心が弱くても勝てます (七件)
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第一章
デバフは突然に


 人間は平等か否か。

 

 世の中の非リア充共は、いないないな!と唱えるだろう。

 見ろよあのリア充を、勉強もできてスポーツもできてイケメンで。

 自分がモテないのはあいつらがその分モテているからだ。

 世の中全く不公平だ、と。

 

 だが、そんなことはないとオレは思う。

 神は二物を与えないと言うが、ずばりその通り。

 

 イケメンにはイケメンなりの。

 スポーツ自慢にはスポーツ自慢なりの。

 秀才には秀才なりの。

 何かしら弱点を持って然るべきなのだ。

 

 普通の高校生に比べて、ハイスペックでチートな能力を有していれば、それはもうさぞ楽しい高校生活が待っているに違いない。造られたとはいえ天才に弱点など存在しない。

 そう、入学するまでは、思っていた。

 

 

 全く、世の中は意外と平等にできている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 高度育成高等学校。

 門の前に立ち、オレは感動で打ち震えていた。

 

 この三年間だけは、自由にノビノビと生きていくことができる。

 ただそれだけが、本当に嬉しく、今ここでバク転を繰り出してしまえるほど、気分は高揚していた。

 

 教室に入ると、バスの中で出会ったドキツい美人と再会し、なんと隣の席という奇跡まで起こした。まさに小説の中の出来事のように、今からラブコメが始まってしまうのではないか、と心躍らせる展開に浮かれていたが、ドキツい美人のドキツ度は空想の小説なんかと比にならないほど酷く、冷たい目線を送られてしまえば、こちらに勝ち目などないも等しかった。

 

 担任の茶柱先生も隣人である彼女と似たような雰囲気を漂わせており、なんとなく、彼女の将来像はあんな感じなんだろうな、と想像していると、左手にチクリと衝撃は走り、思わず声を上げそうになる。

 驚いて彼女の方を見れば、手にはコンパス。

 

 「何か失礼なことを考えていそうだったから」

 

 エスパーか何か。

 

 「名前も知らない奴の手に容赦なくコンパスを刺してくることの方が失礼じゃないか?」

 「証拠はあるのかしら」

 「いや状況証拠……」

 「私は円を描くためにコンパスを持っていただけよ」

 「今この瞬間一体全体どこに円を描く必要があったんだ」

 「こうして冤罪は生まれるわけね」

 

 「おい」と文句を言おうとして、視線に気付き、咄嗟にやめた。

 担任の茶柱先生が不敵な笑みを浮かべていたからだ。

 

 

 「この学校について大事な説明をしている最中に私語とは、よっぽど自信があるようだな?」

 

 

 と、地の底から這い上がったような恐ろしく低い声で脅すような注意を受け、

 

 「いえ、全く」

 

 という、ボスキャラの強さを誇示するためにやられるモブらしく、情けない声で返す他なかった。

 

 

 ホームルームもつつがなく終わり、放課後になる。

 平田という素晴らしい陽キャが自己紹介をしようと提案し、皆は概ねそれに参加した。

しかしこういった同調圧力に反発したいというお年頃な生徒もいる。

 赤髪のヤンキーは前の席の机を蹴飛ばし(前の席の人は可哀想に)、「勝手にやってろ」とチンピラ紛いの捨て台詞を吐いてそのまま帰ってしまった。するとどうだろう。乱暴にはできず、かと言って陽キャ集団の光にあてられ、帰ってしまいたいと願っていた日和見菌達が、こぞって便乗し、数人が出て行くではないか。隣人もその一人らしく、「意義を感じないわ」と言って教室を去る。

 

 そしてオレも混乱に乗じ、そそくさと退出した。

 

 

 

 

 「あら、あなたは友達を欲していたんじゃなかったの? 自己紹介は良い機会だと思うのだけど」

 

 学校から今すぐにでも出るために、足早に廊下を歩いていたせいで、つい彼女に追い付いてしまい、声をかけられた。意外と社交性がありそうだ。

 

 「実はお前を追いかけに来たんだ、嬉しいか?」

 「は?」

 

 声をかけた私がバカだったわ、と彼女はため息を吐く。

 軽い冗談を冷酷に返され、心が折れる音が聞こえた。

 

 「お前のせいでもあるんだからな」

 「意味が分からないわ」

 「ほら、さっきのコンパス事変でクラスメイトから注目されただろ。その時途轍もなく不快な思いをした。今でも鳥肌がたってるんだ。見るか?」

 「肌を不用意に露出する変態として警察に通報しましょうか?」

 「タンクトップを愛用している全人類に謝れ」

 「それで?」

 「ああ、オレは思春期真っ只中のウブで純真な高校生だからな、他人からどう思われているのか、それはもう死んでしまいたくなる程気になるらしい。自己紹介だと嫌でも目を向けられるだろ?あんな思いはもうごめんだ」

 「……ウブで純真かは知らないけれど、自意識過剰もそこまで行けばある意味病気ね」

 「死活問題かもしれない、わりと冗談抜きで」

 「どうでもいいわ。それと、さっきから随分急いでいるようだけど、何かこの後用事でもあるの?」

 

 どうでもいいと言いながら聞いてくる辺り、意外と優しいところあるな?

 これが俗に言うツンデレか。比率はツン:デレ=9:1と最早ただのツンのようだが、ツン(デレ)だと思えば睨んだ瞳も可愛いく見れるかもしれない、……いや無理だ。

 オレが今まで感じた彼女の冷たい視線は氷山の一角に過ぎなかったらしい。

 

 「たった今オレは失礼なことを考えていましたごめんなさい」

 

 素直に降参することにする。

 マジでエスパーなのでは?

 

 「それで、理由はあるのかしら」

 「そこに監視カメラがあるだろ?」

 

 オレが指を指すと、彼女は「そうね」と頷く。

 それから彼女は立ち止まり、前や後ろを確認し、誰もいない教室内へと足を踏み入れ、天井を見上げた。

 

 「確かに、どこにでもあるようね」

 「どうしてだろうな」

 「さあ。理由は幾つか思いつくけれど」

 「例えば?」

 「イジメを抑止する、とか」

 「それなら茶柱先生が先に言いそうなもんだけどな」

 「言っては悪いけど、あの先生はあまり信頼できそうにないわ。生徒に関心がないように思うの」

 「お前みたいにか?」

 「あらここに丁度いいコンパスが」

 「ごめんなさい」

 

 本気で鞄から筆箱を出しかけていたので、すぐさま謝る。

 全く末恐ろしい女だ。

 

 「オレにはどうも毎月十万円貰えるってのがきな臭く感じるんだ」

 「急に何?」

 「独り言だ、気にするな」

 

 玄関に辿り着き、上履きを履き替える。

 そして学校の外に出て、大きく深呼吸をする。

 しかし、再び監視カメラと目が合い、げんなりした。

 

 「どこにでもあるらしい」

 「……監視カメラを見つけるのが随分上手いのね。前世はきっと窃盗犯じゃないかしら」

 「なんて失礼なことを言うんだ」

 「監視カメラが嫌で学校から早く出たかったんでしょう? 私にはあなたがやましい思いを抱えているようにしか見えない。むしろ前世と譲歩した所に感謝して欲しいくらいよ」

 

 もの凄い高飛車なセリフを吐かれた。

 ここまでいくといっそ清々しく感じ、「そうですね、ありがとうございます」とさえ言ってしまいたくなる。

 

 「監視カメラが苦手なんて一言も言ってないが」

 「さっきまでの発言を踏まえれば、苦手と言っているようにしか思えない。かまってちゃんは嫌われるわよ」

 

 まさか彼女の口からかまってちゃんという言葉が出るとは。

 だが確かに思わせぶりな事ばかり言っては嫌われるのも当たり前だ。

 名前も知らない相手に嫌われるのも本意じゃない。

 オレは正直に話すことにした。

 

 「そうだな。どうやらオレは監視カメラに苦手意識を持っているらしい。生徒を観察するために設置されていると考えると、落ち着かなくなるんだ。自意識過剰の延長線ってところだとは思うんだが」

 「一度病院に行ったらどう?」

 

 煽りなのか本気なのか。前者だったら多分オレは泣いてもいい。

 

 「ま、どうでもいいだろ。ところで名前は?」

 「急ね。そして私は名乗る意味があるのかしら」

 「オレは綾小路清隆だ。よろしくな」

 「世界一どうでもいい情報ね」

 「隣同士で名前を知らないのは気まずいと思うけどなあ」

 「あなた人と会話したことあるの?」

 「交渉と脅しは得意分野だな」

 「どうりで」

 「……冗談のつもりだったんだが」

 

 彼女のせいで、オレは人前で一生冗談を言えなくなるかもしれない。

 その場合は責任を取ってもらいたいところだ。

 そう落ち込んでいると、

 

 「堀北鈴音よ。二度は言わないわ」

 

 堀北は、ふんとそっぽを向きながら名乗った。

 「よっツンデレ!」と声に出していれば、恐らく殺されていただろう。

 

 

 

 目的地は同じコンビニだったらしく、わざわざ別れるのもおかしいので、結局二人で並んで歩いた。会話?なにそれおいしいの状態で、話すネタもなく、非常に気まずかったが、どうやら堀北はプロのボッチらしく、全く気にしていなかった。むしろ居ないように振る舞われ、彼女の精神強度に尊敬の念を抱いた。

 

 コンビニには大抵のものが揃っていた。

 お湯を入れて三分間待つだけでできるカップ麺に感動していると、堀北が、「なにかしら、これ」と呟く。

 隅の方に詰まれた生活用品のことを指しているようだ。

 

 「無料……?」

 

 手に取って確かめてみるが、特に不良品という訳でもない。

 

 「随分手厚いのね。学校側は何を考えているのかしら」

 「やっぱり、な」

 「……含みを持たせた言い方ばかりしていると、逆にバカに見えるわよ」

 「オレはお前の親でも殺したのか……?」

 

 今日で何度目かも分からない、心の折れる音。

 もはやスクラップを通り越して液状化した気がする。

 

 「お前は、どう思うんだ?」

 「……そうね。授業態度や普段の生活を監視し、評価を付けているのかもしれない。そしてその評価の上で、貰えるポイントが変わる。現時点では憶測に過ぎないけれど、あなたもそう考えている。違う?」

 「概ねその通りだな」

 「概ね、ということは、他にもあるのかしら」

 

 堀北は振り返り、見極めるようにオレを観察する。

 心臓が脈打った。

 

 「……今の含みの持たせた言い方、かっこいいだろ?」

 

 「は?」

 

 堀北は呆れたように視線を外した。

 



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確信犯二人

心の声が騒がしいのは原作リスペクト



 

 

 

 

 オリエンテーションも終わり、本格的に授業が始まった。

 進度は進学校といえど始まったばかりなためゆっくりで、何より、先生方はフレンドリーだった。いや、放任主義、と言った方が正しい。堂々と寝ている生徒、机の下で携帯を弄っている生徒、平気で私語を繰り返す生徒。彼らへの注意は一切ない。授業参加に意欲がない人間にはとても、都合の良い先生方だろう。既に授業の雰囲気は弛緩しきっていた。とても国が運営し、有能な若者を輩出する進学校とは思えない惨状がここにはあった。

 

 昼食休憩になる。

 既にグループはできており、10万ポイントを散財すべく、クラスメイトらは放課後の予定を話し合ったりしながら、教室からいなくなる。残ったのは数名の生徒で、オレはもちろん、取り残された悲しい存在だった。

 

 平田が気を利かせて呼びかけていたが、乗じることはできなかった。

「哀れね」

 と隣人は鼻で笑う。

 

 何か仕返しでもできないだろうか、と窓の外を眺めながら考えてみるが、特に思い浮かばない。

 ちょうどグラウンドに面しているので、多くの生徒が各々体を動かしていているのが見れた。野球ボールが太陽を打ち落とさんばかりに上がり、重力に従い落下していく。そして再び投げ上げられ、キャッチボールはずっと続いていた。それをぼうっと眺めながら、ゼリー飲料をちょっとずつ腹の中に入れていく。空っぽになる頃には、何人かがコンビニなどで買ったらしく、戻ってきていた。

 食べ終わったことだし、居心地も悪いので、寝たフリを決行しようとすると、

 

「……もしかして、今日の昼食はそれだけ?」

 

 なんとツンツン女王堀北に話しかけられた。

 これはもう一緒に昼食を摂ったと言っても過言ではないだろう。

 ……いや、過言も過言だな。

 楽しい会話にはどう足掻いてもなりそうにない。

 

「ダイエット中なんだ」

「普通体型なあなたに必要はなさそうだけど」

「お前、意外とオレに興味があるな?」

「茶化すのはやめて頂戴。私はあなたにこれっぽっちも興味はないわ」

「ならどうでも良くないか」

「それもそうね」

 

 こうしてせっかく生まれた会話は途切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「綾小路くん……だよね?」

 

 放課後。

 堀北は光の速さで帰る支度を済ませ、既に教室には居なかった。別にいつも一緒に帰っている訳でもないので、オレもゆるゆると鞄に教科書を詰めていると、

 突然声をかけられ、肩が跳ねる。

 顔を上げれば、そこには天使が立っていた。

 いや、違うな。

 地上に舞い降り、人々を至上の幸福へと導く大天使、

 

「私は櫛田桔梗。自己紹介の時、居なかったよね?」

「あ、ああ」

 

 どうやら大天使の真名は櫛田桔梗というらしい。

 

「私ね、この学校のみんなと仲良くしたいの。だから、綾小路くんの連絡先。知りたいんだ」

 

 こてんと首を傾げる姿は最早芸術だった。

 もしオレがただの陰キャだったなら、こんなオレにも話しかけてくれる大大大天使な彼女に対して恋をしていたかもしれない。

 

 

 だが非常に残念なことに、オレは、彼女の目線全てが“不快”だった。

 

 まるで見定めるような目。何者かを推し量るような目。他者を観察し、それに応じた完璧な振る舞いを組み立てていく。確かにそれは職人技による芸術作品だった。

 これが陽キャか……。

 と、ある意味納得してしまったが、平田の目線はそこまで不躾ではなく不快に感じなかったことを思い出す。つまり、櫛田という女性特有の物の見方なのだろう。

 オレは早々に会話を終わらすため、

 

「アドレスの交換か? わかった」

 

 と端末を操作して用件を終わらす。

 

「ありがとな」

「ううん、私からお願いしたことだよ。これで私たち、ともだち、だね」

 

 さりげなく胸をよせ、上目遣いで優しく微笑む。うーん満点。と、思わず言ってしまいたくなるほど、高校生男児には優しくない光景だった。オレだってその気分を味わえるものなら味わいたい。しかしオレの身体は我儘で、ただただ吐き気が増していく。目の焦点も合わなくなり、視界の隅が段々白くなっていくように感じた。どうしてオレは、こんな可愛い天使に錯誤的な印象を抱いてしまうのだろう、と泣きたくなった。

 

「あ、ああ。よろしくな」

 

 観察する目から逃れるように、うっかり恋に落ち、コミュ障を存分に発揮する陰キャを演じる。

 しかし、吐き気と震える手を抑えながらの演技で、果たして彼女の目を欺けたかどうかの自信は正直なところなかった。

 

「それでさ、」

 

 まだ話を続けるつもりか、と落胆を顔に出しかけ、引き締める。

 

「堀北さんってああいう性格でしょ? みんなを寄せ付けない、というか。でも、ずっと一人じゃ寂しいと思うんだ。だから、何度か話しかけてるんだけど全部無視されちゃって」

 

 そういえば、櫛田からの誘いに、彼女はいつも嫌そうに顔を顰めて断っていた。普段真剣な表情か無表情、ゴミでも見るような目か、もしくはオレをからかい冷笑を浮かべるくらいしかレパートリーがない(改めて考えると酷い並びだ)が、櫛田の前となると、負の方面に偏るものの、結構表情豊かになる。意外な弱点だな、とは思っていたため、二人が仲良くなれば面白い化学反応が見れるかもしれない。

 

「それで、綾小路くんとは普通に話してるみたいだから、」

「仲を取り持って欲しいのか?」

「お願い、できるかな?」

「できる範囲ならな」

 

 二つ返事で了承する。

 

 彼女は恐らくコレクターのような性質を持っているのだろう。そうでなくては、全員と仲良くなるなんて仏陀顔負けの苦行をやるわけがない。つまり、陥落した風を装えば、最早興味の対象は別にいく。堀北GETの道すがら手に入れた屑鉄程度の扱いだ。あれ、なんだか自分で言ってて悲しくなってきたな。

 

 まあ、これで櫛田の興味は完全に堀北の方へ向き、オレへの追及も特になくなるだろう。オレは櫛田のファンであり、彼女を喜ばすために隣人を簡単に売ってしまうほど熱狂的な人間なのだ。

 仲良し大作戦に、オレの全エネルギーを使ってもいい。

 

 とは言ったものの、櫛田と長く話すことで周りからの(主に男子たちからの)視線もさっきより増え、グロッキー状態で綿密で素晴らしい計画が建てられるはずもなく、

 

「これは運命!? くっ、私も結局運命(さだめ)に踊らされる人形でしかないのね、偶然カフェで出会って始まる友情もある作戦で行こう」

「綾小路くんのネーミングセンスに驚きだよ」

 

 とりあえず明日の放課後、決行になった。

 部屋に帰って冷静に考えてみると、もっと良い方法があるし、そもそも何故頑なに櫛田を嫌うのか堀北に聞くのが先なのでは、と思ったが、今更櫛田に連絡を取るのも恥ずかしいので、豆乳を飲みながらテレビをつけて、寝転んだ。

 

 

 

 待ってました次の日の放課後。

 再び光の速さで支度を終えようとする堀北に、音の速さで対抗する。いやそれだと負けるな。まあいい。ともかく、「堀北。お願いがあるんだ」と呼びかけた。

 

「嫌よ」

 

 ノータイムで断られ、競歩で世界新記録がでるのではないか、と思うほどの速さで去っていく。

 

「まっ待ってくれ!」

 

 立ち止まる気配のない堀北を呼び止めるため、つい声を荒げてしまい、クラスメイトの視線が集まった。

 「なんだ? 痴話喧嘩か?」と揶揄う声が上がり、今もし鏡を見ることができたなら、多分真っ青な顔が映っていたことだろう。

 

 堀北は憐れに感じたのか、

「話があるなら歩きながらお願い。私には明日の準備があるの」

 とため息を吐いて了承してくれた。

 

 いや、明日の準備に何時間かかるんだよ、というツッコミは飲み込んでおく。

 

 

 

 

 廊下を歩きながら、オレは用意していた言葉を慎重に並べる。

 

「ほら、ここの下にカフェがあるだろ?女の子がいっぱいいる。あそこにさ、いく勇気がないんだよ。男子禁制な感じがするだろ?」

「確かに女子の比率は高いのは間違いないけれど、男子も利用しているはずよ」

「そりゃな。でも一人で行ってる奴はいないんじゃないか?友達だったり彼氏だったり。その類しか利用してないと思うぞ」

 

 堀北はパレットの様子を思い返しているのか、少しだけ考える仕草を見せた。

 

「確かにそうね。……なら行くのは諦めたらどうかしら。あなたの体質ではたとえ男女で入っても変な噂が立てられて、後日散々な目に遭うのがオチよ」

「オレなりに考えてみたんだが、こういうのはショック療法が効くっていうだろ? それに折角この学校に来たんだ。ずっと家にいるのはさすがに、な」

「……分かったわ。あまり長い時間は無理だけど。それでも構わない?」

「ああ、すぐ終わるよ」

 

 多分、と心の中で付け足しておく。

 オレとしてもすぐ終わらせたいんだが、カフェに初めて行く、というイベントにワクワクしている自分もいる。骨折り損な形で終わるのも不本意なので、さりげなく、先に櫛田のことを聞いとくか。

 ……さりげなく、って意外と難しいな。

 

「なあ、くし……堀北」

 

 完全な失態に、堀北はオレを睨みつける。

 

「嫌な予感がするのだけど」

「多分合ってる」

「帰っていい?」

「そんなことしたらオレはここで土下座して頼み込むぞ」

「自殺なら勝手にやって頂戴」

 

 堀北は完全に立ち止まり、真意を探るようにオレを見据える。

 廊下のど真ん中で立ち止まりやがったので、注目を集めた。

 この女、ここ数日でオレの扱い方を完全に熟知してやがる。

 

「今ここで発狂して消火器を振り回してやる」

「何の脅しよ。それに、今回は完全にあなたに非があるでしょう。正直に話すなら、取り敢えず目立つマネはやめてあげる。まずは話を聞いてから。それから誘いに乗るか乗らないか決めるわ」

「分かった、降参だ」

 

 両手を上げ、服従のポーズを取る。

 すると彼女は足早に歩き出し、少しだけできていたギャラリーも道を開ける。

 

「それで、櫛田さんがどうしたの?」

「仲良くなりたいんだと」

「私が何故最近早く帰っているか知ってる?」

「櫛田を巻くためか」

「ええそうよ。つまり私はこの誘いに乗らない。これで話は終わりね」

 

 堀北はそう言い切り、話を強引に終わらせた。

 だがまだ肝心なところを聞けていない。

 

「どうしてそこまで櫛田を嫌う? 現状彼女は無害だ。適当に連絡先を交換して仲良くなった体を保てば執拗な追及はしないだろ」

「意味を感じないからよ」

 

 彼女はそれ以上は何も言わず、カフェとは反対の方向に歩き出した。櫛田には作戦失敗の旨をメールで伝えなくてはいけないだろう。

 面倒だな、と率直に思った。

 まあ、この人間関係に苦悩する面倒こそ、高校生の日常の1ページなのかもしれない。

 そう思えば、この状況も楽しめそうだ。

 

「……日常生活に意味を求めて何になるんだか」

 

 だからだろうか、それこそ意味のない言葉を、つい、呟いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 メールを送ると、折角だから綾小路くんとお話したい、という実に魅力的で絶望的なお誘いを受けた。だが、変に断って印象付けられては困る。無難な一男子高校生として、喜んで了解のメールを送った。

 

「あ、綾小路くん!」

 

 パレットに入ると、櫛田が手を振ってオレの名前を呼んだ。

 視線が一瞬だけ集まる。

 本気で帰りたいと思った。

 居心地の悪さを感じつつ、とりあえず席に着く。

 

「何か頼まないの?」

「え? あ、ああ」

 

 テーブルには彼女が頼んだゴテゴテの何かの飲み物があった。確か期間限定のなんちゃらフラペチーノ的サムシングだろう。女子力とリア充の塊みたいなやつだ。

 とはいえ何か頼まないと、長居する気はないという意思表示になってしまう。カウンターの近くの席だったため、櫛田もついてきた。

 

 適当にアイスミルクティーでも頼もうとすると、タピオカ入れますか? と訊ねられる。

 

「……タピオカ?」

 

 デンプンの塊みたいなやつだったか。

 

「ここって無料でドリンクにタピオカ入れてくれるんだよ。知らなかった?」

 

 そういう問題じゃないが……まあ最近の流行みたいなものか。

 

「いや、」

「じゃあ、お願いしまーす!」

「え、おい」

「折角だし、ね? 試してみるのも大事だよ」

 

 食べたことがないから怖気付いていると思われたらしい。

 確かに初めてカフェに来たような奴に、タピオカを飲んだ(食べた、が正しいのか?)ことはありますか? と問えば、ほぼ100%否と答えるだろう。

 そんなド隠キャに気配りができる優しい天使、櫛田桔梗。

 

 ……今のオレからすれば、ドリンクに爆弾が仕掛けられたようなものだが。

 改めて、渡されたタピオカミルクティーの底に溜まっている黒い粒々を見てみる。

 大きさ的にアウトだし、意外に量が多い。

 生物兵器と言われても納得のグロさを感じた。

 

 明日からオレはタピオカゲロ野郎という渾名を付けられて生きていくのだろう。

 あれ、おかしいな。目からタピオカが……

 

 

「堀北を誘えなくて悪かった。オレが発案した計画なのに」

 

 

 まあそんな地獄は後回しにして、席に座り、まず誠心誠意謝った。

 さりげなくって本当に難しい、と身に染みて理解した。

 

「ううん、大丈夫。もしかして計画バレちゃった?」

「ああ。大根役者と罵ってくれても構わない」

「あはは、そんなことしないよ。また機会はあると思うし。……その時も、手伝ってくれる?」

 

 櫛田は少し自信なさげに問う。

 庇護欲を掻き立てられる姿だ。

 もしその窺うような視線さえなければ、誤ってコロッと落ちてしまっていただろう。

 

「もちろんだ。ただ、今回みたいのは、難しいだろうな」

「そうだね、堀北さんは鋭いところがあるから」

 

 櫛田は、困ったように、あははと笑う。

 

「別に、諦めてもいいんじゃないか? 櫛田が頑張る必要もないだろ」

「綾小路くんはさ、堀北さんの笑った顔、見たことある?」

 

 嘲笑は笑顔に入らないだろうか。

 

「いや、ないな」

 

「……多分、ずっと一人だったからだと思うんだよね。みんなと一緒に楽しい時間を共有するって、とっても大事なこと。笑顔の作り方も、人はきっと、そこで本当に学べるんだと思う。私は、堀北さんの笑顔が見たい。……これって、お節介なことかな?」

 

 櫛田は尊い精神性を語った。

 彼女の言っていることは概ね正しくて、おそらく善性の主張なのだろう。

 

「堀北にも堀北なりの考えや目的がある、んじゃないか?現状は、多分、どうしようもないと思う」

「……そうだね」

 

 少し暗い雰囲気になってしまった。

 

「ま、まあ。オレからも何か働きかけてみるさ。仕組んだものじゃなくて、何か二人を結び付けるチャンスが、今後くるかもしれないし」

 

 そう慰めると、彼女は、「うんっ」と頷いた。

 

 よし、一件落着。帰るか。

 と、思ったがそうもいかない。

 

 「飲まないの?」という重圧が向けられる。

 プレッシャー+固形物=nice boat

 先ほどから無視を決め込んでいたが、脈が音楽を奏でているのではと錯覚するほど不規則だ。櫛田の視線は毒の割合ダメージがごとく、確実に殺りに来ている。

 

 だが待って欲しい。

 なんと、先延ばしが功を期し、オレはとある素晴らしい方法を発案したのだ。

 多分ノーベル賞を取れる。

 

 簡単な話、ストローを若干浮かしてドリンク部分だけを飲めばいい。

 

「おお、新食感だな!」

「……食べてないよね?」

「いやあ、こんなに美味しい食べ物だったとは。三食これでいいまであるな」

「ストローで丸見えだよ」

 

 なんてこった。

 

「どうやらオレの吸引力は凄まじいらしいな、早すぎて見えなかったんだろう」

 

 ドヤ顔を決め込むと、櫛田は逆にしょんぼりと眉を下げた。

 

「もしかして、本当に苦手だった? ごめん、お節介だったよね……」

 

 その通りだな、とつい言いかけ、慌てて口を塞ぐ。

 明らかに彼女は落ち込んでいた。

 櫛田と距離は置きたいが、何も嫌われたいわけじゃない。

 何をされるか分かったもんじゃ……ではなく、あれだ。可愛い子に睨まれて喜ぶ変態趣味は持ち合わせてないというやつだ。

 気の利いたことを言って、この場を和やかに終わらせよう。

 

「実はだな、オレはカエルが苦手なんだ」

「え?」

「ほら、これってなんかカエルの卵に見えるだろ?」

「あ、あ〜、なるほど」

「正体はどんどん肥大化させたカエルの卵で、噛むと口の中ではじけて大量の小さなオタマジャクシが飛び出てくるんじゃないかって気になるんだ。その種類は酸に強い耐性を持っていて、胃の中で消化されず一つ一つが成長して大きくなり、陸に上がるために、いつか口の中からカエr「ストップ! ストップ!」

 

 櫛田は慌ててオレのウィットに富んだ話を止めた。

 

「ここ、お店の中だから、ね? 飲んでる人もいるから、聞こえたら可哀想だよ……」

「す、すまない……」

 

 至極まともなことで咎められた。

 気付けば周りからは、ものすごい白けた目を向けられていた。

 あれれ〜? おかしいなあ。今頃大爆笑が起こっている筈だったんだがな(すっとぼけ)

 

「もう少し声を落として言うべきだった」

 

 と小声で弁明すると、

 

「そういう問題じゃないと思うな」

 

 と呆れられてしまった。

 

「そんな訳で櫛田は悪くない。持ち帰ってゆっくり飲むとするさ」

「でも、やっぱり気にしちゃうよ。そうだ! 私の飲んでるものと交換する?これだったら飲めるよね?」

 

 そう言って櫛田は、苺なんちゃらフラペチーノを差し出す。一口ほどしかまだ飲んでいないらしい。

 

 これは俗に言う間接キスでは?

 

「え、いや、そっちの方が高そうだし」

「ううん、そもそも私が話を聞かずに強引に頼んじゃったのが悪いんだもん。これくらいは、させて欲しいな」

 

 躊躇うフリをしていると、櫛田は俯きがちに上目遣いで、

 

「ダメ、かな?」

 

 と覗き込む。

 そう迫られて、断れる男子がいるだろうか、いや、いない。

 

「お願いします」

 

 即答である。

 櫛田が飲んでいたフラペチーノの甘ったるさに驚いたが、まあ正直、高カロリーなものは助かった。

 初間接キスは櫛田桔梗という事実は、一生自慢できそうだ。

 

 嫌なこともあれば、それに付随するように良いことも起こるんだなあ、と感慨に耽りつつ、ほぼただのクリームだろ部分を飲み下す。

 その後他愛のない話を交え、解散となった。

 

 

 

 彼女の試すような視線さえなければ、完璧な高校生の一日だった。

 

 

 

 

 

 



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放課後の攻防

三話にしてもう五月



 ドッキドキワクワク!

 楽しい高校生活に付き物な友達という存在は、終ぞ出来なかった。

 まあ目を合わせて会話することにストレスを感じる時点で、むしろいない方が楽まであるし、昼食だっていつも栄養ドリンクかゼリー飲料で済ませているので、ダイエットしていますだけでは誤魔化し通せないだろう。追及されて、実はオレ、自意識過剰で固形物大っ嫌いなんだあっはっは、なんて言って憐みの目を向けられる、もしくは、扱いの難しい人間と思われるのはオレの望む高校生活からは程遠い。卒業まで、目立たず穏やかに過ごしたい。なんて慎ましやかな願いだろうか。神様はこんなちっぽけな願いさえ、叶えてはくれないらしい。

 

 だがいつまでもボッチだと、みんなのトラウマ「はい適当に何人かでグループ作って〜」で惨事が起こり、不名誉な注目を浴びてしまう。どこかに堀北みたいに他人に全く興味がないか、もしくはコミュ障で常に相手を見ないで会話するような奴は居ないだろうか。あ、オレじゃん。というブラックジョークはここまでにしつつ、再びオレは、目の前にある問題用紙をジッと見つめた。

 

 本来であれば今頃、日本史の授業を受けているはずなのに、何をとち狂ったのか、茶柱は抜き打ち小テストを始めた。しかも全科目混同で、殆どが中学生レベルで構成されている。だがその中でも数問、高校三年生で習うような内容が含まれており、あからさまな印象を受けた。

 

 ペンを取り、問題用紙と睨めっこしていると、なんだか文字がフラフラと踊っているように見える。

 

『力を持っていながら、それを使わないのは愚か者のすることだ』

 

 忌々しい言葉が頭の中で反響する。

 あえて間違えた答えを書こうとする手は、自分の体とは思えないくらい震える。監視カメラの視線がまるで生き物みたいに、ジッとオレが失態を犯す様を捉えるために、目を凝らしているような感覚。

 何度も何度もあの言葉が脳内で繰り返されて、呪いのようにオレの行動全てを支配しようとする。

 

 こうして体が異常な状態になっているにも関わらず、オレはいつも、頭の中の冷静な部分が、この状況での解決方法を思案していた。幽体離脱したように、自分の姿を客観的に観察して、可能な範囲を見極めていく。

 だが、ここで興味深いことに気が付いた。

 どうやらその目ですら、オレの体は受け付けないらしい。

 

 思い返してみれば受験の際も、緊張しているだけと言うには何から何まで絶不調だった。目を背け続けていたが、これら全ては繋がっていたのだろう。

 

 数分後、オレは紙を裏返し、そしてチャイムが鳴るまで机にうつ伏せになって惰眠を貪った。隣ではずっとペンを動かす音が聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 五月が始まる日。

 

「げっ」

 

 普段は階段を使っていたが、今日は朝から全てにおいて不調続きだったため、久しぶりにエレベーターを使うつもりだった。どう考えても羊羹が悪い。

 そしてそういった日に限って、神は偶然というイタズラを付与する。

 明らかに顔を顰めた堀北に一応挨拶をすると、「おはよう」と意外にも返ってきた。

 

 一階に着く。

 

「あなた、もしかして狭い所も苦手なの?」

 

 と訝しむように堀北は尋ねるので、

 

「天上天下唯我独尊。生まれてこの方苦手と感じたものは一つもないな」

 

 と、適当に答えておいた。

 

「そんなことより、堀北。ポイントは振り込まれていたか?」

 

 今朝、ポイントを確認しようとチェックしてみたところ、昨日までと全く同じ、変動はなかった。つまり振り込まれていないということだ。自分の学生証カードだけおかしいのかと思ったが、

 

「いいえ、私もよ」

 

 どうやら堀北も同じらしい。

 

「あなたの推察が正しければ、朝のSHRで説明されるんじゃないかしら」

 

 と、特に心配した様子もなく、彼女はハッキリ言い切った。

 

「いや、それはお前の憶測だ」

 

 なので一応補足しておく。

 

「どういうこと?」

「ほら、言っただろ。概ね正しいって」

「そうだったかしら。でも結局あなたは茶化して教えてくれなかったじゃない」

「証拠がなかったし、まだ一日目だったからな」

「……まあ学校に行けば分かることよ」

 

 答える気がないと判断したのか、堀北は苦虫を噛み潰したような顔で言った。

 

 

 そして教室に着くと、案の定クラスメイトはポイントのことで騒いでいた。

 始業を告げるチャイムが鳴り、程なくして、手にポスターの筒を持った茶柱先生がやってくる。

 堀北は澄ました顔でそれらを見届けていた。

 

 ーーしかし。

 

「……お前らは本当に愚かな生徒たちだな」

 

 茶柱の態度は豹変する。

 

「遅刻欠席、合わせて98回。授業中の私語や携帯を触った回数391回。ひと月で随分やらかしたようだ」

 

 茶柱は呆れながらも感情のない機械的な言葉で、Dクラスが支給額を身勝手な行為で全て吐き出したことを伝えていく。池や山内などのポイントを散々使った生徒たちは、阿鼻叫喚をきわめていた。

 

 

「この学校では、クラスの成績がポイントに反映される」

 

 

 堀北の表情が大きく強張った。

 

 高円寺ただ一人だけは、システムについて予め気付いていたらしく、不遜に笑っていた。水泳でも一番を取ったし、全てにおいて優秀な人間らしい。どうしてDクラスにいるんだろうな。……まあ、あの性格が百パーセント起因していそうだが。

 

 茶柱は手にしていた筒から白い厚手の紙を取り出し、広げた。それを黒板に貼り付け、磁石で止める。生徒たちは理解が及ばないまま、戸惑いながら呆然とその紙を眺める。

 

 そこには各クラスの成績が載っていた。

 

 Aクラス:940

 Bクラス:650

 Cクラス:490

 

 そして

 

 Dクラス:0

 

 

 綺麗に点数順に並んでいた。

 

「段々分かってきたんじゃないか? お前らがどうしてDクラスに選ばれたのか」

 

「え、理由なんて適当じゃないのか?」

 各々、生徒たちは顔を見合わせている。

 そこで今日初めて、茶柱は薄い笑みを見せた。

 

「この学校では、優秀な生徒たちの順にクラス分けされるようになっている。最も優秀な生徒はAクラスへ、ダメな生徒はDクラスへ、とな。つまりここDクラスは落ちこぼれが集まる最後の砦ということだ。敢えて言わせてもらうが、要はお前たちは、最悪の『不良品』だということだ」

 

 その発言に堀北は俯く。

 不良品という言葉が余程ショックなのだろう。

 卒業時にAクラス以外には特権が与えられない、という話も続いたが、それどころではなさそうだ。

 

「しかし、一ヶ月で全てのポイントを吐き出したのは、過去のDクラスでもお前たちが初めてだ。よくもここまで盛大にやったものだと感心しているよ、立派立派」

 

 拍手と共に、茶柱先生はDクラスの面々に賛辞を送る。

 しかしそれが最大限の皮肉であることは言うまでもない。

 皆が現実に打ちひしがれている中、平田がクラスを率先して質問した。

 

「このポイントが0である限り、僕たちはずっと0のままということですか......?」

 

「そうだ。このポイントは卒業まで継続する。だが安心しろ、寮の部屋はタダで使用できるし、食事にも無料のものがあるから死にはしない」

 

 

 ある程度予想はできていたが、ポイントがカツカツになるとすると、オレ個人としては非常にまずいことになった。普通の食事は難しいため山菜定食は頼めないし、無料コーナーにゼリー飲料などの栄養補給が楽な商品は置いてない。

 まあ、あの時点で誰が声がけしたところで、それこそ平田でも、従わない生徒はいただろうし結果は変わらなかった筈だ。このクラスになった時点でどう足掻いても、初手詰みである。

 

「さて、もう一つお前らに残念なお知らせがある」

 

 既に瀕死状態のクラスに、更なる爆弾を落とす。

 

 新たに黒板に張り出された一枚の紙。

 そこにはクラスメイト全員の名前がずらりと並び、その横にはまたしても数字が記載されていた。

 

「この数字が何を表しているか、バカが多いこのクラスの生徒でも理解できるだろう」

 

 茶柱はそう言って生徒たちを一瞥する。

 

「先日やった小テストの結果だ。揃いも揃って粒ぞろい。私は嬉しいぞ。お前らは中学で一体何を勉強してきたんだ?」

 

 表に記載されている点数はその殆どが60点前後。高得点を取っているのはごく僅かの限られた生徒だけだった。やはりと言うべきか高円寺は90点以上取っていた。

 そして普段の言動通り、須藤は14点、次点が池の24点だ。

 このクラスの平均点は恐らく60点台前半だろう。

 

「良かったな、これが本番であれば少なくとも八人は退学になっていただろう」

 

「た、退学? どういうことですか!?」

 

「なんだ、説明していなかったか?この学校では中間、期末のテストで一教科でも赤点を取れば退学だ。今回のテストで言えば、32点未満の八人が対象だ。本当に愚かとしか言い様がない」

 

 

「は、はああああああ!?」

 

 該当者の七名の生徒たちは、真先に驚愕の声を上げた。

 張り出された紙には赤点のボーダーラインであろう線が引かれており、それより下の生徒は赤点であることを示していた。

 

 

 いやあ、かわいそうに。

 哀れみの目を向けていると、隣から、凄まじい、ほぼ殺意のようなものを感じた。

 ギギギとゆっくり横を向けば、案の定、殺意の根源は堀北だった。

 

「あの点数は、一体どういうことかしら」

 

 須藤の下に、もう一人の名前がある。

 その横には、楕円が一つ。

 

「名前を書き忘れたんだろう」

「綾小路くん、あなた開始してから十分程で解答を終えていたわよね」

「カンニングするほど素晴らしい解答だったなんて、照れるな」

「茶化さないで。もしかしてどの問題も分からなかった、なんてことはないわね?」

 

 

「0点って、一回取ってみると癖になるぞ」

 

 堀北は信じられないものを見るような目をオレに向けた。

 

 

 ……点数を貼り出すと分かっていれば、あんな目立つ数字を取りはしなかったのに。と、内心めちゃくちゃ後悔した。

 

 

 

 

 

 放課後。

 クラスのリーダー平田は、今後どうすべきかについて話し合いの場を設けたい、と皆に申し出た。案の定、堀北は意味がないからという理由で断った。

 協調性のない生徒は異物扱いを受けやすい。

 彼女は全く気にしないだろうが、そういうのに敏感な人もいる。

 

 おそらく平田がそうだ。

 以前、堀北がクラスで孤立しないように声をかけてあげてくれないかな、と平田からお願いされた。個人の問題なのだから、そこまで関与する必要はないと感じたが、きっとそれが平田にとっての“正しさ”なのだろう。

 何か困っていることがあるなら頼ってほしい、とオレに対しても気にかけている素振りを見せていたので、ある種、病的でもある。

 まあそんなこと知ったことではない堀北はすげない態度を取り、平田を困らせていた。何か別の件で気が立っているのだろう。

 

「話し合いの結果はあとでオレが伝えておく。一人二人いなくても、問題はないだろ」

 

 そう提案すると、「助かるよ」と平田は安堵の笑みを浮かべた。

 彼からすれば、こういう問題のある生徒を説得するのにリソースを割く余裕はない。積極的にクラスをまとめようと奮闘するその姿勢に、助けにはならないが、尊敬の念を送っておく。

 

 しかし、話し合いが始ろうとしていたところで、何故か茶柱に校内アナウンスで呼び出さる。

 入学してからこの方、模範的な生徒であり続けていた筈なのに、何か悪いことでもしてしまったのだろうか。「0点のせいじゃね?」疑惑となんとなく重い視線を背中に受けつつ、オレは教室を逃げるように抜け出した。

 話し合いを断っておけばこんな辱めは受けなかったのに、と本日二度目の後悔がオレを襲った。

 

 

 

 茶柱への印象はあまり良いものではない。

 0点に関してあの場で言及しなかったことは感謝していたが、アナウンスで大々的に呼び出すなんてことをされてしまえば、好感度グラフは15度の角度をつけて地の底まで落ちた。

 職員室に着いても何故か居ないし、チラチラ見られるし、ドアの前で縮こまりながら待っていたら馴れ馴れしすぎる先生に絡まれるし。

 オレは一体全体何をやらかしてしまったのだろうか。

 

 やっと来たかと思えば、殆ど説明もないまま、狭い部屋に閉じ込められた。

 物音を一つでも立てたら退学だとか。

 

 どうやらオレは、前世で悪逆の限りを尽くしたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 程なくして、指導室のドアが開かれる。

 入室した少女、堀北鈴音は、「失礼します」と礼儀正しく頭を下げた。

 

「それで、私に話とはなんだ」

 

 部屋の中で待機していた茶柱は、用意していた茶を出し、座るよう促す。そして堀北は椅子に座り、茶に一瞥もせず、目の前の教師を鋭く見据えた。

 

「卒直に聞きます。何故私がDクラスに配属されたのでしょうか?」 

「本当に率直だな」 

「先生は今朝、優秀な生徒はAクラスに、不出来な生徒はDクラスに配属されると仰いました」 

「何だ、不服か? お前は自分のことが優秀であると思っているんだな」 

「当然です」

 

 迷いのない答えだった。

 

「実際、入試テストの際も殆どの問題を解けたと自負しています」

 

 そして、驕るような態度ではなく、あくまで事実を述べているかのように、堀北は言った。

 

「殆どの問題を解けた、か。本来なら入試結果など個人には見せないが、お前には特別に見せてやろう。そう、偶然ここにお前の答案用紙がある」

「随分用意周到なんですね」

「……これでも教師だからな。さて、堀北鈴音。お前は入試結果、ペーパーテストでは同率三位の成績を収めている。一位、二位も僅差の点数。十分に優秀だ」 

「では面接が悪かったのだと?」 

「いいや? 面接でも特別問題視されてはいない。むしろかなりの高評価だったと担当面接官から話は聞いている」

 

「ありがとうございます。ではーー何故?」 

「質問を質問で返すよう悪いが、どうしてお前はDクラスであることに不服なんだ?」 

「正当に評価されていないことに喜ぶ人が居ると思いますか?」

 

 堀北は不満を隠さずハッキリと言った。

 

「ふっ、お前は随分と、自己評価が高いようだな」

 

 その強気な姿勢に、茶柱は嗤う。

 教師といえどあまりに失礼な態度だったが、堀北は気にした様子はない。

 彼女の中には絶対的な自信があるからだ。

 しかしそれさえ見透かしたように、茶柱は更に笑みを深めた。

 

「正当に評価されていない、か。では聞くが堀北。その正当な評価とやらの基準は何だ?私は、いや、学校側はその基準値については一言も明言すらしていないはずだ」

「入学試験のような基準ではない、ということですか?」

 

 この学校は日本屈指の進学校であることを謳いながら、あらゆる観点ーー実力で、生徒を測っている。

 茶柱はそう言いたいのだろう。

 しかし、いやだからこそ、堀北は納得ができない。

 

「……説明になっていません。私が聞きたいのは、私がDクラスに配属されたのが事実かどうか。学校側の判断基準に間違っていないかどうか。それだけです」 

「ふむ、これでも納得できないか。ならば質問に正直に答えよう。ーーこちらに不手際はない。お前はDクラスになるべくしてなった」

 

 堀北は、これ以上茶柱からは有意義な答えを得られない、と判断したのか、落胆を表情に滲ませる。

 

「……そうですか。なら改めて、学校側に聞いてみます」

「上に何度掛け合っても答えは同じだ。無駄なことはしない方が懸命だぞ。それに、……そう悲観するな。確かに今はDクラスだが、卒業するときにはAクラスになっているかもしれない」

「Dは不良品の寄せ集めだと、先生自身が仰いましたよね?皮肉にしか聞こえません」

「本当にそう思うのか?」

「……どういうことですか」

「お前と違って、正当な評価を受けていないにも関わらず、喜んでいる生徒がいるかもしれない、ということだ」

「意味が分かりません」

 

 茶柱の挑発するような物言いに、堀北は苛立ちを露わにする。

 

「出てこい、綾小路」

 

 そしておもむろに、茶柱は給湯室に向かってそう呼びかけた。

 堀北は訝しむように眉間にシワを寄せる。

 

「出てこないと退学にするぞ」

 

 ーーしかし物音一つしない。

 痺れを切らした茶柱が給湯室のドアを開けた。

 すると、暖かな風が彼女を包み込む。

 

「は……?」

 

 給湯室は、もぬけの空だった。

 

 

 

 

 丁度その瞬間、指導室のドアは無遠慮に開かれた。

 

 現れた突然の来訪者は、堀北の姿を認めると、「失礼しました」と素早くドアを閉める。

 茶柱は慌てたように

「待て待て待て!」

 と、普段の余裕は何処へやら、取り乱した様子でドアノブを掴み、それを阻止。

 

「給湯室で大人しく待っていろと言っただろ!」

「オレのことは三歳児の赤ちゃんだと思ってください。先生は赤ちゃんを放置して密室に閉じ込めるんですか? 立派なネグレクトですよ」

「わけの分からないことをっ」

「なら訳の分かる言葉でオレを呼んだ理由を説明してくださいよ」

「分かった! 分かったから勝手に帰ろうとするな!」

 

 こうしてドア越しの攻防は決着がつき、置いてけぼりの堀北は、「……なにこれ」と呆れたように呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、この三歳児が間違った評価を受けて、はしゃいでいる生徒なんですか?」

「え、そうなのか?」

「そうらしいわね」

 

 茶柱は頭を抱えながら、堀北との会話を盗み聞きさせて、オレにクラスへの興味を持たせようと画策していた、と正直に答えた。堀北は文句を言いたそうにしていたが、話の腰を折ることを避けて、続きを促す。

 

「お前は面白い生徒だな、綾小路」

 

 さっきの出来事に対しての恨み辛みも混じっているのか、ドスが効いていた。

 

「入試の結果のもとに、個別の指導方法を思案していたんだが、お前のテスト結果を見て、興味深いことに気付いてな」

「真面目で良い先生ですね」

「お前の総合点は500点満点中、ピッタリ300点だった」

 

 他生徒の前で点数を平気で言うあたり、この学校には生徒に基本的人権はないらしい。

 

「六割なんて、実に模範的な生徒じゃないですか」

「内訳を見てみると良い」

 

 そう言って、堀北に見えるように答案用紙を机にゆっくり並べていく。

 おいほんとやめろ。

 

「……どういうこと、かしら」

 

 堀北は点数を見て、驚愕の声を上げた。

 英語と社会の答案が、全て無回答だったのだ。

 

「オレは理系らしいな」

「ふざけているの? 記述式の国語のテストで満点を取るなんて、そうそうできるものじゃないわ」

「国語ができる=コミュ力が高いという方程式が、今のダメな日本を作ったとは思いませんか? オレは思いません」

「黙っててくれる?」

 

 いや、どっちなんだよ。

 

「国語と数学と理科が満点で、他二つは無回答。遊んでいるようにしか思えない」

「偶然やまが当たっただけだ。逆に社会と英語は何も分からなかった。織田信長は法隆寺で死んだと昨日まで信じていたし、They plays soccer.って平気で言っちゃう人間だよオレは」

 

 堀北は、また始まった、と呆れたようにため息を吐いた。

 その様子に茶柱は、ニヤニヤと笑いながら堀北を煽る。

 

「これで分かったか? 堀北。ひょっとしたらこいつは、お前よりも頭脳明晰かもしれないぞ」

 

 思い当たる節があるのだろう。

 堀北は訝しむように、オレに対して痛いほどの視線をよこす。

 

「オレはDクラスに相応しい、立派な不良品ですよ」

 

 正直、今この瞬間、自分でも驚くくらいハッキリと、茶柱に対して明確な敵意を抱いていた。

 確かにこの点数の取り方は迂闊としか言いようがないが、逆に有能な人間が目に留め、こちらに接触してくれればという目論見も……まあ後付けではあるが考えていた。全科目満点ではあからさま過ぎるし、かと言って全てを同じ点数に揃える、ことは、この不良品と化した体が許してはくれなかったので、つまりこの不自然な点の取り方は妥協した結果なのだ。

 だが、この目の前の女は、先の星乃宮との会話を聞く限り、高校の時の雪辱を晴らしたいという身勝手な理由で、有能と思われる生徒を利用するために、わざわざ他生徒の前で点数を暴露した。卒直に、やられた、と思った。

 

 堀北には、オレに全く興味もないツンツンな女子高生であり続けて欲しかったんだがな。

 視線が絡み合う。

 どうやらそれは、今日から難しくなったようだ。

 

 息が浅くなっていることがバレてしまう前に、オレは立ち上がり、部屋から出る。堀北も慌ててついてくる。

 

「堀北。もしAクラスに上がりたいなら、駒をうまく使え」

 

 茶柱は挑発的に口角を上げ、戸惑いの表情を浮かべながら退出する堀北に、そう忠告した。

 

 星乃宮を使って茶柱の弱みを握ってやろうか、と本気で思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職員室を出て、堀北の確認を取らず歩き出す。今は一緒に居ない方がいい、そう判断した。

 

「待って」

 

 堀北はそんなオレを呼び止めたが立ち止まらない。

 

「さっきの点数について、詳しく教えて欲しいのだけど」

「あの説明以上のことはできない。別に隠れた天才とかじゃないぞ」

「いえ、あなたには不可解な点が多くある。そして私はそれについて聞く権利がある、そうは思わない?」

「思わないな。お前こそ、Aクラスに並々ならない思いを抱いているようだが、聞かれたところで答えるのか?」

「それについて教えたら、しっかりとした説明をしてくれるのね」

「どうせ進学や就職を有利にするとかだろ」

 

 ふと入学式で登壇した生徒会長の名字が頭をよぎる。

 堀北学。

 確か3年Aクラスと言っていたか。

 

「もしくは、……まあいい」

「その思わせぶりな態度を二度としないで」

 

 堀北は速度を上げたのか、気が付けば隣に並ばれていた。

 そしてオレの脇腹を肘で突く。意外と痛い。

 ただ、隣であるために、彼女は前を見据えたままオレの方を向くことはない。

 それだけはありがたかった。

 

「なんだ、やっぱり何かあるらしいな」

「ーーええ、あると言ったら?」

「興味がない。これで話は終わりだな」

「勝手に終わらせないで。私はDクラスに配属されたことに納得していない。でも、たとえ間違いだとしても転属は学校側は許してくれないだろうし、私はこの逆境を乗り越えなくてはならない。私はAクラスを目指すつもりよ」

 

 まだ配属ミスという可能性を諦めていないのか。

 逆にその圧倒的な自信を見習いたいくらいだ。

 

「確かに、今後の試験でクラスポイントが大きく変動することがあるんだろうな」

「Aクラスに上がれるかもしれないわよ。自分の手で、なんとかしようとは考えない?」

「オレにはできない。応援はしてやるさ」

 

 再び彼女はオレの脇腹を突く。

 不満を顔で表せられないからって暴力はいけないんじゃないですかね。

 

「言っておくが、個人でどうこうできる問題じゃないと思うぞ。クラス全体でマイナスなら、声をかけたとして悪目立ちするのが精々だ」

「そこで綾小路くんに協力してもらいたいの」

「協力う?」

「ええ。授業態度についてはクラスメイトも罪悪感が働くでしょうし、平田くんがいるからある程度解決すると思うわ。重要なのは中間テストよ」

「確かに、ポイント変動は起こるだろうな」

「ポイントを大量に獲得するために動くのではなく、赤点組をどうにかする必要がある、……と私は思うの。あなたはどう考える?」

「間違ってはいない。退学者を出した際にペナルティが課せられても不思議じゃないからな。ただ、0ポイントの今だからこそ癌を取り除くことが出来るという考え方もあるが、それはいいのか?」

「もちろん視野に入れてはいる。けれど、狙うようなマネは極力しない。私はまだクラスメイトについて何も知らなすぎるもの。もしかしたらあなたみたいな変人が居るかもしれないから」

 

 変人、か。

 堀北にとってオレは、既に高円寺枠に入れられているのかもしれない。

 結構心外なんだが。

 

「分かった。まあ頑張れよ」

「何を言ってるの?協力して貰うって言ってるじゃない」

「断る」

「綾小路くんなら協力してくれるって信じてた。感謝するわ」

 

「……この一瞬で時間でも飛んだか?」

「私には心の声が聞こえたもの。是非とも協力させてください! って言ってた」

「幻聴だ。病院に行け」

 

 今まで心の声を読まれたような心地に陥ったことはあったが、じつはエスパーなんかじゃなくて、都合のいい解釈してただけなのでは?

 将来彼女は傑物になりそうだ。

 

「お前も分かっていると思うが、オレは茶柱の言っていたような凄い奴じゃないからな。まともに生活もできないポンコツだ。期待されても困る」

「あなたを酷使するつもりはない。喩えるなら将棋の駒の歩。指示に従ってくれればいいだけ」

 

 さっきの茶柱の忠告に引っ張られているらしい。

 

「いや、酷使するつもり満々じゃん。囮にでも使うつもりか」

「確かにそういう使い方もできるわね」

「オレは歩にすらなれない不良品だぞ。前に進むことすらおぼつかない。適材適所って言葉を知ってるか?」

「……ならあなたは何処だったら自由に動けるのかしら」

「盤上の外」

「私を使うつもり?」

「いや、動かすのはお前だ。オレは、……そうだな。横でぐちぐち文句を言う観戦者ってとこか」

「邪魔よ」

「だから言っただろ。オレはお前の助けになれない。ならないんじゃない、なれないんだ。Aクラスはどうでも良いが、クラスポイントを増やすのには賛成なんだけどな」

 

 わざとらしく期待を持たせるような言葉を使う。

 堀北は暫く何も言わなかったが、階段に差し掛かったところで立ち止まった。

 数段降りたため、彼女と目線が一致する。

 意志を持った、鋭く、そして燃えるような瞳。

 逸らされることは、ない。

 

「……分かった。作戦は私に任せて。あなたはそれに対してアドバイスをしてくれれば良い。ただし、前みたいに思わせぶりなことを言ったら容赦しないから」

 

 そして、手を差し出された。

 オレはそれを一旦無視する。

 

「だが一つだけ条件がある」

「条件? これは互いに利害が一致したことによる協力体制よ」

「いや違うな、これは契約だ。オレは別にクラスポイントをあげる必要性をそこまで感じていない」

「さっきと言っていることが違うのだけど」

「できれば、って話だ。無理と分かればポイントを増やす別の方法を探すことだってできる。だが、お前がオレに契約を持ちかけたんだ。クラスポイントを上げる、と。ならオレから条件を提示することは当然じゃないか? オレは他の手段を捨てて、お前に対して出来得る限りの力を使って協力してやるんだからな」

「随分上から目線ね」

「そう思うならそう思えば良い」

「それで? その条件は何。一応聞いてあげる」

「簡単な話だ」

 

 

 

 

「たとえ今後どんな事が起こったとしても、オレへの詮索はするな」

 

 その言葉に、堀北の肩がピクリと上がり、彼女は不意に目を逸らした。

 

「ええ。それくらいなら、のんであげる」

 

 そして強気な口調で、了承する。

 

「契約成立だな」

 

 オレは堀北の手を取った。

 彼女の手のひらは火傷しそうなほど、温かかった。

 

 

 

 堀北は自分が先導し、オレを従えたと思っているらしいが、この契約によって立場は逆転した。

 死活問題に関わるのでクラスポイントは稼げるなら稼ぎたい。

 これは確かな事実であり、オレとしては目立ってでも良いからクラスを先導するプランさえ考えていたほど、追い詰められていたのだ。

 だがこれで、オレはほぼノーリスクでクラスに貢献できる。

 堀北が表で動いているように見せかけ、裏でそれらをある程度制御できる立場にありつけたわけだから。だが、今の堀北は裸の王様。さっさと服と兵士を身に付けてもらわなければならない。今回の試験で実績を与えて、クラスの切れ者ポジションについてもらおう。

 

 堀北が考えそうな策を推測しながら、今後の展望について、頭を回していく。

 

 

 



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意外な交友関係

おまけ回
副題:高円寺くんといっしょ
時は遡りーー四月中旬頃のお話
高円寺と絡ませると綾小路のキャラが崩壊することに気付くことができました




 

 

 昼休み、そわそわとしていた男どもはチャイムが鳴るなり、「よっしゃプールだ!」と欲望あらわにはしゃぎ出す。朝から他人の巨乳で賭けをするなどという最低な行為をしていたくらいだ、騒ぎすぎてそのまま溺れ死ねばいい、と女子の誰もが冷たい目を向けていた。

 

 皆水着に着替え終え、男子は今か今かと女子を待ち構えていた。

 しかし、予想は裏切られることになる。

 半数の女子が見学を希望したのだ。

 項垂れる野郎どもを横目に、見学できるならしとけば良かったかもな、とオレは後悔した。

 

「よーしお前ら集合しろ!」

 

 体育系の文字を背負ったマッチョ体型のおっさんが集合をかけ授業が始まる。

 生徒がどれだけ泳げるか、先に見ておきたい、と準備運動を充分にさせてから泳がせる。

 

 プールの水は澄んでいて綺麗だった。

 温度が調整されているのか、最初は目覚めるような冷たさを感じたが、すぐに馴染んだ。

 屋内のため天気に影響されることもないし、環境は抜群だ。

 さすが金をかけているだけあるな、と感心した。

 

 泳ぎ終えた生徒たちを見て、先生はうんうんと頷く。

 

「よし、だいたい分かった。では早速だが、これから男女別自由形で競争をする。一位になった生徒には俺から特別ボーナス、5000ポイントを支給しよう。面白くなりそうだし、男子の決勝戦は100メートルで競おうか」

 

 生徒たち、主に男どもはどよめき出す。

 競争で優劣をつけることではない、女子の濡れた姿を堪能できるからだ。

 まあ眼福っちゃ眼福だが……。

 それよりオレは、特別ボーナスの方が気になる。

 花より団子と言うだろう。

 

 そう、ここ最近、食費がバカにならないことに気がついた。

 どれがイケてどれがダメか。

 それらを知るために、大丈夫そうなものを片っ端から買っているため、お財布事情に胡座をかいている場合ではないのだ。

 これで来月同じ10万ポイント稼げれば別だが、ーーどうせこのクラスでは難しい。

 最悪0ポイントの可能性も考えなくてはならないため、こういったボーナスは確実に取りに行くべきだ。

 ……目立つかもしれないが、男どもは女子に釘付けだし、女子だって、たかが水泳ができる人間がいたところで、そこまで注目しないだろう。多分。

 

 

 ここで一番考慮に置かなければいけない点は、勝てるかどうか、だ。

 体調が万全なら負ける自信は正直ない。

 だが、このクラスには高円寺がいる。彼の身体能力がどれほど高いかは知らないが、鍛え抜かれた筋肉を見る限り、油断ならない相手だ。高円寺は自分に自信がある。

 だからこそ、逆に油断を誘えるかもしれない。

 

 幸い奴とは別のレースだった。

 隣のコースは須藤。

 運動部だし須藤も速いだろうから、彼の少し後ろを取っていれば、上位五人にいけるだろう。

 

「綾小路くん……。あなた、速いのね」

「そうかもな」

「結構目立っていたけれど平気?」

「そんなことなくないか? ほら、今は皆平田に釘付けだ」

「……まあ、大丈夫ならいいけれど」

 

 花より団子とは言ったが、やはりスク水女子はけしからんな。櫛田を前に股間を抑える男子が続出するのも頷ける。直視を避けて、改めて平田の泳ぎを見る。

 須藤ほどじゃないが中々速い。

 次の第三レース、笛の音と共に、高円寺がお手本のようなフォームで水中へと飛び込んだ。

 

「はっや!」

 

 想像以上のアグレッシブな泳ぎに、須藤が驚きの声をあげた。

 タイムを切った先生が思わずストップウォッチを二度見する。

 

「23秒22……だと!?」

 

 ざばりと上がった高円寺は髪をかきあげ、余裕の笑みを見せた。

 

「いつも通り私の腹筋、背筋、大腰筋は好調のようだ。悪くないねえ」

 

 実に羨ましいことで。

 息が切れている様子もなく、まだまだ本気を出していないらしい。

 予想以上に強敵だな。

 

 ……てかなんであいつだけブリーフ型の水着着てんだ?

 

 そして、選抜五人の決勝戦。

 

 高円寺がどこまで化け物かどうか。

 それは分からないが、基本的にレースというのは追われる身の方が本気の力を出し辛い。前を行く人間が居ないからペースを掴みにくいのもあるし、後ろの競争相手の状態を測れないという点もある。

 

 高円寺も先の戦いで、他の生徒たちの実力をある程度掴んだはずだ。本気を出さずとも一位を取れる、そう感じているだろう。打算的な考えはしないだろうが、余裕を持って挑む可能性が高い。

 そこを突く。

 騙し討ちに近いが、初っ端から飛さず、高円寺が油断した所を追い抜く。短期決戦なため、この作戦がどう転ぶかは正直分からない。だが、決勝戦で残ってしまったため、もう後には引けない。

 

 位置につく。

 右隣に高円寺、左隣には平田。

 

 

 合図の笛が鳴った。

 静寂を保っていた水面に、水しぶきが上がる。

 屋内プールは歓声に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的にオレは負けた。

 予想以上に高円寺が化け物だったのが敗因だ。

 というか、彼の考え方を理解し切れていなかった。

 まさか初っ端から全力を出すとは思わず、なんとか必死に喰らい付いたが、やはりスタートの差を覆すことができないまま僅差で負けてしまった。

 

 純粋に、オレは負けたのだ。

 脳の裏側がチリッと焼きつく。

 

 歓声が頭の中でガンガンと響く。

 

「ハッハッハ!まさかここまで楽しい勝負ができるとはねぇ、恐れ入ったよ」

 

 ショックでプールサイドに上がれず項垂れているオレに、高円寺は上機嫌に背を叩いた。

 

「ご、5000ポイントが……」

「私を楽しませたお礼に、賞金の半分は綾小路ボーイ、君にあげよう。喜びたまえ」

「え? いや、」

「フッ、どうしても嫌なら次こそ私に勝って、そのポイントを返せばいい。実に美しい話じゃないかね?いつでも挑戦は引き受けよう。まあ、私は負ける気はないがねぇ、ハッハッハ!」

「あ、ああ」

 

 なんか色々話しかけられたが、放心状態だったためあまり聴いていなかった。

 

 その後須藤に「お前さっき本気出してなかったのかよ!」と詰められたので、「一年半ぶりだったから慣らしてた」と答え、クラスメイトから「なんでそんなに速いの?」と問われたため、「中学の時部活でバリバリプロ目指してたんだ」と、大変矛盾したことを言ってのけたことも、放心状態で貧血気味だったせいに違いない。

 どうやら勝手に、怪我をして中体連に出れなかったんだなと納得してくれたらしいが。

 

 次からは絶対見学しようと心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ついに来てしまった二人一組。

 オレたちは白衣を着て、化学室にいた。

 さすが国が費用を惜しまないだけある、化学準備室には数人の作業員などもおり、器具など揃えられている。

 教室なら二人一組と言われ、隣にいる堀北と組まされることが何度かあったが、今回は難しいだろう。席が元々決められておらず、だがなんとなく左右で男子と女子に分かれていたからだ。

 オレ?

 もちろん一つの机を占領しているが?

 

 平田へと熱い視線を向けたが、もう既にペアが決まっていた。オレと同じように(?)引っ込み思案な男子と組んでいる。平田が二人に分裂してくれれば良かったのに、と心底思ったが、そうなると男子の総数は21人。余るのは多分オレだ。なんの解決にもならない。

 だがキョロキョロして仲間を探すのはダサい気がする。

 女の子と組もうとして必死になっている山内みたいになりそうだし。

 座して待つ。

 これが男ってもんだ。

 

 

「フッ、私とペアになることを光栄に思いたまえ」

 

 

 結局余り物で組まされることになった。

 オレは分かっていた。

 分かっていたはずなのに! と机をガンガン叩いてももう遅い。

 

 こうして実験実習が始まった。

 

 “中和滴定による食酢中の酢酸濃度測定”

 

 やるの早くない?

 この化学の先生、かなりぶっ飛んでいて、とにかく実験が大好きらしい。

 だからといってまだ習っていない範囲の実験を先にやって何になるんだか。

 これでいいのか進学校。

 

 まずこの実験には、ホールピペットで食酢を10mLを測ってメスフラスコに移す作業がある。

 ホールピペットはビーカーよりも測る精度が高い。

 だが使い方に癖があるのだ。

 

 せっかくの実験だからと、原始的な方法を取るらしい。

 ストローと同じ容量で口で吸い上げ、標準の少し上で止め、手で栓をする。それから少しずつ手を緩めて標準に合わせていく方法だ。

 誤飲してしまわないか不安がる生徒に先生は、飲んでも酢だから健康になるだけだ、と笑わせていた。

 まさか飲む奴はいないだろう。

 

 

 高円寺の方をチラリと見ると、どうやら実験を手伝うつもりはないらしい。

「さあ、存分にやりたまえ」

 とか何とか言いやがる。

 

 食酢をまずはビーカーに注ぎ、ホールピペットの先端を浮かして入れる。

 高円寺はメスフラスコに興味があるようで、中を覗き込んでおり、全くこちらを気にしていなかった。

 自分で目張りをするしかなさそうだ。

 酢をある程度の感覚まで吸い上げる。

 

 

 

 だが、ここで悲劇が起こる。

 

「ぎゃははは! それやばすぎ!!」

 

 ふざけていた池だか山内だか知らんがそのグループの誰かの背が、オレの背に強く当たったのだ。

 

 そして思わず息を吸ってしまった。

 細い管を通って、一気に食酢が這い上がる。

 すぐに口を離したが既に遅い。

 ブシャッと顔面に酢がかかり、口の中にも結構入ってしまった。

 気持ち悪さに慌てて水道で吐き出そうとする、が、咄嗟に口を抑える。

 

 そう、オレには吐き癖ができてしまっている。

 もし酢だけ吐こうものなら、多分胃の中身が「俺も俺も」と便乗して全部出る。

 

 ゴクン。

 そのまま呑み込んだ。

 嘔吐感が我慢ならないほど込み上げたが、耐えれると判断したからだ。

 今日ほど他人を憎んだ日はない。

 オレって案外感情あったんだな、でもこんなことで気が付きたくなかったなぁと泣きたくなった。

 

「大丈夫かい? 綾小路ボーイ」

 

 顔を真っ青にして、生理的な涙を浮かべ机に縋り付くオレを見て、タオルを持った高円寺が問う。

 確かに事故とはいえいきなり食酢を飲みだすなんて余程の変態だ。

 なにか、言い訳を考えつかないと……。

 閃いた!

 

 

「オレはピクルスが好きなんだ」

 

 そう答えると、一瞬呆気に取られたような顔をしたが、高円寺は突然大爆笑して、背中をバシバシ叩かれた。

 

「ハッハッハ! それは良かったじゃないか!」

 

 吐きそうになるからその背中を叩くのを切実にやめてくれ。

 

 その後の作業は手伝ってくれたので、おそらくオレに対して何らかの関心を持ったようだ。水泳の件もあるし、これからも縁は続きそうでもある。

 まあ、彼は基本的に自分にしか興味がない。

 視線も気になったことがないので、一緒にいてもストレスは溜まりにくい。

 

 もしかして友人第一号は高円寺なのか……?

 ……いや、それはないか。

 自由人に振り回されつつ、化学の授業は無事終わりを迎えることができた。

 

 

 

 

 

 




いくら器具は消毒されているとはいえ、良い子は絶対真似しないでね。


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ハリボテな奴ら

 次の日の朝のSHRと一時間目が始まる合間の時間。

 早速クラスのリーダー平田様は、勉強会の実施を提案した。

 しかし、赤点組だというのに断る輩もいた。

 須藤や池、山内たちだ。

 平田は何度か説得していたが、ついには首を縦に振らなかった。

 特に須藤は初日の自己紹介の時から馬が合わないらしく、二人の関係は悪くなる一方だ。

 

「綾小路君」

 

 そんな彼らを静観していると、平田は何故かこちらへ近寄ってきた。

 一体なんの話だろう、と身構える。

 面倒ごとはなるべく避けたいからな。

 

「何故か自分は関係ないって顔してるけど、君に一番勉強会、参加して欲しいんだ。小テスト……悪いけど、奇跡的な点数を取っていたから」

 

 あ、それかあ。

 最低点数を叩き出したことが気になるのか、クラスメイトの目がこちらを向く。

 貼り出されると分かっていれば(二回目)

 

「平田。その話なんだが、断らせて貰う」

「……どうしてか聞いても?」

「ほら、昨日茶柱先生に呼ばれただろ?実はオレは名前を書き忘れていたらしくてな、実際の点数を教えてもらったんだ。はt……75点だった。多分、勉強会に出ても教えることはできないし、逆に習うこともない。悪いな」

 

 80点以上取っていたと嘘をつけば、できれば教える側に回って欲しいとか何とか言われそうだし、逆に低すぎれば中間テストで不用意に目立ってしまう。妥当な点数のはずだ。

 

「そっか、良かった。本当に心配してたんだよ」

「オレも驚いた」

「もし分からないことがあったら、遠慮なく参加してほしい」

「ああ、分かった。ありがとな」

 

 奇跡の点数の理由に納得してくれたらしく、皆の目は逸れる。

 堀北だけは、呆れたような眼差しを向けてきた。

 そして小声で問う。

 

「先に教えて頂戴。中間テストは何点取るつもりなの? 一つでも0点を取れば、退学よ。本当に英語と社会ができないようなら、私は色々考えなくてはいけないから」

「全て満点を取る。これで満足か?」

「……もう何も言うことはないわ」

 

 堀北はウンザリしたようにため息を吐いた。

 育児疲れかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 数学の先生のうんちくトークが炸裂している間にチャイムが鳴り、昼休みになった。

 ポイント温存のために、108円という安さでありながら、カロリーのお高い紙パックのミルクティーをちびちびと飲む。

 すると堀北は、普段なら弁当を広げるというのに、立ち上がった。

 

「お昼、暇? 良かったら、一緒に食べない?」

「一緒に食べてるだろ」

「……もしかしてずっと一緒に昼食を取っているつもりだったの? 寒気がしたのだけど」

「そこまで言わなくてもいいだろ……」

「それで、どうする?今なら食堂で奢ってあげるわ」

 

 そう言って彼女は学生証カードを取り出す。

 堀北から誘うなんて、怪しさしかない。

 今朝の顛末を思い出し、堀北が言わんとしていることは、だいたい想像がついた。

 

「勉強会でも開くつもりか」

「話が早くて助かるわ。彼らでは一夜漬けで結果を出すことはできないでしょうから」

「あの三人を誘うことがお前以上に難しいオレに頼むのは無謀だぞ」

「同性同士の方が話しやすいでしょ? 手伝ってくれるのよね」

「歩みたいな動きはできないって散々言っただろ」

「だから奢ってあげるって言った」

「夏風邪なんだ。今は腹が空いてない」

 

 池、山内、須藤。

 クラスの問題児グループ。

 彼らに話しかけるくらいなら三食紙パックのミルクティーでいい。

 とまではいかないが、まあ、堀北が折角やる気を出したのに、ここで挫折されても困る。

 

「まあ契約もあるしな」

「やってくれるのね?」

「だがやり方はこっちで決めさせてくれ。何があっても文句は言うなよ」

「嫌よ」

「そうか」

 

 オレは飲みかけの紙パックを手に持って立ち上がる。

 

「どこへ行くつもり?」

「櫛田のところ」

「あなた、話聞いてた?」

「話を聞かないのは何もお前だけの特権じゃないぞ」

 

 乱暴に座ったのだろう、後ろでガタンと大きな音がしたが、振り返らない。

 彼女も分かっているはずだ。

 駒さえ持ち合わせていない自分たちでは、現状ゲーム開始にすら至っていない。

 どうすることもできない、と。

 

 

 

 

 食堂で談笑していた櫛田を見つけ、オレは声をかける。

 当然周りの女子達から好奇の目に晒された。

 つい即行動してしまったが、わざわざ昼食中に話しかけなくてもよかったな、と今更ながら後悔する。

 

「ちょっと二人で話したいことがあるんだ。悪いが、今いいか?」

 

 櫛田は少し驚いた様子を見せ、

 

「うん、大丈夫だけど……珍しいね、綾小路くんから話しかけてくるなんて」

 

 と微笑む。

 そしてオレは櫛田を連れて、食堂を出て、人通りの少ない廊下で立ち止まった。

 

「あー悪いな。ちょっと頼みたいことがあって」

 

 かくかくしかじか、オレは須藤たちを救済するために勉強会を開くことと、それを堀北が開催することを説明した。

 すると、櫛田は拍子抜けした様子で、「なんだ」と呟く。

 

「え?」

「あ、ちっ違うの! 急に二人で話そうなんて言うから、告白かと思って……」

 

 櫛田は顔を赤くして俯く。

 なるほど、そういう可能性もあるのか。

 確かに、大して交流のなかった男がいきなり二人きりになりたいなんて、怪しさ満点だ。配慮が足りていなかった、とオレは頭を抑えながら、糖を吸収するためにミルクティーを摂取する。

 

 そしてその行動が側から見れば異常であり、櫛田に好意を持つ一般男子生徒からかけ離れた言動だという事に気付き、何か言おうと言葉を探す。

 だが、急に脱力感が襲ったので、そのまま流すことにした。

 要は面倒くさくなったのだ。

 人間的だな、と自嘲する。

 

「勘違いさせて悪かった」

「ううん、こっちこそ、早とちりだったね。ほら、綾小路くんってなんだかミステリアスだし……。意外と注目されてるんだよ?水泳が凄かったり、0点取ったり、一年生の女子が作ったイケメンランキング堂々の五位だったり」

 

 なんて恐ろしいランキングを作ってるんだ。

 そういえば知らない女子からたまにチラチラ見られているなとは思っていたが。

 

「それは光栄だ」

「全然嬉しくなさそうだね」

「話が脱線したな」

 

 残ったミルクティーを一気に煽る。

 彼女の暴き出そうと光らせる目を前に、演技はもはや諦めた。

 

「三人を参加させる手伝いをしてくれると助かるんだ。この勉強会を通じて櫛田が堀北と仲良くなれるかもしれない、と思ってな。例えば勉強会に参加したっていい。ほら、この前オレが台無しにしただろ? その埋め合わせも兼ねたい。嫌なら断ってくれ」

「ううん。そんな打算なしに、困ってる友達がいたら助けるのは当たり前じゃない? だから手伝うよっ」

「ありがとう助かった」

「大船に乗った気持ちで任せてね」

 

 オレの手を取り、櫛田は笑顔を振り撒いた。

 ずっと演技を続けていられる胆力には恐れ入る。

 

「勉強会はいつから始めるの?」

「明日からだ。……間に合うか?」

「うん、多分大丈夫だと思うよ」

「図書館前で16時集合ってことも伝えといてくれ。持ち物は……筆記用具と勉強したい教科でいい」

 

 その辺りは堀北に詳しく聞いていないが、問題はないだろう。

 今の堀北では、失敗するのは火を見るより明らかなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはりと言うべきか、堀北は櫛田が勉強会に参加することを拒否した。

 沖谷が勉強会メンバーに加わっていたのには驚いたが、とりあえず、五人に先に図書館で勉強をするよう促し、オレは堀北に説得を試みることにした。

 図書館の扉の前では目立つので、ベンチに座る。

 

 

「どうしてそこまで櫛田を嫌う」

 

 オレは再び、いつかの質問を繰り返す。

 堀北はバッサリ切り捨てるように言った。

 

「私は、自分が優れていることを自負している。そしてそれ以外の劣った人間に全く興味がない。会話するだけ無駄、意味がない。だって彼らには脳がないもの。嫌っているわけではないわ、無駄だと感じているだけよ。理由はこれだけで充分でしょ?」

 

 圧倒的な自信。

 それはハリボテではないのだろう。

 おそらく彼女には努力という絶対的な裏付けがある。

 だが、いやだからこそ、滑稽に映るのかもしれない。

 

「でも櫛田はお前よりコミュ力があるぞ」

「コミュニケーション能力をあなたは勘違いしているようだけど、この能力は単にお友達を多く作れる力というわけではないでしょう」

「ああ知ってるさ。それを込みで、あいつの方が能力は上だと言ってるんだ。お前の理論を使えば、櫛田はお前に話しかける必要はない」

「ええ、だから? 私は自分が正しいと思ってる」

「櫛田も自分が正しいと思っているだろうな」

「だからこそ、私たちは反発し合っている。違う?」

「進展性のない関係をいつまで続けるつもりだ。それに何の意味がある」

「意味なんてないわ。彼女と話しても意味がないのと同じで」

 

 それは屁理屈だ、と思ったが、堀北は決して折れることはない。まあ人には色々あるからな、無理に迎合する必要などひとつもない。そして、ただの第三者がここまで食い下がる意味も、ない。

 

 多分、オレは実験がしたいだけなんだろう。

 決して交わりそうにない二人が近付けばどうなるか。

 単なる知的好奇心に過ぎないのだろうが、その気持ちを優先することは、今のオレには“正しく”思えた。

 つまり、これはただのオレのエゴだ。

 

「お節介なのは充分承知しているさ。その上で頼んでいるんだ。嫌なら断ってもいい。だが、せめて、正しい理由を教えてくれ」

 

 その言葉に堀北は顔を顰める。

 言うべきか黙るべきか。

 数秒の沈黙の後、彼女は衝撃の事実を吐き捨てるように言った。

 

「彼女が、私を嫌っているからよ」

 

 

 

 ……なるほど、な。

 

「自意識過剰とでも笑えばいいわ。これでこの話は終わり」

 

 言うべきではなかった、と後悔したように堀北は俯く。

 

「待て、確かに櫛田はそういった一面を持っているはずだ。だが、それこそ理由がない、分からない。堀北、お前は何か知っているんだろう?」

「知らないわよ。……いえ、思い当たる節はあるけれど、理解ができない、が正しいかしらね」

「その思い当たる節とやらを問い質せばいい。不都合ならその際オレは席を外す」

 

 堀北は呆れの感情を顔に滲ませた。

 

 

「その行為に、意味がないと言ってるのよ」

 

 

 確かに、彼女は一貫して、終始意味がない、と主張していた。

 別に櫛田の能力を軽んじていたつもりはなく、櫛田という人間関わらず、他人に興味がなく、向き合う意味を感じていないのだろう。堀北の考え方は、本当の意味での波風を立てない生き方だ。

 だが、それも特別試験がなければの話。

 

「この状況においてまだそんな事を言っているのか?」

「随分上から目線ね」

「確かに物理的には上からだな」

「話にならないわ。あなたにはせめて脳があると思っていたのだけど」

 

 先の発言で完全に苛立ちを顕にし、堀北はオレを睨みつける。

 そこに普段の余裕はなく、腕を組み、右人差し指は落ち着きなくリズムを刻んでいる。

 その様子に、オレは思わずため息を吐いてしまった。

 

「……本当に視野が狭いらしい」

「茶柱先生に認められているからって調子に乗っているのかしら」

「取り敢えず一旦落ち着いて冷静に振り返ってみろ。今のお前の発言は、お前が見下している奴らと同等だ」

 

 少しだけ考える素振りを見せ、完全に図星だったらしく、大きく顔を歪ませた。

 

「今取り組むべきことに、今必要のない私情を挟む意味はない。違うか?」

 

 

「……頭を冷やしてくるわ」

「風邪は引くなよ」

 

 堀北は一度オレを睨んでから、立ち上がり、図書館とは真逆の方向へ歩き出す。それを見送ってから、取り敢えず五人のところに戻った。

 そして、不在の間、習得度を測るテストを受けてもらうと堀北に頼まれたと伝え、堀北が作った問題用紙を配っていく。

 上手く難易度がバラけており、実力を測るには充分の、先生顔負けの問題選びだった。

 それを四人に配り終え、オレはカバンを持って退出しようとする、と、櫛田が「え?」と首を傾げた。

 

「綾小路くんは勉強会、参加しないの?」

「元からそのつもりだったが」

「ええ? なんだよ、お前だけ狡いじゃんかよ。俺たちは今から辛い思いをするってのに」

 

 池が櫛田に便乗して文句を言う。

 

「自業自得だろ」

「でもお前も点数壊滅的だったろ」

 

 山内も櫛田への点数稼ぎ目的か、援護射撃を繰り出した。

 75点って説明したんだけどな。

 仕方がない、最終手段を使おう。

 

「ライバルが増えるけどいいのか?」

 

 何の、とは言わなかったがそれだけで察したらしく、

 

「ま、まあ。綾小路がそこまで言うなら、よくね? なあ山内」

「家でやった方が捗るタイプもいるしな!」

 

 と、慌てて反対の意見を言う。

 しかし櫛田は諦めるつもりはないようで、

 

「一緒にやった方が捗るよっ。ね?」

 

 そう腕を掴まれる。彼女の豊満な胸が当たっていた。確信犯なのだろう、池と山内からの視線が痛い。YESと言うまで離してくれそうになさそうだ。

 

「分かった、分かったから離してくれ」

「やった!」

 

