例えばこんな傘木さん (ブロx)
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前編
みぞれちゃんは独りぼっちの自分に構ってくれた傘木さんがこの世の全てなんだけど傘木さんは自分のフルートがずっとこの世の全てだった。
今作は、もしも傘木さんの趣味・特技がフルート演奏だったらという妄想話です。裏テーマは『BURNING STREAM』。アイアンリーガー!と思った方、エックスサンシャイン。
映画【リズと青い鳥】やアニメ【響け!ユーフォニアム】準拠ですが変な所が多々あります。ご注意下さい。
空に浮かぶ飛行機雲。それが真っ先に思い描いた感想だった。
心の琴線に触れたとしか、言いようが無かった。
「お父さん、お母さん。お願いがあります」
輝く思いが燃え始め、心に勇気が生まれてくる。あとは誰にも見せないようにして閉じこめる。
「私にフルートを買って下さい」
…綺麗だと思った、特別だと思った。自分だけを信じて。
◇ 例えばこんな傘木さん
「その楽器、好きなの?」
「え?」
中学の頃の思い出は、最初以外は屈辱で満ちている。
――これは珍しい最初の頃。目の前の女の子が不思議そうな顔で聞いてくるのを、私はたしか笑顔で見ていた。
一人で暇そうにしていたのを良い事に吹奏楽部、略して吹部に勧誘したとはいえ。この子は世間知らずもいいところだった。
音楽とは、音を楽しむと書くものなのに。
「なあに?鎧塚さん」
「…傘木さん、ずっとその楽器ばっかり、吹いてるから。何でかなって」
「当たり前だよ~。私、これ大好きだもん」
その日は部室の窓から流れる風が気持ち良くて、頬と髪を撫でてもらいながら、私は両親に頼みこんで買ってもらったフルートを吹いていた。
奏でる音色がそよ風と相まって、まるで空の上に居るようだったのをよく憶えている。
「…そうなんだ。私も、楽器好きになれるかな」
「ごめんねー、強引に誘っちゃって。あ、どれが良いとか希望はある?もしこの中にあるなら――」
「実は…これ」
「ああ、これ?」
音色が教えてくれている。私は何処までも遠くへ行けるって。…この楽器を吹き続けていればって。
「オーボエか~。流石は鎧塚さん」
「そう…なの?」
「この楽器を自由自在に吹きこなす事が出来たら、きっと特別になれるよ」
「特別……」
一年、二年、三年と技を磨き、私達は強さを鍛える。
皆と一緒に金賞、皆と一緒に全国の舞台へ。
努力の先に奇跡も結果もあるというなら、今の私達こそ特別。
上手くなりたい。限界なんて無い。何処の誰にも負ける理由が無い。負けるわけがない。
もしも駄目だったなら、それは足りなかっただけなんだろう。
「大会、頑張ろうね!絶対金!」
「…うん、頑張る」
そう信じ続ける気持ちが。
◆
「高校では絶対、金。取ろうね」
「うん」
◆
終わりよければ全て良し。その言葉が、私は大嫌いだった。
「―――何で頑張ってくれないんですか」
「は?なに? アンタ今何て言った?」
「―――何で頑張ってくれないんですか。先輩」
「ちょっと傘木……!まだ今はまずいって」
「あ?何が言いたいのアンタ」
「聞いてください先輩。 私はこの高校の吹奏楽部で全国に行きたいんです。部活って、そんな場所なんじゃないんですか。――ままごとなんて、子供の遊びなんてとっくに卒業した人が集まる場所じゃあないんですか」
「だから。 一体何の話をしてんのアンタ」
「誰より上を目指そうって話をしてるんです!!!!」
――中学三年間と高校に入った年。私はずっとずっと心を燃やしてきた。
終わりよければ全て良し。
でもそれは逆に言えば、終わりが駄目なら全て駄目という意味で。
私は高校三年間もそれになりたくはなかった。
