P「バック・トゥ・ザ・フューチャー」咲耶「Part.283」 (はちコウP)
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第一話

※2020年7月2日
 一部分の加筆、誤字脱字の訂正を行いました。


 

 1986年 某月 某日

 

 

 

「う~ん……ん~……」

 

 ベッドの上には赤いTシャツを来た少年が眠っていた。

 

 その日ハイスクールは休みであったので、昨夜はかなりの夜更かしをしていた。

 

 なので彼はいつもの起床時間を2時間ほど過ぎても未だにベッドの上に身を横たえていた。

 

 その寝相は凄まじく悪く、ブランケットは身体から剥がれ落ち、うつ伏せの姿勢はまるでヘタなダンスを踊っているかのような有様だった。

 

「マーティ、起きなさい」

 

「ん~……ママ?」

 

 枕に顔を埋めたまま少年は声に応える。

 

「いつまでも寝ていないで起きるんだ。そしてすぐに出かけるぞ」

 

「出かけるって何処へ……?」

 

「2015年、未来にだ!」

 

「2015年!?」

 

 飛び起きた少年の目に映ったのは、今はもう遥か遠くへと行ってしまった筈の歳の離れた大親友の姿だった。

 

「さあマーティ!早く準備をするんだ!」

 

「ドク!?」

 

 

 

 

 

 

 

 2020年6月下旬

 

 

 

 区画整理の影響で周辺一帯の建物はその多くが取り壊され、空き地が数多く点在していた。

 

 その一角に真新しい塗装が施されて間もない、3階建ての建物がポツンと建っている。

 

 入口そばに据え付けられた看板には【283プロダクション】と書かれていた。

 

 そこに向けて走ってくる1台の乗用車。

 

 車3台分に加え、自転車やスクーター10台分程度の駐輪スペースがある、広々とした駐車場にその車は停止した。

 

 車から降りてきたのはビジネススーツを着た青年男性だった。

 

 それなり整ったハンサムな顔立ちと、程よく引き締まった体。彼がアクション俳優か何かと見まごう者も時には存在した。しかしながら、彼の職業はアイドルのプロデューサーだった。

 

「社長、今日はもう事務所に居るんだな」

 

 先に駐車場に止めてあった青色のスポーツカーを一瞥し呟いた彼は、ネクタイをキュッと締め直して事務所の中へと足を踏み入れた。

 

「やあ、プロデューサー。おはよう」

 

「咲耶か、おはよう」

 

 彼を出迎えたのは丁度廊下にいた一人の女子高生。

 

 腰まで届く長い黒髪を一本に結わえ、学校指定の白いワイシャツをクールに着こなし、長身と抜群のプロポーションをほこり、端正な顔立ちとそれに見合った王子の如く優雅な立ち振る舞いを兼ね備えた人物。それが283プロ所属アイドルの一人、白瀬咲耶の外見上の大きな特徴だった。

 

「もうみんな揃っているよ」

 

「そうか。久しぶりだな、こうしてみんな朝から揃ってるのは」

 

 プロデューサーは咲耶と共にリビングへと足を踏み入れた。

 

「プロデューサー!おはよー!」

 

 水色のリボン、ふんわりとした薄茶色の髪。月岡恋鐘が手を挙げて元気いっぱいに挨拶をしてきた。

 

「おはよう恋鐘」

 

 プロデューサーが挨拶をすると他の女の子らも続けて口々に声をかけてきた。

 

「おはようございまーす。プロデューサー」

 

 ソファーにだらしなく寝そべってスマホを操作しながら田中摩美々が気だるげに言う。

 

 そのパンキッシュなファッションは今日もバッチリ決まっていた。

 

「おはようございます、プロデューサーさん。お茶持ってきますね」

 

 トレードマークの包帯を腕に巻き、額の一部にちょこんと絆創膏を張り付けた幽谷霧子がキッチンの方へと向かってゆく。

 

「霧子、うちも手伝うばい」

 

 恋鐘もその後に続いてキッチンへ。

 

「プロデューサーおはよーう。新築の事務所は気持ちが良いねー」

 

 三峰結華が両腕を大きく広げて戯けるようにして言う。

 

 動きに合わせて黒髪のお下げが微かに揺れ、眼鏡のレンズが照明を反射して一瞬光ったように見えた。

 

「正確には新築じゃなくてリフォームだけどな」

 

「え?そうなの?初耳なんだけど」

 

「ああ。元々は病院だったんだここ。移転して取り壊される予定だったのをギリギリのところで買い取ったんだよ」

 

「病院かあ……何か化けて出たりしないよね?」

 

「病院と言っても整形外科だから。それは無いと思うぞ」

 

 プロデューサーが口元を軽く歪めつつ言う。

 

「それと駅から遠くなったのは、ちょーっと不便だね。電車やバスを使った日とか、うっかり最終時間を間違えちゃいそう」

 

「けど寮からは近くなった。もしもの時は寮に泊まりにくるといい。いつでも歓迎するよ結華」

 

「あはは、ありがとうさくやん」

 

「その時は朝まで語り明かそうじゃないか」

 

「おいおい、健康や仕事に差し支えるから程々にしておけよ」

 

「ははは、わかっているさプロデューサー。さてと、立ち話もなんだ。ソファーに座らないかい?」

 

「それもそうだな」

 

 咲耶に促されてプロデューサーは腰をかける。

 

 以前の事務所に比べて広くなったおかげで、リビングルームを広々と使うことができるようになった。

 

 ソファーに囲まれたテーブルの大きさも以前の3倍以上となり、一度に10人は余裕で席に着ける程に。

 

 しかしながら、プロデューサーや事務員の七草はづきのデスクは部屋の片隅に依然として置かれている。

 

 実際彼らに当てがえる部屋はあるのだが、前の事務所でオフィスとリビングとを兼ねていた影響か、部屋を分けるとかえって落ち着かない、何だか寂しく感じるなどの意見が方々から出たおかげで結局このような形に収まっているのであった。

 

「お茶……用意できました」

 

「お菓子も持ってきたとよ。みんなで食べんね」

 

 キッチンから霧子と恋鐘がお盆を手にして戻ってきた。

 

 2人は紅茶とお菓子をそれぞれの席へと配膳していく。

 

「あれ?摩美々は何処に行ったと?」

 

「えっ?……さっきまでそこで寝そべってたのに、居ないな」

 

 プロデューサーがソファーに目を向けるが、そこには彼女の姿は見えない。

 

 他のメンバーも小首を傾げていた。すると……

 

「うーらーめーしーやー」

 

「うわっ!」

 

「キャーーッ!!」

 

 プロデューサーの座るソファーの背後から白い塊が突如として出現した。

 

「って、摩美々だろ!ふざけるんじゃない!」

 

「あっ……ふふー、分かっちゃいましたぁ?流石はプロデューサーですねー」

 

 白いモノ、シーツをプロデューサーが引っぺがすと、そこにはイタズラっぽい笑みを浮かべる摩美々の姿があった。

 

「ふふっ……摩美々ちゃんのオバケさん、とっても可愛い」

 

「もーっ!摩美々ビックリさせるんじゃなかと!」

 

「は、ははは……元病院でそれは一味違った恐ろしさがあるね」

 

「さくやん、プロデューサーが言った通り、ここ元整形外科だから。幽霊とは無縁だから、多分」

 

 283プロが誇る人気ユニット、アンティーカの面々は相変わらずの仲睦まじさであった。

 

 ステージ上ではクールなパフォーマンスでファンを魅了する彼女らも、オフの時は年頃の少女と何ら変わりない。

 

 5人は摩美々のイタズラをきっかけとして話に花を咲かせてゆく。

 

 少女達を取り巻く様々な出来事は、日常に刺激をもたらすスパイスとなるのだった。

 

「あっ!そうたい!」

 

 恋鐘が唐突にスマホを取り出し、そのカメラを皆の方へと向けてきた。

 

「どうしたの恋鐘ちゃん?」

 

「記念撮影するたい!新しい事務所が出来た日に事務所のみんなで記念撮影ばしたやろ?でもアンティーカの5人で撮影した事は無かと。だから今写真を撮るばい!」

 

「それは良い考えだ」

 

「だったら俺が撮るよ。みんなそっちに並んでくれ」

 

 プロデューサーが席を立ち上がり自分のスマホを手にする。

 

「ありがとうプロデューサー。それじゃあみんな並ぶたい」

 

「こがたん、みんなで撮るならただ並ぶよりソファーを活用した方が良さげじゃない?お茶とお菓子も写せばツイスタ映えしそうだし」

 

「おおー流石は結華、冴えとるばい」

 

「それなら恋鐘が真ん中に座って、両サイドに2人、背もたれの後ろに2人立っておくのはどうだろう?」

 

「良か良か!」

 

 咲耶の提案を受けてソファーの真ん中に恋鐘。両サイドに霧子と結華が。後ろには咲耶と摩美々が背もたれに手を掛けて、座る3人に顔を寄せるようにして並び立った。

 

「それじゃあ撮るぞー!」

 

 プロデューサーの声に応じて満面の笑みを5人の少女は浮かべたのであった。

 

「……うん!みんな良い笑顔だったぞ!」

 

 その時

 

「プロデューサーさん。おはようございますー」

 

 リビングへと事務員のはづきがやってきた。

 

「はづきさん、おはようございます」

 

「プロデューサーさん、お楽しみのところすみませんけど、社長がお呼びですー。新しいお仕事のお話があるとのことでー」

 

「わかりました、すぐに行きます。……と、写真は後でみんなに送っておくから。それじゃあ」

 

 アンティーカの面々へと告げてプロデューサーはリビングルームを後にする。

 

 背後からは少女達の楽しげな会話が聞こえてきた。プロデューサーは思わず顔を綻ばせたのであった。

 

 

 

「アンティーカの皆さん、とても楽しそうでしたね」

 

「ええ、久々にユニット全員が揃ってゆっくりする時間が出来ただけあって、いつも以上みんな良い顔をしているように思えますよ」

 

 廊下へと出た2人がそんな会話をしていると、インターホンの鳴る音が響き渡った。

 

「誰だろう?」

 

「私が出ますね……はい、どちら様でしょう?」

 

 はづきが備え付けの受話器を手にして応対する。

 

 プロデューサーが受話器横のモニターを見ると、そこには中年と思わしき女性の姿が写っていた。

 

《こちらは283プロさんの事務所で間違い無いでしょうか?》

 

「はい、そうですがどちら様でしょう?」

 

《私は飛田(とびた)と申します。天井社長にご挨拶させて頂きたく参りました。お取次ぎ願えますでしょうか?》

 

「はい……少々お待ちください」

 

《あ、飛田よりも米村と言った方が伝わるかもしれません》

 

「承知しました」

 

 そうしてはづきが通話を玄関から社長室への内線に切り替える。

 

《どうした?》

 

 天井社長の低く威厳のある声が応答する。

 

「社長にお客様です。飛田さんとおっしゃる女性の方で」

 

《飛田?……飛田……》

 

「米村と言った方が伝わるかもとも」

 

《米村!?そうか彼女か!すぐに通してくれ!》

 

 米村という名字を聞いた瞬間、社長の声が一段階高くなる。そして声色もどこか歓喜を漂わせるものとなっていた。

 

「はい、わかりました」

 

 受話器を置いたはづきはプロデューサーの方へと視線を向けて小首を傾げた。

 

 プロデューサーもまた若干の困惑の色を顔に浮かべていた。

 

「どうしたんでしょう、社長ってば」

 

「俺にも何が何やら。でもやたら嬉しそうでしたね」

 

「ともかく早くお迎えしましょう」

 

 はづきが玄関へと向かいドアを開く。

 

 そこに立っていた女性が2人へと微笑みかけてきた。

 

「はじめまして。飛田藍音(とびたあいね)と申します」

 

 丁寧に頭を下げたその女性。プロデューサーの目には、至って普通のどこにでもいるような何の変哲も無い中年女性に見えたのだった。

 

 

 プロデューサーとはづきが女性を社長室へと案内する。

 

 部屋へ足を踏み入れると天井社長が席から立ち上がり、プロデューサーが見るのも珍しい位に顔を綻ばせて女性を出迎えた。

 

「久しぶりだな藍音」

 

「ええ、プロデューサー……いえ、天井さんも変わりなくお元気そうで」

 

「ああ。なんとかしぶとくやっているよ。それにしても、こうして顔を合わせるのはお前が引退して以来か。結婚式には顔を出せなくてすまなかった」

 

「天井さんもご多忙でいらしたのですから、仕方ありません。お手紙だけでも頂けたのはとても嬉しかったです」

 

(プロデューサー?引退?)

 

 その言葉を聞いたプロデューサーは怪訝な表情をする。

 

「プロデューサーさん、もしかしてあの人って……」

 

 隣に立つはづきが小声で耳打ちしてくる。

 

 プロデューサーはそれに対して小さく頷いた。

 

「立ち話もなんだ、そこに座ってくれ」

 

 社長が来客用のテーブルとソファーの方へと女性を促す。

 

「私、お茶を用意してきますね」

 

 プロデューサーに向け小声で言い残して、はづきが社長室を後にした。

 

 1人残ったプロデューサーの方へと視線を向けて社長が口を開く。

 

「彼が今この283プロでプロデューサーを務めている男だ」

 

 不意に紹介されてプロデューサーは慌てて居住まいを正すと

 

「私、プロデューサーの會川(あいかわ)と申します。よろしくお願いします。飛田さん」

 

 自己紹介がてら名刺を差し出した。

 

會川(あいかわ)悠一(ゆういち)さんね。改めまして、飛田藍音と申します」

 

 軽く頭を下げた女性は受け取った名刺をテーブルの片隅へと丁寧に置いた。

 

「という事は天井さんのお弟子さん、という事になるのかしら?」

 

「弟子、と言える程にみっちり指導している訳では無いがな。彼なりによくやってくれている」

 

「あ、ありがとうございます!恐縮です!……ところで、もしや飛田さんは……元アイドルでいらっしゃる?」

 

「ええ。数年間天井さんの下で活動をしていました」

 

「なるほど、やっぱり」

 

 そうしてプロデューサーは再度女性の容姿に着目する。

 

 その顔立ちは……悪くはない。

 

 世間一般的に言えば美人の部類に入るような容貌であると思われる。しかしながらアイドルとしてのオーラ、魅力のようなモノが十分に備わっているかと問われると、答えに迷ってしまう。

 

 体型は……平均的。これといった特徴は見られない。

 

 振る舞いや佇まい、喋り方には品があるものの、常識的な範囲に留まっているように思われる。

 

(なら歌唱力?ダンスがずば抜けて上手い?何かしらの特技が……)

 

「ふふっ、元アイドルらしくないでしょう?」

 

「へっ?」

 

 突然微笑みかけられたプロデューサーは狼狽する。

 

「あっ、いやっ!その……」

 

「顔に出てたぞ。流石に失礼だろう」

 

「す、すみません!」

 

 完全に心を見透かされていたプロデューサーは慌てて頭を下げる。

 

「いいんですよ。子供達にだって、お母さんが元アイドルだなんて信じられない、ってしょっちゅう言われてるんです。慣れっこですからお気になさらないで」

 

 女性が屈託の無い笑顔を見せる。

 

「それに実際アイドルとして芽は出なかったんですから。新人アイドルの祭典、今言うW.I.N.Gだったかしら?それでは予選落ちでしたし、以降もチャンスは掴めずに大学卒業と同時に引退。成果らしい成果も残せませんでした」

 

「それは……」

 

 何と声をかけていいか困り口籠るプロデューサー。

 

「仕方あるまい。お前にはアイドルの才能がまるで無かったのだからな」

 

「社長!?」

 

 思わぬ社長の一言に驚愕するプロデューサー。

 

「本当にその通り。自分でもどうして続けられたのか、思い返してみると本当に不思議だわ」

 

「まあ、気持ちだけは人並み以上には強かったからな。そのおかげだろうさ」

 

「天井さんが仰るのなら、そうなのでしょうね、きっと。そしてそのおかげで私は変わる事ができた」

 

「ああ、本当に良い顔をするようになったよ」

 

 笑い合って語らう2人の様子にプロデューサーは困惑するばかりであった。

 

 そんな折

 

「お待たせしましたー」

 

 はづきがお茶を持って戻ってくる。

 

 そして彼女を混えての会話に花が咲いていった。

 

 

「社長が藍音さんを撥ねそうになったのがそもそもの出会い!?」

 

「ええ。私がフラフラと夜道を歩いていたのもいけないのだけれどね。そしたら天井さんがお詫びにって渡してきたのがアイドルフェスのチケットだったの。その時私はアイドルに興味なんて全然無かったのに」

 

「お詫びにチケット……社長、いくら何でもそれは良くないんじゃないですかー?」

 

「し、仕方ないだろう。その時は大した持ち合わせが無かったんだ」

 

「ふふっ。懐かしいわ。あのフェスで最後のグループのパフォーマンスを見ている時にスカウトされたんでした」

 

「そうだったな」

 

「あれは確か1999年7月の…………あら、いつだったかしら?」

 

「4日だ。4日の日曜日だ。私と藍音が出会ったのが7月1日。その3日後になる」

 

「そう!7月4日!あっ、そういえば覚えてます?ノストラダムスの大予言にかこつけてテロを計画していた組織のメンバーが捕まったっていうニュース!」

 

「ああ、そんなのもあったなあ。あの顛末は笑えたよ」

 

「怪物の幻を見て車の運転を誤ってひっくり返すなんて」

 

「世間を恐怖に陥れた連中の末路がそれとは、間抜けにも程がある」

 

 そのように一同が談笑を続けていると、部屋に備え付けられた時計が音を鳴らした。

 

「あら、もうこんな時間。そろそろお暇しないと。新幹線に間に合わなくなってしまうわ」

 

「そうなのか?だったら駅まで送り届けるが」

 

「いえ、親戚の方がそろそろ迎えに来て下さるの。だから大丈夫です」

 

 そして傍に置いたプロデューサーの名刺を手提げ鞄へと仕舞い込みつつ立ち上がる飛田藍音。

 

「今日は皆さんとお話出来て楽しかったわ。ありがとう。失礼しますね」

 

「こちらこそ。貴重なお話、ありがとうございました」

 

「ありがとうございましたー。私も楽しかったです」

 

 プロデューサーとはづきが軽く頭を下げる。

 

「それじゃあ藍音。またいつか」

 

「ええ。天井さんもお元気で」

 

「はづき、玄関まで付き添ってやってくれ」

 

「はいー。ではどうぞー」

 

 はづきがドアを開けて藍音と共に社長室を後にする。

 

 それを見送ったプロデューサーは、一呼吸おいてから社長の方へと向き直る。

 

「何だか新鮮な気分です。社長と社長がプロデュースされていた元アイドルの方と御一緒にお話できるなんて」

 

「ははっ、情けない所を知られてしまったかな」

 

「とんでもないです!情けないなんて!とても貴重なお話を聞けて嬉しくて、なんて言うか……誇らしいです!」

 

「調子がいいな。……まあ、私にとっても貴重な出会いだったよ。彼女がいなければ私は今ここには居なかっただろうからな」

 

「えっ?」

 

「彼女と出会う少し前、私はプロデューサーを辞めようと思っていたんだ」

 

「そ、そうだったんですか!?」

 

「ああ。だが何の因果か彼女をプロデュースする事になってな。それを通して私は立ち直ることが出来た。残念ながら彼女をアイドルとして大成させられはしなかったがな。しかし、彼女との数年があったからこそ私はここまで来れた。その後、数々の失敗や過ちを犯してもなお、何度も立ち直る事が出来たのは彼女のおかげだ。彼女は私の恩人でもあるのだ」

 

「社長……」

 

 そう語る天井社長の目はどこか遠くを見つめているような雰囲気であった。

 

「とまあ、昔の話はここまでだ。この先の仕事の話を始めるぞ!」

 

「はいっ!」

 

 

 

 

 

「さて會川。以上が今回の仕事の概要だが、何か質問はあるか?」

 

「…………嘘じゃ無いですよね?」

 

「こんな嘘をついて何になるというのだ」

 

「は、ははは。やった!凄い!彼女達も喜びます!」

 

 プロデューサーが思わず大きくガッツポーズをして喜びを全身で表す。

 

 それもそのはず。大手テレビ局ワンガンテレビの新番組の看板アイドルに、アンティーカの5人が選ばれたのだ。

 

 それは深夜の15分程度の短い枠の番組ではあるが、人気の新人アイドルを多数輩出してきた栄誉ある番組枠であった。

 

 少なくとも1クールは放映が約束されており、好評であれば更なる延長もあり得るという話。

 

 この枠を足掛かりとし躍進していったアイドルは数知れず。自然とプロデューサーの気は昂ぶっていった。

 

「この番組企画、何としても成功させてみせます!」

 

「その意気だ。頑張ってくれよ」

 

 と、その時、またもや事務所のチャイムが鳴り響いた。

 

「何だ、今日はやけに来客が重なるな」

 

「そうですね」

 

 程なくしてはづきからの内線がかかってくる。社長が受話器を手にする。

 

「どうした?……何?ワンガンテレビの……深沼?深沼(ふかぬま)と言ったのか?…………わかった、通してくれ」

 

 内線を聞いた社長の眉間には皺が寄っていた。

 

「何故ワンガンテレビに……いや、まさかな……」

 

「ワンガンテレビの方がいらしたのですか?」

 

「ん?ああ、そうなんだが……」

 

 何やら訝しむ様子の社長。

 

 その姿を見て小首を傾げるプロデューサー。

 

 程なくして社長室のドアが開かれた。

 

 はづきに連れられて来たのは、額の広い小太りの50代程度と思わしき男。その背はやたらと低いように思われた。更にその後ろには黒みがかった紫色のスーツを見に纏った若い男が続く。こちらは対照的にひょろ長いという言葉が相応しいような背丈をしていた。

 

「よう、久しぶりだなぁ天井」

 

「……深沼。久々だな。ところでわざわざ何の用かな?」

 

 社長は警戒の色を滲ませて小太りの男に言葉を返す。

 

(深沼?……聞き覚えがあるような……)

 

 社長のその様子と男達の醸し出す雰囲気から、プロデューサーは言うまでもなく厄介ごとが始まったと察したのだった。

 

「随分とご挨拶じゃないか。……まあ良い。事務所を新しくしたと聞いてな、新築祝いに来てやったのよ。おい、ススム」

 

「あいよ父さん」

 

 紫スーツの男が歩み出て、社長の机の上に懐から取り出した封筒を投げ捨てるように放った。

 

 天井社長は無言で眉をひそめる。

 

「祝い金だ。俺からのささやかな気持ちだ」

 

「そいつはご丁寧にどうも。用はこれだけか?ならすぐにお引き取り願えないか?生憎と仕事中なのでね」

 

「おいおい、連れないじゃないか。もっと再開の喜びを分かち合おうぜ、天井君よぉ。かつてプロデューサー同士、雌雄を決した仲だろう?」

 

「…………」

 

「……だんまりか。わかったわかった、勿体ぶらずに言うさ。新しい仕事を始める事になったんでね、その挨拶に来たってわけよ」

 

 小太りの男は天井社長の机に歩み寄り、その上に1枚の紙片を置いた。

 

 ついでとばかりに同じ物をプロデューサーへも差し出した。

 

 プロデューサーはそれを手にして目を通す。

 

「ワンガンテレビ編成部、深沼敏(ふかぬまびん)……ワンガンテレビの編成部!?」

 

「何だと?」

 

 驚きを露わにしたプロデューサーと社長。その様を目にした深沼敏は満足気にニタリと笑う。

 

「何故、いち芸能事務所の社長がテレビ局の編成部に?」

 

「それがねぇ。テレビ局のお偉いさんにどうしてもワシの力を貸して欲しいと頼み込まれちまってなあ。知っての通り、頼まれたら嫌とは言えないお人好しのワシだからな。コレも何かの縁と思って受けることにしたのだよ」

 

 そうして深沼はガハハと品の無い笑い声を上げたのだった。

 

「それで、お前の事務所はどうするんだ?廃業か?」

 

「まさか。事務所は息子に継いでもらうことにしたさ。おいススム」

 

「あいよ。というわけで俺がFUKANUMAプロダクションの新社長、深沼ススムだ。よろしくねー283プロさん」

 

 紫スーツの軽薄な男は、肩口までかかるような長さの茶髪を揺らしながら歩み出て、懐から取り出した名刺を指で摘んでヒラヒラと動かしながらプロデューサーへと差し出した。

 

 プロデューサーが受け取ろうとしてもなお、相手は名刺を動かし続けていたために取るのに少々手間取ってしまった。それから手にした名刺に目を落とす。

 

(そうか。この男達がFUKANUMAプロの……悪どい手を躊躇いなく使って他事務所を妨害し、自社のタレントやアイドルも容赦無く使い潰していると噂の。……幸いにして今までウチと関わる事は無かったけど、こんな所で顔を合わせる羽目になるとはね)

 

 プロデューサーは思案しつつ受け取った名刺を仕舞い込む。

 

「……よろしくお願いします。深沼社長。會川と申します」

 

 そうしてプロデューサーが自分の名刺を手渡すと

 

「はいはい、よろしくねー」

 

 深沼ススムは受け取った名刺を二つ折りにして、胸ポケットへと無造作に突っ込んだ。プロデューサーは眉をひそめるが、ススムは既に背を向けていた。

 

「挨拶も済んだことだし、ちょっとトイレ行ってくるわ。お姉ちゃん、トイレってどっち?」

 

 軽蔑の色を滲ませた瞳をしていたはづきに対して深沼ススムは声をかけた。

 

「お手洗いでしたら部屋を出て右手の突き当たりを左に曲がれば着きますよー」

 

「あんがとさん。あ、お姉ちゃん美人だねー。ウチの事務所で働かない?給料ハズむよー」

 

「ふふふ、結構です」

 

 プロデューサーが未だかつて見たことのない程の満面の笑みを浮かべ、はづきは申し出を断った。

 

 その笑顔の意味を知ってか知らずか

 

「そりゃあ残念だなぁ」

 

 深沼ススムはニヤつきながら部屋を出ていった。

 

 それから程なくして社長が口を開く。

 

「はづき。お客人にお茶を煎れてきてくれ。うんと丁寧に、じっくりと時間をかけてな」

 

「はい!承知しましたー」

 

 社長の命を受けてはづきが部屋を後にした。

 

「悪いねぇ気を使わせてしまって」

 

「構わんさ。それで、残りの用件は何だ?」

 

「話が早くて助かるよ」

 

「お前と話してるうちに昔のペースを取り戻してきたんでな」

 

「結構結構。んじゃ手短に済ますか。おたくさんのアイドルが出る予定の新番組の企画、アレ無しになったから」

 

「…………え?」

 

 あまりにあっけらかんと言われ理解が追いつかないプロデューサー。

 

 やや遅れて

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!どうして!」

 

 彼は大声を上げる。

 

「そりゃあ代わりに俺のとこの企画が通ったからさ。ほらよ」

 

 そうして深沼敏は1枚の写真をかざしてみせた。

 

「数ヶ月前にアイドルデビューしたウチの娘の(ひじり)だ。あ、これは芸名でな。本名は聖子って言うんだ。可愛い娘だろ」

 

 写真にはひと昔ふた昔どころか、更に前の世代のファッションと髪型をした女の子が写っていた。

 

「確かに、顔は良いな」

 

「そうだろう!そうだろう!」

 

 社長の言葉を聞いて深沼敏は破顔する。その言外に隠された意味など察した雰囲気も無く。

 

「てなわけで、ウチの聖の為に番組枠は使わせて貰うことにした。悪いねぇ」

 

 そうして再び下品な笑い声を漏らす深沼。

 

「納得出来ませんよ!公私混同じゃないですか!」

 

「ンなことは無いさ。これは局の会議を通して正式に決まった事だ」

 

「だからって!」

 

 プロデューサーが声を荒げて深沼敏に詰め寄ろうとした瞬間

 

「會川!」

 

「っ……社長」

 

 社長がそれを一喝して制する。

 

「暫くこいつと2人きりで話をする。お前は席を外せ、いいな」

 

「…………はい」

 

 

 

 そうして社長室を出たプロデューサーは部屋から少々離れてから

 

「クソッ!何だってんだ!」

 

 壁に拳を打ち付けた。

 

 芸能界に身を置く者として、時には理不尽な扱いを受ける事もあった。

 

 様々な経験を経て彼もある程度はそういった事に慣れ、上手い躱し方や対応の仕方、心の落ち着け方を身につけて来たつもりであった。

 

 しかしながら今回の件は、最高潮からの急転直下ということもあり心を大きく乱されていた。

 

 プロデューサーはどうにか気持ちを落ち着けようと深呼吸をしつつ、階下へと足を進めていった。

 

「や、やめて、下さい」

 

「ちょっと!馴れ馴れしくしないでってば……っ!」

 

 そんな折に聞こえて来た悲鳴にも似た声。

 

 プロデューサーはリビングへと慌てて駆け込んだ。

 

「そう堅いこと言うなって。仲良くしようじゃん?何なら君ら俺の事務所に移籍しない?こんなショボイ事務所じゃあいつまで経ってもトップアイドルにはなれないよー?」

 

「霧子と結華に触るんじゃなか!」

 

 そこではソファーに座っていた霧子と結華の間にどっかりと腰をかけた深沼ススムが2人の肩を抱いていたのだった。

 

「んじゃあ代わりに君にお相手してもらおうかな?」

 

 深沼ススムはニヤケ顔で立ち上がり、怒りの視線を向ける恋鐘に向けて詰め寄っていく。

 

「ひっ」

 

 身体と声を強張らせる恋鐘。

 

 彼女へ向けてススムの手が伸びてゆく。

 

「やめていただけますか、深沼社長」

 

 手が恋鐘の顔へと触れる直前に、プロデューサーが2人の間にその身を割り込ませた。

 

「プ、プロデューサー……!」

 

 目を潤ませながら恋鐘はプロデューサーのスーツの裾をギュッと握りしめた。

 

「チッ、邪魔しやがってよ」

 

 舌打ち混じりに言い捨てて深沼ススムは首を後ろへ向けて捻る。

 

「…………」

 

「…………さいてー」

 

 そこには咲耶と摩美々が、霧子と結華を庇うように立ちはだかっていた。

 

 ススムへ向けて侮蔑の眼差しを2人は放っている。

 

「はぁ…………白けるぜ」

 

「深沼社長」

 

「あ?」

 

 正面に向き直ったススムにプロデューサーは言い放つ。

 

「あなたも芸能事務所の人間ならアイドルは大切にすべきです。彼女達は物じゃない。心ある人間だ、女の子だ。いい加減な態度で接してはいけない。コレが分からなければいつか痛い目をみますよ」

 

「…………はーっ。ありがたいお言葉どーも。たかが冗談に何をマジになってるんだか」

 

 肩をすくめつつ深沼ススムはプロデューサーの横を抜けていく。

 

「冗談?」

 

「冗談も冗談。俺がこんなショボイ事務所の低レベルなアイドルをマジで相手にするわけ無いっしょ」

 

 ススムはクルリと振り返ってアンティーカの面々を次々と指差して、吐き捨てるように口にしていく。

 

「訛りの抜けない田舎者、根暗そうなメガネ、包帯に絆創膏まみれの変人、イケメン気取りのデカ女にセンスの悪い勘違いパンクファッション娘。そんなん俺が面倒見る価値も無いっつーの。ハハハハハ!」

 

 ススムは高笑いしつつ踵を返した。

 

 彼の暴言を耳にしたアンティーカの面々。ある者は表情を曇らせ、ある者は冷たい目で男を睨みつけ、ある者は怒りを浮かべ……だが誰よりもこの場で感情を露わにしたのは

 

「……今、何て言った」

 

 プロデューサーだった。

 

「あん?」

 

 首を捻って振り返るススム。

 

「謝れ」

 

「は?」

 

「彼女達に謝れ!」

 

 激高したプロデューサーの怒声が飛ぶ。

 

 しかしながらススムは意に介さず

 

「誰が謝るか、バーカ」

 

 唾を床に吐き捨ててその場を後にしようとした。

 

「待てっ!」

 

 プロデューサーはススムの肩を掴んでグイと引き寄せる。

 

「痛てぇぇぇぇぇっ!痛たたたたた!」

 

 その瞬間、ススムがプロデューサーに掴まれた肩を押さえて大声で喚き出した。

 

「え?」

 

 困惑するプロデューサーとアンティーカの面々。

 

「骨が……骨がぁ……」

 

 と、しきりに口にしながらススムが蹲る。

 

「おやおやおや。こいつはいけないなあ」

 

 いつの間にかリビングの入口には父である深沼敏が立っていた。

 

「父さん!……コイツが俺の肩を!……肩を!」

 

「おやおや可哀そうになあ」

 

「ちょっと待って下さい!俺はそこまでの力を込めたわけじゃ!」

 

 弁明するプロデューサーに深沼敏は穏やかな表情を向ける。

 

「おいススム、ダメじゃないか。彼を怒らせるようなマネをしたのだろう?お前の冗談は時々過激すぎるからなあ」

 

「え?」

 

 息子を嗜める敏の予想外の一言に、プロデューサーは目を瞬かせる。

 

「すまないねえ。うちの息子が粗相をしたようで」

 

「あ、いや……」

 

「とはいえ、だ。君も乱暴は良くない。どうだね、ここはお互いに頭を下げて丸く収めようじゃないか」

 

「は、はぁ……」

 

 柔和な笑みを浮かべて近づいてくる深沼敏。

 

 彼はプロデューサーを見上げるようにして立って口にする。

 

「まずは君から誠意を見せてくれたまえ。うちの息子の肩を壊したことをまず詫びてくれたまえ」

 

「あ……ですが、流石にあの程度で肩の骨が折れるなんてことは……」

 

 プロデューサーが口籠っていると、深沼敏は彼のネクタイを掴んでグイと引き下げた。

 

 プロデューサーは前のめりになり転びそうになるのを、たたらを踏みながらもグッと堪えて踏み止まる。

 

 そんな彼の耳元へと敏が顔を近づけて耳打ちする。

 

「つべこべ言わずにとっとと頭を下げろ。土下座だ土下座。うちの息子を痛めつけてくれたんだからそれぐらいして当然だ。それと、私を見下すことは許さんぞ」

 

 小さくも威圧感のある声色で深沼敏は告げる。

 

「あんたっ!」

 

「私は寛大だからな。それで全て水に流してやる。……ああそうだ、オマケに例の番組の件を考え直してやってもいいぞ?」

 

「え?」

 

「愛しい担当アイドルの晴れ舞台が取り戻せるかもしれないんだ。このくらい安いものじゃないのかね?」

 

 その言葉にプロデューサーの心が揺らぐ。

 

 薄汚いこの親子の言葉に従うのは癪だ。しかし自分がなりふり構わなければアンティーカのチャンスを潰さずに済む。そんな風に……

 

「…………」

 

 逡巡するプロデューサー。次第にその膝がゆっくりと折れそうになってゆく。

 

「何の騒ぎだ?」

 

 その時、リビングに天井社長が足を踏み入れた。

 

 彼は周囲を一瞥すると、蹲る深沼ススムの元へと近づいていった。

 

「肩をやられたようだな」

 

「ん?……ああ、アンタの部下の教育がなっていないせいでな。……うっ!痛たたたっ!」

 

「そうか」

 

 軽く呟いた天井社長は、握り拳をススムの顔面目掛けて振り下ろした。

 

「ひっ!」

 

 ススムは咄嗟に腕をかざして身を守ろうとする。

 

 社長の拳はススムの身体に触れる寸前で停止した。

 

「何だ、ちゃんと動くじゃないか」

 

「え?……あ」

 

 その様を見た深沼敏は、軽く舌打ちをしてプロデューサーのネクタイから手を離し、天井社長の元へと近づいていった。

 

 軽く咳き込むプロデューサーの背を恋鐘が声をかけつつ摩り上げる。

 

「相変わらず甘いな。部下に汚れ仕事の一つもさせられんとは」

 

「そうまでして貴様にへつらわせるのはご免だからな」

 

「ちょっとした教育をしてやろうという私の親切心を無碍にするとはな」

 

「貴様に教育をさせるくらいなら幼稚園児向けの絵本を読ませるさ。その方がよっぽど為になる。お前にもプレゼントしてやろうか?」

 

「フン!減らず口を。そのプライドを部下共々捨てなかった事を後悔させてやるからな!行くぞススム!」

 

「う、うん」

 

 そうして深沼親子は大きな足音を立て、ドアを乱暴に閉めて事務所を出て行った。

 

「はづき」

 

「は、はい……」

 

 社長は、いつの間にやら社長室のある方からやってきたはづきへと、深沼が持ってきた封筒に入った万札を全て取り出して差し出した。

 

「これでありったけの塩を買ってこい。向こう10年は困らない位のな」

 

 それから社長はプロデューサーの方へと目を向ける。

 

「あれがヤツのやり口だ。ヤツがプロデューサーだった時代からのな。よく覚えておけ會川」

 

「……分かりました」

 

「なら良い」

 

 社長はそう告げて社長室へと一人戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 2015年6月26日

 

 

 

 一台の自動車が公道を外れてホームセンターの駐車場へ向けて“降下”を始めた。

 

 両脇の光るガイドラインに従って高度を下げてゆく自動車。その車輪が横向きから縦向きへと動き、アスファルトの上に着地。やがて駐車された自動車の中からは父・母・子供三人の家族が出て来て、楽し気に言葉を交わしながら買い物客で賑わうホームセンターの店内へと進んでいった。

 

 そんなホームセンターの駐車場の片隅には、ステンレス製ボディの古めかしいデザインの自動車が。

 

 車体後部から白い筒の様な物を生やしたその自動車の傍には、二人の人影があった。

 

「34レンチ」

 

「さんよん、さんよん……あった、はい」

 

「うむ…………次はドライバー、3番。プラスのやつだ」

 

「プラスドライバー3番ね。はい」

 

 しわがれた声の男の指示に合わせて少年が工具箱から道具を次々に渡してゆく。

 

 そんなやり取りが続く事少々……

 

「よし!これで完成だ!」

 

 工具を手にした銀髪の――前髪が幾分か後退した――初老の男性が歓喜の声を上げた。

 

 彼は工具を持つ手もそのままに車の周囲をグルリと一周する。

 

 傍らの若い男も老人に続くようにして車を一周。

 

 そして「ワオ」と感嘆の声を漏らした。

 

「こいつは感激だ!……何だろう、そんなに経っていないはずなのに、子供の頃に別れたっきりの友達と再会したような気分だよドク」

 

「ワシもだマーティ。やっぱり何だかんだいってコイツが一番しっくりくる」

 

 ドク、エメット・ブラウン博士はコツンと車のボディを拳で軽く叩いた。銀色のステンレスボディが陽の光を受けて鈍く輝いた。

 

「それにしても驚いたよドク。いきなり1986年までやって来て、デロリアンの復元を手伝え!なんて言い出すんだもの」

 

「機関車型タイムマシンを完成させたはいいのだが、無性にデロリアンが恋しくなることが度々あってな。手元に置いておきたくなってしまった。それにデロリアンの方が色々と小回りが効くしな」

 

「クララや子供たちに手伝って貰おうとは思わなかったの?」

 

「勿論考えたとも。だがこれはデロリアンに最も慣れ親しんだマーティ、君とやりたかったのだよ。思い出話に花も咲かせたかったしな」

 

「思い出話って……ドクがあれからどれだけの時を過ごしたか知らないけど、僕にとっては最後にドクに会ってから半年も経っちゃいないんだぜ」

 

「ははは!ワシとした事が、こいつはうっかりだ!」

 

 ドクは目を大きく見開いて、額を手のひらで軽く叩いた。

 

「ともあれ、これでデロリアンは全盛期の機能を取り戻したってわけだね」

 

「いやいやマーティ、これを前と同じと思って貰っては困る。こう見えてもこいつはパワーアップしとるんだ」

 

「パワーアップ?新しい機能でも取り付けたの?」

 

「勿論!新たに思いついた改良案を元に一部の部品を小型化、それにより空いたスペースに充電式バッテリーを取り付けたのだ。1.21ジゴワットの電力を十分に蓄えられる程のな」

 

「バッテリーの増設って、何だかパワーアップと言うには地味すぎない?」

 

「そんな事は無い。これはタイムマシンとしてのデロリアンの欠点を補う偉大なる改良だ」

 

 そう告げてドクは車体後部の白い筒に手を乗せた。

 

「知っての通りデロリアンのタイムスリップに必要な電力は、このミスターフュージョンによって賄っている」

 

「物質を原子レベルまで分解して核エネルギーにしてるんだっけ?確か……核融合で」

 

「そうだとも。これによりデロリアンは危険な上に入手困難なプルトニウムに頼らずともタイムトラベルに必要な電力を得る事が出来る。だがしかし!タイムトラベルした先で何らかのトラブルが起き、これが使えなくなった場合にはどうする?」

 

「どうするって……前には雷のエネルギーを使ったね。時計台に落ちたやつ。まあアレはミスターフュージョンが付く前の話だけど」

 

「その通り。雷ほどの強力なエネルギーであれば代替は可能だ。しかしだ!1955年の時のように雷を使うにしても手間とリスクが大きく、何より落雷の地点、正確な時刻が予測できなきゃ話にならん。そこでだ!1.21ジゴワットの電力を蓄えられるバッテリーを搭載することにより、一回分のタイムスリップ用の予備電力を確保しておく。万が一の時はコレを使って2015年以降の時代に戻って来る。そうすれば修理が可能というわけだ」

 

「確かに言われてみりゃそうだ。もうあんなのは二度とゴメンだしね。ところで充電するにはどうすれば?」

 

「なーに大した手間はかからん。取り付けた充電式バッテリーはミスターフュージョンと連動している。エネルギー補給時にバッテリーが空であれば自動的に充電される」

 

「そいつはお手軽でいいや」

 

 マーティは軽く肩をすくめた。

 

「ただ独立記念日セールウィークとはいえ部品の調達に予定よりも金がかかり過ぎた。おかげでミスターフュージョンは中古品を使う羽目になった」

 

 その言葉にマーティは眉をひそめる。

 

「中古品って、大事な電力供給装置がそれで良いわけ?」

 

「な~に問題は無い。解決策は既に用意している」

 

 得意気に告げるとドクは運転席側のドアを開いた。

 

「さてマーティ、これから新生デロリアンの試運転としゃれ込もう」

 

「試運転って、どこに向かうのさ」

 

「“どこ”ではなく“いつ”だ。我々はこれから5年後の未来へ向かう」

 

「5年後って、今が2015年だから……2020年かい?どうしてまた?」

 

「5年も経過すればミスターフュージョンも後継機が開発され、今搭載している物は型落ちになっている。そうすれば残った予算で新品が買えておつりが来るという寸法だ」

 

「新生デロリアン初めてのタイムトラベルの目的が部品を安く買う為だなんて、えらくスケールが小さい話だ」

 

 マーティが呆れ気味に息を吐いた瞬間、遠雷の音が空に響き出した。

 

「いかん、そろそろ天気が崩れる時間だ。雨が降り出す前に出発するぞ」

 

 ドクはデロリアンへと乗り込み、ハンドルをその手に握った。

 

「オーケー」

 

 マーティは軽い調子で返事をすると助手席側へと回り込む。

 

 と、彼はそばの植え込みの中に何かが落ちているのを見かけ、思わずそれを手に取った。

 

「どうしたマーティ。何をモタモタしとる」

 

「ああ、ゴメン。コレ見つけちゃってさ」

 

 彼が手にしていたのは一冊の本。

 

 表紙には二つの地球と二人の人物の姿が描かれており、著者名はジョージ・マクフライと刻まれていた。

 

「パパの小説の復刻版みたいだ。誰かの落とし物かな?」

 

 父の小説が雨ざらしにされるのは流石に忍びないと思ったマーティは、それを手にしてデロリアンへと乗り込んだ。

 

「オヤジさんの小説か。そいつはどんな話だ?」

 

「えーっと、なになに……もう一つの宇宙からエイリアンが侵略してくる話、みたいだね」

 

 表紙を捲った先の簡単な紹介文を掻い摘んで読むマーティ。

 

「パラレルワールドというやつか。理論としては興味深いが生憎とワシの専門外だな」

 

「ていうかドクの専門ってそもそも何だよ?」

 

「科学全般であるが並行世界論に真剣に取り組むには縁ときっかけが無くてな。というかお前さんオヤジさんの小説読んどらんのか?」

 

「1986年にはこの小説はまだ出版されて無いよ。これは1990年の本だ」

 

 裏表紙を捲って、記されている初版の発行日をマーティはトントンと指で叩いた。

 

「そいつは失礼した」

 

 フロントガラスに雨粒が落ちてきた。雨粒は瞬く間にその数を増してゆく。

 

「いかん、モタモタしてるから降り出してきおった。シートベルトは閉めたか?忘れ物は?」

 

「大丈夫、大丈夫。オーケーさ。工具も余った部品も新品のホバーボードもバッチリ積み込んだ」

 

「よし、では行くぞ!」

 

 ドクはタイムサーキットのダイヤルを押し目的の時刻をセットする。

 

 2020年6月26日午後12時25分

 

 ちょうど5年後の現在時刻とピッタリ同じであった。

 

 デロリアンは下部から飛行機のようにジェット流を噴射し、その車体を地上から押し上げた。

 

 タイヤが縦から横向きへと切り替わる。更に強力なエネルギーを噴射するデロリアンはその速度と高度をどんどん上げてゆく。

 

 スピードメーターをはじめとした計器類の針は左から右へと徐々に動いて行く。

 

 だが突如としてそれらの針が左右に激しくぶれ始めた。

 

 しかしながらデロリアンのスピードに変化は無い。高度も順調に上がってゆく。

 

 そんな時タイムカウンターの表示が明滅。表示された各種の数字は凄まじいスピードでデタラメな羅列を示していった。

 

「ちょっとドク!計器の表示が!カウンターの数字も何か変だ!」

 

「何だって?」

 

 激しい雨降りのせいか前を見る事に集中していたドクは、マーティの呼びかけで初めてその異常事態に気が付いた。

 

 だがその瞬間、デロリアンの速度は時速88マイルに到達。

 

 デロリアンを白い閃光と轟音が襲うのと、時空の壁を超えるのは完全に同時に起こった。

 

 一瞬だけ2本の炎の線を空に描いて2015年からデロリアンは姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後12時15分

 

 

 

 信号待ちで停止中の車内に土砂降りの雨音が響く。

 

 運転席ではプロデューサーがハンドルを握っていた。一、二限だけ授業を受けた咲耶を事務所まで連れて行くべく。

 

 今日の彼女には午後からの仕事、夕方のレッスンと平日にしては多めのスケジュールが組まれていた。

 

 後部座席に座る咲耶は窓の外を一瞥して呟いた。

 

「酷い雨だね」

 

「…………ああ」

 

「梅雨とはいえ、いくら何でも激し過ぎる。これではまるで嵐みたいだ」

 

「…………ああ」

 

「実は明日は急用が入って仕事に行けなくなりそうなんだ」

 

「…………ああ」

 

「……プロデューサー、ちゃんと聞いてるのかい?」

 

 咲耶が運転席のプロデューサーの肩をトントンと叩く。

 

「えっ?あ、どうした咲耶」

 

「何でもない。ただの冗談さ。それにプロデューサーの方こそどうしたんだい?そんなに思い詰めたような顔をして」

 

 バックミラーに映るプロデューサーの顔は目に見えて沈んでいた。

 

「ちょっとな。嫌なこと思い出してた」

 

「それはもしかしてアンティーカの深夜番組の仕事が無くなったことかい?」

 

「……お見通しか。流石は咲耶だな」

 

「私でなくても察しはつくよ」

 

「局の編成部の人間を敵に回したんだ。当然といえば当然の結果だ」

 

 事の顛末はあの日のうちにアンティーカの面々に伝えられていた。

 

 彼女らは全然気にしないという風に明るく振る舞っていた。

 

 勿論彼女らの言う事や態度に、嘘や取り繕いは見られなかった。

 

 その点に関しては彼は十分に安心していた。

 

 しかしながらプロデューサーの気持ちは未だに整理がつき切っていない。

 

 オマケに新たな懸念事項まで現れたのだ。

 

 深沼敏の差し金で、アンティーカが準レギュラーを務める別の番組のコーナー出演も危ぶまれている、との話が馴染みのディレクターから回ってきてたのであった。

 

 いきなり外部からやってきて大きな顔をする深沼のやり口に反対する面々が食い止めている最中である、とのことだったが状況は五分五分といったところらしい。

 

 この流れによっては、今後の283プロアイドル全員のテレビ出演にも大きく影響が出る可能性があった。

 

(今からでも俺が謝りに行けば何とかなるか?……あの親子のやり口や言動は許せない。でも283プロの今後を思えば……)

 

 プロデューサーの頭にそんな想いがよぎる。

 

「プロデューサー、私は嬉しかったよ」

 

「え?」

 

 プロデューサーは視線を上げて、バックミラー越しに咲耶の顔を見る。

 

「あの時、後先考えずに真っ先に私たちを貶された事に怒りの声を上げてくれたのが、堪らなく嬉しかったんだ」

 

「咲耶……」

 

「あなたが怒ってくれたから、私達の心の重りは残らずに済んだ。そしてあなたはあの男の甘言にも屈しなかった。もしもあそこで本当に謝ろうものなら、私だけじゃなくアンティーカのメンバー全員があなたに失望感、もしくは負い目を抱くことになったと思う。だからあなたは正かったんだ。本当にありがとう」

 

 ……けどそれは社長が止めに入ってくれたから、ギリギリ踏み止まれただけで。と喉の奥から出かかった言葉をプロデューサーは飲み込んだ。

 

「こっちこそ、ありがとう咲耶。おかげで気持ちが楽になった」

 

 代わりの言葉を口にしてプロデューサーは車を走らせた。いたずらに咲耶の心を曇らすべきでは無いと考えて。

 

「そういえばダンスレッスンの調子はどうだ?今日も予定が入っているけど」

 

 と、ここで空気を変える為に話題を切り替える。

 

「順調さ。最近は少し趣向を変えた興味深いダンスレッスンをやらせてもらってるよ。20年程前に流行した、とあるダンスユニットのダンスを踊っているんだ」

 

「ほうほう。それは何でまた」

 

「温故知新、昔のものから学び取ろうという趣旨のレッスンらしい。トレーナーがそのグループの熱烈なファンだった、というのもあるらしいけどね」

 

「なるほどな」

 

「動画もスマホにダウンロードさせられてしまったよ。折角だからこの機会にモノにしてみせるさ」

 

 二人の会話の最中、稲光が時折空を照らしていた。

 

 音は大分遅れて聞こえてくることから、遠くにとりわけ活発な雨雲があるのだろう。とプロデューサーが何となしに考えていたその時

 

「うおっ!」

 

 耳をつんざく様な轟音が鳴り響いた。

 

 周囲の風景が一瞬だけ真っ白に染め上げられる。

 

「……凄い雷だったな」

 

「ああ。とても驚いた……」

 

「かなり近くに落ちたみたいだな」

 

「……稲妻が走った方向、事務所の方だったように見えたけれど」

 

「ちょっと心配だな。電話して確かめてみよう」

 

 プロデューサーは路肩に車を停車させると、スーツのポケットからスマホを取り出して事務所へと電話をかける。

 

「……出ないな」

 

 一向に反応が無かったので今度は七草はづきのスマホに電話をかけてみた。今度は数秒と経たないうちにコール音は止まった。

 

「はい。プロデューサーさんですか?」

 

「はづきさん?車で事務所に向かってるとこなんですけど、事務所の方に稲妻が走るのが見えたんで心配になって連絡しました。大丈夫でしたか?」

 

「良かった。これからどうしようかと思ってたところなんです」

 

「ていうことはもしかして……」

 

「はい。その雷が事務所に落ちたんです。一回、ドーンバリバリッ!って鳴ったかと思ったら、続けてドンドンドンって音が響いてピカッて窓の外が光って、建物もガタガタ揺れて」

 

「はづきさん落ち着いて下さい。何だか凄い衝撃だったのは十分伝わりましたから」

 

 いつになく興奮した様子のはづきをなだめつつ会話を続ける。

 

「それで、みんなは大丈夫なんですか?」

 

「はい。ビックリして泣いちゃった子もいますけど、今はみんな落ち着き始めてます。けれど完全に事務所が停電してしまって……予備電源に使うバッテリーが無くて、懐中電灯とか携帯ランタンの数も足りなくて、他にも色々と無くて困るものが……」

 

「事務所移転したばっかりで非常用の備蓄には手が回りきっていなかったからなあ……わかりました。それじゃあ今から必要な物をホームセンターに寄って買ってきます。買う物のリストをメッセで送っておいて下さい」

 

「わかりましたー。よろしくお願いしますー」

 

 通話を終了させ、スマホを懐にしまって後ろを振り返る。

 

「というわけで咲耶、ホームセンターに寄ってから帰る事になった。買い出し手伝ってくれ」

 

「お安い御用さ。今まさに事務所に居るみんなから次々と要望が届いて来てるしね」

 

 そう言ってスマホの画面をかざす咲耶。

 

 そこには次々とアイドル達からのメッセージが送り込まれてきて、文章が上へ上へとスライドしてく様が見られた。

 

「ははっ、それじゃあ急いで買い物を済ませて帰ってあげないとな」

 

 プロデューサーは車を発進させてホームセンターへ向けて進路を変更した。

 

 

 そんな彼らの乗る車の後を、1台の黒いワゴン車が数十メートル離れて追走してゆく。

 

 ワゴンの助手席に座る人物は、口の端を不敵に吊り上げたのであった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後12時25分

 

 

 

 新興開発地に稲妻が落ちると同時に、上空で三度の爆発の様な音が響き渡った。

 

 光が弾け、次の瞬間にはステンレスボディのいたる所を凍結させた空飛ぶ車が出現していた。

 

「ハッ!?」

「っと……タイムトラベル、出来た?」

 

「マーティ見ろ!」

 

 ドクがデロリアンの運転席正面中央下部に取り付けられたタイムサーキットの時刻表示を指差した。示されていた時刻は上から

 

 2020年6月26日午後12時25分

 2020年6月26日午後12時25分

 2015年6月26日午後12時25分

 

 を示していた。

 

「目的時刻、現在時刻、出発時刻、全て正常に表示されておる。計算通りだ」

 

「てことはここが2020年なんだね。……でも随分と殺風景になってない?」

 

 マーティが窓の外を見下ろすと、空き地とショベルカーやダンプカーなどの工事用車輌、ポツポツと建物が点在する、先程とは完全に様変わりしてしまった光景が広がっていた。

 

「これは……どうやらホームセンターは取り壊されて土地は宅地開発に利用されてしまったようだな。こりゃ面倒な事になったな」

 

 その時、デロリアンの車体下部から異音と振動が伝わってきた。

 

「おわっと!な、何だ?」

 

「いかん!ホバーシステムが不調だ!高度が勝手にどんどん下がって行っとる!」

 

「ちょっと待ってよ!ホバーシステムも中古品を使ったんじゃないだろうね!?」

 

「いやいや!ホバーシステムは新品を用意した!どうやら時間移動する瞬間に落雷の影響を受けてしまったらしい!」

 

「ったく!こいつはヘヴィだ!これじゃ1955年の嵐の夜の二の舞じゃないか!」

 

「だがあの時より状況は悪くない!システムが完全停止する前に着陸するぞ!」

 

 ドクは開けた空き地の一角に目星を付けると、そこ目がけてデロリアンを降下させていった。地上まで残り10メートル、5メートルと下がっていったところでタイヤを縦向きに変える。

 

 そして3メートルの高度を切った瞬間、ホバー装置は機能を完全停止させた。

 

 落下したデロリアンは地面で軽くワンバウンドして着地した。

 

「おうっ!」

 

「んぐっ!」

 

 歯を食いしばって二人は衝撃を堪え、ゆっくりと前を見据えて、次に互いに顔を見合わせて肩をすくめつつ息を吐いた。

 

「着地成功だ!」

 

「まったく、処女航海の幕開けとしちゃ完璧だね」

 

「ともあれここが2020年で良かった。ホバーシステムの修理にもすぐに取り掛かることが出来る」

 

「ところでお金は足りるの?ミスターフュージョンの新調もしなきゃならないのに」

 

「あー……そっちはお預けになるかもしれんな」

 

 そうしてデロリアンに乗った二人は空き地から道路へ抜けて、ホームセンターを探すべく土砂降りの雨の中を走りだしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後13時20分

 

 

 

 近場の超大型ホームセンターに着いたプロデューサーと咲耶は、大型カートを2台転がしながら店内を買い回る。バッテリー、非常食、懐中電灯、携帯型ランタン、小型扇風機、乾電池などなどの防災用品に加え、お菓子やジュースなどの趣向品もカートにドンドン放り込んでいった。

 

「まったく恋鐘らしいな。せっかくだからキャンプみたいにして盛り上がるばい!なんて言ってこの状況を楽しもうとするんだから」

 

「そのポジティブさにはいつも頭が上がらないよ。おかげでアンティーカの活動はいつも楽しめている」

 

「だな。ところで咲耶、重くないか?」

 

「このくらい平気さ。カートも大きくて動きが安定していて使いやすいしね」

 

「確かにデカいよなこのカート。CMでゴールデンレトリバーが乗っているのを見た事がある。流石は外資系だけあってスケールが違う」

 

「あれはインパクトがあったね。犬も押していた子供も楽しそうだったし。けど実際にマネをした人が出て放映中止になったのが残念だ」

 

「それなら動画サイトに上がっているのがあったと思う。見ようと思えば見られるよ」

 

「本当かい?なら後でチェックしておこうかな」

 

 そんな何気ない会話を交わしつつ、二人は会計を済ませてカートを押して車の元へとやってきた。

 

 買い物をしているうちに雨は上がっており、西側の空には青空が少しずつ広がりつつあった。

 

 そしてトランクや後部座席に荷物を積み終えたプロデューサーと咲耶は一息つく。

 

 その時

 

「283プロの會川悠一プロデューサー、アンティーカの白瀬咲耶だな」

 

 1人の男が声をかけてきた。

 

 何事かと2人が振り返ると、黒いスーツを身に纏った大柄な男と、その仲間と思しき数人のガラの悪そうな男たちが立っていた。

 

 男たちはプロデューサーの車を囲むようにゆっくりと動いていく。

 

「ちょっと付き合ってもらおうか」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後12時55分

 

 

 

「こいつはどういう事だ?」

 

 デロリアンを運転するドクは周囲の光景を目にして首を傾げる。

 

 郊外と思わしき公道を走らせていて目に映るのは見慣れない文字、都会でもないのに密集した建物、歩道を歩く黄色系の人々。

 

 光景が様変わりしていたのは元ホームセンター周辺だけでは無かった。

 

 おまけに……

 

「ドク危ない!」

 

「おわっと!」

 

 正面から車が近づいて来ているのに気が付いてドクは慌てて車線を変更する。

 

「いつからこの道路は左側通行に変わったんだ!?イギリスじゃあるまいし!それに街には白人や黒人の姿が殆ど見えん!」

 

「5年の間にチャイナタウンに作り変えられちゃったとか?」

 

「だとしても交通規則まで変える事は無いだろう。それにだ」

 

 ドクが視線を上へと向ける。

 

 雨が上がり、晴れ間を覗かせ始めた空には1台の車も飛んでいなかった。

 

 スカイウェイへと続くガイドラインも何処にも見当たらない。

 

「2015年よりも地上を走る車が増えているのはどういう事だ?たった5年で技術が一気に衰退してしまったとでもいうのか?」

 

「あのさドク、ここってもしかして……ニッポンなんじゃないかな?」

 

「ニッポンだと!?馬鹿を言うな、デロリアンに時間移動機能は付いていても空間移動する機能は備わっていない。タイムトラベル後に出現するのは過去及び未来の同一地点だ。それは何度もタイムトラベルをしたお前さんだって十分に理解しているだろう」

 

「そうだけどさ、見てよ」

 

 そうしてマーティが指さした先の看板には角ばった複雑な文字と、曲がりくねった簡素な文字が混在して書かれていた。

 

「アレって“カンジ”と“ヒラガナ”ってやつだろ。チャイナタウンじゃカンジは見てもヒラガナは見ること無いもの」

 

「いやいやマーティ。もっと論理的に四次元的に考えろ。デロリアンの機能でニッポンにワープするなどありえない。だとすればだ、ここはチャイナタウンならぬジャパニーズタウンとして作り変えられたと考えるのが妥当だ。恐らくニッポンで人口爆発が起こり、多くの移民がアメリカに訪れたのだ。ニッポンは土地が狭いというからな。そうして彼らの為に交通規則も合わせられたと考えれば何の矛盾も無い。ニッポンもイギリスと同じように左側通行だからな」

 

「……本当にそうかな?」

 

 マーティはドクの説明が腑に落ちないというように、腕を組んで首を傾げた。

 

「おいマーティ!見てみろ!」

 

 そうしてドクが指さした先には2015年に買い物をしたホームセンターと同じロゴの看板があった。

 

「やっぱりここは2020年のアメリカだ。間違いない」

 

「ハイハイ、わかりました。僕の負けだ」

 

 そう言ってマーティは肩をすくめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後13時21分

 

 

 

「プロデューサー……」

 

「大丈夫、心配するな」

 

 不安気な声を漏らす咲耶を庇う様に手をかざすプロデューサー。

 

「どちら様でしょうか?」

 

「俺達の事なんざ気にしなくていい。黙って付いて来ればいい」

 

 顎をしゃくる様にして男が示した先には黒いワゴン車が止まっていた。

 

「そうはいきません。幼い頃から母親には知らない人に付いていっちゃダメだと口酸っぱく言われて育ったんで」

 

「何ガキみてぇなこと言ってんだ!」

 

 周囲の男の1人が苛立ち、声を荒げた。見るからに短気そうな粗暴な雰囲気を漂わす男だった。

 

「つべこべ言ってねえで車に乗りやがれ!でなきゃ深沼のダンナに」

 

「おい」

 

 スーツの男が地の底から響く様な、低く威圧感のある声を出す。

 

 そして今しがた声を荒げた男の鼻に拳を叩き込んだ。

 

「グベッ!あがががっ!」

 

 殴られた男は手で顔を押さえてその場にうずくまる。

 

 アスファルトの上に血の染みがポタポタと広がってゆく。

 

「余計なこと言うな。さもなきゃ次は舌をぶった斬るからな、肝に命じとけ」

 

 そうしてプロデューサーらの方に向き直った黒スーツの男は

 

「素直に言う事を聞いてくれりゃ手荒な真似はしない。抵抗するならアンタにもそっちの嬢ちゃんにも一生残るような傷が刻まれるだろうよ。身体にも心にもな」

 

 いたって穏やかな口調で告げた。

 

「……せめて何をしに行くかくらいは教えて欲しい」

 

「なーに、ちょっとした勉強会だ。この先アンタらが業界で生きていく為のな。変な気を起こさなきゃ今夜にはお家に返してやれるさ」

 

「分かった……」

 

 プロデューサーは微かに頷くと咲耶の手を取った。

 

「…………」

 

 咲耶は黙したまま男らの姿を静かに見据えていた。だがプロデューサーだけには彼女の震えが、恐怖心が伝わってきたのであった。

 

 プロデューサーは咲耶の横に並び立ち、前に進むように促した。

 

 そうしてゆっくりと歩みを進める2人。

 

 大人しく従うその様を見ていた男たちの気が僅かに弛緩した。

 

 その瞬間、プロデューサーは間近にいた男の1人を突き飛ばした。

 

「えっ?」

 

 まず驚きの声を上げたのは咲耶だった。

 

 プロデューサーは咲耶の身体を引き寄せると、両腕で一気に抱き上げて走り出した。

 

「きゃっ!」

 

 慣れない事をされ、甲高い悲鳴を上げる咲耶。

 

 彼女の身体は傍に置いてあった大型カートへと放り込まれる。

 

 そしてプロデューサーはカートを押しながら全速力で駆け出したのだった。

 

「逃がすな!追え!」

 

 黒スーツの男が声を張り上げると共に、部下の男たちが一斉にプロデューサーらの後を追っていった。

 

「悪い、ビックリさせたな」

 

「うん。少しだけね。でも逃げてしまって良かったのかい?」

 

「あんな奴らがすんなり俺達を返してくれるとは思えない」

 

「……そうだね。それに深沼と言っていた」

 

「親父か馬鹿息子どっちかの差し金だろうな。まさかこんな事までしてくるなんてな、クソッ!」

 

 全力疾走する彼の後方から罵倒混じりの大声と多数の足音が響いてくる。

 

 プロデューサーは振り返ることなく咲耶を乗せたカートを押し続ける。

 

 金曜の昼間ということもあり、駐車された車や買い物客の姿はさほど多くはない。

 

 おかげで走りやすくもあったが、追っ手の妨げになるものも少ない。追い付かれるのも時間の問題であろう。

 

(せめて店内まで逃げ込めれば!)

