悪意の種 (メスザウルス)
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プロローグ

 私がこの世界に生み出されたのは、つい最近の事だ。

 

「ぅ……」

 

 生まれる前の記憶はない。けれど、私がこの世で目覚めた1秒後には、おおよそ全ての出来事は覚えている。

私が生み出され初めて感じたものは、心安らぐ羊水の温もりでも柔らかいタオルの中でもなく、やけに湿った空気と鳥肌が立つような寒気だった。肌に優しくない石畳が私を受け止め、肌にまとわりつく髪が不快だった。最悪な誕生(目覚め)だ。

 やけに痛む頭に顔を顰めながら、唐突に知覚した手足の感覚を掴む。まるでミミズに手足を無理やり付けたような違和感を覚えながら、私は鼻につく腐臭を感じ、重い瞼を上げた。

飛び込んできたのは目が痛くなるような光景。酸化し、赤より黒に近い色へと染まった血液に、見たことのない怪物の首であった。

 

「……ぁ?」

 

 意図して出したわけでもない、疑問や困惑に満ちた声が口から洩れる。唐突の出来事だった。誕生し始めて目にしたものがこれだった。

 

 怪物の乾いた目玉が私を見つめ、焦点の合わない瞳孔が心を射抜いた。常軌を逸した光景が胸に粘つく悪心を抱かせる。青白い舌がはみ出る表情は苦しみに満ちていて、決して幸せに死ねたわけではないだろう。まるで獣、主にオオカミに似た化け物の首には、苦悶のほかに恐れが多くを占められていた。断頭により死んだのか、それ以外の方法か。胴体がこの場にない状況で察することは出来ないが、いずれにせよ、その恐怖が私の視覚を伝って伝染するように植え付けられたのは確実だ。

 

 今すぐここから逃げなければならない。生存本能とも言える焦燥感に、恐怖が上乗せされる。

 

 何が起きているのか分からない。誰がこんな鬼畜の所業を行ったというのか。恐ろしい。何も分からないことが、怖くてたまらない。ただ一つ分かることがあるとすれば、ここが唾棄すべき冒涜を執行した場所であり、修羅にも似た人でなしが余すことなく犯し尽した不浄の霊域であることだけ。

 

 恐怖に心を混ぜられる。しかし、以外にも思考はクリアだった。まるで悪意に満たされた所業を見てきたような感覚。だが何も思い出せない。いや、私は今生まれたばかりなのだ。思い出すなど可笑しな話だろう。

 

 無意識に辺りを見渡せば、前方に置かれた首とはまた違う首が四つ置かれていた。まるで何か儀式を思わせる光景。精巧に描かれた血の魔法陣の中心に、私は座っていた。いったいここで何をしていたのか、私は何をされていたのか。崩れ落ちた騎士の像に、祈りをささげる修女の古ぼけた絵、ひび割れたステンドグラス。碌に手入れもされず廃っているが、見るからに教会の聖堂だった。しかし神へ祈りを捧げる場であったはずの神聖な領域は、今は血と怨念に穢されていた。

 

「おぉ、おお……! これは、まさか、まさかっ!」

 

 戦慄する私に水をかけるように、男の笑い声が聖堂内に響く。広い聖堂に響くほどの声を聞いた私は、驚きと奇妙な気色悪さに背筋が震えた。

 

 私は、私を囲む陣の奥を注視すると、そこには声を発したであろう男が喜びを表すように腕を広げ私を見ていた。彼以外にも、数人、聖職者を彷彿とさせる白を基調とした衣服を着込んだ者達の姿もあった。おおよそ8人、皆が私に視線を投げかけ、あるものは手を組み祈りを捧げ、あるものは何度も顔を拭っていた。何かを成し遂げたような喜悦の気色を含む姿に、私は眉を歪める。私とって、彼らは異様に映ったから。

 

 なぜ私に祈る。なぜ私をそんな歓喜の瞳で見つめる。彼らの行動を理解できない私は、彼らの空気に付いて行けず、必然と不安を胸に募らせた。

 

 警戒する私を嘲笑うように、腕を広げていた男が私へと歩を進める。優雅に、ゆったりと、しかし旺盛な感情をまき散らしながら。

 

 男の服には多くの装飾品が多分に使われており、それが他の者たちとの区別化を図っていることは直ぐにわかった。恐らく、周りで喜びを歌っている者達より上の立場の人間であろう。

 

「……」

 

 男は描かれた陣の前で停止すると、途端、自身にまとっていた歓喜の色を霧散させ、今度は疑心に満ちた瞳で私をじろりと見つめ始める。先ほどまで身から零れるほどの喜びを表していた者が、急に不機嫌に近い態度へと豹変したのだ。

 

 男の急な変貌に私は戸惑う。彼の、彼らの感情の動きがまるで理解できなかったから。しかし、そんな一瞬の戸惑いを払いのけるように私の中で新たな感情が湧き上がる。つまり、羞恥という感情を。

 

 私は今、生まれたばかりなのだ。この場に産み落とされたのだ。つまり、肌を隠す衣類は一切身に付けていない。私は何も纏っていない裸体を遠慮なしに凝視されているのだ。

 

 湧き上がる嫌悪感と気恥ずかしさに身を捩る。この身は幼い容姿であるが、性別は女だ。鏡を見たわけではないので正確には分からないが、身長や各所の発育具合からして十代前半くらいだろう。

 このような幼子の裸体に大の大人が何を思うはずもないだろうが、たとえ不浄の念がなくとも不愉快なのは事実。私は足を曲げ、腕で身体を隠し、不愉快であると視線で訴えるが、それでもこの男は私を見ることを止めようとはしない。舐め回されるような不快感が背中を駆け抜け、口の中が気持ち悪くなった。

 

「すぐにステータス開示のポーションを」

 

 急かすように、男は背後の者たちに声をかけた。特段荒げてもいない声であるが、男の声に含まれた焦りと困惑の色が見て取れた。私の何を見て動揺を誘ったか分からない。一見して出会ったばかりの怪しげな男の思考を読めるほど、私の観察眼は卓越していない。

 黙って男を睨み続けること数秒、聖職者の服を着た女性が一つの瓶をもって駆け寄ってきた。男は瓶を受け取ると、私を見据え、蓋を開けながら他の信者たちに指示を飛ばした。ただ一言、「押さえろ」と。

 

「——っつ…! なんだ貴様ら……! っ、この……離せ!」

 

 指示を聞いた三人が、私を取り囲み、腕や頭を掴まれる。無理やり膝を付かされ、胸を晒すように固定された。

 顔はローブで隠れて見えないが、私を押さえる者が成人した男性であることはそのガタイの良さと硬く大きい手によってすぐにわかった。

 血が止まるほど強く腕を掴まれ、力強く押さえられたゆえ腕に痛みが走る。こちらに対し何の考慮も遠慮もない蛮行だった。

あの瓶の中身が何であるのか分からないが、このような悪鬼の如き空間を作り出した者達だ。どうせ碌なものではないだろう。

危機感を感じた私は、けれど一方的な力を前に抵抗することは叶わない。声を荒げる事でしか私に抵抗の術は残されていなかった。

 

「……んっ…!」

 

 瓶に入った怪しげな薬を男は何の躊躇もなく私に垂らす。人肌より冷えた雫が胸へと数滴落ち、想像以上の冷たさに背筋が跳ねた。

 しかし、掛けられた箇所には何の異常も感じられない。毒でも媚薬の類でもなかったのだろうか。ただ即効性のない薬なのかもしれないが、もしそうなら効き目が出るまでに何とかしなければ。

 

 困惑しながらもそう思った矢先、私からゲーム画面のような映像が飛び出した。

 想定外の出来事で思考が停止してしまう私を捨て置き、男は私から飛び出した映像に目を向ける。まるで答えを求める学生のような忙しなさで、浮かび出る文字や数値をすらすらと読み進める男は、徐々に怪訝の表情から怒りや落胆といった表情へと変わった。歯をむき出し、聖職者であるはずの男の顔は獣のように歪み、憎しみの籠った瞳で私を見下ろした。

 

「……失敗、か…っ! こいつは————偽物だっ……!」

 

 失望の色を潤沢に含んだ言葉に、先ほどまで歓喜の表情をしていた信者たちが一斉に騒ぎ出す。

 

「ば、馬鹿なっ…何故!? あれほどの魔力を込めたというのに!」

「そうです! 我々の編み出した召喚陣も完璧だった! なのに……あぁ! なんでっ……!」

「我らの願いは、救いの声は、あのお方達に届かなかったという事ですか!? ただの、一人も……!?」

「勇者様たちは、我々をお見捨てになられたという事ですか……? ———ああ、そんな、そんなぁッ!!」

「やはり、伝承は、覆すことができないと……そういう事でしょうか…!?」

 

 皆が一様に絶望の苦言を漏らし、涙を流し、虚脱する。子供のように泣き叫ぶ彼らには、私の何かが希望となり、何らかの期待となっていたのだろう。しかし、彼らはそれが幻想と知って、泣いているのだ。私の何かが、彼らに絶望を与えてしまったのだ。

 

「うろたえるなっ!!!」

 

 一人の男が、皆が一様に落胆し絶望する中で、声を張った。絶望に呑まれることなく、確かな意思を感じさせる怒号に、泣くことしかできなかった信者たちは一様に彼を眺める。

 男は右手に持つ薬品の瓶を静かに盆へ置くと、己を見つめる信者たちに慈悲の目を向けた。

 

「勇者様たちは、神は、我らを見捨ててはいません」

 

 泣き暮れる子供たちをあやすように、優しさと温もりを持った瞳で、淡々と必要な事を語る。あの方たちは、我らを捨てたわけでも、見放したわけでもない。

 我らの信仰が、錬成が足りなかったのだと。

 無理だったのなら、何度でも挑めばいい。見放されたくないのなら、信仰を深めればいい。いつの時代の勇者様たちも、我らを見放したことは無かった。見ず知らずの我々に深い慈悲と救いを与えてくださった。

 

「ならば、我々はただ専心するのみ。彼らを信じ、彼らを愛し、修行を積む。これこそが、かの英雄たちをお呼びするために、必要最低限の条件なのです。我らは彼らに救いを求める。我らは彼らに慈悲を乞う。ならばこそ、これだけの代償では足りない。私たちは彼らに世界の全てを託すのです。世界を救えるほどの英雄を、天でお眠りになる勇者様の眠りを妨げ、再び血に塗れた戦場へと身を置いてもらうことがどれほどの非礼であるか、分からない貴方達ではないはずだ」

 

 ここにいる誰もが彼に心奪われる。彼の話す希望は、彼の語る願望は、この場にいる信者たちの不信感や絶望を一瞬にして吹き飛ばした。軽々しくのたまっている狂者の妄言ではない。必ずそうであるのだと。必ず救いは訪れるのだと。根拠も証拠もなしに男は信者たちの心に植え付けた。目に見えないものを証明した。その眼前に未来を見せた。

 

「一度は昇天した命。あの方達はすでに使命を全うし、我々を救っている。それでも尚、再び彼らの救いを求めると言うのならば、私たちの命をいくら傾けても足りはしない。しかし、我らの願いはいずれ届く———ゆえに」

 

 ———捧げろ、全てを。

 ———掲げろ、命を。

 ———受け入れろ、試練を。

 

 男は語る。進み続けろと。私についてくれば、必ずその意味も意義も見出せるのだと。終わらない夜はない。沈まない闇はない。朝日は昇るし、光は浮かび上がる。だからこそ、我らは手を伸ばし続けるのだ。

 男の言葉を聞き届け、胸を打たれた者達が感謝と共に嗚咽を漏らす。自分たちのやってきた事は無駄なんかじゃなかった。いずれはたどり着き救われる。既に信仰に依存していた信者たちは、更に男に対し心酔した。もう恐れる物は無くなった。我らは救われるのだと。血肉を捧げてもよいのだと。ならば————火の海であろうと、血にえずく様な戦場だろうと、私たちは喜んで命を捧げましょう。

