真・エルフ転生TS ‐エルフチルドレン‐ (やきなすいため)
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第一話 エルフ日記1

 〇月×日

 今日から日記をつけていこうと思う。

 ここで暮らすようになってから早いものでもう二年が過ぎた。

 最初の頃はこの世の全てを呪うような目をして過ごしていたけれど、なんだかんだと言いながらも今日もこうして生きているし、それを考えると自分の適応能力の高さにはあきれを通り越して笑いさえ生まれてくる始末だ。

 

 さて、何故日記を付けようかと思ったのかというと先に書いたようにここで暮らすようになって二年が過ぎたからである。

 この二年の間にはいろいろなことが起きた。

 人は何か問題が起きた時、過去の人間が残してきた記録の中から問題解決の糸口を探すことが多いのは歴史からも証明されている。

 それならもしも今後私のように特殊な事態に巻き込まれたケースが起こったときに、あるいは私自身がまた面倒事に巻き込まれた時、事態の解決を図るための一方策の判断材料の一つになるかもしれないとこうして記録を残しておくことにしたのだ。

 

 ……まあ、私が現在進行形で巻き込まれているこんな特殊な事態は後にも先にもないだろうけど……いや、ないことを祈ろう。

 私がどんな特殊な事態に巻き込まれているのかというと、それを説明するのはいささか難題を極める話なのだが簡潔にまとめるとこうだ。

 

 ある朝、私が気がかりな夢から目覚めた時、自分が深い森の中で一人の見目麗しいエルフに変わってしまっていることに気づいた。

 

 ◆

 

 エルフとは、いわゆる妖精である。

 頭髪以外に目立った体毛が少なく、顔の造形の整った美男美女の姿として描かれることが多く、その特徴的な長く尖った耳は俗に『エルフ耳』という通称で親しまれている。

 線の細い見た目通りに筋力は弱いとされているが弓矢の扱いが上手いとも言われており、必ずしもその限りではないというのが私の見解だ。

 

 さて、先に述べた通り私はエルフである。

 正確に表現するとエルフにされてしまった元人間なのだけれどこの姿に慣れ親しんでしまった今となっては些末なことだ。

 しかし記録として残すのであればどういう経緯で私がエルフにされてしまったのかを正確に記述しなければならないのでここに記すこととする。

 

 

 ちなみにエルフとなった私の姿は例に漏れず金髪碧眼の超絶美少女であることをここに強く主張する。

 

 

 先にも書いたが私はある朝何やらとてつもなく悲惨な悪夢でも見たような気がして、思わずはっと目を覚ましたのだ。

 するとどうだろう。

 周りにはテレビもなく、机もない。自分が横になっているのも寝心地がいいという評判で購入したはずベッドでもなく、地面から好き放題に生え散らかしている草むらだ。

 おかげであの時は体中の節々が痛い気さえしたものだ。

 眠る前に枕元へ置いたはずのスマートフォンも当然存在するわけもなく、周りを見渡しても視界の許す限りに背の高い木が鬱蒼と生い茂っており、どこからどうみても住み慣れた我が家ではなかった。

 というか森だった。

 

 「どこだよここ……」と、思わず言葉が漏れた。

 

 しかしその声は私のものではなかった。

 

 慌ててもう一度周囲を見渡してみたものの、当然周りに誰かがいるわけでもなく、当たり前の話ではあるがその声は私のものだったというわけだ。

 しかしこの時点で私は自分がエルフに変わってしまっているということには露ほども気付いておらず、必死でおーい、と大きな声でいるはずの誰かに向けて声をかけ続けたりしたものだ。

 

 もしもあの時誰か私の姿を見ている者がいれば、その姿は実に滑稽なものとして映っていたことだろう。

 いや、事実滑稽だったはずだ。

 あの後こんな事態を引き起こした悪夢の元凶が私の前に姿を現すのだが、そのとき奴はとても面白いものが見られたとばかりに楽しそうに笑っていたのだから。

 きっとこの時の様子も笑いながら見ていたに違いない。

 実にむかつく話だが今は話を進めることとする。

 

 私はしばらくの間そのいないはずの『誰か』に向けて声をかけ続けていたのだが、何度呼びかけても返事がないことを訝しんだあたりでようやく今の状況がおかしいことに気が付いたのだ。

 

 たしかこの日は長年付き合っていた恋人が自分よりもお似合いの相手と浮気していたことが発覚し、敗北感にまみれながら自棄酒をした、その翌日だったのだ。

 それ故にこの状況も二日酔いのせいで見てしまったたちの悪い夢の続きだと思ってしまっていたのだ。

 

 だがそれも大きな声が頭に響いて目を覚ましたからだろう、だんだんとはっきりと物事が考えられるようになり、私はその場から逃げるように走り出した。

 

 自分が今どこにいるのかもわからず、気が付けば見たこともない森の中にいるなんて事態はどう考えても普通の状況じゃないということくらい二日酔いが抜けきっていない状態の頭でもすぐに理解ができた。

 

 この時私はもしかしたら誘拐されたのかと思ったが、自分をさらって何か得をするようなことはあるだろうかと首を振ってこの考えを否定した。

 私は別に高給取りでもなかっまし、資産家の跡取りというわけでもない。

 財産と呼べるものなど街行く人々と同程度しかないし、身代金を要求されたところで出せるものなどそれほど何もない生活をしている以上、誘拐犯には何のメリットも存在しない。

 

 ではこの状況はいったい何が起きているのだろうか。

 わからないことだらけだった。

 考えられるとすれば後は私怨くらいしか思いつかないが……私は誰かに恨まれるようなことをしていただろうか。

 恨みというのは自分の知らない間に買っているものだし、無自覚に喧嘩でも売っていたことがあるのかもしれない。

 何にせよこのままひとところに留まるのはまずいと、そう考えて走り出したのだ。

 

 十数分か、数十分か。

 あるいはもっと長い間だったのか。

 それなりの距離を走り続けてなお森を抜けだすことも出来ず、ただただ走り続けていると近くから水音が聞こえた。

 

 水音がするということはそこには水の流れ、つまり川がある。

 川のそばには人が集まり、そこには村や町があったりするはずなのだということを昔何かで見たことがあった。

 どれだけ走っても人の姿も見えない山奥であろうと下流へと向かえば人里くらいあるはずだし、ちょうど喉が渇いていたということもあり、私はそこでひとまずの休息をとることにした。

 

 賢明な読者にはすでに理解していると思うが、そのとおりである。

 

 

 私は、ここで、ようやく、自分の姿を確認することになるのだ。

 

 

 水音が聞こえた方へとしばらく進むと予想した通り、綺麗な小川があった。

 これ幸いにとばかりに私は夢中で小川へ駆け寄っていく。

 

 寄生虫だなんだと言ってはいられない。

 人間水分不足で干からびてしまえばどちらにしろ死んでしまうのだと割り切り、岸辺へと膝をつくと手のひらで水をすくって飲もうとした。

 

 そう、ここだ。

 この瞬間に気づいたのだ。

 

 手、小さくない?と。

 

 両手をお椀の形にして水を掬おうとしてようやく自分の手足が縮んでいることに気が付いたのである。

 

 縮んでいるといっても子供のような大きさではなく、あくまで少し小さめの成人女性といった程度のものではある。

 だがそれでも元々成人男性であった私からすれば自分の手がいつも見ているそれよりも小さくなっていたのは一目瞭然だったのだ。

 

 そんな異常事態に思わず首を傾げてしまう。

 そしてちらりと川に映った金髪の超絶美少女の姿を見て更に驚きに目を丸くすることになった。

 

 美少女は私が動くと当然鏡合わせに同じ動きを繰り返し、私が水面に顔を近づけるとあちらも顔を近づけてくる。

 傍から見れば奇行でしかないのだろうがこの時の私は、マジで本気にびっくりして気が動転してしまっていた。

 

 そんな、手を振ったり顔を近づけたり、妙なポーズをとっているときだった。

 

 奴だ。

 奴が現れたのだ。

 

 諸悪の根源。

 悪夢の元凶。

 滅びるべき邪神。

 

 私をこの世界で生きる原因となった自称女神だった。

 

「あっはははははっ! 貴女何してるの? そんなバカみたいな動きして! おっもしろーい!」

 

「だ、だれだっ!?」

 

 振り返るとそこには女がいた。

 見た目だけはエルフとなった自分と同じくらいの、というかそっくりな超絶美少女であったのだが、中身は最低最悪を極めた邪神だ。

 私はこいつをこれまでも、そしてこれからも、金輪際、一度たりとも、絶対に崇めたりはしないだろう。

 

 甲高い声が耳に刺さる。

 聞いているだけで頭が痛くなりそうな高音域だというのに自然と耳に馴染んでしまう不思議な声で女、というか女神は笑っていた。

 

「私? 私は女神。この世界においての絶対なる神であり全ての頂にあるもの。けどそうね、貴女にもわかりやすい、理解できるようにこういったほうがいいかしら。貴女をここへ連れてきたもの。そして貴女の願いを叶えたものよ」

 

 自称女神が口にした内容はこの時私が欲していた情報の全てが的確に示されていたのだが、この時に私はその内容があまりにも衝撃的過ぎて頭が回っていなかった。

 

「……女神とか自分で言っていて胡散臭いと思わないんですか?」

 

 確かにやつからは神秘的なオーラが出ていた。

 なんか宙に浮いていたし、女神と言われれば信じられるような雰囲気をまとっていたのは確かだ。

 けれど状況が状況ゆえにすぐさま信じることができず、思わずそう口にしてしまっていた。

 

 けれど自称女神は特に何ということもなく返事をしてきた。

 

「ええ、別に何も。事実を口にしているだけですもの。貴女は自己紹介をして恥ずかしいと感じたりするかしら」

 

「それは、まあそうだけど……」

 

「そういうことよ。それで、どうかしら。私が与えたその体の調子は。問題なく動いているようで安心したわ」

 

 そう言われて私は改めて自分の体を見た。

 というよりは女神の姿を見たのだ。

 

 理由を先に書き記すと、女神はどうやら自分の姿に似せて私の体を作ったらしい。

 見た目はほぼほぼ同じと言っていいほどそっくりなのだ。

 違いがあるとすれば髪くらいだ。

 私の髪は日の光を浴びると太陽ようにきらきらと黄金色に輝くけれど、女神の髪は透き通った水のように透明で、奥の景色が文字通り透き通るように映し出されていた。

 

 実に奇怪だと思った。

 

 何にせよそんな人外らしい姿を見てしまったからか自称女神の言い分をひとまず信じることとして話を続けた。

 相手が本当に神だというのなら下手なことを言って怒りを買いたくないと思ったからだ。

 

「……俺をここに連れてきたといいましたが、一体何のためにですが」

 

 この頃の私の一人称はまだ俺だった。

 今は理由があって私に直しているけれど。

 私と口にするのも今となってはずいぶん慣れたもんだなとしみじみ感じる。

 

「何のためにって私は貴女の願いを叶えただけよ。代わりに私の願いもかなえてもらうけれど。」

 

「願い? 神様が人に願いを叶えさせるだなんておかしな話ですね」

 

「こればかりは人でないとできないことだから。私にはどうしようもないもの」

 

「……俺は何を願ったんですか」

 

「あら覚えていないの? 絶対に裏切ることのない女の子が欲しいって、貴女口にしていたから貴女を女の子にしてあげたのよ。自分を裏切ることなんてできないでしょう? 善悪問わず自分の行いは自分のものだものね」

 

 そう、この女神はあろうことか失恋のショックで酔っ払った私の言葉をどこかで聞いていたのかそれを願いと受け取り勝手に叶えてしまったのである。

 いい加減にも程がある。

 

「……あの、それ願いというか、ただの愚痴です。それに俺が女の子になりたいわけじゃないので」

 

「あらそうなの? せっかく私と同じ見た目にしてあげたのに」

 

「文句ばかりになって申し訳ないのですが、どうか元の姿に戻して、元の場所へと戻してもらえないでしょうか」

 

 この時の私は割と切実であった。

 たしかに美少女の姿になってたのは少しばかり興奮しなかったというわけではないが、生まれ持った自分の体を手放したいと思うほど自分のことが嫌いというわけではなかったからだ。

 それに、どことも知れない森の中にずっといるのなかなかどうして精神的に堪えるものがあり、この時はできるならすぐにでも住み慣れた我が家に帰って安心したかったのだ。

 

 だがそうはならなかった。

 というかそうなっていたらそもそも私はこうして日記を書いていない。

 

「いいえ、それは出来ません。だって私の願いを叶えてもらっていないもの。裏切らない女の子が欲しい、という貴女の願いを叶えたのだから私の願いを叶えてもらわないと次の願いに進めないわ。ああでも、新しい願いを叶えるためにはまた別に私の願いを叶えてもらわないといけないけれど。意味のない願いは叶えたくないの」

 

 聞いているだけで頭がくらくらしそうな内容だった。

 実際この時私の頭はくらくらしていた。

 

「……じゃあ、早くその願いを言ってください。可及的速やかに叶えてみせるので」

 

 本当に出来るのかもわからないことではあったが聞かないことには話が進まないと思ったからだ。

 けど、聞かなきゃよかったとも、今は思っている。

 

「ええ、いいでしょう。私の願いはとても単純な話よ。貴女、今の自分の姿を見てどう感じた?」

 

「どうって……女神様と同じ姿ですね。髪の色は違いますけど。なんか、漫画に出てくるエルフみたいな……」

 

「そう、それです。エルフ。人の空想によって生まれた妖精。美しい姿と神にも等しい永遠の命を持って森に隠れ住む賢者だったかしら。実に素敵だと思わないかしら」

 

「ええ、まあ」

 

「けれどね、私の世界にはいないのよ、エルフ。似たような種族ならいるけれど人の親戚みたいなものだしエルフと呼べるものじゃないのよね」

 

「はあ」

 

「だから貴女、私の世界でエルフになりなさい。そして子を産みなさい。子孫を繁栄させなさい。それが出来たらまた貴女の願いを叶えてあげる。」

 

 聞いて、卒倒しそうになった。

 今更ではあるがこの世界は私が元々生まれ育った世界ではなく、その世界の言葉でいうところの異世界というものなのだが、この自称女神は私に子を産んで数を増やせと抜かしやがったのだ。

 

「ちなみに拒否権はないのでしっかりとお願いするわね。神とはいえ、一つの種族を生み出して繁栄させるところまで干渉すると世界に歪みが生じて壊れてしまうのよね。けど一人くらいのイレギュラーを混ぜる程度ならそれほど歪むことはないし、そこから自然の流れで種族が繁栄したなら何も問題はないのよ。ね? 頭のいい考えだと思わないかしら」

 

 

 実に頭の悪い考えで頭がくらくらしそうだった。

 実際くらくらしていたと思う。

 

「い、いやだ。俺を元に戻せっ! 戻してくれっ! 元の姿に戻して元の場所へ返せっ! そんなの、お前の言いなりになんてなりたくないっ! 何が子を産めだ。俺は男だっ、百歩譲ってこの世界で暮らしてもいい、だが子を産めってなんだよっ!? わかわかんねぇよっ!?」

 

「あーあー、人間って頭が悪いのね。元の姿に戻すのも、元の場所へ戻すのも出来ないし、やったところで意味がないといったでしょう?」

 

「何が出来ないっていうんだよ!? ここにこうして俺を連れてきている以上また連れていくことくらいできるだろっ!? つーか俺の願いも正しく叶えてないのに何が願いを叶えろだよっ!? 契約にもなってねぇしこんなもん無効だろうがっ!! くそっ、早くしろよっ、もう姿はこのままでもいいからせめて元の場所に、家に帰してくれよ……」

 

 正直、泣いてしまった。

 見た目が超絶美少女だったからまだ絵になっているかもしれないが中身は成人男性なわけで。

 こんな喚くように言葉を浴びせかける姿は実に情けない姿だったに違いない。

 女神に掴みかかろうと近づいたものの、ふらりと宙を舞う女神に躱されてしまい、私はその場に倒れ伏した。

 立ち上がる気力すら起きないほどに、精神的に参ってしまったのだ。

 そんな私の様子を、自称女神も呆れたような、迷惑そうな顔で眺めていたのをよく覚えている。

 

 そしてこの時、自称女神は……邪神は最大の爆弾を落とした。

 

「はあ……貴女、全くこちらの話を聞いていないのね。無理なの。出来ないの。意味がないの。だって貴女が生まれたのはこの世界だもの。」

 

「……な、にを言ってるんだよ。俺の生まれは日本の」

 

「貴女が生まれたのは貴女が目を覚ました森の中。草むらの上。あそこが貴女の生まれた場所。言ったでしょう? 私は貴女の願いを叶えたの。ちゃあんとね。貴女の言う貴女の世界……日本にはちゃんと今も、貴女は存在するわ。うふふ、かわいそう。願いを叶えてもらえたとも知らずに、きっとのうのうと暮らしているのね。」

 

「な、え……?」

 

「じゃあ今のここで話している自分は何者なのかって顔をしているわね。ええ、答えてあげましょう。貴女はね、願いを叶えた私の力で生み出されたもう一人の貴女。この世界で生まれた新しい命。空っぽの器に入れるためだけに複製された模造品の魂。それが貴女。」

 

 

 

 

 ……一日目として書くにはなかなかきつい内容となってしまった。

 というか思い出したらむかついてきたし精神的にきつくなってきたので今日はここまでにする。

 続きはまた明日書くことにして今日は寝るとしよう。

 

 ……日記というよりは備忘録のような状態になってしまったが、現実の時間に追いつくまでは仕方がない。

 これはあくまで記録なのだから。

 




初っ端からこんな展開ですみません。
エルフさんはメンタルクソ雑魚なのです。

もしよろしければ感想をいただけると幸いです。
よろしくお願いします。

2024/1/23 改行など一部加筆修正


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第二話 エルフ日記2

 〇月△日

 昨日の続きを書くことにする。

 昨日は確か私が邪神から衝撃の事実を告げられたところで終わらせていたからその続きから。

 

 けどここからの会話は正直あまり覚えていない。

 告げられた内容があまりにも精神的に強いダメージを与えたからだ。

 

 だから大まかな流れだけ書く。

 邪神は邪神の願いが叶うまで私の願いを叶えるつもりもない。

 たとえ私の願いが叶って日本に戻れたとしてもそこにはオリジナルの私が存在するから帰ったところで居場所がないから意味がない。

 だから頑張ってエルフ繁栄させてね☆

 

 やつはそれだけ告げてどこかに消え去った。

 あの邪神がどこに消えていったのかは毛ほども興味はないけれど、もしも次に出会ったときには冷静でいられる自信がない。

 

 それで、そこから今に至るまでの話。

 

 しばらくの間、私は何もする気が起きなくてその小川のそばで何もすることなく過ごしていた。

 飲み食いはもちろん、ただ草むらの上に寝転がった状態で空を見上げ続けていた。

 

 正直、何もする気が起きなかった。

 

 家にも戻れないし、戻ったところで居場所はなく、さらに言えば自分はつくりものであり偽物やのだと告げられた直後だ。

 

 何もやる気が起きなくて当然だった。

 

 しかしそんなつくりものの体であってもちゃんと喉が渇くし、お腹も減る。

 いっそのこと餓死してしまえば、という淡い期待があったのかもしれない。

 

 私は数日の間飲まず食わずで少し続けた。

 

 結果だけ書くと、この体はどうやら不老不死らしい。

 いや、不老かどうかはまだわからないけれど、不死であることに違いはなかった。

 

 私がどれだけの間飲まず食わずを続けたのかというと、二か月と十日ほどだ。

 それだけの間この体は水は一滴も、食事もとらずに過ごしていたというのに身体が痩せ細ることはもちろん、肌は荒れたりすることもなく瑞々しさを保っており、金の髪も太陽の光を浴びてきらきらと光り続けていた。

 だというのに喉の渇きと空腹感だけはしっかりと感じるのだから一体どういう体のつくりをしているのか気になるところだ。

 けど自分の身体を解剖する気はなかったので確かめることはしなかった。

 もちろん今もするつもりはない。

 

 次に飲まず食わずで餓死することがないのなら外的要因、つまり怪我で体が傷ついたした場合はどうなのだろうと、その辺に落ちていた木の枝を拾って自分の腹に突き刺した。

 これも結果だけ書くけれど、痛みはあるし傷は付くけれど信じられない速さで怪我は治ってしまった。

 

 正直この時の私はどうとでもなれという気持ちが強かった。

 あの邪神への当てつけというか、やつの願いが叶うのが癪で叶わないようにと首を吊ってしまおうかと思っていたくらいだ。

 けれど実行したところでただ苦しいだけで死ぬことがないのだろうということがわかると、やる気にはなれなかった。

 

 どうやらあの邪神は意地でも私に死なせるつもりはないらしく、どうにかして願い……この世界にエルフという種族を繁栄させたいという、よくわからないものを叶えたいらしかった。

 

 正直に言って、かなり不愉快だ。

 この日記を書いている今でさえあの邪神を思い出すと胸の内がぐるぐると渦を巻いてしまうほどだ。

 こういうのをはらわたが煮えたぎるというのであれば、まさしくそれだと言いたいくらいだった。

 

 そうして死ぬことも帰ることも無理だと悟った私は、仕方ないと、とりあえずこの森で生きていくことにした。

 あの邪神の言いなりになるのは非常に気分が悪いことだが、それ以上に苦しむことから逃げたくなっていたのだ。

 どうせ、苦しむようなことをしたところであの邪神がそんな私を見ながら楽しそうに笑っているのかもしれないと思うと、馬鹿らしくなってしまったというのもあるけれど。

 

 不老不死の身体があれば森で生きていくのもそれほど困難ではなかった。

 

 幸い森に生い茂る木々は林檎に似た実を付けることがここまでの二か月半で分かっていたし、水についても小川があるし雨も降る。

 川の中には魚が泳いでいることもあり、生きるのには全く困らなかった。

 

 きのみと魚とそして水。

 それらを食糧にそんな生活を続けているといつの間にか私がこの世界で目覚めたあの日から一年ほどが過ぎていた。

 

 日数を数えていたつもりはないというのに、私が目覚めたあの日から今日まで何日だろうかと頭で念じればどういう理屈か経過日数が頭の中に浮かび上がってくるのだ。

 考えられるとすれば十中八九、あの邪神が不老不死と同じくこの体に仕込んだものの一つなのだろう。

 

 ほかにも何かありそうな気がするが……何が仕込まれているのか考えるだけで恐ろしいのでこれを書いている今もあまり考えないようにしている。

 

 話を戻すがこの森は恐らくこの世界において北の方にあるような気がする。

 理由は単純な話、冬が来るとかなりの量の雪が積もるからだ。

 二年たった今も私はこのあたりの地図を目にしたことがないし、きっとかなり田舎の方なのだろうということだけを認識していた。

 

 事件は、そんな雪の積もる寒い冬の日に起きた。

 

 私は邪神によって作られたこの体を駆使して森の木を一部切り倒し、工具を作り、小川のそばに粗末な掘立小屋を作ってそこで暮らしていた。

 雨風をしのげる程度の雑なつくりの建物ではあったが、どうせ不老不死だし、と何かあった時の対策なども何もなく過ごしていたのだが、そんな私の住処に来客があったのだ。

 

 客の名前はトーマス。

 森の外の村に住んでいる幼い少年だった。

 歳は、今が十歳だからこの時は九歳か。

 

 やはりこの森の外には村があったのかと考えつつトーマスの話を聞いてみたところ、トーマスには病気の母親がいて、その母に飲ませる薬の材料を採りに森の中へと入ってきたらしい。

 

 しかし森の奥へときたはいいものの、この雪で薬の材料となる木の実を見つけることも出来ず、更には帰り道もわからなくなってしまったという話だ。

 

 正直、どこかで聞いたような話だろうがこの世界だとよくある話だ。

 

