魔法先生ネギま!─紙使い、綾瀬夕映の事件簿─ (うささん)
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1話 紙使い、綾瀬夕映「我思う、ユエに我あり」

 お爺様が亡くなりました。私が小学生の時です。名は綾瀬泰造。哲学者でした。

 遺されたのは古い本たち。私を本の中に誘ってくれた人は彼らを置いていなくなってしまいました。

 私の名前は綾瀬夕映(あやせゆえ)──幼い時に発現した「本の中に入る程度の力」を手にしてしまった者。

 本の中は楽しい。

 本の中は冒険に満ちている。

 本の中は物語がある。

 そう、それは真実だ。 

 しかし──

 

「あら夕映ちゃん、ずいぶんやつれたねえ」

「アラキのおばさん、こんにちは……お構いなく。一昨日から本に食べられちゃってました。えへへ」

「昨日からお友だちがずっと探してたわよ!」

「あー、仕方ありません……謝ります……」

 

 図書館島の司書を務める荒木さんに力なく返事を返し、夕映はボロボロの体を引きずって朝日を拝んだ。

 太陽がまぶしくて辛いです。時計を確認してがっくり肩を落とす。

 困ったものです。現実ではこうして時間が流れているので、本にうっかり呑み込まれてしまった暁にはこうして御前様になりがちであるというか……

 

「そして、またもや一つ本の力を手にしてしまうとは困ったものです……」

 

 夕映が脇に抱えるのは分厚い本である。鉄板の装丁が施された、それって武器では? と思うような本は夕映の私的魔本だ。

 祖父から受け継いだもので、それを魔法の品とは知らずに使っていた。

 紙を操る技は祖父から習った。本に呑み込まれないように強くあるように育てられた。

 おかげで人のことはさっぱりわからないことになったが、夕映的には問題ない。本に囲まれていれば満足なのだ。

 

「収納……」

 

 本を掲げ唱えるとみるみる本は手の平コンパクトサイズになる。本には鎖が繋がっている。夕映は鎖を首にかけてミニチュアサイズの本を胸元に吊るす。

 悪い人には決して渡してはいけないと戒められずっとそれを守り通している。

 こうして私はお腹をグーグー言わせながら寮に何とかたどり着き待っていた洗礼を受けるのです。

 目の前の宮崎のどかに早乙女ハルナは図書館探検部に所属するクラスメイトである。

 のどかは親友でもあるので実に気まずいことです。

 

「夕映~~!? どこ行ってたの? ホントに心配したんだよぉ」

「まあ……ゆえ吉はいつものやつでしょう。あんた本読み始めると話しかけても反応しなくなるもんねぇ。まさか丸一日図書館島にいるとは思わなかったけど」

「まことに申し訳ない限りです」

 

 ハルナは適当に流しているが、のどかは本当に心配している。これはドリンクの一つでも奢らねばなりますまい。

 あ、小銭がない……

 

「模試テスト」

 

 ハルナがボソッと呟き夕映は頭を抱える。

 

「はぁわぁぁぁ~~」

 

 最悪デス!? 私がいない間に? 

 

「学年変わるのに、ねーよ」

「恨むですよ」

 

 ハルナにジト目で返す。

 もう一年生ではありません。今日から二年生に進学しました。

 うちは小中高エスカレーター方式で進学するのでテストくらいでどうこうはありませんけどね。

 路面電車に乗り込んで我が麻帆良学園に向かえば、朝のいつもの喧騒に呑み込まれる。

 

「新しい先生ですか? ふうん……興味ないですが」

 

 ハルナが職員室から仕入れて来たらしい新情報である。どこに配属されるのかまではわからないらしい。

 若い先生なのは確実ですね。

 

「そんなこと言ってイケメンだったらどうする~? んー?」

「どーもしません。男でも女でも」

 

 ハルナがうざい。性別って重要です? 年上の教師との恋愛はご法度ですが、たいがい本気になるようなものではないでしょう。

 

「男の人なの? 女の人がいいなぁ……」

 

 のどかは男が苦手です。昔から一歩引いて怖がっています。

 小学生の頃は手を握っただけで卒倒ものでした。たぶん、今でも変わっていません。

 

「のどか、そんなことではダメです」

「そうそう、のどかももっと男になれて魅力に目覚めなさい!」

「ええ……?」

「ほらほら、こういうの見て、ね」

「ひゃあん!?」

「ハルナ……それ同人誌。その男たちは違います」

 

 その本には裸の男たちが絡み合っている。車中堂々同人誌見せるハルナにドン引きの夕映である。

 

「あ、みんな、おはよう~」

 

 窓の外にスケボーに乗る近衛木乃香がある。軽快に乗りこなしてこちらに手を振っている。

 ツインテールがトレードマークの神楽坂明日菜も一緒にいる。

 明日菜と言えば高畑先生ですね。去年担任でしたが明日菜のアタックは尽く空振りでした。

 去年の担任の高畑先生は可も不可もない妥当な教師だ。

 新人は面倒だ。放っておいてくれればいいのだけれど。教育バカだったら相性は最悪といえよう。

 学年きってのバカレンジャーが一人とは綾瀬夕映のことである。勉強は大嫌い。

 着いた。降りよう。

 路面電車から降りて振り向けば、何だか明日菜が小学生と絡んでる。

 たまに降りるとこ間違えちゃう子がいるいる。この先は女子ばかりの学区である。

 麻帆良学園の門をくぐればさっそくクラスメイトと並んだ。

 

「あれー、夕映ちゃんどうしたの? 昨日行方不明してたよねえ?」

「マッキー、それは聞かないで……」

 

 佐々木まき絵ことバカピンクは体操部所属。バカレンジャーの一人である。

 テストの結果が最悪なときの居残りといえば夕映と共に常連であった。

 

「なんだか調子出ませんねぇ……フワぁ……」

 

 肩を落として夕映は教室に入るのだった。

 どうやらA組は今年もみんな同じクラスで引っ越しらしい。馴染みの顔ばかりがいる。

 そして高畑と共に新しい先生がやってきた。

 

 

「ウェールズから来たネギ・スプリングフィールドです。皆さん、よろしくお願いします!」

「うーん……」

「ありえねえ……小学生が教師とかありか」

 

 何だか聞こえてくる隣席の長谷川千雨の独り言は聞き流す。

 元気に挨拶したお子ちゃま先生は思い切りトラップに引っかかっていたものの、新しい教師が小学生という事実は夕映にはさほど衝撃ではなかった。

 

 今日のドリンクチョイスを何にしようか考え中なのです。

 麻帆良に出回っている不思議ドリンクは麻帆良だけにしかないもので月ごとに変わるから全部飲むには常に自販機をチェックしなければなりません。

 ああ、もうみんなで質問攻めですねえ……

 一〇歳で先生になれるということは、勉強できるというか、大学出てるということですか。ネギ・スプリングフィールドさん……

 勉強しまくるなんて到底自分には無理です。耐えられそうにありませんが、きっと天才なのでしょーか?

 バカレンジャーを合格ラインまで引き上げたら認めなくもありませんよ?

 何せ五人いますからね。一人やられたくらいでは、あいつは四天王でも最弱。我らに勝てるものか~とか言えちゃいますからね。

 

 それと犯罪レベルのショタ属性を持つ委員長こと、雪広あやかがネギ先生にご執心のようだ。

 スタイル良し、勉学良し、加えて美人と非の打ち所がないが、何故か学年一のバカレンジャーの筆頭である神楽坂明日菜をライバル視している。

 この二人はいつも戯れています。賑やかでうちのクラスの恒例行事となっています。

 

「ああ、喧嘩は止めてください~~」

 

 二人が争い、高畑先生が止めて大喜利お終いですねーと思ってたらネギ先生がくしゃみをして……

 明日菜がスカートひん剥かれてみんなびっくりです。

 

「はい?」

 

 いえ、もうわけわかりません。くしゃみなのです?

 これは注目案件ですねえ。 

 授業が始まってからも、またもや委員長と明日菜さんが大騒ぎを起こし、そんなこんなで新任先生の初の授業は終わりました。

 新人を歓迎するのは恒例行事です。みんなで買い出ししてパーティの準備をします。

 私とハルナはクラッカーの買い出し係と決まりました。

 のどかは図書の用で別行動です。

 

「ハルナ、クラッカーなら以前クリスマスパーティーで使ったのが大量にあるはずです。買い物行かなくても倉庫から取ってくればよいかと。後で補填しておけばバレません」

「ああ、それいいね。早速行こう」

「高畑氏をだまくらかして鍵を手に入れましょう」

 

 移動するのは構内と外を少しだけだ。目的の物はすぐに手に入った。

 なお、ちゃんと説明して使用許可を得たものである。二人はクラッカーを詰め込んだ袋を持って教室まで帰る。 

 

「ラッキー、ラッキー。どういうわけかここにお金が~ ペン欲しいなぁ」

「ハルナ、それは横領です」

 

 本気ではないにしてもハルナに釘をさす。

 

「いやいや、しないって」

 

 手を振って否定するハルナを夕映はジト目する。

 

「あそこ突っ切って近道しようよ」

「オーケーです」

「お、のどかじゃん?」

「あー、いた……」

 

 向こう側に本を山盛り持ったのどかがいた。気が付いてこっちに手を振った。

 あ、本のバランス……

 落ちそうになった本をのどかがバランスを取ろうとしてこける。階段の下はコンクリートだ。

 

「あ……やば」

「のどか!」

 

 慌てたハルナが駆けだして、クラッカーの入った袋を放り出し夕映は咄嗟に胸ポケットの紙束を掴んで放り投げた。

 

「行けっ!」

 

 それは意思があるかのように飛んでいた。紙が落ちるのどかを取り巻いて支えようとする。その瞬間、見えない力が夕映の紙を弾き飛ばしていた。

 

「っ!?」

 

 見えない力が放たれた先には杖を持った赤毛の少年がいる。

 ネギ先生?

 のどかの体が浮いたまま落ちずに停滞し、体を滑り込ませたネギがのどかの下敷きとなっていた。

 明らかに不自然な瞬間だが、それよりものどかの方が気になる。

 

「のどか! 大丈夫っ!?」

 

 ハルナが駆け寄ってのどかの様子を見る。

 夕映はほっと一息ついて落ちた紙を拾い上げた。ただ切っただけの短冊であるが紙使いが扱えば千万変異の力を発揮する。

 紙使いは紙を通して術を使ういわば魔法使いである。

 ネギ・スプリングフィールド……何者なのです?

 前を見ればそこに神楽坂明日菜がいる。彼女もどうやら目撃者のようだ。

 

「良かった、ケガはないようですね」

「すごいよ先生。度胸あるね! 怪我してない?」

 

 ハルナが差し出した手をネギが握り返して起きる。のどかは気絶しているようだ。 

 

「ええ、大丈夫です。ええと……」

「早乙女ハルナです」

「あれ……わたし?」

「のどか、どっか痛くない?」

「ううん、大丈夫……」

 

 すぐにのどかが目を覚まし夕映がのどかを起こす。

 

「ちょっと来なさい!」

 

 明日菜がネギをかっさらいどこかへ連れていく。

 ネギ先生を詰問する機会を失うものの、今はのどかを安心させないとね。

 念のため……

 

「目」

 

 そう念じた言葉が夕映の手元の紙に描かれる。そして飛んで消えた二人を追ってすぐに見えなくなる。

 

「のどか、本は任せるです。ハルナと保健室に行って」

「うん……でも、私」

「行くです」

 

 夕映は目力込めて二人を保健室に行かせる。落ちた本を拾いながらリンクさせた「目」に繋がる。

 映像が見える。問い詰める明日菜とあたふたするネギ。

 残念ながら音声までは拾えないが、再度杖を持ったネギが何かの呪文を発動させそれを明日菜に向けている。

 そして明日菜の「パンツが消えた」。直後にその場に高畑が現れ目のリンクが切れた。

 

「っ!? くぅぅ……なんかツボにはまったデスぅ。明日菜のパンツを消した……」

 

 笑いをこらえて夕映は座り込む。しかしあれは確実にこの世界の理から外れた力である。

 何て興味深い。これは研究対象ですね。安易に言うなら彼は魔法使いと呼ばれる人たちのようです。

 海外のことはわかりませんが、ウェールズはシャーマニックなにおいがしますね。

 

「何せ、新人先生が「こちら側」で小学生なのですから。よいしょ」

   

 本を抱えて夕映はその場を後にする。

 その後の歓迎会は何も起こらなかった。みんなが芸を披露して、ジュースを飲んでお菓子を食べて、保健室に行った二人も無事に戻ってきた。

 お料理研のお手製料理が振るまわれ、夕映の特製ドリンクがネギに炸裂する。

 

「ぶっ! これなんですか?」

 

 舌を覗かせてネギが困った顔をする。

 

「ふ、ホット・コーラです」

「ホット・コーラだよ、先生」

 

 ドヤ顔でハルナと夕映が答える。

 

「ホット・コーラですかぁ……」

「夕映は変な飲み物大好きだからね!」

「ふふ……麻帆良ドリンクドクトリンなのですよ」

 

 二人顔を合わせて笑う。

 

「なんだか、わけわかりませんね……」

 

 一つやり返して満足すると壁の花ののどかの隣に並ぶ。

 

「もう平気です?」

「うん、平気。ごめんね、心配かけて」

「うん。問題ない。ネギ先生が助けてくれたんですよ?」

「あ……そ、そうだね。お礼言わなきゃ……」

「今は止めといた方がいい」

「そうだね、また今度かな……」

 

 恩人のネギ先生は人に囲まれている。内気なのどかでは声をかけにくい雰囲気だ。

 

「今年は楽しくなりそうですね」

「うん、そうだね」

「帰ろっか?」

「うん帰ろう」

 

 二人は教室を抜け出して帰宅の途につく。そんなこんなで夕映の新学期は始まったのであった──



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2話 惚れ薬と恋心

 紙使い──古くは陰陽道の「式紙=式神」に繋がる系譜である。

 祖父の綾瀬泰造は哲学者であり紙使いでもあった。本に潜む魔物「本喰らい」を専門に退治し、多くの書籍を人々に解放してきた。

 一学者でしかなかった彼は若い頃より優れた紙使いであったが、その道に足を踏み入れたのは孫娘が誕生した頃だ。

 つまり私のことだ。

 人の魂を喰らうのが本喰らい。私が「本に導かれる存在」であると知ったときから祖父の戦いは始まった。

 本喰らいにとって私は絶好の獲物だ。捕食される者としての運命に立ち向かえるよう祖父は私に紙使いの技を教え込んだ。

 それが今の私──綾瀬夕映だ。

 

「我思う、ユエに我あり……」

 

 自分を信じ、決して目をそらしてはいけないよ。それが祖父が残した言葉。

 本に呑み込まれないよう、ただ一つの手段は自分が在ることを強く認識することだった。

 暗い部屋で夕映は目を覚ます。近い天井と、下からはルームメイトでもあるのどかの定期的な寝息が聞こえてくる。

 体を起こし、胸元の鎖に触れ本をなぞる。アクセサリーの擬態している間、その本は滑らかな手触りを伝えてくる。

 この魔本が夕映の命綱だ。祖父の最後の形見でもある。

 今日も普通と普通ではない日常が混ざり合った一日が始まる。夕映は起きだして制服に着替える。

 

「ん……おはよう~ ゆえ~」

 

 のどかがまどろみから目覚めた頃に夕映はもう着替え終わっている。朝日が眩しくてのどかは目を閉じる。

 

「のどか、起きるですよ。今日はネギ先生にお礼を言うのですよね?」

「ええ……うん」

 

 昨日はみんながいてネギ先生にお礼を言うことができなかった。

 それに男の人に触れられてしまった。とうてい一人では言えそうにもない。

 

「男の人と話す練習です。相手は小学生。怖がる相手じゃありません」

「そ、そうだね……」

「じゃあ、のどか改造計画発動です」

「かいぞー?」

 

 夕映が笑って起きたのどかの髪にくしを通すのだった。

 朝食を済ませて寮の前でハルナと会う。通学はだいたいこのメンバーである。

 

「あれー? のどか、いつもと違うー。めっちゃかわいー」

「かわいい……?」

「ネギ先生にお礼を言いたいので勝負してみたのです。のどかが」

 

 ハルナにピースで夕映が返す。

 いつもと違うのどかはちゃんと顔を見せている。ファンデーションは軽めにリップクリームも塗ってあげた。

 お前も化粧するのかと言われると返答に困りますが、クラスの人間の会話を聞いていれば自然とそういう物も手が出るのです。

 あ、リップクリームはハルナからのもらい物ですが。

 

「勝負……おわ、のどか、もしかして恋しちゃったのー?」

「え、ち、違うよぉ……」

「春じゃなくても男の人と普通に話すいい機会なのです」

「納得」 

「あ……」

 

