百合のためなら、人類滅ぼしちゃってもイイヨね!? (十八番座り)
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見知らぬ人々と国について

エヴァでお馴染みセントラルドグマが生物学関連の用語と聞いて驚いたので、初投稿(初投稿)します


 さびれたアパートの一室。少女が一人、ふすまに背中を預けて地面に座っていた。

 年齢に対しても一層小柄な自らの矮躯を細い両腕で抱えるように、体操座りで。

 

 カチャリ。

 

 空調の慎ましやかな稼働音ばかりが響いていた室内に扉の開錠される金属音が鳴った。

 程なくして等間隔な木目を踏みつける不快な音が忙しなく近づいてくる。

 少女に向けて“今はまだ同棲”と宣言した家主がオツトメを終え、帰宅したのであろう。

 

「ただいまです。アリスちゃん」

 

 玲瓏で一度鼓膜から脳幹に届けば一生涯残留するようなひどく響く声だった。

 それを合図にアリスと呼ばれた少女は膝に埋めていた顔をゆっくり上げる。

 視線の先では、黒いパーカーを着た白髪の女性が煌めく笑顔をアリスに注いでいる。

 愛おしいものを慈しむように細められた輝く緋色の眼と共に。

 

「アリスちゃんはもう夕ご飯食べましたか? 食べていないのなら、一緒に食べません? 私、まだ食べていなくて、もうお腹がペコペコなんです」

 

 言いつつ、女性はアリスと目線を合わせるようにしゃがみ込み、首筋に両手を這わせる。

 白魚のような指先はアリス取りつけられたソレを丹念に取り外すさんとうごめく。

 彼女が帰宅する度に繰り返された工程。だけれど、それがどうにも慣れなくて、堪え難くて、アリスは思わず首を左右に振って抵抗する。

 

「どうしました? アリスちゃん? そんなに暴れると首輪が上手に取れませんよ?」

 

 その言葉を聞いてアリスは唾を一度飲み込むと、無意識に握っていた拳を解き、抵抗を止めた。これが外れたとき、アリスに損はないはずなのだ。

 むしろ益しかない。冷静になれば、少しここで我慢するのが正しいのだ。

 

「はい、取れましたよ。アリスちゃんはいい子ですね」

 

 見せつけるように、取り外された鈴付きの赤い首輪をプラプラと揺らして弄び、反対の手をアリスの頭部に添えて、撫でてくる。

 それが先程以上に、どうにも居心地が悪くてアリスはつい跳ね除けてしまう。

 

「やめて、サラ様」

 

 出来得る限りに声も張って、抵抗する。

 だが、アリスと女性、サラの体格差は歴然。抵抗の要である二本の腕はサラの片手で鎮圧される。

 そして、抑止力が無くなれば勢いが増すのは覆し難い自然の摂理だ。

 サラは無言で頭髪と毛根が心配になるほど、アリスの頭を撫で回す。

 

「だ、だから、やめて、さ、サラ様」

 

 もう一度、精一杯な心境で制止の言葉を何とか紡ぐ。

 けれど、対するサラはより深く憤りを強めたようで、分かりやすく頬を膨らませる。

 

「アリスちゃん。いつも言っているでしょう? 私のことは様付けなんて他人行儀な呼び方ではなく、お姉ちゃんと呼びなさいと」

 

 頭に添えられていた手は、いつの間にかアリスの頬に移り、潰したり捻ってりして戯れ始める。

 

「それは、できない。サラ様、は、お姉ちゃんじゃない」

 

 頬を揉まれながらも俯いて、アリスは本心を漏らす。

 客観的に見た場合二人の関係は、そんな風に呼び合う関係ではないのは確かだ。

 

「むう。私たちはもう仲間だって言っていますのに。そのあたりは要矯正ですね。まあ、今はいいです。さあ、アリスちゃん。一緒にご飯を食べましょう? アリスちゃんが用意してくれたんですよね。さっきからカレーライスのとてもいい匂いがします」

 

 手を差し出してくる。

 アリスは一瞬だけ悩むも、その手を掴んで自らの身体を起こすと、サラは手を繋いだまま歩み出す。アリスもそれに釣られて食卓に向けて、共に歩み出す。

 すると、唐突にサラがアリスを見据え、一つ言葉をかけてくる。

 再び、アリスに取りつけられていた赤い首輪を見せつけながら。

 

「アリスちゃんはいい子だから理解していると思いますが、この発信機付きの首輪がないとっても逃げ出そうとしないでくださいね? もちろん私の目があるうちは逃がすつもりはありませんし。そもそも、私たちメメントモリからは逃げられませんよ? 私たちはもう仲間ですから。ねえ、アリスちゃん?」

 

 純朴なまでのグチャグチャとした瞳。そこに普段の煌めきはなく淀み濁った何かがある。

 メメントモリ。

 超存在アーリ=メラスを首魁とした、人々の心の闇から怪物を作り出し、苦海根絶のため人類絶滅を目論む悪の組織。

 その四人の幹部が一人、憤怒のサラ。

 彼女は歪んだ瞳を向けたまま、アリスの手を掴む力を強めていく。

 彼女には放すつもりも、離すつもりもなさそうだ。

 何せアリスはメメントモリの新たなファミリア候補として誘拐された少女なのだから。

 

 

 

 

 

 アリスがアリスでなかった頃。

 つまりはアリスがメメントモリに見出され、アリスと言う名前を与えられる前。

 いずれアリスになる者が、音木鈴鹿(おとぎすずか)という氏名で戸籍に登録されていたいつかのことだ。

 

 音木鈴鹿は死にかけていた。

 激しい雨の降る深夜。傘もなく彼女は、路上に倒れ伏していた。

 流石の彼女でも、雨の濡れるのは不快と知っているので、雨宿りぐらいはしたかった。だが、もう身体は彼女のいうことを聞かなかった。

 この日も何度も数え切れないほど殴られたせいか、単純に熱を始めとする体調不良が原因か。そのどちらもか。

 その気力すら、アリスでない音木鈴鹿にはなかった。

 