 そんな健気な子供であるトーマスを、私ら外へ放り出すことも出来なかった。

 というか話を聞き終わったころに既に外は日が落ちかけていたし、雪の降る森の中に小さな子供を放り出すほど私は人非人でもなかった。

 

 私はその日、トーマスを自分の住処に泊まらせ、朝になってから改めて森の外へと連れていく約束をした。

 

 事件が起きたのはその夜だ。

 

 端的に言うと、めっちゃむらむらした。

 いわゆる発情期というやつだった。

 

 この一年、一度も発情することなどなかったし、月のものなど一度たりともきたことがない。

 だというのになぜ今更と考えた瞬間、目に映ったの寝床ですやすやと眠るトーマス少年と、脳裏に浮かんだ邪神の姿だった。

 

 点と点が線でつながったような、尋常ではない悪趣味さであった。

 どうやらあの邪神は、まだ精通もしているかすらわからない純粋そうな少年のトーマスを襲い、子種を搾り取り、子作りしろと訴えているらしかった。

 

 不愉快を通り越して悪夢だった。

 

 私は、そのまま何もせずに寝床についた。

 絶対にあの邪神の思い通りになってたまるか。

 そう気合を入れて眠ろうとした。

 

 しかし火照った体はなかなかどうして私の思い通りに眠りにはついてくれず、どうしたものかと項垂れながら住処の外でしんしんと降っているであろう雪に思いをはせていた。

 

 雪だ。

 そうだ、雪で頭と身体を冷やそう。

 そう考えた私はおもむろに起き上がり、小屋の外へと出ようとした。

 

 しかし結局私は外に出ることはなかった。

 

 扉に手をかけた瞬間、背後から「おねえさん、どこにいくの」という寝ぼけたトーマスのさみしがる声が聞こえてしまい、振り返ったからだ。 

 

 そう、振り返ってしまったのだ。私は。

 

 そこからは、もう、書くこともはばかられてしまうし、これを読んでいる君はすでにわかっていることだろうから結論だけ書くことにする。

 

 

 

 私はトーマスを襲ってしまいました。

 

 はい。

 

 

 

 トーマスを目にした瞬間何か頭の中でスイッチが切り替わったように目の前の少年が愛おしくてたまらなくなってしまい、そのまま……トーマスには、ひどいことをしてしまった。

 

 純粋な目でおねえちゃんのびょうきをなおすてつだいすると言ってくれたあのトーマスを私は……

 

 全てが終わった頃にはすでにすっかりと朝になっており、私は眠ってしまったトーマスを背負い、森の外へと続いているらしい道を歩いていた。

 自分が情けなくてたまらなかった。

 

 絶対に邪神の言いなりになってたまるかと抵抗していたにもかかわらず、こんな年端もいかない少年を襲ってしまっただなんて……そんな気持ちでいっぱいになってしまっていたことをよく覚えている。

 

 ちなみに、この時点でもまだ私は自分のことを俺と言っていて、つまり自分自身が男のつもりで少年を襲ってしまっていたのだ。

 

 あの時の気持ちを言葉にして表すのは難しい。

 

 

 

 トーマスを背負いながら私は自分がこれまで向かったことのない方向、おそらくトーマスがやってきたという方へと進み続けるていると、遠くの空から黒い煙が立ち上っているのが見えた。

 一瞬火事か、と思ったけれどそれにしては煙が細いし、揺れ方も穏やかだ。大きなものが燃えているという印象もない。

 

 おそらく昨日から行方知らずになっているトーマスを探すために、あるいはトーマスが村を見つけるための目印として狼煙を焚いているのだろう。

 

 そう考えた私はその狼煙の方へと足を進めながら背中で眠っているトーマスを起こすように体を揺らした。

 

「トーマス、トーマス。起きてくれ。もうすぐ君の村につくから」

 

「ん、ぅ……」

 

 トーマスは眠そうな目をこするようにしながら顔を上げた。

 

「おねえちゃん……? ここ、どこ……?」

 

「もうすぐ君の村につくよ。だから起きておいてくれ」

 

「むら……? ほんと……?」

 

「ああ、だから起きておいて」

 

「うん……」

 

 眠そうにしつつも目をこすって返事をするトーマスは、その、なんというか、非常にかわいかったということをここに記しておく。

 

 襲ってしまったことの罪悪感はどこにいったと言われてしまいそうだが仕方がないだろう。

 今思い返してもあの時のトーマスは尋常ではない可愛さだったのだから。

 

 そうこうしているうちに私とトーマスは森を抜けて、村の近くまでやってこれた。

 

 村人たちは見知らぬ人物である私を警戒するような視線を向けていたものの、背負っている子供がトーマスだということに気が付くとひどく心配そうな顔で駆け寄ってきた。

 多分、一番に走ってきたのがトーマスの父だろう。

 鍛えられたいい筋肉を持つ顎髭の似合うダンディな男だった。

 

 トーマスの父へは自分は森に住んでいるもので、道に迷ったトーマスを保護して連れてきたと告げるとトーマスの命の恩人だと歓待を受けてしまい、何故か流れでトーマス宅で食事をとることになってしまった。

 

 そこで初めてトーマスの母を目にした。

 ベッドの上で床に臥せっており、けれど昨晩はトーマスを心配して泣いていたのだろう。

 目元が赤く腫れており、私に向かって何度もありがとうございます、と感謝の言葉を繰り返していた。

 

 

 お母さん。ごめんなさい。

 私、お礼を言われるようなやつじゃないんだ。

 お子さんのこと、昨日襲ってしまいました。

 

 そんなことを正直に言えるわけもなく、気まずい気持ちのまま感謝の言葉を受け取っていた。

 

 トーマス一家三人と私を加えた四人で暖かな食卓を囲んだ。

 当たり前だがこの世界に来てから初めての人間だし、なんなら久しぶりの団欒の空気に思わず心が安らいでしまった。

 

 食べ終わった後、ごちそうになってばかりというのも嫌だったので後片付けをさせてもらった。

 その時、トーマスと二人きりになる時があり、わずかな罪悪感を覚えながらトーマスには昨夜のことは二人だけの秘密だと告げた。

 トーマスはよくわかっていなさそうな顔をしていたが、元気よくうなずいてくれたのでそれでよしとした。

 

 しかしこれだけでは私の気が治まることなかった。

 お子さんを襲ってしまったというのに罪滅ぼしどころか歓待を受けてしまったことが心苦しかったのだ。

 

 そこで私は、一つ恩返しをすることにした。

 

 トーマスの父が昨夜飲んだ酒瓶を手に取るとその口へと腕を添え、手首を切り、己の血を注いでいく。

 あの邪神の加護だか呪いだかの影響かわからないが私の血には傷を癒し、病を治す力があった。

 

 実は森で出会った手負いの獣をこの血を使って生かさず殺さずにし、食べごろになるまで飼い殺しにしていたりするので、その治癒力についてはどの程度まで与えていいのかどうかなども実験済みであったりする。

 

 その時の話も書いておいたほうがいい気もするが、今更どんなふうに実験をしたとか思い出せないので省略する。

 

 ざっくりいうと適当に水で希釈して飲めばいいだけの回復薬になるというわけだ。

 

 これをトーマスのお母さんへの薬として渡した。

 トーマスの父には用法容量を良く守って飲まないと毒になるから少しずつ気を付けて飲んでくれと告げておいた。

 

 飲み過ぎると過回復を起こして多腕になったりしたから、飲み過ぎはマジでやばいんだよね。

 

 トーマスの両親は救いの神でも見るかのように何から何までありがとうございますと何度も頭を下げていて、実にいたたまれなくなったのを今でもよく覚えている。

 

 ごめんなさいお母さん。

 息子さん、とても美味しかったです。

 

 

 

「おねえちゃん、またね!」

 

「エルフさん! 息子をありがとう! またいつでも遊びに来てくれや!」

 

 私はトーマス親子が見送ってくれるなか、静かに森の中へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 今日はここまでにしておく。

 二日目だというのに書き始めから一気に時系列が飛びすぎではないかと思わないでもなかったが、本当にこの一年はこれといって何一つかけることがなかったのだから仕方がない。

 

 続きはまた明日書くこととする。

 

 

 

 

 

 トーマスとの夜については、いつかまた別の機会にまとめることにしよう。

 




トーマスとの夜については気が向いたときにエルフさんの別の日記としてR-18で別作品として投稿するかもしれません。
まだ書いてすらいないので未定です。思いつき次第です。

一応鬱々とした出だしはここまででの予定です。

もしよろしければ感想を書いていただけると嬉しく思います。
読んでいただきありがとうございました。

2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第三話 エルフ日記3

サブタイトルを日付表記からただの数字表記に変更しました。


 〇月※日

 昨夜はトーマスとの初めての夜について思い出してしまい、ついめちゃくちゃむらむらして一人で高ぶってしまっていた。

 そのせいでこの日記も三日坊主になりかけてしまったのだが、まあ出来るなら続けて書いていきたいと思っている。

 記録を残すのは大事だし。

 

 さて今回個人的に記録としてまとめたいのは私自身の発情期についてだ。

 

 昨日書いた通り、私は恐らく邪神の手によってなぜか突然発情する体質にされてしまっているらしい。

 そのせいでトーマスというまだまだ年端もいかない純粋で幼気な少年を襲うという蛮行に出てしまった。

 

 そのため、私は自分が背負ってしまったこの呪われた体質についてもっと知らなければならない。

 この日記を書いている今から数えるとトーマスを襲ったあの日から今日で一年近く経つ。

 その間にいろいろと試して分かったことが二つある。

 

 まず一つ。

 結論だけ先に書くと私は夜に男を視認すると発情する性質があるらしい。

 

 あの日以降、時折トーマスが私の小屋へと遊びに来るようになった。

 この時の私は森の木の実を集めたり、捕まえた動物を生かさず殺さず飼育していたりと、普段から一人寂しく会話のない日々を過ごしていたので話し相手が出来たのは個人的に嬉しいことではあった。

 

 時々あの日の夜を思い出して少しばかり罪悪感に駆られたり、またトーマスを襲うようなことがあったらどうしようと思っていたのでちょっとだけ不安ではあったが、何度か会っていてもあの日の夜のように起きたような発情の兆候がなかったため、しばらくは別に問題ないだろうと判断した。

 

 だがしかし、私はまた発情した。

 

 その日はトーマスがなかなか自分の村に帰りたがらなかった日だった。

 どうやらトーマスは村の中で最も幼いらしく、遊び相手がいないらしい。

 村の子供はある程度歳を取るとそのほとんどが町の方へ出稼ぎに行ってしまうらしく、村には大人と、出稼ぎに行かずに村に残った大人に近い青年しかいなくなってしまうらしい。

 

 トーマスはほかの子供たちと少しばかり年が離れてしまっていたため、これまで遊んでくれていた相手がみんな村から町へと出て行ってしまったらしく誰も遊んでくれなくなってしまったということだった。

 

 つまりトーマスはこの時の私と同じく話し相手に飢えていたということらしかった。

 

 親との交流はどうしたと思いもしたが、やはりなかなかどうしてうまくいかないらしい。

 

 私の血の効果でトーマスのお母さんのダリアは少しずつ回復に向かっていったらしくベッドで寝込む日もなくなったそうだ。

 トーマスの父、ジョルジュもそれを喜んでまた私に会ってお礼を言いたいと言っていたそうだ。

 けれどダリアは寝込んでいた分、村のみんなに世話をかけたのだからとはりきって村の仕事に精を出しているらしく、これまでのように遊んでくれなくなったらしい。

 ジョルジュはジョルジュで元気になったダリアや世話になった村人たちに美味しいものをたくさん食べてほしいと以前よりも多くの獲物をとろうとして普段より遅くまで狩りに出ているらしかった。

 

 現代人の私——この時だと俺だが——の価値観だと少しばかり育児放棄では、とも思いもしたのだが別に交流が全くないわけではないらしく、ちゃんと食事は家族みんなでとっているらしいし仲が悪いわけでもないらしい。

 ただ単純に昼間の間に遊んでくれる相手がいなくなってしまったのだというだけらしかった。

 

 それならまあ、まだ日も落ち切っているわけではないし、落ちたとしても私が送っていけば済む話だと思い、私は無理に家に帰れとは言わなかった。正直私も寂しかったし。

 

 どうやらトーマスも私のところに遊びに行ってくると村の人に声をかけてから出ているらしいので両親にもそれほど心配はかけないだろう。

 

 しかし、まあ、それがいけなかった。

 

 すでに結論を知っているだろうこれを読んでいる者にはこの後何が起こるのかは予想出来るだろう。

 

 案の定、私は発情した。

 

 ちょうど日が落ちて遠くの空に月が綺麗に浮かび上がってきた頃だった。

 

 流石にそろそろトーマスを村に帰した方がいいだろうと、そう思ってトーマスに声をかけた。

 

 私たちはかくれんぼの真っ最中で、今は私が鬼だったので隠れているだろうトーマスに呼びかけるために出来るだけ大きな声でトーマスを呼んだ。

 

「トーマス! 暗くなってきたしそろそろ帰ろうか! 俺が送っていってあげるから!」

 

 そう言うとトーマスは私の小屋の陰からひょっこりと顔を出して駆け寄ってきた。

 

 私には、俺にはソッチのケもショタコンでもなかったはずだというのに、この、トーマスの仕草というか、行動が妙にかわいく感じてしまって困ったものだ。

 

 そういえばトーマスの見た目についてだが、洋画に出てくるような可愛らしい少年といった感じとだけ書いておこう。

 こう、髪の毛が少しクセっ毛気味でふわふわしていて、くりっとしたグレーの瞳が自分の方へと向けられるのだ。

 麻で作られただろう服と狼の毛皮をまとって少しばかりもこもことしていて、実に可愛らしい。

 そんな少年がひょこひょこと近づいてくるのだ。

 今でも思い出すだけでどきどきとして顔がにやけていってしまう。

 

 トーマス、ああ、トーマス……

 

 ……危ない。

 想像だというのにむらむらしかけてしまった。

 いや、大丈夫か私。

 この後のことを書くには当然トーマスとのあれこれを思い出さないといけないわけだけど……まあ、大丈夫だろう。

 その時は席を立てばいいし。

 

 話を戻そう。

 どこからだったか……そう、トーマスが私の呼びかけに応えて姿を現してくれたところだった。

 すでに暗くなってきていたし、トーマスの姿も黒い影に変わっていたのだが近づいてくるにつれてどんどんとその姿がはっきりとしてきた。

 

 ここで私は発情した。

 ゾクリとした感覚が腰から背骨を伝って頭まで登っていくような刺激が走っていき、私の脳のスイッチを切り替えるようだった。

 お腹の奥が熱を持ったように疼き、その熱が血液に乗って全身を駆け巡っていくようにどんどんと体温が上がっていく。

 明るい場所であったなら、私の肌の血色がよくなりうっすらと桃色になっていたことが丸わかりになっていただろう。

 

 息が苦しくなったような気がして、途端に足に力が入らなくなってしまい、その場で腰砕けになってしまった。

 

 トーマスはそんな私を心配するように駆け寄ってくれて、こう、覗き込むように私の顔を見てくれた。

 

「おねえちゃんっ、だいじょうぶっ? またびょうき? いたい?」

 

 ああ、思い出してしまう。

 トーマスが心配そうに私の顔を見つめてくる顔を。

 くりっとした瞳でこちらを見ていて、こう、背中をさすってくれたりしたのを覚えている。

 きっとダリアがまだ病気の時にもこうして背中をさすってあげたりしていたのだろう。

 お母さん思いの優しい子なんだなぁ。

 そんなことを考えて気を散らそうとしたり、いろいろ努力をしてみたりはしたのだけれど、トーマスが背中をさすってくれている、その手付きが、それ自体が気持ちよすぎてより強く発情してしまったんだ。

 

 いや、トーマスは悪くないんだけど、悪い。

 そんなことされると欲しくなっちゃっても仕方がないだろう。

 

 だから私は悪くない。

 

 トーマスが悪い。

 可愛くて健気なトーマスが悪いんだ。

 

「はぁ…、ん、大丈夫、トーマス、大丈夫、だから……ちょっと、先に……ンッ、……小屋に戻っておいて。俺も、すぐに戻るから……」

 

「でもぼく、おねえちゃんがしんぱいだから……」

 

 トーマスが優しくて涙が出そうだった。

 

「おねえちゃん、あれ、またあれしたらなおる?」

 

 トーマスは胸の中がだいばくはつしそうなそんなことを言って私のことをぎゅっとしてきてくれて、

 

 だめ。

 ちょっと続きはまた後で書く。

 

 

 

 

 

 はい。

 続きかきます。

 この後私はトーマスを小屋の中へと連れ込んでまたおそいました。

 ごちそうさまでした。

 けど今回は前みたいに乗ったりしてないからセーフ。

 搾りはしたけど子作りはしてないからセーフです。

 そういうことにしておいてください。

 

 トーマスの頑張りの甲斐あってか、私の理性がギリギリ留まってくれたおかげか、この時は前回のように一晩丸々使ったりせず、一時間ほどで何とかする事が出来た。

 

 まあ、当然搾られてしまったトーマスは遊び疲れもあってぐっすりと眠ってしまったわけだけれど。

 

 ほんと、発情が抜けて理性を十割取り戻す事が出来るとやってしまったという感情だけが残る。

 

 それもこれもあの邪神が悪い。

 

 とはいえこのままトーマスを寝かせたままにしておくのは問題だし、以前のように私が背負って送ることにしようと思った。

 幸いこの日は雪も降っておらず、暗いとはいえ月明かりもあって地面もはっきりしていたし背負って帰ってもそれほど時間はかからないと判断したのだ。

 

 私は自分とトーマスの身なりを整え、トーマスを背負っていざ村へ、と思った矢先に小屋の扉がノックされた。

 

 正直びっくりした。

 この小屋の場所を知っているのは私とトーマスくらいのはずだったからだ。

 

 少しばかり警戒しつつ、扉をゆっくりと開けて隙間から顔を出す。

 

「どちらさまでしょうか……」

 

「ああ、やっぱりここがエルフさんの家だったか。よかったよかった。」

 

 扉の外にいたのはトーマスの父、ジョルジュだった。

 

「ジョルジュさん? どうしてここに……トーマスから?」

 

「ああ。前にどの辺りに住んでるのかだけは聞いていたんでな。近くを通りかかったもんだから改めて挨拶と礼でもと思ってよ。ほら、今日獲ったばかりの新鮮なやつなんだが、受け取ってくれ。この間の薬の礼だ。」

 

 ジョルジュはそう言ってその手に掴んでいた鳥を私に差し出してきた。

 鳥。黒くて大きい、カラスをそのまま大きくしたようなやつだった。

 

「この鳥の名は?」

 

「ん? エルフさん知らないのかい? こいつはおおがらすってんだ。」

 

 そのまんまだった。

 

「おおがらす、ですか。」

 

「おう。なんでもこいつとそっくりだが小さいからすって鳥が南の方には棲んでるらしくてな。そっちから来た人間がおおがらすおおがらすっつーんで自然とそうよばれるようになっちまったらしい。」

 

 俺はからすを見たことないがな、とジョルジュは笑っていた。

 私はおおがらすの調理方法やらを考えながら、とりあえず小屋の中へと置きに行こうと振り返ると、そこにいたトーマスのことを思い出した。

 

「あん? トーマスじゃねえか。まーだアンタのとこから帰っとらんかったんか。寝とるようだし。」

 

 ジョルジュが私の肩越しにトーマスを発見したらしい。

 すみません、わたしのせいです。

 

「ああいえ、その、俺が引き止めてしまって。少し寂しいからもう少しいてくれると嬉しいって。けど安心してください。これから村へ送り届けようと思っていたところだったんで。」

 

「ん、そうかい? アンタがそういうなら別にいいけどよう。ああ、送るってんなら俺が背負っていくから気にせんでくれ。」

 

 ジョルジュはそう言ってトーマスを簡単に背負ってしまった。

 狩りの後でいくらか獲物も背中に吊るしていたというのによく鍛えられているなと思ったものだ。

 

「それじゃあエルフさん、またなんかあったら村に遊びに来てくれ。」

 

「あ、はい。ありがとうございます。」

 

「いやいや、礼を言うのこっちの方だ。いつもトーマスの相手をしてくれてありがとよ!」

 

 そういって親子は村へと帰っていった。

 

 

 

 というのがこの日の終わりだった。

 この日のことを後から振り返って気づいたことなのだが、この時私はジョルジュのことを見ても発情したりはしなかった。

 何故だろうと思い、後日狩りで森に入ってきていたジョルジュを遠くから眺めたりしたのだが、夜になる頃に見たらちゃんと発情した。

 

 このことから、どうやら私はどことは言わないし、どこでもいいのだろうけれど、体の内に男の精が入っている状態だと発情しないようになっているようだった。

 これがわかったことの二つ目だ。

 

 ほかの男の精と混ざったりしないようにだとかそういうことなのだろうかとか、精関連のことを考えると正直エルフというよりサキュバスなのではないかと、あの邪神はエルフを何だと思っているのかとつっこみたくはなったが、この二つの仕組みを理解したおかげでなんとか村に遊びに行っても発情しないで済む時間がわかったので助かった。

 

 いや、以前から村へは行きたいと思っていたのだがこの発情がいつ起こるかわからなかったので一人寂しく過ごすことを余儀なくされていたのだ。

 

 とはいえだからと言って村に住むつもりはなかったし、現に今も森の小屋に住んでいる。

 もしまかり間違って発情して、村の男を襲ったりしたらこう、いろいろとまずいし。

 

 思い返せばもしもこの時、先にトーマスから搾り取っていなかったらきっと私はジョルジュを襲うことになっていただろう。

 トーマスを襲ってしまったのは問題ではあるが、子持ちの妻帯者であるジョルジュを襲わなかったのは不幸中の幸いだった。

 

 いつかあの邪神にあうことがあれば真っ先にこの発情の呪いを消せと言ってやる。

 

 

 今日はここまで。

 日記としてこれを書いてはいるけれどこのままだと回想録になってしまいそうだ。

 現実の時間に追いついたらちゃんと日記として機能するはずだし、しばらくはこのまま今日に至るまでを書いていくこととする。

 まあでも正直代わり映えのない日々を過ごしているし、そんなに時間もかからず今に至るだろうけれど。




前回も書きましたがR-18は気が向いたら書くかもしれませんし書かないかもしれません。
ただ僕はトーマス君が可愛いと思っているので可愛いトーマス君を愛でたいとは思っています。
ジョルジュさんにも襲われたいし襲いたい。

感想を書いていただき、お気に入り登録をしていただけありがとうございます。

もしよろしければ感想を書いていただけると嬉しく思います。
読んでいただきありがとうございました。

2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第四話 エルフ日記4

今回は少しグロテスクな描写があるため苦手な人は注意してください。


 昨日までは日付を書いていたけれど、日付を考えるのが面倒になってきたのでもう書かないことに決めた。

 

 実を言うとこの暦も私が適当につけているだけでこの世界には、少なくともトーマス達の住むあの村には暦の概念はなかったからだ。

 みんな雪の季節が来たとか、そろそろ水の季節だなとか、そんな感じで数字による暦ではなくその季節の雰囲気で暦を表していた。

 

 しかし面白いことにこの世界の暦も元の世界の暦と大体同じらしく、一年は三百六十日周期だった。

 なぜそんなことがわかるのかというと、先日日記に書いたように私には邪神が授けたのだと思われる経過日数を記録する能力があるからだ。

 それによると一ヶ月単位では何もカウントされなかったのだが、一年が過ぎるとカウントの表示が変わったのだ。

 具体的に説明すると例えば今が仮に三百六十日目だとすると『360日経過』と頭の中に浮かび上がってきたのだけれど、一年経って三百六十一日目になった瞬間に『1+1日経過』と表示されるようになったのだ。