 信者たちが手を合わせ、跪き、誓い始めた。最初から打ち合わせていたわけでもなく、何の相談も応答も無しに、まったく同時に各々が神へと、男へと祈りを捧げだした。

 その状況を呆然と眺めることしかできなかった私は、先ほどまで救いについて語っていた男に、いま目の前で信者たちに祈りを一身に浴びているこの男に、侮蔑の視線をもって吐き捨てた。

 

「馬鹿馬鹿しい」

「…ほう」

 

 信者たちに向いていた男は、興味深そうに私に視線を傾ける。

 

「貴様の言葉は、全てに中身がない。 薄っぺらで透けて見える」

「先ほどまでご清聴していたと思っていたら、また随分と野暮なことをおっしゃる。 我らは人類の希望なのです。 あの勇者を語る忌まわしい偽物ではなく、本物の御方を召喚し、世界を救わねばなりません。 しかし、それには数多の努力と信仰が必要だ。 我らも希望が必要なのです。 希望を授ける側である我々にも、境地へとたどり着くための光が要る」

「そうか、それは結構。 先ほどの演説は聞かせてもらったよ。 貴様のその饒舌には感心した。 よくあそこまで思ってもいない事をさも本心であるかのように並べ立てられるものだ—————この詐欺師め。 虫唾が走る」

「…これはこれは、大変失礼いたしました。 ですが詐欺師というのはいささか聞き捨てなりませんな。 私は本心で世界を救おうとしているのです。 襲い来る波を退け、全ての者に救いの光を注がんとしているのです」

「こんな儀式(もの)で? はっ、何を召喚し救いを乞おうとするのかはどうでもいいが、1つだけ教えてやろう。———お前たちのこれは成功しない」

 

 見下すようにそう吐き捨ててやれば、司祭であろう男を含めた信者たち全員が、殺気を含んだ視線を送ってくる。まあ、この者たちが成そうとすることを真っ向から否定しているのだ。当然か。

 男の顔に若干のしわが寄り、けれども決して怒鳴り散らすようなことはなく、再び静かに口を開いた。

 

「あなたが何を思い、そうおっしゃるのか理解できませんが、我らは必ず成就します」

「しない。 ありえない。 絶対に————」

 

 食い気味にそう告げると、視界が一瞬にしてぶれる。

 

「ガっ…!」

「このクソガキ! さっきから黙って聞いてりゃ、適当なことをほざきやがって!!」

 

 ずっと私を押さえていた男の一人が、私の頭を石畳へと叩きつけたのだ。頭の中で鈍い音が鳴り、視界がチカチカと眩しく点滅する。激しく打ち付けた頭が割れるように痛み、顔を顰ませた。けれど男の怒りはそれだけでは収まらない。

 男は私の髪を掴み、何度も石畳へ振り下ろした。額が割れ、血が辺りに撒き散らされる。私は頭蓋が割れるような痛みと、酔うほど回転する視界の中で、鈍い音が再三部屋に鳴り響くのを聞いていた。

 

————男の狂ったような暴力は、私の髪がちぎれるまで行われた。

 

「チ…っ—————らあァッ!」

 

 男はちぎれた髪を忌々しそうに捨て、今度は力いっぱいに私の身体を蹴り飛ばす。

 

「ぐ……ぁがっ、!? お…ぇ…ッ!?」

 

 幼い女の体にとって男の蹴りは凄まじく、私は想像以上の衝撃に抑えきれず胃液を床に垂れ流す。くそ…っ、本当に手加減なしに蹴りを入れてくるとは。幼い少女の姿であっても一切容赦はないか。

 

 内心そう愚痴るも、男は蹴る足を止めはしない。頭に血が上っているのか、彼の目は血走っており、私に向けて唾を飛ばしながら罵詈雑言を投げつける。そうして蹴られ続けること数十秒。苦しみに喘ぐ私を静かに眺めていた男が、ようやく信者たちを止めた。

 

 暴力の嵐から解放された私は、反射的に酸素を取り込もうと荒い呼吸を繰り返す。けれど、呼吸すら苦痛に感じるほど腹の中が気持ち悪さで満たされていた。臓腑をぐちゃぐちゃに混ぜられる苦しみと、腹の中に水風船を余すことなく詰め込まれたような冷たさに、意識が朦朧と薄れ始める。

 

 司祭らしき男は私の痴態をみて留飲がいくらか下がったらしい。先ほどの怒りは薄れ、また再び優しそうな表情を張り付けていた。

 私は再び信者たちによって体を起こされる。前回とは違い、傷を負った状態で体を押さえられているせいで、所々に激しい痛みを感じた。

 腰まで届く髪を掴まれ、無理やり顔を上へと向かされる。頭皮の刺すような痛みに思わず顔を歪ませるが、司祭らしき男は気にした様子はない。白い衣服を揺らしながら腰を落とし、私の顔を覗き込んだ。

 

「一つだけお聞きしたい、なぜあなたは我らの宿願が成就しないと思いで?」

「……クはっ」

 

 私は男の声の奥、有無を言わさない無言の圧力を感じ取った。それがたまらなく可笑しくて、滑稽だった。男が余裕を少し無くした姿に、少しだけ気を良くした。だから、馬鹿にするように笑ってやった。ついでにニヤリと顔を歪ませ、見下す視線を送り付ける。

 

 なぜ成功しないか? それが分からない時点で、偽物と断じた私に聞いている時点で、お前は永遠に目当ての勇者様とやらを召喚することは叶わない。

 

 この男はわかっていないのだ。この儀式の無意味さに。

 

 この男は理解していないのだ。己の行動を。その意味を。

 

 だからこのような冒涜を犯せる。このような残酷で卑劣な行為を平然と行える。ゆえに私のような真っ当ではない、不純物だらけの存在を召喚してしまうのだ。

 私は答えを知っている。捧げられた魂たちの記憶がなくとも、私はこの召喚が成功しないことを、その理由を知り尽くしている。どうすればいいのか、どのように行えば良いのか、紙に書かれた文章を読み上げるように全てを答えることができる。

 

—————そんなこと、死んでもこいつに話す気はないが。

 

 だから代わりにくれてやるのだ。答えではない、まったく関係のない侮蔑の言葉を。

 だから代わりに教えてやるのだ。お前の犯した罪は、必ずおまえ自身が支払うことになるのだと。

 私は吐瀉物で汚れた口で、はっきりと一言、答えてやった。「くたばれ、外道」と。

 

「………———そうですか」

 

 静まり返った静粛の中、男はやむを得ないとため息を吐く。その姿には心底諦観の念が感じ取れた。まるで惜しいものを無くしたような、そんな様子だ。男はくるりと振りむき、出口へと向かいながら信者たちに告げる。

 

「仕方ありません、浄化しなさい」

 

 —————浄化

 その言葉を聞いた途端、全身の肌が粟立った。

 

「よろしいので?」

「ええ、本当は隈なく研究し、我らの悲願への足掛かりとなっていただきたかったのですが、仕方ありません」

「そうおっしゃるならば」

「ああそれと———骨も残さないように」

「かしこまりました」

 

 淡々と事務的に交される言葉。この男と信者たちにとっては大して何の関係もないただの言葉だ。しかし、私にとってその言葉の意味は、己の命の沙汰が決まった判決の言葉なのだ。

 信者たちが私に手を向ける。

 ゴミを処分するような目で。

 彼らは人形だ、崇拝する神の奴隷。

 信託が下ったならば。彼らは実行するのみ。

 

 四人の信者が、一斉に詠唱を開始した。

 

「「力の根源たる我が命ずる。理を今一度読み解き、彼の者の速度を下げよ。『スピードダウン』」」

「————!!?」

「「力の根源たる我が命ずる。理を今一度読み解き、彼の者を焼き払え」」

 

 巻き添えを食らうまいと私を拘束していた信者たちが離れ、代わりに魔法を放たれた。

 

 ————このままでは殺される……!

 

 そんな確信と共に全力で逃げようとする体は、まるで水の中にいるように鈍くにしか動かせない。先ほどかけられた魔術はどうやら妨害魔術、つまり相手の身体能力を低下させる物のようだった。

 そうして紡がれる、時間切れの詠唱(ことば)

 

『『ツヴァイト・ファイアブラスト』』

 

 吹き荒れる2つの豪炎が、私に向かって放たれた。



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一話

 

 月明りだけが照らす森の中を、裸足で歩む。

 

 「はぁ…はぁ…」

 

 怪しげな聖職者たち、三勇教の信者たちに殺されそうになった私は、何とか彼らの猛攻を振り切り、悪意に侵された地より這いずり出すことができた。

 

 思えば幸運だったのだろう。召喚された場所が古い聖堂であったために、辺りにはステンドグラスがあった。どれもこれもが劣化によってひびが入っており、突き破って外へ跳び出すには子供の力でも容易に行えた。外には塀が並んでいたが、外壁もボロボロで、ちょうど眼前に子供だけが抜けられる穴まであった。

 

 時間帯も深夜に回ったくらいだろうか。

 

 塀を潜ったすぐ傍には、人の手が入っていない獣道が存在しており、おかげで今はこうして夜闇に紛れ追手から逃げることができている。

 

 九死に一生とはまさにこの事を言うのだろう。

 

 あの男が私の処分を配下の者たちに任せたのが決定的だ。もしあの男に慢心など無く、神経質なほど用心深ければ、私は確実に助からなかっただろう。

 たらればを言えばキリはないが、それでも私を殺す人間があと一人多ければ、どうなっていたか分からない。

 

 生まれて始めての幸運が、私の命を救った結果だった。

 

 しかし、何も良い事ばかりではない。

 無傷のまま聖堂から脱せたら良かったのだが、今は全身の四割に火傷を負っている。

 やはり即席の、それもたった一本の大剣だけでは盾には不十分過ぎた。

 剣はこの小さな体を覆えるほどの幅と高さがあったが、それでも私が投影したのは中身などあって無いような贋作以下の代物。豪炎の渦を防げるわけもなく剣は壊れ、炎は私の半身を焼いた。

 

 おかげで右腕や左足、さらに左目を焼かれた私は、こうして激痛を噛みしめながら冷たい風が吹く夜の森の中を全裸で歩いている。

 靴も靴下も下着も無い。こんな体験なかなかできるものではないだろう。こうして己の状況を鑑みてみれば、最低な気分になった。

 

 左腹部から足首までを焼かれたせいで、ただ歩くだけなのに全てがつらい。夜風が火傷を負った腕や顔に当たり、剥き出しにされた神経に氷を当てたような激痛が走る。風で飛ぶ砂が傷口に入って気持ち悪く、乾いてべたつきだした組織液が鬱陶しい。

 こうして挙げていったらキリがないほど私の身体はぼろぼろだった。

 

 そして、傷においては火傷だけではない。

 

 ————————ギチギチギチギチ

 

 唐突に、私の身体から数多の剣が微細な振動で蠢くような音が鳴り、ほどなくして背中や腹、肩や火傷を負った腕から、数本の直剣が肉を突き破り生えるように出現した。

 

「うっ……!? ぐ…ぅっ…!」

 

 貫かれる痛みに喘ぎ、小さな体を必死に抑え込むように体を曲げる。

 

 突き破った肉の隙間から溢れる血液が流れ落ち、一瞬にして褐色の肌が鮮血の赤で彩られた。

 

 私は奥歯を噛みしめ、額に脂汗を滲ませながら、己の中身を押さえつける。

 

「ふぅー…っ、ふぅー…っ」

 

 大きく息を吸い、吐き出す。深呼吸を何度も繰り返し、熱を上げ暴走する回路を抑え込む。

 これは私の特性。私の魔術の根幹の部分が暴走を起こし、このように意図せず体内から出現してしまっているのだ。

 

 身に過ぎた力を使用したがために、その身を滅ぼさんとする。いわゆる代償。

 

