幼なじみの彼女は (有機物)
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彼はいつでも彼女のことを考えている

俺には幼なじみがいる。もう3年くらい会っていない。向こうは俺のことなど忘れてしまっているのだろうか。

いや、それはない。

なぜだか確信していた。

 

 

今でもよく思い出す。毎日学校ではずっと一緒。周りはみんな敵でも、彼女だけはずっと味方。

そのことがたまらなく嬉しかった。彼女もまた、そう思ってくれていただろうか。

 

 

モノクロだった世界を一瞬で色付けてくれた。

毎日が楽しい。彼女がいてくれるから。

そんな楽しいことばかりだったせいだろうか。

 

現実は無情で、あまりに残酷だということをつい忘れてしまっていた。

 

 

彼女との楽しい日々を思い出すたびに

あの、まだ短い人生の中で一番絶望した日のことも思い出す。

 

幸いだったのは、彼女に泣き顔を見られなかったことか。

彼女の前は、強い自分でいようと心がけていた。

 

まぁ、家に帰ってからは、これでもかってくらい大泣きしたんだけどね!

 

しかし、今となってもそのことを思い出すたびに心が痛くなる。

無理だと分かっていても、会いたい。

どんなかたちでもいいから、会いたい。

ただひたすらこのことを、毎日のように思っていたら

中学校なんてあっという間に卒業していた。

 

高校に入っても入学式の日に車に轢かれるし、最近は特に運が悪い。

あ、車に轢かれたのは俺が悪いんだった。

 

とにかく、そんなことがあったおかげで俺は入学そうそうボッチが確定していた。

 

もしもあの子が、彼女がいてくれたら、同じ中学、高校だったなら、

何か違っただろうか。

 

こんなことを考えるのは何度目だろうか。

中一のときから、高二なりたての今まで毎日考えていた。

結局何度目なんだよ。

365かける…ってだめじゃん。

一日に何回かまでは分からないからなぁ。

 

こんなくだらないことを考えているときですら、頭の片隅では彼女のことを考えている。

あぁ、これもう病気じゃん。それも末期症状だな。

俺もう…いや、ためだ!

彼女に会うまでは絶対に死ねない!

 

 

あぁ、だんだん眠くなってきた。

せめて夢の中でいいから、彼女に会いたい。

きっとすっげぇ可愛くなってんだろうな。

もともと可愛かったけど。

今は大きくなって、俺には見向きもしなくなっちゃってんのかな。悲しい現実だ。

ナニコレ、俺思春期の娘がいる父親みたいじゃん。

 

でも、彼女に限ってそんなことはないよな。

ホントか?あれ、八幡心配になってきたぞ。

やばい、どうしよう。

まぁ、会えなかったらなんの意味もないんだけどね。

 

 

 

こうして、今日もずっと彼女のことを考えながら、比企谷八幡は眠りについた。

 



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小学生編
こうして彼は彼女と関わりを持つ


 

俺は今、絶賛ボッチ中だ。

ボッチ中って何だよ。ボッチ中毒とかあんの?

6年生になって、クラス替えが行われた。

俺はどのクラスでもボッチだから正直興味はない。

それに、得意の人間観察をして大体クラスの人間関係は把握した。

それで気づいたのだが――

なんとボッチが二人いるではありませんか!

まぁ、一人は俺なんだけどさ。

もう一人は女子の、誰だっけ、名前までは覚えていない。

恐らくその可愛さ、賢さ、その他もろもろのせいで嫉妬されているのだろう。

しかし、彼女は何もやり返そうとしない。

常に一人で何事も一人で。

そんな彼女に、俺はいつしか親近感をいだいていた。

 

 

 

「くそっ、今日は靴かよっ!」

 

いつものように、教科書に落書きされているだろうと思い、早めにランドセルに片付けたり、移動教室のときも関係ない教科書まで持って行ったのに

今日に限って狙いは靴だったようだ。

 

「あー、もうどこ隠したんだよ。見つからねー」

 

上履きで校庭まで出てきたのに見つからない。

もういっそのことそのまま帰ってしまおうかと考えていると、

 

「ホントウザいんだけど」

 

どこからか、いや、恐らく校舎裏から女子の声がした。

 

「ハルくんに告られたからって、いい気になってんの?」

 

「なに、イヤミ?」

 

「ウッザー、ないわー」

 

そっと覗いて見ると、いつも一人の女子が、三人の女子に蹴られたり、石を投げられたりしていた。

え、これ結構やばくない?

どうしよ。よし、こういう時は、必殺技「逃げる」を使おう。

そう思った瞬間

 

「あっ」

 

「えっ」

 

という、びっくりしたような声がした。

もう一度覗いて見ると、女子が倒れていた。

 

「え、やばくない?」

 

「うちら関係なくない?」

 

「あいつが勝手に倒れただけだよね」

 

「行こ行こ」

 

そう言って、三人組の女子は逃げていった。

あ、本格的にやばくなってきた。

とりあえず話しかけてみようかな。

 

「あー、えっと、大丈夫か?」

 

「この状態を見て、本気でそう言っているの?それとも、私をバカにするために来たの?」

 

しょっぱなからずいぶんと攻撃的だな。

だが、そんなことでうろたえる俺じゃない。

この子、普通に可愛いのだ。

可愛い子を見るとついつい助けたくなっちゃうんだよなぁ。これも男子の運命だ。

 

「えっと、立てるか?」

 

「ええ…」

 

そう言っていたが、無理に立とうとして倒れそうになっていた。

 

「全然大丈夫じゃねぇじゃん」

 

「大丈夫なんて一言も言っていないもの」

 

こいつ、怪我しててまともに立てないくせに態度だけはでかい。

なのに、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 

「はぁ。おぶってやるから、背中乗れ」

 

「平気よ」

 

「平気じゃないだろ」

 

「別に、あなたには関係ない」

 

うっわ、頑固だ。めんどくっせ。

いいからはよ乗れよと思いながらも口にはしない。

八幡優しいなぁ。

え、易しいの間違いじゃないかって?

うーん、ノーコメント。

 

「じゃあ、ほらあれだ。乗ってほしんだよ、お前に。俺からのお願いだ。乗ってください」

 

「え?ええ…お、お願いと言うなら」

 

彼女はそう言って、俺の背中に乗ってきた。

予想以上に軽い。

 

「そういえばあなた、靴はどうしたの?」

 

「隠されたんだよ」

 

「大丈夫なの?」

 

「もうこのまま帰るから」

 

「そう…私達似たものどうしね」

 

「かもな。保健室着いたぞ。じゃあな」

 

「ええ、あのっ、ありがとう」

 

「お、おう」

 

そう言って、彼女はにっこりと笑った。

くそっ、めっちゃ可愛いじゃねぇか。

名前、聞いとけばよかったな。

 

 

 

 

 

翌日、俺はただひたすらにあの子を見ていた。

あれ、これストーカー?

違う、断じて違う。違う?本当に?

しかし一日見ていて分かったのだが、あの子も結構苦労している。

周りにさとられない程度だが、少しキョロキョロして、怯えているようにも見えた。

下校時刻になり、大半の人が教室を出ていった。

おかげで俺は今あの子と二人っきりだ。

 

「あっ、あのさ」

 

「何かしら」

 

こちらを見ないで端的に応える。

何か探しているようだ。

 

「昨日の怪我、大丈夫だった?」

 

「え?あ、ええ。大丈夫だったけれど…」

 

話しかけてきた相手が俺だとは思っていなかったようで、少しびっくりしたようだ。

それよりも、会話が続かない。

こうなったら名前を聞くか。

よし、落ち着いてゆっくりと、噛まないように、気をつけて…

 

「あっ、名前、教えてくれないか?」

 

少しキョドったけど噛まなかったのは上出来だ。

よくやった、俺!

 

「私は雪ノ下雪乃」

 

「雪ノ下、雪乃。えっと、雪乃って呼んでいいか?」

 

え、俺何やってんの?

いきなり女子を名前呼びとかハードル高くない?

つーか断られたらどうすんだよ。

どっちにしろ詰みじゃん。

くそっ、名前聞けたからって調子に乗ったら、

八幡、一生の不覚。

 

「別に構わないけれど」

 

「えっ、いいの?」

 

「あなたが言い出したんじゃない……。それで、あなたのお名前は?」

 

「俺は比企谷八幡」

 

「そう、じゃあ比企谷君と呼ばせてもらうわね」

 

そこは名前呼びだろ。

いや女子に名前覚えられるだけでも嬉しいんだけどね、

なんか俺一人で勝手に盛り上がってた感がすごいじゃん。

とりあえずこうして俺はやっと雪乃の名前を知ることができた。

 




読んでくださりありがとうございます。
まだハーメルンの使い方が完璧ではなくて、章わけができません。
読みにくいと思いますが、これからも読んでいただけると嬉しいです。


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こうして彼は目をつけられる

 

「何か探してるのか?」

 

さっきからソワソワとしている雪乃に話しかける。

 

「えぇ、まあ」

 

しかし、雪乃から返ってきたのは歯切れの悪いものだった。

 

「何探してんだ。手伝うぞ」

 

「今日返却されたはずのノートがないの」

 

「あぁ、なるほどな。そういうときは大体決まってんだよ」

 

俺は教卓の中を見る。

するとそこには紫色や水色、緑色など、様々な種類のノートが入っていた。

とりあえずそれらを全部出してみる。

やっぱりな。

全てのノートに、綺麗な字で『雪ノ下雪乃』と書いてあった。

 

「ほら、あったぞ。ついでに今までの分もな」

 

「あ、ありがとう。あなたすごいのね」

 

雪乃が驚いた表情で言う。

うん、可愛いな。

 

「ほら、隠す奴らからしたらなんとしてでもバレたくないんだよ。俺たちにも、先生にも。だから教卓なんだよ。もしバレても先生が配り忘れたことにできるだろ?」

 

俺は長年のノート隠し事件の被害者のプロとして雪乃に解説してやる。

被害者のプロって何だよ。プロなのに不名誉だな。

 

「あなたすごいのね」

 

「別にすごいってほどでもねぇよ。慣れてくりゃ分かるようになんだよ」

 

実際俺が1,2年のときは放課後よく一人で探し回ったものだ。

 

「つーかアイツらもバカだよな。こんな大量のノートがあったら流石に先生にバレるだろ」

 

褒められた照れ隠しのつもりで言ったのだが、

 

「あ、理科もある。算数も。これ、4月に使ってたノートだ」

 

うん、聞いてないな。

まあ、喜んでくれるなら何よりだが。

 

「今まで隠されてたの、全部あったか?」

 

「ええと…どうかしら、分からないわ。

 ノートを集める度に無くなっていたから」

 

「大変だな」

 

「あなたも同じようなものでしょう?」

 

「いや、俺は犯人すら分からないんだ。影でやられてる可能性もあるし、本当に忘れられている可能性もある。」

 

本当に忘れられている可能性は低そうだが。

でも、ゼロかと言われると頷けない。

 

「これ、全部入るかなぁ。ノートだけで10冊はあるし……」

 

おっ、これは絶好のチャンス!

なんのって?一緒に帰るんだよ。

こういうときは。

 

「あっじゃあ俺持つよ。だから…一緒に帰らない?」

 

「大丈夫よ」

 

「いやっでもさ、一人だと大変だろ?」

ここは粘るしか無さそうだな。

 

「でも入らないのだから人手が増えたところで根本的な問題は解決出来ないんじゃないかしら」

 

こいつ、なかなか難しいことを言う。

俺が並みの5年だったら頭がパンクしていたところだろう。

考えろ、八幡。どうやったら雪乃と一緒に帰れるんだ。

 

「あっじゃあ、俺のカバン貸してやるよ」

 

「いいの?」

 

「いいよ。それで一緒に持つから。これで解決だろ?」

 

「あなたがいいのなら、その、貸してくれるかしら?」

 

「ちょっと待ってな。今持ってくる」

 

よっしゃー、よくやったぞ八幡、ナイスだ。

今までこんな嬉しいことがあっただろうか。

あー、小町と遊んでるときは楽しかったが…

あれは嬉しいとは違うな。

よし、今までで一番嬉しいな。

くだらないことを考えながらカバンを持ってくる。

 

「ありがとう。えっと、ノートは全部ランドセルに入れるとして……。あっ、入らない。どうしよう」

 

今日は持ち物多かったからな。

 

「そういえば、雪乃はカバン持ってないの?」

 

「持っているけれど、上履きとリコーダーを入れないといけないから使えないのよ」

 

なるほど。それは困ったな。

しかし雪乃を見ていると昔の自分を見ているようで懐かしいな。

最近は諦めてスリッパ借りに行くことにしてたから

なぁ。

 

「俺のランドセルに入れるか?」

 

「えっ?でもそれは…」

 

結構かっこよく提案したつもりなんだが。

まさか比企谷菌が伝染るから嫌なのか⁉

くそっ、こんなところで後遺症が出るとは。

比企谷菌め。

 

「もしかして嫌だった?」

 

涙目になりながらすがるように聞く。

 

「いえ、そういう訳ではなくて。あなたのランドセルに入れさせてもらうとなると、どこかで帰り道はわかれるのだから、結局そこで意味が無くなってしまうのではないかしら?それに、あなたも重くなってしまうし…」

 

よく考えていらっしゃいますね。

ホント、すごい。

俺のカッコつけたいだけの提案はすぐに論破されて断られるのか。

このヒロイン、レベルが高い。

 

「入らない分は置いていくしかないわね…」

 

「いや、でも置いていくと何されるか分かんないしさ」

 

デメリットを示せば心がわりしてくれるはずだ。

その賢い頭を使え。そうすれば俺に頼るしか選択肢が無くなるはずだ!

 

「いえ、その心配はないわ。教卓の中に入れておけばいいのよ。そうしたらまだ私が見つけていないだけだと思うでしょう?それに、あなたは先生にバレたくないはずと言ったわよね。それなら下手に手出しできないもの」

 

ダメかー。

こいつ想像以上に頭良いな。

よくこんな短時間でそこまで考えられるな。

 

「そ、そうか」

 

「ええ、そうよ」

 

そう言って雪乃は片付け始める。

そして入らなかった分を教卓の中に入れた。

 

「俺は…これ持つよ」

 

「え、でもそれ一番重たいのじゃ…」

 

「大丈夫、大丈夫」

 

あ、大丈夫じゃないわ。これかなり重い。

長期休みに入る前に一気に全部の荷物持って帰るみたいだ。

 

「じゃ、じゃあ行くか」

 

「ええ」

 

少しこっちを気にかけながら雪乃はあるき出す。俺も後ろに続いた。

 

「道はこっちで大丈夫?」

 

「あっ、いや、どうせなら家まで送るよ。かなり重いし」

 

これでナチュラルに長く一緒にいられる。

ナイス俺、よくやった八幡。

 

「でもそれは悪いし…」

 

立ち止まって雪乃が悩み始める。

地面に荷物を置いて、少し休憩タイムに入った。

 

「雪乃ちゃん、おーい」

 

誰かの声がした。

声の主は走って雪乃の方へ近づく。

 

「雪乃ちゃんおそーい。もうテニスの時間だよ?」

 

雪乃によく似た人が話しかけている。

恐らく雪乃の姉だろう。

 

「あれ、雪乃ちゃんこの子は?」

 

「あっ、私の同級生」

 

「ふーん。友達じゃないの?」

 

「えっと、どうなのかしら」

 

「あー、比企谷八幡です。雪乃とクラスが同じで」

 

「下の名前で読んでるんだ。一緒に帰ってるし、仲良しさんかな?」

 

俺たちをからかうような口調で話しかけてくる。

 

「いや、仲良しっていうか、そもそも昨日初めて話して、今日初めて名前を知ったばっかだし……」

 

なんとか反論できた。

そういえばこの人の名前は何なんだろう。

 

「昨日の今日で仲良しさんか。雪乃ちゃんやるねぇ」

 

「姉さんは何を言っているの?というか、姉さんも自己紹介したほうがいいんじゃないの?」

 

キョトンと首を傾げる雪乃とニヤニヤしている雪乃の姉。

外見は似ているのに、まとっているオーラが全然違う。

 

「そうだね。私は陽乃。雪乃ちゃんのお姉ちゃんだよ〜」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「えーっと、雪乃ちゃんと仲良く一緒に帰ってくれるのは嬉しいんだけど、今日テニススクールがあってね。だから雪乃ちゃん、今日は車で帰るよ」

 

最初は俺に向けて言っていたのだろう。最後のは雪乃をたしなめるように言っていた。

 

「でも、荷物が…」

 

「全部車に乗せちゃえばいいから。

 車呼んでくるから、その間し準備済ませてね」

 

「えっと、比企谷君ごめんね。せっかく一緒に帰ってくれたのに…」

 

ごめんねってそっちのことか。荷物のことだと思ったよ。

まあでも雪乃も一緒に帰りたいと思ってくれてたのか。

八幡感激!

 

「全然大丈夫だけど……。テニススクールってどこ?」

 

「あ、学校のすぐ近くなんだけど、分かるかな?」

 

「あ、分かった」

 

「雪乃ちゃん、早く乗って」

 

「えっと、それじゃあまた明日」

 

「あぁ、じゃあな」

 

よし、帰るか。

この時間なら小町は友達と遊びに行ってるだろう。

ダッシュで帰って自転車で行けば間に合うだろう。

 

 

 

 

 

「どうしたの、雪乃ちゃん」

 

「別に。ただスクールやだなぁって」

 

「お姉ちゃんに叩きのめされるから?」

 

姉さんが意地悪な笑い方をして突っついてくる。

 

「そういう訳じゃないけど。前見学に来た子、結局入って来なかったし……」

 

「あの子が入ってきても雪乃ちゃんの友達にはなれなかったんじゃない?どーせ隼人と友達になってたって。あの子男の子だったらしいし」

 

その通りだ。

いつも私が友達を作ろうとしても失敗する。

学校ではあんな感じだし。

テニススクールでは隼人くんに取られてしまう。

でも、比企谷君となら……

 

「お姉ちゃんも隼人もコミュ力高いのに、なんで雪乃ちゃんは低いんだろね〜」

 

本当にそうだ。

私も姉さんや隼人くんみたいだったら、こんなに大量の荷物を持って帰るとこなんて無かったはずだ。

でも、比企谷君と仲良くなれなかったのかもしれないと思うと、これで良かったのかもしない。

そんなことを考えていたら、すぐに家に着いた。

 





章分けできました。
また読んでくださり、ありがとうございます。


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こうして彼の前にライバルが現れる

 

ダッシュで家に帰ると案の定誰もいなかった。

とりあえずランドセルを置いて、水筒とタオルを用意する。

 

「なんか必要なものあんのかな」

 

テニスラケットやユニフォームが必要なのは分かるが、あいにく俺は持っていない。

まあ、借りられるよな。

 

「よし、行くか」

 

自転車にまたがり、徐々にスピードを上げていく。

俺が行ったらあの子はどんな顔をするか。

そんなことばかり考えていた。

 

 

 

 

 

「あ、雪乃ちゃん」

 

「こんにちは、隼人くん」

 

幼なじみの隼人くんが話しかけてきた。

小学校は同じだが、クラスが違うため、学校では話さない。

 

「今日は遅かったね。何か用事でもあったの?」

 

「いえ、用事というほどでもなかったけれど…まぁ、少し忙しくて」

 

隼人くんと雑談していると、姉さんが走って来た。

 

「雪乃ちゃん、比企谷君が来てるよー」

 

 

 

 

 

テニススクールに着いたものの、どうすればいいのか分からなくて、キョロキョロしていると、ついさっき会ったばかりの人がいた。

 

「比企谷君じゃーん。どうしたの、こんなところであ、雪乃ちゃんに会いに来たんだね」

 

確かにその通りなんだが……。

改めて言われると恥ずかしい。

 

「あ、えっと、今日は、その、たっ体験で」

 

「あーなるほどねぇ。じゃあ、雪乃ちゃんこっちにいるからついてきて」

 

なにが「なるほどねぇ」だよ。

結局結論変わってないじゃん。

その通りだけど。

 

「雪乃ちゃん、比企谷君が来てるよー」

 

雪乃が見えた。

俺は少し手を上げる。

驚いていたが、すぐにはにかむように笑った。

可愛い……。

雪乃のとなりには爽やかイケメンがいた。

 

「俺は葉山隼人だ。雪乃ちゃんの幼なじみだよ」

 

「へ、へぇ。俺は比企谷八幡だ。雪乃の同級生」

 

「そうか、よろしくな」

 

そう言って、葉山はにっこり笑ってくる。

 

「比企谷君は体験に来たの?」

 

「おう、まあな」

 

「じゃあこっち来て」

 

そう言って雪乃に手を引かれる。

その時、葉山の視線が鋭くなっていたが、俺はあえて気付かないふりをした。

これは要注意人物だな……。

 

「先生、体験の子を連れて来ました」

 

「あ、比企谷です」

 

一応自己紹介をしておく。

 

「比企谷君か。よろしくね。えっと、体験だったらこの用紙に、名前と学年を書いてくれるかな?」

 

「はい」

 

先生から用紙を受け取る。そこには、今まで体験に来た人の名前が書いてあった。

空欄に名前を書く。その時に、不本意ながら一つ前の名前が見えてしまった。

戸塚彩加か。同じ学年だな。この人は入ったのかな。

気になったので、雪乃に聞いてみる。

 

「このテニススクールって、3人以外に誰かいるの?」

 

「違う曜日ならもっと沢山いると思うわ。今日は上級者の日なの」

 

なるほど。上手さによって、曜日が違うのか。

 

「だから今日は3人だけ。あなたも含めたら4人ね」

 

「そうか。あっ、これ書き終わりました」

 

「ありがとう。着替えは持ってないよね。貸すから雪乃ちゃん、比企谷君を案内してあげて」

 

「俺が案内します!」

 

いきなり葉山が出てきた。

なんだよ。なんでお前に案内されなきゃいけないんだよ。

 

「じゃ、じゃあ隼人君案内してあげて」

 

「はい。……なぁ比企谷。雪乃ちゃんとはどうやって知り合ったんだ?」

 

いきなり名字で呼び捨てかよ。

まあ俺も同じことしようとしてたけどさ。

 

「あー、まぁなんかクラスが同じで…」

 

特に隠すことはないのだが、なんとなく濁す。

 

「そうか。じゃあ比企谷は1組なのか。ちなみに俺は3組だ」

 

「お、おう。そうか」

 

なんだこいつ。超ナチュラルに自己紹介してくる。

はーん、さてはコミュ力高いな。

顔も良くてコミュ力高いとは。くそっムカつく。

 

「趣味はサッカーかな。あ、テニスも好きだけどね。でもやっぱ一番はサッカーだな。これでも結構鍛えてるんだよ」

 

何こいつ。自分語り?

サッカーとかテニスとか、こいつスポーツマンか。

てかこれでもってなんだよ。見るからに鍛えてる身体してるよ。

 

「サッカーが好きなのになんでテニス習ってんの?」

 

「あぁ、雪乃ちゃん達に一緒にやらないかって誘われてね。スポーツは好きだし、習うことにしたんだよ。あ、ちなみにサッカーもやってるんだよ」

 

テニスとサッカーの両立か。素直に感心してしまう。

え、俺が素直になることはないだろって?

うるせーよ!

 

とりあえず葉山の自己紹介を聞きながらユニフォームに着替え、ラケットを借りる。

 

「比企谷はテニス初めて?」

 

「あぁ、ラケットに初めて触っだレベルだ」

 

「ならさ、勝負しないか?」

 

は、こいつ何言ってんだ?今初心者って言ったばっかだろ。

 

「あー、もう隼人と比企谷君おそぉい」

 

陽乃さんが来た。後ろに雪乃もいる。

 

「陽乃さん、一つ提案があるんだけどさ。いつもの勝負に比企谷を入れてやらない?」

 

いつもの勝負ってなんだよ。内輪ノリかよ。このリア充め!

 

「どっち側に入れるの?」

 

「もちろん陽乃さん側だよ」

 

「雪乃ちゃんとペア組んで2対1でも勝ててないのに?」

 

マジかよ雪乃と葉山で組んで勝てたことないのか。陽乃さんすげぇな。

 

「ボールを上手く比企谷の方に打てれば俺たちだって勝ち目はある」

 

「別にいいよ。雪乃ちゃんは?」

 

「私も構わないけれど…比企谷君は?」

 

「別にいいぞ。てか先生に聞かなくていいのか?」

 

「いいのいいの。いつものことだし」

 

先生も大変そうだな。

 

 

 

 

 

そんな感じで試合をすることになったのだが…

陽乃さんが強過ぎて俺の出番がない。

なるほど、ここはコート内にいながらも試合観戦というとても珍しい体験をする場所なんだな。

 

観ていて思ったのだが、雪乃は体力がない。

まだ始まったばかりなのにもうヘロヘロだ。全然球に追いつけていない。

恐らく立っているのがやっとだろう。

でも、なんとか球にすがりつこうとしている感じがなんとも健気で可愛らしい。

かたや葉山は。

鍛えていると言っただけあって、体力もかなりあるようだ。大体の球は葉山が打ち返している。

正直、ここまで上手いと思っていなかった。

これよりもサッカーの方が上手いんだよな…

べ、別に羨ましくなんかないんだからねっ。

などと思っていると、雪乃と葉山のちょうど真ん中に球がバウンドした。陽乃さんが打ったのだ。

雪乃は頑張れば間に合うと思ったのか、なけなしの体力を振り絞って走り出す。

葉山はここで決めようと、気合いが入っているのだろう。力強く走り出す。

二人共、球に集中してお互いのことを見ていない。

 

ドンっ

 

思いっ切りぶつかっていた。

本来ならお互いに尻もちをつくレベルなのだろうが、相手が悪かった。

日々鍛えていて、力強く走っていた男子と、華奢で、今にも倒れそうなくらい疲れていた女子がぶつかったのだ。

葉山はなんとかその場に踏みとどまっていた。

しかし雪乃は思いっ切り吹っ飛んでいた。

遠目だから詳しくは分からないが恐らく3メートルくらい先まで行く。

しかも、ろくに受け身もとれず、そのまま地面に落下する。

 

「雪乃ちゃん!」

 

陽乃さんが走り出す。

葉山は恐らく目が回っているのだろう。動けていない。

俺は…

気づいたら俺は陽乃さんよりも前を走っていた。反射的に走っていたのだろう。どうやら陽乃さんよりも速く反応していたようだ。

いつも反応鈍いくせにこういうときだけ速いんだな。

そういえば俺ってこんな速く走れたんだ。

 

すぐに雪乃のところまで着く。

雪乃は気を失っていた。

ある意味良かったのかもしれない。

あんなの絶対痛いに決まっている。

もし起きていたら大泣きじゃ済まされないだろう。

気を失っている分、痛みは軽減されるだろう。

 

「雪乃ちゃんは⁉」

 

「気を失っているみたいです」

 

俺が応えると、陽乃さんは少し安心したような顔になる。

でも怪我の具合いが分からないため、まだ安心は出来ない。

 

「とりあえず先生呼んでくるから、比企谷君は隼人を休ませてあげて」

 

そういって陽乃さんは行ってしまう。

こんな緊急事態でも他の人に気を配れるなんて、すごいな。

隼人のところへ行って、とりあえず座らせておく。

すると陽乃さんが先生を連れてやって来た。

雪乃はそのまま運ばれていく。

しかし陽乃さんは残っている。

 

「今、私の母に先生が連絡したの。だから私達は早退するし、どっちにしろもうすぐ終わりの時間だから、比企谷君も帰っていいよ。ごめんね、せっかく来てくれたのに。先生が、またおいでって言ってたよ」

 

それだけ言うと、陽乃さんは先生の方へ走っていってしまった。

仕方ないから俺も着替えて帰る準備をする。

更衣室から出ると、葉山が入ってきた。

もう目は回っていないようで、真っ直ぐ歩いている。

一言も会話することなく俺は出ていく。

帰り際にチラっと雪乃達の方を見てみたが、どんな状態かは分からない。

帰り道、黒塗りの高級車とすれ違った。

 

 

 

 

 

『うん……ん』

さっきまで何もかんじていなかったのに、今はちゃんと意識があるような気がする。

ああ、これが意識が覚醒するっていうのかな。

 

「あれ、ここは…」

 

目が覚めると、自分の部屋のベッドにいた。

 

「あら、目が覚めたのね、良かった」

 

すぐ隣には母さんがいる。

 

「あれ、テニススクールは?それに、比企谷君も…」

 

なんだか記憶がモヤモヤしてはっきりしない。

たしか比企谷君と一緒に帰っていて、姉さんが迎えに来て……。

やっぱりイマイチ釈然としない。つまり答えは。

 

「もしかして、さっきのは全部夢?」

 

「さっきのというのがどこのことを指すのかは分からないけれど、覚えていることを言ってみて?」

 

「えぇと、比企谷君と一緒に帰っている途中で、姉さんが迎えに来て、そのままテニススクールに行って、隼人くんに会って、いつもの試合をした」

 

「そうね、陽乃と同じことを言っているから、夢ではないわね。そこから先は覚えている?」

 

「えっと…あっ、隼人くんにぶつかっちゃって」

 

「そうよ。それであなたは気を失っていたのよ。

 テニススクールも早退をしたの」

 

やっと記憶がはっきりとしてきた。

 

「どこか痛いところはない?病院には行ったけれど、一応あなたから直接聞きたいの」

 

そう言われて身体を起こしてみる。

全身が痛いが、起きられないほどでもない。

 

「全身が痛いけど、起きられないほどでもないわ」

 

「そう。運が良かったというべきか、悪かったというべきか。一応明日、いえ今日の学校はお休みにしましょう」

 

「え、お休み?」

 

「一応ね。起きれると言っても痛いなら危ないわよ。それに今は1時よ。中途半端な時間に起きてしまったし」

 

今までなら、学校を休むことに対して、どう思っていたのだろう。

恐らく、嬉しいという気持ちが半分、自分がいない間に何をされるか怖いという気持ちが半分だっただろう。

しかし今は嬉しいとも、怖いとも思わない。

ただ比企谷君に会えないのが悲しいと思っていた。まだ知り合ってから2日しか経っていないのに、なぜか私は比企谷君のことばかり考えていた。

 




読んでくださりありがとうございます。
どこで切ればいいのか悩んでいるうちに、長くなってしまいました。


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こうして彼は知らぬ間に彼に救われる

「ふぁぁ」

 

今日は雪乃は休みみたいだ。

一人でいると、いや、いつも一人だったけど。雪乃がいないとつまらない。

 

キーンコーンカーンコーン

 

授業が終わった。

よし、家に帰って小町と一緒にプリキュアでも観るか。

 

「比企谷っていないか?」

 

廊下から声がした。

この学校で俺のことを比企谷だと認知しているのは3人しかいない。

小町と雪乃、そしてあいつだ。

 

「あっ、比企谷。こっち来てくれないか?」

 

「いや、俺もうかえるんだけど……」

 

「なら一緒に帰ろう」

 

なんでだよ。こいつ、頭イカれてんのか?

なんでお前と一緒に帰らなきゃいけないんだよ。

つーかめっちゃ視線集めてんじゃん。

これだから爽やかイケメンリア充は。

なんかヒソヒソ聞こえるんだけど。

俺視線とか慣れてないからキツイんだけど。

やめて、八幡のライフはもうゼロよ!

 

「え、あ、ほら。今日はアレがアレで……」

 

「どれがどれなんだい?」

 

なにっ。き、効かないだと⁉

くっ、こうなったら必殺技「逃げる」を使おう。

 

「っていうコトなんで、じゃあな!」

 

「ちょっとまてよ。どれがどれなんだい?」

 

うっ、ギリギリのところで袖を掴まれてしまった。

これも効かないのかよ。

 

「じゃあ、帰るか」

 

葉山が歩き出したのを確認して、俺は反対へ歩き出そうとする。

我ながら完璧な作戦。

残念だったな。俺は諦めだけは悪いんだよ。

え、意地とか性格も悪いだろって?

いや、むしろそこがいいまである。分かってないなぁ。

しかし俺が歩き出すことはなかった。

 

「なあ比企谷。雪乃ちゃんのこと、なんだが」

 

「っ、なんだよ」

 

流石の俺も、雪乃を出されると逃げれない。

あれ、結構単純じゃね?

 

「雪乃ちゃん、イジメられてるだろ?だから…何か助けれたらって思ったんだけど」

 

なるほど。確かに雪乃はイジメられてる。

しかし、俺たちになんとか出来るとは思えない。

もちろんどうにか出来るのならしたいとは思っているのだが……。

 

「具体的にはどうすんだよ」

 

「それは…まだ決まってない。だからきみに相談したんだよ」

 

こいつ、人任せ過ぎるだろ。

なんとかしたいと思ってるんだったら、まず自分で考えろよ。

そもそもお前が出来ない同ことを同い年の俺が出来ると思ってんのか?

と、思っても口に出さないあたり、八幡的にポイント高い!

 

「何も決まってなくて、考えてないんだったら俺は手伝えない。まず自分で考える努力をしろよ。俺も確かにどうにかしたいって思ってるから、お互い自分で考えてからまた話そうぜ。話はそれだけか?俺は教科書忘れたから教室戻る。……じゃあな」

 

「分かった。でももう大丈夫だ。きみには頼らない。俺一人でなんとかしてみせる。

時間を取って悪かったな。じゃあな」

 

 

 

 

 

翌日、雪乃は学校に来ていた。

しかし、まだ一言も話せていない。ずっと葉山が近くにいるんだよ。

何かするとは思っていたが、一体何をするんだ?

しばらく観察してみる。

普通の会話だ。

あっ、葉山目当てで女子が入って来た。

 

「葉山くーん、久しぶりぃ」

 

「やあ佐川さん。今年はクラスが違って残念だよ」

 

今年はって、今年もうすぐ終わるんだが。もう12月だぞ?むしろ卒業の方が近いまである。

すると、もう一人入って来た。

 

「ねぇねぇ葉山君、一緒に遊ばない?」

 

「いいよ、下田さん。そのかわり、雪乃ちゃんも入れてあげてくれないかな?」

 

「え?いえ、私は…その、隼人くんだけ行ってくれて構わないのだけれど……」

 

雪乃は予想外だったのだろう。しどろもどろになりながら断わっている。

一応ここまでは予想していた。ここからから先は、葉山がどうするかによって変わってくる。

 

「みんなで遊んだ方が楽しいじゃん。いいよね、佐川さん、下田さん」

 

「えっ?まぁ、そうかもね」

 

「あー、私も別に……」

 

「ありがとう。じゃあ行こうか」

 

葉山は一つ見逃している。佐川も下田もどっちも、「いいよ」とは言っていないのだ。

まぁ、そこら辺は葉山の人気でカバー出来るだろう。

雪乃は納得していない感じだったが、渋々ついて行ってる。

 

「ねぇ葉山君ってさぁ、勉強出来るよね」

 

「それそれ!どうやって勉強してんの?」

 

「俺は…あっ、雪乃ちゃんの方が勉強出来るよ!」

 

「ふーん。でさぁ、この前のテスト70点でぇ、親に怒られちゃったんだよねぇ」

 

「ほんとそれ。てか70点っていい方じゃん。私なんか10点だよ〜。てか親って、すごい学校のこと聞いてくるよね」

 

「ぶっちゃけ、親がいなかったら0点取り放題なんだけど」

 

「それウケるー!」

 

本当に10点だったのかよ。そういう奴に限って結構良い点取ってんだよなぁ。ソースは俺。分数の計算のテストマジで10点かと思ったら、30点だったんだよな。いや、全然良い点じゃないじゃん。

というか、そんなに親が怖いなら、ちゃんと勉強しろよ。

もう会話は聞こえなくなっていた。

やり方は少し強引だが、このまま葉山が間に入っていれば、なんとかなるかもしれない。

俺の出番、無くなるのかな?

そんなことを考えていたら、4人が帰ってきた。

 

 

 

 

 

あれから葉山は雪乃たちの間に入って、雪乃の敵を減らそうとしている。

そのせいで、俺は雪乃と話せていない。

恐らく葉山からみたら、雪乃の敵は減っているように見えるだろう。しかしそんなことはない。

むしろひどくなっている。葉山がいないときは、前よりももっと沢山の女子が敵になっている。

俺が雪乃のところへ行こうとしても、返り討ちにされ、近づくことが出来ない。

……これはまずいな。何か手をうたないと。

 

 

 

 

 

俺は雪乃ちゃんと、他の子の間に入って、雪乃ちゃんの友達を増やしている。

雪乃ちゃんの友達が増えれば、雪乃ちゃんは比企谷と一緒にいる必要はなくなる。

恐らく、そろそろみんな仲良くなっているだろう。

明日からは、雪乃ちゃんたちと間に入るのはやめよう。

そうすれば俺がいなくても仲良く出来るはずだ。

 

 

 

 

 

翌日から隼人くんは来なくなった。

そのせいで、私の周りはさらに過酷になっていた。

比企谷君は近づくことも出来ない。

心の中で、なにかがストンと落ちたような気がした。

――あぁ、もういいや。

その日から私は、ほとんどの事を他人事と思うようになった。

 

 

 

 

 

俺は佐川と下田を校舎裏に呼びつけた。

え、どうやったかって?

そんなの簡単だよ。

くつ箱に、『明日の放課後校舎裏に来てください。葉山より』

って書いた手紙を入れといたんだよ。

恐らくまんまと引っかかるだろう…って来たわ。

やっぱ単純だな。

 

「よう。佐川に下田か」

 

「は、あんた誰?」

 

「てか葉山君は?」

 

「まぁ、ちょっと話を聞けよ。俺は葉山から伝言を預かってんだよ」

 

「なっなに?」

 

「早く教えなさいよ!」

 

こいつら、葉山の名前出した途端食いついてくるんだな。まぁ、そっちの方が扱いやすくていいんだが。

 

「お前らさぁ、雪ノ下雪乃のことイジメてるよなぁ。それでさぁ、葉山はなんとかしたくてお前らと一緒にあそんでたんだよ」

 

ここまでは本当に葉山がしようと思ってしたことだ。

……ここまでは、な。

 

「でもさぁ、逆にもっとひどくなってんのよ。そのことさぁ、葉山、気づいてるぜ?お前らはバレてないと思ってんのかもしれないけど」

 

嘘だ。葉山は気づいていない。あいつは本気でみんなが仲良くしていると思っている。

そう思っている葉山にも問題があるのだが、俺はその幻想を壊す権利もないし、理由もない。

俺が今しなくてはいけないことは、雪乃を助けることだけだ。

 

「だからそんなクズみたいなことをするお前らに構わなくなったんだよ」

 

「そんな訳、ないでしょっ」

 

「それに、私たちが雪ノ下雪乃をイジメてたなんて言いがかりは……」

 

「証拠ならあるぜ?別にお前らが葉山がどう考えてるのかを勝手に想像すんのはいいけどよぉ。結局、なんも変わらないぜ?こっちには証拠があんだからなぁ。なんなら、お前らが怖がってる、お前らの親に電話して、全部話してやろうか?」

 

「あ、あんたがその気なら…こっちだって…」

 

全部嘘だ。証拠なんて一つもない。

でも、これくらい脅してやればいいだろう。

もしまだ続くなら、証拠を集めるだけだ。

しかし最後あいつはなんて言ったんだ?

走って逃げて行く佐川と下田を見て俺は一人つぶやく。

 

「葉山の株落としちまったな。明日土下座でもするか」

 




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こうして彼は自己犠牲を覚える

翌日、教室に着くとすぐに先生が来た。

 

「比企谷君、ちょっと来てください」

 

え、俺?

なんかやったっけ。

もしかして佐川と下田が自首したとか。

なんだろう。

とりあえずついていってみる。

すると先生は応接室の前で止まった。

 

コンコンコンコン

 

「はい」

 

落ち着いた感じの声がする。

恐らく大人の女性の声だろう。

 

「連れて来ました」

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

なんとも事務的なやり取りだ。

中に入ってみると、佐川と下田に、名前を知らない女子が2人、大人の女性、(恐らく誰かの親だろう)が座っていた。

 

「比企谷君、そこに座ってください」

 

先生に言われ、俺も座る。

なんだろう、すごく嫌な予感がする。

 

「時間を取らせてしまってごめんなさいねぇ、比企谷君?」

 

口調こそ優しいが、笑い方が不気味だ。

まぁつまり、気持ち悪い。

俺はわざと挑発するように言う。

 

「ええ、俺の時間は有限なのでね。早く話してもらえると助かるんですが」

 

「比企谷君」

 

ピシャリと言われてしまう。どうやら先生も俺の敵のようだ。

つまり、俺の味方はいない。訓練されたボッチなめんなよ。こんくらいなれてるっての。

 

「あなたも時間が惜しいようだから、単刀直入に言うわね。うちの娘がね、あなたにイジメられてると言っているのよ」

 

は、なに言ってんだ?

イジメてたのはあいつらで、それに相手は雪乃なのに、なんで俺が?

あっ、そういえば心当たりあったわ。

恐らく昨日のことで恨まれて、恐れられたのだ。

俺が親に言わないか。

そして考えたのだろう。

言われる前に、自分から言ってやろうと。

 

もし俺が証拠を持っていたら反撃できただろう。

しかし俺は本当は証拠など持っていない。

そこまであいつらが見越しているとは考えにくいが、あいつらがどこまで考えているかなんて関係ない。

俺は訴えられた側だ。そしてそれに反論するための証拠もない。あいつらは取り巻きの女子たちを証拠にするつもりか。

あれ、これ詰んでね?

 

「心当たり、あるかしら?」

 

「ありますよ、心当たり。でもそれはあなたが考えてるのとは違うと思いますけどねぇ」

 

また俺は挑発するように言う。そうすれば相手がボロを出してくれるかもしれない。

 

「いえ、あるなら構わないわ。無いとしらを切る人よりはよっぽどましだもの」

 

「すみませんが、私はあまり詳しく知らないのです。教えてもらっても構いませんか?」

 

先生が言う。

知らなくて当たり前だ。俺は何もしていないからな。

 

「あら、先生はしらないの?はぁ、この学校はどうなっているのかしら。イジメをほっとくなんてひどい学校ね」

 

ホント言いたい放題だな。

自分の子供が被害者だからってその親が偉くなることなんてないのに。

つーか被害者じゃないし。

むしろイジメてるくせにバレそうになったら被害者面してるような子供をほっとくなんてひどい親ね!

 

「わ、私があの人にイジメられてるんです」

 

佐川か下田が言った。

そういえばどっちがどっちか知らないな。

 

「具体的にはどんなことを?」

 

「上履きを隠されたりしていました。でも、どんどんエスカレートしていって、この前は体操着を盗られました」

 

ちょっとまてよ。それ俺犯罪者みたいじゃないか。

確かに小6男子がやりそうなことだけどっ。

 

「私知ってます。それでこの前の体育の授業見学になっちゃったんだよね、佐川さん」

 

「うん…それで体育の先生に怒られちゃったんだけど、仕方ないかなって」

 

「でもあまりにも佐川さんが可哀相だから、私たちがお母さんに相談してみるのを提案したんです」

 

いやいや。お前が体操着忘れただけだろ。なにナチュラルに俺のせいにしてくれちゃってんの?

可哀相なのは俺の方がだろ。ありもしないこと喋られていろんな人にヤバい視線向けられてんだけど。

やめて、八幡のライフはもうマイナスよ!

ゼロ下回ってんじゃねぇかよ。

 

「そ、そうですか。体育の教員には、後ほど確認しておきます」

 

ほら、先生引いてんじゃん。

 

「みんなこう言っているけど、どうなの?比企谷君」

 

証拠が欲しいなら雪乃を呼ぶか?いや、この状況を作ったのは俺だ。それに、俺がある事ない事…いや、全部無いんだけど。そんな事言われているところを見たら恐らく「自分のせいで」ってなるだろう。

それは葉山も同じだ。そもそも俺は葉山に何も言わず、勝手に葉山を利用したんだ。俺の味方になってくれるかも怪しい。

しょうがない、ここは少し、いやかなりイヤな奴になってやろう。

 

「みんなって誰ですかぁ?ここにいる人全員ですかぁ?クラスの人たちですかぁ?それともぉ、地球上にいる全人類ですかぁ?」

 

「ここにいる人に決まってるじゃない」

 

「それなら違いますね。だって俺、そんな事言ってないもん。みんなって知ってますか?そこにいる人全員ってことですよ。俺は言ってないし、認めてないんで、みんなじゃないでしょ」

 

「多数決って知ってる?」

 

「あぁ、知ってますよ。別名『数の暴力』ですよね。というか、話の論点すり替えないでくださいよ。最初に『みんな』とか言い出したの、あなたでしょう?もう大人なんだから自分の発言に責任を持ってくださいよ。子供相手にそんなんで恥ずかしくないんですか?」

 

「あ、あなたねぇ……」

 

「比企谷君、少し静かに」

 

くそっ、あとちょっとだったんだけどな。

あのおばさんの仮面が外れてきたところだったのに。

最初はお淑やかな女性を演じていたのかもしれないが俺と口論しているうちに、素に戻っていった。

最初からこれを狙っていたのだが、やっぱりそう簡単にはいかないか。

 

「お母さん、私はもう大丈夫だよ。先生も、私は別に事を大きくして全部明るみにしてほしんじゃないんです。ただ、物を隠したり、盗ったりするのをやめてもらいたいだけなんです。比企谷君だって、評判とか気にすると思うし……」

 

「でもイジメとなるとそれは……」

 

「被害者の私が言っているんですよ?」

 

くそっ、本当に手口が上手い。こうなると、確実に佐川が良い奴で、俺はそんな良い奴をイジメていた最低の奴になる。

本人に自覚はないだろうが、俺の昨日の作戦の隙を全部突いてくる。

 

「それでいいかな、比企谷君」

 

全員が俺を注目してくる。だから、視線慣れしてないって言ってんだろ。

別に、もう何でもいいや。最初から俺の評判とか考えてなかったし。そもそも評判自体あるのかも不明だし。

 

「……これから雪乃のことイジメないって言うんだったら、もういいよ」

 

「あなた何を言ってるのよ!イジメられてるのはうちの娘で、イジメてるのは――」

 

「お母さん、いいよ。比企谷君だっていろいろ思うことがあるんだよ。そういうことなので、私たちは教室に戻ります」

 

「比企谷君も、もう授業が始まるので……」

 

「分かってますよ。教室戻ります」

 

そう言って俺は応接室を後にした。

 

 

 

 

 

教室に入ると、いつも私をイジメくるグループの半分がいなかった。

恐らくトップの人がいないのだろう。誰も私に何もしてこない。

トップがいないと何も出来ないのね。私には関係ないことだけれど。

チラっと比企谷君の席を見る。ランドセルはあったが、本人はいない。ほとんどのことが他人事だけど、比企谷君の『存在』だけは他人事と思わない。

もうすぐ授業が始まる。遅いな、どこに行ってるんだろう。

すると、妙にイキイキとしている佐川と下田さんたちが入って来た。その後ろには、妙にドンヨリとしている比企谷君がいた。

しかし私は比企谷君がなぜドンヨリとしているのかは気にならない。

だって他人事だもの。

比企谷君は『いれば』いいの。

 




今回も読んでくださりありがとうございます。
お気に入りが30件までいきました!
UAは5000まで来ました。
本当にありがとうございます。
それと、もしかしたら明日は投稿出来ないかもしれません。
楽しみにしてくださっている方がいたら、申し訳ありません。


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彼と彼女はお互いの変化に気がつかない

 

休み時間になると、佐川と下田たちがクラスの人たちにさっきのことを話していた。

もちろん、俺が悪いという設定で。

これはまずいな。もしこれで俺が雪乃と仲良くしていたら、雪乃まで風評被害にあうことになる。

ここは上手く距離をとったほうがいいかもしれないな。

それで噂が無くなってたらまた近づこう。

 

「比企谷君。どうしたの?」

 

「うん?あっ、えーと…」

 

雪乃に話しかけられてしまった。これじゃあ距離をとろうにもとれない。でも直接言うと傷付けるかもしれないし、どうしたものか。

 

「今、俺なんか変な噂流されててさ。だからあんま俺に近づかないほうがいいぜ?ほら、雪乃まで巻き込まれるかもしんないし」

 

まぁ、こんな感じで言えば「そっかぁ」て言って遠ざかってくれるだろう。

 

「別に私は平気よ。だって私には関係のないことだもの」

 

関係のないこと?ああ、そういえばこいつ、あんま他人からどう思われたって気にしないタイプだっけ。

 

「そ、そうか。ありがとな」

 

「私は比企谷君と話せればそれで構わないから」

 

なかなか嬉しいことを言ってくれる。

前までは知らなかったが、周りがみんな敵でも、一人でも味方がいてくれたらなかなか心強いな。

 

そのまま俺たちは毎日のように一緒に話し、帰りも一緒に帰った。

 

 

 

 

「明日から、冬休みでーす。でも、みんな浮かれすぎて、事故とかにぃ、巻き込まれたらダメだよー」

 

明日からは冬休みだ。

先生がみんなに注意喚起する。

去年までの冬休みといえば、小町と一緒に遊ぶくらいしか楽しみがなかったのだが、今年は雪乃がいるからな。暇な日とか聞いといたほうがいいのかな。

帰りの会が終わり、教室の中がざわつき始める。

俺は雪乃の席まで行った。

 

「な、なあ。冬休み、暇な日とかあるか?」

 

「いえ、私事はないのだけれど…用事はたくさんあって…ごめんなさい」

 

私事はないのに、用事はたくさんある?家の用事かな。家が厳しいとか?親の実家にでも行くのかな。とりあえず、雪乃は多忙なのか。残念だ。

 

「そっか。まぁ、用事なら仕方ないだろ。えーっと、一緒に帰れる?」

 

「ごめんなさい。今日は迎えが来るの」

 

「ああ、分かった。じゃあな」

 

「ええ、また今度。良いお年を」

 

ああ、そっか。次会うのは来年か。

 

「良いお年を」

 

雪乃は小さくお辞儀をして教室を出ていってしまった。結構律儀なんだよな。

さて、俺も帰るか。

 

 

 

 

 

結論を言おう。

今年の冬休み、ものすごくつまらなかった。

小町は友達と遊んでいるし、かまくらは懐いてこない。親は忙しくて家にいないし。

唯一家族全員揃ったのは正月だけだった。

本気で「冬休み終わんないかなー。学校行きたいなー」と言って、小町に引かれたくらいだ。

正直言って、誰もいない家で一人静かに生息するよりも、学校で変な噂流されながらも雪乃と一緒にいたほうが楽しい。

雪乃も本気で俺の噂を気にしてないみたいだし、むしろ『他人事』という風な感じで、気にも留めていない。

そっちのほうが俺としては嬉しいのだが。

 

 

 

 

学校に着くと、雪乃はすでに席に座って、本を読んでいた。

というか、大半の人がいた。大体楽しかったこととかを自慢し合っているんだろう。

俺は雪乃の席へ行く。

 

「あ、明けましておめでとう。こ、今年もよろしく」

 

これ言うのめっちゃ緊張すんじゃん!

なんでリア充たちは普通に「あけおめ〜、ことよろ〜」とか気軽に言えんの?

 

「明けましておめでとう。今年もよろしくね、比企谷君」

 

「お、おう」

 

最後に「比企谷君」と付いたことで俺だけによろしくしてる感じがすごいな。

べ、別に嬉しくなんて、いや、すごく嬉しいです。

 

「そういえば、冬休み忙しかったんだよな」

 

「別に、忙しくはなかったわ。ただ、予定がたくさんあっただけで。……毎年、そう。私は居るだけ。存在するだけ。雪ノ下家の、姉さんの、妹。そういう立ち位置で。誰も『雪ノ下雪乃』とは言ってくれない。見てくれない」

 

えっと…これ、どうすればいいんですかね。なんか地雷っぽいの踏んだみたいだし。でも俺、今まで地雷を踏む相手すらいなかったから、対処法しらないんだけど。

でも絶対聞いてる距離にいるからスルーはできないし。いや、こういうときはスルーのほうがいいのか?

ヘルプミー!コミュ力高いひとー。

 

「あっ、ごめんなさい。あなたに言っても仕方のないことよね」

 

「あっ、お、おう。いや、まぁお前も大変なんだな」

 

「大変……。どうかしら、本当は大変じゃないのに、自分で大変にしているという感じだから」

 

よし、話題を変えよう。この話だと俺の息が持たない。

 

「話変わるけど、今年で卒業だな」

 

「そうね。4月から中学生ね」

 

よし、上手く変えれた。一安心だな。

 

「なんか実感わかないよなぁ。中学生って。まぁ、身近にいないからかもしれないけど」

 

「私は、姉さんがいるけれど…あの人は普通ではないから。そうね、あまり現実的ではない感じね」

 

普通じゃない、か。

まああの人は普通って感じはしないな。

 

 

卒業が近づいてくるうちにだんだん実感がわいてくるかと思ったが、そんな事はなかった。

毎日あの噂が流され、俺と雪乃は無視する。

卒業文集は書く依頼がされないし、絶対書かないといけない作文の欄には、〘将来の夢は、専業主夫です。〙と書いておいたし。

卒業式の練習は、リア充たちが勝手に騒いで俺の出番奪ってくし。まあ、楽でいいんだけど。

 

最近変わったことといえば、やっぱりあの噂だろう。

最初はあいつらの気が済んだら収まってくるかと思ったが、俺たちが気にしないことが気にさわったのか、もっとひどくなっていった。

 

「なぁ、雪乃。噂、もっとひどくなってんだけど…本当に大丈夫か?俺に気を遣ってんだったら無理しなくてもいいぞ?」

 

「別にそんな事ないわよ。私が気を遣うように見える?ただ私には関係のないことだもの。私は気にするだけ無駄だと思っているわ。他人事、だもの」

 

雪乃が気にしないでくれているのが、たまらなく嬉しい。本人にそんなつもりはないだろうが、その言葉に俺は救われていた。

中学校に行っても、こんな風に俺の味方でいてくれるだろうか。

 

「そう、だよな。他人事、だもんな」

 

「ええ、そうよ」

 

 

 

 

毎日こんな感じで過ぎて行って、ついに卒業式を迎えた。




読んでくださりありがとうございます。
投稿が遅くなってすみませんでした。
これから少し投稿頻度が遅くなると思います。


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こうして彼と彼女の小学校生活は終わる

「次は、門出の言葉」

 

卒業生が雛壇に上がる。

苦痛の卒業証書授与と、校長先生や偉い人の挨拶が終わり、卒業式はもうすぐ終わる。

俺は長ったらしい話の間は、真っ直ぐ前を向き、寝ていた。先生は少し離れたところから見ているため、気がつかれることはなかった。

おかげで、話の内容は何一つ覚えていない。

 

「暖かい春の日差しが……」

 

出だしの人が声を出した。このままいけば、あと一時間もしないうちに卒業式が終わる。

目の前には、沢山の人がいる。ビデオカメラで撮っている人もいれば、スマホで撮っている人もいる。

俺の親は撮っているかすら分からない。撮っていても、スマホで撮ってるんだろうが。わざわざビデオカメラを持ってくる人たちではない。小町のときは違うんだろうが。

そういえば小町は…あぁ、今日は学校休みだからまだ寝てんのか。卒業式は長いから耐えるのが大変だもんな。でも来年から小町は5年生だから、在校生代表として絶対参加しなくちゃいけなくなるんだよなぁ。

俺は去年も寝てただけだったな。別に先輩の知り合いとかいなかったし。なんなら同輩の知り合いもほとんどいないまである。

まぁ、一人いるからいいんだけどね。その唯一の知り合いである雪乃は、つまらなそうに立っている。じっとどこか遠くを見ている気がした。

え、もう一人知り合いいるだろって?知らんな!