 天使の微笑みを浮かべる櫛田の横で項垂れる二人の男ども。

 どこかの宗教画にありそうな光景だった。

 

「時間は三十分らしい。オレが合図を出したら始めてくれ。沖谷は大丈夫か?」

「え!? あ、うん。だ、大丈夫だよ」

 

 少し挙動不審気味だった沖谷に確認を取り、それから合図を出した。

 

 問題を解き進めていると、隣からずっと視線を感じた。

 気になって横を向くと、案の定、櫛田はじっとオレの方を向いていた。

 無意識的に動悸が激しくなる。

 

「……どうした?」

 

 小声で問いかけると、ううん、と彼女は可愛らしく首を横に振った。

 

「気になるんだが」

「ああ、ごめんね、違うの。ただ、綾小路くんって途中式書かないタイプなんだなって」

 

 そう言われてオレは自分の答案に目を向ける。

 簡単な数学の問題だ。

 確かに、オレの問題用紙には、解答欄に答えのみを書き、他は白紙だった。

そもそも習得度チェックに参加する予定はなく、堀北への負担が増えるのを考え、答案を提出する気はなかった。だから、暇潰しがてら解いていたのだが、それが仇になったようだ。

 

「ほら、この問題、中学一年生レベルだろ? 意外と暗算が得意なんだ」

「でも連立方程式って式書かないで解けるものなのかな」

「そういうズボラな所があるからケアレスミスで点数を落としてるのかもな」

 

 へえ、と含みを持たせたような相槌。

 観察するような目を、櫛田は向けてくる。

 今この瞬間、心臓が不規則にのたうちまわっている理由が、美少女に見つめられているからだったなら、どんなに良かっただろう、と思った。

 すっとぼけを続けながら、次の問題を慎重に解いていく。

 視線はずっと感じたまま。

 

「櫛田ちゃん櫛田ちゃん! ここ、わかんねえ!」

 

 オレ達が話していたことに気付いた池が、そうアピールを始めた。

 ……危なかった。

 あと一秒遅ければ、血迷って、

 オレを見つめると火傷するぜ

 と恐ろしいことを言い放つところだった。

 

「習得度チェックのテストだから、教えてもいいのかなあ?」

 

 困ったように彼女は身を乗り出し、池に説明を始める。

 どうやら嵐は去ったみたいだ。

 

「……えっと、大丈夫?」

 

 沖谷が少し心配したように問う。

 よっぽどオレの顔色は悪いのだろう。

 

「あ、ああ。寝不足なだけだ」

 

 そう適当に誤魔化し、問題を解き進めていく。

 

 その後、池と山内はもはや問題を解いてはいないのではないか、と思うほど執拗に櫛田に話しかけていたため、解き終わり、堀北が帰ってくるまでちょっかいをかけられる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

帰ってきた彼女は早速答案をザッと見て、大きなため息を吐いた。

須藤は終始不機嫌気味だ。

解き方が分からない問題と睨めっこを続けるのは、苦痛でしかなかったはずだ。

そんな態度を取られれば、更に苛立ちを募らせる一方だろうが、彼女は気にした様子はない。

 

「ええっと、習得度って言ってたけど、池くんと山内くんには一問目教えちゃったんだっ。……大丈夫だった?」

「……ええ、ありがとう。まさかここまでとは思っていなかったから助かったわ。沖谷くんは基礎レベルは解けていたけれど、他三人は壊滅的ね」

 

須藤は舌打ちをする。

堀北が一瞥し、それからもう一度ため息を吐く。 

 

「まさか連立方程式も分からないなんて……まずは須藤くんに今から教えるわ。沖谷くんは分からなかった問題を綾小路くんに聞いて。多分彼なら全部解けてると思うから。櫛田さんは二人を……教えられる?」

「う、うん。でも、実はやっぱり分かんないって言われちゃって」

「櫛田ちゃんは悪くないよ!」

 

山内がすかさず言ったが、違う、そうじゃない。

櫛田も困ったように笑っている。

その様子に、堀北は眉間にシワを寄せた。

 

「今から連立方程式を三人に教えるから、よく見て」

 

 堀北がそう言い、ノートに文字式を組み立てて問題を解き明かしていく。

 模範的な解き方。

 しかし、ノートを覗き込む赤点組は理解できていなかった。

 

「やっぱ分かんねえよこんなの」

「これは考え方次第では、連立方程式を習っていない中学1年生でも解ける問題よ。もっとちゃんと考えてみなさい」

「え、じゃあこれも解けないって、俺ら小学生並み……?」

 

 まあ、確かに中一でも解けないことはない。

 連立方程式と似たような問題を解くために、難関私立中学受験の対策を行なっている塾では、鶴亀算やら仕事算やらを頭に叩き込ませているらしいし。

 

「そんなことは、多分ないと思うよ」

 

 櫛田もフォローを入れる。

 

「だよな!」

 

 そういう問題じゃないが。

 

 オレはそれらのやり取りを横目に、沖谷に質問された問題について解説していく。少しややこしい因数分解の問題。文字を組み替え、たすきがけを使っていく過程を丁寧に教えれば、やはり赤点ではないだけあって、しっかり理解してくれた。問題が解けるようになったのが嬉しいのか、顔を赤らめ、「ありがとうっ」と微笑む。女子に免疫がない男だったらコロッといっていただろう。どうしてお前は男に生まれてきてしまったんだろうな。

 

 

「あなたたちを否定するつもりはないけれど。あまりに無知、無能すぎるわ」

「あ?」

 

 一方堀北側は、段々雲行きが怪しくなっていく。

 まあ、連立方程式という基礎中の基礎も分からない連中に、一から教えるのは困難だろう。どうなるかは目に見えていた。

 

「聞こえなかったかしら。あなたたちは無知、無能だと言ったのよ。この程度の問題も解けない頭で将来どうなるか、考えただけでゾッとするわね」

「っせえな。お前には関係ねえだろうが」

 

 そこから、堀北と須藤の言い争いが始まる。

 元々苛立っていた須藤はついに抑えきれなくなったのだろう。

 習得度テストで思い知らされたはずだ。自分が今まで一切勉強について何もしておらず、簡単な問題さえ解けないことを。打ちひしがれたはずだ。自分の無知、無能に。

 だからこそ、苛立つ。

 人は正論を嫌う。

 堀北の振りかざす論は、正しく、正しすぎた故に、須藤は我慢ならないのだ。

 しかし堀北だって真っ向から対立されて我慢できるはずもない。

 

 ついには堀北の言葉の矛先は、須藤の部活、つまりバスケにまで向いた。

 

「こうやって勉強から逃げるみたいに、本当に苦しい部分から目を背けて、自分に都合の良いルールでバスケに取り組んでいたんじゃない? あなたはさっきバスケットのプロになると言ったけれど、簡単に叶う世界だと思ってるの? 勉強さえ中途半端に投げ出してしまうような人間が、プロを目指す? 笑えない冗談ね。仮にプロになれたとして、納得のいく収入を得られるはずもない。そんな現実味のない職業を志す時点で、あなたは愚か者よ」

「てめえ!」

 

 須藤はブチギレ、堀北の胸倉を掴んだ。

 しかし堀北は、一層冷たい視線を須藤に送っていた。

 

「そうやってすぐに暴力に走る。ここはもう、バスケが上手いだけで何でも許されるような場所じゃないの。今すぐに学校を辞めてもらっても構わないわ」

「……ああそうか、お望み通りやめてやるよこんなもん。じゃあな」

「そう。さようなら」

 

 

 荷物をまとめて席を立つ須藤の姿を、堀北は侮蔑を込めた目線で見ていた。

「あっ! おい須藤!」

 他三人は、須藤を追いかけようかどうか、戸惑っているようだ。

 

「別に帰ってもいいわよ。今回上手く行っても、どうせあなた達はまたすぐ同じような窮地に追い込まれる。そうなればまたこの繰り返し。そして、やがては躓く。実に不毛だとは思わない?」

 

 そんな様子の彼らに堀北は、にべもなく言い放った。

 

「い、いくらなんでも上からすぎねえ?」

「事実でしょ?」

 

 彼女はもう、彼らの顔さえ見る気はない。

 不毛だと、バッサリ切り捨てるつもりなのだろう。

 そろそろか。

 

 

「堀北、そこまでにしとけ」

 

 

 その声に、四人は驚いたようにオレを振り返る。

 それに頭痛を覚え、頭を抑えながら、堀北を宥める言葉を慎重に選んでいく。

 

「お前が切り捨てようとしている奴らに比べて、堀北、お前は本当に完璧に優れているのか?」

 

「ええ、そうよ」

 

 気が立っているのか、堀北はキツく言い返す。

 

「須藤の運動能力は男子の中でも群を抜きん出ているし、池だって、お前にはできない、周りを明るくするコミュ力を持っている。沖谷はお前にない素直さを持った誠実な人間だし、山内は嘘が吐ける」

 

 山内が「俺だけ、おかしくね?」と呟いたが無視した。

 

「それらがいつか問われる試験があるかもしれない。その時、お前はたった一人で他クラスに立ち向かうつもりなのか?四月からの一ヶ月かけた特別試験で、お前は一体何を学んだ。予め授業態度がポイントに直結していると気付いていながら、それを共有しなかった。確かに個人戦だったらその行動が正しいんだろうな。だが、この学校はあくまで団体戦だ。それを、クラスポイントの惨状を目の当たりにして、身に染みて理解したはずだろう」

「足を引っ張っている事実は変わりないわ。今後のクラスのためにも切り捨てるべきよ。あなたが言ったんじゃない。癌を取り除く考え方もあると」

「対話を問われる試験が一番初めに行われていたとして、その時も同じことが言えるのか?」

「……そもそも、学習態度や学力以外で実力を測る特別試験がある前提で話しているけれど、根拠に乏しいわ」

「幸村やお前がDクラスに配属されたことに間違いはないと言い切られた時点で、この学校は学力だけで実力を測っていないことくらい、いい加減分かっているだろ。茶柱の言葉を思い出せ」

「私はまだ、Dクラスに配属されたことに納得いっていない。ほんとうなら……しっかり審査をしてくれさえすればっ、私は、彼らよりも、いえ、誰よりも確実に優れているはずなのよ。そうでなくてはいけない、のに」

 

 声が震えていた。

 彼女の中の根底が揺らぎそうになっている。

 だからこそ、一度破壊する必要がある。

 

「お前は不良品だよ、堀北。Dクラスに落とされた決定打は、その相手を見下す考え方だと、一度でも思ったことはないのか? 他人を足手まといだと決めつけ、最初から寄せ付けず突き放す態度を、一体誰が支持してくれるんだ。ここにはもう、勉強ができれば褒め称え庇護してくれるような大人はいないぞ」

 

 堀北は唇を噛む。

 もしここが二人だけなら、先程のように彼女も納得できただろうが、今は周りに人がいる状況だ。彼女のプライドの高さが許さない。

 親の仇でも見るような目で、オレを睨みつける。

 全てを分かっていながら、だ。

 だからオレも、それに応戦する。

 身体の震えを抑えながら、堀北と目を合わせた。

 

「本気でAクラスに上がりたいなら、視野を広くしろ。今のお前には何も見えていない」

 

 永遠のように感じられた、ほんの数秒の間、沈黙が落ちる。

 逃げ道は塞いだ。

 あとは堀北がどうするか、だ。

 

 不意に彼女は立ち上がり、そして、頭を下げた。

 

「言い過ぎたわ。ごめんなさい」

 

 そして顔を上げる。

 まるで憑き物が落ちたみたいだった。

 

「こんな状況では集中できないから、一旦解散しましょう。代わりに、明日からは本気で取り組んでもらうわ」

 

 四人は少しの間、圧倒されたように何も言えなかったが、そこで池が、「で、でもよ……」と口篭る。

 

「なんか、納得いかねえっつうか。結局、堀北さんはなんで俺たちに勉強を教えようとしてくれてんの?綾小路がめちゃくちゃ喋ったのにビビったのは置いといて、話の流れ的に、Aクラスにあがるためっぽいけどさ」

 

「そうね。私はAクラスに上がりたい。ただそのためだけに、あなた達に勉強を教える」

「なんかそれってさ、別にいいけど、俺たちを巻き込まなくてよくね?」

「いいえ関係あるわ。私はAクラスに上がるために、結果的にあなたの退学を阻止しようと動くことに決めた。退学を確実に免れる方法があるのなら、あなたは私を最大限利用すればいい。都合の良い教科書を手に入れることができるのは、そんなに悪いこと?」

 

 池は納得できたのか、はたまた考えたいことがあるのか黙り込んだ。

 代わりに山内が、「上から目線の教科書はなんか嫌だ。だったら櫛田ちゃんの方がいいし」と抗議する。

 

「櫛田さんにも自分の勉強がある。彼女に負担をかけるつもり?」

「そ、それは……」

「謝罪が必要なら何度でもしてあげるわ。でもこれだけは知っておいて。私は今後、さっきのような態度を取らないよう、出来るだけ努める。これは私にとって大きな意識改革でもあるから、癪に触るようなことも言ってしまうかもしれない。もし同じようなことが起きれば、その時は見限ればいい」

 

 堀北はどんな質問にも誠実に答えていく。

 

「が、頑張ってみたいけど……も、もし厳しい勉強法だったら、付いていけないかも……」と沖谷が正直に不安を吐露した。

 

「今回で、あなた達がそもそも基礎ができていないことに気付くことができた。勉強の仕方そのものが、分かっていない状態なのよ。だから、それに合わせた勉強法を今から練り直す」

 

 その不安を取り除くよう、まっすぐに彼らを見つめる。

 

「それに、勉強ができれば今回の退学を免れるだけではなく、モテるし、自信がつくかもしれない。違う?」

 

 三人の性格をよく分かった上での発言だ。

 不安に感じていた三人も、ようやく安心できたようで、三者三様、やる気に満ちた目をしていた。

 あとは須藤だけだが、この調子なら、大丈夫だろう。

 一度は崩壊しかけた勉強会、だが立て直すことができた。

 取り敢えず解散らしいし、さっさと帰るか、と支度を終え立ち上がる。すると、

 

「つーかさ、綾小路って意外と喋るんだな」

「うん、普段からは考えられないくらい饒舌だったね」

 

 話題はオレへの興味に移ったらしい。四人からの追及に、オレは逃げるように図書館を出た。後ろから、「彼は極度の恥ずかしがり屋さんなのよ」と不名誉な擁護発言が聞こえたが、無視だ無視。

 

 

 

 




堀北育成RTA(語弊)



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少女たちの素顔

お気に入り、評価等ありがとうございます



  

 

 

 大勢からの視線にやはり体は拒否反応を起こしていたらしく、図書館を出て、フラフラと足元はおぼつかなかった。このままでは寮に無事に帰れないかもしれない。ベンチに座っていれば後から来る彼らと鉢合わせになる可能性もある。途中にある自然公園に寄り、海が一望できる開けた広場の近くの茂みに、カバンを下敷きに腰を下ろした。手首に親指をあてて脈を測る。過呼吸気味になっている体をじっと耐える。

 

 落ち着いた頃には、すっかり日は落ちていた。

 そろそろ帰ろうか、と立ち上がろうとしたその時。

 誰かの気配がした。

 その誰かは広場へと向かっていく。

 

 後ろ姿を捉えた。

 櫛田だ。

 告白待ちか何かだろうか。立ち去るべきか悩んでいると、彼女はゆっくりとカバンを置いた。

 

 

 

「あーーーウザい」

 

 あの櫛田が発しているとは思えないほど低い声だった。

 

「……聖人ぶりやがって、あのままバカに殴られりゃあ良かったのに」

 

 呪文を、呪詛の言葉を唱えるようにぶつぶつ暴言を吐く。

 

「言い過ぎたわ。ごめんなさい」

 

 演技臭く堀北の真似をする。

 

「はああ??お前の意識改革とか勝手にやってろっての!! 興味ねえんだよキモいキモいマジでキモい! あいつらも頭軽すぎ簡単に乗せられてんじゃねえよ一生嫌ってろそれくらいしか使えねえんだからよ!!」

 

 ついに耐えきれなくなったのか、声を荒げた。

 

 ガンッ

 

 夜の自然公園に、柵を蹴る音は想像以上に大きく響き渡った。

 思わぬ大きな声と音。櫛田も少しやり過ぎたと思ったのか、一瞬身を固くして息を殺した。それが仇となった。誰かに聞かれたんじゃないかと振り返った視線の先には、丁度逃げようと腰を上げていたオレの姿が映り込む。

 

 

 

 目と目が合う瞬間、オレは逃げ出した。

 条件反射だ、思考する暇もなかった。

 あれは触れちゃあいけない類いのやつ。

 

 

 ーーほら、もっと加速するぞ。

 

 

 結果的にオレは逃げられなかった。

 脚力で負けたのではない、覇気に気圧されてしまったのだ。

 つい後ろを振り返ったときに見てしまったあの鬼の形相は、一生のトラウマものになった気がする。「待てゴラア!」とドスの効きすぎた声(本性を隠す気はあるのだろうか)にビビって腰を抜かし、咄嗟に公衆トイレの裏にしゃがんで身を潜めている間は、ホラー映画の主人公のような気持ちを味わった。そして努力虚しく、簡単に見つかってしまったのである。

 

 逃げないよう、櫛田は壁に手をつく。

 間接キスだけでなく、初めての壁ドンさえ櫛田に奪われてしまった。腰を抜かしていたため、豊満な胸を見上げることができる絶妙な位置。まさか初めてがされる側なんて世の中何が起きても不思議じゃないな。

 本格的に責任を取ってもらいたい。

 

「よお櫛田。偶然だな」

「そうだね」

 

 言葉とは裏腹にそのあまりの迫力に、オレはずるずると座った。

 もう逃げ出さないと判断したのだろう、壁から手を離し、彼女も目を合わせるためか、足の間にわざわざしゃがみ込む。もっと逃げられなくなった。

 

 瞳の奥にある、深い闇。

 見られている。

 それだけで、喉が締めつけられる。

 

「聞いたの?」

「何を」

「しらばっくれんなよ」

 

 普段からは考え付かないほど、櫛田の言葉は荒い。

 この期に及んで未だとぼけようとする態度に苛立ちを覚えたのか、彼女はオレの左手首を掴もうとした。

 それを咄嗟に振り払う。

 おそらく忌避感からきたものだ。

 

「バラすつもりはない」

 

 目を合わせたまま、オレは真剣に訴えた。

 

「……信用できないな」

「どうすれば信用してもらえる」

 

 悩む素振りも見せず、予め考えていたみたいに、彼女は即答する。

 

「秘密、教えてくれたらいいよ」

 

 悪魔の微笑みを浮かべながら。

 

「私ね、あんたのことを最初はただのコミュ障だと思ってた。根暗そうだし、すぐきょどるし。でも実際何回か話してみて、人嫌いしているのでも、別に会話を苦手としているわけでもないことが分かった。むしろ的確な言葉が返ってくることの方が多いし、ストレスは感じない。そこで一つの仮説を立ててみた。コミュニケーション能力が欠如しているから友達ができないんじゃなくて、視線が嫌だから人を避けているんじゃないかって。そしたら今までの不可解な言動に合点がいったの。どう?」

 

「そこまで分かっているなら、秘密なんて大層なものじゃなくなったな」

 

「でもおかしいよね。

 人の視線が苦手なら、普通、目を合わすのって一番避けたいことじゃないのかな。

 加えて、あんたは基本的に他人に関心がない。

 人を見る目があるから分かるんだよね。

 それなのに、あんたは今も、私と目を合わせてる。

 私のことを探ろうとしてる。

 関心もなければ、目を合わせるのも苦手なくせに。

 

 その在り方が、歪で、気持ち悪い」

 

 気持ちが悪い。

 その言葉を使っていながら、櫛田は普段通りの顔で、ニコリと笑っている。

 五月の夜風は少し肌寒い。

 

「酷い言われようだ」

「でも事実、でしょ? その理由を私は知りたい」

「他人に関心がない、って部分だけは、同意してやる。ならもう気付いているだろ? オレは櫛田の秘密を漏らさない。漏らすメリットが見当たらない。言ったところで信じてもらえないし、お前の報復に対抗する術がない」

「違うよ、全然違う。これは秘密の共有だよ。等価交換は建前。私はただ、あんたの秘密が知りたい」

「秘密ってのは普通、信頼関係が成り立ってから共有するものじゃないか?」

 

 すると彼女はうっとりと笑った。

 

「あんたは分からないだろうけど、私はね、他人に信頼されることで存在意義を実感できるの。そして、信頼の裏側にある、秘密。それを知るのがたまらなく心地良い。でもあんたに信頼されるなんて無理そうだし、先取りできるならしたい。簡単な話でしょ?」

 

 彼女の本性は、実に人間的だった。

 

「いくらオレでも信頼くらいはする。今だってオレは櫛田を信頼しているんだがな。秘密を差し出したとして、簡単には他人に漏らさない、お前の精神性を」

 

 他人を承認欲求の道具としか思っていない精神性。

 そう思えば、誰よりも櫛田のことを信頼できるような気はしている。

 道具に翻弄され癇癪をあげている姿は矛盾極まりなく滑稽だが、だからこそ親近感が湧いているのかもしれない。

 

「じゃあ、いいよね?」

 

 彼女は笑みを深くした。

 

「無理だな。オレの秘密は使いようによっては簡単に退学に陥れることができる代物だ。お前のチンケな裏の顔じゃ釣り合わない」

 

 しかし不遜な物言いに、櫛田の態度は豹変する。

 

「はあ?」

 

 射殺すような、目。

 微かに木から漏れ出た電灯の明かりが、カチカチと点灯する。

 

「今の状況分かってんの? これでも譲歩してあげてんだけどなあ。ーーあんたは私の言うことを聞かないとヤバいんだよ? バカならバカなりに考えろよ」

「違うな、オレたちは対等だ。オレはお前を退学に追い込むことなんて容易い」

「ハッタリだろ? キモいんだよそういうの。イキってるみたいで」

「本当にそう思うか?もし今後、対等な関係であり続けるなら、堀北の退学を手伝ってやってもいいんだがな」

 

 堀北の退学。

 そのワードに一瞬ピクリと彼女の表情が動いた。

 

「……別に。堀北は嫌いだけど、退学にさせようとか思ってないから」

「本当にそうか? 人を見る目はお前と同じで、あるつもりなんだがな」

「あんたがどれだけ使えるか。信用できない」

「信用はしなくていい。だがオレはお前が今後どう動くかをある程度予測づけている。特別試験には今回のような絶対評価ではなく相対評価のモノもあるだろう。その時お前は自クラスを裏切るようなマネをする。堀北がAに上がりたがっているのを知っているからこその嫌がらせだ。……退学してくれたら裏切り行為は辞めてやる、くらいは言いそうだな」

 

 推測甚だしいが、良いハッタリにはなったようだ。

 櫛田は考える素振りを見せる。

 

「それに、オレは堀北に信用されている位置に一番立っているとは思わないか?オレを手に入れておけば、退学に追い込むのは格段にやりやすくなると思うけどな」

 

 追加で有用アピールをしておく。

 

「まあ、あんたがバカじゃないかは置いといて、立ち位置は完璧だね」

 

 協力の提案はほぼほぼ成功したようだ。

 だが、これからが本番。

 オレが今一番手にしたいモノ。

 

「最大限手伝う代わりと言ってはなんだが、オレに情報をくれ」

「は? あげるとでも?」

「いや、情報っていうか、愚痴だな」

「愚痴?」

「外でやれば今日みたいバレる可能性もあるだろ。一人でカラオケに通うのも、お前の交友関係的に難しい。部屋でも良いし電話でも良いが、聞き手がいる愚痴ってのはストレス発散になると思うぞ」

「それってあんたにメリットあんの」

「断片的な情報でも取捨選択次第で立派な情報源になる」

 

 櫛田は迷っているようだが、好感触。

 

「……部屋で大声出したら隣にバレるんじゃない」

「大音量の音楽を一週間流し続けても、窓を開けなければ苦情を入れられなかったから、防音性バッチリなはずだ」

「いやなんでそんなことしてんのよ」

「色々試行錯誤してるんだ」

 

 ほんと、色々な。

 

「ともかく、お前視点ではストレス発散サンドバックに堀北退学の協力者、そして協力者の弱みを手に入れられるんだ。かなり良い条件だと思わないか?」

「まあ、確かに?」

「自クラスを陥れる作戦を考えついたら事前にオレに言ってくれ。手助けしてやるよ」

「……分かった」

 

 ついに彼女は了承した。

 そして立ち上がる。

 

「でも、もし私を裏切ったら、許さないから」

 

 見下した、攻撃的な目つき。

 思わず息を呑む獰猛さを秘めていた。

 何をしでかすか分からない危うさ。

 カエルを睨んでいた蛇は、きっとこんな顔をしていたのだろう。

 カエルになるつもりはないがな。

 

 これで交渉は成立した、らしい。

 櫛田が退けてくれたことで、オレも震える体を鞭打って立ち上がる。

 長居するような所でもないので、道に出る。

 

「それで、あんたの秘密は? 勿体ぶる程でもないでしょ」

 

 一番聞きたいことであったはずなのに、最後まで回されたことに不満を感じているらしい。誰に問われても良いように予め用意していた言葉を並べる。

 

 

「視線恐怖症、摂食障害、閉所恐怖症。

 

 名前のある精神状態に当て嵌めると、こんなもんか」

 

 

 しかし取っておきの秘密だというのに、櫛田は拍子抜けした表情を隠さない。

 

「……別に、退学に追い込めなさそうだけど」

「使いようによっては、って言ったろ。頭が良いお前ならすぐ考えつく」

 

 わざと煽るように言えば、膝裏を蹴られた。

 きょうび暴力系ヒロインは廃れたって聞いたんだけどな。

 

「てか、狭いところもダメだったんだ」

「まあな」

「それってカラオケとか平気なわけ」

「二人以上だと軽減される」

「視線のこともそうだけど、一般的なモノとはちょっと違くない?」

「櫛田を信用することができれば教えてやるかもな」

「やっぱりまだまだ秘密ありそうじゃん。理由について、はぐらかしたもんね」

「それを隠すために色々交渉したからな」

「ふうん」

 

 

 

 こうして歪な関係が結ばれた二人は帰路につく。

 夜の闇は深くなる。

 まるで全てを見通しているかのように、欠けた月は煌々と輝いていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 櫛田とのこともあり、何となく寝付けなかったオレは、身体を起こして窓を閉め、部屋を出た。非常階段で降りて、ロビーに置かれた自販機で、てきとうなジュースを一本購入して再び戻ろうとする。

「ん?」

 エレベーターから降りる堀北の姿が見えた。

 こんな夜遅くに制服を着てどこへ行くのだろうか。

 少しだけ気になったオレは、彼女の跡をつける。寮の裏手の角を曲がりかけたところで、思わず身を隠した。

 彼女が立ち止まったのだ。そして、そこにはもう一つ影があった。

 今日はスニーキングミッションが多すぎる。

 

 

「鈴音。ここまで追ってくるとはな」

 

 その男の声に聞き覚えがあった。

 生徒会長だ。

 

「もう、兄さんの知っている頃のダメな私とは違います。追いつくためにここに来ました」

 

 会話の内容的に、やはり堀北の兄だったようだ。

 彼は無抵抗な妹の手首を掴み、強く壁に押し付ける。

 

「どんなにお前を避けたところで、俺の妹であることは変わらない。お前のことが周囲に知れれば、恥をかくことになるのはこの俺だ。今すぐこの学校を去れ」

「兄さん……私はっ!」

「お前に上を目指す力はない。この学校には不向きだ」

 

 堀北の体がグッと前に引かれ、宙に浮いた。

 直感的に危険だと感じた。

 

 パシャ

 

 瞬間的な光。

 それだけでも動きは制限できたようだ。

 彼は光源へと目を向ける。

 

「さすがに、生徒会長ともあろうお方が、女子生徒に暴力はヤバいんじゃないすかね」

 

 堀北(妹)は目を見開く。

 

「あ、綾小路くん!?」

「盗み聞きとは感心しないな」

 

 妹を壁に押し付けている写真を見せると、彼は眉間にシワを寄せた。

 

「いくらだ」

「現金なら、すぐ終わってしまう関係になります。オレは生徒会長、あんたのコネが欲しい」

「……なるほどな」

「了承してくれますか」

「いいだろう」

 

 オレは端末を手渡す。

 彼はすぐさま操作を終え、オレに投げ渡した。

 

 と思った瞬間、とてつもない速度の裏拳が俺の顔目掛けて飛んでくる。

 丁度オレが宙に浮いた端末を手にする途中を狙って。

 騙し討ちに近い。

 当たったらただでは済まないだろう。

 そう直感したオレは身体を半身にしてのけぞるように避け、一度地面に手をつく。

 そして端末がコンクリートの上に落ちてしまう前に、それを蹴り上げた。

 彼の顎を目掛けてだ。

 ヒットする前にキャッチされて、冷静に対処される。

 だが、その余分な行動により、次に放とうとしていた蹴りは止められた。

 手に持ったドリンクは使わずに済んだようだ。

 

 オレはすぐさま立ち上がり、手を上げて、降参のポーズを示した。

 

「暴力反対」

 

 急な運動は体に悪すぎる。

 それに狭いところは嫌いだ。

 だからこそ穏便に済まそうとしていたのに、いくらなんでも戦闘狂すぎる。

 

「……悪かったな。コネが欲しいと言うからには、どれだけやれるか見極めたかったんだ」

「さいですか」

 

 基本話を聞かないところは、兄妹揃って似ているらしい。

 

「合格だ。お詫びにポイントを振り込んでやろう」

 

 そういう問題じゃなくない?

 と言いたくなったが、睨むような視線に、つい顔を背ける。

 眼光が堀北(妹)と比べ物にならない。

 

 今度は端末をしっかり手渡してくれた。

 ポイント残高を見ると、今のオレたちにとってはとんでもない額が入っていた。

 一戦闘20万ポイントか。

 もう二、三回くらいはやってもいいなと素直に思った。

 

「鈴音。お前に助けてくれる友達がいたとはな。驚いた」

 

「いいえ、彼はただの隣人です」

 

 強く否定するように、堀北は兄を見上げる。

 

「相変わらず、孤高と孤独を履き違えているようだな」

「そういう訳でもなさそうですよ」

「……ほう?」

「人は成長するって言うじゃないですか」

 

 隣人。

 的確な表現だ。

 オレたちの関係を上手く表しているだろう。

 同じ方向を向いてはいても、決して向き合うことはないのだから。

 

「そういえば一年に入試で不自然な点の取り方をした生徒がいたな。確か名前は、綾小路、だったか」

「オレは池寛治。名前を付けてくれた親に感謝しているくらいです」

「フン、まあいい。少しは面白くなりそうだな。因みに生徒会に興味はあるか?」

「いえ全く」

「そうか」

 

 そのままオレの横を通り過ぎ、闇へと消えていく。

 

「Aクラスに上がりたいなら、死に物狂いで足掻け。今のお前ならできるはずだ」

 

 意外な激励を残して、堀北の兄貴は去り、夜の静けさに包まれた。

 

「……あなたには変なところを見られちゃったわね」

 

 彼女は気まずそうに俯く。

 まるで普通の女の子のようだ。

 

「あれが、お前がAクラスに上がりたい理由か」

「呆れた?」

「まさか。立派な理由だ。尊敬した」

「心が篭ってないわ」

 

 一つ深呼吸してから、堀北は寮のエントランスへと歩き出す。

 

「……深くは聞かないのね」

「オレとお前は、隣人、だろ?」

「今は、ね」

 

 オレ達は同じエレベーターに乗った。

 会話はなかった。

 だがその静けさが、今は何故だか心地良かった。

 

 

 



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リスタート

これを含めてあと三話で一年生編一巻内容は終わります


 次の日の昼休み。

 堀北は須藤に誠心誠意謝った。

 そして、あなたが嫌いだ、ということも素直に伝え、それでも自分のためにあなたを諦めない、と一見傲慢にも思える言葉で、須藤を説得した。

 彼もプライドがあるのだろう、初めは渋ったが、池や山内に乗せられて、結局勉強会に参加することに決まった。

 

 堀北は彼らに画期的な勉強方法を伝授していく。

 要は、授業の六時間を有効活用する手だ。

 三バカトリオは「おお!」と感動していた。

 

 沖谷については基礎部分はできているので、無理に参加しなくていいが、授業中分からないことがあったら遠慮せずに聞きに来る、ということになった。放課後の勉強会は平田たちと合流した方がいい、と勧めたが、断られた。どうやらオレの教え方を気に入ったらしい。

 やめろ! 勘違いしそうになるだろ!

 という冗談は置いておいて、

 

「私は須藤くん、櫛田さんは池くんを担当するから、あなたに山内くんと沖谷くんを任せても良いかしら」

 

 と、堀北に頼まれる。

 

「沖谷は頻繁には来ないだろうし、お前が担当すればいいだろ。そもそもオレは、」

「なによ」

「……何でもございません」

 

 もう一人、頭の良い奴がいれば教える役なんてものに就かなくて済んだわけだが。

 

「須藤くんと沖谷くんのレベルは全然違うの。二人同時は無理よ」

「分かってる、分かってるさ。ただなあ……」

 

 堀北の「恥ずかしがり屋さんなのよ」発言で、池と山内に残念な奴認定されてしまったらしく、妙に親しげにしてくる。平田に対しての僻みが理由で勉強を断っていた二人だったため、いずれオレに対してもそういう感情を向けていてもおかしくはない、と思っていたが、とんだ誤算だった。

 「櫛田ちゃんが良かったあ」とぐちぐち言われ、彼女かノートにしか目を向けないレベルを想定していたんだがな。

 これに沖谷も加わるとなると、胃痛案件だ。

 

「オレだって二人同時はちょっと」

「あなたならできる。違う?」

 

 ……まあ、仕方がないか。

 現状とにかく駒が少ない。

 諦めて降参のポーズをしようとする、と、堀北はカバンから何かを取り出し、オレの机へと置いた。

 リンゴの果肉入りヨーグルトだ。

 

「……なんすかこれ」

「報酬よ」

「何の?」

「そもそも私はあなたに対して計画へのアドバイスをお願いしていた。でも実際はこうしてコキを使うのだから、報酬はあってもおかしくないでしょう?」

「……報酬がなくてもやるさ」

「私の気が済まないの」

 

 律儀に袋に入ったプラスチックスプーンまで蓋の上に置きやがる。

 ここで食べろというわけか。

 

「オレ夏風邪なんだ」

「まだ五月よ」

 

 堀北は前を向き直り、次の授業に向けて要点をノートにまとめ始める。

 改めてオレは机の上に置かれたリンゴの果肉入りヨーグルトを見下ろした。

 もともと四つ繋がっている奴を買ってきたのだろう。縦横一組の端がギザギザとしている。

 授業が始まるまで、あと十分以上。

 

 ーー蓋を開け、スプーンでヨーグルトを掬った。

 

 四角く小さなリンゴが二、三個入っている。

 オレは意を決して口に入れた。

 口の中にリンゴの酸味が広がった。

 喉を通り、胃へと落ちていく。

 何度か嘔吐きそうになったが、必死に堪えるほどではなかった。

 

 そして、数分かけて食べ終えることができた。

 

「……なあ、もう三つあるか?」

「ええ、いいわよ」

 

 そう問うと、彼女は口角を上げて得意げに了承した。

 オレの完敗である。

 

 

 

 

□□

 

 

 

 

 再結成した勉強会が始まり、何だかんだ上手く回っていた。

 しかし、そこでとんでもない事実に気付かされる。

 Cクラスとのいざこざで、テスト範囲がガラッと変わったことを知ったのだ。しかも、他クラスには一週間前に伝えられていたらしい。

 当然怒りの矛先は茶柱へ向かったが、彼女は悪びれた様子もなく、「忘れてた」の一言。

 だが、追及する時間など残されていない。

 須藤は諦めてしまうかと思ったが、意外にもやる気を見せていた。どうやら逆境こそ燃え上がるタチの男らしい。心底どうでもいいが。

 

 改めて茶柱から渡された範囲を見る。

 化学基礎には以前実験でやった中和滴定も含まれている。

 あれ意味あったのか。

 だがいくらなんでも横暴だ。

 まるで、学力を測る気が最初からないみたいだ。

 

 小テストに高二、高三範囲があったことを思い出す。

 そして、何としてもAクラスに上がりたい茶柱がわざと教えるのを遅らせた意味を考える。

 視野に入れてはいたが、本当に使う羽目になるとはな。

 

 

「平田。助けて欲しい」

 

 オレは放課後、平田が部活へ行ってしまう前に声をかける。

 テスト前とはいえど、部活はあるらしい。

 さすがに範囲が変わったことで勉強し直さなければいけないため、明日からは休むそうだが。

 

「何かあったのかい?」

「平田は確かサッカー部に入ってたよな」

「うん、そうだよ」

「先輩方から過去問を貰えないか?」

「中間テストの……?」

「ああ、堀北から頼まれたんだが、オレにはどうやら難しくてな」

「確かに有用だと思う。でも、教えてる先生も違うし、さすがに同じ問題は出ないんじゃないかな。範囲だって変わったみたいだから、ズレてるかもしれない」

「そうとも限らない」

「え?」

「あ。いや、そう堀北が言ってたんだ。オレも平田と同じことを思ったんだが、最善は尽くした方がいいだろ?」

「……うん、そうだね。先輩方に今日早速頼んでみるよ」

「もしポイントを請求されたらオレに言ってくれ。全額出す」

 

 ポイントに余裕も出来たしな。

 

「そこは気にしないで。僕は過去問を貰うなんて考え付かなかったんだ。むしろ、これくらいはさせて欲しい」

「平田、お願いだ」

「それを言えば何でも受け入れるわけじゃないからね?」

 

 どうやらバレていたらしい。

 

「じゃあ、僕たち二人で折半しようか。それでいいかい?」

「分かった」

「過去問を貰えたら連絡す……そういえば連絡先、交換してなかったね」

「しよう今すぐしよう」

 

 これで連絡先が二人になった!

 と思ったが、三人目だった。

 どうやら堀北(兄)がアドレスを勝手に登録してくれていたらしい。

 本当に兄妹揃って言葉が足りない。

 というか、この悲惨なアドレス帳を見られたのか。

 

「小テストの過去問もあれば嬉しいんだが……」

「うん、できる範囲で頼んでみるよ」

 

 そう言い残し、平田は爽やかな笑顔で部活へ行ってしまった。

 

 

「……あーいや、まあ、うん」

 

 

 “僕たち二人で”の部分を流したのが、吉と出るが凶と出るか。

 先の長い話になりそうだ。

 

 

 その日の夜。

 平田から先輩から無事過去問を貰えた、と連絡があった。

 しかも小テストの問題は全て一致しており、中間テストの範囲も全く同じだ、と興奮気味に伝えてきた。

 

「堀北のおかげだな」

「うん、これをクラスに配れば赤点を回避できるんじゃないかな」

「それと悪いんだが、この件は平田が一人でやったことにしてくれないか」

「僕が手柄を独り占めするってことかい?さすがにそれは……」

 

 電話越しに、平田の申し訳なさそうな声が聞こえる。

 きっと困った顔をしているんだろうな、と容易に想像がついた。

 

「平田はクラスメイトをまとめる立ち位置にいるだろ? だからこそ、全員を掌握しておいた方が今後上手く回りやすい。須藤たちもこの一件で態度が軟化するかもしれないからな。……まあ、言い方は悪いが、打算的な考えがこっちにもあるんだ」

「うーん、そういう、ことなら」

「ポイントは要求されたか?」

「必要なかったよ」

 

 本当か?

 まあ、手柄を独り占めすることへの罪悪感もありそうだ。

 そんなつもりは、一切、断じて、なかったんだがな。

 彼の好意に甘えておこう。

 

「クラスにいつ配るかは、ーー平田。お前が決めてくれ」

「……堀北さんが決めなくて良いのかい?」

「実際に手に入れたのは平田だ。どうするかは一任する、ってさ」

 

 数秒、間があったが「分かった。僕に任せて」と答える。

 明日にでも配るのか、それとも。

 これは賭けに近かったが、負けるつもりは毛頭ない。

 どこまで信頼できるか、少し意地悪だが試させて貰おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 試験日二日前、帰りのSHRが始まる前に、平田はクラスメイト全員に呼びかけて、過去問を配った。小テストの問題が一致していたことを伝え、この特殊な学校だからこそ、中間テストも全て一致している可能性があることを示唆する。

 皆、目から鱗だったようで、彼を尊敬し、一層クラスの絆は深まった。

 平田を毛嫌いしていた須藤たちも流石にこれには感謝して、素直に「ありがとう」と言葉に出していた。彼らも成長しているのだろう。

 当の平田本人は、少し気まずそうにしていたが。

 

 それら一連の流れを静観していた堀北は、じっと前を見据えながら、怒りを秘めた低い声で問う。

 

「過去問の件。あなたが仕組んだんでしょう」

「何のことだ?」

「しらばっくれないでくれる? 腹立つから」

「悪い。勝手に動かせて貰った。お前も試験対策で大変そうだったから話す時間が取れなかったんだ」

「……事後報告は今後なし。いい?」

 

 キツく睨まれ、オレは「はい」と、メデューサと目を合わせて石になった勇敢だった戦士みたいに、固まる他なかった。

 

「それと、一つお願いがあるのだけど」

 

 まだ問題があるのか、とゲンナリする。

 さすがDクラスだ。

 

「綾小路くん。点数を下げることは可能かしら」

「……無理だ」

 

 平均点を下げたいのだろう。

 小テストと赤点のボーダーの決め方が同様なら、恐らく平均点割る二。そのことに堀北はしっかり気付けていたようだ。

 過去問が手に入ったことで元々のボーダーが一気に引き上がる可能性がある。

 全科目100点が確定している人間がいれば、下げれるだけ下げておきたいはずだ。

 

「お願い。一科目だけでいい」

「教科は?」

「英語よ」

「一番最後、か。理由は何だ……いや誰だ」

「須藤くんが英語をまだ詰められていないの。確かに過去問のおかげで点数は比較的上がると思う。でも、英語はどの科目よりも積み重ねが大事だから、基礎を固めないで答えだけを覚えるのは難しいわ。特に文法の選択肢問題は覚え方によっては大量に点を落とす可能性がある。私は……50点を取るつもり」

「オレたち二人で合わせて最高100点落としたとして、赤点ボーダーは1.2点しか変わらない。やる意味はあるのか?」

「無理を承知で頼んでいることは重々理解しているわ。それでも、出来得る限りのことはしたい。中間テストは過去問が有効だという前提があるからかもしれないけれど、一段と難しくなっている。須藤くんの退学を阻止するためにも、ベストを尽くしたいの」

 

「……分かった」

 

 堀北は目をパチクリとさせる。

 

「意外だったか?」

「ええ」

「オレだって、須藤を退学にさせたくないからな。出来得る限りのことはするさ」

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 

 堀北は恥ずかしそうに前を向き直った。

 「ありがとう」という言葉を聞いたのは初めてかもしれない。

 

 荒治療ではあったが、どうやら彼女は入学当初に比べ、随分素直になった。いや、違うな。彼女はいつだって素直だった。物事を素直に受け入れ、そして、素直に自分を表す。

 つまり、内面が変わった。

 在り方が、変わったのだ。

 

 きっとそれを、人は成長という。

 

 彼女の成長を、無碍にはできない。

 感情論ではない。

 オレのためだ。

 オレのために、彼女に成功経験を味わせておかなければいけない。

 段階を経て、いつかは有能な道具へ育て上げる。

 彼女の内面の成長など、それの付随品に過ぎないのだから。

 

 

 



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燐寸と喞筒

 教室に足を踏み入れた瞬間、茶柱は驚いたように生徒たちを見回した。

 ただならぬ気配が蔓延していたからだ。

 

「先生。本日採点結果が発表されると伺っていますが、それはいつですか?」

「喜べ、今からだ。放課後じゃ、色々手続きが間に合わないからな」

 

 手続きという言葉に、平田は固唾を呑んだ。

 

「それって……」

「では今から発表する」

 

 平田の質問も待たずに、茶柱はプロジェクターを起動させた。

 プロジェクターにより黒板には、生徒の名前と点数の一覧が映し出される。

 

「正直、感動している。お前たちがこんな高得点を取れるとは思わなかったぞ。ほとんどの生徒が全科目90点を超えている。満点も半数以上いた」

 

 社会、理科、国語、数学、とテストを受けた順に、画面を切り替え点数を発表していく。

 100という数字が並び、生徒たちからは歓喜の声が上がった。

 赤点組も、難しいテストとはいえ50、60と以前の二、三倍は取れている。

 そして、最後。

 オレの点数は50、堀北の点数は52点。

 

 肝心の須藤の英語の点数は、ーー44点だった。

 

「っしゃ!」

 

 思わず、須藤は立ち上がり叫んだ。

 池や山内も手を合わせて喜んでいる。

 だが堀北だけは、どこか難しい顔をしていた。

 

「見ただろ先生! 俺たちもやる時はやるってことですよ!」

 

 池がドヤ顔を決める。

 

「ああ、認めてやる。お前たちが頑張ったことを。ーーだが」

 

 茶柱はおもむろに赤いチョークを手に持つ。

「あ……?」

 須藤の口からそんな気の抜けた声が漏れた。

 須藤の名前の上に一本の赤いラインが引かれていく。

 

「お前は赤点だ。須藤」

「は?んでだよ! 赤点は32点だろうが! どこに目つけてんだよ!!」

 

 喜びから一転、須藤の赤点扱いに騒然となっていく教室。

 

「お前たちは一体何を勘違いしているんだ?私がいつ、赤点は必ず32点未満だと言った。どうしてお前は、32という数字が中途半端だとは思わなかった」

 

 茶柱はプロジェクターを消して、簡単な数式を書いていく。

 

 88.9÷2=44.45≒44.5

 

「赤点基準は各クラス毎に設定されている。その求め方は平均点割る2、そして小数第2位が出る場合は四捨五入して小数第1位まで求める。な、簡単だろ?」

 

 つまり、赤点のボーダーは、44点以下。

 須藤は一点の差で退学が決まってしまったのだ。

 唖然としている生徒たち鼻で笑い、その式さえ消してしまった。

 チョークで引かれた赤い線だけが残り、その間抜けさが、より一層須藤の退学という事実を惹き立てた。

 

「お、俺が、退学……?」

 

 須藤は覆らない事実に、茫然としていた。

 

「実に美しくないねえ」

 

 高円寺が茶々を入れる。

 

「あ? なんて言ったてめえ……」

「君に言ってるわけではないさ」

「じゃあ黙ってろ!」

 

 感情の行き場はどこにもなく、須藤は頭を掻き毟った。ようやくクラスメイトも、これが本当のことなんだということを実感していく。

 

「本当に救済措置はないんですか?」

 

 絶望的な雰囲気が漂う中、真先に須藤を気にかけたのは平田だった。

 

「事実だ、赤点を取ればそれまで。須藤は退学にする」

「……答案用紙を。採点ミスがないか、答案用紙を見せてはもらえないでしょうか」

「抗議が出ることが予想していた。ま、採点ミスはないがな」

 

 須藤の解答用紙だけを持参していたのか、それを平田に手渡す。池や山内なども、確かめるために前へ行く。

 

 平田達がどこかに採点ミスはないか確認している間。

 

「堀北」

 

 オレは小声で彼女の名前を呼んだ。

 しかし、焦っているのか彼女は聞く耳を持たず、考え事に耽っている。

 仕方ないので脇腹を突くと、

「ひゃっ」

 普段は絶対に聴くことのできない堀北の女の子らしい声。

 だが今は気にしている場合ではない。

 身体に強い刺激を与えられ、意識が覚醒したようだ。

 強烈にオレを睨み上げてくる。

 

「なによ」

「何か思い付いたか」

「……いいえ。他教科より英語を何よりも優先すべきだった」

「今そこを反省してもしょうがないだろ」

「ならあなたはこの状況を打開する策でもあるの?」

「打開策はない」

「じゃあ、話しかけないでくれる?」

「打開策はない、が、何も簡単な話だ。オレ達は打開するまでもなく、この勝負に勝っていた。あとは嘘を暴くだけで良い」

「……嘘?」

「オレ達は最善手を打った。違うか?」

 

 その言葉に堀北は目を見開く。

 平田達は採点ミスを見つけることは出来ず、落胆の表情を浮かべている。

 彼女は一度目を瞑り、それからスッと細い手を挙げ、挙手をした。

 

「茶柱先生。少しだけよろしいでしょうか」

 

 これまでの学校生活で、自主的に彼女が発言したことは一度もなかった。

 異様な光景に、茶柱を始め、クラスの皆も驚きの声を上げる。

 

「珍しいな堀北。お前が挙手するとは。なんだ」

「もう一度、全員の英語の点数を見せてはもらえないでしょうか」

 

 無表情だった茶柱の顔が一瞬ピクリと動いた。

 

「……ほう。それに意味はあるのか?」

「あるからこそ、私はこうして手を挙げ、発言しているんです」

 

 茶柱はもう一度プロジェクターを立ち上げ、そして英語の点数表を映し出す。

 

「これが、どうした?」

「40人全員で、今からここに映し出されている点数の平均点を算出したとして、何か不都合な点はありますか?」

 

 堀北のその突飛な提案に、平田は、「まさか」と呟いた。

 クラスメイト達も堀北の真意に気が付き始めたのか「そんなことあるのか?」と騒ぎ出す。

 

「……チャイムが鳴るまで待ってやる」

 

 茶柱は、ついに承諾した。

 そして計算を終えたほとんどの生徒が、茶柱に抗議の声を上げた。

 

 実際の平均点は86.4点。

 四捨五入が正しければ、赤点ボーダーは43点未満。

 つまり須藤は退学を免れるのだ。

 

「今エクセルで計算し直したところ、86.4だった。英語の点数の時だけ調子が悪かったようだな」

 

 と、範囲変更の伝達忘れと同様、大して悪びれずに、茶柱は言った。

 

 だが当人の須藤は茶柱に対しての怒り、よりも堀北への感謝が勝ったようだ。

 堀北を見据える。

 平均点を計算していて気が付いたのだろう。

 彼女がわざと英語の点を落としていたことを。

 

「なんで……お前、俺のこと嫌いだって言ってただろ」

「嫌いだからって、退学しようとしているクラスメイトを見捨てるほど、私は性根が腐っていないの。ーーそれに、今回は勉強を教える私のミスもあった」

「……ありがと、な」

「どういたしまして」

 

 こうして中間テストは無事、誰も退学者を出さず終わりを迎えた。

 

 

 

「そういえば。綾小路くんあなた、あの一瞬で平均点を算出したの?」

「念には念を入れて、だ」

「分かっていたなら、あんな周りくどい言い方をしなくたって良いじゃない」

 

「……含みを持たせて言った方が、かっこいいだろ?」

「はあ?」

 

 プスリ。

 オレの腕に穴が一つ空いたこと以外、無事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かんぱーい!」

 池が缶ジュースを手に取り、叫ぶ。

 中間テストの結果発表から一夜明けたその夜。勉強会メンバーは一堂に集結していた。勉強から解放された喜びと、誰一人退学者が出なかったことで、笑顔に溢れていた。堀北とオレは除いては。

 

「なんだよ綾小路浮かない顔して。須藤が退学にならずに済んだんだぜ?」

「祝勝会を開くのは勝手だが、どうしてオレの部屋なんだ」

「俺と山内と須藤の部屋は散らかってるし、女子の部屋ってわけにもいかないだろ」

「じゃあ沖谷でも良かったんじゃないか?」

「堀北が、無理やりでも誘わないと綾小路は参加しないって教えてくれてさ。せっかく集まるんだし、全員居た方が盛り上がるだろ?」

「何を言う。参加する気満々だったぞ。マジで」

 

 堀北お前……。

 祝勝会?楽しんでこいよガハハと言ったのがマズかったらしい。

 

「にしても見事なまでに何もないよな、綾小路の部屋」

「必要なものがあれば買うさ」

「なんだっけ、ミリオネア?」

「ばっかちげえよ池。ミニ◯ンズだろ」

 

 ミニマリストだろ。

 

「じゃあじゃあ、ラグマット買ってくれよバナナ型の。床痛え」

「山内が全額出費してくれるなら喜んで敷いてやるよ」

「おれえ!?」

 

 勝手に押しかけてきたくせに文句を言うとは良い度胸をしているな。

 あとバナナ型は引っ張られすぎだ池。

 

「それにしても危なかったよな今回のテスト。俺は全然大丈夫だったけど、池や須藤は絶対アウトだった」

 

 山内は無理やり話題を変える。

 

「は? お前だってギリギリじゃねえかよ」

「いやいや、俺は今回全部80越えだから、マジで」

「これも皆堀北さんのおかげだよね。勉強教えてくれたんだもん」

 

 堀北は(オレを祝勝会に巻き込んでおきながら)輪に加わろうとはせず、一人静かに俯いて小説を読んでいた。名前を呼ばれたことに気付くと、栞を挟み、顔を上げる。

 

「私はただ自分のためにやっただけ。退学者が出ればAクラスへの道が狭まるかもしれないもの。勘違いしないでくれる?」

「ここは嘘でも、皆のためとか何とか言っとけよ。好感度上がるぞ」

「上がらなくていいから。それより、浮かれない方が良いわよ。次に待っているのは期末テスト。更に難易度が上がっている可能性もあるもの」

 

「また地獄のような勉強が始まるのか……最悪だあ」

 と池は寝転んだまま頭を抱え、

「終わった今言わなくてもいいだろ!」

 と山内は唸る。

 

「普段勉強を疎かにするあなた達の責任よ」

 

 そんな彼らに堀北はピシャリと一言。

 池と山内の恨み言はどんどん大きくなっていく。

 

「まあ……案外良いやつだよな、堀北は」

 須藤がフォローする形で、そう言った。

 中間テストの一件で、すっかり須藤は堀北に対して丸くなってしまった。図書館で言い争いをしていたのが嘘のようだ。

 

「そうだね。堀北さんの機転がなかったら、茶柱先生のミスで須藤くんは今頃退学になってたんだもん」

 

 櫛田もその話に便乗する。

 

「まさか平均点が間違ってるんなんて、佐枝ちゃん先生も酷いよな!」

「ふ、不具合だって言ってたけど、実際どうなんだろう」

「今となってはどうでもいいことよ。何度聞いたところで、ミスの一点張りでしょうし」

「くっそ、茶柱の野郎……」

「ま、堀北が点数を下げてくれたことで須藤は退学を免れた。それで良いじゃないか」

 

 オレは適当に茶柱の援護をしておく。

 

 

 

 ーーなぜなら、今回彼女に非は全くない。

 むしろヒール役を巧く演じてくれたくらいだ。

 

 オレが20万ポイントを支払って、彼女の行動を購入した。

 ただそれだけに過ぎない。

 

 もし赤点組のいずれかの教科が赤点に誤魔化せられる範囲だった場合、平均点を敢えて誤り、そいつを退学にすると結果発表の際伝える。

 誰も平均点のミスに気付かなければ、帰りのSHRでそのミスについて謝り、退学を取り消すと発言する。

 

 それら関係なく須藤が赤点を取っていれば、まあ、育成も面倒だし放置したが。

 挫折の経験も味わっておいた方がいいしな。

 

 20万ポイントの出費は大きかったが、元々堀北(兄)から貰ったものだ。堀北(妹)に還元されて本望だろう。

 この一件でクラスメイトに堀北の非凡さを改めて周知できた。

 発言権は今までよりも格段に大きくなるだろう。

 加えて堀北を慕う人間も増えた。

 裸の王様はやっと、服(名声)と兵士(協力者)を身につけることに成功したのだ。

 

 

「そ、そういや綾小路くんも英語の点数だけ悪かったよね。他は100点だったのに」

 

 すると、沖谷が目敏いところを突いてきた。

 

「え、満点四つも取ったとかヤバくね?」

 

 その事実を聞いた池がオーバーにリアクションする。

 

「そうそう綾小路さ、めっちゃ教え上手なんだよ。小テスト75点は嘘。俺には分かるね」

 

 嘘の達人山内の特技がここで遺憾無く発揮されてしまった。

 皆の目が一斉にこちらを向く。

 山内。本物の嘘の達人となったお前に一体何の価値があるっていうんだ。

 

「う、うん。綾小路くんに教えてもらって、僕も点数が上がったんだ」

 

 加えて沖谷の援護射撃。

 点数上がって良かったな。

 

「えーじゃやっぱ嘘ついてたのかよ! 隠れた天才的な?」

「あー、いや、過去問もあったし」

「前も言った通り彼は極度の恥ずかしがり屋さんだから、本当は小テストも高い点数を取っていたのだけど、目立つのは嫌で75点と言ったの。大勢から注目されるのが、泣くほど怖いんですって」

 

 堀北が澄ました顔で言った。

 助けてくれたのは嬉しいが、もっと良い言い訳はなかったのだろうか。

 言い方に悪意しかなかったぞ。

 

「ま、そんなとこだ」

「じゃあなんで英語の点数低かったんだ? ……お前、まさか」

 

 須藤が何かに気付いたように、言葉を止めた。

 

「いや、それは違うぞ」

 

 すかさずオレは反論する。

 慕うような、期待するような視線は得意じゃない。

 

「ほら、英語のテスト中。オレは挙手して途中でトイレに行っただろ?」

「あーそうだったっけ」

 

 三バカトリオは目の前の問題に必死で覚えていなかったらしい。

 

「実は試験途中に緊張で腹を下したんだ。だから途中解答のまま出すことになった。……まあ英語の平均点を下げることはできたし、結果オーライだったな」

 

 池と山内は「んだよそれ!」と大爆笑しやがった。

 沖谷も「それは災難だったね」と半笑い。

 本格的に残念な奴と思われていそうだ。

 

 

 ……途中退席することで点数を調整できることは分かったが、やり過ぎると目を付けられるだろうから、今回一回きりかもな。

 

 

 

 その後もなんだかんだ盛り上がり、結局宴は三時間以上続き、掃除もしないで奴らは帰っていった。沖谷は若干躊躇っていたが、場の雰囲気に流されてしまったようだ。

 なんて恐ろしい世界だ。

 

 まあ、オレも皆が帰るまで掃除のことを頭に入れていなかった部分もあるから、自業自得、……ではないだろ。あいつらが悪い。危うく犠牲精神社会に毒されるところだった。

 だがさすが大天使といったところか。

 櫛田だけは残って一緒に片付けてく……れることはなく、ベッドの上を陣取り、オレが掃除をしているのを横目に、愚痴を始める。

 おいマジかよ、仮面取るのはええよ。

 

 

「なーにが、嫌いだからと言って退学させようとは思わない、だ。カマトトぶっちゃってさ。平田が過去問なんかに気付かなきゃ赤点組全員落ちたに決まってんじゃん。そのくせ自信満々とか滑稽すぎ。あんただって、腹下したとか嘘なんでしょ? 100点取ってさ、須藤退学で堀北に赤っ恥かかせてやれば良かったのに」

 

 

 櫛田は舌打ちをし、布団を叩く。埃が舞った。

 

「断れば関係にヒビが入る。ただの嫌がらせにオレを使うな」

「ふん、まあいいけど」

「オレだって、祝勝会をお前が断ってくれさえすれば、開催されることはなく、部屋を勝手に使われずに済んだんだがな」

「二人以上はいいんでしょ?」

「だからって七人は多すぎだ」

「あっそ」

 

 すげない態度で携帯を弄る櫛田。

 普段との温度差で本当に風邪を引きそうだ。

 

「で、帰らないのか?」

「見てこれ」

 

 そう言って櫛田は、クラスの半数以上が参加しているグループチャットの画面をオレへと向ける。なにそのグループチャット、知らないんですけど。

 

「むっかつく」

 

 よく見てみると、堀北を称賛する言葉が三バカトリオによって並べられており、数名の生徒も、「堀北塾いいなあ」的なことを言っている。

 櫛田からすれば、面白くない事態なのだろう。

 こちらの計画は上々だが。

 

「……そういや、堀北に何か言われなかったか?」

 

 ふと、櫛田について試験が終わったら決着をつける、と堀北が言っていたことを思い出した。

 

「何かって?」

「確認されただろ。過去のことについてとか」

 

 櫛田は剣呑な雰囲気を秘めた眼差しを向ける。

 もはや人殺しの目つきだ。

 

「もしかして、あんた何かやった?」

「堀北から先に伝えられた。何故か私を嫌っている櫛田さんと一回話し合ってみるって。信用されているからこそ、教えてくれたんだろうな」

「そう、ならいいけど」

「詳しいことは聞くつもりはないが、顛末くらいは知りたい。野次馬根性とでも思ってくれ」

「信用されてるなら堀北から聞けばいいじゃん」

「関わらせたくないんだと」

「良い子ぶりやがって」

 

 櫛田は舌打ちをする。

 それから、うん? と首を捻った。

 たまに天使モードが入り混じるのが面白い。

 

「ちょっと待って。あんたってどこまで私たちの関係を知ってんの。先に教えてよ」

「高校に入る前からの知り合いで、櫛田にとって本性以上の、またはそれに付随した耐え難い何かを堀北は知っている……と、勝手に思っていたが」

「キモッ、ホントに堀北に聞いてないわけ?」

 

 素直に答えたらキモがられるとかどうすりゃいいんだ。

 堀北の言葉の刃はサクッって感じだが、櫛田の場合はチェンソーでグシャグシャにされてる気分だ。ストレスに耐えかね、いつか発狂してハロウィンハロウィンと叫び出すかもしれない。

 

「神に誓ってな」

「じゃあそこまでに至った経緯を説明して。納得できたら、何を話したか教えたげる」

 

「難しい話じゃない。

櫛田は入学式の次の日から堀北の名前を呼んでアタックしていたが、クラスメイトの名前を知ることができるのは、基本的に初日に貼り出されていた席順の紙と自己紹介くらいだ。オレの名前は覚えていそうになかったし、女子でも何人かには名前を尋ねていたから、たった一日で全員の名前と顔を一致させる特技を持っているわけでもない。加えて堀北自身も初対面で櫛田の名前を呼んでいたから、旧知の関係だということは最初の時点で当たりをつけていた。そして嫌っている事実と櫛田の本性が分かれば、ある程度二人の間に何があったかは推測はできる」

 

「そこまで見てるとかストーカー? 私、怖いよ」

 

 櫛田は自分で自分を抱き締め、震える演技を見せる。

 まるでオレが彼女を虐めているみたいだ。

 

「おいそこで天使モードに戻んな」

 そうつい口から出てしまったのはしょうがない。

 

「あ?」

 

 だがその言葉に超ド級の睨みをきかせられ、「こっわ」と思わず呟いた。

 こいつぁやべーよ。

 

「納得はしてくれたか?」

「まあ、ね。私の過去、詳しく知りたい?」

「どうでもいい」

「つまんないなあ、嘘でも知りたいって言ってくれれば良いのに」

「言ったらどうなるんだ?」

 

 櫛田は両手で銃の形を作り、オレに標準を合わせて撃った。

 

「バーン! Eクラスにこうかーく!」

 

 何故か可愛くウィンクまでついている。

 

「は?」

「倒れろし」

 

 枕を投げられた。

 理不尽が過ぎると思う。

 

 その後なんとか宥め、事の顛末を聞き出すことに成功した。

 

 どうやら堀北は、櫛田が嫌っている理由に納得し、それでも向き合っていくと真剣に訴えたそうだ。当の櫛田は「勝手にすれば?嫌いって事実は変わらないよ」と言い放ったらしいが。櫛田が自クラスに悪い影響を及ぼすかもしれない、という可能性を把握できただけで、堀北には良い判断材料になるだろう。

 ……成長スピードが豆苗並みだな。

 

 今後も相容れない二人は、表と裏では真逆な関係性を保っていくようだ。

 

「ま、頑張れよ」

「あんたにも手伝ってもらうからね?」

 

 当然でしょ? と睨まれ、馬車馬の如く働かせて頂きますと答えるまでは最早様式美だ。

 その後聞くに耐えない罵詈雑言が彼女の口から垂れ流され、愚痴は堀北関連以外にも多岐にわたった。

 その中に、Cクラスは龍園という男が仕切っており、舎弟的ポジションの石崎が中学はワルだったことを自慢してきた、という情報があった。

 龍園、か。

 中々に攻撃的な性格をしており、クラスメイトの大半は彼を嫌っているらしいが、今後どう関わってくるのやら。

 

 

「あーーースッキリした!」

 

 そして最後は天使の微笑みを浮かべて終わる。

 

「だいぶ溜め込んでいたな」

「ほんっとこの学校ってバカばっか。やになっちゃう」

「帰りは気を付けろよ」

「襲うようなバカがいたら逆に脅してやるよ」

 

 そう強気な捨て台詞を吐いて、櫛田が乱暴にドアを閉めた。

 オレは部屋に一人残される。

 はあ、やれやれ。

 と小さく吐いたため息は、やけに部屋に響く。

 

 

 

 

 途端に静けさが襲った。

 少し前まであれだけ騒がしかったのに、同じ部屋であるはずが、全くの別空間に移動してしまったみたいだ。

 空気が重くのしかかる。

 周りの酸素が全て彼らに持っていかれたかのような。

 正常な呼吸を求めて、ふらつく体を叱咤しながら窓を開けた。

 六月初旬の風は、どこか温くベタついている。

 部屋に充満していた他人の匂いは風に乗って流れていく。

 裸足のまま、ベランダの柵に寄りかかった。

 

 街頭の灯り。寮の灯り。

 昼間活動している痕跡。

 推し量り切れない内情が、夜を共有して蠢いている。

 この箱庭には、たくさんの人間がいる。

 

 

 知らなければ良かった

 

 

 そんな、陳腐な恋愛小説の湿った独白みたいなセリフが、喉元を絞めつけるみたいにそこにあった。

 

 

 

 

 

 



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ゆめ

※ゲロ注意
終始暗め。
オリキャラというか、ステージギミック的な人が出てきます。
名無しで、物語に深く関わることはありません。
時系列は一章全体を横断してます。
これにて第一章はおしまい。



 これは夢だ。

 今まで夢を見たことがなかった。

 だからこそなのか、そもそも夢ですらないのか。

 ここが夢だとすぐに分かった。

 明晰夢のようなものなのかもしれない。

 

 

 白いテーブルの上に置かれた白い皿。

 目の前の人間は白い服を身に纏い、背の高い帽子をかぶっていた。

 面識はなかったが、彼はそれが料理人であることを知っていた。

 皿の上に何かが置かれる。

 彼は出されたものをフォークで食べる。

 一口サイズだったり、ナイフで切り分ける必要があったりと大きさはまちまちだったが、ただ一つ同じだったのは、それが、全くの無味無臭であったこと。

 出されては食べ。

 出されては食べ。

 

 そこで彼はふと気付く。

 テーブルは、実はとても長いことを。

 横を向けばズラリと同じようにそれを食べ続ける子供たち。

 自分の体を見下ろすと、背は縮んでおり、彼らと同年代に思えた。

 だが、結局それを知ったところで、何ということもない。

 出されては食べ。

 出されては食べ。

 

 隣の子供が吐き出した。

 何人かの子供が席を立ち、逃げ出した。

 それでも残っていた子供の中には、はちきれんばかりに膨張していき、ついにはパンッと風船が破裂したみたいに消えてしまった。

 その姿に怯えて、食べることを拒否した子供は、どこかへ摘み出されていった。

 

 出されては食べ。

 出されては食べ。

 

 いつの間にか周りに子供はいなかった。

 目の前の料理人には顔がない。

 そして、いつものように彼がそれを口に含んだ瞬間、料理人は忽然と姿を消した。

 

 代わりにやってきたのは、色とりどりの何か。

 彼はその存在を理解し切れなかった。

 色とりどりの何かは、皿の上に、これまた同じように色とりどりの何かを置く。

 これを食べろと言っているのか。彼は問う。

 しかし色とりどりの何かは首を横に振る。

 

「御自由に」

 

 彼が話しかけると、色とりどりの何かは不可解な言葉を吐いてくる。

 料理人は何も話さなかったのに。

 同じことを聞いても、違うことを聞いても、返ってくる言葉は全く異なる。

 理解できない言語。

 食べればいいのか。

 食べてはいけないのか。

 意味が分からない。

 意味が分からない。

 もう何も食べたくない。

 

 何があっても揺れ動かなかった心が、そう悲鳴を上げていた気がする。

 

 

 

 

 次の瞬間、目が覚めた。

 

 

 

 

 朝。

 自分に与えられた部屋での目覚め。

 昨日は入学式だった。今日から念願の学校生活が本格的に始まる。

 腹が減っては戦ができぬと言うだろう。

 コンビニで買ったカップラーメンを消費しようとお湯を入れ、三分経ってから蓋を開ける。

 美味しそうな匂いが鼻腔をかすめ、勢い良く麺を啜った。

 

 

 異変はすぐに起こった。

 カップ麺が不味かったわけではない、むしろたった三分でここまで美味しくなるのか、と感心したくらいだ。

 だが、胃が、固形物を受け付けなかったのだ。

 急いでトイレに駆け込み、胃の中のものを全て戻した。

 マーライオンもびっくりの排出量である。

 もう出すものはないというのに、何かをせり上げるように内臓は運動する。胃液が喉を焼き、漏れる声は掠れている。嘔吐感が治まったときには、大量の汗でシャツはベチャベチャだった。生命の危機を感じ、這うように冷蔵庫に辿り着き、買っておいたミネラルウォーターをガブ飲みする。

 だが、ここで更なる悲劇が起きた。

 一気に飲み物を腹の中に入れたため、満腹感が襲う。

 その居心地の悪さたるや。

 結局水分補給のために入れた水全てをさっきと同じ要領で戻してしまい、一回死を覚悟し、救急車の呼び方が頭の中で何度もリフレインした。

 瀕死の状態で、ジュースを水に薄めてスポーツドリンクの代用として、今度は焦らずゆっくり飲み干していくと、段々体は落ち着いていった。

 

 

 あれは夢だ。

  

 

 未だ混乱している頭を切り離し、思案する。

 あれは、夢だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夏風邪を治したいなら、病院に行きなさい」

 

 堀北は真っ直ぐ前を向きながら淡々と言った。それがオレへの言葉だと一瞬気付かず、「え」と情けない声が出る。

 それは、美術の授業の後の休み時間のことだった。

 あまり詰めすぎても集中力は切れるので、こういった授業の後は勉強会はお休みとなる。池や山内は、束の間の解放に、何故かゴリラの真似事をしていた。

 

 だが、いきなりどうしてそんなことを言い出したのだろう。

 

「まだ五月だろ」

「五月病の方がいいかしら」

「いや、夏風邪だな」

 

 いつかの適当な返しを思い出し、苦い顔になる。

 もっとマシな言い訳を考える必要がありそうだ。

 茶柱への出資によりポイントの節約生活が始まったので、ここ数日のご飯事情はひもじいことになっていた。顔色の悪さを誤魔化せなかったのだろう。

 

「原因は分かっているの? 対処法もネットだけでは、あまり参考にならないんじゃない?」

 

 面倒だな、と内心ため息を吐きつつ、窓の方を見遣る。

 堀北は黒板を見据えたまま。

 一見、オレ達が会話をしているようには思えない。

 

「……原因は分かっている。それに病院だって薬を出すくらいしか変わらない。なら薬局でいい」

「あなたに合った薬は売ってないかもしれないわ」

「だいたい夏風邪って何を飲めば治るんだ。精力剤か?」

「警察を呼んでおくわ」

「是非ともそうしてくれ」

「そもそも、何をすれば治るのか。その手の専門家に聞くために、私は病院に行く事を勧めているのだけど」

「オレは病院が嫌いなんだ。アレルギー反応で発狂して備品という備品を壊し回り、最悪学校を追い出されるかもしれない」

「笑えない冗談ね」

「泣いてもいいぞ?」

「夏風邪を理由に栄養剤を貰うか、強引に点滴でも打ってもらいなさい。病院ならポイントもタダのはずよ」

「オレはお前のただの隣人だ。どうでもよくないか、隣人の夏風邪事情なんて」

「……栄養失調で倒れられて、クラスポイントが減っては困るから」

 

 訝しみつつ、いつもの軽口を叩いていたが、なるほど。

 彼女の真意はそこにあったらしい。

 干渉するな、というのも契約内容に入れておけば良かったな。

 

「それは、……確かにそうだが。夏風邪でゴリ押そうにも、オレは口下手だからな、上手く言いくるめられるか不安だ」

「私の追及から逃れる時に発揮されるその良くペラペラ回る口を使えば良いじゃない」

「でも、ほら、あれだろ。病院に行ったことが茶柱先生にバレるのは、なんだ。恥ずかしくないか?何度も言うが、他人からどう思われているのか気になるお年頃なんだ」

 

 堀北はわざとらしくため息を吐いた。

 何故ならこの問答に、意味が全くないからだ。

 

「医者には守秘義務があるはずよ。もしただの保健室的役割だったとしても、私たちにはプライベートポイントがあるのだから、秘密を買うことだってできる。違う?」

 

 そう強く出られれば、こちらはもう、「はい」と頷く機械になるしか道はない。

 

「分かったなら今日すぐにでも行くことをオススメするわ。夏風邪は拗らせると危ないと言うから」

 

 不本意な了解を全く気にした様子のない堀北は、再び本を開き読み始める。

 

「待ってくれ」

 

 聞かなければいけない事を思い出して、そんな彼女を呼び止めた。

 

「オレは人一倍丈夫だったから病院に行ったことがない。夏風邪を治すには何科に行けばいいんだ?」

 

 彼女は本から目を離さず、キツく言い放つ。

 

「精神科よ」

 

 

 

 

 

 しかしああは言ったものの、はなから病院に行く気などサラサラなく、明日適当に「いやあ点滴も慣れれば快適っすよ。堀北もどうだ? 楽しいぞ」的なことを言うつもりだった。診察室という白く狭々しい部屋もそうだが、医者と対面で話し、ジッと観られるのも居心地が悪い。

 

 普段ならさっさと終われ、と思う授業だが、今日に限って言えばそのまま一生終わらないでくれと何度願ったか分からない。しかしそういう時ほど時計の針は意地悪くもビュンビュン進み、気付いたら放課後になっていた。

 

 堀北から睨まれる……ことはなかったが、代わりに「行きなさい」と書かれたノートの切れ端をちぎっては投げられた。その残骸をそそくさとゴミ箱に捨てながら、「分かった。行く。行くから」と適当なことを言い、学校から逃げ出した。

 

 そして学校を出て、急に身体に力が入らなくなった。

 見えない敵から攻撃を受けたのだ。

 側から見れば、何もない所で急に転んだ間抜けな奴、と思えるだろう。

 手を何度か握っては開き、力が戻ったことを確認し、ゆっくり立ち上がる。

 すぐに学校を出たため、帰宅部の中でもエースな奴しか周りにおらず、あまり目立つことはなかった。

 見えない敵は自分、と云うとなんかカッコよく聞こえるな。

 

 

 ……腹を括るか。

 何事も柔軟な思考が大事だ。

 オレはそう決心し、堀北の忠告通り、病院へと向かった。

 

 病院といっても小さな診療所のような所で、駐在している医師は二人、内科と外科で分かれていた。特に待たされることなく、診察室に通される。そう頻繁には外来患者も来ないのだろう。中には医師が一人、何やらパソコンで作業をしていた。

 オレが入室した事を知ると、「どうぞ」と丸い小さな椅子に腰掛けるよう促す。

 

 さて、どうアプローチをしようか。

 

 

「医療機関は無償だと聞きました。栄養剤かもしくは点滴をお願いできますか?」

「なるほどね。いいよ」

 

 特に驚くこともなく、案外あっさりオーケーが出る。

 

「ただ義務として、理由を聞かなくてはね」

 

 だいぶ緩い感覚の人らしい。正直助かった。

 

「いやあ、豪遊していたらポイントがなくなってしまいまして。料理もろくにしたことがないし、友達もいないんでポイントを貸してもらえないんですよ」

「患者のデータベースはこちらが管理しているんだ。私の目が正常なら、君のポイントは2の後ろに数字が四つあるように見える」

「一ヶ月一万円生活絶賛実施中なんですよ」

「ガイドラインには、金欠以外の理由なら無償で施すこと、と書かれているんだがね」

 

 検分するような、目。

 前言撤回。

 少し面倒な医師に引っかかってしまったかもしれない。

 日を改めて違う医師に頼むか、あるいは。

 息が無意識的に浅くなる。

 夏風邪を、夏風邪が、夏風邪で、

 グルグル同じ言葉が廻る。

 この場所はやはり難しいらしい。

 

「……恥ずかしがり屋なんで、あまり見ないでもらっていいですか」

 

 絞り出した言葉に医師は目を瞬かせ、それからパソコンを閉じて立ち上がった。

 

「私はハードボイルドな医者で有名でね、どうも診察室は堅苦しくてしょうがない。君が良ければ屋上で話を聞こうか、そこにはベンチがある」

「先生とは良い関係を結べそうですね」

 

 その医師にはとりあえず、食事が満足に取れない状態であることを伝えた。

 何か言いたげにしていたがそれ以上は聞いてこなかった。

 結局ポイントが足りない場合は高カロリー飲料を提供して貰うことになった。

 面倒なので毎食それで良いと進言したが、高校を卒業した後も頼りきりだと費用がバカにならないよ?と言われ、何も返せなかった。

 

「この事を学校側に報告はしますか?」

「……本人が嫌がるようなら伏せることもできるけど」

「ポイントで買われることは?」

 

 医師は「いやだねえ」と空を仰ぐ。

 まばらに浮かぶ雲は、いったい何に追われているのだろう、素早く形を変えて流れていく。

 

「つくづく罪作りな学校だよ。それに、たとえ今ポイントを請求したところで、君は払えないだろう?」

「目安を教えてください」

「まずは百万。それが最低ラインだ。だがね、高校生なんだから遊びに使っちゃいなさい。私が君ぐらいの時なんて、勉強をほっぽり出して、バイクを乗り回していたよ」

「夏休み明けには必ず用意します。それまで待っていただけますか」

「真面目ちゃんだね」

「模範的な生徒ですから」

 

 協力者選びに失敗したかもしれない、と内心後悔しながら、屋上での診察は終わった。

 

 数食分の高カロリー飲料を貰い、病院を出ようとすると。

 

 カツン

 

 杖をついた華奢な少女とすれ違った。

 まるで精巧に創られたドールのようだ。

 

 櫛田から聞いてはいたが、彼女が坂柳有栖だろうか。

 確かAクラスで葛城と争っているとか何とか。

 儚げな印象を受けたが、あれでも攻撃的な性格らしい。

 あまり関わり合いたくはないな。

 

 ーーだがオレは見逃さなかった。

 いや、無視できなかった、と言うべきか。

 ただすれ違っただけ、それだけの筈だ。

 

 あれはなんだ。

 あの、“目”はなんだ。

 

 自分の手が震えていることに、暫く気付くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 用事を済ませて寮に帰る最中、部活で外を走っていた須藤と偶然出会う。「よお」と挨拶されて無碍にできる人間はそうそういない。

「頑張れよ」

 と声をかける。

 

 すると、なにやら話があるらしく、彼は立ち止まった。

 

「綾小路。放課後どっか行ってたのか?」

「まあそんなところだ。で、なんの用だ」

「ちょっと礼したくてよ」

 

 そう言い、須藤は汗だくの顔をタオルで拭いた。

 ちょっと来い、と指を指した方向には、部活生用の自販機。

 

「ほら、この前の英語のテストで、お前50点だったろ? みんなで集まった時はなんか腹下したーとかで納得してたんだ。でもこうやって走り込みしてたら、やっぱり堀北みたいにワザとなんじゃないかって思えてきてよ」

「それでオレがたまたま通りかかったから声をかけたのか?」

「まあ、そんなとこだ」

「深読みしすぎだ」

「けどよ、結果オーライでも嬉しかったんだ。堀北にだっていつかちゃんと礼はしてえ」

「あいつが何か貰って喜ぶ姿は浮かばないけどな」

「言えてるな」

 

 そう須藤が鼻で笑い、自販機に学生証カードをかざし、チョコバーのボタンを押す。ピッと100ポイントが消費される。

 

「ポイントねえからこんなもんしか奢れねえけど」

 

 恥ずかしげに投げ渡された。

 

「おお、ありがとな」

 

 気持ちは嬉しいが、ジュースの方が良かった。

 チョコバーを受け取りマジマジと眺めていると、急に須藤が黙りこくる。顔を上げると、須藤はジーっとオレの方を見つめていた。

 

「食わねえの」

 

 表情こそ動かさなかったが、内心ヒヤリとした。

 まさか試していたのか。

 いや、須藤に限ってわざと、はないだろうから成り行きか。

 お礼を最初っから突っぱねとけば良かったかもな。

 

「……腹は空いてないんだ」

「今日の昼飯リンゴのヨーグルトかなんかだったろ。腹空かしてんじゃねえか?」

「さっき食べてきた。ナポリタン。これは今日の夕飯にでもするさ」

 

 須藤は気まずそうに、頬をかく。

 何か言いたげな様子だ。

 

「……どうしたんだ?」

 

 窺うような目線は良いものじゃない、さっさと話は終わらせたい。

 多分そういう雰囲気が漏れ出たのだろう、須藤は意を決して口を開いた。

 

「祝勝会ん時、お前がトイレに行ってる間に飲みもんが切れてよ、ジュースでもないか冷蔵庫を開けたんだ。……なあ、あんま詳しくねえけど、」

「家主の冷蔵庫を勝手に漁るな」

「悪かったとは思ってるけどよ、でも、おかしくねえか? 確かに俺は、綾小路がちゃんと物を食ってるとこ見たことなかった。今まで気にしちゃいなかったけどな、昼飯はいっつもゼリーか飲みもんだけで済まして、昼は腹が空かねえタチなのかと思ったけどよ、冷蔵庫の中身を見るに、……多分、ちげえんだろ」

「少食なんだ」

「それなら、いいんだけどよ」

 

「……あー! わっかんねえ!」

 

 突然須藤は頭をがしがしと掻き、唸り声を上げた。

 それから何か吹っ切れたようにオレに向き直り、肩を掴んだ。

 

「おい綾小路! もし、なにか嫌なことがあったら、俺に言ってくれ。ぶっ飛ばしてやるからよ。バカだから、それくらいしか思い浮かばねえけど」

 

 どうやら須藤は勘違いをしているらしい。

 いや、勘違いではないが、そういうことにしておこう。

 オレは肩に置かれた手を無理矢理剥がす。

 

「あのな須藤。気遣いは嬉しいが、多分お前が思ってるようなことは起きてない。だから気にするな」

 

 そして、見せつけるように封を切り、オレはそれを一口食べた。

 須藤が目を丸くする。

 

「これも、後で食べ切る。ありがとな」

 

 ごくりと飲み込んでみせる。

 身体の中が沸騰しているみたいに熱いのに、手の先は冷たく震えている。

 だが、オレはそれらに無視を決め込んだ。

 須藤は気まずそうに、口ごもる。

 

「なんか、俺、だせえな」

「いや、気持ちは嬉しかったよ。ありがとう。勘違いさせるようなマネしてこっちこそ悪かったな」

 

 その後言葉を数度交わしてから、須藤は練習に戻っていく。

 見送りながら、内臓は捏ねくり回されるみたいに酷く気持ちが悪かった。

 それでも必死に堪えた。

 

 

 

 どうして自分は頑なにこの事を隠そうとするのか。

 確かに学校側に本格的にバレて休学措置を取られるのは困るから、という大前提はある。

 だが、わがままな話。

 オレはきっと、不良品であることを望みながら、そのことを周知されるのが嫌なのだ。

 憐まれ、弱者として蔑まれることにではない。気を回されて、先の須藤のような態度を取られることに、我慢がならない。

 そしてその理由も、この不良品な体に原因がある。

 

 

 だがオレは、これらの対処法を既に見つけている。

 対処法だけではない、解決方法さえもだ。

 それらを実行しないのは、単に失敗作として、惨たらしく敗北したいからに過ぎない。

 

 いや、少し違うな。

 何もオレはただ何もせずに負けたいわけじゃない。

 本気を出して、どこまでいけるのか。

 最高傑作と謳われたこの作品は、外の世界に一歩出れば、不良品と化す失敗作なのか。

 オレは、それを知りたい。

 

 

 何度も嘔吐きながら、オレはチョコバーを食べ切っていた。

 また不良品が不可解な行動を起こしたらしい。

 

 

 自分の体だ。

 自分が一番熟知している。

 今は泳がせているが、答えを知ることができれば、いずれ完治させる。

 拭え切れない不安感も、きっとこの体がおかしいからだろう。

 

 

 クラリと目眩がした。

 太陽が眩しいせいだ、と重たい雲にオレは悪態を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書き溜めていた分は取り敢えず放出しました。
今後も書き上がり次第一巻内容ごとに投稿していくので、気長に待ってくれると嬉しいです。
評価、お気に入り、感想等本当にありがとうございました!