 しかし、たかが一本。 何の変哲もない凡平な剣を投影しただけでこれほどの反動とは思いもしなかった。それもこれも、このような不完全な肉体で召喚されたからなのだろう。

 

 この体は、あの気の知れない信者たちが作り上げたもの。従来の召喚に独自の技法を加えた歪な術式により生成された肉体だ。本来の受肉した体より効率が悪く、魔力で構成されている霊体より便利じゃない。

 ただお互いの、悪い部分だけを詰め込んだような出来の悪い体。それに加え、重度の火傷に魔術行使による副作用。

 

 身寄りはなく、助けを求めることもできない。

 いつ倒れてもおかしくないような状態で、何も持たない夜道。

 この道の先に何があるのかすら判別もついていない。

 考えつく限りの最悪を詰め込んだような状況で、はたして私は助かるのだろうか。

 

 「…けど、まだ……まだ、っ」

 

 誰もいない暗闇の中で、自身に言い聞かせる。

 

 このままでは失血死するかもしれない。

 火傷を負った箇所が化膿するかもしれない。

 出血や組織液の流し過ぎで、脱水症状になる危険もある。

 もしかしたら、獣に襲われ食われるかもしれない。

 

 けれど、そんな中でも死ぬわけにはいかない。

 

 せめて何でもいい。

 ただでは死ねない。私が生まれたなら。

 この胸に巣食う感情が、まだ死ぬなと叫んでいるから。

 ただ死ぬだけだなんて、認められない。

 

 生きなければ。

 生きなければ。

 生きなければ。

 

 生きて、生きて、そして———義務を果たさなければならない。

 

 朦朧と歪む意識で私は歩く。

 誰も助けに来ない夜の中を。

 感覚は鈍いが、皮を剥がされた痛みは鼓動と共に強く感じた。今はそれだけが私が生きている証明だった。けれど、今ではそんなこと微塵も気にはならない。

 

 ————この身を焼いた以上の熱が、私の胸の中で渦巻いているから。

 

 この思いが何なのか。この感情はどこから来るのか。私の中で渦巻く義務とは、いったい何を指すのか。

 何も理解できない。分かる事など、今は何もない。

 この世界の事も、私自身も。

 だがコレは、きっと私にとって大切なもので、そして約束なのだ。

 甘く呪われた契約なのだ。

 果たさなければならない願いなのだ。

 

 湧き上がる思い。意味の分からない強迫観念。

 そんな幻想に突き動かされながら、

 

 ———ただひたすらに、私は足を進め続けた。

 

 

※※※※※

 

 

 この世には、世界を破滅へと導く“厄災の波”というものがある。

 

 それは災害であり、その名の通りの災厄。空が不気味なワインレッドへと染まり、辺りに悪鬼羅刹の魔物たちが生まれ、人々を殺し、蹂躙する。そんな悪意によって形成されたような天災のことだ。

 恵みなど一切ない。ただこの災害は破壊と混沌を辺りに撒き散らし、空と大地を血で染め上げる、まさに悪夢の日だ。

 

 この世界には、四聖勇者と呼ばれる勇者たちが存在する。

 

 槍の勇者。

 剣の勇者。

 弓の勇者。

 盾の勇者。

 

 以上の四名が、世界の破滅を防がんと動き、そして災厄の波を押し退け続けた、聖なる武器に選ばれた伝説の勇者たち。圧倒的な力をもって、理不尽な波から人々を救った英雄たちだ。

 

 槍の勇者は魔物たちを刺し穿ち。

 剣の勇者は迫りくる敵を斬り捨て。

 弓の勇者は目に映る悪に風穴を開け。

 盾の勇者は仲間を含めたすべてをその身をもって守りぬいた。

 

 彼らは圧倒的な超自然現象を前に、逃げ出すことなく立ち向かった。蹂躙され、犯され、殺される、そんな運命から人々を救い続けたのだ。

 そんな勇者たちは、時を超え、世代を変え、この世界に住まう人々の伝説となっている。

 彼らの伝承を、彼らの武勇を、感謝の念と共に途絶えることなく人々は歌い続けた。

 ああ、かの勇者たちあらば、災厄は来ず。我らに救いは訪れん。

 

 勇者は代々選ばれる。

 かの武具の意思によって。

 そして今代の勇者たちもまた、聖なる武具に選ばれた者たちだった。

 

「……」

「尚文様、そうおぼつかない表情をしてもどうしようもありませんよ。 いえ、気持ちは分かるのですが…」

 

 四聖武器の1つ、盾の聖武器に選ばれた勇者。岩谷 尚文。

 彼はいま、適当な岩に腰を下ろし、足に肘を付け訝しんでいた。その目は細く冷たいものであり、まるで値踏みするような表情だ。

 そんな彼に軽く注意をするのは、紅茶色の髪を背中まで長くした美女、ラフタリアであった。タヌキのような耳としっぽを持った亜人と呼ばれる彼女は、戸惑いながらも尚文と同じ方向へ視線を向ける。

 そんな彼、彼女の視線の先には金髪が輝くの幼き少女。青いリボンが特徴のフリル姿をした少女がいた。その背には鳥類と思わしき翼を生やしており、一見してラフタリアと同じ亜人に見える。

 

「……ラフタリア、お前はこんな馬鹿げた話を本当に信じられるのか?」

「いえ、…でも」

「ごしゅじんさまー、おなかすいたー」

「だまれ。 いいか、少なくともオレたちの旅路には食い物がいる。なのに、まさか全ての食料を無断で平らげる奴が、何一つ曇りのない顔で「腹がすいた」と言うんだぞ?」

「それはそうなんですけど…」

 

 さすがに擁護しきれないのか、ラフタリアの口調は澱んでいる。尚文は現在、宝石商人の依頼で除草剤を届ける依頼を受けている。何故かはわからないが、早急に、それも大量に必要という事で、必要な分だけ買い揃え荷物を馬車に積み向かっていたのだが、ここで異常事態が発生した。オレの目の前にいる少女、フィーロが全ての食材を食いつくしてしまったのだ。

 もちろん、普段そんなことは起きない。フィーロは足りない分は自分で食ってくる。つまり、もともと魔物であるこいつはそこいらにいる魔物なり果実なり食って勝手に腹を膨らませてくるのだが、何故か今回に限りオレたちの食料にまで手を出した。

 事の理由を聞いてみれば、どうやら近くに魔物も食える物も無く、仕方なく手を出したのだという。まったくもって信じられない話だが、よくよく考えてみればオレが積んでいた食料の全てというのは、あくまで人間にとっての全部だ。本来のフィーロはオレの二倍はでかい。そんな体でさらによく食うのだから、辺りに食える物が無ければ馬車の食料に手を出すのは仕方がなかったのかもしれない。

 

(……今後はそれを踏まえて食料を積んでおくか? いや、そうすると余分に積むものが多くなり、商業をするのに必要なスペースが———)

 

「ん…? すんすん」

 

 フィーロの食料事情について考えるオレを他所に、フィーロは辺りを見回しながら何度も鼻を鳴らした。どこか忙しないその姿に、ラフタリアが声をかける。

 

「フィーロ、どうかしましたか?」

「…食い物でも見つけたんなら行ってこい。オレ達は荷物を纏めて———」

「ごしゅじんさま、血の匂いがするー」

「なに?」

 

 若干元気をなくしたオレの言葉を遮りながら、無視できない内容を漏らすフィーロ。口調や声色から冗談のように聞こえるが、これはこいつの素だ。ただあるがままの事実を、オレに伝えただけ。てんとう虫でも見つけたように、本人はなんとも思っていないだろう。

 それにしても、血の匂いか。

 という事は、オレたちの近くで抗争があったか、逃げてきた何かがいるということ。

 

「場所は?」

「んーっとねー、あっちの方。たぶん少し走れば着くよ」

「尚文様…」

「……魔物同士の争いならいいが、人の可能性もある。———ラフタリア、荷物を見ていろ、確認だけでもして来る」

「はい!お気を付けてください」

 

 ラフタリアは嬉しそうにうなずいた。いったい何がそんなに喜ばしいのか分からないが、オレはそれに触れる事無くフィーロに跨ると、指示を出して森の中へと突入する。

 フィーロは速い。オレが育てたからなのか、他のフィロリアル以上のデカさと速度を持っている。事実、元康とのレースで魔法による妨害を受けながらも身体能力と気合で打ち勝ったほどだ。才能としても申し分ない。

 

 森の中を全力で疾走するフィーロ。整備されていない道の上で、まだらに散った木々を避けながら、景色が線でしか捉えられないほどの速度で踏破する。まるでオレ自身が風になったと錯覚するほど、その速度は尋常ではなかった。

 

「もうすぐだよ、ごしゅじんさま」

 

 前を見ながらフィーロは言った。そしてその言葉通りに、三秒も無くして目的の場所へ到着する。

 

 「っ……!?」

 

 たどり着いたのは、何ら変哲の無い場所。先ほど駆けてきた森林と大した違いがあるわけでもなく、ただ雑草や芝生が生えただけの、何の変哲もない森の中。特別な地形というわけでも、特別な何かがあったわけでもない。ただ、異常なものは存在していた。

 

 —————まるで悪魔の手から隠れるように、一人の子供が倒れていた。

 

「…ごしゅじんさま」

「じっとしていろ」

 

 フィーロは怯えたように尚文を呼んだ。普段の彼女では考えられないほど青白い声だった。

 しかし、それも無理はない。恐らく、目の前にいる子供は無残という言葉も形容しがたい死に方をしているのだから。

 

「……」

 

 オレはフィーロに指示を出すと、ゆっくりと盾を構えたまま少女へと近づく。可能性としてあり得ない話だが、オレはある国では犯罪者として知られている。どこかの馬鹿がオレを嵌めるために作った罠かもしれない。爆発などされたらオレはともかくフィーロが危ない。

 

 オレは注意深く、茂みに隠れた子供の死体を見つめる。

 草木の隙間からしか分からないが、白髪が特徴の褐色の少女だった。

 

 オレは少女を隠していた草木まで歩みより、危険がないか確認する。そして何もないことを確かめると、茂みを足で退かしながら、丁重に、割れ物を扱うように優しく、怯えるように隠れていた少女をゆっくりと平地まで動かした。

 

「…っち」

 

 鼻につく濃密な血の匂いと、口の中でウジ虫が湧くような居心地の悪さに、惨殺された死体の前で耐えきれず舌を鳴らしてしまった。

 召喚される前までは何かの死など経験したことなど無かったが、それも多くの魔物と戦い、波を経験してからは、多少の血などなんとも思わない。殺し殺されは、すでに何度も経験している。

 目の前で死ぬ奴はいた。オレの盾が間に合わず、魔物に食われた奴がいた。

 だがそれでも、これはダメだった。これだけは、オレ自身にとって耐えきれるものではない。この少女が受けた苦しみは、痛みは、到底オレでは測り知ることなどできないから。

 

 オレは少女の傍で膝を立て、注視する。

 

 はっきり言って、吐き気がするような殺され方だ。

 

 全身におびただしく広がる火傷と、剣で貫かれたような数多の刺傷があった。皮膚は爛れ、赤く膨れ上がった場所に付けられた創傷は、見ているだけで痛々しい。

 何か身元の分かるものでもと思ったが、少女は服を着ていなかった。一切、何も身に付けていなかった。

 

 攫われたのか、卑劣漢にでも襲われたのか。

 

 少女は整った顔をしていた。火傷で半分は爛れているが、それでも成長すれば美人になることは想像に難くないほどに。なら、どこぞの悪党に攫われても理解はできる。使役しているオレが言うのもおかしな話だが、奴隷なんて言う制度があるような世界だ。命の価値なんかオレがいた世界より低いし、当然人攫いや盗賊なんかの悪党もそこら中にいる。