 最初は思わずついに壊れたか、とまるで見慣れた時計が止まってしまったような気持ちでいたのだけれど、次の日になると『1+2日』と変わりそこから更に日にちが過ぎて一か月が経過すると『1+30日』といった具合になっていった。

 どうやら『年数+日数』という表示方法らしい。

 

 この世界はあまり月について無頓着なのだろうか。

 いやまあ、この能力を与えたあの邪神がそうなだけかもしれないが。

 

 まあそれはそれとして。

 今回纏めるのは私の衣類についてだ。

 エルフとして恐らくファンタジーな世界に生み出されてしまったとしても私は精神的には文明人。

 たとえコピーであったとしても現代日本で育ったという意識が私には残っているので裸で過ごすことなど有り得ない。

 

 私が身に付けている衣服はというと、この世界に生まれ落ちた時に身につけていた、なんというか、ある意味エルフらしい植物繊維で編まれたワンピースのようなもの。

 雪国だというのに寒さも防げず、肌を隠すという必要最低限の機能しか果たさないこれを私は初期アバっぽいと理由から初期アバワンピースと呼んでいた。

 

 初めの頃は別に初期アバワンピースだけでも問題なく過ごせていたのだけれど、冬が近づくにつれてどんどんと寒くなっていき、雪の季節になってしまって流石にどうにもならなくなってきた。

 

 そんな時に手に入れたのが雪狼の毛皮だ。

 雪狼とはこの森に住む狼で、ジョルジュによるとこの地方のこの森にしか棲んでいない固有種らしい。

 その毛並みは黒に近い灰色で、森の木々の幹の色に、あるいは雪から剥き出しになった地面の色にそっくりだったりして、更に雪を被ると白っぽくなり遠目ではどこにいるかもわからくなるらしい。

 雪狼はそうやって周りの景色に溶け込んで獲物を狙うこの森の狩りの達人らしく、こいつを狩るのは熟練の腕を持つ猟師でないと難しいという話らしいのだが、私はその毛皮を手に入れた。

 

 狩りの素人である私がどうやって見つけたのかという話なのだが、なんということはない。

 

 簡単な話、ただ襲われただけだ。

 

 あの日は普段いつもしているように森の中で使えそうな木の枝や食べられそうな木の実、そのほか色々なものをを探していた時に不意にそばの雪の塊がぼこっと音を立てて盛り上がり、私の方に飛びかかってきた。

 それが雪狼だった。

 

 そりゃあもう、当たり前のように手に噛み付かれてしまい、腕の骨が、橈骨と尺骨がバキバキと噛み砕かれ、ミシミシと音を立てて折られていくのが腕を伝って音として認識出来るほどに凄まじい、ある意味気持ちのいいほどの噛み付きっぷりだった。

 とはいえ、知っての通り私は不老不死で、外傷なんかも割と時間がかからずに治ってしまう。

 噛み付かれたところで失血死もしなければ臓器が欠けて死ぬということもない。

 

 ただまあ、それはそれとして痛みは感じるのだが。

 

「ァッ、が、あァッ!? っ、ぐあぁっ!? なっ!?  ひ、いだいいいっ、うっ、ぐぐぅっ、ぃ、ア、ァ、ツ、づァっ、ギぃいっ…!?」

 

 そりゃあ痛かった。

 とんでもなく。生きたまま食べられているわけだし。

 その場で噛み付かれながらのたうちまわるほど痛かった。

 これが本当の踊り食い、いや踊り食われだった。

 

 可愛らしい悲鳴なんてあげる余裕もなく、口から出てくるのは息も絶え絶えな呻き声にも似た何か。

 痛みで目の前に電流が走ったようにバチバチとした光が見えたような気になったり、それこそ頭の中が真っ白になりかけたりした。

 けどそうなるともうあとは生物的な本能というか、この痛みから逃れたい、生きたいっていう欲が私を突き動かしてくれたお陰で、私はなんとか生き延びることが出来た。

 

 何をしたかというと、まあ、この時の私の唯一の攻撃手段だ。

 つまるところ、拳で殴り続ける。これだ。

 

 それはもう殴った。雪狼の頭を何度も何度も殴った。

 指の皮が剥けたり、血が噴き出るほど殴った。

 噛みつかれている方の腕も痛かったが殴っている方の手も痛かったはずだ。

 けど多分アドレナリンだか脳内麻薬だかがびゅーびゅー出ていたのだろう。

 腕に噛み付かれている痛み以外は何も感じず、ただひたすらに雪狼の頭を殴り続けているとだんだんと雪狼が大人しくなり、噛み付く力も弱まってくると、そのうち何の抵抗もなくなり、雪狼は死んだ。

 恐らく頭蓋が割れたのだろう。

 私の粘り勝ちだった。

 いえい。

 

 ある意味、これがこの世界で生まれた私の、初めての戦闘だった。

 日本で過ごしていた頃は私も結構なゲーム好きで、剣と魔法のファンタジーな世界に憧れたりしていたものだが、まさか自分が実際にファンタジーな世界で生きることになり、そんな世界での初戦闘がこんなにも血みどろになりながら拳で狼を叩き潰す、なんてものになるとは夢にも思わなかった。

 恐らく今も平凡に暮らしているであろう私のオリジナルも全く想像していないに違いない。

 

 そうやってなんとか生き延びた私は狼の口から腕を引き抜き、腕が治るまでの間その場で座り込んでしまった。

 血を流し過ぎたからかあの時はかなり頭がすーっと冷える感覚がしたものだ。

 けれどそのおかげであの後の私は結構冷静な対処が出来たと思っている。

 

 まずは狼を血抜きをした。

 昔何かで死んだ動物はすぐに血抜きしないと血が固まってりして色々と面倒だという話を見たことがある。

 後から知った話ではあるが、この雪狼の肉というやつはジョルジュ曰くとても高級品らしい。

 冬の寒さに耐えられるようにしっかりと脂を蓄えており、なおかつそんな脂を抱えていてなお俊敏に動くために肉もしっかりと引き締まっていてとても美味しいという話だった。

 この地方の固有種かつ狩猟できるものが少ないということで方々では結構な額で取引されているらしい。

 

 とはいえこの時の私はまだトーマスと出会う前で、まだまだ森での生活に四苦八苦していた時期なのでこの話は知らない。

 この森で得られる貴重なタンパク質で、自分が食われかけたのだから絶対にこっちが食べてやるということしか考えていなかった。

 

 しかしこの場には血抜きするのに必要な道具の類はなかった。

 まあ当然だ。こんな事態は予想外だし、そんな専門的な道具なんて持っていない。

 そこで私が思い付いたのは、折れた自分の腕を使うというものだった。

 私の腕は幸か不幸か腕の中ほどあたりから綺麗に食い千切られていて、雪狼の口を開けさせると肉の間から綺麗な白い骨が見つかった。

 一部が噛み砕かれていたおかげで先端も良い具合に尖っていて、道具として使うにはちょうどいい感じになっていた。

 

 私は雪狼の死骸を仰向けに寝かせると、無事な方の手に握った尖った骨の先端を雪狼の心臓へ目掛けて勢いよくぶっ刺した。

 どうやらまだ血は固まっていなかったらしく赤い血が勢いよく噴き出てくれたおかげで、素人にしては上手に血抜きすることが出来たと思う。

 水洗いが出来ないから完全には無理だったが、そこは多めに見てもらいたい。

 

 その後はもう簡単だ。

 腕もすっかりと再生したし不自由なく尖った骨を使いこなし、皮を剥ぎ、肉を切り分け、食料と衣服の素材をゲット、というわけだ。

 

 私は狩りを学んだ。

 自分を餌にして獲物を誘い出し、まんまと誘い出された獲物に己を食わせ、その間にしとめる。

 今度はあらかじめ襲われるつもりでいたため心構えも出来ていたし、しとめるための道具として前回使った尖った骨を研いで作ったナイフもどきを使って前回よりもスマートに獲物をしとめる事が出来た。

 そうやって何度か繰り返すうちに私の小屋には雪狼の毛皮の絨毯が敷き詰められようになり、毛皮でつくった上着も羽織るようになった。まあ縫い糸も針もないのでそれ以外に選択はなかったのだけれど。

 食事の方も、雪狼の肉を干し肉にして食べたりしている。

 あまり数を穫り過ぎて雪狼自体が減ってしまってもいけないからほとんど保存食にして必要以上は狩らないように気を付けているけど。

 

 

 ちなみに思い切り返り血を浴びた初期アバワンピースはというと、小川で軽く水洗いをしただけで簡単に汚れが落ちてしまった。

 なんだこの服。

 邪悪であっても一応神が作ったものということか。

 

 これは余談ではあるけど、雪狼は肉だけでなく毛皮も当然高級品だ。

 耐寒性に優れていて、丈夫で長持ち、加えて希少性も高いということでこちらも高値で取引されているらしい。

 

 ジョルジュはこの雪狼を狩猟することで生計を立てているらしく、さびれた村のように見えていたがそれなりに儲かっているらしい。

 ただまあ辺境の村だから何が起きるかわからないということで稼ぎのほとんどを貯えに回しており、そんなに裕福な生活はしていないらしかった。

 まあ、何かの理由で雪狼が減ってしまってしまえば廃業に追い込まれかねない不安定な仕事だしそれも仕方ないことだと思う。

 

 ……調子に乗って雪狼、獲り過ぎないようにして本当によかった。

 

 さて、そんな雪狼の毛皮が必要な寒い寒い雪の季節も終わり、世間はこの世界でいうところ春、水の季節へと差し掛かっていた。

 雪が解けて、地面へと水が行き渡り、新しい命の糧となる……そんな季節だからきっと水の季節と呼ばれているのだろうが……この季節には一つ問題がある。

 

 寒いけど蒸し暑いのだ。

 

 全身を雪狼の毛皮で覆っていないと寒くて仕方がないというのに着ていると周りに満ちている水気、湿気ともいえるそれによってどんどんと汗をかいていってしまうほど蒸し暑い。

 かといって脱ぐと汗をかいた体では冷え込んでしまい風邪をひいてしまう。

 そんな季節だったのだ。

 

 私はそのことを最初の一年で学び、今年は始めから厚着をすることなく、少し肌寒く感じるけれど汗をかくよりはマシということで初期アバワンピースのみを身に着けて活動することに決めた。

 

 ……のだけれど、そんな恰好で村に行くとまあ、当然のように驚かれてしまった。

 

「エルフさん! ちょっとあんた寒くないのかい?」

 

 話しかけてきたのはダリアの友人のエマだ。

 ダリアとは歳が少し離れているらしいがそんなことも気にならないくらい仲が良いらしい。

 文字通り少し歳の離れた姉妹といった具合だ。

 

「ああ、エマさん。たしかに少し肌寒く感じますけど、まあ、我慢できないというほどではないので」

 

「そうかい? あんたがそういうならいいけど……あまり無理するんじゃないよ?」

 

「ありがとうございます。ああそうだ。ダリアさんは今どこに? そろそろ薬が切れる頃だと思って持ってきたんだけど」

 

 そういって私はエマに薬……というか私の血が入った瓶を見せる。

 以前ジョルジュに頼んで空の瓶を一つ持ってきてもらったのだ。  ジョルジュを含めて村の人たちにはエルフにだけ作れる秘薬、ということにして渡している。

 あながち嘘ではないし。

 

「ダリアかい? 今日も仕事場さ。あんたがその薬をダリアにやってから随分と元気になってね。おかげで溜まっていた仕事をどんどんと片付けて行っちまうから大助かりさ」

 

「あはは、そりゃよかった。けどそういうことなら仕事の邪魔をしちゃ悪いしかな。エマさん、これあとでダリアに渡しておいてもらってもいい?」

 

「おや、あんたが自分でわたしゃいいじゃないかい」

 

「うん、まあ、そういわれるとそうなんだけど……」

 

 実を言うと、あれ以降も何度かトーマスのことを美味しくいただいてしまっている。

 

 そんなに頻繁ではないけれど、トーマスがもっと遊びたいと私の小屋に残ろうとすることが増えてしまった。

 そのときにこう、駄目だとわかりつつも、本能に負けて襲ってしまっているのだ。

 だが間違っても子供が出来るようなことはしていないのでセーフだ、セーフ。

 

 ……まさかとは思うが、トーマスはあの歳で性に目覚めてしまっているのだろうか。

 もしそうなら私のせいである。

 そういう理由があり、ダリアとはなんとなく顔を合わせるのが申し訳ないというか、なんというか……こう、はい。

 

「ああそうだ、エルフさん。あんたやっぱり自分で直接渡しに行きな。ついでにダリアに頼んでみるといい」

 

「え、頼むって何を?」

 

「そいつは後のお楽しみさ。なに、その格好でお願いがあるといわれりゃダリアもすぐに気が付くだろうさ」

 

 そういってエマは私に軽く手を振って自分の家へと戻っていってしまった。

 私はエマの言葉に首をかしげつつ、エマに託すことも出来ないままこの手に残ってしまった瓶を見つめた。

 

 というところで今日はここまでにしておく。

 きりがいいし。

 続きは明日にでも書くことにしよう。




今回は前後編です。といってもそれほど中身のある話じゃないです。
後編はまだ書いていません。けど近いうちに書きます。

感想を書いていただき、お気に入り登録をしていただけありがとうございます。

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読んでいただきありがとうございました。

2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第五話 エルフ日記5

 昨日の続きから書く。

 エマに言われたとおり、ダリアには自分で薬という名の私の血を持っていくことにした。

 本当はトーマスのこともあり正直顔を合わせづらいところなのだがほかに任せられそうな人がいない以上、私自身が行くしかない。そういうわけで私はダリアが働いているらしい場所へと向かった。

 

 今更な話だが、私は山に近い村において女性がどんな仕事をしているのかは知らなかった。

 『おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に』なんて意識があったからか山での暮らしで男は山に何かしら苅りないし狩りへ出かけて、女はその間は村で家を守る、まあ要する掃除洗濯から始まる家事を行うのが仕事だと思っていた。

 実に封建的な価値観ではあるが、別に男女差別主義者というわけではない。

 単純に適材適所として男の方が体力があったりするし力仕事を任されるのは当然だという話だ。

 しかし便利な機械が増えたとはいえ家事労働も肉体労働な体力仕事には変わりないしそろそろ私も価値観のアップデートを図るべきか。

 

 それはそれとして。

 こういう山奥での仕事となるとほかに何があるだろうか。

 エマの話によるとダリアは工房にいるということだったが、昔話つながりで考えるなら傘地蔵のように藁で編んだ傘でも作ったりしているのだろうか。

 雪の降る地域でもあるし。

 でもこのあたりには農耕をしているところはないし、そういうものを作るのに適した草花もない。

 しいていうなら森の木々を使えば何かしらの工芸品は作れるのかもしれないが……この手の暮らしに疎い私の貧困な発想ではこの程度のことしか思い浮かばなかった。

 

 とはいえ別にそれほど真剣に考えていたわけでもない。

 言ってしまえば暇つぶしだ。

 どうせこれから会いに行くのだし、そうすればダリアがどんな仕事をしているのかなんてことはすぐにその場でわかることなのだ。

 

 そんなふうに考えながら村の中央にある建物へと向かった。

 

 民家よりも大きく、中からは忙しなく何かしらの作業をしている音がしていて、煙突らしきものもついているし火を使う仕事なのだろうかと考えたりもしたものだ。

 

 昼間だからか出入り口は開放されており、扉は開けっ放し。

 それでいいのだろうかと感じつつひょこ、と中を覗き込むように顔を出してみる。

 皮を叩き潰して広げるものやそれに油を塗っていくもの。

 塗られたそれを順番に干していくもの。

 火で炙ったりするもの。

 皮を裁断するもの。

 加工された皮素材を使い、組み合わせて色々なものを作っているもの。

 

 そこには村の女たちの多くがさまざまな作業をしていた。

 

 ここは革製の工芸品を作る工房で、村の女たちはここで仕事をしているらしかった。

 

 考えてみればすぐにわかる話だ。

 この村の特産品は雪狼の肉、そして毛皮だ。

 それらを売りにするのであればどうせならそのまま売りに出すのではなく何かしらの形に加工しておいた方が売れるものもあるなのだろう。

 加工されているものの中には皮を何枚も重ね合わせてたものを縫い合わせて加工したらしい革鎧、レザーアーマーらしきものまであるのが見て取れた。

 

「あら、エルフじゃない。こんなところに何か用?」

 

 村の見張りのハリスのお嫁さん、ケティだ。

 彼女はどうやらエルフというのを種族名ではなく私の個人としての名前だと思っているらしかった。

 私は名無しのエルフで通しているのだけど……まあでも私を差す固有名詞としては間違っていないしこれまでも特に訂正はしてこなかったけれど。

 

「ケティさん。いえダリアさんに少し用があって……ここ、革細工を作るところだったんですね」

 

「そういえば貴女はここ、初めてだったっけ。そうよ。男たちが獲ってきたものをここで加工して、子供たちに町へ売りに行ってもらっているの。まあうちはまだ子どもはいないんだけど……」

 

 そう言いつつケティはこちらに視線を向けてじーっと見つめてきている。

 その視線は心なしか厳しいもののように思えて少しばかり後ずさりをしてしまったのを覚えている。

 この時はなんだろう、なにか気に障ることでもあったのだろうか、なんて思ったけれどまあ、ケティの心情からしたら仕方のないことではあった。

 

「……エルフ。あなた、うちのに色目とか使ってないわよね」

 

「え。い、いきなり何の話ですか。俺、その、ええと、人族の方にはあまり興味は……」

 

 色目は使っていない。

 けどもしも夜に顔を合わせてしまったらどうなるかわからないので少しびくびくしてしまった。

 

「神に誓って?」

 

 あの邪神以外なら。

 

「は、はい。俺に迷惑かけない神以外になら、ですけど……」

 

「……そう。まあいいわ。ハリスの奴、最近あなたのことばかり話すのよね。やれエルフさんは美人だの、おとぎ話の妖精みたいだの。目の前に私というものがありながらあなたの話ばっかり。ひどいと思わない?」

 

「それは……ケティさんみたいな美人を前にして、ちょっとひどいですね……」

 

 客観的に見てケティは美人だ。

 栗毛色の長髪は今もつやつやとしていてとても綺麗だし、肌もすべすべだし、私からするとこんな美容には程遠い生活環境だというのに町で見かければ振り返る人多数という美人具合。

 結構強気な性格をしているというのに目元はたれ気味で見た目の印象とは反対で、出るところが出て引っ込むところ引っ込んでいて……正直私が男のままだったなら間違いなく声をかけているレベル。

 どうしてハリスみたいなのがケティと結婚できたのか不思議なくらいだ。

 

「……嫌味じゃないところが嫌味よね、あなた」

 

「えっ」

 

「本物の美人から美人だなんておべっかもらっても自信なくしちゃうわ」

 

「いや、俺としては本心なんですけど……」

 

「はいはい。別にいいわよ。言うほど気にしてないし。……そうね。エルフあなた、せっかく美人なんだからそんな男っぽい口調やめてちゃんと女らしくしたら? もしかしたらハリスもそういうところに惹かれてるのかもしれないし」

 

「え、そんないきなり言われても。女らしくって言われてもなぁ」

 

「そんなもの、俺じゃなくて私って言っときゃいいのよ。ほら言ってみなさい」

 

「ええと……私、でいい……のかな?」

 

「……これはこれでその手の男に受けそうね。でも問題ないわ。うちのバカは少し男勝りな方が好きなの。その地位を奪われたりなんてしないんだから」

 

 よくわからないけどケティが満足そうだったのでこの時はそれでよしとした。

 ちなみにこれがきっかけで私は今のように一人称を私と改めることとなる。

 どうにもケティの考え通りだったらしく、私が女らしい言葉遣いを気にし始めたころからハリスは私のことをあまり口にしなくなったらしい。

 それでいいのかハリス。

 それでいいのかケティ。

 まあ、仲睦まじいのはいいことだけれど。

 

 閑話休題。

 

「それでなんだっけ、エルフ。ここに何か用? あなたも何か作る? それとも作ってほしいって依頼かしら」

 

「あ、そうだった。これ、ダリアさんにいつもの薬を持ってきたんだけど、今いるかな?」

 

 そう言って手に持っている酒瓶もとい薬瓶をケティに見せる。

 それを見ると納得いったようにケティはうなずいた。

 

「ああ、それね。舐めるだけで禿げた頭も元通りにふさふさになるし、きつい二日酔いも吹っ飛んじゃう魔法の薬。今度私にももらえない?」

 

「えっ、これそんな効果もあるのか」

 

「ほかにもいろいろあったわよ? 怪我が治るのはもちろんだけど草木の根元にかけたらその辺りだけ異常に育つのが早かったり、気付けになったり」

 

 えっ、なにそれ……知らん。

 いやこの頃の私は本当にそんなに手広い効果があるとは思ってなかったのだ。

 怪我や病気の治りがものすごく速くなる程度の認識だったのだ。

 

「……これ、村の外に持ち出したりしないでくださいね? あんまり知れ渡ると私、ちょっと困るんで」

 

「……わかってるわよ。ダリアの病気、もう治らないって言われてたのよ? それを治すくらいのものだもの。かなり貴重なものだってことくらい田舎者の私にだってわかるんだから。逆に私から注意したいくらいだわ。こんなの無償で簡単に渡しちゃってあなた大丈夫なのかって」

 

「……心配をおかけします」

 

「ま、あなたはダリアの恩人だし、この村の人間全員、この薬のおかげで何かと助かってるし言いふらすようなことはしないと思うから安心なさい」

 

「うう、感謝します……」

 

「はぁ……ほら、ダリアならあそこで服作ってるから行ってきなさいな」

 

 そういってケティは呆れ半分にため息を漏らしながら工房の一区画を指さしていた。

 私はケティにお礼を言って軽く会釈すれば、ダリアのいる方へと向かった。

 この時のケティの話を総括すると私の血は思った以上にやばい効果があるらしかった。

 正直何かしらで金策が必要だったときにはこの血を売ってお金にしようとか思ってたけど下手に売ったりしたら狙われるようなことになりかねない。

 どうかこの村だけで完結してくれると助かるなぁ。

 そんなことを考えながら工房内を歩いているとようやくダリアを見つける事が出来た。

 

「ダリアさん、久しぶりです。いつもの、持ってきましたよ」

 

 ダリアはケティが言っていたように鞣した革を使って服を作っていた。

 そうか、革製の服ってこうやって作ってたんだ……なるほど。

 革ひもを作れば別に針と糸がなくても服が作れる……盲点だった。

 服は買うものであって作るものではない、なんて消費文明系現代人の価値観があだになっていた。

 私元々あまり服に頓着する方じゃなかったから革製品とかもあまり持っていなかったし。

 

 まあそれはそれとして、だ。

 ダリアはキリがよかったのか作業の手を止めて私の方へと顔を向けてくれた。

 

「あ、エルフさん。いつもありがとうございます。この薬をいただいてから体の調子がとてもよくって……今こうして仕事をして生きていられるのもエルフさんのおかげ……貴女は命の恩人だと思っているわ」

 

「あ、あはは……毎度言ってますけど世話になっているのは私の方ですよ。森での一人暮らしは不便なことも多いですし、寂しいですし。こうして村のみんなが温かく接してくれているだけで助かってます。」

 

「それならやっぱりエルフさんも一緒に村で暮らせば……と思いますけど、理由があって森に住んでらしているんですものね。その……私たちはいつでも歓迎しますからね。」

 

「あはは……ありがとうございます。」

 

 ダリアとは顔を合わせるたびにこんな会話をしている。

 だから顔を合わせにくいのだ。

 時々とはいえトーマスを、ダリアの息子を美味しくいただいてしまっている手前、恩人だとか言われても心苦しいばかりである。

 

「けどエルフさん、今日はどうして工房に? いつもなら私の家でトーマスと待っているのに」

 