 或いはどちらにせよ、彼女には元よりそのつもりはなかったのかもしれないが。

 

 アリスになっても変わらないことで、音木鈴鹿の頃からだが、彼女は決断が出来ない。

 何かを決めるという行為が決定的に不得手なのだ。

 生来のものでもあり、彼女を囲っていた劣悪な環境に育てたものでもあるのだろう。

 故に彼女は基本的に他人、主に親族の命令に従うことを行動原理として生きてきた。

 殴られれろ、と言われれば何度だって殴られてきたし、

 黙っていろ、と言われれば何時までだって黙っていた。

 

 そんな従うばかりの彼女はこのとき【死ぬまで、生きろ】と命令された。

 彼女にとって母親に当たる人物の最後の命令だったように思う。

 それを遵守するために生命の危機が転がっている家だった場所を捨て飛び出した。

 けれどこの命令には、生きるため死なないよう命の限りに足掻くことは含まれていない。

 出来るだけのことはした。でもダメだった。それだけに過ぎない。

 彼女は自身の生命が急速に朽ちていくことをその程度に認識していた。

 だから、ここで落命したところで音木鈴鹿としてはまったく構わなかったのだ。

 

「ふうん。我々のファミリアの資格者がいると、アーリ様の御言葉に従って来てみれば、こんな今にも死にそうな小鹿だなんて」

 

 声がした。

 玲瓏で一度鼓膜から脳幹に届けば一生涯残留するような酷く響く声が。

 

 新たな命令かもしれない。ならば一言一句聞き逃してはならない。

 音木鈴鹿はそういう風に出来ている。積年の暗示から彼女は顔を起こす。

 

 見上げて、音木鈴鹿は自身が既に死亡している可能性を考慮した。

 霞んだ視界では白い長髪の女性が眩い緋色の両眼で値踏みするように見下ろしている。

 そこまではいい。現実として処理可能な守備範囲内の出来事だ。

 しかし騎士装束のような黒い外套に、墨を垂らしたような鉄黒の剣を携えた者を、現実の延長線上と捉えることは出来なかった。

 

 この時期でもメメントモリは精力的に活動しており、一般に広く認知されていた。

 そのためこの国で健康で文化的な最低限度の生活を過ごしていれば、ここで目の前の女性がそれに類する存在であると察することは出来るだろう。

 

「ですが、まあ、アーリ様に認められたということはあなたも持っているのでしょう。この三千世界を三度焼いても飽き足らぬ人類に対する鬱積を。そうであるというのならば問います。貴方は何を求めるのですか?」

 

 女性はそういって、手を差し出してくる。

 手を取り、起き上がり返答することを音木鈴鹿に求めているのだろう。

 熱くて、寒くて、グラグラしてフワフワする思考のなか、音木鈴鹿はそう断じだ。

 

「あ、なた、が、天使なの?」

 

 一つ聞いた。息も絶え絶えながらに求められてもいないことを。

 彼女が、音木鈴鹿が自身の内から生じた感情を理由に発言するのはいつ以来だろうか。

 否。彼女が彼女足り得る自我を獲得してから、初めてのことだった。

 純粋な興味から、誰かに言われたわけでもないのに疑問を口にするのは。

 

「ふ、ふふ、アハハハハハ! 見当違いも甚だしいわ! 私は、私たちはメメントモリ。アーリ様の意のままに人類を滅ぼす破滅の。断じて天使などではないわ」

 

 天に轟くほど不敵に笑い。

 地を貫くほど不敵に否定する。

 

「なら、あ、なたは、なに? 何をしに来たの?」

「決まっています。アーリ様の意志の元、貴方を勧誘に来たのです」

「勧誘? 誘いに、わたしを、来たの? あなた」

「ええ、そうです。ゴホン!!」

 

 肯定して、彼女はわざとらしい咳ばらいを一つする。

 正直な話。メメントモリの中で末妹にあたる彼女は、初めての勧誘に興奮していた。

 そのため、彼女は浮かれていた。過剰なほどに装飾過多な言葉を並べる程度には。

 

「断言します。貴方は人類を恨んでいる。人類を憎んでいる。人類を滅ぼしたいと願っている。だからこそ、貴方は我がアーリ様に選ばれた。よって、今一度問います。貴方は何を望んでいるのですか? 望むのなら与えましょう。私たちはそれだけの力がある。貴方は何を求めいますか?」

 

 緋色の視線が射抜くように音木鈴鹿に注がれた。

 しばらく、夜の暗がりのなか、雨の音だけが響いている。

 このまま死ぬ行くだけだった少女である、音木鈴鹿には有り得ない機会が与えられた。

 そこで、彼女は。

 

「わたしは──」

 

 

 

 

 

 ──あの日。音木鈴鹿が死んだ日。アリスが産まれた日。

 不敵の二乗の如き、凄絶なまでの笑みを見せていたサラ。

 

「うーん。美味しい。アリスちゃんは天才ですね。正義の味方なんていう時代錯誤な寒い連中と戦って疲れたからだによく効きます」 

 

 彼女は、今、カレーライスを一口食べてだらしなく、頬を緩ませていた。

 この場面からメメントモリの幹部が一人、憤怒のサラの私生活だと察せられようか。 

 彼女のパブリックイメージは処女の生き血を啜ってそうな異常者で一致しているというのに。

 

「サラ様、褒め過ぎ。アリスは天才なんかじゃない」

 

 サラはアリスのことを常に過大評価してしまう悪癖あるように思う。

 これまでの人生でアリスの料理をした経験はほぼほぼない。調理実習を除けば、アリスになってから初めてしたぐらいだ。

 加えて、アリスの調理のレパートリーは少ない。どころかサラに習ったカレーライスぐらいしか作れないのだ。

 だというのに、天才とまで評されるのは抵抗がある。

 アリスは不出来で尚且つ毎日同じ料理しか出来ないのだから。

 