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第二章
アンハッピーボーイ・アンラッキーガール


蛇に目を付けられた不幸な不良少年と、居合わせてしまった不運な目隠し少女


 

 

 

 

 

 

 

 ーー存在するとは知覚されることである。

 

 

 バークリーによれば、世界は神とその他知覚する精神で構成されており、たとえば我々が目の前の机を叩いてその硬さを認識したとしても、“机の固さ”としてではなく、“知覚として”認識しているわけであり、“机自体”を認識していることにはならない。

 その机が物質として存在していることは、誰も確かめようがない。

 唯一、神のみが知覚する精神、つまり我々に作用し、認識を共有させる。

 彼は物質を否定し、知覚する精神と、神のみを実体と認めた。

 

 

 ならば、人々が心の内から描き上げたこれらの絵も。心で感じ取った風景を閉じ込めた写真も。また、神が定めた定義上のものでしかないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 美術の授業。

 本来なら絵を描くなど工作の色が強いが、今日は座学だ。

 ルネサンスやらなんたらのすごい絵の鑑賞のお時間。

 しかも、何かのスイッチが入ったらしく、先生はルネサンス繋がりで西洋近代思想の話を始める。

 殆どの生徒は船を漕いでいた。

 

 特別棟は特別な授業、例えば家庭科室や視聴覚室など頻繁に利用しない施設が揃った校舎であり、教室や職員室がある本校舎から外廊下を通って行くことができる。ここ美術室もそうだ。

 特別教室での授業では席は決まっていない。

 今まではボッチか、席が足りなければ高円寺の隣という悲しい二択しかないオレだったが、今回は池達に誘われて、山内と須藤の四人で一つの机を囲んでいる。

 オレは高校生活の一端に、今触れている。

 感動と頭痛が同時に襲う。

 

 「あれ、お前第二ボタン閉めてんじゃん。いつも開けてんのに」

 

 どうやら授業に飽きたらしい池は小声で須藤に訊いた。

 

 「んだよ、悪いかよ」

 「いや何でかなって」

 

 すると須藤は言い辛そうに口の端を曲げた。

 

 「……堀北がよ、真面目な奴が好みだって言ってたんだよ」

 

 池は耐えられなくなって噴き出す。

 

 「だからってお前第二ボタン閉めるってお前さ。じゃあ全部閉めろよ」

 「息苦しいんだよ」

 

 とうとう池は声を上げて笑った。

 今は授業中だ。

 池はすぐに口に手を当てて抑えたが、先生だけでなく、クラスメイトからも白い目を向けられ、「すみません……」と縮こまる。

 山内も机に伏せて堪えている。

 第二ボタンを閉めるだけでモテるなら、非リアは苦労しないのにな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院はケヤキモールから少し外れたところにある。

 どちらかと言えば学校の特別棟に近いとも言える。

 急患が出ることが多い、学校とケヤキモールの両者に挟まれた方が便利だからだろう。

 

 明日にはクラスポイントが配布されるのもあって、いつもの用事を済ませたオレは、人通りの多いケヤキモールを避けて、学校側から寮へ帰ろうとしていた。

 蒸し暑さも感じ始めた六月の晦。

 空も嫌気がさしたのか雲は散っており、夕焼けに照らされて紫がかっている。

 ぼんやりと空を見上げていると、肩に衝撃を受けた。

 

 「うお」

 「きゃっ!」

 

 誰も通らない道だと思っていたために、驚き振り返る。

 そこには長い髪を二つに縛った少女が倒れていた。

 

 「大丈夫か?」

 

 オレはとりあえず、コンクリートの上に落ちてしまっている眼鏡を拾い上げる。幸い、割れてはいなかった。が、それが伊達眼鏡であることに少し疑問を抱きつつ、しゃがんで少女に差し出す。

 少女は慌てたように立ち上がり、

 

 「ご、ごめんなさい……!」

 

 と、走り去っていった。

 後ろ姿を見届けながら首を傾げる。

 彼女は同じDクラスの佐倉愛里だろう。

 一瞬見えた素顔は、どこか怯えているように見えた。

 何かに追われている、いや、逃げ出したのか。

 彼女が来た道を辿ると、確か特別棟だったはずだ。

 

 

 「……あ、眼鏡」

 

 手元に残った眼鏡に、オレは途方に暮れた。

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり夜もふけ、オレはイヤホンも付けずノート型パソコンを起動する。授業の課題などで使うことがあるため、寮には一台、部屋に備え付けられている。型は少し古いものなので、博士という渾名で呼ばれている外村はガッカリしていたらしいが。

 部屋にいることの方が多いため、最近は読書だけではなく、動画配信サービスに入会して、ランキングやおすすめ一覧から片っ端から観るという趣味を手に入れた。

 今日はゾンビ映画だ。

 主人公の最愛の娘が死に、数年後娘に似た少女を守る依頼を受けゾンビから守る……的なストーリー。主人公が最適な行動をするので、それに対抗して自分はどう動くかシュミレートしながら視聴していたが、結局自分はそもそもその少女を見捨てるかもな、と黒い感情が浮かび、途中から純粋に観ることにした。

 ゾンビが扉をガンガン叩く。逃げ場はない。絶体絶命の大ピンチ!

 

 と、いうところでドアチャイムが鳴った。

 こんな夜遅くに誰だ。

 主人公が次にどんな行動を起こすか予測しながら、もしかして今訪問してきたのはゾンビだったりしないだろうか、と夢想もしつつ、U字ロック越しに確認する。

 

 

 

 「綾小路!助けてくれ!!」

 

 そこには、ゾンビ顔負けの真っ青になった須藤が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七月一日。

 本来真面目とは程遠い連中が多いため、Dクラスの朝はいつも賑やかだ。

 だが今日はいつにも増して浮き足立っていて騒がしい。その理由は言わずもがな。今日は入学以来、公式として、三か月振りのポイント支給日かもしれないからだ。

 

 ただ、支給自体は実はこれで三回目。

 池と山内が騒いだことで、茶柱は生徒を混乱させてしまったケジメとしてクラス全員に2500ポイント支払った。

 現金なもので、太っ腹!と皆は目を輝かせていたが、それはオレのポイントだ。

 ちゃっかり10万ポイント懐に入れやがって。

 まあこれで生徒たちを懐柔できると踏んでの散財だろう。上手い使い方ではある。

 

 「須藤!ポイントもらえる記念に写真撮ろうぜ!」

 

 山内がはしゃいで池と須藤を巻き込み自撮りする。

 池はガッツポーズをして映りこむが、須藤はどこか元気がない。

 

 そうこうしている内にチャイムが鳴り、茶柱が教室に入る。

 一年生はまだ誰にもポイントが配布されていないことから、ホームルーム中に配られると信じている生徒たちは待ってましたと言わんばかりに、茶柱に期待の目を向けた。

 

 そして六月上旬に行われた中間テストは、堀北が考えていた通り、特別試験の一環だった。本来高得点を取りにくいテストを受けさせて、この学校の特異さを理解してもらうという狙いがあったようだ。過去問に辿り着かなくとも、テスト内容のぶっ飛び方で何か他の攻略法があったのではないか、と勘の良い生徒は気付く。今後の特別試験に向けての、学校側の配慮でもあるようだ。

 そしてクラスポイントは全科目の平均点と同じ分だけ増える。

 Dクラスはなんと、87クラスポイント、つまり8700ポイント貰えるのだ。

 

 「じゃ、じゃあ今からポイント増えるのか!」

 

 生徒たちは歓喜する。が、しかし。

 

 「今回、少しトラブルがあってな。本来なら中間テストの説明を行い、ホームルームが終わり次第支給される手筈だったが、一年生のポイント支給が遅れている。お前たちには悪いがもう少し待ってくれ」

 「えー学校側の不備ならおまけにポイントくださいよー」

 

 池が嘆く。

 生徒たちからも同様に不満の声が上がった。

 せっかく中間テストで手に入れたポイントだ。三か月を10万で過ごしてきた金欠な生徒たちからすれば、早急にポイントが欲しいはずだ。

 

 「そう責めるな。学校側の判断だ、私にはどうすることもできん。トラブルが解消次第ポイントは支給されるはずだ。……ポイントが残っていれば、な」

 

 隣人の堀北は、その言葉に眉をひそめた。

 こうして不穏な置き土産を残し、ホームルームは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休みに突入すると、生徒たちは各々自由に昼食を取るため行動を起こし始める。オレはと言えば、教室ボッチ飯。沖谷など大人しめの男子が集まっているグループや、池達に誘われることもあったが、丁重に断り続けることで誘われることはなくなった。

 隣人に、「私のマネ?」と笑われたが、堀北よりはマシだと思う。

 いつものゼリー飲料ではなく、今日は趣向を変えて粒々入りのグレープジュース。だが一口飲んで気分が悪くなったので、美味しかったがダメらしい。

 肩を落としてガッカリしていると、茶柱が教室に入ってきた。

 

 「須藤。お前に話がある。職員室まで来てもらおうか」

 

 一緒にコンビニに向かおうとしていた池と山内は顔を見合わせる。

 

 「……お前ら、先にコンビニ行っててくれよ」

 「あ、ああ。カツサンドでいいか?」

 「おう」

 

 特に抵抗することもなく、須藤は何やら思い詰めた表情で茶柱のあとを着いていった。

 

 一部始終を見ていた堀北は、箸を置き、前を見据える。

 堀北がこういう姿勢を取るのは、大概オレに話しかける時だ。

 面倒ごとは嫌いなので速かにこの場を離脱する。

 

 「待ちなさい綾小路くん」

 「オレは地球を救う使命を背負っているんだ。オレの血でゾンビに対抗し得るワクチンを作ることができる。悪いな」

 「あなたにしか救えない地球なんて滅んだ方がマシよ。そんなことより、私の言いたいこと、分かるわね?」

 

 腕を掴まれ、ジッと見上げられる。

 オレは観念して椅子に座ることにした。

 

 「須藤がなんかやらかしたってか?現時点ではまだ分からないだろ」

 「いえ、確信している」

 「それはまたなんで」

 「昨日、須藤くんが私の部屋に訪ねに来たからよ」

 「夜這いか。いつの間にお前らそこまで進展してたんだ。それで、どうだった」

 「どうやら須藤くんはCクラスの男子たちと揉めたようね」

 「ほう、揉まれたのか」

 「はっきり言って自業自得よ。彼は自分が悪いとは思っていなかった。挙句に俺は喧嘩なんかしてねえって逆ギレ。その時だけは、彼を退学から救ったことを心底後悔したわ」

 

 何を言っても無視され、これ以上ふざけたことを抜かせば本気で軽蔑されそうだ。

 ふと、裾の隙間から彼女の細い左手首に貼られている湿布が覗かせているのに気付いた。

 

 「突き飛ばされでもしたか」

 「よく分かったわね」

 「ああ。捻挫、か?」

 

 堀北は少し気まずそうに裾を捲り、それを見せる。

 

 「別にそこまででもないわ。でも、放っておいたら悪化するかもしれないから」

 「痣でも残ったら大変だしな。女の子は特に気を使いそうだ」

 「……いえ、正直に言うわ。ちょっとした嫌がらせよ。自分でも稚拙だとは思っているけれど」

 「で、須藤を助けるのか。お前の推測通りなら、Dクラスはまたポイントを落とすことになるが」

 「だからこそ、私はあなたに相談しているの。須藤くんをどうするべきか。クラスにとってプラスになるか、むしろ足手まといになるか」

 

 おそらく堀北は今、真剣に須藤に向き合おうとしているのだろう。

 喧嘩してしまったことを重く受け止め、自分に助けを求めてきたこと。

 その癖、過失を認めたがらず、反発したこと。

 二つの出来事に、どう折り合いをつけるか。

 

 「お前は今朝の須藤の様子を見て、どう思った」

 「……反省は、していると思う。でも、私に怪我を負わせてしまったことだけを反省しているとしたら、救いようはないわね」

 「ただ、現時点ではまだ分からない。だろ?」

 「ええ」

 「オレもそんな感じだ。まあ、須藤の運動能力に関して言えば、手放すのは少し惜しいかもな。とりあえず今日の帰りのSHRで詳細は話されるだろ」

 「それもそうね」

 

 話も終わり、昨日図書館から借りた西洋哲学書を開こうとすると、「ああそういえば」と堀北が再び口を開いた。

 

 「余ったからこれ、あげる」

 

 そして煮豆腐がぽつりと一つ残った弁当箱を差し出される。

 それを手掴みし、ヒョイっと食べた。

 

 「おお、うまいな」

 「ええ。自信作だもの」

 

 ここ最近、昼食休憩で、堀北に弁当のおかずを自慢されるというコーナーが追加されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「今日はお前たちに報告がある。先日学校でちょっとしたトラブルが起きた。そこに座ってる須藤とCクラスの生徒との間での騒動。端的に言えば喧嘩だな」

 

 先生のその言葉に、教室中がざわざわと騒がしくなる。

 須藤とCクラスが揉めたこと、責任の度合いによっては須藤の停学。そしてクラスポイントの削減が行われること。

 淡々と、粛々と先生は状況を説明した。

 話す内容は決してどちらか一方に肩入れするようなことはなく、あくまで学校側としての中立的な説明だった。

 

 「その……結論が出ていないのはどうしてなんですか?」

 

 平田から至極当然の質問が飛ぶ。

 

 「訴えはCクラスからだ。どうやら一方的に殴られたらしい。ところが真相を確認したところ、須藤はそれを事実ではないと否定した。彼らに呼び出され、そのあと何もなかったというのが須藤の主張だ」

 

 「俺は喧嘩なんかしてねえ」 

 「だがCクラスの生徒たちは怪我をしていた」

 「あいつらが勝手に転んだだけだろ」

 「証拠はない。違うか?」

 

 茶柱からの指摘に須藤は黙る他なかった。

 

 「今のところ真実は分からない。だから結論が保留になっている。どちらが悪かったのかでその処遇も大きく変わるからな。この中に須藤たちの喧嘩を目撃した者がいれば挙手をしてくれ」

 

 先生はそう問いかけるが、手を上げる生徒は1人もいない。

 

 「残念だが、このクラスには目撃者はいないようだな」 

 「……のようだな」

 

 淡々と話を進める茶柱。

 目撃者はいないという事実に対し、須藤は目を伏せる。 

 

 「学校側も目撃者を探すために各クラスの担任の先生が詳細を話しているはずだ。目撃者の有無や証拠の有無。それらを含め、最終的な判断は来週の月曜日に、生徒会を交えた審議を行う。公平性を保つために須藤は二人の生徒を連れて行くことが許されている」

 

 月曜日という日付に教室はざわつく。

 今日は金曜日。

 つまり、放課後と土、日を挟んですぐにクラスポイントがかかった審議が行われるのだ。あまりに少ない時間に、そもそも納得のいっていない生徒は困惑をあらわにしている。

 

 「学校側は早急に事を決めたいと考えている。加えて生徒会も繁忙期だ。月曜日しか話し合いの場を設けられなかった。須藤。お前は審議が終わるまで部活停止だ。これでホームルームは終了する」

 

 茶柱は特に表情も変えることなく教室を出て行く。

 仮面の裏側は凄いことになっていそうだが。

 

 茶柱もいなくなったことで、教室にしんとした沈黙が下りる。だがこれは嵐の前の静けさに過ぎない。誰かが口火を切れば、あっという間にその流れは広がり、未だ教室に残り続けている須藤に牙を向くだろう。

 そんな中、堀北がスッと立ち上がった。

 

 「須藤くん」

 

 一番後ろの席なため、その声に誰もが振り向いた。

 須藤も、気まずそうにゆっくり堀北の方を見る。

 そして彼女は毅然とした態度で彼の前に立つ。

 

 「あなたは最悪な事をした。それは、分かっているのね」

 「俺はっ、喧嘩してねえ」

 「でも、ここに居る誰もが思っているわ。あなたとCクラスの生徒は喧嘩したと。何故だと思う?」

 「……俺の、普段の、行動。のせいだろ?」

 「ええ、そうよ。あなたの今までの粗暴な振る舞いや不真面目な態度が、今回の事件を招いた。あなたがもし模範的な生徒だったら、ここまで疑われなかったでしょうね。違う?」

 

 耳に痛い話を、堀北は続ける。

 須藤はそれを顔を歪めて黙って受け入れる。

 その空気をクラスメイトも肌で感じ取っただろう。

 

 「反省はしているようね。なら、今すぐにすることがあるんじゃないかしら」

 

 二人の視線が交わった。

 須藤は静かに立ち上がり、そして頭を下げる。

 

 「わりい。俺が軽率な行動を取っちまったから、Cの奴らに目を付けられたんだと思う。信じてもらえないかもしれないけど、これからは気をつけたい、いや、気をつける。だから、頼む。俺の疑いを晴らす手伝いをしてほしい」

 

 今までの須藤からすれば、考えられないような真摯的な態度だろう。

 堀北はその言葉に頷いた。

 決心がついたのだろう。

 

 「分かった。あなたは今回、本当に喧嘩をしていない。だから、私はあなたの疑いを晴らす。その代わり今後は心を入れ替えて生活し、バスケでクラスに貢献してもらう。いい?」

 「あ、ああ!」

 

 張り詰めた糸が緩み、教室内の雰囲気は解れる。

 ヘイトを一身に背負った須藤を全員の前で叱責し、そして謝らせることで、とりあえずクラスメイトの溜飲は下がっただろう。

 これ以上責めれば、それはイジメに繋がる。

 集団の暴力。

 この学校で、好きでイジメの主犯者になりたい奴はいないだろう。

 だから、心の内でどう思っていようとも結局誰も何も言い出せない。

 

 そこで櫛田も便乗する。

 須藤がバスケ部でレギュラーに抜擢されそうなこと。それを嫉妬した同じバスケ部の生徒が須藤を部から追い出そうと呼び出して脅したこと。あくまで推察だという事を濁しつつ須藤が被害者なのだと主張する。須藤もそれに頷いた。クラスで最も信頼されている櫛田の呼びかけだったからこそ、心に響いた生徒もいただろう。

 

 「僕は、須藤君を信じるよ」

 

 そしてクラスのリーダー的ポジションである平田が援護する。

 

 「みんな。もしこのクラスに、友達に、先輩方の中に見たって人がいたら教えてほしい」

 

 堀北と櫛田、平田らを中心に須藤の無実を証明するための場が発足したようだ。

 お役御免だし、オレはさっさと帰るか。

 気配を消してフェードアウトしようとして、オレは硬直する。

 堀北にギロリと睨まれたからだ。

 オレはいつから“だるまさんがころんだ”をやっていたんだろう。

 彼女に睨まれ続けている間、一歩も動けなかった。

 

 

 

 

 

 「綾小路くん。事件現場に行ってみたいのだけど」

 

 三人を中心にした話し合いも終わったらしく、堀北は自分の席に戻ってくる。

 どうやら彼女は目撃者集めに参加するのではなく、証拠集めに注力するようだ。

 まあ人海戦術は得意じゃないからな。

 順当な役割だろう。

 

 「おおいってらっしゃい。気を付けろよ」

 「何を言っているの?あなたも行くのよ」

 「遠慮しておく」

 「ちょっと付き合って貰うだけでいいから」

 

 堀北はやる気になっているようで、まずは特別棟を検証するらしい。

 だがオレが付いていく意味は感じられない。

 無駄な体力は消費したくないしな。

 

 「間取り的に確か西日がもろに当たるところだろ?そんな暑いところに行ってみろ。ただえさえ下がっているオレの判断能力が更に下がる。いいのか?オレが突然コサックダンスを踊り始めても」

 「動画を撮って脅しの材料に使えるじゃない。願ったり叶ったりよ」

 

 成長の成果か、前よりも強かになっているようだ。

 

 「有意義な情報が得られるとは思えないな。第一、監視カメラがあったら審議なんか学校側はしないだろ。事件現場に行かない探偵ってのも流行ってるらしいぞ」

 「フィクションをこちらに持ってこないでくれる?」

 「事実は小説より奇なりってな」

 

 オレはしっしと手を振り、堀北を追い払う。

 すると、バンっと堀北は机を叩く、いや、乱暴に何かを置いたのだ。

 机の上には、プリン。

 いや、正確に言えば、プッチンできないタイプのちょっとお高いプリンだ。

 嫌な予感がした。

 

 「どうした」

 「綾小路くん。そういえばこの前これ、美味しそうに食べていたわよね。気に入って貰えたと思ったのだけど。その様子じゃ嫌いだったようね」

 「堀北。オレは今この瞬間良い汗をかきたくなってきた。良い案はあるか?」

 「特別棟はあったかいわよ」

 「よし行こう今すぐ行こう」

 

 なんか着実に餌付けられている気がするな。

 

 

 

 

 




綾小路がチート過ぎて二週目勢みたいになっていることを先に謝っておきます


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起死回生の数手

とんでもねえ矛盾に気が付いたので、一話を少し訂正しています(6/30,9:09)
後々、気付く人はあ、これかあってなる程度なので、気にしないでください。



 

 蒸し暑さの増してきた放課後、オレたちは事件現場である特別棟に足を運んだ。殺人事件が起こったわけでもないので、立ち入り禁止のテープが貼られているわけでもない。ドラマなどで見たことはあるが、不謹慎ではあるものの、ああいうのは一度見てみたい気もするが。

 もしDクラスの奴らで探偵か警察のドラマをやるとしたら、堀北は厳しい上司役あたりが適任だろう。そして犯人はついカッとなってやってしまった須藤……不謹慎が過ぎるな。とりあえず第一話の被害者にオレは名乗りを上げておこう。

 

 「あっつ……」

 

 意味の分からない思考になっていたのも、この暑さが原因だ。

 

 「こんな所で喧嘩とか、……最悪死人が出るぞ」

 「特別棟は授業が終わった放課後には殆ど人は来ない。やましい事をするにはうってつけよ」

 「ああ、でも美術室は部活で生徒が使ってるんじゃないか?」

 「木曜は休みだったらしいわ」

 「物好きな生徒は残ってたり……」

 「加えて美術室は二階。まあ物音くらいは聞こえていそうね。平田くん達が聞き込みなりなんなりしてくれるでしょう」

 「須藤達は喧嘩をしてないんだろ?」

 「あら。それなら物音は聞こえないわね」

 「……平田くらいにはしっかり話しておけよ。混乱に繋がるから」

 「なんの話かしら」

 

 ブレザーを脱いで、第二ボタンまで開けた。

 夏服はあるにはあるが、いかんせんポイントが足りない。

 反対に堀北は涼しい顔をしている。

 

 「堀北は暑くないのか?」

 「私。暑さや寒さには比較的強いから。あなたにも苦手なものがあるのね」

 「ありまくりだよオレは」

 

 手で扇ぎながら、堀北に付いていく。

 検証、といっても、監視カメラがないだけで変わったところはない。

 

 「もし監視カメラあったら証拠になったんだがな」

 「いえ、むしろ無くて助かったわ」

 「……?」

 

 暫くして諦めがついたのか、堀北は「帰りましょう」と言う。

 これ以上の長居は無用、オレたちは引き返し始めた。

 

 「あっ」

 「おっと」

 

 廊下を曲がろうとしたその時、丁度同じように曲がってきた生徒とぶつかってしまう。

 

 「悪い、大丈夫か?」

 

 それほど強い衝撃ではなかったため、互いに転んだりすることはなかった。

 ……昨日も同じことがあったな。

 

 「は、はいすいません。不注意でした」

 「こっちこそ悪い」

 

 そして、その人物が昨日ぶつかった女子生徒だと気付いた。

 そそくさと退散しようとする彼女に、オレは「待ってくれ、佐倉」と呼びかける。

 突然名前を呼ばれたことに驚いたのか、佐倉の肩は大きくビクついた。

 そんなにオレって不審者に見えるのか?

 ……いや、見えるのかもしれない。佐倉がもしオレのことをクラスメイトだと認識してなかったら、面識がないのに名前を知っているストーカーになってしまう。

 影が薄いって、悲しいな。

 

 「もしかして、眼鏡。探してるんじゃないか?」

 「ど、どうしてそれを」

 

 怯え始めた佐倉を宥めつつ、オレは昨日拾った眼鏡を渡す。

 彼女が今身に付けている眼鏡は、若干色が派手だ。今日一日中ずっと居心地悪そうにしていた。

 

 「これ。昨日ぶつかった時に落としてたんだ。今渡せて良かった」

 「あの時の……。え、あ、でも。教室でも良かったんじゃ……」

 

 オレのことを知っていたらしい。

 

 「教室で話しかけたら、その、目立つだろ?」

 「あ、そ、そうだったんだ。あ、あの、ありがとう!」

 

 そう言って佐倉は逃げ出すように走り去って行く。

 堀北はオレたちが話している間、ずっと彼女の手に持つカメラを眺めていた。

 

 「カメラがどうかしたか?」

 

 一応その理由を尋ねてみる。

 

 「目撃者は佐倉さんよ」

 

 すると堀北は平田たちが今必死で探し求めている答えをサラリと言ってのけた。

 

 「へえ、そうだったのか」

 「驚かないのね」

 「昨日ぶつかったと言っただろ?特別棟の近くだったんだよ」

 「あなたね……」

 「お前だって分かってたのに皆には共有しなかっただろ」

 「意味がないからよ。あなたはどうなの」

 

 低い声で脅すように問う堀北。

 

 「目立ちたくないから、だな」

 

 オレは佐倉が走り去った方向へ目を向ける。

 彼女も同じだろうか。

 そんな考えがふと頭をよぎった。

 堀北には見えないように片手で端末を操作する。

 

 「ところで綾小路くん」

 

 堀北はくるりとこちらに背を向けて、窓の外を見つめた。

 彼女があからさまにオレから目を逸らすのは、これから大事な話が始まるという合図だ。

 「なんだ」

 オレは監視カメラがないかソッと確認する。

 

 「私は今からこの状況を打開出来得る策をあなたに披露するわ」

 「それは凄いな」

 「だからもし穴があったら指摘して欲しい」

 「そういう契約だったからな」

 

 そして堀北は話始める。現状のカードを最大限に使った理不尽な審議への攻略法を。

 

 

 「ーーあなたは、どう思う」

 

 彼女はいつも自信が崩れることはない。

 だが、この時だけは、瞳を不安げに揺らしていた。

 蜃気楼のせいだな、と見ないフリをする。

 

 「まあ、良いんじゃないか」

 

 その言葉に堀北は隠そうとしていたらしいが、ホッと安堵の息が漏れ聞こえた。

 

 「ただ、」

 

 オレが言いかけたその時。

 

 「ねえ君たち。そこで何をしてるの?」

 

 突然の声に、オレたちはバッと振り向いた。

 そこにはストロベリーブロンドの美少女がこっちを向いて立っていた。

 長くスラッと伸びたロングウェーブの綺麗な髪とクリッとした大きな瞳。

 その顔には覚えがある。直接会話したことはないが、一之瀬という Bクラスの生徒だ。櫛田が言うには、 Bクラスのマドンナ的存在でもあり、同時にリーダーとしてクラスメイトを引っ張っている。彼女への悪口はあまり聞いたことがない、とのこと。

 平田と櫛田が合わさり最強に見える。というやつか。

 

 「ごめんね、急に呼び止めて。ちょっと時間いいかな?もし甘酸っぱいデート中だったらすぐ退散するけど」

 「太陽が西から昇ってもそれはあり得ないわね」

 

 堀北は即否定した。こういう時だけはキレッキレだ。

 

 「あはは、そうだね。デートスポットにしては暑過ぎるし」

 「むしろ熱を上げるんじゃないか?」

 「黙っててくれる?それで、私たちに何か用かしら」

 

 警戒心剥き出しで問う。

 こんな場所で声をかけられる状況を、堀北は偶然とは捉えていない。

 

 「用って言うか、ここで何してるのかなーって」

 「あなたこそ何のためにここに来たの」

 「ほら君たちって、Dクラスでしょ?」

 

 確か図書館で勉強会を開いた際、Cと揉めている最中に割って入ってきたこともあった。その一件で覚えていたなら納得だ。やはりリーダーを務めるだけあるな。

 堀北は眉間にシワを寄せた。

 

 「ええ。それが?」

 「てっきり喧嘩騒動絡みでここに居るんだと思ったんだけどな。Dクラスの生徒が無実を証明しようとしてるって聞いて。審議は来週の月曜日だし、今日の放課後には居るかなーって」

 「もし私たちがその件に関わる調査をしていたとして、あなたに関係が?」

 「うん、大アリだよ」

 

 一之瀬は胸を張って頷いた。

 

 「私たちもDクラスに協力出来るかもしれない」

 

 その言葉に堀北は、一瞬顔を強張らせる。

 

 「もしかして、さっきの話、聞いてた?」

 「にゃはは〜ちょっとだけ、ね」

 

 確認するように問うと、一之瀬は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

 「私のクラスにもバスケ部はいるよ?とっても良い子だし、多分役立つと思う」

 「あなたのメリットは何?疑うようで悪いけど、クラスが違うもの。簡単には信用できないわ」

 「困ってる人の手助けがしたいからって言うのは、」

 「信じられないわね」

 

 一之瀬は罰の悪そうな顔をする。

 

 「分かった。本音だけど……建前にしておく。個人的な理由だもんね。ちゃんとした理由はあるよ。 Bクラスとしての」

 

 本当に善意で行動を起こしたい、といった口ぶりだ。

 櫛田の言っていた“根っからの善人”というのは間違いないのだろうか。

 あの櫛田さえ、彼女には裏がない、と断言していたわけだから。

 

 オレは二人の交渉に距離を置きつつ、一之瀬を観察していた。

 

 「ほら、Cクラスって、結構、横暴じゃない?時々私のクラスメイトにもちょっかいかけに来るんだよね。だからこれも、同じなんじゃないかって思って。この審議でDクラスが勝てば、大人しくなるかもしれない。学校側からも釘を刺されるだろうしね。つまり、対岸の火事じゃないってこと」

 「Dがダメなら次はあなた達に仕掛けてくるかもしれないわよ?」

 

 一之瀬ははにかんだ。

 そして彼女が一瞬、こちらを向いた。

 ほんの気まぐれだろう。

 だが、その一瞬で、体は指一本も動かせなくなる。

 

 「じゃあ、その時は助けて?」

 

 堀北はリスクとメリットを頭の中で天秤にかける。

 そして、頷いた。

 

 「分かった。対Cクラスで同盟関係を結びましょう。もちろん、特別試験では無効、ってことでいいかしら?」

 「そうだね。今後同じようなことが起こったら、お互い協力しよっか。よろしくね、堀北さん」

 

 二人は手と手を取り合う。

 内容的に、どちらのクラスも首を横に振るような生徒はいないだろう。

 

 「では円滑に物事を進めるためにも私と連絡先を交換してくれないかしら」

 

 すると、堀北がそんなことを提案した。

 あの。

 あの、堀北がである。

 普段ちっとも使い物にならない表情筋は、こういう時に限って結構動いた気がする。

 

 「うん、いいよ」

 

 そういや堀北は、既読こそ付けるだけだが、クラスメイトの大半が参加しているチャットグループに入っているそうだ。勉強会メンバーと平田の連絡先も持っているらしい。

 その話を池達から聞かされた時は「嘘だっ!」と叫びそうになった。

 

 オレ?グループに入ってないけど?連絡先も三件だけだけど?何か問題でも?

 大問題だ。

 オレは頭を抱えた。

 

 「そういえば、綾小路くん、だっけ。さっきから顔色悪いけど、大丈夫?」

 

 とんでもない事実に気付いてしまい、意気消沈しているオレに、一之瀬は心配する素振りを見せる。

 彼女の、瞳。

 まただ。

 

 「暑いのが苦手なんだ」

 「え、そうだったの!ごめんね長話しちゃって」

 「大事な話し合いだろ?」

 「ええ、彼のことは気にしなくていいわ。荷物持ちみたいなようなものだから」

 「何を持つんだよオレは。太鼓か?」

 「あははは、君面白いこと言うねえ」

 

 堀北は冷たい視線をオレによこす。

 ほら、笑えよ。

 

 

 こうして、BクラスとDクラスの限定的な同盟は、無事結成された。

 須藤の無罪を勝ち取るための一歩を踏み出せたと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピンポーン。

 ドアベルが鳴った。

 本日の来訪者は、なんと人気絶頂の学園アイドル櫛田桔梗さん。

 この番組ならではの、本音トークをお見せしちゃいます。

 

 「まっじなんなの」

 

 第一声がそれは流石にない。

 玄関のドアを閉めた瞬間これだ。

 相当須藤へのヘイトは高いらしい。多分クラス連中の誰よりも嫌っていそうだ。

 オレはとりあえず彼女のためにお茶……甘いものの方がいいか。アイスココアを二人分作る。その間に彼女は家主の許可なくベッドに寝転び、携帯をいじり始めた。

 あれ、オレたち付き合ってる?

 そんな錯覚をしてもおかしくはなさそうだ。

 こんな彼女は願い下げだが。

 どうせ彼女を作るならもっと模範的な教科書がいい。無名私立大学の変に凝った世界史の赤本並みに需要がない。世間一般で言う高望みじゃないはずなんだがな。

 

 「どうぞ」

 

 小さな丸テーブルをベッドに寄せて、その上にココアを置く。ストローを付けると機嫌が良くなるというのを最近知った。

 櫛田がベッドを独占するので、オレはついにカーペットを買った。

 殆ど人は訪れないので、家具なんて虚しいだけだ、と思っていたが、まあ何だかんだ気にいっている。

 オレはカーペットの上に座ってベッドに凭れ掛かり、ノートパソコンを起動した。

 

 「で、どうだった」

 「何が?」

 「今日の放課後に頼んだ件」

 「ほんっとにこれ私のためになるわけ?もし違ったらただじゃおかないから」

 「ま、半々ってとこだ」

 「50%にかけたの?信じらんない」

 「違ったら他の手段を講じるだけだ。それに、お前だって佐倉愛里の秘密を知れてラッキーじゃないのか?かなり彼女には手間取っているらしいし」

 「私のこと便利屋と勘違いしてないよね?」

 

 櫛田は耳元で、普段より何トーンも低い声でオレを脅す。

 

 「で。どうなんだ。佐倉は芸能活動か何かをやっていたか?」

 

 面倒なので適当に流した。

 一々反応していたらキリがないからな。

 

 「雫。グラビアアイドルで調べたら出てくるよ」

 

 櫛田に言われた通りにg◯ogle先生に聞いてみると、ヒットした。

 以前は週刊誌にも載っていたほどの売れっ子だったらしい。数ヶ月前から自粛し、公の場には出なくなったが、ブログは続けているようだ。

 中には際どい写真も何件かある。

 

 「グラビアアイドルだったのか……。櫛田もよく気が付いたな。女子はそういうのはあまり見ないんじゃないか?」

 「池とか山内が今日漫画の週刊誌を読んでたのをたまたま見て思い出したの。私はあんま興味ないけど、ああいうのが好きな人って一定数いるから、話のネタにはなるでしょ?」

 「知ってたか櫛田。意外と漫画って面白いぞ。オレは最近そのことに気付けたんだ」

 「オタク?根暗にはお似合いじゃん。てかさ、あんたこそどうして佐倉が芸能活動やってるって思ったわけ?」

 「その理由を言えばお前はどうせオレにドン引きするだろ。負ける勝負はしない主義なんだ」

 「説明しなくてもドン引いてるけどね」

 「不戦敗……だと」

 

 ブログは二年前からほぼ毎日のように更新されており、ファンからのコメントに全て対応するという徹底ぶり。

 コメント欄を眺めていると、三ヶ月ほど前から続くある書き込みに目を奪われた。

 

 

 『運命って言葉信じる?僕は信じるよ。これからはずっと一緒だね』

 『いつも君を近くに感じるよ』

 『今日は一段と可愛かったね』

 『目が合ったことに気付いた?僕は気付いたよ』

 『今日のワンピース可愛いね。僕の好みの色に合わせてくれたんだ』

 『僕を避けてたけど、恥ずかしがらなくてもいいんだよ』

 『今夜はカレーを作るのかい?僕も雫ちゃんのカレー食べたいな』

 

 

 書き込みは毎日のように続けられ、段々と内容はエスカレートしていっている。

 本人が見れば恐怖を感じるような言葉の羅列。

 

 『雫ちゃん、お手紙読んでくれたかな?』

 

 まるで、彼女が本当に近くにいるような書き込みばかり。他のファンからはただの妄想野郎として無視されているが、実際は分からない。

 生徒、教師、あるいは学校を出入りしている業者の関係者。

 この閉鎖的な学校で、一度見つけてしまえば、郵便受けなどで寮の部屋番号くらいは把握できそうだ。

 

 

 『神様はいるんだよ』

 

 

 今さっき、その言葉は書き込まれた。

 

 「きっも」

 

 櫛田はそのコメントに大きく顔を歪めた。もはや顔面崩壊レベルだ。

 

 「面倒なストーカーに執着されているらしいな」

 「もしかして、あんたストーカーまで勘付いてた?」

 「流石に、それはない。ラッキーだとは思ったがな」

 「でもこれで謎が解けたね。変だと思ったもん。カメラ直しにケヤキモールに行くのに、私だけじゃなくて綾小路くんも連れてって欲しいって。男が一人いるだけで少しは安心できるからか」

 「……待て。なんだそのお願いは」

 「あれ?言ってなかったっけ?いっけない」

 

 櫛田はてへっと自分の頭を軽くグーで叩く仕草を見せた。

 全然可愛くない。

 可愛くないからな!

 

 今日の放課後、堀北の長話に付き合っている間、メールで櫛田に指示したことがある。

まず第一に、佐倉愛里と接触し、よく顔を見ること。そしてカメラの確認をし、壊れているようだったら一緒に直しに行くよう提案、もし壊れてなかったら強引にカメラで何を撮ったかを見る。

 と、だいぶ無茶振りをした。

 返信のメールは空で、怒りが震えるほど伝わった。

 今日は櫛田を思い切り労う日にしないとな。決して彼女の無言の圧力に屈したわけじゃない。

 

 その後のメールで、結局、目撃者なんじゃないかと強引に迫ったために佐倉は逃げ出して、その時男子とぶつかりカメラを落として壊してしまい、お詫びとしてカメラを直しに同行するとかなんとか言いくるめ、約束を取り付けた、と端的に伝えられた。

 櫛田さん半端ないっす。

 だが、何故オレを指名したかは分からない。

 接点は二度ぶつかったことくらいしかないんだがな。

 まあ同族意識は持たれていそうだ。

 

 「少し面倒なことになったな……」

 「何を企んでるのか、そろそろ教えてもらってもいいんじゃない?私これだけ頑張ったんだけど」

 「はいはい櫛田は偉いな」

 「ここって森沢山あるよね。死体一つくらいなら隠せそう」

 

 下手したら埋められるらしい。

 

 「お前のためにやってるんだからな、これ全部」

 「はあ?だからそれが意味わかんないって言ってんの。これ以上勿体ぶったら海に沈めるから」

 

 櫛田のことだからコンクリートにでも詰められそうだ。

 

 

 「櫛田。面白いものを見たくはないか?」

 

 

 オレはとりあえず、今後の動きを説明した。

 そして櫛田にどういったメリットがあるのかも、特にアピールをした。

 

 「へえ」

 「ポイントをどれだけぶんどれるかはお前次第だ。一万でも泣くなよ」

 「でも一万だとマズくない?」

 「その時はその時だ。最終手段を取る。これを使うことはない、って言うとフラグっぽくなるから言わないが」

 「その発言がフラグだよ」

 「……ま、明日どうなるかで全てが決まるな」

 

 オレはストローでココアをかき混ぜ、半分ほど飲み干す。時間を置きすぎたらしい。若干水っぽくなっていた。

 ぼーっと雫のブログを眺めていると、オレはとある天啓を授かった。

 この計画のとんでもない重大な欠陥に気付いてしまったのだ。

 

 「櫛田。お前は可愛い」

 「え」

 「雫もめちゃめちゃ可愛い。可愛い女の子二人を侍らしケヤキモールを歩いてみろ。オレは注目を浴びかねない」

 

 すると何故か櫛田の機嫌が急に悪くなった。

 いったいどうしちゃったんだろうな。

 鈍感なオレにはさっぱり分からん。

 

 「そこで何か良い案はないか?もしくは普段人通りの少ない道とか、お前なら知ってるはずだ」

 「めんどくさ。あんたが来なきゃいいじゃん」

 「そしたら佐倉も断るだろ」

 「へえ、随分好かれてる自信がおありで」

 「オレはそこまで鈍感じゃないからな」

 「どの口が」

 「何か言ったか」

 

 急に難聴になるには男の特権だ。

 しらばっくれていると、中指を立てられた。

 お前はそういう奴だよな櫛田。

 

 「だが割と重要な問題なんだ。充分な実力を出せないと、佐倉に不信感を与えてしまうからな」

 「じゃあ女装でもすれば?」

 「佐倉に不信感を与えてしまうからな」

 「じょ・そ・う。すれば?」

 「佐倉に不信感を与えてしまうからな」

 「聴こえてますかーーー?じょ!そ!う!」

 

 耳元で大声を上げる櫛田。

 耳を塞いでなんとか対抗する。

 

 「無理だ!」

 「女の子三人なら注目浴びないよ?」

 「そのバカな提案にオレはバカ真面目に反論しなきゃいけないのか?勘弁してくれ」

 「私バカだから分かんないな」

 

 さっきのことを根に持っているらしい。

 

 「まず第一に身長175超えの女は目立ちすぎる。体格も声も誤魔化し切れるわけがない」

 

 櫛田は身を乗り出してオレの顔を覗き込んだ。

 

 「あれ?でも綾小路くん意外と顔綺麗だからいけそうだよ?」

 「次に、佐倉にどう説明する。オレはこの一回のためだけに女装癖を持っていると今後一生思われ続けるのか?リスクとリターンが割に合わない」

 「女装するのが嫌なわけじゃないんだね」

 「嫌に決まってるだろ」

 

 「ほんとお?」と櫛田はニヤニヤしながらオレの頰をつつく。

 感情を分けて相手を説得するいつもの手法が裏目に出た気がする。

 

 その後彼女はいくつか女の子の服をピックアップしてオレに見せてきた。「これとか似合うんじゃないかな?」と、化粧品などの名前を羅列して、意味の分からない言語なはずなのに、自分が今とんでもない辱めに合っているという自覚だけはある。途中からオレは呻き声を上げてカーペットの上でのたうち回っていたと思う。このためだけにオレはカーペットを買ったのかもしれない。

 もはや新手の拷問だった。

 

 




一年生編二巻を読んで思ったんですけど
地の文で櫛田のことを可愛い可愛い連呼してて草生えますよ
まさか数巻後には「櫛田は退学にする」しか言わなくなるんだもんな……
悲しい


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とびだせ交友関係

おまけ回第二弾
副題:ひよりちゃんと一緒
二章終了後の時間軸、ネタバレは全くありません



 

 

 昼休みになったばかりの図書館は意外な穴場だったりする。

 館内で食事を禁止されているため、昼食場所として利用できないからだ。

 どうしても食事を摂る気になれなかったオレは、いつもの定位置に座る。

 

 図書館という場所は非常に居心地が良い。

 監視カメラの目を避けることもできるし、ここに居る人間は目の前の本にしか興味がない。充分な広さ、まばらな生徒。空調も本の保存のため適度に効いており、不健康な寒さはない。

 

 いつもの定位置、奥まったところにある三人がけのソファ。

 そこには既に馴染みの先客が一人、右端に座っていた。

 

 彼女の定位置。

 居ない日もあれば、居る日もある。

 オレが先にここに座り始めたのか、はたまた彼女が先にここに座り始めたのか。

 今となっては分からない。

 ミステリーがお好きなようで、よく首を捻らせながら、真剣に本を読んでいる。

 互いに名前を知らないが、クラスが違うということだけは知っている。

 

 オレはいつもの通り左端に腰を下ろした。

 そして、ロシア哲学の本を開いた。フランスの啓蒙思潮の影響がなんたらの話。 

 

「哲学、お好きなんですね」

 

 すると、彼女が初めてオレに話しかけてきた。

 オレは一瞬自分に向けられたものとは思わず、二度見して、かなり挙動不審な態度を取ってしまった。

 すぐに外面を取り繕い、答えようと思うが、一瞬躊躇う。

 自分でも分かっているが、どう説明しようにも奇行にしかならないからだ。

 

 彼女は少しだけ緊張した面持ちでオレの答えを待つ。

 もしかしたらこういう機会を実は今まで窺っていたのかもしれない。

 勇気を振り絞って話しかけて無反応なんてされた日には、オレだったら海に飛び込む。堀北にはいつもされているだろ、というツッコミはノーだ。

 

 まあ、ここで無視するのは、流石に、ない、か。

 

「……日本十進分類法って知ってるか?」

「日本の図書館で広く使われている図書分類法ですよね」

「それに合わせてるだけだ。これといって興味もない」

「はい?」

「おすすめコーナーの本は全部読み終えたし、総記も一通り眺めた」

「……もしかして、図書館の本を全て読破するつもりなんですか?」

「結果的にそういうことになるな」

 

 畏敬の念が込められた目を向けられる。

 自分で言っておいてあれだが、かなり変人染みているのは、誤魔化しきれそうにない。だが今ここで嘘を吐いても、結局本の選び方でいずれ気付かれてしまい、心の内でドン引きされることになるだろう。ならば、今打ち明けた方が精神衛生上よろしい。

 

「すごい……目標ですね。見習いたいです」

「いや、見習わなくていいんじゃないか?オレだってできれば早急に文学まで辿り着きたいんだがな」

「なら先に文学から手を出してみては?もしかして好きな物は最後まで取っておくタイプなんですか?」

 

 学生は図書館で本を選ぶとすれば、文学の傾向がある。これは一般論だ。

 

「まあ、ただの暇潰しだからな。時間を浪費することができれば、そこにどんな文字が綴られていても、気にならない」

「えっ」

 

 隣の少女は、ショックを受けたような顔をした。

 明らかに文学少女といった出で立ちだ、酷いことを言ってしまったかもしれない。

 

「あー、いや。もし良ければ、オススメの文学本とかあるか?」

「ひよりです。椎名ひより。名前で呼んでください」

「オレは綾小路清隆だ。よろしくな」

 

 変なタイミングでの自己紹介。

 かなり独特な雰囲気を持つ少女らしい。

 

「ミステリーはどうですか?」

「ミステリー……か」

「例えばローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ とか。ハードボイルドでカッコいいですよ」

「あー悪い。それはもう読んだことがあるな」

「え!?」

 

 ひよりが目を瞬かせ、それから身を乗り出す。

 明らかに先とテンションが違う。

 喩えるなら同族を見つけた一匹狼みたいな。

 なんか違うな。

 

「よ、読んだんですか?」

「ああ。ある人にオススメされてな」

「スカダーのキャラクターも良いんですけど、段々周囲を彩る他キャラの魅力も相まって作品の魅力を惹き立てていますよね。事件の陰鬱さもそうですが、」

「えっと、」

「あ、すいません!つ、つい……」

 

 突然の展開についていけず困惑していると、ひよりは頬を赤らめた。

 

「Cクラスの中には小説を好む人がいなくて、話し相手がいないんです」

 

 そして恥ずかしげに告白する。

 もしかして、友達0人ということだろうか。

 なんとなく親近感が湧いた。

 ただ、彼女の所属クラスには引っ掛かりを覚えた。

 敬語で話しかけてくる、ということは同学年と考えても良さそうだ。

 

「Cクラス……か」

「この前の審議の件はご迷惑お掛けしました。私は反対したんですけどね」

 

 反対?

 Cの実質リーダー的ポジションである龍園に、意見できる立場の生徒なのか?

 そこでオレは彼女の厄介さに気付き、警戒度レベルを一気に引き上げた。

 糖分不足で半分おねんねしている頭を無理矢理叩き起こし、慎重に言葉を並べる。

 

「オレがDクラスってことを知ってたんだな」

「はい。以前お見かけしましたから」

「というか、あれってCクラスの策略的なモノだったのか?」

「審議の内容は共有されていないんですか?」

 

 ひよりはキョトンとする。

 

「……リーダー陣は話してるだろうが、オレレベルの人間までには下りてこないな」

「そう、なんですか。ところで、」

 

 まだ何かあるらしい。

 オレは身構える。

 

「ドロシー・L・レイヤーズの『誰の死体?』をオススメします。ピーター卿シリーズの一作目で、一度読めば続きが気になること必至です」

 

 ……彼女の独特な空気感に呑み込まれそうだ。

 

「ドロシーは読んだことないな」

「是非是非!この図書館にありますよ!」

 

 テンションが、テンションがすごぉい、この子。

 だがオススメしてくれるのは正直助かる。

 あの膨大な本の中で一つを選び取るなんて、想像しただけで息が詰まりそうだ。

 

「綾小路くんは、何か好きな本はありますか?」

 

 彼女は、普段のぽやっとした顔から一転、ワクワクを隠しきれない表情で尋ねてくる。

 

「あー、この本、とか?」

 

 オレは今読んでるロシア哲学の本の背表紙を彼女に向ける。

 明らかに残念そうな顔をした。

 非常に申し訳なくなる。

 松雄に薦められて読んだ本の中で、彼が気に入っていたであろう本の名を思い出す。

 

「『さらば愛しき女よ』とか……」

「綾小路くんって、意外とハードボイルド小説好きなんですか?」

 

 思い返せば彼はそういった類いのものばかりオレに薦めていた気がする。

 なんだか他人の趣味で誤魔化すのも、変な気分になった。

 

 どこが面白かった?

 と問われれば、盛り上がりの部分であろう箇所を抜き出して説明することもできるが、本物の本好きには見抜かれてしまいそうだし、何より面倒だ。

 彼女の、仲間を見つけた!といった嬉しそうな笑みを陰らせたくないから、というのが建前であると考えてしまう自分に辟易しながら、オレは決心する。

 彼女には正直に答えることにした。

 

「……悪い。適当言った。さっきもチラッと言ったが、オレは本を読んでいて面白いと思ったことはない。正確には……いや、まあ。面白いと思える本に出会いたい、という気持ちもあるが、本好き仲間にはなれないな」

 

 ひよりは困惑したように首を傾げた。

 そして、彼女がいつも読んでいるミステリー小説に向ける目を、オレに対して向ける。

 彼女とのコネクションが今後どう繋がるかは正直微妙だが、趣味を共有した仲間ではなく、本に興味がない癖に図書館に入り浸る変な人、という見方の方が面倒は起きないだろう。

 

 オレは、漢字ばかりを多用したがる角張った文字へと視線を落とす。

 すると、ひよりは立ち上がり、何処かへ居なくなってしまった。

 

 まあそうだよな。

 と、納得していると、そう間を置かずに、パタパタと近付いてくる足音が聞こえ、思わず顔を上げた。

 

 

「これ!読んでください!」

 

 

 そこには十冊ほどの本を重そうに抱えた、椎名ひよりの姿。

 厚みのある単行本も多く、今にもバランスを崩しそうだ。

 

「え」

 

 そしてドンっとオレの真横に積み重なった本を置いた。

 呆気に取られ、彼女と本を交互に見る。

 彼女は何故か得意げだ。

 

「綾小路くんが面白いって思える本、探しましょう。せっかく活字好きな人に出会えたんです。読んで、感想を語り合いましょう。文学の面白さを私が伝えますから。人が心を込めて連綿と繋いできた文学という作品は、ただの暇潰しだけではないと、お教えします」

 

 

 ひよりの勢いに圧倒されてしまい、

 

「……ありがとう」

 

 オレは思わず、そう口にしていた。

 

 



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蛮勇誘導

 

 

 土曜日のお昼前、オレはショッピングモールへとやって来ていた。監視カメラの位置を確認するために歩き回った、四月頃以来のため、少し緊張する。

 

 二つ連なったベンチの片方には、一人の先客が座っていた。同じ待ち合わせだろうか……。と、現実逃避を一度してから、おいおい、と呆れる。

 

 隣に座っていたのは佐倉だった。

 だが、夏だというのに帽子とマスクをしており、どこのお忍び芸能人だよ、と逆に突っ込んで欲しいのかと思った。

 まあオレも人のことは言えないんだが。

 実際、今日のために帽子とマスクを購入しようと検討していたのだ。櫛田に、そんな不審者に隣を歩いて欲しくないからマジでやめろ、と何度も脅され泣く泣く諦めた。もしオレが発狂した時には櫛田に全責任を押し付けよう。

 

「な、なあ。もしかして、佐倉か?」

 

 いくら何でも気まず過ぎるので、一応声をかけてみる。

 

「ふぇっ。あ、おはよう、ございます」

「おお、こんにちは」

 

 十一時って、おはようなのか?

 また一つ勉強になったな。

 

「佐倉……、暑くないか、それ」

「え?そ、そうかな」

「風邪でも引いたのか?」

 

 佐倉は、うう、と申し訳なさそうに眉を八の字にする。

 

「やっぱ、変、ですか?」

「変っていうか、不審者っていうか」

「逆に、目立っちゃいますよね……」

 

 確かに逆に目立つな、それ。

 もしオレが忠告を無視して変装セットを身に付けていたら、二人の不審者に纏わり付かれている学園の天使、という図式が完成していたことだろう。

 見てみたい気もするが、櫛田の真心の籠もった良心的なアドバイスに従って正解だったようだ。

 

 佐倉は恥ずかしそうにマスクと帽子を外した。

 眼鏡をかけて俯いているので分かりにくいが、確かによく見れば雫本人だ、と思った。だが、ブログとのテンションの差に、戸惑ってしまう。ブログでの雫は快活で、人好きのする愛嬌がある性格だった。隣に座っている佐倉はお世辞にも明るいとは言えない。

 

 どっちが本物の彼女なのだろうか。

 それとも、どちらとも“本物”なのか。

 とりあえず会話を続けようと言葉を探す。だが、盛り上がりそうな話題が浮かばない。

 よし。この前読んだトークテクニックの本を参考にするか。

 

「なあ佐倉」

「なに、かな」

「良い天気だな」

「……うん」

 

 絶望的な空気感になってしまった。

 誰か、誰か助けてくれ。

 と、大声を上げて叫んでしまうその時、救世主が現れた。

 

「おはよー!」

 

 周囲の喧騒を裂く、満面の笑みを見せる櫛田が近付いてきた。

 

「め、メシアだ……」

「えっと、……何言ってるのかな?」

「いや、忘れてくれ」

 

 最近裏櫛田に慣れすぎていて、逆に物凄い違和感がある。

 

「佐倉さんもおはよっ」

「こ、こんにちは」

 

 先のオレとの挨拶で、逆に佐倉は十一時はこんにちはが正しいと感じたらしい。

 意外と難しい問題だな、これ。

 

「ごめんね、待たせちゃって」

「いや、オレも今来たばかりだ」

「そっか、良かったあ。えへへ、ちょっと昨日夜更かししちゃって」

「へえ、勉強でもしてたのか?」

「私、そんなに真面目じゃないよっ。夜更かしって言うか……寝れなかったって言うか……」

「寝れなかった?枕でも合わなかったのか?」

「……うんっと、ひみつ!」

「秘密にされると逆に気になるなあ」

 

 適当な社交儀礼を吐きつつ、オレは思わず櫛田の上から下まで全身を見てしまう。

 なるほど、こうやって男を落とすわけだな。

 

「それじゃあそろそろ行くか。佐倉は大丈夫か?」

 

 櫛田との白々しい会話に終止符を打ち、勝手にフェードアウトして行く佐倉に声をかけて確認すると、首を激しく縦に振った。櫛田は優しく、「そんな緊張しなくたって大丈夫だよ」と微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校と提携しているのか、全国的にも非常に有名な量販店が設けられている。利用客は限られているためお店そのものの敷居面積は決して広くないが、日常で必要そうなもの、学生達が利用する可能性のある電化製品は充分取り扱われているように思えた。

 

「えっと、確か修理の受け付けは向こうのカウンターでやってたよね」

 

 櫛田は何度か来たことがあるのか、思い出しながら店内の奥へ向かう。その少し後ろを佐倉とオレはついていく。

 

「すぐ直るかな……」

 

 不安げな様子で佐倉はカメラを握り締める。

 

「まあ、一週間は最低でも掛かるんじゃないか?」

「えっ、そ、そんなに!?」

 

 大きく瞳を揺らす佐倉。

 随分動揺しているようだ。

 早くカメラを直したいのだろう、安心させる言葉をかけておく。

 

「い、いや、壊れ具合によっては一日二日で直る可能性もある、んじゃないか?」

「そう、だといいな」

「よっぽど好きなんだな、カメラが」

「うん、変かな……」

「いや全然。むしろ良い趣味じゃないか?好きなものに没頭できるって羨ましいよ」

「あ、綾小路くんは、趣味とか、あるの?」

「あーオレは、」

 

「あったよ、修理受け付けてくれるところ!」

 

 店内は商品が多いため視界は悪かったが、店の一番奥に修理の受付場所があった。

 櫛田のところへ行こうとすると、ピタリと佐倉の足が止まる。

 その横顔は、不快、未知への恐怖、嫌悪感を露骨に表したもののように見えた。

 佐倉の視線の先を追う。

 そこに居たのは、受付場所にいる、店員の男。

 

 ……無理にネットで接触する手間が省けたかもな。

 

「どうしたの?佐倉さん」

 

 オレは櫛田に目配せをする。櫛田は少し困惑した表情を作り、佐倉に声をかけた。

 

「あ、えっと……その……」

 

 何か言いたげな様子だったが、結局首を左右に振り深呼吸をする。

 

「大丈夫か?」

「うん。何でもない、から」

 

 そう言って懸命に笑顔を浮かべ、修理受付の場所へ向かった。

 オレと櫛田は一度顔を見合わせる。櫛田はさりげなく頷き、彼女の後を追った。

 

 櫛田が積極的に店員に話しかけて、カメラの修理を依頼する。

 オレは商品を手持ち無沙汰に物色するフリをしつつ、店員の挙動を窺った。

 可もなく不可もなくこれといって特徴のない顔。

 あからさまに櫛田を意識してデートに誘っているように見えるが、むしろズレたような会話を繰り広げ、話を延ばしたいだけのように思える。時折佐倉に向ける視線は異質だった。男でもゾッとするような目つき。

 ほぼ黒確定か。

 

 確信に変わった丁度その時、櫛田は話を進めるべく、佐倉にデジタルカメラを出すよう促した。

 店員が中を開けて確認したところ、落ちた衝撃でパーツの一部が破損してしまったため、うまく電源が入らないとのことだった。幸いデジカメなどの個人的所有物はこの学校に入学してから買ったものであり、保証書もしっかり保存していたので、無償で修理を受けられるとのことだった。

 

 あとは必要事項を記入して終わり。のはずだが、佐倉の手が用紙を前にして止まる。

 何かに躊躇っているようで、近付いて記入していない部分をチラッと見ると、住所と携帯番号の欄だった。

 

「ちょっといい?」

「え?」

 

 すると櫛田は佐倉のペンを奪い、名前や携帯番号などを書き込む。

 

「電話番号、忘れちゃったんだよね。私は覚えてるよ」

 

 一瞬眉を顰めた店員だったが、佐倉愛里と書かれた名前欄と櫛田の一言で、ホッとしたように息を吐く。

 佐倉だけは、困惑した顔で櫛田を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、佐倉さん。勝手なことしちゃって……」

 

 店を出て、櫛田は昼時だし適当なカフェに行くことを提案した。

 佐倉も安心したからかお腹が空いていたことに気付いたらしく、断ることはなかった。オレはさりげなく端末で時間を確認するフリをする。

 そして、席に着いてから、櫛田は佐倉に謝った。

 

「ううん。あの電話番号とかって、」

「うん、私の。ちょっと気持ち悪い店員だったし、嫌なのかなって思って」

「あ、ありがとう!でも。櫛田さんにたくさん話しかけてたし、危ないんじゃないんですか?」

「あーそれは……」

 

 わざとらしさなど微塵も感じさせない完璧な演技。嘘をつき、共犯者をつい見てしまったという体で、一瞬だけオレの方を盗み見る。

 まさか、こいつ。オレの個人情報書きやがったな。

 案の定佐倉は気付き、「もしかして……」と呟く。

 

「あー、悪い。あれはオレのだ」

「でも、どうして」

「……恥ずかしくてな」

「え?」

「綾小路くん、白馬の王子様よろしくあの店員の前で助けるみたいなことをするのが、恥ずかしかったんだって。だから私に小声でお願いしてきたの。……でも、結局バレちゃったね」

 

 悪戯っ子の笑みで櫛田は俺の脇腹をつつく。

 櫛田は話を合わせてくれる安心感があるので、非常に楽だ。

 いや元々櫛田が勝手にやった事だが。

 

「そんな感じだ。……騙して、悪かった」

「ううん!あ、ありがとう。櫛田さんも、綾小路くんも。凄く、助かった」

 

 佐倉は少しだけ涙ぐむ。

 よほど怖かったのだろう。

 

「あのね、今日、綾小路くんを呼んだのって、あの店員さんが、怖かったからなんです。前に話しかけられたことがあって……。それで、一人で行くのが怖くて」

 

 どうやら入学してすぐにこの家電量販店でカメラを買った時に、会ったらしい。

 その時話しかけられ、以来怖くて店に近付けなかったそうだ。

 

 書き込みが始まった時期と丁度一致する。

 

「……だったら全然オレは役に立てなかったな。怖かっただろ、あの時。オレが代わりに修理の話を付ければ良かった」

「櫛田さんが上手く話を変えてくれたから、あまり話しかけられなかったし、それに、こっちこそ。綾小路くんも、やっぱり、苦手……だったんだね。こういうの。無理させちゃって、ごめんなさい」

 

 申し訳なさそうに頭を下げられた。

 こっちこそ申し訳なくなる。

 オレも頭を下げて謝った。

 丁度その時ウェイターがやって来て、昼食を注文する。

 オレはさっき朝食を取ったばかりだと言って、飲み物だけ頼んだ。

 

「佐倉さんって、写真撮るの好きなの?」

 

 微妙な空気になってしまわないよう、櫛田は極力明るく話題を振った。

 

「うん……。小さい頃は全然だったけど、中学生になる頃かな。お父さんにカメラを買って貰ってからどんどん好きになっちゃって……。って言っても、撮るのが好きなだけで詳しくはないんだけどね」

「カメラに詳しいのと好きなのは別だと思うよ。何かに夢中になれるって素敵なことだよね」

「普段はどんな物を撮ってるんだ?」

「え、っと、景色とか」

「人は撮らないんだね」

「ふぇっ!?」

 

 佐倉は分かりやすいくらいにわたわた動揺し、動かした手が、水の入ったコップに引っかかる。

 オレは咄嗟に倒れそうになったコップを掴み、難を逃れた。

 「あ、あう……」

 佐倉は動揺しながら頭を何度も下げる。

 

 櫛田、結構切り込んだことを聞いたな。

 

「……ひ、秘密」

 

 まだ好感度と信頼度が足りないらしい。

 

「あ、あのね、その、はずかしいから」

 

 言おうか言わないか、迷っているといった顔だ。

 まあここで無理に踏み込む必要は全くない。

 

「人って、隠したい物の一つや二つはあるだろ。オレだってあるし。だから無理して言わなくて大丈夫だ」

「そ、そうなの?」

「嫌なものは嫌だと言っていい。自分のタイミングで、自分のために、打ち明けたらいいさ」

 

 佐倉は慌てて首を横に振った。

 それから俯いて、ジッと水の入ったコップを見つめ、顔を上げる。

 何か、決心がついたような瞳。

 

「あの……!」

 

 

 

「あっ」

 

 そこでオレは遮るように、何か不都合なことを思い出してしまったような声を上げる。

 佐倉は言葉を切り、オレの方を見る。

 

「悪い、二人とも。もう時間だ」

「え、あの」

「ああ、そういえば綾小路くん。今日堀北さんの手伝いするんだっけ?」

「部活生の昼食休憩に合わせるために十二時に集合なんだ」

「え!もう五十分だよっ。間に合う?」

「ほんっと悪いな佐倉」

「え、う、あ。ううん、付き合わせちゃったこっちが悪いし……」

「いや、大丈夫だ。二人でガールズトークに花を咲かせてくれ。じゃあまた学校で」

 

 オレは櫛田にポイントを立て替えてもらい、後で返すことを約束してから、店を出る。

 ケヤキモールで走っていると目立つので、佐倉達のいるカフェからは見えないところで歩きに変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……行っちゃった」

 

 髪を二つで縛り眼鏡をかけた少女、佐倉はどこか残念そうに肩を落とす。

 

「約束を忘れちゃうなんて、おっちょこちょいだよね」

 

 あはは、とその対面に座っていた少女、櫛田は困ったような笑みを浮かべた。

 

「ううん、多分、言い出せなかったんだと思います……。悪いこと、しちゃったかな」

「それはないんじゃないかな。綾小路くんもきっと、佐倉さんが心配だったから、今日一緒に来てくれたんだし」

「そう、かな」

「うん。彼、変なところはあるけど、基本優しいから」

 

 佐倉ははにかんだ。

 

「えっと、佐倉さん。良かったら、普通に話してほしいな。同級生に敬語って、なんか、ちょっと寂しいかも」

 

 佐倉は度々敬語を織り混ぜて話している。

 確かにそれは、クラスメイトに向けるものではないのだろう。

 ただ、佐倉にとってはこれは一種の他者に対しての壁のようなものだった。取り払うことは簡単なことではない。

 彼女は戸惑いを顔に滲ませる。

 

「意識、してるつもりはないんですけど……。変……かな?」

「変じゃないけど、私は敬語じゃない方が嬉しいかな」

「あ……うん。頑張って、みるね」

 

 佐倉は知っている。

 知っている、というより、感じ取っている。

 目の前の少女が、何か嘘を吐いていることを。

 でも、きっとそれは仕方がないことなのだ。

 人は、一つや二つ、隠しているものがある。

 それが何かは分からない。

 

 だが、櫛田という少女に今日何度も助けられたことで、少しは心が許せていたのだろう。佐倉は前向きな発言をする。

 

 その言葉に、櫛田は笑顔で「ありがとうっ」と頷いた。

 

「あ、あの。綾小路くんの、用事って、やっぱ須藤くんのこと?」

「うん。明後日が審議だから、色々調べ回ってるみたい」

「櫛田さんは?」

「私は、目撃者探しが役割なんだよね。だから、基本は連絡待ち。でも堀北さんは別々に行動してて、証拠を集めてる。何をしてるかは、具体的には教えてくれないんだけど、多分、大変だと思うんだ」

「そ、そっか……。堀北さんって、何でも出来そうな感じしま……するもんね」

「でも一人で抱え込んじゃうから、ああやって綾小路くんも気にかけてるんじゃないかな。だから、結果的に忙しくなっちゃって……。目撃者がいれば、ちょっとは変わると思うんだけど、ね」

 

 佐倉は肩をびくりと揺らした。

 櫛田は当然気付いていたが、思い詰めた表情で真剣に事件について考えている、と装い、気付かないフリをする。

 丁度その時、注文した料理をウェイターが持って来た。

 瑞々しく新鮮で色とりどりな野菜が綺麗に盛り付けられたサラダを佐倉の前に、

 湯気立ったシンプルなペペロンチーノを櫛田の前に置く。

 綾小路が頼んだアイスティーは、ジャンケンをして勝った佐倉が代わりに飲むことになった。

 

 「いただきまーす」と、櫛田は綺麗にパスタをフォークに巻き、フーッと冷ましてから、口の中に入れた。それから美味しそうに顔を綻ばせた。

 だが、佐倉は俯き、ジッと何かを考え込んでいる。

 

「そういえば、佐倉さん。綾小路くんが居なくなる前に、何か言いかけてたけど……」

 

 思い当たる節がある櫛田は助け舟を出した。

 佐倉は一度目を背け、再び、コップの中の水面を見つめる。  

 

「あの、あのね」

 

 櫛田は焦ったいな、という感情をおくびにも出さず、彼女の決意をジッと待つ。

 それから佐倉は櫛田と目を合わせた。

 あまりに真っ直ぐな瞳に一瞬櫛田はたじろいだが、すぐに仮面を取り繕う。

 

「私、……須藤くんのこと、協力できるかもしれないっ」

 

 そして佐倉はついに、自らが目撃者であったことを口にした。

 櫛田は驚いたように「え」と声を漏らす。

 

「それって、佐倉さんが須藤くん達のいざこざを見ていたってことだよね」

「うん……。私、途中までだけど、見てたの。偶然、なんだけど。信じられない、かな」

「そんなことないよ。だけどどうしてこのタイミングなの?凄く嬉しい話だけど、無理はしないでほしいな。恩を着せるために一緒に修理に行ったわけじゃないよ?」

 

 佐倉は首を横に振る。

 

「あのね、違うの。多分、綾小路くんは、私が目撃者だってこと、知ってた。知ってて、黙っててくれたんだと思う。本当は綾小路くんだって大変なのに。でも、その優しさに寄りかかり続けてたら、きっといつか後悔する。だって、綾小路くんも私と同じように、人の目線が苦手なのに、頑張ってるんだもん。

 ……ごめんなさい。私、目立ちたくなくて、自分勝手でっ」

「ううん。ありがとう。人には苦手なことがあるから、むしろ、こうやって言ってくれて私、嬉しいんだよ?これで、須藤くんを助けられるもん」

「でも……」

 

 そこで佐倉は表情を曇らせる。

 

「喧嘩していたところは見てないけど、須藤くん達は、一触即発って感じで、私の証言は、きっと役に立たないと思う」

「……えっと、佐倉さんは、具体的に何を見たの?」

「制服姿の二人が須藤くんの腕を抑えてて、一人、確か石崎って呼ばれてた男の子が、酷い事ばっか言ってて。須藤くんもどんどん口が悪くなって。それで、怖くなって、逃げ出しちゃったの」

「抑えてたんだね?腕を」

「あ、でも。ただ両脇に立ってただけかもしれない、……かも」

「そ、そっかあ……」

 

 櫛田は浮かない顔を隠しきれずに、佐倉の証言をメモしていく。

 

「役に、立たないよね、これ。だって、須藤くんは喧嘩なんかしてないんだもん。これじゃあ、むしろ逆だし……。あ、須藤くんを疑ってるわけじゃない、んだけど」

「うん。確かに須藤くんは私達にだけ、口喧嘩はしちゃってたって言ってたんだ。だから、佐倉さんはその部分を見てたんだね」

 

 櫛田はうーん、と考え込む。

 この証言をどうすべきか。

 その間、佐倉は居心地悪そうにサラダを食べる。

 緊張で、味はしなかった。

 

「断ってくれても、いいんだけど……」

 

 気まずい沈黙の中で、櫛田が歯切れの悪い声で呟いた。

 

「例えばさ、審議が始まる前に石崎くん達に、現場を見てたって言えば、訴えを取り消してくれるんじゃないかなって、思い付いたんだ」

「えっ!」

「無理強いはしないよ。でも、審議の場では嘘を吐いたらダメだけど、元々Cクラスは嘘の訴えをしてて、やましい気持ちがあると思う。だから、訴えを取り消したら学校側には全部見たことを証言しないって三人に直接言えば、もしかしたら……」

「あ、う、でも」

「……悪い、ことだよね。やっぱり。私、最低なのかも。クラスメイトのためって言っても、こんな方法考え付いちゃうんだもん……。それに、佐倉さんだって、こういうのは苦手なのに……」

 

 櫛田は肩を落とし、しょんぼりと落ち込む。

 

 その様子に、佐倉は、また、コップの中に縮こまる自分を見つめる。

 水面に映る彼女は、いつも自信なさげに、誰とも繋がれない。

 本当にこのままでいいの?

 彼女は問う。

 何もしないで、後悔しない?

 だって、彼は。

 私と同じなのに、立ち向かってる。

 私はいつまでここに蹲ってるの?

 

 

 水面の中の少女は、ついに顔を上げた。

 

 

「櫛田さん。私、その計画、頑張ってみたい」

 

 

 目の前の少女は、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 




なんか詐欺現場を書いてる気分でした



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恫喝連鎖とご勝手成長

たまには近藤くんのことも思い出してやってください



 

「櫛田ちゃん、その、話ってなんだ?」

 

 櫛田が石崎たちを呼び出したのは、家電量販店の搬入口の脇道、路地裏のようなところだ。人通りはなく、監視カメラにも見えない位置。

 石崎、近藤、小宮がソワソワしながらやってくる。

 デートの誘いかあるいは告白か、そんなことを夢見ていたのかもしれない。

 櫛田のほかに、もう一人の陰気な女子生徒を見て、首を傾げる。

 

「えっとね、須藤くんのことで、話があって……」

 

 そこで現実に戻された三人は、明かにガッカリした顔をした。

 

「あ、あの……」

「なあ、帰っても良いか?須藤のこととか、どうでも良いぜ」

「櫛田ちゃん、この後どっか行かない?俺さ、ボーリング上手いんだよ」

「あ、今度バスケの試合やるから観に来ねえ?練習試合なんだけどさあ」

 

 各々勝手に喋り出し、櫛田は困った笑みを浮かべた。

 佐倉も、言いかけていた言葉を止めてしまう。

 

「ええっとね、すぐ終わると思うから。その後、一緒に遊びに行こっ。だから、お願い!」

 

 櫛田は両手を合わせて、可愛らしく三人に上目遣いをする。

 それだけで健全な男子高校生どもは、言葉を詰まらせ、「まあ、ちょっとだけなら」と、妥協する。

 

「あ、あの……」

 

 だが、佐倉は人前で話すことに慣れていない。

 出鼻も挫かれ、完全に萎縮してしまっている。

 櫛田はそんな彼女のサポートをするように、

 

「彼女ね、事件現場に居たんだって」

 

 と説明する。

 石崎たちは大きく表情こそ変えなかったが、固唾を呑んだ。

 

「は、はあ?嘘は、いけないんじゃね?」

 

 小宮はおとぼけた声で、有耶無耶にしようとする。

 

「ち、違う、嘘じゃない……!」

「だったらさ、証拠見せろよ」

「ねえんだろ?なに、Dの奴らに脅されでもしたわけ?」

「やっぱこの話後にしねえ?」

「あ、あう……」

 

「佐倉さんっ」

 

 櫛田の声に、佐倉はハッとする。

 そうだ。

 これは、自分のため。

 自分が成長するためだ。

 

 佐倉は一つ大きな深呼吸をしてから、石崎たちを見上げた。

 

 

「証拠なら、あります……!」

 

 

 佐倉はポケットからSDカードを取り出して、掲げた。

 石崎の表情が強張る。

 

「んだよ、それ」

「写真、あの時撮ってたの……。あの現場に、私は、いた」

 

 石崎はSDカードを佐倉からひったくる。

 あ、と佐倉が声を上げる前に、

 右手でそれを折った。

 

「へ、これで証拠はねえな。これ以上適当な事吐かすんじゃねえよ」

 

「あ、ぁあ」

 佐倉は声が上手く出せなくなる。

 だが、俯いてしまう前に、目を瞑った。

 それでも。

 私は前を向かなくてはいけない。

 何度も自分に言い聞かせる。

 

「で、でも!い、言ってましたよね?須藤くんに。お前を擁護するようなDクラスに、勝ち目はない。堀北って奴も大したことなかったな、って」

 

 

 その言葉に、余裕をこいていた石崎は大きく動揺した。

 

 

「は、はあ!?んなこと言ってねえし……」

「お願い石崎くん。私ね、こういうのは間違ってると思うの。足の引っ張り合いなんかじゃなくて、正々堂々戦おうよ。取り下げてくれたら、何も言わないから」

「だからっ」

「私、見てた。須藤くんは喧嘩なんか、してなかった!」

 

「て、てめえ!適当ぶっこいてんじゃねえぞ!!」

 

 身に覚えのない事実に苛立った近藤は、佐倉の胸倉を掴んだ。

 

「きゃっ」

 

 悲鳴を上げる佐倉。

 櫛田も、サッと血の気が引いていく。

 それでも佐倉は立ち向かう。

 クラスメイトのために。

 自分の殻を破るために。

 

「須藤くんは、喧嘩してない!!」

 

「だから!嘘言ってんじゃねえ!!」

 

 と、その時。

 

 

 

「雫ちゃんに触るなああああ!!!」

 

 

 飛び出してきた男に突撃されて、近藤はその身を浮かし、吹っ飛んだ。

 

 突然の乱入者に石崎は身構え、そして、男の手に持つナイフに顔を青くした。

 泡を食った小宮は慌てて近藤に近寄る。

 幸いナイフは使われていなかったが、気が動転して立ち上がれない。

 

「な、なんだてめえ!」

「雫ちゃん、た、たた助けにきたよ!」

「ひ、ひい!?」

 

 佐倉は恐ろしいものを見てしまったみたいに体を震わせた。

 困惑、嫌悪、恐怖。

 だが、男は気付かない。

 男は信じている。

 自分が今、白馬の王子様であり、結ばれることは、神が決めたことなのだと。

 

 ーー運命、なのだと。

 

「……ぼ、僕が追い払ってあげるからね」

 

 ぶつぶつと呟き、男の口角は歪に上がっている。

 男が腰を抜かしている近藤に近付き、ナイフを振り上げた。

 唖然としていた石崎だったが、危険を感じ取り、咄嗟に羽交締めにする。

 だが、成人男性の馬鹿力には敵わない。

 

「だ、誰かっ!」

 

 櫛田が目を覆い悲鳴を上げた。

 

 

 

「君たち!何をしている!」

 

 

 

 瞬間。

 数名の足音。

 状況をひと目見て判断を下した警官らは、迅速に男を取り押さえた。

 

「違う!違うんだあ!!」

 

 地面に押さえ付けられた男が唾を飛ばし、大声を張り上げた。

 佐倉はビクつく。

 

 

「雫ちゃんと僕は結ばれる!あの女がっ、そう言ったんだ!!

 神様はいる、神様は僕たちを祝福してくれたんだって。

 それを邪魔する悪魔を殺そうとしただけだっ!