――混じり気の無い自分の気持ちと、嘘偽りのない本音と心。
強さとは、ぬるま湯のようなこんな場所では手に入らない。持続出来ない。
私は上手くなりたい。
屈辱も悔しさも振り切って振り切って、どこまでも加速して跡形も見えない場所に行きたい。
今度こそ、勝ちたい。この気持ちの何がいけない。
――でもそれに指をさす様に。哀れみの視線が、真っ直ぐに私を射抜いていた。
「あ~~……。そういう事。ねえ傘木さん、―――空気を読んでよ」
「私らは別に上なんて大層なもんを目指しちゃいないの」
「日々を楽しく過ごしていければいい。音を楽しめればいい。平和に、穏やかに、心安らかに。それの何がいけないの?」
「アンタはそのフルートで音を吹いて上に行きたい」
「私ら北宇治高校吹奏楽部は音を楽しんで生きたい」
「―――この部に迷惑を掛けているのは一体アンタかアタシらか。どっちだと思うよ?」
◆
この楽器で特別になりたいと思った。
たとえ下手の横好きと思われても好きこそ、物の上手なれ。私はこのフルートが好きなんだから。
「上手くなりたい」
夕焼け色の空の下、どこまでも自由に伸びて行くあの飛行機雲のように風を切って走って走って、戸惑いも迷いも全部消えてほしかった。
「上手くなりたい」
明日は、きっと明日なら。絶対どこまでも遠くへ行ける。ここからどこか特別な場所にって。
「上手くなりたい」
そう信じていた。
◆
「え?…部活辞めたの?」
「うん」
「ふーん。音楽性が違かったわけね」
「まあ、そんなとこ」
「そっかそっか。―――頑張ったわね」
「………」
「お父さんだってきっとそう言うわ。希美に」
「…、うん」
◆
「え?リズと青い鳥、ですか?」
「そうなのよ!希美ちゃん!!」
フルートが吹けるなら吹奏楽部にいなくてもいい。 断固たる決意で顧問の先生にそう言って、私は部活を辞めた。特に何かを言われる事も、引き留められもしなかったが。
「…あれって確か絵本でしたよね?」
「よくご存じ!絵本の物語に曲をつけた所謂ストーリー音楽って奴なの!もしかして聞いた事ない?」
「そういえば無いですね~。すいません」
「いいのよいいの!そしてこんな事もあろうかと、って奴でね?CD貸すから聞いてみて!」
「はあ、まあ。え?ホントに良いんですか?」
「可愛い後輩の為ならえんやこら~、ってね!フルートとオーボエがすごくいいのよ~」
「そうなんですかー。では、お借りしますね。ありがとうございます」
今居る場所はしがらみも何もない新天地。あとは昇って上がって飛ぶだけの、きっとここはそんな場所。そう思った。
「………」
『高校では絶対、金。取ろうね』
『うん』
「――? 希美ちゃん?」
「あ、いえ、すいません。ではお先に失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様ー!あとで感想聞かせてね~」
―――誓ったあの言葉だけが今もずっと纏わりついている。振り切らなくちゃいけない。あんな場所に強さは無い。
「…うーん、リズと青い鳥ね…。絵本に音楽って良いのかな……」
音は音だ。音楽のストーリー性は作曲者が、そして奏者が自由に付けるもの。
あらかじめ決まっている絵本のストーリー。であるなら当然決まった音色が付けられる。
果たしてそれは音楽といえるのだろうか。
「…リズも馬鹿だなあ。行かないでって言えばいいのに」
社会人の音楽サークルに入った私に、先輩が貸してくれたCDの事を父と母に言うと、その曲良いよねと絶賛された。聞いた事があったらしい。
――何よりオーボエが良いんだよ、希美。フルートと一緒にこの曲全体を引っ張ってる。
――へ~。原作の絵本も読んだ方がいい?
――これの事かな?