「ええと、ここに来る途中にエマさんに会いまして。それで俺、いえ私にもよくわからないんですけど、ダリアに何か頼めって言われて……これだけ言えばダリアなら分かるって言ってたんですけど、何のことかわかります?」

 

 ここにきて私はまだ何のことかわかっていなかったのだけど、ダリアはすぐに何のことか察したらしく、私の方へと視線を向けて、私の全身を上から下へと見つめていた。

 

「なるほど。わかりました。これから採寸しますからおとなしくしていてくださいね?」

 

「えっ、えっ」

 

 そして私はなにもわからないままダリアに体中のあちこちを触られたり、私ですら知らない私のことまで知られてしまったのだった……いやただ体のサイズを測られただけなんだけどね。

 けどスリーサイズとか、私自身も知らないしさ。

 

 ……あの邪神、いいのかな。

 自分の身体も同然の私の身体、測られちゃったけど。

 

 その後、あれよあれよという間にダリアは作業に入ってしまった。

 私はその間ただ傍で待っていても暇だろうからと言われてダリアの家でトーマスと遊ぶことになった。

 今日は森で遊ぶわけではなかったので運動するようなことなかったけれどトーマスを膝に乗せて歌を歌ったり昔話を聞かせたりしていた。

 桃太郎の話をするとトーマスはらんらんと目を輝かせて、大人になったら桃太郎になる、なんて言っていた。とてもかわいくて仕方がなかった。

 

 そうして過ごすうちにもうじきに日も暮れてくるという頃、そろそろ帰らないといろいろとまずいという時間になりかけてきた頃ににダリアはそれを持って家に帰ってきた。

 

「エルフさん! 出来ましたよ!」

 

 そういってダリアは手に持っていたそれを広げてみせてくれた。

 革で作られた可愛らしいドレスだった。

 ドレスといっても仰々しいものではなく、こう、動きやすそうな活動的な感じのワンピース的なそういうあれである。

 胸元の革ひもでちょうちょ結びにして前を留めるのが可愛らしくて、正直、とてもうれしかった。

 

「わ、ぁ…! ありがとうございます! こういうの、ほしかったんです!」

 

「そうだったんですか? それならもっと早く言ってくれたらよかったのに。」

 

「あはは、私こういうのには疎くて……大切に着させてもらいますね!」

 

「ふふ、喜んでもらえて光栄だわ。いつも薬のお代も出せないことが心苦しかったの。それ、もらってくれるかしら?」

 

「こんなのもらっちゃっていいんですか…! なんだかそっちの方が心苦しいけど……厚意に甘えます。ありがとうございます、ダリアさん…!」

 

「それはお互い様ですよ。ふふ……そうだ、もうこんな時間ですし夕食もごちそうになっていってくださいな」

 

 そういってダリアは窓の外へと視線を向ける。

 そうだった、もう日が暮れてしまいそうなところだったのだ。

 

 まずい。

 

 このまま居座ると確実にトーマスどころかジョルジュや、ほかの村人の男たちまで襲いかねない。

 

「あ、あー……すみません、ダリアさん。私、さすがにこの時間だとそろそろ森に戻らないといけないので……」

 

「そうですか……? それは残念ですけど……無理に引き止められませんね。またいつでもいらっしゃってくださいね。ほら、トーマス? エルフさんにまたねって。」

 

「おねえちゃん、またね。ももたろうまたきかせてね。」

 

「うん、トーマスもまたね。」

 

 そうして私は二人に挨拶をしてから再び森へと帰ってきた。

 自分の家についたら早速ダリアに作ってもらった革のドレスを身に着けてみた。

 革製だし少し重いのかと思っていたけれどそんなこともなくとても軽いつくりをしていてすごく動きやすい。

 これならこの微妙に肌寒い季節も何とか過ごす事が出来そうだ。

 

 というわけで、今回の話はここまで。

 

 昨日から今日にかけて書いたのは私が革のドレスを手に入れた話。

 このドレスは今でもお気に入りで、この後にちゃんと手入れの仕方も教えてもらい、今も欠かさず手入れをしている。

 

 ダリアには感謝してもしきれない思いだ。

 

 しかしこの日のダリアの視線には、どこか体の採寸を測るためとはまた違った妙なものを感じていたのだが今となってはこの時からもう色々と考えるところがあったのだろう。

 

 それについては……明日書くことにしよう。




 エルフは かわのどれすを てにいれた!

なんか昨日から今日にかけてアクセス数やお気に入り登録数が増えていてとても驚いていたのですが、よく見たらオリジナル日間ランキングの32位にランクインしていたようで嬉しさ半分驚き半分で戸惑っています。ありがとうございます。

感想も書いていただき、お気に入り登録もしていただけて非常に感謝感激です。


もしよろしければ感想を書いていただけると嬉しく思います。
読んでいただきありがとうございました。

2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第六話 エルフ日記6

 結論から書きます。

 ダリアにバレました。

 

 

 

 

 あれはこの日記を書き始める数日前のこと。

 いつものようにダリアへ私の血を届けに行った時のことだった。

 

 私の血の入った瓶を渡し、また日が暮れる前に帰ろうと思ったときにダリアに呼び止められた。

 なんでもたまには二人で話がしたいということだった。

 トーマスも今日は外へ遊びに行かせているらしいくて家にはおらず、今日は特に何もすることはないしと私はダリアの誘いに乗った。

 まだ日も高いし、時には村人と世間話をするのも悪くないと思ったからだ。

 特にトーマスの親であるダリアとは、顔向けできないとはいえ仲良くしておきたいし。

 

 それからしばらく世間話。

 水の季節になってきたからそろそろ雪狼も森からさらに奥の山の方へと引っ込んでいってしまうから仕事も稼ぎも減ってしまうのだとか。

 町へ出稼ぎに出ている村の子供たちが近いうちに村に帰ってくるという手紙がきたとか、その中にはエマの娘さんもいるのだとか。

 仕事のない間は村の子供たちへ勉強を教えているのだとか。

 実はダリアは元々町のいいところの出のお嬢さんなのだとか。

 そういう話を色々と聞かせてもらった。

 

 そんな世間話に興じていると、突然ダリアが意を決したような顔で声をかけてきた。

 

「それでなのだけれどエルフさん。少し頼みたいことがあるのですが、いいですか?」

 

「頼みたいこと? まあ、別に私に出来る範囲のことでしたら構いませんけど……」

 

 なんだろう、とこの時の私は素直に首を傾げていた。

 薬は今日持ってきたし、トーマスとは昨日も遊んでいたし、村で工房の手伝いをしてほしいということだろうか、なんて素直に首を傾げたりしていた。

 出来ないことはないだろうけど、日が落ちる前に森に帰らないといけないし……まあでもそろそろ村への移住も考えてもいい頃なのかなぁ、とか。

 要は夜に出歩かなければいいというだけの話であり、夜の間は私の家にも来ないように言い含めれば発情スイッチが入るわけでもない。

 これならそれもありかもしれない、なんてことを考えていたのだけれど、ダリアが頼んできたのは全く別のことだった。

 

「実は町へ行ってこの冬に作った最後の商品を売りに行ってほしいんです。トーマスと一緒に」

 

「……はい?」

 

「ほら、そろそろ冬も終わるでしょう。うちの村はこの時期になるとそろそろ外へ商品を売りに出るのが最後になるんです。それで今回はトーマスにその役目を、と思っていまして」

 

 それはわかる。

 この村は冬の間に大量に稼いでその後はほぼほぼ自給自足してまた冬が来るのを待つという暮らしをしているらしいのは何となくだけど分かっていた。

 だとしてもどうしてそれを私に。

 しかもトーマス同伴で。

 

「えっと、聞きたいことが二つあるんですけど」

 

「ええ、何かしら聞かれると思っていたわ。遠慮なく聞いてちょうだい」

 

「どうしてトーマスを? トーマスが町へ出るにまだ歳が低いんじゃないかと思って……聞いている話から考えるとあと二年か三年後なんじゃないかと思ってたので……」

 

「そのことね……まあ、普通はそうなんですけど、あの子には将来的にはこの村の長を継いでもらおうと思っているんです。だから——」

 

「ちょっと待ってください。」

 

 うぇいと。

 

「はい、なんでしょう」

 

「今なんて言いました? トーマスが将来この村の村長に?」

 

「ええ、はい。トーマスは将来旦那の、ジョルジュの後を継いで村長になってもらう予定なんです。……あら、話していませんでしたっけ」

 

 私、聞いてない。

 

「まあ、そういうわけでトーマスには早いうちに町を知っておいてもらいたくて……一応、町の学校にも通わせようとも思っているんです」

 

 知らない話ばかりなんですけど。

 

「ジョルジュは早いうちから狩りを覚えさせたいって言っているんですけど……」

 

 そこからダリアの説明が始まったが要約するとこうだ。

 実はジョルジュはこの村の村長で、ダリアはその奥さん。

 そして二人の息子のトーマスは次期村長ということになる。

 ジョルジュは幼い頃からともに森に入って狩りのイロハをトーマスに教え込みたいと考えているが、ダリアはこれからの時代は村の長として学を持っていることも大切だと考えているらしい。

 自分も村では子供たちに簡単な教育なら出来るが流石に町の大きな学校と比べると教えられることの幅が違い過ぎるということらしい。

 そういえばダリアは元々町の良いとこでのお嬢さんだったか。

 で、今村で工芸品を作る傍ら収支や経理的なことを一手に担っているのはダリアである、と。

 なるほど、ダリアの立場から考えると将来的に村長として村の発展を担っていくトーマスにはちゃんとした施設で学んでほしいということなのだろう。

 

 ……そういえばダリアとジョルジュはどこでどうであったのだろうか、という話を後程尋ねたところ、町に出稼ぎに来ていたジョルジュに自分の周りにはいないワイルドさを感じてしまい自然と惹かれて一目惚れだったとか。

 そんな話を延々と聞かされたのでここでは割愛する。

 

「なるほど。それで近いうちに町の学校に通わせるために、早いうちに町がどんなところか慣れておいてほしい、と」

 

「ええ。そういうことです。町の学校に通うとなると数年はこの家を出ることになってしまいますから。村から通うには遠いですからね。ああでも全寮制の学校なので心配いりませんよ」

 

「そうですか……寂しくなりますね。心配でしょうし……」

 

「ええ、寂しくないと言ったら嘘になります。けど心配はそれほど。そのためにエルフさんにお願いしているのですから」

 

 ……やはり、そういうことか。

 将来のためにトーマスには数年間町で暮らして勉強してほしい。

 けれど一人でそれをさせるにはあまりにも心配だ。

 かといって自分が村を離れるわけにはいかない。

 どうしたものか。

 そうだ、私にお願いしよう。

 トーマスもよくなついているし……まあそんなところだろう。

 

「あの、すみません。私、たしかにトーマスのことは心配ですけど、この村ならまだしも町に出るとなるといろいろと不都合がありまして……」

 

「承知しております。そのうえでお願いしているのです。あなたに、エルフさんになら任せてもいいと、私はそう思っています」

 

 ダリアはたおやかな笑みを浮かべて私にそう告げる。

 すごく、すごく信頼されている目だ……とても心苦しい。

 だって今の話を総合するとトーマスと一緒に町へ出るの、今回限りじゃなくてトーマスが町で暮らす数年間も私も一緒に暮らすことになる。

 全寮制であるとはいえ、きっと休日には私が町で暮らす家にやってきては泊まっていくに違いない。

 そうなると、私は毎週毎週、トーマスを襲わない自信がない。

 私の、邪神に呪われたエルフの発情期を舐めないでもらいたい。

 しかも、だ。

 今日初めて知ったとはいえ、将来的にこの村の長となる子を惑わせてしまっているという罪悪感までプラスされてしまった。

 そんな話を聞いたうえでこの話を引き受けられるほど私のメンタルは強くない。

 

 そう考えた私は、今後二度とトーマスと会えないことを、この村に来ることが許されないことを覚悟して、ダリアに告白することに決めたのだ。

 これまで何度か息子さんを性的に襲ったことがある。

 そんな相手をお目付け役みたいな立場にすることなんていけない。

 だからこの話は考え直してくれ。

 もしも私を軽蔑したのであったら、私は二度と村には近付かない。

 そう告げるために、私は重い口を開けた。

 

「ダリア。申し訳ないけれどこの話は受けれない。私にはその資格がない。」

 

「あら、どうしてかしら。」

 

「……ごめんなさい。私、これまでに何度か、トーマスを……息子さんを性的に襲ったことがあります。ですから、こんな……女をそばに置くのは、問題があります」

 

 そう。

 私は、自分の精神的な性別をどう認識していたとしても、この体はあの邪神が自身に似せて作った通り、女の身体をしていて、邪神の言葉を信じるならば子供を作る事が出来る。

 どうしようもないほどに、私の身体は女なのだ。

 呪いのせいとはいえ、トーマスを襲っていることに嘘はない。

 そんな女をそばにいさせてはいけない。

 

 ……いや、もっと早くそうするべきではあったのだけれど、私としても……男の俺としても、トーマスはとてもかわいらしくて、離れがたくて、そうする事が出来なかった。

 けど、その時がきた。それだけの話だった。

 

 言ってしまえば、存外すっきりした気分だった。

 やはり隠し事をし続けるのは、精神的に重い草路をまとったようにつらいものだったらしく、割と気分が晴れた思いだった。

 

 さて、ダリアからはどんな風に罵倒されるだろうか。

 ビンタの一つで済めば御の字だろうが……そんなふうに考えていたというのに、当のダリアはたおやかな笑みをくずさず、にこにことした笑顔を浮かべたままだった。

 

「ええ、存じております」

 

「……えっ」

 

「これまで何度かトーマスと肌を重ねたのでしょう? ですからそれについては存じています」

 

 爆弾発言だった。

 

「えっ、えっ。えっ、あの、えっ、あの、ダリアさん。その、え、私トーマスを襲っていたんですよ?」

 

「合意の上ではなかったと?」

 

「え、あの、いえ、ある意味了解はとっていましたけど、でも何も知らない子供を騙していたようなものですし、それを考えると同意を取っていたとは言えないんじゃないかなと……」

 

「なるほど。まあでもそれについても聞かなかったことにしましょう。トーマスとのことについては全て同意の上で行われていたこと、ということでいいですね?」

 

「え。あ。はい」

 

 え。なにこれ。

 

「もしかしてエルフさん。私が気付いていないとでも思っていらしたんですか?」

 

「え、その、う……はい……」

 

「ふふ、母親というのはあなたが思っているよりも結構敏感なんですよ。息子が色を知って帰ってきたことくらい簡単に気が付きます。」

 

「えっ……ということは、もしかして、初めて会ったときから……?」

 

「ええ、もちろん。……初めは驚きました。女の私ですら惹かれてしまいそうなほどのお姿を持っていらっしゃるんですもの。トーマスはこの森の妖精にかどわかされて、心を抜かれてしまったりしたのじゃないかと疑ったほどです。」

 

 そんなふうに思われていたのか。

 この体が腐っても邪神の写し身ということか。

 

「けれどこうして村であなたと触れ合うたびに、あなたが心優しいただの一人の女性だということがはっきりとわかっていきました。少し危ういところがありますけど……それもまた魅力の一つと感じる者もいるでしょう。」

 

「……つまり、私がトーマスを襲っていたのを、知っていて見逃していた、と……?」

 

「ええまあ、そういうことになりますね。」

 

 私がトーマスを襲っていた件についてとっくの昔に黙認されていたらしい。なにそれこわい。

 

「……町にはいろいろと誘惑があります。金銭的なものから色事まで。そんな危ないところに可愛い息子を一人で住まわせるなんて不安でたまらないですけど……あなたがそばにいれば、あの子が惑わされることなんてないでしょう?」

 

「そう、ですかね……?」

 

「ええ。あの子、大人になったらエルフさんと結婚する、なんて言っていますもの。」

 

 なにそれトーマス可愛すぎか?

 これを書いている今でも面と向かって言われたことがないというのに。

 親の特権か。

 くやしい。

 その瞬間を映像化して永久保存版としてしまいたい。

 

「ですから、エルフさん。あなたには今後もトーマスと仲良くしていったもらいたいと、そう思っています。」

 

 

 

 

 

 そういうわけで私は近いうちにこの村で、どころか町でトーマスを見守るように暮らすことが決まりました。

 ダリアからは、トーマスを抱いてもいいし、何なら子供が出来たら歓迎するとまで言われてしまった。

 早いうちに孫が見たいとか、エルフさんとの子なら男でも女でも美形になるだろうとか、そんなことまで言われてしまった。

 

 嬉しいと言えば嬉しいのだけれど、こうして今も思い出しながら日記を書いていると、少し複雑な気分ではある。

 ダリアは賢い人だ。

 口にはしなかったけれど、私という異人種の血を自分の家に取り入れることのメリットとデメリットについて冷静に判断したうえで言っているのは間違いない。

 自分たちが飲んでいる薬の正体が何かを知らないにしても、万能薬じみたそれを手放す様なことはしないだろう。

 そしてその製法を手に入れることでこの村が狩りだけではどうにもならなくなったとき、それを頼りにしていることは想像に難くない。

 

 打算的ではあるが、私自身それについて別に何も思ってはいない。

 村の長の妻として、村が滅びることのないように考えることは当たり前だ。

 むしろその考え自体は、元々この村の出身ではないというのに村全体のことを考えていて好感が持てるほどだ。

 好感が持てるほど、なのだが……やっぱり複雑だ。

 

 まるで私をこの村に居つかせたかったら息子を差し出せと脅しているような気がして、とても複雑だ。

 

 少し頭を悩ませてしまったので今日はここまで。

 明日は……書くかどうかわからないな。

 三日坊主にはしないつもりだけれど……今日書いた通り、私は近いうちに町で暮らすことになる。

 その準備で何かと忙しいのだ。

 続きは町での暮らしが落ち着いたら、ということになるか。

 呪いのせいで夜間外出禁止状態であったり、いろいろと不安が残るところではあるが、まあ何とかなるだろう。




ダリアは単純に「まだ寒いのに薄着だったりするしこの人放っておくと死んじゃったりしそう」とかそんな感じにエルフさんを心配しているだけです。前回の険しい視線もそんな感じです。
トーマスとのことも、まだ若いけど息子が気に入っているしと割と寛容。だってこの世界成人が14歳だし。トーマスはまだ成人してないけど世間一般的にはギリセーフ。辺境の村基準なら別に成人とか関係ねーべなので。セーフです、セーフ。


オリジナル日間ランキングが一瞬15位になってたりした時があってびっくりしました。

感想を書いていただき、お気に入り登録をしていただけありがとうございます。

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読んでいただきありがとうございました。

2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第七話 とある商人の話。

たまにはエルフさん以外の視点でも。


 ここはアドル大陸のアドル王国領、その北端に位置する街。

 名をテムズという。

 北に聳え立つ雄大なテムズ山脈から伸びているテムズ河を跨ぐようにして存在している街だ。

 

 古くはテムズ山脈にいるという女神だとか精霊だとかを信仰している信者たちが巡礼の途中の休憩拠点として住み着いたのが始まり、彼らの言う聖地へ至るまでの宿場町として発展した。

 

 人が集まれば文化も育ち、世界から人々が集まればそれだけ珍しいものも集まる。

 そうなるとそんな珍しいものを求めてやってくる知識人や商売人も集まってくるというものだ。

 そうしてこのテムズの街はいつしか知識を求める者たちの殿堂として大きな学び舎が建ち、身分にかかわりなく世界中から集ったアドル王国一の学術都市として進化を遂げた。

 

 信者たちが信仰していた女神だかにはいつしか叡智を授ける知識の神、なんていう謂れまでついちまうほどになったらしいが、自分たちの都合のいいような謳い文句を付けておきゃあ信者が増えてお布施ももらえちまうってんだからぼろい商売だねぇこりゃ。

 

 とはいえ元が宿場町ってこともあり、大陸の内外からさまざまな人種や旅の人間も当然集まる。

 それ故か学術都市なんて仰々しい呼び名がついちゃいるものの、それほど鼻につくような知識人ばかりが集まっているというわけでもなく、どちらかというと俺のような商人や世界中をあっちこっち旅する冒険者たちの方が多いくらいだ。

 

 そういえば名乗り忘れていたな。

 俺の名はボナンザ・ハットウシン。

 地元じゃ俺ほど背が高いやつはいない、それだけデカけりゃ兵士としてやっていけるんじゃないか、なんて言われたもんだ。

 

 だが俺はそんな言葉に惑わされねぇ。

 でかくてかっこいいだなんだと言われちゃいたが、こんなにでかくちゃ戦場じゃあいい的になるだけだってのは成人してないガキでもわかるってハナシ。

 そんな言葉に騙されて兵士になって戦場に出た日にゃ初陣で神様のもとへ、なんてことになっちまう。

 なら俺はそんな危ない道を選ぶなんて真似したくはねぇ。

 逃げるなんてのは男らしくねぇしみっともねぇ、敵将の首を獲り名をあげることこそが男の誉れだ、なんてことを言うやつもいたが俺は名誉よりも自分の命を優先するね。

 自分の命より高いもんはねえしな。

 

 俺の話はほどほどでいい。

 これは俺がいつものように南の方で仕入れた、この地方じゃ珍しい果物なんかを売りに来た時の話だ。

 こういうのは冬から春のうちに売りに来ねぇと腐っちまって金にならねぇからって大急ぎできたわけよ。

 

 この街には学院もあるし、貴族もいる。

 金の羽振りだけはいいガキたちにはこういうここいらじゃ珍しい食べ物ってのが仕入れ値の何倍もの値段で売れちまったりするんで手っ取り早く稼ぐにはちょうどいいんだ。

 

 そんな簡単に金を稼ぐ方法があるのならほかの商人たちも同じことを考えて真似をするんじゃないかって言われそうだが、今のところは俺しかしていない。

 そりゃあ何故かって俺が仕入れている果物には魔物を惹きつけちまう匂いがぷんぷんしていてな。

 そんなもの、仕入れてから売りさばく前に命がいくらあっても足りねぇってんで誰もしないってハナシ。

 

 俺が無事な理由?