 ね、ねえ、雫ちゃん……

 

 本当の……本物の、君を。僕だけが知ってるんだ」

 

 

 身の毛がよだつような告白。

 男は、神に縋るように左手を佐倉に伸ばす。

 佐倉は、そんな男を、盲信に浸かった男を、怯えを閉じこめた瞳で、見下す。

 

 

「私、あなたのことなんて、知りません」

 

 

 そして、言い切った。

 男は絶叫した。

 

 

 その後簡単な事情聴取が行われ、五人は穏便な話し合いを行なっており、そんな中あの男が自分たちに襲い掛かったのだと話を合わせた。石崎達も、話し合いの内容を詳しく聞かれれば不味いということは分かっていたので、事情聴取が終われば、すぐに退散した。

 ストーカーについては、佐倉は毎日のように送られ続けていた手紙を提出し、事情を説明した。証拠が集まれば、然るべき罰が下ることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが終わり、二人の少女はベンチに座る。

 ひと段落ついたことで、佐倉は漸く実感が湧いてきたのか、ポロポロと涙を流した。

 櫛田は泣き止まない彼女に付き添い、背中を撫でる。

 

「大丈夫だったか」

 

 その声に、佐倉は肩を揺らした。

 そして、ぐしゃぐしゃになった顔を上げる。

 目の前には、普段は無表情に取り繕われた仮面をつける、少年。

 

「あっ、あや、綾小路くん……?」

「良かった、無事だったか」

 

 綾小路と呼ばれた少年は、二人の姿を見て、強張っていた顔を緩ませた。

 そして、しゃがんで二人の目線に合わせる。

 心配していたのだろう。

 だが、佐倉は分からない。

 どうして彼は、ここに居るんだろう。

 

「綾小路くん。なんでここに?」

 

 言葉が出ない佐倉の代わりに、櫛田が尋ねた。

 すると、彼はまた、恥ずかしげに顔を逸らす。

 

「必要なものがあって、買い物をしてたら、二人が、石崎達を連れて路地裏に入って行ったのが見えたんだ。なにか危ないことが起こるんじゃないかって思って。……だけど、オレじゃあ助けにはならないから、警察を、呼んだ」

「え?」

「悪い、二人とも。オレがもっと先に助けに入ったら、大事にはならなかったんじゃないかと、思ってな。でも、できなかった。自分、勝手だな、オレ」

「ううん。そんなことない。すごく、すごく助かった……」

 

 佐倉は何度も首を横に振る。

 

「ごめんなさい、佐倉さん。私の、せいだよね。まさか、あんな事になるなんて……」

「どういうことだ?」

 

 綾小路の冷たい声に、櫛田は、後ろめたい感情に顔を曇らせ、俯いた。

 

「私が、お願いしたの。佐倉さんに」

 

 そして櫛田は声を震わせながら、今までの流れを丁寧に綾小路に説明した。

 目撃者が佐倉だったこと。

 石崎らを騙して、訴えを取り下げる策を思い付いたこと。

 そして、それを佐倉に手伝ってもらい、独断で行ったこと。

 それから……。

 

「どうして、相談してくれなかったんだ」

「だって!……私だって。クラスに、貢献したいから」

「目撃者探しでもう充分クラスの役に立ってる」

「でも、また堀北さんに、……あ」

 

 櫛田は咄嗟に口を塞ぐ。

 それから、気まずそうに、顔を逸らした。

 佐倉は悟る。

 彼女の仮面の裏側を。

 承認欲求。

 きっと、そういった類いのものだろう、と。

 

 綾小路は既に知っていたのだろうか、額に手を当て、小さく嘆息する。

 

「だからって、佐倉を危険に晒しちゃダメだろ……。せめてオレに言ってくれれば」

 

「ごめんなさい、佐倉さん。ごめんなさいっ。私のせいなのっ」

 

 櫛田は目に涙を浮かべて、謝った。

 佐倉はそれをしっかり受け止めてから、ううん、と首を横に振る。

 

「櫛田さんは悪くないよ。私が、決めたんだもん。

 ……でも、私、間違ってた。勇気を出したいって、そう思ってたけど。身の丈に、あって、なかった。向こう見ずだった。思い立つことと、実際やれる事は違うんだよね。自分が出来る範囲で成長すれば良いって、そう気付けたの」

「佐倉……」

 

 佐倉は涙に濡れて、そして、洗い流された瞳で、まっすぐ前を向く。

 

 

「櫛田さんのおかげで、私は自分の弱さに気付けた。

 綾小路くんは、思えば、ずっと自分が出来る範囲で私のことを助けてくれた。

 

 二人のおかげで、知ることが出来た。

 人はいつでも仮面を身につけていること。

 人には出来ないこともあること。

 そして、仮面で繋がっているからこそ、出来ることが増えること。

 

 ありがとう、二人とも」

 

 

 

 佐倉ははにかんだ。

 眼鏡を外し、前を見据えて。

 二人の瞳に映った背筋を伸ばした彼女。

 そこには、本物の佐倉愛里がいるように思えた。

 

 

 

 こうして、二日をかけた計画は、無事終了したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうだった」

 

 櫛田は、しょんぼりしながら三本指を立てた。

 

「……まいったな」

 

 そう呟くと、ニヤッと笑う。

 そして左手で丸を作る。

 

「三十、か」

「せいか〜い」

「紛らわしいマネをするな」

 

 櫛田は可愛らしいパジャマ姿でベッドに腰掛け、あざとく胸を張った。

 オレはといえば、彼女の部屋のふかふかラグマットの上で体育座りをしながら、出された熱々のお汁粉(餅なし)を啜っている。甘いものが良いと駄々を捏ねたのがいけなかった。完全に嫌がらせだ。

 

 あまりに熱過ぎたので、オレは一度飲むのをやめ、山内から借りたゲームを始めようとしていた。

 だが始めようとした所で「は?人と話すのにゲームするとか頭いってんの?」とガチ説教されたので大人しくお汁粉を啜ることにする。ゲームをしてても会話に支障はないと主張したが、人を一人殺したような目つきには勝てない。

 

 

 しかし何故櫛田の部屋が集合場所なのか。

 理由は単純。

「なんで私が毎回一々出向かなきゃなんないの?おかしくない?」

 とのこと。

 

 それにしても、初めての女子の部屋も櫛田。

 間接キス、壁ドン、etc......

 どんどん初めてを奪われていく。

 このまま、オレは櫛田なしじゃ生きていけなくなるのではないか。

 

「早めに脱櫛田に着手しなくてはな」

「は?」

「なんでもないです」

 

 土曜、日曜で天使とばかり交流していたから、冷たい視線は心をやられる。

 

「ま、上手くいってなによりだ」

 

 オレたちの今回の目的は、目撃者の偽りの情報で石崎たちを困惑させ、そしてか弱い目撃者に迫らせて、暴力的な行動を起こそうとする瞬間を、撮影すること。手振れで協力者がいると悟られないよう、携帯の位置は色々苦労したが。この学校内では、カメラ機能と録音機能が最強すぎる。

 小心者のバスケ部が二人いるため、流石に殴りかかりはしないだろうが、脅すようなマネはするだろう。

 そんな場面を撮られ、逆に訴え返し、学校側に提出されればCクラスも面倒なことになる。

 

 だが、もちろんそんな事はしない。

 これは、龍園への少しポイントがかかる手土産に過ぎないからだ。

 

 本題は、櫛田が龍園への信頼を得ること。

 

 龍園好みの方法を自分は取ることができる。

 Dクラスよりも自分自身の方が優先順位が高い。

 そういった主張をする。

 

 動画を売り込む、という建前。そのポイントの高さで、どれだけ自分を買ってくれたかを判断する。龍園もその狙いに気付くはずだ。

 

「龍園にはどこまで話したんだ?」

「堀北を退学させたい。理由はムカつくから。その為だったらクラスを売ってもいいって」

「売クラス奴だな、もはや」

「でもまさかあんたがここまで根回ししてくれるとは思わなかった。どういう魂胆?」

「お前の信頼を得るため、と。オレが一々動かなくて済むようにだな。次からは堀北退学の援助は龍園にしてもらえ。聞く限りだとそこまで馬鹿じゃなさそうだ」

 

 というのは建前で。

 龍園と櫛田を繋げたのは布石に過ぎないんだがな。

 

「待って、この関係を切る気?」

「まさか。オレは堀北が退学しようがしまいが心底どうでも良い。だが、お前に無茶振りされるのだけは御免だからな。櫛田被害者の会の会員を増やしたいだけだ」

 

 無言の圧力。

 

「櫛田大ちゅきファンクラブ会員第一号綾小路清隆です」

 

 オレはスッと目を逸らしお汁粉を啜る。

 あっつ。

 

「じゃあ、5万ポイント。第一号くんに恵んであげる。あんたも頑張ってくれたし」

「櫛田……!」

「その代わり、今後ももっと働いてね?」

「櫛田……」

 

 前払いかよちくしょう。

 

 

「にしても、佐倉さんの好意を逆手に取るなんて。結構酷いことするよね、綾小路くん」

 

 櫛田がとぼけたように、オレを詰る。

 

「好意を利用したわけじゃない。たまたま付随していただけだ」

「私の前でやってた陰キャ童貞の演技は大根役者極まってたけど、今回の陰気な好青年って感じの演技、すっごいうまかったし」

「櫛田をマネたんだ。女は皆、大女優って言うしな」

「えへへ、照れるな」

「おお、参考になる演技だな」

「は?」

「ん?」

 

「てかさ、私はてっきり綾小路くんがあの場で石崎くん達を追っ払うと思ってたんだよね」

「なんだ。助けて欲しかったのか」

「すっごいビックリしただけ。放っておくのも後味悪いからって、ストーカーの件は後で片付けるんじゃなかったわけ?」

「ついでだ。オレは喧嘩に弱いからな、三人に勝てるわけないだろ」

「ヘぇ〜、そういうことにしとこ」

 

 得意の笑みを浮かべ、櫛田もお汁粉を啜った。

 お前も食べるのか、という冗談は置いといて。

 

「佐倉さんも、これを機に成長できたって言ってたし。荒療治すぎたけど、結果オーライって感じ」

 

 ……どうやら櫛田は、オレのことを偽悪者か何かだと思っているらしい。

 実害がないと警察は動かない。学校側は対処するかもしれないが、公的には裁かれない可能性もある。

 そういう理由で佐倉を助けたと勘違いしているようだ。

 まあ、そっちの方が都合が良いか。

 

 Cの誰にもオレの存在を認識させたくなかった。

 その一点に尽きるんだがな。

 突然頭の奥が痺れるような感覚に襲われる。

 有意義とは思えなかったので、今はその事実を無視することにした。

 

 

 

 

 

 

「そういえば、あのストーカー。女に唆されたとか言ってたけど……」

 

 黙り込んでしまったオレに、櫛田は思いついたように言った。

 

「とんでもない女だな、そいつは。どうせストーカーの妄想だろう」

「綾小路くんを化粧品売り場で見かけたって子がいたんだけど」

「ブラフは醜いぞ」

「ガチだよ?」

「ははは、面白い冗談だな」

「ガチだよ??」

 

 真相は闇の中。

 シュレティンガーの猫というのがあってだな。

 箱の中の猫が生きているか死んでいるか分からない。

 だが、箱の中に入っていたのは実は犬だった、なんてことはない。

 同様に、この状況で、その女が本当に存在していたという次元と、男の妄想だったという次元が両立するわけだ。

 間違ってもオレの女装だったという次元は存在しない。

 つまりはそういうことだ。

 

 因みに森の中に埋めた。

 何をとは言わないが。

 良い子は絶対真似をしちゃだめだぞ。

 

 





二年生編二巻読んで石崎たちをボコボコにして舎弟ルートもいいな、とか考えてました。
でも主人公の心が弱いので断念しました。



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窮鼠

 この学校の敷地内には全部で四つの寮が建てられている。そのうち三つは学生寮。一年から三年が別の寮で生活を行なっているという少し変わっている仕組みだ。因みに残り一つは、教師たちと、ショッピングモールなどで働く、住み込みの従業員などが住んでいる寮だ。

 つまり何が言いたいかというと、一年生全体が同じ寮に住んでいる以上、必然的に他クラスの生徒たちとも出会ったり関係を持つことになっていく、ということ。

 今まで視界に映らなかった赤の他人が、自然と目に留まるようになるということだ。

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 いつも通り階段を降りるという朝の修行を終え、エントランスを出ると、一之瀬帆波が寮の管理人にお礼を言っているところを見かけた。

 そしてくるりと振り返った時、完全に目が合った。

 彼女は人好きのしそうな笑顔で、

 

「やっほ、綾小路くん。朝早いんだね」

 

 と声をかけてきた。

 対櫛田陰キャ童貞モードか、脊髄反射脳死モードどちらで対応しようか、彼女が近付いてくるまでに、運動により酸素を窮している頭でオレは思案する。

 だが、一度スイッチを切った。

 原因は、彼女の瞳だ。

 ……彼女が嫌いそうな人間って、どんな人だろうか。

 

「おはよう。今日は布団がオレに反乱を起こして早くに目が覚めたんだ」

「ベッドから落ちたってこと?」

「革命の軍靴は近いな」

「あ、うん。寝惚けてる?」

 

 一之瀬は明らかに困惑していた。

 こんな変人にもしっかり返答してくれるあたり、優しさが身に染みる。

 これ以上やるとオレの心が死ぬのでやめておこう。

 

「管理人と何話してたんだ?」

「うちのクラスから何人か、寮に対する要望みたいのがあって。それをまとめた意見を管理人さんに伝えてたとこなの。水回りとか色々」

「一之瀬がわざわざそんなことを?」

 

 まるで学級委員長のような役回りだ。

 クラスのリーダーってそこまでするものなのか?

 Dでやったら平田は過労死するだろうな。

 

「おはよう、一之瀬委員長〜」

 

 エレベーターから降りてきた二人の女子に声をかけられ、一之瀬もそれに答える。

 

「なるほど。クラスで役割を作っているのか。確かに、問題が起きてもスムーズに解決できそうだ」

「そうそう。そんな感じ」

 

 一之瀬は少し驚いたようにオレを見る。

 

「統率取れてそうだよな、 Bクラスって」

「にゃはは、なんか照れるな。別に変に意識しているわけじゃないよ?みんなで楽しくやってるだけだし。それに少なからずトラブル起こす人はいるしね。苦労することも多いんだから」

 

 苦労することが多いと言う割には、一之瀬は楽しそうに笑う。

 彼女は本当に眩しい存在だと思う。

 

「綾小路くんはさ、この四クラスって本当に実力順に分けられてると思う?」

 

 そして、そんなことを聞いてきた。

 

「オレに意見を求めても、有意義な解答はできないと思うぞ」

「うーんっと、堀北さんのマネ」

「……どういうことだ?」

「だって、警戒心強そうな堀北さんが、ああやって相談するってことは、やる意味があるからなのかなって」

 

 彼女の観察眼は侮れないようだ。

 

「暑さでやられていたという可能性は?」

「んーないかな?っていうか、そんな状態で同盟組まないでしょ」

「その通りだな」

「で、綾小路くんはどう思う?」

「単純に総合力じゃないか?」

 

 オレは適当に答える。

 確かにDクラスにはある一点の分野に突出している生徒はいるにしても、不良品たり得る理由がある。統率が取れている点から、Bにはそんな生徒は少ないだろう。まあ、一之瀬のスター性に隠れている可能性もあるが。

 

「でもそれだったらAクラスが独走状態になると思うんだよね」

「Bクラスが喰らいついてくれるんじゃないのか?」

「そりゃ頑張るよ?でも、それこそDクラスには絶望的じゃない?」

「まあ、開幕0ポイントをかました歴史的なクラスだからな」

「あははは、笑えないね」

「一之瀬は、何か違う基準があると考えているのか?」

「うーん、それとはちょっと違くて。差はあると思うんだけど、それを覆すような何かが、隠されてる、とか。根拠はないけど……」

「いや、根拠はあるぞ」

「え?」

「龍園だ」

 

 その名前に、一之瀬は身を固くした。

 

「たし、かに?」

「Cを一纏めにできる人間が、総合力Cはあまり考えられないな。それにDクラスには、Aに居てもおかしくないような生徒も居る。例えば、平田や櫛田とか、な。一之瀬の考えはあながち間違いじゃないかもしれない」

 

 一之瀬は考える素振りを見せ、それからふむふむと頷く。

 

「堀北さんが意見を求めてた意味が分かったかも」

「一之瀬こそ良かったのか?他クラスにこんな気付きを与えて。敵に塩を送る行為ってヤツだと思うぞ」

「私はそうは思わないよ、大事な意見交換だし。それに、綾小路くんだって確信を与えるようなこと言ってくれたから、お互い様じゃない?」

 

 今までの会話で再度分析をかけていたが、なんとなく性格や考え方が把握できた気がする。彼女はとにかく、善人的な思考なのだ。

 自分の道徳心に従っているだけ。

 そして、芯の通った決して変わることのない、人として正しい価値観を持っているからこそ、ブレることもない。

 

「今日の審議のことだが……」

「ああ、心配しなくても大丈夫だよ。出来る限りのことはしたもん」

「そうか。悪いな、あの後ほとんど手伝えなくて」

「言っても、私だって紹介しただけだから」

 

 二人で通学していたので、学校への道には段々生徒の数も増えていく。

 思えば普段登校しているより明らかに周囲の目が多いように感じた。

 隣に歩いている一之瀬効果だろう。

 オレは今すぐに彼女から離脱したくなったが、そこまで人間性は腐っていないので、彼女を素直に褒める。

 

「人気者だな、一之瀬は」

「委員長やってるからね。他の子よりは目立つよ」

 

 謙遜ではなく、本心からそう思っているようだった。

 自分の求心力を自然な形で受け止めているように見える。

 

「それに、堀北さんの彼氏さんだもん。そんな人が女の子連れて歩いてたら、そりゃ目立つよ」

「あのな、それは誤解だ」

「ええ〜結構うちのクラスでも噂になってるよ?」

「嘘つけ。オレは目立たない一般男子高校生だぞ。オレの名前を知ってる奴はきっとピカソの本名も全部覚えているような変人だな」

「それは無理があるんじゃないかな……」

 

 序盤の小テスト0点、中間テストの高得点、水泳での高円寺とのデットヒート、イケメンランキング、友達0人(迫真)、エトセトラ……。

 オレって結構問題児?

 

「だからこの前オレたちのことをカップルだなんだとか揶揄ってきたのか」

「でも満更でもなさそうだったよね?」

「万も皿もありまくりだ」

「綾小路くんって結構その場のノリで適当な事を言うタイプなんだね」

「……冷静に分析されると恥ずかしいな」

 

 すると、さっきまで快活だった一之瀬は、一度その場に立ち止まる。

 どうしたんだと横顔を見れば、何か思い詰めたような表情をしている。

 

「あのさ……参考までに綾小路くんに聞いてみたいことがあるんだけど、いいかな?」

「答えられることなら、な」

 

 一億冊分の知識を詰め込んだオレの頭脳に答えられないものはない。

 

「女の子に告白ってされたことある?」

 

 あれぇ……それは読んだ一億冊には載ってなかったなあ……。

 

「脅迫は告白に入りますか?」

「えっ?」

「なんでもない。もしかして、告白でもされたのか?」

「あー、うん。そんな感じ」

「言いたくなければ無視して良いが、返事はどうするんだ?」

 

「それは……、断ろう、と考えてる、かな」

 

 一之瀬にしては歯切れの悪い返答をする。

 オレは彼女の反応に、昨日の出来事を思い出した。

 

 恋い焦がれて凶行に走った男。

 個人的に話すことができない身分への恋が、男をあそこまで狂わせたのだ。

 一生断られることのない、一方的な片想い。

 まさか高校生同士の恋でそこまで発展することはないと思うが。

 一之瀬のような性格なら、相手を傷付けないような言葉で、期待を持たせたままにしてしまう気がする。

 

「色恋沙汰にはあまり詳しくないが、断るならきっぱり断った方が良い。それが相手のためにもなると思うぞ」

 

 オレは、思いがけずそうアドバイスしてしまった。

 罪悪感からだろうか。

 ……何の?

 まあいい。

 

 オレの言葉で一之瀬は、目から鱗が落ちたような、そんな顔をする。

 

「そう、だね。うん。私、間違ってた。ありがとね」

 

 一之瀬は親愛の眼差しをオレに向ける。

 耳鳴りがした。

 これも全部暑さのせいだ。

 

「……大丈夫?」

 

 彼女は首を傾げた。

 

「顔色、やっぱ悪いよ。この前もそうだったけど」

 

 

 観察するような目。

 期待するような目。

 湧き上がるのは不快感のみ。

 そこに恐怖を感じたことは一度もなかった。

 体が拒否反応を起こしているのは正直どうでもいい。

 慣れた、というよりは、体の不調が思考回路の邪魔をする事態を既に勘定に入れて行動を起こしているため、もう不都合は起こらない。

 

 だが、何故だろう。

 彼女の。

 透き通った善人の瞳。

 本質を見抜く、正直な眼。

 

 正しい感情を含んだ視線は、耐え難い。

 真綿で締め付けられているような感覚。

 

 

 早急に彼女に嫌われなくてはな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室に足を踏み入れると、運命の日、というにはいつもと変わらない光景が広がっていた。雑多な生徒たちの会話に紛れるようにして、一人静かに座っている生徒。

 その表情は、前よりスッキリとしていた。

 

「おはよう。大丈夫、か?」

「うん」

 

 佐倉は顔を綻ばせる。

 

「なら、良かった。もしまた困ったことがあったら言ってくれ」

「あ、ありがと。綾小路くん」

 

 オレは挨拶を済ませて席に着く。

 

 佐倉は結局、今回の審議には出ないことになった。

 堀北が、断ったのだ。

 SDカードは石崎たちに壊されてしまい、カメラが壊れてからはバックアップを取っていなかったため、結局証拠となる写真も損失してしまったし、同じクラスということもあって、目撃者としては弱いらしい。

 堀北は彼女の勇気に、感謝の言葉を伝えていた。

 四月の頃だったら、そんな態度は取らなかったはずだ。

 子供の成長を間近で見る親の心情とは、こんな感じなのだろうか。

 

「おはよう」

「おはよう」

「堀北。そういや話し合いに同席するもう一人の生徒は決まったのか?」

「何を言ってるの?あなたに決まってるじゃない」

「え」

 

 勝手に決められていたらしい。

 

「待て、聞いてない」

「あなたにしか正確な策は話していない。当たり前でしょう」

「平田には?」

「全ては言っていないわ。須藤くんのためよ。分かるでしょう?」

「いや、でもな」

「何か問題でも?」

「オレには無理だ。話し合い?向いてるわけがない。過呼吸になってその場に倒れ伏す」

「そこまで狭い部屋でもないし、誰もあなたのことなんて気にしないわよ」

「そういう問題じゃ、」

 

「なになに?同伴者ってまだ決まってなかったの?」

「櫛田……!」

 

 堀北の一方的なワンサイドゲームに、櫛田が介入して来た。

 堀北はあからさまに苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「なんのよう、かしら」

「なら、私が話し合いに参加しようか?」

「結構よ。あなたでは……役に立たないと思うから」

「そんなっ、私だって、須藤くんの役に立ちたいよ」

 

 嫌ってる、と言い放たれた相手にこんな振る舞いをされるのだから、堀北からすれば、恐怖でしかないだろう。

 少し不憫に感じたオレは、一応助け舟を出しておく。

 

「まあ、須藤を助けたい気持ちは同じだろ」

 

 櫛田に対して。

 堀北はオレを一瞥し、それからため息を吐いた。

 

「……わかった。邪魔をしないでくれたら誰でも良いもの」

 

 特に気にしていない、そんな上辺で隠しつつ、やっと堀北は了承した。

 櫛田は心の中で舌を出しているに違いないだろう。

 

 これが、櫛田に見せる“面白いもの”だ。

 

 堀北は必ず兄を前にして本調子を出せない。

 あれだけ準備して、失敗してしまうのだ。

 堪らないだろう。

 もちろん櫛田はサポートするフリをして、無能な動きをする。

 そして審議が失敗してしまう前に、延長を訴える。

 その後、とある作戦を持ちかけるが、それはポイントがかかる。

 簡単に言えば、偽物の監視カメラを取り付けて相手を嘘で騙すというもの。

 だが、監視カメラなど、到底堀北一人で出せる額ではない。加えて彼女はポイントについては流石にそう簡単に他人からは借りられないだろう。

 そこで櫛田が龍園から奪ったポイントを貸し出す。

 しかも利子をつけて。

 まあ、単なる嫌がらせ、と言ったところだ。

 櫛田はこの作戦を聞いて生き生きしていたが。本当に良い性格をしている。

 

 ……穴があるので、この作戦はほぼ失敗するとは思うが。

 

 

 

 

 放課後を告げるチャイムが鳴った。

 精神統一をしているらしい、目を閉じ腕を組んでジッとしていた堀北が目をゆっくり開く。

 

「大丈夫か?」

「ええ」

 

 緊張しているのだろう、普段より表情が固い。

 

「なあ、どうしてAクラスに上がりたいんだ」

 

 堀北は、眉をひそめる。

 何故今関係のない話題を出したのか、そんな顔だ。

 だが、オレの不可解な行動にはもう慣れたらしい。

 余計な質問をすることなくそれに応じる。

 

「あなたは以前、興味がない、と言っていなかった?」

「あの時はな。でも今は契約がある。聞く必要があると、オレは思ったんだ」

「……あなたが予想しているものと同じよ」

「お前の口から聞きたいんだ」

 

 堀北は立ち上がり、キッとオレを睨みつける。

 

「兄さんに、追いつくため。烏滸がましいとは自分でも思っているわ。でも、」

「立派な理由だ」

 

 堀北は言葉を詰まらせた。

 

「だけどな堀北。お前は100点満点のテストがあったとして、目標点数を80点とした時、素直に80点を目指すのか?お前は違うはずだ。お前は諦めない。捨て問を、捨てたままにしない。100点を目指す。そうだろ?」

 

 彼女の瞳に、再び光が戻ってくる。

 この言葉を、今は理解しなくてもいい。

 

「なあ堀北。クズの親からはクズしか生まれないと思うか?」

「なんの話?」

「ただの雑談だ。頑張ってこい」

「……ええ。言われなくても」

 

 彼女は失敗する。

 孤独な背中を見つめながら、オレはそう確信していた。

 

 

 

 



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蛇の足を噛む

 

 

「ーー以上のような経緯を踏まえ、どちらの主張が真実であるか確かめさせて頂きたいと思います」

 

 橘書記は、事件の内容を双方に分かりやすく説明していく。

 その隣に座っているのは、堀北生徒会長だ。

 本来であれば、このような話し合いに生徒会が立ち会うことはあっても、わざわざ生徒会長が足を運ぶことはない。

 だが、あくまで偶然にも、彼に時間が空いていたために、彼が仲介人として、そして裁判長のような役割として、ここに出向いた。

 堀北は動揺が隠せなかった。

 須藤はそんな彼女の様子に、頭の上に、はてなマークを浮かべていたが、それ以上に大事なことがある、と前を向く。

 茶柱は鋭い視線を堀北へと向けた。

 直前に「何故綾小路を連れてこなかった」と彼女は堀北に問い詰めた。それに対して堀北は、「必要がなかったから」と答えたのである。茶柱の鋭い視線の中には、心配、不安という感情が含まれている。

 そして櫛田は、緊張した面持ちで席に座っている。

 

「小宮君たちバスケット部二名は、須藤君に呼び出され特別棟に向かった。そこで一方的に喧嘩をふっかけられ殴られたと主張していますが、それは本当ですか?」

 

 説明を終えた橘書記は、Dクラスへと視線を向ける。

 

「そいつらの言ってることは嘘だ……です。俺が呼び出されて特別棟に行ったん……行きました」

 

 須藤は慣れない敬語を使いながらも、反論する。

 

「では須藤君にお聞きします。事実を教えていただけますか?」

「俺はあの日、部活の練習が終わった後に小宮と近藤に呼び出さ……れました。普段からムカついてたっていうか、さっさと決着つけたかったんで、出向きました」

「それは嘘です。僕たちが呼び出されて特別棟に行ったんです」

「あ?」

 

 小宮は腕を組み、ふんっとそっぽを向く。

 明らかに挑発した物言い。

 須藤はグッと何かに堪えるように、睨みつける。

 

「今は双方の話を聞いているだけなので、小宮君は途中で口を挟むような行為は謹んでください。双方共に呼び出されたと主張しており、食い違っているようですが、一つ共通点がありますね。近藤君、小宮君、須藤君のバスケ部三人の中で、揉め事があった。そうですね?」

「揉め事というか、須藤君が僕たちに絡んでくるんです」

「絡む、とは?」

「彼は僕よりバスケが上手い、ということで自尊心を満たしているのか、僕が練習している間に、いつも自慢してくるんです。負けないように頑張っているのに、気持ち良いものではありません」

 

 須藤はその話に青筋を立てる。

 どう考えても作り話だ、そう、主張している。

 堀北は動かない。

 次に橘書記は須藤にも話を聞く。

 

「小宮の話は何一つ正しくね……ありません。二人は俺が黙って練習してるってのに、よく邪魔をしてきました」

 

 当然、どちらの意見も一致することはなく、相手が悪いとしか主張しない。

 

「僕たちは須藤君に一方的に殴られました」

 

 やはりCクラスは怪我を話し合いの中心に持っていくようだ。

 

「少し待ってください。もう一つ確認することがあります。須藤君は呼び出されただけで、暴力行為は互いに行なっていない、と主張していましたが、須藤君はこの主張を変えることはありませんね?」

 

 須藤は気まずそうに頷く。

 

「いいえ。僕たちは現にこうして怪我を負っています。これが何よりの証拠じゃありませんか?」

「んなの俺との話し合いの後で幾らでも違う奴にボコってもらえんだろ」

「でも、そんなことをする意味はありません」

 

 現時点では尤もな言い分だ。

 

 段々とDクラスは不利になっていく。

 櫛田は何か懸命に反論しようとしていたが、介入することができず、結局見守る形になっている。

 須藤はどんどん追い詰められていく。

 

 堀北はジッと俯き、発言できない。

 

「Dクラス側から新たな証言がなければ、このまま進行しますが、よろしいですか?」

 

 生徒会もこのまま沈黙の時間が過ぎれば、容赦ない裁きを下すだろう。

 だが、堀北は顔を上げられない。

 劣等感。

 実力を認められたい。

 でも、想いが伝わるわけがない。

 

 Aクラスの生徒会長の兄。

 Dクラスの出来損ないの妹。

 

 この差に、堀北は、萎縮してしまう。

 

「……どうやら、議論するまでも、なかったか」

 

 ここで初めて、沈黙を貫いていた生徒会長が口を開く。

 早くも結論を出そうとしているのだろう。

 櫛田は動揺を隠せない。

 

「ま、待ってくれ!」

 

 須藤は叫んだ。

 

「これ以上、一体何を話し合うことがある」

「俺は本当にやってないんだ!」

「今のところ彼らの怪我を覆すような証言も証拠も出ていない」

「そ、それは……」

「生徒会も忙しい。無闇に審議を引き延ばすような行為は謹んでもらいたいものだな」

 

 中立の立場であるはずの生徒会長は、須藤に対して鋭い目線を送る。

 これ以上何かを言えば、さらに不利になってしまう。

 須藤は呻く。

 

 

 

「ほ、堀北……!」

 

 

 

 

 

 

 

 縋るような声が、部屋に落とされる。

 須藤は審議中初めて、その名を呼んだ。

 周りは一瞬、彼が生徒会長の名字を呼び捨てしたように聞こえたはずだ。

 だが、須藤が呼んだのは。

 助けを求めたのは。

 

 堀北鈴音、ただ一人。

 

 その声に、堀北はバッと顔を上げた。

 そして、この絶望的な状況を、認識した。

 

 

 パチン。

 

 

 彼女は、両頬を自らの手で挟み込み、叩いた。

 

 パチン。

 パチン。

 

 何度も、何度も。

 

 

 私は、堀北鈴音だ。

 ただの、まだ何者でもない、Dクラスの一生徒。

 

 

 そして、前を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……失礼しました。私から、質問させてもらってもよろしいですか?」

 

 呆気に取られていた周りだったが、その質問に、生徒会長は、

 

「許可する。だが、次からはもっと早く答えるように」

 

 と答える。

 堀北はゆっくり椅子を引き立ち上がった。

 

「先ほど、あなたたちは須藤くんに呼び出され特別棟に行ったと言っていましたが、須藤くんはいったい誰を、どのような理由で呼び出したんですか?」

 

 今更どうしてそんな質問を、と小宮たちは顔を見合わせる。

 

「答えてください」

 

 堀北は追撃するように一言付け足した。橘書記もそれを認める。

 

「部活が終わって、着替えてる最中に今から顔を貸せって言われて……。また自慢することでもあるのか、と僕たちは思って、逆らえないのでついていきました」

「では石崎くんはどうして居合わせていたのですか?彼はバスケ部じゃなかったはずです」

「それは、用心のためですよ。須藤くんが日頃暴力的な行動を取っていることは知っていましたし……」

「なるほど。須藤くんは自ら呼び出したにも関わらず、石崎くんが同席することを許した。そう言いたいわけですね」

 

 その発言に小宮は堀北から視線を外し、「そうです」と言う。

 

「その証言に、嘘はありませんね?」

「ありません」

 

「ではもう一つ質問があります。事件が起こった時、あなたたちは制服を着ていましたか?」

「はい、着替え終わってから行きましたから」

「須藤くんは制服に着替えず半袖短パンのジャージを着ていた。これも間違いではないですね?」

「そうです。きっと僕たちを殴るために動きやすい服装の方が良かったんですよ」

「この発言に嘘は?」

「ありません」

 

「ではあなたたちは、日頃須藤くんにちょっかいをかけられており、事件当日、部活が終わり着替えている間に須藤くんに呼び出され、石崎くんの同行を許してもらい、ジャージ姿の須藤くんに一方的に殴られた。そう言いたいんですね?」

「だから、そうですって」

 

 念押しするような質問に、小宮たちは段々苛立ってくる。

 

「では、Dクラス側の証人の入室を許可していただけますか」

「許可します」

 

 橘書記は頷いた。

 一人の男子高校生が生徒会室に足を踏み入れた。

 

「バスケ部副部長三年Bクラスの高木です」

 

 その人物に、小宮たちは動揺を隠しきれない様子で顔を見合わせた。

 堀北と、そしてBクラスのバスケ部生徒で、上級生に暴力事件の証人になってもらうようお願いしたのだ。

 

「大きな試合が控えているので、部長に代わり証人として立たせていただきます」

「Cクラスの主張では、須藤くんが小宮くんと近藤くんに絡んでいた、とのことですが、それは事実ですか?」

「違います。普段須藤君は黙々と練習をしており、僕たち上級生の指示を守り、時にはアドバイスを貰ったり、とバスケに対して熱意を持ち、真面目に取り組んでいたように思います。小宮君と近藤君に絡んでいる様子を僕たちは見たことがありません」

「み、見えないところでやられてたんです……。だから、」

「小宮君。今は証人の発言中です。反論の時間は後で設けます。では高木君は、逆に小宮君と近藤君が須藤君に絡んでいたところは見ましたか?」

「はい。三人一組で行う練習があり、適当に組み分けた際、その三人が組むことがあったのですが、小宮君と近藤君は真面目に練習しようという意志が見られないような行動ばかり取っているのを見かけ、今後三人を一緒に組ませないよう決めたのは記憶に新しいです。少なくとも上級生は、そう考えており、注意を行うことも視野に入れていました」

 

 バスケ部の総意。

 そう言われてしまえば、覆すことはできない。

 

「た、確かに、僕たちは、彼の才能が羨ましくて、ついやっかんでいました。ですが、あの日呼び出したのは須藤くんです」

 

 近藤が苦し紛れに、そう反論する。

 論点を変えたいのだろう。

 

「それは、違うと思います」

「どういうことですか?」

 

 橘書記は彼が発言することを許可する。

 

「事件が起こった日は木曜。バスケ部の体育館利用は、他部活との兼ね合いもあり、四時から五時までと決められていました。休養も兼ねてバスケ部自体は早めに切り上げたのですが、練習終わりにランニングをすることを僕を含めた数名で約束していました」

 

 須藤は、「あ」と声を漏らした。

 須藤本人も、事件のことで頭が一杯ですっかり忘れていたのだ。

 小さく高木に対して頭を下げる。

 

「もちろん須藤君も参加する予定でした。しかし練習が終わってから、少し遅れる、と言い残して、彼が来ることはありませんでした」

 

 Cクラスの三人の顔色が悪くなる。

 

「上級生と約束をした須藤くんが、わざわざその日に呼び出しを行わない。私たちDクラスはそう主張します」

「で、でも。須藤くんはそのような常識の通じない行動を常々取っています。約束を反故してもおかしくありません」

「確かに普段の素行は悪いと思えます。ですが高木先輩の話から分かる通り、バスケに対する誠意は本物でした。加えて須藤くんはジャージを着たままだったんですよね?あなたたちはついさっき、そう発言したはずです。ジャージをわざわざ着替えなかったのは、話し合いが終わった後にランニングを行うからとは思いませんか?」

「そ、それは……」

 

 Cクラスは完全に沈黙する。

 

「今までの証言から、呼び出したのは小宮君と近藤君側だった。ということで双方よろしいですか?」

 

 橘書記はそう問う。

 Cクラスの担任の坂上は、苦虫を噛み潰したような顔で、頷いた。

 だが。まだ呼び出しがCクラスだっただけで、須藤が三人に暴力を振るったという点に変わりはない。

 

 高木は礼をしてから退室した。

 

「生徒会側から質問させていただきます。どうして虚偽の申告をしたのですか?」

「そ、それは、」

 

 今まであった台本がなくなった。

 そういった焦り方をする小宮。

 小宮に代わって近藤はしどろもどろに発言する。

 

「あ、あの。あれです。僕たちは確かに須藤くんを羨み、あまり褒められるべき態度は取っていませんでしたが、それに対して須藤くんは苛立っていたのを知っていて、……ぼ、僕たちはあの日謝るつもりでした。で、ですが、そういった経緯をこの場で話すのが恥ずかしくて、嘘を吐いてしまいました。すいません」

「はあ!?」

「須藤くん、今は堪えて」

 

 苦しい言い訳に聞こえなくもないが、あくまで中立的立場からすれば、筋も通っており、嘘と断定できる部分はない。堀北は須藤を一睨みして、彼の怒りを抑える。

 

「つまり、あの日小宮君たちは今までの行為の謝罪のために、須藤君を呼び出したのですね」

「はい。だからこそ石崎を呼びました。怖かったんです。僕たちは誠心誠意謝りました。なのに、殴られたんです。ボコボコに」

 

 小宮が右頬に貼られていた湿布を剥がすと、紫色になった痣が露出する。

 これを覆せなければ、Dクラスに勝機はない。

 

 だが、この証言こそ、反撃の合図。

 

 堀北は、スッと手を挙げる。

 橘書記は「どうぞ」と促す。

 

「三人に質問があります」

 

 またか。

 と呆れた態度を隠さず、小宮は堀北を睨む。

 

「石崎くんは中学時代、喧嘩をよくしていたようですね」

「あ、ああ」

 

 予想外の矛先に、石崎が椅子にしっかり座り直す。

 

「私は多少武術の心得があります。一般的に複数の敵と相対した場合の戦いは乗数的に厳しいものになると思います。加えて石崎くんは喧嘩慣れしている」

「不意打ちもありましたし、須藤くんはとても強かったんです」

「では、三対一で喧嘩したことは認めますね?」

「でも僕たちはボコボコにされました。ほら、こんなに怪我を負っています」

「私が聞いてるのは、三対一で喧嘩したかどうか。それだけです。怪我の度合いは聞いていません」

「いや、だからよ、」

「三対一で、喧嘩をした。そうですね?」

「ま、まあ」

 

 堀北は、ふう、と一度深呼吸をする。

 兄の目線。

 今は、関係ない。

 あれは、兄の目線ではなく。

 事件の真相を公平に判断する生徒会長の目線だ。

 

「念を押すようですが、Cクラスは、喧嘩はなかった、という私たちの主張を受け入れることは、もうありませんか?」

「だからっ、ない。ありません」

 

 小宮は強気に言う。

 堀北は、須藤に目配せをした。

 須藤は、重く頷いた。

 

「少々、お見苦しい所をお見せします。よろしいでしょうか」

 

 生徒会長は、どうぞ、と手で続きを促す。

 

 須藤は立ち上がり、そしてシャツを捲り上げた。

 紫や黄色、赤黒く痛々しい怪我が、シャツの下に隠されていた。

 

 それは、暴行の痕。

 

 石崎は驚きの声を上げた。

 小宮と近藤も愕然としている。

 櫛田も知らなかったらしい、目を見開いた。

 

「なっ、んで」

「あなたたちは一方的にやられたと主張していますが、須藤くんは三人に、言わばリンチのような状況で抵抗したそうです」

「んな怪我、あとで幾らでも付けられるだろ!」

 

 石崎は動揺を隠せないまま、そう声を張り上げた。

 

「証拠はあるんですかね」

 

 担任の坂上も、眼鏡を何度も上げ直しながらそう問う。

 

 

「証拠ならあります」

 

 

 バンっと、堀北はCクラスを睨みつけ、机に手のひらを叩きつけた。

 そこには、数枚の小さな長方形の紙のようなものが置かれている。

 橘書記が小さく断りを入れてから紙に手を伸ばす。

 紙だと思っていたのは、数枚の写真だった。

 

「……会長」

 

 写真を確認した橘書記は、生徒会長にその写真を提出する。

 暫くそれを見ていた彼は、それらを全員に配るように指示する。

 その写真を見たCクラスの生徒は、「はあ?」と声を上げた。

 

「これは、Dクラスの生徒が端末で自撮りをした写真をプリントしたものです。写っている須藤くんの第二ボタンの近くに、まだできたばかりの痣が見えるはずです。撮った日時は、七月一日の朝のSHRが始まる前。また、ここにその自撮りをした男子生徒、山内くんの端末があります。この端末は学校支給のものなので、加工と疑いたいなら、履歴を辿って見ることもできますし、日時を確認したければ、幾らでも調べることはできますが。恐らく何も出ないと思います」

 

 決定的な証拠に、暫く唖然としていたCクラスだったが、ハッと思いついたように、

 

「んなの、俺たちを散々殴った後に色々できる」

 

 と、石崎が反論した。

 

「それはあなたたちも条件が一緒ですよね?あなたたちはSHRが始まる前に先生に訴えを起こした。怪我が発覚した時間はほぼ同時だと私は主張します」

 

 しかし堀北は冷静にその論を斬る。

 腕を組み、黙っていた生徒会長は、口を開いた。

 

「では、Dクラスは、数の暴力に抵抗したために、結果的に喧嘩に繋がったと。そう言いたいのだな」

 

「いえ。これはリンチです。三人に寄ってたかって殴られて、彼は怪我を負った。

 彼はバスケを大事にしています。

 さっき、近藤くんと小宮くんは須藤くんをやっかんでいたと証言していました。理由はそれだけで充分でしょう。今後、この怪我を理由にバスケの活動に悪い影響が出れば、それはCクラスの過失だと考えることができます」

 

「ま、待てよ!俺たちは本当に謝る気で須藤くんを呼び出したんです!なのに許せないからって、殴られて、そんで俺らは抵抗したんです!」

「その証言が信じられるとでも?」

「はあ!?」

 

「落ち着いてください」

 

 橘書記は、平行線を辿るであろう言い合いが始まってしまう前に、一旦待ったをかける。

 そして、中立的な立場として、Cクラスに質問を投げかける。

 

「Cクラスは先ほど、一方的に殴られた、と言っていましたよね。先の証言は、嘘、ということになりますが」

 

 小宮は顔を青くする。

 彼らには、須藤の怪我は身に覚えがない。

 だが、嘘だと主張しても、証拠がある上に、Cクラスの怪我もまた嘘だという説を提唱できてしまう。だからこそ、彼らは一度、互いに怪我を負った喧嘩をしたと頷かなくてはならない。

 

 ただ。

 Cクラスにとっては、須藤が喧嘩を先にけしかけてきたという事実だけでいい。

 最悪痛み分けでも、須藤の評判を落とす。それが最低限の目標。

 それが、龍園の今回の指示である。

 

 小宮は顔を横に振り、龍園の言葉を思い出す。

 そして、橘書記の質問に丁寧に答えた。

 

「須藤くんが、俺らに先に手を出してきました。確かに一方的、ではなかったですが、須藤くんの怪我こそ、俺らの抵抗の証です。一方的というのは言葉の綾でした。それほど、混乱していたのです」

「分かりました。未だ双方の意見は食い違いがっている部分はありますが、一つ確定したことがありますね。四人はあの場で喧嘩をしていた。ではDクラスは何故、喧嘩をしていなかった、と主張していたのですか?」

 

「はい、私たちは虚偽の申告をしていました。ですが、これは仕方のないことでした。

 何故なら、今は須藤くんはバスケ部のレギュラーに選ばれる大事な時期です。たとえ三人に嵌められて正当防衛だったとしても喧嘩したことが公になれば、バスケの活動に影響が出てしまう可能性もある。だから泣き寝入りするつもりでした。それを掘り返し、しかもCクラスは、嘘を交えた訴えを取り止めなかった。

 だからこそ私たちは何度も、喧嘩はなかった、と主張し、妥協を提案していました」

 

 石崎は思わず舌打ちをする。

 橘書記はそれを一瞥してから、可愛いらしい咳払いをした。

 

「では、ここで重要になってくるのは、どちらの主張が正しいか。その一点です。Cクラスは須藤くんに謝罪するために呼び出し、殴られて反撃をした。Dクラスは三人に呼び出されて、暴行を加えられたので抵抗した」

「少し宜しいでしょうか」

 

 そこで坂上先生は手を挙げた。

 

「いつまでの話し合いを続けても平行線のままでしょう。……ですが、喧嘩したことだけは事実。落としどころを作りましょう。喧嘩両成敗、ということで双方の生徒に一週間の停学。それで如何でしょうか?」

「その妥協案を私たちは受け入れるつもりはありません」

「と、言うと?」

「もう一人、証人がいます」

 

 石崎たちは「またか」と項垂れた。

 

 話し合いは、完全に、堀北の手のひらの上だった。

 準備をした者勝ち。

 Cクラスとしては、依然有利な筈なのに、削られていくような感覚を味わっている。

 須藤は、堀北の勇猛果敢な姿に、尊敬の念を抱いていた。

 

「許可します」

 

 橘書記はもう一人の証人の入室を認めた。

 今度は、少しおどおどしながら、生徒会室に入る女子生徒。

 櫛田たち、目撃者探しの班が見つけた生徒だった。

 

「名前は」

「わ、わたしは、美術部二年Cクラスの、三上です」

「三上さんは事件現場に居合わせたんですか?」

「いいえ。美術室は二階にあるので、声だけでした」

「木曜日は美術部はお休みだと聞きましたが、どうして残っていたんですか?」

「ええっと。実は日曜日までに提出しなくてはいけないコンクール作品があって、それを先生の許可を取って描き上げていました。わたしと、あと三名ほど、美術室に残っていたんです」

「分かりました。何を聞いたんですか?」

「トイレに行こうとした時、怒号が聞こえました。殴る音、とかは聞いてません。怖くてすぐに美術室に戻ったので、現場も見ていません。反響で何を言っているか分かりませんでしたが、何か煽るような言葉を使っていたと思います。その声は、ええっと、そこのCクラスの方?の声に似ていたと思います」

 

 三上は石崎の方を見る。

 

「ありがとうございました」

 

 堀北がそう礼を言い、そして三上は退室した。

 

 

 状況によってはあまり意味をなさない証言だが、この場面だからこそ、Cクラスの主張を揺るがす大きな一手となった。

 堀北は今まで、Cクラスの主張の嘘を見つけ、そしてそれを中立の立場である生徒会側に何度も指し示してきた。

 

「私には彼らの主張に嘘が多すぎて、とてもじゃありませんが信用に値するものとは思えません」

 

 堀北は、淡々と、冷静に言う。

 

「石崎くんは煽るような物言いをしていたようですが、それが謝ろうとしていた人たちの態度でしょうか」

 

 Cクラスはもう、何も言い返せない。

 確かに嘘で塗り固められた反論は、幾らでもすることができる。

 だが、今までの積み重ねで、中立の立場である生徒会も、彼らの主張を信用し辛くなっている。

 それを肌で感じ取っていたために、最適な言葉が見当たらない。

 

 そこで堀北は更に畳み掛ける。

 彼らの勝機を徹底的に潰す。

 

「私たちは逆に、Cクラスの三人が、須藤くんに怪我を負わせた、という訴えを起こすことも可能です。そしておそらく、あなたたちの嘘ばかりだった反論は殆ど通らないでしょう。

 ですが、私たちとしては、須藤くんが早く部活に復帰してもらえるように、この審議を引き延ばしたくはありません。

 

 もし、私たちの最初の主張が正しいと認めてくださるなら、私たちは訴えを起こすこともありません。

 どうしますか?」

 

 

 立場は、完全に逆転した。

 

 

「それはつまり、双方の間には何もなかった、ということか?」

「はい。これを踏まえて、私たちは再度、喧嘩はなかったと。そう主張します」

 

 

 Cクラスがここで無闇に引き延ばしを行おうとすれば、それこそ須藤のバスケの活動を邪魔している、と、第三者目線には映ってしまう。

 Cクラスは沈黙する。

 坂上は天井を見上げた。

 勝敗は決したようなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓の開いた自室で寛いでいた少年は、イヤホンを抜き、思わず呟く。

 

「……マジか」

 

 彼女は四面楚歌の中、完全勝利をもぎ取ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄さん」

 

 不安に揺れた声が、部屋に響く。

 Cクラスはそそくさと帰り、須藤も三日ぶりの部活へと向かい、生徒会室には橘書記と堀北生徒会長が残っていた。

 まだ何者でもない少女は、生徒会長の前に立つ。

 

「鈴音か」

 

 堀北学は嘆息した。

 橘書記は戸惑いの表情を隠せず、二人の顔を交互に見る。

 

「人前で話しかけることをお許し下さい。でも、どうしても伝えたいことがあって」

「なんだ。言ってみろ」

 

 言葉とは裏腹に、かける声には優しさが含まれている。

 堀北鈴音は、そのことに安堵し、そして決心した。

 

「私は……。私は、この一年間、全力で走り抜けるつもりです。だからどうか、……どうか、見ていて下さい」

 

 

 

「俺を追い抜いてみせろ、鈴音」

「……!はいっ!!」

 

 すれ違いを続けていた兄妹は、この時。

 妹は、兄に向けていたバイアスを取り払い。

 兄は、妹の中に秘められている原石の光を再度見つけて。

 

 やっと互いの本物の姿を知覚した。

 

 

 



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パントマイム

ネタバラし回
時系列順
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 事件が起きた日の夜。

 須藤はオレの部屋にやって来て、助けを求めた。

 Cクラスの連中と喧嘩したこと。

 そして、口論の末堀北を突き飛ばしてしまったということ。

 藁にもすがる思いだったのだろう。

 堀北同様英語の点数を下げていたように思えたオレに、頼って来たのだ。

 

「な、なあ綾小路。確かに誰にも聞かれたくない話だけどよ、わざわざ外に出なくたってよくねえか?部屋の方がいいだろ」

「念のため、だ。気にするな。ここには監視カメラもなければ人の目にもつかない」

「ま、いいけどよ」

 

 オレは須藤を連れて、監視カメラのない道外れの雑木林へと足を運ぶ。

 夜も更けて、人っ子一人いなかった。

 外灯には小蝿が群がり、じんわりとした暑さが肌を覆う。

 

「なあ須藤。お前は何をどうしたいんだ」

「どうしたいって……分かんねえけど、兎に角やべえってのは分かってんよ」

「堀北も失望しただろうな」

「そ、それなんだよ!明日、どう謝ればいいか、わっかんねえし……」

「堀北の言い分を、今冷静に考えてみて、どう思うんだ」

「……堀北は、俺に全責任があるって言ってきたんだ。でもよ、あ、あいつらが先にガチャガチャ言ってきて、小突いてきたんだ。正当防衛だろ!」

「先に手を出したのはCクラスの連中だって言いたいのか?お前は過剰防衛って言葉も知らないのか」

「相手は三人だぞ!?不利だ不利!オレじゃなけりゃ怪我してたって!」

「堀北は正しい。お前は間違っている。だからお前は明日堀北に謝る。クラスに迷惑をかけたので、クラス全員にも謝る。簡単な話だろう」

「俺は悪くねえのに、んでクラス連中にまで謝んなきゃいけねえんだよ!」

 

 オレはわざとらしくため息を吐いた。

 

「須藤。みぃんな思ってるよ。あの時、さっさと退学してくれれば良かったのにってな」

「……んだと」

「ちょっとは成長したと思ったらこれだ。お前の脳みその海馬は腐っているのか?ああ、海馬って言ってもバカなお前には分からないか。堀北もこんな奴に好かれてかわいそうにな」

「んでお前にんなこと言われなきゃなんねぇんだ!ああ!?」

 

 須藤はオレの胸ぐらを掴む。

 目は血走り、鼻息は荒い。

 振りかぶった拳は震えている。

 だが、それ以上はやってこない。

 オレはこの切迫した状況下で須藤という人間を改めて分析し直す。

 

「いや、堀北もその程度の女ってことだな。平均点のミスは茶柱の温情で、見捨てて正解だったのに、わざわざ救っちまったわけだし。優等生の偽物。バカはバカ同士、お前とお似合いだよあの女は」

「テメェ……!」

 

 その言葉に、ついに我慢ならなくなったらしい。

 握り締めた拳が飛んでくる。

 オレはそれを冷静に左手で受け止めた。

 まさか止められるとは思っていなかった須藤は驚いたように、シャツから手を離す。

 その一瞬を突く。

 須藤の肩を掴み、そして、腹に膝蹴りを繰り出した。

 

「がはっ」

 

 手加減はしたので意識はまさか飛んでいないだろう。

 オレは手を離す。

 須藤はフラフラと後退した。

 

「て、テメェ……」

 

「粋がるなよ雑魚が。暴力さえ中途半端じゃ、お前の価値は一体なんなんだろうな。この程度だったらバスケだって、大したことなさそうだ」

 

 須藤は咆哮をあげ、オレへと掴みかかった。

 オレはそれを軽くいなす。

 これが本来の喧嘩なら、体力を考えて短期決戦を挑むが、今回はそうもいかない。

 須藤の拳を避けつつ、ジワジワと倒れない程度に軽いジャブを加えていく。

 敵を作りやすい性格の須藤は今まで多くの喧嘩をこなしてきたかもしれない。

 バスケットで磨かれてきた身体能力と体格で、これまでほぼ敵なしだっただろう。

 だが、付け入る隙などいくらでもある。

 その余裕が透けて見えたのだろうか、須藤は顔を赤くする。

 

「なんなんだよテメェはよ!!」

 

 そろそろいいか。

 と、その時。

 

「うらあああ!!」

 

 須藤のなり振り構わないタックルに、完全に虚を衝かれた。

 渾身の頭突きが腹に入り、オレはバランスを崩した。

 体格差では勝てない。

 須藤はオレに馬乗りになる。

 そして顔面目掛けて拳を振り上げた。

 

「なっ」

 

 オレは咄嗟に引きちぎった草を撒き、目眩しにする。

 空いた隙、胸の真ん中に拳を突き上げた。

 肺を突かれて「はっ」と声を漏らす。

 一瞬動きを止める須藤に、気絶しない程度に顎に一発入れ、完全に力が抜けたのを確認してから退ける。

 これで決着はついただろう。

 

 

 顎に受けた一撃ですぐには起き上がれないのか、須藤は仰向けになった。

 そして何度も拳を地面に叩きつける。

 

「くそがっ!くそ!くそぉ!!」

 

 声は震えている。

 涙を堪えているのだろう。

 

 オレは立ち上がり、須藤を見下ろす。

 彼は赤くなった目をギロリとこちらに向けた。

 

「悔しいか?」

 

 ただの煽り言葉に聞こえたはずだ。

 

「ああ!?」

「その涙に何の意味がある」

「泣いてねえよ!!!」

「何が悔しいんだ」

「それはっ……!」

 

 須藤の言葉が詰まる。

 

 オレに軽くいなされたことか。

 はたまた、堀北に、オレに、叱責され見下される自分の情けない姿か。

 段々と頭も冷えてきたのだろう。

 オレの涼しい態度に一つ舌打ちをしてから、須藤は固く握り締めていた拳をゆっくり解き、自分の目に押し当てた。

 

「……分かってんだよっ。ついカッとなっちまう性格も、すぐ手が出ちまうことも」

「本当に分かっているなら、どうしてオレに煽られて止められなかった」

「そん時は……曲げらんねえプライドがあるって思っちまうんだ。それがバカらしいことだって、分かってる……分かってんだよ俺はっ!」

 

 世の中は正論に溢れている。

 どんな励ましの言葉も、誰かの真似事に過ぎない。

 今の須藤の悩みだって、既に先人達が経験し、何度も頽れ、挫折を味わっている。

 だからこそ、オレは言う。

 須藤に、事実を突きつける。

 

「次また同じことが起これば、必ずお前は過ちを繰り返す。分かってる、なんて言葉はただの自己弁護だ」

 

 須藤は指の間からオレを一度強く睨み、それから顔を背ける。

 

「……どうせ俺は、クズの親から生まれたただのクズだ。もう、放っておいてくれよ」

「そうやってまた逃げるのか」

「逃げてねえ!」

 

 聞き捨てならない言葉だったのか、須藤は起き上がった。

 

「俺だって、あいつらなんかみたいになりたくねえって思ってたんだ!なのに……だってのに。段々似てきやがる。遺伝って奴なんだろ?だったらよお、しょうがねえじゃねえか……」

「クズから生まれた人間がクズとは限らない。親のせいにするな」

「お前には分かんねえよ。勉強も運動も出来て、なんか知らねえけど喧嘩も強え。こんな惨めな気持ち、味わったことねえんだろ」

「ああ、ないな」

 

 ここで嘘でも同情を示すべきなんだろうが、あえて突き放した態度を取る。

 

「じゃあ、もういいだろ!」

「お前が今欲しい言葉は慰めか?オレだったらそんな施しこそ惨めだ。プライドが許さないな」

「てめえのことなんざ、知るかよ」

「お前はどうなんだよ須藤。お前のそのご立派なプライドは、この状況を良しとしているのか?喧嘩でボコボコにされて、説教の真似事をされて、挙句、何も言い返せないんだもんな」

 

 チッ

 須藤は舌打ちし、必死で何かを堪えるように目を瞑る。

 先の言葉はどうやら効いているらしい。流石に三秒で忘れる阿呆ではないようだ。

 

「本当にプライドを守りたいなら、自分に向き合ってみろ、須藤」

 

 須藤の最初の拳には迷いがあった。

 だからオレでも止められた。

 それは成長への兆し。

 だが、須藤の成長を本当の意味で促せるのはオレじゃない。

 気付きは与えた。

 あとは本物の理解者が現れればいい。

 願わくば、その役目は堀北なら尚良いが。

 

 

 

「さて」

 

 オレはしゃがみ、須藤と目線を合わせる。

 

「ここからが本題だ」

「は、はあ?」

 

 急に態度を変えたオレに、須藤は間抜けな声を上げる。

 

「オレとお前は喧嘩した。そうだな?」

「あ、ああ」

「どうだ。どこか動かないところはあるか?もしくは、バスケの練習に響きそうなところは?」

 

 状況を理解できない須藤は、とりあえず自分の身体を確認し、「いや、ねえけど」と呟く。

 

「それは良かった。手加減できるかどうか不安だったからな」

「なっ、お、お前、あれでも手加減してたのかよ!」

「本気でヤったら今頃お前は地面に這い蹲って死のカウントダウンが始まってるだろうな。ま。そんなことはどうでも良いんだ」

「どうでも良くねえよ……」

「そういや須藤、お前は最近第二ボタンを閉めていたな」

「え?あ、ああ」

「今日から開けろ」

「はあ?」

「今日、お前は二度も喧嘩をした。一度目は石崎達と、二度目はオレと。一度目はどこにも目立った怪我を負わなかったが、二度目は違う。それを利用するぞ」

「……お前、もしかして」

 

 意外と察しが良いようだ。

 

「その怪我を、石崎達に負わされたと言えばいい」

「そのためにオレに喧嘩吹っ掛けたのかよ!」

「堀北のためだ。そう思えば安くないか?」

「いや、そ、それは」

 

 堀北にはやはり弱いらしい。

 今後も使えそうだ。

 

「で、でもよ。確かに訴えてやるとか何とか言われたけどよ……冷静になって考えてみると、んな大事になるのか?」

「龍園を知ってるか?」

「聞いたことはあんな」

「奴が一枚噛んでいる可能性がある。そもそもおかしいと思わなかったか?いくらお前が強いとはいえ、相手は三人。怪我をしないわけがない」

「た、たしかに。石崎とかいう奴は、なんか違ったな」

「だろ?確実に何か仕組んでくる。もしDクラスに損害を与えてくるなら、その際堀北は抵抗するだろうな。その怪我は切り札になり得る」

「お、おお。でもなんかズルくねえか」

「先に仕掛けてきたのはあっちだ。それに、お前がオレの安い挑発に乗りさえしなければ、別の方法を考えてたさ」

 

 ぐうの音も出ないのか、須藤は押し黙る。

 

「お前は今日から第二ボタンを開けて、そして喧嘩についてはそもそもやってない、と主張しろ。下手に見せびらかすな。もちろん、堀北にも今すぐには言わず、言われた通りに動け」

「え、言わなくていいのか?」

「お前が血迷って喧嘩してないだのなんだの堀北に主張したんだろ?いきなり主張を変えてみろ。嫌われるぞ」

「うっ確かに、そりゃそうか……」

「だが、全てが終わった後に怪我の本当の理由を話せ。そしてその時に、お前はもう一度この事について真剣に向き合ってみろ。自分の過ちを、堀北に告白しろ。これは強制じゃないからやらなくても良い。あとは、まあお前次第だな」

 

 伝えるべきことは伝えた。

 この後どう転ぶかは、二人にかかっている。

 最悪クラスポイントが全てなくなってしまう可能性もあるので、尻拭いの準備くらいはするが。

 オレは腰を上げる。

 

「最後に。堀北以外にこの話は誰にもするな。もしバラせば、オレはお前に報復の限りを尽くす」

 

 見下ろし、須藤に釘を刺す。

 なんとなく、いつかの櫛田を思い出した。

 須藤はゴクリと唾を呑み込んだ。

 

 立ち上がれない須藤を置き去りにして、寮へ戻るため歩き出す。

 

「なあ、一つ聞かせろ」

 

 オレはその言葉に立ち止まった。

 

「お前、何もんだよ」

 

 人間は理解できないものを忌避する。

 おそらく、今後須藤はオレと関わりを持とうとは思わないだろう。

 

「さあな」

 

 

 振り返らず、闇に紛れる。

 

 

 

 ーー闇に紛れ…いや、立ち去ろうとしたその時。

 唐突に不快感が喉元にこみ上げた。

 

 

 そういや、腹に一発貰ってたな。

 

 

 結局どうすることもできず、須藤が目の前にいるにも関わらず、オレはやらかした。

 須藤が心配して駆け寄ってくる。

 

 え?オレ狙ってないのに本当に残念な奴になってないか?

 

 その後、何故かボコボコにした相手に介抱されながら、部屋に戻ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーとある録音記録

 

 

「メールでも良かったんだがな」

「文章として残るのはマズいので」

「俺がそんなことをするとでも?」

「他人に見られる可能性もありますからね。ただ、録音はしても良いですよ?しっかり管理して下さるなら」

「……お前の敬語は白々しくて好かん。普通に話せ」

「ならお言葉に甘えて」

「で、用件を聞こうか」

「ただの雑談だ。随分疲れた声をしている。この時期は生徒会も忙しいのか?」

「ああそうだな。夏休みが終われば体育祭が控えているし、詳しくは言えないが、特別試験の精査もある。暇な時間は中々取れないな」

「じゃあ、もしその間に他クラスの生徒同士のいざこざがあったとすれば、それはもう迷惑極まりない話だろうな」

「……審議にまで発展するとなった場合は、生徒会も介入せざるを得ないだろう。そうなれば、早急に片をつけたい」

「へえ。……やっぱり生徒会って大変そうだな」

「興味でも持ったか」

「来週で暇な時間ってありますかね」

「放課後で生徒会が開けられる時間があるとすれば、月曜か木曜、だな」

「早急に片付けたいなら、月曜日の方が良さそうだ」

「……なんの話だ」

 

 

『須藤もちょろいな、あんな挑発に引っかかるなんてよ!』

『これでDはクラスポイントをおとして、阿鼻叫喚ってやつだな』

『でもちぃっとばかし怪我が足んねえな。龍園さんに追加で殴られるかもしんねえ』

『ええ!?マジかよ!!』

『あの人なら右頬にストレート入れてきそうだよな』

『小宮、俺が殴ってやろうか?』

『お、おう。龍園さんよりかはマシだぜ……。手加減してくれよ』

『分かってる分かってる』

 

 

「……この音声は」

「今、不良映画観てたんすよ。間違って流しちゃいました」

「そうか」

「雑談の続きだが、もし、Dクラスが審議に参加するなら、あんたの妹が出張ってくるはずだ」

「興味ないな」

「妹の成長を間近で見たくはないか?」

「……ほう。だが、まだ期待はできない」

「期待はしなくて結構だ。むしろ、彼女は失敗する。オレはそう確信している」

「お前は何もしないつもりなのか?」

「こうやって雑談するくらいはできるな」

「……分かった。どうするかはオレが決める。そういうことで良いんだな?」

「もしダメだったら見限れば良い。決定権は兄であるまな……あんたが持っている」

「ふっ、名前で呼んでもいいんだぞ?」

「……いや、いい」

 

 

 

 

ーーここで音声は途切れている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく……」

「須藤の審議の無事成功を祝って、かんぱーい」

「目玉もぎ取るよ?」

「ごめんなさい」

 

 審議が無事終わったその日の夜のことである。オレは鍵をかけ、U字ロックをして、万全の体勢で襲いくるゾンビを待ち構えていた。だが、合鍵とペンチには流石のオレでも勝てまい。ペンチでチェーンを切ってしまう前にオレは顔を青くしてドアを開け、彼女は慣れた手つきで後ろ手でドアを閉めた瞬間、胸倉を掴まれ怒声を浴びせられた。

 今はベッドの上で枕の中身を引きちぎるという大変迷惑極まりない行動を取っているが、オレは正座をして彼女の機嫌が直ることを待つことしかできない。

 

 いや合鍵ってマジか。

 聞いてない。欠陥住宅かここは。

 

 そう文句も言いたくなる。

 だが待つことに段々飽きてきたので、外村から借りたゲームを始めた。

 櫛田は苛立ちで一杯なのか、気にしてないようだった。

 

「……あんたが失敗するとか言うから乗ってあげた」

 

 某ネズミー作品の魔女だって青ざめるくらいの低く恐ろしい声。

 

「ほら、序盤は面白かっただろ?」

「そうだね。でもどっかの漫画の覚醒シーンみたいになったよね。なにあれ」

「さあ……」

 

 審議が成功してしまい、櫛田を宥める、というのはそもそも作戦の内だった。

 堀北の兄に決定的な証拠を持たせていたのもあるし、たとえもし兄が見限って審議が延長しても、堀北は一之瀬にポイントを立て替えて貰うだろう。どう足掻いてもこの計画は失敗していた。

 

 だが、唯一の誤算は、堀北がふっつうに審議に勝利してしまったこと。

 櫛田の怒りを抑えられる自信が一気になくなった。

 味方に背中を刺された気分だ。

 最初に刺すフリをしたのはオレだけど。

 

「あと須藤やっぱ喧嘩してんじゃん」

「そう簡単に人は変わらないだろ」

「あんたどこまで知ってたの?」

「堀北の作戦は全て」

「じゃ、成功するって分かるでしょ」

「あの生徒会長は堀北の兄だ。兄を目の前に力を発揮できないとオレは踏んでいた。かなり緻密な作戦で、Cクラスの言動を少しでも制御しきれなかったら失敗する確率が格段に上がるからな。事実、最初の方は殆ど発言していなかっただろ」

「震えて俯いてて面白かったよ」

「だろ?」

「でも成功した」

 

 若干涙目になっている。

 やるからには全力投球の櫛田さんには今回のことは結構堪えたらしい。

 女の涙に操作キャラは動揺したのか、回避のベクトルを誤り、空を飛ぶでっかい龍が放つ即死ビームを前に呆気なく膝を折った。あと二回は死ねるな。

 

「なんで堀北は須藤が喧嘩してたことを知ってたの?あとあのバスケ部の先輩なに。意味わかんない……」

「順を追って説明するとだな」

 

 オレはそのまま第二ラウンドに突入しながら、とうとうシーツまで裂こうとしている櫛田に、事の顛末を説明した。

 

 

 須藤がクラス全員の前で謝った際、第二ボタンが開いていたことで須藤の怪我が目の前にいた堀北にチラ見えし、両者は殴り合いをした、と堀北は確信を得たそうだ。また、クラスメイトへの歩み寄りが行われていたため、須藤がバスケに対しては真面目だったことを彼女は知っていた。この二点から、今回の作戦を思いついたらしい。金曜日の放課後に作戦の詳細内容は聞かされていた。

 

 バスケ部の証人が必要だ、という所を偶然Bクラスの一之瀬に盗み聴かれるというハプニングもあったが、堀北一人で頼むより、同じバスケ部の後輩と共に、責任ある立場の人と頼み込んだ方が良いと提案されて、堀北は了承。一之瀬はオレ達にBクラスのバスケ部の生徒を紹介してくれた。

 

 平田と櫛田の尽力で見つけた美術部の生徒は、堀北の作戦をより強固にした。この作戦は堀北とオレのみが詳細を知っており、Dクラスの全員、須藤は本当に喧嘩をしていない、と信じている。

 

 

「ま、といったところだな……あ、死んだ」

 

 動かしていたキャラがそう時間を置かずに猫に回収されていく。

 櫛田は大きくため息を吐いて、膝を抱いた。

 

「目撃者探しやんなきゃ良かった」

「でも櫛田はクラスメイトのためにちゃんと頑張ったんだろ?偉い偉い」

「微妙そうな証言だったからだよ」

 

 漏れ出る舌打ち。

 褒め称え作戦は効かなさそうだ。

 

「まっじ最悪。あれだけできる感出してたくせに」

「悪かったと思ってるさ。オレも人間だ。間違うことくらいある」

「そんな所で人間味出さなくて良いから腹立つ」

「堀北の痴態はただの寄り道のはずだ。龍園とのコネクションは今後大きなアドバンテージになる。手元に大金も残ったし、どこに失敗した要素があるんだ」

「あんたは見たわけ?チャットグループの盛り上がり具合。また祝勝会やるって騒いでるし。みんな堀北堀北堀北堀北堀北堀北堀北……」

 

 ぶつぶつ呪詛のような言葉を吐く。

 チャットグループの話で抉れたオレの心も相乗効果で、この部屋に充満する負の感情だけで怨霊が生まれそうな勢いだ。

 

「落ち着け。こういう奴らは一度失敗を見せればすぐに手のひらを返す。むしろ今の内に上げておけば、今後醜態を晒した時のダメージはより大きくなる」

「ほんと……?」

 

 褒めるより相手を貶す方が櫛田には慰めになるらしい。

 相変わらず素晴らしい性格をしていらっしゃる。

 

「積み木は高く積み上げてから壊した方が、爽快感あるだろ?積み上げる時のワクワク感を今の内に味わえばいいさ」

 

 オレの話に納得がいったのか、はたまた妥協する点を見つけたのか。

 櫛田はうんともすんとも言わなくなった。

 代わりにどこからともなく取り出したハサミでシーツを切り刻んでいる。

 オレは三ヶ月間お世話になった寝具に黙祷を捧げた。

 

「てかいつまでゲームしてんだよ!」

「あ」

 

 突然、櫛田に上からゲーム機を奪われ、操作キャラは龍の尻尾に当たって無様に死んだ。

 初期装備なので即死ビーム関係なしに一撃喰らったらほぼ死ぬ。いや、死んではいないのか?まあどうでもいいか。

 

「それが謝る人間の態度?」

「石崎たちも煽るようなことを言いつつ実は謝っていたのかもしれない。言語って凄いよな」

「綾小路くんにゲーム感覚でレイプされたって噂流すよ?」

「ごめんなさい」

 

 オレは人生で初めて土下座をした。

 また初めてを奪われてしまったが、櫛田は漸くいつもの元気を取り戻したようだ。

 

「というか、今日中にその龍を倒せば外村から臨時報酬が貰えるんだ。返してくれ」

「なに?小銭集め?」

「暇潰しだ」

「本格的に陰キャオタク化してんじゃん」

「部屋にいることが多いからな。必然的にインドアな趣味が増える」

 

 少しだけ興味を持ったらしい、櫛田は牧場を探索し始めた。

 

「ハンター・ウォッチ、だっけ?」

「ああ」

「ゲームとかやったことあったんだ」

「いや、初めて触ったな。最初は山内に押し付けられたんだ」

「上手いの?」

「見るか?」

「いやいい。そういう自慢飽きるほどされてきたし。大抵雑魚そうだし」

「興味のない自慢話ほどつまらないものはないよな」

 

 このゲームを始めたキッカケも、山内の自慢話からだった。

 なんでも超級クエストの一番強いモンスターまで倒すのを、三日で終わらせたとか。

 その間に勉強でもすれば良いのにと呆れたが、それは凄いことのようで、いまいち実感が湧いておらず微妙な反応をするオレに、だったらお前もやってみろよ、と貸し出されたのが最初。

 超級クエストの次はアルティメットモードというのが存在する、というのも教えられ、山内が三日で終わらすなら五日でいいか、と超級まで終わらせたが、アルティメットモードが出てこず、そもそも級の次にモードっておかしくないか?と思いつつ山内に説明を求めると、「綾小路大先生」と外村含めた数人に慕われることになった。

 ほぼ初期装備で一番強いとされていたモンスターを倒したことに感服したらしい。

 山内が少ない時間でボスまで行ったことを自慢していたから、タイムアタック的な楽しみ方のゲームと勘違いしていたのが原因だ。

 そして山内の言葉の殆どが嘘であり、騙されていた事に気付いた時には屋上から飛び降りたくなった。

 

 その後、他のゲームでの詰んだポイントや対戦ゲームなどを報酬込みでやらされるようになった。断るか、適当に流せばいいと思うだろうが、そういうわけにもいかない。

 

『力を持っていながら、それを使わないのは愚か者のすることだ』

 

 この言葉がオレを縛るせいだ。

 出る場所を完全に間違えている。

 いい加減にして欲しい。

 

 まあ、こういった経緯のおかげで少しだけ得したこともある。

 それは、ゲームをプレイする対価に、他人に軽い用件を頼むことができること。

 決定的な証拠となった、山内が須藤と撮った写真もこれのおかげだ。

 

 レースゲームで一位を取りレートを上げ、先延ばしにしていた報酬で、山内に、いずれ退学者が出た時に写真がないと寂しいから、と今日中にクラス全員と写真を撮ることを頼んだ。

 恥ずかしいから自分ではできない、と説得すると、山内に哀れみの目を向けられた。ないと思っていた感情は、その時だけ妙に「は?」を連呼していた気がする。櫛田の影響だ、多分。

 

 山内がこの関連性に気付くかどうかは……

 

 まあ、山内だし。

 

 

 櫛田は色々見て回っていたが、飽きたのか、オレにゲーム機を返す。

 

「でも、ちょっと見てみたいかも。小さな画面に必死に齧り付いてるあんたとか爆笑もの」

「オレのプレイじゃなくてオレの痴態が見たいだけだろそれ」

「あんたに拒否権あると思ってる?」

 

 堀北のこともあるので何も言い返せない。

 

 長々見せるわけにもいかないので、食事も充分に摂り、温泉に入り、最強装備に着替えた。なんで女の子がこんなに重そうな防具を着てあんな動きをできるかは甚だ疑問だ。

 それほど時間もかけず、雷雨の中の龍を倒す。

 

「やっぱよく分かんないや。やってて面白い?」

 

 嘘つけ。途中「おお!」とか何とか言ってただろが。

 勝利した瞬間も手を上げてたし。

 まあ機嫌も格段に良くなったので、結果オーライか。

 

「さあ。面白いんじゃないか?」

「なんであんたが疑問形なんだよ」

 

 ゲームをしている最中は、見ている皆もゲーム画面に注視しているので、楽という点もあるが。自分の思い通りに動ける、というのはやはり気分が良い。

 

「櫛田もやってみるか?」

「オタクが感染る」

「モンスターを一方的にいたぶるのは楽しいぞ?」

「……へえ」

 

 興味を持ち始める櫛田。

 ということで操作方法をレクチャーしてあげた。

 ストレス発散法は増やしておいた方が今後良さそうだ、という思惑だ。決して自慢したいからじゃない。他人のデータだが、まあ良いだろう。

 最強装備で弱くてデカいモンスターのクエストを受けさせる。

 色々アドバイスをしていたら「うっざ」と吐き捨てられたので、ちょっと傷付いた。

 

「あ、そういえば。私のお願い一つ聞いてよ。失敗した詫びね」

 

 暫くやっていた櫛田だったが、勝利BGM的に倒したのか、思わず万歳をしていたので、拍手をしてやると、オレにメンチを切ってからゲーム機をベッドに投げ捨て、思いついたように言った。

 照れ隠しにしては横暴だし、あと他人の借り物をぞんざいに扱うな。

 

「佐倉とデートすんのそういや断るって言ってたよね」

「デートじゃない。一緒に修理に出したカメラを取りに行くだけだ」

「あれちゃんと行けよ」

「……そんな事でいいのか?お前には関係ない話のように思えるが」

 

 巻き込んでしまった佐倉への罪滅ぼし的なサムシングだろうか。

 親近感は持たれているだろうが、罪滅ぼしにしては弱いだろうに。

 

「私だって悪魔じゃないから」

「そうだな。櫛田は天使だもんな」

「今度棒読み発言したらささくれ剥がす」

 

 なんて地味な嫌がらせなんだ。

 というか棒読み一回でそれなら、一日でオレの指の皮は全部剥かれる気がする。

 想像してしまい自分の手を思わず庇っていると、

 

「絶対行けよ?」

「はい」

 

 胸倉を掴まれ脅された。

 ベッドの惨状には今日は目を瞑ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路くん。万歳しなさい。

 

 唐突な命令に、オレは考えなしに素直に応じた。

 

 そして、堀北はオレのシャツを捲り上げた。

 ここは教室だ。

 もう一度言おうか。

 ここは教室だ。

 堀北の奇行に、キャアと黄色い声が上がった。

 

「事後報告はなし。いいわね?」

 

 頼むから誤解を招くようなこと言わないでくれ。

 オレは呆れながらもシャツを下ろす。

 相当怒っている、と思ったが、堀北の顔にその感情は見受けられなかった。

 凪いだような瞳を、オレに向ける。

 

「私と須藤くんは似ていた。相容れないようで、きっと。本質は一緒なんじゃないかって。最近そう思えるようになってきたの」

 

 どうやら須藤の罪の告白を聞いたらしい。

 そして、偽物の和解ではなく、本物の歩み寄りが行われ、仲直りした。

 ただ、一応本当にオレ達が喧嘩をしたのかどうかを確かめたかったようだ。

 

「独りで何でも出来ることは、決して偉いことではない。私は、そのことをずっと勘違いしていたダメな人間だったし、須藤くんも同じだった。でも、私は諦めないと決めた。なら、彼だって、同じように頑張ろうという意志を持つ可能性がある。その可能性を、私はすぐに切り捨てて、諦めていた」

「でも、最後は諦めなかったろ?」

「ええ、そうね。それが私の長所だと思いたい」

「立派な美点だ。誇っていい」

 

「クズから生まれた人間はクズかどうか。あなたは私にそう尋ねたわね。今なら答えることができるわ」

 

 一呼吸置いて、堀北は言う。

 

「この説を本物にするか偽物にするかは、私が決めること。そして、きっと死んでも納得の行く回答を得ることはできない」

「神のみぞ知る、てことか」

 

 

「いいえ。神なんかに決めさせはしないわ。

 

 最後まで私が決めることよ」

 

 

 堀北は勝気に笑った。

 傲慢な物言いは、彼女の得意としていることだ。

 

「その通りだな」

 

 満足したのか、堀北は踵を返し、教室を出て行く。

 その迷いのない後ろ姿に、もう、孤独は感じられなかった。

 

 

 ……ただ一点、一応この教室内の空気だけはどうにかして欲しかった。

 

 

 

 



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ゆめゆめ

負けヒロインは負けてからが本番
これにて二章はおしまい


 これは夢だ。

 

 

 彼は食事をする。

 彼は運動をする。

 飛び跳ねて、しゃがんで、走って、立ち止まって。

 彼は就寝する。

 彼は起床する。

 彼は、

 彼は、

 彼は。

 

 その全てが、

 観察されている。

 

 立方体の部屋には、幾つもの黒いカメラ。

 その奥には沢山の、目がある。

 一人の男が、彼の前に立った。

 彼はその男の名をよくよく知っていた。

 だが、彼はその男を、観察者、と呼んだ。

 観察者は、彼を常々観察する。

 

 彼は見られていることを気にも留めず、出された問題を解いていく。

 ある時のことだ。

 思い立った。ただそれだけの話。

 彼は立ち上がる。

 誰もが問題を解いている中、彼は無許可で立ち上がった。

 逸脱した行為。

 

 しかし、目は、ただ彼を見ている。

 いや違う。

 彼、の皮を見ている。

 彼は立ち上がっている。

 だが、彼の皮は、問題を解き続けている。

 彼の皮を、観察者は観察している。

 

 観察者は彼を見ているようで、彼を見ていなかった。

 そのことに、彼は初めて気が付いた。

 彼の知的欲求は満たされた。

 彼は座り直し、問題を解き続けた。

 

 

 周りに人がいなくなって、久しいある日。

 観察者は霧のように掻き消えてしまった。

 立方体の壁は、パタンと音を立てて外側に倒れた。

 閉じた世界が、開いたのである。

 

 彼は、周りを見回して、戦慄した。

 たくさんの目は、監視カメラを通さず、たくさんそこにあって、

 たくさんのあちらこちらに向いている。

 それは木だったり、虫だったり、人だったり、空だったり。

 多彩な目は、多様な推し量れない何かを含んでいる。

 その推し量れない何かを、彼は察した。

 外側だけは知っている。

 温かさも冷たさも、膜が覆われて触れることはできないけれど。

 

 そして、彼がそれを外側だけ捉えているように。

 あの観察者も、同じように彼を見ていたのだと、彼は理解した。

 

 観察者は、彼を見ているようで、彼を見てはいなかった。

 彼は自分の皮をベリベリと剥がす。

 あの時立ち上がった彼がまだいるかもしれない、そう思ったからだ。

 だが、そこにあったのは空洞だけ。

 

 そりゃそうか。

 無いものは見れない。

 彼は納得した。

 同時に、空洞の中からとめどなく透明な液体が溢れ出す。

 

 あの、推し量れない何かを含んだ瞳を。

 向けられることのくすぐったさを知ってしまったなら。

 この透明は赤に変わると。

 彼は確信した。

 

 

 ーーだから先に拒絶した。

 

 

 

 

 

 

「席を譲ってあげようって思えないの?」

 

 

 その声に、ハッと目が覚める。

 バスに揺られながら、オレは、自分が眠っていた事に漸く気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人と触れ合うのが苦手だ。

 人の目を見て話すのが苦手だ。

 人が集まっている所で過ごすのが苦手だ。

 

 でも。

 心を満たすのに、他者からの承認が必要なことを、私は知っている。

 どれだけ孤独を愛そうと、孤独は私を愛してはくれない。

 きっといつか、苦しくなって、人を求める。

 

 

 私は認められたい。

 私は称賛されたい。

 

 だけど、人との繋がりが怖い。

 

 矛盾だと、分かっている。

 

 だから、仮面を被って、私を偽った。

 仮面を通して、私は他人と繋がった。

 

 でもきっと。

 本当の意味では、私はそれらの自己矛盾を“分かって”いないのだろう。

 

 孤独を愛する私と、他人に認められたい私。

 どちらが偽物で、どちらが本物なのか。

 

 そう考えていた時点で、私は間違っていた。

 

 

 

 

 

 本格的に七月に入り、蒸し暑さが無視できないほど増してきた、休日の昼下がり。

 私は木陰のベンチで、待ち人を探していた。

 

 須藤くんの事件が無事解決して、一週間が経った。

 須藤くんはやっぱり喧嘩をしていなかった。

 私が見たものは間違いじゃなかった。

 

 綾小路くんはその間夏風邪を拗らせたらしく、学校を休んでいたので、約四日ぶりに会うことができる。体調が万全になってからで良いと言ったけど、早くカメラが戻ってきて欲しいだろう、と彼は気を利かせてくれた。

 

 今から私たちは、修理したカメラを取りに行く。

 ついでにストーカーも捕まったことで、私が記入したものが偽の個人情報だったことを伝えるために、綾小路くんが必要だったのだ。

 

 暫く待っていると、約束の時間の五分前に、彼はやってきた。

 手には、二本の250mlのペットボトル。

 

「待ったか?」

「う、ううん。今来たところだよ」

「そうか。良かった」

 

 本当は、約束の時間の三十分前に着いてしまい、ずっとソワソワしていた。

 

「喉渇いてないか?」

 

 そう言って彼は、私に一本渡してくれた。

 麦茶だ。

 

「ほら、今日暑いだろ?行くついでに自販機で飲み物を買ったらおまけが当たったんだ。何が好きか分からなかったが、それで良かったか?」

「え、あ、ありがと!」

 

 確かに、少しクラリとする。

 人を待ってて熱中症なんて、笑えないかもしれない。

 

「あれって、本当に当たるんだね」

「ああ。オレも都市伝説か何かかと思っていた。今なら宝くじも当てることができそうだな」

「成人になってないから、0%だと思う……」

「た、確かに……」

 

 彼は少しだけ落ち込んでいた。

 なんだか申し訳なくなる。

 私は喉が渇いていたので、ありがたく彼から貰った麦茶を飲んだ。

 冷たさが、胃の中まで染みるのが分かるくらい、私は水分を欲していたらしい。

 ついつい半分ほど飲んでしまった。

 

「じゃあ、カメラ。取りに行くか」

「う、うん」

 

 私は立ち上がった。

 

 二人でショッピングモールを歩くのは、とても恥ずかしかった。

 でも、すれ違う人たちは、結局私を見ていない。

 私は、風景なのだ。

 そう思うと、少しは気が楽になる。

 

「オレはあまり詳しくないんだが、風景の写真ってどういう時に撮るんだ?」

 

 彼がそんなことを聞いてきた。

 

「え、」

「変な質問だったよな。忘れてくれ」

「ううん。そんなことないよ」

「佐倉は風景も撮るんだろ?」

「うん」

「何のキッカケがあって撮ろうと思うんだ?」

「そ、そんな難しい事は考えた事なかったけど……。なんか、綺麗だなとか、ずっと取っておきたいな、とか。多分、そんな感じなんじゃないかな」

「確かに。その瞬間をもう一度見たいという点では、需要はあるのか」

 

「あ、でもね。写真って、よく偽物だって言われるけど。わたしは違うと思うんだ」

「違う?」

 

「例えば夕焼けの景色の写真を見て、これは朝焼けだって言っても、許されるから。瞬間を切り取った世界は、それはもう、別の生命を持つんだって。

 

 写真は偽物でも本物でもない。ーーそのものなんだと、私は思う」

 

 

 綾小路くんは暫く首を捻らせていたけど、なるほど、と頷いた。

 

「綺麗な考え方だな」

 

 私は彼の言葉に、嬉しくなる。

 

 家電量販店に行き、用事を済ませる。

 特に何も問題はなく、修理されたカメラが返ってきた。

 一週間も手放していたので、自然に口角が上がる。

 綾小路くんは、「良かったな」と一緒に喜んでくれた。

 

 私たちはカメラの動作を確認しながら帰路に着く。

 結局そのまま合流した地点に戻ってきていた。

 私は日陰のベンチに座る。

 何か話したがっていることを察してくれたのか、彼も同じように、私の隣に座った。

 沈黙が続く。

 きっと彼は私のことを根気強く待ってくれている。

 私は、大きく深呼吸をした。

 自分のタイミングで良い。

 そう、彼は言ってくれたから。

 

「あ、綾小路くんは……私がグラビアアイドルをやってること、あんまり聞かないんだね」

 

 やっと出た声は、ちょっと掠れていたけど、彼は気にしていないようだった。

 

「全く興味がない、とまではいかないが。佐倉は聞かれたくないだろ?そういう話を、男に」

「え、あ、うん。そう、だね」

「それに、アイドルだったと分かった所で、佐倉は佐倉、だしな」

 

 やっぱり彼は優しい。

 それに、彼の瞳の奥は透明で、私をあの恐ろしい目では見ない。

 

「うん。ありがとう」

「佐倉こそ、掘り返すようで悪いが、その。大丈夫、か?」

「……ま、まだ、夢で見たりしちゃうけど。うん。大丈夫。その夢でね、綾小路くんが来てくれてね、」

「オレは佐倉の夢の中に出てくるのか……図々しいな、なんか」

「あ、あのね!い、いつも助けてくれるの。だから、怖くても、安心できるというか……」

「それは……良かった……のか?」

「うん」

 

 恥ずかしいことを言った気がして、俯きたくなる。

 

「一応聞いておきたいんだが。今後もし、ネットでの活動がクラスにバレたら。佐倉はどうしたい?」

「え?」

「何か手助けできると思ってな」

 

 彼は、私に親身になってくれる。

 まだそんなに話したことがない私に、寄り添ってくれる。

 だからこそ、私は疑問に思った。

 

「綾小路くんは……強いね」

「オレが、強い?」

「うん。綾小路くんってさ。私と同じで、人の目が怖いんじゃないかって、そう思えて」

「……まさか、バレていたとはな」

「め、目立つのが苦手、なんだよね?」

「ああ。他人から注目されるのが、怖いな。オレは」

「どうやって、克服したの?」

「克服?」

「私はやっぱり、まだ怖い。人前で堂々と話せないし……。でも綾小路くんは、たくさん友達もいて、普通に話せてる」

 

 すると綾小路は「え?」と困惑した顔をした。

 

「いや、オレは友達はいないぞ?」

「す、須藤くんとか、沖谷くんとは、仲良くしてないの?」

「昼食も一緒じゃないし、世間一般で言う友達じゃないんじゃないか?」

「なら堀北さんとか……」

「ただの隣人だ。連絡先も知らない」

「櫛田さんは?」

「あれは……。友達、ではないだろ、うん」

 

 どことなく歯切れが悪い。

 もしかして、恋人?