 

「お世話になった、この学校」

 

そんなことを考えていたら、門出の言葉も終盤に入っていた。

泣いている人も結構いる。どうせほとんど同じ中学校へ行くのに。ただ、『お別れ』とか、『卒業』というフレーズだけで涙腺がゆるむのかよ。そんなの、ただ「私たちの小学校生活、超楽しかったよね。ずっとこのままがよかったぁ」とか言い合って、充実してた感を出すだけが目的だろ。

そんで3年後も同じことするんだよなぁ。

 

パチパチパチパチ

 

あ、終わった。もう退場か。

5年生がリコーダーで演奏している。

これ、一人でも吹けてないと、そいつめっちゃ目立つんだよなぁ。おかげで俺も去年苦労した。

 

 

校庭に出ると、「写真撮ろ〜」とか、「いつ遊びに行く?」とかそんなんばっかだった。

俺は雪乃と一枚でもいいから写真が撮りたいと思っていた。去年までの俺だったら考えもしないことだろう。

さっきから雪乃を探しているが、なかなか見つからない。どこに行ったんだろう。

雪乃も俺と同じように、写真を一緒に撮る友だちなどいないはずだ。いたとしても、俺かあいつだけ。

なんて考えていたらあいつを見つけた。

 

「あ、葉山。聞きたいことあんだけど」

 

「やぁ、比企谷。卒業おめでとう」

 

「お前もな。でさ、雪乃どこいるか知らない?」

 

「雪乃ちゃんなら、もう帰ったんじゃないかな?」

 

「え、もう?」

 

「ああ。今日か明日にはもう出発って言ってたし」

 

「出発?」

 

「聞いてないのか?雪乃ちゃん、海外へ行くんだよ」

 

「卒業旅行か?」

 

「いや、留学だけど…本当に聞いてないのか?」

 

「りゅう、がく?」

 

俺は頭が真っ白になった。

葉山が日本語を喋っていることは分かる。でも、その意味が分からない。

 

「どういう、ことだよ。同じ中学じゃ、ない?しかも、日本ですら、ないのかよ……」

 

確かに、雪乃は同じ中学とは一言も言っていなかった。勝手に俺が同じだと思いこんでいたんだ。

気がついたら、俺は全力で走っていた。

 

「なんだよっ、同じじゃないのかよ!もう、会えないのかよ。なんでだよ。嫌だ…嫌だよっ。せっかく仲良くなれてたのに、、またやり直しかよ。なんで…なんでだよ!嫌だっ、嫌だっ、嫌だっ。もう、会えないのかよ……」

 

言っても仕方のないことだとは分かっている。それでも、同じことを何度も叫んでいた。

また気がついたら、ベッドでただひたすら泣いていた。

 

 

 

 

 

卒業式が終わった。私が海外に行くことはまだ比企谷君に伝えられていない。

早く言わないといけないのは分かっていたけど、なんだかんだで先送りにしてしまった。

明日の朝出発するから、今日は早く帰らないといけない。せめて、比企谷君に伝えて、写真を撮りたいと母さんに言ったら、少しだけ時間をくれた。

 

「比企谷君、どこだろ」

 

なかなか見つからない。もうすぐ帰る時間になってしまう。仕方がないから、私はとりあえずくつを履き替えることにした。走ってくつ箱まで行く。一応比企谷君のくつ箱を見たけど、上履きがなく、外履きだけあったから、まだ帰っていない。

 

「よかったぁ。うん?これ、なんだろう」

 

私のくつ箱に、紙が入っていた。折りたたんである。

私はそれを開いた。その瞬間、絶句してしまった。紙に書いてあるものを、読んでしまったから……。

そのままくつを履いて、逃げるようにして学校から出ていき、車に乗って、家に帰り、自室にこもった。

 

 

 

 

      ――雪ノ下雪乃へ――

俺はお前が大っきらいだ。いつもこっちに来やがって。これからは、俺を一人にしろ。話しかけてくんな。俺のこと友だちとか思うなよ。そんな都合のいいことあってたまるかよ。お前なんか、友だちじゃないからな。もう関わらないでくれ。もしこっちに来ても、俺は無視するからな。絶対来んじゃねえぞ。

               比企谷八幡より

 

私は、比企谷君とはそれなりに仲がいいと思っていた。

でも、比企谷君は逆だった。私のことなんか、大嫌いだった。

当たり前だ。比企谷君が変な噂を流されているとき、私は何もしなかった。比企谷君は、私のイジメをなんとかしようとしてくれて、ああなったのに。

私は全部『他人事』で済まそうとしていた。きっと比企谷君は怒っていたのだろう。でも優しいから何も言わないで。でも、怒りをため過ぎでしまったから、こうやって手紙で伝えたのだろう。

 

私は、なんてことをしてしまったのだろうか。

本当にとり返しのつかないことをやってしまった。

勝手に仲がいいと思いこんで、思いこんでいたくせに、比企谷君が辛いとき、私は全部『他人事』で済まそうとして、逃げていた。しかも、比企谷君が辛くなったのは、私のイジメをどうにかしようとしてくれていたからなのに。

私は、比企谷君に謝ることすらできなかった。逃げてしまったから。恐らくもう会うことはできないだろう。

でも、私はこの事を、一生忘れることはないだろう。

この手紙は、捨てちゃだめだ。ちゃんと、ずっと覚えて、ずっと後悔することが唯一私に出来ることなのだから。そして、二度とこんなことをしないように、親しい人を作ってはだめだ。また傷付けてしまうかもしれない。

今までずっと独りだったんだ。このくらい、簡単に出来るはず。比企谷君が、いなくても……ちゃんと、独りで。悲しんじゃだめだ。私には悲しむ資格すらない。

悲しんじゃだめなはずなのに、どうしても涙が止まらない。私は独りで、唇をかみながら、嗚咽をこらえて泣いていた。

そして、引っ越しの荷物のダンボールの、『大切なもの、貴重品』と書かれているものを開け、丁寧にその手紙を入れた。

 




読んでくださりありがとうございます。
これで、小学生編は終わります。
次は、中学生をとばして、高校生編に入ります。

お気に入りが40件、UAが7000を越えました。
ありがとうございます。


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高校生編
こうして彼と彼女は再会する


青春とは嘘であり、悪である。

青春を謳歌せし者たちは、常に自己と周囲を欺く。

自らを取り巻く環境の全てを肯定的に捉える。

ならば、小学生の頃、好きだった女の子と感動的?な別れ方をした俺は、リア充に分類されるのだろうか。

大半のリア充はこう言うだろう。「お前はリア充じゃない。ただのボッチだ」と。

確かに俺はボッチである。しかし、なぜボッチだとリア充に分類されることがなくなってしまうのだろうか。

それは、リア充たちが自分たちが正しいと思っているからである。

リア充に分類するときは、必ず自分たちと似た環境でなければいけないことにしているのだ。

だが、俺はそう思わない。たとえボッチだったとしても、心がリア充なら、リア充なのだ。

実際、俺のリアルは充実している。

可愛い妹がいるからだ。これにあの子までいたら、どれだけ良かったか。

結論を言おう〘想いこそが大切なのだ〙。

 

 

 

 

「なぁ比企谷。私が授業で出した課題は覚えているか?」

 

「はぁ、『高校生活を振り返って』というテーマの作文ですよね」

 

俺は何か間違ったことをしてしまったのだろうか。

少し小学生の頃のことを入れてしまったが、そこは見逃して欲しい。あの子との思い出は、俺の今までの人生を語るときには、絶対に外せないことになっているからな。

 

「そうだな。それで君はなぜこんなふざけた作文を書いてきたのだ?」

 

「いや、別にふざけたつもりはないんですけど。というか、どこら辺がふざけているように見えるんですか?」

 

本気で書いた作文に文句を言われれば、こんな反論もしたくなってくる。

 

「まず、独りだとリア充になれないということがおかしいというのは、大いに共感する」

 

共感しちゃうのかよ。あ、先生独りですもんね。

 

「それは……ありがとうございます」

 

「だが、絶対に許せない部分がある」

 

「はぁ、どこですか?」

 

「なんだ、この『小学生の頃好きだった女の子と感動的?な別れ方をした』とは。君はずっと独りだったんじゃないのか!この裏切り者」

 

えぇ……。大人げな。

いや、そもそも俺先生の仲間だった訳でもないし、裏切り者もなにも……。

 

「いや、独身の先生には悪いこ――」

 

「あ?なんか言ったか、比企谷」

 

こわっ。マジで眼の色変わったぞ。

なるほど、この件は平塚先生にとって、地雷だったようだ。踏まないように、注意して……

 

「とりあえず、すみませんでした。書き直しますから、返してください」

 

「ふむ、許そう。だが、君の心ない言葉や態度が私の心を傷付けたことは確かだ。なので、君には奉仕活動を命じる」

 

「奉仕活動って……具体的にはなにをすればいいんですか?」

 

なんか嫌な予感がする。

 

「そこのダンボールを持って、ついてきたまえ」

 

えぇ……。なにあのいかにも重たそうなダンボール。

 

「何が入っているんですか?」

 

「自動販売機で売っている、飲み物だ」

 

うわぁ、絶対重いやつじゃん。持ちたくないなぁ。でも、持たないとなにがあるか分かんないしなぁ。

 

「言うことを聞かなかったら、3年で卒業できると思うなよ」

 

「ひゃ、ひゃい!」

 

なに、俺の考えてること分かるの?これってもしかして以心伝心?でもごめんなさい、平塚先生。俺は他に好きな子がいるので、頑張って他の相手を探してください。

 

「ひ·き·が·や?」

 

「今行きます。すぐ行きます」

 

くそっ、このダンボール想像以上に重い。

腕が痛い。こんなの力持ちの体育の教師に頼めよ。

 

「こっちだ。ついてきたまえ」

 

「自動販売機、そっちにはありませんよ。もしかして、いや、もしかしなくても、わざと遠回りして、俺の負担になるようにしてるんですか?やめてください、腕がちぎれます」

 

「本当に君は人を疑うことしかしないな。私の目的地は、自動販売機などではない。言っただろ、君に、奉仕活動を命じると」

 

「もうすでに奉仕活動を通り越して、拷問になっているんですが。先生はそこら辺はどうお考えですか」

 

どうやら平塚先生が向かっているのは、特別棟のようだ。特別棟になんかあったっけ?

たしか、音楽室や、生物室、図書館とかしかなかったような気がする。

まさか、また肉体労働させられるのか⁉

やだなぁ、帰りたいなぁ。

 

「着いたぞ」

 

先生が立ち止まったのは、なんの変哲もない普通の教室。

プレートには、何も書かれていない。

俺が不思議に思って眺めていると、先生はからりと戸を開けた。

 

その教室の端っこには、椅子と机が無造作に積み上げられている。倉庫として使われているのだろうか。

他の教室と違うのはそこだけで、何も特殊な内装はない。いたって普通の教室。

けれど、そこがあまりにも異質に感じられたのは、一人の少女がそこにいたからだろう。

少女は斜陽の中で、本を読んでいた。

よほど熱中しているのか、平塚先生と俺が入って来たことに気づいていない。

世界がおわったあとも、きっと彼女はここでこうしているんじゃないかと錯覚するくらい、この光景は絵画じみていた。

それを見たとき、俺は身体も精神も止まってしまい、ダンボールを落としてしまった。

 

「いったぁ!比企谷、なにをしてるんだ。私の足に思いっ切りダンボールを落として!……比企谷?」

 

「………雪乃」

 

やっと出てきた言葉がこれだけだった。声も掠れていたし、きっと届いていないだろう。

平塚先生の悲鳴を聞いて、雪乃は顔を上げる。

 

「平塚先生、入るときはノックを――」

 

目が、合った。

雪乃は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに苦しそうな顔になった。そして最後に、不安げな表情になって、

 

「ひきがや、くん?」

 

と言った。

 

平塚先生の命令で来た場所は、俺にとって、とても大事な人がいる場所だった。

 




高校生編突入です。
一応2年から始まっています。

感想をくださった方、本当にありがとうございます。
お気に入りが50件、UAが8000を越えました。いつも読んでくださっている方のおかげです。
ありがとうございます。


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こうして彼は悩みができる

 

「なんだ、君たちは知り合いなのか」

 

足に思いっ切りダンボールを落とされて、少し不機嫌そうに平塚先生が言う。

 

「ええ、そうですよ。小学校が同じだったもんで。いやぁ、久しぶりだなぁ。えーっと、雪乃、どうした?」

 

ずっと会いたかった雪乃に会えて、俺は気分が完全に上がっていた。

しかし、雪乃はうつむいて、悲しそうな顔をしている。

 

「えぇ…久しぶり、ね」

 

声音もあまり嬉しそうではない。

 

「なんだ、比企谷嫌われてるんじゃないか?」

 

平塚先生が面白いものを発見したように、指で俺をツンツンしてからかってくる。

 

「いや…そんなこと……」

 

ないはずだ。と言おうとしたけど、言えなかった。

思い出すのは5年前の卒業式。

あの日、雪乃は何も俺に言わないで、俺の前からいなくなってしまった。

もしかして――

 

「いえ、別に私が嫌っているという訳ではありませんが、その……」

 

雪乃はそう言うと、気まずそうに視線をそらした。

あれ、俺なにかやったっけ?

平塚先生がニヤニヤしながらこっちを見てくる。

いや、俺なんもやってないです!誤解です!

 

「まあ、知り合いならそれで構わん。面白いものも見れたし、ダンボールの件は見逃してやろう。じゃ、後は二人で頑張りたまえ」

 

えぇ…。このタイミングで二人にするのかよ。

嫌なわけじゃなくて、気まずいっていうか、なんかお互いソワソワしちゃうじゃん?

 

「えっと、とりあえず、そこに座ったら?」

 

「お、おう。サンキュ」

 

「いえ、別に……」

 

ほらね?気まずいでしょ?

どうすればいいんだよ。誰か来てくれ〜。

 

「あの、さ。小学校の卒業式のときのことなんだけど……」

 

俺が『卒業式』と言った瞬間、雪乃の肩がはねた。

卒業式にトラウマでもできたのか?

 

「あ、あなたも、覚えて、いるの?」

 

「え?ああ、まあ、な。結構、その…衝撃的だったし」

 

なにも言わずに雪乃がいなくなっちゃうんだぜ?

マジであの時もう一生会えないかと思ってたし。

雪乃はそんなことないのだろうか。

 

「衝撃的?確かに、私からしたら衝撃的だったけれど…あなたにとっては、そうでもないんじゃないかしら……前から書いていたのでしょう?」

 

「え?いや、どういうこと?」

 

前から書いていたってなんだ?

なにを書くんだ?

 

「忘れてしまったの?」

 

「いや、忘れるもなにも……」

 

「そう、なの…。あなたには、どうでもいいことだったのね……」

 

コンコン

 

「どうぞ」

 

不意に戸をノックする音が聞こえた。

平塚先生はノックをしないし、誰だ?

というか、2回ノックはトイレなんだが。

正式には4回が正しい。

 

「し、失礼しまーす」

 

綺麗な高音で、ややうわずった声がする。

からりと戸が引かれて、ちょこっとだけ隙間が開いた。そこから身を滑り込ませるようにして彼女は入ってきた。

 

ピンクがかった茶髪に、上の方のボタンがあいている。短めのスカートをはき、その、なんていうか…とりあえず、リボンを確認すると、赤なのが分かった。

『リボンを確認すると』な。ここ重要!

とにかく俺の嫌いなリア充組というわけだ。

 

「な、なんでヒッキーがここにいんの⁉」

 

「いや、平塚先生に来させられて……ていうか、あの人結局なにがしたかったんだよ」

 

「由比ヶ浜結衣さんよね?とりあえずここに座って」

 

「ああ…うん。私のこと知ってるんだ」

 

彼女、由比ヶ浜結衣は名前を呼ばれてぱっと表情を明るくする。雪乃に知られていることは、彼女の中で一つのステイタスらしい。

 

「よく知ってんな、雪乃。もしかして全校生徒覚えてんのか?あ、でも俺がこの学校ってこと、知らなかったのか」

 

「えぇ、流石に全校生徒は覚えていないけれど……それに、あなたの、ことは……」

 

「雪ノ下さんとヒッキー仲良いの?名前で呼んでるし」

 

「おう、もちろん!」「いえ、別に……」

 

同時に応えたが、真逆のことを言っていた。

 

「え、どっち?」

 

「え、俺と雪乃そんなに仲良くなかったの?」

 

嘘、俺の勝手な想像だったの?

八幡泣いちゃうよ?

ショックだったため、問い詰めるように雪乃に近づいてしまった。

 

「え?あ、あの…す、少し…は、離れて、もらえる、かしら//」

 

「あ、ああいや、ごめん!」

 

「いえ、別に……」

 

雪乃は恥ずかしがるようにしてそっぽ向いてしまう。

可愛いな。

 

「むぅ。やっぱ仲良いんじゃん!」

 

由比ヶ浜が不機嫌そうに言う。

いや、なんでお前が不機嫌になんの?

いいじゃん、こういう雪乃レアなんだから、もっと眺めてようよ!

 

「そうね、仲が良い、かもしれない、わね//」

 

なに、照れてんの?

可愛いなぁ〜。

恥ずかしいのに、俺と仲良いって言うために言ってくれたのか。

ヤバい、可愛すぎてキュン死しそう。

 

「…雪ノ下さん、可愛い」

 

「それは俺も同感だが、お前は変な道に走るなよ。あと、雪乃はやらん」

 

由比ヶ浜にしか聞こえない声で注意してやる。

いや、だって、最後のセリフとか超恥ずかしいじゃん。雪乃に聞かれちゃったら、八幡死んじゃうぞ?

 

「えぇ…。ヒッキー、それは…ちょっと、ね。ほら、雪ノ下さんはヒッキーとそんなに仲良くないと思ってるっぽいし、さ。やめたげよ?」

 

うぅ、そういう本気で憐れむ目はやめよう?

気遣いとかが一番心にくるんだよなぁ。

 

「なんの話しをしているの?」

 

「あー、いや、なんつーか…あっ、そうだ!えっと、私用があって来たんだけど……」

 

流石リア充組だ。

こういう、話を変えるのは慣れてるっぽいな。

 

「えっと、く、クッキー作りたいなって、思ってて…」

 

「クッキー作り?んなもん友だちとやれよ」

 

とりあえず面倒くさいからこう言っておく。大抵の奴らはこれで引き下がるはずだ。ソースは俺。こう言われると引き下がるしかなくなるんだよなぁ。てか、引き下がる側かよ!

 

「比企谷君。そんなこと言ってはだめよ。由比ヶ浜さんだって来たくてここに来ている訳ではないかもしれないじゃない。もともとここは奉仕部よ?こういうお願いのお手伝いをするんじゃない」

 

「そう、か。え?奉仕部?なにそれ、おいしいの?」

 

初めて聞く単語が出できたため、ついつい聞いてしまった。

 

「え、ヒッキーなに言ってんの?おいしいわけないじゃん。大丈夫?」

 

いや、一種のジョークじゃん!

なんで本気にしちゃってんの?

雪乃は分かってくれるよな。

そう思って雪乃の方を見たら……

 

目をそらされた!なに、雪乃のやつも一種のジョークだよね?そうだよね?

 

「いや、ほら、一種のジョークだよ」

 

「比企谷君」

 

流石雪乃。やっぱり俺のことを分かってくれるのは――

 

「面白くないものはジョークとは言わないわよ」

 

なんで⁉

ちょっとしたおふざけじゃん。

なんで俺こんな仕打ち受けてんの?

ていうか雪乃さん、辛辣ぅ。

ちょっと悲しくなってきた……

 

「由比ヶ浜さんの依頼に、あんなこと言うからこうなるのよ♪」

 

ちょっと勝ち誇った声音で、少し胸を張って言う。

やっぱ雪乃はどんな格好しても可愛いな。

そういえば、顔つきとかは成長しているけど、一部は昔から変わってないな。うーん、ある種致命的とまでいえる時が来るかもしれないなぁ。

 

「えっと、二人が仲良いのは十分分かったから……私のお願い、聞いてくれる?」

 

「ええ、いいわよ。では、家庭科室に行きましょうか」

 

「え、俺クッキー作れないぞ?」

 

料理の腕は、小学6年で止まってるからな。

 

「味見して、感想をくれればいいのよ」

 

マジか!

こんなところで女子の手作りクッキーが食べられるとは。できれば雪乃のも食べたいなぁ〜。

 

 

 

 

 

と思っていた時期が俺にもありました。

 

「これ、なに?」

 

俺の目の前にある、黒い物体は、一体何を材料にして作ったのだろうか。

 

「そんなことを考えてはだめよ。これはクッキー、それだけを心に留めて。さぁ、比企谷君。毒味をお願いしてもいいかしら?」

 

「いや、俺が頼まれたのは、味見だぞ!いくら雪乃のお願いでも、流石に…これは……」

 

クッキーを一つ手に取ってみる。なんかボロボロこぼれていったんだが。

 

「二人ともさっきからひどい!……やっぱあたし、才能ないのかな……」

 

「由比ヶ浜さん、才能がないという認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間には、才能がある人を羨む資格はないわ。成功できない人間は、成功者が積み上げた努力を想像できないから成功できないのよ」

 

雪乃の言葉は辛辣だった。そして、反論を許さないほどに、どこまでも正しい。

由比ヶ浜はうっと言葉に詰まる。ここまで直接的に正論をぶつけられた経験なんてないんだろう。

その顔には、戸惑いと恐怖が浮かんでいる。

それを誤魔化すように、由比ヶ浜はへらっと笑顔を作った。

 

「で、でもさ、こういうの最近みんなやんないって言うし。やっぱりこういうのあってないんだよ、きっと」

 

「その、周囲に合わせようとするの、やめてもらえるかしら。ひどく不愉快だわ。自分の不器用さ、無様さ、愚かしさの遠因を他人に求めるなんて、恥ずかしくないの?」

 

「う、うわぁ……」

 

マジかよ。ここまではっきり言うか。流石の俺もちょっと引いたよ?

 

「か……」

 

帰る、とでも言うのだろうか。今にも泣き出しそうな、か細い声が聞こえた。

 

「かっこいい……」

 

「「は?」」

 

俺と雪乃の声が重なった。

おっ、シンクロじゃん。やっぱ仲良いよな、俺たち。

思わず顔を見合わせてしまった。

 

「っ//」

 

なにここで恥ずかしがってんだよ俺!

いやぁ、雪乃があまりにも可愛すぎて……って違うだろ!

由比ヶ浜は今、なんて言ったのだろうか。

 

「建前とか、全然言わないんだ。なんかそういうの、かっこいい」

 

由比ヶ浜が熱っぽい表情で雪乃をじっと見つめる。当の雪乃はといえば、強張った表情で2歩ほど後ろに下がっていた。

 

「な、何を言ってるのかしらこの子。話聞いてた?私、これでも結構きついことを言ったつもりだったのだけれど」

 

「ううん!そんなことない!あ、いや確かに言葉はひどかったし、ぶっちゃけ軽く引いたけど……」

 

うん、まぁそうだよね。雪乃大好きな俺ですら引いてたし。だが、由比ヶ浜はただ引いていただけではないらしい。

 

「でも、本音って感じがするの。あたし、人に合わせてばっかだったから。ごめん。次はちゃんとやる!」

 

由比ヶ浜は逃げなかった。

謝ってからすぐに雪乃を見つめ返す。

予想外の言葉と視線に、今度は雪乃が言葉を失った。

 

「正しいやり方、教えてやれよ」

 

「え?えぇ、そうね。由比ヶ浜さんがちゃんとやると言っているし……」

 

そう言って雪乃は由比ヶ浜に優しい微笑みを向ける。

由比ヶ浜は、感極まったのか、涙目になってなにも言わない。

はい、ゆるゆりはそこまでにしてくださいね。

それと雪乃さん、その微笑みを向ける相手間違ってますよ。

マジで俺空気じゃん。

 

「さぁ、このクッキーをなんとかしてから、もう一度作り直しましょうか」

 

「「へ?」」

 

「どうしたの?二人共」

 

「え、これ、食べるのか?」

 

違うと言ってほしい。

 

「ええ、そうよ。まず食べてみないとどこを直せばいいのか分からないじゃない」

 

嘘、だろ?

食べるのか、これを?

 

「ちょっとまて雪乃。お前は食べないからいくらでも言えるが、食べる側としてはなんというか、出来れば遠慮したいのですが」

 

「ヒッキーひどい!」

 

いくら罵倒されても構わないから、なんとかこれを食べるのだけは回避しなければ!

 

「なにを言っているの?私も食べるわよ?」

 

「「へ?」」

 

今、こいつ、なんて、言った?

もしかして、俺が嫌がったから、無理して食べようとしているのか?そんな気遣いは不要だ!

俺は雪乃の頼みなら、なんでもするぞ!

 

「だって、由比ヶ浜さんはちゃんと頑張ると言ったのよ?ならば私たちがそれに応えなければいけないでしょう?」

 

あぁ、そっか。雪乃はこういうやつなんだ。

ちゃんと誠意を見せたやつは、なにがあっても絶対に見捨てたりしない。

 

「そうだな。でもその前に、なんか飲み物あった方がいいよな。買ってくるから、なにがいい?」

 

「『野菜生活100いちごヨーグルトミックス』でお願い」

 

「はいよ。由比ヶ浜は?」

 

「えっ、あたし?いいよ、なんもいらない」

 

「そうか……」

 

リア充はこういう時、喜んでパシらせるものかと思ったが、こいつはそうでもないらしい。

雪乃の正論もちゃんと受け止めたし、案外良い奴なのかもしれない。

 

『ねぇねぇ雪ノ下さん』

 

教室の中から声がした。

由比ヶ浜が雪ノ下に話しかけているのだろう。

少し気になったから、立ち止まってみた。

立ち止まっただけだから、立ち聞きではないはすだ!

 

『何かしら?』

 

『雪ノ下さんって、ヒッキーと仲良いよね?いつから仲良いの?』

 

『小学6年の時、初めて話したわ』

 

『へぇ。……あのさ、雪ノ下さんってヒッキーのこと、好き?』

 

え?ちょっとなに聞いてるんですか、由比ヶ浜さん!

それ、嫌いって言われたら、どうすりゃいいんだよ。

逃げたい、けど、き、気になる。

 

『そうね、す、好きね//』

 

え、マジ?

嘘、なに、これ俺がドア越しに聞いてること前提で話してるの?

嘘告白みたいな?

 

『そっか……じゃあさ、告る予定とか、ある?』

 

『ないわ』

 

即答かよっ!

俺から行くしかないのか……でも、俺のこと、好きって言ってくれてるしな。

 

『なんで?』

 

『だって私、彼に嫌われているもの』

 

は?え、今なんて?え?俺が、雪乃のことを嫌ってる?

 

『え?なんでそう思うの?』

 

『思うじゃなくて、事実なのよ。小学校の卒業式の日に、くつ箱に手紙が入っていて、そこに、私のことが嫌いだって書いてあったの』

 

『え?でも、ヒッキー全然そんな感じじゃないじゃん』

 

『多分、忘れてしまっているのよ。それだけ、彼にとっては、どうでもいいことだったのよ。……でも、私は忘れない。絶対に。簡単に忘れられることではないし、忘れてはいけないから……』

 

『そう、なんだ……。そういえば、ヒッキー遅いね』

 

やべっ。俺飲み物買って来る予定だったんだ。

ダッシュで行って来なきゃな。

 

 

走っている最中も、ずっとさっきのことを考えていた。

 




書いているうちに、どこで切ればいいのか分からなくなって、長くなってしまいました。
今回も読んでくださりありがとうございます。


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彼女は少し彼が気になる

雪乃と由比ヶ浜の話で分かったのは、「俺は卒業式の日に雪乃宛てに、雪乃のことが嫌いだという内容の手紙をくつ箱に入れた」ということだ。

そして、このことが違うと証明しない限り、雪乃はずっと俺に対して疑念をいだき続けるだろう。

 

さて、どうやって証明するか。

正直誰がやったのかなんて、見当がつかない。俺を恨んでいて、雪乃を嫌ってた奴は沢山いるからな。

どうせ、俺と雪乃を離せば、二人が一人になって、もっとイジメやすいとか、そんなんで書いたんだろうが。

 

そもそも同じ小学校で名前が分かるのが葉山しかいないし。でも、もしも葉山だったとすると、葉山がやる理由が分からん。

いや、理由はなんとなく分かるな。俺と雪乃を引き離したかったのか。

でも、わざわざそんな手紙を書かなくても、雪乃が留学することは分かっていたのだから、雪乃にバレたときのリスクを背負ってまでやらないはずだ。

――やっぱ葉山はやらないだろう。

 

となると、俺の手に負えないな。誰かに協力してもらわなければ。まぁ、葉山以外に頼れる奴などいないが。

葉山には頼りたくないなぁ。

せめて、なにか弱みを握ってやれば色々とこじつけられるんだが。

 

そんなことを考えていたら、自動販売機に着いた。

とりあえずお金を入れて、マッ缶と野菜生活を押す。

さて、由比ヶ浜は何にするか。本人はいらないと言っていたが、3人中2人飲んでいるのに、1人だけなにも無いというのは可哀想だ。流石俺。一人の気持ちがよく分かる。

悩んだが結局男のカフェオレを買うことにした。

 

 

 

「遅かったわね」

 

家庭科室に戻ると、少し不機嫌そうに雪乃が言った。

恐らく由比ヶ浜を構うのが大変だったのだろう。

 

「わりぃわりぃ。なににするか迷ってな」

 

適当に誤魔化しながら、雪乃と由比ヶ浜に、買ってきた飲み物を渡す。

 

「え、あたしいらないって言ったんだけど……」

 

「ん?あぁ、流石に可哀想だろ」

 

「でも……」

 

「いいんだよ。女子の前ではカッコつけたくなっちゃう症候群なんだよ」

 

「そっか。ありがとね、ヒッキー!」

 

「お、おう//」

 

あっぶねー。うっかり惚れそうになるところだった。俺は雪乃一筋だからな。

そう思って雪乃を見ると、まだ不機嫌そうだった。

 

「どうしたんだ、雪乃」

 

「どうもしていないわ。ただ…由比ヶ浜さんには随分と優しいのね」

 

おっ、こいつ嫉妬してんのか?可愛いな。ちょっとからかってやるか。

 

「まあな。うちの妹もよく言ってんだよ。ポイント高いってな」

 

「そう……」

 

そう言って雪乃はそっぽ向いてしまう。

しまった。少しやり過ぎたか。

完全にいじけてしまっている。

なにかフォローしといた方が良さそうだな。

 

「雪乃にだって買ってきただろ?どうだ、ポイント上がったか?」

 

「下がったわ」

 

なんでだよ⁉

あ、俺がからかったからか。

 

「すまん、すまん。雪乃が可愛かったから、ちょっとからかっただけだって」

 

こういうときは、正直に謝った方がいいんだよな。

 

「かわ、いい?」

 

「あぁ、そうだよ」

 

「そ、そう//」

 

またそっぽ向いてしまう。

でも、機嫌が悪い訳ではなさそうだ。

雪乃の顔が赤くなっている。

 

「あの…あたしもいるんだけど……」

 

「んんっ、それでは、これを処理しましょうか」

 

雪乃がなんとか平静を装って話題を変える。

 

「処理ってひどくない⁉」

 

まぁ、確かに酷いが、的確だから反論できない。

 

「じゃあ、たっ、食べましょうか」

 

雪乃がクッキーを食べたくなさそうにしている。

ここで雪乃に食べさせるのは、男としてだめだ!

あえて俺が犠牲になって、雪乃には指一本触れなくてよくするのだ、比企谷八幡!

 

「俺が食べるよっ!」

 

すると、雪乃がジト目で俺を見てくる。

 

「そんなに由比ヶ浜さんのクッキーが食べたいのかしら?」

 

は?いやいや違いますけど。なに由比ヶ浜も嬉しそうな顔してんの?誤解だ〜。

 

「ホント?ヒッキー、これ、食べたいの?」

 

上目遣いでそんなこと聞かれたら否定したくてもできねぇー。さあどうする。

 

「いや、別に、そんなんじゃ……」

 

視線をそらしてしまった。しかも変なところで終わらせたし。

 

「そう、なら全部食べてくれるのね?楽しみなんでしょう?それくらい、平気よね?」

 

違うんですぅ。雪乃さん、誤解なんですぅ。

ていうか、なんでニッコリ笑ってそんなこと言うの?つい全部食べそうになっちゃうじゃん。

 

「いや、だからそんなんじゃ、ないって……」

 

弱々しい反論しかできない。負けたな、この戦い。

 

「そう?まんざらでもなさそうだけれど」

 

それはお前の笑顔見たからだよっ。とは、恥ずかしすぎて言えない。いやこれは本当なんですけどね。

でもこのままだと、なんちゃってクッキーを全部食べさせられるし……。

 

「ヒッキー、嫌だったら、食べなくていいよ?」

 

そんな涙目で言われると、ざ、罪悪感が。

てか俺が食べなかったら全部雪乃が食べることになんじゃん。

それだけは、なんとしても阻止しなければ……

 

「あっ。これは一旦おいといてさ、まずは雪乃のお手本見てみたらどうだ?」

 

素晴らしい作戦だ。これでなんちゃってクッキー食べなくて済むし、なにより雪乃の手作りクッキーが食べられる。

 

「そうだよっ!あたしも、雪ノ下さんの手作りクッキー食べたい!」

 

ナイスだ由比ヶ浜。雪乃は純粋な押しに弱いからな。

 

「え、えっと。ま、まあ。いい、けど……」

 

「「やったぁー!」」

 

つい叫んでしまった。

 

「なぜ比企谷君まで喜ぶの……」

 

え、俺にも味見させてくれるよね?

なに、俺だけ仲間外れなの?

 

「いや、俺にも……」

 

「あなたにも?」

 

「えっと…」

 

「最後まで言ってくれないと分からないわよ?」

 

くそっ、俺が、雪乃の手作りクッキーが食べたいすら言えないヘタレやろうだと思ってるな?言ってやるよ、言ってやるさ!

 

「あ、えっと…その、ゆっ、雪乃が作った…クッキー、食べたい、です」

 

ナニコレ、めっちゃ恥ずかしいじゃん!

ヤバい、恥ずかしすぎてまともに雪ノ下の顔を見れん。

 

「わっ、私をからかうから、こっ、こういう、こ、ことに、なるのよ。反省、する、ことね」

 

「あ、ああ」

 

いや自分も照れんならやるなよ。

可愛いけど。

 

「えっと、二人、本当に仲良いんだね……」

 

なんか気まずい。

どうすんだよ。クッキーどころじゃないぞ。

 

「あー、ていうか、なんで由比ヶ浜上手いクッキー作りたいの?」

 

「え?なんでって……」

 

「どういうこと?」

 

「十分後ここへ来てください。俺が本当の手作りクッキーを教えてやる」

 

「なにそれ……」

 

 

 

雪乃と由比ヶ浜を教室の外に出す。

俺は特にやることがないから、適当に時間をつぶす。

 

『雪ノ下さんとヒッキーめっちゃ仲良いじゃん!』

 

廊下から声がする。

バリバリ聞こえてんだけど。

 

『そ、そうかしら。でも、比企谷君が本心で話しているかは、分からないし……』

 

『いやいや、ヒッキー絶対雪ノ下さんのこと好きでしょ』

 

ばっか、何言ってんだよ!

俺まだそんなこと言えてないのに、先に言いやがって…

 

『……』

 

『いいなぁ、幼なじみって』

 

『幼なじみ?』

 

『あ、雪ノ下さんとヒッキーのことだよ?なんか、めっちゃ仲良いじゃん、羨ましいなって』

 

幼なじみ、か。なんかいいな。確かにそうかもしれない。まあ、葉山には負けるけど。

 

『羨ましい、の?』

 

『雪ノ下さんは嬉しくないの?』

 

『私は………。私は、嬉しい、わ』

 

『そっか。ヒッキーもう終わったかな。おーい、もう入っていい?』

 

「あ、ああ。いいぞ」

 

『雪ノ下さん、行こっ?』

 

『えぇ』

 

 

そう言いながら入って来た雪乃は、少し顔が赤かった。

 

 

 

 

「ナニコレ、あんま美味しくない」

 

そう言ったのは、由比ヶ浜だ。

お前のよりはましだよ。ていうか、由比ヶ浜が作ったのに、砂糖をまぶして見た目を少しましにしただけだけどな。

ちなみに雪乃には食べさせていない。

だって、自分で作ったものは自分で処理してもらわないとねっ!

 

「そっか、じゃあ、捨てるわ」

 

「いや、別に捨てなくても…言うほどまずくないし!」

 

どっちなんだよ。てか、マジか!あのクッキー言うほどまずくないのか?

 

「そうか、まぁ、お前が作ったクッキーなんだけどな」

 

「どういうこと?」

 

「そうだな…例えば、雪乃が俺にクッキーを作ってくれたとする。ものすごく頑張ってくれたのがめっちゃ伝わるんだ」

 

「なにその例え。ヒッキー言ってて悲しくなんないの?」

 

そのマジで引いてるって感じの目やめて!

遠回しに「雪乃の手作りクッキー食べたい!」って言おうとしたんだが。

だって、さっき雪乃が作ってくれる雰囲気だったじゃん!

 

「ひ、比企谷君は…その……わっ、私の手作りクッキーを、食び、食べたいの?」

 

かみっかみで、顔を真っ赤にしながら聞いてくる。

 

「あ、いや、その、なんというか、ほら、あれだ……」

 

ヤバい、素直に言えない。

 

「食べたく、ないの?」

 

な、なんだと?上目遣い、だと?

破壊力がヤバすぎる。

 

「食べたいです。ぜひ作ってください」

 

ふー、即答してしまったぜ。

 

「あの、話の続きは?」

 

由比ヶ浜がウザそうな目で見てくる。

 

「あっ、そうだったな。えーと、まぁ頑張ったのが伝わるってどこからだな」

 

「もし、仮に、美味しくないとする。だけど、貰った側からすりゃあ、貰えたってだけで嬉しいの。男心は単純だからな」

 

もし雪乃からクッキーを貰えたら惚れる自信がある。あ、もうすでに惚れてた。

 

「……ヒッキーも、単純?」

 

「めっちゃ単純だぜ」

 

なにせ雪乃と話して一瞬で惚れたからな。

 

「そっか。雪ノ下さん、もういいや。あたし、自分の力でやってみる。じゃあね」

 

由比ヶ浜は帰っていった。エプロン姿のまま。

すると、雪乃が由比ヶ浜を追いかけ、エプロンを持ってきた。

 

「あいつバカだな」

 

雪乃からの返事がない。

雪乃の方を見ると、由比ヶ浜から取ってきた、エプロンをつけていた。

 

「えーと、雪乃さん?」

 

「なにかしら」

 

「俺のためにクッキー作ってくれんの?」

 

「〜〜っ!べ、別に、そういうのじゃ、なくて……」

 

語尾になるに連れて、弱々しくなっていく。

 

「そうか」

 

「そういう訳でもなくて……」

 

「じゃあ、どういう訳なんだ?」

 

「えっと、その…謝罪の証というか、遅くなったこともあれだし、なにもしなかった私にも責任があって……」

 

「別に大丈夫だぞ。本人納得してたじゃねぇか」

 

「え?納得してたの?」

 

「聞いてなかったのか?」

 

「あ、私、海外に――」

 

「ま、なんかあったらまた来るだろ。そん時はもっと仲良くしてやれよ」

 

「な、仲良くはできないと思うけど……」

 

「そんなこと言ってやるなよ。あいつ多分お前のこと好きだぞ?」

 

「?そんな訳ないじゃない」

 

「気づいてないのかよ」

 

せっかく新たな友だち候補に由比ヶ浜が入ったというのに、鈍感なやつだな。

 




由比ヶ浜と話して、少しだけ雪乃は比企谷との距離を縮めていく感じを書きたかったのと、最後のやり取を入れたくて、長くなってしまいました。

お気に入りとUAがどんどん増えています。
ありがとうございます。


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彼女はなんだかんだで押しに弱い

 

「こんにちは」

 

俺が部室に入ると、雪乃は笑顔で挨拶してくれる。

 

「ん、おはよ」

 

そう返事をすると、雪乃は満足そうに頷いて、また読書に戻る。

 

「そいえばすっげー今更なんだが、ここって何する部活なんだ?『奉仕部』とか言ってたけど、まさか人助けするなんてことはないよな?」

 

「あら、今あなたが言った通りなのだけれど」

 

「は?マジかよ」

 

なんで知らん奴のために俺が動かないといけないんだよ。雪乃がいなかったら即退部してたぞ?むしろ入部すらしてなかったまである。

 

「やっはろー」

 

戸がいきなり開いて、うるさ、賑やかな奴が入って来た。

 

「…何か?」

 

雪乃があからさまに不機嫌に言う。

 

「えっ、私歓迎されてない?もしかして雪ノ下さん、私のこと…嫌い?」

 

「別に嫌いではないわ。…ちょっと苦手かしら」

 

「それ女子言葉じゃ同じだからねっ!」

 

由比ヶ浜があたふたとしていた。

こいつ見た目はリア充だけど反応はいちいち普通の女の子なんだよな。

 

「で、何かようかしら?」

 

「や、あたし最近料理にはまってるじゃん?」

 

「じゃんって…初耳よ」

 

「で、こないだのお礼ってーの?クッキー作ってきたからどうかなーって」

 

さぁーっと雪乃の血の気が引いた。由比ヶ浜の料理といえば、あの黒々とした鉄のようなクッキーがまっさきに想起される。

俺も思い出しただけで喉と心が渇いてくる。

 

「あまり食欲がわかないから結構よ。お気持ちだけ頂いておくわ」

 

たぶん、食欲を失ったのは今この瞬間、由比ヶ浜のクッキーと聞いたからだろうが、それを言わないのは雪乃の優しさだろう。

だが、固辞する雪乃をよそに、由比ヶ浜は鼻歌まじりで鞄からセロハンの包みを取り出す。

可愛らしくラッピングされたそれは、やはり黒々としていた。

 

「いやーやってみると楽しいよねー。今度はお弁当とか作ってみようかなーとか。あ、でさゆきのんお昼一緒に食べようよ」

 

「いえ、私一人で食べるのが好きだからそういうのはちょっと。それから、ゆきのんって気持ち悪いからやめて」

 

「うっそ、寂しくない?ゆきのん、どこで食べてるの?」

 

「部室だけれど…、ねぇ、私の話、聞いてたかしら?」

 

「あ、それでさ、あたしも放課後暇だし、部活手伝うね。これもお礼だから気にしないでねっ!」

 

良かったな、雪乃。友達が増えて。

それはそうと、俺も一緒にお昼食べていいですか?

 

「あ、ヒッキー」

 

声を掛けられて振り向くと、顔の前に黒い物体が飛んできた。

反射的にそれを掴む。

 

「いちおーお礼の気持ち?ヒッキーも手伝ってくれたし」

 

見れば黒々としたハート形の何か。禍々しいな。そこはかとなく不吉だが、お礼と言うなら貰っておこう。

あと、ヒッキーって言うな。

 





読んでいただきありがとうございます。
今回は結構短めでした。


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彼の前に天使が現れる

 

月が替わると、体育の種目も変わる。

我が学校の体育は3クラス合同で、男子総勢60名を2つの種目に分けて行う。

今月からテニスとサッカーだ。

今年はテニス希望者が多かったらしく壮絶なじゃんけんの末、俺はテニス側に生き残った。

 

「うし、じゃあお前ら打ってみろや。二人一組で端と端に散れ」

 

そう先生が言うと、皆がペアを組んでコートの端と端へと移動した。

なんでそんなすぐに対応できるんだよ。周り見渡すこともなくペア組めるとかお前らノールックパスの達人なの?

俺のボッチレーダーが敏感に反応し、高まるボッチ機運を察した。

だが案ずるなかれ。こういう時のために生み出した秘策が俺にはある。

 

「あの、俺あんま調子よくないんで壁打ちしてていいっすか。迷惑かけることになっちゃうと思うんで」

 

調子がよくない+迷惑をかけるのダブル文句が相乗効果を発揮するうえ、体育自体のやる気はあることをさり気なく告げるのがポイントだ。

これぞ俺が長きに渡るボッチ体育生活の中でついに会得した究極の『好きな奴とペア組め』対策。

打球を追ってただ正確に打ち返すだけのまるで作業のような時間が続く。

周囲では派手な打ち合いでキャッキャッと騒ぐ男子の歓声が聞こえてきた。

 

「うらぁっ!おおっ!?今のよくね?ヤバくね?」

 

「今のやばいわー、絶対取れないわー、激アツだわー」

 

絶叫しながら実に楽しそうにラリー練習をしていた。

うっせーな死ねよと思いながら振り返ると、そこには葉山の姿のにもあった。

葉山はペア、というより4人組カルテットを形成している。クラスでもよくつるんでいる金髪の彼と後二人は誰だろう。オシャレオーラを振りまきながら、そこだけとても華やかな雰囲気だった。

 

「やっべー葉山くん今の球、マジやべーって。曲がった?曲がったくね?今の」

 

「いや打球が偶然スライスしただけだよ。悪い、ミスった」

 

「マッジかよ!スライスとか『魔球』じゃん。マジぱないわ。葉山くん超ぱないわ」

 

葉山のグループは騒いでいる印象が強いが、葉山自身が積極的に声を出しているのではなく、周りの連中がうるさい。

 

「スラーイスッ!!」

 

ほら、うるさい。

放たれた魔球は、全くスライスすることなく、葉山から大きく外れてコートの片隅、すなわち俺がいる場所に飛んできた。

 

「あ、ごっめーんマジ勘弁。えっと、えー……ひ、ヒキタニくん?ヒキタニくん、ボール取ってくんない?」

 

誰だよヒキタニくん。

訂正する気も起きず、俺はボールを拾い上げて投げ返してやった。

 

「ありがとな、比企谷」

 

葉山が朗らかに笑いながら俺に手を振ってきた。

おい、比企谷って分かってんだったら訂正しろよ。

 

 

 

 

 

昼休み。

いつもの俺の昼食スポットで飯を食う。特別棟の一階。保健室横、購買の斜め後ろが俺の定位置だ。

ちょうどテニスコートを眺める形になる。

べ、別に本当は部室で雪乃と一緒に食べたいけど、いきなり入って雪乃に「え?」って顔されるのが嫌なわけじゃないからね!

 

風向きが変わった。

その日の天候にもよるが、臨海部に位置するこの学校は、お昼を境に風の方向が変わる。朝方は海から吹き付ける潮風が、まるでもといた場所へ帰るように陸側から吹く。

この風を肌で感じながら一人で過ごす時間が俺は嫌いじゃない。

 

「あれ、ヒッキーじゃん」

 

その風に乗って聞き覚えのある声がした。見れば、由比ヶ浜が立っていた。

 

「なんでこんなとこいんの?」

 

「普段ここで飯食ってんだよ」

 

「ふーん」

 

心底不思議という顔をしている。

お前らが俺だけ誘ってくんないからじゃん。

分かったら早く誘ってね?なんなら今からでもいいよ。

 

「それよか、なんでお前ここいんの?」

 

「それそれっ!実はね、ゆきのんとゲームでジャン負けして、罰ゲームってやつ?」

 

「俺と話すことがですか」

 

何それひどすぎる。もう死んじゃおうかな。

 

「ち、違う違う!負けた人がジュース買ってくるってだけだよ!」

 

なんだー良かったーうっかり死んじゃうところだったわー。

 

「ゆきのん、最初は『自分の糧くらい自分で手に入れるわ。そんな行為でささやかな征服浴を満たして何が嬉しいの?』とか言って渋ってたんだけどね」

 

由比ヶ浜が雪乃のモノマネをしながら言う。死ぬ程似てねぇ。本当の雪乃のモノマネを見せてやるよ。

 

「まぁ、あいつらしいな」

 

「うん、けど『自信ないんだ』って言ったら乗ってきた」

 

「あら、由比ヶ浜さんも言うようになったわね。私に勝つ自信がないだとか、そんな言いがかりはやめてもらえるかしら。別に勝負しても構わないわよ?」

 

「そうそうそんな感じ!ってなんでヒッキーそんなモノマネ上手いの!?」

 

「企業秘密だ」

 

まさか鏡の前で練習してたなんて言えないよな。

 

「でさ、ゆきのん勝った瞬間、無言でガッツポーズしてて……もうなんかすっごい可愛かった……」

 

「由比ヶ浜、写真撮ってないか?」

 

「なんでそんなに必死なの……撮ってるわけないじゃん」

 

いやいや必死にもなるだろ。絶対可愛いじゃん。あー、見たかったな。

 

「あっ、さいちゃん。よっす」

 

テニス部員だと思われる子が来た。

 

「よっす。由比ヶ浜さんと比企谷君は何やってるの?」

 

「え?あ、いや別に?さいちゃんは練習?お昼とスクールと、体育もテニスだったよね。すごいね」

 

「ううん、好きでやってるから。そういえば比企谷君テニス上手いねー」

 

「いやぁー、照れるなー。で、誰?」

 

「はぁー!?同じクラスじゃん!」

 

「あ、えっと同じクラスの戸塚彩加です」

 

戸塚彩加か。なんか聞いたことがある気がする。

 

「いや、俺女子の知り合い雪乃くらいだから……」

 

男子は葉山くらいだし。

 

「あ、えっと、僕……男なんだけどな」

 

はっ!?

 

「性別間違えるって、ヒッキーさいてー」

 

「ああ、悪い」

 

でも、こんなに可愛いんだぜ?

女子かと思っちゃうじゃん。

 

「別に大丈夫だよ。それよりさ、比企谷君テニス経験者?」

 

「いや、初めて…ではないな。一度だけ体験に行ったことがある」

 

あの時雪乃が怪我したんだよな。結構ヤバい感じだったけど、どうだったんだろう。

 

「へぇー、ヒッキー習い事とかやってたんだ」

 

「いや一回だけな?そもそも俺が行ったのって、雪乃がいたから行っただけだし」

 

ん?戸塚、彩加?あれ、なんか…記憶が。

 

「ヒッキー?どうしたの?」

 

「あ、戸塚と俺って前に会ったことあったっけ?」

 

「えと、去年も同じクラスだったから……」

 

「ああ、もっと前」

 

「ない、と思うけど……」

 

「そう、だよな。変なこと聞いて悪い」

 

「あの、それでって訳じゃないけど、相談があって。比企谷君さえ良ければ、テニス部に入ってくれないかな?」

 

へ?

 

 

 

「だめよ」

 

雪乃さんはご立腹だ。

 

「まぁ、俺がテニス部のカンフル剤になって……」

 

「あなたは奉仕部よりもテニス部の方がいいの?」

 

「テニス部の方が良いって言ったらどうする?」

 

また可愛い雪乃が見れそうなので、ちょっとからかってみる。

 

「む〜。いやよ。だめなのっ!」

 

おお、感情だけで話す雪乃か。これはレアだぞ。

 

「けど、戸塚の悩みだし……」

 

「戸塚君と私、どっちを取るの?」

 

ぐはぁ!なんだこの子、可愛すぎて脳が震える。

落ち着け、落ち着くのだー!

 

「もちろん雪乃に決まってるだろ!」

 

つい即答してしまった。

まぁこれはしょうがない。うん、だって可愛すぎるんだもん。

 

「そっ、そう//ならテニス部に入るのはなしね」

 

「まぁ、雪乃がそこまで言うなら」

 

突然、戸がガラッとあいた。

 

「やっはろー!」

 

お気楽そうな、元気のいい挨拶が聞こえる。

しかし、その後ろには、元気がなさそうな、シュンとした、可愛い子がいた。

 

「戸塚じゃないか」

 

「比企谷君っ!」

 

俺を見た瞬間、ぱぁっと咲くような笑みを見せる。

か、可愛い……

 

「比企谷君……」

 

雪乃が俺の袖を引っ張って、頬を膨らませている。

ナニコレ、戸塚と雪乃で両手に花?いや、戸塚は男だった。危ない危ない。

 

「さっき私を取るって言ったじゃない」

 

「あ、ま、まあそうだけど…ていうか、なんでここに?」

 

「今日は依頼人を連れてきてあげたの!」

 

いや、お前に聞いてないから。

戸塚の可愛い唇から聞きたかったのに……

 

「やー、ほら、なんてーの?あたしも奉仕部の一員じゃん?だからなんか貢献しようかと思って!そしたらさいちゃんが悩んでる風だったから連れてきたの」

 

「由比ヶ浜さん」

 

「いやー、お礼とか全然いいから。部員として、当たり前のことをやっただけだから!」

 

「由比ヶ浜さん、別にあなたは部員ではないのだけれど」

 

「違うんだ!?」

 

「えぇ、入部届けを貰っていないし、顧問の承認もないから――」

 

「書くよっ、入部届けくらい何枚でも書くよっ!」

 

「戸塚君は、どうしたの?」

 

「あっ、テニス部が弱い、から…その、強くしてくれるって……」

 

「はぁ…由比ヶ浜さんがどんな説明をしたのか知らないけれど、ここは生徒のお願いを叶える場所ではないわ」

 

その言葉を聞いて、戸塚がまたシュンとなってしまう。

 

「え?でもゆきのんならできるよね?」

 

あ、それ雪乃に言っちゃうと……

 

「あら、別にできないなんて言ってないわよ?いいでしょう。戸塚君、あなたの依頼受けるわ」

 

ほらね?変なスイッチ入るんだよなぁ。

 

 

 

 

テニスコートにはすでに、雪乃と由比ヶ浜がいた。

雪乃は制服で、由比ヶ浜はジャージだ。

 

「えっと、よろしくお願いします」

 

戸塚が律儀に挨拶をする。

やっぱ天使だ。

 

「えっと、俺からも一ついいか?」

 

「どしたの、ヒッキー」

 

「なんで雪乃制服なの?せっかくジャージ姿見れると思ったのに!J組と合同体育ないんだぞ?」

 

「う、うわぁ」

 

「大丈夫よ、由比ヶ浜さん。そこのはほっといて、始めましょうか」

 

そう言って雪乃は戸塚と由比ヶ浜に指示を出し始める。

 

「ちょっと雪乃さん?スルーですか?」

 

「J組と合同体育がないのは由比ヶ浜さんたちだって同じなのよ?つまり私のジャージ姿はレアなの。それなのに、みんながいる前で着ていてもいいの?」

 

「えっ、つまり、俺の前で、俺のためだけじゃないと着ないってこと?」

 

「べっ、別にそんなこと、言ってない、けれど…だって、さっきから戸塚君ばかりだし……」

 

く、クリティカルヒット!

