呪われた呪術師の復讐劇 (千α)
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序話

私「夏油についてった綴のifとか、需要ある?」
友「読みてぇ(直球)」



そんなわけで調子に乗りました。
多分見切り発車なので、中途半端になるかもしれないです。


 朝

 

 いつものカップ麺に湯を注いで、待ってる3分間で顔を洗う。

 カップ麺が出来上がったら、いつものラジオをBGMにして朝食をとる。今日の天気は雨だと言われ、舌打ちをして麺をすする。と、そこでドアがノックされる。

 

ふぁい(はい)

「綴、そろそろ時間だよ」

 

 その声を聞いて甘菜綴は慌ててカップ麺を飲み込み残りを物陰に隠す。

 そして証拠隠滅が終わると扉をそっと開けた。

 

「傑兄ちゃん、おはよ」

「うん、おはよう……ところで綴、まさかまたカップ麺を朝ごはんにしたんじゃないか?」

 

 夏油傑はうっと呻く綴の頭を撫でる。その夏油の顔は笑顔だが、綴はそれが慈愛の笑みでなく無言の圧力であることをよく知っている。

 

「もうしないから!」

「そう言ってこの前もしただろう?

 味覚が変わってからなんでも食べるようになったのは良いけど、最近不摂生が過ぎる」

 

 夏油は心配し過ぎなのだ。という言葉を飲み込んで、綴は観念したかのように隠していたカップ麺を机の上に出した。

 

 

「ん?」

 

 目を開けても変わらず真っ暗な視界。それもこれもこの目隠しのせいだ。オマケに両腕と両足は動かせないときた。

 

 2017年、12月24日。

 その日は師である夏油傑と共に百鬼夜行という大規模なテロを行った。その際に綴は仲間のミゲルと五条悟‪を足止めしていたのだが……。

 

──あー、暇だなぁ。

  やっぱり意地でも逃げときゃ良かったかな?

 

 もしくは、その時に五条の言う通り高専に協力すると言えばもっとマシな扱いを受けていたのであろう。しかし綴にはそんな考えは一切なかった。

 誰が協力などるか。例え五条からの提案であっても綴は頷くことはしない。協力するくらいなら舌を噛み切って死んでやる。というより夏油が死んだ瞬間にそうしてやろうと思っていた。

 そうなれば綴の死体を狙って子蜘蛛がこぞってやって来るはずだ。死体を管理するであろう高専はきっとてんやわんやするはずだ。

 

 だが、やめた。

 綴が子蜘蛛の被呪者となっても普通に生活できていたのは、夏油の操霊呪術が奇跡的に子蜘蛛にも適応されたからだ。そのお陰で綴と1つになってしまった子蜘蛛はとてもおとなしかった。

 そういうわけで、一応夏油の操る呪霊の1つとして存在している綴は、ハッキリと夏油が死んだ瞬間を感じ取った。無力感と脱力感そして絶望感が綴を襲い、何もする気が無くなった。

 なのにそれから暫くして、夏油が生きている(・・・・・)と感じるようになった。

 どれだけ考えてもその真相はハッキリわからない。五条にだって相談する気は無い。

 だが、この真相を明かすまでは絶対に綴は死ねない。

 

 

 

「生きてる?」

「生きてるよ」

 

──ああ、もうそんな(面会)時間だったか。

 

 目隠しのせいで今が昼なのか夜なのか、いったい何日経ったのかわからない。

 暇で暇で仕方がないこの空間に、唯一色んなものを持ってきてくれるのは、やはり五条だった。

 

「聞いてよ綴ー! 上層部のクソ爺共がさぁ……!!」

「それ悟兄ちゃんの自業自得って奴じゃん? 普段の行いってやつ」

 

 五条にとって綴は弟分であり夏油の忘れ形見のような存在だ。そんな綴の今の姿を見て、今すぐにでも解放してやりたい衝動に駆られるが、それはできない。

 そうすれば、綴はまた高専の敵になるだろう。

 きっと次はない。また敵になれば、今度は拘束では済まない。良くて封印、悪くて他の子蜘蛛に食われるか、甘菜家に引き渡されるかだ。

 

 甘菜家は綴が捕まった時に身柄の引渡しを再三要求してきた。上層部も自分達に基本従順な甘菜家の要求を飲もうとしていた。

 それを何とか退けてやっと綴と対面した時には綴はもうこんな状態だった。

 

 決して光を通さないようにできた革の目隠しに呪流術対策の為に腕に貼られた札、その上から身体の自由を奪う拘束衣を着せられるという何とも過剰で厳重なそれに、五条が思わず顔をしかめた。

 

「綴、やっぱりここから……」

「出ない」

 

 キッパリと断った。

 

「悟兄ちゃんの気持ちは有り難いけど、俺は絶対に傑兄ちゃん以外の人間に従う気はない」

 

 きっと"出たい"と言えば五条は全力で綴をここから出そうと上層部にだって働き掛けてくれるだろう。夏油の死の真相を調べることもできるはすだ。しかし、ここから出たとしても自分に自由がないのは変わらない。

 なら、綴が感じた違和感(・・・)の正体がここに来るのを待てばいい。

 

「綴……」

「ま、殺されることはないし、たまに来て一緒にお喋りしてくれたらそれでいいよ。今はそれ以上は望まないから」

 

 綴の目的はただ1つ(・・)

 

「そう言えば、両面宿儺の指食べた奴がいるって本当?」

「いったいどこからそんな情報仕入れてくんの?」

「看守」

「また看守懐柔したんか!?」

 

 こういうところは幼い頃から変わらない。自分を殺しに来た呪詛師もたちどころに懐柔するほどなのだから、看守等ひとひねりも同然だろう。しかもそれが無自覚なのだからタチが悪い。

 呆れたようにため息を吐く五条だが、綴はそのため息を聞いてケラケラと笑う。まるで五条を困らせるのが楽しいと言わんばかりだ。

 

 しかし、誰も見えない綴の瞳は笑ってなんかいなかった。

 

 

 

 

──はぁ………しんど。



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1話

ミミナナを救うのが当面の私の目標です。



 薄暗い地下の牢屋から鼻歌が聞こえる。だが上から聞こえる音でピタリとそれが止まった。

 

「……………上が、騒がしいな」

 

 何も見えない、だが耳は聞こえる。

 呟くがその言葉に返す人間はここにはいない。看守は先程誰かに呼ばれて行ってしまったのだ。

 

──また(・・)異動かな? あの看守やたら手強かったから懐柔するのに3ヶ月も使ったのに。

 

 別に懐柔して脱獄しようなどとは思っていない。ただ定期的に外の様子が知りたいだけだ。何も無いこの牢屋は暇すぎる。まあそれを訴えても何も変わらなかったが。囚人なのだから仕方が無い。だから毎日いる看守に話を聞いているのに、看守が懐柔されたと知るや否や変えてくるのだ。

 ひたすらにここは暇だった。唯一の楽しみはやたらやって来る、年の離れた幼馴染の五条悟が来てくれることだ。彼が来るとシャワーも使わせて貰えるし、色んな面白い話もしてくれるしで、次はいつ来るのだろうと毎日ワクワクしていた。

 

 1級呪詛師甘菜綴。

 数多くの一般人を殺害した、特級呪詛師夏油傑の弟子。

 

 それが甘菜綴のこの界隈での肩書きである。

 

──あー、そろそろ悟兄ちゃん来てくれないかなー? いい加減、背中痒い。

 

 囚人の扱いは雑だ。食事も満足にできない日がある(別にそれは問題は無いのだが)。

 

 上の喧騒は止まないが、綴はそれを聞いているのもだんだん飽きてきてまた鼻歌を歌う。確か幼い頃に五条と夏油と一緒に行った大きなテーマパークの曲だったはずだ。人酔いはしたがとても楽しかったので暫くはその歌を何度も2人に披露していた記憶がある。五条は暫くしたら飽きていたが。

 その時、綴はこちらへやって来る知らない呪力を感じ取る。

 

「君が、甘菜綴?」

「……………そうだけど、あんた誰?」

 

 この感じだときっと呪霊だ。この感じだと特級あたりだろう。

 

「俺は真人って言うんだけど……こっから出してあげようか?」

「なにが目的? 俺を外に出して何のメリットがあるんだ?」

 

 しかしどうしてここに来れたんだろう。

 ここは高専内。高専には五条がいるから、この呪霊がここにいるのはただただ違和感でしかない。

 

()()()()()()()()。それに協力して欲しいんだ」

「は?」

 

 五条悟とは、綴がよく知るあの五条悟のことだろうか?