「そんなことありません。このカレーライス、私が自分で作るよりも美味しく出来ていますよ?」

「違う。最初に、サラ様と一緒に作ったヤツの方が美味しかった」

 

 否定しつつ自分で作ったそれを口元へ運び、スプーンを置いて、数度うなずく。

 やはり、サラと共に作ったあの日のものの方が格段においしい。調理の手順で言えば、今回の方が複雑で煩雑なものを踏んでいるというのに。

 何かアリス自身が忘れているだけで、特別な工程があったのだろうか。

 

「うわぁ」

 

 アリスが悩んでいると、急に横からサラが飛びかかってきた。思わず声を上げてしまう。

 そのままアリスの矮躯を両腕でがっしりとホールドして離さない。

 

「何? サラ様、ご飯の最中に立つのは行儀が悪い。早く戻って」

「アリスちゃんが可愛いのが悪いから、私は悪くないです」

 

 半眼で睨み世間一般の常識を持ち出し制止を求めても、悪の組織の一員たるサラにはそんなものどこ吹く風。

 再び先程のように成す術なくもみくちゃにされてしまう。大変不本意にも。

 

「そもそも、アリスは別にかわいくない」

 

 流石に面倒になってきて、つい本音を漏らしてしまう。

 それがサラが余計に面倒になるスイッチであることは、アリスも重々承知していたのに。

 

「そんなことない!!」

 

 案の定彼女は即座にとても食い気味に否定してくる。

 ああ、やはりこうなるか。

 もみくちゃどころか、最早ぐちゃぐちゃにされながらも、頭のどこか、冷静なところでアリスは思う。

 

「白磁のような雪肌も、燃えるような紅の眠り眼も、ぶすっとして動かない表情筋も、柔らかくて優しい桃色の髪も。どれをとっても、アリスちゃんは自分を卑下する必要なんてありませんよ。だって、それは、私たちメメントモリの仲間である紛れもない証なんですから」

 

 先程までの粗雑さがまるで嘘のような優しい手付きでアリスとしての象徴たる桃髪を一房取り、目元に振れる。純粋な日本人である音木鈴鹿の頃から不自然に明るかったそれ。

 あの日、メメントモリに選ばれたのは、案外もう自分自身では自然になっていたこれが原因なのだろうか。

 表情筋が息をしていないアリスは眉一つ動かさないままそんなことを思った。

 

「わかったから、離して」

「もう、しょうがないですよね。アリスちゃんは」

 

 ようやくそこでアリスは解放される。

 サラが名残惜しそうに自らの席に座り直すのを眺めながら、カレーライスをまた一口掬って口に含む。

 そういえば何故、アリスは抱きしめられたのだろうか。悪の組織というだけあって、アリスには理解できない崇高な理屈があるのだろう。

 とりあえず、アリスは自身をそう納得させることにした。

 

「ああ、アリスちゃんテレビをつけてもいいですか?」

「別にアリスに聞くことじゃない。ここはサラ様の家、自由にする権利がサラ様にはある」

「もう、ここは私だけの家じゃなくて、私たちの愛の巣といつも言ってるでしょう。それに、食事中にテレビを見るなんて行儀の悪いことを勝手にして、アリスちゃんに嫌われたくはありませんし。さっき咎められたばかりですし。それで、テレビをつけてもいいですか?」

 

 長々とした台詞を噛むことも、詰まることもなくサラはまくし立てる。

 だが、その発言のすべてがアリスには理解できなかった。

 言語としては理解できるのだが、どうしてそんな発言をしているのかが、分からない。

 愛の巣云々は戯れとしても、どうして家主が誘拐してきた居候に許可を取る必要性があるのだろうか。

 

 どうしてが、ぐるぐるとぐろを巻く。

 サラの発言のすべてがアリスの常識には存在しないもので、訳が分からない。

 だから、アリスはいつもように言葉を返す。存在定理に従って。

 

「自由にすれば、いい。アリスはそういった」

「そうじゃなくて、私が自由にするのでなくアリスちゃんの口から許可が欲しいのです」

「だったら、命令すればいい。サラ様はそう出来る立場にある。それが命令ならアリスは従う。従うしかない、アリスにはない」

 

 返信を受けたサラは困惑をアリスにも分かりやすく伝えるように、人差し指で自らの頬をかいていた。

 そんな顔をされても、アリスに出来るのは、先程と同じ返答だけだ。

 サラもそれを察しているのだろう。しばらくスプーンを皿に乗せて、天井を見上げて思考する。

 

「では、聞き方を変えます。私は今日普段の戦闘、つまりはオツトメの映像記録を貰ってきました。アリスちゃんにも無関係ではありませんから、一緒に見ませんか?」

 

 オツトメ。

 人々が無意識的意識的に問わず抱える心の闇を具現化した存在、イビルデウス。

 それを作り出し街を破壊し、人類滅亡を目論む。メメントモリの基礎的な活動。

 アリスはそれを行うだけの才能があり、そのために誘拐されここにいる。

 つまりは、無関係どころの話ではないのだ。さしものアリスも興味がある。

 

「わかった」

「はいじゃあ、見ましょうか? あ、アリスちゃんは座っててもいいですよ? 私が支度をしますから」

 

 言うとサラは、『十分でわからせるサラちゃんオツトメ映像三』と妙に達筆な字で書かれたディスクを取り出し、レコーダーと向き合う。機械にはあまり明るくないようで戸惑いながら、作業を始める。

 

「あ、サラ様これ」

「リモコンですね。アリスちゃんは気が利きますね。いい子いい子」

 

 リモコンを受け取ると、サラはボタンをいくつか操作する。

 程なくして画面に、あの日のように黒い衣装を身にまとったサラが映し出された。

 

