マサル、ジョウトへ行くってよ。 (井ノ下功)
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のみこむ−1

 マサルがダンデから貰ったヒトカゲは、あっと言う間に成長してリザードンになった。今ではチームのメインアタッカーだ。

 

(こいつの父親は、ダンデさんのリザードン、だよね……)

 

 ついさっきバトルタワーで倒してきたところだ。つまりあれは、新旧チャンピオン対決にして、父子対決でもあったのだ。

 

(……え、もしかして、ひどいことさせた?)

 

 ふとそんな気持ちがよぎったが、当のリザードンは間の抜けた笑顔でカレーが出来上がるのを待っている。頑張ったご褒美に彼の大好きなきのみをたくさん入れたから、いつもよりさらに機嫌が良さそうだ。鼻の穴が大きく膨らんでいるのがその証拠。

 

(考えすぎか……)

 

 リザードンが『まだ?』とでも言いたげに、小さな唸り声を上げた。その鼻先をちょいと撫でる。

 

「もうちょっとで出来るからな、待ってろよ――」

「美味そうだな!」

「わぁっ?!」

 

 マサルは跳び上がって頭上を振り仰いだ。

 

「ダンデさん……」

「やぁ」

 

 ダンデが上から覆い被さるようにして、マサルの手元を覗き込んでいた。群青色の髪が無造作に垂れ下がって、カーテンみたいに揺れる。金色の瞳がにっこりと弧を描いた。

 

「バトルタワーの目の前でキャンプを始めるやつなんて君くらいのものだぞ、チャンピオン!」

「あ、まずかったですか?」

「オレをまぜてくれたら不問にしよう!」

「やったぁ。どうぞどうぞ」

「よーし、みんな出てこい!」

 

 ダンデが放り投げたボールから、ポケモンたちが飛び出してくる。バトルを通して散々慣れ親しんでいる彼らは、さっそくマサルのポケモンたちとじゃれつき始めた。

 

「うん? ――ああ、いいよ。いってくるといい」

 

 ダンデがリザードンに向かってそう言って、軽くその背を叩いた。どすどすと歩いてきた彼は、マサルのリザードンを誘うように空へ向かって鼻を向けた。

 マサルの隣に寝そべって火の様子を見ていたリザードンが、パッと身を起こした。そしてこちらを見下ろして小首を傾げる。その仕草でマサルは察した。

 

「うん、いっておいで。出来上がったら呼ぶから」

 

 リザードンは嬉しそうに一鳴きして、ばさりと翼を打った。

 二匹揃って空中に舞い上がる。

 

「おわっ」

 

 マサルの帽子が風圧で飛ばされた。そうなると見越していたダンデは帽子を華麗にキャッチして、マサルの隣に腰を下ろす。

 

「ん」

「すみません、ありがとうございます」

「本当、君ってバトルしてない時は普通の少年だよな」

「バトル中だって普通の少年ですよ」

「ははは、それは知らなかったぜ」

 

 マサルは帽子を被りなおして、カレーをかき混ぜながら空を仰いだ。

 二匹のリザードンがくるくると飛び回っている。嬉しそうな鳴き声がここまで届く。マサルのリザードンの方がわずかに声が高くて、よく喋っている。対するダンデのリザードンは、落ち着いた低音ボイスで、時折あいづちを打つように鳴いた。

 父親に話すのが楽しくて仕方ない息子と、息子の話を聞くのが楽しくて仕方ない父親。

 二匹の姿はそんな風に見えた――

 

「手を止めると焦げるぞ、マサル……――マサル?! どうしたんだ?!」

「……え?」

 

 肩を揺すられて、マサルははたと我に返った。そうして初めて、自分が涙を流していたことに気が付く。

 

「あれ? なんで僕、泣いて……えぇー? なんだろうこれ、あはははは」

 

 マサルは誤魔化すように笑いながら、慌てて手の甲で涙を拭った。

 しかしダンデは誤魔化されなかった。

 

「何かツラいことがあったのか? ホップと喧嘩したか? あいつ、へそを曲げると長いからなぁ。どうしようもなくなったらオレを呼ぶんだぜ、どうにかしてやるから。それとも、何か変なファンが付いたか? 悪口とかは日常茶飯事だから、あんまし気にしない方がいいぜ。愚痴っていいんだからな、いつでも聞くぞ」

 

 両手をわたわたと動かしながら気遣ってくれるダンデがじたばたするウソハチみたいに見えて、マサルは少しだけ笑った。

 

「違うんです、そういうんじゃなくて」

「じゃあ、どういうのなんだ?」

「んーと……何て言ったらいいんですかね……」

 

 マサルはもう一度空に目をやった。

 

「……お父さん、ってどういう感じなんだろうなぁって思いまして」

「――」

「僕は、自分の父親のことを何にも知らないんです」

「何も?」

「はい」

 

 マサルは片手でカレーを混ぜながら、もう一方の手でボストンバックを引き寄せた。

 長くて過酷な旅を耐え抜いた、丈夫で便利なカバン。すなあらしの中に飛び込んでも、冷たい海に落ちても、まったくへこたれることなく中身を守り抜いてくれた陰の相棒。

 

「このカバンはお父さんの物だったらしいんですけど……それだけです。写真も何も無いし、話にも出てこない。何となく、聞いちゃいけないのかなぁって思って、母さんにも聞けないままで……」

「そうか……」

「だから、リザードンたちを見てたら、なんか――なんだろう――……微笑ましく……羨ましく? なっちゃって……」

 

 そうだ、それで、マサルは思ったのだ。

 

「……あんな楽しそうに話す二人を、戦わせちゃって、良かったのかな……」

 

 呟いたのは無意識のことだった。

 

「――それは駄目だぜ、マサル」

 

 







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のみこむ−2

「それは駄目だぜ、マサル」

「え?」

 

 ダンデがあまりにも真剣な声をしていたから、マサルはぱっと振り向いた。

 ダンデは声音以上に真剣なまなざしで、マサルを見据えていた。

 マサルは唾を飲み込んだ。肩書が変わろうとも、その威風はチャンピオンのまま、変わらない――

 

「マサルはオレがリザードンを出してくるって分かってて、リザードンをメンバーに入れたんだろう? だったら、それを後悔しちゃ駄目だ。それは、君の指示に全力で従ったリザードンに対する侮辱だぜ」

「っ……」

 

 マサルはうつむいた。

 その通りだ。分かっててメンバーにした。分かっててあえて挑んだ。そしてリザードンはマサルの指示に見事に応えて、急所にしっかりと技を当てて、ダンデのリザードンを倒したのだった。

 マサルの頭を帽子越しに撫でて、ダンデは優しく続けた。

 

「それに、心配は無用だと思うぞ」

「――」

「何て言ったって、オレが育てたリザードンからな! 誰が相手だろうとバトルは全力で! 全力でやって勝ったら“嬉しい”、負けたら“悔しい”、それ以外は何も思ってないぜ! あの様子を見れば分かるだろ?」

 

 ダンデの言葉に導かれるようにして、三度空に目をやる。

 相変わらず、二匹のリザードンは仲睦まじく飛び交っている。その二匹がふと、自分たちが見られていることに気が付いたらしい。ぴたりとその場に止まると、ボンッ、と揃って火の玉を空に吐き出した。

 

「楽しそうだなぁ!」

「……そうですね」

 

 マサルはひょいと立ち上がると、「おーい、カレー、出来たよー!」と二匹に向かって大きく手を振った。

 その声を聞きつけて、ばらばらに遊んでいたポケモンたちがぞろぞろと集まってくる。

 二人と十二匹がずらりと並ぶと、なかなかに壮観だ。

 

「やっべ、足りるかなぁこれ……カビゴン、悪いけどちょっと遠慮してくれる? あとで別の何かあげるから」

「オレは大盛りで頼むぞ、マサル!」

「遠慮してください、飛び入りのダンデさん」

「ここのオーナーは誰だと思っている?」

「うわぁ、パワハラだぁ」

 

 などと言ってはいるが、マサルはカレーが充分足りることを知っている。

 

(カビゴンのために常に三倍にして作ってて良かった……)

 

 食費が異常にかかってしまうことを幸運に思ったのは初めてだった。

 ダンデが「いただくぜ!」と皿に顔を突っ込むようにして食べ始めた。マサルもスプーンを動かす。話しながら作ったカレーは少しだけ焦げているようなにおいがした。

 

(でも、なんか特別な味がする、ような気がする)

 

 取れた胸のつかえが入っているのかもしれない。隠し味とかスパイスとか言うにはなんとも苦みが強いけれど。

 

「おっ、すごく美味しいぞ、マサル! これはリザードンの好きな味だな!」

 

 ポケモンたちに囲まれてカレーを頬張るこの瞬間が何よりの幸せだ、と大声で言っているかのようなダンデの満面の笑み。

 良かったです、よく分かりましたね――と返しながら、マサルはぼんやりと想いを巡らせた。

 

(ダンデさん、さっきのバトルで僕に負けたこと、忘れたわけがないのに)

 

 全力で悔しがる人だと知っている。握りしめた拳を震わせながら、健闘を讃えて『次は負けないぞ!』と笑う姿を、何度見たか知れない。

 でも、

 

(バトルはバトル、カレーはカレー……ってことかな)

 

 こういう人だから、周りの人たちに慕われているのだろう。チャンピオンでなくなっても、変わらず愛されているのはそういうわけに違いない。マサルだって懐いている人間の一人である。

 

(……リザードンも同じ。バトルはバトル。お父さんはお父さん。……お父さん、か)

 

 ――僕のお父さんは、どんな人なんだろう。

 いつか分かる日が来るだろうか。来なかったらどうしようか。その内割り切れるものなのだろうか。好きなタイプじゃなかったらどうしよう。そもそも、どうしていないのだろう。どこかに行ってしまったのか、あるいはすでに死んでしまったのか――

 

「っ!」

 

 ふいにリザードンが背中に鼻をこすりつけてきた。

 まるで、マサルが形のない不安に包まれているのを察したかのように。

 

(そっか。みんながいれば大丈夫か……)

 

 リザードンだけじゃない。一緒に旅をしてきた仲間たちが、父親よりも深く心に寄り添ってくれている。

 マサルはリザードンの鼻先を撫でて、スプーンを握り直した。

 

「やっぱちょっと焦げくさいですね」

 

 へらりと笑うと、ダンデは「でも美味いからヨシ、だぞ!」と笑い返してくれた。

 それからダンデは、皿の上の残りを一気に流し込んで、飲み物のようにごっくんと喉を鳴らした。

 

「ああ、美味しかった! ごちそうさま、だ!」

「ふぁへるのふぁやいっすね――」マサルは口の中のものをのそのそと飲み込んだ。「――ダンデさん」

「これでも今日はゆっくりだったぜ!」

「マジすか」

 

 マサルは思わず呆れた気持ちで彼を見てしまった。そう言われてみれば、彼がゆっくり座って物を食べているところなど見たことなかったような気がする。

 

(胃がやられそうだな……特性は“がんじょう”かな)

 

 ダンデさんには“ほのおのからだ”の方が似合うけど、と勝手な想像をしながら、自分のペースでスプーンを口に運ぶ。

 新入りのポケモンが食べ終わるのを待っていたらしく、しばらくしてからダンデは立ち上がった。

 

「じゃあな、マサル。またいつでも挑戦しに来てくれ!」

「あ、しばらく来れないと思います」

「忙しいのか?」

「図鑑のためにヨロイ島へ行くことになったので」

「へぇ! ヨロイ島へ!」

 

 ダンデの目がきらりと輝いた。

 

「あそこは迷いやすいからな、気を付けるんだぞ!」

「ダンデさんじゃないんで平気です」

「言うようになったな、この!」

「いてててて、背ぇ縮んじゃう! 縮んじゃう!!」

 

 ダンデはけらけらと笑いながら手を離した。

 

「じゃあ、君がいない間にたくさん修行しておこう。次は絶対にオレが勝つからな!」

 

 何気なくなされた宣戦布告を、マサルは真正面から受け取ってにっこりと笑った。

 

「はい、楽しみにしてます!」

 

 なんならこのあとすぐにでも再戦したいぐらいだ。けれどダンデにも仕事があるし、マサルだってチャンピオンとしてやらなければならないことがある。ヨロイ島へ行くためのもろもろの調整とか、取材とかジム訪問とか。マネージャーさんの目をかいくぐってここに来たことを思い出し、マサルは少しだけ憂鬱になった。

 ダンデはリザードンの首を撫でながらタワーの中に戻っていった。その大きな背中を見送って、マサルは少しだけ彼の真似をした――すなわち、残ったカレーを一気に喉へ流し込んだのだ。

 

「うっ、ごっ、ぐふっ」

 

 見事に喉に詰まった。吐き出しそうになったのをギリギリでこらえて飲み込む。

 

(……やっぱ、僕は僕、だよなぁ)

 

 心配そうに、あるいは呆れ返った目ですり寄ってきたポケモンたちを撫でてやりながら、マサルはそんなことを思った。

 

「ヨロイ島、楽しみだな!」

 

 ポケモンたちが同調(シンクロ)して跳ねるように声を上げた。







こちらは短編「時には父親の話をしようか」の改稿版です。
短編の方は、後半がダンデさん目線になっていますので、もしご興味あればこちらまでどうぞ→https://syosetu.org/novel/228947/



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インファイト−1

 一ヶ月後、ヨロイ島から戻ってきたその足で、マサルは即座にシュートシティへ降り立った。ブティックに寄ってから小走りにバトルタワーへ向かう。

 

「heyロトム、ダンデさんに電話して!」

『了解ロト~!』

 

 コール音が少しだけ。ダンデはすぐに応答した。

 

『もしもし』

「あっ、ダンデさん? ご無沙汰してます」

『久しぶりなんだぜ。ヨロイ島はどうだった?』

「その辺の話はまた後ほど。すぐ会いに行きますんで、ウォーミングアップしておいてください」

『お、あぁ、ん?』

 

 ダンデが困惑したような声を上げていたが、マサルは一方的に通話を切った。

 

(ヨロイ島での修行の成果を、っていうか一ヶ月もダンデさんと勝負してないとかもうマジで我慢ならないんだよなぁ!)

 

 バトルタワーへ飛び込む。「あっ、チャンピオンだ!」「チャンピオンがオーナーに挑みに来たぞ!」などと騒ぎ出した周りの人たちへ、ちょっとだけ手を振って応対して、カウンターに駆け寄る。

 

「シングルバトル、手持ちからこの三体で!」

「承知いたしました。では、こちらへどうぞ」

 

 慣れているスタッフは余計なことなど一切言わず、マサルをエレベーターへ案内した。

 バトルタワー、マスターボール級。

 

(よーっし、いくぞ!)

 

 マサルはバトルモードにスイッチを切り替えた。途端に表情が掻き消えることは、本人だけが知らないでいる。

 

 †

 

『キュウコン、ダウン。勝者、チャレンジャー・マサル』

 

 アナウンスが淡々と告げて、負けたトレーナーが去っていく。続けて勝負をしますか? という問いはもうされない領域にまで入っていた。やるに決まっているのだから。

 コート内に備え付けられている回復装置でポケモンたちを回復させながら、マサルは静かに待つ。

 

『バトルオーナー、ダンデとの勝負です。なお、このバトルの様子は録画され、バトルタワーチャンネルから配信されます。ご了承の上――』

 

 一方の壁が開き、ダンデが入ってきた。その瞬間、コート内の空気がピリッと張り詰めた。ゆったりとした王者の足取り。肩書が変わっても服装が変わっても、変わらないきんちょうかん――いや、プレッシャー。

 マサルと正対する位置について、ダンデはにっかりと笑った。

 

「やぁ、久しぶりだな、チャンピオン・マサル!」

 

 その言葉が単なるパフォーマンスでしかないことを、彼の金色の目ははっきりと告げていた。隠し切れていないぎらつきが、『早く勝負を始めたい』と吠えている。

 

「来てくれてありがとう。君とのタワーでの戦績は一勝二敗だ。そろそろドローにしたいところなんだぜ」

「……負けません」

 

 マサルは呟くように言った。ダンデとの久々のバトルが嬉しすぎて、へにゃりと緩みそうになった頬をぎゅっと引き締める。ボールをぐっと握る。バクバクと脈打つ心臓を右手で押さえつけ、背中の裏に回した左手でボールをぐっと握る。

 ダンデは口から下をキャップで隠した。それが素の(・・)表情を隠すための仕草であることをマサルは知っている。外した時にはいつもの爽やかな営業スマイルになっていた。

 

「それじゃあ始めようか! 今までで最高の試合をしよう!」

「はい。――行きます!」

 

 二人は同時にボールを投げた。

 

「いっておいで、ウーラオス!」

「いくぜ、ゲンガー!」

 

 ゲンガー。ゴースト・どく。すばやさやとくこうが高くてバトルタワーでも人気の一体だ。

 

(一撃で沈める――)

 

 対するこちらのウーラオス。ヨロイ島でマスタード師匠から貰ったダクマの進化形。いちげきのかたに育てたから、タイプはかくとうにあくがプラスされて、ゲンガーに対しては非常に有利だ。

 

「ウーラオス、あんこくきょうだ!」

 

 裂帛の気合とともに放たれた拳が、ゲンガーの急所に突き刺さった。必ず急所に当たる技の上、こうかはばつぐんだ。とても耐えられるものではないだろう。

 ゲンガーの体がぐらりと揺らぎ――

 

「ゲンガー、マジカルシャイン!」

「っ!?」

 

 ゼロ距離から打ち出された輝かしい光が、ウーラオスの巨体を吹き飛ばした。

 マサルはわずかに目を開き、事態を察して思わず睨むような目付きになってしまった。

 

「きあいのタスキ……」

「ご名答!」

 

 一撃で沈められる技を受けた時、ギリギリのところで持ちこたえるための道具。ゲンガーが口の中に隠し持っていたのだ。使い物にならなくなったそれを、ゲンガーはペッと吐き出した。

 あの様子では、こちらがウーラオスを使ってくることも読まれていたに違いない。

 

(読まれてた、か……ダンデさんもあそこで修行をしたって話だし、当然と言えば当然か)

 

 完璧に沈められたウーラオスをボールに戻す。

 

「お疲れさま、ウーラオス。――いこうか、カビゴン!」

「二体目はカビゴンか!」

 

 嬉しそうに笑ったダンデが、こちらの動きを探るような目付きになった。

 

(うん、そうですよね。狙いは分かってます……!)

 

 二人の声が重なる。

 

「ゲンガー、みちづれ!」

「カビゴン、たくわえる!」

 

 きあいのタスキ持ちのゲンガーといえば、みちづれ戦法だ。不発に終わった作戦をダンデは素早く切り換えた。

 

「ヘドロウェーブ!」

 

 ゲンガーを中心に毒の波が流れ出る。

 だが、元々のとくぼうの高さに加えてたくわえるの分が上乗せされているから、ほとんどノーダメージだ。カビゴンは波をのっしのっしと踏み分けて、

 

「したでなめる!」

 

 こうかはばつぐんだ。

 

「オーケー、ゲンガー。ナイスファイト!」

 

 ダンデは素早くゲンガーを戻した。

 

(僕がカビゴンを使うことは候補に入れていたはず。だったら、ダンデさんの二体目は――)

 

「いこう、ドラパルト!」

 

 繰り出された二体目を見て、マサルは内心ガッツポーズをした。にやけそうになったのを寸でのところで抑えこむ。

 

(やっぱり!)