 夕映は携帯のメールを確認する。

 

「どしたん、夕映?」

「何でもないです。午後は学園長室に行く用事ができました」

「学園長室? 何かしたん?」

「いいえ、全然……」

「バカブラックすぎて呼び出しかぁ」

「違うけどノーコメントです」

 

 夕映はハルナの追及をかわす。

 

「じゃあさ、どのタイミングで告白する?」

「大きな木の下でどうでしょう。必ず想いが伝わるらしいです」

「伝説の木の下キター!」

「ハルナ……夕映も、そういうのと違うから……」

「わかってます。冗談ですから」

「あー、路面電車遅れるよ」

 

 三人はいつも通り、直通の歩きではなく少し遠回りしてから路面電車で学園へ向かう。

 町の中を見ながらの通学は夕映のお気に入りの風景である。時間があるときはゆっくりできるので好きだ。

 運賃も学割定期でほぼ一律とお得である。

 なお、遅刻ギリギリの時は普通に真っすぐ向かいます。 

 今日もA組は大盛況です。大喜利劇場とも名高い我がクラスですが、昨日の今日で明日菜っちがまたネギ先生に制服を引っぺがされております。

 授業の後にネギ先生を探します。

 

「あそこにいるのネギ先生じゃん?」

「いましたね」 

「あわわ……」

 

 まだためらうのどか。これは背中を押さないと一生話しかけられません。

 ネギ先生は外の木の下で休憩中か座り込んでいる。

 

「あの、ネギ先生?」

 

 先陣はハルナだ。

 

「はい、何でしょう?」

「すいません。さっきの授業でわからなかったことがあるのですが、よろしいですか?」

 

 ふむふむ、そういう切り出し方か。グッジョブです、ハルナ。

 

「いいですよ、出席番号一二番の早乙女ハルナさん」

「いいえ、私じゃなくてこの子が……」

 

 ハルナがのどかの肩を押し出して前に出る。

 

「こ、こんにちわっ!」

 

 のどかがお辞儀して言葉を懸命に探す。

 

「宮崎さん、印象変わりましたね。髪型変えました? 似合ってますよ」

「でしょう先生? すっごく可愛くなりましたよね? この子顔出せばすっごく可愛いんですよ!」

「そう可愛くなった。私の手腕のおかげです……」

 

 さりげなく夕映も功績をアピール。

 

「そうですね、可愛いです!」

「っ!?」

 

 ネギの言葉に顔を真っ赤に染めてのどかが走り出す。

 

「あれ、質問は……」

 

 ハルナがのどかを追い、ネギの視線を受け止めて夕映が「では、失礼」と返して二人を追うのだった。

 

 

 午後の時間になり夕映は用事を思い出す。のどかはあれから少し落ち着いていつもの雰囲気に戻った。

 

「結局、お礼はまったく言えてませんが、次の機会があるということです。一歩前進ですね」

「あはは……」

「じゃあ、用事を済ませるので消えます。また後で……」

「後でね、ゆえー」

 

 手を振って二人は別れて夕映は学園長室に向かう。中に入って学園長の近衛コノエモン氏(どう書くんだっけ?)と対面する。

 近衛木乃香の祖父だが夕映は昔から面識があった。祖父の泰造のことも学園長は良く知っている。祖父の葬式にも顔を出していた。

 

「綾瀬君、ここの生活は慣れて来たかね?」 

「はい」

「このかとも仲良くしてくれているようで、いい友だちができて良かった良かった」

 

 学園長が気に掛ける孫の木乃香は関東の麻帆良学園に編入されるまでいろいろとあったようであるが、それは夕映の知らぬことである。

 呼ばれた理由はそういうことではないでしょうね。

 

「変わったことは最近起きているかね?」

「いえ……特に」

 

 昨日帰ってきたところですが……そのことを上に「報告」はしていなかった。

 

「先日見回りに顔を出さなかったと報告を受けてな。心配しておった。何かあったのではないかとね」

「申し訳ありません。私事で行けませんでした……私はクビですか?」

 

 夕映は学園長を真っすぐ見て問う。

 これは学園長と生徒の会話ではない。麻帆良学園が持つもう一つの裏の顔である見回り組のことである。

 魔法都市麻帆良を支える結界の中心に学園はある。麻帆良は関東における魔法使いたちの拠点なのだ。

 綾瀬夕映は見回り組に所属する一員として学園都市の治安に関わっている。

 もっとも相手にするのは普通の犯罪者などではない。霊的に守られた麻帆良を害する者を監視し、時にはご退場いただくために存在するのが見回り組の仕事だ。

 一般犯罪に関わるようなことは警察の役割である。法的に夕映は学生に過ぎず、誰かを裁くような権限は有していない。

 魔法使いによる相互ボランティアから成り立っているので、活動に参加しなくても罰せられるようなことはないが、関わる者は責任感がある者も多い。

 夕映の連絡なし単独行動が注意されるであろうことは覚悟済みである。

 

「そのようなことはない。君のお爺さんの泰造さんとは昔から付き合いがあった。彼はその力をずっと封印してきたが、君が生まれてから彼はこちらの世界にまた関わることになった。君を守るために私に連絡を取ってきたんだ。彼の強い決意を知り、そして命を落とすことになった……彼の孫である君のことは私も守りたいと思っている。お爺さんから受け継いだその力はとても強いものだ。呑み込まれないよう見守る必要がある」

「……」

 

 学園長の言葉を夕映は無言で受け止める。胸元の魔本に無意識に手をかけて鎖をいじっていた。

 

「アレを見せてくれるかのう?」

「はい」

 

 夕映は鎖を首から外して学園長に渡した。鎖の見た目はそれほど強度がある物には見えないが魔法によって強化されていて人の手では決して千切れないくらいだ。

 学園長が鎖をじっくりと検分してから机に置くと細長い黒箱を取り出す。

 

「だいぶ摩耗が進んでおるようじゃ。やはり交換した方が良い。これは魔封じの鎖のスペアだ。今の物は回収させてもらう」

「その鎖も祖父からの物なのですが……」

「再度強化してまた君に返そう。泰造さんの形見だからのう」

「わかりました。お願いします」

 

 黒箱が開けられる。箱の中に真新しい鎖があった。今付いている物と寸分変わらない物だ。 

 学園長がアクセサリから鎖を外し新たなものと取り換えられる。アクセサリは再び夕映の手の中に収まって首にかけられた。

 

「学園長、失礼いたします」

 

 その声に聞き覚えがあって夕映は振り向く。

 

「桜咲刹那……」

 

 髪を右でサイドテールにした少女は夕映のクラスメイトでもある。木乃香が編入された頃にやってきた転校生でもあった。

 普段の二人の様子から顔見知り以上であることは夕映も理解していた。刹那が木乃香から距離感を持って離れたところから見守っている。

 彼女も見回り組に所属しているが夕映は組んだことがない。クラスでもまるで接点がないので話しかけたもこともなかった。

 まあ、ほとんど知らない関係ですね。

 

「お呼びと聞きましたが、出直しましょうか?」

「いや、二人に話があるんじゃ。見回り組のシフトを見直してな。これから二人とは一緒に組んでもらいたい」

「綾瀬……さんとですか?」

 

 その刹那の言葉に出さないまでも夕映に務まるのか? という視線に感じる。

 夕映の前のペアはもっと年長者であったのだが、夕映とは可もなく不可もないという関係でそれほど親しくもなかった。

 なので相棒が変わっても夕映が変えるようなことは何もなかった。

 

「わかりました。今夜のシフトは一緒ですね?」

 

 刹那が学園長に確認する。

 

「じゃあ、今夜からでかまいません。桜咲さん、よろしくです」

「了解です。綾瀬さん」

 

 硬い口調の刹那が手を差し出して夕映も握り返す。

 ぎゅーって握られてちょっと痛かったですが……

 学園長室を同時に出て二人は左右の通路で別れた。

 

「では、また……」

 

 と、別れのときも愛想のないものであった。

 

 

「どっと疲れたです……」

 

 キウイミントの紙パックにストローを突っ込んで夕映はいつものやつで一息をついた。

 一日一服、麻帆良ドリンクでエイチピー回復ですね。

 そして教室に戻れば何だか大変なことになっていた。クラス中がネギ先生を追いかけ回している。

 

「これはいったい……」

 

 まったく理解不能です。

 

「ネギく~ん」

「せんせ~まって~~」

「みんなが委員長状態……カオスですねえ」

 

 みんなショタに目覚めてしまったのか!?

 

「落ち着きませんねぇ……」

 

 落ち着ける場所を探して辿り着いたのは図書室だ。図書館島ほどではないがここの蔵書は趣味が良い。おかしな本は一冊もない。

 床に座り込んで夕映は適当に取った本を広げる。本でも読んでれば周囲のことなど気にならなくなる。

 すると戸が開いて誰かが入ってくる。声で誰かわかった。

 のどかとネギ先生?

 

「鍵をかけたからしばらくは大丈夫だと思います……」

 

 二人の会話を聞きながら夕映は出そびれた。本を抱え二人の様子をこっそり見る。

 

「私……ドキドキしてます。こんなに……」

 

 ネギの手を取ってのどかが胸に当てる。

 

「の、のどかぁ!?」

 

 のどかを知る夕映からはとうてい信じられない光景だ。のどかが自分から誘惑などあり得ない。

 熱を帯びた目でのどかがネギに迫る。

 何だか……のどかがやたら積極的である。

 ネギ先生を見るとフワフワして落ち着かなくなってしまう。

 

「これは……! 平常心」

 

 手にした白紙に「平常心」と浮かび上がって夕映は胸に当てる。立ちどころに胸のドキドキが収まってホッとする。

 これは何らかの異常系魔法による操作でしょうか?

 明日菜がネギに無理やり飲ませた惚れ薬の効果であるが、それを知らなくても事がネギを中心に起こっていることはわかる。

 

「ふえええっ! のどかさんどうしちゃったんです?」

「のどかっ! 平常心です!」

 

 本棚に追い詰められたネギの頬に手をかけたのどかの唇が今にも触れようかというところで、夕映の放った紙(平常心)がのどかの背中に張り付く。

 

「あ……え? きゃぁぁぁ~~~っ!」

 

 平常心を取り戻したのどかの叫びが響き渡る。そして明日菜が扉を蹴破って乱入してくる。

 

「このネギ坊主! 本屋ちゃんに何してるのっ!?」

「違いますっ! ボクは何もしてません。明日菜さんのせいですから~」

「はわわ……」

 

 のどかがへたりと座り込んで自分がしでかしかけたことを思い出して真っ赤に染まるのであった。

 

「ネギ先生は本当に退屈しない人ですねえ……」

 

 溜息を吐き出して夕映は本棚に本を返すのだった。

 そんな感じで今日も一日は平和に終わりました。



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3話 居残り補習と動き出す世界

 本日はプリント返却デー。ああ、憂鬱にもなるというものです。もちろん予習などしないので散々たる結果です。

 というわけでネギ先生から居残り授業の呼び出しを頂きました。

 

【本日の補習】

神楽坂明日菜(バカレッド)

佐々木まき絵(バカピンク)

長瀬楓(バカブルー)

古菲(バカイエロー)

綾瀬夕映(バカブラック)

 

「ふ……いつもの五人が勢ぞろいでありますね」

「そーアルね」

「えへへ、バカでごめんねぇ、ネギ君。私たち仲良し五人組なんだぁ」

「たかが補習よ! すぐに終わらせて汚名挽回よ! 高畑先生にバカだと思われたくないわ!」

「明日菜殿、そこは汚名返上でござる。それともう手遅れでは?」

 

 補習の五人は常連も常連。去年は高畑先生がつきっきりで面倒を見ていたのだが、担任が変わっても呼び出されるメンバーは変わらない。

 ついたあだ名は「バカレンジャー」。そろいもそろって成長しないのが自慢です(自虐)。

 

「がんばれー、ゆえー」

「とっとと、終わらせていくよー。バカブラックー」

「はいはい……」

 

 教室の入り口でのどかたちが待っている。

 十点満点方式のプリントに向き合う。六点取れないと帰れないらしい。

 

 明日菜はかなりテンパってる。高畑先生がいないので実力は発揮できないでしょうね。

 恋は盲目と言いましょうか。去年は頑張ってましたが、ネギ先生相手でテンション駄々下がりみたいです。

 他の三人は、まき絵は古菲と同じくらい。楓も勉強よりも忍者修行極振りなだけで地頭は悪くありません。

 ハルナとのどかを待たせてるのでさっさと終わらせることにします。

 

 小テストなのでそう時間はかからない。夕映は寝ぼけた頭をフル回転させて答えを書き込んでいく。

 夕映が一番に席を立ちプリントを前に持っていく。

 

「できましたですよ」

「番号四番、綾瀬夕映さん。早いですね。では採点します」

 

 夕映はプリントの採点を待つ。十問しかないので採点も簡単だ。

 

「九点。合格です。すごいじゃないですか。綾瀬さん、勉強、ちゃんとできるじゃないですかぁ~」

「勉強、嫌いなんです……」

「はあ……」

 

 ネギのえーという感じの視線はほっとく。用事は済ませたので鞄を回収して夕映は二人の所に行く。

 

「さあ、行くですよ。このかも向こうで待ってるですし」

「夕映はさぁ、頭いいんだからちゃんと勉強しなさいよー。居残り時間が無駄じゃない」

「勉強イヤでーす」

 

 ハルナには拒否権を発動です。

 

「夕映が待たせたから奢り確定だねぇ、のどか」

「あはは」

「うあ……今月はお小遣いきびしーのです……ハルナは鬼畜です」 

 

 三人はそろって廊下を歩き出す。

 その後ろ姿を見ていた生徒が二人いた。同じ学年で同じクラスの生徒だ。

 一人は金髪の小柄な少女だ。名前はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 もう一人は表情の乏しいロボット娘、絡繰茶々丸だ。

 二人の身長差は際立っているが、茶々丸はエヴァンジェリンに付き従う部下のように後ろに控えている。

 

「綾瀬夕映。出席番号四番。図書館探検部所属。好きなものは読書。嫌いなものは勉強」

 

 茶々丸が基本データを読み上げる。

 

「そして、西で紙使い当代随一と言われた綾瀬泰造の孫娘だ。学園長が抱き込んで見回り組に参加している。我々の目的の邪魔をした場合、もっとも障害となる女だ。そして奴から受け継いだであろう物が一番厄介だ。アレを抑えられるのは本調子の私か、学園長、もしくはタカミチくらいだろうな」

「マスター、排除しますか?」

「あるいはこちら側に引き込むか、だ……私の念願を果たすためなら手段は選んでいられないからな」

「はい、重要人物として監視を続けます」

「行くぞ、茶々丸」

「はい……」

 

 主に従順に従い、茶々丸はエヴァンジェリンに続いてその場を去る。

 

 

「ふわぁぁ……」

 

 こらえていた欠伸が連続して夕映の口から飛び出す。

 見回り仕事と学生の兼業はなかなか辛いものがあるです…… 

 

「夕映ちゃん、どうしたん? 寝不足?」

「ゆえー、また眠いの?」

「ああ、気にしないでください。いつものことです」

 

 今日は図書館探検部活動の日。膨大な蔵書量を誇る図書館島は麻帆良一番の図書館だ。

 いつも通り、夕映。ハルナ。のどか。木乃香の四人でチームを組んでいる。

 戦禍を免れるため古今東西から戦時に集められたもので、おそらく世界でも類に見ない数の本がここにある。

 地表の建物にある本だけでも膨大であるが、実は地下にダンジョンのごとく空間が広がっており、地底図書館が存在するという。

 

 もっとも、私たち中学生組は地下に通じる入り口付近の本の整理をしたり、目録を作るのが主な仕事となっています。

 作業の合間に気に入った本を読むなどの特典もあるので、本好きならばいくらいても飽きることがない夢の空間です。

 まあ、ここら辺の本が「悪さ」をすることはあまりないのですが、たまにおかしなのが混じって発掘されたりもするので注意は必要です。

 今のところは大丈夫みたいですね……

 

 作業するメンバーを見ながら、夕映は発掘した希少本を読み解いていく。

 ページをめくると白いうねるものがぽろっとこぼれ落ちた。それは半透明に透けて見えるが普通の人には決して見えないものだ。

 これはいわゆる本の虫である。

 

「虫さん、こっちですよ」

 

 夕映が指を差し出してすくい、閉じるぺーじの狭間に持っていくと本の虫が文字の中に逃げ込んで姿を消した。

 虫さんは文字があるところでしか生きられないのです。本の虫が悪さをすることはまずありません。

 本喰らいは本の文字を食べてそれに擬態します。読んだ者を引き込んで魂を食っていくのが本喰らいの本性。知らず知らずのうちに自分の心を食べられてしまう厄介な魔物なのです。