 そりゃあこの自慢のタッパにある。

 どうにも魔物ってやつは自分よりもデカいやつを襲おうなんて考えを持っている奴はいないらしくってな。

 俺ほど背がデカいとなるとオークでもなかなかいやしねえんじゃねぇかってくらいだ。

 特に鍛えてるわけじゃねぇが行商人やってりゃそれなりに筋肉もついてくるってハナシ。

 見た目だけなら歴戦の戦士って言われてもおかしくねぇんだわな。

 

 そういうわけで俺を襲う魔物ってのはそんなにおらず、襲われたところで一匹や二匹程度なら俺一人で何とかできるってわけだ。

 普通の商人なら傭兵を雇うなりしないといけないハイリスクローリターンな商売を俺はその逆、ローリスクハイリターンでやってのけてる。  この分だと近いうちに町に店を構えて行商人生活ともおさらばする日も近いかもしれねぇな。

 

 その日も俺はそんなことを考えながらのんびりと荷馬車に揺られて荷を運んでいた。

 周りにゃいくらか魔物の姿を見かけたりはしたが襲ってくる様子はなく、この分ならいつもどおりに何の危険もなく通り過ぎる事が出来る。

 そうしていつも通りのボロ儲けよ。

 

 そのはずだった。

 そうなるはずだった。

 

 俺がいつものようにそのままテムズの街の城壁が見えてきたことに気を緩めた瞬間、突然魔物どもが襲い掛かってきやがった。

 いつもは襲ってきたりなんかしない魔物たちが一斉に俺の荷馬車目掛けて突進してきやがったのだ。

 見たことあるやつも、ないやつも、群れをなして一斉に、だ。

 どうなってんだこりゃ、と愚痴を零しながらも手綱を操り馬を走らせる。しかしそれほど速さが出るわけではない。

 なんせ今回は普段よりも特別多く仕入れたからだ。積荷の量が増えりゃ馬の足も遅くなるってのは当然だ。

 

 ああそうか、そのせいか。

 欲を出して一気に稼いじまおうとしたせいで魔物達が俺に警戒する以上に積荷の匂いに惹かれちまったってことだった。

 欲をかいた俺の完全なる自業自得だったわけだ。

 

 走る。

 走る。

 手綱を鳴らしてどんどん走らせる。

 出来る限り、行けるところまで逃げてやる。

 流石に街の中に入っちまえばあいつらも追ってはこれない。

 街の入り口には守衛もいるし、腕利きの冒険者達もわんさかいるからだ。

 街に近付きさえすりゃこっちのもんだ。

 

 しかし俺がどんなに馬をとばしても一向に街に着く気配はない。

 襲いくる魔物の猛襲を回避して、回避して、いつしか街道沿いを外れてしまっていたのだ。

 これじゃあ街に入るどころか遠ざかっちまってるじゃねぇか。

 

 どうやらここの魔物たちは、俺が思っているよりも頭が良いらしい。

 これまで俺を襲ってこなかったのは、俺が調子づいて積荷を増やすのを待っていたのだろう。

 そして俺の逃げ道を自分達の縄張りへと誘導するように襲い、囲っていく。

 見事なまでに連携の取れた動きだ。

 人間の軍も見習ったらいいんじゃないかってくらいのチームプレイだった。

 

 あんときゃ流石の俺も死を覚悟したね。

 このままくたばってたまるかと思ったが、既に積荷は全部放り出しちまっておとりになるようなものもないし、積荷の匂いが染み付いちまってる俺も魔物どもの獲物になっちまってるんだからもうどうなもならねぇ。

 

 俺の人生ここまでか。

 これなら兵士になってりゃ門番なり衛兵なりになって命の危険なく過ごすのもアリだったかもしれねぇや。

 

 荷馬車が壊され、馬にも逃げられ、魔物に囲まれちまって……その中の一匹が合図するように一つ鳴き声をあげれば奴ら一斉に飛びかかってきやがった。

 

 俺は目を伏せ、諦めた。

 これが俺の人生最期の光景になると思ったからだ。

 だがいつまで経っても終わりがやってこない。

 それどころか噛み付かれている感触すらない。

 あまりのことに頭がやられちまったのか、それとも俺はもうとっくに死んじまっているのか。

 

 俺はちらり、と目を開けてみた。

 死後の世界ならそれはそれ、痛みも苦しみもないって話だし気楽に過ごしてやろうと思った。

 しかし目を開けるとそこは先程の平原だ。

 遠くにはすでに冬を過ぎたというのに未だ雪化粧に彩られたテムズ山脈が屹立し、俺を見下ろしているようにすら感じた。

 なるほど、こんなにも雄大に感じれば昔の人間が神様だか精霊だかを夢見た気持ちもよくわかるってハナシだな。

 

 視線を下ろす。

 魔物どもは俺をみてはいなかった。

 奴らの視線は俺ではなく、テムズ山脈の方から歩いてくる一つの人影に注がれていた。

 

 それは、女だった。

 いつのまにか沈みかけていた夕陽が地平線の向こうに消えようと今日最後の黄金色の光を伸ばして女を照らしている。

 女の髪は陽の光を受けてきらきらと輝き、あたりには神々しい気配すら感じてしまう。

 その人外じみた美しさは見る人を魅了し、魔物すらも惹きつけるのか、俺を取り囲んでいた魔物たちは一斉に女を取り囲み、先程の見事な連携もあったものじゃないというほど、無秩序に、無作為に、女へと襲い掛かっていた。

 

 俺は、何も出来なかった。

 自分が魔物に襲われたこと。

 なんとか生き残ったこと。

 女を助けられなかったこと。

 何が兵士になっておけばよかっただ。

 目の前の女一人助けられない俺が兵士になったところで何が出来るというのか。

 

 そんな悔しさに思わず涙が出た。

 助けられなかったと、せっかく目の前の女がおとりとなり拾った命だというのに、立ち上がることも出来ず、ただ腰を抜かしてしまっていた。

 

 どれくらい時間が経ったのだろう。

 日はすっかりと落ちて、あたりは真っ暗闇と言っていい。

 あの女を食い終わったら、次は俺の番が来るのだろう。

 だがもはや逃げる気さえ湧いてこない。

 

 一秒か、一分か、それとも一時間か。

 どれだけ経っても魔物が来ないことを俺は不思議に思い、俺は顔を上げた。

 

 そこには炎があった。

 まるで神に逆らった愚かな存在へと罰を下すように、魔物たちは煌々とその命を薪としてくべられるように、妖しくも美しく燃え盛っていた。

 

 その中央には、女がいた。

 魔物に襲われたというのに傷一つなく、己に襲い掛かってきた愚かな魔物たちを睥睨するように見つめていた。

 生き残った魔物たちは女を恐れ、慄き、逃げるように夜の闇へと消えていった。

 

 燃え盛る炎が揺れ、女の影を揺らす。

 ゆっくりと近付きながら女は口を開いた。

 

「大丈夫ですか。もう大丈夫ですよ」

 

 そう言って、女は優しく微笑みかけた。

 夜の闇の中でなお炎に照らされ妖しく輝く黄金色の髪。

 空に浮かぶ星のように煌めく翡翠の瞳が細まり、俺の無事を安堵するように笑っている。

 

 ああ、そうか。この女が、彼女が……山の女神……

 そう確信した瞬間、俺は気絶した。

 

 

 ◆

 

 

 気付いた時には朝だった。

 俺は平原に身を投げ出したまま眠ってしまっていたらしい。

 ぼんやりとした頭では何も考えられず、どうしてこんなところで眠っていたんだろうか。

 そう考えた瞬間に飛び起きた。

 そうだ。

 昨日は下手を打っちまって魔物どもに襲われて、すんでのところで山の女神に助けられたんだった。

 

 あれは、夢だったのだろうか……気を失う直前の記憶がどうにも曖昧で、何があったのかはっきりと思い出せない。

 だが、昨夜の出来事が夢でなかった証拠は、俺の周りにありありと残されていた。

 

 壊れた馬車。

 投げ捨てられた積荷の果物たち。

 そして、燃え尽きた魔物たちの死骸。

 

 昨日の夜、あの場には確かに女がいた。

 それが人だったのか、あるいは女神だったのかはわからない。

 だが、俺は彼女を女神だと思うことにした。

 でなければ、あんなに人間離れした美しさを持っているはずなどないのだから。

 

 ヒヒン、と馬の鳴き声が聞こえた。

 振り返ってみるとそこには逃げ出したはずの馬車を引いていた馬の一頭が、丁寧にも地面に打たれた杭に繋がれ、俺のことをじっと見つめていた。

 

 女神の御加護かな、と一人小さく笑いながら俺は杭から馬を放し、その背にまたがりテムズの街へと向かった。

 積荷と荷馬車がなければ、馬で走れば街まではすぐだ。

 

 これで俺の話はおしまいだ。

 これまで俺は宗教家どもを馬鹿にしていたが、こんな俺にも女神の思し召しがあるってんだから、少しくらいは信じてみてもいいかもしれねぇな。




ボナンザの危機を救ったのは誰だったのか。
その人物は何をしたというのか。
それについてはそのうち語ることもあるでしょう。

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2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第八話 エルフ日記7

 今更ではあるけれどこの日記の書き出しを「吾輩はエルフである。名前はまだない。」とかにすればもっと元現代日本人っぽさが出てよかったかもしれないと思う今日この頃。

 とはいえ今更書出しを変えることなんて出来ないし別に変える必要もないと思うしこのままでいいかなと思っている。

 

 それはそれとして。

 

 前回の日記から結構間が開いてしまった。

 日にちにすると、多分一か月と少しくらい。

 町へ行く前にダリアからいくらか町のことについてレクチャーしてもらったり、いろいろなことを教えてもらった。

 今回の日記は前回から今日までのことを覚えている範囲で一つずつ書いていこうと思う。

 

 まず一つ目。

 魔術について教えてもらった。

 実はこれが一番驚いたことだったりする。

 むしろなんで今まで考えたりしなかったんだと言われそうなことなんだけれど、日常的にいろいろと生死をかけたことが多かったりで忙しくてで考える余裕がなかったのだから仕方がない。

 

 この世界には元の世界でいうところのいかにもなファンタジーな世界観であり、当然魔術というか、呪文を唱えて物理法則を超えた不可思議な現象を起こす技術が存在した。

 そういう技術をこの世界の人々は魔術と呼んでおり、それを引き起こすための力を魔力と呼んでいるらしかった。

 いかにもそれらしい設定というか……いや、この世界の人たちからすればそれが常識なのだろうけれど。

 

 まあそういうわけで私はダリアから魔術についての説明、レクチャーを受けた。

 受けた……んだけれど、正直言っている内容がさっぱりわからなかった。

 いや、何を話しているのかはわかるんだけど内容が何のことを言っているのがわからないというか……ほら、聞きなれない固有名詞がたくさんあると何のことを言っているのかわからないってことはあると思うんだ。

 うん。そういうことです。

 

 けどこれは私の理解力が悪いというわけでないことはここに宣言したい。これは邪神のせいなのだ。

 以前からなんとなくそうなんだろうなと思っていたことではあるんだけれど、憎たらしいあの邪神野郎……女神だけど野郎でいいでしょ。

 私と同じで外見は女だけど中身というか人格は男かもしれないし。

 ともかくあの邪神が用意したというこの私の体には言語翻訳機能がついているのだ。

 

 私はこの世界に降り立ってからずっと日本語を喋っているつもりだし、ダリアやトーマスから聞こえてくる言葉も全て日本語として耳に入ってくる。

 初めてトーマスに会ったときはそれはびっくりしたものだ。

 こんな西洋系ないし北方系な見た目の超絶くそカワ美少年ショタが普通に日本語喋ってるんだもの。

 なんのドッキリかと思ったものだけどそもそもの状況がドッキリでは済まされない状態だったからすぐにそうじゃないと判断できた。

 

 要するに私の体には彼らが使う異世界語を日本語、というよりは私が聞きなれている言語に自動で翻訳してくれる機能が備わっていたのだ。

 これのおかげで村の人々と会話するということに限っては日常生活を送る上では特に問題が起こることはなかったのだけれど、この魔法のレクチャーを受けているときに問題が起きた。

 

 固有名詞、さっぱり意味が分からない。

 

 いや、ダリアからの説明の中で固有名詞が使われているんだなーということ自体はなんとなくわかってはいた。

 いたんだけど私の翻訳機能がそれらを無理に翻訳しようとした結果、こう、レベルの低いインターネット翻訳サイトが翻訳したような、ひとつの単語を無理矢理ぶつ切りにして別々の言葉で翻訳した感じの、割とヤバイ感じの状態にしか翻訳されず、説明を理解する事が出来なかったのだ。

 

 これ、私は悪くないと思う。

 悪くないよね?

 

 そういうわけでダリアから受けた魔術の講義で分かったことはあまりない。

 ただ最低限の知識として魔術は杖がないと使うことが出来ないということと、魔法陣のようなものを使うものもあることがわかった。

 あとそれに付け加えて魔術とは自分がしたいことを思いながら魔力を放出することだということも。

 

 ダリアにはこの説明が通じるまでかなり頭を悩ませることになってしまった。

 本当に申し訳ないと思っているけれどこれは私のせいではない。

 全てあの邪神が悪いから私のせいではないのだ。許してほしい。

 

 とはいえ、なにはともあれ私はダリアから魔術についての説明を受けて、どうにかこうにか僅かではあるけれど魔法を習得した。

 火を熾したり、風を吹かせたり、水を出したりとそんな感じ。

 土で物を作ったりもできるみたいだけど、作るもののイメージがかなり明確に出来ていないと難しいらしく私には向いていなかった。

 残念。

 

 ただこの魔法についてなのだけれど、ダリアには人前であまり使わないほうがいいと言われた。

 私もそう思う。

 何故かというと、私、魔法を使うときに杖も使ってなければ呪文も唱えていないからだ。

 なんか念じたら出来たって感じの状態で、どちらかというと私のこれは魔術というよりは超能力のようなものだと感じている。

 起こしている結果は同じだけれど過程が全く違う。

 場合によっては珍しいものだからと捕まえられて解剖コースかもしれないし、自分と違う存在だからと差別を受けるかもしれない。

 あるいは危険人物だと思われて捕まってしまうかもしれない。

 まあ、日本に住んでいた頃……の『俺』の記憶の中にあるファンタジーな世界観の小説でも稀によくある話だったし、それと同じだと思っておけばいいか。

 

 ダリアも初めは大きく目を見開いて驚いていたけれど、それはそれ、これはこれと切り替えの早い人らしく私の魔術がおかしいことも受け入れてくれて、忠告だけしてくれた。ダリアは本当にとてもいいひと。

 

 これがまず一つ目、私は魔術を覚えた、という話だ。

 

 

 

 

 これに関連する余談になるんだけど、私の血、あるじゃないですか。

 あれやっぱり危険物だと思う。

 

 私が魔術を使うときに不意に思いついて指先傷つけて血を出しながら魔術を使うと、普通に使うのと比較して有り得ない規模の結果が起きた。

 例えばマッチで火を熾す程度の火の魔術を使おうと思ったのに起こった結果は火炎放射器どころかキャンプファイヤーというか。

 端的にわかりやすく言い換えると「今のはメラゾーマではない、メラだ。」が実演できてしまったというわけだ。

 

 ……これ、ますますあの自称女神の邪神説が高まってしまった気がするんだけどあいつ的には大丈夫なんだろうか。

 いや、あいつのことなんて全くもって微塵も心配していないけれど。

 

 試しにダリアが魔術を使うときに私の血を飲んでから使ってみてもらうと、私が使ったときほどではないけれど魔法の規模が大きくなっていた。

 

 悪い人に狙われてしまう理由が増えたので滅多に使わないことにしよう。

 

 ちなみにこの世界に傷を癒す魔術はないらしい。

 ダリア曰く、そんな事が出来るのは時間を操ることのできる神様くらいだとのこと。

 

 そんな世界で一瞬で傷を治してしまう私の血はまさに万能薬。

 ……絶対に捕まったりしないようにしよう。

 

 

 

 

 まあ、そんなことを色々と考えてはいたのだけれど、結局私は人前で魔術を使ってしまった。

 

 あれはトーマスとともに村を出て、町へ向かっていた時のことだ。

 町までもうすぐだというところだったがもう日もだいぶ落ちてしまい、町に着くころには真っ暗になってしまうし今日は野宿することにしようとトーマスに持ち掛け、街道から外れた森の木陰で、その、こう、発情を迎えた私はトーマスをこう、襲ってみたり、トーマスから襲ってもらうための練習をしてもらったりといろいろとしていた。

 

 ……だって、こう、せっかくお許しが出たんだし……その、はい。

 公認なのでセーフだということにしてもらいたい。

 

 そうこうしているうちに私とトーマスはいつの間にか布一枚身にまとっていないまさに野生、まさに獣、みたいな格好になってしまっていた。

 だって汗だくだったし。冬が明けて水の季節になると少しだけ湿度が高まってて蒸し暑かったし。

 

 トーマスの若い精をたっぷり搾り取って吸い尽くした私は発情も治まり、結構体力使っちゃったしそろそろ寝ようかー、という話をトーマスとしているといつのまにやら辺りが騒がしくなっていた。

 

 私は木の陰から街道の方を見てみた。

 すると街道にはすごい速さで走っている荷馬車と、それを追いかけまわしている……おそらく野犬の群れと思われるものを目にした。

 荷馬車の御者が荷物を辺りへ巻き散らせば野犬たちがそれに釣られて足を止める。

 恐らく野犬たちはあの荷物が目当てなのだろう。

 一心不乱にかじりついているところを見ると彼らにとってはよっぽどのごちそうだったに違いない。

 

 この様子ならあの荷馬車もそのうち逃げられるじゃないかな、と思っていた矢先に馬車が横転した。

 車軸が折れて車輪が外れたのか、野犬の体当たりで跳ね飛ばされたのかは定かじゃないけれど、これではあの荷馬車の御者が逃げきるのは絶望的だろう。

 だが幸いにも野犬たちは荷物に夢中のようだし、案外なんとかなるんじゃないだろうか。

 私はそう楽観的に見ていたのだが、私の予想とは違い野犬たちは御者にも襲い掛かっていた。

 

 これはまずい。

 あのままじゃあの人はこのまま食い殺されてしまう。

 別に見も知らぬ相手だし、このまま放っておいても別に私には何の関係もない相手ではあったけれど……私が生きながらにして肉を食われる感触とか、骨を砕かれる感覚を知っている。

 何より、人が獣に食い殺される場面を見るというのは、あまり気分がいいものではなかった。

 

 後ろを振り向く。

 トーマスは私と違い、寝るために服を着なおしたりしていたようだが、途中から私と一緒に野犬に襲われる荷馬車を見ていたらしい。

 

「トーマス。あの馬車から逃げた馬、追いかけることはできる?」

 

 トーマスは森から街道、平原の方へと視線を走らせる。

 

「……たぶん、だいじょうぶ。にげててつかれてるはずだし、いま急げば、ぼくなら追いつくことができる」

 

 トーマスは案外俊足だ。山歩きに慣れており、ジョルジュに連れられて狩りの練習もしていた。

 獣の動きにも詳しいはずだ。

 馬については、トーマスに任せよう。

 そう考えた私は目配せをしてトーマスに馬のことを頼んだ。

 トーマスは私にどうするのか、という視線を向けていたが、私が人差し指の先に火を灯して笑ったのを見れば小さくうなずいて走り出していった。

 

 さて、ここからは私の仕事だ。

 

 私は勢いよく草の茂みから抜け出し、野犬の群れに襲われている御者の方へと駆け出した。

 とはいえ散々足腰を使った後だったというともあってあまり速くは動けなかった。

 多分、御者の人には私が歩いているように見えていたかもしれない。

 今更ながらに、呪いのせいとはいえ本当に申し訳ない。

 

 私が野犬の群れに近づくと、どうやら野犬たちは私に気が付いたらしく御者に噛みつくのをやめていた。

 そのまま野犬の群れは少しずつ私を取り囲んでいく。

 どうやら御者から意識を逸らすことができたらしい。

 ほっと息を吐いて気が緩まった瞬間、野犬の群れは私に向かっていっせいに襲い掛かってきた。

 

 それはもうすごい勢いだった。

 群れだろうから多分獣にも獣なりの序列とかがあったろうに、そんなことは関係ないとばかりに我先にと押し合いへし合いして私に噛みついてきて、食い殺そうと必死になっていた。

 まあ実際食い殺される寸前みたいな状況ではあったけれど。私の再生能力がなければ普通は死んでいたと思うし。

 

 そうやって野犬の群れをできるだけ多く惹きつければ、あとは簡単だった。

 私は火の魔術を使った。

 その瞬間、私を中心に、というか私もろとも燃やす勢いで火柱が立ち上り、私に噛みついていた野犬たちを一掃した。

 私は裸でよかった、服を着ていたら一緒に燃えてしまうところだった、なんてことをのんきに考えながら野犬と一緒に燃えていた。

 まあ元々『私の狩り』の要領でやるつもりだったから服を着るつもりはなかったんだけどね。

 超速再生のおかげで表面が焼けた端からどんどん回復し続けていたから暑いくらいで痛みとかはそれほどではなかったし。

 

 ほとんどの野犬の群れが燃え尽き、残りが遠くに逃げたのを確認すれば、私は少しずつ火の勢いを弱めさせながら御者の人に近づいていった。

 

 御者は男だった。

 まあ普通はそうか。

 それときっと南の人だと思う。

 肌が浅黒くては髪の色は金髪……というよりは蜂蜜色というのだろうか。

 燃え盛る炎が髪にキラキラ光っていてちょっときれいだ。

 体格が結構がっしりしていて鍛えられた無駄のない筋肉が体を覆っている。

 顔も悪くないし結構モテるんじゃないかこの人。

 私が男のままだったら嫉妬して卑屈になっていたところだった。

 

 まあ今の私の身体は女になっているのでそれほど嫉妬はしないけれど。

 しないわけではないけれど。

 

 男は茫然とした顔で私のことを見上げていた。

 それはまあ、当然と言えば当然だった。

 野犬の群れに襲われていて死を覚悟していただろうという頃に、突然見知らぬ全裸の女が現れて、常識の範疇を超えた火柱立てて野犬の群れを燃やし尽くした場面とか、普通に考えて夢か何かだと思うだろう。

 

「大丈夫ですか。もう大丈夫ですよ」

 

 とりあえず安心させるようにと声をかけたのだが、その瞬間に男は気絶していた。

 

「おねえちゃん、だいじょうぶ?」

 

 男についてどうしたものかと考えていると、トーマスが逃げた馬に乗ってやってきていた。

 白馬でないのが残念だけど、馬に乗ったトーマスがすこしかっこよかった。

 さっき攻めてもらっていたからかもしれない。

 普段は私がほぼ一方的に攻めてばかりだったけれど今回は初めて攻めてもらって、これは女になってみないとわからない感覚だったかもしれないと……すでに発情が終わっているはずだというのにまたお腹の奥が熱くなってしまいそうだった。

 

 ……、危ない。

 この日のことを思い出しているとまた少しばかりトリップしかけてしまっていた。

 最近は週末しかトーマスに会えなくて寂しいからかもしれない。

 早く週末になってくれないかな。

 

 

 話を戻そう。

 

 私は壊れた荷馬車から車軸を抜いて地面に打ち付けた。

 これくらいなら土の魔術を使って軽く穴をあけて差し込めばいいから楽だ。

 そしてそこにトーマスが連れてきてくれた馬の手綱を結び付けておいた。

 これなら御者の男が目を覚ました後もなんとか馬に乗って町へ行くことが出来るだろう。

 

 とりあえずこれで問題はないだろうと判断した私はすぐにその場を立ち去り、荷物を置きっぱなしにしている森の方へと戻っていった。

 すぐに気絶したとはいえ、男が私の魔術を見ていたわけだしこのまま目が覚めるまで残っていても質問攻めにされそうな気がしたからだ。

 

 そしてそのまま寝た。

 旅の疲れもあったし、噛みつかれたり魔術を使ったりといろいろ消耗したし。

 

 

 今日はここまでにしよう。

 本当はほかにも書こうと思っていたけれど想像していたよりも長くなってしまった。

 続きはまた明日。

 

 週末は日記を書かない。トーマスとのあれそれしか書くことないだろうし。

 

 以上。




書くのが少し遅くなってしまいました。
エルフさんが順調にメス堕ちしかけていて私としても嬉しい思いでいっぱいです。


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2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第九話 エルフ日記8

 村を出てから起きた出来事その二を書く。

 昨日の続きだ。

 

 町についた私とトーマスは、その想像していた以上の大きさと規模に驚いた。

 町というか街だった。

 一つの街を大きな城壁で囲んでいて、ともすれば街全体が大きな城なのだと言われてしまえば信じてしまうくらいに大きな街だった。

 街の中へ入ろうとすると門番に止められたりもした。

 まあ、親子ほど、というほどではないけれど顔つきの似ていない大人と子供が二人で街に来るなんて怪しいと言われれば怪しいから当然だった。

 しかし以外にも簡単に門の内側へと入ることが出来た。

 トーマスが学校に学びに来たことや私がその付き添いであるということを門番に告げると打って変わって態度が変わり、応援までしてくれたのだ。

 どうやらこの街は学問を学びたいと思っている人間を広く歓迎しているらしく、それだけ告げれば通行証とかいらないらしい。

 そんな警備体制で問題ないのだろうかと問いかけはしたが、街の中で問題を起こして門の外へと出られた者はこれまで一人たりともいないから大丈夫だと言われてしまった。

 それなら大丈夫か、と安心しかけたがその内容を察した瞬間、いやそれでいいのかと逆に物騒な気持ちが高まってしまった。

 

