家族とも中々会えない生活を送っていた。

だが、防人などにも世界の真実を教えることとなった以上、巫女の管理を緩めるべきだ、という意見が大赦に通った結果、今までとは随分その扱いも変わったそうだ。

変化の一つとして、芽吹達と年の近い巫女たちはゴールドタワーで生活し、世間に慣れてもらうこととなった。

いわば、ゴールドタワーは防人の根拠地であり、世間と巫女を繋ぐクッションのような役割を担っている……らしい。

とはいえ、巫女が必要な大赦の仕事も多く、巫女たち全員がゴールドタワーにいる訳でなく、大赦に残っている人数の方が若干多いらしい。

それでも、巫女の自由は増えたらしく、条件付きなら、休日なども出かけても良くなったと聞く。

なかなか思い切ったことをするものだ。

 

「来週、頼人さんがゴールドタワーを視察しにいらっしゃるそうで、お出迎えの準備について話し合ってたんです」

 

「頼人……赤嶺頼人?」

 

亜耶の言葉に芽吹は少し驚いた。

赤嶺頼人。

曰く、例外中の例外。

曰く、天才。

曰く、神に己を認めさせた少年。

事実上、国防に関わる全権を委ねられている勇者。

今もなお、大赦で大きな力を持ち、その発言力は大赦で随一だという。

先の、巫女の扱いを変えたのも、大赦の体制を変えたのも彼だという。

そのことに加え、容姿が良く、権力を持ちながらも偉ぶらず、とても優しいと巫女からの人気は特に高いと聞く。

だが芽吹の赤嶺頼人への感情は、その評判とは裏腹に非常に複雑なモノであった。

赤嶺頼人と話したのはほんの一瞬。

だが、その短い時間で芽吹は、それまで誰にも話さなかったことまで彼に話してしまった。

きっと、無意識に彼に親近感や憧れのようなものを抱いてしまい、口が軽くなったのだろう。

彼は、自分の力で大赦から教師を任されるほどにまで認められていた。

その姿に、未来の自分の姿を重ね合わせていたのだと思う。

けれど、真実は少し違っていた。

ゴールドタワーに来てから、芽吹は勇者選別の事情を聞いた。

昨年の勇者選別、赤嶺頼人が大きな影響力を持っていたこと。

赤嶺頼人は自身の身分を隠していたこと。

そのことを知った時、芽吹の怒りは頼人に向けられた。

選ばれなかったという行き場のない怒りに、赤嶺頼人という指向性が与えられたのだ。

そして、防人を用意するように仕向けたのも赤嶺頼人。

自分達を道具扱いしている存在でもある。

他人を道具扱いするなんて、何様のつもりだ……!?

一時は赤嶺頼人を憎みさえした。

けれど、その憎しみも長続きはしなかった。

芽吹の中に、ある疑問が生まれたからだ。

一年だ。

赤嶺頼人はたった一年で、名家のお坊ちゃまから天上人に駆け上がった。

大赦というあまりに大きな組織を変えてしまった。

防人を用意できるほどの力を手にした。

一個人に、しかも自分と同じ年の子供にそんな真似ができるのか、芽吹は疑問を覚えずにはいられなかった。

たとえ、勇者だとしても子供に従うなんてこと、大人は面白いと思うはずもない。

それとも、勇者に対する信仰は自分が考えている以上のモノなのだろうか?

いや、それでも能力がなければ、聞いているような発言力は得られまい。

やはり、話を聞けば聞くほど違和感しか覚えない存在だ。

そもそも、子供が国の要職を務められること自体がおかしい。

どういった経緯でそうなったのか、その詳細は芽吹には分からなかった。

ただ、赤嶺頼人への疑問を纏めるうちに気が付けば、憎しみという感情は薄まっていた。

赤嶺頼人は芽吹を選ばなかった。

防人を用意するように仕向けた。

そして、昨夏、赤嶺頼人は自身の身分を隠していた。

確かに信用するのは難しい。

けれど、彼がその身を使い潰し、世界を救ったこともまた事実なのだ。

その結果として、今の立場に立った。

ただ憎むのではなく、自分の力を赤嶺頼人に認めさせなければいけない。

自分を選ばなかった理由も問い質したい。

もしかすれば、この機会にそれができるかもしれない。

芽吹はそう思い、詳細を聞こうとすると――――

 

「まぁ、頼人さんがこちらにいらっしゃるんですの!?」

 

その前に夕海子が声をあげた。

 

「弥勒……。赤嶺のこと知ってるの?」

 

なぜだか、しずくが反応して聞き返す。

 

「ええ!なんといっても、わたくしと頼人さんは盟!友!なのですから!」

 

「盟友?」

 

やけに盟友という部分を強調して叫ぶ夕海子。

芽吹は少し違和感を覚え、そのことを尋ねた。

 

「ええ、かつて弥勒家は赤嶺家と共に世界を救ったのです。まさに、盟友なのです!」

 

「へー。だけど弥勒家って没落したんでしょ?まだ付き合いが残ってたんだ?」

 

雀が不思議そうに聞いてくる。

 

「え、ええ……。最近まで連絡を取り合ってた仲ですから……。それはそうと雀さん。弥勒家は没落なんてしてませんわ!ただちょっと落ちぶれただけです」

 

「いやそれ没落じゃん」

 

「違いますわ!」

 

「でも、赤嶺様って他の勇者様と一緒に香川にいたんでしょ?高知にいた弥勒さんと会う機会なんてあったの?お嬢様設定といいどうにもウソ臭さが……」

 

「赤嶺家の本家は高知にあるのです!設定だとかウソ臭いなどと失礼なことを仰るのはお止めなさい!」

 

「そうなの、あやや?」

 

「何故私の話を信じないんですの!?アルフレッド!雀さんに弥勒家の偉大さを教育して差し上げなさい!」

 

「いや、アルフレッドいないじゃん」

 

「いるったらいるんですわ!高知にはいるんですわ!」

 

わーきゃー騒ぐ夕海子を傍目に亜耶が答える。

 

「本当ですよ、雀先輩。赤嶺家の方はバーテックスが観測されてから、他の名家と連絡を取りやすくするために大橋市に移住されたそうです。高知の本家は先代の御当主の方がお住まいになっているそうですよ」

 

「ほら見なさい雀さん。国土さんもこう仰っているでしょう?」

 

ふふんと胸を張る夕海子。

と、そこで芽吹は小さな疑問を覚えた。

 

「ちょっと待って下さい、弥勒さん。だったら勇者選抜の時、彼の正体を知っていたんじゃないんですか?」

 

「……えっ!?」

 

途端、夕海子の動きが固まる。

 

「ん?どういうことメブ?」

 

「赤嶺頼人は、勇者選抜の時に自分の身分を偽って、勇者候補生に戦術の授業をしに来たのよ」

 

「あー、他の子が言ってたあれね。だけど、あれって選抜に影響が出ないようにとかそういう理由じゃなかったっけ」

 

「そうよ。でも、弥勒さんは以前から彼と親交があったんですよね。だったら、知ってたんじゃないですか?」

 

「ええと…………そうですわね…………」

 

露骨に夕海子の目が泳ぐ。

 

「あ、それ私も聞きたいかも」

 

雀がそう言い、しずくもじっと夕海子を見つめる。

 

「弥勒さん、答えてください!」

 

芽吹が強い口調で夕海子に詰め寄る。

 

「え、なになに?」

 

「頼人様の秘密を弥勒さんが知ってたかもなんだって」

 

「これは尋問の必要がありますにゃー」

 

気付けば、騒ぎに気付いた少女達も集まり始め、増々夕海子への圧が強まる。

おまけに話を勘違いしている少女も多くいた。

皆、一様に期待した様子で夕海子を見つめている。

 

「……しょうがありませんわね。いいでしょう。今こそ、頼人さんがあの場にいた真の目的を教えて差し上げますわ!」

 

夕海子が高らかに宣言し、芽吹達は固唾を呑んで言葉を待つ。

夕海子の言葉に、周囲の者も反応し、芽吹たち以外も聞き耳を立てている。

本来、喧騒が漂う食堂の中で、芽吹達のテーブルの周辺だけが異様な静寂に包まれていた。

 

 

「頼人さんの真の目的、それは訓練所に忍び込んだスパイを倒すことだったのですわ!!」

 

 

「「「……………」」」

 

瞬間、張りつめた空気が四散し、白けた雰囲気が漂う。

 

「それでさっきの話なんだっけ?」

 

「ああ、この前イネスに遊びに行った時なんだけど―――」

 

気が付けば、食堂は活気を取り戻しており、さっきまでの空気が嘘のように喧騒が場を支配する。

聞き耳を立てていた少女達もすっかり自分達の話に戻っていた。

 

「弥勒さんも聞かされてなかったんですね。疑ってすみませんでした」

 

「……うん、辛いよね。弥勒さん。何も聞かされないより、嘘吐かれるほうが辛いよね」

 

「弥勒……。これあげる。……元気、出して」

 

芽吹や雀が普段より優し気に声を掛け、しずくも自分用のプリンを夕海子に差し出し、元気を出すように言う。

 

「ちょっ、ちょっと待って下さいな!なんでそんなに優しく……って、まさか、わたくしが騙されてたと思っていらっしゃいますの!?」

 

その言葉に芽吹や雀が視線を逸らす。

ついで、夕海子がしずくを見ると…。

 

「弥勒………大丈夫。赤嶺はいい奴だから……きっと何か理由があったんだと思う」

 

「違いますわ!!わたくしは……わたくしは騙されてなどいませんわぁああああ!!」

 

夕海子は叫んだ。

だが、その様子が痛々しく芽吹は顔を合わせられない。

信じてた友人に、それも盟友とまで言う人に騙されるなんて、さぞ辛いだろう。

芽吹は夕海子を哀れに思った。

 

「皆さん。決めつけるのはよくありませんよ。赤嶺家は以前よりそういった御役目を引き受けていましたと聞きますし、頼人さんはそんな嘘を吐かれる方ではありません。私は本当だと思いますよ?」

 

「ああっ……!やはり、国土さんは本当にいい子ですわね!弥勒家の偉大さもわたくしの言葉も理解してくれるのは貴女だけですわ!」

 

夕海子が感激して亜耶を抱きしめる。

亜耶は少し照れながらもされるがままだ。

 

「………まあいいわ。それで亜耶ちゃん。赤嶺頼人はいつ来るの?私達の訓練も見にくるのよね?」

 

「はい。来週の金曜日、二時間程ゴールドタワーを見回られるそうです」

 

亜耶が夕海子に抱きしめられたまま答える。

 

「たった二時間?この二ヶ月一度も来なかったのに?」

 

いくらなんでも短すぎる。

やはり、彼にとって防人はその程度の存在なのかと、自分達はやはり軽視されているのではないかと芽吹は疑ってしまう。

 

「何分お忙しい方ですから。ですが、決して皆さんを軽んじていらっしゃるわけではありませんよ」

 

「…………」

 

亜耶にそう言われても、芽吹は納得することはできなかった。

なにせ、自分を認めなかった相手だ。

そのことを考えると、再び腹が立ってくる。

 

「そ、そういえばさ、しずくも赤嶺様と知り合いなの?さっき、知り合いみたいな口ぶりしてたけど」

 

芽吹の剣呑な雰囲気を察してか、話題を変えるように雀が言う。

 

「……友達。小学校が……同じだった」

 

「あら、そうだったんですの?」

 

「それじゃあ、弥勒先輩もしずく先輩も以前から頼人さんとお知り合いだったんですか。凄い巡り合わせですね。あれ?頼人様と同じ学校でしたのなら、しずく先輩、他の勇者様ともお知り合いだったんじゃ……?」

 

「うん。三ノ輪と乃木とは……何度か、同じクラスにもなった」

 

「はぁ~……。なんだか驚きました。しずく先輩が勇者様方とお知り合いだったなんて」

 

亜耶が感嘆した様子で言う。

芽吹は、真剣な目でしずくを見つめた。

 

「どんな人だったの、勇者って……どんな人が勇者になれたの?」

 

今でも、芽吹は、自分が勇者に選ばれなかった理由が分からない。

勇者という御役目の責任感も充分にあったし、訓練成績だって三好夏凜より悪くなかった。

勇者がどんな人物か知れば、選ばれなかった理由の一端くらいは分かるかもしれない。

だが、聞くことはできなかった。

 

「楠ちゃん、ここだったのね」

 

ジャージ姿の女性が突然、芽吹に声を掛けたからだ。

 

「……何の用ですか?」

 

芽吹は大儀そうに返事をした。

聞きたかった話の邪魔をされたことが芽吹を苛立たせたのだった。

 

「あら、ご機嫌なこと。お邪魔だった?」

 

「いえ、それより用件を」

 

「ここじゃちょっとね。私の部屋まで付き合ってくんない?」

 

そう言われて、芽吹はちらりとしずくの方を見た。

しずくにはいろいろと聞きたかったが、それでも今すぐ聞く必要のある話ではない。

昼食だって食べ終えている。

芽吹は少しだけ考えるそぶりを見せたあと、「分かりました」と女性の言葉に従った。

 

 

 

案内された部屋はそれなりに広く、彼女が仕事でよく使っている部屋だった。

中央には小さなテーブルをはさむようにソファが設置されており、奥には執務机がある。

芽吹は初めてここを見た時、昔見た学校の校長室のようだと感じた。

 

「とりあえず掛けてちょうだい。紅茶かほうじ茶どっちがいい?」

 

「……ほうじ茶でお願いします」

 

ソファに腰掛けながら芽吹は答えると、「了解」と女性は手慣れた様子で茶の用意をし始めた。

彼女の名は烏丸梨乃。

このゴールドタワーの責任者を務めている女性。

芽吹達の学年の教師を担当しており、芽吹の家に使者として来た人物でもある。

使者として芽吹の家に来たときなどは、大赦の神官らしく非常に硬い人物だと思っていたが、TPOを使い分けているだけらしく、ゴールドタワーでは非常に気さくな人物として知られる。

休みの日など、防人や巫女の少女を引き連れ大束町のイネスに遊びに行ったりしているらしい。

それでも本当に神官なのかと疑ってしまうほどのフランクさだ。

芽吹はゴールドタワーに来てしばらくたつが、時々疑問を覚える。

ここの神官は余りにも大赦の神官らしくないのだ。

父の仕事が大赦関連のものであったため、芽吹は大赦関連の情報を一般の人々よりも知っている。

だから、大赦の神官についてもある程度のことは知っていた。

多少の差こそあるものの、彼等は大抵仮面をかぶり、感情を隠して話す。

おそらく、そのように教育されているのだろう。

だが、ゴールドタワーの職員はどうにも毛色が違う。

仮面をかぶっている神官がほとんどおらず、神官としての装束を着ていない者すらいる。

烏丸も、今はジャージ姿だ。

事情を知らない人がゴールドタワーの日常を見ても、誰も大赦の施設だとは思わないだろう。

以前、ふと気になって亜耶にそのことを尋ねると、ゴールドタワーを含めて、赤嶺頼人が長を務める大赦の内部組織では可能な限り形式というものが排除されているという。

 

「本当は、あの仮面にも意味があるんですが、本庁から離れた場所であるゴールドタワーでは無理にする必要がないとの頼人様のご判断だそうですよ。民間から入ってこられた方へのご配慮だと思います」

 

亜耶はそう言っていたが、伝統を崩すような行為、当然反発も大きいはずだ。

ゴールドタワーでは赤嶺頼人を評価する声が多いが、もしかすれば、赤嶺頼人の管理してるところだけの話で、大赦の他の人間からは正反対の評価を受けているのかもしれない。

そもそもが若すぎるのだ。

嫉まれない方がおかしいだろう。

だが、そういった話はまるで聞かない。

ゴールドタワーが特殊な環境なのか、それとも……。

芽吹の疑問は尽きない。

 

「はいお待たせ。あつあつよ」

 

そうこう考えていると、目の前のテーブルに湯呑が置かれ、烏丸が反対側のソファに腰掛けた。

 

「それより、こんなところまで連れてきて用とは何ですか?」

 

湯呑に口をつけずに、芽吹は疑問をぶつけた。

 

「こんなとこなんて言うんじゃないの。校長室っぽくて気に入ってるんだから」

 

「いいから、用の方を話してください」

 

「せっかちねえ。そんなんじゃ彼氏の一人もできないわよ?」

 

「……無駄話をするつもりなら戻らせていただきますが」

 

「まぁまぁ、落ち着きなさいって。……実はちょっと頼みたいことがあってね」

 

「頼みたいこと……ですか?」

 

「ええ。頼人様がここを視察しに来るって話は聞いた?」

 

「はい、先ほど聞きましたが……それが何か関係あるんですか?」

 

「まあ、ね」

 

烏丸はそう言うと、小さく溜息をついた。

 

「……そのタイミングで頼人様と防人との模擬戦が行われることになってねー。頼人様のお相手を楠ちゃんに頼みたいのよ」

 

「模擬戦……?どういう意味ですか?」

 

今の赤嶺頼人は勇者の力を扱えないと聞いている。

それなのに模擬戦とはどういう意味なのか。

 

「順を追って話すわ。事の発端は、数ヶ月前の頼人様の発言。頼人様ってば結界外の探査に参加するって言いだしちゃったのよ」

 

「それって……つまり」

 

「想像通り、勇者と防人の指揮を執られるおつもりらしいわね。流石、勇者様というべきかしら」

 

「そんな話……聞かされていませんでした……!なぜ今になって……!?」

 

芽吹は苛立ちを隠さずにそう言った。

このような防人全体に関わるようなことを隠されていたという事実は、芽吹に大きな怒りの感情を呼び起こした。

同時に、今になってこんな問題を持ってきた赤嶺頼人にも腹が立った。

だが、そんな芽吹を相手に、烏丸は表情を変えずに口を開く。

 

「周りが隠していたからよ」

 

「隠していた……?」

 

「あなただって知ってるでしょ?調査への参加は危険と負担を伴う。頼人様には過去の後遺症が残っているし、鎮守府での御役目の負担も大きい。皆、頼人様には危険すぎると思って、そのお考えを変えて頂こうとしてたのよ」

 

「だから、表には出さないようにしていたと?」

 

「参加を断念しても周囲に影響がないように、ね」

 

「じゃあ、なんで……?」

 

「頼人様が意地を通しちゃったのよ。調査への参加は絶対に必要だってね。普段は周囲の意見もよく聞いてくれる方なんだけど、この件に関しちゃ頑ななのよ。ほんと、困っちゃったわ」

 

「…………ですが、あんな怪我をした人間が調査に参加することなんてできません。以前に資料を見ましたが、あんな体ではまともに戦えるはずが……。そもそも、装備はどうするんですか?」

 

「頼人様には運動補助機能付きの専用装備が用意される予定よ。基本性能は防人の戦衣と似たり寄ったりみたいだけど」

 

防人と同じ……だとすると、精霊が存在しない分、調査は命がけのものとなる。

周りが行ってほしくないと言う訳か。

 

「……そんなに赤嶺頼人が大事なら、籠にでも閉じ込めておけばいいじゃないですか。私達のように」

 

「あいたた……そこを突かれると痛い痛い。……そりゃ、突然こんな御役目に就かされたんだもの、私達のこと、許せないわよね」

 

「そういう問題じゃありません。中途半端に手を出してほしくないだけです」

 

いくら赤嶺頼人が命を懸けて戦おうとしているのだとしても関係ない。

彼は彼で大きな御役目を背負っているのだからそちらに専念するべきだ。

中途半端に手を出されても、現場は混乱するだけだし迷惑にしかならない。

 

「楠ちゃんの気持ちも分かるけど、頼人様には頼人様のお考えがあるし、一応筋も通っちゃってるから。そう言ってあげないで」

 

「………そういえば、模擬戦をするんでしたよね。そちらの説明もして下さい」

 

「あ、そうだった、そうだった。頼人様に調査に参加できるほどの力量があるかどうかを確かめるため……ってことになってるわね」

 

「……ということになってる?」

 

「実際は頼人様が調査に参加できなくするための方便よ」

 

「方便……!?じゃあ……!」

 

「無理に参加を阻止しようとすると何かと問題だから、こういう条件が作られたって訳。結界外で足を引っ張らないよう実力を示す必要があるっていえば、頼人様は呑まざるをえない。麒麟児とすら言われた頼人様であっても怪我の後遺症がある以上、まず良い成績は出せないでしょうから」

 

「そのために……私を使いたいって訳ですか」

 

「そんな言い方しないの。まぁ、穿った見方なのは認めるけど」

 

烏丸の言葉は芽吹を苛立たせた。

結果が既に決まっている出来レース。

それを知らされずに射幸心を煽られるという赤嶺頼人の状況が、勇者を目指す自分の姿と少しだけ重なって見えたのだ。

無論、それぞれの扱いには天と地との差がある。

だが、人をいいように使って、自分達の目的を遂げようとしている点は同じだ。

 

「赤嶺頼人を騙すんですか?貴方の上司なのに……いいんですか?」

 

烏丸など、このゴールドタワーにいる神官、職員たちは皆、鎮守府所属だ。

その鎮守府の長である赤嶺頼人の意向に反した行いである以上、一歩間違えれば裏切りとも捉えられかねないだろう。

 

「騙す……というのは少し違うわね。頼人様なら、これくらいのことは気付いているはずだから」

 

「なら、なぜ赤嶺頼人はこの条件を受けたんですか?不利なのは決まってるのに」

 

「勝算があるんじゃない?頼人様は勝算のない戦いはされないから。まぁだからこそ、こっちも最高の人材を用意したいわけよ」

 

「おだてれば私が素直に従うとでも思っているんですか?」

 

だとすれば馬鹿にしている……!

芽吹は言葉に出さず、けれど目でその意を示した。

 

「そんなつもりはないわ。信じられないだろうけど、貴女がこの役目に適任だと本気で思っているのよ」

 

「………………」

 

「これ以上、頼人様の負担を増やすわけにはいかない。ただでさえ鎮守府の御役目は激務なのに、調査任務にまで手を出されては、とてもじゃないけど頼人様の身が持たない。先日も過労で倒れられたばかりなのに」

 

「そんな自己管理もできない人間に、なぜ大それた御役目を続けさせているんですか?別に、赤嶺頼人じゃないといけないわけでもないんでしょう?」

 

「逆よ。鎮守府の御役目こそ頼人様にしかできない」

 

「彼だってまだ私達と同じ年齢です。そんなはずないでしょう」

 

「そう簡単な話じゃないの。権威、実力、政治……色んな問題が複雑に絡み合っててね。あの役割を果たせるのは頼人様をおいてほかにいない。残念ながら……というべきか、頼人様がいて良かったというべきかは分からないけど……」

 

「…………あなたでも……ですか?」

 

「まさか。私じゃ三日も持たないわよ。頼人様しかいない。私達には、どうしても頼人様が必要なのよ」

 

「………………」

 

「だから……お願い。この御役目、どうか引き受けて下さい」

 

目の前の女性はそう言うと、深々と頭を下げた。

さすがの芽吹もこの行動には少し驚いた。

大の大人に、こんな形で頭を下げられるとは思わなかったからだ。

 

「今回の件、あなたにはメリットもなにもない。けど、どうか引き受けてほしい」

 

「……一つだけ、聞いてもいいですか?」

 

しばらく考え込んだ末、芽吹はゆっくりと口と開いた。

 

「何かしら?」

 

「どうして、こんな事情を話したんですか?」

 

自分を戦わせたいのなら、わざわざ事情を話す必要はない。

ただ命令することだってできたはずだし、適当な理由をつけて戦いたがるように仕向けることもできたはずだ。

他にもっと楽な方法があっただろう。

 

「こういうのは事情を話しておかないとフェアじゃないでしょ。それに、頼人様からお願いされたことでもあるから」

 

「赤嶺頼人に?それは、どういう……?」

 

「ゴールドタワーにいる全ての子達と、誠実に向き合ってほしい。一人の人間として、尊重してあげてほしいって」

 

「一人の……人間として……」

 

「そういう方なのよ、頼人様は。……楠芽吹さん。貴女が頼人様に複雑な感情を抱いている事は知ってる。けど、頼人様は貴女達のことを大事に思っている、優しい方なの。頼人様が調査に参加する理由も、貴女達の為なんだから」

 

「……ですが、私達に危険な御役目に就くよう命じたのも赤嶺頼人です!それに、貴女自身は赤嶺頼人に誠実に向き合ってるようには思えません!そんな人の言葉が信じられるとでも……!?」

 

芽吹の脳裏には、勇者になれる可能性があると烏丸に言われた頃のことが色濃く焼き付いていた。

無論、彼女は上からの命令に従っただけに過ぎないだろう。

芽吹もそれは分かっていたが、それでも彼女に対して無意識に不信感を覚えてしまっていた。

 

「ええ、貴女が私を信じられないなんてことは分かっているわ。これが矛盾した行いであることも。だから、私を信じてなんてことは言わない。それでも、お願い。頼人様だけは危険に晒すわけにはいかないの」

 

「……そんなに……彼が大事なんですか?」

 

「ええ、私達にとっても、この世界にとっても。この状況をどうにかできるのは、頼人様において他にいないって私達は信じている。貴女からしてみれば、異常に思えてしまうかもしれないけど」

 

芽吹は返事をどうすべきか迷った。

烏丸の言は、確かに異常だと思えてしまう。

だが、彼女は巫女からの信頼も厚く、ここの管理を任される立場にある。

そんな彼女がここまで言わせたこと、それが芽吹の、赤嶺頼人への興味を引いた。

このゴールドタワーに来て以来、赤嶺頼人の話はよく聞いて来た。

けれど、その像はどうしても以前会った時の彼と重なりきらなかった。

知りたい。

赤嶺頼人のことを。

彼が何を考え、私を勇者に選ばなかったかを。

それが聞ける機会が得られると考えれば、この模擬戦を受けるのは悪い事ではないのかもしれない。

芽吹の返事は、決まった。

 

「……ふぅ、分かりました。引き受ければいいんでしょう?」

 

「ありがとう。本当に助かるわ」

 

芽吹が大儀そうに言うと、烏丸はほっとした様子で礼を言った。

普段なら、その様子にも苛立っていたかもしれない。

けれど、不思議と腹は立たなかった。

ただ、この人もこんなに安心した様子を見せるんだなと、ほんの少しだけ驚いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「楠。ちょっと……いい?」

 

「しずく?どうしたのこんな時間に?」

 

その日の夜、鍛錬を終えた芽吹が部屋に戻ると、部屋の扉の前にしずくがいた。

ひょっとして、昼の話をわざわざしに来てくれたのだろうか。

いや、それにしては時間が遅い。

 

「赤嶺と模擬戦するって。……本当?」

 

「ええ。彼がここに来た時に行われる予定よ」

 

どうやら、しずくは赤嶺頼人に関する話がしたかったらしい。

そういえば、しずくは彼と同じ学校だったという。

興味があったのだろうか?

そんな風に考えていた芽吹に、しずくは思いもよらない言葉を投げかけた。

 

「楠じゃ、赤嶺に勝てない。私達がやる」

 

しずくは、いつになく断固とした口調で想いを述べた。

 



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魚の木に登るが如し

更新遅すぎ問題。
本当に申し訳ない……。



居場所がない。

そう思うようになったのは、いつからだろう。

昔から、家には居場所がなかった。

お父さんやお母さんも、すぐに怒って、殴ったり、色んな痛いことをしてきたから。

私は、愛されてないのだと、思った。

静かにしてても、何もしなくても、痛いことをしてきたから。

もう一人の私、シズクが生まれて、少しは耐えられるようにはなったけど、それでも苦しかった。

それに、お父さんとお母さんは結局、心中しちゃったから、苦しい思い出しか残らなかった。

学校でも、居場所はなかった。

いじめられることはなかったけど、友達はできなかった。

ずっと、独りぼっちだった。

そんな時―――

 

「ねぇ、山伏さん。ちょっといいかな?」

 

クラスメイトの一人が話しかけてきた。

私の、シズク以外に出来た最初の友達。

赤嶺……頼人が―――

 

 

 

 

 

 

 

 

芽吹の朝は早い。

日の出前には起床し、トレーニングウェアに着がえて、タワーを出る。

最初にするのは、ジョギング。

近くの臨海公園から駅まで線路沿いと海沿いを通って向かい、そしてまた臨海公園に戻る。

それを二周。

防人になって以来の日課だ。

そうして、芽吹は、走りながら考え事をする。

昨夜のしずくの言葉を、ゆっくりと考える。

 

 

「楠じゃ、赤嶺に勝てない。私達がやる」

 

しずくは芽吹に向かって、そう言い放った。

正直なところ、怒りよりも先に、困惑が胸を支配した。

確かにしずくは、防人の中での序列は高く、銃剣型の防人の中では最も評価されている。

芽吹自身も、しずくの判断力の高さなどは認めていた。

だが、戦闘や運動の能力は低く、その序列番号も高すぎると芽吹には思えた。

そんなしずくが、突然、このような発言をしたのだ。

発言の意図も意味も分からず、どういう意味か訪ねても、そのままの意味だとしか答えは帰って来なかった。

結局、その後すぐにしずくは立ち去ったため、芽吹は発言の意図を図りかねたまま。

ただ、去り際に、「明日の放課後……。道場に、来て」と言われた。

自室で芽吹は、しずくの発言について考えたが、あまり実りはなかった。

左目の視力はなく、左足にも問題を抱えている相手に、芽吹が負ける道理はない。

むしろ、赤嶺頼人が勝てる要素の方が稀だ。

しずくに関してもそうだ。

では、ただ馬鹿にされたのだろうか。

そう考えた途端、無性に腹が立ってくる。

が、それにしては妙なことを口走っていた。

しずくは、私がやる、とは言わなかった。

私達がやる、そう言っていた。

私達とは、どういう意味だろうか。

複数でかかる……?

いや、模擬戦は一対一のはずだ。

そうでなければ、そもそもこの模擬戦の意味がない。

 

「ふぅ………」

 

気付けば、コースを走り終えていた。

次は、訓練施設の道場で、銃剣術の訓練を行う。

木銃を振るいながらもう一度、しずくの発言を考える。

きっと、馬鹿にしてきたわけではないのだろう。

高々、数ヶ月の付き合いではあるが、しずくがそういうことをするとは思えない。

だが、それでもしずくの発言を認めるわけにはいかない。

しずくの発言は、芽吹の方がしずくや赤嶺頼人より弱いという意味にも受け取れる。

もし、そうなのであれば……そう思うと、芽吹はまた、腹が立ってくる。

なにせ、芽吹には、防人の中では最も優秀だという自負があった。

個人の技量なら、勇者にも引けはとらないだろうと思うほどに。

事実、芽吹が隊長であるという事実が、その自負に説得力を与えている。

芽吹は非常に負けず嫌いな性格だったのも、怒りを生む原因になった。

それに加えて、芽吹の中には、自分は落第者とは違う、自分は勇者になるんだ、という激情があった。

いつまでもこんなところにはいない、という想いもあった。

防人の中ですら、頂点に立てないようでは、大赦が自分を認めるはずもない。

ましてや、怪我人ごときに負けるようでは、勇者になど成れるはずがない。

いずれにせよ、今日の放課後になればわかる話だ。

そうして、芽吹は再び木銃を振るった。

 

訓練を終え、朝食を食べ終えた芽吹は教室に向かった。

教室に着くと、既にある程度の人間が集まっていた。

 

「あ、メブ。おはよー。今日はゆっくりなんだね」

 

いつものように、雀が気付いて話しかけてきた。

 

「きょうはいつもより訓練を長めにしてたのよ」

 

「や、普段から、十分長いじゃん。メブ、訓練のしすぎとかで倒れないでよ?」

 

「これくらいじゃ倒れないわよ。というか、守ってくれる人がいなくなるのが怖いだけじゃないの?」

 

「えへへ、ばれた?」

 

「はぁ……。全く……」

 

芽吹は、言葉を返しながら、鞄の中から教科書を取り出す。

ゴールドタワーは、防人と巫女だけが集められた特別学校という側面も持ち、義務教育としての授業は普通の学校と同じように行われる。

 

「はい、皆おはよー!授業始めるから席ついてー」

 

しばらくすると、芽吹達の学年の担当である、烏丸が教室に入ってきた。

途端、たむろしていた他の少女たちも、慌てて席に着く。

こういう光景は、どこでも変わらないらしい。

と、そこで、芽吹は席に空白があることに気付いた。

あれは確か……しずくの席だ。

芽吹は少し気になって、烏丸にしずくはどうしたのかと聞いた。

 

「ああ、山伏ちゃんは風邪ひいて休むって、さっき連絡あったよ。今頃、医務室じゃないかな?」

 

「そう……ですか……」

 

昨夜、あんな事を言ったばかりなのに病欠とは……。

いや、タイミングが良すぎないだろうか。

本当に風邪なのだろうか……?

だとしたら、間の抜けた話だが……。

 

「はい、それじゃあ教科書の五五ページ開いてー」

 

思索の世界に入りかけた芽吹を、烏丸の良く通る声が現実へと引き戻した。

どの道、後で様子を見に行けばわかることだ。

今、考えるべきことでない。

そう思い、芽吹は授業に集中することにした。

 

 

 

 

「えー、バーテックスには種類が結構いるけど、四国に攻めてくる個体と他のバーテックスとの間には、明確な差異があります。その差異が御魂の有無。この御魂は、完成体のコアみたいなもんで、ここを破壊されると、バーテックスは完全に消滅するわ。頼人様がサジタリウスを殲滅した時に、初めてその存在が確認されて、そこから封印のシステムが完成したのよね。おかげで、それまで撃退しかできなかったのが、現在では封印により、御魂を引き釣り出して連中を殲滅できるようになったのよ。封印の有用性が、瀬戸大橋跡地の合戦で証明されたのは、みんな知っての通りね」

 

烏丸が、板書をしながら御霊について語っている。

バーテックスなど御役目に関わる座学だ。

このように、御役目の為の訓練が課せられることが普通の学校との違いだろう。

ただ、この座学に参加しているのは防人のみで、今の時間、巫女達はそれぞれ巫女の為の座学を受けている。

神に関する知識や、儀式のための教育が多いらしく、正直なところ、話を聞いても門外漢の芽吹にはあまりその内容は理解できなかったが……。

 

「せんせー。その瀬戸大橋跡地の合戦の映像なら何度も見ましたけど、赤嶺様が戦った時の映像ってないんですかー?」

 

一人の少女が、唐突に烏丸に質問した。

そう。バーテックスと勇者との戦闘は、そのほとんどが記録されている。

芽吹達も、授業ではそれらの映像を何度も見せられたが、赤嶺頼人が戦った日の記録映像は見ることがなかった。

データや文書で、どういう戦闘が行われたかは分かるものの、映像は見れていない。

 

「あるけど見るのはだーめ」

 

「えー。何でですか?」

 

「あの映像はかなりショッキングだから、そう簡単に見せる訳にはいかないのよ。貴女達だって、見たらトラウマになって、夜トイレに行けなくなるわよ」

 

「むぅ……」

 

少女が押し黙る。

データで、赤嶺頼人がどれだけ傷ついたか知っているため、見るのが少々怖くなったのだろう。

烏丸も、実戦前にそのような映像を見せても、ただ恐怖感を与えるだけだと考えているのかもしれない。

 

「はい、じゃあ続けるわよ。この封印という概念が生まれて以降、対バーテックスの戦術も随分変わって―――」

 

そうして、烏丸は勇者の基本戦術を話し、続けて、防人の戦術を話し始めた。

群を活かし、陣形を構築しての戦い。

勇者を前面に出し、防人はその後ろから援護と採取作業を行う。

安全ではあるが、同時に屈辱的だ。

こんな御役目で、本当に、勇者に昇格できるのか。

一瞬、不安がよぎるも、芽吹はそれをすぐさまかき消し、決意を思い出す。

 

私は勇者になるんだ……!

そのためにも、この程度の御役目は完璧以上にこなしてやる!

 

 

 

一通り授業が終わり、やがて訓練も終わった。

あっという間に放課後だ。

普段なら、すぐに芽吹は道場に向かうところだが、昨夜の件がある。

結局、しずくは病欠、食堂にも姿を現さなかった。

芽吹は少し考えると、一先ず、しずくの部屋に行ってみることにした。

 

「しずく、いる?」

 

部屋の扉をノックして尋ねるも、返事はない。

しーんとしたままだ。

寝ているのだろうか。

なんとなしに、ドアノブを回してみると、鍵はかかっていなかった。

入るかどうか、芽吹は一瞬迷うも、念のため、見ておいた方がいいだろうと、部屋をのぞき込んだ。

一見、人の気配はない。

中に入って、一通り調べるも、いない。

もしかすると、医務室にいるのかもしれない。

そう思い、医務室に向かうも、そこにもいない。

医務官に話を聞くも、そもそもここには来ていないという。

 

おかしい。

しずくが本当に病欠ならば、自室か医務室にいるはずだ。

だが、大束町を離れているわけでもないだろう。

離れていれば、大赦の連中は気付くはずだ。

なら………やはり…………。

 

 

 

 

「メッ、メブ~~~~!!」

 

ゴールドタワーを出て、道場に向かうと、雀が急に抱き着いてきた。

 

「私を守ってメブ!今守って!すぐ守って!!」

 

「ちょ、ちょっと雀。どうしたのよ」

 

「し、しずくが……しずくがおかしくなっちゃったんだよ~~!もう鬼みたいな感じで!」

 

「しずくが……?」

 

「うぉおおおい!誰が鬼だ!」

 

道場の奥を見れば、戦衣を纏ったしずくが叫んでいた。

が、その様子は普段とはまるで違う。

確かにおかしい。

いつものしずくとは、まるで別人だ。

しずくの近くには、何人かの防人が倒れていた。

皆、戦衣を纏っている。

指揮官型の少女が多かったが、弥勒など銃剣型もいる。

 

「ひっ、ひぃいいいいい!!!メブ、お助け~!」

 

雀が芽吹を盾にして叫ぶ。

普段なら呆れるところだが、しずくの様子は尋常でなく、呆れるような暇はなかった。

 

「しずく、風邪って聞いていたけど、元気そうね」

 

「あ?あんなもん仮病に決まってんだろ」

 

「やっぱりね……。で、約束通り来たけど………随分、暴れているみたいね」

 

「ああ、お前がくるまで暇だったから、軽く揉んでやったんだよ。骨のない連中だったぜ」

 

「ま、まだ、終わってませんわぁああああ!!」

 

瞬間、しずくの言葉に呼応するように弥勒が立ち上がり、しずくの後ろから銃剣で刺突した。

見えない位置からの攻撃。

だが、しずくは体を半回転させ躱し、その勢いのまま弥勒の腹を蹴り上げた。

 

「うぐぅ!」

 

弥勒が吹き飛ばされ、床に転がる。

 

「気配がバレバレなんだよ。ったく、つまんねぇ」

 

シズクがため息交じりで言う。

やはり、どう見ても別人だ。

 

「……それで、その様子は何?あなた、二重人格だったわけ?」

 

「お、よく分かったじゃねえか。確かに、俺はあっちのしずくとは違う。もう一人の山伏シズクってやつだ」

 

半ば、冗談で言った言葉が当たるとは。

芽吹は驚いたものの、同時にどこか納得もいった。

倒れている防人は、指揮官型……つまり、上位の防人が多い。

彼女等を一人であしらえるということは、それだけ戦闘力が高いことを意味する。

もう一人のシズクという存在が、彼女の序列の高さの理由なのだろう。

 

「で、私を呼び出した理由は何?道場ってことは……」

 

「ああ、お前と闘り合うために呼んだ。俺が勝ったら、赤嶺と闘るのは俺になるからな」

 

「なんで、あなたが赤嶺頼人と戦いたがるのよ。そんなことしても意味がないはずよ」

 

「意味ならあるぜ。俺なら、赤嶺に勝てる。だが、お前にゃ無理だ」

 

その言葉に、芽吹のこめかみに青筋が立つ。

 

「私が、負けるですって……?怪我人相手に……?」

 

芽吹は、怒りを懸命にこらえて、言葉を絞り出す。

 

「ああ、お前じゃ赤嶺には勝てねえ。踏み台になるのが関の山だ」

 

「え?え?どういうこと、めぶ?」

 

雀が、訳が分からないと言った様子で尋ねるも、芽吹はそれを無視して、話を続けた。

 

「意味が分からないわね。私が負ける要素はない。どういうつもりで、言ってるの?」

 

「はっ。お前が勝てない理由が聞きてぇか。なら、俺に勝ちな。そうすりゃ教えてやるよ」

 

明らかな挑発。

普通に考えれば、乗るべきではないのだろう。

だが、芽吹はかなりの負けず嫌いだった。

こんな事を言われて黙ってはいられない。

 

「いいわ。上下関係を教えて込んであげる」

 

詳しい事情は後でいい。

どの道、こんな様子では今後、まともにこちらの指示を聞くかも分からない。

放っておくのは良くない。

今は、この獣に上下関係を叩きこむべきだ。

話はそれからでも遅くはない。

 

 

 

 

芽吹とシズクは、互いにアプリを起動し、戦衣を身に纏った。

今回、芽吹は銃剣型の戦衣を使うことにした。

しずくが銃剣型の為、装備で性能差が出ないようにするためだ。

なお、他の少女は既に道場にはいない。

皆、医務室に行ったのだ。

雀には、彼女等の付き添いを頼んでいた。

 

「お前は指揮官用の戦衣でもいいんだぜ。そっちの方が性能がいいんだろ?ちょうどいいハンデだ」

 

「負けた時の言い訳にするつもり?通常装備で十分よ」

 

「ふん。そうかよ」

 

その言葉を合図にするかのように、互いに銃剣を構えた。

しばしの間、沈黙と共に、対峙する。

芽吹は小さく深呼吸し―――先手を取った。

一気に彼我の距離を詰め、直突から横薙ぎに刃を振るい―――。

 

「っ―――!」

 

――――首元に飛んできた刺突をぎりぎりで躱した。

 

「おっ、今のを避けたか」

 

芽吹は三歩下がり、再び銃剣を構える。

……なんて奴。

シズクは芽吹の刺突を最小限の動きで避け、片腕だけでカウンターを放ったのだ。

何という身のこなしだろうか。

慎重に行かないと……やられる……!

 

「なんだ、来ないのか?じゃあ、今度はこっちから行くぜぇ!」

 

瞬間、シズクは芽吹との距離を詰め、連続で刺突を放つ。

 

「ちぃ……!」

 

芽吹は後退しながらもその刺突をよけ、打ち払い、何とか凌ぐ。

だが、やられっぱなしではない。

芽吹は相手の刺突を自身の後ろに打ち払い流し、間髪を入れずにシズクの胴へ刺突した。

しかし、シズクは身をよじり、簡単にその刺突を避ける。

返す刀で、シズクは袈裟斬りに銃剣を振り下ろした。

 

「ほらよっ!」

 

「くっ……!」

 

芽吹は銃身でその一撃を受け止める。

 

重い……!!

彼女の体格からは想像もできないほどの膂力……!

それに、凄まじく速い……!

突きの鋭さも、身のこなしも尋常じゃない……!

 

身体の重心や関節の移動が、天才的に巧いのだろう。

それに加えて、シズクは芽吹の動きを読んでいる節があった。

おそらく、これまでの訓練中に芽吹の動きを見て、癖などを読んでいたのだろう。

しずくの経験が、シズクに活かされているのは明らかだった。

間違いなく不利な状況。

それでも、芽吹は負けるわけにはいかない。

こんなところで負けるようでは、勇者は夢のまた夢なのだ。

 

芽吹とシズクの振るう刃が、何度も何度も交差する。

シズクの攻撃は鋭く正確で、芽吹は押されるも、懸命に刃を振るう。

 

「気合入ってるじゃねえか!絶対負けちゃダメだって、自分に言い聞かせてるみたいだぜ!?」

 

「あなたこそ、随分懸命ね!そんなに赤嶺頼人と戦いたいの!?」

 

「そんなんじゃねえ!俺達はあいつを戦わせる訳にはいかねえんだよ!」

 

「なら、私に任せておけばいいでしょ!ただ、自分の力を誇示したいだけじゃないの!?」

 

芽吹は一際強く、銃剣を振るい、シズクと距離を空ける。

 

「やっぱり、お前は何もわかってねえ。赤嶺がお前を選ばなかった理由がよく分かるぜ」

 

「何を……!?」

 

シズクが再び、銃剣を横薙ぎに振るい、芽吹がそれを受け止める。

つばぜり合いの形となり、二人の視線が交差した。

 

「お前は自分のことしか見えてねえ!いつもいつも自分のことばかりだ!視野が狭いったらありゃしねえ!」

 

「……だから……だから何!?それと、選ばれなかった理由に、何の関係があるのよ……!」

 

「分からねえか?赤嶺はな、あいつらの背中を守れる奴を選んだんだ!お前じゃなく、三好をな!」

 

「…………!」

 

「お前だって知ってるだろ。三好は、素直じゃなかったけどな、困ってるやつを放っておけない奴だった。勇者って奴はみんなそうだ。自分より他人を大事にしちまう、馬鹿で、けどすげえカッコいい奴らなんだよ!」

 

シズクは思い出す。

神樹館で、ずっと独りぼっちだったころ、初めて赤嶺が声を掛けてきたときのことを。

しずくは自分が話しかけられるとは思わなくて、嬉しくて、でも、うまく話せなくて……急に怖くなってしまった。

話しかけてくれたのに話せなくて、結局、拒絶されてしまうことを。

そこまでなら、まだ良かっただろう。

だが、しずくはつい、思い出してしまった。

拒絶という言葉から、両親のことが頭に浮かんでしまった。

そうして……シズクが出てきてしまった。

シズクは、赤嶺を敵だと思った。

シズクを怖がらせる悪い存在だと。

普通なら、シズクを相手にした子供は逃げだすだろう。

粗暴で荒々しいシズクを好きになってくれる子供は、殆どいない。

けれど、それでも赤嶺は、正面からシズクとぶつかった。

シズクを一人の人格だと、人間だと認めた。

嬉しかった。

しずく以外の人間に、自分を認めてもらえるとは思ってもみなかったから。

しずく以外に、友達ができるなんて思っていなかったから。

そうして、赤嶺と一緒にいる内に、友達もできるようになった。

だから、しずくと、シズクは赤嶺のことを好きになった。

恩義を感じるようになった。

だから、しずくとシズクは決めた。

赤嶺に何かあった時、力になろうと。

無茶なことをしようとしてたら、二人で止めてあげようと。

 

シズクは強引に銃剣を振り払い、再び芽吹と距離をとった。

 

「だがな楠、今のてめえは違う。力を認めさせるためだとか、プライドのためにって息巻いて、周りがまるで見えてねぇ。自分が自分がって駄々をこねるガキだ。そんな奴が、あいつらの背中を守れるはずがねえ。赤嶺が力を託すわけ、ねえだろうが!!」

 

シズクが踏み込む。

そこから一気に距離を詰め、シズクは逆袈裟に銃剣を振るった。

芽吹はぎりぎりで受け止める……が。

瞬間、受け止めた芽吹の銃剣が大きく上へ弾かれた。

 

「しまっ―――!」

 

これまでの打撃よりも、さらに重い一撃。

途中まで加減をし、ここぞというところでの最大限の攻撃。

シズクはこの一撃に懸けていたのだ。

そう気づいたところでもう遅い。

芽吹の胴ががら空きになる。

次の一手でやられる……!

芽吹がそれを自覚した瞬間―――

 

「あなた達!!何やっているの!!!」

 

突如、二人に割って入る声が響いた。

声のした方向を見ると、烏丸が腕組みして立っていた。

 

「なんだぁ?急に邪魔しやがって」

 

芽吹から距離を置き、シズクは烏丸を睨みながら言った。

 

「なんだじゃないでしょ!?今すぐ、止めなさい!」

 

シズクの言葉に烏丸は怒りをあらわにして答える。

 

「これは防人同士の模擬戦です。何故、止めるんですか?」

 

芽吹もまた、苛立ちを籠めて言う。

芽吹はさっきの一瞬、助かったと、ほっとした。

そして、ほっとしたこと自体に腹が立った。

それは、まさしく自分の負けを認めることに他ならなかったからだ。

芽吹の態度は、その苛立ちが転化したものであった。

だが、そんな二人の様子に動じず、烏丸は声を張り上げた。

 

「ええ、模擬戦結構!訓練としては確かにいいわ!でもね、模擬戦にモノホンの銃剣使っていいわけないでしょ!怪我したらどうすんのよ!」

 

「「……………」」

 

芽吹とシズクは、思わず押し黙る。

互いに熱くなっており、木銃を使うという発想がまるきり抜け落ちていた。

 

「ちっ、白けちまった」

 

シズクはそう言うと、戦衣を解除し、道場を立ち去ろうとする。

 

「待ちなさい!まだ勝負は……!」

 

「明日やってやるよ。俺は腹が減った」

 

「待ちなさい、山伏ちゃん。今日、仮病を使ったのは……って、速っ……!?」

 

芽吹と烏丸が呼びかけるものの、シズクはあっという間に道場からいなくなってしまった。

随分と足が速い。

 

「はぁ……。あれがもう一人の山伏ちゃんか……」

 

烏丸が頭を抱える。

どうやら、烏丸もシズクを見るのは初めてだったらしい。

だが、芽吹にはそんなことはどうでもよかった。

そんな事よりもただ、今は一人になりたかった。

芽吹もまた、道場を立ち去ろうとする。

 

「待ちなさい楠ちゃん。あなたからは詳しく事情を聞くわよ」

 

「知りません。向こうが勝手に、赤嶺頼人と戦うのは自分だって突っかかって来たんです」

 

芽吹が不機嫌さや苛立ちを隠さずに言う。

 

「えっ……山伏ちゃんが?……なんで?」

 

「だから知りません!そんなことはしずくに聞いてください!」

 

そう言って、芽吹は道場を後にした。

 

 

 

 

 

 

「くっ………!」

 

芽吹は大浴場の壁に、自分の拳を叩きつけた。

他に人がいれば迷惑になる行為だろうが、今の時間、大浴場に人はいなかった。

 

自分しか見えていない。

その言葉が何度も頭の中でリフレインする。

考えないようにしようとしても、どうしても考えてしまう。

赤嶺頼人が自分を選ばなかった理由。

自分しか見えてないことがそうだと、シズクは言った。

だが、それは芽吹にとっては、あまりにも当たり前のことであった。

それは、勇者になるために、必要なことのはずだったから。

 

勇者になるためには、最も優れていなければならないと思った。

勇者になるためには、誰よりも自信を鍛え上げなくてはと思った。

だから、芽吹は、勇者になるために他人との関わりを徹底的に排除した。

他人に構わず、自身を鍛え上げることにのみ集中するべきだと、余分な贅肉は切り捨てるべきだと、そう思ったから。

他人との関わりだけじゃない。

芽吹は勇者になるために、多くのモノを切り捨ててきた。

娯楽も、友情も、恋愛も、何もかもを捨て、針のように鋭く鋭く自らを高めてきた。

そうすれば……勇者になれると信じて………。

 

けれど、シズクの言葉がもし当たっていたのならば…………その芽吹が切り捨てて来たモノこそが、勇者になるのに必要なモノだったのではないか―――

 

「なら……なら……最初に言いなさいよ…………!どういう人間が必要かって………!!」

 

芽吹が八つ当たりのように、小さく叫ぶ。

それが何にもならないことは、芽吹自身が一番よく分かっていた。

だが、叫ばずにはいられなかった。

そうしなければ、不安に押しつぶされそうだったから。

 

 

芽吹は、あまりにも多くのモノを捨ててきた。

それ故に、切り捨てたモノの山に、勇者になるために必要な要素がどれほどあるのか、分からない。

取り戻し方も分からない。

そもそも、そういった要素なしに積んできた、自分の努力が正しかったのかも分からなくなっていた。

足元が崩れていくような感覚がする。

芽吹が挫折を味わったのは、これが初めてではない。

芽吹は何度も、期待を裏切られてきた。

だが、それでも、こんなことは初めてだった。

 

今までずっと、芽吹は自分の生き方が正しいのだと信じてきたし、誰にも否定させるつもりはなかった。

勇者に選ばれなかったものの、自分の努力は間違いではないと信じていた。

だが、シズクと戦い、彼女の言葉を聞いて、芽吹は思ってしまった。

 

自分の生き方と、勇者になる条件とは、どうしようもなく相反しているモノではないかと………。

 

そんなはずがない……!

あり得ない……!

芽吹は不安をかき消そうとする。

……けれど、その不安は心中にこびりついていた。

心の片隅に、もしかしてという想いが燻ってしまっている。

芽吹は初めて……自分の生き方の疑問を覚えてしまっていた……。

 

「あれ、芽吹先輩?」

 

その時、亜耶が浴場の扉を開けて入ってきた。

 

「珍しいです。芽吹先輩が大浴場を使っているなんて」

 

亜耶が無邪気な顔で言いつつ、かけ湯で体を流す。

そして、湯船に入り、芽吹の隣に座った。

 

「ええ。たまにはね……。それじゃ、私はもう出るから……」

 

芽吹は湯船から立ち上がり、浴場を出ようとした。

あまり、人と話したい気分ではなかった。

できるだけ、一人で居たかった。

 

「待って下さい。芽吹先輩、辛そうな顔をしています。なにか、あったんじゃないですか?」

 

だが、亜耶がそれを引き留めた。

 

「私は大丈夫よ。気にしないで」

 

「でも、芽吹先輩、何か悩んでますよね?よかったら、話してくれませんか?きっと、少しは楽になるはずです」

 

亜耶がそっと寄り添うように言う。

亜耶は、巫女の中でも特に、防人の御役目のことを、自分のことのように思っている。

それ故に苦しむ、誰よりも優しい少女だった。

だから、芽吹の苦しみを理解しようと思ったのだ。

 

「本当に、大丈夫だから……!亜耶ちゃん、悪いけど疲れてるの。それに、亜耶ちゃんには分からないことだから」

 

けれど、芽吹は、そんな亜耶の言葉にさえ苛立った。

巫女である亜耶が、芽吹の挫折を、苦悩を分かるはずがない。

そして、亜耶の言葉に甘えてしまったら、シズクの言葉を認めたことになってしまうのではないか、という根拠のない不安があった。

 

「だったら五分だけでいいんです。私には分からなくても、ほんの少しだけでも誰かに話せば、気持ちも整理しやすいと思いますよ?」

 

「………」

 

だが、芽吹の拒絶の言葉にも、亜耶は動じなかった。

余りにも優しく、温かいその反応に、流石の芽吹も毒気を抜かれてしまう。

 

「はぁ…………」

 

気が付けば芽吹は、再び、亜耶の隣に座っていた。

なんだか、急に色んなことが馬鹿らしくなってきた。

 

一瞬、話すべきかと悩んだが、最早どうでもいいと、亜耶にすべてを話し始めた。

半ば、自棄だった。

シズク言われたこと、圧倒されたこと。

今までの努力に意味はなかったのではないかという不安。

芽吹が今までに捨ててきたモノの話。

洗いざらいを芽吹は吐き出した。

その全てを、亜耶は黙って聞いていた。

 

 

そうして、話し終わったころ、亜耶は芽吹の手を包み込むように、そっと握った。

 

「芽吹先輩、話してくれてありがとうございました」

 

「亜耶ちゃん……?」

 

「大丈夫です。芽吹先輩の努力は、決して無駄じゃありません。現に今、防人の隊長に選ばれてるじゃないですか。これは、芽吹先輩の努力に意味があった証拠です」

 

「でも、私は……」

 

「先輩が防人になる前のことも大体、聞いています。それに、ここで芽吹先輩が頑張ってる姿をずっと見てきました。だから言えます。芽吹先輩は、また立ち上がれます」

 

「――――!」

 

「芽吹先輩は一生懸命に頑張って……期待して、期待して、でも期待通りにならなくて、その分だけ傷ついてしまう。けど、芽吹先輩は、今まで一度も諦めなかった。何度も立ち上がって、地道に努力してきたじゃないですか。だから……今度だって、絶対大丈夫です」

 

その言葉で、芽吹はそれまでの苛立ちが不思議と消えていくのを感じた。

同時に、心にゆとりを持つこともできた。

そうして気付く。

最初から、悩む必要はなかったことに。

 

「芽吹先輩が自分を否定することなんてないんです。目標のために一生懸命になれるのは先輩の美徳ですし、芽吹先輩のそういうところ、私はすごく好きですから」

 

そうだ。

自分は、この生き方を今まで貫いてきた。

それは、尊敬する父の生き方でもあったから。

確かに、父のようなストイックな生き方は、人間性が欠けていたかもしれない。

周囲から理解されなかったかもしれない。

けれど、どんなに酷い事を言われても、どんなに理不尽な依頼があろうとも、ただひたむきに仕事を行うその姿を、神聖なものだと感じてしまった。

その背中に、どうしようもなく憧れてしまった。

私も、そういう風に生きたいと思った。

だから、決めたのだ。

何があっても、この生き方を貫こうと―――

 

「ありがとう、亜耶ちゃん。私、大事なことを忘れてたみたい」

 

そうだ。

この生き方だけは、誰にも否定させないと決めたのだから、この生き方が正しいのかなんて思う必要はなかった。

それは、自分で自分の全てを否定する行為だ。

そんな事をしても意味はない。

芽吹のやることは―――決まった。

 

 

「でも、確かに、もう少し周りを見れるようになるべきなのかもね」

 

「視野だったら、これから広げていけばいいじゃないですか。私達はまだ子供なんですから、これからいくらでも広げられます。それに、今の芽吹先輩は一人じゃないんですから」

 

「そうね。ただ、いざ広げようと思っても、やり方はよく分からないから、これから考えなきゃいけないけど」

 

「そうですね……。あっ。そういえば、過去の経験を思い出すことでも、視野は拓けるという話をこの前聞きました」

 

「過去の……経験。温故知新といったところかしら」

 

「ええ、頼人さんはそうされているそうですよ?」

 

「また、赤嶺頼人なのね……」

 

芽吹は少しげんなりする。

ここ数日で、その名前は聞き飽きた。

正直、しばらくは聞きたくもないが、それはさておき、その言葉を聞いて、一つ思いついたことがあった。

シズクは強い。

天才的な戦闘センスに加え、銃剣術の技量も優れている。

普通にぶつかっても、勝つのは難しいだろう。

だが、今話しをしていて、シズクに勝つ算段が生まれた。

 

「本当に、ありがとう亜耶ちゃん。おかげで、何とかなりそうだわ」

 

もう二度と、遅れはとらない。

 

 

 

 

 

「あれ、楠ちゃん?どったの急に」

 

「いえ、ちょっと聞きたいことがあったので」

 

「あら、そうなの。珍しいこともあるわねー。とりあえず、入って入って」

 

芽吹は、烏丸の部屋を訪ねた。

昨日の部屋とは違って、彼女の私室だ。

芽吹は少し躊躇してから、おずおずと言葉を紡いだ。

 

「あの、先ほどはすみませんでした。八つ当たりのようなことをして……」

 

「………」

 

反応がなく思わず顔を見ると、烏丸は少し驚いた顔で、黙って芽吹の顔を見ていた。

まるで、固まっているかのようだ。

 

「あの……?」

 

「ふふっ……ふふふ……」

 

しばらく肩を震わせたかと思うと、烏丸は声をあげて笑い始めた。

 

「な、何がそんなにおかしいんですか!?」

 

「い、いや……。あ、改まって何を言うかと思えば……お、大真面目に謝られるなんて思ってなかったから……」

 

烏丸が肩を震わせて言う。

随分と壺に入ったらしい。

 

「私が謝るだけで、そんなに面白いんですか」

 

「いやね、てっきりまた怒鳴られるかなって思ってたからさ」

 

「私、そんなに普段から怒ってますか?」

 

「ええ、常に怒ってるように見えてたわよ。勝手な感想だけれどね」

 

失礼な。

自分が、そんなに癇癪持ちだと思われているとは……。

芽吹は少し、イラっとした。

 

「ほら、また怒ってる」

 

「それはあなたが……!」

 

「ごめんごめん。でも、怒鳴られるって思ったのは本当。山伏ちゃんの件、黙ってたから」

 

「……そういえば、彼女のあれ……なんで黙っていたんですか?」

 

「あら、理由を聞いてくれるのね」

 

「当たり前です」

 

芽吹はため息をつきながら答える。

一体、人をなんだと思っているのだろうか。

 

「答えは簡単、本人の希望よ」

 

「本人の希望……大人しい方のしずくの?」

 

「そ。話すときは自分で話すから、黙っててほしいって」

 

「話すときは……自分で……」

 

ならば、ある意味でシズクはその約束を守ったとも言える。

 

「もう一人の山伏ちゃんはね、おとなしい方の山伏ちゃんが、追い詰められたり、強いストレスを感じたりすると出てくるらしいのよ。めっちゃ荒々しくて暴れん坊だから、もしかしたら、出てこない限り話すつもりはなかったのかもね」

 

「ストレスを感じると………。自分で切り替えられるわけではないんですか?」

 

「そういう制御はできないって聞いたけど?」

 

「そう、ですか……」

 

芽吹はそう答えたものの、心の内には疑問を感じていた。

さっきの話からするに、シズクは自分から戦う為に出てきたような印象を受けた。

それに、昨日の晩の話を考えると、粗暴なシズクが出てきたのは、彼女の意志としか思えない。

だが、制御はできないという……。

シズクが出てきたのは、偶然なのだろうか……?

 

「何か、気になるの?」

 

「昨夜、しずくに言われたんです。今日の放課後に道場に来てほしいと。それで、行ってみれば、シズクがああなっていたので、自分で切り替えたんじゃないかって」

 

「ふむ……。じゃあ、今日の仮病は……」

 

「心当たりが?」

 

「いや、山伏ちゃんもしかしたら、自分で自分に強いストレスを与えたんじゃないかしら。人格を交代するために」

 

「自分で……」

 

自分で自分にストレスをかけるなんて、そう簡単な話じゃないだろう。

きっと、精神にかなりの負担がかかるはずだ。

何故、シズクはそこまでするのだろう……?

 

「頼人様と戦うのは自分って言ってたのよね?」

 

「ええ。……そういえば、赤嶺頼人との件、しずくにも話してたんですか?」

 

「楠ちゃんにしか話してなかったんだけどね。別ルートで話を仕入れたみたい」

 

「別ルートって……」

 

「多分、大赦の上の方。神樹館には大赦関係の人も大勢いたから、そこからでしょうね。……で、よ。頼人様との模擬戦……明日のあなたたちの決闘次第で、相手は決まるわ」

 

「そうですか」

 

「……怒らないの?今度こそ、ぶん殴られるものと覚悟してたのよ?」

 

「だから、人をなんだと思っているんですか……!?」

 

自分はそれほど暴力的じゃないはずだが……。

芽吹はまた少しイラっとした。

 

「いや、だって結果的には嘘吐いたようなものなのよ?」

 

「確かに少しは腹が立ちます。けど、最初からシズクは倒すつもりでしたから。結果は変わりません」

 

どの道、シズクに負けた場合、赤嶺頼人と戦うつもりはなかった。

それでは、自分自身に納得がいかないからだ。

それに、こんなところで負けているようでは、この先、防人の隊長が務まるわけがない。

勇者も夢のまた夢だろう。

 

「そっか。……なんだか、今日は驚きの連続ね。楠ちゃんにこんな一面があるなんて、思ってなかったわ。頼人様にも報告しとかなくちゃ」

 

「あの、お願いですから、赤嶺頼人の話はしないでください……」

 

芽吹は少し、げんなりした。

 

 

 

 

次の日。

芽吹は道場に来ていた。

シズクと再戦するためにだ。

既にシズクは準備運動を始めている。

それはいいのだが……。

 

「メブ、大丈夫なの?あいつ、メッチャ強いんだよ!いくらメブでも今度こそ……」

 

「ええ、今の彼女はわたくしと同じくらい強いですわよ、芽吹さん」

 

「いや、弥勒さん昨日ボコボコだったじゃん……」

 

「わ、わたくしはまだ本気を出してないだけですわ!!」

 

「ねえ……。なんで、あなたたち、ここに来ているの?」

 

道場には雀、夕海子、亜耶も来ていた。

 

「皆、芽吹先輩が心配で見に来たんですよ」

 

「違いますわ、国土さん!わたくしは単なる興味本位ですわ!」

 

「とにかく、芽吹先輩。怪我には気を付けてくださいね……?」

 

亜耶が、しっかりと芽吹の目を見て言った。

 

「心配しないで。獣は人間様に勝てないってこと、教えてくるだけよ」

 

 

 

 

シズクと向かい合い、戦衣を纏う。

昨日と同じだ。

 

「んじゃまぁ、ささっと決着をつけるか。どうせ、俺が勝つけどな」

 

シズクが不敵に笑う。

それが、強さに裏打ちされた自信によるものだということがよく分かる。

 

「好きに言うといいわ。勝つのは私だから」

 

「まだ自分の方が強いと思ってるのか。昨日、散々思い知っただろ?」

 

「そうね、確かに昨日は危なかったわ。けど、今日も同じとは思わない事ね」

 

銃剣を実際に使用するのは禁止されたため、互いに木銃を構える。

シズクは構えたまま動かない。

余裕の証か、先手は譲ってくれるようだ。

舐められている……。

その事実に、芽吹は頭に血が上りそうになるが、冷静さを失わないように小さく深呼吸した。

いいだろう。

舐めてかかったことを後悔させてあげる……!!

 

「ふっ――――!」

 

芽吹は、一気に踏み込み、シズクの首元を狙い刺突を放った。

だが、シズクは芽吹の動きに合わせ木銃を振るい、その刺突を左に打ち払い流し、そして、そのまま木銃を半回転させ、銃床で芽吹の顎を狙う。

 

「くっ!」

 

芽吹はそれを上体を反らして回避し、同時に後ろに下がって距離をとる。

 

銃床……!?

まさか、ここに来て、新たな技を使うなんて……!

 

芽吹は、少し驚く。

というのも、日本の銃剣道などでは、そもそも銃床を使った技は教えられていないからだ。

これは、日本の銃剣術が槍術の流れを汲む技術であり、他国の銃剣術とは根本的に考え方が違ったためであった。

 

次の瞬間、シズクが動いた。

刺突からの横薙ぎ。

芽吹は銃身で受け止めるも、シズクはお構いなしに、木銃を振るい続ける。

芽吹はその一つ一つを必死に迎撃する。

道場に、木銃がぶつかり合う音がこだまする。

 

「へっ、執念を感じるぜ、お前。昨日、勇者になれねえって教えてやったのに、まだ戦うつもりか!?どうして、そこまでするんだよ!?」

 

「ええ、確かに昨日のあなたの言葉には、ドキッとさせられたわ。正直、私が間違ってたんじゃないかとも思った……」

 

「だったら――――!」

 

「でもね、それでも……それでも私はこの生き方を続ける!否定するならいくらでもしろ!私は、絶対に勇者になる!!誇りも、この生き方も絶対に捨てない!!」

 

シズクを真っ直ぐに見据えて、芽吹が咆哮するように叫ぶ。

 

「はっ、開き直っただけじゃねえか!!」

 

「それがどうした!どの道、勇者になるための王道なんて存在しない!だったら、この生き方でこのやり方で目指してもいいはずよ!!」

 

「相変わらず、ぎらついてるなてめえは。他人の芝生を見て、よだれ垂らしてるガキのままだ。そんなままで……!」

 

シズクが一歩下がり、木銃を構える。

……来る!

芽吹がそう考えた瞬間、シズクが踏み込んだ。

 

「そんな格好悪いままで、勇者になれるわけねえだろ!」

 

一瞬で間合いに入り、シズクは鋭い刺突を繰り出した。

圧倒的な迅さ。

まさしく、シズクの才能を証明する一撃。

避けられるタイミングではない。

 

その一撃を目にした瞬間、なぜか芽吹の頭はしずくの攻撃ではなく、シズクの言った言葉について考えていた。

格好悪い、か……。

芽吹は、今までずっと愚直に、がむしゃらに頑張ってきた。

勇者になりたくて、どうしてもなりたくて、その為だけに頑張ってきた。

確かにそれは泥臭くて、傍から見れば、格好悪いかもしれない。

けど―――!

 

――――格好悪くて上等!私は私のやり方で勇者になる!!