 本の虫を見つけたなら安心していいです。本喰らいがいたら本の虫は逃げてしまいますから。

 

 怖い魔物を封じるのはこの本だ──夕映は無意識に襟元の鎖をいじる。

 魔封じの鎖がこの本の魔物を閉じ込めている。紙使いが魔物を使役することは禁断とされている。封じた魔物はそれぞれで喰らい合い、強力な魔物となって外に出る機会をうかがっているのだ。

 いわば蟲毒の法のごとく魔物の力は強くなっていく。

 代々、紙使いは本喰らいを封じることにその命を捧げて来た。祖父の代で一度は廃れたものだったが、綾瀬泰造はその禁を破ってこの呪法を用いて本喰らいたちを封じ込めてきたのだ。

 退魔を生業とする者でも本喰らいを直接退治することはできない。陰陽道に優れた者か、紙使いのみがそれに対処することができた。

 

「目の届く範囲では絶対悪さはさせませんですよ、ね?」

 

 最後の虫さんをすくって夕映は本を閉じる。検品は終わりだ。 

 

「いや、終わった、終わった~ 仕事した後はやっぱ疲れるねえ」

 

 時間が来てハルナがうん、と伸びをする。

 

「ハルナはずっとドージンのネームを書いてただけでは……」

「詰まるとここの方が捗るんだよぉ。締め切りあるしさ」

「はいはい……」

 

 ハルナは同人誌でお小遣いのほとんどを稼いでるらしいです。それを同人に突っ込むのでミイラ取りがミイラなのですね。

 

「お好み焼き食べに行こうよ! こないだ、いいお店見つけたんだ~」

「ああ、うちも食べに行きたいわぁ~」

 

 ハルナの提案に木乃香が食いついてお好み焼きに心を飛ばしている。

 

「のどかはどうします?」

 

 のどかは思案といった顔をするが、それはもうりょーかいのサインである。

 

「うーん、いいよ!」

「決まりですね」

 

 四人は図書館島を渡るながーい橋を渡る。小舟がある埠頭が一望できるところに件の店がある。

 ハルナの先導でお好み焼き屋に入って早速注文をする。

 なかなか味があって雰囲気が良いお店です。

 

「このかはお好み焼き好きなんだねえ~」

 

 あ、豚玉もよかったかぁ、とハルナがメニュー表に目移りする。

 

「うち、焼き物全般大好き! パンケーキもお野菜入れて食べるくらいや」

「独特な感性ですね……共通点は粉ものってだけですが」

「美味しいよ?」

 

 木乃香は満面の笑みで答える。

 

「あ、きたよ~」

「それじゃ、さっそくいただき~」

 

 ハルナが一番にボウルをかき混ぜ盛大に鉄板にぶちまける。

 

「ふつー、ど真ん中にぶちまける人がいますか……」

「あはは~ 手が滑ったー」

「ひっくり返すまで待つからええよ」

 

 焼き上がるまでの時間。ふんわりと焼ける匂いが鼻をくすぐる。

 待ち時間の間、夕映は木乃香に疑問をぶつけることにする。

 

「このか、質問いーですか?」

「なーに、夕映ちゃん?」

「桜咲さんとは幼馴染なのですよね?」

「そうや」

「実は二人の微妙な距離感が気になったもので。このかが話しかけてもそっけない感じがします」

「ああ、それ、みんな思ってるかも?」

 

 ハルナが自分のをひっくり返して鉄板の端に寄せる。

 

「あ……そうだねぇ」

 

 応えに戸惑いが混ざる。木乃香にもよくわからないのだ。

 

「喧嘩でもしたの?」

「ううん……」

 

 のどかの問いに首を振って木乃香はじわじわ焼けるお好み焼きを見つめる。

 では、私たちでわだかまりを解消するしかありませんね。見回りのときの桜咲さんのピリピリ感は生真面目というだけではない気がします。

 二人が仲良くなればそれも少しは和らぐかなあと思った次第です。これは私の仕事をやりやすくするためにも必要なことなのですよ?

 

「桜咲さんはお好み焼き好きでしょうか?」

「せっちゃん、お好み焼き大好きだよ。昔から好きでうちがよう焼いてあげたんや。稽古でお腹空かせてよくお代りしてた」

「じゃあ、今度誘ってみませんか?」

 

 のどかが合いの手をいれる。さすがのどか、私の意図を理解したようです。

 

「じゃあ、ここでいいよね? ここすごく美味しいし安いもん」

「ハルナに賛成です」

「私もー」

 

 夕映とのどかがハルナに一票と手を上げる。一致団結で良いチームです。

 

「みんな……ありがとう」

 

 いえいえ。そうしたいんです、あなたに。

 

「夕映、もういい感じじゃない?」

「あ、ひっくり返そう」

 

 自分の分をひっくり返し、お好み焼きの絶妙な焼き加減に夕映は満足する。

 

「ゆえー、半分ずつにして食べようよ」

「あいあいさー。のどかの半分もらいます」

「このかのと私のわけよーよ」

「ええよ~」

 

 そんな感じでわいわいとみんなでお好み焼きを平らげるのでした。寮に帰ったのは日も沈む頃でした。

 

 

 お風呂に入った夕映とのどかがパジャマに着替え、部屋に戻る頃にはもう寝る準備である。

 明日も早いとベッドメイクを済ませて、これで良しと夕映はしわまで伸ばす。

 

「明日菜の胸が爆発したのはおかしかったですね」

「そうだねぇ。びっくりした」

 

 さっきは寮の浴場で大騒ぎでした。まあ、ネギ先生を巡るいつもの悪ふざけなんですけどね。

 ネギ先生と相部屋なのが納得いかない委員長のあやかがいちゃもんをつけ、先生と住むのに一番胸が大きい娘がゲットできるという謎ルールが発動したのです。

 コンテストが始まってから明日菜の胸が突如巨大化し(おそらくネギ先生の魔法でしょう)、明日菜が優勝したものの胸が爆発。

 そんなこんなでネギ先生の相部屋は元のさやに納まったのでした。

 

「おやすみ、ゆえー」

「おやすみ、のどか」

 

 今夜は見回りの仕事はありません。

 

 照明が落ちて夕映は目を閉じて眠りにつく。

 ──ほんの一時間も経った頃。妙な寝苦しさに夕映は目を覚ます。

 

 なんですこれ……?

 

 寝苦しい……胸騒ぎと高鳴る動悸。息苦しさを感じて夕映は胸に手を当てる。妙なくらい喉が渇いている。

 無意識に鎖を握った。

 

「これは……」

 

 ほのかに魔本が光っていた。

 

「魔物が反応している……」

 

 すぐに起きだしてのどかの様子を見る。規則正しい息が聞こえる。異常は見当たらない。

 夕映は汗をかいたパジャマを脱ぎ捨てて制服に着替えて表に出た。

 この反応は近くに本喰らいがいる証だ。本喰らい同士は相容れぬ魔物。互いに喰らい合う定めにある。

 

「どこです?」

 

 寮の外に出て息を弾ませる。反応はまだ収まっていないが、居場所を掴ませない。

 

「勘がいい娘だ──」

 

 まだ満ちぬ月を背景に金髪の少女とロボット娘がソコにいた。寮を見下ろせる位置であるが気配は悟らせない。

 エヴァンジェリンの手には妖しく輝く本があった。

 

「マスター、その本は?」

「以前、私が捕獲した本喰らいの魔物だ。これをだしに綾瀬夕映に接触する。あの娘が敵になるか、味方になるか、もしくは手出しをしないと約束させれば問題ない。次の満月まで時間がない。あまり良い手でもないが、私もなりふり構っていられないさ」

「わかりました。サポートいたします」

「頼んだぞ。魔法使いの坊やと同時に相手にするのはどう考えても分が悪いからな」

 

 その手で輝く魔本の輝きがエヴァンジェリンを妖しく照らしだすのだった──



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4話 迷い猫と茶々丸

「のどか、今日のお昼は教室にしますか」

「いいよぉ」

 

 今日のお昼はお弁当です。

 夕映はのどかの対面に座る。目の前で包みが解かれ二人分の弁当箱が姿を現わす。これは夕映の分とお弁当を渡される。

 ご飯はのどかが作りました。本当は私も一緒に作る予定でしたが起きれなかったのです。お味噌汁のいい匂いで起きて朝ごはんもご相伴いたしました。

 実に面目ない次第です。このところの寝不足がたたってますね……

 のどかはいいお嫁さんになれるでしょう。今のところ私が独占中ですが。

 お弁当スポットはいくつかあるけど今日は面倒なので教室です。

 

「ほら、夕映。卵焼き。すごくうまく焼けたんだぁ~」

「美味しそうです」

 

 弁当を開ければ色とりどりに詰め込んでいます。私が作るとこうはいきません。手際が悪いのはセンスのせいでしょうか。

 ちらっと木乃香が目に入ったので声をかけることにします。一人ご飯よりは二人、三人の方が具の交換もできて美味しいのです。

 

「あ、このかもお弁当ですか?」

「そうやぁ」

「こっちで一緒に食べません?」

「うん、ご一緒するわ」

 

 一人ご飯の机から寄せてきて木乃香は二人の横につける。

 

「いらっしゃーい」

 

 のどかが出迎え三人で机を囲む。

 ハルナはきっと購買所でパンでしょうか? いそいそと出て行ったのでここにはいません。 

 まあ、いつもいつも一緒というわけでもありません。

 

「のどかちゃん、なんか明るい顔してるなぁ。いいことあったん?」

 

 弁当箱に箸を伸ばし一番はふっくら卵焼きに手を出します。

 これは。ふむふむ……甘美味しい。塩加減も美味しい。完璧ですね。

 

「う、うん……今日ね、ネギ先生にちゃんとお礼言えたの……」

「ほむ?」

 

 それは初耳でした。お腹が減ってると細かいことに頭が回りません。モグモグして飲み込む。

 

「良かったですね。のどか」

「うん、ありがとう。夕映のおかげで勇気出せたんだ」

 

 先生と話したのはのどかで私は何もしてませんが、お役に立ったのなら何よりですね。

 

「一歩前進ですね」

「前進……」

 

 嬉しそうなのどかの顔を見るのは良いことです。のどかは笑うと本当に可愛いのですよ?

 同じ年の男性とはいかないですが、のどかが成長して嬉しいです。のどかはわしが育てたみたいな感じですね(違う)。 

 ネギ先生はお子ちゃまにしては礼儀正しいし、女性にも紳士です。性格も控えめで人は立てられるし……

 何だか理想の彼氏っぽくありません? ああ、別に私の彼にしたいとか、付き合いたいとかそういうのではありませんよ? 全然、ほんとーです。 

 興味というか、魔法とはどういうものなのか知りたいというのが本音です。

 

「ねえ、ネギ先生と何かあったん?」

「この前、階段から落ちたのどかをネギ先生が下敷きになって助けたのです」

 

 魔法を使ったのは省略。木乃香と明日菜はネギ先生とは同室。彼が魔法使いであることは承知なんでしょうか?

 

「それでか~」

 

 事情を木乃香が納得して栗きんとんを摘まむ。

 ふと木乃香の視線の行先が気になって見れば、先には龍宮真名と桜咲刹那がいる。二人は教室内を見回せる位置でお弁当を食べている。

 刹那は相変わらず人を寄せ付けないオーラを放っている。

 

 真名とは組んだことはないけど普通に話せる人です。彼女も見回り中学生の一人なのでそのうち組むこともあるでしょう。

 見回りの仕事はボランティア活動ですが、技術提供の見返りにバイト代も出しています。

 学生を使うのはどう考えても不法就労に思えますが、麻帆良の結界という存在自体が世に知られたものではないわけで、法がどうとかを私がどうこう考えるのも面倒なことです。

 例の計画はまだ発動していません。ターゲットが絶対断れない状況を考え中です。木乃香自身から声をかけるのはまだハードルが高そうです。

 

「──刹那、学園長から聞いた。シフトを変えたようだな」

「ああ、生徒同士の組み合わせに変わった。お前とは半々のシフトになるはずだ」

「学園長きもいりの綾瀬夕映か」

 

 真名と夕映の視線が一瞬絡まって夕映の方から目をそらした。まだ新人である綾瀬夕映は未知数の存在である。

 

「西の「綾」の一族だからな……」

「綾の一族? 何だいそれは?」

「真名は知らなくても問題ない……」

「君は隠し事が多いな。それに嘘をつくのも下手だ」

「関係ないでしょう」

 

 この件で突っつくのは得策でないと真名は会話を変える。

 

「紙使いとは組んだことがない。陰陽道で使う式神や鬼とは何が違うんだ?」

「私のような退魔を生業とする者と違い連中は封じることに特化している。本に取り付いた魔物を専門にしている。紙使いはもうほとんど残っていないというし、実際にどういう技を使うのかは私もよく知らない」

「刹那とは畑違いということか」

「まあ、そうだな」

「組むのを楽しみにしているよ」

 

 こうして、お昼の休憩はあっという間に過ぎていく。

 同時刻の屋上、そこにエヴァンジェリンが立つ。校舎の上から見える風景を眺めている。休憩のチャイムはすぐに鳴るだろう。

 

「マスター」

「早かったな。茶々丸、仕込みは終わったか?」

 

 茶々丸の登場に振り向いてエヴァンジェリンが迎える。

 

「はい、本はお返しします」

「白紙の食いつぶされた本などもういらん。それには本喰らいはもういないだろう?」

「そのようです」  

 

 すでに宿主のない本に茶々丸は目を落とす。昨晩まではこの本に魔物が宿っていたが今はもういない。宿る物を変えて潜伏しているのだ。

 エヴァンジェリンの指示を受けて標的に時限爆弾の罠を仕掛けてきたのだ。それが発動するのはエヴァンジェリンの計画が発動する時である。

 

「マスター、質問があります」

「何だ?」

「使いどころを誤れば本喰らいは人の命を奪います。当事者でない人間を巻き込むことになります」

「茶々丸、私に意見するのか?」

「申し訳ありません、マスター。しかし……」

「いや、意見するのは構わないさ。もし命を奪うような事態になれば、それを救うのは綾瀬夕映だ。本には私たちが事を成すまでの時間稼ぎをしてもらう。もし綾瀬の力が及ばないのであれば私がすべての責任を持つ。それでいいか?」

「……不用意なことを言いました。お許しください」

「ああ、わかっている」

 

 エヴァンジェリンはそう告げて強い風が吹いた。チャイムが鳴り響き二人は屋上から去っていた。

 

 

 古くさい本の匂いが好きです。良く管理された部屋で紙の匂いに包まれていたい。

 放課後の夕映がいるのは麻帆良市内の古本屋だ。祖父の代からの馴染みの本屋である。

 店主とは夕映もよく知った仲で、綾瀬家の紙使いとしての事情を少なからず知っているようだ。

 ようだ、というのも夕映が知らない、いくつかの事件に店主と祖父が関わっていたようなのだ。

 店の奥の他の誰も入れない部屋にある、鍵付きの展示された本は古いものが多い。立ち入りが許されるのはほんの一部の人だけだ。

 

「ストックはこれだけあれば十分ですね……」

 

 紙使いは紙がなければ術を込めることができない。紙そのものに特別な力はないのだ。

 夕映が買い求めるのは何の変哲もない紙の束だ。

 紙術は念を込めて紙に力を生き渡らせ行使する。そのためのちょうど良い大きさや厚さというものがあった。

 そこらへんのノートやメモ帳でも問題ないが、念の伝達能力や込められる力にムラが出てしまう。量があっても質が悪いのでは術の精度は落ちる。

 祖父が店主と懇意にしていた関係で紙束を用意してもらっている。

 

 術用の紙束は一つ一〇〇枚で綴られている。

 制服の両袖に一束ずつ。上着の内側に六束。鞄にも予備を一〇束ほどを常備。

 これくらいの改造は全然問題ない。これよりも制服を改造している子たちは他にもいる。

 必要なものを揃えて夕映は店を出ていた。

 街中の電柱に張られている紙は「迷い猫探し」の張り紙である。先週見つけてから気になっていた。

 

「目」

 

 夕映が手を張り紙に触れ、監視用に市中に張り巡らせた「目」たちと連結していく。相当な念の力を使うが、猫が良く出没する場所や抜け道らしき場所に紙を設置してある。

 術は一度使えば紙は念力を使い果たしてしまうので二度も三度も使えるものではない。念の力が持つうちに、一度に全部見て、情報を処理し、目標を見つけ出さなければならない。

 様々な場所の情景が夕映の頭の中に浮かび猫の姿を追い求める。パンクしそうな情報の渦の中で見つけるのには特定の物だけを意識してそれに集中することだ。

 数百の目を持った夕映はソレを見つけ出すことに成功する。小さな猫がいた。

 