 

 プロデューサーが思ったその時、後方からエンジン音が聞こえてきた。

 

「プロデューサー!黒いワゴンが!」

 

「だろうな!」

 

 咲耶が後方を見て声を上げるが、プロデューサーは振り返らずに周囲に目を配り続ける。

 

(このままじゃワゴンに追いつかれておしまいだ!何か、何か無いのか……!?)

 

 とその時、彼の目にガルウィング型式のドアが大きく開け放たれた1台の車が目に入った。

 

「アレだ!」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後13時22分

 

 

 

「まったく!なんて店だ!」

 

 ホームセンターの駐車場でドクはオーバーアクション混じりに声を荒げていた。

 

「田舎の店のような品揃え!在庫が無いか聞こうにも店員には言葉が通じん!どうにかジェスチャーで伝えようにも店員は小さな写真立てのような物を片手にオロオロするばかり!何かと思ってひったくってみれば見えたのは家族の写真だ!日本人が写真好きというのは聞いてはいたが、まさかここまでとは!」

 

「店員だけじゃなく周りの客も似たような物を持って歩いている人がいたね。写真立てを持って歩くのが今の時代の流行りなのかな?」

 

 マーティがデロリアンの運転席のドアを開き、外に足を投げ出すようにして座り込んだ。

 

「しかしながらこれで謎は一つ解けたな。あんな1986年のホームセンターに毛が生えた様な品揃えじゃホバーシステム付きの車のメンテナンスなぞ満足に出来んだろう。どうりで旧式の車しか見かけんわけだ」

 

「家電とかのデザインは結構イカした物が多かったけどね、電子レンジとか凄く機能が豊富そうだったし」

 

「どうだかな。案外見掛け倒しかもしれんぞ」

 

「にしてもホバーボードじゃなくってスケボーとかが売ってたのには驚いた。この時代でもまだ残ってるんだね。LDとかはメチャクチャ廃棄されてたのに」

 

 そう呟いたマーティは、目に留まった父の書いた小説を何気なく手に取った。

 

 表紙を捲って先程は斜め読みした序文をじっくりと読んでゆく。

 

「……よく似た二つの世界。だが文明は些細な歴史の流れの違いでその発展の方向性を大きく変えてしまっていた。一つは我々と全く同じ文明で栄えた世界。もう一方はとある戦争の勃発により軍事力が大きく発達した世界。気候変動により住む場所を追われた別世界の住人が我々の世界へと侵略を開始した……」

 

 マーティはその文章から目が離せなくなっていた。

 

「それにしても何だ、この蒸し暑さは。まるでシャワーを浴びた後に服を着替えてそのまま風呂に戻ったような気分だ」

 

 ドクはデロリアンから大きく離れて空を仰ぎ見ている。

 

 雨雲はすっかりと遠くへ流れ、空には太陽がギラギラと輝いていた。

 

「気候……文明……発展の方向……」

 

 マーティの頭に一つの可能性が大きく浮かんでゆく。

 

「ねえ、ドク。ここは僕達が来ようとしていた2020年じゃないんじゃないかな?」

 

「んん?急に何を言いだすんだマーティ」

 

「これ見てよ」

 

 小説を片手にマーティがドクへと歩み寄ってゆく。

 

「よく似た別世界、歴史の流れの違いで文明の発展の方向性が変わる。何か引っかからないか?」

 

「……何々」

 

 不承不承といった様子でドクは差し出された小説の文章に目を通してゆく。

 

「僕らがビフが権力を握っていた1985年に行ったみたいに今回も別の2020年に来てしまったって考えられない?」

 

「……考えとしては分からんでもないが、その原因は何だ?あの時はワシらが目を離した隙に、年老いたビフがデロリアンで過去に戻って歴史を変えた。だが今回はデロリアンが完成してすぐに君と2人でこの時代へとやってきた。誰にも歴史改変をする隙など与えてはいない」

 

「確かにそうなんだけどさ」

 

「いや待て!もしやここにタイムトラベルする時に誰かがデロリアンの姿を目撃し、それに着想を得てタイムマシンの開発を……いやいや!ワシ以外に次元転移装置を開発できる人間などそうは――」

 

 ドクは大仰に身振り手ぶりをしながら1人でブツブツと喋り続ける。

 

「あーあ、完全にスイッチが入った。こりゃ長くなりそうだ」

 

 肩をすくめたマーティは後方から物音が聞こえたのに気が付いて振り返る。

 

 するとデロリアンが謎の男たちに囲まれているのが目に映ったのだった。

 

「何してるんだお前ら!」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後13時25分

 

 

 

「咲耶!しっかり捕まってろ!」

 

 プロデューサーはドアが開いたままの車の傍に近づくと、走るスピードを緩めてカートを引っ張って大きく減速させた。

 

「……っ!」

 

「大丈夫か咲耶!?」

 

「ああ、何とも無いよ!」

 

 プロデューサーに差し出された腕に抱かれながら咲耶はカートから降りて、彼に手を引かれながら駆けだした。

 

 追っ手との距離は既に10メートルに満たない程度にまで縮まっていた。

 

「俺が運転席に入る!咲耶は後から!」

 

「わかったよ!」

 

 そうして空いていた左側のドアに身を滑り込ませるプロデューサー。

 

 続けて咲耶が身を滑りこませた。

 

「閉めて!」

 

 咲耶が上がっていたドアを締め切るのと追っ手がドアにぶつかってくるのはほぼ同時だった。

 

「プロデューサー!早くエンジンを!」

 

「駄目だ!間違えた!運転席はそっちだ!」

 

「え?」

 

 咲耶が正面を向くと目の前にはハンドルがあった。

 

「これは外車だ!咲耶、席を変わるぞ!」

 

 プロデューサーの言葉に頷いて咲耶は身を助手席側へ乗り出してゆく。

 

「うっ……狭い」

 

「ぐっ……これは、キツイな」

 

 二人の身体が席の境目付近でもつれ合う。

 

 そこに置かれている箱のような何かのせいで二人はすれ違うのに苦心してしまう。レバーのような物がプロデューサー体に引っかかり向きを変える。

 

 その瞬間プロデューサーの身体がグッと前のめりになった。

 

「むぐっ!」

 

「あっ、大丈夫かい!?」

 

「ぷはっ!ははぁっ、ああ大丈夫だ!早くシートベルトを締めて!」

 

 席を入れ替わるのに成功したプロデューサーがハンドルを握る。

 

 息苦しさと、一瞬咲耶の胸元に顔を埋めてしまった気恥ずかしさを消し飛ばすように、プロデューサーが声を張り上げてエンジンキーを回した。

 

 エンジンがかかり車体が振動を始める。

 

 車の外では男たちが必死にドアをこじ開けようとしたり、窓を拳で叩いていたりした。

 

 そんな時、叫び声を上げながら一人の若い男が車へと駆け寄ってきた。

 

 その男は群がる男たちを車から必死に引きはがそうとする。

 

 それは次第に取っ組み合いへと発展し、何人かの男たちが車から離されてゆく。

 

「今だ!」

 

 そのタイミングを見計らって、プロデューサーはアクセルを一気に踏み込んだ。

 

 ガクンと車体を一度大きく揺らした車は、グングンとスピードを上げてその場を後にしてゆく。

 

「やった!」

 

 小さくガッツポーズをしたプロデューサーがサイドミラーを除くと、一人の外国人と思しき老人が必死の形相で車を追いかけてきているのが目に入った。

 

「マズイな、あの人が車の持ち主かな」

 

「かもしれないね」

 

 と咲耶が助手席の窓を開けようとドアの脇に目を向ける。しかし窓を開ける為のスイッチの類は見当たらない。

 

 仕方が無いので咲耶は

 

「後でちゃんとお返ししますので」

 

 と後ろへ体を向けて口を大きく動かして何とか意図を伝えようとする。

 

 しかしながら大きな装置が邪魔をして、後方の窓からは老人の姿を見ることは出来なかった。

 

「あれ?」

 

 咲耶が小首を傾げる。

 

「もう追って来たか!」

 

 プロデューサーが忌々し気に言い放った。

 

 咲耶がサイドミラー越しに後方へと目を向けると、力尽き膝に手を当てて息を荒げている老人の横を通り抜けて黒いワゴンが迫ってきていた。

 

「少し荒っぽい運転になるからな!気をつけてくれよ!」

 

 プロデューサーはアクセルを更に強く踏み込む。

 

 スピードを上げた車は目の前の交差点が赤信号に変わる直前に渡りきる。

 

(これで撒けるか!?)

 

 彼がそう思ってサイドミラーに目を向ける。

 

 だが黒いワゴンは信号などお構いなしに、交差点へと減速もせずに突っ込んでゆく。

 

 それを避けようとした交差する車線の車が数台激しくクラッシュしていた。

 

「なんてヤツらだ!」

 

 その後も熾烈なカーチェイスを続ける2台の自動車。

 

 その距離の差は次第に短くなっていった。事故を起こすまいと猛スピードで運転しながらもどこかセーブしているプロデューサーに対して、黒ワゴンの男たちは周囲を巻き込むことに対して一切の躊躇も無かった。

 

「プロデューサー、一つ気になってるんだけど、この装置や計器類は一体何なんだろうか?」

 

 咲耶の問いを受けてプロデューサーは、目の前と後方に備え付けられた奇妙な機械を一瞥する。

 

「さあな!とんでもない改造が施された車だって感じがするけど」

 

「もしかしたらとてつもないスピードが出る装置かもしれない」

 

「だったら助かるけど、こんな街中じゃ宝の持ち腐れだ」

 

「ならあそこは!?」

 

 咲耶が指差した先には高速道路の入口の表記があった。

 

「よし!その手でいこう!」

 

 プロデューサーは車線変更して高速道路へと入ってゆく。

 

 黒いワゴンもスピードを落とすことなく高速道路へ向けて進路をとった。

 

 目の前にゲートが迫る。遮断板が前方の進路を塞ぐ。

 

 プロデューサーは微かにスピードを緩めてそこへと突っ込んでいった。

 

 バキリと音がして車と遮断版が接触。跳ね飛ばされた板を踏みつけて車は高速道路の本線へと侵入した。

 

「しまった!この車ETC積んでないのか!」

 

「それ以前にスピードを出し過ぎていたからどのみち無駄だったんじゃないかな?それよりも」

 

 と咲耶が装置へと目を向ける。

 

 前方には数字の羅列が三列表示された文字盤。

 

 後方にはY字型のチューブの入ったような謎の装置があった。Y字型のチューブには淡い光が走っている。

 

 次に咲耶はデジタル表示の文字盤に目を向ける。

 

 表示されている数字の羅列には法則性があるように思われた。

 

「これは……年月日かな?」

 

 傍に備え付けられていた数字のボタンをプッシュしてみる。

 

 適当に数字を押してゆくと、電子音が鳴り一番上の列の表示が切り替わった。

 

 しかし何も起こらない。

 

 咲耶は再び適当に数字を入力してみる。

 

 一定回数ボタンを押すと再度一番上の表示のみが切り替わった。

 

「上だけ変わるのはどういう意味があるんだ?」

 

「どうだ!何か分かったか!?」

 

「どうやら何かの年月日を入力するらしいんだけど、それが何を意味するのかまでは分からないんだ」

 

「何か書いていないのか!?」

 

 言われて再び文字盤を注視すると【DESTINATION TIME】と書かれたプレートがあった。

 

「目的地……時間?これはタイマーか何かなのかな?」

 

 そう考えた咲耶は時刻表示を1分後に設定してみた。

 

 しかしながら暫く待って設定された時刻になってもアラームのようなモノが鳴るような気配も無かった。

 

「さっぱりわからない。プロデューサー、どうすれば」

 

「えっ!?何だって!?」

 

 焦りだした様子のプロデューサー。咲耶が後方を見てみると黒いワゴン車が距離を縮めつつあるのが分かった。

 

 こちら側の車も猛スピードで飛ばしているのだが、相手は限界まで速度を上げるつもりのようだった。

 

「何でもない!運転に集中して!」

 

「ちゃんと何を言おうとしたか言ってくれ!逆に気になって集中できない!」

 

「じゃあ年月日を!あと時間を言って!何でもいいから思いついたものを!」

 

「年月日!?ええと……1999年7月1日20時半!」

 

 咲耶は言われた時刻を入力する。

 

 しかしながら当然何も起こらない。

 

「やっぱりダメか」

 

「仕方ない、諦めよう!」

 

「ところでこれは何の日付と時刻なんだい?」

 

「何となく頭に浮かんだんだ!それだけ!」

 

「何となく?ははっ。こんな時に何となくとはね」

 

「はははは!こんな状況だからこそ勘に頼るんだよ!意外と何とかなったりする!」

 

「覚えておくよ!仕事で困った時に役立つようにね!」

 

 二人は極限状態とは思えない程に暢気とも思えるような会話をしていた。それは脳が興奮状態を抑えようと、その機能をフル回転させているおかげなのかもしれない。

 

 そしてプロデューサーは冷静に先の道が見通せるようになっていた。

 

「仕方ない!限界まで飛ばすぞ!」

 

 プロデューサーはアクセルを更に強く踏み込む。

 

 スピードメーターが右側へと少しずつ傾いて行く。

 

 針の指す数字が75、80、81、82、83と上がっていく。と、その時。

 

「うわっ!」

 

「あっ!?」

 

 突然車線変更してきた前の車と衝突しそうになる。

 

 慌ててブレーキをかけた事で車のメーターは70を下回る。

 

「危なかった!」

 

「プロデューサー後ろ!」

 

 後方には黒いワゴンが間近にまで迫っているのが見えた。

 

 プロデューサーは再びスピードを上げた。前を走る車を3台ほど追い抜いて更にその先へ。

 

 すると幸運にもそこから先は他の車は全く見えなくなっていた。

 

 完全に開けた道路の先頭を走る形となった。

 

「これなら!」

 

 プロデューサーはアクセルを限界まで踏みしめた。

 

 グングン上がるスピード。メーターの針は88の目盛りへと達した!

 

 その瞬間、車体の周りに電流が走り出すと共に、火花をもが激しく散り出した。

 

「な、何だ!?」

 

 プロデューサーがそう口にしたと同時に、彼の運転する車は凄まじい閃光と共に消失。

 

 道路上には二本の炎の線だけが取り残されたのだった。

 

 その炎も後続車の巻き起こす風を受けて、たちまちのうちに消滅した。

 

 黒いワゴンに乗っていた者たちは、閃光で眩んだ目が慣れると共に周囲を見渡したが、プロデューサーらの乗る車が消失したとは露にも思わず、更にスピードを上げて彼らの進んでいったと思われる方へと車を走らせ続けたのであった。

 

 




BTTFの三週連続放映とフォロワーさんの一言をきっかけに勢いに任せて書き始めました。
子供の頃からBTTFが大好きだったということもあり過去最高ペースで執筆中です。

マーティとドクの掛け合いを書くのが楽しくて仕方ありません!
シャニマス勢と彼らが紡いでいく物語、最後までお付き合いいただければ幸いです。


そして白瀬咲耶さんお誕生日おめでとう


感想という名の火薬をボイラーに突っ込んでいただければペースは機関車の如くグングン上がっていくと思いますので是非に!


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第二話

 1999年7月1日 午後8時30分

 

 

「……え?」

 

「何……?」

 

 咲耶とプロデューサーは狐に摘まれた様に唖然としていた。一瞬のうちに周囲が暗くなっていたのだから。

 

 ついさっきまで陽に照らされていた高速道路は、路肩に一定間隔で並ぶライトにより琥珀色に染められていた。

 

 呆然としたままプロデューサーは車を走らせる。

 

「っ!?ヤバッ!」

 

 前方に先行車のテールライトが迫っていたのに気がついて、プロデューサーは急ブレーキをかけた。

 

 激しい摩擦音を立てながら車が急激に減速してゆく。

 

 そしてあわや数十センチの差で前の車に激突する、その寸前に停車したのであった。

 

「ふぅ……危なかった……」

 

 大きく息を吐いたプロデューサーが更に道の先の方へと目を向けると、多くの車が数珠繋ぎになっているのが見えた。どうやらこの先は渋滞中のようであった。

 

「咲耶、大丈夫か?」

 

「ああ。私は平気さ。それよりもこれは一体どういうことなんだろう?」

 

 咲耶が首を左右に動かして周囲の様子を見渡す。

 

「いつの間にか夜になっている……」

 

「追い詰められてハイになりすぎて、無我夢中で運転してるうちに俺たち記憶が飛んじゃったのか?」

 

「そんなまさか……でも何にせよ奇妙だ。……あっ!後ろは大丈夫かい!?ヤツらは!?」

 

「そうだった!」

 

 二人がサイドミラー越しに後方を確認すると、数台の車がゆっくりと近づいてきて停止するのが見えた。その中に例の黒いワゴン車は見当たらない。

 

「とりあえず撒けたってことでいいのかな?」

 

「そのようだね」

 

 二人は顔を見合わせて安堵の溜息を吐いた。

 

 その直後、背後からクラクションが鳴らされる。

 

 前方を見ると渋滞は僅かに先へと進んでいた。

 

 プロデューサーはゆっくりと車を進めてゆくのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから二人は次の高速出口から一般道へと降りることとした。

 

(あれ?この料金所って、入ってきた所からそんなに離れていないような……)

 

 出口の地名表記を見てプロデューサーが違和感を抱く。だが次の瞬間、料金所のゲートを目前にしたプロデューサーは、ETCゲートを破壊してしまった事を思い出して背に冷や汗をかいた。

 

 しかしながら事情を説明する他にないので係員がいるゲートへと車を進めた。

 

「プロデューサー、このままだと私が係員と話すことになるけれど」

 

 と右側の座席に座る咲耶が言う。

 

「あ、運転席左右逆か。仕方ない、降りて直接歩いてこう」

 

 プロデューサーはゲートの手前の路肩に車を停めると、そそくさと料金所へ向かっていった。

 

「あのーすみません。ETCゲートを壊しちゃって」

 

「は?何だって?」

 

 60代ほどと見られる男性係員が眉間に皺を寄せつつ聞き返す。

 

「ゲートですETCの。高速に乗る時に壊しちゃって」

 

「ETCって何だ、コンピュータのメーカーか?訳のわからない事言ってないで券出して。持ってないの?」

 

「券ですか?確かに取ってないですけど」

 

「取り忘れか。確認取んの手間なんだよな……で、どっから乗ったの?」

 

「えっと……」

 

 プロデューサーは入ってきたインターの名前を告げる。

 

「そこね……っと。ならこんだけな。それと書類、住所と電話番号書いて」

 

 係員の男はレジスターを操作して料金を表示させ、バインダーに挟んだ書類とボールペンを手渡した。

 

 プロデューサーは書類を記入しバインダーを脇で挟む。そして財布を取り出そうと慌ててポケットを弄るが、なかなか取り出すことが出来ない。そんな風に手こずっていると

 

「プロデューサー、これを」

 

 いつの間にか側に来ていた咲耶が小銭を手渡してきた。

 

「あ、ああ。ありがとう咲耶」

 

 そうして小銭を受け取ったプロデューサーは係員へ料金と書類を手渡した。

 

「よくできた妹さんじゃねえか。本当は確認作業終わってから通さなきゃいけねぇえんだけどよ、嬢ちゃんに免じて先に通してやるよ。早く家まで帰してやんな、明日も学校だろう?」

 

「いや……あ、あははは、ありがとうございます。それじゃあ」

 

 プロデューサーは軽く頭を下げて、咲耶と共に車へと戻って行く。

 

「ふふっ」

 

「どうした咲耶?」

 

「私がプロデューサーの妹だと思ったらしいね、あの人は」

 

「そうだな。もしかして嫌だったか?」

 

「そんな事は無いさ。ちょっぴり嬉しかったよ。兄妹っていうのはこういうものなのか、って貴重な体験ができたよ」

 

 口元と目を愉快そうに歪ませつつ、咲耶は車に乗り込んでいった。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと喉が渇いたな。コンビニに寄ろうと思うんだけど、いいか?」

 

「ああ、私もちょうど何か飲みたいと思っていたんだ」

 

 そうして料金所を出てすぐの所に見かけたコンビニの駐車場に車を停めて、二人は店内へと入っていった。

 

「いらっしゃいませー」

 

 男性店員の声に迎えられつつ、飲料品売場へと二人は進んでゆく。

 

 店内で流れていた音楽にプロデューサーは反応する。

 

「おっ、懐かしいなこの曲。確か俺が小学生になったくらいの時に流行ってた曲だ」

 

「これは私も聞いたことがある。この前懐かしの名曲特集番組で見たよ」

 

「そうか、咲耶からしたらそんな感じになるよな」

 

「この曲が発売された時に私はまだ生まれていないからね……おや、これは」

 

 続けて流れてきた曲に咲耶が反応する。

 

「この曲だよプロデューサー。私がダンスレッスンで踊っているのは」

 

「これか。確か結構激しいダンスで難易度が高いって聞いた事がある。メインボーカルのパフォーマンスとバックダンサーのダイナミックさとのシンクロ具合を出すのが大変らしいな」

 

「けれどもやり甲斐はあるよ。これをモノに出来れば数段階のレベルアップは確実さ」

 

「じゃあその暁には是非とも見せてもらおうかな」

 

「ああ、楽しみにしていてほしい」

 

 そしてプロデューサーはペットボトル飲料二本を手にレジへと向かう。

 

(このパッケージデザイン懐かしいな。いつの間に復刻版が発売されたんだ?)

 

 などと考えつつ店員へとボトルを差し出した。

 

「2点で315円になります」

 

「じゃあこれで」

 

 とプロデューサーは電子マネーカードを取り出して店員へと見せる。

 

「カードでのお支払いですね」

 

 店員がプロデューサーの手からカードを受け取った。

 

「え?いや、タッチは」

 

「……ん?……んん?」

 

 店員がカードリーダーに電子マネーカードを何度も通す。だが当然ながら反応は無い。

 

「いや、それはタッチして使うやつだから―――」

 

「……申し訳ございません。こちらのカードは当店では取り扱い出来ないようでして」

 

「ええっ?」

 

 そんなはずは無いとプロデューサーは声を上げようとしたが、店員は至って真面目な顔をしており、ふざけた様子は微塵も見られないので、仕方なしに電子マネーカードをしまい込み、クレジットカードを差し出した。

 

「じゃあこっちで」

 

「はい」

 

(……新人さんなのか?でも今時電子マネーの使い方知らない人なんているわけ無いよな?それともカードリーダーが壊れてるのか?)

 

 クレジットカードが通されたレジからエラー音が鳴る。何度試しても同様で、苛立ち混じりに店員は眉をひそめた。

 

「申し訳ございません。こちらのカードも使用不可のようです」

 

「いや、さっきホームセンターではちゃんと使えてたんだけど。……仕方ない、それじゃあ現金で」

 

 とプロデューサーは財布から千円札を取り出して店員へと差し出す。

 

「……えーと……お客様、流石に玩具のお金でのお支払いは……」

 

「は?いやいや、どっからどう見てもちゃんとした千円札でしょ。ほら!野口英世の顔もくっきりしてるし、文字の加工だってしっかりと」

 

 プロデューサーは突き返された千円札を広げて店員にかざして見せる。

 

「お客さん、ひやかしは止めていただけます?千円札といえば夏目漱石ですよ」

 

 店員は僅かに語気を強めて、レジから取り出した千円札を広げて見せた。

 

「確かに昔は夏目漱石だったけど、今は野口英世に変わったでしょ。あれは確か……10年くらい前?確かそのくらいに!」

 

「……お客さん、これ以上ふざけるのでしたら出て行っていただけますか?他のお客様のご迷惑ですので」

 

 と店員が後方へと目配せをするのにつられて振り返ると、数人の客が苛立ち混じりの視線をプロデューサーに向けているのが見られた。

 

「あ……」

 

「すみません、この新聞を。飲み物は結構ですので」

 

 プロデューサーの会計をレジ横で待っていた咲耶が小銭と共にスポーツ新聞を店員へと差し出す。

 

「はい、お代は確かに……お買い上げありがとうございます」

 

「それじゃあ行こう、プロデューサー」

 

「え?いや、でも飲み物が」

 

 咲耶に手を引かれながらプロデューサーは半ばよろけつつ、コンビニを後にした。

 

 その様子を店員や他の買い物客が疑わし気に見ていたのだった。

 

 

 

「どうしたんだ咲耶、いきなりあんなマネを」

 

「そんな事よりこれを見てくれプロデューサー!」

 

 咲耶がある一点を指差した。

 

 そこに書かれていたのは新聞の日付。記されていたのは

 

「えーっと……1999年7月1日……は?」

 

 21年前の日付であった。

 

「そんな馬鹿な!」

 

 プロデューサーがひったくるように掴んだ新聞紙を次から次へとめくってゆく。

 

「私も自分の目を疑った。けれども、全ての新聞の日付は同一だった。この新聞だけの印刷ミスとかじゃない。それに私のスマホを見てくれないか?圏外になってるんだ」

 

「は?……本当だ。……俺のも圏外だ……こんな山奥でも何でもない場所なのに」

 

 自分のスマホ、咲耶のスマホの画面を交互に見るプロデューサー。

 

 そして周囲の風景を見渡してみる。

 

 この場所は仕事で何度か通ったことがあり、多少ながら馴染みがある所であった。

 

「……何だろう。よく分からないけど、少し違和感があるような」

 

「プロデューサー、もしかすると私達は……」

 

「……多分俺も咲耶と同じ事を考え初めてる。……とりあえず一旦車に戻ろう」

 

 そうして車に乗り込んだ二人は内部をくまなく調べてゆく。

 

「よく見てみると本当に奇妙な車だ」

 

「うん、その中でも特に気になるのはこの機械」

 

 と咲耶が運転席と助手席の間にあるレバーのようなスイッチを回す。

 

 するとそれに合わせて後方に付いている、Y字型のチューブのような物が収められた装置が明滅する。

 

「それとこのデジタル時計もだな」

 

 プロデューサーがハンドル右下付近のボタンを適当に押す。

 

「ボタンを押して切り替わるのは一番上の数字だけ。他の二つは固定されたままだな」

 

「プロデューサー。この数字、というか年月日と時刻の意味は何なのかを考えてみないかい?」

 

「そうだな。え~っと」

 

 デジタル表示の数字の側に貼り付けられたプレートの英字は上からそれぞれ

 

 DESTINATION TIME

 PRESENT TIME

 LAST TIME DEPARTED

 

 となっていた。

 

「一番上は……目的の……時間?表示されているのは今しがた俺が入力したデタラメな数字だ」

 

「下の2つは……中央のは現在時刻、かな?1999年7月1日の、ちょうど9時になったところだ。後は、最後の時間?旅立った?」

 

 最下部の表示は2020年6月26日午後2時3分となっていた。

 

「整理してみると、下が最後に旅立った時間。真ん中が今の時間、上が目的時刻ということになるな」

 

「私たちが辿ってきた道程、時間を照らし合わせるとピッタリ符号しているように思える。……ということはつまり」

 

「ああ、間違いない。この車はタイムマシンだ!」

 

 手を打って声を大きくあげるプロデューサー。

 

「にわかには信じられないけど、そう判断する他無いだろうね。さて、となると装置を動かすための条件が何かあるはずだけれど……」

 

 咲耶が冷静に車内を今一度ぐるりと見渡す。

 

 同じように身の周りを探っていたプロデューサーは、ふと前へと目を向けた。

 

 コンビニの店内から先程の店員がこちらの様子を伺っているのが見えた。その目は明らかに不信感を抱いているように感じられた。

 

「咲耶、一先ずここを離れよう。警察にでも通報されたら厄介だ」

 

「うん。その方がいいね」

 

 

 

 

 

 

 1999年7月1日 午後9時10分

 

 

 コンビニを後にして車を走らせること数分、咲耶が口を開いた。

 

「プロデューサー、思いついたのだけれど、装置の動く条件がタイマー式という事は無いだろうか?目的日時を決定してから一定時間が経つとタイムスリップが始まる、というような具合で」

 

「一理あるな。ちょっと試してみよう」

 

 プロデューサーは車を路肩に寄せて停車するとボタンへと手を伸ばす。

 

「……目的時間はいつにしよう?」

 

「私達が元いた時刻でいいんじゃないかな?」

 

「よし、それにしてみよう」

 

 プロデューサーは、2020年6月26日午後2時3分、と一番下の表示と同じものを打ち込んだ。

 

「セット完了。後は暫く待つとしよう」

 

 

 そして5分後

 

 

「……何も起こらないな」

 

「起こらないね」

 

「となると別の条件か。何があるかな?」

 

「なら私達がここに来る前の状況を思い返して推理してみてはどうだろう」

 

「ここに来る前か。高速道路で深沼の手下に追われていた時だよな。確か時刻をセットしたのはその途中だ」

 

「私がプロデューサーの言った年月日を入力をした」

 

「それから暫くかっ飛ばして走り続けて…………そうか!わかったぞ!」

 

 プロデューサーが声を上げて手をパンと叩く。

 

「きっとタイマーをセットして暫く走る必要があるんだ。原理は分からないけど、このマシンが車である必要性を考えれば辻褄が合うんじゃないか?」

 

「確かに。悪くないかもしれない。それと確証は無いのだけれど、場所も関係しているんじゃないだろうか?以前見た映画でタイムスリップをするシーンがあってね。その時に、時空の歪みが存在する場所がどうとか言っていたような気がするんだ。……まあフィクションの話だから当てにはならないかもしれないけれど」

 

「いや、この際だ。色んな可能性に賭けてみよう。取りあえずもう一度高速に行って試すんだ。出来る事は全部やってみる!」

 

「ああ!」

 

 プロデューサーは車を再始動させて、先程降りてきた方とは反対車線側にある高速道路の入口を目指して走り始めた。

 

 しかしながらすんなりと目的の場所へは進めなかった。

 

 途中で道路工事が行われており、回り道をするように促されたのだった。

 

 仕方が無いので広い国道から、狭く入り組んだ住宅密集地へと車を走らせてゆく。

 

「ふふっ」

 

「どうした咲耶、いきなり笑い出して」

 

「ああ、すまない。何だか二人で何の疑いも無くこの車がタイムマシンだと合点して話を進めていたのが、思い返してみると何だか可笑しくてね」

 

「ははっ、確かに。どうかしてるよな俺達」

 

「もしもこれが手の込んだドッキリだとしたら、仕掛け人の人々はさぞかしご満悦だろうね」

 

「ドッキリかあ。そうだったら恥ずかしいな。暫くは行く先々で笑いものにされる事間違いなしだなこりゃ」

 

 談笑しながら車を走らせるプロデューサー。さっきまでの緊張がほぐれ、気が緩み始めていたせいか彼はそれに気が付かなかった。

 

「ふふふっ……あ、危ないっ!」

 

「えっ?……っ!!!」

 

 

 

 咲耶の声に遅れること1秒足らずのタイミング。だがそれはこの先の運命を決定づける一瞬であったのだった。

 

 

 

 車の進路を横切るように道路を横断しようとしていた人影がライトに照らされる。

 

 響く急ブレーキの音。

 

 車が完全に停車する寸前。その人影は運転するプロデューサー及び咲耶の視界から消え去った。

 

 急停止した車の後ろからクラクションが鳴り響く。

 

 プロデューサーがサイドミラーを覗くと後方には一台のスポーツカーが。

 

 そのスポーツカーはプロデューサーの車に動く気配が無いとみると、颯爽と対向車線に車を動かして追い抜いていった。

 

 スポーツカーは青いボディにライトを一瞬反射させ、すぐに暗闇へとその姿を消していった。

 

「プロデューサー!ボーっとしてる場合じゃ!」

 

 咲耶に声をかけられて我に帰ったプロデューサーは慌てて車を飛び出した。

 

 車から降りた2人が目にしたのは地面にへたり込む1人の少女。

 

 その距離は車から僅か10センチ程度しか離れていなかった。

 

 もう少しブレーキを踏むタイミングが遅ければ、確実に彼女は跳ね飛ばされていただろう。

 

「だ、大丈夫かい?」

 

 車のバンパー付近で呆然とした表情を固めたまま、微動だにしない少女にプロデューサーが声をかける。

 

「…………え?あっ……はい……」

 

「立てるかい?ほら、手を貸そうお嬢さん」

 

 咲耶が少女へと手を差し伸べた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 少女はその手を取って立ち上がろうとする。しかし

 

「きゃっ!」

 

 腰を抜かしていた少女は上手く立つことが出来ず、よろめいてしまう。

 

「おっと」

 

 そこを咲耶が腕を回して抱きとめる。

 

 その光景はさながら少女漫画か何かで王子が姫を抱くかのような、そんなワンシーンを思い起こさせた。

 

「ははっ。怖い思いをさせてすまなかったね。どうか許して欲しい、愛らしいお嬢さん」

 

「え?……あ、はい……こちらこそ、ボーッとしていたみたいで、すみませんでした」

 

 少女は今度こそしっかりと立ち上がると、咲耶の腕の中からサッと離れて頭を下げた。

 

「ともあれ怪我が無くて良かった」

 

 声をかけつつプロデューサーは少女の容姿に注目した。

 

 標準的なセーラー服タイプの制服、目元には黒縁の洒落っ気の無い眼鏡をかけており、ひっつめ髪を後ろで三つ編みの一本お下げにしている昔ながらの女学生といった容姿の少女。

 

 時間的に塾帰りか何かかと思ったが、彼女の周囲を見渡しても鞄や勉強道具の類は見当たらない。

 

「…………あの、何故そんなにジロジロと見てるんですか?」

 

 プロデューサーの視線に気づいた少女が、不信感を露わに視線を返してくる。

 

「あ、ああ、すまない。君は女子高生……だよね?そんな子がこんな時間に手ぶらでどうしたのかと思ってね」

 

 プロデューサーの言葉を聞いた少女は一瞬眉をひそめる。

 

「……通りすがりの、私を轢きかけた人に言われる筋合いも話す筋合いもありません」

 

「あー……それもそうか。ごめん」

 

「むしろあなた方こそどうなんですか?こんな時間にいい大人が女子高生を連れまわしているようですけど、もしかして……援助交際……?」

 

「え?……いやいや!そんなんじゃないよ!」

 

「…………」

 

 少女はメガネの弦に手を当てて目を細める。明らかにプロデューサーを不審者として見ている目だった。

 

「ははは、参ったね兄さん」

 

「……え?」

 

 突然の咲耶の一言にプロデューサーは目を丸くする。

 

「私が降りる駅を間違えてしまったばかりにこんな事になってしまって。わざわざ迎えに来てもらったのに、ごめんなさい」

 

 少女の横に立つ咲耶がプロデューサーに向けてウインクをしてくる。

 

(なるほど、そいういう事か)

 

「あ、ああ。でも仕方無いさ。地方の人間に東京の電車の乗り換えは難しいからな。俺も初めて来た時は散々迷ったもんさ。ははは」

 

「あ……ご兄妹だったんですか。……失礼しました。変な事を言ってしまって」

 

「別に良いよ、気にしてない。俺だって君を轢きそうになってしまったんだ。悪かった。ともあれ、これでおあいこという事で。それよりも君、家はこの辺なのかい?良ければ送っていくけど」

 

「えっと……あの車で、ですか?三人乗るスペースは無さそうですけれど」

 

「……あ」

 

「そうだね。言われてみればあの車は二人乗りだ。何なら私の膝の上にでも乗るかいお嬢さん?」

 

 咲耶が気取った風に言うと

 

「い、いえ。結構です。家までそう遠くはありませんので。では失礼します!」

 

 そうしてそそくさと踵を返して少女は走り出そうとする。

 

 その瞬間、咲耶が彼女の足下に何かが落ちているのに気が付いた。

 

「ちょっと待って。これは君のじゃないのかい?」

 

「え?」

 

 振り向いた彼女に咲耶は、拾い上げた学生証を手渡した。

 

「あ、ありがとうございました」

 

 少女は軽く頭を下げて、今度こそ走り去っていった。

 

「……ふぅ。助かったよ咲耶」

 

「このくらいお安い御用さ、兄さん」

 

「おいおい、もうよしてくれ」

 

 プロデューサーは苦笑して後頭部に手を当てた。

 

「ふふふっ」

 

「それにしても今時珍しい感じの見た目の子だったな。……いや、この年代だとそうでもないのか?……違うな、多分この年代でも彼女みたいなステレオタイプの女学生って感じの子は少なかった気がする」

 

「米村さん、というらしいね」

 

「え?どうして知ってるんだ?」

 

「さっきの学生証に書いてあったのさ。少し目に映ってね」

 

「そうか。……ん」

 

(米村?最近どっかで聞いたような……)

 

「下の名前は少し珍しい感じだったな。藍――」

 

 その瞬間後方からクラクションが鳴らされた。

 

 振り返ってみると新たな後続車がやってきているのが見えた。

 

「まずい。とにかく車に乗ろう」

 

「そうだね」

 

 2人は急いで車に乗り込んで先を急ぐのだった。

 

 

 

 そして数分後。料金所を抜け、車を先程とは逆方向へと走らせてゆく。

 

「じゃあ高速にも乗ったし取り敢えず色々と試してみよう。まずは時刻をセットして暫く走ってみようか」

 

 プロデューサーはセットされた時刻や装置にスイッチが入っているのを確認し、スピードを徐々に上げてゆく。

 

 未だ僅かながらに渋滞している反対車線とは対照的に、こちら側の車線は空いており、スイスイと車を走らせることができた。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月1日午後9時27分

 

 

 高速道路の料金所手前に2台の白バイが停車していた。

 

「はい、はい。了解しました。発見次第対応します」

 

 白バイに乗った警官が無線からの指示に返答をした。

 

「先輩、ヤツらですか?」

 

 もう1台の白バイに乗った警官が尋ねる。

 

「ああ。昨日逮捕された構成員が白状したらしい。リーダーはアメ車を愛用してるってな」

 

「てことはアメ車が通ったら片っ端から止めてけば良いって事ですね」

 

「そう単純な話じゃない。情報が嘘の可能性もあるし、必ずしも今それに乗ってるとは限らん」

 

「じゃあどうすれば?」

 

「アメ車と怪しい車を片っ端から止めるんだよ」

 

「何だ。いつも先輩が言っている通り、勘ってことですね」

 

 肩をすくめる後輩と思わしき白バイ隊員。

 

 その時、彼らの目の前を特殊な外装の、珍しいデザインの車が通り過ぎていった。

 

「……おい」

 

「わかってます。あの車を追うんですね」

 

 警官らはヘルメットをかぶってバイクに跨りエンジンを始動させた。

 

 

 

 

 

 

「結構な距離を走ったけれど、何も起こる気配が無いな」

 

「走行距離は関係無いのかな?だとしたらやはり位置が問題に?」

 

 高速道路にて走ること5分程度。依然として何も起こらない事に、プロデューサーと咲耶は車内で頭を捻らせ続ける。その時

 

《そこの違法改造車、直ちに車を寄せて止まりなさい》

 

 後方からスピーカーを通した大きな声とサイレンの音が聞こえてきた。後方から2台の白バイが迫ってきていた。

 

「ヤバイ、白バイだ」

 

「違法改造車とは、間違いなくこの車だろうね。どうしようプロデューサー」

 

「仕方がない。取り敢えず路肩に止めて……」

 

 言いかけたプロデューサーがある事実に気付く。

 

「あー……そういえば俺の免許2024年まで有効なんだ」

 

「それがどうかしたのかい?」

 

「有効期間の開始日が2019年なんだよ」

 

「あ……」

 

 本来存在しないはずの免許証を持ち、違法改造と認定された車を運転し、夜更けに女子高生を乗せて高速を走行し、その他諸々不審な点を挙げればキリが無い。

 

 そんな状況ではどんな弁明をしようが身柄を拘束される事は間違いない。

 

「仕方ない…………振り切るぞ!」

 

 

 

 

 

 

「ちっ!逃げる気か」

 

 前方を走るメタリックボディの不審車がスピードを上げたのに合わせ、白バイ隊員もアクセルを全開にする。

 

「いきなり当たりを引いちゃいましたかね俺達!」

 

「さあな!何にせよ捕まえてやるさ!しっかりついて来いよ!」

 

「了解!」

 

 2台の白バイがサイレンを響かせ猛スピードで追走する。

 

 後輩隊員が速度計に目を向ける。時速120キロを突破するところだった。

 

「見た目は古臭いマイナー車のくせして一丁前にスピードは出てる。ゴテゴテと改造してるだけはあるみたいですね」

 

「だな。けどこっちは最新型だ。加速性能だってダンチなんだからな!」

 

 事実、白バイと不審車との距離はみるみる縮まってきており、最早その差は車数台分程度にまでなっていた。

 

「俺が前に出る!お前は後方で退路を塞げ!」

 

「了解!」

 

 白バイ隊員が更にスピードを上げる。その速度は時速140キロを突破した。そして追越し態勢に入ろうと車線をずらしてゆく。

 

 その時、目の前の不審車のボディから突如として青白いスパーク光が弾け出した。

 

「何!?」

 

 白バイ隊員が驚愕の声を上げた瞬間、凄まじい閃光と衝撃波が巻き起こった。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

「せ、先輩!うおおっ!」

 

 白バイ隊員らは白んだ視界の中で急制動をかける。左右にブレる車体をどうにか抑え込み、安定させる。

 

 そうして閃光に眩んだ白バイ隊員の視界が元に戻った時には、不審車の姿はどこにも見られなかった。

 

「ヤツらスタングレネードを使うなんて小癪なマネを……」

 

「どうします!追走続けますか!?」

 

「当たり前だ!それと付近の出口の完全封鎖だ!」

 

 白バイ隊員は無線を手に取りつつ叫ぶように言ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後2時3分

 

 

 昼下がりの車通りもまばらな高速道路の下り車線に、突如として三度の衝撃波が広がり、直後に虚空から1台の車が出現した。

 

「っ!…………眩しっ!」

 

 プロデューサーは周囲の光景が急に明るくなったのに目を細める。

 

 暫くしてから前方と左右へじっくりと目を凝らしてみる。

 

「戻って……来れたのか?」

 

「プロデューサー!これを!」

 

 咲耶が差し出してきたスマホの画面。その左上には通話圏内であることを示すマークが付いていた。

 

 更に謎の装置のデジタル表示に目を向けると、真ん中の時刻表示が2020年6月26日午後2時3分となっており、程なくして表示は午後2時4分と切り替わった。

 

「タイムスリップ、成功したみたいだな」

 

「そのようだね。何故そうなったのかは結局分からずじまいだけれど」

 

「白バイから逃げるのに必死だったからなあ。ともあれ助かったのは何よりだ」

 

「それでプロデューサー、これからどうするんだい?」

 

「そうだな……取り敢えずこの車、返しに行かなきゃな。事情を話してわかってもらえれば良いんだけれど」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後2時43分

 

 

「ああっ!何ということだ!」

 

 ドクが頭を抱えてその場を右往左往する。

 

 一方でマーティはドクから少し離れた場所でアスファルト上にしゃがみ込み、痛みの残る口の端に手を当てる。指の先には薄っすらと血が滲んでいた。

 

「痛たたた。ったく、何だったんだあいつら。デロリアンに群がってたと思ったら急に車に乗ってどっかに行ったりして」

 

 謎の集団との取っ組み合いを経て、マーティとドクは盗まれたデロリアンを探して周囲を駆けずり回った。

 

 当然のことながら何処かへ走り去ったデロリアンを見つけ出すことは到底叶わず。ホームセンターの駐車場へと戻った二人は途方に暮れていた。

 

「ヤツらは一体何者だ!どうしてデロリアンを狙ったりなんぞした!」

 

「それだけどさドク。あの男達が狙ってたのってデロリアンっていうより、デロリアンに乗って逃げた人達じゃあないかな?」

 

「何だと!?それじゃあデロリアンは、偶然そこにあったから盗られたというわけか!」

 

「多分ね」

 

「だがマーティ、どちらにせよ我々が危機的状況に置かれている事に変わりは無いぞ。デロリアンを取り返さねば元の時代に帰る事は叶わん」

 

「取り敢えず警察にでも行ってみる?ああ、でも身分証明とかが出来なきゃダメか。下手すりゃこっちが不審者として逮捕されちゃうかも」

 

「なーに、その点は心配無いぞ。私は2015年に戸籍や拠点となる家などをちゃんと用意しておる。証明書の類もバッチリ作ったさ」

 

「それ偽造したって事!?……まあ細かい事はこの際だ、気にしない方がいいか。それじゃあ警察署の場所をしらべなくっちゃね」

 

「ところでマーティ。デロリアンに乗り込んだ二人の特徴は覚えておるのか?」

 

「もちろん!一人はスーツを来たビジネスマンでもう一人は女の子だ。髪が長くて……二人ともアジア系の顔つきだったな。多分ニッポン人だ」

 

「ビジネスマンと髪の長い女…………あんな感じのか?」

 

 そう言ってドクが視線の先を指差した。マーティは振り返り、その方に目を向ける。

 

「そう!丁度あんな感じの…………って!あの二人だよドク!」

 

 

 

 

 

 ホームセンターの駐車場へと戻って来たプロデューサーと咲耶は車を駐車場の片隅に停めて周囲を探し回った。

 

 あれから僅かながら時間が経っているために車の持ち主と思しき外国人は、既に何処かへ行ってしまったとも思われたが、難なく2人を見つける事が出来た。

 

「良かった。まだいてくれた」

 

「とにかくまずは謝らないとね」

 

 外国人の2人もプロデューサーと咲耶に気付いたようで、慌てた様子で駆け寄って来る。

 

 近づいて来た2人に対してプロデューサーは

 

「アイムソーリー」

 

 と何となくそれっぽい発音の英語を口にしながらしきりに頭を下げた。

 

 隣に立つ咲耶も合わせて頭を下げる。

 

 対して2人の外国人はオーバーアクションを交えつつまくし立てる。

 

 何と言っているのかはわからなかったが、車の事について言っているのだろうと想像はできた。

 

 正直、いきなり殴られる事態も想定していただけに、プロデューサーにとってはホッとした所もあった。

 

 しかしながら事情が事情なので詳しく話をする必要がある。

 

 その為プロデューサーは懐からスマホを取り出して、あらかじめインストールしてあった翻訳アプリを起動したのだった。

 

 

 

 

 

「おい!お前たち!デロリアンをどこへやった!」

 

「逃げないで戻って来てくれたのはありがたいんだけど、あの車ちゃんと返してくれない?でないと僕ら元のじだ……家に帰れないんだ」

 

 そんな具合にドクとマーティが2人の日本人に話しかけていると、スーツの男が懐から何かを取り出して手のひらで弄ぶような仕草をした。

 

「また写真立てか!どいつもこいつも、母親の写真でも眺めて気を落ち着けようとでもいうのか?」

 

 そんな風にドクが悪態をついていると、男が何やら呟いてから手にした物をドクとマーティに向けてきた。

 

《車を勝手に使ってしまってごめんなさい。車は壊れていません。ちゃんと返します》

 

 男の手にした物から英語の音声が聞こえてきた。

 

 突然の出来事にマーティとドクは目を大きく見開いて、困惑の表情を浮かべつつ顔を見合わせた。

 

「……ドク。あの写真立てが喋ったように聞こえたんだけど、僕の気のせいかな?」

 

「いやマーティ。ワシにもハッキリと聞こえた。謝罪と車を返すという旨の言葉がな」

 

 更に男は写真立てのような物に何かを呟き、再度2人の方へとそれを向けてくる。

 

《悪い人から逃げるのに車を使いました。何時間か走りました。ガソリン代など払います。金額を言って下さい》

 

 またもや発せられた言葉に対して、ドクは思わず大きな声で口にした。

 

「何だそれは!」

 

 すると僅かな間を置いて、写真立てから日本語らしき音声が発せられる。

 

 男と傍に立つ女性が軽く首を傾げた後に

 

《これはスマートフォンですよ》

 

 そう写真立てのような物が告げた。

 

「スマートな、電話?コレが電話だっての?」

 

「いやいやマーティ。こんな物が電話のハズがない。その証拠に……見ろ、数字を入れる為のダイヤルもボタンもありゃしない。きっとこいつは自動翻訳機だ」

 

「自動翻訳機ね。随分とよく出来た機械だ」

 

「とはいえ電話とは酷い誤訳もあったものだな。実際のところ性能はそれほど良くはないらしい」

 

 ドクとマーティが肩をすくめて笑い合う。

 

 その時、男が手にした翻訳機から軽快なメロディーが鳴り出した。

 

 2人は思わず体をビクリとさせる。

 

 男は軽く頭を下げて翻訳機を耳元に当てて何やら話を始めた。

 

 その様はどう見ても誰かと会話をしている風に見えた。

 

 暫くして男は耳元から翻訳機を離して再度二人へとそれを向ける。

 

《電話がかかってきてしまいました。ごめんなさい。ガソリン代はどうしますか?先に車の方に行った方がいいですか?》

 

 ドクとマーティは顔を見合わせる。

 

「電話だ」

 

「電話……だね。この人何者なんだ!?こんな機械持ってるなんて、只者じゃないよ!」

 

「もしかしたらこの男は高名な科学者なのかもしれんぞ。見かけに寄らずにな。どれ、折角だ色々と聞いてみよう」

 

 ドクは軽く咳払いをすると服の乱れを軽く正して、男の持つ機械に向けて話を始めた。

 

「私はエメット・ブラウン博士。科学者の端くれです。貴方を高名な科学者とお見受けします。まずはどうかお名前を聞かせて下さらないでしょうか?」

 

《はじめまして、エメット・ブラウン博士。私の名前はユウイチ・アイカワです。私は科学者ではないです。アイドルのプロデューサーです》

 

「プロデューサー?プロフェッサーの間違いでは?」

 

《私は教授ではありません。この子のプロデューサーをしています》

 

 男は隣の女性に目を向ける。

 

 女性は軽く微笑んで二人に向けて会釈をした。

 

「アイドルって、テレビ番組に出て歌ったり、レコード出したりする、そのアイドル?」

 

 今度はマーティが口にする。

 

《そうです。私の名前はサクヤ・シラセです。はじめまして》

 

「僕はマーティ。マーティン・S・マクフライ。よろしく、サクヤ、ユーイチ。僕のことはマーティって呼んでくれ」

 

《いい名前ですね、マーティ。私はあなたに会えてとても嬉しいです》

 

 サクヤと名乗る女性がマーティに向けて微笑んだ。その身長差からマーティは彼女を少々見上げる形となる。

 

「……ニッポン人の女の人って意外と背が高いんだな」

 

 マーティがポツリと呟いた。

 

「そのアイドルのプロデューサーが何故そんな高性能な機械を持っておるんだ?」

 

 ドクの質問にユウイチ、サクヤは怪訝な表情を浮かべていた。

 

《スマートフォンは誰もが持ってるのが普通です。あなたはスマートフォンを知らないのですか?信じられないです》

 

 その言葉にドクは目を大きく見開く。

 

「誰もがこの、スマートフォンとやらを持っているだと!?信じられん!」

 

「ドク、多分それは本当だよ。さっきホームセンターの店員や客が持ってたの、あれがスマートフォンってヤツだよ」

 

「なるほど!言われてみれば!……という事はあの店員は彼のように翻訳機能を起動させようとしていたのか。少しばかり短気が過ぎたな。じっくり待っておけば良かった」

 

「ちょっと気になる事があるから次は僕に質問させてくれ。えーっと、今は2020年の6月26日で間違いは無い?」

 

《はい。今は2020年の6月26日です》

 

「それとここはアメリカのどこら辺になるのかな?」

 

《ここはアメリカではありません。ニッポンのトウキョウです》

 

「トウキョウだと!?そんな馬鹿な!あり得ない!」

 

 ドクが驚愕の声をあげる。

 

「ドク!という事は、やっぱりここはパラレルワールドなんだよ!父さんの小説に出てたやつと同じだ!」

 

「いやいやマーティ!そう簡単に結論づけてはいかん!検証を十分に行なってからだ!誤訳の可能性も無いとは言えん。もしかしたらこのジャパニーズタウンと思わしき場所の名がトウキョウという可能性も」

 

「でもさドク、分かるだろこの蒸し暑さ。この季節のニッポンはこんな気候だって聞いた事がある。彼の言ってる事は正しいよ、きっと」

 

 ドクはマーティの言葉を受けて視線を上へと向ける。

 

 空に浮かぶ太陽がギラギラと地上を照りつけているのが見えた。ドクの額に浮かんだ汗が頬を伝って、雨で湿ったままのアスファルトの上へとポトリと落ちた。

 