「おお、サラ様格好いい」

「そうでしょうとも」

 

 映像の中での勇猛な出で立ちにアリスも思わず感嘆の声が漏らしてしまう。

 そのアリスの反応に気を良くしたのか、胸を張って誇らしげに笑う。

 

 ようやくお待ちかねの映像が動き出し──

 

『丸焼きにしてやる、この雑魚が!!』

 

 ──開口一番、女性から発せられているとは信じ難い野太い怒声が室内に響き渡った。

 何の間違えでもなく、サラのものである。

 

「え? ちょっと待って、何ですこれ?」

 

 想定していたものとは百八十度方向性の違う出だしにサラは困惑の声を上げる。

 出だしで見るものの目を引くためにサラのオツトメ時の数少ない過激な発言を切り取ったのだろう。サラはそう判断した。

 

『燃えろ! 燃えろ! 燃えろ! 燃え尽きろ! 我が身を焼く憤怒を前にことごとくは灰燼と化せ! 見るだけの愚衆は死に絶えろ! この憤怒のサラを鎮火出来るなどという幻想も抱く愚か者もまた燃えろ!』

 

 映像では人々の花粉症に関する憎しみ心の闇から作られた巨大蝶型のイビルデウス、カッフーンがその両翼で空を裂き、可視化範囲まで肥大化した花粉を降らせている。

 花粉を浴びてしまった人々は涙を流し、せきとくしゃみが止まらなくなってしまう。筆舌し難く想像を絶する凶悪な生物テロである。

 指揮するは、メメントモリの幹部が一人。黒き外套と緋眼を覆う仮面を身に着けた憤怒のサラ。

 彼女が手をかざした先、剣を向けた先、瞳を注いだ先、その全てから火柱を上がる。

 正しく悪逆非道。悪の組織の名に相応しいまでの所業である。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと、止めてください。アリスちゃん見てはダメです。これはですね、現実ではありません。そう、罠なんです。私のイメージを損なわせようという、大変卑劣な正義の味方の策略です」

 

 もっとも、それを成していた当の本人はそれをなかったことにしようとしているが。

 咄嗟に立ち上がったサラはアリスの目を覆って、過激な画面から保護する。

 

「そうなの? 初めて会ったときも、サラ様こんな喋り方してたけど?」

「うぐっ。あれは勧誘のときなので、悪そうな喋り方をする義務があったのです。悪の組織の勧誘の時に人当たりが良かったら、拍子抜けでしょう? 本来の私はすごく善良。オーケー?」

「悪の組織なのに?」

「悪の組織ですが、私は善良です。ええ、だからお姉ちゃんと呼んでもいいのですよ?」

「それは、いや」

 

 冷淡に断るアリス。

 アリスにとって、そこは超えてはならない一線である。

 誘拐された側と、誘拐した側であることを忘れてはいけない。

 そうこうしているうちにショックを受けつつもサラは、リモコンを片手に映像を止める。

 姉になるため、自身のイメージをロンタリングしておきたいお年頃なのだ。

 

「ところで、アリスちゃん、私はちょっとオハナシしないといけない人が出来たので少しだけ電話してきますね。一人で食べておいてください」

「わかった」

 

 アリスの頭に一つ手置いてから、サラは携帯電話片手にリビングから出る。

 歩み行く、サラの顔に青筋が浮かんでいたはアリスの気のせいだったのだろうか。

 

 一人になった食卓でアリスは、また一口カレーライスを含む。

 思えば食事を一人で食べるのは案外久しぶりだった。

 ここに誘拐されてから、どれほどの期間が経ったかアリスは把握していない。が、食事をするときはいつもサラが居た気がする。

 音木鈴鹿のときを含めてもそんな経験あまりなかったというのに。

 

「え? なんですか! 聞こえません、もっとはっきり言え……ください」

 

 廊下からサラの声が聞こえてくる。

 さびれたアパートの防音性などその程度であろう。どころか、よく見ればリビングと廊下を隔てる扉は開いたままであるし、聞こえて当然である。

 

「えっと、このスピーカーって書かれてる、メガホンのボタンを押せばいいのね?」

『うん、そう、それで聞こえるはずだよ。聞こえてるかい?』

「ええ、それはもう十全に。それで、あの映像はどういうことですか?」

 

 十分過ぎるほどだ。サラのものとは異なる女性の声がアリスにまで届いている。

 ほぼほぼ、確実に電話相手のものだろう。

 アリスには明かせない機密事項を喋る可能性を考慮して、耳を塞いだ方がいいだろうか。

 自身の立場をある意味で弁えないことをアリスは何気なく思った。

 

『どういうことって何がどういうことなんだい?』

「エテル、アナタ、分かっているでしょうに。忌々しく白々しい。私の格好いい戦闘をまとめた映像と聞いていましたが、何ですか? あれ」

 

 わざとらしくも怪訝そうに質問するエテルと呼ばれた女性に、サラは質問を返す。

 テストでないので問題ないのだ。

 

『何って、それこそキミの憤怒のサラとしての格好いい戦闘を列挙した自信作なのだけれど? 何か問題があったのかい? 他のファミリアに見せたところ好評だったから不備はないはずだよ?』

「ええ、ありますとも。あり過ぎますとも。あの映像には悪意があります。あれでは、私がオツトメの際に暴言を振りまく、頭がおかしい人のように見れるシーンだけ切り取っているじゃないですか?」

 

『え?』

「あぁ?」

 

 ナチュラルに威圧だった。

 それ以外の何もでもない、言い訳し難いほどの純粋な威圧である。

 サラ自身のイメージでは、オツトメの際は分別を弁え無言ですべきことを執行していたはずだ。もちろん、最初の頃はそうあれなかったかもしれないが、改善を常に心がけている。