「いた……向こう三〇〇メートルくらい」

 

 夕映は足早に猫を求めて歩き始める。

 本当なら罠も仕掛けて置きたかったんですが、どこに現れるかわからないものにリソースを割くには範囲が広すぎました。

 きっと飼い主さんも心配してるでしょうね。

 夕映がポケットに入れた紙には探し主の連絡先も記してあった。

 

◆ 

 

 絡繰茶々丸はロボットである。造ったのは葉加瀬だ。主はエヴァンジェリンであるが、細かいメンテナンスは葉加瀬に一任されている。

 今日も葉加瀬のところで調整が終わったところです。戻るまでの時間はマスターから好きにしてよいと言われています。

 いつものように茶々丸が野原に姿を現わすとその姿を見た猫たちが集まってくる。みんな野良猫であるが、餌をよくもらっているので毛並みは良い。

 

「ご飯です……」

 

 ミャー、ミャー足元に頭を摺り寄せてくる猫にエサを上げる。カリカリフードを懸命に食べる猫たちを見ながら茶々丸は終わるまで立つ。

 猫たちにちょっかいを出す犬などがいないかを見張っている。

 不意に懐の携帯が鳴って茶々丸は応対する。

 

「はい──」

 

 それから五分ほど経過……

 

「──絡繰茶々丸さん?」

「綾瀬さん……」

 

 胸元に仔猫を抱えた夕映が野原に姿を現わして茶々丸は変わらない場所で出迎えた。

 

「茶々丸さんの猫ですか?」

 

 絡繰さんと呼んだが茶々丸でいいと言われたので茶々丸さんと呼んでいます。

 

「違います。みんな、ここの野良猫です……」

「この張り紙を張ったのも茶々丸さんですか?」

 

 夕映がしわの寄った猫探しの紙を見せる。

 

「はい……」

「自分の猫でもないのにこれを作ったのですか?」

「家族ですから」

 

 夕映が降ろした仔猫が茶々丸の靴に頭をこすりつける。茶々丸の手が伸びてその頭を撫でた。

 心なしか表情の薄い茶々丸の表情が明るいように見えて、夕映は初めてそんな顔を見た気がした。

 クラスでも常にエヴァンジェリンと一緒だ。例外的に葉加瀬聡美(はかせさとみ)とも話しているが、他はまったく交流がない。

 エヴァンジェリンとは身長差もある対照的なコンビだが、二人ともあまり目立って派手なこともしないのでA組の中ではかなり静かである。

 この二人のこともよくわからないが、エヴァンジェリンはどうやら学園長と関係があるようで、もしかしたら彼女は関係者? くらいには認知している。

 

 茶々丸さんも普段は無口だけど実はすごく優しい人です。野良猫のために張り紙を作ってまで探す人はそういません。

 手作りの張り紙をいっぱい作って商店街のあちこちで見かけました。

 

 仔猫を見守る中、向こうから大人の猫が現れる。仔猫が一目散に走っていくと親子が合流するのを二人して眺めた。

 

「良かったですね。親子再会です」

「はい、そうですね。親子は一緒がいいです……」

 

 しばらく猫たちを眺めて物陰に姿を消すと、夕映は用事は終わったと息を吐き出す。

 

「それじゃあ行くです」

「綾瀬さん」

 

 去る夕映を茶々丸が呼び止めて立ち止まる。

 

「はい?」

「ありがとうございました」

 

 茶々丸が深々と頭を下げる。

 

「いえいえ。たまたま見つけただけです。猫、見つかってよかったですね」

 

 手を振って行く夕映の姿が見えなくなるまで茶々丸はじっと見送るのだった。

 

「綾瀬夕映……」

 

 暮れ始めた空に浮かぶ緋色の雲に茶々丸は呟いていた。

 

 

「ふう……帰宅です~」

 

 夕映が手に下げるのはスーパーの買い物袋だ。あの後、近くのスーパーに寄りました。

 今日のお返しをせねばならないのです。今日はのどかの好きなものを作るつもりです。

 寮にたどり着いてようやく一息ですね……今日はちょっとだけ疲れました。でも猫探しも悪くありません。

 茶々丸さんのことが少しわかりましたから。

 

「はわわ……」

 

 寮の部屋に戻れば何だか放心状態ののどかが……

 ほわわんと、どこか心あらずと言った顔をしています。

 

「のどか、何かあったんですか?」

「な、何でもないの!」

 

 顔を真っ赤にして慌てるとのどかは向こう側に行ってしまう。

 

「のどか~。晩御飯は私が作りますよ~」

「うん、いいの?」

 

 隣の部屋から返事が返ってくる。

 何かあったんでしょうか?

 

「今日のお礼です」

 

 スーパーの袋からパックを取り出し冷蔵庫から必要な素材を取り出してテーブルに並べる。

 そしてレシピ本を広げる。

 レシピ通りに作れば問題ありません。料理は科学なのです。

 夕映は張り切って晩御飯を作り始めるのだった。



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5話 カモ襲来 ユエ撃退

 噂というのは広がるのが早いもので、私がその話を聞いたのはまき絵からでした。朝一番に顔を合わせてその話を聞きました。 

 

「ネギ先生のパートナーですか?」

「そうそう、ネギ君てどこかの国の王子様なんだってさぁ~ 日本には将来のお嫁さん探しに来たんだって。いいなぁ、パートナーになったら私もプリンセスだよねぇ。で、お父さんは大統領なんだって!」

 

 めくるめくロイヤル生活がまき絵の脳内で展開されているようです。

 

「どう突っ込んでいいのかわかりません。ウェールズは英国の一部でアメリカでもありません」

「ゆえっち~ 細かいことはいいんだよ~」

 

 まき絵はまあそうで問題ないんでしょうね。事実はともかくとして。

 ウェールズはイングランドにある国の一つです。でも今もウェールズに王族がいてプリンスと名乗る人がいる話は聞きません。

 「プリンス・オブ・ウェールズ」はイングランド王室の嫡男が名乗るものですし、外国の貴族図までは知りません。

 ネギ先生が自分で広げる話題ではなさそうなので、誰かのでっちあげか、伝聞が変化したモノでしょうね。

 噂はすぐに変質して拡散しがちです。くだらない話ほど面白おかしくなります。昨日からネギ先生のパートナー探しで話題が広がっています。

 将来は有望でもネギ先生はまだ十歳らしいので中学生でも手を出せば犯罪になってしまいます。

 

「まあ、みんなの熱はすぐに下がるでしょうね」

「え、うん……」

 

 心あらずという感じののどかが答える。

 何だか昨日から様子がおかしい感じですね……フワフワしてるというか。

 

「ネギ先生は小学生なのでパートナー選びとかまだ早いですよね」

「え、パートナーっ!?」

「のどか……?」

「私……昨日変な夢見ちゃって。その、ネギ先生……告白する夢なの……」

「ああ……夢ですか。夢は願望の表れと言います。ということは、のどかはネギ先生が好きなんですか?」

「ち、違うよ。夢に見ただけで、全然……キスしたのだって」

「ほほう。夢の中でキスしただけですか」

 

 フフフ。内心ニヤニヤしてしまう話題です。

 噂話に釣られてるのかわかりませんけど、のどかがネギ先生に好意を抱いてるのは間違いないようですね。

 昨日も先生と話せて嬉しそうでしたし。ふむ……

 

「だからね、全然違うの! 夢のことだから……パートナーになってほしいて言われたの」

「まあ、夢ですしね」

 

 ここはあまり突っ込むと口を聞いてくれなくなりそうです。

 しかし、のどかの狼狽ぶりとネギ先生は魔法使いという事実を考えれば全然無関係でないかもしれません。

 ここは確認が必要ですね。

 

「のどか、朝風呂行ってきますね」

「うん、行ってらっしゃい」

 

 脱衣所は朝から人気はない。わざわざ朝から入る生徒もいないので貸し切り状態である。

 服を脱いでまとめ、本のペンダントを服の下に置く。

 浴場に行こうとして夕映は妙な気配を感じた。何か説明しにくいが何かいるような……そんな微妙な気配だ。

 

「ふむ……」

 

 夕映は脱いだ服を探って紙を出す。パジャマだろうが最低一束は持ち歩く習慣が身についている。夕映は数枚取り出して念を込めた。

 指先でピンとなった紙は念が入っている証だ。それを指先で弾くと紙は周囲の壁に張り付いた。

 念の力を失えば剥がれ落ちる仕組みだ。念を帯びた紙は磁石のように作用して術者の意思に反応する。

 今込めたのは「罠」と「警報」が仕込んである。この二つが連動するよう仕掛けを施した。

 何かあれば術者の頭の中に鳴り響く。念のため数枚を浴場に持ち込むことにする。

 

 水に濡れると紙は役立たずです。念も通らなくなるので注意が必要です。強い湿気も大敵です。

 本と一緒でコンデションは一定に保たなければいけません。

 

 シャワーの上の段の乾いた場所に紙を置き夕映は熱い湯を浴びる。考えるのはこの前起きたことだ。

 

「この間の気配……あれは本喰らいでした。ダメですね、私……良くないことばかり考えてしまいます」

 

 考えすぎでしょうか? もう少し周りで起きることに注意する必要があります。

 

 お湯が髪に浸透して髪が重くなっていく。長い分洗うのはいつも大変だ。泡立てて髪を一房ずつ洗っていく。

 お爺様のことを思い出す。祖父の綾瀬泰造は優しくて厳しかった。ずっと側にいて見守っていてほしかった。

 私の両親は本喰らいに殺された。逃れられぬ紙使いの運命が祖父の命をも縮めることになった。私に関わったばかりに──

 

 私は、私の身近な人たちを守れるのでしょうか?

 

 ふう、吐息を吐き出す。そして頭の中に警報が鳴り響いた。すぐに立ち上がって夕映は脱衣所の扉を開けた。

 

「これは……」

 

 そこにあるものに首を傾げる。

 罠にかかった獲物は白い生き物だった。罠で連結させた紙にぐるぐるに拘束されている。

 念がこもっている紙は凶悪な魔物でも逃れることはできないほどの拘束力を持つ。

 ただの動物が女子寮の脱衣所でかかるなどまずありえない。

 

「んぐ……むぐぉ……」

「良かった」

 

 光る金属は鎖だ。もがくオコジョは放置し夕映は落ちているペンダントと下着を拾い上げる。

 

「わー、こんなところにオコジョがー……人の下着漁るオコジョがどこにいますか?」

 

 ジト目で眺め下ろし、べりっとオコジョの口をふさぐ紙をはぎ取る。

 

「のわわぁ~ お助けを~ ほんの出来心なんでさぁ~~」

「喋るオコジョも初めて見ました……解剖しましょうか」

 

 その言葉に反応してぴたりと動きが止まる。

 

「あ……ヤメテ。お願いします。助けて」

「それともオコジョ鍋?」

「あわわ……」

 

 オコジョはがくがく震えだす。

 

「ふ……じゃあすべて吐くといいですよ」

 

 その慌てぶりがおかしく、夕映は笑みを浮かべて上から覗き込むのだった。

 

 

 寮の部屋の前。明日菜と木乃香の部屋の扉を夕映は叩く。まだ出かける時間には早い。

 

「こんこんです」

「はい、どなたぁ~」

「どーも、綾瀬です」

「今開ける~ のわ?」

 

 バイト先のジャージ姿の明日菜の前にグルグル巻きのオコジョを突き出す。

 

「あー、ナニコレ?」

「お宅のオコジョです。ネギ先生が飼い主とゲロしました」

「明日菜さん、お客様です……あ、カモ君っ!?」

 

 入り口に二人が顔を出している。木乃香の姿は見えないが好都合だ。

 

「事情は把握してるので入れてもらってよいですか?」

 

 そんなわけで中に入れてもらいました。ペットのしでかした不始末に明日菜がネギ先生の頭を押さえて土下座中です。

 

「すいません。あんたもちゃんと謝る!」

「綾瀬さん、カモ君もほんの出来心でやったことですから……」

「そー、そーなんですよ」

 

 肝心の下着ドロは悠々と寝そべっていますけどね……

 

「じゃあ確認させてください。この喋るオコジョと。昨日ののどかの記憶改変。そしてネギ先生が魔法使いであること。についてですが、誰かに言うつもりはありません」 

「さすが夕映のねーさん! 太っ腹でやすねぇ~ ネギの兄貴とは同じ魔法使い同士、これからもよろしくお願いしやす!」

「ええ!? 夕映さん、魔法使いなんですか?」

「そうなんだ!?」

 

 そう、マジマジ見られると落ち着きません。自分を魔法使いと思ったことはないので、そう言われるとそうなのかと思います。

 聞き出したところではネギ先生のパートナーの件は魔法の相棒という意味で理解しました。

 伝聞が恋人探しになってしまったようですね。

 

「あれ、夕映ちゃん。どしたん?」

「お邪魔してます。そろそろお暇します」

 

 木乃香が戻ってきたところで話は終わったと夕映は退室する。部屋に戻ればもう時間があまりないのですぐに着替えて寮を出た。

 

「あれ、パルいないね?」

「先に行ったのではないですか?」

 

 寝坊して遅れたのかと少しだけ待ったが来ないので行くことにする。

 

「じゃあ、行こうか」

「そうですね」

 

 ハルナがいないときはそのまま行くことになっている。今日はのどかと二人で登校だ。

 ふと、ぞくりとする感覚を覚えて夕映は振り向くが、すぐにのどかに促されて歩き出していた。

 

 

 ──寮の部屋。カーテンを閉めた部屋で制服姿のハルナが机の前に立つ。

 徹夜で仕上げた原稿に混じって禍々しい妖気を放つモノがある。その光に吸い寄せられるようにハルナの目は虚ろだ。 

 描かれた男の絵が動き出して笑った。邪悪な光をその目に宿す。

 もっとだ。もっと力を寄こせ。我が体を得るほどの──

 

「あれ……? 私? 何してたっけ……」

 

 瞳に色が戻りハルナは意識を取り戻す。そして慌てて机を片付け鞄を持って飛び出していた。 

 

 

 同時刻──桜通りの並木道にエヴァンジェリンと茶々丸が立つ。

 

「さて、舞台は整いつつある。仕込んだ罠は停電の前に発動し他の連中の注意を引くだろう。茶々丸、ハッキングとやらはどうだ?」

「プログラムは順調です。すでにトロイの木馬を仕掛けました」

「その手の物はわからないが頼んだぞ」

「はい、お任せください。マスター」

「サウザンド・マスター、ナギ・スプリングフィールド。奴から受けた登校地獄の呪いを解く千載一遇のチャンス。今回の満月で私の念願が叶う。麻帆良の土地に縛られて十数年……奴の息子のネギにすべて支払ってもらう。その為なら使えるものはすべて使う」

「はい……」

 

 主の言葉に茶々丸は従うのみである。

 エヴァンジェリンに掛けられた呪いである「登校地獄」は、その身を麻帆良に縛り付けられ、魔法の結界がある地から逃れることができないというものだ。

 かれこれ中学生に混じって一五年も学生をするという苦痛を味合わされており、ネギ・スプリングフィールドの出現によって溜まったうっ憤を晴らそうと企んでいる。

 そのためには力を蓄えなければならない。この結界の中でエヴァンジェリンの力は極限に制限され真祖の吸血鬼の力を発揮できない。

 その例外が満月の夜である。血を集めシモベを生み出して手駒を増やす。大停電を引き起こしかつての力を取り戻して奴の息子の血を奪うのだ。

 それだけがこの呪いを解く方法だ。呪いを解こうとすでにあらゆる手段は試した。気の毒だがもうこれしかない。

 

「今年も麻帆良の桜は咲き乱れそうだな……満月は近い」

 

 ざわめく風が咲いた花を散らして地面に舞っていた。

 

 

 このところハルナは本調子ではないみたいです。今日は遅刻すれすれでしたし、原稿作りで疲れてるのかいつもの軽口も少ないです。

 明日でもどこかに誘ってストレス発散でもしましょうか?