 心がつきんと痛む。

 

「不本意なことを思われていそうだから訂正させてもらうが、断じてそういう仲じゃないからな」

「不本意なんだ……」

「……櫛田にとって、不本意、ってことな」

 

 あまり深くは聞かない方がいいのだろうか。

 でもきっと、彼の寛容さや親切心に、お世話になった人もいるのだろう。

 彼の周りの人の目は、温かいものが多いように感じたから。

 人の目が苦手でも、そう強くあれる姿が、羨ましかった。

 

 

「やっぱり、綾小路くんは凄いよ」

「……佐倉はどうして人が怖いんだ?あーいや、答えたくなかったら、」

 

 私は首を横に振る。

 多分、きっと。

 彼になら話しても良い。

 そう思えたから。

 

「私ね。分からなかったの」

「分からなかった?」

「ひ、人との繋がりが、こ怖くて。私は、仮面を被ってる。仮面を被って、外の世界と辛うじて繋がってる。だ、だから。みんなも、私みたいに仮面で取り繕って、裏の顔を持ってるんじゃないかって。そう思うと、怖いけど、でも、本当かどうかは、分からない。写真みたいに、綺麗な世界を、信じていたいから。矛盾、してるよね。私」

 

「これはオレの持論だけどな」

 

 私の話をしっかり受け止めてから、彼はそう前置きをする。

 

「きっと多くの人は裏の顔を隠し持っている。だがそれでいいとオレは思う。全てを曝け出した世界は、多分今より生きにくい。だから人は、在りたい姿に近い自分を切り取って加工して、周りに配るんじゃないか?それが悪いことだとは思えない。オレだって、仮面を被っている。櫛田もそうだ。堀北も、須藤も、みんな。弱い自分を、醜い自分を、空っぽな自分を。取り繕って生きている。誰かと繋がるために何かを隠しているのは、何も佐倉だけじゃ、決してない」

 

 独りじゃない。

 そう言われている気がした。

 

 だけど、私の中に燻る何かは、反論する。

 

「でも、その仮面で、人を傷付けるのは、悪いことじゃ、ないかな」

 

 私はつい、そう漏らしていた。

 彼は目を見開いた。

 自分でも変なことを言っているのは分かっていた。

 彼の慰めの言葉に真っ向から反対する、酷い言葉。

 でもずっと。

 吐き出したくて吐き出したくて、堪らなかった。

 

 わたしは俯く。

 

「もしかして佐倉。あのストーカーに罪悪感を持っているのか?」

 

 彼は、慎重に、そう言った。

 私の心はグラグラ揺れる。

 私のせいで。

 私が居なければ。

 あの人はおかしくならなかったんじゃないか。

 

「罪悪感……なのかな」

「分からないのか?」

「う、うん。でも、あの日からずっと。心の内でモヤモヤしてるの」

「そうか」

「これって、なんなのかな……」

 

「確証はないが、オレはそれに答えることができる、と思う。だが、自分で気付くべき、なんじゃないか。何様のつもりだって話だけどな」

 

 彼は簡単には答えを教えてくれなかった。

 でも、口に出すことで、私のモヤモヤは整理されていく。

 

「……わ、私は!たぶん……あの出来事を、言い訳にしてるの。

 

 ーー外の世界と繋がらないための、言い訳に」

 

 自分の醜い姿。

 私は、そんな私に出会っていた。

 

 私は顔を上げられない。

 

「その仮面に救われている他人だっているんだろ?」

 

「えっ」

 

「それだけで、今は充分だと思う。

 難しいことは、時には考えなくたって良いはずだ」

 

 

 彼の言葉が、心に染みていく。

 不器用で、でも、芯をついた透明さ。

 俯いた先には、カメラがある。

 私はカメラを見つめる。

 落として壊れて。

 でも、修理に出せば、こうやってまた使うことができる。

 

「あ、ありがとう」

 

 私はそう、口にしていた。

 

「こんなことで佐倉の心が軽くなるなら、いつだって相談してくれ」

 

 私は頷いた。

 やっぱり、彼は優しい。

 彼は、不用意に私を見ないでくれる。

 あの、濁った何かを向けないでくれる。

 そんな彼の姿が、私は嬉しい。

 

 つい、私は彼の涼しい横顔にカメラを向けた。

 

 

 カシャ

 

 

 彼は私に撮られたことに気付き、少し困った顔をした。

 

「オレなんか撮って楽しいか?」

「う、うん。楽しいよ。……他の人を撮ったの、家族以外で初めてかも」

「いいのか?オレが初めてで」

「うん。むしろ、綾小路くんで良かった」

「それは、なんか、気恥ずかしいな」

「え、あ!そ、そういう意味じゃなく……なくなくない、というか……?」

 

 顔が赤いのは暑さのせい!

 私は顔を覆う。

 

 顔を覆いながら、チラリと彼を盗み見る。

 彼を、見つめる。

 

 きっと、この気持ちは、簡単に言葉にしてはいけないもの。

 でも、もし名前をつけるなら、多分それは……。

 

 

「オレの顔に何かついてるのか?」

 

 

 ……あれ?

 彼は、困ったように、私の、方を見ないでくれる。

 

 私は、目を逸らした。

 

 だって、彼が。

 何故か、とても辛そうにしていたから。

 私に見つめられることが、耐えられない。

 そんな、表情をしていたような気がしたから。

 

 どうして?

 

 

 

「結構話し込んだな。暑いだろ。そろそろ帰るか?」

「こ、この後。用事、あるんですか?」

「悪い。病院の診察時刻が迫ってるんだ」

「ぁ、あ、うん。早く夏風邪治るといいね」

 

 彼の顔が強張る。

 

 

 

 ……ああ、そっか。

 

 私は、人の目が嫌いだ。

 だって彼らは、私を見てはくれないから。

 本物の、私を。

 存在していないものとして、扱う。

 仮面で取り繕った、偽物の私を、見る目。

 

 色眼鏡をかけて、勝手に私を推し量るから。

 

 でも、私も結局、色眼鏡をかけて生きている。

 私の嫌いな人間と同じ、色眼鏡を通して彼を見ている。

 濁った何かを向けて、

 彼を見つめて、彼を苦しめてしまう。

 

 彼は、立ち上がり、「また、明日」と別れの挨拶を言った。

 私は仮面を被って、彼から目を背けて、笑う。

「うん。じゃあね」

 彼の後ろ姿は、どんどん小さくなる。

 私は、眼鏡を外した。

 

 

 デジカメの画面に、水滴が落ちる。

 

 彼の写った写真。

 写真は本物でも偽物でもない、そのものなんだと。

 そう言っていた自分が、今はなんだか恨めしく思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな朝の、清涼な空気。

 私は鏡の前に立つ。

 制服を着て、髪をセットして。

 そして。

 私は眼鏡を机の上に置く。

 

 鏡の中の私は、写真の中の私だった。

 

 孤独を愛する私と、他人に認められたい私。

 どちらの私も、同じ人を好きになった。

 だからきっと、どちらも同じ、本物なのだ。

 

 私は実らない恋をする。

 私は人知れず涙する。

 

 私は玄関のドアを開いた。

 朝日が眩しくて、つい、手をかざす。

 

 机の上に、眼鏡を置き去りにして。

 私は振り返らずに歩き出した。

 

 

 




他人からの好意を受け入れられない不幸な少年と、そんな彼に恋をしてしまった不運な少女。


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第三章
イカロスは海に落ちた


 

 

 

 ギリシャ神話には、憎悪や嫉妬を含んだ話が多く存在する。

 『イカロスの翼』を耳にしたことはないだろうか。簡単な概要はこうだ。

 かつてギリシャには、ダイダロスという偉大な発明家がいた。

 ミノス王の傲慢により神の逆鱗に触れて、狂わされた后は牛に欲情してしまい、ミノス王はダイダロスを頼る。彼の機転で彼女は思いを遂げ、怪物ミノタウロスは産み出された。

 だがミノタウロスは成長するに従い乱暴になり、手に負えなくなる。ミノス王はダイダロスに命じて迷宮を建造し、そこに彼を閉じ込めた。

 しかしある時、生贄として捧げていた少年少女がミノタウロスを倒し、迷宮を脱出してしまったことから、息子のイカロスと共に、ダイダロスは自らが作った迷宮に閉じ込められてしまったのだ。

 ダイダロスたちは迷宮から逃げ出すために、鳥の羽を集めて大きな翼を作りあげた。大きな羽を糸でとめ、小さな羽は蝋でとめた。やがて翼が完成し自由を求めて飛び立とうとした時、父であるダイダロスは息子にこんな忠告をする。

 

「あまり高く飛ぶと、蝋で固めた翼が太陽に焼かれ溶けてしまう。気を付けろ」

 

 空を飛んだイカロスは、世界の広さに感激した。

 イカロスは初めて手にした自由に魅入られ、そして、忠告を破り太陽に近付き過ぎてしまった。作り上げた偽りの天使の翼は、太陽に焼かれ瞬く間に溶け出してしまう。

 やがて偽りの翼は全て焼き尽くされ、イカロスは大海に落ちて死んでしまった。

 

 ダイダロスはこの時、どう思ったのだろう。

 私は一人の少年を前にして、『イカロスの翼』を連想してしまっていた。

 いや、正確には、イカロスの翼に出てくる、父ダイダロスを、思い出したのだ。

 

 ダイダロスはミノタウロスを産み出すきっかけを作りながら、彼を屠った少年少女の手助けをした。その罪に、息子であるイカロスは巻き込まれて、そして海に落ちた。

 ダイダロスは後悔したはずだ。

 

 もし、ミノタウロスを産み出す手助けをしなければ。

 もし、恋に焦がれたアリアドネに脱出方法を教えていなければ。

 もし、イカロスの勇気と傲慢さえ、翼に捧げてしまえたなら。

 

 迷宮の中に取り残されて、思ったはずだ。

 

 己はこんな惨めな思いをせずに済んだのに、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「茶柱先生。オレに一体何の用ですか?」

 

 蝉が忙しく鳴く、七月の中旬。

 終業式も終わり、校舎内はいつもの騒がしさを忘れ、部活生の掛け声が廊下に響く。

 指導室のクーラーは不健康な冷たさを吐き出し、髪を撫でる。

 

「まずは携帯を机の上に置いてもらおうか」

 

 茶柱は自身の端末を取り出し、黒い画面をわざわざ見せてから机の上に置く。

 彼女の湯呑みの中のお茶は半分ほど既に減っていた。

 先客でもいたのだろうか。

 オレも彼女に倣ってわざわざ録音機能を切ったことを見せる。

 

「この部屋には生徒のプライバシーを守るために監視カメラがない。実に都合の良い場所だとは思わないか?」

「パワハラが横行しそうですね」

「そうかもしれないな」

 

 茶柱は否定せず、口の端を上げる。

 彼女の狙いが手に取るように分かった。だが、それを回避する方法は封じられてしまっている。

 

「なに、ただの個別面談だ。そう固くなるな」

「はあ。そうですか」

「どうだ。勉強はついていけているか」

「期末テストを見て頂ければ分かるかと」

「そうだな。全ての教科が満点。担当の先生方もお前を褒めていたよ。そして不思議がっていた。何故お前のような優秀な生徒がDクラスなのか、とな」

「学校側のミスじゃないですかね」

「そうだな。我々が決めたことだ」

 

 茶柱の目線は鋭くなる。

 

「どうだ、綾小路。本気を出してみないか」

 

「出しているじゃないですか。全教科満点。これ以上何をすればクラスに貢献したことになるのか。オレにはさっぱり分かりませんね」

「いいや、分かっているはずだ」

「運動はちょっぴり苦手ですね」

 

「須藤の起こした暴力事件」

 

 挑発的な笑み。

 

「お前が動けばもっと迅速に、もしくはCクラスに大きな打撃を与えられたんじゃないか?」

「それは買い被り過ぎです。オレに出来ることはなかった。オレ以上に堀北は有能だった」

「そうだな。私はお前の能力を測りかねている。だが、二人で力を合わせることもできた。そうは思わないか?」

「意味が分かりません」

「20万ポイントを支払ってお前は堀北をクラスの中心人物に仕立て上げた。だが私の目は誤魔化せないぞ。何もしないと言うのなら、こちらにも考えはある」

「あんたは欲張り過ぎている」

「自覚はある。だが目の前に宝石が転がっていて、手を伸ばさないバカはいるか?」

「あんたがバカなだけだろ。大方、バカンスとは名ばかりの試験があるから、それで成果を出せといった所か。わざわざ言うまでもないが、堀北一人で充分だ。オレの出る幕はない」

 

 そもそも、オレはバカンスに行くつもりはない。

 ドクターストップがかかっているのもあるし、本心で、今の堀北なら大きくクラスポイントを落とすことはない、と考えているからだ。Cクラスも恐らくDに一々かまっている暇はないし、元々落ち目のDに集中攻撃をするようなメリットも少ない。

 あの医者に偽の診断書を書かせて、バカンスをばっくれて、温度調整がされている図書館で毎日暇を潰す。

 完璧な夏休みではないか。

 

「これで話は終わりだな」

 

 そう言って端末をポケットに入れようと手を伸ばすと、茶柱に制止される。

 オレの失礼な態度に茶柱は咎めることはなく、余裕は保たれたまま。

 

 嫌な予感がした。

 いや、懸念材料として考えたことはある。

 

「私は教師だ」

 

 茶柱は唐突に当たり前の事を言い放つ。

 だが、それだけでオレには充分だった。

 

「数日前、ある男が学校に接触してきた」

 

 

 

 機械的に並べられた文字列の書かれた紙に広がる黒い染み。

 理路整然とした思考は汚されていく。

 論理的な言葉が解体され、意味を持たない文字が頭の中を蹂躙する。

 ぐしゃぐしゃと髪を握りしめる。

 

 茶柱が続けて何かを言っている。

 だが、それらの言葉もまた、膜が覆われているみたいに、何も聴こえない。

 甲高い音が耳をつんざき、息ができなくなる。

 視界が、白い。

 

 狭い部屋。

 茶柱の目。

 そして、あの男の話。

 

 脳内は悲鳴を上げているらしい。

 戻りたくない。

 恐らくそういった類いのものだ。

 

 

 

 

『さっさと動け』

 

 

 だが、オレの中には、自分の姿を客観的に観察して、この状況の解決方法を冷静に思案している部分がある。異常事態の要因を理解していながら、普段は沈黙を貫いているが。

 それは席を立ち、俯瞰的に、茶柱の話の内容や反応もしっかり見届けている。

 

 そして、茶柱が訝しむような目を向けたことを、淡々と告げた。

 

『試験の内容をできるだけ聞き出せ』

 

 まるでパイロットのようだ。

 壊れた機体をガンガン叩き、無理矢理動かす。

 スーッと体が何者かに支配されるような感覚。いや、取り戻した、と言った方が正しいか。

 

 

「どうだ。やる気になったか」

 

「たとえAクラスに上がれたとして、それはあんたの成果じゃない。虚しいとは思わないのか」

 

 

 無駄なことを言った。

 オレは心の中で舌打ちをする。

 案の定茶柱の表情は変わる。

 

「今すぐにでもお前を退学にすることなど容易い。それに、教師をあまり舐めるなよ」

「それは失礼しました。試験に参加したい気持ちはありますけどね」

 

 すぐに軌道修正を行う。

 

「これだけ言ってもまだ渋るのか?」

「渋っている訳ではないですよ。試験が楽なものであれば、モチベーションも上がるのに、と。そう思っただけです」

「残念だったな。詳しくは言えないが、そう楽なものではない。サバイバルとでも思っておいた方がいいな」

「……そうですか」

 

 マズいな。

 未だ正常に動作しない脳に、あの医者を説得する術を後で考えることを刻んだ。

 

「まさか二回ほど試験が行われたりはしないでしょうね」

「勘がいいな。そのまさかだ」

「分かりました。必ず成果を出すことを約束します。ですが今回きりですよ」

「それは無理な相談だ。今後全ての試験で本気を出して貰わないと困る」

「先生の期待通りには難しいと思いますがね」

「大きくポイントを落とすようなことがあったら……ということだ。死に物狂いでやれ」

「……それで先生の自尊心が満たされるなら」

「嫌味な生徒だな」

 

 茶柱は苦笑いする。

 また不用意な言葉を発してしまったが、むしろ抑えた方だった。これ以上この部屋にいれば茶柱を殺してしまいそうだ。

 さっきから、彼女を殺す方法、それらを隠蔽する方法が頭の中でグルグル回っている。恐らく最も簡単な排除の仕方を考えることで、オレは気を保っているのだろう。

 

 一瞬、茶柱に自分の今現在置かれている状況を説明するのはどうだろうか、と閃いたが、すぐに却下された。

 一番この情報を利用できる立場の人間に与えるのは愚策だ。

 信用に値しない。

 

「か弱い生徒を脅すような先生に、敬意なんて持てませんよ。オレは聖人じゃないんで」

「か弱い……か。お前が言うと滑稽だな」

「オレの何を知っているんですかね」

「ふん。私から何か情報を引き出そうとしても無駄だぞ」

「あんたが垂らした糸に釣られてやっただけなんだがな。教師という立場でありながら、生徒の優位に立ててさぞ楽しいらしい」

 

 オレはもういいだろう、と茶柱を睨み、立ち上がった。

 彼女は脚を組んだまま余裕綽々な態度でオレを見上げる。

 だが、その内側に潜む、怯えは見逃さなかった。

 失礼しました、といよりは、失礼されました、だな。

 何も言わずに、オレは指導室から逃げるように外に出た。

 

 

 早く切り替えないとな。

 

 オレは手持ちのポイントを確認してから、冷たいココアを自販機で買う。

 

 茶柱の発言内容の精査と、辞職に追い込む手立て。

 そして医者を黙らせる方法。

 

 甘い砂糖の塊を脳にぶち込み、先程働かなかった分回転させる。

 

 どうすればいい。

 どう動けばいい。

 誰か、……。

 オレは途方に暮れた。

 そして、一瞬でも意味のない弱音を吐きかけた自分に、確かに絶望していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海の上に、白い入道雲が浮いていた。

 そよぐ潮風は優しく身体を包み込み、真夏の猛暑を感じさせない太平洋のど真ん中に、オレたちはいる。

 

「うおおおお!最高だああああああ!」

 

 豪華客船のデッキから高らかに手を挙げ、池寛治は雄叫びを上げた。

 デッキにいた数名から白い目を向けられていたが、そうはしゃいでしまう気持ちも分からなくはない。

 一般人からしたら規格外の旅行だからだ。

 オレたちが乗り込んだ客船は外見は言うに及ばず、施設も非常に充実。一流の有名レストランから演劇が楽しめるシアター、高級スパまで完備されている。

 

 そんな贅の限りを尽くした旅行。

 予定では明日の昼間に無人島に到着し、そこで一週間ペンションで夏を満喫し、その後の約一週間は客船内での宿泊となる。

 

 だが、茶柱から試験がある、と先に言われてしまったオレからすれば、憂鬱そのものだ。今日という日が永遠に続けばいいのに、と、この旅行がはじまる前に何度祈ったか分からない。流れ星に願い事を届けると願いが叶う、という迷信も信じて実践してみたが、やはり神はいなかった。ガガーリンの言葉を盲信した方が有意義だったらしい。

 

 オレの心情が態度に出てしまったのだろうか。

 隣に座っていたひよりが、首を傾げる。

 

「その本、つまらなかったですか?」

 

 どうやら心配させてしまったようだ。

 

「いや。つまらなくはないぞ」

 

 それは良かった、と彼女は微笑む。

 

 客室に引きこもろうと思っていたが、同室は平田、高円寺、幸村、と個性派揃い。変人二人を押しつけられた、と幸村は嘆いていた。だが平田は変人じゃあないと思う。まあ、感じ方は人それぞれなんだろうか。

 ちょっとした誤算は、三人とも意外とアクティブで、部屋に残る人間がおらず、オレも船内を徘徊する羽目になったこと。そこで偶然ひよりとバッタリ出会した。彼女は旅行中でも本を読みたい超が付くほどの本好き。行くあてもなかったので、彼女の最近のお気に入りを借りて、デッキの日陰で一緒に読ませてもらっている。

 

「先ほどから読む手が止まっているので、面白くないのかと」

 

 ひよりは人差し指を頬に当て、少し寂しげに言う。

 面白いとは一言も言っていないが。

 ただ最近、ひよりはオレの細かな態度や仕草で、その本が面白いと思っているかどうか分かるようになったそうだ。「つまらなくはない」という評価しかしていなかったので、もはやオレの言葉は判断基準にはならないらしい。

 

「この本のキャッチコピーが、『あなたも必ず騙される』だったからな。叙述トリックと踏んで色々考えながら読んでいるんだ」

「一度騙されてみては?私もやられた!となりましたし。二週目が捗りましたよ」

「作者に負けた気がするだろ」

「負けず嫌いなんですね」

「この世に勝てない勝負はないからな」

「叙述トリックは意図的に重要な部分が隠されているわけです。騙されている感覚も、意外とワクワクしますよ」

「叙述トリックでもオレは見破れる……へえ、なるほどな」

「分かったんですか?」

 

 ひよりは自身の本を閉じて、オレの方を向く。

 彼女でも解けなかったトリックだ。悔しかろう。

 

「まあな。時間を誤認させていたわけだ」

 

 オレの完璧な解答に、ひよりは「おおー」と感嘆の声を上げて拍手した。

 逆に気恥ずかしくなる。

 

「こういうタイプの小説は初めて読んだな。邦書も侮れない」

「面白かったですか?」

「つまらなくはないな」

 

 するとひよりの口元が緩む。

 

「綾小路くん」

「な、なんだ」

「ちょっと口角上がってますよ」

 

 彼女の鋭い観察眼は、こういった時にばかり発揮される。

 オレは顔下半分を本で隠し、膝に肘をついた。

 

「その本面白かったんですね」

「やめてくれ」

「謎が解けて嬉しかったんですか?」

「あー今日は天気がいいなー」

「他にも叙述トリック型の小説をお教えしましょうか?」

 

 キラキラとした瞳。

 

「……お願いします」

 

 逆らえるわけがない。

 オレは彼女に今のところ全敗している。

 

「ところで、」

 

 ひよりは一旦言葉を切り、階段の方にそっと目線を動かす。

 先ほどから違和感があった方向だ。

 

「あれ。放置して大丈夫でしょうか」

 

 勘付かれない程度に、オレはそちらに目を向ける。

 明らかに、いる。

 なんならさっきシャッター音が漏れ聞こえていた。

 

 

 一ヶ月ほど前くらいだ。

 学校などで誰かから写真を撮られているな、という気配を感じて、オレはその犯人を一度問い詰めたことがある。すると、

 

「ほほほ他の人も撮りたいんですけど!あ、えっと、慣れなくて!つい綾小路くんを撮っちゃうんですうう!!」

 

 犯人から顔を真っ赤にして何度も頭を下げられた。

 そういえば自分と家族以外で人を撮ったことはない、と言っていたな。

 慣れるためなら仕方がないか。

 ということで、オレは彼女に許可を出した。

 つまり盗撮にはならない。

 何故かビックリされたが、どうしたんだろうか。

 

 その事をひよりに説明すると、

 

「綾小路くんって時折ビックリするほど知能指数が下がりますよね」

 

 と、普段物腰柔らかな彼女にダイレクトアタックで悪口を言われた。

 

 そりゃもちろん、もっと真剣に佐倉に対して何か手立てを打った方が良いのは分かる。たまに捨てたはずのゼリーのカップを佐倉が持ってたりしていたし。

 

 本人に聞くと「綾小路くんのことをもっと知りたいから」とのこと。

 

 まあ、あれだ。

 難しいことは時には考えなくたっていい。

 無為なことに頭を回す必要はない。

 

「いずれ飽きるだろうさ」

 

 自分らしくない楽観的な意見。

 ひよりには信じられないものを見るような目を向けられてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この豪華客船。どんな施設も取り揃えているらしい。

 ゲームコーナーの隅で、

 

「うがあああああ!」

 

 須藤は膝から崩れ落ちた。

 

 別にカジノで有金を全部溶かした、とかそう言うのではない。

 

 普通こういった所のゲームコーナーと言われれば、カジノなどを連想するが、そこにあったのはゲームセンターに置かれているようなクレーンゲームや音ゲー、プリクラなどだった。

 流石に高校生に賭け事は許されなかったのだろうか。

 

 山内にはどうしても欲しい人形があるらしい。

 幸村がいることで客室で惰眠を貪っていたオレは、三人にほぼ拉致られた形で今、ここに立っている。

 あまりの騒がしさに気絶しかけたが、慣れればどうということは、なくはない。

 こんな所に長時間居たら胃に穴が開きそうだ。

 

 そして、典型的なクレーンゲームの前に連れてこられた。

 

 一番のボタンを押しっぱなしにするとアームはX軸方向に動き続け、ボタンを離すとアームは止まる。二番は一番と同様の手順を踏み、Z軸方向に動くのだ。

 空間把握能力など、色々な人間の限界を試してくる、悪魔のゲーム。

 しかも手頃な価格で挑戦できるために、このゲームを前に膝を折った人間は後を絶たないとか何とか。

 

「クレーンゲームなんてオレはやった事がないんだが」

「でも春樹が清隆はゲームが上手いって言ってたぜ」

 

 出番が回ってきた池がケースに張り付き距離を測りながら言う。

 当の山内はお願いしますと祈っている。

 

「ま、ポイントは全部春樹持ちだし、気負うことねえだろ」

 

 失敗した須藤は豪快に笑った。

 そもそもどうして男子高校生がこんな人形ごときに本気になっているのか。

 

「確かネズミーランドの犬だったか?山内もメルヘンな趣味持ってんだな」

「俺じゃねえよ。雫ちゃんがすきなの!この前ブログにアップしてた写真の後ろに写ってたんだ」

「お近づきの印にプレゼントするんだってよ」

「だってまさかクラスに雫ちゃんがいるとは思わねえだろ?アタックするっきゃねえだろ!」

 

 佐倉が眼鏡をとって登校するようになってから、段々と彼女の正体に気付く人が増え始めた。グループチャットでも大きく話題になった所で、騒ぎにならないよう平田が「本人から明かさない限り、わざと触れるようなことはしないこと」とルールを定め、鎮静化されたようだ。櫛田から聞いた。

 佐倉も眼鏡をとってからは以前に比べればだが、積極的にクラスメイトと関わるようなっており、井の頭などの大人しめの女子と仲良くなっている。

 活動のことを話して拒絶されないか、とオレや櫛田は何度も相談され、その度に背中を押し、佐倉は仲良くなった数人には打ち明けることもできたのだ。その友人たちも今は彼女の活動を応援してくれているらしい。何故かオレへの盗撮も応援しているらしいが。なんで?

 

 まあ、あのストーカー事件から立ち直れたようで、取り敢えず一安心だ。

 

「俺には雫ちゃんしかいない!」

「でもお前結構前に雫ちゃんは卒業したとか何とか言ってただろ」

 

 池がそう指摘すると、山内は顔色を変えた。

 

「なっ、ばっか!お前、それはあれだよ。一周回っただけだし」

 

 そんな山内の様子に、池は乾いた笑いを漏らす。

 

「ま、桔梗ちゃん一筋の俺からすれば、ライバル減ってラッキーって感じ」

「このクラスに可愛い子が多すぎる!」

「それな!」

 

 下世話な会話だが、その意見には同意かもしれない。

 

「健は堀北だもんなー」

「別に良いだろ」

「俺は無理だなあ。可愛いけど話すとドキツいし」

「へ、お前ら趣味悪いな」

 

 無理無理、と首を振る山内に、何故か得意げになる須藤。

 

「清隆。堀北の下の名前って、なんだっけか。なあ」

 

 そして、オレが知っていることが当たり前だと言わんばかりに聞いてくる。

 あんなことがあった後でも普通に接してくる須藤の肝の座り具合は凄まじい。

 

「下の名前?」

「俺さ、櫛田ちゃんのこと桔梗ちゃんって呼ばしてもらえるようになったんだよ」

 

 羨ましいだろうと池は自慢してくる。

 だがその余所見が命取り、ミスったらしく奇声を上げた。

 櫛田の呪いに違いない。

 次は山内のターンだ。

 

「だから健も名前で呼びたいんだと」

「コンパスで刺されかねんぞ」

「構わねえ!」

 

 一応そう忠告するも、鋼の意志は変わらない。

 審議の件で本格的に惚れ込んだようだ。

 

「富子だ、富子」

「富子か……俺の予想通りだぜ。フィーリングバッチリだな」

「あーいや、間違えた。サム。堀北サムだ」

「……清隆」

「堀北鈴音」

「サムの数億倍フィーリングを感じるぜ」

 

 貞子くらいなら騙せそうだったな、と勝手にフィーリングを感じて「鈴音か……いい名前じゃねえか」と呟く須藤を見て思った。

 

「なあ。試しに練習させてくれよ。鈴音って呼ぶ練習をよ」

 

 名前を呼ぶ練習に本人なしでやる意味はなさそうだが。

 というかオレの名前は呼び捨てに出来てどうして堀北には出来ないんだ。オレの方が絶対ハードル高いだろ。

 

「池でやれよ」

「俺より清隆の方が堀北と一緒にいるし、適役じゃね?」

「くっそ、羨ましいぜ」

 

 池の言葉に勝手にダメージを受ける須藤。

 だがすぐに切り替えて、オレに真剣な眼差しを向けてくる。

 どうやらオレも本気で演技をしなければならないらしい。

 

「なあ、堀北。ちょっといいか?話があるんだけどよ」

 

 イタコになった気分で、ツンドラ少女堀北を降ろす。

 

「いやよ。耳が腐るわ」

「おお!っぽいぽい」

「ちょっとだけでいいんだ!頼む!」

「知ってる?IQが20違うと人って話が合わないらしいわ。それが答えじゃないかしら」

「それでも、聞いて欲しい話があんだよ!」

「単細胞には単細胞がお似合いよ」

「少しだけ、ほんの少しだけでいい!」

「……先っぽだけ?あなたはいつもそう」

「先っぽだけ!先っぽだけだから!頼む!鈴音!!」

 

「……言えたじゃねえか」

「「「よっしゃあああ!!!」」」

 

 

 最低なことをしている自覚はある。

 真剣にクレーンを動かしていた山内が「うるせえ!」と嘆いていたが、知ったことではない。

 そうこうしている内に、俺の手番が回ってきてしまった。

 

「パスはないのか?」

「ここまで来てやらないはないぜ」

「お前が本命なんだよ綾小路大先生!」

 

 山内が悲惨なポイント残高を見せてくる。

 まあ、上手くいけば実際買うより確実に安く手に入れることはできるしな。

 苦肉の策というやつだろうか。

 

「失敗しても文句は言うなよ」

 

 一応三人がやっていたため所感は掴めたが、実際触ると結構違う。

 アームは人形のリボン部分を引っ掛けたが、すぐに落としてしまった。

 動作的にアームが弱いわけでも、人形が重すぎるわけでもなさそうだ。

 

「そっかー。やっぱ清隆でもこいつは無理かー」

 

 池は残念そうに肩を落とした。

「まあ、清隆にも勝てないものはあるよな」

 と、山内も同調する。

 

 

 

 

 

「……この人形の実際の値段は幾らだ?」

 

 

 オレは人形の正確な位置を確認をしながらそう尋ねた。

 

 

 

 

 

 




原作と同じ部分は削るから文量は減るぜ(キリッ
とか書く前は思ってました
増えたよね


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自由という名の牢獄

ルールの詳細はお手元の原作をお読みください。
その都度説明するかもしれませんが既知の事実として利用します。
題名が二つ続けてV系バンド感があるのはわざとじゃないです。


 

 

 

「ではこれよりーー特別試験を行いたいと思う」

 

 

 海のさざ波をバックに、一年Aクラスの担任真嶋先生の冷酷な一言が、緩み切っていた空気にメスを入れた。

 

「え?特別試験?」

 

 その当たり前の疑問は、池だけでなく、ほぼ全クラスで等しく巻き起こっていた。

 今の今まで、ただの旅行だと思っていた生徒たちに襲いかかる不意打ち。

 そんな混乱をよそに、真嶋先生は淡々と試験内容を明かしていく。

 

 無人島で一週間過ごすこと。

 最低限のものは配布されること。

 300クラスポイント支給され、マニュアルから幅広くキャンプグッズから娯楽品まで様々なものが買えること。

 そして、特別ルール。

 

 テーマは『自由』

 

 なんとも皮肉めいている。

 

 先生方からの説明は程なくして終わり、試験は始まった。

 

 

 

「無理!段ボールのトイレなんて耐えられない!」

 

 他のクラスも話し合いが始まる中、Dクラスのスタートはそんな不毛すぎる議題だった。

 篠原含めた数名の女子が、茶柱が見せた段ボールトイレの組み立て方を見て、抗議したのだ。

 平田はそんな彼女たちを宥めつつ、マニュアルから仮設トイレを購入することを提案した。しかし、反対の意見が挙がる。

 

「たかがトイレに20ポイントとかあり得ねえだろ!」

 

 ポイントを節約したくてたまらない南や池は、断固として首を横に振った。

 

「はあ?男子はそうかもしれないけど、こっちだって色々あるから。ね?平田くんもなんとか言ってよ」

「確かに、ポイントを全く使わないことは難しいと思うし……」

「そうよそうよ!」

 

 平田を盾に好き勝手言う篠原に、ポイントを出来るだけ使わない派の幸村も難色を示した。

 

「女子が仮設トイレを欲しがる理由は分からなくはない。しかしだからって、僕ら男子のポイントでもあるものを勝手に使おうとするのは納得いかないな。最低でも過半数の票を集めてから言うべきだ」

 

 眼鏡を上にクイッと上げて、篠原に対して厳しい口調をぶつける。

 

「女の子の総意だし!ねえ、軽井沢さんもなんとか言ってよ」

 

 女子の代表格である軽井沢に同意を求める篠原。

 しかし軽井沢は「別にどっちでも良くない?てか暑い」と、ダルそうにしている。

 太陽を遮るものがない砂浜で、突っ立ったまま議論を展開することに不満を持ち始める生徒も出てきた。だが幸村達は譲れない。

 

「この試験は他クラスとのポイント差を埋める千載一遇のチャンスなんだぞ。仮設トイレなんかに貴重なポイントは使えない。篠原さんのような個人の好き勝手を聞き入れていたら、いつまで経ってもDクラスから上がれないだろ。仮設トイレだけじゃない。僕としては今ここでしっかり方針を決めておきたい」

「は?なにそれ、私たちはなにも考えてないってこと?」

「本能のままで動くなら猿だってできる。女は感情論だけで動くから嫌いだ」

「別に全部使いたいとか言ってるわけじゃないんですけどー。最低限必要なものはあるって言ってんの。男の方が先のことも考えれない猿じゃん」

「それを好き勝手な判断だと僕は言っているつもりなんだけどな」

「だからっ」

「取り敢えず二人とも落ち着いて。もっと冷静にーー」

「冷静?だったら間違ってもポイントを使わないってことだよな?」

「それは……」

 

 

「少しいいかしら」

 

 

 段々ボルテージが上がっていく二人に板挟み状態の平田の代わりに、堀北は割って入った。

 今までクラスへの貢献を積み上げてきた少女の言葉だ。

 退学騒ぎや審議だけではなく、この前の期末テストでも彼女は勉強会を積極的に開き、平田がとりこぼしていた生徒を拾ってきた。彼女への信頼度は、四月時点では考えられないほど上がっている。

 誰もが彼女の意見に耳を傾ける。

 

「ここで話し合っていても埒があかないわ。まずはベースキャンプの場所取りやスポットの位置を確認をするべきよ。幸村くんも一度冷静になる必要がある。四十人で一つのトイレを回すことを、もう少し現実的に考えてみてはどう?反対意見があるならベースキャンプ地が決まって、ある程度落ち着いてから聞くわ」

 

 幸村は反論を考えているのか、押し黙る。

 篠原も自分の意見が尊重されている限りはそれ以上言わないだろう。

 

「この中にサバイバルに精通した人……、そうね、ボーイスカウトやキャンプ経験者の人は居るかしら」

 

 そして堀北はクラスメイトをぐるりと見渡す。

 すると、いつもは自信ありげな池が控え目に手を挙げた。

 

「キャンプ経験が何回かあるってだけだけど……」

 

「それでも充分よ。あなたのアウトドア経験を頼らせてもらうわ。今後は平田くんと協力してクラスを引っ張ってもらう役を任せても良いかしら?」

「えっ」

「経験があるのと無いのでは全然違うもの」

 

 女の子からモテたい池からすれば、こういった大役は願ったり叶ったりだろう。

 一方須藤は堀北に信頼されている池を見て、悔しそうにしていた。

 だが、須藤も須藤で、体力のある力自慢は今後のキャンプ生活で絶対に役に立つ。

 退学させなくて良かった、と堀北も今心底思っているはずだ。

 

「ありがとう堀北さん」

 

 平田は感謝の言葉を言ってから、島を探索する人を募った。

 強くは出れないまとめ役の平田をサポートする形で堀北は全体を動かす意見を出す。

 クラスの在り方が決まった瞬間でもあった。

 

 一旦日陰の場所を仮拠点として、今から一時間半ほどで成果の有無を問わずに仮拠点に戻る。その間探索チームではない人たちは、あまりに分厚いマニュアルを読み込む。

 ということになった。

 他クラスの中には既に動き出しているクラスもある。

 

 オレも一応探索チームに参加しておくか。

 

 十五人が立候補し、同じ班になったのは、

 

「よ、よろしくね綾小路くん」

「実に清々しい太陽だ。私の体がエネルギーを必要としているねえ」

 

 佐倉と高円寺だった。

 既に胃が痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青々と生い茂った緑は、森の中へ足を踏み入れるたび色濃くなっていく。

 直射日光を避けられる分浜辺よりマシだが、ジメジメとした暑さは苦痛だった。

 先頭をどんどん突き進む高円寺はまるでこちらを気にしていない。

 不慣れな道をモノともしない強靭な足腰とスタミナには素直に感心する。

 

「高円寺」

 

 一応呼びかけてみるが、

 

「ああ、美しい。大自然の中を悠然と佇む私は、美しすぎる……!まさに究極の美!」

 

 ダメだ。

 手に負えない。

 

「佐倉、良かったのか?」

「え、な、なにが?」

「いや、探索なんて体力を使うし、面倒だろ」

 

 それに新たに出来た友達は立候補していなかった。

 わざわざ探索チームに入る必要はなさそうだ。

 

「だって……綾小路くんが、その、手を挙げたから」

 

 佐倉がハッとしたように顔を上げると、慌てて身振り手振りを交えて声を張り上げた。

 

「ちが、違うんだよ!!違わなくなくないけど!!!」

 

 どっちだ。

 好意の有無を遠回しに確認したかっただけだったが、鈍感系主人公らしい大変意地悪な質問になってしまった。

 恥ずかしくなったのか、小走りに前に飛び出す佐倉。

 

「あ、おい、危なーー」

「わきゃ!?」

 

 後ろを向きながら歩いていたため、大木の根っこに気が付かず、足を引っ掛け、後ろに倒れ込むーー寸でのところで、止められた。

 高円寺が颯爽と佐倉の転倒を防いだのだ。

 さながら白馬の王子様。

 

「女性の好意を無碍にしてはいけないよ、綾小路ボーイ」

「はわわ、こ、高円寺くん……」

 

 頬を赤く染める佐倉。

 高円寺はフッと笑う。

 

「悪いね、私は年上の女性が好みなんだ」

「私も高円寺くんはちょっと……」

「そうかい」

 

 高円寺の紳士的な態度に赤くなっていたわけではなく、好意があることをバラされたのが恥ずかしかったらしい。

 そのままくっついてくれても良かった。

 佐倉は高円寺にお礼を言う。

 彼は構わないさ、とまた先へと進んで行った。

 

「大丈夫か、佐倉」

「う、うん。高円寺くんって意外と優しいんだね」

「オレも驚いた」

 

 

 だが数分後、前言撤回することとなる。

 

 人生で初めて森らしい森に足を踏み入れた。

 最初はある程度方角を頭に叩き込んでおけば大丈夫かと思っていたが、それは見当違いだった。まず、そもそも真っ直ぐ歩くことができない。自然の障害物は乗り越えることを許さず、どうしても右へ左へと進路を強制的に変えられてしまうからだ。

 高円寺を見失えば、迷子になってしまうことだろう。

 しかし、こちらの事などお構いなしに、高円寺は更にペースを上げる。

 

 汗をかきながら、グッと小さくガッツポーズを作って見せ、「頑張ってみる」と無理をする佐倉。

 彼女もそうだが、オレも流石にバテてきた。

 今なお心拍数を測られていると思うと、少しだけ心配になる。

 

 

「あまり早いペースで進むのはマズいんじゃないか?迷うぞ」

 

 オレの理想とする道筋を進んでくれるのはありがたいが、息が上がりきっている佐倉を気遣い、忠告しておく。しかし彼は振り向くこともなく、髪をかき上げた。

 

「私は完璧な人間だ。この程度の森で道に迷うほど愚かではないさ」

「結構でかい森に見えるけどな」

「ここは自然の森とは呼べない。少なくとも日中、彷徨って迷う確率は極めて低いだろうねえ」

 

 佐倉を気遣うという先程見せた優しさに期待したが、どうやら無謀だったようだ。

 だが、興味深い意見は聞けた。

 

「ところで君たちに聞きたいのだが、実に美しいとは思わないか?」

 

 森を抜けるまで止まらないと思っていたが、突如目の前で立ち止まる。

 そしてこちらを振り返ると、髪をかきあげながら不敵に笑った。

 

「この森が?それとも高円寺が?」

「私に決まっている」

「いつもより美しく照り輝いているぞ」

「ハッハッハ、そうだろう」

 

 二人一組を組まされる際、変人枠として括られ、ことごとく高円寺とペアだったため、なんとなく彼の言おうとしていることが不本意ながら最近分かるようになってしまった。

 

 

「高円寺」

 

 だからこそ、再び先を行こうとする自由人を呼び止める。

 

「リタイアするつもりだろ」

「興味深い島ではあるが、確かに私を一週間引き止めるほどの魅力は感じないねえ」

「そうか。なら少しはクラスに貢献した方がいい」

 

 高円寺は何も言わずに空を仰いでいる。

 まるで関心がない、といった具合だ。

 もちろんオレと堀北の体調が万全であったなら放っておいたが、無為に30ポイントを落とすのは流石にキツい。自由人の才能の一端でも発揮してもらえれば御の字。

 

「この試験だけじゃない。今後クラス内で蹴落とすようなものもあるかもしれない」

 

 自分でも苦しい論だと分かる。案の定高円寺はつまらなそうにしている。

 まあ言うだけタダだ。

 

「個人の実力ではなく、仲間を募るような、そんな試験だ。その際、今までの好き勝手を理由に切り捨てられる可能性があったら面倒だろ?オレはこういった自然には詳しくないが、高円寺が何かヒントをくれれば、それを利用した発想をクラス内に高円寺が残した意見だとして伝えることができる。30ポイント分の働きを、」

「美しくないねえ」

 

 突然高円寺はそんなことを呟いた。

 一応オレの話はしっかり聞いていたのだろうか。

 だが、美しくない、とは何のことだ。

 佐倉は不安げにオレを見上げる。

「普通に頼んでみる、とか?」

 と小声で提案された。

 

 高円寺は立ち止まったままだ。

 

 やはり彼の気まぐれには付き合い難い。

 

 

「……お前の力が必要だ、高円寺。オレのためにも手伝って欲しい」

 

 

 オレは慣れない言葉を辿々しくなぞった。

 すると高円寺は白い歯を見せて笑った。

 

「暇潰しには悪くない。綾小路ボーイ。メモとペンはないかい?」

 

 オレはマニュアルから勝手に拝借していた簡易な地図とペンを高円寺に渡す。

 受け取った高円寺はそのままオレ達を気にも留めず、先を行ってしまった。

 前方からは時々草をかき分けるような、大地を踏みしめるような音が聞こえてくるだけだった。

 何故か佐倉はオレの顔に向けて手でシャッターを切る真似をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どど、どうしよう。すごい秘密、知っちゃったね……!」

 

 Aクラスに大打撃を与えるような情報を耳にしてしまった佐倉が興奮気味に言う。

 

 洞窟内部に埋め込まれているモニター付きの端末装置の画面にはAクラスの文字。七時間五十五分を切ったカウントダウンが表示されている。

 先程、Aクラスの二人がこの洞窟から出てきたところをオレたちは目撃した。

 

 船が桟橋に着く前、この島の外周を一周した。

 目敏い生徒はそこで、島の地形をある程度頭の中に入れていることだろう。

 それが、オレがここを一番に目指していた理由。

 必ず、この地形的有利かつ他所のスポットと近い洞窟のスポットを占有しようと動くクラスが現れる。リーダーのヒントを得られないか、と足を運んでみたが、想像以上の成果を得られた。

 

 恐らくあれは弥彦と呼ばれていた生徒のミスだ。

 櫛田の情報が正しければ、葛城のような男が迂闊に占有するとは思えない。わざとカードを使ったかのように持っていたのも、慎重な彼だからこそのカモフラージュ。

 

「後でオレの方から堀北に伝えておく」

 

 佐倉はリーダーを葛城と誤認しているようだったので、一応混乱の元になるから、と口外しないよう言い含めておく。

 

 

 仮拠点に戻る途中、偶然にもBクラスの生徒を見かけた。

 こっそり後をつけてみると、Bクラスの拠点を発見した。佐倉は普段のオレへのスニーキングのおかげで気配を消す術が上達していたらしく、足手まといにはならなかった。

 茂みに隠れながら、Bの様子を窺う。

 

「……すごいテキパキしてるね」

 

 佐倉が小声で言った。

 

「ああ。Dクラスの上位互換といったところだな」

 

 どうやら井戸をスポット占有するつもりのようで、その近くにベースキャンプを建てている。

 大きなテントを張る余裕はないが、その分をハンモックで補い寝泊りするスペースを確保していた。

 話し合いも活発に行われており、聞こえてくる限りだと、大量にビニールを貰って寝る際の緩衝材にする、ウォーターシャワーを活用する、など他にもお手本になるような有意義な情報が飛び交っている。

 一之瀬が議長の役割で、クラスメイトに意見を募り、パッパと決めていく。

 クラスを引っ張っていく役割としては、理想的な姿だろう。

 

 観察している間に、時刻は三時を過ぎていた。

 長居すればバレてしまう危険性も高まるので、リーダー決めが行われるのを待つのは諦めることにする。占有装置の位置を把握できただけでも大きな成果と言えるだろう。

 

 

 

 しかし、表向き成果を得られず仮拠点に帰ってみると、そこには誰もいなかった。

 

「は、ハブられた……」

 

 視界がぐにゃりと歪む。

 オレは知っているぞ、これはイジメというやつだ。

 かくれんぼで一人だけ見つけてもらえず、探すのを飽きられて鬼役含めてみんな帰ってしまうとかそういうやつだ。みんなのトラウマ。オレは意外と物知りなんだ。

 何故かオレに対して佐倉が再びシャッターを切る真似をしていたが、違う、そうじゃない。

 

「帰る場所を間違っちゃった……とか?」

「それはないはずだ」

 

 勝手にマニュアルの地図を切り取ったことがバレたのか?

 だからって佐倉まで巻き込まなくたっていいじゃないか。

 人間社会怖い。まんじゅう怖い。

 

 仕方がない。

 よく聞け、いいか。

 ここをキャンプ地とする。

 

 そう地面に手をつき項垂れていると、

 

「あ、いたいた」

 

 背後からそんな声が聞こえた。

 振り向いてみると、そこには山内が立っていた。

 山内!

 

「や、山内くん。みんなは?」

「寛治が川の占有装置を見つけて、そこを拠点にすることにしたんだよ。戻ってきてない班が佐倉と清隆と高円寺だけだったから、一人で待つことになったわけ」

 

 爽やかな顔でニカっと笑う山内。

 佐倉目当てで待っていたらしい。

 しかし、彼女は一歩引いている。

 

「助かった山内。あと一秒でも現れるのが遅れていたらオレは精神崩壊を起こしていた」

「ところで高円寺は……」

 

 オレと佐倉は顔を見合わせる。

 どう説明しようか。

 

「悪い、見失った。まあ高円寺のことだから大丈夫だとは思うが」

「マジか、まいっか。ベースキャンプはこっち」

 

 山内も高円寺の奇行に、もはや咎めることはしなかった。

 というか多分オレがいなくても山内なら「まいっか」で済ませてきそうだ。

 

 そんな山内についていくと、彼はおもむろに木の枝を拾い出した。

 

「な、何してるの?」

「焚火用の木を拾ってんだ。どうせ森を歩くし、効率的だろ?」

「おお」

 

 有能な男を演出するつもりらしい。

 そういえば無人島で良いところ見せて、船に戻った時にあの人形をプレゼントして惚れさせる、と意気込んでいたな。

 考えたな山内。

 これは佐倉の好感度ポイントをがっつり掴めるんじゃないか?

 

「じゃ、じゃあ私も!」

 

 山内の行動に感心するかと思われた佐倉だったが、何故か焦ったように木の枝を拾い集める。山内も「あれ?」と困惑気味だ。

 

「あー違う違う!焚火用の木の枝ってのは、乾いた細い枝の方がいいんだZE」

 

 すぐに切り替えて、アウトドアにも精通している感を出し、山内は親指を立てて格好付ける。

 どうせ池の受け売りだろうが、これには流石の佐倉もイチコロだろう。

 

「あ!そ、そうだよね!!」

 

 しかし、男の腕くらい太い木の枝をボトボト落として、わたわた慌て出す佐倉。

 

「たくさん拾わないとっ!」

 

 細い木の枝を強引にかき集めたため、ポロポロ溢れていき、最終的には躓いて転んでしまった。

 そしてオレの方を一瞬チラリと見て、しゅんと項垂れる。

 

 ……どうやら良いところを見せたかったのは、何も山内だけじゃなかったようだ。

 

「ごめんね、私。そそっかしくて……」

「い、いや、俺も最初は分かんなかったし……」

 

 落ち込む佐倉を励ます山内。

 その時だけ、いつもの欲望に塗れた目は鳴りを潜めていた。

 

「そ、そうなの?」

「だから気にすんなって!」

「あ、ありがとう!」

 

 二人の間に友情が芽生えた!

 

 

 



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ばかしあい

 

 

 

 三人で枝を拾いながら進んでいくと、暫くしてスポットに辿り着いた。

 

「水源の近くかつ日陰、地ならしされた地面。良い場所だな」

 

 静かに流れる川は幅10メートルほどの立派なものだった。川の周囲は深い森と砂砂利に囲まれているが、この場所は整備されたように開けていた。高円寺が「自然の森とは呼べない」と言っていた意味が段々と分かってくる。

 洞窟の内部で見た機械は壁に埋め込まれていたが、この川辺には不自然な大岩が一つあり、そこに装置が埋め込まれていた。

 

 既にテントは組み上がって二つ並んでおり、新たに購入されたのであろう一つが少し離れたところにある。仮設トイレも既に設置されていたので、どうやら話し合いは上手く進んだらしい。

 

「リーダーはもう決まったのか?」

「いや、まだじゃね?てか多分今話し合ってると思う」

「平田と堀北がか?」

「そうそう。テントの中でみんなに聞こえないようにするとか言ってたし」

「なるほどな。オレは報告することがあるから、二人に会いにいく。佐倉はどうする?」

「も、もう少し木の枝集めてくる!」

 

 木の枝集めにハマったらしい。

 

 山内が変な気を起こさないようもう一人連れていくことを提案しておいて、オレは二人と別れることになった。

 

 

 平田がいると聞いたテントに入ると、平田と堀北がマニュアルを囲んで何やら話し込んでいた。

 

「少し良いか」

 

 話を中断してもらい、オレは二人に話しかける。

 日陰に置かれてはいるものの、テント内は少し蒸し暑い。

 

「あら。おかえりなさい。随分遅かったじゃない」

 

 状況が違えば須藤が滾りそうなセリフだな。

 

「戻ってきたんだね」

「高円寺くんが茶柱先生にリタイアを宣言して船に帰ってしまったわ。手痛い出費よ。ちゃんと統率はとっていなかったわけ?」

「あれはオレが制御できるような人間じゃない」

 

 堀北はため息を吐いた。

 

「そういえば高円寺くんがこの紙を置いていったんだ。何か分かるかい?」

 

 そう言って平田はオレが高円寺に渡した地図を見せてくる。大まかな地形やスポットの位置、そして、所々赤ペンでマークされている部分がある。

 マニュアルにはクラス単位の一食分の食料は6ポイントと書かれていたはず。

 しっかり30ポイント以上の働きはしてくれたらしい。

 

「自由人の気まぐれだろうな。赤でマークされている箇所はおそらく野菜や果物が自生している。いや、自生というか、学校側が管理していたんだろう。高円寺に一つだけ教えてもらった所にトウモロコシがあった。その位置とマークされている箇所は一致している」

 

 平田が感心したように地図を見返す。

 

「飲み水だけじゃなく、食料問題も大きく改善できるみたいだ。高円寺くんにあとでお礼を言わなくちゃね」

「……確かに、彼が慎ましく無人島生活を送る姿を想像できないわね。こういう形で貢献したということをみんなに伝えておきましょう」

「うん。高円寺くんへのヘイトが大分溜まっているだろうし」

 

 共通の敵を作ることで団体の士気を保つ方法もあるが、まあ、平田がそれを許すとは思えないな。

 

「飲み水は川の水にするのか?反対意見が出そうなもんだが」

「池くんがOKを出したからね。一応試し飲みで何人かが川の水で今日一日を過ごしてみて、お腹を壊さなかったら明日からみんなで使うつもりだよ。だから今日の夜はミネラルウォーターと栄養食をセットで頼む手立てになっているんだ」

「なるほどな……」

「飲まない数人分のミネラルウォーターは川で冷やしておいて、料理に使う用に取っておくことに決まったわ」

 

 想定していた以上に、Dクラスは平田と堀北と池の三人体制で上手く回っているらしい。池の意見を平田が補強しみんなに合わせて、堀北が上手い使い方を提案する。

 話し合いの結果、無理をせず、120ポイントほどを残して試験を終了する、という方針で固まったそうだ。男子の節約派から反対意見は出たが、テントを一つにすることで、彼らに一度野宿を経験させ、無茶をすることの大変さを痛感させる手筈。

 

 取り敢えずオレは、Bクラスから盗んだポイント節約術を二人に伝えておく。

 

「ウォーターシャワーか……確かにそれは僕たちでも使えるね」

「トイレ用のテントをシャワー室代わりにするなら彼女たちもギャーギャー騒がないでしょうし」

 

 オレはそれらを伝え終えて、テントから出ようとする。

 すると、

 

「待ちなさい綾小路くん」

 

 堀北に呼び止められた。

 彼女の雰囲気は先とはガラリと変わっている。

 

 

「この試験について、あなたの意見を聞かせて」

 

 オレは平田を一度見てから「ただの一生徒であるオレに聞いても時間の無駄だぞ」と、はぐらかす。

 しかし堀北は譲らない。

 

「契約内容にはアドバイスをする際の状況に対する事項はないはずよ」

「契約内容?なんの話だ」

「私は、平田くんとあなたの橋渡し役になるつもりはない。二度手間は御免だもの」

 

 平田は表情を変えず、オレたちの話を見届けている。

 もしかしたら事前に堀北から何か聞いていたのかもしれない。

 

 いずれ平田にはバレるとしても、匂わす程度に留めておきたかった。理由は単純に、彼の性格にある。

 恐らく平田という人間は、クラスの平穏の維持のためなら自分を犠牲にする覚悟を持ち合わせている。もし堀北の裏にオレがいると分かれば、間違いなくオレを頼ろうとする場面が増えるだろう。正直クラスポイントに関わらない揉め事は興味がない。堀北が何度か駆り出されているのを見ているのもあって、今後のことを思い、ゲンナリした。

 

「平田。オレは堀北の聞き役みたいなものだ。言葉にすると物事を整理しやすくなると言うだろう?」

 

「それは無理があるよ。過去問のこともあるし。それに、高円寺くんに教えてもらった場所を地図で指し示して完全に把握していたからね。君が非凡なことは、なんとなく分かっているつもりさ」

 

 池や山内なら今からでも誤魔化せそうだが、この状況で平田が「やっぱ綾小路くんってただの陰キャだったんだね」とはならない。……う、脳内平田の辛辣な態度で勝手にダメージを受けてしまった。

 

「僕のことは気にしないで。木か何かだと思ってくれて構わないよ」

 

 平田は曖昧に笑う。

 こんなセリフを女子に聞かれたらオレはしばかれそうだ。

 居心地の悪さを感じつつ、オレは座り直し、渋々了承した。

 

 

「私はこの試験のルールを聞いた時、まずどうやってリーダーを探し当てるか、そしてどうやってリーダーを守り切れるか。その二点を考え抜いた。偵察で得られた情報を聞く限り、私たちではきっと、Bクラスの完全下位互換にしか現状なれないでしょうし」

「Bクラスにはできない戦い方を選ぶことならできる。ということか?」

「ええ。あなたはどう考える?」

 

 オレは目を瞑り、一度今まで得られた情報を整理していく。

 

「この試験は初動と終盤の動きがかなり重要になってくる。もし動くなら今日の夜までがタイムリミットだ」

「……他クラスと組む、ということね」

 

 察しが良くて助かるな。

 

「一番楽な方法がある。

 一クラスにポイントを集め、あとは三人か四人を残して、その他の生徒が全員リタイアすれば良い。そして残ったポイントを四当分に分配する。差はつかないが、クラスポイントは跳ね上がり、今後も生活は楽になるからな」

「でも現実的ではないわね。得をするのはポイントが困窮しているDと、差を詰められたくないAだけ。挟まれている2クラスは反対する」

「そうだな」

「……つまり、Aクラスとだけ組んで、リーダーを当てられる覚悟で無人島を生活できる三、四人を残す。ということ?」

「ああ。Dの生徒は内心どう思っているかは知らないが表面上お前の指針には首を横に振れない。二回も生徒を救った実績があるからな」

「どちらも須藤くんだけれど」

「だが、頭が回ると思われている。平田が反対しなければ全員が賛同するだろうな」

 

 平田は苦笑いを浮かべる。

 

「でも私が反対するわ。Aとの差が縮まらないもの」

「BとC、……特にCクラスがAの独走を許すと思うか?何もしなくても勝手に落ちていくさ」

 

 Aクラスは現在派閥争いが起きている、というのは櫛田からの情報だ。

 中間テストの過去問を、坂柳派は入手していた。当時、葛城派は十七名に対し、攻撃的な態度の坂柳派はたったの六名。彼女はその六名だけに過去問を渡し、平均点で競い合い、圧倒的な差を見せつけた。日和見していた多くの生徒が一気に坂柳派に流れ込み、場は拮抗することになった。

 今では既に、坂柳派が優勢だという情報がある。

 

 が、葛城派が没落するような事態は避けたい。

 この試験でAが利益を得れるようにしたい。

 

 Aクラスの全体の平均点はそこまで振るわなかった理由は派閥争いだった。

 Cクラスも当時はクラス内で分裂しており、龍園が台頭したのはその後。

 

 内部分裂が長引けば、その分付け入る隙は増えるからな。

 

「そうね。だから?確かに魅力的な案よ。でも、私はAに上がりたい。他人任せな最初から諦めるような行動を取るつもりはない」

 

 しかし彼女は譲らない。

 

「ポイントは今後必ず必要になってくる。200近く増えるのはそんなに悪いことじゃない」

「いいえ。そんなことをすればCとBが同盟を組む可能性もある。Dクラスだってまだ統制は取り切れていないわ。内通者が現れればこの作戦の成功確率は一気に下がる。違う?」

 

 彼女は一瞬だけテントの外の方に目線を向ける。

 おそらく櫛田のことを言っているのだろう。

 

「Aと組む、というのは一つの案だ。Bと組むのはどうだ」

「……何も変わらないわよ」

「そういえばオレたちは川の水を飲み水として使うことになったよな」

「ええ、そうね」

「ポイントはおそらく譲渡可能だ。やむを得ない事情でDの全員がリタイアするしかない状況になれば、きっとお人好しがリーダーのBクラスは手助けしてくれるだろう」

「あなたまさか……」

「それは僕としても許せないな」

 

 堀北と平田はオレの言おうとしている作戦に難色を示した。

 

「実際行うかどうかは今決めることだ。ーーそれに平田。お前は木なんだろ?」

「……そうだね」

「どうする堀北」

「もちろん反対よ。もしバレればタダでは済まされないでしょうし、今後の生活に支障が出る可能性もある。リスクが高過ぎるわ」

 

 彼女は断固として首を横に振った。

 

「堀北。まだオレに言ってないことがあるだろ」

「……何のことかしら」

「体調が悪いんじゃないか?」

 

 堀北はサッと俯く。

 

「ええ、そうよ」

「Bの方はともかく、Aクラスと組むというオレの案は、必要のない生徒全員、船の中に帰ることが出来る。今のお前じゃ実力を出し切れない。それに、誰かにこの事は言ったのか?悪いが、今のお前は足手まといだ」

「平田くんにはさっき言ったわ。だから比較的簡単な役割が割り振られてる。作戦立案という点で足手まといになるつもりはないわ」

「……そうか」

 

 堀北はこういう場合強がるのではないか、と思ったが、どうやら前の忠告が効いたようだ。

 

「なら、お前はこの試験をどう乗り越えるつもりなんだ」

「待って。一つ聞かせて」

「なんだ」

「Aクラスと組むという案。それがもしあなた自身のためだったなら、考えてあげてもいいわ」

「なんの話だ」

「学校にいる時よりも顔色が悪そうだからよ」

「監視カメラがない分幾らかマシなんだがな」

「で?どうなの。あなた自身が足手まといになることを恐れて、さっさとリタイアしたいから。そういう理由なら、考える余地はあると思う」

 

 堀北は真っ直ぐとした目をオレに向ける。

 平田の気遣うような視線も体に毒だった。

 

「……Aクラスのリーダーは弥彦。苗字は知らない」

 

 平田は目を見開いた。

「戸塚弥彦、だと思うよ」

 とフルネームを教えてくれる。

 

「そう。……初めからAと組む気なんてなかったんじゃない」

 

 堀北はオレを睨みつける。

 

「堀北は驚かないんだな」

「あなたがこの作戦を提案した真意を測りかねているのよ。そう自信満々に言うからには、リーダーも正解なんでしょうし」

「ま、偶然だったけどな」

 

 あれは戸塚弥彦のファインプレーだ。

 

「それでどうなんだ。この試験は初めと終わりが肝心だ。動くなら今日だぞ」

「悪いけれど、もう一度真剣に考えてみて、クラス全員を巻き込むような案は立てられない、そう思ったわ。Dはそこまで団結力が高くないもの、反対する人間を完全に黙らせることは難しい。私が本調子ではないのもあるし、平田くんはきっと、弾圧することができない」

「まあ役には立たないだろうな」

 

 平田が肩を落とした。

 居ないものとして扱っている部分もあるが、ちょっと可哀想だったかもしれない。

 

「私は自クラスのリーダーを守り抜く。そしてリーダー当ては諦める。これが平田くんと話し合って出した結論だったわ。Aクラスのリーダーを知れたのは朗報ね」

「そうか。なら、他クラスのリーダー当てはオレに完全に任せてくれないか?」

「……どういう風の吹き回し?」

 

 堀北は訝しげに問い返した。

 当然だ。

 今までのオレだったら、何も動かないか、もしくはヒントを出して堀北の思考を誘導していた。そのやり口を知っている堀北からすれば、不気味そのものだろう。

 茶柱さえ居なかったらこんな事にはならなかったんだがな。

 

「ただし。やり方に文句は言うなよ」

「川の水に細工を仕掛けて食中毒を起こさせようとしていた人間を、信用できるとでも?」

「盤上の駒になってやるという実に魅力的な提案だが?」

「制御下にない駒はただのステージギミックよ」

「お助けアイテムだな。目を瞑ってでもゴールに辿り着くぞ」

「作戦内容を私たちに一切伝えないつもり?」

「お膳立てしてやるんだ。全てお前の手柄になる。どこに悪い要素がある」

「私は、隠れ蓑になるつもりもない」

「隠れ蓑にしては中身がありすぎて使えない」

「褒め言葉として受け取っておくわ、天狗さん」

 

 

「二人とも、落ち着いて」

 

 

 水面下で殴り合いをしているような、淡々と続く言葉の応酬を止めたのは平田だった。

 

「綾小路くんはリーダーを当てる算段がある、というよりは、状況によってはその作戦がどうなるか分からない、って事じゃないかな。常に戦況は動くだろうし、その都度動き方を変えていく。だから今は何も言えない。そういうことだよね」

 

 そして、オレの言わんとしている事を察してまとめてくれた。

 

「……ああ」

「それなら先に言って欲しかったものね」

 

 堀北が苦々しげに言う。

 

「お前が先に噛み付いたんだろう」

「あなたらしくなかったからよ。何か裏があるんじゃないかって勘繰るのは、今までの積み重ねを考えれば当然のことだと思うけれど?」

「オレのことを一々気にするのは時間の無駄だと思うけどな」

「今ので痛感したわ」

 

「とりあえず。何か動くつもりならその際は僕たちに先に言って欲しい」

 

 平田はそう提案した。

 素直に頷くと、堀北は鼻で笑った。

 

「事後報告の鬼よ、彼は」

 

 元々なかった信用値はいつの間にか地の底まで落ちていたらしい。

 その通りなので何も言い返せない。

 今のところ頭の中にあるプランは、平田があまり良い顔をしなさそうなものだしな。

 平田を同席させなければ明かすことができたんだが。

 

 ……いや。

 逆に良かったのかもしれない。

 知られたのなら、徹底的に利用させてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話し合いも終わり、二人と共にテントを出ると、何か問題が起きたらしく、数名の生徒が言い争っており、騒がしかった。平田がすかさず仲介役として割り込む。

 

 議論の中心である少女は、少し離れたところにある木の影に座り込んでいた。

 

 どうやら山内がCクラスの女子生徒を連れ込んでしまったらしい。

 ん?ちょっと語弊があるな。

 佐倉と、おそらく一緒に手伝うことになった井の頭は山内の影に隠れている。

 

「彼女は、Cクラスの伊吹さんだよね?どうしてここに居るのかな?」

「えっと、なんかクラスでトラブルがあったみたいでさ……」

 

 責め立てられていた山内が、彼女がクラスで孤立しており、頰に腫れた痕があったことなどを慌てて説明する。

 

「なるほどね。確かに放っておけないな」

「でも平田くん……。スパイかもしれないよ?」

 

 松下という女子生徒が不安げに問う。

 

「あ、そうか……!」

 

 山内が今更ながらのことに気付き、頭を抱えた。

 佐倉の前で優しいところを見せたかったのもあって、連れてきたのだろう。流石山内クオリティ。ついでに佐倉も「あ!」と声を上げていた。

 

「うん、それを今から確かめてくるよ。堀北さんと、じゃあついでに綾小路くんも。一緒に来て欲しい」

 

 ついでって平田お前……。

 イケメン的配慮が雑になってないか?

 なんで綾小路?というクラスメイトからの訝しむような目線に耐えながら、三人で伊吹の元へ向かう。

 

「少し時間いいかな、伊吹さん?詳しく話を聞きたいんだけど」

「邪魔だろ私は。世話になったな」

 

 本人は勝手に結論を下したようで、足早に立ち去ろうと立ち上がった。

 

「ちょっと待って。何かあったのか聞かせてもらいたい。……力になりたいんだ」

 

 本心からだろう。

 平田は語尾を強めて呼び止める。

 

「そっちの時間をこれ以上無駄にさせたくない。私はおまえらの敵だ」

 

 口調こそ男勝りな感じだったが、やはりどこか元気がないのは明らかだった。

 

「これは試験だから、君を疑うような生徒が出るのは仕方がないことだと思う。だけど、怪我をして、それもクラスに戻れない君を追い出すような真似はしたくないな。だからちゃんと事情を聞かせて欲しい」

「話してどうにかなる問題じゃないっつーか。てかスパイかもしんないんだよ?」

「本当にあなたがスパイなら、自分から追い出されるようなことは言わない。違う?」

 

 ずっと黙っていた堀北だったが、そっぽを向き歩き出そうとする伊吹を、そう呼び止めた。もうすぐ日が沈み、夜がやってくる。

 

「この森の中で一人で野宿をするのは無理があるわ」

「無茶でもそうするしかないんだよ。私を助けても、お前らに得なんかないだろ」

 

 痛むのだろう、伊吹は赤く腫れた頬を撫でる。

 少量だが、手の爪の間に土が挟まっているのが見えた。

 

「損とか得とかは関係ない。困っている人を見逃せないだけだ。皆もそう思ってる」

 

 女子がコロッと落ちるような爽やかフェイスを振り撒く平田。残念ながらオレたちには無効だが、伊吹はそんな平田の覚悟を受け止めて、自身も悟ったかのように重い口を開けた。

 

「クラスのある男と揉めた。それでそいつに叩かれて追い出された。それだけだ」

「ひどいな……女の子に手をあげるなんて」

「これ以上詳しく話すつもりはない。同情を買って匿って欲しいわけでもないし」

「待って。君が本当に困っているのは分かった。少し時間をもらえないかな?クラスメイトに説得してみるよ。綾小路くん、伊吹さんを見ててもらえる?僕らは今から皆に事情を話してくるから」

 

 そう言ってオレを残し、二人は輪の中に戻っていく。

 探りを入れてくれ、といったところか。

 

「マジでお人好しだな、あいつ」

 

 再び腰を下ろして呆れたように言った。

 

「そうか?ただの偽善者に見えるが」

「随分酷いことを言うんだな」

「今もこうやってパシられているしな。そっちのクラスはどうなんだ」

「全然……。最低な奴らばっかだよ」

「もしかしてだが……ある男って、龍園か?」

 

 伊吹は三角座りをして顔を伏せる。

 オレは努めて無能な役を演じてみることにした。

 

「……そうだよ。よく知ってるな」

「あーいや、ほら。さっき一緒にいた女子生徒、オレと隣の席なんだ。クラスの中心人物的な存在なんだよ。だから、そう言った話を盗み聞きできたりする。隣人の特権だな」

「へえ、意外だね。そんな情報言って良かったわけ?」

「てっきりCは堀北のことを知ってるのかと思ってた」

「龍園の独裁みたいなもん。他クラスの情報とかは私たちに一切流さない」

「それは、酷いな」

「だからこうやって追い出したりできんだよ」

 

 オレは伊吹に堀北の情報を渡しつつ、バレないよう死角から彼女の鞄を触り、中にどんな物が入っているか探る。すると硬い感触があった。成果を得られたため手を離した。

 

「龍園と揉めたのは、クラスの方針についてか?」

 

 伊吹は少しの間黙っていたが、顔を上げ、オレと目を合わせる。

 

「……そんなとこ」

 

 色々見当外れな探りを入れた質問をしている内に話し合いは終わり、平田の説得もあり、伊吹をDクラスで面倒見ることに決まった。

 あからさま過ぎると、人は逆張りしてしまう性質がある。

 それでも反対を強く表明した生徒には、Cクラスが点呼の度にポイントを吐き出すことになる、と堀北は実利になるような話で説得したようだ。

 そして万が一リーダーを当てられる可能性を防ぐため、不用意に装置に近付かないことを伊吹に約束させた。

 

 

「彼女……」

「ま、十中八九スパイだろうな」

 

 オレは小声で堀北にそう伝えた。

 

 それから茶柱に今晩必要な食べ物と水のセットと、ウォーターシャワー、釣りセットや調理器具などを注文し、購入を決める。

 クラス全員に栄養食とミネラルウォーターが均等に配られる。

 だが、男子の大半がミネラルウォーターを突っぱねた。オレも同調圧力に負けて、川の水を選択することにした。

 

「綾小路くん。これ、伊吹さんに渡してくれないかな」

 

 余った高円寺の分を伊吹に配るらしい。

 加えて平田に懐中電灯を二本渡される。

 

「あと、これからリーダーを決めるんだ。だから伊吹さんをなるべく遠ざけて欲しい。お願いできるかな?」

「……三十分くらいでいいか?」

「うん。ありがとう」

 

 

 女の子と二人で夜の散歩、何も起きないはずもなく……。とはならないだろう。

 

 オレは伊吹に声をかけて、ベースキャンプを離れる。

 日は完全に沈み切っており、辺りは真っ暗だった。木々が生い茂り、星空もあまり見えない。足下を照らさないとすぐに転んでしまいそうだ。

 

 伊吹が躓きかけたので、支えてやると、「……余計なことすんな」と突っぱねられた。

 それに傷付いて足下を疎かにしたせいでオレが盛大に転ぶと、鼻で笑われた。

 一昔前の堀北を思い出す。

 池主導で作り上げたキャンプファイヤーもどきの狼煙のお陰で、戻るのに支障はあまりないだろう。

 

「おまえ、マジでパシられてんだな」

 

 キャンプ地からかなり離れ、一切人の気配を感じない場所に着いたところで、オレたちは腰を下ろした。一息つき、栄養食を頬張りながら伊吹が呟いた。

 

「ハブられている、という方が近いかもな」

「へえ。意外だな」

「合わないんだ。バカが多くて」

 

 伊吹は鼻で笑った。

 

「それは気の毒だな」

「その点、伊吹は話し易くて助かる」

「あっそ。ま、悪い気はしないね」

「伊吹はバカには見えないし、龍園も節穴なんだろうな。独裁者はこうやって足下をすくわれるのかもしれない」

「そうかもな」

 

 伊吹の言葉で、会話が途切れる。

 何か言いにくいことがあるような、間を持たせる。

 それから、意を決したように、オレは言葉にした。

 

「なあ。組まないか?」

 

 伊吹が身じろぎする音が聞こえる。

 

「……それは、龍園を完全に裏切れってこと?」

「少し、違う、と思う」

「違う?」

「オレは今のクラスに満足していない。そのことがクラスメイトからは透けて見えるんだろうな。だからハブられているし、何か問題が起こればいつもオレが槍玉にあげられる」

「つまり、裏切る気があるってこと?」

「……現状、伊吹はCクラスに不満を持ってる。オレも、Dクラスに不満を持ってる。一緒だと思ってな。何か互いに手助けできれば……と思ったんだが」

「なにそれ」

 

 伊吹は気が抜けたように、あはは、と笑った。

 

「嫌か?」

「まあ、嫌じゃないね」

 

 彼女の瞳が光っているように感じた。

 恐らく、オレの目を射止めているのだろう。

 

「そういや名前聞いてなかったな。私は伊吹澪。おまえは?」

「綾小路清隆だ」

 

 二人は手を交わす。

 こうして、偽りだらけのボッチ同盟は結成された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 就寝の時間になった。

 普段より早い時間だが、夜が深まり、光源が少なく出来ることも限られてくるので、こればかりは仕方ないことだ。まあ、慣れない環境で動き回ったこともあり、疲れていたのだろう。意外にテキパキと寝る準備を始める。

 男子はテントが一つなため、野宿かテントか分かれることになった。

 三バカや幸村、南などが野宿に立候補する。オレも野宿することにした。人数合わせで平田もそれに参加する。風邪を引くと大変なので、ジャージの長袖を着ることが必須条件となっていた。

 

 九人で土の上に寝転がる。

 仰向けになると、そこにはザラメをぶちまけてしまったかのような満天の星空が広がっていた。「おお」と皆が感嘆の息を漏らした。

 

 無意識に震える体を抑える。

 感動だろうか。

 いや、多分違う。

 これは畏怖に近い。

 絶対に勝てないもの。

 自分のあまりの矮小さを実感させられる。

 

 

「お、流れ星」

 

 池が呟いた。

 皆もその声に、つい目を開けて空を見上げた。

 

「なあ、いつも思うんだけどよ。流れ星って星が流れてんだろ?もしオリオン座とかの右肩が流れちまったら、オリオン座ってなくなんのか?」

 

 須藤がそんなことを言い始める。

 幸村辺りは頭を抱えていそうだ。

 数名は笑いを堪えていたが、山内も一緒に首を傾げ始めた。

 

「……確かにやべえなそれ」

「だろ?」

「織姫と彦星も流れんのかな」

「七夕なくなっちまうじゃねえか」

 

 やべえやべえと騒ぎ出す二人に、平田が「大丈夫だよ」と話に入る。

 頑張れ平田。

 救いようのないバカ共に、流れ星とは、宇宙空間に漂っている小さな粒子が高速で地球に突入してプラズマ化し発光したものだ、と教えてやれ。

 

「ほら、星座って不完全な形をしているよね?」

「確かにオリオン座って頭ねえしな」

 

 平田?