 あの五条を封印なんでできるはずがない。というか綴はしたくない。ここに来て、たわいもない話をしてくれるのは五条悟だけなのだから。

 だが、封印を目的としている存在を綴は見過ごすことはできない。だからその計画の一端を知ろうとするのは当然だろう。

 

「……話なら聞くけど」

 

 綴の考えなど呪霊はお見通しだったが、それを話しても問題は無いと判断する。何故なら綴に対する切り札はしっかりと用意しているのだから。

 

 

「獄門疆、ね。成程それなら悟兄ちゃんを封印できるかもしれないけど……でもそれってアンタらが想像してるよりもムズいと思うんだけど」

「わかってるよ。だから協力して欲しいんだ」

 

 獄門疆、封印できない者はいないと言われるほどの強力な呪物である。しかしそれには様々な条件がある。普通の人間であれば封印できるかもしれないが、五条悟ならばほぼ可能性はゼロだ。というのが綴の見解である。

 

「勝てない勝負はしたくない」

 

 キッパリと断ってやった。

 ここでの生活は退屈だ。しかしそれ以上に、外での生活に魅力を感じない。夏油がいない世界で、いったい何をすればいいというのだろう。

 夏油と同じように呪術師だけの世界を作る?五条に言われた通りに高専に下る?

 どれも嫌だ。理由は単純、やる気がない。それにここを出たら出たで、五条が精神的にしんどくなるのは目に見えてる。だからどんなに劣悪な環境だったとしてもここから出る気は無い。

 

「………」

 

──夏油の言う通りだったな。

 

 真人の言う夏油とは、夏油の身体を借りた人物のことだ。

 彼は綴は夏油が死んだ時点でやる気を失っているだろう、とそう言っていた。事実その通りで綴はもう真人と話すことはないと言わんばかりに鼻歌を歌っている。

 

「じゃあ、()()()()綴は仲間にならないって報告しないと」

 

 ピタリと鼻歌が止まった。

 

「……………………………………は?」

 

 今までで1番感情が篭った声を聞いて真人はニヤリと笑う。

 やっと綴の興味が本格的に真人に移った。死んだと思っていた、しかし生きている感覚もあった夏油の名が出てきたことに綴は驚いていた。

 酷く凪いでいた綴の心は掻き乱される。正直ここまでの綴を真人は機械か何かだという可能性も考えていたのだが、この綴を見て一気にそれは消え失せた。

 

「傑兄ちゃんは死んだ」

「でも、何となく()()()()()()()()も考えている」

 

 そうだろ?真人が尋ねると綴が奥歯を食いしばる音が聞こえる。

 その様子が愉快でたまらなかった。こちらに興味も欠片も持たず、ただただ別のものを見て、余裕の表情を見せていた綴がこうも崩れるとは。

 

「生きているとしたら、それはなんでだ?」

「それは自分自身で見てみたら?」

「つまりここを出ろと?」

「五条悟の封印には欠かせない存在だからね」

 

 真人の力を借りてここを出ることは容易いだろう。夏油のことも気になる。

 だが、しかし頭に()ぎるのは五条だ。

 

「戦闘力には数えられないと思うけど?」

「それは想定内。俺達は綴が五条悟を足止めできるから勧誘しているんだ」

 

 つまりそれが達成されれば、どうなるかがわからない、と。

 

「ひとつ、考えていることがある。お前の言う夏油傑が偽物の場合だ」

 

──まあ、それを真っ先に疑うよな。

 

 綴の言葉に真人は一瞬眉をひそめる。

 

「それが呪霊であるか、と問われたら否だろう。呪霊が人間の身体に入り込む可能性は低い。だからまあ、術師……だろうな。お前の話だと、呪霊と術師が協力している………けど、目的の方向性は違うんじゃないか?」

 

 鋭い。

 少ない情報でここまで察することができるとは。この男、今まで関わってきた呪詛師とは少し違った感覚がある。

 

「成程な。となるとお前がここに来たのはそいつの提案。それに乗ってここに来たんだな……そいつは俺の性格をよく知ってる」

 

 クスクスと綴の押し殺したような笑い声が聞こえ、それがだんだん大きくなる。ついには堪えきれず大口を開けて笑った。

 

「アッハッハッハッハッ! なんだそれ! 俺の予想が当たってたら、殺されてからも使われてることになる! 散々だな傑兄ちゃん! しかも俺まで手駒に取れると? 偽物だとしたら絶対無理! 最初は騙せても後々バレるって! ハッハッハ!」

 

 抱腹絶倒する綴は、ガンッと頭を壁に打ち付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハハハッ…………あー…ぁ………………………巫山戯んなよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真人は思わず後ろに飛び退いた。

 拘束されているにも関わらず、この殺気。綴の足を固定していたベルトが千切れる。その足で、真人の方へ歩いていき、しかし牢屋の格子によって阻まれる。ガンッと額を格子にぶつけたが綴は気にする様子もない。

 

「巫山戯んな、巫山戯んな巫山戯んなっ」

 

 格子を何度も蹴りつけるが格子が破られる気配はない。

 ここを蹴破ればきっと五条が迷惑するはずだから、と理解しているからこそ、力を加減してしまっているのだろう。

 腕にも力を入れようとしているみたいだが札のせいで思うように力が入らない。それにもイラつきながら、叫ぶ。

 

「…………」

 

 額から流血していることに気が付いてだんだん頭が冷えてきた。

 

「……落ち着いた?」

「うん、まぁ……」

 

 綴はその場に座り込み、真人の言葉に頷いた。

 

「何にしても、傑兄ちゃんの呪力を感じる原因を知る必要があるのは確かだ」

 

 なら、やることはひとつだけ。本当はしたくない。夏油の正体を確かめること以外、やる気がほとんど出ない。

 それでもやらなければいけない。

 

「……わかった。アンタらに協力してやるよ」

 

 それを聞いて真人は嬉嬉として牢屋の格子扉の鍵穴に鍵を差し込んだ。

 

「じゃあ、よろしくね。子蜘蛛の甘菜綴」

「俺を手前らと一緒にするんじゃねぇよ」

 

 

 

 

 

 真人に抱えられて地上へ出ると、その真人にによって目隠しを外される。

 黄金色の瞳がおよそ9ヶ月ぶりに空を映した。

 

──あー、凄く綺麗だなぁ。




因みに、復讐劇の綴の性格は走馬灯のグレてる方じゃなくて、グレてない頃の綴を少しダウナーにした感じです。全体的にやる気がない。


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2話

【東京都立呪術高等専門学校】

 

 綴が脱獄したという事実は高専内の人間達にとって衝撃的であった。

 だが牢屋内にあった血痕は綴のもので、壁と格子にベッタリと付着。脱獄、というよりも何者かに無理矢理攫われたに近い形であると思われている。

 

「そもそも今の綴に脱獄するメリットがない」

 

 脱獄するつもりなら看守を懐柔した時にやっているはずだ。

 五条はそう言うと不機嫌そうに口を固く結んだ。綴が自分の意思で脱獄したとは考えたくない。

 綴が従っていた夏油はもういない。それだけで綴のモチベーションはだだ下がりなのだ。

 脱獄しなかったから、その意思が見られなかったからこそ綴の拘束はあの程度で済んでいた。だからもしも次、綴が捕まった場合は、恐らくあの甘菜家に引き渡されるはずだ。

 

「させないよ。必ず綴は僕が捕まえて、絶対にアイツらの好きにはさせない」

 

 綴は夏油の忘れ形見だ。夏油に「頼む」と託された子だ。

 夏油の最期の望みを叶えたいと思ったのは五条だし、それを誰にも否定されたくない。

 

「綴が脱獄するなら……」

 

 その時は、夏油が生きている時だ。だがその夏油は五条が殺した。確実に。綴も呪力を感じ取ることができなくなったと言っていたから確定だ。

 

 では、綴を連れ出した存在は何が目的なのだろうか。

 

「無事だと良いんだけど」

 

 

 

 

────────────

 

 

 

「うわぁ、富士山だ」

 

 出会って早々そう口走った青年に漏瑚は顔を顰めた。

 

 対五条悟の切り札、そう言われていた綴はどう見ても漏瑚よりも弱ければ覇気もない。本当にこんな人間が五条に対して有利な状況を作り出せるのか?