「…………マーティ、ワシは些か頭が熱くなっていたようだ。冷静になって論理的考えれば君の言う事の方が正しいのかもしれん。取り敢えずはその可能性も視野に入れて考えを進めてゆくとしよう」

 

 一呼吸してドクが再びプロデューサーへと向き直る。

 

「色々と教えていただきありがとうございました。もう十分ですので車の方へ案内していただけますかな?ああ、ガソリン代は結構です。質問へのお礼ということで」

 

《わかりました。ついて来て下さい》

 

 そうしてユウイチと名乗った男は手招きをしつつ踵を返しサクヤと共に歩き出す。

 

「とりあえずデロリアンは無事みたいだし、ひとまず安心だね」

 

「だが何故デロリアンがこのトウキョウへと転移してしまったのか。もしここがパラレルワールドであるのならば我々はどういった理屈と原理でここに来てしまったのか。そしてどうやって帰ればいいのか。謎と問題は山積みだ。これらを何とかして解決していかねばならん」

 

「大丈夫さ。今回はデロリアンは万全だ、何とかなるよ。エンジンもミスターフュージョンも無事だろうしガソリンだって手に入る……まあ、空は飛べなくなったけどさ」

 

 そうして歩くこと少々。4人はデロリアンの元へとたどり着いた。

 

「本当に何ともないみたいだね」

 

「ああ。見たところついさっきと何にも変わっておらん……バンパーに少々傷がついとるのが気になるが、まあいいだろう」

 

 と、そんな風に話す2人の様子を見ていたユウイチとサクヤが何やら小声で話をしていた。

 

「どうかしたの二人とも?」

 

 マーティが尋ねると、プロデューサーが若干の迷いをその顔に浮かべつつ、スマートフォンに向けて声を出した。

 

《一つ質問があります。この車はタイムマシンですか?》

 

 その言葉を聞いたマーティとドクは顔を青ざめさせつつ目を合わせたのだった。

 

 

 

 

 

 

「あ、やっぱりマズイことしちゃったのかな俺達?」

 

「だとしても、2人で相談して素直に話そうと決めたんだ。トコトンまでいこうじゃないか」

 

「だな」

 

 プロデューサーがタイムマシンについて尋ねた途端にマーティとブラウン博士と名乗る外国人は血相を変えて車を調べ始めた。

 

 背部の機械群から内部の様々な装置とを点検しながら何やら慌ただしげにしている。

 

「コレがタイムマシンだとしたら、彼らは未来人って事になるよな」

 

「そうだね。未来人との邂逅。映画や小説なんかで目にしたことはあるけれど、こうして実際に体験できるなんてロマンを感じるよ」

 

「もしかしたら283プロがどうなっているのかもわかるかな?興味あるけどちょっと知るのは怖いな」

 

「きっとみんながトップアイドルに上り詰めているはずさ。あなたがプロデュースしてくれているのだから」

 

「そこまで堂々と言われると何だか照れ臭くなる。勘弁してくれ」

 

「ふふっ」

 

 口元に手を当てて微笑む咲耶。

 

 するとその時、車のチェックを終えたのかマーティとブラウン博士が2人の元へと近づいてきた。

 

「プロデューサー、スムーズに話す為に彼らに私のスマホを貸すよ。翻訳アプリを先程インストールしておいたんだ」

 

「そうか?だったら俺のを」

 

「別に見られて困るようなデータも入っていないし、何より彼らはそんな無粋な事はしないと思うしね」

 

 咲耶は使い方を身振り手振りで軽く説明して、ブラウン博士へとスマホを手渡した。

 

《デロリアン、つまりこの車は無事です。突然盗まれたことに驚きました。しかし理由があった事は理解しました。私は気にしません。これは人助けだと考えます》

 

 翻訳アプリを通したぎこちない日本語音声が告げる。その言葉にプロデューサーと咲耶はホッと胸を撫で下ろす。

 

「ありがとうございます。あなたの車が無ければ俺達は拉致されて、今頃無事ではいられなかったと思います。本当に助かりました」

 

《あなた達はどうして追われていたのですか?》

 

「多分あれは同業者の嫌がらせです。先日ちょっとしたトラブルがありまして」

 

《それは災難でしたね。話は変わりますが、あなた達に少し質問してもいいですか?》

 

「はい、構いません」

 

《始めに言います。あなた達の言う通り、このデロリアンはタイムマシンです》

 

「そうですか!やっぱり!」

 

「本当にタイムマシンがあったなんて!私達は凄い出来事に巡り合ってしまったんだね!」

 

 そうなのであろうと殆ど理解していた事だが、改めて事実を伝えられてプロデューサーと咲耶は興奮気味になる。

 

《この事は他の人には絶対に言わないで下さい。タイムマシンの存在が知られると世界が混乱します。歴史に悪い影響がある可能性があります》

 

「確かに、そうかもな……わかりました。この事は自分と咲耶だけの秘密にします」

 

「そうだね。みんなとこの感動を分かち合うことが出来ないのは残念だけれど仕方がない」

 

《理解してくれてありがとうございます。そしてあなた達がどうしてタイムトラベルをやったのか、何があったか詳しく知らせて下さい》

 

「わかりました。自分達はあの男達の車に追われて逃げる為に高速道路へ行きました。そこで走っていると突然この車……デロリアンと言うんでしたね。デロリアンが夜の高速道路にワープしたんです」

 

《その時に時間回路を動かしましたか?》

 

「時間回路?あの時刻表示パネルのことかな?それなら私が操作したのだけれど」

 

《そうですか。デロリアンは時速88マイルで走ってる時に時間回路に設定した時間にタイムトラベルします》

 

「そうか!それが条件だったんだな!」

 

「88マイル……確かキロメートル換算すると約1.5倍だって聞いたことが有る。つまり130から140キロで走る必要があるのか。かなりの猛スピードだね」

 

《それからあなた達はどうしましたか?》

 

「暫く高速道路を走ってからコンビニに行きました。そこで咲耶が新聞の日付に気付いて、1999年の過去に戻ったのを知りました。その後はもう一度タイムスリップをするにはどうしたら良いかと咲耶と一緒に考えながら高速道路に戻りました。そこで警察に追われて走っている時に再びタイムスリップをして今の時代に戻って来たんです」

 

《警察に!?あなた達は何かしたのですか!?》

 

 ブラウン博士が目を見開き詰め寄ってくる。

 

「何かをしたわけじゃありません!デロリアンが暴走族の車だと勘違いされたみたいで追いかけられたんです」

 

《そうなのですね。失礼しました。そしてあなた達は運が良いです。偶然に丁度いい時間を選んで上手くデロリアンを走らせた。少し間違えたら変な時代に行って戻れなかったかもしれない。エネルギーは空でした。エネルギーを補充する必要がありました》

 

「エネルギーか。言われてみればそこまで気が回って無かったね」

 

「ブラウン博士、そのエネルギーというのは何か特別な方法で補充するのですか?もし高価な燃料などを使っているのなら俺達は弁償する必要が……」

 

《心配いりません。このミスターフュージョンに適当に物を入れればエネルギーに変わります》

 

 博士はそう言って車の後部に取り付けられた白い筒のような物を開いた。

 

《この中に生ゴミでも飲みかけのビールでもいいから入れます。それらは分解されてエネルギーになります。核融合されます》

 

「核融合!?」

 

「プロデューサー、今彼は核と言ったみたいだけれど」

 

「俺も昔気まぐれにネットのニュース記事か何かで見ただけで詳しくは知らないんだけど、現在も開発中の新しいエネルギー炉が核融合炉らしい。原発のそれと違って暴走の心配とかが無いって話だけれど、実用化にはまだまだ課題が多いって話だ」

 

「そんな凄い技術を積んだタイムマシンを持っているなんて、未来人というのは凄いものなのだね」

 

「ああ、そうだな。……ところでブラウン博士、差し支えなければ教えて頂きたいんですが、あなた方はどの時代から来られたのですか?」

 

《私達は2015年の未来からやってきました》

 

「…………え?」

 

「えっとプロデューサー私の聞き間違いかな?2015年と言ったような気がするのだけれど」

 

「すみません博士、もう一度言ってもらえますか?」

 

《2015年の未来……そうでした今は2020年ですね。誤解させる言い方をしてしまいました。更に正確に伝えると、私は元々1985年の人間でした。様々なことがあり、現在は1880年代後半の西部開拓時代に住んでいます。マーティは1986年のカリフォルニア州から私と一緒にやってきました》

 

「…………咲耶、この翻訳アプリバグってしまったのかな?言っていることがサッパリ理解できないんだが」

 

「私もだよ……彼の言うことが本当なら彼らは未来人ではなく過去の人間ということになる……別のアプリをインストールした方がいいのかな?」

 

 2人が困惑しているとマーティが会話に割り込んできた。

 

《2人が混乱してしまっています、博士。それではわからないと思います。えー、私達の時間とあなた達の時間は違う可能性があります。私達は別の世界に来た可能性があります》

 

「別の世界?どういう意味です?」

 

《ここは私達の世界の並行世界かもしれないです。今はまだわかりませんが》

 

《空飛ぶ車はこの時代にありますか?そのスマートフォンは2015年には存在しましたか?》

 

 博士から投げかけられた質問にプロデューサーが答える。

 

「空飛ぶ車って、そんなのあるわけないじゃありませんか。スマホは……確かに2015年には普及してましたけど」

 

《私達の2015年には空飛ぶ車がたくさんありました。デロリアンも飛ぶ機能があります。今は壊れています。しかしスマートフォンは存在していません。だから歴史が違う世界の可能性があります》

 

「は、はあ……」

 

《信じられないならばコレを見て下さい》

 

 マーティがデロリアンのボンネットのトランクを開け、中からカラフルな色の板のような物を取り出した。

 

「スケボー?……でも車輪が付いてないな」

 

 プロデューサーらに車輪の無いスケートボードをを差し出して見せたマーティは、地面へとそれを投げ出した。

 

 投げ出されたスケボーは地面に落ちる寸前にフワリと浮き上がり、その場に静止した。

 

 プロデューサーと咲耶は目を丸くする。

 

 マーティが得意げに笑い、その板の上に足を乗せて地面を蹴り出した。

 

 勢いを受けて低空飛行するそれ、ホバーボード。マーティはそれに乗ってデロリアンとプロデューサーらの周りを軽く一周。

 

 最後に空中をサマーソルトの要領で一回転。華麗なトリックを決めて着地。

 

 そしてホバーボードを軽く蹴り上げてその手に収めたのだった。

 

 プロデューサーと咲耶は呆然とした様子でマーティの姿を見つめていた。

 

《コレが私達のいた2015年の技術です》

 

 大仰に両手を広げてみせる博士。

 

「……プロデューサー、彼らは本当のことを言っていると私は思うのだけれど」

 

「そう、だな。正直まだ理解しきれていない部分が大半だけど……わかりました。色々と説明して下さってありがとうございました」

 

 プロデューサーは博士とマーティに向けて軽く頭を下げる。

 

《理解してもらってありがとうございます。一つお願いがあります。私達は元の時代に戻る方法を調査をする必要があります。問題が無ければあなた方に案内をして欲しいです。大丈夫ですか?》

 

「えっと、そのデロリアンで何とかならないのですか?」

 

《このような出来事は初めてです。私たちは特別な方法で来たと思います。今はそれが何かわかりません》

 

「とのことだけど……どうする、プロデューサー?」

 

「そうだな。彼らのタイムマシンのおかげで俺達はあいつらから逃げられた。恩を返す為にも協力してあげよう。咲耶もそれでいいか?」

 

「もちろんさ。仮にあなたが断っていたなら私は多いに失望していたさ。まあ、そんな可能性は無いとは思っていたけれど」

 

「ははっ、咲耶に失望されない答えが言えて良かったよ」

 

 軽く笑い合ったプロデューサーはブラウン博士へと了承の返事をして、彼らを伴って自分の車へと向かっていった。

 

 

 

「やられたな……」

 

 プロデューサーが車へと戻ってみると、先程買ったはずの荷物が綺麗サッパリと無くなっていた。

 

「これは……あの男達の仕業だろうか」

 

「かもな。仕方ないもう一度買い直しだ……と、その前に。はづきさんに電話しておくよ。もう少し遅れるってさ」

 

 プロデューサーは先程のようにはづきのスマホに電話をかける。

 

「…………出ないな」

 

 しかしながらコール音は鳴りっぱなしのまま、いつまで経っても彼女が電話に出る気配は無い。

 

 仕方無しに今度は事務所の電話にかけてみるが

 

《おかけになられた電話番号は現在使用されておりません。もう一度番号をお確かめの上―――》

 

 電子音声が流れるのみで繋がる気配は無かった。

 

(あれ?)

 

「どうかしたのかいプロデューサー?」

 

「あ、いや、電話に出られないみたいだ。後でもう一度掛け直すよ」

 

 プロデューサーは博士とマーティへ事情を説明してホームセンターへと再び向かい、手早く買い物を済ますとデロリアンを後ろに伴いながら事務所へ向けて走り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後3時30分

 

 

 プロデューサーと咲耶の乗る車の後を追ってドクが車を運転する。

 

 助手席のマーティがホッとした様子で語り掛けてきた。

 

「どうにか状況は前に進んだね」

 

「そうだな。だが解明しなきゃならん問題は山積みだ。この世界がマーティのオヤジさんの小説で言うところの並行世界だという可能性は極めて高いと思われるが、歴史が歪められ変わってしまったという可能性も完全には捨てきれん。全ては未だ仮説に過ぎんのだからな」

 

「僕らの歴史が変えられたのなら、前にビフからスポーツ年鑑を取り返した時みたいに原因を潰せばいいけど、ここが並行世界だったらどうやって元の世界に帰ればいいのさ?」

 

「残念ながらワシにもサッパリ見当がつかん。入念に調査、考察を行う必要があるだろう。事と次第によっては年単位でここに滞在する必要が出てくるかもしれんな」

 

「年単位!?」

 

「数年で分かればまだいい方だろう。それにここはアメリカではなくニッポンだ。我々はパスポートやビザなど持ってきてないからな。場合によっては不法滞在者として身柄を拘束される可能性がある」

 

「そいつはヘヴィだ」

 

「だが我々は幸運にもユーイチとサクヤ、2人の理解あるニッポン人と知り合う事ができた。彼らに協力して貰えるのは大きな利点だ」

 

「何だか弱みに付け込んだというか、体よく使ってるみたいで気が引けるけど、他に頼れる人はいないし仕方ないか。デロリアンでタイムトラベルをして何事もなく戻って来れたなんてあの2人本当にツイてるね。下手すりゃ僕みたいに過去でトラブって帰れなくなってたかもしれないのにさ」

 

「その点は2人の幸運に感謝だな。彼らが時の迷子になってれば我々だって同じ道を辿っていたのだからな」

 

 プロデューサーの車の後を追い、デロリアンを走らせること数十分、マーティらは見覚えのある道を走っている事に気がついた。

 

「ここって僕らがタイムトラベルして初めに着いた場所の近くじゃないか?」

 

「そうだな。彼らは事務所とやらに向かっているという話だったが、まさかこの近辺だったとはな」

 

「それにしてもさっきから同じところをグルグル回ってるみたいだけど、道にでも迷ったのかな?」

 

「確かにだだっ広い空き地だらけで似たような光景の場所だが、仮にも自分の職場に行くのにこんなに手間取るのか?」

 

「意外と方向音痴だったりしてね。と、そうだ。ドク、水飲むかい?」

 

「ん、そういえば喉が乾いたな。いただこう」

 

 マーティはドクにペットボトルのミネラルウォーターを手渡そうとして手を出して伸ばす。

 

 その時、何かを踏んだのか車体が一瞬ガクンと揺れ動いた。

 

「おっとと」

 

 バランスを崩したマーティの腕がタイムサーキットの起動レバーに触れ、短い電子音と共に装置が起動した。

 

「大丈夫かマーティ?」

 

「ああ、平気さ。それより水、受け取って」

 

「うむ。……クリスタルガイザーか。日本でカリフォルニアの水を飲むことになるとはな」

 

「ユーイチが僕らのお腹に合うようにって、わざわざ買ってきてくれたのはありがたいね。けど西部開拓時代の川の水に比べたらどんな水でもお腹には優しいと思うよ」

 

「かもしれんな。んっ…………うむっ!美味い!…………何だこれは!?」

 

「どうしたのさドク?」

 

「マーティ!見てみろ!」

 

 ドクが指差したのはスピードメーターを始めとした計器類。そしてタイムサーキットのデジタル表示だ。

 

 計器類は時折反対方向に小さくその針を左右へと揺り動かし、年月日などの表示は明滅を繰り返し、表示された数字もデタラメな羅列となっていく。

 

 その乱れは徐々に大きくなっているように思われた。

 

「これって……2015年からタイムトラベルする瞬間にもこんな事があった!」

 

「一体何なのだこの現象は……長い事タイムマシンの開発、運用を行ってはいるが、このような現象に遭遇したのは初めてだ」

 

「……でもあのタイムトラベルの瞬間はもっと針がメチャクチャに動いてたし、タイムサーキットの数字も目まぐるしく変わっていた気がする」

 

 2人が謎の現象に気を取られていると、前を行くプロデューサーの車が停車した。

 

 ドクもブレーキをかけ車をその場に停止させる。

 

 外へと目を向けると、咲耶とプロデューサーが車から降りていくのが見えた。

 

「着いたのかな?」

 

「だがここはただの空き地だぞ。事務所どころか一軒の家すらありはせんぞ?」

 

 訝しむマーティとドク。

 

 

 

 計器類は先程よりもその乱れを強くしていた。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後3時30分

 

 

「ふう、やっと事務所に戻れる。小一時間程度で済むはずの買い物にこれだけ時間がかかっちゃうとはな」

 

「そうだね。なかなかにスリリングな体験をしたんだ、流石の私もヘトヘトだ」

 

「何にせよ2人とも無事に帰れて良かった良かった。……あ、咲耶飲み物取ってくれるか?」

 

「麦茶でいいかい?」

 

「ああ」

 

 咲耶は袋から取り出したペットボトルのキャップを軽く回してプロデューサーへと手渡す。

 

 ハンドルから片手を離してそれを受けったプロデューサーは、中身を一気に半分ほど飲み干して大きく息を吐いた。

 

「ぷはぁ。やっぱりこの季節は麦茶が美味い」

 

「ふふっ。いい飲みっぷりだね。惚れ惚れするよ」

 

「女子高生が、アイドルが飲み屋の客みたいな事をいうもんじゃないぞ」

 

「おや、お気に召さなかったかな。次はアナタを満足させられる言い回しを出来るように努めよう」

 

「まったく……ああそうだ、いま手が離せないから咲耶がはづきさんに連絡してみてくれるか?」

 

「わかったよ……そういえばさっきかかってきた電話は何だったんだい?」

 

「間違い電話だよ。取引先が、契約がどうとか言ってたけど、何の話かサッパリだった」

 

「なるほどね……と」

 

 咲耶は自分のスマホではづきの電話番号を呼び出しコールした。

 

「………………出ないね」

 

「そうか。一体どうしたんだろうな」

 

 電話を切ると咲耶は事務所のグループメッセージを呼び出した。

 

【もうすぐ事務所に着くよ。そっちの状況はどうかな?】

 

 新たなメッセージを送信。

 

 暫く待つが返信は一切返って来なかった。

 

 併せて今までに送られてきたメッセージを確認する。

 

 ホームセンターに着いた頃は5分〜10分おきには何らかのメッセージが送られてきていたが、それも14時を過ぎたあたりを境に流れが止まっていた。

 

「ダメだ。メッセージにも反応は無いよ」

 

「そうか。みんなで何か作業でもしてるのかな」

 

「かもしれないね。ところで、マーティとブラウン博士のことはどうするつもりだい?」

 

「そうだなあ……とりあえず事務所に寄って休んでもらおう。みんなには暴漢から助けてくれたお礼にお茶を御馳走するって説明でもするか」

 

「当たらずとも遠からず。嘘では無いし、余計な事実も伝えない。それがベストだろうね。その後はどうするんだい?」

 

「俺の家に来てもらうしかないかなー。一人暮らしのマンション住まいだから大分手狭になるけど、この際我慢してもらうしかないさ」

 

 プロデューサーが事務所の並ぶ通りへと続く道を曲がる。

 

 ここから少し走れば事務所の外観が目に入ってくる。そのはずなのだが、前方には空き地や工事用車両の停めてある土地、土台組み用の基材などが並ぶ土地が広がるのみであった。

 

「…….あれ?曲がるとこ間違えたかな?」

 

 プロデューサーが暫く進んで次の角を曲がり、元来た道へと回り込んでゆく。

 

 目印となる工事情報の記された真新しい看板、カーブミラーなどを注意深く確認して再度角を曲がる。

 

 たどり着いたのは先程と同じ通り。

 

 プロデューサーは更に車を走らせて今度は違う方向から入り込んでみる。

 

「………………そんな、馬鹿な」

 

 車を止めて呟くプロデューサー。その声は僅かながらに震えを帯びていた。

 

「………………」

 

 プロデューサーと同じように信じがたい事実に気が付いた咲耶は、困惑した表情で沈黙していた。

 

 2人は黙したまま車を降り、283プロの新事務所が建っている筈の土地の前に立った。

 

 土地の真ん中に建てられている【売地】と書かれた看板が、再び曇りだした空の彼方で光る稲光に照らされた。

 

 

 

 

 デロリアンの計器類は、その瞬間左右に大きく振れたのだった。

 

 

 




おまけとしてプロデューサーらがデロリアンでタイムトラベルした痕跡を探るドクとマーティの会話シーンを公開します。
視点移動が慌ただしくなり読みにくくなると判断し本筋からはカットしたシーンです。



「……見ろ、マーティ!タイムサーキットの表示が変わっておる!」
「1999年7月1日!あの2人タイムスリップして来ちゃったわけ!?」
「しかも一度過去に戻って自力で帰って来ておる!信じられん!」
「よく使い方が分かったね。しかもちゃんとこの時刻に戻ってくるなんて」
「余程運が良いのか、察しがいいのか……もしや何者かからデロリアンの扱いの教授を受け盗むように命令され……いやいや、それでは辻褄が合わん。わざわざデロリアンを返しに戻ってくる理由が無い」
「それよりどうするのさドク。タイムマシンの秘密を知られたって事は眠らせて夢だったって誤魔化すの?ジェニファーにやったみたいに」
「いや、流石にそれは無理だろう。2人同時に眠らすのは不可能であるし、2人が同じ夢を見たというのも不自然だ」
「じゃあどうするの?」
「素直に事情を説明して秘密にしておくように口止めするしかないな。彼らの善性に頼む他無いが……」
「見たところ悪い人達じゃないようだし、嘘を言っている風にも感じないから、それがいいのかもね」
「だがその前に軽く話を聞こう。その上で最終的な判断を下すとしよう」



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第三話

 

 2020年6月26日 午後4時20分

 

 

 雷と共に降り出したにわか雨は数十分で止み、それから暫しの時が経ち、西の空が赤みを帯び始めてきた。

 

 そして今、2台の車はプロデューサーの自宅へと向かっている。

 

「…………本当にこの辺に俺の家があるっていうのか?」

 

「それなりに名のある住宅地だよね。この近辺は土地代や家賃がかなり高いと聞いたことがあるのだけれど」

 

「つくづく信じられないな。何もかも……」

 

 

 遡ること1時間と数十分……

 

 

 283プロの新事務所が消失していたのを目の当たりにして呆然としていたプロデューサーと咲耶。そこへマーティとドクがやってきて事情を確認した。

 

 話をひと通り聞いた2人は何やら慌しげに話し合った後に「ゆっくり落ち着いて話せる所へと移動しよう」と持ちかけてきた。

 

 そこでまずは近くにある283プロの寮へと向かった。

 

 だが、その寮もまた存在しなかった。

 

 寮があった筈の土地には老人用のデイサービスセンターが建っていたのであった。

 

 次に向かったのは旧283プロ事務所の入っていた建物だ。

 

 たどり着いてみれば、そこはテナント募集中の空き物件となっていた。

 

 一階のペットショップで聞き込みをしてみると、上の階に直前まで入っていたのは雑貨屋であり、それも一ヶ月ほど前に閉店してしまったとのことだった。

 

 また、それ以前に芸能事務所が入っていたことはないか、と尋ねてみるも店員は不思議そうに首を傾げるばかりであった。

 

 それならばと最後に向かったのは、プロデューサーの住んでいるマンションだ。

 

 しかしながら、そこもまた彼の住処ではなくなっていた。

 

 途方に暮れたプロデューサーは、手掛かりを求め手持ちの道具、車の中などを片っ端から調べた。

 

 するとカーナビに見慣らぬ住所が登録されていたのを発見した。その登録名称は自宅。

 

 藁にもすがる思いで一向は、その情報が示す場所へと向かうこととしたのだった。

 

 

 

「えっと……マジでコレが俺の家?」

 

「凄いね。立派な家じゃないか」

 

 プロデューサーが車から降りて周囲を見渡す。

 

 目の前に建っているのは、新築と思わしき二階建ての庭付きの一軒家であった。

 

 人気の住宅地に建っているということに加えて、周囲の家と比較して1ランクは上のデザイン、造りをしている様に見えた。物件価値は相当のものであると推測された。

 

 プロデューサーは門の脇へと目を向ける。はめ込まれた表札には會川と刻まれていた。

 

 ゆっくりと門を開き、玄関へと向かって歩くこと数歩

 

「あら!悠一さん!?」

 

 そこで突然プロデューサーは声をかけられた。

 

「えっ?」

 

 声のした方に目を向けると、庭に立つ1人の女性の姿があった。

 

 年齢はプロデューサーと同じく20代半ば程度と思われ、背丈はプロデューサーより頭一つ分は低く、髪の毛は肩に僅かにかかる程度の長さ、顔立ちはそれなりに整っており、美人と言える部類の容姿であった。

 

 女性は笑みを浮かべながらプロデューサーの元へ駆け寄り、彼へと抱きついてきた。

 

「えっ!?あのっ、どちら様――」

 

「いつの間に帰って来たの?海外出張で帰りは週明けになるって聞いてたのに。もしかして予定が早まったのかしら?それならメッセージのひとつでもよこして欲しかったわ」

 

「は、はあ……」

 

「でも予定より早く会えたんですもの、細かい事を気にするのも野暮ね。それよりも、ねえ見て悠一さん。大雨が降って心配だったから、先週植えたお花を見に来たの。でも全部大丈夫だったわ。あなたの言う通り、みんな見かけによらず強くて丈夫なお花なのね」

 

「そう、なんですか……?」

 

「2人で本格的に暮らし始めるのは来月に式を上げてからでしょ?だからお庭の手入れはその後で良いと思ってたんだけど、あなたの言う通り早くに済ませておいて問題無かったわね」

 

「えっと……式って……何の?」

 

「何のって……私達の結婚式でしょ?」

 

「結婚式!?」

 

 思いもよらない女性の一言に、プロデューサーは目を大きく見開いた。

 

「ど、どうしたの悠一さん、今日のあなた何か変よ?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべた女性が、プロデューサーの頬に手を当てる。その時

 

「プロデューサー、何かあったのかい?」

 

 門の外から声がした。その方へとプロデューサーと女性が目を向ける。

 

 すると咲耶がプロデューサーの車から降りて近付いてくるのが二人の目に映ったのだった。

 

 その姿を目にした女性の表情が一瞬にして硬直した。

 

 そして、古めかしい人形がギギギと鈍い音を立てて首を回すかの様な動きで、女性はプロデューサーの顔を見上げた。

 

「…………悠一さん……あの子、誰なの?」

 

「いや、えっと。彼女は白瀬咲耶と言って、俺のプロデュースするアイドルで――」

 

「アイドル!?プロデュース!?何を言ってるの!?そんな訳の分からないことを言ってないで、本当のことを話しなさいよ!」

 

 女性は怒りに顔を歪ませて、プロデューサーの襟筋をグッと掴んで詰め寄ってくる。

 

「本当の事だって、咲耶は――」

 

「ど、どうしたんだい2人共!?」

 

 ただならぬ様子に咲耶は面食らいつつも、間に割って入って2人を引き剥がそうとする。

 

 興奮状態の女性は咲耶をキッと睨みつけ、敵意に満ちた声色で問いただす。

 

「あなた!悠一さんとはどういう関係なの!?」

 

「どういう関係?うーん、一口で言い表すのは難しいかな。言うなれば……固い絆で結ばれたパートナー、私にとって無くてはならない人で、新たな世界へと私を誘ってくれる案内人とも言えるだろうか」

 

 いつもの調子で詩的な例えを交えて語る咲耶であったが、頭に血が上った女性には、当然咲耶の意図した文脈で言葉が理解されるはずがなかった。

 

 俯いてワナワナと身を震わせた女性はプロデューサーの方へと向き直り

 

「この浮気者!!」

 

 パァン!と盛大な音を立ててプロデューサーの頬を引っ叩いた。

 

「痛っ!…………えっ?」

 

「婚約者の私に嘘の日程を伝えて、誰も来ない間に家の中にこの子を連れ込もうとしてたのね!信じられない!しかもこの子、女子高生じゃない!浮気した上に未成年にまで手を出すだなんて!見損なったわ!」

 

 女性はプロデューサーの頬へ更に一発をお見舞いし、ポケットから取り出した物を彼の顔面へと力の限り投げつけた。

 

「ぐわっ!…………痛たたた…………」

 

「そんなに若い子が良いのなら好きにしなさいよ!もうあなたの顔なんて二度と見たくないわ!」

 

 女性は吐き捨てるように声を上げると、踵を返してその場を走り去っていったのだった。

 

 プロデューサーと咲耶は呆然とその場に立ち尽くしていた。

 

 そこへデロリアンの中から様子を伺っていたマーティとドクがやってきて声をかけてくる。

 

 2人はそこでようやく我に帰った。

 

「あ……プロデューサー、恋人がいたのだね。しかも婚約まで……私が余計な事を言ってしまったせいで大変な事に」

 

「いやいや!違うよ!全然知らない女の人だ!」

 

「そうなのかい?」

 

「ああ。本当だ…………にしても、一体何だったんだ?」

 

 と、プロデューサーが足下を見ると、そこには指輪を入れる箱と、鍵が転がっていた。

 

 それらを拾い上げて、ものは試しとばかりに玄関のドアに鍵を差し込んでみると、ガチャリと音を立てて鍵が開いた。

 

「……とにかく中に入ろう。ここ、俺の家で間違いないみたいだからさ」

 

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日 午後5時03分

 

 

「プロデューサー、タオルと保冷剤だ」

 

「ありがとう咲耶。……ったたた」

 

 冷たいタオルが当てられたプロデューサーの頬は真っ赤に腫れていた。

 

 女性のビンタは会心の一撃級で、あの小さな体のどこからあれほどの力が出たのかと思う位に強烈であった。怒れる女の力は恐ろしかった。

 

 家へと入ったプロデューサーらは1階のリビングにひとまず集まった。

 

 その広さは消失した283プロ新事務所のリビングにも負けず劣らずで、立派なテーブルとソファーが備え付けられ、テレビ台には大型の液晶テレビも置かれていた。

 

 その他の家具やインテリアは必要最低限と思われる程度に置かれており、空いたスペースには所々に短く切られたビニールテープが張られていた。それは今後運び込まれる新たな家具の置き場なのだろう。

 

 と、2人の正面のソファーに座るドクが軽く咳ばらいをする。

 

 その隣に座るマーティが身振り手振りを交えつつ何やら話しかけてきた。

 

「おっと、そろそろ話を始めなきゃ」

 

「それじゃあさっきと同じように」

 

 咲耶が翻訳アプリを起動してドクの方へとスマホを差し出した。

 

 ドクは咲耶に向けて軽く頭を下げてから、スマホに向けて語り出した。

 

《話をする前に聞かせて下さい。さっきの女性は誰ですか?トラブルになっていたみたいですが》

 

「やっぱそれ聞いてくるか……知らない人ですよ。多分僕の婚約者……なんだと思うんですけど」

 

 プロデューサーがチラリと戸棚の上に置かれた写真を見る。

 

 そこにはプロデューサーとさっきの女性が、仲睦まじげに海の見える丘で寄り添いながら微笑んでいる姿が写っていた。

 

《なるほど。知らない女性。しかし婚約していたようだった。これで事態は更にハッキリわかったと思います》

 

「え~っと、一体どういう事ですか?」

 

《ユウイチ、サクヤ。あなた達が歴史を変えてしまったと私は考えます》

 

「歴史を」

 

「変えた?」

 

 2人はドクの言う事を即座に理解できなかった。

 

《1999年にあなた達がタイムトラベルをした時に何かをしたのです。それが影響をして歴史が変わりました。そして283プロダクションが無くなりました。ユウイチの家も元の時代と違っています。他にも変化があったはずです。これらが証拠です》

 

「何かをしたって……俺達が一体何を?」

 

 と、今度はマーティが語り掛けてきた。

 

《ユウイチ、思い出して下さい。例えば誰かに会ったり、車に轢かれそうな人を助けて自分が代わりに惹かれたり…………これは私の話でした。混乱させたかもしれません。ごめんなさい。しかし、何でもいいので出来事を言って下さい》

 

「そんな事言われても……う~ん、誰かに会った……車に轢かれそうに…………あっ」

 

 プロデューサーの脳裏に一つの出来事が思い出された。

 

 白バイに追いかけられたり、タイムトラベルをしたり、ドクとマーティの素性を聞かされたりとインパクトの強い出来事の影に隠れてしまっていたことを。

 

「え~っとですね、コンビニから高速道路へ向かう途中に事故を起こしそうになったんです。高校生の女の子を危うく轢きそうになりました」

 

《轢きそうになった?事故は起きなかったのですか?》

 

「はい、ブラウン博士。ギリギリのところで車を止められたので怪我一つ負わせないで済みました」

 

《そうですか。それだけでは分かりません。他には何かありましたか?》

 

「う~ん……咲耶は何か思い当たるか?」

 

「そうだね……料金所、コンビニ。その他に人とのやり取りがあった時は思い当たらないね。藍音さんとの出会いだってほんの一瞬だったんだしね」

 

「藍音……?」

 

「プロデューサーが跳ねそうになった彼女だよ。っと、そういえばキチンと言ってなかったね。拾った学生証の名前を見たんだ。米村藍音と書かれていたんだよ」

 

「米村……藍音?」

 

 プロデューサーは首を傾げる。つい最近似たような名前をどこかで聞いたような気がする、頭の中に何かが引っかかる。記憶が徐々に思い起こさていく。そして浮かんできたのは、とある女性の姿だった。

 

「あっ!そうか!彼女があの藍音さんだったのか!」

 

 そうして連鎖的にプロデューサーはある事を思い出す。

 

(そういえば、あの直後に俺らを追い抜いていったスポーツカー、確か社長が乗ってる車の数世代前の車種だったような……)

 

「…………あ」

 

 プロデューサーの背筋に悪寒が走る。

 

 全ての出来事が彼の頭の中でパズルのピースのように合致した。

 

「プロデューサー、何か分かったのかい?」

 

「あ、ああ。多分なんだけれど……」

 

 

 

 プロデューサーが先日聞いた社長の過去の話を説明し終えた瞬間、ドクが目を大きく見開いて叫びを上げた。

 

《きっとそれが原因です!間違いないです》

 

 そして隣に座るマーティは何やらボソリと呟いて苦々しい表情を浮かべていた。

 

《大変な事になりました!》

 

 そう叫ぶとドクはマーティと2人で何やら話を始めた。

 

 と、咲耶がプロデューサーの方へ顔を向ける。

 

「社長と藍音さんの間にそんな事があったなんて、初めて耳にしたよ」

 

「そういえば咲耶たちには話してなかったな」

 

「あの日に藍音さんが来た時はみんな気にしていたのだけれど、間もなく深沼親子がやってきたからね。あの騒動のおかげですっかり聞きそびれてしまっていたよ」

 

「それにしても、俺達が偶然通りかかったあそこが社長と藍音さんの出会いの場所だったなんて……」

 

「ほんの僅かでもタイミングが違っていればこんな事態にはならなかっただろうに……あの時私が無理にコンビニを出ようとしなければ、運命は違っていたかもしれない」

 

 咲耶が力なく肩を落として顔を俯かせる。

 

「それを言うなら、俺だって店員と変な問答をしないでさっさと会計を済ませてればよかったし、駐車場をもっと早く、あるいは遅く出てればよかったのかもしれない。たらればを言い出せばキリがないんだ。だから咲耶が気に病む必要なんてないんだよ」

 

「プロデューサー……」

 

「大事なのは“これからどうするか”だよ」

 

「そうだね。……あなたの言う通りだ」

 

 咲耶の顔がほのかに明るくなった。

 

 すると2人での話し合いが済んだのか、ドクが再び話しかけてきた。

 

《このような事態を招いた責任は私達にあります。放っておけないです。時間を正しく戻しましょう》

 

「ありがとうございます、ブラウン博士!でも一体どうすれば……」

 

「思ったのだけれど、あのタイムマシン、デロリアンと言うのだったかな?それを使ってあの時間に戻って、私達が社長と藍音さんの出会いを妨害してしまうのを阻止すればいいんじゃないだろうか?」

 

《それはダメですサクヤ!》

 

「え、何故?」

 

《そうするとタイムパラドックスが起きてしまいます。彼らの出会いを妨害したという事実が無くなれば、この瞬間が無かったことになります。更にあなた達がデロリアンで戻ってくるタイミングや、他の細かい出来事にも影響が出ます。矛盾が積み重なって時間の連続性が壊れます。宇宙が崩壊する可能性があります。最悪の場合》

 

「そ、そんな大事に発展するんですか!?」

 

 プロデューサーが目を大きく見開く。

 

「確かに、言われてみればその通りかもしれないね。だとすればどうやって解決すればいいのだろう」

 

《方法はあります。あなた達が2人の出会いを妨害した後にタイムトラベルして、再びあの2人を引き合わせます。それで解決します》

 

「なるほど!……だけどあの事故がきっかけになって藍音さんと社長はライブに行ったんだよな。それが無かった事になってしまってるのに上手くいくのか?」

 

《それは計画を十分に考える必要があります。実行するのはその後になります》

 

「だとしても、そんなに上手くいくのだろうか」

 

 咲耶が不安げに声を漏らす。

 

 するとマーティが話に入ってくる。

 

《以前にも似たような出来事がありました。話すと長くなります。だから詳しく話しませんが、その時は作戦成功しました。私達に任せて下さい》

 

「そうなのかい?……ありがとう。頼りにさせてもらうよマーティ」

 

 そうして咲耶が笑いかけると、マーティも肩をすくめて軽く笑みを返したのだった。

 

「でも良いんですか?あなた達だって自分達のいた所へ帰る方法を探さないといけないんじゃ?」

 

《それはあなた達の問題を解決させながら併せて探してゆきます。心配いりません》

 

「そうですか。重ね重ね、本当にありがとうございますブラウン博士」

 

 プロデューサーはドクへ向かって手を差し出した。

 

 ドクは目を大きく開いてニッコリと笑いながらその手を握り返した。

 

《こちらこそ。色々と協力を頼むと思います。よろしくお願いします。では明日になったらすぐに図書館などに行って1999年に関係する情報などを集めましょう》

 

「明日、図書館で?わざわざそんなことしなくても、パソコンとネットを使えば今すぐにでも調べられますよ」

 

《ネット、とは何ですか?魚を捕まえる網ですか?》

 

「えーっと……説明するよりもやってみせた方が早いか。多分この家にも俺のパソコンはあるだろうし。博士、俺の部屋に行きましょう。そこでお教えします」

 

《よろしくお願いします》

 

「咲耶、俺は博士と調べ物をするから夕食の用意を頼めるか?」

 

「わかったよ。良ければ私が何か作るけれど」

 

「いや、今日は咲耶も疲れただろう?だから少しでも楽をして体を休めておこう。明日からは忙しくなるだろうし。今夜は出前か何かが良いと思う」

 

「出前か……ならピザとかはどうだろう?それならアメリカ人の博士とマーティの口にも合うだろうし」

 

「いいなピザ!折角だ、フライドチキンやポテトも頼んで豪勢にやろう!」

 

「了解。では私が電話しておくよ」

 

「ああ、よろしくな」

 

 そうしてプロデューサーはドクと共に部屋を出て行った。

 

 咲耶はそれを見送った後で、ソファーに座っているマーティに声をかける。

 

「マーティ、夕食にはピザを注文するのだけれど、何かリクエストはあるかい?」

 

 マーティは僅かに考えるような素振りをした。

 

《ピザは何でもいいです。可能ならペプシが飲みたいです。ニッポンにはありますか?》

 

「ペプシ?それなら確か、さっき冷蔵庫で見たな。今取ってくるよ」

 

 咲耶はキッチンへ向かい冷蔵庫からペプシコーラの500mlペットボトルを取り出して、マーティへと手渡した。

 

 マーティは受けとったペットボトルを物珍し気に少々眺めていたが、程なくして封を開けて口をつけだした。

 

 その様を見届けると、咲耶はピザ屋へと電話する為に、ちょうどテーブルの片隅に新聞紙と共に置かれていたピザ屋のチラシを手にして彼の元から離れていった。

 

 

 

 

 

 ペプシを数口飲んだマーティは、ふと咲耶の方へと目を向ける。

 

 咲耶はスマートフォンを手にして電話をかけようとしていた。

 

 その時。ほんの一瞬、画面に目を落とした咲耶の表情が憂いを帯びたように見えた。

 

 何事かと思い声をかけようとしたマーティだったが、すぐに彼女が普段と変わりない表情で電話を始めたのを見て思いとどまった。

 

 そして再びペプシの入ったボトルへと口を付け始めた。

 

 日本のペプシコーラは思いのほか彼の口に合う味であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ステージの上からは、無数のサイリウムの光がリズムに合わせて時に激しく、時に緩やかに動く光景が見えていた。

 

 手にしたマイクを通じて会場に流れてゆく歌声。

 

 自分の声に続いて仲間の歌声が響き渡る。1人、また1人と歌詞を紡ぎ、やがて5人の声が重なり広がって大きなひとつの世界を構築してゆく。

 

 腕のひと振り、一歩のステップ、一瞬の目配り。刹那を過ぎる全てが積み重なり、世界はその大きさを輝きを増してゆく。

 

 同じ舞台に立つ5人の仲間、舞台の前から声援を送る観客、そして遠くから見守る導き手の男。

 

 立場や見ている光景は違えど、彼女は今、その全てとひとつになっている。身体と心がそう強く感じていた。

 

 ステージは最高潮を迎えようとしていた。

 

 彼女は大きく息を吸い込んで、次の瞬間へと繋ぐべく歌声を響かせる。

 

 

 その瞬間、彼女の眼前で煌めいていた無数の光が消え去った。

 

 広がるのは誰1人として存在しない観客席。

 

 発せられた歌声は、虚空に吸い込まれるように小さくなって消えてゆく。

 

 突然のことに唖然とした彼女は後ろへと振り返り、同じ舞台に立つ仲間へと声をかける。

 

 だがそこには、さっきまで共に歌を紡いでいた仲間の姿は存在していなかった。

 

 名前を呼ぶ。1つ、2つ、3つ、4つと。

 

 しかし誰も彼女の呼び声に答えない。

 

 声を大きく張り上げて、再び仲間に呼びかける。

 

 次の瞬間、凄まじい爆音が轟き、眼前が白く染まった。

 

 思わず彼女は目を閉じる。

 

 数秒の後に再び目を開いた時、そこにあったのは【売地】と書かれた看板の立つ空地。

 

 激しい雨が彼女の身体を打ちつけ出した。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午前4時52分

 

 

 咲耶が目を開くと、朝日を受けて僅かに白み出したカーテンが目に入った。

 

 微かに湿り気を帯びた枕から頭を起こし、傍にあるスマートフォンを手に取った。

 

 示されていた時刻はアラームを設定した時刻よりもはるかに早かった。

 

 咲耶はメッセージアプリを起動させる。

 

 表示されるグループメッセージは昨日彼女が送信して以来何の変化も無い。

 

 咲耶は新たなメッセージを作成し、送信のアイコンへと指を近づける。

 

 指は画面に触れる僅か数ミリのところで留まり続けた。

 

 1分が経過した。

 

 咲耶はメッセージを送信せずに消去すると寝床から立ち上がり、そのまま無言で部屋を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午前7時24分

 

 

「ふぁー……おはよう」

 

 あくびをし、Tシャツ越しにお腹をかきながら、マーティがリビングへと足を踏み入れる。

 

 すると香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってきた。それに反応してか、彼のお腹が軽く音を立てる。

 

 マーティがリビングの奥と繋がるキッチンを覗き込むと、コンロの前にエプロンを付けた咲耶が立っていた。

 

 パチパチと軽く油の跳ねる音がする。

 

 咲耶がフライパンの蓋を開けると、湯気と共に香りが立ち込めた。

 

 程よく焼けた薄切りのベーコンを、大皿へとフライ返しを使って盛り付けてゆく。

 

 と、マーティの姿に気が付いた咲耶が何やら声をかけてきた。

 

 日本語での言葉に続けて、マーティからすれば日本訛りが感じられるような英語で「Good morning」と告げてきたのでマーティも同じように挨拶を返した。

 

 続けて咲耶はジェスチャーを交えて何かを言ってきた。

 

 テーブルに着いて待ってて欲しい、と言っているように思われたので、マーティはリビングのキッチンに程近い位置にある席に腰をかけ、料理の出来上がりまで待つこととした。

 

 テーブルの上に置いてあったリモコンでテレビのスイッチを入れる。

 

 すると朝のニュース番組らしき映像が流れ出した。

 

「この時代のテレビって凄く薄いんだよな。けれども画面はバカでかいし、映像はメチャクチャ綺麗だ。凄いな」

 

 呟くマーティが眺める画面には芸能ニュースが流れていた。

 

 日本のミュージシャンの映像に続いて海外のミュージシャンの映像が流れだす。

 

 それはどこかのライブ会場で、老齢の男達がギターやドラムを演奏して軽快なロックサウンドを響かせている映像だった。

 

「ローリングストーンズってまだ現役で活動してるの!?」

 

 それが見知ったバンドだと気付いたマーティが大きく目を見開いた。

 

「おはようマーティ!」

 

 そんな時、溌剌とした声を上げながらドクがリビングへとやってきた。

 

 後ろからは眠そうに目を擦りながらプロデューサーが続いてくる。

 

「おはようドク、ユーイチ。何だか雰囲気が対照的だな。朝からやけにハイになってるけど、一体どうしたのさドク」

 

 するとドクは両手を大きく横に広げて、興奮冷めやらぬ様子で熱弁をふるい始めた。

 

「この世界の情報通信技術の発展ぶりは素晴らしい!おかげで調べたいと思っていた事の大半が一晩にして片付いた!」

 

「一晩で!?図書館にも新聞社にも行かずに!?」

 

 マーティが思わず席を立ち上がり、ドクの元へと歩み寄ってゆく。

 

「ふふふ、そんな所へなぞ足を運ばなくともコレがあれば様々な情報が集められるのだよ」

 

 得意げに顔をニヤつかせながら、ドクは手にした板のような物をマーティの目の前にかざす。

 

 それは大きなサイズのスマートフォンといったような見た目をしていた。

 

「タブレットPCという代物だ。これ一つあればあらゆる情報が思いのままだ!」

 

 ドクが画面に触れ、指を動かすと画面上に様々な写真や文字が出現した。

 

 だがそれだけに留まらない。ドクが画面に触れたり指で擦ったりすると、板からは音楽が流れ、映像が動き、計算機のような画面が出現し、TVゲームらしきモノが起動した。

 

 それらの事が一瞬にして起こっていったのだった。

 

「こいつは……なんともヘヴィな機械だ」

 

「動作は信じられないくらいに軽いがな。そして触ってみて実感したよ。スマートフォンにボタンがダイヤルが無い理由がな。このタッチパネルという技術のおかげだ。コレがあるおかげでボタンを搭載するスペースを削減し、その分高性能な部品を積み込む事が出来る。実に理にかなった構造をしておる」

 

「なるほどね。こりゃハイになるわけだ」

 

「そして搭載された無線通信機能により、世界中様々なデータベースへと繋ぐ事が出来るのだ。インターネットによってな。おかげで夜中の2時まで夢中になって調べ物を続けてしまったよ。ワシとしては徹夜したいところだったが、何ぶんユーイチが限界になってな。仕方なくそこで切り上げた。彼に聞かねば分からない事がまだまだあるのでな」

 

《ご飯が出来ました。みんなで食べましょう》

 

 そんな時、2人に向けて翻訳アプリの音声が声をかけた。

 

 見るとテーブルにはトーストにサラダ、目玉焼き、大盛りのベーコンなどが並べられていた。

 

 エプロン姿の咲耶がにっこりと微笑んで、優雅な手振りで2人に席に座るように促してきた。

 

「ドク、とりあえず話はこの辺にしてご飯にしよう。冷めたら作ってくれたサクヤに悪い」

 

「そうだな。早々にいただくとしよう」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午前7時55分

 

 

「ふう、ごちそうさま。美味しかったよサクヤ」

 

《どういたしまして。簡単な料理でしたけれど、喜んでもらえて嬉しいです》

 

 マーティは咲耶から差し出されたコーヒーを受け取り口をつける。

 

「さて、腹ごしらえも済んだところで情報の共有といこう」

 

 ドクがいつの間にやら十数枚の紙束を手にしていた。そのうちの一束をプロデューサーへと差し出す。

 

「ではユーイチ、そっちは任せたぞ」

 

 プロデューサーは紙束を受け取って軽く頷くと、咲耶の隣へと座って話を始めた。

 

「マーティ、お前はこっちだ」

 

 ドクに手招きされたマーティは椅子をドクの方へと少し寄せた。

 

「まず結論から言おう。ここはワシらのいた歴史が改変された未来ではなく、十中八九パラレルワールドであると思われる」

 

「やっぱりそうか。でもどうしてそんなに早く結論が出たのさ?」

 

「コレを見てみろ」

 

 ドクが紙束の中の数枚を指差す。そこにはアメリカ西海岸地区の拡大地図が描かれていた。

 

「コレが今年の、次が20年前、更に飛んで40年前、100年前の地図だ。カリフォルニア州を注視してみろ」

 

 言われるがままにマーティが地図に目を向ける。

 

「……ヒルバレーが、無い?」

 

「その通り!ワシはカリフォルニア州の役所のデータベース、合衆国の公的データベースや歴史研究者、その他諸々のデータを片っ端から確認した。だがこの時代においてヒルバレーという地名、都市がアメリカに存在したという痕跡は何も見つからなかった」

 

「名前が変えられたって事は無いの?クレイトン峡谷がイーストウッド峡谷に変わったみたいにさ」

 

「勿論その可能性も探った。衛星写真のデータにも触れて実際の街並みや地形も確認したが、名前が変わっただけでは済まされない程に異なった地形も存在していた」

 

「衛星写真!?そんなのも見れるの!?凄いな2020年」

 

「まったくだ!宇宙から見た映像が拡大して、実際に街に立っているかのように見える映像にまでなる様には度肝を抜かれたよ!……と、話が脱線してしまったな。ともかく、彼らが行ったデロリアンによるタイムトラベルでここまでの大きな変化を起こす事は不可能だ。従ってここはパラレルワールドだとワシは確信するに至った」

 

「じゃあこの世界には僕や僕の家族、ドク、みんな存在しないのかな?ストーンズとかはいるってのに」

 

「SNSというシステムでも試しに調べてみたが、マーティやワシらに縁のある人物の痕跡は見当たらんかったな。大まかな歴史や有名人なんかに関しては、大同小異というやつだな」

 

「なるほどね。ところでSNSって何だい?」

 

「ソーシャルネットワークサービスというモノらしい。簡単に言えば世界中の人間が読めるようにした日記のようなものだ。この時代の人間はこれをやるのが当たり前らしい」

 

「日記を世界中に見せるなんて、随分と物好きなんだね」

 

「世界と時代が違えばここまで価値観が異なるのも当たり前だろうな」

 

 軽く咳払いをしてドクは新たな紙をめくる。

 

「さて、ここがパラレルワールドだとするとだ。我々がどうしてここに来てしまったのか、そしてどうやって帰れば良いのかという問題が立ちはだかる。だが、その問題に関する手掛かりは既に手に入れている。いや、遭遇していると言った方が正しいか」

 

「もしかして昨日の事務所だったはずの空き地でのこと?」

 

「その通り!冴えとるなマーティ」

 

「そりゃどうも」

 

「我々がこの世界に初めて訪れた場所はあそこだ。そして2015年からのタイムトラベル直前及び昨日に空き地を訪れた時の計器類の乱れ。全ては繋がった事象であると思われる。恐らくはワームホールを作り出す何らかの要因、未知の粒子と次元転移装置の干渉による空間歪曲、はたまたカーブラックホール理論とアインシュタイン方程式に基づく――」

 

「ちょっと待ってドク!……その話って長くなりそう?」

 

「おっと、すまん。お前さんに話すには些か専門的過ぎたな」

 

「残念だけどそれが理解できるなら僕はもっといい学校に行ってるさ」

 

「ともあれだ、この現象についての調査とユーイチ達の歴史を元に戻す計画を並行して進めてかにゃならん」

 

「オーケー。ところで1つ気になったんだけど、歴史を変えちゃった影響でユーイチやサクヤの存在が消えちゃったりする心配は無いのかな?パパとママの出会いを邪魔しちゃった僕みたいにさ」

 

「そいつは大丈夫だろう。その出来事に関しては事務所の成立には影響しとるが、彼らの生誕には全く影響しとらんからな」

 

「分かったよ。とりあえず時間はたっぷりあるわけだ」

 

「だがあまりダラダラするわけにもいかん。ひとまず1週間を目処に調査を進め、計画を立て実行に移すこととする。ついては早速だがやってもらいたい事がある」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午前9時40分

 

 

 マーティと咲耶は秋葉原へ向かうこととなった。

 

 目的としては第一にデロリアンの修理パーツの調達だ。

 

 壊れてしまったホバーシステムの部品調達が主たる目的である。しかしながら、ホバーシステムの実用化がなされていないこの時代でそれが手に入る望みは薄い。これに関しては運良く代用部品が手に入ればという程度のものであった。

 

 そして次には現金の両替。プロデューサーから渡された資金を1999年でも使用可能な旧貨幣へと交換する。

 

 流石にあの夜のコンビニでのトラブルの二の舞はゴメンだ、とプロデューサーが主張したが故である。

 

 最後に咲耶の服をはじめとした日用品などの調達だ。

 

 流石に学校の制服のままでは色々と不都合があるため、私服を何着か揃える必要があった。

 

 プロデューサーの家には例の婚約者と思わしき女性の服が何着かあったが、着るまでもなく咲耶の背丈には合わないとわかった。

 

 プロデューサーに関しては替えのスーツが何着もあったのでそれで事足りるのであった。

 

 

 そんなわけでプロデューサーの家の最寄り駅までやってきたマーティと咲耶。

 

 咲耶から切符を受け取ったマーティの目の前にある物が立ちはだかった。

 

「何だこれ?」

 

 見たことのない機械が改札と思わしき場所に数台並んでいる。

 

 マーティがどうしたものかと戸惑っていると、隣の機械の間を通り抜けてゆく人が。その際に機械の端に描かれたマークのような物へと何かを当てているように見えた。

 

「なるほどね」

 

 とマーティが切符を持った手をマークの部分に当てて通り抜けようとする。

 

 ピンポーン!と電子音が鳴り響き、跳ね起きた板に行手を阻まれた。

 

「えっ?何だ?」

 

 驚いたマーティがキョロキョロしていると、後ろから肩を叩かれた。

 

 振り返ると咲耶が口の端を歪めつつ手招きをしていた。

 

 彼女に付いて隣の機械の方へと移動すると、咲耶は切符を機械の端の隙間へと差し込んで通り抜けた。

 

「そういうことか」

 

 マーティも彼女にならって同じように先へと進んだ。咲耶に指摘され出てきた切符を回収しつつ。

 

 ホームに到着してすぐのタイミングで目的の電車がやってきた。

 

 乗ると席は全て埋まっていたので、2人はドアから程近い位置の吊革に掴まることとした。

 

「無人の機械式改札なんてカッコいいね。けど触っただけで通れた人は何なんだい?」

 

《専用のカードを持っている人はそれをタッチすると通れます。切符を使う人は機械に入れる必要があります》

 

「なるほどね。そういう所はハイテクなんだな。それにしても席に座れないなんて、今日は随分と混んでるね」

 

《今は空いている時間です。通勤のピークにはライブ会場よりも人が密集します》

 

「そいつは大変そうだ。日本のビジネスマンはタフなんだね。僕には耐えられそうにないや」

 

《ところで、私はマーティの生活などに興味があります。教えてもらいたいのですが、良いですか?》

 

「構わないよ。聞いてくれれば何でも答える」

 

《マーティはブラウン博士の助手なのですか?または親戚ですか?》

 

「どっちでもないよ。僕とドクは友達さ」

 

《友達ですか。歳の大きく離れた友達、素敵だと思います。ところでマーティは大学生なのですか?》

 

「僕は高校生だよ。大学に行く予定は無いな。出来ればロックでお金を稼げたらって思うよ」

 

《高校生ですか。私と同じですね。歳上かと思いました。マーティも音楽をやるのですね。出来れば聞いてみたいです》

 

「大したものじゃ無いけど、それでも良いならそのうち。けど君みたいなプロのアイドルの前でやるのは少し気が引けるよ」

 

《私もまだまだです。勉強中の身です。ユニットのみんなに助けられながらやっています》

 

「君はユニットを組んでるのか。どんなメンバーがいるの?見てみたいな」

 

《では少し待ってください》

 

 そう言って咲耶は先日5人で撮った記念写真をスマホの画面に表示してマーティに差し出した。

 

 マーティは暫くそれを眺めると、スマホを咲耶へと渡して「ありがとう。みんなイカした子達だね」と告げた。

 

《マーティが良いと思った子はいますか?》

 

「ん?そうだな……紫色の髪をした子、ファッションが何だかパンクロックって感じがして凄くクールだと思ったよ」

 

《彼女は摩美々ですね。彼女はアンティーカで1番のオシャレな子だと思います》

 

「そうか、マミミっていうのか。でも他のみんなも十分にオシャレだと思うよ。咲耶もね」

 

《ありがとうございます。褒めてもらえて光栄です》

 

 そんな風に話をしていると何駅目かの停車駅へと着き、ドアが開いた。

 

《ここで乗り換えです。1度降りましょう》

 

「オーケー、分かったよ」

 

 そうして数度の乗り換えを経て、彼らは目的地の秋葉原へと辿り着いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午前10時38分

 

 

「こいつはスゲェや!」

 

 駅を出たマーティは、目の前に広がる秋葉原の光景に驚きの声を上げた。

 

 多種多様な格好をした人々が行き交い、ビルや個性的な店の数々、更には外国人の多さ。彼の目にはそれらがとても新鮮に映ったのだった。

 

「凄いな。まるでテーマパークみたいな街だ」

 

《秋葉原は現在、日本でも有数の観光地です。マーティがそう思うのも当然でしょう》

 

「折角だし色々と見て回りたいけど、先にドクのお使いを済ませなきゃな」

 

《分かりました。恐らくあちらの方に店はあります。行きましょう》

 

 そうして2人は大手電気店や電子部品専門店を巡り、時折ドクとのカメラ通話をしつつ部品を探し回った。

 

 しかしながら、案の定目当ての部品は見つかることは無かったのであった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午後12時15分

 

 

「完全に空振りだったな。くたびれたし、お腹も減ってきたよ」

 

《でしたらお昼ご飯にしましょう。何が良いでしょうか?ハンバーガーなどの洋食が良いでしょうか?》

 

「そうだな。折角ニッポンに来たんだし、何かニッポンらしい食べ物が食べてみたいな」

 

《日本の食べ物ですか》

 

 と咲耶が暫し思案しつつ周囲を見回したり、スマホで情報を集めるなどをした。

 

 そして《でしたらあのお店にしましょう》と咲耶はオレンジ色の看板の飲食店へマーティを案内した。

 

 

 

「うん!凄く旨いよ!この……ギュウドン!米は普段あまり食べないんだけど、これだったら毎日でも食べたいよ!」

 

《気に入ってもらえて良かったです》

 

 咲耶もマーティに続けて牛丼を口へと運ぶ。甘めの玉葱と柔らかな牛肉の味と食感が米と合わさり、美味しさのハーモニーを奏でていた。

 

《カリフォルニアといえばカリフォルニアロールが有名だと思うのですが、マーティは食べた事は無いのですか?》

 

「そういう料理があるって名前は聞いたことあるけど、実際に食べたことは無いな。僕の住んでる街じゃそんなのを出してる店は無かったし」

 

《そうですか。カリフォルニアの人はよく食べるのではと思っていました。違うみたいですね》

 

「日本人にとってはカリフォルニアってそういうイメージしか無いのかい?」

 

《他にはロサンゼルスやケーブルカーが日本でも有名です。それと知事が有名です。正確には元知事ですね》

 

「それってもしかしてレーガンのこと?大統領にもなったし」

 

《いいえ。私が言うのはアーノルド・シュワルツェネッガーです》

 

 咲耶の一言にマーティは大きく目を見開いた。

 

「アーノルド・シュワルツェネッガー!?ターミネーターとかコナン・ザ・グレートとかの!?」

 

《はい、そうです》

 

「まさか……もしかしてジョークを言ってる?」

 

 咲耶は首を横に振って、スマホで呼び出した画像と記事をマーティに見せた。

 

「えっと……2003年から2011年の間、彼はカリフォルニア州知事を務める。その後、俳優活動を再開……本当だね。……レーガンが大統領をやってるって僕が言った時のドクの気持ちが今分かったよ。にしても僕の故郷は悪のターミネーターに支配されちゃうのか。いや、正確には僕の故郷は無いんだけど」

 

《悪のターミネーターですか?彼は心強い味方のターミネーターだと私は知ってます》

 

「いや、映画じゃサラとカイルを追いかけて殺そうとしてたじゃないか」

 

《その後のターミネーター2では味方になりました。サラの息子のジョンを守って戦っているのを見ました。日本でも有名な映画です》

 

「2なんて作られるの!?……ドクがあんまり未来の事を知りすぎるのは良くないって言っていたけど、本当だな。物凄いネタバレを食らっちゃったよ」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午後12時30分

 

 

 牛丼屋を出た咲耶は満足気な様子のマーティを見て一安心した。

 

(海外の人に人気の食べ物だという情報は間違いなかったみたいだね)

 

 と、ここで咲耶はマーティに話しかけた。

 

「マーティ、腹ごなしがてら散歩でもしないかい?さっき町を見物したいと言っていただろう?それくらいの余裕はあると思うのだけれど」

 

《良いですね。行きましょう》

 

 マーティの嬉しそうな顔を見て微笑む咲耶。

 

 駅周辺の表通りは先程巡ったので、牛丼屋の入口の反対側の方の、入り組んだ裏通りをとりあえずひと回りして駅方面まで戻ろうと決めて歩き出す。

 

 歩き始めて暫くしてマーティが咲耶に声をかけてきた。

 

《そういえば咲耶のことを詳しく聞いてませんでした。問題なければ教えて下さい》

 

「いいとも。じゃあ適当に質問してくれないかい?何でも答えるよ」

 

 マーティは少々考え込むような仕草をしてから一言口にした。

 

《何故サクヤはアイドルになったのですか?昔から憧れていたのですか?オーディションを受けたりしたのですか?》

 

「そうだね。私は元々モデルの仕事をしていたんだ。そんな時にプロデューサーにスカウトされてね。その申し出を受けてアイドルになったんだ。それまでは自分がアイドルになるなんて想像したことも無かったよ」

 

《スカウトですか。カッコいいですね。憧れます》

 

「ありがとう。そう言ってもらえるとは光栄だね。……そういえば、以前この近辺に新曲の看板が出ていたこともあったな」

 

 咲耶が見上げた先のビルの上には、アイドルグループの新曲PRの看板があった。

 

 黒を基調としたステージ衣装を身に纏った3人組の少女ら。ユニット名はトライアドプリムスと書かれていた。

 

《それは凄いです。こんな大きな街に看板が出るなんて。サクヤは大スターなのですね》

 

「そんな事は無いさ。私なんてまだまだ道半ばだよ」

 

 咲耶は苦笑しつつ肩をすくめる。

 

「今の時代、アイドルはそれこそ星の数ほどにいる。眩いばかりの輝きをみんなが持っている。日々自分を磨いていかなければ、瞬く間に周りから置いていかれてしまうのさ。トップへの道は果てしなく遠いんだ」

 

《想像していたよりも重い世界なのですね。でも凄いです。そんな世界で頑張れるサクヤは。私はそう思います》

 

「それもこれもプロデューサーやユニットのみんながいてくれるからさ。私1人の力ではトップアイドルへの道は登って来れなかったさ。これまでも、そしてこれからもね」

 

《いい仲間に恵まれたのですねサクヤは》

 

「ああ、私は本当に恵まれていたよ」

 

 咲耶は軽く微笑んだ。

 

 と、その時。巨大なビルの壁に取り付けられた街頭モニターから大音量の音声が響き渡ってきた。

 

 2人はそちらの方に目を向ける。

 

 そこでは黒い髪で清楚な雰囲気を漂わす、白とピンクを基調としたフリルの衣装を着たアイドルが歌っていた。

 

(初めて見るアイドルの子だ。新人なのかな?)