 こんなので大丈夫なのかこの街。

 

 なにはともあれ私とトーマスはこの街、テムズの街へと足を踏み入れた。

 そこからはこれといって何があったというわけではないので割愛する。

 精々トーマスの編入や入寮の手続きをして、私は私でこの街での拠点へと移動したり、だ。

 もちろん家の場所はトーマスにも伝えている。

 トーマスが週末に帰ってくるのは私の住んでいる場所、だしね。

 

 さて、私の住んでいる場所はダリアが確保してくれた。

 なんでも町に住んでいた頃の伝手があったらしくそれほど大きなものではないが一人で暮らすには全く支障のない一軒家を借りることが出来た。

 本当は元々屋根と壁さえあれば問題ない体ではあるしとかなり安いぼろっちい家にでもしようかと思ったけれどトーマスが来るわけだし……とまともな家を選ばせてもらった。

 どうせダリア持ちだし。

 

 そこから私の街での新生活が始まった。

 ここからが本題の街に来てから起きたことだ。

 

 私は、この世界で生まれて、初めて労働することにした。

 

 いや、だってこれまでは自給自足で暮らすことが出来たから働く必要なんてなかったんだけど街じゃあそうはいかない。

 食べ物も何もかも、金銭の取引が行われている。まさか盗むわけにもいくまいと私の現代日本人的倫理感が物申している。

 

 そういうわけで働くことになった。

 仕事探しは難航した。

 夜は無理だから酒場の給仕は無理、外見から力仕事は断られる。

 この街にもあるらしい夜の街の女にならないかと誘われたりもしたけれど問題しかないから丁重のお断りさせていただいた。

 

 そうしてやっと見つけたのが宿付き酒場の厨房で朝から夕方まで仕込みを手伝うというものだった。

 本当は美人な女がいると客の入りがよくなるからと夜に給仕もしてほしいって頼まれていたんだけれど「昔この美貌を恨んだ悪い魔女に呪いをかけられてしまい、夜の間に私と会った男は最低ひと月は不能になる呪いをかけられた」と言ったら難儀そうな顔をしてそれなら仕方ないなと昼間だけの仕事で納得させることが出来た。

 いや、そんな呪い本当にあるのか知らないけれど店主のあの反応から察するに絶対にないとは言い切れないのだろう。

 今度から興味のない男から夜に会いたいと言われたときはこの言い訳を使うことにしようと決めた。

 

 そんな感じで私の新生活は始まった。

 

 朝起きたらまず着替えて勤め先の宿付き酒場へ向かう。

 店主に頼まれた料理の下準備をしたり、足りない材料を買ってきたり、店の掃除をしたり……まあ言ってしまえば店の雑用だ。

 元々こういう家事手伝いっぽいことは嫌いじゃないから特に問題なく続けることが出来た。

 店主も私が買い出しに向かえばいろいろとおまけしてもらえることが多くて得をするから助かるって言っていた。

 

 やはり世の中顔だなと思った瞬間だった。

 

 そんなこんなで陽が落ちかけてきたかなと思った頃に店主に断りを入れて厨房で賄い飯を作って食事を済ませ、家に帰ってごろごろと過ごす、というのがここ最近の私の一日だ。

 

 家に帰ってきて余った時間に何をしているかというと、こうして日記を書いたり、書き終えた日記を束にして本みたいにまとめてみたりしている。

 

 そういえば書き忘れていた。

 これを読んでいるんだからまあ見たままの通りなのだけれど、この本は羊皮紙を重ねて穴をあけて、そこに紐を通して束ねている。

 やはりどうにもこの辺りでは紙が貴重品らしく見かけることがない。

 なので羊皮紙に羽ペンの先にインクをつけて文字を綴っているというわけだ。

 いつか製紙技術が進んだ国にも行ってみたりしたい。

 というか私が作ってみてもいいのかもしれない。

 まあ、紙の作り方とかよく知らないからかなり気の遠くなる作業になる気がするけど……そういう技術の専門家を探してみるのも一つだろうか。

 

 今のように思いついたことをつらつらと書いて、いつかやることがなくなって読み返したときの行動の指標にしたり、みたいなことも考えている。

 紙については割と本気で考えたいし後でこのページを束ねた時には何か栞でも作って挟んでおくことにしよう。

 

 さて、昨日の日記が思った以上に長くなった分、今日の日記が少し短めになってしまった。

 別にここで書き終えてもいいのだけれどどうせやることもないし自分の現状について考えてみることにしよう。

 

 まず名前。

 元の世界の名前は使えない。

 あの名前は今も元の世界で生きている『俺』のものであってこの世界に産み落とされてしまった『私』のものではない。

 いつか考えなければいけない課題の一つだけれど今この世界にエルフは私一人しかいないみたいだし、種族名を私の個人名のように扱っても問題ないだろう。

 

 現状の持ち物についても整理しよう。

 

 私の服は邪神に与えられた初期アバワンピースとダリアに作ってもらったお気に入りの革のドレス、そしてこのテムズの街に入ってから買った布のワンピースだ。

 このワンピースは深緑をしていて、使われている布地は結構上等なものらしく、普通に買えば結構高くつくようだった。

 けれど私はこのワンピースをがどうしても欲しくなってしまいどうにかならないものかと考えた結果、やはり世の中顔だなと思ったということもあり、私は前世も含めて生まれて初めて値切りというものをしてみた。

 古今東西男というものは色仕掛けに弱いものだということは知っていたが、服屋の店主には想像以上に効果てきめんだった。

 私が傍へ寄るだけででれでれとした顔になっちゃったりして、おねがーいと一声かければみるみるうちに値段が下がっていき、なんとかこの街に来てから稼いだお金を全部突っ込めば買える値段まで値切ることが出来た。

 

 そんなこんなで今私が持っている服はこの三着だ。

 正直あと二着くらい着替えを増やしてもいいのではないかと思わなくもないけれど先立つものがなければ買うことも出来ない。

 賄い飯があるからと食費まで突っ込んでしまったのだから買う余裕もないし、しばらくは革のドレスと深緑のワンピースを着まわしていくことにしよう。

 

 別に食べなくても生きていけるんだから全部趣味に突っ込んでいいだろうって思われるかもしれないが、それこそ趣味に使っているのだ。

 日記を書くための羊皮紙にインクも結構お金がかかるし、なにより週末にはトーマスが帰ってくるのだ。

 二人でご飯を食べて楽しく過ごすためにも変なところへお金をかけてはいられない。

 

 服はそんな感じ。

 それと靴は、革靴だ。

 例によってダリアに作ってもらった革靴で、たしかこういうのをモカシンとかそんなふうに言ったはず。

 この世界ではそう呼ばないのかもしれないけれど。

 

 これでとりあえず服装についてはまとめられたかな。

 いつかこれを読み返したときには「そういえば初めはこんな格好だったなー」とか思うんだろうか。

 それがいつの話になるのかはわからないけれど。

 

 次に持ち物だ。

 私の持ち物は少ない。

 

 日記と羽ペンとインク、そしていつかの時に雪狼に襲われたときに使った尖った骨を研いで作った小さな骨のナイフだ。

 これがまた優秀で、私一部だったからなのか、私がこういうふうに加工したいと思った形に定まってからは何を何回きっても切れ味が悪くならない優れものとなったのだ。

 それからというものこの骨のナイフは万能ナイフとして重宝している。

 普段は柄にあけた穴に革紐を通してペンダントのようにして首から下げて服の中へと隠している。もしもの時の護身用だ。まあもしもがあったとしても死にはしないんだけど。

 

 私の持ち物はこれくらいだ。

 おかげで家の中は今もがらんどう。置いてある家具はベッドくらいだ。

 

 ……このベッドも、トーマスがきたときくらいしか使ってないけれど。

 

 だってさ、森に住んでいた時は地べたに座ってることが多かったし、寝る時も地面に雪狼の皮を敷いてその上で寝ていたりしてたしで家具を作るっていう発想がなかったんだから仕方ないじゃないか。

 そういうわけで、トーマスが私の家に帰ってきたときにはせめて寝苦しい思いをさせてはいけないようにと思ってベッドだけは購入に踏み切ったというわけだ。

 

 普段からベッドで寝ればいいじゃないかと思われそうだが、私は『俺』の頃からベッドではなく畳ないし床に布団を敷いて寝る派だったから地面の硬さが心地よかったりするんだよね。

 今も寝る時は元自宅の掘立小屋から持ってきた雪狼の毛皮を床に敷いてその上で丸まって寝ている。

 ふわふわとした毛皮は案外寝心地が良かったり。

 

 ……こうして書いていると私、ダメ人間な気がしてきた。

 あ、今は人間じゃなくてエルフだからダメエルフか。

 

 いや、私はダメ人間でもダメエルフでもない。

 何もかもあの邪神が悪いんだから仕方ない。

 自分の願いを叶えろとか言ったくせにあれ以降姿を見せないし、願いの内容も私に沢山子供を産めとか奇天烈なことしか言わなかったし。

 いやまあ、トーマスとの子供なら悪くはないけれど……おかしいな。

 この世界に来た当初は男の俺が女として子供を産むなんて意味が分からないと思っていたはずなのに。

 

 もしかして俺は、私は、あの邪神に思考を誘導されたりしているのだろうか。

 

 ……いや、トーマスを想う気持ちが作られたものだと考えたくはないし、このことについて追及するのはやめておこう。

 私はトーマスが好き。

 それだけでいい。

 精神的な歳の差は親と子供くらい離れているかもしれないけれど身体は不死身の美少女エルフだしノーカン、ノーカン。

 

 

 

 そもそもの話、あの邪神はどうして私をこの世界に連れてきて、エルフにして、子孫を増やせとか意味の分からないことを言い出したのだろうか。

 こんなファンタジーな世界なら今はいないくれもそのうち自然に生まれてきそうなものだけれど。

 それに似た種族ならいるとか言っていたし、それなら私を連れてきた意味が分からない。

 私がこの世界にいること自体に意味があるのか、それとも私が産むことになる子孫がこの世界に何かしらの影響を与えることになるのか。

 

 ……いやでもあの邪神だしな。

 人の不幸は蜜の味みたいな顔して笑っていたくらいだし、わがままだし、こっちの都合もお構いなしだったし、わりと本気で自分の趣味で自分好みの種族を作りたいからとかそういう理由だったりするのかもしれない。

 

 あんなのでも自称女神で邪神だし、神の考えることがよくわからないのは昔からよくある話だ。

 深く考えたら負けというやつなのかもしれない。

 これについて考えるのはここまでにしよう。

 

 

 さて、今回の日記はここまでにしておくとしようか。

 

 明日は週末だ。

 夜にはトーマスが帰ってくるだろうし早めに寝て体力を温存しなければならない。

 ふふふ。

 トーマスが学校から帰ってくる時間と私の仕事が終わる時間は大体同じで、週末はトーマスが私の職場へと迎えに来てくれるのだ。

 普通は逆だろうとか思われるかもしれないけれど、私の職場は学校から家までの帰り道の間にあるし、トーマスも男の子だし女の子のエスコートのしかたを覚えてもらわないと困るしー?

 

 いや、私以外の女の子エスコートとかさせたくないけど。

 

 

 

 

 いや、私体は女だけどまだ男だから。

 精神的には男だから。

 

 今なんか自然と自分が女としてほかの女に嫉妬してたし、トーマスにエスコートされて嬉しいとか思ってしまっていた。

 わりと本気で危ないかもしれない。

 これも邪神の精神汚染なのかもしれない。

 

 最近なんだが自分が男であるという認識が薄れていっている気がする。

 元の世界で読んだ物語なんかではよく精神が体に引きずられて幼児退行を引き起こしたり、異性化してしまう、なんてものがあったけれどそういうものが本当にあったりするのだろうか。

 

 もしかしたら、いつの日か私は自分が男だったことを忘れてしまうかもしれない。

 この体は不老不死だし、そのうち自分の体の性別が正しいのだと感じて精神的にも初めから女だったのだと思い込んでしまう日が来てしまうかもしれない。

 

 もしも、もしもそんな日が来てしまったときのためにも、これからも私は日記を書き続けるのをやめないようにしよう。

 これがあれば、読み返せば私は私が元々現代日本に住んでいた三十路手前の男だったことを思い出すことができるはず。

 

 記録を付けることが大事。

 初めにそう思って日記を書きだしておいてよかった。

 もしも今から書こうなんて思っていたら危なかったかもしれない。

 

 

 これ以上考えるのはやめておこう。

 今日はもう寝る。

 明日の夜はトーマスと愉しく過ごすんだ。

 

 おやすみ。




なまえ  ■■
しゅぞく エルフ
もちもの E:ぬののふく
     E:エルフのナイフ
     かわのどれす
     めがみのころも
     エルフの日記
     羽ペンとインク

わざ   着火(火柱)/放水(激流)/送風(暴風)/土塊
     いろじかけ

この作品、タグが少なすぎる気がしなくもないですが皆さんどうやって見つけてくるんですか。エルフで検索ですか、それともTSですか。あるいは精神的BLとか。皆さん好きですね。いつもありがとうございます。

感想を書いていただき、お気に入り登録をしていただけありがとうございます。

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読んでいただきありがとうございました。

2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第十話 トーマスの回想と現在。

 あの人に、エルフさんに出会ったのは、今から数えて一年と半年くらい前のことだ。

 

 

 あの日はとても寒くて、お母さんもベッドで寝込んでとてもつらそうにしていた。

 お父さんはお母さんが元気なるように体にいいものを取ってくると言って狩りに出かけた。

 僕も手伝いをしようと思ってついていくといったけれど、お母さんのそばでしっかりと看病しておくように言われて、ついていくことはできなかった。

 

 じっとお母さんを見ていた。

 

 顔が真っ赤になっていて、汗もいっぱいかいていて、暑そうにしているのに寒いっていっていて、とても、とてもつらそうにしていた。

 僕はおかあさんの汗を拭いたり、お水を持ってきたり、いろいろした。

 けど、お母さんはあまりよくならなかった。

 お母さんは僕に少しだけ楽になったと言ってくれたりしたけど、嘘だってことは僕にもわかった。

 誰が見てもしんどそうだった。

 

 僕は、何もできないのが悔しくて、少しだけ泣いた。

 

 本当に僕には何もできないのかなと思ったとき、昔お母さんに教えてもらったお話を思い出した。

 森の中には妖精さんがいて、いいこにしているとどんな願いもかなえてくれて、わるいこは連れ去って食べてしまうんだってお話。

 だからいいこにしないといけないんだよって、そんなお話をしてもらったのを思い出した。

 

 森に行けば、妖精さんに会えるのかな。

 

 僕は思った。

 妖精さんにお母さんの病気を治してもらおうって。

 自分がいいこかどうかはわからなかったけど、いっぱいお願いすれば妖精さんもお願いを聞いてくれると思ったから。

 

 僕は家をこっそり抜け出して森の中へと入っていった。

 この森は僕の遊び場でもあった。

 あまり奥に入ったことはないけれど、多分大丈夫だと思った。

 

 けれど、僕は道に迷ってしまった。

 

 どこを探しても、妖精さんを見つけられなくて、どんどん夜になっていって、本当に帰れなくなっちゃうかもしれないと思った。

 だから、帰ろうとした。

 したんだけど、帰り道がわからなくなってしまった。

 

 普段森に入るときには雪は降っていない。

 止んだ後にしか入らなかった。

 けれど、今日森に入ったときには、そしてこの時も、ずっと雪が降り続けていて、僕の足跡に雪が積もってしまって、どっちから来たのかもわからなくなってしまっていたんだ。

 

 どうしよう。

 そんな思いだけが頭にいっぱいになった。

 お父さんに教えられたことを思い出した。

 雪の降っている間に森に入ると帰れなくなるから絶対にいくなって言われていた。

 なのに入ってしまった。

 お父さんが言っていたことがどういうことなのかわかってしまった。

 

 僕は、帰り道がわからないなりに歩き回った。

 頭と肩に雪が降り積もっていく。

 せめて洞窟とか木の洞でもあればそこで雪をしのげるのに。

 そんなことを考えながら歩き続けた。

 でも、どこまで歩いても森の木々が邪魔をして、降り積もった雪に足を取られてしまって、僕は森から出られなくなってしまっていた。

 

 お父さんの言うことを聞かなかった僕はわるいこなんだ。

 だから妖精さんが僕を捕まえてしまったんだ。

 

 そんなことを考えてしまった。

 けど、泣いたりはしなかった。

 お父さんに男の子は泣いちゃだめだって言われていたから、それだけは言うことを守ろうと思ったから。

 

 歩いて、歩いて、歩き続けて、もう限界かもしれないと、そう思ったときだった。

 目の前から木が減って、目の前に小川が流れていたんだ。

 村の近くにも、森から伸びている川があったのを思い出した。

 この川のそばを歩けば帰れるかもしれない。

 

 そう思って小川に近づいたけど、足がもつれて、倒れてしまった。

 

 倒れた先に会ったのは、小屋だった。

 村のどの家よりもぼろぼろで、誰かが住んでいるとは思えないほど、ぼろぼろだった。

 けど、小屋の中からは生き物の気配がした。

 地面を歩く、人の足音だ。

 

 ぎぃ、と音を立てて、ぼろぼろの扉が開いた。

 

 初めてあの人を目にしたとき、僕は妖精さんだと思った。

 

 雲の間から少しだけ差し込んでくる月の光があの人の髪を照らしていて、夢か何かなんじゃないかと思うほど、あの人は、綺麗だった。

 

「……少年、こんな夜遅くにどうした。どこから来たんだ?」

 

 あの人はそう訊ねてきた。

 僕は答えた。

 

「ぼ、くは、その、トーマス……お母さんが、病気で、森に来れば、治る、かもって……近くの、村からきてて、その、迷って……」

 

 うまく言葉がまとまらないなりに、あの人は僕が話すのをゆっくりと待ってくれていた。

 

「そっか。なるほど……うん、それじゃあ俺が君を、君の村まで送っていこう。ああでも今日はもう夜遅くだからここに泊まっていった方がいいかな。大丈夫、見た目はぼろぼろだけど、中は毛皮とか敷いていてそれほど寒くないから」

 

 あの人は、そういって僕に小屋の中へ入るように誘っていた。

 

 僕は、少しだけ怖かった。

 目の前の人が、わるいこを森の奥に連れて行ってしまう妖精さんなんじゃないかって思ったから。

 けど、僕はあの人に言われるまま小屋の中に入った。

 怖かったのは本当だけど、それ以上にあの人が、エルフのお姉さんが僕に向けてくれた笑顔が、とても優しいものだったから、この人は僕に悪いことはしないと思った。

 

 そうして、僕とおねえさんは小屋の中で眠ることにした。

 おねえさんは本当に何もしてこなかった。

 ただ、眠れないのか時々寝苦しそうに声を漏らしていたのが聞こえていた。

 僕が、緊張して寝付くことが出来ないでいると、おねえさんは小屋の外へと出ようとしていた。

 

 僕は訊ねた。どこへ行くのかと。

 おねえさんは、真っ赤な顔をしていた。

 お母さんと同じで、真っ赤な顔で汗をいっぱいかいていて、とてもつらそうにしているように見えた。

 

 おねえさんはなんでもないよ、と言っていたけれどなんでもないわけないと思った。

 おねえさんもお母さんと一緒で病気なんだと思った。

 

 僕に何かできることはないのかなと思って、言った。

 

「おねえちゃん、びょうきなんだよね。ぼくが、おねえちゃんのびょうきをなおすてつだいをする」

 

 するとおねえさんは、何かを我慢してたのをやめるように、僕に近づいてきて……キスをされた。

 両方の頬におねえさんの白くて冷たい手が触れて、僕の顔を引き寄せられるように、キスをされてしまった。

 お母さん以外の人からは、初めてのことだった。

 

 そこからはそのままおねえさんにされるがままにされて、いつのまにか眠ってしまっていた。

 そして朝目が覚めると、僕はおねえさんの背中に揺られていて、いつのまにか村の近くまでやってきていた。

 

 そうして僕は村に帰ることが出来た。

 

 その日から、僕の村には時々おねえさんが遊びに来てくれるようになった。

 おねえさんはおかあさんの病気を治す薬をくれたり、遊んでくれたり、とてもいい人だった。

 

 やっぱりおねえさんは妖精なんじゃないかと思って一度だけ聞いてみたことがある。

 おねえさんは妖精なのかって。

 そうするとおねえさんは少し困ったような、悩んだ顔をして答えてくれた。

 

「一応、人間だよ。妖精に近い種族なのかもしれないけどね。」と言っていた。

 

 苦笑いを浮かべるおねえさんに僕は首をかしげてしまったけれど、頭を撫でてもらったからそれで気にならなくなってしまった。

 

 そうやっておねえさんと遊んだりしていると、夜遅くになるとおねえさんはまたあの日の夜のように苦しそうにしたりするところを見かけてしまった。

 

 

 実を言うと、あの時僕がおねえさんからされたことがどういうことなのかを、僕は知っていた。

 お母さんから、僕はいつか村長になるから、いつかお嫁さんをもらったときにはこういうことをするんだ、ということを教えてもらっていた。

 なんでかちょっと恥ずかしかったけれど、何をどうすればいいのか、とかは教えてもらっていたんだ。

 

 だから、あの夜はどういうことだったのかわからなかったけど、この時にはおねえさんがどんな状態なのかもわかっていた。

 

 そして、僕はおねえさんの気が済むまでおねえさんを助けていた。

 

 本当は、お嫁さんをもらったときにしかしちゃだめなんだろうけど、つらそうにしているおねえさんを見ていられなかったし、何より僕は、遊んでくれたり、優しく笑ってくれるおねえさんが好きだったから。

 いつかおねえさんが僕のお嫁さんになってくれるのなら、うれしいなって思うくらいに、僕はおねえさんのことが好きになっていた。

 

 

 そのことをお母さんに相談したりもした。

 いつかおねえさんと結婚したいって。

 お母さんはいろいろと考えたり、悩んだりしていたけれど、僕が本気だってわかったら手伝ってくれるって言っていた。

 

 そうしたら、お母さんはおねえさんとお話をして、僕が町の学校へ通うときにおねえさんが付き添ってくれるようにしてくれた。

 元々お母さんが付き添ってくれるはずだったんだけど、それをおねえさんにお願いしたらしかった。

 

 それと、おねえさんも僕のことが好きなんだって言っていた。

 だからいつかおねえさんと結婚してもいいし、おねえさんに秘密にしてなさいって言われていたことをおかあさんになら秘密にしなくていいって言っていた。

 

 おねえさんはいつかお嫁さんになるから、いっぱいしてもいいって言ってくれた。

 

 少し恥ずかしかったけど、うれしかった。

 

 

 

 そうして僕とおねえさんは二人で街に住むことになった。

 僕は学校があるから休みの日以外は会えないけれど、休みの日はおねえさんが住んでいる家に帰って、いっぱい仲良く過ごした。

 

 実を言うと学校では田舎者だからっていじめられたりしそうになったんだけど、いつのまにか僕のことをすごいやつだって言われるようになっていた。

 どうしてそんなふうに呼ぶのかと聞いてみたら「あんな美人なおねえさんと……仲良くしているなんて、すごいやつだ」って言われた。

 もしかしたら休みの日におねえさんと一緒にいるところを見られてしまったのかもしれない。

 少し恥ずかしかったけれど、僕は言った。

 

「おねえさんは大人になったら僕のお嫁さんになるからあげたりしないよ」

 

 みんなはやっぱりお前はすごいやつだって言って僕の背中を痛いくらいに叩いてきた。

 いじめられた時にも痛いことはあったけど、この時の背中の痛みは、悪い気分にはならなかった。

 

 

 そうやって一か月が過ぎ、二か月が過ぎ、三か月が過ぎて……季節は夏、火の季節になろうとしていた。

 