 

「綴は子蜘蛛だからね」

「子、蜘蛛……だと!?」

 

 夏油の身体を借りた彼の言葉に漏瑚は驚く。

 子蜘蛛。祓ってはいけない特級呪霊。祓えば呪われ自身が子蜘蛛に変容する。

 形を保った被呪者を初めて見た漏瑚はマジマジと綴を観察する。

 下半身は紺色の作務衣に着替えており、ズボンの裾にある紐はだらしなく解かれたままだ。そしてそれにミスマッチな上衣の拘束衣。そのせいで両腕が拘束され、非常に動き辛そうだ。

 

「甘菜の人間は腕が無いと呪流体術ができんと聞くが?」

「確かにできねぇよ。まあ、足が解放されてるなら、なんとかなる、はず」

 

 イマイチ信用に欠ける返答を聞いて漏瑚は頭を抱えた。

 そもそもその存在自体が意味がわからない。人間の形を保ち、なおかつ本人の意識も残っている。それだけ聞けばとても期待できる存在だというのにこの緩さはなんなのだろうか。

 

「あー、一応……甘菜綴です。呪流術できます。甘菜呪流体術のほうは期待しないでください。好きな物はショートケーキ、いちごの。

 あと当面の目標は……そこの()()()()()()()を殺すことです」

 

 にこやかに笑っているように見えて、全く目が笑っていない。というかそのメロンパンの意味がわからない漏瑚は首を傾げる。

 

「……その()()()()()は私のことかな?」

「あんた以外に誰がいるんだ」

 

 

 笑顔のまま綴は答える。

 この夏油の身体は本物、正真正銘夏油傑の物である。唯一違っているのは脳。それが今の彼の本体とも言えるだろう。それを揶揄して綴は彼のことを()()()()()と呼んだ。

 

「昔、兄ちゃん達とナントカの泉って番組で見たことあんだよな。金の脳みその中にあるメロンパン」

 

 かつて初テレビで見た雑学番組の記憶を掘り返す。内容はもうほとんど覚えていないが大爆笑していた記憶がある。

 

「とにかく、俺がここにいる理由は全部アンタを殺すためだから、よろしく」

 

 できるか。と漏瑚はつい口から漏れてしまいそうになるが、グッと堪える。何となく、言ってしまえば絡まれそうな気配を感じたので。

 

「さて、綴には早速仕事をしてもらいたいんだけど」

「……なに?」

「君なら簡単だよ。ある呪詛師と会って仲間に引き入れて欲しい」

 

 確かに今までの綴ならば簡単だ。かつての百鬼夜行に参加した呪詛師の1部は綴の説得により懐柔した人間が多くいた、今はどうなっているかはわからないが。

 

「人ひとり懐柔すんのも楽じゃねぇんだけど?」

「何もタダとは言っていない。達成できればちゃんと報酬も用意してある」

「金はいらない」

「だから綴にとって今1番気がかりな物(・・・・・・)を用意してある」

 

 綴は黙った。彼の言うことを本当に信用してもいいのか、と。綴が今気がかりで仕方ないものは幾らかある。恐らくはそのうちの1つであるのだろうが……運悪くそれをネタにまた良いように使われるのがオチだろう。安易に頷くべきではない。

 

「……なら縛りを結ぼうか。

 【アンタの言うことは聞く。でも、その代わり俺のやり方に文句を言うな】」

「【わかった】その条件でいこうか」

 

 呪術師・呪詛師と約束をする際、必ず明確に縛りを結ぶようにと夏油から言われていた綴はそれをしっかりと守る。そもそも綴との縛りを破る人間を見たことがないので破った時どうなるのかはよく知らないが、夏油が言うのだからそれは絶対的であることは容易に理解できた。

 

「で、どこに行けばいい?」

「池袋」

 

 池袋。

 東京都豊島区に属する池袋駅を中心とする日本有数の繁華街。

 人が多いことを理由にあまり行ったことがない場所だ。

 

「その呪詛師はそこにいる」

「………」

 

 言葉の僅かな抑揚、表情の動きから察するに、その呪詛師自体に明確な目的はないのだろう。ただ、綴の懐柔術に興味があるというだけだろう。

 なら、いつもの良い子の綴(・・・・・)らしく、そのように振る舞うだけだ。

 

「わかった。その報酬ってやつも楽しみにしてる」

 

 

 

 

 

 

「良かったのか?」

 

 綴がその場を去った後、漏瑚は尋ねる。

 

「勿論。今はあの子供を怒らせて計画を台無しにされる方が面倒だ」

 

 初めに会った時、10秒も経たずに夏油ではないことがすぐにバレたことには驚いた。伊達に10年の付き合いをしていない。もしも綴を夏油が連れて行かなければ、いずれ気が付いていただろうが、しばらくの間は騙されていてくれたはずだ。

 

「子供……その子供が、子蜘蛛を御している。本当に脱獄を手引きして儂達の利益になるのだろうな? もし、五条悟に告げ口でもされれば……」

「それは無い」

「なに?」

 

 当然のように即答した彼に漏瑚は眉を顰めるが、彼の表情は余裕の笑みすら浮かべている。

 

「綴もそれは理解しているはずだ。私が夏油傑である限り、甘菜綴は逆らえない」

「どういう事だ?」

「綴が子蜘蛛を扱えているのは、呪霊操術で中にいる子蜘蛛を大人しくさせているからだ」

 

 夏油傑の呪霊操術を子蜘蛛が拒絶しなかったからこそ、綴は子蜘蛛を抑え込み利用することができている。だが、それは綴が半呪霊であることを証明してしまっている。つまり彼がその気になっていれば、甘菜綴を呪霊として扱えるということになる。

 

──甘菜綴もそのことを理解している。

 

 だから綴は明瞭に敵意を向けながらも、従順に従っている。きっと隙を見せれば喉元に噛み付いてくるだろう。

 

──だがそれ以上にメリットが大きい。

 

 口元が緩むのを自覚していたが、それを抑えることができなかった。




呪霊側だと漏瑚が好きです。なんか、あの苦労してそうな感じが最近愛おしく感じてきて。


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3話

お気に入り登録ありがとうございます!


「田端! 飯!」

 

 あれから数日後、綴は酷く機嫌が悪かった。

 

「おやおや、精が出るね」

「うっるせぇ! 結局呪詛師の面倒押し付けやがって!」

 

 夏油(とは綴は呼びたくもないが他に呼び方がないのでこちらを使う)はニコニコと笑みを浮かべながら田端に用意してもらった紅茶を飲んでいた。

 ちなみに田端は綴が捕まる前に勧誘した呪詛師の1人で、初老のまるで執事のような男である。綴のわがままにも嫌な顔ひとつせず黙々と仕事をこなしていく姿は賞賛に値する。

 

「それに見合う報酬は渡したはずだが?」

「……………」

 

 夏油のいう報酬、それはかつて家族と呼んでいた、美々子と菜々子をはじめとする仲間達であった。

 

「それについては感謝してる。

 けど全部終わったら俺は手前を殺す。忘れたとは言わせねぇぞ」

「もちろん」

 

 奥歯を噛み締めて綴は夏油から視線を逸らす。

 

「綴様、食事の準備が整いました」

「ん」

 

 田端に案内され席に座る。味覚の変化により、味の濃い食事も薄く感じるようになった綴は好き嫌いが極端に少なくなった。夏油の呪霊操術がなければ人間の食べ物は食べられなくなっていたところだが、それも心配ない。

 

「本当に器用に食べられる」

 

 田端の言う通り、綴は手が使えない代わりに糸を使って身の回りの事をやっていた。それ以外のことは田端に任せている。

 

「さて、ある程度呪詛師も揃った。綴、今度はおつかいに行ってくれるかな?」

「おつかい?」

 

 詳細はこう。

 ある屋敷に住まう呪詛師が持っている呪具を持って帰ること。しかしそれは貴重な物で呪詛師が手放しがっていないこと。

 

「その呪具の名は、『窮鼠の鍵』。君にとっても悪い話では無いだろう?」

 

 

「人の足元見やがって」

 

 綴と田端しかいないとある建物の屋上で、綴はポツリと呟いた。

 綴は拘束衣が見えないように、たまたま見つけた和風ポンチョ(レディース)なる物を着ている。

 

「この程度は受け入れると覚悟したのでは? 冷静さを失ってはいけませんね」

「わかってる。だから冷やすためにここに来てんだろうが」

「と、申されましても……余計にイラついているご様子」

 

 田端を睨みつけてみても彼はニッコリと笑みを浮かべるだけだ。

 

「俺のこの状態楽しんでやがるな?」

「はい」

 

 綴を田端は尊敬に値する男だと思っている。だからこそ、綴に付き従い身の回りの世話をしている。だが、綴が子供であることは変わらない。綴が子供らしく大人に振り回される綴の姿は、田端にとって好感が持てた。

 

「しかしこのまま主人を舐められては困ります。というわけで善は急げ。速攻で持ち帰りましょう。

 まずは仕事ができることをアピールします。貴方様は特にそうしなければ。使えないと判断されれば、呪霊操術によってどうなるかわかりません」

「それは散々聞いた」

 

 天気は快晴。まだ昼も過ぎない時間帯。

 

「では、参りますか」

「おう」

 

 

 

 

────────────

 

 

 

【屋敷内】

 

 

「というわけで窮鼠の鍵を譲って欲しい」

 

 屋敷の中はどちらかと言われれば荒れており、肝試しなんかで使うのには適しているだろうが、住むという点においては難がある場所だった。

 

「しかしですね。これは私にとっても大事なものです。他の物であれば幾らでも差し出しますが……」

 

 綴の目の前に座るでっぷりと太った男を見て、綴はため息を吐いた。

 この男は呪詛師でもなんでもない。呪霊や呪術師の存在は知っているが見えていない(・・・・・・)。夏油が生きていた頃によく見ていた。呪いを集める猿と金を集める猿のどちらかに当てはまる部類の非術師()だ。

 