 

 

思考する前に、身体が動く。

芽吹は、自身の銃身を握っていた左手を銃床まで移動させる。

そして、迫りくる木銃の銃身の下部に、自身の木銃の銃身を添えるように押し当て、切っ先が直撃する瞬間に力を籠め、刺突を弾くようにずらした。

これは、厳密には銃剣術の技術ではなかった。

以前、芽吹が学んだ、剣術の技を銃剣に応用したもの。

だが、成功したのは、芽吹の努力によるものだった。

シズクの一撃は強力かつ精密で、コンマ一秒でも、動きが遅れれば、力を籠めるタイミングがずれていれば、芽吹の体に命中していただろう。

まさしく、鍛えぬいた芽吹の反射神経と動体視力、そして腕の一部のように感じるほど、何千何万と銃剣を振るってきた経験が実現した絶技であった。

シズクは木銃が弾かれた反動で、一瞬体勢を崩す。

それは、どうしようもなく致命的な隙。

芽吹は体を回転させながら、木銃の握り方を変えた。

銃剣の握り方でなく、刀の握り方に。

そして、身体を回転させたことにより、芽吹は最も木銃を叩きこみやすい位置に移動した。

シズクが体勢を立て直すよりも速く、回転させた勢いのまま、逆袈裟に木銃を振るう。

 

「ぐっ、ふぅ……!」

 

シズクの脇腹に木銃が叩きこまれた。

シズクの刺突を受け流してから、瞬く間のことでった。

勝敗は……決まった。

 

 

「……シズク、あなたの言う通り、私は勇者になりたいって駄々をこねているのかもしれない」

 

「なんだ、急に……?悟りでも開いたか?」

 

「いいえ、でもこれだけは言っておくわ。勇者になる条件があろうとも、上の都合があろうとも、何もかも全て、私の努力で捻じ伏せる。無理だと言われようが、周りからどう思われようが、成し遂げて見せるわ」

 

芽吹は、そうシズクに宣言した。

それは、芽吹の覚悟であり、決意だった。

ある意味では、シズクに感謝しなくてはならないだろう。

この決意を、覚悟を、再確認できたのだから。

 

「……何とかの一念ってやつか。本当に面白いなお前」

 

そう言うと、シズクは道場に大の字で寝っ転がった。

 

「あ~くそ!わりい乃木、負けちまった~!ったく、なんだよ最後の出鱈目な動き。あんなもん隠してやがったのか」

 

「あれは奇跡みたいなものよ。同じことをもう一度してと言われても、おそらく出来ないわ」

 

芽吹にあれができたのは、事前に剣術の技を使用を想定していたからだった。

過去の経験から視野を拓く。

その一方策としてのものだったが、シズクは隙がなく、使う機会はほとんどなかった。

だが、あの動きはまさしく、身体が勝手に動いたとしか言えない。

よくあのように体が動いてくれたものだと、芽吹自身も驚いたほどだった。

 

「けど、芽吹先輩、すごくきれいな動きでした。私はカッコよかったと思いますよ?」

 

気が付けば亜耶がやってきて、芽吹にそんな言葉を投げかけた。

 

「亜耶ちゃん……。ありがとう」

 

芽吹は、心の底からそう言った。

今日、シズクに勝てたのは、亜耶のおかげでもある。

それに、なんだかんだで芽吹も、からかいや皮肉が微塵もない、亜耶のそんな言葉が嬉しかったのだ。

 

「確かに、最後の芽吹さんは中々いい動きでしたね。流石、わたくしのライバルですわ」

 

「あ、弥勒さん。いたんですか」

 

「ちょっ!いたんですかって、扱いがぞんざい過ぎませんこと!?」

 

「すみません、存在を忘れてました」

 

「なっ……!」

 

芽吹がそう言うと、弥勒は愕然とした表情を浮かべた。

やがて、小さく咳ばらいをし、自分に何かをいい聞かせ始めた。

 

「……こ、こほん。わたくしは弥勒家の娘……この程度で怒るほど器は小さくありませんわ……!」

 

「ところで、雀は?」

 

「やっぱり無視ですのね!?」

 

やかましい弥勒は置いといて、芽吹は亜耶に尋ねた。

気が付けば道場に姿はない。

 

「雀先輩なら、『巻き添えを食う前に帰る』と言ってましたよ」

 

「やっぱり、そんなとこだと思ったわ……」

 

あんなに憶病で、この先やっていけるのだろうか。

芽吹はほんの少し、心配になった。

 

「はぁ……。ったく、騒がしいったらありゃしねえな」

 

芽吹達の様子を見ていたシズクが溜息交じりでそう言った。

 

「意外ね。てっきり、亜耶ちゃんや弥勒さんには嚙みつくと思っていたわ」

 

先ほどまでの粗暴さから、二人に対しても威嚇するものかと思っていたが、意外とおとなしい。

芽吹には、それが少しだけ不思議に思えた。

 

「………昔、お節介な野郎に言われたんだよ。無闇矢鱈に人を威嚇するなって」

 

「その割には、昨日は随分暴れてたわよね」

 

「守るのは思い出した時だけだからな」

 

「結局、気分次第ってことじゃない……」

 

「ですが、思い出した時はちゃんと守っているんですよね?だったら、気にする必要はないんじゃないですか?」

 

亜耶がシズクをフォローするかのように、言葉を紡ぐ。

見たところ、亜耶はシズクに対しても警戒心はなさそうだ。

 

「お前……俺が怖くないのか?」

 

その様子を見たシズクが亜耶に不思議そうに尋ねる。

 

「怖くありませんよ。口調は悪くても、きっとあなたは善い人ですから」

 

「……お前、昨日のあれ見てねえのかよ」

 

「昨日のことでしたら、あなたが手加減していたことは知っていますわ。あなたは私達に怪我がしない程度に力を抑えていました。悔しいですが、それは事実です」

 

横から、夕海子が口をはさんだ。

シズクは意外と芸が細かいらしい。

 

「……勘違いしてんじゃねえよ。本気になるまでもなかったってだけだ」

 

シズクがそっぽを向いて言う。

 

「あら、素直じゃありませんわね。それはともかく、あなたはそんなに悪い人じゃないと、わたくしも思いますわよ」

 

「弥勒先輩の言う通りです。勇者でなくとも、防人になれたということは、あなたも神樹様に選ばれたということです。いつものしずく先輩も、今のあなたも、どちらも善い人じゃなければ、神樹様がお選びになるはずがありませんから」

 

「……お前ら、随分なお人好しだな」

 

「何はともあれ、これで二人はもう友達ですね。仲良しです」

 

亜耶が優しく言うと、シズクは少し照れていた。

粗暴なシズクでも、亜耶のようなタイプには弱いのかもしれない。

 

「一件落着ですわね。………って、大事なことを聞き忘れていましたわ!」

 

と、そこで夕海子が突然叫び出した。

 

「どうしたんですか、弥勒さん。急に大声を出して。大事なことって何ですか?」

 

「ええ、頼人さんと芽吹さんが決闘されるという話をお聞きしたのですが、それは本当ですの?」

 

「おいおい……今更かよ」

 

「というか、私達は戦ってた理由の半分はそれなんですが……」

 

シズクと芽吹が揃って呆れる。

ここに来た理由はそれだったらしいが、ズレてるとしか言いようがない。

 

「え、マジですの?」

 

「本当ですよ、弥勒先輩。頼人さんのお相手を、お二人で決めてたんです」

 

「わ、わたくしには何も……。こ、こうなったらわたくしとその権利をかけて……!」

 

「いや、お前には無理だろ。弱かったし」

 

シズクの言葉で、夕海子が「ガーン!」と言って、その場に崩れ落ちる。

この人は一体何をやってるんだろう。

 

「ところで、シズク。赤嶺頼人に私が勝てないって言った理由、聞かせてもらうわよ。そこまで拘る理由も含めてね」

 

「あぁ。こうなった以上、お前には、赤嶺を倒してもらわねえとなんねえからな。……っと、その前に、弥勒起きろ」

 

「へ?わたくしですの?」

 

声を掛けられた夕海子が、不思議そうに顔をあげる。

 

「ああ、お前、赤嶺が受けた訓練って奴知ってるんじゃねえか?それを俺達に教えな。そっちを知っといた方が、話は早い」

 

「ふふ、仕方がありませんわね。この弥勒夕海子が、頼人さんがどういうことができたか、教えて差し上げますわ!」

 

シズクに声を掛けられた途端、元気よく立ち上がり、嬉しそうに話し始めた。

頼られるのが嬉しかったらしい。

そうして、もったいぶった後、夕海子は赤嶺頼人の情報を口にしていった。

そして……しずくがどういうつもりで、勝てないと言ったか、朧げながらも理解していった。

 




ちゅるっとの防人組回を見る。

くめゆ一話読み返す。

ゆゆゆいのイベント見る。

昔の尖ったナイフのような芽吹はどこへ……。


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interlude V

投稿頻度上げたい……。


一.

 

神世紀二九九年、春―――。

黒髪の少女が新たな住居を、感慨にふけるように眺めている。

少女の名は東郷美森。

少し前まで、鷲尾須美と呼ばれていた、勇者の一人。

彼女は進学に際し、東郷に名を戻し、讃州市に引っ越しをしたのだった。

 

「うちもずいぶん大きくなったものね……。頑張ったご褒美のつもりなのかしら……?」

 

美森が腕を組みながら、誰に言うわけでもなく呆れたように呟く。

だが、その声に戸惑いなどはなかった。

いくら大きいとはいえ、今まで住んでいた鷲尾の家に比べれば小さかったし、それに、彼女は一人でこの讃州に来たわけではなかった。

大切な友達とこの地にやってきた。

それ故に、不安なんてものは殆どなかった。

ただ、気がかりなのは―――

 

「こんにちはー!」

 

と、不意に、後ろから能天気な声が聞こえた。

思わず振り返ると、花びら状の髪飾りをつけた少女がいた。

 

「もしかして、あなたがこの家に住むの?」

 

「……ええ。もしかして、隣の家の方ですか?」

 

「うん。新しいお隣さんになるね」

 

少女が手を差し伸べてくる。

 

「私は結城友奈、よろしくね」

 

そう言って、少女は微笑んだ。

知っている誰かの笑顔に似ていて、緊張がほぐれる。

美森はその手を取り、微笑みながら言った。

 

「よろしく結城さん。私は鷲尾――いえ、東郷美森です」

 

「東郷さん!わぁ、カッコいい名字だね!」

 

少女が興奮した様子で言う。

 

「あ、ありがとう。結城さん」

 

はしゃぐように名前に反応する少女。

苗字が褒められたことや、その無邪気な様子が微笑ましくてつい、美森は笑ってしまう。

 

「そうだっ。この辺よく分からないでしょ?なんだったら案内するよ!任せて!!」

 

「そんな……悪いですよ」

 

「そんなの気にしないで!私、東郷さんのこともっとよく知りたいんだ!」

 

美森は思わず遠慮するも、友奈はおかまいなしだった。

いっそ馴れ馴れしいと言えるほどの距離の近さ。

けれど、美森は不思議とそれが嫌ではなかった。

むしろ、友奈の言葉が嬉しく思えてしまった。

 

「……あの、だったら私の友達も一緒にいいですか?私と一緒に三人もこの辺りに引っ越してきてて……」

 

そうして、気が付けばこんな言葉を美森は口走っていた。

美森にとって彼女達は大切な友達で、こういうことも一緒に経験したい。

別々でなんて、考えられないことだったのだ。

 

「うん、勿論いいよ!大勢のほうが楽しいもんね!」

 

厚かましいと思われてるんじゃないだろうかという、美森の心配をよそに友奈は嬉しそうに笑って快諾した。

この笑顔で美森は、皆も自分も、きっと友奈といい友達になれるだろうなと思った。

 

 

 

 

 

 

「アタシは三ノ輪銀。よろしくな、結城さん!」

 

「銀ちゃんだね!私の方こそよろしくね!」

 

「おお、いきなり名前呼びとはロックだな!じゃあ、アタシも友奈って呼ばせてもらおう!」

 

「わぁ!嬉しいよ銀ちゃん!」

 

近くの神社を目印にして、友奈と勇者四人は集まった。

早速、友達付き合いの上手い銀が友奈と挨拶している。

 

「えへへ~、友奈ちゃんか~。じゃあ、ゆーゆだね~」

 

「ゆーゆ?それって私のこと?」

 

「ああ、園子はよく変わったあだ名をよくつけるんだよ」

 

「それって素敵!じゃあ私は園ちゃんとか」

 

「お~、それでお願い~」

 

「うんっ!」

 

友奈が園子ががっしりと握手している。

と、思ったら踊り始めた。

「ゆーゆー」「そのちゃーん」と最早二人だけの世界に入っている。

 

「馴染むの早っ……」

 

その様子を見て夏凜は小さく呟いた。

以前のことを思い出して、自分では、ああはいくまいと呆れ半分、関心半分といった様子だ。

 

「夏凜の言う通りだな。園子のペースについていけるとは中々の逸材だ。何処で拾ってきたんだ、須美?」

 

「うちのお隣に住んでいたのよ」

 

「ほほう、これは運命だな」

 

顎に手をあて、銀は面白そうに言った。

 

「いやいや、結城友奈って新しい勇者候補じゃなかった?運命っていうより仕組まれてただけじゃないの?」

 

「おいおい、夏凜は夢がないなー。夢はでっかくないとつまらないぞ?」

 

「なんで夢の話になるのよ……?」

 

「でも……そうね、どちらにしても仲良くなれそう。すごく優しそうな子だもの」

 

そうこう話していると、不意に園子が夏凜の後ろに回り、その背中を押してきた。

 

「ほらほら~、にぼっしーもごーごー!」

 

「ちょ、ちょっと、園子!押すのは―――」

 

「ん?にぼっしーちゃん?」

 

園子に抗議の声をあげようとした夏凜に、友奈が疑問を投げかける。

 

「にぼっしーはね~煮干しを主食にしてるんだよ~」

 

「私はペットか何かか!?っていうか、その呼び方移っちゃうじゃない!」

 

へー、と感心する友奈を横目に夏凜が園子につっこむ。

 

「ふっふっふ~。この隙に、にぼっしーを定着させるんよ~」

 

「地味な計画だな……」

 

「だけど、そのっちらしいわね……」

 

銀と美森が呆れ交じり、感心交じりで呟く。

引っ越ししても園子は園子だった。

 

「にぼっし―ちゃん!確かに可愛いね!」

 

「やめて。普通に名前で呼んで。だからにぼっしー呼びはやめて」

 

「夏凜……そんな食い気味に……」

 

「分かった!よろしくね、夏凜ちゃん!」

 

「え、ええ……。よ、よろしく……」

 

そうして、友奈は弾けるような笑顔を夏凜に向けた。

夏凜はその笑顔に少し照れてしまった。

 

「よしっ!挨拶が済んだところで、友奈、この辺りにイネスはないか!?」

 

「早速それかい。銀、あんたほんとにイネス好きね……」

 

「ミノさんのイネス好きは筋金入りだもんね~」

 

「あったり前だろ?イネスは……人生だっ!」

 

「無駄に熱いわね……」

 

「その情熱を少しでいいから勉強に向けてくれたらいいのに……」

 

熱く語る銀を見て、夏凜や美森が疲れたように言う。

 

「えーと、ごめんね銀ちゃん。イネスはこの辺りにはないんだ……」

 

「……え?」

 

「一番近いイネスでも結構距離があって、車じゃないと少し遠いんだ……」

 

「なん……だと……。イネスが……イネスがない………?」

 

銀が愕然とした様子で呟く。

現実は無常だった。

 

「そんな世界の終わりみたいな顔しなくてもいいでしょ……」

 

夏凜が呆れたようにつっこむ。

 

「あっ、でもでも商店街とかカラオケとか映画館とかイネスじゃないけど楽しいとこはいっぱいあるよ!」

 

友奈が慌てたようにフォローするも、銀はイネス欠乏のショックから立ち直れていない。

「アタシは……アタシはイネスまで失うのか……」と茫然としている。

 

「こら、銀。結城さんが困ってるでしょ?」

 

そんな銀を窘めたのは美森だった。

銀が正気に戻る。

 

「おっと、ごめんごめん。いやぁ、思ったよりも衝撃うけちゃったよ」

 

「でもこればっかりは仕方がないね~」

 

「こうなったら園子にイネスを作ってもらうか!」

 

「できる訳ないでしょ?いくら乃木の家がでかくても限度ってもんがあるわよ」

 

「ですよねー。冗談冗談――」

 

「あっ、そうだね~。作ればいいんだ~。電話電話~」

 

園子がスマホを取り出し、どこかに電話を掛けようとし始める。

 

「えっ、嘘!?ほんとに作れるの!?流石に無茶が過ぎるわよ!」

 

「待て園子。アタシが悪かったから待ってくれ」

 

「え~なんで~?」

 

園子が不満そうに声をあげるも、銀と夏凜はそれどころじゃ無い。

下手すれば、本当に工事が始まりかねない。

改めて、乃木家の大きさを思い知らされた二人だった。

 

「三人とも、そろそろ移動しましょ?せっかく結城さんが案内してくれるっていうんだから。それで結城さん。桜が綺麗な場所があるのよね?」

 

「うん!す~っごく綺麗に咲いてるよ!」

 

 

この日を境に友奈も四人と一緒に行動するようになった。

友奈の生来の気質もあって、入学式を終える頃には、友奈は四人の勇者とすっかり馴染んでいた。

そうして、学校が本格的に始まり、部活の勧誘も多くなってきた頃、彼女達の話題も当然部活のことが多くなってきていた。

 

「友奈ちゃん、チアリーディング部に誘われたんでしょ?入らないの?」

 

美森が友奈たちと校舎内を歩きながら訪ねる。

友奈は先日、チアリーディング部に誘われていたのだ。

 

「押し花部からの誘いだったらなー」

 

「そんな部活聞いたことないわよ……。っていうか、御役目がある私たちが部活にうつつを抜かすなんて駄目に決まってるじゃない」

 

「夏凜……。そうはいっても、アタシらも花の女子中学生だぞ?貴重な青春を帰宅部で浪費するのは如何なものかね?」

 

「そうだよ~。せっかくだから~、皆で何かやりたいよね~?」

 

「そうね。安芸先生に相談してみましょうか?」

 

「アタシとしては思いっきり体動かしたいな!運動系とかどうよ?」

 

「運動部か~私はもうちょっとのんびりした部活がいいな~。お昼寝部とか~」

 

「そんな訳分からない部活もないでしょ」

 

そうして、部活について話し合っていた五人の前に、突如、一人の少女が立ちはだかった。

おさげで少し身長が高く、手にはチラシを持っている。

 

「貴女達におすすめの部活は他にあるわ!」

 

「うわ出た」

 

五人の前に現れた少女に夏凜がさりげなく酷い事を言う。

 

「うわとは何よ、うわとは!?結構傷つくわよ!?」

 

彼女達の前に現れたのは、犬吠埼風。

次期勇者の一人。

彼女達は風とその妹である樹と、少し前に顔合わせをしていたのであった。

 

「こんにちは風先輩。ところで、先日は勧誘などされてませんでしたよね?風先輩はどこの部活に入ってらしたのですか?」

 

美森が気になって尋ねる。

 

「勇者部よ!今日の私は、勇者部の部長としてここに来たのよ!」

 

「「「勇者部?」」」

 

現勇者達の頭に疑問符が浮かぶ。

 

「あんた、他にもうちょいましな名前なかったの?流石にそのまんま過ぎるでしょ?」

 

「い、いいじゃない、まんまでも!それに分かりやすいでしょ!?」

 

「いや、活動内容まるで分らないじゃない」

 

「うっ……!」

 

夏凜のツッコミに風がダメージを受ける。

 

「でっ、でも、とってもワクワクする響きですよね!」

 

「そっ、そうですよ!勇者らしいというかなんというか……」

 

友奈と銀がとっさにフォローする。

若干、フォローになっているのか分からなかったが、それでも風は元気を取り戻したようだった。

 

「そ、そうよね!いい名前よね!?」

 

「はい!なんか凄そうです!ゆうしゃ―って感じで!」

 

「友奈、適当に言ってない……?」

 

「シャラップにぼっしー!!」

 

ツッコミを入れた夏凜に風が叫ぶ。

 

「な……!にぼっしーっていうな!」

 

「やかましい!先輩を敬わない後輩なんて、にぼっし―で十分なのよー!」

 

夏凜と風がじゃれ合いだす。

 

「あはは、風先輩と夏凜ちゃん仲いいねー」

 

「あれ見てそれ言えるの友奈ぐらいだと思うぞ……」

 

笑顔で見守る友奈に、銀が小さくつっこむ。

それを横目に、園子がふと疑問を口にした。

 

「それでふーみん先輩。結局、勇者部って何をする部活なんですか~?」

 

「おっ、いい質問ね、乃木さん!勇者部の活動目的は、世のため人のためになることをやっていくこと。各種部活の助っ人とか、ボランティア活動とか」

 

風が夏凜から離れ、一転、機嫌よさげにチラシを配り始める。

 

「世の為、人の為になること……!」

 

チラシを見た友奈が興奮したように呟く。

 

「うん、神樹様の素敵な教えよね。といっても、私らの年頃はなんかそういうことしたいけど、恥ずかしいって気持ちあるじゃない?そこを恥ずかしがらずに勇んでやるから勇者部!勇者の御役目は関係ないのよ!」

 

「っていう建前なのね」

 

「たっ、建前じゃないわい!」

 

「でも、そういうのカッコいいですね!アタシ、やってみたいです!」

 

「みんなのために頑張るってすっごい勇者らしいもんね~」

 

銀と園子が、乗り気な様子で話す。

だが、夏凜はそれでも不安そうだった。

 

「だけど、私達には鍛錬もあるじゃない。本当に部活なんてやってていいの?」

 

「あ、その辺は大丈夫よ。安芸さん…もとい安芸先生が顧問だからその辺りのスケジュール管理もしてくれるって」

 

「用意周到ですね……」

 

美森が呟く。

そして、風は意外と抜け目のない人物なのかもしれないと思った。

 

「でも、安芸先生が顧問してくれるんだったら安心だね~」

 

園子の言葉に、銀や美森は頷く。

三人は特に、これまで安芸のサポートを受けてきた分、安芸への信頼感が強かったのだ。

 

「どのみち、校内でも集まれる場所は必要だってことで、話してみたら快く協力してくれたわ。いやー、ほんと足向けて寝れないわ」

 

「すっごくいい先生ですから。安芸先生が顧問してくれるってんなら、夏凜もいいだろ?」

 

「まあ、そういうことなら……」

 

銀に促され、夏凜も渋々と頷く。

 

「じゃあ決まりだね!みんなで勇者になろー!」

 

「なろ~!」

 

友奈が手を突き上げ、園子も一緒になってやる。

 

「ったく大げさなんだから」

 

夏凜が微笑ましいものを見る目で言う。

他の三人も楽しげにその様子を眺めていた。

話は纏まった。

神世紀二九九年四月、讃州中学勇者部はこうして結成されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

二.

 

「はい先生、珈琲です」

 

おさげの少女から、温かなコップが差し出される。

そのことに安芸は、小さな疑問を覚えた。

 

「ありがとう。でも貴女達、珈琲は飲まないんじゃ?」

 

「ええ、アタシも樹も飲みませんけど、先生は飲むでしょ?この前、スーパーで安いのがあったから買っておいたんです」

 

「また、そんなことして……。いいのよ、そんなことに気を回さなくても」

 

「普段のちょっとしたお礼なので、安芸先生こそ気にしないでください。それに、買ったと言ってもインスタントですから」

 

「インスタントで十分よ。でも……そうね、そういうことならありがたく頂くわ」

 

「はい。頂いちゃってください」

 

「ふふっ。そういう言い方、生意気よ」

 

安芸はそう言って、少女の頭をこつんと叩く。

優しく、軽く。

すると、少女はえへへ、とはにかむように笑った。

ここは香川県讃州市にあるマンションの一室。

勇者に選ばれた、犬吠埼姉妹が住む部屋だ。

安芸は昨年の秋から、度々この部屋を訪れていたのだった。

それにしても……よくここまで心を開いてくれたものだと、安芸は思う。

初めて顔を合わせた時、彼女は手負いの虎のように、警戒心と不信感をむき出しにしていた。

当然のことだろう。

突然両親を亡くし、その上、勇者になることを勝手に決められたのだ

しかも、姉妹ともに。

そこをいきなり訪ねても、信じてもらえないのは当たり前だとしか言えない。

それに、風には守るべき妹がいた。

だが、頼ることのできる者はなく、守ってくれる存在もない。

だから、この少女は気丈に、強くならねばならなかったのだ。

妹を守るために、安心させるために……。

安芸は、この小さな、されど大きくあろうとする姉の姿を見た時、心が締め付けられるような思いを抱いた。

そして、罪の意識も。

 

安芸は思う。

大赦は確かに変わった。

腐敗は取り除き、組織形態を改革し、人事の刷新を行い、以前とは比べ物にならないほどの柔軟性を有している。

だが、少女達に国を守ってもらわねばならないという、その事実は変わっていない。

親を亡くした少女にも、戦いを命じなければならない。

代われるものなら代わってあげたい。

そうは思うものの、口に出すことは偽善に思えて憚られる。

きっと、あの子達の親も似たようなことを思っていただろう。

そして、彼も。

もし、彼と勇者の親の間に違いがあったとすれば、それが仕方のないことだと、思考停止したか否かにあるのだろう。

非常識な手段を用いてでも、劣悪な状況を変えようとした。

彼女達に寄り添おうとした。

そして、彼は成功した。

自分の体と、日常を犠牲にして……。

最後に彼は、あの子たちを頼むと言った。

その言葉に、どれほどの想いが籠っていたのか、その温もりを通して痛いほどに伝わってきた。

その想いが、安芸に決意をさせた。

彼の代わりに、勇者である少女達に寄り添おう。

先生として、彼女達が間違った方向へ向かわないように、見守り続けよう……と。

安芸が犬吠埼家を訪れたのは、その決意を偽物にしたくなかったからだ。

 

だが、最初からうまくいったわけではなかった。

最初に訪れた時には、帰ってほしいと言われた。

話し方はもう少し丁寧だったが、自分達だけで生活はできる、と明確に拒絶をされた。

その時は、連絡先を渡し、困ったことがあれば連絡してほしいとしか言いようがなく、辛かった。

拒絶されたことが、ではない。

誰にも頼れない、彼女の苦しみが分かったから辛かったのだ。

確かに、誰にも頼らずとも、赤嶺からの援助があるため金銭面では困らないだろう。

だが、まだ中学生の彼女が、一人で全てを抱え込もうとしても、ただただ彼女が辛いだけだ。

心はきっと、磨り減っていく。

だから、安芸は再び犬吠埼家を訪れた。

連絡が来ることはなくとも。

そうして、家を訪れた時には姉の風は留守で、妹の樹しか家にいなかった。

人見知りだったのだろう。

玄関を開けた時、彼女は小さく震えていた。

両親の喪失、環境の変化。

生来の気質もあったのだろうが、そういった面が彼女に負担をかけていたのだろう。

きっと無理を言えば、樹は家に入れてくれただろう。

それほどに、彼女はか弱かった。

だが、安芸は少女を怖がらせたくなかった。

それに、ここで無理に入っても、返って姉妹と壁を作るだけ。

故に、安芸は買って来ていた洋菓子だけ渡して、その日は帰った。

すると、その日の夜、意外なことに風から電話が来た。

お菓子の礼だという。

なんとなく、彼女の律儀さと、優しさを垣間見た気がした。

洋菓子の話をきっかけにしばらく話すと、彼女は少しだけ、普段の悩みを話してくれた。

家事の難しさや、お金の管理、親がいれば感じなかったはずの不安を、ほんの少しだけだが話してくれた。

それに、安芸は真剣に向き合い、社会人の先輩として、助言をしてあげた。

その安芸の真摯な思いが伝わったのか、最後に風は、また電話をしてもいいかと聞いた。

そうして、電話でのやり取りを重ね、いつしか家を訪ねることを許してくれるようになった。

 

家に出入りするようになっても、しばらく風の態度は頑なだったが、会うたびに徐々に柔らかくなっていった。

理由は簡単だ。

結局、犬吠埼風も普通の中学生。

突然両親がいなくなって、苦労しないはずもない。

彼女の悩みを聞いたり、生活面でのサポートをしているうちに打ち解けるのは当然のことだった。

妹の樹もそうだった。

転校したばかりで小さな悩み事があったり、引っ越しのごたごたで勉強についていけなくなりそうだったりと、そういった悩みを安芸は解決してあげたのだ。

安芸の教師の経験が役立った瞬間だった。

そうして、四人の勇者と共に安芸も讃州へ引っ越し、距離が近くなったことで姉妹の部屋を尋ねることが増えていったのだった。

 

「安芸先生?どうしたんですか、ぼーっとして?」

 

その言葉で安芸は、自分が随分と浸っていたことに気が付いた。

 

「いえ、風がこんなに家事が上手になるなんて、ってちょっと感傷に浸ってしまったのよ」

 

「えへへ、女子力上がってますかね?カッコいい彼氏できますかね?」

 

「そういうこと言う前に、学校の成績を気にしなさい。鍛錬や部活が始まってから徐々に成績が落ちてるみたいじゃない」

 

「あ、あはは……。そこは安芸先生のお力で……ほら?」

 

「なるわけないでしょ?しょうがないわね、分からないところ見てあげるから問題集とノートを持って来なさい」

 

「あっちゃ~、藪蛇だった~」

 

「いいから持って来なさい」

 

安芸がそう言うと、風は「イエス、マム!」とふざけながら教材を取りに行った。

こういう時間も悪くない。

風の後姿を見ながら、安芸は珈琲を啜った。

 

 

「あの、安芸先生……」

 

しばらく勉強を続けていると、不意に風が口を開いた。

 

「ん、またわからないところがあったの?」

 

「いえ、そうじゃなくてですね……」

 

風はしばらくもじもじと逡巡した様子を見せ、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「あの……いつも、本当にありがとうございます」

 

「どうしたの?また、かしこまって」

 

安芸は、不思議そうに尋ねた。

実際、安芸はこんな風にお礼を言われるとは思っていなかったのだ。

 

「いえ、ちゃんとお礼を言えてなかったなって。ずっと、アタシ達の力になってくれて、勇者部のことも任せっきりですし」

 

「……私はあなたたちのお目付け役なんだから、気にすることないのよ。それに、大したことはしてないんだから」

 

「そんなことないですよ。安芸さんにはすごい……なんというか、救われたんです」

 

「……そんな大層な話じゃないわよ」

 

 

 

「アタシたちにとってはそうだったんです。……あの頃、自分も樹も勇者になるようにって言われて……アタシ、皆が自分達を利用しようとしてるんじゃないかって、怖くなってたんです。だから、それまで力になってくれた人とも関わりを断って……」

 

「……気に病むことはないわ。一度にあんなに多くのことが起きたら、誰だって受け止めきれなくなるのは当然よ」

 

「けど、やっぱり人との関係を断つのは良くなかったんだと思います。結局、ただの八つ当たりで、自分達を追い詰めるだけだったんですから。正直、すごく不安になりましたし……。だから、安芸さんがアタシ達に正面から向き合ってくれて……本当に、嬉しかったんです」

 

「気にしないで、本当に。私は……私達は貴女達に戦いを強要してる身なんだから」

 

「でも、あれは私が……!」

 

安芸はポンと、手の平を風の頭に乗せた。

 

「風、貴女はね、誰かに助けられることに慣れていないのよ。貴女だって勇者部で色んな人を助けてるのに、貴女だけが助けてもらってはいけないなんて、そんなはずないでしょう?」

 

「安芸……先生……」

 

「まったく、貴女は早く大人になろうしすぎなのよ。大人に無条件で頼れるのは子供の特権なんだから、もう少し甘えてなさい。私はこれでも教師をしながら御役目をやってきたんだから、あなたたち二人くらい、どうとでもなるわ」

 

安芸はそっと、風の頭を撫でる。

優しく、暖かく。

 

「……あ、あはは。やっぱり、先生は凄いですね。ほんと、教えてもらう事ばっかりで」

 

「……私の方こそ、貴女達には色んなことを教えてもらってるのよ」

 

安芸は小声でそう呟いた。

 

「ん?安芸先生何か言いました?」

 

「いいえ。それより、勉強はここまでにしましょうか。もうすぐ樹も帰ってくる時間でしょ?」

 

「あ、そうですね。安芸さんもご飯食べていってください。今日は腕によりを掛けちゃいますから!」

 

「何か手伝うことはあるかしら?」

 

「大丈夫です。安芸先生は座って待っててください」

 

そういうと風は、いそいそと夕食の準備を始めた。

その背中を見て、安芸は思う。

風が勇者部を作りたいと言ってきたとき、安芸は正直驚いた。

ただ、勇者の集まれる場所を作りたいというのなら、すぐに納得できただろう。

だが、風は真剣に世の中から困っている人を無くしたいと、人助けをする部活を作りたいと言った。

あれだけ辛い目に遭ったのに、それでも自分以外の誰かの為を想える。

そして、そのために行動を起こせる。

そういう強さと優しさを、教えてもらえた気がした。

彼にしても、彼女達にしても、多くのことを教えてもらった。

御役目だったとはいえ、この子達の先生になれて良かった。

心の底からそう思える。

 

「ただいま~。お姉ちゃん、ご飯……あ、安芸さん。来てたんですね!」

 

と、そこで樹が家に帰ってきた。

安芸を見つけた途端、喜色をあらわにした。

 

「ええ、おかえりなさい」

 

「樹おかえりー。先にご飯もうすぐできるから、着替えときなさーい」

 

「はーい。安芸さん、ちょっと待っててくださいね!話したいことがあるんです!」

 

樹が、小走りで駆けていく。

ふと、胸がチクリと痛んだ。

ああ、私は……自分を慕ってくれる子供を死地へ送り出すのだ。

安芸は、唐突にそのことを思い出した。

今更、そのことに罪悪感を覚えることは許されない。

それは分かっている。

だけど、私ですらこうなら……彼の苦しみはどれほどのものなのだろう。

彼以外の大赦の人間なら、こう言い訳できる。

上が決めたことだから仕方ない、人類の為に勇者様が決めたことだから正しいことのはずだ、と。

だが、彼は全ての責任を負う立場だ。

彼だけは、言い訳することができない。

正しさを確信することも、他人のせいにすることもできない。

本当に……誰もかれもが彼にすべてを押し付けすぎる。

確かに、彼の独裁的とすらいえる急進的なやり方は、圧倒的なまでの成果を生んだ。

だが、それにより彼への依存が生まれ、大赦の人間、特に上層部の者は次々と責任を手放している。

それでいて、身勝手に彼を恨む人間すらいる。

彼と風の間にも、小さくない壁が生まれてしまった。

 

「私達こそが、責任を取らないといけないのにね……」

 

今の大赦は残念ながら、考えることも悩むことも決断することも、何もかもを彼に押し付けている。

彼らは、その罪の重さに気付いているのだろうか……?

 

「ん?安芸さん、何か言いました?」

 

風が振り返って、安芸に尋ねる。

 

「何でもないわ。それよりいい匂いね。中華系かしら?」

 

「ふふ、今日はチンジャオロースですよ」

 

「チ、チンジャオ……ふ、風……私は」

 

メニューを聞いた途端、安芸の頬は引きつった。

ピーマンが苦手な安芸にとって、チンジャオロースは天敵ともいえる存在。

出来るだけ避けたい料理だ。

 

「駄目ですよー先生?今日こそ、ピーマンを克服してもらうんですから。樹の前で、好き嫌いはいけませんよ~?」

 

風がいたずらっぽく笑う。

どうやら逃がしてはもらえないらしい。

これも責任という奴の一種なのだろうか?

確かに、安芸は二人の顧問であり、彼女達の先生でもある。

模範を示す立場である以上、まさかピーマンを食べれないなんて言えるはずもない。

 

「大丈夫ですよ、安芸先生。おかわりもたっぷりありますから」

 

「わ、私は少しでいいわよ?さ、最近、食べる量を減らしてるから……」

 

「駄目ですよ先生?勇者部の顧問なんだから、たっぷり精をつけないと」

 

風がにっこり笑う。

しかし、安芸の頭の中では、何故かピーマンの精が襲ってくるイメージが湧く。

ああ、赤嶺君……あなたがいてくれれば……。

安芸は現実逃避染みたことを考えてしまう。

あの時、ピーマンを食べてくれた彼はいない。

自分を守ってくれる人はいないのだ。

……責任って苦いものね……。

その日の晩、安芸はチンジャオロースを頬張りながら、責任の苦さを思い知った。




最近、無性にのわゆif書きたくなってきてヤバイ。
本編終わるまでは自重せねば……。


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interlude 東郷美森in大赦

初恋。

それは、甘酸っぱくて素晴らしいものだと人は言う。

初恋。

それは、大人への第一歩で、人生の貴重な経験になるという。

初恋。

それは……叶わない想いだという。

 

昔は、決してそんなことはないはずだと、強く想えば叶うはずだと無邪気に信じていた。

恋文や逢引などに小さな憧れを抱いていた。

自分もきっと、素晴らしい恋愛ができると、そう思っていた。

子供だった。

幼かった。

いや、きっと今も幼いままなのだろう。

 

―――だって、今も私は……

 

 

 

 

 

早朝。

澄んだ空気に滝の音が響く。

滝にうたれて、身を清める。

温かくなってきたとはいえ、未だにこの時間は少々冷える。

だが、これまで毎朝水浴びをしてきた美森にとっては余り苦ではなく、むしろ滝の方が、これまで以上に心身が引き締まる思いだった。

 

滝垢離を終え着替えると、美森はすぐに頼人の部屋へと向かう。

頼人の部屋は、比較的、建物の中心近くに位置しており、巫女や神官用の部屋とは随分離れている。

これは、頼人の安全を確保するための措置で、警備も他とは一線を画している。

自由に出入りできるものは限られており、美森自身は顔パスで入れるものの、美森の世話役の神官達は、立ち入りを許可されていない。

それはいい。

問題なのは―――

 

「美森様、おはようございます。本日も、ご壮健で何よりでございます」

 

部屋に入ると、何人かの神官が美森に挨拶をしてきた。

頼人のお付きの者達。

特に、筆頭の早乙女は側近の中でも高位の神官だった。

美森は挨拶を返し、頼人がまだ寝ているかと聞くと、まだ目覚めてないという返事を受ける。

頼人の部屋は広く、部屋の入口は執務室に繋がっており、寝室はその奥に位置する。

彼女達は朝になるとこの執務室に集まり、掃除をしながら頼人の目覚めを待ち、起床時刻になると頼人の寝室へと向かう。

わざわざ詰めているのは、掃除の為だけでなく、ここなら頼人が目覚めればすぐに分かるからだ。

 

「分かりました、それでは私が起こしてきますね」

 

「美森様。何度も申し上げましたが、頼人様の身の回りのお世話は私共が任せて頂いております故、どうか、こちらでお待ち下さいませ」

 

美森の言葉に、早乙女が機械のような言葉で異を唱える。

 

「いえ、ここにいる間は、私が頼人君のお世話をします。好きでやってますので、お気になさらないで下さい」

 

「……勇者様の御言葉とあらば」

 

早乙女は引き下がるかのように言うが、それが形だけのものであるのは美森には分かった。

このやり取りは、既に何度も行われている。

にもかかわらず、早乙女は決まってこう言う。

美森が頼人の世話を焼くことに、納得がいっていないのは明らかだった。

やはり、自分はあまり歓迎されていないらしい。

それは、美森がここに来て薄々気が付いてきたことだった。

基本的に彼らは、美森に敬意を払い、親切でもある。

だが、同時に彼らは、漠然とした不安のようなものを抱えているように見えた。

もしかすると、頼人が大赦を去ることを危惧しているのかもしれない。

そうだとすると、ある意味では彼らの不安は当たっている。

でも、彼らの不安は身勝手なものだ。

 

―――頼人君は、望んでここに来たわけじゃないのに……

 

「ふぅ……」

 

美森は寝室の扉の前で、小さく溜息をついた。

 

いけない。

嫌なことを考えていては、それが顔にも出てしまいかねない。

朝からこんな不景気な顔をしていては、頼人君に余計な不安を与えてしまう。

……よし。

 

美森は両手で軽く頬を叩き、気合を入れなおす。

そして、前髪を少しだけ整える。

 

大丈夫。

さっきも鏡で確認したし、きっと頼人君は変に思わない。

この髪型だって、前に似合ってるって言ってくれたし。

 

そうして、美森は寝室の扉を開いた。

少し広い、和風の部屋。

およそ十二畳ほどだろうか。

一見すると、物の少ないすっきりとした印象を受けるが、寝台と机と窓以外の壁が本棚で占有していることに気付けば、途端に大学教授か何かの部屋のように見えることだろう。

L字型の机が部屋の右奥にあるが、その上には小さなノートパソコンと、大量の書類が整理され置かれており、研究者らしさをさらに強めている。

本棚の中身も、旧世紀の政治学や経済学に関わる本、兵法書、偉人の伝記、等と大学で学ぶような本ばかりであることも、その印象付けに一役買っていると言えた。

そんな、十代には似合わぬ部屋で、頼人は静かに寝息を立てていた。

 

よかった、まだ寝ててくれている。

 

現時刻は午前六時半。

以前までなら、頼人はとっくに起きている時間であったが、休養期間である以上、普段より長く睡眠をとることを半ば義務付けられ、頼人はそれに律儀に従っていたのだった。

一昨日などは勝手に早くに起きていたので、美森は少し心配していたのだった。

ただ、寝ていて欲しかった理由は他にもあった。

美森は、寝台の傍に来ると、小さく深呼吸した。

 

―――任務開始

 

美森はまず布団をゆっくりはがし、寝ている頼人を観察し始める。

じっくりと。

しっかりと。

見落としがないように、観察する。

中性的だった顔立ちは、少し見ないうちに精悍さを増し、徐々に男性的になってきている。

背も随分伸びてきているし、これから、どう成長するのか楽しみだ。

顔色も悪くない。

倒れた直後に比べると、まず健康と言っていい程だ。

次に、美森は頼人の腕や足に触れた。

いつもの触り心地。

少しだけ、浴衣をはだけさせる。

そこには、夥しい傷跡が残されていた。

一瞬、美森は息を詰まらせるも、やがて、傷跡をゆっくりと撫で始める。

その傷が、どうしてできたものかを想いながら……。

 

「ん……」

 

しばらく撫でていると、不意に頼人が身じろぎした。

美森は少し驚いたものの声は出さず、少しだけ様子をうかがった。

すると、頼人は再び寝息を立て始めた。

本当に、寝ている間は無防備すぎる。

ここにいる間は、私が注意しなくては、と美森は改めて決心した。

……そろそろいいだろう。

起こそう……と、その前に、美森はカメラを取り出した。

距離や角度を変え十枚ほど撮り、昨日の分と見比べる。

大丈夫、顔色も良くなってきている。

……この一枚は中々いいかも。

………頼人の健康は確認できたので、カメラはしまう。

データは残しておく。

あくまでも頼人の健康をチェックするための措置だ。

美森に他意はない。

ないったらない。

他にやり残したことはないかと確認して、美森はよし、と頷いた。

 

「頼人君、朝よ」

 

美森が優しく声を掛けると、頼人はすぐに反応した。

 

「ん……須美か……。おはよ……」

 

頼人が、少しだけ寝ぼけた様子で言った。

目と目が合うと、頼人の眼は少しとろんとしていた。

とても可愛い。

 

「頼人君って、本当、呼んだらすぐに起きるわね……」

 

不思議なモノで、頼人は少し触られたくらいでは起きないが、名前を呼ばれたらすぐに起きる。

美森が銀から聞いたところによると、頼人は非常に朝に強いそうで、今まで寝ぼけた様子を見せたことはなかったという。

だが、今は少しだけ、寝ぼけた様子を見せている。

それはきっと、これまでの疲労が随分たまっていたからだろう。

そのことを考えると、美森は少しやるせなくなる。

だが、同時に、こんな風に寝ぼけた頼人の姿は銀ですら知らないのだ。

つまり、この頼人の姿は美森だけが知っている。

それを自覚した時、美森は少しの喜びと罪悪感を覚えてしまった。

もっとも、それを口に出すことはないだろうが。

 

「須美……今、何時でごぜーますか……?」

 

「まだ七時前よ」

 

「ううむ……。また寝すぎたなぁ……」

 

頼人が半身を起き上がらせ、目をこする。

 

「今の頼人君には睡眠が必要なんだから、気にしなくてもいいのよ」

 

そう言って、美森は頼人の頭を優しく撫でた。

頼人は目を細めてされるがままだったが、しばらくすると、美森の手をとり、自らの頬にこすりつけた。

凄く可愛い。

これも、以前にはなかった光景だ。

美森が最近気付いたことだったが、頼人は、寝ぼけている状態だと、普段よりも人に甘えたがる傾向にある。

頼人の中に残存する幼児性の発露なのか、過剰に大人であることを求められた反動なのか判断できなかったが、こういう時は思う存分甘やかしてあげるべきだろうと美森は考えていた。

ただし、この甘え癖は以前からあったらしく、それに加えて、美森は大赦に来て以降、可能な限り頼人との距離を詰めていたのも原因だった。

一説によると、他者と抱擁やボディタッチといった触れ合いを行うことにより、人体ではオキシトシンという、ストレスや不安を緩和させ、多幸感を与えるホルモンが分泌させるという。

そのために、頼人を抱きしめたり、手を握ったり、頭を撫でたりと、美森は可能な限り触れ合いを増やしていたのだった。

これが結果的に、美森が頼人が甘えられるように徐々に誘導することとなった、とも言える。

勿論、あくまで頼人のストレス緩和のためであり、美森に他意はない。

ないったらない。

…………まぁ、ちょっとした役得とは思っていたが。

 

 

「須美、着替えるから早乙女さん達を呼んできてくれないかな?」

 

しばらくすると、頼人はすっかり目が覚めたらしく、美森にそんな事を言った。

 

「大丈夫よ、頼人君。どうせ着流しなんだから、着替えも私が手伝うわ」

 

「いや、待て須美。その理屈はおかしい。流石に着替えまで手伝ってもらう訳には……」

 

「気にしないで、最初から覚悟はできているから……!」

 

「覚悟って、なんの覚悟だよ……」

 

頼人がげんなりとした様子で言う。

と、そこで扉がノックされた。

美森はしまったと思うが、頼人がどうぞと声を出してしまう。

すると案の定、早乙女達が部屋に入ってきた

 

「おはようございます頼人様。お召し替えが必要かと存じ、参りました」

 

頼人が挨拶を返しながら、いつも通りお願いしますと言ってしまう。

今日も駄目だった。

ここに来てから、着替えを手伝えないかと何度か試してみたが、毎回、早乙女が横から入ってくる。

狙っているとしか思えない。

やっぱり、この人には気を付けないと……。

美森は特に、この早乙女という女性に注意を払っていた。

この女性の手腕が、結果的にだが頼人をここまで出世させた。

いわば、この女性が頼人を大赦に縛り付けた元凶だ。

一時的に、こちらの思惑に乗ってくれているらしいが、それでも好感を抱けるはずはない。

あと、頼人の着替えを毎回していることもよろしくない。

考えてみると、少し頼人を見る目が怪しい気がする。

私がここにいる間だけでも、頼人君を守らないと……!

そう思って、せめて着替えだけでも自分がやろうと美森は動いていたのだが、結果は惨敗だった。

まぁいい。

美森はすぐに思い直す。

まだ、着替えを手伝おうとするには早かった。

この先、まだまだ時間はあるのだ。

ゆっくり、抵抗感をなくしていってもらえばいい。

と、そこでびくりと、頼人が震えた。

 

「頼人様、どうかなさいましたか?もしや、風邪では……」

 

「いえ、一瞬寒気がしただけです。気にしないでください」

 

 

 

 

「くっ……。やはり、美味しいわね……」

 

「なんで、そんな悔しそうなんだ……」

 

頼人が着替え終わると、二人で朝食をとる。

朝食は、大赦の人間が用意している。

正直なところ、美森が自分で作って食べさせたかったが、勇者様にそのようなことをさせる訳にはいきません、と断られてしまった。

これで洋食が出てくるなら美森も無理を言っただろうが、朝食に出てくるのは和食。

それも、美森を唸らせるほどに出来がいい。

 

「お味噌汁一つとっても、こんなに美味しいなんて……。この味を超えるのは大変だわ……」

 

「お前は何と戦っているんだ……」

 

頼人はツッコミを入れるものの、美森は「大和撫子たるもの、常に高みを目指さなきゃならないのよ……!」と、燃えている。

美森は、頼人が大赦に行って以降、こういった向上心が強くなった。

頼人が大赦で頑張っている以上、自分も頑張らないといけない。

そう考えてのことだったが、その向上心は、時として、明後日の方向へ向かっていた。

 

 

食事を終えると、朝歴史の時間だ。

朝歴史とは美森の造語で、いわゆる朝シャンのように朝一で歴史を学ぶことだ。

日課というほどではないが、これを行うことにより身が引き締まるのだ。

普段は朝食前に行っているが、大赦にいる間は、頼人と一緒にするため朝食後に行っている。

 

「うぅ……。それにしても、昭和史は泣けるわね……」

 

「年表見て泣けるのも、一つの才能だよなぁ……」

 

昭和史の年表を見て涙ぐむ美森に、頼人が呆れたような感心したような声をあげる。

 

「頼人君、年表を見れば大戦の全体図が見えるのよ。特にレイテなんて、もう涙なしには……」

 

美森は目じりに涙をためながら力説し、武蔵、瑞鶴を筆頭とした連合艦隊と、英霊たちに向けて心の中で敬礼した。

 

「レイテか……。七十……いや、三百年経っても、結局、栗田艦隊のあれ、結論は出なかったんだよな……」

 

「くっ……!あの時、湾内に突入できていれば、憎き第七艦隊を撃滅できてたはずなのに……!」

 

「まあ、撃滅できていたかは置いといて、突入すべきだったっていうのは確かによく言われてたな。だけど、主力を失った時点で、戦略的にはどの道あれで終わってたから……」

 

「むぅ……。じゃあ、頼人君は突入しなくてよかったって思っているの?」

 

「そりゃ、戦術的……というか、あの作戦の目的からしたら、突入した方がいいと思うけど、如何せんアメリカの物量は桁外れだから、撃滅に成功しても大勢に影響は出なかったんじゃないかね。どの道、第七艦隊相手したら、艦隊にも少なからず被害が出てたはずだし」

 

「それは……たしかにそうね。おのれ米帝……」

 

「あっちの生産力ずるいからなぁ。日刊駆逐艦、週刊護衛空母ときて、月刊正規空母とか笑うしかないから」

 

もっとも、歴史の話をしていると、すぐに大戦の話になる。

頼人がいない間、こういう話をできる相手はいなかった。

故に、美森は、気軽に歴史の話に付き合ってくれる頼人のありがたさを、身に染みて感じていた。

 

 

 

「ねえ、頼人君。ちょっと不思議なのだけど、どうして戦後は銃剣道が広まらなかったのかしら?」

 

話題が戦後の武道について移ったタイミングで、美森はふと尋ねた。

戦前、戦中は、銃剣術は軍、民間問わず広まっていた。

と、いうのも、銃剣術は軍内部に留まらず、教育機関でも教えられていた。

また、戦争末期の軍の迷案として有名な竹槍訓練は、槍術ではなく、銃剣術の訓練だった。

言ってしまえば、竹槍は銃剣の代わりだったのだ。

則ち、銃剣術は、ある意味、当時の日本において、最も普及していた武道でもあったわけだ。

経験者も、他の武道より多かったはずだ。

なのに、戦後の日本では、他の武道に加えて、銃剣道の人口は非常に少なかった。

そのことに、美森はふと疑問を覚えたのだ。

 

「ああ、それはね、日本人が戦争嫌いになったからだよ」

 

「それは、知っているわ。確か……当時の憲法も、戦争はしないと明文化したのよね。九条……だったかしら」

 

「そうだよ。まあ、あれも解釈次第だったし、結局、論争は終わらないまま平成は終わったから、何とも言えないけど……。それはさておき、戦後の日本じゃ、国民は徹底的に戦争と言うモノを嫌ったんだよ。いわば、戦争アレルギーみたいなもので、銃剣道もその煽りを受けたようなもんだな」

 

「銃剣道も……?どういう意味かしら?」

 

美森は国民感情と武道を、根本的に切り離して考えていた。

それ故に、頼人の言わんとすることを図りかねていた。

 

「ああ。銃剣道が再興してからも競技人口が増えなかったのってさ、銃剣道は戦争の為の武道ってイメージが強くて、多くの人達から悪く捉えられてたからなんだよ。当時の人たちは、戦争を思い出すことも嫌だったから。そもそも、銃という時点で駄目だったから」

 

「むぅ……。国防を悪く捉えるなんて、理解に苦しむわね……」

 

「まあ、そういうな。それだけ、あの時代の人たちは戦争に忌避感を持ってたんだよ。それに、戦争なんてしない方が絶対良いんだから」

 

その言葉を聞いて、美森は少し黙った。

美森は頼人と話していて、たまにその言からある種の感情を感じる。

それは、戦争への忌避感だった。

また、戦史や歴史について語ることは間違いなく好んでいるのだが、戦争それ自体に加え、戦争を賛美する権力者や、人命を無視した作戦を立案する一部の軍人への悪感情も確かにある。

美森はそれを感じていたのだった。

もしかすると、頼人は、彼らと大赦の人間を重ね合わせていたのかもしれない。

安全な場所で戦争を賛美する権力者と、前線で命を懸けて戦う兵士。

考え方によっては、それは大赦の人間と勇者に置き換えることもできるだろう。

 

けれど、もしそう考えているのなら、頼人君は―――――

 

「須美、どうかした?」

 

「いえ、何でもないわ……。でも頼人君、それじゃあなんで銃剣道は残ったのかしら。それだけ印象が悪かったのなら、今も残っていないんじゃないの?」

 

「それは、当時の人たちの努力だな。その戦争ってイメージを変えて、広めようとしたんだよ」

 

「変えるって……武道的な精神修養を主軸にしたとか?」

 

「もっと、単純だな。言ってしまえば銃剣道をスポーツとして広めようとしたんだよ」

 

「スポーツ?武道を……?」

 

「ああ、戦争としての技術じゃなくて、あくまでスポーツだって言って、それで銃剣道を残そうとしたわけだ。スポーツって言ったほうが敷居も低くなるし、人々の抵抗感も薄くなるって考えたんじゃないかな」

 

美森にとって、武道とスポーツは似て非なるものだという考えがあった。

故に、銃剣道にしても、スポーツと言われてしっくりこなかったのだ。

実際、剣道をはじめとした多くの武道は、スポーツと武道は違う存在だと主張している。

だが、銃剣道に関しては違っており、当時の銃剣道連盟も、戦後の銃剣道は古来伝統武道の真髄を継承しつつ、近代的スポーツとして再出発したものだと規定していたのだった。

それでも、そういった意識は美森にとって、奇妙に思えた。

なぜなら、近代以後、戦争では刀も槍も殆ど使用されておらず、そういう意味では銃剣道は最も、実戦的な武道だとも言える。

なのに、種々の武道の中では、最もスポーツ化されていた。

何という矛盾だろう。

けれど、だからこそそう言った矛盾を抱え込まなければ、銃剣道というのは生き残れなかったのかもしれない。

 

「銃剣道も、生き残るのは大変だったのね……」

 

「ああ。だから、当時の銃剣道の指導者は、他の武道の指導者に比べて、銃剣道をスポーツとして広めようって意識が強かったらしいよ。昔の資料によるとね」

 

「そういうところも、他の武道とは随分違うわね」

 

「確かにな。まぁ、あれやってた人、ほとんどが自衛隊関係の人だったみたいだから、どこまでスポーツって意識があったか、ほんとのところは分からないけど」

 

そう言って、頼人は軽く笑った。

それを見て、美森は安心する。

その笑顔は、間違いなく美森の知っている笑顔だったから。

それにしても、やはり、頼人との会話は面白い、美森はつくづくそう感じる。

実のところ、歴史の知識について、美森の方が知識が深い場合も多い。

だが、頼人は単純な知識では理解できないことを教えてくれる。

昭和史後期から平成史については美森も舌を巻くほどだ。

というのも、頼人は、当時の人々の心境や、価値観への理解が信じられないほどに深い。

今の話にしても、ただ、本を読むだけでは知りえない、いや、理解しがたい話だ。

まるで、その時代を生きてきたのではないかと思ってしまうほどだ。

 

「やっぱり、頼人君ってすごいわよね……。こんな話、他で聞くことないもの」

 

「いや、単純な知識じゃ須美の方が詳しいと思うぞ?今のだって、仕事してて知ったような話だし。大昔の文化の話なんかはむしろ、須美から教えてもらうことの方が多いから」

 

「夢は歴史学者さんだもの。それに、日本国民である以上、こういう知識はもっておかないと……!」

 

「気持ちは分かるが落ち着きなされ」

 

頼人と話をしていると、色々と勉強になる。

だが、美森が頼人と歴史について話したがるのは、それだけが理由ではなかった。

頼人は、美森の好きな話をどこまでも受け入れてくれる。

変だとも言わず、それでいて、美森の話をちゃんと理解してくれる。

そして、美森の知識の深さを、見識を尊敬してくれる。

こんな人は、きっと他にいない。

 

 

 

「それじゃあ頼人君……大人しくてるのよ?」

 

「たった数時間なんだから、そんなに心配しなくても大丈夫だって。もうしばらくゆっくりしてるから」

 

しばらくすると、美森は巫女の訓練のために移動する。

大赦本庁に来てから、数日が経ち、巫女としての訓練も進んだ。

滝行、瞑想、祝詞の読み上げ、舞や雅楽に座学と、巫女の訓練は多岐にわたり、勇者の鍛錬とは違った意味で疲労する。

何とか訓練についていけたのは、美森が個人的に勉強していた部分も多分に含まれていたからだろう。

ある意味、不幸中の幸いとも言えた。

ただ、訓練の時間は頼人の傍に居られない。

それだけが美森の不満だった。

 

「お疲れ様でございます、美森様。お冷をご用意いたしました」

 

訓練を終えた美森に、一人の巫女がコップを差し出す。

 

「ありがとうございます、伊藤さん。それと、様付けは止めてください。伊藤さんの方が年上なんですから」

 

「何を仰いますか。勇者様にそのようなご無礼、出来るはずがございません」

 

美森は、訓練中の世話役でもある彼女の態度に、少しの居心地の悪さを感じる。

大赦の人間は皆、勇者である美森に最大限の敬意を払う。

以前、美森が大赦に来た時には、神樹への挨拶があったため周りに気を使う余裕はなかったが、改めて考えると、その敬意は過剰にも程がある。

だが、美森が頼人から聞いたところによると、これでも随分ましになったらしい。

頼人が大赦に赴任したばかりの頃は、毎日ご機嫌伺いに高位の神官が長ったらしい口上と共に挨拶してたそうで、どんな感じか聞いてみると――――

「掛けまくも畏き赤嶺頼人様に、畏み畏み申す。今日、私たちの国土が保たれておりますのは、頼人様の尽力の結果であり、その功績は永大の英霊に勝るとも劣らず。頼人様におきましては、本日のお加減は如何でしょうか?」

こんな感じだったらしい。

最初の挨拶だけでこうだったというのだから、やり取り一つでどれだけ時間がかかっていたのだろうか、美森は不思議になってしまう。

大赦に勇者が務めるなどということがこれまでなかったため、過去の慣例を参考にしたそうだが、これでは前置きが長すぎるし、聞いてるだけで疲れてくる。

そういう訳で、頼人は本庁内でもこういった形式を可能な限り排除したらしい。

 

「こんなんじゃ、仕事どころじゃないから。まあいい機会かなって」

 

頼人はそう言って笑っていたが、こんなことにまで口を出さないといけない現状を考えると、頼人の負担は如何ほどだろうと、美森は、心配にならざるを得なかった。

とはいえ、頼人のこうした行動は少しは影響しているらしく――――

 

「いいじゃん、由依。他でもないその勇者様がいいって言ってんだから。気楽にいかなきゃ損よ。ね、美森ちゃん?」

 

一人の巫女が美森に話しかける。

大赦では珍しく、随分と気軽な様子でだ。

間違いなく、以前なら問題になったであろう態度だ。

 

「美穂、勇者様になんて口の利き方……!」

 

「あの、伊藤さん。私は別に気にしませんから……」

 

「ほら由依。美森ちゃんの許可出たよ」

 

「そういう問題じゃないでしょ!私達は巫女なんだから、もっとその自覚をもちなさい!」

 

「何言ってんの。頼人様から敬語は止めてって言われてるんだから、従うのが巫女でしょ」

 

「なら、頼人様の前でもまともに喋れるようになりなさい。いつも、しどろもどろになってる癖に」

 

「ちょっ、由依それは……!」

 

「貴女が頼人様に今みたいに話せるようになったら、考えてもいいわ」

 

「なっ……!由依だって、頼人様の前じゃ全然違うじゃん!何よあの猫撫で声!」

 

「あっあれは、いつもそうじゃない!」

 

気付けば二人で喧嘩を始めてしまっている。

美森は完全に置き去りだ。

そんな気まずい状況に、一人の闖入者が現れた。

 

「二人とも何やってるです!東郷様の御前ですよ!」

 

背の低い三つ編みのボブカットの巫女が、踏ん反り返って叫ぶ。

背は小さい割に、大きな声だ。

 

「ま、麻衣ちゃん……?」

 

「麻衣ちゃんいいところに、美穂を説教し―――」

 

「由依先輩も美穂先輩に乗せられすぎです!二人とも来るのです!」

 

「で、でも、美森様が……」

 

「うふふ、大丈夫よ二人ともぉ。私がついてますからぁ」

 

麻衣の背後から、長身の女性がするりと現れた。

それに気付いた途端、美穂が顔を引きつらせる。

 

「げっ、杏美先輩……。いつの間に……」

 

「ついさっきよぉ。貴女達だけじゃ不安だから見に来たのよぉ」

 

「あ、杏美先輩違うんです、これは―――!」

 

「言い訳はいいからぁ、二人とも、後で反省文出してねぇ?」

 

「さぁ!行くですよ!」

 

「ごめんなさい~!」「なんで私がぁああ!!」

二人の巫女が、背の低い少女に、首根っこを掴まれ引きづられていく。

その光景に、ここは本当に大赦なのか、美森は不安になった。

 

「申し訳ありません美森様。あの子たちも根はいい子なんですよぉ?」

 

「いえ、そんな……。あの、本当に私は気にしてませんから、あのお二人には……」

 

「大丈夫ですよぉ。ちょっぴり怒るくらいなのでぇ」

 

「そ、そうですか……」

 

ちょっぴり……にしては、あの二人の怖がり方は大げさだった気がしたが……。

 

「あの、岩尾さん。一つ聞いてもいいですか?」

 

「はぁい、美森様。何なりとお答え致しますよぉ」

 

「巫女の皆さんは、頼人君とよく会ってたんですか?先ほど聞いた様子だと、なんだか……」

 

「皆、頼人様に好意を持っているみたい、ですかぁ?」

 

岩尾は、美森が言い淀んだ部分を代弁した。

 

「えっと……はい……」

 

「ふふっ。美森さまもぉ、恋人が他の女性にお熱になってないかぁ心配なんですねぇ」

 

「えっ、こ、恋人……!?」

 

途端、美森の顔が赤くなる。

頼人との距離が近いとはいえ、美森は未だ、こういった話には耐性がないのだ。

 

「あれぇ……違うんですかぁ?噂になってるので、てっきりお二人はそういう関係なのかとぉ」

 

「う、噂って、どんな噂ですか?」

 

「美森様と頼人様が婚約されてるんじゃないかってぇ。美森様は頼人様の部屋に入り浸りになっているみたいですしぃ、頼人様と部屋を出られる際には、片時もお傍を離れないじゃないですかぁ。鷲尾家の方々と一緒にお食事もされていたという話でしたしぃ、家族公認の仲なんじゃないかと、みんな言ってますよぉ?」

 

「ちっ、違います!確かに頼人君とは、その……仲良くはありますけど、恋人じゃありません」

 

美森は少し言葉を選んで、岩尾の言を否定した。

その時生じた、胸の痛みは考えないようにして。

 

「そうだったんですねぇ。じゃあ、私にもチャンスがあるんですねぇ」

 

「……はい?」

 

瞬間、美森の顔から表情が消える。

眼光は猛獣のそれ。

その顔は、能面にも般若にも見えた。

これには岩尾も恐れをなしたようで、慌てて謝る。

 

「あ、あはは。じょ、冗談ですからぁ、そんな怖い顔なさらないで下さぁい」

 

「本当ですね?」

 

「も、勿論ですよぉ」

 

その言葉を聞いて、美森はようやく緊張を緩めた。

岩尾は随分、怖かったらしく、冷や汗までかいていたが、美森のその様子を見て、ほっと一息を吐いた。

 

「それで、お話の続きを聞かせてもらえませんか?」

 

「ええと、巫女の多くが頼人様に好意を持っている理由ですねぇ」

 

「いえ、私が聞きたいのは………」

 

「なんて言ってぇ。そっちよりこっちの方が気になるんじゃないんですかぁ?」

 

美森は否定しようとしたが、聞きたいという気持ちが勝ってしまった。

認めようと、小さく頷いた時、少しだけ顔が火照った。

やはり、こういう話は恥ずかしい。

 

「……やっぱり、頼人君のしたことに関係しているんですか?」

 

恥ずかしさを誤魔化すかのように美森は尋ねる。

 

「そうですねぇ。確かに関係はしてますよぉ。……美森様は以前の私達の扱いをご存じですかぁ?」

 

「ええ、少しは……。確か、大赦で厳しく管理されていたと……。それが理由なんですか?」

 

「半分は、そうですねぇ」

 

「半分?」

 

「実はぁ、頼人様がこの件を言い出した時、大赦の中でも、反対意見は多かったんですよぉ。情報漏洩の危険だとか私達の安全のためだとかなんだとかってぇ」

 

「それは……」

 

「ええ、仕方ないと思います。……けど、それを言った人たちが裏で何を考えていたかって思うと、その言葉を額面通りには受け取れなかったんですよぉ」

 

「裏で……ですか?」

 

「大した話じゃありません。ただ、あの人たちが私達が信用してなかったってだけの事ですからぁ」

 

「―――――」

 

「当然ですよねぇ。結局、あの人達が信用してるのは巫女の神託であって、十代の小娘じゃないんですからぁ。それに、何かあった時、誰も責任を取りたがらないですしぃ」

 

無論、そんなことを口で言った人間はいなかった。

けど、例え言わなかったとしても、感受性が強く、聡明だった彼女は、反対する理由を分かってしまったのだ。

 

「ですけどねぇ、頼人様は違ってたんです。自分が全責任をとるって、私達の安全を守るって、言って下さったんですよぉ。そうしたら今度は、私たち巫女が故意に情報を流したらって反論があって……美森様、頼人様はこれに何と答えたと思います?」

 

「ええと……防諜には万全を期す、とかですか?」

 

「はずれでぇす。頼人様はただ…………私達を信じるって、そう言って下さったんですよぉ」

 

「えっ、でもそれじゃあ……」

 

答えになっていない。

そう言おうとする前に、岩尾が答えた。

 

「勿論、大人たちが納得できるようなことも、その後話されてましたよぉ。鎮守府ができて、元々民間にいた人達にも真実を教えたり、防人の子達にも教えてる以上、巫女にだけ過剰に制限をかける理由はないってぇ」

 

「……なるほど、敢えて情報規制を緩めることで個々人への信頼を示し、逆に組織全体の結束力を強めるという狙いね。流石、頼人君だわ……」

 

感心する美森に、「い、いや、それは知りませんけどねぇ……」と、少し引いていた。

 

「私達はただ……信じるって言ってくれたことが、すごく嬉しかったんですよぉ。神託じゃなくて、私たち一人一人を信じるって言ってくれたことが」

 

「それが、理由なんですね……」

 

「ええ。それに、頼人様には前から良くして頂いてましたからぁ、私達のための行動してくれたんだって分かったんです。だから、巫女はみぃんな、頼人様の味方をするって決めたんですよぉ」

 

岩尾は嬉しそうに語る。

本当に嬉しそうに。

その様子で、美森は彼女の言葉に嘘はないのだということがはっきりわかった。

 

「そう……ですか……」

 

「あれぇ、美森様ぁ。なにか、気になることでもぉ?」

 

「いえ、何でも……ありません」

 

美森は思う。

頼人は確かに、今まで、誰もできなかったことをしている。

それは美森とて、認めざるを得ない。

だが、その結果、頼人に期待する者は増加し、英雄や聖人君子のようなイメージを抱く者も増える。

頼人が本来、普通の日常を好む少年であることを忘れて。

そして、頼人はそのイメージに応えようとしてしまう。

応えるために、誰かからは好かれ、誰かからは嫌われる。

そうしてまた、普通の人間から外れていく。

それがどれほどの苦しみなのか、美森にはわかる。

美森だけは、頼人が苦しんでいるところを目にしたから。

このままじゃ、頼人は救われない。

放置していれば、例え世界は救えても、永遠に英雄という機能を果たす道具―――舞台装置に成り下がってしまう。

そして……そのことを誰も気付いていない……。

むしろ、良い事だとすら思っている……。

なんで、こうなってしまったのだろう。

美森はそう考えるも、答えは当然のように、出なかった。

 

 

 

 

 

岩尾の話を聞いた後、美森はいつものように頼人の部屋に戻った。

頼人はベッドの上で、本を読んでいた。

 

「おかえり、須美。お疲れ様」

 

「ええ、ただいま。頼人君」

 

美森が巫女の訓練を終えてこの部屋に来ると、頼人は決まっておかえりと言う。

美森もそれにただいまと返す。

たった一言の挨拶。

けれど、その響きはとても甘美で、言葉を交わす度に心に温かいものが広がる。

この一瞬に、美森はどうしようもなく幸せを感じてしまう。

そうこう考えていると、青坊主が近づいてきて、びしりと敬礼した。

 