まあ音楽性は人それぞれだ。今の私ならそれが痛いほど解る。
手渡される『リズと青い鳥』の原作絵本を読みながら、私は自室のCDコンポの再生スイッチを押して流れる曲を聞いていた。原作と、それを表現した音楽があるなら一緒に。それが私の出した結論だった。
「これが一押しのオーボエの音色かあ。……確かに良いね」
他の楽器もまあまあだ。フルートには及ばないが。
「――貴女なら、何処までも飛んでいけるわ。 青くて自由な翼が、背中にあるのだから、か。
土の上を這い蹲ることしか出来ない女の子が、本当は少女と一緒に飛べる羽を求めた話ってわけだね」
よくあるセンチなストーリーだった。
ひょんな事からリズが助けた少女は空を飛ぶ青い鳥が変化した姿で、リズの家で一緒に暮らす。
天涯孤独なリズに訪れた、平和で幸せな暮らし。叶うならこの子と離れたくない。
でも自分には無い羽が少女には有る。大空こそが少女の生きる世界で、決して私と同じ地べたではないとリズは知ってしまう。
―――翼なんてなければ良かった。どちらも翼が有ればめでたしだった。
でもそうはならなかった物語。
「もう会う事はないでしょうってね。…でもどうかな? 青い鳥は飛び立っただけで、巣はリズの家に作るかもしれない。――また戻ってくるかもしれない。だって自由なんだから」
別れはまた逢う日までの遠い約束。昔の歌にもあるように。青い鳥はそう心に誓ってリズの家から去って行ったのかもしれない。
「………よし」
湧いたイメージと共にフルートを取り出し、少しだけ吹いてみる。
音符はCDから流れてくる音を聴けば判る。伊達に中学三年間吹部をしていない。部長をしていない。
私は私が感じたストーリーを、音色を楽器で表現する。
それこそが音楽。
「……もう一度遠い空へ。舞い上がる前に、貴女の心の中を見せてくれっと」
適当に吹いたフルートから口と片手を離し、転がってる白紙の譜面に鉛筆で音符を書いてみる。素直に、感じたままを心のままに。たまにちょっと小休止。
ポニーテールに結った髪ゴムを解いて、自由になった長い髪を手で梳いては紙にペンを走らせる。
四章仕立てのこの曲は、フルートよりもオーボエがメインに置いてあるように感じる。しかもリズのパートがオーボエで青い鳥がフルート。
…いやいや、この作品の主人公は青い鳥だろうに。フルートが主人公だろうに。
「もしこれを吹けってなったら、私は我の強い青い鳥になっちゃうなあ。
えーと…、もう二度と戻らない夢の日々。声を殺し、鳴いた遠い記憶達。これは愛であったのか?っと」
――湧いたイメージを呟きながら、何故か想うのはリズの事。オーボエの事だった。
青い鳥は自由でいい。フルートは自由がいい。飛行機雲みたいに。でもリズは?
「………」
鉛筆を落とし、その気付きは唐突に訪れた。
目線が天井を突き抜け空に上がって、ぱっと浮かんだ言葉を口にする。
「みぞれ。元気かな」
あの子のオーボエならどんな音色を出してくれるだろう。あの表現者・鎧塚みぞれならば、一体どんなリズを。
去年辞めた吹奏楽部の府大会が近々迫っていることを、私は昔〇を付けたカレンダーで気付いた。
「聴きにいってみようかな」
曲に感化されたのか。
自由になった手足で、私はその日奇跡を見る事になる。
◆
「―――お願いしますッ!!!部活に復帰させて下さい!!!」
後編へ続く。
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後編
「お願いしますッ!!!部活に復帰させて下さい!!!」
―――音楽と人は生き物だった。
一年も経てば少しは変わっていてもおかしくない。生きていれば人の耳は段々変化するし、心もまた昨日と明日が異なるように。
「希美の奴、本気なんです! …何とか許可を出してくれませんか」
―――でもここまですっかり変わっているとは、正直私は思いもよらなかった。
「晴香に言って。私、副部長。ただの中間管理職。以上、終わり」
「あすか先輩の許可が欲しいんです!!!」
「あー…。希美ちゃんはもおー………」
他の生き方は出来ない。
けじめは付けなければならないし、虫の良い話なのも分かっている。
でも私はこの新しい吹部が素敵だと思ってしまった。
この前の大会で聞いた音楽が、今ではなく未来を臨んでいる音がとてもとても素敵で自由だと。
――今更でも、ここで自分も一緒の時を過ごしていきたいと。
――去年辞めるんじゃなかったと、心の底から思える位には。
「次は部活が終わった頃に来てみよう、希美。大丈夫?」
「…面倒かけてごめんね。夏希」
「良いって事さ」
「私、復帰出来たらこの部の為に頑張るよ。支える」
「嬉しいけど。誰だって自分の為にでしょ? ここまで来て履き違えない」
大人びた横顔で、同い年の吹部の二年生の女の子は口にした。
◆
「う~ん、第三楽章は………。フルートはちょっと分が悪いかも」
勉強とフルートの自主練の合間に、私は『リズと青い鳥』の原作と曲を見聴きしてはフルートを吹く。
部活に復帰しますと音楽サークルの先輩に言った時、じゃあそのCDは餞別に譲ると言われたからなのか。私はこの曲が妙に気に入ってしまっていた。
「ようし、ここはオーボエを立てて、第四楽章で羽ばたくぞー。頑張れフルート!頑張れ、青い鳥!」