「……いくらだ?」

「いやいや、お金の問題では……」

「一応、10は今手元にある」

 

 綴がそう言うと田端はアタッシュケースを開けて机の上に置く。

 ゴクリ、という唾を飲み込む音が聞こえた。

 

「足りないならあと5は付け足すが?」

「い、いやしかしですね……」

 

 まだ渋る男を見て、綴は田端に命令する。

 

「…………わかった、なら諦めよう。田端、それを下げろ」

「かしこまりました」

 

 田端がアタッシュケースを回収しようとした時、男が立ち上がった。

 

「いえ! これで結構です!」

 

 そう言い、アタッシュケースを田端から強引に受け取り、代わりに窮鼠の鍵を差し出した。

 綴を子供だと思って舐めていたようだ。男は綴の様子をチラチラと伺っている。

 

──しかし、妙だな。

  確かに渋られた。けど金がありゃすぐにそれを手放すなんて………何か別のことを考えている? いや、このタイプの猿がそんなこと………。

 

「おい、おっさん」

「は、はい!?」

「これ、偽物だな?」

 

 男は座り直そうとした椅子から転がり落ちた。あからさまな動揺に綴は思わずため息を吐いた。

 

「どこにある?」

「い、いったいなんのことでしょうか?」

「まだシラを切れると思ってんのか、手前はよ?」

 

 綴は立ち上がり、机の上を横断して男の元へ行く。グイッと髪を糸で掴んで無理矢理立たせるが、男は腰に力が入らず上手く1人では立てない。

 

「綴様、そう怯えさせてはいけませんよ? 何か聞き出しておかないと、あとが困ります」

「……チッ」

 

 綴は男の髪から手を話す。

 

「……で、鍵どこだ?」

「ち、地下にっ」

 

 綴の気迫に押された男はアタッシュケースを抱えてポツリと呟いた。

 

「田端、行くぞ」

 

 男を放置して綴は田端と共に地下へ向かおうと足を扉の方へ向ける。

 

「はい、かしこまりました」

「……………いや、待て」

 

 だが綴は止まった。

 何かを感じ取った綴はすぐにその正体を探る。

 

──屋敷内にはいない。なら玄関か?

 

 糸からの情報をチェックする綴はとうとうその正体を知ることになる。

 

「……田端、急いで回収するぞ」

「なにかトラブルでも?」

「呪術師だ。大方この豚とっ捕まえに来たんだろうな」

 

 そう言うと男の顔が真っ赤に染る。

 

「ぶ、豚!? 今なんと……!」

「手前に決まってんだろうが……いや手前を豚と言ったら豚が可哀想だ」

「綴様、脱出経路は事前に把握しております。呪術師と鉢合わせる前にこちらへ」

 

 その場を離れようとする綴の足に男がしがみついた。

 

「た、助けてくれ! 私がいないとお前も困るだろ!? 鍵だってまだ……」

「鍵なんてあったらいい方ってだけで絶対いるもんでもねぇんだよ。それに、さっき商談は成立した。もう俺にとってあんたは商人でなくただの非術師。助ける義理も何もねぇ」

 

 冷たく男を見下ろすが、男は諦めない。

 ここで捕まってしまったらどうなるかわからない。

 

「な、何でもする! だから!」

「…………今、何でもするっつったな?」

 

 その言葉を聞いた綴はニンマリとした悪どい笑みを向ける。男はコクコクと頷いて綴に助けを求める。

 

「手前、金を集める猿と情報を集める猿、どっちやりたい?」

 

 え?と男は戸惑った声を出す。つまり、綴はこの男をかつての師がしていたのと同じように絞れるところまで絞り取ってやろうという魂胆なのだ。

 

「答えろ、どっちだ?」

 

 正直どちらもしたくない。この青年ともう関わりを持ちたくない。

 

10(じゅーう)9(きゅーう)……」

 

 やり方はチンピラと変わらない。だが、なんだこの圧倒的な威圧感。逆らってはいけないという感覚が頭からつま先まで駆け巡る。

 

8(はーち)

 

 どうする?どうなる?このまま答えなければ、どうなる?

 ゾゾゾッと寒気がする。一瞬でも自分が綴に殺されるところを想像してしまった。

 

7(なーな)6(ろーく)5(ごー)

「わ、わかった! わかったから! アンタに従う!!」

「………おい」

 

 頭を床に擦り付けるように土下座する男を綴は呼ぶ。男はゆっくりと頭を上げると、人を安心させるような笑みを浮かべる綴がそこにいた。これで助かるんだ。そう男は安心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どっちか選べって言っただろうが」

 

 男は頭に衝撃を受け、後方に吹き飛ぶ。綴は靴に血が着いたことを愚痴っている。

 それを見て、自分は顔面を綴に蹴られたのだということに気が付いた。

 

「綴様、よろしいので?」

「ここで置いていって、俺らのことチクられても困る」

 

 いったい彼らはなんの話しをしているんだろう?

 

「それもそうですね。服は新しい物を用意しておきます」

「あと風呂。拘束衣は暑くてかなわん」

 

 いったい彼らはなんの話しをしているんだろう?

 

「かしこまりました」

 

 いったい彼らは……っ。

 

 

「あーあ、この靴気に入ってたのになぁ…-」

 

 綴は男の残骸を見て、まるでトマトのようだと思った。



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4話

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 東京都立呪術高等専門学校。

 呪いを祓うため呪いを学ぶ呪術師の学校。そこに在学している虎杖悠仁、伏黒恵、釘崎野薔薇はある任務のため、都内の外れにある屋敷を訪れていた。

 

「いかにもって感じね」

 

 呟く釘崎に虎杖と伏黒は頷いた。

 任務の内容は、この屋敷にいる呪具を法外な値段で呪詛師に売りつけている男を捕まえることである。

 

「じゃあ、開けるぞ」

 

 虎杖が先行する形で3人は屋敷の玄関へ足を踏み入れた。

 静かだ。生きている人間がいるかも疑わしいくらいに。だが異様な雰囲気が屋敷一帯に広がっているのも事実だ。

 

「おや、思っていたよりもお若い呪術師ですね?」

 

 急に目の前に現れた初老の男に3人は驚く。

 全く気配もしなかったというのに、いったいどんな術を使ったと言うのだろうか。

 

「アンタが、呪具を売ってる……?」

「いいえ。どちらかと言えば彼の客かと……。

 ああ、申し遅れました。私、とあるお方の側仕えをさせて頂いております。田端と申します。相容れぬ存在ですが、以後お見知り置きを」

 

 つまり、呪詛師である。

 3人は田端の言葉を聞いてそれぞれ構える。

 

「呪術師はできるだけ殺すなと言われております。この場は収めて頂きたいのですが」

 

 つまり戦うつもりは無いと、そういうことだろうか?

 

「呪具を売っていた男はどこにいる?」

 

 伏黒が尋ねると田端は朗らかに笑いながら、蓄えている髭を撫でる。

 

「成程、彼を捕まえるのが貴方達の任務ですね?

 ならば残念ですが、彼は先程私の主が殺してしまいまして……」

 

 ぶわりと栗肌立つのがわかる。

 

「ここにある呪具は意外にも質の良い物ばかりでしてね……全て貰って行こうと運び出しているところなのですよ。ですから、お帰り願いたいのです。あの男についてはその後で……」

「できると思うか?」

「それは……残念です。私は主に"絶対"に殺すなとは命じられておりませんので」

 

 田端は恭しく頭を垂れてから、手を前に出す。いったい何をする気だ?3人が警戒心を高めていると、その手をまるでドアノブを捻るかのように動かす。

 だが何も起きない。更に田端の行動を注視しようとする3人に危機を知らせるように、伏黒が出していた式神の玉犬(黒)が吠える。

 その声を聞いて伏黒が後ろを振り返ると田端の腕が何も無い空間から飛び出してきていた。

 

「虎杖、釘崎! 後ろだ!」

 

 それを聞いて、2人も田端の腕に気が付く。

 咄嗟に躱してから田端の方を見ると、捻ったほうと反対の腕が消えていた。

 

「ふむ、なかなか厄介な術を使う。少し席を外してもらいましょうか」

 

 そう言って田端はまた手首を捻る。すると伏黒の下から扉が開くような音が聞こえ、そこに現れた黒い空間へそのまま落下する。

 

「伏黒!?」

 

 虎杖が伏黒の腕を掴もうとするが、田端は虎杖を蹴ってそれを阻止する。

 

「おや、受け止めますか。私も鈍りましたかね?」

「いや、動きほぼ見えなかったんだけど?」

 

 その動きに何とかついていけた虎杖だったが、反応が遅れていれば多少なりともダメージを受けていただろう。

 すでに黒い空間は閉じられており、伏黒の後を追うことはできない。

 

「いえいえ、そちら(・・・)ではなく、術のほうですよ」

「?」

「まさか、()()()()()()とは……まあ、あの方にはちょうど良い相手ですしね」

 