 あと須藤お前オリオン座しか知らないな。

 

「昔はもっと完全な形だったんだ。でも、どんどん流れて行ってしまって、今の形に落ち着いているんだ」

「じゃ、じゃあ数百年後にはオリオン自体いなくなってんのか?」

「うん。元々オリオンって人はこの地球上に存在していたんだよ。付き合っていた彼女が誤って彼を殺してしまって、それを可哀想に思った人たちが、天上に居るから安心しなさいって彼女を慰めたことから、オリオン座が定められたんだ」

「死んだ人は星になるってそっから来てたってことか」

「よく分かったね。だからオリオン座自体、なくなってしまう事は折り込み済みなんだ。夜にオリオンと会っていた彼女が同じく死んでしまえば、オリオン座がずっと存在している意味はないからね」

「へえ、すげえな……」

 

 平田が言うからにはそうなんだろう、と二人は納得していた。三バカの内唯一池は、アウトドア経験もあり、星座については詳しいのだろう、笑いを噛み殺していた。

 平田も意外と冗談を言うんだな。

 

 

 凄腕の狩人オリオンと狩猟の神アルテミスは恋に落ちた。

 だが、アルテミスの兄アポロンは二人の仲を決して許さなかった。

 アポロンはオリオンの元に毒サソリを放つ。驚いたオリオンは海へと逃げた。丁度その頃、アポロンは海の中を頭だけ出して歩くオリオンを示し、「アルテミスよ、弓の達人である君でも、遠くに光るあれを射ち当てることは出来まい」と逃げるオリオンを指差したのである。あまりにも遠く、それがオリオンと認識できなかったアルテミスは「私は確実に狙いを定める弓矢の名人。容易い事です」とアポロンの挑発に乗って、弓を引いた。矢はオリオンに命中し、彼は恋人の手にかかって死んだ。

 アルテミスは嘆き悲しみ、全知全能の神ゼウスに彼を空に上げてもらうことを頼んだ。

 ……というギリシャ神話の逸話がある。

 

 

 アルテミスって男勝りなところもあるし、伊吹みたいだ。

 

 そんなことを考えている内に、オレはいつの間にか意識を手放していた。

 

 

 



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他クラス偵察:前編

平田が中学の頃一つの学年を実質掌握してたって事実意外とヤバくない?と思い始めた今日この頃。



 

 

 

 無人島生活二日目は波乱の幕開けだった。

 元々わがままな生徒が多いクラスだ。表面上は仲良くしていても、そうそうチームワークは形成されるものではない。

 

「平田!どういうことだよ!」

「一旦落ち着いて」

「落ち着いてられるか!あいつらは12ポイントも勝手に浪費したんだぞ!!」

 

 男子たちは平田を囲い、女子テントの有り様を指差し非難していた。

 

 寝るスペース以外取っていないため空っぽな男子テントと違い、女子テントの中はまるで景色が違っていた。ビニールだけでは硬かったらしく、和らげるためのフロアマット、空気を入れて膨らませたと思わせる枕が数個。更には乾電池式のコードレス扇風機が置かれてある。

 

 男子は半数が野宿を強いられていた中での、この有り様だ。ルール上誰でも申請できるため、軽井沢たちが勝手にポイントを使ったらしい。彼氏である平田には申請後に報告し、黙ってもらえるよう頼んだとか。無闇に揉め事を起こしたくない平田はそれを了承した。だが、もちろん堀北が黙っていられない。早朝、こっそり平田に確認を取ろうとしたところ、同じく朝早くに目覚めていた池が聞いてしまい、事が露わになってしまったのだ。

 

 女子は気まずげに固まっており、チクるとかあり得ない、とボヤいている。

 

「別に高円寺くんが食料問題解決してくれたわけだし、ちょっと使ったってよくない?」

 

 一切悪びれもせず、そんな態度の軽井沢と篠原たちに、男子は目を剥いた。

 

「こうなることが分かっていたから、僕は先に方針を決めようと言ったんだ!120ポイントだけを残そうなんて言えば、ああいう奴等は先のことを考えないで調子に乗る」

「あんたら男子と違って女子は色々気を使うわけ。わかる?」

「俺たちだって我慢してたんだぞ!差別だろこんなの!」

「あんたらが勝手にテントは要らないって言い張ったんじゃん」

「お前らのためにテントを我慢したわけじゃねえって話だよ!」

「それこそ知らないし!元々必要なものは買うって話だったじゃん。なにが悪いわけ?」

「悪いと思ってたからこそ、黙って使っていたとしか僕には思えないけどね。常識的に考えてみれば分かる話だろ」

「男子のアホくさい常識とか知らないって。そんなに羨ましいならあんたらも買えばいいじゃん」

 

 ポイントをなるべく節約したい男子と、自分の行いを正当化したい女子。

 明らかに悪いのは軽井沢たちだったが、彼女たちは折れることはない。それに何を言っても、返品してポイントが返ってくることはないため、不毛な争いに違いなかった。

 

 堀北はこめかみを抑える。

 こういった状況で論理的に物事を進めようにも、衆愚というのは中々罪深い。感情論で踏み倒されて、余計な火種を生みかねない。池に聞かれてしまったのは、迂闊としか言いようがないだろう。

 

 それらを遠目で眺めながら、オレは伊吹が座っている木の横に腰を下ろす。

 

「な?バカばっかりだろ」

「……かもな」

 

 こういった時、櫛田が仲を取り持つことで鎮静化される場面も多いが、今回は彼女もまた、黙っていた一人。出しゃばり過ぎれば嫌われる可能性もあるので、影役に徹するために、効果は正直ないだろう。

 

「こんな事ばかり立て続けに起これば、失望するには充分だ」

「須藤とかいう生徒が暴力事件を起こしたとかあったな、そういえば」

「停学とは言わずに、Eクラスにバイバイ。さっさと退学にすれば良かった。審議に勝ったとか言ってたが、大方黄金のハッピーターンでも渡したんだろ」

「Dクラスにそんなポイントあるのか?」

「さあ。もし貯蔵してるとしても、オレはグループチャットにも入れて貰えてないからな。知らない話だ」

「徴収されない立場なら羨ましい限りだけど」

「龍園もそういうタイプなのか?」

「まあね。反対するような奴は暴力で黙らす。そんな奴だよ」

 

 伊吹は忌々しげに吐き捨てた。

 

「勝手にAクラスに上がることも許さないんだな。徹底している」

「……もしかして、2000万ポイント狙ってたりするわけ」

「そのためだったらクラスを売っても構わないかもしれないな。……ま、冗談だ。そんな大金手に入るわけがないし。これ以上クラスメイトに嫌われるのは不本意だ」

「あっそ」

 

 伊吹は心底どうでも良い、という風に草を毟っている。

 そんな話をしている中でも、クラスメイトたちの鬱憤が溢れ出て、双方ともにヒートアップし収まる気配がない。

 

 

 

 しかし、それは唐突に落とされる。

 

 ペットボトルがグシャリと潰れる音。

 一人の男から、波紋のように広がった。

 

「煩いな……」

 

 平田から発されたとは思えないほど、低い声。

 

 場を完全に支配する空気。

 彼の一挙一動に、誰も目を離せない。

 

 

「……皆、一旦落ち着いて」

 

 

 平田は、ハッと顔を上げた。

 

 そして普段通りの笑顔を取り繕う。

 その笑顔は、さっきの言葉は聞き間違いだったのかもしれない、そう強引に皆の思考を転換させる。

 張り詰めていた空気は少しだけ緩む。

 

「取り敢えず、黙っていたことを謝らせてほしい。皆、ごめん」

 

 だが、緊張の跡は残ったままで、誰も彼に口出しすることはできなかった。

 

「夜も遅かったし、昨日は皆も疲れていたから、朝になってから色々考えていくつもりだったんだ。ポイントを使ってしまったことはもう取り戻せないからね」

「そう、だったのか」

 

 男子は平田を最初に責め立てたことを少しだけ反省する。

 

「まず、男子用のテントを一つ購入しようか。扇風機とラグマットは男女で分けよう。枕については男子も遠慮しないで欲しかったら僕に言って」

「でもよ、」

「今後のことを考えれば、寝床環境は改善した方が良いと思う。体力を回復するのに、睡眠は大事だからね」

 

 寝るのに一苦労していた男子も中にはいたようで、節約の流れが緩和されることにホッと息を吐いている。

 平田の案に女子は抗議しようとしていたが、冷静になってみて罪悪感が湧いてきたのか、結局何も言わなかった。

 

「だが、またこうやって勝手に不必要なものが購入されて妥協案を出す流れが定例化すれば、ポイントは尽きるはずだ。やはり僕は納得できないな」

 

 幸村が苦い顔でそう反対する。

 もっともな意見だろう。

 数名が同意を示す。

 

 そこで傍観していた堀北が、手を挙げた。

 平田のおかげで冷水を浴びせられた空気になったことで、漸く建設的な話を始められる。

 

 

「マニュアルを燃やせば良いのよ」

 

 

 彼女が出した案は突飛なものだった。

 確かにさっきの雰囲気でそんな事を言っても無視されるか、バカにされるのが関の山だろう。

 

「はあ?」

 

 と、軽井沢は顔を歪めた。

 

「マニュアルが無ければ、新しいものを買うことはないでしょう?」

「後々必要なものが出るかもしれないじゃん!」

「必要なものってなにかしら?」

「それは、例えば……」

 

 男子も流石にマニュアルをなくすことを渋る。

 皆を言いくるめるために、堀北は冷静に論を展開していく。

 

「釣用具や調理器具などの欄は今の内に切り取ってリストアップして、それ以外は燃やしてなかったものとする。今日一日過ごしてみて、足りないと感じるようなものは注文する。燃やすのは明日の朝。そんなに悪い案かしら」

「足りないと感じるようなものをあいつらは拡大解釈する可能性もあるだろ」

 

 幸村は親の仇を見るような目で、女子を睨んだ。

 

「リストアップするものは今日の夜話し合いましょう。それに、彼女たちだって出来る限りポイントを残したいと考えているわ。本当に必要のないものをポンポン提案はしないと思うし、その際はあなたが反論していけば良い。決めるのは私たちなのだから」

 

 その後も彼女は全員の疑問に答えていき、結果的に、堀北の案が採用されることになった。

 

 

 

 

 

「おまえらのクラス、意外としっかりしてんじゃん」

「……どうだかな」

 

 伊吹は鼻で笑う。

 オレはプライドを捨てきれないチャチな男みたいに、不満げにそう零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の点呼を終えたオレたちは、平田の指示で動くことになった。

 食料調達班が大半を占めており、高円寺が書き残した地図を模写し、実際あるかどうかを確認したり、川や海で釣りを、池の主導のもと自然に生えて食べられるものなどを採取する。

 他には焚き火の枝を集め、拠点の整理、調理班、など。

 日置で交代し、一日丸々休める生徒もいる。

 平田は体調の悪い堀北とオレに気を遣って、釣用具を渡してくれた。

 

 行動を開始しようとすると、Cクラスの小宮と近藤がオレたちを挑発するついでに拠点の場所を教えてくれたので、ありがたくポテチを貰い、みんなに分け与えてから浜辺へ向かった。

 

 

 森を抜ける直前の茂みから見えた浜辺には、Cクラスの大勢の生徒が見える。

 オレと堀北が見たCクラスの状況は想像の遥か斜め上を行っていた。

 

「……どういうこと、かしら」

 

 その光景を目にしながらも、信じられないのか、堀北は何か考える素振りを見せる。

 オレも少し面を喰らってしまった。

 仮設トイレやシャワー室は当たり前として、日光対策のターフ、バーベキューセット、チェアーにパラソル。スナック菓子にドリンク。娯楽に必要なありとあらゆる設備が備えられていた。肉を焦がす煙と笑い声。沖合では水上バイクが駆け抜け、海を満喫する生徒が悲鳴を上げながら楽しんでいる。

 ざっと本当に不要なものを目に見える範囲で計算したところ、100ポイント近くは吐き出しているようだ。

 

「あなたは、どう思う」

「水上バイク楽しそうだな」

「ふざけないで」

 

 堀北はオレの脇腹を肘で突く。

 すると、訝しげにオレの顔を見上げた。

 

「……痩せた?」

 

 普段は制服を着ているし、この無人島生活が始まってからは長袖ジャージで誤魔化しているが、そろそろ隠しきれなさそうだ。

 

「ほら。猫とかって夏になると痩せたように見えたりするだろ。あれだ」

「夏と冬で毛が生え変わるだけよ」

「同じ理屈だ」

「通りで。同じ人間とは思えなかったもの」

「ま、これで伊吹を追い出してもCクラスは痛くも痒くもなかったってことが分かったな」

「ええそうね。試験を放棄した……のかしら。あの男は何を考えているの」

「会ってみれば分かるんじゃないか?」

 

 堀北はどうやら一度龍園と接触したことがあるようだ。

 暴力事件の審議が終わった後、宣戦布告を言い渡されたらしい。

 茂みから二人で浜辺へと足を踏み入れ、砂を踏み締めていく。

 男子生徒が一人こちらに気付き、傍に居た男子に声をかける。相手はチェアーに体を預けているようで、ここから顔はよく見えない。

 

「あの、龍園さんが呼んでます……」

 

 どこか怯えた様子でそう声をかけてきた男子生徒。

 

「まるで王様ね」

「豪遊できるならオレもCクラスが良かった」

「あなたは精々下僕Fがお似合いよ。散々コキ使われるでしょうね」

「なら今と変わらないな」

 

 ここは既に敵地だ。

 軽口を叩き合いつつ、男子生徒についていく。

 そしてこの豪遊を指示したと思われる男の傍へと近付いた。

 

「よう。こそこそ動き回ってる羽虫がいるなと思ったが、お前だったか」

 

 水着姿でチェアーに寝そべり肌を焼く龍園が白い歯を零した。

 

「なんだ、金魚の糞もくっついてるらしいな」

「彼は荷物持ちよ。気にしないで」

「労ってやろうか?おい石崎。キンキンに冷えた水を持ってこい」

 

 傍でバレーをしていた石崎が慌ててテントの中へと水を取りに行く。

 テント内には食料と水と思われる段ボールが無造作に沢山積み上げられていた。

 石崎はクーラーボックスを開けて、中を覗き込む。

 

 ……この豪遊振りを考えるに、明日には全員リタイアする算段だろう。

 あの大量のダンボールをどう考えても一日で消費できるとは思えないな。

 Bクラスはあり得ない。

 つまり龍園は、昨日オレたちが話し合っていたものと似たような作戦を考え、そして実行に移した。

 

 龍園は石崎が持ってきたペットボトルをオレの顔面へと投げつける。

 オレは慌てたように、咄嗟にキャッチした。

 

「ちょっと。危ないじゃない」

「悪い悪い。手が滑ったんだ」

 

 キャップを開けて水を半分ほど飲み干すと、堀北からため息が漏れ聞こえた。

 

「毒が入ってるかもしれない。無闇に他クラスから貰ったものを飲まないで」

「匂いも味も別に普通だったぞ」

「そういう問題ではないわよ」

 

 オレたちの噛み合わない会話に、龍園はククク、と笑う。

 

「まさか素直に飲むとはな。水こじきか」

「それで?あなたは一体どういうつもりなの?」

 

 堀北は強気な態度で龍園に問う。

 龍園は呆れたように、そして見下すようにオレたちを鼻で笑った。

 

「こんなクソ暑い無人島でサバイバルだ?冗談じゃないな。最底辺どもが暑さと虚しさに耐えながらあくせくと小銭を集めていると思うと、笑えてくる」

「100、200が小銭とは思えないわ」

「お前らDクラスはそうなんだろうな」

 

 龍園は堀北の言葉に耳も貸さない。

 現状クラスポイントは

 

 Aクラス…1004

 Bクラス…713

 Cクラス…540

 Dクラス…87

 

 となっている。

 Bクラスとの差を詰めるチャンスだというのに、簡単に投げ捨てるとは考え難い話だ。

 

「呆れてものも言えないわ」

「フ、俺は努力が嫌いなんだ。我慢?節約?冗談じゃないな」

「勝手に自滅してくれるなら好都合よ。ところで、伊吹さんを知っているわね?」

「ああ。うちのクラスの人間だ」

「彼女、顔を腫らしていたわ。どういうつもり?」

「はっ。威勢よく飛び出したかと思えば、結局他クラスのところに泣きついたのか。情けない女だ」

 

 龍園はテーブルの上に置いてあるコーラを煽る。

 

「世の中どうしようもないバカもいるもんだ。支配者の命令に背くことに躍起になって、物事の本質を理解しちゃいねえ。俺がクラスのポイントを好き勝手使うと決めた以上、それが決定事項なのさ」

「……つまり伊吹さんはポイントの使い方についてあなたとぶつかり合ったのね」

「だから軽くお仕置きしてやったら、チビって逃げ出したんだよ」

 

 そう言って手で頬を叩くような動作を見せる。

 堀北は侮蔑の目を向けた。

 

「もう一人逆らった男がいたが、そういやそいつもいねえな。ま、死んだって報告も聞いてねえから、どっかで草でも虫でも食って生き延びてるんだろうさ」

 

 仲間に向けた発言には思えないが、恐らくもう一人のスパイは別クラスに潜入したのだろう。

 堀北は額を抑え、眉間にシワを寄せた。

 

「たくさん俺に質問したんだ。お前たちも俺の質問に答える義務があるとは思わないか?」

 

 すると突然、龍園がそんなことを言い出した。

 

「それを真面目に答えるかどうかは別よ」

「ああ。構わないぜ」

 

 龍園の鋭い瞳は、蛇を連想させる。

 堀北は固唾を飲む。

 

「暴力事件の首謀者は、誰だ?」

 

 七月初めに須藤が起こした暴力事件の話を今更蒸し返す龍園に、堀北は困惑を隠し切れなかった。

 

「何を言ってるの?それはあなたでしょう」

「確かに俺が吹っ掛けた。だがな、俺たちは須藤に暴力を振るっていない。石崎に散々口酸っぱく言ったからな。一方的にやられろ、と」

「統制が取り切れていなかったんでしょ。あなたのミスよ」

「おいおい、つまらない事を言ってくれるなよ。俺はお前らの実力を買っているのさ」

 

 龍園はオーバーに両手を上げて、そのまま再び横になる。

 

「お前ら……?」

「須藤に怪我を加えた奴だよ。鈴音、いかにも優等生然としているお前が考えるにしちゃあ、ひん曲がった策だからな」

「勝手に名前を呼ばないでくれる?それに、あなたは私の何を知っているの?」

「ああ。色々調べさせて貰った。例えば、生徒会長の妹、とかな。コネであの審議を有利に動かしたのかとも考えたが、それもどうやら違うらしいしな」

「勝手に勘繰って自滅してくれる分には構わないわ。行きましょう、綾小路くん」

「お、おう」

 

 堀北はオレの名を呼び、踵を返した。

 一瞬、しまった、という顔をしていたがもう遅い。

 すぐに取り繕い、先へ行ってしまう。

 オレも水上バイクに後ろ髪を引かれながら、彼女についていく。

 

 

 砂浜を歩いていると、ひよりがチラチラとこちらを気にしていたようだったが、オレは決死の思いで耐え忍んだ。オレたちの関係が龍園にバレれば、オレの人物像が特定されかねない。カマかけの可能性が高くとも、龍園はもう一人堀北の他に策士がいることを考慮に入れている。

 

 でもめっちゃ見てくる。

 堀北が、彼女は誰?と小声で聞いてくるレベルでバレバレだ。

 これもう龍園にバレたな……。

 

「堀北、先に行っててくれ。すぐ追いつく」

「他クラスにガールフレンドを作るなんて、随分アグレッシブね」

「ただの、とも、……読書仲間だ」

 

 

 オレは小走りでビーチパラソルの下で体育座りをしているひよりに近付いた。

 

「お久しぶりです」

 

 彼女はパッと顔を輝かせ、隣をどうぞ、とオレに座るよう促す。

 居心地の悪さを感じつつ、オレも体育座りで座った。

 

「どうだ、楽しいか?」

「本を持ってくることができれば、もっと楽しかったかもですね」

「確かに丁度良い環境かもな」

「でもよく小説に出てくるような絶海の孤島はこんな感じだったのかと思うと、胸が躍ります」

「ペンションがあれば、殺人事件も起こりそうな雰囲気だ」

「いいですね!猟奇殺人にうってつけです。凶器とトリックはどうしましょう」

「あー、斧とか?」

「猟奇的です!」

「あとは、毒針」

「意外と繊細ですね」

「嵐の海に突き落としてドン」

「……そして誰もいなくなるんですね」

「おお、よく分かったな」

「模倣じゃ面白くないですよ」

 

 ひよりはプクッと頬を膨らませた。

 というか、こんな話をしたかったわけじゃない。

 どうも彼女の前だと押されがちになってしまうな。

 

「あーその、ひより」

 

 オレは早速本題に入ろうとする。

 

「分かってますよ」

 

 すると、ひよりは真っ直ぐ前を見据えて言う。

 

「試験で私たちの交友関係を利用するようなことはしません。もし龍園くんに綾小路くんがどんな人か聞かれても、知らぬ存ぜぬで返します。知りたかったら友達になってあげて下さいって言いますから」

「龍園とは間違っても友達にはなりたくないな……」

「意外と波長が合うかもしれませんよ?」

 

 ……それは、どうなんだ?

 もしかして人として貶されているのかもしれない。

 

「分かった。オレも利用することはない」

「約束ですね」

「ああ」

 

 しっかり契約が結べたことに満足したオレは、帰ろうと立ち上がる。

 

「たとえどんな結果になったとしても、私たちの関係は変わりませんよ」

 

 少し名残惜しげに、ひよりはまるで言い聞かせるみたいに、そう微笑んだ。

 

 

 



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他クラス偵察:後編

 

 

 

「ところで、どこに向かっているの?」

「龍園が送ったスパイがAかBか確かめたい」

 

 以前佐倉と来たように、折れた大木の根本から森の中に入り進んで行く。大勢の生徒が道を踏みならしたような痕跡があり、前より歩きやすくなっていた。

 

「それで。龍園が何をしようとしているか、分かったか?」

 

 オレは襲いくる蚊を払いながら、堀北に確認する。

 

「理解に苦しむわ。スパイを送りながら、試験を放棄したような態度を取る。どちらがブラフか、もう少し落ち着いたところで考えたいところね。あなたはどうなの」

「単純に考えれば、龍園は他クラスと組んだんだろうな。そしてAクラスの確率が高い」

「でも昨日言っていたわよね。挟まれているクラスがAと組むのに賛成はしないって」

「なにもクラスポイントを分けるだけが正解じゃない。確定ではないが、今後Cクラスにとって有利になるような条件をつけて、Aクラスにポイントを譲渡した。そう考えることもできる。だからといってこの試験を捨てたつもりもないんだろう」

 

 堀北は立ち止まり、オレの言葉を噛み砕く。

 

「それがスパイを送った根拠、ということ?」

「ああ。龍園はスパイを送り込み、150ポイントを手に入れるつもりだ。失敗しても、Aクラスに課したその条件次第じゃ痛くも痒くもない可能性がある」

「あなたの想定どおりなら、既にCクラスの一人勝ちということね」

 

 その事実に、顔を曇らせる堀北。

 

「龍園は意外に頭がキレるらしいな。正直舐めていた」

「……どうするつもり」

「お前が伊吹からリーダーを守り通せば、Dの損害はない」

 

 ついには黙り込んでしまった。

 

 龍園は勝つための戦略を誰よりも張り巡らせている。

 そしてどのクラスよりも一歩先に勝利へと進んでいる。

 足下さえすくわれなければ、負けることはないだろう。

 

 

 

 程なくしてBクラスのベースキャンプに辿り着く。

 すると、昨日とは違い、ピリついた雰囲気が漂っていた。

 

「何か、あったのかしら」

 

 堀北がそう呟くと、一人の生徒がオレたちに気が付き、顰めっ面を隠さず「何の用だ」と威嚇してくる。

 

「悪い。海を目指していたら迷いこんだんだ」

 

 オレはその男子生徒に釣用具を見せる。

 一応警戒は解いてくれたが、やはりどこか落ち着きがないように見えた。

 事情を聞こうとすると、

 

「あれ?堀北さんと、それに綾小路くん?」

 

 ハンモックの位置を変えようと木に紐を結びつけていた少女が、振り向いて近付いてくる。ジャージ姿は活発な印象のある一之瀬には凄く似合っていた。

 

「知り合いか?」

 

 男子生徒が一之瀬に問う。

 

「うん。二人はDクラスの生徒だよ。ほら、この前対Cクラスで同盟を結んだでしょ?その時の子たち」

「そうだったのか……疑って悪かった。俺は神崎隆二だ。よろしくな」

「私は堀北鈴音。で、こっちの荷物持ちは綾小路くんよ」

「ああ、よろしく」

 

 神崎と握手を交わす。

 

「偶然あなたと会うこともできたし、確認したいことがあるの。あの同盟は試験中は関係ない、というのは変わりないわよね」

「うん、そうだね。本当は互いにリーダーを当てない、とかできたら楽だったんだけど……」

「素晴らしい提案だけど、そればっかりは私たちだけで決められることではないわ。ごめんなさい」

「ううん、大丈夫だよ」

「……何かBクラスにトラブルでもあったようだけど、詳しく聞かせてもらっても良いかしら。普段とは、何だか違うように見えたから」

 

 堀北の質問に、神崎が目を細める。

 一之瀬は気まずいようで、頬をかいた。

 

「え、っとね。言ってもいいよね、神崎くん」

「変に詮索されるのも困るしな。俺から説明しよう」

 

 どうやら、Bクラスが所持していたマニュアルが、何者かによって井戸に落とされ、使い物にならなくなってしまったらしい。昨日の夜までは無事な姿が確認されていたが、朝になって、井戸の底に浮かぶマニュアルが発見されたとか。なんだか殺人事件みたいだな。ひよりが喜びそうだ。

 

 井戸の水質も汚染されたようなものなので、飲み水としても使い物にならなくなってしまったそうだ。

 犯人は未だ分かっていない。

 だが、もしBクラスに犯人がいれば、環境を汚染したとしてペナルティを喰らうので、無闇に訴えることもできない。

 

 そういった事件もあって、Bクラスは今、窮地に立たされている。

 

 

「お話中すいません。あの、一之瀬さん。中西くんはどこに居るか分かりますか?」

 

 その話を聞いている最中、メガネをかけたマッシュ頭の男子生徒が現れ遠慮がちにそう尋ねてきた。神崎は彼に睨みをきかせる。

 

「この時間は海の方に出向いていると思うよ。どうかしたの?」

「お手伝いに行こうかと思いまして。余計なことでしたか」

「ううん、そんなことないよ。ありがとう。じゃあ向こうで千尋ちゃんたちの手伝いをしてもらえるかな。私から言われたって話せば大丈夫だから」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 そんな短いやり取りをしてから、彼は去っていった。

 

「彼は……」

「金田。Cクラスの生徒だ」

 

 神崎が忌々しげに答える。

 こんな事件も起きれば、疑われるのは仕方ない話だ。

 きっと彼も肩身の狭い思いをしているのだろう。

 

「でもね、私は金田くんじゃないと思うな。もし意地悪なことをするなら、初日にこんな怪しいことするかな?」

「だが実際大打撃を受けた。二日目なら必要な道具も揃っていないからマニュアルが必要だ。再発行するにはポイントを消費しなくてはならない。それを狙ったんだ」

「ううんっと、嘘を吐いてるようには見えないっていうか……。まあ、こんな事を言ってもしょうがないよね」

 

 一之瀬は、にゃはは、と困ったように笑う。

 神崎の懸念も当然と言えば当然だろう。

 

「マニュアルを貸し出す、と考えたのだけど、敵に塩を送るような行為を、クラス全員が許してくれるとは思えない。力になれなくてごめんなさい」

 

 今は敵とは言え、堀北もBクラスの惨状を気の毒に感じたようだ。

 

「ううん、こっちの問題だからね。気持ちだけ貰っておくよ」

 

「Cクラスの彼を擁護するつもりはないけれど、私のクラスも伊吹さんというCクラスの生徒を匿っているわ」

 

 そして堀北はさっき龍園から聞いた詳細を二人に伝える。

 好き放題暴れ回る龍園に対して謀反を起こした二人のうち一人だということ。伊吹は殴られた経緯もあったこと。

 一之瀬はその話を聞き、力強い瞳に戻っていく。

 神崎もその話を考慮に入れつつ、顎に手を当てて考え始めた。

 

「敵情視察に変わりないから、そろそろ私たちは行くわ」

「そっか、情報ありがとね」

 

 堀北と共に、Bクラスのキャンプ地を後にする。

 

 

 

 

「Bクラスの生徒がやったとは考えられないわね」

 

 暫く離れたところで、堀北はそう確信したように言った。

 

「だが、スパイがわざわざ自分に疑いをかけるようなことをすると思うか?」

「リーダーを当てるつもりがない訳でもないでしょうし……。いえ、当てるつもりがあるからこそ、動いた?」

「……オレはてっきり堀北が全てを理解した上で、龍園の法螺話を一之瀬に伝えたと思ったんだが」

 

 オレが呆れたように言うと、堀北は不思議そうに首を捻った。

 

 

「そうするべきだと、あの時直感的に思っただけ」

 

 

 正直、オレは堀北の実力を掴み切れなくなっている。

 須藤の件から、完全に手から離れてしまったような感覚だ。

 今回で測れると思ったが、見当違いだったらしい。

 体調不良がかなり影響しているところもあるのだろうが。

 

 勿体ぶっていても仕方がないので、オレは彼女にヒントを与える。

 

「一之瀬は、自分のクラスメイトと金田は犯人じゃないと確信している。なら、犯人はどこからやってきたと考える」

 

 立ち止まり、空見上げた。

 一匹の大きな鳥が悠々と風を切る。

 彼女もつられて鳥を目で追う。

 そして、何かに気が付いたように、ハッとオレの方を向いた。

 

「外から。そして、彼女は架空の敵を作り上げてしまい、外への警戒を強める。内側の守りが疎かになる」

「だから、スパイは優位になる」

 

 堀北は顔を歪ませた。

 

「つまり、私はCクラスの手助けをしてしまったということね」

「Bクラスがポイントを落とす手伝い、が正しいな。だから、最善手だったんだ」

 

 未だ煮え切らない表情をしている堀北に、オレは言い聞かせる。

 

「勝負事に綺麗も汚いもない。違うか?」

 

 暫く何も言い返してこなかった。

 自分の行いを消化しているのだろう。

 そして、彼女は先を行く。

 

「あまりに捨て身すぎるわ。そのまま疑われる可能性の方が高いのに」

「龍園ならやりかねないだろうな」

「なら伊吹さんも、そういった方法を取る可能性がある……」

「いや、強引な手をDには打たない。そしてその理由を、堀北。お前はよく知っているはずだ」

 

 堀北は顔を背け、自嘲する。

 

「策は講じてある。安心して」

 

 内憂外患。

 どのクラスも、それは変わらないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Aクラスの偵察を終えて、キャンプ地に戻る。成果ゼロは流石に怒られるかと思ったが、須藤が気遣ってオレのバケツにこっそり二、三匹入れてくれたので、白い目を向けられる事はなかった。ポテチのお礼だとかなんとか理由を付けてくれたが、堀北を想ってのことだろう。須藤にはもう足を向けて寝られないな。

 

 軽い昼食を作るらしく、釣ってきた魚がこの暑さで腐る前に焼いて食べることになった。先着順で、戻ってきた生徒に順番に調理班が渡していく。最後の方だったので、大分小さな魚だった。

 

「堀北。魚を食べると頭が良くなるらしいぞ」

 

 そう言って堀北の顔を前に串刺しにされた魚をチラつかせたが、ガン無視された。これ以上無視されるとオレの心が死んでしまうので、撤退することにする。

 

 オレは全員とは少し離れた位置でクラス全体を俯瞰する。

 男子は比較的全員固まって食べているが、女子はそれぞれチームが距離を取っている。明らかに隔たりがあるようで、まるで他クラスのグループみたいだ。

 軽井沢、篠原、櫛田の三グループがあり、例外的に櫛田は全員に顔が利く感じだ。堀北だけ孤立しているようだが、もはや貫禄さえ感じる。誰かに話しかければしっかり受け答えしているし、余所者扱いというわけでもない。

 因みに佐倉は櫛田のグループにいる。みーちゃんとも仲良くなったと嬉しそうに報告してくれた。そして同じく伊吹も櫛田達と食べているようだ。天使様のお心は慈悲深いらしい。……鬱憤溜まってそうだなあ、と旅行が終わった後のことを考えて憂鬱になる。

 

 ボーッとしながら魚をチビチビ胃の中に収めていると、男子グループの中に平田が居ないことに気が付いた。周りを見渡してみても、どこにも居ない。誰も気にかけていないところを見るに、席を外している理由は皆知っているだろうし、別に放っておいても良かったが、なんとなく朝の件を思い出し、平田を探すことにした。

 

 クラス全員を黙らす、場を支配する力を持っていたのは想定外だった。

 そして、平田はそれを封印している。

 上手く使えればクラスをより潤滑に動かすことができるかもしれない。

 

 オレはふと龍園を連想してしまった。

 Cクラスだったら楽だったろうな、とぼやきそうになる口を抑える。

 

 

 

 

 平田が居たのは、山内たちが伊吹を発見した場所だった。

 佐倉から場所は教えてもらっていたが、平田もまた気付いたということか、それとも堀北の指示か。

 

 オレの気配に気付いた平田はビクッと肩を揺らし、振り向いた。そして安堵したようにホッと息を吐く。

 

「綾小路くんか。伊吹さんかと思ってビックリしたよ」

「悪い。声をかけるべきだったな」

 

 平田は地面を掘り返しており、そこには何か機械が埋まっていた。

 

「それ……」

「どうやら無線機のようだね」

「龍園の所にも同じモノがあった」

「ビンゴってところかな。あまり疑いたくはなかったんだけどね……」

 

 平田はどこかやりきれないような顔をする。

 

「堀北の指示か」

「堀北さんが伊吹さんの爪の間に土が挟まっていたって教えてくれたんだ。それについて話し合って、ここに何か埋めたんじゃないかって推論になってね。今は昼食休憩だから、彼女にも気付かれないだろうし、僕が確認しに行くことになったんだ。皆には野暮用って伝えてあるよ」

「……そうか」

 

 事後報告の鬼だなんだ言っていたくせに、堀北こそ、オレに何も言わずに勝手に行動しているらしい。チーム戦には報連相が大事だというのに、頑固なところは変わらない。

 え?おまいう?なんの話だ。

 平田は掘り返したことがバレてしまわないよう、埋め直していく。

 

「綾小路くん。彼女を、どうするべきだと思う」

「直接確認を取って、リタイアを勧めるのが無難だな」

 

 オレは手伝う事はせず、切り株に座って残りの魚を食べながら平田の質問に答える。

 

「そう、なるよね」

「ただ、相手は龍園だ。そう簡単に引き下がることはしないだろう」

「それって、」

「彼女が殴られたのは事実だ。仕事を全う出来なかったという理由で、制裁が加えられるかもしれないな。それに、平田がリタイアを勧めたとクラスメイトが知れば、伊吹はやはりスパイだったのかもしれないという疑惑の目を向けるだろうな」

 

 平田は顔を歪めた。

 そして、沈痛な面持ちで手を止める。

 そんな様子の平田に、オレは大きめのため息を吐く。

 

「他クラスの生徒だぞ?平田が気に病むことじゃないだろ」

「……それでも、僕は彼女を蔑ろにすることはできない」

「まあ、伊吹をクラスに留めたままでも対抗する策は考えられる」

「僕のわがままに応えてくれるのかい?」

 

 平田はパッと顔を上げた。

 

「応えることができるかもしれない」

「……本当に?」

「ああ。だから、理由を教えてくれ。オレは平田の行動が単なる偽善だとは思えない。だからこそ、疑問なんだ。病的なまでに他者を気遣いすぎる。何のメリットもないのにだ。そこには何か深い理由があるんじゃないか?」

 

 平田は黙ったまま何かに耐えるように埋め直し、それから、立ち上がって土を払った。

 「場所を変えよう」と彼は深い森へと進んでいく。

 なんだかその時だけは、彼の背中は弱々しく小さく見えた。

 少しだけ開けた場所には細い川が流れている。キャンプ地より更に川の上流に辿り着き、砂利の上に彼は座った。オレもそれに倣う。その頃には魚も食べ終えていた。

 

 

「僕は中学二年生になるまで、どちらかというと、クラスで目立たない生徒だったんだ」

「平田が?……あまり想像できないな」

 

 いつもリーダーシップを発揮している男からはイメージが難しい。

 

「目立ちもせず。かと言って影も薄過ぎず。友達もそこそこ。本当に普通だったんだ。そんな僕には幼馴染みがいた。杉村くんっていうんだ。小学校も六年間同じクラスだったし、家も近所だったから毎日一緒に登下校してたっけな」

 

 懐かしそうに、そしてどこか儚げに平田は過去を思い返す。

 

「中学一年生になって初めて別のクラスになった。それからは、段々と交流も減っていって。まあ、それ自体はよくある話だと思う。

 でもね、僕が新しい友達と仲良くなっている裏で、杉村くんは虐めにあっていた」

 

 平田は砂利を握りしめる。

 その拳は震えていた。

 

「僕はどこにでもいる、平凡な、そして卑怯で残酷な人間だった。だから、見て見ぬ振りをした。彼は何度もSOSを出していた。言葉にはしなかったけれど。でも、ずっと。彼は、助けを求めていたんだ」

「それは……」

「いずれ虐めも飽きてやめる。不登校になって虐めはなくなる。誰かが助けてくれる。そんな希望的観測に縋って、僕は何もしなかった。ずっと仲良かった杉村くんを、赤の他人として、大事な人と捉える枠組みの隅に追いやったんだ」

 

「あの日のことは今でも夢に見るよ。サッカーの朝練で登校していた僕が教室に戻った時、杉村くんは顔を腫らして僕を待っていたんだ。ぼくは……僕は、何も言わなかった。むしろ、居心地の悪ささえ感じていた。まるで、僕の醜く浅はかな感情を突き付けられたような感じがして。彼の傷が、僕の罪そのものだったから。……そして、見せつけるみたいに、彼はその日の授業中、窓から飛び降りたんだ」

 

「死んだってことか?」

 

「脳死って判断されたみたいだよ。今でもご両親は杉村くんの快復を信じて待っている。多分。あの時、僕は一度死んだんだろうね。僕は今でも、あの日の償いのために生きている」

「だから、手を伸ばせる範囲の人を救いたいのか。それがたとえ他クラスの生徒だとしても」

「うん。この学校では矛盾を孕んだ生き方になるのは重々承知の上だった。でも、やっぱり難しいね」

 

 平田は、どうしようもない、そんな顔で乾いた笑いを漏らす。

 

 だが、今の話では説明しきれていない部分がある。

 それは、平凡だった彼が、場を支配するような力を持ち合わせていることだ。

 人の本質を見抜く観察眼は、もうSOSを見逃さないため。

 人と人とを取り持つコミュニケーション能力は、軋轢を生まないため。

 だとすれば、あの凍てつくような雰囲気はなんだ?

 

 ……今は無理に聞く必要はないか。

 

 

「合点がいったよ。平田はどんな人に対しても平等に接していた。それこそクラス関係なくな。不都合なら答えなくていいが、もしかして軽井沢との関係はフェイクだったりするのか?」

「そんなことまで分かるんだね。少しだけ、君が恐ろしいよ」

「簡単なロジックだ」

 

 オレはなんでもないように言う。

 

「……詳しくは今は言えないけど。そうだね。彼女もまた、僕を必要としていたんだ。察しが良い君なら気付くと思うけど」

「俄かには信じ難いな」

「そういう人には特有の匂いや気配がある。強く振る舞っているだけで、今の性格は本当の軽井沢さんではないんだろうね」

「へえ、そんなものも分かるのか。凄いな」

「綾小路くんにも……」

 

 何か含んだ言い方をしながらも、彼は一度言葉を切る。

 そして、真っ直ぐオレの目を射止める。

 

「今の話から分かるように、僕は君の味方だ。それだけは分かって欲しい」

「平田が敵だと考えたことはなかったな」

 

 オレは曖昧に濁した。

 もしかしたら平田があっさりと打ち明けたのは、これを言う為だったのかもしれないな。

 面倒なため軌道修正を図る。

 

「防衛は堀北に完全に任せきりだが、見た感じ大丈夫だと判断している。平田のわがままだとは言うが、無闇にCクラスに警戒されるのもマズい。だから伊吹を追い出すことは今後もないだろうな。この件に関しては平田が心配するような事はないさ」

 

 そう伝えると、平田は「ありがとう」と、どこか寂しげな笑顔を浮かべた。

 

 

 



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ぶらり途中暴力の散歩

 

 

 

 時間は少し遡る。

 一日目の夜のことである。

 

 クラスメイトはキャンプファイヤーを前に、思い思いに寛いでいた。

 オレは木に背中を預けて、それを遠目で眺めていた。

 

「綾小路。話がある」

 

 すると、茶柱に手招きされる。

 訝しみながら、オレは教師用のテントの中に入る。

 ランタンの明るい光に目を細めた。

 設備はしっかりしており、オレ達生徒とは天と地ほどの差がある。

 無線機は学校側と連絡を取る用だろうか。

 

「前の面談で言い忘れたことでもあったんですかね」

 

 唐突に茶柱はオレの額に触れようと手を伸ばそうとするので、咄嗟に振り払った。

 

「セクハラですよ」

「……体調が悪いのか」

 

 オレは腕時計を見下ろす。

 生徒に配られた腕時計は時刻の確認だけでなく、体温や脈拍なども測ることができる。更にGPSも搭載されており、万が一に備えて学校側に非常事態を伝えるためのボタンもある。

 自主的に体調不良を訴えなければ、わざわざ学校側もリタイアを強制することはないのだろうが、明らかに無理をしているようなら、担任に直ちに伝えられ、直接確かめるよう言われているのだろう。

 

「堀北の方が辛そうですけどね」

 

 オレはそっぽを向きながら適当なことを言う。

 

「学校側からはお前に対してのみ報告された。余程のことがない限り、しかも一日目に本来はこういった手段は取られないんだがな。熱でもあるのか?」

「そんな所です。もちろん続行するつもりですよ」

「……そうか」

「ただ、学校側から続行不可と判断される可能性があります。それは茶柱先生としてはマズいですよね?」

 

 茶柱はぎこちなく頷く。

 一切動じず、普段と変わりないように見える生徒に、異常性を感じ始めたようだ。

 痛ましげな表情をしている。

 実に勝手な話だが。

 

「腕時計は許可なく取り外すことはできない」

「外す許可を出せと?」

「誤魔化すことはできるでしょう。例えば、茶柱先生自身がこの腕時計を付ける、とかね。破損すれば換えることができるなら、予備はあるはずです」

 

 壊れた方をオレが、オレの腕時計を茶柱が身につける。

 茶柱はDの担任のため、ベースキャンプ付近で常に生徒達を監視している。

 数人が120人分を追っているわけだ、拠点から動かないだけの生徒をそこまで注目はしないだろう。

 もしバレても茶柱の責任にしてしまえばいい。

 

 茶柱は考え込んでいるようだったが、程なくして同意を示した。

 

 元々腕時計は今後のことを考えれば無力化する方向だった。

 学校側はどこまでオレ達のことを監視し、そして不測の事態に介入してくるか分からないからだ。

 GPSを実質外すことができるのは、不幸中の幸いだったな。

 これで今後は自由に動くことができる。

 

「大丈夫か、綾小路」

 

 オレは怖気付いた茶柱を冷ややかな目で見下す。

 

「あんたが始めた賭けだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リストアップは特に問題も起こらずスムーズに終わり、日は暮れて各々就寝の準備を始める。

 

 二日目の夜は快適が約束されていた。

 男子はテントと枕が購入され、そして女子の扇風機を分けてもらうことになったからだ。

 だが、オレは野宿を選択することにした。

 オレの奇行にクラスメイトも慣れてしまったのか、特に反対はなかった。むしろテントが広くなるので歓迎された。平田だけは何か言いたげにこちらを見ていたが、まるっきり無視した。

 

 

 無人島生活三日目。

 朝食を食べ終え、朝の点呼をしてからオレたちは行動を始めた。

 今日はキャンプ地維持という名の実質休みを貰った。

 焚き火の枝を集めたり、料理を手伝ったりするだけで、動いていなくても特に咎められることはない役割だ。

 

 Cクラスが全員リタイアした、という話を小耳に挟みつつ、オレはキャンプ地から少し離れた木の傍に腰を下ろす。

 ペットボトルに入った川の水で水分補給をしつつ、ボーッとしていると、サクサクと草を踏み締める音が聞こえた。

 音の方に目を向けると、そこには櫛田が立っていた。

 そういえば彼女は調理班だったな。

 

「よお」

 

 手を上げて挨拶するが、無視された。

 若干裏モードが透けて見えている。

 オレは周りに人の気配がないか一応探っておく。

 ……。

 

 一言も発さずオレの目の前に座り出す櫛田に不気味さを感じた。

 

「……大丈夫か?」

「そう見えるんだったらあんたの目はイカれてるね」

 

 声は可愛いのに、内容が絶望的に合っていない。

 チグハグ具合が逆に怖いぞ櫛田。

 これなんてホラーゲーム?

 

「この学校終わってんの?普通にバカンスさせろよ」

 

 ごもっともな意見で。

 

「てかさ。あんたこの旅行バックレるとか自慢してた癖に結局来るんじゃん」

「お前が心配だったんだ」

「あ?」

「たまにはオレの純粋な好意を受け取ってくれ」

「純粋じゃなくて虚無でしょ?」

「これが終われば豪華客船を満喫できるぞ。頑張れ頑張れ」

「はい先生!」

 

 突然櫛田が手を挙げた。

 お、本格的に壊れ始めたな。

 

「どうでもいい予定ばかりが埋まってる場合はどうすればいいですか?」

「全部バックレればモーマンタイです」

「それができません!」

「無人島に豪華客船。これらから連想されるものといえば?」

「殺人事件!バトルロイヤル!」

「正解できた櫛田さんにはボーナスポイントでこの花をあげましょう」

「わーい」

 

 オレはその辺の草を毟って櫛田が両手で受け皿を作っているところに降り注いでいく。

 そして、彼女はおにぎりみたいに丸めて、笑顔でオレにぶん投げた。

 もちろんオレも笑顔で避けた。

 優しい世界だ。

 

 

「マジで一瞬だけ皆死んでくれないかな……」

 

 本心からの訴えのようだが、オレは神様じゃないので叶えてあげられない。

 

「皆殺されればお前を褒め称えてくれるような存在も消えるぞ。いいのか?」

「いいよそういう話は」

「さいですか。で、何か用件があるんだろ」

 

 付き合ってあげても良かったが、オレはさっさと本題に入るよう促した。櫛田も分かっているのだろう、キュルンとアイドル顔に戻る。

 

 

「Dのリーダーを龍園くんに教えちゃった」

 

 

 テヘッと笑う櫛田。

 テヘッじゃないが。

 とんでもねえ核爆弾を落とされ、オレは頭を抱えた。

 

「伝え終えたのか?」

「うんっ」

「昨日か?」

「オープンだったし気を遣ったよ」

「他クラスと何かする時はオレに報告してくれって伝えていたはずだが」

「今報告したよ」

「後の祭りという言葉があってだな……」

「え?桔梗わかんなーい」

 

 すっとぼける櫛田。

 今ここで龍園をオレに憑依させて男女平等パンチを繰り出したくなる衝動に駆られる。

 断じて言うが可愛くないからな?

 

「龍園にはリーダーをどう伝えたんだ」

「Dのリーダーは堀北だよって」

「……そうか」

「でもさ、結局みんなリタイアしちゃったし、無駄骨だったかな」

「いや、リーダーを当てれば50ポイント追加だ。誰かは残っているだろうな」

 

 ガックシと項垂れているオレの態度に、櫛田は若干不安になったようだ。

 

「何かまずいわけ?」

「……失敗した堀北を慰める算段を考えている」

 

 と、安心させておく。

 櫛田が龍園に堀北がリーダーだと伝えることは考慮に入れていた。

 だが、事後報告されるとは思っていなかった。

 人の目につくような場所で龍園と接触はしないだろうと踏んでいたので、昨日はまず論外。後々、例えば今日。龍園に会いたいのに居なくなったと泣き付かれ、森に潜伏しているだろう龍園を探し当てて、契約を取り付けハイエナムーブをする、という破茶滅茶に今後の動きが楽になる作戦に賭けていた部分があったのだ。それを、全部ぶっ壊された。

 悪魔め!

 

 ……まあ、彼女が逸ってしまうのも無理はなかったのかもしれない。

 

「オレの平穏な無人島生活にサヨナラバイバイしただけで、特に問題はないな」

「じゃあいいよね?」

 

 良くないが?

 そう文句も言ってやりたかったが、ここで、「リーダーは堀北じゃない可能性がある」なんて事実を知られれば、余計面倒なことになる。

 実はオレも堀北に隠されてしまったせいでリーダーが誰か、本当の意味では知らない。堀北は自身がリーダーである、とクラス全員に伝えたらしく、装置に誰にも近付かないように、占有する時以外は常に岩をシートで覆った。

 彼女は確実に守ってみせる、と言い切った。

 要は、完全にブラックボックス状態な訳だ。

 

 そのことを櫛田が知れば、オレという存在は堀北に本当に信用されているのか、と訝しむはずだ。

 元々櫛田との契約は、オレが堀北に一番信用されている位置にいることが大前提。

 揺らぐようなことがあれば、今までの努力が水の泡になってしまう。

 

「報告も終わったし、キャンプ地に戻るね?」

 

 櫛田は表に戻り、スクリと立ち上がった。

 

「ミネラルウォーター使いたいんだけど、何本残ってたか知ってる?」

「六本ぐらいだったはずだ」

「うぃっす」

「……仮面が剥がれないよう頑張れよ」

「綾小路くんこそ、顔色悪いよ?」

「誰のせいだと……寝不足なんだ」

「おやすみっ」

「永眠しそうだな」

 

 とびっきりの可愛い笑顔を向けてから、櫛田は去っていく。

 スマイルに値段が付く理由がなんとなく分かった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「綾小路。サボっているのか?」

 

 男の声に、情報量を減らそうと閉じていた目を緩慢に開く。

 顔を上げると、顔を顰めた幸村が立っていた。

 

「……考え事をしていた」

「枝集めに考えることなんてないだろ」

「そうかもしれないな」

「暇ならこっちを手伝ってくれ。高円寺の地図をもとに西瓜を見つけたんだ。人手が足りない」

「西瓜は何個あって何人その場にいる」

「いいから来てくれ」

「今ベースキャンプにはオレを含めて五人しかいない。空にするのは流石にマズいし、他の班で帰ってくる人もい「枝集めをサボってる人間が偉そうにするな。暇なんだろ?」

 

 幸村は被せるようにそう指摘する。

 素直に彼の言うことを聞いておいた方が良さそうだ。

 

 幸村についていこうと立ち上がろうとしたその時、視界が歪む。

 平衡感覚を失い、オレは地面に手をつき、ぐわんぐわんと揺れる世界から振り落とされないよう必死に掴んだ。

 

「どうした」

 

 幸村の声が上から降りかかる。

 徐々に通常の世界を取り戻していく。

 

「いや。草むらに珍しい虫を見つけたんだ」

 

「……どうしてこのクラスには変人しかいないんだ」

 

 幸村は大きく、わざとらしさを隠さずにため息を吐いた。

 そしてスタスタと先へ行く。オレは腕を登ろうとする蟻を手で払ってゆっくりと立ち上がった。

 幸村は見た感じこういった環境には慣れていない。加えて体力もあるようには思えない。キャンプが始まって三日目の正午。折り返し前の、一番キツい時間帯だろう。苛つくのも仕方がない話だ。

 西瓜の重さを計算しながら、オレは吐き気を抑えつつ森の中を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になった。

 焚き火とランタンの灯りも消されている。

 皆が寝息を立てている中、オレは、物音を立てないよう立ち上がった。

 段々と目は暗闇に慣れていき、ライトなしでもほぼ昼間と近い形で辺りを把握できるようになる。

 

 そして、森の中へと足を踏み入れた。

 

 風の音。水の音。虫の音。

 水辺には蛍が冷光を放ち、揺れる木々の葉の間から、星々の光がこぼれ落ちる。

 

 最初の夜は不慣れで、Bのキャンプ地から帰るのにかなり時間をかけてしまった。だが、昨日の夜はスムーズに探索できたので、今日もそこまで手間取ることはないだろう。

 深夜散歩の目的、それは。

 

 龍園及び、他のCクラスの生徒を探し当てること。

 

 もし上手くいけば、今日中に龍園らを見つけることができるかもしれない。Aクラスの洞窟内にはいないことを昨日確認できたので、必ずスパイの無線機の相手がこの無人島に潜伏しているはずだ。

 正直、龍園のような自分のみを信じる性格なら、他の人間にリーダーは任せないという確信はある。

 要は、この行為は取り越し苦労に違いないのだ。

 ならば何故、わざわざ寝る間を惜しんで深夜の散歩を決行するのか。

 

 言ってしまえば、

 ただの暇潰しだ。

 

 茶柱の脅しがあったあの日から、満足に眠ることが難しくなった。

 目を瞑れば、あの男が強引にオレをホワイトルームに連れ戻しにやって来るのではないか、というバカげた妄想が頭を支配する。国が運営する学校だ。あの男が手出し出来るわけがない。そう何度も否定してみるが、治る気配がなかった。たかが杞憂で人間はここまでおかしくなってしまうのか、と逆に感心さえした。医者に言うと耐性があることがバレてしまうので、財布の紐を緩めて市販の睡眠薬を今まで服用していたが、無人島では使えない。

 加えて、ここはあの学校の外。手出しは出来ない、という安心は一切消え去った。

 そんな状況で安易に眠れるかと言われれば、結構難しい。

 

 一瞬でも気は緩めなかった。

 試験どころじゃないな、と自嘲もしたくなる。

 

 夜の森に紛れながら、オレはなるべく音を消して探索した。

 

 

 ふと、立ち止まる。

 オレは身をかがめ、違和感の正体を確かめた。

 巧妙に隠されていたが、そこにはクシャクシャにした数枚のビニールがあった。

 もし気付かずこれを踏めば、大きな音が鳴ってしまう。

 

 罠だ。

 

 つまり、奴はこの近くに潜伏している。

 息を潜め、気配をできるだけ消す。

 罠に気を付けながら、ゆっくりと足を進めていく。

 

 すると、少し先に、木に背中を預けている影が見えた。

 

 近付いて何者か確認したかったが、これ以上は踏み込めない。

 オレは思案する。

 どうやって距離を詰めるか。

 

 傍の大木を見上げた。

 枝もある程度しっかりしている。

 何者かが背中を預けている木に飛び移り、上から覗くことができそうだ。

 

 

 よし。論理的で何の穴もない完璧な作戦だな。

 

 

 オレは木によじ登った。

 手の位置に気を付けながら、足を窪みにかける。

 少し手間取ったが慣れればスイスイと登ることができ、目当ての枝まで辿り着くことができた。

 

 ここからが重要だ。

 向こうの木に飛び移る必要がある。

 オレは深呼吸をする。

 そして、足場を強く蹴り、空を舞った。

 

 問題なく目当ての枝に掴まり、ぶら下がる。

 生まれた反動を利用して、登りきった。

 

 ホッと息を吐く。

 ここまで来れば、あとは下を覗き、確認してから同じ要領で戻れば良い。

 オレは末端までゆっくりと進んでいく。

 

 クラリ。

 唐突に、目眩が襲った。

 急に激しい運動をし過ぎた影響だろうか。

 

 あ、と思った時にはもう遅い。

 オレは、宙に浮いていた。

 咄嗟に受け身を取り、ダメージを軽減する。

 だが、大きな音が鳴ってしまった。

 

 目の前にいる人物が「うう」と唸り、みじろぎをする。

 

 

 おお。

 紛うことなき龍園だ。

 

 

 オレはクラウチングスタートでその場を離脱した。

 

「なっ、誰だテメエ!!」

 

 背後からの怒声の内容的に一応バレていなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 龍園は今、混乱の極みの中にいた。

 無人島に潜伏していることがバレてしまわぬよう、昼間は常に周りの気配を警戒し、夜に移動するアホはいないだろうが、念のためトラップを仕掛け、いつでも起きれるようにしていた。

 

 大きな音がして、眠りから覚めた。

 するとどうだろう。

 目の前には何者かの影。

 そして目が暗闇に慣れる前に、その影は脱兎のごとく逃げ出してしまった。

 

 あれは誰だ。

 何故目の前にいた。

 

 突き止めなければならない。

 龍園は寝起きを一切感じさせない動きで立ち上がった。

 

 目が慣れるまで慎重に、かつ大胆に龍園は逃走者の後を追う。

 

 ふと、木の裏に何者かが動く気配を捉えた。

 尻尾を捕まえようと、龍園はその影に近付く。

 

 刹那、首の後ろに強い衝撃を受ける。

 火花が走った。

 

 恐怖。

 突き止めることもできず。

 何者かに、命を握られている。

 

 意識を保っていられなくなり、龍園はその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 目覚めると、朝日は既に昇っていた。

 自分の体を確かめたが、特に痛むところはなく、加えて昨日眠った位置と全く変わっていなかった。トラップも発動していない。

 

 龍園は首を捻る。

 

 

 あれは、ただの夢だったのか。

 実際起きたにしては、あまりに非現実的すぎる。

 

 俺の存在がバレた?

 だが、どうやって犯人はそのことに気付いた?

 そもそも、あれだけ動ける人間が、この学年に存在するのか?

 わざわざ見せつけるように俺を起こした意味はなんだ?

 

 ……まあ、こんな生活をしていれば、悪夢を見てしまうのも仕方がないか。

 それより朝食は何を食おう。

 

 

 余計なことを考えるのはやめて、龍園は試験に専念することに決めた。

 己が何かに恐怖をしていた、という事実を受け入れたくなかったのだ。

 

 

 




 
究極の寝てないアピ


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急転直下

三人称視点


 

 

 

 無人島生活も四日目。

 折り返しを迎えると、少しずつ変化が起こり始める。

 順調だった滑り出しから、不便な生活への不満が徐々に蓄積していく。30ポイント消費し船で悠々自適に暮らす高円寺にそれをぶつけようにも、なまじクラスに貢献しているためそれも出来ない。

 

 そして、事件は起こった。

 

 調理班の女子が、悲鳴を上げた。

 何事かと、数名が彼女の元に向かう。

 

 なんと、川で冷やしていた料理用のミネラルウォーターが、無くなっていたのだ。

 

 当然、クラス内で大きな問題として取り上げられる。

 

「また君たちが勝手なことをしたんじゃないか?」

 

 幸村は大きなため息を吐き、篠原たちに敵意を向ける。

 

「はあ?男子のテントの方が川辺に近いんだし、怪しいならそっちでしょ」

「寝てる時とは限んないだろ」

「昨日の夕食の時はあったじゃん」

 

 松下の反論に、男子は焦り出す。

 

「そ、そういや池、お前夜遅くにトイレ行ってたよな!?結構時間かかってただろ?」

「いやいやいや!あれは、その、暗かったから苦労したんだよ!てか南、お前も起きてたなら可能性あるじゃん!」

 

 男子の中で嫌な争いが始まった。

 

「一旦落ち着いて。同じクラスなのに、わざわざ不利なことをするようには思えないよ」

 

 平田はクラスメイトを疑うのを嫌がり、全員を宥める。

 だが、あまり効果はなかった。

 

「川の水が嫌で、こっそり飲んでたってことでしょ?」

 

 篠原がキツく言う。

 

「他クラスがやった可能性もある」

「伊吹さんを疑うってこと?」

 

 全員が伊吹へと目を向けた。

 伊吹は顔色一つ変えず「私じゃない」とハッキリ宣言した。

 

「ミネラルウォーターの位置はリーダー決めの時に一緒に決めただろ?どうやって奪うんだよ!」

 

 山内が前へ出て庇った。

 伊吹を連れてきてしまったことが過失だと思われたくなかったからだろう。

 だが彼の主張は最もで、伊吹だけがミネラルウォーターの正確な位置を知らなかった。

 

「じゃあ、クラス内に泥棒がいるってこと?」

「え?マジ無理なんだけど」

「誰だよ、んなことしたの」

「荷物検査!全員で荷物検査しよ!結構残ってたし、隠し持ってるかもしんないじゃん!」

 

 疑心暗鬼になる中、荷物検査をする、という案が出るのは必然だった。

 男子は平田が、女子は堀北が監督者となり、荷物検査が始まった。

 鞄を持って行き、一人ずつ監督者が確認していく。

 スムーズに進んでいき、ついに綾小路の番になった。

 

 

 平田は彼の鞄のジッパーを開けて、中を確認する。特に問題はないように見えた。が、ふと、何か硬い感触があった。平田はそれを確かめるため、掴んで外に引っ張り出す。

 すると、潰されたペットボトルが出てきた。

 平田は驚いたように、顔を上げる。

 

 彼の喉が引き攣った。

 

 二人に何かあったのか、と潔白が証明され近くで鞄を整理していた男子生徒達が訝しげに目を向ける。

 誰かが言った。

「もしかして、綾小路が?」

 呼応するように増えていく。目。

 女子達も異変に気付き、

「犯人いたの?」

 と問い始める。

 

 

 綾小路の顔色はどんどん悪くなっていく。

 平田は咄嗟に潰されたペットボトルを隠そうとしたが、既に目撃してしまっている人もいる。

 

「あ、綾小路が、ペットボトルを持ってたんだ!」

 

 南が全員に周知させるようにそう叫んだ。

 場は騒然となる。

 全員の目が綾小路へと向いた。

 平田は彼の尋常ならない様子に気付き、疑いの目を晴らそうと口を開こうとしたその時。

 

「少しいいかしら」

 

 少女の凛とした声が、どよめきの中に落とされる。

 

「盗んだ犯人が自分の鞄に隠すなんて、そんなバカな真似はしないはずよ。翌日騒ぎになれば、当然荷物検査が行われることなんて、幾ら慌てていたとしても想定できる。それに、潰されたペットボトルが一本だけ。では残りはどこにやったの?そもそもその潰されたペットボトルが件のモノとは限らない。彼を犯人と決めつけるのは早計よ」

 

 彼女の正論に、各々の反応を見せるクラスメイト。

 

 だが、それはすぐに覆されることになる。

 

「あれ?」

 

 堀北の弁明の最中に、当の容疑者は逃げ出していたのだ。

 

 

「僕は彼を連れ戻してくる!」

 平田はクラス全員にその場で待機を命令し、慌てて彼の後を追った。

 

 呆気に取られていた彼らだったが、すぐに、騒ぎは大きくなった。

 

「逃げたってことはやっぱそうなんじゃん!」

「そういえば綾小路っていつも野宿してたよな……」

「いつでも取りに行くことができたってこと!?」

 

 ミステリアスと言えば聞こえは良いが、彼をよく知らない人からすれば、関わりの一切ない他人でしかない。水泳の時以来体育は全て見学、テストは満点ばかり。いつも孤立しており、高円寺と並べられる程の変人。それが彼の人物像だった。

 クラスメイトとの交流が極端に少なかった。

 しかも、試験に消極的な態度を取っていた。

 だからこそ、都合が良かった。

 集団心理というのはこういう時に、発揮される。

 

 

「あ、あや、綾小路くんじゃないと、思う!」

 

 そんな中、佐倉はそう叫んだ。

 

「え?なにそれ。何であんたそんなこと言えんの」

 

 それに食いついたのは、軽井沢だった。

 イケイケの女子からすれば、おどおどした態度を普段取る佐倉を鬱陶しく感じていた部分もあるのだろう。

 

「綾小路くんは、そんなことする人じゃ、ないから」

「全然答えになってなくない?」

「そ、それに!さっき、堀北さんも違うって言ってた……」

「あんたの意見じゃないじゃん。そんなの誰だって言えるし」

 

 佐倉の擁護に、軽井沢は腕を組んで意地悪そうに笑った。

 軽井沢は、彼氏である平田がリーダー同士だから、という理由で堀北と距離が近くなっていることを良く思っていなかった。

 そんな堀北を盾にしたことで、軽井沢は公開処刑を躊躇しなかった。

 

「あれぇ?もしかして、佐倉さん。綾小路くんのこと好きだったりして」

 

 佐倉はスルーすることができず、顔を赤くする。

 

「そ、そういう問題じゃっ」

「マジで好きなの!?うわあ、よく泥棒のこと好きになれるね」

「お、おい、いい加減にしろよ!」

 

 まるで佐倉を虐めているような構図に、山内が割って入った。

 

「佐倉が清隆を好きとは限んねえじゃねえか!」

「は?」

「あと、犯人かどうかもまだ分かんねえよ!」

「いや犯人でしょどう考えても。だったらなんで逃げたわけ」

「そ、それは。」

「疑いたくないけど、ちょっと無理があるよね……」

「それ以外に誰がいるって話だよな」

 

 軽井沢だけでなく、篠原や櫛田の女子グループ、男子も殆どが彼を疑っている。

 多勢に無勢。

 堀北や彼をよく知る者達の尽力も虚しく、どんどんと犯人に仕立てられ上げていく。

 

 

 暫くすると、平田が帰ってきた。

 

「綾小路くんを見つけたよ。それで、彼をどうするか、決まったのかい?」

 

 そして綾小路の処遇を尋ねる。

 堀北は眉を顰めながら、苦々しく答えた。

 

「ええ。点呼とシャワーの時以外は追放することに決まったわ。食料は点呼の時に渡す。伝えてきてくれる?」

「……わかった」

 

 平田は、どこか失望したような目をクラスメイトに一瞬だけ向け、すぐに視線を外した。

 

 こうして、取り敢えずの解決は図られた。

 

 

 

 三バカや外村、沖谷や佐倉などは、点呼時に綾小路に本当に犯人だったのかどうか詰め寄った。だが、彼は無言を貫いた。誰とも何も話さず、点呼を終えれば居なくなる。「心配してくれる人に対してもあの態度とか」と誰かは呆れたように言った。

 そして次の日、再び事件が起きた。

 軽井沢の下着が盗まれたのだ。

 犯人は結局見つからなかった。

 しかしクラスメイトの大半は、綾小路だろう、と声に出さなかったが、確信していた。

 点呼の際に冷ややかな目を向けられているのを、綾小路は常に感じていた。

 

 

 

 伊吹がクラスの手伝いとして、トウモロコシを運んでいる時だった。

 背後から気配を感じ、彼女は咄嗟に振り向いた。

 そこには、件の容疑者、綾小路が立っていた。

 幽霊のように、顔色は悪かった。

 

「どうして逃げ出したんだ?疑いの目も晴れたかもしんないのに。挙句に下着泥棒にもされてるぞ」

 

 伊吹は時に気にした様子もなく、淡々と彼に問う。

 

「……バカ共のバカみたいな目に、耐え切れなかったんだ」

「堀北はしっかりと反論をして、おまえを守ろうとしてたのにな」

「どうせ信じないでギャーギャー騒ぎ始める。不良品の集まりだしな」

 

 綾小路はため息を吐く。

 

「伊吹は信じてくれるんだな」

 

 伊吹はまあね、と興味なさげに籠を地面に置く。

 だが、クラスメイト全員を敵と見做している綾小路にとっては彼女の肯定は救いに違いなかった。

 

「それで、何か用?」

 

 伊吹は問う。

 わざわざDのクラスメイトがいるかもしれない所に出向いてきたわけだ。

 用がなければ近付こうとも思わない。

 

「あの同盟の話は覚えているか?」

「……ああ」

「謀反を起こしたくはないか?」

「どういうことだ?」

「リーダーを当てたら、50クラスポイント手に入る。それは全て伊吹の手柄になるんだ。伊吹を支持する生徒が増えるかもしれない。そうすれば龍園の独裁政権を揺るがすことができる。あいつだって数には勝てないだろ」

「おまえのメリットは?」

「……分かるだろ」

「復讐?」

「惨めだろ」

 

 綾小路は歪に口の端を上げる。

 

「いや、悪くないな」

 

 伊吹はそんな彼を肯定する。

 

「私も、私を引っ叩いた龍園に泣きっ面かかせてやりたいし。それで、リーダーは誰?」

 

 そしてシニカルな笑みを浮かべた。

 そんな彼女の様子に安堵したのか、綾小路は躊躇うことなく、はっきりと伝える。

 

「堀北がカードを持っているの見た」

 

 伊吹は特に驚いた様子は見せなかった。

 そして冷静に話を進める。

 

「悪いけど、証拠がないと信じきれないな」

「面倒だな」

「完全に信用できるわけじゃない。同盟とはいえ、他クラスだから」

「分かった、オレが堀北からカードを奪う。オレが指示した所に伊吹はいればいい。そこにオレがカードを持っていく」

「できるのか?」

「バカ共を手玉に取るなんて容易い」

 

 綾小路は自嘲的に言い残し、その場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六日目の昼下がり、雲はどんより黒ずんでいる。

 重さに耐えかね、一つ、二つと雫は落ちる。

 雨宿りをするように、伊吹は木に背中を預け、立っていた。

 

 やって来た綾小路は、堀北から奪ったカードを彼女に投げ渡す。

 すると、伊吹は鞄からカメラを取り出し、カードを撮り始めた。

 

「……随分用意周到だな」

 

 綾小路は呆気に取られ、そう呟く。

 

「おまえ、カードに彫ってある名前見たか?」

 

 綾小路は首を捻った。

 

「堀北鈴音、だろ?」

 

 そう言うと、伊吹は腹を抱えて嘲るように笑った。

 そして、用済みになったカードを投げ渡す。

 綾小路はそんな彼女の態度を訝しみながら、彫ってある名前を確認する。

 

「は?」

 

 思わず、彼はそう声を漏らしていた。

 綾小路は困惑を隠しきれず、何度もその文字をなぞった。

 

 

「おまえ、案外信頼されてたんじゃないか?」

 

 カメラを鞄に丁寧にしまいながら、伊吹は鼻で笑う。

 

「だってそうじゃなかったら、リーダー決めの時に私をキャンプ地から離す役割なんて与えられないだろ」

「……それは、オレをハブるためだろ?オレは結局誰がリーダーか知らなかった」

「でもさ、信頼してなかったらスパイの可能性のある私におまえを近付けるか?普通」

 

 伊吹は哀れむような目を彼に向けた。

 雨は次第に強く降り始める。

 

「じゃあミネラルウォーターは誰が盗んだんだ?下着だって、オレじゃなかった。オレを追放したいから、そんな事をしたんだ」

「面白いことを教えてやろうか?ミネラルウォーターの犯人は須藤だった。普段おまえが堀北と一緒にいることに嫉妬したらしくてな、堀北にだけ自首したらしい、須藤と堀北が話しているのを偶然盗み聞いた」

「……はあ?嫉妬?じゃあ、下着も、」

 

 全く関係のない所で因縁をつけられていたことを知った綾小路。

 全員にただただ嫌われている、と考えていた彼にとっては、横から鈍器で殴られたような衝撃だったことだろう。

 そして当然の帰結として、彼は下着泥棒の犯人もそれらに近しい理由で擦りつけられたのではないか、と伊吹を見る。

 しかし、伊吹はそんな様子の彼に、冷酷な真実を振り下ろした。

 

「下着は私がやった」

 

 愕然とした表情を浮かべる綾小路を、彼女はせせら笑った。

 

「おまえは信じる奴を間違ったんだよ。私がCクラスのスパイじゃない?笑わせるね。ならこのカメラはなんだ?ハッキリ言ってやるよ。

 

 私はCクラスのスパイだ。

 

 確かに実力はあったのかもしれないけど、バカなことに使ったな」

 

 

 膝をつき、項垂れる綾小路に伊吹はそう吐き捨て、去って行った。

 雨足は激しく、過信に溺れ、騙された男の慟哭は掻き消されてしまった。

 

 

 

 ペガサスにはこんな逸話がある。

 王子ベレロポンテスは神が存在する証拠に、実の父と噂されるポセイドンのいる海に天馬ペガサスを求めた。願いは届けられて彼はペガサスを手に入れ、数々の困難を乗り越えた。だが、己の理不尽な運命から、いつしか彼は神の存在を疑い始めるようになった。ついにはペガサスの上に跨り、神々の存在を突き止めるために神がいるとされる天の上を目指す。結果、ペガサスに振り落とされ、彼は地に落ちた。

 神を信じ切ることができず、更にはペガサスの力を己の力だと過信した。

 当然の報いを受けたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八月七日。

 長くも短い無人島での生活がついに終わりの時を迎える。

 Dクラスは様々なトラブルはあったものの、程々に楽しみながら過ごすことができた。

 唯一の不満点は、二つの事件の疑いをかけられていた生徒、綾小路清隆が結局リタイアしてしまったこと。無人島生活の不満やヘイトの大半が、彼へと向けられていた。

 生徒は撤収の準備を始める。伊吹はいつの間にかリタイアしていた。

 この時間のうちに、他クラスのリーダーを当てる権利を得られる。

 責任者として平田は茶柱先生にそれらの話を付けた。

 

 撤収作業を終えて浜辺に着く。

 他クラスは既に終わっていたらしく、Dクラスが最後だった。

 Cクラスの生徒は二日目の時点で殆どがリタイアしていため、この場には姿がない。金田もリタイアしたのか、砂浜のどこを見ても見つけられなかった。

 休憩所で、各々寛ぎ始める。

 平田はクラスメイトを労っていく。

 

「お疲れ様。この一週間色々ありがとう。本当に助かったよ」

 

 力自慢の須藤は、率先して誰よりも行動を起こしていた。

 池も、アウトドア経験を生かし、ポイントを多く節約できた。

 

「いやいやいや、平田がクラスをまとめてくれたのもあったし!な、春樹」

「どうやって雫ちゃんにプレゼントを渡すかって話か?俺も考え中なんだよ」

「聞いてねえわこいつ」

「つかよ……あいつ、大丈夫なのか」

 

 須藤は客船を見上げた。

 池と山内も、つられて船を見る。

 突然のリタイアだ。心配もあるのだろう。

 

「スポットの占有ボーナス含まずに170ポイントも残せたんだ。これはクラスにとって大きな前進になる。彼のリタイアは痛かったけど、仕方がなかったかもしれないね」

 

 平田のどこか切り捨てるような態度に、疑問を持つ須藤たち。

 すると、茂みから、ガサガサと何者かが現れた。

 

「……龍園」

 

 誰かが呟いた。

 上半身には所々汚れがあり、ズボンのジャージに至っては泥だらけだ。

 突然の登場に誰もが固唾を呑む。

 彼は緩慢に全員を見回し、そして、ゆっくりとDクラスの方へと距離を詰めてくる。

 クラス内に緊張が走った。

 

 周りの目を全く気にした様子もなく、彼はとある少女の前に立つ。

 

 

「リーダーは誰だ」

 

 

 重く、そして、有無を言わせないプレッシャーを与える。

 少女の顔は歪む。

 そして、リーダーカードを彼へと投げ渡した。

 

 

「ーーよ」

 

 

 その名を聞き、龍園は笑った。

 大口を開けて。

 すべてをバカにするように。

 

 彼は声を上げて笑った。

  

 

 




無人島試験二次創作の様式美


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木乃伊の表裏工作

 

 

 

 オレは走った。

 あの目から逃げたのだ。

 

 オレを疑うような目、ではない。

 平田や、須藤、佐倉達が向けてきた、あの目。

 

 拒絶反応を起こし、吐き気と脈打つような頭痛に耐え切れず、膝が折れる。

 息ができない。

 いや、呼吸は遮られていない。

 それなのに、上手く、息が吸い込めなかった。

 肺が、胸が、苦しい。

 

 手の甲で口を抑える。

 気道と食道がめちゃめちゃになったみたいに、こみ上げる胃酸と過剰な空気に溺れそうになる。

 地面についた手から、小さな虫が這い上がってくる。

 オレは咄嗟に振り払った。

 引き留めようと伸ばされた手のようで。

 

 

 ふいに、誰かが近づいてくる気配を感じた。

 現れたのは平田だった。

 ひとまず作戦の第一段階が成功したことに安堵する。

 違う人間が来る可能性もあったが、川辺での告白を聞くに、平田が追いかけてくれると確信していた。

 

 時間はあまりかけられない。

 

 平田は顔を真っ青にして駆け寄ってきたが、オレは手で彼を制止させる。

 異常を起こしている体を宥め、思考を加速させていく。

 

「だい、じょうぶかい」

 

 彼はしゃがみ込み、オレの顔を覗く。

 

「ああ。気にするな」

 

 オレは体を起こし、木に背中を預けた。

 

「それは無理があるよ」

「オレが犯人かどうか。今重要なのはそこだろ?」

 

 息を整えながら、平田に失望の目を向ける。

 彼は怯んだように、目を逸らした。

 

「君は犯人じゃない。そうだよね」

「ああ。オレは犯人じゃない。だが、これはラッキーだった」

「ラッキー?」

「伊吹はクラスをかき乱すためにこんな事をしたんだろう。どうやってペットボトルの場所を見つけたかは知らないが、オレの鞄に入れてくれたおかげで、上手くことが運んだな。犯人さえ特定されていれば、無闇に和が乱れることはない。もし伊吹がまた何かを起こしても、オレが全てを被ればいいからな。加えて、ヘイト役は団体行動の潤滑油だ。共通の敵は居た方が良い」

 

「それはできない!」

 

 平田はオレの提案を、駄々を捏ねる子供のように拒否した。

 

「そんなやり方は、許容できない。皆に嫌われて、軽蔑され、貶められてしまうような人間を、たとえ策の内でも、僕は周りには作りたくないんだ。君には僕の在り方を伝えたよね?僕は絶対に許さないよ」

「伊吹を追放することはしない。平田。お前がそう言ったんだ。伊吹を糾弾してもいいのか?追い出そうとすれば、彼女は逆らえないだろうな。そして龍園から制裁を下される。お前はそれを許せなかった。だからオレに解決方法を委ねたんだろう?」

 

 頭を抱える平田に冷水を浴びせるような言葉をオレは淡々と続ける。

 

「これは明確なお前の弱点だ。オレの解決方法で満足できないのなら、お前は自分の力で動くべきだった」

「それは、」

「賢いお前なら分かるはずだ。お前の憂慮するべき事柄は、他にある。違うか?」

 

 

 

「……分かった。伊吹さんにリタイアを勧める」

 

 何か堪えるような、喉から絞り出したような声だった。

 少し、予想外だった。

 

「……諦めるのか?」

 

 平田は一度冷静さを取り戻したようで、地面に座り直した。

 そして、自分の無力さを痛感しながらも、決心したように前を向く。

 

「少し、違うかな。確かに、僕は甘かった。伊吹さんという爆弾を抱えながら、クラスを上手く動かそうなんて、僕には無理だったんだ。だから、君に任せてしまった。君ならなんとかしてくれるんじゃないかって、期待してしまった」

 

「それが正解だった」

 

「いいや、それは間違いだった。確かに綾小路くんが強い人間だったら、僕もある程度受け入れる事が出来たかもしれないね。だけどね、君は自分がまるで強い人間かのように振る舞うけれど、僕には君がそこまで強い人間には思えないんだ。これは、君一人に任せてしまった僕の過失だ」

 

「……意味が分からないな」

 

「僕は最初、君のことをとても弱い人間だと思っていた。これは悪口とかではなくてね、強風が吹けば、パタリと倒れてしまうような不安定さを感じていたんだ。ほら、以前僕は虐められていた人間には独特な匂いや気配がするって言ったよね。それに、近いしいもの、かな。入学当初からずっと気にかけていたんだよ。

 だから、堀北さんから君の実力を聞いた時、正直耳を疑った。頭脳明晰なのはテストの点数を見れば分かることだし、過去問のこともあって考えたことはあったけど、信じられなかった。

 

 君は実力を隠していた。

 それが正解なんだろう。

 でも、やっぱり引っかかることがある。

 今だって、君は一人で苦しんでいた。

 綾小路くんは強い人間じゃない。だから、僕は君のしようとしていることを許容できない」

 

 どうやら想定以上に見られていたらしい。

 そのズレを矯正するために、話の展開を組み立てていく。

 

「オレがスケープゴートになって潰れると思っているなら見当違いだな。むしろ、嫌ってくれた方が楽なんだ。平田には分からないと思うが、世の中そういう奴もいる。高円寺なんて、まさに同じ人間とは思えなかっただろ?」

「確かに高円寺くんは普通の人とは違うね。縛るようなことをする方が彼にとって迷惑になる」

「同じ理屈だ」

「でも、綾小路くんに彼のような強かさはない。僕はそう感じている」

「それは違うな」

 

「だったらどうして、君は常に何かに怯えているのかな」

 

 核心を突くような一言。

 オレは息を呑んだ。

 

「……平田。どうやらオレと伊吹を天秤にかけているらしいが、それはお前の生き方に反することじゃないのか?」

 

 平田の矛盾を突く。

 だが、彼は揺さぶられることはない。

 

「僕はね。ずっとあの日に囚われている。

 杉村くんの、あの何かを訴えるような瞳に。

 君が、彼と同じ眼をしていた。

 多分それが答えなんだと思うよ。

 

 彼のような人をもう二度と僕の周りから生み出さないために、僕は今まで生きていた。彼と同じ眼をしていた君を蔑ろにするのは、本末転倒な話だ。

 それに、伊吹さんを見捨てるわけでもない。彼女に本当のリーダーを伝えればいい。しっかりと仕事をしたと分かれば、龍園くんは制裁を与えない」

 

 自滅的な方法を当然のように提案する平田に、オレは困惑の目を向ける。

 

「僕にはその覚悟があるよ」

 

 平田は愚直にそう応えた。

 一見、クラスを売るようなバカらしい案。

 だが、彼は譲らない。

 彼の信念に基づいて、彼は行動を諦めない。

 

 そのことを察したように、オレは観念し、ため息を吐いた。

 

「……本当のことを話す。これは防衛策じゃない。攻撃に転じるための行動だ。伊吹にリタイアされたら困る」

「どういう、ことかな」

「平田。オレには隠しているつもりだろうが、堀北はリーダーじゃない。違うか?」

 

 平田の表情に緊張が走った。

 

「よく、分かったね」

「クラス全員にはリーダーは堀北だと誤認させてある。そうだな?」

「……うん」

「そして堀北は、占有によるボーナスポイントを初めから諦めている。だからタイマーが見えないようにシートで隠しているんだろう。本当のリーダーは、」

「君だよ。綾小路くん」

 

 平田は被せるように言った。

 

「この事を知っているのは僕と堀北さんだけだ。僕は綾小路くんに話すべきだと説得したけれど、彼女は譲らなかった。どうせ気付いているだろうから無駄だと突っぱねられたんだ」

 

 ただの嫌がらせか、はたまたオレと櫛田の関係に勘付いたのか。

 まだ分からないが、懸念材料としては考えていそうだな。

 