空は羽を伸ばす為にある。
羽が無い人は、せめて地面に大の字になって伸びるだけ。空に手を伸ばし、いつかは、きっといつかはと願いながら。
「……。ちょっとオーボエのパート、吹いてみようかな」
青い鳥の飛翔。その姿を見送る事しかできない只の人間。
大切な友達を手放したリズは馬鹿だ。でもこれは音楽。私だって、リズを表現出来る。いつも通り、私はフルートを吹いては湧いたイメージを音符にして白紙の譜面に起こしていた。
「……どうか明日に間に合いますように。ずっとずっと、この同じ空の下で。…ずっと信じ続けてるっと」
・・・・・。
「……どうか、今が今で終わらないように。空があんなに高いとは、思いたくないのですっと」
――あ、まずいこれ。
リズがすんごく女々しい音色になっちゃってる。青い鳥がいる空を、飛べないくせして諦めない観念しない。気持ち悪いくらい、このままじゃドツボに嵌るかもしれない。
「――、今日はやめよう」
気晴らしをしているのに気を滅入らせてどうするの。私は自由に空を飛び続ける事が出来るフルート(青い鳥)。楽器は人間じゃあない。
「私は、フルートが好き」
だから上手くなりたい。そう信じ続けてる。
◆
「のぞ先輩!駅前に出来たタピオカ屋でタピりましょうよ~!」
「お、良いね~!タピる?タピっちゃう?」
「あ、ずるい! 私達も行きまーす!!」
「レッツラゴー!」
「タッピエンドゴ~!」
「レッツエンドゴー!」
「MAX!!!」
「え?何それ何それバズりそう」
「お兄ちゃんが昔叫んでました」
「もしかしなくてもお兄ちゃん未来人じゃない?」
「かもかもです~!」
後輩達と話すのは嫌いじゃない。
時には悩みを聞き、時には他愛のない話をするのは悪くない。
部を辞めて一年、部に復帰して一年。 気付けば私の高校生活は、もう最後の年になっていた。
「みぞ先輩もタピりに行きませんかー?」
「? タピるって…何?」
「知らないんですか~?タピオカドリンクを飲む事ですよ~」
「タピオカ……」
「お!興味ありって感じですね~?」
「…希美も行くの?」
「うん!みぞれも行く?」
「――うん」
はにかんだような笑顔。一体何がそんなに嬉しいのか、無邪気な顔。こんな子があんな音を出せるのだから、世の中よく分からない。
…オーボエを吹く為に生まれてきた。それがこの鎧塚みぞれという同級生。
「最近は温タピも流行り始めてるんですよ~」
「何それ何でもありじゃんタピオカ」
「甘い飲み物は体温を下げますからねー。その点ホットドリンクなら無問題!!」
「いやいや問題しかないっしょ。甘ったるい物温めたらもっと甘くなってもっと体温下がるし」
「え~?そうですか~?」
「生姜紅茶でも飲んでな」
「え~~!?生姜紅茶って苦いんですよ~~!?」
「みぞれはさ。自分が特別だって思ったことある?」
同級生と後輩達と一緒に下校してる最中、会話と輪の端っこで。私は自然に聞いていた。
「…特別?」
「うん」
「特にない、かな」
「特別になりたいって思ったことは?」
「ない」
「ふーん。そっか」
期待していた通りの答えが返ってきた。彼女らしい、面白味も外連味も無いいつもの言葉。こんな子があんな音を出せるのだから、世の中よく分からない。
「希美は、」
「じゃあさ。 普通でいいって思ったことは?」
「……」
・・・・・。
「…普通?」
「普通って事は、そのまま放っておいたら、ずーっとそのままだって事だよ。――だからそれが嫌なら……どこかで普通でなくならなければならない。 思った事ない?」
「…よく分からない」
「あはは。そっかそっかー」
―――上手くなりたい。誰よりも。
「でも希美は、特別だと思うけど」
「ありがと」
―――上手く吹きたい。いつか空に届くように。
◆
「うーん……。どうしたものかな…」
来るものが来た高校生活最後の大会。 今年の自由曲が『リズと青い鳥』に決まったと聞いて、私は何か運命を感じていた。…去年から聴いているこの音楽で、皆で金を。なのでちょっと問題が生じてしまっていた。
とっくの昔から日課になった、互いのパートの音をフルートで吹いてみる。
「ん~……、これじゃリズも青い鳥も互いを尊重しすぎ。もっと自由に言えばいいんだよ。大空じゃなくて私の傍に居てって、私の家は空じゃなくて貴女が居る場所なんだってさぁ」
いつも一人で吹いてる音楽ではなく、皆で吹いて合奏する音楽。勝つ為の表現力。その為の意識に自分を変える必要があったのだ。
――息抜きではなく。このストーリー(音楽)には悲壮感があってしかるべき。
高く評価される音楽には、金賞を取る為には必要な要素。つまりはそういう事。
「……空に遠く響くように、私はここで貴女を想い続ける。何処に居ようと、たとえ空の上に往こうとも。……さよなら。貴女と一緒に過ごせた日々は、今も私の宝物っと」
『でも希美は、特別だと思うけど』
――駄目だ。いいや、駄目だ。これじゃあ面白くない楽しめない。
「………」
音を楽しめない。
「だってこれは音楽だよ?ただでさえ哀しいこの曲を聴いた感想が哀しいねだけで終わってちゃ、聴き甲斐がないでしょ。わたしの全てを込める音楽が、こんなもので終わっていい筈が――」
――うん?