 しかしこんな考察は無駄だ。結局は憶測の域を出ない。この少女が攫われたのか、事故によってこんな場所まで来てしまったのか。結局何も分からない。

 だがそれでも、この少女が負っている傷は、確実に人の手によって付けられたものだ。

 

 「っ馬鹿が…」

 

 ここまでの事を、人間は出来てしまうのか。

 やはり、こういう奴はどこにでもいるのか。

 

 分かっているはずだった。いや、実際に知っている。今も味わっている。人間の醜さを。そのヘドロのような害意の味も。オレは何度も何度も舐めさせられ続けてきた。誰よりも、オレは邪悪というものを知っている。だが、それでも、ここまでか。

 

 ここまで——————悪意に塗れた奴が居るのか。

 

 その事実に、内心で虫唾が走る。

 オレ自身、大した人間ではない。勇者と名乗ってはいるが好きでなったわけではないし、自分を良い人間であると思ったことなど一度もない。どちらかといえば、オレは確実に悪だろう。

 

 オレは人の善悪を問うつもりはない。どうでもいいから。そんなものを問いても、聞いても、一銭の金にもなりはしない。無駄な感傷に囚われていては、次の波で生き残れない。

 だから、オレは決して同情はしない。

 

「フィーロ」

「んー?」

「馬車に戻ってスコップを取ってこい。こいつを埋葬する」

「まいそうってなに?」

「いいから取ってこい。それと、ラフタリアには何も言うな。何か聞かれたら適当にごまかせ」

「うん。ごしゅじんさまがそう言うなら、そうするね。でも、フィーロおなかすいたー」

「後で作ってやるから早くしろ」

「はーい!」

 

 先ほどまでの怯えなど無かったかのように返事を返すフィーロ。彼女はオレの指示に頷くと、ドドドと地面を鳴らしながら走って行った。よくこんな場面を見て腹を鳴らせるなと思ったが、やはり鳥と人間では価値観も感覚も違うのだろう。しかし、フィーロは気持ちの切り替えが早いだけで、決して何も感じていないわけじゃない。事実、オレが声をかけるまで一切言葉を発しなかった。

 少なくとも、あの食いしん坊で能天気な鳥でも、多少の同情は覚えたのかもしれない。

 

「よっと」

 

 決していい気分にはなれないが、それでもこの場をラフタリアに見られなかっただけでも良しとしよう。あいつは多少甘すぎるところがある。いろいろと見切りをつけているオレですら最低な気分なのだ。きっとこいつを見たら、体調を悪くするに違いない。これからまた馬車の移動がある。事が祟って体調を崩されても厄介だ。

 

 オレは手を両膝につき、軽く声を出しながら立ち上がった。

 

 とにかく、せめて墓を作るなら立派とは言わずとも目印になるものは必要だろう。フィーロが戻ってくるまでに時間はあまりないが、それでも何もしないで座っているというのも効率が悪い。

 オレは適当な大きさの岩でも探しに行こうとした時、

 

 

 —————何かがオレの足を掴んだ。

 

 

「な…っ!?」

 

 いきなりの事で全く反応ができず、むしろ驚きの声を上げる尚文。しかし彼は足を掴まれた以上に、その表情には形容し難いほどの驚愕に染められた。

 尚文の足を掴んだのは他でもない。先ほどまで力なく横たわっていた少女だったのだから。

 

「ひゅー…っ、ひゅー…っ!」

 

 少女は今すぐにでも灯が消え去りそうな程、表情は青く苦しそうだった。燃え尽きた灰に再び火を灯そうと必死に空気を送るように、呼吸を繰り返していた。しかし、それほどの瀕死の状態にもかかわらず、足を握る手には想像以上の力が込められていた。

 

「お、まえ…」

 

 尚文は驚愕する。あり得ない事実を前に言葉を紡ぐことができない。

 この少女は先ほどまで死んでいた。それを確信していた。確認も取った。

 なのに生きている。オレは何もしていない。しかしこの少女は、何の因果かその命をまだ失ってはいなかったのだ。

 

「ぁ…が、…っ」

「喋るな。———飲め」

 

 オレは直ぐに気を取り戻すと、懐から回復のポーションを取り出し、栓を開け少女の口へと持っていく。まさか生き返るとは思っていなかったが、それでもこの少女は重体だ。呼吸していること自体が奇跡に近い。いや、事実奇跡なのだろう。

 

「———っ…げ、っぇ…っ! エホッ…ゲホッ…!」

 

 オレは少女の口の中にポーションを注ぐが、こんな弱り切った体では何かを飲み込めるはずもない。少女は苦しそうにポーションを吐き出してしまった。

 

「…っくそ」

 

 思わず悪態をつく尚文。彼はポーションを駄目にされたことに苛立ちを募っているのではない。眼前で再び命が消えかけている事実に焦燥感を抱いているのだ。

 せっかく生きているのに、奇跡が目の前で起こっているのに、このままではこいつは死んでしまう。しかし、少女の弱った体では自発的に物を喉に通すのは難しい。乱暴に飲ませ、もしも肺へと入ってしまえば、直すどころか止めを刺してしまいかねない。

 それに、いくらポーションとはいえ限度がある。最上級のポーションならば掛けるだけで治せそうなものだが、オレが持っているのは量産品の低級ポーション。効果などたかが知れている。

 飲ませるタイプではなく、傷に塗る物もあるが、はっきり言ってヒール軟膏は応急処置程度の効果しかない。所詮気休めだ。こいつの命を繋ぐには何としてでもポーションを飲ませる必要がある。

 

「力の根源たる盾の勇者が命ずる。理を今一度読み解き、彼の者を癒せ。『ファスト・ヒール』」

 

 試しにオレが使える回復魔法をかけるが、やはり大した効果にはなっていない。傷が深すぎるんだ。

 

 町まで行けば教会へ行って上位の回復魔法をかけられるが、町まで半日はかかる。それまで生きていられないだろう。それに、フィーロが引くあの乱暴な馬車に重体の少女が乗れば、最悪死ぬかもしれない。

 

「尚文様―!」

 

 どうこう考えていると、声が森に響いた。

 まさかと思い声の方向を見れば、ちょうど草むらから巨大な影が飛び出してきた。

 それは、フィーロに乗ったラフタリアだった。

 

「尚文様…!これは、いったい…!」

「説明はあとだ。ラフタリア、来たからには手伝え。フィーロ、お前はあとで話を聞かせてもらうからな」

「えー、なんでー?」

 

 フィーロから降りたラフタリアが、オレと反対側に位置取る。彼女は少女の上から下までを観察し、次第にその表情を悲痛に歪ませていった。

 

「…っ、なんて惨い…」

「感傷は後に回せ、今はこいつだ。見ての通り弱り切っている。治すためにポーションを飲ませたいが、それも難しい。」

「なんとか、ならないのでしょうか?」

 

 ラフタリアは縋り付くような目でオレを見る。正直に言って、こいつに対してラフタリアができることはなにもない。そして、それは今のオレも同じだ。

 だがこのガキは弱っている。自分の力で生きることは出来ない。誰かが手を差し伸べなければならない。

 何か、方法は無いだろうか。無理やり飲ませるのは仕方がないとして、それでもうまく飲み込めるように誘導してやる必要がある。しかし、そんなうまい方法があるのか?

 道具もなく、知識もない。チューブのような管があれば直接胃に流し込めるが、そんなものを持ち運んでいるわけもない。オレは勇者であって、医者ではないのだ。

 

 いったい何がある。この少女に対してできることは何かないか。こういう緊急時に、元の世界のオレたちは、いったいどうやって乗り切った?

 

 つらつらと元の世界の事を思い浮かべる。電気ショックや心臓マッサージ。意識の無い者への応答や意識レベル。あとは自動車免許で習った……ああ、そう言えば、アレがあったか。

 オレはちらりとラフタリアを見る。彼女は不安げな表情を浮かべながら、首を傾げた。

 はっきり言って、こんなガキにここまでしてやる義理はない。だが、このまま死なれれば目覚めも悪い。どちらにせよ、今は緊急時。即座に決断を下さなければならない。

 

「チッ…悪いがクソガキ、お前を生かすにはこれしか思い浮かばん。だが命を救ってやるんだ、あとから恨みは聞かないからな」

「尚文様…?」

「ラフタリア、お前に頼みがある」

 

 オレはもう一本。懐に入れていたヒールポーションを取り出す。皮とコルクで詰められた栓を開けると、それをラフタリアに渡した。

 

「あ…えっ…?」

 

 そんなラフタリアは、尚文のいきなりのお願いに戸惑いながら、急に渡された瓶を受け取る。

 彼女は瓶と尚文を交互に見ていると、尚文の背で何かを見つけた。黒くてツノの生えた、小さな人影。

 それを見た瞬間、嫌な予感が電撃のように駆け抜けた。

 

「そう怯えなくてもいい。お前に頼むことは難しい事じゃない。こいつにポーションを飲ませてほしいだけだ、」

 

 違う意味で怯えるラフタリアをよそに、端的に尚文は続ける。

 語られた内容は、何も難しいことはない、ありきたりなこと。けれど、ラフタリアの心は何も安心できなかった。

 

 湧き出た汗が頬伝い地面に落ち、知らず知らずのうちに固唾を飲みこむ。

 心底申し訳なさそうな表情をする尚文とは対照的に、彼に似た黒いシルエットは笑っていた。

 今思えば、あれは悪魔だったに違いない。

 あの幻覚は、逃げろと叫ぶ自分が見た、最後の通告だったのだ。

 

 ラフタリアは決意も定まらぬまま、尚文に告げられた。

 

「————口移しで」

 

 ラフタリアの瞳から、光が消えた瞬間だった。

 







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二話

「ふーんふふふんフーン♪」

「…黙って引くことは出来ないのか」

「やー! だってごしゅじんさまフィーロを思いっきり走らせてくれないんだもん。馬車を引くのは好きだけど、これじゃものたりない!」

「お前のいかれた馬車になんか乗せたら苦労して助けた意味がなくなる。いいから普通に走らせろ」

「ぶー!」

 

 除草剤を届けに行く道中で拾った少女を乗せた馬車がそれなりに整備された道を走る。あの重体だった少女は現在落ち着いており、今すぐにどうこうなる事はないだろう。もし様態が急変しても馬車の中でラフタリアが見ているから、何かあればすぐに分かる。

 

「…尚文様」

 

 フィーロの手綱を握るオレに、馬車からラフタリアが顔を出す。

 

「どうかしたか」

「いえ、あの子の今後をどうなさるおつもりなのかと思いまして」

「……そうだな」

 

 ラフタリアの疑問に、オレは指を顎に当てた。正直何も考えていなかったわけじゃない。

 

「適当に行った村で預かってもらおう。関係のないオレたちがこれ以上こいつに何かしてやる必要もない」

「…そう、ですか…そうですよね」

「? なにかあるのか?」

「いえ、そう言うわけじゃないんですけど、この子のお父さんとお母さんはどうしてるんだろうって…」

 

 ラフタリアはそう言うと表情をうつむかせた。オレはこいつの内心を読み解くようなことは出来ないが、大よそ察することは出来る。ラフタリアはあの少女を、自分と重ねたのではないだろうか。

 理不尽に襲われ、奪われ、全てを失ったこいつは、自分と同じくらいの歳のあいつを見捨てることができないのだろう。オレにあいつの処遇を聞いてきたという事は、つまりそういうことだ。

 

 オレは大きく息を吐いた。

 

「…残念だが、オレが今受けている依頼は至急除草剤を届けることだ。」

「はい…わかっています」

「だが、この依頼が終わったら話は別だ。非常に面倒だが、一度メルロマルクに戻ろう。あのクズの国王に頼んでも何もしてはくれないだろうが、三勇教は一応宗教団体だ。聞く話によれば孤児院なんかもやってるらしい。あそこに預ければ、こいつの両親を探してくれるかもしれん」