 だんだんと日が照っている時間も長くなり汗をかくことが多くなった。

 街には薄着の人も増えて、冒険者の人たちの中にはすごく、その、肌が出ている人もいたりして少しだけ恥ずかしかったりするけど、おねえさんと一緒に過ごしていることを考えれば、それほどでもなかったりする。

 

 その日は週末だった。

 僕はいつも通り学校が終わってからおねえさんが働いているお店へと向かおうとしていた。友達からは「今夜も頑張れよ!」なんて言われたりした。

 少し恥ずかしかったけど笑って頷いていた。

 

 週末だけしか会うことが出来ないというのはやはり何とも言えない気分だ。

 全寮制だとそのあたりの融通が利かないのが問題だと思った。

 僕が大きくなるまでにそこを変えたりできないのだろうかと考えたりもした。

 

 そんなことを考えたりしているとおねえさんの働くお店「テムズのおおがらす亭」についた。

 看板には店の名前通りにおおがらすが彫られている。

 僕はこのマークのことを結構気に入っていたりする。

 なんとなくかっこいいと思っていた。

 

 扉を開けて、店の中に入る。

 学校が終わってすぐだとやっぱりまだ人は少なくて、店の中にはおねえさんと店主のおじさん、お客さんが二、三人だけというのがいつもの風景だ。

 僕は今日もまたいつも通りだな思いながら店の中を見回す。

 

「……あれ?」

 

 違和感にはすぐに気が付いた。

 おねえさんがいない。

 首をかしげながら店主のおじさんに聞いてみた。

 おじさんとはおねえさんを迎えに来た時に何度か話したこともあって顔見知りだった。

 

「おじさん!」

 

「あん? トーマスじゃねえか。どうした?」

 

「おねえさんは? いつもこれくらいに仕事、終わっていたよね? もしかして買い出しに言ったりしてるの?」

 

 おじさんは首を傾げていた。

 

「エルフの姉ちゃんなら一時間くらい前に仕事を切り上げちまったぜ? なんかよう、急な客が来てしまったとかでよ。坊主、お前さん聞いてなかったのか?」

 

「……そんな話、聞いてない……ありがとう。家に行ってみる」

 

「おう、一度家に戻るって言ってたからもしかしたら家にいるかもな。気を付けて帰れよ!」

 

 僕は頷くと勢いよく店を出た。だんだんと日が落ちてきて、辺りが暗くなってくる。

 照りつける太陽がいなくなればこの辺りは暑さも引いて、少し肌寒くなるくらいだ。

 

 だというのに、僕の額からは汗が流れ続けていた。

 

 嫌な予感がする。胸騒ぎがする。

 

 おねえさんが僕に黙ってどこかに行くなんてありえない。

 うぬぼれかもしれないけれど、僕もおねえさんも、お互いのことが大好きで、いつかは結婚しようねって言い合ったりもしたくらいだった。

 だから、僕に相談もなく何かするなんて、有り得ないんだって思っていた。

 

 走って、走って、ようやく家に着いた。

 扉を開ける前に気が付く。

 家の中から人の気配がしない。

 

 急いで扉を開くと、そこはいつもの、僕とおねえさんの家だった。

 けれど、おねえさんは家のどこにもいなかった。

 どこにも。

 

 家の中に入って調べる。

 どこかにおねえさんがいなくなった手掛かりが残されていないか、調べる。

 

 すると、一通の手紙を見つけた。

 おねえさんが僕に残した置手紙だ。

 

 

『トーマスへ。すぐに帰ってくるから心配しないで。私なら大丈夫だから。帰ってきたらいっぱい楽しもうね。エルフより。』

 

 

 僕はその手紙をポケットにしまい込んで家から飛び出した。

 

 

 

 おねえさんを探さないと。




少し不穏ですが、大丈夫です。NTRとかそういうのはないので安心してください。
ですが読者の皆様の期待添えられるかはわかりません。
考えている今後の展開的に受け入れてもらえるかはわからないと思えることもあります。しかしそれが私の性癖なのだと思って諦めてもらうことしかできません。
私は、私の性癖と欲望に従ってエルフさんを動かすだけです。


いつも誤字修正を手伝っていただきありがとうございます。助かっています。
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2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第十一話 エルフさんの困惑1

 馬車というものは、存外座り心地がよくないものだ。

 車輪がごとごと音を鳴らして進むたびに座席が上下してお尻が痛い。

 クッションが敷かれているからかろうじて致命的なダメージを追うことはないものの、このどうにもならない上下の揺れが気になってしまって乗り物酔いをしてしまいそうだ。

 出来ることなら今すぐにでも逃げ出したいのだけれど、そういうわけにもいかないので私は目の前に座っている襟元を正した几帳面そうな恰好を身なりのいい男に向けてじとーっと嫌そうな視線を向けながらおとなしく座っていた。

 

「……あの。私はいつまで馬車に乗っていないといけないんでしょうか」

 

「それほど時間はかかりません」

 

 男はそれだけ口にして黙ってしまった。

 

「むぅ」

 

 そもそもの話、何故私がこんな見知らぬ男とともに馬車に乗っているのかというと、この男が仕事先の店にやってきてついてきてほしいとか抜かしたからである。

 それに頷く義務など私にはかけらもなかったのだがついてこないとお知り合いの少年、つまりトーマスに何があるかわからないとか言われたものだから仕方なく、しかーたなーく、言うとおりについてきてやっているのである。

 頷く義務はなくとも断る権利を奪われていたのである。

 しゃらくさい。

 

 私は一度家に戻りトーマス宛の書置きだけさせることを条件に男の誘いに乗った。

 せっかく今日はトーマスと楽しく過ごせる日だったというのになんということだ。

 これもあの邪神の呪いだとでもいうのだろうか。

 ちくしょうめ。

 とはいえトーマスの安全には変えられないから仕方ない。

 しかた、ない。

 

「……はぁ。不本意なのは承知の上です。なのであまりこちらを睨まないでいただきたい」

 

 私がものすごく不機嫌な顔をしているのが男にも伝わったのか、男は小さくため息を一つついて口を開いた。

 ため息をつきたいのはこっちなんだけど。

 

「……何が目的なんですか。私、身代金を用意してくれるような相手なんていませんよ」

 

「そのような目的ではございませんのでご安心ください」

 

 まあそれはそうだろう。身に着けている服装だけでそれなりに裕福な立場にいることだけは見て取れる。

 とても身代金目当ての誘拐犯には見えない。

 むしろ身代金を請求される側という感じだ。

 すると男は何か気づいたような顔をして私の方を向いた。

 

「申し訳ありません。まだ名乗っていないことを忘れていました。私の名はデール。このテムズの街を治めるアトリクシル伯爵の執事をしております」

 

 アトリクシル伯爵。

 この街で暮らす中で何度か名前を聞いたことはある。

 アドル王国からテムズの街を任されている貴族の名前だ。

 貴族でありながら民に寄り添った思考を持つ変わり者で、時折お忍びで街に出てきて酒場で安酒をひっかけながら街の住民や冒険者と一緒にどんちゃん騒ぎをしているということで評判だ。

 私は昼間しか働いていないから見たことはないけれどうちの店にも何度か来ているらしい。

 そんな伯爵だが学者としても名高いらしく、トーマスが通っているあの学校にも名誉教授として講義しに来たりすることもあるらしい。

 頭もよくて、人当たりもいい。

 そんなところを国王から信頼されているからか伯爵はこの街を治める役目を任されているらしい。

 彼ならばならず者の多い冒険者ともうまくやりつつ、知識の集まるこの街をうまく運営できるはずだと。

 加えて軍の指揮なんかも出来るらしい。

 この街は割と国境に近いから防衛拠点も兼ねてるらしいし、国としてはここに伯爵を配置するのは一石二鳥、三鳥ということなのかもしれない。

 オーバーワークすぎやしないかとも思うが、まあ、問題なく街が動いているのならなんとかなっているのだろう。

 

「それで、その伯爵様の執事さんがなんで私をお呼びになるんです?」

 

「主人が、伯爵が貴女をお探しでしたので」

 

 国王や民からも信頼の厚い伯爵がどうして私なんかを探しているのか。

 

「私としても無理に同行していただくつもりはなかったのですが、滅多に声を荒げない伯爵がどんな手を使っても貴女を探し出して自分のもとへと連れてくるようにと命じたもので。申し訳ありません。」

 

「はぁ……」

 

「じきに屋敷につくと思いますので、どうか今しばらくお待ちください」

 

 そういって男は、デールは口を閉ざしてしまった。

 話すべきことはもうすべて話したとでも言いたげに目を伏せて沈黙している。

 まだ出会って一時間も経っていないはずだがこの人すごく不愛想だな。

 別に気にしないけれど、こう、無言のまま座っているとよく出来た人形みたいで怖いんだけど。

 

 馬車はごとごとと音を鳴らしながら揺れている。

 

 トーマス、心配していないかなぁ。

 ちゃんとご飯食べたかなぁ。

 寂しがっていないかなぁ。

 私はそんなことを考えながら馬車に揺られていた。

 

 

 ◆

 

 

「ようこそ! お待ちしておりました!」

 

 アトリクシル伯爵邸について聞いた第一声だった。

 

 短く整えられた金の髪。

 私の色とはまた違った金属質な光沢のある髪色だ。

 どことなく愁いを帯びた表情を浮かべながらもその光にかざした琥珀のような色の瞳が私のことを爛々とした目で見つめてくる。

 身なりもいいし、なにより左右に並んだ使用人のど真ん中で傅かれているのを見れば一目でわかる。

 この人がアトリクシル伯爵なのだろう。

 なるほど、上に下にと慕われているのがよくわかるイケメンだ。

 

「私はずっと君を探していたんだ! 君に会えることをとても心待ちにしていた!」

 

 困ったな。

 この人見てると目がつぶれそうだ。

 なんか私に向かって色々言っているけど無礼を承知であちらこちらへと視線を向けてみる。

 こういう自信満々なタイプのイケメンは苦手なんだ。

 顔を合わせるだけで一歩引いてしまう。

 こう、圧が強くて。

 

 それにしても玄関だというのに豪華だな。

 シャンデリアなんか吊っちゃったりして。

 こういうところに税金が使われていると思うと嫌だなぁ。ああでもこの街の税率そんなに高くないんだっけ。

 関税もそんなにとっていないらしいし。

 人も物も流通が多いから外貨が集まりやすいのかもしれない。

 国境近くだし外国からも割と人が来るのだろうか。

 

 あ、そうか。

 玄関だからこそ、なのかな。

 玄関はある意味家の顔だし、客がきたときに初めて目にする場所だ。

 そこが綺麗にかつ豪華になっていなければもてなしが不十分だったり客から舐められたりといろいろと不都合があったりするのかもしれない。

 特に外国からの客に舐められるのは困るだろうしある程度豪華にしているのは当然と言えば当然なのかもしれない。

 

 そういえばこの街に来る前に会った商人も外国人っぽかったな。

 元の世界だと中東系というかアフリカ系というか、いや色黒だったからそう思うだけだけど。

 金髪だったからまた違うイメージかもしれないけれど。

 やっぱりこの町にはいろいろな人が来るのだろう。

 それは左右に並んでいる使用人の人たちを見てもよくわかる。

 ほとんどは普段よく見る、私基準から見た普通の人だ。

 けどその中にニ、三人だけ珍しい人が混じっている。

 

 耳。

 そう、耳が獣耳のなのである。

 

 もしかしたらとか、そんなことを考えていたけれど予感的中。

 この世界には獣耳の種族も存在していたのである。

 犬っぽいというか、猫っぽいというか。

 そんな感じの種族がいたのである。

 いや、話だけは聞いてはいたのだ。

 そういう種族がいるというのは店長から聞いたことがあった。

 けどそういう人たちは外国人が多いから宿の多い冒険者区の方に固まっていて、私の住んでいる居住区のほうにはめったに寄り付かないという話だった。

 だから、こうして生で見るのは初めてだった。

 

 ……頭に耳が生えているタイプばかりしかいないな。

 『俺』の頃に嗜んでいたサブカルチャーでは頭の横に耳が生えているタイプもいたりしたけど、ここにはいないらしい。

 それにここにいるのは人よりの姿の人ばかりだけどもしかしたらもっと獣よりの人もいたりするのだろうか。

 いつか調べに行ったりしてみたいけれど……まあ機会があればでいいか。

 私、トーマスと結婚するつもりだし。

 村長の奥さんしながら村で過ごして、沢山の子供や孫に囲まれて余生を……ああでも、私歳取らないからそのうち機会があったりするのかな。

 ……トーマスと一緒に歳取りたいなぁ。

 しわくちゃのおばあちゃんになっても一緒に楽しくお茶しながら過ごしたり。

 そういうの憧れちゃうかもしれない。

 

 そんなことを考えていたらだんだんとトーマスのことが恋しくなってきた。

 それも当然だ。

 普段であればとっくにトーマスといちゃいちゃしている時間なのだからトーマス成分が不足してしまうのも無理ないという話だ。

 

「ああ、名も知れぬ君よ! どうか、私の気持ちを受け取っておくれ!」

 

「えっ?」

 

 私がいろいろと考えたりトーマス恋しさに悶々としている間も伯爵はずっと私に向かって語りかけていたようだが、どうやらそれがようやく終わったようだった。

 というか、え、何この状況という感じだった。

 

 状況を整理しよう。

 伯爵が、私の目の前に傅いて、なんか手のひら大の大きさの小箱を差し出して私を見上げている。

 小箱の中にはきらりと光る綺麗なアクセサリー。

 というか指輪ですねこれ。

 

 えっ。

 

「あの、アトリクシル伯爵? もう一度だけ今おっしゃった言葉をお聞かせくださっても……?」

 

「ああ! いいとも! 君が聞きたいというのであればいくらでも!」

 

 そういって伯爵は立ち上がり、大袈裟いえる身振り手振りで私に向かって語りだした。

 

「太陽の神が祝福をもたらしたかのようなあの日、私は雲一つないというのに雷に打たれたかのような衝撃を受けた。どのような金銀財宝にも劣らぬ輝く髪と、叡智の女神にも似た美しい姿。鳥の囀りさえも濁っていると感じてしまうほど清らかで透き通った声。ああ、私はその日、心を奪われてしまったのだ!」

 

 こう、なんだろう。

 こういう人ってどうしてこんなにも仰々しい例え方をするのだろうか。というか鳥さんに失礼だろ。

 好きなものをよいしょするために何かをけなすんじゃないやい。

 

「それからの私は何も手の付けられない毎日だった。仕事をしていても、ともと杯を交わしていても、彼女をもう一度目にしたいと願いながらどれだけの夜を過ごしたことだろうか。月の神だけが私の孤独を知っている……だがしかし、私が今日! ようやく巡り合えた! 」

 

 びしっ、と擬音が聞こえてきそうなほどキレッキレの動きで私へと手を伸ばしてくる伯爵。

 ドン引きの私は一歩後退り。

 まるでそう照れないでくれとでも言いたげに頷く伯爵。

 照れてないぞー。

 

「私は決めた! 彼女と、君と生涯を共にすると! 君よ! 美しい君! 私の妻になってほしい! ああ、名も知れぬ君よ! 私の気持ちを受け取っておくれ!」

 

「え、いやです。」

 

 決まった……とでも言うように満足げな笑みを浮かべて先ほどと同じように私の前で傅いて手を伸ばし、指輪の入った小箱を差し出してくる伯爵。

 端的に言うと私プロポーズをされているみたいだった。

 そして私はそれを速攻で蹴ってしまった。

 

「何故……」

 

「何故と言われてもそんな急に言われても嫌ですし……帰りたいですし……」

 

 いやだって私、トーマスと結婚するし……この人、悪い人じゃないんだろうけど、正直苦手なタイプだし……圧が、圧が強い……。

 

 一瞬で私に断られてしまってぽかーん、とした表情のまま固まっていた伯爵は何を思ったのか再び立ち上がり不敵な笑みを浮かべていた。

 

「ふ、ふふふ。やはり君は素晴らしい。私の思うままにならないということはこれまでに一度としてなかった。ふふ、面白い女性だな君は。ああ、勿論返すとも。だが今夜はもう遅い。見たまえ。すでに夜の帳が落ち、月の神が姿を現している。」

 

「えっ、うそ。」

 

 私は慌てて窓の外を見てみる。

 シャンデリアの明かりと内装の清潔感で気が付かなかったが辺りはすっかり闇に包まれていて、まっくら。

 夜である。がっつり。

 夜……つまり私の発情期だ。

 このままでは目の前の私にゾッコンラブってる伯爵へ襲い掛かりかねない。

 そうなると既成事実だとかそんなのでそのまま結婚コースに行きかねない。

 それだけは避けたい。

 逃げなきゃ……そう。

 思っていたのだけれど、ここで私は違和感に気づいた。

 

 私、発情してない。

 

 窓の外を見た感じだと夜になっていたのはもう随分前のはずだ。

 私が伯爵のわざとらしいほど熱烈な愛の言葉を聞いている間も当然夜だったはずだ。

 だというのにどうして私は発情していない?

 

 困惑する私を余所に伯爵は言葉を続ける。

 

「食事もまだなのだろう。今日は私の友も同席するため二人きりというわけにはいかないが……君との仲を深めたい」

 

「え、あ、えっと……」

 

「ふふ。戸惑うのも当然だろうな。メイド達、彼女と食事にする。準備を」

 

「かしこまりました」

 

 伯爵の言葉を合図に一斉に動き出すメイドさんたち。

 動揺と困惑に包まれながら私はあれよあれよという間に奥の部屋へと通されて行ってしまった。




私はメイド服、ロングスカートの方が好きです。ミニスカも悪くはいんですけど普段から見えしまっているよりも、いつもは隠されているものが見えてしまったときのあのえっちさは、こう、下品な話なんですが以下略。


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第十二話 エルフさんの困惑2

サブタイトルを「第〇話 サブタイトル名」に改題しました。


「…………」

 

 白く清潔感のあるテーブルクロスの上にに並べられた色とりどりの料理たち。

 見たこともない食材が使われていたり、食べたことのない品々がかぐわしい香りを立てて運ばれてきては下げられてを繰り返している。

 コース料理というのだろうか。

 あいにく私は生前……と言っていいのかはわからないけれど、フルコース料理を食べた経験がないものでどういうものかもわからないし、テーブルマナーにも疎い。

 ナイフとフォークは両端から使うものなのだというくらいしか……いや、それも元の世界のマナーだからこの世界でも通用するのかどうかはわからないけれど。

 

 いや、問題はそこじゃなくて。

 

 長く大きなテーブルの上座。

 そこにはアトリクシル伯爵がにこやかというか嬉しげというか、言葉にして表現すると、とても機嫌よさそうというのが一番正確だと感じる、そんな顔をして座りながら食事をとっている。

 あれは食事がおいしいからという笑顔じゃないんだろうなぁ。

 なんというか、好きな女の子と一緒にご飯が食べることができてうれしいなぁって顔だ。

 だって私にも覚えがあるほほの緩み方してるし。

 

 いやまあわからなくもないけどさ。

これは自画自賛するつもりじゃないし、むしろとても嫌なことではあるんだけど、私の顔も体もあの邪神とそっくりだから超絶美少女だということには違いない。

 いわば女神と食事の席を共にしているようなものなんだから思わず頬が緩んでしまうほどに嬉しくなってしまうというのもわからなくもないんだけれどさ。

 

 だから問題はそこじゃなくて。

 

 私が座っているのは長方形なテーブルの長辺の部分。

 伯爵とは向かい合わせにならない席だ。

 だから目の前を見つめても気分上々でご機嫌な伯爵と偶然視線が合ったりしてなんとなく気まずい空気になったりすることはない。

 まあたしかに私がトーマスのもとに帰るって気持ちに変わりはないから、このあとプロポーズを断るってことを考えると何といえばいいのかわからないし、それに関して少しだけ憂鬱だけれど。

 ああでも一度断っているし二度も振られればさすがに諦めてくれるかな。

 そう思ったら少し気分が楽になってきた。

 

 まあ食事もおいしいし、食べて、寝て、明日の朝になったら自分の家に帰る。それだけの話だと思えば少しだけ気分は軽くなる。

 そうそう。

 一応会食の席だからと綺麗なドレスも着させてもらった。

 メイドさんに囲まれて服を着せてもらうというのは初めての体験だったから少し恥ずかしかったり、緊張したりしたけれど、鏡で見た私の姿はそれこそおとぎ話で見るような妖精の国のお姫様って感じでちょっとドキッとしてしまったけれど。

 

 あの邪神のそっくりさん相手にドキッとしてしまったことに少しばかり複雑な気分を抱いてしまったけれどこれに関しては別にそれほど嫌な思いはしていない。

 長い付き合いになる姿なのだからそう何度も嫌な気分になっても仕方のないことだし。

 

 いや、そうじゃなくて。

 だんだんくどくなってきたからいい加減冷静になろう。

 

 目の前を見る。

 当然そこに伯爵はいない。ただでさえ高級そうな料理が並んでいるというのに蝋燭に火の灯された燭台がより高級感を醸し出している。けど私の視線はさらにその先を向いている。

 

「……ん? どうかしたかよ。女神様。早く食わねえとせっかくのあったかいスープが冷めちまう。鉄は熱いうちに打てっていうだろ? 飯も同じでな、飯は熱いうちに食え、だ。ああ、食わねえなら俺が食うけど」

 

「……いや、食べるけれど」

 

 言われなくても食べてるし。コーンスープっぽいの美味しいし。

 

「そうか? そりゃ残念。」

 

「おい、ボナンザ。彼女にあまり声をかけないでくれたまえ。これから私の妻になる女性なのだから。」

 

「そりゃ悪かったよカール。だが俺はどうにも静かな食事ってのが苦手でね。ああメイドさん、水のおかわり貰ってもいいか?」

 

「全く……食事中に言葉を発するのは礼儀に反するのだが……この男にそんなことを言っても無駄か」

 

 アトリクシル伯爵はやれやれ、と頭を抱えるものの別に心の底から困っているといた風情ではなく、気の置けない間柄のジョークの言い合いのようにも見えた。

 

 そう。

 私が今のところ頭を抱えそうになっているのは今私や伯爵と言葉を交わした、この食卓についているもう一人の人物。

 浅黒い肌に蜂蜜色の髪。

 よく鍛えられた筋肉に包まれたがっしりとした体格。

 今日は相手が気絶していないからアメジスト色の瞳の色までよく見える。

 そう、この男が問題なのだ。

 

 なまえは後で知ったが、それ以前に私はこの男の顔を知っている。

 

 ボナンザ・ハットウシン。

 一か月ほど前、私がこの街へやってきたときに野犬の群れに襲われていたところを助けた商人だ。

 

 ◆

 

「いやしかし世間ってのは狭いなぁカール。前々から結婚したい相手が出来たなんて騒いでた相手を連れてきたと思ったら、それが一か月前に俺のことを助けてくれた女神様だったなんて、なかなかどうして驚く話だと思わねぇか?」

 

「ふふ、確かにそうかもしれないな。実を言うと私はあの話を気絶した君が見た夢だと思っていたくらいだったんだ。疑ってしまって悪かったね」

 

「おいおいそりゃひでぇな。確かに火柱が出来たり炎の中でも燃えない女ってのは現実離れしちゃいるがよぉ、俺は確かにこの目で見たんだぜ? それに、今ならこうしてその証人がいるんだからな。嘘じゃねえだろ?」

 

「ふむ、たしかに。あれが夢幻ではないというのであればますます興味深い。美しい君、私も詳しくうかがっても?」

 

 急に話を振られて困る。

 なんだこの、大親友同士の会話に突然連れてこられて困ったときの付き合いの浅い恋人みたいな立ち位置。

 しかも自分の興味のない話で相槌に困るやつ。

 

「え、ええと、その……あれは私の一族に伝わる、門外不出の秘術なので……」

 

 とりあえずそれっぽいことを言ってお茶を濁しておこう。

 

「ふむ、それは残念だ。どういう術なのか教わることが出来たなら魔導隊の強化につながると思ったのだが……」

 

「おいカール。俺は仮にも目下冷戦中の国の商人だぜ? 下手な情報漏らしてるとそのうち痛い目を見るぞ。商人ってのは大金を前にすると口が軽くなる生き物だからな。」

 

「ははは、この程度であれば問題ないさ。肝心なことは一つたりとも教えていないからね。それにここは知識の都、何かを知るならば自分の目と耳で覚えるしかないね」

 

「は、確かに。こりゃあ一本取られちまった。これじゃあお国のお偉いさんがたが喜ぶようなものは持ち帰られなさそうだなぁ。飯の種が減っちまうぜ。なあ、そう思わないか? 女神様」

 

「ええと……」

 

 正直二人の話についていけない。

 すごく剣呑で不穏な話をしているようにも見えるというのにお互いの顔は友人同士のたわごとのような、なんというか、とても変。とてももやもやしていて落ち着かない。

 そもそも、それ以前の話ではあるのだけれど。

 

「……あの、私、お二人のことをよく知らないのですが、その、どういったご関係で……?」

 

 ぶっちゃけてしまうと私、この商人の人もそうだがそもそも伯爵からも名乗られていないし。

 屋敷についての開口一番がプロポーズだったし。

 そのまま着替えさせられて食事になってるし。

 私がそう口にすると伯爵が我が意を得たりとでも言いたげに頷きおもむろに立ち上がった。

 

「いやすまない! 愛しい君を想うあまり私は己の名すら忘れてしまっていたらしい、許してくれ。我が愛する妻となる君」

 

 伯爵は右手を胸に添えて私の方へと向き直る。

 

「私の名はカール・アトリクシル。アドル王国国王より伯爵の地位を賜り、国王に代わりこのテムズの街を治める任についているものです。以後お見知りおきを、我が妻となる君」

 

 いやならんて。

 妻にならんて。

 私が心の中でそうツッコミを入れていると伯爵が商人へと手を向けた。

 

「そして紹介しよう。彼の名はボナンザ・ハットウシンだ。隣国デルワコレの民で私の数少ない友人であり、デルワコレから送られたスパイだ」

 

 は?