 

 咲耶がモニターを見ていると、画面が切り替わり、一人の男が現れた。

 

《秋葉原の皆さんこんにちは。FUKANUMAプロダクション社長の深沼ススムです》

 

「!?……あの男は……」

 

 黒紫色のスーツを見に纏った軽薄そうな男、283プロの事務所でアンティーカのメンバーとプロデューサーに絡んできた深沼ススムであった。

 

《この度、僕のプロデュースする愛しい妹、聖の新曲がチャート1位に輝きました。それを祝して特別記念ライブを開催したいと思います。その日時は…………たった今!この瞬間から!》

 

 そう画面の中のススムが告げた瞬間、近くに停まっていたトレーラーからスモークが立ち上がり、大音響の音楽が響き出した。

 

「みんなー!聖のスペシャルライブ始まるよー!」

 

 トレーラー上の簡易ステージに先程モニターに映っていたアイドルが現れて大きく手を振り出した。

 

 そして彼女がパフォーマンスを始めた途端、広場には多数の人々が集まり始め、彼女へと向けて声援を送り始めた。

 

 遠巻きに歩いていた人々も少しずつその輪へと加わり始め、辺りは熱狂の渦に包まれ出した。

 

《驚きました。この時代ではこんな風にライブをするのですね》

 

「いや、コレはハッキリ言ってマナー違反の禁じ手さ。……これがあの男のやり方か」

 

《あの男?誰ですか?》

 

「さっき画面に写っていた紫色のスーツの男さ」

 

《あー、もしかしてあの人でしょうか?》

 

 マーティが指差した先にはスタッフらしき人物と、したり顔で語り合う深沼ススムの姿があった。

 

《知り合いなのですか?》

 

「……君たちの車を私達が奪うきっかけを作った男さ。彼の父親の差し金の可能性もあるけどね」

 

《なるほど。そういうわけなのですね。それにしても彼はセンスが悪いです。ファッションの勉強をするべきです。あの、マミミというあなたの仲間に教わるといいでしょう》

 

 マーティのその一言に、咲耶は思わず吹き出してしまった。

 

「ぷっ、あはははは!」

 

《サクヤ?どうかしましたか?》

 

「ははは。いや、君のジョークが思いのほか私のツボに入ってしまったみたいだ。驚かせてすまない」

 

 マーティは肩をすくめ小首を傾げる。

 

《よくわかりませんが、ウケたのなら良かったと思います》

 

 その時、遠雷の音が響き始めた。

 

 2人が空を見上げると、雲が厚くなり黒みがかってきているのが見えた。

 

「ひと雨来そうだね。マーティ、天気が崩れる前に駅ビルへ入ろう」

 

《そうですね。急ぎましょう》

 

 2人は小走りにその場を離れていった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午後12時35分

 

 

 携帯電話ショップからドクとプロデューサーが出てくる。

 

 ドクの手には新品のスマホが握られており、彼は夢中になってそれを操作していた。

 

「これほど高性能なものがこんなにも小型化しとるとは、本当にこの世界の情報処理関係の技術は目覚ましい発展を遂げておるな。こちらの技術開発に世界中が躍起になっていたのならば、ホバー技術が実用化されていないのも合点がいく」

 

 彼が手にしているのは最新型のスマホだ。プロデューサーが持つ袋の中にはもう1台、マーティの分が入っていた。色々と準備などをするに当たって必要だろうと思い、プロデューサーが新たに2台を買って契約したのだった。

 

《博士、アドレスの作成と登録は大丈夫ですか?》

 

「教えてもらった通りにやってみた。これで問題無かろう?」

 

 ドクがスマホをかざして見せる。

 

《飲み込みが早いですね博士は》

 

「このくらいのこと、ワシにとっちゃ朝飯前だよ」

 

《私のスマホから試しにメッセージを送ります。アドレスを登録しておいて下さい》

 

「わかった。ああ、それと写真などのデータ送受信も試してみたい。併せてやってもらえるか?」

 

《了解しました。では適当な写真を送ります》

 

 ドクは即座に送られてきたメールを開いて添付写真を見る。それは真新しい建物の前での集合写真だった。

 

「コレが例の消えてしまった事務所か?」

 

《そうです。工事が終わって初めてみんなが集合した日の写真です》

 

「随分と大所帯なのだな」

 

《そんな事はありません。うちの事務所は小さい方です。他の事務所だと40人、50人は所属アイドルがいます。更に多い所だと200人近くいたりします》

 

「なるほどな。ふむ……」

 

 再び写真に目を落とすドク。

 

「ほう、金髪の娘もいるな。3人、いや2人か?外国人も君の事務所にはいるのかね?」

 

《1人は髪を染めている日本人です。ジュリ・サイジョウといいます。もう1人は日本人とアメリカ人のハーフです。彼女はメグル・ハチミヤといいます》

 

「ほほう。……それにしてもこの全員をお前さんが1人で面倒見とるのか?この時代の労働環境はどうなっとるんだ?」

 

《それを言われると困ります。ですがみんなが頑張ってくれたおかげで仕事が増えました。事務所も大きく出来ました。今は大変ですが辛抱の時です。人手もいつか増やせるでしょう》

 

 

 

 そして2人はプロデューサーの車に乗り込んで帰路につく。

 

「それにしてもサクヤはこんな状況に陥っても常に落ち着いとるな。聞けば彼女はマーティとほぼ同じ歳だというじゃないか。マーティのガールフレンドのジェニファーだったらああはいかんよ。盛大にヒステリーを起こしてパニックになっとるだろう」

 

《確かに咲耶は落ち着いてるように見えます。表面上は。しかし最も心が穏やかでは無いのは彼女だと思います》

 

「そういう風には見えんがのう」

 

《彼女はポーカーフェイスが上手です。周りに気を使わせないように振る舞うことが多いです。しかし、人一倍寂しがりなところがあります。事務所が消えて仲間が居なくなって、それで平気でいられるとは私は思いません》

 

「なるほどな……どうやらワシは女心の研究は未だにド素人の枠から出られとらんようだ。クララと出会って少しは理解できるようになったと思っておったが……まだまだだな」

 

《クララとはどなたですか?》

 

「ワシの妻だ。ジュール・ヴェルヌの小説を愛読する、ワシと趣味の合う最高の女性だよ」

 

 穏やかな口調でドクが告げる。

 

《奥様ですか。素敵な人なのでしょうね。それにジュール・ヴェルヌですか。海底2万里の作者ですね》

 

「ほう、君も知っとるのかね?ワシはその作品に憧れて科学者を志したと言っても過言ではないのだ」

 

《私は原作の小説を読んではいないです。映画になったものを見ました。海底2万里を元にしたアニメーションも日本では有名だと言われています》

 

「遠く離れた異国の地でも彼の作品は愛されておるのか。何とも感慨深い気持ちになるな」

 

 そんな時、フロントガラスにポツリと水滴が落ちてきた。

 

 間も無くして曇りだった天気は土砂降りへと変わっていった。

 

《雨が降ってきましたね》

 

「そうだな。これはにわか雨か?」

 

 ドクがスマホを操作して天気予報の画面を呼び出す。それによればこの激しい雨は夕方頃まで降り続くようであった。

 

 と、ドクの脳裏に閃きが降りてきた。

 

「雨が降ったら例の空き地周辺の工事は中止になるのか?」

 

《よくわかりませんが、激しい雨が続くのならば今日は終わりになるかもしれないと思います》

 

「そうか!であれば家に着いたらデロリアンに乗り換えて出掛けるとしよう!」

 

《何をするのですか?》

 

「なーに、ちょっとした実験だよ」

 

 ドクはニヤリと口元を歪めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午後7時30分

 

 

 夕食を済ませた一同は朝のように2組に分かれて情報交換と今後の予定について話を始めていた。

 

「それでドク、何か新しい事は分かったの?」

 

「勿論だマーティ!元の世界に戻る為の大きな手掛かりを発見した!これにより得た仮説が正しければ我々は確実に元の世界に帰る事が可能となるだろう!」

 

「本当かい!?年単位で時間がかかるかもしれないって言ってたのにもう分かっちゃったの!?」

 

「ふふふ。こいつは何とも嬉しい誤算だよ。さて、説明するとしよう」

 

 そうしてドクは紙とペンを並べて文字と図を書きなぐり始めた。

 

「例の事務所があったはずの空き地へ数時間前に行ってきた。そしてワシとユーイチはデロリアンでタイムトラベルを敢行したのだ。あわよくば元の世界に戻れることを期待してな」

 

「けどそれは無理だったんだよね?さっきの口ぶりからするとさ」

 

「その通りだ。しかし驚くべき現象に遭遇することは出来た。私は空き地の前の道路で1分後に時間を設定しタイムトラベルを行った。するとどうだ!本来なら1分後の道路上にデロリアンが出現するはずが、空き地の真上に出現したのだよ!こいつはあり得ない現象だ!」

 

「でも、たった数メートル動いただけなんだろ?それじゃ僕らの世界には帰れない」

 

「話は最後まで聞け。その後も空き地の近辺の様々な場所で同じようにタイムトラベル実験をした。だが元事務所の空き地以外では同一の現象は起こらなかったのだよ。これに関し詳しい検証は出来てはおらんが推測するに、あの場所には空間の歪み、もしくは何らかの未知の粒子が発生しておるのだろう。それがデロリアンのタイムトラベル時に発生するエネルギーと干渉し、空間移動現象を引き起こしたのだと思われる。そしてだ!何度か実験をしている時に近場で落雷があった。偶然にもその瞬間に元事務所の空き地でタイムトラベルをした我々は、その前に行った時よりも更に離れた位置に出現したのだよ!」

 

「ってことはもしかして、あの場所に落雷が来た瞬間にデロリアンでタイムトラベルをすれば元の世界に帰れるってこと!?」

 

「そうだ!だがあの何もない、だだっ広い空き地に雷が落ちることは科学的にまずあり得ない。仮に避雷針か何かを立てたところで確実に落ちてくるという保証も無い。しかし!ユーイチの証言によれば我々がこの世界にタイムトラベルしてきた時刻、2020年6月26日午後12時25分、正にその瞬間283プロダクションの事務所に稲妻が落ちたというのだ!」

 

「じゃあユーイチとサクヤの歴史を元に戻して283プロの事務所を復活させて、その時間に戻ってタイムトラベルをすれば!」

 

「そう!めでたく我々も元の世界に帰れるというわけだ!」

 

「凄い!完璧じゃないか!」

 

 マーティは思わず椅子から立ち上がり、グッと両拳を握りしめた。

 

「ここまで全ての要素が噛み合っているとは何か運命的なものを感じるな。まあ、ただの偶然かもしれんが」

 

「そんなのどっちでもいいさ。とにかく皆で早いとこ1999年に行って歴史を元に戻さなきゃ!」

 

「ああ、それなんだがなマーティ。1999年にタイムトラベルをするのはユーイチとサクヤだけだ」

 

「……何だって?」

 

 

 

 

 

 

「とまあ、博士が言うにはこういう事らしいんだけど……理解出来たか?」

 

「うーん、言葉では理解できた。でも正直、実感が伴っているとは言いがたいかな」

 

「俺もだ。タイムスリップに遭遇しただけでも大変な事なのに、パラレルワールドとか未知の粒子だとか空間の歪み、不思議な現象が目白押しだもんな。SF映画の中にでも入り込んだような気分だよ」

 

「映画なら愉快に楽しめたんだろうけど、残念なことにこれは現実だものね」

 

「はは、その通りだ。けど立ち向かうしかないよな」

 

「ああ。皆で頑張ろうじゃないか。……それじゃあ情報を改めて確認するけど、私達は社長と藍音さんがすれ違った時間以降にタイムトラベル。そして7月4日の夕方に開催されるライブに2人が行くように仕向ける。というのが大まかな流れだね」

 

「藍音さんは社長にそこでスカウトされた。だからその場を整えなきゃならないんだけど問題がいくつかある。1つは2人の詳しい居場所が不明だってこと。2つ目は藍音さんがスカウトされるに至る流れがわからないってこと。3つ目にこれを7月1日の夜中から7月4日の夕方までの短い間に解決しなきゃならないってことだ」

 

「実質丸3日も無いんだね。かなり厳しい戦いになるな」

 

「藍音さんの居場所に関しては制服から学校の候補を絞っておいた。リストに従って虱潰しに探していけば彼女には巡り会えるだろう。社長に関しては99年に行ってから社長が元いた事務所に問い合わせるしかないな」

 

「どうやってスカウトさせるかは、実際に2人に会って話を聞いて探るしかないね。プロデューサーの話だと藍音さんは当時アイドルに興味は無かったそうだし。ただ単純に引き合わせるだけじゃ上手くはいかない気がする」

 

「あの社長がキッパリとアイドルに向いていないなんて言うくらいだからな。もっと詳しい話を聞いておくんだったよ」

 

「今更言ってもしょうがないさ。……それとは別に思ったのだけれど、ライブまでに社長と藍音さんを引き合わせられなかった場合、再び前の時間に戻ってやり直すというのはどうだろう?」

 

「俺もそう考えたんだけど、博士が言うにはやめた方がいいらしい」

 

「それは何故だい?」

 

「そうすると過去の俺達に遭遇してしまう可能性があるからだそうだ。万が一接触してしまって、それが原因で何らかの影響が出てしまったらタイムパラドックスに繋がってしまう」

 

「言われてみれば確かに……という事は作戦は一発勝負で成功させなきゃならないというわけか」

 

「仮にやり直すとしても状況を見極めた上での最終手段、一か八かの切り札程度に考えといてくれだとさ」

 

「わかった。そうならないように最善を尽くそう」

 

「それと99年に戻るのは俺と咲耶の2人だけ。博士は俺らをデロリアンで送り届けた後に、この時代に戻って更に打てる手が無いか探ってくれるそうだ」

 

「え?そうなのかい?」

 

「うん。行動するのは最小限の人数にしといた方が歴史への影響が少なくて済む、タイムパラドックスを起こしては元も子もない、そう博士は言っていたよ。何より土地勘の無い、言葉も通じない日本だと2人は動き辛いからね。下手をすれば足手まといになりかねないってさ」

 

「2人が来てくれないのは心許ないけど、そういう理由ならやむを得ないね」

 

「タイムトラベル後、彼らと合流するのは7月4日のライブの時間。そこで彼らに迎えに来てもらって状況報告。その段階で失敗しそうなら次の手を考える、と。概要はこんな感じだ。やれそうか咲耶?」

 

「やる、しかないだろう?私達にはそれしか進むべき道は無いのだから」

 

 咲耶は胸元に手を当てて凛とした表情でプロデューサーの声に応えた。

 

「そうだな。下らない質問だった」

 

「さて、それじゃあこれからは作戦を詰めるのに大忙しとなるわけだね」

 

「ああ、可能な限りの情報を集めて不安要素は潰していく。地味だけど大切な作業が待っている。けどこれを乗り越えて作戦を成功させれば全ては元通りだ。歴史を元に戻したらアンティーカのライブをまたやろう。大きなステージを用意してみせるからさ」

 

 プロデューサーは親指を立てて満面の笑みを浮かべ宣言した。

 

「ああ!私と恋鐘、結華、霧子でステージを盛り上げよう!」

 

 咲耶も笑顔でそれに応える。

 

「そうだな……って咲耶、1人言い忘れてるじゃないか」

 

「えっ?」

 

「摩美々を忘れてるぞ。どうしたんだ?咲耶らしくないぞ」

 

「ま、みみ?」

 

 首を傾げ、キョトンとする咲耶。次の瞬間、信じられない一言が彼女の口から発せられた。

 

「プロデューサー、まみみ、とは誰のことだい?」

 

「え?」

 

 プロデューサーは咲耶の顔を注視する。そこには冗談を言っているような素振りは全く見えない。よくよく考えてみれば咲耶がそのような冗談を言うはずなど無かった。

 

「ほら、摩美々だよ。知らないはずがないだろう?」

 

 プロデューサーは先日に事務所のリビングで撮った画像を見せる。

 

 だが咲耶は写真を見てもピンと来ないようで、しきりに小首を傾げるばかりであった。

 

「いやいや、何を言ってるんだよ咲耶」

 

 すると、ただならぬ様子を察してか、ドクとマーティが彼らの元へとやってきた。

 

《どうかしたのですか?》

 

 自分のスマホの翻訳アプリを通じてドクが話かけてきた。

 

「ブラウン博士、何だか咲耶の様子がおかしいんです」

 

 そうしてプロデューサーが事情を説明する。それを聞いて暫し考え込んでいたドクは、何かの考えに思い至ったようで、目を大きく見開いて声をあげると額に手を当ててよろめきながら椅子へとへたりこんだ。

 

 同じく話を聞いていたマーティも咲耶に声をかける。

 

《サクヤ、マミミですよ。今日僕に説明してくれた子です。わからないのですか?》

 

「……すまないマーティ、プロデューサー。彼女が誰なのかさっぱりわからないんだ」

 

 真剣な表情で記憶を探る咲耶だったが、ただ苦悩し続けるばかりであった。

 

「そ、それじゃあ!」

 

 と、プロデューサーは事務所の完成記念撮影の画像を出して咲耶に問い出した。

 

「この子は?」

 

「果穂だろう?」

 

「こっちは?」

 

「樹里。西城樹里だ」

 

 次々に事務所のメンバーを指し示してゆくプロデューサー。咲耶は迷う様子もなくスラスラと皆の名前を言ってゆく。

 

 やがてプロデューサーは金髪で青い瞳の少女を指差した。

 

「めぐる。彼女は八宮めぐる。そうだよねプロデューサー?」

 

「………………」

 

「プロデューサー?」

 

 咲耶が問いかけるが、プロデューサーは固まってしまって動かなかった。

 

「どうしたんだいプロデューサー?」

 

「……この子は、誰だ?」

 

 プロデューサーの発した言葉に今度は咲耶が驚愕した。

 

「誰って、めぐるだよ。イルミネーションスターズの八宮めぐる。知ってるだろう?」

 

「いや、イルミネーションスターズは真乃と灯織と…………あれ、どうしたんだ俺?もう一人が思い出せない」

 

 プロデューサーは眉間に皺を寄せて、唸るように声を上げて必死に記憶を探ろうとしたが、その欠落した何かは一向に頭に浮かんでこなかった。

 

 

 

 

 

 

「何てことだ……これはまずい事になった……悠長にしてられんぞ!」

 

「ちょっとドク!これは一体どういう事なのさ!?ユーイチもサクヤも何だか様子が変だ!」

 

 マーティが声を張り上げてドクに詰め寄る。

 

「マーティ、どうやらワシらはとんでもない思い違いをしていたようだ!」

 

「思い違い!?」

 

「今朝言ったように、以前お前さんが両親の出会いを妨害して存在が消えかけたケースとは違い、今回は2人の誕生に関しての影響は無い、だから時間はたっぷりあると考えていた。しかし!彼らの事務所、283プロダクションが消失した事により、彼らがアイドルとプロデューサーであったという事実が消えかかっているのだ!」

 

「それってつまり、2人の記憶が消えちゃうって事!?」

 

「その通りだ!2人の記憶が完全に失われてしまえば、歴史を元に戻す事はほぼ不可能になる!」

 

「それじゃあ僕らが元の世界に帰ることも出来なくなるって事!?」

 

「ああ、間違いない」

 

「けどおかしいだろ!歴史が変わって記憶が消えちゃうんなら、前にビフが権力を握っていた1985年に行った時の僕らは何なんだ!?何ともなかったじゃないか!」

 

「ワシらはあの時代には数時間程度しか滞在しとらんかった。だが今回は既に1日以上経過しておる。もしかしたらあの時代に長く滞在しておったらワシらの記憶も消えていたのかもしれん」

 

「だからってそんな!」

 

「否定したい気持ちはわかる。だが見ろ!現に彼らの記憶には障害が出始めておる!一刻も早くこの問題を解決せにゃならんのは確かだ!」

 

 マーティはプロデューサーと咲耶の方へと目を向ける。

 

 彼らは茫然とした表情のまま動けないでいたのだった。

 

「こいつは……ヘヴィだ……」

 

 マーティは頭を抱えながら、ソファーへとドスンと音を立てて座り込んだのであった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午後9時30分

 

 

 マーティはドクからの伝言を頼まれて、プロデューサーを探して家の中を歩き回っていた。

 

 日本の家や土地は狭いと話に聞いてはいたが、この家に関して言えばそうではなかった。マーティの家族、父、母、兄、姉に自分を加えた5人が快適に過ごせるだけの部屋数はある。

 

 ガレージは車一台分だが、庭は軽い運動が出来るくらいには広い。

 

 そこは現在デロリアンの駐車スペースとなっており、ドクが急ピッチで整備を行っているところであった。

 

 

 

 歴史が変わってしまったことでプロデューサーと咲耶の記憶が消えてしまう可能性がある。

 

 それが判明してすぐに計画は変更され、1999年へのタイムトラベルは、準備が整い次第すぐの出発となった。

 

 記憶が消えるという事に対して、プロデューサーと咲耶はショックを隠し切れないでいた。

 

 しかし、程なくして気を取り直し、彼らは直ちにタイムトラベルを行う事に了承した。

 

 そして今はその準備の最中である。

 

 

 2階の部屋をひと通り見て回ってマーティは1階へと降りてゆく。

 

「どこにいるんだユーイチは?」

 

 ポツリと呟いたマーティの耳に微かに聞こえて来る音があった。

 

 それは廊下の端の方にある扉の奥から聞こえてきた。

 

 マーティはドアノブに手をかけてそっとドアを開いていく。

 

 そこは10畳ほどの部屋で、リビングにあるテレビの倍程度のスクリーンと大型のスピーカーが置いてあった。

 

 その前に置かれた4人がけのソファーにプロデューサーの後ろ姿があった。

 

 マーティがプロデューサーの名前を呼ぶと、彼は上半身を捻って振り返る。

 

 その手にはアコースティックギターが握られていた。

 

《マーティ、どうかしましたか?》

 

「ドクからの伝言。あと1時間くらいで整備が終わるからそれまでに準備を済ませておけってさ」

 

《大丈夫です。私はもう準備は終わりました》

 

「なら良かった。にしても、こんな部屋があったんだね、知らなかった。おかげで少し探し回っちゃったよ」

 

《スマートフォンで連絡を入れてくれればよかったのでは?》

 

「ああ、その手があったか。使い慣れてないから思い浮かばなかったよ」

 

 マーティは上着のポケットに手を当てる。そこには新品のマーティ用のスマートフォンが入っていた。

 

「悪いね、ドクのだけじゃなく僕のまで用意してもらって」

 

《構わないです。必要だと思いましたから。しかし出発が早くなり、使う機会が減りました》

 

「けど……」

 

 言いかけてマーティは自分のスマホを取り出して、教えてもらった通りに翻訳アプリを起動する。

 

「僕もこれを持てば会話のペースが早くなる」

 

《そうですね。それはいいことです》

 

「いちいち相手の持ってるスマートフォンに話しかけなくていいのは楽だね。ところで話は変わるんだけど、ユーイチはギターが趣味なの?」

 

《いいえ、私の趣味は運動です。最近はボルダリングを始めました。昔はパルクールを少しやりました》

 

「ボルダリング?パルクール?何だいそれは?」

 

《クライミングやランニングのようなものです》

 

「なるほどね。じゃあどうしてギターを弾いていたんだい?」

 

《それは、何となくです。昔、格好をつけるためにギターを買った事があります。結果として、あまり使わないで売ってしまいました。それがこの家にはありました》

 

「じゃあこの歴史のユーイチはギターが趣味だったってことなのかな?」

 

《可能性はありますね。防音のシアタールームを見つけたのでここで触りました。しかし自分には殆ど弾けませんでした》

 

「ここって防音の部屋なのか。ウチにも欲しいな。ユーイチって結構リッチなんだね」

 

《この時代の私は一流企業のビジネスマンのようでした。名刺を見て理解しました。年収と貯金がとても多かったです。本来の自分よりもです》

 

「へーっ。アイドルのプロデューサーって結構リッチなのかと思ったけど違うのかい?」

 

《私は小さな事務所のプロデューサーです。まだ新米です。多く稼ぐのは出来てませんでした。ひとつ質問です。マーティはギターを弾くのですか?》

 

「ん?まあ、一応バンドを組んだりはしてるよ。けど学校のパーティーのオーディションで落とされちゃう程度の腕さ。大したもんじゃないよ」

 

 マーティは自嘲気味に顔を歪め、肩をすくめる。

 

《折角です。ここで弾いてみませんか?》

 

「ここで?君の前でかい?遠慮しとくよ」

 

《私はあなたの演奏に興味があります。やってみて下さい。分野は違いますが私は芸能界の、音楽に関係する仕事をする人間です。何か助言できるかもしれません》

 

 柔和な態度ながらプロデューサーの様子からは、ある種の真剣さが感じられた。

 

 マーティは「そこまで言うなら」とギターを受け取って演奏を始めたのだった。

 

 

 

「―――ふぅ。こんなところかな?エレキじゃなくてアコースティックだからノリは今ひとつだったかもしれないけど」

 

 演奏を聴き終えたプロデューサーが拍手をする。

 

《素晴らしい腕前と歌でした。私なら合格の判定をします》

 

「そいつはどうも。お世辞でも嬉しいよ」

 

《お世辞ではなく本当に良いと思いました。ですが気になったところもありました》

 

「え?」

 

《最初の方は落ち着いていてリズムも良かったです。しかし、最後の方は張り切り過ぎだと思いました。あなたが楽しそうなのは伝わりましたが》

 

「あー…………またハイになり過ぎたか」

 

 マーティの脳裏に1955年のパーティーでの演奏の記憶が蘇る。

 

 調子に乗って激しい演奏をした結果、最後には冷ややかな視線を浴びせられたことを。

 

《自分が楽しむのは大事です。その点は合格です。次には観客の事を考えなければなりません。自分も相手も楽しめるパフォーマンスが出来るようになれば、マーティはもっと上手くなります》

 

「自分も、観客も楽しめる……」

 

《咲耶はファンを楽しませるのが上手です。彼女はいつもファンを喜ばせる方法を考えています。コツを聞いてみるといいでしょう》

 

「アドバイスありがとう。今度そうさせてもらうよ。……はは、こんな風に為になるアドバイスを貰えるとは思わなかったよ。ユーイチにプロデュースしてもらえれば僕も一流のロックスターになれる。そんな気がしたよ。君が僕の時代にいないのが残念だよ」

 

《大丈夫です。マーティの時代にも理解者はいると思います。諦めないで探してみましょう。挑戦し続けましょう》

 

「わかった。ありがとう」

 

 そうして2人は微笑み、握手を交わしたのだった。

 

 と、プロデューサーが何かを閃いたような表情を浮かべた。

 

《マーティ。今から少しだけ、あなたのライブをプロデュースさせてくれませんか?》

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午後10時04分

 

 

《ブラウン博士》

 

「ん?おお、サクヤか。どうした、準備は整ったのか?」

 

 車体背部のエンジンを整備していたドクは、声をかけてきた咲耶の方へと顔を向けた。

 

《準備は整いました。問題ありません》

 

「そうか。こちらも最終チェックが間も無く終わる。もう少し待っていてくれ」

 

《わかりました》

 

 そう告げて咲耶は庭に置かれていた、プラ製の白い椅子へと腰を下ろした。

 

 その傍にはバッグが置かれ、服装は1999年でも悪目立ちしないようなパンツスタイルのカジュアルな私服。完全にいつでも出発できる状態であった。

 

 庭では機械の整備音と微かな虫の声だけが静かに響き渡っていた。

 

「そういえばサクヤ、君のこの時代での動向がわかったよ」

 

 エンジンを覗き込んだままドクが口を開いた。

 

《そうなのですか?》

 

「ああ。君はこの時代ではモデルをやっているそうだ。しかしながら現在は休業中ということになっとるらしい」

 

《休業ですか。病気か何かですか?》

 

「どうやら精神的な疲れの類らしい。ニュース記事や事務所の簡単な発表しか読んでおらんのでな、それ以上はわからなかった。簡素な翻訳システムを使ったから何か読み間違いをした可能性もあるがな」

 

《…………私には、理由がわかると思います。何となくですが》

 

「ほう?」

 

《アイドルになる前のモデル時代に私は孤独でした。ファンの人々や仕事のスタッフには恵まれていたと思います。しかし空しい気持ちは無くなりませんでした。きっかけは不明ですが、耐えられなくなった可能性があります》

 

「家族の人間はどうなんだ?両親や兄弟がケアをすることは無かったのか?」

 

《私は父に育てられました。母や兄弟と一緒ではないです》

 

「あー…………すまない。余計な事を言ってしまったな……」

 

《大丈夫です。私は平気です。気にしないで頂きたいです。ブラウン博士はご家族の方はいらっしゃるのですか?》

 

「ワシの家族か?よかったら見てみるかね?」

 

 ドクは懐から1枚の写真を取り出して、座っている咲耶へと差し出した。

 

 写真は白黒で、ドクに寄り添う品の良さそうな女性と2人の前に立つ幼い兄弟の姿があった。

 

「妻のクララ、息子のジュールとヴェルヌだ」

 

《美しい御婦人と可愛らしい子供達ですね》

 

「そうだろう。ワシの掛け替えのない家族さ。…………そうだな、思えばワシも長らく孤独だった」

 

 ドクは物思いにふけるような様子で夜空へと目を向けた。

 

《博士?》

 

「ワシは昔から科学の研究一筋でな。近所の人間からは変人扱いされ、結婚はおろか人付き合いとも縁遠い生活を送っておった。しかし寂しさなどは気にはならなかったし、研究に没頭して満足な日々を送っておった。だがマーティと出会い、デロリアンでのタイムトラベルを経てクララとも結ばれることができた。人間らしい生活、良き人生とはこの事かと歳をとって気づかされたよ」

 

《素晴らしい話だと思います。私もアイドルになってから仲間が出来ました。家族みたいに思います。とても愛おしいです》

 

「そうか。……ならこの計画は何としてでも成功させなきゃならんな。君の大事な家族を取り戻す為にもな」

 

《……はい》

 

 そうして咲耶に向けて微笑むと、ドクは再びデロリアンの整備に戻る。と、その時。

 

「おーい、ドク!」

 

 2人の元へとマーティが駆け寄ってきた。

 

 その後ろにはプロデューサーの姿もあった。

 

「マーティ、どうした何かあったか?」

 

「これからちょっとしたライブをやるからさ、少しだけ付き合ってくれよ」

 

「何!?ライブだと!?こんな時に何を言っとるんだお前さんは!?」

 

「大事なことなんだよ!ちょっと耳を貸して」

 

 マーティはドクへと耳打ちをする。

 

 最初は眉間に皺を寄せていたドクであったが、やがて目を大きく見開いて

 

「そいつはグッドアイデアだな!よし!付き合わせてもらおう!」

 

 笑顔でそう言ったのだった。

 

 咲耶は小首を傾げてその様子を眺めていたが、やってきたプロデューサーに連れられて家の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午後10時23分

 

 

「えー、突然の呼びかけに集まってくれてありがとう。これからユーイチ・アイカワのプロデュースによるマーティ・マクフライのミニライブを開催します」

 

 シアタールームのスクリーンの前に立ったマーティが挨拶をすると、ソファーに座ったドクとプロデューサーが大きな拍手をした。

 

 2人の間に座る咲耶も、それに続いて笑顔で拍手を送る。

 

「本当はオールナイトで何十曲も歌いたいところなんだけれど、今日は時間が無いから一曲でお開きになっちゃうんだ。その分心を込めて歌うからさ。しっかりと聴いて欲しい」

 

「いいぞー!マーティ!」

 

 ドクが声援を送ると周りの2人もそれに続いて声を上げる。

 

 マーティは軽く手を上げてそれに応えると、アコースティックギターを構え直した。

 

「この曲はアメリカでもニッポンでも有名みたいだから、出来るなら手拍子とか合わせて欲しい。そうしたら盛り上がるからさ。それじゃあ歌います。マーティ・マクフライで『Happy Birthday to You』」

 

 アコースティックギターの柔らかな旋律が奏でられ、マーティの歌声がゆっくりとそれに乗りだした。

 

「Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday Dear Sakuya ♪ Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday Dear Sakuya ♪ Happy Birthday to You ♪」

 

 突然自分に向けて歌われた歌に、咲耶はキョトンとしたような表情を浮かべていた。

 

 一通り歌ったマーティが

 

「Hey! Doc! Yuichi! Here we go!」

 

 と叫んでドクとプロデューサーに手招きをした。

 

 2人はスッと立ち上がって、マーティの隣に移動して歌い始めた。

 

「Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday Dear Sakuya ♪ Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday to You ♪ Happy Birthday Dear Sakuya ♪ Happy Birthday to You ♪」

 

 3人の声が合わさり部屋の中にこだまする。

 

 お世辞にも息ピッタリとは言えない少しズレたハーモニー。しかしながら3人の心はひとつになっていた。

 

 

「Happy Birthday Sakuya!」

 

「Sakuya! Happy Birthday!」

 

「誕生日おめでとう咲耶!」

 

 歌い終えた3人から盛大な拍手と言葉を贈られた咲耶は、依然として困惑気味の表情であった。

 

「咲耶?」

 

「あ、ああ。ありがとう。……そうか、そうだったね。今日は私の誕生日か。色々な事がありすぎて自分ではすっかり忘れてしまっていたよ」

 

 そうして咲耶が目を向けると、マーティとドクがニッコリと笑って親指を立てていた。

 

「あ、ありがとうマーティ。素敵な歌声と演奏だったよ。思わず聴き惚れてしまった。ブラウン博士もありがとう。あなたの歌声も心に響いたよ」

 

《喜んでもらえたなら嬉しいです。ユーイチが提案、プロデュースしてくれたおかげです。私の日本での初ライブは大成功です》

 

「プロデューサー……」

 

 咲耶が目を向けると、プロデューサーは照れくさそうにして苦笑気味の表情を浮かべていた、

 

「本当はプレゼントか何かを買っておきたかったんだけど時間がなくてさ。俺に出来ることはこれくらいだから。それに殆どマーティのおかげだよ」

 

「プロデューサー」

 

 咲耶は微かに瞳を揺らしながらプロデューサーへと近づいてゆき、その身体を抱きしめた。

 

「お、おい、咲耶!?」

 

「ありがとう……最高のステージをプレゼントしてくれて。私は世界一の幸せ者だ」

 

「は、ははは。喜んでもらえて何よりだ」

 

 緊張気味の声を漏らすプロデューサー。

 

 咲耶は暫くの間プロデューサーの身体に手を回していた。やがてその手を外すと、彼の目を見て微笑んだ。

 

 そして今度はマーティとドクの方へと近づいて、彼らの身体に軽くハグをした。

 

「Oh!」

 

「Wow!」

 

 文化として日本人よりもハグに馴染みのある彼らも、咲耶のこの行動に思わず微かな動揺を見せる。

 

「2人とも、本当にありがとう。素敵な思い出をくれて」

 

 咲耶の明るい笑顔に、彼らも思わず満面の笑みを返したのであった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月27日 午後11時23分

 

 

 とある自然公園そばの駐車場に、エンジンをかけたデロリアンがスタンバイしていた。

 

《それでは準備はいいですか?》

 

 ドクが横に顔を向けて問いかける。

 

「いつでも大丈夫です、博士」

 

「問題ないよ。心の準備も万端さ」

 

 運転に座るドク、助手席にはプロデューサー、プロデューサーの膝上で彼に寄り添うようにして咲耶が座っていた。

 

《3人とも気をつけて行ってきて下さい。成功を祈っています》

 

 デロリアンの外から周囲の様子を伺っていたマーティが声をかけてくる。

 

「ありがとうマーティ。次は1999年の7月4日に」

 

 プロデューサーが声をかけるとマーティは軽く手を上げてそれに応じた。

 

《それでは出発します》

 

 ドクが運転席のドアを閉じ、デロリアンをバックさせた。

 

「いよいよだね。プロデューサー」

 

「ああ、行こう咲耶。俺達の現在と未来を取り戻しに」

 

 外に立つマーティが、大きく振り上げた右手を勢いよく振り下ろした。

 

 それを合図にデロリアンは発進。見る見るうちにその速度を増してゆく。

 

 高速のデロリアンがマーティの横を走り抜ける。

 

 マーティが大きく手を振ってプロデューサーと咲耶にエールを送る。

 

 その数秒の後に激しい閃光と衝撃波を巻き起こし、デロリアンは1999年へと旅立った。

 

 アスファルトの上に残った2本の炎の線が、真夜中の駐車場を仄かに照らし出していた。

 

 




咲耶がマーティらに歌を贈ってもらったり、男性陣が咲耶に抱きしめられたりと羨ましすぎるシチュエーションが出たところで前半終了です。

後半もこれまでと同じくらい、もしくはそれ以上に長くなるかもしれませんがお付き合いいただければ幸いです。


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第四話

 

 2020年6月27日 午後11時38分

 

 

 マーティが1999年に向かう3人を見送って1分が経とうとしていた。

 

 アスファルト上に残った炎が微かに勢いを弱めだした頃、衝撃波と閃光が駐車場に突如として巻き起こった。

 

 マーティはその眩さに目を細め、腕を顔にかざす。

 

 タイヤの摩擦音が響き渡り、残っていた炎はすっかり吹き飛ばされ、そこへは代わりに車体を所々凍結させたデロリアンが出現していた。

 

 マーティが駆け寄るとドアが開き、ドクが降りてきた。

 

「ドク!どうだった?」

 

「バッチリ2人を1999年に送り届けてきたとも。計画は順調に進んでおる」

 

「それで、これから僕らはどうするのさ?」

 

 助手席側に回り込んで車に乗り込んだマーティが尋ねる。

 

「まずは下準備だ。デロリアンに新たな改造を施すためのな」

 

「また改造するつもりなの!?」

 

「勿論だ。これをやっておかねば計画を円滑に進められんからな。ひとまずは下準備を済ます必要がある。ユーイチに頼んで諸々の手配はしてあるからな、明日の午前中には完了するだろう。その後で我々は再度タイムトラベルを敢行する」

 

「じゃあそれから1999年の7月4日に向かうのかい?」

 

「いいや、過去に向かう前に我々は行くべき所がある」

 

「行くべき所?」

 

「ああ、マーティ。明日我々は未来に、2030年へと向かうぞ」

 

 

 

 

 

 

 1999年7月1日 午後10時30分

 

 

 やや薄暗い部屋の中、小さなテーブルを挟んでプロデューサーと咲耶は向かい合って話をしていた。

 

「じゃあ改めて確認だ。明日7月2日の朝から7月4日の午後のアイドルライブイベントが始まるまでに、俺達は何としても天井社長と藍音さんを引き合わせなきゃならない」

 

「その為に2人を探し出す必要がある。しかし、ここまで猶予が無いとなると二手に分かれた方が良さそうだね」

 

「なら俺が社長を、咲耶が藍音さんを探すのが適任だな。俺が学校の周りをウロウロしてたら不審者扱いされて通報されかねないしな」

 

「ふふっ、それを言うなら私だって事務所から門前払いを受けかねないよ。だが、引き合わせに成功したとしても、彼女が社長にスカウトされるのかが問題だけれど……」

 

「これに関しては考える時間も調べる時間も足りなかったからな……けど分からない事をいくら考えても仕方ない。まずは2人を探し出してライブに連れていくこと、それに努めよう」

 

「そうだね。あなたの言う通り、それを最優先にしていこう。じゃあ明日から私は事務所沿線を中心に、プロデューサーは新宿方面を主に探索するわけだね。連絡なんかはどうしようか?」

 

「そうだなあ……」

 

 プロデューサーは腕を組んで考えを巡らす。

 

 当然ながらこの時代において2人のスマホは圏外で使い物にならない。かといって新たに携帯電話を契約しようにも、契約に必要となる有効な身分証明書の類いは無いのだった。

 

「だったら駅に電話して呼び出してもらうか。定時連絡って感じで時間を決めてさ」

 

「分かったよ。連絡はどちらからする?」

 

「咲耶からかけてくれ。捜索中にいちいち駅に戻るのは手間だろう。尋ね先の決まってる俺の方が早く手掛かりが掴めるだろうから駅に行く時間の確保は楽だしな。場所は新宿駅にしようか」

 

「了解だ。ふふっ、何だか新鮮だね。携帯電話の普及していない頃は、こういう連絡の仕方もしていたと耳にした事があるけれど、自分がやるなんて思ってもみなかった」

 

「俺だってそうだ。昔両親から聞いた程度だ」

 

「不謹慎かもしれないけれど、明日電話する時が楽しみだよ。あ、そうだ。明日以降の宿泊はどうするんだい?引き続きここに泊まるのかい?」

 

「いや……流石にそれはな……新宿近辺で別のホテルをとろう」

 

「そうかい?こういう所も趣があって良いと思うのだけれど」

 

「冗談言うな。ここが何処だかわかってるだろ?」

 

 そう言って部屋の中を見回すプロデューサー。

 

(まだ警察が警戒しているかもしれないから郊外で降ろしてもらったけど、宿がこんな所しか見つからなかったのは計算外だったなあ……)

 

 広くない室内には円形のベッドと桃色気味の間接照明、薄めのモザイクガラスで覆われた風呂場など、ごく普通のホテルには無いであろう独特な設備の類が見られた。

 

「とにかく明日は別のホテルだ。ちゃんと部屋も2つ取るから…………あ、そうだ。念のため偽名でも使っておくか」

 

「偽名?何故だい?」

 

「いや、思ったんだよ。俺らが社長の前で本名を名乗ったら、未来でややこしいことになるんじゃないかって」

 

「なるほど、一理あるかもね。だとしても、どう名乗ろうか?」

 

「単純に本名をもじってみれば良いんじゃないか?例えば……白井さくら、とかさ」

 

「なるほど…………しかし、プロデューサーと私は苗字を統一した方が良いんじゃないかな?確か藍音さんに出会った時に兄妹のフリをしたと思うんだけど」

 

「あ、そうか。なら……會川サクラ、とかでいいかな?」

 

「うん!なかなかに良い響きだ。気に入ったよ。プロデューサーはどうするんだい?」

 

「そうだな……単純に悠一の悠を抜いてハジメとでも名乗るかな?」

 

「會川ハジメか。それもまた良い名前だね」

 

「そいつはどうも。さてと、話もまとまった事だし、そろそろ寝るとしよう」

 

「そうだね」

 

「じゃあ俺はそっちのソファーで寝るから」

 

「そんな、悪いよ。プロデューサーがベッドを使ってくれ」

 

「バカ言え。担当アイドルをきちんとした寝床で寝かせないなんて、プロデューサーの沽券にかかわる」

 

「そうは言っても、私一人でベッドを使うのも忍びない。だから――」

 

「一緒に寝よう、とかいうのは却下だ」

 

「おや、先を越されてしまったか」

 

「それこそ出来るわけないだろ」

 

「何を気にする必要があるんだい?私達は兄妹じゃないか、兄さん?」

 

「からかうな。さあ、明日に備えて寝た寝た!」

 

 プロデューサーは強引に会話を打ち切ると、電気を消してソファーの上に寝転んだ。

 

 咲耶も肩をすくめてベッドへと身を横たえた。

 

 プロデューサーがブランケットを肩口まで引き上げて身をよじっていると

 

「プロデューサー」

 

 暗がりから咲耶の声がした。

 

「何だ?」

 

「…………いや、何でもないよ。お休み」

 

「ああ、おやすみ」

 

 それから数拍の間があった。

 

「……咲耶」

 

「……何だい?」

 

「無理はするなよ」

 

「うん…………あなたこそね」

 

「おう」

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午前9時15分

 

 

「天井努さんに繋いでいただけますでしょうか?わたくし――」

 

 天井社長が元いたという事務所へとやってきたプロデューサーは、受付にて問い合わせを行った。

 

 彼が古くから懇意にしているという、プロデューサーも顔見知りである業界人になりすまして情報を引き出そうという算段だった。

 

「承知致しました。少々お待ち下さい」

 

 営業スマイルを浮かべ会釈した受付嬢は、卓上の内線電話に手をかけた。

 

 プロデューサーは何食わぬ顔で返答を待っていた。

 

 しっかりと確認を取れば簡単に暴かれてしまう粗末な嘘ではあったが、堂々としていれば意外とバレないもので、受付嬢に不審がられた様子もない。

 

 なにより社長に会えさえすれば嘘がバレようと構わない。最初の取っ掛かりを掴むのが何よりも大事、と考えての行動なのであった。

 

(ともかく顔さえ合わせられればそれでいい。適当に取り繕って場を繋いで、あわよくば名刺を貰って連絡先を確保。追い払われたら出待ちをして食い下がる。泥臭い方法だがこれしかない)

 

 プロデューサーは受付嬢から見えない位置にある拳をグッと握りしめた。

 

「お待たせ致しました」

 

「はい」

 

 程なく内線電話を切った受付嬢が視線を合わせてくる。

 

「天井なのですが、4日程前から長期休暇を取っておりまして不在となっております」

 

「……え?」

 

 予想だにしなかった返答に、プロデューサーは目を白黒させる。

 

「不在って、それじゃあ困るんです!どうしても彼に合わないといけないんです!連絡先や行き先はわかりませんか!」

 

「申し訳ございませんが、こちらではそれをお答えすることはできません」

 

「そこをなんとか!」

 

「そう申されましても……お知り合いなのでしたら携帯電話の番号などはご存知のはずでは?」

 

「い、いや、それが……携帯持って無くて……あ、その!壊れちゃって電話帳機能も使えなくて、ですね」

 

 一転して動揺を露わにし、しどろもどろになるプロデューサーの姿を見る受付嬢の視線が冷ややかなものとなり、警戒の色がにわかに浮かんでくる。

 

 彼女が目配せのような動きをしたので周囲を見渡してみると、フロアを巡回していた警備員がこちらを見ているのがわかる。

 

 プロデューサーは冷や汗を浮かべ

 

「わ、わかりました!他をあたってみます!失礼しました!」

 

 と一言告げ、慌てて外へと飛び出して行ったのであった。

 

 

 

「まいったな……」

 

 事務所を飛び出して路地裏へと身を潜めたプロデューサーはポツリと呟く。

 

 当初の予想に反して訪問は空振りに終わり、手がかりも全く掴めなかった。一瞬にして出鼻を挫かれてしまい、プロデューサーは肩を落とす。

 

「……とにかく一刻も早く社長の居場所を突き止めないと。住んでる場所、どこか行きつけの店とかは……」

 

 ありうる限りの記憶を辿ってゆくプロデューサー。

 

 しかし、その表情は徐々に曇りだしてゆく。

 

(……考えてみたら、社長のそういう事全然聞いたこと無かったな。あの人にはそれなりに長くお世話になってきたはずなのに、まだまだ知らない事ばかりだった……)

 

 傍の建物の壁へと背をもたれさせ、プロデューサーは顔を俯かせた。

 

「………………」

 

 暫しの時が過ぎ、彼は何気無しにポケットからスマホを取り出した。

 

 ホーム画面に表示されるのは新事務所の前での集合写真。

 

 それを見つめ黙していたプロデューサーは、突如意を決したように拳を握り、カバンから手帳を取り出して素早くページをめくり始めた。

 

(撮影スタジオ、雑誌社、テレビ局、番組制作会社、他事務所、諸々の取引先!天井社長に繋がるツテは絶対にあるはずだ。虱潰しに探す!社長と一緒に挨拶回りした所、社長が懇意にしていた人達、手掛かりはある!あの人に教わった事、人との繋がりを今こそ活用するんだ!)