「…! では…!」

「適当な村の連中に預けても、こいつの両親が見つかるかどうか分からんだろう。まだこいつの治療費を貰ってないからな」

「はい、ありがとうございます!」

 

 ラフタリアはそう言うと、いそいそと中へと戻って行った。顔は見ていないが、きっと表情いっぱいに笑顔を綻ばせていたのだろう。それだけ想像できるような、声の明るさだった。

 

「…」

 

 はっきり言って、オレもオレで、あの少女に思うところがないわけでもない。

 

 理由は足の裏だ。あの少女の足の裏には、ほとんどの皮膚がすり減って無くなっていた。昨晩、オレたちがあの場所でキャンプをしているとき、フィーロが何の反応も示さなかった。

 おそらく相当な距離を歩いてきたのだろう。何時間も、明かりも無い森の中を、一人で。

 

 あの歳の女の子が重傷を負いながら、足の皮が剥がれ落ちるまで歩いたというなら、それがどれほどな異常ことか。

 そう、あの少女は異常だ。常人では考えられないような精神をしている。鋼鉄の心といっても過言じゃない。

 

 なにより驚いたのが少女の生命力。オレが見つけたとき、あいつの心臓は動いていなかった。見様見真似だが、あいつを平場へと移動させる際軽く脈を測っていたのだ。素人であるオレのやり方が悪かった可能性もあるが、しかし体は死体同然に冷たく、開いたままの瞳孔も収縮しない。この時点でオレは内心で諦めていた。こいつが何時からこの状態で放置されていたのか分からないが、これだけ冷えきるほど放って置かれたのなら、もう助からないだろうと。

 

 だがあのガキは、急に息を吹き返しオレの足を掴んだ。

 

 あの時の驚きは大きくオレの心を揺さぶった。

 原因や理由は分からない。何らかのスキルなのかとも思ったが、蘇生のスキル何て物が存在するのだろうか。どちらにせよ、その少女の弱りきった瞳の奥から言い様のない執念があった。

 

 もしも、あの少女が意思や思いだけで再び息を吹き返したのだとするなら———————怪物だ。

 

 それだけの執念をもって、成そうとする何かがあるのか。

 もしもそうなら、末恐ろしい。

 

(…何をふざけたことを。 馬鹿か、オレは)

 

 思考を巡らせ、首を振った。

 妄想もここまでくれば呆れても来る。考えすぎだ。

 あの少女が助かったのはたまたまで、運良く息を吹き返しただけ。

 足の皮が無かったのも、他に原因があるのだろう。第一、あの少女は靴も何も履いていなかったではないか。あんな森の中を裸足で歩けば、皮などすぐに剥がれるだろう。

 

 オレはこれ以上無駄な思考を回さないように、適当な理論を立て、適当に納得する。

 そうして手綱を握り続け約数十分。オレの目の前には、巨大な植物の根のようなものが道を埋め尽くさんとしていた。

 

「…やけに植物が生えてるな」

「そうだねー、少し走りずらい」

 

 巨大なツルで車輪が跳ね、何度も馬車が揺らされる。積んできた除草剤の瓶が割れてないか心配になるほどだ。これほど太いツルが生えていたら並の馬ではどうしようもない。オレ達にしか頼めないというのも納得だ。

 

 少し進むと、先に砦のようなものが見えてきた。木製の柱を何本も立てて作った壁には、すでに多くの植物が取りつき、今すぐにでも覆われそうになっている。

 

「あそこに迎え、フィーロ」

「はぁーい!」

 

 フィーロは元気溢れる様子で砦へと向かう。何が起きているのか分からないが、何かが起きていることは分かる。あれだけ植物が生えてきたら、確かに除草剤も大量に必要になるだろう。

 

 そうしてたどり着いた場所は、難民キャンプのように人が集まり、怯えるように暮らしていた。オレは除草剤の値段を考えながら馬車を降りる。正直言ってここまでの被害が出ているとは思わなかった。アクセサリー商が大金になると断言していただけはある。

 

「除草剤を高く買い取ると聞いてやってきた者だが」

「おお、行商の方ですか。助かります」

「ああ。だがその前に聞かせろ、何があった」

 

 尋ねた俺に、キャンプの中で一番偉そうな男が答えた。オレは現状について話を聞くと、男は気まずそうにぽつりと零し始める。なんでも、この村は飢饉に陥って困っているところを、槍の勇者が救ってくれたのだという。なんでも、封印されし奇跡の種子を持ってきてくれたらしい。

 その種子は、植えた瞬間に瞬く間に成長し、すぐに実をつけた。事実、飢饉で困っていた村人たちにとって希望の種子だったのだという。

 しかし、事態は急変した。成長続ける植物の勢いは止まらず、やがて村の全てを飲み込んでしまったらしい。

 

「挙句の果てには、成長した植物が魔物化する始末でして…」

「魔物化…?」

「—————!!」

 

 話しを聞いていたら、突然キャンプの外から悲鳴が聞こえてきた。村長の話では、雇った冒険者がレベリングのために村へと向かったらしい。

 今の悲鳴を聞くにあたり、どうせ返り討ちにでもあっているんだろう。馬鹿馬鹿し過ぎて頭が痛くなるが、それでも放って置くわけにもいかない。

 

「チッ…! フィーロ、冒険者たちを連れて戻ってこい」

「もぐもぐ……ふぁーい!」

 

 急成長を続ける植物の実を頬張っていたフィーロに、無謀な馬鹿どもを連れ帰るように指示を出す。フィーロは高速で植物地帯を駆け抜けると、すぐに冒険者三人を担いで戻ってきた。

 

「植物の魔物、ぐねぐね動いて毒とか酸とか吐き出してくるのもいたよ。弱いのにあんな所に行くなんて、この人たちバカだねー」

「最後の一言は余計でしょ」

「えー?」

「『えー』じゃありません」

 

 ラフタリアがフィーロの言葉に注意をする。しかし、フィーロは能天気に適当に聞き流していた。

 そんなやり取りを見ていた村長の男が、オレたちを最近うわさに聞く神鳥の聖人であると知った瞬間、手を合わせてオレたちに頼み込んできた。

 

「お願いします! どうか、そのお力で病人を治してくださいませんか!?」

「病人がいるのですか?」

「はい、どうか…! どうか…!」

 

 必死に頼み込む男に、面倒ごとを押し付けられた気分になる。しかし、このまま見捨てるわけにもいかない。オレは内心舌を鳴らしながら、男に病人の元まで案内させる。

 

 そうして案内されたテントの中には、数十人の子供も含めた人たちが苦しみによって唸り声をあげながら、簡易なベッドに横にされていた。そのすべてが体中に植物の根っこや、ツルのようなものを生やしており、村長の男は植物に侵食されているのだと説明をする。

 

「寄生能力まであるのか…」

 

 オレは腰のポーチから治療薬と除草剤を取り出し、小さな子供から治療に当たった。

 まず治療薬を飲ませ、そのあとに侵食されている場所へ除草剤を掛ける。すると、子どもの身体に淡い光が宿ると、体に生えた植物は枯れ、荒い呼吸も落ち着いた。

 それを見ていた村の人々は、感嘆するように声を漏らす。

 オレは他の病人も同じ手順で治療を行い、最後の一人まで全て完治させた。

 

「よかったですね」

「治療費を受け取ったらすぐにこの場所から出るぞ。 これ以上の面倒ごとは御免だ」

 

 やることを終えたオレは、ラフタリアを連れフィーロが待つ馬車へと移動する。次にまた面倒ごとを持ってこられる前に、さっさと退散したい。オレ達はこの後、名前も知らんガキをメルロマルクまで送り届けなければならないのだ。

 

「お待ちください!」

 

 しかし、村長がオレ達を呼び止めた。

 

「神鳥の馬車を持つ聖人様、どうか…この村をお救いください…! 」

 

 背に多くの村人たちを連れ、全員が一斉に頭を下げだした。女子供を含めた誰もかれもが縋り付くような顔つきで、オレに向け乞うように頭を差し出す。

 オレはその勢いに多少戸惑った。しかし、オレにはこれ以上こいつらに何かしてやるほどの義理はないし、そもそもオレ自身なんでもできるわけじゃない。はっきり言って断りたかったが、隣にいるラフタリアからも哀願するように名前を呼ばれたことで、オレは大きくため息を吐いた。

 

「…わかった。だが、詳しく話を聞かせてもらうぞ」

 

 オレは近くの岩に腰を下ろすと、村長の隣にいた男があの植物に関しての情報を話し始めた。

 

「我々が調べたところ、伝承にあの種子について載っていました。あの種子はかつて錬金術師が作り、その危険性ゆえに封印した種子だったらしいのです」

「待て、そんな伝承があるのに誰もその種というのを疑わなかったのか?」

 

 問うように聞いた俺に、村人たちは気まずそうに顔を下げた。

 オレはそれだけで察する。思わず鼻で笑ってしまいそうなほど間抜けな話だ。

 

「おおかた、勇者様が持ってきたものだから、安全だとでも思いこんでいたか」

「…っ! お、お願いします!」

 

 村長がそう言うと、地面に膝を付きながら、オレに袋を指しだした。

 

「治療費と…魔物の討伐費は、前金で全額お支払いします…!ですからどうか、この村をお救いください…!」

「……元康の馬鹿の尻拭いは腹立たしいが、貰った分の仕事はする。 行くぞフィーロ」

「はーい!」

 

 オレは金の入った袋を受け取ると、いまだ植物の実を貪っていたフィーロを呼びよせ、背に乗った。

 

「ラフタリア、お前は残れ」

「え…?」

 

 オレに続いてフィーロに跨ろうとするラフタリアを止める。まさか止められるとは思っていなかったのか、ラフタリアはひどく驚いた様子で固まった。

 

「なぜですか尚文様! 私も行きます!」

「お前が行けば、馬車にいるガキの世話は誰がするんだ」

「そ、それは…っ」

 

 オレの返す言葉に、ラフタリアは言いよどむ。事実、あの馬車にいる少女は、完全に傷が癒えたわけじゃない。まだ怪我は残っているし、意識を取り戻しているわけでもない。そんな中、もし様態が急変でもしたら堪ったものじゃない。

 残ることを嫌がったラフタリアが、村のやつらに見てもらう案を提唱したが、他人など信用できるわけがない。

 

「それに、もし目が覚めたとき錯乱して逃げ出されても面倒だ」

「そんな事はっ———」

「少なくとも、あのガキはそれだけの事をされている。 —————お前が傍にいてやれ、ラフタリア」

「……はい」

 

 しゅん…と擬音が聞こえるくらいに、ラフタリアは俯いた。彼女の耳としっぽも、その感情を表すかの如く垂れ下がっている。しかし納得はしてくれたらしい。ラフタリアがそれ以上何かを言うことはなかった。

 

「あはははは! おねーちゃんだけ除けものー!」

「お前に任せられないからラフタリアが残るんだよ。 いいから行くぞ」

「むー…!」

 

 子馬鹿にするように笑うフィーロを窘めながら、オレは手綱を引いた。

 

 

※※※※

 

 

 フィーロが駆け出し、尚文の姿は一分と立たずに見えなくなった。

 そんな彼らを見送ったラフタリアは、ゆったりとした足取りで村の人に頼み、湯を桶の中へ入れてもらってから馬車へと戻る。少女の様態を確認するためだ。

 

 中へと潜れば、ここまで来た道中と変わらない姿で、名前も分からない少女は眠っていた。その顔は、私が初めて見た時よりも生気を取り戻し、青白かった肌もきちんと色を取り戻している。

 ラフタリアは積んである荷物の中からタオルを取り出すと、湯に浸し、少女の顔を優しく拭いた。この村に着くまで数日と経っていないが、それでもこの子はケガ人だ。なるべく清潔を保った方が良いだろう。