「報告を」

 

美森は敬礼を返し、青坊主に問う。

複数の神官の訪問あり。

数、四。

神官の目標は、乙二、丙一、特一であります。

青坊主が手旗を振って、素早く美森に伝える。

 

また来たのね……。

 

「構成は?」

 

男性三。女性一。

男性の目標は乙二、特一、女性の目標は丙であります。

 

……ふむ。

青坊主の報告を聞いて、美森は少し考える。

丙が目標の女性は判断が難しいが、甲でなければ、まあ許容範囲だろう。

乙なら大事にはなるまい。

問題は特。

おそらく来たのは、頼人の父だろう。

用件は分かっている。

ならば―――

 

「ご苦労。下がりなさい」

 

すると、青坊主はもう一度敬礼をし、消えた。

 

「須美さんや。青坊主はいつの間に、軍に入ったんだい?」

 

「日ごろの訓練の賜物よ」

 

美森は胸を張って言う。

 

「何それ怖い………。というか、何話してたんだ……?」

 

「いつも通り、頼人君が、勝手に仕事をしてないか確認してたのよ」

 

「おおう……。まあいいや。さっきお見舞いに来てくれた神官さんが、羊羹を持って来てくれたから、一緒に食べよ」

 

そう言って頼人は、ベッドから床へ腰を下ろした。

そうして、両手で器用に、部屋の中央にあるちゃぶ台まで移動する。

ちゃぶ台の上を見ると、羊羹が既に切られて置いていた。

皿とフォークもある。

どうやら、美森を待っていたらしい。

 

「ええ。それにしても、また、私がいない間に………。やっぱり、来週からは訓練の時間を減らすべきかしら……」

 

大赦の人間は時々、お見舞いと称して頼人の元を訪れる。

それが本当に只のお見舞いだったら良いのだが、仕事関係の話を持ってくる者もおり、酷い時には、縁談を持ち掛けるような者すらいる。

そのため、美森はできるだけ頼人の傍について、邪な話がないかどうか確認していたのだが、そうすると、彼らは美森が留守の間に頼人の元を訪れるようになった。

狙っているとしか考えられず、美森の悩みの種でもあった。

だが、頼人は「大して時間もとってないし、須美がいない間の暇つぶしにもなるから」と、まるで気にしていない。

思えば、いつもそうだった。

頼人は周りには敏感で、危機を察知する力にも長けているのに、事が自分自身に及ぶと途端に鈍感になる。

というよりも、根本的に自分の身を守ろうとしていない。

おそらく、周りに気を配りすぎているせいで、自分自身のことには手が及ばないのだろう。

この状況が、それを証明しているとも言える。

 

―――だから、私が守らないといけないのに

 

美森はそう思うのだが、頼人を取り巻く環境は複雑極まりなく、何もかもが思い通り、という訳にはいかない。

表向きは頼人の味方である面々の中にも、頼人をあの手この手で取り込もうとする輩がいるし、個人的に懸想している者だっている。

少数ながら頼人を快く思わず、勇者としても認めていない人間もいる。

それに、鎮守府の人間の多くは、頼人に指導者でいてほしいと考えており、結果としてだが頼人の自由を望んでいない。

つまり、この大赦には『勇者・赤嶺頼人』の味方はいても、普通の日常を好む、一個人としての『赤嶺頼人』の味方は存在しない。

ただ一人、美森を除いては……。

 

「そういうこと言わないの。大和田さんや岩尾さんに怒られちゃうぞ?」

 

「大丈夫よ、頼人君。訓練を減らすくらいじゃ怒られないわ」

 

どの道、契約がある以上、三好春信は美森に便宜を図らざるを得ない。

それに、頼人の為を想えば、少しくらい怒られても構わない。

そう考えていた美森だが、そこで頼人が不思議そうな顔をしていることに気付いた。

 

「どうしたの頼人君?何かおかしなこと言ったかしら?」

 

「いや、須美がそういうこと言うとは思ってなかったから。ほら、前なら規則とか絶対遵守って感じだったろ?ちょっとだけ変わったなって」

 

「何言ってるの?頼人君より大事な規則なんて存在しないわ」

 

「うん……。嬉しいんだけど、ちょっと怖くなるのはなぜだろう……」

 

「あら、どういう意味かしら?」

 

「いや、なんでもありませぬ」

 

「今、白状すれば許してあげるわよ?」

 

そう言って、美森は頼人の頬をつつく。

 

「まあまあ。羊羹食べて落ち着きなされ」

 

「……」

 

気が付けば頼人は、羊羹を刺したフォークを美森に差し出していた。

さっきの話題を追求したいのはやまやまだが、それよりもアーンしてもらえているこの状況を優先すべきか…。

などと考えている間に、美森は羊羹を口に含んでいた。

どうやら美森も、欲望には打ち勝てなかったらしい。

 

「おいしい?」

 

「ええ、おいしいわ……」

 

顔が赤くなっていないか少し心配になりながら、美森は答える。

心臓の音がうるさい。

誤魔化すように、ちゃぶ台の上に放置されていたフォークを掴み、他の羊羹も頬張る。

 

「ほら、口元ついてるぞ」

 

そう言って、頼人は美森の口元を拭った。

 

「あ、ありがとう……」

 

頬が熱を帯びる。

頭がボウとする。

恥ずかしい……。

自分から近づくときにはこうじゃないのに、向こうから触れられた途端、急にどうすればいいのか分からなくなる。

胸は針に刺されたように痛くなるし、呼吸も乱れる。

だけど……。

だけど……こういう感触は嫌じゃない……。

触れてくれることが、優しくしてくれることが、たまらなく嬉しい。

本当に……こうして、二人だけで過ごす時間の何と甘美なことか。

この時間がずっと続けば……。

 

思ってはいけないことを、また、思ってしまう。

 

今だけは、頼人君は私だけを見てくれる。

今なら、頼人君を……。

だったら――――

 

美森はそこで思考を打ち切り、違う話をし始めた。

いつもと、変わらぬ顔をして。

 

 

 

 

 

 

「それにしても、ほんとに須美の髪は綺麗だな……」

 

「そ、そうかしら……?」

 

その日の夜、美森は頼人に髪を梳かしてもらっていた。

美森が大赦に来てから、決まってしてもらっていたこと。

きっかけは、頼人の部屋で見つけた、一本の櫛だった。

どう見ても女性用で、頼人が持つには似つかわしくない。

気になって、尋ねると、この櫛は元々美森の誕生日に贈るはずのものだったという。

だが、櫛は苦、死を連想させ、贈り物にはよくないと思い出し、時計を贈ったという。

それを聞いた美森は、使わないのなら貰いたいと頼人に言った。

私は、そういう話を気にしないから、と。

頼人は、少し不思議そうにしながらも、快く櫛を美森にくれた。

そして、どうせならと、その日から頼人は、寝る前に美森の髪を梳かし、纏めていたのだった。

そうして、しばらく髪を任せた後、美森はおもむろに口を開いた。

 

「……ねぇ、頼人君」

 

「ん。どした、須美?」

 

美森は少しだけ口ごもる。

言うべきか、言うべきでないか。

答えはきっと分かり切っている。

冷静に考えれば、絶対に聞くべきでない。

けど、もしかしたら……。

その可能性が、美森の口を開かせた。

 

「本当に……大丈夫なの?頼人君が望むなら、私は……」

 

「………」

 

その言葉で、頼人の手が止まった。

美森が頼人の傍に居られるのも、一旦今日までだ。

明日からはまた、美森は讃州に戻り、頼人は仕事に戻る。

けれど、美森はまだ、頼人の傍に居たかった。

後の言葉を飲み込んだのは、残りたいという気持ちと、連れて帰りたいという気持ち、どちらを口にすればいいのか、分からなくなったからだ。

ただ、頼人が望むことをしてあげたいと、美森は思った。

たとえ、答えが分かり切っていたとしても。

そうして、しばらく、静寂が流れる。

 

「ああ、大丈夫だよ。随分休めたし、これからはやり方も変えるから」

 

「そういう話じゃないくて……頼人君がどうしたいのか……どうしてほしいのか、知りたいの」

 

「どうしたいも何も、ここで頑張るって決めたから、さ………」

 

何気ない一言。

いつもなら、ここで話は終わっただろう。

けれど、美森は、その言葉の中にある、微かな諦観を感じ取った。

自分以外のモノは絶対に諦めない少年の、諦観。

それが、美森には―――どうしようもなく嫌だった。

 

「だから、そういう話じゃないの……!」

 

いけない。

今はまだ、駄目だ。

頭では分かっているのに、感情が溢れてしまう。

灼きつくような感情のうねりが、胸を支配する。

 

「確かに頼人君の志は立派だわ!今までの事だって感謝してる!けど、それで頼人君が苦しんでるのに、放っておくことなんてできると思う!?頼人君が一人で傷ついて、それで、私やみんなが喜ぶと思ってるの!?」

 

「それでも…………自分で、選んだ道だから。途中で投げ出せないよ」

 

「違う……!頼人君は選んだんじゃなくて、選ばされたんでしょ……!?」

 

「だとしても、投げ出せない。今ここで投げ出せば、全てが無駄になる。………須美だって、今更、勇者を投げ出せないだろ?」

 

「それ、は………」

 

須美は言葉に詰まってしまった。

なぜなら、頼人の状況は本質的には、勇者のそれと変わりないからだ。

勝手に選ばれて、不本意な状況に追いやられる。

その状況が、少し違うだけとも言える。

 

「ごめん。ずるい言い方だったな」

 

「でも……でも、私は――――」

 

それでも、納得できるはずもない。

必死に言葉を紡ぎ出そうとする。

そんな折、不意に柔らかな感触が美森を包み込んだ。

 

「ふぇっ!よ、頼人君!?」

 

気が付けば、美森は頼人に後ろから抱きしめられていた。

ここまでのことは、美森の方からすることはあれど、頼人の方からは、初めてだった。

それ故に、美森はどうしていいか分からなくなった。

だが、そんな美森の様子はお構いなしに、頼人は口を開いた。

 

「須美、ありがとな。心配してくれて……」

 

「頼人……君……」

 

柔らかくて優しい声が、美森の耳を撫でる。

頼人の吐息すらも感じ取れる。

いつもなら、その心地よさに身を委ねていただろう。

けれど、美森は、頼人が何を言わんとしているのか分かってしまった

 

「傍に居てくれて、すごく嬉しかった。俺はもう、大丈夫だからさ。心配しないで……とは言えないけど。もう少し、身体も労わるから」

 

「――――」

 

それは、どこまでも優くて、温かい……拒絶の言葉だった。

きっと頼人は、美森が何を言おうとしていたのか分かっていたのだろう。

 

止めたかった。

止めるべきだった。

けれど、その言葉にどれほどの想いが籠もっているか、美森には分かってしまった。

今、頼人がこの御役目を放り出せば、多くの人達の苦労が水の泡になる。

頼人が成してきた事の多くも、意味をなくしてしまう。

本当に、頼人は損な性格をしている。

もう少し、責任感がなければ。

もう少し、自罰的じゃなければ。

もう少し、優しくなければ。

きっと、こんなことにはなっていなかったのだろう。

だけど、鷲尾須美はそういう頼人を好きになってしまった

そういう頼人だったからこそ、東郷美森はこんなにも愛してしまった。

それが分かるからこそ……辛かった。

やっぱり、今は止められない。

なら―――

 

「……それじゃあ、約束して」

 

美森は、頼人の手に自分の手を重ね合わせ、そう言った。

 

「また、倒れでもしたら、強引にでも連れて帰るから。その時は、私の言うことを聞くって」

 

簡単な約束。

けれど、これが今の美森に出来る精一杯だった。

 

「分かった。約束するよ」

 

頼人はそう言うと、美森を抱きしめる力を、少しだけ強くした。

それが美森の心を温かくし、同時に切なくさせた。

 

 

 

 

「それじゃあ、今日はもう寝るのよ。明日から、また早いんだから」

 

「ん。そうするよ」

 

しばらくして、頼人の就寝時間となった。

直に、美森もこの部屋から立ち去らなければいけない。

その時間まで、美森は、頼人が眠りにつくまで傍に居た。

いつも通り、しっかりと休んでいるか確認するために。

やがて、頼人は小さな寝息を立て始めた。

それを見て、美森は頼人の頬を撫でた。

失われた左目を、懐かしむかのように。

 

 

―――そして、おもむろに立ち上がり、机の前の椅子に腰かけ、頼人のノートパソコンを開いた。

 

電源をつけ、パスワードを解除する。

青坊主を頼人につけていたのは、頼人の監視だけでなく、情報収集の為でもあった。

このパスワードも、青坊主が入手したものだった。

頼人のパソコンは、あくまでも研究などのために使用されているらしく、記憶メモリの容量には、随分と余裕があった。

ただ、作成された文書は、非常に多い。

 

『民主主義的見地からの上里ひなた氏の功罪』

『大赦の専制的性質』

『中世カトリック教会との比較による大赦の腐敗構造について』

『終末戦争の政治性の有無』

『今次大戦の特異性と展開』

『一般市民への情報開示時に予想される混乱とその対策案』

『神樹の消滅による社会的混乱と民衆への心理的影響に関する一考察』

 

このようなレポートや論文が数十稿存在しており、頼人が如何に勤勉であったかよく分かる。

美森は、パソコンの端子に外部記憶装置を取り付け、素早くこれ等の文書をコピーしていく。

その作業と並行して、隠しファイルを開く。

運が良かったらしく、隠しファイルの表示は一般的な方法と変わらなかった。

頼人の情報リテラシーが一般的なレベルから大きく離れてはいないのか、それとも、この部屋の警備を信頼していたのか。

いずれにしても、美森にとっては好都合であった。

やがて、美森は目的のファイルを見つけた。

おそらく、存在するのではないかと話し合っていたそれ。

 

 

『赤嶺頼人が死亡、もしくは現職務を遂行できないと判断された場合の対応マニュアル』

 

 

美森は、櫛をぎゅっと握る。

最近過ぎ去った、誕生日のことを思い出しながら。

 

 

 

 

あの日。

本当は頼人君とも一緒に過ごしたかった。

皆と出会ってから、最初の誕生日だったから……。

けど、頼人君は誕生日の日、時計と……一通の手紙を送ってくれた。

正直、時計よりも手紙のほうがずっと嬉しかった。

内容は、一見すると恋文のようにも思えるようなもの。

私の長所と、それについての好意と感謝。

きっと、いつぞやのことを覚えていてくれたのだろう。

直接口にはしなかったけれど、私が、恋文に憧れていたことに。

だからこうして、手紙を送ってくれたのだろう。

それがどうしようもなく嬉しくて、また……好きという気持ちが強くなってしまった。

時計の意味だけでは、満足できないほどに。

だから、この櫛を欲しがってしまった………。

 

 

 

 

日本において、櫛は苦、死を連想させるため、贈り物にはふさわしくないとされる。

だが、例外となる場合もある。

それは、男性が女性に贈る場合。

 

苦労も幸せも共に過ごし、死ぬまで添い遂げてほしい。

 

昔の日本では、そういうプロポーズのような意味で贈られていたこともあった。

それを、美森は知っていた。

知っていて、求めた。

 

 

……たとえ、頼人君が私だけを見てくれなくてもいい。

それでも、いい。

ただ一緒にいられれば、それだけで……。

けど、それ以上に、大事なことが私達にはある。

それは、頼人君を必ず守ること。

頼人君を幸せにすること。

それが、たとえ―――

 

―――世界を敵に回すことであっても

 



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模擬戦

歴史的遅筆。
この回の分だけで、まさか8万字も没にするとは……。
おまけにかなり長いです。
ごめんなさい……。


「あれは、七年前のことですわ……」

 

弥勒夕海子はうっとりとした表情で語り始めた。

 

「……は?」

 

「暑い……、とても暑い夏の日に、私と頼人さんは運命的な―――」

 

「どっから始めてんだお前は!?話すのはあいつの訓練だけでいいんだよ!訓練だけで!」

 

「ふふっ。シズクさん、分かっていませんわね。こういうのは馴れ初めから語るのが筋なんですのよ?」

 

シズクが怒鳴り声にも、夕海子は涼しい顔を崩さない。

 

「んなわけあるか!何時間演説するつもりだてめえは!?」

 

シズクが怒る。

赤嶺頼人の訓練を聞こうとしたら自分語り染みた話が始まったのだ。

そりゃ怒りたくもなるだろう。

芽吹も、肩透かしを受けた気分になった。

 

「安心してくださいまし。精々二時間程度で終わりますわ」

 

「十分なげえよ!」

 

「……ねえシズク、これ人選間違えたんじゃないの?」

 

「あぁ……。こいつなら、俺達の知らない話を知ってると思ったんだけどな……」

 

シズクが疲れた様子で言った。

この言からするに、赤嶺頼人の話はシズクもあまり知らないらしい。

 

「まぁまぁ、お二人とも、たまにはゆっくり話を聞くのもいいと思いますよ?」

 

「亜耶ちゃん……」

 

「だけどよぉ……」

 

いくら亜耶の言葉でも、二時間も話を聞き続けるのは流石にしんどい。

芽吹としても、無駄な時間は極力なくしたかった。

 

「はぁ……。お二人とも、我儘ですわね……。いいでしょう、かいつまんでお話しいたしますわ」

 

「最初からそうしろって言ってんだろ……」

 

仕方ない、といった夕海子の言葉にシズクが頭を抱えて言う。

ここまで図々しく話せるとは、意外と夕海子は大物なのかもしれない。

やがて夕海子は表情を少しだけ真面目にして語り始めた。

さすがにこれ以上引っ張るつもりはないらしい。

 

「芽吹さんは、頼人さんがかつて、赤嶺の麒麟児と呼ばれていたことはご存じですか?」

 

「ある程度は聞いています。小学校に入る時点で、高校レベルの数学や英語の問題を簡単に解けるぐらい頭がよかったとか。……そういう話ですよね」

 

ゴールドタワーでは、赤嶺頼人のそういう噂に事欠かない。

芽吹も初めて聞いた時には驚いたが、同時に妙な納得もあった。

以前会ったときに感じたことだったが、赤嶺頼人はまるで同年代の少年とは思えないほどに落ち着きがあった。

それに、曲がりなりにも教師役を務めていたのだ。

天才という理屈がなければ、この違和感に説明をつけられるはずもない。

 

「確かに、それは間違いではないですわ。頼人さんが麒麟児と呼ばれた理由の半分くらいはそこにありますし」

 

「……半分?」

 

夕海子の言葉に、芽吹は怪訝な顔を浮かべた。

それほどの天才ならば、麒麟児という呼び名には十分だと思ったのだが。

 

「ええ、ただの天才であれば、その説明だけで十分ですわ。けれど、頼人さんは『赤嶺』の麒麟児だったんですの」

 

「……どういうことですか?」

 

「赤嶺がどういった御役目で力を得たか、芽吹さんもご存じですわよね?」

 

と、その言葉で芽吹も夕海子の言わんとする言葉が分かった。

様々な名家が属する大赦。

その中でも一部の名家には、専門とする御役目がある。

赤嶺家の専門は……。

 

「……対人の、御役目ですか」

 

「その通りですわ。そして、勇者の御役目とは違い、対人の御役目はいつの時代も必要とされます。そのため、七二年のテロ事件以降、赤嶺の歴代当主は皆、幼少より厳しい訓練を受けていたそうです。特に、対人技術を念入りに」

 

「そういうことか……」

 

「シズク先輩、どうかしましたか?」

 

「いや、なんでもねえよ……」

 

芽吹はちらりとシズクを見ると、何やら複雑そうな顔をしている。

何やらその表情に違和感を感じたが、芽吹はそれを無視して夕海子の話に集中した。

 

「頼人さんは、異常に呑み込みがよかったそうです。本来、経験でしか得られないはずの技術を、生まれた時から知っていたようだったと」

 

「それで、麒麟児……」

 

「わたくしも、頼人さんの訓練を直に見ることは殆どありませんでしたが、どのような訓練だったかは、少しだけ聞き及んでいますわ」

 

そうして、夕海子はその内容を語り始めたのだが………

 

「稽古をさぼるようになった……?あの赤嶺がか?」

 

「正確には、稽古の時間を減らしてほしいと、ご家族に望まれていたそうですわ。高知に来ていた時には、特に稽古の時間も減らしてはいませんでしたし。ただ、その分、要求されるハードルは高くなっていったみたいですわね」

 

「高く……どういう風にですか?」

 

「そうですわね……太い木――直径で五十センチくらいでしたか――を刀で斬らされたり、暗室の中、気配だけで斬りあう稽古をさせられたりとか」

 

「気配だけで……芽吹先輩、そんな事本当にできるんですか?」

 

「正直、かなり難しいわね。ある程度気配を察することならできるけど、気配だけで互いに斬りあうとなると、相手がどう動くかとかも察知できないといけないから」

 

「んで、弥勒。他にはねえのかよ?」

 

「他には……ああ、猫を斬るとかもありましたわね」

 

「「猫を斬る!?」」

 

夕海子の驚くべき発言に、芽吹とシズクは思わず叫んだ。

傍らの亜耶を見ると、「よ、頼人さんが猫ちゃんを……」と、青ざめた顔をしている。

これを知ってて話させたのかと、非難するようにシズクを見ると、シズクが知らなかったと言わんばかりに首をぶんぶんと振っている。

 

「勘違いしないで下さいまし。頼人さんが斬ったのは、猫の髭だけですのよ」

 

一気に空気が緩む。

 

「テメェ!勘違いさせるようなこと言うんじゃねえぇええ!!しずくを滅茶苦茶怯えさせちまっただろ!!」

 

シズクが夕海子の首元を掴み、大きく揺する。

 

「そうです弥勒さん!亜耶ちゃんも怖がらせちゃったじゃないですか!」

 

「お、お止めなさいな!わたくしはただ……!」

 

「だ、大丈夫ですよお二人とも。ちょっとびっくりしちゃっただけですから」

 

その言葉で、シズクは弥勒から手を離した。

 

「あぁ……。みょ、妙に疲れましたわ……」

 

弥勒がぜーはーぜーはー息を吐いている。

 

「それにしても、どうしてそんなことをさせられたんですか?」

 

芽吹は気になって尋ねた。

猫を斬るようにと言われていたのなら、いくら何でも残酷すぎる。

そんな稽古を平然とやらせるのが赤嶺家であるのなら、見方を変えなければならない。

 

「昔から猫を斬れたら免許という話があるそうで、それで、稽古の時間を減らしたかったら、猫の一匹でも切って見せろとお爺様がおっしゃられたそうですわ。まあ、頼人さんは動物好きでしたし、出来ないと思って言ってしまったのでしょうね」

 

「だけど、あいつは出来ちまったって訳か」

 

「ええ。ただ、お爺様はそれでも認めたくなかったらしく、最後には真剣を持って頼人さんを追い掛け回していましたわ」

 

「「うわぁ……」」

 

ついつい、声をあげてしまった。

流石のシズクもこれには引いている。

 

「あの、それで頼人さんはお怪我などされていなかったのですか?」

 

「ご安心なさいませ。その後頼人さんは、その刀を奪ってましたから」

 

「なんて、出鱈目な……」

 

「とりあえず、これで大体のことは分かっただろ?赤嶺は、対人に関しちゃ俺たち以上だ。油断してるとばっさりやられちまうぞ」

 

確かに、何も知らなければ、油断していたはずだろう。

事実、芽吹には怪我人相手に自分が負けるはずはないという想いがあった。

もし、赤嶺頼人がこの話通りの相手なら、芽吹の隙や油断を見逃さないだろう。

 

「確かに、心してかかるべきね」

 

芽吹はそう呟き、身を引き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神世紀二九九年五月。

大束町。

車の中から景色を眺めると、ゴールドタワーが、温かな日差しを一身に受け、その巨体を輝かせていた。

その輝きで、今日の温かさもよく分かって、少し辟易する。

最近は随分暑くなってきたもので、今日は夏日になるという。

その分、この格好だと少し暑いだろうな……。

自分の格好を見て、そう思うが、少し見ていると、笑いがこみ上げてしまいそうになった。

真っ白な紋付羽織袴に、杖、その上、眼帯ときた。

時代劇じゃあるまいし、こんな大げさな服装にどれほどの意味があるのか。

とは思うものの、こういう立場に立った以上、それ相応の服装はしなければならない。

それが、如何に馬鹿げたことであっても……だ。

例えば眼帯。

元々は、上里を騙すためにつけていたものだったが、今では示威的な目的のためにつけている。

この眼帯一つでも、大赦の人間に与える心理的効果は中々のものだ。

正直、蒸れるからはずしたいけど………。

つくづく、住む世界が変わってしまったことを実感する。

もう少し、所帯じみた生活の方が性にはあってるのに……。

 

そうこう考えていると、ゴールドタワーの入り口に着いていた。

車が小さく揺れ、止まる。

扉が開かれ、車を降りると、一列に並んだ神官の方達が、一斉にお辞儀をしてきた。

ゴールドタワーで働いている面々だ。

指示通り、皆、仮面はつけていない。

だが、正装。

御大層な神官服に身を包まれている。

この暑い中、大変だろうから服装も自由でいいし、仰々しい出迎えは必要ないと事前に言っておいたのだが、聞き入れてはくれなかったらしい。

まあいいか。

この辺りは、彼女達の裁量に委ねているのだから、強制するべきではないだろう。

と、そこで、こういう出迎えに慣れてきている自分に気付いた。

全く……随分、感覚が麻痺してきたな……。

俺はこんな待遇を受けるべきでないし、受けたくもなかったはずだ。

なのに、今はそれを当然のように甘受している。

権威にまみれた自分が、少し嫌になる。

 

「頼人様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 

と、そこで烏丸さんが近づいてきた。

仕事の時間だ。

カチリと頭を切り替える。

 

「ええ、今日は色々と見させていただきますね」

 

とりあえず、今日の目的は二つ。

一つは、関連施設の視察。

防人の子達が過ごす環境は、自分の目で見て確かめなければならないと、常々思っていたし、近々、鎮守府関連の施設の殆どはここに移設される。

そういった施設の視察も行わなければならない。

目的はもう一つある。

正直なところ、そちらの方が、視察よりずっと大事だけれど。

 

 

 

 

 

「来たわね……」

 

芽吹は、教室の窓から、ゴールドタワーに向かってくる車列を見つめ、呟いた。

あんな御大層な車列、テレビの中でしか見たことがない。

おそらく、真ん中の黒塗りの車に、赤嶺頼人が乗っているのだろう。

まさしく、VIPという訳だ。

そのVIPと、自分はこれから戦うのだ。

自分を選ばなかった勇者と……。

考えるだけで、芽吹の胸中に熱い闘争心が宿る。

 

「ん、どうしたのメブ?景色を眺めてるなんて珍しいじゃん」

 

車列を眺めていると、雀が話しかけてきた。

今は、授業間の休憩時間だった。

 

「違うわよ。あの車を見て」

 

芽吹は努めて冷静に、黒塗りの車の集団を、指し示した。

綺麗に一列で走っているが、その分、威圧感も凄い。

 

「え、あれ……?うわぁ……、物々しすぎるね。あれに乗ってる人達、絶対やばいよ。まさか……こっちに来るとかないよね……?」

 

「どう見てもこっちに向かってきてるじゃない……」

 

「で、でも、私達には関わらないよね……?」

 

「多分、あれに乗ってるのは赤嶺頼人よ。今日視察に来るって言っていたでしょう?……ほら、降りてきたわよ」

 

見れば、白い和服を着た少年が、杖を突いて車から降りている。

他の車からも、黒服の大人たちが次々と現れている。

確かに物々しい……というよりも厳つい。

 

「あら、頼人さんがいらっしゃったんですのね」

 

「ん……。国土たちも、迎えに行ってるらしい………」

 

「ふふん、戦術の授業においても、この弥勒夕海子が優秀であると、頼人さんにはたっぷりと見せてあげなければなりませんわね」

 

「弥勒……。できないことは、言わない方がいい」

 

「しずくさん、辛辣過ぎませんこと!?わ、わたくしだって座学なら……!」

 

気付けば、しずくと夕海子も窓際に来ていた。

周りを見れば、ほとんどの子が、赤嶺頼人を見ようと窓際に集まっていた。

また、一部の子は身だしなみを気にしている。

普段、男性と接する機会が少ない分、余計に気にしているのだろう。

だが、そんなことはお構いなしに、雀はぶるぶる震えていた。

 

「どうしようどうしよう……。噂じゃあの人たち、気に入らない人を消してるんだよね!?私臆病だし絶対目、つけられちゃうよ!そんなことになったら……!」

 

「消してるって……あの方たちは別に殺し屋じゃありませんわよ?……多分」

 

「多分ってどいういうこと~!?やっぱりやばいじゃん!!」

 

「落ち着いて、雀。赤嶺頼人がここに来るのは、前から知ってたことでしょう?」

 

「でもでも、来るのは赤嶺様だけだと思ってたのに……。あんな集団なんて知らなかったんだよぉ!」

 

雀が頭を抱えて、わ―きゃー言っている。

 

「雀さん、そういう時は、あの人たちをカツオだと思えばいいのですわ」

 

「弥勒さん、それは演劇とか人の前に立つときにやるやつでしょ!しかも、そこは普通カツオじゃなくてかぼちゃ!」

 

「おぉ……。加賀城が、少し、元気になった……」

 

「ふふ、その元気があれば、問題ないですわね」

 

「問題大ありだよぉおお!絶対やばいって、取って食われるって!」

 

「いつから、勇者はそんな化け物になったのよ……」

 

確かに、防人の間では一時期、勇者が素手で岩を砕けるだとか、カリスマオーラで光り輝いているだとか骨董無形な噂があった。

が、巫女をはじめとした、勇者を知る子たちから否定され、そういう噂は減っていたのだが……。

どうやら、雀の中では勇者は未だに怪物みたいな存在らしい。

 

「最早、臆病というよりも妄想になってる気もしますわね……」

 

どうしようどうしようと唸る雀を見て、夕海子が呆れたように呟く。

そんなに怖がるようなことではないと思うのだが……。

と、そこで、雀が急に静かになった。

 

「あ、そうだメブ。私、お腹が痛くなったから医務室にいってくるね」

 

どうやら、医務室へ逃亡を図る気らしい。

 

「じゃあ、病欠するって言ってきたら?ちょうど来たみたいだし」

 

芽吹が入り口に目を向けると、その時、一人の大柄な女性が教室に入ってきた。

それを見て、さっきまで窓際にいた少女達は皆、席に着いた。

芽吹、しずく、夕海子もまた、席に戻る。

彼女は普段、二年生達の教師をやっており、防人の訓練に携わっている、いわば、教官にも近い存在だ。

今日は烏丸の代役で、戦術科目の教師を務めている。

ちなみに、訓練を厳しく課す女性で、防人の中では彼女は中々恐れられていたりする。

もっとも、芽吹は彼女よりも厳しい訓練を防人に課すのでさらに恐れられているのだが。

 

「よ、よし、行ってくるねメブ。……って、やっぱり無理だよ~!怖い怖い怖い!あの人絶対仮病に気付くって!メブが代わりに言ってきてよ~!!」

 

「いやよ」

 

「そんなご無体な~~!!」

 

雀が芽吹に縋り付く。

こんなに大声を出しておいて、今更教室を抜けだすのは無理だろうに。

 

「ほらそこ!騒いでないで、さっさと席に着きな!」

 

「はっ、はい~~~!」

 

案の定、雀は怒られて、すぐさま席に着いた。

全く、こんな時でも変わらないのだから、困ったものだ。

 

「さて、聞いての通り、今日は頼人様がこのゴールドタワーにいらしている。おそらく、この教室の前も通られるだろう。だが、その時もいつも通りに授業を続ける。いつも通り、真面目に……な?」

 

教壇に立った臨時教師は有無を言わぬ迫力でそう言った。

どうやらこの教師も、いろいろと抱え込んでいるらしい。

もっとも、芽吹はあまりに気にしなかった。

周りを気にせずに没頭するのは、芽吹の得意分野なのだから――――

 

 

 

 

チョークが黒板を掻き鳴らし、一人の肉声が教室を支配する。

多くの学校で変わらぬ光景が、今日もこのゴールドタワーに拡がる。

されど、教師が語る言葉は、普通の学校とはかけ離れていた。

 

「―――従って、対バーテックス戦においては、既存の戦術論が適応されにくい。ここで、だ。『戦場』という観点から見た場合、結界外と、一般的な『戦場』との大きな違いは何か。楠、二つ答えろ」

 

「はい。第一に、地形が完全に一定であること。これにより、地形を利用した既存の戦術は役には立ちません。第二に、環境の性質。結界外の過酷な環境下では、部隊に休息をとらせることはほぼ不可能です」

 

芽吹は椅子から立ち上がり、素早くはっきりと答えた。

 

「その通りだ。細かい違いは多々あるが、大きなものはこの二点だな。特に、環境の影響は極めて大だ。日をまたぐ作戦は不可能だし、星屑が充満している以上、途中で休憩することもままならない。反面、地形が一定であることや、主だった敵戦力が星屑であることから、想定される状況が非常に限られることになる。言い換えれば、対応する戦術も覚えやすい。考えようによっては、利点と言えるだろう」

 

教師の言葉を聞きながら、芽吹は再び席に着く。

そこで、廊下から多くの足音が響いてくることに気づいた。

芽吹の席は廊下側だったため、ほかの子が気付くまでには少しの時間があった。

が、それも一瞬。

気づいた者たちがつい声をあげ教室がほんの少しざわめき、少女たちの視線が、自然と廊下のほうへ向けられる。

 

「んんっ!」

 

と、そこで臨時教師が咳払いをし、少女たちの視線を自らに向ける。

次いで、分かってるだろう?と言わんばかりに、口だけの笑みを浮かべ、少女たちを静かにさせた。

そして、再び口を開く。

 

「さて、クラウゼヴィッツは、陣形は防御のことを考えて組み立てられるべきだとした。規模は違うものの、防人の戦術においてもこの思想を基に、陣形と言うモノは考案されている。なぜなら、防人の任務はあくまで調査であり、大前提として、被害を最小限にすること自体が目的の一つだからだ。だが、忘れてはならないのは、陣形に拘泥すべきでない状況もあるということだ。あくまでも、陣形は被害を抑制するための存在であり、陣形によってそれが望めない場合であれば、陣形を崩し、脅威に対して柔軟に対応しなければならない。事実、旧世紀においても、世界大戦以降は陣形よりも、訓令戦術が重視されるようになっていった」

 

授業は、そうして再開した。

だが、その間も、廊下の足音は大きくなっていく。

多くの足音の中に、一つだけとん、とんと、小さく低い音が混じる。

この音は………。

我慢できずに芽吹は、ちらりと廊下を盗み見た。

多くの神官と、スーツ姿の大人たちの姿が目に入る。

その中心に、あの少年がいた。

眼帯に杖という現実離れしているとさえ思える、非日常的な姿。

その姿は、初めて会ったときよりも、随分大人に見えた。

昨年会った時には、車椅子だったから、余計小さく見えていたのだろうが、それでも前とは印象がまるで変っている。

杖を突きながらゆっくり歩く姿は、本来弱々しい印象を見るものに抱かされせるはずなのに、柔弱な印象はまるでない。

むしろ、同年代とは思えないような落ち着きや、威厳のようなものすら感じる。

眼帯という特徴がなければ、同一人物だとは思わず、高位の神官か何かだと思っただろう。

それほどまでに、赤嶺頼人は成長していた。

芽吹の中に様々な感情が生まれ、そして消える。

羨望、同情、怒り。

もやもやとした想いが胸の内を駆け巡り、何か叫びたくなるも……何も言えない。

何を言えばいいのかも分からない。

そういう複雑な心境のまま見つめ続ける。

 

そうして不意に、芽吹と頼人の視線が交錯した。

 

おそらく、偶然。

頼人は教室の方を眺めていただけで、別段、誰かを探している風ではなかった。

だが、芽吹には気付いたのだろう。

目が合った瞬間、頼人は軽く微笑んだのだから。

だが、それで芽吹は気付いた。

今日の模擬戦、あの少年は既に、自分が勝つものだと信じているのだ。

でなければ、あんな風に微笑むはずもない。

なんて、余裕。

もう勝った気でいるのか。

だとすれば……許せるはずもない。

 

 

 

 

 

「あ~、怖かった~~!ねえメブ、見た?さっきの先生の目、超怖かったんだよ!?あれ絶対、視線合わせてたら殺されてたって!」

 

授業が終わると、雀はすぐに芽吹に駆け寄ってきた。

どうやら雀には、臨時教師が世紀末的な悪党に見えたらしい。

 

「目が合っただけでって、そんなわけないでしょ……」

 

「それはそうと、メブ。さっき何か呟いてたけど、何かあったの?」

 

「大したことじゃないから、気にしないで」

 

「ええ~?そういわれるときになるじゃんか~?」

 

「それより芽吹さん。そろそろ時間なのではありませんの?遅れたらきっとうるさいですわよ?」

 

「ええ、もう行きます」

 

気が付けば、しずくと夕海子も集まっていた。

この後、他の防人は野外での訓練となるが、芽吹は別だ。

赤嶺頼人との模擬戦のために、芽吹は道場に移動しなければならない。

 

「楠……。赤嶺をお願い。今の赤嶺は……」

 

しずくは少し暗い顔で言葉を紡いだ。

どうやら、赤嶺頼人に思うところがあったらしい。

 

「分かってるわよ。シズクに勝った以上、赤嶺頼人にだって絶対に負けないわ」

 

「ふふん。まあ、この私が色々とご教授して差し上げたのですから、勝って当然ですわね」

 

「弥勒さんがメブに?逆じゃないの?」

 

「す、ず、め、さん!それは一体どういう意味ですの!?」

 

「雀、一応本当よ」

 

「一応とはなんですの!?一応とは!?」

 

「弥勒さんうるさいよ?これって秘密なんじゃなかったの?」

 

「うぅ……釈然としませんわ……」

 

弥勒がげんなりとした様子で呟く。

全く、いつも通りだ。

と、そこで芽吹は、程よく緊張がほぐれていることに気付いた。

ここ最近、気付いたことではあるが、どうやら自分は、この空気を案外気に入っているらしい。

これは、今までにはなかった感覚だ。

 

「それじゃあ、行ってくるわね」

 

そう言って、芽吹は教室を後にした。

 

 

 

「芽吹先輩!」

 

道場へ向かっていると、ふと後ろから呼びかけられた。

振り返ってみれば、亜耶が立っていた。

 

「え、亜耶ちゃん……?どうしてここに……?」

 

芽吹が疑問を口にする。

亜耶は他の巫女と一緒に、赤嶺頼人の出迎えに行ったはずだ。

 

「えへへ、芽吹先輩を応援したくて、少しだけ抜けさせてもらいました」

 

「そうだったのね……」

 

「頑張ってください、芽吹先輩。いつもの芽吹先輩なら、大丈夫です。きっと皆さん、芽吹先輩が凄いって認めてくれるはずです」

 

「うん。ありがとう亜耶ちゃん。亜耶ちゃんの為にも、頑張るわ」

 

そう言うと、亜耶は嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

 

道場に到着してからしばらくすると、頼人達一行が道場にぞろぞろとやってきた。

その中には、烏丸もいた。

芽吹は小さく深呼吸をして、考える。

既に準備は済ませた。

戦衣だって、もう纏っている。

……よし。

 

「遅かったわね、勇者様」

 

芽吹は、道場に入ってきた少年に向かって、挑戦的に言い放った。

 

「楠さん、口の利き方には―――」

 

「早乙女さん」

 

頼人の傍に居た女性神官が一歩前に出て、何かを言おうとしたが、頼人が遮った。

すると、その神官は口をつぐんで一歩下がった。

随分と飼いならされているみたいだ。

 

「久しぶりだね、楠さん。元気そうで良かったよ」

 

「ええ、あなたが私を選ばなかったおかげよ」

 

牽制のように、皮肉を口にする。

すると、周りの神官は、芽吹の言葉が癪に障ったらしい。

微かに怒気を感じる。

 

「手厳しいな。まあ、そう言われても仕方ないけどね」

 

周りの反応に反して、頼人は微笑んだ。

少し、寂しげに。

その微笑みに、芽吹は妙な感覚を覚えるも、その感覚を無理矢理振り払う。

 

「それより、ごめんね楠さん。わがままに付き合わせちゃって」

 

「いいえ、ちょうど良かったわ。あなたには、色々と聞きたかったから」

 

「そっか、じゃあ自分と同じだね。自分も、楠さんとは色々と話したかったから」

 

「そう?てっきり、私達のことなんてどうでもいいのかと思っていたわ」

 

「どうでも良かったら、ここには来てないよ」

 

「……どうだか」

 

頼人は優し気に答える。

どうやら、皮肉くらいでは、動揺はしないらしい。

反応を見るための言葉だったが、効果は薄かったようだ。

と、そこで、頼人に烏丸が声を掛けた。

どうやら、時間が押しているとのことで、この模擬戦にすらあまり時間はかけられないらしい。

 

「………それじゃあ、始めようか」

 

頼人はそう言うと、隣にいた女性神官が恭しくスマホを頼人に差し出した。

頼人は礼を言ってスマホを受け取ると、戦衣を身に纏った。

見た目は、防人のモノと酷似しているが、細部にやや男性的な意匠が施されており、序列番号も刻まれていない。頭部もまた、戦衣に覆われていない。

違いと言えばそれだけだったが、なぜだか頼人の装備が、防人のモノとはまるで別物のように思えた。

そうこう考える内に頼人は芽吹に近付き、銃剣を構えた。

合わせるように、芽吹も銃剣を構える。

 

そこで、烏丸が二人の間に立ち、説明を始める。

制限時間は五分。

胸部に一撃を入れられるか、コートを出た場合、その時点で敗北。

事前に聞いていた通り、基本的には銃剣道に近いルールだ。

芽吹にとっては、やりやすくて都合がよかった。

なお、銃剣道とは違い、喉部への攻撃は禁止されている。

頼人が怪我をする可能性を下げたいがためだそうだ。

つくづく、連中は目の前の少年が大事らしい。

彼らは暗に、赤嶺頼人に怪我をさせるなと芽吹に示しているのだ。

芽吹はそのことに苛立ちを感じるも、目の前のことに意識を集中するため、苛立ちを抑え込む。

この通り、赤嶺頼人の敗北という筋書きは整っている。

これで負けるようなことがあれば、芽吹の評価は文字通り地に堕ちるだろう。

 

本当に気に入らない。

連中は、私に興味がないくせに、私が勝つことに期待している。

道具扱いそのものだ。

だからこそ、負けるわけにはいかない。

ここで勝って自分の価値を証明しなければならない。

私を勇者に選ばなかったことを、後悔させてやる。

 

―――捻じ伏せてやるわ、何もかも……私自身の力で!

 

「始めッ!!」

 

烏丸の声が、道場に木霊した――――

 

「ハァアアアッ!!」

 

芽吹が一気に踏み込み、刺突を放つ。

何千何万と繰り返し鍛え続けた突き。

それはまるで、雷のように鋭く迅い。

目標は頼人の左胸。

命中すれば、その時点で勝敗は決する。

速攻で、実力を発揮される前に倒す―――!

 

「―――ッ!!」

 

頼人は銃身の腹で何とかその刺突を払う。

その捌き方は、芽吹から見ても拙い。

膂力も、瞬発力も芽吹に比べれば劣っている。

腕の動きは遅く、芽吹の刺突に間に合っているのが不思議なほどだ。

だが、芽吹は微塵も油断をせず、冷静に刺突を繰り返す。

頼人の動きは緩慢だったが、それでも芽吹の猛攻を何とか凌ぐ。

だが、それでも徐々に圧されていき、後ろへ一歩二歩と下がっていく。

そうして、頼人はじりじりとコートの端まで追い詰められていった。

芽吹の眼が、歪みゆく頼人の表情を捉える。

このまま行けるか―――?

 

「くっ―――」

 

「甘いっ―――!!」

 

頼人も突きを返すが、芽吹からしてみれば大した速さではない。

少し左に動いて、余裕で頼人の突きを躱す。

そして、再び胸部を目掛けて刺突する。

頼人は慌てて木銃を引き、銃身を盾にするようにして芽吹の刺突を逸らす。

だが、芽吹は木銃を返し、銃身を頼人の木銃に潜り込ませ、再び頼人の左胸へ刺突を放った。

頼人は身をひねり、かろうじてその刺突を躱すも、その瞬間、芽吹は木銃を跳ね上げた。

下からの打撃を受けた頼人の木銃は、大きく上方に弾かれ、頼人の両腕は万歳するかのように、虚空に逸れた。

その衝撃で頼人はバランスを崩し、たたらを踏む。

それは、まさしく致命的な隙。

隙を見逃さず、芽吹は刺突を放つ。

最早、頼人は後ろに下がることもできず、また、その体勢では刺突を避けることもかなわない。

 

――――終わった

 

模擬戦を見ていた、誰もがそう思った。

 

 

 

――――瞬間、頼人の腕が(しな)った。

 

「なっ……!?」

 

芽吹の持つ木銃が、頼人の左肘と左膝に挟まれ、止められていた。

挟み殺し。

芽吹の刺突は迅く、重い。

寸分でも、挟み込むタイミングがズレていればその刺突は止められず、間違えなく頼人は敗北していた。

戦衣の力だけでは、とても説明できない絶技。

それはまさしく、頼人の卓越した技量を証明するものに他ならなかった。

 

「ちぃ……!」

 

芽吹は、この体勢ではこちらが危険だと悟り、木銃を引いて距離を取ろうとする。

だが、芽吹が一歩下がった瞬間、頼人は体当たりするように踏み込みつつ、芽吹の左胸に向かって叩きつけるかのように、右手の木銃を振り下ろした。

その一撃は先ほどまでの気の抜けた刺突とは違い、素早く、力強い。

 

「くっ……!」

 

命中する寸前で、芽吹は後ろへ大きく飛びのき、なんとか頼人の攻撃を振り切った。

 

「……ようやく、本気を出したのね。さっきの必死な表情も、無様な戦い方も、全部演技だったなんて馬鹿にしてくれるわ」

 

芽吹は木銃を構え直しながら言った。

弱い振りをされていたという事実に怒りを覚えるも、懸命に抑えこむ。

今、怒りに呑まれては勝てない。

呼吸を落ち着かせ、冷静さを保つ。

 

「……正直、驚いたよ。今のを避けられるとは思っていなかった」

 

「ええ、事前に話を聞いていなければ、さっきので終わっていたでしょうね。私も騙されかけたわ」

 

それほどまでに、頼人の一連の動きは完成度が高かった。

徹底的に相手を油断させ、敢えて隙を晒す。

そして、勝利という脂の乗った餌に食いついた瞬間、一気に畳みかける。

油断していれば、いや、油断してなくとも、それまでとは速度の緩急がありすぎて、並の者では対応できないだろう。

芽吹も、先ほどの一撃には背筋がひやりとさせられた。

何も知らないまま戦っていれば、間違いなく先の一撃で敗北していたに違いない。

自身の後遺症すら、相手に先入観を抱かせる道具として利用するとは……。

本当に食えない相手ね……。

だからこそ油断できない。

芽吹はそう思うと、再び気を引き締めた。

 

「そうか、弥勒さん辺りが教えたのかい?」

 

「ええ、それとしずくもよ」

 

「道理で………。それじゃあ、戦い方を変えざるを得ないな」

 

頼人はそう言うと、木銃を構え直した。

その構えは、銃剣術の常識とはかけ離れている、あまりにも異様な構えだった。

左半身を前に、腰を落として銃床を前にして脇構えに取っている。

両手はそれぞれ、木銃の中三分の一を、親指が向き合う形で握っている。

どう見ても、普通の木銃の持ち方ではない。

おそらく、棒術か何かの持ち方なのだろう。

だが、芽吹はこの程度のことは想定していた。

これは模擬戦であって、銃剣道の試合ではない。

芽吹自身、木銃を本来とは違う形で振るったことがある。

本気で勝つつもりならば、それくらいはするだろう。

問題なのはむしろ時間。

道場の時計をちらりと盗み見ると、残り時間はおよそ三分半。

まだ半分も過ぎていないが、守りに入られると面倒だ。

もう一度踏み込むべきか。

 

と、そこで芽吹はあることに気付いた。

 

「あなた……なんでそこから動かないの?」

 

赤嶺頼人は、コートの端からまるで動いていなかった。

 

「動かないのが一番速いからね」

 

「……意味が分からないわね。背水の陣でも気取っているつもり?」

 

「そんなところかな」

 

頼人が涼しげな顔で言う。

その言葉で芽吹の心は決まった。

こうも甘く見られて、許せるはずもない。

 

いいわ。

お望みどおりに、踏み込んであげる。

あと少しでも押し出してしまえば、それで終わるのだから。

私を甘く見たこと、後悔させてやる……!

 

そうして、芽吹は距離を詰める。

ゆっくりと、確実に。

頼人は先ほどの姿勢のまま、微動だにしない。

余裕の表れか、それとも誘っているのか。

いずれにしろ関係ない。

一息で仕留めるのみだ。

そうして、距離が徐々に、徐々に縮まっていく。

まだ……まだ……もう少し…………今!

 

点火。

芽吹は弾丸のごとく頼人に迫る。

避けられぬよう横薙ぎに木銃を振るおうとし―――瞬間、頼人の姿が掻き消えた。

 

「はっ―――!?」

 

ぞわりとした感触が背中を駆け抜け、勘のままに咄嗟に右へ跳ぶと、それまでいた場所を木銃が切り裂いた。

気付けば、頼人は芽吹の左後ろに回り込んでいた。

だが、途中の動きがまるで見えなかった。

避けられたのは奇跡だ。

一体、どのような動きをしたのか。

だが、芽吹が考える間もなく、頼人は追撃をかけた。

木銃が縦横無尽に芽吹を襲う。

振り下ろされた銃床を避けたと思えば、逆袈裟の斬撃が迫る。

先ほどまでとはまるで違う迅さの連撃。

今度は芽吹が必死で迎撃を行う。

だが、それも一筋縄ではいかない。

頼人の木銃は、芽吹の間合いよりも遠くから襲ってくる。

しかも、受け止めたと思った瞬間に、するりと姿をくらます。

そして、気が付いた時には、再び芽吹に食らいついてくる。

 

 

やりづらい……!!

同じ木銃を使っているはずなのに、間合いがまるで違う……!

目の前で木銃が伸びてくる……なるほど、一瞬ごとに手を滑らせて、間合いを調整してるのね。

おかげで目にとらえることすら一苦労だわ……!

おまけに……!

 

芽吹が木銃を横薙ぎにして反撃しようとすると、振り抜く前に、銃身が頼人の木銃に抑えられた。

そして、木銃を押さえたまま体ごと回転させ、芽吹の左胸に向かって、銃床を叩きつけようとする。

それを芽吹は、身をよじって無理矢理避けた。

 

さっきから反撃の芽がことごとく潰されてる……!

信じられないけど、こっちの動きを読まれている……!

 

芽吹が反撃しようとする度に、頼人は先んじてその動きを封じてくる。

動きを読まれている、という芽吹の勘は当たっていた。

孫子曰く、彼を知り己を知れば百戦殆からず。

彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。

頼人は、前者が自分で、後者が芽吹にあたると考えていた。

そもそも、防人の訓練課程は鎮守府が用意している。

頼人が長を務める鎮守府が、だ。

つまり、防人に叩きこまれる銃剣術を頼人は熟知しており、また、防人の練度なども烏丸などの神官を通して、簡単に知ることができた。

そして、データだけでは分からない癖をも、敢えて相手の攻撃を受けることで学習する。

事前に研究を行い、実物を観察、分析し、予測を立て、勝利という方程式を導き出す。

赤嶺頼人の常套手段。

さらに芽吹は、頼人が行っていたような対人戦を想定した訓練を行っておらず、頼人の訓練についてもある程度の概要しか知りえない。

故に、頼人は、頼人だけはこの模擬戦が、自分にとって圧倒的に有利な条件であると考えていた。

 

 

膂力は私の方が上なのに……!

なのに……ここまで追い込まれてる……!

つまり……技術にそれだけの差がある……!?

 

芽吹の心に焦りが生まれる。

肉体的にハンデを抱えながらも、純粋な技術だけで追い込む。

それほどの技が一朝一夕で身につくはずがない。

怪我を負う前から努力を重ね、怪我を負ってからも鍛練を続けていたのだろう。

千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。

これが、練に至ろうとする人間の強さか。

身体にハンデを負ってもなお、この強さとは。

一方で芽吹はまだ、鍛にも至っていない。

この時、芽吹は初めて理解した。

誰よりも努力の価値を知っていたから、気付いた。

自分以上に長い間、努力を重ね続けてきた者がいたことに。

 

「っ―――!?」

 

突如、芽吹は姿勢を崩し倒れ込んだ。

上体に気を取られすぎ、足を払われたのだ。

 

脚を刈られた―――!

追撃がくる―――!

 

倒れた瞬間に身をよじって、素早く飛び跳ねる。

直後、木銃が芽吹の前髪を掠めた。

芽吹は後ろ向きに跳び、再び距離をとろうとする。

だが、頼人は距離を空けさせてはくれない。

下がる芽吹の胸目掛け、素早く打突を放つ。

芽吹は無理矢理身をよじり、左肩で頼人の打突を受けた。

 

「っつぅ……!」

 

鈍痛が左肩に走る。

その痛みを無視し、刺突を放つ。

すると頼人は刺突を銃身で捌き、そのままくるりと身を回転させ、芽吹の右肩を銃床で強打した。

 

「ぐぅ……!」

 

さらに卂さが増した。

明らかに決めに来ている。

まずいまずいと、脳裏に警鐘が鳴り響く。

 

動きが読まれている。

なのに、相手の動きは予測できない。

技術が違いすぎる。

このままでは……。

このままでは……負ける。

 

 

負ける………?

こんなところで……?

負けたらどうなる……?

きっと、怪我をした人間に負けたと囁かれることになる。

大赦の連中からは失望され、赤嶺頼人の名だけが上がる。

そうなれば私は、噛ませ犬に墜ちる。

勇者を格の違う存在として、見上げ続ける羽目になる。

二度と…………あの地平には立てなくなる。

 

―――――冗談じゃない!!!

 

瞬間、芽吹に修羅が宿った。

身体中が燃え盛り、熱気を纏う。

芽吹は無理矢理、体当たりを仕掛けた。

すかさず頼人は迎撃に移る。

芽吹の突進に合わせて、銃床を使って打突を放つ。

狙いは胸部。

 

「―――!」

 

「なめるな!!」

 

芽吹は左腕を盾にし、銃床を逸らす。

鈍痛が左腕に走るが、芽吹は痛みを無視する。

頼人の攻撃を、芽吹は最初から受けるつもりだったのだ。

間髪入れずに、芽吹は木銃を振るう。

それをまずいと思ったのか、頼人が一歩下がって避けた。

瞬間、芽吹はさらに距離を詰め、木銃を片手で袈裟に斬る。

さらに頼人が後ろに跳んで避ける。

距離が一瞬空いた。

これで、初動は邪魔されない。

追撃。

芽吹は間合いを読み、横一文字に、木銃を両手で振り抜いた。

頼人はその一撃を、木銃を盾にして受け止めた。

 

「ぐぅ……!」

 

手応えあり。

頼人の口から呻き声が漏れる。

先ほどまでは、芽吹の一撃の全てを頼人は避け、受け流し、初動を抑えることで、芽吹に十分な力を出させなかった。

まともに受け止めればまずいという判断が、頼人にあったからだ。

それほどまでに、両者の膂力には差があった。

だが今、頼人は芽吹の一撃を受け流しきれず、受け止めてしまった。

横一文字斬りは、右から左へ水平に振り抜く動作。

頼人からすれば、左側からの攻撃。

視界の利かぬ、左側からの。

先程までは、気配と芽吹の動きを読んで受け流していたが、今の芽吹の動きは、銃剣術のそれとはかけ離れており、頼人の読みに僅かなズレが生じた。

先程までなら問題にすらならぬズレ。

その小さなズレが頼人の体が軋ませ、動きを鈍らせた。

生まれた隙を見逃さず、芽吹が何度も何度も木銃を振るい、その全てを頼人がぎりぎりで受け止める。

一撃ごとに、頼人の体力は奪われていく。

頼人には怪我と、一ヶ月にわたる昏睡の影響が未だに残っており、あまり持久力や膂力がない。

膂力のなさを補うために、頼人は相手の動きを見切って、先手先手を打っていた。

だがそれは、極度の集中力を要する戦い方だ。

そして今、芽吹の一撃をまともに受けてしまったため、体力が一気に持っていかれた。

体力が削られれば、集中力も失われ、技も鈍る。

持久力のない頼人は、時間が経てばたつほど不利になっていく。

芽吹は図らずも、頼人の弱点を攻めた形となっていたのだ。

 

「どうして私を選ばなかったの!?どうして……どうして!?答えなさい!!赤嶺頼人ぉおお!!」

 

「ちぃ……!」

 

神官が見ていることも忘れ、芽吹が叫ぶ。

頼人への複雑な感情と、勇者になれぬ口惜しい感情があふれ出ていた。

その間も、芽吹は何度も力任せに木銃を振るい、頼人を追い詰めていく。

 

だが、頼人もそのままでは終われない。

大振りになった芽吹の真っ向斬りを紙一重で右に避け、迷わずに芽吹の左胸を狙い、打突を放つ。

芽吹はぎりぎりで避け、逆袈裟斬りを返す。

それに、頼人は打突を重ね、互いの木銃が後ろに弾かれる。

 

そうして、二人は再び木銃をぶつけ合い始めた。

何合も戟を重ね、互いに攻め合う。

芽吹が力で押す。

これまで培った技術と、鍛えてきた身体能力を総動員し、木銃を振るう。

頼人は技だけで凌ぐ。

機械のように、芽吹が持つ木銃の同じ部分に、何度も何度も自身の木銃を合わせる。

木銃が悲鳴を上げるように軋んでいく。

それはまさに、殴り合い。

周りの人間は、最早身じろぎ一つできず、その迫力に呑まれている。

やがて、制限時間が迫ってくる。

時間切れで終わるのか、と誰かが思ったその時、事は起こった。

 

 

 

木銃。

銃剣道に使用される武道具。

元々、この武道具は、突くことを主軸にしており、打撃を行うことは余り想定されていない。

無論、ゴールドタワーの木銃は防人用に多少、頑丈に作られている。

それでも、木銃は木銃。

人の領域を超えた力を持つ、防人同士が全力で打ち合い続ければただでは済まない。

故に、この結果は必然と言えるものであった。

 

 

 

 

 

「なっ―――――!?」

 

二人が木銃を切り結んだ瞬間、芽吹の木銃が中ほどで折れた。

べきり、と嫌な音が響き、折れた半分が宙を舞う。

だが、頼人の表情は変わらず、木銃を再び振るおうと腕を引いている。

瞬間、芽吹は理解した。

頼人がこれを狙っていたことに。

木銃の同じ部分を何度も何度も強打することで、意図的に芽吹の木銃を折ったのだ。

事実、頼人の木銃はまだ折れていない。

その隙を見逃さず、頼人はすぐさま二度目の打突を繰り出す。

自分の木銃だけが折れているという、致命的な状況。

銃床が迫る。

だが、木銃は折れても、芽吹の闘志は折れてはいなかった。

 

それでも………!

それでも、負けられない……!!

 

他の防人なら、間違えなく回避を選択しているこの瞬間。

だが、芽吹は下がらずに、床を蹴り前に踏み出した。

芽吹は右手に残された木銃の残骸で、打突を受け止め、そのまま頼人の木銃を強引に抱え込む。

 

「これで動きは!」

 

「―――!」

 

頼人は銃剣を離し、距離を取ろうとする。

だが―――遅い!!

頼人が離れるよりも早く、芽吹は奪った銃剣で、刺突を繰り出した。

必中のタイミング。

こうも近ければ、先ほどのように手足で刺突を止めることもできない。

 

取った―――!!

 

芽吹に勝利の確信が生まれた。

 

そして――――――視界が反転した。

 

「かっ―――はぁ―――」

 

何かに背中から叩きつけられ、肺の空気が絞り出される。

 

何……?

何をされた……!?

何がどうなって……?

 

芽吹は混乱した頭で、自分が何をされたのか考えるも、まるで分らなかった。

手品にかけられたような気分だった。

確か木銃を奪って、それから……。

と、そこで芽吹は我に返った。

そうだ、今はそんなことを考えている場合では――――

 

そう思った瞬間、こつんと胸に何かが当たった。

芽吹が目を開けると、頼人が木銃の先端を芽吹の胸当てに突き付けていた。

そうして、芽吹はようやく事態を把握した。

投げられたのだ。

あの刹那、木銃ごと腕を取られ、床に叩きつけられた。

そして今、一撃を入れられた。

つまり――――

 

「負け……た……?」

 

芽吹は茫然と呟いた。

あの状況で。

あんなに優位な状況で。

 

「どうして……?」

 

疑問が口から零れる。

投げられたことは分かった。

だが、あの瞬間、どうやって投げられたかが、芽吹にはまるで分からなかった。

魔法のように、気付けば倒れていた。

 

「楠さん、大丈夫?」

 

ふと見れば、頼人が芽吹に向かって、手を差し伸べていた。

肩で息をしており、如何にも疲労困憊といた様子だ。

 

「何を……したの……?」

 

「企業秘密。それより、ほら」

 

頼人は再び手を差し伸べた。

 

「……一人で……立てるわ」

 

芽吹は頼人の手をとらず、ゆっくりと立ち上がった。

負けた相手の手など借りたくはなかった。

 

「痛いところはない?必要なら―――」

 

「平気よ。気にしないで」

 

「念のため、診てもらっても―――」

 

「本当に!……大丈夫だから」

 

声を荒げそうになって、無理矢理自分を抑える。

惨めだった。

強さを証明すると、意気込んでおいてこの結果。

悔しい。

苦しい。

そしてそれ以上に、自分を許せなかった。

最後の瞬間、取ったと、赤嶺頼人に勝ったと思ってしまった。

なんて、油断。

木銃を折られた自分が巻き返せたのに、どうして相手はそれができないと思ったのか。

口惜しさに、顔をあげることすらままならない。

その様子を見ていた頼人は、駆け寄ってきた神官に何かを言う。

途端、神官達次々と道場を去っていった。

ぽつんと、芽吹と頼人だけが残される。

芽吹が不審な目で頼人を見ると、よっこいしょ、と頼人はその場に腰を下ろしてしまう。

そして、「それじゃあ、楠さん。ちょっと話をしよっか」などと言い始めた。

 

「……あなた、忙しいんじゃないの?余計な時間を使う暇なんてないでしょ」

 

意識せず、芽吹の口調は乱暴になった。

話したくない。

悔しさや苛立ちで構成されたその思いが、芽吹の言葉に影響を与えたのだ。

当然のことだろう。

勇者に選ばれなかった芽吹だが、それでも実力は自分が一番だという自負があった。

単純な強さなら、夏凜にも、他の勇者にも劣らぬ自信があった。

しかし、その自信は、今日打ち砕かれた。

他ならぬ、勇者の手によって。

敗北感、無力感は今までの比ではなかった。

だというのに、頼人は先ほどまでと変わらずに接してくるのだ。

苛立たぬわけもない。

 

「今は楠さんと話がしたいから。それに、結構疲れちゃってね」

 

そんな芽吹の感情を知ってか知らずか、頼人は神官が置いていったスポーツドリンクを芽吹に差し出しながら言う。

無神経すれすれの対応。

なのに、不思議と嫌みのようなものは感じない。

 

「ほら、ちょっと座って話してみない?こっちも少しくらい休憩したかったから、お願い」

 

「………私は休憩の口実って訳?」

 

口調がまた、厳しくなる。

 

「話したかったのは本当だし、休憩もしたかったから。ほら、一石二鳥でしょ?」

 

そんな芽吹の様子も気にせず、頼人は話す。

何故だか、その言葉からは勝利の優越感も、傲慢さも感じられない。

まるで、勝負などなかったかの様子だ。

その様子にまた苛立ちそうになるも、芽吹はその怒りを抑える。

怒りをぶつけて出て行くのは簡単だ。

だが、目の前の少年は、自分の知りたいことを知っており、こうして話す機会はほとんどない。

ここは我慢だ。

 

「…………」

 

ペットボトルを頼人から受け取り、腰を下ろす。

そうして、甘く冷たい水を喉に流し込む。

冷気が身に染みこみ、芽吹を少しずつ冷静にさせていく。

飲み切るころには、心の整理がついていた。

 

「……で、何を話したいのよ?」

 

「色々話したいことはあるけどね。まずは……まだ勇者をまだ目指しているのかとか」

 

その言葉に、芽吹は思わず身を固くした。

 

「神官から聞いたの?」

 

「いや、なんとなく。楠さんが、そう簡単に夢を手放さない人だってことは分かってたから。……その様子だと、やっぱりそうなんだ」

 

「………ええ、そうよ。私は勇者を諦めない。無理だと言われても、他人からどう思われても、成し遂げてみせる」

 

はっきりと言う。

隠すことでもないし、どうせ知られることだ。

 

「……もう覆らないと言われたら?そもそも、どうやって成し遂げるつもりなの?」

 

「……この御役目で、私を勇者にせざるを得ない実績を作る。それだけよ」

 

「そっか……」

 

芽吹の言葉に、頼人は馬鹿にするでもなく、ただ優し気に微笑んだ。

その様子に、芽吹はふと亜耶を思い出してしまった。

脈絡なく生まれた、よく分からない思考を頭から追い出す。

なんとなく、考えてはいけない気がした。

 

「私の方からも聞かせてもらうわ。どうして、あの時私を選ばなかったの?成績は私の方が上だったはずなのに……!」

 

妙な思考を追い出し。芽吹は本題を切り出した。

シズクとの問答を越えてもなお、選別の基準は分からなかった。

今でも、選ばれるべきは自分だったと芽吹は思っている。

 

「成績、か………。ねえ楠さん。さっきの模擬戦、負けた理由は何だと思う?」

 

「聞いてるのは私よ。質問に答えて」

 

「答えに関係してることだから。ほら、教えて?」

 

負けた理由なんて分かりきっているのに。

芽吹は怒りたくなる気持ちを抑えて、ゆっくりと答えた。

 

「…………あなたの方が、技術が上だった……から……」

 

悔しいが認めざるを得ない。

赤嶺頼人の技術は、芽吹のそれよりも数段上をいく。

今の芽吹では、勝てないほど。

 

「違うよ。それは、敗因の一つかもしれないけど、根本的な理由にはなりえない」

 

「じゃあ、何?言っておくけど、私は油断しなかった、全力で戦ったつもりよ」

 

「ん、そこだよ」

 

「は?」

 

意外な返答に、間の抜けた声が出る。

 

「楠さんが全力で戦おうとしてくれたのは、自分が一番よく分かってる。ただ……楠さんは自分の力を見せることだけを考えていた。それにしか、意識が回っていなかった」

 

「それの何が悪いの?全力を出すこと以外に、考えることなんてない!それとも、あなたは違ったの!?」

 

「ああ、違った」

 

その言葉はどうしようもなく気に障った。

まさか手加減でもしていたというのか。

それとも、神官の目を気にしていた?

そうだとすれば、人をコケにしているのにも程がある……!