 

 

 

 プロデューサーは手帳やスマホに登録された知り合いの芸能関係者、テレビ局スタッフ、雑誌社から衣装・アクセサリの業者など、この時代において手掛かりになりそうなツテ、その全てをリストアップし電話ボックスに籠もって電話を片っ端からかけまくった。

 

 空振り、不審がられて通話を切られるなどは当たり前、手掛かりになるような事には一向に辿り着かない。だが彼はめげること無く電話をし続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午前11時56分

 

 

「はい、はい。申し訳ございません。失礼致します」

 

 何度目になるかわからない電話を切ったプロデューサーは腕時計へと目を向ける。

 

 すると時刻は12時まであと僅かといった頃合いとなっていた。

 

「ヤバっ!駅に行かなきゃ!」

 

 電話ボックスを出た彼は、駅前の広場を走り抜けていく。

 

 時刻は丁度12時を過ぎ、広場に来ていたテレビスタッフの構えるカメラに向けて、多くの若者達が手を振り出した。

 

 その様子が丁度上方にある、ビルに埋め込まれた巨大な街頭モニターに映し出される。

 

 お昼の人気バラエティ番組の開始に多くの通行人が注目するのを尻目に、プロデューサーは駅構内へと駆け込んでいった。

 

「ふぅ、はぁ…………」

 

 プロデューサーが息を整えつつ構内の通路を歩いていく。

 

 そんな折

 

《會川悠一さま、會川悠一さま、お言付けが御座います。いらっしゃいましたら近くの駅係員まで御声がけ下さい。繰り返します――》

 

 というアナウンスが聞こえてきた。

 

「来たな」

 

 プロデューサーは改札近くの駅員に声をかけて電話を繋いでもらった。

 

「もしもし、咲耶?」

 

《プロデューサー。良かった、ちゃんと出てくれたね》

 

「当たり前だろ。それで、そっちの首尾はどうだ?」

 

《こっちは順調さ。藍音さんの通う高校は特定出来たよ》

 

「えっ!?本当か!?早いな!」

 

 思わぬ報告にプロデューサーは声を大きく張り上げてしまう。

 

 近くの駅員が何事かと一瞬プロデューサーの方を見る。プロデューサーは申し訳なさそうに軽く頭を下げ、声のトーンに気をつけながら電話を続ける。

 

 電話口からは咲耶の若干弾んだような声がした。

 

《近辺で最も通学旅客の多い駅で朝から聞き込みをしたんだ。女子学生を中心に手当たり次第に声をかけてね。そうしたら藍音さんを知る、同じ学校の生徒と出会うことが出来たんだ》

 

「そ、そうか。流石は咲耶だな」

 

 プロデューサーの頭には、壁際に手を着いて、女子学生に甘いマスクと言葉を用いて囁きかける咲耶の姿が容易に想像できた。

 

《彼女は学校で風紀委員をやっているらしくてね、その仕事ぶりが有名らしい。あまりの実直さと融通の利かなさで少々疎まれ気味、というあまり芳しくない評価だったけどね》

 

「なるほどな。言われてみれば、前に夜道で会った時の印象には合致する気はする」

 

《とりあえず私は放課後まで待って、下校する彼女にコンタクトをとってみるよ。そっちの方はどうだい?》

 

「あー、それなんだけどな……」

 

 

 

《なるほど。それは厄介なことになってしまったね……》

 

「けど立ち止まってる暇は無い。出来る限りの事はしてみるつもりだ」

 

《分かった。こちらは心配いらないから、プロデューサーは社長の行方を追うのに集中してほしい》

 

「おう。そっちは任せたぞ。次の連絡は17時にここへ」

 

《ああ。それじゃあね》

 

 通話を終えて駅員に一礼をすると、プロデューサーは電話の続きをするために歩き出す。

 

(と、小銭を用意しとかないとな。どこか両替できる場所は……)

 

 プロデューサーが周囲を見渡すと、緑色の小さな券売機のような物が目に入ってくる。

 

「そうだ!アレがあった!」

 

 プロデューサーはそこへ駆け寄って、テレホンカードを十数枚購入。

 

 公衆電話のある場所へと足早に向かって行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 2030年7月16日 午前9時45分

 

 

 2030年へとタイムトラベルを敢行したドクはデロリアンを暫し走らせ、とある建物の前で停車させた。

 

「よーし!着いたぞ!」

 

「着いたって、ここは何処なのさ?ユーイチの家とは違う所だよね?なんか車の整備屋みたいだけど」

 

 マーティが窓越しに外を見ると、そこには大きなシャッターが特徴的な、灰色の平屋建ての建物があった。

 

 シャッターの上には、看板のようなものが取り付けられていた跡が残っている。

 

「こいつは貸しガレージだ。元々は車の整備屋だったものを、今日から使えるようにと2020年に手続きを済ませてきた」

 

「さっき言ってた下準備ってこれのことか。よくスムーズに手続き出来たね」

 

「ユーイチから名義やスタンプ、現金、クレジットカード、諸々の手続きに必要な物を借りておいたおかげだな」

 

「まったく、ユーイチも人がいいんだから」

 

「最早なり振り構ってられる状態じゃないから遠慮せず役立ててくれ、と全財産を渡してきおった。先立つ物があるのは安心だが、ワシらの責任は重大だな」

 

「そうだね。何としてもユーイチとサクヤの助けになってあげなきゃ」

 

 そのように2人が話していると、1台の中型トレーラーがやってきて彼らのそばに停車した。

 

「ふふっ、10分前に到着だ。ニッポン人は実に時間に生真面目だな」

 

 トレーラーからは作業着姿の男2人が降りてくる。

 

 ドクもデロリアンから降り、彼らへ向けて翻訳アプリを用いて話しかける。

 

 男らは怪訝な表情を見せるが、それも一瞬のことで、併せてドクが差し出した書類を確認すると、トレーラーから積荷を下ろし始めた。

 

 その中から出てきたのは、銀色に鈍く光るステンレス製の車の上部フレーム、そして新品のエンジンであった。

 

「ふむ、2020年に渡した設計図通りの出来栄えだ」

 

 ドクはそれを満足気な表情で眺めると、デロリアンの近くから様子を窺っているマーティへ向き直る。

 

「さて、では始めるとしよう!デロリアンの更なる改造をな!」

 

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午後4時20分

 

 

「やあ、藍音さん」

 

「あなたは、昨日の……」

 

 校門から出てきた藍音を暫く尾行し、周囲の学生が少なくなった頃合いを見計らって咲耶は藍音に声をかけた。

 

「何かご用でしょうか?それにどうして私の名前を?」

 

 藍音は警戒の色を滲ませた瞳で咲耶を見る。

 

(やはり事前に聞いていた通りだ。あまり他人に気を許さない、堅物が服を着て歩いているような人だと。こうなると迂遠な言い回しはせずにストレートに話をした方が良いだろうね)

 

 咲耶は柔和な笑みを浮かべて藍音へ向けて語りかける。

 

「昨日学生証を拾った時に名前が目に入ったんだ。あと学校の事もね。盗み見るような形になってしまったのは申し訳ないと思ってる。それと用事に関しては、兄の使いでやってきたんだ」

 

「お兄さんの?」

 

「そうなんだ。兄が昨晩のことをいたく気にしていてね。どうしてもお詫びをしないと気が済まないと言うんだ。だからこうしてあなたの元に馳せ参じたというわけさ」

 

 予めプロデューサーと決めていた段取りで咲耶は話を進めてゆく。

 

「別に私は気にしていません。お気持ちだけ受け取っておきます、とお兄様にお伝え下さい」

 

「そういうわけにはいかない。ああ見えて兄は繊細なんだ。このまま何もしなかったとあれば、ひと月は仕事もロクに手につかないくらいに落ち込んでしまう」

 

「そんな事を言われても困ります。私にも予定がありますし、名前も知らない方の誘いに乗るいわれもありません」

 

「と、そういえばちゃんと名乗っていなかったね、私としたことが失礼したよ。私は、會川サクラだ。よろしく」

 

 そう言って咲耶が差し出した手と顔とを交互に見比べて、藍音は一瞬だけ握手に応じて

 

「會川サクラさん、それでは私は失礼させてもらいます」

 

 と素っ気なく告げて、咲耶の脇をすり抜けるようにして早足で歩き出す。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 咲耶は慌ててその後を追い、横並びになって歩きながら話を続ける。

 

「もう少し話を聞いてくれないだろうか?折角だ、どこかの喫茶店にでも入ってお茶でもしながら」

 

「学校帰りに不必要な寄り道はしない主義なので」

 

「だったら家に帰った後に改めて会うというのはどうだろう?」

 

「その後は宿題を済ませて塾に行かなければならないので、お付き合い出来ません」

 

「それなら明日は?土曜日だから学校は休みだろう?」

 

「何を言ってるんですか?明日は午前中に授業があるに決まっているじゃないですか。学校をサボるつもりですか?」

 

「あ……」

 

「はぁ……まったく。加えてその様子、この時間に私服でうろついてるだなんて、あなた今日も学校をサボっているみたいですね」

 

 溜息と共に軽蔑の眼差しを藍音は向けてくる。

 

(そうか、私のいた時代では土曜日が休みなのは当たり前だけれど、昔は土曜日にも授業があったと聞いたことがある。失言だったか)

 

 咲耶は内心焦り気味となり、必死に考えを巡らす。

 

「私の学校は今日明日と創立記念でお休みでね。ついあなたも私と同じだと勘違いしてしまった」

 

「二日連続で創立記念日が?」

 

「私が地方からやってきたというのは昨日少し話しただろう?翌日が土曜日だと併せて休みになる時もあるんだよ、私の住んでいる地方ではね」

 

「……そうですか?……まあ、別に私には関係のない事なのでもういいですけれど」

 

 速度を緩めることなくスタスタと歩きながら、ぶっきらぼうに藍音が言う。

 

 一応は言い分に納得してくれたようで、咲耶はホッと胸を撫で下ろす。そして話を続けていく。

 

「もし明日に都合がつかないようなら日曜日に出かけるのはどうだろう?兄が面白いイベントに誘ってくれるんだ」

 

「そう言われましても、日曜日は家で勉強をしなければならないので」

 

「何も一日中とは言わない。ほんの数時間、夕刻前に付き合ってくれるだけで良いんだ」

 

「一体どこに連れて行こうというのですか?」

 

「ワンガンテレビ主催の御台場アイドルフェスティバルさ。勉強の良い息抜きになるんじゃないかと思うんだけれどね」

 

 咲耶がそう言った瞬間、藍音の歩みがピタリと止まった。

 

「っと……」

 

 咲耶もまた歩みを止めて藍音に目を向ける。彼女は顔を俯かせて何か呟いている。その言葉は咲耶の位置からは聞こえず、表情も窺い知れない。

 

「アイドル……何で……んな……」

 

「え?」

 

 かろうじて聞き取れた言葉に咲耶が目を瞬かすと、藍音が顔を上げて咲耶の方に目を向ける。

 

「すみませんが、アイドルなんて下らないものに付き合うことはできません。受験を控えているので一分一秒たりとも無駄にしたくありませんので。さようなら」

 

 そう告げると藍音はその場を全力で駆け出していった。

 

「待ってくれ!藍音さん!」

 

 一瞬遅れて必死に後を追いかける咲耶。

 

 藍音は信号が赤へと切り替わる寸前の横断歩道を一気に突き抜ける。

 

 咲耶がそこへと差し掛かった時には、車がひっきりなしに目の前の道路を走り始めていた。

 

「はぁ、はぁ…………一体どうしたんだ、突然」

 

 2分ほど待って、信号が切り替わった横断歩道を咲耶が渡って周囲を見渡す。

 

 しかしながら藍音の姿はまったく見当たらなかった。

 

「こんなところで、諦めるわけには……!」

 

 咲耶は藍音の姿を求めて街を駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午後4時41分

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 横断歩道を渡りきり、裏路地へと身を滑り込ませ、なおも走り続けた藍音は後方を振り返る。

 

 追ってくる者の姿が見えなくなった事に安堵し、速度を緩めて藍音は一息つく。

 

(昨日あんな事があって、その次の日にアイドルのイベントに誘われるなんて、本当に何なの?最悪の偶然だわ……)

 

 心の中で独りごちて藍音はスタスタと歩き家路を急ぐ。

 

 彼女、會川サクラと名乗った女性に再び捕まる前に駅へと向かわなければ、と逸る藍音。

 

 普段は決して通らない飲み屋街、まだ人通りもほとんど無く、日中にしては静まり返っているそこは、何とも異様な空気に感じられる。

 

 それ故か思わず歩みが早くなっていく。そうして角を曲がった時だった。

 

「きゃっ!」

 

「痛って!」

 

 彼女は同じように角を曲がってきた人物と衝突してしまった。

 

 よろけた藍音は尻餅をついて地面にへたり込んだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

「え、ええ。こちらこそ……」

 

 と聞こえてきた声に返事をする藍音だったが

 

「しっかりして下さい。お怪我は?」

 

「っててて……ケツがいてぇな……」

 

 彼女が目を向けた先では3人の男達がしゃがみ込んで、その輪の中心にいる尻餅をついた男を気にかけていた。

 

 誰一人として藍音の方には目もくれていなかったのだった。

 

「…………」

 

 黙しつつ藍音は男達の姿に目を向ける。

 

 男達は白いズボンに派手な柄シャツ、もしくは金色のアクセサリをジャラジャラと付けたスーツ姿など、誰が見ても“ガラが悪い”と口を揃えて言いそうな姿をしており、関わり合いになるのは危険だと藍音は強く感じた。

 

「すみませんでした」

 

 立ち上がった藍音は、頭をサッと深く下げてそう言うと、即座に踵を返してその場を立ち去ろうとした。

 

「おい待ちな!」

 

 ドスの効いた声が背後からかけられて、藍音はビクリと体を震わせる。

 

 ゆっくりと振り返ると、しゃがみ込んでいた男の一人が立ち上がって、首を斜めに傾けながら近付いてきた。

 

「人様に派手にぶつかっておいて、ただそれだけで済ませられると思ってんのか?」

 

「そ、それは……」

 

 鞄を胸に抱え、怯えた目をする藍音を3人の男達が取り囲む。

 

 怯えた様子でキョロキョロと首を左右に動かす藍音に対して、男達は獲物を狙う野犬の様な視線を浴びせていた。

 

「おいおい、あんまり怖がらせちゃダメだろう」

 

 と、そこへ尻餅をついていた男が立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。

 

 分厚い肩パッドの入った紫色のスーツを着たその男は、他の3人の男達と比べて随分と背が低く、藍音とほぼ同じ背丈であるように思われた。

 

「んっ?……ほうほうほう…………おーっ!」

 

 近づいてきた男は品定めするかのように、首を上下させつつ藍音の全身をジロジロと眺める。

 

「な、何ですか?」

 

 怯える藍音に向けて、男が感嘆の声を上げた。

 

「いーねー!ダイヤモンドの原石発見って感じだ!よし決めた!俺が君をアイドルにしてやろう!」

 

「…………え?」

 

 思ってもみなかった男の発言に藍音は目を白黒させる。

 

「あの……すみません、言ってることの意味が分からないのですが」

 

「おっと、自己紹介もしないで悪いね。俺はこういう者でね」

 

 男が懐から取り出した名刺を藍音へと突き出す。

 

「深沼芸能……アイドルプロデューサー、深沼敏……はぁ……?」

 

 名刺に刻まれた文字を読み上げた藍音は、ますます理解できないといった様子で首を傾げる。

 

「君は10年に1人の逸材だ!これは運命の出会いだ!絶対に売れっ子にしてみせる!この敏腕プロデューサー、深沼敏がな!」

 

 大仰に両手を上げて、悦に入った様子で背の低い男は高らかに言い放った。

 

「冗談を言うのはやめて下さいますか?私がアイドルになんてなれるわけ無いでしょう?そういうのに相応しくないという自覚はありますし、全く興味は無いので」

 

「いやいやいや、良くないなあ、そんな風に自分を卑下しちゃあ。勿体ない勿体ない」

 

 あからさまに拒否する藍音に対して、深沼敏はしつこく食い下がり続けた。

 

 

 

「一体何言ってんすか?深沼さん。あんな芋い娘に必死になって」

 

 取り巻きの男の1人が隣の男に囁きかける。

 

「シッ!黙ってろ!あの女子高生はな、深沼さんの趣味にドンピシャなんだよ」

 

「え!?あんな冴えない小娘が?」

 

「どこにでもいるような芋い娘が、ある日突然アイドルになって脚光を浴びる。そんなシンデレラストーリーこそ、あの人が憧れてるシチュエーションなんだよ」

 

「意外とロマンチストなところがあっからな、深沼のダンナは」

 

 もう1人の取り巻きが肩をすくめて言った。

 

「にしても今の流行りじゃないでしょ?あの容姿は。昭和の時代ならまだしも……って昭和でもどうなんだありゃ?」

 

「そういうのを注目させんのが堪らんのだとよ深沼さんは。レトロ趣味、昭和趣味ここに極まれりってやつだ」

 

「だからってマジでアイドルとして売れんですか?あの娘」

 

「それをコネと金と口車で何とかしちまうのが深沼さんだ。世渡り上手だからなあの人は」

 

「ウダウダ言ってねえでさっさと協力すんぞ。でなきゃ後でダンナにどんな目に合わされるかわからん」

 

 男らは顔を見合わせて頷くと、押し問答を続ける2人の元へと近づいて囃し立てる。

 

「いやいやまったく!深沼さんの言う通りだ!」

 

「キミは未来のトップスターだぜ!間違いねえ!今のうちに俺のスーツにサインしてくんない?」

 

「Kファミリーも顔負けのステージに立てるぜアンタ。深沼のダンナに付き合えばな。薔薇色の未来が待ってるぜ」

 

 深沼に加え、強面の男らに言い寄られ困惑する藍音は、その顔を俯かせる。

 

 そんな彼女の肩に手をかけて深沼が言う。

 

「悪い話じゃあないだろう?女の子は誰しもアイドルに憧れるもんだしな。最初は不安かもしんないけどよ、俺について来いって、なあ?怖がることはないさ」

 

 肩をフルフルと震わせる藍音を、深沼は猫撫で声でなだめすかす。

 

「…………ふざけないで下さい!」

 

 と、次の瞬間、藍音が肩に置かれていた深沼の手をパシッと跳ね除けた。

 

「何度も言いますが!私はアイドルになんてなる気も無いし、全く興味もありません!私に関わらないで下さい!コレはお返ししますので!」

 

 藍音は手にした名刺を深沼の手に押し込むようにして返すと、踵を返して歩み出す。

 

「おいおい、待ちなって」

 

「いい加減にして下さい!」

 

 更に食い下がるべく身体を回り込ませてきた深沼の身体を藍音が突き飛ばした。

 

 深沼はバランスを崩して身体をよろめかせ、またもや地面に倒れ込んだ。

 

「ってててて…………この……人が下手に出てりゃあつけ上がりやがって!」

 

 先程までの柔和な態度とは一転して、鋭い視線を向けて睨みつける深沼。

 

 取り巻きの男らも藍音を睨みつけ、その距離をジリジリと詰めてゆく。

 

 藍音は身体を震わせながら後ずさる。

 

「くうぅぅーっ!こいつは骨にまで響いた感じだ。ひでぇ大怪我だ。治療費、手術台を払ってもらわなきゃな」

 

「そ、そんなわけないでしょう!ちょっと転んだだけじゃないですか!」

 

「いーや、この感覚は絶対にそうだ。あー痛てぇ……」

 

 深沼がわざとらしく腕を押さえて、わざとらしさを隠そうともしない様子で言う。

 

「ダンナに怪我させた落とし前、しっかりつけてもらわなきゃなあ。親御さんや学校にも言ってなあ」

 

 周囲の男の1人がニタニタと笑いながら藍音に迫る。

 

 藍音は恐怖と不快感に顔を歪ませる。続けて何か反論をしようとするが、男達は何を言われてもいなしてしまうだろう。その様に思うと上手く言葉が出てこなかった。

 

 その時だった。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 突然現れた1人の人物が、倒れた深沼の元へと駆け寄ってきた。

 

「な、何だお前は!?」

 

「サクラ……さん?」

 

 藍音のその呟きを耳にした咲耶は、横目で彼女にウインクをすると、深沼の方へと向き直って手を差し伸べた。

 

「怪我をされたのですか?これは大変だ。宜しければ私が病院まで付き添いましょう。どうぞ掴まって下さい」

 

「お、おいコラ」

 

 深沼が怪我をしたと主張していた方とは反対の手を取り、咲耶は肩に手を回して歩こうとするが、おおよそ20センチ近くはあろうかという体格差は、それを容易にさせてはくれない。

 

 咲耶が立とうとすれば深沼が爪先立ちをしなければならず、深沼の姿勢に咲耶が合わそうとすればかなり前屈みにならなければならない。

 

 咲耶は一旦手を離し、深沼を直立させて、その顔を覗き込むように見下ろしながら告げる。

 

「……すみません。私の方が少々背丈が大きいようで。何でしたら背負うか抱きかかえるかを致しましょう。どちらがお好みですか?」

 

 咲耶の言葉を耳にした深沼は、ワナワナと身体を震わせて拳を大きく振り上げ

 

「オレを見下すんじゃない!」

 

 と叫びつつ咲耶に襲い掛からんとした。

 

「おっと!」

 

 しかしながら、後方にステップをして避ける咲耶へ、その拳は当たる事なく空を切る。

 

「んなっ!」

 

 つんのめって転びそうになる深沼の手を咲耶が取り、もう片方の手を彼の背に添えて、その身体を支えた。

 

 その姿はさながら、舞踏会で踊る王子と姫を思わせる様相だった。無論その性別は反対ではあるが。

 

 突然の状況に、深沼は何が何だか分からないといった様子で目を瞬かせていた。

 

「これは失礼。ですがこれだけの動きが出来るのならば、腕のお怪我は大した事がないご様子。何事も無かったようで何よりです」

 

 咲耶が深沼の身体から手を離し、一歩引いて恭しく一礼をする。

 

 深沼の顔面は茹でダコのように真っ赤に染まっており、先ほど以上に大きく身体を震わせていた。

 

 目の前で繰り広げられていた不思議な光景に呆気にとられていた取り巻きの男達は、ハッと正気に返り

 

「なんなんだお前は!」

 

 と、声を荒げて咲耶に詰め寄ろうとしてきた。しかしその時、唸るようなサイレンの音が響き渡ってきた。

 

「なっ!?」

 

 深沼を始めとした男らはその音に一瞬身を震わせる。

 

「おっと、救急車を呼んだつもりが間違えてパトカーを呼んでしまったようだ。でもこの際だ、念のため彼らに病院まで運んでもらおうか?」

 

 咲耶がウインクをして微笑みかける。

 

「チッ!ずらかるぞ!」

 

 深沼が声をかけると共に、男達が慌てて逃げ出してゆく。

 

「おやおや。遠慮する事など無いのにねぇ。さて、大丈夫かい、藍音さん?」

 

 と、咲耶が振り返る。しかし、藍音の姿は忽然と消えていたのであった。

 

「…………まいったな、本当に逃げられてしまった」

 

 嘆息して肩を落とす咲耶。

 

 そうこうしているうちにサイレンの音はどんどん近づいてくる。

 

(仕方ない。私も退散するとしよう。警察の方には悪いけれど、関わり合いになると身分の定かじゃないこっちが不審に思われそうだしね)

 

 咲耶もまたサイレンから遠ざかるべく、その場を走り出していった。

 

 

 

 そうして多くの人々が行き交う大通りへとやってきた咲耶。

 

 駅へと向かうべく周囲を見渡してルートを探していると

 

「そこのキミ!」

 

 背後から突然声をかけられた。

 

「え?」

 

 何事かと咲耶が振り返ると、そこには焦茶色のスーツを着て、黄土色のネクタイを締めた、色黒の中年男性が立っていた。

 

「私のことかい?」

 

「そう!キミだよキミ!その容姿、体躯、立ち振る舞い、ピンときた!キミ、アイドルに興味はないかね?」

 

「あ、いや、私は……」

 

 と咲耶が口籠っていると、男は何かに気がついたように頭を軽く下げる。

 

「ああ、いや!すまない。いきなり不躾だったね。私はこういうものだ」

 

 そうして名刺入れから取り出した名刺を手渡してきた。

 

「キミにはアイドルの素質がある。一眼見てそう感じた。いきなり言われて怪しむのもわかる。じっくりと説明をしたいところなのだが、用事の途中でね。申し訳ないが行かねばならない」

 

「え、はい……」

 

「もし少しでも興味があるのならば、是非とも連絡をしてくれたまえ。……と、コレも渡しておこう。見ておいてもらって損は無いはずだ」

 

 男性は懐から取り出した3枚の紙を、更に咲耶へと手渡してきた。

 

「このイベント会場に私もいる。良ければそこで話をさせてくれ。友達を誘ってきてくれても構わない。では、私はこれで。いつでもキミの事を待っているからね」

 

 そうして男性は慌ただしく足早に去ってゆく。

 

 呆気にとられつつ、男性の姿を見送った咲耶が手にした紙片に目を向ける。

 

 それは件のアイドルフェスティバルの特別招待チケットであった。

 

 

 

 

 

 

 2030年7月18日 午後1時15分

 

 

「どうだいドク?」

 

 商品棚へとスマホのカメラを向けていたマーティは、通話モードを切り替えて画面へ向けて声をかける。

 

《ダメだな。10年後の世界に来れば或いは、と考えてはみたが、やはりデロリアンのホバー機能を直せるようなパーツは開発されておらんようだ。インターネットで検索しても引っかからん》

 

 画面の中のドクが眉間に皺を寄せていた。

 

「デロリアンが空を飛べればユーイチ達のピンチも救いやすくなるかと思ったけど、仕方ないね」

 

《とりあえず予定していたうちの必要最低限の改造は施せた。これで良しとしよう》

 

「それで、そっちの方は順調?」

 

《デロリアンのボディの換装、エンジン交換、シートの増設は完了。タイムサーキットとミスターフュージョンの付け替えにはもう暫く時間がかかるな》

 

「了解。それにしてもバッテリーに続いての改造が、エンジン小型化からの後部座席の増設だなんてね。しかも1シートだけ」

 

《仕方あるまい。今度1999年に行く時はマーティも一緒だからな。ユーイチとサクヤの行動が上手くいかなかった場合のリカバリーに人手は必要だ。作戦を仕切り直すにも2020年に戻るにしても、デロリアンには一度に4人は乗れないからな。本当はもう1シート増設したいところだが、次元転移装置の搭載スペース考えればあれが限界だ。ユーイチとサクヤには後ろに詰めて乗ってもらうとする》

 

「ともあれ、これでこの店での用事は済んだね。じゃあ今からそっちに戻るから」

 

《ああ……っと、マーティ。すまんが買っておいて欲しいものがある》

 

「何をさ?」

 

《タッチパネル式モニターとプログラミングのソフトウェアだ、タブレットでも使えるタイプのな。せっかくだからタイムサーキットの操作系統をタッチパネル式に改造してみたい。しかしながら連動させるためにはアプリケーションの設定、開発とやらが必要そうでな》

 

「了解。探してみるよ」

 

《頼んだ。流石に今回の改造には間に合わんだろうが、時間が出来たら試してみたいんでな》

 

 そうして通話が終了。マーティは電気店に併設された、超大型のホームセンターの店内を再び巡り始めた。

 

 

 

 それから暫くして、ドクに頼まれた商品を見つけたマーティはレジへと進んでいく。

 

「ん?あれは……」

 

 その途中、マーティの目にある物が留まった。彼はその方へと足を進める。

 

 そこでは片耳にイヤホンマイクのような物を取り付けた店員が、声を張り上げながら何かを仕切りに売り込んでいるようだった。

 

「さあ、いらっしゃいませ!ご利用下さい!夏の決算大セール限定福袋販売中!本日が最終日!今からタイムサービスでお買得!通常価格1万円からの更なる割引30%オフだ!買うなら今!どうぞいらっしゃい!」

 

 店員のそばの商品棚には沢山の紙袋が並べられていた。

 

 マーティが興味深げにその棚を覗いていると、ニッコリと笑顔を浮かべた店員が声をかけてきた。

 

「やあお兄さん!どうだい?お買得な福袋だよ!」

 

「福袋って何だい?」

 

「ああ、外国じゃあ馴染みが無いかな?えっとだね、この袋の中には2、3万円相当の電化製品が詰まってる。それがたったの1万円!更に今ならタイムセールで3割引きの7千円!とってもお買得さ!」

 

「そりゃあ凄い!」

 

「本当は中身は開けてのお楽しみなんだけど、兄さんには特別だ。お好みの品を選んであげよう。何か欲しい物はあるかい?」

 

「そうだなあ…………音楽とか映画とか、そういうのが楽しめるようなのってある?」

 

「オーディオビジュアル系ね。ちょっとまってて下さいよっと……」

 

 気さくな雰囲気の店員は棚の袋を眺めつつ、やがて1つの袋を手にしてマーティの前へと差し出した。

 

「これなら兄さんのお目当ての品が入ってる。中身は定価で3万以上の品ですぜ」

 

「ワオ!最高だね。それじゃあコレを貰うよ」

 

「毎度あり!お買い上げありがとうございます!」

 

 店員から紙袋を受け取ったマーティの腕にはズッシリとした感触が走った。

 

「こいつは随分な重さだな。ありがとう。それにしても店員さん英語ペラペラだね」

 

 マーティがそう言うと、店員は2度3度と目を瞬かせ

 

「あっはっはっは!お兄さん、面白いジョークを言うね!」

 

 声を上げて笑い出した。

 

「ジョーク?そんなの言ったつもり無いんだけど」

 

 マーティは怪訝な表情を浮かべ、肩をすくめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午後7時25分

 

 

「そんな事があったのか」

 

 新宿近郊のビジネスホテルの一室で、咲耶からの報告を聞いたプロデューサーは眉間に皺を寄せた。

 

「ああ、藍音さんはどういった訳か、アイドルに関して良い印象を持っていないらしいんだ。そこに加えて、深沼敏にちょっかいを出された。彼女の不信感はより一層強まったに違いない。これではイベントに来てくれるように説得するのは難しいだろうね……」

 

「まったく、この時代でもあの男に邪魔をされるだなんて……あーくそっ!本当に余計なマネばかりしてくれる!」

 

 プロデューサーは苛立ち混じりに後頭部を掻き毟る。

 

「っと……悪いな、みっともないところを見せた」

 

「構わないさ。私だって声を荒げたいくらい悔しい。気持ちは一緒だよ」

 

「そうか……」

 

「それにしても、深沼敏と深沼ススムが親子だって事をつくづく感じさせられたよ。性格と手癖の悪さ、容姿だって瓜二つだったのだもの。父親の背丈以外はね。相変わらず、智代子や凛世あたりといい勝負ってくらいにさ」

 

「ははっ。ホント、背のコンプレックスは筋金入りみたいだな。そこを咲耶におちょくられた深沼の顔は俺も見てみたかったよ」

 

「私としては、おちょくったつもりは無いのだけれどね。優しくエスコートをしただけさ」

 

 澄ました様子の咲耶を見てプロデューサーは、再び軽く笑みをこぼす。

 

「ともあれ、こんな事で諦めるわけにはいかないな。俺達と 283プロの未来がかかっているんだ」

 

「それとマーティと博士の事もね」

 

「だな。2人と合流した時に良いニュースを聞かせてあげなきゃな。社長の行方に関しては9割がた候補を当たった。残りを明日中に当たってみる」

 

「私の方もどうにか藍音さんを説得を試してみるよ。いざとなったら土下座でもなんでもしてみせるさ」

 

「おう、頼んだ……こうなりゃ、なりふり構わずやるっきゃない!よしっ!」

 

 とプロデューサーは両手で自分の頬を叩いて気合いを入れた。

 

「残り1日半、全力で頑張るぞ!」

 

「おーっ!」

 

 2人は拳を突き上げて気合いの叫びを上げたのだった。

 

 

 

 プロデューサーの部屋を後にした咲耶は隣の自室へと向かう。

 

 ドアの前でポケットに手を入れ鍵を取り出そうとした時、ふと手に当たったスマホを取り出した。

 

 咲耶はその画面を暫し眺めると、体の向きを変えてエレベーターの方へと向かっていった。

 

 

 

 ベッドのそばの小さな机に向かっていたプロデューサーは、手にしていたマジックペンを置いて一息ついた。

 

 そして椅子から身を乗り出すようにして、備え付けられている冷蔵庫の扉を開き、中から缶ビールを取り出した。

 

 プシュと音を立てて、プルタブから炭酸と共に微かな泡が沸き立った。

 

 缶に口をつけて冷えたビールを喉の奥へと流し込む。

 

 苦味と炭酸の感触が舌と喉を刺激する。

 

「ぷはぁ!……旨い!」

 

 最初の一口を堪能したプロデューサーは席を立ち、窓から外の景色へと目を向ける。

 

 夜景をチラリと眺めて視線を下ろすと、近くの公園に人影があるのが目に映った。

 

「……咲耶?」

 

 それは上着を脱いでTシャツ姿となっていた咲耶であった。

 

 彼女はどうやら踊っている様子だった。

 

 そしてそのダンスにプロデューサーは見覚えがあった。

 

 咲耶がトレーナーから指導を受けているという、この時代に流行った曲。

 

 遠目に見ている状態ではハッキリとは見えなかったが、彼女のダンスの完成度はかなり高いように思われた。

 

 彼女が踊りを終えるまで、プロデューサーは黙して見つめ続けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月3日 午前10時45分

 

 

「はい!はい!分かりました!ではそのお時間に!……はい!ありがとうございます!」

 

 電話ボックスの中で受話器を手にしながらプロデューサーは、しきりに頭を下げていた。

 

 通話が終わり、受話器を置いた彼は「よしっ!」と力強いガッツポーズをした。

 

 リストアップした同業者や関係各所を当たり続け、彼はようやく天井社長の手掛かりへと辿り着いた。

 

 今しがた話した人は天井社長と親しい間柄らしく、つい3日前にも会って話をしたとのことだった。

 

 これ幸いと電話越しにプロデューサーは、その時の事を聞こうとしたのだが、これから用事ががあるとの事で後ほど直接会って話をするという運びとなった。

 

(どうにか蜘蛛の糸を掴めたってとこだな)

 

 プロデューサーは電話ボックスを後にして、約束の場所へと向かうべく駅へと向かい電車に乗り込んだ。

 

 

 

 黄色いラインの入った電車に揺られながら、手持ち無沙汰のプロデューサーはスマホを取り出して保存されている写真に目を落とした。

 

 まず目にしたのは新事務所前での集合写真。

 

(櫻木真乃…………大崎甜花…………有栖川夏葉…………園田智代子………………和泉愛依………………福丸小糸…………)

 

 頭の中で写真に写っている所属アイドルの名前を思い浮かべる。

 

 顔と名前の一致する少女の数は昨日よりも減っていた。

 

 プロデューサーはこめかみに手を当てて軽く頭を振る。

 

 それから様々な写真を次々と表示させてゆく。

 

 その途中でとある写真に目が留まった。

 

 写真の中心には、釣り堀にて釣糸を垂らしながら仏頂面で座る田中摩美々と、その隣で釣竿を手にして笑顔を浮かべている咲耶の姿があった。

 

 加えて3人の少女が楽しげに水の中を覗き込む姿も写っていた。

 

 以前アンティーカのメンバーがプライベートで釣り堀へと行った時に、そこの従業員に撮ってもらった写真と聞いていた。

 

(みんな良い表情をしているな……摩美々は不機嫌そうだけど、心の底から嫌がっているような感じには見えないんだよな)

 

 写真を眺めるプロデューサーは軽く微笑んだ。

 

(あれ、そういえばここって……)

 

 そう思い、顔を上げて窓の外に目を向けた瞬間《次は市ヶ谷〜市ヶ谷〜》とアナウンスが聞こえてきた。

 

 腕時計を確認すると、時刻は11時を過ぎて暫くした頃合いだった。

 

(約束の時間まではまだ余裕があるな…………昼時になって混む前にここらで昼食を済ませておくか)

 

 プロデューサーは電車が停車した頃合いで椅子から立ち上がり、ホームへと降り立った。

 

 電車が走り去ったところでホームから景色を見下ろしてみると、丁度今しがた目にしていた写真に写っていた釣り堀が目に入った。

 

 今日は土曜日ということもあってか、釣り客はそこそこ入っているように思われた。

 

 

 

「さてと、どこにするかな」

 

 イオカードを改札へと通し、駅舎を出たプロデューサーは、駅前の通りを歩き出す。

 

 わずかに傾斜した並木道を歩きながら街並みに目を向ける。

 

 2020年にもプロデューサーはこの道を歩いた事がある。

 

 通りに軒を連ねる店や行き交う人々に時の隔たりを感じるものの、街自体の雰囲気は大きく変わらないように思われた。

 

 大学や専門学校の名が掲げられたビルを目にしつつ、横道から路地へと足を踏み入れる。

 

 その先でひとつの看板が目に入る。

 

「お昼の定食、オススメ、魚介の定食あります……か。居酒屋のランチも久しく食べてないな」

 

 プロデューサーのお腹が軽く音を立てて空腹を訴える。

 

「よし」

 

 と頷くとプロデューサーは、その居酒屋の暖簾をくぐったのだった。

 

「らっしゃいやせっ!」

 

 威勢のいい店員の声に迎えられつつプロデューサーは店内へ。そしてテーブル席へと案内され、メニューとお冷やを差し出された。

 

「さて、何にするかな?……定番の焼き魚の定食にするか。いや、刺身定食も捨てがたいな」

 

 小声で呟きつつメニューを眺めていると

 

「おい!ビールもう一本追加だ!」

 

 カウンター席の方から大声が響いてきた。

 

 何事かとプロデューサーが目を向けると、ヨレヨレになったワイシャツの背中が目に入ってきた。

 

「お客さん、余計なお世話かもしれませんが、流石に飲み過ぎじゃないですか?店に入る前から大分飲んでたみたいですし」

 

 カウンター越しに店員が嗜めの言葉をかける。

 

「あん?うるさいぞ!どれだけ飲もうと俺の勝手だろうが。いいからさっさとビール出せ!」

 

「はぁ。分かりました」

 

 店員は溜息混じりに冷蔵庫から瓶ビールをとり出し、栓を抜いてその客へと差し出した。

 

 受け取った客は、コップへとビールを雑に注ぎ入れて一気に飲み干した。

 

「昼間から酷い有り様だな」

 

 プロデューサーが思わず言葉を漏らす。

 

 すると、カウンターに座っていた人物がゆっくりと振り返ってきた。

 

「あ?……誰か何か言ったか?」

 

 焦点の定まりきっていない眼をキョロキョロと周囲に向ける酔っぱらいの男。

 

 プロデューサーは不味いと思い視線を逸らそうとする。だが……

 

「…………え?」

 

 男の顔から目が離せなくなった。

 

 無精髭の生えた赤ら顔、短くサッパリと整えられつつ歳の割には渋さを感じさせる髪型、痩身でありつつも引き締まった体躯。そして若々しくもどことなく威厳を感じさせる耳馴染みのある声。

 

「しゃ、社長!」

 

 プロデューサーはガタリと椅子を倒して立ち上がり、カウンターに座る若かりし天井努の元へと駆け寄っていった。

 

「社長!探しましたよ社長!良かった、やっと会えた!」

 

 プロデューサーは歓喜の声を上げながら、天井社長の手を取って大きく上下に振る。

 

「あ?な、何だお前は?社長……?」

 

 若き天井社長は困惑の声を漏らす。

 

「良かった、本当に良かった!これで事務所が、みんなが元通りになる!」

 

「事務所?みんな?社長?」

 

 プロデューサーの言葉に小首を傾げる天井社長。程なくして何かを察したのか、彼の目つきが一段階鋭くなった。

 

「…………そうか……お前……」

 

「え、あ、はい。そうだ、名乗らなくっちゃな。俺は」

 

 とプロデューサーが我に返って、話をしようとしたところで

 

「社長の回し者か!」

 

「うわっ!」

 

 彼は天井社長に力いっぱい突き飛ばされ、床上をゴロゴロと転がった。

 

「っててて……いきなり何ですか?」

 

「お前は、あれだろう。社長に言われて俺を連れ戻しに来たんだろう!何と言われようと俺の気は変わらんぞ!……社長に伝えろ!絶対に事務所には戻らんとな!」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 起き上がったプロデューサーが天井社長に詰め寄って行く。

 

「しつこいぞ!」

 

 だが再び彼に突き飛ばされ、プロデューサーはテーブルや椅子を巻き込みつつ盛大に身を転げた。

 

 グラスや陶器の灰皿が床に落ち、破片が周囲に散らばった。

 

「ぐあっ!…………ったたた………一体どうし……」

 

 痛みに顔を歪めながら起き上がると、既に天井社長は姿を消していた。

 

「ま、待ってください!」

 

 プロデューサーは慌てて駆け出そうとするが

 

「お客さん」

 

 肩をグッと掴まれ身体をクルリと半回転させられる。

 

「アンタあの人の知り合いか?あの人の分の勘定と壊れたもんの代金、しっかりと立て替えといて欲しいんだが?」

 

 笑みを浮かべた店員の顔が目の前にあった。

 

 プロデューサーは「あ、あははは」と引きつり気味に笑い声を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月3日 午前11時45分

 

 

「ったく、まさかあの社長が人を寄越すとはな……」

 

 左右に身体をふらつかせながら天井努は路地裏を歩く。

 

 酷く酒が回っているせいで、その視界には様々なものが歪んで見えていた。

 

「…………くそっ!」

 

 足元に転がっていた空き缶を蹴り上げる。

 

 カランカランと音を立てて転がったそれは、近くの壁に当たって大きく上方へと一瞬跳ね、数度バウンドして静止する。

 

 だが天井努はそれに一切目もくれず、俯きながら歩き続ける。

 

 そのせいで彼は前方から近づいてくる一団には気がつくことは無かった。

 

 すれ違いざまに1人の男の肩が、彼の上腕へとぶつかった。

 

 その衝撃で足取りのおぼつかない天井は、身体を半回転させ路上へと尻餅をついて転がった。

 

 そんな彼へと頭上から罵声が浴びせられる。

 

「痛ってぇ!どこ見て歩いてんだオイ!?」

 

「ダンナの言う通りだ!何してくれてんだ!」

 

「怪我したらどうすんだ、あん!?」

 

 ぶつかった男と、その取り巻きが喚き散らす。

 

「それはこっちの台詞だ」

 

「何だと?…………っと、誰かと思えば天井か?甘ちゃんの天井努くんじゃあないか!」

 

「…………深沼」

 

 それは悪趣味な紫色のスーツを着た、若き深沼敏であった。

 

「深沼・さ・ん、だろ?俺の方が5つも歳上なんだ。事務所が違うとはいえ、同業の先輩を敬えないとは関心しないなあ、え?」

 

「…………ふん」

 

 天井努は相手の言う事に耳を貸すような素振りも見せずに、ゆっくりと立ち上がる。

 

 自分の前に立ち上がった男の顔を今度は見上げる形になった深沼敏が、眉間に皺を寄せてギリと歯を鳴らす。しかしすぐに顔へと嘲笑を浮かべ直す。

 

「あれから大変だったんだぞ。お前のせいで大・大・大不機嫌になったあの人らを宥めすかすのがよ。まあ、骨は折れたが俺のおかげで万事丸く収まって、お前の事務所への被害だって最小限で済んだんだ。感謝の言葉のひとつくらい言ってもバチは当たらないと思うんだが。どうだ、あ?」

 

 深沼の言葉に対し、天井努は黙したまま表情を変えるようなことすらしなかった。

 

「……オイ、何か言ったらどうだ?」

 

 頬を引きつらせる深沼。

 

「……俺は今、気分が悪い。すぐにどっかに行け」

 

 頭ひとつ分、視線を下へと向けて天井努が静かに言い放つ。

 

 その言葉に深沼敏の神経は逆撫でされた。

 

「俺を見下ろすんじゃない!」

 

 怒りの声と共に繰り出された深沼の拳が、天井努の腹部にめり込んだ。

 

 くの字に身体を曲げて「かはっ!」と天井努の肺から空気が押し出される。

 

「くはははっ!思い知ったか!」

 

 得意げに笑う深沼敏。

 

 よろける天井努は、転ぶまいと咄嗟に深沼の両肩を手で掴んだ。

 

「おっ!?」

 

 驚いた深沼が天井の顔を見上げる。

 

 

 

 彼の限界はそこで訪れた。

 

 

 

「おえっ……うぐぉぇぇぇぇ……」

 

 深沼の顔面へと、アルコール臭の漂う吐瀉物が盛大にぶちまけられた。

 

 それは彼の顔からスーツから、全身を余す所なく濡らし尽くした。

 

 天井努は深沼から手を離し、ヨロヨロと後退りして、手の甲で口元を拭った。

 

「だから言っただろう……俺は気分が、悪いと……」

 

 ポタポタと深沼の体から異臭のする液体が滴り落ちる。

 

 その様に取り巻きの男らも鼻をつまみ、顔をしかめて思わず数歩後ずさる。

 

「…………ふ……ふ……ふざけやがって!もう許さねぇ!」

 

 激昂した深沼が拳を振り上げて天井努へと詰め寄ってゆく。

 

「ちょっと待ったー!」

 

 その時、大声と共に1人の男が彼らの間に滑り込むように入り込んだ。

 

 深沼はたたらを踏みつつ足を止める。

 

「何だテメェは!?」

 

「まあま……臭っ!」

 

「あ!?」

 

「いえ、失礼!あのですね、彼の方も悪気は無いみたいですし、クリーニング代は自分が立て替えますので、ここはどうか穏便に行きましょう、ね?」

 

 割り込んできた青年、もといプロデューサーは、財布から万札を取り出して深沼へと差し出す。

 

「ふざけんな!金の問題じゃねぇんだよ!」

 

 更に激昂してプロデューサーへと詰め寄る深沼。

 

「あっと!それ以上近寄るのは……うっ……!」

 

「この……誰だかわからねぇが俺をコケにする奴はどんなヤツだろうと許さねぇ!お前ら!全員でやっちまえ!」

 

 と取り巻きの男らに深沼が声をかけた瞬間

 

「おわあっ!な、何だアレは!?」

 

 プロデューサーが驚愕の声を上げて深沼らの背後へと指差した。

 

 深沼らは思わずその方へ目を向ける。

 

 するとそこでは、青色のポリバケツの上に佇んだ野良猫が大あくびをしていたのだった。

 

「何だよ、ただの猫がどうしたってんだ」

 

 と深沼が振り返った時、プロデューサーと天井努は遥か遠く、数十メートル先の路地を曲がって走り去っていたのだった。

 

「…………逃すな!追え!」

 

 深沼の命令を受けて3人の男達は慌てて走り出していった。

 

 一方の深沼はポケットから携帯電話を取り出して

 

「おい!近くにいるだろう!?お前らも手伝え!」

 

 電話越しにがなり立てていた。

 

 

 

「はぁ、はぁ……お前は、どうして……」

 

「話は後です!とにかくヤツらから逃げないと!」

 

 プロデューサーは天井努の手を引きながら全力で走る。

 

 しかしながら、未だに酔いの回っている天井の足取りはフラついていて、追手を引き離そうにもスピードが思うように上がらない。

 

 このままでは追い付かれるのは時間の問題であると言えた。

 

(何か、何か良い手は……!)

 

 プロデューサーが必死に周囲を見回すと、飲食店の裏口から荷物を抱えた店員が出てきて、何処かへと歩いていくのが目に映った。

 

「あそこだ!」

 

 プロデューサーは天井の手を掴みながらスピードを上げドアの前まで来ると、彼の体を店の中へと押し込んだ。

 

「お、おい!何を!」

 

「俺がヤツらを引き付けて何とかします!あなたは暫くここに隠れていて!」

 

 困惑する天井を尻目に、ドアを閉めてプロデューサーは再び駆け出した。

 

「待ちやがれ!」

 

 追手の男らがプロデューサーの後方から大声で叫ぶ。

 

 プロデューサーはチラリと後ろを確認して裏路地を駆けてゆく。

 

 曲がり角を右へと曲がり、ふと上を見上げると、雑居ビルの外階段が目に入る。

 

「アレだ!」

 

 とプロデューサーは走るスピードを少し緩めて後方を確認する。

 

 丁度男らが角を曲がってきたタイミングで、プロデューサーは見つけた階段を駆け上がる。

 

 コンクリート製の階段を1、2階の間の踊り場まで登り路上を一瞥。案の定男達は、プロデューサーの後を追って階段を上り出していた。

 

「いいぞ!ついて来い!」

 

 小声で叫んで更に階段を駆け上がる。

 

 2階を過ぎて3階の間の踊り場へ。

 

 プロデューサーはその先を見上げて、たたらを踏んで停止する。

 

 3階への道は格子扉に阻まれて行き止まりとなっていた。

 

「くっ!しまった!」

 

 プロデューサーの耳に階段を上る足音が迫る。

 

「…………久しぶりだけど、やるしかないか!」

 

 プロデューサーは踊り場から下を覗き込む。

 

 通行人の姿は無し、車や自転車が来る様子も無し。

 

 それを確認したプロデューサーは、一旦3階付近まで階段を駆け上がり、深呼吸をした。

 

 そして勢いをつけて階段を駆け下りながらジャンプした。そのまま踊り場の縁を跳び越えて、彼の身体は階下へと落ちてゆく。

 

 丁度踊り場まで駆け上がってきた男らが、面食らった様子で下を覗き込んだ。

 

 身体を投げ出すようにして跳び降りたプロデューサーは、着地の瞬間に体を1回転、2回転させて受け身を取る。そして足裏でアスファルトを勢いよく蹴り、膝をバネのようにして跳ぶように加速し、あっという間にその場を走り去って行った。

 

 男達は慌てて引き返そうとするが

 

「おい!モタモタすんな!」

 

「やめろ!押すんじゃねえ!」

 

「早く引き返し……って、おわあっ!」

 

 揉み合いの末にゴロゴロと階下へ転がり落ちていった。

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ふぅ。……な、何とか撒けたか?」

 

 走りながら後方を振り返るプロデューサー。

 

 男らが追ってくる気配は無い。

 

 それを確認したプロデューサーは、スピードを緩めて小走りとなり、先程通った駅前の通りを早足に抜けてゆく。

 

(とりあえず一旦社長を迎えに戻って2人で身を隠そう。そしてほとぼりが冷めた頃合いに電車で遠くまで逃げる。これで何とかなるだろう)

 

 そうプロデューサーが思案していると

 

「いたぞ!アイツだ!捕まえろ!」

 

 前方から声がした。

 

 慌てて目を向けると、そこには怒りを顔に浮かべた深沼敏が立っており、新たに駆けつけたガラの悪い男達に指示を飛ばしていた。

 

 プロデューサーは踵を返して、駅のある方向へと全速力で走り出した。

 

「くっそ!本当にいい加減にしろよ!」

 

 悪態を吐きながらプロデューサーは、見えてきた地下通路の入口へと進路を変えた。

 

 そして階段をジャンプで一気に跳び降りる。

 

 階下の通路を歩いていた通行人が驚きの声と共に跳び退いた。

 

「すみません!」

 

 人々へと謝りつつ、プロデューサーは右手の方向へと走り抜ける。

 

 先の地下通路は正面、左右と三叉に分かれており、どの方向へ進むべきかとプロデューサーは逡巡する。

 

 後方から迫る罵声と足音。加えて前方のいずれかの方角からドタドタとした足音が迫り来る。

 

 プロデューサーは咄嗟に左手方向へと足を踏み出した。

 

 通路を駆け抜けて、見えてきた階段を数段飛ばしで上ってゆく。

 

 後方からの足音はその数を更に増してゆく。

 

 階段を上り切ったプロデューサーの目の前には、まばらな通行人の姿はあれど、深沼の手の物と思われる男らの姿は無い。しかしモタモタしてなどいられない。

 

「仕方ない!」

 

 プロデューサーは目の前の駅、改札の方へと走り抜けていく。

 

「いたぞ!」

 

「待ちやがれ!」

 

 追手の声を背に受けて、チラリと後ろを確認する。

 

 そこには先程撒いた3人の取り巻きに加え、合計10人程度の男達の姿があった。

 

「どんだけいるんだよ!」

 

 叫ぶように吐き捨てたプロデューサーは、一直線に自動改札へと走り込む。

 

 だが悠長にイオカードなんかを通していたら追い付かれてしまう。そう判断したプロデューサーは改札機を踏み台にして、一気に改札内へと跳躍した。

 

 周囲の旅客や駅員は、その身のこなしに目を奪われて呆気に取られていた。

 

 一方で追手の男らは、自動改札の遮断板に行手を阻まれて先頭の男が前のめりに転げたのを皮切りに、将棋倒しに倒れて折り重なっていったのだった。

 

 後から来た者は、仲間の体を踏みつけつつ強行突破を試みようとした。しかしながらそのうちの数人は駆け寄ってきた駅員との取っ組み合いにもつれこんでいったのだった。

 

「くっ、はぁ!はっ!」

 

 汗だくになり、息を荒げながらプロデューサーはホームへと続く階段を駆け上がってゆく。

 

 そんな彼の耳に電車の発車を知らせるアラームが聞こえてきた。

 

「マズい!」

 

 力を振り絞ってホームへと一気に駆け上がるプロデューサー。

 

 丁度彼がホームへと辿り着いた瞬間、ドアを閉め終えた電車は走り出していた。

 

「ま、待ってくれ!」

 

 必死に追いかけるも、電車は無情にもホームを走り去っていってしまった。

 

「はぁはぁ、こ、今度こそ追い詰めたぞ!」

 

 聞こえてきた声に振り返れば、そこには階段を上ってきた追手が数人。その顔には獲物を追い詰めて舌舐めずりをする猛獣のような笑みが浮かんでいた。

 

(くっ!何か、何か打てる手は!?)

 

 プロデューサーは後退りをしながら周囲を見渡す。

 

 そんな彼の目には駅前の名所、先程も目にした釣り堀が映ったのだった。

 

「こうなったら!」

 

 そう覚悟を決めたプロデューサーは、ホーム上へと跳び降りた。

 

 ホームの縁を背にし、線路上で深呼吸をして集中力を研ぎ澄ます。

 

 追手の足音が背後僅か数メートルにまで迫った瞬間、プロデューサーは全力で走り出した。

 

 そんな彼の後を追い、男らも次々とホームに降り立ってゆく。

 

「うおぉぉぉぉっ!」

 

 雄叫びを上げるプロデューサーは、走り幅跳びの要領でホームの外、小さな水路を挟んで対岸にある釣り堀のフェンスへ向かって跳躍した。

 

 数メートルはあろうその距離をプロデューサーの身体は飛び越えて、フェンスへと激突した。

 

「く、のぉぉぉっ!」

 

 プロデューサーは両手で緑色のフェンスを掴みとり、間髪入れずに登ってゆく。

 

 そんな彼の後ろでは

 

「うわぁぁぁぁ!」

 

「あああーーーっ!」

 

 プロデューサーと同じように跳躍するも、フェンスにまで手の届かなかった2人の男が、無残にも水路へと落ちていった。

 

 後に続く男らはその姿を目にして、ホーム下の水路際で踏み止まろうとするが、後ろから走って来た仲間らに追突されて次々と水路へと転落して行ったのだった。

 

 

 

 そんな男達を尻目にプロデューサーはフェンスを登りきって釣り堀の中へ。

 

 身をコンクリートの上へと投げ出して、大の字に寝転んだのだった。

 

 胸元を大きく上下させて呼吸を荒げるプロデューサーを

 

「大丈夫かいアンタ?」

 

 と数人の釣り客が覗き込む。

 

 また他の釣り客は、水路へと身を落としていく男らを驚愕と好奇の目でフェンス越しに眺めていたのだった。

 

 プロデューサーは、ゆっくりと起き上がり「お、お騒がせしました」と軽く頭を下げつつ釣り堀の外へと向かっていった。

 

 フェンスの合間の扉を抜けて、釣り堀の敷地外へと向けて歩いていくプロデューサー。

 

「はぁ、はぁ……こ、今度こそ、逃げ切れた」

 

 息も絶え絶えに歩く彼の耳に、唸るような重低音が響いてきた。

 

 何事かと、俯き気味だった顔を上げると、敷地内の坂道を抜けた先の道路上に、一台のハーレーが立ち塞がっていた。

 

 それに跨るは深沼敏、その男であった。

 

「轢き殺してやる!」

 

 目を血走らせた深沼がプロデューサーへ向けて突進する。

 

「ふ、ふざけんなっ!」

 

 プロデューサーは慌てて方向転換して釣り堀へと引き返す。

 

 先に見えた横道を左へと曲がって、更に奥へと走り抜けようとするが、目の前では閉じたフェンスが道を塞いでいたのだった。

 

「なっ!?」

 

 プロデューサーが曲がったのは、先程通ってきた通路とは別の、一つ手前の通路へと続く横道だったのだ。

 

「しまった!」

 

 すぐさま引き返すべく向きを変えたプロデューサー。

 

 だがその先には、顔を茹で蛸のように真っ赤にし、目をギラつかせた深沼の姿が。彼は袋小路へと追い詰められたプロデューサーを跳ね飛ばすべく、エンジンをふかしている。

 

「これで終わりだ!」

 

 猛スピードのハーレーが、プロデューサー目掛けて突っ込んでくる。

 

「こ、こんにゃろー!」

 

 対するプロデューサーは、背を向ける事はせず、逆にハーレーに向かって駆け出したのだった。

 

「血迷ったか!馬鹿が!」

 

「うっおぉぉぉーーーっ!!」

 

 雄叫びを上げてハーレーへと突進するプロデューサーの身体が跳ね飛ばされんとする刹那、彼は通路の端置いてあった木箱を右足で踏みつけて、大きく跳躍した。

 

 そして迫り来るハーレーに跨る深沼の頭上を飛び越えた。

 

「なっ!?」

 

 深沼は思わず顔を上げて、プロデューサーの姿を目で追ってしまった。

 

 そしてこれが命取りになった。

 

 深沼が正面へと向き直ると、眼前に迫るフェンスが。

 

「うわぁぁぁぁっ!」

 

 ハーレーはフェンスへと激しく衝突。

 

 衝撃でフェンスは大きくひしゃげ、大きく前へとつんのめるようになったハーレーの座席から、投石器で放られる石の様に、深沼の身体は放り出された。

 

「おおぉぉぉぉっ!!」

 

 放物線を描く彼の身体は、そのまま釣り堀の生簀へと落下。

 

 激しい水飛沫が噴き上がり、中にいた魚が数匹コンクリート上に投げ出され、ピチピチとその身を跳ねさせたのだった。

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 胸元を押さえ、息も絶え絶えになりながらプロデューサーは釣り堀横の陸橋を渡り、駅の方へと歩いていく。

 

「無茶苦茶なことをするなお前は」

 

 陸橋の端にて聞こえてきた声に顔を上げると、そこには呆れ顔の天井努の姿があった。

 

 プロデューサーは何か返事をしようと声を出そうとするが、疲労のせいか上手く声が出てこない。

 

 そんな彼と、騒ぎになっている釣り堀の方を交互に一瞥する天井。

 

「行くぞ。ヤツらが立ち直る前にずらかる」

 

 彼はそう告げるとプロデューサーを伴って、地下通路の先にある地下鉄の駅へと向かっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 2030年7月18日 午後2時33分

 

 

「何だこれ?」

 

 貸しガレージへと戻ってきたマーティは、1人で休憩用の小部屋に籠って福袋を開け始めた。

 

 その中から出てきたのは、ソフトボール程度の大きさの丸い機械にコンパクトなプロペラがついた物が7個ほど、数十メートルはあろうかというやたらと長い延長コード、充電式の乾電池、ゴム製のカバーのような物などであった。

 

 小首を傾げつつ、マーティは説明書を取り出して目を通してゆく。それは幸いにも英語を含めた数カ国語で書かれていたので内容は粗方理解できた。

 

「この丸いのは宙に浮く映写機みたいなもんか。それとスピーカーね。これならいつでも何処でも映画が楽しめるってわけか。イカしてる!」

 

 説明によればこの機械はドローン――ちなみにマーティはドローンの意味を理解していない――と一体化したプロジェクターと大音響スピーカーのセットで、スクリーンが無くとも空間に映像を映し出せるという機能を搭載していた。

 

 更にデフォルトで世界の名作映画が100本インストールされており、買って即座に充実の映画ライフを楽しめる、と大々的に書かれていたのであった。

 

「それじゃあ早速……ってそうか、これ充電しなきゃならないのか」

 

「おいマーティ!ちょっと来てくれ!手伝って欲しい事がある!」

 

 その時、整備スペースからドクの呼びかけが聞こえてきた。

 

「分かった!今行く!」

 

 マーティは機械に充電用のコードを取り付け、コンセントに繋いでその場を後にしたのだった。

 

 

 

 それから約1時間後

 

 

 

「さてと、それじゃあ試してみようかな」

 

 作業が一段落し、休憩のためにドクが出ていった頃合いで、マーティはデロリアンの鎮座している整備スペースにて機械を起動させる。

 

「えーっと、このリモコンで操作するのか。あ、だけど説明書によると確か音声認識も出来るんだよな。試してみよう。入力モードを英語にして……こうかな。さあて、どんな映画があるんだろう?……ん?ランダム再生モード、そんな機能もあるのか」

 

《ランダム再生を開始します》

 

 マーティの何気ない呟きを機械は律儀に拾い上げ、プロペラを回転させて天井付近まで上昇していった。

 

「っと、勝手に動き出しちゃった。まあ良いか。どんな映画が始まるんだろう?」

 

 マーティは胸を躍らせながら、宙に浮かぶドローンを見上げた。

 

 

 

 しかしながらマーティは、この機械の仕様を勘違いしていた。

 

 彼はスクリーンや壁に映像が投射されるように、中空に映画が映し出されるものだと思っていた。

 

 実際そのような映写モードもあるにはあるのだが、デフォルトの設定はそうではなかったのだ。

 

 

 

 マーティが今か今かと宙を見上げていると、背後からコツ、コツ、コツと足音が聞こえてきた。

 

「何だ?」

 

 振り返ってみると、彼の元へと歩いてくる1人の男の姿が目に入った。

 

 黒のレザー製の上下を身に纏った筋骨隆々のサングラスをかけたその男は、小脇に細長い箱を抱えていた。

 

 男はその箱の蓋を、片手で投げ捨てるようにして開く。

 

 それと共に箱の中に入っていた数輪の薔薇が床へと散らばった。

 

 次の瞬間、男の手には鈍い光を放つショットガンが握られていた。

 

 その男の姿はマーティも見知っていたのだった。

 

「タ、タ、ターミネーターだーーっ!」

 

 目を大きく見開いて、驚愕の表情を浮かべたマーティが叫び声を上げる。

 

「どうしたマーティ。何かあったのか?」

 

 それを聞きつけたドクが整備場へと戻ってくる。

 

 ドアを開けた彼の目の前を欧米人の警察官が通り過ぎていった。

 

 その警察官は無表情のまま、サングラスの男の方へと歩いてゆく。

 

「おい、あんたらココで何しとるんだ?」

 