 

 高HPを削りきるのに必要な高火力を持ったポケモンが必要で、タイプは不問で、何体か選択肢がある時、ダンデはなんとなくドラパルトを選ぶことが多いような印象があった。おそらくそういう思考のクセがあるのだろう。

 

「りゅうせいぐん!」

 

 ドラパルトの咆哮によって生み出された隕石が無数に降り注ぎ、カビゴンに突き刺さる。床の上で隕石が砕け散り、真っ白い粉塵が濛々と立ち上った。

 



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インファイト−2

(頼む、耐えてくれよ、カビゴン……)

 

 粉塵を腕で遮りながら、巨体の影を探す。

 ――立っている。ギリギリだが、カビゴンはまだ戦える。

 

(よし……っ)

 

「カビゴン、なげつける」

 

 最後の力を振り絞ったような雄たけびを上げて、カビゴンが持ち物を思い切り投げた。持たせていたのは“くろいてっきゅう”。なげつけるで最も高い威力を叩き出す道具だ。

 空を切り裂く音がして――白煙の向こうに、着弾した鈍い音。

 粉塵が晴れる。と、倒れたドラパルトの後ろでダンデが驚愕の表情を浮かべていた。

 しかし、

 

(……喜んではいられないな)

 

 カビゴンの巨体がぐらりと落ちた。ゲンガーのヘドロウェーブでどくをくらっていたのだ。

 

「お疲れ、カビゴン。――ラストです」

「ああ、クライマックスだ!」

 

 お互いの三匹目は分かっている。

 

「「リザードン!」」

 

 二体のリザードンが同時にコートへ躍り出た。

 

「いわなだれ!」

 

 先手を取ったのはマサルのリザードンだった。分かっていた。すばやさはこちらの方がわずかに上である。

 

「リザードン、ひるむな!」

 

 ダンデが声を張り上げた。

 

(ひるめ……っ!)

 

 三十パーセントの確率を当てにしてはいない。だが、ひるんでくれれば勝利が確実になるのも確かだ。向こうは間違いなく、一撃で沈められないための対策をしてきている。たぶんきあいのタスキかなにか。

 

(ひるめばストレートで僕の勝ち。ひるまなくてもこのターン向こうの攻撃を耐え切れば僕の勝ち、だ!)

 

「リザードンっ!」

 

 ダンデの声に応えるように、リザードンが吠えた。ひるまなかったのだ。

 

「げんしのちから!」

 

 周囲に巻き散らかされた岩がふわりと浮かんだ。遠吠えに呼応するように、それらが一気に刃となってマサルのリザードンを滅多打ちにする。

 マサルのリザードンは大きく体勢を崩して床に落ちた。マサルは一瞬ひやりとした。

 

(やっぱ、ヨロギの実じゃ無理があったか?!)

 

 敗北の予感にドクン、と心臓が脈打って――だが、リザードンは倒れなかった。

 

(よし、耐え切った!)

 

 確信する。勝った。これでおしまいだ。

 

「いわなだれ!」

「げんしのちから!」

 

 同時に下された最後の指示は――

 

 ――もう一度浮かび上がった岩が、マサルのリザードンを撃ち抜いた。

 

 ズン、と床が振動する。リザードンの巨体が崩れ落ちたのだ。

 

 戦闘不能。

 それを確認したマサルは、信じられないという目でダンデを見た。

 ダンデは金色の瞳を爛々と輝かせて、勝者の笑みを浮かべていた。

 

「オレの勝ちだぜ、チャンピオン!」

 

 ダンデのリザードンが勝ち誇った声を上げた。

 それでようやく現実を飲み込んだ。どうして、なんで、なぜダンデのリザードンの方が先に技を出せたんだ? 疑問が脳内をぐるぐると渦巻いて――バトルモードのスイッチがパチンッと落ちた。

 

(なんにせよ、僕の負け、だ!)

 

 マサルの肩からフッと力が抜ける。

 

「あー、負けたーっ!」

 

 とその場に大の字に寝転がる。それなりに高いジャケットが砂まみれになるが、そんなこと構っていられない。

 リザードンをボールに戻して、マサルはぼーっと天井を見上げた。それでようやく思い至る。

 

「……そっか、げんしのちから……」

 

 いつの間にかすぐ傍にまで来ていたダンデが、マサルを覗き込んで笑った。

 

「十パーセントに賭けるのはちょっと怖かったぜ」

「三十パーセントに裏切られた時点で、流れはそっちのもんでしたよね……」

 

 いわなだれを受けてひるむ確率は約三十パーセント。

 げんしのちからですべてのステータスが上がる確率は、約十パーセント。

 わずかしかないすばやさの差は、これで充分にひっくり返せる。――こういうことがあるから、先にカビゴンで少し削っておいて確実に決めに行きたかったのだが。

 

(ああ、駄目だった……)

 

 予定が狂うなどよくあること。特にダンデが相手だと、予定なんてあってないようなものだ。彼の実力の前にはそんなもの簡単に覆され、想像も出来なかった光景が目の前に広がる。

 悔しい。だがそれ以上に、楽しい。

 

「運頼みにさせたのは君の実力だ。素晴らしい試合をありがとう、チャンピオン!」

 

 差し出された手を、マサルはしっかりと握り返して起き上がった。

 

「次は負けませんから」

 

 ダンデは何より嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

 

 

 




こちらは短編「時には真面目にバトルをしようか」の改稿版です。
短編版ではバトルがオールダンデさん視点で感想戦もちょっとだけ書いてます。もしご興味あればぜひこちらへ→https://syosetu.org/novel/229006/




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インファイト−3

 コート内で散々感想戦をやっていたら、「長いです! いい加減にしてください!」と飛び込んできたスタッフに、続きはオフィスでやってくれと追い出されてしまった。

 

(はぁ……負けた……)

 

 シャワールームを借りて砂ぼこりを流していると、悔しさがじんわりと染み出てきた。さっきやった試合の光景が頭の中をぐるぐる駆け巡る。

 

(運要素を出来るだけ排除して勝つには――やっぱり二体目まででリザードンを少しでも削っておかないと厳しいよな。そうすると――わざ――もちもの――とくせい――……うーん、熱が出そう!)

 

 ラフな格好に着替えてシャワールームを出る。

 ダンデのオフィスに入ると、難しい顔でパソコンと向き合っていたダンデが顔を上げた。

 

「感想戦、どこまで配信する?」

「どこまででも。別に聞かれて困ることは言ってませんし」

「だよなぁ。じゃあ全部上げるぜ!」

「なんで迷ってたんです?」

「かなり詳細に戦法を語ってたから、この先の戦いで不利になるんじゃないか、ってスタッフが心配してたんだ」

「……へぇ?」

 

 ピンときていない様子で首を傾げたマサルに、「だよなぁ」とダンデが笑みを漏らす。

 

「それで、ヨロイ島はどうだったんだ? 師匠はお元気だったか?」

「ああ、はい、それはもう!」

 

 マサルはソファに飛び乗って、ヨロイ島でのことを話し始めた。マスタード師匠の課題のこと、ジムリーダーを目指す弟子に絡まれたこと、ディグダを探して島中を駆けずり回ったこと、ウーラオスのキョダイマックスのために必要なミツのこと――

 

「そしたらホップが来ていて、探すのを手伝ってくれました」

「そうか! ホップはどんどん成長していくな。元気そうで何よりだ」

「しばらくヨロイ島にいるって言ってましたよ」

「じゃあ今度行ってみるぜ。久々に師匠にもお会いしたいし」

「そうですね」

 

 簡単なあいづちを最後に、マサルはふと言葉を切った。

 

「……どうした?」

 

 気配の変化を鋭敏に感じ取るダンデは、まるで野生のポケモンみたいだ。

 マサルは言おうかどうか少しだけ迷って、

 

「――……実は、カバンが壊れちゃって」

「!」

「サメハダーが後ろから飛びかかってきたんですっ! ああもうあの海マジで嫌い! なんなんすかあのサメハダーの、サメハダーの……サメハダーァァアアアアアアっ!」

 

 うああああああと叫びながらソファに倒れ込む。

 

「ムカついたんでめちゃくちゃ倒しまくりました……」

「生態系を崩さない程度に頼むんだぜ……」

「兄弟で同じこと言わないでください……」

 

 マサルはクッションを抱き締めて転がった。

 

「今修理に出してるんですけど……やっぱあのカバンじゃないとなんか落ち着かなくって」

「そうか……早く直ってくるといいな」

「はい……」

 

 返事をしながら、無理だろうと思っている部分がある。けっこうひどくズダズダにされてしまったのだ。あの無残な姿を元通りに出来るなら、いくら掛かってもいいと思っている。金で解決できるならそんな簡単な話はない。

 そんなことを思っていると、スマホがひょいと目の前に浮かんできた。

 

『マサル、ブティックから電話ロト~』

 

 ブティック、ということは、タワーへ来る前にカバンを預けてきたところだろう。

 

「はーい。もしもし――」

 

 電話の内容は、カバンの修復はやはり難しいという話だった。試行錯誤したけれど、元通りにはどうしてもならない。別の生地でつぎはぎするか、いっそまったく違うものに加工してはいかがでしょうか、と。

 マサルは意気消沈しながら、のっそりと起き上がって返事をした。

 

「……はい。わかりました。じゃあなんか、何でもいいです。加工して……なんか、持ち歩けるものにしてください」

『かしこまりました。――それとですね、その……修繕するために一度分解したところ、中から不思議なものが出てきまして』

「不思議なもの?」

『はい。背の部分の生地の中から、金色と銀色の――葉っぱ? のようなものが』

「はぁ……」

『どうなさいますか?』

「……一応取りに行くので、保管しておいてもらっていいですか」

『かしこまりました』

 

 電話を切る。

 それを見計って、ダンデがヒトカゲ柄のマグカップをマサルの前に置いた。

 

「ありがとうございます」

「カバン、駄目だったのか?」

「はい……」

 

 しゅんとしたままマグカップを持ち上げる。ホットミルクだった。ほんのり甘くてどこか懐かしいような味がした。

 

「気落ちするのは分かるが、落ち込みすぎるんじゃないぜ」

「はい……これ飲み終わったら立ち直ります」

「うん、それがいいぞ」

 

 ダンデが優しく微笑んで頷いた。

 

(お父さんのカバンが壊れた、ってことより、ずっと一緒に旅をしてきた相棒が壊れたってことの方が、こたえてるんだよなぁ……くっそサメハダーめ、もっと倒してくれば良かった……)

 

 逆恨みであることは理解しているから、わざわざもう一度島に行ってまでやろうとは思わないけれど。

 マサルはホットミルクを飲み干した。

 大きく伸びをしながら立ち上がる。

 

「んー、よし! 長居しちゃってすみません! そろそろ僕、行きますね!」

「おう。また来てくれよな!」

「はい! 次は勝ちますから!」

「次も負けないぞ!」

 

 それじゃあ、とマサルは元気に駆け出していった。

 

 彼の次のダンデへの連絡が「ちょっと僕ジョウト地方に行ってきます」になることなど、誰にも予想できないことだった――。

 







サメハダーァァァアアアアアアッッッッ!!!





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閑話:ふいうち

「やあ、キバナ!」

 

 にこやかにリザードンから下りたダンデを、しかめっ面のキバナが出迎えた。

 

「よーお、ダンデぇ」

「どうした? 顔がしわくちゃピカチュウだぞ」

「お前らさぁ、自分らの希少価値分かってる?」

「何の話だ?」

 

 顔中に疑問符を貼り付けているダンデに、キバナは溜め息をつきながら「一週間前のバトルタワーの動画! くっそ長ぇ感想戦だよ感想戦!」と怒鳴り声を出した。

 

「ああ! ……あれがどうしたんだ?」

「あんな貴重な情報を無料で大放出してどーすんだって話だよ! 百歩譲ってお前はまだいいとしても、マサルは毎年チャレンジャーを迎え撃つ立場だぜ?! この間一回目の防衛を果たしたばっかの新米チャンピオン! なのにあんだけ自分のクセとかなんとか話しまくったら、不利になるに決まってんだろ?!」

 

 本気でマサルを心配している様子のキバナの背中を、ダンデはばんばんと叩いた。

 

「平気さ、キバナ! マサルはそう簡単には負けないぞ!」

「そーだろうけど」

「万一負けたとしても、絶対に這い上がってくるぜ。――這い上がれなかったら、そこまでの奴だったってだけだ」

「っ……」

 

 キバナは言葉を詰まらせた。ダンデの目は本気の色を讃えていた。彼は時々こうやって、誰よりシビアな一面を見せることがある。バトルに関しては特に――。

 自分がひるませたことに気が付いたのか、ダンデはパッとキバナを見上げると、眼光をやわらげた。

 

「なに、心配はいらないさ。マサルがどんな奴か、君だってよく知っているだろう? 君を負かし、オレを負かした少年だ。たった三十分程度じゃ彼の全部は語り切れないし、オレたちがこうしている間にも新しい戦い方を編み出してるぜ、きっと」

「……そーだな」

 

 自分が一度も勝てていないこの男から平然と勝ち星を奪っていって、へらへら笑っている少年がマサルだ。心配するだけ損だったのかもしれない、とキバナは息を吐いた。

 

「あー、それで思い出した。マサルにさぁ、ワイルドエリアの一角を占拠してバトルの練習すんのやめろって言っといてくんねぇ?」

「なぜだ? いいことじゃないか」

「いや、一人で完結してる練習ならいいんだよ。でもアイツさぁ、野生のポケモンに自分の特訓手伝わせてるみてぇでさ……おかげで、げきりんの湖にいる連中のレベルがめきめき上がっててな。この間調査に行ったら、平均レベルが80超えてた……」

「あー……」

「いやオレさまとかお前ならいいぜ? でも一般トレーナーが知らずに入りこんだら、マジで死にかけるぞ?」

「……注意しておこう」

 

 言外に“無駄だろうけど”と漂わせながら、ダンデは頷いた。

 

「それで、今日のエキシビションマッチのことなんだが――」

 

 と本題に入りかけた、その時。

 

『マサルから電話ロト~』

「――噂をすれば、ってやつだな」

 

 出てもいいか、と目だけで問いかけると、キバナは軽く頷いた。

 

「もしもし、マサル。ちょうどいいところに――」

『あ、もしもしダンデさん? ちょっと僕ジョウト地方に行ってきます。それじゃあ!』

 

 ブツッ、ツー、ツー、ツー……。

 

 隣で聞いていたキバナが目をパシパシさせた。

 

「……なぁ今ジョウトに行くって言ってなかったか?」

「……オレの幻聴だと思ったんだが、キバナにもそう聞こえたか?」

「そう聞こえた」

「そうか……」

 

 事実を飲み込んで――次の瞬間、大人二人は揃って「あああああああの馬鹿!」と叫びながら頭を抱えた。

 

「アイツはニュースを見てねぇのか?! オイ!」

「ロトム! リダイヤルしてくれ、リダイヤル!」

「ジョウトっつったら今話題じゃねぇかよ! ニュースでも新聞でもネットでも――」

 

 とキバナが開いたネットニュースの一面には、大きな見出しが躍っている。

 

『ロケット団の復活! 毎晩襲われるジョウトの町々、被害甚大』

 

 目的不明。規模不明。とにかく夜陰に乗じて町を襲い、ポケモンを使って人を傷付けているのだと報じられている。

 他地方の人間は出来るだけ近寄らないように、とも書かれていた。

 

「――見てねぇっつーのかよコレを! 馬鹿かアイツは!」

「駄目だキバナ、どうしよう! 通じない!」

 

 ダンデが単独のヨワシみたいな顔になっていた。握りしめたスマホからは、『ただいまリザードンに乗って移動中ロト~。お急ぎの方は諦めるロト~。その内折り返すロト~』と、ロトムの声――を真似したマサルの声が流れ出ている。

 

「なんっだその音声! ムカつくなぁクソッ!」

「うん、オレも今初めて殺意とかいうのを感じたぞ!」

「そうか! 人間らしくなったなダンデ!」

「どういう意味だキバナ?!」

 

 ひとしきり騒いだ二人は、荒くなった息をようよう整えて――

 

「……とりあえず、ジョウトの知り合いに連絡しておくぜ……キバナ、君からも時々電話をかけてやってくれ」

「りょーかい。本っ当に人騒がせな奴だよなぁ……チャンピオンってやつはみんなこうなのかな……」

「ん? オレがいつ人を騒がせた?」

「チャンピオンになった直後にワイルドエリアに消えていって、二週間戻ってこなかったことを忘れたのか?」

「あれは普通に遊びに行ってただけだぜ!」

「……帰ってきたら、マサルも同じこと言いそうだな……」

 

 そーゆーとこだぜチャンピオン、とキバナは口の中で呟いた。

 

 







キバナさんとダンデさんの会話かくのたーのし〜(ちょっと違和感あるけど目を瞑る)

次はそのうち上げます。

ヨワシ(たんどくのすがた)の顔するダンデさんと、ロトムの声真似で煽ってくるマサルくんを誰かくださいお願いします。


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あくのはどう−1

 ジョウト地方までの空の旅は、快適とは程遠いものだった。

 

「もう二度とやらん……絶対にやだ……」

 

 季節が悪かったのかもしれないが、それにしても、だ。まさか嵐に巻き込まれるとは思ってもみなかった。途中で不時着するはめにならなかったのが奇跡である。マサルは疲労困憊の状態で、ジョウトの一角に降り立った。

 

「お疲れ、リザードン」

「ばぎゅあ……」

「お前が一番大変だったよなぁ。本当にお疲れ……すぐポケモンセンターに行こうな……」

 

 ぐったりと首を垂れるリザードンをボールにしまいながら、自分もその場にへたりこんでしまいたくなったのをこらえて、マサルはスマホを出した。

 

「heyロトム……ここ、どこ?」

『マップアプリを起動するロト! ――更新情報を取得しているロト、しばらく待つんだロト! ――現在地はジョウト地方、ヨシノシティの南だロト!』

「よしのしてぃ……」

 

 ぐるりと辺りを見回す。もうすっかり日が落ちてしまって、辺りは闇に沈んでいる。ささやかな街灯が点々と立っていて、町の中心部までの道をぼんやりと照らしていた。人気はなく静まり返っている。その道をゆっくりと、ポケモンセンターを目指して歩き出す。

 

(ブラッシータウンみたいな雰囲気だな……いい感じ)

 

 吸い込んだ空気は異国のものだ。ガラルより少し湿っぽいような感じの中に、知らない花の香りが混ざっている。

 

(別の地方に来たんだなぁ。なんか感動的だ)

 

 いつか行ってみたいとは思っていたが、こんな風に突然行くことになるとは思わなかった。

 それもこれもすべて、カバンの中から見つかった二枚の葉っぱが原因である。

 ――きんのはっぱ。

 ――ぎんのはっぱ。

 ブティックの人からそれらを貰った瞬間、これは何か特別なもののような気がする、と思ったのだ。その感覚は、ザマゼンタのくちたたてを手にした時とよく似ていた。

 

(放っておいちゃいけない、って思った……勘だけどさ)

 

 ホップはヨロイ島、ソニアは冠の雪原に行ってしまっていなかったから、マグノリア博士に調査を頼んだのだった。

 調査結果が出るまでの間、ハロンタウンの自分の家に戻って、お母さんに話を聞いてみた。

 ずっと聞いてはいけないような気がしていた、お父さんのことを。

 

(母さん、案外アッサリしてたな……)

 

 マサルが振り絞った勇気を嘲笑うかのように、平然とお母さんは話してくれたのだった。

 父親の名前はカツト。ジョウト地方の出身。なぜかワイルドエリアで行き倒れていたところを、ジムチャレンジ中だったお母さんが偶然助けたのだという。そこから、シュートシティまで一緒に旅をして――恋愛をして――結婚した。

 だが彼は、マサルが生まれた頃にふらりと出ていってしまって、それきり消息を絶ったのだそうだ。残されたのは、一緒にシュートシティで買ったボストンバックだけ。

 

『もしマサルが将来ジムチャレンジをするって言い出したら使わせてやってくれ、なんて言ってさ。ふらーっと。それっきり。……まぁ、どこかで、そういう人だって分かってたからね。そりゃ出ていかれた時はびっくりしたし、ショックだったけど……でも、私にはマサルがいるからね。全然平気よ!』

 

 とお母さんは笑い飛ばした。

 

(だから、僕も気にしないでいいんだ、って思ったんだけど)

 

 マグノリア博士の調査の結果を聞いたら、ここへ来ずにはいられなかったのだ。

 博士いわく、この二枚の葉っぱをつけるような木は現実に存在しないものだ、という。

 

『おそらく、ジョウト地方の伝説のポケモン、ルギアとホウオウに関連するものと思われます。用途は不明です。――根も葉もない噂だと、ぎんのはっぱをルギアに、きんのはっぱをホウオウに持たせてウバメの森の祠へ行くと、ときわたりポケモンのセレビィが出てくる、とかいうものがありますね。これは単なる都市伝説ですが』

 

 ただ持っている分には何の問題もないでしょう、と締めくくられた話を聞いて。

 

(お父さんはどこで、“この世に存在しないはずの葉っぱ”を手に入れたんだろう)

 

 とマサルは思った。

 

(どうやって手に入れて、何をするつもりだったんだろう)

(何のためにカバンに仕込んだんだろう)

(そのカバンを置いていったのはなんでだろう?)