 田端はニッコリと笑いながら、虎杖と釘崎を見つめる。

 

「2人もあちらに送らなかったことに、感謝して頂きたい。

 3人も相手にしろと言われた時は「このクソガキ」と……おっと失礼。あの方の我儘にも困り果てたものですから」

 

 2人を見つめて語っているようであるが、田端のそれはどう考えても独り言だ。

 そして田端の言っていることを推察するに……伏黒は生きており、そして消えた先にいるのは田端の"主"なのだろう。

 

 

 さて、その綴はいきなり上から現れた少年を見つめていた。

 ここは地下にある中々の広さを持つ倉庫。

 田端の術で呪具はすでに回収済み。この少年は田端の術でこちらへ送られてきた呪術師だろう。制服に見覚えがある。呪術高専の生徒なのだろう。

 

「……田端の奴、嫌がらせだな?」

 

 惚けている少年を綴は足でつつく。

 

「おい、大丈夫か?」

「は?」

 

 田端と会敵したということは、綴が呪詛師であることを知っている可能性があると思っていたが、この少年の反応を見るにその考えは当たりのようだ。

 だが今のところ綴にはこの少年と敵対するつもりは無い。呪具は回収しているのだから、これ以上ここに留まる理由はないし、なにより自分よりも弱い相手と戦って殺してしまうかもしれない。

 

「去年の百鬼夜行では見たことないな……1年か?」

 

 少年は自分の学年を当てられたことに動揺する。

 

「余計に敵対したくないな……ええっと…1年で黒髪って言ったら……伏黒、だっけ?」

 

 名前まで当てられた伏黒は飛び起きて綴から距離をとる。

 

「なんで……?」

 

 最もな質問だ。学年を当てるならまだできるだろうが、名前などできるわけが無い。

 

「悟兄ちゃんに聞いてたから。ああ、術式のことはいくら聞いても話してくれなかったから、そこは安心しろ」

 

──悟、兄ちゃん……? 悟ってあの(・・)悟? あの五条悟のことか?

 

 悟という名前自体は珍しいものでは無い。だがこの界隈で真っ先に思い出すのは、最強の呪術師・五条悟である。

 

「多分手前が思ってる五条悟であってるよ。

 あの人の生徒の話は、捕まってる半年と少しで散々自慢されてっから」

 

 その言葉と、綴の容姿を見て伏黒は先日の交流戦の日に脱獄した呪詛師の存在を思い出す。

 

「甘菜、綴……っ」

「そんなに睨むなよ。術師同士仲良くしよう」

 

 伏黒は印を結ぶが、綴は構えない。そんな綴に動揺するが、それが余裕から来る行動だとわかると、妙なイラつきを覚える。既視感があるのだ、いったいどこで?

 

「……うん、次何するか何となくわかった」

 

 玉犬(黒)を出す前に伏黒は床に転がされる。

 

「ほら、どうした式神使い(・・・・)。接近されたら為す術もない、なんてこたぁないよな?」

 

 綴は伏黒が式神を使うとすぐに看破する。接近戦にすぐに対応できなかったところを見てそう判断し、指摘した際の伏黒の反応を見て確信した。

 一方、伏黒はそんな綴を見て既視感の正体を思い出す。

 

──ああ、思い出した。この人をおちょくるような態度……五条先生にそっくりだ。

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

【東京都立呪術高等専門学校】

 

 

「五条さん、例の件について、情報が入りました!」

 

 伊地知の声にソファで寝ていた五条はハッと目を覚ます。

 

「綴、見つかったの?」

「似た人物、という情報ですが……おそらく間違いないかと…」

 

 冷や汗をかきながら伊地知は五条にまとめていた資料を渡す。それを奪い取るようにして伊地知から受け取ると、五条は急いで目を通す。確かに特徴が綴と一致している。

 

「伊地知、次の僕の任務キャンセルで」

「ええ!?」

 

 何としてでも綴を連れて戻すつもりの五条は、すぐに高専を出る支度を始める。

 

「で、でもこの任務はどうするんですか!?」

「七海にでも回しといて。それ、僕が出るまでもないでしょ?」

 

 いや、でも……としどろもどろする伊地知だが結局五条に押し切られるという形になってしまった。ガックリと肩を落とす伊地知はそのまま五条の埋め合わせをするために片っ端から呪術師達に連絡し、同情されるのであった。

 

 そんなこと知ったこっちゃない、と五条は現場へ急ぐ。もしもこの情報が本当だとすると、少々まずいことになる。

 なぜなら、綴を相手にすることになるのは今五条が受け持つ1年生の虎杖、伏黒、釘崎なのだから。

 いくら期待している生徒達と言えど、まだ綴の相手は早い。特に伏黒か釘崎と戦うとなれば、相性が悪い。殺されはしないだろうが、酷い被害が出るのは目に見えている。せめて虎杖なら綴に対応出来るだろうが……。

 

「本当に、呪流体術を封じられてて良かった」

 

 おそらく呪流体術を封じられていなければ虎杖も相手にならなかっただろう。

 

 

 

 

 

 五条も認める体術と捕縛術のスペシャリスト、それが甘菜綴だ。



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5話

更新が遅くなりました。

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「目だけで見ようとすんなっての」

 

 伏黒は綴の蹴りを受けて後方に転がった。

 物が無くなってガランとした地下は多少暴れてもいいような広さになっており、そのため綴は物を壊すなどという心配をせずに伏黒と対峙していた。

 

「クソっ」

 

 伏黒は綴の術式がわからず混乱する。

 甘菜家は呪流術を用いた体術を扱う一族であり、その術式は知っているつもりではあった。しかし実際に綴と戦うと、その呪流体術を一切使わない。だというのに、ここだというところで身体が上手く動かなくなる瞬間がある。

 

「……目だけで見ようするからそうなる。呪術師なら呪力も感じろ」

 

 しかもだ、この男は伏黒に戦闘の指導まで始めた(しかもすごくわかりやすい)指摘されたことはかねがね綴の言うとおりなのだから腹が立つ。どれだけ余裕だというのだろうか。

 実際、綴は伏黒に負ける気などしておらず、何だったら体術面の粗が目立ち腹が立っていた。だから思ったのである「指摘して直せばいいんじゃねーの?」と。

 だが綴が今使えるのは足のみであり、腕を使うことができないため言葉だけの指導に限界を感じているところだ。

 

「式神使い自身が向かってきた時はちょっと期待したんだけどな」

 

 伏黒は綴の言葉にムッとする。

 確かに綴に比べると伏黒の体術は劣っている。わかってはいるがやはりどうしても五条がチラついて腹が立つのだ。ちなみに綴は意図的に記憶の片隅にある五条の腹が立つところを真似て伏黒を煽っている節がある。

 

「で、次はどうする?」

 

 伏黒は印を結び玉犬(黒)を出す。

 

──俺はこの人に勝てない。

 

 綴が本気でないことは確かで、このまま意地になっていても仕方がない。とにかく今は虎杖と釘崎に合流しなければ。

 玉犬(黒)は覚えていた虎杖と釘崎の匂いを嗅ぎ、伏黒を道案内しようとするが、それにはまずこの目の前の綴をどうにかしなければならない。

 

「……そういえば、あと2人いるんだったな」

「!」

 

 数を把握されている。伏黒はその事実に冷や汗をかく。

 

──この人の術式……? それともさっきの男の? くそっ、情報が足りねぇ!

 

 甘菜綴の情報は規制が掛けられている。それは甘菜家からの強い要望によるものらしいが、詳しいことは誰も知り得ないことだった。五条ならば何か知っていたかもしれないが、その時は深く考えていなかった。

 

「ってことは、合流を優先する気だろう? 俺との1対1は手前じゃ荷が重かったってこった」

「だったら何だ?」

 

 強がってみるが内心は焦っている。そんな心情を気取られないようにするがそれを見透かすかのように綴は鼻で笑う。

 

「まあ、別に俺としては高専の1年生が何人増えようが関係ねぇけど……手前を押し付けてきた田端が腹立つからもう少し向こうを1対2にしておこう」

 

 そう言うと、綴はまた構えた。それを見て、伏黒は警戒心を上げるのであった。

 

「俺が飽きるまで胸を貸してやるよ」

 

 

 

────────────

 

 

 

「ふむ、下も始まりましたか」

 

 上の階にいる田端は、それぞれ拳とトンカチを構える虎杖と釘崎を見据える。

 負ける気は起きないが、2人のうち1人は綴から聞いていた「宿儺の器」である。警戒するに越したことはないだろう。

 しかし、どうしたことかすぐにこちらへ上がってくると思っていた綴が一向にやって来る気配がない。

 

「下? 伏黒こと?」

「はい、左様でございます。我が主は下の地下にて彼を相手しているかと……」

 

 先程から警戒して動かなくなった虎杖と釘崎に対して、田端は何もしてこなくなった。何か思惑があるのかと考えてみたが、そんな様子もない。

 