ヒッキーはキュン死した!

って誰がヒッキーじゃ!

 

「まぁ、戸塚は可愛いからな」

 

戸塚と由比ヶ浜の方を見る。

 

「んっ……くっ、ふぅ、はぁ」

 

「うぅ、くっ……んあっ、はぁはぁ、んんっ!」

 

押し殺した吐息が漏れてくる。苦悶に顔を歪めながら、薄く汗を掻き、頬は上気している。

戸塚の細い腕ではかなりきついのか、時折すがるような視線を俺に向けてくる。下からゆっくりと見つめられると、何というかその……奇妙な気分になる。

由比ヶ浜が腕を曲げると、体操服の襟元から、眩しい肌色がチラっと覗く。いかん。直視できない。

さっきから俺の心拍数がやたら上がっていて、これはもう不整脈の可能性がある。

 

「……あなたも運動してその煩悩を振り払ったら?」

 

振り返ると、雪乃が心底蔑んだ目で俺を見ていた。

 

「えっと…怒ってる?」

 

「別に怒ってないわ。あなたが誰に興味を持とうと、好きになろうと私には関係ないもの」

 

そんなこと言わないでぇ〜。

がばばっと、ものすっごい勢いで腕立て伏せを始める。すると、雪乃はわざわざ俺の正面に回り込む。

 

「そうやってると、斬新な土下座に見えないこともないわね」

 

そう言って、クスッと笑う。

いいこと思いついた!

俺は腕立て伏せにあわせて雪乃に謝り倒す。

すると雪乃のツボにハマったようだ。

 

「ふふっ、ふっ、な、何を、ふふっ」

 

「ヒッキーとゆきのん喋ってばっか!」

 

アホの子に怒られてしまった。

 




材木座はとばしてしまいました。
もっと後で出番を作ります。

嫉妬しているゆきのんって可愛いよね、ということで、今回は嫉妬が多めでした。
ただ、嫉妬する相手が戸塚しかいなくて、男子に嫉妬するという珍しい嫉妬の仕方になってしまいました。

読んでくださりありがとうございました。


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彼女は強いけど弱い

 

そんなこんなで日々が過ぎ、俺たちのテニスは基礎代謝を終えて、いよいよボールとラケットを使った練習に入った。

 

雪乃は木陰で本を読み、ときどき思い出したように戸塚の様子を見ては激を飛ばす。

由比ヶ浜は最初こそ戸塚と一緒に練習していたが、すぐに飽きて雪乃の肩で眠っていた。

由比ヶ浜さん、場所代わってください。俺も雪乃の肩で寝たい。

 

そんなことを考えていたら、いつの間にか起きていた由比ヶ浜が、雪乃の指示のもと、ボールカゴをえっちらおっちら運んでいる。

それを次から次へと、ポイポイ放り投げては戸塚が必死に食らいついていた。

 

「由比ヶ浜さん、もっとあの辺とかその辺とか厳しいコースに投げなさい。じゃないと練習にならないわ」

 

雪乃は本気で鍛えていた。

 

「うわ、さいちゃん大丈夫!?」

 

戸塚が転んでしまった。

あぁ、あの可愛い足に傷が……

 

「大丈夫だから、続けて」

 

それを聞いて雪乃は顔を顰めた。

 

「まだ、やるつもりなの?」

 

「うん、みんな付き合ってくれるから、もう少し頑張りたい」

 

「そ。じゃあ由比ヶ浜さん。後は頼むわね」

 

そう言ったきり、雪乃はくるっと踵を返すと、スタスタと校舎の方へと消えてしまった。

 

「もしかして、呆れられたかな…全然上手くならないし」

 

「それはないと思うよ。ゆきのん、頼ってくる人を見捨てたりしないから!」

 

「あ、テニスしてんじゃん、テニス!」

 

キャピキャピとはしゃぐような声がして、振り返ると葉山と三浦を中心にした一大勢力がこちらに向かって歩いて来た。

 

「ね、戸塚ー。あーしらもここで遊んでいい?」

 

「三浦さん、ぼくは別に、遊んでるわけじゃなくて…練習を…」

 

「え、何?聞こえてんだけど」

 

戸塚の小さすぎる抗弁が聞こえなかったのか、三浦の言葉で戸塚は押し黙ってしまう。

 

「あー、悪いんだけど、このコートは戸塚が許可取って使ってるから、部外者は無理なんだ」

 

「は?何言ってんの?キモいんだけど。てか、あんただって部外者じゃん」

 

「まぁまぁ、ケンカ腰になるなって。こうしないか。部外者同士、ここでいう俺と比企谷が勝負する。比企谷が勝ったらテニスコートは諦める。でも、俺が勝ったら比企谷には一つ諦めてもらう」

 

一つ諦める、ね。雪乃のことか。

そもそもそんな条件釣り合いが取れていない。

俺が負けたときのリスクが大きすぎるのに、勝ったときのリターンが少ない。

 

「ちょ、隼人?それじゃテニスコートが」

 

「すまない、優美子。だけど俺は決着を着けたいんだ。……5年前の勝負、覚えてるか?」

 

「覚えてるに決まってんだろ。でもあの時は何も賭けていなかった」

 

「俺はあの時からずっと君を負かすことばかり考えていたよ」

 

「知るかよ。そもそもそんな条件で受けると思ってんのか」

 

「じゃあどうすればいいんだ」

 

分かってるくせに、うぜぇ。

 

「お前は、雪乃を諦めろ」

 

「「!?」」

 

葉山と三浦が驚く。

 

「そんなの、釣り合いの取れていない……」

 

「じゃあなしだ」

 

「……」

 

「隼人!?なんで受けないの?雪ノ下さんくらい――」

 

「私がどうかしたのかしら?」

 

「ゆ、雪乃!?今の話、聞いてたか?」

 

「三浦さんの話から聞いていたわ」

 

ああ、びびったー。

聞かれてたら恥ずかしすぎて八幡死んじゃう。

 

「ユキノシタさん?あんたさぁ、あーしと勝負しない?隼人を賭けて、さ」

 

うわー、三浦攻めたな。

さっき葉山が俺の勝負を受けなかったからか。

 

「どうして私が隼人くんを賭けないといけないの?」

 

「なんで隼人のこと名前でっ」

 

「あなただって名前で呼んでいるじゃない」

 

「あーしはっ、同じ…クラスだし」

 

「同じクラスじゃないと名前で呼んではいけないの?」

 

「雪乃、落ち着け」

 

「私は落ち着いているわ。落ち着いていないのは、三浦さんと隼人くんでしょう?」

 

正論ごもっとも。

でもこうもしないとゆきのん攻撃やめないんだも〜ん!

 

「比企谷、それはできない」

 

「は?え、あ、ああ、別にいいけど」

 

さっきの勝負のことかよ。

断るの遅すぎだろ。

 

「優美子、もう行こう」

 

「でっ、でも……」

 

「私は勝負しても構わないわよ」

 

「もういいっ!」

 

そう言って葉山と三浦は帰っていった。

 

「え、ええと。あっ、そうだ!みんなで勝負しない?」

 

「あっ、それいいね。ぼくも雪ノ下さんがどれくらい上手いのか知りたい!」

 

「私は…構わないわ」

 

雪乃がやるなら俺もやるしかないな。

 

「よし、チーム戦でやろう。負けた方が勝った方のお願いをなんでも聞く。俺は戸塚とチームな」

 

「じゃああたしはゆきのんだね!」

 

「はぁ、私は別にいいけど、戸塚くんはいいかしら?」

 

「えっと、負けた方が勝った方のお願いをなんでも聞くって、なんでも、なの?」

 

「ああ、なんでもだ」

 

「うーん、まぁ、いいけど」

 

 

 

 

 

勝負は圧倒的だった。

正直雪乃をなめていた。

あの時は陽乃さんが強くて、雪乃が強いようには見えなかったのだが、まさかここまで強いなんて。

 

「ゆ、ゆきのんすごっ」

 

「由比ヶ浜さん、後は任せてもいいかしら」

 

「え?まあ、いいけど」

 

こうして俺と戸塚チームはあっけなく負けた、のだが…

 

「ゆきのん!?」「雪乃!?」「雪ノ下さん!?」

 

3人の声が重なった。

雪乃が急に倒れたのだ。

 

「ゆきのん、どうしたのっ!?」

 

「……少し、自慢話をしてもいいかしら。私、何でもできたから、何かを継続してやったことがないの」

 

「えっと、どういうこと?」

 

「……体力だけは自信がないの」

 

おい。

そういえばあの時もすぐにヘロヘロになってたな。

 

「つまり…疲れたってこと?」

 

「た、端的に言えばね」

 

「もう、びっくりした。急に倒れるんだもん!」

 

俺もマジでびびった。

 

「少し休めば平気よ。先に戻ってもらって構わないわ」

 

「戻れるわけないじゃん!あたしゆきのんが心配になってきたよ」

 

「あはは。でも、雪ノ下さんって、意外と弱点があるんだね。なんか、強いイメージだったから」

 

「まぁ、そこがいいんだけどな」

 

ときどき見せるあどけない感じとか、マジでたまらん。

 

「でさ、なんでもお願い聞くってやつは?」

 

もう、なんで気づいちゃうの?

せっかく話それてたのに。

 

「えっと、雪ノ下さんと由比ヶ浜さんは、何かお願いある?」

 

「あたしは……えっと、ゆきのんは?」

 

「私は正直この疲れをどうにかしてほしいわね」

 

いや、無理だろ。

てかなんでも聞くって言ってんのに、本当にそんなお願いだったら泣くよ?

 

「それは…ちょっと難しいかな」

 

ほら、戸塚も苦笑いしてんじゃん。

でもついついそんなお願いをしちゃうゆきのん、超可愛い。

 

「ヒッキー、顔が変だよ?」

 

「いや普通にひどいな。で、由比ヶ浜はなんかあんの?」

 

「え、えっと…あっ、この4人で勉強会とか?ほら、もうすぐ試験だし!」

 

「わぁ、楽しそうだねっ!」

 

戸塚が目をきらきらと輝かせている。

うっ、眩しくて直視できない!

 

「それって、私も参加しなければいけないの?」

 

「ゆきのん来ないの?」

 

「だって私は勝った側だもの。お願いを聞く理由はないわ」

 

「えっ……」

 

由比ヶ浜が捨てらてた子犬のような顔になる。

しょうがない、助け舟を出してやるか。

べ、別に雪乃と戸塚に囲まれて勉強したいだなんて思ってないからねっ!

 

「参加したらいいじゃん。由比ヶ浜に勉強教えてやれよ」

 

「ぼ、ぼくも教えてほしいな。ほら、国語とか」

 

なにっ、国語だと?

文系科目は任せろ!

 

「戸塚、国語なら学年3位がここにいるぜっ!」

 

「学年1位は私よ」

 

「へっ?」

 

ああ、これ以上上にいけない気がしてきた。

 

「そうね、私も勉強会参加しようかしら」

 

「やったぁ!ゆきのんとサイゼだ!」

 

「それで、雪ノ下さんのお願いは?」

 

「私は……」

 

みんなが雪乃を見る。

しかし雪乃は恥ずかしそうにうつむいている。

 

「あ、メール交換しない?」

 

いきなり由比ヶ浜が入ってきた。

 

「あ、それいいな」

 

これは雪乃とメールを交換するチャンス!

 

「じゃあ教室戻ろっか。あ、あたし携帯持ってくるから、先戻ってて」

 

「分かったわ」

 

「ぼくも携帯もってくるねから。じゃあ、後でね」

 

 

 

 

部室に着いた。

コンコンコンコン

 

一応ノックをしておく。

着替え中だったらあれだしね!

 

「はい」

 

返事が聞こえたので、戸を開ける。

 

「「あ」」

 

思いっ切り着替え中だった。

 

「まて、俺は悪くないよな。ちゃんとノックしたし、返事だってもらった」

 

「……由比ヶ浜さんだと思ったのよ」

 

「そうか……」

 

そう言って、雪乃をまじまじと観察する。

ブラウスの前ははだけ、薄いライムグリーンの下着がチラついている。下は未だスコートのままだが、そのアンバランスさが均整の取れたほっそりとした身体を引き立てている。

俺に見られるのが恥ずかしいのか、時折身体をよじる。

その姿を見て、つい呟いてしまった。

 

「やっぱ胸ないな」

 

「比企谷君、今すぐ出ていってもらえないかしら。通報するわよ」

 

声がマジだったので、慌てて外へ出る。

 

「禁句だったか」

 

「あ、ヒッキー。ゆきのんいる?」

 

「ああ、いるけどちょっと――」

 

慌ててとめようと、由比ヶ浜の腕を掴んだが、時すでに遅し。

ドアが開いてしまった。

 

「「「あ」」」

 

「ヒッキーさいてぇっ!」

 

「ぐはぁ!」

 

由比ヶ浜に思いっ切り腹を殴られた。

なんでお前が殴るんだよ。

そして由比ヶ浜はすぐに部屋に入ってしまう。

女子同士はいいのか……

 

するとすぐにドアが開いた。

 

「比企谷君、大丈夫?」

 

こんなときでも俺の心配してくれるなんてゆきのんマジ天使。

あれ、ここ天国?

 

「えっと、ごめんね?」

 

「そうだよ、なんで由比ヶ浜に殴られてんだよ。雪乃に殴られたかった」

 

「ごめん…ってそこ!?ヒッキーもしかして、ゆきのんのときだけドM」

 

ちょっと、マジのトーンやめてよね。

さっきの雪乃並に怖いから。

むしろ一周回って可愛いまである。

そういえばさっきの失言は許してくれたのだろうか。

 

「ドMじゃねーよ。雪乃は信じてくれるよな?」

 

「えぇ、信じているわ。だから早くどいてくれないかしら、M谷くん?」

 

「信じてもらえてねぇー!」

 

 

 

 

 




読んでくださりありがとうございます。
お気に入りがもうすぐで100件を超えそうです。
いつも読んでくださっている方のおかげです。


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番外編 由比ヶ浜結衣と雪ノ下雪乃のメールのやり取り

『やっはろー!(^∇^)ノ♪やっとゆきのんと

 メール交換できたね!(*´ω`*)』 19:20

 

『勉強会楽しみだね!(≧▽≦)

 ゆきのんサイゼ好き?(~‾▿‾)~』  19:30

 

『おーい!( ≧Д≦)』  19:55

 

 

 

      『ごめんなさい。

       気が付かなかったわ。』  20:47

 

 

 

『良かったぁ(~ ̄³ ̄)~

 無視されてるのかと思った(─.─||)』  20:48

 

 

 

『そんなことしないわよ。

 由比ヶ浜さんは随分と返信が素早いのね。 

 慣れているのかしら。』  21:15

 

 

 

『まあね!ᕙ( ͡° ͜ʖ ͡°)ᕗ

 あたしクラスとなると、常に携帯チェック

 してるから!♪ヽ(・ˇ∀ˇ・ゞ)』  21:15

 

 

 

  『それは良いことではないと思うけれど』

                 21:18

 

 

 

『今ゆきのん返信速かった!(´⊙ω⊙`)!』  21:18

 

 

 

 『姉から電話がきたのよ。

  だからたまたま気が付いたの。』  21:36

 

 

 

『ゆきのんおねーさんいたんだヽ༼⁰o⁰;༽ノ

 てか、家にいるのに電話?ಠ_ʖಠ』  21:37

 

 

 

    『私、一人暮らしなの。』  21:59

 

 

 

『え、すごっ!(((;ꏿ_ꏿ;)))

 てか、電話かかってくるって、仲良いの?⊙﹏⊙』

                  22:00

 

 

 

『仲が良い訳では無いわ。

 出ないとなにをしてくるか分からないから』

              22:18

      

    

 

『何それこわっ(ꏿ﹏ꏿ;)

 ねーね、なんか試験の問題出して(。・ω・。)ノ♡』

                 22:19

 

 

 

     『第一問

      音の大きさについて

      発音体の振動の幅を何というか』

                22:25

 

 

 

『え、幅じゃないの?(。ŏ﹏ŏ)』  22:25

 

 

 

     『このくらい、中学生でも解るわよ。

      小学生だって、解る人は解るわ。』

                22:27

 

 

 

『うぅ…(༎ຶ ෴ ༎ຶ)

 そいえばゆきのん返信速いじゃん!ヘ( ̄ω ̄ヘ)』

                 22:27

 

 

 

     『すぐに答え合わせが出来るように

      待っていたのよ。』  22:36

 

 

 

『ホント!?嬉しい!✧\(>o<)ノ✧

 じゃあ次は絵文字使ってみよっかฅ^•ﻌ•^ฅ』  22:37

 

 

 

 『何がじゃあなのか分からないのだけれど』

               22:49

 

 

 

『いいからいいから(♡ω♡ ) ~♪』  22:49

 

 

 

『由比ヶ浜さんは遊んでいる余裕があるのか

 しら。

 あんな問題も解けていないのに╮(╯_╰)╭』

              22:57

 

     『こんな感じかしら。』  22:57

 

 

 

『ゆきのんひどいっ!.·´¯`(>▂<)´¯`·.

 でも使ってくれてありがとね( ꈍᴗꈍ)』  22:58

 

『おーい、ゆきのん?(。•́︿•̀。)』  23:27

 

『もしかして怒こっちゃった?Ó╭╮Ò』  23:55

 

『メール、楽しくない?。:゚(;´∩`;)゚:。』  0:26

 

『気が向いたら連絡してね』  0:27

 

 

『怒ってないわ。寝ていたの。ごめんなさい。

 それと、楽しくない訳では無いわ。

 偶にはこういう日があってもいいわね( ◜‿◝  )♡』

               6:25

                     

 

 

『ゆきのん!(●♡∀♡)

 朝早すぎ……(٥↼_↼)』  10:10

   



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彼女のお願い

 

「あ、比企谷君、おはよう」

 

教室に入ると、天使が声をかけてきてくれた。

 

「お、おう」

 

「あのさ、比企谷君は職場見学の場所決めてる?」

 

職場見学?

そんなもんあったっけか?

 

「あー、まだ考えてるとこだ」

 

「そっか。あ、今日みんなで勉強するって」

 

そういえば前言ってたな。

 

「了解だ。サイゼだったよな」

 

「うん。楽しみだなぁ。雪ノ下さんに教えてもらえるなんて、すごいよね!」

 

うん、すごいと思う。

戸塚の可愛さが。

……本当に男なんだよな。

 

「僕、国語教えてもらいたいなぁ比企谷君も国語得意なんだよね?」

 

「ああ、国語だけな。数学は捨ててる。私立文系舐めんなよ」

 

「え、えっと……」

 

「いや、気にしないでくれ。数学に対するアンチテーゼだからな」

 

「そっか。諦めるのも大切だよね」

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

「え、えっと…」

 

「あ、あのさ」

 

「………なにかしら?」

 

俺たちは今、勉強会をしている。

と言っても、ただ黙々と勉強をしているだけだが。

 

「どうした?」

 

「なんか、思ってたのと違う……」

 

思ってたのと違うと言われても、由比ヶ浜が何を想像していたのかは分からない。

 

「由比ヶ浜さんはどういうのを想像していたのかしら?」

 

「出題範囲確認したり、分からないとこ質問したり、まぁ休憩も挟んで、後は相談したり、情報交換したり。偶には雑談もするかなぁ?」

 

勉強会なのに、何一つ勉強していない。むしろ、そんな奴ら邪魔じゃないのか。

 

「そもそも勉強というのは一人でやるものよ」

 

「あっ、あの、雪ノ下さん。質問があるんだけど……」

 

「どこ?」

 

「ここの問題で……」

 

そういえば、戸塚は雪乃に勉強を教えてもらうのを楽しみにしていたな。

 

「ほら、そういうのだよ!」

 

「いや、ただ教えてもらってるだけだろ」

 

「それが良いんじゃん」

 

「そもそも全部分かれば教えてもらう必要ないだろ」

 

「ヒッキーはゆきのんに教えてもらいたくないの?」

 

「雪乃、終わったら俺も聞きたい問題あるんだが」

 

「うっわ……」

 

由比ヶ浜が蔑んだ目で見てくる。

 

「比企谷君は文系科目得意でしょう?私が教える必要はないんじゃないかしら?」

 

「いやぁー、数学が全然分かんなくってなぁー」

 

「あれ、比企谷君数学捨てたんじゃなかったっけ?」

 

なに!?

思わぬところから切り返しがっ。

とつかぁ、可愛いから許す!

純粋で可愛いなぁ、俺が言ったことちゃんと覚えてくれて……。あ、なんか泣けてきた。

 

「い、いや、頑張って損はないだろ。それに、俺予備校のスカラシップ狙ってるから」

 

「あら、意外ね。あなたは親の負担を軽く、なんて考える人だったの?」

 

「いや、違う。スカラシップ取って、さらに親から予備校の学費貰えばまるまる俺の金になるだろ?」

 

「詐欺じゃん」

 

「誰も損してないんだからいいだろ」

 

「でも、比企谷君がスカラシップ取ってくれたら、親御さんは喜ぶんじゃないかな?」

 

なん、だと……。

 

「と、戸塚ー!今度親がいるときに挨拶に来ないか?」

 

「え、どういう、こと?」

 

しまった!

戸塚が引いている。

一人で先走ってしまった。俺は雪乃一筋だ。

って戸塚男だから浮気になんなくね!?

 

「ヒッキー、何言ってんの?」

 

「はぁ、本当に変な人……」

 

「あ、僕ドリンクバー行ってくるね」

 

「お、じゃあ行くか」

 

「あたし紅茶にしよっ!」

 

由比ヶ浜がご機嫌にドリンクを取ってきていると、雪乃がしげしげとドリンクサーバーを眺めている。コップを右手に、左手に何故か小銭を持っていた。

 

「……ねぇ、比企谷君。お金はどこに入れるのかしら?」

 

「は?」

 

マジすか。雪乃さん、ドリンクバー知らんとですか。どんな上流階級で育ったんすか。

 

「や、お金かかんないから。見とけ」

 

俺がドリンクを注ぐ様子を真剣に眺めている。そ、そんなに見られると、ちょっと照れる。

なんて、気持ち悪いことは考えない。考えないのっ!

俺がボタンを押し、ゴーッと音を立ててコーラがコップに満ちる様子を、キラキラした目で見ていた。

危なっかしい手付きだったが、どうやらお目当ての飲み物を手に入れたようだ。

 

 

 

 

「ゆきのん、また来ようね」

 

「次来るときは勉強は無しでお願い」

 

そりゃあそうだよな。

みんな雪乃に質問したがって、雪乃は全然自分の勉強ははかどらなかったようだ。

 

「今度はお出かけとかしてみたいな」

 

「いいねっ!……そういえば、ゆきのん勝ったときのお願いまだ聞いてなくない?」

 

「……私の、お願いは……。もう、叶えてもらったわ」

 

「そうなの?」

 

なんで俺を見んだよ。なんもしてねぇーよ。

ま、友だちの多い由比ヶ浜には分からないことだろう。

あー、俺のお願い、叶えてほしいな。

 




投稿が遅れてすみません。
最近忙しくなってきたので、遅くなります。
読んでくださりありがとうございます。


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Interlude

 

ずっと欲しかったものが貰えた。

私にはもったいないくらい良いものを。

あの日、自分を規制したはずだったのに。

彼と、彼女と、そして彼が、優しかったから。

私は何かを貰う資格なんてないのに。

それでも、あの二人は私を受け入れてくれた。

では、彼は。

本当に受け入れてくれたのだろうか。

もしかしたら、本当は、なんて、考えても意味なんてないのに。

本当の気持ちなんて分からないのに。

いつも信じきれない。

形だけのものかもしれない。

 

もし、いつかまた、決別のときが来たら。

今度は彼が、直接言ってきたら。

彼と彼女はどちらの味方なのだろうか。

失いたくない。

彼も彼女も、彼も。

私にこんなことを言う資格なんてないのは分かりきっている。

なのに、手に入れてしまったから。

近づいてしまったから。

自分を制御できなかったから。

みんな、優しいから。

でも、そんな優しい人たちの中に、優しくない人がいる。

そんな人、必要ない。

でも、一緒にいたい。

本当に自分勝手だ。

小さい時から。あの時だって。

いつになったら、成長するのだろう。

今が、成長のチャンスなのだろうか。

もし、私がここであの人たちと上手く疎遠になれば、成長したと言えるのか。

それなら、そんな成長なんて必要ない。

私は一緒にいたいから。

 

あの人たちに嫌われているかもしれない。

好かれているかもしれない。

どうでもいいと思われているかもしれない。

一緒にいたいと思われているかもしれない。

いつだって、本当の気持ちは分からない。

分かっているようで、分からない。

もし、あの時。彼の本当の気持ちが分かったら。

 

それでも私は。

彼の本当の気持ちが知りたい。

彼女の本当の気持ちが知りたい。

彼の本当の気持ちなんて知りたくない。

私の本当の気持ちが知りたい。

 

もし、いつか失うのなら。

その時は、ちゃんと本当の気持ちが聞けるように。言えるように。

もし、失わなくて済むのなら。

その時は、ちゃんと本当の気持ちが聞けるように。言えるように。受け入れられるように。

 

私はきっと、怖いんだ。

一度手に入れてしまったものが、消えるのが。

大事だと思っていたものを、失うのが。

今までずっと逃げてきた。

大切なものを作らないようにしてきた。

あの時から、ずっと。

 

後悔してきた。

取り返しがつかなかった。

どう足掻いても、もう手遅れだった。

それなら、今度こそ。

次は、失敗しないように。

次は、本当に受け入れて貰えるように。本当に受け入れられるように。

 

彼の本当の気持ちが知りたい。

彼女の本当の気持ちが知りたい。

彼の本当の気持ちなんて知りたくない。

でも、彼の本当の気持ちを知らなければいけない。

私の本当の気持ちは。

もうとっくに分かってる。

今度こそ、後悔しないように。

次こそ、間違えないように。

 

もしも彼の本当の気持ちを知ったら。

その時は、受け止めなければいけない。

そうしなければ、私は――。

 

あの時の私はもういない。

聞きたくなくても、言いたくなくても。

あの時のけじめをつけなければいけない。

そうすることが、一番だと思うから。

 

 

 

 

 

何かを貰った。

多分、割と欲しかったもの。

でも、それは一番ではない気がする。

ずっと分かってた。欲しいものが何かなんて。

でも、いつもそれは遠くて。

無理矢理近づけても手に入らなかった。

 

理由がなければ行動できない。

そんな俺は、もういらない。

欲しいものには全力で近づく。

じゃないと、もっと遠くに行ってしまう気がした。

遠くに行って、それっきり。

二度と手に入らないで、そのまま俺の前から消えてしまう。

 

彼女は、そんな俺を受け入れてくれた。

本当かどうかは分からないけど。

いつか、本当の気持ちが知れたら。

その時は、俺のところに来てくれるだろうか。

 

近いはずなのに、遠い。

手が届く距離なのに、届かない。

それでも俺は、近づいて、手を伸ばす。

 

全部聞いて、全部言って。

そうすることが一番だと思うから。

 

 

 

 

欲しいものがある。

でもそれは、手に入らないと思う。

いつだって、彼女は彼を見ていた。

 

距離は近いはずなのに、俺を見てくれなかった。

他のものは、手に入るのに。

一番欲しいものは、どんどん遠ざかっていく。

 

最初は俺が一番近かったはずなのに。

いつしか彼が、彼女の隣にいた。

彼が彼女の隣にいて、彼女の隣に彼がいる。

俺の入る隙なんて、どこにもなかった。

それでも近づきたかったから、距離を縮めようとしたのに。

そこには高い壁があった。

 

きっと、諦めるべきなんだと思う。

でも、諦めるつもりはない。

そうすることは、一番ではないと思うから。

 





読んでくださりありがとうございました。
今回は、ある3人を、それぞれの視点で書きました。
誰が誰かはすぐに分かると思いますが、ぜひ、3人のすれ違いに注目していただけると嬉しいです。


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彼と彼は意外と仲が良い

 

朝起きる。

それは当たり前のことだが、とても辛いことだ。

あー、戸塚か雪乃が毎朝起こしてくれたらすぐに起きんのになぁ。

 

「小町、時間大丈夫か?」

 

「ん?おわっ、やばっ!」

 

俺はとっとと席について朝ご飯を食べる。

早く学校に行って、戸塚と雪乃に会わなければいけないからだ。

 

「なんかおにーちゃん最近学校行くの早くない?なんかあるの?」

 

「べべべべべつに?」

 

「何回ベって言ってんの?てか、絶対何かあるじゃん」

 

流石小町。俺のことをよく分かっていらっしゃる。

 

「まぁ、ちょっとな?」

 

「なになに、好きな人できたの?」

 

「ぶはぁっ!」

 

やばい、飲んでた牛乳吹いてしまった。

てかなんで女子ってすぐその手の話に結びつけたがんの?

 

「へー、あのお兄ちゃんがまさか恋するとはねぇ〜。その人はどんな人?いつから好きなの?」

 

「まぁ、簡単に言えばすっげぇ可愛いな。小学生の頃から好きだぞ」

 

「え、お兄ちゃん小学生の頃から好きな人とかいたの?てか未だに初恋拗らせてるの?もう諦めなってぇ〜、可愛い人がお兄ちゃんのこと好きにならないよ」

 

「いや、それは……」

 

言葉が詰まってしまう。

確かにあの時、俺が廊下で盗み聞きをしていたときに、彼女は俺のことを「好き」と言ったのだ。

 

「どしたの、お兄ちゃん?」

 

「あ、いやなんでもない。つーかそういうこと言っちゃだめだぞ。俺は諦めないからな」

 

「うっわ、流石お兄ちゃん。執念深いね。でも、小町は応援してるよ。あ、今の小町的にポイント高い!」

 

「はいはい。ま、いつか雪乃に会わせてやるよ」

 

「へぇー、雪乃さんって言うんだ。楽しみにしてるね!ってことで学校に行こう!自転車後ろ乗せてねっ?」

 

ヤダなにこの子あざと可愛い。

よーし、お兄ちゃん頑張っちゃうぞ!

 

妹と二人並んで歩く。

まさに至福の一時。

 

「なあ、小町はそういうのないのか?」

 

「うん?あー、そういうこと聞いちゃうのはポイント低いよ」

 

「そう、だよな」

 

あー、もうお兄ちゃん心配になって来ちゃった!

でも変に探りを入れると嫌われちゃうしなぁ。

思春期の女の子って大変!

 

 

 

 

 

教室の中は今日も騒がしい。

職場見学がなんやかんやしているからだろうか。

ま、いつも通り余ったチームに入れてもらえばいいだろう。

雪乃と組みたかったなぁ。

 

「比企谷君、おはよっ」

 

ん?ああ、戸塚か……。

なに!?戸塚?

 

「毎朝俺の味噌汁作ってくれ」

 

「えっ!?どういう意味?」

 

やべっ、うっかりプロポーズしてしまった。

 

「あぁ…いや、別に。ただ寝ぼけてただけだ」

 

「もう……びっくりしちゃうじゃん。そういうのは、雪ノ下さんに言わなきゃ、ね?」

 

「「は?」」

 

誰かと声が重なった。

あー、あいつか。

なに、聞いてんの?

お前はリア充組としゃべっとけ!

 

「い、いやぁ。それは……。ほら、あれだし」

 

朝の小町といい、戸塚といい、今日はその話ばっかだな。

 

「あ、あははっ。比企谷君かわいいね!」

 

え?戸塚の方が何億倍も可愛いよ?

つーかなんか恥ずかしくなってきたんだけど。

そんな俺面白いことした?

 

「戸塚?大丈夫か?」

 

「あ、うん。ごめんね、笑っちゃって」

 

そう言いながらもまだ少し笑っている。

 

「いや、全然いいけど。戸塚って意外とそういう話するんだな」

 

「いつもしてるわけじゃないよ?ただ、比企谷君分かりやすいから。結構見てるこっちが…って思うことあるよ?あ、頑張ってね!」

 

うわぁ、マジか恥ずかし。

 

「あぁ…まぁ、追々な」

 

なぜかなんとなくしか返事ができなかった。

いや、なぜかじゃないな。理由なんて分かり切っている。

ちゃんと言わないといけないことも、知らないといけないことも。

でも、そう一筋縄じゃいかないんだよなぁ。

本当に面倒くさいことしてくれたもんだよな、誰かさんよぉ。

 

「あぁ……どうしよっかな……」

 

つい独り言が漏れてしまった。

 

「えっと、大丈夫?」

 

 

 

 

 

「ねぇねぇゆきのんたち職場見学行くとこ決めた?」

 

今日も部室で読書していると、携帯をいじるのが飽きたのか、由比ヶ浜が話しかけてきた。

 

「……まぁ、そうね」

 

「なんかそっけな!?もっとおしゃべりしよーよー」

 

「……はぁ。今いいとこだったのに」

 

雪乃が由比ヶ浜に聞こえないくらいの声量で文句を言う。ちょっと拗ねた感じが可愛い。

 

「ゆきのん将来の夢とかある?」

 

「……私は、特に、ないわ」

 

「なんでそんなとぎれとぎれ?別に決まってなくても大丈夫でしょ。てかゆきのんなんにでもなれそう!」

 

「そんなこと、ない。私は……」

 

雪乃は目を伏せてしまう。それでも、傍から見て、かなり悲しそうな顔をしていたことは分かった。

 

「失礼します」

 

いきなりドアが開いた。ノックくらいしろよと思って見ると、見知った奴が入って来た。

 

「やぁ、雪乃ちゃん。久しぶり。比企谷もだね」

 

「お、おう」

 

あんまり俺に話しかけてこないでほしいんですが。ほら、由比ヶ浜が信じられないものを見ているような顔になってるから!

 

「入るときはノックぐらいしろよ」

 

「え?したんだけど」

 

「うん、してたよ。ゆきのんもヒッキーも反応しないからあたしがどうぞって言ったの」

 

「そ、そうだったの。由比ヶ浜さん、ありがとう」

 

そう言って雪乃は笑顔になる。

今の言葉からして、雪乃も気づいてなかったようだ。

 

「で、なんの用だ?」

 

「あぁ、これなんだけど」

 

そう言って葉山は携帯を見せてくる。

うぅ…雪乃と葉山の距離が近い。

俺が間に入ってやりたいが、こういうとき「みーせーてっ」ができないんだよなぁ。

 

「……チェーンメールね」

 

「あ、それあたしのとこにも……」

 

「やっぱりか。これがクラスに出回ってから、なんか雰囲気が悪くなって。だから、丸く収めたいんだけど」

 

「丸く収める、ね。犯人を探して注意を促すしかなさそうね」

 

まぁ、それが妥当だろう。

しかし、こういう時どうやって犯人を探すのだろうか。

 

「あー、俺は犯人探しがしたいんじゃないんだけど……」

 

「じゃあどうすんだよ?」

 

あの時のことを思い出して、少し口調が荒くなってしまった。

何も解決策なんてないのに、解決方法だけは文句をつけてくる。

 

「比企谷君?」

 

雪乃に心配そうな顔で見られてしまった。心なしか、泣いているようにも見えた。

 

「あ、いや、えっと……」

 

「いや、今のは俺が全面的に悪かった。比企谷、ごめんな」

 

こういう時ちゃんと謝れるのが葉山のいいところなのだろう。

 

「あー、いや、俺も、なんだ、その――」

 

「分かった!!」

 

なんだよ。ちゃんと謝ろうと思ったのに。うるせぇな。

 

「何が分かったの?」 

 

「これ、職場見学のグループ決めが原因じゃない?ほら、イベントのグループって結構大事だし!」

 

「そう、か。職場見学は3人一組だから……」

 

そこまで言って、葉山はうつむいてしまう。

ま、別に助けてやる義理なんてないし?でも、雪乃にカッコいいところを見せるためなら?少し助言くらいしてやってもいいけど?

 

「葉山、俺にいいアイディアがある」

 

葉山が俺を縋るような目線で見てくる。

やめろよ、そんな目線で見てくるとか、誰トクだよ。

見られるなら雪乃がいい。

 

「お前、俺と戸塚と組め」

 





読んでくださりありがとうございました。
感想が少しずつ増えています。とても嬉しいです。


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彼女は不自然に距離をとる

 

「ゆきのん!今日一緒にサイゼ行かない?」

 

「えぇ、いいわよ」

 

最近雪乃と由比ヶ浜がとても仲良しなのだ。もう俺が入る隙がないくらい。

おーい、俺も誘ってよ〜。行きたい行きたい!

 

「あー、ヒッキーも、来る?」

 

「え、いいのか?」

 

よっしゃあ!誘われたぜ。

 

「さいちゃんも誘う予定だったし」

 

戸塚と雪乃がいるだと?ここは天国か。

 

「さいちゃんに連絡しとくから、二人先行ってて」

 

「ほいほい」

 

そう言って、俺と雪乃は帰る準備をする。

 

「じゃあ、行くか」

 

「比企谷君は自転車でしょう?私は電車で来ているから、歩いて行くわ。先に行っててちょうだい」

 

「え、いやそれは……。あっ、後ろ乗らないか?」

 

「でも……」

 

「いいからいいから」

 

摑まえていないとすぐに逃げてしまいそうだったので、雪乃の手首を柔く握る。

すると雪乃は嫌がっている様には見えないが、居心地悪そうに身をよじった。

それを見て、してはいけないことをしてしまったような気がした。

 

「あっ……。嫌なら、いいんだが」

 

「………」

 

気まずい雰囲気になる。

雪乃は何も言わずに、ただ地面を見つめていた。

どうすればいいのか分からなくなって、握っていた雪乃の手首を離した。

そうすると、やっと雪乃は口を開いてくれた。

 

「嫌、とかではなくて……」

 

「えっと……じゃあ、どうする?」

 

「私は……」

 

なかなか最後まで言ってくれない。

俺の中で、どこか引っかかっているような気がした。

今、俺は悪いことをしてしまったのだろうか。

ただ自転車の後ろに乗らないかと誘い、手首を柔く握っただけだ。

サイゼなんてすぐそこだし、二人乗りが怖いという訳でもなさそうだ。

手首だって、大して力なんて入れてなかったから、離そうとすれば、離せたはずだ。

思い当たる節がない。

ここは本人に聞くしかなさそうだ。

 

「えっと、俺なんかしたか?もしそうなら謝るけど…」

 

「……あんまり……られ…の……じゃ、ないから…」

 

消え入るような声だったから、上手く聞き取れず、顔を近づけてしまう。

 

「ひゃっ!」

 

俺が近づくと、雪乃はびっくりして、倒れ込みそうになる。それを俺が支えると、雪乃は泣きそうな目で見てきた。

 

「あっ、いや、ごめん」

 

すぐに雪乃を離す。そうすると、雪乃は明らかに俺と距離をとった。

 

「上手く、聞き取れなくて……えっと、悪い」

 

今の雪乃の反応は、どう見てもおかしい。

『距離が近くて恥ずかしい』みたいなラブコメ展開でもなければ、『近づくな変態』というような、ラブリーマイエンジェルなんとかたんみたいな展開でもない。

ただ泣きそうな目で俺を見てくるだけだった。

 

「なんか、気に障るようなこと、あったか?教えて、くれないか?」

 

そう聞いても、なかなか口を開いてくれない。

手をぎゅっと握り締めて、顔はうつむいて、何かを堪えているようだった。

なんとかしたいが、何も話してくれないとなると、打つ手がない。

俺には雪乃をじっと見ることしかできなかった。

今まで雪乃と接してきて、こんなことは一度もなかった。

やはり俺はなにかしてしまったようだ。

――手首を握ったのがだめだったのだろうか。

他にしてしまったことなんてないし、消去法的に、これが原因だ。

 

「その……手首握って悪かった。嫌、だったよな」

 

「……もう、大丈夫……」

 

俺が謝ると、雪乃は口を開いてくれた。

どうやら正解だったようだ。

しかし、どうしてだめなのかがイマイチ分からない。

力は入れてなかったから、もしかしたら、触られることが嫌だったのだろうか。

 

「触られるの、嫌だったか?」

 

「……ぁ……ゃ」

 

なにか言おうとして、でも息しか出てこないという感じだった。泣きそうになっている。

これじゃあ俺がイジメているみたいだ。

 

「無理に答えなくて大丈夫だ。俺先行っとくから、また後でな」

 

雪乃からの返事はなかった。

 

 

 

 

 

「ヒッキー何注文する?」

 

「えっ?あぁ…とりあえずドリンクバーだな」

 

「りょーかい!てかゆきのん遅いね。ヒッキーと一緒に来るかと思ったんだけど」

 

雪乃と別れてから30分程経っているのだが、まだ来ない。

連絡無しにバックレるタイプではないし、由比ヶ浜も戸塚も心配している。もちろん俺も。

 

「どうしたんだろうね。急用かな?」

 

「でも連絡来てないよ?ゆきのん大丈夫かな……」

 

「あっ!あれ、雪ノ下さんじゃない?」

 

戸塚が店の入口を見ている。

そっちの方を見ると、私服の雪乃がいた。

 

「おーい、ゆきのん!こっちだよ!」

 

由比ヶ浜が雪乃を見つけると、嬉しそうに手を振る。

それを見つけた雪乃は、こっちに向かって歩いて来た。

 

「……ごめんなさい、遅くなってしまって」

 

雪乃が申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「大丈夫だよ!てかゆきのん家帰ってたの?」

 

「えぇ、制服のまま食事をするのは好きではないから」

 

「もしかして雪ノ下さん潔癖症?」

 

「そうではないと思うけれど……。多分、小さい頃から母に言われてきたからかしら」

 

「へー、ゆきのんのお母さん厳しいの?」

 

「厳しいかは分からないけれど、マナーとかはよく言われていたわ」

 

「そうなんだ。あっ、ゆきのん!あたしの隣来て!ずっと待ってたの!」

 

由比ヶ浜が隣をトントン叩くと、雪乃は少し距離を空けて座った。

 

「もっと近くおいでよ」

 

そう言って、由比ヶ浜が雪乃との距離を詰める。が、雪乃はとっさに、恐らく反射的に由比ヶ浜と距離をとっていた。

 

「えっ…ゆきのん?」

 

由比ヶ浜に不安げな目で見られて、雪乃ははっとした表情になる。

 

「あっ、えと…」

 

そう言って雪乃はうつむいてしまう。

さっきと同じ展開だ。

 

「あっ、おにーちゃん!」

 

気まずい雰囲気のところで、無駄に明るい声が聞こえた。

 





読んでくださりありがとうございました。
少しずつ謎を増やし、少しずつ謎を解いていきたいと思っています。
これからもお読みいただけると嬉しいです。


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彼は覚悟を決める

 

「比企谷小町です!いつも兄がお世話になっています」

 

急に小町が現れて、自己紹介タイムになった。

それよりもお兄ちゃんとしては隣にいる男子が気になるんですが。

 

「戸塚彩加です」

 

「うはぁー、可愛い人ですね。ね、お兄ちゃん」

 

戸塚の可愛さに気がつくとは流石小町だ。

だが、言ってやらないといけない言葉がある。

 

「男だけどな」

 

「えっ?」

 

「えーと、由比ヶ浜結衣です」

 

「ん?んん?」

 

「……雪ノ下雪乃、です」

 

「雪乃?あっ、もしかして、おにーちゃんのはつこ――」

 

「小町ちゃん?いらないこと言っちゃだめよ?」

 

「川崎大志っす。姉ちゃんが総武高校で川崎沙希って言うんすけど……」

 

川崎沙希とは聞いたことない名前だな。

大体聞いたことないけど。

それよりも大志と言ったな、小町とどういう関係なんだ?場合によっちゃお前を――

 

「あっ、川崎さん?同じクラスだよ?」

 

えっ?ウソマジ?知らなかった〜ごっめーん。テヘペロ。

 

「それで、大志君のお姉さんが最近不良化したみたいで」

 

「帰りがすごい遅いんす。5時とかに帰ってきて」

 

「ご両親はなにも言わないの?」

 

「下に弟と妹がいるから、姉ちゃんにはあんまうるさくは言わないんす」

 

「そうなったのは、いつぐらいからかな?」

 

大志と小町と戸塚と由比ヶ浜で会話を回している。

その間、雪乃はずっと居心地悪そうにしていた。

 

「雪乃、どうした?体調悪いのか?」

 

他の4人には聞こえないくらいの声で雪乃に聞いてみる。

 

「その……別に、そういう…訳では」

 

なんとも歯切れの悪い答えだ。

心配になってくる。

 

「無理しなくていいんだぞ」

 

「………」

 

雪乃は少し由比ヶ浜から距離をとってから、うつむいてしまった。

 

 

 

 

 

「ということで、エンジェルなんとかに行きます!」

 

由比ヶ浜が元気な声で言う。

 

「いや、どういうことだよ……」

 

「ヒッキー聞いてなかったの?川崎さんがそこでバイトしてるみたいなんだよ。だから、みんなで行こうって」

 

「ドレスコードがあるから普通の格好では入れないわよ?」

 

「え、そうなの?あたしそういうの持ってない……」

 

「ぼくもない、かな……」

 

「俺はなんとか用意はできそうだけど」

 

「私は持ってはいるけど……」

 

正直少し体調が悪そうな雪乃に無理はさせたくない。

 

「わざわざ行かなくていいだろ」

 

「でもそれじゃあ」

 

「比企谷君、服は用意できるのよね?」

 

「え、あぁ、まあ」

 

「それなら私の姉と一緒に行ってもらえないかしら」

 

 

 

 

 

「おっ、比企谷君!久しぶり〜」

 

ホールで待っていると、雪乃の姉、陽乃さんが来た。

 

「お久しぶりです」

 

一応お辞儀しておく。

この人に嫌われると後々厄介になりそうだ。

 

「最近どうなの?雪乃ちゃんとは。もしかして、付き合ってる?」

 

エレベーターで上がりながら、話しかけてくる。

 

「いえ別に。というか、最近距離ある気がします」

 

サイゼに行くときや、話しているとき、こっちが距離を詰めると雪乃が距離をとってしまう。

 

「どんな感じで?」

 

「……なんか、少しでも触れると嫌がられたり、距離を詰めると怖がられたりしてます。泣きそうな目で見られることもあるんですよね」

 

もしかしたら、この人だったら何か知っているのではないかと、全部正直に話してしまった。

 

「ふーん。多少は好かれてるんだね」

 

「は?いや、嫌われてるの間違いじゃないですか?」

 

「もぉ〜、雪乃ちゃんのこと分かってないなぁ〜」

 

少しふざけた感じで言っていたが、すぐに真面目な顔になった。

 

「怖いんだよ。裏切られるのが。雪乃ちゃん、すごい繊細だから。一度傷つくと、元に戻らないくらい壊れちゃう」

 

「それは、どういう……」

 

「大切に思っている人に距離を縮められたら、比企谷君はどう思う?」

 

「そりゃあまぁ、嬉しいですけど……」

 

「普通はそう思うよね。でも雪乃ちゃんは違う。怖くなるんだよ。いつ裏切られるのかって」

 

「……俺は、そんなこと」

 

「比企谷君がどう思ってるのかは雪乃ちゃんには分からないからね。大切に思っているから、裏切られたくない。だから、雪乃ちゃんはスキンシップとか、過剰に嫌がるよ?無理に距離を縮められるだけで、泣きそうになるくらい怖いの」

 

「なんで、そんなことに……」

 

「比企谷君知らないの?手紙だよ、覚えてない?」

 

「それは……俺は」

 

「ふふっ、大丈夫だよ。私は分かってるから。比企谷君は書いてないんだよね?」

 

「はい……」

 

「でも雪乃ちゃんは比企谷君が書いたと思ってる。それで、傷ついたんだよ。元に戻れないくらい。まぁ、もともと難しい子だったけどね」

 

「どうすればいいんですか?」

 

「知りたい?それで雪乃ちゃんが傷つくとしても?」

 

そう言って俺を真っ直ぐ見つめてくる。

凍えるくらい冷たいその目は、俺の覚悟を確かめているようだった。

 

「雪乃が傷つかないやり方をとるつもりです」

 

「まぁ、ぎりぎり及第点かな。いいよ、使えるかは分からないけど、教えてあげる」

 

そう言って陽乃さんは一息つく。

 

「大切な人には裏切られるから怖いけど、普通の人には大丈夫なの。例えば、名前くらいしか知らないクラスメイトとか。物理的に距離が近くても、裏切られる心配はないでしょ?もともと大した関係じゃないから」

 

「でもそれじゃあ……」

 

「でも、今の比企谷君くらいの関係だと、裏切られる心配が出てきちゃう。だから雪乃ちゃんが距離をとろうとする。スキンシップを嫌がる。照れてるとかより先に、本能的に」

 

俺は無言でうなずく。

確かに雪乃は由比ヶ浜が近づいてもだめだった。

 

「でもね、大丈夫な関係もあるんだよ。例えば家族とか。信頼度高いでしょ?まぁ、これは比企谷君は使えないけど」

 

そう言って陽乃さんが少し笑う。

その笑顔を見て、自然と力が抜ける。

自分でも気が付かないうちに、かなり力が入っていたようだ。

少し周りを見ると、もうエレベーターから降りていることが分かった。

 

「本気で雪乃ちゃんに好かれればいいんだよ」

 

その声は冷たく、俺に言ったというより、もっとたくさんの人に言い放っているような気がした。

 

「中途半端でもなんでもなく、本気で。雪乃ちゃんが絶対近づきたいって思えるくらい。そのくらい難しい子なんだよ。そのくらい繊細な子なんだよ。だから、比企谷君も、中途半端に雪乃ちゃんに近づいて、傷つけるんだったら、私が雪乃ちゃんを守るから」

 

陽乃さんは、本気で俺を見てくる。

それは、俺を敵視しているようだった。

恐らくいたのだろう。雪乃に近づきたいと思った奴が、何人も。でもそいつらは雪乃を傷つけるだけ傷つけて、離れて行った。

だからこそ、陽乃さんは俺の覚悟を確かめる。中途半端に近づいてはいけないから。最後まで、責任を持って臨めるのかと。

ここで中途半端な返事をしても、陽乃さんに敵視されるだけだ。だから俺は、できる限り真剣に答える。

 

「俺は、別に無理に近づきません。雪乃が許容できる範囲で近づいて、それで……。少しずつ信頼してもらって、少しずつ距離を縮めたいと思っています」

 

「それ、すごい時間かかると思うよ?比企谷君が途中でやめたら、さらに雪乃ちゃんを傷つけることになるよ?」

 

「途中でやめる気なんてありませんよ」

 

自分でも驚くくらいすっと言葉がでた。

 

「せっかくまた会えたんです。正直もう会えないと思っていました。だから、諦める気なんてありません」

 

「……比企谷君、すごいね」

 

「はい?」

 

「だって、こんな重いこと、普通ならわざわざ背負わないでしょ。面倒くさいし、責任重大だし」

 

「まぁ、それ込みで雪乃といたいんで」

 

そう言ってフッと笑う。一度笑ったら、止まらなくなってしまった。

つられたように陽乃さんも笑う。

 

「それじゃあ、行こっか」

 

陽乃さんが歩き出すのにつられて、俺も後ろに続いた。

 



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彼女は重度のシスコンである

 

ヤバい、ヤバい。

何がって、ここは男がエスコートするのが普通らしく、陽乃さんが俺の右肘を摑んでくるんですよ。それで、その、ここまで言えば分かるでしょ。とにかく右肘がヤバい。

俺は雪乃一筋、雪乃一筋。

いやでも顔は雪乃に良く似ているし、雪乃には無いものも持っている。雪乃が劣っているという訳ではないんだけどね、男子的には陽乃さんの方がすごいというか、何というか。だめだ、これは雪乃に言ったら殺される。禁句だからな。

いや、そこがいいんだよ。気にしてない風を装って実はめっちゃ気にしてるのが可愛いんですよ。

由比ヶ浜が伸びしてる時とか、チラっと見てため息をついく感じとかマジで可愛い。可愛いんだけどね?無いことには変わりないからさ、どうしても……いや、俺は一部で人を判断しないから!

俺は雪乃一筋、雪乃一筋。

ふぅ、少し落ち着いてきた。いや、こんなこと思ってる時点で落ち着いてなんかないんだけど。

 

「比企谷君、どうしたの?」

 

「ひゃう!」

 

耳もとでささやかれ、陽乃さんの吐息がかかって変な声がでる。

 

「……比企谷君ってもしかして、浮気者?」

 

「い、いや俺は一途ですよ?小6の時から雪乃一筋ですし」

 

「ほんとかなぁ」

 

やめてください。俺が死にます。

そんなにくっつかないで!