(わざわざ、僕に使わせろ、なんて言い残して!)

(お父さんは一体何を考えていたんだ?!)

 

 疑問が次々にむくむくと湧いてきて、どうしようもなくなったのだ。それで、勢いガラルを飛び出してきてしまった。

 手掛かりなんか何一つとしてないのだから、疑問は解決しないかもしれない。だが、それでも。

 謎に包まれているお父さんが生きていた場所を。

 ジョウトという世界を見てみたかった。

 

(……ダンデさん、怒ってるかなぁ……)

 

 ちょっと僕ジョウト地方に行ってきます、とだけ告げて、電話の向こうからどんな反応が返ってくるかなど確認しようともせずぶち切ったのだ。

 リダイヤルが何十件と入っていたのを思い出して、マサルは少しだけ顔を引き攣らせた。

 

(ちゃんと話した方が良かったかな……まぁいっか。帰ったら怒られよーっと)

 

 仕事の類は一通り終わらせてきたから大丈夫なはず、オフシーズンだし、どうせすぐ帰るのだし――と思いながら通りを曲がり、ポケモンセンターの看板を見つけた、その時だった。

 

 ドガッシャーンッ!

 

「っ?!」

 

 大きな破壊音が夜の静寂を打ち破った。

 

「なんだ……? うわっ!」

 

 ポケモンセンターから真っ黒い煙が上がっている。

 

「え、なんで? 火事? 事故? いや、でも、さっきの音――」

 

 まるでタネばくだんのような音だった、と思った瞬間、ポケモンセンターから黒ずくめの人たちが次々飛び出てくるのが見えた。その人たちはポケモンを従えて、四方八方に散らばると、

 

「かえんほうしゃ!」

「タネばくだん!」

「シャドーボール!」

 

 と――民家に向かって、攻撃を始めた。

 

「……え?」

 

 目を疑うマサルの前で、家から出てきた人たちが逃げ惑う。ポケモンを持ってる人も、持っていない人もいた。中には反撃を試みる人もいたが、大抵は無抵抗のままただ逃げていく。

 

(な、なにこれ、どういうこと? なんでポケモンで人を襲うんだ? どうして……)

 

 混乱するマサルの目に、逃げようとして転んだ少年が映った。

 少年はポケモンを抱えていたが、戦える様子ではない。なのに、その後ろにニューラが迫ってきている。

 

「きりさく!」

 

 街灯の光を反射する爪が見えた時、マサルは反射的にボールを投げていた。

 

「ニンフィア、チャームボイス!」

 

 必ず当たる音波の攻撃。それは過たずニューラを吹き飛ばした。

 マサルは少年に駆け寄った。

 

「君! 大丈夫?!」

「う、うん……ありがとう……」

 

 手を貸して立ち上がらせる。短パンから出ていた膝がすりむけていたが、それ以外の怪我はなさそうだった。

 敵の男が高らかに舌を打つのが聞こえた。

 

「歯向かうものには容赦しないぞ! ズバット、きゅうけつだ!」

「ニンフィア、ムーンフォース!」

 

 すばやさはこちらが上。月を見上げて吠えたニンフィアの美しい声が波動となって、突っ込んできたズバットをはじき返した。

 

(――? 今あのポケモン、()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 マサルは疑問に思って首を傾げた。

 その一瞬の隙に、

 

「お兄ちゃん危ない!」

「っ?!」

 

 






ジョウトの短パンこぞうといえばゴロウだよね! じゃあロクロウだな!
っていうIQ3ぐらいの思考回路でロクロウにしました。連れているのはコラッタです。





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あくのはどう−2

 影から飛び出てきたポケモンが、咄嗟に飛び退いたマサルの肩口を切り裂いた。

 

「いっ……たあっ?! な、んで……え?!」

 

 肩に走った痛みが混乱を助長する。

 

(トレーナーを狙った攻撃?! そんなの……!)

 

 ガラルではトレーナーに向けた攻撃は違反中の違反だ。わざとそんなことをしようものなら、二度とバトルコートに立てなくなってしまう。

 だが、黒ずくめの連中はそんなことお構いなしのようだった。

 

「そこだ、ナイトメア!」

「ちゃ、チャームボイス!」

 

 ぎりぎりのところで相殺させることに成功した。ニンフィアが心配するように足元にすり寄ってくる。反対側には、心底怯え切った様子の少年が。

 マサルは彼に向かって問いかけた。

 

「ねぇ君……ここでは、トレーナーに向かって攻撃するのって、ありなの?」

 

 少年はきょとんとした目でマサルを見上げた。

 

「公式戦ではなしだけど……ロケット団はそれが普通だよ?」

「ロケット団? って、この人たち?」

「そうだけど……お兄ちゃん、もしかして違う地方の人?」

「あー、うん、その通り――ムーンフォース!」

 

 再び背後から飛びかかってきたゴーストを返り討ちにする。

 それで手持ちが尽きたらしい男が、貧乏ゆすりをしながら喚いた。

 

「くそっ、おい! このガキ、うざいぞ! 潰せ!」

 

 その声に敵が集まってきた――その数、五、十、十五――周りをすっかり取り囲んだ連中が、それぞれ一体ずつポケモンを繰り出した。十五体以上のポケモンに囲まれて、少年が悲鳴を飲み込んでマサルの足にしがみつく。

 マサルはごくりと唾を飲んだ。

 

(ええー……なんだこれ。どういうこと? なんでもありの大乱闘ってこと? マジか……きっつ……)

 

 だが、自分がどうにかするしかなさそうだ。マサルは腹を括った。

 

「君、名前は?」

「え、僕? 僕は、ロクロウ……」

「オーケー、ロクロウ。君のそのポケモン、戦えるよね?」

「えっ?」

「倒せとは言わない。ただ、自分の身は出来るだけ自分で守ってほしい……正直、君の方まで手が回るとは思えない。なるべく気を遣うけど――」

 

 悠長におしゃべりをしている暇など無かった。

 四方八方から一斉にポケモンが襲い掛かってくる。出来るだけ視野を広げてそれらを見ながら、

 

(ダブルバトル×八、ってことね! 全然オーケーじゃないけどオーケー理解した!)

 

 マサルはボールをいっぺんに放り投げた。

 

「カビゴン、たくわえる!」

 

 背後にカビゴンを配置して壁にする。カビゴンにはそこでしばらく耐えてもらうしかない。大丈夫、彼になら任せられる。マサルの信頼を保証するように、カビゴンが軽く吠えた。

 

「ニンフィア、チャームボイス! インテレオン、だくりゅう!」

 

 二体同時攻撃ができるポケモンはそれを基軸に、とにかく数を減らす。

 それをすり抜けてこちらに向かってきた奴には、

 

「ウーラオス、かわらわり! フライゴン、ドラゴンクロー!」

 

 物理単体攻撃で完全に仕留める。

 

(リザードンは疲れ切ってるから駄目……だけど、うん、大丈夫。どうにかいける!)

 

 次々と繰り出される技によって、すさまじい勢いで敵ポケモンが減っていく。

 

「す、すごい……!」

 

 ロクロウが呆然と呟いた。

 

「クソッ、何だこのガキ!」

「たった一人のくせに……っ!」

「もっとポケモンを出せ! 数で押せ!」

「畳みかけろ!」

 

 怒号が飛び交い、包囲網が一段と厚くなった。

 マサルは頬を伝った汗を手の甲で拭って、カビゴンの背に寄りかかるようにしながら戦場を見つめた。

 

「カビゴン、のみこむ! もう一回たくわえる! ――ニンフィア、マジカルフレイム! フライゴン、むしくい! ――インテレオン……っ?!」

 

 矢継ぎ早の指示を遮るように、チクッ、と、腕に何かが刺さった。大した痛みではない、が。

 

「何だ、これ。……針?」

 

 確認した瞬間、ぐらりと視界が歪んだ。

 

(針……針と言えば……どくばり……どくばり?!)

 

 やばい、と思ったマサルがカバンに手を伸ばした時にはもう遅かった。

 全身から力が抜けて膝が落ちる。

 

「お兄ちゃん?!」

「がっ、はっ……ぐ、ぅう……」

 

 手足がしびれて震えていた。頭蓋骨を内側から殴られているような頭痛と、胃がひっくり返るような吐き気に襲われて、脂汗が全身からにじみ出る。

 マサルの手持ちたちがびくりと動きを止めた。

 

「とま、るな……っ! だいじょぶ、だか、ら……」

 

 こちらを窺ったポケモンたちに向かって、どうにかそれだけを言った。ポケモンたちは指示に従って振り向くのをやめたが、まだ心配が勝つようで、動きは精彩を欠いている。

 このままじゃ負ける。

 

「ロ、ロク、ロウ……カバンの、なかに……どくけし、が……」

「この中に?! ちょ、ちょっと待って……えーと……どこ?!」

 

 慌てふためいたロクロウが、カバンのジッパーを全開にして、マサルに見せつけるようにした。

 が、新調したばかりのカバンのせいで、自分でもどこに何が入っているのか分からなかった。ましてこの状態では冷静に考えることなど出来やしない。いろんな道具が雑多に詰め込まれている中に、金色と銀色の葉っぱが輝いているのが見え――それが三重にぶれて、ぼやけていく。

 

(やばい……意識が……)

 

 これって死ぬんだろうか、それは嫌だなぁ……――などと思いながらも、離れていく意識を引き留められなくて、マサルはぐらりと倒れた。

 

「――しっかりしたまえ、ガラルのチャンピオン!」

 

 凛とした声が空から降ってきた。








フライゴンのむしくいはタマゴわざですね……すみません、うちの子が覚えてるせいでそのまま使わせちゃいました……。


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あくのはどう−3

「しっかりしたまえ、ガラルのチャンピオン!」

「……へ?」

 

 呆けた声で反問した瞬間、口に何かを捻じ込まれた。冷たい液体が流れ込んできて、思わず喉を鳴らす。

 

「安心してくれ、ただのどくけしだ」

 

 その言葉の通り、マサルは遠退いていったはずの自分の意識が戻ってくるのを感じた。吐き気も痙攣も収まっていく。ゴリランダーのドラムアタックみたいだった頭痛も鳴りを潜めた。

 

「しかし、一人でここまでやるとは……さすがだな。話に聞いていた通りだ」

「……話?」

「細かいことは後で。今は――こいつらを一掃する!」

 

 真っ赤な髪を逆立てたその人は、マントを翻して空を指差した。

 

「蹴散らせ、カイリュー! はかいこうせん!」

 

 降り注いだ真っ白な光線に視界を焼かれて、マサルは思わず目を閉じた。轟音が耳を塞ぎ、ロクロウに悲鳴を上げさせる。

 爆音が収まって、恐る恐る目を開けると、

 

「――う、わ……」

 

 その場にいた全員が倒れていた。問答無用で、一撃で。一番外側にいた敵の何人かは元気に立ち上がって逃げ出そうとしたが、空から降りてきたポケモンに行く手を阻まれて尻餅をついた。

 マサルはその光景を呆然と眺めた。

 

(はかいこうせんを放射状に放って……しかも、僕のポケモンたちは避けて、なおかつ人は殺さないように、威力を調節して? どうやるんだそんなこと……出来るんだ、そんなこと!)

 

 混乱と興奮の渦の中に座りこんでいるマサルを見下ろして、その人はニッコリと笑った。

 

「はじめまして、おれはワタル。ジョウトへようこそ、マサルくん」

「どうして、僕の名前を――」

「ダンデくんから連絡を貰った」

「ダンデさんから?!」

 

 驚きを隠さないマサルを前に、ワタルはくすりと笑った。

 

「連絡がなかったとしても君のことは知ってたよ。ダンデくんを破ったガラルの新チャンピオン。――おれは、ジョウトのチャンピオンだからね」

「ジョウトの……チャンピオン……!」

 

 つまりジョウトで一番のトレーナーってことか! と理解した途端、マサルの目がぱぁっと輝いた。

 

(強いわけだ……戦ってみたい!)

 

 さっきまで死にかけてたことなど記憶の彼方に追いやられたようだった。

 ワタルが呆れたように苦笑した。

 

「聞いていた通りの戦闘狂(バトルマニア)のようだね」

「え、なんて聞いたんです?」

「ポケモンバトルに関してはガラルで一番詳しくて粘着質、だけどそれ以外に関してはまったく世間知らずの少年がそっちに行きます、と」

「そんな?!」

 

(ひどいなダンデさん! 帰ったら文句言わなきゃ……)

 

 実際ニュースの類をまったく見ていないという事実を棚に上げて、マサルはぷくりと頬を膨らませた。

 

「とりあえず移動しよう。ここまでやっておけば、あとは警察が片付けてくれるからね。少しだけ歩くけれど、大丈夫かい?」

「はい、大丈夫です」

 

 マサルは立ち上がった。カバンをあさってきずぐすりを取り出し、肩の傷に吹き付ける。どくけしが効いたのだからこれだって効くだろう、と思ったのだ。

 

(予想通り効いてる……け、ど、めっちゃ染みる!)

 

 涙目になったマサルにポケモンたちが心配そうにすり寄ってきた。彼らを一通り撫でてやる。

 

「みんなお疲れ。がんばったな。よーし、戻っておいで!」

「一匹くらいは護衛に出しておいた方がいいよ」

「マジですか。じゃあ……インテレオン、まだいける?」

 

 彼はこっくりと頷いた。インテレオンを残して全員をボールに収め、ロクロウからカバンを受け取る。

 ロクロウは目を真ん丸にしたまま、マサルを見上げていた。

 

「あ、あの……」

「ん? 何?」

 

 マサルは片膝をついてロクロウと目を合わせた。

 

「その……お、お兄ちゃんは、何者なの……?」

「僕? 僕はね、マサル。ガラル地方っていうところから来た、ただのトレーナーだよ」

「でもさっき、チャンピオン、って……ワタルさんが……」

「うん、ガラルのリーグのチャンピオン。この間防衛に成功したから、今年で二年目なんだ!」

 

 マサルはへらりと笑った。

 その間抜けな笑顔とさっきまでの猛烈な戦いぶりの温度差に、ロクロウは目を白黒させていたが、マサルはまったく気が付かないで再び立ち上がった。

 

「じゃあね、ロクロウ。気を付けて帰るんだよ。またね」

「あ、うん……」

「じゃ、行きましょうかワタルさん。どっちですか?」

「こっちだよ」

 

 ワタルの先導に従って後をついていく。

 

「――あ、ありがとう! マサルお兄ちゃん!」

 

 背中を追いかけてきた感謝の言葉に、マサルは手を振り返して応えた。

 

 








ワタルさんは人にも容赦なくはかいこうせんを撃つ人だってワタシシッテルヨHAHAHA




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じこあんじ−1

 ワタルの後についてヨシノシティを出る。一気に木が増えて、ホーホーたちの鳴き声があちこちから聞こえてきた。

 

「無事ジョウトに着いたこと、ダンデくんに連絡したかい?」

「あー、いえ……それは、まだ……」

「してあげた方がいい。すごく心配していたからね」

 

 そう言われると、怖いとかなんとか言っていられなくなってしまった。

 

「……heyロトム、ダンデさんに電話して」

『了解ロト~』

 

 コールは一回で即座に繋がった。

 瞬間、怒鳴り声が飛んできた。

 

『マサル?! 今どこで何をしているんだ?! ジョウトに行くって突然どうしたんだ、君は馬鹿か?! というか一方的に通話を切るのはやめてくれ! 人の話は最後まできちんと聞きなさい!』

「……はぁい、すみませんでした……」

『まったく……ジョウトの今の情勢を知っているのか?』

「じょーせー?」

『ロケット団が復活して毎晩町を襲っていると、こっちのニュースでもやっているだろう? まさか、本当に何も知らないで行ったのか?』

「あー、はい」

 

 電話越しでも風圧にやられそうなほど大きな溜め息が聞こえた。

 

『君ってやつは、本当に……ワタルさんに連絡しておいて良かったぜ……』

「あ、はい、助かりました。ねぇワタルさん」

「そうだね」

『えっ、もう会ったのか?!』

「はい。さっそくロケット団の襲撃に出くわして――あ」

『襲、撃?』

「……元気です。元気なので平気です、はい」

「どくばりくらって死にかけてたけどね」

「ワタルさん!?」

『マサル?! どくばりってどういうことなんだ?!』

「ええと、あの……と、とりあえず無事なので! ワタルさんのおかげで! つまりダンデさんのおかげでもあります! ありがとうございました! それじゃあまた連絡しますんでサヨウナラおやすみなさい!」