 特にアリスという、最愛の後輩が出来てからは磨きがかかってきている。

 そう、自負していた。

 今回アリスの元に映像記録を持って来たのも、他人に、アリスに見せても問題ない位に至ったと、思えたからである。

 だというのに、蓋を開けてみればなんだ。

 エテルというメメントモリのファミリアの一人からは、感情的に炎を撒き散らす異常者と認知されているなど到底受け入れ難い。

 

『へ、変なことを言うつもりはないけれど、世間様から見たサラちゃんって基本あんな感じだと、思うけれど?』

 

 だが、事実である。

 世間一般では憤怒のサラのことを、プライベートでもストレス発散になんでも焼いてそうな精神異常者として知られている。

 そして、悲しきかな。普段の素行からそれはあながち外れと言い難い。

 

「どこがですか? 第一、ワタシはあんな乱暴じゃなく、もっと冷徹に敵を焼き払っているはずです。アナタの世間サマとやらは、ワタシのことを凍れる炎のように認識しているはずです」

 凍れる炎ってなんだよ。

 お前の能力は、ただただ燃えるだけだろ。

 

 エテルはそう返しかけた言葉を喉元寸前で呑み込んだ自分を自画自賛したかった。

 

 弁護するならば憤怒のサラというだけあって、彼女の能力は感情的になった方が威力を増す。この特性を考慮すれば一応の擁護は可能だろうか。

 

『ふっ』

「アァン? なんか言った?」

 

 やっぱり擁護出来ないかもしれない。

 特にサラの自己プロデュース力の低さについては、本当に。

 

『言ったよ。流石にそれは無理があるって』

「よし、戦争だ。ぶっ殺します。表に出ろ」

『正体表したね。表にはもう出てるし、今普通にオツトメ中だから切るよ、じゃねー』

 

 エテルはそう言い残して電話が切った。

 リモート炎上カッコ物理など悪の組織のファミリアたるエテルだってしたくない。誰だってしたくない。

 

「あの野郎、逃げやがって」

 

 怒りが滲み出すような低い呻き声を漏らして、地面に携帯電話を叩きつける。

 憤怒のサラの名を冠するに相応しい苛立ちの様子である。

 オツトメ中と聞けば、さすがのサラと言っても追撃は出来ない。

 アーリ様の迷惑になり得る行動は控えなければならないのだ。

 

「はあ」

 

 行き場のない激情に溜息を一つこぼし、二、三回バウンドした携帯電話を拾う。

 怒りはまだ鎮まらない。この程度で鎮まっていれば、メメントモリの憤怒を名を冠する使徒になど選ばれるはずもないのだ。

 

「ああ、アリスちゃんにいいところ見せたかったのに。アリスちゃんに格好いいところを見せて、お姉ちゃんと呼ばれる作戦があの野郎のせいで台無しです。これじゃあ、お姉ちゃんはお姉ちゃんでも、怖いお姉ちゃんになってしまいます。それはダメです」

 

 本心。というか下心と懸念を口にする。

 客観視すれば誘拐監禁している時点で何を言っているのだ、と常人は憤るだろう。

 怒りが低下した思考速度ではそんなことにも、考えが及ばなかった。

 つまり、サラはより考えるべき眼前に問題を意識にすら留めていなかったのである。

 

「サラ様が怒るのカッコよかったよ?」

 

 頭上から声がかけられる。

 携帯電話を拾うため、身体を下ろしていたせいだ。

 普段なら下から届けられるはずの声が上から注がれている。

 そのせいで、地面の木目から顔を見出すばかりで、未だ正常に稼働しない思考はその人物を人物としてしか認識してない。

 

「お世辞は結構。アナタに言われても意味ありませんし」

 

 エテルに言われても意味がない。アリスに認められたいのだ、サラは。

 

 ──いや、良く考えてみれば、エテルとの通話は切れている。

 ここはメメントモリからサラ個人に与えられた部屋だ。居住者はサラとアリスしかない。

 サラとは自分だ。では、今、褒めてくれたのは、誰か。

 考えるまでもない。

 

「そう、アリス、出過ぎたことしたごめんなさい」

 

 思い当たって、顔を勢いよく上げた先には心なしか悲しそうに走り出す小さな背中。

 サラは、自らの失言を悟った。

 

「待ってください、アリスちゃん、違うんです。今のは少し、少しだけ言い間違えたんです。誤解が、誤解なんです、待ってください。アリスちゃん」

 

 この後無茶苦茶弁解した。

 

 

 

 

 

 それからしばらく、夜も更けてきた頃合い。

 さびれたアパートには似合わないキングサイズのベッドで眠っていたアリスは、不意に目覚めた。

 あの後サラに拒絶されたアリスは逃げ場もない室内を駆け回り、弁明しようとするサラと追いかけっこをする羽目になった。

 追いかけ合いは白熱に白熱、ヒートアップにヒートアップを重ね、疲れた両者はどちらともなく停戦を申し出た。

 そして何思ったのか、二人でもう一度カレーライスを作って仲直りということにした。

 アリスが一人で作ったもの十全に余っているというのに。

 

 思い返してみれば、当事者たるアリスにも訳がわからない。

 こんなにも意味不明な体験は音木鈴鹿の時にもなかっただろう。

 

 そんなことを思いつつ、アリスは自分の隣で熟睡するサラを見る。

 警戒のKの字もない、安寧の笑みで眠っている。

 首輪もない。今ならば容易に脱走することができるだろう。

 そんなイケナイことを思ってアリスは起こした身体を、再びベッドに沈めた。

 もう一度眠って、明日の朝、オツトメに出かけるサラを見送るために。

 今は眠らなくてはならない。

 

 けれど、どうにも首輪がないと首筋が物寂しくて上手く寝付けない。

 だから不敬と承知しているけれど、ナイショでコッソリ眠るサラの両手首を掴み、その指先を自らの首に宛がう。

 

 ──あの日。音木鈴鹿が死んだ日。アリスが産まれた日。

 