芽吹が怒りをあらわにしようとし、その前に頼人が口を開いた。

 

「俺はずっと、君を見ていた。君がどう動くか、どう考えるか。君のことだけを考えていた」

 

「……………!」

 

喉元まで来ていた言葉が急激に引っ込む。

告白にも似たその言葉に驚くあまり、怒りが行き場をなくす。

 

「俺を見ていて分かったはずだよ。今の俺に持久力がないことも。左足の動きが鈍いことも。やろうと思えば、持久戦に持ち込むなり左半身をもっと狙うなりして十分俺に勝てた」

 

「………弱点を狙われて負けた、なんて言い訳をされたくなかっただけよ」

 

「そう。そのこだわりこそが、君の動きを単調にさせた」

 

「どういう意味?」

 

「……君は俺の弱点を無視して、正々堂々と戦おうとした。だが、俺の弱点を無視しようと意識するあまり、俺の左半身への攻撃を無意識に避けてしまっていた。その結果、攻める部位は限られ、動きも単調になった」

 

「違う!そんなこと………左半身だって狙っていた!あなただって受けていたでしょう!?」

 

「ああ。だけどそれは、君が追い込まれてからの話だ。それまでの攻撃は、ワンパターンそのもの。楠さんだって気付いているだろう?自分がやったことの矛盾に」

 

その言葉に歯噛みする。

確かに芽吹は、頼人の弱点を意識して突くことはなかった。

なのに、途中からは一変した。

ただ、勝つことだけに頭がいって、そういったこだわりを忘れていた。

真っ向からぶつかって、打ち勝つはずだったのに……。

確かに、矛盾しているのかもしれない。

 

「………今日立ち会ってよく分かった。今の楠さんは我に縛られている」

 

「我……?そんなものに縛られているつもりはないわ」

 

「本当に?相手に勝つ、自分は強い、自分を認めろ……。そう思ったことは全くなかった?」

 

「………何?それが悪いって言いたいの?」

 

微かに言い淀む。

何も悪くはないはずなのに、何故か後ろめたくなる。

 

「単純に悪い、という訳でもないよ。そういう精神の持ち主は目標の為ならどこまでも努力ができるから、スポーツだとか芸能だとか実力がものを言う世界では大成もする。実際、楠さんは技術も肉体も驚くほどに鍛え上げていたしね」

 

「なら……!」

 

「けどね……その世界は、どこまで行っても『我』だ。自分を越えた大きさにはならない」

 

「っ……!私の……私の生き方が間違ってるとでも言いたいの!?」

 

芽吹は不快感を隠さずに言った。

自分の心が見抜かれているようで、どうしようもなく嫌な気分になる。

 

「生き方じゃない。心、技、体。その中でも一番重要な所。心の問題」

 

「心……?」

 

「……楠さんは、自分と同じ生き方をしていても、違う心を持っている人を知っているでしょ?」

 

「そんな人、知らないわ!それに、生き方と心がどう違うのよ!」

 

「分からない?」

 

「ええ、分からないわ!」

 

「君のお父さんのことじゃないか」

 

「………え」

 

しばし、言葉を失う。

何故そこで父が出て来るのか、芽吹は分からなかった。

いや、分かりたくなかった。

 

「君のお父さんが作った社殿を見て、分かったことがある。あの人は自分の命を、作るモノに全力で込めている。だからこそ、尊敬される。多くの人の心を動かせる」

 

芽吹の父を褒める言葉。

それは、芽吹にとっても嬉しいはずのものだった。

なのに、今日に限っては、なぜか喜ぶことができない。

 

「ねえ楠さん。君のお父さんは、本当に、自分を認めさせたいって思いだけで、仕事をしてたのかな?それだけであれほどのことができたのかな?」

 

「それ、は………」

 

「今の君は、お父さんの生き方を表面的になぞっているだけだ。お父さんに憧れるのは分かるけれど、一番大事なところが追いついていない」

 

穏やかな声。

けれど芽吹は、その言葉にガツンと頭を叩かれたような気がした。

怒るべきだろう。

否定するべきだろう。

そんな、簡単に口にできる動機ではないと。

けれど、喉はひりつき、言葉が口から出てこない。

 

「そう言えば、ちゃんと聞いていなかったね。………楠さんは、どうして勇者になりたいの?」

 

「…………」

 

咄嗟には、答えられなかった。

一口で言えるようなものじゃないから?

それとも、その理由が漠然としすぎているから?

どちらも、違う気がする。

 

「自分を認めさせたいから?名声や栄光が欲しいから?もし、そういうモノが欲しいのなら、他にも道はある。楠さんなら、どういう道を目指してもきっと成功するから」

 

赤嶺頼人が、褒めるような、諭すような言葉を口にしている。

されど、その裏にある意図も分かった。

きっと、その程度の理由で勇者を目指すなと言いたいのだろう。

だけど、私は……。

私は………。

私が勇者になりたかったのは………。

 

ゆっくりと、思い返す。

自分を認めさせたい。

そういう気持ちがあったのは、認めざるを得ない。

芽吹の夢は、人々に尊敬される仕事をすることだったから。

なにより、勇者の素養があると大赦からの使いが来た時、初めて父は褒めてくれた。

誇りだと、言ってくれた。

嬉しかった。

それまでの、自分の努力が認められたと思えて。

だから、赤嶺頼人の言ったことは、紛れもない真実なのだろう。

認めたくはないが、目の前の少年は、ある一面において、芽吹のことを芽吹以上に理解している。

 

けれど……それだけじゃない気がする。

ここまで頑張ってこれたのは、勇者になりたいと思ったのは、認められたいというエゴだけじゃなかった気がする。

世界を守るという御役目。

人々からの尊敬を一身に集める存在。

その在り方に、あまりにも大きな責任に、胸を焦がすほど憧れた。

美しいと思った。

かっこいいと思った。

そんな存在になりたいと、無邪気にそう思った。

かつて、父に見た神聖性。

勇者という御役目は、それを体現したものだと感じた。

だからこそ、父に憧れたように、勇者に憧れた。

憧れが、芽吹の力になった。

 

………そうだ。

勇者を追い求める内に、自分の最初の想いを見失っていた。

シズクには自分しか見えていないと言われたが、きっと自分自身すらも見えていなかった。

改めて、感じる。

自分の努力を認めてもらいたいという気持ち。

勇者への煮えたぎるほどに熱い想い。

きっと、どちらも真実なのだろう。

ただ、こういう理由が混ざり合って、固まって、今の芽吹に宿ったのだろう。

自分ですら忘れていた、この気持ち。

この気持ちを、言葉にするなら――――

 

「なりたいからよ」

 

「ん?」

 

「憧れだとか、理屈はつけられるでしょうけど、やっぱり、ただ勇者になりたいから目指す。それだけだとしか言いようがないわ」

 

そう。

この憧れは、理屈などでは説明できない。

もっと不条理で、残酷で、感情的なものだ。

 

「けど、名声が欲しいのなら……」

 

「スポーツ選手にでもなれって?お断りよ。そんなことで諦められるほど、私の夢は安くないわ」

 

はっきりと宣言する。

この程度のことで諦められるのなら、そもそも最初から勇者を目指してはいない。

それに、芽吹は負けず嫌いなのだ。

このまま黙って引き下がることなど、出来るはずもない。

 

「そうか………ならあえて聞こう」

 

その言葉と共に、頼人は姿勢を正し、芽吹を見据えた。

 

「怪我人に負け、強さをはき違えている今の君が、勇者になれるとは思えない。こう言われても、まだ勇者を目指すのか?」

 

先程までの優し気な口調から打って変わった、厳しい口調。

されど、芽吹は動じなかった。

 

「甘く見ないで。私はもっと強くなる。心も……体も……!勇者を……あなただって越えてみせる!」

 

そう。

確かに今は、勇者にはなれないかもしれない。

けれど、防人の御役目は、まだ始まってすらいない。

次にバーテックスが襲来するまでの時間も、まだ余裕があるという。

ならば、まだ目指せる。

シズクとの決闘も、今日の模擬戦も、無駄じゃなかった。

今日の敗北は、芽吹にとって屈辱だったが、同時に、言い訳できない敗北を知れた貴重な経験でもある。

こうして、話していることで気付けた。

楠芽吹は、まだまだ強くなれる。

 

「きつい道だよ」

 

「承知の上よ」

 

「無理かもしれない」

 

「だけど、挑戦しない理由にはならない」

 

「勇者は、君の思うような、君の望むような存在じゃなかったら」

 

「たとえそうだとしても、構わない。勇者になって見せると、決めたんだから」

 

そう言って、頼人の眼を見据える。

しばし、沈黙が広がる。

芽吹は瞬きすらせずに、頼人の眼を見つめ続けた。

そうして、しばらく見つめ合った後、頼人は諦めたかのようにため息をついた

 

「……全く、自信家だな。おまけに、人の話を聞いてたのか聞いてないのか」

 

「お互い様じゃない」

 

「ふふ、そうかもね。……うん、分かった。もう君が勇者を目指すことには口出ししない。ただ、一つだけアドバイスをしておくよ」

 

「アドバイス……?」

 

「ああ。もう少し、友達や仲間との繋がりを深めてみるといい。楠さんに必要なものは、きっと人との関わりの中にあるはずだから」

 

「人との、関わり……」

 

ぼんやりと呟く。

脳裏に、よく知る少女たちの顔が浮かぶ。

 

「とりあえず、防人や巫女の子達の為になにかしてあげるのがいいかもね。そうすれば、もっと周りと打ち解けられると思うよ」

 

「意味があるとは、思えないわね……」

 

「そのうち分かる。とりあえず信じてみて」

 

「……考えておくわ」

 

「ん。今はそれでいいよ」

 

頼人は頷くと、よっこいしょと言いながら立ち上がった。

 

「それじゃあ楠さん。俺はこれで失礼するよ。また、近いうちに、ね」

 

そう言って、頼人は道場を立ち去ろうとし、不意に振り返った。

 

「……と、そうだ。最後の、木銃を奪った時のあの動き。あれは見事だった。そうだな………うん、いいセンスだ」

 

悪戯っぽく微笑みながらそう言うと、頼人は今度こそ、道場を立ち去っていった。

芽吹は、しばらく頼人の言葉を反芻し、そして、新たな木銃を道場の備品室から取り出した。

そうしてまた、トレーニングを始める。

イメージするのは、先ほどの模擬戦。

次に戦う時は、絶対に負けない。

彼に勝つことができた時、楠芽吹は成長したと、胸を張れるはずだから……!

 

 

 

 

と、思っていたのだが………

 

「何でいるのよ………」

 

「ああ、楠さん。お疲れ様。やっぱり、あれからずっと稽古をしてたんだ。流石だね」

 

夕食を食べに食堂に行くと、赤嶺頼人がひらひらと手を振っていた。

流石の芽吹も唖然とせざるを得なかった。

おまけに、頼人の席の両隣も問題だった。

 

「さっきから言っているでしょう!頼人さんは元々高知の方なのですから、高知県民は高知県民らしく、夕食にはカツオを食すべきなのですわ!!」

 

「赤嶺自身は高知出身じゃねーだろうが!そもそも、こいつは前々からラーメン党にしてやろうと俺達が眼をつけていたんだ!テメェは引っ込んでろ!」

 

カツオを持った夕海子とラーメンを持ったシズクがバチバチと火花を散らしている。

あの状況で、よくもまあ、のんきな声を出せたものだ。

周りを見れば、皆様子をうかがうように、遠巻きに頼人たちを見ている。

おそらく、勇者には興味があっても、シズクは少々怖いのだろう。

 

「あっ、メブーメブー!今守ってすぐ守って!このままじゃ絶対あの二人の巻き添え食らうからぁああ!!」

 

突然、横から雀が抱き着いていた。

 

「雀、暑苦しいからはなれて」

 

「そんなご無体なっ!?」

 

「で、なんでこんなことになってるのよ?」

 

「それがね、突然、赤嶺様がやってきたんだけど、あの二人が―――」

 

「ラーメンよりカツオですわ!」

 

「カツオよりラーメンだ!」

 

「ああ、うん。大体分かったからいいわ……」

 

食べ物の好みというものは、やはり恐ろしい。

これほどまでの争いに発展するとは……。

 

「そろそろ、弥勒さんもシズクも落ち着いてくれ。あんまり騒ぎすぎると、俺たち揃って怒られるんだからさ」

 

「じゃあ赤嶺、どちらがいいか選べ。当然、徳島ラーメンだよなぁ?」

 

「何を仰いますの。当然、カツオのたたきですわ」

 

「あー。両方食べるから、とりあえず今日のところはそれで勘弁してくれ」

 

頼人はそう言うと、ラーメンを啜り始めた。

合間合間に、カツオも口に入れている。

食い合わせは大丈夫なのだろうか。

 

「それで、どうしてここにいるのよ。大赦に帰ったんじゃなかったの?」

 

「さっきの模擬戦が意外と堪えたみたいでね。ここの医務室には、昔お世話になっていた先生もいたから診てもらったんだ。けど、診察が長引いちゃったから、ここで食べてから帰ることにしたんだよ」

 

「ああ、そう………」

 

何というか、さっきあんなことがあったばかりなので、非常に気まずかった。

もうすぐ帰るというのなら良しとしよう。

 

「まあ、もう少ししたら、ここで過ごす日も増えるから、その時はまたよろしくね」

 

「……は?どういうことよ?」

 

「いやね、うちの主要機関はこっちに移転するから、それに合わせて自分もここで仕事したりするんだよ」

 

「嘘でしょ……」

 

芽吹は頭を抱えてそう言った。

ただでさえこの勇者がいるとゴールドタワーの雰囲気が変わるというのに、入り浸られては、防人の訓練に支障が出かねない。

おまけに、色々と気まずい。

次に会うのはリベンジする時だと思っていたのに、梯子を外された気分だ。

芽吹としては、憂鬱になるのも仕方のない事だった。

なのに、目の前の少年はニコニコとしている。

こっちの気も知らないで……と少しイラっとする。

 

「だから、これからよろしくね。楠芽吹さん」

 

赤嶺頼人の笑顔に、また芽吹はため息を吐いた。

まったく……これからまた騒がしくなりそうだ。

 




やっぱり、大満開の章怖い……。


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[IF]乃木若葉の章
IF:プロローグ


大満開の章のプレッシャーに耐えきれずにプロローグだけ投稿。
本編進めずに何やってるんだろう……。
どうか許して……。


―――初めに感じたのは、刺すような消毒液の匂い。

無機質で、温かみの欠片もない匂い。

病院の……匂い。

瞼を開くと白い天井が目に入る。

ピッ、ピッ、と規則的な電子音が聞こえる。

以前聞いたことがある……心電図の音か。

そっか……俺は病院にいるのか。

何でだろう……?

ぼんやりとした頭を働かせ、それまでの記憶を手繰り寄せる。

幸い、思い出すの簡単だった。

そう……遠足の帰りに、バーテックスの襲来があった。

そこで、園子と須美が戦闘不能になり、銀も重傷を負った。

だから、俺が戦った。

勇者と精霊、田村丸の力を借りて。

てっきり、俺は死んだと思ってたけど、一命をとりとめたらしい。

だったら……だったらまた銀に会える。

あいつらとまた居られる。

そのことに気付いた瞬間、心に火がついた。

胸が燃えるように熱い。

帰れる。

生きられる。

ただそれだけなのに、涙が出てしまいそうになるほど嬉しい。

ああ……はやく銀に会いたい。

会って抱きしめたい。

その為にも、まずは人を呼ばないと。

きっと銀は、俺のことを心配しているはずだ。

少しでも早く、俺が生きてることを教えてやらないと。

ベッドの脇のナースコールを押そうと、手を伸ばし―――違和感に気付いた。

正確には―――違和感がないことに気付いた。

 

「あ……れ……?」

 

ふと、手のひらを見る。

傷一つない手。

体のあちこちも確かめてみる。

………おかしい。

自分の最後の記憶では、俺はまさしく満身創痍となっていた。

体中傷だらけだったし、左腕は持っていかれてた。

なのに、今の俺は五体満足で、傷なんて何もない。

 

おかしい……こんなこと、あり得ないはずなのに……。

冷静さを失いそうになる思考をどうにか繋ぎ止め、自分を落ち着かせようと試みる。

落ち着け……きっと、医者の腕が飛び切り良くて、それなりに長い期間寝ていただけだ。

大丈夫。

こういうことだってありうるはずだ。

大丈夫、大丈夫。

深呼吸して、息を整える。

ふと病室を見回すと、カーテンの間から日が漏れてることに気付いた。

どうやら、天気は悪くないらしい。

窓からの眺めでも見て、心を落ち着けよう。

きっと、少しは落ち着くはずだ。

落ち着いた状態でないと、銀にまた要らない心配をかけてしまう。

ベッドから降り、窓のカーテンを開く。

目の前に、いつもの大橋市の景色が広がる。

少し遠くには見慣れた瀬戸大橋も見える。

いつ見ても、綺麗なモノだ。

徐々にだが、精神が落ち着いていく。

これが、俺が、俺達が守った街なのだと感慨を覚える余裕さえ生まれた。

それにしても、いい眺めだ。

瀬戸大橋が、こんなにはっきり見えるとは。

さぁ、落ち着いたところで人を呼ぼう。

と、窓に背を向けようとして、ふと、さっきの景色に違和感を覚えた。

今しがた見たものに、何かが足りなかったような気がする。

それは耐えがたい焦燥感に変わり、俺の背中を這いずり回る。

予感がする。

気づいてしまえば、後戻りが出来なくなる予感。

心臓が早鐘を打ち始める。

嫌な予感が止まらない。

妙な吐き気がしてくる。

いや、考えすぎだ。

そんなはずはない。

意を決して、再び景色へ目を向ける。

 

「――――あ」

 

気付いた。

気付いてしまった。

大橋には橋脚ごとに通行を禁ずるための茅の輪が設置されていた。

だが、あの大橋にはそれがない。

襲来を知らせる鈴もない。

それは……まるで前世に見た大橋のようで―――

 

「はは………そんな……」

 

きっと寝ている間に、大橋も模様替えをしただけだ。

馬鹿な考えは止めないと。

そうだ、テレビでもつければ…………。

ベッド脇の机にある、テレビをつけようとして、また気付かなくていいものに気付いてしまう。

病室用のテレビ。

何の変哲もない、小さなそれ。

問題は、そのテレビに刻印されていたメーカー名。

よく見たメーカー。

けれど、赤嶺頼人として、そのメーカーの名を見たことはなかった。

言ってしまえば………その名は神世紀には存在しない、前世でしか見たことのないメーカーだった。

 

「―――――」

 

焦燥感に耐えられず、病室を飛び出す。

有り得ない。

ありえない。

アリエナイ。

そう思っても、頭はいかれた仮説を弾き出している。

その思考から逃げるように、走る。

走る。

走る。

走る。

 

「あっ、ちょっと君!走っちゃだめだよ」

 

走っていると白衣の男性に呼び止められた。

ここの医者らしい。

ちょうどよかった。

 

「ここは……ここはどこですか!?銀は、園子は、須美は……!?」

 

余りにも慌てすぎて、掴みかかるような姿勢で尋ねてしまう。

保証が欲しい。

ここが俺のいた世界なんだという保証が。

 

「君は……。そうか、落ち着きなさい。もう大丈夫だよ。ここは坂出の病院だ。何も心配することはない」

 

「さか……いで……?」

 

坂出。

それは、二百年以上前に消えた地名。

かつての大橋市の名。

 

「ああ、四国の香川だ。ここは神樹様に守られているから安全だよ。襲われる心配はない」

 

「―――――」

 

 

―――アリエナイ

 

襲われる心配はない。

神樹様に守られている。

 

―――アリエナイ

 

その言葉が意味することは――――

 

―――アリエナイ

 

口が干上がる。

嫌な妄想が現実味を帯びてくる。

聞きたくない。

聞きたくない。

けれど、口が勝手に動いてしまう。

頭のおかしい質問をしてしまう。

 

 

「今は………いつですか……?」

 

「今日?今日は七月十四日だよ」

 

「そうじゃなくて……年は……今は何年ですか……?」

 

笑い飛ばしてほしい。

今は二九八年だと笑ってほしい。

 

「たった一人で辛かったね。年が分からなくなっても仕方がないよ」

 

「いいから……答えてください」

 

俺がそう言うと、医者は肩をすくめて言った。

 

「今は二〇一六年だよ。もうすぐ、あの日から一年だ」

 

―――瞬間、五感が掻き消えた。

姿勢を保てず、床に倒れ込む。

 

「君!君!大丈夫かい!?誰か!患者が――――」

 

医者が何か言ってたけど、何を言ってるのかワカラナイ。

ワカラナイ。

ワカリタクナイ。

 

 

意識が闇に墜ちていく。

現実を受け止めきれずに堕ちていく。

けど、冷たい床の感触が、これはどうしようもない現実だと教えてくる。

本当に、ふざけた話だ。

今、俺が居るのは、三百年前の日本。

俺の世界は、俺の全ては、あっけなく消えてしまった。

 

 




田村丸
坂上田村麻呂をオリジナルとした英雄、坂上田村丸。
大嶽丸を倒して、鈴鹿御前を嫁にした。
ちなみに、頼人と最も相性のいい精霊だが、性能は大嶽丸より数段劣る。
こっちのルートだと頼人は、少しでも生き残る可能性をあげるため、大嶽丸より負担の少ない田村丸を使用して三体の完成体と戦ったが、そもそもの性能が劣る上に黄泉返りの力もないので、三体の殲滅こそできたが蠍の毒を食らい死亡。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という言葉を知らず、中途半端に生きようとした結果死んでしまったのだが、何故か西暦。

続きは、のわゆが万一アニメ化したら……と思っていましたが、一応アンケートを取らせて頂きます。


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存在意義

アンケートのご回答、ありがとうございました。
並行投稿が73%でしたので、以後は、本編とIFを並行投稿させていただきます。

ただ、くめゆがアニメ化されるという予想外の事態が起き、くめゆの設定が色々と追加されるのがほぼ確定なので、しばらくは本編の投稿よりもIFの投稿を優先させていただきます。

本当に申し訳ない……。

それはそれとして、勇者史外典の書籍版が、11月30日に発売されるので、未読の方は是非。
のわゆ編では、勇者史外典のネタバレが大いに含まれる可能性があります。


胡蝶の夢。

今の自分のことを考えるとふと思い出す、荘子の説話の中でも有名なそれ。

夢で蝶になった荘子が目覚め、自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのかと考えるという話。

この話を考えて、ふと思ったことがある。

夢の多くは、目覚めると忘れてしまう。

逆に、夢の中では、現実のことを忘れてしまいもする。

ならば………蝶であったことも、人間であったことも、等しく夢である可能性を、どうして否定できるのだろうか。

 

 

 

 

目が覚めても、悪夢は続いていた。

相も変わらない、ある意味で懐かしくすらある病室。

諦めきれずに、テレビを確認したり、新聞を読んだりもしたが、やはり、日付は2016年。

情報も、何もかも、西暦のそれだった。

そもそも、俺が生きていることが分かれば、銀達は真っ先にここに来てくれるはず。

なのに、いつまでたっても来ない。

結局、認めざるを得なかった。

この世界は、俺が居た世界ではない。

 

死んでいるよりはまし、と考えるべきなのかもしれないが、そんな風に考えられるほど、楽天的にはなれなかった。

まず、この世界には俺の知る人たちはいない。

前世の知人や家族も、その大半は殺されているだろうし、四国にいたとしても、顔も名前もほとんど忘れている。

それほどまでに、俺は『赤嶺頼人』に馴染んでいた。

第一、よしんば俺がそういう人たちと会ったとしても、向こうは俺を、前世の自分とは認めないだろう。

そもそもが、別人なのだ。

俺はこの世界で、どうしようもなく一人だった。

誰も、俺のことを知らない。

誰も、俺の出自を信じてはくれないだろう。

だって、証拠がない。

おかしな妄想癖を患った人間だと言われるだろう。

思い出の彼女達は、君の頭にしかいないのだろうと。

 

それに、よしんばこの世界に居場所を得たとしても、俺の辿るであろう道は知れている。

樹海に入ってしまう性質が、俺に残っていたとする。

今までは、この体質とやらのおかげで、色々と行動に幅が効いた。

けれど、今はこの性質に意味はない。

むしろ、俺の命を終わらせるだろう。

この性質が役立ったのは、銀達との信頼関係があったことに加え、赤嶺家が大赦で一定の力を持っていたからだ。

だが、今の俺は孤独で、家の力など存在しない。

培ってきた人間関係もなく、この時代の勇者と接触することすらない。

おそらく……終末戦闘の規模、バーテックスの物量からして、遅かれ早かれ俺は喰い殺される。

 

他人事であったならば、それでもこの世界にいる以上、この世界のために尽くすべきだとか言えるかもしれない。

けれど、そう簡単に、割り切れるものではない。

そもそも、客観的に見て、俺は十二の子供。

多少、大人びただけの小学生だ。

どんなに行動しようとしても、特別な力を持たない俺の言葉に、この時代の大人たちが耳を傾けるはずもない。

つまり………俺の未来はどうしようもなく終わっている。

 

夢ならば、醒めてほしかった。

安易に、死んでしまえば……と考えることもあった。

けれど、そんなことはできない。

銀の為なら、園子や須美や、好きな人たちの為なら、そういう覚悟もあった。

けれど、自分の為だけに、死ぬことはできない。

だって、命をただ粗末にすれば、きっと銀は怒るだろうから。

自分で死ぬことだけは、出来なかった。

だからと言って、生きていく自信もない。

つくづく、俺の存在理由は、まさしく銀達に集中していたのだと思い知る。

存在理由を失った途端、こんなにも自分が分からなくなるなんて、思わなかった。

 

……ああ、何にもない。

俺には、本当に何もない。

何かを変えようとする気力も。

今までの努力の成果も。

人生の意味も。

生きていく未来すらも。

どうしようもなく、失ってしまった――――

 

 

 

今日もまた、医者がやってきて、色んなことを尋ねてきた。

何を言っているのか理解はできたけど、まともな返事なんてできない。

俺にとっては、何もかもどうでもいい事だったから。

おかげで、色々と勘違いもされてしまい、多くの検査を受けさせられた。

検査を受けていると、いつぞやか、安芸先生に連れられて検査を受けた時のことを思い出す。

あの頃は大変だったけど、それでもみんながいて、楽しかった。

世界の危機なのは痛いほどわかっていたけど、それでも、幸せだった―――

 

 

病室でも、ただぼうっとして過ごしていた。

脳裏に浮かぶは、かつての日常。

繰り返し、繰り返し、思い返す。

園子から聞いた、変な夢な話。

須美とした、国防の話。

銀と過ごした、三ノ輪家の時間。

ただただ、思い返す。

何もすることがない時間を、過去を反芻して過ごす。

そうしていると、だんだん現実に無感動になっていく。

昔のように、現実感と言うモノが欠如していく。

ありとあらゆる行動に価値を見出せなくなってくる。

赤嶺頼人にとって、現実的なモノは思い出の中にしかなかった。

思い出に浸っている時だけ、赤嶺頼人でいられた。

 

 

 

数日経った頃、カウンセラーがやってきた。

言語聴覚士だという、若い女性。

その人は―――

 

「やぁやぁ少年。生きてるかーい?」

 

馬鹿みたいに明るく、軽薄だった。

これでカウンセラーだとは、中々に信じ難い。

 

「ほぉほぉ、中々以上のイケメン君じゃない。世が世ならトップアイドル目指せちゃうかもだよ?もうちょっと元気なら、文句なしだけどねー」

 

この人、遊びに来てるのではないだろうか。

少なくとも、仕事をしに来たようには思えない。

 

「聞いたよぉ、君、なぁんにも喋らないそうじゃない。おかげで、名前も何にもわからない、名無し君だ。けど、名無し君って言われるのはヤでしょ?お姉さんに、お名前教えてくれないかな?」

 

まぁ、どうだっていいか。

赤嶺頼人には話す意志もなければ、生きる気力もない。

かと言って、死ぬ意志もない。

けれど、数年で死ぬことが決まっている。

いわば、どうしようもなく行き詰った、無様な存在。

誰かと関わりをもっても、不幸が生まれるだけだ。

どの道、無感動で、無気力で、無力感に覆われた赤嶺頼人に、大したことができるはずもないのだか――――

 

「へぶっ!?」

 

「おー、ようやっとこっち向いたねー。うんうん、やっぱり可愛い顔してるねえ。あと何年かしたらモテモテ間違いなしだよ?」

 

顔を掴まれたと思ったら、先の女性が、顔を思いっきり近づけてきた。

彼女のかけたメガネが、鼻にあたって痛い。

 

「うりうりー。沈黙は金なんて言うけど、そんなの社会じゃつ―よーしないんだぞー?ほらほら、しゃべろーよー」

 

彼女は俺の頭をわしゃわしゃと撫でながら、変なことばかり言う。

とても、医者のやることじゃない。

距離も近すぎるし、流石に嫌になってきた。

 

「やめ―――げほっ、ぐほっ……!」

 

文句を言おうとして、むせ返る。

長らく声を発していなかったせいか、喉は正常に機能しておらず、ひりついた痛みだけが走った。

 

「よーしよし、久しぶりに喋ろうとしても上手くいかないのよね。身体機能は少し使ってないと、すぐ錆びついちゃうんだから。ほら、お水飲んだら、少し楽になるわよー」

 

女医が自分の背中を撫でながら、ペットボトルを差し出してくる。

素早く受け取り、水を喉に流し込んだ。

喉はまだじんじんとするが、多少、気分はましになった。

 

「………それ、で……なんなん……ですか。あなた、は………」

 

再び口を開くと、随分しゃがれた声にはなったが、発声自体はできた。

 

「うんうん、やっぱり、君話せるじゃない。私の眼に狂いはなかったのだ!」

 

「いや、だから……こんなの……」

 

「本業のカウンセラーからは程遠い?」

 

「……ええ」

 

息も絶え絶えに口にする。

頭が痛くてたまらない。

 

「そりゃ、私だって、ちゃんとした患者にはちゃんとするわよぉ?けど、君は正常。失声症じゃないもの」

 

「……失声症?」

 

「そうだよー。心の問題で、話せなくなる病気のこと」

 

「……あなたは、それのカウンセラーだったと」

 

なるほど。

確かに、医者との会話は殆どなかった。

そう思われるのも無理はないだろう。

 

「そゆこと。君は本州から来たっぽいし、相当なストレスを受けていたんじゃないかって。けど、生憎それは見当違い。失声症は、話したくても話せなくなる病気だけど、君のは只のだんまり。話せないんじゃなくて、話さないだけ。なら、話すように追い込んじまいましょー!ってわけ」

 

何という滅茶苦茶。

こんなやり方じゃ、苦情が出るに違いないだろうに。

ある意味成功している分、余計にたちが悪い。

はぁ……。

正直、今のやり取りだけで随分疲れた。

話したい気分でもないし、この人のこともどうでもいい。

けれど、口を開いてしまった以上、無視するわけにもいかない。

 

「………なんで、分かったんですか?」

 

興味はないが、聞いてみる。

会話と言うモノは、質問と相槌だけでも成立するのだ。

 

「んー、上手く言えないけど、経験かな?見ただけでビビってくるんだよね。なんというか、こう、波長がさ」

 

聞いた自分が馬鹿だったらしい。

電波系の医者なんてやっぱりおかしいとしかいえない。

 

「………すみません。疲れてきたので、帰ってもらっていいですか?」

 

「あーそうだよねー。了解了解、疲れさせるのは悪いしもう帰ろうかなー」

 

意外なことに、この人はあっさりと承諾―――

 

「ただ、その前に、お名前聞いておこうかな?って、人に名前聞くときには自分から名乗らなきゃだよねー。私は、三条葵。三つの条分に花の葵で、三条葵。見てのとおり、立派な先生なのだー!」

 

したとおもったら、一気にまくしたてられた。

見ての通りの意味が分からない。

 

「それで、君の名前は?」

 

「…………赤嶺……頼人です」

 

「ヨリト君か。漢字はどーかくの?名字は沖縄でよく見るあれだっての、分かるけどさ」

 

「……頼るに人で、頼人です」

 

「頼り頼られる人、か。うん、いい名前だ」

 

「……どうも」

 

「んじゃ、また明日来るね頼人君。お腹出して寝ちゃダメだよ?」

 

「……は?まだ来るつもりなんですか?」

 

「一週間は来るつもりだよ?最近はどこもブラックで、これも日給制だからねー。お姉さんのおまんまの為にも、一つ、よろしくー!あっ、失声症の振りは続けてね?じゃないと、私、クビにされちゃうから!じゃっ、そういうことでー!」

 

三条とか言う人はそうして病室を飛び出していった。

クビにされるから失声症の振りは続けろとは、なんて人だ。

まぁ、でも、確かに失声症の振りをしている方が楽かもしれない。

医者に一々、会話を求められることもない。

と、そこで視界が揺れた。

少し話しただけで随分と疲れたらしい。

眠ろう。

眠っていれば、この現実を少しだけ、忘れられるはずだから。

 

 

 

 

「でさでさ、その患者さん酷いのよー。せっかく回復させてあげたのに、金返せーだなんていうのよ?超酷くない?」

 

今日もまた、三条という人は、病室を訪れていた。

もうこれで六日目だ。

なのに、話す内容は下らない事ばかり。

流石に辟易してくる。

 

「三条さん。自分は仮にも患者ですよ。愚痴を垂れ流すなら余所でやって下さい。そんなんだから金返せなんて言われるんじゃないんですか?」

 

「酷い酷い!私は至って真面目なのです。なのに、頼人君が全然喋ってくれないんだから。話題が尽きて、愚痴しか残らないのも分かるでしょー?」

 

「なら、話題のレパートリーを増やして下さいよ。愚痴ばっかり聞かされるこっちの身にもなって下さい」

 

「はぁー。わがままだなー頼人君。それじゃ一つ、真面目な話でもしよっか」

 

「そんな前置きしたら、真面目にはなりにくいんじゃないですか?」

 

「まぁまぁ。……それでさ、君はこの一年、どうやって過ごしてたんだい?」

 

「――――」

 

核心に触れる言葉。

思わず、口ごもってしまう。

 

「君は瀬戸大橋の上で発見された。今は通行禁止になっているところでね。それで、君は本州から来たんじゃないかって、言われているわけだ」

 

瀬戸大橋の上で……。

俺が坂出の病院にいたのは、それが理由か。

 

「それで不思議になったのが、君の精神状態」

 

「精神状態……?」

 

「そうそう、精神状態。他の医者は、君が本州で余程つらい目に遭い、失声症になったと考えている。けど、君の状態からするに、その推定は成り立たないんだよ」

 

「……どういう意味ですか?」

 

「君が置かれていた状況を何パターンか推察したんだけどね。それらの状況が引き起こす結果と、今の君の状態が合致しないんだよ。言ってしまえば、因果が成立しない。例えば、君が生きるために四国に避難してきたとしよう。すると、頼人君には生きる意志があるわけだ。そのために逃げてきたんだから。だけど、今の君には生きようとする意志が殆どない。ほら、矛盾してるでしょ?」

 

「……ただ、死にたくなかっただけじゃ?生きたいのと死にたくないのは違うでしょう?」

 

「勿論、そっちも考えた。けど、そうなら、君は何もだんまりする必要はない。そのだんまりの原因が人間不信によるものかもと考えもしたけど、君は余り私に嫌悪感を持たなかった。初対面で抱き着かれても、正常な反応しか返さなかった」

 

「………意味が分かりませんね」

 

「要するにさ、君は矛盾しているんだよ。強烈なストレスを受けたはずなのに、今のところ、特定の存在への嫌悪感や罪悪感といった負の感情をまるで示していない。ストレスの原因が不透明なんだ。空も平気だしね」

 

「………こういうのはどうでしょう?本州で家族も何もかも失って、全てが嫌になったとか」

 

「最初はそうかもって思ったけどね、話していてその線はなくなったんだよねー」

 

「理由は?」

 

「君は酷く常識的だからね。嫌なことをされれば反応もするが、一線を守り続けている。すべてが嫌になってるような人間には、他人を相手できる余裕なんてないんだよねー」

 

「そうとは限らないんじゃないですか?誰だって気まぐれの一つぐらい……」

 

「君の言うとおり。けどね、そういう人種はそもそもだんまりなんてしないんだよねー。気分次第でホイホイ人と話す人間が、だんまりなどするはずがないから」

 

「………じゃあ、俺は一体何なんですか?」

 

「そうだねー。君には執着と言うモノがないんだろうねー。煩悩とも言い換えられるけど、欲がない。阿羅漢のそれに近いんだろうねー。けど、元来、そういう存在にはなろうと思ってもなれない。だから知りたいんだよ。君がどうしてそうなったのかを、ね」

 

「……自分にだって、欲くらいありますよ。人間なんですから」

 

嘘ではなく、かといって本当でもない。

されど、これ以外に言いようもないのも事実。

 

「そっかそっか。それじゃあ、やっぱり私は君は救えないねー」

 

「……なんだ。自分を救おうって思ってたんですか?」

 

「言語聴覚士って名乗ってるけど、私の仕事の本質は患者の心を救うことだからねー。とーぜん」

 

「なのに、さじを投げるんですか」

 

「ああ、だって君、この会話のことも、本当はどうでもいいんでしょ?」

 

「―――――」

 

この言葉は予想していなかった。

言葉に詰まる。

 

「欲がないってことは、ありとあらゆるものへの関心がないのと同じ。関心がないから、他人の言葉は届かない」

 

「……今日までの会話で、そう思ったんですか?」

 

「うん。結局君は、自分自身のことはまるで話さなかったからね。一定のパターンをなぞるだけ。これって人間との会話って言うよりもAIとの会話に近いよねー」

 

「……で、あなたは自分をどうしたいんですか?」

 

「どうしたいって訳じゃないんだよねー。正直、私の仕事は初日に終わってるし。ただ、一つだけ伝えておきたくてねー」

 

「……なんです?」

 

「今の君は、生きてるふりをしてるだけの屍。だからこそ、自分の生きる意味を探さなきゃいけない。じゃないと、いずれ本物の屍になっちゃうから。幸い、君は必要とされてるらしいから、その責務の中でそれを探すんだね」

 

「責務……?」

 

「明日、ここに胡散臭い連中が来るから、説明はそっちから聞いてねー。それじゃ、私はさよならだ」

 

そうして、彼女は不意に立ち上がった。

 

「三条さん……?」

 

「言ったでしょー?私の仕事はもう終わってるって。興味があって今日まで来てたけど、もうタイムリミットだから。縁があれば、また会おうねー。次に会う時は、もう少し人間らしくなってるんだよー?」

 

そう言って、彼女は病室を出ていった。

余りにも急なことに、俺はただその背中を見送ることしかできなかった。

もう少し、ちゃんと話すべきだったのかもしれない。

けれど、終ぞ、そんなことはできなかった。

今のこの状況に現実感と言うモノがなかったから。

目覚めてからずっと続いているこの感覚。

三条さんの言葉で、この感覚のことを思い出した。

ああ、そうだ……銀に会うまで、こうだったんだ。

今になってようやく気付いた。

今の俺は、銀に会う前の赤嶺頼人なのか……。

 

 

次の日、三条氏の言った通り、胡散臭い来客があった。

病室を訪ねてやってきたのは、複数の神官らしき者達と、長髪の巫女。

なるほど、この時代には神官はまだ仮面はつけていなかったのだな、と何となしに思う。

彼らが来た理由などには、大した興味は持てなかった。

やがて、巫女が口を開いた。

 

「初めまして。上里ひなたと申します」

 

驚きはなかった。

ああ、そうか。

この人が乃木若葉の巫女か、という奇妙な納得だけがあった。

 

やがて、彼女は本州から避難してきたばかりだろうからと、この国の状況について語り始めた。

その理由は分からなかったが、口をはさむ気にもなれないので、黙って話を聞いてみた。

と言っても、彼女は自分の知っていること以上のことは話さなかった。

いや、自分の知る情報よりも数段、情報の質は低かった。

天から現れたバーテックスが、日本全土を攻撃し始めたこと。

諏訪と四国には結界があり、今分かっている中ではその二つだけが安全地帯であること。

勇者と巫女の存在。

バーテックス対策の為に、大社なる組織が存在すること。

そういったあれこれについて語れはしたが、バーテックスが何なのかは分からず、人類がなぜ攻撃されているのかも分からないという。

答えを知っているせいなのか、酷く滑稽に思える。

一部の者は確実に気付いているはずなのに、それを明かさないなんて、全くお笑いだ。

正体が分からない?

よく言う。

バーテックスは天から現れ、神樹の大部分は地祇。

神職なら、この二つの要素だけでも、その正体を推察できないはずもないだろうに。

 

「……それで、どうしてそんなことを?あなたと違って、自分はただの子供ですよ?」

 

気がつけば、口を開いていた。

正直、言葉を返すことすら煩わしかった。

ただ、赤嶺頼人ならそうするだろうなと思ったから、そうしただけ。

こう考えるだろうという思考が走り、そういう風に口が動く。

俺自身は、何もかもがどうでも良かった。

この感覚を自覚したのは、きっと、彼女のせいなのだろうけど。

 

「その説明の前に、あなたに見て頂きたいものがあります」

 

「見せたいもの……?」

 

「ええ、申し訳ありませんが、大社の本部までご足労願います」

 

 

久しぶりに吸った外の空気は、酷く味気なかった。

外に出ることも随分久しぶりだ。

いやはや、全くおかしな話だ。

初めての外出が、そのまま退院となるとは。

もとより、俺は病人ではなかったため、いつ退院しても問題なかったが、まさかこんな形で出ることになるとは思わなかった。

車に乗せられ向かった場所は、以前に行ったことのある場所ではあった。

建造物などに、多少の違いがあっただけ。

神世紀がこの時代と地続きになっていることを思い知らされる。

そうして、大社に到着すると服装も、白衣に紋付の白い袴という、形式を整えたものに着替えさせられた。

つくづく、神道は、いや、この国は形式と言うモノに拘りすぎる。

終末戦争が始まったこの時代でも、そういうところは変わらないらしい。

 

やがて、薄暗い社殿へと案内された。

社殿には、多くの神官や巫女が集まっており、黙って俺を見ている。

まるで、見世物小屋の猿になったよう。

上里さんから、奥に進むように言われ、一歩、足を踏みだす。

そうして、一人で歩んでいく。

ゆっくりと。

一歩ずつ。

社殿の奥まで進んでいく。

やがて、祭壇が見えた。

その上には―――――

 

「え―――」

 

一振りの、大きな、とても大きな見覚えのある斧が安置されていた。

そんなはずはない。

こんな武器が、この時代に存在するはずがない。

予防線を張るように、頭がその可能性を否定する。

けれど、もしかしたらという想いが拭えずに、恐る恐る斧を握った。

瞬間――――体が燃えるように熱くなった。

同時に、理解した。

 

――――ああ、これは、この斧は

 

「あ……あぁ……」

 

こらえきれずに、涙があふれ出る。

斧を抱きしめて、ただ嗚咽する。

なんて、ことだろう。

夢は呑まれ、生きる意味は溶け、日常は彼方へと消えた。

俺は、俺自身の生すらも諦めた。

甘すぎる言い訳をして、自らを絶望の淵へと追いやった。

けれど、こいつは、こいつだけは、俺を見捨てなかった。

銀の想いは、力は、まだ俺を守ろうとしてくれている―――

 

本当に、ひどい。

せっかく、無力感に浸っていたのに。

自分の殻に閉じこもっていたのに。

これじゃあ、諦めることも、絶望することもできないじゃないか――――

 

 

 

「あの、大丈夫ですか……?」

 

気がつけば、上里さんが心配して声を掛けてくれていた。

 

「……ええ、もう、大丈夫です」

 

涙を拭い、立ち上がる。

斧は、軽々と持ち上がった。

神官達のざわめきが耳に届く。

なるほど、俺は試されていたわけか。

今日までの違和感にも、合点がいった。

何故、得体の知れない子供に、わざわざ個室が用意されていたのかも。

カウンセラーをわざわざ用意した理由も。

これまで、大社の面々が俺のところに来なかった理由も。

全て、今日の為だったのだろう。

まあ、そんなことはどうでもいい。

 

「あなた方は、自分を戦わせたいんですよね。勇者として」

 

彼らに問いかける。

返事すら不要。

ただの確認作業に過ぎない。

この斧を手にした時点で、俺のすべきことは決まっている。

 

「引き受けますよ。条件付きですけど」

 

どうせ赤嶺頼人に、それ以外の存在意義はないのだから―――――

 



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遭逢

のわゆ編書いてても、アニメ化したら設定変わってしまうのではないかという恐怖感が襲ってくる今日この頃……。


「暑いな……」

 

日光を遮るように手をかざし、ふぅ、と一息つく。

西暦二〇一六年八月。

丸亀城。

一の門をくぐると、一瞬だけ涼し気な風が頬を撫でる。

 

「もう八月ですから。それに、赤嶺さんは大きな荷物を背負っていますし」

 

「ああ、確かにこいつはね……」

 

背中に背負った平べったい布袋。

中身は、例の斧だ。

この袋にはリュックと同じショルダーストラップをつけているので、背負うのは簡単だが、反面、重いし蒸れる。

正直、この炎天下の中で持ち歩きたくはないが、かといって、人に預けようとしても、色々と面倒がある。

俺自身、可能な限り、この斧を他人に触れさせたくはない。

それでも、携行するのはちょっと大変だ。

ほんと、三百年後のシステムが羨ましい。

 

「それで、上里さん。俺の部屋は?」

 

「もうすぐですよ。急なことでしたので、仮設住宅なのが申し訳ないですが………」

 

「こればっかりは仕方ないから。上里さんの気にすることじゃない。それに、プレハブでも何でも、自分の部屋ってだけで十分すぎる」

 

こうして話していると、つくづく上里さんの精神年齢の高さを感じられる。

頭が回り、それでいて温和。

人との距離の詰め方もうまい。

神官との会話も見たが、まるで物怖じしない辺り、度胸も中々。

小学生でこれなら、成長して大赦を牛耳るようになったというのも頷ける。

須美がもう少しだけ柔らかくなったら、似た感じになっていたかもしれないな……。

……いけない。

頭を振って、感傷を振り払う。

気を抜くとすぐこれだ。

今の俺に、感傷に浸る余分はないのだから、注意しないと。

 

「赤嶺さん、どうかしましたか?」

 

「いや、何でもないよ。行こうか」

 

背中の重みを確かめ、また一歩踏み出した。

今は、前を向いて歩かないと。

 

 

 

「ここが、俺の部屋………か」

 

肩に担いだボストンバッグと背中の斧を下ろし、一息つく。

上里さんは、一旦荷物を置きに自分の部屋へと向かった。

後で迎えに来てくれるらしい。

ちなみに、彼女達の宿舎は、ここから割と離れている。

思春期に入る年頃なのだから、大人が間違いがないようにと配慮したのだろう。

当然の処置だな。

ふと、部屋を見渡す。

ワンルームの仮設住宅。

一人用の仮設住宅にすれば大きい方かもしれないが、三百年後の勇者の待遇と比べると雲泥の差だ。

やはり、この時代では勇者信仰は確立されていないらしい。

まあ、当然か。

勇者にせよ巫女にせよ、幼い少女ばかりなのだ。

年功序列の風が強いこの国では、勇者だからと言って、即崇められるはずもなし。

俺や上里さんの前では畏まった態度を見せていた神官達も、腹の中では何を考えていたのやら。

まあ、いい。

今はそんなことよりも、勇者の面々とのファーストコンタクトについて考えるべきだろう。

記録で見た彼女達のことは尊敬しているが、今の彼女達は戦闘経験の少ない普通の少女。

事実上の別人だと考えるべきだろう。

接する時には、記録のことは可能な限り忘れよう。

安易にこっちのイメージを押し付けてしまって、嫌われましたじゃお話にならない。

先入観はなしにしなければ。

とはいえ、何とかなるだろうとも思う。

こういう経験は、神樹館で十分積んでいるのだから。

とまれ、大事なのは初対面の印象だ。

ここで躓いたら、後々面倒になる。

彼女達とは、可能な限り迅速に信頼関係を結ぶ必要があるのだからな。

まあ、考えるのは後にしよう。

ベッドの上に置かれていた、ビニール袋に包まれた制服を手にする。

半袖のシャツと、長ズボン。

それにネクタイ。

ブレザータイプの制服だ。

まぁ、今は夏だからブレザーは着ないが……うん、神樹館のそれに近いな。

と、服を脱いでると、何やら外から騒がしい声が聞こえてきた。

 

「だ、駄目だよタマっち。急に押しかけちゃ……」

 

「大丈夫だって!それに、タマたちはここの先輩なんだから、色々と教えてやらないとだろ?」

 

「で、でも、男の人の部屋だよ………?」

 

「タマたちと同い年だろ?気にしなくてい~じゃんか!」

 

この部屋はやはり、防音性はまるで駄目だな。

材質のせいか、外の声が丸聞こえだ。

とりあえず、急ぎ目に着替えよう。

汗にまみれた服を脱ぎ捨てると、随分涼しくなるが、のんびり涼む間はない。

来客を待たせるわけにはいかない。

 

「あっ、勝手に入っちゃ―――」

 

柔らかな少女の声が響くと同時に、玄関のドアがガチャリと音を立てた。

 

「ちょ―――」

 

今入られるのは―――

ズボンだけ素早く履く。

途端、玄関のドアが開いた。

 

「おーい新入り!案内しにきて………」

 

玄関の前には、ボーイッシュな少女が立っていた。

思わず、目が合ってしまい、互いに固まる。

ぎりぎりズボンは履けたからセーフでは?

上半身だけ裸とかは、プールとか海水浴場じゃよく見るだろうし、多分大丈夫だろう。

…………いや、大丈夫じゃなさそうだなこれ。

次の瞬間、少女の叫びがこだました。

 

「ぎゃーーー!!」

 

ぎゃーはやめてくれ。

 

「どうしたのタマっち―――きゃーーーー!!」

 

きゃーもやめてくれ。

 

「何で裸なんだ!服を着ろー!」

 

あらあらまあまあ、完全にパニックになってしまっている。

落ち着いてもらわないとならぬな。

 

「とりあえず、閉めてもらっていい?もう着替え終わるから」

 

落ち着かせるため、出来るだけ穏やかに言う。

 

「えっ、あっ………わ、悪い!」

 

「し、失礼しましたーー!」

 

ようやく事態を把握したのか、玄関のドアは凄い勢いで閉められた。

さて…………。

着替えを済ませ、天井を仰ぎ見る。

ファーストコンタクト、失敗しちゃったなぁ………。

 

 

 

「それで、お二人が悲鳴を上げたんですね……」

 

「はい……」

 

「ま、まあ……事故みたいなもんだしさ、ひなたも許してくれよ」

 

着替えを終え、部屋の外に出ると、先ほどの二人が上里さんと何かを話していた。

どうやら、ちょうど鉢合わせたので、さっきの悲鳴のことを説明していたらしい。

 

「だからといって、勝手に入るのはよくありませんよ?」

 

「うっ、それはさぁ……」

 

「上里さん、鍵をかけてなかったこっちも悪かったんだ。それに、彼女は俺の為に来てくれたみたいだし」

 

会話に割り込む。

こんなことで、空気を悪くするわけにもいかない。

 

「そ、そうだぞ!これはタマ達だけのせいではないのだっ!」

 

「タマっち……それはちょっと……」

 

「タマの方が上級生なんだから、タマっちはやめタマえ!タマっち先輩と呼べ!」

 

ボーイッシュな少女は誤魔化すように、もう一人の少女へ視線を移す。

タマっちはいいのか……。

あんずと呼ばれた少女は、えー?と少し不満げだったが。

タマっち……タマ……なるほど、この子が土居球子か。

で、隣の子があんずと呼ばれていたし、伊予島杏なのだろう。

 

「まあいいです。お二人とも、これからは注意してくださいね?」

 

「はい……」

 

「ああ、もうしないって。それより、お前が新入りだな!」

 

怒られてたことなどなかったかのように、少女がこちらを向いた。

 

「土居球子だ!よろしくな!それでこっちが―――」

 

「え、えっと、い、伊予島杏です!よ、よろひく……よろしくお願いします!」

 

土居さんに背中を押された伊予島さんが、恥ずかしそうな顔をして自己紹介をした。

おそらく、さっきの件がまだ尾を引いているのだろう。

 

「ん。自分は赤嶺頼人。お二人とも、どうぞよろしく」

 

「頼人か!ここで分からないことがあれば、タマに何でも聞きタマえ!なんたって、タマ達はここの先輩だからな!」

 

土居さんが胸を張る。

快活で、親しみやすそうな子だ。

さっきの件ももう気にしてないみたいだし、素直に好感が持てる。

 

「そうさせてもらうよ、球子先輩」

 

「うむうむ。どうやら頼人はれーぎというものを分かってるらしいな!あんずも見習うんだぞ?」

 

「でも~」

 

「でもじゃない!ほら、タマっち先輩!リピート!」

 

「タマっち先輩……」

 

気がつけば、彼女達は楽しそうに話し始めた。

やはり、この二人は随分仲がいいらしい。

 

「お二人はそろそろ教室に向かって下さい。もうすぐ始業時間になっちゃいますから」

 

二人の様子に諦めたのか、上里さんは二人に教室に向かうよう勧めた。

 

「おっと、そうだな。じゃあな頼人。また後でな!」

 

「ま、待ってよタマっちせんぱーい!」

 

伊予島さんは軽く会釈すると、走っていった土居さんを追いかけて行った。

 

「元気な子達だね」

 

「ええ。あの二人はとても仲が良くて、いつも一緒なんですよ」

 

いつも一緒、か………。

 

 

 

教師達への挨拶を終え、教室に入ると、席に着いた少女たちの視線が刺さった。

三人ほど初めて見る顔があったが、それぞれの名前は分かった。

 

「赤嶺頼人です。今日から、よろしくお願いします」

 

黒板の前に立ち、少女達に簡単に挨拶する。

流石に、これだけでは味気ないだろう。

もう一言二言喋ろうか、と思ったが、その前に担任の教師は席につくように求めた。

これで終わりにするのか。

質問などを受けるかと思ったのだが、そういう余分はこの学級にはないらしい。

というか、彼女達からの自己紹介も聞けていない。

こういうプロセスが無視されるとは、中々に普通じゃない学級だ。

いや、普通じゃないのはこの状況か。

 

席に着くと、授業はすぐに始まった。

といっても、世間一般では夏休みの為、義務教育としての授業は控えめだった。

夏休みの宿題と言うモノが存在しない分の、申し訳程度の授業と言ったところだろう。

神樹館の時と同じで、ただただ聞くのは退屈だが、これが学生の本分と言うモノだ。

我慢するべきだろう。

どうせ、そのうち受けなくなるのだから。

 

そうして、休み時間。

真っ先に、やってきたのは―――

 

「という訳で、転入生の赤嶺頼人です。改めて、よろしく」

 

「うん、よろしくね頼人君!私は――」

 

「高嶋さん、だね?」

 

高嶋友奈。

写真で見たご先祖の顔にとてもよく似ているおかげで、簡単に判別できた。

 

「あっ、うん!どうしてわかったの!?」

 

「上里さんから色々と聞いててね。聞いてた特徴的に、高嶋さんかなって思ったんだよ」

 

「そうなんだ!あっ、私のことは、気軽に友奈って呼んでね!」

 

「ん。分かった友奈。よろしくな」

 

人懐っこい笑みに答える。

それにしても、彼女もまた距離が近い。

会って間もない人間に、下の名前で呼んでほしいと言うとは。

いや、まだ小学生なのだし、先ほどの土居さんも似た感じだったのだから、気にすることもないか。

むしろ、彼女に乗っかって、周囲との距離を縮めた方が賢明かもしれない。

こちとら新参者な上に、異性。

さっさと打ち解けておかないと、後からしこりが生まれかねない。

と、そこで、後ろから声を掛けられた。

 

「お前が赤嶺か」

 

振り返ると思わず、言葉を失った。

目鼻立ちの整った容貌。

後ろにまとめられた美しい長髪。

 

「私は乃木若葉だ。四国を守る者同士、これからよろしく頼む」

 

「……ああ、よろしく」

 

一瞬、遅れて返事をする。

乃木若葉。

唯一生き残った勇者。

先祖とも深い関わりを持った存在。

そして……園子の先祖。

雰囲気はまるで違うし、立ち居振る舞いもあまり似ていない。

けれど、その姿はどうしようもなく園子を想起させた。

 

「ん、どうかしたか?急に固まったが……」

 

「ふふ、きっと若葉ちゃんが美人で驚いたんですよ」

 

「……いや、友達によく似てたから驚いたんだよ。しかも、そいつも乃木姓だったから」

 

とりあえず、嘘を吐かない範囲で誤魔化す。

こうも簡単に感情が揺さぶられるとは、つくづく、赤嶺頼人にとって彼女は感傷が深すぎる。

しかも一方的なモノだから質が悪い。

ある意味で、片想いの相手に抱くそれにすら近いかもしれない。

気をつけないと……。

 

「へー!凄い偶然だね!」

 

「もしかすると、若葉ちゃんの親戚の方かもしれませんね」

 

「いや、同年代にそんな親戚はいなかったと思うが……」

 

乃木若葉の、困ったように腕を組み考え込むその横顔は、やはり、園子との血の繋がりを感じさせた。

鎮めようと思っても、心はざわめき続ける。

 

「なぁなぁ頼人、これ見てもいいか?」

 

「タマっち先輩、また勝手に触って……」

 

気がつけば、土居さんが教室の壁に立てかけておいた、斧を入れた布袋に触っていた。

 

「いや、構わないよ。ただ、重いだろうから気を付けて」

 

「ああ、サンキューな!……って、なんだこれ!?」

 

布袋の中から姿を現したのは、包帯のような白い布が巻かれた斧だった。

 

「刃がむき出しだと布袋が破れかねないから、そういう風に巻いているんだよ。中身は斧」

 

「斧……?それにしては大きいですね。ハルバードやバルディッシュでもこんな形は見たことがありません……」

 

伊予島さんが呟くように言う。

すぐにそういう単語が出て来るとは、伊予島さんの知識量は中々のものらしい。

 

「確かに大きいな……。こんな大きさの武器があるとは……」

 

「まぁ、斧というよりかは斧剣とでも言うべきかも。こんな形の戦斧はほぼないし。……と、そろそろ戻しといて。もうすぐ次の授業が始まるから」

 

そういうと、土居さんは素直に俺の言葉に従った。

後は………。

まだ話していない少女に目を向ける。

彼女はイヤホンをし、ただゲームを続けている。

彼女が、郡千景。

存在を抹消された勇者。

 

「ゲーム中にすみません。今、ちょっといいですか?」

 

彼女の席に赴き話しかけるも、返事はない。

見向きもせず、俺の存在がないかのようにゲームを続けている。

これは…………。

 

「新人の挨拶も無視かー………」

 

「ぐんちゃん、折角だから―――」

 

土居さんや高嶋さんがそう言うも、おそらく、これ以上話しかけても反応はないだろう。

 

「いや、気にしないでくれ。郡さん、急に話しかけちゃって、すみませんでした」

 

俺がそう言った直後、担任の教師が入室してきた。

郡さんのことは、後で上里さんに聞かないといけないだろう。

あの状態は、ひょっとすると、山伏の時よりもひどいかもしれない。

 

 

 

 

次の授業では、バーテックスと陸自の戦闘を記録した映像を見せられた。

いや、正しくは、自衛隊が蹂躙される場面の記録映像というべきだろう。

戦闘というには、あまりにも一方的過ぎた。

89式小銃の5.56mm弾はおろか、10式戦車の120mm滑空砲ですら、傷一つつかない。

一方で、奴らの顎は10式の最も硬い、正面の複合装甲すらも、容易く喰い破った。

人については、言うまでもない。

なるほど、世界が滅ぶわけだ。

奴らはまさしく、人間殺しに最適化されている。

そのことがよく分かる映像ではあるが、同時にほとんど役には立たない代物だ。

なぜなら、この映像では分かるのは、所詮バーテックスの殺傷能力だけだ。

例えるなら、空手家と戦えと言われて、空手家の瓦割を見せられるようなもの。

勇者に対して、どのような戦い方をしてくるかはまるで分らない。

ほとんど役に立たない情報だと言っていい。

だが、一つだけいいことを知れた。

おそらくだが、国民や政府の自衛隊への信頼は失墜していると考えるべきだろう。

国内の治安維持なら警察力のみで十分。

ということは、自衛隊はよくて冷や飯喰い。

悪ければ、解体。

この状況下で自衛隊に出す金などないだろうしな。

とはいえ、あの日からたった一年で組織の全てが処理されているかと問われると疑問ではある。

組織の解体にかかる手間などを考えれば、形骸化していると考えるべきか。

ならば――――使える可能性がある。

映像が終わると、担任の教師は告げた。

 

「大赦の研究によれば、未だ、バーテックスに有効な兵器は見つかっていません。あなたたち勇者だけが、バーテックスに対抗できるのです」

 

分かっているよ……嫌というほど。

 

 

昼休み。

高嶋さんがせっかくなので、皆で食べようと言ってくれたので、食堂に集まった。

郡さんはと尋ねるも、彼女はいつも昼休みになると姿を消すという。

何処で食事をとっているのかも分からないらしい。

やはり、彼女のあれは回避症状の疑いがあるな。

この徹底ぶりからするに、彼女の場合は家庭環境ではなく学校生活に問題があったのか……?

いや、結論を出すのは性急だな。

複合的な要因もあり得る。

ともあれ、今は食事だ。

セルフサービスなので、好きなものを頼めるのはいいことだ。

ざるうどんを注文し、席につく。

 

「あっ、頼人君もうどんなんだ」

 

「好物なんだよ。というか、皆うどんなんだな……」

 

見れば、肉だとかきつねだとか多少の種類はあるものの他の皆もうどんを選んでいた。

確か、香川県民は若葉さんと上里さんだけだと聞いていたが……。

 

「一度、おいしいおうどん屋に連れて行ってもらったんです。その時のうどんが衝撃的で、それ以来、うどんをよく頼むようになっちゃったんですよ」

 

伊予島さんが思い返すように言う。

ふむふむ。

讃岐うどんの良さが分かるとは、流石勇者といったところだな。

 

「ああ、あの時の味は、三万ぶっタマげぐらいの衝撃だったな!」

 

「何、その単位……?一ぶっタマげでどれくらいの衝撃なんだ……?」

 

この時代に、そんな珍妙な単位はなかったはずだが?

 

「一ぶっタマげは、自動販売機でジュースを買おうとしたら、財布の中身が八十円しかなかった時ぐらいの衝撃だぞ」

 

さっぱり分からん。

 

「ちなみに、勇者になった時の衝撃は二万七千ぶっタマげぐらいだったぞ」

 

増々分からん。

 

「タマっち先輩は、時々よく分からない事を言うんですよ……」

 

「なるほど。覚えておくよ」

 

「覚えなくていい!」

 

土居さんが怒ったような顔で言った。

おもわず、クスリと笑ってしまう。

 

「けど、あの時のうどんは本当に美味しかったなぁ……。紅茶に浸したマドレーヌを食べた語り手のように、いつか私も、うどんから過去の記憶を旅することになると思います……」

 

伊予島さんが思い返すようにそう言った。

紅茶に浸したマドレーヌ。

プルースト効果のことか。

ということは。

 

「伊予島さん。失われた時を求めて、読んだことあるの?」

 

「え?もしかして、赤嶺さんも読んだことがあるんですか!?」

 

「あるけど……。あれ、全部読めたの?」

 

『失われた時を求めて』はプルーストの長編小説なのだが、長い。

とにかく長い。

世界最長の小説として、ギネスにのっていたくらいだ。

おまけに比喩が多く、構文も複雑なため、読み込むのは非常に難解。

内容も、同性愛に芸術、社交界の煩雑さなど、子供には分かりづらいテーマで満ちており、大人ですら読むのが大変な小説といえるだろう。

自分も読み終わるまで、随分苦労した記憶がある。

だが一方で、環境や人物描写の緻密さは素晴らしく、読んでいると、自分自身の失われた記憶が蘇っていく感覚すら生まれる。

そのような小説は、自分の知る限りこの小説しかない。

 

「はい!私は特に、『スワン家の方へ』のジルベルトに恋するところが好きで―――」

 

「確か、庭園で偶然見かけて、だったな。凄いな、ほんとに読んでるんだ」

 

褒めると、伊予島さんは照れるように笑った。

思っていた以上に、この子は本好きらしい。

ふむ、彼女とは、この手の話題を通じて仲良くなれそうだ。

 

「赤嶺も本をよく読むのか?」

 

「まあ、それなりにはね」

 

一応これは嘘ではない。

特に前世では、色々と本を読んでいた。

 

「す、好きなジャンルは何でしょうか!?」

 

伊予島さんが身を乗り出していった。

そんなに話したいのか……。

 

「乱読家だから割と何でも。強いて言うなら……推理小説とかかな。伊予島さんは?」

 

「わ、私は恋愛小説が好きで……あ、赤嶺さんはそういうの読んだりしますか?」

 

「恋愛小説か……」

 

記憶の底から、昔読んだ本のタイトルを引っ張り出す。

うっかりすると、神世紀に出版された本や園子の書いた小説が出て来そうになるので、前世の記憶に絞り込む。

この時代だと、俺が読んだことがあって、若者向けなのは…………。

 

「最近のだと、有川浩の本が好きだな。村上春樹もいいけど、個人的にはそっちの方がよく読むよ。阪急電車とかあの辺り」

 

有川浩の作品は、作者が女性なこともあってか、女性視点の恋愛話が多い。

それでいて、コメディチックな面も多く、伊予島さんのような女の子なら好きな部類に入るはずだ。

個人的には、自衛隊絡みの作品が好きだったけど……。

 

「あっ、私も好きです!あの作品は、いろんな人間模様が描かれていていいですよね!」

 

そう言うと、伊予島さんはパッと笑顔になって、どこが好きかとか語り始めた。

とりあえず、当たりを引けたらしい。

 

「あんず、テンションがおかしいぞ……」

 

「確かに、こんなに嬉しそうな杏さんも珍しいですね」

 

なるほど。

伊予島さん以外は、あまり本は読まないらしい。

まあ、この年代でそんなに本を読む子はいないだろう。

この時代は、若者の本離れも進行してたって話だし。

 

「なんだか楽しそうだね!アンちゃんアンちゃん、今度、私にも何か本貸してくれない?」

 

「勿論です!好きなジャンルがあれば教えてくださいね、おすすめをリストアップしておきますから!」

 

「タ、タマにも何か貸してくれ!」

 

何だか、妙な方向に話が流れてしまったな。

まあ、話のきっかけが色々と生まれたので良しとするか。

さっきまではやや様子を伺っている風があったが、今の話で、彼女の態度は一気に軟化した。

いい兆候だろう。

 

「ところで、赤嶺。聞きたいことがあるんだが……」

 

と、そこで若葉さんが何か尋ねてきた。

少し言い難そうだ。

 

「ん、いいよ。何?」

 

「ああ、お前はこの一年、どこで何をしてたんだ?」

 

「あっ、若葉ちゃん。それは………」

 

「それ、タマも気になるぞ!そもそも、なんでこのタイミングで、勇者って分かったんだ?それに、男は勇者になれないみたいな話もあったのにさ」

 

まぁ、やっぱり聞かれるよな。

というか、事前に教師から話がいっていなかったのか。

いや、そもそも大社が教師にまで情報を落としているかも疑問だな。

むしろ、彼女達を利用して俺の過去を探っている可能性すらあるもしれない。

無論、彼女達自身にそう言った意図はないだろうが、ここは食堂。

大社の人間もいるのだ。

なら………。

 

「それがねぇ……こっちも知りたいんだよね……」

 

「ん?どういうことだ?」

 

「そのままの意味。色々あってね、ここしばらくの記憶が断片的にしかないんだ。気がつけば香川にいて、勇者だーみたいなことになってるし」

 

嘘だ。

俺の過去について、一切の詮索をしないこと。

それが勇者になるときの、条件の一つだった。

そのため、大社の連中から直接、過去について聞かれることはない。

中々に荒いやり方ではあるが、自分がなぜここにいるかも分からないのだ。

こうでもしないと、色々と面倒なことになるだろう。

だが、この嘘にも一応、整合性はある。

まず、バーテックスによる死者が多すぎるため、戸籍の処理が追いついておらず、記録から俺を辿ることはほぼ不可能。

そして、目覚めた当日の、俺が錯乱した際の言動とも一致する。

こういう内容なら、大社も納得こそしないだろうが、これ以上詮索することもないはずだ。

そういう打算による産物だったが、若葉さんをはじめとした皆が曇った顔を見せた。

思った通りの反応。

大方、俺が酷い体験をしてきたと考えているのだろう。

 

「まぁ、今は全然大丈夫だけどね。おいしいうどんは食べられるし」

 

フォローするように、心にもない事を言っておく。

これで、彼女達もこの件にはあまり触れないはずだ。

 

「そっか!それじゃあ、これからいっぱい思い出を作っていこうね!」

 

と、そこで突然、高嶋さんがそんな事を言いだした。

 

「友奈、どういうことだ?」

 

若葉さんがよく分からないと言った様子で、高嶋さんに尋ねる。

 

「え?だって、記憶がないってことは、これからいっぱい思い出を詰め込めるってことだよね?だから、みんなで楽しい思い出を作っていけたらなって!」

 

予想外の反応。

少し、言葉に詰まる。

これは、どういう風に受け取ればよいものか。

素直に受け取るには、少しだけ違和感があった。

俺自身に向けた言葉でもあるが、同時に空気を意識したかのような……。

 

「ああ、そうだね」

 

一言だけ言って微笑むと、高嶋さんも笑った。

気がつけば、他の子達の表情も明るくなっている。

これは、もしかすると………。

高嶋さんは暫く観察が必要らしい。

 

 

 

午後からは戦闘訓練。

まず、運動による基礎体力の向上。

筋トレやランニングをやらされる。

ここ最近、まるで体を動かしていなかったので、身体がまともに動くか多少の心配はあったが、杞憂に終わった。

 

「頼人君速いね!全然追いつけなかったよ!」

 

「ああ。基礎体力は十分あるようだな。安心したぞ」

 

「そりゃあ、まあ、足を引っ張るわけにもいかないから」

 

ランニングの後、軽くストレッチをしながら答える。

昔から鍛えてきたおかげか、ランニングにも体はついてきてくれた。

とはいえ、真夏なので汗は凄いことになっている。

なお、ランニングを終えたのは今のところ、俺のほかには高嶋さんと若葉さんだけ。

他の三人は、まだ走っている。

というか、この歳の少女に真夏にランニングをさせるとは、なんというか時代錯誤的なモノを感じる。

勇者が体力勝負なのは分かるが……まぁ、オーバーワークになってなければ、良しとするべきか……。

と、そこで、郡さんが戻ってきた。

よし……。

 

「お疲れ様です。これ、どうぞ」

 

荒い息をして座り込む彼女に、ペットボトルを差し出す。

中身はスポーツドリンクだ。

さて、受け取ってくれるか?