 

「どうも女神様。ご紹介にあずかりましたデルワコレ王国から来たスパイ、ボナンザだ。趣味で商人をしている。よろしくしてくれ」

 

 え?

 

 んー、んーーーー、んんんーーーー??????????????????

 

 今よくわからない言葉を聞いた気がする。

 

 私もいまいちよくわかっていないけれど、デルワコレという国の名前は聞いたことがある。

 デルワコレというのはこのアドル大陸の南部に位置する国で、アドル王国とは大陸を二分にしている国の名前だ。

 この大陸には大陸の名前の通り元々アドル王国が先に建国されていて、そのあとさらに南の大陸から海を渡ってやってきた人間たち……これがのちにデルワコレ人になるわけだけど……がまだ開拓されていなかった砂漠を勝手に開拓して自分たちの国を作ったことが始まりとされているとかなんとか。

 で、そんなこともあってかアドル王国とデルワコレは常に国境線を争っている。

 今は休戦協定が結ばれているらしいけれど小競り合い自体は何度も起きているらしくて結構シビアな状態なんだとか。

 

 だからこそ国境に近いこのテムズの街にはいろいろと有能で国王からの信頼も厚いアトリクシル伯爵が知事を任されているっていう話だったはず、なんだけど……いまこの伯爵はこのボナンザという男をデルワコレからのスパイだと言っていた。

 そしてボナンザも自身がデルワコレのスパイだと認めていた。

 だというのに二人はまるで旧知の仲というか竹馬の友というか、端的に言うとめっちゃ仲良しって感じのやりとりをしていて、なんというか、こう、なんて表現すればいいのこれ????

 

 正直伯爵からのプロポーズだとかそんなこと以上に頭がこんがらがりそうなんだけど。

 

「おや、ボナンザ。君が自分を敵国からのスパイだと認めたから彼女が驚いてしまっているじゃないか」

 

「待て待てカール、そうやって紹介したのはお前だろう。お前がそんなふうに紹介してこなかったら俺も穏便に商人ってだけで済ませてたってのに。」

 

「ははは、少しばかり場を和ませてみたかったのだが……慣れないことをするものじゃないね?」

 

「この堅物め。だからプロポーズを断られるんだ」

 

「いやあ、ミゼットの時は上手くいったんだけどなぁ」

 

 また知らない名前が出てきた。

 

「あの、ミゼット、さん? というのはどなたで……?」

 

「んむ? ああ、ミゼットってのはカールの女だよ。第一夫人。女神様、アンタ二番目の女にされちまうぜ?」

 

 ボナンザが答える。

 

 カールの女。

 つまりアトリクシル伯爵の第一夫人。

 おい待て伯爵、お前結婚してるのに私のこと口説こうとしてあまつさえプロポーズまでしてきやがったのか!

 どういう神経してるんだ。

 愛人か、愛人なのか。

 読み物でよく見る貴族みたいに愛人として囲うつもりなのか。

 どうなんだその辺。

 おい。

 おい。

 そんな私の心境を読み取ったかのように……実際私の表情が心の声をそのまま形にしたかのような顔をしていたのかもしれないけれど、伯爵は弁解をしてきた。

 

「ボナンザ。それは誤解だ。ミゼットが亡くなってからもう十年が経つ。私もそろそろ後妻を決めろと催促されていてね。とはいえ催促された程度で私も愛のない結婚には興味がない故にこれまではこうして引き延ばしてきていたわけだが……私は! この度再び愛に目覚めたのだ!」

 

 伯爵は私の前まで歩いてきたと思ったら再び指輪の入った小箱を懐から取り出し、私の前へと差し出してきた。

 

「ああ、我が愛しの女神。今一度問う。私の妻になってくれないか」

 

「お、こ、と、わ、り!」

 

 私はそう言って差し出された小箱を払いのけるように伯爵の手を平手打ちし、食事の席を立つ。

 不倫でも愛人でもないってことはわかったけど、なんかむかついたから今度は本心から断った。

 ばーか。

 ばーか。

 伯爵のあーほ。

 

 私はぷんすかという擬音が聞こえそうな足取りで部屋を出ていき、伯爵が用意してくれたという部屋の方へと向かった。

 伯爵から私の世話を任されているらしいメイドさんを引き連れて。

 プロポーズを断った相手の家の召使いに追従されるってどんなシチュエーションだよこれ。

 

 ちなみにボナンザは自分の紹介をされたあたりからずっと笑いをこらえるような顔をしていて、私が指輪の小箱を払いのけた瞬間に決壊したかのように大きな声を出して伯爵のことを指さして笑っていた。

 

 何なんだこの状況。

 意味が分からない。

 

 伯爵は敵国のスパイと仲が良いし、ボナンザはボナンザであっちからしたら敵国の指揮官の親玉みたいな相手と冗談言い合って笑ってるし。

 

 私は私で、伯爵相手はもちろん、ボナンザ相手にも発情の呪いが発動しないし。

 呪いが解けたという感覚もないし。

 

 どんな状況なのかよくわからない。

 情報量が多すぎる。

 

 助けて、トーマス。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 そんな困惑しながら廊下を進んでいる私のことを見つめる一つの人影に、私は気付いていなかった。




エロの気配がない話を書いてしまって自分で動揺しています。
私のエロ、どこ……ここ……


感想を書いていただき、お気に入り登録をしていただけありがとうございます。

もしよろしければ感想を書いていただけると嬉しく思います。
読んでいただきありがとうございました。

2024/1/23 改行など若干加筆修正


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第十三話 エルフさんの困惑3

「……天蓋付きのベッドなんて、生まれて初めてだ」

 

 伯爵の用意してくれた部屋は、文字通り貴族の屋敷の客室といった感じだった。

 ベッドは天蓋付きで大の大人が三人川の字になって寝転がっても問題ないくらい大きくて広いし、化粧台には各種化粧品もある。

 この世界では珍しい金属加工以外で作られた鏡まではめられていて、ここが本当に貴族の屋敷だということを感じさせた。

 

 そう、ここは貴族の屋敷なのだ。

 アトリクシル伯爵は貴族であり、国境も近いこの街の領主を任されるほど国王からの信頼も厚い人間のはずだ。

 

 そんな人間がどうしてこんな出自も怪しい見た目だけがいい人間にここまで入れ込んでしまっているのかが謎でしかない。

 

 というかどこで私と出会ったというのだろうか。

 私にはあったことも言葉を交わした記憶もない。

 

 おおがらす亭にも来たことがあるという話は知っているが、私が働いているのは昼間だけだし、店が開いている時間は夜だしどこで私とどこですれ違ったというのだろう。

 

 立ちっぱなしでうんうん唸っているのも疲れるのでとりあえずベッドへ座る。

 客室といっても普段は寝室としてしか使われない部屋なのだろう。

 ひとりがけソファが二つ置かれてはいたが、もうすぐ寝るわけだしこのままベッドに座って寝転がる方向でいい。

 

 ちなみに今は私の格好はいわゆるネグリジェだ。

 部屋へ案内してくれたメイドさんたちがそのままあれよあれよという間にドレスからネグリジェへと着替えさせてくれて、なにかあったらお呼びくださいとだけ告げて部屋を出ていってしまった。

 

 きっと部屋の外で代わる代わる交代制で番をしてくれているんだろうなぁ。

 私を守るためか、見張るためなのかはという話はおいておいて。

 

 ひろびろとしたベッドの上へと背中を預ければごろりと寝返りを打つ。

 

 ごろごろ、ごろごろ。

 ごろごろり。

 

 あまりのふかふか具合とベッドの広さにおもわずごろごろと転がってしまう。

 

 

「……はぁ」

 

 思わずため息が漏れてしまう。

 アトリクシル伯爵邸に来てからまだ二時間と経っていないはずだろうに、あまりに情報量が多すぎて私の頭がついていけてない。

 処理できない情報が頭の中からぽろりと零れ落ちてしまいそうでひーひーしている。

 あとで帰ったら日記に書いておきたいし、何とか覚えておかないと……大丈夫。

 これでも記憶力には自信がある。

 多分、覚えていられる。

 

 とりあえず初めから整理しよう。

 

 今日は週末。

 本来であれば私はいつも通りの時間に店の仕事を終えて、お店でトーマスと合流してからいつも通りの爛れた休みを過ごす予定のはずだった。

 それが何の因果か、このテムズの街の領主であるアトリクシル伯爵に見初められてしまい、拉致同然……というわけではないが断ることのできない任意同行みたいな状態で屋敷に連れてこられてしまい、顔を合わせて開口一番に何故かプロポーズを申し込まれてしまった。

 

 プロポーズについてはその場で断るものの夜も遅くなりそうだから今夜は泊って行った方がいいという言葉に驚きつつも、理由がわからないものの発情の呪いが起きないし、下手に騒ぎを起こしたくないからと仕方なく、し、か、た、な、く、心の中でトーマスに謝りながらそれを承諾した。

 

 すると食事の場には以前助けたことのある商人が座っていて、それが伯爵の友達で、しかもその商人は自他ともに認める敵国のスパイなのだという。

 そして商人ことボナンザが言うには伯爵には第一夫人がいて、その第一夫人は十年前に亡くなっていてるのだとか。

 

 そして私はこうして今、アトリクシル伯爵邸に用意された部屋の中、ベッドの上でごろごろとくつろいでしまっている。

 

 

 

 

 うん、多い。

 情報量が、おおい。

 出来るだけ簡潔にまとめようとしたのにこんなにも長くなってしまったのはどういうことだ。

 まあそれはいい、単純に話の内容が濃かったということにしておこう。

 

 まず考えないといけないのは自分の体の変化についてだ。

 私は何故、夜だというのに男の姿を見ても発情しなくなったのか。

 

 今の私にはこれが一番重要な問題だ。

 今後生きていくうえで理解しておかないといけない変化だし、なんなら呪いが弱体化しているというのなら万々歳な話でもある。

 

 今までならばこんな月の出るような暗い夜に男の姿を見ると年齢問わず……いや、年齢は関係あるか。

 生殖能力がありそうな年齢であれば誰彼構わず発情するような状態だったはずだ。

 だというのに今日は伯爵邸につく前から執事のデールさんにも、もちろんアトリクシル伯爵にも、あのボナンザとかいうよくわからない男にも発情しなかった。

 ほかにもこの屋敷の中では男の使用人とも何度かすれ違ったはずなんだけど誰にも発情しなかった。

 

 もしかして呪いが解けたのだろうか、とも思ったがそれはないだろう。

 この体質は私が勝手に呪いと呼んでいるだけであの邪神がこの体にデフォルトで組み込んでいる機能のようなものだ。

 それがある日突然消え去ってしまうなんてことはあの邪神が方針転換して、私に子作りさせないようにするとかそういうことでも起きない限りありえない。

 

 ……もしかして、だけど。

 もしかしたらの話、だけれど……もしかする、のだろうか。

 

「どうした女神様、広いベッドは珍しいか?」

 

 私がベッドの上でごろごろしたり悶々したりしていると不意に声をかけられた。

 思わず顔を上げると部屋の扉へと背を預けるようにして立っているボナンザの姿があった。

 

「……夜遅くに女の部屋へ来るのは非常識だと思うんですけど。それに、ノックもないから余計に非常識」

 

「ああそりゃ悪かった。実家は門はあっても扉のない作りの家なもんでね。ついつい忘れちまって。」

 

 ボナンザは私にそう言われても部屋の外へ出ようとする仕草を見せることもなく、あっけらかんとした態度で軽口をたたいている。

 むしろ私のいるベッドまで近寄ってきさえした。

 なんだ、何が目的なんだこの男は……まさか、こいつも私のことが好きだとかいうわけじゃないだろうな。

 

「……部屋の前にはメイドさんがいたと思うんだけど」

 

「ああ、あの子たちなら俺からアンタに話があると言ったら喜んでどいてくれたよ。なんなら人払いまでしてくれた」

 

 どうなってるんだ、ここの屋敷の警備は。

 それともボナンザが特別なのか?

 

 私はボナンザを訝しげな目で見つめつつ、ベッドにかけられていたシーツを引き寄せ体を隠すようにして警戒心をあらわにした。

 

 わかりやすいように「ふーっ!」と毛を逆立てた獣のように威嚇してみたりもした。

 

 しかしボナンザはそんな私の様子を見るとまるで何やってんだこいつといった顔をした後、私の意図を察したのかくつくつと声をこらえるようにして笑っていた。

 

 なんかむかつくなこいつ。

 あの時助けたりしなきゃよかった。

 

「いや、悪い悪い。アンタがあまりにも面白かったもんでつい。くく、いや、安心してくれ。俺はアンタに襲い掛かったりするつもりねぇから」

 

「……信用できない」

 

「じゃあ理由を言うと俺の好みはアンタよりももっと抜群に胸も尻もデカい女でね。要するに好みの範囲外だから抱く気が起きない。な、安心したろ?」

 

 …………別に元々私の体というわけじゃないし、どう言われようが気にしないけれど、なんかこう、すっごくむかつく。

 いや、こう、だって、むかつく。

 別に抱かれたいだなんてこれっぽっちも思ってないけれど一応超絶美少女な顔と体の持ち主だと思っているところはあるし、それを真っ向から女としてみてない扱いされるのは、なんかこう、むかつくなぁ。

 

 私はむすっとした顔を隠そうともせず、ボナンザをにらみつけた。

 ボナンザは「おーこわ」なんてつぶやいてはいるが絶対に怖がったりなんてしていないだろう。

 

「……それで、何の用なんですか。まさか私のことをからかいに来たわけじゃないんでしょう?」

 

「ん? ああ、そりゃもちろん」

 

 そう言ってボナンザは俺のそばに寄るようにベッドへ腰かけてきて、まるで内緒話をするように耳元へと口を近づけてきた。

 

 ほかに誰かがいるというわけでもないだろうに何のつもりだろうか。

 

「ちょいとアンタに一つ訊ねたいことがあってな」

 

 ボナンザの囁き声が耳の奥をくすぐる。

 

「何? もったいぶらずに早く言ってもられません?」

 

「ああ、それじゃあ聞かせてもらうが……」

 

 ボナンザは私にそっと身を寄せ、

 

「アンタ、カールに何をした?」

 

 私の喉元にナイフを突きつけてきた。

 なんだこれ。

 

「カールはあんなのでもこの街の領主だ。国境線が近くて冒険者の多いこの街を任されている国王からも信頼が厚い忠臣だ。食事の場ではああ言っていたが前妻のミゼットとの結婚も世継ぎを残すために仕方なくでな、夫婦生活よりも仕事を優先するし、街へ繰り出して酒場で飲んでいるのだって町の視察の一環だと素面で帰ってくるくらい、何でもかんでも仕事にしちまうほどのやつなんだ、あいつは」

 

 ボナンザの握るナイフが私の首筋を撫でる。

 冷たい金属の感触が肌に触れているのがわかると、いくら不死身とはいえ血の気が引いてしまう。

 

 

「それがなんだありゃ。確かにアンタのことをあいつに話したのは俺だ。あいつに頼まれてもいたしな。何か変わったことがあったら教えてくれって。だから話した。んであいつはアンタのことを確かめるといって街に出ていった。それまでは俺が知ってる通りのカールだった。そのはずだったが。帰ってきてみると、あいつは変わっちまってた。それこそ、まるで何かに取りつかれているか、あるいは何か術でもかけられたように目の色が違っちまってる」

 

 そこで一息、息継ぎをするように言葉を区切ったボナンザは改めて私の喉元へとナイフの先端を突きつけ、問いかけてきた。

 

「……アンタ、カールに何をした?」

 

 ボナンザの視線は、まるで空を飛ぶ鳥を射抜くように鋭いもので、見つめられているだけで心臓がどくどくと震えあがってしまうほど、恐ろしいものだった。

 ごくり、と生つばを飲み込む。

 喉が動くと首の皮がナイフの先にこすれてチクリとした小さな痛みがあった。

 

「……何も」

 

「あ?」

 

「何もしていない、って言ったら、その、信じてもらえたりする?」

 

 ボナンザの鋭い眼光が緩み、頭に疑問符を浮かべたような顔をしていた。

 

「信じてもらえるかわからないけれど私、伯爵とは、その、今日は初めて会ったし、顔も知らなかったくらい、なんですよね。だから多分、貴方が考えているようなことは、何もしていない……と、思う」

 

 私が正直に答えると、ボナンザはナイフを突きつけたままじーっとこちらの目を見つめている。

 嘘をついているかいないかを確かめるような鋭い視線だ。

 別にここで刺されたところで死ぬことなんてないけれど痛いものは痛いし、私が不死身なことがばれてしまう。

 それにせっかくの豪華な天蓋付きのベッドが私の血で汚れてしまうのは忍びない。

 

 なにより何もしていないというのに疑われたままでいるというのもいい気分はしない。

 

 私はボナンザの強い視線に負けないようにと精一杯の力を込めてじーーっと見つめ返してやった。

 

 しばらく見つめ合っているとボナンザはまたさっきと同じように笑いをこらえるような顔をして、こらえきれなくなったのかくつくつという笑い声を漏らすように息を吐いた。

 そのまま私の隣へ腰を落ち着けるように座ると息を整えるように深呼吸をしていた。

 喉元に突き付けられていたナイフも、いつの間にやらベッドの上に転がっていた。

 

「っく、ふふふ、はー、ふー……、はー……わかった、わかったから。アンタのことを信じるからその顔をやめてくれ。夢に出てきそうなくらいにおかしくて笑えちまうからさ」

 

 ボナンザは笑いをこらえながら私の方へと向き直る。

 夢に出そうなくらいにおかしな顔とは心外だ。

 私は真剣だったというのに笑うなんて、この男は実に失礼だ。

 

 ……いったいどんな顔をしていたというのだろうか。

 思わず両手で顔をほぐすように揉んでみたりしてみる。 

 

「しかし、そうか。アンタはなにもしてないってんなら、あいつはマジにアンタに本気になっちまってんのかも知れないのか。アンタも難儀なやつに好かれたもんだな」

 

 ボナンザは小さくため息をつきながら頭を抱えている。

 頭を抱えたいのは私の方だと、釣られたようにため息をついた。

 

「はぁ……貴方からも何かいってくれない? 私、将来結婚したい男の子がいるからこのプロポーズ、断るつもり満々なの」

 

「そうしてくれた方が俺としても助かるね」

 

「貴方が助かる理由って、やっぱりスパイだから?」

 

「ま、それもある。俺はアイツを相手に情報を売買していてね。俺の国の情報を売りつつ、こっちの国の情報を引き出していくってのをこれまでは続けていたわけだ」

 

 え、それって国の機密情報の横流しになるんじゃ……え、伯爵ってもしかして、いわゆる売国奴ってやつなの……?

 

「国王から信頼の厚いやつのすることじゃないって顔してるな? ま、そりゃ当然の反応だ。だがこの情報売買自体は国王からの命令でね。売って良い話と悪い話の区別くらいアイツにもついてるだろうさ」

 

 話の真偽を決めるのは国のお偉いさんがただしな、と締めくくってボナンザはベッドへと寝転がった。

 

 国王自体が外患誘致な売国奴かと思いきや私には及びもつかない、考えも出来ない高度な情報戦をしているだけという話のようだが、これ、国家機密なのでは。

 知ってるだけで命が狙われかねないたぐいの。

 

 そしてそんなことをしているこいつ、ボナンザはつまるところ――

 

「……つまるところ、貴方は所謂二重スパイってわけね」

 

「ま、そういうことになるな」

 

「……伯爵のことをいろいろ知ってるみたいだけど、伯爵との関係は?」

 

「学生時代の友人でね。カールとミゼット、アイツの仲を取り持ってやったのも俺だったってわけだ」

 

 結局ミゼットは跡継ぎすら残すことも出来ずに病で死んでしまったけどな、とボナンザはどこか寂しそうな顔をして天蓋を見つめていた。

 

 自国の貴族と親しい仲にある敵国の二重スパイ。

 知り合いたくないタイプの相手と知り合っちゃったなぁ。

 

「というか、そんな話、私に聞かせてよかったの。これ、どっちの王国からしても重要な機密情報でしょ」

 

 自分自身が機密の塊なのに国の諍いに巻き込まれるような機密、知りたくもないんだけど。

 

「なんだ、言いふらすアテでもあるのか?」

 

「いやないけど……」

 

「なら問題ないだろ」

 

 あっけらかんとするボナンザに溜息しか出ない。

 

「……というか、私に問い詰めたいことがなくなったら早く出ていってほしいんですけど。私、もう寝ますし、明日には家に帰るし」

 

 これから寝ようとしているところだったというのに、こんな変な男がそばにいては寝ることなんて出来ない。

 

 ……いやでもこの男、メイドさんたちからも顔パスでこの部屋に入れるんだよなと思うと部屋を出ていってもらっても脅威度はそんなに変わらないのでは。

 

「ああ、そういうや本題に入るのを忘れてたな」

 

 ボナンザはひょいっと腹筋だけで起き上がってベッドから立ち上がり、私を見下ろしてこういった。

 

 

 

「俺はアンタをデルワコレに招待しに来たんだよ、女神様」

 

 

 

 

 えっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えっ。

 

 

 

 




お久しぶりです。
リハビリがてら遅筆更新します。

三年半ぶりくらいの更新になるので自分でも設定やらなんやらと忘れてる部分もあるので自作なのに自作を読み直しながら執筆しています。


感想を書いてくださっていた方、お気に入り登録をしていただいていた方。
遅くなってしまい申し訳ありません。
ありがとうございます。

もしよろしければまた感想を書いていただけると嬉しく思います。
読んでいただきありがとうございました。

書き溜め無しで書いているので時間はかかるかもしれませんが、出来るだけ近いうちに更新できればなと思います。


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