「少女は自由であるべき。リズとは違う! ああいや、リズももっと自由であるべきなの!ああしたいこうしたい。ある筈でしょ。冷たく突き放す愛もあるさなんてそんな決断リズには――!」
――なんかおかしい。
「ここはこう、ここの音はこう!違う違う、悲壮じゃなくてここは郷愁とまた逢う日までさようならっていう二人の想いが重なって――」
――私は、さっきから何を言っている?
『でも希美は、特別だと思うけど』
「これじゃ互いが互いを邪魔してるんだよ。これならいっそ青い鳥の羽なんてリズが。―――いっそオーボエの音なんてフルートの音にかき消されてずっと這い蹲ってれば良いのにさあ」
『――でも希美は、特別だと思うけど』
誰よりも自由な筈なのに。下手な慰めが、心から離れなかった。
◆
中学高校合わせて六年間。その間に技は磨かれてきた。表現の方法は増えに増えた。まるで空を飛ぶように。
けど、こんなものは誰だって持つ事が出来る。優る事だって簡単に。――彼女のように、まるで空を飛ぶように。
「圧倒されたわ。流石はダブルリード・パートリーダー」
「指が動きませんでした…。みぞれ先輩」
「あの来南先輩と美貴乃先輩の直弟子……。でもまさかこれ程だなんて」
「その音好きです。みぞれ先輩」
―――じゃあ私のフルートって、一体何?
私が生涯をかけようと、命とすら見立てているこれはたった一人の人間にすら負けちゃう程度の、ちっぽけな物?小さすぎて見えない程?
「鎧塚先輩。――オーボエ、凄かったです」
「…ありがとう」
『でも希美は、特別だと思うけど』
――翼なんて、私には最初から無かった。
――青い鳥のような特別には、死んでもなれなかったのだ。
◆
「みぞれはさあ。――今まで手加減してくれてたんだね」
「………え?」
「だってそうじゃん。さっきのオーボエ、凄かったもん。泣いちゃった子だって居たし。 わたし馬鹿だよねー。羽を広げた空の上からリズ、人を見てると思ってたらそれは夢の中の出来事で。―――目覚めてみたら私は地べたを這い蹲ってたままだった。今も昔も」
「…希美。あの、」
「―――何で青い鳥は少女になれるの?」
「……、?」
「ずるいじゃん。 あの子には元々翼を広げて飛べる事が出来るし、リズの傍にも居られる。人として。でもリズには翼が無い。空の上では生きられない。 ―――わたしさ?リズは自分がこれ以上惨めになりたくないから青い鳥を空に帰したって思うんだよねー。人は空を見上げることしかできないから。逆立ちしたって、死んだって一緒に飛べっこないから」
「………」
「そんなリズを、青い鳥は自由にこう思うんだよ。…明日はリズの家に寄ってみよう、明後日はもっと遠くへ行ってみよう。土産話を聞かせよう、自由自在にあるがままの私を見てよ。……ずるいなあ、青い鳥は。ほんとずるい」
「違う。希美…、」
「自分勝手にどっかに行く。リズの気持ちも知らないで勝手気侭に空の上を泳いでる。
―――青い鳥はさあ。あの羽もがれてリズと一緒に一生地べたを這い蹲ってれば良かったのにねー。ずっと」
「聴いて希美っ」
「?」
素直な気持ちが溢れて粉々になる時に。
目の前の少女は、いつも通りの顔を崩してこちらを見た。
「――私、希美がいなかったら何も無かった。楽器だってやってない、吹奏楽にだって興味を持てなかったしオーボエにだって、触れもしなかった」
「…あー、……そう」
「あの日希美が話しかけてくれたから。友達になってくれたから、今の私が有るの。希美が私の全てなの」
「ああごめん、それよく憶えてないんだよ」
―――だって私が貴女の全てなら。じゃあ何で私は貴女よりも自由じゃない。