 

 そんなことを考えながらも夕映の知らぬところで事件は始まっていた。その日の夜──桜通りにて佐々木まき絵が最初の被害者となる。

 

【桜通りに吸血鬼現れるっ!?】

 

 そんな見出しが躍る麻帆良校内新聞。マホラNEWSによれば、桜通りで眠っているまき絵が発見され、それを面白おかしく書き立てたのが真相だ。

 クラス中で吸血鬼事件として広まるが、まき絵はただ寝てるだけ、という事実に誰もが本気にはしていない。

 

「確かに寝てるだけでしたね……」

「うん、良かったよね」

 

 まき絵は学園の保健室に運ばれました。のどかと一緒にお見舞いに行きましたが、まき絵が無事だと確認できただけでした。

 吸血鬼が本当にかかわっているなら魔法生徒の出番です。肝心の魔法使いであるネギ先生が何も言わなかったので何もないのかもしれません。 

 まだ寝てるのでどれだけ寝坊助なのと笑い話になっていますが、少し気になりますね……

 ネギ先生は授業に集中できていないのか気もそぞろのようです。

 

「どうした? ネギ先生…‥いくら十歳でも授業はしっかりしてくれないとな」

「あ……すいません。エヴァンジェリンさん」

 

 珍しいこともあるのです。彼女から積極的にネギ先生に話しかけたのはこれが初めてです。そういえば、吸血鬼がどうのという話題にも加わってませんでしたね。

 桜通りの被害者? のまき絵と言えば午後にはもう起きだして「迷惑かけてごめんね、えへへ」といつもの調子でしたからもう大丈夫でしょう。

 

「桜通り……一応調べてみるですか。一応、関係者に声をかけてみます」

 

 第一候補。桜咲刹那さん。一応組みなので声をかけましたが、まったく相手にされませんでした。

 

「私も佐々木まき絵の診断結果は見させてもらった。健康体で起きた以後も観察したが普段と変わらないようだ。本物の吸血鬼を知るわけではないが、試しに彼女にニンニクを嗅がせたが特に反応はなかった。彼女を警戒する必要性は今のところ感じられない」

「そうですか……」

「気を付けて見てはいるが、人手があるわけでもない。この件だけに関わってもいられない」

 

 桜咲さんは空振りです。他に特に声をかける人はいません。ネギ先生は魔法使いですが、先生で子どもです。見回りの仕事は無関係。なので独自調査しかありません。 

 夜の時間。まき絵が見つかった頃を見計らって一人で巡回することにします。

 

「じゃあ行ってみますか……」

 

 準備を整えて夕映は夜の桜通りへ向かうのだった──



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6話 桜通りの事件簿

 桜通りに入る道を歩きながら夕映は周囲の気配を探った。満月が近い空を見上げる。

 昼なら学生もよく通るが、夜になるとこの通りは人の行き来が一気に少なくなる。

 

 のどかはもう寮に帰ってる頃でしょうか?

 図書館島の応援に行ってるのどかには遅くなるようならなるべく人がいる場所を選んで帰るようにメールしてあります。

 図書館島から歩きで近道をするとき必ず桜通りを通るので用心に越したことはありません。

 ちょうど、のどかからメールです。

 

『ユエへ。ふじみ家さんに寄ってケーキ買ったよ。新作ジュースのショコラサンダー見つけちゃった』

「ショコラサンダー……興味深い」

 

 添付写真にケーキ屋ディスプレイとジュースも映っている。

 ふじみ家は明るい通りにある店で桜通りは通らない。安心して夕映は携帯をしまい吸血鬼事件に集中する。

 

 創作ものにおける吸血鬼は昼は眠っているとか、にんにくが苦手とか、流れる水は渡れないなどの制約が多いです。

 古典の吸血鬼物はどれもが人間が勝手に描いたフィクションでしかありません。現実世界での吸血鬼のことはよくわかっていないのです。

 実際に吸血鬼がいるとしても、伝聞によるそれらの弱点がすべて真実であるとも思えません。現実に目にして自分の目で確かめなければわからないこともあるはずです。

 日中堂々歩いている吸血鬼がいてもおかしくはありません。

 とはいえ準備不足感は否めませんね。白木の杭でも用意した方が良かったでしょうか。

 

 足を止めて夕映は暗い歩道の向こうを見通そうとする。

 

「誰かいる……」

 

 呪文の詠唱……目の前で展開しているのは魔法戦です。本物の魔法使い同士の戦いを見るのは初めてのことです。

 木々の向こうで迸った光が闇の中で鮮烈に乱舞し氷の盾が弾いた。

 杖を構えて光の矢を放ったネギと氷の盾を使った黒衣の少女が対峙しあうのを見た。

 

「この世には、いい魔法使いと、悪い魔法使いがいるんだよ。坊や」

 

 急ぎ足で桜通りに入り夕映は二人をはっきり認識する。杖を持つのは間違いなくネギ先生だ。

 それにもう一人の黒い服は……エヴァンジェリンさん? その手に杖はなく魔法の触媒を使っているようだ。

 魔法の世界に疎い夕映にもエヴァンジェリンが変わった戦い方をしていると思えた。

 

「ネギ先生?」

「あ、綾瀬さんっ!?」

 

 夕映は駆け寄ってネギの腕を掴んで起こす。

 

「ちっ! 早かったな。撤退だよ。氷結 武装解除(フリーゲランス エクサルマティオー)!!」

「っ!?」

 

 魔法薬の瓶を投げつけたエヴァンジェリンが氷結魔法を放つ。たちまちのうちに足元が凍りついて夕映は身動きが取れなくなる。

 ネギの足も凍り付くが次には跡形もなく消滅する。対魔法レジスト現象だ。

 

「坊やはレジストしたか……追ってくるがいいっ!」

「ええ? 飛んだ!?」

 

 エヴァンジェリンの身が浮かび上がり建物の向こうへ飛んだ。事前の動作を思わせる所作も呪文詠唱もなかった。

 

「綾瀬さん、大丈夫ですか?」

「私はいいです……彼女を追ってください」

「でも……」

 

 ネギの助けを借りて片足を自由にする。

 倒れている女生徒が目に入る。とたんに夕映の胸が高鳴った。のどかであっては欲しくはない。

 

「早乙女さんです」

「……ネギ先生、彼女を追ってください。ハルナは私が」

「わかりました……お願いします」

 

 ネギが杖に乗ってすでに夜空に消えたエヴァンジェリンの後を追う。

 

「ネギー! あれ、綾瀬さん!?」

「夕映の姐御ー!」

 

 ネギが飛び立った直後に明日菜が現れる。その肩にはオコジョのカモミールの姿がある。

 足は冷たかったがもう片方もすぐに自由になる。

 

「ハルナ、大丈夫ですか?」

 

 夕映はハルナの側に屈みこんで脈と呼吸を確かめる。どうやら生きている。

 

「早乙女さん? 何があったの? それにさっきのって……もしかしてネギが犯人なの!?」

「明日菜のねーさん、そりゃありえねーって!」

「エヴァンジェリンさんです」

 

 明日菜の疑念を夕映は否定する。

 

「ええ? 彼女が吸血鬼なの!?」

 

 そうだと言える確証はまだありません。魔法使いなのは確実ですが……

 

「わかりません……明日菜さん、先生を追ってください。相手は強力な魔法使い、心配です」

 

 自分が追うべきか迷いますがハルナを置いてはいけません。

 明日菜さんだけでは心配ですが、オコジョ妖精の助けがあればネギ先生を助けられるかもしれません。

 

「そうですぜ! ネギの兄貴の場所は俺に任せてくだせー!」

「わかった。綾瀬さん、お願いっ!」

「はい、任せてください」

 

 ためらう時間はないと判断した明日菜が走り出す。

 普段からバイトで鍛えているだけあって早い。すぐに明日菜の姿は通りの向こう側に消える。

 ハルナには首に噛まれたような跡もない。ふうと息を吐き出して夕映は安心してどうしたモノか考える。

 

 先生に報せれば桜通りでの被害者は二人目になるから今度は大ごとになるでしょう。吸血鬼の仕業ともなれば上に報告する義務も生じます。

 学園長に報告するにしても、なぜ、あんなことをしたのか、エヴァンジェリンさんにことの事情を確かめておきたいですね。

 同じクラスメイト同士。話せばちゃんと理解し合えるはずです。

 

「まき絵と同じならすぐに目は覚まさないかもですね……のどか、帰ってますか?」

 

 携帯を出して電話をする。電話に出たのどかにいくつかを伝えて切る。

 それからハルナを苦労して背負って寮まで歩いた。その間、夕映は考える。

 

 不可解です……なぜハルナが? それに彼女のあの口ぶり……私が来ることを知っていた?

 私が到着したときのエヴァンジェリンさんの台詞が引っかかります。

 

「ゆえ~」

 

 寮の近くまで行くと表で待っていたのどかがこちらを見つけて走ってくる。援軍到着だ。

 のどかには吸血鬼どうこうは説明していない。ハルナが桜通りで倒れていたとだけ報せてある。

 

「パル、大丈夫?」

 

 側に寄ったのどかが夕映の背中のハルナを見て動揺する。

 

「どこも怪我はしてないようです」

「パルのことみんなには何も言わない方がいい? また大騒ぎになっちゃうし。でも保健室は……」

「この時間はもう遅いです。先生には明日報告しましょう。もしかしたら朝には起きるかもしれないですし」

「うん、わかった……」

「部屋まで連れて行きましょう」

 

 寮に入って部屋まで誰かと会うかと思ったが幸い誰にも会わなかった。ちょうど、この時間は入浴タイムで浴場は大盛況だろう。

 夕映はハルナを部屋のベッドに寝かせる。見た目にはただ寝ているだけのようだ。

 

「パルは私が見てるから夕映はお風呂でさっぱりして着替えてきて。あとでケーキ食べようね。パルが起きてくれるといいんだけど……」

「わかりました。先にお風呂頂いてきます」

 

 ハルナの様子を見る。胸元の本には反応がない。

 

「大丈夫。ハルナは大丈夫」

 

 自分に言い聞かせ、ハルナをのどかに任せて夕映は風呂に入った。今日あったことを反復して思い出す。

 最初の被害者である佐々木まき絵は被害らしい被害は出していない。ごく普通に生活に戻っている。

 今回のハルナの場合も同じだろうか? ただ眠っている。

 しかし、エヴァンジェリンが何を考えているのかまったく読めない。

 

 彼女にとってこの騒ぎを起こすメリットは何でしょうか?

 それにネギ先生をわざと挑発していたようです。

 っ!?

 

 湯から出て着替えようとして夕映は凍り付く。魔本のペンダントがいろ立つ妖気を発していた。強張った手で鎖を握る。

 

 のどか! ハルナ!

 

 すぐに着替えて飛び出す。向かうのはのどかたちがいる部屋──

 扉を開け放った部屋は暗かった。風がそよいで窓辺のカーテンが揺れる。倒れたのどかの姿が寝室に見えた。

 そしてすぐ隣に立つ人物も……

 

「のど……」

 

 額に感じたチリチリとした感覚に夕映は魔本を握った。目の前で妖気をまとう存在が強力な圧迫感を伝えてくる。

 

「ハルナ……」

 

 口元を歪めたハルナがそこにいた。その顔は邪悪に満ちた顔に変わる。

 普段の彼女が見せる顔ではない。まるで別人だ。その正体を夕映は知っている。

 

「本喰らい」

 

 夕映は紙を手繰りよせて触れた。いつでも念を込めて放つことができる。

 

「フフフ……止めておけ紙使い。この娘の体を傷つけたくあるまい?」

 

 フラリ、とのどかが操られたように立ち上がった。その目は支配されているのか虚ろだ。

 その喉元を本食らいのハルナが撫でる。夕映は微動だにせずに息を吸い込んだ。敵の方が早い。

 

「この娘の体に入り込んで辛抱したよ。中身を喰らってもう三割がたは私のものだ。私を倒したければこの宿主の娘を殺すことだな。もっとも元に戻るかは知らぬがなぁ。くはははは!」

 

 本喰らいに乗っ取られたハルナが自らを指差して告げる。

 

「……ハルナから出て行きなさいっ!」

 

 目の前の本喰らいに反応した魔本が輝きながら内側から夕映にどん欲なまでの食欲を伝えてくる。本喰らいを喰らうもう一つの魔物がここに棲んでいる。

 

「クク、そいつを解放するかね? あいにくやらせんよ、紙使い」

 

 本喰らいが動くと同時に夕映も紙を放つが、突き放されたのどかの体を夕映が受け止めて敵の姿を見失った。

 紙が大量に舞って落ちる。そしてハルナの姿は窓の外へと消えていた。

 

『紙使い。満月の夜に図書館島に来い。この娘の命が惜しくば貴様の命を差し出せ。選択肢は他にはない──』

 

 満月……それまでにハルナを取り戻して本喰らいに奪われた心を取り戻す。その為にこの本の力を使わなければなりません。

 ハルナのすべてが喰われれば宿主を魔本の姿に変え、人を喰らい続ける魔物へと変貌する。そうなったらもう終わりだ。

 その前に取り戻す。それ以外の方法はありません。喰われた心を修復する紙は私しか使えない。

 それが紙使いの力──

 

「ん……ゆえ?」

「のどか、大丈夫ですか?」

「私……? ハルナは?」

 

 その問いに答えることも、のどかを安心させることもできませんでした。姿を消したハルナのことと、これから私に待ち受けていることも──

 

 

 翌日。明日菜さんたちの部屋を早くに訪れましたがネギ先生は帰ってませんでした。

 

「ネギ先生は戻っていないのですか……」

「うん……エヴァンジェリンちゃんとネギが戦ってて。あたし追いついたんだけど、ネギのやつ、その後どこか行っちゃって……」

 

 茶々丸さんがエヴァンジェリンのパートナーらしいことも聞きました。

 

「そうですか……無事であれば良かったです。きっと戻ってきます」

「そうだといいんだけど……」

「そうですぜ、兄貴も作戦があって姿を消したに違いありやせん。ここはドーンと構えて待ちやしょう」

「オコジョもいいこと言いますね」

 

 ふう、と息を吐き出して夕映は寮を出る。朝が早い時間。向かうのは学校だ。

 のどかには忘れ物を取りに行くと書置きを残して出てきました。

 学校に着いてまっすぐ学園長室に向かう。事前に学園長に連絡してあるので会えるはずだ。

 

「入ります」

 

 学園長が夕映を迎える。

 

「ネギ先生のことは聞いた。わざわざここまで来たのは別件かのう?」

 

 桜通りで起きたことは説明済みだが、吸血鬼事件とハルナに起きたことは切り離している。

 

「本喰らいが出ました」

「なんと?」

 

 夕映に向けられる眼差しが真剣なものになる。

 ハルナに起きたことを簡潔に説明する。学園長に開本の許可を求めるためだ。

 

「満月の夜に図書館島。敵にだんぜん有利な場所じゃのう……」

「もう猶予はありません。それまでにどれだけ心を奪われてしまうかわかりません。ハルナが本の魔物に変わってしまう。もし、私が戻らなければ……」

 

 唇をかみしめる。ハルナに何かあれば悔やんでも悔やみきれない。友だちを失うわけにはいかない。

 

「いや、待ちなさい。君一人を行かせるわけにはいかん。一人で対処するには危険すぎる。本喰らいに対処する仲間が必要じゃ。こちらも支援を行う。それまで軽挙は慎んでくれ」

「わかりました……」

 

 一礼して学園長室を退室する。まだ人がいない校内を歩く。

 

「綾瀬夕映」

 

 不意に名を呼ばれ立ち止まる。その名を呼ぶのはエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。その傍らに従者である絡繰茶々丸がいた。

 

「エヴァンジェリンさん……」

 

 待ち伏せしたにしてはここで襲うことはないだろう。夕映は真偽を見きわめようとその視線を受け止める。

 

「どういうつもりです? 昨晩、あなたは私が来ることを察知していた。違いますか?」

「違わない。囮を用意してお前の気を引くことを考えたのは私だ」

 

 否定はなかった。

 落ち着くです。感情的になってはいけません。相手の出方を見ましょう。

 

「目的は何ですか?」

「私の目的……あの魔法使いの坊やだが、あの小僧は私がもらう」

「どういう意味です?」

「深い事情があってな。お前にあの小僧との決着を邪魔されたくないんだよ。早乙女ハルナはそのために利用させてもらった」

「な……」

 

 ハルナを……利用した?

 

「あの本喰らいは……」

「私が解き放った。茶々丸にやらせてな。本から移して憑依させた。潜伏中は貴様でも察知はできなかっただろう?」

 

 夕映の視線を受けて茶々丸の表情は無感情を映す。

 

「わざわざそれを私に話すのはなぜですか?」

「端的に言うぞ。綾瀬夕映、私の仲間になれ。貴様の力を私のために役立てると誓え。ただの脅しではないぞ。満月の夜までに早乙女ハルナの呪縛を解けねばあの娘は死ぬ。従うと誓えばあの本喰らいは私が始末する」

「その言葉を信じろというのですか?」

 

 奥歯を噛んだ。手が真っ白になるほど強く手を握りしめる。これほど強い感情を誰かに抱いたことはなかった。

 その感情の濁流を呑み込んで夕映は顔を上げる。

 

「そう、怖い顔をするな綾瀬……単純だ。従うと誓え──」

 

 夕映の口が言葉を形作る──それを聞いたエヴァンジェリンと茶々丸はその場を去るのだった。



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7話 助っ人

 桜通りの吸血鬼──

 犯人はクラスメイトのエヴァンジェリンさんと判明し、そのパートナーは茶々丸さんでした。

 彼女たちはハルナに本喰らいを憑依させ私に仲間になれと言ってきました。目的はネギ先生だとも。

 学園長には危機を報せたけれど、これは私の問題です。本喰らいを封じるのは私の役割。それは紙使いの宿命と言えるものです。

 誰かに強制されたわけでも、誰かに約束したわけでもありません。

 

 でも、どうやってハルナを救えばいい?