 

 一息に言い募るとマサルは通話を切った。

 はぁ、と息を吐いてスマホをしまうと、ワタルの呆れた目と目が合った。

 

「ついさっき一方的に電話を切るなと怒られていなかったか?」

「あー……そんなような気もしますね……」

「駄目だよ、マサルくん。心配してくれる人たちのことは大切にしなくては」

 

 マサルはちょっとムッとして黙り込んだ。

 

(どうして会ったばかりの人にそこまで言われなくちゃいけないんだろう? それに、ダンデさんにだって別に心配してくれって頼んだわけでもないんだし……まぁ、おかげで助かったんだけどさ)

 

 ふくれっ面を隠さないマサルに苦笑を向けて、ワタルは前方を指した。

 

「ほら、見えてきた。ワカバタウンだ。急ごう。きっと待ってるよ」

「待ってる? 誰がですか?」

「ウツギ博士だよ。マグノリア博士から連絡があったらしくてね、会うことがあったら案内してあげてほしいと頼まれたんだ。君に会ったことをさっき伝えたら、ぜひ連れてきてほしいって」

「そうだったんですか」

 

 たぶん、きんのはっぱとぎんのはっぱのことが気になっているのだろう。それを知りたいに違いない、とマサルは思った。

 

(それは僕も知りたかったから、嬉しいなぁ。お土産買って帰らなきゃ)

 

「ワタルさん、ジョウトの名物って何です?」

「名物? やっぱ、いかりまんじゅうじゃないかな」

「あー、お饅頭かぁ。マグノリア博士って甘い物お好きかなぁ」

「ふっふふ、のんきなものだ。だが、そのためには手を貸してもらわないといけないかもしれないな」

「手を貸す?」

「ああ。ロケット団のせいで、いかりまんじゅうの店は臨時休業中だからね」

「えっ!」

「君の実力は先ほど見させてもらった。ロケット団流の戦い方には慣れる必要があるけれど……」

 

 と、ワタルは何かを含んでいる微笑を浮かべた。

 

「観光に来たつもりだったんだろうが、悪いね。今はとにかく手が足りなくて。手伝ってくれるだろう、ガラルのチャンピオン?」

「はい」

 

 マサルは即答した。

 

「はっきりした目的があって来たわけじゃないですし……僕が力になれるなら喜んでお手伝いします」

「心強いな。よろしく」

「よろしくお願いします」

 

 ワタルとがっちり握手をする。その手のひらの硬さに、マサルはダンデを思い出した。

 ワカバタウンの中もかなり静かで、人の気配はまったく無かった。それがもともとこの町の性質なのか、襲撃を恐れて息を潜めているのか、マサルには分からなかった。

 

「さあ、着いた。ここがウツギ博士の研究所だ」

 

 温かな光を灯す家のインターフォンを押すと、中からパタパタと駆けてくる音がして、

 

「はいはいはいはい……あっ、やあ、ワタルくん!」

「こんばんは。お久しぶりです、ウツギ博士。夜分遅くにすみません」

「いやいやいやいや、いいんだよ! さぁ入って入って。あっ、君が噂のガラルチャンピオンくんだね?」

 

 ようきな性格で眼鏡をかけたリグレーみたいだなぁ、と思いながらぼんやりしていたマサルは、はたと我に返り慌てて帽子を取った。

 

「はじめまして。マサルです」

「マサルくんだね。よろしく! マグノリア博士から聞いているよ。すごい強いんだってねぇ。あと、なんだか不思議なものを持ってきた、って。あ、ごめんごめん、僕はウツギ。ここでポケモンの研究をしてるんだ。テーマは進化! ポケモンってすごいよねぇ。特に進化のメカニズムはまだ解明されていない部分がたくさんあって、研究しても研究しても終わりが見えないよ! ガラル地方のポケモンの中にも面白い進化をする子がたくさんいるよね、たとえばマホミル――」

「――博士」

「ああごめんごめん、つい熱が入っちゃって!」

 

 ワタルが咳払いをしたものだから、ウツギ博士はぱたりと口を閉じた。

 それから改めて二人を招き入れ、しっかりと鍵をかけた。

 

「ごめんねぇ、最近物騒なものだから。こんな状況じゃなければ、ジョウトのあちこちを案内してあげたいところだったんだけど。あっ、ヨシノシティはどうだった? 大丈夫だった?」

「被害は最小限に抑えられましたよ。マサルくんのおかげでね」

「おお、さっすがチャンピオン!」

 

 真っ直ぐに褒められて、マサルは照れくさくなった。

 研究所の回復装置でポケモンたちを休ませながら、勧められるまま夕食をご馳走になる。その間、ウツギ博士はマサルが出したきんのはっぱとぎんのはっぱをしげしげと眺めては書架に行ったり、パソコンを叩いたり、あれこれわたわたと走り回っていた。

 大きな尻尾の上に体を乗せて、跳ねるように移動していたポケモンが、器用にお茶を運んできた。

 

「わあ、ありがとう」

 

 マサルはお茶を受け取って、そのポケモンを撫でた。

 

「知らないポケモンくんだ。ノーマルっぽい顔してるねぇ。性格はひかえめかな?」

「それはオタチというんだよ」

「オタチ。尾っぽで立つから? あはは安直。分かりやすくていいね。よーしよしよし」

 

 短いけれど柔らかい毛に手をうずめて、もふもふもふと撫でまわす。オタチは気持ちよさそうに尻尾の上で体を揺らして、マサルの膝にすり寄った。

 



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じこあんじ−2

 片手でオタチを撫でながらお茶を啜っていたら、神妙な顔つきの博士がのそのそと戻ってきた。マサルの向かいにゆっくりと座って、重たい口調で博士は切り出した。

 

「うーん、マサルくん、これは大変なものかもしれない」

「大変なもの、ですか」

「うん……」

 

 机の上に並べた二枚の葉っぱをじっと見下ろして、ウツギ博士は言葉に迷っているようだった。オタチがひょいとマサルの手から脱け出していって、キッチンから博士の分のお茶を持ってきた。

 

「ああ、ありがとう」

 

 博士はそれでちょっと喉を湿らせてから、改めて話し出した。

 

「君は、この地方に伝わる伝説のポケモンのことを知っているかな?」

 

 マグノリア博士が何か言っていたような気がする。マサルは記憶を掘り返した。

 

「ええと……ルギアとホウオウ? でしたっけ」

「そう。――ルギアとホウオウは、ジョウト地方のポケモンにとっては神様みたいな存在でね。何か大きな災害が発生した時には、ポケモンたちを守ってくれると伝わっている。今から……十年とちょっと前くらいかな。その時にも復活したロケット団があちこちで悪さをしていたんだけれど、それを収めるのにも協力してくれたんだ。ある二人のトレーナーの手持ちになってね。その後、ルギアとホウオウは元の住処に戻っていった」

 

(ザシアンとザマゼンタみたいだ……そういうポケモンってどこにもいるんだな)

 

 ホップと一緒にムゲンダイナに立ち向かった記憶は、もう遠い過去のことのように感じられた。まだ一年とちょっとしか経っていないのに。

 

「再びジョウトに危機が迫っている今、ルギアとホウオウは目を覚ますかもしれない。――で、問題は、おそらくロケット団の目的がその二匹だということなんだ」

「えーと、わざと暴れてルギアとホウオウを呼び出して、それを捕まえてもっと暴れよう、ってことですか?」

「その通り」

 

 それってやばいんじゃないか、とマサルが言うより早く、博士が続けた。

 

「ただ、彼らは知らないんだ。十年前も、ルギアとホウオウはただ自然に出てきたわけじゃなかった。ロケット団を壊滅させた二人のトレーナーは、それぞれにじいろのはねとぎんいろのはねを持っていて、それによって二匹を目覚めさせたんだ。それらは使い終わったら消えてしまったらしいんだけど……」

 

 と、博士はもう一度、机の上の二枚の葉っぱに視線を落とした。

 葉っぱはただ蛍光灯の光を反射しているのではなく、自ら発光しているように見える。その神々しさに触れるのを躊躇ったのか、博士は葉っぱの少し横を指先で叩いた。

 

「このきんのはっぱとぎんのはっぱは、同じような役目をするかもしれない。その二人に見せてもらったはねと同じエネルギーを発しているから。……君がこれを持っているということをロケット団が知ったら、彼らは君を狙ってくるだろう」

「それじゃあ――」

「そうなる前に君はガラルへ――」

「僕がルギアとホウオウを捕まえにいけばいいんですね!」

「え?」

「え?」

 

 きょとんとしたウツギ博士につられて、マサルも首を傾げた。

 

「だって、そうじゃないですか? 僕が二匹を捕まえて、ロケット団壊滅を手伝って、それから二匹を逃がせば、全部丸く……収まり、ますよね?」

「その通りだね。話が早くて助かるよ、マサルくん」

 

 笑いをこらえるような顔でワタルが肯定した。

 

「じゃあすぐに――」

 

 行きましょう、と言いかけたマサルを、ワタルは遮った。

 

「だが、今日のところは休んだ方がいい。長旅からの戦闘で疲れただろう? 博士、部屋を貸していただけますよね」

「う、うん……それはいいんだけど……」

「細かいところはおれと話しましょう」

 

 博士はまだなにか言いたそうにしていたが、やがて諦めたように息を吐き出した。

 

「……そうだね。じゃ、オタチ、マサルくんを案内してあげてくれるかな?」

 

 きゅーい、と鳴いたオタチがマサルの足元にすり寄ってくる。

 

「じゃ、マサルくん。また明日」

「自分の部屋だと思ってゆっくりしてくれていいからね」

「はい、ありがとうございます、博士、ワタルさん。……じゃあ、おやすみなさい」

 

 ひらひらと手を振る大人二人に、半ば追い出されたような感じを覚えながら、マサルはちょっと頭を下げてから研究室を出た。はっぱを無造作に放り込んだカバンを両手で抱き締めるように抱えて、自分の前をぴょんこぴょんこ跳ねていくオタチについていく。

 

「……なぁオタチー」

「きゅい?」

「僕まだ元気なんだよ? そりゃ、長旅だったし、バトルもしたけど……話をするくらいはどうってことないんだ」

「きゅぅう?」

「……君に言っても仕方ないよね。ごめんよオタチ」

「きゅい、きゅい!」

 

 案内された部屋は小さかったけれど、綺麗に整えられていた。博士のところには泊りでくるお客さんが多いのだろう。

 一仕事終えてご機嫌そうなオタチを見送って、マサルはベッドに転がった。言葉で言ったほど体は元気でなくて、あっと言う間に眠たくなった。意地を張ったマサルはしばらく睡魔に抵抗していたが、すぐに、抵抗する気力ごとねじ伏せられて。

 

 翌日、すさまじい爆発音で起こされるまで、夢すら見なかった。

 



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閑話:かぎわける

 

 ナックルスタジアムの屋上でスマホを眺めながら、キバナは呻いた。

 

「まぁ……っじで、ワタルさんは天才だな」

 

 早朝のネットニュース。更新されたばかりの速報記事には『ガラルのチャンピオン、ボランティアとして参戦』という見出しが躍っていた。記事の中では、ワタルがダンデに救援を求めて、ちょうどオフシーズン中で手の空いていたマサルが自分から意思表明しジョウトに行った、ということになっている。

 

「昨日の今日でこの対応か……スゲーや、うん」

 

 これでマサルがロケット団と戦う羽目になることは確定したが、どうせ彼のことだ、放っておいても勝手に巻き込まれて戦っていたに決まっている。

 

(お人好しじゃねぇけど、黙って傍観するようなやつでもねぇからな。――そもそも戦闘狂(バトルマニア)だし。バトルが始まったら飛び込むだろ)

 

 それならこうして堂々と名乗り出ておいた方が何かと都合がいい。

 

(上手くやりゃマサルの株も上がるし……SNSに目撃情報も上がりやすくなって、こっちもアイツの消息を把握しやすくなった。これで少しはダンデの心労も和らぐ――と、いいんだけどなぁ)

 

 昨晩ダンデからの電話で聞いた話では、さっそくロケット団の襲撃に巻き込まれたマサルがどくばりをくらって負傷したという。

 重たい溜め息を漏らす。

 

(マサルは強いけど、“お行儀のいいバトル”しか知らねぇからなぁ。ルール無用のロケット団の相手はキッツイだろうな)

 

 無論、ガラルでだって野生のポケモンを相手にすれば、トレーナーが負傷することもある。だが、バトル中に故意に狙われて技を受けることは、たとえ野良試合であってもありえない。マサルには想像すらできない世界がそこにはあって、きっと今頃戸惑っていることだろう。

 

「あのお騒がせ野郎め。ダンデだけじゃなくてマグノリア博士まで心配して、こっちに連絡よこしたっていうのによ」

 

 自分が心配とか迷惑とかを掛けていることを、理解できないほど馬鹿ではないはず。

 ただ、それらを受け止める度量だとか、全部ひっくるめて抱き締めるような強さがまだないだけで。

 キバナは大きく伸びをして、東の空を眺めた。

 そして、ゴウと吹き付けた冷たい風に嵐のにおいが混ざっているのを感じ取って眉を顰める。職業病のようなもので、天候には敏感なのだ。

 

「……ヤな感じがするぜ。これは砂嵐になるな」

 

 こういう日はワイルドエリアでの遭難者が増えるのだ。そのことを予測したキバナは、小走りにジムの中へ戻っていった。



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閑話:つめとぎ

 ロケット団が拠点にしているビルの最上階に、明かりが灯っていた。

 大きなパソコンの前に男が一人座っている。

 神経質に固められたオールバックの髪と、青い血管が浮かんでいる病的な肌以外は真っ黒だ。下っぱとさして変わらないデザインの黒い服。

 

 だが、彼こそが現在のロケット団のボスを務めている男――カルムだ。

 

 カルムはロトムドローンを飛ばしておいた自分の入念さに感謝をした。科学の力はすごいものだ。こんなに遠く離れていても、夜であろうと、相手の顔から手元からバッグの中身(・・・・・・)まで、ハッキリ鮮明に見えるのだから。

 

「見つけた……きんのはっぱ! ぎんのはっぱ!」

 

 画面にかじりつく。

 

「しかも持ち主はガラルのチャンピオン……ふっ、ははっ、あははははははっ! 皮肉なものだな! 神様のイタズラか?! だとしたら最高のイタズラだ! ――私が世界のチャンピオンとなる最後の戦いに、これほど相応しい相手はいない!」

 

 デスクの上を引っ掻き回し、一冊のファイルを手に取った。

 

「ガラル出身、マサル、現在十一歳。手持ちはインテレオン、カビゴン、ニンフィア、フライゴン、リザードン、ウーラオス――先鋒はカビゴンにしがち、だがウーラオスが入ったからここは変わるかもしれないな――こうげきの高いポケモンが多い短期決戦型――」

 

 パソコンを操作する。開いたプレイリストには、ガラルのリーグ戦やバトルタワー戦の動画がずらりと並んでいた。一番古いものは十年前から、ついさっき配信されたばかりのエキシビション・ダンデ対キバナ戦まで。

 憎たらしい相手が僅差で負けた戦いのサムネイルを見て、ニヤリと口角を上げる。

 

「あれから十年も経っているのに、まだアイツは負け続けて……成長のない男だ」

 

 カルムは鼻で笑った。

 

(それに対して、私はどうだ? ――対策は万全だ。あれからずっと戦い続けてきた。今の私が、負けるはずがない!)

 

 一週間前に配信されたダンデ対マサルのバトルタワー戦を再生する。腑抜けた顔で自分の弱点やクセをべらべらとしゃべる幼い少年。

 ――その姿に、かつて自分を負かした相手の姿が重なって見えた。

 十近く年下の少年に大観衆の前で負かされて、苦汁をなめた記憶がフラッシュバックする。

 

(年下に負ける気分が分かったか? キバナ――挙句の果てに、最大のライバルすら倒されて。よくもへらへらと笑っていられるものだ……)

 

 苛立ちの余り無意識のうちに爪を噛んでいた。

 

(……二度と、二度とこんなガキに負けてなるものか……っ!)

 

 凶悪な光で目をぎらつかせるカルムに、相棒のキュウコンがそっと寄り添った。

 パソコンの中のライブ映像は、ワタルと合流したマサルが歩き出したところだった。

 

(あの方角は――ワカバタウンか。ということは)

 

 カルムはキュウコンの頭を撫でながら、スマホを取った。

 

「――ああ、ご苦労だったな。――次の襲撃先を指示する。ワカバタウン、ウツギ研究所だ。準備が出来次第、襲い尽くせ!」

 



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うずしお−1

 轟音と振動。

 

「っ、な、なんだ?!」

 

 マサルは飛び起きると慌てて部屋を出た。

 

「博士! ワタルさん――っ?!」

 

 研究室に飛び込んだ瞬間、薄いピンク色の煙に視界が覆われた。

 

(これ……マタドガスのガスだ!)

 

 煙の向こうからはバトルの音と、誰かの怒鳴り声のようなものが聞こえてくる。が、すごく遠くのことのようにくぐもっていて、よく聞き取れなかった。

 マサルはガスを吸い込んでしまわないように腕で口を覆いながら、研究室の中に踏み込んだ。

 

(みんなは……確か、こっちの方……いた!)

 

 回復装置にセットされたままになっていたマサルの手持ちたちは、戦闘の気配を鋭敏に察知して、ボールの内側をカタカタと叩いていた。みんなすっかり元気になっている。

 

(よし、僕も行かなきゃ!)

 

 マサルはベルトにボールをセットしながら、一つを放り投げた。

 

「リザードン! 吹き飛ばせ!」

 

 軽く吠えたリザードンが翼を打って、風を巻き起こした。バタバタバタ、と資料が舞い上がる音と一緒に、ガスがみるみるうちに晴れていく。

 あっと言う間に視界はクリアになった。

 と、

 

「ウツギ博士!」

 

 博士が床に倒れているのが目に入って、マサルは駆け寄った。

 

「大丈夫ですか、博士!」

「う……」

 

 小さな呻き声を上げて、博士はうっすらと目を開けた。腕から血が流れている。マサルは咄嗟に辺りを見回して、落ちていたタオルを拾うと傷に押し付けた。

 

「博士、僕どうすればいいですか? あ、ロトム! heyロトム、病院に連絡して!」

 

 明るい声が『了解ロト~』と応えて、カバンのポケットからふわりと出てきた。

 

「ま、マサル、くん……」

 

 か細い声で呼びかけられて、マサルはパッと耳を寄せた。

 

「悪いん――けど……今すぐ、うずまき島、か……――う、に――ってほしい……」

「うずまき島?」

 

 ガスを吸い込んだせいでひどく掠れていた声を、どうにか聞き取る。

 博士はかすかに頷いた。

 

「ルギ――ウオウが、降り立つ――て言われ……――で、ワタルくんが、押さえて――から……君――って、知られる、前に……――」

「わかりました!」

 

 ロトムが繋いだ先に簡単に状況を伝え、よたよたと駆け寄ってきたオタチにきずぐすりとタオルを渡す。

 

「オタチ、博士をよろしく」

「きゅい!」

「行こう、リザードン!」

「ぎゅあっ!」

 

 マサルは裏手の窓から外に飛び出すと、リザードンの背に飛び乗った。

 

「heyロトム、うずまき島までナビゲート開始!」

『了解ロト!』

「リザードン、しばらくは低空飛行でよろしく。ばれないように気を付けていこう!」

「ばぎゅあ!」

 

 力強く返事をして、リザードンは体勢を低くしたまま一気にスピードを上げた。

 

 †

 

 眼下の海には大きな渦潮が発生していた。そのすぐ隣に大きな島がある。

 

『目的地周辺に到着したロト! ナビを終了するロト~!』

 

 スマホロトムがするりとカバンに潜りこむ。

 

「ここが、うずまき島――」

 

 それは岩山のような島で、人が住む場所ではないと一目で分かった。ぐるりと周囲を回ると、山の側面に一ヶ所だけ穴が開いていた。それは洞窟のように島の内部に続いている。

 マサルはリザードンに乗ったままその中に飛び込んだ。

 

(おわ、見たことないポケモンがいっぱいだ!)