「アリスは──」

 

 何を望むのか。何を求めるのか。

 そう問うたサラに、いずれアリスとなる少女は答えた。

 

「──わたしは、使ってほしい。そして縛ってほしい。繋げて、奪って、従えて、虐げて、調べて、教えて、剥いで、抉って、締めて、染めて、管理して、閉じ込めて、最後には殺してほしい」

 

 しばらく、夜の暗がりのなか、雨の音だけが響いている。

 このまま死ぬ行くだけだった少女である音木鈴鹿には有り得ない機会が与えられた。

 そこで、彼女は答えた。

 

「ええ、もちろんです。ワタシはメメントモリのファミリアが一人、憤怒のサラ」

 

 名乗り上げたサラは雨に濡れることも汚れることも厭わずに、地面に転がる冷たくなる寸前の音木鈴鹿の矮躯を抱き上げた。

 死に行くだけだった自分を抱きとめてくれた誰かがいた。そこに善も悪も関係ない。

 

「この名に従い我が身を焼く激情のままにアナタを使いましょう。そして縛りましょう。繋ぎ、奪い、従え、虐げ、調べ、教え、剥ぎ、抉り、締め、染め、管理し、閉じ込め、最後には殺すことを此処に誓いましょう」

 

 だから、彼女は選んだのだ。

 

「絶対にアリスを自由にしないで……アリスを一人にしないで」

 

 メメントモリに従属する道を。




今回のキャラクター名鑑
アリス
本作の主人公にしてメインヒロイン。
縛られたいお年頃。
気がついたら悪の組織のさらわれていた。
自身に利益があるうちは存分に使ってくれそうなので、割と理想的な環境だと思っていたが、割と本格的に甘やかされて普通に居心地が悪い。
もっと雑に扱え。

サラ
本作のもう一人の主人公にしてメインヒロイン。
一刻も早くイメージをロンタリングしておきたいお年頃。
悪の組織のオツトメで攫いに行った少女にいつの間にかお熱を上げていた。割と何を言っているか分からないだろうが、サラ自身もあまり詳しくは把握できていない。
だが、そんなことは関係ない、愛しの彼女にお姉ちゃんと呼ばれることに比べれば。

エテル
電話相手。
煽りたいお年頃。
猛獣みたいだった同僚がいつの間にか愛とか恋とかを知って明確な弱点を得て煽り易くなったので、割とこの人が一番ウッキッキーもといウッキウキしてる。
三度の飯より、人を煽ることとドネルケバブを食べることが好き。
ドネルケバブを摂取するのは呼吸カテゴリなので、三度の飯には含まないし、実質カロリーゼロ。

余ったカレーライス
普通に美味しい水分と野菜が多いタイプのカレーライス。
生後二日目で美味しくなったお年頃。
翌日二人では食べきれないという結論に至ったので、敵対する正義の味方へと送られた。
人類滅亡を目論む悪の組織といえど、フードロスもといお残しは許されないのだ。

十分でわからせるサラちゃんオツトメ映像三
エテルが編集したサラのオツトメの映像記録。
十分といいながら動画時間が三十分程度あるお年頃。
実はこっそりエテルによっていくつかの動画投稿サイトに【野蛮】十分でわからせるメメントモリ、憤怒の使徒サラまとめ3【最高品質】として投稿されている。
これのせいもあってサラのパブリックイメージは野蛮人として認知が広範囲に決定的なものになってしまった。


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不思議な話 前編

必須タグのアンチ・ヘイトを、ヘイト描写に対するアンチ的な要素を含んでいるという意味不明な解釈をしていたので、初投稿です。


 何でも揃う利便性から地域住民の生活に深く食い込んでいる、大型ショッピングモール。

 休日ということも相まって多種多様な人々が各々の目的に従って行き交っている。

 家族で買い物に来ている両親と、その子供たち。

 友人同士で集まってゲームや談笑に興じている青少年のグループ。

 初々しさの残る付き合いたてほやほやと思しきカップル。

 和やかで、この国のどこでも見られる穏やかな日常の一幕。

 

 だがそのなかでも悪の組織、メメントモリは人類絶滅に向けて着実に暗躍している。

 

「ねえ、サラ様」

「なんですか?」

 

 この日。アリスはサラに、メメントモリにさらわれてから初めて外出をしていた。

 理由は至極単純。アリスもいずれ果たすことになるオツトメを学ぶためだ。

 基礎的な面は大よそ把握しているので、詳細は実体験で確認しようという趣旨である。

 

 逃げ出さないようにサラと共にいるのに首輪を着けられているという状況に言いようのない高揚感を覚えていたアリスだったが、そんなものアパートを出て十分で霧散した。

 内心に抱いた違和感が確信に変わるのを感じながら、隣を歩くサラに尋ねる。

 

「アリスは、みんなにヘンと思われてる?」

 

 無遠慮というか、好奇心というか。

 道行く人々はアリスを見かけると様々な視線を投げかけてきた。

 音木鈴鹿の頃は道行く人々から視線を逸らされてばかりだったので、困惑してしまう。

 

「そんなことありませんよ、アリスちゃんのかわいさに皆、虜になっているだけです」

 

 サラは否定するもののアリス自身どうにも釈然としない。

 アリスの浮いた容姿から注視されているのでは、という考察もした。

 けれど、これはそうじゃない。

 

「これ、アリスのかわいさじゃない気がする」

「そんなことありません。アリスちゃんの可愛さは天下一品です」

 

 というか、好奇の目を向けられる理由をアリスは本質的に理解しているのだ。

 

「サラ様。アリスたちはオツトメに行くんだよね?」

「ええ、そうです。私たちはイビルデウスを生み出すにたる心の闇を持った人物の元へ、向かっています」

「なら、サラ様。質問してもいい?」

「はい。アリスちゃんからの質問ならなんでもバッチこいです。もしかして、私のことお姉ちゃんと呼びたくなりましたか?」

「違う」

 