 お爺様、私はどうするべきだったのでしょう?

 私は答えを誤ったのでしょうか?

 ダメです。全然考えがまとまらない。

 

 夕映は立ち止まって湖畔を眺める。寮に帰るに帰れないままここにたどり着いた。

 寮に帰ればハルナがいないという現実が待っている。

 それにのどかにどう説明し納得させたらいいのかわからない。彼女と顔を合わせて自分が普段通りに振舞えるのだろうか。

 心が不安に塗りつぶされる。心細い気持ちをペンダントを握って落ち着かせる。

 

「私は逃げてばかりですね……」

 

 湖面に移る自分の顔が揺らぐ。

 水面の向こうに図書館島がある。満月の夜に指定された決闘の場所だ。おそらく敵は図書館の利を生かした戦いを仕掛けてくるはずだ。

 私がハルナを助けるためにできること……

 鞄を見る。学校に行く癖でつい持ってきてしまったが、これが夕映の全戦力である。

 戦いは避けられない。身につけた力は誰かを守るための力。祖父が残してくれた唯一のもの。

 

「前を向くのです。綾瀬夕映。我思う、ユエに我あり。それが私。ハルナを絶対に助けます」

 

 言葉にして自分の意志を確かめる。それが自分が自分でいられる言葉だったからだ。

 後で古書店に寄る用事もできた。夕映は頭の中を切り替える。さっきまでの気弱な自分にはさようならだ。

 今日一日のはっきりとした目的が定まった。

 

「行ってみよう……」

 

 夕映は湖畔沿いの道を歩き出す。図書館島に向けて。

 

 

 その頃──閑静な竹林をエヴァンジェリンと茶々丸が歩く。

 つまらぬ仕事だ……麻帆良を覆う結界の見回り中である。

 自らを縛る忌々しい結界を守る任務をしていることは屈辱だが、この仕事をしたおかげで結界の弱点を探ることもできた。

 麻帆良に張り巡らせた電力網と結界は連動している。計画的に大停電を引き起こすことで一時的にだが封印されていた力を復活させることができる。

 満月の夜が勝負だ──

 

「マスター、なぜ彼女を挑発したのですか?」

「なぜも何も、私は悪者の役割を果たしただけだ。綾瀬は動かない。十分な成果だ」

「……」

 

 茶々丸の無言の視線は前を向いたままだが、従者の機微をエヴァンジェリンは感じ取る。

 綾瀬夕映との交渉はうまくいかなかった。思いの外強情な娘だ。

 

「不服そうだな」

「いえ、そのようなことは……」

「あの娘に嫌われるくらいどうということはない。私たちの計画は長い時間をかけて練ってきたものだ。今回を逃せばその機会は失われる。二度あるとは思わないことだ」

「そうですが……」

 

 なおも茶々丸が言い募る。彼女にしては珍しいことだ。

 

「ああ、もう! わかっているさ。綾瀬夕映を引き込むのであればもう少しやり方があったと言いたいのだろう? 茶々丸」

 

 立ち止まって腕組みをしてエヴァンジェリンは茶々丸の前に立つ。

 

「はい」

「お前バカ正直回路でも付けたのか?」

「いえ、葉加瀬との定期メンテナンスを行いましたが付けていません」

 

 茶々丸のAI回路は日々進歩し続けている。心と呼べる程のものが生まれつつあるのか? その成長を喜ぶべきか……

 

「味方に引き込むのは無理でも、中立の立場を約束させられたが、あえて背かせるように仕向けた。そこに疑問を持っているな?」

「はい、お考えがあるのでしょうか?」

 

 エヴァンジェリンのあのときの行動は威圧的なものだった。綾瀬夕映をこちらの思うように従わせる方法としては愚策である。

 マスターにそこまで反論するのは茶々丸の機能が抑制する。 

 

「お前は賢いが人のことはまだわからぬな。仮に綾瀬夕映と結んだとして、早乙女ハルナに憑かせた本食らいの始末を私が行う余裕が持てるかがネックになる。戦って分かったが、魔法使いの坊やの実力は本物だ。そんじょそこらのボンクラ魔法使いとは一線を画している。満月の夜に解除される結界は時間限定だ。坊やを相手にしつつ本喰らいの相手などしておれん。できたとしても私は坊やの血を吸うことを優先する」

 

 そこまで告げて、いったん息を注いで吐き出す。

 昨夜のネギとの戦闘で思った以上の実力を持つことが判明した。

 魔法の腕前はまだまだだが、魔力が足りない身で補助の魔法薬を使って戦うエヴァンジェリンをタジタジさせた。

 それが一度は約束したことを守れるかわからない要素となっている。

 本喰らいとなった早乙女に確実に対処できるかわからないことにエヴァンジェリンも迷うこととなった。

 

「綾瀬には早乙女を救ってもらわねばならない。あの娘にはそれだけの力がある。私が力を取り戻しても早乙女は救えないかもしれない。坊やがすんなり血を吸わせてくれれば別だがな。私の一番の敵は時間だ。茶々丸、私に失望したか?」

 

 主として認めたくない言葉であるが、茶々丸に対して偽ることはエヴァンジェリンの矜持にかかわる。

 

「いいえ。マスターは彼女のことを信頼なさっておいでなのですね」

「そんなものではない。泰造の秘蔵っ子にして紙使いの力を受け継いだ娘だ。本喰らいに対処するのに最も適材な者を当てるだけさ」

「おーい、エヴァ~」

 

 向こうからかかる声にエヴァは振り向く。高畑がこちらへやってくる。茶々丸が頭を下げて出迎える。

 

「む? タカミチか……何の用だ。仕事ならしているぞ」

「学園長がお呼びだ。一人で来いってさ」

「わかったよ……すぐに戻る。先に帰ってろ」

「はい、マスター……お気をつけて」

 

 二人が行く先を見送って茶々丸が告げていた。

 

 

 昼も過ぎた頃──夕映がいるのは古書店だ。店主に連絡して休日の店をわざわざ開けてもらった。

 図書館島での用事はもう済ませている。紙が足りなくなったので再補填しにここにきていた。先日買った分はすでに使い果たしている。

 全部を仕掛けとして使ってしまったが、それがうまく機能するかはまだわからない。ただできるだけのことをしたいという気持ちを止められなかった。

 

「おじさん、機械をお借りします」

「休みなのにお仕事かい、夕映ちゃん」

「はい……」

 

 店主は紙使いとしての事情を知るので詳しいことまで聞いては来ないが、祖父との間に築いた信頼関係で友誼を保っている。

 紙を均一に切る機械の使い方を教えてもらったが、紙を切り始めると店主が操作を代わってくれた。

 

「夕映ちゃんはゆっくりしていっていいよ。こいつは俺の仕事だからな。先生の紙は俺が全部作ってたんだ」

「お願いします」

 

 夕映は目元を抑える。念を使いすぎて目の下にクマができている。

 紙を扱うのに必要とされるのは強靭な精神力だ。紙は式神などで使う式譜と同じものだが基本は無地だ。

 術式となる紋様や呪文などは一切刻まない。術式は使い手の念そのものだ。

 まっさらな紙に念を込めることで自由自在に力を操ることができるが、術者の精神力に依存するので寝不足は天敵である。

 店主の言葉に甘えて夕映は古書の戸棚を見ながら一冊手に取って広げていた。紙を切る音を聞きながら夕映はページをめくる。

 

「毎度アリ!」

 

 全部の紙の束を前にそれを鞄に回収する。きちんと結束された紙を一つずつ入れていく。今回は紙は多すぎても困ることはない。

 ずっしり重くなった鞄を持って店を出る頃には夕暮れも近かった。

 

「綾瀬さん」

 

 呼び止められ振り向くとネギと明日菜がいた。

 

「ネギ先生、戻ったんですね」

「はい、綾瀬さん。ご心配おかけしました」

 

 ぺこりとネギが頭を下げる。その後ろからカモがぴょこんと顔を出す。

 

「私たち茶々丸さんの後をつけてるの」

「茶々丸さん?」

 

 見る限りではいないようですが……

 

「そこのお店に入って行きました。ペットのお店みたいですね」

「そうですか……」

 

 きっと、猫のエサを買っているのでしょう。猫たちは元気でしょうか?

 

「明日菜のねーさんがネギの兄貴とパクティオー(従者契約)したので次はエヴァンジェリンのやつにギャフンと言わせてやれます」 

「パクティオー?」

「あ、兄貴! 茶々丸のやつが出てきました。ちんたらしてると茶々丸を見失いやすぜ!」

 

 カモが指さす先に買い物をして店を出てくる茶々丸の姿があった。

 

「行かないと!」

「じゃあ、綾瀬さん。また後で」

「む……」

 

 二人が慌てて行くのを夕映は見送る。

 

 彼女は……今の状況では敵と呼ぶのでしょうか? 私の知っている彼女は優しい人です。ロボットだけど心があります。私は……

 

 一度は帰りかけた足を止めた。

 

 やっぱり……気になります。

 

 夕映は二人の後を追っていた。

 姿を見失う前に明日菜のツインテールを辛うじて見つける。茶々丸の行先はもうわかっている。

 いつかの空き地に入って行く。夕映は息を切らして辿り着いた。

 空き地でネギたちと茶々丸が対峙している。

 

 普段から体を鍛えていないときついですね……

 

 従者としての力を解放した明日菜が茶々丸に肉薄して接近戦に持ち込んでいる。

 ネギが魔法の詠唱を始めて間に合わないと判断し夕映は紙を取り出した。

 「疾走」と浮かんだ紙を両脚に張り付けて夕映は跳ぶように駆ける。

 

「──魔法の射手(サギタマギカ) セリエスルーキスっ!」

 

 詠唱を終えたネギから回避不能の自動追の魔法が茶々丸に向けて放たれる。

 

「自動追尾型魔法──回避不能……マスター、私が戻らないときは猫のエサを……っ!?」

「「八方盾!」」

 

 茶々丸の周囲に突如、八方の陣が浮かんだ。茶々丸の前に躍り込んだのは夕映だ。

 

「綾瀬さんっ! やっぱりダメぇ~~!!」

 

 ネギが魔法の射手の操作を反転させて自分の足元に着弾させて吹っ飛んでいた。

 その瞬間に茶々丸は飛んでいた。文字通りロケットのように足から噴射させての飛行である。あっという間に空の向こうに消えていく。

 

「何やってるのよ、ネギ! 怪我するわよ!」

「兄貴、自分に撃ってどーすんですかぁっ!」

「茶々丸さんも綾瀬さんもボクの大事な生徒ですから……」

 

 ネギが目を回しているがケガはない。魔法使いの魔法障壁がそらして防いだのだ。

 夕映の足元に紙が散って落ちる。ネギが矢をそらしたので防御の用は為さなかった。

 

「綾瀬さん、ケガはない?」

 

 明日菜が夕映の様子を確かめる。

 

「夕映のねーさんも何で茶々丸を庇うんすか~」

「私は何ともありません。ネギ先生は大丈夫ですか?」

「ボクは平気です。綾瀬さん、何であんな危険なことを? すいません……ボクがあんなことしたせいですよね。みんなボクの生徒なのに!」

 

 自分の頭をポカポカとネギが殴る。

 

「すいません。余計なことをしました……」

「いいのいいの、私だって茶々丸さんと戦いたいわけじゃないもの。大元はエヴァンジェリンのやつなんだから。本人にやり返してやりましょう」

 

 それから寮までみんなと一緒に帰りました。

 とっさに動いてしまいましたが……ネギ先生が人を平気で傷つける人ではないことはわかっていましたが、図らずも自分で体験してしまいました。

 魔法使いの魔法とは実に強力なものなのですね。あの攻撃を防ぎきれたかは自分でもわかりません……

 夕映は部屋の前で迷う。朝から逃げるようにして出てきてしまった。

 

「……ただいまです」

「お帰り、夕映」

 

 いつもののどかがそこにいる。

 そしてたまらなくなる。ここにハルナがいないことを思い出してしまう。

 

「入らないの?」

「入ります……」

「夕映」

「はい」

「ケーキ、食べようか?」

「食べます……」

 

 ろくに食べてないことを思い出す。とたんにお腹がグーグー言い出す。

 

「お腹減ったです……」

「すぐに出すね」

 

 のどかが冷蔵庫から出したケーキはモンブラン。夕映とのどかで一つずつ。ハルナの分もある。

 

「はい、ショコラサンダーだよぉ~」

「おお、これは……元気百倍出そうです」

 

 ショコラサンダー。麻帆良が生み出した奇跡のご当地ドリンク。毎月毎月、いかにしてこのようなものが出回っているのかは麻帆良七不思議の一つである。

 

「いただきます」

「いただきます……」

 

 とても甘い。とろけるその甘さを弾ける甘さで流し込む。 

 

「美味しいです……」

「夕映? ど、どうしたの、泣いてるの?」

 

 不意に胸に熱いものが込み上げて来る。目元の熱いものを夕映は拭う。

 

「泣いてません」

「泣いてるよ……」

「違います」

 

 後ろを向いて夕映は涙をティッシュで拭った。

 私はこの穏やかな時間と大切な人たちを守れるのでしょうか?

 友だちのハルナを取り戻せるのでしょうか?

 お爺さん力を貸してください──胸のペンダントに願いを込める。

 

 

 そして満月の日──学園長に呼び出されたのは世界樹が見える広場。夕映の前に現れたのは桜咲刹那と龍宮真名の二人だった。

 

「綾瀬、学園長から話は聞いている。生徒の命がかかっている。手を貸そう」

「私も微力だが助けになるよ。バイト代は弾んでくれると学園長から言質も貰ったしな」

「真名はとことん現金主義だな……」

「命を懸ける分だけの報酬は必要だ」

「……ありがとうございます」

 

 夕映は深々と頭を下げた。学園長は約束を守って二人の心強い援軍を送った。

 決戦場は図書館島です。準備は整いました。ハルナ……待っていてください。私は必ずあなたを取り戻します──



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8話 本の無限領域の世界(Book Of Unlimited World)

 夕映と真名に刹那は図書館島の入り口にいる。時刻は満月の夜間近だ。

 

「桜咲さんと龍宮さんのお二人には頼みたいことがあります」

「作戦か、綾瀬? 名前は真名と呼んでくれて構わないぞ」

「ええと、作戦というほどのものではありません。先日、図書館島の各ポイントに紙を配置しました。これを見てください」

 

 夕映の頭につけたヘッドライトは図書館探検部の備品だ。普段から使うようなものではないが、のどかとハルナの物を真名と刹那に貸与している。

 図書館島の地図を二人に見せる。透かしに番号を振ってあって重ねれば四角のマスで区切られ図書館島の各ブロックがわかるようになっている。

 地図には赤や青と緑のペンで印がしてあった。

 

「これは罠か?」

 

 真名が色違いの印が何であるか尋ねる。

 

「正確には探知機のようなものです。あと警報も仕掛けてあります。敵は図書館島を指定しましたが場所を特定しませんでした。地形的にここは敵の本拠地のようなものですが、こちらに備えがあることまではわからないはずです」

「つまり、私たちということだな」

「はい」

 

 刹那に頷いてみせる。

 

「お二人に任せたい役割は陽動と追い込みです。一人が待ち構えて誘導しながら、一人が敵を連れてくる感じです」

「では私が陽動を引き受けよう。刹那は追い込み役を頼む。いつもの手順で行くぞ」

「わかった。任せるがいい」

 

 二人は組んでそこそこ長いですから、私と組むよりはコンビネーションを発揮してくれるはずです。

 

「私はここに待機して位置を報せます。桜咲さんはここまで追い込んでもらえれば後は私が対処します。私が敷いた結界に閉じ込めることができれば勝てます」

「理解した。私に異存はない」

 

 真名が頷く。刹那は真剣な眼差しを夕映に向ける。

 

「綾瀬、一つだけ聞きたいことがある」

「はい。どうぞです。桜咲さん」

「体を乗っ取られた早乙女を元に戻すことが本当に可能か? 私はまだお前の力をよくは知らない。早乙女の命を預けるに相応しいか判断がついていない。本当に本喰らいに対処できるのか?」

「刹那、綾瀬が専門家だと言ったのは君だぞ?」

「悪いが本音だ。人命がかかっている。一般生徒を巻き込んでいるのだ。慎重にもなる」

 

 真名にコレは引かないと刹那が態度で示す。

 