ああ、右肘が幸せ、じゃなくて!とにかくヤバい。

早く帰りたいよぉ。

カウンター席に案内され、なんとか陽乃さんが離れてくれる。危ない、危ない。俺がうっかり死んじゃうところだったよ。

座ると、目の前に女性のバーテンダーがいた。名札には、『川崎』と書かれている。

 

「川崎、か?」

 

「すみませんがどちら様でしょうか」

 

「ありゃ、比企谷君同じクラスじゃないの?」

 

「いや、まぁなんか色々あって……」

 

「比企谷?いた、かも」

 

「あ、私は雪ノ下陽乃です」

 

「……雪ノ下って」

 

「雪乃ちゃんのお姉ちゃんだよ〜」

 

川崎は少し険しい顔になる。

 

「姉妹で全然似てないが、本当に姉だ」

 

「比企谷君ひっどーい。私雪乃ちゃんとそっくりだよ!」

 

「……顔だけはね」

 

「あー、確かにぃ、私は雪乃ちゃんが持ってないもの持ってるからなぁ」

 

耳もとでささやくのやめてもらえませんかね。

くすぐったいのと恥ずかしいのとが色々混ざりあってヤバいことになるんで。

 

「性格とかですよ」

 

「で、何しに来たの?」

 

「最近帰るのが遅いって弟が心配してたぞ」

 

「大志が何言ったのか知んないけどもう関わんないで」

 

「川崎さん、あなた何時まで働いてるの?」

 

「っ!それは……」

 

「いや、金が必要なのはわかるけど」

 

「は?あんたに何が分かるって言うの?あたしのためにお金用意出来んの?うちの親が用意出来ないのをあんたが肩代わりしてくれんの?」

 

「それってさ、何に使うお金?」

 

「雪ノ下さんには関係ないことです」

 

「ふーん、そんなこと言うんだ。うちの親、保護者会の理事なんだよね。それに、父親の仕事柄で、地元との繋がり強いし」

 

「いいですよね。県議会議員と会社の社長で二足のわらじでしたっけ?とりあえず進学しとけば後継ぎで確実に上位職。そんな恵まれている人に私の事情が分かりますか?」

 

「……あなた、雪乃ちゃんと関わりは?」

 

「名前と顔が一致するくらいですけど」

 

「そう、なら良かった。今後も雪乃ちゃんに近づかないでね?」

 

うわぁ、いい笑顔でとんでもないこと言うな、この人。

つーか県議会議員と会社の社長って何?そんなすごいの?普通じゃないとは思ってたけど、まさかこんなにすごいとは。

 

「それに、あなただってうちの事情分からないでしょ。結構大変だよ?普通に面倒くさいし」

 

「恵まれているんだからそのくらいは――」

 

「じゃあ、あなたにも恵んであげよっか?その場合、恵まれている人に恵まれていることになるけど」

 

「……何が言いたいんですか」

 

「やだなぁ、あなたが私の禁句を口にしちゃったからじゃん。自覚、ないでしょ?私の事情全然知らないもんね」

 

「……恵まれているんだから、それ以外のことで不自由なのは我慢するべきです」

 

「なら、私が我慢してることをあなたは我慢しなくていいんだからそれ以外のことで不自由するのは我慢するべきじゃない?」

 

「我慢じゃどうにもならないんですよ。うちは家族多い割に親の稼ぎが良くないんで」

 

その言葉が出てきた瞬間、陽乃さんがニヤッと笑った。

恐らく、川崎が働く理由を言わせるためにずっと誘導しながらしゃべっていたのだろう。つまり、川崎は見事に手のひらの上で踊らされていたわけだ。ナニそれこわっ。

 

「そもそもあなたの家は雪ノ下と雪ノ下さんの姉妹だけですよね。不公平もいいところですよ」

 

「じゃあ、あなたはあなたの兄弟いなかった方が良かった?」

 

「そんなことは言ってません」

 

「それは良かった。あなた、一番上?」

 

「はい。下に弟と妹がいます」

 

「何歳か聞いてもいい?」

 

「上の弟は中3です。他は小学生」

 

「そっか。学費が足りてないのかな?」

 

「……」

 

「弟さんの学費は大丈夫だよね?じゃあ、あなたの学費か」

 

「そうですよ。私大学行きたいですし。でもそのせいで大志の選択の幅が狭くなるのは――」

 

「うんうん、よく分かるよ。私はシスコンとかブラコンの気持ちはすごい分かるから」

 

「分かって何になるんですか」

 

「いやぁ、ね。私の選択の余地がないのは我慢するんだけど、雪乃ちゃんが好きに出来ないのは嫌なんだよね」

 

「雪ノ下さんと雪ノ下ならどの大学だって行けるんじゃないですか?私立だって、国公立だって」

 

「うーん、私がしてるのはもっと先のことなんだけどなぁ。例えば職業とか。私が医者になりたいって言っても多分認めてもらえないよ?後は…結婚相手とか」

 

「っ!?」

 

つい反応してしまった。

陽乃さんの口ぶりからすると、陽乃さんの自由はあまりないのだろう。ならば、雪乃は。

もしないのだとしたら――。

 

「比企谷君何反応しちゃってんの?可愛いなぁ。もしかして、雪乃ちゃんのこと考えちゃった?」

 

「え?あ、べ、別に……」

 

「大丈夫だよ。雪乃ちゃんの自由は絶対私が守るから。まぁ、雪乃ちゃんに好かれないと結局だめなんだけどね。頑張ってね」

 

くそっ、絶対はめられた。

本当にこの人怖い。普通に会話してるだけなはずなのにどこかで捕まってしまう気がする。

 

「あの、結局何が言いたいんですか?」

 

「あなたさ、そのアルバイトで稼いだお金、大した金額じゃないでしょ。その時間勉強に使った方が将来的に見て時給が良いと思わない?」

 

「大した金額じゃなくても必要なんです」

 

「今さ、スカラシップ制度とかあるんだよね。私も大学受験の時それとってさ、親に秘密にしてたの。そしたら予備校の授業料全部私のところに入ってきて、よく雪乃ちゃんと二人でお出かけに行くのに使ったんだよねぇ。途中から雪乃ちゃんとデートするためにスカラシップとってたんだよね。途中から授業料高いとこに変えてさ。もうね、雪乃ちゃんが可愛いの!私と出かけてるときすごい楽しそうでさぁ」

 

この人マジか。俺がやろうとしてたことやってるし。

予備校のスカラシップ狙う理由が『妹とデートするために』とか、どんなシスコンだよ。

それよりも、出かけてるときの可愛い雪乃の写真はありませんか。お願いします、見せてください。

 

「えっ……」

 

川崎が素で引いている。流石にそこまで重度のブラコンではなかったのか。

 

「まぁ、私の場合、雪乃ちゃんの可愛い顔を見るためだったんだけど、あなたの場合はどうなのかな?頑張ってみる価値はあるんじゃない?私たちはもう帰るね。お金、ここ置いとくから」

 

「あっ、俺自分の分は……」

 

「大丈夫だよ。まだ予備校の授業料の分、大量に残ってるから」

 

えぇ……。どんだけ高いとこに行ってたんだよ。

 





読んでくださりありがとうございました。
今回は陽乃のシスコンぶりを中心的に書きました。
雪乃ちゃんは大人気です。


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彼は拒絶する

 

「葉山君どこ行きたい?」

 

「俺はマスコミ関係か外資系企業見てみたいかな〜」

 

「わ〜、すごいね」

 

部室で今日も本を読んでいると、葉山と戸塚が入ってきた。

 

「ヒッキーはどこ行くの?」

 

「ん?あ、え?」

 

「比企谷、聞いてなかったのか?」

 

「聞いてなかったんじゃない。本を読んでいたんだ」

 

「どっちも同じことだろ。戸塚はどこ行きたい?」

 

「僕は将来とかまだ考えてないんだよね。あ、でもテニスに関係することがいいなぁ」

 

「テニスか、難しいな」

 

「ご、こめん。比企谷君と葉山君が行きたいところでいいよ」

 

「比企谷はどうなんだ?将来の夢は?」

 

「えっと……す、好きな人と結婚する、とか//」

 

「「「は?」」」

 

・ ・ ・

 

「ふ、はははぁ!ナニそれヒッキー恋する乙女かっての!」

 

「や、やっぱり比企谷君可愛いよ!ふふっ、あはは」

 

「比企谷、何言ってんだ。ははっ、今の話は職場見学で行きたいところの話だぞ?」

 

「え、あ、いや、えっと……。あ、ほら、自宅、的な?家とか。うん、俺自宅希望するわ!」

 

「いやヒッキー何言ってんの?大丈夫?」

 

「比企谷君照れなくていいよ。すごい可愛いから」

 

戸塚の気遣いが逆に傷をえぐってくるよぉ。

由比ヶ浜はマジトーンでやめて!

違うの、職場見学とか聞いてなかったの。将来の夢の部分しか聞いてなかったの!

 

「いや、違っ、あ、えっと」

 

「もぉ、ヒッキーほんっと面白い。ね、ゆきのん。……ゆきのん?」

 

雪乃は相変わらず本を読んでいた。背筋をピンと伸ばし、視線は本に向いている、はずなのに、ページをめくる音は全く聞こえなかった。

 

 

 

 

 

「あ、おにーちゃん!」

 

「こんなとこでなにやってんだ、小町?」

 

下校時刻を過ぎて校門に着くと、小町がいた。

 

「あ、大志君の依頼解決したみたいで」

 

「そうか、良かったな。わざわざ来なくても良かったのに」

 

「いやぁ、ここでお兄ちゃんと一緒に帰ったら、小町的にポイント高いかなって」

 

うわぁ、あざとい。

でも可愛いから一緒に帰っちゃお!

 

「そういえばさ、結衣さんに会えたんだね。言ってくれれば良かったのにぃ」

 

「は?なんで由比ヶ浜?」

 

「だって去年助けた犬の飼い主さんじゃん」

 

由比ヶ浜が、助けた犬の、飼い主?

 

「ん?どしたの、お兄ちゃん?」

 

「あ、いや、なんでもない」

 

 

 

 

 

職場見学って以外と楽しんだな。

これはボッチにも優しいイベントだ。

適当にウロウロしてたらちゃんと見学してるようにみられる。最高だな。

 

「あ、ヒッキー遅い!みんな行っちゃったよ?」

 

「……由比ヶ浜は行かなくていいのか?」

 

「え?あ、うん。置いてけぼりは可哀想かなって」

 

「……俺のことなら気にしなくていいぞ。犬助けたのだって、ただの偶然だし、気にして優しくなんか、すんな」

 

「そ、そういうんじゃ、ないんだけど……」

 

どこまでも優しい由比ヶ浜は、きっと最後まで優しい。

 

「………バカ」

 

 

 

 

 

『ねぇねぇ雪乃ちゃん、久しぶりにデートしない?』

 

「なんで姉さんと……」

 

『え〜、ちょっと前は誘ったら嬉しそうに着いてきたのにぃ。あ、そっか、比企谷君とじゃなきゃ嫌か!』

 

「別に、そういうわけじゃ、なくて……」

 

『もぉ〜、照れなくていいよぉ』

 

「照れてなんかないわ!私をからかうのが目的なんだったらもう切るわよ」

 

『そんな怒んないでよ。明後日雪乃ちゃん暇でしょ?わんにゃんショー行こっか』

 

「なんで私の予定を――」

 

『行かないの?』

 

「……何時から?」

 

『じゃあ10時からね!あ、私が迎えにいくから、雪乃ちゃんは待っててね。楽しみにしてるね!バイバイ』

 

プツッ

 

「……はぁ、姉さんはしょうがないわね」

 

彼女は妥協している風を装っているが、実は内心かなり喜んでいた。

 

「明後日どの服で行こうかしら」

 



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彼はデートがしたい

「……比企谷君、由比ヶ浜さんは今日お休みなのかしら?」

 

「いや、えっと……」

 

職場見学に行ってから、由比ヶ浜とは一言も話していない。

 

「そう……」

 

雪乃が悲しそうに目を伏せるのを見て、とてつもない罪悪感が押し寄せてきた。

 

「いや、その……」

 

「今日はもう帰りましょうか」

 

そう言って雪乃は席を立つ。読んでいた本をカバンにしまい、ドアを開けた。

 

「鍵を締めるから出てもらえない?」

 

「あぁ、悪い……」

 

俺が出ると、雪乃は鍵を締め、そのまま職員室に返しに行ってしまった。

由比ヶ浜がいない時、雪乃はあまり俺と話さない。だからか、必然的に距離が遠くなってしまった気がする。

なんとなく嫌な予感がする。

由比ヶ浜を利用する訳ではないが、由比ヶ浜がいないと縮められる距離も縮まらない。逆にもっと遠くなり、最悪の結末を迎えてしまうかもしれない。

でもここで雪乃に一気に近づいても取り返しがつかないことになる。

 

「難しいな……」

 

やはり俺と雪乃が近づくには由比ヶ浜が必要だ。それに、雪乃もなんだかんだで由比ヶ浜のことが好きだからこのまま離れっぱなしというのも悪い。俺がまいた種だ。きちんと俺が処理するのが道理だろう。

しかし、一度離れて行った人ともう一度近づくにはどうしたらいいんだろう。

俺と雪乃は物理的にかなり距離が遠くなったから、近づいたときにもとに戻った。由比ヶ浜は物理的に距離は遠くない。ただ気持ち的に距離が遠くなってしまった。

 

「小町に相談してみるか」

 

 

 

 

 

「え!ごみぃちゃんが友人関係で悩むとか、明日猫が降るよ!」

 

「お〜、猫好きが喜びそうだな。全国の猫好きは俺に感謝だな」

 

「猫好きと同じくらいの数いる犬好きはお兄ちゃんのことボコボコにするね!」

 

ちょっと、いい笑顔でなんてこと言うの、小町ちゃん。

 

「ごめんごめん。だってあのお兄ちゃんが友人関係で悩むとか、ちょっと恐怖すら感じるよ」

 

「いや別に友人じゃなくて……。まぁ、好きな人の、好きな人みたいな感じで」

 

「えっ!?雪乃さんの好きな人?それお兄ちゃんのライバルじゃん!お兄ちゃんどうやったって敵わないよ」

 

「いや、女子なんだが……」

 

「は?どういうこと?」

 

「雪乃の、まぁ、一番の友だちって感じか?いや、友だちかは知らんけど、親しい人ってやつだ」

 

「あー、結衣さんか」

 

え、なんで分かるの?まだ一回しか会ってないよね?

 

「で、なんで結衣さんのことで悩んでんの?いつもなら、『一度離れて行ったらそれっきりだ!』とか言って、もう完全に他人になんじゃん」

 

流石小町。俺のことをよく分かっている。

でも今回はそれじゃあだめなんだよな。

 

「雪乃の一番親しい人って言っただろ?だから…なんか雪乃元気なくて。一応由比ヶ浜が離れて行ったのは、俺のせいだし、このまま雪乃まで離れて行かれると、困るから……」

 

「つまり、雪乃さんのために結衣さんを連れ戻したいの?」

 

「まぁ、そんな感じだ」

 

「それじゃあ雪乃さんと一緒に解決しなきゃ!お兄ちゃん、携帯借りるね!」

 

「えっ、ちょ!」

 

「あ、もしもし、比企谷小町です。はい!あの、急で申し訳ないんですが、明日って空いてますか?あっ、そうですか。いえいえ、全然大丈夫です。急にお電話してしまい、すみませんでした。失礼します」

 

こいつはどこの主婦だよ。

 

「ごめん、デートの取り付け失敗しちゃった」

 

テヘペロとかやめろよ可愛いから。許しちゃうだろうが。

……え?こいつ今なんて言った?

 

「え、お前今何してたの?」

 

「雪乃さんに、明日空いてますかって聞いて、明日は用事があるって言われた。お兄ちゃんとデートしてもらおうかと思ってたんだけどね」

 

「あ〜〜〜!なんでだよ!くそぉ用事ぃ。うぅ……」

 

床に転がり、ジタバタする。

 

「まぁまぁ、明日は小町が一緒にお出かけしてあげるから」

 

「……ほんとか?」

 

「うん!わんにゃんショー行こ!」

 

 

 

 

 

「わー、お兄ちゃん!ペンギン!ペンギンがたくさん歩いてるよ!可愛いー!」

 

「ああ、そういやペンギンの語源ってラテン語で肥満って意味らしいぞ。そう考えるとあれだな、メタボサラリーマンが営業で外回りしてるみたいだな」

 

「わ、わー。急に可愛く思えなくなってきた……」

 

小町が俺を恨みがましい視線で見てくる。

 

「お兄ちゃんの無駄知識のせいでこれからペンギン見るたびに肥満の二文字が頭に浮かぶようになったよ」

 

しょうがないだろ。俺だって、本当は雪乃とデートしたかったんだから。そもそも小町が雪乃に電話しなければこんなに悲しむことはなかったのに……

 

「お兄ちゃんさー、デートのときそういうこと言っちゃだめだよ?雪乃さんが『可愛いねー』って言ったら『そうだねー、でも俺は雪乃の方が可愛いと思うけどねー』って返さないと」

 

「大丈夫だ。そこら辺のバカップルが可愛い可愛い言い合ってるときも、俺は頭の中では『は?お前ら何言ってんの?雪乃の方が可愛いに決まってんじゃん!』って思ってるからな」

 

「うわぁ……。あっ、あっちに猫いる!」

 

そう言って小町が俺の腕を引っ張る。

 

「この子超可愛い。ほら、ほら」

 

「大丈夫だ小町、雪乃の方が可愛いからな」

 

「雪乃ちゃんがどうしたの?」

 

突然後ろから声がした。ヤバい。俺の脳内サイレンがガンガンに鳴りまくっている。

 

「は、陽乃さん……と、雪乃!?」

 

「ひゃっはろー。比企谷君と、妹ちゃん?」

 

「はい!比企谷小町といいます!」

 

小町が陽乃さんに挨拶している横で俺は、顔を赤くした雪乃を見ることしかできなかった。

 

「あっ、雪乃ちゃんね、照れちゃってんの〜。可愛いでしょ?」

 

「あ、あの……。つかぬことをお尋ねしますが、どこからお聞きになっていましたか?」

 

「『この子超可愛い。ほら、ほら』『大丈夫だ。雪乃の方が可愛いからな』ってとこだよ。もぉ、雪乃ちゃんが可愛いのは当たり前じゃん!それよりさ、雪乃ちゃんがいないところでも雪乃ちゃんの話してたの?」

 

「はい!そうなんですよ〜。兄ってば雪乃さんのこと大すっ――」

 

「小町ちゃん?余計なこと言っちゃだめよ?」

 

「余計じゃないよ〜。だって、私の可愛い妹の話されてたら気になるじゃん!ねぇ、雪乃ちゃん?」

 

「えっ?えっと……」

 

もう小町と陽乃さんの組み合わせだめだ。俺がもたない。息切れがやばいわ。あー、どーしよっかなー。

 

「わー、陽乃さんおもしろ〜い。一緒にまわりませんか?二人で」

 

「わー、小町ちゃんおもしろ〜い。一緒にまわろっか。二人で」

 

は?何言ってんの、この人たち。

 

「じゃあね、比企谷君、雪乃ちゃん。後は二人で頑張ってね」

 

そう言って陽乃さんと小町はどこかへ行ってしまった。

 

「あ、えっと、どっか行く?」

 

「え、えぇ……」

 

とりあえず猫ゾーンから出なければと思い、雪乃を見ると、じっと猫を見ていた。

 

「猫、見るか?」

 

「………」

 

とりあえず雪乃を待つ。

 

「………」

 

「えっと、おーい?」

 

「……にゃー」

 

あ、これだめた。俺のことなんて見ていないわ。

 

「あっ。何か言った?」

 

慌てて雪乃が振り返り、俺の方を向く。

 

「どっか、行くかって言ったけど」

 

「そう。えっと…どこに行くの?」

 

「まぁ、そこら辺だな」

 

雪乃は俺とは反対の方から来ていたから、ペンギンコーナーの辺りまで行く。

……これって、デートだよね?男女で出かけてるんだから、デートだよね?雪乃が可愛いって言ったら、俺は可愛い返ししたほうがいいやつなの?

 

「ペンギンって……」

 

雪乃がペンギンを見るなり口を開いた。え?可愛いとか言うの?

 

「ペンギンの語源ってラテン語で肥満という意味なのよね。そう考えるとあれよね、餌を取り合っている姿なんか、満員電車に押し潰される太ったサラリーマンみたいよね」

 

うわぁ……。ちょっと小町の気持ち分かったかも。

 

「……俺も小町に同じこと言って怒られた」

 

「え?怒られたの?」

 

雪乃も俺と同じだな。何がだめなのかよく分からない人だ。でも言われる側になると分かるんだよ……

 

「まぁ、確かにそう見えるから言っちゃうよな。その気持ちはよく分かる」

 

「そうよね、普通、よね」

 

「いや、普通ではないんだが……。まぁ、デートとかでは気をつけた方が良いらしいぞ」

 

「えっ、デート!?」

 

雪乃が少し俺から距離をとる。

やめて!違うの、小町が言ったことそのまま言っただけなの!

 

「あ、いや、別に今の言葉に他意はないぞ?」

 

これって他意って言ってる時点で他意があるってことなんだよなぁ。

 

「……あっても、いいのに」

 

雪乃がうつむきながらつぶやいた。

 

「え?なんて?」

 

「あっ、別に、なんとも……」

 

慌てて手をワチャワチャする。でも後ろにいくにつれて、自信なさげに髪をいじっていた。

そう、髪だ。今日の雪乃はいつものおろしている髪型ではなく、ツインテールなのだ!

今まで気づいてたけど、言うタイミングがなかった。

 

「髪型、なんかいつもと違って……なんか、いいな」

 

「えっ!?あ、えっと……姉さんと、出かけるから……」

 

陽乃さんと出かけるのがそんなに好きなのか。陽乃さんが前言っていたが、話を誇張しているのかと思っていた。

 

「陽乃さんのこと、好きなんだな」

 

「……好きじゃない人とは、出かけないもの……」

 

え、ちょっと待って。これって今雪乃と出かけてることになるの?なるよね?え、雪乃の中ではならないの?どっちだぁー!

 

「今、俺って雪乃と出かけてることになる、のか?」

 

「えっ?だって今、出かけてるじゃない……あっ、や、やっぱり今のなしっ!ち、違うの!出かけてるとかそういうのは関係ないの!えっと…そ、そう!出かけてるけど、その、あ、出かけてないからっ!あれ?えっと、す、好きじゃない人とも出かけてることだってあるし、あ、でも比企谷君が好きじゃないって言いたいんじゃなくてっ、えっと………」

 

必死過ぎて、何が言いたいのか全く伝わってこない。

……でも、そういうところもめちゃくちゃ可愛い。

 

「えー、結論は?」

 

「えっと、好きじゃない人とも出かけてることだってあるけど、比企谷君が好きじゃないって言いたいんじゃなくて、でも、好きって言いたいわけでもなくて……今日は一応出かけてるってことで良い?」

 

良いか悪いかで言われたら良くない。だってこれどう考えてもデートだろ!どうせならデートって言ってほしいなぁ。

というか焦り過ぎで口調が変わっている。

なるほど、これがギャップ萌えというやつか。いや、常に雪乃に萌えてるからギャップもなにもないか。

 

「出かけてるってことなのか?」

 

「あ、嫌だったら、偶然会って同じところを歩いてるだけでも良いけど……」

 

なにその距離感。斬新だな。てか、なんで出かけるから遠ざかってんの?違うよ、そっちじゃないよ。もっと近づいてデートって言って欲しんだよ。さては雪乃、会話の方向音痴だな。

 

「あ、なんかデートっぼくないかと思っんだが……」

 

「え?あ、えっと……そうなるの、かしら?」

 

「嫌だったら出かけてるでいいんだが……」

 

すると雪乃はフルフルと首を振った。

ナニそれ可愛い。

 

「……嫌じゃ、ないから、デートが良い……」

 

「お、おう……」

 

嘘だろ。予想以上に可愛くてびびったわ。破壊力抜群だな。

 

「あ、あとお願いがあって……」

 

雪乃のお願いならなんでも聞くぞ!

 

「どうした?」

 

「そ、その……付き合ってくれないかしら?」

 

「いいぞ。……えっ?」

 

「え?」

 




切るところが見つからず、長くなってしまいました。
読んでくださりありがとうございました。


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彼女もデートがしたい

「じゃあ行きましょうか」

 

いやー、いきなり付き合ってなんて言われるからびっくりしちゃったよー。買い物に付き合ってだったのかー。でも一応デートってことになってるし、俺としてはそれだけで満足なんだけどね。

 

「何買うんだ?重いものでも買うのか?」

 

なぜ俺を買い物に誘ったのだろうか。

一番可能性が高いのは、荷物持ちか。

 

「6月18日ってなんの日か知ってる?」

 

「明日か。祝日ではないな」

 

「由比ヶ浜さんの誕生日よ。……多分」

 

「多分なのな」

 

「……恐らく」

 

「いや意味変わってないから」

 

「とにかく誕生日のお祝いをしてあげたいの。たとえ今後由比ヶ浜さんが奉仕部に来ないのだとしても、……これまでの感謝はきちんと伝えたい、から」

 

雪乃は恥ずかしげにうつむく。

分かる、こういうこと人に言うのちょっと恥ずかしいよね。言ったことないけど。言う相手いないけど。

 

「で、お目当てのものはどこで買えるんだ?」

 

「ねぇ、比企谷君が貰って嬉しいものってなにかしら?」

 

雪乃から貰ったものならたとえダンボールでも大切にしちゃうぞ☆とは流石に言えない。

やっぱ雪乃はプレゼント選びのセンスないよな。

というか由比ヶ浜のプレゼント買うのに俺の意見を求めてくる時点で人選センスないな。あ、選ぶ程知り合いいないのか。いや、葉山とかに聞けばいい答えが返ってきそうだが。……何気に雪乃って男子の知り合い多いのか?いや、多くはないか。女子の知り合いが少ないだけだな。由比ヶ浜に、戸塚に……って戸塚男だわ!あっぶねぇ。ということはやっぱ男子の知り合いの方が多いのか。気をつけないといけないな。

 

「比企谷君?」

 

俺が長い間考え込んでいたせいか、雪乃が不安げに俺の顔を覗き込んでくる。

 

「あー、えっと……由比ヶ浜ならなんでも喜ぶんじゃないか?」

 

「私が聞いているのは、比企谷君が何を貰って嬉しいかよ」

 

「え、俺?なんで?誕生日とかきてないけど」

 

「いつなの?」

 

「8月8日だ。覚えやすくていいだろ」

 

「えぇ、覚えやすくていいわね。で、何を貰ったら嬉しいの?」

 

「あー、本とか、図書カードとかだな。変に気を遣われて友だち候補リストとか貰っても虚しいだけだし」

 

「本と図書カード、ね。……由比ヶ浜さんはどうなのかしら」

 

「少なくとも本を貰っても喜ばなそうだな。意外と難しいな」

 

「とりあえず色んなお店に入ってみましょうか」

 

お店に入ると、とても痛かった。

何がって他の女性客の視線だ。もう虫を見るかのようだ。さらに俺の動きを警戒するように店員さんがすっと移動を始める。雪乃は商品見てるし。っていうか、一緒に歩いていても俺がストーカーしてるようにしか見えないんだけどね。

 

「あの、お客様……。何かお探しですか?」

 

ペッタリと張り付いた笑顔の下に警戒心を隠しながら女性店員が話をかけてきた。

 

「あ、いや、その……す、すいません」

 

思わず謝ってしまった。その意味不明な謝罪がさらに警戒心を招いたのか、女性店員がさらに一人増える。まずい、仲間を呼ばれた!全滅フラグがビンビン立ってる!

 

「ねぇ比企谷君、こっち」

 

救世主に呼ばれて行ってみると、そこにいたのはエプロン姿の雪乃だった。

黒い生地は色合いとは裏腹に薄手で、雪乃が羽織ると涼しげですらあった。胸元に小さくあしらわれた猫の足跡。腰紐がピコっとリボン状に結ばれ、それが雪乃の引き締まったくびれを強調していた。首回りや腕回りの具合、そして動きやすさを確かめるように、雪乃はクルリとワルツでも踊るかのように一回転してみせる。そうすると、解けかけた紐がゆらっと動き、しっぽみたいだった。

 

「どうかしら」

 

「毎朝俺のみそし――。いや、すげぇよく似合ってる」

 

最初はキョトンとしていたが、次第に笑顔になる。

 

「そ、そう?ありがとう。……でも、今のは由比ヶ浜さんにどうかしら、という意味よ」

 

「由比ヶ浜にはもっと頭の悪そうな、ふわふわぽわぽわしたのの方が喜ぶんじゃないか?」

 

「ひどい言い草だけれど的確だから反論に困るわね。

 ……これにするわ」

 

そう言ってピンクの装飾少なめのエプロンを選んでいた。

しかし危なかったな。雪乃が可愛い過ぎてうっかりプロポーズしちゃうとこだった。ここでプロポーズして気持ち悪がられたら死んじゃう自信がある。

 

「あれ?そのエプロンも買うのか?」

 

さっき雪乃が試着していたエプロンも持ってレジに並んでいた。

 

「あっ、えっと……私も料理、するし……」

 

「自分用ってことか?」

 

「えぇ……まぁ」

 

「じゃ、じゃあさ、俺が買うよ」

 

「でも……それは……」

 

「代わりと言ってはなんだけど、今度またそのエプロン姿見せてくれないか?俺が見たいんだ。だから買う」

 

「見たい、の?」

 

「見たい」

 

「そ、そう。なら…お願いしても、いいかしら……」

 

そう言って雪乃はおずおずと俺に差し出してくる。

まぁ、なんつーか俺にとって人生初めてのデートだし、しかもその相手が好きな子だったら格好つけたくなるよな。

 

 

 

 

 

エプロンを買ってから、飲み物を買って休憩する。雪乃が疲れてたからだ。

でもこいつ、「疲れたか?」って聞くと、絶対強がるから俺が疲れたってことにしないと意地でも休まないんだよなぁ。まぁ、そういうところもめちゃくちゃ可愛いんだが。

 

「他どっか行くところあるか?」

 

「……比企谷君は?」

 

「俺はないけど、この後暇だし荷物持ちでもなんでもできるけぞ?」

 

「そ、そのっ……。えっと……」

 

雪乃がこっちを向いて口を開くが、すぐに視線をそらされてしまう。

言いにくいことを言うときの癖なのか、口をモゴモゴとさせている。

 

「じゃ、じゃあお昼ごはん食べない?あと、もう少しお店とか見て……」

 

「お、おう」

 

いやあまりにも可愛過ぎてびっくりしたわ。何この子超可愛いんですけど。やっば、顔が赤くなって、ちょっと上目遣いなのとかすごすぎるんですけど。この子の顔全人類に見せたら平和になるんじゃないの?いや、今度は雪乃の取り合いで戦争がおきるか。なら俺が雪乃を貰っとこう。……本人に拒否されるかもしれないけど。

 

適当に店に入る。雪乃はあまり派手なお店に来たことがないのか、物珍しそうに色々見ていた。

そして俺は、色んな人から変質者を見るような目で見られていたり

なんでこうなるんですかね。そこにも男性客いるじゃん!なんで俺だけ?男女ペアじゃないとだめなの?というか、俺も雪乃と来てるんですけど。

 

「なぁ雪乃。俺不審みたいらしいから外で待ってる」

 

「あっ、待って」

 

「いや、でも店入れないし……」

 

「こっち、来て……」

 

雪乃に頼まれてしまっては断れない。色んな人からの視線を我慢し、雪乃に近づく。

すると雪乃は途中まで手を伸ばしかけるが、中途半端なところで止まってしまう。

そして助けを求めるような顔で俺を見てきた。

 

「えっと、俺どうすればいい?」

 

「あ……えっと、その…デート、だから……」

 

え、手繋いでいいの?これどう考えてもそういう展開だよね?何か最近雪乃との距離遠いと思ってたけど、そんなことなかった?

 

「手を繋いだら、少しは不審じゃなくなると思うから」

 

またもや雪乃は恥ずかしそうにうつむく。

ここは俺が雪乃の意思を継がなければ!

 

「えっと、し、失礼します……」

 

そう言って雪乃の手をとる。

女の子独特の手の柔らかさが直に感じられる。細長い指に、温もりのある手のひら。俺女子と手繋ぐの小町抜いたら初めてなんだが。

……ヤバい、ドキドキしてきた。

手汗かいてないよね?手汚いとか思われてないよね?

チラっと雪乃を横目で見る。雪乃は雪乃で、緊張しているようだった。葉山と繋いだことはあるのだろうか。ないことを願いたい。

 

「じゃ、じゃあ行きましょうか」

 

暫く一緒に歩いてもなかなか慣れず、結局手を繋いでいるのに、お互いの距離は遠くなってしまった。

 

お昼ごはんを食べ、また休憩する。

休憩するためにごはんを食べに行ったはずなのに、手を繋いだせいか、かえって緊張して、疲れてしまった。

雪乃はぼーっと遠くを見ている。

するといきなり犬が走ってこっちに向かって来た。

 

「ひ、比企谷君、犬がっ」

 

雪乃は犬が苦手なのか、俺に隠れるようにしてくっついてくる。やめて!俺の心臓バクバクいってるから!あ、やっぱやめないで!

上手く犬をキャッチすることに成功する。

 

「うおっ、この犬なんだ?」

 

「ごめんなさーい、サブレがご迷惑を〜」

 

どこからか、聞き覚えのある声がした。

 

「由比ヶ浜さん」

 

「あっ、ゆきのん!……と、ヒッキー」

 

雪乃を見たときは嬉しそうに、俺を見たときは気まずそうな顔をされる。べ、別にそんなの慣れてるからなんとも思わないもんっ!

 

「あのっ、由比ヶ浜、さん。明日、部室に来てもらえないかしら。その、大事な話があって……」

 

「あ、うん…分かった」

 

なんとなく気まずい雰囲気の中由比ヶ浜は去って行った。

 

 

 

 

 

月曜日、また学校の始まりである。正直俺は学校が嫌いじゃない。だって雪乃に毎日会えるし。そもそも学校なかったら一生会えないし。学校バンザイ。

奉仕部へ行くと、すでに由比ヶ浜は椅子に座っていた。

いつもの席なはずなのに、心なしか俺と距離がある気がする。

部室へ入っても気まずい雰囲気は変わらず、誰も自分から口を開いこうとはしない。

雪乃が席を立った。窓際に立ち、夕陽が差し込んでいる。ついその姿に見惚れてしまった。

 

「ハチえもーん、助けて〜」

 

「えっ?誰?」

 

いきなりドアが開いて、面倒くさい奴が来た。

 

「むむっ、我、運命的な出会いをしてしまったぞ!ある梅雨の日、我は運命と出会った」

 

「は?お前何言って――」

 

「八幡!我と一緒に、最高のギャルゲーを作らぬか?」

 

「あ?いや意味分かんねーから」

 

「そこの黒髪ロング!お主を胸がキュンキュンするようなメインヒロインにしてやる!」

 

「は?おい材木座、やめろ、雪乃に――」

 

「八幡、我と一緒に最高のギャルゲーを作らぬか?」

 

「おい2回も言うな。お前それ誰エンドか分かって言ってんのか」

 

「分かっておるから言っているのだ」

 

「いや黒髪ロングだったら先輩だろ。雪乃は渡さねぇぞ」

 

「確かにそうだな。……だがあの先輩より胸も色気もないぞ。うむ、皆無だ。ならばいっそ金髪ツインテールの方が近いのではないか?」

 

「ははっ、ちげーねーや」

 

「あなた達、その胸も色気もない黒髪ロングとは誰のことを言っているのかしら」

 

「「いえっ、す、すびばぜん」」

 

「私は誰かを聞いているのよ。あなた達に謝ってほしいんじゃないの」

 

「誰のことでもありません。っていうか材木座お前なにしに来たんだよ」

 

「むむっ、そうであった。諸君らに相談があるのだ」

 




上手く切れなかったので、微妙なところで終わってしまいました。
読んでくださりありがとうございました。


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メインヒロインの彼女は

「話を要約すると、お前の夢を笑ってきた奴がいて、そいつをネットで煽ったら同じ学校ということが分かって勝負を挑まれたってことか?」

 

「ふむ、それで合っておる」

 

「で、俺たちどうすりゃいいんだ?」

 

「我の夢はゲームのシナリオライターなのだ。つまり、そこの黒髪ロングを連れていけばいいと言うわけだ」

 

「つまりの使い方知ってる?てかなんで雪乃がメインヒロインで決定なんだよ。残念だがな、雪乃はヒロインとしては冴えていない訳ではない。……いや、冴えてないかも」

 

「私は冴えているわよ」

 

横から不機嫌そうな声が聞こえる。

さっきさんざん材木座にボロクソ言われたのに、一応話を聞く意思はあるみたいだ。

 

「いや、だってお前ペンギン見たときなんて言った?」

 

「……満員電車に乗るサラリーマン」

 

「ふむ、ならばやはり我が立派なメインヒロインにしてやらねばならないな」

 

「あ?お前何言ってんだ?そこが良いんじゃねえかよ。勝手にお前の理想で雪乃を変えるなよ」

 

「は、八幡、顔が怖いぞ」

 

「なに怯えてんだよ。気持ちわりぃ」

 

「ケプコンケプコン。とりあえずついてきてくれ」

 

そう言って材木座が歩き出す。

雪乃と由比ヶ浜は少し二人で相談して、ついていくことに決めたようだ。

ていうかこの二人材木座のこと知らないよな。

 

 

 

 

 

「ユーギ部?ゆきのん、知ってる?」

 

「遊戯部じゃないかしら、ゲームとかをする部活だと思うわ」

 

「ふーん」

 

「モハハ、失礼するぞ!」

 

材木座がノックもしないで思いっ切りドアを開ける。もし中に雪乃がいたら激怒していただろう。

 

中は本やパッケージなどが衝立のように聳えたち、迷宮のようだった。

 

「はぁ?ここユーギ部じゃないの?ゲームっぽくない」

 

そう由比ヶ浜が思うのも無理はない。普通はゲームといえば、テレビゲーム、ビデオゲームを指すものだ。

 

「そうかしら?私はこちらの方がしっくりくるけれど。由比ヶ浜さんが想像しているのはピコピコの方よね」

 

「ピコピコっておばあちゃんかよ」

 

「だってピコピコいうじゃない」

 

雪乃が不満げにそう言うが、最近のゲームはピコピコいわない。

 

「てか部員の人は?」

 

「むむ、こっちだ」

 

材木座について行き、本や箱の奥に回り込む。

すると男子が二人そこにいた。

 

「あ、剣豪さん」

 

「むっ、貴様ら一年坊主か!」

 

こいつ、相手が年下だと分かった瞬間態度がでかくなった。

 

「早く話をつけてくれないかしら」

 

雪乃が冷たい視線で材木座を睨む。

 

すると材木座が遊戯部の二人にビシッと指を立てた。

 

「聞いて驚くなよ、我は最高のギャルゲーを作ることにしたのだ!八幡、黒髪ロングにもっとこっちに来るように言ってくれ」

 

「自分で言えよ……。あー、雪乃、あっちだ」

 

雪乃が遊戯部二人の前に立つ。すると、その姿を見た一年二人がコソコソと何事か囁き合う。

 

「あ、あれって二年の雪ノ下先輩じゃ……」

 

「え、なんで剣豪さんと繋がりあるんだ?」

 

おい、マジか。雪乃って結構有名人なのか。ライバルが増える一方だな。

 

「さっきから言っている、ぎゃるげぇとはなにかしら?」

 

「雪乃は知らなくていいぞ」

 

「ふむ、ギャルゲーとはな――」

 

「材木座、余計なこと言うな」

 

「ギャルゲーを知らない人に頼むのはどうかと思いますよ。あのハーレム野郎だって一応本人に許可とってた訳ですし」

 

「正論だな。ってことで材木座、諦めてくれ」

 

「ムハッ、ならば勝負だ!黒髪ロングと我が勝負して、勝ったらお主がメインヒロインのギャルゲーを作るぞ!」

 

「勝負……。いいわよ」

 

受けちゃうのかよ。

 

「あ、ならここにいる全員で勝負しません?……トランプの大貧民とかならできますよね。どうせならダブルで」

 

「大貧民?」

 

雪乃だけがはてなと首を捻った。

 

「あ、一応ルール説明しますね。ローカルルールは『革命』『8切り』『10捨て』『スペ3』『イレブンバック』でいいですよね」

 

そう言ってトランプを配りながら説明をしていく。

 

「で、ダブルなのでペアでやります。相談は無しです」

 

なるほど、敵だけではなく、ペアの考えまで読まなければいけないのか。

 

「ゆきのん!ペア組も!」

 

「え、あ、そうね」

 

まぁそうだよな。誰からも選ばれない人間が誰かを選ぼうだなんて間違ってるよな。

 

「それで、私が勝ったら何をしてくれるの?」

 

「むぅ、我が最高のヒロインに――」

 

「却下だ。雪乃はこのままでいい」

 

「ならば我のゲーセンに招待――」

 

「却下だ。なにナチュラルにデートっぽくしてんだよ。ぶっ倒すぞ。てかお前のゲーセンじゃねぇだろ」

 

「なにならいいのだ」

 

「例えば、今後雪乃の顔を二度と見ないとか、絶対半径5メートル以内に近づかないとかだな」

 

「む、それは流石にひどいぞ」

 

「ゆきのんが決めたらいいじゃん」

 

「え?そ、そうね。……ゲーセンというところに少し興味があるわね」

 

「ほう、ならば我が――」

 

「あっ、じゃあさ帰り一緒に寄ってかない?あたし、ゆきのんとお出かけしたい!」

 

「そ、そう?なら一緒に……」

 

「あれぇ、我の出番なくない?」

 

「よし、雪乃の顔を二度と見ないで決定だな」

 

 

 

 

 

最初は俺たちのチームが1抜け、雪乃たちのチームが2抜けして終わった。

遊戯部も、戦略は普通だ。

 

「いやー秦野くん、負けちゃったねー。しまったー」

 

「そうだなー。相模くん。油断してしまったー」

 

そう言っている割には二人には危機感らしきものが見受けられない。むしろ楽しそうだ。何考えてんだこいつら。

 

「困ったね」

 

「困ったな」

 

「「だって負けたら服を脱がなきゃいけないんだから」」

 

言うや否や二人はまるで変身でもするかのようにシュバっとベストを脱ぎ捨てた。仕草は格好いいが、それ変態の所業だぞ。

 

「なっ!?なによそのルールっ!」

 

由比ヶ浜が机を叩いて抗議する。

 

「え?ゲームで負けたら脱ぐのが普通じゃないですか?」

 

「ゆきのん、もう帰ろうよ」

 

「そう?私は構わないけれど。勝てばいいのだし。それに勝負する以上、リスクは当然だわ」

 

この場で由比ヶ浜が頼れるのは雪乃だけだ。その雪乃が乗り気である以上、どうすることも出来ない。

俺が止めるべきなんだろうか。でも、俺が言って勝負を諦めるようなやつじゃないしな。

 

遊戯部の二人は、見違えるほど鮮やかな戦略をとってきた。

ヤバい、負ける。せめて俺たちが負けて女子二人はノーダメージで切り抜けてもらうか。

 

「覚悟してください。そろそろ本気を出してあげます」

 

本気、という遊戯部の言葉に嘘はなかった。

第三戦、第四戦と敗北し、俺は既にパンツのみとなっていた。しかし材木座はいらんものばかり着ているから、ズボンもワイシャツも健在だった。

なにこの不公平感。なんで俺だけパンイチなんだよ。

あ、そうそう。ぼくが脱ぎ始めたら、雪乃さんはぼくのことをいないものとして扱い始めました。一切こっちを見ず、完全に無視。ゆきのぉ……。

 

ヤバい、また負ける。え、俺パンツまで脱がなきゃいけないの?

仕方ない、脱ぐしかないのか、と思ったときだった。

 

「参ったわね。何をどう計算しても勝てる要素がないわ」

 

それまでずっと黙っていた雪乃が額を押さえて呻いた。

 

「え、ゆきのんなんで分かるの?」

 

「分かるでしょう、場に出ているカードをすべて数えていれば。後は私たちの手札を引けば相手の手札が読めるじゃない。

 

「コンピューターおばあちゃんかよ」

 

チラっと俺の方を向いてため息をつく。

 

「……比企谷君はもう無理ね」

 

そう言うと、雪乃は手札を置いて席を立った。

 

「由比ヶ浜さん、あなたは脱がなくて構わないから。私が二枚脱ぐわ」

 

由比ヶ浜はブラウス一枚。雪乃はサマーベストを着ているから二枚。どっちにしろどっちかが下着姿になってしまう。

 

「え、ゆきのん、それは……」

 

「あなたはやめたいと言ったのだから、責任は私が取るわ。それで構わないかしら?」

 

遊戯部の方を向いて確認を取る。

 

「あ、はい。いいです……」

 

雪乃は羞恥に頬を染めてそっとサマーベストの裾に手をかける。震える指がなかなか裾をつかめず、見ているこっちがやきもきしてしまう。

ふっーと短い息を吐き、奥歯を噛み締めて雪乃は細く長い指にキュッと力を込めて裾をつまんだ。

ゆっくりと持ち上げられ、隠されていたブラウスがその姿を露わにする。

そして次はブラウスのボタンを一つずつ丁寧に外していく。

その姿を見て、秦野が一枚ジョーカーを取り落としていた。

3個目のボタンを外したとき、肩がチラリと見えた。

 

「あっ、ゆきのん、だめ!」

 

いきなり由比ヶ浜が雪乃に向かってダイブする。

 

「えっ?由比ヶ浜さっ、ひゃっ!」

 

思いっ切り倒れ込む。

由比ヶ浜が雪乃の上に乗っていて、雪乃が苦しそうにしている。

男子全員の視線が雪乃の露わになった肩に向く。

 

「男子全員一回外出て!」

 

 

 

 

 

「ほら、これでスペ3であたしたちの勝ちでしょ」

 

さっき秦野が落としたやつの上に由比ヶ浜が置く。

 

「げぇ!うそ、だろ……」

 

秦野が苦虫をかみ潰したような顔になる。

 

「全く、脱衣ゲーなんてくだだらねぇな」

 

「その割にはゆきのんのことガン見してなかった?」

 

由比ヶ浜がゴミをみる目つきで俺を見てくる。

 

「えっ!?」

 

雪乃が自分の身体を守るポーズになる。

 

「おいバカっ!雪乃は警戒心強いんだそ。そんなこと言ったらなんて思われるか……」

 

由比ヶ浜だけに聞こえる声で言うが、雪乃がこちらを嫌そうに見る。

俺との距離を遠ざけられた。

 

「いや、別に変な意味で見てたわけじゃないからな?」

 

雪乃との距離を縮めながら誤解を解く。

 

「ねぇ比企谷君、あまり近づかないでもらえるかしら。早く服を着て欲しいのだけれど」

 



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彼女は歩み寄る

 

「本当にすみませんでした」

 

両膝と両手と頭を床につけて謝る。

 

「あ、あたし土下座って初めて見た……」

 

「私もよ……」

 

女子二人に引かれているが、俺は許しを得るなら手段を選ばない男だ。どうだ、格好いいだろ。いやよくねぇな。

 

「もういいから、頭を上げなさい」

 

頭を上げると、呆れかえっている雪乃と、冷たい視線の由比ヶ浜がいた。

 

「ふむ、申し訳ないと思う義輝であった」

 

隣には未だに土下座中の材木座がいる。てかなんでこいついるんだよ。

 

「なんであんたいるの?」

 

由比ヶ浜が蔑んだ目で見ている。雪乃はもはや視界にすら入れていない。

やめて!材木座くんのライフはもうゼロよ!

 

「材木座、帰ってくんない?」

 

そう言うと、材木座が捨てられた子犬のようにウルウルとした目で見てくる。そんな目で見られてもキュンキュンしねぇよ。気持ちわりぃ。

なんとか力ずくで材木座を押しやる。こいつ重いから大変なんだよな。

 

「……さっきのは忘れてくれ」

 

「あ、うん……」

 

由比ヶ浜が微妙と言うような顔をする。まあ仕方ないだろう。あれを見てしまったのだから。

 

「さっきのってなにかしら?」

 

ふぇぇ。雪乃さんマジすか。完全に存在してない扱い。流石だな。

 

「で、あたしなんで呼び出されたの?」

 

「あなたの誕生日祝いをしたくて……」

 

「え?ゆきのんあたしの誕生日覚えてくれてたの!?」

 

由比ヶ浜は感慨深そうな顔になって雪乃を見つめる。雪乃は覚えていた訳ではないのだが……。そこら辺はどうでもいいか。

 

「ケーキを焼いて来たのだけれど、時間がなくなってしまったわね。後は…プレゼントね」

 

そう言うと雪乃はカバンからプレゼントを用意する。俺も一応出しておく。

 

「え?ヒッキーも?」

 

そうか。俺今由比ヶ浜とあんまり良い関係ではなかったのか。遊戯部の件で忘れていた。

そもそも関係を持つことすら稀だからそういうのは鈍感なんだよな。

 

「あー、誕生日だからじゃなくてだな。お前が今まで気を遣ってくれてたののお礼だ。お前んちの犬助けたのだって偶然だし、そんなん必要なかったんだが……まぁ、お前が気を遣ってくれた分のお礼くらいは、な。別に俺は事故のこと大して気にしてないからもういいよ。これで全部チャラ。終わりな」

 

こういうときだけ言葉がどんどん出てくる自分に正直嫌気がさす。まともに由比ヶ浜の顔を見れない。

 

「これで終わりなんて、やだよ……」

 

「終わったのならまた始めればいいじゃない。あなたたちは悪くないのだし。等しく被害者なのでしょう?ならば全ての責任は加害者に求められるべきだわ」

 

「ゆき、のん?」

 

由比ヶ浜が驚いた表情で雪乃を見る。俺も驚いた。雪乃が、泣いていたから。

 

「えっ?」

 

「どうしたの、ゆきのん?何かあった?あたしに言えることなら言ってくれないかな?」

 

そう言いながら由比ヶ浜は雪乃に近づいていき、ギュッと抱きしめた。

それで雪乃は少し安心したのか、肩の力が抜けていく。

 

「……わた、しは…。比企谷君が轢かれた原因、なの。比企谷君が轢かれたとき、私も、乗っていて……」

 

「雪乃、怖い思いさせて悪かったな。人が轢かれたところなんて見たくなかったよな。悪い、俺が加害者だな」

 

「あたしも、ごめん……。サブレちゃんと繋いでなかったし。それに、ヒッキーが轢かれてなかったらサブレが轢かれたし。あたしも加害者だね」

 

「えっ……」

 

「なら全員加害者だな。ってことは加害者はいなくなるな。そもそも被害者がいないんだし。だから加害者は存在しない」

 

「うん!そうだね」

 

由比ヶ浜のこういうときすぐに乗ってくれる性格はかなり助かる。

 

「いい、の?」

 

「うん。だからゆきのんも終わりにして始めよ?」

 

「ありがとう、由比ヶ浜さん」

 

そう言って雪乃は眩しいくらいの笑顔を見せてくれた。

 

「あっ、じゃあプレゼント空けていい?」

 

「えぇ、もちろんよ」

 

由比ヶ浜が包装紙を丁寧に空けていく。少し中が見えるたびに嬉しそうな顔に変わっていく。

 

「わぁ〜、可愛い!ありがとね、ゆきのん!」

 

そう言って由比ヶ浜は雪乃の手をとる。すると雪乃は弱々しく由比ヶ浜の手を握り返していた。

……俺空気ですね。むしろ邪魔なんじゃない?

 

 

 

 

 

「雪乃ちゃん、遊びに来たよ」

 

「あら、いらっしゃい」

 

いつもなら「連絡くらいして」とか言って不機嫌そうになってしまうのに、今日はやけにすんなり入れてくれた。

 

「雪乃ちゃん、何かいいことあった?」

 

「えぇ、あったわ」

 

雪乃ちゃんの頬が自然と緩む。雪乃ちゃんをこんなにご機嫌にするなんてすごいな。比企谷君関係かな。

 

「お姉ちゃんに教えて〜」

 

「由比ヶ浜さんととても仲良くなったの」

 

雪乃ちゃんが少し胸を張って答える。

予想が外れた。比企谷君は関係ないのかな。

 

「由比ヶ浜さんって誰?」

 

「私の一番の親友よ」

 

雪乃ちゃんに順位をつけるほど友だちがいるのかは置いておくとして、こんなに嬉しそうに由比ヶ浜さんとやらを説明するなんて、由比ヶ浜さんはよっぽどすごいな。こんなに難しくて面倒くさい子に構うなんて。

 

「どうやって仲良くなったことが分かったの?」

 

「由比ヶ浜さんが抱きしめてくれたり、手を握ってくれたの」

 

そりゃあすごい。雪乃ちゃんそういうのすごい嫌がるのに。それにしても由比ヶ浜さんってどんな人なんだろう。

 

「由比ヶ浜さんって女の子?」

 

「えぇ」

 

まぁ、そうよね。男子が雪乃ちゃんをここまで嬉しそうに出来るとは考えにくいし。……例外もいるけど。

それにしても由比ヶ浜さんか。これからも由比ヶ浜さんには頑張ってもらわなくちゃね。

 

「由比ヶ浜さんについてもっと教えてよ」

 

「えぇ、もちろんいいわよ」

 

それから小一時間ずっと雪乃ちゃんは由比ヶ浜さんの話をし続けた。



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彼と彼女の痴話?喧嘩

「お兄ちゃん携帯鳴ってるよ」

 

「とってくんない?」

 

俺は只今ゲーム中なのだ。あと寝っ転がってて気持ちいいから動きたくない。

 

「雪乃さんからだよ」

 

「うお!マジか!」

 

ソファから飛び降りて小町のところへ行く。

 

「……これどう見ても平塚先生からだよね?」

 

携帯の画面にあったのは『平塚静』の三文字。しかも一秒につきメールか電話が一つ来るんだが。

 

「早く見なよ〜」

 

こいつまんまと俺を引っ掛けやがって。覚えてろよ。

 

『夏休みのボランティア活動の話聞いていませんか?今日からなので早く来てほしいのですが」

 

「は?ボランティア活動?聞いてないけど」

 

「あっ、やばっ。小町言うの忘れてた〜。テヘペロ」

 

おい。何やってんだよ。これメール来なかったらどうなってたか。というかなんで小町には伝えてんのに俺には伝えてくれないんですかね。ヒドい。

 

「小町もう準備できてるから、お兄ちゃん早く準備してきて」

 

小町は前から準備してたんですね……。

 

 

 

 

 

「遅い。遅刻だ」

 

「いや伝わってなかったんですからしょうがないですって」

 

必死に言い訳をする。いや、俺が悪くないのはあってるよね?聞いてなかったし。急いで準備して来たんだぞ。むしろ褒められるべきなのでは?

 

「ヒッキー遅い!」

 

由比ヶ浜と雪乃が来た。口ぶりからして、とっくに着いていたようだ。

 

「結衣さん、やっはろー!」

 

「小町ちゃん、やっはろー!」

 

その挨拶流行ってんのか?バカっぽいからやめろ。

 

「雪乃さんも〜やっはろー!」

 

「やっ……こんにちは」

 

雪乃もつられて言いそうになっていたが、ぎりぎりのところで我に返ったらしい。どんどん顔が赤くなっていく。

 

「小町も呼んでもらって嬉しいです!」

 

「俺呼ばれてなかったんだけど……」

 

「え?ゆきのんが……」「え?由比ヶ浜さんが……」

 

そういうことですか。よく分かりましたよ。お互いが連絡してくれたと思ってたんですね。これ普通両方から連絡くるパターンじゃないの?

 

「ご、ごめん……」「ご、ごめんなさい……」

 

「いやもう良いって。……これで全員?」

 

「おーい、比企谷くーん」

 

後ろから天使の声が!とっさに振り向く。するとそこには天使が!