「釘崎、この人……」

「本当に私達を殺す気がないみたいね」

 

 そう、田端は虎杖と釘崎を殺す気がない、というよりも危害を加えたくない。

 どう考えても田端は2人より強い。よって、うっかり(・・・・)殺してしまわないかが心配なのだ。そうなれば綴に何を言われるかわからない。田端はそれをスルーすることもできるが、綴の心が荒むような時間は少ないほうがいいだろう。

 綴がそうなる瞬間を田端は嫌っているのだから。

 

 と、そこで田端のスマホが振動する。

 

「おや? もうこんな時間でしたか」

 

 スマホで時間を確認する田端だが、そこに一部の隙もなく虎杖と釘崎は手が出せない。そうこうしているうちに、田端はまたドアノブを捻るように手を動かす。

 

「残念ながら、我々は帰る時間です。これ以上ここに長居することは出来ません」

 

 すると上から綴、そして伏黒が降ってきた。

 それぞれが急に床に叩きつけられた形になり、苦悶の表情で打ち付けた背中や頭を抑える。

 

「………」

「………」

「………ゴホン」

 

 思わず黙り込んで田端を見る虎杖、釘崎。咳払いをする田端。

 微妙な雰囲気になった場を見て田端は虎杖と釘崎に対して恭しく頭を下げた。

 

「…………失礼、また失敗いたしました」

「そっちに謝る前に俺らに言えよなぁ、田端ぁ! おいコラ、こっち見ろ田端ぁ!」

 

 田端に怒号を飛ばす綴だが、田端は(吹けない)口笛を吹いて誤魔化す。

 

「おい、大丈夫か? 頭思いっきりぶつけただろ」

 

 綴は立ち上がると打った頭を抱える伏黒に手を差し伸べようとして、腕が使えないことを思い出した。本当にこういう時に不便である。

 そうして立ち尽くしている間に伏黒は虎杖に回収されていった。別に今攻撃するつもりはないのでそんなに急がなくてもいいのに、と思ったがさっきまで戦っていたので仕方がないだろう。

 

「伏黒、いつの間に敵と仲良くなったのよ」

「なってねぇよ」

「じゃあなんで心配されてんのよ」

「知らねぇよ」

 

 綴と田端を警戒し、今後どうするかを話し合う虎杖、伏黒と釘崎。一方綴は田端がここに綴を連れて来た理由を早々に察する。

 実はこの屋敷に入る時間は予め田端と決めており、その時間を超過するわけにはいかない。ここを去らなくてはならない10分前に田端がアラームをセットしており、おそらくそれが鳴ったのだろう。

 

「綴様、帰りましょうか?」

「……うーん……あと5分」

「承知致しました……が、よろしいので?」

 

 田端は、はて?と顎に指をかける。

 

「あの黒髪の体術が気になるからちょっと直してくる」

「ああ、なるほど。貴方様は本当に体術のことになると、人が変わったようにやる気になられる」

「褒めてもなんも出ないからな」

「ではまた5分後に」

 

 田端が手を捻ると綴が目の前から消える。

 それを見た虎杖達が驚いていると、伏黒の後ろから綴が現れ、そのまま伏黒の後頭部を蹴る。

 

「頭、首、胸、あと背中は絶対守る。敵が見えなくなった時はそこに集中しとけ。ある程度知識のある呪詛しなら、大体はそこを狙ってくる」

「伏黒!?」

 

 虎杖は伏黒を庇うように綴の前に立つ。

 

「……宿儺の器……確か虎杖悠仁だったか?」

「は? なんで俺の名前……」

「悟兄ちゃんに聞いてたから。

 あとそっちの女は……トンカチ持ってるから釘崎野薔薇だな?」

 

 どういうことだ?と虎杖も釘崎も首を傾げる。そして聞いたことのある「悟」という名前は……。

 

「甘菜綴、交流戦の時に脱獄した、1級呪詛師だ」

 

 状況を把握できなかった虎杖と釘崎は、そこでやっとことの重大さを知ることになった。

 甘菜綴と出会った時の対処法は五条から聞いていた。

 

──「とにかく逃げて。絶対に殺さないこと」──

 

「………まぁ、バレたとしても支障はない」

 

 綴は虎杖を蹴りつける。咄嗟に腕でガードするが、その腕がピリピリと痺れる。

 蹴りをガードされたことに綴は驚くが、さらに虎杖にたたみ掛けようと先程とは反対の足で首を狙って蹴りつける。だがまた止められた。

 

──動きは悪くない。

──ある程度、器として耐久力もある。

──なるほど、伊達に宿儺の器をやっていないな。

 

 だが綴も体術で負けてはいられない。

 床に両足をつき、胴を狙って回し蹴り。止められる、のはわかっていたので綴はすぐに身を低くして虎杖の足を払う。

 床に転がりながら、虎杖は綴に勝つ方法を考えるが睨まれた瞬間、色々と考えていたことが霧散していく。綴に勝てるビジョンが虎杖には見てえ来ない。

 

「1度敵と相見えたなら、思考を止めるんじゃない」

 

 綴は虎杖の頭目掛けて蹴りつけた。



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6話

opとedも決まってますます盛り上がってきて本当に嬉しい限り!

コメント、お気に入り登録ありがとうございます!


 綴に蹴られた虎杖はまた床を転がるがすぐに体勢を立て直す。

 速い。さっきよりも格段に速さが違う。

 それはつまり、今まで本気を出していなかったということだろう。

 

「うーん……全体的に悪くは無い、んだけどなぁ……」

 

 綴は虎杖を見ながらそう呟く。

 

「虎杖は構えもうちょい直して初動を……いや、それより先に嵌め手教えた方が……?」

「え?」

 

 何か言っていることがおかしくないか?思わず口から困惑する声が漏れるが綴はそれを気にしている様子はないようだ。むしろ、そりゃそうだ、と言うかのように口が歪んだ。

 

「嵌め手……相手の動きを誘導する方法。

 構えは防御でもあるわけだけど、次の手を相手に何となく予想させるところあるから、嵌め手を覚えておいて損は無い、と思う。多分今後そういう場面は増えてくる」

 

 他にも色々と虎杖に対して思うところがあるのだろう。「他には……」と説明しようとする綴は、一瞬指導者かなにかと勘違いしそうになってしまう。

 

「綴様、あと2分です」

「あー、はいはい。

 えーと、伏黒はもう少し相手を見た方が良い動き出来ると思う。見るって言ってもそういうことじゃなくて……()()()()()()()()()。客観的に主観的に、ただし熱くならず冷静に」

 

 実際に戦った虎杖と伏黒を名指しして、体術に対しての改善点を伝える。正直に言うと適当なところのある五条よりも指導している。それが敵であるというのが少し頭をモヤモヤとさせるが。

 

「もうよろしいでしょうか?」

「うん……時間もないし」

 

 その返事を聞いた田端は手を捻ろうとする。虎杖、伏黒、釘崎はここから離脱するつもりだということを察して取り押さえようとするが……その前に、見覚えのある背中が立ち塞がった。

 

「はい、ストップ」

 

 その声を聞いて、田端と綴は動きを止める。

 

「……久しぶり、悟兄ちゃん」

「うん、久しぶり」

 

 その声の主は、最強の術師・五条悟であった。

 田端は突然の五条の登場に警戒するが、綴の心は凪いでいた。

 

「僕の生徒ボコって挙句の果てに指導するってどういうこと?」

「だって動きがなんか気に食わんから」

 

 少しムッとする虎杖と伏黒だが、実際に綴にボコボコにやられているため何にも言えなかった。

 

「さて綴、僕がここに来た理由はわかる?」

 

 五条がわざわざ来る理由は知っている、五条が直接綴を捕らえるためだ。

 五条でなければ綴は秘密裏に適切に処分されることになるだろう。おそらく甘菜家に引き取られるはずだ。そうなればあの家にいる研究者気取りの術師達によって死ぬより酷い目に合わされるはずだ。

 そうされないためにも、五条が綴を捕らえる必要がある。

 

「おとなしく捕まって……はくれないよね?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()できないな」

 

 その言葉は、まるで本当は脱獄をしたくなかった、と言っているように聞こえた。

 

「………脱獄を手引きをしたのは?」

「言えない」

「何が目的だ?」

「言えない」

「何で子蜘蛛の呪力を使って()()()()()?」

「言えない」

「なんで……」

「ねぇ、もうこの無駄な時間やめにしない?」

 

 綴に次々と疑問をぶつける五条だが、綴は呆れたようにそれを切った。

 

「戦うなら戦う。捕まえるなら捕まえる。アンタは呪術師で俺は呪詛師だ」

 

 五条は何も言わなかった。五条の後ろに控えている3人は、一連の流れから綴と五条が旧知の仲でかなり親しかったことを察していた。

 

「でも捕まるわけにはいかないんだよな……あんまりしたくないけど……」

 

 五条が動こうとした時、綴は屋敷に張っていた糸を動かす。

 