「私の力量に不安を持っているのですね……信じてほしいとは言えません。ですが、ハルナは私の友人です。必ず連れて帰るつもりです」

 

 夕映の言葉を真名と刹那が受け止める。

 

「わかった……作戦を詰めよう」

 

 

 くっきりとした満月が夜空に浮かんでいる。今、同じ空の下で二つの戦いが始まろうとしている──

 一つは吸血鬼エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと魔法先生ネギ・スプリングフィールドの戦いだ。

 そしてここ図書館島でもう一つの戦いが始まる。

 

「何だ?」

「停電か……」

「これが合図ということですか……」

 

 麻帆良の明かりが次々に消えていく。何が起きているかを知らぬ人々にとってはただの停電に過ぎない。

 夕映は胸のペンダントが反応するのを感じ取る。ハルナが……本喰らいが近くにいる。

 

「行きましょう」

 

 図書館島の明かりはすべて落ちている。ヘッドライトをつけて三人が決戦の場に踏み入っていた。

 

「時は来た……その命、この私が喰らい尽くしてやろう」

 

 図書館島の頂上でハルナの体を乗っ取った本喰らいが笑う。すでに侵食はかなり進み力を得ている。その姿が揺らいで図書館の中に転移していた。

 夕映は閉じていた目を開く。こちらのレーダーに引っかかったのだ。

 

「真名、反応を感知。アの五からイの四です」

『了解。刹那、行くぞ』

 

 夕映は敵の次の動きを予測する。呼び名に関しては作戦遂行のため短縮して呼ぶことを了承させられた。

 それぞれのエリアに張り巡らせた紙が夕映の目であり耳である。込めた念を反響させながら周囲の紙を震わせて余波を周囲に撒きながら敵が移動する位置を割り出していた。

 今や夕映は念波を受け取る司令塔である。コウモリのように念を音波のように感じ取ることに全神経を集中させている。

 人間も生体波動を発している。刹那や真名を間違えることはない。本喰らいが放つ波動は独特の周波を持つ。

 夜であるからには予め目などは役に立たないとはわかっていた。停電はあらかじめ想定に入れていたわけではない。

 夕映は二人に指示を出す。

 

「刹那、うの六を南に追い込んで」

『対処する。来た。引き付けるぞ』

 

 相手の動きを探るための探知に紙を多く割いている。二人の位置も見失ってはいない。

 敵を引っ掻き回し、こちらの仕掛けた結界に引き込むのが狙いだ。今や夕映が地の利を得ているが油断はできない。

 

「真名、そこから左へ誘導してください。かの六の袋小路に追い込めます」

『ここまで暗闇の中でスムーズに指示されてると何かうすら寒いものを感じるよ。行ったぞ』

「絡めとります」

 

 夕映は魔本のペンダントを魔封じの鎖から外す。

 

「解放っ!」

 

 鎖から解き放たれた本が光を帯びると本来の本の形を取り戻して夕映の手の中に収まった。

 

「綾瀬~!!」

 

 髪を振り乱した本喰らいが飛び込んでくる。その姿は強力なトリモチ弾によって動きを阻害されているが驚異的な身体能力で天井を駆けた。

 あえて夕映は無防備な姿を敵の前に晒した。紙の防御陣すら敷いていない。 

 体を回転させて本棚を蹴った本喰らいが突進してくる。

 

「綾瀬っ! 避けろ!!」

 

 刹那の声が響くが夕映は動かない。本食らいが夕映の目前に迫る瞬間──

 本のページが開き、世界は時間を止めた。周囲は本に囲まれた世界から彩りのある色彩に彩られていく。

 

「接続──」

 

 夕映が言葉を発して本喰らいを光が包んだ。結界とは区画ではなくこの本そのものを指している。

 魔本は使い手の内面世界そのものだ。持ち主の魂の物語を具現化したもの──。

 紙使いの切り札であり、自らの内面世界に魔物を引きずり込み本喰らいを封じる奥の手であった。 

 

【本の無限領域の世界(Book Of Unlimited World)】

 

 解放された本の力で夕映の姿も変化を遂げる。

 解かれて乱れた髪がハーフアップに結われ、大きな赤いリボンが止められる。制服も消え去り赤い女袴の着物姿に変わった。足には黒革の紐ブーツだ。

 どこから見ても大正時代のハイカラ女学生の姿へと変貌を遂げていた。

 周囲の景色も大正さながらの建物と乗り物が存在し人々が行き交っている。だが、それは現実の人ではない。

 綾瀬夕映の物語が創り出した幻想の住民たちであった。

 その手に本はない。この世界が魔本そのものなのだ。

 

「アハハっ! 喰らいがいがあるよ! お前のすべてを私がもらうっ! ここにはお前の仲間は入れまい」

「ええ、己が身を食わせてあなたを討ちます。ハルナを返しなさい!」 

「できるものかぁ。すでに九割がたは私のものさ。このようになっ!」

 

 空間から黒い槍が飛び出して夕映を襲った。

 

「無駄です」

 

 身をひるがえした夕映の後を黒い槍が追う。だが、普段の夕映にはあり得ない速さでその攻撃を避ける。

 閉じられた空間からの予測不能な空間攻撃を息も切らさずに捌き切っていた。衣にも傷一つついていない。

 

「ここは私の世界です。あなたの攻撃は効きません。いかに宿主の物語を喰らおうともここでは勝てませんよ?」

「余裕こいてる暇はないぞ、綾瀬夕映……もうじきだ。もうじきこの娘は白紙になる。私がすべてを喰らい尽くすのだからな」

 

 背中を向けて本喰らいが走り出す。狂った声を響かせながら道行く者を薙ぎ払う。血をまき散らすがそれは生者のモノではない。

 

「待つですっ!」

 

 今度は夕映が追う番となった。

 橋を駆け抜け。

 路面電車を追い抜いた。

 その先には塔がある。

 重力などないように本喰らいが塔の鉄筋を走って頂上の展望室に達した。

 

「終わりさ……早乙女ハルナは真っ白の本となって朽ちる……あはははっ!」

 

 赤い目が追ってきた夕映を捉える。その夕映を指差した手から腕までがめくれて白紙のページをなびかせる。ハルナの全身が白紙に変わりつつあるのだ。

 本喰らいによって物語を食いつくされた人間は本に還る。それが本喰らいに憑りつかれた人間の末路であった。

 

「哀れな本の魔物……人間の物語を喰らい、どこまでも満足せずに物語を喰らい続ける。それは私も同じです。私の中の魔物がお前を喰らえと囁き続けます。いつまでこんなことが続くのでしょう」

「お前が私を喰らうか、私がお前を喰らうか。こい綾瀬夕映っ! 魂をかけて私と戦えっ!!」

「勘違いしないでほしいです。お前はここに入ったときからもう喰われています。私の中の魔物にっ!」

「っ!?」

 

 本喰らいの背後の影が伸びた。その影は人の形をしているが全身に目があった。いく百もの目が見開いて獲物を見下ろす。

 夕映にも制御できぬ本の中の魔物である。唯一魔封じの鎖で封じていたモノ。自らを本の魔物の脅威にさらすことで本喰らいとの共食いを誘発させた。

 

「くははははっ! いいぞ喰らうがいい! だが、早乙女ハルナももろともだっ!」

「させないです」

「むっ!?」

 

 前に出た夕映の姿がかき消えて本喰らいを抱擁するように拘束する。

 

「私を喰らうのでしょう? だったら、私に喰われる前に私を喰らい尽くすです。お前の望み通りに」

「何をするつもりだ?」

 

 本喰らい──ハルナの唇に夕映の唇が重ねられた。すると、本喰らいの背後の影が消えて夕映の中に入っていく。

 ハルナを抱えたまま夕映は膝をつく。そして二人はその場に倒れていた。

 

◆ 

 

「おい、綾瀬っ! 綾瀬、起きろ」

「やはり目を覚まさないか……」

 

 月が浮かぶ空。麻帆良市内は停電から復旧し、街は明かりを取り戻していた。

 真名と刹那の前に意識のない夕映とハルナが横たわっている。先ほどの戦闘で見せた異常さはもうハルナには見られない。

 二人は夕映たちを図書館島の外に運び出して路面に寝かせていた。

 

「学園長はじきにくる」

「ああ……」

 

 真名がハルナの呼吸を確認する。起きる気配はまったくない。ハルナの顔は白く、存在そのものが恐ろしく希薄になっていた。

 異常は夕映の身に起きていた。体のあちこちが「めくれ」本のページのように開いては閉じてを繰り返し、また別の体の部位で同じ現象が起こる。

 その捲れたページには文章が書かれているが、時系列はすべてバラバラであった。

 

「いったいこれは何なのだ?」

「まったく見当がつかないが、綾瀬が本喰らいと戦っているようにも見える」

 

 真名の指摘通り、夕映の体の中で二つの魔物が戦いを繰り広げている。互いを喰らい合いながら、体の所有権を巡って争っているのだ。

 

「どうやら遅かったようだな……」 

「エヴァンジェリン」

 

 刹那が立ち上がって来訪者を出迎える。

 結界に再び囚われた吸血鬼エヴァンジェリンが二人の前に立つ。その後ろには茶々丸とネギ、明日菜らがいる。

 すでに彼らの勝負は決着がついていた。 

 

「みんな、どうしてここに? 綾瀬さんと早乙女さん、どうしちゃったの!?」

「近寄るな、神楽坂明日菜。今は綾瀬に触れてはならない」 

「どういうことですか? エヴァンジェリンさん?」

「坊や。今、この娘の中で魔物同士が争っている。どっちが勝ったとしてもろくなことにはならないだろうな。もし目を覚ましたとしても綾瀬がお前たちの知る綾瀬であるかはわからないぞ」

「ええ……?」

「どういうことだ。エヴァンジェリン。説明してくれないか?」

 

 真名が問う。

 

「……本の魔物を綾瀬は解き放ってしまったようだ。早乙女を救うために自分の体に本喰らいを取り憑かせたのだろう。綾瀬の中で二つの魔物が肉体の所有権で喧嘩中さ。綾瀬の心が強ければ本喰らいに心を喰われず、なおかつ本の魔物の制御に成功すれば戻って来れるが……確率は五分五分といったところだろう。禁断の闇の呪法とはよく言ったものだ」

 

 エヴァンジェリンの言葉に自嘲気味の響きが混じる。

  

「どうにかできないのですか? エヴァンジェリンさん……」

「この娘の精神力次第だ。我々ができることはない。坊や、人の心に入り込むのは人間の闇に直面することになる。もしこの娘の心の中に入り込んで連れ戻すにせよ、その闇に呑み込まれないだけの力が必要だ。お前にそれを乗り越えるだけの力はまだない。本の魔物は蟲毒の蛇だ。私の力が戻っていればな……」

「そんな……」

「おお、ネギ先生ではないか。それにエヴァンジェリンもおるのう」

 

 老人の声が響く。学園長の登場に全員が注目していた。

 

「何だ、爺か……」

「どうやらネギ先生との力比べはイーブンだったようじゃの」

「違う。私が勝っていた! それと、ただの力比べをしていたわけじゃないぞ。停電復旧がもう少し遅ければ確実にこの坊やの血を吸っていたぞ!」

 

 エヴァンジェリンがネギを指差して抗議する。

 

「綾瀬っ!?」

 

 異変に気付いた刹那が刀に手をかける。妖気に包まれた夕映の体が浮かび上がり重力を無視して宙に浮いている。

 

「ち、始まったか……」

「皆、下がっていなさい。エヴァンジェリンもネギ先生も手出しは無用」

「でも学園長……」

「坊や、止めておけ。今ここで処理ができるのは爺だけだ」

 

 エヴァンジェリンがネギを止めて二人は下がる。

 

「さて、綾瀬夕映ではあるまい? はたしてどちらかのう? 本喰らいか、それとも……」

『綾瀬夕映……私を封じた、忌々しい男の孫娘か……』

 

 その口から洩れるのは怨念の響きを持つ幽鬼の声のようだ。

 

『肉体を得るは数十年ぶりよ……』

 

 溢れ出る力がここにいる全員を圧倒する。本喰らいを食らってか精気に満ち満ちている。

 

「何という妖気だ……本食らいの比ではないぞ」

「真名、学園長でも無理なら、私が綾瀬を斬る」

「ふぉふぉふぉ、久しぶり過ぎていささか図に乗っておるようじゃ。それっ!」

 

 学園長から放たれたものが飛んで夕映を乗っ取った魔物が打ち払う。だが、その瞬間、雷撃が魔物を打ち据える。

 持続した雷撃がその身を縛り魔物が苦悶の声を上げる。

 

「退魔呪雷縛陣っ!?」

 

 刹那が退魔秘術の技を漏らした。最高位の陰陽術の一つとして知られている技だ。

 

「苦しかろう。その体から出たらどうかのう?」

『ふざけるな! ぐぉぉぉっ!』

 

 呪縛された夕映の体から黒い妖気が漏れ出して地面に落ちて形を取り始める。実体はないが妖力密度の濃さから相当の質量を伴っていた。

 学園長が懐から取り出した鎖を放る。すると鎖は一本に解かれて外に出た魔物を縛り上げていく。元の長さを超えて何らかの術が働いていた。

 浮遊していた夕映の体が落ちるのをネギが滑り込んで受け止める。

 

「綾瀬さん、大丈夫ですかっ!?」

「……ん。ここは? ネギ先生? なにがあったです?」

 

 薄っすらと目を開けた夕映にネギが良かったと呟く。状況を把握しきれず、夕映はぼんやりと学園長を見る。

 その先に鎖に縛られた魔物の姿があった。

 

『鎖如きが! ぐぉぁぁ~~っ!!』

「ふぉふぉ、先ほどの雷術よりも動けまい。何せ、その鎖は本を封じていた魔封じの鎖よ。泰造の忘れ形見。再びその鎖で縛られるがよい」

『おのれ~ 爺っ! 貴様を殺すぞっ!!』

 

 蠢く実体のない闇が腕を伸ばす。その縛る鎖が動きを封じて身悶えしている。

 

「このまま消滅させるのも手だが、命乞いをするかの?」

『誰がするかぁぁっ! このクソ爺っ!』

「クソ爺という点は私もおおいに同感だな」

 

 腕組みのエヴァンジェリンがうんうんと頷く。何せ身に覚えがありすぎるくらいだ。

 

「では最後の仕上げといこうかのぉ……」

 

 学園長の手にあるのは式符だ。陰陽道における人型の式神を呼び出すためのものだ。学園長から符が放たれ鎖で縛られた魔物に命中する。

 すると、実体を持たぬ魔物の姿がみるみるうちに人型に変わっていく。同時に魔封じの鎖が出現した者の全身に巻き付いていた。

 黒い闇が払われて白い蒸気を上げて周囲を覆い尽くしていく。

 すぐに蒸気が晴れて、見守っていた者たちの前に素っ裸の少年が現れる。

 その身を縛る鎖が模様のように体に刻まれていた。頭には角が、額には三つ目の目がある。目元は邪悪な光に満ちている。

 

「あー、くそっ! 何だ、これはっ! ガキになっちまった!」

 

 鬼の少年が荒々しい粗暴さで自分の体をかきむしる。見た目的には一〇才ほどの少年となっていた。

 

「うそ……男の子に……」

「なっちゃった……」

 

 明日菜の呟きにネギが続く。

 

「学園長これは……式神、なのですか?」

「うむ、刹那君。近いが少し違うのう。魔封じの鎖が魔物本来の力をほとんど封じておる。それ以外はただの子どもじゃよ」

 

 刹那の問いに学園長が答えて笑う。

 

「どうじゃ、力を出せまい?」

「爺、なにしやがったぁぁ~~っ!」

「お主には選択肢が二つある。このまま人の姿でその身の妖力が尽きるまでその姿で過ごすか…‥」

「このパターンは私も経験済みだ。ナギといい学園長といい意地が悪いな……」

 

 額に手を当ててエヴァンジェリンがクスクス笑う。登校地獄一五年に比べればまだ生ぬるいレベルではある。

 

「もう一つは、消滅を望まぬのであれば綾瀬夕映の従者になることじゃ」

「はい?」

「なんだとっ!!」

 

 夕映と鬼の少年の声が同時に上がる。少年が学園長に殴りかかるがあっさりとかわされる。

 

「俺が小娘の子守だとふざけるなよ!」

「その鎖に縛られている限り、お主は力を失ったじゃじゃ馬に過ぎん。ここにいる綾瀬夕映が依り代に力を注がねばお主は消滅して消え去るだろうな。どうじゃ、選択の余地は与えたが……」

「それは選択とは呼ばないです……」

 

 意地悪な学園長にぼそっと夕映が漏らす。

 依り代が紙ということは、紙使いとしての力を注いで燃料補給するということだろうか? 原理は陰陽術の式神とほぼ一緒だろうと推測する。

 