 

「戸塚!」

 

「戸塚さんも、やっはろー!」

 

「うん、やっはろー」

 

ナニそれ可愛い。もっと流行らせようぜ。

 

「よし、全員揃ったな。では行くか」

 

平塚先生が車のドアを開ける。中は運転席、助手席、真ん中が二人席、後ろが三人席だった。

ここは後ろの席で雪乃と戸塚に挟まれよう。うん、それがいい。由比ヶ浜も小町と仲良いし、大丈夫だろ。

 

「ゆきのん、隣座ろっ!」

 

「えぇ、いいわよ」

 

なんだとっ!?雪乃を取られた。ここは雪乃と由比ヶ浜の三人席か、それとも戸塚と二人席か、どっちを取ればいいんだ。これこそ究極の二択。

 

「じゃあ戸塚さん、一緒に座りましょう」

 

「うん、いいよ」

 

は?まさか戸塚も取られた?どっちが三人席に座るんだ?それによって俺の隣が決まるんだが……。

 

「じゃあ比企谷は助手席な」

 

「えっ……」

 

まさかどっちでもないのかよ。二兎を追うものは一兎をも得ずというからなぁ……。八幡、一生の不覚。

 

「ゆきのん、お菓子食べよっ!」

 

「それは着いてから食べるのでしょう?」

 

楽しそうですね。俺もお菓子食〜べ〜た〜い〜。雪乃と一緒に食べたい!あー、席失敗したー。

 

「さぁ比企谷、好きなアニメ作品ベスト10を紹介し合うぞ〜」

 

なんでそんなに楽しみそうなんだよ……。

まぁ、プリキュアは外せないよなぁ。

 

 

 

 

 

「うーん、空気が美味しーっ!」

 

着いてからみんな降りて、山の空気を味わっている。

都会に住んでる俺たちからしちゃあ、山とか自然とか憧れだよなぁ。こういうとこ住んで家から一歩も出ずに、買い物は通販で済ませるような暮らしがしてみたい。

 

「じゃあ荷物運ぶか」

 

荷物の整理をしていると、隣にもう一台車が止まった。

 

「やぁ雪乃ちゃんに比企谷たち」

 

なんで雪乃と俺だけ名前で呼んでそれ以外はたちなの?なんなら俺もたちの中に入れてほしかった。

 

「あんれぇ〜、ヒキタニくんたちじゃ〜ん」

 

だからなんで俺は名前で呼ばれないといけないの?いやそれ名前じゃないけど。

 

「あの、なぜ隼人くんたちまでいるのでしょうか?」

 

「ん?ああ。私に聞いてるのか」

 

「まぁ、敬語なんでそうじゃないですかね」

 

「あら、そうとも限らないでしょう。目上の人相手でなくても距離感を出すために敬語を使うことはあるかと存じますがいかがでしょうか、比企谷さん」

 

ゆ、ゆきのぉ。やめてぇ。

 

「ゆきのぉ……」

 

「ふふっ、冗談よ」

 

良かったぁ。ならばこっちも!

 

「……雪乃はそんな風に思ってたんだな」

 

わざと沈んだ声で言う。

 

「えっ!?比企谷君?」

 

「そうか……。分かったよ。今までありがとうな……」

 

そう言って雪乃から少し離れる。

 

「ちょ、ちょっと!冗談だって言っているじゃない!」

 

かかった!ふふふ、甘いな、雪乃。俺の作戦の方が何枚か上だったようだな。……もう少し粘ってみるか。

 

「いや、いいよ。俺に気を遣わないでくれ。もう分かってるから」

 

「本当に冗談なの!ねぇ聞いてる?冗談なの!」

 

「距離感出すんだろ?そんな近づいていいのか?」

 

「冗談だって言ってるじゃない!比企谷君!」

 

「どうされましたか、雪ノ下さん」

 

「私が悪かったから!ごめんなさい!だから敬語やめて!」

 

ここまで必死な雪乃は初めて見た。可愛いなぁ。でもそろそろ可哀想になってきたからネタバラシするか。

 

「……私は何を見せられているんだ?」

 

「比企谷君が私の冗談を真に受けたんです。冗談だって言っているのに……」

 

「いや分かってるから」

 

ここでネタバラシだ。そうしないと平塚先生にグチグチ言われそうなんだもん。

 

「分かってたの?」

 

雪乃が不服そうに頬を膨らませる。

 

「何回も言われたからな」

 

「……比企谷君のいじわる」

 

そう言ってそっぽ向いてしまう。……あれ、これ雪乃の機嫌損ねちゃった?

 

「雪乃だって冗談先に言ってきたじゃないか」

 

「私はすぐに冗談って言ったもの」

 

「痴話喧嘩ならよそでやってくれ」

 

「えっ?べ、別に今してたのは痴話ではないですよっ!喧嘩もしてませんっ!」

 

雪乃が慌てて訂正する。顔が赤くなってるのがまた可愛いんだよなぁ。

 

「じゃあなんだ?バトル・ロワイアルか?」

 

「古っ。あ、でもスレイヤーズの刊行開始よりは新しいですね」

 

「流石比企谷だな!例えが素晴らしい」

 

「……もう痴話喧嘩でいいです」

 

「痴話ならば君たちは愛し合う者どうしになるんだが」

 

「〜〜っ!……殺し合いよりはましですから」

 

雪乃も知ってたのか、バトル・ロワイアル。

 

「俺たちは高校生ですけどね」

 

「私はもう……。はぁ、痴話喧嘩が出来る君たちが羨ましいよ……」

 

うわぁ、空気が、重い。苦しいよ、息ができないよ。

 

「ねぇゆきのん、ちわげんかってなに?ゆきのんとヒッキーが今してたんでしょ?」

 

こいつなかなかレベルの高いことを聞きやがる。言葉の説明自体は簡単なんだが……。「ゆきのんとヒッキーが今してた」が入ると気持ち的に説明しにくくなる。

 

「……家に帰ってから調べて頂戴」

 

「え?なんで?今教えてよ。あ、もしかしてゆきのんも分かんないの?」

 

「分からないわけないでしょう?私は知っているわよ」

 

「じゃあ教えて?」

 

「……今私たちがしてたのはバトル・ロワイアルよ」

 

あ、逃げた。てか殺し合っちゃうのかよ。

 

「ふーん。で、ちわげんかってなに?」

 

「痴話から起こるたわいない喧嘩よ」

 

「ちわってなに?」

 

「……平塚先生に聞いて頂戴」

 

「やっぱゆきのん分かんないの?」

 

「もう嫌……」

 

負けず嫌いが災いしてあっさり負けたぞ。現実逃避しないか心配になる。

 

「なんで?教えてくれるだけでいいんだよ?」

 

こいつはこいつで分かってないからキツイ。

 

「ぼく知ってるよ。痴話ってね、愛し合う者どうしがする話だよ」

 

心優しい戸塚が由比ヶ浜に教えてしまった。でも雪乃と俺の心には優しくないです。

 

「あ〜、なるほど……」

 

何納得しちゃってんの?こっち見ないで恥ずかしい。雪乃なんかうつむいてても分かるくらい顔真っ赤だよ。

 

「雪乃ちゃん、それ持つよ」

 

ブー、ブー、警告です。葉山が雪乃に接近して来ました。直ちに葉山隼人を捕獲してください。処分はこちらで考えておきます。

俺の脳内サイレンが鳴っている!

 

「……ありがとう。私は先に行っているわ」

 

「あ、ゆきのん!照れなくていいのに!」

 

由比ヶ浜、追い討ちをかけるな。

 



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彼はどうしても期待してしまう

 

「これから三日間、皆さんのお手伝いをします。この林間学校で素敵な思い出を作ってくださいね」

 

なんとか荷物を運び終えて小学生たちと合流する。

てかなんで葉山が最初の挨拶してんの?いや、なんとなく理由は分かるけど。小学生や教師陣から拍手やら黄色い悲鳴やらなんやらが湧き上がってくる。

お前らは猿かよ。なにキーキー言ってんだ。べ、別に葉山が羨ましいって訳じゃないんだからね!いや本当に。

あいつはいつも疲れそうな生き方をしている。周囲から期待され、それに応えなければいけない。俺だったら耐えられないね。それで応えれなかったら失望されんだぜ?たまったもんじゃねぇよ。

失望するのが、されるのが嫌なら最初から期待しないんだよ。

そう、だから俺も期待してはいけないはずなのに、どこか期待してしまっている。もしかしたら、彼女は、俺を、今でも――

 

「それでは、オリエンテーリングスタート!」

 

先生のテンションの高い掛け声で小学生たちが一斉に固まって走り出す。恐らく最初から班を決めていたのだろう。こういう班決めってツライよね。先生が「班を決めま〜す」って言う前から班が決まってんだぜ?おかげで余りグループに入るしか無くなんだよな。で、その余りグループはみんな仲良くない奴ばっかだから一人がたくさんいるって認識なんだよ。まぁ、俺には雪乃がいたけど。俺の中じゃあ俺と、雪乃と、その他数人って認識だったな。もはや何人いたかすら覚えてなかったまである。

 

「うわ〜、小学生とかマジで若いわ〜。俺らとかぁ、もうおっさんじゃね?」

 

「やめてよ。あーしがババアみたいじゃん」

 

おっさんでもババアでもどっちでもいいだろ。いや、どっちでもよくねぇな。違うわ、おっさんでも高校生でもどっちでもいいだろ、だった。

そう、自分は若いという期待をしないのだ。その期待をしてしまうと、自分が老いたときにショックを受けることになる。

こういう些細なことまでちゃんと考えてこそ一流だ。だから彼女のことも考えてはいけない。期待なんてもってのほかだ。って、こんなこと考えてる時点でだめなんだけどね。

 

「でも、ぼくが小学生の頃は高校生ってすごく大人に見えたなぁ」

 

「小町から見ても高校生は大人って感じしますよ。……兄を除いて」

 

「なんでだよ。俺超大人っぽいだろ。愚痴をこぼしたり、汚い嘘ついたり、卑怯なことしたり」

 

「ヒッキーの大人のイメージってそんな悲しいものだったの?」

 

「いや、俺は現実を見ているだけだ」

 

そう、俺はいつだって現実を見ていた。もはや現実しか見ていなかったまである。理想だとか、偏見だとか、そういうのはなるべく見ないようにして来たつもりだ。

 

「大人でなくても嘘をついたり卑怯なことをする人だっているわ。……ソースは小学生の頃の――」

 

ここで実体験持ってくるとは流石です、雪乃さん。

でも確かにそうだ。小学生だから、高校生だから、大人だから、というのは間違っている。等しく同じ人間だ。ただ生きている歳月が違うだけ。確かに、生きている時間が長い方が正しい可能性が上がるのだろうが、それでも完璧な訳ではない。きっとどこかでみんな間違える。それが何度なのか、いつなのかは人それぞれだけど。

俺はいつ間違えるのだろうか。あるいは、もう間違えたことがあるのだろうか。あと何回間違えるのだろうか。俺は今まで間違えたという自覚があったことがない。――ただ、今なんとなく自分が間違えそうだと、初めて思っている。

彼女は俺に対してどう思っているのだろうか。期待しない方がいいことくらい分かっている。それでも、この前の反応や、さっきの様子だと、どうしても期待しないというのが難しくなってしまう。

他に何か意識をそらせることがあったらいいのだが……。いかせん、俺にはこのことよりも興味があることは持ち合わせていない。

小町のこととか?シスコンっていわれるしなぁ。戸塚とか?海老名さんいるしなぁ。ん?海老名さんって?なんで今すんなりと人の名前が出てきたのだろうか。不思議なこともあるものだ。

 

「ゆ、ゆきのんもっとテンション上げてこーよ」

 

雪乃の闇を垣間見てしまった由比ヶ浜が慌ててフォローする。残念だったな、由比ヶ浜。雪乃の闇はまだまたこんなもんじゃないぜ。俺のもあわせたらこの楽しいはずの林間学校が軽く闇へと葬られてしまうレベルだ。なんなら夏休み自体黒歴史化してしまうまである。

俺は独りで何考えてんだ。

 

「あぁ、そうか。その子比企谷の妹だったのか。戸塚の妹にしては似てないと思ったんだ」

 

「さいちゃんの妹はないよ〜。まだゆきのんの方が似てない?」

 

それ髪の色だけだろ……。にしても、戸塚の妹か。もし俺が戸塚とけっ……っぶねえ。危険な道に走るところだったぜ。

 

「いや、雪乃ちゃんに妹はいないから」

 

「え、隼人なんで知ってんの?」

 

危険を察知したか。……えっと、誰だっけ。確か獄炎の女王とかなんとか。

 

「昔から付き合いがあってね。小学校も同じだったんだよ」

 

「ってことはヒッキーとも?」

 

「まぁそうだね。でも比企谷とは一年も付き合いがなかったから、家族構成までは知らなかったな」

 

はいはい、そういう「俺の方が付き合い長いから!」アピールはいりませんよ〜。そんなの重々承知だし。

 

「お兄ちゃん、大変大変!」

 

「どした?」

 

「あのイケメン相手にしたらお兄ちゃんに勝ち目無しだよ。危険信号だよ!」

 

「……なぁ小町。どうやったら勝てると思う?」

 

「お、お兄ちゃんが勝つことを目標にしてるなんて!いつもなら『最初から勝負しねえんだよ。そしたら負けないだろ?』とか言うのに」

 

「うわぁ、ヒッキー言いそう……」

 

なんで俺言ってないのに引かれなきゃいけないの?まぁ多分勝つ必要なかったらそう言ってただろうけど。

俺たちがどうでもいい話を知り合いだけでしている間にも、リア充軍団はどんどん小学生たちに話かけている。

今話かけているのは、小学生の中ではイケイケ系女子たちだ。あれは確実にリア充の卵だな。と、その中に一人、一歩ほど遅れて歩いている女子を見つけた。

 

「………」

 

雪乃が小さくため息をついた。やはりボッチはボッチを見つける能力に長けているようだ。

まぁ孤独が悪い訳ではない。友だちがいて学べることがあるのなら、友だちがいなくて学べることだってある。この二つは表裏一体で、等しく価値があるはずだ。俺は信念を持って知らんぷりを決め込んだ。

この手のことは関わると後々面倒なのだ。ソースは小学生の頃の俺。あの時は雪乃のためだったからまだ良かったけど、今回は全く知らない人だ。それに、俺がズカズカと入っても、ロリコン呼ばわりされるだけだ。

でも世の中にはそうは思わない人もいるんだな、これが。

 

「チェックポイント見つかった?」

 

その女の子に声をかけたのは、葉山だった。

 

「……いいえ」

 

「そっか、じゃあみんなで探そっか。名前は?」

 

「鶴見、留美」

 

「俺は葉山隼人。あっちの方とか隠れてそうじゃない?」

 

言いながら葉山は鶴見の背中を押して誘導していく。

 

「……あいつすげぇな。超ナチュラルに名前聞き出したぞ」

 

「あなたには一生かかってもできない芸当よね」

 

「いや、俺一回やったことあんだけど……」

 

しかも雪乃に。まぁあれが最初で最後だろうけど。もしかして雪乃は覚えていないのだろうか。

 

「……私に?」

 

「覚えてない?」

 

「覚えているわ。まさかいきなりなんの脈絡もなく名前を聞かれるとは思っていなかったから……。少し驚いたもの。まぁあれも、あなたが会話慣れしていなかったからなのでしょうけど」

 

そう言って雪乃は微笑む。良かった、覚えててくれた。なんだか妙に嬉しくなってしまう。

 

「雪乃ちゃん、こっちだよ?どこへ行くのかな?」

 

唐突に葉山が雪乃に話かけてきた。

 

「え?あ、わ、分かっているわよ……」

 



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彼は独り苦悩する

今晩の夕食はキャンプの定番、カレーだ。

まずは小学生たちにお手本として炭に火をつけることになっているらしい。

 

「ます最初に私が手本を見せよう」

 

言うが早いか、平塚先生が火をつけ始める。しばらくうちわで適当に煽っていたかと思うと、まだるっこしくなったらしく、いきなりサラダ油をぶっかけた。たちまち火柱が上がる。危険なので絶対に真似しないでください。

 

「キャッ」

 

びっくりした雪乃が俺にひっついてくる。全然危険じゃないんで、もっとお願いします!むしろ危険なのは雪乃の可愛さではありませんか?

 

「ざっとこんなところだな」

 

「なんかめちゃくちゃ手馴れてますね」

 

動きが機敏でしかもサラダ油という裏技まで飛び出してたし。

 

「ふっ、これでも大学時代はよくサークルでバーベキューをしたものさ。私が火をつけている間、カップルたちがいちゃこらいちゃこら。そう、君たちみたいにな。……ちっ、気分が悪くなった」

 

俺と雪乃を最初は温かい視線で見ていたが、途中から睨むように変わっていった。

 

「男子は火の準備、女子は食材を取りに来たまえ」

 

その言葉を聞いて雪乃が離れてしまう。そして由比ヶ浜たちと一緒に食材を取りに行ってしまった。

ここで男女を引き離すのは過去の恨みが入ってませんか、大丈夫ですか。

残されたのは俺と戸塚と葉山と戸部。

 

「じゃ、準備するか」

 

俺は仕方なく軍手をはめて団扇をとり、パタパタと風を送り込む。

 

「熱そうだね。何か飲み物取ってくるよ」

 

俺は心のスイッチを切ってひたすら無心で扇ぎ続ける。そうでもしないと暑さでやられそうだ。

 

「お待たせ」

 

戸塚が俺の頬に冷たいコップを当てる。冷やっとした感触に俺の心臓がドキッと跳ねた。

見上げると、いたずらに成功したのを喜んでいるような純真無垢な戸塚の笑顔。

 

「おお、サェンキュゥ」

 

動揺したせいで声がちょっと裏返り、発音がよくなってしまった。

 

「……代わるよ」

 

ふっと笑みを漏らした葉山が交代を申し出てくれたので、お言葉に甘える。

俺は陽の当たるベンチに腰掛けてお茶を飲む。

そこへ、女子たちが戻って来た。

 

「隼人すご〜い♪」

 

三浦が感動の雄叫びを上げる。そしてチラリと俺の方を見られた。「なんでヒキタニはサボってんの?」みたいな空気をびんびんに感じる。

 

「比企谷が大体やってくれたからな」

 

おお、さりげないフォロー。でもそのフォローが逆に、「かばってあげてる隼人優しい……キュン☆」みたいになってるが。

すると雪乃が洗顔ペーパーを持って俺の方に来る。

 

「お疲れ様。でも軍手で顔を拭うのはだめよ?」

 

そう言って持ってきた洗顔ペーパーで俺の顔を拭いてくれる。完全な不意打ちだったので、変な息が漏れる。

 

「おぅ……」

 

小町が平塚先生と一緒に歩いて来る。二人はやけに楽しそうにクスクスと何事か笑い合っている。

 

「ほら、やっぱり………ですって」

 

「どうやらその通りのようだな」

 

「いやー、小町嬉しいなー。ね、お兄ちゃん!」

 

「何がだよ」

 

「え〜。分かってて言ってるの?ね、雪乃さん」

 

「えっ、私?えっと……」

 

雪乃も分かっていないらしく戸惑っている。小町と平塚先生は相変わらず楽しそうに笑っているが。

 

 

 

 

 

なんとなくの分担だったが、俺たちの分はすぐに準備が整った。周囲を見渡せば煙があたりに散見できる。

小学生たちにとっては初めての野外炊飯だ。苦戦しているグループも結構あるように見受けられる。

 

「暇なら見回って手伝いでもするかね?」

 

「まぁ、小学生と話す機会なんてそうそうないしな」

 

葉山は結構乗り気なようで、そんなことを言う。こいつが賛成だったらほぼ全員賛成だろうな。

 

「俺、鍋見てるわ……」

 

宣言し、早々に離脱、できたら良かったのに……。

 

「気にするな比企谷。私が見ててやろう」

 

小学生たちは高校生の登場をちょっとしたイベントのように捉えているのか、えらい歓迎のされようだった。

しかし、一人だけ弾かれているあの少女だけは存在を薄くしていた。

小学生たちにとっては、彼女が一人でいることは日常的な光景なのだろう。だから、別に気にしたりしない。けれど、外部の人間からするとやはり気にかかる。

 

「カレー、好き?」

 

葉山が声をかけていた。

しかしそれは悪手である。

葉山の質問にどう答えても確実に悪感情が発生する。

 

「……別に。カレーに興味ないし」

 

冷静を装って素っ気なく答えると、すっとその場を離れた。この場は戦略的撤退しか手がない。最初から切れるカードなどないのだ。

鶴見は、なるべく人の目を集めないような場所へと動いた。人の輪の外、すなわち、俺のいるところである。ちなみに雪乃は俺のすぐ隣で時々肩をちょっとぶつけて楽しそうにしている。ナニそれめちゃくちゃ可愛いじゃん。これはもう国宝級の可愛さですね。

 

「はぁ、バカばっか」

 

鶴見は冷たく響く声で言う。

 

「まぁ、世の中は大概そうだ。早めに気づいて良かったな」

 

俺が言うと、鶴見は不思議そうな顔でこちらを見る。値踏みでもするかのような視線はいささか居心地が悪い。

 

「名前」

 

「あ?名前がなんだよ」

 

名前という単語だけでは何を言っているのか意味が分からず、聞き返した。すると鶴見は不機嫌さを露わにして高圧的に言い直す。

 

「名前聞いてんの。普通さっきので伝わるでしょ」

 

「人に名前を尋ねるときはまず自分から名乗るものよ。それと、この人に普通と言っても通じないから」

 

そう言って雪乃はさり気なく俺のことを見る。

 

「いや、俺超普通だからね?なんなら普通過ぎて妖怪と友だちになっちゃうくらい」

 

「そうかしら?普通というのは、そうね……戸塚君とかのことじゃないかしら」

 

「いや戸塚を普通にカテゴリしちゃだめだろ。あれは天使とか女神っじゃなかった。とにかく戸塚は人間を超えて可愛い」

 

もちろん雪乃もな。声には出さないけど。てか出せないけど。

 

「あの……。私、鶴見留美です」

 

俺たちが楽しそうに話していたからか、声を掛けづらそうに、でも掛けてくる。やっぱり元リア充軍団の一員だな。本当にボッチだったらこんな状況で声は掛けない。

 

「私は雪ノ下雪乃よ」

 

「比企谷八幡だ。で、これが由比ヶ浜結衣な」

 

由比ヶ浜が近づいて来ていたから一応紹介しておく。

しかし、由比ヶ浜が来たからか、他の三浦たちも集まってくる。すると自然にここが高校生の溜まり場のようになってしまった。鶴見はすぐにまた違う場所に行ってしまった。

 

 

 

 

 

カチャカチャと食器とスプーンの立てる音がする。鶴見を見送ってすぐ、俺たちも自分のベースキャンプへと戻って来ていた。

炊事場の近くには木製テーブルと、一対のベンチがある。それぞれが皿に盛りつけると、座る場所の探り合いが始まった。

最初に座ったのは雪乃だ。迷わずベンチの端をゲットした。ということは雪乃の隣に座れるのは一人になる。ここは俺が、と思い、雪乃のあとに続くが、葉山とぶつかった。お互い無言で睨み合う。いや、睨んでるのは俺だけだ。むしろ葉山は笑っている。だが、いつものイケメンスマイルではなく、圧力のかかった笑顔だが。そして三浦は雪乃を睨んでいる。しかし雪乃は気にも留めていない様子だ。まぁ、こいつは自覚がないからな……。

 

「小町雪乃さんの隣りっ!」

 

「「あっ!」」

 

俺と葉山が揃って肩を落とす。

 

「あ〜、ゆきのんの隣取られた〜」

 

どうやら雪乃の隣を狙っていたのは俺らだけではないみたいですね……。

雪乃は身近な人には人気があるから困る。三浦とか、その辺には全く人気無いのに。

雪乃の隣は取られてしまったから、戸塚の隣に座る。こっちも天使だからいいんだけどね。

 

 

 

 

しばらく食事を楽しんでから、食後のティータイムにうつった。

 

「大丈夫、かな……」

 

由比ヶ浜が心配そうな声でつぶやく。

何が、と問うまでもない。鶴見留美のことだろう。

 

「ふむ。何か心配事かね?」

 

「ちょっと孤立してる子がいたので」

 

問われて答えたのは葉山だ。

 

「それで、君たちはどうしたい?」

 

「俺は……できれば、可能な範囲でなんとかしてあげたいと思います」

 

あぁ、こいつはだめだ。

その言葉は確かに優しい。言った葉山にとっても、そばで聞いていた者にとっても。でも俺からすれば易しいの間違いだ。

それは希望をちらつかせて、でもできない可能性も暗に匂わせているだけだ。そんなのは誰にだってできる。

 

「お前じゃ無理だ。そうだっただろ?」

 

葉山が自覚があるのかは知らないが、俺は葉山にこういうことを解決できる能力があるとは思っていない。むしろ無いと思っている。

 

「ちゃんと君たちで話し合え。私はもう寝る」

 

 

 

 

 

「つーかさ、あの子、結構可愛いし、他の可愛い子たちとつるめば良くない?」

 

「それだわー。優美子冴えてるわー」

 

すげー、三浦すげー。マジ強者の理論だな。そして、それが通じてしまう戸部くんってやっばりすごいんてますね。そんけいしちゃうなー。

 

「無理に決まっているでしょう」

 

雪乃がはっきりと言った。

 

「ちょっと、雪ノ下さん?あんた、何?」

 

「何が?」

 

語気の荒い三浦に対して雪乃はいたって涼しげに返した。それがさらに三浦を熱くされる。

 

「その態度のこと。あと、さっきだって!」

 

「優美子、やめろ」

 

ガタッとベンチから立ち上がりかけた三浦を押し留めたのは、葉山の低い声だった。

 

「は、隼人……」

 

三浦は恐らく裏切られたように感じているだろう。もしかして、雪乃が女子に嫌われるのは、葉山が原因なのではないだろうか。

 

 

 

 

 

風呂から上がってバンガローに戻ると、既に葉山と戸部がいた。

俺は部屋の奥、一番端をに布団を敷いて陣取るとゴロゴロ寝転がっていた。

しばらくして戸塚も戻って来た。すると戸塚は俺の横に布団を敷いた。

 

「ここ、いい……よね?」

 

「ああ」

 

戸塚はゴロンと無防備に布団に転がり込む。おいおい寝返り打ったらキスしちゃうだろ。俺のファーストキスは戸塚か……。いや何考えてんだ俺。

 

「電気消すぞ」

 

「ちょ、隼人くん、なんかこれ修学旅行の夜みてぇじゃね。好きは人の話ししようぜ。俺、実はさ……海老名さんいいと思ってて」

 

「……マジで?」

 

予想外の言葉につい口が開いてしまった。

 

「え、なに?ヒキタニくんも海老名さん狙い?」

 

「いや、別に」

 

「じゃあ誰?」

 

こいつ面倒くさいな。言うまでお家に帰れまてんってか?葉山の前だけでは絶対に何があっても言わないからな。

 

「隼人くんは?」

 

しばらく黙っていると、意外とあっさりひいてくれた。

 

「俺は……」

 

言うな、絶対言うな。

 

「やめておこう」

 

「ちょ隼人くん、それないって。イニシャルでいいから!」

 

「……Y」

 

「えっ、それって――」

 

「もういいだろ、寝よう」

 

妙にもやもやとしたものがあるせいで、なかなか寝付けない。寝返りを打つと、正面に戸塚の顔がある。規則正しい寝息が聞こえる。

 

「……んっ」

 

吐息が漏れた。差し込む月明かりが戸塚の顔をほのかに照らす。艶めいた唇がむにゃっと小さく動く。

 

「こりゃ、寝れる気がしねぇな……」

 

三人を起こさないようにそっと立ち上がり、外へ出た。

林立する木々の間に、長い髪を下ろした女の子が立っている。それこそ精霊や妖精の類いと幻視するような、どこか現実離れした光景だった。

ふわりとした月明かりに照らされて、白い肌は浮かび上がるようにほのかに光を放つ。そよ風が踊るたびに、なびく髪が舞う。妖精じみた彼女は月光を浴びながら小さな、とても小さな声で歌っている。寒気すらする闇の森の中で、囁くような歌声は不思議と耳に心地よかった。俺はその光景をただ眺めている。一歩踏み入れてしまえば、彼女一人で完成してしまっている世界を壊してしまうかもしれない。そう思うと音を立てることすら憚られた。

このまま戻るか……。

もと来た道を引き返そうと、ゆっくり振り返った。が、踏み出した足がパキッと小枝を踏んでしまう。

 

「えっ!?だ、誰……」

 

雪乃がびっくりしてしゃがんでしまう。こんな暗いところで、自分しかいないと思ってたら、そりゃ怖いよな。

 

「俺だよ」

 

「比企谷、君?」

 

おそるおそる立ち上がる。

 

「驚かせて悪い。何してたんだ?」

 

「三浦さんが隼人くんの事で突っかかってきて。何もないと言っているのに……。比企谷君は?隼人くんたちの輪に入れて貰えなかったの?」

 

「いや、あいつらはみんな寝た。自分が言いたいこと言ってすぐ終わった」

 

そういえば、戸塚の好きな人聞いてなかったな。もったいないことをした。

 

「なんの話をしていたの?」

 

「あぁ、好きな人の話、だな」

 

「そ、そう。……比企谷君もしたの?」

 

「いや、俺は別に……」

 

「ひ、比企谷君はいるの?す、好きな、人……」

 

「まぁ、いるな」

 

ここで格好良く「お前だよ」とか言ったら少女漫画ならパッピーエンドなんだけどなぁ。

 

「どんな、人?」

 

目の前にいる人。いや、言えないけど。

 

「えっと……。まずすげぇ可愛いな。そりゃあもう人間離れして可愛い」

 

「……それって、戸塚君のこと?」

 

雪乃にジト目を向けられる。

 

「えっ?いやなんで?」

 

ここで戸塚が出てくるか。まぁ合ってるっちゃ合ってるけど。でもここで雪乃の口から戸塚が出てくるとは。俺そんな戸塚好き過ぎるように見えるかな?

 

「だって……比企谷君がそこまで言うのは戸塚君くらいだし。それに、女の子とは言ってないもの……」

 

「いや、今のは普通に女子なんだけど……」

 

それも、今目の前にいる。

 

「そうなの!?そう、なの……」

 

最初は驚いた感じで、最後はうつむきがちに言う。

 

「……雪乃は、いる?好きな、人。男子で」

 

「いる、けど……」

 

誰だよ。ヤバい、気になる。どうしよう。え、誰?でも聞いても言ってくれるとは思えないしな……。

 

「こ、告白されるなら、どんな感じがいい?」

 

「……好きな人に、プロポーズされてみたい」

 

それはその人のことを結婚したいくらい好きってことですか?

聞きたい、けど聞けない!

 

「か、叶うといいな……」

 

「私の好きな人が叶えてくれたら嬉しいわ」

 

そう言って雪乃は優しく微笑んだ。

可愛い。人間離れして可愛い。

いっそのことここでプロポーズしようか。いやアホか。誰がこんなところでするんだよ。そもそも断られたらどうすんだよ。生きていけないぞ?「ごめんなさい、私隼人くんが好きなの」とか言われたら部屋から出られなくなるって、絶対。

 

「私はもう戻るわ。おやすみなさい」

 

「あ、あぁ。おやすみ」

 

戻って行く雪乃を見送って、一人つぶやく。

 

「こりゃ、寝れる気がしねぇな」

 



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彼女は手を繋ぐのが好き

 

「比企谷君、朝だよ。起きないと……」

 

何度もそう言っては俺の身体を揺さぶってくるので、ようやく俺の瞼が開いてくる。朝の光が眩しい。その光の中で、戸塚がちょっと戸惑った笑みを浮かべていた。

 

「やっと起きた。おはよう。早くしないと朝ご飯に間に合わないよ」

 

そうか、合宿来てたんだったな。俺はモゾモゾと起き上がり、敷布団を畳む。

 

「比企谷君はさ、夏休み不規則な生活してるでしょ」

 

戸塚が腰に手を当てて頬を膨らませる。

な、ナニッ?か、可愛すぎる。

 

「お、おお。まぁ、そうだな」

 

「運動とか全然してないでしょ。あっ、今度テニスしようよ」

 

「そうだな。そのうち連絡くれ」

 

人から誘われたらいつも言っている定型句がつい出てきてしまった。

 

「うん、分かった!そういえばアドレス交換したけどあんまり使ってなかったね」

 

そうだった。結構前に交換したきりだったか。

 

「ちょっと送ってみるね」

 

題名:彩加だよ。

本文:比企谷君、おはよ。初めてのメール、です。これからもよろしくね!

 

文字列が目に入ってきてなんか俺の心臓が凄いことになっていた。思わず盛大に咳き込む。

 

「ごはっ!どふっごぼっごぼっ!」

 

「ど、どうしたの!?」

 

慌てた戸塚が俺の背中を急いでさすってくれる。わぁ、小さい手なのにあったかくて柔らかいなぁ。

メールをしばらく見つめていると、あることに気づいた。

 

「……彩加」

 

「えっ?」

 

「あっ、いや悪い」

 

「嬉しい、な。初めて名前で呼んでくれたね」

 

「なん……だと……」

 

戸塚は少しばかり目を潤ませながらニッコリ微笑んだ。おいマジかよ、俺のリアル充実しすぎじゃね?

 

「それじゃあ、ぼくも、ヒッキーって呼んでいい?」

 

「それはやだ」

 

なんでそっちなんだよ。その不名誉なイメージが付きまとう呼び方をしてくるやつは今のところ一人しかいないし、これ以上増えられても困る。

 

「じゃあ……、八幡?」

 

ズキューン!とかそういう擬音がぴったりだった。

これは、やはり恋だ。戸塚ぁ〜。

勢い余って戸塚に飛びついてしまった。

 

「は、八幡……」

 

や、ヤバい。戸塚を押し倒してしまった。

しかし戸塚が可愛すぎる!涙目になって顔を真っ赤にしている。

 

「……比企谷君。なにをしているの……」

 

今、聞こえてはならない声が聞こえてきた。そう、俺の大好きな声なのだが、今はかなりヤバい。

 

「いやっ、違うっ!」

 

慌てて戸塚から離れる。雪乃は冷めた目で俺を見ていた。

 

「……もう行くわ」

 

すぐに踵を返してしまう。これは、ヤバいな……。

 

「ちょっと待てって!おいっ!雪乃!」

 

まだ部屋から出ていなかったから、すぐに追いつく。しかし、また勢い余って思いっ切りぶつかってしまった。

 

「いたっ!」

 

雪乃を後ろの壁に思いっ切りぶつけてしまった。

 

「あっ!悪い、大丈夫か?」

 

俺の問いには答えずに、そのまましゃがみ込んでしまう。頭を押さえて痛そうにしていた。

 

「雪乃、悪い。……痛いか?」

 

雪乃の顔を覗き込むが、うつむいたままで何も答えない。

 

「……雪ノ下さん、大丈夫?」

 

戸塚も心配そうにしている。ここは戸塚に責任はないから先きに行ってもらっとくか。

 

「戸塚、先行っといてくれ」

 

「あ、うん……」

 

戸塚は最後まで心配そうに部屋を出ていった。さて、なんて謝ろうか。

 

「……戸塚君と何をしていたの?」

 

「え?」

 

あまりにも予想外だったため、間抜けな声が出てしまった。

 

「いや、メールしてただけだけど……」

 

「本当にそれだけ?」

 

「本当だ」

 

雪乃が安心したような顔になる。

 

「さっきは悪かったな。立てるか?痛くないか?」

 

とりあえず手を差し出す。雪乃は最初はキョトンとしていたが、意味が分かったのか、おそるおそる手を伸ばす。そしてしっかりと雪乃の手を握る。

 

「もう痛くないのか?」

 

「痛いわよ」

 

そう言って雪乃は頬を膨らます。

 

「悪い。……許して、くれるか?」

 

雪乃は少し楽しそうな顔になる。「ふふん」と、得意そうに胸を反らす。そしてそのまま俺の腕にしがみついてきた。

 

「ちょ、雪乃さん?」

 

「どうしたの?」

 

雪乃は何でもない風に聞いてくる。しかし表情は正直で、完全に勝ち誇った顔になっている。

くそっ、何かやり返したいが生憎俺はそんな勇気は持ち合わせていない。しょうがない、行動ではやり返せないから、言葉でやり返してやろう。

 

「どうしたんだ雪乃、いきなりしがみついて。もしかして俺のこと好きなのか?」

 

「えっ!?な、なっ、いやっ…その……」

 

真に受けた雪乃が顔を真っ赤にする。

 

「いや冗談だから」

 

「……もし好きって言ったら…どうする?」

 

……え、ナニコレ。もしかして脈あり?いやそんな期待をしてはだめた。ちゃんと雪乃のことをもっと知ってからじゃないと。いやこれ完全に期待してしまってますね。

 

「そうだな…実際に言われてみないと分からないな……」

 

「ねぇ、比企谷君……」

 

雪乃が恥ずかしそうにうつむく。言いにくいことを言うときの、口をモゴモゴする癖が出ている。

 

「お兄ちゃんと雪乃さん遅いですよ〜!」

 

小町が走って俺たちを迎えに来た。

 

「もうみんなご飯食べ終わってますよ?」

 

「あぁ、悪い」

 

他の人たちはキャンプの準備をしているらしい。

 

「早く食べて手伝いに来てね?あっ、雪乃さんはゆっくりでいいですよ。その分兄が働きますからっ!」

 

「おい、俺は働かないぞ。働いたら負けだ」

 

すると小町は俺に耳打ちするように顔を近づけた。不思議なもので、小町にそういうことをされても全く恥ずかしくなったり、ときめいたりしない。したらまずいけど。

 

「お兄ちゃん、そういうこと言ってると雪乃さんに嫌われるよ?いいの?」

 

「それは良くない」

 

「じゃあ頑張って働いてね!」

 

走っていくときにウインクをする。この小悪魔め。可愛いからいいけど。

 

「じゃあ行くか」

 

「え、えぇ。そうね」

 

俺が歩き始めると、雪乃もついてきた。そして無言のまま俺の手を握ってきた。

 



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写真

キャンプファイヤーの準備をする。そのことについて文句はないのだが、陽の照っている中での作業は結構辛い。だくだく汗が流れてくる。

 

「ご苦労だったな」

 

作業の進捗を見に来た平塚先生が缶ジュースを差し出してくる。

 

「他の連中の作業も終わりだ。あとは夕方、肝試しの準備までは自由にしてていい」

 

順次解散したのか。とりあえずこれで自由の身。

適当に歩いていると、チョロチョロと小川のせせらぎが聞こえてきた。

そういや、汗かいてんだよな……。この辺は水が綺麗だし、上流に人里もない。顔を洗う程度には十分だろう。

 

「おー、こりゃ結構いい感じだなー」

 

2メートルほどの川幅だが、腿ぐらいまでしか深さのない穏やかな水流だ。パチャパチャ水を浴びるにはちょうどよさそうだ。

 

「つっめたーい!」

 

「気持ちいいですねー」

 

閑静な森にキャピキャピとしたはしゃぎ声が聞こえた。目を向けると、由比ヶ浜と小町が川に入ってはしゃいでいた。遠目にもそれが水着姿であることが分かる。

 

「なにしてんの、お前ら」

 

「わっせろーい!!」

 

小町にばっしゃーと水をかけられた。頭から水をかぶり、髪を伝ってポタポタと滴が落ちる。……冷てぇ。

 

「俺着替え余分に持ってきてないんだけど」

 

「え、あー……。走って乾かしてきたら?」

 

小町ちゃんなんてこと言うの!ひどいわ。

小町をどんよりとした瞳で睨みつける。

 

「日頃運動不足なんだしいいじゃん!」

 

よくねぇよ。

これ以上何を言っても無駄なので、木陰に座ってゆっくりする。俺は意地でも運動しない。

 

「そんなところに座って、仲間に入れてもらえなかったのかしら?」

 

不意に聞き慣れた声がした。

いつ聞いても聞き惚れてしまう声に、反射的に顔を上げる。

その瞬間、呼吸することを忘れた。

雪ノ下雪乃はその名の如く、さながら雪の化身であるかのように見えた。

透き通るような白い素肌、形のいいふくらはぎから腰まで続く脚美線、驚くほどほど細くくびれた腰。唯一懸念点を挙げるとすれば、パレオによって隠されている分、さらに真っ平らに見えてしまう部分だろう。しかし、そんなある種致命的とまで言えてしまう欠陥すらもどうでもいいと思わせてくれる。

 

「……体調が悪いの?」

 

俺がしばらく固まっていたからか、首をキョトンとかしげて、心配そうに俺を見る。

あっぶねー、危うく窒息するところだった。

 

「あ…いや、大丈夫だ」

 

なんとか平静を装って答える。いかん、どうしても目が引き寄せられてしまう。

心臓の脈打ちが速い。呼吸が、く、苦しい。

これじゃあ一人で息切れしてはぁはぁ言っている変態みたいだ。

雪乃が心配そうに俺の顔を覗き込む。だからそんな可愛い瞳で俺を見んなって。そういうのはもう少し落ち着いたらお願いします。今やられると、いろいろヤバい。

 

「……どうしてそんなに濡れているの?」

 

あ、そっちね。べ、別にイジメられてるわけじゃないよ!?

 

「小町にやられたんだ。まぁ気にするな」

 

「そ、そう……」

 

「ゆきのーん!遊ぼーよ!」

 

由比ヶ浜と小町が雪乃を呼ぶ。雪乃は少し困ったようにこちらを見る。

 

「行った方がいいぞ。後でグチグチ言われても困るしな」

 

あの二人なら後から何か言うようなことはしないだろうが、雪乃に気を使わせないように適当に理由をこじつける。

 

「比企谷君は、来る?」

 

「え?いや、水着持ってないし……」

 

もし持ってたら入りたかった。雪乃に水かけたかったなぁ。

 

「お兄ちゃんそのまま入ればいいじゃん」

 

雪乃を迎えに来た小町が、「思いついた!」と言わんばかりの顔で提案する。

 

「いいじゃん。小町ちゃんナイスアイディア〜」

 

「いやダメだろ。この服どうなんだよ」

 

「適当に袋に入れて持って帰ったら?」

 

意外といいアイディアかもしれない。よっしゃ、これで雪乃に水をかけれるぜ!

 

「そうだな、入るか」

 

そう言って立ち上がる。遊ばなら早く遊ぼうぜ。

雪乃も笑顔でついてくる。

 

「風邪を引かないようにね?」

 

心配してくれるのは嬉しいけどどっちかというと雪乃の方が体調崩しそうだ。体力ないし。

 

「比企谷も遊ぶのか?」

 

ポンと肩を叩かれ、振り返ってみれば平塚先生が来ていた。後ろにはリア充組を引き連れている。

三浦は蛍光色っぽい紫にラメ入りのビキニを着ていた。目がチカチカする。だが、スタイルは流石に女王様だけあってほとんど完璧に近い。美への並々ならぬ努力があるのだろう、たぶん。そうした努力に裏打ちされたような自信のある足取りだ。そのプライドが彼女の魅力をさらに引き立てている。

海老名さんはまさかの競泳水着である。

葉山と戸部は、まぁいいだろ。

雪乃とすれ違いざま、三浦はチラリと雪乃の胸元に視線をやり、満面の笑みを浮かべる。

 

「ふっ、勝った……」

 

その声には感動にも似た響きが込められていた。それに雪乃が怪訝そうな表情をする。

 

「?なにかしら」

 

雪乃は三浦の笑みの理由がイマイチ分からないようだが、俺は一瞬で気づいてしまった。

雪乃もよく気にしてるあれだよ。言ったら嫌われるから俺は言わないよ?まぁでも、フォローくらいはしといた方がいいかもな。

 

「まぁほら、陽乃さんはああだから、お前も遺伝子的には期待できると思うぜ」

 

「姉さん?姉さんが何か関係あるの?」

 

雪乃は不機嫌そうに眉をひそめた。そこへ小町が割り込んで、ぐっと親指を立てる。

 

「雪乃さん、大丈夫ですよ!女の子の価値はそこで決まらないですし、個人差ありますし!小町は雪乃さんの味方ですよ!……最悪お兄ちゃんだったら大して気にしないし……」

 

「は、はぁ……どうもありがとう」

 

混乱しながらも少し照れ気味に雪乃がお礼を言う。が、落ち着くと考える余裕が出てきたのか、「姉さん、遺伝、価値、個人差……」と小声で何度かとなえる。

 

「………あ」

 

どうやら気がついてしまったようだ。ここもフォローしといた方が良さそうだな。

 

「ま、まぁ俺はいいと思うぜ?ほら、貧乳はステータスとも言うし、そもそもありゃいいってもんじゃないだろ?それに、雪乃は遺伝子があるんだ。期待できるんじゃねぇの?」

 

「……姉さんの高校二年の頃よりも小さくても期待できる?」

 

え?ちょっとぼくにはわかんないです。

無理とは言えないし、期待させとくだけさせても責任はとれない。

 

「お、お兄ちゃん!貧乳とか言っちゃだめだよ!雪乃さんだって、気にしてるから!」

 

うん、小町が一番いけない子だね。雪乃にもまる聞こえだぞ。

 

「気にして、ないわ……」

 

「だ、大丈夫ですよ!兄は全く気にしませんし、雪乃さんは可愛いんですから、胸がないくらい平気ですよ!」

 

小町がまちがったフォローを入れてしまう。こういうときは話しかけないのが一番いいんだよなぁ。

 

「雪ノ下、まだ諦めるようなときじゃない」

 

平塚先生まで雪乃をイジメるのはやめてあげて!見てるこっちが辛くなっちゃう。

 

「気にしていないのに……」

 

叩きのめされた雪乃はヨロヨロと木陰に座る。そちらに行こうと思ったが、天使を発見してしまった。

 

「あっ、八幡!」

 

葉山たちの後ろからついてきたようで、俺を見つけると笑顔で手を振る。

 

「と、戸塚。その水着、似合ってる、な」

 

「え、そ、そう?ありがとう//」

 

つい戸塚を褒めてしまう。そういえば雪乃の水着に何も言ってなかったな。と思い、雪乃の方をチラリと見る。すると隣りに葉山がいた。

 

「おいっ、葉山!何して――」

 

よく見ると、雪乃と葉山の他にもう一人、鶴見留美がいた。

 

「よかったら一緒に遊ばないかい?」

 

葉山がイケメンスマイルで誘う。しかし鶴見は首を横に振った。

 

「あ、八幡」

 

鶴見が俺に気づくと、雪乃と葉山も俺の方を見た。すると葉山はニッコリと笑って俺に言う。

 

「どうした比企谷。遊んでなくていいのか?」

 

「お前こそ三浦たちと遊ばなくていいのか?こんなとこで何してんだ?小学生をナンパしてんのか?」

 

男同士でバチバチやりあっている最中、鶴見が雪乃に話しかける。

 

「あの二人面倒くさそう……。雪ノ下、さんも大変そうですね……」

 

「そうかしら?」

 

「雪ノ下さんもダメですね……」

 

「雪乃ちゃん、その水着よく似合っているね」

 

そう言って葉山が雪乃に微笑みかける。

 

「ありがとう」

 

雪乃も優しく微笑む。可愛いなぁ。

 

「やっぱ雪乃は清楚な感じが似合うよなぁ。……まぁ何でも似合いそうだけど」

 

「そ、そうかしら……。あ、ありがとう//」

 

これは勝っただろ!残念だったな。雪乃の反応が全然違うぜ。と思い、葉山を見るが、葉山は何かを考え込んでいる様子だった。

 

「あ、あの……」

 

「どうした?」

 

何かを考え込んでいたはずなのに、気がつけばいつものイケメンスマイルに戻っていた。

 

「写真…撮ってくれませんか?」

 

よく見ると、鶴見はデジカメを首にかけていた。

 

「この四人で?」

 

「はい……」

 

これは困った。俺は写真とか苦手なんだけど。それに、俺を撮るよりも葉山を3回くらい撮ったほうがよさそうなんだけど。

しかし、そんな俺のわがままが通るはずもなく、葉山が二つ返事で了承してしまう。

 

「はぁ……」

 

雪乃が小さくため息をつくのが聞こえた。分かるよ、スッゲー分かるよ。写真とか嫌だよなぁ。

その嫌なことをさせられているのだから、雪乃の隣りは譲ってもらわなくてはいけないな。

葉山が撮ってくれる人を呼んでいる間に、雪乃の隣りを確保する。

忘れていたが、雪乃は水着だ。もう一度言う、水着だ。ドキドキしてきた。心臓が痛い。隣りを見れない。

おれが固まっていると、雪乃が少し近づいてきた。少しずつ距離を縮めていく。

 

「随分と小学生と親しくなったようだな」

 

葉山が平塚先生を連れて戻って来た。ちょうどその時に、雪乃が俺の手を握ってきた。

葉山は見えているのだろうか。見えているのなら、どう思っているのだろうか。そしてこの子は何を思って俺の手を握ってきたのだろうか。

 

「じゃあ撮ろうか」

 

葉山がそう言って、鶴見の隣りに立つ。左から、俺、雪乃、鶴見、葉山という順番になった。

写真を撮る瞬間、雪乃は手を離すのだろうか。それとも、繋いだまま撮るのだろうか。

ほんの数秒なのに、すごく長い時間に思えた。

 

「えー、ハイっチーズ」

 

パシヤ

 

「雪乃ちゃんと比企谷はもっと笑った方がいいな」

 

写真を見るなり、葉山が文句を言ってきた。

 

「顔なんてどうでもいいだろ」

 

「あの…ありがとうございました」

 

「おーい、できたぞー」

 

平塚先生が写真を持って近づいて来る。

 

「一人一枚な」

 

そう言って配ってくれる。俺は配られた写真を眺める。そこには、ニッコリと笑う葉山、少しだけ笑っている鶴見、恥ずかしそうな雪乃、目が死んでいる俺がいた。

 

「俺の目死んでるな」

 

「今気づいたのか?」

 

葉山が呆れたように笑う。

 

「……私は、その目、結構好き、だけれど……」

 

「そ、そうなんだ。雪乃ちゃんは結構物好きだな」

 

「そうかも、しれないわね」

 

雪乃は力なく微笑んだ。それは、いつもの可愛い笑顔ではなく、ただひたすら綺麗で、美しく、儚げだった。

 



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彼女の弱さと彼の強さ

「肝試しの用意、頼んだぞ」

 

平塚先生に言われて来たのは、肝試しに必要な道具が揃っている小部屋だ。適当にダンボールを覗いてみるが、その中身を見て俺は頭を抱えてしまった。

 

「小悪魔衣装に……、ネコ耳、しっぽ……。白い浴衣……。魔女帽子とローブにマント……、巫女服……」

 

アトラクション要素を重視するにしても限度ってものがあるでしょう?これじゃあほとんどハロウィンだ。

平塚先生曰く、今回の小道具類の準備は小学校の教師がしたらしい。どう考えても女子高生のコスプレ姿が見たかっただけとしか思えない。俺も教師になりたくなってしまう。

ぼくは雪乃と戸塚がどれを着るのかがとても気になります。

雪乃は浴衣かネコ耳としっぽだな。でも巫女服も似合いそうだなぁ。あ、魔女帽子とかもいいな。まぁつまり、露出度の高い小悪魔衣装以外なら、全部似合いそうだ。

戸塚は魔女帽子だな。絶対可愛い。なんなら魔女っ子アニメの実写化に出演できちゃうくらい。

着替え終わった女性陣、と戸塚が戻って来る。

 

「魔法使いってお化けかなぁ」

 

「まぁ、大きい括りだとお化けなんじゃないか」

 

それはどう見ても魔女っ娘、違った、魔女っ子だけどな。

 

「でも、怖くないよね?」

 

「いや、怖いぞ。大丈夫だ」

 

そう、本当に怖い。うっかり戸塚にプロポーズしちゃいそうで本当に怖い。俺にいけない魔法をかけたのは君かい?何言ってんの?

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん」

 

トントンというよりはもふもふと言ったほうが近いような音で肩を叩かれる。振り返ればぬいぐるみチックなネコの手がクイクイと俺を招いていた。ひと目で尋常でないもふもふだと気づいたよ。……さっきから俺の頭はどうしてしまったのだろうか。

 

「何それ、化け猫?」

 

「たぶん……。よくわかんないけど、可愛いからなんでもいいかなーって」

 

小町が巨大なネコの手をクイクイと曲げながらそれっぽい動きの研究をしていると、背後に可愛い亡霊めいた存在がすーっと現れた。

 

「………」

 

その幽霊さんはそっと小町のネコ耳に手を伸ばす。

ふにふに。

 

「あ、あの…雪乃、さん?」

 

なでなで。

雪乃は今度はしっぽをつかんでいた。

こくこく。

そして頷く。

 

「……いいんじゃないかしら。よく似合っているわ」

 

「ありがとうございます、雪乃さんも超素敵ですよ!ね、お兄ちゃん?」

 

「あ、ああ……。いい、な」

 

上手く言葉に出来なくて、ずっと「いいな」を連呼していた。

 

「比企谷君も似合っているわよ、そのゾンビ姿り目の腐り方なんてハリウッド級ね」

 

雪乃がからかうような口調で言う。楽しそうに笑っているのが、とても可愛い。

しょうがない、ここはからかい返してやるか。

 

「ヴォー、ヴォー」

 

変な声をあげながら、雪乃に襲いかかる真似をした。

 

「きゃあっ」

 

驚いた雪乃が後ろに倒れ込みそうになる。

 

「おっと…大丈夫かい?雪乃ちゃん」

 

ちょうど後ろにいた葉山が雪乃を支える。やんなきゃよかった。なにイケメンスマイルかましてんだよ。

顔が良ければ何をしても様になる。葉山も、雪乃も。

これじゃあ王子様とお姫様じゃねぇか。それで俺は…王子様とお姫様の間に割って入って邪魔をする性格悪い貴族?……我ながら卑屈だ。ていうか俺は貴族って柄じゃないな。王子様とお姫様はイメージぴったりだけど。

いかんいかん。このままじゃ王子様にお姫様を取られてしまう。そんなの俺は認めないからな!