 

 状況が状況でなければ一通り捕まえておきたいところだった。

 

(ダメダメ、今は急いで、ルギアかホウオウか分からないけど、ここにいるっていうどっちかを確保しないと!)

 

 マサルは頭を振って進行方向を睨みつけた。

 

(僕はガラルのチャンピオンなんだから――誰にも心配されないように、しっかりやらなきゃ! 大丈夫、僕は一人でもやれる! 心配なんかいらないってところを見せるんだ!)

 

 リザードンの首をぎゅっと抱きしめる。リザードンはマサルに応えるように、さらにスピードを上げて深層を目指した。

 

 島の最深部には、透き通った湖が広がっていた。神秘的な色を湛える、美しい湖。

 マサルはリザードンから降りて、湖のへりに立った。

 

「ここ、かな……」

 

 マサルはある種の確信をもって呟いた。大きく深呼吸をする。まどろみの森の最奥部の空気と似た味がした。

 カバンのジッパーを開ける。

 

「お」

 

 ぎんのはっぱが光を放っていた。蛍光灯の下でないからよく分かる。

 

(やっぱりここだ! 間違いない!)

 

 マサルはぎんのはっぱを取り出し、湖の上にそっと浮かべた。

 

「っ!」

 

 咄嗟に帽子を押さえる。どこからともなく強い風が吹いたのだ。

 湖が渦を巻いた。ぎんのはっぱは光を強めながら、くるくると回って沈んでいく。

 底が見えるほど強く、強く渦を巻いて――

 

「――カッコイイ……!」

 

 湖の中から現れた大きなポケモンに、マサルは思わず目を奪われた。

 

 伝説のポケモン、深海を統べる神――ルギアが、マサルを見据えて大きく吠えた。

 



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うずしお−2

 ――伝説のポケモン、ルギア――

 

 美しい白銀の滑らかな体。背びれのような突起は深海の色。ゆったりと広げた翼はダイマックスを疑うほど大きくて、カッと見開かれた瞳は深淵の漆黒。長い首を悠々と廻らせて、マサルをその視界に収めると、

 

「――!」

 

 神威を感じさせる音波がびりびりと洞窟を揺らした。

 マサルの背筋がぞくりと粟立った。手足がかすかに震え出したのを、意識的に抑えこむ。右手で胸元をぎゅっと握りしめて、左手でベルトのボールを触る。

 

(すごい……プレッシャーだ……)

 

 カラカラの喉に重たい唾を無理やり流し込み――スイッチを切り替えた。頭の中が冷え切って、不安と恐れが消え去る。ここにあるのはポケモンとの真剣勝負、それだけだ。

 

(ひこうは確実かな。あとはみず? いや、ドラゴンかも。わからないな。けど、)

 

「戻れ、リザードン」

 

 みずタイプかもしれない相手にリザードンは危険だ。

 

「いっておいで、カビゴン!」

 

 限られた陸地の上で、カビゴンが両腕を広げて吠えた。

 

(まずは相手の出方を見よう)

 

 それに触発されたように、ルギアがもう一度咆哮し――バトルの火蓋が切って落とされた。

 ルギアが口を大きく開けた。そこに水の塊が凝縮していく。

 

(ハイドロポンプか!)

 

 放たれた激流の弾丸を真正面から受けて、カビゴンは二三歩後退した。

 

(すごい威力だ……)

 

 とくぼうに自信があって、タイプ的にも不利ではないカビゴンが、ここまでHPを削られるなんて。

 

「たくわえる! ――もう一回!」

 

 深く息を吸ったカビゴンの背中は二回りぐらい大きくなったように見えた。

 

(たべのこしで回復しながら、少しだけ耐える――)

 

 一つ羽ばたくたびに大風が起き、吹き飛ばされそうになるのを耐えながら、マサルは目を凝らした。

 ルギアが空中で二撃目の体勢に入った。

 

「カビゴン、右だ!」

 

 マサルの声に合わせてハイドロポンプを避ける。地面が削れて、飛び散った岩の欠片が水と一緒に降りかかった。だがマサルは、水に濡れた服にも岩で切れた肌にも目をくれなかった。

 

(やっぱりみずタイプか? だとしたらリザードンは駄目。フライゴンも駄目だ。でも、この距離で当てに行くには――)

 

「よし、カビゴン、戻れ! ――いこう、インテレオン!」

 

 カビゴンとは正反対のすらりとした体を持つインテレオンが、湖に飛び込んだ。

 こうかはいまひとつでも仕方がない。捕獲が目的なのだから、むしろ削り過ぎない方が都合もいい。

 

「ねらいうち!」

 

 湖の中から打ち出された水がルギアの翼の付け根に突き刺さった。

 

(――……?)

 

 わずかに、だが、ルギアの体勢が崩れた。

 

(いまひとつ、じゃなかった……?)

 

 眉間にしわが寄る。

 

(みずタイプじゃない? それなら一体――)

 

 考え込んだ隙を突くように、ルギアが構えを変えた。

 

「――!」

「んっ!」

 

 ぐわん、と世界が歪んだ。

 

(じんつうりき?!)

 

 技の余波を受けたマサルはぐっと足を踏ん張って、倒れそうになったのをこらえた。捻じ曲げられた水の中からインテレオンが飛び出してきて、マサルの前に膝をつく。

 

(けっこうくらったな……)

 

 だがこれで分かった。明らかに、別タイプのポケモンが出せる威力じゃない。

 

(ひこうとエスパー。それなら!)

 

「戻れ、インテレオン!」

 

 すばやさはインテレオンの方が上だった。つまり、

 

「ウーラオス!」

 

 彼の方が早く動けるということでもある。

 勢いよく飛び出たウーラオスが水面を蹴った。

 

「うっぷんばらし!」

 

 鋭い拳が翼に打ち込まれて、ルギアが呻き声を上げた。巨体が斜めに傾いて、風を掴み損ねた翼が空を切る。

 

「よし、今だ!」

 

 マサルは空のモンスターボールを掴み、大きく振りかぶった。

 

「――こおりのつぶて」

「っ!」

 

 氷の塊が腕に当たって、マサルはボールを取り落とした。

 









※実際のデータ上では、ルギアはダイマックスポケモンよりだいぶ小さいです。まぁそのへんは雰囲気で……誤魔化されてください……。




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バークアウト-1

 腕が裂けて血が噴き出る。痛みで頭が痺れて、スイッチが切れた。

 

「いっ……」

 

 何も収められなかったボールが地面に転がる。

 なのに、

 

「――!」

 

 ルギアはボールに吸い込まれていったのだ――マサルが投げたのではないボールに。

 

「そんな……っ!」

 

 腕を押さえて目を見張るマサルの前に、一人の男が歩み出た。悪タイプが追加されたアローラキュウコンみたいな顔のおじさんだ。昨日知ったばかりの真っ黒な服――ロケット団の服を着ている。傍に付き従っていたアローラキュウコンが、牽制するような流し目をマサルに向けた。

 

(しまった、つけられてたのか!)

 

 マサルは呆然と立ちすくんだ。ルギアが――あの美しくて強いポケモンが、ロケット団の手に渡ってしまった!

 男は悠然とした態度で、ルギアを収めたボールを拾うと、高らかに笑った。

 

「ふっ、はっはははははは! ありがとうガラルのチャンピオン! 君の勇気と愚かさに敬意を表そう!」

「あなたは……?」

 

 男は仰々しい動作で振り返り、マサルに向かって厭味っぽい微笑を向けた。

 

「私はカルム。ロケット団を統べる者――そして、これから君を倒し、世界を制する者だ!」

「世界を?」

「そうさ」

 

 カルムは自信たっぷりに笑った。

 

「君は、おかしいと思ったことはないのか? ポケモンは生まれた時から闘争本能を持っている。だというのに、ルールの中に縛り付けて、不自由な試合をさせるなど! 生まれ持った本能を自由に発揮させるべきだ! ポケモンにはルールなど必要ない! それに巻き込まれて死ぬのなら、それはトレーナーの力不足だ! ポケモンの本気に付き合ってこそ、本当の強者、本当の共存というものだろう!」

 

 たたきつけるような叫びにマサルはひるんだ。湖から戻ってきたウーラオスがマサルをかばうように立ちはだかる。

 

「人間のエゴに付き合わされるポケモンたちが可哀想だ。つまらない試合(バトル)なんかのために本能を抑えこまれて……――私はそれを解放する。そして、これこそが本当のバトル(・・・・・・)だということを、世界に見せつける!」

 

 カルムは顔中に蔑みを浮かべて、マサルを見下ろした。

 

「お前だけじゃない、キバナも! 本当の争い(バトル)の前には太刀打ちできまい!」

 

 マサルはハッとした。

 

「どうして、キバナさんのことを……?」

 

 カルムの目が冷たく細まる。

 

「……知る必要があるか? 今から死ぬ人間が! いけ、ミミッキュ!」

「っ!」

「じゃれつく!」

 

 ルールも構えも全部無視して出された技を、ウーラオスは真正面から受けてしまった。こうかばつぐんの技に膝をついて――その手から、役目を終えたきあいのタスキが落ちた。

 

「ウーラオス、アイアンヘッド!」

 

 カルムはマサルの反撃を鼻で笑った。

 

(分かってるよ、特性・ばけのかわ――)

 

 マサルは歯がみした。攻撃を受けた時に一度だけダメージを大幅に軽減する、ミミッキュならではの特性。

 

(――でも、押し切る!)

 

「ウーラオス、もう一度――」

 

 と、出しかけたマサルの指示は、

 

「キュウコン、こおりのつぶて」

 

 カルムの命令で撃たれたキュウコンの技に掻き消された。

 ウーラオスが倒れるのを呆然と見つめる。

 

「え……なんで……」

「これが本物のバトル(・・・・・・)だ。ルール? マナー? そんなものが争いの場に存在すると、本気で思っているのか? 馬鹿馬鹿しい!」

 

 両手を広げて熱弁を振るうカルムに、キュウコンが呼応して美しく吠える。

 

「思い知るがいい、場のすべてがお前の敵だ。ぼんやりしている暇はないぞ! ――ミミッキュ、しっとのほのお!」

「うわっ!」

 

 自分に向けて噴き上がった炎を、マサルは間一髪のところで避けた。

 

(くそ、なんだコイツ……ウーラオスを戻すことすらできないなんて!)

 

 舌を打ちながらボールを投げる。

 

「カビゴン! したでなめ――」

「戻れ」

 

 ポケモンが手元に戻る時、おいうち以外はしてはならない。トレーナーに当たる危険があるからだ。ガラルのルールが染み込んでいるマサルは思わず指示を止めた。

 それをカルムは嘲笑った。

 

「ふっ、ははっ、模範的だな、素晴らしい! ――その愚かさのまま死ぬがいい! いけ、オーロンゲ!」

 

 ボン、と飛び出てきたオーロンゲが、素早くカビゴンに詰め寄った。

 

「けたぐり!」

「っ」

 

 体重が重いほど威力が上がるかくとうの技。体力が満タンの状態でくらっても沈んでいたに違いない技を受けて、カビゴンはひっくり返り沈黙した。

 

「この程度か、チャンピオン!」

 

 安い挑発でも一方的に不利な状況ならば充分に効き目を持つ。マサルの脳味噌はパニックを起こした。

 

(まずい、このままじゃやられる……どうにかして打開しないと!)

 

 二体以上同時に掛かって来るならば、とマサルは決意した。こういう場所でこの技を使うのはあまり褒められたものではないのだが、仕方がない。

 

「いこう、フライゴン!」

 

 キバナに貰ったタマゴが孵って、ナックラーの頃から大切に育ててきたポケモン。やんちゃな性格をちょっと封印した真剣なまなざしで、洞窟の天井すれすれまで飛び上がった。

 

「じしん!」

 

 ズンッ、と洞窟が縦に揺れた。岩場がめくれ上がり、オーロンゲとキュウコンに襲い掛かる。

 マサルは近くの壁に掴まって揺れに耐えた。狙いは相手のポケモンだからダメージは入らないが、フィールドが狭いせいで多少はどうしても巻き込まれるのだ。気遣わしげにこちらを一瞥したフライゴンに、気にするな、と手を振ってやる。

 中央にいたオーロンゲが膝をついた。が、

 

(戦闘不能にはならない、よな……!)

 

「――ふっ、これがじしん? この程度の威力が? 笑わせるな! トレーナーがポケモンの性能を抑え込んでどうする!」

 

 カルムが歯をむき出しにして笑った。

 

「本物を見せてやろう、キュウコン、ふぶき!」

「うわっ! ……うっ、ぐ……っ!」

 

 猛吹雪が発生して、マサルの視界が真っ白になった。右腕から流れていた血が凍りついて、火照っていた全身が一瞬で冷え切った。吐く息が白く凍える。腹の底から震えが広がって歯の根が合わなくなった。

 

(やばい……寒……)

 

 ワイルドエリアでもこんな吹雪にはあったことがない。フライゴンの呻き声が遠くに聞こえた。

 震える手を意地で動かして、ボールを掴む。

 

「――ニンフィア! マジカルフレイム!」

 

 まじめな性格で気が強いニンフィアは、いつになく気合の入った声を上げて技を放った。ボンッ! と弾けた炎が吹雪を蹴散らす。

 

(きっちり一体ずつ仕留めないと!)

 

 マサルが狙ったのはオーロンゲだ。

 だが、クリアになった視界にいたのは、ガラルマタドガスだった。

 カルムがマサルを指差して指示を出した。

 

「ヘドロばくだん」

「っ?!」

「ふぃいっ!」

 

 ニンフィアがマサルを庇った。ヘドロばくだんが直撃して倒れ込む。

 

「ニンフィア!」

「さて、残りは二体だな、チャンピオン? インテレオンとリザードンだ。知っているぞ。対策は完璧だ」

 

 と言いながらマタドガスをボールに戻し、別の二体を出してくる。

 

(パッチルドンとバリコオル……)

 

 リザードンはこおりタイプに強いが、パッチルドンはこおり・でんきタイプだ。でんき技をくらうのはリザードンにとってもインテレオンにとっても厳しい。

 バリコオルがステッキで地面を叩いた。瞬間、あられが降り始める。

 

(ルール無用ってこういうことか)

 

 理解するのが遅かったのかもしれない。けれど、もっと早く理解していても同じことだったろう。マサルはルールの中での戦い方しか知らないのだから。

 焼け焦げるような痛みが内臓を圧迫した。焦燥。劣等感。不甲斐なさ。

 

(どうしよう……僕、どうすればいい……?)

 



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バークアウト-2

(どうしよう……僕、どうすればいい……?)

 

 息が浅く、荒くなる。

 だが、カルムは容赦などしなかった。

 

「早く出したまえ。でないと――こおりのつぶて!」

「うわっ!」

 

 氷の塊がマサルめがけて発射された。だが、

 

「ばぎゅあっ!」

「うぉれおぉっ!」

「リザードン?! インテレオン?!」

 

 勝手にボールから飛び出してきた二体が、それらを打ち払い、尻餅をついたマサルの前に立ちはだかった。

 

(怒ってる……)

 

 怒った顔のまま二匹はマサルに向かって頷くようにした。

 マサルはそれを見てすぐに立ち上がった。

 

(そうだ、僕が先に折れちゃいけない!)

 

 自分を奮い立たせる。負けるわけにはいかないのだ。

 

「リザードン、ほのおのキバ! インテレオン、ねっとう!」

 

 狙いはパッチルドンだ。マサルの指示を正確に受け取って、二匹は同時に技を放った。

 が、

 

「バリコオル、サイドチェンジ!」

「っ!」

 

 それは立ち位置を入れ替えるための技だった。狙われていたパッチルドンがバリコオルに変わって、身代わりになる。

 ほのおのキバの直撃を受けてバリコオルは沈んだ。しかし、

 

「パッチルドン、こごえるかぜ!」

 

 吹き抜けた冷たい風に、二匹が身震いした。動きがわずかに遅くなる。

 

(すばやさが下がった――マズい!)

 

「でんげきくちばし!」

「っ、リザードン!」

 

 リザードンの巨体が吹き飛ばされて、洞窟の壁に激突した。マサルがそちらに目をやった、その隙にすかさず次の攻撃が飛んでくる。

 

「フリーズドライ!」

「しまっ――」

 

 みずタイプに対してこうかばつぐんになるこおり技。マサルは血の気が引いていくのを感じた。

 

「インテレオン!」

「ぅ……うぉれおんっ!」

 

 普段温厚なインテレオンが雄たけびを上げて、その場に踏みとどまった。まるでマサルを悲しませまいとするかのように。

 マサルは奥歯を強く噛んだ。

 

(負けない……負けたくない!)

 

 久々に心の底からそう思った。バトルの時はいつだって負けたくないのだが、これほど“負けてはならない”と思ったのはムゲンダイナ戦以来だった。

 

(僕がここで負けたら、きっと、ひどいことになる……っ!)