そう思いながら見ていると、郡さんは一瞬、ペットボトルに手を伸ばすも、すぐにその手を引っ込め、立ち去ってしまった。

上手くいかなかったか……。

これ以上の接触は、彼女がああなった原因を特定してからのほうがいいだろう。

 

 

 

 

 

運動後は、武器を使用した訓練だった。

道場で、斧剣を握る。

 

「しっ―――!」

 

斧を振り回すと、銀が我流で動いていた理由がよく分かる。

こいつは、力回せに振るだけでも、十分すぎるほどに強力だ。

ただ、それでは芸がない。

そも、銀が二本同時に扱っていたのに対し、こちらは一本。

銀の動きを再現することはできない。

無理に再現しても、隙だらけの無様な動きとなるだろう。

故に、自分なりの戦い方を考えなければならない。

焦点は、こいつを如何に、素早く、正確に振るえるか。

示現流の二の太刀要らず、のような戦い方もないではないが、想定されるバーテックスの物量からして、それでは対応しきれない可能性もある。

ううむ………試しにこの斧で、燕返しの一つでも試してみようか。

元の技とはまるで違ったものになるだろうが、モノにすれば、手数もずいぶん増えるだろう。

そうして、色々と動きを試していると、後ろから声を掛けられた。

若葉さんだった。

 

「いい動きだな、赤嶺。やはりお前も、何か武術をやっていたんじゃないか?」

 

「それなりにね。そっちこそ凄いじゃないか。あれほどの居合を抜けるなんてさ」

 

先程から、少し見せてもらってはいたが、彼女の才能は凄まじい。

居合というものは、長い時間磨き上げることで成立する技術であり、人を選ぶ武術だ。

何十年も修行することで、正しい居合というものを抜ける。

居合と呼べる抜刀を成立させるだけでも何十年もかかり、型を完全に習得するとなると、努力を超えた、まさしく才能という次元の世界に入る。

なのに、彼女は齢十二にして、居合を成立させており、型を自分のものにしつつある。

才能は、確実に俺以上にある。

 

「おお、分かるのか!」

 

そんな俺の考えを知ってか知らずか、彼女は目を輝かせた。

おそらく、彼女は彼女でこういった話を分かる人間が周囲にはあまりいないのだろう。

この手の武術は、経験のある人間にしかわからないものだしな。

 

「まあ、居合や剣術もやってたから」

 

「そうか!なら、後で一度立ち会ってくれないか?こういう機会はあまりないんだ」

 

「ん、いいよ。訓練終わったらね」

 

そう言うと若葉さんは、喜んでくれた。

こういう所には少しだけ、子供らしさもあるんだな。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……………」

 

気がつけば、あっという間に一日は終わっていた。

自室のベッドで大の字になると、程よい疲労感が身を包む。

とりあえず、初日にしては上々だろう。

彼女達と仲良くなる取っ掛かりも生まれた。

共通の話題というものさえあれば、親しくなるのはあっという間だ。

若葉さんとは武術。

伊予島さんとは本。

今のところ、土居さんと高嶋さんからは聞けてないが、彼女達は他の勇者と比べると、社交的な性格をしているため、問題はないだろう。

もっとも、高嶋さんに関しては、少々気になるところがあるが……。

まぁ、本格的に動くまで、あと数ヶ月はあるのだから、急がなくてもいい。

問題は………郡さんだ。

上里さんから聞いた話を思い返すだけで、嫌な気分になる。

 

郡千景さんの置かれた、どうしようもない環境。

精神が幼く、家族を蔑ろにする父親。

そんな父が嫌で不倫し、娘を捨てた母親。

そういう両親を侮蔑し、その娘までもを村八分にした周囲の大人たち。

そんな大人たちに育てられた子供達による、陰湿なイジメ。

郡さんが塞ぎ込むのも、無理はない。

というよりも、あれで済んでいるのが奇跡的だとすら言える。

 

もっとも、問題はそれだけでは済まない。

担任の教師や、大社の人間は、郡さんの心理的なケアに有効な手立てを何一つ講じていない。

これが、現時点における最大の問題点だ。

多少、彼らなりに手段を講じたらしいのだが、効果がなければ意味がない。

仮に教師が、何らかの手段で郡さんに手を伸ばしたとして、彼女はその手を拒んだのかもしれない。

だがそうなると、増々彼女の心理的な問題が根深いことになる。

憶測の域を出ないが、彼女は通っていた学校の教師に、助けを求めたことがあったのではないだろうか。

子供である以上、親を頼れないとなると、それ以外に取りうる手段はない。

だが、彼女はその期待を裏切られたのではないだろうか。

そうなると、徹底的に周囲を拒絶するその態度にも説明がつく。

郡さんにとって、大人子供問わず、周囲の人間は皆、敵でしかなかったのだろう。

その結果が、ある種の人間不信。

PTSDになっている可能性すらある。

もしそうなら、学級内での彼女の行動は、PTSDの回避症状だと考えられる。

学校自体が彼女にとっての、トラウマだとすれば………。

 

「どうしたものか………」

 

教師を使うのは、難しいかもしれない。

彼らは雇われの身。

そして、勇者は現時点で、この国において最も大切な『兵器』だ。

下手に関わって、『兵器』の性能を低下させてしまえば、教師の責任問題になるだろう。

ならば、いっそのこと関わらない方がいい。

ああ、クソ。

痛い程に理解できる。

ある意味では同情すらできるかもしれない。

だが………致命的なまでに無責任だ。

ああ、そうだ。

大赦も、大社もこの国も、皆、無責任なんだ。

一億総無責任社会とはよく言ったものだ。

まぁ、そこに付け入る隙があるのだがら、ある意味では感謝するべきかもしれんが……。

 

「どのみち、頼れるのは自分だけか……」

 

大社にしろ、この学級にしろ、問題が起きた時に頼れるのは自分だけ。

彼女達に頼る気はない。

下手に巻き込めば、不測の事態を引き起こしかねないし、そもそも見ているモノが違いすぎる。

この戦争の勝利を目的とする彼女達が、俺の目的を是とするかは微妙だ

まあ最悪、利用することはあるかもしれないが………。

こんな結論が出てしまうとは………本当に笑えてしまう。

ああいう無垢な少女を利用するなんて考えは、本来赤嶺頼人が最も嫌う行為であったはずなのに、今はそれをも可能性に入れている。

これじゃ、碌な死に方はできないだろうな……。

まぁ、道半ばで倒れた時は、赤嶺頼人は自惚れ深い、ただの馬鹿だったというだけのことだ。

気にするほどのことでもない。

 

兎にも角にも、今は郡さんのことが先決だ。

これ以上、彼女を放っては――――

違う。

頭を振り、思い直す。

チームの輪の乱れは士気に直結する。

郡さんと最低限コミュニケーションがとれる状態にしないと、これからの戦いに悪影響を及ぼしかねない。

彼女の記録が抹消された経緯については知らないが、今日の彼女を見れば凡その見当はついた。

大方、精霊を使用しすぎて精神的に不安定になり、暴走でもしたのだろう。

この先のことを考えると、そういったリスクは可能な限り避けたい。

そう、あくまでも目的の為だ。

彼女達に情があるわけではない。

あってはならない。

故に、今やるべきは………。

 

携帯をとり、電話をかける。

相手は、上里さん。

驚いたことに、ワンコールで出てくれた。

怒りもせず、柔らかな声でどうかしましたか、と尋ねてくれる。

 

「夜遅くにごめんね、上里さん。ちょっと、相談したいことがあって」

 

『相談したいこと……ですか?』

 

「ああ、会いたい人がいてね。前話してくれた、郡さんを見つけた巫女さん」

 

『それって……』

 

「そう、花本美佳(よしか)さん」

 



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小器大用

大満開で情緒がぶっ壊されたので初投稿です。
まさかのわゆまでアニメ化されるとは……。

のわゆ編の設定についてですが、アニメ版の設定に準拠した場合、かくみの内容が大きく変わるなど、問題が多々ありますので原則として書籍版の設定を主軸に致します。
その上で、アニメ版の設定を矛盾がないよう取り入れていく形になるかと思いますので、よろしくお願い致します。

なお、くめゆ編に関しましても、主要な設定は原作に準拠しつつ、結界外探査の設定などは、アニメ版のモノを取り入れる予定です。


ふと、気がついた。

目の前には、茜色に染まる道。

いつもの、帰り道。

 

「頼人、今日はどうするんだ?」

 

「え……?」

 

ふと隣を見ると、制服を着た銀が歩いていた。

いつもの神樹館の制服。

銀にとてもよく似合っている。

 

「え、じゃないだろ?今日は泊まるって言って、わざわざ朝に着替え一式置いてったじゃん」

 

「あ、ああ……そうだったな」

 

そう返事はしたものの、頭はぼーっとしていて、うまく思い出せはしなかった。

 

「それで、何作るんだ?そろそろ教えてくれてもいいだろ?」

 

「作るって……何を?」

 

「おいおい忘れたのかー?今日、お父さんとお母さんが遅くなるって話聞いて、夕ご飯を作るって言ったのは頼人じゃんか。材料だって、朝持って来てたし」

 

「それは……後でのお楽しみだな」

 

「いやいや、どうせ一緒に作るんだから、今更隠しても意味ないだろ……」

 

そう言って、笑う銀のその姿が、可愛くて、嬉しくなる。

けれど、同時にチクリと胸が痛んだ。

何故だろう。

銀も俺も、いつも通りのはずなのに。

今は愛おしくて、抱きしめたくて仕方がない。

でも、急に抱き着いたら、きっと変な誤解をさせてしまう。

もしかしたら、心配させてしまうかもしれない。

だから……代わりに、その小さな手をそっと握った。

 

「ど、どうしたんだ?急に……」

 

「繋ぎたくなったから。駄目?」

 

「だ、ダメじゃないけどさ……うー……」

 

銀が赤くなって、唸っている。

その横顔を見ながら、きゅっと、銀の手を握る。

柔らかくて、温かくて、優しい手。

ああ……本当に、俺はこいつのことが……。

 

「銀」

 

「何だ、頼人?」

 

「好きだよ」

 

「……知ってる」

 

そうして銀は、俺の手を優しく握り返してくれた。

銀の体温も、心臓の音すらも伝わってくる。

温かくて、優しい時間。

本当に……この時間が、ずっと続いてくれれば良いのに―――

 

ああ……。

なんて、甘くて。

なんて、心地よくて。

なんて、残酷な夢だろう―――

 

 

 

 

そうして―――目が覚めた。

 

「……あ」

 

ぼやけた視界が、天井らしきものを捉える。

繋いでいたはずの手が空を切る。

傍らには誰もいない。

たった一人の寒く、狭苦しい部屋。

不思議だ。

視界が、あんまりにもぼやけている。

気になって目をこすると、指先が濡れた。

……そうか。

なんてことはない。

寝ている間に、泣いていたらしい。

頬にまで、涙が伝っている。

寝ている間は、感情を抑制できないということか……。

自嘲するかのように、口元が歪む。

本当に、なんて女々しいのだろう。

出来ないと分かっているはずなのに、帰りたい、なんて思ってしまうのだから。

 

 

 

 

 

 

脚が徐々に重くなり、呼吸が荒くなっていく。

肺に僅かな痛みが走る。

心臓が早鐘を打つ。

走る。

走る。

もっと前へ。

もっと速く。

公園の雑木林を抜けると、視界がまばゆい光に潰された。

日の出だ。

壁から上る日に背を向け、また来た道を戻る。

一の門から出発し、丸亀駅を越え、蓬莱海浜公園に向かい、そこから丸亀城に戻る。

このコースを三周。

ここに来てからは、毎朝、日の出前にこうして走り始める。

走り始めた頃から既に一月近く経ち、早朝は涼しさを感じてくるようになった。

そうして、気がつけば丸亀城まで戻ってきている。

ラストスパート。

一の門に戻り、そこから一気に本丸まで駆け上がる。

この上り坂は、程よい負荷を体にかけてくれる。

余分な思考も、感情も、消し去ってくれる。

 

その後はまず、居合を抜く。

体捌きの稽古には、やはり、居合が最も良い。

ある達人は、居合は最も優れた一人稽古だと語っていたが、斧を振るうようになってからは、その意味が今までよりもずっと分かった。

結局、どんな武器で戦うにしても、それらの技法は、体捌きそのものが中心となる。

言ってしまえば、柔術にしても、剣術にしても、その本質は同じもの。

知っていたはずなのに、斧の巨大さゆえに、そのことをすっかり忘れていた。

気付けたのは、身体が覚えていてくれたからだ。

斧を振っていると、自然に剣術のそれに近い動作をとっている。

無論、多少の工夫は必要であったが、分かってしまえばなんてことはない。

昔の人は、現代人よりも遥かに身体の使い方が上手かったのだと、あらためて思い知らされた。

とはいえ、その武術と勇者の力が嚙み合わない時もある。

いわゆる、瞬歩だとか、無足だとか言われる足捌きでは、膝を抜くという技術が前提にあるわけだが、これらの足捌きでは足に力を籠めない。

言い換えると、動くときに、地面を蹴らないのだ。

では、どうやって移動するかというと、体重を進行方向に傾ける、いわゆる重心移動により動く。

これにより、地面を蹴るという過程がなくなり、初動が極めて速くなる。

しかし、勇者の戦闘になると、事情が変わる。

勇者はその身体能力の高さから、地面を強く蹴って、その反動で移動する。

俺が三体のバーテックスと戦った時もそうだが、勇者の持つ力なら、この方法が最も効率よく彼我の距離を詰められる。

しかし、この移動方法では、初動が少し遅くなる。

この辺りのバランスをどうとるかが、今後の課題といえるだろう。

と、そこで、背後に気配を覚え振り返ると、生太刀を持った若葉が立っていた。

 

「早いな、頼人。いつもこんな時間から鍛練しているのか?感心だな」

 

「早起きは三文の徳ともいうから。そういう若葉こそ、今日はやけに早いな」

 

互いに名前で呼び合う。

理由といっても大したことでない。

乃木という姓で呼び続けるのが、少し嫌になったため、互いに名前で呼び合わないかと若葉に提案し、それが認められただけのことだ。

それならと、上里さんまで名前呼びしてほしいと言ってくるとは、思わなかったが。

まぁ、下の名前で呼び合うほうが、相手と素早く親密になれるのだから、断る手はないのだが、若葉に近付く俺にちょっとした警戒心があるのかもしれない。

まぁ、どうでもいいことだが。

 

「今日はひなたが大社に行く日だからな。見送るために早起きしたんだ。お前もひなたについていくんだろう?」

 

「そうだけど、見送るにしては早くないか?まだ出発まで時間があるし」

 

「少し早起きしすぎたんだ。二度寝するのも不健康だから、稽古でもしようとな」

 

なるほど。

健康的で結構なことだ。

 

「それで、だ。頼人、よかったら、出発する前にまた立ち会ってくれないか」

 

「またそれか。飽きないな、若葉も」

 

「流石に、負けっぱなしは嫌だからな。今日こそは、勝たせてもらう……!」

 

若葉はやる気満々だ。

仕方ない。

付き合うほかなさそうだ。

 

「あんまり時間がないから、一本だけだぞ?」

 

そう言うと、若葉はああ、と返事をし、半身になり、立居合の構えをとった。

 

「ここでするのか……」

 

「常在戦場だからな。当然だ」

 

「考え方が武士のそれだな……」

 

まあいい。

互いに得物は、日本刀。

こっちのは刃引きした練習刀だが、向こうは真剣。

中々にスリルがある。

それにしても、居合で来るとは。

完全に、後の先を狙っている。

本気で勝ちに来たという訳か。

 

少しだけ大変だな。

というのも、居合という技術において、何が一番怖いかと言うと、気配がないことだ。

無論、速さだけでも十分脅威なのだが、攻撃の気配が存在しないことの方がさらに危険だ。

そもそも、居合においては、相手が刀を先に抜いている状態から、後出しで勝利をもぎ取る技術だ。

そして、人間の身体は危険に対して酷く敏感だ。

武術の経験がない人でも、大きな音が鳴れば身体がびくりと反応するし、身体に虫が這う感触がすれば、反射的に払う動作をする。

こういった動作は大抵無意識で行うものであり、そのため、非常に俊敏だ。

そして、武術の心得がある者はさらに気配に敏感で、動きも普通の人とは比較にならないほど素早い。

ともすれば、先に構えている武術家に対して、普通に抜いても反撃はまず間に合わない。

先に斬られるは必定。

だが、全身が一つの術として機能し、気配のない、迫力のない、静かな動きが実現すると、相手はその抜刀に反応できない。

眼で抜刀自体は認識できるが、身体が危険を察知できずに、動く前に斬られる。

こんな技を編み出せる辺り、つくづく武士のバケモノ具合がよく分かる。

とまれ、この態勢をとられれば、こちらとしても対応は限られる。

少しだけ思案し、対応を決めた。

相手が居合なら、こっちも居合で行こう。

若葉と同じ構えをとる。

 

「ほう。お前も居合で来るのか」

 

「これならもし負けても言い訳が立つからな」

 

「ふっ。そんな事を言って、お前は負ける可能性なんてまるで考えていないだろう」

 

「ばれたか」

 

会話を交わしつつ、じりじりとにじり寄る。

やがて静止し、にらみ合う。

どこかの達人が語っていたことだが、武術の世界では、先んずれば負ける。

不思議なことだが、この法則がまかり通る。

つまり、これは我慢比べだ。

我慢できずに先に抜いたほうが負ける。

若葉は強い。

そう簡単に手は出さないだろう。

しかし、付け入る隙はある。

今の若葉は未熟。

居合を成立させることはできても、完全に扱いきれている訳ではない。

故に――――

 

「なっ………!!」

 

気当て(フェイント)をかければ、後の先は容易に取れる。

 

 

 

 

「また、負けたか……」

 

眼前で制止する刃に、若葉が肩を落として呟く。

交錯は一瞬。

フェイントをかけ、若葉の居合を誘い、その抜刀にこちらの居合を重ねた。

抜くタイミングをこちらでコントロールできれば、若葉の抜刀に合わせるのはわりかし簡単。

若葉の刀を流してしてしまえば、その隙に一本取るのは容易だ。

 

「そう気にすることじゃない。若葉の居合が真っ直ぐだったから、こっちの剣が間に合ったんだ。若葉の技量が高い証拠だ」

 

納刀しつつ、若葉を慰めるように言う。

 

「しかし、こうも負け続きでは……。居合で負けるとなると、中々に悔しいな……」

 

そう言うと若葉はまた、ため息を吐いた。

本当は、落ち込むことでもないのだけどな………。

実際のところ、確かに俺の方が若葉よりかは多少、腕はある。

だがそれは、前世の経験と、赤嶺家での鍛錬によるものが大きい。

言ってしまえば、若葉よりも俺の方がスタートラインが随分前にあり、鍛錬する環境もこちらの方が整っていただけのこと。

さすがにこの時代では、幼少期から居合を稽古していても、実戦を想定した稽古があるはずもない。

こういった環境や経験の差がある以上、力量差が出るのは当たり前だ。

だが、若葉にこれまで勝ち続けてこられたのは、単純な力量差によるものだけではない。

彼女と立ち会って気付いたことだが、おそらく、赤嶺家の居合術、剣術の源流は『乃木若葉』さんだ。

先祖のスタイルからして、弥勒家経由で伝わった気はするが、なんにせよ彼女の剣の完成形を赤嶺家は受け継いだのだろう。

結果、俺もまたその居合術、剣術の双方を受け継ぎ、結果として今の若葉の手の内を、若葉以上にこちらは把握することになった。

故に、完成形を身体で知っている分、彼女の動きの甘い部分は鮮明に見え、立ち会う際も、こちらが有利になる。

正直、酷いハンデだとしか言いようがない。

もっとも、彼女が俺に勝てない最大の理由は他にあるのだが……。

ともあれ、若葉の才能はここ最近の立ち合いでよく理解できた。

 

「そんなに気にするな。この調子で鍛えていけば、若葉はこの先、もっと強くなれるよ。実際、立ち会うごとに強くなってるし」

 

これは間違いのないことだ。

立ち会うごとに若葉は、それまでの動きの甘さに気付き、次に立ち会う時には修正している。

こっちの技術を吸い取るかのように成長してくる。

おそらく、流派が同じな分、色々と良い見本になっているのだろう。

この調子なら鍛練を続け、実戦経験を積めば、あっという間に若葉は俺を越えるかもしれない。

まったく、才能というものは恐ろしい。

 

「そうだろうか……。一つ動きが良くなったと思っても、涼しい顔で凌いでくるじゃないか……。こんな調子では、私は……!」

 

若葉はそう言って、悔しそうに歯噛みした。

思ったより、自信を失っているな……。

 

「まったく……」

 

仕方のない子だ。

 

「なっ、なんだ……!?」

 

わしゃわしゃと頭を撫でると、若葉は素っ頓狂な声をあげた。

 

「それだけ悔しがれるなら、若葉はもっと強くなれるよ。俺よりずっと、な」

 

本当に、こんな子が世界を守るために戦わないといけないなんて、何かが狂っている。

園子みたいな子が………。

……園子みたい?

 

「あ、頭を撫でるな……!」

 

「ああ、悪い……」

 

若葉の言葉で我に返り、手を離す。

気がつけば、若葉の頭を撫でていた。

何故だろう?

いや……理由は分かりきっている。

 

「頼人、どうかしたか?」

 

「いや……何でもない。そろそろ行くよ。着替えないといけないし」

 

「あ、ああ……」

 

困惑した様子の若葉を置いて、俺は本丸を立ち去った。

本当ならこの後、斧を用いた稽古をするつもりだったが、続ける気にはなれなかった。

道すがら考える。

やはり、若葉とは距離を置くべきかもしれない。

じゃないと……取り返しのつかないことになりかねない。

 

 

 

 

「あの、頼人さん。何かありましたか?」

 

大社へ向かう車内で、ふとひなたから尋ねられた。

 

「ん?特に何もないけど、どうかした?」

 

「いえ、何か考え事をしてるように見えたので……」

 

つくづく、この子は周りの人間をよく見ている。

若葉がいる前でも、こういう風に周りに声を掛けられるのなら、もう少し皆も纏まるのかもしれないが、巫女という立場上、ある種の遠慮があるのかもしれない。

ともあれ、ちょうどいい。

揺さ振るには、いい機会だ。

 

「ああ……。ちょっとね、若葉のことを考えてた」

 

「若葉ちゃんのことですか?頼人さん、まさか若葉ちゃんに……!?」

 

ひなたが冗談めかした様子で驚く。

 

「そんなんじゃないよ。ただ、立ち会ってて思ったんだけど、若葉は随分強さに……いや、復讐に執着してる感じがしたからさ。ちょっと危ないなって。ひなただって、気付いてるんでしょ?」

 

「それは……」

 

ひなたが口ごもる。

やっぱり気付いていたらしい。

立ち会っていると、若葉の剣に殺気や怒りがにじみ出る時がある。

怒りは闘争の原動力ともなるが、同時に必ず隙を生む。

彼女の行動原理は、復讐。

故に、剣に怒りが切り離せない。

これが、若葉が俺に勝てない最大の理由だ。

怒りが技術を殺している。

事実「記録」でも、彼女は一度暴走している。

 

「まあ、結局これは若葉の内面の問題だから、今すぐどうって話じゃないけど」

 

正直なところ、この件は、「赤嶺頼人」にとっては優先順位の低い話だ。

彼女達の問題に、個人的な関心を持つつもりもない。

ある程度、精神的な余裕を持たせるように立ち回るつもりではあるが、干渉は最低限度に留めることが望ましい。

 

「そう、ですね……。若葉ちゃんの問題は、若葉ちゃん自身で答えを出さないといけないでしょうし………」

 

「そうだね。だけど、若葉一人で答えを出せるかどうかが問題だ」

 

「大丈夫ですよ。若葉ちゃんなら、きっと自分で乗り越えられるはずですから」

 

そう言って、ひなたは俺を安心させるかのように、微笑んだ。

ひなたは本当に、若葉のことを信じているのだろう。

心の底から。

だが……。

 

「かもね。けど、若葉はリーダーだ。大社の決めたことでも。だから、戦いが始まった時、若葉が復讐心に呑まれれば周りも危険に晒すことになる。……どうする?もし……若葉の行動が原因で、誰かが傷つけば。……誰かが死んだら」

 

その言葉に、ひなたは息を呑んだ。

可能性は考えていても、口に出されるとは思っていなかったのだろう。

人間というものは往々にして、最悪の事態というものを考えはしても、口にはできないものだ。

だからこそ、言われてしまったら中々に衝撃を受けてしまう、

自分でも考えていたことなら、なおさら。

 

「そうなってしまえば、取り返しがつかない。そういう最悪の事態を、俺達はよく考えとかないといけない。今の内にどうするかも含めて。若葉の復讐心は、若葉自身すら殺しかねないんだから」

 

「………」

 

そう言うと、ひなたは俯いてしまった。

揺さ振りをかけるのは、これくらいにしておこう。

必要とはいえ、流石にいい気分はしない。

 

「ごめん。ちょっと脅かしすぎたね。大丈夫。若葉が答えを見つけるまでは、若葉は俺が守るから」

 

「頼人さん……」

 

「ただちょっと、ひなたには、自分達が何をするべきかをよく考えておいて欲しかったんだ」

 

安心させるように笑う。

これは、遅効性の毒だ。

一度生まれた不安は、徐々に胸の内で育っていく。

徐々に点滴することで、いずれは大社を食らう毒にもなるだろう。

度し難いやり方だが、いずれ、俺の保険にもなりうる。

まったく……これでは若葉に斬られても文句は言えないな……。

 

 

 

 

 

 

「やはり、諏訪に頑張ってもらうほかないでしょう。現時点では、我々に対抗策はない以上、現状維持しかないかと」

 

「しかし、四国政府からは再三、反抗計画の進捗はどうかと尋ねられています。無視するわけには……」

 

「その前に、天恐については如何しますか?また医師会から有効な治療法はないかとの要請が」

 

「別に感染しないんですから、放っておいてよろしいでしょう。それよりも、今は勇者システムを――――」

 

これは、思ったよりもひどいな………。

神官達が会議を進める様を見ながら、苦労してため息をつきたいという衝動をこらえる。

 

今日大社に来たのは、この会議にオブザーバーとして参加するためだ。

会議への参加権も勇者になる際の条件の一つだったのだが、少し後悔しそうだ。

今後の方針というあやふやな議題について話し始めて、早一時間。

堂々巡りの話し合いを続けて、何の結論にも達しない。

聞こえてくるのは、現状の確認や、いたずらに積極的行動を求める声ばかり。

会議は踊る、されど進まず。

こういうことは、どこの世界にもある。

企業でも、政府でも、どこでも。

合衆国のとある人物が語っていたことだが、たいてい、重要な事柄はタブーでフォーマルな会議では明らかにしづらく、公的な会議に出席するときも、本当に貴重な情報は会議中には得られず、そういった情報は、休憩時間に廊下で交わされる会話の最中で学び取るという。

その筋の専門家や政治家たちの会議ですらこれなのだから、戦争という専門外の分野に取り組む神官達が上手く出来るはずもない。

おまけに……既に派閥力学が、この組織にも働いている。

 

長曾我部、大津、釈迦堂。

神官の中ではこの三人が指導者的な立場にあり、派閥も大きくこの三つに分かれているようだ。

だが、彼らのうち誰が議長だとは決まっていない。

それが問題だ。

しばらく見ていれば気付くことだが、特定の人物にだけ反応し、その意見に絶対的に反対する者や、周囲の様子を伺いながら、多数派に回ろうとする者がいる。

つまり、そういうことなのだろう。

それでも会議が実のあるものならば良いのだが、肝心の話し合う内容に中身がない分、派閥の力関係や発言力の競い合いの方が重視されているようにしか見えない。

悪い言い方をすれば、政治ごっこに終始しているようにすら見える。

まさか、ここまで酷いとは………。

頭を抱えたくなる。

この時代の大社は多少マシだと思っていた分、落胆も大きい。

というのも、この大社は大赦と違い、戦時下での運営を前提としている分、意思決定や問題への対応が比較的柔軟かつ迅速であると考えていたのだ。

しかし、実態としては、組織体制は平時のそれで、動員されている者は皆神職。

ついでに、彼らは現時点での状況や研究を独占する権利を得ていると考えており、実際にそう振舞っている。

バーテックス対策を四国政府から委託……というよりも丸投げされているようなものだ。

さらに、指導者層にあるはずの三人は、リーダーシップを発揮できているとは到底感じられず、戦略も欠如している。

 

どこかの本であった話だが、日本ではいわゆる和を重視する分、強力なリーダーが発生しにくいという。

所謂、出る杭は叩けの思想。

実際、太平洋戦争の際の日本は、この悪しき風習がまかり通っており、さらに各々の偉い方が自分の面子を重視して、外交的、軍事的な失敗を繰り返していた。

帝国海軍と帝国陸軍の仲の悪さや、日独伊三国軍事同盟締結時の国内のごたごたなどは有名であろう。

仕方がないとはいえ、この体制は余りにもそれらの失敗を踏襲している。

歴史は同じようには繰り返さないが韻を踏む。

トウェインの言葉通りかもしれない。

もっとも、この時代に生まれた人間は須らく平和に慣れ切っている上に、争いを避ける能力や争いを覆い隠す能力が重視されてきた。

そのために、戦争向きなリーダーは生まれにくい面があるのかもしれない。

 

バイアスがかかっているのかもしれないが、考えれば考えるほど、粗しか出てこない。

思えば、神職にも階級というものがあった。

その階級を、大社に持ち込んだこと自体が間違いだったのだろう。

結果、連中は、自分が何者であるかも理解できていない。

神職であるのに、政治家のように振舞う者。

神職だったのに、戦争とは……などと偉そうに講釈を立てる者。

彼らは、神社というある種、俗世間から隔離されてきた者たちだ。

無論、例外もあるが、それでも彼らは政治、経済や法律などの専門家では決してなく、戦争についても指揮ができるほどの知識もない。

これで、彼らが若い世代の人間であれば伸びしろがある分まだよかったのだが、残念ながら老人。

ボーヴォワールによると、老人に欠如しているのは力と健康であり、また新しい事物に適応する能力、さらには発明する能力であるという。

そして、孫子曰く、彼を知らず己を知らざれば戦うごとに必ず危うし。

この面々の指揮下に入るのは、あまりに危険だ。

だが、大社には権威があり、他の組織の人間がこの問題に対応できない以上、この国の人間は皆、大社の決定を待つ以外にない。

その決定が、どれほど愚かであろうとも、この国の人間は従うだろう。

神職のみで構成された、大社の決定に。

まぁ、つまり………この状況は悪夢以外の何物でもない。

 

もっとも、俺のこの見解は、どうしようもなく結果論に基づいている為、悪し様に言うのはフェアじゃないだろう。

この時代の人間からすれば、大社に丸投げするのは、むしろファインプレーにすら見えるかもしれない。

それほどまでに、人々にとってバーテックスとは未知の存在なのだ。

少しでも知識のある人間に行ってもらいたいと思うのは道理といえよう。

とはいえ、こんな体制で、よく世界が滅びなかったものだ、と思うのもまた事実。

せめて神職のみの閉鎖的な組織でなく、あらゆる分野の人間が協調できるオープンな組織であるべきだったとも思うが………。

いや、無いものねだりは止めよう………。

 

とまれ、退屈な会議だったものの、かろうじて出席した意味はあった。

勇者システム開発の進捗情報を把握できたし、大社全体の問題点もある程度把握できた。

この調子なら、俺の個人的な構想にもギリギリで間に合う。

だが、言うは易く行うは難し。

問題は、それをどう実行に移すかだが………。

 

「ともあれ、今は勇者計画が最優先です。それ以外については、後日、改めて対応を協議しましょう」

 

結局、会議はこう言う風に纏まった。

問題はすべて先送りにして、何かあった時にまた考える。

こういう組織の悪い癖だ。

やはり、対症療法では駄目かもしれない。

 

 

 

 

長い会議が終わると、来客用の部屋に案内された。

どうやら神官連中は、あまりこの建物でうろついてほしくないらしい。

まぁ、大方の理由は分かるが……。

と、大事なことを聞いていなかったことを思い出す。

 

「すみません。巫女の花本美佳さんに会わせて頂けると伺っていたのですが、いつ頃、話せますか?」

 

彼女には色々と聞きたいことがあるので、話せるようにと要望を出していたのだが、ここに来てからその話を聞いていない。

念のため、案内してくれた神官に聞いてみる。

 

「ええ、と……申し訳ありません。確認してまいりますね」

 

ちょっと困惑した様子を見せた神官は、そうして部屋を出ていった。

情報共有ができてないのか、あるいは意図的か。

いずれにしても、あまりよろしくない。

やはり、連中の敬意は表面だけのものと考えるべきだろう。

結局、確認が取れて、花本さんがここに来たのは、それから二時間後のことだった。

 

 

 

 

「花本美佳と申します。赤嶺様、お目にかかれて光栄です」

 

部屋に入ってきたのは、おさげの髪に眼鏡をかけた一人の少女。

少しだけ、硬くなっている。

彼女の立場を考えれば、当然のことだろう

 

「よろしく花本美佳さん。自分は赤嶺頼人です。そんなに硬くならないでいいよ」

 

椅子をすすめながら、いつも通り、最大限優しく、穏やかに接する。

会って間もない人間には、こういう風に接するのが一番いい。

 

「そういう訳には参りません。勇者様に敬意をもって接するのは、巫女として当然のことですから」

 

「勇者だからって、それだけで畏まらなくてもいいよ。自分も花本さんも、対して年齢は変わらないし」

 

「ですが……」

 

「本当にいいんだよ。同じ子供だし、自分と花本さんには共通点もあるから」

 

「共通点……ですか?」

 

目の前の少女が、怪訝な顔をする。

強引な話題転換だが、少しでも早く人との距離を詰めるには、共通点を作るのが一番だ。

共通点はどんなことでもいい。

それは共感を生み、警戒心を一気に溶かす。

例えば……。

 

「うん。花本さんってさ、名字や名前以外の呼ばれ方をしたことってないかな?」

 

「はい……。ミカ、とよく呼ばれていました」

 

彼女は少し曇った表情を見せ、そう言った。

この反応ならば……。

 

「自分もね、昔はライトって呼ばれてたんだ。皆、そっちの方がかっこいいからってさ。まぁ、自分の名前を気に入ってたから、そう呼ばれるのは嫌だったけどね」

 

「私もそうでした……なんというか、自分の存在がなくなるような気がして……」

 

「分かるよ。ちょっと、悲しくなるよね」

 

そう言うと、彼女はまた頷いた。

これは僥倖。

大当たりだ。

ネガティブな言い方をしたのは正解だったらしい。

この手の話題は特殊で、共感されづらい。

だからこそ、共感してもらった際の反応は強烈。

自分の気持ちを分かってくれる、という感覚には、抗いがたい魅力がある。

いくつか話題を振るつもりだったが、一発目から当たりを引けるとはついている。

 

「そういえば、花本さんのお父さんも、大社で働いてるんだよね?」

 

「ええ。それが何か……?」

 

「いやね、お父さんもここで働かれてるのだったら、花本さんのことを名前で呼ばせてもらえたらなって。でないと、お父さんの方と分かりにくくなっちゃうからさ。いいかな?」

 

「あ、赤嶺様がお望みでしたら………」

 

結果、彼女は承諾してくれた。

声色や表情からしても、戸惑ってはいるものの、特別嫌がっている様子はない。

結構。

強引かつ性急なやり方ではあるが、大社にいる彼女とは、接触しづらいのだから、距離は詰められるときに詰めとかなければならない。

ナンパ師染みた手法は好きではないが、こういう状況では効果的だ。

ともあれ、これで下準備はよし。

 

「それで美佳。今日呼んだのは、聞きたいことがあったからなんだ」

 

「聞きたいこと……。何でしょうか?」

 

「郡千景さんのこと」

 

途端、彼女の表情が変わった。

 

「郡様に何かあったんですか!?」

 

先程までとは目の色が違う。

激烈な反応だ。

なるほど。

この少女は、思った以上に郡さんにご執心らしい。

 

「安心して。特に何かがあったわけじゃないから」

 

「そう……ですか。では、何故お聞きに?」

 

「郡さんが周囲と距離を置いてること、知ってるでしょ?」

 

はい、と彼女が頷く。

 

「このまま孤立させてたら、戦いが始まった時、郡さんの身が一番危険になる。だから、今の内に打ち解けておこうと思ったんだけど、どうも様子がおかしい」

 

「おかしいというと、どういったところがでしょうか……?」

 

「反応がなさすぎるんだ。あの感じだと、おそらく彼女のこれまでの境遇が関係している。そうなると、郡さんと接するためには、郡さんの情報を事前に知っておくべきかと思ってね。どこに彼女が傷つく要素があるか分からないし、場合によっては、彼女をカウンセラーに診せる必要もある」

 

「カウンセラー……ですか?」

 

「そう。最悪、PTSDの可能性も考慮しないといけないから。こういう対応は、戦いが始まってからでは遅すぎる。だから、美佳が郡さんに会った時の話を聞かせてくれないかな?少しでも情報が欲しいんだ」

 

彼女の目を見て、はっきりと尋ねると、しばらく彼女は逡巡する様子を見せた。

言うべきかどうか、迷っているのか。

しかし、この程度の情報を話すのに、そこまで迷うこともないはず。

何かあるな。

やがて、彼女はぽつりと言った。

 

「………………カウンセラーでは、ダメだと思います」

 

「ダメって、どういうこと?」

 

「…………赤嶺様。本当に、これは郡様の為になるのですね?」

 

「そのつもりだよ。少なくとも、これ以上、彼女を苦しませることはしない」

 

「そうですか……。分かりました。私の知る全てを、赤嶺様にお話しさせて頂きます」

 

それから、彼女は本当に、色々なことを教えてくれた。

彼女が初めて郡さんと会った日のこと。

そして、郡さんが元々いた村についての、詳細な情報。

その情報は、大社が入手していた情報よりもずっと詳しく、生々しかった。

学校でのいじめの度合いは、俺が考えていたモノよりもずっと酷く、辛いものだった。

郡さんへの生徒のいじめは、傷害罪として刑事事件が成立するレベル。

教師すらも、いじめを黙認し、事実上いじめに加担していたようなもの。

外をただ歩いているだけで、町人の陰口が絶えない。

本当に……酷すぎる。

俺の想像など、生温いものだったと思い知らされた。

 

「――――以上が、私の知りうるすべての情報です。郡様にとって、周囲の人間全てが敵でした。そんな郡様が、見ず知らずのカウンセラーに心を開かれるとは思えません」

 

「そう、か……。……ねぇ、美佳。これだけの情報、どこから集めたんだ?」

 

「……私は、小さな神社とはいえ、宮司の娘ですから。私がお願いすれば、多少は動いてくれる人がいるんです。だから……」

 

「その人たちに頼んで、村の情報収集を頼んだのか」

 

「はい。郡様の村と私の実家は徒歩で行き来できるほど近かったので。小さな田舎村では、住人同士の生活の情報は殆ど共有されてしまうんです。内部に入り込んでしまえば、驚くほど細かな情報すらも手に入ります」

 

「そうか……。けど、ここまで情報を集めるのは一苦労だったでしょ?どうしてそこまでしたの?郡さんとは一度会っただけなんだろ?」

 

「……私は、郡様の巫女ですから。会ったのはたった一度だけでも。理由なんてそれだけで十分なんです」

 

彼女は、なんでもないように淡々と言って……それで、分かった。

きっと……この子は……。

 

「ああ、そっか……。好きになっちゃったんだ。郡さんのこと」

 

「いえ……!私のは好きというより敬愛で―――」

 

「分かるんだよ。初めて会った時から、何故かその人の為に何でもしてあげたくなって、傍にいたくて、どうしようもなくなっちゃうんだよね。理由なんて抜きに」

 

「え……?」

 

美佳は、面白いほど驚いた表情をしていた。

なぜそこまで分かるのか、と言わんばかりだ

 

「ふふ。俺も同じだったからさ、分かるんだよ」

 

そう、初めて会った時から、どうしようもなく惚れていた。

大人ぶった、灰色の世界をぶっ壊された。

自分の全てになってしまった。

 

「……だから、美佳のこと、凄いと思う。これほどの情報を集めた手腕も、大切な人の為にここまでできることも」

 

「そんな……こんなこと、褒められた行為ではありませんし……」

 

「一面的に見たらそうかもな。けど、勇者はこの世界を守る存在だ。その勇者の為になるのなら、多少のことは許されるはずさ。だろう?」

 

そんな事を言えば、俺が神世紀がやったことの方がもっと褒められない。

 

「ですが……」

 

「それに、このことを話すのにも、勇気が必要だったはずだ。下手をすれば、自分だけじゃなく親やその人たちにまで迷惑が掛かってしまうし。だから、ありがとう美佳。話してくれて」

 

「赤嶺様………」

 

本当に、この子の姿はかつての自分に重なる。

もしかしたら、美佳に気持ちを一番理解できる人は、自分かもしれない。

そう思ってしまうほどに、美佳に感情移入してしまう。

 

「それにしても、残念だ。俺が上の人間なら、美佳にも丸亀城に来てもらってるんだけどな」

 

「いいんです。私なんかよりも上里さんの方が余程、勇者様たちのお役に立てるでしょうから……」

 

「そう謙遜しなくていい。ひなたは確かに賢いし落ち着きがあるけど、行動力は美佳の方があると思うよ。それにひなたは良くも悪くも若葉が一番大事だから、少なくとも、郡さんには、ひなたよりも美佳の方が必要だ。そもそも、お目付け役はひなた一人だけじゃなくてもいいんだし」

 

「いいんです……。そのお言葉だけで、十分ですから」

 

そう言うと美佳は、瞑目し満足そうに頷いた。

こっちは本気だったのだが。

 

「さてと……それで美佳。この話は他の人にはしたのか?」

 

「何人かには。ただ……信じてもらえませんでした。村ぐるみのいじめなんて、大昔ならともかく、今の社会で起こるはずがないと」

 

思わず、呆れてしまう。

そりゃまた、能天気というかなんというか。

 

「いやはや、現実の情報より、自分の常識を信じるとは……」

 

「赤嶺様は、信じて下さるのですね……」

 

「信じるさ。神官の言葉が正しければ、同和団体なんてモノが残ってるはずがないし、村八分を巡る裁判だって発生していないはずだ」

 

この程度のこと、少し調べるだけで分かりそうなものだけどな。

大社への評価がまた下がる。

組織人の質が、想像以上に低い。

美佳のような子がいても、その資質を活かせていない。

ともあれ、これで差し当たりやることは決まった。

 

「それじゃ、これからどうするか考えようか。郡さんの両親は、二人ともあの村にいるんだろ?」

 

美佳の情報によると、郡さんの両親とも、今は村にいるそうだ。

母親が四国外でバーテックスに襲われ天恐を患い、最近になって村に戻ったという。

現在はステージ2で夫の介護を受けており、その為に夫はパートタイムの仕事をしているが、生活は困窮しているらしい。

酷い親だとしても、勇者の家族だ。

彼らには優先的に便宜を図るべきなのに、大社はそういった対応をまるでしていない。

おそらく、メンタル問題というものにまで、意識が回っていないのだろう。

上がこの手のことの素人であることを如実に示している。

 

「ええ、そうですが……。それより、どうするって……どういうことですか?」

 

「美佳。郡さんがあの村にまた戻ることになったら、どういうことが起きると思う?」

 

「そんなの決まってます……!郡様がまた……!」

 

「そういうこと。で、現在の、郡さんと村の繋がりは何だと思う?」

 

「郡様の両親……。………!そういう、ことですか」

 

「ああ。こういう事も今の内にしなきゃいけないから」

 

「ですが、私達にそんなことができるのでしょうか……。神官達はまともに取り合う気はなさそうですし」

 

「大丈夫。その辺りのことも、考えがあるから。ちょっと時間も手間もかかるけど」

 

話しながら自覚する。

「俺」が彼女に流されていることに。

だが、大した問題ではない。

幸い、まだ時間はあるのだから――――

 

 




大満開、六話辛い……辛い……。


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変化

総合評価が1000を越えました!
改めまして、読んで下さる皆様、お気に入り、評価して下さる皆様、感想を書いて下さる皆様、誤字報告して下さる皆様、本当にありがとうございます!



二〇一六年九月末日。

暑さはまだ続くものの、朝夕の涼しさから秋を感じ始められる季節。

教室から外を眺めると、綺麗な秋晴れが広がっている。

少しだけその風景を眺めると、若葉はいつものように、朝早くから教室で軽い掃除を始めた。

何というほどでもない日課。

小学校でずっと委員長を務めていた名残だ。

 

「おはよう、若葉。今日も早いな」

 

登校してきた背の高い少年は赤嶺頼人。

二ヶ月前に丸亀城に来た勇者。

この特別学級に通う、唯一の男子。

 

「おはよう、頼人。お前こそ、今日も早くから走っていたのだろう?」

 

「ここに来てからの習慣だから。……と、掃除手伝うよ」

 

「ああ、すまない」

 

「気にするな。若葉がいつもやってくれてるんだから、礼を言うのはこっちの方なんだ」

 

そう言って、頼人は若葉の掃除を手伝い始める。

若葉にとって、頼人は不思議な存在だった。

唯一の男性勇者であることもそうだが、立ち居振る舞いが同年代とは思えないほどに大人びていて、女所帯である丸亀城の特別学級にもあっという間に馴染んでしまった。

また、戦闘訓練、座学、どちらも優秀で、特に武術は、若葉ですら一本もとれないほどに秀でている。

それだけに、若葉は不思議になる。

頼人は一体、どこから来て、どう生きてきたのか。

 

「今日っ、こそっ、はっ、タマがっ!って、ああ~。またタマが三番手か~」

 

教室の扉ががらりと音を立てて開くと、球子がハイテンションで入ってきた。

しかし、若葉と頼人の姿を見た途端、肩を落としてしまう。

 

「おはよう土居。ん、伊予島はどうしたんだ?」

 

「あんずか?あんずならここにいるぞ」

 

「はぁ……はぁ……タマっち……せんぱい……はや、すぎるよ……」

 

球子の後ろには、膝に手をつき、息を切らしている杏がいた。

 

「あんずー、ラストスパートくらいタマについてこれなきゃだめだぞー?」

 

「そうは言ってもー……」

 

「おはよ、二人とも。ほら杏。これ飲んで。新品だから」

 

「あ、ありがとうございます、頼人さん……」

 

杏は頼人からペットボトルを受け取ると、両手でゆっくりと飲み始めた。

こういう時に思うが、頼人は誰よりも周りをよく見ている。

調子が悪そうな者がいればすぐに気付き、素早くフォローに回る。

その姿を見ていると、若葉も少し見習わなければならないという気持ちになる。

 

「頼人、前から思ってたけど、飲み物何本持ってきてるんだ?」

 

「確かに、よく皆に渡しているな。皆の分までわざわざ用意してるのか?」

 

「あげるためだけって訳じゃないけど、少し多めに持っとくことにしてる。五百ミリのを五、六本」

 

「地味な多さだな……」

 

「大きな水筒とかではダメなのか?そっちの方が色々と楽だと思うが」

 

「こっちのほうが何かと便利なんだ。持ち運びも楽だし、こういう時誰かにあげられるし」

 

そうこう話していると、ひなたが登校してきた。

 

「おはようございます、皆さん」

 

穏やかな声と表情、気品あふれる立ち振る舞い。

とても同学年とは思えない,若葉の一番の親友。

最近は頼人と大社絡みの話をしていることが多く、二人だけで話をしていることもある。

だからという訳はないが、若葉は少し心配になる。

ひなたが大社に行くときは、頼人もまた同行している。

言ってしまえば、頼人は若葉の知らないひなたを知っている。

そのことを考えると、ひなたが頼人に取られてしまいそうで、若葉は少しもやもやとした気分になる。

もっとも、実際に若葉がひなた本人にそんな事を言えば、「嫉妬してる若葉ちゃん、可愛いです」なんて言われて写真を撮られるだけだろうが。

 

「むぅぅぅ。やっぱりひなたの胸、成長が早すぎる気がするぞ……」

 

気がつけば、球子がひなたの胸を凝視していた。

 

「あの、球子さん?恥ずかしいので、あまり胸を凝視しないでくれませんか……?」

 

「分かった!じゃあ代わりに揉んで測る!」

 

「た、球子さん!?」

 

球子がひなたに手を伸ばすも、その手がひなたの胸に届くことはなかった。

若葉が球子を羽交い絞めにしたからだ。

 

「やめろ土居!」

 

「離せ若葉!タマはあのブツを確かめなきゃいけないんだぁぁ!」

 

「落ち着け!」

 

球子は若葉の腕の中で暴れる。

こういう時に感じるが、球子は少々落ち着きがない。

おかげで、こういう時に少しだけ苦労する。

 

「ああそう言えば杏。昨日借りてたあれ、読み終わったよ。やっぱり訳が違うと分かりやすさが全然違うな。銘句も単語も訳し方のセンスがすごく良かった」

 

「分かります!昇火士って呼び方とかすごく素敵ですもんね!」

 

「そうだな。聖書とかの引用も、随分分かりやすくなってたしな。ベイティーとの論戦なんか、迫力が違ったし、最後の黙示録の印象も結構違うし」

 

「あの辺りは、知ってるのと知ってないのとでは感じ方も変わりますよね」

 

そんな三人を放って、杏と頼人は本の話をしていた。

こっちは逆に、落ち着きがありすぎる。

何とかしてバランスをとれないものか。

と、そこでまた、教室の扉ががらりと開いた。

 

「郡さんか、おはよう」

 

入ってきたのは郡千景。

若葉は一応、声を掛けるものの、返事はない。

いつものことだ。

彼女はコミュニケーションの面で、やや難がある。

今日も席に着くと、すぐにゲームを始めてしまう。

だが、最近になって、変わってきたこともあった。

 

「おはよう、郡さん。今日はFPS?」

 

頼人は千景の席の前に椅子を持っていくと、千景と同じゲーム機を起動させた。

 

「頼人の奴、すごい根気だな~。今日で何日目だ?」

 

「一か月以上はああしてるよね……」

 

頼人はここに来てしばらくすると、積極的に千景に話しかけるようになった。

いつも、彼女が登校すると近寄って、千景と同じゲームをしながら話しかけ続けている。

しかしながら、千景の反応は皆無。

まるで目に入っていないかのように振舞い続けている。

それでも頼人は話しかけ続ける。

何故あれほど声を掛け続けられるのだろうか。

 

「おっはよーございまーす!高嶋友奈、到着しました!ギリギリセーフだね!」

 

そうして始業のチャイム直前、教室に入ってきたのは、高嶋友奈。

 

「おはよう、友奈。間にあって良かったが、時間ギリギリというのはあまり感心しないな」

 

「えへへ。ごめんね若葉ちゃん。明日からは気を付けるよー」

 

そう言って友奈は周りと挨拶を交わしながら自分の席に着く。

千景にも挨拶をしていたが、返事は返ってこない。

良くも悪くも、いつもの光景。

やがて、チャイムが鳴ると共に教師が入室し、午前の授業が始まった。

 

 

 

 

「あれ、頼人はどうしたんだ?」

 

昼休みの時間になり、若葉は食堂に行こうとすると、ふと球子に尋ねられた。

その言葉で若葉も教室を見渡すが、いない。

 

「さっきまでそこにいたんだが……いないな」

 

「球子さん、頼人さんに何か用でもあったんですか?」

 

「いやあ昔、槍に登ったって話を頼人がしてたからさぁ、お昼にそれを聞こうと思ってたんだ」

 

「のぼる……槍に?」

 

若葉の脳裏には、立てた槍を足場に、曲芸師のように立つ頼人の姿がイメージされた。

そんな特技が頼人にあったとは……。

若葉も興味を持ってしまう。

 

「すごいね!頼人君ってそんな特技があったんだ!」

 

「特技……?まあ特技と言えなくもないか……」

 

友奈も似たようなことを考えたらしく、興味津々で話を聞こうとしている。

だが、球子の反応は鈍かった。

 

「タマっち先輩、その言い方じゃ誤解させちゃうでしょ。タマっち先輩が言った槍は、武器の槍じゃなくて槍ヶ岳のことなんです」

 

「槍ヶ岳……なんだ、山のことか」

 

「確か、長野にある山でしたよね。日本アルプスでしたか」

 

「槍は北アルプスだな!日本で五番目に高い山なんだぞ!」

 

ひなたの言葉に応えるかのように、球子が嬉しそうに語る。

なるほど、と若葉は納得した。

球子はアウトドアが好きだと言っていたから、そういった話で頼人と仲が良くなったのか。

 

「しかしそんな山、小学生が登れるものなのか?随分険しい山なのだろう?」

 

「う~ん。確かに、小学生で登るなんて話はほとんど聞かないな。だから頼人に聞きたかったんだけどさぁ……」

 

「頼人さん、どこかに行っちゃったもんね。しょうがないから、先にお昼食べようよ」

 

「そうだなー」

 

別に今すぐ聞かないといけないような話でもない。

先に昼食をとろうということになったが、そこで友奈が口を開いた。

 

「ねえねえ、それじゃあさ――――」

 

 

 

 

 

 

二の丸にある小さな机とベンチ。

何本かのシリアルバーとジュースの入ったペットボトルを傍らに置き、千景はゆっくりと腰を下ろす。

そして、ポケットから携帯ゲーム機を取り出し、電源を入れる。

イヤホンをしてしまえば、外部の世界から隔離される。

千景だけの世界。

誰にも邪魔されることはない。

なのに………。

 

「ああ、いたいた。郡さん、探したよ」

 

この少年は千景のパーソナルスペースに無遠慮に立ち入ってくる。

机を挟んで反対側のベンチに頼人は腰かけると、また千景に話しかけ始める。

 

「今日はいい天気だからさ、弁当を作って外で食べようって思ったんだ。郡さんもちょっと食べない?」

 

これまでは教室だけだったのに、ついに、こんなところまで来た。

千景は少しだけ苛立ちを感じて、すぐにそれを抑え込み、自分の世界に没頭する。

何も聞こえない。

何も感じない。

だから、大丈夫。

大丈夫。

大丈夫なはず、なのに………。

 

「あ、そのゲーム、確か協力プレーできたよね。一緒にやってみない?」

 

どうしてこの少年の言葉に、感情が揺さぶられるのだろうか―――

 

「いい加減にして……!どうして、そんなに付きまとうの……!?」

 

千景は声を荒げて、目の前の少年を睨みつけた。

何が楽しいのだろうか。

何が狙いなのだろうか。

過去の痛みやこれ以上傷つきたくないという無意識の怯えが、千景にそうさせた。

なのに、何故か頼人は嬉しそうに微笑んだ。

 

「やっと、話してくれたね」

 

「……え?」

 

「今まで郡さんが喋っているところを見たことがなかったからさ、声が聞けて嬉しいなって」

 

声を荒げた千景にも、頼人は全く動じていない。

それどころか、とても嬉しそうにしている。

 

「それで、付きまとう理由だっけ?嫌だったよね、ごめんね。でも、どうしても郡さんと話したかったからさ」

 

「私と……何を話したかったの……?」

 

千景はその答えに虚を突かれて、つい尋ねてしまった。

 

「色々。郡さんが何が好きなのかとか、ゲームの話だとか。そういう話」

 

……分からない。

何故、そんな反応をするのか。

何故、そんなに話したがるのか。

千景は少し混乱する。

 

「それでも、どうしても郡さんが嫌っていうのなら、これ以上は付きまとわない。流石に俺も、ストーカーになるつもりはないから」

 

「え……?」

 

そこで、頼人は一歩引く発言をした。

思いがけず、千景は戸惑った。

頼人の発言自体にではない。

その発言を、少しだけ寂しく思った、自分自身に戸惑ったのだ。

やめてほしい。

そう、たった一言口にするだけで、今までのように千景だけの時間が戻ってくる。

言えばいい。

そうすれば、きっと傷つくことはないはず。

なのに、その一言を口に出すことに、自分でもよく分からない躊躇いを感じる。

そこで、頼人が口を開いた。

 

「まあ、一つだけ条件があるんだけど」

 

「条件……?」

 

千景の目が不安に揺れる。

やっぱり、何か悪いことを考えていたのだろうか。

何か思惑があって自分に近付いていたのだろうか。

もし、そういうつもりだったら………。

千景の心に嫌なものが広がる。

 

「この二体の狩り方を教えてほしい……!この一週間、やってるんだけど全然狩れないんだよ……。横から見てたけど、郡さんすごくゲーム上手いでしょ?だから教えてほしくってさ」

 

頼人が見せたのは、モンスターを狩猟するゲーム。

その中でも、高位のクエストだった。

 

「……そんなこと?」

 

さすがの千景も呆気に取られる。

まさか、そういうことを条件に出されるとは思っていなかった。

 

「そんな事って……これでも苦労してるんだよ?睡眠時間削られるしさ……」

 

頼人は遠い目をして言う。

千景は少し考える。

そのゲームは千景もやりこんでいた。

今から始めたら、この昼休みの間に終わらせられるだろう。

そうだ。

このゲームだけして、約束を守ってもらおう。

それくらいならば、いいだろう。

 

「……それくらいだったら……手伝ってもいいわ」

「ほんと?助かるよ」

 

そういう頼人の言葉から目を背け、千景はゲームのカセットを切り替えた。

ゲーム機を再起動させながら、ふと千景は思った。

そういえば………誰かからお礼を言われるなんて、いつぶりだろう……?

 

 

 

 

「すご……。制限時間フルに使っても駄目だったのに、こんなにあっさり……」

 

「コツを掴めば、簡単よ……。ただ、もう少し武器を強化した方がいいわ……。その装備は、このレベル帯では厳しいから……」

 

それから間もなく、頼人の依頼は叶えられた。

確かに難易度の高いクエストではあったが、そのクエストを千景は何度もクリアしていた。

回復なし、初期防具という縛りプレーでもクリアできるほどだ。

 

「ほうほう。それじゃ、この武器作りたいんだけど、この素材はどこで取れるの?」

 

「それなら……こっちのクエストね……。二、三回クリアすれば作れるはずよ……」

 

「すごいな郡さん……。上手なのは知ってたけど、ここまでとは……」

 

「まぁ……。これだけが、私の特技だから……」

 

感嘆する頼人に、千景は少し照れながら言う。

今日のこの時間は、これまで千景が経験してこなかったことばかりだ。

誰かに褒められることも、誰かとこんな風にゲームをするなんてことも。

知らなかった。

同じゲームでも、同じクエストでも、誰かと一緒にすることで、こんなにも楽しく感じるなんて。

そう思ってしまうほどに千景は、他人と楽しく過ごした時間がなかった。

虐げられる生き方が染みついて、千景は人と接することに極端に憶病になっていた。

だからこそ、丸亀城でもほとんど会話せずに過ごしていた。

けれど、実際に話してみれば、ちっとも怖くなくて。

むしろ、誰かと一緒にいることの心地よさまで、思い出してしまった。

 

「ありがとう、郡さん。おかげで助かったよ」

 

「別に、いいわ……」

 

ありふれたお礼の言葉。

そんな言葉にすら、千景は温かいものを感じた。

それほどまでに、千景は、人との繋がりに飢えていた。

 

「ん、それじゃあ………」

 

頼人はそこで、ゲーム機を片付けた。

と、そこで千景は気付く。

これで、頼人が千景に付きまとうことは無くなる。

さっきのように、一緒にゲームをすることも……。

 

「あ……」

 

どうしよう。

さっきの話をなかったことには出来ないだろうか。

だけど、先に嫌がったのは千景の方だ。

今から言ってもと思うし、何より、どう言えばいいのかも分からない。

そんな言葉の紡ぎ方を、千景はとっくに忘れていた。

だからこそ、次の頼人の言葉は意外だった。

 

「少し遅くなったけど、ご飯食べよっか。はい、これ郡さんの」

 

頼人は弁当箱を広げて、割り箸を千景に手渡した。

千景はまた、虚をつかれる。

 

「カツオのたたきを竜田揚げにしてみたんだけど、食べてみてくれない?こういうのは高知県民に聞くのが一番だから」

 

「いい、の……?」

 

「いいも何も、お願いしてるのはこっちだよ?ほら、食べてみて」

 

「それ、じゃあ……いただくわ……」

 

外はカリッとしていて、中は柔らかく、味がよくしみ込んでいる。

優しい味。

思わず、感想が口を零れる。

 

「……美味しい」

 

「そっか、よかった。ほら、こっちの里芋も食べてみて?あ、高知じゃ田芋だったな」

 

そうして、頼人はまたお弁当を押し付けてきた。

誰かの手料理を食べたのも、とても久しぶりだ。

家族以外の手料理なんて、きっと初めてだろう。

 

「それで、さっきのことだけどさ。約束通り、最近してたようなことはやめるよ」

 

「…………」

 

予想通りの言葉。

分かっていても、少し落ち込みそうになる。

 

「けどさ、放課後とか一緒にゲームしたりとか、それくらいならいいでしょ?」

 

頼人は、何でもない事のように言った。

普通の、友達に語り掛けるかのように。

それが……無性に嬉しかった。

 

「ええ……。あと……さっきの話は気にしなくていいわ」

 

気がつけば、自分でも驚くくらいに簡単に言葉が出た。

そのことに少し焦って、けれど、頼人がその言葉に、「ありがとう」なんていうものだから、その焦りすらも、消えてしまった。

まるで、淡い夢のよう。

誰かと友達のように一緒に過ごす、ありふれた時間が、自分にも訪れるなんて、千景は想像できなかった。

この人なら、もしかすると―――

 

「あっ!みんな、いたよー!」

 

突然、背後から大きな声が響いた。

友奈の声だ。

千景が振り返ると、五人のクラスメイト達が揃っていた。

 

「あらまあ、みんなお揃いで。どうした?」

 

「どうしたじゃない!お前たちを探してたんだ!さあ飯を食わせろ!」

 

がるると球子が唸っている。

 

「飯?」

 

「実は、天気がいいから頼人さん達を探して、外でお昼を食べようってことになったんですけど、なかなかお二人が見つからなくて……」

 

「気がつけば、球子さんが飢えた獣のようになってしまったんですよ」

 

「まったく、土居は持ってきたおにぎりをすぐに食べようとするから、それを止めるのにも苦労した……」

 

三人が疲れたように言う。

 

「ま、まぁ見つかったから結果オーライだよ!」

 

「オーライには見えないけど……。もしかして、友奈の発案?」

 

「そうだよ。こういう日には、皆一緒にお外で食べるのが気持ちいいかなって!」

 

「なるほど納得」

 

そうして頼人と友奈たちが話していると、いつの間にか球子が傍に来ていた。

 

「二人して旨そうなもの食べてるじゃないか、タマにも食べさせタマえ!」

 

弁当箱にたった一つ残った、カツオの竜田揚げ。

それに球子は手を伸ばす。

しかし、その手は途中で止められた。

 

「これは私のモノよ……。横から手を出さないで」

 

千景が球子の手を止めていた。

それを見た球子はしばし黙り、そして………。

 

「ち、千景が喋ったぁぁぁ!?」

 

絶叫した。

 

「う、うるさいわね……」

 

すぐそばで起きた轟音に、千景は耳を抑えるも、球子はそれどころじゃ無い。

 

「見たかあんず!ち、千景がタマに話しかけたぞ!歴史的快挙だ!」

 

「タマっち先輩……。気持ちは分かるけど失礼すぎるよ……」

 

そう言いながら、杏も驚いているようだった。

確かに、千景はクラスメイトの言葉に反応することさえ稀だった。

その千景が何にせよ、球子と話したのだ。

実際、他の少女達も驚いていた。

そんな中、友奈だけが声をあげた。

 

「よーし!それじゃあぐんちゃん、頼人君、私達も食堂で色々用意してきたから、一緒に食べようよ!」

 

そう言って友奈は、机の上に色んな食べ物が詰まったビニール袋を置いた。

 

「友奈、そうは言うがあまり時間が……」

 

「あっ、忘れてた!」

 

「いっそのこと、みんなで仲良く遅れてしまいましょうか?」

 

「いや、それは駄目だろう……」

 

「今日ぐらいいーじゃんかー。まったく、若葉はお堅いな~」

 

「か、堅いだと?」

 

「タマっち先輩、喧嘩売るのは良くないよ?」

 

「いいんです杏さん。若葉ちゃんはそういう所も可愛いんですから」

 

「なっ、ひなた!」

 

わいわいがやがやと騒ぐ少女達。

 

「ほら、ぐんちゃん。このおにぎり美味しいよ?中身はお肉だよ!」

 

「え、ええ……」

 

千景は差し出されたおにぎりをついつい受け取ってしまう。

 

「待ちタマえ友奈。一口目はタマが食べると決めていたんだ!」

 

「大丈夫だよタマちゃん!いっぱいあるから!」

 

そうして球子もおにぎりを受け取り、口いっぱいに頬張り始める。

気がつけば、ちょっとしたピクニックのようになっていた。

 

「いいの、かしら……」

 

おにぎりを見つめていると、呟きが漏れた。

 

「勿論だよ!そのために用意してきたんだから!」

 

その千景のつぶやきに友奈が反応し、笑顔でそう言った。

 

「ああ。珍しいかもしれないけど、こういうのもたまにはいいんじゃない?」

 

「タマだけになっ!」

 

「待て。今のは狙ってない」

 

そうして、笑い声が生まれる。

食事中、友奈は千景によく話しかけてきて、ゆっくりとだが、自然に会話が生まれた。

友奈はとても聞き上手で、人との会話に慣れない千景でも話しやすく感じた。

やがて、昼休みの時間はあっという間に過ぎていった。

千景がここに来てから、一番騒々しくて、けれど、一番楽しいと思えた時間。

丸亀城での生活は、この時を境にして、変わり始める。

何故だか千景は、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――それで、そっちの様子は?」

 

『順調です。つい先日、父のところに情報提供の依頼が来ました』

 

「そうか。じゃあ、手筈通りに?」

 

『はい。例の興信所経由で、証拠は提出済みです。これなら、次のタイミングで議題に上がるかと』

 

「そうか……。いやはや、意外と速いな。流石美佳だよ」

 

『いえ、これは全て赤嶺様のおかげです。こんなに上手くいくだなんて、正直今でも信じられないくらいですから』 

 

「美佳が頑張ったからだよ。やっぱり、美佳は凄いよ」

 

『……もったいないお言葉です』

 

「また、かしこまりすぎ」

 

『そんなことありません。むしろ、畏まり足りないくらいです』

 

「そんな訳ないだろ……?まあいいや。それはそれとして、議題に上がったとして通過するかが問題だ。これからが本番だと考えておいた方がいい」

 

『心得ております。そちらの準備も進めていますから、ご安心ください』

 

「ん、信頼してるよ。とりあえず、次に話せるのはこっちが大社に行った時だと思う。これがばれるなんてことは避けたいから」

 

『かしこまりました。……あの、郡様の御様子は如何でしょうか?』

 

「ああ、今日、ようやく話せて、皆でお昼も食べられた。これからはきっと、色々話しやすくなると思う」

 

『そうですか……。よかった……』

 

「次に会った時には、写真とか見せるよ。楽しみにしててくれ」

 

『よ、よろしいのですか……!?』

 

「当然。というかいきなり興奮しすぎじゃない?」

 

『も、申し訳ありません……。つい……』

 

「いや、いいんだけどね……。それじゃあ、もう切るよ。バレるとまずいし」

 

『はい。失礼致します』

 

そうして、電話を切る。

途端、ため息が零れた。

別段、今の会話が疲れたという訳ではない。

原因は、自分自身にある。

今日の会話を振り返る。

我ながら、よくもまあ感情に流されたものだ。

あの時もそうだ。

頭で思うように行動できず、感情が身体を動かしていた。

今はまだ、「赤嶺頼人」の目的に合致した行動を続けているからいいものの、これ以上感情が先行するようなことがあれば、様々な問題が生まれてくる。

そうなれば、最悪――――

 

頭を振って、嫌な考えを追い出す。

大丈夫、いざとなれば感情の処理方法などいくらでもあるのだ。

今、考えるべき課題は別にある。

頭を切り替える。

 

美佳を通じて、大社内に橋頭堡ができつつあるが、その土台は脆弱。

蠟細工のように崩れやすい代物だ。

少なくとも、巫女だけでなく、複数の神官をこちら側につけさせなければならない。

時間はある。

あと、たった数ヶ月程度だが――――

 

 

 

 

 




最近驚いたこと。
大満開の章の西暦に鎮守庁なる組織ができてたこと。
偶然とはいえビビった………。


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疑惑

勇者史外典発売記念。
注意:この回は勇者史外典のネタバレがあります。
未読の方は、本日発売の勇者史外典の上下巻をお先に読まれることをお勧めします(ダイマ)


「頼人君、今日は付き合ってくれてありがとうね」

 