 次いで、少女にかけていた毛布を除け、着せていた服を捲り上げる。眠っている間に汗ばんだ所を拭うためだ。その作業は、少女を起こさないようにと丁寧に行なわれた。

 少女の身体を清めている最中、ラフタリアは身体に深く刻まれた傷跡に目が入る。

 それは、蚯蚓腫れのように皮膚が盛り上がり、刺傷の部分は肉が潜り込むように一線状にへこんでいた。

 

「……っ」

 

 明らかに、こんな幼い少女が背負っていい傷ではない。こんな子供に行われた所業を想像し、唇を噛んだ。

 幸運にも、顔の火傷は足や体に有ったものより軽傷であったため、何とか傷は残らなかったが、その眼球までは回復に至ったのかどうか分からない。こればかりは本人が目覚めないと分からない事ではあるが、できるなら世界の色を見るために治っていてほしいと、ラフタリアは願った。

 

(私は、こんな子を一人で置いて行こうとしたのですね…)

 

 思い返すは、先ほどの自身の言動。

 尚文様と共に歩みたくて、わがままを言ってしまった。

 私は尚文様の従者であり、剣なのだと。だから、尚文様の危険は私が切り伏せると心に決めていた。けれど、それは結局自分のやりたいことで、それを優先して本来守るべきものを守れないのならば、本末転倒だ。

 意識が足りていなかった私より、やはり尚文様は分かっていた。何を優先するのか。何をしなければならないのか。私なんかよりも全て見通していた。

 考えたくはないけれど、村の人たちにこの子を任せて、もし酷い目にあってしまったら、私は今以上に自分の行為を呪うだろう。信じる事と、疑いたくないという思いは似ているようで全く違う。私は、少し甘えていたのかもしれない。

 

 少女の背中を拭き終え、あらかた拭い終えたラフタリアは、少女の頭を衣服を詰め込んだカバンへ下ろし、その身体に毛布を掛ける。

 この子は私達が救った命。ならば最後まで面倒を見切らなければならない。それでようやく、はじめてこの子は救われるのだ。

 私もそうだ。命を救われたから、救われたわけじゃない。尚文様が壊れかけていた私の心も救ってくれたから、私は救われることができたのだ。

 

(この子が目を覚ましたら、何を話そうかな…)

 

 いつか目を覚ます時を思い浮かべながら、私は隅に腰を下ろしながら考える。せめて、楽しい話をしてあげたいけど、いったい何を話せばいいのだろう。私の話すことなんて、ほとんど女の子らしい事なんかないしなぁ。

 

 自身のボキャブラリーの少なさに、若干かなしくなるラフタリア。せめて、この子が冒険好きであることを祈る。それなら、私がお父さんとお母さんに聞かせてもらった物語を教えてあげることができるし—————

 

 と、そこまで考えた時、ピクリと思い至る。

 

(あれ? でもあれって、そんなにマイナーだったっけ?)

 

 ラフタリアは誰も見ていない馬車の中で、首を傾げた。

 もしも私が聞いた話が有名なもので、誰でも知ってる話だったとしたら、それを意気揚々と話す私って、すごく恥ずかしいのでは?

 そう考えると、だんだん不安になってきた。

 

(ど、どうしましょう。私からこの話を取れば、子供と話すことなんてほとんど無くなってしまう…!)

 

 大して女の子らしい生活もしておらず、女の子が好きそうな物も分からない。それに加え、相手はあらん限りのトラウマを抱えているであろう少女。そんな子を相手に、うまく話すことなんて出来るのだろうか?

 あわあわと、頭の中で右往左往するラフタリア。

 彼女は頭から煙が出そうなほど考える。そもそも、多少の男勝りな性格をしていた彼女は、最近ではちょっとした時間は筋トレに費やしてしまっている。

 ほしい物は何かと聞かれれば、よく切れる剣と答えるような変わった女なのだ。

 

 そんな変わった女は何を思い至ったのか、すくりと立ち上がると馬車から出ようとする。

 

 彼女は考えた。分からないなりに解決策を見出した。分からないならば、他の人に聞けばいいのではないかと。

なんでもいい。ちまたで流行っているおもちゃとか、ペットとか、食べ物とか、どれでも話せそうなことは聞いて行けばいいのだ。これならば、私がどれほど女の子らしくなくても、関係ないだろう。

 ラフタリアはこの案が非常に良いものであると感じられた。だがら、いつ目覚めるかも分からない少女のために情報収集へ出かけようとしたのだが————

 

『もし目が覚めたとき錯乱して逃げ出されても面倒だ』

 

 フラッシュバックにより、尚文の言葉が脳内を過った。

 ラフタリアは呆然とした面を携え、髪が舞う速度で背後で眠る少女へと振り返る。

 今は穏やかに眠る少女であるが、もしも尚文様の言葉通りに錯乱したら、どうすればいいのだろうか。

 もし暴れて何かを壊してしまったら、こんな少女であっても尚文様は見限るかもしれない。

 いや、言動に棘は有れど、本心は優しいお方。恐らく文句は言いつつも許してくれるとは思うのだけれど……なぜだろう。どちらの未来も想像できてしまうのは。

 

 ありありとした未来が頭の中を過っていく。その全てがとてもいい方向に行くようには思えない。

 ラフタリアの頭の中は、少女が錯乱を起こす前提の対処法で埋め尽くされていた。

 

(本当に錯乱してしまったらどうしよう…! でも、さすがにケガ人の女の子を落とすのは良くないと思うし…でも私にはそれくらいしか……ああ、分からない…! どうすればよいのでしょう尚文様…!)

 

 今はいない主の顔を思い浮かべるも、大してなにか妙案が浮かぶわけも無く。ラフタリアは魔物と戦う以上の疲労感を表情に浮かべながら、再び隅で座り込んだ。

 柄ではないと言うつもりはないが、こんな重い過去を背負ったばかりの少女を相手にするには、いささか経験が不足しすぎている。私自身も多少は重いとは思うけれど、だからと言って他の人にうまく接することができるかと問われればそうではないだろう。

 普通の子供相手なら当たり前のように話せるのに、どうしてこうも話ずらいのか。

 

 悶々として、けれど解決案も何も浮かばない現状、もはやラフタリアにできることは耐えるしかない。もしくは自分には無理であると開き直って何も考えないようにするかだが、彼女の性格上それも難しい。ラフタリアが困った未来を見据え少し憂鬱になりながらも、そんな濁った思いを自身から排出するようにため息を吐いた。

 

「グぁああああああ!!」

 

 ————————馬車の外から悲鳴と絶叫が響き渡った。

 

 明らかな異常事態を感知したラフタリアは、ベルトから外していた剣を片手に、馬車から飛び出す。

 外に出てみれば、ある区画で人だまりができていた。

 ラフタリアはすぐにその場から駆け出し、異常が起きたであろう現場へと赴く。

 

「何かあったのですか!」

「ぉ、あ、ぁ、アレ…!」

 

 クワを武器として手に持つ男に、肩に手を添えて尋ねた。男はひどく怯え、うまく口が回らない中で、懸命に指で元凶を指示した。

 

「これは…っ!」

 

 男が示した先には、人型に模ったツタの塊が、不気味に蠢きながら四つん這いになっていた。いったいどこから入ってきたというのか。目の前にいる植物型の魔物はゆっくりと立ち上がると、近くで武器を構える村人へ振り向き———————

 

「ギャバアアァァァアア!!」

「ひ、ひぃっ…!?」

 

 奇声を上げながら走り出した。

 ゾンビのように獲物へ向かって行く様は、まるで腹を空かせた獣。

 男は眼前へと迫る魔物の迫力に、腰を抜かしながら怯えた声を上げた。構えていた武器は恐怖によってなんの役にも立っておらず、化け物の手は男の頭蓋を抉らんとその手を伸ばした。

 

「———グぎ…?」

 

 そんな男の窮地を、ラフタリアが腕を切り飛ばすことによって救った。彼女は魔物が走り出す前から村人の危険を察知し、あらかじめ剣を抜き距離を詰めていたのだ。

 曲線を描きながらボトリと地面に落ちた腕。

 呆けているのか、化け物は切り飛ばされた断面をしばらく眺めていた。

 やがて痛みでも知覚したのか、思い出したように再び絶叫を上げた。

 

「キィィイィィイイイイ——————!!!」

 

 大気を揺らすほどの絶叫に、周りにいた村人たちは悲鳴を上げ、蜘蛛のごとく逃げていく。

 ラフタリアにとって、彼らの逃亡はありがたかった。敵を目の前に、あれだけの人数を守るには少々骨が折れる。ゆえに、逃げる者たちを見ることはせず、目の前にいる魔物に集中していたのだが、

 

「血…?」

 

 ツタの塊で構成されたような魔物は、その切り飛ばされた断面から鮮血を流していた。それを見た私は、村の人々が患っていた病を思い出す。

 人間に寄生し、繁殖する植物。果てには魔物化までする生命力に優れた植物を。

 

 嫌な予感が全身を覆う。言いようの無い冷たい不安感が溢れ出る。しかし、あの病は全て尚文様が治した。今更感染者が出るはずもない。

 なら、この魔物はどこから入った?

 

「ギ…ひ…! ぎィアアァァアァァ!!!」

 

 混乱する私をあざ笑うように、化け物は再び突進してきた。

 突貫する化け物を慣れたようにひらりと躱すと、そのガラ空きの背に剣を振るう。

 手にかかる肉の感触。斬られた場所からは腕の断面と変わらない鮮血が溢れ出る。まるで本物の人間のようだが、その言動は化け物のそれだ。

 私は化け物の足を切りつけ、ぐらりと体幹が揺らいだのを確認すると、ガラ空きの心臓部へ剣を突き刺した。背から貫いた剣は、化け物の胸から先端を覗かせた。ごぼりと血が溢れ、化け物は苦悶に満ちた声を上げると、全身にまとったツタが一斉にラフタリアへ手を伸ばす。

 

「ふっ…!」

 

 骨の無い触手は何度も軌道を変え、動きを変え、手段を変え襲い掛かるが、ラフタリアの磨き上げた剣術とステータスにより、その一切を危うげなく切り落とす。

 埒が明かない事を察した魔物は、ゆらりと頭を上げ、その中央に一線の亀裂を入れた。

 

「な…!?」

 

 頭部の絡み合ったツタが半分に割れ、中から出てきたのは————————男の顔だった。

 その事実にラフタリアは驚愕する。植物に侵食されてはいるが、それは紛れもなく人間だった。男は気管に物を詰めたような荒い呼吸を繰り返し、意識はないのか眼球はあらぬ方向を向いている。

 ラフタリアは醜く変わった男の顔に、見覚えがあった。

 

(この人は確か、フィーロが助けた冒険者の人…!)

 

 男は植物の魔物へとレベリングをしに向かった冒険者の一人だった。フィーロが助けたとき大して症状も出ていなかったから、村人たちが適当なテントで休ませていたはずだが、まさか寄生されていたとは。

 ラフタリアは先ほどの手ごたえや流れる血の違和感の正体を突き止めた。これは植物に寄生された者の末路なのだと。

 目の前の魔物はゆらりと手を挙げると、男の頭を叩き割った。

 

「…!」

 

 理解を超えた所業に、ラフタリアは行動に移すことなく静かに注視する。

 化け物は警戒するラフタリアを気にする様子も無く、男の頭を、顔面を、あらん限りの力で殴り続けた。何度も、何度も何度も——————何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 

 人では認知すらしたくないような狂行を、化け物は当然のように行った。血をまき散らしながら殴り続け、そうして男の顔がずぶずぶに潰されたのを確認すると、割れた額に指を突っ込んだ。

 

 ——————ブヂヂ…!