 それだけはあり得ないと、否定してアリスはサラの数歩前を行き振り向く。

 主人の前を歩くのはどうしてもためらわれるが、それでも普段通りのパーカーに珍しくフードを被るサラを見据える。

 

「何でアリスはメイドさんの服を着せられているの?」

 

 無理矢理着せられたクラシカルタイプのメイド服の裾を掴みながら、アリスは問うた。

 サラは目を逸らし、答えなかった。

 いや、問われた瞬間吹き始めたひどく下手な口笛が返答なのだろうか。

 

「サラ様?」

 

 もう一度詰問の意を込めて小さく名前を呼ぶ。

 すると先程まで以上に緋色の瞳を眼球の大海原で泳がせた後、サラは──

 

「……言い訳をさせてください」

 

 ──言い訳と断言してその場で神速の如き勢いを持って、土下座をした。

 衆目がごまんといるショッピングモールの真ん中で、何のためらいもなく。

 正直使われる側として、少しは躊躇してほしかった。

 注目されるのがイヤになって、服装について指摘したのにこれでは逆効果である。

 やはりアリスは自らの意志で行動すべきでない、管理されるべきだ。

 首筋に触れて自身のくだらなさと不甲斐なさを体感しながら、質問をする。

 

「えっと、それで、言い訳は?」

 

 わざわざ、土下座するぐらいなのだからこの人にも何か常人には理解し難い深謀遠慮の思惑があるのかもしれない。

 

「ねえ、アリスちゃん。少しおかしいと思わない?」

「何が?」

「私こんな不審者みたいなことしてるけれど、まだ職務質問受けてないでしょ?」

「自覚あったんだ。でも、確かに、誰もサラ様、気に留めてない」

 

 よく見れば、道行く人々はアリスの奇特な格好に一瞥くれるが、土下座するサラには異常なほどに無関心だった。

 面白いという理由で携帯電話のレンズをサラに向ける人は一人もいない。

 そもそも往来の人々がサラの存在を認知しているのかさえ怪しいものだ。

 

「そう、これこそ、パーカー型イビルデウス、メトマラーヌの能力です」

「め、メトマラーヌ?」

「ええ、そうです。このイビルデウスのフードを被っている人物は、周囲の人から上手に認識されなくなる能力です」

 

 能力の強力さなどを打ち消すほど、すごく粗雑なネーミングだと思った。

 口語で言われるとそれっぽく聞こえてしまうが文字に起こすと、目留まらぬ。

 名は体を表すというが、これは表し過ぎではなかろうか。

 もっとも、そんなことは前回映像記録で見たカッフーンの時点で感じていたが。

 

「これのおかげで、私たちメメントモリが普通に生活していても、身バレせずに活動できているのです」

 

 悪の組織も身バレを気にしなければならない、世知辛い時代である。

 いや、反社会的な組織に所属する以上は何時の時代も衆人環視を気にすべきであろうか。

 

「アレ?」

「どうしました?」

 

 ここで一つアリスは違和を感じた。

 アリスの知るイビルデウスとは、メメントモリの生物兵器としての怪人だ。

 けれど、実際はどうだろうか。

 初めて肉眼で捉えたイビルデウスである、メトマラーヌが生きている様子もない。

 

「イビルデウスってこの間の花粉てふてふみたいに生き物じゃないの?」

「蝶々のことを、てふてふって……まあ、いいです。いいところの気が付きましたね。確かに世間一般ではイビルデウスは怪人のようなものと認知されています。ですが、本質は具現化した心の闇でしかないのです」

「つまり、そのメトマラーヌ? みたいに服とか、怪人じゃないもの作れるってこと?」

「正解です。アリスちゃんは賢いですね。ちなみに私の普段使っている武具や、今アリスちゃんが着ているメイド服も分類上はイビルデウスなんですよ?」

 

 流石に土下座をやめたサラが立ち上がり、称賛の意味を込めてアリスの頭を撫でる。

 すぐさま振り払われてしまったが。

 

「これも?」

 

 アリスは袖を掴んでしげしげと見詰めながらその場を回る。

 イビルデウスと知って物珍しく思っているようだ。

 

「ええ、それは確か、メイド服を着た女の子こそが最強であらねばならないという心の闇から作られた、身体強化と物理保護機能付きの高性能メイド服型イビルデウス、メイドレスです」

 

 どんな、心の闇だよ。

 

 この心の闇からメイドレスを採取したときは、そのように引いたのを運良く覚えていた。

 だが、サラはアリスの姿を深く観察して、今では感謝している。

 グッジョブ。

 お前の心の闇は、最強にかわいい女の子が着ているぞ、と。

 

「でも、よくアリスのサイズの服があったね」

「ああ。具現化して着れるとは言ってもイビルデウスですからね、メイド服であるという基礎概念から外れなければ、ある程度はサイズや裾の長さ、半袖か長袖か、カチューシャの有無ぐらいは自在に調節できます。こんなふうに」

 

 サラがメイドレスに触れると、生地の色が黒から赤へ瞬く間に変色する。

 本来ならスカートを強制的にミニスカートにしたり、タイツを消して生足を晒させようか、なんて企んでいたが、良く考えれば往来なので自粛した。

 どこの馬の骨とも知れぬ人間どもに見せる理由がサラにはないし、見せるつもりない。自分だけが知っていればいいのだ。

 というか、往来?