 ドクが怪訝な表情をしていると、警察官は拳銃を取り出して銃口をマーティとサングラスの男の方へと向けた。

 

「伏せろ」

 

 次の瞬間、サングラスの男がそう告げると同時に、手にしていたショットガンが火を噴いた。

 

 ガレージ内に銃声が轟き、空気が震えた。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

「ぎゃーーーっ!」

 

 マーティとドクは頭を抱えて床に突っ伏した。

 

 彼らの頭上で激しい銃撃戦が繰り広げられる。

 

「マーティ!一体何が起こったんだ!」

 

「何!?全然聞こえないよ!」

 

「何なんだ!この男達は!?」

 

 銃声が室内に響き渡るせいで2人の声は掻き消される。

 

 

 彼らが必死に問答を続けていると

 

「――――!?―――――――!?」

 

 ガレージの入口から聞き慣れない声が聞こえてきた。

 

 マーティが伏せていた頭を軽く上げてその声の方へ目を向けると、眼鏡をかけた小太りな日本人の中年男性が中へと駆け込んできた。

 

「危ない!逃げて!」

 

 マーティが男に向かって叫ぶ。

 

 対してその中年男性は、室内の様子を一瞥し苦笑を浮かべた。そして激しい銃撃戦が繰り広げられる中を平然と歩いてゆき、床に落ちていたリモコンを拾い上げて機械へ信号を送る。

 

 すると男達の姿は一瞬にして消え失せて、宙に浮かぶ機械は床へとゆっくり降下していった。

 

 マーティとドクは目を瞬かせながらゆっくりと起き上がる。

 

「あの男達は何処へ行ったんだ?」

 

「それなら、機械が停止したから消えたんじゃないかな?」

 

「機械?一体どういう事だ?」

 

 2人が話していると、日本人の男が何やら話しかけてきた。

 

 マーティはそそくさとスマホを手にして、翻訳アプリを起動して男の方へと向ける。

 

 男は小首を傾げると、軽くひと笑いして、ポケットから耳掛け型のイヤホンを取り出して耳元に取り付けた。

 

「翻訳アプリを使うなんて、そんなまどろっこしいことしなくていいですよ」

 

「えっ?」

 

 マーティが驚きの表情を浮かべる。

 

 その間に男は捲し立てるように話しだした。

 

「こんな旧型のポンコツドローン型映写機を使って何してたんだい?盛大なごっこ遊びかい?」

 

「福袋ってやつに入ってたのを動かしてみたんだけど、ポンコツってどういうこと?」

 

「福袋!?はははっ!とんだ物を掴まされたね兄ちゃん。俺も前にこの映写機を使った事があるんだが、誇大広告にも程がある代物だ。立体映像投影システム搭載で、映画100本がリアルでスリリングに見られる!って触れ込みで売り出されたんだが、デフォで入ってる映画の殆どがダイジェストシーンだけの体験版みたいなもんなんだよ」

 

「そんな!ウソでしょ!?」

 

「マジも大マジだよ。それに完全版をダウンロードして再生したらしたで1時間もすりゃ電池切れになる。ドローンを飛ばす為にも電力を使っているせいでな。でもって付属の延長コードに繋いで飛ばしても、そのうち絡まってドローンが地面に落っこちる。空高く飛ばせば巨大な映像を映す事が出来るって機能もあるけど、画質は荒いわ、映像の一部分しか映せないわで使い物になんねえ。おまけに騒ぎになるからって条例で屋外使用が禁止された。今じゃあ新品でも二束三文で投げ売りされてる欠陥品だよ」

 

「なんてこった。あの店員、人の良さそうな顔をして、汚いヤツだなあ……」

 

 マーティが憤慨する横で、ドクは眉間にシワを寄せながら男の耳元に目を向けていた。

 

「アンタやたら流暢にワシらに話しかけておるが、さっきはどうして英語で喋らんかったんだ?もしや耳のソレが関係しておるのか?」

 

「何だよ、爺さんボケてんのか?コレは自動相互翻訳機だろ。海外旅行ならずとも、グローバル社会じゃあ誰もが持ってる必需品じゃないか」

 

 

 

 

 

 

 1999年7月3日 午後12時52分

 

 

「ご注文は?」

 

「とりあえず生中2つだ」

 

「はい喜んで!」

 

 店員が威勢の良い返事をして厨房へと引っ込んでいく。

 

「まだ飲む気ですか!?」

 

 電車で数駅進んだ所にある居酒屋のカウンター席に2人はいた。

 

 プロデューサーは天井努の、尚も酒を飲もうとする姿勢に思わず突っ込んだ。

 

「折角の酒を全部ぶち撒けてしまった上に、完全に酔いが覚めたからな。飲み直しだ」

 

「流石に身体に悪いような……」

 

「堅いこと言うな。少しは付き合え、さっきの礼に奢ってやるからよ」

 

 そうこうしているうちに2人の元に生ビールとお通しが運ばれてきた。

 

「それじゃあ乾杯だ」

 

「はい、乾杯……」

 

 プロデューサーは遠慮がちにジョッキに口をつけてビールを一口飲んだ。

 

 走り回ったのと梅雨の蒸し暑さのせいもあってか、喉を抜けるビールは普段以上に美味に感じられた。

 

「それで……お前は誰だ?何でまた俺を社長なんて呼んだんだ?」

 

 ビールを半分程飲みほした天井がプロデューサーに問う。

 

「えーっと、あなたがウチの社長に似ていたのでつい。……自分は會川、ハジメという者で、芸能のマネジメントの仕事をしてまして。しゃちょ……天井さんという凄腕のプロデューサーがいるという話を聞いて、お話を是非とも伺いたいと思ったので探していたんです」

 

「俺が凄腕だと?ははは!そんな出鱈目を誰がほざいた。騙されてるよ、お前」

 

 大声をあげて笑いつつ、お通しを口に運んでビールで流し込む天井。

 

「で、お前はどこの事務所の人間なんだ?」

 

「あー……えっと、283プロダクションといいまして」

 

「ツバサプロダクション?聞いたことが無いな」

 

「まあ、ここから遠く離れたところにありますので……」

 

「ということは地方の事務所か?そんなとこの人間がわざわざ東京まで出向いてくるってことは、大方これから来るアイドルブームに乗ろうと考えているんだろうが……フン、やめとけ。ロクなことにならんぞ」 

 

「どうしてそんな事を言うんですか?」

 

「ロクじゃない目にあったからだよ。それと、俺からお前に役立つ話なんぞ出来んさ。俺はもうプロデューサーを、事務所を辞めるんでな。退職願もこの通り準備してある」

 

 そうして懐から取り出した、ヨレかかった封筒を天井はカウンターの上に置いた。

 

「そのロクじゃない目にあったから辞めるって言うんですか?どうして……」

 

「知りたいか?」

 

「ええ」

 

「お前に話す筋合いは無い」

 

「そんな!」

 

「と、言いたいところだが、今更隠すようなもんでもない。それに面白いモノを見せてもらった礼だ、聞かせてやるよ」

 

 そうしてジョッキに僅かに残ったビールを飲みほして、店員にビールのおかわりを告げる。

 

 懐からタバコを取り出して火をつけて一口吸い、軽く紫煙を吐き出してから天井努は喋り出す。

 

「お前も知っているだろう?昨年デビューした、テレビ番組企画から生まれたアイドルユニットを」

 

「オーディション番組として有名なあれですね」

 

「そうだ。ファーストシングルに続きセカンドシングルも大ヒット。今冬発売と噂されるサードシングルにも注目が集まっている。これに向けてメンバーも増員し、破竹の勢いで芸能界を席巻している。新たなアイドルブームの幕開けに乗り遅れまいと、あらゆる芸能事務所が躍起になっている。もちろん俺の所属事務所も例外じゃあない。俺みたいな経験の浅い若造まで借り出してプロデューサーに仕立て上げ、アイドルを量産しだす始末だ」

 

 天井努は再びタバコを口にし、灰を灰皿にトンと落とす。

 

「そんな訳で、俺もつい先日まで一人のアイドルをプロデュースしていたんだ。まあ、それも全て水疱に期したんだが」

 

「何があったんです?」

 

「…………業界の理不尽に晒されたんだ。有り体に言えばイジメ、イビリの類だ」

 

「お待たせしましたー」

 

 と、店員がビールを持ってきてカウンターに置き、入れ替わりに空いたジョッキを回収してゆく。

 

 天井努は新たなジョッキを一瞥した後、プロデューサーの方へと顔を向け直して長々と語り始めた。

 

 

 

 彼がプロデュースを担当したアイドルは17歳の女子高生だった。

 

 性格は天真爛漫という言葉が似合う程に明るく、歌やダンスは荒削りながらも才を感じさせるもので、ビジュアル面も優れたモノを持っていた。

 

 彼女はとある番組にレギュラー出演が決まった際に、メインMCを努めるベテラン女性タレントの楽屋へと挨拶に行った。

 

 しかしながら、その途中で共演者の新人アイドルと廊下でぶつかってしまう。そしてその時、共演者のアイドルは足を軽く捻ってしまった。

 

 実際のところ、非は突然飛び出してきた相手方にあったのだが、相手方のプロデューサーが難癖をつけて天井努のアイドルをその場に留め置き続けた。

 

 そうこうしているうちに収録時間が訪れ、楽屋へと挨拶へ行くことは叶わなかったのだ。

 

 

 

「もしかして、その相手方のプロデューサーってのはさっきの……」

 

「そうだ。深沼敏、あのろくでなしだ」

 

 天井努はすっかり燃え尽きたタバコを灰皿に押し付けて、新たなタバコに火をつけ、続きを語り出す。

 

 

 

 件のベテラン女性タレントは気難しく、些細なことを根に持つタイプだった。

 

 とりわけ自分に敬意を払わない――彼女の基準において――礼儀のなっていない者には厳しかった。

 

 天井努の担当アイドルは収録中は彼女に邪険にされ、無闇にイジられ、収録外では露骨にイビられた。

 

 それはその日だけならず、いつまでも続いていった。

 

 天井努は釈明と抗議を行うべきだと息巻いたが、担当アイドルは「私は平気ですから」と笑っていた。

 

 その姿を前に天井努は二の句を告げることは出来なかった。

 

 だがそれから暫くしてのことだった。

 

 収録前のスタジオにて、天井努担当アイドルの立ち振る舞いが気に食わないと、女性タレントは手にしていた水を彼女へとぶちまけたのであった。

 

 それを見た瞬間、天井努の堪忍袋の尾が切れた。

 

 女性タレントへと食ってかかり、喧々轟々の言い争いへと発展。

 

 担当アイドル、スタッフらが必死に止めにかかるも、その場が完全に治るのに小一時間は要したのであった。

 

 加えて話はそこで終わらなかった。

 

 女性タレントは局の上層部の人間と懇意にしており、天井努の所属事務所の人間全てを出禁にしなければ、今後局の番組には一切出演しないと申し出たのだった。

 

 

 

「そうして実際に下された処分は、俺と担当アイドル、2人の出禁だった」

 

「…………酷い。でも何で処分がそんな風に変わったんです?」

 

「流石にそれはやり過ぎだと嗜めた人間がいたんだ。他でもない、深沼のヤツがな」

 

「えっ!?何で!?」

 

「ヤツの狙いは元々俺と担当アイドルだった。……後から分かった事だが、あいつは件の女性タレントに俺の担当アイドルの根も葉もない出鱈目話を吹き込み続けていたらしい。影でヤツの担当アイドルをイビっているとか、共演者の陰口を叩いているとかな。初日に挨拶の足止めをしたのもその一環だ」

 

「……腐ってやがる」

 

「全くだ」

 

「けど、だからってアイドル生命が終わったわけじゃないだろう!心機一転、違う仕事で頑張れば―――」

 

「その後に俺の担当に言われたんだよ。自分はあの局の年末の歌謡フェスに出るのが昔からの夢だった、ってな」

 

「え?」

 

「自分はその為にアイドルになった。その夢があったから辛い目に会っても耐えられ続けたと。なのに、どうしてあんな事をしたんですか?私の為に怒ってくれなくても良かったのに……とな」

 

「それは…………」

 

「結局、彼女は数日前に引退したよ。俺もすっかり気が冷めた。こんな理不尽な目にあってやってられるわけがないだろう?だから辞めるまでの間の休暇消化がてら、悠々と飲んだくれの日々を送ってるよ」

 

 天井努はジョッキに手し、泡のすっかり消え失せたビールを一息に喉へと流し込む。

 

「ふぅ……お前には縁の無い話しだろうがな」

 

「……そんなことはない。俺もつい最近似たような目に会った。理不尽な目に会って、担当を貶されて、怒って、そして脅されて」

 

「ほう?それでどうなったんだ?」

 

「……上司が助けてくれたんだ。結果として仕事には悪い影響が出た。けれど担当アイドルは俺を肯定してくれた。…………と、すまない。無神経な事を言ってしまった」

 

「俺の事なんざ気にするな。聞いたのはこっちなんだからな。それにしても……ふっ、お前は恵まれてるな。大事にしろよ、その上司とアイドルを」

 

 微笑を浮かべる天井努。

 

 プロデューサーはその表情を目にし、ふと視線を手元へと落とした。

 

「…………」

 

「おい、どうした黙りこくって。気にするなと言っただろ?……仕方ないな景気付けだ!おいビールを追加だ!」

 

 店員を呼ぼうと上げられた天井努の手をプロデューサーが掴み下げた。

 

「お、おい。どうした?」

 

「ひとつ、聞いて良いか?」

 

「ん?」

 

 プロデューサーは真剣な、射抜くような眼差しを天井努へと向けた。

 

 思わず一瞬身をたじろがせる天井努。

 

「何であんたは飲んだくれていたんだ?退職願をまだ持ったまま。……あそこまでの決意をしているんだったら、油売ってないでさっさと事務所に退職願を出せばいいんじゃないか?その方がスッキリするでしょう」

 

「それは……先に存分に飲みたい気分になったんだ。どうせ辞めるんだ、急ぐ理由なんか無い」

 

「先延ばしにする理由も無いんじゃ?」

 

 プロデューサーは再び鋭い視線を天井努に向ける。

 

「…………何が言いたい」

 

「本当は諦めたく無いのでは?アイドルのプロデュースに未練があるんじゃないですか?まだまだやりたい事、やり残した事、晴らしたい無念、あなたは絶対にそういう類の想いを抱えているはずだ」

 

「……………」

 

 2人の間の空気が張りつめる。互いに黙したまま、時間が過ぎてゆく。

 

 そして暫しの後、天井努はスッと席を立ち上がる。

 

「今日はこれでお開きだ。飲む気も失せた」

 

 そう告げて踵を返し店を出ようとした。

 

「待ってくれ!」

 

 プロデューサーが立ち上がる。椅子がガタリと音を立てた。

 

「明日にアイドルフェスがあるのは知ってるだろう?そこに来てくれないか!あなたに会わせたい子がいるんだ!あなたにとって大事な、運命的な出会いになるはずだ!」

 

 プロデューサーが声を大にする。

 

 天井努は黙したままだった。

 

「本当にプロデューサーを、芸能活動を辞める前に、ほんの少しでいいんだ!俺の我儘に付き合ってくれ!」

 

 プロデューサーは彼の前に回って、咲耶から受け取っていたフェスチケットの1枚を手に押し付けた。

 

「……いらん!」

 

「そんなこと言わずに!」

 

 プロデューサーが声を荒げた。

 

「こんな物は必要ない。……俺は業界の人間だ。こんな物無くとも会場には入れる」

 

「それじゃあ!」

 

「さっきの礼がビール一杯じゃあ釣り合わないだろう。行ってやるよ。期待なんぞ全くしていないし、退職を撤回する気も無い。……ただの気紛れだ」

 

「それでも構いません!どうもありがとうございます!」

 

「フン……それじゃあな」

 

 そうして万札を叩きつけるようにカウンターに置いて、天井努は店を出て行った。

 

 プロデューサーはホッと胸を撫で下ろしつつ「よしッ!」と小さく片手でガッツポーズをしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月3日 午後12時25分

 

 

「やあ、藍音さん」

 

「……サクラさん」

 

 藍音の学校に張っていた咲耶は、校門をくぐってきた彼女へと声をかけた。

 

「あのあと姿が見えなくて心配したよ。無事だったようで何よりだ」

 

「おかげさまで……昨日はお礼も言わずに立ち去ってしまい申し訳ありませんでした。助かりました。それでは失礼します」

 

 バツの悪そうな藍音は、慇懃無礼にそう告げて頭を下げ、そそくさと立ち去ろうとする。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!少しだけでいい、私に時間をくれないか?」

 

「しつこいですね。昨日のお誘いの続きでしたら結構です」

 

「それについては、まあ置いておいて。個人的にあなたとお話がしたいんだ。帰宅する前に少しだけ、そこの公園でこれを飲みながらさ」

 

 咲耶は手にしたビニール袋を掲げる。その中にはペットボトルの麦茶が2本入っていた。

 

「……はぁ。分かりました。昨日の借りがありますし、それを返す程度でしたら」

 

「ありがとう。助かるよ」

 

 微笑んだ咲耶は、藍音と並んで歩み出した。

 

 

 

 セミの声が響き、眩い日差しが降り注ぐ。

 

 天気予報が告げた通り、この日は梅雨の晴れ間が訪れていた。

 

 公園では子供達のはしゃぐ声が所々から聞こえて来る。

 

 ベンチに腰をかけた咲耶は藍音へとペットボトルを渡し、自らのそれの栓を開けて口をつける。

 

 清涼感と麦の香ばしさが喉と鼻腔を駆け抜けた。

 

 やや時間を置いて咲耶が口を開いた。

 

「アナタはアイドルを毛嫌いしているように見えるのだけれど、それは何故なんだい?」

 

「下らないと思うからです」

 

「何故そう思うんだい?」

 

「下らないものは下らない。それ以上でも以下でもありません」

 

「はは……これは手厳しいな」

 

 咲耶が苦笑を漏らす。

 

 2人の間に沈黙が訪れる。

 

 暫しの時が過ぎ、今度は藍音の方が口を開いた。

 

「あなたはどうして私に付き纏うんですか?お兄さんの使いとはいえ、そこまで必死に食い下がる必要があるんですか?」

 

「そうだね……個人的な事情も色々とあるのだけれど……どうしてあなたがアイドルという言葉にムキになるのか気になったのがひとつ。あとは、そんなあなたにアイドルの魅力を少しでも知ってもらいたい。そう思ったんだ」

 

 それは咲耶の嘘偽り無い本音だった。

 

「アイドルの何がいいんですか?テレビやラジオで愛想を振りまいて、いつもニヤついて、騒がしくて、そんな人達ですよね?見ると不愉快になります。……おまけに昨日みたいな変な人とかが関わっているんですよね?最悪と言う他ないと思うんですけれど」

 

 一部の遠慮も無しに藍音は捲し立てる。

 

 対して咲耶は「うーん」と腕を組み、軽く首を唸った。

 

「実は私の兄はね、業界の関係者なんだ。仕事柄アイドルとも関わりが深い」

 

 その一言に藍音は眉をひそめる。

 

 しかしながら、構うことなく咲耶は話を続ける。

 

「時には理不尽な目にもあう。思い通りにいかないことも、望まない仕事に関わる時だってある。辛い思いをしてなお、競争に負け、夢破れて失意のままに去る者も多い」

 

 咲耶は軽く息を吐く。

 

 藍音は黙したまま、ジッとして咲耶の話を聞いていた。

 

「けど、ファンが自分を待っている。自分に憧れる、好いてくれる人々に夢を見せられる。彼らを笑顔にすることが出来る。勇気づけることが出来る。そして仲間と共に輝くステージを作り上げるのは、何とも変え難く楽しく豊かな気持ちになれるんだ」

 

「…………」

 

「そして変われるんだ。素晴らしい出会いを通じて、様々な経験をして、変われるんだ。新しい自分になれるんだよ。そんな可能性に満ち溢れているんだ、アイドルというものは。…………と、兄と関わりの深いアイドルから聞いたんだけれど」

 

 咲耶の語りを聞いていた藍音は、やがて俯き、暫くそのままの姿勢でいた。

 

 咲耶は何を言うこともなく、ただその姿を見つめていた。

 

「分かりました」

 

 ややあって、藍音がそう告げて顔を上げる。

 

「あなたのしつこさに免じて、明日のイベントに付き合いますよ」

 

「本当かい!?ありがとう!」

 

「けどアイドルに魅力なんて感じてませんし、興味だってありません。ただ、貸し借りをこの程度のお喋りで済ますのと、あなたとお兄さんのお詫びに付き会わないのは、礼に欠けると感じた、ただそれだけですので」

 

「それでも構わない!嬉しいよ!ありがとう!」

 

 満面の笑みを浮かべる咲耶。

 

 対して藍音は仏頂面のまま、手にした麦茶をグイと飲みほしたのだった。

 

 

 

 そうして咲耶と藍音は明日の集合時間等についての約束を済ませた。

 

 咲耶からイベントのチケットをもらって藍音は帰路へとついた。

 

 ホッと胸を撫で下ろした咲耶はプロデューサーへと連絡をすべく、公衆電話を探しに公園を後にする。

 

 と、その時。

 

「そこのマドモワゼル?」

 

「え?……私のことかい?」

 

「ウィ。アイドルになるつもりは無いかな?君にはスターの素質がある」

 

 黒いスーツを身に纏い、サングラスをかけた1人の中年男性が声をかけてきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 2030年7月18日 午後5時11分

 

 

「よし!これでカスタマイズ完了だ!」

 

 デロリアンの機械類の最終点検を終えたドクが車内から出てきた。

 

「タイムトラベルの試運転も成功、走行にも問題無し、これで安心して1999年に行けるぞ」

 

「最後の買い出しもバッチリ済ませた、あとは荷物をまとめれば良いだけだね」

 

「うむ。では早速出発の準備といこう」

 

 マーティは荷物をボンネットのトランクや、新たに設置された後部座席へと積み込んでいく。

 

 一方のドクはゴミ類などをミスターフュージョンへと突っ込み、タイムトラベル用の電力補充を行なう。

 

「ユーイチとサクヤは上手くやれてるかな?」

 

「どうだろうな。準備不足でかなり困難な作戦となってしまったからな。不安要素は山の様にある。こればかりは祈る他あるまい」

 

「もしも2人の元の時代の記憶が完全に消えちゃったらどうなるんだろう……」

 

「そうだな……消えてしまった記憶が変わってしまった歴史の記憶に上書きされるか、はたまた全ての記憶を失い廃人のようになってしまうか、あくまで推察にすぎんが、彼らにとっても我々にとってもロクな事にならんのだけは確かだな」

 

「ヘヴィだね」

 

「まったくだ。だからこその下準備だ。いざという時はワシらだけでなんとか出来るようにな。まあ、悲観ばかりしてても仕方あるまい。どうにかなるさ、と思って行動するとしよう」

 

「為せばなる。ってやつだね」

 

「ああ、その通りだ!」

 

 そうこうしているうちに準備作業は完了した。

 

 2人は意気揚々とデロリアンへと乗り込んだ。

 

「ガソリンは満タン、タイヤの空気もパンパン、タイムサーキットの時間設定も万端だ!」

 

「荷物もスマホも予備の部品や工具も積み込んだ。充電も問題無し!」

 

「計器類に異常無し、タイムトラベル用の電力も…………んん?」

 

 運転席前の計器類に目を向けていたドクが眉間に皺を寄せて首を傾げる。

 

「どうしたのドク?」

 

「ちょっと待て」

 

 ドクはデロリアンを降りて車体後部に回ると、ミスターフュージョンの蓋を開けた。

 

 マーティも後に続いてドクの様子を覗き込む。

 

「そんな馬鹿な!」

 

 ドクはミスターフュージョンの内部を手で掻き回し、再度蓋を閉じる。そして数十秒待って再び蓋を開けた。

 

「…………何ということだ」

 

「え……一体どうしたのさドク」

 

 マーティが半ば恐る恐る声をかけると、ドクがミスターフュージョンの中から手を引き抜いた。

 

 その中には先程投入したゴミ類が何ひとつ変化のない状態で握られていた。

 

「ミスターフュージョンが故障したようだ」

 

「そんな!」

 

 

 

 数十分後、ガレージの床には分解されたミスターフュージョンの部品が並べられていた。

 

 そのうちの1つをドクが摘み上げる。

 

「核融合に必要な原子分解装置のコアが焼きついておる。調べたところ、この2030年においても核融合炉は完成しておらん。従って、修復は……不可能だ」

 

「もしかして無理にデロリアンを改造したから壊れちゃったの!?」

 

「いやいや!改造は完璧だ!接続、連動に問題はない!現にテスト運用は完全に成功したのだからな!……中古品を酷使し過ぎたのがここで仇になるとは……クソッ!」

 

 ドクが手にした部品を床に放り投げる。

 

 乾いた音を立てて弾んだ小さな部品が転がってゆく。

 

「予備バッテリーに電力は蓄えてある。デロリアンはあと1回だけタイムトラベルが可能ではあるが……」

 

「けどたった1回分のエネルギーが残っててもしょうがないだろ!1999年に行けてもそこからタイムトラベル出来なきゃ意味無いよ!ユーイチ達のサポートどころの話じゃないって!」

 

「そんな事はわかっとる!何か方法を、この状況を打開する方法を考えなければ!」

 

 ドクは頭を抱えて「うーん」と唸りながらガレージ内を右往左往する。

 

 マーティもまた頭を抱えてその場に蹲っていた。

 

 ドクがガレージ内を見渡し首を振る。

 

 デロリアンの車体を眺め、車内に目を向けて、トランクを開いて、額に手を当ててブツブツと呟きを漏らす。

 

 そして何気なくポケットに手を突っ込んだ瞬間、ドクの脳裏に衝撃が走った。

 

「そうだ!この手があった!」

 

「何か思いついたのドク!?」

 

「ああ!これなら問題を解決できるはずだ!」

 

 ドクは両手を大きく開いて天井を仰ぎ、傍らにあるデロリアンのボディを手のひらでバンと叩いた。

 

「至急デロリアンに新たなカスタマイズを施す!ワシは必要な部品を調達してくるから、マーティは直ちに作戦に必要なものを集めてくれ!」

 

「集めるって何をさ?」

 

 ドクはポケットからスマホを、車内からプロデューサーに借りていたタブレットを取り出して、ニヤリと口元を歪めて告げた。

 

「情報をだよ」

 

 



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第五話

 7月3日から7月4日へと日付が変わる頃より降り始めた雨は次第に激しさを増し、夜明けの時刻には東京の至る所で激しい雷雨となった。

 

 だがそれも時が経つにつれて勢力は弱まり、正午には黒雲の隙間から晴れ間が覗くようになっていた。

 

 一時は中止も検討されていたアイドルフェスティバルは、予定通り開催される運びとなった。

 

 イベント会場周辺の道路や最寄り駅へと向かう電車は、会場である海浜公園とへ向かうファンで徐々に混みだしていった。

 

 そして会場内及び周辺ではスタッフ達が慌ただしく動き回り、悪天候の影響によって設備や装飾等に異常が表れて無いかの確認作業を行っている。

 

 イベント会場はパフォーマンスの行われるライブ会場に加え、物販スペース、展示物の閲覧スペース、飲食休憩スペースなどが設置されており、推しのアイドルが出演しない時間はそういったスペースで時間を過ごす者は数多くいた。その為ライブ会場は退場及び再入場が何度も可能となっていた。

 

 そんなライブの行われるステージ上や舞台裏、簡易的に建てられた控室、リハーサル用の大部屋などでは、無名の新人からファン以外にも名の知れる程に売れ始めた者、多くの国民に知られた者らなど様々なアイドル達がイベントに向けての最終調整に入っていた。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後3時00分

 

 

 イベント会場の入場ゲートから数百メートル程離れた所に3人の男女が立っていた。

 

 時刻はイベントの開始時刻ちょうど。

 

 既に周囲を行き交う人々の影はまばらで、遅れてやってきて慌てながら会場へと駆け込んでゆく人々がちらほらと見られる程度。

 

 彼らの後方の会場からは、イベント開始を告げるアナウンスと音楽、ファンの歓声が響いてきていた。

 

 

 

「入らないんですか?こんな所で無駄に時間を過ごすくらいなら帰りますよ」

 

「もう少し待っててくれ、どうしても合流しなきゃならない人がいるんだ。頼むよ」

 

 微かな苛立ちを顔に浮かべた藍音を、プロデューサーが努めて穏やかな口調でなだめる。

 

 だが彼の隠し切れない焦燥感は、声色から仕草にまで僅かながらに現れていた。

 

 藍音はそんなプロデューサーの姿を見て軽く溜息を吐くと、手にした英単語帳に目を落とし始めた。

 

「プロデューサー」

 

 と、咲耶の手招きを受けて、プロデューサーは彼女の方へ身を寄せる。

 

 ひそひそと咲耶が耳元に囁きかけてきた。

 

「社長は本当に来るのかな?もしかしたら、気が変わってしまったということもあるんじゃ……」

 

「いや、それは大丈夫だと思う。あの雰囲気は嘘を言っているような感じじゃなかった。俺は社長を信じるよ」

 

「プロデューサー……そうだね。天井社長は約束を軽々しく反故にするような人じゃない。あなたの言う通り、私も信じて待つよ」

 

 2人は顔を見合わせて軽く頷き合った。

 

「とはいえ、詳細な待ち合わせ場所も時間も決めてられて無かったからな。もしかしたら他の場所にいるのかもしれない。ちょっと周りを見てくるよ」

 

「わかった。いってらっしゃい、プロ……兄さん」

 

「おう」

 

 軽く右手を上げたプロデューサーは小走りにその場を離れてゆく。

 

「どうかしたんですか、お兄さんは?」

 

「待ち合わせている人を探しに行ったんだ。すぐ戻ってくると思う」

 

「……そうですか」

 

 単語帳から目を離すことなく藍音が素っ気なく口にした。

 

「随分と勉強熱心なのだね」

 

「受験生ですから、当たり前です」

 

「そうか。藍音さんは3年生なのだものね」

 

「…………あなたは受験はしないんですか?」

 

「私は進学の予定は無いな。どちらかと言うと、就職……かな?」

 

「そうですか」

 

「藍音さんはどこの大学を受けるんだい?」

 

 咲耶の質問を受けて、藍音は淡々と大学名を幾つか述べてゆく。それは日本において知らぬ者はまずいないであろう有名私立大学の類だった。

 

「驚いた。あなたの通う高校が進学校だと知ってはいたが、まさかそこまでのハイレベルな目標を抱いていたなんてね」

 

「……だから下らない事に時間は割きたくないんです。模試だって控えてますので」

 

「ははは、すまないね。けど……そんな大事な時期に私達のワガママに付き合ってくれて本当にありがとう」

 

「……はい」

 

 藍音は一瞬だけ咲耶の方へと視線を向けて、再び単語帳に目を落とす。

 

 そして二人の間には沈黙が訪れ、咲耶は苦笑しつつ肩をすくめたのだった。

 

 と、その時。

 

「おう。待たせたな」

 

 背後から聞こえてきた声に咲耶は振り返る。

 

「プロデューサー?社長は見つか……って、あなたは!」

 

 ただならぬ様子の咲耶の声。何事かと藍音も顔を向ける。

 

「っ!?」

 

 声の主の姿を目にした藍音は顔を引きつらせた。

 

「アイドルに興味は無いなんて言っといて、こんな所で会うなんてな。やっぱり脈はあったんじゃないか。こいつは運命を感じちゃうねえ」

 

「深沼……敏!」

 

 そこに立っていたのは、真新しい紫色のスーツを着た深沼敏であった。

 

 彼の周囲には数人の取り巻きの男達がニヤニヤとしながら立っていた。

 

「っと、こないだのデカ女まで一緒かよ」

 

 深沼が露骨に不快そうな顔をする。

 

「悪いけれどあなた方に付き合っているヒマは無いんだ。失礼させてもらうよ」

 

 毅然と言い放った咲耶は、藍音の手を引いてサッと立ち去ろうとする。

 

「おっと、そうはいかねえぞ」

 

 しかし、取り巻きの男達がすかさず動いて2人の退路を塞ぐ。

 

「っ!……どけっ!」

 

 咲耶が声を荒げ突破しようとするも、男らはニヤついた笑みを崩さずに立ちはだかり続ける。

 

「別にオメェには用はねぇよ。こないだ俺をコケにしてくれた借りを返して貰いたいところだが、俺は心が広いからな。そっちの姉ちゃんを置いてってくれれば見逃してやるよ。とっとと失せな」

 

 深沼敏が咲耶の元へとゆったりとした歩調で近付いてくる。

 

「そんな提案を受け入れる気は無い。退いてくれ」

 

 

 咲耶は深沼の目を鋭く見据え、その甘言を跳ね除ける。

 

「じゃあ身体に分からせるしかねぇな」

 

 深沼が手をサッと軽く上げると、男達が徐々に2人へと詰め寄ってきた。

 

 咲耶が繋いだ手からは藍音の震えが伝わってくる。

 

 咲耶自信も恐怖心を抱いていたが、勇気と気力を振り絞り、体に力を込めてそれを抑え込んでいた。

 

 チラリと周囲を見渡すが、近くに人影は見当たらず、この場から離れた入場ゲートのスタッフも明後日の方を向いており、こちらの様子に気が付く気配は無い。

 

 声を上げようにも会場からの爆音が辺りには響いており、遠くまで届かないのは目に見えていた。

 

 咲耶はギリと歯噛みをする。

 

「何してるお前達!」

 

 その時、見回りから戻ってきたプロデューサーが声を上げて駆け込んできた。

 

 プロデューサーは咲耶と藍音を取り囲む男らへ向け突進してゆく。

 

「っ!?」

 

 だが次の瞬間、彼の目の前に黒く大きな影が立ちはだかった。

 

 プロデューサーが何事かと逡巡したその一瞬の後、彼の身体は宙を舞っていた。そして背中から激しくアスファルトへと叩きつけられる。

 

「ガハッ!」

 

 背面に走る衝撃、肺から抜ける空気。プロデューサーは顔を歪め苦悶する。

 

「プロデューサー!」

 

 咲耶の悲鳴にも似た声が響く。

 

「おおっと、流石だね針生(はりう)さん。見事な空気投げだ……ってコイツは!」

 

 倒れたプロデューサーの顔を覗き込んだ深沼が怒りの表情を浮かべる。

 

「昨日天井と一緒にいた野郎じゃねえか!くっそ!お前のせいでスーツとハーレーが台無しになったんだぞ!このッ!」

 

 深沼が倒れたプロデューサーへと蹴りを入れる。プロデューサーは「ガハッ!」と呻き声を上げて身体をくの字に曲げた。

 

 咲耶が声を上げて彼の方へと駆け寄ろうとするが、周囲の男達に腕や肩を掴まれ押し留められる。

 

 男達は咲耶の悲痛な表情を見て、口元をいやらしく歪めた。

 

「それで、コイツはどうする?殺るのか?」

 

 針生と呼ばれた男が地の底から響くような、低く威圧感のある声を出す。

 

 地面に仰向けになったプロデューサーは、痛みに耐えながらゆっくりと目を開いていく。

 

 目に映った黒スーツの男、その顔には見覚えがあった。

 

(コイツは……ホームセンターの駐車場で俺と咲耶を襲った男じゃないか。……あの時に比べると随分若いが……そうか、やっぱりアレは)

 

 プロデューサーは何とか起き上がろうとするが、受けたダメージは思いの外大きく、体がなかなか言うことをきいてはくれない。

 

「そうだな……車でアソコまで連れてけ。用事を済ませた後でたっぷりといたぶってやる。そっちのデカ女も一緒に連れてけ!……とはいえそいつは俺の趣味じゃねえからな、女はテメエらが好きにしな!」

 

「マジすか!?」

 

「ハッハーッ!こいつは役得だぜ!」

 

 取り巻きの男達が歓喜の声を上げる。

 

「や、やめろ……」

 

 プロデューサーが何とかして起き上がろうとするが、そこへ黒スーツの男の拳が振り下ろされた。頭を殴られた彼は意識を失い、ぐったりと倒れ伏してしまう。

 

 咲耶も身をよじらせて必死の抵抗を試みるが、男らに羽交い締めにされ、口には猿ぐつわを噛まされて、つばの広い帽子を目深に被らされた。

 

 男らは咲耶を両脇から肩を貸すような姿勢で運んでいく。

 

 その姿は遠目から見れば、急病人に付き添っているようにも見えた。

 

 プロデューサーもまた、針生と呼ばれた男に肩を抱えられるようにして、その場から連れて行かれたのだった。

 

 

 

 目の前で起きた荒事。それに対し藍音は理解が追いつかなかった。

 

 恐怖から声を上げることもできず、ただサクラとその兄が連れ去られていくのを呆然と見ている事しか出来なかった。

 

「これで邪魔者はいなくなった。さて、これから会場へと繰り出すとするか。アイドルになるためのお勉強だ。それとも、早速事務所に行って契約を交わすかい?」

 

 下卑た笑いを浮かべる深沼に視線を向けられて、蛇に睨まれた蛙のように藍音は脚を竦ませ動けなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 イベント会場の駐車場へと1台のロケバスが滑り込むように入り込んできた。

 

 ロケバスはスペースの空いていた、青いスポーツカーの隣へと停車する。

 

 車の中からは20代前半と思わしき5人の女性と、ラフにスーツを着こなした、女性らとは一回り以上は歳上であろう薄茶色の髪の男性が降りてきた。

 

「しまったな。こんな大事な日に渋滞に巻き込まれるとは、ツイてないにも程がある」

 

黒霧(くろむ)さん、リハに間に合わなかったのは残念だけど私らなら平気よ。今日の為にトレーニングは十分に積んできたんだから。ね、みんな?」

 

 リーダー格の長い髪の女性が振り返ってメンバーに問いかける。

 

 他の女性らは「もちろんよ」と主張し、力強く頷いてみせた。

 

「本当に君らは強いなぁ。それでこそ大トリを務める、俺のプロデュースするトップアーティストだ」

 

 フッと笑みを浮かべた男が踵を返し歩き出す。それに続いて一同は会場へと向かってゆく。

 

 そして駐車場を出て会場へと続く歩道へと差し掛かった瞬間

 

「邪魔だ!どけっ!」

 

 厳つい男達が彼ら目掛けて突っ込んできた。

 

「っ!?」

 

 アーティスト集団は慌てて身を翻す。

 

「キャッ!」

 

 しかしながら後方を進んでいた1人の長身の女性だけは、避け切ることが出来ずに男達と衝突。

 

 突き飛ばされてアスファルト上に身を転げてしまった。

 

「おい!いきなり何なんだ!」

 

「こっちは急病人抱えてんだよ!急いでんだ!」

 

 謝りもせずに去りゆく男達へ向け、黒霧と呼ばれた男は舌打ちをすると「おい、大丈夫か!?」と倒れた女性に声をかけ、他のメンバーらと共に介抱し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 駐車場の最奥に停めてある1台のワゴン車。

 

 男達はそれに乗り込み、最後部の座席へとプロデューサーと咲耶を放るように押し込んだ。

 

「んーんんーんー!」

 

「大人しくしてろ嬢ちゃん。騒ぐと隣の男の寿命があっさりと終わる事になるぜ」

 

 男の脅し文句に咲耶は口を噤む。

 

 しかしながら鋭い視線を向けて、言葉を告げた男を睨みつける。

 

「おーおーおっかねえ。けどその目つき堪んねえな。逆に唆られるぜ」

 

「おいおい、あんまりビビらせんじゃねえぞ。手を出す前に手痛い反撃喰らっちゃたまらん」

 

「へいへい」

 

 深沼の取り巻きの男達が軽口を叩く一方で、助手席に座った針生は腕組みをして微動だにせず仏頂面で前を見据えていた。

 

「んじゃ出しますぜ」

 

「ああ……」

 

 運転席に座った男が乱暴に車を発進させる。ガクンと車体が一瞬激しく揺れ、乗っている者達の頭も同様に前後へと揺れる。

 

「おい……雑すぎるぞ」

 

「す、すいません」

 

 針生にギロリと睨まれた運転席の男は、身体を震わせて首を竦めた。

 

 そしてややスピードを落とした車が、駐車場の出口まであと僅かといった所まで迫る。

 

 その時、ワゴン車の正面に突如として激しい閃光が走った。

 

「ぐわあっ!な、何だ!」

 

「前が!眩しっ!目が見えねぇ!」

 

 閃光と共にワゴン車を三度の衝撃が襲い、車内の男達は視界を奪われる。

 

 そうして完全にコントロールを失ったワゴン車は、激しく蛇行し進路を大きく変え、駐車場内の植え込みに備え付けられていた街灯へと正面衝突した。

 

 

 

「…………っ!」

 

 車が衝突をしてから真っ先に気を取り直したのは助手席の針生(はりう)だった。

 

 ぶつけた額、むち打ち気味の痛む首筋を手で擦りつつ車内を見渡すと、全身を強打して苦悶の声を上げて丸まっている、または気を失っている深沼の部下の様子が目に映った。

 

 最後部に押し込んだ男女の姿は見えないが、声も動くような音も聞こえない事から気を失っているのだろうと針生は判断した。

 

 嘆息しつつワゴンを降りて、外へから車の様子を見る。

 

 ワゴンの正面ど真ん中にぶつかった街灯のおかげで、フロントは湾曲するように凹んで、ガラスにはヒビが入っている。

 

 しかしながら煙やオイル、ガソリンの漏れるような臭いはしない。見た目ほどに深刻な事態にはなっていないようだった。

 

 針生は車から駐車場内へと顔を向け、周囲を一瞥。すると1台の特徴的な車が目に入った。

 

 シルバーの外装を鈍く輝かせるその車は、車体の周りに水蒸気をもうもうと漂わせている。

 

「この車のせいか?……ふざけたマネを」

 

 針生は軽く舌打ちをし、ポケットに片手を突っ込みながら気だるげに歩き出した。

 

 取り敢えず車の持ち主を引き摺り出す。相手が混乱しているうちに一発顔面を殴り、次は胴体にもう一発。頭を引っ掴んで目を合わせて恫喝。これでペースを取ってしまえばこっちのもの。金なり何なりを要求して落とし前をつけさせる。

 

 そのように思案しながら針生は車のドアの側へと近づいた。

 

 と、その時

 

「んガッ!?」

 

 顔を近づけて窓から中を覗きこもうとしていたところ、車のドアが上へと開いて針生の顎を直撃。

 

 打ち所が悪かったのか、針生は脳を揺さぶられ平衡感覚を失い、グラリと背中からアスファルト上に倒れ込み、後頭部を強かに打ち付けて気を失ってしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 ドアを開ける時に感じた妙な衝撃にドクは眉を潜める。

 

 デロリアンから降りてみれば1人の男が地面に寝そべっている姿が見えた。

 

「ドク、どうかした?」

 

 助手席から降りてきたマーティが隣へとやってくる。

 

「どうやらドアを開けた時にぶつかってしまったようだ。悪い事をしてしまったな」

 

「うわ、こりゃ酷いな。おーい、大丈夫ですか?」

 

 マーティが倒れた男を覗き込むようにして声をかけていると

 

「んーんんーっ!!」

 

 少し離れた場所から、何やら唸るような声が聞こえてきた。

 

 何事かとドクとマーティが目を向けると、その先には車体のひしゃげたワゴン車の中から、よろめきながら出てくる咲耶の姿があった。口には布のような物を噛まされている。

 

「サクヤ!」

 

 マーティとドクが慌てて駆け寄っていく。

 

 咲耶は口の布を外して2人へと呼びかけてようとするが、その瞬間、肩をグイと掴まれた。

 

「逃げようったってそうはいかねぇぞ」

 

 苦痛に顔を歪めた手下の1人が、すかさず咲耶の首に手を回した。

 

「くっ!」

 

「そこの2人!近づくんじゃねえ!ストップ!ストップだ!」

 

 男の怒声が飛び、それを耳にしたマーティとドクは足を止める。

 

「そうだそうだ。あとはそのまま――」

 

 男がジェスチャーを交えながらワゴンの方へと後ずさっていくと、突然鈍い音がした。男が口にした言葉はそこで途切れたのだった。

 

 男はフラりと顔面から地面へと倒れ伏す。

 

「後ろがお留守なんだよ。……痛てて」

 

 咲耶が振り向くと、そこには拳に息を吹きかけながら手首を振っているプロデューサーの姿があった。

 

「プロデューサー!」

 

「大丈夫か咲耶?」

 

「ああ!あなたの方こそ大丈夫かい?どこか打ったりとか、さっき負わされた怪我とかは……」

 

「何とか大丈夫だ。多分打ち所が良かったんだな。まだちょっと痛むけど大事は無さそうだ」

 

 口元を軽く歪めたプロデューサーの顔を見て、咲耶は安堵の溜息を吐いた。

 

「ユーイチ!サクヤ!」

 

 大声を上げてマーティとドクがワゴンへと駆け寄ってきた。

 

「一体何があったんだ!」

 

「ブラウン博士!実は―――」

 

 と、プロデューサーは今しがた起こった出来事の一部始終をドクとマーティに説明した。

 

 そして男達が気を失っているうちに、ワゴン車の中に置いてあったロープで彼らを縛り上げることとした。

 

 途中で黒スーツの男が目を覚ましかけるというハプニングがあったのだが、プロデューサーとマーティが男の顔面に拳を叩き込んで事なきを得たのであった。

 

 縛り上げた男達を駐車場から少し離れた茂みへと突っ込んで、一同は再び駐車場へと戻っていく。

 

「改めて、ありがとう。マーティ、博士。おかげで私もプロデューサーも助かったよ」

 

「ナイスタイミングだったようだな。ともあれ2人とも無事で何よりだ」

 

「けど、のんびりしちゃいられません!藍音さんを深沼のヤツから助けないと!咲耶、博士、マーティ、早く会場の方へ!」

 

「到着早々、次から次へと。ヘヴィだな全く!」

 

 一同はプロデューサーを先頭にして、イベント会場に向けて全力で駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

「や、やめて下さい!」

 

「お前も強情なヤツだな。大人しく俺の言うことを聞けばいいんだよ。アイドルになれば薔薇色の未来が待ってるんだからよ!」

 

「興味ありません!」

 

 プロデューサーと咲耶が連れ去られ、その場に深沼と2人きりとなってしまった藍音は、必死にその魔の手から逃れようとしていた。

 

 だが、深沼はそんな彼女を逃すまいとしつこく食い下がり続ける。

 

「それに!あの2人をどうするつもりなんですか!」

 

「そんなにあの2人が気になるのか?よっぽど大切なお友達らしいな?」

 

「別に友達ではありません!つい数日前に初めて会ったばかりで」

 

「は?なら全然気にする必要ないだろう。別に赤の他人がどうなろうが構いやしないだろうが」

 

「そ、そんな事は……」

 

 戸惑ったような表情を浮かべた顔を俯かせ、消沈する藍音。

 

 その姿を目にした深沼は、ニヤリと口元を歪める。そして一瞬のうちに表情を切り替え、心底気だるそうに口を開く。

 

「はぁ…………何だか急に冷めちまった。ここまで言っても逆らうなんて、よく考えたらとんでもなく面倒くさい女だな。もういい、どこにでも行っちまえ」

 

「えっ?」

 

 一転した深沼の態度に藍音は目を瞬かせる。

 

「何だよ。嫌なんだろ?俺の言う事を聞くのが。ならさっさと行っちまえ。俺はこれからあの2人を痛めつける仕事をしなきゃならないからな。これ以上お前なんかに構ってられないんだよ」

 

「そ、そんな!……あの2人は関係ないんじゃ」

 

「ああ、お前には関係ないだろうさ。だが俺とアイツらに関しちゃそうじゃねえ。でっかい貸しがあるから返してもらう。それだけだよ」

 

「だからって……そんな……」

 

 藍音は躊躇した。

 

 このまま去ってしまえば間違いなく自分は助かる。

 

 しかしあの2人、會川サクラとその兄は無事では済まない。事と次第によっては最悪の事態になる可能性も……藍音は歯噛みした。

 

「警察に言いますよ」

 

「好きにすりゃいい。俺にとっちゃ痛くも痒くもない」

 

「っ……!」

 

 顔色一つ変えずに平然と言い放つ深沼。

 

 実のところ彼の発言は完全にハッタリであったのだが、藍音にはそれを見抜く余裕も力量も足りなかった。

 

(どうしてこんな目に合うの?私が悪いの?あの子にあんな事を言ったから……これはその罰なの?)

 

 自問自答する藍音の脳裏に、サクラの顔がふと思い浮かぶ。

 

 目の前の男に一昨日絡まれた時には彼女が助けてくれた。

 

 その前日に、たった一度だけ会った自分のために立ち向かってくれた。

 

 なのに自分は……何も告げずに逃げて……そして今も…………

 

「私が……私があなたの言う事を聞けば、あの人達を助けてくれるんですか?」

 

 藍音は声を震わせながら、恐る恐る口にした。

 

「ん?……そうだなぁ、折角だしなぁ……まあ、考えてやるのも悪くない」

 

 目を細めていやらしい笑みを浮かべる深沼。

 

 その表情に嫌悪感を抱いた藍音だったが、最早逃げるわけにはいかなかった。

 

 わかりました。あなたの言う通りにします。

 

 そう告げようとした時だった。

 

「こんな所で何をしてるんだ、深沼」

 

 声が聞こえた。粗野な言い回しながらも、どこかしら優しさと温かみを感じさせるような、そんな声が。

 

 藍音が顔を振り向かせると、そこにはヨレヨレのスーツを着た青年が立っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「こんな所で何をしてるんだ、深沼」

 

 天井努は怯えた様子の少女に絡んでいる、顔見知りのロクデナシに対し、呆れ気味に声をかけた。

 

「天井!?……フッ、何ってスカウトだよ。見りゃあ分かるだろ」

 

「ただのチンピラが言いがかりをつけて脅しているようにしか見えんが?」

 

「何だと?」

 

 深沼は眉をひそめ、こめかみに青筋を立てる。

 

「ああ、そういえばテメェには貸しがあったなあ」

 

 ポケットに手を突っ込み、睨みながら歩み寄ってくる深沼。

 

 天井努は軽蔑の眼差しを向けていた。

 

「貸しだと?」

 

「テレビ局での不始末に加えて、昨日テメェがゲロったせいでダメになった下ろし立てのスーツの分だ。きっちり落とし前はつけてもらうぜ」

 

 社長の真正面に立ち、その顔を見上げる深沼。

 

「落とし前?金でも払えばいいのか?しかし、今は残念ながら持ち合わせが無くてな」

 

「金なんていらねえよ」

 

「なら―――」

 

 その瞬間、天井努の身体に衝撃が走った。

 

 ビクリと彼の身体は痙攣し、膝からくず折れて地面へと倒れ伏す。

 

「キャアッ!」

 

 藍音の悲鳴が響く。

 

「…………うっ……くっ…………な……何を……した…………」

 

 倒れたままの天井が、やっとの思いで首を動かし視線を上げると、深沼の手に小型のスタンガンが握られているのが目に入った。

 

「グハハハ!いい格好だなあ、アマちゃん天井君よぉ。これからテメェをたっぷりといたぶってやる!コレで全部チャラにしてやるからよ!感謝するんだなあ!但し!俺が満足するまで付き合ってもらう……ぜっ!」

 

 言葉と共に繰り出された深沼の爪先が、天井の脇腹にめり込んだ。

 

「がっ、はっ……!」

 

「どうした!昨日みたいにゲロってみせろ!無様に吐き散らかして、自分のゲロの海でのたうち回れよ!」

 

 またも振るわれた深沼の足に、再び腹を蹴り上げられる天井努。

 

 肺の空気が押し出され、彼の意識は遠くなる。息を吸おうと体が懸命に動こうとするが、蹴られた痛みが響き、上手く呼吸が行われない。天井は口の端から唾液を垂らしながら、激しく咳き込んでしまう。

 

「や、やめて!」

 

 その時、藍音が深沼に飛びかかった。

 

 深沼の腰に手を回して縋り付くようにして懇願する。

 

「その人は関係ないでしょ!私が言う事を聞くから!もうやめて!」

 

「うるせえ!」

 

 深沼は腰を振って藍音を振り払おうとする。体を捻り、藍音の頬に平手打ちを放ち、その身体を突き飛ばした。

 

「キャアッ!」

 

 地面に転げる藍音。その服と肌が湿り気を帯びたコンクリートの地面に触れて汚される。

 

「この事はお前には関係ないんだよ!引っ込んでろ!」

 

 そうして深沼は天井努の背を右足で踏みつけて、彼の右腕を捻り上げて思い切り引っ張っり上げた。

 

「グッ……….アアァーーッ!」

 

「ギャハハハハッ!いい声だなぁ!もっと聞かせてくれや!」

 

 更に力を込めて捻りあげる。

 

 その瞬間、鈍い音が鳴り、天井の腕から深沼の手のひらへと異質な振動が伝わってきた。

 

「がああぁぁぁっ!」

 

「おっと、何か気持ちいい音がしたなあ!」

 

 深沼が天井の腕を放り投げるようにして離す。

 

 天井は苦悶の声を上げながら、捻られていた手をもう片方の手で抑える。

 

 彼の口からは唸り声が吐かれ、聞く者に痛々しさがありありと伝わってくる。それを耳にした藍音は、目元に涙を浮かべて地面に身を横たえたまま、起き上がる事が出来ないでいた。

 

 蹲り、身体を震わせている天井を、深沼は満足げな表情で見下ろしていた。

 

「気持ちが良いなあ!こうやってお前のことを見下ろすのはよぉ!」

 

 深沼は右手にスタンガンを握り直し、高々と振り上げた。

 

 スイッチが押され、バチバチと電流が弾ける音が響く。

 

「コレでトドメだ!次に目が覚めた時には、お前もあの2人と同じように再起不能になってるだろうよ!くたばれ!アマちゃんが!」

 

 天井努の頭を目掛けてスタンガンが振り下ろされる。

 

 藍音はその様に臆し、ギュッと目を閉じて顔を伏せた。

 

 深沼の口元が醜く歪む。

 

 

 

 そして……

 

 

 

「……甘いのは、そっちだ」

 

 決着は一瞬のうちに着いた。

 

 振り下ろされたスタンガンが身体に触れるより先に身を転げ、飛び上がるように勢いよく立ち上がった天井努の右拳が深沼の顎を打ち据えた。

 

「ムグッ!?」

 

 強い衝撃が顎、骨、脳へと伝わり、白目を剥いた深沼敏が地面へと倒れ伏したのだった。

 

「プロデューサーなら、芸能界に身を置く者なら簡単な演技くらい見破れるようになれ。ましてや、俺のような大根演技ならなおさら……って聞こえていないか」

 

 倒れ気を失った深沼を見下ろしながら、天井努は右手首、右肩を軽く回しつつ吐き捨てるように告げた。

 

 天井努が振り返ると、やっとの思いで体を動かして尻餅をついたような姿勢になっている、深沼に絡まれていた少女が呆けているのが目に入った。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 歩み寄った天井努は彼女へと右手を差し伸べた。

 

「は…….はい。……あの、腕は何ともないんですか?」

 

 立ち上がりながら藍音は怪訝な表情を浮かべる。

 

「ん?ああ、あれはただ骨が擦れて音が鳴っただけだ。ちょっとばかし痛みはあったがな」

 

「そう、ですか。…………あの、危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございました」

 

「ああ。何事もなくて良かった。コイツは同業者の間でも有名な厄介者でな。また絡まれないうちに行ったほうが良い」

 

「同業者?……もしかしてあなたも……」

 

「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は天井努という者で、アイドルのプロデューサー……いや、元プロデューサーだ」

 

「……私は米村藍音といいます。あの、元というのは――」

 

 藍音が問いかけようとした時

 

「おーい!藍音さーん!」

 

 彼女に呼びかける声が近づいてきた。

 

 目を向ければ、そこには駆け寄ってくる會川サクラとその兄の姿があった。

 

 それと更に後ろには見慣れぬ外国人が2人の後を付いてくるように走ってくるのが見えた。

 

「サクラさん!」

 

「良かった。無事だったんだね」

 

「あなた方こそ。私の方はこの人が助けて下さったので」

 

 藍音が目を向けた方に立っていた男を見た咲耶は、目を大きく見開いた。

 

「えっ?……社長?」

 

「あ?何だって?」

 

 天井努が眉をひそめる。

 

「しゃ……天井さん!来てくれたんですね!」

 

 と、彼の姿を見たプロデューサーは、安堵と歓喜の入り混じった表情が浮かべ歩み寄っていった。

 

「會川か。……みんな知り合いなのか?と言うか、何があった?」

 

「それは話すと長くなるので、また後に。とにかく、紹介したい子がいるって言いましたよね?」

 

「ああ。それが彼女か?」

 

 と、天井努は咲耶へと目を向けて、品定めするように軽く全身を見渡す。

 

「ふむ……パッと見ただけでもアイドルの素質はあるように感じるな。各種レッスンやメイクを極めて磨き上げれば更に……」

 

「あ、あはは……そう言って頂けるのは光栄ですけれど、プロ……兄が言っているのは私のことではないんです」

 

「何?」

 

「天井さん。俺が紹介したいのは彼女、そこにいる米村藍音さんなんです」

 

「は…………?」

 

 

 

 

 

 

「よし!とりあえずこれで状況は整った!」

 

 イベント会場内に入ったプロデューサーは、ライブの観客席へと向かう天井努と米村藍音を見送ってガッツポーズをした。

 

「一時はどうなることかと思ったけれど、これで一安心だね」

 

 咲耶が安堵の笑みを浮かべる。

 

 

 

 状況を把握しきれていない天井努と藍音を説明もそこそこに送り出し、友人達に物販や飲食店、展示物などのスペースを案内して後から合流する、と告げプロデューサーと咲耶はこの場に残っていた。

 

 ちなみに友人達とはマーティとドクのことであり、マーティは咲耶の知り合いの留学生、ドクはその祖父であると説明をしたのだった。

 

 

 

「でかしたぞ2人共!」

 

「本当に凄いよ!信じて無かったわけじゃないけど、ここまで完璧に作戦が進んでるとは思わなかったよ!」

 

 ドクとマーティは大仰な身振りを交えつつ、喜びの声を上げる。

 

「ありがとう。でも作戦は終わったわけじゃない。大事なのはこれからだ」

 

「うん。そうだね、ユーイチの言う通りだ」

 

「…………あれ?さっきまで全然気に留めてなかったんだけど、2人はいつの間に日本語を喋れるようになったんだい?」

 

 咲耶がマーティとドクへ向かって、小首を傾げつつ尋ねる。

 

「あ…………本当だ!アプリを使わなくても会話できてる!?」

 

 プロデューサーも今更ながらにその事実に気がつき、驚きの声を上げた。

 