 

 だから折れない。折れることは出来ない。

 少なくとも、自分のために立ってくれるポケモンがいる限りは。

 

「インテレオン、ねっとう!」

 

 煮えたぎる激流があられを溶かしながらパッチルドンを押し流した。

 カルムの足元に転がって、やけどの痛みにのたうつパッチルドン。

 

「畳みかけるぞ。ねらいうち――」

 

 ――不意に、カルムがマサルの背後を指差した。

 

「ふぶき」

「っ?!」

 

 パッと振り返る。と、そこに真っ白いキュウコンが現れた。あられの中から今まさに生まれたかのように見えたのは、特性・ゆきがくれのせいだろう。

 

「うわあああっ!」

 

 豪風に吹き飛ばされ、マサルは冷たい地面に背中から倒れた。

 

「……う、……っ」

 

 一瞬暗転した意識を引き戻してのろのろと頭を廻らせると、今の技で最後の一ポイントを削られたインテレオンが力なく倒れているのが見えた。

 もう戦えるポケモンはいない。マサル自身も立ち上がれない。

 

(……負け、た……)

 

 事実を認めた瞬間、全身から力が抜けた。もう指一本も動かせそうにない。途端に傷が痛み出した。裂傷だけではなく打撲も何ヵ所もあるだろう。ぐらぐらと視界が揺れるのは貧血だろうか、それとも負けたショックだろうか――

 

「んぐっ」

 

 胸元を踏まれて目を開けた。スマホのレンズがこちらを向いている。

 

「さぁチャンピオン、インタビューといこう。――負けた気分はいかがかな?」

 

 負けた気分? そんなのいつだって同じだ。野良試合だろうがハンデ付きだろうが、こんなルール無用の乱闘だろうが全部一緒。勝ったら嬉しい、負けたら――

 

「……悔しいです」

 

 マサルの静かな声が気に障ったようで、カルムは鼻の横を引き攣らせた。

 

「それだけかね?」

「もっと強くなれる余地がある、って分かりました」

 

 マサルはインタビューの定型文をなぞった。テンプレではあるが本心でもある。負けるということは別の方向に勝ち筋があるということだ。自分がまだ知らない戦略が。

 そんなことより、マサルは気になってしまって仕方がなかった。

 

「あの、あなたはどうしてそんなに強いのに、ロケット団を組織して悪いことをしているんですか? どうしてトレーナーじゃないんですか? あなたならきっと、ルールを守っても――うっ、ぐっ……!」

 

 胸を強く踏まれて、マサルは呻き声を上げた。

 カルムが鬼の形相になって睨みつけてくる。

 

「貴様に何が分かる? 貴様のような能天気なガキに――何が分かるというんだ?」

「っ、あ……」

「強くなれる余地? そんなものありはしない。都合のいい夢を見るな。いいか、ここがお前の限界だ。この先は無い。勝負に負けるとはそういうことだ」

「っ……そんな、こと……ないっ……」

 

 マサルは力を振り絞り、まだ動く左手でカルムの足を掴んだ。

 

(負けたらそれでおしまい? そこが限界? そんなことあるもんか! だってそうだとしたら――ホップは――キバナさんは――ダンデさんはどうなる?)

 

 時々は足を止めるかもしれない。

 大きな壁にぶつかったりもする。

 行先を見失うこともあるだろう。

 けれど、決して引き返すことなく、その先を求める人たちを。

 

(僕は一番近くで見てきたんだから!)

 

 カルムの言葉を受け入れるわけにはいかなかった。

 

「僕の知ってる強さは……負けても折れない強さだ……っ! 何度目の前が真っ暗になっても、次の道を探し出そうとする強さだ! そういう強い人たちを僕はたくさん知ってる! っ……僕も、そうありたい……だから……だから、“次は負けない”!」

 

 カルムは醜悪に顔を歪めた。ぎり、と歯ぎしりするのが聞こえ、

 

「――次など無い! ここでお前は終わりだ!」

「っ!」

 

 手を蹴飛ばされた。胸ぐらを掴まれて持ち上げられる。抵抗するような力は残っていない。

 そのままマサルは湖に落とされ――

 

「キュウコン、ぜったいれいど」

 

 ――めのまえがまっくらになった――

 

 










人は氷漬けになっても生きていられるのか?
――答えはポケスペを見よ!!

※何かありましたらこちらへ↓お願いします。推しポケモンの鳴き声とか放り込んでいいですよ。全力で当てにいきます。
https://marshmallow-qa.com/aoi0404carbon?utm_medium=twitter&utm_source=promotion


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閑話:ぼうふう

スーパー閑話タイムスタートです。









 ウツギ研究所が襲撃され、ワタルが負傷した――

 その一報を受けて、キバナはバトルタワーに駆けつけていたのだった。

 

「よお」

「ああ」

 

 感動詞ひとつで挨拶を済まし、ダンデはパソコンに、キバナはスマホに目を落とす。

 

「っ、おい、キバナ! 犯行声明が出たぞ!」

「マジで?」

「これを見ろ」

 

 トップニュースになっていた。ダンデが開いた動画サイトには、岩壁を背景に厭味っぽい顔付きの男性が映っていた。しかし、アクセスが集中しているようでなかなか動き出さなかった。

 ちまちまと進んでいた動画のローディングが一段落ついて、再生が始まった。神経質そうだなと思ったキバナの想像通りの声が流暢に持論を展開し始める。

 聞く耳を持たずに画面の男を見ていたキバナは、妙な既視感に首を傾げた。

 

「……なぁんかコイツ、どっかで見たことあるような気がするな……」

「うん……オレもそう思うんだ。ガラルの出身かな?」

「んー……――ん? ……あ、ああ!」

 

 画面にアローラのキュウコンが映った瞬間、キバナは両手を叩いた。

 

「このアローラキュウコン! 思い出した! 十年前のジムチャレ――オレさまが初めて挑んだやつのセミファイナルトーナメント、一回戦で当たった奴だ! そうそう、このアローラキュウコンにてこずらされたんだ……。確か名前は――カルム?」

 

『申し遅れたが、私の名前はカルム』

 

 まるでキバナに応答したかのように、動画の男――カルムはそう言った。

 そして薄く笑ったまま、

 

『ガラルのチャンピオンは始末させてもらった』

 

 爆弾を投下した。

 

「……は?」

「なんだって?」

『彼の最後の言葉を聞くといい』

 

 そう言って画面が切り替わった。

 

「マサル……」

 

 呟いたのがダンデだったかキバナだったか、当人たちにも分からなかった。

 地面に寝ころんだマサルは、普段よりずっと分かりやすいふくれっ面をしていた。投げ出された右腕と上半身しか映っていなかったが、見える範囲だけでも血にまみれていて、明らかにポケモンの技を受けたことが窺える。その周囲にあられがパチパチと音を立てて落ちていた。

 

『――さぁチャンピオン、インタビューといこう。負けた気分はいかがかな?』

 

 厭味な声に、マサルはあまり普段と変わっていないような調子で応答していた。やっぱりどっかズレてるよなコイツ、とキバナは苛立ち紛れに思った。

 ダンデが手のひらに爪を食い込ませながら、画面の中のマサルを凝視する。

 マサルは誰も見たことのないような真っ赤な顔で吠えていた。

 

『僕の知ってる強さは……負けても折れない強さだ……っ! 何度目の前が真っ暗になっても、次の道を探し出そうとする強さだ! そういう強い人たちを僕はたくさん知ってる! っ……僕も、そうありたい……だから……だから、“次は負けない”!』

 

 ひび割れた声で張り上げられた叫びを、二人は歯を食いしばって受け止めた。誰のことを言っているのかなどすぐに分かった。

 カルムが逆上したようにマサルの手を蹴った。

 

『次など無い! ここでお前は終わりだ!』

 

 小柄なマサルは簡単に持ち上げられて、湖に放り投げられた。

 そして、

 

『キュウコン、ぜったいれいど』

 

 アローラキュウコンが、マサルの落ちた湖を一瞬で凍りつかせた。

 

「マサルっ……!」

 

 思わず、といった風情でダンデが声を上げた。キバナの手の中でスマホがびきりと鳴る。ロトムがおずおずと『キバナ、壊れるロト……』と囁いた。

 再び画面が切り替わった。色白の男が満足げに微笑んでいる。

 ぐるりと画面が動いて、マサルが入っている湖を映した。不純物の少ない澄んだ湖は、凍り付いて動かないマサルの姿を明瞭に見せつけた。

 

『ご覧いただいた通りだ。ガラルのチャンピオンは沈み、伝説のポケモン・ルギアは私のものとなった! 世界のチャンピオンとなる第一歩に、これ以上相応しいものはない!』

 

 カメラがカルムの方を向く。彼は両手を広げ、歌うように言った。

 

『世界よ、括目して見よ! 私がすべてを支配する。ポケモンの闘争本能を解放し、本物のバトル(・・・・・・)というものを思い出させてやろう! 手始めに――ルギア!』

 

 ボールから飛び出てきた白銀の美しいポケモンが、その大きな翼を悠々と広げた。

 

『エアロブラスト!』

 

 ひゅごぉお、と暴風が吸い込まれる音がして――

 

 ――次の瞬間、放たれた空気弾は。

 

 スピーカーの出力の限界を超えた轟音に途方もない威力を引っ付けて、洞窟の天井を貫きなお止まらず、空に突き刺さって雲を吹き飛ばした。

 

「っ……」

「マジかよ……」

 

 画面越しでもよく分かる。とんでもない威力だ。――これが町に向けて放たれたら、一体どうなることだろう。

 

『ははははははっ! 素晴らしい! さあ行こう、まずはジョウト、次はカントー、それからガラルだ! 楽しみに待っているといい! ふはははははははっ!』

 

 厭味な高笑いを残して、動画は止まった。

 瞬間、ガタンッ、と音を立ててダンデが立ち上がった。

 

「ちょちょちょちょ、待て待て待て待て!」

 

 そのままズンズン大股で歩き出したダンデの腕を、キバナは慌てて掴んだ。掴んで踏ん張ったが引きずられる。

 

「待てって、オイコラ! ダンデ! 一旦落ち着け!」

「オレは落ち着いてるぞ!」

「どこがだ! そういうことはオレさまを引きずるのをやめてから言え!」

 

 それでもダンデが止まることはなく、そのまま扉を蹴破るように開けて外に出た。スタッフたちが何事かと二人に注目する。

 

「聞け、って、この馬鹿! お前が行っちゃ駄目だ!」

「なぜだ?!」

「お前がここを空けたら誰がガラルの人たちの不安に応えんだよ! 結構な人数があれを見てたんだぜ、不安に思うに決まってる! その内テレビも雑誌も取材だなんだって押しかけてくるぞ! その時に『大丈夫です』って言えんのはお前だけだろうが!」

「っ……」

 

 ダンデは奥歯を噛み締めて、しぶしぶ立ち止まった。それでようやくキバナは手を離し、彼の前に躍り出る。自信満々に見えるように、わざと八重歯を見せつけて笑った。

 

「このキバナさまが行ってきてやるから、ふんぞり返って待ってろよ、委員長さま。チャンピオン救出の瞬間は配信すっから、見逃すんじゃねぇぞ?」

「……」

「あ、そーだ、ネズでも引っ張っていこ。どーせ暇だろ、アイツ」

「キバナ」

 

 ダンデは腰からボールを外して、差し出した。

 リザードンが入っているボールだ。

 

「コイツを連れていってくれ。心配しているから……」

「……わかった」

「君に、任せるぞ」

「ああ、任せろ」

「気を付けて」

「おう」

「道に迷うなよ」

「お前じゃねぇんだから」

 

 キバナはまったく気負っていない風の笑顔を浮かべ、「じゃな!」と手を振りながら駆け出した。

 ――ダンデに背を向けた瞬間、その表情は一変した。

 

(……許せねぇな。いや――)

 

 元々大きい一歩がさらに大きくなる。

 

(――許さない!)

 

 マサルの叫びが耳の奥に残っている。次は負けない。同じ言葉をキバナは何度吠えただろうか。――そこから“次”を奪った男を、許してなどやるものか。叫びが風を呼び魂の奥底が燃え上がる。

 さっそくタワーの根元に集まってきていた取材陣が押しかけてきたのを、「詳細はぜーんぶオーナーにお願いしまーす!」と軽々躱して、キバナはフライゴンに飛び乗った。

 



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閑話:りゅうのまい

 

「ネズ! ネズ!! 四十秒で仕度しろ、行くぞ!」

 

 フライゴンに乗ったまま飛び込んできた嵐の男は、そう言うが早いかネズの首根っこを引っ掴んでリザードンの背中に放り投げた。

 それで、気が付いたらジョウトの上空だ。

 

(まぁ、いいんですけどね……)

 

 胸糞悪い動画を見た直後だったから、飛び出すことに異存はなかった。

 

(マリィも心配してましたし。ったく、マリィに心配させるとは、はた迷惑な男ですね)

 

 心中で吐き捨てるように思いながら、自分を乗せているリザードンの背中を見る。彼の胸中が怒りで満たされていることは手持ちでなくともわかった。

 触れた背中は熱く、ぴりぴりと緊張感を纏っている。

 

「――まさか、ダンデのリザードンに乗る日が来るとは思ってませんでした……」

「あぁ? んだってぇ?!」

「なんでもねぇですよっ!」

 

 ネズはキバナに向かって大声で怒鳴り返した。そうでもしないと声が掻き消されるのだ。

 

「っとに、ノイジーな……」

 

 舌を打って、持っていかれそうになる髪の毛を手で押さえる。

 ジョウトの上空はすさまじい嵐だった。風が渦巻き、横殴りの雨が肌を打つ。眼下の海は荒れ狂い、この距離でもわかるほど高い白波が立っていた。時間的には昼間のはずなのに、分厚い雲が地上に影を落としているせいで、とてもそうとは思えない。

 自分だけちゃっかり防塵ゴーグルを装備しているキバナが、スマホを片手に叫んだ。

 

「オーイ! ネズ! この嵐なぁ、ルギアってポケモンのせいらしいぜぇっ!」

「そぉーですか!」

「でぇ! ネット民の情報だと! マサルがやられたのはうずまき島ってとこらしい!」

 

 と言いながら、キバナは長い手で豪雨に霞む島を指差した。

 

「あそこだってよっ!」

「そーでっ、すっ、かあっ、あああああああーっ!」

 

 言い返す間も無く、リザードンが勝手に舵を切った。

 突然の急降下に悲鳴を上げるネズ。それがあっと言う間に遠退いていくのを、キバナはひらひらと手を振りながら見送った。

 

「――そんじゃ、オレさまはこっちだな。いくぜフライゴン!」

 

 嵐に乗るのは大得意だ。まるでそよ風の中を進むかのようにすいすいと、キバナたちは嵐の中心へと飛び込んでいった。

 果敢に報道を続けているテレビ局のヘリコプターへひらひらと手を振りながら、泳ぐようにして湾岸に近付く。ポケモンの技同士がぶつかり合って閃光が散っていた。

 

(おー、いたいた。アイツがルギアか。……けっこうでけぇな)

 

 ルギアの姿を目視する。アイツが翼を一振りするたびに、風がいっそう唸りを上げた。聞いた話の通りだ。深海を統べ嵐を呼ぶポケモン。

 ジョウトのジムリーダーたちが数人、その前に立ちはだかっていた。しかしルギアの大技に加えて多数のロケット団員の攻撃があり、形勢は不利なようだった。昨晩から夜通し戦っているのだとしたら善戦していると言えるかもしれないが、そろそろ限界だろう。

 キバナは目を凝らして――見つけた。

 

「……アレか」

 

 カルム。アレが、マサルをひどい目に遭わせた男。

 覚えず牙を剥き出しにしてしまった。それに呼応するようにフライゴンが翼を打つ。一気に下降して戦場に急接近。

 

「よーっし、行くぜぇフライゴン――とんぼがえり!」

 

 キバナはパッと飛び降りた。フライゴンがぐるんと宙を舞って、ルギアの腹に頭を突き刺す。

 大きな呻き声を背中で聞きながら、キバナは砂浜に着地した。

 

「ナイス、フライゴン! んでもって、いってこい、サダイジャ!」

 

 こうかばつぐんの技をくらって、砂浜に降りたルギアの足元に。

 サダイジャは鎌首をもたげて、吠えた。

 

「すなじごく!」

 

 ガクンッ、とルギアの巨体が傾いた。砂浜が渦を巻きながら陥没し、それに足を取られたのだ。

 

(これでしばらく、アイツはこの場に釘づけだ。その間に――)

 

「あの、あなたは?!」

 

 声を掛けられて、キバナは振り返った。ハガネールに乗った女性が、警戒するような目でこちらを見ている。

 

「んぁ? あー、オレさまはキバナ! ガラル地方、ナックルシティのジムリーダーだ!」

「ガラルの……!」

「そう! うちのチャンピオンが世話んなったみてぇだからな! 助太刀だ! そういうわけなんで――」

 

 話しながら、キバナはボールを投げる。

 飛び出したフライゴンが急旋回し、サダイジャに襲い掛かろうとしていたオーロンゲを掴んで投げ飛ばした。

 

「――てめぇの相手はこのキバナさまが務めるぜ! カルム!」

「……っ!」

 

 キバナの鋭い目を真正面から受け止めて、カルムは苦々しげに舌を打った。

 



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閑話:おきみやげ

※方言は甘く見てください……。








 リザードンはフライゴンのように器用でなく、風雨に真正面からぶつかっていった。一直線にうずまき島へ向かって滑空する。背に乗っているネズのことなど忘れているに違いない。ネズは振り落とされまいと必死にしがみついた。

 ルギアによって開けられた大穴から中に入る。

 風はようやく遮られたが、まだ気は抜けない。吹き込んでくる雨は相変わらず痛いぐらい強く当たってくるし、リザードンが全力で翼を打っているのだ。

 

(俺はダンデほどゴリラじゃねーんです、よ……っ!)

 

 腕の力がそろそろ限界だ。だが限界だからと気を抜いたら、一瞬で投げ出されるだろう。そうしたら間違いなくお陀仏だ。

 

(早く着いてくれ!)

 

 ネズの祈りに応えたわけではないだろうが、リザードンはばさりと翼を打って、スピードを緩めた。

 着地。

 ネズは半ばずり落ちるようにして地面に降りた。

 

「ここ、ですか……」

 

 膝が笑っているのを意地で押えつける。ほう、と吐いた息が白く凍った。気温がかなり下がっているらしく、雨が凍ってみぞれのようになっていた。濡れた服が一気に冷えて、思わず身震いする。

 すぐ目の前に凍った湖があって――

 

「っ……」

 

 ――その中に、マサルの姿があった。

 

(リアルで見た方がキッツいな)

 

 内臓がひっくり返るような感覚がして目を逸らした。怒りや吐き気、というよりは、恨みとか憎悪に近い感情が胸の中に渦巻く。思わず舌打ち、それから貧乏ゆすり。

 唐突にリザードンが吠えて、炎の塊を吐き出した。

 

「おわっ」

 

 猛火。業火。すさまじい熱量の炎が放出されて、ネズは飛び退いた。

 だが、天候が邪魔をするのか、湖は溶けたそばからまた凍っていってしまう。

 

「ちょいちょい、んな考えなしに撃ったら、ぶっ倒れますよ……」

 

 恐る恐るかけたネズの言葉など、リザードンには届かなかった。

 

(チッ、おやに似て強情な野郎ですね)

 

 こういう奴は放っておくに限る、とネズは判断して、辺りを見回した。

 マサルのポケモンたちがあちこちに倒れている。みんな戦闘不能の状態のようだった。

 

(ボールに戻す余裕すらなかったってわけですか。ったく……――ん?)

 

 何かきらりと光るものが目に入った。

 のそのそと近付いてみる。

 

(なんだ、マサルのカバンか。きったな。もうちょい整理しやがれってんですよ、俺でももう少し……何だこの――葉っぱ? 光ってやがる)

 

 謎の葉っぱが金色の光を放っていた。

 

(それにこの――なんでコイツ、こんなに大量に持ってやがんですかね――ねがいのかたまり。これもなんか、光って……)

 

 不審に思ったネズが、きんのはっぱとねがいのかたまりをカバンから出した。

 瞬間。

 

「おわっ!」

 

 ねがいのかたまりが弾け飛び、きんのはっぱが煌々と輝きながら浮かび上がった。

 

「な、なんっ……なんが起きると?!」

 

 動揺したネズの大声に、というよりは、その葉っぱの光の威容に驚いたようで、リザードンも動きを止めた。

 葉っぱはまるで意志を持ったポケモンのようにスゥーっと宙を滑っていき、湖の上――マサルのいる辺りの上で、ピタリと止まった。

 光がどんどん強まっていく。

 

(やべぇかなコレ……でもどうしようもねぇよな! っとに、トラブルばっか起こしてくれやがって!)