 

「サラ様? アリス、今確実に注目されてる」

 

 目の前のアリスが目を細めてこちらを見詰めてきていることにサラはようやく、気が付いた。

 

「……あはは」

 

 往来で、何のイベントでもなくメイド服を着た桃色髪の少女が居て、彼女の服装が道理なく変色すれば、注目されて当然だ。

 自身には普段からメトマラーヌの効果がかかっているため、すっかり忘れていた。

 初夏も向かえていないというのに、玉のような汗が一つ額から流れる。無論、冷や汗だ。

 

「アリスちゃん、早くこれを着てください!」

 

 そういって、サラはカバンから雑多に畳まれた黒い衣服をアリスに急いで差し出す。広げてみれば、それはサイズと指し色が違うだけのお揃いのパーカー。

 

「これはメトマラーヌ?」

「そうです。えへへ、ペアルックですね」

 

 サラの戯言を聞き流しつつメトマラーヌを羽織りフードを被ると、遠巻きに眺めていた人々は途端に興味を失くしたように、その場を立ち去っていく。

 不自然な喧騒を持っていたショッピングモールの広場は、普段のあり様を取り戻す。

 

「……これ、アリスの分もあるのなら、どうして最初から渡してくれなかったの?」

「一度メイド服という目立つ格好をしてから着用すればメトマラーヌの効果が比較的容易に実感できると思いまして」

「ごめんなさい。アリス何も考えてなかった」

「いいんですよ。アリスちゃんが謝ることじゃないので」

 

 しゅん、と顔を俯かせてしまったアリスの頭をフード越しに撫でる。

 今回ばかりは甘んじて受け入れよう。使われる側に関わらず、主人を疑ったのだから。

 なんて、アリスが思った矢先、サラが言葉を付け足した。

 

「ですが、私もいろいろ考えているです。アリスちゃんに自然にメイド服を着てもらうために。効率重視ならジャージ型イビルデウスの方が効果が強いんですけれど、やっぱりアリスちゃんはメイド服の方が似合いますし」

 

 本来ならばジャージ型イビルデウスであるウンドーセーヨの方が身体強化能力で言えば高水準なのだが、やはりアリスに着せるのならば断然メイド服もといメイドレスだ。

 たださえ可愛いアリスにファンシーなエプロンドレスであるメイドレス足せば最の高。

 そしてそこに普段動かない表情に羞恥の彩りが加われば、最高を通り越して、最の神だ。

 

「え?」

「あ」

 

 なんて内心がどこまでかは分からないが漏れてしまっていたようだ。

 先程まで撫でられるがままだったアリスが、腕を振り払ってこちらを見詰めてくる。

 失言しました、と言わんばかりに緋眼を丸めて口を半開きにするサラにアリスは確信を深め、彼女をじっと、見遣る。

 その無言の詰問にサラは先程のように視線を左右に泳がせた後、溜息を一つ漏らして、それから口を開いた。

 

「えっと、ですね。本当のことを言うと、メイド服を選んだのは私なりの誓いなんですよ」

「誓い?」

「そうです。メイド服というものは元来、エプロンを外すと黒一色で喪服に思わせるデザインでして、主人と従者の間で、所謂“男女のマチガイ”を防止するための服装なのです」

「そうなの? はつみみ」

「そうです。そして、そういう意味合いを持つメイド服をアリスちゃんに着せることによってアリスちゃんを私は健全に使うと、そして縛ると。繋ぎ、奪い、従え、虐げ、調べ、教え、剥ぎ、抉り、締め、染め、管理し、閉じ込め、最後には殺すことを誓う。その象徴なのです」

「そっか、そうだったんだ」

「そうですよ」

 

 アリスはサラについて、端的に言って陽気な人物と認識していたがそれらを改めた。

 きっと、様々な思惑や思考の末にあのように、例えば姉と呼ぶよう強要してきたり、していて、無駄というものは少ないのだろうと。

 だから、不可解だったあの行動にも、あるいは意味があったのだろう。

 そう思って、尋ねてみることにする。

 

「じゃあ、家でこの服を初めて来たとき鼻血を流してたのは、どんな理由があったの?」

「最初に言いましたよね? 言い訳だって。そういうことです」

 

 あるだけ胸を張って、宣戦布告の如き大胆不敵さで、清々しいまでの開き直りだった。

 アリスもこれにはさすがに返す言葉もなかった。

 




イビルデウス
人々の心の闇から作られる存在。
心の闇とは人に言えない、自分でも自覚していない深層心理のこと。
なので、必ずしも重たいものである必要性はない。

メトマラーヌ
フードで顔を隠すのがカッコイイという心の闇から生まれたパーカー型イビルデウス。
このフードを被っていると周囲の人間の認識を歪め、どんな奇抜なことをしても気に留められなくなる。透明人間になっているのでなく、認識こそしているが背景の一部のように見てしまう。いしころぼうし。
便利すぎて、この心の闇の持ち主(当時、中学二年生男子)がメメントモリのファミリア全員分獲得するまで襲われた。かわいそう。

メイドレス
メイド服を着た女の子こそが最強であらねばならないという心の闇から作られた、身体強化と物理保護機能付きの高性能メイド服型イビルデウス。
ちなみに男が着るとあたまがおかしくなって死ぬ。
逆に女装が相当エキサイトしている男の娘が着用した場合のみ、光と闇がベストマッチを引き起こし、サイコウサイゼンサイダイサイキョウ・メイドレスに進化する。
TS男子が着た場合は現在審議中とのこと。

ウンドーセーヨ
ジャージ型イビルデウス。お前せっかくジャージを着てるんだから楽な格好としてだけじゃなくて少しぐらいは運動しろよという心の闇から生み出されたイビルデウス。
着ているだけで高水準の身体能力が得られる、インチキじみたジャージ。
ちなみにこの服を着た状態で一日寝過ごすと、ペナルティとして、運動をしてもないのに筋肉痛になる。地味だがやらしい。

カッフーン
前回普通に紹介し忘れた子。
大型の蝶のような見た目で、人々の花粉症を憎む心の闇から産まれた。
花粉を降らし、触れたものを体質などを問わず強制的に花粉症にする。
凶悪であるが、このイビルデウスを撃破すればカッフーン由来の花粉症は直るのが唯一の救いか。


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