「いいんだよ。勝手についてきただけから、礼を言われるようなことじゃない」

 

丸亀城の本丸城郭で、友奈と二人で歩きながら話す。

今日は休日。

普段は所用で外出したり、一人で鍛練することが多いが、今日は友奈のトレーニングに付き合っていた。

友奈が休日に丸亀城の外周を走ったりと、普段よりも負荷のかかるトレーニングをしていると小耳に挟み、友奈と話したいこともあったのでついていった形だ。

今はトレーニングを終え、食堂からもらってきた昼食を持って部屋に戻るところ。

 

「それにしても、頼人君ってホントに何でもできるよね!剣術に柔術に……そういえば、合気道とかもやってたの?」

 

「合気は軽くだけど。なんで分かったんだ?」

 

「さっき立ち会った時ね、ふわって身体が流される感じがしたから、もしかしたらそうなんじゃないかなって」

 

「その感覚はよく分からんな……。友奈は昔から空手とか習ってたのか?」

 

「うん。少しだけだけどね。頼人君は昔から色々やってたんでしょ?すっごく強いもんね!」

 

適当に返事をしながらも、まただな、と感じる。

自分に関する話題が出てもすぐに流して、できるだけ聞き手に回ろうとする。

自分のことをまるで出さない。

悪い事ではないが、この年代の子供なら、本来自分のことを知ってほしい、自分のことを見てほしい、という意識が言動に色濃く出やすい。

逆に、自己主張できない子供は、家庭環境や人間関係に何か問題がある場合が多いのだが、そういう場合だとコミュニケーション能力自体に問題があるケースが多い。

例えば……千景のように。

友奈は人とのコミュニケーション自体は得意なので、全てが当てはまるわけではないが……何かあったとすれば、四国への避難時だろうか。

場の雰囲気に過敏なところも、関係しているかもしれない。

もっとも、友奈のように自分を出さない人間は社会全体で見ればそう少なくないし、気にしすぎだと言われればそこまでだ。

ただ、戦う理由を含め、友奈には分かりにくいところがあり、それが何故だか気になる。

深入りは避けるべきだが………。

そんなことを考えていたら、目的地に到着していた。

 

「ぐんちゃーん。おまたせー!」

 

「ああ、高嶋さん、赤嶺君………。ごめんなさい、迷惑をかけてしまって……」

 

友奈が元気よく部屋の扉を開けると、千景が出迎えてきた。

少々ぐったりとした様子だ。

 

「謝らないの。誘ったのは俺の方なんだからさ」

 

「それに、迷惑だなんて全然思ってないよ?ぐんちゃんの部屋で一緒にご飯が食べられて嬉しいよ!」

 

「そ、そう……?」

 

「そうだよ!それより体調は大丈夫?」

 

「ええ……。もう、大丈夫……」

 

そう言って千景は微笑んだ。

実は、今日のトレーニングには千景も参加していた。

しかし、友奈のトレーニングメニューは中々にきつく、先にグロッキーになってしまい、こうして部屋で休んでいた。

なので、俺と友奈で昼食を取りに行っていたという訳だ。

なお、千景のことを友奈がぐんちゃんぐんちゃんと相変わらず呼ぶので、俺も千景を名前で呼ぶことにした。

他の勇者も名前で呼んでいるし、なにより千景が距離の近さを感じられる呼び方の方がいいと思ったからだ。

あと、信じられないことだが、友奈は郡をぐんと呼ぶと思っていたらしい。

目の前で俺は郡さんと発言していたはずなのだが……。

まあ、結果的に千景がぐんちゃん呼びを許可したので、問題はなかったようだが。

 

「そういえば、頼人君、また明日大社の本部に行くんだよね?」

 

「ああ。会議があるから。まあ俺はオブザーバーなんだけど」

 

「おぶざーばー?」

 

友奈が首をかしげる。

 

「高嶋さん……。オブザーバーというのは、会議の見学者みたいなものよ………」

 

「へー、そうなんだ。やっぱりぐんちゃんは物知りだね!」

 

「た、たまたま知ってただけだから……」

 

千景が顔を赤らめて俯く。

悪くない傾向だ。

千景はどんどん心を開いていってくれている。

若葉や球子達にはまだまだだが、光明が見えてきた。

 

「それで頼人君。会議ってどんなことを話すの?」

 

「色々。簡単に言うと、この先どうやってバーテックスを倒そうかとか」

 

かなり端折った言葉だが、あまり小難しいことを話しても仕方がない。

そう間違っているわけでもないし。

もっとも、実現可能かは別だが。

歴史を見ても、あの手の会議が有用な結論を導き出すケースは稀だ。

あまり期待するものでもない。

だが、今度の会議はいつもと毛色が違う。

気合を入れなければならない――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「郡様の御家族を、移住させる?」

 

次の日。

ある神官の提出した議題に、大社の会議室は困惑に包まれた。

無理もないだろう。

大社の定例会議の議題は、いつも代わり映えしない。

そんな中で、このような議題が上がるなど、神官達にとっては青天の霹靂と言えよう。

 

「はい、開発中の勇者システムを使用できるかは、勇者自身の精神状態に左右されると聞き及んでいます。特に郡様の御家庭には問題が多く、郡様の精神面も考えますと御母堂には入院して頂き、御尊父には香川に移住して頂くのがよいかと」

 

言い出しっぺの神官が思い切りのいい言葉を吐く。

よしよし、悪くない。

鋭すぎず、なおかつ鈍すぎない。

だが同時に、分をわきまえない人間にしかこの発言はできないだろう。

 

「しかし、この資料によると、御母堂は天恐とはいえステージ2なのだろう?入院させるわけにはいかんだろう」

 

「それに、いくら何でもこのような村八分が現実に起こるとは思えん。過剰な報告ではないのかね?」

 

「ですが、それなりに証拠も揃っています。信じてよいのでは?」

 

「ええ。事実だとすれば、問題は根深いでしょうし」

 

にわかに、会議は騒がしいものになる。

ここまで上手くいくとは。

思わず頬が緩みそうになる。

何とかとハサミは使いようと言うが、まさしくその通りだろう。

 

「あなた方はこの事実を知っていて黙っていたでしょう!その責任逃れがしたいだけでは!?」

 

「なっ!?発言を撤回しなさい!あんな話を真に受ける馬鹿がどこにいる!?」

 

いいぞいいぞと心中で言い出しっぺの神官を応援する。

まさか、ここまで直截的に批判するとは思っていなかった。

ここまで考えなしの人間だとは、思ったよりもツイている。

気がつけば、会議は喧々囂々の汚い議論になっている。

水掛け論の応酬。

最早、誰も収拾がつけられなくなっている。

さて、いい感じに混乱が広がってきた。

そろそろ頃合いだろう。

正直なところ、でしゃばりたくはないが必要である以上、仕方がない。

万が一にも、議題が却下されるわけにはいかないのだ。

 

「失礼」

 

少しだけ前に進み出て、手を挙げる。

まさか、俺が出て来るとは思っていなかったのだろう。

途端に、神官達は静まり返る。

 

「先の議題に関しまして、同じ勇者として意見を述べさせて頂きたく存じます。皆様の参考にもなるかと思いますので、どうか発言の許可を」

 

しばし、重たい静寂が会議室を包む。

どう言うべきか、誰も分からないのだ。

俺が只のオブザーバーであるなら、黙っていろの一喝で済むのだろうが、生憎俺は勇者。

彼らにとって、尊崇するべき存在。

内心では兎も角として、公的な場では俺に対して迂闊な発言はできない。

故に、肯定の言葉も否定の言葉も発することができない。

言ってしまえば最後、発言した本人に責任がいきかねない。

実体のない、責任が。

これはまさしく、権力はなくとも権威だけはある勇者だからこそできることだ。

 

「却下の声がありませんので、許可を頂いたものと解します。さて、本件についてですが、私自身、郡本人より聞き及んでおります。彼女が出身地に忌避感を持っているのは事実です。そのため、先のご提案に基本的には賛成致します」

 

「し、しかし……勇者様のご家族とはいえ、ステージ2で入院させるのは……」

 

この緊張感の中、一人の老神官が口を出した。

しかし、会議全体は重苦しい緊張感に包まれたまま。

いい感じだ。

 

「おっしゃる通りです。しかし、母君は現状、満足な治療を受けておらず、このままでは病状が悪化する可能性は非常に高い。母君の病状が悪化すれば、郡も動揺し、精神的に不安定になる危険性があるでしょう。そのため、予防措置として早期の入院は有効ではないでしょうか?流石に、一人くらいは捻じ込めるでしょうし」

 

「では、ご家族の移住は……?わざわざ移住させる必要はないかと思いますが……」

 

「確かに、郡本人が実家へ戻らなければそれで済む話かもしれません。ただ、郡は他の勇者に比べ、精神的にやや不安定な面があります。ご家族とはいつでも会えるようにしておくべきではないでしょうか」

 

「……丸亀で同居させるべきだと?」

 

「いえ、他の勇者との信頼関係を醸成する為にも、郡には引き続き丸亀城で生活してもらうべきでしょう。ご家族は……そうですね、高松辺りに移住して頂いてはどうでしょう?高松ならば、丸亀もそう遠くはありませんし、何より医療機関が充実していますから」

 

この言葉を言い終わると、また重苦しい沈黙が戻る。

この期に及んで、殆どの神官は躊躇して発言できない有様だった。

仕方ない。

 

「以上が、私の意見となります。皆様のご参考になれば幸いです」

 

そうして、元の位置に戻る。

それからしばらくして、議論が再開するも、俺の意見が尾を引いたらしく、先のような熱は失われていた。

彼らも皆、内心では俺の意見など無視したいだろう。

実際、彼らが俺の意見に耳を傾ける理由は、本来ない。

一オブザーバーの意見など、普通なら重視されるはずもない。

しかし、公的な場で勇者の発言を無視してしまえば、それは自身の弱点になりかねない。

他の派閥から指摘されるのではないか。

自分達の発言力が失われてしまうのではないか。

そういう恐れが、彼らの発言を抑制する。

言ってしまえば、彼らは俺の裏に別派閥の人間を見ているのだ。

その結果が、勇者への消極的な忖度。

美佳の訴えを無視していた者たちもこうなってしまえば、俺の意見に合わせるしかない。

今ならば、勇者の意思を優先するべきだとして、美佳の訴えを無視したという事実を有耶無耶にできる。

言い出しっぺの神官も、この件を持ち出したのが自身である以上、反対意見を言えるはずもない。

結果、勇者の言葉を尊重するという線が、彼らにとっていい塩梅の落としどころにもなるだろう。

そうして―――――この議題は、俺の言った通りの結論になった。

 

 

 

 

 

 

「すごいです赤嶺様……!あの神官達をあんなに簡単に黙らせられるなんて……!」

 

会議の後に、美佳が俺の部屋にやってきて、興奮した様子でまくし立てた。

例の話が通ったことを、随分喜んでくれている。

 

「ここまで準備を進めてきた、美佳のおかげだよ。俺は最後の詰めをやっただけだ」

 

「ですが、この結果は赤嶺様の御指示があってこそです!私一人ではとても……」

 

美佳はそう言うが、正直なところ、これはかなり運頼りな計画だった。

そう褒められた代物でもない。

簡単な流れとしては、まず、美佳が郡さんのことを話した神官をリストアップし、彼らの派閥について調べ、彼らと対立する者達を調べる。

次に、その派閥の中から、比較的派閥争いに拘り、なおかつそれなりに頭の回る人間を探す。

点数稼ぎをしたがっている人間ならなおよし。

そうして、選定した神官の周りに、噂を撒く。

内容は、美佳の話を一部の神官が却下したというものを主に、この情報を利用した方がよいと思わせるような話。

事前に俺の方からも、メンタル問題に関する大赦の見解を各方面に尋ねておく。

ここまですれば、多少頭が働く者なら、これ等の情報を利用し、派閥の発言力を強化しようと考えるだろう。

ああいう人種は、自分達の権力の為なら途端に働き者になる。

案の定、一人の神官が美佳の父に連絡を取り証拠を求めた。

その神官には、とある興信所を紹介し、そこから一連の証拠を提出。

なお、その興信所には事前に話を通しており、提出する証拠は興信所が集めたモノではなく美佳の知人が集めたモノばかり。

ここまで揃えば、連中の誘導など容易い。

自分の気に入らない連中の脚を掬い、同時に派閥の点数稼ぎも出来るとなれば、実行に移さないはずもない。

結果、今日のあの会議と相成ったわけだ。

 

こう纏めると、つくづく酷い作戦だと感じる。

そもそも連中が食いつくかどうかがかなり運頼りだし、彼らが動く時期も不透明。

なのに、美佳の父や興信所への根回し、その他もろもろの工作はとても大変。

興信所へはそれなりの額を支払ったが、連中が口を割る危険性もないではない。

そもそも、大社から支給された金の使途を調べられたらまずいことになるし、色々と動いていたのがバレたらこの先の構想は大きく崩れる。

中々のハイリスク。

言ってしまえば、この作戦は金のかかった釣りだった。

まったく、坊主で終わらなくて良かった。

一度通ってしまえば、こっちのモノだし。

 

「……と、美佳、時間は大丈夫なのか?確か、授業があるとか」

 

「ご安心ください。まだ時間はありますので」

 

「ならいいけど。……そういえば、教師はどうしてるんだ?外から雇ってるとか?」

 

「いえ、神官が教師を兼任しております」

 

「へえ、教員免許を持ってる神官とかいたんだ」

 

「そういう訳ではないのです。先生は元巫女で、以前は優秀な大学院生だったため、巫女の教師を任されているんです」

 

本職の教師じゃないのか……。

それじゃあ、学校というよりも私塾だな。

と、そこでおかしなことに気付く。

 

「待った美佳。元巫女?大学院生だったのに?」

 

おかしい。

それじゃあ、成人してから巫女になったことになる。

 

「はい。巫女の能力が発現した時期が遅かったため、四国に来て間もなく、巫女の能力は失われたそうです」

 

「四国に来て……?」

 

まさか。

 

「お察しのとおりです。烏丸先生は、高嶋様を導いた巫女です」

 

 

 

 

 

 

「ここか……」

 

夕方になり、大社のとある神官の部屋を俺は訪れた。

部屋をノックしてしばらくすると、二十代半ばくらいの白衣を着た女性がでてきた。

 

「お前は……」

 

烏丸久美子。

友奈の巫女とされている人物。

 

 

 

 

「へえ、本当、先生みたいな部屋ですね」

 

部屋を見渡し、感想を述べる。

先生っぽいと言った理由は、大きな本棚に文化人類学の研究書や論文集が詰まっていたからだ。

それ以外は、わりかし普通。

ソファや冷蔵庫などの家具は揃っているし、壁にはヘッドホンがかかっていたりなど、普通の二十代の部屋という感じだ。

 

「そう面白いものでもないだろう。神官と言っても、特別な部屋があるわけじゃない。興味を持つ意味が分からん」

 

「人の部屋を見るのも、結構好きなんですよ。人柄が分かりますし、本棚を見れば、趣味も知れますから」

 

「あまりいい趣味とは言えないな」

 

「そうかもしれませんね。これからは隠します」

 

適当な言葉を返しながら部屋を観察していると、ふと小さな違和感に気付いた。

違和感は本棚。

本棚の中身の殆どは学術的な本だが、一冊だけ雰囲気の違う本がある。

背表紙を見ると、『幸福の王子』。

ワイルドの短編の名だ。

気になって手に取ると、どうやら絵本のようだ。

著者名は――――

 

「人のモノを勝手に触るな」

 

と、そこでその絵本を取り上げられた。

 

「あ、すみません。少々物珍しくて」

 

謝って、本棚から離れる。

不審がられたかもしれないが、これくらいなら、子供の好奇心と思ってもらえるだろう。

 

「で、赤嶺頼人。話とは何だ?こんなところまでわざわざ来るとは」

 

彼女は絵本を机の上に置くと、気だるげな様子で尋ねてきた。

美佳から聞いた通り、およそ教師らしい態度ではない。

 

「すみません急に。烏丸さんに、どうしても聞きたいことがありまして」

 

「聞きたいことか……。そうか、友奈のことか」

 

「ええ。よく分かりましたね」

 

「他の神官じゃなく、わざわざ私を選んだんだ。簡単なことだ。大方、友奈本人や上里には聞けない話を聞きに来たんだろう?」

 

「お察しのとおりです。四国に来る前のことは、あなたに聞いた方がいいと思いまして」

 

「四国に来る前……か。なんでまたそんなことを聞く?」

 

「友奈と話していて、ちょっと気になったことがあったんですよ。烏丸さん、友奈は前からあんな感じなんですか?」

 

「あんな感じ、か。一応聞いておくが、何が気になった?」

 

「そうですね……。自分を出さないところ。極端に場の空気を気にするところ。勇者の使命を当然のように受け入れているところ。この辺りですかね」

 

そう言うと、彼女の眠たそうな目が変わった。

どうでも良さそうな、気だるげな様子から興味を持ったようなそれに。

やはり、彼女が何か知ってるのは間違いない。

 

「ほう。そんなことを聞いて何になる」

 

「何になるもなにも、この先友奈と一緒に戦うんですから、事前に仲間の性格だとか、そういうものを知っておこうとするのは当然じゃないですか。烏丸さんは友奈の巫女なんですよね?なら、友奈のことをそれなりに知っているんじゃないですか?」

 

「巫女だからといって、勇者のことを深く理解できるはずもないだろう。上里が特別なだけだ」

 

「それでも、友奈を四国まで導いたんですよね?その道中についても色々と聞きたいんですよ」

 

「ふむ…………」

 

そう言うと、彼女はしばし考える様子を見せた。

 

「いいだろう。だが、代わりに幾つかこっちの質問にも答えてもらう」

 

「構いませんが……。一体何を聞きたいんですか?」

 

自分の過去のことが頭を過る。

流石に、そっちはあまり聞かれたくない。

だが、彼女は予想外の話をし出した。

 

「さっきのあれ、狙ったのか?」

 

「……あれってなんです?」

 

「会議のことだ。お前、途中で割り込んだだろ?あの瞬間、会議を支配していたのはお前だ。あれは狙ってやったのか?」

 

予想外の反応。

何故そんな疑問を持てるのか。

こっちは一応、小学生なのに。

いや、誤魔化せる質問なのだから、良しとすべきか。

 

「まさか。場の空気にあてられて、ついしゃしゃり出てしまっただけですよ。思い出すだけで冷や汗が出ます」

 

「ふぅん……。そうは見えなかったがな」

 

「質問は終わりですか?なら―――」

 

「まだだ。赤嶺頼人、お前はここに来て花本と会っていたな。何を話していた?」

 

さっきに続いてこの質問。

これは……嫌な感じがする。

 

「郡千景のことですよ。彼女は精神的に不安定な面が見受けられますから、彼女の巫女から話を聞いていたんです」

 

「それだけか?」

 

「そうですが。むしろ、他に何を話していたと?」

 

「そうだな………。郡千景の家族を移住させる、なんていうのはどうだ?」

 

まずい……。

この人、かなりキレる。

会議でしゃしゃり出たのは軽率だったか。

子供だと油断してくれることを期待していたのだが……。

 

「その件を言い出したのはあの神官さんですよ?自分が関わる余地はなんてありません」

 

「普通に考えればそうだろうがな。だが、この件で一番喜ぶのは花本だ。それに、ここ最近のあいつの様子は、少しおかしかった。ちょうど、お前と会った頃からだ。花本はお前のことを絶賛していたみたいだしな。想像するのは容易だ」

 

「なるほど。あの神官さんは小学生の子供に誘導され、あんな真似をしでかしたという訳ですか。証拠集めから会議に提出されるまで、そのことにまるで気付かなかったと。……出来の悪い話ですね。あの神官さんの独断専行と考える方が余程自然に思えますよ?」

 

「確かにお前の言うとおりだ。なら、調べてみても問題はないな?」

 

「お好きにどうぞ。ただ、そんなことをすれば、烏丸さんが恨みを買うと思いますけどね」

 

そう言うと、彼女は面白いものを見るように笑った。

 

「私が恨みを買う理由が分からないな」

 

「嘘ですね。あなたのような人が気付かないはずもないでしょう」

 

そう、彼女は気付いているはずだ。

神官が正式に動いてしまった以上、その行動が誰かの作為によるものだったと分かれば、連中の面目は丸つぶれになる。

面子は発言力にも深く影響する以上、この件に要らぬ見解を差し込む者は、必然的に敵視されるだろう。

故に、この件が追及されることはない。

神官が保身を図る以上は。

まあ、そもそも過程がどうであれ、連中が自発的に動いたのだから、俺にたどり着ける可能性は低いとは思うが。

 

「その物言い。やはり、お前はこの件に関わっているんだな」

 

「勘違いですよ。買い被らないでください」

 

「……確かに、考えてみればそうかもな。勇者があんな趣味の悪い真似をするはずがないか」

 

切り口を変えたな。

理論でなく感情で攻めるつもりか。

なら……。

 

「そのとおりですよ。自分なら、本人の意思を聞いてから行います。そうでなければ、独りよがりの偽善でしょう?」

 

この程度のことは、常に考えてきた。

理由はどうあれ、こっちの都合で、他人の住居を決定させるのは本来許されない。

彼らの居住移転の自由を侵害しているとすら言える。

それでも行ったのは、美佳の信頼を得、同時に千景があの村に近付かなくても済むようにするため。

言ってしまえば、俺のエゴだ。

 

「……お前は賢いな。おまけに口が堅い。花本から聞き出すしかないか」

 

この人、やっぱりやばいな……。

こっちが無理だと分かった途端、標的を美佳に切り替えた。

他の神官相手ならいくらでも誤魔化しはきくが、この女性を相手に誤魔化しきれるかと言うと微妙だ。

まったく、知らなかったとはいえ、無警戒過ぎた。

こうなると、仕方ない……。

こんな分の悪い賭け………やるものじゃないが………。

 

「そうですか。いい話を聞けるといいですね」

 

「なんだ。止めないのか?」

 

「ええ。ただ……一つだけ。深淵をのぞく以上、ご自身ものぞかれている事は覚えておくべきですよ」

 

「……ニーチェか。そんなものを引用して、どういうつもりだ?」

 

「さあ?……話は変わりますけど、その絵本、よくできてますね?巫女か誰かの手作りですか?」

 

そう言うと、彼女の眉が微かに動いた。

しばし、沈黙が部屋を包み、互いの視線が交錯する。

十秒、二十秒と時間が経っていく。

静けさに包まれた部屋で、時計だけが動き続ける。

 

「…………なるほど。どうやら、私の勘違いだったらしいな」

 

やがて、彼女はゆっくりと、そして静かに言った。

 

「そうですか。なら良かった。……じゃあ、今日はこれくらいで失礼します」

 

「友奈のことはいいのか?」

 

「また今度にします。そんな雰囲気でもなくなっちゃったので」

 

そうして、俺は彼女の部屋を後にした。

 

 

自室に着いた俺は、すぐベッドに寝転がり、枕に顔をうずめた。

 

「危なかった………」

 

溜息と共に、そんな言葉が漏れた。

ああいう緊張感は久しぶりだった。

あんなに肝を冷やしたのはいつぶりだろう。

本当、最初に彼女の部屋をチェックしておいて良かった。

妄想に近い想像が、俺を助けてくれた。

あの絵本のことを思い出す。

一目見て、気になった絵本。

本棚の内容から、ああいう絵本が烏丸久美子の趣味ではないことはすぐに分かった。

手に取った時の手触りなど、装丁が市販のそれに比べて粗かったため、プロの品でない。

おそらく手作り。

七・三〇天災以前の思い出の品かとも思ったが、汚れもなく、真新しかったため、あれを手に入れたのはここ最近。

少なくとも四国に来てからの品だろう。

では、誰が彼女にあの絵本を贈ったか。

著者名は、横手茉莉。

自分の知る限り、そんな人物は大社にいなかった。

では、横手茉莉とは誰か?

烏丸久美子は四国に来て以来、大社で住み込みで働いており、外部の人間と新たに知り合う可能性は極めて低い。

また、彼女は四国外の人間であるため、交友関係が四国に拡がっているとも考えにくい。

となると、どこで出会ったかは必然的に絞られる。

一番可能性があるのは……四国への避難時。

そうであれば、横手茉莉なる人物が友奈と行動を共にしていた確率は非常に高い。

これらの情報を纏めると、一つの想像が生まれた。

妄想に近い産物。

――――横手茉莉が巫女である可能性。

 

だが、妄想と気軽に言えない根拠がいくつかあった。

一つは、横手という姓だ。

大赦の名家の中には、横手という巫女を輩出している家があった。

初代勇者の巫女を輩出したと聞いたことはないし、偶然同姓なだけかもしれない。

しかし、巫女の才能が希少ということを考えれば、単なる偶然として処理すべきかという話になる。

もう一つは、烏丸久美子の年齢だ。

自分の知る限り、神世紀でも成人してから巫女となった者はいない。

その為俺は、美佳から話を聞いた時、彼女は本当に巫女かと疑いを持った。

話を聞きに行った本当の目的は、その辺りの探りを入れる為だ。

そして、最後の根拠は、彼女の言動。

……と言っても、ほとんど感覚的なモノだが。

先程の会話で、烏丸久美子は不必要なまでに、俺を追い詰めるような発言を繰り返した。

あれは多分、俺のことを試していたのだろう。

笑っていたくらいだし、もしかすればあの状況を楽しんですらいたのかもしれない。

そういう言動を含め、烏丸久美子からは、勇者や巫女に共通する清廉さや純粋さのようなものが感じられなかった。

酷く感覚的なそれだが、勇者や巫女とそれなり以上に過ごしてきた自分の感覚だ。

そう馬鹿にならない。

極めつけに、烏丸久美子の最後の反応。

あれは、ほぼほぼ黒だと考えるべきだろう

故に、殆ど確信に近い推論が完成した。

 

――――烏丸久美子は巫女でない

 

おそらく、横手茉莉が、友奈の本当の巫女。

まあ、現段階では只の推論に過ぎない。

そもそも巫女でない人間が何故、元巫女として大社で働いていられるのか。

こういった過程がまだまだ不透明だし、確たる証拠は何もない。

しかし、少なくとも彼女一人だけで隠蔽したというのは無理があるだろう。

協力者がいるはずだ。

それは、これから考えなければならないが……まずは横手茉莉を探るべきか。

さて……どんな人物なのだろう?

巫女ならば、十代の女性であるのは間違いない。

絵が上手なのは絵本を見て分かった。

絵本作りが趣味なのだろうか。

それにしても『幸福の王子』を選ぶとは、お世辞にも趣味がいいとは言えない。

特に、こういう状況では。

だって、あの話は………。

と、考えたところで気付く。

そうだ。

わざわざ手作りして贈るくらいだ。

題材にあの短編を選んだのには、間違いなく理由がある。

あの短編の内容からして………。

『幸福の王子』の内容を思い出し、話の解釈を複数思い浮かべる。

同時に、今日までの友奈の言動を思い出し、話の解釈と重ね合わせていく。

やがて、一つの想像が頭を過った。

主流ではない解釈……だが、その解釈を友奈の行動原理に当てはめると、不思議なほどに納得してしまう。

 

「そういう、事なのか……?」

 

友奈の行動原理。

その一端を、ようやく理解できた気がした。

 

 

 

 

 

気がつけば、小さく歌を口ずさんでいた。

ドヴォルザークの『家路』。

交響曲第9番『新世界より』の第2楽章をベースに、アメリカ人が編曲し、歌詞をつけた曲だ。

気分がいい。

こういう気分は、随分と久しぶりだ。

机の引き出しを開け、二重底の上底を取り外す。

その下には、タバコやスマートドラッグの錠剤が隠されている。

大社に来る前に世話になっていたものだ。

PTPシートから錠剤を取り出し、口に放りこむ。

使用期限は覚えていないが、この手の錠剤は一般的に数年はもつ。

特に問題はないだろう。

まあ、タバコは兎も角、こっちがバレたら、流石に安芸でも顔をしかめるだろうな。

花本はタバコでも嫌な顔をするだろうが。

手元の絵本を、しばし眺める。

最近になって、茉莉から贈られてきたものだ。

私たちへの皮肉か、あるいは忠告か。

意味はともあれ、茉莉自身を危険に晒す代物になってしまうとは、あいつも夢にも思わなかっただろう。

だが……。

 

「……久しぶりに、面白かったな」

 

呟くと思わず、笑みがこぼれた

あの少年の顔を思い出す。

赤嶺頼人。

今年になって見つかった、唯一の男性勇者。

勇者になるのに会議への出席権など、変わった条件を付けたという変人。

以前は、性別は違えど、他の勇者や巫女の例に漏れず、変な奴だなぐらいにしか考えていなかった。

そもそも、私が赤嶺頼人と接触する機会がない以上、興味を抱いたところで仕方がない。

しかし、今日一日でその認識は大きく変わった。

今朝の会議から、赤嶺頼人の言動は異常だった。

子供とは思えない理路整然とした主張に、毅然とした態度。

それだけならば、上里という前例がある以上、納得もできただろう。

問題は、赤嶺頼人が動いた瞬間、会議の支配者があいつに変わったことだ。

あれをもし狙ってやったのだとすれば、大した玉だろう。

大の大人たちが子供の意見に振り回され、嫌な顔をしている場面なんて、そうそう見られるものではない。

正直、かなり笑える光景だった。

もっとも、この時点でも赤嶺頼人にちょっかいをかけるつもりはなかった。

勇者に手を出して、上里の不興を買っても面倒だ。

だから、赤嶺頼人がわざわざ訪ねてきたときは驚いた。

しかも、友奈のことを教えてほしいとは。

おかしな話だ。

奴は友奈の異常性に気付いて、その上で友奈を理解しようとしている。

普通なら、友奈の異常性を認識するのも難しいだろうし、気付いても理解できないだろう。

それほどに、友奈は分かりにくい子だ。

私自身、高嶋友奈という少女について、何も説明することはできない。

質問を返したのは、結局のところ、私の中に答えることの忌避感があったからかもしれない。

あの問いかけだって、最初は揶揄う程度のつもりだった。

あらぬ疑いをかけられた赤嶺頼人の、狼狽える姿を見てやろうと。

面倒な質問に答える駄賃程度に。

予想に反して、赤嶺頼人は冷や汗一つ流さず、質問全てに理路整然と返してきた。

おまけに、深入りすれば恨みを買うと脅しすらかけてきた。

大人ですら中々できない、常軌を逸した反応。

あの反応……どんな手練手管を使ったのか、あの神官を裏で操ったのは赤嶺頼人で間違いないだろう。

そうなると、赤嶺頼人はまさしく、友奈や上里と同じか、それ以上の異常者だ。

策を弄する辺りは、上里と似ているところもあるが、決定的な違いがある。

上里は大人を信じて、出来るだけ大社の味方であろうとしているが、赤嶺頼人はそうじゃない。

今日の奴の言動を見るに、赤嶺頼人はまともに大人を信頼していない。

極端に弱みを見せないようにするあたり、利用する対象としか見ていないのだろう。

余りにも歪な子供。

そういう訳の分からない奴だからこそ、もっと追い詰めればどんな反応をするのか、どんな顔を見せるのか気になって仕方がなくなった。

質問を重ね、気がつけば追い詰めすぎたのだろう。

まさか、茉莉の絵本に言及してくるとは思わなかった。

今になって思えば、赤嶺頼人にとって友奈のことなど、口実に過ぎなかったことが分かる。

でなければ、本題を聞かずに帰ることなどありえない。

少なくとも、私に何らかの探りを入れに来たのは間違いない。

どこからか、情報が漏れたのだろうか?

他の避難者たちを思い浮かべるも、それは違うだろうと結論付ける。

連中と赤嶺頼人に接点はないし、そこからバレるようでは、とっくの昔に私は大社を追い出されているはずだ。

ならば、上里だろうか。

それもないだろう。

この情報は、場合によっては上里自身のアキレス腱になり得る。

そう簡単に漏らすはずがない。

それに、確証があるのならば、赤嶺頼人はわざわざ私のところに来る必要はない。

好きな時に自分の手札に出来るのに、私に勘付かれるリスクを負う必要はないからだ。

直接接触してきたということは、つまり、奴はまだ証拠を手にしていない。

なら、やりようはある。

口元がまた、自然と笑うように歪む。

茉莉が普通に生活できるように、大社では派手に動くつもりはなかったが、こうなった以上は仕方がない。

そう、仕方がない。

 

段々と、クスリが効いてきて、思考が纏まっていく。

奴がどういうつもりであれ、茉莉が普通の生活をする為には、私が巫女でない事実は隠さなければならない。

勘付かれた以上、赤嶺頼人とはそのうち決着をつけなければならないだろう。

それまでに、どれだけ準備ができるか。

まったく、こういうスリルのある状況は久しぶりだ。

ああ、本当に楽しくなりそうだ。



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解釈

『幸福の王子』

十九世紀末頃に、オスカー・ワイルドが執筆した短編小説。

 

幸福の王子と呼ばれたその像は、動けないが自我を持ち、多くの貧者たちを見て、苦しんでいた。

そこで彼は、道行く燕に、自身を彩る煌びやかな宝石や金箔を、貧しい人々に配ってもらうように頼む。

始めは嫌がっていた燕だったが、やがて人に施す喜びを知り、自ら王子像の傍に居るようになる。

最後には冬が来て、燕は寒さで死に、それを見た王子の鉛の心臓は二つに割れる。

そして、煌びやかさの欠片もなくなった王子像は溶鉱炉で溶かされ、それでも溶けなかった彼の鉛の心臓は、燕と共にごみ溜めに捨てられる。

やがて神が、あの町で最も貴いものを二つ持ってくるように天使に命じると、鉛の心臓と燕の亡骸を天使は持ってくる。

神は天使を褒め、王子と燕は楽園で永遠に幸福になる。

簡単にまとめると、こういうお話だ。

 

一見すると、この物語は自己犠牲の物語であり、思いやりの大切さを説いているようにも見える。

実際、そう語られることも多い。

しかし、この物語はそう単純な話ではない。

むしろ、多面的な解釈ができる、難しい物語とも言える。

例えば、王子の宝石や金箔を手に入れた貧者たちのその後が描かれていないことから、彼らの行く末には、議論の余地があるとされる。

また、王子の行いを、キリスト的な自己犠牲だと捉えることもできるが、一方的な施しで満足する独善に過ぎないと解釈する者もいる。

ワイルドの作品は、その描写の一つ一つが極めて緻密であり、また作品中に様々な隠喩を隠している。

その結果として、こういった解釈が数多く生まれ、ある者はキリスト教的な価値観を否定した作品とし、ある者は個人と社会の対立を描いた作品だとするなど、考え方にはきりがない。

考えすぎと言われる可能性もあるが、そもそもワイルドが、自身のエッセイにおいて、慈善行為こそを国の貧困問題がなくならない諸悪の根源、とまで断定したという事実を知っていれば、最初のような解釈をするのは、むしろ難しいだろう。

話はそれたが、ともあれ、この話は様々な解釈できるという点が重要だ。

十人いれば、十人色に。

それでは―――絵本を描いた横手茉莉の解釈は?

 

 

 

 

 

 

 

 

夕日が目に染みる。

この時間でもここまで日が落ちてきた辺り、随分と日が短くなってきたと感じる。

ここは、とある田舎の中学校。

既に放課後だが、まもなく、最終下校時刻になる。

その証に、学校のスピーカーから、郷愁を誘う曲が流れてきた。

ドヴォルザーク交響曲第九番「新世界より」第二楽章。

誤解ではあるが、ドヴォルザークの「家路」とも呼ばれる曲だ。

この学校でも世間の例に漏れず、最終下校の合図には、この曲を流しているらしい。

しばらくすると、多くの中学生たちが、校門から出ていくようになった。

それを少し離れたところから見ていると、ようやく目当ての人物が現れた。

友達と話をしながら歩いてくる少女。

なるほど、あの探偵は、仕事をしっかりしてくれたらしい。

写真通りの容貌だ。

それにしても、これではストーカーの謗りを受けて仕方がないだろうな。

そんな事を考えながら、俺は彼女の前に立った。

 

「こんにちは、横手茉莉さん。少々、お時間をよろしいですか?」

 

当然のように、彼女は怪訝そうな顔をした。

 

「あの、どちら様ですか?」

 

不安に揺れる瞳。

ごく普通の女子中学生の反応。

俺はそれに、奇妙な納得感を覚える。

 

「赤嶺頼人と申します。勇者、といえば分かりますよね?」

 

瞬間、彼女の顔は凍り付いた。

 

 

 

 

「どうぞ、好きなものを頼んでください。支払いはこちらで持ちますから」

 

ここは、近くにある喫茶店。

ゆっくり話すならこういう場所のほうがいいと思ったから、ここを選んだ。

今の時間帯は、空いているようで好都合だったのだ。

しかしながら、彼女の警戒した様子は変わらなかった。

当たり前の反応だろう。

 

「……それじゃあ、紅茶をお願いします」

 

「他にも頼んでもいいんですよ?」

 

「いりません。今はあまり、お腹は減ってませんから」

 

「そうですか」

 

店員を呼んで、珈琲と紅茶を注文する。

すると、あっという間にテーブルに届けられた。

やはり、空いている時間帯に来てよかった。

 

「それで……話って何ですか?ボクを、大社に連れていくつもりですか?」

 

「そんなことはしませんよ。ただ、少しあなたに聞きたいことがあったんです」

 

「聞きたいこと……?」

 

「ええ、四国まで避難してきたときのことです。あなたは、友奈の本当の巫女なのでしょう?」

 

「………久美子さんから聞いたんですか?」

 

「いえ、彼女とは別に、大社には親しい友人がいましてね。その人に教えてもらったんですよ」

 

「まさか、上里さんですか……?」

 

表情を変えずに頷く。

彼女は、あっさりと俺のブラフに引っ掛かった。

烏丸久美子の協力者は、有力な神官か、巫女か、そのどちらかだと思ってはいたが……ひなたか。

あのひなたがこんなリスクを冒すとは、結構意外だ。

勿論、可能性が高いのは分かっていたが、正直、協力者は神官であって欲しかった。

 

「さっきも言いましたが、あなたを大社に連れていくつもりはありません。ただ、いくつか質問に答えて頂ければ、それで自分は帰ります。二度と、あなたには近付きません」

 

「……どうして、ここに来た時のことなんて知りたいんですか?久美子さんに聞けばいいじゃないですか」

 

「彼女の主観じゃ、話が少々おかしくなりそうなので」

 

「ああ、確かにそうかもしれませんね」

 

俺の言に、横手さんは不思議なほど納得してくれた。

烏丸女史は、思った以上にやばい人だったのかもしれない。

そんな事を考えていると、彼女は俯き、暫く黙り込んだ。

何かを必死に考えているようだ。

やがて、彼女は何かを決意したかのように顔をあげた。

 

「…………話すのは構いません。ただ………お願いがあります」

 

「……なんでしょう?」

 

彼女は、躊躇いながらも、振り絞るように口を開いた。

 

「ゆうちゃんを……高嶋友奈さんを、戦わせないでください……!勇者を、やめさせてください……!」

 

「――――」

 

一瞬、言葉を失う。

まさか、そんな言葉が出て来るとは思わなかった。

横手さんは言葉を続ける。

 

「無茶を言っているのは分かります!けど、ゆうちゃんは、まだ十一の女の子なんです。あなたのような勇者が他にもいるんだったら、ゆうちゃんが戦う必要はないんじゃないですか……!?」

 

横手さんが、必死に言う。

まるで、妹を守ろうとする姉のように。

こんな反応は、全く予想していなかった。

だからといって、彼女の言葉に応じることは不可能だ。

まず、彼女の論理は破綻している。

この国が、世界が滅びかけている今、人類に戦力を手放す余裕はない。

他に勇者がいるから、なんて言葉が通じるはずもない。

それは分かる。

けれど……。

俺は内心の動揺を、熱い珈琲を嚥下することで、どうにか誤魔化す。

 

「誤解なさっているようですが、自分以外の勇者は皆、友奈と同年代の少女です。そもそも、自分にそんな権限はありませんし、第一、友奈が戦わない選択をすると思いますか?」

 

「なら、他の手段を考えるべきです!子供を戦いを押し付けるなんてこと、許されるべきじゃありません!赤嶺さんも、ボクと同じくらいの年齢ですよね?だったら、おかしいと思わないんですか!?」

 

真っ直ぐな言葉。

彼女は正しい。

人として、どうしようもなく正しい。

彼女は、友奈のことが大切だったのだろう。

誰が何と言おうとも、大切な人の安全を第一とする。

そして、子供が戦うべきではないという言葉。

等しく、人として正しい。

羨ましい程に。

 

「………残念ですが、他に方法はありません。バーテックスからこの国を守れるのは、勇者だけです。あなただって、分かっているでしょう?」

 

そう言うと、横手さんは黙り込む。

残念だが、これは三百年経っても変わらなかったことだ。

この時代に、他の方法なんてものが見つかるはずもない。

しかし、横手さんはそれでも諦めきれない様子だった。

友奈が勇者になったのは間違えだと、強く信じているらしい。

だが同時に、今という時には、人類は勇者を、子供を前に立たせるしかないということも分かっているのだろう。

だからこそ、苦悩している。

その気持ちは痛いほど理解できる。

しかし……。

 

「なら……ならせめて、ゆうちゃんを守ってください……」

 

やがて、彼女はそんな言葉を、辛そうに言った。

きっとここが、彼女の中の妥協点なのだろう。

認めたくないけれど、それでも認めざるを得ない境界線。

この約束は、するべき……なのだろう。

友奈は自分が守ります、安心してください。

そう言えば、彼女は多くの情報をくれるだろう。

「赤嶺頼人」は、そうすべきだと考えている。

けれど………その約束は………。

 

「…………」

 

「…………言ってくれないんですね。守ってくれるって」

 

「………いえ、分かりました。可能な限り、友奈が傷つかないようにすることを、お約束します」

 

努力して、その言葉を絞り出す。

すると、横手さんはほんの少しだけ安心した様子を見せた。

今の答え方が、玉虫色なことを知ってか知らずか。

そも、こんな約束は、ただの気休めにしかならない。

実際の戦場では、不測の事態などいくらでも起こり得る。

そんな言い訳を頭の中で重ねるも、俺が汚い人間であることには、変わりはない。

やがて、彼女は四国に来るまでの事を、ぽつり、ぽつりと語り始めた。

俺は、それをただ、黙って聞いていた。

 

 

 

話が終わる頃には、窓から差し込む光は、温かな陽光から無機質な電灯のそれに変わっていた。

随分と遅くなった。

 

「すみません。辛いことを思い出させましたね。話してくれてありがとうございました」

 

「いえ、いいんです……」

 

横手さんは暗い顔で言う。

随分と、無理をさせてしまったようだ。

絵本の話題は、避けるべきだろう。

彼女が何を考えてあの絵本を描いたにせよ、今の話で俺の中での解釈は固まった。

 

「横手さん、お礼といっては何ですが、これを受け取ってください」

 

持って来ていた紙袋を手渡す。

 

「これは……?」

 

「三輪素麺です。香川に残っていた、本物の」

 

乾麺の賞味期限は約三年。

おかげで四国にも、ごく少数だが残っていたのだ。

もっとも、価格は非常に高騰していたため、手に入れるのは一苦労だったが。

 

「え、いいんですか……?」

 

「勿論ですよ。そのために持ってきたのですから、受け取ってください。」

 

彼女はお礼を言って受け取ると、少し考えた様子を見せ、それから俺に尋ねた。

 

「あの、一つだけ聞いていいですか?」

 

「何ですか?」

 

「赤嶺さんは、なんで戦うって決めたんですか?普通に暮らそうって思わなかったんですか?」

 

その質問に、息が詰まる。

普通に暮らす幸せ。

昔の俺は、確かにその為に行動し続けていた。

けど、今は………。

 

「……こういう状況ですから仕方ありませんよ。この世界に滅んでもらっては困りますし」

 

「………それが、自分を犠牲にすることでも、ですか?」

 

「…………そんなつもりはありませんよ。普通に暮らすのが一番だと思いますし。俺も大切な人達と、普通の日常を送りたかった」

 

「だったら」

 

「けどね、横手さん。………俺の日常は、もう戻ってこないんですよ。絶対に」

 

「え…………?」

 

口が滑ったな。

 

「今のは忘れてください。そろそろお暇します。それと、これは自分の連絡先です。友奈に会いたくなったら、ここに連絡をください」

 

小さなメモ用紙を彼女に手渡す。

 

「赤嶺さん。あなたは…………」

 

彼女は、何か言いたげな表情を浮かべるが、俺はそれを敢えて無視する。

言ってはならない事を言ってしまった。

 

「こちらからは、以後あなたに近付くことはしません。大社に連れて行くようなこともしません。それは、お約束します。……それでは」

 

伝票を手に取り、席を立つ。

会計を済ませ、店を出ると冷たい風が頬を打った。

歩き始めると、ちりんという音が背中から聞こえた。

喫茶店のドアベルが鳴った音だ。

振り向くと、横手さんがいた。

 

「あの……!」

 

何か言いたいことでも残っていたのだろうか。

彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「えと、ボク、絵本作家になるのが夢で……。だから………」

 

彼女は、何かを頑張って言おうとして、それでも口ごもっている。

きっと、言うべきことが纏まっていないのだろう。

 

「だから、本を出したら読んで下さい……!きっと、赤嶺さんも、ゆうちゃんも笑顔にするような本を出しますから………!だから―――!」

 

その後に続く言葉は分かっていた。

後に続く言葉の重みを感じて、彼女はそれを口に出せなかったのだろう。

彼女はつくづく良い子だ。

察しもいい。

だからこそ……。

 

「……ありがとう横手さん。その時は、きっと読みますよ」

 

そう言って、俺は彼女の前から立ち去った。

今度は、振り返らなかった。

帰り路を歩いていると、少しだけ寒気が走った。

もうすぐ、冬が来る。

いよいよ時間が無くなってきた。

夜空を見上げ、思う。

どうして、俺はああなれなかったんだろう、と。

 

 

 

 

 

次の日の夕方。

丸亀城の本丸。

ここからの眺めは悪くない。

瀬戸内海が一望でき、遠くには微かに本州が見える。

三百年も昔に行ったきりの、本州が。

この光景を見るたびに、胸がざわめく。

多くの醜い思考と感情が入り乱れ、不安さえも生まれる。

果たして自分は、最期まで「赤嶺頼人」を貫けるのだろうか、と。

考え終えると、深呼吸をして集中する。

水のように平らかに、揺らぎがないように心を落ち着ける。

そして、感情を完全に切り離す。

理性だけで動けるように、自らを調整する。

これで、ちゃんと話せるはずだ。

 

「あ、頼人君、おまたせー!」

 

やがて、遠くから声が響いた。

友奈の声だ。

見れば、ジャージ姿。

小走りでこちらに向かってくる。

 

「ああ、悪いな。急に呼び出して」

 

「気にしなくていいよ!それで、話って何かな?」

 

息を弾ませて友奈が言う。

人を疑うことを知らないような、純真な瞳。

今は、その瞳を見返すのが、少しだけ怖い。

 

「ああ、とりあえず……組手でもしながら話そうか」

 

「うん!……って、ええ!?」

 

友奈が素っ頓狂な声を出す。

そりゃそうなるだろう。

突然呼び出されたかと思えば、組手をしようと言われても、普通は混乱するだろう。

 

「ほれほれ、どこからでも掛かってきていいぞ?」

 

簡単に構えながら、お気楽風に言うと、友奈も構えた。

つくづく、順応が早い。

 

「う、うん、分かった!じゃあ、思いっきり行くね!」

 

「ああ、どうぞ」

 

そう言うと、友奈は飛び掛かってきた。

中々早い。

正拳突きのワンツーに回し蹴り、様々な技を組み合わせてくる。

それを俺は、前腕や手の平を使って捌きながら、質問を始める。

 

「なあ、友奈。お前はなんで戦うことを決めたんだ?」

 

「え、どうして?」

 

「友奈のこと、知りたいんだ、よっ!」

 

言葉と共に、牽制のジャブを放つも、友奈はそれを防ぐ。

友奈の心の、柔らかい部分。

そこに触れるために、まずは簡単な問答によるウォーミングアップを始める。

他の勇者は、友奈とは少し違う。

若葉は復讐の為に、球子は杏を守るため、戦うことを決意している。

杏もまた、球子を気遣って戦おうとしている。

千景は逆に、戦うことには消極的だ。

なぜ自分達が戦わないといけないのかと、考えている節がある。

このように彼女達にはそれなりに理由があり、逆に理由がなければ戦うことに消極的だ。

しかし、友奈は他の少女たちのように、戦う明確な理由が見えない。

けれど、千景のように戦いに消極的でなく、普通に受け入れている。

神世紀なら兎も角、この時代においては珍しい。

どう答えるか、と考えていたら………。

 

「そんなの決まってるよ!だって私、勇者だから!」

 

すがすがしい程に、真っ直ぐな言葉。

誰かを思い出しそうになり、誤魔化すように、掌底を友奈の顔面に見舞う。

 

「わっ……!」

 

それを友奈は、状態を反らして躱す。

いい動きだな。

逸らした直後に、蹴りを放ってきた。

後ろに跳びのき、距離をとる。

 

「別に勇者の力があったって、戦わなくてもいいはずだ。その力を、自分の為だけに使うことだって」

 

「でも、私が戦えば、少しでも傷つく人が減らせるから……!」

 

友奈が地を這うように走り、跳び蹴りを放つ。

瞬間、俺はその足を掴み、放り投げる。

友奈はくるりと回転し、地面に着地した。

 

「そんなに、本音を言うのは怖いか?」

 

「え?」

 

その瞬間、初めて友奈の顔色が変わった。

 

「私、嘘なんて言ってないよ?」

 

「かもな。けど、本音だというわけでもない。今まで見てきて分かった。お前は極端に自分を出さない。雰囲気を悪くしたり、そういうのが嫌なんだろう?」

 

「それ、は………」

 

一気に、友奈の隠したい心を暴く。

友奈の柔らかい部分に、立ち入る。

同時に、一気に踏み込み、ジャブを放つ。

当たらないように調整したそれを、友奈は防ぐ。

防いでしまう。

判断力が落ちている証だ。

 

「そんなに仲間が、周りの人間が信用できないか?確かに、一人で背負うのは楽だもんな。誰も信じずに済むから」

 

「ち、違うよ……!みんなを信じてない訳じゃ……!」

 

「でも、ぶつかるのは怖いんだろ?今、この瞬間だって、お前はこの空気を変えたいと考えている。和をもって貴しとなせ。日本人らしい考え方だが、それじゃあ何も変わらない。ただの、馴れ合いにしかならない」

 

断定し、友奈が言い返せないよう矢継ぎ早に言葉を紡ぎ続ける。

彼女の根っこに揺さ振りをかけ続ける。

友奈が正常な思考を取り戻さないよう、適度に腕を振るう。

 

「自己犠牲に酔っているのなら、戦うのを止めろ。そんな考え方は、自分を殺すぞ」

 

まったく、道化のようなセリフだ。

厚顔無恥にも程がある。

されど、友奈は反応した。

 

「……違うよ」

 

「何が?」

 

「私が戦うのは自己犠牲とか、そういう綺麗な理由じゃないんだ……。ただ、人が傷ついたり、苦しんだりするのを見るのが嫌で……。だから……だから、決めたんだ!全部背負うって……!!」

 

瞬間、友奈が一気に踏み込み、拳を放つ。

今日一番の速さだ。

刹那、俺はあの絵本のことを思い出した。

 

 

 

 

『幸福の王子』

絵本ではこう訳されることが多いが、小説として収録される際は、『幸福な王子』と訳される場合が多い。

この訳を踏まえて物語を読んだとき、ふと思った。

人々に財宝を配っていて、本当に幸せだったのは、王子自身だったんじゃないかと。

『幸福の王子』の作中では、王子は貧しい人々の苦しみを見て、それを何とかしたいと思い、燕に自分の装飾を人々に与えるように言う。

心理学的にも、他人を救うことで自分が救われる、だとか身近な話では、人に奢られるよりも人に奢る方が、幸福感を感じる、なんて話がある。

つまり、俺の解釈はこうだった。

王子は、自分が幸福を感じるために貧者に財を施すが、結果として、燕を死に追いやってしまう。

そのため、王子はより一層苦しみ、その心は割れてしまった。

この解釈を、友奈に当てはめ考えると、ある推測が生まれた。

 

エンパス、という呼ばれる人達がいる。

彼らは、非常に高い共感力を持っていて、感情や思考を読み取る力に長けており、非常に空気を読める人間、とも言える。

反面、彼らはその高すぎる共感力故に、他人の痛み、苦しみを自分のものとして認識してしまう。

酷い場合には、近くの人の体調が悪かった場合、自らも同じ症状で体調を崩してしまう。

そういう気質も相まって、彼らは自分よりも他人を優先する傾向が強く、争いごとも嫌う。

友奈の特徴とも一致する。

無論、これは憶測にすぎない。

全てが当てはまるわけではないし、第一、俺は心理学者ではない。

多分に誤解はあるだろう。

だがそれでも、友奈はそれに近い気質はあるのだろう。

この考えに基づくと、やはり、友奈は周りの人間の苦しみを、自分の苦しみとしてとらえてしまう子だと考えられた。

そのため、他人が苦しむのを恐れる。

見方によっては、勇者として周りの人々を守っていたのは、自分が苦しみたくないから、怖い思いをしたくないから、とすら言えるだろう。

少なくとも、本人はそう思って戦っていたのではないか。

王子が、苦しむ人たちを見たくなかったように。

故に、友奈は自分勝手な理由だと言った。

綺麗な理由じゃないと。

しかし、現実には、一番傷つくのは友奈だ。

そのため、矛盾した理由のようにも見られ、理解もされない。

それが、俺の、「高嶋友奈」という少女の解釈だった。

 

 

 

俺は身を捻り、その拳を避け、同時に友奈の頬を手の平で包み込み、ひょいと押す。

同時に足を払うと、途端に友奈は体勢を崩し、倒れ込んだ。

その直前に、俺は友奈の腰を抱きとめた。

 

「知ってたよ」

 

「え……?」

 

「自分が辛い思いをするより、誰かが苦しむ方が辛いんだよな。友奈は」

 

友奈が体勢を立て直したところで、手を離す。

そうして、俺は少し離れ、本丸の石ベンチに腰掛ける。

隣をポンポンと叩くと、友奈はおずおずと座り込んだ。

 

「だけどさ、友奈。そうやって、友奈が苦しい思いをして、それを見て、辛い思いをする人もいるんだ。横手さんもそうだっただろ?」

 

「横手……。頼人君、茉莉さんのこと知ってたの?」

 

「烏丸さんに聞いてね。昨日、会ったんだ。友奈のこと、心配してた」

 

「そうなんだ……。元気にしてた?」

 

「ああ、学校も楽しそうだったよ」

 

「そっか。よかった……。頼人君。さっきの話、もしかして……?」

 

「ああ、茉莉さんに色々聞いたんだ」

 

そう言うと、友奈は少し驚いたような納得したような表情を見せた。

そして、いつもと違い、少しだけ緊張した面持ちになって、口を開く。

 

「じゃあ、頼人君も、私が戦わない方がいいって、思ってるの……?」

 

「そうは言ってないよ。さっきのことなら……ごめん。嫌な思いをさせたな」

 

「ううん。私が本音で話さなかったから、頼人君は怒ったんだよね」

 

「それもあるけどさ、俺が言いたかったのは、友奈は一人で抱え込みすぎだってことだよ。さっきなんか、自分で全部背負うなんて言ってたし」

 

「え……?」

 

「だからさ、友奈の荷物を一緒に背負うって言ってるんだ。同じ勇者なんだから、頼ってくれよ。友奈が一人で背負い込んでるところを見るほうが苦しいんだから。拒否すれば、これからの会話が気まずくなっちゃうぞ?それは嫌だろ?」

 

少しだけ、ふざけた様子で問いかける。

 

「頼人君………」

 

「言ってほしいんだ。怖いなら怖いって、苦しいなら苦しいって。皆に言うのが怖いなら、俺だけにでも言ってほしい。友奈の本音を聞いても、俺は絶対、嫌な気持ちにはならないからさ」

 

友奈の手を握って、可能な限り優しく語り掛ける。

 

「ほら、試しにここに来るまでの事、話してくれないか?どうせ俺は、横手さんから色々聞いてるんだから、どんな話でも、驚かないし、嫌な気持ちにならないよ」

 

「でも……」

 

「思い出したくないかもしれないけど、こういうのは、誰かに話した方がすっきりするもんだよ。だから、ほら」

 

友奈はそれでもなお、逡巡する様子を見せた。

もう少し、声を掛けるべきか。

いや、待つべきだろう。

ここで焦っては、全て水の泡だ。

しばらく迷った末に、友奈はゆっくりと話を始めた。

御所から四国までの道中の話。

両親を助けられなかったこと。

どんどん人々の雰囲気が悪くなっていったこと。

それが、たまらなく嫌だったこと。

多くの哀しみや苦しみを、友奈は語ってくれた。

話が終わると、俺は友奈を抱き寄せて、頭を撫でた。

 

「怖かったな」

 

「……うん」

 

「辛かったな」

 

「……うん」

 

「頑張ったな」

 

そう言うと、友奈は俺の服に顔をうずめた。

暖かいものがジャージに染み込んでいく。

ふと、思う。

きっと、友奈には、自分を理解して、共感してくれる人がいなかったのだろう。

こういう風に、苦しかったね、辛かったねと、頭を撫でてあげる人がいなかったのだろう。

胸の内に、あらゆる不安や苦しみを抱え込んで、どうしようもない状況の中、戦っていたのだろう。

弱音も吐かず、たった一人で。

それは、なんて孤独だったのだろうか。

 

 

 

しばらくして、俺達は本丸から離れた。

寄宿舎の近くで離れる間際、友奈は頬を少しだけ赤くして言った。

 

「今日はありがとう、頼人君。一緒に背負うって言ってくれて、すごく嬉しかった」

 

「気にするな。仲間なんだからさ」

 

「それでも、すごく嬉しかったよ。ありがとう」

 

「なら、今度はもっと昔のことを教えてくれ。友奈が昔、どんな感じだったかとかも知りたいしさ」

 

「うん。また、今度ね」

 

友奈は嬉しそうな、照れたような様子で言った。

 

 

 

そうして、俺と友奈は別れた。

友奈が去った後、本丸に戻る。

石ベンチの裏に隠しておいた荷物から、ボイスレコーダーを取り出して、録音を終了させる。

音声を確認すると、果たして友奈の四国までの道中の話は、全て綺麗に録音されていた。

つくづく、己の汚さに吐き気を催す。

これが、こんなものが勇者か。

ふと、酷薄な笑みがこぼれた。

ああ、「赤嶺頼人」。

「俺」は……お前が許せない――――



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始動

大満開の章が……大満開の章が終わってしまった……。
喪失感が………。


「俺を会議から外す?」

 

『はい。父によると、そうすべきだという話が一部の神官の間に広がりつつあります』

 

美佳からの連絡に、思わず眉をひそめる。

内容自体には、驚きはない。

俺を会議から外したいと思う人間が出ることは織り込み済みだった。

まあオブザーバーに会議を引っ掻き回されたくないというのは当然の心理だ。

問題は……。

 

「早すぎるな……」

 

先日の会議から、そう日は経っていない。

それに、会議で毎回出しゃばっていたのなら兎も角、この一件だけで神官達がそういう動きを見せるとは想定していなかった。

意思統一には時間がかかるものだし、何よりこの状況でそんなことをしては、政争の火種にすらなり得る。

 

「美佳、難しいとは思うけど、話の発生源と範囲を探ることはできる?」

 

連中の反応は、いささか過敏すぎる。

特定の誰かの意思が介在していると考えるべきだろう。

 

『謹んで拝命いたします。調査には、一週間程かかりますので、それまでしばしお待ちくださいませ』

 

「ありがとう。美佳がいてくれて助かるよ」

 

『もったいなきお言葉、恐悦至極でございます』

 

………それはそうと。

 

「………あの、美佳?もうちょっと気軽にしてほしいんだけど……」

 

最近気になっていたが、なんかどんどん美佳の言葉遣いが仰々しくなっていってる気がする。

あの会議辺りからは特に。

正直、居心地があまりよろしくない。

 

『畏れながら、これでも敬意を表しきれていないのでございます。何卒、ご容赦くださいませ』

 

「うん、美佳の気持ちは嬉しいけど、正直肩がこるから、せめて前と同じようにしてくれない?」

 

『しかし……』

 

「強制はしたくないんだよ」

 

『……かしこまりました』

 

不承不承といった様子で、美佳は承諾してくれた。

俺でこうなら、千景と会った時、どうなることやら……。

それはさておき……。

 

「話を戻すけど、さっきの件、十分注意してくれ。俺達の動きに気付いている人がいるから」

 

『まさか、この件も……?』

 

「ああ。多分、烏丸さんが絡んでいる」

 

烏丸久美子。

彼女は友奈を導いた実績により、年齢に反して大社内では特別視されている。

その立場に加えあの頭脳なら、この程度はできるかもしれない。

先日の一件で、彼女の怒りを買った可能性が高い。

確証もない段階であれを話したのは、間違いだったかもしれない。

 

『烏丸先生が……』

 

美佳が少し暗い声で言う。

先日伝えたことではあるが、やはり消化しきれていないようだ。

仕方のない事だろう。

 

「ともあれ、気を付けてくれ。俺はいいけど、美佳に何かあっては困るから」

 

『ありがとう……ございます……』

 

「ん。それより、もう一つ頼みたいことがあるんだけど―――」

 

 

 

 

 

二〇一六年十一月中旬。

いよいよ風は冷たくなってきており、冬の訪れを感じされる。

そんなある日。

若葉がいつものように、諏訪との定期連絡を行っていて、ひなたはそれが終わるのを通信室の近くで待っていた。

若葉は、諏訪の勇者である白鳥歌野と話す時間を大切にしていて、よくその話をひなたにする。

二人が直接会ったことはないが、きっと若葉にとっては、白鳥は大切な友達なのだろう。

ひなたは待っている間、そんなことを考え、そしてぶれた思考を元に戻した。

先日、大社で烏丸に会った時のことを思いだす。

 

「烏丸先生。どういうことですか?頼人さんを会議から追い出すだなんて」

 

「言っておくが、これは上の連中の意向だ。私じゃないぞ」

 

「ですが、口火を切ったのは、烏丸先生ですよね?」

 

ひなたはそう言って、烏丸を問い詰める。

複数の神官から、烏丸がこの件に関わっていることを聞いていたのだ。

 

「よく調べているな。ああ、その通りだ。確かに私は連中を煽ったさ。だがな上里。遅かれ早かれこうなっていたのは、お前だって分かっていたはずだ」

 

「それは……」

 

「赤嶺は会議で目立ちすぎだ。郡千景の件なんて、明らかにオブザーバーの権限を越えた動きだ。誰だって、子供に会議を引っ掻き回されたくはないだろうさ」

 

「ですが……頼人さんは、会議への参加権を、戦う条件として提示しています。それを、大社の方から破るのは……」

 

「所詮、子供との約束だ。連中が大真面目で守りたいと思っているはずもないだろう」

 

烏丸の言は正しい。

確かに、子供の意見に振り回されるような会議は健全ではない。

それが、国防を担う大社の会議であれば、なおさらに。

しかしながら、頼人が会議で発言したのは一度。

それでここまで話を大きくするなんて、普段のやる気のない烏丸からは考えられなかった。

まるで、頼人に思うところがあるような行動だ。

 

「どうして……そこまで頼人さんを?」

 

「分かってないのか。やはり、お前じゃないんだな」

 

「……なんのことですか?」

 

「茉莉のことが、赤嶺頼人に漏れた」

 

「なっ……そんなはず……!?」

 

ひなたは思わず叫んだ。

烏丸を巫女と偽った一連の偽装工作は全てひなたがやったのだ。

それが、四国に来て日の浅い頼人にバレるなんて、とても信じられなかった。

 

「赤嶺頼人は一度、私の部屋に来たんだ。その時、あからさまに茉莉のことを示唆する発言をした。おまけに、茉莉から私に届いた荷物、その住所を嗅ぎまわっているやつがいたそうだ」

 

「……裏に、頼人さんがいると?」

 

「ああ。奴がどうやって突き止めたのかは分からないが、このままではまずい。もしかすると、お前との繋がりすらバレているかもしれん」

 

「ですが、何のために……?」

 

「さあな。私を手駒にしたいのか、もしくはもっと子供染みた理由か。どちらにしても、交渉材料は作っておく必要がある」

 

「本当に、交渉だけで済ませるつもりなんですよね?」

 

「交渉がまとまらなかったら、その時はその時だ」

 

「纏まってほしくなさそうな顔ですよ?」

 

「そう見えるか?」

 

「ええ。酷く楽しそうに見えます」

 

烏丸の口元は、笑いをこらえるように歪んでいた。

まるで、この状況を楽しんでいるかのようだ。

 

「そうか。だとしても、やることに変わりはない。お前も、何かしらの手を打っておいた方がいい」

 

「私が、あなたをこの場で切り捨てるとは考えないんですか?」

 

「あれは一種の化け物だ。正直、あそこまで理解できない人間を見るのは初めてだよ。私を切り捨てたところで、あれが止まるかは分からん」

 

その時、ひなたは頼人を化け物呼ばわりすることに、反感を覚えた。

けれど、同時にそれを咎めることもできなかった。

赤嶺頼人。

余りにも謎が多い勇者。

彼の経歴も、彼が何故男性でありながら神威を宿せるのかも、あの斧の正体も、一切が不明。

何故、烏丸のことを探っているのかも、まるで分からない。

謎だらけの人物。

優しくて良い人だとは思う。

正直なところ、ひなたも頼人には好感を持っている。

しかしながら、その人物像と久美子の語る人物像は一致しない。

考えたくはないけれど、もし頼人さんが良からぬことを考えていたら……。

ひなたが悪い方向へ物事を考えようとしていた時、物音がした。

若葉が通信室から出てきたのだ。

 

「すまない、ひなた。待たせたな」

 

「いえ、私が好きで待っていたんですから、若葉ちゃんは気にしなくていいんです。それより、諏訪の様子はどうでしたか?」

 

「ああ……。また、生活圏が狭まったらしい……」

 

「そうですか……」

 

諏訪の状況は厳しい。

諏訪湖周辺の結界は、御柱により形成されているが、その御柱の耐久力は無限ではない。

御柱がおられて結界が破壊されれば諏訪は壊滅する。

その為に白鳥が御柱を防衛しているが、戦える勇者は白鳥一人。

増えていく敵に対応するには、どうしても限界がある。

そのため、土地神は結界の範囲を縮小して、強度を高める判断を下し、諏訪は生活できる範囲が徐々に狭まってきているのだ。

失われる地域にも当然人が住んでいる。

諏訪の土地神の恵みは、四国に比べ少ない為、住居問題だけでなく食糧問題など、問題は山積している。

 

「だが、悪い事ばかりでもないらしい。最近は、白鳥さんと共に畑を耕す人が増えてきたそうだ」

 

「流石、諏訪の勇者ですね」

 

厳しい状況。

それでもなお、白鳥は希望を持って戦い続けている。

若葉もひなたも、そんな白鳥のことを尊敬し、同時に白鳥達の力になれないことを歯痒く感じていた。

 

「ああ。強い人だ。私も、そうありたいとよく思うが……」

 

「若葉ちゃん?」

 

「いや、最近思うんだ。私は果たして、リーダーに相応しいのかと……」

 

若葉は、自身の硬すぎる性格が周囲に誤解を与えてしまうことを理解していた。

実際、仲間全員と信頼関係を築けているかというと微妙なところだ。

この疑問は、最近になってさらに強くなってきていた。

理由は、あの少年だ。

高い身体性に、柔和で大人びた性格。

学業も優秀。

元から気さくな友奈は勿論、気弱な杏とも、活発な球子とも、周囲と壁を作っていた千景とすらも、仲良くなってしまった。

現状、最も統率力のある勇者だと、担当教員からも高く評価されている。

若葉は未だ、千景とはちゃんと会話ができていないし、また、得意分野である剣術ですら頼人に後れを取っている。

自信がなくなるのも、無理のない事であった。

事実、大社では一時、暫定リーダーを頼人に変更するべきではないか、という意見が出たこともある。

これは、先の事実に加え、リーダーとなる勇者が女性ではなく男性の方が、国民への心理的効果が高まるのではないかという考えがあったからだ。

神官達にはいわゆる古いタイプの人間が多く、無意識レベルでの男尊女卑的価値観がこの考えを後押しした面もあるのだろう。

だが、結局この案は流れた。

理由は頼人の言動。

会議への参加権を求めたことに加え、巫女との接触を望むなど、勝手な動きが多く、さらにオブザーバーの立場でありながら会議で発言を行ったことにより、一部の神官から顰蹙(ひんしゅく)を買い、リーダーにすればますます増長するのではないかという意見から結局、若葉が暫定リーダーに据えられ続けることとなった。

ひなたはそれを知っていたが、それでも若葉はリーダーとしてやっていけると信じていた。

 

「大丈夫ですよ若葉ちゃん。若葉ちゃんには、若葉ちゃんにしかない良いところがいっぱいあります。リーダーだって、立派に務めていますよ」

 

「……そうだろうか」

 

ひなたはそう言ったが、本当にそうなのか、若葉には分からなかった。

普通なら、頼人に嫉妬の一つでもするのだろうが、若葉は純粋に相手を尊敬し、それ故にこうして悩む。

それは若葉の長所でもあったが、同時に若葉自身をも苦しめていた。

そんな若葉の心を察して、ひなたは努めて明るく言った。

 

「さぁ、若葉ちゃん帰りましょう?今日の晩御飯は骨付鳥ですよ?」

 

「ああ、そうだったな」

 

そうして寄宿舎に戻る。

ひなたは思う。

いずれ、彼女達は勇者として戦わなければならない。

きっと自分では、本当の意味で彼女達の苦しみを理解してあげることはできないだろう。

なら、自分ができることは?