 

 

 

 

 

雰囲気を出すためだろうか、スタート地点には篝火がたかれている。「キャー」だの、「怖い〜」だの全く怖くなさそうな叫び声が聞こえる。ちなみに俺の隣りには、誰よりも怖がっているお姫様がいる。

 

「……雪乃、大丈夫か?」

 

「だ、だいじょびっ、だいじょうぶ、よ」

 

うーん、全然大丈夫じゃなさそうなんだよなぁ。こういうの苦手なんだな。さっきから膝が震えている。

説明が終わり、それぞれの配置に移動する。

俺が動こうとすると、何かに引っ張られるような感覚があった。

 

「えっと…雪乃?俺あっちなんだけど……」

 

よく見ると、雪乃が俺の服を掴んでいた。

 

「そ、そう、なの……。じゃあ、また後で……」

 

そう言いながら、雪乃はゆっくりと手を離す。

心配になってきた。一人で30分も耐えられるのだろうか。でも俺にできることは特にない。

 

「じゃあ、後で。頑張ってな」

 

それだけ言って、一旦雪乃と別れた。

 

 

 

 

俺は小学生が来たら隠れて適当に草木を揺らすという、簡単なお仕事をしていた。これだけやっておけば、結構怖がってくれる。

子供の声が聞こえた。揺らすか。

 

「な、なんの音?」

 

「つ、鶴見見てきてよ」

 

どうやらあの鶴見留美のチームらしい。

もっと激しく揺らしてみる。

 

「……大丈夫だよ。行こっ」

 

鶴見留美が、他の子の手を引いて走って行ってしまう。

なんだよ、やればできるじゃねえか。

また足音が聞こえてきたので、草木を揺らす。

その足音はだんだんと近づいて来る。

 

「な、なんの…音?」

 

震える声が聞こえた。怖がってくれているのならよかった。

 

「……もう嫌 」

 

ん?なんか今、とても聞き覚えのある声が聞こえた気がしたぞ?顔を少しだして、覗いてみる。するとそこには、縮こまりながら、おそるおそる歩いている雪乃がいた。

 

「おーい、雪乃」

 

「ひゃぅっ」

 

いきなり現れた俺の姿に驚いたのか、雪乃が2メートルほど後ろに飛びずさる。

 

「俺だよ」

 

「……比企谷、君?」

 

も〜おゆきのんったら〜、怖がりなんだから〜。かわいーなー。

 

「大丈夫か?っていうか、雪乃こっちじゃなくない?」

 

「え?あ…分かってる、わよ……」

 

もしかして迷ったのだろうか。ここは結構道が分かりにくい。ちゃんと来たところを覚えていないとすぐに迷ってしまう。そして、一度迷ってしまうと一生出られない気さえもしてしまう。だからここは怖いのだ。実際は迷っても携帯を使えばなんとかなりそうだが。

 

「気をつけてな」

 

「……えぇ」

 

そう言って雪乃は闇に消えてしまう。最後に何を思ったのか、俺は手を伸ばしたが、それが雪乃に届くことはなかった。

 

 

 

 

 

「……遅いな」

 

葉山がポツリとつぶやいた。

 

「お兄ちゃん、この格好暑い」

 

小町が手をパタパタしながら言う。

確かに、それなりに暑いうえにそんな格好していたらさぞ暑かろう。

 

「あー、先戻っていいぞ。俺がここで待ってるから」

 

そうみんなに言って、帰るように促す。

「お疲れ様」や、「お先に」と言ってどんどん帰っていく。

 

「……お前は戻らなくていいのかよ」

 

唯一戻らなかったのは、葉山だ。まぁ予想はしていたけど。

 

「比企谷、探しに行って来てくれないか?俺はここで待ってるから」

 

「……それがいいな。もし俺より先に戻って来たらメールしてくれ。じゃあ行って来る」

 

それだけ言って、俺は全速力で走り出す。

 

 

 

 

 

暗い森に独りでいる。私にとって、これ以上の罰ゲームは無いと言っていいほど苦痛だった。まるで真っ暗な世界に、私一人だけ取り残されているようで。時々揺れる草木、足に当たる雑草、その一つ一つが怖い。もう少し明るかったら平気だったのに。それじゃあ肝試しにはならないけど。

自分の持ち場所に向かっているが、いっこうに着く気配がない。道を間違えたのだろうか。

とりあえず戻らなくては。

 

「……どこから来たっけ」

 

周りを見渡すが、どこも同じ風景だ。私は今、どこから来たのだろうか。まさか自分が今来た方向すら分からなくなるとは。慌ててポケットに手をやる。しかし、本来ポケットがあるはずのところには、何もなかった。私はいつもの服装ではない。つまり、携帯電話を持ってきていない。何か連絡手段は。考えて、すぐに諦める。

 

「……どうしよう」

 

こんな怖い場所に独りでいる。そのことが、頭の中いっぱいに広がっていく。

膝が震える。心臓が痛いくらいに脈打つ。完全に動けなくなってしまった。

誰かきてくれれば。平塚先生でも、隼人くんでも、由比ヶ浜さんでも。誰でもいいから私を見つけてくれれば。誰でもいいはずなのに、なぜか思い浮かぶのは比企谷君のことだけだった。

 

 

 

 

 

「ゆきのぉー、いたら返事してくれぇー!」

 

大声で叫ぶ。こうでもしてないと、恐怖で動けなくなってしまいそうだ。

 

「くそっ、どこいるんだよっ!」

 

正規のルートは全部探した。考えられるのは、雪乃が動き回っているか、道を完全に間違えたか。

雪乃が動き回っているのだとしたら、もうとっくに着いているはずだ。――やっぱり迷子か。

そう結論を出し、また俺は走り出す。

 

 

 

 

 

雪乃ちゃんが戻ってこなかった。もともとあの子は方向音痴だから、迷うかもしれないくらいには思っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。

本当は俺がすぐにでも探しに行きたい。でもそれは望まれていない気がした。きっと俺が見つけても解決するのだろう。しかし、雪乃ちゃんは俺が来ることを望んでいないと思う。

あのお姫様は俺みたいな奴は好きではないのだろうか。ナルシストではないが、あいつと俺では、王子様なのは俺なはずなのに。いくら王子様をきどっても、お姫様はきっと俺を見てくれない。

あの子は今どこにいるのだろうか。それさえ分かれば、今すぐにそこへ行って、助け出せるのに。そんな簡単にはいかない。それをやるのは俺じゃなくて、あいつだから。あいつじゃないと、できないから。

きっと、俺ではあの子を見つけ出せない。救うことはできない。

もしこのまま俺が何も行動を起こさなければ、あの子は彼を選ぶだろう。いや、起こしても結果はきっと変わらない。それでも俺は、この夏、一つ行動を起こす。

 

 

 

 

 

どのくらい時間がたったのだろうか。もしかしたらこのまま誰も見つけてくれないかもしれない。恐怖や不安やらで、もう完全に心と身体は疲れ切ってしまった。それでも恐怖も不安も感じるのだから、報われない。

本当なら地面に座り込んで泣いてしまいたい。でもこの服は借り物だから汚すわけにはいかない。それに、もうすでにたくさん泣いたと思う。

せめて木にもたれかかれれば。でも足が動かない。膝は相変わらず震えっぱなしだ。

 

「……の!い……へん…し……れ!」

 

声が聞こえた。なんて言っているかまでは分からない。もしかしたら幻聴かもしれない。それでも、こんな暗い森で声が聞こえるなんてただのホラーだ。

また心臓が痛いくらいに脈打つ。息が荒くなる。

少し前に由比ヶ浜さんから教えてもらったゲームを思い出す。確か、鬼に追いかけられるんだったか。捕まったらどうなるんだったっけ。

ダメだ。これは今一番思い出してはいけなかった。もっと、なにか、楽しいことを。しかし頭に思い浮かぶのはその鬼のことばかり。由比ヶ浜さんがやっているところを少し見せてもらった。青くて怖い鬼だった。

心臓の音がうるさいくらい聞こえる。ギュッと胸のあたりを掴んで、身体を縮める。

どんなに楽しいことを考えようとしても、怖いことばかり思いだす。姉さんにされた、怖い話。一人暮らしを始めてからあった、怖いこと。

 

「うぅ……」

 

耐えられなくなって、地面に倒れ込みそうになる。しかし、身体を誰かに支えられた。

 

「やっと…見つけたぞ……」

 

その声は、今一番私が聞きたかった声だった。やる気がなくて、けだるげな声。でもとても優しくて、温かい声。

 

「…き……くん……」

 

上手く声が出ない。その代わり、涙だけはたくさん出てくる。

 

「うっ、うぅ……」

 

私を支えてくれている胸に額を当てて、服をギュッと握って泣く。

とても温かくて、優しい。さっきまでの恐怖が一瞬で消えた。なのに、涙だけは止まらない。

お礼を言わなきゃ。

見つけてくれてありがとう。言わなきゃいけないのに、何一つ言葉は出てこない。

不意に、背中に温かいものが当たった。彼の手だ。そっと私の背中をさすってくれる。

その瞬間身体の力が一気に抜けた。目を開けることすら難しくなった。

身体が浮く。そのままどこかへ連れられていくような気がしたが、それを確かめる前に私は眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

「雪乃!いたら返事してくれ!」

 

どのくらい時間が経ったのだろう。雪乃は見つからない。ここらへんは正規ルートからだいぶ外れている。

必死にスマホの懐中電灯を辺りに照らす。

すると、遠くに人らしきものが見えた。すぐに走って近づく。

見えた。あの長い髪、着ている服、絶対に彼女だ。

俺が近寄った瞬間、彼女は倒れた。しかし、すぐに支える。

 

「やっと…見つけたぞ……」

 

言えたのは、たったそれだけ。他に言うことはたくさんあったのだろう。大丈夫かとか、怖かったなとか。それでも声が出なかった。

 

「…き……くん……」

 

彼女は俺に全体重をかけて寄りかかる。きっと疲れているのだろう。

 

「うっ、うぅ……」

 

俺の胸に額を当てて泣いている。やっと安心してくれたのか。こういうときどうすればいいのか分からない。だから、今の俺が唯一できることを。

そっと彼女の小さな背中に手を当てる。それから彼女の力を抜くようにさする。すると、すぐに彼女の強張っていた身体は柔らかくなった。

きっともうすぐ眠る。そのまま彼女をお姫様だっこして、森から出るための道を歩く。

 



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彼女の温もり

 

身体を揺さぶられているような感覚がする。

優しい声が聞こえる。

 

「…きて……が…くん」

 

名前を呼ばれた気がした。

 

「もう朝だから、早く起きて」

 

ん、朝?ゆっくりと目を開ける。そこには、困ったように笑う雪乃がいた。

 

「やっと起きた」

 

まずは状況把握からだ。俺は今まで寝ていた。そこへ雪乃が起こしに来てくれた、のか?

そうなると結論は一つ。

 

「なんだ、夢か」

 

夢ならそういうこともあるだろう。じゃあもう一度寝るか。夢の中なはずなのに、今とても眠いのだ。

 

「ちょ、ちょっと。夢じゃないわよ。早く起きて!」

 

夢じゃないなら何なのだ。何?新婚さんごっこ?そりゃあいいや。このまま続けてくれ。なんならごっこじゃなくてもいいぞ。いやむしろそっちの方が、いいな……。

だんだん意識が遠くなる。あぁ、眠たい。一時間後起こしてくれ……。

 

「もう朝よ。早く起きて『あなた』?」

 

その瞬間、俺の全細胞が目覚めた。いや、覚醒めた。目をクワッと開く。

 

「ふふっ、起きた?」

 

そこにはいたずらに成功したように嬉しそうに笑う雪乃がいた。

 

「え、何?本当に夢なの?」

 

もはや夢か現実かも分からなくなってきた。

 

「比企谷君がさっき、新婚さんごっこって言うから……」

 

うわぁ、恥ずかし。俺そんなこと言っちゃったの?思ってたけど無意識のうちに声に出していたようだ。

恥ずかし過ぎて死にたい、けど幸せ。

 

「ゆ、雪乃はいいお嫁さんになる、な」

 

「えっ!?そ、そう……」

 

「料理も得意だろ?家事とかもなんでもできそうだし…しかもすっげぇ可愛いし……。雪乃と結婚した奴は幸せ者だな」

 

なんなら俺がもらいたいレベル。というかこの子最強すぎる。並みの男子なら一発で落ちる。並の男子じゃなかったら二発で落ちる。葉山とか。

そういえば戸部は海老名さんが好きなんだっけ。すげぇな。近くに雪乃がいても違う女子を選ぶとは。あいつなかなかやるぞ。戸塚?戸塚はまず男子なのかとういうところから議論していきたいと思います。

 

「……私は比企谷君と結婚した人も幸せだと思うけれど……」

 

あら、この子いい子ね〜。そんなお世辞いらないのにぃ。そんなこの子が人気過ぎて困ってます。一番のライバルは葉山だな。あとは…材木座はいっか。あいつは雪乃に近づいちゃダメだ。俺が絶対に許さない。なんなら俺が年中無休で雪乃の護衛をしちゃうまである。それストーカーなんだよなぁ。

ていうか平塚先生の前でこんな話ししたら殺されそうだな。もう誰かもらってやれよ。え、俺がもらってやれって?ごめんなさい、好きな人がいるので。おっと、今背筋が凍ったぞ。寒気もする。

病気かな?病気じゃないよ、病気だよ。

これは恋の病ですねぇ。と、俺の心の中の医者が診断している。

なんだと!?不治の病じゃないかっ!

これはこんな病気にさせた雪乃に責任をとってもらわなければいけませんね。ということなのでぼくと結婚してください。

……俺は何を考えているんだ?

 

「……大丈夫?体調悪いの?」

 

雪乃が心配そうな目で俺を見てくる。

悪いのは体調じゃなくて頭だな。いや、おかしいと言った方が正しいか。

俺が何も答えずにいると、雪乃が申し訳なさそうな顔になる。

 

「ごめんなさい……。昨日の…私のせいであまり眠れていない、のよね……」

 

やっと思い出した。俺は今、合宿に来てるんだ。

というか、昨日は戸塚が起こしに来てくれて、今日は雪乃とか、俺一生の運使い果たしたんじゃね?

それよりも、昨日のことは雪乃は何一つ悪くない。俺が勝手にやったことだ。そこはちゃんと分かってもらわなくては。

 

「いや、別に雪乃は悪くないだろ。俺がやりたくてやったことだし」

 

「そう、かしら……。あり、がとう」

 

そう言って、少し照れた様に笑った。か、かわえぇ。

 

 

 

 

 

「よく見つけたな」

 

「そりゃあ探し回ったからな」

 

そもそも見つけるまで俺は戻って来る気はなかった。それに、今思えばよくこんな暗い森を走り回れたもんだ。きっと今森に入れと言われたら、どんな手段を使ってでも拒否する。例えば葉山を囮にするとか。まぁ、どんな手段って言っても、雪乃を囮にすることだけは絶対にしないと思うが。

 

「彼女は寝ているのか?」

 

「ああ。たぶん疲れ切ってたんだろ。俺が駆け寄った瞬間倒れた」

 

「そうか…それは、危なかったな……」

 

もともと体力がないのに、昼間水遊びをして余計に体力を使ったのだ。そりゃあ疲れるだろう。

 

「どこにいたんだ?」

 

「奥。とにかく奥。正規ルートなんて掠ってすらなかった」

 

「方向音痴だからな。小さいとき出掛けるとはぐれてよく迷子になっていたよ。その度に俺と陽乃さんで必死になって探すんだ。それで見つけると必ず一人で泣いているんだ。手を繋いでいても迷子になることがあるんだよ。すごいだろ?」

 

葉山は遠い昔を懐かしむように言う。そんなことよりもぼくは葉山くんが雪乃ちゃんと手を繋いだことがあるのかがとても気になります。

 

「完璧に見えて結構ぬけてるからな」

 

「なぁ比企谷、もし俺とお前が違う小学校だったら、どうなっていたかな」

 

「あ?大して変わらんだろ」

 

というより、俺がいない間に雪乃が葉山のことを好きになっていたらとても困る。

 

「俺は色々と違っていたと思うな。それでも、俺は選ばれないんだろうな……」

 

「……何からだよ」

 

「大切な人からだよ」

 

そう言って葉山は力なく笑った。

 

「よく眠っているな」

 

「そうだな」

 

改めて雪乃の寝顔を見る。サラサラの髪の毛、長いまつ毛、ほんのりとピンクがかっている頬、柔らかそうで艶めいた唇。時折聞こえる規則正しい寝息。ずっと見ていると魅了されてしまいそうになる。

 

「……平塚先生はどこにいるんだ?」

 

「見つけたら連れてきてくれって。たぶん他の人たちをまとめてる。あと小学生だな」

 

「忙しいんだな。よくそんな仕事できるな」

 

俺だったらそんな面倒くさそうなことやりたくない。

 

「君が一番面倒くさそうな仕事をしたけどな」

 

「いいんだよ」

 

いくら面倒くさくてもこの寝顔を見れば疲れなんて一瞬で吹き飛ぶ。

 

「明日起きれるのか?」

 

「なんでだよ」

 

「もう日付け変わるぞ」

 

そういえば時間を確認していなかった。

 

「まぁなんとかなるだろ」

 

戸塚がきっと起こしに来てくれるはず。うん、それがいいな。

『はちま〜ん、起きてよ〜』

 

「ふへ」

 

「……何考えているんだ」

 

葉山に白い目で見られる。

 

「なんでもねぇよ。……戸塚と風呂入りたかったなぁ」

 

最後の部分は葉山には聞かれない程度の声でつぶやく。

 

 

 

 

 

「あー、今何時だ?」

 

「もう7時よ」

 

確か起床時間は6時半だったはず。今日は帰る日だから少し早かったはずだ。

 

「え、7時?もう帰る時間じゃん」

 

「だから早く起きてって言ったのに……」

 

朝ご飯食べる時間なくなったな。

確か解散は学校だったはずだ。何時間くらいかかるのだろうか。

 

「ご飯、どうするの?」

 

この言葉を聞いて雪乃が朝ご飯を作ってくれることしか思い浮かばないぼくはもうダメだと思います。

 

「まぁ、帰ってからだな……」

 

「大丈夫なの?」

 

「車で寝てりゃなんとかなると思う」

 

「そ、そう……。じゃあ外で待っているわ」

 

そう言って雪乃は部屋を出て行く。とっとと着替えて帰る準備するか。

適当に荷物を詰め込んでカバンを持って外へ出る。

すると、ドアの前で雪乃が待ってくれていた。

 

「悪い、待たせたな」

 

「あっ、あの…これ」

 

雪乃の手には、綺麗にラッピングされた箱がある。

 

「比企谷君、誕生日…って……」

 

お、覚えててくれたのかぁ!八幡感激!

 

「あ、ありがとな」

 

 

 

 

 

「さて、比企谷と雪ノ下も来たことだし、帰るか」

 

荷物を持って駐車場まで歩いて行く。やっとこの合宿も終わりか。短いようで長かった。ちなみに葉山たちはもう帰ったそうだ。

 

「ねぇ比企谷君……。その…席、隣に……」

 

「車の?」

 

俺が聞くと、雪乃はうんうんと頷く。

 

「ってことは……」

 

戸塚と小町と由比ヶ浜が後ろで三人か、誰かが平塚先生の隣か。

 

「あっ、じゃあ戸塚さんと結衣さんと小町で後ろの席に座りましょう!」

 

流石小町。俺と違って空気が読める。

 

「おっ、いいね!」

 

由比ヶ浜もそれに乗っかる。戸塚も特に異論はないようだ。

 

「私は独りか……」

 

そんなに俺に隣に座ってほしかったのかよ……。

駐車場に着いて荷物を入れて座る。

ちゃんと左隣に雪乃がいる。

 

 

 

 

 

みんな眠ってしまった。今日は朝が早かったから。それに、車の中であんなに騒いでいたら疲れるのも当然だ。

隣にいる比企谷君もぐっすりと眠っている。

 

「雪ノ下は寝ないのか?」

 

唯一私以外で起きている平塚先生が話しかけてくる。

 

「昨日たくさん寝ましたから」

 

「よく眠っていたもんな」

 

平塚先生が笑いながら言う。正直少し恥ずかしい。家族以外に寝ているところを見られることなんてないと思っていたから。

 

「昨日は…疲れていて」

 

平塚先生には言い訳にしか聞こえないだろうが、せめてもの抵抗として言う。

隣で眠っている比企谷君を見る。穏やかな寝息をたてている。そんな寝顔を見ていると、自然と笑みがこぼれる。

 

「比企谷が気になるか?」

 

「昨日は迷惑をかけたので……。平塚先生も、すみませんでした」

 

平塚先生がどこまで関わっていたのかは分からないが、少なからず迷惑はかけているだろう。生徒がいなくなったのだ。もし見つからなかったらどうなっていたのだろうか。

 

「私は大したことはしてないよ。比企谷と…葉山がほとんどしてくれたからな」

 

平塚先生は少し誇らし気に言う。

 

「隼人くんもいたんですか?」

 

その情報は初耳なので、確認しておく。もしそうならお礼をちゃんと言わなくてはいけない。それと、姉さんに言うのもできればやめてほしい。絶対にからかわれるから。

小さいときから私が迷子になったとき、隼人くんは慰めてくれるのに、姉さんはからかってくる。

 

「ああ。でも探しに行ったのは比企谷だけだ。葉山は待っていたそうだ」

 

「そうなんですか」

 

「比企谷は随分必死だったようだよ。汗だくで泥だらけだったんだ。それで、「これは俺が勝手にやったことだから雪乃には言わないでくれ」って言うんだ。……言ってはいけなかったな」

 

「いえ、ありがとうございます」

 

比企谷君がそんなことを言っていたと、考えるだけでも嬉しくなってしまう。

もう一度隣で眠っている比企谷君を見る。すると、少し口が動いた。

 

「ゆき、の……」

 

寝言だろうが、今確かに名前を呼ばれた。

 

「ははっ、比企谷は雪ノ下の夢を見ているのかもな」

 

もしそうなら、私のどんな夢を見ているのだろうか。

比企谷君が、悲しそうな顔になってくる。

夢の中でなにがあったのだろうか。

 

「ゆきのぉ……」

 

私はここにいるのに、比企谷君はまるで私がどこかへ行ってしまったように私を呼ぶ。

 

「なんの夢を見てるんだかな」

 

平塚先生が苦笑しながら言う。

比企谷君はまだ悲しそうにしている。

少し不安になってきた。

私が比企谷君を悲しませているなんて、考えたくない。何かできることはないのだろうか。

トンネルに入った。この暗さが、あの森の暗さに少し似ていて怖くなってくる。でもあの時は比企谷君が私を見つけてくれた。比企谷君は相変わらず悲しそうな顔をしている。そんな比企谷君の手をそっと握る。こんなことに、どれだけ効果があるかは分からないけど。

すると比企谷君が私の手を握り返してくれた。

比企谷君を見るが、まだ眠ったまま。

比企谷君がバランスをくずした。そのまま私の肩にもたれかかってくる。髪の毛がチクチクしていて少し痛いけど、追い払うようなことはしない。

 

「雪ノ下も寝たらどうだ?」

 

「大丈夫です」

 

「眠たくないかもしれないが、寝たほうがいいと思うぞ?」

 

平塚先生がニヤリと笑いながら言う。

 

「どうしてですか?」

 

「顔が真っ赤だ。心臓だって、バクバクいってるだろ?平静を装っているようだが、バレバレだぞ。それじゃあ学校から帰るときには疲れ切ってると思うぞ?」

 

全くその通りだった。でもこんな状況で眠れる気がしない。目を瞑ってみる。すると、意外と疲れがたまっていたようで、だんだん目が開けられなくなってくる。

 

「君たちは――」

 

最後に平塚先生が何かを言いかけたのが聞こえたが、最後まで聞く前に、私は眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

何もないところにいる。出入口があるわけでもなく、何かに囲まれているということもない。

ただ大きい広場みたいに辺りが見渡せる。真っ黒な世界に、独りで立っている。

突然、目の前に雪乃が現れた。

 

「……の!…きの!」

 

上手く声が出ないが、なんとか叫ぶ。聞こえていないのだろうか。全く反応してくれない。それどころか、走って俺のいない方向へ行ってしまう。慌てて追いかける。

 

「ゆきの!聞こえてないのか!ゆきの!」

 

やっと声が出るようになった。

走っても走っても追いつけない。それどころか、どんどん遠ざかって行く。

 

「待ってくれ!ゆきの!」

 

いくら叫んでも反応してくれない。この距離で、こんなに大声を出しているのに。このまま追いつけないのではないかという恐怖を感じる。

 

「待って、くれよ……。行かないで、くれ……」

 

泣きそうになるのを必死に堪えながら走る。

その瞬間、世界の色が変わった。

 

何もない、真っ白な世界にいる。いや、何もなくない。

目の前に、さっきまで追いかけていた子がいる。

真っ白な服を着て、まるで天使のようだ。

細かい表情までは分からないが、微笑んでいることは分かった。

 

「……ゆきの」

 

まっすぐ手を伸ばす。しかし、その手が彼女に触れることはなかった。

彼女の方から俺のところに来てくれた。そっと包み込んでくれる。とても温かくて、優しい。

しかし、そんな幸せな時間は気がついたら終わっていた。もう雪乃はどこにもいない。

顔を上げると、また世界の色が変わっていた。

ポカポカとした、暖かそうなオレンジ色。次は可愛らしいピンク色。グラデーションのように色が変わっていく。それをただ呆然と見ていることしかできない。

不意に、左手に温かいものがあたった。左側を見るが、何もない。それでも、どこか安心できた。

 

「俺は――」

 

そっと目を開けると、平塚先生が鼻歌を歌いながら運転していた。

鏡越しに目が合う。

 

「おっ、起きたか」

 

「はい……」

 

さっきの夢のことを思い出す。……そういえば雪乃は。

とっさに隣を見る。そこには、眠っている雪乃がいた。

 

「雪ノ下はさっき眠ったよ」

 

「そうなんですか」

 

とりあえずすることがないので、ボケーっと雪乃の寝顔を眺める。

 

「雪ノ下の夢を見ていたようだな」

 

「え、なんで知ってんですか」

 

あまりにもピンポイント過ぎたので、素で聞いてしまった。

 

「寝言で言っていたんだ。嫌な夢だったようだな。心配した雪ノ下が手を繋いでくれているぞ」

 

左手を見ると、俺の指と雪乃の指が上手く絡まりあっていて、なんだかむず痒くなってくる。

これはいわゆる恋人繋ぎというやつだ。

俺の手が下で、雪乃の手が上に乗っている。それでもしっかりと恋人繋ぎが完成しているということは、俺も繋ぎ返したということだろう。

 

「どんな夢だったんだ?」

 

「いや、まぁ、別に……」

 

説明が難しいので、曖昧な言葉で濁してしまう。

 

「もしかして、雪ノ下が誰かに取られる夢か?」

 

「もともと俺のじゃないですけどね」

 

「なんだ、ちゃんと分かってるのか」

 

流石にそこまではっきり言われると少し傷つく。分かってはいるのだが。

 

「そろそろ着くから、起こしてくれ」

 

そう言われ、雪乃を起こそうとするが、こうも気持ち良さそうに眠られると起こすのが悪くなってしまう。

よし、雪乃は最後にしよう。

後ろで三人仲良く寝ている小町たちを起こす。

 

「む〜、せっかく気持ち良く寝てたのにぃ」

 

そっと雪乃を起こす。

 

「もう…着いたの?」

 

眠たそうに目をこすりながら聞いてくる。雪乃を見ると、またさっきの夢がフラッシュバックされて、離したくなくなってくる。

 

「ふぅー、着いたぞー」

 

荷物を下ろし、完全にお開きとなった。

それぞれが帰路に就こうと別れの挨拶をしようとしたときだった。黒塗りのハイヤーが俺たちの前に横付けされた。

 

「はーい、雪乃ちゃん」

 

中から出て来たのは、真夏なのに小春日和みたいな心地よさを感じさせている、雪ノ下陽乃だった。

 

「姉さん……」

 

雪乃は驚きで、目を丸くしている。

 

「え、ゆきのんの、……お、お姉さん?」

 

「あれ、あなたは?」

 

「あ、由比ヶ浜結衣です」

 

「由比ヶ浜……。あっ、雪乃ちゃんの一番の友だちか!」

 

陽乃さんが眩しいくらいの笑顔で言う。

すると雪乃は慌てて陽乃さんの口を塞ごうとする。

 

「ちょっと、姉さん!」

 

「あのね、雪乃ちゃん私と話すときあなたのことばかり話すのよ〜。今日は一緒に遊んだとか、メールをしたとか。前は小一時間くらいずっと由比ヶ浜さん…ガハマちゃんでいっか。ガハマちゃんのこと話してたの!」

 

ほう、そんなことが……。雪乃は由比ヶ浜のこと大好きだからなぁ。

 

「ゆ、ゆきのん!」

 

由比ヶ浜は感慨深そうに雪乃を見つめる。

雪乃は恥ずかしそうにうつむいているが。

 

「これからも雪乃ちゃんと仲良くしてあげてね?」

 

「はいっ!」

 

「小町ちゃんも久しぶりだね〜」

 

「はい、お久しぶりですね」

 

ちょっと、人の妹にまで手を出すのはやめてくれませんかね。

というかこの二人裏でなんかやってそうで怖いんだけど。

 

「最近どう?」

 

「いやぁ〜、結構いい感じだと思いますよ」

 

ほら、なんかやってんじゃん。怖いわぁ。

 

「あ、雪乃ちゃん行くよ」

 

「私は…電車で――」

 

「お母さんが待ってるから」

 

雪乃の言葉を遮るようにして陽乃さんは言った。その言葉を聞いた瞬間、雪乃の顔がくもった。

 

「大丈夫だよ、私もいるから」

 

陽乃さんが元気づけるようにいうが、それでも雪乃の表情は晴れない。

 

「……さようなら」

 

陽乃さんに背中を押されるようにして、雪乃は車内へと消えた。

 



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彼はようやく負けを認める

「あー、ダメだった〜!」

 

小町が携帯を握り締めてソファに転がる。

こいつ受験生だよな。なにやってんだよ。

 

「何がダメだったんだ?」

 

「雪乃さんを花火大会に誘おうと思ったんだけど…見て」

 

そう言って携帯の画面を俺に見せてくる。

 

題名:小町です。

本文:花火大会お兄ちゃんと一緒に行ってくれませんか?あの人、全然外に出ないんです。雪乃さんがいれば外に出ると思うんです!

 

新着メッセージがあります。

題名:なし

本文:ごめんなさい。比企谷君と行くことはできないの。また別の機会にお願いするわね。

 

「は、お、お前……。な、なにやってんだよ!ていうかこれ前も見たぞ。……っと、わんにゃんショーの時だったな」

 

あの時も予定があるからと断られたんだっけ。陽乃さんと来てたんだよな。じゃあ今回もか?

 

「ご、ごめんごめん。とりあえず行ってみたら?もしかしたらいるかもじゃん」

 

まぁいる可能性があるなら行くか。なんなら小町も…いや、もし陽乃さんと会ったらアレだから一人で行くか。

 

「そうだな……。行くか」

 

「あっ、じゃあ小町買ってきて欲しいものあるから、後でメールするね!そうと決まれば、さっさと出てって」

 

こ、こいつ俺を奴隷のごとく扱いやがって……。

可愛い妹と雪乃と戸塚には逆らえないって言うからな。いや、言わないな。

 

「へいへい、邪魔者は出て行きますよ」

 

 

 

 

 

「人混みすげぇな……」

 

駅からそうだったが、いざ来てみると本当に混んでいる。正直今すぐ帰りたい。

そういえば小町のメールまだ確認してなかったな……。

 

「は?」

 

題名:小町のお買い物リスト

本文:焼きそば 400円

   わたあめ 500円

   ラムネ 300円

   たこ焼き 500円

   独りで花火を見た思い出 く·ろ·れ·き·し♡

 

「あいつ……」

 

携帯を握り締める。そもそも誰のせいだと思ってるんだよ。もう本当に帰ろうかな。

いやいや、雪乃がいるかもしれないし……。

小町のは後回しでいっか。

そうと決まればあとは適当にフラついて雪乃を探すだけだ。

途中屋台を見るが、特に何も買わない。

 

「おわっと、びっくりしたー」

 

気がついたら花火が上がっていた。俺の黒歴史が更新されちゃったよぉ……。

もうじき花火大会が終わる。みんなが花火を見ているすきに小町のを買ってしまおうと、歩き出そうとしたが、俺は固まってしまった。

目の前、いや少し遠くに、俺が探していた少女がいた。浴衣を着ていて、とても可愛い。その子は俺に気づいていない。本当なら今すぐにでも近づきたい。でも、俺の足が動かない。隣には、葉山がいた。手を繫いで、二人で歩いている。

なぜ手を繫いでいるのか。雪乃が方向音痴だからか、迷子にならないようにか。たとえそうだとしても、傍から見れば、恋人同士にしか見えない。それに、俺自身見ていてお似合いだと思ってしまった。爽やかなイケメンと、正真正銘の美少女。これほどつりあっているカップルはいないだろう。

小町の誘いを断ったのは、葉山と行くからなのか。頭の中がいっぱいになる。

 

「くそっ、くそっ……」

 

気がついたら走り出していた。周りのことなんて気にしないで、無我夢中で走る。

 

 

 

 

 

俺は、今日の花火大会で行動を起こす。雪乃ちゃんを誘うことだって成功した。もしかしたら比企谷と行くかと思ったが、そんなことはなかったようだ。

待ち合わせ場所は雪乃ちゃんのマンションの前にしておく。駅だとあの子が迷ってしまうと思うから。

 

「お待たせしたかしら?」

 

「いや、全然。大丈夫だよ」

 

雪乃ちゃんが来たから出発する。姉の陽乃さんは家の名代として行かなければいけなかったはずだ。そのため、邪魔をされることはない。

今思えば雪乃ちゃんと二人で出掛けるとこはかなり少なかったと思う。いつも陽乃さんがいた。もしかしたら俺を監視していたのだろうか。……あの人なら本当にやってそうで怖い。

 

「その浴衣、可愛いね。よく似合っているよ」

 

「ありがとう。姉さんに言ったら、これを着ていきなさいって言われて」

 

陽乃さんは俺と二人で出掛けることを知っているのか。よく許可してくれたものだ。いや、雪乃ちゃんの行動を抑制するほどの権限は流石の陽乃さんでも持っていないだけか。

 

「……比企谷とは…約束してなかったのか?」

 

「えぇ、特に約束していなかったのだけれど……。まぁ、そうね」

 

雪乃ちゃんにしては少し歯切れが悪い。もしかして、俺よりあとに誘われたのだろうか。

 

「人が多いね」

 

駅の時点でとても混んでいる。会場はもっと混んでいるのだろう。はぐれたら会えなくなりそうだ。

後ろを振り返って話しかける。

 

「大丈夫?」

 

「花火大会の道くらい分かるわよ」

 

少し唇を尖らせて言う。分かっていてもちゃんとたどり着けるかは別問題なんだよなぁ。

つい苦笑してしまった。

 

「それに…私が迷子になっても、隼人くんが見つけてくれるでょ?」

 

そう言って笑った。この、少し幼い笑顔は昔から変わっていない。親しい人にしか見せない、あどけない表情。やはり、あいつにも見せているのだろうか。

でも、俺はその期待には応えられない。見つけたのは比企谷だ。運んだのも比企谷だ。俺は何一つしていない。

 

「そう…だね……」

 

それでも否定出来なくて、曖昧な答えになってしまった。

 

「……姉さんはどこにいるのかしら」

 

ここで真っ先に陽乃さんが出てくるとは、雪乃ちゃんも結構お姉ちゃん子のところがある。

それ以外にも、罪悪感などがあるのだろうが。

 

「貴賓席の辺りにいるんじゃないかな。行ってみる?」

 

すると意外なことに、雪乃ちゃんは首を振った。まぁ直接会っても、罪悪感がより強くなるだけだしな。

 

「じゃあ、どこから行こうか」

 

「隼人くんにお任せするわ」

 

雪乃ちゃんはパンダのパンさんが好きだからな……わたあめでも行ってみるか。

 

「はい、どうぞ」

 

わたあめを渡すと、雪乃ちゃんは嬉しそうにわたあめを頬張る。こんな姿を見ていると、まるで妹ができたみたいだ。もともと雪乃ちゃんは妹だし、妹気質がかなりある。俺は弟妹はいないが、小さい子のお世話くらいならできる。と言っても雪乃ちゃんは同い年だが。

 

「次はどこへ行くの?」

 

もうすぐ花火が上がる。普通なら場所をとって座るのが一番いいだろう。

 

「……こっちに、来てくれないか?」

 

雪乃ちゃんは頷いて、俺のあとについてくる。

心臓の音がうるさい。緊張で身体が強張りそうになるのを必死に抑えて歩く。

閑静な丘に着く。ここら辺は周りに木があって花火があまり見えないから、人はいない。

 

「あのさ……」

 

雪乃ちゃんは首をかしげる。無言で、「なに?」と聞いているようだった。

勢いに任せて一気に言う。

 

「ずっと前から好きです、付き合ってくださいっ!」

 

頭を下げているため、雪乃ちゃんがどんな顔をしているかは分からない。おそるおそる顔を上げてみる。

雪乃ちゃんは、気まずげに視線をそらしていた。

――やっぱり、ダメだ。

 

「……私…好きな人が、いるの……」

 

ここまではなんとなく予想していた。だから、俺は最後の賭けにでる。

 

「そうか……。言いにくいこと言わせて、ごめん。あのさ、雪乃ちゃん…手を、繫いでくれないか?もうここにいる人たちは帰るだろうし…迷子になったら、困るから」

 

どんな形でもいい。断ってくれればなんでもいい。

雪乃ちゃんが、少しでも気がある人と手を繋げるとは、思えないから。そういうのが、苦手な子だから。俺に、少しでも思うところがあってくれるなら、ここで断ってくれるはず。どんな理由でもいい。断って、くれ……。

 

「えぇ、分かったわ」

 

賭けに、負けた。最後の最後の賭けにまで負けた。

雪乃ちゃんは最初から決まっていたのだ。揺れ動くことすらなく、もうとっくに決めていたのだ。

完敗だ。気持ちがいいくらい完全に、完璧に負けた。

あいつと俺はライバルなんかじゃなかった。同じ土俵にすら立っていなかった。

でも俺はきっとそれを薄々感づいていたと思う。それでも、負けを認めていなかっただけだ。いや、負けというのもおこがましい。

ふと、5年前に陽乃さんに言われたことを思い出す。

 

『おっ、隼人今日は早いね」

 

『……雪乃ちゃんは?』

 

『まだ着替え中。覗いちゃダメだよ』

 

『そんなことするわけ――』

 

『あっ、そうだ!隼人さぁ、雪乃ちゃんのこと好きだよね?』

 

『え、あぁ……』

 

『雪乃ちゃんね、好きな男の子できたの!』

 

『へ?』

 

『今日一緒に帰ってたんだけどね?絶対雪乃ちゃんあの子のこと好きだよ!もし今好きじゃなくても、絶対いつか好きになるよ!それにあの子も雪乃ちゃんのこと好きだし、隼人ヤバいよ〜』

 

『あの子って……』

 

『ん?あぁ、多分今日ここに来るんじゃないかな、体験として』

 

その陽乃さんの予言通り、あいつが体験に来た。



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彼は何かを察する

 

あの日からずっと落ち着かない日々をおくり、やっと夏休みが終わった。彼女に、どう言って聞けばいいのだろうか。そればかり考えている。

 

「……憂鬱だ」

 

たとえ聞けたとしても、その答えが俺の望んでいるものとは限らない。

駐輪場に自転車を留め、重い足取りで校舎に入る。教室に向かう途中、彼女とばったり会ってしまった。

お互い無言で見つめ合う。

ここで聞くしかない、いけ、俺!

 

「あ、あの…夏休み、葉山となんか…あった?」

 

ド直球で聞いてしまった。いやでもこれ以外にどうやって聞けばよかったんだよ。

 

「な、何も…」

 

そう言って雪乃は俺から離れようとする。

 

「いや、ちょっと…待っ――」

 

雪乃の腕を掴んで引き留める。

しかし、雪乃はうつむいたままでなにも答えない。

あの時のことが蘇った。俺が無理の引き留めた時、彼女はどんな顔をしていただろう。あの人に、なんと言われたのだろうか。最近距離が近かったから、こんなに大事なことを忘れていた。

慌てて手を離す。

 

「いやっ、ご、ごめん……」

 

彼女は俺から逃げると思っていたが、その場で俺のことをじっと見ていた。

 

「えっと…どうした?」

 

「比企谷君は…何が、あってほしい?」

 

全く具体的ではないが、彼女の言わんとしていることはなんとなく分かる。

 

「……何もあってほしく、ない」

 

「ごめんなさい…何もなかったわけでは、ないの……」

 

じゃあ何が、と言おうとしてやめた。人には知られたくないことくらいあるだろう。こうなったら、葉山に聞くしかなさそうだ。

 

「そうか…ありがとな」

 

何に対してのお礼なのかよく分からないまま教室へ入って行った。

そこで目当ての奴を見つける。

 

「なぁ、葉山、お前……」

 

ここまできて怖がっている自分がいた。それでも聞かないと前に進まない。

 

「雪乃と、なんかあったのか?」

 

「あぁ、あったよ」

 

葉山があまりにも爽やかすぎる顔で言う。何か、一つ成し遂げたような、清々しい顔。

 

「何があったんだよ!」

 

つい熱くなって、葉山に詰め寄ってしまった。

 

「雪乃ちゃんに、フラレたんだ」

 

「は、はぁ?」

 

あまりにも予想外だったので、間抜けな声が出てしまった。

 

「好きな人がいるから俺とは付き合えないって、そう言われたんだ」

 

「す、好きな人の名前言ってた?」

 

俺も雪乃に好きな人がいるということは聞かされているが、名前までは知らない。こいつなら、知っているかもしれない。

 

「言うわけないだろ」

 

葉山が極めて冷静な声で言う。そのおかげで、俺の熱も少しずつ冷めてきた。

 

「そうか…そうだよな……」

 

とにかく、雪乃は葉山と付き合っていないということが確認できただけでも良かった。

 

 

 

 

 

俺は今、ベストプレイスで昼食を食べている、ところに雪乃が来た。

彼女は隣に座り、俺の肩にもたれかかってくる。うーん、可愛いなぁ〜。

 

「……ねぇ比企谷君……」

 

雪乃が、真剣な声で話しかけてくる。

 

「どうした?」

 

おかげでこっちまで緊張してしまった。

 

「付き合うって、何?」

 

予想外の質問、そんなとき、君ならどうする?ぼくにおしえてくださいおねがいします。

 

「えっと…恋人同士になる、みたいな?」

 

なんとか絞り出した答え。ご満足していただけただろうか。

 

「普通の関係と、恋人関係って何が違うの?」

 

また難しい質問。確かに、何が違うんだろうな。

 

「まぁ、距離の問題じゃないか?」

 

「距離?」

 

「あぁ、恋人っていう風に言った方がなんか近づきやすい、みたいな……」

 

雪乃はしばらく黙って考えている。しかし、またすぐに顔を上げる。

 

「他には?」

 

「え?えっと…恋人同士だからできることとか……。あ、いやなんかほら、あれだな、将来結婚したりな!そうだ、それそれ」

 

あっぶねー、雪乃の前で変なこと口走るところだった。

 

「そう、なの……」

 

雪乃が沈んだ表情で言う。こんなこと聞いてくるのは、きっと葉山のことを気にしているのだろう。

 

「……葉山に…告られたんだってな」

 

「ど、どうして……」

 

雪乃が信じられないものを見るような目で俺を見てくる。いや、葉山に聞けば一発だったよ?

 

「葉山に、聞いて――」

 

「……ねぇ比企谷君……」

 

俺の声を遮るように、雪乃が儚げな声で話しかけてくる。

 

「もし…もし仮に、私が……。私が、比企谷君以外の、誰かと…付き合っていたら、比企谷君は、どうする?」

 

そんなこと、考えたくもない。でも、誰と付き合おうが雪乃の勝手だ。俺がどうこう言えるものじゃない。

 

「俺は……。俺は、何も言う権利はないからな……。まぁ、お祝いくらいはする、な。……誰かと、付き合ってみたい、のか?」

 

「誰か、じゃなくて……。付き合ってみたい、じゃなくて……」

 

そこまで言って雪乃は一息つく。そして大きく息を吸い込む。

 

「あの人と…恋人になって…結婚したい」

 

初めて、はっきりと雪乃の願いを聞いた気がする。前までは、「プロポーズされてみたい」とか、女の子が憧れそうな、抽象的なことしか言っていなかった。

でも、今回はしっかりと、ある特定の人物と恋人になりたい、結婚したいとはっきり言った。

上手く頭が回らない。雪乃は、誰と――。

 

「そ、そういえば文化祭、あるよな。結構、告白とかしてる奴多くて、なんかカップルたくさん新しくできるみたいだよな」

 

慌てて話を少しそらす。

これ以上考えていると、頭がパンクしそうだった。

 

「そうね……」

 

「その…雪乃が好きな人とかも…なんか、祭りの空気にあてられて、告白してくる、かもな……」

 

こんなことしか言えない。他にもっといい話の振り方があったのかもしれない。でもこれが精一杯だった。

 

「それは…ないと思うわ。だって、お祭りごとで騒ぐような人ではないし……」

 

「そ、それはいい奴だな。お、俺と気が合いそうだ。ほら、俺も祭りとか別に好きじゃないし。今度紹介してくれよ、俺の友だちになってくれるかもしんないし……」

 

上手く舌がまわらない。恐らく今俺は気が動転しているのだろう。自分が何を言っているのかもよく分からない。

雪乃の顔を見ると、薄く微笑んでいた。

 

「比企谷君には、会わせられないわ。ごめんなさい」

 

謝っているはずなのに、どこか楽しげだった。

 

 

 

 

 

俺は今、会議室にいる。なんでこうなったんだよ……。

 

『比企谷、文化祭実行委員をやりたまえ』

 

『嫌ですけど。内申ならもう足りてます』

 

『残念だな……。雪ノ下もいるのに』

 

『ちょ、それどこ情報ですか!』

 

『雪ノ下本人が言っていたんだ。比企谷にも、それとなく伝えてくれないかと言われてな。だから、特別に教えてやったんだ。で、文化祭実行委員はやるか?』

 

『は、やりますけど、何か?』

 

そうだった!雪乃がいるから立候補したんだ。思い出した時にちょうど雪乃が部屋に入ってきた。

最初は不安そうな顔だったが、俺を見つけると、それはもう見る者の心をつかむような笑顔になった。

俺の隣に座り、口を俺の耳に近づけて、話しかけてくる。

 

「実行委員になってくれたの?」

 

雪乃の息がかかって悶え死にそうになるのをなんと限らないこらえる。いや、全然苦痛じゃないんですけどね。

 

「あ、あぁ…まあな」

 

周りを見てみるが、正直視線が痛い。こりゃあ警戒しとかないと、どいつが雪乃の本命か分からんな……。

 

「それでは、文化祭実行委員会をはじめまーす。生徒会長の城廻りめぐりです。さっそく実行委員長の選出に移りましょう。立候補お願いしまーす」

 

そう呼びかけるが、誰も手を挙げようとしない。

すると、体育教師の厚木が、うおんと雄叫びのような咳払いをした。

 

「お前、雪ノ下の妹だな!あのときみたいな文化祭を期待しとるけぇの」

 

それは「当然、委員長やるんだろ?」という意図を孕んでいるようにも取れた。

隣に座っている雪乃に、小さく声をかける。

 

「無理にやる必要はないぞ」

 

しかし、何の返事も返ってこない。聞こえていないのだろうか。

背筋をピンと伸ばして座っている姿はいつもと変わらないように見えたが、表情が全然違った。怯えているようにも見えてしまう。

雪乃がため息をついて、小さく手を挙げたときだった。

 

「あの……」

 

「おおっ、雪ノ下の妹がやるのか!これは期待できるぞ!」

 

厚木は小さな声を無視し、雪乃を委員長として歓迎した。しかし、めぐり先輩はちゃんと聞いていた。

 

「えっと……」

 

「あ、二年F組の、相模南です。委員長、やっても――」

 

「いや、雪ノ下の妹がやるべきじゃろ。相模、お前はあの雪ノ下陽乃の妹よりもいい結果を残せるのか?」

 

相模の顔が曇った。当たり前だ。せっかく立候補したら、やる前から否定されるなんて。しかし、それよりも俺はもっと苛立つことがある。

厚木は、さっきから雪ノ下の妹としか言っていない。それは違うだろ。雪乃だって雪ノ下だ。雪ノ下陽乃の妹だが、同時に雪ノ下雪乃でもある。そこをきっちり分かっていない。

 

「雪乃、ここは相模に譲ってもいいんじゃないか?」

 

また小声で雪乃に耳打ちする。今度はちゃんと聞こえたようだ。

 

「え、えぇ……。あの…私は――」

 

「おい、雪ノ下の妹もなんか言ってやれ!相模にはもちろん負けないよな?この場で一番できる奴だよな?」

 

雪乃が完全に怯んでしまった。何も誰にも言い返すことができていない。

 

「え、えっと、じゃあ相模さんは、副委員長でいいですか?」

 

慌ててめぐり先輩が提案する。雪乃が委員長になることが確定しているこの場では、かなり賢明な判断だ。

 

「はい…大丈夫、です」

 

「じゃあ雪ノ下さんと相模さん、役割決めするから、よろしくね」

 

雪乃と相模の二人は、生徒会の一団に紛れる形で座った。

なんとなく、また雪乃が遠くへ行ってしまっまような気がした。

 

「……では、宣伝広報から。やりたい方は挙手をお願いします」

 

雪乃の堅苦しい言葉に、挙手する人はいない。

 

「宣伝広報は、名前の通り、宣伝です。やりたい方」

 

雪乃の凍てつくような声音が効いたのか、ちらほらと手が挙がる。

 

「では、有志統制」

 

有志は文化祭の花形のためか結構な勢いで手が挙がった。明らかに想定されている人数よりも多い。

 

「有志統制の主な仕事は有志団体の申し込み、ステージの割り振り、スタッフ内訳、タイムテーブルなどをまとめてもらいます。それと、昨年までの実績を洗い出す必要があります。この仕事が責任をもって出来る方にお願いしたいのですが」

 

雪乃の仕事内容の説明によって、挙手する人が少し減ったが、それでもまだ多い。

 

「相模さん、有志統制希望者をまとめてもらえるかしら。あまり争いにならないように収めてほしいのだけれど」

 

「え?えっと…具体的には?」

 

「そうね、最終決定は相模さんに任せるけれど、じゃんけん、くじ引きなんかがいいんじゃないかしら。もちろん、それで反対意見が多くて争いになるのなら、別の案でお願いね」

 

「あー、うん分かった」

 

分かったのか分かってないのかよく分からない返事をして相模は有志統制希望者をまとめる。その間も、役割決めは続いている。

しばらく雪乃が仕事内容を説明、希望者が挙手するという時間が続いた。

俺はしっかりと記録雑務におさまっている。

 

「相模さん、大丈夫?」

 

あとは有志統制希望者から、こぼれた人たちだけだ。相模はなかなか手間取っているのか、まだ決まっていない。

 

「えっと…ちょっと、アレで……」

 

相模が言い訳がましいことを言うが、雪乃はズカズカともめている輪の中へ入って行く。

 

「何で揉めているの?」

 

目が合った相手を凍らせるような視線で問う。

 

「あ、えっと……。じゃんけんで、いいよな?」

 

どうやら速攻で決まったようだ。

 

「あ、雪ノ下さん、今日はここまででいいよ」

 

「そうですか。それでは今日はここまでにします。お疲れ様でした」

 

みんなぞろぞろ帰っていく。どうやら雪乃は先生と少し話しがあるようなので、廊下で待っとく。別に一緒に帰る約束とかはしていないが、色々と話したいことがある。

 

「お、お疲れ様」

 

「あら、比企谷君。まだ帰っていなかったの?」

 

少し驚いて、でも嬉しそうに聞いてくる。

 

「……なんで、委員長になったんだ?」

 

「立候補がなかったからよ。それに、姉さんが昔やっていたのは事実だし」

 

雪乃は半ば諦めたように言う。優秀な姉をもつと大変なのかもしれない。もちろん雪乃が優秀ではないというわけではないが、実績があると、それを超えなければならなくなる。それはかなり大変なことだろう。

 

「無理は、するなよ。あと、大変になったら、言ってくれ」

 

一応ここで保険をかけておく。相模には悪いが、今日の相模の働きっぷりを見ていると、そんなに期待しない方が良さそうに思えてくる。

 

「えぇ、分かったわ」

 



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どんなものでもすぐに壊れる

「ねぇねぇ委員長、この仕事よく分かんないんだけど」

 

相模が大量の仕事を抱えて雪乃に話しかける。

 

「そうね…その仕事は私がやっておくから、相模さんはできるものをやってちょうだい」

 

おいおい、結構な量あるぞ?大丈夫か?声をかけたいが、一応俺もそれなりの量の仕事があるので手を離せない。

 

「あの…これ……」

 

そう言いながら、また仕事を持って雪乃に近づく輩が現れる。相模が雪乃に仕事をだいぶ任せているので、雪乃に言えば、雪乃がやっておいてくれる、という雰囲気になっている。

 

「はぁ……。そこに置いてください」

 

雪乃も委員長だからか、断っていない。

雪乃のデスクには、どんどん仕事が溜まっていく。それでも滞りなく進んでしまっている。

誰もが、雪乃に任せておけばいいと思っていた。

 

「定例ミーティングを始めます」

 

定刻通りの午後四時、ミーティングが始まった。

 

「宣伝広報からお願いします」

 

「掲示予定の七割を消化し、ポスター制作についても、だいたい半分終わっています」

 

担当部長は自慢げに話すが、雪乃は凍えるような声で言う。

 

「少し遅いです。来客がスケジュール調整する時間を考慮すれば、この時点で既に完了していないといけないはずです。掲示箇所の交渉、HPへのアップもすぐに済ませてください」

 

「あ、はい。あの、ポスター制作についてなんですけど、後で質問があるので……」

 

「ミーティングが終わったら来てください」

 

宣伝担当が言い終わる前に端的に言い、次に進む。

 

「次、有志統制」

 

「……はい。有志参加団体は現在10団体」

 

遠慮がちに発言する有志担当。しかし、雪乃は容赦しない。

 

「それは校内のみですか?地域の方々への打診は?昨年までの実績を洗い出す必要があると説明しましたよね。例年、地域との繋がり、という姿勢を掲げている以上、参加団体減少は避けないと。それから――」

 

雪乃がまだ続けようとした時、雪乃の隣から、「あっ」という声がした。

 

「あのさ、委員長のお姉さんに、OGとして来てもらったら?すごい人なんでしょ?」

 

相模の提案はなかなか好評なようで、有志担当も、めぐり先輩も頷いている。

 

「そう、ですね……」

 

「じゃあ声かけは委員長に任せていいよね、お姉さんだし。よし、じゃあ有志はこっちの仕事やってもらおうかな」

 

そう言って相模はまだ割り振りが終わっていない仕事を漁り始める。雪乃は何か言いたそうな顔をしたが、すぐに諦めたようにため息をついた。

 

「有志統制の残り仕事は私がやっておきます。有志統制の方は、副委員長からの追加の仕事をもらってください」

 

最初に有志統制の仕事の説明を言ったとき、責任を持ってやるということだったはずなのに、結局雪乃に任せ切りになっている。

何か手を打たないといけないが、俺に打てる手などない。自分の仕事をやって、これ以上雪乃の仕事を増やさないようにすることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

家に帰って、すぐに持って帰ってきた仕事を取り出す。見ただけで嫌気がさすような量だ。姉さんも委員長のときはこのくらい働いていたのだろうか。

姉さん、という言葉で思い出す。有志のお願いをしなければいけない。あの人に頼むのなら今やっておいた方がいいだろう。後から文句を言われたくない。

 

「……もしもし姉さん」

 

『わぁー!雪乃ちゃんからかけてくれるなんて嬉しいなぁ!どうしたの?』

 

底抜けに明るい声が聞こえる。いつもは鬱陶しいが、元気がないときこの声を聞くと、少し嬉しくなってしまう。そういえば、今久しぶりに笑った気がする。最近は仕事ばかりやっていて、由比ヶ浜さんとも比企谷君とも話していない。

 

「文化祭の、有志に出てほしいの」

 

『あぁ、もう文化祭か。いいよ、出てあげる。どのくらい必要?』

 

確か今集まっているのは、10団体だったはずだ。それなら、昨年までの実績によってどのくらいか変わってくる。

実績を洗い出すように指示をしていたはずだ。カバンを漁って探し出す。

有志統制のまとめは……。

 

「え……」

 

『ん?どうしたの?』

 

まさか、実績を洗い出すどころか、スタッフ内訳、ステージの割り振りすらやっていなかった。一気に頭が痛くなる。

今から調べることは出来なくもないが、このままだと間に合わない。練習する時間だって必要なはずだ。

 