「それ以上動いたら、アンタの生徒で俺を殺す(・・・・)

 

 それを聞いて五条は動きを止める。後ろから綴の呪力を感じた。

 虎杖、伏黒、釘崎は自分達の身体に違和感をおぼえる。どれだけ声を出そうとしても何も言えないのだ。いや、それよりも……()()()()()()()

 伏黒はこの感覚に覚えがあった。先程の戦いで感じた違和感だ。それを綴の言葉を思い出す。グッと目に力を入れると、並の術師では気が付かないほど細い糸が全身に絡み付いていることに気が付いた。それが虎杖と釘崎の身体にもある。

 

「……随分、小物っぽいことするようになったね」

「こうでもしないと悟兄ちゃんは止まってくれないから。

 別にいいよ、動いてもらっても。でも生徒が飢えに苦しむ姿は見たくないだろ?」

 

 そうこうしている間に、田端が術を発動する。

 

「綴様、時間です」

「……わかった」

 

 田端は手首を捻り、綴だけを別の場所に移動させ、自分だけ残る。

 3人に絡み付いていた糸はまだ解けない、ということはまだ五条に動くことを綴はまだ許していないのだろう。

 

「さて、五条悟殿まで来てしまうとは思いもよりませんでした」

 

 このまま田端が術で移動することは容易だが、その時綴は術を解くだろう。

 田端の術での移動範囲には限界がある。それを五条が見抜けばきっと追いかけてくるはず。綴曰く、五条はそういった手段があるのだと言っていた。

 

「別に無抵抗の貴方々をどうこうするつもりはございません。ですが追いかけられても困るので……」

 

 そう言うと田端は懐から両手で持てるだけの(合計6つ)柄付手榴弾を取り出した、これは田端が改造した手榴弾で威力はそこらにある物とは比べ物にならない。それを田端は躊躇無く五条達に投げ付けた。

 

「それでは、ご機嫌よう」

 

 そして田端も移動した瞬間、3人の身体から糸が解け自由となる。五条はすかさず生徒達を守ることを選択し、綴を追うことはできなかった。

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

「アッハッハッハッハッ! 田端、あそこで手榴弾はないだろ」

 

 田端が綴の元へ来ると、腹を抱えて笑う綴がいた。ギリギリ屋敷が見える場所ではあるが、屋敷が大惨事なことになっているのが伺える。

 

「アイツら帳なんか降ろしてねぇからきっと今から事後処理でてんやわんやだろうな。えげつねぇことするな」

「褒めても何も出ませんよ。それより、こんな所にいつまでも留まっていないで、時間を稼いでいるうちに早く行きましょう」

「………もう少しだけ」

 

 そう言って綴は屋敷をじっと見つめた。いや、屋敷を見つめているわけではない。それを指摘することは無いが、おそらくは……。

 隣にいる綴の顔はまるで泣きたそうに歪んでいた。それも一瞬で元へ戻ってしまったが。

 

「行こう、田端」

「かしこまりました」

 

 甘菜綴は我慢をする人間であると田端は感じている。自由奔放のように見えて、本当はいつだって何かに縛られている。

 本当はここにいたくないはずだ。ゆっくりさせて欲しいと思っているはずだ。それを人々は許さなかった。無理矢理綴を戦わせ、意のままに操る、夏油の身体を使う呪詛師の手によって。掘り起こされ、様々な存在に縋りつかられて、雁字搦めになっている。

 

 田端はそれが我慢ならなかった。どんなにわがままな存在でも、綴は自分が仕える心の底から敬愛する主人である。強制されたわけではない、自分から綴に仕えたいと思ったのだ。その主人の苦しむ姿はいつだって胸を締め付けられる。

 

 綴と初めて会ったあの日、田端は綴に救われた。彼にどれだけ必要がないと言われても、その後ろに控えていたい。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 本人にその気がなくても、田端は綴のことをそう思っている。

 おそらく本気になれば、呪詛師達を勧誘した時と同様にどんな人でもこちら側へ引き込むことができるはずだ。だが綴はそこに興味はないらしい。

 

「疲れた」

「帰ったら湯を用意致しましょう。

 脱ぐついでに拘束衣も新調した方がよろしいのでは?」

「あー……もうボロボロだもんな。

 これないと封印された腕がクソ重くて邪魔だから、変えるなら代わりのものが見つかったらにするよ」



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7話

じゅじゅさんぽ配信日決定!でテンション爆上がりして書きました。勢いで書いたのでもしかすると誤字脱字が多数あるかもしれません。

お気に入り登録、評価ありがとうございます!


「やってくれたな……」

 

 五条は忌々しそうに呟いた。

 生徒達は守ったが、綴を取り逃してしまった。手榴弾がなければすぐにでも追える距離にいた。いたはずなのに、スルリとまたどこかへと行ってしまった。

 

「ごめん、五条先生……」

 

 自分達が足でまといになった自覚のある生徒達の表情を見て、五条はニッと笑う。

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 そう言って五条はなんでもないかのように笑ってみる。

 だが生徒達の反応はイマイチだ。会話を数度交わしただけで綴と五条の関係性というものは何となくわかってしまう。

 

──多分、あの子とは近いうちにまた会えると思うし。

 

 勝負はそこだろう。どうやってでも五条は綴を連れ帰る。

 そうは意気込むが同時にこれで良いのか心配になる。あの牢屋に囚われたいたあの時間、綴はいったい何を思い生きていたのだろう。綴の幸せのことをかんがえると、このまま自由にさせていたほうがいいのではないか?

 

 思い出すのは天真爛漫な笑顔を五条に向ける綴。

 

 綴を捕まえるということは、あの笑顔を永遠に見れなくするのと同義ではないだろうか?

 捕まっていた時の綴の表情は目隠しのせいでハッキリとはわからなかったが、それでも共に過ごしたあの時よりも雰囲気が非常に冷ややかであったのは確かだ。

 

 こうして、彼らは1度目の甘菜綴との邂逅を終えたのであった。

 

 

 

────────────

 

 

 

「おかえり、綴。遅かったね、何かあったのかい?」

「……蟲飼い」

 

 蟲飼いと呼ばれた男は帰ってきた綴を出迎えた。

 

「五条悟と鉢合わせただけ」

「あの五条悟と? それは大変だ、怪我はない?」

 

 そう言いながら蟲飼いは綴へ手を伸ばす。だがそれは田端によって阻まれた。

 蟲飼いは一瞬田端を睨み付けたが、すぐに微笑む。

 

「田端も元気そうでなにより!

 でも流石にキツかったんじゃないか? なんなら、綴の傍付きを変わってやろうか?」

「結構です。この世には綴様を邪な目(・・・)で見ている者がおりますので、簡単に得体の知れない人間にこの役目を譲る気はありませんので」

「なんてこった! いったいどこのどいつが我らが主にそんな視線を?」

「鏡を見ればすぐに会えますとも」

 

 と、言い合いをする2人を無視して綴はソファの上で横になる。

 

「綴様、寝るのでしたらベッドへ……」

「………うん。寝る気は無いから、ちょっとだけ休ませて」

 

 そうは言っているが、すぐに寝てしまいそうな雰囲気をしている。相当疲れているようだ。田端と蟲飼いは言い争いを止めて、それぞれ1人がけ用のソファに座る。しばらくすると静かに、綴から寝息が聞こえてきた。

 

「本当に何があったのさ? 綴がこんなに疲れるなんて……でも、無傷ってことは五条悟とは戦っていないんだろう?」

「もちろんです。もしそうなれば止めています」

 

──本当、田端は綴に甘い。

 

 田端が綴のことを信頼し崇拝にも近い感情を向けていることは蟲飼いは知っている。自分自身もそうだからだ。

 綴は自分達に意味(・・)をくれた人間だ。意味の無い人生を送るのと、そうでないのとでは見える世界が全く違った。綴がいたからこそ、この世界の土を今でも踏めるのだ。

 

──だからと言って、綴をただ甘やかすだけは違うんじゃないかな?