若葉の為に、勇者の為に、自分はどれほどのことができるのだろうか。

そこまで考えて、ふと思った。

勇者である頼人が何かをしようとしているとして、それを止める権利が自分にあるのだろうか、と。

 

部屋に戻ってからも、答えは出なかった。

そもそも、頼人が一体何を企んでいるのか、まるで分からない。

優しく良い人だと思うが、かといって何も考えず、この件を直接問い質すのも危険だと感じる。

どうしたものか……。

そこで、ひなたのスマホが着信音を鳴らした。

電話の発信者は、頼人だった。

 

 

 

 

 

それからしばらくしたある日の午後。

ちょうど、大社に頼人が訪れている日のこと。

頼人は、唐突にひなたと久美子に自分の部屋に来るように求めた。

この時点で久美子は、自分達の秘密が全て頼人に漏れていることを確信した。

おそらく、決着をつける気だろう、と。

 

「それで頼人さん。私達を呼び出した訳を聞かせてもらえますか?」

 

「ああ。その前に、こちらを聞いてもらおうかな」

 

そう言って頼人は、懐からボイスレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。

レコーダーからは、友奈の声が響いてきた。

内容は、ひなたが久美子を巫女ということにしたという証言だった。

あの友奈から、情報を聞き出すとは……。

久美子は少しだけ驚く。

 

「頼人さん……まさか、友奈さんを……?」

 

「ああ。騙して情報を頂いた」

 

「頼人さん……!」

 

ひなたは非難するような声をあげるも、頼人の表情は変わらない。

 

「騙したのは悪いと思っているが、お前がやったのも同じことじゃないのか?」

 

「それとこれとは……!」

 

「違わない。お前なら分かっているはずだ」

 

「もういい上里。それで、赤嶺頼人。お前の望みはなんだ?」

 

「簡単な話です。お二人にご助力を願いたいと思いましてね」

 

「何のためだ?」

 

「仮にも自分は勇者ですよ?やることなんて決まっているじゃないですか。世界を守るためですよ」

 

「その割には、随分汚いやり方だな。人の弱みに付け込むことが、勇者のやることか」

 

「必要とあらば」

 

「必要か……。お前は必要ならなんでもやるのか」

 

「勿論。人を騙しもしますし、どんなことだってやりますよ。それが未来の為ならば」

 

「人殺しもか?」

 

「……どんなことも、と言ったはずですよ。この意味、分かりますよね?」

 

久美子はこの言葉の裏にある、危険な意味を感じ取る。

ひなたもそれが分かったのだろう。

しばし、沈黙が生まれた。

やがて、ひなたがゆっくりと口を開いた。

 

「それで、頼人さん。あなたは私達に、具体的に何を要求するんですか?」

 

「一言で言うなら、自分の部下として働いてもらう。大社内での根回しなどの工作だったりそういったことをメインで」

 

「逆らえば?」

 

「その時点で、二人の嘘を暴露する。横手茉莉は大社に巫女として縛られ、烏丸さんは追放。ひなたは、巫女としての信頼を全て失う。少なくとも丸亀城にはいられなくなるでしょう」

 

「それだけか?」

 

「今のところは。暴力は苦手でして」

 

先の言といい、明らかに頼人は茉莉への暴行を示唆していた。

少なくとも、勇者のやるようなことではない。

 

「なあ赤嶺。お前はなぜこんなことをする?」

 

「分かってるでしょう?上の人間ははっきり言って、指導者に向いていない。今は、無能が許される平和な時代じゃないんです。馬鹿の下で戦って死ぬのはごめんなんですよ」

 

「頼人さん……」

 

ひなたが少しだけ辛そうな顔を見せる。

ひなたは昔からの親友が勇者であるため、多少、頼人に同情的なのかもしれない。

だが、そんなこと、久美子には関係なかった。

 

「……赤嶺頼人。確かにお前の言う通り、神官達はこの戦争指揮に向いてないだろう。神官達は学者と同じで、自分の専門分野以外では無知無能だからな。だがな、だからと言って、お前の方が優れているとは言えないだろう。客観的に見てお前はまだガキだ。それに、いくら大義の為だからと言って、脅迫なんて手段をとるような人間を、どうしたって信用できない。やはり、この話は断らせてもらう」

 

「あら、いいんですか?」

 

「私がこの件について、全くの無策だとでも思ったか?」

 

「ふむ。例の、自分を大社本部から締め出すって話ですか?」

 

「知っているのなら話は早いな。仮にお前が全てを暴露したとしても、その後、大社にお前の居場所はない。お前が何をしようとしているかは知らんが、それは頓挫する。共倒れにはなりたくないだろう?」

 

「……なるほど。勝つのではなく負けない方法をとりましたか。中々いい考えですね。ですが……その程度のことはどうとでもなります」

 

「………ほう?」

 

「考えてもみてください。この件が明るみになれば、事は最早、巫女の一人二人程度の問題ではなくなります。最悪、巫女という存在そのものが疑問視されかねません。大社の混乱は、想像もつかないレベルになる。その状況で、一オブザーバーの会議参加権など、問題になるはずがない。間違いなく、有耶無耶になるでしょうね」

 

余りにも速い切り返し。

この程度の質問は読んでいたのだろう。

 

「あまりに楽観的な考え方だな」

 

「そうですかね?逆に、本当にそうなるとでも思っているんですか?」

 

互いににらみ合い、考えを張り巡らせる。

頼人は、終ぞ表情を変えなかった。

ブラフも何もかも、通用していない。

 

「………分かった。お前の勝ちだ。働いてやる」

 

「烏丸先生!?」

 

「おや、あっさり引き下がるんですね?」

 

「ここまで弱みを握られていれば、どうしようもない。上里、お前もこいつには逆らわない方がいい」

 

「そんな……」

 

「ふふ、烏丸先生。あなたは本当に賢いですね」

 

「昔から、それなりに要領はよくてな。つくべき相手は間違えない」

 

「そっちじゃありません。隠し持っているボイスレコーダーの方です」

 

「…………何のことだ?」

 

久美子は怪しそうに眉をひそめる。

本当に、何も知らないかのように。

 

「とぼけないでください。力づくで奪ってもいいんですよ」

 

「……やってみろ」

 

「そうします」

 

あまりにも短い、一瞬の交錯。

その二人の動きを、ひなたが見えなかったほどの刹那。

気がつけば、久美子は床に抑えつけられていた。

 

「頼人さん!?」

 

「ぐっ……」

 

「初めて見た時から思ってましたが、それなりに武術はやってたみたいですね。仮目録、といったところですか」

 

頼人はそう言いながら、烏丸の服をまさぐる。

 

「クソ……。婦女暴行で訴えるぞ」

 

「お好きにどうぞ。……ほら、ありましたね」

 

やがて久美子の白衣のポケットの中から、小さな機械が出てきた。

確かにそれは、ボイスレコーダーだった。

 

「やっぱり貴方は優秀だ。所詮、大社から赤嶺頼人を追い出す、なんて話はこうして自分と接触するための餌だったんでしょう?こういう脅迫現場の音声をこうして録っておけば、優位とまではいかなくとも、対等な立場にはなりますからね」

 

「……用は済んだだろ?さっさと降りろ」

 

「ダメです。他にも持ってるんでしょう?」

 

「それ一つでいくらすると思ってるんだ?一つしかない」

 

しかし、頼人はそんな言葉にも惑わされなかった。

 

「自分だって、これ以上あなたにひどいことはしたくないんですよ」

 

「………分かった」

 

久美子はズボンのすそをまくり上げ、服の下から小さな機器を取り出した。

 

「これでいいか」

 

「もう一つありますよね?そちらも、出してください」

 

「…………」

 

しばらく黙った後、久美子は髪の中から、レコーダーをもう一つ取り出した。

 

「これで全部だ。まだ調べるなら好きにしろ」

 

「結構です。それじゃあ、話の続きをしましょうか」

 

頼人はレコーダーを受け取りながら、何事もなかったかのように続けた。

 

「さて、これからすべきことですが、まず、大社の上層部を始末します。お二人には、その後の権力闘争に力を貸してもらうつもりです」

 

「……待て。始末とは……連中を殺すということか?」

 

「それ以外の意味に捉えられましたか?」

 

「頼人さん。それはいくらなんでも見過ごせません……!人を殺すなんて……!」

 

「断ると言うのか、ひなた」

 

「当たり前です!そんなこと……絶対にさせません!」

 

「本当にいいのか?そんな事を言って」

 

そういうひなたに、頼人は冷ややかに言った。

 

「友奈さんの証言を流したいのならどうぞ。ですが、大社での信用なら私達の方があります。思い通りにはさせません!」

 

「確かに、お前は賢いからな。すべてが思い通りに行くとは思ってないさ。だがひなた、これだけは保証しておいてやる。断れば、お前は二度と若葉と会えない。絶対に、どんな手段を用いても、再会できる可能性を徹底的に潰す。これだけは絶対に保証しよう」

 

「っ……!」

 

「烏丸さんも覚えておいてください。自分に逆らえば、どういうことになるか」

 

頼人がそう言うと、部屋は沈黙に包まれた。

静寂が部屋を支配する。

無音状態の部屋。

静けさのなか……カチリ、という音が鳴り響いた。

 

「さて、こんなものでいいか。ひなた、もういいよ」

 

頼人は、テープレコーダーの録音終了ボタンを押して、そう言った。

 

「頼人さん?いきなり取っ組み合いだなんてやめて下さい。何かあったらと思うと、冷や汗ものでしたよ」

 

打って変わって、親しげに話す頼人とひなたに、思わず久美子は困惑を覚えた。

 

「……どういうことだ、これは」

 

「失礼。これはちょっとした芝居ですよ」

 

「ごめんなさい烏丸先生。あまり騙したくはなかったんですが」

 

「……今までのは演技だったと?」

 

「ええ。流石に人殺しなんてしませんよ。それより、乱暴してすみませんでした」

 

頼人がそう言うと、久美子は思わず頭を搔きむしった。

どうやら、謀られたらしい。

 

「……なるほど。道理で、上里が鈍かったわけだ。手の込んだことを……。何のためだ?」

 

「横手さんから色々と話を聞きましてね。あなたが信用に足る人物かどうか、確かめる必要があったんですよ」

 

「茉莉か……。確かに、あいつから話を聞いたのならそう思っても仕方ないだろうな。それで?私はお前のお眼鏡にかなったのか?」

 

「ええ。結局、最後の最後まであなたはひなたを裏切りませんでしたから。なので、安心して最後のレコーダーも出してください」

 

「……何故分かった?」

 

久美子は、胸元からテープレコーダーを取り出した。

男性なら分かっていても、なかなか調べられない場所だ。

 

「人間、三という数字で安心するんですよね。不思議なことに。だから、こういうのは四つ用意しとくのが賢いやり方。たまたまそれを知ってただけです」

 

「………まったく、私は最初からお前たちの手のひらの上だったという訳か。馬鹿にしてくれるな」

 

ひなたとつながっている以上、頼人に久美子の手札は全てバレていたのだ。

そんな状況では、まともに交渉なんて成立するはずもない。

最初から、勝敗は決まっていたのだ。

 

「それくらいのことやりかけてたんですから、我慢してください。それに理由は他にもありますしね」

 

「ふっ。自分の力を自慢したかったのか?」

 

「違います。こっちですよ」

 

そう言って、頼人はボイスレコーダーを指で軽く振った。

 

「お前も持っていたんだな」

 

「ええ。万一自分が失敗した時、後を託せる人が必要ですから。この音声記録があれば、ひなたは脅迫されて従ったと言い訳できる」

 

「確かにお前の悪役ぶりは板についていたが……。それはともかく、上の連中を始末しないのなら、音声記録と矛盾するんじゃないか?」

 

「そこは、ひなたと烏丸さんが必死に止めたということにして下さい。恩も売れて一石二鳥です」

 

「……今から失敗する可能性を考えているとは」

 

久美子は呆れたように息をついた。

やはり、こいつは色々とおかしい。

この手のことをやらかす人間は、大抵自分の力を過信する。

失敗することは勿論、失敗した後のことなんて考えるはずがない。

 

「当然ですよ。さっきの烏丸さんの言葉は確かに正しい。勇者だと持て囃されても所詮は子供。大社は急ごしらえとはいえ、それなりに大きな組織です。万が一を考えるべきです。ですがね、それでもやらなければならないことがありましてね」

 

「やるべきこと、ね。結局、お前は本当は何をやろうとしているんだ?」

 

久美子の言葉を聞いた頼人は、しばし天井を見上げ、それから久美子に向き直り言った。

 

「………上は、貴重な勇者を見殺しにしようとしている。この状況では、そのようなことを看過できません」

 

「諏訪のことか?あれは時間稼ぎのための囮だ。お前だって、気がついてるんだろう?」

 

「勿論。時間稼ぎのために囮は必要です。ですが、勇者システムが完成してしまえば時間稼ぎの必要もなくなる。上のやろうとしていることは、実戦経験豊富な勇者と、約十万の民衆を見殺しにするのと同義。この状況で彼らを見捨てるなんて、戦略的にも、政治的にも悪手と言わざるを得ません」

 

「まさか、お前は……」

 

「ええ、諏訪にいる勇者と巫女と民衆。その全てを回収します」




諏訪の推定人口
原作の情報によると、二〇一五年時点では結界は諏訪湖全域を覆っていたという。
のわゆ漫画版一巻ではどのあたりまでの地域を覆っていたかが描写されている為、これを参考に、この地域における人口をガバガバフェルミ推定により算出してみた。
まず、諏訪結界の該当地域は、諏訪市、岡谷市、下諏訪町の三地区の平野により構成されている。
各自治体の二〇一五年時点での人口は、平成27年国勢調査によると、諏訪市、50,140、岡谷市、50,128、下諏訪町20,236。
合計すると120,504人。
約十二万人である。
ここで、三地区の中でも、諏訪湖結界の内部で生活していた人口を考える。
三地区にはある共通点がある。
それは、土地の殆どが山であり、生活圏が諏訪湖周辺の平野に集中しているという点である。(Googleマップとか見れば分かりやすい)
つまり、人口の殆どは結界内に収まっていたと考えられるのだ。
少なく見積もって、三地区合計人口の三分の二が諏訪結界内部で生活していたとしても、人口は約八万。
そこに、周辺地域からの避難民を計上すると、十万近くまで達するのではないかと推測。
その為、本作においては、諏訪の推定人口は約十万としている。
ちなみに、漫画版の描写を信じた場合、ごくわずかだが茅野市の土地も結界に入ってたりするし、三地区合計の三分の二、というのは割と少ない見積もりなので、ぶっちゃけ十数万人いてもおかしくないけど、十万以上は誤差だよ誤差(白目)。
まあ、どれほど少なく見積もっても数万単位の人口がいるのは間違いないから、四国への避難難易度的には極論数万も十万も変わらない。
そりゃ、うたのんも逃げられんわ。


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勇者通信

皆様、あけましておめでとうございます。
本年も拙作をお読みくださり、誠にありがとうございます。
新年度一発目から投稿が遅いですが、何とか更新していきますので、今年もよろしくお願い致します。

本編もそろそろ更新しなきゃ……。


二〇一六年十二月上旬。

冷たい風が、木々を掻き鳴らす。

雲はどんよりと濁っていて、今にも雪が降りそうな空模様。

そんな天気の下で、人々は畑仕事をしていた。

 

「皆さん、今日はこれくらいにしておきましょう!雪も降って来そうですから!今日も、ありがとうございました!」

 

歌野の言葉で、周りの大人たちも手を止め、腰を上げる。

土作りも楽じゃないなぁ、今年はいいけど、来年の肥料も考えないといけねえしなー、そういえば隣のとこのジャガイモは結構採れたらしいぞ。

そんな言葉を交わしながら、畑から出ていく。

十二月は、いわゆる農閑期。

土作りや冬野菜の収穫くらいしかやることはなく、他の季節よりも手が空く時期だが、短時間とはいえ寒空の下働くのでそれなりに大変だ。

標高が高い諏訪は、寒さも厳しいため、汗をかいたままだとすぐに風邪をひいてしまう。

 

「うたのんお疲れ様。はい、温かいお茶持ってきたよ」

 

作業を終えた歌野に、水都がコップを差し出す。

 

「ありがと、みーちゃん」

 

コップを受け取った歌野がゆっくりとお茶を飲む様を、水都は目を細めて見つめる。

 

「ぷはぁ~。やっぱりこの時期は、ホットな麦茶が一番ね~」

 

「ふふ。うたのん、お年寄りみたいなこと言ってる」

 

「あらやだ。私はまだピチピチの小学生よ?」

 

「今時、ピチピチなんて言わないよ」

 

そうして、二人笑い合う。

バーテックスが現れてから、約一年半。

諏訪での暮らしは、二人にとっての日常になっていた。

 

「手伝ってくれる人も、ずいぶん増えてきたね」

 

歩きながら、水都がしみじみと呟く。

歌野一人で行っていた農作業も、一人また一人と増え、今では数多くの大人たちが協力してくれている。

 

「ええ。皆協力してくれて、ありがたいことだわ。一年前からしたらアンビリーバボーね」

 

「うたのんが頑張ったからだよ」

 

「私だけの力じゃないわ。みーちゃんも一杯手伝ってくれたじゃない」

 

「わ、私は大したことしてないよ……。畑仕事もあんまり手伝えなかったし……」

 

「そんなことないわ。みーちゃんがいつも一緒にいて、支えてきてくれたからできたのよ」

 

「支えると言っても、バーテックスの場所を教えることくらいしかできてないし……」

 

「それだけじゃないわ。今日だって寒い中待っててくれたし、戦いにだってついてきてくれる。これってすっごく、勇気をもらえるのよ。だから、みーちゃんも胸を張って?」

 

「う、うん……」

 

歌野の言葉に、ついつい水都は照れてしまう。

いつもそうだ。

歌野は、いつだって周りの人々に勇気を与える。

希望を与える。

水都が歌野を支えられているのも、歌野からもらった勇気のおかげなのだ。

 

「あら降ってきた。やっぱり、早めに解散したのはナイスな判断だったわね」

 

その言葉に水都も空を見上げると、灰色の空から、純白の粉雪が降り注いできていた。

この様子だと積もることはないだろうが、寒さは厳しくなるだろう。

風が強くなれば、余計だ。

天気が変わって、雪が強くなる可能性もある。

 

「うたのん、早く帰ろ?」

 

「そうね。けどその前に……」

 

 

 

 

「うたのん、ここに来るには少し早いんじゃないかな?」

 

水都は少しだけ口をとがらせて言った。

ここは諏訪大社本宮の参集殿。

四国と通信できる設備が整っている場所だ。

 

「ええ。けど、この後天気が悪くなったらここに来るのが大変になっちゃうから」

 

「それは分かるけど……」

 

理屈では分かるが、それでも水都は落ち着かない。

若葉と話す歌野はいつも楽しそうで、こんな事を言われると、なんだか、歌野が自分よりも若葉との時間を楽しみにしている気がしてしまう。

そんなことはないと頭では分かっていても、何故だかもやもやする。

と、そこで通信機器がノイズを立てた。

 

「あら、今日は向こうも早いわね」

 

歌野がそう呟いて通信機器に向かう。

 

「諏訪より白鳥です。乃木さん、今日は早いんですね?」

 

歌野は楽し気に声を掛けた。

しかし、歌野が予期した声は帰ってこなかった。

 

『勘違いさせて申し訳ありませんが、自分は若葉ではありません』

 

その声に歌野と水都は眉をひそめる。

いつもとは違う。

少し低くて、少女の声ではない。

男の子の声だ。

 

「そうでしたか、すみません。それじゃあ、あなたは……?」

 

『赤嶺頼人と言います。初めまして、白鳥歌野さん』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「故障……通信機器がか?」

 

突然の連絡に、若葉は思わず聞き返した。

 

「はい。厳密には、連動している録音装置の方が故障しているみたいで、修理の為、今日は通信できないそうです」

 

「そうか……。なら、仕方ないな……」

 

若葉は少しだけ落胆する。

諏訪との通信は、四国の『外』と唯一繋がることのできる時間であり、また、白鳥と話せる大切な時間だ。

白鳥と話していると、遠い地で戦っている同胞がいると実感できて、勇気をもらえる。

いわば、若葉にとっての、『日常』の一つだった。

諏訪が予断を許さない状況である以上、例え少しの間でも通信できないというのは、若葉を不安にさせる。

 

「諏訪へはもう伝えたのか?伝えてないなら私が―――」

 

「いえ、もう他の方がお伝えになったそうです。だから若葉ちゃん、今日のところは……」

 

「ああ……」

 

「元気を出してください。これから、頼人さんと稽古をするんですよね」

 

「……すまない。この程度のことで暗くなってはいかんな。……行ってくる」

 

「はい。行ってらっしゃい、若葉ちゃん」

 

 

 

型稽古。

多くの武術に共通するものであるが、この表記は、厳密には正しくない。

(かた)稽古という表記が正しいものとされている。

双方ともに、「かた」という古武術の伝承法が語源な訳であるが、無論、「型」という表現が正しくない理由がある。

「かた」は本来、業や精神を積み重ねにより生まれた、技であり術そのものであり、固定的な「鋳型」ではない。

それ故に、「形」なのだとされる。

しかしながら、「形」を再現するのは容易なことではない。

それを若葉は今、痛感していた。

 

「腰構えが甘いぞ。考え事か?」

 

頼人が、突きつけられた木刀を前に尋ねる。

最近、若葉は頼人に、剣術の型稽古に付き合ってもらっている。

何度やっても頼人に勝てない以上、自分の地力をあげるしかないと判断したからだ。

そうして、若葉は木刀を下ろしながら答える。

 

「すまない。一瞬、集中が途切れたようだ。もう一度頼む」

 

「分かった」

 

互いに、再び木刀を構える。

型稽古には、いわゆる取り手と受け手が存在し、二人合わさった動き自体が稽古で、二人揃わなければ稽古は成立しない。

取り手が勝ち、受け手が負ける動きをすると決まっている。

考え方によっては、協力関係にも見えるが、実態はそんな生易しいものではない。

二人が、木刀を右上腕部に水平に乗せるような姿勢をとり、同時に木刀を振り下ろす。

中段で木刀を合わせた後、頼人が一歩下がり、木刀を再び振り上げる。

そこに若葉が近づき、一気に木刀を斬り上げ……瞬間、首筋に頼人の木刀が静止していた。

その感触に、若葉は顔をしかめる。

 

「やっぱり、調子が悪いな。少し休むか?」

 

「……いや、もう一度頼む」

 

そう言って、再び構えをとる。

今の型稽古において、若葉は受け手ではなく、取り手だった。

すなわち、今のは本来の型稽古の動きではない。

本来であれば、今の頼人の斬撃が届く前に、若葉の木刀が頼人の胸に届いていなければならなかった。

しかし現実には、先に頼人の木刀が届いてしまった。

これでは、稽古として成り立っていない。

こうなる原因を、若葉は知っていた。

型稽古において、取り手も受け手もある種の術理の下、動く。

つまり、受け手も術理に反した動きはしておらず、受け手が正しく受けをとった場合、取り手の動きが甘ければ、型で決められた勝敗は逆転してしまうのだ。

普段は、こんなことはない。

若葉はまさしく、武術においては神童とも言える才の持ち主だ。

才なきものでは、何十年もかかる型通りの動きを、齢十二でしてしまえる。

こんな結果になった理由は、若葉の精神の揺らぎにあった。

諏訪が大変な状況で、自分達は只訓練だけしていればいいのだろうか。

そう思うと、ほんの僅かに気が散ってしまった。

きっと、他の誰にも気づかれることはないような、僅かな緩み。

しかし、剣には若葉の悩みが映ってしまった。

 

「……今日は、このくらいにしとこうか」

 

「待て頼人。まだ………!」

 

「こうもズレると、稽古にならない。これ以上続けるのはお互いに良くないし、今日はもう上がろう?」

 

「…………」

 

若葉は、何も言えなかった。

型が要求するのは、術理に従った体の捌き方、言ってしまえば身体操作術である。

決して、実戦の雛形ではない。

それ故に、型稽古は、型通りの動きが厳密に要求されるのであるが、今のような有様では型稽古は成立しない。

若葉は、自身の未熟さを痛感した。

勇者のリーダーであるのに、この程度のことで心を揺さぶられるという事実が、歯痒かった。

すると、頼人がふと声を掛けた。

 

「諏訪のことか?」

 

突然のことながらも、若葉はあまり驚かなかった。

頼人がこの手の情報に耳が早いことは、この数ヶ月でよく分かっていたからだ。

 

「……知っていたのか?」

 

「ひなたから聞いた。心配なんだな」

 

「ああ……。心配してどうにかなることではないと分かっているが、それでもな……」

 

諏訪の状況は、段々と悪くなってきている。

考えないようにしているが、それでも、今日のようなことがあるとつい考えてしまう。

このまま何もしなければ諏訪は………。

そう思うと、ここで訓練しているだけでいいのだろうか、という焦りがどうしても生まれてしまう。

 

「……なぁ、若葉は何で戦うって決めたんだ?」

 

「いきなりなんだ?」

 

脈絡のない質問に、若葉は疑問符を抱く。

 

「いや、聞いてなかったからさ。それとも、明確な理由なんてないのか?」

 

「……勿論ある。バーテックスに報いを受けさせ、奪われた世界を取り戻すためだ」

 

頼人の挑発的な言葉に乗るように、若葉は力強く言った。

あの日、あまりのも多くのものが奪われた。

命。

国土。

世界そのものが奪われてしまった。

そのことを考えると、怒りが若葉の胸の内を支配する。

 

「何事にも報いを……だったか」

 

「そうだ。それが乃木の生き様だ」

 

若葉の祖母がよく口にしていた戒めの一つ。

若葉自身も、大切にしている言葉だ。

 

「だけど、今はまだできない。それは分かっているよな?」

 

「……ああ」

 

諭すような頼人の言葉に頷く。

今の自分では、諏訪の助けになることも、バーテックスに報いを受けさせることもできない。

あの日も、バーテックス一体一体は倒せても、集合体は倒すことができなかった。

あれから必死で鍛えてきたとはいえ、勇者システムが完成していない以上、今戦っても勝てるかは分からない。

 

「なら、そういうことはシステムが完成してから考えればいい。それに、俺にはまだ勝ててないだろう?悩むのは俺に勝ってからにしタマえ」

 

頼人は冗談めかして言った。

しかし、若葉の心は晴れない。

 

「しかし………」

 

「大丈夫。四国の準備が整えば諏訪だって助けられる。白鳥さんは強いんだろう?なら、こっちの準備が整うまで持つさ。それとも、白鳥さんは信じられないか?」

 

「いや、そんなことはない!」

 

「なら、大丈夫だな」

 

そういって頼人は、若葉の頭をポンポンと優しく叩いた。

頼人は時折、こうして若葉の頭を撫でる。

 

「だからやめろ……」

 

そう言って軽く抗議するも、実際にはもうもう慣れていた。

根が甘えん坊なところがある若葉は、撫でられることは嫌いじゃない。

妙な感覚ではあるが、むしろ安心してしまう。

つくづくこの少年は不思議だ。

若葉の小さな不安も見逃さずに、こうして気付いてしまう。

それに、何故か頼人にはこういう不安を話せてしまう。

つくづく不思議な少年だ。

 

「結論が出たし、飯にしよう。流石に腹が減った」

 

「ああ、そうだな」

 

そうして、二人で食堂へ移動した。

足取りは、ここに来た時よりも少しだけ軽かった。

 

 

数日後、若葉は通信室にいた。

いつも通り、無線機のスイッチを入れ、通信を繋ぐ。

しばらくの雑音の後、落ち着いた少女の声が通信機から発せられた。

 

『諏訪より白鳥です。勇者通信を始めます』

 

「香川より乃木だ。よろしくお願いする。白鳥さん。前回の通信から少し間が開いたが、何か変わりないか?」

 

『目立った変化はあまりありません。変化と言うと、久しぶりに雪が積もったことくらいですね』

 

「そうか、諏訪は余り雪が積もらないのだったな」

 

諏訪地域は内陸性気候で、冬の寒さは厳しい。

一月二月などは、マイナス十度まで気温が下がる日もある。

だが、降雪量はそれほど多くなく、二十cmほどの積雪が一シーズンに三、四回あるだけだ。

 

『ええ。おかげで、いつもより作業が大変です』

 

言葉とは裏腹に、白鳥は楽しそうな声だ。

その声を聞くと、若葉はなんだか安心して、先日の不安が馬鹿みたいに思えた。

頼人の言う通り、諏訪はまだ大丈夫だろう。

 

『……そういえば乃木さん、一つ聞いてもいいですか?』

 

「ああ。何だろうか?」

 

『以前話していた、赤嶺さん。彼のお話を聞かせてもらえませんか?』

 

「ああ、構わないが……何か気になるのか?」

 

『そう大したことではありません。ただ、男の子で勇者というのは珍しいので、少し話を聞いてみたくなったんです』

 

「そういう事か。分かった。私の知っている限りのことを話そう」

 

それから、若葉は頼人について、様々な話をした。

剣術や居合に秀でている事。

大人びた性格で、他の勇者達とも仲が良い事。

また、時折大社に出入りしていて、大人の問題にも関与しているらしいという事。

 

『なるほど。乃木さんがそこまで言うとは、中々の方なんですね』

 

「そうだな。私の当面の目標は、あいつから一本取ることだ」

 

『ふふ、何だか乃木さんは、赤嶺さんにぞっこんみたいですね。上里さんに怒られちゃうんじゃないですか?』

 

「ば、馬鹿を言うな!私はそんな……!」

 

『冗談です。でも、その様子だと案外まんざらでもなさそうですね?』

 

また言い返しそうになるも、若葉は深呼吸し心を落ち着かせた。

相手のペースに嵌る必要はない。

 

「……やめてくれ白鳥さん。私達は今、色恋沙汰に現を抜かす暇などないんだ」

 

そう。

この危機的状況において、惚れた腫れただのと言っていて良い訳がない。

そんな甘さがあれば、いざという時に足を掬われる。

 

『そうですね……確かに私達の戦いは過酷です。ですが、だからといって、何かをしてはいけないだとか、日常を蔑ろにする必要はないんじゃないでしょうか?』

 

「しかし……」

 

『私は、今の日常が大切です。皆で畑を耕して、みーちゃんと美味しい蕎麦を食べて……。乃木さんにも、そういう日常はあるんじゃないですか?』

 

その言葉で、若葉はひなたとの日常を真っ先に思い出した。

昔からずっと親友同士で、それは丸亀城に来てからも変わっていない。

ご飯を作ってくれたり、耳かきをしてもらったり、世話になりっぱなしだ。

 

「そうだな……。白鳥さんの言うとおりだ」

 

若葉は、素直に首肯した。

非常時だから甘さを切り捨てなければならないのだとすれば、若葉はそういう日常をも切り捨てなければいけないことになる。

若葉としても、それは嫌だった。

 

「………とはいえ、恋愛は私達にはまだまだ早い。そういうのは、もう少し大人になってからにすべきだ」

 

そこは譲らなかった。

若葉の価値観は中々堅いのだ。

 

『…………』

 

「……白鳥さん?」

 

沈黙が返ってきたので、不審に思った若葉が名前を呼ぶ。

 

『あ、すみません。通信機の調子が悪いようです。それにしても、やっぱり、そこは譲らないんですね』

 

「ああ。慎みはもたなければならない」

 

『乃木さんらしいですね。……それより、そろそろあれをしませんか?』

 

と、そこで白鳥は、悪戯っぽい声を出した。

それで若葉も、白鳥が何をしようとしているのか理解した。

 

「……いいだろう。私もそろそろだと思っていたところだ。今日こそ決着をつけよう……」

 

「『うどんと蕎麦、どちらが優れているかを!!』」

 

そうして、いつものように熱い舌戦が始まった。

なお、今日も決着がつくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

「―――うどんと蕎麦、どっちが優れてるか、ねぇ……」

 

「ああ。白鳥さんとはいつもこの話題を話しているのだが、なかなか決着がつかないんだ」

 

翌日の昼。

食堂で若葉は、諏訪との通信の話をしていた。

ちなみに、最近は七人で食事をとるようになった。

リーダーとして何が提案できるか考えた時、少しでも結束力を高めるために、纏まって食事をとるべきじゃないかと考えたのだ。

千景が友奈や頼人とは話すようになったことも、この考えを後押しした。

多少の反対は出たものの、頼人や友奈が説得したことにより、昼食は皆で食べることに決定した。

 

「決着って……そりゃあ、つかないだろうな……」

 

好みの問題だし、と頼人。

意外にもドライな反応だ。

 

「何を言う頼人!うどんが蕎麦より優れているのは自明の理ではないか!」

 

「ああ、うん。そうだなー」

 

頼人は流すように答えた。

 

「もの凄い気迫ですね……」

 

「若葉のうどん愛には少し引くぞ……」

 

杏や球子もまた、若葉の迫真の言葉に少し引いた様子で言う。

食べ物の論争は、どのようなものであれ過激になる。

骨付き鳥の親と若、きのことたけのこ、うどんと蕎麦。

一度勃発すれば、血で血を洗う闘争が始まってしまう。

ある種の宗教戦争ともいえるだろう。

 

「けど、白鳥さんはホントに蕎麦が好きなんだね!やっぱり、信州蕎麦ってそれだけ美味しいのかな?」

 

「美味いよ。本場物は本当に」

 

「頼人さん、長野で信州蕎麦を食べたことがあるんですか?」

 

「何度か。あのざる蕎麦は美味かった……」

 

ひなたの質問に、頼人は遠くを見るようにしてしみじみと語った。

思い出に浸っているようだ。

 

「何だ頼人。まさか、蕎麦派に寝返るつもりじゃないだろうな?」

 

若葉がギロリと頼人を睨む。

うどんへの愛は、時として危険なものにもなる。

 

「落ち着け若葉。俺はあくまでうどん派だ。うどんは命の源」

 

「うむ。それが分かっているなら良し」

 

「それでいいんですか……」

 

腕を組んで頷く若葉に杏はそう言うが、若葉は納得している。

うどん県民というのは複雑怪奇だ。

 

「けど、確かに香川のおうどんは美味しいよね!お昼はみんな、いつも自然にうどんになっちゃうし」

 

「ああ。香川県民は少ないのに、考えてみればちょっとだけ意外だな」

 

「ここのうどんはうまいからな!タマもついついうどんを頼んでしまうぞ!」

 

「そればかりは同感ね……」

 

「ふふ、皆さん、すっかりうどんのとりこですね」

 

やはり、勇者達にとってうどんは圧倒的に人気だ。

あの千景ですら、球子の言葉に賛同する。

 

「そういえば、もう年末だけど皆は年越しの時、蕎麦を食べてるのか?それともうどん?」

 

と、そこで頼人がそんなことを尋ねた。

途端、若葉に火がつく。

 

「当然うどんだ!四国では年越しうどんと相場が決まっている!」

 

「うん。若葉は分かる。聞かなくても分かる。そうじゃなくて、香川県民以外はどっちなのかなってさ」

 

「年越しはやっぱり蕎麦ですね」

 

「確かに、タマのとこもそうだったなー」

 

「私のところもそうだったよー」

 

「なっ……!?そんな馬鹿な……!年越しにうどんを食べないなんて……」

 

若葉は驚くが、やはり、香川県民以外の年越しは、蕎麦が主流だった。

もっとも、驚いているのは若葉くらいだったが……。

 

「ぐんちゃんはどうだった?」

 

「私は……あまり意識したことはないわ……」

 

そこで千景は少しだけ暗そうな顔をして言う。

そんな千景の言葉に頼人がすぐに反応し、こんな提案をした。

 

「そっか。それじゃあ今年は皆で一緒に食べようか」

 

「みんなで一緒に……?」

 

「ん。みんなで」

 

「頼人君!それすっごくいい考えだね!!年末だし――――そうだ!」

 

と、そこで友奈が大声を出した。

周りが驚き、友奈に視線が集まる。

 

「た、高嶋さん……?」

 

「ど、どうしたんだ友奈?やっぱり年越しは蕎麦じゃないと駄目なのか?」

 

「違うよタマちゃん!クリスマスだよ!もうすぐ!」

 

「そういえばそうだったな。町中でもイルミネーションが増えてきていた」

 

若葉が思い出すように言う。

どうやら友奈は、年末ということで思い出したらしい。

 

「そうだよ!だから、私達もクリスマスらしいことをしようよ!みんなで!」

 

「おお、いい考えだな友奈!タマも賛成だ!」

 

「クリスマスパーティー……!素敵ですね!」

 

「なら、骨付き鳥も用意しないといけませんね」

 

クリスマスパーティーという提案に、少女たちが湧き立つ。

若葉は一瞬反対しようとしたが、白鳥の言葉を思い出し、こういうのも認めるべきかと考え直した。

だが千景は、少々浮かない顔をしていた。

 

「千景は、クリスマスパーティーをしたことはあまりないのか?」

 

頼人が、少し小さな声でこっそり千景に尋ねる。

すると、千景は少し申し訳なさそうに答えた。

 

「ええ……。正直、よく分からないわ……。私の家では、クリスマスの時に……何かやったことなんて、ないから……」

 

「そっか。じゃあ一緒に準備しよっか。色々教えるから」

 

「赤嶺君……。いいの……?」

 

「当たり前だよ。色々と手伝ってもらうことにもなると思うし」

 

「……ありがとう。赤嶺君」

 

千景は少しだけ照れながら、微笑んだ。

 

「頼人、千景!お前たちも何かいい案を出しタマえ!」

 

「はいはい。球子様の仰せの通りに」

 

それから、トントン拍子で話は進み、丸亀城の教室で小さなクリスマスパーティーが開かれた。

小さなクリスマスツリーに、ちょっとした飾り付け。

クリスマスチキン代わりに、骨付き鳥を食べ、皆で用意したお菓子やケーキを楽しむだけのささやかなパーティー。

それでも、皆結構楽しんでいた。

パーティーの後は皆で部屋に集まって、ボードゲームやトランプで遊んだりして、クリスマスを楽しんだ。

本当に、ごく普通の中学生のように。

 

 

 

『クリスマスパーティー、そんなことがあったんですね』

 

「ああ。おかげで、皆の結束が強まった気がする。白鳥さんの言う通り、日常は大切にすべきだということがよく分かった。ありがとう」

 

それからしばらくして、若葉はクリスマスのことを、白鳥に話していた。

共にクリスマスを祝うことはできなかったが、せめて、こういう話題は共有したかったからだ。

それに、白鳥の言葉がなければ場の雰囲気を悪くしてしまっていたかもしれない。

そのことについても、若葉は礼を言っておきたかったのだ。

 

『そんな、お礼を言われるようなことではありません』

 

「いや、白鳥さんと話していると、いつも色々なことに気付かされる。本当に感謝している。直接会って、お礼を言いたいくらいだ」

 

これは、若葉の素直な気持ちだった。

丸亀城の勇者と同じように、白鳥のことも大切な仲間だと思っている若葉は、本当に白鳥に感謝していた。

 

『……そう、ですね。私も、乃木さんと会って、色々お話ししたいです』

 

「そうだな。会えた時には、本場の讃岐うどんを食べさせてやろう。きっと、蕎麦よりも気に入るはずだ」

 

若葉は、そろそろいつもの論争を始めようとして、白鳥に軽く挑発をした。

だが、白鳥は、いつものような反応を返さなかった。

普段であれば、間違いなく若葉の挑発に乗るはずなのに、だ。

 

『…………その前に、一つ、大事な話をしてもいいですか?』

 

と、そこで白鳥は口を開いた。

いつものような明るい雰囲気ではなく、言葉に重さを感じられる。

 

「大事な話……?」

 

『はい。とても大事なお話です』

 

「……分かった。聞こう」

 

若葉は、改めて姿勢を正し、返事をした。

白鳥が真剣な話をしようとしている以上、自らも真剣に聞かなければならない。

どんな話でも受け入れよう。

そう、若葉は決意した。

やがて、白鳥が再び口を開く。

 

『単刀直入に申し上げます。現在、諏訪は危機的状況にあります。このままだと、そう遠くないうちに諏訪は陥落するでしょう……。そのため――』

 

と、そこで言葉が少しだけ途切れた。

しばしの沈黙。

そして―――

 

『―――現時点をもって、諏訪は四国に……救援を要請します』

 

これは、諏訪の総意です。

そう白鳥は、絞り出すように宣言した。



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激震

遅くなってすみませぬ……。
執筆時間が、執筆時間が欲しい……。

※作中の貨幣価値は分かりやすさを重視するために現在の通貨価値と同じにしております。


諏訪からの救援要請が届くと、大社は瞬く間に混乱に陥った。

これまでより会議は頻繁に開かれるようになったが、諏訪からの救援要請をどう処理するかという結論は一向に出なかった。

ただ、諏訪はまだ持つのではなかったのか、という諏訪に対する筋違いの恨み言を言う者や、勇者システムの完成をもっと急がせられないのか、などといった意見が目立ち、有用なアイデアは生まれない。

救援要請についても、正式に受諾し、『現在作戦を検討中のため、今しばらく耐えてほしい』という趣旨の返答を行ったものの、具体的な援護案も救出活動案も検討すらされていない。

誰も、本気で諏訪を助けようだなんて考えてはいない。

四国や人類のことを考えての結論。

今までは、諏訪が囮だなんてことが会議などで言われたことはなかったが、最早、誰もそのことを隠そうとすらしていない。

そもそも方法がないのだから仕方がない。

誰も口にせず、しかし誰もが考えていた言葉。

それは、巫女たちにも例外なく伝わっていた。

四国で反撃の準備が整ったら、諏訪と挟撃して国土を取り戻す。

そう信じていた子は、特に衝撃を受けていた。

神官たちからも、余裕が失われてきている。

事実、日を追うごとに会議では、彼らの焦りが見て取れるようになってきた。

不安、焦燥、恐怖。

それら全てが神官の精神を蝕み、会議を迷走させる。

今の最大の議題は、勇者システムが完成するまでの間、いかにして諏訪を延命させるかという話だ。

もっとも、大した話にはなっていない。

いつも通り、何の結論にも達することのない会議。

今日も、そうなるはずだった。

この提案がなされるまでは。

 

 

「諏訪撤退作戦……?」

 

神官が、『諏訪撤退作戦(仮称)概要』と書かれた書類を手に、疑問符を浮かべた。

 

「現時点ではあくまで仮称ですが」

 

久美子が表情を変えずに答えると、困惑した声が神官達から漏れる。

あまり期待はされていない様子だ。

そんな神官達を無視して、久美子はページをめくる。

途端、神官たちも一斉にページをめくり、紙の擦れる音が会議室に響く。

そうして、久美子は説明を始めた。

この作戦を簡単にまとめると、四国内の空港に残された旅客機を使い、諏訪の人間を数日間に分けてピストン輸送するというものだった。

四国には各県に一ヶ所ずつ、計四ヶ所に空港がある。

高松空港、徳島空港、高知空港、松山空港。

そして7・30天災時、四国上空を飛行していた機体の多くはこれら四ヶ所の空港に緊急着陸したため、四国にはそれなり以上に多くの旅客機が存在していた。

また、諏訪からそう遠くない位置には、松本空港がある。

バーテックスは建築物を破壊するケースは多々確認されているが、地面のみを狙って破壊するケースは今のところ確認されていない。

つまり、滑走路が生きている可能性があった。

確認の為、諏訪の勇者に松本空港の調査を依頼すると、多少の損傷はあるものの、諏訪だけで充分修復はできる程度の損傷だったという。

滑走路が使用可能であれば、諏訪の約十万の民衆を救出することも可能だろう。

そう久美子は主張した。

そして―――

 

 

 

 

 

 

 

「ボツになりましたね……」

 

会議が終わった後、ひなたは小さく漏らした。

提出された概要書には、多くの反対意見が寄せられた。

飛行中にバーテックスの攻撃を受ける可能性が高いのでは?

諏訪と松本空港の距離が近いとはいっても、十万の人々を結界外で移動させるのには危険ではないか?

天に近い航空機などは優先的に狙われるだろう。

第一、天恐患者をどうする?

避難者やパイロットが天恐を発症したらどうする?

そもそも作戦の規模が大きすぎて、大社の権限の範疇には収まらないだろう。

などなど、至極もっともな批判が相次いだ。

無論、それらへの対応策もある程度用意されていた。

中国、九州地方に、残存する自衛隊部隊と勇者を展開し、陽動を行う。

それにより、諏訪の人間が避難する時間を稼ぐ。

また、天恐患者には鎮静剤を投与するなどして、輸送すればいい。

政府には、大社として正式に協力を要請すれば、作戦の性質上、断られはしないだろう……と。

しかし、バーテックスのもつ、人口が多い地域を優先して襲うという性質上、陽動の効果がどこまであるのか分からないと反論され、また、一部神官の政府に遠慮する姿勢から、結局、議論は纏まらなかった。

結果として、神官達はこの案を却下した。

当然だろうな、と久美子は思う。

これほど手間がかかり、リスクも高い作戦を、上が認めるはずもない。

 

「まあ、こうなるのは分かっていたことだ。良くも悪くもな」

 

ひなたの言葉に、久美子がどうでも良さそうに答えた。

この案が通らないことは最初から分かっていた。

今回提出された作戦概要書は実際穴も多く、現実的に可能な作戦案とは、久美子自身も考えてはいなかった。

航空機を使うというのは盲点だったが、そもそも松本空港が結界外に位置している以上、作戦を実施しても犠牲者が出るのは避けられないだろう。

もっとも、いくら優れた案でも作戦の性質上リスクが大きいのに変わりはなく、誰かが責任を負わなければならない以上、今の大社では纏まる可能性は低い。

何しろ、この作戦を実行して四国に被害が来ないのか、勇者に被害が出ないか、など自分たちの身を心配している神官が多い。

言い換えれば、リスクを負ってでも諏訪を助けたいと思っている者は少ないのだ。

だが、頼人はそれを承知でこの概要書を提出させた。

今回は没になったが、奴はこの作戦を上に通すつもりだ。

そのために必要な手段は、既に講じている。

しかしながら、諏訪の人間を脱出させるとしても、本当にこの作戦のまま実行するとは、久美子には思えなかった。

おそらく、何か自分達の知らない情報を握っているのだろう。

でなければ、こんな不完全な作戦を立案するはずもない。

つくづく、本心が見えない奴だ。

 

「この計画、本当に通るのでしょうか……?」

 

ひなたがまた疑問を漏らす。

まあ、さっきの会議の様子を見れば、そう思うのも無理はないだろう。

実際、会議ではボツになったのだから。

しかし……。

 

「最終的には通るさ。業腹だが、あいつのやり方は有効だ。まあ、政府が余程の馬鹿じゃなければの話だが」

 

久美子は頼人の計画を思い出しながら言った。

頼人の仕込みは、大社や社会に混乱をもたらすのは間違いない。

その時、神官達がどんな顔をするのか楽しみだ。

 

「政治……ですか」

 

「ああ、そうだ。お前も少しは政治について学んでおいた方がいい。これからのことを考えるのなら、な」

 

と、言って久美子は自分の言葉に少しおかしくなる。

小学生に政治を学んでおいた方がいいとは、随分間抜けなアドバイスだ。

いや、おかしいのはこの状況か。

子供の計画に翻弄される神官のことを考えると、久美子は思わず笑ってしまいそうになる。

全く、最近は面白い事ばかりだ。

 

「烏丸先生、どうかしましたか?」

 

と、そこでひなたが疑問の声をあげた。

久美子が笑いをこらえていることに気付いたのかもしれない。

 

「いや、何でもない。それより、お前はもう丸亀に戻るんだったな」

 

「ええ。諏訪からの救援要請で、勇者達に少し不安が見受けられますから、なるべく傍に居てあげたいんです」

 

「そうか。なら、赤嶺に伝言を頼む。覚えていろ、とな」

 

今回の件も含めて、最近は何かと無茶を押し付けられている。

いいように利用されているようなものだ。

まあ、この状況を楽しんでいるのも確かだが、つい言ってやりたくなったのだ。

ひなたは、そんな久美子の言葉に、苦笑しながら頷いた。

 

 

 

 

 

 

「へえ……。そっかそっか。いきなりボツにしちゃったか」

 

丸亀城に戻ったひなたが、会議のあらましを頼人に伝えると、頼人は少しだけ驚いた反応を見せた。

その反応を、ひなたは意外に思う。

そう。

頼人はここ最近、会議には出席していない。

結局、頼人は会議を外されたからだ。

といっても、これは頼人の意図によるものだった。

会議に出席できる有力な協力者ができた以上、自分が会議に参加するメリットは少なく、むしろ悪影響の方が大きい。

それに、こういう形で会議から退場すれば、所詮は子供だったと侮ってもらえる。

周囲の油断を誘える。

そのため、能動的に会議から追い出されることにしたのだ。

結果的にだが、烏丸のかつて計画が役に立ったのだ。

 

「どうして驚くんですか?この結果は、頼人さんだって予想してたじゃないですか」

 

「ああ。確かにこの作戦が通るとは思ってなかったよ」

 

「なら、どうして?」

 

「いやなに、完全に却下とならずに保留扱いされると思ってたんだ」

 

「保留、ですか……?」

 

「ん。他に良案もないし、救出作戦を考えているっていうポーズを形だけでも取るかなって」

 

「ポーズ……なるほど。アリバイ作りということですか」

 

ひなたが気付くと、やっぱりひなたは賢いね、と頼人は満足そうに頷いた。

 

「そういうこと。そんでもって、検討しましたがリスクが高すぎるのでやれませんでした……って残念そうに言うのがよくあるやり方」

 

そう言って、頼人は楊枝に刺さったぼた餅をぱくりと咥えた。

そうして、政府から圧力でもあったかな、とぼやいている。

大事なことのはずなのに、妙に能天気に見える。

本当に、頼人は時と場合で雰囲気がまるで違う。

こういうギャップは、ほんの少しだけ若葉に似ているかもしれない。

ひなたがそんな事を考えていると、ぼた餅と楊枝が乗った皿が差し出された。

 

「ほら、ひなたも食べて。割と自信作だから」

 

そう言って頼人は、ぼた餅を勧めてくる。

最近、頼人はお菓子を作ることが増えた。

聞いてみれば、先日の友奈の誕生日にお菓子を作ってあげた時、そのお菓子が随分好評だったそうで、それ以来、度々作るようになったらしい。

何故ぼた餅なのか、ひなたはよく分からなかったが……。

まあ、とても美味しいのは間違いないので、気にすべきではないだろう。

そう思いながらひなたはぼた餅を咀嚼していると、頼人が紅茶を淹れてきた。

爽やかな花のような香りが漂う。

確か、ダージリンのファーストフラッシュ。

少し渋みがあって、和菓子にも合う紅茶だという。

礼を言って少し紅茶を啜ると、仄かな香りと渋みが、口に残ったぼた餅の甘さと混ざり合う。

美味しい。

そういえば、あの日もこうだった。

ぼた餅と紅茶の香り。

そうして、ひなたは話に戻る。

 

「それで頼人さん。これからどうするんですか?あの作戦は色々と変更すると言ってましたよね?」

 

「勿論修正はするつもりだけど、今まだしない。とりあえず、こっちにボールが来るまでは待ちだな」

 

「頼人さん……やっぱり、あれをやるんですね……」

 

頼人の計画を思い出すと、ひなたの声色は少し暗くなった。

 

「ああ。不安?」

 

「ええ……。皆さんが、ショックを受けてしまわないかと考えると……」

 

「こうでもしなければ、国は動かないだろうから。それに、どのみち政府は俺達を利用する気だったろうから、早いか遅いかの話だ」

 

「ですが、こんなことをしなくても動いてくれるんじゃありませんか……?」

 

ひなたには、未だに国や大人へのある種の期待が残っていた。

救援要請を出している国民を見捨てはしないだろうという思いが。

それは、子供が無意識に抱く、大人への幻想にも近かった。

 

「それはないな。断言するよ。このままいけば、政府も大社も、絶対に諏訪を見捨てる」

 

だが、頼人はあっけなくその幻想を否定した。

 

「どうしてそこまで言い切れるんですか?」

 

「簡単に言えば、お金と政治の問題」

 

こういう話は本当はあまりしたくないんだけど、と前置きしてから頼人は語り始めた。

 

「ひなた、諏訪の人口がどれくらいだったか覚えてる?」

 

「……はい。大体十万人くらいでしたよね」

 

「ああ。この十万の民衆が四国に来たとして、どれくらいお金がかかると思う?」

 

「それ、は………」

 

「まずは食事だ。最初の内は国が全部用意するしかないから、それだけでお金がかかる。一日三食で一食……そうだな、安く見積もって二百円だとしよう。十万人だから一日六千万かかる。一ヶ月で、約十八億円だ」

 

「そんなに……」

 

突如現れた天文学的な額に、ひなたは絶句する。

それなり以上にかかるとは思っていたが、実際の数字を聞くと背筋が凍る。

だが、この数字は序の口だった。

 

「それだけじゃない。十万人の受け入れ先なんてそう簡単には決まらないから、仮設住宅も用意しなくちゃいけないし、それらを用意するための費用もいる」

 

頼人は簡単に言ったが、これ等の費用は膨大だ。

災害救助法においては食糧や飲料水の供給並びに避難所や応急仮設住宅の設置は、いずれも「救助」の一種として扱われ、かかる費用は災害救助費に計上されるのであるが、以前に起きた大震災では災害救助費は4800億に上った。

無論、災害救助費にはガレキの撤去や住宅の応急修理費用なども含まれているため一概に同じにはできないが、それでもなお、諏訪の人口からするととんでもない費用が掛かることは間違いない。

バーテックス襲来前の、四国のGDPが日本全体の僅か三%弱であったことを考えると、四国政府の負担が額面以上のものになることは明らかだった。

 

「そもそも、この作戦の実行にはもっとかかる。この作戦は、航空機の使用が不可欠だから、燃料費だって馬鹿にならない。この作戦では五十万ガロン……リットルで言うと、大体二百万リットルは使う。運用費や人件費とかの諸経費を纏めたら、数百億は確実に吹っ飛ぶ。今の国力からするとかなり厳しい。おまけにただでさえ四国は狭い。食料に燃料と多くの人が不安を抱えている中で、こんな作戦をしたら四国の人々はどう思う?十万人も人口が増えたら」

 

聡いひなたには、その言葉の続きが理解できた。

ひなた自身、この一年間で四国外からの避難民が、どういう状況に置かれていたかは嫌というほど見てきたのだ。

それに、作戦実行のための天文学的な金額。

特に、ガソリンなどの化石燃料が貴重となった今では、調達するだけで一苦労だ。

確かに、課題はあまりにも多すぎる。

 

「分かるだろう?今のこの状況を支えることで精一杯な政府が、諏訪を助けようなんて言えるはずがない。残念だけど、目先のことしか考えられないだろうから」

 

頼人は、諭すようにひなたに告げた。

 

「……それでも、やってもらうんですよね?」

 

「実際に動くのは俺達だけどね。ただ命じてもらって、金を払ってもらうのさ」

 

「本当にそうなるんでしょうか……?」

 

今の話を聞いていると、だんだんひなたも実行できるのかが心配になってきた。

最初は、政府が国民を見捨てるような選択をするなんて信じたくはなかった。

この国が、人々を見捨てるような国だとは思いたくなかったからだ。

はいそうですかと受け入れるには、ひなたはまだ幼すぎた。

とはいえ、同時にひなたは聡かった。

状況の厳しさは痛いほど理解できたし、今話したこと以外にも数多の問題があるであろうことは想像に難くない。

そんなひなたが、政府がこちらの思い通りに動いてくれるのだろうか?と不安になるのも当然のことであった。

 

「払ってもらうさ。じゃないと白鳥さんも藤森さんも、諏訪の人たちもみんな死ぬ。それは許容できない」

 

しかし、頼人はあっさりと答えた。

 

「ただまあ、正直政府の人たちには申し訳ないことをするよ。進むも地獄退くも地獄な選択を迫るわけだから」

 

そうしてまた、頼人はぼた餅を頬張った。

のんびりとしたその表情から、こんな過激な言葉が出て来るとはつくづく信じがたい。

この数か月間、頼人と行動を共にしてきたが、いまだにひなたは赤嶺頼人という少年を計りかねていた。

能力は大社の大人と比べても高いと思う。

特に、その視野の広さには目を見張るものがある。

丸亀城でも大社でも、物事のいい面も悪い面も、誰よりも理解している。

それがわかるからこそ、ひなたは尋ねずにはいられなかった。

 

「それで、もし作戦が上手くいったとして、頼人さんはその問題をどうするんですか?」

 

「……基本的には政府に任せるけど……まあ、上手くはいかないだろうな」

 

「上手くいかないって―――」

 

と、言いかけて気付く。

政府に余力がない以上、どうしても避難者の対応には限界が生まれる。

国力があった以前の震災の時ですら、避難には多くの問題が生まれたのだ

今の四国に、万全の対応を求めるのは難しいだろう。

 

「……大社として動くわけにはいかないんですか?」

 

「大社はあくまでもバーテックス対策の組織だよ。政治にあれこれ口を出すのは越権行為になる」

 

「それでは、事態の悪化を黙って見てるんですか?」

 

「しばらくはね。だけど、いずれ綻びが生まれる。その時に生まれる状況を最大限利用する。……諸々の問題の解決はそれからでも遅くはない」

 

あまりにも簡単な言葉。

先程の話を聞いた後では、ひなたもにわかには信じられなかった。

なぜこうも自信ありげに言えるのだろうか。

もしくは、既に算段がついているのか。

と、そこで頼人がまた口を開いた。

 

「まあ、そういう話は結局、作戦が無事成功すればだから。作戦を実行するかどうかすら決まっていない今は、そう考えすぎなくていいよ」

 

「そう、ですね……」

 

頼人の言葉に、ひなたは顔を俯かせた。

考えてみたらそうだ。

まだ何も始まっていないのに、先のことを心配しすぎている。

今に集中しなくてはいけない……。

こういう問題も、作戦が失敗したら考えることすらできないのだから。

 

 

 

 

 

「にっしてもさー、結局タマたちはどうすればいいんだろうなー」

 

それからしばらく経ったある日、球子は教室でぼやいていた。

内容は勿論、諏訪のことだ。

諏訪からの救援要請が出て以来、丸亀城の職員たちも騒がしくなってきていて、勇者達にも動揺は広がっている。

 

「やっぱり、今は待つしかないんじゃないかな。大社でも作戦は纏まってないみたいだし」

 

「作戦も何も、タマたちが諏訪に行って、あっちの手伝いをして来ればいいだけなんじゃないか?」

 

杏の言葉に球子が答える。

 

「土居。言うのは簡単だが実現するのは容易い事じゃない。移動には時間がかかるし、何より四国を空ける訳にはいかないだろう」

 

「じゃあ、どーするんだ。若葉は何か考えがあるのか?」

 

「それは……ないが……」

 

若葉は言葉に詰まった。

本音を言えば、若葉だって今すぐにでも諏訪を助けに行きたい。

しかし、勇者システムは完成しておらず、作戦案も定まっていない。

今は待つしかないのだ。

 

「じゃあダメじゃんか。大社だって作戦立てられてないんだし」

 

「……今は大社の決定を待つしかないだろう。その間に、私達は少しでも鍛錬しておけばいい」

 

「だからって、準備してる間に諏訪がやられたら―――!」

 

「二人ともその辺で。まだ何も決まってないんだから、熱くなりすぎない」

 

と、熱くなりかけたところで、二人の間に割って入る声が響いた。

声の主は頼人だった。

 

「頼人……」

 

「だけど……」

 

球子はそれでも不満そうだ。

それも仕方ないだろう。

諏訪からの救援要請で、戦闘が一気に現実味を帯びてきたのだ。

不安にもなるだろう。

 

「球子の言い分もよく分かるけど、しばらくは諏訪も大丈夫だから、焦る必要はないぞ」

 

その球子の不安を察したのか、頼人は気軽そうに口を開いた。

 

「大丈夫って、救援要請が出てるんだろ?だったらタマたちも急がないといけないんじゃないか?」

 

「確かに救援要請は出てるけど、それでもあと一年はもつよ」

 

「一年……?」

 

勇者達の頭に疑問符が浮かぶ。

 

「頼人さん、一年ってどうして分かるんですか?」

 

ひなたが尋ねた。

確かにそうだ。

そんな情報は聞いたことがない。

なぜそんなに自信を持って言えるのか、若葉も不思議になる。

 

「諏訪の安全な区域、そこの広さから分かるんだよ」

 

「広さ……あっ、速さですか?」

 

と、そこで杏が声をあげた。

 

「今ので分かるとは、やっぱり杏は賢いな。ご褒美にぼた餅を進ぜよう」

 

頼人がタッパーを開き、中からぼた餅を取り出し、小皿の上にのせ杏に差し出した。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

杏は少し困惑した様子で受け取った。

 

「ど、どういうことだ?タマにも分かるように説明しタマえ!あとぼた餅もくれ!」

 

「ふふふ、正解を当ててみタマえ。さすれば、ぼた餅を一緒にあげよう」

 

「頼人君!私も食べたいでーす!」

 

友奈も手を挙げて参加を表明する。

 

「よしよし、なら考えてごらんなさいな」

 

そうして、あ―だこうだと騒ぎ始める。

中々正解は出ないようだ。

 

「何をやっているんだ……」

 

「いいじゃないですか若葉ちゃん。皆楽しそうなんですし」

 

呆れたような声をあげる若葉に、ひなたが言う。

確かに、気が付けば、さっきまでの険悪な空気は払拭されていた。

この短い時間に、クイズ大会のような和気あいあいとした雰囲気になっている。

 

「う~~~!頼人先生!ヒントをお願いします!」

 

「いいでしょう友奈君。ヒントはここ一年の諏訪の変化です」

 

「変化ぁ?どういう意味だ?」

 

「ヒントなのでこれ以上は教えられないな」

 

「ふっ、私には分かったわ……赤嶺君。結界に守られた地域がどれくらいの速度で減っていくのかを計算したのね……」

 

そこで、携帯ゲーム機に向かっていた千景が声をあげた。

ゲームをしながらも、しっかり話は聞いていたようだ。

 

「おお。千景、正解だ」

 

「さすがぐんちゃん!凄いよ!」

 

「侵攻速度……なるほど、それで一年はもつと計算したんだな」

 

若葉がなるほどと呟く。

結界は狭まれば人の住める地域は減るが、同時に強度が上がる。

自分には出来ないが、頼人なら結界が狭まる速度を計算し、諏訪がどれくらいもつのか想定することも不可能ではないのだろう、と若葉は思った。

 

「はい千景。ご褒美のぼた餅だ」

 

頼人がぼた餅を二つ小皿に乗せると、千景は慌ててゲームをポーズ画面に切り替えカバンにしまい、ぼた餅の乗った皿を受け取った。

 

「あ、ありがとう赤嶺君……」

 

千景は受け取ったぼた餅をしばし眺め、やがて、おずおずと友奈に声を掛けた。

 

「た、高嶋さん……あの、よかったら……一緒に食べない……?」

 

「え!いいのぐんちゃん!?」

 

「ええ。ちょうど……二つ貰ったから」

 

「ありがとうぐんちゃん!嬉しいよ!」

 

千景は顔を赤くしながら言うと、友奈は満面の笑みで礼を言った。

その表情を見て、千景もまた嬉しそうに微笑んだ。

そうして、千景と友奈は二人でぼた餅を食べ始める。

 

「あ、あんず~。タマにもちょっとわけてくれよ~」

 

「ご、ごめんねタマっち先輩。もう食べちゃった」

 

「な!どうしてタマの分を残してなかったんだ~!」

 

「これはご褒美だから。それに、頼人さんのぼた餅美味しいんだもん」

 

その言葉に、ガーンといった様子で球子は頭を抱える。

随分ショックを受けているようだ。

だが、すぐにきょろきょろと周りを見渡し、やがてその視線は千景をロックオンした。

 

「ち、ちかげ~。タマに―――」

 

「嫌よ」

 

「即答!?まだ何も言ってないじゃんか!?」

 

「どうせ分けてとか言うのでしょう?これは私がもらったものだから駄目よ」

 

千景の視線は友奈や頼人に向けていたそれと違い、まさに絶対零度と言えるものだった。

最近になって千景はクラスにもなじんできたが、こういう所のディスコミュニケーションは相変わらずだった。

だが、球子はその冷たい視線にも屈しない。

 

「そんな~。ちょっとでいいからさ~」

 

「やめなよタマっち先輩。意地汚いよ~」

 

「土居……食い意地を張りすぎじゃないか……?」

 

杏に注意されても食い下がる球子。

若葉も呆れている。

それを見かねた頼人が声を掛けた。 

 

「まったく……。安心しろ球子。全員分あるから」

 

「それを先にいいタマえ!」

 

途端、球子は元気になる。

つくづく、球子は分かりやすい性格をしていた。

 

「ほら、若葉もひなたも」

 

頼人は、若葉やひなたにもぼた餅を差し出した。

そうして、教室には和やかな時間が流れだす。

そこでふと、ひなたは思った。

侵攻速度の計算。

そんなに簡単に割り出せるのなら、大社でも気付きそうなものなのに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

切り分けたぼた餅を口にすると、小豆の風味と甘みが口いっぱいに広がった。

咀嚼するごとに、米の旨味とあんの甘味が口の中で混ざりあう。

甘くてけっこう美味い……だが……。

 

「何かが足りない……か……」

 

ぼた餅の感想をぼそりと呟く。

中々、須美のようにはいかないものだ。

全く……こんなことならレシピを聞いておけばよかった。

やはり、色々試すしかないか。

そんな事を考えた途端、溜息をついてしまう。

大社の会議に出席しなくなり、空いた時間に気まぐれで始めたお菓子作りなのに、必要以上の時間を割こうとするとは……。

「俺」の感傷的な部分が、つくづく邪魔に感じる。

「赤嶺頼人」にそんなものは不要だというのに。

とはいえ、目の前のぼた餅を残すわけにもいかない。

残ったぼた餅を、纏めて口に放り込む。

 

それにしても、バーテックスの侵攻速度で、諏訪がどの程度持つか分かる……か。

即興の嘘にしては、なかなか上手くいったな。

珈琲で口の中の甘さを洗い流し、思い返す。

諏訪に襲来するバーテックスの数は徐々に増えてきている中で、どれほど土地を守れるかは白鳥さんの力次第なのだ。

そう簡単に計算などできない。

一応、侵攻速度に絞って計算もしてみたが、そうなると、諏訪の予想陥落時期は二〇一七年の夏頃になった。

しかしながら、記録では陥落したのは二〇一八年の九月。

これは則ち、白鳥さんが計算以上の健闘を果たしたということになる。

このことを考えると、白鳥さんの価値は想像していたよりもずっと貴重なものになる。

やはり、今後のためにも彼女は失うことができない。

その為にも……。

 

「さて、と……」

 

大きく伸びをしてから、食器を片付ける。

明日は、ひなたが大社に行く日。

大社で会議がある日だ。

完全ではないにしろ、ひなたや烏丸さん達はこれでアリバイができる訳だ。

問題は、政府が想定通りに踊ってくれるか。

それに尽きる。

最早、大社の意向など関係ない。

もっとも、政府が想定外の動きをする可能性もないわけではないが……。

まあ、その時はその時だ。

いずれにしても、彼らの取りうる手段は限られている。

 

「はぁ……」

 

そこまで考えて、また溜息をつく。

笑ってしまいそうになるほど、現実感のない話だ。

勇者という立場。

未来という名の過去を知る今。

そして、それらを利用し、策謀を巡らせる。

馬鹿みたいな話だ。

そもそもが、想定外の状況だ。

本来、関わるはずもなかった過去の出来事。

歴史として語られるはずだった事象。

しかし、それは今、どうしようもない現実として襲い掛かってきている。

あまりにも厳しい現実。

何か一つ行動する度に、自分は何をやっているのだろう、と虚無感に支配されかける。

それでも行動し続けられるのは、銀の斧があるからだ。

この斧を手にした以上、やらねばならないことがある。

それが、地獄への片道切符であったとしても……。

ふと窓から空を眺めると、空から灰雪が舞っていた。

まったく、このタイミングで降るとは……。

はは、と乾いた笑いが溢れた。

 

 

 

 

二〇一七年一月末日。

大社の会議室には、午前から多くの神官が集められていた。

主要となる議題は、やはり諏訪問題の対処について。

ここ最近で、諏訪からの救援要請をどう対応するかについての議論は、急速に纏まりつつあった。

その原因は、勇者計画の進捗。

ようやく、勇者システム完成の目途が立ったのである。

だがそれは、諏訪の救援を意味しなかった。

大社は、諏訪の救援要請に応えるつもりはなく、したがって、烏丸から提出された撤退作戦が再度議題に上がることもなかった。

ある意味では、当然の流れであった。

何故なら、諏訪を囮にして時間を稼ぐのは、当初からの方針であったからだ。

救援要請が出された直後の混乱は、それまでの神官達の楽観にあった。

諏訪が予想以上に善戦していたことから、まだまだ耐えられるだろう、という根拠のない楽観視が蔓延していた時に、突然救援要請が出されたため、混乱が余計に広まった。

それは、大社という組織がまだまだ出来上がっていない証拠でもあった。

しかしながら、それらの混乱も、勇者システムが完成するとなると、急速に収まっていった。

装備が貧弱な諏訪の勇者一人ですら、一年半もバーテックスを撃退し続けられているのだ。

神樹の力を科学的・呪術的に効率よく利用できる勇者システムと、六人もの勇者。

戦争を知らぬ神官達が、安易に楽観視するのも無理のない事だった。

危機的状況に陥ると、誰しも楽観論に縋りたくなる。

大国の指導者ですら、楽観論で戦争を始めるも、厳しい現実に打ちのめされることがあるのだ。

虐殺の場から遠ざかると、楽観主義が現実にとってかわる。

素人たる大社の神官達がそうなるのは、歴史の必然とすら言えよう。

そうして、神官達は会議を終わらせようとする。

諏訪を見捨てるという結論の下。

そんな空気感の中で、久美子は異端的な言葉を発した。

 

「―――つまり、諏訪を騙すという訳ですね。陥落するまで助けがあると言って」

 

その言葉が会議室に響くと、空気が凍った。

誰もが思いながらも口にしなかった言葉。

聞きたくなかった言葉。

それは、神官達を鼻白ませるには十分すぎた。

やがて、一人の老神官が重々しく口を開く。

 

「……烏丸様。我らとて心苦しいのです。非情に思われるのも仕方のない事です。ですがこれも、より多くの人々を想えばこその判断だということを、どうかご理解ください」

 

しおらしく謝るような言葉。

老人のこんな姿を見れば、多くの者は同情し、責める者は気勢を失うだろう。

実際、会議室には、久美子の方にこそ反感を抱く空気が生まれつつあった。

だが……。

 

「なるほど。救援作戦もまともに検討せず、十万の命と勇者を見捨てるのは、確かに心苦しいでしょうね」

 

烏丸久美子はその程度の空気を気にするような女ではなかった。

 

「なっ……!?」

 

思わず絶句する神官達。

一瞬の沈黙、そして決壊。

 

「烏丸様!それはあまりに言葉が過ぎます!」

 

「まだ撤退作戦にご執心なのか!?」

 

喧々囂々。

神官達の怒りの声の中、それでも久美子は声をあげる。

 

「しかし、諏訪からは救援要請が出ています。勇者システムが完成するのなら、今こそ諏訪に援軍を出すべきではないのですか?」

 

「烏丸様。勘違いなされているようですが、大社はあくまで四国内のバーテックス対策を任された組織。諏訪の救援をするべき組織ではなく、あくまで四国の防衛を―――」

 

「四国防衛を考えるのなら、それこそ諏訪の勇者を四国に回収する手段を考えるべきはずです。白鳥歌野ほど、実戦に精通した勇者はいません。失うのはあまりに惜しいのでは」

 

「ですが―――」

 

老神官が言い淀んだその時、扉が突然開け放たれ、職員が飛び込んできた。

 

「なんだね?騒々しい」

 

咎めるような声に、酷く慌てた様子で報告する。

 

「新聞に情報が流れています!勇者の存在と、諏訪の救援要請が……!」

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず、成功のようだな。

丸亀城の教室でスマホの画面を眺めながら、ふぅと息を漏らす。

SNS上では、とあるニュースの話題でもちきりだ。

きっかけは、高知の地方紙と、複数の大手ニュースサイトが掲載したとある記事。

記事の内容を簡単にまとめると、勇者というバーテックスと戦える者が存在し、諏訪にも生存者がいる。

現在諏訪とは連絡が取れるものの救援要請が出されており、状況は良くない。

だが、政府も大社も救援の用意をまるでしておらず、諏訪を見捨てる腹積もりである。

この記事が報道されると、あっという間に議論が電子掲示板やSNS上で見られ始めた。

ここまでは予想通りの展開。

問題は、この情報がどれほど政府や人々に影響を与えるか。

そこに尽きる。

だが、俺には確信があった。

この情報が、四国中を揺るがすものになると。

近いうちに、政府は作戦を実行せざるを得なくなるだろう、と。

この情報にはそれだけの力がある。

何故かと問われれば、こう答えるしかないだろう。

この情報が真実だからだ。

真実ほど残酷で……人を魅了するものはない。

良くも、悪くも……。



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ただ傍に

遅くなって、本当に申し訳ありません……!
投稿頻度亀ですが、これからも投稿していきますので、何卒よろしくお願い致します……!
神世紀編の続きは今しばらくお待ちください(土下座)


『政府が勇者の存在と諏訪の存在を発表し一ヶ月が経ちました。しかし、未だに政府への不信の声は拭えず、連日、真実を明らかにとデモが続いています』

 

アナウンサーが言い終えると映像はスタジオから、路上に移り変わった。

テロップによると、高松の駅前らしい。

大勢の人たちが道路を練り歩きながら、諏訪を見捨てるな、だとか、政府は真実を、だとか大声で叫んでいる。

まったく、平日だというのに、よくこんなに集まるものだ。

その自由な時間をアタシたちにも分けてほしい。

それにしても───

 

「いやーなんだか大変なことになっちゃったねー」

 

何となしにぼやいてみると、二段ベッドの下からすぐに反応があった。

 

「安芸先輩うるさいです。もう就寝時間なんですからさっさと音消してください」

 

「ちょっとくらいいいでしょー?どうせまだ九時なんだしさー」

 

アタシはスマホの動画アプリを閉じると、下のベッドに顔だけ出して抗弁した。

巫女の就寝時間はなんと九時。

花のJCには早すぎる。

そう、悪いのは環境であってアタシじゃない。

アタシに罪なし!