「でも、これは彼女の優しさなんだよ」

「試験は公平でなければいけない。だから、ルールは基本的に公平に作られている」

 

 唐突な、至極当然の発言内容に、平田は首を傾げる。

 

「リーダーが体調不良でリタイアした場合、どうなると思う」

「リーダーが不在になるんじゃないかな。占有権も実質消えてしまうことになる。だから堀北さんは君をリーダーに据えた。いつでもリタイアしても良いように」

「違うな。マニュアルにはこう書かれてあった。『正当な理由なくリーダーを変更することは出来ない』と。リタイアは正当な理由じゃないか?」

 

 平田は目を丸くする。

 試験の大きな穴。そして、言われてみれば誰でも理解できるような単純な話。

 

「オレは復讐のためだとか何とか言って、本当のリーダーを伊吹に伝え、カードを見せつける。鞄の中にカメラがあった。証拠として撮るためだろう。そして、直前にリタイアし、名実共に堀北をリーダーにする。そうすれば確実にリーダーを守り通せる。しかも、AクラスとCクラスのポイントも減らすことができるんだ」

「……君は、凄いね」

 

 感嘆の息を漏らす平田。

 

「これで分かっただろ」

 

 しかし、平田は疑問点があるようで、顔は晴れないままだ。

 

「いや、聞いたからこそ、分からないことがある。伊吹さんにリーダーを伝えて、代わりに犯人であると名乗り出て貰えばいい。どうして君がスケープゴートになる必要があるんだ」

 

 当然の帰結だろう。

 

「勝つためだ。これは防衛に関しての話だが、オレの真の狙いは防衛じゃない。攻撃だ。Cクラスの生徒の大半がリタイアしているのもあるが、オレはCのリーダーは龍園だと確信している。だがあっさりリーダーを教えれば、龍園にこの事を勘付かれる確率が高くなる。変えられると厄介だ。加えて、Bクラスのリーダーを当てるためにも、これは必要な過程なんだ」

「浜辺で誰かリタイアしないか常に見張っていれば良い。AとCだけでも十分な成果だ。100ポイントも手に入れることができるんだよ?」

「まだ足りないな。やるからには全力で挑まなくてはいけない。Bの方には既に餌は撒いてある。あとは回収するだけだ」

 

 オレは譲らない。

 平田は痛ましげな表情でオレの両手を包み、真剣に訴えかける。

 

「もう、充分だ。綾小路くんはクラスにたくさん貢献してくれた。ありがとう。だから、もういいんだ。君が無闇に蔑められる必要はない」

「価値観の相違ってやつだな。オレは完膚無きまでに勝ちたい。クラスは既にオレを犯人に仕立て上げているはずだ。お前が何を言っても妄言にしかならない。勝手にやらせてもらう」

 

 オレは「もういいだろう」と、手を振り払い、立ち上がった。

 フラつきかけたが、すぐに態勢を立て直す。

 平田はそんなオレの腕を掴んだ。

 

「まだ話は終わってないよ」

「話すことはもうない」

「いいや、ある。君がそこまで勝利に縋る理由を教えてほしい」

「どうでも良い話だな」

「僕にとってはそうじゃない」

 

 平田は目を逸らさない。

 オレは拒絶するようにキツく平田を睨みつける。

 

「オレは、基本他人を信用していない。もちろん平田。お前もだ。

 話を信じさせる根拠がないから無闇に話せない。

 手を離してくれ」

 

 いつかの堀北のような、にべもない、突き放した態度。

 だが、平田は手を離すことはなかった。

 

「君がどんなに突飛な事を言っても、僕は信じる。僕は君の味方だ」

「それをオレが信じられないんだ」

「僕は君に過去を打ち明けた。そして、在り方を示した。それでもまだ、信用できないのかな」

「嘘を吐くな。お前はまだオレに打ち明けていない話がある。そんな人間の言うことは信じられないな」

 

 図星を突かれ、平田は動揺を隠しきれなかった。

 瞳の奥にある、深い闇。

 そして、乾いた笑いを漏らす。

 

「……君は、とても厄介な人間だ」

「な、関わり合いたくないだろ?手を離せ」

「そうやって拒絶してきたんだね」

 

 平田の手に力が籠る。

 それが痛いほど伝わってくる。

 

「分かった。全てを打ち明けたら、君は僕を信用してくれるのかな」

 

 熱いほどの視線。

 絶対に離さない、と訴えかけてくる。

 

「……さあな」

 

 オレは、居心地の悪さをあえて隠さず、取り敢えず聞く気はあることを示すために腰を下ろした。

 平田はそんなオレの態度に、一度ホッと息を吐いた。

 そしてゆっくりと手を離し、顔を伏せる。

 

 

「ーー僕の友人は飛び降り自殺を図った。その話にはまだ続きがあったんだ」

 

 平田は、一度言葉を切り、目を瞑る。

 

 

 

 罪の告白。

 再びあの時の自分を受け入れることは、そう簡単にはできない。

 

 今後も自分は、打ち立てた信念と現実の差に悩み続けることになる。

 彼に信用してもらうため、というのは建前なのかもしれない。そう、平田は思い始める。

 本心は、自分の心を少しでも軽くするため。

 彼なら、きっと公平な判断を下してくれると。余計な慰めは言わないだろうと。

 それでも、彼は構わないのだろう。

 彼には話すべきだ。

 

 

 

 平田は全てを打ち明ける決心をし、目を開いた。

 

「彼が飛び降り自殺を図ったことで、一連の騒動は全て終わった。重たい犠牲を払って、学校から虐めはなくなった。そう、思ってたんだよ」

「……まさか」

「あの事件の後、僕は人間の底知れない闇を見た」

 

 当時のことを鮮明に思い出し、平田は殺意に身を震わせた。

 

「新しい虐めが起きたんだ。信じられなかったよ。彼らは反省していなかった。倫理観も麻痺してしまっていたんだろうね。傍観者であり続けた人も、加担するようになっていた。杉村くんがいなくなった分のカーストが一つ下にズレただけだった」

 

 感情を抑え、息を吐きながら独り言のように呟き始める。

 

「僕は許せなかった。そして同時に失望したんだ。誰も彼もが、カーストというたった三年で崩れる板に縋りつく猿に見えた。だから、僕自身が動かなくてはいけない。そんな強迫観念に囚われて、僕は、ある行動を起こした」

 

 平田は顔を上げる。感情を手放したような、諦めたような。そんな表情だった。

 

「分かりやすく言えば、恐怖で支配しようとしたんだ」

「……平田が、か?」

「簡単な、話だったんだ。彼らは最下位を求めている。それなら僕だけが上に立ち、残りの生徒を全員最下位にすれば解決じゃないか。あの時の僕は、そう信じて止まなかった。揉め事が起これば間に入って、両者に同じだけの制裁を与えた。苦痛を、恥辱を与えた。そこに差なんてなかった。静寂に保たれた平等を作り上げた」

「そんな事、できるのか?」

「僕は特別喧嘩が強いわけでもないけど、本気で人を殴れる人はそういないから。本気で拳を振るっても、殴り返してこれる相手はいなかった。ーー恐怖は、人を縛る良い道具なんだ。拳だけじゃない、様々な暴力を僕は駆使して恐怖で統制した。案外、簡単だった。結果的に一つの学年を、僕は壊したことになるんだろうね」

 

 自慢するでもなく、ただ、平田は自分の手を何度も握っては開く。

 

 なるほどな。

 あの場を凍てつかせるような乱暴な雰囲気は、虐めを撲滅するために学年を支配しようとして手に入れたものだったのか、とオレは納得する。

 

 

「僕はきっと、まだどこかで他人を見下している節があるんだろうね。集まれば愚かになる脆弱で臆病な奴らだって。ーーそれを君に見透かされていた」

 

 

 そんな事件が起きれば、人間不信に陥っていてもおかしくない。むしろ、他人に対して失望し切っていない平田は、根が善人よりなのだろう。

 しかし、平田は別に慰めが欲しいわけではないはずだ。

 これは既に消化し終えている話。

 平田は前に歩き始めている。

 

「お前は、全てが間違いだと。そう思っているのか?」

 

 オレの質問に、平田は息を詰まらせて、それから儚げに笑う。

 

「確かに僕にはあの時の後悔がある。でもね。全てが間違いじゃない。

 厳しさでクラスを統制することも、時には必要なのかもしれないって。

 今のクラスの惨状を見て、思うようになったんだ」

 

 ただの後悔では終わらせない。今後のためにも進展を促しておいた。

 

「これが、僕の全て」

 

 平田は真摯な態度で、罪を受け入れる。

 そして、彼の中に形作られた信念は一つの強固な芯となり、オレの前に立ちはだかる。

 つい、顔を逸らした。

 

 欲しい情報は手に入れられた。

 つまり平田はやろうと思えばクラスを完全に制御し切れるわけだ。

 もちろん本人は余程のことが無い限りするつもりはないだろうが、一つの選択肢として視野に入れる事が出来るのはありがたい。

 

「お願いだ。理由を教えてほしい。それ次第だったら、僕は君の助けになれるかもしれないから」

 

 オレは平田の言葉に心を揺さぶられたみたいに、平田を見つめ返す。

 奥底を覗く。覗かれる。

 何かに思いを巡らせ、暫く黙考する。

 そして、徐に口を開いた。

 

 

「茶柱が……この、試験で。結果を、出さない、と」

 

 だが、あの話を思い返し、無意識に呼吸が不規則になっていく。

 これは予期していなかった。

 帰りたくない。戻りたくない。

 意味のない言葉が脳内を巡り、蓄積されている。

 傍に立ち、見下ろす自分は、呆れたように首を捻った。

 

 話を続けろ。

 他の人が来るかもしれない。

 早く終わらせろ。

 

 そう何度も強く命令し、自分の体を取り戻す。

 初めに手の感覚から戻ってきた。

 じんわりとした温かさに、平田が安心させるようにオレの手を握っている事に、漸く気が付いた。

 一度深呼吸をする。

 そして、オレは平田に騙る。

 

「オレの親は、政治的に少し発言力の強い人間なんだ。そして、オレがこの高校に入学することを、断固として認めてはくれなかった。オレは過干渉な親から逃げるために、この高校に入学した」

 

 余計なことは言わず、慎重に言葉を選んでいく。

 

「オレの親は、退学させるよう学校に直接訴えているらしい。だから、あとはオレが首を縦に振れば、いつでも退学にすることができる。その事情を、担任の茶柱は知っていた。それを、利用したんだ。どうやらAクラスに並々ならぬ執念があったらしい。オレに本気を出すよう迫り、もし試験で結果を出さなければ、簡単に退学に追い込むことができる。そう脅してきた」

 

 平田は、茶柱の教師としてあるまじき行動に、ショックを受けたように息を呑んだ。

 

「オレは退学したくない。

 だから、この勝負に勝たなくてはならない。

 妥協は許されない。

 常に最善の手を打つ必要がある。

 徹底的な、完膚無きまでの勝利。

 

(力を持っていながら、それを使わないのは愚か者のすることだ)

 

 帰りたくない戻りたくない。

 あの場所は、あの言葉は、もうウンザリなんだ。

 

 お願いだ、平田。……助けてくれ」

 

 咄嗟に手を振り払い、口を塞ぐ。

 堰を切ったように溢れた最後の言葉は、予定していたものとは全く違った。

 反響する言の葉。

 それを、頭から追い出すために、余計なことを口走った気がする。

 

 ただ、協力を乞うつもりだった。

 これじゃあまるで……。

 

 チラリと平田の様子を窺うと、彼はどこか嬉しそうだった。

 

 

「そういう、ことだったんだね」

 

 ……トラブルはあったが、リアル感が出て逆に良い方向へと進んだようだ。

 安堵の息をこっそり吐く。

 心音は漸く落ち着いていく。

 

「教師が生徒を脅すなんて、与太話にも過ぎるよな。別に信じなくていい」

「ううん。信じるよ」

「そうか」

 

 オレの素っ気ない態度に、平田は苦笑いした。

 

「本当だよ。何故ならね、君がないと恐れていた根拠が、実はあったんだ」

「……どういうことだ?」

「僕はね、茶柱先生にあるお願い事をされていた」

「お願い事?」

「君をバカンスの間、気にかけて欲しいって」

 

「……監視役か」

 

 やはり、あの指導室には先客がいたらしい。

 まさかとは思っていたが、平田だったとはな。

 

「まあ、そういう事だったんだろうね。終業式の日だったかな。僕は君のことで茶柱先生に相談していたんだ。何か身体的もしくは精神的に問題がある生徒なんじゃないか、という話を聞くために。その時に頼まれたんだ。先生だけではずっと気にかけている余裕はないからって」

「特に何の問題もない生徒だったろ?」

「茶柱先生は何も知らないみたいだった」

「まっさらだからな」

「……君にもっと信用されるために頑張るよ」

「頑張れ。応援している」

「堀北さんがどうしてあんな態度を君に取るようになったのか、その一端が分かった気がするな」

「オレの言葉の九割は戯言だからな」

「でも一割は本音なんだよね」

 

 そう言って笑顔をオレに向ける。

 平田が眩しすぎて、オレが消えかねない。

 

 

「僕は綾小路くんが手を抜いたということを茶柱先生に密告する気はないよ。それでもダメかな」

「オレが安心できないんだ。平田は悪くない」

 

「……じゃあ、この試験が終わったら、綾小路くんが犯人ではなかったことを皆に伝える。それだけは譲れない」

 

 平田は強気に妥協案を出した。

 オレとしては誤解を解かないままでも良かったんだが。

 

「……オレがスケープゴートになったのは堀北の苦肉の策だった。既に慰謝料としてポイントを貰っており、オレは痛くも痒くもなかった。リーダーを当てたのは堀北。防御したのも堀北。そう説明してくれ」

「堀北さんが聞いたら怒りそうだな……」

「泣いて喜ぶだろ」

 

 ははは、と呆れたように笑う平田。

 

「平田。そろそろ帰らないと皆に怪しまれるんじゃないか」

 

 話すべきことももうないだろう。

 立ち上がろうとする。すると、オレの両腕を掴み、彼はそれを阻んだ。

 

 「ーー最後に、これだけは言わせて欲しい」

 

 そう前置きをして、真っ直ぐとオレを見据える。

 

 

「僕は、君を助けたい。

 何が起きても味方でありたい。

 それだけは、信じてほしい」

 

 

 直視できないほど、憐憫と慈愛の含んだ瞳。

 その愚直で誠実な言葉は、オレの心に確かに突き刺さり、血が溢れた。

 受け取ったら、壊れる。

 そう、誰かが囁いた。

 出来ることなら拒絶したかった。

 釘を打たれているような頭痛が襲う。

 

 だがきっと、今後のことを思えば、突き放し過ぎるのもマズい。

 少しは心を許している所を見せた方が良い。

 達成感がなければ人は中々動かない。

 オレは諦めて、本心を晒すフリをして応える事にする。

 

 

「……信じて、みたい、と思っていたい」

 

 

 息を呑む音が聞こえた。

 「ああ信じるさ」と淀みなく答えるつもりが、随分ぶっきらぼうな返事になってしまった。

 これは、セーフだろうか。

 

 少し不安になり、恐る恐る顔を上げると、平田はパッと顔を輝かせていた。

 

「そっか、ありがとう!」

 

 そして感激したようにオレに抱きついた。

 つい身を固くしてしまったが、平田流スキンシップなのだろう。

 

 男に抱きつかれる趣味はないぜ、と格好良く肩を押したかったが、普段引きちぎっている空気を、今だけは読むことにした。

 

 目的は達成できたわけだしな。

 

 

 

 

 平田の過去を探り、そして自らが庇護対象になることで彼をコントロール下に置く。

 ミッションコンプリートと言っても過言ではないはずだ。

 

 元々オレは、自分が動かなくとも勝手にクラスポイントを上げる装置として、光るものがある堀北を成長させた。だが、茶柱のお陰で自力で動かざるを得なくなった。いや、正確に言うと、茶柱がオレを試験に参加させたお陰で、試験の結果を堀北に委ねることが出来なくなったのだ。現状の堀北に任せれば、大きな勝ちは難しいが、堅実に試験を終えられる。だが、それをオレは許せない。全ての勝負に完璧に勝たなくてはいけない。そんな強迫観念に囚われて、妥協ができない。

 堀北は自立した存在としてオレの制御下では動かし辛い道具になってしまったので、オレはもう一つ道具を欲した。白羽の矢に立ったのは、平田洋介及び軽井沢恵だった。

 櫛田から、軽井沢には少し変わったものを感じる、と言う話を聞いていたため、彼女には何か問題があるのだろう、と予測立てていた。加えて、浮ついた話が一切ないカップル、というのは少し怪しい。Dクラスにいるという時点で、平田にも問題がある。

 つけ込む隙は幾らでもあった。

 

 幸いオレは、弱い立場の人間だった。

 演技ではなく本当に色々厄介なモノを抱えている。

 それを利用すれば、平田洋介という人間は、簡単に食いついてくるはずだ。

 平田は自分の信念に従ってオレを助けるつもりで、己の真の姿を打ち明ける。そして、全てを曝け出した相手を、無意識的に特別な存在へと昇格させてしまう。手の届く範囲の人間を平等に見る、という信念に矛盾が生じていることに気付かない。

 

 使えるモノは、例え自分の弱点であっても使わないとな。

 

 

 

 ……ん?にしてもなんか抱きついている時間長くないか?

 まあ、いいか。

 サッカー部って皆こうらしいし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五日目の夕方。

 事態は動き出した。

 金田がついにBクラスのリーダーの証拠を掴んだのだ。

 予定よりすこし遅かったが問題はないだろう。

 

 Dクラスから追放されてから、常に彼を尾行していた。

 リーダーのカードをカメラで撮り、成果を龍園に渡しに行く。

 オレは龍園の位置を既に把握していた。だから、金田が通る道を逆算し、オレは待ち伏せした。

 

 突然現れたオレに、金田は身を固くした。

 当然だ。

 金田は今、大事な写真を持っている。

 夕闇に紛れ、顔もよく見えない相手に、恐怖する。

 

「Bに潜り込んだスパイ、だな?」

 

 オレは若干声を変えてそう確認する。

 金田は警戒心をあらわに、何も言葉を発さない。

 

「オレはDクラスの人間だ。旨い話があるんだ。少し聞いていかないか?」

 

 甘い蜜を垂らす。

 勿論無視を決め込むこともできるが、金田は黙って立ち竦んでいる。

 つまり、聞く気があるということだ。

 

「BとDは対Cクラスで同盟を結んでいる。だから、友好の証として、お互いのリーダーを伝え合っているんだ」

 

 話が見えてこないのか、首を傾げる金田。

 

「オレは、それを突き崩したい。もし契約を破ってDクラスがBクラスのリーダーを当てれば、どうなる?」

「同盟は破棄になりますね」

「ああ、そうだ。対Cクラスの包囲網は剥がれ、むしろDクラスはBクラスに睨まれて今後の試験で大きく不利になる。信用は崩れ、どのクラスとも組むことはできなくなるだろうな。だが、オレレベルの人間にはBクラスのリーダーが誰か、その情報は下りてこない」

 

 金田は今、Dクラスの生徒が一之瀬と何か話し合っていたことを思い出しているのだろう。そして目の前の男の話の裏付けとして、勝手に認識する。二つの事柄を結びつけた自分の優秀な脳内を自負してしまう。

 

「なるほどね。この証拠が欲しいんですか」

「ああ。偶然、お前がカードを撮っていた所を目撃した。だから、こっそり尾行していたんだ」

「そちらのメリットがわかりませんね」

 

「メリット?復讐だよ、復讐」

「……?」

 

 先とはガラリと雰囲気を変えるオレに、金田は眉を顰めた。

 

「オレはあいつらが許せない。オレを下着泥棒の犯人に仕立て上げ、蔑ろにした。報いを受けるべきだ。そうは思わないか?」

 

 オレは無表情で、だが瞳に怒りを秘め、金田に迫る。

 彼は少し怯んだように後退った。

 

「ですが、Dクラスにポイントを渡すマネにもなる」

 

「Bクラスのポイントが減るのは好都合じゃないか?確かにDは結果的に50ポイント得ることができる。だが、CとDとの差は歴然だろ?オレに濡れ衣を被せるようなバカな奴らだ。上がるなんて大層なことを出来るはずもない」

 

「それは龍園氏が決めることです」

 

「おいおい金田。お前は龍園さんがいないと何も考えられないバカなのか?お前の頭蓋骨に窮屈に収まっている脳味噌に聞いてみろよ。BとDの同盟関係を崩せる、最大の一手。それは、金田。お前の手にかかっているんだ」

 

 煽るような言葉。

 彼の中に燻る、顕示欲を引き摺り出す。

 

「金田。お前は価値がある人間だ。あの結束力の高いBクラスから、リーダーの証拠を手に入れたんだ。オレにはできなかった。だから、こうして金田に委ねるしかない」

 

 金田の横顔が強張る。

 甘言。認められているという充足感。

 

「頼む。オレの願いを聞いてくれ」

 

 彼は額の汗を何度も拭った。

 感情を、利益を、欲求を、天秤にかけ続ける。

 

「……復讐という感情は一見すると愚かだけど、どの感情よりも強い。分かりました。これはCクラスの利益のため」

 

 そして、漸く頷いた。

 

 こうしてBクラスは知らぬ間に、150ポイントを失うことになったのだ。

 予測だが、最終的にはAクラスは150〜200ポイント、Bクラスは0〜50ポイント、Cクラスは50ポイントと結果を残すだろう。

 金田のような性格であれば、恐らくこの事を龍園にすぐには伝えず、試験が終わった後、自身の手柄を報告する。だが、結果発表でDクラスが高い成績を叩き出せば、愚策だったと思い知らされる。咎められることを恐れ、最後まで報告しない可能性の方が高い。

 ーーつまり龍園は、DクラスがBクラスを当てた事を知り得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堀北。体調は大丈夫か?」

 

 ほぼ全ての工程をやり遂げて、残るは伊吹にカードを渡すだけとなった。

 少しだけ緩んでしまった気を引き締め、周りに気配がないか確認しつつ、釣り糸を垂らしている堀北に話しかける。

 

「問題ない、といえば嘘になるけれど、順調に快復しているわ。平田くんが軽い仕事ばかり回してくれたおかげね。それに、何人かには気付かれてしまったから、そのまま手伝って貰ったこともあった」

 

 他人に頼る、という高等技術を既に実践しているのか。成長スピードどうなってんだ。

 

「あなたこそどうなの」

「アイムファインセンキューって感じだな」

「そう」

「伊吹に聞こえるように、須藤が犯人だった話はできたか?」

「ええ、問題なくね」

 

 須藤の演技力にかかっていたが、堀北のドヤ顔を見るに、どうやら杞憂だったらしい。

 

「須藤くんがあなたのことを心配していたわ」

「そうか。これが他クラスのリーダーだ」

 

 オレは折り畳んだ紙を堀北に手渡しする。

 彼女はそれを開き「Bクラスまで……」と驚きを隠せないようだった。

 

「あとは、伊吹にカードを渡すだけだ。念のため伊吹がリタイアしたかどうか見張っていて欲しいんだが、平田にお願いできるか?」

「分かったわ」

 

 オレは手を出して、カードを渡すよう催促するが、中々彼女はカードを出さなかった。

 

「何が不満なんだ」

「いいえ。ちょっと悔しいだけよ」

「自分の策だと不十分だったことがか?」

「それもあるけれど、こんな簡単なことも見抜けなかった自分の不甲斐なさに少し落胆しているの」

「別に気に病む事じゃない。次に繋げればいい」

 

 誰かに見られるとマズいので「いいからさっさと渡せ」と目で脅す。

 それでも彼女はしらばっくれる。

 

「ところで綾小路くん」

「なんだ」

「カードを渡す条件があるわ」

「はいはい堀北はすごいな賢いな」

「バカにしているの?」

「褒めて欲しかったんじゃないのか?」

「虫唾が走るわね」

 

 久しぶりに氷点下の鋭い睨みをオレによこす。

 それからペースを乱されたことに憤慨した様子で、咳払いをした。

 

「教えて欲しいことがあるのだけど」

「オレのスリーサイズはお高いぞ」

 

「櫛田さんと繋がってる、なんてバカなマネはしてないわよね」

 

 場の空気は一瞬で凍った。

 オレは彼女を見下ろす。

 だが彼女も強気な視線を外さない。

 

「面白い冗談だな」

「答える気はない、ということね」

「推理ショーには付き合ってやってもいい」

「ロジックが大好きなあなたには悪いけれど、これは直感よ。須藤くんの暴力事件で、あなたは私を試すようなマネをした。その理由を考えている時に、ふと、そう勘付いたの」

「女の勘ってやつか」

「ええ」

「もしかしてオレは今窮地に立たされているのか?」

「それはあなたが決めること。真実を話せば私はカードを渡すし、ダンマリを決め込むようなら、私が直接伊吹さんにカードを投げつけるわ」

「……カードを投げつけるメリットを是非教えて貰いたいものだな」

「ムカつくからよ」

「なるほど?」

 

 オレに感化されてしまったのか、彼女は最近よく冗談を言うようになってしまった。

 

 さて、どうするか。

 堀北はこの状況でオレが本領を発揮できないと踏んで、核心を突いてきた。普段であれば、のらりくらりと躱されることくらい、容易に想像できてしまうからだ。事実、オレの頭は過去最高に回っていない。精々、浮気がバレて慌てふためく残念な男レベルが限界だ。

 

 だがな堀北。

 一つだけ方法があるんだよ。

 そう。

 バレることを予測しておいて、予め台本を用意しておけば何も問題はあるまい。

 抜かったな堀北。

 

「あーそうだな。あれだ。あれ」

「何かしら」

 

 ま、その肝心の台本の内容を焦って忘れてしまうことは考慮に入れてなかったけどな。

 

 どーしよう。

 認めていんだっけ。ダメなんだっけ。

 

 くそ、こんなのただのリンチだ。

 東大現役主席がIQ3に数学バトルを仕掛けるようなものだ。

 IQ3は数学と算数の違いも理解できないんだぞ。舐めるなよ。

 オレは悪いスライムじゃない。

 

「というか、堀北がカードを渡さなかったら窮地に立たされるのは堀北だろ」

「何も話さないつもりなら肯定と見做すけれど。あなたと櫛田さんは繋がっている。今後はそう考えて私も動くことになる」

「黙秘権って言葉を知ってるか」

「沈黙は肯定よ。あなたには私の推論を否定できるような材料がない、と私が勝手に解釈するだけ」

「確かに……」

 

 肩を落とすオレに、堀北は怪訝な目を向ける。

 

「……あなた本当に綾小路くん?」

「お前がこの状態のオレに勝負を仕掛けたんだからな?せめて介錯してくれ」

 

 諦めたオレは砂利の上に座り、足を伸ばした。

 ずっと立ちっぱなしは体に悪い。

 

「あなたは櫛田さんと何か契約をしている。違う?」

「メリットがないな」

「そうね。でも何か不測の事態が起こった。そう考えることもできる。例えば、櫛田さんの本性を図らずとも知ってしまった、とかね。もしくは彼女を私のような手駒にしたかった、クラスに損害をもたらす存在の手綱を握りたかった、とか。色々考えようはあるわ」

「頭いいな」

「私が知りたいのは一つだけ。Aクラスに上がる邪魔をするつもりがあるのかどうか。もしあの約束が破られるようなことがあれば、あなたの策を信じることが出来なくなる。それは分かってくれるわよね?」

 

 堀北はリールを弄りながら、そう問う。

 確かにその通りだ。

 疑念を払わずに、リーダー指名を完全に任せることはできないだろう。

 段々と調子を取り戻し始めた頭を回転させていく。

 

「オレは櫛田の手綱を握るために策を講じている。今はその最中だ。むしろ邪魔をされると櫛田を制御しきれなくなる。お前は安心して道を歩けばいい。途中の石は退かしてやる」

「その上から目線をやめて欲しいものね」

「事実だろ?」

「事実にはさせないわ。私の道にある石は私の手で退ける。本当は腹を割って協力したいのだけど。まあ、あなたはそれを嫌っているようだし、今のところ無理強いは出来ないわね」

 

 堀北はため息を吐く。

 

「オレの話を信じるのか?」

「平田くんに泣き付いたんでしょう?あなたがそこまでして櫛田さんの思い通りに事を運ぼうとするような人間には思えないもの」

「待て。どこまで平田から聞いた」

 

 もしオレが凡人並みのプライドを所持していれば、ここで発狂していてもおかしくなかった。

 

「詳しくは聞いてないわ。男同士の絆が芽生えたとか何とか言ってた」

「一体どんな伝え方をしたんだ……」

 

 オレは痛みを訴えるこめかみを抑える。

 だが冷水を浴びせられたように、辺りの輪郭をぼんやりと掴めるようになってきた。

 のっぺりとした白黒写真のような風景から、徐々に色を取り戻していく。

 フルスロットルで脳内スロット777を叩き出し、ジャラジャラコインを模した言葉たちが溢れ出る。

 

「ま、ここでバレれたのはこっちとしても有り難かったかもしれないな。一つ頼み事がある」

 

 筋道をなぞる。

 そうだった。

 オレはむしろ勘付いてくれることを堀北に期待していたのだ。

 ……いや、勘付いた、というのは違うか。

 まあいい。問い詰められた場合は素直に認めて頼み事をする。

 それが最善の手。

 糸が緩みなくピンと張った。

 

「頼み事?」

「残したポイントにプラス50をして、実際の残高をクラス全員に偽って欲しい。できるか?」

「櫛田さんを騙す、ということね」

「ああ。オレは三つのクラスのリーダーを当てている。だが、Cクラスにだけ当てられてしまった。そう誤認させたい」

「龍園くんが櫛田さんに接触すればすぐバレてしまうような嘘よ」

「どうだかな。龍園がどこまで裏を読めるかにかかっている」

 

 曖昧な返しに、堀北は顎に手を当てて思案する。

 いつの間にか釣り糸は切れて不格好に弛んでいた。

 下流の方から「よっしゃあ!」と須藤の喜びの雄叫びが、やがて届いた。

 確か魚をモリで捕まえる班だったか。

 

「……まあ、いいわ。ただ、一応あなたの話がデタラメかどうか見極めるために、龍園くんの居場所を教えて貰っても良いかしら」

 

 彼女は地図を見せる。オレは龍園の恐らくの居場所を幾つか指し示す。彼女はペンでマークしていった。

 

「ポイントは全て私と平田くんと池くんが管理している。池くんにはどう説明するつもり?」

「それはお前が考えてくれ。今のオレには無理だ」

「なんて頼りがいのない発言かしらね」

「信頼してるぞ、という遠回しのデレが伝わらないとはまだまだだな」

「は?」

 

 堀北をおちょくるのは櫛田とはまた違ったスリリングがあるな。

 にしても、裏櫛田と堀北はどこか似ている部分がある気がする。

 だからこそ櫛田も堀北に執着しているのだろう。

 

 二人が今後どうなるのか。

 堀北は櫛田とどう向き合うのか。

 気になる部分もある。

 閉じ込めていた好奇心が久方ぶりに「よお」と顔を出した。

 

 が、そんな話は、どうでも良いな。

 邪魔になるようだったら潰すだけだ。

 

 再び無為な好奇心をしまいこみ、オレは堀北からカードを受け取った。

 

 

 




平田に関しては櫛田同様プロットから暴走しました
プロフィールが悪いよプロフィールが


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暴力至上主義者は屈服する恐怖の夢を見るか

 

 

  

 雨が降り続いている。

 粒は全身を満遍なく濡らし、水を吸ったジャージは少し重たい。

 

 灰色の簾の中で、龍園は首を捻った。

 伊吹の写真には、カードに『綾小路清隆』の名前が確かに刻印されてある。

 だが、裏切り者である櫛田の報告では『堀北鈴音』だった。

 この事実を知っているのは龍園だけだ。

 葛城は何の疑いも持たず、BとDのリーダーカードが写った写真を見て、満足げに帰っていった。

 

 龍園は思考を回す。

 もし櫛田が二重スパイであれば、こんな迂闊な行動には出ない。

 スパイを送っていることに気付いていれば、わざわざバレる可能性のある嘘を吐かないからだ。

 つまり、櫛田の言葉もまた、真実変わりない。

 

 一つ考えられるとすれば、櫛田が裏切っていることに気付いたDの策士が、彼女を騙したということ。

 よって、本当のリーダーは、疑うまでもなく『綾小路清隆』。

 

 

「じゃ、私は船に帰るから」

 

 伊吹は勝利を確信した顔でニヤリと口角を上げ、その場を立ち去った。彼女は充分すぎるほどの働きをした。

 特に引き止めることはしない。

 金田は昨日、Bのリーダーの証拠を撮ることに成功し、常に疑われ続けることに耐えられないとBに訴えて、船に戻った。

 

 龍園は考え続ける。

 

 

 ……待て。

 Bクラスのマニュアルは、なぜ井戸に沈められた?

 

 

 巡る思考の中で、稲妻が走った。

 

 金田はそんな大胆な行動を起こすような人間では無い。

 結果的に優位に動くことができたが、彼は容疑を最後まで否定した。

 ただの事故か、クラス内の分裂か。

 

 もし、そうじゃなかったら?

 

 俺の行動を読んで、わざと金田が動き回れるよう加担した奴がいる。

 その理由はなんだ?

 

 

 伊吹が船に乗り込むところを龍園は遠目に眺めていた。

 眺めながら、何か、自分は重大なことを見落としている。

 そんな、地に足がつかない浮遊感に囚われる。

 マリオネット。人形師に動かされている、薄ら寒さ。

 糸を振り払うように、龍園は自身の体を摩った。

 

 ふと、あの夢を思い出した。

 

 三日目の深夜。

 

 不気味な夢を見た。

 

 

 龍園は「あ」と声を漏らす。

 伊吹が完全に船の中に姿を消したのを確認した。その直後のことだ。

 

 

 汲み上げた勝利が、手の隙間からこぼれ落ちていく。

 棒立ちのまま、その事実を、見逃していた。

 

 

「正当な理由なくリーダーを変えることはできない」

 

 

 龍園は己の手を見つめながら呟く。

 

 

 俺の作戦は、誰かに全て見透かされていた。

 仮にXと呼ぼう。

 Xは、このルールの穴を知っていた。

 俺だけが無人島に残っている。

 だからXはCクラスのリーダーを当てることができる。

 加えて、自クラスのリーダーは既に変えてトラップを仕掛けているに違いない。

 

 

 龍園は笑った。

 声高らかに、全てをバカにするように。

 

 Bクラスか、Dクラスか。

 それは分からない。

 いや、分からなくされたのだ。

 

 Bクラスの生徒が、わざと自分のマニュアルを水没させ、金田を動きやすくした。

 Dクラスの生徒が、わざと事件を起こして復讐者を作り上げ、伊吹にカードを渡させた。

 

 二つの事柄に、Xは絡んでいる。

 

 だが、俺の勘はDクラスの生徒だと、囁いている。

 全ての黒幕Xは、Dクラスにいる、と。

 

 堀北鈴音の裏にいるDの策士。

 そいつが、再び目を覚ました。

 その事実だけを、俺は見逃さなかった。

 Dを指名せず、50ポイントを確実に取りに行く。

 だから、俺は負けていない。

 

「ククク……面白くなってきたじゃあねえか」

 

 

 龍園は浜辺を後にした。

 

 

 

 

 

 

「お前がリーダーだったのか。鈴音」

「ええ、そうよ」

 

 龍園は『堀北鈴音』と刻印されたカードを見て、Dクラスを見渡し、綾小路清隆がここに居ないことを確認した。そして、櫛田の報告が嘘偽りのないモノになったことが偶然か、はたまた故意であるのか。一体どこまで黒幕Xは仕組んでいたのか。……いや、そもそも櫛田はこの作戦を知っていた立ち位置に居たのか。 Cクラスの目がある中で、彼女は小さなサインでリーダーを伝えた。この作戦を伝え切るのは難しい場面だった。櫛田の言葉を信じきれば、勝利していた。

 だが、そうXが見せかけた可能性すらある。

 考えを巡らせば巡らすほど、Xの底知れなさに、龍園は笑わずにはいられない。

 

 丁度その時、キィン、と拡声器のスイッチが入る音が砂浜に走る。

 

「ではこれより、端的にではあるが特別試験の結果を発表したいと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレが部屋に戻ると、高円寺はパンツ一丁で冷蔵庫を漁っていた。

 床がベチャベチャだ。

 拭けよ。

 と、文句も言ってしまいたくなったが、この男の名は高円寺六助。

 唯我独尊が服を着て歩いているような存在だ。何を言っても無駄だろう。今は服着てないけど。

 

 戻ってくるにしては一日早い。

 だが高円寺は特に気にした様子もなく、尋ねられることはなかった。

 オレは最後の気力を振り絞って、ベッドへとダイブする。

 約一週間ぶりのフカフカは人をダメにする効果があった。

 やっと悪夢は終わったのだと、そう実感させられる。

 

「高円寺、あの地図助かった。ありがとう」

 

 一応礼を伝ると「あー、そんなこともあったねえ」と本気で忘れていたらしい。高円寺はハッハッハと尊大に笑った。

 

「ついでに冷蔵庫の中の水を取ってくれ」

 

 オレは指先一つ動かせなかったので、うつ伏せになりながら彼にお願いした。

 

 高円寺はペットボトルを投げる。

「ぐふっ」

 そしてそれはオレの背中に強かに直撃した。

 

「礼には及ばないよ」

 

 オレが言いたいのは文句だ。

 

 何を言っても無駄な自由人は放っておき、サイドテーブルの引き出しから薬を取り出す。何錠か口に放り込み、貰ったミネラルウォーターで喉の奥に錠剤を押し込んだ。シーツの底に沈み込んでいくような感覚。手に入れた微睡の中で、何か重大な見落としがあるような気がしてならなかったが、その強烈な違和が形になることはなかった。

 

 

 

 

 

 騒がしさに意識が浮上する。

 ゆっくり目蓋を開けると、まだ日は明るい。

 ……いや、違う。

 丸一日経過していたのだ。

 

 平田と幸村の話し声が聞こえた。

 

 寝起きの耳は、その内容を正確には拾ってくれなかった。

 いつの間にか掛けられていた布団をよけて、ゆっくりと起き上がる。

 

「おはよう、綾小路くん」

 

 平田が気付いたようで、声をかけてくれた。

 

「ああ、」

 

 喉は酷く掠れていて、言葉が続かない。

 幸村が水の入ったコップを渡してくれた。

 その殊勝な態度に驚いて顔を上げると、幸村はどこか申し訳なさそうにしていた。

 取り敢えず水で喉を潤す。

 

「すまなかった」

 

 そう言って、幸村は頭を下げた。サイドテーブルに置きっぱなしだった睡眠薬の箱をサッと隠しつつ、オレはその謝罪を黙って受け入れる。

 

「堀北さんから全て聞かされたんだ。伊吹さんはスパイで、二つの事件はどちらもクラスを混乱させようとした彼女が犯人だったこと。綾小路はクラスのためにわざと濡れ衣を被り、そして追放されることで自由に動き、その間に他クラスのリーダーを探っていたこと。無人島試験が始まってからずっと体調が悪かったこと」

 

 ……あれ、オレが指示した内容と若干違くないか?

 オレはバッと平田の方を見るが、彼はニコニコしているだけ。

 やりやがったなお前ら。

 

「堀北からの指示で動いた。ポイントも貰ったしな。オレは特別な事をしてないぞ」

「他クラスのリーダーを当てるのが、特別な事じゃない、と?」

「オレは言われた通り演技しただけだ。中学は演劇部だったんだ」

「水泳部だったと前言ってなかったか?」

 

 そういえばそんな設定あったな。

 

「怪我をしてからは演劇部に入った。弱小校だったから大きな大会には出ていない」

 

 平田が苦笑いをしている。

 

「とにかく、謝らせて欲しかったんだ。俺は君にキツく当たっていたところもあった」

「……そう思われても仕方がない行動は取っていたし、別に気にしてないが」

「いいや、違う。俺は自分の学力が高いことを自負している。だからこそ、どの教科も軽々しく満点を取る君に、多分嫉妬していたんだろう。君が犯人だと知れ渡った時、そらみたことか、と内心ほくそ笑んでいた。真実を知って、そう思っていた自分が醜く思えて、許せなくなったんだ」

 

 幸村の声は震えていた。心の底から、自身の不甲斐なさを痛感しているのだろう。

 何もしなくても勝手に成長しだすクラスメイトに若干引き気味になりつつ、

 

「じゃあ冷蔵庫からコーラを持ってきてくれ。そしたらオレが許す」

 

 と、提案する。

 

「……なんだ、それ」

「自分で自分が許せないんだろ?ならオレが許せばイーブンになるだろ」

「変な奴だな」

「高円寺よりマシだ」

 

 幸村は呆れたように、だが、何か憑き物が落ちた表情で、冷蔵庫からコーラを持ってきてくれた。手渡されたコーラをチビチビ飲みつつ、オレは自分の置かれている立場を冷静に分析する。

 

 幸村のように全てを信じる生徒は多分そこまで居ないだろう。一度は疑ったわけだ。人間、そう簡単に割り切ることはできない。例えば、平田や堀北がこの状況はマズい、と考えた、もしくはオレが泣きついたことで、リーダー当て作戦にオレの存在を組み込んだ。そんな考え方もできる。というか、そっちの方が自然な流れだ。

 

 

「本当にありがとう、綾小路くん」

 

 平田は爽やかなスマイルを振り撒く。

 先程考えていた推察は全くの邪推なのではないか、そう錯覚させるような気分を味わう。

 ……そういや平田は軽井沢と繋がっていたな。

 三バカや外村たち、沖谷がやっぱ犯人じゃなかったんだと騒げば男子も殆どは信じそうだし、佐倉の仲の良い女子達も彼女の純真さに絆されて信じそう。

 あれ?意外と信じそうな奴多いぞ、どうなってんだ。

 

 ま、希望的観測というやつだ。

 コーラ、一口分じゃあまり頭は働かない。

 

「平田はクラスをまとめてくれたし、幸村だって慣れない環境の中率先して動いていた。オレの方こそ、感謝したいくらいだな」

「そう言ってくれて嬉しいよ」

 

「いや、綾小路のお陰で全クラスのリーダーを指名することができて、270ポイントという好成績を収めたんだ。Cクラスに当てられてしまった事は惜しかったが、それは俺たちの責任だ。本当に、感謝してもしきれない」

 

 幸村がめちゃめちゃ恩義に感じてくれている。

 平田もスマイルを崩さない。

 なんだこの空間。

 なんだこの優しい世界は。

 コーラに入っている砂糖以上に甘くて反吐が出る。

 オレは辛い、耐えられない。

 

 

「全て自分のためにやったことだ。気にするな」

 

 ……こういうセリフは堀北のようなツンツン女子にこそ需要があるのであって、間違ってもオレみたいな人間が発言するようなものではないな、と、幸村と平田の表情を見て改めて後悔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……0だと?」

 

 龍園は唖然としていた。

 ショックを受けたというよりは、事態が理解できなかったのだ。

 龍園はDクラスに策士がいると考えていた。

 だから、Dクラスのリーダーを指名しなかった。

 AクラスとBクラスを当て、Dクラスに当てられることで50ポイントを残す事ができる。そう確信していた。

 だが、実際はどうだ。

 

 そしてこの事態に誰よりも混乱したのは、Dクラスの生徒だった。事情を知る者でさえ、圧倒的な勝利に、半ば信じられないと興奮気味の笑顔を浮かべている。

 

「全然ちげえじゃねえかよ葛城!」

「どういうこと!?なんでこんなに少ないの!?」

 

 AとBの休憩所からそんな声が響く。それぞれの生徒たちが葛城や一之瀬を取り囲んでいた。

 

「何かがおかしい……どういうことだ?」

「みんな、落ち着いて。理由を説明するね……」

 

 

「うおおおおおおおお!!やったぜ!!」

 

 須藤の叫び声と共に、Dクラスの生徒たちは一斉に集まりだす。

 

「ななな、どういうことなんだよコレ!?なあおい!」

 

 興奮と混乱が冷めやらぬ様子の池たちが、平田と堀北に縋るように説明を求める。

 

「ここじゃ暑いでしょ。デッキで話すわ」

 

 堀北は涼しげに言い放ち、龍園を一瞥する。

 彼は絡めとるような蛇の目をよこす。

 

 

「必ず引き摺り出してやる。必ずだ」

 

 

 そう言い残し、去っていく。

 

 龍園は、己の身が震えている事実を受け止める。

 何度、Xに翻弄されたか分からない。

 一体Xはどこまでこの試験の裏を読んでいたのか。

 掴めたと思ったモノが、まるで霧のように溶けていく。

 

 ーー乾いた笑いを漏れ出る。

 

 

 だが、龍園の闘志は瞳から消えていない。

 むしろ、鈍く燃え上がっている。

 あの夢を思い出しても、なお。

 存在していないと思っていた恐怖を思い知らされても、なお。

 彼はその全てを克服し、牙を剥く。

 

 

 Xに今の心境を直接聞いてみたいくらいだ。

 全てが思い通りにいって、さぞ気分が良いだろう。

 今に見てろ。

 つまらなそうに肘をついているお前を、玉座から引き摺り下ろしてやる。

 

 龍園は、諦めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……0ポイント?

 

 取り落としそうになったコーラを慌てて持ち直す。

 オレへの贖罪にまだ納得いっていなさそうな幸村に、甘いモノを買ってきてくれたらもっと許す、とパシらせて部屋を退出させた後。

 オレは平田に試験の詳細を尋ねた。

 

 

「すまないが、もう一度言ってくれ」

 

 

「Cクラスは0ポイント。Aクラスは70ポイント。Bクラスは90ポイント。

 そして一位はDクラスの270ポイント」

 

 

 圧倒的大差をつけ勝利を収めたDクラス。

 オレはその試験結果に、大きく動揺した。

 何故なら、他クラスのポイントが予想と全く異なっていたからだ。

 え?なんで?

 

 オレの予想では、

 

 A:マイナス100ポイント

 Bを当て、Dを外し、CDに当てられる

 

 B:マイナス150ポイント

 ACDに当てられる

 

 C:プラス50ポイント

 ABを当て、Dに当てられる

 

 D:プラス150ポイント

 ABCを当てる

 

 と、なるはずだった。

 

 まずAクラスの70ポイント。マイナス100ポイントだとすればポイントをあまりに落としすぎている。オレの見立てでは占有ボーナスなしで300近く得ているはず。Dを外した以外に、他の要因が関係しているに違いない。

 

 次にBクラスの90ポイント。元のポイントは、推測でしかないがトラブルもあり200に満たないだろう。50ポイント以下でなければおかしな話だ。オレたちDクラスは指名を誤っていない。だとすれば何故か。

 

 そして最後にCクラスの0ポイント。龍園がAクラスの攻撃をミスしたとは考え辛い。龍園はそこまでバカではない。リーダーを変えられたことに勘付き、Dを指名せず、堅実に50ポイントを取る可能性が高い。

 

 考えられるとすれば。

 

 オレはコーラを煽る。

 体の先から血の気が引いていく感覚。

 

「……平田。Bと何か話したか」

「結果を聞いて一瞬でその結論に辿り着くなんて、流石だね。ずばりその通りだよ」

「堀北、か」

 

 ……やってくれたな。

 コーラで冷えた手のひらを額に当てた。

 

 オレは、自クラスのポイントが高ければそれで良かった。

 葛城派がこの試験で良い結果を残せば残すほど派閥争いが長引き、そこを突けば今後の試験も楽にポイントを稼ぐことが出来る。だから正攻法では崩し辛いBクラスの決定的な証拠を生贄に、Aクラスにポイントを捧げた。

 

 だがそれを、堀北は許さなかった。

 堀北はAクラスに上がりたい。

 どの試験であってもAクラスに旨いところを取らせたくはない。

 オレの作戦を応用しようと考える事くらい、容易に想像できる。

 ……まるで、待てができない狂犬だ。

 あーもうめちゃくちゃだよ。

 

 オレは静かにため息を吐いた。

 平田はベッドに腰掛ける。

 

「Bクラスを脅した。違うか?」

「まあ、言ってしまえばそうなんだろうね。まず僕たちは、君と伊吹さんが会話しているところを撮影した。そして彼女がCクラスのスパイである、と発言した部分を一之瀬さんに見せたんだ」

 

 櫛田と会話していた時もそうだったが、やはりスニーキングがお得意のあの子はこっそり潜んでいたらしい。

 

「なるほどな。当然金田も同じようにスパイだと思い知る。金田は既にリタイアしていた。加えてオレたちはBクラスのリーダーが誰かを知っている」

 

「だからね、僕たちは交渉したんだ。AクラスとCクラスが組んでいる証拠も見せた。君たちは合計で150ポイント失うことになるだろう。でも回避する方法がある。その術を教える代わりに、僕たちはBクラスのリーダーを当てさせて貰う、とね」

 

 一之瀬はもしかしたら、この奇妙な言い回しに、回避する術を思いついたかもしれない。

 

 そこで、堀北は恐らくだが情に訴えかけた。

 自分のクラスのリーダーを守るために色々張っていた網に、彼らはかかった。そのついでに、Bクラスのリーダーも知ってしまった。このまま何も知らずにポイントを大量に失うのを見て見ぬ振りは出来なかった。しかし対価無しでこの情報を渡すほど、自分たちは慈善家ではない、と。

 

 一之瀬は勝負を捨てるつもりはないだろうが、だからといって恩に報いない訳にもいかない。そのため彼女は堀北の提案に了承した。80ポイントを犠牲に、BクラスのリーダーをAとCから守り通した。建前では、AクラスとCクラスのポイントを大きく減らせるから、と考えて。

 

 

「一之瀬さんが信じない可能性もあったけど、上手くいって良かった」

 

 平田はイタズラが成功した子供のように、無邪気に笑う。

 ことは全てオレがリタイアした後に行われていた。

 

「堀北が龍園の居場所を知りたがっていたのも、AクラスとCクラスが組んでいる証拠が欲しかったからか……」

「Dクラスのカードを写した写真を渡すために、必ず龍園くんは葛城くんに接触するって堀北さんは読んでいたみたいだよ」

 

 過去最高に頭が回っていなかった状況で情報を毟り取られていたことに、ショックを受ける。

 龍園の居場所を教えてしまったことが、完全にやらかしだったようだ。極限状態であっても迂闊にも程があったな。オートモードにしていたオレも悪いが、弱い者虐めじゃないかこんなの。本気でオレをお助けアイテム扱いする奴があるか。

 

「……心臓に悪すぎる。先に教えて欲しかった」

「堀北さんが君をビックリさせたいからって譲らなかったんだ」

 

 ぜえったいに堀北は、オレがその策の邪魔をする、と確信していたに違いない。何故なら、オレと堀北の勝利の定義の間に、ズレが生じているからだ。だからこそ平田に黙っているようお願いしたのだ。

 だとしても「ビックリさせたいから」で納得するような人間か平田?

 

「確かに、君の取り乱す姿を見れたのは役得だったね」

 

 そしてこの笑顔である。

 あれえ?おかしいなあ?

 平田はオレの駒だから堀北の動きを何でも教えてくれるって信じてたのになあ?

 

 

「徹底的な、完膚無きまでの勝利。それが、君が望んだことだったから」

 

 

 オレの内心の疑問に、平田は自信満々にそう応えた。

 もしかして、平田の懐柔の仕方をオレは間違ったか?

 

 褒めて貰いたさそうにチラチラ視線をよこす平田を余所にオレは、早急に佐倉をどう剥がすか、そして櫛田になんて弁明しようか、そんな事ばかり現実逃避気味に考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 欠けた月が海に溶けている。

 温い潮風に包まれながら、広大な海を眺める。

 隣で煙草をふかす茶柱に、オレは不機嫌な顔を隠さず話を切り出した。

 

「取り敢えず、これで満足して貰えたと思ってもいいですね」

「……まずは見事だったと言っておこう。素直に感心した」

「じゃあ今すぐ聞かせて下さい。父親がオレに退学を要求していた話は本当ですか」

 

 茶柱は柵に背中を預けると顔を上げて空を見つめた。

 

「もし嘘だとして、お前の心は軽くなるのか?」

「……なんの話ですか」

「このバカンスが始まる数日前。とある人物から接触があった。その人物は私に厚封筒を渡して来た。中身は、カルテだった」

 

 チリ、と後頭部に微かな電気が走るのを感じた。

 

「殆どが白紙だったが、患者の名前とほぼ毎週に渡ってつけられている日付が確認できた。処方箋の欄には常に高カロリー飲料の個数が載せられている。そしてその人物はこう言った。何か問題が起きた際はあなたに全ての責任を取らせる、とな」

 

 

 オレは表情を変えず、平静を保ちながら彼女の言葉を吟味していく。

 

 

 ドクターストップを撤回して貰うために、オレはあの医者に対して何度も説得を試みた。豪華客船には万一のため数名医療スタッフが乗っているが、オレの担当医は諸事情で学校から離れる事はできなかった。もし問題が起きた際に対処できる人間が船の中にいないことを彼は恐れ、バカンスへ行くことを断固として認めなかった。試験の詳細も知っていたのだろう。確かにオレの体質では乗り越えることは難しいと判断されて当然だ。

 

 だからオレは、

 環境を変えることで快復を見込めるかもしれない。担任である茶柱には既に説明してある。

 と、嘯いた。

 彼女に手助けして貰うから心配はいらない。そう、信じ込ませた。

 

 だが、彼は簡単に丸め込まれるような人間ではなかったらしい。

 茶柱に接触し、確認を取った。そしてオレが全くの嘘を吐いていたことを知った。ただ、さすがにあの医者でも茶柱の奥底に秘められた執念には気付かなかったようだ。茶柱にオレの処遇を任せてしまった。

 

 

「ポイントを節約するために、医師を騙した。私はあの時、そう結論を下した」

 

 

 茶柱は苦々しく呟いた。

 今更良心の呵責に苛まれているとすれば、滑稽な話だ。

 カルテを貰った時点で、茶柱は気付いていたはずだ。だが、自分の行いが過ちであったことを信じたくなかった。自分は今、ロクにその生徒を調べもせず、試験で本調子を出せない中、無理に出張らせて無茶な行いをさせようとしている。その事実を、受け入れられなかった。

 幸村の方がよっぽど人として出来ている。

 

 それに、結果を出せたなら、嘘を突き通すべきだった。

 やはり綾小路は医師を騙し、ポイントを節約していた。

 実力を隠していたのだ、と。

 自分に嘘を吐き続けるべきだった。

 

 全てが中途半端なのだ、この女は。

 真実を知られてしまった以上、オレは今後茶柱を利用し尽くす他ないのだから。

 

「……すまなかっ「あんたの話は別にどうでもいいですよ。あの話は嘘だったかどうか。オレが知りたいのはそれだけです」

 

 不要な謝罪を遮りオレは本題に入る。

 だが、茶柱は沈黙を貫いた。

 

「ダンマリか」

 

 まあ、正直ここで何を聞いてもあまり意味はないのだが。

 

 あの男はこの学校に手出しできない。その決定的な裏付けが取れたとしても、悪夢が晴れることはない。パンドラの箱を無理矢理抉じ開けられてしまったようなものだ。無意識に考えないようにしていたモノを、目の前に突き付けられて、意識せざる得なくなった。

 もはや、どうすることもできない。

 

 

「心配する必要はありませんよ。オレはどの試験でも本気を出すつもりです」

 

 ここに居ても無益だと感じ、立ち去ろうと踵を返す。

 すると、茶柱は呼び止めた。

 

「……有名な神話の話をお前も聞いたことがあるだろう。イカロスの翼だ」

「それがどうかしたんですかね」

「イカロスは自由を得るために幽閉された迷宮から飛び立った。だが、それは一人の力ではない。迷宮の外から解決を図るために、ダイダロスが翼を作り、体重の軽い子供に取り付けた」

「意味が分かりません」

「お前の父親はこう言っていた。清隆はいずれ、自ら退学する道を選ぶ、と。太陽に翼を焼かれて、海に落ちるイカロスのように」

 

 それで、イカロスの翼か。

 

「……ただ、私は今のお前を見て、ダイダロスが哀れに思えたんだ。迷宮から脱出するための鍵が、勝手に飛び立ち、太陽を目指して海に落ちたのだからな」

「面白いことを言いますね」

 

 オレは振り返らず、歩き出す。

 

「イカロスは海に落ちて死んだ。だからオレは、イカロスにはなり得ない」

 

 

 

 生憎、太陽を目指すような勇気や傲慢をオレは持ち合わせていない。与えられたのは自らの手で空を飛ぶ翼ではなく、思い通りにならないペガサスだった。

 神の存在を知るために、神から与えられたペガサスに跨り、天を目指した。

 そんな、矛盾を孕んだ存在。

 ペガサスに振り落とされ地に落ちたベレロポンテスは、全身を強く打ち、歩行も困難な障害を抱えたが、それでも命は長らえたという。

 

 オレの物語にダイダロスは登場しない。

 そして、地に落ちても死ぬことはない。

 

 

 

 

 数羽の鳥が、橙色に染まった空の端を旋回していた。

 一匹が逸れ、やがてピタリと体を止めてしまう。

 重力に従って真っ逆さま。

 そのまま青の中に姿を消した。

 

 

 音はなかった。

 

 

 




悲劇と喜劇の違いは人が死ぬか死なないか。

内訳
A:マイナス200ポイント
BDを外し、CDに当てられる

B:マイナス50ポイント
Dに当てられる(トラブルもあり元のポイントは170だが、一名リタイアによりマイナス30ポイント)

C:マイナス50ポイント(元が0ポイントのため変動無し)
Aを当て、Bを外し、Dに当てられる

D:プラス150ポイント
ABCを当てる(スポット占有ボーナス0、高円寺の働きで浮いた食費、ビデオカメラその他、二名のリタイア、より元のポイントは120)



変移
A:1004→1074
B:713→803
C:540→540
D:87→357



後書き
これにて三章はおしまい。
三巻内容は原作が神なので二次創作が死ぬほど難しかったです(小並感)
4章はかなり遅くなると思います。
伏線やらが完結までに色々絡んでくるのもあって気を使うのと、リアルがアホみたいに忙しくなったのが主な理由です。気長にお待ち下さい。
お気に入り、評価、感想、誤字報告等ありがとうございました。


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第四章
ユージュアル・サスペクツ


目と耳を既に兼ね備えている綾小路による第四章。
※話の都合上、原作から変更している部分があります。
※諸事情により四章と五章(途中まで)のデータが飛んで、現在書き直し作業中です。また消えると思うと怖いので載せました。だいぶ萎えたため以降は不定期更新になります。すみません。


 

 

 

 生きるということは、傷を負うということだ。

 

 心ない他者。臆病な傍観者。無関心な第三者。

 あるいは理不尽な社会。

 あるいは、自分。

 

 それらは敵となり心と体を斬りつける。

 流れ出る血はやがて固まり、かさぶたとなる。

 

 生きるということは、そのかさぶたが治らないということだ。

 ジュクジュクとした生臭い世界で、ブヨブヨなかさぶたに強度はなくて、ちょっとしたことで血が溢れる。痛みに耐えられず舐めるから、もっと救えなくなる。

 ベッドでのたうちまわり、悲鳴を枕で押し殺す。

 

 

 思い返すのは平穏だったあの頃。

 他人と自分の境界線が曖昧だったあの頃。

 自分の慰め方を知らなかったあの頃。

 

 恐怖を、欺瞞を、嫉妬を、憎悪を、孤独を、後悔を。

 そして、無力を。

 知ってしまった。知り仰せてしまった。

 

 避けて通れない道に石ころのように転がっていて。

 何度も躓いて泣きながら、それでも置いていかれるのが嫌で前へと進んだ。

 ボロボロで、擦り傷だらけの自分の姿は不格好。

 振り返ることは出来ても、無傷で無垢なあの頃の自分はもう二度と返ってはこない。

 

 

 

 生きるということは、知るということ。

 そして、戻れないということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無人島試験が終わって二日経った。

 いや。経っていた、というのが正しいだろう。

 脳も身体も限界を超えていたらしい。不足分の睡眠を補うように、意識は行ったり来たりを繰り返していた。時間の感覚を完全に手放したある時、ふと目を覚ました。辺りは薄暗い。いつになく頭がスッキリと冴え、日時を確認すると二日経っていた。

 

 朝の四時。

 携帯には何通ものメールが溜まっている。

 見なくても分かる、櫛田だろう。

 オレは欠伸を噛み殺し、身体を起こす。暫く動かしていなかったので、とにかく怠かった。ガンガンと響く頭痛を無視しながら、いつの間にかサイドテーブルに置かれていたミネラルウォーターを手に取り流し込んだ。テーブルの上には他に市販のサンドウィッチが置かれていた。明らかにオレの方に寄せられているので、隣の平田の物ではない。

 ……そういえば寝たり起きたりしている間、オレはどうやって食事を買いに行っていたのだろう。もしかしたら平田らが心配してわざわざ買って、置いてくれていたのかもしれない。

 あとでポイントを返さないとな。

 

 ゆるゆるとベッドから這い出て地面に足を下ろした。

 2日ぶりとあって、波に揺られているような不快感が湧き上がる。

 

 確か大浴場は朝四時からだったはずだ。

 音を立てないよう、オレは準備してから客室を後にした。

 

 

 

 

「久しぶりだな」

「はい。約一週間ぶりです」

 

 風呂に入ってさっぱりしてからサンドウィッチで栄養を補給し、もう一眠りしてから軽い運動も兼ねて船内を歩き回っていた。するとひよりと出会した。前にもこんな事があったな。エンカウント率がバグっているのだろうか。

 彼女は前と同じように数冊の本が入ったバッグを片手に、良い読書場所を探しウロウロしていたそうだ。丁度休憩を取りたかったので、フードコートを提案する。まだ昼時にしては早い時間帯だ、生徒もそこまでいないだろう。彼女も頷いた。

 案の定席は空いていたので、壁にくっついている長いソファの席を陣取った。

 

 ひよりから貸してもらったアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を開く。

 

 

「謎は解けましたか?」

 

 四分の三ほど読み終えた頃、ひよりは文字に目を落としながらそう話しかけてきた。

 

「フェア・アンフェア論争を巻き起こした作品であるのは元々知っていたからな。秘密を隠す手法の巧さを重視して読んでいた。こういう言い方は傲慢かもしれないが、安心感があった」

「読書の楽しみ方は人それぞれですから」

 

 彼女は優しく微笑む。

 

「信頼できない語り手を用いた手法は、トリック限らずいつ頃に発明されたんだろうな」

「……古典を探せばあるのかもしれませんが、彼女が発表した当時は数える程度しかなく、他の先行作品には気付かなかったようですよ。こういった独創的なアイデアには驚かされるばかりです」

「なるほど、な」

「何か気になることでもあるんですか?」

 

 ひよりは顔を上げてオレの瞳を覗き、首を傾げた。

 

「……いや。まあ、なんだ。少し失礼な事を考えていた」

「どんな考えも私は受け入れますよ」

 

 そう胸を張るひより。

 彼女はこう見えて漢気が凄い。

 オレがもしか弱い女の子だったら惚れていたことだろう。

 少しだけ悩んでから、結局言うことにした。

 

 

「叙述トリックなんて一発芸みたいなものだろうに、後発作品が減らない理由が気になってな」

「一発芸呼ばわりは確かに失礼ですね……」

 

 本を閉じ、表紙のタイトルをなぞる。

 

「創作においてどんな展開も、既にやり尽くされている。あとは組み合わせ次第だ。そして多くの創作者はその事実に気付いている。だと言うのに、今この瞬間。沢山の媒介を通して創作物が生み出され続けている。そのことを不思議に思う時がある。どうでも良い、話だけどな」

 

 創作物が現実逃避の道具として使われてきた事は、一般論として知っている。娯楽は人間が活動する上で必要不可欠な要素だ。原始からそれらは形は変われど受け継がれている。

 だから創作物がこの世から生み出され続けている理由など、最初から分かりきっている話なのだ。それなのに、オレは何を知りたいと言うのだろう。

 時折、そんな不毛な疑問が気になって気になって仕方なくなる。

 

「いいえ、どうでも良いことではありませんよ」

「……ひよりは、何故だと思う」

 

「私がミステリーを好んでいるのは、推理している時間だけ解放されたような気分になるからです。自分という身体から一時的に探偵役や犯人役に乗り移って、作者によって理路整然と掃除された世界で得意げになれるからです。現実は、創作の世界のように上手くはいきませんから。幾ら先人達によってやり尽くされたトリックだって、誰かにとってのイデアとなる。だからこそ、創作は終わらないんだと。私は思います」

 

 ひよりは少し恥ずかしげに、答えてくれた。

 

「どんなに成功している人だって、違う誰かになりたいという願望は得てして持つものですよ、きっと。私だって思う時があります。綾小路くんは、どうですか。

 ーー今、この瞬間の自分以外の存在になりたいと。思ったことはありませんか」

 

 そして、答えにくい質問を投げかけてきた。

 ひよりの顔は真剣そのものだ。

 

 違う誰かになりたい、か。

 強く願ったことがあるかと問われれば、恐らく、ノーだ。

 それは死への恐怖に等しい。せっかく積み上げてきたものを手放す気にはなれない。

 しかし壊れかけている今の惨状に、望んだ結果だとしても、辟易することがないとは言い切れない。その瞬間だけは確かに、違う誰かになりたいと願っているのだろうか。

 

 ……いや、正確には、昔の自分だ。

 昔の自分に戻りたいのだ。

 

 知りたかったから飛び出したのに、なんとも矛盾した話だ。

 フィクションに置き換えれば駄作に違いない。

 主人公の行動原理に、一貫性が存在しないのだから。

 

 

 ふと、沈んだ思考は、ぐぅ、と間抜けな音によって中断される。

 顔を上げると、ひよりは顔を真っ赤にしていた。

 端末で時間を確認すると、丁度昼時の時間帯。

 フードコートはいつの間にか混み合っていた。

 

「オレは何も聞いてなかった」

「……紳士的な態度は時に人を傷付けることを覚えておいて下さい」

 

 若干怒ったような目つきをするひより。

 じゃあどうすりゃ良いんだ。

 

「お昼にしましょう。綾小路くんもお腹が空いていませんか?」

「ひよりと会う前に食べて来たから大丈夫だ」

「それはただの朝食では?」

「そうとも言うな。まあ気にせず買いに行ってくれ、席はオレが守っておく」

 

 守り人となり席から立つ様子のないオレを見て、ひよりは「では遠慮なく」と人混みの中に紛れて行った。暫くして、盆を持ったひよりがやってくる。乗っていたのは熱々のきつねうどんとメロンソーダ。

 夏とはいえ船内は空調がむしろ効きすぎているので、良いチョイスだろう。

 

 しかし、それをおもむろにオレの前に置いた。

 

「ん?」

 

 疑問にはすぐに答えてくれず、彼女は再びテーブルを離れ、今度は時間を置かずにたぬきうどんとオレンジジュースを持ってきた。

 そして満足げに席に座り、「いただきます」と手を合わせようとする。

 

「いや、待て」

「え? ああ、もしかしてたぬきうどんの方が良かったですか?」

「違うそうじゃない。怪電波でも受信したのか?」

「いいですね、その設定。今度SFモノのミステリーをお貸ししましょう」

「わざとなのか? わざとだと言ってくれ」

 

 オレは頭を抱えた。

 

 

「私、今までたぬきうどんときつねうどんの違いに意味を見出していなかったんです」

 

 そして急に語り出すひよりさん。

 

「動物の違いと乗っている具の違いだけだと。ーーでも、お店のメニュー表で、両方の素晴らしさがアピールされていて、つい、両方食べてみたくなってしまって。普段なら諦めることが出来たんですけど……」

「オレが居たから、つい頼んでしまった、て事か?」

「ごめんなさい……」

 

 口では謝罪を述べているが、大して悪びれていない態度のひよりさん。狸か狐かで悩む人間はそうそう居ないだろうと思っていたが、彼女は例外だったらしい。両方トッピングするくらい訳もないだろうに、まあ、今は彼女の厚意に甘えておこう。

 

「……せめてポイントを払わせてくれ。油揚げは半分くらい取ってもいいぞ」

「わあ、ありがとうございます!」

 

 彼女は花も咲き誇るほどの満面の笑みを浮かべた。その様子に、本当に両方食べてみたかったのか? とつい邪推してしまった。もしくはトッピングを注文する方法がよく分からなかったとか。

 オレは割り箸で油揚げを半分に切り取って、彼女の皿に移す。意外と厚みがあって苦労した。

 

「「いただきます」」

 

 手を合わせ、それからひよりは割り箸を割った。喉が詰まるような気分になったが、目の前の麺に夢中になっているひよりにバレないよう、こっそり深呼吸をする。

 

 大丈夫なはずだ。朝方のサンドウィッチは食べることが出来た。無人島試験の時も時間はかかったが難なく胃に収めることが出来ていた。条件は満たしている。

 

 相変わらず身体は拒否的だったが、戻すことはなかった。

 

 

「そういえば。無人島試験、お疲れさまです」

 

 無言で食べていると、ひよりは思いついたように言う。

 彼女の独特なタイミングには、もう慣れてしまった。

 

「ああ。そっちこそ」

「私は二日間遊んだだけですけどね」

 

 彼女は少しだけ不満げに呟いた。

 

「もっとサバイバルっぽいことしたかったです。お魚釣りとか、焚き火とか。面白そうです」

「やめとけやめとけ。面倒なだけだったぞ」

「そうでしょうか?」

「ガチサバイバルを経験した老兵からのありがたーいお言葉だ。素直に聞いておいた方が身のためだ」

 

 龍園はよく五日間やり遂げる覚悟を持てたモノだ。決してあの無人島は現代社会に毒された子供が一人で生活を送れるような環境じゃない。蛇とかでも食っていたんだろうか。

 三日前の事を思い出していると、顔を上げたひよりはクスリと笑った。

 

「……今笑いどころあったか?」

「だって、綾小路くんが本当に嫌そうな顔をしていたので」

 

 自分の頬を触れるが特に動いているようには思えない。

 ぺたぺたと触っていると、

 

 

 

「よお金魚の糞」

 

 悪意の混じった声が落とされる。

 石崎を連れて悠々と、まるで王様のような傲慢さで奴は現れた。

 噂をすればといった所だろう。

 

「いや、隠れ蓑か、デコイか。それとも本物のXか?」

「何の用でしょうか」

 

 そう問うひよりの声はいつもより硬い。

 

「なに。軽い挨拶だ」

「今は彼と談笑中です。帰ってください」

「おまえが言ったんだ、ひより。人となりを知りたかったら友達になれってな。少しくらい仲間に入れてくれたって良いだろう。なあ、石崎」

「そ、そうだそうだ!」

 

 ひよりは不機嫌を露わにした顔で箸を置いた。

 龍園はオレに向き直り、鼻で笑う。

 

「オトモダチになってやろうか?」

 

「よく知らない奴はちょっとな」

 

 普段と変わらない調子で言葉を返すオレに、龍園は眉間に皺を寄せる。

 

「いや、あの時のミネラルウォーターくれた人か。助かった」

「……あ?」

「感謝の言葉は対人関係を円滑にする効果があるということに、最近気付けたんだ」

 

 自分で言っといてアレだが、本気で頭のおかしい発言だなこれ。

 ひよりですら苦笑いだ。

 例えばこのまま、

 

「かと言って友達は遠慮願いたい。オレは暴力が苦手なんだ。いかにもな奴とつるんで万引き強要とかされた日には、人間不信に陥る自信がある。オレも友達は居ないが、余りモノ同士なんて悲しいだけだろ。傷の舐め合いは衛生面的に考えてマズいし、何より虚しい。気の合いそうな生徒を紹介できれば良かったんだがな。……山内、いや幸村か。……もしかして拳で殴り合って友情を確かめるタイプか? 須藤とかどうだ? あいつともオレは拳で殴り合って少しだけ仲良くなれた気がするんだ。暴力は苦手だとさっき言っていたって? それはあれだ。謙遜というやつだ。日本人の美徳だな。これくらい分かってもらわないと、今後も人付き合いは難しいと思うが。あ、だとすれば、まずはその、人を射殺すような目つきを治すといいかもしれない。王様みたいな態度も。高校生にもなって、生産性もなく周りに迷惑をかけるタイプの厨二病は救いようがなさ過ぎる。更生できれば友達百人到達は固いだろう、その暁には友達になってやってもいい。何となくお前とは気が合いそうな予感がするんだ。それに友達の友達は友達とも言うし、オレにも実質百人友達が出来ることになるからな。Win-Winの関係というやつだ。まあ案外他人からのアドバイスが役立つこともある。素直に聞いておいた方が身のためかもしれないぞ」

 

 ……という風に、変人ルートを邁進してやれば、多分ひよりにドン引かれるし、増えてきている周りの目はオレのことを完全に変人と見做すだろう。

 これ以上目立つのは不本意だ。入学当初に比べて他者からの視線は慣れてきたが、それでも不快なことには変わりない。

 

 布団の中で惰眠を貪っているお気楽脳味噌を蹴り起こすためにメロンソーダに手を伸ばそうとすると、唐突に、龍園はそのコップをひったくる。

 

 そしてうどんの上で傾けた。

 ドポドポドポと不愉快な音は静まり返った辺りによく響いた。

 半分ほど注いでから、ダンッとテーブルが揺れるほど強く、コップを置く。

 

 

「悪いな、手が滑った」

 

 

 そしていつもの笑みを浮かべながら、悪びれもせず言い放った。

 挑発のつもりなのだろう。

 

 

「丁度甘味が足りてなかったんだ。助かった」

 

 

 適当な言葉を返してやると、

 龍園はバカにするように嗤う。

 

「その変人面、いつまで保てるか見ものだな」

 

 

 すると突然、ひよりが立ち上がった。

 躊躇など微塵も見せず、手に持ったコップの中身を龍園に向けてぶっかける。

 

「な、おまっ、龍園さんに何してんだ!」

 

 石崎は素っ頓狂な声を上げた。

 頭からオレンジジュースを被った龍園の姿は、滑稽そのものだ。ポタポタと滴が床に落ちた。しかし彼は全く動じることなく、咎めるような視線をひよりへと送る。

 

「邪魔をするな、ひより」

 

 高圧的な、有無も言わせぬ命令。

 

「邪魔なのはあなたです、龍園くん」

 

 だがひよりも一歩も退くことはない。

 息も詰まるような重たい空気が、辺りには漂っていた。

 

 彼女の鋭い眼光に龍園は、ククと喉を鳴らす。

 そして「行くぞ」と、慌ててタオルを持ってきた石崎を連れ、去っていった。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 嵐は過ぎ去り、ひよりはホッと顔に安堵を滲ませて、それから申し訳なさそうに俯いた。

 

「どうしてひよりが謝るんだ」

「この関係を、クラス間の争いに持ち込まないと約束したのは私ですから」

「龍園は本気で友達になりたかっただけかもしれないし、そもそも最初に煽ったのはオレだ」

 

 ひよりと共に、濡れた床をティッシュで拭いていく。

 すると彼女は怪訝な顔をする。

 

「あれって煽りだったんですか?」

「……まあ、いいだろ。それよりも、ひよりこそあんな事して大丈夫なのか?」

「龍園くんはそこまで短絡的ではありませんよ。手段として暴力を使うだけですから。私を暴力で黙らすことに大きな利点がなければ、わざわざ手間が掛かるようなマネはしないでしょう」

「そうか、なら良かった」

 

 大きな利点があれば躊躇いなくやる、ということでもあるのか。

 床を拭き終わったオレ達は再び席に着いた。

 その頃には周りの目はもうなくなっていた。

 

「そういえばXとか何とか言っていたが、あれは何だ?」

「Dクラスに一杯食わされたことが相当堪えたらしくて。龍園くんは無人島試験の裏で暗躍した、Dクラスに存在する黒幕Xを探すことに躍起になっているんです。平田くんや高円寺くんにも同じような挑発行為をしていました」

 

 ずっと部屋に引き篭もっていたので今まで害は被らなかったが、X候補の一人にはなっていたのだろう。オレが一人で出かけようとした時に平田が引き留めてきた理由がようやく理解できた。

 

「なるほどな。あまり聞かない方が良いのは分かっているんだが、」

「良いですよ。結果的に約束を破ってしまったのは私ですし」

「Cクラスとして、ひよりはXをどう思うんだ?」

 

 普段は緩く世界を捉えている彼女の瞳は、一瞬鋭く光る。

 

「これはあくまで私の主観ですが。

 ーーXを探る意義を、あまり感じていません」

 

 意外にもひよりはXに関心がないようだ。関心がない、とは少し違うとは思うが。

 

「聞く限りではヤバい奴なんだろ? 素性を知れないのは怖くはないのか?」

「重要なのはDクラス攻略は一筋縄ではいかない、という情報ですから」

「……そうか」

「今の龍園くんに何を言っても無駄でしょうけどね」

 

 彼女は自嘲的に顔を伏せた。

 

 

「ま、いつか飽きるだろ」

 

 オレは適当な事を言ってうどんを啜る。

 そして口の中に入れた瞬間、メロンソーダがブレンドされていた事を思い出した。

 吐き出すのもキマリが悪いし、残すのもどうかと思ったので、結局食べ続けることにした。

 

 ひよりは顔を歪めて緑色に染った汁を凝視する。

 

「……美味しいんですか?」

「美味くはないな」

 

 その返答に彼女は明らかに困惑していた。

 

「新しいものを、頼みましょう」

「せっかくひよりが選んできてくれたんだ。残すわけにもいかないだろ」

 

 完璧で模範的な理由を述べたと思ったが、眉を下げ、どこか寂しげな表情を浮かべるひより。

 

 唐突に、彼女は半分残ったメロンソーダをひったくり、自分のうどんにドボドボとかけた。

 意を決したように彼女は麺を勢い良く啜る。そして渋い顔で口をもごもごと動かす。

 

 オレはその一連の奇行を、半ば呆然としながら眺めていた。

 

 彼女のこういった顔は珍しい。

 

「……大丈夫か?」

「ゲロ不味いです」

 

 それでもまたもう一口と食べ続けるひより。

 時折口を抑え、必死に飲み込もうとする。

 そんな彼女の姿に、肺が潰れたような感覚に陥る。

 

「綾小路くんは?」

 

 そして、彼女もまた、心配そうにオレの瞳を覗き込んだ。

 逃れるように、目を伏せる。

 

「……ゲロ不味いかもしれないな」

 

 

 彼女の奇行の意図を理解したところで、オレの心はちっとも動かない。

 何故ならば、意味など何処にもありはしないからだ。

 

 だがどうしてだろうか。

 恐らくこの味は一生忘れられないはずだと。

 ただ漠然と、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラオケルーム内の温度は、クーラーだけでは説明付かない程下がっている。

 

「綾小路くん。私に言うことあるよね?」

「試験お疲れ様。楽しかったな」

「あるよね?」

「謝らないからな?」

 

 空気の凍てつき度は、猿でもできる! 永久凍土の作り方! に名乗りをあげることができるほどだ。

 ま、オレからしたら扇風機の強風程度だがな。……結構寒いな。

 

「なんで?」

「歌わないのか?」

 

 櫛田にマイクを手渡したが、彼女は足を組み、微動だにしない。そして『いてつくしせん』を繰り出した。実はエスパータイプらしいぞ。という話は置いといて。

 

 目を覚まして大浴場でサッパリしてからまずしたことがある。食事? 二度寝? もちろん違う。櫛田への弁明だ。一々読んではいないが、メールの内容は100%試験結果の疑問とオレの行動に対しての非難だろう。堀北の法螺話では、オレがバカみたいに大活躍したことになっている。櫛田からしたら不服以外の何物でもない。おかげで堀北株がストップ高になってしまったのだから。メールでは説明しきれないので、何でも備えられてある豪華客船のカラオケのとある一室に予約を入れた。

 

 だが、実はオレが責められる所以はどこにもない。

 何故なら契約違反には一切抵触していないからだ。

 堀北の退学を手伝うとは言ったが、堀北の手伝いはしないなんて文言はなかった。

 依然変わらない態度を取り続けていると、

 

「……少しは手を抜くとかしてくれても良かったじゃん」

 

 先とは打って変わって、拗ねたように唇を突き出す櫛田。

 これは少し意外だった。もっと烈火の如く怒り狂うと思っていた。

 無人島試験から二日は経っているし、風化していたのかもしれないな。

 

「あのな。オレたちの最終目標はなんだ? 堀北を退学させることだろ。道中の嫌がらせでオレが信用を落とすような事態があれば面倒なことになるはずだ」

「だからってマイナス50ポイントを帳消しにし過ぎなんだよ。Cクラスも結局0ポイントになったし」

「楽しい楽しい積み木作業が終わったら後はジェンガが待ってるぞ。それに、クラスポイントが増えるのはそんなに悪いことじゃない」

「……堀北の財布だって潤うじゃん」

「そこは許してやれよ……」

「やだ」

 

 あまりに子供っぽい駄々だが、もっともな反応かもしれない。

 周りに人がいる中でリーダーを伝えるのは相当気を使ったはずだ。プライドの高い彼女からしたら、自分の働きがチャラになったことが許し難いのだろう。

 

「無人島試験の話になればみーんな二言目には堀北堀北堀北堀北堀北堀北堀北。バカのひとつ覚えみたいにさ。あんたの功績も一部では全部堀北のおかげって事になったりしてるんだよ? 知ってた?」

 

 無人島試験でDクラスが完全勝利を収めたのも、全部堀北さんが居たからじゃないか……!