「おお、そう言えば説明がまだだったな」

 

 軽く咳払いをして、ドクは片耳に付けた小型のイヤホンマイクを指差した。

 

「これは我々が2030年で調達してきた最新型の通訳装置だ。世界中の主要言語全てに対応しており、ほぼリアルタイムでの翻訳、会話が可能となっておる。しかも特殊な機械音声ではなく使用者本人の地声で、細かなニュアンスや喋り方の癖までも翻訳してくれるという優れ物だ」

 

「本当だ。博士の声が私にもちゃんと伝わっている。言い回しも自然だね」

 

 咲耶が感心した様子で頷く。

 

「この時代のスマホアプリとかも凄いけど、未来はもっと凄くなってた。ビックリだよ。相変わらず車は飛んでなかったけどさ」

 

「おや、そうなのかい?マーティ達の話を聞いて私もそれに乗ってみたいと思ったんだけれど、叶わぬ願いのようだね」

 

「デロリアンが万全だったら良かったんだけどね。未来でドクが試しに手持ちの部品で修理してみたんだけど、結局上手く動くようにはならなかったし。……というかちょっと驚いたな。咲耶ってそういう話し方をしていたんだね。何だかとってもクールな感じだ」

 

「それは褒め言葉と受け取って良いのかな?」

 

「もちろんさ」

 

「ありがとう。マーティこそ素敵な喋り方だよ。おかげでよりあなたの事が理解できて、ますます仲良くなれそうな気がするよ」

 

 咲耶が微笑みかける。

 

「この通り、ワシらはこうやって自然なコミュニケーションを取る事が可能となった。これは大いに作戦の手助けになるだろうな。更にこの装置の凄いところはだな、トランシーバーのように無線通話が出来る上に、ボイスチェンジャー機能も付いておるのだ。このように―――」

 

 喋り続けるドクがスイッチを切り替えていくと、しわがれたような声から老齢さを漂わせながらも溌剌とした声、低音でありながらどこか軽快で茶目っ気を感じさせるような声、渋みのある俳優のような声、マーティと非常に良く似た声など、ドクの声色が次々と変化していった。

 

「様々な好みの声で話すことも可能となるのだ!」

 

 新しい玩具を買い与えられた子供のように、ハイテンションでまくし立てるドク。

 

「あ、あの、博士。それが凄いのは分かったのですが、それよりも今後の話をしないと」

 

「おおっと、そうだった。すまないなユーイチ。では話を戻そう」

 

 再度咳払いをしてドクが話を仕切り直す。

 

「歴史を元に戻すには、あの藍音という少女が天井青年にスカウトされる必要がある。ユーイチ達のおかげでお膳立ては全て整っておる。後はライブ会場にいる2人に合流し、そうなるように促してやる必要がある」

 

「前に社長から聞いた話だと、このイベントの最後のライブ、特別ゲストのダンスユニットのライブ中にそれはあったらしい。だからその時まで注意深く2人に張り付いてなきゃならない」

 

「ああ。2人を引き合わせられたけれど、出会いの形が変わってしまった以上、これから先は私達のアシストが鍵になるだろうしね」

 

 咲耶が拳をグッと握り締める。

 

「よし!では我々もライブ会場へ向かうとしよう。幸いにしてサクヤが貰ってきてくれたチケットがあるおかげでワシらも難なくイベント会場入り出来たわけだしな」

 

「正に渡りに船だ。私にチケットをくれた2人には感謝しないとね」

 

 そうして一同は、天井努らの向かったライブ会場へと歩いていく。

 

「ところでさ、さっき言ってたダンスユニットってなんていう名前なの、ユーイチ?」

 

「えーっと、確か『Meina with Mix』だったかな?何でも今日は新曲のパフォーマンスを初披露するとかで注目されているらしい」

 

「そうなのか。この時代のライブが見られるの何だか楽しみだよ。……っと呑気なこと言ってちゃダメか」

 

「そんな事はないさ。作戦をすすめつつも、楽しめるものは存分に楽しんだ方がいい。マーティにとっていい刺激になればいいと俺は思うよ」

 

「ありがとうユーイチ。そう言ってもらえると僕も気が楽だよ……って、その左腕。リストバンドなんて付けてどうしたんだい?お洒落にしちゃイマイチ服装と合ってないけど」

 

「え?ああ、これは昨日一騒動あってね。その時に少し痛めちゃってな。だから包帯代わりに」

 

「ふーん。結構大変だったんだね」

 

 マーティとプロデューサーがそんな風に話していると、彼らの横を会場スタッフと思わしき人々が慌ただしく駆けていった。

 

「何かあったのか?」

 

 スタッフが走っていった方にドクが目を凝らすと、更に数人のスタッフが集まって何やら話をしているようだった。

 

「―――に見―――のか?」

 

「――――して――だけでも」

 

「―――さん――――でないと―――」

 

 プロデューサーはその様子に唯ならぬ何かを感じて彼らの側へと近づいていき、そっと聞き耳を立てた。

 

「とにかくこれは決定事項だ。ラストのMeina with Mixのライブは中止。イベントの終了時刻を繰り上げる。各自それに向けて準備を進めるぞ」

 

「な、何だって!?」

 

 プロデューサーが思わずあげた大声に、話をしていたスタッフ達はギョッとして目を大きく見開いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「お願いします!ライブをやってください!どうしてもやってもらわなきゃ困るんです!」

 

「ちょっと!入って来られちゃ困ります!警備員を呼びますよ!」

 

 Meina with Mixの控室へと乗り込んだプロデューサーは、スタッフに両サイドから取り押さえられながらも必死の懇願を続ける。

 

「私からもお願いします!あなた方のパフォーマンスをやって頂けないと、人生が大きく狂ってしまう人がいるんです!」

 

 咲耶も普段の彼女らしからぬ焦燥を滲ませて、声を大きく上げて訴える。

 

「ふぅ…………君たちがどこの誰かは知らないけれど、見ての通りだ。メンバーが万全でない状態でステージには立たせられないよ」

 

 ラフなスーツ姿の男がプロデューサーに向けて、そっちを見ろとばかりに目配せをする。

 

 その先ではソファーに身体を横たえた女性が、手首と足首に氷を当てられていた。

 

 傍らに寄り添うユニットメンバーは怪我をした女性を気遣いつつ、プロデューサーと咲耶らを訝しんでいた。

 

「そこを何とか!お願いします!」

 

 プロデューサーは深く頭を下げて食い下がる。

 

「無理な物は無理だ。今回の新曲、全員揃ってのダンスステージは今日が初披露だ。コレは全員のパフォーマンスが寸分の狂いなく噛み合って初めて形になる。不完全な物は観客に見せられない」

 

黒霧(くろむ)さんの言う通りよ」

 

 怪我をした女性に寄り添っていた茶髪の女性が歩み寄ってくる。

 

 彼女こそがユニットのリーダー且つ中心人物のMeinaだった。

 

「私達のパフォーマンスを楽しみにしている人達には悪いけれど、中途半端なステージを披露するわけにはいかない。これはプロとして当然のことよ」

 

「けど、ステージを中止してファンを落胆させるのもプロとしては良くない事なのでは?」

 

 咲耶の一言にMeinaが眉をひそめた。

 

「あ……すみません。失礼な物言いを……」

 

「……そうね。あなたの言う事にも一理ある。けれども、だとしても、私達は自分のポリシーを貫かせてもらう。メンバーが欠けた不完全なステージは絶対にやらないってね」

 

「そんな……」

 

「…………」

 

 プロデューサーと咲耶は肩を落とし、目を伏せる。

 

 あと一歩、本当にあと一歩のところで道が閉ざされてしまった。

 

 プロデューサーは全身から力が抜け、目の前が暗くなっていくような感覚に陥った。

 

「わかっただろう。とにかくこれで話は終わりだ。さあ、この方たちを外にご案内して」

 

 黒霧が周囲のスタッフに告げると、彼らはプロデューサーと咲耶を連れ出そうと手を伸ばす。

 

「…………代わりに踊れる人間が居ればいいのかい?」

 

「代わり?どこにそんなヤツがいるんだ?」

 

「私がやる。ダンスには自信がある。私があの人の代わりにステージに立つ」

 

「……ははっ。冗談はよしてくれ。君がステージに立つ?」

 

 黒霧は嘲笑をし、傍らのMeinaは苛立ち混じりに溜息を吐いた。

 

「あのねえ、ステージ開始まであと2時間も無いの。仮にあなたがダンスのエキスパートだったとしても、今から私達の新曲のパフォーマンスを覚えられるワケが無いでしょ」

 

「何とかしてみせる。お願いします、やらせて下さい!」

 

 深く頭を下げる咲耶。その長い髪が大きく揺れた。

 

 その様を半ば蔑むようにして見ていたMeinaは、再度大きく溜息を吐いた。

 

「分かったわ。そこまで言うならチャンスをあげる。私が今から彼女のパートを踊ってみせる。それをマネしてみせなさい。その代わり、私達の眼鏡にかなう動きが出来ないと判断したら即座に帰ってもらうわ、いいわね?」

 

 その言葉に咲耶は黙って頷いた。

 

「黒霧さんも、それで構いませんね?」

 

「ああ、好きにするといい」

 

 男の許可を得たMeinaはスタッフへと目配せをする。

 

 それを受けて彼らは周囲の備品などを動かしてスペースを広くし、小型ステレオから曲を流し始めたのだった。

 

(このダンスは……!)

 

 音楽を耳にし、彼女のダンスを目の当たりにした咲耶が大きく目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

「ちょっとごめんね。通してもらうよ」

 

 アイドル達のライブに沸く観客が小刻みに飛び跳ねたり、両手に持ったライトを振ったり、歓声を上げたりしている中、その合間をマーティが通り抜けていく。

 

 その様に眉をひそめる観客は少なくなかったが、彼が外国人であるというのを知ると、諦め気味に、または半ば委縮気味になり、それを見なかった事にして再度アイドルのパフォーマンスへと意識を向ける者が殆どであった。

 

《どうだマーティ!アマイ青年と例のアイネという少女は見つかったか!?》

 

「え!?あーっと……よく聞こえないけど!僕の探してる方にいたかっていう質問なら答えはノー!それっぽい人影は見つからない!」

 

 鳴り響く音楽、アイドルの歌声、観客の出す騒音と歓声。それらのおかげで翻訳機の無線音量を最大にしてもマーティらの通話は困難を極めていた。

 

 と、その時。丁度ステージ上のアイドルの出番が終了し、入れ替わりの為に舞台袖へとはけていった。

 

《こっちも同じだ!こうも人が多いとはな!想像以上だ!》

 

「おまけに席の場所も指定されちゃいないしライブ会場の出入りは自由。こりゃ参ったな、全然見つけられる気がしないよ」

 

《だが何としてもワシらで彼らの動向を注視せにゃならん!ユーイチとサクヤは最終ステージの準備に忙しいのだからな》

 

「まったく、僕らには不適だってば。何かあったところで彼らに何て言えばいいんだか」

 

《ともかく彼らの居場所を突き止める!それに専念するんだ!少なくとも後からユーイチは合流できる筈だからな!彼になんとかしてもらうための御膳立てくらいはしなければ!》

 

 そうドクが告げた所でステージ上から音楽と効果音が鳴り響き始め、次なるアイドルの明るく溌剌とした声が会場いっぱいに広がり出す。

 

「とにかくなんとかやってみるよ!」

 

《あ!?何て言った!?》

 

「頑張って探してみる!!そっちもよろしく!!」

 

《よく聞こえん!とりあえずしっかりな!》

 

 そうして通話は終了し、マーティは再び騒々しくなり始めた会場内を、苦心しながら移動し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 熱狂の渦に包まれた観客席。そこかしこから歓声が沸き上がる中、1人の青年と1人の少女は声も出さず、音楽にノって動くような事もせず、ただその場に立っていた。

 

 天井努は先程出会ったばかりの少女を横目で見る。

 

 どうやら例の會川という男の知り合いらしく、彼はその少女をアイドルとしてプロデュースしてもらいたいと思っているようだ。

 

 それを踏まえて天井は少女を品定めする。オーディションの審査員の如く。

 

 まずそのファッションに着目。ファッションセンスは……無い、というかお洒落に気を使っている様子が無い。

 

 そこらのショッピングセンターのセールで買ったかのような安物の上着、長めの野暮ったいスカート。

 

 流行とは程遠い格好で、メイクらしいメイクをした様子も見られない。

 

 その容姿はそこそこ、顔立ちは整っている方ではあるが、アイドルとして人を惹きつけるものがあるとは言い難い。

 

(プロのメイクを加えればそれなりに映えるだろうが、あくまでそれなり止まりだろうな。こんな娘をプロデュースしてもらいたいとは、會川の奴はふざけているのか?)

 

 天井努は、こめかみを軽く指で叩いて嘆息する。

 

 そして、無表情で、否、どちらかといえばやや不機嫌そうな顔でライブを見ている藍音に、取り敢えず、渋々といった具合で天井努は声をかける。

 

「君はアイドルに興味があるのか?」

 

「いえ、全くありません」

 

 即答だった。

 

「何?」

 

 天井は眉間に皺を寄せる。

 

「ならどうしてこんな所まで来たんだ?」

 

「サクラさんとそのお兄さんがどうしても、と言うから来ただけです。2人には恩があるので、その義理立ての為に。ただそれだけです」

 

「2人とは長い付き合いなのか?」

 

「3日前に初めて会ったばかりです。2人が何処の誰なのかもよく分かっていませんし。貴方こそ、2人とはどういう関係なんですか?」

 

「俺は昨日會川と、君の言う兄の方と初めて会った。少しばかり借りがあるからここに顔を出したんだが」

 

 今度は藍音が眉をひそめた。

 

 2人の間に沈黙が訪れる。

 

 ステージのパフォーマンスも一段落し、微かな騒めきのみが会場内に響いている。

 

「…………出るか」

 

「え?」

 

「ここを出よう。君もステージを見る気は無いのだろう?時間の無駄だ」

 

「でも、サクラさん達がやって来るはずでは……」

 

「構いやしないさ」

 

 そうして天井努は踵を返して観客席をスイスイと歩み抜けて行く。

 

 藍音は戸惑いながらも何とか彼の後について行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 イベント会場内の一角に設けられた大部屋では、スパンコールで覆われた黒のチューブトップ、ミニスカートのライブ衣装を身に纏った咲耶とMeinaらがダンスの最終チェックを入念に行っていた。

 

「ワン!ツー!スリー!フォー!ファイブ!シックス!セブン!エイト!」

 

 リーダーの声に合わせて全員が一糸乱れぬパフォーマンスを繰り広げている。

 

「ふふっ、天才とは正にあの子の為にある言葉だな。Meinaのダンスを一目見ただけで完コピするどころか、全員との動きもピッタリ合わせられている。恐れ入ったよ。君の妹さんに会えて俺達は幸運だよ」

 

「あはは……こちらこそ、皆さんの手助けになれて幸いです。しかし、自分が言うのもなんですけど、突然ユニットに関わりの無い代理の人間がしゃしゃり出て問題は無いんでしょうか?」

 

「その心配は無いよ」

 

「そう、なんですか?それはどうして……」

 

「勿論、彼女がユニットの新メンバーになるのだからね」

 

「……え?」

 

「こんな素晴らしい才能の持ち主をみすみす逃がせるわけがないだろう?イベントが終わったらじっくりと話そう。妹さんとの契約と今後の活動についての話をね」

 

 微笑した黒霧(くろむ)がプロデューサーの肩をポンと叩く。

 

「えっ!?あ、ああ、はい……ははは……」

 

 プロデューサーは苦笑する。

 

 彼も知る大物ミュージシャンにしてプロデューサー、黒霧に咲耶が認められたのは本来なら誇らしい事であるのだが、事情が事情なだけに素直に喜べるわけがなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 ライブ会場外に設置された自販機の前に天井努は立ち、傍らの藍音へと声をかける。

 

「君は何を飲む?」

 

「そんな、悪いですよ」

 

「気にするな。一服するのに1人で飲むのも何だからな」

 

「それじゃあ……」

 

 藍音が指さしたのは缶コーヒー。それを買い手渡すと、天井は無糖のコーヒーを購入した。

 

 タブを起こして栓を開き、飲みながら歩いていこうとした天井は足を止める。

 

 ポツリポツリと雫が地面を濡らす。

 

 程なくして周囲は土砂降りの雨音に包まれた。

 

 顔を見合わせた天井と藍音は、仕方なしに近くのベンチへと腰をかけた。

 

 彼らがコーヒーに口をつけだした時、ライブ一時中断のアナウンスが響き渡った。

 

 海浜公園に設けられた特設イベント会場は、アリーナやドームのように全天候対応では無い。

 

 天候が崩れればこういった事態になるのも珍しくはなかった。

 

 

 

「何か事情があるのか?」

 

 唐突に天井努に声をかけられて、藍音は目を瞬かせた。 

 

「どうして急にそんな事を言うんです?」

 

「少しばかり気になった。いくら貸しがあるからといって、よく知りもしない人間に全く興味のないイベントに誘われて来るなんて思えないからな」

 

「それは……」

 

 缶コーヒーを握ったまま沈黙し、藍音は俯いていた。

 

「俺なんかで良ければ話くらい聞くぞ」

 

「初めて会った人にそんな事を言う筋合いは……」

 

「初めて会った赤の他人だからこそ遠慮なく話せることだってあるだろう。どうせ今日この場限りの関係だ。愚痴ってみれば思いのほか気が紛れるかもしれないぞ」

 

 それに返答せずに藍音は黙した。それから少し間を置いて

 

「ま、無理にとは言わないけれどな」

 

 天井努はコーヒーを一口飲む。

 

「……アイドルに興味が無い、というのは正しくないのかも知れません」

 

 と、藍音が小さく声を出し始めた。

 

 天井努がちらりと横目で隣に座る少女を見る。

 

「正直言って、関心はありました。けどそれは憧れとかじゃなくて、憎しみに近い感情から来るものでした」

 

 

 

 

 

 

 

 私は公務員の父と教師の母の間に生まれました。

 

 幼い頃から厳しく育てられて、物心ついた頃には既に勉強に明け暮れる日々を過ごしていました。

 

 友達と遊ぶことも少なくて、見るテレビ番組だってニュースやドキュメンタリーが殆ど、バラエティやアニメ、ドラマなんて全くと言っていいほど見ていませんでした。ゲームだって触ったことはありません。

 

 だからクラスメイト達の話題にもついていけなくて、昔から友達だって殆どいませんでした。

 

 けれどそれを苦と感じた事はありませんでした。私にとってはそれが当たり前だったんですから。

 

 むしろ、馬鹿みたいに下らない話題や遊びで盛り上がって騒ぐような人達を蔑んでいるまでありました。

 

 けれどそんな私にも唯一と言っていい友達が、小学校からの幼なじみの女の子がいました。彼女とは今も同じ高校に通っています。

 

 彼女も私と同じように勉強熱心な子で、成績は私とトップ争いを繰り広げるほど。

 

 私達は互いに刺激を受けて切磋琢磨していました。

 

 ですが、そんな彼女がある時を境に成績を大きく落としたんです。

 

 私は何があったのかを聞きましたが、彼女は力なく笑うばかりで、ハッキリとその理由を告げてはくれませんでした。

 

 彼女の成績はみるみる落ちていってしまいました。

 

 その間に私は彼女に対して何もする事が出来ず、歯痒い思いをし続けていました。

 

 ですが、その後暫くして彼女は以前のように、いえ、それ以上に明るく振る舞うようになったんです。

 

 下がった成績も次の試験では大きく挽回していました。

 

 しかし、彼女には以前のような勉強に対する熱意は無いように感じられました。

 

 事実として、かつては僅差であり続けた私との成績の差は十数位ほど開いたままでした。

 

 

 

 一週間程前のこと、彼女は学校を休みました。

 

 先生が仰るには夏風邪を拗らせた、という話でした。

 

 そこで私は彼女に連絡を入れました。

 

 お見舞いに行っても大丈夫?と尋ねると

 

 ウツるといけないから来ないで欲しい。

 

 そう返されました。

 

 その時は尤もな話だと納得して家に行く事を慎みました。けれども、あまりにも彼女の病欠が長引いたので、私は三日前に内緒でお見舞いへと向かいました。

 

 彼女のお母さんに迎えられ、私は彼女の部屋へと通されました。

 

 すると彼女はベッドでスヤスヤと眠っていました。

 

 聞くところによると、風邪はほぼ完治していてウツる心配も無い、との事でしたので私は彼女が目覚めるまで部屋で待つことにしました。

 

 その間に私は見てしまったんです。

 

 部屋の隅に置かれたダンボールに、丸められたポスターと雑誌、CDなどが詰め込まれているのを。

 

 思わず手に取ってみると、それはとあるアイドルの女の子の関連グッズだと分かりました。

 

「あははは、見つかっちゃったか」

 

 声に驚いて振り返ると、彼女はベッドの上で起き上がって、苦笑いをしていました。

 

「……実は私ね、最近そのアイドルの子にハマっちゃってたんだ」

 

 それを聞いた私は言葉を失いました。

 

 アイドルだなんてそんな下らないものに、クラスで馬鹿みたいに話している子たちと同じような趣味を、知的である彼女が持つなんて信じられませんでした。

 

 私の1番の理解者が、友達が、そんな風に変わってしまった事が堪らなく嫌になりました。

 

 

 

 こんな下らないモノにハマったから成績落としたの!?

 

 元気になったと思ったのはコレに夢中になってうつつを抜かしていたから!?

 

 アナタらしくない!どうかしてる!

 

 

 

 そんな風な言葉を私は彼女へと、気がつけばぶつけていました。

 

 すると、彼女からは……

 

 

 

「藍音に私の何がわかるの!?」

 

 涙混じりの悲痛な叫びが返ってきました。

 

 そこで初めて私は彼女の本当の気持ちを知ったんです。

 

 彼女は良い成績を取り続ける事に対してプレッシャーを感じていたと告げてきました。

 

 本当は彼女は勉強が好きではなかったんです。

 

 良い成績を取れば両親が喜んでくれた、友人の私が嬉々として競い合って楽しそうにしていた。

 

 そんな私達の抱く期待を裏切りたくなくて、彼女は必死で勉強をしていたのでした。

 

 そして長年に渡ってのしかかり続けていた重石が先日、彼女の心を潰してしまったんです。

 

 重圧に耐えかねて彼女は家の中でヒステリックに泣き叫んだそうです。

 

 勉強道具や家財道具、近くにある物を手当たり次第に投げ飛ばしたり……それは酷い有様だったようです。

 

 それから暫くは両親ともギクシャクする日々が続いて、私の知るように彼女は元気を無くしていったんです。

 

 そんな折、彼女はとあるアイドルの歌を、ラジオでふと耳にしたそうです。

 

 そのアイドルの歌は彼女の心を勇気づけ、励まし、癒した。

 

 彼女はそのアイドルのファンになり、その活動を追うにつれて元気を取り戻し、再び少しずつながら勉強にも励めるようになっていったんです。

 

 けれども、そのアイドルはつい先日、突然引退してしまった。何の前触れもなく。

 

 その事実を知った彼女は勉強の重圧に潰された時以上に心を疲弊させて、身体も衰弱させてしまいました。

 

 大好きだったそのアイドルのCDやグッズを箱に詰め込んでいたのも、飾っておくと辛くなるから、そういう理由でした。

 

 話し終えた彼女は顔を手で覆って、ただただすすり泣くばかりでした。

 

 

 

 全てを知った私は、気がつけば彼女の家を出て自宅に帰る事もなく、呆然と彷徨い歩いていました。

 

 頭の中には延々と真っ黒な考えが渦巻き続けていました。

 

 

 

 彼女の心を潰してしまった私が許せなかった。

 

 それを正直に言ってくれなかった彼女が許せなかった。

 

 本心を語ってくれなかったのは、己に原因があるのに、そうして友達に僅かながら憎しみを抱いてしまう自分がやはり許せなかった。

 

 私の理解出来ない何かが、彼女の最大の心の支えになっていたという事実が許せなかった。

 

 私は憎らしかった。

 

 友達の心の支えとなっておきながら、突然に消え去って、再びその心を痛めつけてしまったアイドルが。

 

 ――――という名前の女の子が。

 

 

 

 

 

 

 甲高い金属音を立ててアスファルト上に落ちた缶が、中身の液体を撒き散らしながら転がっていった。

 

 俯いてポツリとポツリと話をしていた少女が顔を上げる。

 

「え?……どうかしましたか?」

 

「い、いや、何でもない。手が滑っただけだ……」

 

 天井努は平静を装って口にしたつもりだったが、自分でも分かるほどに動揺が声に出ていた。

 

「そう、ですか」

 

 藍音という名の少女は全てを語り終え、それ以来口を噤んで、椅子に腰をかけたまま俯いていた。

 

 雨の勢いは大分弱まってきていた。

 

 微かに響く雨音が、2人の間に漂う沈黙をより強く引き立てる。

 

(こんな所で再び彼女の名前を、しかもこの様な形で耳にするなんてな。それ程に俺は憎まれているのか、運命に、彼女に…………)

 

 胸の内でそう独り言ちた天井努は

 

「…………すまなかった」

 

 自然とそう口にしていた。

 

「え……?」

 

 顔を上げた藍音がキョトンとした表情を浮かべている。

 

「どうして貴方が謝るのですか?」

 

「あ、いや……」

 

 天井努は気まずそうに視線を下へと動かす。

 

 そして暫しの後

 

「……実は、そのアイドルは―――」

 

 藍音へ向けて己が知る事を話し出していた。

 

 見えない何かに突き動かされるようにして……

 

 

 

 

 

 

「そう……だったんですか……」

 

 天井努が全てを語り終えた後、米村藍音は一言そう呟いた。

 

 小降りになった雨はいつしか完全に止んでいた。

 

 2人の間には完全な沈黙が訪れた。

 

《会場の皆様にお知らせ致します。10分後よりライブステージを再開致します》

 

 イベント会場全体にアナウンスが流れ渡った。

 

 

「…………戻りませんか?」

 

「……何?」

 

「ライブ会場に戻りましょう」

 

「しかし、君はアイドルには……」

 

「このままの気持ちで帰ったら逆にスッキリしないので。見ていきたいんです」

 

「…………わかった」

 

 2人はゆっくりとベンチから腰を上げ、ライブ会場に向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 ステージ上では未だに初々しさの残るアイドルユニットがパフォーマンスを行なっていた。

 

 彼女らの出番が終了した後にMCを挟んで特別ゲストであるMeina with Mixのパフォーマンスが開始される。

 

 舞台袖ではMeinaと黒霧らが談笑をしている。その様子から緊張の類は感じられない。良い意味でリラックスしているようだった。

 

 プロデューサーは彼らの様子をチラリと眺め、ペットボトルに入った水を手にし、壁際に1人立っている咲耶の方へと向かう。

 

「咲耶、水飲むか?」

 

「え?……ああ、いただくよ」

 

 若干目を伏せていた咲耶が顔を上げて、プロデューサーの持つペットボトルへと手を伸ばす。

 

「あっ」

 

「おっと」

 

 ペットボトルは咲耶の手から滑り落ち、床を転げ、咲耶の足に当たって静止する。

 

 咲耶は苦笑してペットボトルを拾い上げると、その蓋を開けて中身を喉の奥へと軽く流し込む。

 

 一息をついて蓋を閉め、水面が小刻みに揺れるペットボトルを差し出した。

 

「ありがとう。プロデューサー」

 

「…………」

 

 無言でそれを受け取ったプロデューサーは、一度ペットボトルへと落とした視線を咲耶の顔へと向ける。

 

「プロデューサー?どうかしたのかい?」

 

「咲耶、大丈夫か?」

 

「ああ、短時間だけど出来る限りの練習はした。ステージは問題無くこなしてみせるよ」

 

「違う」

 

「え?」

 

「無理してるんじゃないか?」

 

「そんなこと……」

 

 言いかけた咲耶はプロデューサーの目を見て、言葉を詰まらせた。そして一拍ほど軽く瞳を閉じて肩をすくめる。

 

「……プロデューサー、少し手を貸してくれないか?」

 

「ああ」

 

 咲耶が差し出してきた手を握り返すと、微かな震えがプロデューサーに伝わってきた。

 

「本当はね、怖いんだ」

 

「それは、ステージに立つことが……じゃあないんだよな」

 

 咲耶は小さく頷いた。

 

「みんなの顔がね、わからないんだ。スマホに入っている写真、ソファーの周りで楽しげに笑っている子達の顔を見ても何も思い出せない。写真の中の私は笑顔を見せているけれど、その姿には違和感しかないんだよ」

 

 そこまで語って一度言葉を途切れさせる咲耶。

 

 プロデューサーは黙って彼女の言葉の続きを待った。

 

「少し前までは覚えていたはずの色んな事が、時間が経っていくにつれて思い出せなくなっていくんだ。そこに悲しいとか寂しいとかいう感情は湧かないのだけれど、それでも大切だった、忘れちゃいけないものだったっていうのは漠然とわかるんだ。だから胸の真ん中に穴が空いたような変な気持ちが残り続けて、それに締め付けられるようで…………写真を見るのが、思い出が消えつつあるって事を認識するのが辛くて、体を動かして気分を紛らわせていたりした………」

 

 顔を伏せて力なく口にしていた咲耶は、やがて自嘲気味に笑みを浮かべる。

 

「ふふ、すまないね。情けない話をしてしまった。けどそんな私の逃避みたいな行動が功を奏することになるとは、なんとも皮肉な話だね」

 

「…………咲耶。この後のステージが終われば何もかも元通りになる。悪い夢から覚めたみたいにな。俺が保証する。そうしたらみんなでまた写真を撮ろう、数え切れないくらいに。みんなで美味しいものをたらふく食べて、いっぱい楽しいことをしよう」

 

「プロデューサー……」

 

「余計なこと、辛いことは考えないでステージを楽しんで……いや、みんなを楽しませてこい…………」

 

 言葉を途中で切るようにして、プロデューサーは左手首を右手で掴むようにしてポーズを決め

 

「アイドル、白瀬咲耶として!」

 

 口を思い切り横に広げてニッと笑い、力強く言い放った。

 

「……ああ!最高のステージを作り上げてくる!見ててくれプロデューサー!」

 

 咲耶も満面の笑みを浮かべて言葉を返したのだった。

 

「間もなく始まります!スタンバイお願いしまーす!」

 

 スタッフの声を受けて、咲耶は颯爽とステージへ向かっていった。

 

 

 

 

 

 

「…………はは、備えあれば憂いなし、ってやつだな……」

 

 咲耶の背を見送ったプロデューサーは、額に手を当てて一息を吐く。

 

 その瞬間、彼の視界が揺らぎ、足がふらつく。よろけて転びそうになるのをどうにかして耐え切った。

 

「ユーイチ!アマイ青年とアイネが一向に見つからん!お前さんも彼らを探すのを……」

 

 と、舞台裏へとドクが慌てて駆け込んでくる。

 

「ユーイチ?おい、どうかしたのか?」

 

 プロデューサーの元へと駆け寄ってきたドクは、彼の唯ならぬ様子に気がついた。

 

 舞台袖からステージを見つめる彼は目が虚で、頭と体がゆらゆらと前後左右へと揺れている。

 

「……え?……あ、はか、せ……」

 

 ドクの声を受け振り返ったプロデューサーは、そのまま前のめりに倒れ込んでいく。

 

「ユーイチ!」

 

 ドクはプロデューサーの身体を間一髪で受け止める。

 

 そしてゆっくりと床の上にプロデューサーを座らせた。

 

「どうしたユーイチ!……まさか記憶障害が!?」

 

「あ、あは、ははは。流石にちょっとキツくなってきたかな?気合入れてないと、何もかも、頭から消え去ってしまいそうで……」

 

 そう言いながらフラフラと立ち上がろうとする彼をドクが制する。

 

「無理をするな!このまま座って気をしっかり保つのに集中していろ!」

 

「でも……あの子の……えっと……確か……」

 

 プロデューサーが手首のリストバンドをめくり、そこにマジックで書かれている文字へと目を向ける。

 

 そこに記されていたのは一つの名前。

 

「ああ、そうだ。……咲耶、白瀬咲耶。咲耶の舞台を、見届けない、と……」

 

 プロデューサーは再度立ち上がろうとするが、その焦点は定まっておらず明後日の方向を向いていた。

 

「そんな状態でどうしようというのだ!……わかった!サクヤの舞台はワシがスマホで録画しておいてやる!だからユーイチは気を保つのに集中するんだ!良いな!」

 

「ははは……ありがとう、ございます。博士……」

 

 床へとへたり込むプロデューサーの肩を軽く叩いて、ドクは舞台上の咲耶をスマホの画面へと捉え始めたのであった。

 

「マーティ!トラブル発生だ!すまんがユーイチの協力は得られそうにない!ワシも身動きが取れる状況ではなくなった!何としてもお前が2人を見つけるんだ!」

 

 

 

 

 

 

「アイドルって何なんでしょうね」

 

 再開したライブに沸く観客達に囲まれながら、藍音は呟いた。

 

 周囲の歓声に掻き消されてしまいそうなその声は、天井努の耳には確かに届いていた。

 

 しかし、彼はそれに答えられない。

 

 数拍の間をおいて、藍音は言葉を続ける。

 

「私も天井さんもアイドルというモノに関わって不運な目に遭いました。私の友達や貴方のプロデュースしてた子は、幸福から不幸に堕ちていきました。けどここにいる人達は、そんなのとは関係ないようにとても幸福そうです。アイドルって良いモノなんですか?悪いモノなんですか?」

 

 自分を見上げている藍音の視線。

 

 己の瞳でそれを受け止めて、彼女の言葉を胸の内で噛みしめて、天井努はゆっくりと口を開いていった。

 

 夢を叶えさせてやれなかった少女の幻影を心に抱きながら。

 

「アイドルは…………空みたいなモノだ」

 

「空?」

 

「雲ひとつない晴れやかな時もあれば、灰色に澱んだ時だってある。啜り泣くような雨の日もあれば、心を掻き乱される嵐のような時もある。夢物語のような甘い時が続くことは決して有り得ない」

 

「…………」

 

「だがしかし、だからこそ、ああいう輝きが人々の胸を打つんだ」

 

 天井努は会場から見える空の一角を指差した。

 

 藍音がその先を目で追うと

 

「………あ」

 

 虹が、雲間から覗く青空に七色の虹がかかっていた。

 

「人々はアイドルに眩く綺麗なモノを求める。しかしそれは灰色に包まれて足掻くモノ無くしては創り出されない」

 

 天井努はそう口にして、軽く自嘲する。

 

「足掻いてなお輝きを掴むという事を諦めた俺の言えた台詞じゃないがな」

 

 藍音は黙したまま、空を見つめ、天井の言葉を噛み締める。

 

《お待ちかねのスペシャルゲストのSHOWTIME!Meina with Mix!》

 

 いつしかステージ上のアイドルのパフォーマンスは終了し、MCがラストを飾るゲストをステージへと招き入れた。

 

 

 

 

 

 

 ステージの上からは観客が手を振り、飛び跳ね、無数の歓声を送る光景がいっぱいに広がっているのが見られる。

 

 音楽と歌とが会場を駆け巡り、繰り広げられる華麗なダンスとが併せて人々を魅了し、歓声は更に勢いを増す。

 

 それら全てが合わさって1つの大きな世界を形成してゆく。

 

 演者は観客とパフォーマンスを通じて、その世界と1つになってゆく。

 

 

 

 1人の少女を除いて。

 

 

 

 腕のひと振り、一歩のステップ、一瞬の目配り。傍で共に踊る者達との息は完全に合っていた。観客は少女らの一挙手一投足に歓喜し声を送り続ける。

 

 それら全てがいくら積み重なろうとも、彼女は広い世界にただ1人だった。

 

 彼女の周りの全て、同じ舞台に立つ人々も、舞台を取り囲む観客も、そして遠くから見守っているはずの導き手の男も、最早彼女の意識には存在しない。

 

 

 

 彼女は既に自分が誰なのかも分からなくなっていた。

 

 自分がこの場にいる理由も、踊る理由も、何もかもが忘却の彼方。

 

 だが、それでも少女は踊り続ける。

 

 顔も声も思い出せない誰かの言葉を胸に宿し、何者か知れない4つの幻影、その背を追いかけるようにして、ただただ踊る。

 

 

 

 

 

 

《お待ちかねのスペシャルゲストのSHOWTIME!Meina with Mix!》

 

 その声を聞き、藍音が虹へと向けていた視線をゆっくりと下ろしてゆく。

 

 七色の淡い光の帯の下には、眩い人工の光に照らされたステージが。

 

 そこで激しくも繊細な、素人目にも分かるほどの高度な技量を要するであろう息の合ったダンスを繰り広げる者ら。

 

 そのひとりに藍音の視線が吸い込まれる。

 

「サクラさん……」

 

 長身の女性は藍音が今まで見た事が無い程に美しく、凛々しく、華々しく、眩く輝いていた。

 

 彼女の隣に立つ天井努もまた、そのパフォーマンスを黙して見つめていた。

 

 その心に燻るモノを再び熱くさせながら。

 

「君の友人を勇気づける方法がひとつある」

 

「え?」

 

「米村藍音、君に自分を変える勇気はあるか?」

 

 その言葉に藍音は目を瞬かせる。

 

「今までの、友に対して許せないと思う事を言ってしまった自分に別れを告げて、友の心を支えるアイドルになる気はあるか?」

 

「…………でも、私は」

 

 藍音は自らの体に目を落とし、手のひらを頬に当てる。

 

 自分はアイドルになれる様な容姿はしていない。歌は音楽の授業をそつなくこなせる程度のレベル。

 

 運動は…….正直言って苦手でダンスの経験は無し。

 

 そんな自分がアイドルになる。

 

 欠片も想像が出来なかった。

 

「ハッキリ言おう。君がアイドルとして大成出来る可能性は限りなく低い。人々の好奇の目線に晒されて不快な想いを抱く事は少なくは無いだろう。だが、それでも、歩んでいく勇気は君にあるか?」

 

 藍音は口を閉じたまま、ステージの上へと視線を移す。

 

 暫しステージを見つめ、そして天井努の、覇気の宿る瞳を見据える。

 

「俺に君をプロデュースさせてくれないか?」

 

 少女は首を縦に小さく動かした。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、ひとりぼっちの少女の世界が爆発するように大きく広がった。

 

 周囲を包む大歓声、鳴り響く軽快な音楽、降り注ぐ眩い光。

 

 少女と同じ舞台で踊るのは、かつて画面の中にいた見知った他人。

 

 だが少女は彼女らに仲間の幻影を重ねた。

 

 月岡恋鐘、三峰結華、田中摩美々、幽谷霧子。

 

 仲間と同じ舞台に立つ白瀬咲耶は、己が使命を、己が在り方全うするべくパフォーマンスに一層の熱情を込める。

 

 胸の奥から止めどなく溢れてくるモノを必死に堪えながら。

 

 

 

 

 

 

「見つけた!」

 

 観客席を彷徨っていたマーティは天井と藍音の姿を見つけて指を鳴らした。

 

「早く行って彼女をスカウトさせなきゃ!」

 

 息巻くマーティの耳元に歓喜の声が響いてきた。

 

《マーティ聞こえるか!?やったぞ!ユーイチが意識を取り戻した!目もしっかりとしておるし、写真の人物らの名前もスラスラ言えとる!作戦は成功だ!》

 

「本当に!?」

 

《もちろんだとも!》

 

「ははっ、何か僕らの出る幕じゃなかったみたいだね」

 

 マーティは微笑んで肩を竦めた。

 

「あの人誰かしら?新メンバー?」

 

「分からないわ。でも、とっても素敵」

 

 近くの観客の声が聞こえてきた。

 

 マーティは彼女らの目線を追う。そこには凛々しい表情を浮かべつつ、激しくキレのあるダンスを踊る咲耶の姿があった。

 

 他のバックダンサーと時には動きをシンクロさせ、時にはアシンメトリーに動き、魅惑のステージを作り上げている。

 

 だが、ただそれだけではない。マーティには何となくそう感じられた。

 

 その時、咲耶の視線が一瞬マーティの方へと向き、ウインクをしたのだった。

 

「キャッ!あの人こっちを見たわ!」

 

「私に向けてウインクしてくれた!ああ……」

 

 女性客は完全に咲耶に魅了されていた。

 

 マーティは、単なる偶然だろうと思ってステージを見続けていた。

 

 しかし、決められた動きを崩さずに踊りながらも、咲耶は時折表情を意図しているかのように変化させる。

 

 その度に会場の至る所で歓声に揺らぎが混じった、マーティにはその様に感じられた。

 

「……そうか、咲耶はこうやって全力で観客を楽しませているんだ」

 

 

 

 

 

 

 業界関係者に向けて用意された特別観覧席で2人の中年男性――かたや茶色のスーツに身を包んだ、かたや黒いスーツとサングラスを身に付けた――は唖然としていた。

 

 つい先程まで彼等は互いに「数十年に一度の人材をスカウトした!」と息巻いて自慢しあっていた。

 

 そんな彼等はラストステージにて踊る少女の姿を見て

 

「「あのグループのメンバーだったとは………」」

 

 と揃って肩を落としたのだった。

 

 

 

 

 

 

「プロデューサー!」

 

 ステージを終えて舞台袖へとはけた咲耶は、一目散に彼の胸へと飛び込んだ。

 

「咲耶!……よく頑張ったな。……最高のステージだった!」

 

「うん…………ありがとう………」

 

 プロデューサーの肩へと額を押し当てながら、咲耶は言葉を紡いでゆく。

 

「私、ちゃんと分かるんだ……思い出せてる……恋鐘……結華……摩美々……霧子……みんな、みんなの事、しっかりと覚えてる……」

 

「俺もだよ。283プロのみんな、俺達の思い出、全部頭の中にある」

 

 プロデューサーは咲耶の背と頭とに優しく手を当てる。

 

 彼の肩は僅かに濡れだしていったが、その様な事は気にならない。彼女の気持ちが伝わってくるのが、同じ気持ちを分かち合えるのが堪らなく嬉しかった。

 

 その気持ちを噛みしめるように、暫し彼らは立ち尽くしていた。

 

「……落ち着いたか、咲耶?」

 

「ああ……もう大丈夫だ」

 

 咲耶はプロデューサーの体からそっと自分の身を離す。

 

 照れ笑いを浮かべる咲耶につられて、彼もまた顔を綻ばせた。

 

「やったな2人とも!」

 

「完璧だったよ!ユーイチ、サクヤ!」

 

 ドクといつの間にやら合流していたマーティが、彼等の元へ歩み寄ってきた。

 

「ブラウン博士、マーティ。2人とも本当にありがとう」

 

「私からも、ありがとう。これで283プロは元通りになる。2人のおかげだ」

 

「そんな事ないよ。これはユーイチとサクヤの頑張りのおかげだって。僕はここに来て何の役にも立てなかったし」

 

 肩を竦めてマーティは苦笑いをする。

 

「と、一仕事終えてホッとしているところ悪いのだが、我々には時間がない!急いで未来に戻らなきゃならん!」

 

「おっと、そうだった!ユーイチ、サクヤ、早く荷物を持ってデロリアンの所に急ごう!」

 

「えっ?何故急ぐ必要があるんだい?」

 

「ちょっと待って下さい。お世話になった方へのご挨拶と、咲耶の着替えを済ませていかないと」

 

「悪いが本当に時間が無い、このままではワシらは未来へ帰れなくなるかもしれんのだ!」

 

 思いがけないドクの一言にプロデューサーと咲耶は目を丸くした。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、素晴らしいステージだった」

 

「みんなお疲れ様。私抜きでもあんなパフォーマンスしちゃうなんて、何だか悔しいなぁ」

 

 黒霧(くろむ)と車椅子に乗せられた女性が、プロデューサーと咲耶の姿を遠巻きに見ていたMeinaらへと歩み寄って労いの言葉をかける。

 

「ありがとう。それもこれも全部あの子のおかげよ」

 

「Meina、みんな、私から提案があるのだが」

 

「わかってる。あの子をメンバーに入れるんでしょ?」

 

「やれやれ、お見通しか」

 

「そりゃあね。黒霧さんが言わなくても私が言ってたよ」

 

「あれ程の逸材が加われば我々の創り上げるステージは一層高みへと昇り詰められる。もちろん君が完治してからになるが」

 

 視線を向けられて怪我をしていた女性は照れ臭そうに軽く微笑んだ。

 

「じゃあ行きましょう。新しい仲間を迎えに」

 

 そうして彼等が目を向けた時、件の少女は舞台裏から忽然と姿を消していたのだった。

 

 

 

 

 

 

「未来に帰れなくなるってどういう事なんですか!?」

 

「ゆっくり話してる暇は無い!一刻も早くデロリアンの元へ!」

 

 4人が全力で駆けてイベント会場の出口へと向かっていく。

 

「會川!」

 

 と、彼等の目の前に天井努が姿を現した。

 

「しゃちょ……天井さん!?」

 

 プロデューサーは彼の前で足を止める。

 

 その傍には微笑を浮かべる藍音の姿があった。

 

「そんなに急いでどうしたんだ」

 

「あー……その、急に帰らなきゃならなくなりまして」

 

 プロデューサーが彼とドク、マーティの方へとチラチラと交互に視線を向ける。

 

 ドクは軽く溜息を吐いて「2分だ、2分で済ませるんだ」と耳打ちをした。

 

 軽く会釈をしてからプロデューサーは天井努へと向き直る。

 

「随分と急だな。まあ、お前にも事情があるんだろう。と、ひとつ伝える事がある」

 

「何ですか?」

 

「もう暫くプロデューサー業を続けることにしたよ。新たなスカウトが成功してしまったんでな」

 

「ああっ!それは良かった!」

 

「ふふっ。紹介しよう、俺が次にプロデュースする娘だ」

 

 その言葉を受けて藍音が一歩進み出る。

 

「サクラさん、お兄さん、本当にありがとうございました。そして、すみませんでした。色々と無礼な物言いをしてしまって」

 

「気にする事は無いよ藍音さん。それよりも、あなたがアイドルを目指してくれるのが私はとても嬉しいよ」

 

「ふふっ、サクラさんにそう言われると照れ臭いです。サクラさんのステージとても素敵だったと思います。アイドルの事をよく知らない私が言うのもおこがましいのかもしれないですけれど……」

 

「そんなことないさ。私の方こそ貴女に気に入っていただけて光栄だよ」

 

 咲耶と藍音は微笑み合う。

 

 と、ドクが2人へと目配せをしてくる。時間が来てしまったらしい。

 

「それじゃあもう行かないと。……天井さん、お元気で」

 

「ああ、お前もな」

 

「サクラさん、お兄さん、またいつかお会い出来ますか?」

 

「もちろん!」

 

 プロデューサーと咲耶は声を揃えてそう返した。

 

 そして4人は再び駆け出していった。

 

「その時までに、私は絶対に成長して、アイドルとして恥ずかしくない姿をお見せしますので!」

 

 藍音の決意の声をその背に受けながら。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後6時15分

 

 

「えっと、2人の荷物をトランクに……って入りきらないな。しょうがない、僕の荷物は中に入れよう」

 

「タイヤの空気、タイムサーキット、次元転移装置共に異常無し!時刻は……うむ、十分に間に合うな。さあ2人共、乗った乗った!」

 

「あの、そろそろ理由を聞かせてもらえませんか?どういう事なんですか、未来へ帰れなくなるって」

 

「ユーイチ、手短に言うとだな、ミスターフュージョンが故障してタイムトラベル用の電力が賄えなくなった。そして予備バッテリーの電力もこの時代に来るために使い果たしてしまった」

 

 その説明を聞いたプロデューサーと咲耶は一瞬、キョトンとした表情となり、そして顔色を青くした。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!てことは未来に戻る事は不可能じゃないですか!」

 

「え、えっと、何か当てはあるのかい?博士、マーティ?」

 

 咲耶までもが珍しく狼狽した様子を見せる。

 

 一方でドクは得意げな表情を浮かべる。

 

「もちろんだとも!未来へ戻る為の算段は既に整えておる!我々は今からあそこへ向かう!」

 

 とドクが指差した方向へと目を向けると、そこには大きな橋があった。

 

「レインボーブリッジ?」

 

 プロデューサーが小首を傾げた。

 

「そうだ!今から数十分後の午後6時34分、あの橋に落雷がある!そのエネルギーを使ってデロリアンを2020年へとタイムトラベルさせるのだよ!」

 

「落雷を使うって、そんな方法上手くいくのかい?」

 

「心配する気持ちは分かるよサクヤ。けど大丈夫、僕らは前に同じことを一度成功させてるからさ、何とかなるさ。きっとね」

 

「マーティの言う通り!さて、ミスターフュージョンが故障してから私はデロリアンにこの装置を取り付けたのだ」

 

 ドクが運転席のスイッチを押すと、デロリアンの後部からアンテナの様な棒が伸び出てきた。

 

 それはドクの操作によって先端が左右へと大きく曲がりくねるような動きをみせる。

 

「伸縮性と柔軟性を兼ね備えた特殊合金製のアンテナだ。落雷の瞬間、橋のメインケーブル若しくはハンガーにこのアンテナを接触させて次元転移装置に直接電流を流し込む。これによってデロリアンは1.21ジゴワット以上の電力を補給し、タイムトラベルを再び行うことができるという寸法だ」

 

「理屈は分かりましたけど、よく正確な落雷の時刻が分かりますね」

 

「ユーイチ、君から預かったコレのおかげだよ」

 

 ドクはタブレット端末を掲げてみせる。

 

「2030年にて我々はありとあらゆる落雷のデータを可能な限り集めてきた。その中に都合よく今日の落雷のデータがあった。実に我々は運がいい」

 

「けどデータが沢山あるのだったら、もっと余裕あるタイミングを選べるのではないのかい?」

 

「そうは言うがなサクヤ、デロリアンが時速88マイルで走行しつつ落雷に遭遇できる所なぞ、そうそうありはせんのだ。コレを逃すと次に適合する条件に巡り合えるのは半年程先になってしまう」

 

「なるほどね。理解したよ」

 

「そいつは何より。さあ!では出発だ!2人は後部座席へ。狭いけど我慢してくれ。運転はマーティが、ワシはタブレットを見ながらナビゲートをする」

 

「了解」

 

 そうしてドクに促されるまま、全員がデロリアンへと乗り込んだ。

 

「ん、やっぱり博士の言う通りこの席は狭いな。咲耶、大丈夫か?」

 

 プロデューサーが咲耶に声をかけると、彼と完全に肌を密着させる形となった咲耶が、心なしか居心地を悪くしているように見えた。

 

「どうしたんだ咲耶?」

 

「え?ああ、えっと……さっきまでステージでダンスをしていて、着替えもせずシャワーも浴びずに来たものだから、そんな私と身を寄せ合うのは不快なのではと、思って……」

 

 咲耶は恥ずかしそうに顔を俯かせる。

 

「気にする事無い。不快だなんてとんでもないよ。汗の跡は咲耶が頑張った証だろ。気にしないで身を寄せてくれて構わないよ」

 

「プ、プロデューサー、流石にそう言われるのは少し恥ずかしいような……」

 

「え、そうかな?」

 

 軽く顔を染める咲耶とキョトンとした様子のプロデューサー。

 

 その様子を見て

 

「随分と見せつけてくれちゃって。何だか僕もジェニファーに早く会いたくなってきたよ」

 

「ワシも同じような気持ちだ。クララと子供達が恋しくなってきて堪らん」

 

 マーティとドクは小声でそう呟いて微笑み合った。

 

「んじゃ、出発しよう!」

 

 と、マーティがデロリアンのエンジンを始動させたその時、コンコンと窓がノックされた。

 

 何事かと一同が顔を向けると、そこには白いヘルメットを被った2人の警察官の姿があったのだった。

 

 





という訳で第五話でした。
今話はBTTF part1におけるダンスパーティに当たるパートです。

原作においては『Johnny B. Goode』の演奏が印象的なシーンで今作においても似たような要素を入れようかとも思ったのですが、音楽の趣味の世代間ギャップが1999年と2020年ではBTTFの1955年と1985年ほど大きくは無いかなと考え取りやめとしました。

その分アイドルマスター的な「アイドルとは?」という課題と向き合う要素を強めに描きました。
上手くその辺が伝わっていれば幸いに思います。


そして次回が最終回となります。
最高のクライマックス描けるように頑張っていきますので引き続き楽しんでいただきたいと思います。



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最終話

 この日、東京の日中の最高気温は30℃超えを記録した。

 

 その一方で、翌日はこの時期には珍しい西高東低の気圧配置となり肌寒い日になる、との予報が出ていた。

 

 日が暮れるにつれて気温はみるみる下がっていき、先刻の大雨の影響もあり東京湾一帯には夕霧が立ちこめつつあった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後6時16分

 

 

「状況、了解しました。以降は我々が引き継ぎますので」

 

「おう、よろしくな」

 

 白いヘルメットを小脇に抱えた警察官が軽い口調と動作で敬礼を返し、事故車両を見聞する他の警察官らを尻目に踵を返す。

 

「先輩、お疲れっす」

 

 白バイのそばに立っていた後輩が缶コーヒーを放ってきた。

 

 警察官、もとい先輩白バイ隊員が片手でそれを受け取る。

 

 彼の手からはパシッという小気味良い音がした。

 

「ったく。休憩がてら台場に寄ったらコレだ。余計なモン見つけちまったせいで落ち着いて腹拵えも出来ねぇときた」

 

「まあ運が無かったっすね。にしてもこの警戒体制はいつまで続くんだか」

 

「このまま進展が無けりゃ、7月いっぱい、だろうな。奴らが7月中に行動を起こすのは間違いない、ってのが上の判断だしな」

 

 先輩隊員は缶のタブを開け、コーヒーを一気に半分ほど飲み干した。

 

「やっぱりそうっすか。連日いつもより警ら範囲が広げられちゃあ、たまったもんじゃないなあ」

 

「いい迷惑だ」

 

 後輩の言葉に同意しつつ、再びコーヒーに口をつけようとした男の手が止まる。

 

 その目は駐車場の奥のとある一点に釘付けになっていた。

 

「先輩?」

 

「…………向こう見てみろ、何気なく、自然な様子で。気取られるなよ」

 

 鋭い声色で告げられ、後輩隊員は内心で緊張しつつも、言われた通りに後ろへと視線を向ける。

 

 そこでは4人の男女が車へと乗り込んでいく様子が見られた。

 

「先輩、あの車……」

 

「ああ。もしかすりゃ、明日から俺らはこの仕事から解放されるかもな」

 

 白バイ隊員らは目を合わす事なく頷き、傍に停めてあった白バイをゆっくりと手押ししながら、不審な車の方へと近づいていく。

 

 後輩隊員は車からやや離れた所で停止し、先輩隊員の方が車へと近づいてノックをした。

 

「すみません。少々よろしいでしょうか?」

 

 かしこまった口調で口元に笑みを浮かべつつ会釈をする。

 

 運転席から顔を向けてきたのは、外国人と思わしき若い男。恐らくは20歳前後であろうかと白バイ隊員は即座に推察する。

 

(っと、ここは英語で話しかけるべきか?)