 

 金色の光に視界を塗り潰されて――

 

「――!」

 

 初めて聞くポケモンの声がした。

 まだチカチカと点滅している視界を、瞬きを繰り返してどうにか正常に戻す。

 見えた瞬間、ネズは息を呑んだ。

 

「っ――……う、美しか……」

 

 その大きな鳥ポケモンは、虹色の光沢を放つ美しい朱色の体をしていた。金色の尾と鶏冠(トサカ)が羽ばたきに合わせてばさりと揺れて、その周りに虹の欠片のような輝きが飛び散る。

 天空を翔る虹色ポケモン――ホウオウ。

 呆然と見上げるネズの前で、ホウオウは大きく口を開けた。白に近い炎の塊が発生し、湖目がけて撃ちだされる。

 

「うおっ!」

 

 あまりにも高温だったためか、ただ溶かしただけでなく蒸発までさせた。水蒸気がぶわりと舞い上がってネズの視界を覆った。

 咄嗟に顔をガードした腕を下ろす。と、

 

「マサル!」

 

 溶けた水の中にぷかりとマサルが浮かんでいた。

 

「タチフサグマ! お(ねげ)ぇします!」

 

 勢いよく飛び込んだタチフサグマが、マサルを湖から引き上げる。

 陸地に転がすと、すぐにリザードンが寄ってきた。自分から熱が出ていることを理解している彼は、余計な炎を出すことなく黙ってマサルに首をこすりつけた。

 ネズは真っ先に息を確認した。

 

(――……生きて、ますね。ハァ……良かった……)

 

 怪我はひどいものの、とりあえず死んではいなかった。

 ネズはべたりと座り込んで、前髪をかき上げた。雨に濡れそぼっていたはずの髪は、さっきの炎の余波を受けてすっかり乾ききっていた。さっきまで全身にまとわりついていた嫌な汗も引いている。

 

「マサル、しっかりすんですよ。すぐ病院に――」

「う……」

 

 小さく呻いて、マサルが目を開けた。

 

 



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閑話:ドラゴンダイブ

 

「なぜ貴様がここにいる、キバナ!」

「なぜってそりゃお前、ご丁寧にご報告いただいたからなぁ! うちのチャンピオンを随分と可愛がってくれたみてぇじゃねえか! そのお礼を言いに、わざわざ来てやったんだろうがよ! ――フライゴン!」

 

 キバナが腕を振り上げた。

 

「吹けよ風、呼べよすなあらし!」

「ふりぁああああっ!」

「っ!」

 

 フライゴンが周囲をぐるりと一周し、その軌跡に沿うようにして砂嵐が発生した。ルギアの呼んだ雨が強制的に押し返され、乾いた風が二人を包む。

 完全に包囲されたのを見て、カルムは鼻を鳴らした。

 

「デスマッチでも気取るつもりか? 愚かしい――貴様の対策などとうにしてある!」

 

 回復させておいたバリコオルをボールから出す。

 

「バリコオル、あられ――」

「とんぼがえり!」

 

 技が発動するより早く、フライゴンがバリコオルに突っ込んだ。弾き飛ばされたバリコオルは渦を巻く砂嵐に巻き込まれて、空まで放り投げられると、

 

「っ!」

 

 砂浜の上に落ちた。

 キバナが歯を剥き出しにして笑う。

 

「本物のバトル、つったっけ? いいぜ、乗ってやるよ。――だが、覚悟しろよ。オレはマサルほどお行儀よくねぇからな!」

 

 カルムは歯を食いしばった。十年前のトラウマがフラッシュバックする。キュウコン以外はほとんど一撃で倒されてしまって、なすすべもなく無様に敗北した記憶――あの時もこの男は、目を爛々と輝かせ牙を剥き出しにして、こちらを見据えていた!

 カルムは忌まわしい記憶を掻き消すように頭を振って、猛々しく笑った。猛り狂う胸中とは裏腹に、脳味噌は冷え切っている。

 

「……これほど早くやり返す機会に恵まれるとはな! わざわざ倒されに来たその蛮勇、褒めてやろう! 光栄に思え――そして惨めに散るがいい! いけ、オーロンゲ、ミミッキュ!」

「行くぜオレさまの相棒たちよ! バクガメス! ヌメルゴン!」

 

 同時に放たれた四体のポケモンが、砂嵐のリンクの中央でぶつかり合った。

 

「ヘドロばくだん!」

 

 ヌメルゴンの放った攻撃はオーロンゲに直撃し、体力を一気に削り落とした。こうかばつぐんの技に加えて、もともとフライゴンから受けたダメージがあったのだ。

 カルムは即座にオーロンゲを交代させながら、

 

「ミミッキュ、じゃれつく!」

 

 狙ったのはバクガメスだ。先にこちらを落とさないと、後に差し障る。

 飛びかかったミミッキュをバクガメスは甲羅で受け止め――次の瞬間、甲羅が爆発した。

 

「っ?!」

「トラップシェル、だぜ!」

 

 キバナは得意げにニヤリと笑い、腕を振った。

 

「仕留めるぞヌメルゴン、ハイドロ――」

「マタドガス! ワンダースチーム!」

 

 顔面に吹きかけられたピンク色の煙に、ヌメルゴンは足元を狂わされた。あらぬ方向へ飛んでいったハイドロポンプが砂嵐に吸い込まれて消える。

 その隙に、

 

「ミミッキュ、いたみわけ! ――決めろ、シャドークロー!」

 

 ばけのかわの下から飛び出た鋭い爪がバクガメスを切り裂いた。急所に当たったらしい。戦闘不能。

 

「見たかキバナ! 十年前と同じようには行かせないぞ! 貴様のように、ただ闇雲に再戦を繰り返すだけの愚か者とは違うのだ!」

 

 ――キバナはその目に、挑むのをやめたIFの自分を見た――

 即座に余計な感傷を振り払う。ルール無用の争い(バトル)中に、そんな暇は一瞬たりとも猶予されていない。

 

「ヌメルゴン、ヘドロばくだん!」

 

 煙を振り払ったヌメルゴンが、ミミッキュを戦闘不能に追いやった。そして、キバナを守るようにマタドガスと向かい合う。紫色の滑らかな背中が、自分と同じようにぴりぴりと緊張感をまとっているのを感じながら、キバナは声を張り上げた。

 

「誰が愚か者だって?!」

「貴様だ! 勝てもしないのにいつまでも挑み続けて! まだ無駄だと分からないのか?!」

「無駄ァ?! 何が!」

 

 キバナは両手を広げ、獰猛に笑った。

 

「オレさまの人生はこんなに輝いてんのに?!」

「っ……この、ドМ野郎!」

「何とでも言え! 一回の敗北で心折れたてめぇに、あれこれ言われる筋合いはねぇよ! まして他人の“次”を奪う権利なんて、世界の神が許そうともこのキバナさまが許さねぇっ!」

 

 トレーナーの叫びに呼応して、ヌメルゴンが咆哮した。

 カルムは思わず半歩下がって――その足を無理やり前に出す。

 

「ヌメルゴン、かみなり!」

「パッチルドン、つららおとし!」

 

 同時に炸裂した技がリングの中央で相殺された。

 その衝撃で舞い上がった砂煙に紛れ、マタドガスが接近する。

 

「マタドガス、ワンダースチーム!」

「っ!」

 

 ヌメルゴンが倒れたのを見て、キバナは即座にボールを放った。

 

「フライゴン! 遠慮はいらねぇ、ぶちかませ! ――じしん!」

 

 ズドンッ、と、強烈な揺れが全員を襲った。砂浜の一部が崩れ、流れ込んできた海水が足元を濡らす。技の一番外側にいながら、キバナもカルムも膝をついた。中央で最も強い衝撃を受けたパッチルドンが力なく倒れ――

 ――キバナは目を見開いた。

 

「っ、しまった、“ふゆう”か!」

「マタドガス、ワンダースチーム!」

 

 技の矛先がキバナに向いているのを見て、すかさずフライゴンが滑り込んできた。煙の直撃を受けて翼を折る。

 

「悪ぃ、フライゴン! ゆっくり休んでくれ……!」

 

 キバナは距離を取りながら、倒れたフライゴンをボールに戻した。

 

「ふっ、ははっ、これで終わりか?!」

「まさか!」

 

 キバナは一笑に付した。

 

「一気に決めさせてもらうぜ――コータス!」

 

 コータスはどすん、と両足を湿った砂に埋めた。途端に砂嵐が掻き消えて、頭上に晴天が広がる。

 特性・ひでり。

 太陽の光を燦々と浴びて、コータスの背負った熱が高まっていく。足元の水が音を立てて蒸発し、コータスのすぐ後ろに立ったキバナの姿が陽炎のように揺らいだ。

 

「キュウコン、こおりのつぶて! マタドガス、ヘドロばくだん!」

 

 焦ったように下された指示は、しかしどちらも大した意味を持たなかった。氷の塊は届く前に溶けきって落ちた。直撃した毒の塊はコータスを止めるほどの威力を持っておらず、飛沫の二、三滴を肌に受けたキバナも微動だにしなかった。

 雄たけびのように指示を出す。

 

「焼き尽くせ――ふんえん!」

 

 炎をまとった爆風が砂上を蹂躙した。

 

「おおおおおあああああああっ!」

 

 カルムの絶叫が炎の向こう側に消える。砂浜を侵食していた海水が一気に吹き飛んだ。

 ――やがて、熱風が収まった時。

 

「ぜったいれいどのお返しにしちゃ、優しいもんだろ?」

 

 砂に両手をついたカルムに向かって、キバナはにっこりと笑いながらそう言った。

 カルムはそれほど怪我をしていなかった。ポケモンが庇ったらしい。そうしてもらえるだけの愛情は注いでいたということだろう。

 

(……ま、とっととお縄についてもらうとするか)

 

 キバナはゆっくりと彼に近付いていった。

 その時。

 

「っ……まだだ! まだ終わっていないぞ! キュウコン!」

「?!」

 

 確実に仕留めたと思っていたキュウコンがよろめきながらも立ち上がった。気力だけで踏ん張ったらしい。

 

「こおりのつぶて!」

「コータス――」

 

 ――だが、氷の塊は明後日の方向へと飛んでいった。

 

 ルギアを押しとどめていたサダイジャの方へ。

 

「やっべ!」

 

 奇襲を受けて、今まで踏ん張っていたサダイジャは倒れ伏した。すなじごくが切れる。解放されたルギアが苛立ったような声を上げながら、翼を打ち浮かび上がった。再び空が嵐に。

 

「負けない……私は負けないぞ! ルギア、エアロブラスト!」

 

 ひゅごおおおっ、と嵐がその口に吸い込まれて――

 

 ――放たれた。

 

 



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せいなるほのお−1

 

 三度寝までして夕方に起きたような気分で、マサルは目を覚ました。寝すぎて眠い感覚の中で、ぼやけた視界を掴もうと瞬きを繰り返す。

 やがて腹の辺りがじんわりと温かいことに気が付くと、それ以外の体の冷たさと重たさにびっくりした。動かそうと思っても動かせないほど、全身がだるくて痛い。

 

「マサル、頭は大丈夫ですか」

 

 白と黒のボーダーが見えた。この色、この形――トゲトゲ――

 

「マサル?」

「……しゃべる……タチフサグマ……バズる……?」

「駄目そうですね。わかりました。まぁもうしばらくそのまま寝てやがれってんですよ。どうせ君がポケモンをボールに戻さねーと、移動も出来ねぇんでした」

「……あー」

 

 その言葉で思い出した。意識が急速に戻ってくる。

 

「……負けた……」

 

 悔しさと申し訳なさで胸がいっぱいになった。体が動くのなら胸を掻きむしって暴れ回りたかった。そうでもしないと今胸に詰まっている黒い塊がどんどん大きくなっていって、自分が飲み込まれてしまうような恐怖があった。

 

「あの人にだけは、負けたくなかったのに……」

「……今頃キバナがかたきうちしてますよ」

「キバナさんが……? ていうか、あれ? ネズさん?」

「ようやくまともになりやがりましたね。ああ、起き上がんな。無理しぇんで、横んなっとけ」

 

 ネズだけでなくリザードンにも押さえこまれて、マサルは大人しく力を抜いた。

 

「リザードン……お前、ダンデさんの?」

 

 低い唸り声が肯定した。

 

「そっか……心配させたんだな……」

 

 そう言った瞬間、目の前が滲んだ。

 

「だめ、だ、僕……」

 

 涙があふれてきたことがまた余計に悔しかった。

 

(心配かけた――心配も迷惑もいっぱいいっぱいかけた! 負けたせいだ、弱いせいだ! 僕がまだ弱いから――ポケモンたちだって、ちゃんと戦えなかった――僕を気遣って、庇ったせいで――……悔しい。悔しい!)

 

 負けたことも、失敗したことも、等しく悔しくて。

 でもそれ以上に、心配をかけてばかりいる自分の情けなさに、胸の奥がキンと凍り付いた。

 

「もっと、強くならなきゃ……っ、こん、な、ふ、っに……心配、かけない、ように……っ!」

「――それは無理ですよ、マサル」

「えっ……?」

 

 ネズの骨ばった手が、マサルのおでこをぺしぺしと叩いた。

 

「どんだけ強くなったところで、心配はされるもんです。俺はいくつになったってマリィのことが心配でたまんねーですし、ダンデとホップが互いを気に掛けなくなる日が来るとは思えねーでしょう? キバナの野郎は、一度も勝ててねぇくせにダンデの心配をしやがる。慣れねー仕事で疲れてる、なんつって」

 

 マサルは鼻を啜り上げて、ネズの方に首を傾けた。アイスブルーの瞳がマサルを真っ直ぐに見返す。

 

「心配する、ってのに、強いも弱いも関係ねーんですよ。歳も格も関係ねぇ。それは、ただその人を失いたくない――大切だから失われてほしくない、っつー“愛情”なんですから」

 

 ネズは淡々とした調子で続けた。

 

「だから、強くなることと心配されなくなることは、別モンなんですよ。君が誰からも心配されなくなるってことはありえねぇと思います。……そんだけ愛されてるってことを、ちゃんと受け止めて、ドーンと返してやりんしゃい!」

 

 強くなるってのはそういうことだと俺は思いますがね――そう言って、ネズは珍しく微笑んだ。いつもしかめっ面で無愛想な彼の笑顔と、無骨だがシンプルな言葉は、マサルの心にすんなりと染み込んだ。

 氷が溶ける。

 

「……今の、動画に撮っておけばよかった」

「はぁ?! 晒し者にする気ですか!」

「だってせっかく良いこと聞いたのに、忘れちゃったらもったいないじゃないですか」

 

 マサルはへにゃりと笑った。

 

「ありがとうございます、ネズさん」

「どーいたしまして」

 

 それからゆっくりと起き上がる。傷は痛んだし、上手く動かせないところもあちこちにあったが、さっきまでよりはずっと良かった。

 心配そうにこちらを窺ってきたリザードンの頭を抱き締める。

 

「ありがとう、リザードン。君が来てくれて嬉しいよ」

「君、ポケモンに対しての方が素直じゃないですか?」

「え? ネズさんもハグしてほしいですか?」

「嘘です結構ですやめてください。やめろって!」

 

 ネズの拒否を拒否してマサルはひょいと飛び付いた。怪我人を強く押しのけることが出来なくて、ネズは色々諦め両手を挙げ(ホールドアップし)た。

 薄い胸板に額をこすりつけて、マサルはぼそりと呟いた。

 

「来てくれてありがとうございます。……僕、死にたくなかった……」

「……誰だってそうですよ」

 

 ネズはマサルの肩を軽く叩くと、マサルごと立ち上がった。

 

「立てますか?」

「うん、大丈夫」

 

 マサルは自分の足でしっかりと立った。

 

「実際のところ、君を助けたのは俺らじゃねぇんですよ。あのポケモンです」

「え?」

 

 ネズが指さした方向を見ると、そこには大きな朱色の鳥ポケモンが、悠然とした佇まいで岩場に止まっていた。

 その輝かしい虹色に、マサルの目は釘付けになった。

 

「外にいんのがルギアだって話でしたから、おそらく――ホウオウ?」

「ホウオウ……」

 

 マサルの呟きを聞き取ったかのように、ホウオウがその翼をばさりと広げた。

 そしてマサルの目の前に降り立ち、首を下げる。

 その大きな瞳の中に自分が映り込んだ。ホウオウの目を通してマサルは傷付いた自分の姿を見る。顔色は悪くて、全身は乾いた血と泥で汚れていて、帽子もない。ひどい姿だ。

 けれど、思っていたほど、表情は暗くなかった。

 ホウオウがわずかに体を揺らして、低く囁いた。

 

 ――――。

 

「……わかった、一緒に戦おう!」

「はぁっ?!」

 

 大声を上げたネズを無視して、マサルはよたよたと自分の手持ちたちをボールに収めて回った。

 

(お疲れさま、みんな。……ごめんね。あとは僕が頑張るから、ゆっくり休んでて)

 

 最後にカバンを拾って、ちゃんとジッパーを閉めて背負う。

 

「ちょ、マサル、本気で行くつもりですか?!」

「うん! あ、でも、ちょっとヤバイかもしれないんで、ネズさんも来てくれませんか?」

「それは別にいいですけど……」

「よろしくお願いします!」

 

 ホウオウはマサルのために体勢を低くしてくれた。

 

「ん、と……――わ、ありがとうリザードン!」

 

 リザードンが押し上げてくれて、どうにかよじ登ることに成功する。ホウオウの上から手を伸ばしてリザードンを撫でると、彼は鼻から息を吐いた。

 

(ったく仕方がないな――って感じかな?)

 

「リザードンもよろしくね」

「ばぎゅあ!」

「よーし、それじゃあ行こうか! ホウオウ!」

 

 マサルの指示に短く答え、ホウオウが翼を広げた。

 大穴から見えるうずまき島の上空は、見事に晴れ渡っていた。

 

 






おかえり主人公!!
ネズさんの目の色よくわからんかったごめんなさい!!


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せいなるほのお-2

 ホウオウの首にしがみついて、風を切る音を全身で聞く。吹き付ける強風に耐えながら目を開けると、ホウオウのいる辺りは青空が広がっていたが、海岸線は雨模様だった。

 ホウオウはまっすぐそちらに向かった。嵐と晴天がしのぎを削り、やけに強い天気雨になった。

 

(あっちにルギアがいるんだね)

 

 目指す方角に目を凝らす。

 ルギアの巨体はすぐに確認できた。足元を気にしているような様子だった。

 

(あれは……すなあらし?)