 みたいな反応だろうか。

 

「さぞあいつは気持ちが良いだろうね。世界の全ては自分のために動いてるって勘違いしてんだよ。優等生を取り繕って、協力が大事だと謳っておきながら、内心見下して、バカにして、悦に浸ってんの。どうせ大したことないくせに、どうせ大したことないくせに」

 

 櫛田はストローをガジガジ齧りながら恨み言を垂れる。

 恨み言は、低く、そしてじっとりと湿っていた。

 

「さっさとバカを自覚して捻くれろ」

 

 櫛田の堀北への悪口は、いつもどこか願望が混じっている。他人の内情を見抜く目を持つ櫛田は、きっと既に分かっているはずだ。

 

 堀北は自分の思うような人間ではない、と。

 

 察していながら、否、だからこそ、イラつくことがやめられない。堀北は、自身のコンプレックスを刺激する存在でしかないからだ。

 

 

「堀北は、櫛田の望む、無力なバカではなかったぞ」

 

 オレはそんな櫛田に更に刃を振り下ろす。

 

「どういうこと」

 

「……お前は今回、完全に堀北に出し抜かれたんだよ」

 

 天使とは元々畏怖する対象だったことをなんだか思い出すような、そんな笑みだった。

 

「堀北はリーダーじゃなかった」

「……は?」

「だから、オレは名実共に堀北をリーダーにするために動いた。その副産物的なものだ、あの結果は」

「意味、分かんないんだけど」

 

 恩着せがましく事実を少し捻じ曲げ、真実らしくデコレーションした作り話を櫛田に伝える。

 

「堀北はスポットの占有ボーナスを最初から諦めて他人をリーダーに据えていた」

「……でも試験が終わって龍園に渡した時は堀北がリーダーだったよ?」

「リーダーにしたんだ。マニュアルには、正当な理由があればリーダーを変えられると書かれている。リタイアは正当な理由だろ」

 

 その文言に、櫛田の顔色はみるみる内に変わっていった。

 

「はあ?! そんなのアリ? だったら変え放題じゃん。リーダー当てとかバカらしくなるんだけど、欠陥すぎでしょこのルール!」

「だから最初からリーダーを当てようなんて考えずに、慎ましく生活することが最適解だったんだろうな」

「待って。じゃあ、あんたがリタイアしたのって」

「リーダーを変えるためだ。決して体力に限界がきたからとかじゃないぞ。もしかして心配でもしたか?」

 

 櫛田はオレを睨みつける。

 

「私の心配一個50万ポイントだから」

「返品不可なのか?」

「そもそも非売品だよバカ。それで?」

 

 そして流れるような罵倒。

 オレほどの精神強度を持っていなかったら死んでいた。

 

「堀北はこのルールの穴に気付いていた。彼女は用心深い性格だ。だから、わざとスパイにカードを盗ませたんだ」

「……龍園はあんたがリーダーだって知ったってこと?」

「そうだな。オレはこの作戦を事前に聞かされていた。櫛田が龍園に伝えた情報が全くの嘘であることを覆すために、色々な理由を付けて次のリーダーを堀北にするよう頼んだ。条件の一つとして、他クラスのリーダー当てを任された。それがあの結果だ」

 

 内容を噛み砕いていき、そして段々と最初の言葉の意味を理解していったのか、フルフルと震え始める櫛田。

 ついには立ち上がった。

 

「じゃああの時言ってくれれば良かったじゃん!! リーダーは堀北じゃないって! あの時私のことを嗤ってたんでしょ! 堀北に一杯食わされたかわいそうな奴だって!」

 

 ほぼギャン泣きである。

 

「オレがお前を嘲笑うような人間に見えるか?」

「見える」

「四月から築いてきた絆が今一瞬で崩れ去ったぞ」

 

 三度の絆よりもプライド優先な櫛田さん。

 そんなこと知るか、と言った顔でオレの胸倉を掴む。

 怒り心頭で瞳を涙で濡らしている櫛田をなんとか宥める。

 

「オレは別に嘲笑いたかったから黙っていたわけじゃない。周りに人が居るかもしれない状況で、取り乱されたら困るからだ。実際問題はなかったろ」

「別に取り乱さなかった」

「本当にそうか?」

「信用できなかったってわけ?」

「心配するに越したことはないだろ」

「他にも伝え方あったよね?」

「もう過ぎた話だ。堀北やクラスメイトへの愚痴ならいくらでも聞く。――何をすればその怒りは収まるんだ」

 

 冷静に指摘されて顔を顰める櫛田。

 

「……謝ってくれれば良いよ」

 

 彼女の沸点は最近少しだけ上昇している。

 オレの身を粉にしたメンタルケアの賜物だ。

 ワシが育てたと言っても過言ではない。

 

「嫌だ」

「はあ?」

「そもそもの話、櫛田が先にオレに話を通してくれさえすれば、本物のリーダーを伝えることができた。今回オレに非は全くない。だからぜったい謝らない。むしろ尻拭いしてくれてありがとう綾小路さん、だ。そうしたらごめんね桔梗ちゃんくらいは言ってやっても良いぞ」

「口縫うよ?」

「じゃあこの話は平行線だな」

「あんたが変な方向にぶっ飛ばしたんだよ! 死ね!」

 

 掴んでいた胸倉を乱暴に放し、吐き捨てるようにそう言った。そして椅子に体育座りしてジュースを酒を煽るように飲み干した。氷をガリガリと噛み潰している。

 

「もういいし。あんたがそういう奴だって知ってるし」

 

 そう拗ねるように呟いた。

 オレも座り直し、シャツの襟を正す。

 

「……悪かった。離脱した後にでも隙を作って伝えておけば良かったな」

 

 ふん、と彼女はそっぽを向いた。

 

「すれ違いが起きないように、今度からは事後報告はやめてくれ。逐一言ってくれればこっちで対応する」

 

 沈黙が返ってきたが、肯定と捉えても良いだろう。

 

「これからもオレは堀北に全力で協力するフリをし続ける。龍園とのコネクトを作ったのは、その方面での手助けをオレは出来ないからだ。それだけは理解して欲しい」

「……分かった」

 

 

「まあ、ありがと」

 

 空調の音で掻き消されるほど小さな声だったが、その言葉はオレの耳に確かに届いた。

 

「え、なんだって?」

「やっぱり死ね」

 

 マイクが顔面に向けて投げられる。

 咄嗟にキャッチしたが、オレでなければ事故が起きていたぞ。

 

 その後、ストレス発散もこもった聞くに耐えない罵詈雑言を一身に浴びて、時刻は十九時を回った。一応櫛田を慰めきれない可能性も考えて終了を二十一時にしておいたので、まだ二時間は余っていた。

 大分満足げな櫛田。

 

「なんか歌うか?」

 

 そう提案すると「あんた歌えんの?」と純粋な疑問が返ってきた。

 

「部屋に居ても暇だからな、さぶかるちゃーには意外と詳しいぞ」

「オタク文化をカッコつけて言わなくていいから」

「各方面から怒られそうな発言だな」

「じゃあなんか歌ってよ」

 

 彼女はニヤニヤしながら採点機能を入れ、デンモクを渡してきた。酷い点数を取ったオレを嗤うためだろう。取り敢えず目当ての曲を探す。カラオケボックス自体は櫛田に連れられ何回か行ったことはあるものの、実際に歌うのは初めてだった。そのため目当ての曲があるかどうか不安だったが、何とか見つける事が出来た。

 

「イタリア語!?」

 

 画面に映ったタイトルを見て櫛田はあんぐりと口を開けた。

 

「イタリア語」

「日本語歌えよ」

「丁度良い音域なんだ」

「じゃあ歌詞分かんないから一回一回和訳しつつ歌って」

「なんだその変態は」

 

 櫛田はプクッと頬を膨らませる。

 これはおねだりの領域展開だ。

 耐えるためには相当な精神力を消耗する必中技である。

 恐ろしい子……!

 

「やだつまんない」

「それを言った事を後悔させてやろうか?」

 

 そのまま歌い始める。オレの美声に酔いな、という奴だ。呆気に取られること間違いなし。チラリと彼女の方を見ると、しかしドン引きしていた。

「上手過ぎて引くわ」

 実に櫛田らしい感想だった。

 

 初めてということもあって、結果は94点と微妙な点数に収まってしまう。

 

「流石に100点は厳しいか……」

「カラオケって100点取れるもんなの?」

「あるからには取れるんじゃないか?」

 

 こっそり同じ曲を入れようとしたらすぐに予約を取り消された。

 

「させないよ?」

「100点取るまで帰れまハンドレッドをやる価値はあると思う」

「ねえよ」

「じゃあ櫛田も歌うか?」

「あんたの後とか絶対やだ」

「櫛田ちゃんの〜ちょっといいとこ見てみたい、はい」

 

 色々囃し立て、なんとか歌わせる事に成功した。

 

 櫛田は最近のトレンド曲を見事歌い上げる。

 可愛らしい歌声と嫌味じゃない上手さは、流石といったところか。カラオケ慣れしてる感が半端じゃなかった。拍手を送ると、ドヤ顔を返される。点数発表はすぐに飛ばされてしまったが、オレの動体視力を舐めてはいけない。

 

 「89点はそんなに悪い数字じゃないと思うぞ」と素直に感想を述べてみると、

 「嫌味乙」とそっぽ向かれた。

 

「採点機能を外すか?」

「えーやだ」

「人に点数見られるの嫌なんだろ?」

「だって何もないとつまんないじゃん。あ、これ入れよ」

 

 櫛田は寝転びながらデンモクを操作する。

 すると、画面には『グラビア採点』という意味不明な文字が並んだ。

 

「……え、なんだこれ」

「良い点を取れば取るほどグラビアが脱いでいくみたいなやつ」

「そういう趣味があるのか?」

「喉潰すよ? よくカラオケには行くけど、絶対に使わない機能だから、どんなのか気になっただけ」

「なるほどな」

 

 女子数人で集まったり、男子が混じっている中では絶対に採用しない機能の一つだろう。

 

「あんたこそ気になるんじゃないの?」

「女の子がいる前でグラビア採点を入れられる鋼の精神をオレが持ち合わせていると?」

「じゃあ入れちゃおっと」

 

 まあですよね。

 画面には、教室のセットの中でセーラー服を身に包んでいる女性が映っている。

 どう見ても十八歳は超えている。今からオレは、彼女を脱がすことになるらしい。

 

「スタイルはまあまあだけど顔は悪くないね」

 

 と、おっさんみたいな評価を入れる櫛田。

 

「よく分からないが、こういうのって簡単に高得点取ってしまうと面白くなくなるんじゃないか」

「じゃあ知らない曲歌って」

「はい?」

「コード進行とかでどんなリズムかとか分かるしょ。たまにヒント出してあげるよ」

「流石に無理だろ」

「作曲家に負けるの?」

「それを言えばオレが何でも挑戦すると思うなよ?」

「え、違うの?」

 

 

 

 

 

 意外と盛り上がったのは内緒だ。

 可愛い女の子を引き当てると二人して脱がす事に躍起になったり(途中から櫛田がマイクを奪って歌い出したり)、逆に魅力的じゃないと感じると一気にやる気がなくなったり、A判定よりもB判定の方が意外と際どかったこともあったり、

 ……これ以上はオレたちの品位に関わるのでやめておこう。

 

 そうこう遊んでいる内に、二時間はあっという間に経っていた。

 

 因みにカラオケ代は全てオレ持ちとなった。心配代50万ポイント分をガチで払わせたいのだろう。卒業までオレに奢らせるつもりらしい。

 まったく、先の長い話になりそうだ。

 

 

 

 

 ……まあ、50万ポイントを支払うまで彼女との付き合いを続けるつもりはないが。

 

 堀北は裏切り者を騙すためにクラスメイトに170ポイント得ていたと嘘を吐いた。

 だとすれば、そもそも。どうやって彼女は裏切り者の存在に辿り着いたのか。

 もしや。

 そんな考えに至るのに、そう時間はかからないだろう。

 

 堀北の体制が盤石になった今。

 櫛田との関係は、一度清算する必要がある。

 

 

 

 



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三日ぶり二回目

  

 

 

 オレはこう見えて結構順風満帆な学校生活を送ってきた。

 特に目立った行いをせず、悪さも働かず、模範的で善良な一生徒として四月からクラスに貢献してきた。波風も立てず、平穏で、世界平和とはこういう事を言うんじゃないかと錯覚するほどの環境を享受してきた。

 その、はずだった。

 

 そんなオレは今、窮地に立たされていた。

 世界平和を愛する神様に、見放されたのだ。

 

 

 ……バイキング形式、だと?

 

 

 客室ニートライフを満喫する気満々だったオレは、奴らによって綾小路清隆を労う会とか何とかを理由に引き摺り出された。参加者は池山内須藤といういつものメンバーだ。どうやらオレが寝ている間にDクラス全体で祝勝会を行ったらしい。別に気を使わなくても良い、部屋に引きこもりたいと断固として拒否しようとしたが、平田と幸村の生温かい目に、後にも引けなくなって頷いてしまったのだ。

 それが間違いだった。

 

 バイキングに連れてこられて、お腹空いてないを理由に水だけ飲む奴がいるだろうか、いやいない。

 だからと言って端から全てを盛っていけば絶対に食べきれない。二個飛ばし、いや三個飛ばしならいけるのか……? そもそも何種類料理があるかを知るのが先決か。そういうのはどこに書かれているのだろうか。メニュー表か? いや、バイキングにメニュー表もクソもないのだろうか。待て。誰かの真似をすれば良いだけじゃないか。だがその誰かって誰だ? 

 席を立たずそんなことをグルグル考えていると、

 

 

「主役は座ってろよ。俺らが取りに行ってやるぜ。何か好きなもんあるか?」

 

 須藤が当たり前のように尋ねてきた。

 堀北。お前に好意を寄せている奴はめちゃくちゃ気が利くぞ。良物件だ!

 

「胃に優しいやつで」

 

 過去最高のドヤ顔を見せた気がする。

 須藤も意表を突かれたような顔をしていた。

 

 

 

「うひょーー! 生き返るぅぅぅ!!」

 

 席に着いたや否や、肉をバクバク食いながら山内は叫んだ。

 

「お前それ何回言うんだよ」

 

 池は呆れたような顔をする。

 

「いいや何回だって言うね。やっぱタンパク質だよな! 人間生きるためにはタンパク質が大事なんだ!」

 

 だったらプロテインでも飲んどけ、と言いたくなる程の煩さだ。

 まあ、育ち盛りの高校生男子が一週間食事を制限されるというのはキツいものがあったのだろう。おまけに施設や店の料金は全額タダ。ハメを外さない方が無理がある。

 だからといって、肉料理に付属していた温野菜をオレの皿に乗せるのは違うんじゃないか山内。須藤もたまに肉をお裾分けしてくるから、病院食みたいだったオレの皿はすっかりカラフルになっていた。

 

 

「そういや山内。人形は渡せたのか?」

 

 いつぞやのクレーンゲームで取ってやった人形のことを尋ねる。

 すると山内の機嫌は一気に急降下したようで、「聞いてくれよ綾小路大先生〜」と面倒臭そうなモードに入ってしまった。

 

「まだ渡せてないのか」

「ほら、あれだよ、タイミングって大事じゃん?」

「無人島試験も無事終わって、佐倉も今が一番浮かれている時期なんじゃないか?」

「う……いや、でもよ! 健だってまだ堀北のこと名前呼びにしてないし!」

 

 痛いところを突かれて、話題を須藤に無理矢理変えようとする山内。突然のことだったためか、須藤は咳き込んだ。

 

「練習量が足りなかったようだな……」

「あれを練習とは呼ばねえよ! つーか、関係ねえだろ春樹の話と!」

「アリアリなんだな、これが。ほら、俺も抜け駆けは良くないかなって思ってさ。お前らに合わせてやってるわけ」

「嘘つけ。この前、俺がDクラス男子の中で二番目に彼女作るから見とけよとか言ってただろ」

 

 池はフォークの先を山内の方に向けてそう指摘する。

 その話を出されて、山内はウッと顔を顰め、すかさず反撃を繰り出した。

 

「まあ寛治には篠原がいるし、高みの見物だもんなあ」

「はあ!? 誰があんなブスに!」

 

 池は顔を赤くして立ち上がった。世の言う小学生男子のような反応に、聞かなくても察することができる。どうやら無人島試験を通して色恋沙汰も発展しているらしい。

 

「篠原と付き合っちゃえよ」

 

 山内がニヨニヨしながら池脇腹を突く。

 

「俺は桔梗ちゃん一択だし」

「その虚勢、いつまで保つか見ものだな」

「唐突な上から目線」

「龍園のマネだ」

「怖いもの知らず過ぎんだろ清隆。つうかよ、春樹。マジでいつ佐倉に告るわけ? 一ヶ月以上告る告る言ってるよな」

 

 落ち着きを取り戻し、腰を下ろした池。巡り巡って結局話題は山内の告白話に戻った。

 棚に上げ作戦に失敗した山内も色々思う所があるのか、はあ、とため息を吐いた。

 

「なあんかこうさ、背中を押してくれるような一言があればいけそうって言うか」

 

 オレたちは顔を見合わせる。

 そして池がトップバッターを飾った。

 

「春樹ならイケるって。無人島でカッコいいところいっぱい見せたんだろ?」

「そう、だけどよお」

「そうだぜ春樹。むしろイケイケなお前がモテない方がおかしい」

「ほ、ほんとか……?」

「マジマジ。このステーキに賭けてもいいぜ」

「ほら、清隆もなんか言ってやってくれ」

 

 須藤がオレにバトンタッチした。

 

 

「……そもそも転びまくってる奴に一押しもクソもないだろ。また転んで終わりだ」

 

 そして見事オレは、バトンを明後日の方向にぶっ飛ばしてしまった。

 

「し、辛辣過ぎる!」

「春樹だって頑張ってんだぞ! 全部空回りしてたけど!」

「なんか清隆お前、段々鈴音に似てきたな……」

 

 つい本音が溢れてしまい、指をさされてものすごい非難された。最後の須藤評だけは心に刺さった。最初に話題を振ってしまったのはオレだが、まさかこんな面倒臭い展開になるとは思いもしなかった。

 仕方ない。チアリーディング部顔負けの応援してやるか。

 

「フレーフレー山内。頑張れ頑張れ山内。ホワイトホール白い明日が待ってるぜ」

「棒読みをまず治してから出直せ!」

 

 渾身の叱咤激励は全く効かず、山内はすっかりむくれてしまった。

 男がやっても引くほど需要がないぞ山内。視覚の暴力だ、やめておけ。

 

「悪かったって。本気でオレは山内の恋を応援している」

「じゃあお詫びとしてガチャ引いてくれよ〜」

「……ガチャ?」

「10連のSR1枚確定で、URが最高レアなんだよ。んで、四周年記念でSSR以上が出る確率が20%になってて、俺の推しキャラがピックアップでさ!」

 

 端末の画面を見せ、興奮気味に馴染みのない単語を並べ立てて説明してくる山内。

 単純に考えれば、1枚以上はほぼ確実にSSRとやらが出るのだろう。

 しかもピックアップキャラはレア度に限らず出てくる確率が50%であり、そのガチャを引けるチャンスはたったの一度だけ。そのため中々勇気が出ず、未だに引けてないらしい。

 

「俺が出せと?」

「これで良い結果が出れば、今日こそ雫ちゃんに人形渡す!」

「完全運任せなんだろ? 誰が引いても変わらないんじゃないのか」

「こいつ今日の運勢激ヤバらしいぜ」

「朝のニュースの星座占いコーナーで11位だったんだよー! 応援してくれるんだったら頼む!」

 

 まったく調子の良い奴だ。ガチャを引かすためにわざと凹んでいたんじゃなかろうか。

 

「……まあ、押すだけなら」

 

 そうしてガチャガチャした画面を向けられた。

 キラキラの凝られた装飾と際どい衣装を着ている、なんとなく佐倉の面影があるキャラのカードがクルクル回っている。特になにも考えず、指示された通りに画面をタップすると、なにやら長そうな演出に入った。興味もないので、手を前に組んで神様に何かを祈っている山内に端末を返す。

 

 すると返された端末を見て山内は、ぎゃああああ! と醜い断末魔を上げた。

 

 

「なっんだこれ!! クソドブじゃねえか!!!」

 

 

 言葉的に酷い結果だったのだろう。

 池がどれどれ、と画面を見て思いっきり顔を顰めた。

 

「ひでえ……あんまりだ」

「SR1枚のみで、しかも推しキャラが一人もいない。こんなことがあり得て良いのか……?」

「10回の内20%と50%全部をすり抜ける確率の方が凄えんじゃねえか春樹」

 

 あまり興味を示していなかった須藤でさえ、山内を慰め出した。遂には山内は男泣きを始める。

 

「ひでえ、ひでえよお。どんなドブでもレア関係なく3枚はピックアップキャラが来てるってのに……俺が何をしたって言うんだ……」

 

 悲壮感を漂わせる山内があまりに哀れすぎて、須藤は咎めるような視線をオレに向ける。

 

 これって、オレが悪いのか……?

 端末もしくはデータの問題だろ。もしくは乱数とか。

 

「清隆……お前、運に関して言えば、最底辺なんだな。ここまでの奴は流石に初めて見たわ」

 

 池は気まずげに言った。

 ガチャ運とは端末やデータではなく、OKボタンをタップした人間の運による、という文化をこの時初めて知り得た。軽いカルチャーショックだった。

 

「わ、悪かったよ山内」

 

 泣き崩れている山内に、オレは一応謝った。

 運命を他人任せにしたお前が悪い、とは流石に言えなかった。

 だが機嫌が治るわけもない。

 

「今後もお前と佐倉がくっつくように全力でサポートしてやるから、な?」

 

 押し付けられた野菜を返したり何だりして山内を慰めていると、突如として全員の携帯が同時に鳴る。

 キーンと言う高い音。それは学校からの指示であったり、行事の変更などがあった際に送られてくるメールの受信音であった。マナーモード中であっても音が強制的に出ることから、重要度の高さが窺える。

 

 

「お、なんだ?」

 

 三バカが不思議がるのも無理はない。

 入学時に説明は受けていたものではあるが、今日まで使われたことは一度もなかったからだ。

 ほぼ同時に船内アナウンスが入る。

 

『生徒の皆さんにご連絡致します。先程全ての生徒宛に学校から連絡事項を記載したメールを送信致しました。各自携帯を確認し、その指示に従って下さい。また、メールが届いていない場合には、お手数ですが近くの教員まで申し出て下さい。非常に重要な内容となっておりますので、確認漏れのないようお願い致します。繰り返しますーー」

 

「……今届いたメールのことか?」

「多分な」

 

 メールを確認すると、十八時に二階の204号室に行くことが指示されていた。だが、他三人とは指定された時間と場所は全く異なっていた。池と須藤はどうやら同じらしい。特別試験という文言に、三人の顔はいつになく暗い表情になる……と思いきや、「よっしゃやったるぜ!」とやる気満々だ。

 前回の無人島試験で素晴らしい結果を残せたこともあってか、女子に良いところを見せるチャンスが増えたくらいの考えなのだろう。山内の機嫌もいつの間にか浮上していた。

 

 

 昼食を食べ終わり、客室に戻ろうとすると、何やら話し込んでいる堀北と平田とすれ違った。普段なら珍しい組み合わせだが、こと特別試験では案外よく見かける光景になるかもしれない。

 二人に気付いた須藤が、鼓舞するように自らの頬を突然叩き、「よし」と気合を入れる。

 

「よお。す、す、堀北……」

 

 そしてあえなく撃沈。

 頭文字だけで「はい?」と仇でも見るような怪訝な目を向けられれば、確かにそれ以上は出られない。もしかしたら彼女はただ、「す」の後に続く言葉を分かっていないだけかもしれないが。女版鈍感系主人公臭がするし、当然の対応かもしれないな。

 

「メールはしっかり確認した?」

 

 勝手に落ち込んでいる須藤をスルーして、堀北はオレたちにそう尋ねる。

 すり合わせをしたところ、堀北と平田は同じ時間と場所だった。

 

「確か、幸村くんは清隆くんと同じだったはずだよ」

「それは心強いな」

「時間帯が異なるのは気になるわね。綾小路くんはどう思う?」

 

 彼女はオレへの気遣いなど、ごみ箱にダンクシュートしたのだろう、所構わず相談しやがる。

 

「スーパーコンピューターもビックリのオレの頭脳に訊くとは腕を上げたな、堀北」

「そう。で?」

「冗談だ。オレに訊いても時間の無駄だぞ」

「あら、過剰な謙遜は何も生まないわ」

「安寧を生むだろ」

「その安寧の条件は、それを謙遜だと知る人間が周りに居ない場合よ」

 

 須藤と平田は言わずもがな、池と山内は図書館の件もあるし、彼女の的確な指摘にぐうの音も出ない。

 

「……今のところは何も言えないな。先に問題を知る生徒とそうでない生徒の間で差を生むことに、意味があるのかは疑問だが」

「一応クラス全員のメールは確認しておいた方が良さそうだね」

 

 平田が実にありがたい提案してくれた。

 

「頼りになるな」

「それと綾小路くん。解散したら甲板にあるカフェ『ブルーオーシャン』に来て。そこで説明された内容とあなたの意見を教えてもらえるかしら」

「期待はするなよ」

「期待はしていないわ。信頼しているだけ」

 

 堀北はオレがその類いの言葉を嫌がることを分かっていてあえて言っているのだ。あーやだやだと目を背けると、視線の先にはしょぼくれている須藤がいた。段々須藤が哀れに思えてきたと同時に、オレに対して妬みの感情を持っていてもおかしくないだろうに、普通に絡んでくるのは何故だろうな、という疑問が浮かんだ。

 

「くれぐれも指定の時間に遅れないようにね」

 

 堀北は睨みをきかせ、三バカ達に釘を刺す。

 そして堀北は肩で風を切るように先を行き、平田は「じゃあまた後で」と困った顔をしながらついていった。

 四月頃には想像もつかなかったような光景だ。

 

 

 

「あれ」

 

 去っていく二人の後ろ姿を見て、池は首を捻る。

 

「平田ってお前のこと名前呼びしてたっけ」

「池や山内はされてないのか?」

「おう、多分」

 

「……あんな感じで呼び方なんて簡単に変えられるわけだし、堀北のことを鈴音って呼ぶのも案外サラッとやればバレないんじゃないか?」

 

 あまり掘り起こされたくない話なので、未だ肩を落としている須藤にフォローを入れた。

 

「……そうか?」

 

 平田の場合はヌルッとやってきたがな。

 5回目でやっと気付いたくらいヌルッとしていた。

 

「てかさ、先に名前で呼んで良いか訊くのが先だったよな?」

 

 山内は呆れたように言うと、須藤はガシガシと自身の頭を掻く。

 

「ついテンパっちまうだよ」

「台本考えてから言えば焦らないんじゃないか?」

 

 須藤はううんと呻いた。

 

「なんつーか、ダサくねえ?」

「須藤が嫌なら無理には勧めないが」

「だったら俺たちが考えてやるよ! そうだな、最初の一文は『将来の嫁であり永遠を誓い合った堀北様へ』でどうだ健」

「山内、それ佐倉の前でやれよ」

 

 そんなこんなで須藤の反省会をしながら、客室へと向かった。

 

 まあ正直。個人の区別をするために用いられている記号に、意味を持たせる必要なんてないだろう、と思うのだが、それを言うと今度こそボコボコにされそうだったので、やめておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校からの呼び出しメールを受けたオレは、同室の幸村と共に二階フロアに足を踏み入れる。指定の時刻まであと五分ほどのところで、オレたちは目的地に辿り着いた。

 普段生徒がいないはずのフロアに、数人の生徒がウロウロしていた。誰かは確認できなかったが、近くの部屋に入っていくのが見えた。

 

「む、他クラスの生徒か」

 

 幸村が呟いた。

 

「同じ時間帯で違う部屋に呼び出されているらしいな」

「ますます意味が分からん」

 

 お互い首を傾げながら、指定された部屋のドアをノックすると、すぐに返事があった。

 

「入りなさい」

 

 許可を受け、一室に足を踏み入れる。するとそこには、ガッチリとした体格のスーツ姿に身を包んだAクラスの担任真嶋先生が椅子に腰掛けていた。小さなテーブルの資料に目を落としている。

 そして真嶋先生の前にはおどおどした様子で一人の男子生徒が椅子に座っていた。

 

「よよ、綾小路殿ではござりませんか、コポォ!」

 

 奇妙な鳴き声を発したのは、外村という男子生徒で、男子からは博士と呼び慕われている。やや太り気味で眼鏡をかけているtheオタクといった風貌だが、ギャップもクソもなく、オタクを地で行くオタク系男子だ。歴史や機械にどこか偏った方面で詳しく、言語や語尾は理解不能な面も多いが、対戦ゲームの順位上げなどを手伝ったりする過程でかなり話す機会の多い人物でもある。

 

「聞きましたぞ綾小路殿。ガチャでドブ引きしたとか何とか」

「あれは山内の端末のバグだ」

 

「何をしている。早く座りなさい」

 

 顔を上げる事なく真嶋先生に座るよう指示されたため、そそくさと席に着いた。

 

「あと一人、到着を待つ。大人しく待っていなさい」

 

 もう一人が来れば、見えない四人の共通点や理由が明確になるのだろうか。

 少なくともオレたち三人の共通点と言えば、全員Dクラスの真面目な男子生徒である、もしくは、運動神経に難ありくらいしか見当たらない。

 これが仮に特別試験の説明であったとしても、公平を期すために全員一斉に行わない理由が掴めない。

 

 今考えても然程意味はないが、厳格な先生と三人の生徒の間で余計な会話を挟むことも難しく、重たい沈黙が続いていたため、何かに思いを巡らす他なかった。

 

 やがて約束の十八時を回った。微動だにしていなかった真嶋先生が、一瞬だけ時計を見やった。と、ほぼ同時にドアはノックされる。オレたちの時と同じように先生が入りなさいと声をかけると、ゆっくりとドアは開かれた。

 

「失礼しまーす」

 

 程なくして間延びした声を発し、軽井沢が室内に入ってくる。全く予想していなかった相手であったため、戸惑いを隠せなかった。

 

「え。なにこれ。なんで幸村くんたちがいるわけ」

 

 明らかにその声には嫌悪が混じっており、幸村は顔を顰めた。

 

「時間厳守だと伝えておいたはずだ。遅刻だぞ。席に着きなさい」

「はーい」

 

 真嶋先生のお咎めにやや不服そうに返事をして、軽井沢は少しだけ椅子を持ち上げオレから距離を離して腰を下ろした。オレもなけなしの優しさを発揮して彼女から椅子を離してやると、何故か「は?」と睨まれた。なんであんたの方も避けるのよ気に入らない、とでも言いたげな顔だ。

 下着泥棒と近くとかマジ無理! と思われていてもおかしくないので最大限の配慮をしたつもりだったが、余計怒らす結果になったらしい。

 

 ごほん、と真嶋先生は咳払いをする。

 

「Dクラスの綾小路、軽井沢、外村、幸村だな。ではこれより特別試験の説明を行う」

 

 それから先生は、試験の概要を順序立てて説明した。

 

 要約すると、

 試験の目的は『シンキング』であり、一年全員を干支になぞらえて12のグループに分け、そのグループ内で試験を行う。そしてオレたちが配属されたグループは『兎』であり、試験の合否の結果はグループ毎に変わる。

 といった具合だ。

 

 途中、軽井沢と幸村の喧嘩が勃発し更に険悪な仲になったが、触らぬ神に祟りなし、外村とオレは無言を貫き通した。

 

 その後、試験内容が詳しく書かれたプリントを配布される。

 

 

 〈夏季グループ別特別試験説明〉

 

 本試験では各グループに割り当てられた『優待者』を基点とした課題となる。定められた方法で学校に解答することで、4つの結果のうち1つを必ず得ることになる。

 

 ◯試験開始当日午前8時に一斉にメールを送る。『優待者』に選ばれた者には同時にその事実を伝える。

 ◯試験の日程は明日から4日後の午後9時まで(1日の完全自由日を挟む)。

 ◯1日に2度、グループだけで所定の時間と部屋に集まり1時間の話し合いを行うこと。

 ◯話し合いの内容はグループの自主性に全てを委ねるものとする。

 ◯試験の解答は試験終了後、午後9時30分〜午後10時までの間のみ優待者が誰であったかの答えを受け付ける。なお、解答は1人1回までとする。

 ◯解答は自分の携帯電話を使って所定のアドレスに送信することでのみ受け付ける。

 ◯『優待者』にはメールにて答えを送る権利が無い。

 ◯自身が配属された干支グループ以外への解答は全て無効とする。

 ◯試験結果の詳細は最終日の午後11時に全生徒にメールにて伝える。

 

 

 基本的なものとして、細かくルールの説明や禁止事項についても記載されていた。

 そして、ここからが重要な意味を持つ4つの定められた『結果』についてだ。

 

 

 ◯結果1

 グループ内で優待者及び優待者の所属するクラスメイトを除く全員の解答が正解していた場合、グループ全員に50万プライベートポイントを支給する。(優待者の所属するクラスメイトもそれぞれ同様のポイントを得る)また、優待者は結果1を導いた報酬として100万ポイントが支給される。

 

 ◯結果2

 優待者及び所属するクラスメイトを除く全員の答えで、一人でも未解答や不正解があった場合、優待者には50万プライベートポイントを支給する。

 

 

 以下の2つの結果に関してのみ、試験中24時間いつでも解答を受け付けるものとする。

 また、試験終了後30分間は解答を受け付けない。

 

 ◯結果3

 優待者以外の者が、試験終了を待たず答えを学校に告げ正解していた場合。答えた生徒の所属クラスはクラスポイントを50ポイント得ると同時に正解者にプライベートポイントを50万ポイント支給する。また優待者を見抜かれたクラスは逆にマイナス50クラスポイントのペナルティを受ける。及びこの時点でグループの試験は終了となる。なお優待者と同じクラスメイトが正解した場合、答えを無効とし試験は続行となる。

 

 ◯結果4

 優待者以外の者が、試験終了を待たず答えを学校に告げ不正解だった場合。答えを間違えた生徒が所属するクラスはクラスポイントを50ポイント失うペナルティを受け、優待者はプライベートポイントを50万ポイント得ると同時に優待者の所属クラスはクラスポイントを50ポイント得る。答えを間違えた時点でグループの試験は終了となる。なお優待者と同じクラスメイトが不正解した場合、答えを無効とし受け付けない。

 

 

 

「あーちょっと待って。あたしついていけてない」

 

 シンプルな説明だったが、話半分にしか聞いていない軽井沢には理解が及んでいないようだった。地頭が悪い云々ではなく、単純に真剣に取り組むつもりがないためだろう。

 

「もう少し噛み砕いて説明してやろう。君は人狼ゲームをやったことはあるか」

「じんろーげーむ? 一時期流行ったよね、あるある、やったことある」

 

 人狼ゲームとは、味方に扮した嘘つきを会話で見つけ出し、吊り上げていくパーティゲームだ。一般的に広く知られているルールとしては、村人陣営と人狼陣営に分かれたプレイヤーがそれぞれの陣営の勝利を目指して戦うというもの。

 確かに優待者を人狼と喩えると、分かりやすい説明ではある。

 

 人狼ゲームという名称に、外村は、ピコーンとセルフ効果音を入れた。

 

 

「それなら綾小路殿は、百戦百勝歴戦の猛者隻腕の狼ですぞ! ガハハ、勝ったな風呂入ってくる」

 

 相変わらず後半は何を言っているか分からなかったが、軽井沢と幸村はその情報に興味を示した。

 

「え、人狼強いの?」

「外村のいつもの妄言だ」

「それは違うよ! ほら、証拠ならここにあるでござる」

 

 外村はアプリを開き、二人に戦績画面を見せた。

 このアプリはオンラインで知らない人と気軽に人狼が出来るオンラインゲームであり、かなりのユーザー数がいる。

 一応、学校外の人と連絡を取り合う手段としてオンラインのゲームが使われることは禁止されている。端末には学校の内情を文章にして外部に送信した場合、その文章は発信されることなく消されて、更に学校に通知が行くらしい。断定ではないのは、都市伝説扱いされているからだそうだ。だがもし犯せば、オンラインゲーム全面禁止を言い渡される可能性もある。そのためもあってか、ゲーマー達は強い団結力を見せ、ルールを犯す者は未だ出ていないらしい。

 

「59戦31勝、ってまあまあじゃない?」

「それは拙者のデータの戦績でござるよ。直近10戦を見ていただきたい。それが綾小路殿の戦果でっせ」

「え、すご〜い。1回しか負けてないじゃん」

「ぬっふっふ、もうあいつ一人で良いんじゃないかな、というやつでござるよ」

「本当であれば確かにこれは心強いな。因みに1回は何故負けたんだ?」

「アイコンと話し方が胡散臭いから、だとか何とか言われて初日に吊られてそのまま負けた。ただ厳密には人狼ゲームと本質は違うだろうし、あまり期待はするな。それよりも軽井沢。この試験のルールは把握出来たのか?」

「あ、やっべ。全然分かんないや」

 

 勝手にワイワイ盛り上がっている中、真嶋先生は何も注意してこなかった。「はい君たちが黙るまで三分かかりました」みたいなトラップを仕掛けた訳でもなさそうだ。軽井沢が先生に目を向けると、一つ咳払いをしてから説明を再開した。

 

「優待者を狼として考えてみればいい。優待者以外の生徒は、優待者を当てない限り恩恵を得る事はできない」

「同クラスに優待者が居て、その人が優待者だって最後までバレなかったら?」

「その場合は結果2となるな。優待者のみが50万プライベートポイントを得ることになる」

「ええっとじゃあ、優待者がチョー有利ってこと?」

「基本的には。だが逆に当てられればクラスポイントを落とすことになる」

 

 その発言に軽井沢は「うわ、プレッシャーやばそ」と続けて愚痴をこぼした。

 一々言葉を挟むのは彼女の癖なのかもしれない。

 真嶋先生もスルーしている。

 

「具体的な試験のクリア方法をまとめると、

 

 ・グループ全体で優待者を共有してクリアする

 ・最後の解答を誰かが間違え優待者が勝利する

 ・裏切り者が優待者を見つけ出す

 ・裏切り者が優待者の判断を誤る

 

 の、四つだ。それだけ理解しておけば今は良い」

 

 段々と理解できたのか、はたまた諦めたのか、間延びした相槌を打つ軽井沢。外村はメガネを何度もクイッと上げては「完全に理解した」と呟いているので恐らくダメだろう。今まで根気よく説明してくれた真嶋先生だったが、さすがにこれ以上はサービス外なのか、次の話に移ってしまった。

 

「君たちは明日から、午後一時、午後八時に指示された部屋に向かいなさい。当日には部屋の前にそれぞれグループ名が書かれたプレートがかけられている。初顔合わせの際には室内で必ず自己紹介を行うように。室内に入ってから試験時間内の退室は基本認められていない。トイレなどは済ませてくるように。万が一の場合にはすぐに担任に連絡し申し出るようにしなさい」

「部屋に出ちゃいけないっていつまで?」

「説明に書いてあるだろ。一時間だ」

 

 幸村が噛みつく勢いで指摘した。

 理解する努力すらせずさっきから無益な質問ばかりしていた事が、相当頭にキていたらしい。

 彼もクラスメイトをある程度見直したとは言え、男女の溝は未だ埋まりきっていないのだろうか。

 

「マジ? あーあ、もっと楽な試験だったら良かったのに。せめて同じグループの人は平田くんが良かった」

 

 それに対して軽井沢はどこか嫌味ったらしく返す。幸村は彼女を睨み付けたが、どこ吹く風だ。

 

「それから、グループ内の優待者は学校側が公平性を期し、厳正に調整している。優待者に選ばれた、選ばれなかったに関わらず変更の要望などは一切受け付けない。また、学校から送られてくるメールのコピー、削除、転送、改変などの行為を一切禁止とする」

 

 

 

 こうして特別試験の説明は終わった。

 

「なるほどな。そのメールは100%の真実証明となり得るのか」

 

 廊下に出ると、幸村はそう呟いた。そして、

 

「取り敢えず同じグループになった以上、まずは結束を深めることが必要不可欠だ。明日の優待者発表次第だがこれからもう少し四人で話し合いをしたい」

 

 と提案した。

 

「綾小路くんが人狼強いんでしょ? 任せれば良くない?」

 

 しかし軽井沢は軽く拒否し、携帯を手に取り背を向けて歩き出す。恐らく通話の相手は平田だろう。

 幸村は隠すことなく舌打ちをした。

 

「……前途多難だ」

「ああいう性格は二次元まででござるなあ」

「ま、話し合いは明日で良いんじゃないか? 軽井沢も流石に女子一人は気まずいんだろう」

「実は拙者、これからラブラブアライブオーシャンのアニメを視聴する重大な任務があるのでその提案は助かるでござるよ。は! まさか綾小路同志もアニメを見るために!?」

「いや、単に眠いだけだ」

「リアタイこそ正義でござるのに……」

 

 しゅんとする外村。

 そのアニメにそもそも全く興味はないが、この前そのアニメの元となった音ゲーのマスターのフルコンクリアを手伝ったお陰か、オタク特有の早口で宣伝されてしまった。そのためメンバーの名前と顔が一致する程度には覚えてしまうという悲劇に見舞われた。加えて曲も覚えてしまったので多分カラオケで歌える。

 もう櫛田にオタクきっもと罵られても反論できないかもしれない。

 

 そんな調子なオレたちの会話を聞いて、本当にこのグループは大丈夫なのだろうかと心配のなったのか、幸村は盛大なため息を吐いた。

 

 

 




綾小路くんが頑張っていっぱい暗躍しましたの一言で片付けても多分通じる第四章が始まります。三章以上に彼の運動量が跳ね上がっている気がします。「股を開け」は原作でどうぞ。


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ドラマツルギー

 

 

 

「こんばんは、夜風が涼しいな」

「ええおはよう。清々しい朝ね」

 

 心なしか堀北の眉間のシワは限界突破しているように見受けられる。

 

 試験説明が終わった後に会う約束を取り付けていたオレたちだったが、悲劇に見舞われ結局会うことは叶わなかった。

 

 ところで、仮眠が人間にとって最も効果をもたらす時間を知っているだろうか。

 

 それは約二十分と言われている。

 部屋に戻ったオレは、堀北に会う前にまず端末のタイマーを使って仮眠を取った。集中力を高めるため、そして情報を整理するためにも必要な作業だったからだ。

 そう、ここまでは完璧だった。

 だが目が覚めて起きたら、洗い立ての太陽が我が物顔でよっこらせと肩を海に浸からせていたのである。

 

 再び早朝の大浴場の世話になったオレは、タイマーが正常に作動している事を確認し、一つの確信に至った。

 タイマーの音でオレは起きることが出来なかった、というわけだ。

 

 不甲斐なさを感じつつ、部屋に戻って既に起きていた幸村にタイマーの音が煩くなかったか尋ねると、しかしとんでもない事実が返ってきた。

 

「ん? ああ。鳴った瞬間平田が止めていたぞ」

 

 続いてオレ達の会話で起きてしまった平田に問うと、

 

「疲れているように見えたから、堀北さんには朝に変えてもらうよう頼んだよ。勝手……だったかな?」

 

 気遣いの方向がぶっ飛んでいる気がする。

 まあ、むしろ優待者が誰か確認してからの方が良かったまであるので別に咎める程でもないが。

 

 

「怒ってないわよ」

 

 堀北は一度大きなため息を吐いてから、咎めるように言った。

 

「それは安心した」

 

 時刻は7時45分。

 生徒達の人気のビュッフェを避け、カフェ『ブルーオーシャン』の中でも日陰にあたる不人気な奥のテーブル席でオレ達は落ち合った。

 

「どう? 利用された気分は」

 

 早速試験の話に入ると思ったが、彼女は全く別の話題を振る。

 無人島試験で、無断でBクラスと交渉したことについてだろう。オレはまんまと彼女に龍園の居場所を教えてしまい、それを利用されたのである。

 

「……どうと言われてもな。結局Dクラスは勝利を収めることが出来たわけだし、別に良いだろ」

「私はあなたが本調子を出せないことを利用した。酷いとは思わなかった?」

「勝負に綺麗も汚いもない」

「何も思わなかった、ということね」

「……意味が分からないんだが。なんだ、罪悪感でも持ったのか?」

「いいえ? これっぽっちも罪悪感なんてないわよ? 意趣返しが出来て清々しているくらいだもの」

 

 まさか、未だ須藤の件を根に持っていたのか。

 

「一ヶ月も前の話だろ」

「あの後兄さんから予防線の話を聞いたのよ」

「連絡取り合う仲になれたのか?」

「まあ、週に一度は……ってそんな話は今関係ないじゃない」

 

 堀北は頬を赤らめ、サッと顔を伏せる。

 

「いやいや、オレとしては気になる話だな。あれだけ拗れていたんだ。どうやって仲直りしたのか気になってもおかしくはないだろ」

「嘘を吐かないで。そうやってまた私の追及から逃れようとしている」

 

 それから、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「今重要なのは、あなたは決定的な証拠を持っていながら、私たちに渡さず、兄さんに譲ったという事実。あの審議に勝てるかどうか、私を試したのでしょう?」

「机上の空論だな。そもそもオレはその決定的な証拠とやらを知らない。オレの名を出した理由をお前の兄に直接問いただしたいくらいだな」

「……答えるつもりはない、ということね」

「誠心誠意答えているつもりだ」

 

 堀北にじとりと睨まれるが、華麗にスルーする。そんな態度のオレに、堀北は追及を諦めたようだ。大きく、そしてわざとらしく溜息を吐いた。

 

「まあ、今はいいわ。あなたは私の所業に何も感じなかった。それが分かっただけでも充分よ」

「まるでオレが感情のないロボットみたいな言い方をするんだな。心外だ」

「事実でしょ?」

「腹が煮えくりかえってDクラスに復讐したいくらいだ、とでも言えば満足なのか?」

「心が篭ってないのよ」

「お前に心が無いだけだ。感受性を身につけるためには動物を飼うといいぞ」

「そっくりそのままお返しするわ」

 

 堀北は腕を組み、憎たらしげに言い放った。

 

 

「……オレからも一つ確認したいことがある」

 

 折角無人島試験の話に戻ったので、言質を取るためにも堀北に尋ねる。

 

「佐倉とお前はどんな関係なんだ」

 

 堀北はその名前に眉をピクリと上げた。

 

「どんな関係と言われても。私と彼女は友達よ。友達だから、恋バナを聞いた。ただそれだけ」

「その恋バナに盗撮が含まれており、なおかつ初めてのお友達についうっかり勢い余ってクラス共有のポイントを使ってビデオカメラを与えた、なんてジョークは言わないよな?」

「あら。友人の恋を応援することが、そんなにおかしなことかしら」

「……まあ、いいが」

「案外あっさり引き下がるのね」

 

 拍子抜けしたらしく、逆に訝しむようにオレを睨みつけた。

 

「さほど重要視はしていないからな。それで、昨日は何か話し合ったのか」

 

 軌道修正をするため、船上試験の話に戻す。

 堀北もこれ以上は無駄な時間になると感じたのか、コーヒーを一口飲んでから、一つ深呼吸をした。

 

「結局、全てのグループの名簿を作成しただけで昨日は終わったわ。確認はしたかしら」

「ああ。平田からPDFで受け取った。お前のグループのメンツは随分厳ついな」

「そうね。おかげで葛城くんにかなり警戒されていたことが分かった」

「葛城、か。改めて見るが各クラスのリーダー陣ばかりだ」

「……恐らくだけど、私たちのグループだけは意図的に作られているように思えるの」

「一之瀬が居ないのは意外だったが」

「その代わりあなたの所に居るじゃない」

「意図的に見えるか?」

 

 堀北は苦い顔をする。

 

「嫌な予感はするわ。……そろそろ所定の時間ね」

 

 堀北は端末を手に取り、操作する。オレも確認してみると、いつの間にかあと一分を切ったところだった。そして時刻が午前八時を迎えると、一秒の誤差もなく丁度互いの端末が鳴った。届いたメールを確認する。

 

『厳正なる調整の結果、あなたは優待者に選ばれませんでした。グループの一人として責任を持って行動し試験に挑んで下さい。本日午後一時より試験を開始致します。本試験は本日より三日間行われます。兎グループの方は二階兎部屋に集合して下さい』

 

 堀北のメールも読ませて貰ったが、グループの違い以外は全く同じだった。

 

「優待者に選ばれていたら、文面は『選ばれました』になっていたんだろうな」

「気に入らない一文ね。まるであなたに資格はありませんって言われているみたい」

 

 堀北は不服そうに呟く。

 随分可愛げがあるプライドの持ち方だ。

 冗談のつもりなのかもしれない。

 

「厳正なる調整、の部分がオレには引っかかるが」

「それは……つまり、資格がどうこうは関係がない、ということかしら」

「規則性があるかも、くらいは考えてもバチは当たらないだろう」

「そう、ね。流石に優待者が一つのクラスに偏っているとは考え辛いもの。一クラスに三人は確実に居るでしょうね」

 

 十分と経たずに、もう一度メールが送られてくる。平田からだ。

 そこには優待者の名前があった。

 

 軽井沢、南、櫛田。

 

 確認してからすぐにメールを削除する。

 この情報は堀北、平田にしか伝えないようになってある。

 堀北はメールを見て堀北は顔を曇らせた。

 

「一人、分からないのね」

 

 オレは表情こそ変えなかったが、堀北とオレとで渡された情報が異なっていたことに、考えを巡らす。そして、一つの結論に辿り着いた。

 軽井沢だ。

 ……運命の女神は微笑んだのかはたまた嘲笑ったのか。

 

 オレは声を落として尋ねる。

 

「守り切れるか?」

 

 堀北は頭痛を抑えるように額に手を当て、目を瞑った。

 

「……正直、難しいわ」

 

 堀北は既に櫛田の裏切りを知っている。彼女が龍園に優待者の情報を落とすことくらい、猿でも分かる話だ。マイナス50ポイントはほぼ確定したと言っても良い。

 

「もう一人も賢い生徒とは言えない」

「まあ、確かにな」

「かなりまずい状況であるのはまず間違いないわね。これは個々人の実力が試される試験。悲しいことに、Dクラスは平均的に見ればどのクラスよりも劣っているし、統制も取りきれていない。逸った生徒が勝手に動いて自滅でもされれば、折角のポイントも失うハメになる。厄介極まりないわ」

 

 堀北は落ち着くためにコーヒーに口をつける。

 

「それを制御するのが今回のお前の仕事だ」

「ええ、分かっている。どのクラスも当てなければ、最悪の場合でも150ポイントの損失で済むもの」

「他クラスと組めば、0ポイントで済むと思うぞ」

「お互い教え合って当て合う、ということ?」

「ああ」

「でも、その他クラスってどれかしら? Dクラスは前回の試験のせいで一番警戒されていると思うのだけど」

「本気じゃない。ただの一つの案だ」

「無理よ。そもそも私たちは二人しか優待者を知らない」

「ああ、そうだったな」

 

 目を窓の方に向けていた堀北が、チラリとオレを窺った。

 

「……まさか、最後の優待者はあなたってことはないでしょうね」

「見せ合っただろ」

「あなたが私の端末を勝手に見ただけよ」

「そうだったか」

 

「もしあなたであれば心強いのだけどね」と、彼女は嫌味ったらしく吐き捨てた。

 

 確かに勝ちに繋がる方法はある程度考えついたが、それを南たちが実行できるかと言われれば難しいだろう。ただ深く関わるのは面倒ではあるが、堀北に伝える価値はあるかもしれない。メモ機能に文字を打とうと目を落とすと、堀北はテーブルを三回叩いた。顔を上げると彼女の端末の画面。

 

『SIMカードのロック解除に必要なポイントを知っている?』

 

 どうやら彼女も優待者の所在を騙す方法を考えついていたらしい。オレは首を横に振った。

 

「茶柱先生にあとで聞いてみるわ」

「それがいい。ただ櫛田には伝えるなよ」

 

 その名前に、堀北は本日何度目かのため息を吐いた。

 

「櫛田さんをこのまま放っておくわけにはいけない。けれどいくら私を退学させたいからってクラスを裏切るなんて思ってもいなかったし、彼女を止める方法が今はまだ思いつかない。せめて試験の間にもう少し時間があれば良かったのだけど……」

 

 悩みの種の一つである櫛田の裏切り問題。

 堀北は裏切りの証拠である動画を掴んではいるものの、それは同時にオレが協力者である証拠でもある。たとえ堀北がこれをバラすぞと櫛田を脅したとして、彼女の今まで築き上げていた地位を揺るがすことはあろうが、「綾小路に脅された」の一言で同情を買うことなど容易い。現状櫛田の存在はDクラスをまとめるという立ち位置においては平田以上に力を発揮している。内ゲバが泥沼化することほど面倒なことはない。故に、堀北は動けない。

 

「何も対処しなくていい。今はな」

「あなたがどうにかする、と?」

「そのために今まで動いてきた」

 

 失敗する気はサラサラないが、この試験でふたつ、リスクを冒してでもやりたい事がある。

 

「参考までに聞いておくわ。あなたが今一番警戒しているのは誰?」

 

 ふいに、自グループについてはほぼ諦め気味だったはずの堀北が、目を細めて尋ねた。堀北は奥の壁を背に座っているためこのカフェ全体を見渡せる位置にいる。

 オレは背後からの殺気とも言える気配に微塵も気にした様子を見せず、答えることにした。

 

「龍園だな」

「……即答」

「それ以外に今は選択肢がない」

「葛城くんは?」

「警戒する相手と優秀な存在は必ずしも一致しないだろう。それに、」

 

 続ける言葉を、オレは一旦止める。

 堀北が唇の前の人差し指を立てたからだ。

 

「良い天気だな、鈴音」

 

 不敵な笑みを浮かべながらやってきた二人組。

 まさに話の渦中にいたCクラスの龍園。そしてもう一人。

 

「気安く名前を呼ばないでと忠告しなかったかしら、龍園くん。ーーそれから、演技上手の伊吹さんもいるのね」

 

 龍園の隣には、強気な目つきでオレを睨み付ける女子生徒、伊吹澪の姿があった。

 軽く挑発された伊吹は不服そうにしていたが、噛みつこうともせず下唇を小さく噛み締めた。どうやら伊吹は挑発した堀北よりも、オレに向けて敵愾心を露わにしているようだ。龍園は鼻で笑う。

 

「こじきもいるじゃねえか」

 

 そして空いた二つの椅子のうち、堀北の隣の背もたれを跨いで座る。

 

「どうだ、うどんは美味かったか?」

「絶品だったな。龍園も大好きなオレンジジュースを浴びれて最高だったろ」

 

 伊吹はバッと顔を背ける。そして笑いを堪えるようにフルフルと震えていた。頭からジュースを被った姿を直接見たのだろうか。龍園は特に咎めることなく、話を続ける。

 堀北だけは首を傾げていた。

 

「まあ、いい。世間話でもしようじゃねえか。メールは届いたようだが結果はどうだった?」

「教えるわけないでしょう。それとも私が聞けば答えてくれるのかしら」

「お望みとあればな。だがその前に聞かせてくれよ、無人島試験の話を。自慢してもいいぜ? なんったって一人勝ちしたんだからな」

「何を聞かれてもあなたに答えることなんて何もないわ」

 

 揺さぶりに対して、堀北は全く動じることなく落ち着いた様子であしらった。一つでも情報を落とさないよう、彼女なりに堂々とした態度を演じているのだろう。しかしその隙を付け入るように、龍園は言葉を続ける。

 

「どうにもしっくりこないんだよな。お前みたいな人種が、全てをコントロールし切れるわけがねえって。葛城はお前を警戒しているが、俺は他の誰かが噛んでいると睨んでいる」

 

 堀北は眉間にシワを寄せる。

 

「結果発表の時にも言っていたわね、そんなこと。私に出し抜かれたことをそんなに認めたくないのかしら。でも、負け犬の遠吠えも程々にしておいた方がいいわよ。格が下がるから」

「格、ねえ。それを鈴音が言うと滑稽に映るな」

「どう考えるのも勝手だけど、そもそも私の立てた戦略の全てを把握しているのかしら。無人島での試験で伝えられたのは結果だけよ」

 

「葛城のやつは分かってないだろうな」

 

 龍園が白い歯を見せてせせら笑った。

 

「説明して貰ってもいいかしら。正解していたら答えてあげてもいいわ。答えられるものならね」

 

 堀北は自信ありげな態度を崩さない。

 

「試験終了時、俺はお前にリーダーの名前を確認した。それには試験中に手に入れたリーダーカードの証拠とは、全く違う名前が彫られていた。理由はただ一つ。最初のリーダーがリタイアして、別の誰かに変わっていたってことだ。これ以外にはない」

「それで看破したつもり?」

「ああ、ここまでは誰でも考えつく話だな。だがな、俺はDクラスのリーダーを指名していない。指名したのはAとBだけだ。間違えたのはAではなかった。だからって、一之瀬がリーダーを変える手を実行に移すか? ありえねえな。つまり、お前らが悪知恵を吹き込んだ。そう考えるのも不自然じゃねえ」

「あら。よく分かったわね」

 

 堀北はやけにアッサリと認めた。伊吹は眉間にシワを寄せる一方、龍園は事実を確認する程度の認識のようだ、嘲笑するような態度で話を続ける。

 

「ただな、俺にはこの二つをお前が実行できるようには思えない。特に一つ目の閃きの方をな。どっちも初手に打つ戦略じゃねえんだよ」

「保険を打ったとは考えられないの」

 

「そりゃないな。試験が始まる前、俺は自分と似たような性格をしている奴が鈴音のクラスに潜んでいると踏んでいた。須藤の件があったからな。だってのに、まるで俺に見せつけるように奴は試験結果をコントロールした。Dクラスには俺の想像以上のバケモンがいる。もしかしたらメインディッシュに据えていた坂柳さえも凌ぐ奴が。そして鈴音。俺の予想じゃお前はただの隠れ蓑に過ぎないと睨んでいるぜ」

 

 そう龍園は言い切った。

 そして堀北を見つつもオレを静かに観察する。

 随分熱烈な視線だ。首筋がヒリヒリする。

 まあ、一番怪しい位置にいるので仕方がないが。

 

 

「だが勿体ないマネをしたなお前らも」

 

 龍園は脚を組み、大袈裟に嗤う。

 

「実に間抜けだ。頭角を現さず水面下で動いていたのに、もう動き出しちまったんだから。俺が好む不意打ちや騙し討ちの類いだけでなく、確実に勝利を奪ってくる正統性。Dクラスは現状、クラス争いから一歩も二歩も遅れている。切り札はもう少し後に取っておくべきだった。でなければ、俺らに目を付けられることもなかったろうに」

「随分ご親切な忠告」

「慈悲深いんだよ、俺はな」

「あなたはどうしても私の裏に黒幕がいると思いたいようね」

 

 その問いに龍園は最早答えることはなかった。

 根拠や確証はないのに、まるで堀北の言葉に疑問を持たない。何故ならこの龍園という男は、誰よりも自分を信じている。最初から他人の助言や叱咤など毛ほども受け入れるつもりはないのだ。この接触も、恐らく本命は堀北ではなく、オレの反応を確かめているだけに過ぎない。堀北の立ち振る舞いなど最初っから興味がないのだ。

 

「私からも一つ忠告してあげるわ。あんまり私たちに構っていると、足元をすくわれるわよ」

「まさに足を引っ掛けられたばかりの相手を警戒しねえアホはいねえな」

 

 龍園はクククと喉を鳴らし、立ち上がった。

 

「行くぞ伊吹」

 

 そして伊吹を連れて去っていく。

 完全に姿が見えなくなった後、堀北は背もたれに寄りかかり、はあ、と息を落とした。

 

「一躍時の人だな」

「あなたのせいでね」

「仕方ないだろ。目立つのが嫌なんだ」

「知ってるわよ。でも嫌味くらいは言わせて欲しいものね」

 

 完璧超人という理想を自分のものだと思いこんでいた少女は、再び完璧超人の役を演じる羽目になった。今度は自覚して、幻想だと知りながら。

 彼女の想いをオレは推し量れないし、そもそもする気もないが、優待者の件と言い心労は凄そうだ。

 

「にしても偶然オレ達を見つけたとは思えないな」

「八時頃に私が誰かと会うと当たりをつけていた……ということね。あなたと意見交換していた事実だけでも、龍園くんにとっては貴重な情報。迂闊だったわね。やっぱり昨日会うべきだった」

「いや、むしろ良かった。平田はファインプレーだ」

「どういうこと?」

 

 追及の目を避けながら、龍園の思考を紐解く。

 奴とオレの思考は似通っている。あまりに繋がり過ぎれば疑いにかかってしまう。

 つまりこの件はむしろ、オレをX候補ではなく、Xと密接な関係を持っているかもしれない人物へと認識を改める材料の一つになるのだ。

 

 

「堀北。掃除する際に同じ処分方法のゴミが複数あったら、お前ならどうする?」

「質問の意図が分からないのだけど。……普通に、同じ袋にまとめておくわね」

 

 チラホラと生徒達がデッキに姿を見せ始めたのを確認してオレは立ち上がった。

 

「そういうことだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後一時。

 ついに最初のグループディスカッションが始まった。

 軽井沢は下着を盗んだ伊吹に食ってかかることはせず、無視を決め込んでいた。平田の話はどうやら本当だったようだ。同じグループに篠原らが居れば違ったのだろうか。

 そしてやはりと言うべきか。一之瀬がグループを仕切る立場となり、積極的に話を進める。

 

 オレにとっての第一の関門、必須事項である全員の自己紹介が待っていた。

 円のように並べられた椅子に各々座っているので、誰かが発言すると当然みんなの目はその発言者に向く。部屋自体も狭いわけではないが、心理的プレッシャーも相まって窮屈さを感じずにはいられなかった。

 小声で外村に

 

「オレの自己紹介もついでにやってくれないか?」

 

 そう頼んでみたが、

 

「逆に目立つのでは? と外村はマジレスしておくでござる」

 

 と変わった口調で断られた。

 入学当時は自己紹介を断ったので実質初めての自己紹介だった。真鍋や伊吹などは名前しか言わなかったのでオレもそれに倣い、最小限の発言で留め、無事終えることに成功する。

 

 だが、Aクラスの面子は全体的に非協力的だった。加えて、話し合いを行わないことで生まれるグループのメリットをペラペラと宣った。どうやら葛城の指示でこの試験内で極力話し合わず、クラス間の差を縮めないつもりらしい。幸いAクラスは元々所持しているポイントは多い、Dクラス以外は全体的にポイント差は変わらないのだから、無理に動いて無人島試験の二の舞にはなりたくないのだろう。

 一之瀬はその意図にいち早く気が付き、論破する。しかし彼らが揺らぐことはないようだ、時間だけがいたずらに過ぎ去っていった。

 

 

 そんなこんなで話し合いが難航している中、興味深い出来事が起こった。

 

「ねえ、軽井沢さんだっけ? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

 Cクラスの女子である真鍋が、軽井沢に話しかけたのだ。

 まさか名指しされるとは思わなかったのか、彼女は面食って端末から視線を移した。

 

「なに」

「私の勘違いじゃなかったらなんだけど……もしかして夏休み前にリカと揉めた?」

「は? 何それ。リカって誰よ」

「私と同じクラスで、メガネかけたお団子頭の子。覚えない?」

「誰。別人でしょ」

 

 自分に無関係の話だと判断したのか、もう一度端末に視線を落とす軽井沢。

 しかし真鍋の次の言葉で軽井沢の淡々とした態度に変化が生じる。

 

「Dクラスの軽井沢って子に意地悪されたって。リカが確かに言ったんだよね。カフェで順番待ちしてたら割り込まれて突き飛ばされたって」

「……知らないし。てか、なんか文句あるわけ?」

「別に確認してるだけ。その話が本当なら謝って欲しいの。リカって自分で全部抱えちゃうタイプだから私たちが何とかしてあげないといけないから」

 

 特別強い正義感を持っているようには見えないが、人は自分たちが正しい行為をしていると自覚している場合、強気に出る性質がある。真鍋はリカ本人に確認を取るため写真を撮ろうとする。軽井沢は罪の自覚があるのか、当然嫌がった。

 恐らく軽井沢は友達が周りにいた手前、気の強い女子を常に演じなければならず、意地悪な態度に出てしまったのだろうか。当時の状況は知らないが、今は一人。

 

 軽井沢はどこか怯えを表情に滲ませながら、何を思ったか、一瞬オレへと目を向けた。オレはさりげなく一之瀬に食ってかかっていたAクラスの町田に目を移し、視線を誘導する。

 

 助けても良かったが、こんな閉鎖的な空間で数名に観察されるなんてたまったもんじゃない。

 

「嫌だってば! ……ねえ、町田くんもこの子に何か言ってあげてよ」

 

 精一杯の手助けだったが、彼女は察したのかそれともオレへの期待を止めたのか、町田に救いを求めるよう隣に座り、助けを求めた。

 

「無断で写真を撮るなんて許せないんだけど。町田くんはどう思う?」

「……そうだな。真鍋。軽井沢が嫌がっているんだ、やめてやれ」

「ま、町田くんには関係ないでしょ」

「今の話を聞く限り、悪いのは真鍋のように思える。彼女が知らないと言っている限り、強引に決めつけることは良くない。友達に再度確認した方がいいだろうな」

 

 本人が撮影を拒否している以上、無断で撮るのはマナー違反だ。町田の正論に、真鍋サイドも分かっていたのだろう、引き下がるしかなかった。だが、それでも確信はあるのか納得していないようだった。

 

 

 結局話し合いの方もまとまりが生まれるわけもなく、最低限話し合うように決められた一時間が経過した。アナウンスがされて、解散可能な状況になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二回目のグループディスカッションが始まる前。

 

 幸村はフードコートの一席にオレたちを集めて、優待者が本当にこの中にいないのか、いない場合は今後どう動くべきか話し合いの場を設けた。だが、軽井沢と外村は綾小路に任せればいいの一点張り。

 そもそも、12のグループの中には主体性のないグループもあったために、試験が開始する前に堀北は、この試験の立ち回りについてマニュアルめいたモノをクラスに共有しており、それに準じて今回を捨て試験にすることが決定していた。オレはそれに倣うつもりだと主張したところ、じゃあ何もしないでおこう、という流れになるのは必然だった。

 不服そうな幸村も結局現状を打破できるカードを持ち合わせていないので、話し合いは『無駄』の二文字で済んだ。

 

「……クソッ」

 

 話し合いも終わり、再びミーティングルームへと外村と軽井沢は向かったが、幸村だけは立ち上がることもせず拳を握り締めている。

 

「大丈夫か?」

 

 とっくに居なくなっていたと思っていたらしい、声をかけると珍しく動揺していた。それから再び険しい顔に戻る。

 

「……綾小路は本当にこのままで良いと思っているのか?」

 

 苦々しげに言葉を吐く幸村。

 

「あの二人はオレに期待しているようだが、オレは堀北の操り人形に過ぎない。彼女がこの勝負を捨てると言うのなら、それに従うさ」

「だが、150ポイントを失う可能性もあるんだぞ? 今後、同様の試験が行われて同じような対処をするつもりなら、俺は我慢ならない」

「まだ一回しかグループディスカッションは行われていないんだ。方針なんて幾らでも変わるだろ」

 

 

 

「既に後手後手に回っているんだ俺たちは」

 

 幸村は立ち上がり、どこか憤怒を目に宿しオレに訴えかける。

 

「一之瀬を見たろう。もしBクラスに優待者がいて、俺たちに失敗させようと仕向けて、あの二人がホイホイと罠に嵌ったらどうする? もっと何か、良い方法があるはずなんだ。この試験はそれを試している試験なんだ。このまま堀北を盲信するだけで良いのか? もし堀北が失敗して先導者としての立場から引き摺り下ろされれば、残っているのは主体性のクソもない出来損ないの集まりだけじゃないかっ」

 

 人はそう変わらない。

 自分の至らなさを反省したところで、他者に寛容になるには時間が必要なのだ。

 幸村の胸中には未だに、Dクラスに配属された事への不満が渦巻いている。今回もそうだ。竜グループには優秀な人材が揃っていることを知れば、自分が何故兎グループにいるのかを考えてしまう。そして、(もしかしたらオレも考慮に入れているのかもしれないが)一之瀬がいることで、このグループもまた重要な役割を秘めているのではないかと期待する。

 幸村にとってはこれは千載一遇のチャンスなのだ。

 にも関わらず、オレは必要以上に動く気は無いし、他二人は思考を停止している。焦らない方が難しいだろう。

 

 

「落ち着け、幸村」

 

 オレは再び腰を下ろし、幸村に着席を促す。彼も自分の気が立っていたことを自覚していたのだろう、居心地悪そうに座った。

 

「焦る必要はない」

「焦ってなんか、」

「いいや、焦っているさ。このままミーティングルームに向かっても、良い結果にはならない。それは幸村も分かっているはずだ」

 

 

 まあ、感情的に見えて、幸村の意見は最もな部分を突いている。こういった立場をとって意見を言える人材も、今後のDクラスには必要だろう。現時点では少々邪魔なだけで。焦って不必要な行動を仕出かすのはオレとしては一番困る。上手に手綱を引いていけば有用な人材に育つだろう。

 

「……確かに、少し気は立っていたかもしれない」

「幸村の気持ちも分かるが、」

「なら本心を教えてくれ」

 

 幸村はオレの言葉を遮った。

 だが彼の問いかけに、一瞬心の動揺を見せる、フリ、をオレはつい忘れていた。表情のひとつも変えない姿はよほど不自然に映ったはずだが、幸い、彼は自分のことで手一杯で気付いていないようだった。

 

「本心?」

「綾小路は頑に堀北の肩を持つが、本当は堀北の策をどう思っているのか、どう考えているのか。それが分からない。信用できない。なんというか、背後を取られている気分になる」

「そんな風に思われていたのか……」

「腹の中を曝け出せと頼む以上、俺も本心を言おうと思ったんだ。……俺は、綾小路がただの受動的な人間には思えない」

「随分高く買ってくれるんだな。ちょっと演技力があってテストで良い点取れるだけの人間だぞ、オレは」

「テストの点数だけで、その人間の能力が測れるわけではないのは分かっている。だが、唯一測れるモノがあるとすれば、それは自己管理能力じゃないのか? 今まで培ってきたマネージメント力を、クラスに向けて発揮することだって可能かもしれないじゃないか」

「……一部の天才を除いて、確かにそれは言えてるな」

「俺はどれほど満点を取るのが難しいか、痛いほど分かっているつもりなんだ」

 

 幸村は、オレのことを見極めようと真っ直ぐとした目を向ける。

 しかしその実、本質を捉える誠実さはないように思えた。安心を得たい、自分の考えをこっ酷く否定されたくない。今挟むべきではないそういった類いの感情が、真実を見通す目をジワジワと濁す。

 だが仕方のないことなのだ。

 気付いた人間が指摘もせず、むしろその未熟さを利用しようとしているのだから。

 

「オレは堀北の手が最善手だと考えている」

 

 彼の眉がピクリと動いた。

 

「だから今のところ従っている。……今のところは、だ」

「それはつまり、」

「もし間違っていると判断すれば、堀北に意見するさ。ただ、オレは俗に言う天才とかじゃないから悩むこともある。その時は幸村に相談したい。こう見えて、幸村を信頼しているつもりだからな」

 

 オレはお前の味方だ。

 そんな言葉が頭の中に過ぎったが、咄嗟に呑み込む。

 

 絆され始めたのだろう幸村は、目を見開いて、それからホッとしたように息を吐いた。

 

「俺の早とちりだったみたいだ。……すまなかった」

「気にするな。疑心暗鬼にさせるよう仕向けている試験なんだろう」

 

「そう、だな。時間も迫っているし、そろそろ行こうか」

 

 立ち上がろうとする幸村に、オレは焦ったように静止の声をかけた。

 

「どうした、綾小路」

「内密にして欲しい話がある」

 

 周囲を見渡しながら、なるだけ声を落とした。殆どの生徒は試験会場に向かっており、フードコート内は数人のグループが一つ、二つほどしかない。そして彼らが Cクラスではなく、試験に不真面目である生徒たちであることを確認する。

 

「これを知っているのは堀北が信用した人間だけだ」

「……それを俺に話してもいいのか?」

「相談したいことでもあるんだ」

 

 オレのただならない様子に、幸村は唾を呑んだのか喉仏が大きく動く。

 

 

「実は、Dクラスの優待者がひとり、名乗りを上げていない」

 

 

 声こそ出ていなかったが、幸村の表情は驚愕に染まった。

 

「もし優待者であることを隠していた人間がいるグループに、優待者を炙り出すような動きをしろと指示をすれば、墓穴を掘るような行為になりかねない。だから、堀北は迂闊に指示をできなかった」

「じゃあ、俺たちのグループにいる可能性も」

「ないとは言いきれないな」

「だから綾小路も不用意に動かなかったのか」

 

 ようやく合点がいった、と幸村は頷いた。

 

「単純に高円寺が優待者なのか、堀北を信用出来ない誰かなのか。何の意図があって伝えないのかオレたちには分からないからな。もしかしたらオレたち四人の中にいるかもしれない。……ないとは思うが、幸村は優待者ではないよな?」

「それはない」

 

 幸村は強く断言した。

 

「綾小路は、……ないか」

「もしオレだったら楽だったんだが」

 

 オレは苦笑いを浮かべながら、ストローが入っていた紙の包みにボールペンで現時点で判明している優待者の名前を書く。立ち上がり、幸村の夕食のトレイにゴミを集めてオレのトレイを下に重ねて幸村に渡した。

 その情報を確認した幸村は顔を固くしたまま黙って頷き、そのままゴミ箱に向かった。

 

 

 体良くパシらせただけだが、なんか信頼しあってる感が出せた気がする。

 今度からは堀北にもこの戦法を使っていこうか。

 

 

 

 

 

 

「とりあえず……こうして集まるのも二回目だし、そろそろ打ち解けあっていく必要があるんじゃないかな? 回数は限られているわけだしね」

 

 ブレることなく共同戦線を打ち出す一之瀬。しかし彼女の発言に返す生徒はいなかった。

 

 時間ギリギリに着くと、いつの間にか円状に並べられていたパイプ椅子は取り払われており、全員が地べたに座っていた。自由に座れるように、とBクラスの配慮らしい。

 話し合いの中心はBクラスではあったが、Aクラスはもちろんのこと、Dクラスも消極的な態度を取るようになり、本格的に膠着状態へと陥った。

 

 この場の空気は前回とは違い、嫌に重い。各々、他クラスはどう行動するのか、どう発言するのかを観察し合い、迂闊に発言はできなかった。Aクラスは参加を拒否し、Dクラスはひたすらモブに徹し、Cクラスは建設的な意見を持ち合わせていない。

 

 そんな重苦しい空気を変えるため、一之瀬は大胆な行動に出た。

 

「話し合うためには、まず信頼関係を結ぶべきじゃないかな。私たちの意見としては、優待者を探し出す話し合いをするべきだと思うから」

 

 そう言って、彼女は笑顔でトランプを取り出した。Aクラスの町田はバカにしたように鼻で笑う。

 

「トランプで信頼関係? くだらないな」

「くだらないって言うけど、意外と楽しいもんだよ。それに一時間ずっと黙って過ごすって辛いと思うんだよね。もちろん強制参加じゃないから、やりたい人だけでいいよ」

 

 Bクラスは当たり前のように全員が参加を表明する。

 

「退屈しのぎって思ってくれればいいから」

 

 一之瀬のその言葉に、外村は反応するが、流石に知り合いがいない中行くのは躊躇するらしい。オレは幸村の背を叩いた。

 

「なんだ」

 

 幸村は小声で抗議する。オレはそっと耳打ちした。

 

「参加したらどうだ」

「何の意味がある」

「これも一之瀬の戦略だろう。トランプの戦い方でそれぞれの生徒の特徴を掴もうとしているんだ」

「だったら尚更……」

「それを逆手に取れるかもしれない」

 

 幸村の目に闘志が宿った。幸村も手を挙げてトランプに参加を表明する。

 

「……綾小路くんはどう?」

 

 一之瀬がさりげなく尋ねる。Dクラスの男子生徒はきみ以外参加するみたいだよ、と確認を取るように。

 

「いや、オレは遠慮しておく。争いごとは苦手なんだ」

 

 幸村は裏切り者を見るような目でこっちを凝視してきたので、こっそり手を合わせて謝っておいた。どうやら大富豪をやるらしい。参加しない生徒たちは興味を向けることなく雑談を始めたり、冷ややかな視線で動向を伺っていたりと各々勝手に過ごしていた。ただ、さっきより空気は一段と軽くなり、話し合いの時間は終わったように振る舞う生徒が大半だった。

 

 

 オレはそれを遠目に、死角となる積み重なったパイプ椅子のそばで、つまらなさそうに端末を弄っているとある女子生徒の横に座った。オレの存在に気付いた彼女は、飛び出るんじゃないかってくらいに目をひん剥かせた。

 

「十秒以内にあたしの視界から消えないなら殺すから」

 

 地を這うような、地獄は体現したような声だった。

 

「誤解があるようだから言っておくが、オレも堀北に嵌められたんだ」

「信じられるとでも?」

 

 伊吹は端末の電源を落とし、距離を置くために壁側に寄った。

 

「龍園に何か言われたのか」

「綾小路の言動は全部演技で、お前は出し抜かれただけだって嗤われたんだよ」

「つまり伊吹は、堀北の話を信じるのか?」

「は?」

 

 挑発するような物言いに、伊吹は喰ってかかった。

 

「朝だって堀北と一緒にいた。あれは作戦会議をしていたってことじゃん」

「違う、呼び出しをくらったんだ。龍園の前ではオレは演技派の設定だから」

「言いなりになってるって?」

「バラされたら今度こそ爪弾きモノだからな」

「まあどうでもいいけどさ」

 

 伊吹は舌打ちをひとつした。

 

「……悪い。意地悪な言い方をした。癖なんだ」

 

 オレは肩を落とし、堀北を引き合いに出したことを謝る。もちろん機嫌が良くなるわけもない。「あんたがどっか行ってくれたら万事解決なんだけどね」と苦々しげに彼女は呟いた。

 

「……話がしたい」

「あたしに得はあんの?」

「最終的には」

「意味分かんない」

 

 伊吹は片膝を立て、嫌悪感をあらわにした顔で顔を逸らした。

 

「そもそも本当にあんたが迫真の演技じゃなかったら、こうやって擦り寄ってくる意味も分かんないね。あたしに騙されたってことなんだよ?」

 

 確かに。伊吹に踊らされて本当にDクラスを裏切ったつもりが、その全てが堀北の手のひらの上という情けない男だったと、言葉にして伝えてはいないがカミングアウトしているようなものだ。プライドの高い人間であれば、耐えがたい屈辱だろう。

 

「……どうして、だろうな」

 

 片手で顔の半分を覆い、ため息混じりに呟いた。

 

「……はあ?」

「伊吹を見たとき、誤解されたままは嫌だな、と何となく思った」

「なにそれ」

 

 伊吹は呆気に取られた顔をして、それからフッと諦めたように鼻で笑う。

 

「またそうやって演技するわけ?」

「……まあそうなるか」

「どっか行って」

 

「いや、本当はわかっているんだ」

 

 オレは彼女の顔を窺い、目が合った瞬間恥じらうように逸らした。

 

「伊吹に最初から裏切られていた知ったときは、腹が立ったし苦しかった。それと同時に、仕方ないと思ったんだ。最低な気分になったのは否定しない。――ただ、仕方がないという気持ちの方が大きかった」

「……言っておくけど、あの時あたしは演じてた。あんたの知ってる“私”はあたしじゃない」

「だからこそ、伊吹澪を知りたいと思った」

「言ってて恥ずかしくないの?」

「あまり顔に出ないだけだ」

「今度はそういう演技ってわけね」

 

 

 どこか見限った風を装ったように吐き捨てる伊吹の手を強引に取り、オレの手首の脈を測らせる。

 

「ーーどう思ってくれても構わない」

 

 咄嗟に手は振り払われ、彼女は自身の手を庇うように身を縮こまらせた。

 

 

「……得になる話があるって、あんたはさっき言ったよね」

「あ、ああ」

「さっさと言え」

「え?」

「要件が済んだらいなくなるんでしょ。早く話を終わらせたいんだよこっちとしては」

 

 牙を剥き出して彼女は威嚇するが、耳は真っ赤で、恥じらいを隠しているのだとすぐ分かった。だが、気付かないフリをするのが紳士というものだ。信用はある程度得られたと思っても良いだろうか。早速本題に入る。

 

「無人島試験の一日目の夜のことを、憶えているか」

 

「……まあ」

 と伊吹は曖昧に返事をする。

 

「あの同盟を本気にして欲しいんだ」

「言っておくけど、あたしはクラスのはみ出しモノでも何でもない。龍園に付き従ってるだけの一生徒。あんたも、誤解は一応解けたんでしょ」

「そう、だな。堀北に信頼されていたことを聞いた。クラスメイトも、悪い奴らばかりじゃない。……だが、急に不安になったんだ」

「不安?」

 

「現状Dクラスは、堀北鈴音を盲信するだけのロクに考えも持たないスカスカのクラスなんだ。もし堀北が失敗して先導者としての立場から引き摺り下ろされれば、残っているのは主体性のクソもない出来損ないの集まりだけ。そうなるのが、オレは今から恐ろしい。Cクラスも、似たような状況じゃないか? もし龍園が倒れれば、代わりに誰がCクラスをまとめる? その時、せめて一人でも立てるように準備はしておきたい」

 

 伊吹も、龍園の働きによる無人島試験の結果に思うところがあったらしい。「何が言いたいの」と、慎重に問う。

 

 

『オレは、このグループのリーダーが誰かを知っている』

 

 

 メモ機能に予め書いておいた文言を伊吹に見せた。確認を終えた彼女は目を見開き、オレを見つめる。それから慌てたように自身の端末の電源を入れて文字を打ち、画面を見せてきた。

 

『Dクラスってこと?』

『証拠はあとで見せる。今重要なのは、結果1に導くということだ』

 

 何か言いたげに口を開きかけ、それから伊吹は苛立たしげに舌打ちをして、入力する。

 

『堀北の作戦?』

『今のところ、このグループの優待者は意図的に堀北には伝えていない。彼女は結果3を狙うだろうから、結果1に導くようなマネはしないことだけは言える』

『なるほどね。でも50万プライベートポイントは確かにデカいけどさ。このポイントも結局龍園に取られるんだよね』

『Dクラスに騙されて奪われたことにすればいい。ポイントはオレが持っておく』

『あんたを完全に信用できるわけじゃない』

『龍園も堀北も、この試験では関係ない。オレたちはオレたちの利益のためだけに、今度こそ。あの同盟を本気にして欲しい』

 

 伊吹はその話に、暫く俯き考え込んでいた。ゲームに負ける度に上がる外村の悲鳴が数度部屋に響いたあと、決心がついたらしい、彼女は顔を上げた。

 

『考えさせて』

 

 決してオレの方を見ることはなかった。

 龍園にはバレない特殊な連絡方法を彼女に伝えたあと、立ち上がる。

 

 

 脈は今でも早い。いや、この部屋に入った瞬間から、体調は最悪を通り越して最……超最悪だった。試される場として生まれた閉塞的な空間の中で、監視カメラはこれでもかと存在を主張しているし、色々な目線が痛いほど突き刺さっている。

 

 それを利用させて貰ったが、果たして伊吹は勘違いしてくれただろうか。

 

 停滞した時間の終わりを告げるアナウンスがされる。時刻はちょうど九時。真鍋たちに軽井沢に対する怒りを蒸し返すことを忘れず、帰りに梯子外しの被害にあった幸村の小言を聞き流しながら、オレたちは部屋に戻ることになった。

 

 

 




伊吹の口調が三章で男勝り過ぎたのは演技込みだったからという設定


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