「……出来るだけ多くお願い」

 

『んー、了解。とりあえず私のときより多い方がいいよね?』

 

姉さんも委員長をやっていたからか、理解が早くて助かる。

 

「えぇ。それじゃあ、お願いね」

 

『えー、もう切るの?もっとお話ししようよ!』

 

「忙しいのよ。それじゃあ」

 

最後に何か聞こえた気がするが、無理矢理切って、机に向く。痛い頭を働かせていつ終わるのか分からない仕事に取りかかった。

 

 

 

 

 

「……相模さんは、どこにいるの?」

 

会議室で、雪乃が焦ったように聞く。

ちょうど有志の申し込みで来ていた葉山が声をかける。

 

「相模さんなら、多分クラスにいるよ。どうかしたの?」

 

「えっと…いえ、特に……」

 

雪乃は目をそらし、言葉を濁す。誰の目から見ても、明らかに何かあったはずだ。

 

「そうか……。あの、有志の申し込みをしたいんだけど」

 

すると雪乃が気まずげな顔をする。

確か、有志の仕事は雪乃が全てやるということになっていたはずだ。まぁ、十中八九まだ終わっていないのだろう。いくら雪乃でも、一人であれだけの仕事が出来るとはおもえない。そろそろ破綻しそうになってきた。

一応打つ手は考えているんだが……。あれは正直使いたくない。もう少し様子を見てからの方がいいだろう。

なんとか冷静に考えて結論付ける。

 

「大丈夫?有志のことで何か問題があるなら、俺が手伝うけど……」

 

葉山が心配そうに言う。正直俺もかなり心配だ。雪乃の顔色が、あまり良くない。肌が白いから分かりにくいが、なんとなく青白いように感じられる。

 

「大丈夫よ。……姉さんが少し手伝ってくれているから」

 

そう言って、力ない笑みを浮かべる。

しかし、そんな笑みを見せられても、逆にもっと心配になってくる。

 

「あの……」

 

有志担当の奴が雪乃に声をかける。

 

「仕事がないので、クラスに戻っていいですか?」

 

この時、俺の怒りが爆発した。言葉では上手く表せない感情が湧き上がってくる。

 

「お前ら…ふざけんなよ……」

 

上手く声が出ない。掠れている声でなんとか紡ぐ。

 

「有志は本来お前らの仕事だろ…なんで責任持ってやんないんだよ……。それに…仕事終わったんだったら手伝えよ…そこに溜まってる仕事…見えて、ないのかよ……」

 

言ってから後悔した。雪乃が、悲しそうな顔で俺を見ていたから。

その顔をみて、やっと冷静になった。

 

「あ…いや、その……」

 

こんなに注目を集めたのは何年ぶりだったか。気持ち悪いくらいあのときのことを覚えている。そのことがまた蘇ってきて、また冷静さをなくしてしまった。これ以上ない位に怒りが湧いてくる。このままだと、耐えられないくらい。

ここにいる全員に腹が立つ。仕事を押し付ける有志担当にも、自分の役目を放棄する相模にも、雪乃に期待し過ぎるめぐり先輩にも、中途半端に手を差し伸べる葉山にも、今まで雪乃を見殺しにしていた自分にも。そしてなにより、勝手に独りで突っ走って独りで転んでいる雪乃に。

 

「……こんな文化祭、失敗すればいいんだ」

 

自分でも驚くほどすんなりと言葉が出た。きっと、ずっと心の隅で思っていたことなのだろう。

 

「自分の仕事も分からない、人に押し付ける、出来ないくせに独りでやろうとする、そんな奴らが集まったって、成功するわけ無いだろ……」

 

多分、今の俺の目は過去最高に腐っているだろう。

心にぽっかりと穴が空いたような感覚に襲われる。

ほらな、誰も何も言い返せないだろ。誰も言い返せないのは、俺が正しいからだ、と結論付けようとしたときだった。恐ろしいほど冷たい声が、耳に入った。

 

「出て行ってもらえるかしら」

 

その声を聞いて、一瞬で頭が冷える。しかし、俺は何故かより熱くなっていた。今、俺は何をしていたのだろうか。全て俺がやったことだ。しっかりと覚えている。

 

「文化祭が失敗することを望む人なんて、文化祭実行委員会に必要ないわ。今すぐ出て行って」

 

身体が凍えるように冷たい声。それでも、俺の身体は芯から熱くなってくる。そして、本当の意味で爆発した。

 

「ああ、出て行ってやるよ!こんな実行委員会参加してられるか!勝手にやって、失敗すればいい」

 

思いっ切り席を立ち、声の主――雪乃の前に立って、睨みつける。

 

「仕事も全部返却してやるよ!よくもまぁ今までさんざんこき使ってくれたなぁ。あぁ、委員長様は俺なんかより、もっと仕事していらしたんですかぁ?ごめんなさいねぇ、役立たずで!そんな役立たずはここからさっさと消えますよ!」

 

吐き捨てるように言って、会議室から飛び出す。

走って駐輪場まで向かう。

自転車にまたがって、思いっ切り漕ぎ出す。

 

「……くそっ、なにやってんだよ」

 

自転車を漕ぎ始めると、心の中が後悔でいっぱいになった。

 

「なにやってんだよ!バカかよ!謝れよ!俺が悪いだろ!」

 

必死に漕ぎながら叫ぶ。歩いている人なんて気にしないで、大声で叫ぶ。

 

「戻れよ!今すぐ戻って謝れよ!」

 

顔に当たる風が冷たい。切り裂くような痛みが走る。

戻らなければいけない、誠心誠意込めて謝っても許してもらえるか分からない。なのに、自転車を漕ぐ足は止まらない。

 

「なに、やってんだよ……。バカなこと、してんじゃねぇよ……」

 

だんだん力が抜けてくる。すると、よく聞き慣れた声がした。

 

「お兄ちゃん、どしたの?」

 

「………こま、ち」

 



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彼の協力

とりあえずお兄ちゃんを落ち着かせて、椅子に座らせる。大好きなコーヒーも出しておく。

 

「それで、どしたの?」

 

するとお兄ちゃんはゆっくりと話し始めた。

 

「雪乃を…怒らせたんだ……。文化祭の…実行委員やってて…上手く回んなくて。それで…雪乃を傷つけるだけ傷つけて…帰ってきた。嫌われたと…思う……」

 

いつものお兄ちゃんなら「相手に嫌われようが好かれようが俺はそいつのこと嫌いだ」なんて言いそうだけど、流石に雪乃さんに嫌われるとそうはいかないらしい。少し安心した。

 

「それで、お兄ちゃんはどうしたいの?」

 

「俺は…まず謝りたい。許して、もらいたい。無理かもしんないけど……」

 

無理かも、というのは、許してもらうことだろう。確かに雪乃さんは結構面倒くさそうだから、一筋縄ではいかないかもしれない。

 

「じゃあやっぱり謝らないとね。それで、後のことは謝ってから考えよ?」

 

お兄ちゃんは力なく頷く。

というか、本当に驚いた。雪乃さんと喧嘩しただけで、目だけじゃなくて、心も身体も死んでるように見えた。確実にゾンビに一歩近づいている。

 

「はぁ……。性格悪いのが裏目に出たな」

 

お兄ちゃんが自嘲的に笑う。少し元気が出てきたみたい。

 

「まぁ、今更治るとは思えないけどね。むしろ性格悪くなかったらお兄ちゃんじゃないよ!」

 

やっとお兄ちゃんが笑ってくれた。そのままお兄ちゃんをお風呂に入れて、電話をかける。

 

「あ、小町です」

 

『ん?どうしたの?』

 

「兄が雪乃さんと喧嘩したみたいで。一応連絡を」

 

『あ〜、だから雪乃ちゃん元気なかったんだ。私が雪乃ちゃんの家に泊まろうとしても「帰って」の一点張りでね』

 

「そうなんですか」

 

『まぁ喧嘩だったらあんまり私たちが入る隙ないからなぁ。一応明日雪乃ちゃんの家行ってみるよ』

 

「ご迷惑おかけします」

 

『ん〜ん、全然大丈夫だよ。じゃあね』

 

多分これで大丈夫なはずだ。明日ちゃんとお兄ちゃんが雪乃さんに謝れば、なんとかなる、と思う。

 

 

 

 

 

学校に着いて、まず席に座る。流石に朝から昨日の話し蒸し返して謝りに行くのは気が引けた。昼頃行こう、昼食食べる前に、絶対。頭の中で何度も何度も繰り返す。こうでもしてないと逃げたくなってくる。

4時限目の終了のチャイムがなった、と同時に走り出す。正直J組は行きづらいが、なりふり構っていられない。

教室の前に着いたが、どうすればいいのかよく分からない。

 

「えっと…何か?」

 

近くにいた女子に話しかけられる。

 

「えっ、あ…雪乃…下。あ、雪ノ下雪乃…い、委員長に用があって。文実の、ことで」

 

なんとか言葉を絞り出す。

 

「あ、雪ノ下さん今日休みだよ」

 

「えっ?あ、そ、そうですか……」

 

休みと言われれば引き返すしかない。教室の中をチラッと見てみたが、雪乃っぽい人は見当たらなかった。

さっきまでの緊張がバカみたいだ。でも終わった訳ではない。雪乃が来たら、ちゃんと謝らないといけない。

 

 

 

 

 

マンションのベルを鳴らすが、全然出てくれない。居留守でも使っているのだろうか。仕方ないから、お母さんに持たされていた鍵を使って入る。

そのままエレベーターに乗り、雪乃ちゃんの部屋の前に立つ。ドッキリみたいに入るか、それともインターホンを押すか。

よし、ドッキリみたいに入ろう。勢いよくドアを開ける。何も聞こえない。しかし中は意外と明るく、普通に雪乃ちゃんがいてもおかしくない雰囲気だった。

 

「雪乃ちゃん?おーい、お姉ちゃんですよー」

 

言いながら廊下を通り、リビングダイニングに着く。机の上には乱雑に置かれたカバンとパソコン、電気は点けっぱなし。風呂にでも入っているのだろうか。

バスルームの前に立ち、扉をノックする。しかし何も聞こえない。扉を開けてみるが、誰もいなかった。

自分の部屋にでもいるのだろうか。一人暮らしだからどこにいてもあまり変わらないから、雪乃ちゃんがいるとしたらリビングダイニングだと思っていたが、もうここしかない。

また扉をノックする。しかし返事がない。

 

「雪乃ちゃん?入るよ」

 

扉を開けると、雪乃ちゃんがいた。ベッドの上に。

近づいてみると、顔が青白いのが分かる。おでこに触れてみると、かなり熱い。

 

「え、熱あるの?」

 

慌てて体温計を探す。あまり物が無いおかげですぐに見つかった。

雪乃ちゃんの部屋に戻る。そっと布団を剥がす。すると、寒そうに身震いした。聞こえていないだろうが、一応謝りながら体温計を入れる。

その間に隼人に連絡すると、どうやら今日は学校を休んだようだ。

 

「……39度って結構高くない?」

 

誰も答えてくれないが、ついつぶやいてしまった。正直呆れる。疲れていたのは知っていたが、ここまで体調を崩すとは。とっとと比企谷君と仲直りしてもらわなければいけないのに。

 

「もぉ、面倒くさ」

 

これが可愛い妹じゃなかったら帰っているところだった。

 

「……………ん」

 

小さな声が聞こえた。雪乃ちゃんが起きたのだろうか。

 

「起きたの?」

 

聞いてみるが、何も答えない。

 

「ひきがや…くん……」

 

今度ははっきりと聞こえた。本当は今すぐにでも比企谷君を呼んで看病を代わってほしいくらいだ。

 

「いや私陽乃だから」

 

未だに眠っている雪乃ちゃんにチクリと言い返す。しかし雪乃ちゃんはそんなこと知らないと言うように、「比企谷君」と繰り返す。

せっかく看病してあげるのに、他の人の名前を呼ばないでほしい。本当に比企谷君を呼んでやろうかと思うが、流石にそれは出来ない。

病気の女の子の看病を、その子のことが好きな男子にやらせたくない。比企谷君のことを信用していない訳ではないが、信用している訳でもない。少し期待してみる程度だ。まぁ、私が期待してもしなくても雪乃ちゃんの意志が変わる訳ではないから意味はないが。

そういえば隼人は玉砕したんだっけ。予想通りだが、告白することまでは想像していなかった。まあ隼人も最初から無理だと分かってやったのだろう。

もうとっくの昔から雪乃ちゃんが誰を選ぶかなんて自明の理。隼人はもっと昔から頑張っていたが、流石に本人の意志が決まってしまうと手の出しようがない。

しかし、こうなってくると一つ疑問が湧いてくる。

 

「雪乃ちゃんはいつ比企谷君のことが好きになったんだろ。いや、比企谷君も詳しい時までは分からないな……。……二人はいつから相思相愛なんだろう」

 

考えてバカらしくなってしまう。私には関係のないことだし、別に興味もない。正直そんなことはどうでもいい。

 

「早く仲直りしてほしいな〜」

 

眠っている雪乃ちゃんに、わざとらしく声をかける。しかし起きることはない。

部屋を見渡すと、雪乃ちゃんが持っているとは思えない物が飾ってあった。綺麗な写真立てに飾って、大事に保存している。その写真を見て、ついため息をついてしまう。

隼人と、比企谷君と、小学生くらいの女の子と、雪乃ちゃん。合宿に行った時に撮ったのだろう。比企谷君と雪乃ちゃんはピッタリくっついて、手を繋いでいた。

 

「本当に面倒くさ」

 

心の底からそう思う。喧嘩なんてする前にどっちかが告白しておけばよかったのに。もっと前に、合宿中でもいいから。

小町ちゃんに一つ連絡をいれて、部屋を出た。

 

 

 

 

 

「あれ、八幡は実行委員の方行かなくていいの?」

 

雪乃が休んだ翌日の放課後、俺はやることがなくて困っていた。

 

「いや、まぁ、そうだな……」

 

正直俺が行っても空気を悪くするだけだろう。というか、入れさせてもらえるかも分からない。出禁を喰らっているようなものだ。

 

「……相模さんもいるし、やることないの?」

 

いや、大量にある。きっと今頃あっちは大変なことになっているだろう。昨日雪乃が休んだ上、自分の仕事はもちろん、それ以上の仕事をしていた俺が抜けたのだ。

雪乃の仕事がより増えるのは当然として、さらに人が抜けて、実行委員全体の士気が下がるだろう。もしかしたら、サボる人が増えるかもしれない。

 

「まぁ、そんな感じだ」

 

戸塚が心配そうな目で見てくるから、ついカッコつけてしまった。

海老名さんに呼ばれて戸塚が行ってしまう。本格的にやることがなくなってきた。フラフラと廊下に出る。

雪乃は今頃大変だろう。いつ謝ればいいのだろうか。完全にチャンスを逃した。むしろ雪乃に会うことすら躊躇ってしまうレベルだ。

なんだかんだでまたあの会議室に向かってしまった。扉の前に立つが、開けることが出来ない。

 

「何してるんだ、比企谷」

 

呼ばれたので振り返ってみると、葉山がいた。

 

「いや…別に……」

 

葉山は俺と雪乃が喧嘩した現場をしっかりと見ている。そんな奴に、ノコノコと雪乃のところまで来たことを知られたくなかった。

 

「なぁ、一緒に帰らないか?」

 

 

 

 

 

「今はまだなんとか回っているけど、多分もうすぐ破綻する」

 

なんだかんだで葉山と一緒に帰っている。こいつは文実に顔を出しているようで、色んなことを知っていた。

 

「君は参加しなくていいのか?」

 

「……出禁言い渡されたんだ、今更行けるかよ」

 

つい目をそらしてしまう。他にも理由があるはずだ。一番大切な理由が。

 

「君がいなくなって、より雪乃ちゃんの負担が増える。学校に来ていたけど、多分完全に快復した訳じゃない」

 

そう言いながら、顔だけで「いいのか?」と尋ねてくる。

良いわけがない。ダメだ、そんなの絶対に。あの子が犠牲になっていいはずがない。

 

「良くない、けど……」

 

やっと出てきた言葉。この言葉を葉山はどう捉えるか。

「あれだけ雪乃を傷つけて」か、「その通りだ」か。それでもどっちにしても俺がやってしまったことはなくならない。

 

「なぁ比企谷。君は雪乃ちゃんと初めて話した時のこと、覚えているか?」

 

予想もしていなかったことを聞かれて、言葉に詰まる。

 

「俺は覚えている。親同士が親しくて、無理矢理連れて行かれたんだ。同い年の子がいるからって、何度も説得されて。それで初めて会った時、彼女は陽乃さんの後ろに隠れていた。正直幻滅したよ。そんな子が俺と対等に話せる訳がない、とまで思った」

 

葉山は遠い昔を見るような目をしていた。それは何歳の頃のことだろうか。小学生よりも前かもしれない。こいつは、俺なんかよりもずっと前から雪乃と交流があったのだ。

 

「でも、俺はその時、来て良かったと思った。後ろから少し顔を覗かせた彼女は、すごく可愛かったんだ」

 

葉山が薄く笑う。確かに、小さい男子なんて、そんなものでイチコロだ。

俺だって似たようなものだ。それで、好きになってからもっと色んなところを好きになる、その繰り返し。

 

「それから俺は彼女に一生懸命話しかけた。最初は警戒されてたけど、だんだん一緒に話せるようになった。俺だけ特別みたいで、本当に嬉しかったよ」

 

嬉しかったと言っているのに、葉山の顔は曇っている。

 

「……君は、雪乃ちゃんのことが好きか?」

 

試すような口調で聞かれる。そのことに、腹が立ってくる。

 

「好きに決まってんだろ、バカか?」

 

一言言うと、もう止まらなくなってくる。

 

「あいつが今誰を好きなのかなんて興味ねえ。すぐに俺って、絶対言わせてやる。俺のことが好きって、言わせてやる」

 

拳を固く握る。爪が食い込むことも気にならない。いっそ清々しいくらいだ。

 

「君は、面白いな。今雪乃ちゃんが好きな人を知らないのか」

 

そう言って葉山は笑う。本当にムカつく奴だ。雪乃から聞いていないって、言ったくせに。こいつは知っているのか。

 

「あ?別に興味ないって言っただろ。絶対俺のことを好きにさせるんだ。そんなん知らなくっていい」

 

「それもそうだな……。それで、君はどうするんだ?」

 

どうする、か。どうしようもない。文実に入れないし、仕事も出来ない。それでも、今俺が何かをしなくては、雪乃の負担がもっと増える。最悪文化祭に間に合わなくなる。

 

「なぁ葉山、一つ頼みたいことがある」

 

こいつにお願いするなんて、吐き気がするほど嫌だ。それでも、今は頼れる人がいない。

 

「文実に行って、仕事を取ってきてほしい。なるべくたくさん。それで、俺がやったら出して来てほしい」

 

「なるほど……。それで、いつ雪乃ちゃんに謝るんだ?」

 

一番大切なこと。本当は今すぐにでもしないといけないこと。でも、今すぐになんて出来ないこと。

 

「……全部、終わってからだ。まず、仕事と…文化祭と。それが終わってから、ちゃんとやる。言わなきゃいけないことも、言いたいことも。終わってから、全部言う」

 

これは、逃げていることになるのだろうか。先延ばしにしているだけかもしれない。それでも、そこまでいって、やっと言えることだってあるはずだ。

 

「そうか。まぁ俺がとやかく言えることじゃないからな。君がやるしかないことだ。分かった、仕事は俺が持って来る。それでいいんだな?」

 

正直かなりありがたい。こいつがいなかったら、雪乃に謝ることすら決心がつかなかったかもしれない。

 

「なんだ、その…ありがと、な」

 

こんなことを言うのが初めてで、つい照れくさくなってしまう。まともに葉山の顔を見れる気がしない。

 

「はっ、ははっ」

 

「おい、何笑ってんだよ」

 

葉山は大爆笑していた。

 

「いや、まさか君がこんなことを言うとは。ははっ」

 

「うるせぇよ」

 

それだけ言って、ダッシュで葉山から遠ざかる。初めてちゃんとお礼を言ったのに、こんなに笑われたら恥ずかしさが倍増する。

 

「あいつ、ホントうぜぇ」

 



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後悔しても変わらない

「……こんなに、あんのかよ」

 

葉山が持ってきた仕事の量は、正直見たくもない量だった。

 

「なるべくたくさん、と言ったのは君だろ?」

 

いや、まぁそうなんですけどね?それでもやりたくない気持ちはもちろんあるんですよ。

 

「これ、どこから取ってきた?」

 

まさか裏ルートとかじゃないよな。やってから、これ意味なかったとかは流石にキツイ。

 

「陽乃さんに頼んで、雪乃ちゃんのからもらったんだよ」

 

まぁ雪乃の仕事が少しでも減るなら喜んで、いや喜べないな。仕方ない、やるか。

 

「もし君がやらないなら俺がやるけど?」

 

「やらないなんて言ってないだろ。俺がやるからいいんだよ」

 

大量の仕事をカバンに詰め込んで席を立つ。このまま家に直行して、この仕事をしなければいけない。

どうやら葉山はクラスの方の練習があるようで、教室に残っていた。そういえば、俺のクラス何やるんだ?文実が忙し過ぎてクラスに全然顔を出していない。まあどうせいてもいなくても同じだけど。

教室には、戸塚をはじめとする衣装を着ている男子や、由比ヶ浜などの、仕切っている女子、友だちと楽しそうにおしゃべりしている相模がいた。

 

「お、比企谷帰るのか?」

 

廊下で平塚先生と会ってしまった。どうやら今から文実の方に行くようだ。

 

「ま、まぁ…仕事は家でやる主義なので。先生は文実ですか?」

 

「あぁ、雪ノ下が文理選択をまだ出していないんだ。君からも言っておいてくれると助かる」

 

雪乃が未提出なんて珍しい。提出物は早めに出すイメージがある。そんなに最近忙しかったのか。まぁ体調崩すくらいだしな。

 

「あ…言えたら言っとき、ます……」

 

「何かあったのかね?」

 

平塚先生に顔を覗き込まれる。あの時この人はいなかったのか。

 

「いや…最近忙しいんで」

 

「そうだな、まぁあまり無理はするなよ」

 

その台詞は俺じゃなくて雪乃に言ってほしかったな。でもどうせ言われても雪乃は無理するんだろうな。それでも、ちゃんとそう言っていれば何か違ったのだろうか。

 

「……そうですね。それじゃあ俺帰ります、さようなら」

 

平塚先生から、逃げるように走る。重たいカバンがずり落ちる。あの時と似ていたからか、つい昔のことを思い出してしまった。

雪乃の名前を初めて知った日。あの日は、ノートを探してたんだっけ。教卓の中にたくさん入ってたはずだ。見つけてから雪乃にカバンを貸して、一緒に帰った。そしたら陽乃さんに会ったな。それでテニス行って、葉山に会って、雪乃が怪我をして。随分と前のことなのに、今でも鮮明に思い出すことができる。

昨日葉山が言っていた。あいつは今でも雪乃と初めて会った日のことを覚えている。俺だって覚えてる。

校舎裏で雪乃がイジメられていた。最初は逃げようとしたが、ヤバそうだったので、話しかけた。頑固で面倒くさかったけど、なんだかんだでおんぶしてやった。そしたら、「似たものどうし」なんて言って、ホントせこい。そんなこと言われたら、助けて良かったなんて思ってしまう。それに、最後笑ってお礼を言ってきやがって。本当に可愛かった。

 

『あのっ、ありがとう』

 

そう言っていた。きっと彼女も緊張していたのだろう。人にお礼を言うのなんか、初めてだったのだろう。俺だって、昨日初めて言った。

あの日、初めて仲良くなりたいと思える子ができた。俺にしては良く頑張った方だと思う。でも、そんな頑張りを全部無駄にするようなことを、ついこの前言ってしまった。

謝ると決めても、後悔は消えない。きっと、このことが解決しても、しなくても後悔は消えない。なら、それなら、一番良かったと思える結末で、せめて結末だけは満足のいく形で後悔したい。そして、これ以上後悔を増やさないように。

 

 

 

 

 

「雪乃ちゃん、一旦休んだら?」

 

隣で全然寝ないで必死に文実の仕事をしている雪乃ちゃんに声をかける。

 

「………」

 

聞いていないのだろうか、返事をしてくれない。仕方がないから肩を揺すって声をかける。

 

「雪乃ちゃん、少し休みなさい」

 

きっとこういう言い方をしても、雪乃ちゃんは何かしら言い返してくるのだろう。

 

「……間に合わなくなるの」

 

言い訳がましく反論してきた。でも確かに事実だ。このままのペースで行くと、文化祭には到底間に合わない。

 

「これ、収支合ってないよ。それと有志のタイムテーブル、これじゃあ時間足りないよ」

 

問題点を挙げて、雪乃ちゃんが疲れていることを自覚させないといけない。

 

「後で確認するから、ちょっと待って」

 

頑固もここまでくると面倒くさ過ぎる。いいから早く休んだらいいのに。

 

「記録雑務の機材申請出てないよ。言わなくていいの?あっ、タイムスケジュールもだ。後は…HPまだ更新されてないね。ポスターどうしたのかな」

 

適当に探すだけで、大量の問題点が見つかる。

 

「後で確認――」

 

「後っていつ?このままじゃ間に合わないよ?まさか文化祭終わってから確認するつもりじゃないよね?」

 

少しキツくなってしまうが、これくらい言わなければ雪乃ちゃんは折れない。いや、言っても折れないかもしれない。

 

「今確認するから見せて」

 

うーん、ダメかぁ。もっと言わないと分からないのかなぁ。

 

「自分で確認すれば、委員長?まさか自分の仕事も分からないの?」

 

それを言った途端、雪乃ちゃんが固まった。よく見ると、身体が震えている。それなのに、その場所から動かないで一点を見つめている。そんなに今の言葉が効いたのだろうか。

 

「…自分の仕事くらい、分かる……」

 

声まで震えていた。ワナワナと唇が震えている。本当に、泣き出してしまいそうだった。

 

「分かってる。こんなのおかしいことも……。大丈夫なんかじゃないことも……。文化祭が…失敗しそうなことも……」

 

「い、いや…そこまでは、言ってない、けど……」

 

雪乃ちゃんがあまりにも儚い声で言うので、流石に言い過ぎたかもしれないと思った。

本当に、今にも消え入りそうなくらい、儚い。

 

「違う……。姉さんじゃ、ない……」

 

声が湿っていた。もうあと数秒で泣き出すかもしれない、そんな声。雪乃ちゃんの顔を覗き込む。しかし、私が思っていた顔と全然違った。

もう何もかも諦めたような、空虚な顔。目に光がなく、感情すら感じられない。まるで世界が終わってしまったとでも言うような、そんな顔。

 

「……なにか、あったの?」

 

言ってから気がついた。そういえば、比企谷君と喧嘩中だ。一昨日喧嘩して、昨日学校を休んでいた。まだ仲直りできていないのだろうか。

 

「比企谷君と、まだ仲直りできてないの?」

 

その言葉を口にした途端雪乃ちゃんが崩れ落ちた。胸の辺りを抑えて、苦しそうにうずくまっている。

 

「ちょ、雪乃ちゃん!?」

 

慌てて背中を擦るが、なかなか落ち着かない。なにかを堪えているような、そんな感じ。息が浅くて、焦って何度も呼吸を繰り返す。釣られた魚みたいに、必死に呼吸しているが、そのせいでさらに浅くなる。過呼吸とは少し違うが、傍から見ていれば同じようなものだ。恐らく原因も過呼吸と同じようなこと。

 

「落ち着いて、ゆっくり息をして?」

 

優しく声をかけるが、聞こえていないみたいだった。ただひたすら、なにかから逃げるように目をぎゅっと瞑っている。

 

「大丈夫だから、落ち着いて」

 

多分、今雪乃ちゃんは精神が安定していない。原因は、比企谷君との喧嘩だろう。それは、地雷なんかよりももっとすごい、禁忌レベルのことなのだろう。そして私はその禁忌を犯してしまった。

きっと今までは比企谷君が精神安定剤だったのだろう。しかしその比企谷君を失って、さらに追い打ちまでかけてしまった。それなのに、私にできることはほとんどない。雪乃ちゃんを持ち上げて部屋に寝かし、溜まった仕事をやるしか、出来ることがなかった。

 

 

 

 

 

恐ろしい夢を見た。なにが恐ろしいのかなんて、分からない。ただ怖いとか、恐ろしいとかそういう感情がでてくる。

鼻と口を塞がれたように息が出来ない。必死にもがくが、全く変わらない。

なにか、怖いものが見えた気がする。でもどんなものかは分からない。人か、物か、それとも仕事か、それすらも分からない。それでも怖くて、目をぎゅっと瞑る。

本当に救いようのないこの状況は、きっと打破出来ない。このまま縛られ続けて、最悪の結末を迎える。もう間に合わない。こんな状況になってしまって。もう手遅れだ。ヒーローは現れない。だって自分で捨ててしまったから。何度も助けてくれた私の英雄は、私自身が傷つけて捨てた。もう後悔しても遅い。意味なんてない。

それでもきっと、私は後悔し続ける。

 



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きっと行動を起こせば何かが変わる

ふと、時間が気になって時計を見る。思っていたよりも時間が経っていたようだ。学校から帰ってきたのが大体5時頃。そして今は9時前。ざっと4時間近く仕事をしていたようだ。

そろそろ仕事も終わるし、風呂入って寝るか。

そう思い、パソコンを閉じた瞬間小町が部屋に入ってきた。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん!」

 

携帯を握りしめて、慌てているようだった。

 

「どした?落ち着けって――」

 

「雪乃さん、倒れたらしいよ!」

 

「は?」

 

今一瞬時が止まったかと思った。身体が硬直して動かない。

 

「今は寝てるみたいだけど、具合悪いんだって。……お兄ちゃん、まだ…仲直りして、ない?」

 

小町が俺を気遣うような視線で見てくる。しかしそんな小町に構ってやる余裕はなかった。

慌てて立ち上がり、部屋から出る。そのまま一階に降りて、靴を履く。そして外へ飛び出した。

 

「お、お兄ちゃん!?」

 

小町の声が聞こえた気がするが、無視してドアを閉める。暗い道を、全速力で走る。

以前由比ヶ浜から雪乃の家を聞いた。付近でも良く知られる、高級タワーマンションだ。

雪乃が休んだ日、お見舞いに行かないかと誘われたが断った。雪乃に合わせる顔がないと思ったから。それでも、俺は行くべきだったのだろうか。もし行っていたら何か変わっていたのだろうか。

 

「はっ…はぁ……。はぁ、はぁ……」

 

俺の家から、走って行くにはかなりの距離があって、息が切れてくる。しかし、近くに目的のマンションが見えて、また走り出す。

エントランスに入ると、高級感漂うソファーや、オートロックなどがあった。もちろん警備は万全で、俺みたいな奴は入れない。

 

「……何しに来たんだよ」

 

正直何も考えていなかった。

今改めて考えると、そもそも俺が行ったところでどうやって入るんだ、ということになる。いや、それ以前にどうやって来たことを伝えるんだ。

万策尽きた。もともと策なんてなかったけど。

引き返そうとした時、聞き覚えのある声がした。

 

「比企谷君」

 

振り返ると、陽乃さんがいた。

 

「あ、どうも……」

 

……なんて言えばいいんだ。

俺がここにいることはどう考えたっておかしい。しかもこんな時間だ。怪しまれるに決まっている。

 

「おいで」

 

にっこりと笑いながら誘われる。

 

「あ…いや、俺……」

 

そう言って引き下がろうとした瞬間、腕を掴まれた。

 

「雪乃ちゃん、いるよ?」

 

「っ!」

 

思わず息を呑んでしまった。この人は、俺がここに来ることも、その理由も全部知っているのだろうか。

 

「まあ今は寝てるけど。どう?雪乃ちゃんの寝顔、見たくない?」

 

にやにやしながら頬を突っついてくる。なるほど、雪乃がこの人のことを、本当は好きだけど苦手としている理由が良く分かった。……苦手な部分がね?

 

「み、見たことは…あるんで」

 

「へぇ、あるんだ。じゃあもう一生見れなくていいの?」

 

また意地の悪い顔をしてからかってくる。相手をするのが面倒くさくなってきた。

 

「でもいいんですか?こ、こんな時間に…女の子の部屋に、俺みたいな奴を入れて」

 

「それ自分で言う?ていうか君、雪乃ちゃんに何かするつもり?襲ったり、押し倒したり?」

 

ちょっと、この人何言ってんですか。ハチマンワカンナイナー。

 

「……するわけないでしょ」

 

「ん〜?声が小さいぞ〜?……まぁ、別にいいけどね」

 

最初の茶化すような声音とは打って変わって、やけに神妙に言う。

 

「い、いいって……」

 

つい声が漏れてしまった。この人は、何が「別にいい」のだろうか。

 

「比企谷君、雪乃ちゃんのこと好きでしょ?」

 

「え、あ…はい……」

 

さっきとは違って、やけに楽しそうだ。

 

「じゃあ、どうすればいいのか分かるよね?」

 

その時見せた陽乃さんの笑顔は、一言で言うと見た者を殺すような顔だった。

俺死ななかったけど。

 

 

 

 

 

「どうぞ、上がって」

 

エレベーターに乗って15階まで行き、そのまま玄関に通された。陽乃さんに案内されるがままに一室の前に立つ。

 

「寝てると思うけど…一応私から入るね」

 

陽乃さんはノックをして、返事がないのを確かめてから入っていった。

程なくして扉を開けて、俺に入るように促す。

 

「し、失礼します」

 

一応挨拶をしておく。本人が知らない時に入られて、嫌かもしれないし。

雪乃の部屋は、綺麗に整理され、物が少なかった。それでも、雪乃が寝ているベッドの上だけは賑やかだった。ぬいぐるみが、どれも大事そうに置いてある。

ゆっくりと雪乃に近づく。

 

「……ごめんな」

 

ベッドの横にあった椅子に座り、雪乃の寝顔を眺める。何度も見たことがあったはずなのに、初めて見たような感覚に襲われる。それくらい、雪乃は辛そうに眠っていた。

 

「んっ、んん……」

 

え、ちょっと待って、これ起きちゃうの?やめてお願い起きないで!

そんな俺の願いは虚しく、雪乃はゆっくりと目を開けた。

とっさに扉の方を見ると、少し開いていたが、陽乃さんはいなかった。

 

 

 

 

 

本当にバカだ。もっと早く行けば良かったのに。いつも変なやり方をして、それで問題を起こして、結局解決する。面倒くさい兄だ。いや、雪乃さんも似たようなものか。それでも、ちゃんと行ってくれて良かった。ここで行かなかったら、きっとお終いだったから。

王子様はお姫様を救うことが出来ず、物語はバットエンド。まぁお兄ちゃんは王子様って柄じゃないけど。

どっちかって言うと、ヒーロー?そんな感じ。カッコよくないのに頼りになる。

雪乃さんはお姫様にピッタリだ。可愛いし、なんかそんな気がする。引き留めておかないと、いつの間にか消えてしまう。それで、失敗したら二度と近づくことは許されない。まさに高嶺の花。なのに、お兄ちゃんは諦めないで手を伸ばし続ける。

もし、その手が届くのなら、届く可能性があるのなら、全力で応援したい。

 

 

 

 

 

ゆっくりと目を開けると、見慣れたはずの自分の部屋のベッドにいた。それなのに異質に感じられたのは、隣に比企谷君がいるからだろう。

普通に考えると夢だ。しかしほっぺをつねると痛かった。

 

「あ、えっと…おはよう。一応言っとくが、夢じゃないぞ」

 

「じゃ、じゃあなんでここに……」

 

声が掠れて上手く喋れない。

比企谷君は無能な私に呆れて実行委員会から出て行ってしまったはずだ。

 

「まぁお見舞い、だな」

 

意味が分からない。どうして比企谷君がここに来る必要があるのか。もしかして、姉さんが呼んだのか。それでも、何故姉さんが呼んだらここに来るのかが分からない。

 

「でも――」

 

「言いたいことは分かる」

 

私の言葉を遮るように比企谷君は真剣な顔で言った。

いきなりそんな顔をされると、流石に驚きを隠せない。

 

「本当に、悪かった」

 

そう言って、比企谷君は深々と頭を下げた。

 

「ぇ……」

 

声とも、息とも言えないものがこぼれた。

本当に意味が分からない。なんで比企谷君が謝るの?私が言いたいことって、なんなの?それすらも分からない。

 

「悪いのは……」

 

声が裏返ってしまった。必死に涙を堪えるが、もう止まらない。それでも、私が言わなければいけないことを、必死に伝える。

 

「悪いのは、私……。何も…何も出来ないくせに、何でもやろうとして…それで、結局…何も出来な……っ!?」

 

その先の言葉は出てこなかった。もう何も言うことは出来ない。どんな言葉も。

私の唇は、しっかりと塞がれていた。何も言うなと、もう何も言わなくていいと、そう言われているみたいに。

完全に身体が硬直してしまった。縛り付けられたように、動くことが出来ない。ただ、自分の唇に全神経が行っているのが分かる。そこから感じる柔らかくて温かい感触が、私を安心させてくれている。

不意に、強く抱きしめられた。背中に当たる手は、少し前に握ったときよりも大きく感じて、優しく包み込んでくれる。

密着している胴は固くて、男の人という感じが、すごく伝わってくる。

 

この人は、この人は何故ここまでしてくれるのだろうか。何故こんなに優しく包み込んでくれるのだろうか。

私は、この人の優しさに縋っていいのだろうか。もしかしたら、良くないかもしれない。ただ、それでも、今は甘えたいと、心の底から思えた。

 

 

 

 

 

「悪いのは……」

 

彼女の声が裏返る。涙がこぼれ落ちる。一つ落ちると、もう止まらなくなった。

 

「悪いのは、私……」

 

泣き声で必死に言葉を紡いでいる。そんな健気な姿に、また見惚れてしまう。

 

「何も…何も出来ないくせに、何でもやろうとして……」

 

それは違う。何も出来なかったのは、この子だけじゃない。

これ以上、この子に押し付けてたまるか。

これ以上、この子に無理させてたまるか。

これ以上、この子を悪者にしてたまるか。

これ以上、この子に責任を負わせてたまるか。

 

「それで、結局……」

 

これ以上、この子を泣かせてたまるか。

 

「何も出来な――」

 

その後に続く言葉を奪うように、彼女の唇を奪う。

 

「っ!?」

 

彼女の身体が硬直する。それでも俺は離さない。全神経を自分の唇に行かせ、彼女を一番近くで感じる。

厚くも薄くもない小さな柔らかい唇。

今なら、もっと近づけるかもしれない。

彼女を強く抱きしめる。包み込んで離さない。

彼女は抵抗しなかった。まるで俺に身を委ねるようにして。

彼女の手首を握っただけで拒絶されたときに比べれば、本当にありえないくらいの進歩だ。

何がそうさせたのかは分からないけど、彼女の温かい唇が、彼女の小さな背中が、彼女の細い腰が、彼女から伝わってくる微かな胸の柔らかい感触が、そしてなにより、異常なまでにうるさくて速い2つの鼓動が、これは間違いではなかったと、そう言っているような気がした。

 

 

 

 

 

一部始終を見ていた私は、思わずため息をつく。

ここまで付き合わされていた私がバカみたいだ。

小町ちゃんと必死に作戦を立ててたのに、まさかその作戦はガン無視で、それ以上の結果を叩き出すとは思いもしなかった。

高校生の頃、静ちゃんが、良い成績をとっても文句を言ってきたのは、こういうことだったのか。

 

「はぁ……。もう早く結婚しちゃえばいいのに」

 



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彼は遂に言った

 

目を覚まして、熱を測るとすっかり良くなっていた。

 

「うん、学校行っていいよ」

 

姉さんも了承してくれて、大量の仕事を持って学校へ行く。

電車に乗っているときも、ずっとあの人のことを考えていた。

……会いたくない。

いや、会いたい…けど、まともに会える気がしない。

まだ本当に仲直りできた訳ではない、かもしれないし、お見舞いに来てくれたお礼も言ったほうがいい。

でも会ってちゃんと話せるか、そもそもあっちだって会いたくないんじゃないか。

いや、意外とあっちは意識してない?私だけ?

それだったらなんか恥ずかしい。

電車を降りて歩いているときも、つい同じ制服の人がいると気になってしまう。今までこんなにキョロキョロしながら歩いたことなんてなかった。

 

「あ、雪乃ちゃん。おはよう」

 

「ひゃっ!」

 

朝から心ここに有らずといった体で落ち着いていなかったから、声をかけられて挙動不審になってしまった。

 

「大丈夫?」

 

心配そうに顔を覗き込まれる。

 

「あ…大丈夫、だけれど……」

 

正直、隼人くんと一対一では顔を合わせづらい。本人は「気にしなくていい」と言ってくれているが、あんなことがあって、気にしないで生きていけるほど私のメンタルは強くない。それを言うと、あの人関係の話を持って来られるとどうなるか分かったものじゃない。

 

「荷物重そうだね。持とうか?」

 

こういう気遣いが隼人くんはとても上手い。あの人は…やろうと思えばできるのにあえてやらない。それでも時々すごくカッコよくやってくれるから質が悪い。

 

「いえ、大丈夫よ。ありがとう。……ふふっ」

 

あの人のことを考えたらつい笑みがこぼれてしまった。

 

「……雪乃ちゃん、機嫌が良さそうだね。何かあった?」

 

「え、あ…いや、その……。べ、別に何もない、けど……。私、そんなに顔に出やすい?」

 

もしそうなら気をつけないといけない。あの人にあったとき、よりひどいことになってしまうかもしれない。

 

「顔に出やすいというより、声に出やすいかな。今のは楽しそうな声だったよ」

 

声に出やすい、か。確かにそれは自分でも分かるときがある。冷たい声と、温かい声みたいな感じで、かなり違う。そういえば、あの人と喧嘩したときは冷たい声だった。

……謝った方が、いいかな。

 

「あ、比企谷。おはよう」

 

「比企谷くん、おは……え?」

 

「あっ……」

 

上げかけた手が固まる。ついでに開きかけた口も。

正面にいる比企谷くんも固まっている。

とっさに自分の靴を確かめる。上履きに履き替えている、ということは、今から教室に入ることが出来る。

かたや比企谷くんは。今来たばかりだからまだ上履きに履き替えていない。

――よし、逃げよう。

私は振り返ることなく走り始めた。

こんな状況でまともに話せる自身がない。

ちゃんと、話すから。ずっと言いたかったことも、本当は言ってほしいことも。

今はまだ、心を落ち着けさせる時間が足りていない。

 

 

 

 

 

「あっ……」

 

会ってしまった。ダメだ、ここから逃げなくては。今顔を合わせる勇気なんて俺にはない。俺の豆腐メンタル舐めんなよ。

元来た道を引き返そうとしたが、その前に雪乃に逃げられてしまった。

 

「ゆ、雪乃ちゃん?」

 

葉山が驚いた顔で俺を見る。

もちろん雪乃が逃げた原因は俺にある。でもそれを説明出来る気がしない。

というか、俺避けられてる?

意識して避けているのか、ただ俺がキモくて逃げているのかは分からないが、とりあえず逃げられた、という事実だけが残った。

 

「まだ喧嘩中か?」

 

「いや…別に」

 

俺たちは今、喧嘩中なのだろうか。一応お互い謝った。どっちも返事はしていないが。

 

「昨日雪乃ちゃんに会ったみたいだな」

 

「え、なんで知って……」

 

「雪乃ちゃんの顔を見れば分かるよ。すごく楽しそうだった。声音もな」

 

俺は特に喋っていないから分からなかったが、楽しそうだったのか。それはそれで昨日行ったかいがあった。

もしかして、彼女は俺を許してくれたのか?

俺は、言わなければいけないことは言った。それなら、言いたいことも……。

 

「……なぁ葉山。お前雪乃に告白したとき、どんな感じで言ったんだ?」

 

一応経験者の話を聞いておくか。

 

「そうだな……。割と普通だったな」

 

普通ってなんだよ。分かんねぇよ。

 

「俺のやり方よりも、雪乃ちゃんがしてほしいやり方の方が参考になるんじゃないか?」

 

雪乃がしてほしいやり方。好きな人にプロポーズ、か。

レベルは高いが、雪乃の望みなら仕方ない。

それきっり俺と葉山は一言も話さずに教室に入った。

 

 

 

 

 

放課後、授業時間全部使って考えた結果、一応文実に顔を出すことにした。全体のことなどを知っておかないといけない。

緊張しながら入ったが、特に注目されることはない。全員自分の仕事にきちんと取り組んでいるみたいだ。

なるほど、俺があんなこと言ったから、全体のやる気を引き出したのか。

しかし、相模だけは見当たらない。

雪乃の席にゆっくり近づく。一応俺は心の準備はした。後は雪乃次第なのだが……。

 

「き、来てくれたの?」

 

「あ、あぁ。邪魔だったら帰るけど……」

 

すると、雪乃は小さく首を振って、にっこりと笑った。

 

「仕事、たくさんあるわよ?」

 

「……今すぐやります」

 

なるほど、そういうことか。俺が裏でやっていたのは、雪乃が押し付けられていた仕事。ということは、本来俺がやるべき仕事は他にある。

まぁ雪乃に何の責任もない。俺が勝手にやっていただけだ。

しばらく社畜と化していると、平塚先生が入ってきた。

 

「まだやっているのか。今日は会議があるから、早めに撤収してほしいのだが」

 

それを聞いて、全員が片付け始める。仕事を家に持って帰っている人も結構いるようだ。

俺も残った仕事をカバンに詰め込んでいると、先に支度が調った雪乃が来た。

そっと俺の耳もとに口を近づけ、囁くように言う。

 

「この後…私の家に、来ない?」

 

え……。

これはどういうことでしょうか。なにかうらでたくらんでいるんですか?

そんなことを考えるくらいテンパっていた。

それでも誘われたら絶対に断わることなんて出来ない。

 

「仕事のため…だよな?」

 

そう、俺が呼ばれたのは仕事のため。他の可能性なんて考えてはいけない。勝手に妄想するのは俺の悪い癖だ。

 

「それも…あるけど……」

 

え………。

これはどういうことでしょうか。

「それも」ということは、他にも何かあるの?何があるんだ?

 

「ほ、他の用事があるの、か?」

 

雪乃が小さく頷く。え、だから何があるの?というか、そんな恥ずかしそうにうつむかないで!

 

「……き、昨日のお礼に、ご飯を御馳走しようと思ったのだけれど…嫌、だった?」

 

「い、嫌じゃない!むしろ嬉しい!」

 

つい理性よりも本能が飛び出してしまい、雪乃に抱きつこうとしてしまうところを、平塚先生に止められた。

 

「……ここでいちゃこらするな」

 

「すびばぜん」

 

怖えよ。目が完全にイッてたぞ。

というか怒る理由が個人的過ぎる。

こんなおとなにはなりたくないとおもいました。

 

「じゃあ…行きましょうか」

 

 

 

 

 

手を繋いで歩くこと数分、周りからの視線が痛いです……。

それでも「離して」と言えないのが男の弱いところ。視線が痛くてもこの子さえ隣にいれば生きていけるよ!と言っても、この子が隣にいるから視線が痛いんだけど。

マンションに着くと流石に緊張してくる。さっきから身体がガチガチだ。

部屋の前まで来たら、もう何も見えないくらい緊張してきた。

 

「ちょっと、待ってて」

 

そう言って、雪乃は先に中に入ってしまう。まぁ色んな準備とかがあるのだろう。俺も心の準備をしなければいけない。

そういえば、ここで言う「ちょっと」とは、何分くらいなのだろうか。普通に1時間くらい待たされそうで怖い。それでも俺は待つぞ!なんなら忠犬ハチ公を通り越して、忠犬八公になっちゃうくらい。それって通り越してんの?逆に退化してる気がする……。

そんなことを考えていたら、意外と早く扉が開いた。

 

「ど、どうぞ……」

 

おずおずとリビングダイニングに通される。

雪乃の格好を見ると、俺がこの前買ったエプロンをしてくれていた。

 

「それ…使ってたんだな」

 

「えぇ……」

 

ここは似合っている、などと言うのがいいのだろうが、俺は理性がどこかへスッ飛んで、本能が飛び出していた。

 

「そのエプロン姿、毎朝見たい……」

 

「え!?」

 

雪乃が後退りする。そして、「こいつ正気か?」というような目で俺を見てきた。

 

「そ、それはどぅ…いぅ……」

 

「あ…いや……」

 

慌てて否定しかかる。

……本当に良いのか?今の言葉は俺が本能的に言った。それは、俺の本心なのではないだろうか。いや、考えるまでもない。紛れもない俺の本心だ。そんな本心を否定して良いのか?ここで否定して、いつ肯定するんだ?それに、ここで否定したら本当の時にも信じてもらえなくなるんじゃないのか?

 

「そ、そのままの意味、だ。毎朝エプロン姿が見たい。だから、その…け、結婚してほしい!」

 



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彼女も遂に言った

 

言った。言ってしまった。今更「冗談でした〜」とは言えないし、言う気もない。

 

「けっ、え、あ、いき、なり……」

 

「じょ、冗談じゃない、から」

 

せめて俺が本気で言っていることは分かってもらわなくてはいけない。

 

「なんで…い、いきなり結婚、なの?」

 

なんで?そんなの決まってる。

 

「好きだから…結婚してほしい、から」

 

「え、えと…そんなの、いきなり言われても……」

 

完全に動揺されている。……バカだったな。

こんなこといきなり言われても、ってなるのは予想できたはずだ。

 

「雪乃ちゃーん、お邪魔しまーす」

 

玄関の方から声がした。よく通る声。

背筋が凍る。

 

「……あ、比企谷く――」

 

「姉さん!?か、帰って!」

 

雪乃が陽乃さんをグイグイ押しやる。

 

「ちょっと雪乃ちゃんひどい!比企谷く〜ん、助けて」

 

なんでこっち見んだよ。そんな顔されても助けない…た、助けないんだから!

顔が雪乃と似ているから困る。

 

「もぉ雪乃ちゃん。比企谷くんと二人っきりを邪魔されたからってひどくない?」

 

陽乃さんが挑発するように言う。

 

「べ、別にそんなのじゃ…ない……」

 

雪乃が引き下がったのを好機と見たのか、より挑発してくる。

 

「あれ、雪乃ちゃんエプロンしてるね。それすっごいお気に入りのやつじゃん!もしかして…比企谷くんと新婚さんごっこでもしてるの?」

 

雪乃の顔がみるみる赤くなっていく。そしてそのまま動かない。

 

「あれ、もしかして本当にしてた?」

 

「いや、全然そんなんじゃないですから」

 

流石にヤバくなってきた。

てかなんでこの人来ちゃったの?

早く帰ってほしい……。

 

「雪乃ちゃん、大丈夫?」

 

陽乃さんが心配そうに雪乃の顔を覗き込む。

誰のせいだと思ってんだよ。

 

「比企谷くんに変なことされなかった?」

 

「さ、されてない!されてないから!」

 

雪乃、誤魔化すの下手すぎる。

陽乃さんはこっち見ないでください。

 

「比企谷くん、何したの?全部包み隠さず話してごらん?」

 

なんでそんなに笑ってるのに怖いんだよ……。ヤダなぁ。帰ってほしいなぁ。

 

「何かしたって訳じゃ……」

 

そう、俺は別に何かしたって訳ではない。言っただけだ。

 

「じゃあ何か言ったの?」

 

なんで分かるんだよ。この人エスパーか?

 

「別に俺が何言おうが関係ないでしょ……」

 

いや、すごく関係あること言ったんだけど。

お願いだから早く帰ってくれ。

 

「ふーん。まぁいいや。雪乃ちゃんが嫌がることではないみたいだしね。むしろ喜んでるんじゃない?」

 

そう言って雪乃をチラッと見る。

え、なに喜んでるの?