 

 嵐の一角に、明らかに違うものが交ざっていた。天地を貫く砂の竜巻。

 それが唐突に消えて、代わりに日差しが強くなった。

 すなあらし。ひでり。

 

「キバナさんだ!」

 

 言った瞬間、巨大な炎が噴き上がった。

 烈火が空を赤々と染め上げる。遠目に見ても分かるほどすさまじい威力。熱がここまで届きそうなぐらいだった。

 

「うっ、はっ……すげ……!」

 

 圧倒されたマサルが感嘆の息を漏らした。

 その時。

 不意にルギアが翼を打ち、嵐の勢力が強まった。攻撃の体勢に入っている。雨と風が彼の口元に集まるのが見えた。

 

(マズい、間違いなく強いやつだ!)

 

「ホウオウ!」

 

 マサルの声に従って、ホウオウがスピードを上げた。

 ルギアの前に滑りこみ、くちばしを大きく開く。

 

 ――っ!!

 

 嵐と業火が激突した。

 

「うっ……!」

 

 技の衝撃に危うく吹き飛ばされそうになったのを、ぎりぎりのところでこらえる。

 今、ルギアは完全にホウオウを敵視していた。

 

「ルギアを鎮めよう。ホウオウ! 回り込んで!」

 

 左へ旋回。

 

(ハイドロポンプが来る!)

 

 マサルはじっとルギアを見つめた。放たれる瞬間を見極める。気分は“みきり”だ。もちろんマサルにそんな技は使えないが、二度も見たのだから大体のタイミングは掴んでいる。

 あとは集中力と勘!

 

「――今だ。ホウオウ!」

 

 ぽんっ、と叩いたのに合わせて、ホウオウはすっと体を沈めた。

 瞬間、放たれた激流がマサルの頭上をすれすれに掠め飛んでいった。

 

(あっぶな! でも――!)

 

 隙が生まれる。

 

「突っ込め!」

 

 技の直後で固まっていたルギアに、ホウオウが突っ込んだ。鋭いかぎづめのついた足で翼の付け根を掴み、押し倒す。

 ズンッ

 二つの巨体が砂浜に落ちた。

 

「おわっ!」

 

 ついに耐え切れなくなってマサルは宙に放り出された。

 

(やっばい死ぬ!)

 

「マサル!」

 

 リザードンが急旋回してマサルの下に回り込み、ネズが受け止めた。

 

「あっぶねぇ」

「ひぇ……助かりました、ネズさん、リザードン……」

 

 そのまま砂浜に――カルムの目の前に降りる。

 カルムは膝をついたまま、マサルを睨み上げた。

 

「貴様……敗者のくせに、私の前に立つな……!」

「ルギアを放してください」

「私が捕まえたポケモンだ! 貴様が口出しできると思うなよ、小僧!」

 

 吠えたカルムに寄り添って、キュウコンが唸り声を上げる。

 

「貴様らの言うことなど誰が聞くか! 私の戦う場はここだ、ルール無用の戦場だ! ――誰にも認めてもらえない土俵で独り相撲をする惨めさを、貴様らが理解できるわけがないだろう!」

「だからってこんなの間違ってる!」

「間違ってなどいない! ポケモンをルールの中に押し込んだ生ぬるい遊び(・・)で満足している貴様らからすれば異端だろうがな!」

「あっ……遊び……遊びなんかじゃない……!」

 

 言ってやりたいことが山ほどあったのに、どれも上手く喉から出てこなかった。だからマサルは感情のままに怒鳴った。

 

「遊びなんかじゃない! 馬鹿にするな!」

「黙れ、負け犬が吠えるな!」

「オーイ、ブーメランだぜソレ」

 

 キバナがひょいとマサルの頭に手を置いて、ニヤリとした。

 

「オレたちは敗者から言葉を奪わない。悔しいと泣くことも、次は勝つと吠えることも、全部認めて受け止めて、またいつでも挑みに来いって言うのさ。だからオレたちは戦い続けられるんだよ」

「……戯れ言を」

「わかんねぇからお前はそこにいんだろうな。まぁ、なんにせよお前はこれでお終いだ。ジュラルドン」

 

 顎先だけで与えられた指示を、ジュラルドンは正確に理解した。キュウコンを優しく押しのけて、カルムからモンスターボールを奪う。

 

「やめろっ!」

 

 それを思いきり踏みつぶした。

 ホウオウの足の下で暴れていたルギアがぴたりと止まった。解放されたのを感じ取ったように、ホウオウがそっと彼を放す。

 二羽のポケモンは砂浜の上に並んで立った。

 

 ――――――!

 

 神々しい声が蒼穹に響き渡った。

 そして二体は同時に飛び立った。ルギアはうずまき島の方へ。ホウオウは北側の空へ。

 飛び去った後の空に、大きな虹が架かっていた。

 

「良かった……これで……全部……――」

 

 安心が胸に広がった瞬間、マサルの瞼が急に重たくなった。目の前が真っ暗になる感覚は二度目だが、一回目のような不快感は無かった。両脇にいる大人二人が慌てた声を出すのを遠巻きに聞きながら、マサルは素直に意識を手放した。

 

 



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せいなるほのお−3

 マサルが病室で目を覚ました時には、すべてに幕が下りていた。

 カルムは逮捕され、ロケット団は壊滅。

 何度となく襲撃を受けてきたジョウトの町々は、慣れた様子であっと言う間に復興を進めていった。もうほとんど直っているらしい。たくましいものである。

 

 マサルが起きるのを、ベッドの脇でキバナが待ち構えていた。その顔にいかくされたような気がして、マサルは恐る恐る声を出した。

 

「あの、キバナさん……」

「おっまえこの馬鹿!」

「ひえっ」

「どれだけ心配させれば気が済むんだよア゛ァ?! それともなんだ、心労でダンデを殺す計画か?! 良い度胸だなァその前にオレさまが殺してやるよ!」

「痛い痛い痛い痛い、背ぇ縮んじゃう! 背ぇ縮んじゃうって!」

 

 頭にドラゴンクローをかまされて、マサルは涙目になりながら抗議した。

 ネズが「一応怪我人ですよ」といさめてくれなかったら、身長が半分になるまで手を離さなかったかもしれない。

 キバナは腕を組んでそっぽを向いた。

 

「ったく……」

「……ごめんなさい、キバナさん。迷惑も、心配もかけました……」

「そーだな、本っ当に」

「ごめんなさい……」

 

 マサルは一旦うなだれたが、がんばって顔を上げた。

 

「でも、あの――助けに来てくれて、ありがとうございます。本当に、助かりました……ありがとうございました」

 

 素直に下げられた頭を、キバナはちょっとだけ見詰めた。

 

「――っし、じゃあ、報告しとこうぜ!」

「報告?」

「heyロトム! ポケスタ生配信開始だ!」

『了解ロト~!』

「ええっ?!」

 

 びっくりして固まったマサルをすっぱり無視して、キバナはカメラに手を振った。

 

「よお、みんな! キバナさまのチャンネルだぜ! 今日はジョウトから配信するぞ! ゲストは最近話題のお騒がせチャンピオン様、マサルだ! オラ!」

「こ、こんにちは……?」

 

 キバナに背中を叩かれて、マサルは引き攣った笑顔で挨拶をした。

 

「ショッキングな映像が世界中に流されちまったけど、本人はこの通り、ぴんぴんしてるぜ。まぁそれもこれも、このキバナさまとおまけのネズのおかげなんだけどな!」

「おまけってなんですかおまけって」

「じゃ、チャンピオンからみんなへメッセージだ!」

「え?! ちょ、聞いてないですよキバナさん!」

 

 マサルは狼狽えてキバナを見た。が、キバナは愉快げに笑ったままカメラの向こう側に行ってしまって、何も言わない。ネズの方を見ても、その目は“がんばれ”としか言っていない。

 頭を掻きながら、マサルは考え考え口を開いた。

 

「えーと……その……ご、ご心配をおかけしました……すみませんでした」

「……オイオイ、それだけか?」

「うっ……うーんと……」

 

 キバナの煽りに顔をしかめる。

 

「自分でも嫌になるんですけど、負け、ました……ので、その……もう一回、色々と考えながら、やり直してみたいなって思っています」

「やり直すって――お前――」

「ハロンタウンからシュートシティまで、ジムチャレの道順でもう一回、自分の足だけで歩いてみようかなー、なんて思ってるんですけど……」

「……ああ、そういう。ハハッ、いいんじゃねぇの? ついでにジムリーダーたちと一戦ずつしていけよ」

「えっ?!」

「嫌か?」

「いや、嫌ではないです。むしろ嬉しい……いいんですか? それじゃあご褒美になっちゃいますよ?」

「お前、そーいうところだぜ……」

 

 呆れたように笑いながら、キバナが隣に戻ってきた。

 

「ま、でもそれ、けっこう良い企画じゃねぇ? ガラル一周懺悔の旅。生配信しながらやれよ。ジムリたちとガチバトルして、勝つまで先に進めないってルールでさ。ラストはバトルタワーでのオーナー戦! よくね?」

「いや、マジでご褒美なんですけど……」

「んじゃ、ペナルティとして、“ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。ファンサもバトルも喜んでやります”って書いたタスキつけて歩けよ」

「え、はっず」

「ペナルティだからな!」

 

 キバナはカメラに向き直った。

 

「見てるかダンデ! そういうことだから! また連絡するぜ!」

「あっ、ダンデさんに連絡してなかった! ロトム~!」

「馬っ鹿お前、そういうのは後にしろよ。っつーかお前のスマホ、今修理中だぜ」

「マジですか?!」

「そりゃ、ぜったいれいどをくらう想定で作ってあるスマホなんてねぇだろ」

「そんなぁ……」

「ったく、呑気なもんだぜ。――この通り、チャンピオンは健在だから、安心してくれ。心配してくれたみんな、ありがとな!」

「あっ、ありがとうございました! すみませんでした!」

「じゃあまた配信するぜ。おら、ネズ、お前も入れ!」

「ええ~……」

「まったなぁ~!」

 

 しぶしぶ入ってきたネズと三人で画面に向かって手を振って、キバナは配信を止めた。

 瞬間、『ダンデから電話ロト~』の声。

 

「さっそくか。――よお、ダンデ。見てたか? ――おう。分かった。マサル、代われってよ」

 

 マサルはびくりと肩をこわばらせた。きっと怒られる。けれど出ないわけにはいかない。

 ひとつ深呼吸をして、それからスマホを受け取った。

 

「……もしもし、マサルです」

『……』

 

 不気味な沈黙に底知れない恐怖を覚えて、マサルはとにかく謝ろうとした。

 

「あの、ダンデさん、僕――」

『うん。オレはバトルタワーで待ってるぞ』

「え?」

『ハロンタウンから出発して――今の君なら、三ヶ月くらいで来れるんじゃないか? それ以上は待てないからな。なるべく急いでくれ』

「っ……」

 

 泣くつもりなんて欠片もなかったのに、涙が溢れ出てきた。スマホを耳に当てたまま、膝に顔をうずめる。――意地を張って“心配なんか”と思ったことが思い出されて、死にたくなった。同時に、死ななくて良かったと思った。また戦える――まだ戦える。大好きなポケモンたちと、大好きな人たちと、思いっ切り競い合える。

 それが、何よりも嬉しかった。

 何よりも嬉しいと思っていることを理解してもらえたことが、さらに嬉しかった。

 

『また一回り強くなった君と戦えるのが、今から楽しみで仕方ないぞ!』

「……はいっ。ありがとうございます、ダンデさん……っ!」

 

 できるだけ声が震えないようにしたつもりだったが、きっと見透かされているだろう。けれどダンデは何も気付かなかったように、『キバナに戻してくれ』と言った。

 マサルはしゃくりあげるのをこらえながら、キバナにスマホを返した。キバナは「おいダンデ、オレさまとも勝負しろよ。いい戦法思い付いた――あぁ? 明日? それは駄目だ、せっかくだからちょっと観光してから帰りてぇ。ワタルさんとも戦いたいし――ズルいとかいうな。お前は戦ったことあるだろ?!」なんてごちゃごちゃ言い合い始めた。

 それを横目に、マサルは大きく伸びをして、ベッドに横たわった。

 

(はぁー……なんか、お父さんのこととかどうでもよくなっちゃったな)

 

 本来の目的をすっかり見失っていた。けれど、それももはやどうでもいい。

 通話を終えたキバナが目を輝かせながら振り返った。

 

「なぁ、お前らも観光してから帰るだろ?」

「はぁ? 嫌ですよ。マリィが待ってますから」

「そのマリィちゃんにお土産のひとつも持っていかなくていいのかよ」

「むっ、それは駄目ですね……」

「だろ? まぁ付き合えって。マサル、お前の退院明日だったよな。お礼参りをかねてジョウト一周するぞ。この地方のジムはガラルと違って、シーズン関係なく挑戦させてくれるらしいから、三人で制覇しようぜ!」

「ただの道場荒らしじゃねーか……」

「交流試合って言えよ、交流試合! 非公式のな!」

 

 キバナがけらけらと笑う。ネズは嫌そうに顔をしかめたが、存外満更でもなさそうだ。

 マサルは胸の中を満たす温かな空気の名前を知らなかった。けれど、それが決して手放してはいけないものだと――そして、この数日のうちに失いかけたものだと――いうことだけは理解できた。

 

(今そばにいてくれる人を大切にする方が、ずっと重要だよね)

 

 ルギアとホウオウが作った虹が、まだ青空に架かっている。それを窓ガラス越しに見上げて、マサルはいつものようにへにゃりと笑うと、二人の方を振り向いた。

 

「いいですねソレ! 最高です!」

 

 

 



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余談:とっておき

「カルムはアローラ地方の出身で、家庭の事情でガラルに引っ越してきたらしい」

 

 と、キバナはワカバタウンへ向かう道すがら、スマホを片手に語った。

 

「で、二十歳くらい――今からざっと十年くらい前だな。ガラルのジムチャレンジに参加した。そのセミファイナルトーナメントの一回戦でオレさまにぼろ負けして挫折。ジョウト(こっち)に来てからはルール無用のバトルに明け暮れてたらしい。そっちの世界じゃ結構強くて、慕う奴らも多くて、そいつらがロケット団の構成員になったんだってさ。突然ロケット団なんて組織した理由まではわかんねぇけど」

 

 野生のオタチが草むらから飛び出してきて、ゆっくり歩いていく三人の脇をぴょんぴょんと跳ねていった。

 

「それじゃあ、キバナさんはカルムさんのことを知ってたんですか」

「アローラキュウコン見て思い出した」

「珍しいですもんね」

「相性最悪だしな。すっげー手こずらされたの、よく覚えてるぜ」

 

 ポッポの群れがやかましく鳴きながら頭上を通っていった。それを目で追って、キバナは小さな声で続けた。

 

「――負けて嫌になる気持ちは分からなくもないけどな」

 

 万感の思いが込められているような声音だった。

 思わず黙ってしまったマサルの代わりに、ネズがさらりと言った。

 

「ライバルに恵まれて良かったですね」

 

 キバナが上を向いてしまうとその表情は誰にも窺えない――神様以外。

 けれど、

 

「まぁな」

 

 と軽く答えた声は、なんだか笑っているように聞こえたのだった。

 

 †

 

 半壊した研究所はあらかた片付けられていて、あとは工事の手が入ればすべて済むという具合になっていた。

 ウツギ博士はマサルの無事を泣いて喜んで、キバナにもネズにもハグをして礼を言った。

 それからようやく落ち着くと、三人のためにお茶を入れてくれた。

 

「マグノリア博士とも連絡を取って、いろいろ話したんだけどね」

 

 とウツギ博士は言った。

 屋根が半ば落ちたせいで、朝の陽ざしがテーブルに降り注いでいる。これもなんだか悪くはないでしょ、なんて思っているような顔で、オタチがマサルの足にすり寄った。

 

「君が持っていた“ねがいのかたまり”というやつは、巣穴の中にダイマックスポケモンを無差別に呼び寄せるためのものなんだってね?」

「はい、そうです」

「おそらく、だけど、うずまき島はルギアの巣穴と呼べる場所でしょう? そこにねがいのかたまりが干渉して、さらにきんのはっぱがホウオウとの縁を結んで、それでホウオウが来てくれたんじゃないか……なんて思っているんだ」

「なるほど」

 

 本当ならホウオウはスズの塔の上空を住処としていて、塔の最上階でしか会えないのだという。それを捻じ曲げてうずまき島に降り立たせたのだから、きっとねがいのかたまりの力が干渉したのだろう、という話だった。

 ホウオウが来てくれなかったらあの場で死んでいたかもしれない。そう思うとマサルはぞっとした。

 

「それで、君たちはすぐに帰っちゃうの?」

「いえ、せっかくなんで、ジョウトを一周してから帰ろうと思ってます」

 

 キバナさんが朗々と答えた。

 するとウツギ博士はにっこり笑って、

 

「そっか! やっぱワタルくんの言った通りだったね! それじゃあこれを!」

「……手紙?」

「ワタルくんから、君たち三人宛さ」

 

 三人はちょっと互いの顔を見合った。

 マサルが代表して封筒を開けた。キバナは座ったまま、ネズは立ち上がって、マサルの手元を覗き込んだ。

 

『マサルくん、キバナくん、ネズくん

 本当は直接言うべきだったのだが、事後処理に追われていて、このような形になってしまったことを許してほしい。

 この度はジョウトの事件解決に協力してくれてありがとう。君たちがいなかったらどうなっていたか分からない。心から感謝するよ。

 何かお礼を、と思ったのだが、君たちが一番喜ぶものが分からなくてね。

 もししばらくジョウトにとどまるようだったら、ぜひ各町のジムリーダーたちのところへ行ってみてほしい。君たちの強さに彼らも興味を示しているし、ジョウトの恩人をエスコートしたいという気持ちもある。バトルでもガイドでも喜んで引き受けてくれるだろう。

 フスベシティに行く前にはおれに連絡を入れてほしい。ぜひ相手になりたいのでね。

 では、平和なジョウトを楽しんでいってくれ。

          ワタル』

 

 読み終えると、三人はにんまりとした笑顔を突き合わせた。

 

「道場破りコース確定じゃねぇかよ」

「ワタルさんのお墨付きなんだから、公式の練習試合っつってもいいだろ!」

「やりましたね! これで堂々と戦えますよ!」

「君のそーゆーところ、嫌いじゃねーです」

「スケジュール的に一週間がギリだから……ちょっと急いだ方がいいかもな」

「じゃあ早速行きましょう! ウツギ博士、ありがとうございました! また来ますね!」

「お世話になりました」

「ありがとうございました!」

 

 バタバタと慌ただしく駆け出していった三人を、博士の「気を付けていってらっしゃい!」という声が見送ってくれた。

           おしまい

 









これにて完結と相成ります。
読んでくださって本当にありがとうございました!

感想苦情文句等なんでもお気軽にお寄せください。褒めてもらえたら喜んで泣きます。ぜひよろしくお願いいたします。
ましゅまろ
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ツイッター
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またどこかでお会いできることを祈っております。
それでは。
本当にありがとうございました。

井ノ下


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