 

 魔物は男の顔を、一切の容赦なく引き裂いた。雑多に捨てられた男の肉片から、べちゃりと悍ましい音がなる。背筋が凍るような化け物の一連の行為を見ていた私は、咽頭を撫でられるような気持ち悪さを覚えた。

 目の前の生物はもはや気味が悪いでは収まらない。これは存在してはならない邪悪だ。悪魔が腐肉を啜って這いずってきた、醜い化け物だ。

 

 かつて、これほどの嫌悪感を感じたことはない。

 これほど命を冒涜し、嘲笑する化け物は見たことがない。

 想像を超える怪物は、いずれ出会うかもしれないと思っていた。

 しかし、このような形で想像を超えられるとは思いもしなかった。

 

 思考の最中、男の顔のあった場所から、一つの蕾が蛹から羽化するように現れる。

 純白の、潔癖を表す白色の花弁は、男の肉片がこびり付き、むわりとした蒸気を放っていた。

 

 ———————風に乗ってくる甘い臭い。

 

 蕾から漂う臭いに、ラフタリアは顔を顰める。

 この蕾の香りは甘く誘われる匂いだが、それ以上に劇毒のような気持悪い腐臭を放っていた。まるで漂う蛾を食い殺すような、どす黒い悪意を含んだ香りだ。

 

 何から何まで、悪心を抱かせる化け物に戦慄を覚えるラフタリア。そんな彼女に優しく微笑むように—————男の血に塗れた蕾は、ゆっくりとその花を咲かせた。

 



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三話

久々の投稿です。


 朧気な体が、闇に揺蕩う。

 

 何もない閉ざされた世界の中で、私は雲に乗るようにぷかぷかと浮いていた。

 

 ぬるま湯に浸っているような、熱くも寒くも無い、一切の苦痛が存在しない世界。苦しみも悲しみも何もない。ただ己自身の存在と、微かな心地よさだけがあった。

 

 まるで母の腹の中のように、羊水に沈むがごとく安心感だけが胸に渦巻く。このまま安らぎの中で永遠に閉じこもって。一切の全てを遮断したまま完結させる。

 

 ああ、それはなんと、平和で素晴らしい事なのだろうか。

 ここには温もりがある。痛みの伴わない温もりだけが。何も傷つかない世界が。

 

 幸せしかない。

 幸福感だけが存在する。

 痛みはない。

 苦痛はない。 絶望も、失望も、負の感情全てが存在しない。

 

『———おいで』

 

 声が聞こえた。

 

 甘くて蕩けそうな、慈愛に満たされた声が。慈しみを込めた愛の囁きが。私の耳元に触れた。

 

(……誰だ…)

 

 ゆっくりと体が移動し、まるで海底の砂の中に溶け込むように、ずぶずぶと下へと沈んでゆく。

 淡く痺れた脳髄で、ゆらりと浮かんだ疑問符。

 私は、私を呼ぶ誰かが気になった。

 全てが泡沫と化した世界の中で、なお私なんかを呼ぶのは誰なのか。

 重く微睡みを覚える瞼を、無いに等しい力で持ち上げようとした。

 

『見ちゃ、だめだよ』

 

 そっと、何かが目を覆った。

 それは温かくこの空間のように安心感があった。まるで眠る赤子に子守唄を歌うように私に穏やかな安らぎを与えてくれる。そんな手だった。

 よく分からないけれど、きっとこの手の主は私を思ってこうしているのだろう。

 きっと外には怖い物があるから。見ちゃいけないものがあるから。こうしている。

 何もないと思っていた空間は、ただ私が目を開けていなかっただけで本当は何かがあるのだろう。

 この手はそんな何かから、私を守ろうとしているのだ。

 私を傷付け、甚振り、壊そうとする—————そんな何かから。

 

 なら、きっとこの手の言う通り私は何も見ない方が良いのかもしれない。

 考える事無く、苦しむことなく、ただ眠り続ける。それが私にとっての幸福なのだろう。

 

 それを理解したいま、私はもう何も言わない。何かを言う必要はない。

 

『——! やめろ…!』

 

 声の主が、焦燥の声を出した。

 

 この声は私を幸せにしようとしてくれている。この声は私を案じてくれている。だから、これの言う通りにしていれば、私は幸福になれるのだろう。この手の温もりは本物で、伝わる優しさに嘘はなかった。何もかもが私のためと用意してくれていた。

 この空間も、この感覚も、全てが私のためにと、この世界の主が与えてくれた確かな愛。

 憐れんでくれたのかもしれない。こんな私を、愚かな娘と微笑んで。

 

 ただ私は、そうぼんやりと考えながら—————振り払う様に瞳を開いた。

 

 

「……?」

 

 気づけば、私は縁側に座っていた。

 急に体へ流れ込んでくる感覚。ひんやりとした夜の風も、心地いい木材の匂いも、地面に足を付く感覚も、全てが私の中に戻ってきた。

 私は腕を見る。着流しを纏い、足には草履をはいていた。

 空を見上げれば見事な満月が空に浮いており、不思議と心が洗われる。月に心を奪われていた私は、気付けば隣に一人の男が座っていた。

 

「…」

 

 驚きはない。むしろ、この男がここにいることは、当たり前のように感じた。この人がいて、初めてこの場所は意味を持つのだと。

 男は静かに、老木のような温かさを含んだ瞳で私を見つめていた。この人がさっきの声の主かと思ったが、違う。

 

 あれはもっと黒いものだ。腐臭に塗れた、退廃する何か。よく見れば、この人の中にもあの黒いものが宿っていた。

 これは、いったい何なのだろうか。

 

 私は男を見上げた。顔はやせ細り、今にも倒れそうな白い肌。風が吹けば折れてしまう枯れ木のようだった。

 

「…っ」

 

 見ているだけで胸が苦しくなる。まるで何かが風船のように膨らんで、心の中を圧迫する。恋する乙女のように熱く、けれどそれ以上の何かに心を馳せていた。

 自分の唐突の感情に困惑する。この男に見覚えはない。この男の名も知らない。けれど、私は感じている。憂鬱を、悲哀を、憤懣を、尊敬を、苦痛を、憎悪を。そして、それらすべてを傾けても及ばない────愛情を。

 

 自身の胸に宿った言いようのない激情の渦が、暴れまわるように私の中を溢れ出る。私は。知らず知らずの内に震えていた手で、ゆっくりと、男の袖を握った。

 

「…! な、んで…?」

 

 袖を握る。たったそれだけで、私の両目から涙がこぼれ落ちた。先ほどまで感じていた感情の嵐が一瞬にして溶け、一つの感情へと変わっていた。

 それは悲しみじゃなく、喜びだった。

 ただ、何故かうれしくて、苦しくて、堪らなかった。

 

「く…っ、ぅ…」

 

 迷子の幼子が長い年月をかけ、ようやく親を見つけたような喜び。そして、それ以上の安堵が胸の中が膨れ上がる。

 ぼろぼろと涙が止まらない。恥ずかしくて、嗚咽を漏らすことはないけれど、涙だけは止まってはくれなかった。

 目の前の男は何も言わない。ただ、私を優しく見つめるだけだ。それが受け入れてくれているように思えて、感情が張り裂けそうだった。

 

 何故か分からないけれど、うれしさの感情以外にも何かがこみ上げてくる。先ほど袖を握る際に感じたこの感情は、そう。あえて言葉にするなら憧れだ。

 

 私は何故かこの男に、一抹の懐かしさと、大きな憧れを抱いているのだ。

 

 この男のどこに心を焦がしたのか分からない。けれど、単純なものなのだろう。きっと、生まれる前の私が抱いていたのだ。そして、それが私に受け継がれている。偽物である私に、ただ作られただけの模造品に。

 

(なら、それなら—————よかった。)

 

 意味の分からない安堵。けれど、この憧れを私の胸に抱くことができたのなら、それでいいと思えた。贋作でも、私はもう一度、甘く呪われた誓いを思い出すことができたのだから。

 

 私はするりと袖から手を離すと、縁側から立ち上がった。

 

「行ってくるよ」

 

 砂利を踏み鳴らしながら、この屋敷の出口へ向かう。

 男からの返事はない。その表情に変化はない。けれど、最後に私を見送ってくれたことが、とてもうれしかった。

 

 

※※※※

 

 

 瞼を薄く開け飛び込んだのは、布を隔てて差し込む薄い光だった。

 

 「……戻れた、か…」

 

 小さく独り言ちる。けれど、私が再び日の光を見れているという事は、どうやら私はまだ死ななかったらしい。つくづく幸運なことだ。

 誰かに救われたのか。みれば毛布を被せられ、挙句の果てには服まで着せられている。私自身、死を覚悟していたのだが、よくこんな怪しげな少女を拾い上げたものだと、自身の事ながら少し他人行儀に笑ってしまった。小汚い娘を拾い上げるようなもの好きは、いったいどんなお人よしか、それとも邪な何かか。

 どちらにせよ、最低限礼は言わねばなるまい。私はその誰かとやらに大きな借りが出来てしまったのだから。私は重く感じる体を起こし、頬を伝っていた涙を拭きながら、なんとなく振り返ると

 

「…フ…っ…! …フ…っ…!」

 

 大きく呼吸を乱しながら、小さく身を寄せる3人の家族がいた。

 

 私より小さな少年は恐怖により洩れそうな悲鳴を両手で必死に抑え。母親らしき人は震える手で嗚咽を漏らしながら神へ救いを求め。父親らしき男は冷や汗を流しながら両手で小さな斧を握りしめていた。

 

 彼ら全員が怯えるように。何かから逃げるようにそこにいた。

 

「いったい…」

 

 何があったと続けようとしたが、私の背後から流れる光が強まったことにより、言葉を発することはなかった。

 

「〜〜〜〜っ! 〜〜〜〜!!?」

 

 目の前の少年が、恐怖に堪えきれず悲鳴を上げた。男は息も絶え絶えで、女は壊れたようにぶつぶつと呟く。振り返った私の視線の先には、巨大な花の中心に百を超える目玉を持った化け物が、外界と遮断していた膜をめくりこちらを覗いていた。

 

「ギィィイィィイイ——————!!」

 

 私達を見つけた化け物が、ぎらついた牙を開きながら咆哮する。口から粘液をまき散らし、私の鼻に甘い腐臭を漂わせる。

 

 目覚めたばかりの私も状況を飲み込むには十分だった。すぐ側にいるのだ。可視化できるほどの邪悪を全身から洩れ立たせ、食欲と虐殺を主として作り上げられた怪物が。目に映るものを殺しつくす化け物が。

 

 理解はできずとも納得はできる。彼らがこれほど怯えるのも無理はない。    

 これは悪鬼だ。醜悪を詰め込み、悍ましさを追求し尽した怪物の姿なのだ。

 

 私は胃を掴み捻り絞られる気持ち悪さを覚えながら、近くにあった瓶を投げつけた。

 

コン、

 

「————?」

 

 化け物にあたった瓶は、そんな滑稽な音を立てながら落ちていった。蚊に刺されるほどにも何も感じていない化け物は、しかし自身に当てられ転がる瓶に視線を向ける。

 

「にげろっ!!」

 

 私は背後で怯える彼らに叱咤を飛ばす。全員で逃げるなら、化け物が気を逸らした今しかなかった。ただの瓶をぶつけただけで生まれたチャンス。こんな奇跡はもう起きない。けれど、心を恐怖に埋め尽くされた彼らに私の声は届かない。いや、聞こえてはいるのだろう。けれど、彼らの本能が、動くという行動全てを制限してしまっているのだ。

 

—————生き残る道筋が、急激に細ばるのを感じた。

 

(このままでは誰も…!)