「そんな昔の事、みぞれもさっさと忘れな? 下らない事に現を抜かしてたらそれこそみぞれの音楽の損失に――」
空の上を見るように、私は顔を見上げ話を切り上げる。
でもそこには小綺麗な顔。…まるで水槽と雨の中にいる様な、――世界は水没した住人の様な彼女。
特別・鎧塚みぞれが、私に向けて両手を羽のように広げていた。
「希美はいつも勝手」
・・・・・――。
「いつも私の話を聴いてくれない。いつもフルートの事音楽の事ばかりで、自分がどれだけ凄いか。自分がどれだけ頑張っているか分かってない」
「…みぞれだっていつもオーボエ吹いて、他の事なんて眼中にないじゃん」
「だからあの日、黙って勝手に部を辞めた。私に何も言わずに」
「みぞれに言わなくちゃいけない理由がある?」
「希美は友達」
「誰にだって、譲れない何かはあるでしょ。…誰にも言わない伝えない自分だけの大事な何か。それがあれだったんだよ」
「私にとっては。希美と過ごした想い出は、私にとってはそれ」
「……想い出?」
「――大好きのハグ」
音無く広げた青色の両腕に。私はすっぽりと包まれてしまっていた。
気付けなかった。
「希美と話す会話が好き。希美と一緒に過ごした昔が好き。希美と一緒の合奏が好き」
―――気付きたくなかった。
「希美の笑い声が、好き」
「………」
逃がさない。そう言っているのか。
でもそれにしてはあまりにも優しい腕の力だった。
「希美の――」
「みぞれの音楽が好き」
・・・・・。
「みぞれの音楽に対する姿勢が好き。みぞれの奏でる音が好き」
「………」
「みぞれの、オーボエが好き」
ふっと出た言葉が、誰の物でもない誰かの心の中を深くのぞき込ませる。
そこには夢も未来も音すらも留めてない、認めてほしいという想いしか泳いでいなかった。
…空を飛ぶには、程遠かった。
「――みぞれ。私のフルートってさ、」
「……?」
「一体何なのかな」
こんなちっぽけな心を満たす為に音楽は。私のフルートはあるのか。
―――負けたくない。強大で尊いこの気持ちと心は、別に楽器を吹かなくとも、何処かで手に入れる事の出来るちっぽけな物なんじゃないんだろうか。
鳥のように大きく羽ばたいて往ける特別な友達に、視線を揺らさず私は分からない答えを聞いてみたかった。
「……私には分からない。多分、他の誰にも」
「…そっか」
・・・・・。
「でも私のオーボエは、希美と一つ。だから楽器は無くても別にいい」
真っ直ぐに私を貫いて。いつも通り、自由な彼女は口にした。
◆
「――ここのパートなんだけど。ここはリズが青い鳥の為を思って決断した感じ。だよね?」
「うん、私もそう思う」
「だけど青い鳥だってリズの為を思って飛び立ったんじゃないかな。このままじゃ二人、先に行けないって」
「いっその事もっと話し合えばよかった?」
「そうかもしれない。物語は青い鳥が旅立つ所で終わってるけど、私はこの先二人はずっと一緒だと思う」
「どうして?」
「リズも旅立つかもしれないから。多分だけど」
「リズと青い鳥はこの同じ空の下、何処かでまた逢えたのでした。めでたしめでたしってこと?」
「うん。きっと」
「そっかー。 そっか」
――たとえ身の置き所は違っても、彼女達の心にはいつも同じ風が吹いている。ずっと。
「リズと青い鳥は友達だから」
「リズと青い鳥は友達だから」
・・・・・。
「――ハッピーアイスクリーム!!」
・・・・・。
「私の勝ち、だね!」
これが私の歩む先。そう心の空に泳がせて。
鳥のように、私はくるりと友達に振り返るのだった。
例えばこんな傘木さん
『見えるんだけど見えないもの』
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