「くっそー。ずっと俺を縛るやつの魂を喰らうのが悲願だったというのに。何だこの屈辱は!」

 

 夕映にずかずかと歩み寄って鬼の少年が睨みつける。悔しさからか、その目の端に涙が浮かんでいる。

 何だか子どもっぽいです。

 

「お前! 今、笑っただろっ!?」

「いえ、笑ってないです。ぜんぜん」

「いや、笑ったろ!」

 

 目の前のやり取りに緊張感はまるでない。

 

「どうやら一件落着のようだ。私たちの仕事はこれで終わりだな、刹那」

「終わってはいないだろ。早乙女がまだだ」

「ハルナっ!」

 

 夕映が寝かされているハルナの所に走り寄る。

 

「へ、ずいぶん喰われちまってるな。こりゃ、手遅れじゃないか?」

 

 鬼の少年が後ろから声をかける。その声には反応せずに夕映はハルナの記憶を探った。

 あった……まだわずかに記憶の痕跡を残している。再生は可能だ。

 

「記憶を修復します」

「そんなことできるの? 綾瀬さん?」

 

 いまだに状況がさっぱり把握できていない明日菜が尋ねる。

 

「一つずつやります。必ず、元に……」

 

 フラっと夕映は意識を持っていかれそうになる。その肩をネギが支えた。

 

「無理だぜ、精神力を使い果たしてやがる。そこのねーちゃんを助けるのに自分の体に俺たちを誘い込んだからな。あと一歩で全部俺が全部喰ってやったのによぉ」

 

 ケッと吐き出すように鬼の少年が言葉を吐き出す。

 

「ちょっとあんたねえ。綾瀬さんは命がけで早乙女さんを助けたんだよ!」

「俺は誰がくたばろうが知ったことじゃねえ!」

 

 鬼の少年が明日菜に食ってかかる。カッカした明日菜とにらみ合いになり、ネギが引き離した。

 

「綾瀬君も早乙女君も学園の保健室に運びなさい。早乙女君の治療は綾瀬君が回復してからじゃ。早乙女君は……インフルエンザで入院中ということにしておく」

「爺、俺はこの女のお守なんてしねえぞ!」

「ふむ、正確にはお守をされる方じゃな。命の選択権は綾瀬君次第じゃからな」

 

 顎髭をしごいて学園長はひょうひょうと返す。

 

「くそぉ……おい、女」

 

 鬼の少年が夕映の前に立つと背中を見せて座る。

 

「何です……?」

「背中に乗せてやる。さっさとしやがれ。クソ女」

 

 どう考えても親切と感謝する言葉使いではありませんね……

 

「自分で立てます」

 

 夕映は明日菜の手を借りて自分で立つ。ハルナは真名が背負っている。

 ああ、でもやっぱり厳しいです……

 倒れかけた夕映の体を茶々丸が受け止める。

 

「綾瀬さん、ここは私が」

 

 有無を言わさずという感じで茶々丸が夕映を両手に担ぎ上げる。いわゆるお姫様だっこである。

 

「あー、ありがとうございます……」

「いえ……こちらこそ」

 

 夕映は茶々丸を見上げる形で礼を言う。

 何だか……恥ずかしいけれど、ちょっとドキドキしますね……

 

「け…… いでぇっ!?」

 

 鬼の少年の頭を学園長がはたく。

 

「こやつも少し礼儀作法を教えた方が良かろうて。ネギ先生や」

「はい、何でしょうか、学園長?」

「これも、魔法使いの試練じゃ。手のかかる生徒が一人増えるが構わないかの?」

「えー! もしかして彼がボクの生徒ですか?」

「何だてめえも魔法使いの仲間かよ……」

 

 戸惑うネギに挑発的に鬼の少年が返す。

 

「いでっ! 爺、叩きまくるんじゃねえっ!」

「これからはお主もネギ先生の生徒じゃ。人間世界のことを深く知ると良かろうて」

「クソー、最悪だ……」

 

 ズキズキ痛む頭を押さえて鬼の少年はふてくされるのだった。

 こうして、桜通りから始まり、満月の夜にかけて起きた事件は終わりを迎えました。

 本喰らいに記憶を奪われたハルナが目を覚ますのは一週間後のことです。みんなには季節外れのインフルエンザということになっています。

 そしてA組に一人の生徒が加わることになりました。女子校ですが特例ということで学園長が了承したのです。

 そして私たちの部屋に角の生えた居候が一人増えることとなったのです── 



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9話 式鬼のキラ

「みんな、ちーすっ!」

 

 朝の二年A組の教室。登場したハルナの挨拶にみんなが振り返る。いつもの三分の二ほどが教室にいた。

 本日は保健室で目覚めた。シズナ先生から制服を渡されてハルナはそのまま登校である。

 

「あ、ハルナっちだ~」

「復活を遂げてハルナが帰還っ!」

「どーも、どーもぉ。お久っさ~」

 

 鳴滝姉妹のハイタッチ洗礼を浴びてハルナは自分の席に着く。すぐに朝倉和美が寄ってきて挨拶をする。

 

「ハルナも吸血鬼にやられたとか、もうすでに死んでいる、説が出てたけど、うーん生きてたか。お帰りー」

「フ、寝てる間に和美に勝手に記事ネタにされてたかぁ……」

「しない、しないって。インフルエンザなんかじゃネタにもなんないよ~ 季節外れってくらいかなぁ」

「だよねぇ~」

 

 ハハハ、と和美に笑って返す。インフルエンザということで隔離されていたらしいのだが、ハルナにはその間の記憶がまったくないのである。

 不思議なことに最近の記憶だけすっぽり抜け落ちているのだ。それ以外は普通。今まで通りだった。

 ハルナの前に今入ってきた図書館組の二人が立つ。夕映とのどかだ。

 

「もう体はいいですか? ハルナ」

「良かった、パル。もういいんだね?」

「お! ユエ吉ただいまぁ~」

 

 夕映がいやいやする抵抗は無視し、むぎゅーっと夕映をハグする。

 

「ハルナ、そーいうのはいいですから……」

 

 シズナ先生から目を覚ましたという連絡を受けたのでいつもより早く登校してきたのだ。

 心配していたような記憶の混乱は今のところ見られませんが、しばらくは様子見ですね。

 

「うーん、何だかわからないけど、ぎゅーしたい気分なんだ~」

 

 ようやくハルナが離れてホッとする。ついでのどかもハルナはハグをする。

 

「パル……」

「いやぁ……満足、満足!」

 

 二人にハグして、しっくりきたと一人満足してハルナは席に座る。

 ネギが教室に入ってきてハルナを認めて席の前に立つ。

 

「早乙女ハルナさん! 良かった、復帰できたんですね!」

「あれー、ネギ先生もちょー久しぶりー! 明日菜もげんきー?」

 

 ハルナがピンピンしてるよ、と手を上げて明日菜とタッチする。

 

「早乙女さん、インフルエンザ良くなったんだね」

「そーだよ、何でか知らないけど、その間の記憶ないんだけどねぇ……」

 

 頬杖ついてなぜかしらん? とポーズを付ける。

 

「まったく、お気楽な女だぜ……」

「はて? 君、誰?」

 

 ネギと明日菜の後ろにいる少年に目が行く。ハルナが初めて見る顔だ。

 白シャツに黒ズボンはそこらの中学生かなという服装だが、額にはバンダナをしている。何だか尖った角みたいなのを付けていて目つきはすごく悪い。

 見た感じは小学生のように見えるが、中学生なのだろうか? いやそもそもここに男子生徒?

 前提条件がおかしいが、子ども先生がいる時点で常識はマッハに素通りしているA組であった。

 

「彼はですね、僕の新しい生徒です! 名前は綾瀬キラ君です」

 

 ハルナのいぶかしむ視線にネギが前に出る。キラの態度は偉そうで腕組みをしている。

 彼はこのクラスに特別編入となった。席は増設されてキラは夕映の隣である。寮と教室では夕映が面倒を見ている。

 力を封じられているが、夕映を喰ってやると宣言するようなキラを野放しにはしておけないと、ネギがキラ君を監視しますと言うので、夕映との距離も微妙に縮まっている。

 

 おかげでのどかとネギ先生の距離も近くなりました。まあ、のどかは相変わらずの性格なので一緒に話すだけで精いっぱいなのですが、本人はそれだけで幸せモードです。

 のどかにはもっと頑張ってほしいですね。

 

 なお、隣席の千雨は非常識クラスがSランクアップにしやがったと現実と戦っている。

 

「綾瀬?」

「恥ずかしながら、私のいとこです……」

 

 ということになってます。と夕映は頭の中で注釈をつける。

 

「はい?」

 

 夕映の応えにハテナマークでハルナが返す。

 学園長との話し合いで鬼の少年、鬼羅(キラ)は夕映のいとこということにされているのだ。

 

「ハルナが寝てる間なんだけど、キラ君が上京してきて、その間は私たちの部屋にってことになったの」

「ふーん。何、その頭の? 角? 角なの?」

 

 のどかの説明にハルナの手が早速伸びる。変わったものは確かめずにはいられない質である。

 

「触んな、バカ女!」

「おおう?」

 

 その手をキラは邪険に払う。

 

「バカは余計よ! ごめんねぇ、この子、礼儀がなってなくて!」

 

 ごっつんとキラの頭に明日菜の拳がのめり込む。

 

「このアマー!」

 

 すかさずやり返そうとキラの手が伸びるが、あやかが二人の間に割って入る。

 

「もう、またですの! 明日菜さん! キラさん! 授業前の騒ぎはペナルティを課しますわよっ!」

「何よ、委員長。ペナルティって!」

「放課後の居残り補習に決まってますわ! テストが近いことお忘れっ!?」

「テストだぁ……?」

 

 何だそれ? というキラ。夕映の背にはどんよりモードがのしかかる。

 

「ついにその時が来てしまったというわけですね……」

「そうかぁ、もう期末試験だねえ……」

 

 自分が寝てる間にもうその時期か……

 ハルナ的には問題ない。何せここはエスカレーター方式。学年最下位になろうがクラスがどうにかなる事もないのだ。

 

「まあ、最下位でも何とかなるよねぇ。大丈夫、大丈夫」

「ええ? ハルナさん、大丈夫じゃないですよね? それはマズいことでは……」

 

 楽観的なハルナにネギがおろおろする。他のメンバーも特に実害がないので涼しい顔である。

 

「そうです! ネギ先生の言う通りですわっ! 今年も最下位になんてなったら、わたくしのクラスが地に落ちてしまいます。明日菜さんのようなおバカさんを野放しにしては置けませんわ!」

「ナニソレっ! 委員長、人を何だと思ってるのよ!」

「おバカさん。ええ、おバカさん以外の何者でもありませんわ」

「キー! おバカか知ってるけど人に言われたくないわっ!」

「だったら、今からお勉強なさってはいかがですか? お・バ・カ・さ・ん」

「相変わらず委員長の煽りスキルが光ってるですね……」

 

 あやかと明日菜が取っ組み合うのをネギが止める。

 

「だってー、夕映も勉強しなさいよ」

「そうだよ、夕映……」

「絶対イヤです」

 

 ハルナとのどかに全力否定。そこは譲れない一線です。

 

「は、こいつらアホすぎるな……」

 

 委員長と明日菜の取っ組み合いも決着がつき、今日もいつも通りの授業のチャイムが鳴るのでした。  

 

 

「……勉強はさておいて、今日はハルナの快気祝いです」

「夕映、どこ見て説明してるの?」

「のどか、ジュースは行き渡りましたか?」

「みんなの分のコップあるよー。はい、どうぞ」

「ありがとうです」

 

 のどかが夕映の分とコップにオレンジジュースを注ぐ。

 ここは前にみんなで来たお好み焼き屋です。今日はハルナ復帰の快気祝いにお店を借り切ってみんなできています。

 一人余計なのがいますが仕方ありません。

 

「なぜ私までここにいるのか……」

 

 桜咲刹那さんも呼んであります。余計なのは彼女のことではありません。

 桜咲さんは今回の特別ゲストです。龍宮さんも呼んだのですが、用事があるので遠慮しておこう、と辞退されました。

 ハルナ救出の功労者の二人へのお礼も兼ねていたのですが、彼女には別の形で返そうと思います。

 

「せっちゃん、来てくれてありがとうなぁ」

「お嬢様……」

 

 刹那と木乃香は夕映たちとは別席で隣同士の席になるように夕映が指定している。

 キラはハルナとのどかの前にふんぞり返っている。

 

「キラ君て出身どこなの? こっちにはご両親の都合とか? でも寮にいるんだよね」

「……好きでここにいるわけじゃねえ。学園長の爺に言えよ」

 

 ハルナの問いにキラはぶっちょう面で答えを返す。

 

「こらです。そんな答え方がありますか」

 

 ごつん、と夕映の制裁チョップがキラに炸裂する。

 

「ってえ……あにすんだこのアマっ!」

 

 ギランと目つきの悪い双眸が夕映に向けられる。

 バンダナ下の三つ目は閉じられているが魔物が持つ「魔眼」の力は封じられている。

 魔封じの鎖と魔物を封じた式札が封印の要だ。式神としての存在を維持するのに夕映の持つ力を必要としている。

 

「言葉使いには気を付けるですよ?」

「ち……」

「なかなか個性的だねぇ。夕映がしつけ役ってわけね」

「ホントにしつけがなってなくてすいません」

 

 実際、常識という言葉の意味を一から教えるなんて面倒この上ありません。

 魔本に封じられていた時間が長かったのもありますが……

 

「その角、触らせてよ~」

「だから、触んなよ……」

「今回の主役はハルナです。好きなものを頼んでくださいね」

「いやぁ、どうもどうも。でも、一週間寝込んでてまったく記憶ないなんて最近のインフルエンザはヤバいよねえ、アハハ」

「そうだね、ハルナへの面会は全然ダメだったから、すごい久しぶりかな?」

 

 ハルナの記憶がない期間、本喰らいに喰いつくされた記憶を復元するために夕映がずっと治療していたのだ。

 紙の秘術を用いてすべての記憶を元に戻すことができたが、失踪前と本喰らいに乗っ取られていた間の記憶はあえて再現しなかった。

 それがハルナのためだった。

 のどかの記憶も念のためにしおりを差し込んで事件当時の記憶には封をしてある。

 

「喰われたのに呑気なねーちゃんだぜ……」

「そのことは他言無用です。いいですか?」

 

 小声でキラに囁く。

 

「人間ごっこなんていつまでもやってられっか。お前を喰ってやるんだからな」

 

 まったくと言っていいほど馴染んでいませんが、コレを放し飼いにするわけにもいきません。

 のどかにはいきなり過ぎましたが、綾瀬家のいとこをしばらく預かることになったのだが、すまんがそちらで一時期預かってくれんかのう、と学園長から直接の説明がありました。

 穴だらけで突っ込みどころは満載ですが、彼は祖父の泰造が本に封じた魔物です。その魔物を私が受け継いだのです。

 これまで数多の本喰らいを食らってきた恐ろしい魔物……なのだけれど、今は学園長に力を封じられてただの子どもでしかありません。

 まあ、実害はないのですが……

 

「夕映ちゃん、夕映ちゃん?」

「はい?」

 

 ちょんちょんと木乃香が夕映の肩を突く。ジュースを取りに来たのか瓶を持っている。

 

「せっちゃん誘ってくれてありがとうなぁ~」

「いえ、私も桜咲さんにお世話になったので」

「そうなん?」

「ええ、だからお礼しようと誘ったんですよ」

 

 実際、彼女がいなければハルナを救えていなかったかもしれません。スムーズに本喰らいを誘い込めたのは二人がいたおかげですから。

 運ばれてきたお好み焼きの入れ物をキラが覗き込む。

 

「何だこれ?」

「キラ、かき混ぜてこうやって焼くです」

 

 キラに見本を見せて夕映が鉄板に具を注ぐ。

 

「んだこれ、うめえな……」

「ふつーは切って食べるですよ。熱くないんですか……」

 

 一枚丸ごと頬張ってキラが顔芸を披露したり、みんなで違う種類のを切り分けて食べたり、今日一日の最後が過ぎていく。

 刹那さんと木乃香の距離感も少し縮まったみたいです。

 

「やっぱこのお店いいわ~ 常連決定~」

「ハルナ、復帰初日お疲れ様です」

「いいよね、こういうの。賑やかなのも増えたし」

 

 向こう側で今度はキラが刹那に絡んでいる。

 斬るか……と殺気を飛ばす刹那の前で焼き方を覚えたキラがひっくり返して、木乃香がパチパチと拍手を送る。

 

「そうですね。ハルナ」

「うん、何?」

「……お帰りなさい」

「ただいま、夕映」 

  

 ハルナ快復の打ち上げ会はこうして賑やかなうちに幕を閉じるのでした。



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