 

 思案した男が「エクスキューズミー」と口にしかけた瞬間

 

「――――発進させるんだ!すぐに!」

 

 車内から大声が聞こえた。呼ばれた名前は耳慣れなかったせいか、上手く聞き取ることは出来なかった。

 

 男の目の前で車は急発進し、駐車場の出口へと向かって行く。

 

 背後で控えている後輩へ指示を飛ばそうと男は口を開きかけるが、その時、高らかにエンジン音を鳴らしながら白バイが走り出した。

 

 それを目にすると、男はニヤリと笑い「やるじゃねぇか」と呟き、自らも白バイへと跨って不審車の追走を開始した。

 

 

 

 

 

 

「マーティ!発進させるんだ!すぐに!」

 

 プロデューサーの叫び声を聞いて、マーティは即座にアクセルを全開にした。

 

 車内の全員の身体をシートにグッと押し付けつつ、デロリアンは急加速してゆく。

 

「一体どうしたというのだユーイチ!」

 

「博士、あの白バイは、もしかしたら初めに俺らがこの時代にやってきた時に遭遇した白バイかもしれません!」

 

「何だと!?」

 

「あ、いや……ハッキリとした確証は無いんですけれど、直感というか何というか」

 

「ううむ……」

 

「けれど博士、私達には時間が無いんだろう?どちらにせよ、相手をしている余裕は無かったと思うのだけれど」

 

「そうだな。サクヤの言う通りだ。ともかく一刻も早く、あのレインボーブリッジとやらに急がなくては!」

 

「ねえドク!どっちにハンドル切れば良いのさ!?」

 

 必死に運転するマーティが声を上げる。

 

「左だ!」

 

「了解!左だね!」

 

 駐車場の出口へと差し掛かりかけたマーティがハンドルを切ろうとすると、白い影がチラリと視界の端に入る。

 

 運転席の真横に迫ってきたその影が、デロリアンの方へと急激に幅を寄せてきた。

 

「うわあっ!」

 

 マーティは咄嗟にハンドルを反対方向、即ち右方向へと切った。

 

 タイヤが激しい摩擦音を響かせる。

 

 デロリアンは鋭い角度で曲がりながら駐車場を飛び出し、道路へと躍り出た。

 

 対向車がクラクションを鳴らしながらデロリアンへと迫り来る。

 

「わーーーっ!」

 

 マーティはハンドルを切り、左車線へと車を滑り込ませた。

 

「マーティ!こっちは橋とは反対方向だぞ!」

 

「仕方ないだろ!あのまま向かってたら衝突してた!」

 

「クソッ!とにかく上手い具合に方向転換しなくては!」

 

 ドクはタブレットに表示させた地図に素早く目を通し、レインボーブリッジへのルートを探り出す。

 

「マーティ!ここを真っ直ぐ道なりに行くと、左方向にカーブしている!その先の橋を渡れ!」

 

「わかった!」

 

 マーティがアクセルをより強く踏みしめる。

 

 後方からは2台の白バイが迫り来るのがサイドミラーを通して見られた。

 

 マーティは喉を鳴らして唾を飲み、前方へと意識を集中させた。

 

 見えてきた橋を渡り、先の交差点を左方向へと曲がる。

 

 横滑りする車体をハンドル操作で必死に制御する。

 

 再度後方を確認する。

 

 白バイ隊員らは変わりなく、いや、確実に距離を縮めつつデロリアンを追いかけてきている。

 

「このままじゃ追いつかれる……」

 

「マーティ!次の道を左折だ!」

 

 ドクの指示通り、マーティはハンドルをきって左折。

 

 落ちたスピードを戻すべく、アクセルを強く踏み込んだ。

 

 それと同時に、道の脇に立てかけられた看板が彼の視界を通り過ぎた。

 

 彼にはその看板の意味するところは理解できなかったのだが

 

「マーティ!ダメだ!この先は行き止まりだよ!」

 

 看板の文字を目にした咲耶が声を張り上げた。

 

「何だって!?」

 

 前方へと目を凝らすと、渡るべき橋が見えてきた。その中央部をポッカリと開けた未完成の状態の。

 

「そんな馬鹿な!地図上では橋が繋がっておるのだぞ!」

 

 確かにドクの見ていた、2030年にてダウンロードしてきた地図情報、その1999年版にはそのように書かれていた。

 

 しかしながら、その橋が完成するのはここから1ヶ月先の話だ。

 

 地図は数ヶ月の細かい変化までには対応していなかったのだ。

 

「ブレーキだ!急いで止まって引き返すんだ!」

 

 プロデューサーが叫ぶ。

 

「けれどそうしたら私達は彼らに捕まってしまうよ!」

 

「ええい!何か方法は!この事態を何とかする方法は無いのか!」

 

「…………方法ならあるよ」

 

 マーティが静かに、確信めいた口調で呟く。

 

「マーティ!一体どうするというのだ!?」

 

「一か八か……このままカッ飛ぶんだ!」

 

「何ぃ!?」

 

 目を丸くするドク、息を飲むプロデューサーと咲耶をよそに、マーティはアクセルを全開にする。

 

 高速で突き進むデロリアンは、微かに傾斜した未完成の橋を駆け上がり、その淵をカタパルトのようにして跳び上がった。

 

 車内の全員が身体を震え上がらせ、歯を食いしばる。

 

 跳躍するデロリアンは、緩やかな放物線を描きながら車体を上昇から降下へと移らせていく。

 

「ダメだマーティ!飛距離が足りない!このままでは落ちてしまうぞ!」

 

「まだだ!」

 

 マーティは運転席にあるスイッチの1つを叩くようにして押した。

 

 その瞬間、車体下部から振動音と噴射音が響き渡った。

 

 デロリアンの車体は一瞬その降下を止め、高さを保ったまま直線運動をする。

 

 その数秒の後に下部の振動と音は止み、同時に4つのタイヤがアスファルトとの摩擦音を響かせる。

 

 デロリアンは再び急加速し、道路を突き進んでいったのだった。

 

 

 

 

 

 

「クソッ!ヤツらとんでもねえ事しやがる!」

 

 白バイ隊員は橋の淵で停車した愛車のハンドルを拳で殴りつける。

 

「先輩…….今、あの車飛びませんでしたか?」

 

「あ!?んなわけあるかよ!ンなことよりレインボーブリッジの方はどうなってる!」

 

「確認します!」

 

 後輩隊員は無線機を手に取って呼びかけをする。

 

 数度の応答を経た後、彼は声を弾ませて言った。

 

「先輩!封鎖は間もなく完了するそうです!」

 

「上出来だ。レインボーブリッジ封鎖出来ません、なんて泣き言かましてきたら向こうの奴らぶっ飛ばしてやるとこだったぜ」

 

「……先輩、上の階級の人達に向かってよく言えますね。バレたらマズいっすよ」

 

「良いんだよ。こんな所じゃ何言ってもバレねえんだから。お前がチクりでもしなきゃな」

 

「んな事しませんってば」

 

 

 

 

 

 

「やった!やったぞ!!」

 

「ナイスだマーティ!」

 

「へへっ、完璧にキマったね」

 

 歓喜の声を上げる前部座席のマーティとドク。一方で後部の2人は大きな溜息を吐き出して胸を撫で下ろす。

 

「し、死ぬかと思った……」

 

「う、うん。私もビックリしたよ。けど……流石にこれでは、あの警察官たちも追っては来れないようだね」

 

 咲耶が背後をチラリと見ると、橋の対岸で立ち往生する白バイ隊員の姿がみるみる小さくなっているのが見られた。

 

「落雷の時刻までは…………うむ!どうにか間に合いそうだ!」

 

「まったく。最後の最後までヘヴィだったね」

 

 苦笑したマーティが、何となしにサイドミラーへと目を向けた。

 

 すると後方に1台の車が走っているのが見える。

 

 それは旧式のアメ車と見られ、マーティはその車にどこか既視感のようなものを抱いた。

 

(何となくビフの乗ってた車を思い出すな。オープンカーじゃあないみたいだけれど)

 

 と、その車のサンルーフから1人の男が顔を出した。

 

 男はその手に抱えた物をデロリアンの方へと向ける。

 

 次の瞬間、けたたましい破裂音が周囲に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後6時11分

 

 

「畜生!」

 

 歩道に転がっていた缶が勢いよく蹴り飛ばされ、街路樹に当たって数度バウンドした。

 

 道を歩いていたイベント帰りの若者らが、ギョッとした様子で悪態をついた男の方を見る。

 

 背の低い紫スーツの男、深沼敏は視線を向けてきた若者を睨み付ける。

 

 若者達は、スッと目を逸らして足早にその場を立ち去っていく。

 

「チッ!」

 

 舌打ちをして、深沼は駐車場へ向かって歩き出す。

 

 天井努に殴られ気を失っていた深沼は、いつの間にやら会場スタッフによって医務室に運ばれていた。

 

 そして彼が目を覚ましたのは、ライブ終了時刻とほぼ同時であった。

 

(天井のヤツめ、今度という今度はタダじゃおかねえ。絶対に事務所ごと潰してやる)

 

 深沼は眉間に皺を寄せながら、天井努への復讐を企て始める。

 

 悪巧みに長けたこの男の脳裏には、瞬時に3つ程の嫌がらせが思い浮かんだ。

 

 そうして更に考えを巡らせていった時、ある事を思い出した。

 

(そういや、天井の知り合いのあの男を拉致させたんだった。アイツをいたぶってその写真を送りつけてやるか。デカ女の方は、あの娘とも面識があるみたいだったな。デカ女も無惨に痛めつけて、その様子を録画して届けてやろう。あのインテリぶった顔を歪ませて、一生モンのトラウマを植え付けてやる)

 

 散々執着していた藍音についても、最早彼の中では醜い復讐の対象に過ぎなくなっていた。

 

 新たな楽しみの出来た深沼は、ニヤニヤとしながら駐車場へと足を踏み入れた。

 

「ん?」

 

 彼が駐車場に着くと、見覚えのあるワゴンの周りに警察が集まって作業をしていた。

 

(あのワゴンは……一体何があったんだ?)

 

 訝しむ深沼は、咄嗟にその場に近づいて確かめたい衝動に駆られたが、事が事だけに警察と関わり合いになるわけにはいかない。なので警察官らと目を合わせないようにして、その場を通り過ぎる。

 

 そして遠くから暫し様子を伺おうと、駐車場の奥まった所に停めてある、ざっと7、8人は裕に乗れそうな大きさの、年代物のアメ車へとやってきた。その時だった。

 

「だ、旦那!」

 

 近くの茂みから、彼の部下の1人が飛び出してきた。

 

 その男は「おわわっ!」とバランスを崩してアスファルトへと倒れ込む。

 

 彼の両足、後ろ手にされた両手はロープで固く縛られていた。

 

「あ!?何があった!?」

 

 深沼が目を丸くして男を見下ろしていると、ガサガサと茂みから音がし、他の部下と針生が這い出してきたのであった。

 

 

 

 

 

 

「揃いも揃ってなんてザマだ!」

 

 一部始終を耳にし、車の中で深沼は怒声を飛ばす。

 

 3人の部下と針生はバツが悪そうにして、口をつぐんだままだ。

 

「あの男とデカ女には逃げられる、スカウトも失敗する!胸糞悪いにも程がある!」

 

「えっ?旦那、あの女に逃げられたんすか?」

 

「…………うるせぇ!黙ってろ!」

 

 後部座席真ん中に座る深沼は、運転席に座った、最も若い部下の後頭部を殴りつけた。

 

「いっ!つーーーっ!」

 

 顔を痛みに歪ませて、男は殴られた後頭部を手で押さえる。

 

「……深沼、この落とし前はキッチリつける。貸しひとつという事にしておいてくれ」

 

 助手席に座る針生が首を軽く動かし、横目で深沼へと告げる。

 

「当たり前だ。この貸しはデカいぜ、針生さんよ」

 

「ああ」

 

 短く応えて針生は前へと向き直る。

 

「とにかくとっとと帰るぞ!さっさと車を出せ!」

 

「へ、へい」

 

 運転席の男は片手で後頭部を押さえつつ、車を発進させた。

 

 そして黒ワゴンを横目に駐車場を抜けようとした。その時、彼らの目の前の道路を銀色のボディの車が猛スピードで走り抜けていった。

 

「あっ!?」

 

「……あの車!」

 

「あ?どうした」

 

 声を上げた部下と針生に深沼が目を向ける。

 

「追え!」

 

 針生がすかさず運転席の男に命令をし

 

「ウッス!」

 

 運転席の男もまた、ハンドルを勢いよく切り、車のスピードを一気に上げた。

 

「うおおっ!な、何だってんだ!」

 

「アイツらだ。あの車に乗っていた」

 

「何だと!?」

 

 深沼は大きく身を乗り出して、フロントガラスの向こうへと目を凝らす。

 

 前に見える車の窓からは、見覚えのある後ろ姿がのぞいていた。

 

「ヤツらめ!おい!絶対に逃がすんじゃねぇ!何としても追いつけ!」

 

「ウッス!」

 

 鼻息を荒くし、目をギラつかせる深沼。

 

 思い返してみればここ数日間、天井とその知り合い連中にはコケにされっぱなしだった。この気を逃してなるものか、絶対に落とし前をつけさせてやる。

 

 と、深沼は自分の所業を棚に上げて、興奮し、息巻いていた。

 

 そして後部座席の更に後ろにあるスペースに置いてあった長方形のジュラルミンケースを手に取った。

 

「針生さんよ、この後に取引きがあるらしいが、ちいと俺に試し撃ちをさせてもらえないかね?これでさっきの貸しは帳消しにしとくからよ」

 

 それを聞いた針生は一瞬眉を潜めたが、すぐに返答する。

 

「……商品に不具合があったら俺も客も互いに困るからな。但し、程々にしといてくれ」

 

「話が分かるねぇ。流石は針生さんだよ」

 

 深沼はケースを開けて中から新品のアサルトライフルを取り出して、サンルーフから身を乗り出し、銃口を前方を走る車へと向けて引き金を引いた。

 

「くたばりやがれ!」

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後6時30分

 

 

 連続した銃声が響き、デロリアンのボディから乾いた音が鳴る。

 

「何なんだアイツ!撃ってきたぞ!」

 

「あれは……深沼敏!?」

 

 後ろへと目を向けたプロデューサーが驚愕の声を出す。

 

「深沼って、あの、君らにちょっかいをかけ続けてたアイツ!?」

 

「そうだ!ったく!しつこいヤツだ!マーティ、なんとかして振り切ってくれ!」

 

「くそう!ギリギリになって次から次へと!ったく、いつも通り完璧だ!!」

 

 マーティはデロリアンを急加速させつつ、見えてきた交差点をけたたましい摩擦音を響かせ、ドリフトしながら左折する。

 

 道路を渡ろうとしていた通行人らが、悲鳴を上げて腰を抜かし尻餅をついた。

 

 更にそこへ銃を撃ちながら猛スピードで突っ込んでくる車。それにより喧騒は一層大きくなる。

 

「このままブリッジに突っ込んで逃げ切る!」

 

 レインボーブリッジに続く高速道路料金所のゲートに向け、デロリアンは突き進む。

 

 その進行方向には、バリケードを設置している料金所の係員達がいた。

 

 彼らはデロリアンへ向けて、大きく両手を上げて、止まれとジェスチャーをする。

 

 だが、一向にスピードを緩めないのを見ると、慌てて横へとはけていく。

 

 デロリアンは置かれたバリケードを跳ね飛ばし、遮断版をへし折って料金所のゲートを通過。

 

 深沼の車もその後に続いて猛スピードで追いすがってくる。

 

 再び銃撃がデロリアンへと浴びせかけられた。

 

「さっきから撃たれっぱなしだけど、反撃とか出来ないのか!?」

 

「残念ながら生憎と銃器の類は積んでいないのだよユーイチ!」

 

「このままじゃあ車が壊されてしまうよブラウン博士!」

 

「大丈夫だ!その心配は無いぞサクヤ!こんな事もあろうかと、未来でデロリアンのボディは丈夫な素材で出来た物に換装してきた。窓は並の銃弾なぞでは撃ち抜けない超強化プラスチック製、タイヤも防弾防刃性能のある高性能品だ!この時代の銃火器なぞではビクともせんさ!」

 

 ドクはニヤリと笑みを浮かべながら言う。

 

「流石は日本製のパーツだな。看板に偽り無しだ。ハハハハハ!」

 

 と、その時、爆音と共にデロリアンのすぐ脇の道路が弾け飛んだ。

 

 爆風と衝撃でコントロールを乱した車体が左右に激しく揺さぶられた。

 

「うわあ!あっぶねぇ!」

 

「バ、バクダンだと!?」

 

「深沼のヤツ、あんな物まで!」

 

「ブラウン博士!デロリアンは爆弾には耐えられるのかい!?」

 

 咲耶の問いかけにドクは眉をひそめる。

 

「残念ながらそいつは無理だろうな……マーティ!どうにかして振り切れ!」

 

「わかってるってば!」

 

 

 

 

 

 

「ヒャハハハッ!見ろよ!車がビビってるように見えるぜ!」

 

 窓から手榴弾を投げた深沼の部下が歓喜の声を上げる。

 

「おい!それに手を付けるな!」

 

「固い事言うな針生さんよ。この位やらせてもらわねえとな」

 

 ライフルを打ち終えた深沼が後部座席に座りながらマガジンを交換する。

 

「深沼の旦那!良いもん積んであるじゃないっすか!」

 

 後部座席から別のジュラルミンケースを手にして開いたもう1人の部下の男が口笛を吹く。

 

「こいつは、R.P.Gじゃねえか!これなら確実にぶっ飛ばせるぜ!」

 

「いい加減にしろ!それ以上やると誤魔化しが効かなくなる!」

 

「知ったことか!」

 

 深沼が銃口を針生に突きつける。

 

「っ!?」

 

 針生がバックミラー越しに深沼の顔を見る。

 

 彼の顔は一層興奮したように歪み、鼻息は荒く、目が血走っていた。

 

 完全に冷静さを失っている様子だった。

 

 深沼は目で横に座る男に合図する。

 

 R.P.Gを肩に担いだ男はサンルーフから上半身を乗り出して、デロリアンへ向けて狙いを定めた。

 

 

 

 

 

 

「マズいぞ!橋の先が封鎖されとる!」

 

 双眼鏡で道の先の様子を探っていたドクが叫ぶ。

 

 レインボーブリッジ中央より更に先の位置では、警官隊が道を封鎖していた。

 

 道路上にはパトカーなどの車両が数台と機動隊員が十数人、盾を構えながら並んでいる。

 

「日本の警官は対応が早いなあ、ったく!」

 

「どうするんです博士!マーティ!」

 

「このまま突っ込んだら無事じゃ済まないよ!」

 

「けど止まったら警察に捕まる!それに深沼ってヤツにやられる!」

 

「クソッ!ここまできて!何てことだ!」

 

 ドクが地団駄を踏むかのように足を踏み鳴らした。

 

「あたっ!脛に何かが……こりゃマーティの荷物か」

 

「あっ、ごめんドク!…………っ!?」

 

 ドクの足下にあるホバーボードと紙袋、それを目にした瞬間、マーティの脳裏に閃きが浮かんだ。

 

「そうだ!それだよ!ドク!ホバーボードをこっちに!それとユーイチに福袋を!」

 

「何をする気だマーティ!」

 

 ホバーボードを片手で受け取ったマーティは左横のドアを開けた。

 

 吹き込んでくる風が服と髪とを激しく揺らす。

 

「ユーイチ!君のリストバンドに袋の中の延長コードの端を固く結びつけて!早く!それとドク!運転変わって!」

 

「何だと!?」

 

「わ、わかった!」

 

 マーティがホバーボード上のバンドに足をはめ、ドアを掴みつつ身体を外へと乗り出させた。

 

 入れ替わりざまにドクが慌てて運転席に身を滑り込ませ、ハンドルを握りしめる。

 

 プロデューサーは手首のリストバンドを外し、手早く延長コードを結びつけてマーティへと手渡した。

 

「ありがとう!もう片方をその辺の適当な所に結びつけて!あと袋をこっちに!」

 

「ああ!」

 

「プロデューサー!私の傍に引っ掛けられそうな金具がある!コードを!」

 

 咲耶が受け取ったコードを左端の金具に結びつける。

 

 コードは運転席の左脇を抜けて、ドアから身を出したマーティの手の内にあるリストバンドに繋がった。

 

「マーティ!袋だ!」

 

「よしっ!それから僕が合図したらコードを引き寄せてね!」

 

 マーティはリストバンドを右腕にはめ、紙袋を片手に持ち、車体を蹴って横へと飛び出した。

 

「うおぉぉぉぉっ!」

 

 勢いをつけ宙を滑るマーティは、ホバーボードの底を高速道路脇のフェンスに押しつけた。

 

 壁滑りをするマーティの身体が、やがて橋の上部へと繋がるメインケーブルを上がっていく。

 

「巨大映像の投影モード!映すのは、何でもいいから凄いパニック物とか!モンスター物とかそういう大迫力のを!」

 

 

 紙袋の中に向け、そう叫んだ彼はケーブルの中腹で紙袋を盛大に破きつつ、それを天へと向けて放り投げた。

 

 飛び出た球状の物体が数個、プロペラを回転させながら飛翔していく。

 

 マーティは即座にリストバンドに繋がったコードを両手で掴み、下に向けて叫んだ。

 

「引っ張って!」

 

 マーティの叫びを聞き届けたプロデューサーと咲耶がコードを引き寄せていく。

 

 僅かにたわんでいたコードがピンと張り、全身をグイッと引かれ「おわっ!」とマーティが声を上げた。

 

 そしてマーティの身体がデロリアンと併走する高さにまで降下しきったその瞬間、橋の上にそれは姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後6時31分

 

 

「遅い……」

 

 1人の男が苛立ちながら腕時計に目を落とす。

 

 取引きの時間はとうに過ぎていた。

 

 アメリカ製の大型SUV車、ハマーの助手席に座る50代半ばのその男こそが、警察の追っているテロ組織『プロフェシィ・オブ・ヒュージ』のリーダーであった。

 

 それは、ノストラダムスの大予言を現実のものとし、世界に革命を為さんとする、赤軍を始祖に持つテロ組織であった。

 

 だが、彼らのアジトは数週間前に警察に襲撃され壊滅。辛くもリーダーと取り巻きが逃げ出したものの、組織の立て直しは事実上不可能となっていた。

 

 彼らは最後の攻勢を図るために銃火器の類を調達すべく、レインボーブリッジ近郊の湾岸倉庫にやってきていた。

 

 リーダーの男が何度目かも分からない舌打ちをしたその時、パトカーのサイレンが周囲に響き渡る。

 

「ヤバい!見つかったのか!?」

 

 運転席の部下が狼狽するが、一方でリーダーは冷静に周囲を見渡し気配を探る。

 

「いや、そんな様子は無い。一旦ずらかるぞ。何食わぬ顔をしていれば平気だろう」

 

 リーダーの命を受けて部下が車を走らせる。

 

 右手側に見える、夕霧に包まれたレインボーブリッジの方へとリーダーの男は視線を向ける。

 

 すると橋の上でパトランプらしき光が幾つも瞬いているのが目に映る。

 

「何か事件……事故でもあったか」

 

「え?」

 

「橋の上だよ」

 

 男がそう口にし、運転手の男が横に目を向けたその時、橋の上に突如として巨大な何かが出現した。

 

 それは冷え固まった溶岩の様に黒くゴツゴツした皮膚に、背には先端を青白く染めた鋭く尖ったヒレを生やし、腰から先には太く長い尾を携えていた。

 

 爬虫類じみた顔には幾多もの牙の生えそろった口と、見るものを威圧する鋭い眼があった。

 

 リーダーの男は唖然とし、運転手は驚愕に顔を歪めて怪物の名を口にした。

 

「ゴ、ゴゴゴゴッ、ゴジラだーーーっ!」

 

「あん?」

 

 車中の他の男らが何事かと窓の外に目を向け、皆一様に呆然と口を開き、その光景を見つめていた。

 

 その次の瞬間、男達の運命は決まった。

 

 ひとりの男が車の進行方向へと視線を戻し「危ないっ!」と叫んだ。

 

 迫るのは工事現場に駐車してある巨大なダンプカー。

 

 声を受けて異常に気付いた運転手の男は、慌ててハンドルを切る。だが時すでに遅し。

 

 横滑りする車体はそのまま激しくダンプカーへと衝突。

 

 積まれていた土砂が車体へと覆い被さり、彼らの身体と野望はその場にて埋め尽くされてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

「な、何だありゃあ!」

 

 深沼らの眼前には巨大な黒い塊が出現したように見えた。

 

 このままでは、その巨大な何かにぶつかる。

 

 R.P.Gを構えた男は半狂乱になりながら「うわぁぁぁぁぁぁーーーっ!」

 

 と叫び声をあげ、引き金を引いた。

 

 轟音と噴煙を撒き散らしながら飛ぶロケット弾は、黒いそれをすり抜けて、前を走るデロリアンの上をも飛び越えて、更に遠くへと飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

「ワォ!すげぇ迫力!」

 

 デロリアンの外周を回り込んで助手席側へとやってきたマーティは、後方を見上げて、橋の上に響き渡る怪獣王の咆哮に身を震わせた。

 

 そして橋の先に目を向ける。

 

 警官隊には動揺している様子が多少は見受けられたが、その場を大きく動くような気配は見られない。

 

「クソッ!ターミネーターを見た時の僕らみたいにはいかないか!」

 

 歯噛みするマーティはデロリアンのドアを開き、車内へ身を滑り込ませた。

 

「マーティ!大丈夫かい!?」

 

 咲耶が気遣いの言葉をかける。

 

「僕は平気。コードありがとうね」

 

 リストバンドを外したマーティが軽くその手を振るう。

 

「何なんだ、アレは……」

 

「未来の映写機だよユーイチ。アレで何か映せば驚いて逃げてくれるかと思ったけど……ゴメン、失敗だ」

 

「まったく、無茶をする!しかし、このままではどうしようも!」

 

 運転席横のドアを閉めたドクが嘆いたその時、咆哮と爆音が皆の耳をつんざいた。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後6時32分

 

 

 橋の上に展開する警官隊は、一向にスピードを緩める気配の無さそうな不審車を前にしても微動だにしていなかった。

 

(馬鹿なヤツらだ。大人しく止まっていれば余計な怪我をしなくて済むものを……)

 

 警官隊の隊長は迫りくるテロリストを心の内で嘲った。

 

 勿論隊員に犠牲を強いるつもりなどは無い。

 

 ギリギリまで引き付けて退避、バリケード代わりのパトカーと長方形のトラックのような車、特型警備車で進路を妨害し足止めする算段だった。

 

 ここ数日、対テロリストの作戦行動を展開していたおかげでレインボーブリッジに通じる出入口、ジャンクションの封鎖はかつて無いほどにスムーズに進んだ。

 

 作戦の山場を迎え、周囲には緊張が走る。

 

 隊長もまた、決定的瞬間へと向けていくつものシミュレーションを頭の中で繰り広げていた。

 

 

 

 だからであろうか、彼があらゆる意味で適切な判断を下せたのは……

 

 

 

 突如として出現したソレに、警官らは理解が追い付かなかった。

 

 ある隊員は思った、自分は夢を見ているのではないか?

 

 別の隊員は思った、アレは実在するものだったのか?

 

 別の隊員は思った、そういえば子供と一緒に先週ビデオで見たのと同じだな、と。

 

 皆が困惑し、思い思いの思考を繰り広げ始め、隊列を乱しかけた時

 

「ボサッとするな!霧に浮かんだ影か何かだ!」

 

 隊長は即座に激を飛ばした。

 

 その言葉を聞き我に帰った隊員らは、乱れかけた統率を取り戻しかける。

 

 

 

 しかし…………

 

 

 

 隊長が見上げる先では怪獣王が咆哮を轟かせ、大きく開いた口から青白い熱線を放った。

 

 その瞬間、警官隊の後方の特殊警備車、パトカーが爆炎を上げて宙に舞った。

 

 熱風が隊員らの背を打ちつけ、爆音が彼らの周りに響き渡る。

 

「た……退避ーーーーっ!!」

 

 隊長の号令と共に警官隊は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。

 

 道路脇に身を転げる者、反対車線へと脱兎の如く駆け出す者、ソレらが織りなす光景は、さながら割れた海をモーセが渡るという伝説を思わせた。

 

 警官隊らの退いた所をメタリックボディの自動車が猛スピードで走り抜け、その直後、落下してきた警察車両が爆発炎上。黒い煙が立ち上っていく。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後6時33分40秒

 

 

「ハハッ!やった!道が開けた!」

 

「こ、こんな奇跡が起こるなんて……」

 

「信じられないよ……でも、これなら!」

 

 眼前に広がった光景を目の当たりにして、マーティ、プロデューサー、咲耶が三者三様の反応を見せる中

 

「間もなく落雷の時刻だ!みんなショックに備えろ!」

 

 ドクが叫び、運転席に取り付けられたばかりの新品のスイッチを押した。

 

 デロリアンの後方から伸び出た細長いアンテナが、左の方へと向けて折れ曲がってゆく。

 

 併せてデロリアンの車体も道路の左端ギリギリへと寄せられた。

 

 アンテナが橋のワイヤーケーブルに何度も触れる音と振動が微かに響き渡る。

 

 

 

 レインボーブリッジ上に出現した怪獣王は、一段と大きな咆哮を上げて、その口を大きく開いた。

 

 背びれが明滅を繰り返し、激しく発光する。

 

 怪獣王の口が青白い光に染まった。

 

 

 

 刹那―――稲光が天を走った。

 

 

 

 橋の上にある全てが、一瞬にして真っ白に染め上げられる。

 

 その光が晴れた時、怪獣王はその姿を跡形も無く消していた。

 

 代わって橋の上に残されていたのは、最早判別が付かない程に真っ黒に焼け焦げた球状の物体が数個と道路上に引かれた二本の炎の線だった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日午後6時35分 

 

 

「うわあぁぁぁぁぁーーーっ!」

 

 深沼と部下らの悲鳴が車内に響く。

 

 激しい発光、爆音、爆炎、その他全ての衝撃を受けコントロールを失った深沼の乗る車は、コマのように激しく回転し、路肩の壁、路側帯へと激しく衝突を繰り返し、数度の横転を経て、逆さの状態で停止した。

 

 それから程なくして、朦朧とする意識の中、深沼はガラスの砕け散った窓からカエルのように這い出した。

 

 息も絶え絶えな状態の彼が顔を上げると、そこでは一足先に車外に出ていた針生が青白い顔をして手を上げていた。

 

 何事かと深沼が辺りを見回すと、車の周りを警官隊が取り囲んでいた。

 

 彼らの足元には車から飛び出した、深沼達の使っていた銃火器が転がっていた。

 

 警官らは鋭い眼差しを深沼らへと向け、銃口を突きつけていた。

 

「銃刀法違反及び破壊活動防止法違反の容疑で逮捕する!全員大人しくしていろ!」

 

 警官隊の隊長が声高に叫んだ。

 

 針生の股倉から上を見上げていた深沼は、身体を震わせながらゆっくりと手を上げる。

 

 その時

 

「う…….おえぇぇぇぇ……ゲボッ、うえぇぇ……」

 

 針生の口から吐き出された吐瀉物が深沼敏の頭に降り注いだ。

 

「ぎゃあぁぁぁ!」

 

 深沼が悲鳴を上げ、周囲の警官らはその凄惨な光景に思わず顔をしかめた。

 

 青白い顔の針生は

 

「……だから、雑な運転は困るんだ……」

 

 と力なく呟いて、地面へ這いつくばり、胃の中の物をひたすらに吐き出し続けたのだった。

 

 

 

 

 2020年6月26日 午前11時40分

 

 

 事務所の2階へと上がっていく七草はづきは、降りてきた男の顔を見て小首を傾げた。

 

「あら?プロデューサーさん、咲耶さんのお迎えに行ったはずじゃ?」

 

「え?ああ、ちょっと忘れ物しちゃって。すぐ出直しますんで」

 

「そうなんですかー?けど、どうしてそんなに濡れてるんですか?」

 

「あーー、ちょっとベランダの様子が気になって窓を開けたら雨風が吹き込んできちゃって。ハハハハ……」

 

「はぁ……」

 

「ともかく、もう行ってきますんで。分かると思いますけど、天気酷いですから外には出ないようにして下さい。事務所でじっとしてて下さいね」

 

「はい、わかりました………?」

 

 再び小首を傾げるはづきに軽く頭を下げて、防水仕様のリュックを片手にプロデューサーは事務所の外へと走り出た。

 

「ふぅ……とりあえず準備よし」

 

「プロデューサー」

 

 と、彼のそばに雨合羽を着た咲耶が駆け寄ってきた。

 

「咲耶。そっちはどうだ?」

 

「バッチリさ。あなたが2階から投げてくれたロープは繋ぎ終えたよ」

 

「こっちも必要な道具は揃えた。事務所の外壁にロープも括り付けた。それじゃあ最後の仕上げだ。行くぞ咲耶!」

 

「ああっ!」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日 午後12時18分

 

 

「ぷっ、あはははっ!」

 

「どうかしたかマーティ?」

 

「いやあ、これ見てよ」

 

 デロリアンの助手席でスマホを眺めていたマーティは、英語に翻訳されたニュース記事の画面をドクへと差し出した。

 

「何々……1999年7月4日、お台場及びレインボーブリッジ上において破壊活動を行った容疑で侘蔵(だくら)組系暴力団所属針生容疑者、深沼芸能社員深沼容疑者他三名を銃刀法違反等の容疑で逮捕。ふむふむ……………なお、深沼容疑者らには暴行、拉致事件など数件の余罪もあると見られ、警視庁では更なる調査を……なるほどな。こいつはなんとも」

 

 記事を読んだドクも思わず口の端を歪めた。

 

「因果応報ってヤツだね。ともかくユーイチとサクヤがアイツらに追いかけ回される心配は無くなったわけだ」

 

 マーティが肩を竦めたその時、デロリアンの窓がコンコンと叩かれた。

 

 ドアを開けると、そこには雨合羽を着て傘をさしたプロデューサーと咲耶の姿があった。

 

「マーティ、ブラウン博士、ロープやワイヤーの設置は完了しましたよ」

 

「これで後は時間に合わせて走るだけだね」

 

「ありがとう2人とも」

 

「すまんな、こればっかりはワシらが事務所に入り込んでやるわけにはいかんからな」

 

 運転席から出てきたドクが傘をさしながら歩み寄ってくる。

 

「先の落雷でバッテリーにも十分な電力が蓄えられたが、次に転移した先でトラブルが無いとも限らん。利用できるエネルギーは無駄なく使っておきたいのでな」

 

「大丈夫、お安い御用ですよ。僕らの仲じゃないですか」

 

 プロデューサーが笑いかけると、マーティとドクも微笑み返す。

 

「…………じゃあ、これでマーティと博士とはお別れだね。寂しくなるよ」

 

「サクヤ、僕も名残惜しいよ」

 

「しかしながら、ワシらにはワシらの、君らには君らの世界と生活があるからな。ともあれ、ユーイチ、サクヤ、短い間だったが2人と過ごした日々は非常に楽しく、有意義で刺激的だった」

 

「博士、マーティ。僕らもあなた方と会えて本当に良かった。元の世界に戻ってもお元気で」

 

 プロデューサーが手を差し出し、4人は順に握手を交わしてゆく。

 

 そうしてマーティとドクは再びデロリアンに乗り込んだ。

 

 プロデューサーと咲耶はそれぞれ運転席、助手席側から彼らを覗き込むようにして立つ。

 

「それじゃあ2人とも、元気でね」

 

「ああ、マーティも。バンドの活動、頑張って」

 

「サクヤもね。君らがトップアイドルになれるように祈ってるよ」

 

 マーティと咲耶が微笑み合う。

 

「では2人とも改めて言うが、念のため事務所に戻るのは午後3時以降にするんだぞ。それまでは誰も知り合いには会わないように。タイムパラドックスの危険があるからな」

 

「分かってます。どこかに篭ってやり過ごしますよ」

 

「うむ。ではユーイチ、サクヤ、達者でな」

 

「それじゃあ」

 

 手を振ったマーティとドクがドアを閉める。

 

 プロデューサーと咲耶は数歩後退してデロリアンと距離をとる。

 

 エンジン音が響き、デロリアンが道を後退してゆく。

 

 そして暫しの後、エンジンをふかして発進したデロリアンが2人の間を猛スピードで駆け抜けてゆく。

 

 283プロ新事務所前の道路上に張られたロープへと、デロリアンから伸び出たアンテナが触れる瞬間、稲光が周囲を真っ白に染め上げた。

 

 耳を塞ぎ、目を閉じたプロデューサーと咲耶が再びその目を開いた時、彼らを冒険へと誘った1台の車と2人の友人は、この世界から忽然とその姿を消していたのだった。

 

 路上に残された炎の線は、雨風にあおられて程なくして消え去った。

 

 

 

 

 

 

 2020年7月1日 午後5時30分

 

 

「はい!それじゃあ10分休憩して、それからレッスン再開よ。水分補給をしっかり済ませておきなさい」

 

「はい!」

 

 ダンスレッスンスタジオでレッスンに励むアンティーカの面々は、壁際へと移動して休憩を取り始める。

 

「恋鐘、結華、摩美々、霧子、このタオルを使ってくれ。ドリンクも用意してあるから遠慮なく飲んでほしい」

 

 いち早く荷物に手を伸ばしていた咲耶が、メンバー全員へとそれらを手渡していく。

 

「おおーありがとう、咲耶。それじゃあいただくばい」

 

「どうもねーさくやん」

 

「ありがとう、咲耶さん」

 

「なんかー最近の咲耶、私達にやたらと世話焼くようになってないー?」

 

 摩美々が怪訝そうに言うと、咲耶はにっこりと微笑んだ。

 

「そんな事は無いさ。私はいつも通りだよ」

 

「でもさ、確かにさくやん少し変わったよね。こないだ事務所が停電した日なんてさ、事務所に戻って来るなりみんなに抱きついて涙目になってたし」

 

「泣きたいのは蒸し風呂みたいな事務所にいたこっちだったのにねー」

 

「あ、あははは…………あの時は恥ずかしい姿を見せてしまったな。その、なんて言うか……みんなが心配でね」

 

「咲耶さん……」

 

「ま、別にいーけどねー」

 

「ほんに咲耶は優しかねー。よしよし」

 

 恋鐘が咲耶の頭に手を乗せて、子供をあやすように撫で始める。

 

「こ、恋鐘!そういうのは、少し照れるよ……」

 

「おやおや、やっぱりさくやんは、こがたんに敵わないようですなー」

 

 顔を赤くする咲耶を見てアンティーカの面々は笑い出す。

 

「はーい!そろそろ休憩終わりだよ!集合集合!」

 

 ダンストレーナーの声を受けて、一同は彼女の元へと小走りに集合していく。

 

 彼女の傍には、今しがた運び込まれた旧式のビデオデッキとテレビモニターがあった。

 

「今練習しているダンスのライブ映像を持ってきたから、これから観て勉強するよ。自分のパフォーマンスとの差を各自よく確かめるように」

 

 そうしてトレーナーが再生したライブ映像を目にしたアンティーカの面々は、怪訝な表情を浮かべ始める。

 

「……後ろで踊ってるの……咲耶、さん?」

 

「あ、このバックダンサー、何だか咲耶に似てないー?」

 

「ほ、本当ばい!咲耶が踊っとる!」

 

「え?いやいや、だってコレって20年くらい前のライブ映像だよね?」

 

 全員が戸惑いながら咲耶の方へと視線を向ける。

 

 それを受けた咲耶は

 

「コレはね……他人の空似というやつさ」

 

 澄ました表情でウインクをしてみせた。

 

 

 

 

 

 

 2020年7月2日 午後2時45分

 

 

「會川、例の深夜番組の打ち合わせはどうだった?」

 

 社長室で諸々の業務連絡を済ませたプロデューサーに天井社長が尋ねてきた。

 

「順調です。スタッフの方々もアンティーカの実力を高く評価してくれていて、彼女達自身もやる気に満ち溢れていますし、初回から良い番組になりますよ!絶対に!」

 

「そうか。それは何よりだな」

 

「はい!」

 

「失礼しますー」

 

 社長室のドアが開かれ、両手で大きな段ボール箱を抱えたはづきが中へと入ってきた。

 

 彼女はそれを社長の机の傍へと下ろして一息ついた。

 

「ふぅ。社長宛に荷物が届きましたー。差出人は、飛田藍音さんです」

 

「ほう?」

 

「藍音さんからですか?」

 

「開けてみてくれ」

 

「はいー」

 

 はづきがガムテープを剥がして箱を開くと、そこにはメロンが数個とさくらんぼの詰められた小箱が4つほど収められていた。

 

「凄いな、本場山形の佐藤錦だ。これ店で買ったらかなりの値段になりますよ」

 

「本当ですねー」

 

「ははは、心配無い。それは彼女の旦那の実家から送られてきた物だろうからな」

 

「え?ってことはもしかして」

 

「ああ、藍音の嫁ぎ先は山形の果物農家だ。もっとも、現在の彼女らは仙台に住んでいるらしくな。藍音はそこで個人塾を開いて小学生相手に勉強を教えているらしい。親からも子供からも評判は良いそうだ」

 

「そうだったんですね。何よりです。それにしても、とても瑞々しくて美味しそうだなこの果物」

 

「なら折角だ、ありがたくいただくとしよう。はづき、茶を煎れてもらえるか?」

 

「はいー。分かりましたー。メロンとさくらんぼ、お皿に盛ってきますねー」

 

 ウキウキとした様子ではづきは再び箱を抱えて社長室を後にしていく。

 

「そういえば、1つ気になっていたんですけど」

 

 プロデューサーは社長の方へと向き直る。

 

「どうした?」

 

「藍音さんはどうしてアイドルを目指したんでしょうか?」

 

「その話か…………ふむ。…………まあ、お前になら話しても良いだろうな。後学の為だ。但し、ここだけの話にしておいてくれ」

 

 

 

「藍音さんにそんな事があったんですね……」

 

「ああ。しかし、結局のところ、藍音がアイドルを目指すと報告するその前に、件の友人とはすっかり仲直りしてしまったようでな」

 

「え?」

 

「私が藍音をスカウトした日、藍音が彼女に連絡を入れたら向こうから先に謝ってきてな。即座に打ち解けたそうだ。今思えば彼女がアイドルになろうとそうでなかろうと、結果は同じだったのかも知れんな」

 

「だったら、藍音さんはどうしてアイドルに?友達の問題が解決したのなら、アイドルを目指す理由なんてもう無かったはずじゃ」

 

「それは、やはり彼女自身の為だったんだろう。彼女は過去の自分と決別したかった。心の底ではずっとそう思っていた。アイドルを目指すのはその良いきっかけになったんだろう」

 

「なるほど……」

 

「実際、彼女は限界を越えて頑張っていたよ。その花を開かせられなかったのは今でも残念には思うが、私も藍音も全力を出し尽くした。だから悔いは無い」

 

「社長……」

 

「だからな會川、お前も悔いの無いように全力でアイドルと向き合い続けるんだぞ」

 

「…………はいっ!」

 

「お待たせしましたー」

 

 プロデューサーが気合いを込めた返事をしてすぐに、はづきが部屋へと入ってきた。

 

 その手にしているお盆には、湯呑みと瑞々しい果物が盛られた皿が乗っていた。

 

「さて、それでは彼女からの贈り物を存分に味わせてもらうとするか」

 

 

 

 

 

 

 2020年7月5日 午後5時10分

 

 

「咲耶、お疲れ様」

 

「プロデューサー!」

 

 テレビ局のエントランスを出た咲耶は、車の運転席から顔を出したプロデューサーに駆け寄ってゆく。

 

「今日の撮影はどうだった?」

 

「問題無かったよ。あなたの期待を裏切らない働きを出来たと自負しているよ」

 

「ははは、そりゃあ何よりだ。んじゃ、行こうか」

 

「ああ」

 

 と、咲耶がドアを開いて車に乗り込もうとした時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「お、お願いします!そこをなんとか!」

 

「ん?」

 

 咲耶とプロデューサーがその声の方を見ると、紫色のスーツを着たひょろ長の若い男が、テレビ局のディレクターと思わしき男に縋り付いていた。

 

 

 

「あのなあ、スケジュール管理ミスってこないだダブルブッキングかまして、収録をおじゃんにしたのはテメェの方だろうが!」

 

「そ、その節は申し訳ありませんでした!二度とこの様な事は致しませんので何とぞ!何とぞ!」

 

 膝をついて、ディレクターの腰に抱きつくようにして男は尚も食い下がる。

 

「鬱陶しいってんだよ!そう言って他の所でも似たようなミス重ねてんだろアンタんとこはよ!もっとまともに仕事をこなせるようになってから、出直してこいってんだ……よっ!」

 

 ディレクターはやっとの思いでその男を引き離し、肩で息をする。

 

「ディレクターさん!」

 

 そこへ1人の少女が駆け寄ってきた。

 

 黒髪で清楚な雰囲気を漂わす、紫スーツの男より頭ふたつ分ほど背の低い少女は、ディレクターの正面に立ち

 

「この度は兄が、私達の事務所の不手際でご迷惑をおかけし、誠に申し訳御座いませんでした!」

 

 深々と頭を下げて謝った。

 

 その様を見たディレクターは、フンと鼻で息をして口を開いた。

 

「聖ちゃん、もう頭を上げていいから。とりあえず今日のところは分かったから、また今度出直してきな。オーディションの選考程度なら受けさせてやらないでもないからよ」

 

「ありがとうございます!それでは、失礼します!お疲れ様でした!」

 

「お、お疲れ様でした!」

 

 紫色スーツの男、深沼ススムは土下座の体勢でディレクターに頭を下げる。

 

 ディレクターは再び鼻を鳴らし、踵を返して建物の中へと入っていった。

 

「……悪いな、聖子。助かったよ、っとお!?」

 

 深沼ススムが立ち上がり、少女に声をかけようとしたところ、彼はネクタイを少女に掴まれながら壁際へと引き摺られるように連れて行かれた。

 

 そして乱暴に壁へと叩きつけられる。

 

「グハッ!」

 

「おい」

 

 先程ディレクターに謝った時とは別人のように、小さくはあってもドスの効いた低い声を少女が発した。

 

「何度同じことやったら気が済むんだ、あ?」

 

「ご、ご、ごべんなさい」

 

「兄の尻拭いを毎回やらされる妹の身になって考えた事あんのか?中学生でも出来るような仕事をいつになったらマトモにこなせるようになるんだ?あん?」

 

「ず、ずびばせん、聖、社長……」

 

 泣きべそをかきながら深沼ススムは力なく口にする。

 

「オヤジがしょっ引かれてムショに入って以来、冷や飯を食い続けてきた私らが必死になって掴んだチャンスを棒に振るんじゃねぇってんだよ。兄妹のよしみのお情けで雇ってもらってる分際で、腑抜けてんじゃねえぞ」

 

「は、はい……」

 

「今度やったらクビな。家も出てってもらうからな、わかったか?」

 

 深沼ススムは無言でしきりに首を頷かせる。

 

「ケッ!」

 

 と、深沼聖子はススムを放り投げるようにして突き飛ばすと、踵を返してその場を後にする。

 

「ま、ま、待って!」

 

 深沼ススムは慌てて立ち上がってその後を追う。

 

 と、その彼の頭上に白い何かが落ちてきた。

 

 頭に手を当ててみると、ヌメりと臭いのある液体が付く。

 

 上を見上げると、カラスがひと鳴きしてその場を飛び去っていくのが見えた。

 

「う、ううっ……ま、待ってくれよー」

 

 深沼ススムは世にも情けない声を上げて走り去っていった。

 

 

 

「……………凄い変わりよう、だね」

 

「ああ…………深沼芸能が倒産してたってのは聞いてたけど、娘さんが新たに事務所を興していたのか」

 

 プロデューサーはスマホを取り出して深沼聖の情報を検索してみた。

 

 するとHIJIRIプロという極々小さな事務所の存在が引っ掛かった。

 

 所属アイドル兼社長、深沼聖(23)という文字にプロデューサーは目を丸くする。

 

「あの子、20代だったのか。10代にしか見えなかった……スゴイ童顔だな」

 

「色々と驚きだね……」

 

 咲耶が助手席へと乗り込んだ。

 

「けど、何だか前に見た時よりも、心なしか手強そうに感じたよ」

 

「そうか、咲耶は彼女を見たことがあるんだったな。違う時間軸ってのになるけど」

 

「ああ。しかし、これは油断出来なさそうだね」

 

「そうだな。新たなライバルになるかもしれないんだ、俺達も頑張らないとな」

 

 

 

 

 

 

 2020年7月21日 午後12時25分

 

 

「はい、はい、わかりました。ではそれから帰ります。では」

 

 プロデューサーはスマホをポケットにしまい、バックミラー越しに後部座席の咲耶へと話しかける。

 

「咲耶、はづきさんから買い物を頼まれたからちょっと寄り道するけれど大丈夫か?」

 

「ああ、問題無いよ」

 

「んじゃ、行くぞ」

 

 目の前の信号が青になる。プロデューサーはブレーキから足を離し、ゆっくりとアクセルを踏みしめてゆく。

 

 車がスピードを上げ始めたところで、ふと咲耶が口を開いた。

 

「あの日もこんな天気だったね」

 

「ん?……そうだな」

 

 車の外は土砂降りの雨だった。

 

 天気予報によると今日は大気の状態が不安定で、にわか雨が頻発するとのことらしい。

 

「今年の梅雨は長かったな」

 

「うん。けれど来週始めには梅雨明けだそうだね」

 

「らしいな。そうしたら夏本番か。どこかでゆっくりしたいところだけど、そうもいかなそうなんだよなあ」

 

「ふふっ、何せ新番組や特番の収録、夏のアイドルフェスティバルにもお呼ばれしてしまったからね」

 

「仕事が多くもらえてるのは、ありがたい事なんだけど、少しはリフレッシュもしたいな」

 

「そうだね。以前の様にみんなで海に、いや山も捨てがたいな、とにかく色んな所に行ければ楽しそうだね」

 

「だな。……少し計画を練ってみるか?」

 

「ふふっ、それじゃあ楽しみにさせてもらおうかな?」

 

「……あんまり大きな期待はするなよ」

 

 他愛もない会話をする2人を乗せて車は走る。

 

 雨足は徐々に弱まり、空の向こう側には青色が広がりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 2020年7月21日 午後12時55分

 

 

「あー…………参ったな」

 

「まさか店休日とはね。どうしようか、プロデューサー。別の店を探しに行くかい?」

 

「……咲耶、ちょっとだけ付き合ってくれるか?」

 

「え?」

 

「行こう」

 

 プロデューサーはホームセンターの駐車場入口脇に車を止めて歩き出した。

 

 咲耶もその後に続き、2人は侵入防止用のチェーンを跨いで駐車場へと足を踏み入れていく。

 

 

 

「うーん!広いなあ!」

 

「前に来た時も十分に広く感じたけれど、車も何もないと広さが一層際立つね」

 

 駐車場の中央に立ち、2人は大きく伸びをした後で周囲をグルリと見渡す。

 

 雨はすっかり上がって青空が広がる。先程まで空を覆っていた雨雲は遠く東の空へと流れていた。

 

「……この場所から始まったんだよな」

 

 プロデューサーが視線を落とす。

 

 白線の引かれたその駐車スペースは、プロデューサーがあの日、自動車を停めていた所だった。

 

「そうだね。…………彼らは無事に元の世界に帰れたのかな?」

 

「きっと大丈夫さ」

 

 プロデューサーは迷う事なく即答した。

 

「あの2人に不可能は無い。そう思うよ、俺は」

 

「うん。あなたがそう言うなら、私もそう信じるよ」

 

「ははっ」

 

 そうして2人が顔を見合わせた時、轟音が耳に飛び込んできた。

 

 雷の音かと、2人はサッと空に目を向けるが、そこには雲の類は何一つ無い。

 

 その僅かの間に数度音が轟き、次の瞬間、閃光が瞬いた。

 

「うおっ!?」

 

「わあっ!?」

 

 プロデューサーと咲耶を突如襲った衝撃波。

 

 彼らは姿勢を崩しそうになるが、互いの身体を支え合い、辛うじてその場に踏み止まる。

 

 そして2人が目を開くと、数十メートル先に1台の、独特な意匠の銀色の自動車が出現していた。

 

 プロデューサーと咲耶は目を見開き、顔を見合わせると、その車へ向けて駆け寄っていく。

 

 程なくして車のドアが上へと押し開かれ、運転席から1人の老人が姿を現した。

 

 

 

「む?ここは……283プロダクションの事務所ではないな」

 

「あのホームセンターの駐車場みたいだね。どうしてここに出たんだろう?」

 

「うーむ、どうやらこの世界における粒子の発生源が移動してしまったのかもしれん。まだまだ研究の余地ありだな」

 

 車から降りてきた2人が言葉を交わしていると「おーい!」と声が聞こえてきた。

 

「おおっ!ユーイチ!サクヤ!」

 

「えっ!?うわっ!本当だ!まさか2人にいきなり会うなんて、凄い偶然!」

 

「ブラウン博士!」

 

「マーティ!まさかまた会えるだなんて!」

 

 プロデューサーと咲耶が声を弾ませた。

 

「ふふふっ。どうだ、驚いたかね?」

 

「ええ。だけどどうしてここに?元の世界へは戻れたんですか?」

 

「もちろん!あの日のタイムトラベルで我々は目的の時間と場所へと戻る事ができた。そしてワシは新たな研究を進め、その成果を基にデロリアンの改造を行ったのだ!」

 

 ドクがプロデューサーと咲耶に手招きをしてデロリアンの中を覗かせる。

 

「おお……」

 

「私にはよく分からないけれど、かなり様変わりしてるね」

 

 2人がまず目に留めたのは、運転席の近くに取り付けられていたタイムサーキット。

 

 旧式のブラウン管テレビ程の大きさだった時刻表示版は、タブレットPCのような薄型パネルに入れ替わっており、その画面には2人も見慣れたデジタル表示が3つ並んでいた。

 

 続けて運転席後ろにあった、かつてプロデューサーと咲耶が乗った増設された座席の上には、初めて見る謎の装置が置かれていた。

 

 それは同じく後部に置かれた次元転移装置と酷似しており、Xの文字を模した光るチューブのような物が収まっていた。

 

「これは?」

 

「ふふっ、これこそが新たな発明だ!異空間転移装置とワシは名付けたがね」

 

「異空間転移装置?」

 

 プロデューサーが首を傾げる。

 

「うむ。詳細な説明は省くがな、様はパラレルワールド間を繋ぐルートを検出、行き来できるようにする装置だ」

 

「それは素晴らしい発明だね!」

 

「ドクがそれを作ってくれたおかげで、僕らは再びこうしてサクヤ達に会えたってわけ。作るのに大分時間がかかったらしいんだけど、僕の所にまたドクが来たのは、別れてから3ヵ月くらい後だからいまいちピンと来ないんだけどね」

 

 マーティが肩を竦めて笑う。

 

「とまあ説明はこの辺にして、ここに来た目的を果たさねばな」

 

 そう言うとドクはポケットからスマホを取り出して、プロデューサーへと手渡した。

 

「あの日のサクヤのステージの動画を渡し忘れていたからな。もしかしたら別の映像があるのかもしれんが」

 

「いえ、ありがたいです。俺は舞台袖からあのパフォーマンスを充分に見られてませんでしたし。観客席からは見られない、特別な所から見るのはまた格別ですから」

 

「そうか。そいつは何よりだ」

 

「あー……僕からも良いかな?」

 

 マーティが若干落ち着かない様子で近づいてきて、彼もまた手にしたスマホを咲耶へと手渡してきた。

 

「これは?」

 

「えーっと……実は歌を作ったんだ、2人の為にね。君らとの旅の思い出を歌にしてみた。そのスマホに録音した音声が入ってる」

 

「本当かい?それは素晴らしいね!早速聞いてみても良いかい?」

 

「っと、それはちょっと勘弁!あの、別に自信が無いわけじゃないんだけど、何だか恥ずかしいからさ。後で2人きりの時にでも聞いてくれよ」

 

 マーティが微かに顔を赤くしながら言う姿を見て、咲耶は歪んだ口元を隠すように手を当てた。

 

「わかった。後でじっくりと聴かせてもらうとするよ」

 

「ありがとう。そうしてくれると助かる」

 

「さて、用事はこれで済ませた。我々は行くとしよう」

 

「もう行ってしまうんですか?」

 

「うむ。異空間転移もまだまだ試作段階でな、やらなければならん事が山積みなのだよ」

 

「僕としてはもう少しこのニッポンを見て周りたいんだけどね、ドクがこう言うんじゃ仕方ない」

 

 マーティが肩を竦めて諦めたように苦笑した。

 

「また会えたのに残念だよ。でも2人の無事を知れて良かった」

 

「俺も咲耶と同じ気持ちです。ともかく、改めて2人ともお元気で」

 

「ああ、君らもな」

 

「元気でね。ユーイチ、サクヤ。縁があればまた会おう」

 

 ドクとマーティは軽く手を振り、デロリアンへと乗り込んだ。

 

 エンジンの振動が車体を揺らし出す。

 

「さあ、下がった下がった!あまり近くにいると危ないぞ!」

 

 ドクの手振りに従って、プロデューサーと咲耶はデロリアンから距離をとる。

 

「ありがとう!マーティ、ブラウン博士!良い旅を!」

 

 プロデューサーと寄り添い、手を振り、声を送る咲耶の視線の先で、デロリアンの車体下部からジェット気流が噴射された。

 

 宙へと浮いていくデロリアンのタイヤが横向きに格納され、車体は更に高度を上げていき前方へと急発進した。

 

 程なくして空中をUターンしてきたデロリアンは、プロデューサーと咲耶の頭上を飛び越え、新たなる冒険へと旅立っていくのであった。

 

 

 

 

 

 

              TO BE CONTINUED Other Crossovers!!

 

 




 これにてこの物語は完結となります。
 最後まで読んで下さった方々、本当にありがとうございました!



 完結記念といたしまして、主要登場キャラクターについての説明や設定を乗せておきます。

 少し落ち着きましたら更に制作裏話や小ネタ等の解説を追記しようかと思いますので。
 お時間があればお付き合いくださいませ。

・會川悠一(プロデューサー)
 実質的なこの作品の主人公
『Back to the Future』原作におけるマーティの立ち位置を与えられたキャラその①
 基本的な性格はアイドルマスターシャイニーカラーズに登場するプレイヤーキャラ兼プロデューサーの所謂【シャニP】のスタンダードを元にしている。
 プロット作成当初は名前を付けない予定だったが、マーティとドクが彼を名前で呼ばないのは不自然だと考えたのと、スポーツマン要素を加えたのもあり名前を設定することとした。
 名前の由来は“I”と“You”の含まれる名にしようと考えた為にこうなった。

・白瀬咲耶
 当作品のヒロイン兼もう一人の主人公
『Back to the Future』原作におけるマーティの立ち位置を与えられたキャラその②
 シャニマス原作からの変更点は特になし。

・マーティ&ドク
 Part3終了後いずれかの時間軸からやってきたという設定。
 数年前に発表された公式続編漫画『コンティニュアム・コナンドラム』後の彼らとも解釈は可能としている。

・天井努
『Back to the Future』原作におけるマーティの父ジョージの立ち位置を与えられたキャラ
 性格面での大きな改変は無し。
 ジョージの様にヘタレからの成長というのは天井社長のキャラクターにはそぐわないと考え、挫折からの立ち直りという物語を据えてオリジナルの設定を付加させた。

・米村(飛田)藍音
『Back to the Future』原作におけるマーティの母ロレインの立ち位置を与えられたキャラ
 名前の由来はロレイン・べインズ・マクフライ(Lorraine Baines McFly)の文字より以下の要素を拝借した。
 米村→“べイ”ンズ
 飛田→マク“フライ”
 藍音→Lorr“aine”
 書き始めてからもなかなか設定が固まりきらず、最後まで書くのに苦心したキャラクター

・深沼敏
『Back to the Future』原作における悪役ビフ・タネンの立ち位置を与えられたキャラ
 名前の由来は苗字と名前の頭文字を逆さにすると“びふ”となるような名前にしたいと考え設定。
 深沼という苗字は「何となく沈んで行くようなイメージが欲しい」と考えて設定。
 金の力と口の上手さと他人の弱みに付け込む事でのし上がってきた典型的クズキャラ。

・深沼ススム
 原作には特に彼に当たるキャラは無し
 背の高さ以外は父の若い頃と瓜二つ。
 名前は見ての通り泥沼にはまっていくような印象にしたかったため。
 典型的な親の七光りな人物。

・深沼聖子
 原作に該当するキャラ無し。
 名前や髪型等のモチーフは若い頃の松田聖子より。
 改変前の時間軸ではは父親のやり方に従いアイドルをやり、その手段は問わなかった。
 改変された時間軸においては父への反発心が強まり、同じような手口は好まなくなった。
 黛冬優子のように猫かぶりな一面があるが本来の性格にコンプレックスは無く、単に受けがいいから猫かぶりをしているだけ。売れるとあれば本来の性格を出す事に躊躇は無い。
 父親の諸々の素養を色濃く受け継いだキャラクター、という裏設定がある。

・針生
 名前の由来は原作part2において中年マーティを唆し彼がクビになる原因を作り、part3終盤においてカーレースをふっかけてきたマーティの同級生ニードルスより。
 侘蔵組という名称は彼のファミリーネーム“ダグラス”より拝借。
 暴力団の構成員で武器の密輸入や芸能界への手だしなど幅広い活動で人脈を広げていた。深沼のビジネスパートナー的存在。
 乗り物酔いしやすいという弱点がある。

・Meina with Mix
 名前のモチーフは安室奈美恵とMAXより拝借。
 Meinaはナミエのアナグラム

・黒霧
 名前のモチーフは小室哲哉より拝借
 Kuromuはコムロのアナグラム
 書き始めた当初は関西弁のバンドミュージシャン兼音楽プロデューサーという設定で名前も異なっていたが「無理に2つの元ネタ要素を組み合わせる必要は無いな」と思い至り設定を変更した。



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