 

「私を含めて小学生の巫女は多いんです。中学生だからってはしゃがないで寝てください」

 

相変わらず花本ちゃんは冷たい。

シベリア並の寒さだ。

 

「それで、どうしてニュースなんて見てるんですか?らしくありませんね」

 

「いやーなんて言うか、ほら、アタシJCなんだしニュースの一つも見ておかないといけないでしょ」

 

「どんな理由ですか……どうせ、赤嶺様の誘いのこと考えていたんじゃないですか?」

 

思わず、言葉に詰まる。

やっぱり、花本ちゃんは聡い子だ。

察しがいい。

 

「あはは……よく分かるね、花本ちゃん……」

 

「安芸先輩が分かりやすいんです。……それで、また答えは出ないんですか?」

 

「………」

 

彼女の問いに答えず、枕に顔を埋める。

どれだけ考えても、どうしても答えは出ない

そうしてアタシは、いつものように事の発端を思い出していった。

 

 

 

二ヶ月前。

ちょうど、会議があるとかで上里ちゃんがここに来ていた時。

消灯時間も過ぎて、すやすやお休みしていると、突然、体を揺らされた。

 

「安芸先輩、起きてください」

 

声の主は花本ちゃん。

もう朝かと思いつつ、尋常じゃない眠気に脳みそは全然起きようとしない。

 

「うぅ……ん。あと、十分……」

 

「そんなに待てません。いいから起きてください」

 

「むりぃ……」

 

そんなに寝たつもりもないのに、どうしてこんなに起こしてくるんだろう?

遅刻なら遅刻で、いっそのこと放ってくれればいいのにぃ……。

そう思うくらい眠くて、アタシはさらに深く、布団の中に潜り込んだ

 

「はぁ……仕方ありませんね……。この手は使いたくなかったのですが……。安芸先輩、バーテックスが襲来しました。巫女が一人でも必要なので起きてください」

 

「ふぇっ……!?」

 

その花本ちゃんの言葉にアタシは驚きのあまり飛び起き───盛大に天井に頭をぶつけた。

 

「お、おほっ……!痛っ……いたひぃ……!」

 

眠気は一発で冷めて、痛みのせいでアタシはベッドをごろりごろりと転がりまわった。

 

「起きましたね。それじゃあ行きますよ」

 

と、涙目で頭を押さえるアタシに、花本ちゃんは冷ややかに告げた。

けれど、アタシはそれどころじゃない

 

「ば、ばーてっきゅす……バーテックスが来たの!?球子は、杏ちゃんは……!?」

 

「すみません。今のは嘘です」

 

痛みをこらえながら、ベッドから身を乗り出し尋ねると、花本ちゃんはまるで悪びれもせずに答えた。

 

「へ……う、そ……?」

 

痛みも忘れてペタンとしりもちをつく。

一瞬、頭が真っ白になったけど、少しすると思考力が戻り、同時に、怒りが込みあがってきた。

 

「な、なんでそんな嘘つくのよ!心臓止まるかと思ったじゃない!」

 

「静かにしてください。他の部屋の子が起きてしまいます」

 

「いや、だけど……!」

 

「そもそも、今晩はしばらく起きておくように伝えていましたよね?それを忘れて爆睡してたのは安芸先輩じゃないですか」

 

「あ、あれ……?そうだったっけ」

 

おかしい。

アタシが怒っていたはずだったのに、気が付けば怒られている。

 

「だいたい、もし起きなかったら天変地異がおこったとか、バーテックスが来たとか言って起こしてほしいといったのは安芸先輩じゃないですか」

 

「…………あ」

 

思い出した。

冗談のつもりで、そんな不謹慎極まりないことを言っていた気がする。

 

「……今の今まで忘れていたんですか」

 

呆れた様子の花本ちゃん。

……ふむふむ。

どうやらアタシが完全に悪いらしい。

………………。

 

「そ、それで、花本ちゃん。行くってどこにだっけ?」

 

アタシは全力でとぼけることにした。

だが、効果は薄かったようで、花本ちゃんがアタシを見る目は超冷たい。

うん、どう見ても軽蔑されている。

 

「はぁ……来れば分かります」

 

それだけ言うと、彼女は二段ベッドのはしごから降りて、部屋の扉を開けた。

 

「あっ、ちょっと待ってよー」

 

アタシは慌てて二段ベッドを降りて花本ちゃんを追いかけた。

うん、こうなっちゃったら仕方ないよね。

これ以上、花本ちゃんの機嫌を悪くしたらいけないし。

 

 

 

 

「あれ、ここって……」

 

連れてこられた場所は来客用の部屋。

確かここは上里ちゃんが泊っている部屋だったはず。

上里ちゃんのとこに行くなら初めからそういえばいいのに、どうしてあんな曖昧な言い方をしたんだろう?

と、そこで花本ちゃんがドアを三度ノックした。

 

「赤嶺様、安芸真鈴を連れてまいりました」

 

「えっ、赤嶺って……」

 

尋ねる間もなく、「どうぞ」という男の子の声が聞こえて、ドアが開かれた。

そこには、赤嶺君と上里ちゃんがいた。

湯呑みを片手に、ちゃぶ台を囲んでくつろいでいる。

 

「あなたが安芸真鈴さんですね。初めまして、赤嶺頼人です」

 

そう言って赤嶺君は座ったままぺこりと頭を下げた。

 

「え、あ……は、初めまして?」

 

「お二人ともどうぞ座って下さい。お菓子も用意してますから」

 

「う、うん」

 

上里ちゃんに促されて花本ちゃんと一緒に腰を下ろすと、見慣れないお菓子が出された。

真ん丸で結構大きい、手触りや匂いはドーナツっぽい。

確かこれって……なんだったっけ?

花本ちゃんに聞こうとするも、気づけば彼女はお菓子を頬張っている。

完全に慣れている動きだ。

 

「サーターアンダギー。沖縄のお菓子です」

 

「安芸さんもどうぞ。頼人さんと一緒に作ったんです」

 

「ああ、思い出した。確かにこんな形だったわね」

 

普段食べなれないから、すっかり忘れていた。

そういえば、赤嶺って名字は沖縄に多くて、赤嶺君も昔は沖縄にいたのかもしれない、なんて噂話を聞いたことがあった気がする。

案外、それが当たってるのかも。

そんなことを考えながら一口かじると、ほのかな甘さが口に広がった。

 

「あっ、美味しい……」

 

カリッとした表面とふっくらとした中の生地の食感が癖になる美味しさだ。

一つでも結構おなかにたまる。

 

「気に入ってもらえてよかったです。自分もそれ、好きでして」

 

そういいながら、赤嶺君はまた、お茶をすすった。

所作一つ一つが絵になる。

ううむ。

聞いていた以上、目を引く見た目だ。

おまけに、お菓子を作れて、おまけに本の話もできると聞く。

これ、球子はともかく杏ちゃんはコロッと恋しちゃうんじゃ?

実際、結構仲いいみたいだし。

そうなったら杏ちゃん苦労しそうだな~。

……って、違う違う。

今、アタシが考えるべきことはそんなことじゃなかった。

 

「それで、なんでアタシをここに?パジャマパーティーって感じじゃなさそうだけど……」

 

「その話は、全員揃ってからにしましょうか」

 

「全員?まだだれか来るの?」

 

そう尋ねた途端、後ろで部屋の扉が開く音がした。

振り返ると、そこにいたのは烏丸先生だった。

 

「か、烏丸先生……」

 

や、やばい。

これは絶対にやばい……!

 

「せ、先生。え、えっと、これは違くてですね……」

 

「烏丸先生、遅いですよ。赤嶺様をお待たせするなんて」

 

怒られると思ってとっさに言い訳しようとすると、代わりに花本ちゃんが口を開いた。

 

「見回りを抜け出してきているんだ。無茶を言うな」

 

烏丸先生はそう言いながら腰をかがめ、花本ちゃんのサーターアンダギーをひょいと掴んで、一口かじった。

 

「ふうん。結構うまいな」

 

「……烏丸先生、いい大人が人のものを勝手に取らないでください」

 

「深夜の会合を見逃してやってるんだ。少しぐらい構わないだろう?」

 

「そういう問題じゃ……」

 

「まあまあ花本さん、まだ沢山ありますから」

 

怒る花本ちゃんになだめる上里ちゃん。

それを見て笑う赤嶺君にいつも通り気だるげな烏丸先生。

あ、今あくびした。

やっぱり、ただのパジャマパーティーだったんじゃ……。

いやいや。

 

「えっと、烏丸先生もメンバーの一人ってことでいいの?」

 

「ああ。私がいた方がこれからする話も信じやすいだろうからな」

 

「そうですか?むしろ信用されなくなると思いますが」

 

「お前は私を何だと思っているんだ」

 

花本ちゃんは辛辣だ。

いったい何があったんだろうってくらい、容赦がない。

 

「二人ともそこまで。本題に入りましょう」

 

赤嶺君がそういった途端、花本ちゃんは「失礼しました」と頭を下げ、烏丸先生も口を閉じた。

 

「さて、安芸真鈴さん。貴方をここに呼んだのは、勧誘の為です」

 

「勧誘……?」

 

「ええ」と、言うと、赤嶺君は説明を始めた。

大社の構造的欠陥?だとか、諏訪の住民がとか、組織形態がどうとか、改革が何とか難しい言葉を色々使っていたけど、アタシはできるだけ真面目な顔をしてなるほどなるほどと頷きながらもまるで理解できていなかった。

うん、どうしようこれ。

 

「赤嶺、ちょっと待て」

 

「烏丸さん、どうかしましたか?」

 

「あまり難しい言葉を使うな。安芸が理解できていない」

 

「っと……そうですね、すみません。少し感覚がおかしくなってました」

 

ぎくり。

どうやら、理解できずにただ頷いてるだけなのがバレたらしい。

いけない。

これでは先輩の威厳というものが……!

 

「だ、大丈夫大丈夫!全部わかってるから!ええと、それで、諏訪の組織が何だったっけ?」

 

そう言うと、花本ちゃんは深いため息をつき、上里ちゃんも苦笑いした。

どうやらみんなは分かっているみたいだ。

恥ずかしい。

とても恥ずかしい……。

 

「安芸先輩……要するに、私達は諏訪の人たちを救出したいんですが、今の大社ではそれはできません。それどころか、このまま戦争を任せれば、勇者様や多くの人達が危険にさらされます。だから協力して改革しましょう、ということです」

 

花本ちゃんが溜息交じりで分かりやすく答えてくれた。

うう、私は中学生だというのに、小学生の花本ちゃんに呆れられるなんて……。

と、一瞬思うけどよく考えたらいつものことだ。

だけど……

 

「勧誘っていうのは、その活動に協力してってこと?」

 

「まぁ、そういうことですね」

 

赤嶺君が答えたが、どうにもピンと来ない。

 

「なんとなく分かったけど、本当にそんなことできるの?第一、改革っていってもなにするわけ?」

 

「組織再編に新しい人材のリクルートだったりと色々ありますが、当面の目標はトップのすげ替えですね」

 

「それって……」

 

「ええ。簡単に言うと、大社を丸ごと頂きます」

 

「は……?」

 

アタシはつい間の抜けた声をあげてしまった。

 

「とはいっても、手荒な真似はしません。可能な限り────」

 

「ま、待って。意味わからないんだけど、大社を頂くとか、え?どういう意味?」

 

「文字通りの意味だよ。大社を乗っ取るんだ。今の首脳部からな」

 

烏丸先生がいつになく真面目な声で答える。

馬鹿げた話を簡単に肯定してしまう。

 

「冗談でしょ……?そんなのできるわけないよ。冗談だよね……!?上里ちゃん、そうだよね!?」

 

あまりにも突飛な話に、アタシはまるでついていけない。

思わず大きな声をあげてしまった。

 

「安芸さん。信じられないと思いますが、これは全部本当のことです」

 

「そんな……!まさか、皆もそのつもりなの!?」

 

「安芸先輩、夜中なんですから声を落としてください。誰か来たらどうするんですか」

 

「だ、だけどさ!」

 

「安芸さん。ちゃんと説明しますから、落ち着いて座って下さい。ね?」

 

気が付けば、上里ちゃんが側に来ていて、アタシの手をそっと握っていた。

その温もりと、上里ちゃんの優しい声は妙にアタシを落ち着かせてくれて、おかげで、少しだけ冷静さを取り戻せた。

 

「どうする赤嶺?私から説明してもいいが」

 

「いえ、これくらいは自分で説明しますよ。抜けがあればお願いします」

 

「分かった」

 

烏丸先生と赤嶺君のやり取りを見て、やっぱり嘘じゃないんだと実感する。

いや、本当は最初から分かっていた。

上里ちゃんも花本ちゃんも冗談で、こんなことをするはずがないのだから。

 

「それで、どういうこと……?」

 

「ご存じの通り、今の大社は神官により運営されています。ですが神官は、政治、経済、軍事の素人、神事に詳しいだけの一般人。そんな彼らが、以前所属していた神社の規模や職位、階位に応じて高い地位に座っている。例えるなら大社は、未経験の素人しかいない防衛省ってところでしょうか」

 

赤嶺君の言葉は相変わらず少し難しかったけど、さっきよりずっと集中して聞いていたから、今度は何とか理解できた。

 

「だからって大社を奪おうっていうの?そんなの───」

 

「安芸先輩、まずは赤嶺様の話を最後まで聞いてください。質問はそれからで」

 

「…………」

 

花本ちゃんの言葉で、再び矛を収める。

今は我慢だ。

 

「確かに、大社の組織構造が歪だからとはいえ、それだけで奪う理由にはなりません。問題は、大社のスタンスにあります」

 

「……スタンス?」

 

「はい。四国防衛の為なら、ありとあらゆる存在を使い潰していいというスタンスです。勇者も含めて」

 

「───っ!そんなはず……!大人たちだって、そんなことは……!今だって、みんな頑張ってるじゃない!」

 

「ええ。彼らが人類のために並外れて努力していることは認めます。ですが、それが結果に結びつくとは限らない。現に大社は、いや、この国は諏訪を見捨てる腹積もりですから」

 

「だけど、それは諏訪の人たちを助ける方法がないからで……」

 

「勇者の白鳥さんだけなら四国に連れ帰る方法はいくらでもありますよ。人類の為を考えるならそうすべきなのに、それすらしようとしない。目先の政治しか見れない辺り、重症ですよ」

 

「…………」

 

言い返したい。

認めたくない。

それなりの時間をこの大社で過ごしてきたし、ここの人たちを信じたい。

けれど現実は、赤嶺君の言葉を裏付けている。

その事実が酷く、しんどい。

 

「……具体的にはどうするの?」

 

「まずは、この事実を公表します」

 

「公表って……そんなことしたら……!」

 

世間は大騒ぎになる。

それくらいのことはアタシにも分かった。

 

「それが狙いです。ただでさえ国への信頼や失われている今、こんな情報が流れてしまえば政府の致命傷になりかねない。国をもたせるには諏訪の救援くらいは言わないと」

 

「けど、それでどれだけの人の迷惑に────」

 

「諏訪の人々の命に比べれば、些末なことです」

 

赤嶺君は、そう言い切った。

その眼にはまるで迷いがない。

ああ、この子は本気だ。

本気で世界を変えられると思っている。

信じられないくらいの自信家だし、妄想だと言われるようなものだけど、彼の言葉を聞いているとなんだか上手くいきそうな気がしてくる

だからこそ、分からないことがあった。

 

「一つ聞いていい?」

 

「どうぞ」

 

「……どうしてアタシを勧誘するの?アタシは上里ちゃんや花本ちゃんと違って大した取り柄はないわよ?」

 

強いて言うなら、麻雀が少々得意なくらいだ。

 

「それは分かっています。ですが、勇者の巫女であるというだけで貴女には大きな価値があります。それに、貴女にしかできないこともあります」

 

「アタシにしか……できないこと?」

 

なんだろう?

正直、全然思いつかない。

だって、巫女としての力は上里ちゃんの方が上だし、神様に関する知識だって花本ちゃんの方が上だ。

 

「球子と杏の心を守り、精神的に支え続けられるのは、安芸真鈴さん。貴女しかいません」

 

「……え?」

 

「この戦いは間違いなく長引きます。戦いを経るごとに、彼女達は強くなるでしょう。ですが、同時に、精神は磨り減っていきます。勇者たちはまだ幼い。きっと、彼女達を支える存在が必要になります。貴女には、二人の帰る場所になってもらいたいんです」

 

「それって……アタシも丸亀城に行くってこと……?」

 

「ええ。今すぐは無理ですが、いずれ来ていただくつもりです」

 

「もしかして、花本ちゃんも?」

 

と、視線を向けると、花本ちゃんは黙って頷いた。

 

「無論、それ以外にも巫女として色々としていただきますが、それも可能な限り、貴女の要望に沿った形にするつもりです。協力、してくれますか?」

 

「…………」

 

アタシはすぐには答えられなかった。

いきなりこんな大きな話をされて、答えられる心構えはできていなかったし、何より迷いがあったから。

球子や杏ちゃんの傍に居られるなら、正直そうしたいと思う。

けど、アタシには弟がいる。

天恐で入院中の弟が。

アタシが大社に入ったのは、そうすることで弟の治療を優先的に行ってもらえるのではと思ったからだ。

もし、彼の誘いに乗って上手くいかなかったら……。

大社の大人達と敵対したら、弟の治療が打ち切られるんじゃ……?

そう思うと、簡単には答えられなかった。

どうしよう、と下を向いて考えていると、また赤嶺君に声を掛けられた。

 

「……安芸さんが心配してるのは、弟さんのことですか?」

 

その言葉に、思わず顔を上げる。

 

「心配しないで……とは言っても無理でしょうが、弟さんの身の安全も、治療体制も保証します」

 

そこまで分かってるなんて……。

アタシはこの時、初めて赤嶺君に怖さを感じた。

上里ちゃんにたまに感じるのに近い怖さを。

 

 

 

それから約二ヶ月。

彼の問いに答えられず、アタシは未だに答えを出せないままだった。

赤嶺君は、しばらく待つから、答えはゆっくり考えてからで構わないと言った。

だけど、考えている間にも皆は事を起こし、世間の様子はめまぐるしく変わりつつある。

アタシもそろそろ答えを出さなくてはいけないと思う。

だけど、迷いはどうしても振り切れない。

はぁ……ほんと、どうしたらいいんだろう……。

 

「安芸先輩は、何にそれほど引っかかっているんですか?」

 

「だって、この前の事件で大社も政府も大騒ぎでしょ?ああいう騒動を目の前で見てたら、慎重にもなるわよ……」

 

あれだけの騒ぎ、それに大赦を乗っ取ろうなんて陰謀、バレたらただでは済まないだろう。

それに、丸亀城に行くなんて話も、ここにいる他の巫女に少し申し訳ない。

自分だけいい思いをするような気がして、後ろめたい気持ちがある。

そもそも、上手くいくかも分からない。

だったら、関わらない方が……。

そう思っても、丸亀城に、球子や杏ちゃんのところに行きたいという気持ちも捨てきれない。

アタシは、どうすべきなんだろう……。

結局、夜通し考えても答えは出なかった。

 

 

 

 

 

「うう……。眠い、寒い、お布団に戻りたい……」

 

翌朝、アタシはちょっとした地獄を見ていた。

軽く徹夜したせいで、コンディションは最悪。

そんな状態で、巫女の日課の水垢離に放り込まれたからさあ大変。

暖かくなってきたとはいえ、ぶっ倒れてしまいそうだ。

 

「あの、安芸さん大丈夫?唇真っ青になってるけど」

 

見かねた大和田ちゃんが心配して声をかけてくれた。

 

「あ、あはは。ちょっとやばいかも……。わ、悪いけど、先出るね」

 

「え、ええ」

 

アタシは震えながら滝から出ると、ふらふらと歩きだした。

行先は脱衣所ではなく、大浴場。

扉を開けると、中にはいつも通り花本ちゃんが悠々と湯船につかっていた。

許せぬ。

 

「はあ。安芸先輩、また来たんですか……」

 

呆れた様子の花本ちゃん。

花本ちゃんは水恐怖症で、滝垢離の代わりにお風呂で身を清めることが許されている。

そういうわけで、今ここにはアタシたちしかいない。

おかげで、こういうマナー違反も平気でできちゃうのだ!

アタシは思いっきりジャンプして湯船に飛び込んだ。

ばっしゃーん。

ぶくぶく。

 

「ぷはぁ!あったか~!生き返る~!」

 

「なに飛び込んでるんですか馬鹿ですかさっさと出ていってください」

 

「よいではないか~。寒さに凍える先輩を、温かく迎えるというのが、後輩の務めというものでしょー?」

 

「そんな務め、引き受けた覚えはありません」

 

相変わらず花本ちゃんは冷たい。

でも、そんないつも通りの反応に少しだけ安心する。

色々あったみたいだけど、やっぱり花本ちゃんは花本ちゃんだ。

変わったこともあるけど……と、そこでふと、花本ちゃんに聞いてみたいことが生まれた。

 

「そういえばさ、花本ちゃん、最近よく郡ちゃんに会いに行くようになったよね?何かきっかけでもあったの?」

 

「……いきなりなんですか?」

 

「いやね、花本ちゃんが郡ちゃんに会いに行ったなんて話、少し前まで全然聞かなかったから、何かあったのかなって」

 

ただの興味本位の質問だったけど、花本ちゃんは少し気まずそうに眼をそらした。

もしや、聞かれたくない話だったかも。

 

「あっ、話したくなかったら全然いいよ?」

 

「いえ」と、花本ちゃんは首を振った。

どうやら話してくれるらしい。

 

「…………去年」

 

「ん?」

 

「去年、赤嶺様からお呼びがかかりまして、丸亀に行ったんです。待ち合わせ場所の喫茶店に入ると、クラッカーの音が鳴り響いて……郡様や赤嶺様が言ってくださったんです。誕生日おめでとう、と」

 

「それって……」

 

「はい。サプライズの誕生会でした。私はその日が自分の誕生日だということも忘れていて……。だけど……凄く嬉しかった……」

 

花本ちゃんは今まで見たことがないような優しいほほえみを浮かべながら、思い出を語っていた。

それほど嬉しかったのだろう。

 

「それに、忘れられていると思っていたのに、郡様は私を覚えていてくださった。名前も、会った時のことも」

 

「……そっか。それがきっかけで会うようになったんだ……。よかったね」

 

そう言うと花本ちゃんは「はい」と、珍しく素直に返事をした。

 

「ってことは、花本ちゃんが丸亀城に行くって決めたのもそれがあって?」

 

「いえ、それは少し違います」

 

「あれ、じゃあなんで?」

 

「……実を言うと、私は最初、丸亀城に行くつもりはなかったんです」

 

意外だ。

あれだけ郡ちゃん大好きの花本ちゃんが、丸亀城に行くつもりがなかっただなんて。

巫女の一人を丸亀城に送るってなった時、花本ちゃんも立候補してたし、最初から乗り気なんだと思っていたのに。

 

「赤嶺様がその話をされた時、一度お断りしたんです。愚かにも、『官を侵すの害は寒きより甚だし』なんて言葉を引用して」

 

「官を……それってどういう意味?」

 

「昔の中国の話です。酒に酔って寝ていた王に冠をかぶせる係の臣下が気づいて、王が風邪をひかないように、寝ている王に毛布を掛けてあげた。しかし、王は毛布を掛けた者を罰し、衣を管理している臣下も罰した。風邪をひくよりも、部下が他人の職分を侵すことの方がよくないからと」

 

「何それ?理不尽すぎない?」

 

ブラック企業も真っ青の所業だ。

絶対ろくな王様じゃない。

 

「そうかもしれません。ですが、重要なのは自分の職分を全うすることで、それ以上のことを無理にするのは害悪になる、というところです」

 

「なるほど、要するに身の程をわきまえろって話ね……だから花本ちゃんは丸亀城に行かない方がいいって思ってたの?」

 

「はい。だけど、すぐに赤嶺様はこう仰いました」

 

────なら、千景が寒くて震えていても、美佳は毛布を掛けてあげないの?

 

「私は何も言えませんでした。そうなれば、きっと私は、罰せられても毛布を掛ける。そんな当たり前のことに気づいていなかった自分が情けなくて……それで、ようやく分かったんです。私が丸亀城に行こうとしなかったのは……いえ、郡様に会おうとしなかったのは、私がただ臆病だったから……。それを認めたくなくて、職分を全うするのが重要だなんてもっともらしい理屈をつけていただけなんです」

 

「…………そっか」

 

知らなかった。

花本ちゃんがこんなことを考えていたなんて。

臆病、か……。

アタシもそうなのかもしれない。

大人や他人に悪いからと、周りに遠慮して……だから、あの時、アタシは勇者のお目付け役に立候補できなかった。

今だって、こうしてうじうじ悩んでいる。

アタシは………。

と、そこでいきなり花本ちゃんが湯船から立ち上がった。

 

「ですが、今は違います。こんなところにいてもできることはたかが知れている。だから、私は丸亀城に行きます。そこで、郡様をお支えする。そう、決めたんです」

 

「──────!」

 

花本ちゃんはすごいな……。

こんなこと、きっと、すごく勇気が必要だったはずなのに。

花本ちゃんは、自分の臆病さと戦って、前に進もうとしている。

本当に、すごい。

後輩がこんなに頑張っているのに、アタシも負けているわけにはいかないか────

 

「花本ちゃん……」

 

「何ですか?」

 

「色々丸見え」

 

ばっしゃーん。

花本ちゃんが湯船を蹴り、思いっきりお湯を掛けられた。

目や鼻にお湯が入って痛い。

 

「せっかく人が真面目な話をしてるのに馬鹿なんですか?いえ、そもそもデリカシーって言葉が先輩にはないんですか」

 

花本ちゃんは再び湯船に浸かり、絶対零度の視線を浴びせかけてくる。

 

「いやいや、まだ寒いし立ったままだと風邪ひくかなって」

 

「ならそう言えばいいだけじゃないですか」

 

花本ちゃんはそうため息をつくと、再び立ち上がった。

どうやら、もうお風呂から上がるみたいだ。

 

「あっ、待って花本ちゃん」

 

「今度は何ですか?これ以上戯れ言を言うなら殴りますよ」

 

「怖っ!じゃなくて、一つお願いが────」

 

 

 

 

数日後、アタシは授業が終わると、大社の近くにある小さな山に登っていた。

今日は結構暖かい。

 

「っと、やっと到着」

 

春になってきたって感じで、山頂まで来ると意外と汗をかく。

山の上からの景色は中々綺麗で、海や四国を守る壁まで見える。

 

「ほう。いい景色ですね」

 

声が聞こえて振り返ると、制服を着た赤嶺君の姿があった。

 

「赤嶺君、どこから来たのよ……」

 

山道からなら、視界に入っていたから気づくはず。

なのに、彼は音もなくどこからか現れた。

忍者や物の怪の所業だ。

というか……。

 

「どうやって来たの?丸亀城の方も、授業終わったばかりでしょ?」

 

「これですよ」と、赤嶺君は携帯を見せた。

その画面には、見慣れないアプリが映っている。

これは確か……。

 

「勇者システム?それ使って大丈夫なの?なんか色々バレそうだけど」

 

「大丈夫ですよ。色々細工してるので、大社にはバレません」

 

「ああ、そう……」

 

聞いたのは、ここに来るまでに一般人に見られなかったのかってことだけど……まあいいや。

この感じだと多分常習犯だし、心配するだけ無駄だろう。

大胆というかなんというか……。

 

「直接会って話を、ということは決心がついたんですか?」

 

「うん。だけどその前に聞きたいことがあって。いい?」

 

「なんでもどうぞ」

 

「……大社を取るとか言ってたでしょ?どうして、そんなことしようって決めたの?」

 

「あの時説明したことですが、それは────」

 

「諏訪のためだとか、そういう事じゃなくて。大社もまだできたばっかりでしょ?トップを追い出そうとかいきなり過ぎない?ううん、そもそも、大人たちを信じて待とうって思わなかったの?」

 

アタシがかすかに気になっていたこと。

それは、彼の動きがあまりにも早くて、躊躇いがなかったこと。

諏訪を助けるため、なんて名目だけど、そこから大社の大人を追い出そうだなんて、あまりにも話が飛びすぎている。

まるで大人を信用していない。

その理由を知りたかった。

 

「ああ。そういうことですか」

 

赤嶺君は、顎をこすりながら、納得したように何度か頷いた。

 

「正直、その発想はありませんでしたね」

 

「どうして?」

 

「一度それで、酷いことになりましたので」

 

「え……?」

 

一瞬、疑問の声が出て、それから、気づいた。

彼は、ここに来るまで、四国の外にいた。

そして、酷い状態でここにたどり着いた。

たった一人で……。

つまり────

 

「大したことじゃありません。皆が偉いというような人達のおかげで、色々と台無しになった。それだけのお話です」

 

「それって……」

 

「詳しい話はご勘弁を」

 

なんだか、頭を強く叩かれたような思いがした。

アタシは怖くて、最悪の事態なんてできるだけ考えないようにしていた。

だけど、彼は……赤嶺君は知ってるんだ。

誰もが考えないようにしている、その時を。

 

「こんなことを始めたのは、そのせい?アタシや花本ちゃんを丸亀城にって話も」

 

「まぁ、そういう面もありますが、貴女を丸亀城に、という所は私情だったりします」

 

「私情って……球子や杏ちゃんたちの為ってこと?」

 

「そんないいモノじゃないですよ。どちらかと言うと………そうですね、見てて少しイラッとしたからです」

 

「イラって、どうしてそう思うのよ?」

 

「貴女は贅沢すぎたからですよ。時間の使い方が」

 

「贅沢って、そんなはずないでしょ。どれだけアタシたちが時間に縛られていると────」

 

「いいや、贅沢ですよ。大切な人が近くにいて、少し無理をすれば、一緒にいられる。なのに、変に遠慮してこんなところで時間を浪費している」

 

流石にアタシも、この物言いには少しカチンときた。

好きでそうしてるわけじゃない。

アタシだって……。

 

「アタシだって側にいてあげたいって────」

 

「でも、貴女はあの時手を挙げなかった」

 

「ッ────!」

 

「確かに、勇者と一緒に過ごすには障害があるし、不安も分かります。けれど、そのリスクを侵すほどの価値が、今、この一瞬一瞬にある。なのに、貴女はそれがどれだけ貴重なものかまるで考えず、今日まで答えを遅らせた……!」

 

赤嶺君は「すみません、少し感情的になりました」と謝るとアタシから視線を外し、海を眺めた。

そして、視線を変えずに口をまた開いた。

 

「ですが、覚えておいてください。失うのは一瞬で……後悔は、思ってるより辛いですよ。貴女には、できるだけそういう思いはしてほしくない」

 

……驚いた。

これまで機械のように感情を表に出さなかったのに、こんなに感情的になるなんて。

でも……そうか。

きっと、この子は、今までに数えきれないほどのものを失って、だからこそ、その大切さを人一倍知っているんだ。

そんな彼からすれば、大切な友達に手が届く距離にいるのに、一緒にいようとしないことはひどく腹立たしかったんだろう。

彼はもう、そういう人たちには会えないから。

上里ちゃんや花本ちゃん達が、赤嶺君に協力する理由が、少しだけ分かった気がする。

……うん。

アタシも、覚悟を決めよう。

 

「……ねえ、赤嶺君」

 

「なんでしょう?」

 

振り返った赤嶺君に、まっすぐ視線をぶつける。

ここがきっと、世に言うルビコン川だ。

渡ったら最後、戻ることはできない。

ならばせめて、我が儘になろう。

戻れないのなら、後悔しないように全部やろう。

 

「……一つだけ約束して。球子と杏ちゃんを絶対に死なせないって」

 

「分かりました。あの二人は自分が守ります」

 

赤嶺君は、あっさりと、だけど確かに返事をしてくれた。

こんな、どこまで守れるかもわからない約束を。

 

「絶対よ。何があっても守って。守れなかったら、全部バラしちゃうから」

 

「何があっても、ですね。分かりました。ですが、弟さんの方はいいんですか?」

 

「そっちは保証してくれるんでしょ?」

 

「ふふ。ええ、その通りです」

 

赤嶺君は、軽く笑うと右手を差しだしてきた。

握り返すと、彼の手は思っていたより冷たかった。

 

「なんというか、これで、さじが投げられたって感じね」

 

アタシは、カエサルの言葉を自信たっぷりに言った。

 

「……安芸さん」

 

「何?まだ何かあるの?」

 

「それ、(さじ)じゃなくて(さい)です……」

 

「…………え?」



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渚から

『芙蓉友奈は語り部となる』とてもいいので、皆も見ようね……!



甘い。

サーターアンダギーを一口かじると、そんな言葉が漏れ出た。

我ながら語彙力のない感想で、思わず苦笑する。

もう一口かじって、ふと、昔のことを思い出した。

確か、母から聞いたのだったか。

赤嶺は元々沖縄の人間。

家の味噌汁が具沢山なのも、たまにサーターアンダギーやゴーヤチャンプルーを作るのも、その名残だと。

そんな話を何度かされ、ある時、なんとなく聞いてみた。

どうして、赤嶺は四国に移住したのかと。

すると母は────

 

 

 

 

 

 

西暦二〇一七年四月。

機密情報のリークを発端とした社会的混乱は、四国政府にとって悪夢と言える事態にまで発展した。

情報のリークに際し、四国政府はすぐさま諏訪の生存と勇者の存在を公式に発表したが、この対応が、かえって国民の不審感を煽った。

政府のミス、それはあまりにも素直に情報を公表してしまったことだった。

四国政府及び大社は、諏訪の救援作戦については現在検討中であり、報道にあった「諏訪を見捨てる」という情報は誤った情報であるとした。

しかし、記事に記載された、諏訪の生存と勇者の存在は共に真実であったことと、この情報を国が隠していたという事実から、諏訪を見捨てるつもりだという報道もまた、真実のニュースだったのではないかという疑いが国民の間に蔓延してしまった。

国は各種報道機関を使い状況の収拾を図るも、SNSの発達した現代において、世論をコントロールしきれるはずもない。

当然のように、政権の支持率は急落。

四国各地で政治の透明性を求める声は高まり、一部では許可のない反政府的なデモが発生し、機動隊が出動するまでの事態となった。

とはいえ、ここまで事態が悪化した原因は、政府の失策だけではない。

人々の中に蔓延る、社会的な不安が原因であった。

バーテックス出現以後、神樹の存在も相まって、人々の中の政治、経済、宗教的価値観が大きく揺らぎ、人々は何を信じてよいのか分からなくなってきていた。

先の見えない不安、人を食い殺す化け物への恐怖、世界の大半が滅んだという絶望。

これらのストレスに平和ボケしていた日本人が順応できるはずもなく、社会不安は着実に醸成されていった。

だが、これらのストレスや不安は、根本的に行き場がない。

何故なら、相手は物言わぬ化け物。

人間相手のように、暴力的、言論的な圧力はかけらず、それ故に感情の捌け口とはなりえない。

必然、無意識のうちに人々は不満をぶつけていい対象を探す。

そんな中で、このような事件が起きたのだ。

人々の不満の矛先が政府へ向くのは自明の理であり、最早事態は、国が何らかの成果を示さなくては収まらないところまで来ていた。

かくして四国政府は決断せざるを得なくなった。

国民を黙らせ、政府への支持を高める「政治的成果」の為の作戦。

それは、古今東西の統治者が失政を誤魔化す常套手段でもあり、国を崩壊させないための最善の策でもあった。

 

「とはいえ、殆どの職員にとってはいい迷惑だろうな……」

 

そう呟いて、スマホの画面を閉じる。

結局、民主主義といってもこのような動乱の時代では、指導者層の専横は避けられない。

情報統制に国民の声を無視した独断的な政策、国民主権は建前ですらなくなる。

しかしながら、それら全ては非常時故仕方ないと正当化され、割を食うのは政治家ではなく、意志決定権のない現場。

今回の件もそうだ。

元を正せば上のミスであるのに、つくづく面の皮が厚い。

もっとも、こんなこと烏丸さんに聞かれれば、首謀者がよく言う、だとか一番面の皮が厚いのはお前だろう、とか言われるだろうが。

 

「頼人、何か言ったか?」

 

と、そこで若葉から声を掛けられた。

ここは丸亀城の二の丸。

今日は休みなのだが、若葉に「勇者のお披露目も近いので居合を見てほしい」と言われてやってきていたのだ。

なお、ひなたは宿舎で晩御飯の準備を手伝っている。

 

「いや、ちょっとした連絡があって。独り言だよ」

 

「そうか。つまり、よそ見をしていたんだな?」

 

不機嫌な声色。

少し見てなかっただけでこうなるあたり、まだまだ若葉も子供だなと感じる。

 

「悪かったよ。もう一度見せてくれないか?」

 

「……今度は目を離すんじゃないぞ」

 

そっぽを向いてそう言うと若葉は少し離れ、また座構えをとる。

そこから、流れるように腰を浮かし抜刀。

綺麗なものだ。

こういう風に、居合にだけ集中できている時は良い居合ができるのにな……。

立ち会うとよく分かるが、一瞬でも勝負だとかバーテックスについての雑念が浮かぶと、若葉の剣筋は途端に濁る。

やはり、柳生宗矩の言は正しかったのだろうと、つくづく思う。

 

「……どうだ?」

 

「綺麗だったよ。ちゃんと居合になってた」

 

「そうか……!」

 

若葉は嬉しそうに口元を緩ませる。

その笑顔は妙に園子を想起させ、その度に自分が若葉に甘くなっていることに気付く。

居合になるという言葉の重さを、理解していてもなお言ってしまうあたり、かなりの重症だろう。

そうは言っても、治すこともできない。

思った以上に、ままならない。

 

「よ、頼人!だから、頭を撫でるなと……!」

 

と、気付けば、若葉の頭を撫でていた。

まただ。

時折、無意識のうちに若葉の頭を撫でている。

まぁ、理由は分かっているが。

 

「そんなに嫌か?」

 

「嫌というわけでは……」

 

「それならいいだろ?」

 

そうして、若葉の頭を撫で続ける。

若葉の髪の感触は園子の髪に似ており、こうして撫でていると、少しだけ昔に戻れた気になれる。

郷愁と切なさと奇妙な安心感。

いつもこの髪を撫でてしまうのは、その感覚が忘れられないせいだろう。

 

「……もう少しだけだぞ」

 

若葉はぷいと顔を背けると、ぼそりと言う。

随分と反応が変わった。

以前は普通に嫌がられていたが、最近はこうして、頭を撫でることを許してくれる。

距離が縮まったこともあるだろうが、やはり、若葉の気質が原因だろう。

ひなたとの関係を見ていて思ったが、若葉は気を許したものには結構な甘えん坊だ。

もっとも、そういう気質も、周りに人がいない時だけしか見せないが。

 

と、そこで誰かが本丸から降りてくる足音がした。

途端、若葉は俺と距離をとる。

 

「おー若葉に頼人か~。何してたんだー?」

 

欠伸交じりに降りてきたのは球子だった。

服はいつものごとく、制服の上にパーカー。

眠そうにしているところを見るに、どうやら、さっきまで昼寝をしていたらしい。

 

「どうしたんだ土居。伊予島は一緒じゃないとは珍しいな?」

 

「ああ。あんずは多分本屋に行ってるんだ。どーせまた恋愛小説だよ。部屋にあんなにあるのにまだ増やす気なんだ。まったく、タマには理解不能だぞ」

 

若葉の質問に、球子がやれやれと言った様子で肩をすくめる。

 

「なるほど。それで球子は暇だからぶらついていたと」

 

「そういうことだ!」

 

アハハと笑う球子。

だが、そうだとすると……。

 

「そうか。暇ならちょうどいい。私が鍛えてやろう」

 

「へっ?い、いやタマは……」

 

「やることがないんだろう?断る理由はないはずだ」

 

若葉が声を低くして言う。

相変わらず、真面目だ。

 

「た、タマは用事を思い出したからそろそろ行くな!それじゃあっ!」

 

そう言って球子は、走り去っていった。

それを見て、若葉はやれやれと息をついている。

球子のああいう慌ただしいところを、若葉は気にしているのだろう。

 

「まったく、諏訪への救援が決まった今こそ鍛練に集中すべきだというのに」

 

「まあ、気負い過ぎるよりかはいいんじゃないか?」

 

「しかし、勇者のお披露目だって近いんだ。これからは放課後や休日も鍛練にするべきではないか?」

 

再び、若葉の眉間にしわが寄る。

こうして話していると、色々考えてしまって焦るのだろう。

特に諏訪の話となると、白鳥さんと話していたせいか、若葉は他の皆より冷静ではいられなくなる。

気持ちは理解できるが、面倒な傾向でもある。

 

「若葉の言いたいことも分かるよ。けど、そういうお披露目の前だからみたいな考えは、戦を見て矢を矧ぐようなものじゃないか?」

 

「それは……」

 

若葉が口ごもる。

戦を見て矢を矧ぐ。

事が起きてから準備を始めることの愚かさを表現した言葉。

常在戦場を心掛ける若葉としては、無視できない言葉だろう。

 

「そう、だな……。お前に常在戦場だと言ったのだから、私もそうあるべきだった。すまない」

 

「気にしなくていいよ。若葉の気持ちはよく分かるつもりだから」

 

「相変わらずだな……。まあいい。それより頼人、久しぶりに立ち会ってくれないか。どれほど腕が上がったか、確かめたいんだ」

 

「悪いな若葉。このあとちょっと用事があるんだ。また今度な」

 

「なんだ、そうだったのか。どこかに行くのか?」

 

「野暮用だよ、本当にちょっとした」

 

 

 

 

 

「さて、杏はどこにいるかね……」

 

二の門の前で、軽く伸びしながら呟く。

自室で着替えたあと、丸亀城を出てきた理由、それは杏だ。

本屋に行って帰ってくるだけなら、杏はとっくに寮に帰ってきているはずだ。

だが、帰宅時間が近づいているのに、杏はいまだに丸亀城に帰ってきていない。

球子と一緒なら門限ぎりぎりで帰ってくる場合もあるが、杏一人ではこんなに遅くなったケースはない。

別に、杏が門限を破ったりしても気にしないし、自身の『知識』から杏の身に差し迫った危険があるとも思ってはいない。

問題は、杏の帰りが遅くなって、丸亀城の職員たちを含めて探し回るような事態になること。

ちょっとした理由で、連中には遅くまで丸亀城近辺に残ってほしくなかったりする。

他にも、杏を探しに行く理由は色々あるが、主な理由はこれ。

そういう訳で、杏を探しに来た。

 

歩きながら、杏のいる場所を考える。

可能性としては幾つか考えられるが、杏一人でなら、公園で本を読んでいる可能性が高いだろう。

喫茶店などの可能性もあるが、公園だと考えたのは、以前杏から聞いた話が理由だ。

以前、本を読むスポットについての話題になった時、春や秋などの過ごしやすい時期には、公園のベンチで読むのがおすすめだと話していた。

今日は特に天気も良く、気温も比較的高い。

外で本を読むには、うってつけだったと言える。

だとすると、遅くなっている原因は、大方、本に夢中になっていたか、途中で寝てしまったの二択だろう。

そういうわけで、近くの公園に向かうと、案の定杏子はいた。

公園のベンチに座った杏は、文庫本を膝に上に置いて俯いていた。

 

「杏、ここにいたのか」

 

「え……頼人さん?」

 

驚いて顔を上げた杏と目が合う。

その表情にはいつもより元気がなく、頬には涙が伝っていた。

 

「どうしてここに……?」

 

「もうすぐ門限だからさ。心配になって迎えに来たんだ」

 

そう言うと、杏はスマホの電源を入れて、時刻を確認した。

 

「あ……ほんとだ。もう、そんな時間だったんですね」

 

「随分集中してたんだな。それより、どうかした?」

 

「え?」

 

「これ。その本のせい?」

 

俺が自分の頬を軽く指でつつきながらそう言うと、杏は自分が涙を流していたことに気付いたようで、慌てて頬を拭った。

その隙に、俺はその本のタイトルを見た。

 

「『渚にて』……か……」

 

よりにもよって、こんな時代にそれを読んでしまうとは。

それも、勇者である杏が……。

 

「……はい。頼人さんも、読んだことあるんですか?」

 

「うん、あるよ」

 

『渚にて』

二十世紀中ごろに発表されたネヴィル・シュートのSF小説。

核戦争の余波で滅びゆく世界と、人々の最期の生活を描いた作品。

 

「私……この本を読んでいると、すごく悲しくなって……それで読むのを止められなくなって……」

 

「そっか……、それで、ちょっと不安になったんだ」

 

杏は、コクンと頷いた。

彼女は、この世界も『渚にて』のように滅びてしまうんじゃないかと思ったのだろう。

確かに、この国だけでも総人口の九十五%はバーテックスに喰われ、事実上、既に世界は滅ぼされていると言ってもいい。

人類がなすすべもなかった相手に使える戦力は子供が数人。

不安にならない方がおかしい。

だが……。

 

「大丈夫だよ」

 

「え……?」

 

「この世界は絶対そうならないよ」

 

そういいながら、俺は杏の隣に座る。

 

「……勇者がいるから、そう言えるんですか?ですが……」

 

杏が不安そうに言葉を紡ぐが、俺は黙って首を振る。

 

「そういう事ではないな。どうしてか分かる?ヒントは『渚にて』の世界と、この世界の違い」

 

俺は、杏の隣に腰かけると、そんな問いを投げかけた。

 

「え……?違い、ですか?」

 

「ああ、なんだと思う?」

 

「えっと、勇者の存在は違うんですよね?」

 

「ああ。確かにとても大きな違いだけど。他には何かある?」

 

「……世界が滅びかけてる理由、とかでしょうか?」

 

「その心は?」

 

「あの……『渚にて』では、核戦争のせいで世界が滅びかけてて……それって人間の責任とも考えられますよね。けれど、バーテックスの襲来は……って、これは違いますよね。世界がこうなったのは人間の増長が原因って、大社の人も言ってましたし……」

 

杏は途中で言葉を止めて、また俯いてしまう。

 

「いや、杏の言いたいことは分かるよ。普通に暮らしてただけなのに、どうしてって気持ちはよく分かるよ」

 

「頼人さん……」

 

「まあ、回答としては間違いだけど」

 

「やっぱり間違ってるんじゃないですか……」

 

杏が肩をわざとらしく肩を落とす。

 

「それじゃあ、答えは何ですか?」

 

答えというか俺の主観だけど、と前置きしてから口を開く。

 

「人の生きる意志だよ」

 

「人の生きる意志……ですか?」

 

「そう。『渚にて』に出てくる人たちはさ、皆諦めてるんだ。シアトルからの信号に何の意味もないと分かった時ですら、誰も落胆すらしなかった。世界が滅んでいくことを知っても、誰も抗おうとはしなかった。だから、最後は皆、毒薬を口にした」

 

そう。

彼らは滅びを受け入れ、ただ、平穏に命を終えていく。

来るはずもない来年の話をしながら、死にゆく花を植えて。

それ故に、あれほど静かな結末を迎えた。

 

「……けど、この世界はそうじゃない。多くの人達が頑張ってる。戦ってる。四国でも、諏訪でも。それぞれの明日を生きるために。この差は、決定的だと思うよ」

 

「……ですが、それは勇者がいるからじゃないんですか……?」

 

「確かに、勇者や神樹の存在がなかったら、ここまで事は簡単に運ばなかったかもしれない。けどね、神や勇者がいたところで、人の中に生き抜こうとする意志がなかったら意味がないよ」

 

人類の大半を殺した化け物相手に、使える戦力が子供五人だと聞いて、普通はどう思うだろうか?

客観的に見れば、勝てるはずがないと思うだろう。

だが、それでもこの時代の人間は彼女たちに賭けた。

毒杯を(あお)ることよりも、無様に足掻くことを選んだ。

 

「それじゃあ……それじゃあ頼人さんは、生き抜く意思があれば、この本の結末は変わってたっていうんですか?」

 

「そうは思えない?」

 

「正直……」

 

「それじゃあ、あの世界で人々はどうすればよかったか考えてみよっか」

 

「ええ……?」

 

少しふざけた様子で言ってみると、杏は困惑した様子を見せた。

当然の反応だろう。

この作品の主題は、終末を迎える人々の営みであって、どうしたら滅びなかったか、みたいな話は本来ナンセンスだ。

だが、話のタネにはなる。

 

「そうだな……。あれに出てきたのはコバルト爆弾だったから……大体三十年ほど耐えれば放射能は消えて地上で暮らせるわけだ。その間、地下都市でも作ってそこで耐えればいい」

 

「えっと、エネルギーや食料、それに空気はどうするんですか?」

 

「原子力潜水艦があっただろ?あれの原子炉をエネルギーに使って、人口電灯で作物を育てればいい。部分的に地下都市と海を繋げておけば、原潜の機能で真水も酸素も作れる。ふむ。意外といけそうだな……」

 

「ふ……ふふふっ。頼人さん、真面目な顔して、何言ってるんですか?さすがに無茶すぎますよ」

 

俺の無茶な意見を聞いて、杏はおかしそうに笑った。

 

「やっと笑った」

 

「え?」

 

「さっきから暗い顔ばっかりだったから。やっぱり、杏には暗い顔はあまり似合わないと思うよ」

 

「そ、そうですか?」

 

「そうだよ。そっちの方が可愛いよ」

 

そう言うと、杏は顔を赤くして俯いた。

 

「杏の言う通り無茶かもしれないけどさ、それでも、そういう可能性を信じてみるのは悪くないんじゃないか?そうやって、人間は長い歴史を生き抜いてきたんだから。それでも不安なら、こう考えればいい。パンジャンドラムを作るような人間の未来予想図を信じてたまるか!って」

 

「そ、それはネヴィル・シュートに失礼じゃないですか……?それにパンジャンって……」

 

「パンジャンドラムを知らない?イギリス屈指の迷兵器。爆薬詰めたドラムを車輪で挟んで───「すみません。そこは聞いてません」ああ、そう……」

 

パンジャンの説明をしようとしたら、食い気味に打ち切られた。

よほど興味がないらしい。

 

「今のは冗談。けど、悲観しすぎないほうがいいのは確かだよ。物語の中ではひどい核戦争が起きてしまったけど、実際にキューバ危機が起きた時、ソ連もアメリカも核のスイッチは押さなかった。人間は愚か、みたいな話は多いけど、それでも最後の一線を守ってきたのも人間なんだから」

 

「頼人さん……」

 

「大丈夫。そう簡単に人類は滅びはしない。少なくとも、杏と球子は俺が守るから」

 

歯の浮くようなセリフを吐いた直後、杏のスマホが音を鳴らした。

しかし、杏はぼうっとした様子で、電話に出ようとしない。

 

「杏、電話来てるよ」

 

「あっ、そ、そうですね……!」

 

俺の声で、杏は慌ててスマホに手を伸ばし、通話を始めた。

電話の相手は球子だろう。

どうやら、帰りが遅いので心配してかけてきたようだ。

腕時計を見れば、門限を微妙に過ぎてしまっていた。

思ったより話し込んでしまったらしい。

そんなことを考えていると、杏は電話を終えて、スマホをポケットにしまった。

 

「ごめん杏。俺が引き留めたせいだな」

 

「い、いえ、私もうとうとしてて、頼人さんが来てくれなかったら、きっと寝ちゃってましたから」

 

「そっか。なら、探しにきて正解だったよ。……それじゃあ、帰ろうか」

 

手を差し伸べると、杏は躊躇いながらも手を取った。

 

 

 

 

 

 

目の前には、薄暗い雲と鈍色にくすむ海。

そして、瀬戸大橋の威容。

ゴールドタワーの展望フロアに来ても、結局頼人が目を向けるのは、瀬戸大橋だけだった。

どこにいても無意識に目で追ってしまうのは、未練か、感傷か。

きっと、本人にもわからないだろう。

ただ、頼人は黙って瀬戸大橋を見つめ続けていた。

その背に、久美子が声をかけた。

 

「随分と暇そうだな」

 

「……ええ。何しろ学生ですから」

 

隣に並ぶ久美子に見向きもせず、頼人は答えた。

 

「そちらは逆に、随分忙しそうですね。やっぱり、責任者は辛いですか」

 

「ああ。お前に殺意が湧くくらいには」

 

言葉とは裏腹に、烏丸の言葉に怒りはなく、ただ気だるさや疲れのようなものしか感じられなかった。

事実、疲労しているのだろう。

諏訪への救援の実施が政府内で決定すると、各省庁の消極的権限争いが激化し、最終的にバーテックス関係はお前の仕事だろうと大社に丸投げ。

端から作戦が成功すると思っていない大社の面々は諏訪撤退作戦の立案を理由に、久美子を半ば強引に責任者に任命。

結果、烏丸久美子は諏訪撤退作戦の事実上のトップを務めることとなった。

元とはいえ、勇者を導いた巫女であった烏丸は神官としての格は高く、首切り用の責任者として、これ以上ない人材であった。

大社の老人との対立が深まり、彼らから邪魔だと思われていたのも、この人事の決定に一役買った。

 

「で、話はなんだ?これでも忙しいんだ。手早く済ませろ」

 

「慌てないでください。きっと、烏丸さんも知りたがってることですから」

 

「はぁ……撤退作戦か」

 

「やっぱり分かってたんですね」

 

「当たり前だ。今の作戦には、致命的な欠陥がある。おかげで鎮守庁や善通寺でも、現状の作戦成功率があまりに低すぎると問題になっている」

 

「どうせ、滑走路の問題でしょう」

 

「ああ。松本ではすべての住民が避難するには時間がかかりすぎる。いくら陽動で事前に敵を引き付けても、これでは被害は避けられないだろう。滑走路が結界の外であるからなおさらな」

 

「まあ、二千が一本ですからね。無理もありませんよ」

 

滑走路の数は輸送量に直結する。

特に、松本空港の規模では、一度に待機できる機体は非常に限られており、一日に輸送可能な人員は決して多くはない。

さらに、電力供給が途絶えているため、夜間の離着陸もできない。

夏至の最も日が長い一日ですら、輸送可能な人員は多く見積もって三万と言われていた。

十万もの人員を輸送するには、最低でも四日はかかる。

冬季の実施となると、さらに時間を要するだろう。

問題は滑走路の本数だけではない。

松本空港は日本の空港の中で最も標高の高い場所に位置しており、そのため、空気密度の影響により推力が他の空港に比べて低下し、機体の重量制限が厳しくなる。

松本空港の滑走路の長さが2000Mと比較的短いこともあり、大型機での離着陸は難易度が高い。

日本一着陸の難しい空港とも言われるだけのことはある。

また、バーテックスの支配地域では、パイロットに精神的に非常に大きな負担がかかることは明らかであり、事故の危険性についても、言及されており、大社の人間が、作戦の失敗を確信するのも、当然のことであった。

しかし───

 

「ただ、その点はご心配なく。解決方法はあります」

 

「解決方法、か……。プロの連中が出せない案を出せると?」

 

「仕方ありません。自衛隊はあくまでも軍事のプロですからね。寿司職人に牛を解体させようとするようなものです」

 

「よく分からん例えを……。元はお前の案なのに、よく言えたものだよ」

 

烏丸は辟易した表情で吐き捨てる。

 

「これは分かりやすさを重視した常識的な作戦ですからね」

 

「これで常識的か……。で、お前の考えは常識的でないと?」

 

「ええ。勇者システムを最大限活用します」

 

「勇者の力なら、十万人を簡単に逃がせるとでもいうつもりか?そこまで便利なものとは聞いてないが」

 

「今回考えてるのはその裏技みたいなものです。説明……の前に、河岸を変えましょうか。新鮮な空気が吸いたくなりました」

 

「人目に付くぞ。いいのか?」

 

「構いませんよ。外に出たくらいですべてがばれるなら、どこにいたって変わりませんし」

 

そう言うと、頼人はエレベーターへ向かって歩き出した。

 

 

 

 

「おい、いつから私たちは恋人になったんだ?私はガキに興味はないんだが?」

 

移動した先は、隣の臨海公園。

「恋人の聖地」としても知られる場所だった。

 

「ここからの眺めが好きなだけですよ。すみませんが、恋人なら他をあたってください」

 

「いちいちむかつくことを言うな。……で、話の続きだが」

 

久美子は鼻で笑うと、本題に戻った。

 

「『切り札』のことは?」

 

「大雑把にはな。勇者システムを介して神樹に蓄積された概念的記録にアクセスし、抽出。そして、抽出した力を、勇者の体に顕現させる技術……だったな?」

 

「ええ。言ってしまえば、降霊術みたいなものです。ただ、人外の化け物を直接宿す以上、現れる力もその危険性も月とスッポンですがね」

 

「狐憑きのようなものか……。で、どう使うつもりだ?」

 

「これを」

 

頼人は、カバンの中から書類の束を取り出し、烏丸に差し出した。

 

「用意していたのか」

 

「当然です」

 

受け取った書類をめくっていくと、徐々に烏丸の表情が変わっていった。

書類に記載されていたのは、諏訪湖が完全に凍結した場合の推定耐荷重と、航空機が着陸した際の活荷重並びに、精霊、雪女郎の性能等の推定データ。

つまり……頼人は、諏訪湖を巨大な滑走路とするつもりだった。

 

「正気か?こんな作戦、夢物語だと笑われるぞ」

 

「想定通りに事が運べば、理論上、数十機単位の着陸も可能だと、複数の研究機関からお墨付きをもらっています。極地での前例だってあります」

 

頼人の想定した作戦はまさしく常識外のそれであった。

作戦予定日は一月中旬。

まず、諏訪湖を雪女郎の力で完全に凍結させ、さらにその上に、大量の雪を降り積もらせる。

そして、降り積もらせた雪を湖全体に敷き詰め、ローラで踏み固めることにより滑走路にする。

あまりにも狂気的な作戦であったが、頼人には勝算があった。

まず、精霊の威力。

頼人は『記録』を通じて、雪女郎の詳細なデータを得ていた。

雪女郎の威力は、バーテックスを完全に凍結するほどに高く、その効果は、丸亀市全域を覆うほど広範囲に及んだ。

諏訪湖の面積が13.3平方キロメートルであるのに対し、丸亀市の面積は111.8平方キロメートルとおよそ八倍。

諏訪湖を完全凍結させ、その全域に雪を降り積もらせることは可能だと考えられた。

また、裸氷上に薄く雪を敷き詰めローラで踏み固めるという工法は、南極の米マクマード基地において実際に使用されており、夏季においても運用している前例がある。

実際に、C-141、C-17グローブマスターⅢ、C-5ギャラクシーなどの大型輸送機の離着陸も、夏季に実施されていた。

氷が融けるのではないかとの懸念もあるが、2013年の南極昭和基地の一月(南半球なので夏)の平均気温は0.8度、最高気温は8.6度。

対して、2013年一月の諏訪の平均気温は-2.5度、最高気温は7.1度。

気温という面では問題なく、短期間であれば地熱の問題もぎりぎり何とかなるというのが、研究機関の結論だった。

だが、最大の問題は別にある。

 

「想定通りなら、だろう。いくら勇者だとは言え、一個人がこんな力を使えると本気で思っているのか?そもそも、お偉方が信じるはずがない」

 

そう。

いくら理論上は可能とはいえ、湖を滑走路にするなんてこと、ほとんどの人間は信じられないだろう。

それに、不安要素もあった。

諏訪と南極では前提となる環境が違いすぎる。

天候など環境面の違いが、作戦にどこまで影響を及ぼすのかは未知数であり、反対されるであろうことは目に見えていた。

だからこそ……。

 

「だからこそ、テストが必要なんですよ」

 

「実験だと……?」

 

「ええ。最初に、自分が起動テストを行います。そこでシステムの動作確認をした後に、彼女の精霊の性能実証テストを行います。実験場所の第一候補は仲多度郡の満濃池。そこが一番性能を見るのに適していますから」

 

「その実験一つするために、どれだけの手間がかかるか分かっているのか?もし成功しても、自然破壊だと言われるだろうし、非難は避けられないぞ」

 

「分かってますよ。それでも必要なんですから仕方ありません。この世界に、勇者を見殺しにできる余裕はないんですから。それとも、ほかに代案が?」

 

そう言われると、流石に久美子も押し黙るほかなかった。

沈黙が辺りを支配する。

 

「……お前、こうなることが分かっていたな。最近、伊予島杏との距離が近いと噂を聞いてはいたが、それもこのためか。作戦のために勇者を口説くとはな」

 

「人聞きの悪いことを言わないでください。元気がなかったから励ましてあげただけですよ」

 

「よく言う。だが、そうなると土居球子はどうする。確実に反対するぞ。諏訪まで同行させるつもりか?」

 

「いえ、折衝は自分がする必要がありますし、諏訪の人たちの信用に外の埋蔵金も欲しいので、諏訪には自分と杏の二人だけで向かうつもりです」

 

三人で、というわけにはいかない。

諏訪撤退作戦発動時には、同時に勇者二名を陽動に使う手はずで、四国防衛のためにも二人は丸亀城に残らなくてはならない。

そして。頼人は球子を連れていくつもりはなかった。

 

「……拗れるぞ。万一、土居球子が勝手に追いかけてきたらどうするつもりだ」

 

「それを理由に安芸真鈴さんを丸亀城に来させます。年長者ですし、作戦期間中くらいは球子を抑えていてくれるでしょう。暴走抑止なら、上も許可を出すはずですしね」

 

「わざわざ安芸を引き込んだのはそれが理由か……。くそ、一発殴らせろ。そうでないと割に合わん」

 

「子どもに殴らせろとは、良識を疑いますよ?」

 

「お前が子どもだとは、面白い冗談だ」

 

「さっきはガキには興味がないとか言ってませんでしたっけ?」

 

その言葉を聞くと久美子は軽薄に笑い、頼人に背を向けた。

 

「……もういい。話は済んだんだ。私は帰るよ」

 

「分かりました、と言いたいところですが、もう一つ大事な話がありまして」

 

「おい……また厄介ごとか」

 

「一応、朗報だと思いますよ」

 

「言ってみろ」

 

久美子は、頼人に背を向けたまま促した。

 

「沖縄にも勇者と生き残ってる人がいます。陽動も兼ねて、諏訪と同じタイミングで回収しますので、そちらの準備のほうをお願いします」

 

「……………は?」

 

久美子は思わず振り返った。

 

「さしあたっては、人口の調査と連絡手段の確立が必要なので、船の用意と調査要員の確保を。海自や海保あたりが使えるはずです。あと、実戦訓練も兼ねて友奈と千景、それに巫女として美佳もつれていきますので」




赤嶺は元々沖縄の人間。
沖縄を脱出する時に、ある勇者に守られて無事に港を出て、四国に逃げ延びた。


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