 

「……姉さんのバカ」

 

「じゃあ帰るね。……比企谷くん、雪乃ちゃんが嫌がることは、しちゃだめだよ?」

 

嫌がることは?じゃあ嫌がらないことはいいんですか。こんなこと考えてる時点でダメだな……。

雪乃が陽乃さんを玄関まで見送って、鍵とロックまでして戻って来た。

 

「あの人いつもいきなり来るのか?」

 

「えぇ……」

 

マジで自然災害だな。雪乃が可哀想になってくる。まぁ雪乃は可愛奏なんだけどね。可愛いを奏でる究極の存在。

 

「あの…さっきの、話だけど……」

 

「あ、あぁ……」

 

緊張してきた。今まででこんなに手足が震えることなんてなかったくらいガクガクしている。

 

「なんで、そんなにいきなり、なの?」

 

一つ一つ丁寧に、ゆっくりと尋ねられる。

 

「お、お前からしたらいきなり、かもしれないけど…俺は、ずっと言おうって、思ってて…だから、今言った」

 

俺も一つ一つ丁寧に言葉を紡ぐ。ここで間違えたら即死だ。

 

「そういうことじゃ…なくて……。なんでいきなり結婚、なの?普通は…もっと、違う……」

 

「雪乃が、雪乃が…言ってたから。プロポーズされてみたいって。だから…言った」

 

雪乃が驚いたように目を見張る。

 

「それで、今こうやって……。あなた、本当に…それでいいの?軽い気持ちで…こんなこと……」

 

「何が」と言おうとしてやめた。聞かなくても分かる。そんなに大事なことを、今決めてもいいのか、ということだ。

 

「軽々しくなんて…ない……。俺は…俺なりにちゃんと考えて、これが、間違いじゃ、ない、って……」

 

必死に言葉を紡ぐ。どれだけ伝わるかは分からない。それでも、伝えたい、と思った。

 

「会えなくなって…それでも諦めきれなくて……。そうやって、ずっと…5年くらい前から、好きだった。もちろん、今だって。だから、俺は…そんな生半可な気持ちじゃ、ない。いきなり言ったのは…バカだと思うけど……。それでも、好きだ。それは…それだけは、絶対に変わらない」

 

初めてこんなことを言った。こんなに真面目に話しをしたことなんてなかったかもしれない。

 

「……バカ…。バカっ、バカバカバカ!」

 

「うおっ」

 

雪乃がいきなり飛びついてきた。

 

「ちょ、ちょっと?おい、どした?」

 

多分今まででこんなに雪乃から近づいてくれることなんてなかった。

 

「もぉ…バカ……」

 

涙目で睨んでくるが、全然怖くない。

 

「いや、バカは否定しないが……」

 

「……もっと好きな人が出来るかもしれないわよ?」

 

「それはないな」

 

「後悔するかもしれないわよ?」

 

「なんで後悔するんだよ」

 

「だって…私の家、面倒くさいもの」

 

「そこは俺が頑張るしかないな」

 

「母なんか説得出来る気がしないわ」

 

「まぁ陽乃さんに頼み込んでなんとかするな」

 

「姉さんが素直に協力するとは思えないけれど……」

 

「土下座でもなんでもするよ」

 

「やめてちょうだい……」

 

「まぁ未来の俺がなんとかしてくれるだろ」

 

「本当?」

 

「なんとかするよ」

 

ここで一度区切る。深呼吸をしてゆっくりと言う。

 

「だから、俺と結婚してくれ」

 

「……………はい」

 

小さな声だった。ともすれば、聞き逃してしまうほどに。それでも、ちゃんと俺の耳に届いた。

 

 

 

 

 

雪乃ちゃんに追い出されてから特に行く場所がなく、家に帰るしかなくなった。

適当に寄り道しながら帰路につく。

歩いている最中も、ずっと頭の中で疑問に思っていることがある。

 

「比企谷くん、雪乃ちゃんになんて言ったんだろ。告白…はないよね。比企谷くんにそんな度胸あるようには見えないし」

 

考えても考えても答えが出ない。こんなに考えても解けない問題は今までになかった。

 

「なんて言ったんだろうなぁ……」

 

考えれば考えるだけ気になってくる。

これは本人たちに直接聞くしかない。私はそのまま雪乃ちゃんの家にまた向かって行った。

 

 

 

 

 

「……助けて、くれ……」

 

雪乃の手料理を頂いた後、俺は襲われていた。何に?仕事に。

 

「収支が、合わ、ない……」

 

「タイムスケジュール、終わった……」

 

雪乃の仕事は上手くいったようで、ソファーに思いっ切りもたれかかる。

そんなに達成感のある顔をされると仕事を手伝ってもらうのも気が引ける。

 

「はぁ……」

 

ついついため息をついてしまう。どこでミスったんだよ。見つからねぇ。

 

「……見せて」

 

「え?」

 

いきなり手を差し出されて変な声がでてしまった。

 

「収支、合わないんでしょう?」

 

「あ、あぁ……」

 

そこまで言われてやっと気がついた。手伝ってくれんのか。

 

「ごめんなさい、やっぱり後でいいかしら」

 

一通り目を通してやる気が失せたのか、またソファーにもたれかかる。

 

「いや俺がやるからいいよ。雪乃は次の仕事頼んだ」

 

どれだけ仕事をしても追加でどんどん増えていく。なにこのループ最悪じゃん。

 

「……雪乃?」

 

返事がなかったので雪乃の方を見てみるが、うつらうつらと舟を漕いでいた。

近くにあった毛布を取って、雪乃にかける。

……あれ、俺どうしたらいいの?家に帰ろうにも鍵かけないと危ないし。起こすしかないのか。

 

「雪乃、起こして悪いけど俺帰るわ。鍵締めてくれ」

 

「ん……」

 

うっすらと目を開けて微笑む。そして小さく手を振ってくれた。

 

「……おやすみ」

 

それだけ言って、俺は外へ出た。

外はかなり暗い。時間を気にしていなかったが、8時過ぎといったところだろうか。最近は暗くなるのが早い。

 

「ふぅ……」

 

仕事終わりはやっぱりマッ缶だよね!自販機ここら辺あったかな。

 

「比企谷くん!」

 

仕事終わりはやっぱり家に直行するべきだよね……。

 

「もぉ無視ってひどくない?こんな美人なお姉さんが呼んでるんだよ?」

 

「……残念ながら俺はこんな美人なお姉さんよりも可愛い子を知ってるんで」

 

視線を合わさずに端的に答える。いやだって目が合うと捕まっちゃうんだもん。

 

「でも…お姉さんの方が魅力的じゃない?」

 

そう言って俺の背中に身体を当ててくる。

 

「ちょ、なにしてんすか」

 

慌てて離れる。

ふぅ危ない。うっかり死んじゃうところだった。

 

「君はなんで雪乃ちゃんが好きなの?」

 

この人直球すぎる。てかなんでいきなりこんなこと聞くんだよ。

……この人でも流石にさっきのことは知らないよね?

 

「……なんでですか?」

 

「んー、気になるから。あ、そうだ。いつから好きなのかも教えて?」

 

「まぁ…初めて見たとき普通に可愛くて、それでいきなり似たものどうしって言われて…そっからですね」

 

すると陽乃さんはにっこりと笑った。目は笑っていないが。

 

「比企谷くんは執念深いね」

 

「……よく言われます」

 

「まぁいいや。じゃあね」

 

それだけ言うと、走ってどこかへ行ってしまう。

マジであの人なにがしたかったの?

 

 



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何もない二人

 

「終わった……」

 

「それじゃあこれお願い」

 

終わったら次から次へと仕事が出てくる。文化祭明日だよ?まだあんのかよ……。

 

「ごめんなさい。でもこれを終わらせればなんとか明日までには終わりそうだから……」

 

そんな顔しないでくれ〜。俺が悪かった。ちゃんと仕事するから。

 

「いや、大丈夫だ」

 

なにせ放課後に雪乃の家にお邪魔して、さらに夕飯まで頂いているのだ。文句なんて何もない。

さあ、今日は何時に帰れるかな?どのくらい残業するのかな?

いっそのこと帰れない方がいいな……。

しばらくお互いに別々で仕事をこなす。

こんなに終わりの見えなそうな仕事をしていると、「あれ、俺ってなんの為に働いてんの?」という疑問が湧き出てくる。

あれ、俺ってなんの為に働いてんの?

 

「終わった……」

 

「私も終わったわ。手伝ってくれてありがとう」

 

雪乃がそう言って、最上級の笑顔を見せてくれる。

そうだよ、これだよ、俺はこの為に働いてたんだよ。

ふと時間が気になって時計を見る。

 

「げっ、もう11時かよ。ヤバいな」

 

「高校生だけだと補導されるわね……」

 

今雪乃がとんでもないことを言った気がした。

 

「え、補導?」

 

「ええ。千葉県だと11時くらいから補導の対象時間になってくるわね」

 

マジかよ……。なんとかして帰らなくては。俺の両親はもう帰って来ているのだろうか。

いや、迎えに来てもらうにしても俺がここにいることについて説明したくない、というか出来る気がしない。

 

「困ったな……」

 

「じゃあ…その、と、泊まる?」

 

「は?」

 

いやダメだろ。そもそも俺着替え持ってないし。いや、それは風呂で洗えばなんとかなる、のか?

明日学校あるし…って、制服持ってるわ。しかも文化祭だから教科書とかいらない。

え、もしかしてこれはたくさんの仕事をしてきた俺への神からのご褒美?それなら受け取らないのは悪い!

 

「いい、のか?」

 

「こんな時間まで仕事をさせてしまったのだし……」

 

確かに時間を気にしないで二人とも仕事に没頭していた。でもだからといって雪乃が負い目を感じる必要はない。それに、一人暮らしの女子の家にこんな男子が…あれ、俺雪乃に告白、というかプロポーズしたよな?それでオッケーもらったよな?

今の俺たちは恋人同士と言ってもいいのではないだろうか。え、待って、ヤバい。ヤバ過ぎてヤバい。ついでに語彙力もヤバい。っべーわ。マジ、っべーわ。

これは期待してもいいの?なにかイベント発生するの?

 

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 

 

 

 

風呂から上がって、雪乃に言われた部屋に入る。特に何かがある訳ではなく、床に布団が敷いてあるだけだった。恐らく空き部屋なのだろう。

結局パジャマは雪乃の家にあった、旅館なんかで寝巻きとして着る浴衣を借りた。

雪乃曰く、「父が泊まりに来るとき用に置いているの」だそうだ。

疲れた身体を一刻も早く癒やす為、布団に入る。

……寝れる訳がない。

雪乃は今何をしているのだろうか。恐らく風呂に入っているだろう。俺が上がった後、もう一度風呂の水を張り直しているのを見た。なにそれ悲しい。いや、ここは意識してると考えるのだ、八幡。ポジティブに行こう。じゃないと心が折れちゃう。

さて、どうしよう。いや、寝ないといけないのだが…どうしよう。

べ、別に何か期待してる訳じゃないんだからね!

み、水でも飲みに行くか。いや、雪乃の様子を見るつもりじゃなくて、ただ喉が渇いただけ、それだけ……。

恐る恐るキッチンまで行く。コップを拝借し、ミネラルウォーターを注ぐ。

 

「ふぅ……ぶっ!」

 

心を落ち着けさせる為に飲んでいたのに、かえって興奮してしまった。目の前に、パジャマ姿の雪乃がいた。

髪は乾かしていないようで湿っていて、足は靴下を履いていないため細長い足の指まできっちり見える。足の指まで綺麗なのね……。さらに、長袖だから露出は少ないが、ボタンの隙間から見えるような、見えないような白い肌。見えちゃってんじゃん。そして何よりほんのりと上気した頬と、無防備な表情。これは…ヤバい。

 

「だ、大丈夫!?」

 

俺が咳き込んでいると、優しく背中を擦ってくれる。手が柔らかくて温かい……。

なんとか呼吸を落ち着けさせる。

 

「だ、大丈夫だ」

 

呼吸を落ち着けさせたついでに、本能も落ち着けさせる。

 

「もぅ…びっくりしたじゃない」

 

雪乃が困ったように笑う。か、可愛い……。

 

「あぁ…悪い」

 

もう一杯だけ飲んで片付ける。

 

「じゃあおやすみなさい」

 

「お、おやすみ」

 

それだけ言うと、雪乃は洗面所に戻って行ってしまった。髪を乾かすのだろう。

ドライヤーの音が聞こえてくる。

おやすみと言ってしまったので、ここで待つのはなんだか気が引ける。しばらくぼーっとしてから、借りている部屋に戻り、布団に入る。今度こそ寝ようと思った時に、ドライヤーの音が止まった。

もう終わったのだろうか。ゆっくりと可愛らしい足音が近づいてくる。一歩近づくたび、心臓が脈打つ。

いや、だから何も期待してないって!ほ、本当だよ?

ドアが開く音がした。もちろん俺のいる部屋のドアは1ミリたりとも動いていない。

……まぁそうだろうな。雪乃は俺以上にヘタレ、というかそういうのあんま分からなそうだし。あいつ変なところで鈍感だし。

 

今日の結論:ヘタレが同じ屋根の下でお泊りしてもなんのイベントも発生しない

 

「……寝るか」

 

今の一件で一気に気が抜けて、割とすぐに寝ることができた。

 

 

 

 

 

NOTE

件名:マジでウザい

気に入らない気に入らない。何あいつ、ちょっと葉山君と仲いいからって下の名前で呼び合って。葉山君はあんたなんて眼中にないっての。そのくせにあの…ひき、たに?と仲良くしちゃって。男子手玉に取るのが趣味なの?なにそれ、趣味悪。ほんっとウザい。ちょっと頭良くてちょっと運動が出来てちょっと凄い家だからってお高くとまって。姉が凄いからって私から委員長の座まで奪いやがった。ウザい。別に私委員長やりたかった訳じゃないんだけど。誰もやらないならやってやろうと思ったのに、なにあの仕打ち。やる前から否定しやがって。あの教師もウザいわ。ていうか手を挙げるならもっと早く挙げろよ。あいつがやるって分かってたら私挙げなかったんだけど。全部あいつのせいだ。ウザい。ウザい。ウザい。文化祭、めちゃくちゃにしてやる。委員長なんだから、そのくらいの責任は取ってよね?

 

 

 

 

 

「ちょっと、姫菜、そろそろ休憩に……」

 

「ダメダメ。とつはやが見れる機会なんて全然ないんだから」

 

「り、理由が個人的過ぎる……。あれ、さがみん文実行ってないんだ」

 

「雪乃ちゃん、大丈夫かな……」

 

「ヒキオが行ってたから大丈夫っしょ。それより隼人試しでメイクしよーよ」

 

「うんうん、本番明日だしね〜。最上級のとつはやをみんなに見せよう!……ぶはぁ!」

 

「ちょ、海老名擬態しろし……。ほら、チーンして」

 

「ごめん、僕ちょっと疲れたから休憩したいな……」

 

「さいちゃん大丈夫?休憩してていいよ。そこ座ってさ」

 

「由比ヶ浜さん、ありがとう」

 

「いやいやそこは隼人くんの膝の上で……」

 

「ちょ、海老名また鼻血でてるから!」

 

「あ、じゃあ隼人くんとそこに寝っ転がって添い寝とか……」

 

「お、俺はちょっと外出てくるよ」

 

「あ〜、隼人くん、せっかく戸塚くんと……」

 

「優美子、後は頼んだ」

 

「オッケー、隼人。ほら海老名、鼻押さえて上の骨をつまんで……。一回水道行くよ」

 

「大変そうだね……」

 

「あー、いつもあんな感じだから」

 

「そういえば、八幡と雪ノ下さんの方は大丈夫かな?結構大変って聞いてたけど。あ、でも相模さんがこっちいるから一応大丈夫なのかな」

 

「いやでもゆきのんにメールしても返ってくるのが遅かったり、内容が短かったりするんだよね」

 

「心配だね……。ちょっと行ってみる?」

 

「多分隼人くんが行ってるんじゃないかな。結構手伝ってるみたいだし」

 

「そうなんだ。……そういえば、由比ヶ浜さんは葉山君の好きな人って知ってる?」

 

「あ、それあたしも気になるんだよね!あたしの予想はゆきのんかなって思うんだ」

 

「そうだよね、僕も雪ノ下さんだと思うんだ」

 

「でもヒッキーもゆきのんだよね」

 

「まあ八幡はわかり易いからね。……雪ノ下さんはやっぱり八幡かな」

 

「ゆきのんは絶対ヒッキーだよ!」

 

「じゃあ八幡か雪ノ下さんが告白したらきっと結ばれるね」

 

「絶対成功するよね!なのに…あの二人全然アプローチしないんだよね」

 

「あー、確かに。じゃあさ、告白するとしたらどっちからすると思う?」

 

「うーん、ヒッキー、かな?ゆきのんは意地でもしなさそう。てか、出来なさそう。ああ見えてゆきのん、結構奥手というか、ヘタレだから」

 

「でも八幡もヘタレって感じじゃない?」

 

「でもなんだかんだで頑張るからな……。あたしの予想は、隼人くんにゆきのんが取られそうになったと思ったヒッキーが告白、みたいな感じ」

 

「なんか想像できる……。でも八幡と雪ノ下さんって、結構見てるこっちが早く告白しなよ!ってなることない?」

 

「すごいある!でもゆきのんをヒッキーに取られるのなんか複雑……」

 

「そ、そっちなんだ……。でも由比ヶ浜さんも雪ノ下さんのこと大好きだよね」

 

「だってゆきのん可愛いじゃん!頭良いのに天然でたまにすっごいボケかまして。それに結構照れ屋さんで……」

 

「確かにそうだね」

 

「さいちゃんはゆきのんのこと異性として好き?」

 

「うーん、恋愛感情はない、かな。でも雪ノ下さんは好きだよ。テニスの練習に付き合ってくれるし、強いし」

 

「でも男子って大体ゆきのんのこと好きなイメージあるな」

 

「なんとなく結構な人が雪ノ下さん、って言いそうだよね」

 

「でもやっぱりゆきのんが付き合うとしたらヒッキーかな。早く告ればいいのに」

 

「あの二人、付き合ってると思うよ」

 

「え?あ、って隼人くん!?」

 

「葉山君知ってるの?」

 

「詳しくは知らないけど雪乃ちゃんのお姉さんが、ちょっとね」

 

「え、なになに!」

 

「この前あの二人大喧嘩したんだけど、仲直りしてから距離が近いらしくて。雪乃ちゃんが比企谷を家に上げたりしてるらしいよ」

 

「え、あたしよくゆきのんの家行って泊まってるよ?」

 

「そういうことじゃないよ。雪ノ下さんが、男子を家に上げてるってだけですごいスクープなんだよ」

 

「すくーぷ?」

 

「特種ってことだよ。まああの二人だから付き合ってもあんまり何かが変わるってことはなさそうだけどね」

 

「でもすごい情報じゃん!文化祭終わったらまた勉強会してその時聞こうかな」

 

「でもそんなに全部教えてくれるかな?」

 

「問い詰めるんだよ!楽しみになってきた……」

 

「それ、絶対勉強しないよね……」

 



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彼と彼女のいいすたあ(イースター)

 

目を覚ますと、見たことない天井だった。

 

「……知らない天井だ」

 

思わず言ってみたかった台詞第何位かを言ってしまった。

ぼんやりとした記憶がだんだん蘇ってくる。そうだ、俺、雪乃の家に泊まってたんだ。

ゆっくりと起き上がり、リビングに行く。しかしそこに雪乃は姿はなかった。というか、家が静か過ぎる。雪乃が俺を置いていって先に出て行ったと言われても納得できてしまうほど。

雪乃の部屋の前に立つ。

ノックをするが、返事はない。もしかして、まだ寝ているのだろうか。それとも、本当に俺を置いていってしまったのだろうか。

 

「あ、開けるぞ?着替え中でも事故だからな」

 

むしろいつでもウェルカモンだが。

雪乃はちゃんと部屋に居た。まあまだ寝ていたが。

しかし、ベッドではなく、机に突っ伏して眠っていた。

こんな季節に毛布も掛けないで…風邪引くぞ?

身体を揺らして起こす。

 

「……むぅ」

 

可愛らしい声がした。

 

「起きろ、時間だそ」

 

「うん……」

 

いや「うん」て。

しばらくして、眠たそうに目をこすって雪乃が起きた。寒そうに身震いする。

 

「ベッドがあるんだから、そっちで寝なきゃダメだろ?」

 

俺が注意しても、雪乃は上の空という感じで全然聞いていない。ぼーっと遠くを見ている。

こういうときは、体に刺激を与えるのが得策だ。俺は雪乃の脇腹に手を回し、思いっ切りくすぐった。

 

「きゃ、ちょっと!」

 

雪乃が驚いてジタバタする。

 

「起きろ、時間だ」

 

そう言うと、雪乃がハッとした顔になる。ソレから時計を見て、そのまま頭を机の上に乗っけた。

 

「……先に行っておいてちょうだい。ご飯は冷蔵庫に入っているから」

 

「え?あ、おう……」

 

どうやら昨日作り置きしていたようだ。

適当に食べ、着替えてから俺は一人で学校へ向かった。

 

 

 

 

 

暗闇の中、生徒たちのざわめきが響く。

手元の時計は9時57分。そろそろ時間だ。

 

「開演3分前」

 

数秒待つと、耳に嵌めたイヤホンにザッとノイズが走る。

 

『は、知ってるし』

 

イヤホンから大嫌いな声がした。

うぜぇ。ほんとムカつくな。俺だってお前なんかとこんなんしたくねえんだよ。雪乃と代わってくれよマジで。

 

『てかなんであんたなの?』

 

「記録雑務の仕事なんだよ」

 

正直雑談すらしたくないのだが、待ち時間は暇なのである。雪乃は恐らく舞台裏にいる。

 

『……最悪』

 

それはこっちの台詞だよ。早く終わんないかなぁ。

 

『ねえねえ南ちゃん、仕事終わったら一緒に回らない?』

 

『いいねいいね〜!』

 

仕事に関係ないことは他所でやってほしい……。

 

『どこ行く?』

 

『てゆーか、あたし一番楽しみなのがあって!』

 

『え、なになに?』

 

『文化祭でテンション上がっちゃってみんなの前で告んじゃん?それで振られるバカな男子!』

 

うわぁ……。性格悪っ。

 

『あ、それ面白そう!』

 

『でしょでしょ〜」

 

早く終わんないかなぁ。

 

「――10秒前」

 

そんな俺の願いが叶ったのか、開演まであと10秒を切った。

カウントダウンが始まる。3秒前までくると、カウントダウンの声が消える。

 

「お前ら、文化してるかー!?」

 

「うおおおおおおお!」

 

突如として舞台に現れためぐり先輩にオーディエンスが怒号を返す。

 

「千葉の名物、踊りとー!?」

 

「祭りいいいいいいいい!」

 

スローガンだせぇ……。

 

「同じ阿呆なら、踊らにゃー!?」

 

「シンガッソー!」

 

めぐり先輩の謎のコール&レスポンスで生徒たちは一気に熱狂する。

うわー、バカだなー。うちの学校。文化するってなんだよ。

 

「では続いて文化祭実行委員長よりご挨拶です」

 

今日の目玉はやっぱこれだろ!

ゆっくりと雪乃が舞台に出てくる。数秒前のテンションの低さから一転、今日一でテンション高いぞ、俺。つい頬が緩んでしまった。

 

「……ふへ」

 

『キモ、死ね』

 

流石にキモかったか。俺が一人でテンション上がっている最中も、挨拶は進んで行く。そのとき、違和感を抱いてしまった。

淡々と雪乃は話を進めて行く。台詞も全て覚えているのだろう。危なげがあるところは一つもない。それでも、どこか変だと思ってしまった。舞台の下にいるため、見上げる形になるが、雪乃の手は制服の裾を弄っていて、落ち着きがなかった。緊張でもしているのだろうか。その割には真顔だが。肩が上下に揺れている。やはりどこかおかしい。

周りを見渡すが、誰も雪乃の異変には気がついていないようだった。近くの人と喋っているのがほとんどだ。程なくして、オープニングセレモニーが終わる。

別に何か大きなことがあった訳ではない。それなのに、俺はさっきのことが気になって仕方がなかった。

 

 

 

 

 

今まさに総武高校は最高にフェスティバっているが、それと同じで俺のクラスも最高にフェスティバっていた。

円陣を組み、掛け声をあげている。勿論俺は加わってないけど。

俺は海老名さんに命令されたため、受付をすることになった。中で公演しているのだろう、色んな声が聞こえてくる。戸塚、見たかったなあ。

別に中に入ってはいけない訳ではないのだ。ただ、俺は彼女のことがどうしても気になってしまっただけだ。もしかしたらここを通るかもしれない。教室の中に居るよりかは会える可能性が高い気がする。

しばらくすると、公演が終わったらしく、中から人が出てくる。どうやら結構ご満足いただけたようだ。

 

「ヒッキー、お疲れ様!」

 

観客たちと一緒に出てきた由比ヶ浜が、俺の隣に座る。

 

「ゆきのんと回らないの?」

 

「……忙しいんだろ」

 

きっと今も見回りやら書類やらの仕事をしているのだろう。しかし、居場所が分からないから手伝えない。だからこうして待っているのだ。もしかしたら、ここを通るのではないかと。そんな淡い期待を抱いて。

まぁ少しカッコつけたが、ただ雪乃がどこに居るか分からないというだけだ。探しに行きたいのは山々だが、クラスの手伝いを何もしないというのは流石に気が引ける。だからここでこうして待っている。

 

「ふーん。ゆきのんを、待ってるんだ」

 

「そんな感じだ」

 

お互い目を合わせるでもなく、全然違う方向を見ながら話す。

 

「……待ってても、来ないんじゃないかな」

 

由比ヶ浜がつぶやくように言った。

 

「……どういう意味だよ」

 

「理由は分かんないけど、なんとなく。待ってるだけだったら、いなくなっちゃいそう」

 

最後に少し冗談めかして笑っていた。

なんだよ、いなくなっちゃうって。ネコかよ。口には出さないけど、心の中で突っ込んで笑う。それでも、表情は全く笑っていない。

その日、雪乃は俺の前に現れることなく下校時刻となった。

 

 

 

 

 

文化祭も二日目を迎えた。近所の人から受験志望の人まで、色んな人が来ている。

写真を撮って回らなければならないため、色々なクラスに入る。一応文実の腕章が付いているため、不審者に間違われることはないだろう。多分。

 

「お兄ちゃん!」

 

呼ばれた気がするので振り返ると、小町が俺に抱きついてきた。

 

「あれ、雪乃さんは?」

 

お兄ちゃんに会って二言目がそれかよ。もっとお兄ちゃんのお話しようよ〜。

 

「知らん。多分仕事」

 

端的に答えると、小町にジッと睨まれた。

 

「一緒に回る約束とかしてないの?」

 

「俺もあいつも忙しいんだよ」

 

そうだ、俺は今仕事中なのだ。これやんないと、上から何言われるか分かったもんじゃない……。

 

「お兄ちゃんは仕事と雪乃さん、仕事の方が大切なんだ?」

 

「それは違うだろ」

 

そもそも仕事は大事かもしれないが、大切ではない。

俺が一番大切にしたいものなんて、今更言う必要がないくらい分かり切っている。

 

「でも、今のお兄ちゃんだと、そんな感じ」

 

まあ仕事があるからな。これはしょうがないことなんだ。いつだって、予定は仕事に振り回されっぱなし。そんなの社会の定石だ。

 

「……なんか、良くない気がする」

 

最後に言いづらそうに、でもはっきりと小町は地雷を埋めて行った。

 

 

 

 

 

お昼頃になると、校内はバカップルたちが二人で昼食を食べている光景が、嫌でも目に付く。

一人の俺は、大人しく人気のない校庭の方に行く。

俺も雪乃に「あーん」してもらいたいなぁ。

しかしそれは叶わないので、リア充たちを睨みつけておいた。

べ、別に負け犬でもなんでもないんだからね!

事実、俺は自分を負け犬だなんて思っていない。雪乃にしっかりプロポーズして、一応OKをもらった。一つ問題があるとすれば、その約束になんの保証もないことだ。反故にすることだって、簡単に出来てしまう。幼馴染キャラでよくある「大きくなったら結婚しようね」が本当になるなら、幼馴染は負けヒロインになったりしない。

 

「うえぇん。うえーん」

 

すぐ近くから、小さい子どもの泣き声がした。

見回す必要もないくらい俺の近くで泣いている。

 

「……どうした?」

 

「転んで、足……」

 

どうやらコンクリートで転んでしまったようだ。小さい膝には血が滲んでいる。

とりあえず保健室に連れて行くことにした。

保健室はアルコールなどの薬品の臭いにまみれていた。ただ、俺はこの臭いが嫌いではなかった。

幾つか並んでいるベッドの一つに、カーテンがかかっていた。誰か居るのだろう。中から話し声がする。

数分待つと、カーテンが開いた。中から出てきたのは、保健室の先生。そして、中にあるベッドで寝ていたのは、雪乃だった。

もう起きていたらしく、半身を起こしていたため、ばっちり目が合ってしまった。

保健室の先生は、怪我をした小さい子どもを手当てすると、迷子センターに連れて行った。

そのため、ここに居るのは雪乃と俺だけ。

 

「……体調、悪いのか?」

 

「別に……」

 

この状況でそんなことを言われたって、誰も信じるはずがない。

ゆっくりと雪乃に近づく。そして、力なく下ろされている手を取った。

 

「熱はないのか?」

 

「今は、ね」

 

「今は」ということは、さっきまではあったのだろう。現に、熱がない今でも雪乃はしんどそうに見える。

 

「エンディングセレモニーはどうするんだ?」

 

「それくらいなら出来るわ」

 

それでも少しは無理をしなければ出来ないのだろう。

 

「代役は?」

 

「出来るわ。だから必要ない」

 

「そうか……。じゃあ時間ギリギリまでここで休んでるのか?」

 

本人が出来ると言っているのだから、ここでいくら俺が反論しようと雪乃の答えは変わらない。それなら、別の視点から見る方がいい。

 

「いえ、そろそろ行くわ」

 

そう言ってベッドから出てくる。立ったとき、少しフラっとしていたが、そこまで大きな問題はなさそうだ。

しばらく歩いていると、不意に雪乃が止まった。

 

「あのクラス、申請書類とやっていることが違うわ」

 

どうやら昨日人気だったジェットコースターにいきなり方向転換したようだ。だが、委員長がそんなことを許すはずもなく、さっそく代表者を呼び出しにかかる。

 

「やっば!速攻でバレちゃった!」

 

「と、とにかく乗せちゃえ!勢いで誤魔化しちゃえ!」

 

無理矢理雪乃が掴まれて押し込まれる。俺が助けようとすると逆に、腕章があったためか、一緒に引きずり込まれた。最後にダメ押しとばかりにドンと押された。俺はなんとか踏ん張ったが、雪乃は衝撃でトロッコに倒れ込んでしまった。そのとき、雪乃のスカートが少しめくれた。ギリギリ見えてはいないが、いつもはニーハイソックスに隠れている太ももまでしか見えないのだが、今は隠れていない部分が少し見えている。

真っ白い肌に、ほっそりとした太もも。そして、見えていないことでより……。

 

「どこ見てんのよ変態っ!」

 

「ぐはぁっ!」

 

思いっ切り腹を蹴られた。ヤバい、これヤバいやつだ。めちゃくちゃ痛い。

 

「み、見えてねえよ!」

 

「……最低」

 

こちらに冷たい視線を送ってくる。

 

「えー、本日はトロッコロッコにご乗車しただきましてありがとうございます。それでは神秘の地下世界を存分にお楽しみください」

 

黒子のような格好をした、体格のよい男子生徒が四人がかりでトロッコを動かし始める。

机と長机、木板にトタン、鉄板を組み合わせたコースをガタガタ言いながら結構な速度で走っていく。アップダウンも設けられ、乱高下しているのを体で感じる。

これは怖い……。何より、人の手がこれをやっているという不安感が半端じゃない。

不意に、横に大きく揺れた。俺は反対側の壁まで転がった。

 

「えっ?」

 

俺が反対側の壁まで転がるということは、とても大きく揺れたということだ。それなら、最初から揺れた側に居るとどうなるのか。答えは簡単、落ちるのだ。

 

「キャッ!」

 

俺がギリギリのところで雪乃の身体を引き寄せる。なんとか落ちずに済んだ。

しかし、また大きく揺れたため、今度は二人揃って反対側まで転がった。雪乃を潰さないように最大限の努力をした。

……だからしょうがないんだよ、こうなったのは。

俺は、雪乃の上に覆いかぶさるような、とてもヤバい格好になってしまった。傍から見たら、俺が雪乃を押し倒したようにしか見えないだろう。

 

「…………」

 

雪乃は視線を彷徨わせ、なかなか目が合わない。

そんな間にもトロッコは揺れているが、先ほどのように大きくは揺れなくなった。最悪だ。

突然、雪乃が寝っ転がったままうずくまった。目は固く閉じ、苦しそうな顔をして。

 

「ど、どうした?」

 

あまりに突然のことだったため、反応が遅れてしまった。

しかし、いくら声をかけても返ってくることはない。

ようやく終わったようで、トロッコの動きが止まる

 

「どうよ、うちのアトラクショ――」

 

代表者らしき人が出てきて、俺たちを説得にかかるが、そんなのを聞いている場合ではない。俺は雪乃を抱えて保健室へ向かった。

 

「ちょっと!いいの?これでやっちゃうよ!」

 

後ろから声がしたが、振り返らない。

 

「……降ろして」

 

「えっ?あ、おう」

 

雪乃に言われた通り降ろすと、雪乃は地面に座り込んだ。

 

「大丈夫か?」

 

「……気持ち悪い」

 

「俺が?」

 

「さっき…揺れたから……」

 

「酔ったってこと?」

 

「ちょっと違うけど…そんな感じ……」

 

力なく答える雪乃の顔色は、確かにあまり良くない。

 

「何か飲み物いるか?」

 

ずっと保健室に居たのなら、お昼も食べていないのだろう。お腹は空かないのだろうか。一応何か飲んどいた方が良いかもしれない。

 

「……今何か飲んだら戻しそう」

 

「大丈夫か?」

 

流石にここまでくると大丈夫のようには見えない。心なしか、元々細い身体はげっそりしているように見える。

 

「しばらく休めば……」

 

そう言って雪乃はうつらうつらと船を漕ぎ始める。しかし、一分もしないうちに、よろよろと立ち上がる。

 

「もうちょい休んだ方がいいんじゃないか?」

 

「エンディングセレモニーが…始まるから……」

 

「代役を頼め。なんなら俺がやってもいい」

 

流石にこれは譲れない。男には絶対に譲れないものが幾つかある。うーん、例えば?そうだなぁリア充(笑)はクズとか?まあそういうくだらない思考がほとんどだな。

 

「……俺が相模に声掛けてくる。一人で歩けるか?」

 

「多分……」

 

それだけ言うと、雪乃は保健室の方に歩き出す。フラフラしていて、危なっかしい。

すぐに雪乃を止めて、お姫様だっこをする。雪乃のささやかな抵抗も特に害になることなく運ぶ。

雪乃は顔を俺の胸元に埋めていた。

 

 

 

 

 

舞台袖に着くと、葉山たちのバンドメンバーが揃っていた。

 

「あ、ヒッキー。あれ、ゆきのんは?」

 

「ん?ああ、今はいない」

 

由比ヶ浜に全部話すと心配させてしまいそうだったので、言葉を濁す。

 

「あ、めぐり先輩。相模って居ますか?」

 

その辺をうろちょろしていためぐり先輩に声をかける。流石にこの人には言っておかないといけないだろう。

 

「私たちも今探してて……。雪ノ下さん、体調悪いんだよね?だから賞の結果も全部相模さんが持ってるの」

 

めぐり先輩は元から知っていたようだ。まあ雪乃が誰にも言わないで勝手に休むなんてことはしないよな。

 

「もしかして、雪ノ下さんまだ体調悪いの?」

 

「はい、なので代役を相模に頼みたかったんです」

 

あいつのすることは大体予想がついてしまう。最悪だ。あいつと同レベルってことか。

 

「俺、行ってきます」

 

「どこに?」

 

「相模の居る場所、大体分かるんで」

 

それだけ言って、その場から離れた。

 

 

 

 

 

屋上に出ると、三人の女子が固まって話していた。そのうちの一人は相模。

 

「おい、エンディングセレモニー始まるぞ。戻れ」

 

「はぁ?戻る訳ないじゃん」

 

取り巻きの女子たちもクスクス笑っている。

しょうがない、ここは切り札を使うか。

 

「相模、お前が戻るなら、お前が一番楽しみにしてるものを見せてやる」

 

「はぁ?」

 

「お前、オープニングセレモニーのとき言ってたよな?それを俺が見せてやるよ」

 

「あんたバカじゃないの?」

 

「バカな男子の方がいいだろ?」

 

「へぇ…じゃあ戻ってあげるよ。その代わり…嘘だったらあたしの目の前でやってもらうから」

 

「交渉成立だな」

 

相模と取り巻きの女子たちが戻って行くのを見送り、俺はフェンスを力強く握った。

 

 

 

 

 

ベッドに横になっても体調は良くならない。比企谷くんには気持ち悪いと言ったけど、本当は頭も痛かったし、目眩もしていた。なんとか取り繕っていたのに、結局バレてこの始末。

私、何してたんだろ……。

何も出来ていない。きっと今回も比企谷くんがなんとかしてくれるのかなぁ。

頭で考えることすら億劫になってくる。いっそ寝てしまった方が楽かもしれない。

きっと今エンディングセレモニーが始まる頃だろう。

相模さんには迷惑をかけてしまった。

ぼーっとしていると、外からとても大きな声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

フェンスを握り、思いっ切り息を吸う。そしてその勢いに任せて全力で叫ぶ。

 

「体育館にいるやつはぁ!全員出てこぉい!!」

 

たったこれだけ言うだけでも、かなり喉は痛い。

下を見ると、何人かが外に出てきていた。

 

「俺は2年F組のぉ!比企谷八幡だぁ!!覚えとけぇ!!」

 

ここで一度区切る。もう後戻りは出来ない。

 

「おっ、俺は……」

 

意気込んだ割に、大きな声が出ない。

 

「俺はぁ!2年J組のぉ!ゆっ、雪ノ下雪乃のことがぁ!好きだぁ!!!」

 

「笑っている顔もぉ!怒っている顔もぉ!とにかく全部可愛いんだよぉ!!照れてる顔なんて可愛いじゃ済まされないぞ!!!」

 

「怖いのが苦手で泣きそうになってるときは守ってあげたい!嬉しいことがあったら、一番に俺に伝えてほしい!!俺のことを大事な人だと思ってほしい!!!」

 

「とにかく好きなんだぁ!!手ぇ繋いで歩いてるときは最高だぁ!手料理だって一流シェフが作るよりも上手い!俺があげたエプロン大事に使ってくれてんだぞぉ!!」

 

「一見完璧なのに、めちゃくちゃ抜けてるところあんのも可愛いんだ!それでも完璧なんだよ!」

 

自分で言っていて意味が分からない。筋も通っていない。稚拙極まりない。

 

「好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだっ、大好きだぁ!!!」

 

「だから…だ、だから……」

 

ここまで恥ずかしいことをしておいて、こんなところで躊躇うのか。思わず苦笑してしまう。

 

「だから!雪乃ぉ!俺とぉ!けっ、結婚してくれぇ!!!!!」

 

 

 

 

 

階段を駆け上がる。リズムが崩れたら、一気に転げ落ちそうなくらい危なっかしい。手すりに掴まって、必死に駆け上がる。

頭痛、吐き気、目眩。体はこれ以上ないくらい最悪の状態だ。

それでも、一言、絶対に言わなければならないことがある。

それを言うために、必死に駆け上がっているのだ。

扉をゆっくりと開ける。やっぱり居た。その姿を見ただけで、安心感に包まれる。

私と目が合うと、急いで近づいて来る。支えてくれた胸に、ありがたく寄りかかる。そして、持っていた言葉を言った。

 

「いいって…言ったじゃない」

 

国語学年1位が聞いて呆れる稚拙な一言。主語もなく、何を意味するのかなんて、誰が聞いても分からないだろう。それでも、国語学年1位が言った言葉は、国語学年3位の彼には届いた。

 

「ちょっと、心配になってな」

 



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新たな関係性を目指して
彼から見て、彼女はいつまでも変わっていない


 

部室の中は随分と冷えていた。

俺のために注がれた紅茶を飲みながら、二人の会話に耳を傾ける。

 

「もうすぐ修学旅行だねー」

 

そういえば最近はその話題ばかり耳にする。まあ高校生にとって修学旅行というのは組み込まれた青春劇の中でもとても大切な役割を担っている。

 

「ゆきのんはさ――」

 

由比ヶ浜が何か言いかけた瞬間、扉が叩かれた。

 

「どうぞ」

 

雪乃が答えると扉が開かれる。そこに現れたのは葉山と戸部の二人組だった。

 

「何か御用?」

 

来訪者を見て、少し優しく雪乃が声をかける。きっと葉山が居るから対応が柔らかいのだろう。

 

「ちょっと相談事があって連れてきたんだけど……」

 

そう言って葉山は戸部を前に出す。すると戸部が俺の方を向き、目が合うとにかっと笑った。

 

「ヒキタニくんに相談なんだけど」

 

俺に?なんでこいつが?疑問はたくさんのあるがまず続きを聞かなければ。

 

「俺、海老名さんのこと、結構いいと思ってて?で、まぁちょっと修旅で決めたい的なことなんだけど」

 

半分くらい暗号というかほとんどニュアンスで話をされた。

 

「つまり、あれか。海老名さんに告白して付き合いたいと、そういうことでいいのか」

 

「そうそう、そんな感じ!」

 

戸部が俺の肩を叩きながら同意する。うっぜー。

 

「で、なんでヒッキーに相談なの?」

 

確かに言われてみればそうだ。俺と戸部の関係なんてクラスメイトぐらいだ。というか名前すら覚えてもらってない。

 

「だって、告白と言えばヒキタニくんじゃん?しかもあの雪ノ下さんっしょ?これはヒキタニくんしかいないでしょ!」

 

「お、おう……」

 

正直その話はできるだけ触れないでほしい。というか記憶から消してほしい。

チラッと横目で雪乃を見ると、下を向いていた。僅かに覗く顔は真っ赤に染まっている。ごめん、本当にごめんなさい!

 

「な、なるほど……」

 

由比ヶ浜も俺たちを見て何かフォローをした方が良いと思ったのか、頑張って言葉を探している。

葉山と言えば苦笑いをしているが、笑みが引きつっている。葉山からすればあの件は複雑かもしれない。

 

「ほら、振られるとか結構キツイわけ。ヒキタニくんなら分かってくれるっしょ?」

 

まぁ、分からない訳ではない。いや、むしろ分かる。でもね、そういうことを葉山くんの前で言うのはやめてあげてね?葉山と雪乃の顔が死んでいる。

 

「でも確実に振られないってのは不可能じゃないのか?」

 

世の中熱意や想いだけではどうにもならないことだってある。

 

「まぁそれはあるけどー。でもヒキタニくんって、想いでなんとかしたんじゃね?逆にヒキタニくんは雪ノ下さんのどこか良かったん?」

 

その言葉を聞いた瞬間、俺の情熱山が噴火した。

 

「まず顔だな。めっちゃ可愛い。初めて見たとき心臓止まるくらいびっくりした。ヤバかった。あとあれな、性格。本当に最初はツンツンしてたんだよ。結構攻撃的でさ。初めて話しかけたら、「この状態を見て、本気でそう言っているの?それとも、私をバカにするために来たの?」って言われたんだよ。いや〜、懐かしいな。まあその頃から可愛かったから許せたけど。そんで色々あっておんぶすることになったんだけど、すっげえ軽いんだよ。しかもなんか柔らかいし。女の子っていい匂いすんじゃん?マジでヤバかった。それで、最後にお礼言われたんだけど、ほんっっとに、可愛かった。あれを見て好きになんない男子はいないね。なんなら女子も好きになっちゃうレベル。あ、あと――」

 

「も、もういいでしょ!//」

 

雪乃が俺の胸をポカポカと叩いてくる。

 

「いや、でもまだ1割も話せてないんだけど……」

 

「あれで1割いってないのか……」

 

葉山が呆れた様につぶやく。由比ヶ浜もニヘッと、力なく死んだ様な顔で笑っていた。ただ目には何も映っていない。

 

「もう…いいよ……」

 

途切れ途切れの由比ヶ浜の声は、随分と疲弊しているようだった。

しかし、一人だけテンションを上げている奴がいた。

 

「それなー、マジ分かるわー。共感しかないわー。俺もさ、最初は特になんとも思ってなかったんだけど、ちょっと良いなって思ったらそっからヤバくて!」

 

「だよな、そういうもんだよなぁ〜」

 

「やっぱヒキタニくんいい奴じゃん!あ、そういえば隼人くんは居ないの?好きな女子。あれ、確かイニシャルYだっけ?」

 

「が」 「あ……」 「おい……」

 

俺と雪乃と葉山の声が重なった。俺は良く分からないこ言葉で、雪乃は一気に気分が落ちた様に、葉山は怒りを堪える様に。

 

「あ、えっと……」

 

ヤバそうな空気をいち早く察知した由比ヶ浜がなんとかフォローしようとする。

 

「あ、あたしも好きな人のい、イニシャルY、だよ。ほ、ほらゆきのんだから…Y……。へ、へへ……」

 

うん、由比ヶ浜、良く頑張った。でもな、そのやり方は今回は逆効果なんだよ。

 

「あ、確かに雪ノ下さんYだべ。え、もしかして……」

 

「もういいだろ」

 

その声は、鶴の一声なんかよりも遥かに強かった。低く、太く、強い声。明らかに不機嫌さをあらわにしている。葉山は俺たちを睨むようにして見ていた。いつもの葉山とは確実に違う。深いため息をつくとそのまま部室を出ていってしまった。

 

 

 

 

 

四つの沈黙が部室を満たしている。

由比ヶ浜はすぐに空気を読むことが出来る。だから自分のフォローが余計にいけなかったのだということが分かったのだろう。何も言わずに俯いている。

戸部は何が起こったのかイマイチ分かっていないようで、あたふたとしていた。しかし、そんな戸部に説明してやれるほど俺の頭は整理されていない。

そして、雪乃は。じっとただ一点を見つめている。しかし、数秒経つと立ち上がった。そしてそのまま何も言わずに走って部室を出て行った。

俺たちは誰も追いかけようとしない。戸部は俺か由比ヶ浜が追いかけるとでも思っていたのだろう。でも追いかけたところで何が出来る訳でもない。きっと彼女はあいつのところに行くのだろう。それなら俺たちが行ったって逆効果だ。

俺はただひたすら考えていた。

 

恋愛で誰かが傷つくなんて当たり前だ。好きな人が被ってどちらかが選ばれない。そこら辺のラブコメでもよくあるパターン。だからだろうか、俺はその傷つく立場になった奴のことを甘く見過ぎていた。

もし俺なら一度振られれば振られる前のように振る舞うなんて出来ない。それは葉山も同じだ。表面上は取り繕って、大丈夫そうにしていても心の奥底では深く傷ついているかもしれない。本当は雪乃となるべく会いたくないかもしれない。それでも葉山は、葉山隼人の顔を保つために無理をしていたのだ。無理をしていたのなら、いつか破綻するのは当たり前だ。

俺は気分がどっと下がるのを改めて実感した。

 

 

 

 

 

何も考えれない。今はただひたすら何も考えたくない。こうして一人で過ごすのは久しぶりだ。いつも俺の近くには誰かしら居た。それが嫌な訳ではない。楽しいときだってたくさんある。でも、最近は辛いことの方が多かったかもしれない。

 

「……なんだよ」

 

心が荒んでいるからか、言葉遣いが荒くなってしまった。本当はこんなところを見られたくない相手なのに。

 

「何かある、という訳ではないのだけれど……」

 

彼女は言いづらそうに目をそらす。その仕草があの花火大会のときの様子をフラッシュバックさせ、余計に嫌な気持ちになってくる。もちろん彼女は何も悪くない。むしろ言いにくい事を言わせてしまったのだから、俺の方が彼女に悪い事をした。だから、今は一人にしてほしい。彼女と一緒に居たくない。俺にだって、それを言う権利くらいあるはずだ。

 

「あのさ、今は一人にしてくれない、かな?」

 

なるべく穏やかな口調で言う。彼女が怯えないように。いつだって俺はバカらしく思えるほどに彼女と接するときは気を遣っていた。その癖が今もまだ続いていることに、嫌悪感を抱いた。

 

「一つだけ、聞かせて」

 

ぎゅっと胸の辺りを掴んで、彼女が問うてくる。

 

「………」

 

無言を肯定と捉えたのか、彼女がゆっくりと口を開ける。ただ、なかなか言葉にならずしばらく息を吸って吐くだけの時間が続いた。

 

「私は…どうすれば良かったの?」

 

やっと出てきた言葉は弱々しく、今にも泣き出してしまいそうだった。

 

「このままじゃ…いや……。でも、今のままが、いい……」

 

彼女の瞳に涙がたまる。それでも、俺は何もしてあげられない。

 

「君の選択は正しいよ。それに、俺がこうすれば良かった、なんて言ったって変えたりしないだろ?」

 

少し言い方がキツかったかもしれない。それでもここで濁すことはもうしない。してはいけない。はっきり言わなければいけない。

 

「でも……」

 

「君は優柔不断なんだよ。ただ一つの、何よりも大切なものさえあれば、それ以外を捨てることが出来るか?出来ないだろ。でもな、あいつは出来ると思うぞ。君と、それ以外を天秤にかけたら、きっとあいつは君を選ぶ。君は…俺のことも、あいつのことも全然分かってない」

 

「分かってないのは、あなたの方……。私は……」

 

「実際出来ていないだろ」

 

「違う、違うの……。そうじゃ、なくて……」

 

それ以上は聞きたくない。そうじゃないならなんなんだ。俺には分からない。分かりたくない。

 

「ごめん、もう…無理だ」

 

それだけ言ってその場を去る。きっと彼女はもう俺を追ってこない。だから俺も、もう振り返らない。

 





久しぶりの後書きです。
体育祭編やその他の番外編はどこかで書くつもりです。気長に待って頂ければ幸いです。
今回もお読み頂きありがとうございました。


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意外にあいつも気が遣える

 

修学旅行当日の朝、小町が見送りをしてくれた。

 

「お兄ちゃん、お土産買ってきてね!」

 

なるほど、それが目当てか。それでも可愛い妹に見送ってもらえるのは嬉しい。

 

「えっと、生八つ橋と、あぶらとり紙と……あと、お兄ちゃんの素敵な思い出、楽しみにしてるよ!」

 

小町がにっこにっこにーと笑う。あざとかわいい……。

しかし、俺の素敵な思い出か……。今回の修学旅行じゃそんな思い出は作れないだろうな。

俺は重たい足を引きずりながら家を出た。

 

 

 

 

 

修学旅行の難所、新幹線の座席決めの時間が始まった。俺はとりあえず戸塚の隣ならどこでもいいのだが、戸部が何故か俺の隣を要望したことにより、面倒くさいことになってしまった。

なんで戸部俺になついてんの?男になつかれても全く嬉しくない。戸塚を除いて。

 

「じゃあ俺は窓側の端で」

 

そう言って葉山は早々に一人になりやすい席を選んだ。すると三浦ががっかりしたような顔になる。

 

「は、隼人そこでいいの?もっと、真ん中とか……」

 

「俺はここがいいんだ」

 

それを聞いて、三浦ががっくりと肩を下ろす。空気が重くなってきた。新幹線に空気清浄機とかついてないの?

 

「じゃあ俺ヒキタニくんとあっち行ってるわ」

 

戸部に無理矢理引っ張られ、葉山たちとは違う席へ連れて行かれる。

 

「おい……」

 

ジト目で睨むと、戸部が申し訳なさそうな顔をした。

 

「ヒキタニくん、マジごめんな?俺、雪ノ下さんと隼人くんの関係とかあんま知らなくて……。そんで余計なこと言ったちゃって」

 

正直驚いた。こんな戸部でも、一応気を遣っているらしい。

 

「俺らのことはあんま気にしなくていいから、雪ノ下さんと楽しんでな!」

 

そう言ってウインクする。いや、可愛くねえから。

しかし、気にしなくていいと言われても、気になるものは気になるのだ。それに、雪乃がそれで納得するわけがない。やはり、今回の修学旅行でなんとかしなければならないのだろう。

 

「まぁ…あれだ、お前が気を遣う必要はない、と思う。俺がなんとかするつもりだしな」

 

「おー、さすがヒキタニくん。頼りにしてるぜ!」

 

ちょ、おい背中叩くなよ。痛えっつーの。……でも、こういうの、友達っぽくて…なんか、いい、かもな……。いや俺何考えてんだ。全然よくねえから。

それっきり俺と戸部の間に大した会話もなく、目的地の京都に着いた。……さて、これからどうしようか。

 

 

 

 

 

「ふーん、そんなことがあったんだ……」

 

それが、この間の話を聞いた陽乃さんの反応だった。

 

「隼人はなんでそんな面倒くさいことを?」

 

「あの子の態度が嫌なんだよ」

 

じーっと、感情の感じられない瞳で見つめられる。俺の周囲の温度が少し下がった気がする。

 

「あの子のことは好きなのに?」

 

「好きだからだよ」

 

「へぇ……」

 

次は興味深そうに見つめられる。ここでこの人の興味を引けたのは、幸運かもしれない。不運の可能性も十分あるが。

 

「彼だけを見ればいいのに、俺のことも気にかけるんだ」

 

「気にかけてもらいたくないの?」

 

陽乃さんは、俺の気持ちなどまるで理解出来ないのだろう。心底不思議そうにしている。

 

「昔の俺を見ているみたいでね」

 

ここまで言って、やっと理解出来たようだ。

 

「まあ、彼女も昔からそうだったしね」

 

「なるほどね……。確かに隼人もあの子も、昔からそうだったね」

 

ああ、そうだ。その点、彼だけは少し違った。彼女だけを見て、それ以外は容赦なく切り捨てていた。

 

「でもね、隼人。あの子はもう違うよ」

 

その言葉に俺は驚きを隠せなかった。今の彼女は俺が知っている彼女とは違うと、そう言われたのだ。

俺はとっさに考える。昔と何が違うのか。考えれば考えるほど分からなくなる。

 

「まあでも、今はまだあんまり変わってはないけどね。でも、確実にだんだん変わってきてる。それが良いことなのかは分からないけど。……それで、隼人はどうしたいの?」

 

どうしたい、か。俺は諦めたいのだろうか。それとも、まだ諦めたくないのだろうか。正直自分でも分からない。諦めようとすると胸が痛むし、本気で狙いに行こうとしても、無理だと思ってしまう。

 

「まあ隼人がどうしたって、結果は変わらないけどねぇ……」

 

不意に聞こえた冷たいその声は、俺の脳内を支配した。やがてどこまでも俺を追い詰めて行くのだろう。





かなり更新が遅くなりました。すみません。
次回もかなり先になるかもしれません。


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彼と彼女が考えることは似ている

 

京都へ着いて、まず最初に行くのは清水寺らしい。クラスごとにバスに乗り込む。しばらくぼーっとしていたら、直ぐに着いた。

仁王門をバックに集合写真を撮る残念ながらこれは強制発生イベントなのでスキップ出来ない。

 

「ヒキタニくん、一緒に撮るべ!」

 

「お、おう……」

 

いきなり肩を組むなよ。心臓に悪いだろ。最近戸部に懐かれて困っている今日この頃です。

 

 

 

 

 

写真を撮り終わると、神社に行く。縁結びとして大変名高く、恋愛成就を願う参拝客で人気のスポットだ。

まずはお参りを済ませ、それからみな気合いを入れて、お守りとおみくじを買う。

戸部は張り切っておみくじを買いに行っていたので、俺は一人でぼーっとしていた。

おみくじ、か。

買おうかな。いや、いらないかな。雪乃は買うのかな。きーにーなーるー。

 

「っしや、きたっ!」

 

近くで三浦がやけに男前なガッツポーズで喜びを露わにしていた。

 

「うわっ!優美子すごっ!」

 

「大吉って出るんだねー」

 

どうやら三浦は大吉を引いたようだ。でもよくおみくじなんて引けるな。俺だったらちょっとでも悪いの引いたら落ち込んで立ち直れなくなって雪乃に慰めてもらっちゃうぞ。え、なにそれご褒美じゃん。さあおみくじひくぞぉー。

 

「…………」

 

……………。で、でてしまった。大吉、だと!?え、これ大吉だよね?俺、ツイてるんじゃね?今度からもっと積極的に行こうかな。

一人密かに喜んでいると、次の場所へと移っていった。

 

 

 

 

縁結びの神様、ね……。クラスの女子たちはおみくじの結果にわーきゃー騒いでいる。

買おうかな。いや、いらないかな。比企谷くんは買うのかな。……気になる。

もし買ったとして、それで悪い結果が出たら絶対に落ち込む。で、勝手に話しかけづらくなったり、会いづらくなって、でも理由を聞かれても上手く答えられなくて疎遠になってしまうかもしれない。ダメだ!絶対に買ってはいけない!そう、ダメなんだ……。

 

「雪ノ下さんは買わないの?」

 

近くにいた子から聞かれる。周りは興味深そうに私のことを見ていた。

 

「か、買わないわ」

 

私がそう言うと、周りはがっかりした顔になる。いや、そんな顔されても……。

だが、確かに周りがそういう反応になるのは分からなくもないこともない、わけでもない、こともない、かもしれない。思った以上に話題として取り上げられていることが多かった気がする。

考えているだけで恥ずかしくなってきた。いや、嫌だったわけではないのだ。むしろ嬉しい…けどそれでも恥ずかしいのだ。特に周りの反応が。

 

「はぁ」

 

小さくため息をついてしまう。色々と面倒くさいことを抱えているのだ。これ以上何事も増えてほしく無い、そんな事を思いながら誰にも見られないように、こっそりおみくじを買った。

 

 

 

 

 

「大吉!?」



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