 

 そう一人悟った私は、震える男を殴りつけ、手に固く握られていた手斧を奪った。

 

 こんな狭い空間では何もできない。せめて囮になるにも、時間を稼ぐにも、広い場所へ移動しなければ話にならない。

 

 流れるように、私達を囲む布に斧を振り下ろす。布は革製で分厚かったが、ピンと張っていたおかげでこんな子斧でも孔は開けられた。私はそこから芋虫のように体を捻り出すと、重力に従い地面に落ちる。うまく受け身を取れなかったせいで膝を擦りむいたが、素直に痛がっている時間はない。私は馬車の中へ入り込もうとする化け物に向かって走り出し、背後から渾身の力を込めて子斧を振り下ろした。

 

「————」

「くっ…!」

 

 ズン、と音を立てて振るわれた斧は、化け物の身体に入り込むことはなかった。

 

 渾身の力を込めたというのに、傷どころか全身を覆うツタの一本すら切れていない。馬車へと入り込もうとしてた化け物の動きがピタリと止まり、前を向いたまま人体を無視した挙動で右腕を振りぬいてきた。

 

「———っつ」

 

 膝を折り、身体を後ろに倒して振るわれた剛腕を紙一重で躱す。ツタが絡まっただけの歪な腕は、空気を巻き込みながら鼻先を掠り通過していく。化け物は花の頭をこちらに向け、その数多に蠢く眼球を私に定めた。どうやら中にいる彼らより私を優先と認定したらしい。化け物は足を振り上げ低体位の私を踏みつぶそうとするが、私は砂に塗れながら転がりそれを躱す。 

 

 私の身体があった場所に一トンの重りでも落としたような地揺れが起き、小さな砂が宙を舞う。私はそれだけで、こいつの攻撃を一度たりとも食らってはならない事を察した。

 

「はっ…」

 

 逃げるように立ち上がり、眼前に化け物を見据えながら、止めていた息を一瞬で吐き出す。そうして再び息を吸うと、息を止め——————振るわれる剛腕を屈んで躱す。

 

「ギッ…!ギィ…!」

 

 躱す、躱す、躱す、躱す。

 

 遠慮なしに次々と放たれる必殺を、私は躱し続ける。ツタを大量に巻き付け肥大化した剛腕は、空気を押し退け、潰し、地面を抉り取った。それらすべてが、私に死を与えるべく振るわれ続ける。どれもこれもが体重移動も無い腰の引けたものだというのに、その一挙一動の全てが凶器。

 

 いったいどこからそんな馬鹿力を出しているのか。まさに生物としての常識を超えた化け物だ。

 

 一撃でも当たれば即死。そんな圧倒的不利のなか、私は未だ命を保っていた。乱暴に振るわれる攻撃を、全て慎重に躱し続ける。

 

 振りぬかれた後の突風。一度踏み込むたびに揺れる大地。そこから生まれる恐怖をこらえながら、私は化け物の全てを見定める。一度でも恐怖に囚われてしまえば、私の命は潰されるから。

 

——————背筋が冷たい。

——————全身から噴き出す汗が鬱陶しい。

——————恐怖で足が嗤いそうになる。

 

 死の乱舞の中、全神経を総動員させまともでは無い化け物の動きを見極め続ける。そんな神業を行い続けているのだから、当然削られるように精神と体力が疲弊する。けれど、私は一切を見逃さない、見逃すわけにはいかない。その挙動、仕草、醜悪な口から洩れる呼吸までの一切から、次の一秒を手繰り寄せる。

 

 勘では避けない。全てを予想し、抗い続ける。千切れそうなほど細い一糸を、何度も何度も手元に引き寄せ続ける。

 

 そうして稼いだ時間。急に化け物の動きがピタリと止んだ。

 化け物から距離を置いた私は、突如として発生した時間で上がっていた呼吸を整える。正直言って、今止んでくれたのはありがたい。相手はどうか知らないが、こちらの体力は限界に近かった。

 

 何度も深呼吸を繰り返しながら、ちらりと馬車の方を見る。彼らは、うまく逃げられただろうか。それを確認する時間も猶予も無いけれど、私ができるのはこいつを引き付け時間を稼ぐことぐらい。

 

 あわよくば殺したいところだが、子斧であってもツタ一本ビクともしないのは予想外だった。それを多重に巻いたこいつの身体を、私では切り裂くことは出来ない。今ある魔力を使い全力で身体強化をしていても、せいぜい1本切断できたかどうか。

 

 運よく生き延びたと思えばこの窮地。この運命を作り出した神がいるなら、是非とも地獄に落ちてもらいたいものだ。

 

 自身の運の悪さに辟易とする私だったが、眼前の化け物が再び動きを見せたことで、余計な思考をシャットアウトする。さて、こちらは少しでも回復することは出来たが、向こうは何をしていたのか。

 

 出来ればもう少し休みたかったと愚痴るも、相手は待ってくれない。化け物は苦しそうに喉元を抑えながら、数多の目玉を充血させた。

 

「ギ…グ、ギ、ィイイイイァァアアア″ア″ア″—————!!」

 

 ぐぱぁ。

 

 ギラギラの歯を開き、粘液を垂らしながら、咆哮と共にずるりと管のようなものを吐き出した。赤みがかったピンク色のその管は、呼吸するように口を伸縮させ、象の鼻のようにゆらりと動く。

 

「う…ッ」

 

 より濃密な匂いが辺りに充満し、私の鼻を刺激する。胸焼けを起こしそうなほど甘く、気持ち悪い。まるで腐った魚を香水に漬けたような激臭だった。

 

 私は思わず顔を顰め、腕を鼻に押し当てた。けれど、口から息を吸ってもこの匂いが消えることはない。鼻から吸わずとも、口から取り入れた空気が鼻孔の裏を刺激したからだ。堪えきれない私は咄嗟に自分の着ている衣服を掴み、己の鼻へと押し当てた。たとえ自分の匂いでも、他の香りを嗅がなければ吐いてしまいそうだった。

 

 匂いに悶える私に化け物は管の口を向け、そこから液体を噴出させた。

 空気中に飛び散る黄色味がかった液体。始めから嫌な予感を感じ取っていた私は、大きく跳ぶように左へ倒れ込む。しかし、撒かれた液体を完全に避けきることは難しく、数滴ほど背中に掛かってしまった。

 

——————————激痛

 

「いぃッ——!? ヅう、っ…ぁ"あ"!!?」

 

 まるで無理やり針をねじ込まれたような痛みが脳へ走る。この痛みには妙な既視感を感じた。この痛みはそう、まるで炎で身を焼かれた時と同じ痛みだった。しかし、少し違う。止まらないのだ。体を焼かれた痛みではなく、焼かれ続ける様な痛みが、ずっと止まらない。赤く熱した鉄棒を、ずっと押し付けられている気分だった。

 

 焼ける音を聞き視線を寄越せば、液体がかかった地面が泡を吹きながら蒸気を上げ溶けていた。

 

 (あれが、もしまともに掛かっていたら…)

 

 そう考えるだけでぞっとした。恐らくどころか耐えられない。確実に死ぬ。もはやこれは運がどうこうとかそういう次元の話じゃない。私は一瞬でドロドロにされるだろう。地面を溶かすほどの酸を吐き出すなど、ふざけるな。食らえば即死するほどの剛腕を有し、岩を溶かす程の溶解度を持った液体を吐き出す生物が存在するなど、どうなっているのだこの世界は。人間を生かす気があるのか。

 

 愚痴を漏らしながら立ち上がり、痛みを食いしばりながら私は走る。あんなものまで持っているのなら、なお止まってなどいられない。潰されて死ぬか、溶かされて死ぬか。私はどちらも遠慮する。

 

「ギィイィィィイイイ!!」

 

 逃走を開始した私の背を、化け物が追いかけてくる。植物のような見た目の癖に、熊やライオンのように襲い掛かるそれは、お前は何科なんだと突っ込みたくなる。しかし入れている余裕はない。焼かれた背中が空気が触れ、常に針を刺すような痛みを発し続ける。

 

 化け物を連れ、目的もなく走り続ける。化け物は思ったより鈍足だ。けれど、少しづつだが距離を詰められている。私の体力もあまり持つ方ではない。いったいどれほど時間を稼げれば良いのか、酸欠になりつつある脳が隅でそう弱音を吐いた。

 

 命を賭けた鬼ごっこ。これ程楽しくない鬼ごっこはない。捕まれば死ぬ。転べば死ぬ。生きている限り終わりは無く、死ぬ事でしか終わらない。とてもゲームと呼べるほど甘いものではない、今生初めての最低な鬼ごっこ。なぜ私の始めては最低の2文字が必ず付くのだ。私は呪われているのか。なら呪いを解いてくれ。もしも解いてくれたのならば、満漢全席を振舞った後にマッサージから部屋の掃除までの雑用を、文句無くこなして見せると誓う。

 

 私は裸足で走り続ける。石が足の裏にめり込み涙が出そうになるのを歯を食いしばって必死に耐える。私を救ってくれた人よ、感謝している、ありがとう。だが服ではなく、靴も履かせて欲しかった。

 

 やがて、私は壁に退路を絶たれる。行き止まりだ。この塀は私では越えれないし、左右はテントが邪魔で逃げられそうもない。斧でテントを割いて逃げる時間はない。あまりにも距離が近すぎる。割いてる間に捕まるだろう。

 

「はぁ………私の運はどうなっているのか。貴様も、私のような小娘なんぞ追いかけるとは、他に有意義な時間を過ごせなかったのかね?その大量の目を活かして読書でもすれば良い。それだけ有れば一度に十冊は読める。お前に脳があればの話だが」

「キィぃぃぃぃ!!」

「どうやら無かったようだな!」

 

 否応もなく突進をくりだす化け物に対し、意味の無い皮肉をぶつけながらギリギリの所で回避する。化け物の巨体は背後の塀へ衝突し、その一部を破壊した。

 ズンと辺りに衝撃波が渡り、波のように舞い上がった砂埃が化け物のタックルの威力を物語っていた。

 化け物は荒々しくへし折れた堀を引き抜くと、その剛腕を持って全力で振りかぶる。

 

「────ぁ」

 

 想像を逸した化け物の剛力とその手段に、私は瞬時に悟る。己の死を。

 体勢は崩れた。走り続けたせいで足も動かない。私の様な小娘が今更どうにかできるような状況ではなくなってしまった。いや、それは言い訳に過ぎない。

 一瞬でも思考が停止してしまったのだ。それがたった1秒であっても、相手の脳筋過ぎる戦法とそれを為せる力を前に、私は呆然となってしまったのだ。

 

 なんとも間抜けな終わりだと思う。相手を見くびっていたわけでもないのにも関わらず、その足を止めてしまったのだから。

 

 私はスローとなった世界の中で己の敗因を思う。己への後悔と嘲笑を向け、しかし今更何も出来ない。世界が緩やかに見えるようになったからと言って、私が速くなった訳では無い。疲労が無くなった訳でもない。私はこのまま死ぬのだろう。ここで、この場所で、ただのシミとなってその内臓を撒き散らしながら、無様に死ぬのだろう。

 

────いいのか?

 

 脳内で過ぎる、己の声。

 

────このまま死ぬのか?

 

 脳内で響く、心の声。

 

────救われたのにも関わらず、お前はこのまま死ぬのか?

 

 救われたのに、救ってくれたのに、何も出来ないまま死ぬ。何もしないまま死ぬ。何も為さないまま、誰も救わないまま死ぬ。それは、私に許されることなのか?そんな自由が、傲慢が、私に許されるとでも?

 

────ありえない。

 

 そんな事は許されない。まだ誰も救っていない。コイツをこのままにしておけば、きっと誰かを殺すだろう。さっきの親子も、走る間に見かけたテントに隠れる人々も、全てを全て眼前の化け物は殺し、潰し、血肉に塗れながら人々の希望を貪り食うだろう。そう考えるだけで憎しみに似た使命感が心臓を包み込むのを感じた。

 

 許せない。そんな未来は許せない。ワタシが決して許容出来ない。

 私は問う。自分に問う。贋作よ、偽物の英雄よ。お前はなんのためにココニイルノダ?

 

 全身の血潮が沸騰し、撃鉄を打つ。熱した鉄を叩き火花が散るように紅蓮と染る視界。眼前に迫る死を前に、私は全ての魔力回路を起動。限りある魔力を注ぎ込む。

 

────願うことはただ1つ。

 

 

 「トレース・オン」

 

 

 私の義務を果たす。

 

 



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