 

 綴には誰よりも強い存在になってもらいたい。それが今後、夏油傑の大義を継ぐであろう綴のためである、と蟲飼いは思っている。蟲飼いは夏油のことを全く知らないが、もしそうなれば苦労するのは綴だろうと感じているのだ。

 

──だから絶対にそこ(・・)から引きずり下ろしてやるよ、田端。まぁ、別の目的も勿論あるんだけどな。

 

「……なにか?」

「いや何も?」

 

 じっと田端を見つめ過ぎたようで、勘繰られてしまう。

 

「そんなに殺気だっているのに「何も無い」は通用しませんよ、蟲飼い。

 全く、だから貴方を味方に引き入れるのは止めようと何度も進言したというのに……」

「でも彼は結局俺を受け入れた。

 俺は綴の成長が楽しみで仕方がないよ」

「夏油様が貴方を綴様から引き離した理由がよくわかる」

 

 正直に言ってしまうと、蟲飼いは夏油を殺した五条に感謝していた。

 綴が高専に捕まる前からの付き合いだが、綴のすぐ側にいるには夏油が邪魔で仕方がなかった。しかし夏油を攻撃すれば綴には見限られる。それは耐えられない。

 綴への執着にも似たこの感情はきっと夏油も気が付いていたはずだ。だから綴と蟲飼いが2人きりになる状況をできるだけ作ろうとしなかった。

 

「あの時は本当に死んじゃうかと思ったね」

「そのまま逝ってしまえば良かったのに」

「おいおい、俺が死んだらあんたも困る(・・)だろ?」

「いえ全く」

 

 全く酷いやつだ。そう言ってやってもきっとこの男は冷たい視線を送ってくるだけだろう。

 

「………綴様は」

「ん?」

「綴様は、おそらくあそこから出てくるべきではなかった」

 

 あそこ、というのはきっと高専の牢のことだろう。

 

「きっと、この状況を綴様は望んでいない」

 

 そうだろうとも。蟲飼いはその田端の言葉に頷いた。

 田端と蟲飼いは綴の心の安寧を求めるし、綴の本心もそれだろう。夏油の身体を奪った呪詛師の言いなりになるのは綴のプライドを酷く傷付けるものだ。

 だというのに、夏油が家族と呼んでいた呪詛師達ときたら、そんな彼に協力し、あまつさえ綴に縋りついた。自分達のまとめ役として綴を立てたかった。何故なら綴は夏油の弟子だからだ。

 2人は綴に心酔しているのであって夏油に従っているわけではなかった。だからこそ、そんな綴に対する呪詛師達の行動に2人は何度も物申したこともあった。そのせいでだいぶ彼らとは折り合いが悪くなってしまったが。

 

「アイツらは放っておいてもいいでしょ。結局、自分達じゃ何にも出来やしない無能なんだから」

「綴様が聞いたら怒り狂いますよ」

「でも事実だ。綴や夏油の言う呪術師だけの世界というのは魅力的だし、初めはそれを掲げる彼らの動向が気になるから近付いたんだ。だというのに夏油は身内に甘いから、皆無能に成り下がったのさ」

 

 心底呆れたように蟲飼いは淡々と語る。それには田端も同意だが、綴がそんな彼らを仲間だと認識しているからなにも言えなかった。

 身内に甘いのは綴も同じ。綴は彼らを見捨てることなどできなかった。

 

「そんなところも彼の魅力だと言えば聞こえは良いけどね」

 

 田端と蟲飼いは必要があるならば今すぐにでも夏油一派を皆殺しにするつもりでいる。綴から怒りを喰らおうと、それが綴のためになるのであれば躊躇はしない。

 それほど、彼らが綴から受けた恩は根深いものだ。

 

「さて、綴を寝室まで運ぼうかな?」

「綴様に触らないで頂きたい。変態が移ります」

「酷いこと言うなぁ、俺のどこが変態なのさ? 綴に過保護すぎない? そんなんじゃ、いつか綴に嫌われるぞ?」

「貴方ほどではないかと。私は綴様に1番に必要とされましたので」

 

 どれだけ綴のことを思っていようが、目的が一緒だろうが決して2人の思いは交わらない。それを2人は再認識する。あ、やっぱりコイツ嫌いだわ、と。

 仲間意識は皆無だが同族意識はある。少しでも綴を思う気持ちがあるからこそ、ここまで綴の成長を一緒に見守れたのだ。

 

「はー? なに? まさか綴が真っ先に会いに行ったのがそんなに自慢なわけ?」

「はい、もちろんでございます。貴方は最後でしたもんね。そんな目(・・・・)で綴様を見ているからですよ」

「最後なのはあれでしょ? 最後のお楽しみって意味だったんだと思うけど?」

「綴様は好きな物は1番初めに食べる方ですよ」

 

 結局2人の言い争いは綴が起きるまで続いたという。



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8話

「で? これからどうすんのさ」

 

 綴は蟲飼いに尋ねられるが、ぼうっと窓の外を眺めているだけだ。

 

「綴?」

「……ちょっと、皆と再会してた時のことを思い出していた」

 

 皆、とは『家族』のことだろう。

 蟲飼いは深くため息を吐いた。

 

「綴、やっぱりあの連中に協力するのはよそう。

 そりゃあ、君の大好きな夏油傑の家族であっても……」

 

 夏油一派の中では綴は独立した存在であった。

 よって、蟲飼いや田端は彼らとの交流が少ない。綴に付いている呪詛師が夏油一派のことを好ましく思っていないから、むしろ仲が悪い。

 その理由を綴は知らないのだが。

 

「夏油傑の呪術師だけの世界は、きっと俺達だけでもできるはずだ」

「……別に俺はアイツらをアテにはしてない」

 

 おや?と蟲飼いは目を見開いた。

 

「そうじゃなくて……俺が捕まってから、連絡が取れない奴が多いなって思っただけ」

 

 どうやら、そもそも間違っていたようだ。

 皆とは、蟲飼いのように綴について行った彼らを指しているようだ。

 

「うん……綴を取り返そうとして殺された奴とかいたからねぇ。

 あと単純に綴がいないなら、と呪詛師から足洗った子とか……」

「……殺された、のは初耳だ」

「ごめんよ? 綴がショックを受けると思ったんだ。

 大丈夫、ちゃーんと火葬だって済ませてある。綴が心気に病むことなんて1つもない」

 

 下手なことをして殺されたという奴もいたが、それに加えて綴がいないことをいいことに蟲飼いは何人か惨殺していた。

 それを言ってしまえば綴は怒り狂うだろう。

 綴にバレるのは避けたいと思いながら、心のどこかでは自分に対して怒り狂う綴を見てみたいと思ってしまう。

 そう考え始めると、背中に何かがゾクゾクと這い上がる感覚を覚えた。

 

「……そうか」

 

 安心したように綴が呟いた。

 

 綴は夏油によって大事に大事に育てられたせいか、18歳となるのに未だに純粋なところがある。

 この呪術の世界では珍しいタイプだ。

 

「綴は……本当に良い子にしてるのが得意だな」

「どういう意味だ?」

「そのまんま。そんなところが魅力的なんだけどね」

 

 理解ができない、と綴は怪訝そうな表情をする。

 

「さて、そんな綴に俺の知り合いを紹介してあげよう」

「知り合い?」

「きっと役立つ」

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

「いけません」

 

 連れてこられた場所を見て田端はキッパリとそう言った。

 

「おいおい田端、綴は行く気満々なんだ。それに水を指すのは野暮だぜ?」

 

 綴の目の前には、「酒」という1文字の看板。だが、どう考えても酒のみを提供する雰囲気の店ではない。

 

「……ここは?」

「一応賭場ってことになってる。勿論非合法だけどね。

 賭けるものはなんでもいい。だから、ちょっとしたオークション紛いのこともやってるよ」

 

 なるほどそれでこんなにも呪いが渦巻いているのか、と綴は納得する。

 

「綴様の教育に悪い。行くならおひとりでどうぞ」

「田端……綴はもう18なんだ。そろそろ子供扱いをどうにかした方がいい」

 

 相変わらず過保護な田端にため息を吐く。

 それに言い返そうとする田端だったが、綴に止められる。

 

「田端、俺は大丈夫だ」

「………かしこまりました」

 

 こうなったら綴は引かないことを知っている田端は、渋々頭を下げた。

 

「蟲飼い、案内頼む」

「オーケイ。中は暗いから、俺の傍に……」

「それは遠慮する」

「あ、そう……」

 

 残念そうな蟲飼いをほおって、綴は店の扉を躊躇なく開けた。

 

「…………ここは……」

 

 中は確かに薄暗い。賭場と言われて思いつく限りのゲームをしている人々、その奥には札を首から下げる人が物のように陳列している。

 

「……胸糞悪い」

「そうだね……あそこにいるのはほぼ一般家庭で産まれた術師だよ。

 どこから噂を聞きつけるのか、拉致してきた子が殆どだ」

「………………なんでここに連れてきた?」

「会って欲しい奴がいるからって言っただろ?」

 

 そう言って蟲飼いはこの賭場の勝手を知っていると言わんばかりに迷わず歩き出した。

 それについて行けば、蟲飼いと顔見知りと思われる男が道案内を始めた。

 

「やぁ、久しぶりだね蟲飼い」

 

 会場とは打って変わって明るいその部屋に綴は目をしょぼしょぼとさせるが、直ぐに目はその明るさに慣れる。

 

「や、久しぶり戸塚」

 

 そこにいたのは30歳手前の女性だった。

 髪はボサボサ、片手に酒の入ったグラス、部屋に散乱する酒瓶。人前に出るような格好ではないだろう。

 

「………田端」

「かしこまりました」

 

 綴は田端の名前を呼ぶと、直ぐに部屋を片付け始めた。

 

「え、ちょ! 勝手に何すんのよ!?」

「こんな所に1秒もいたくない。せめて部屋の床は塵1つ残さず掃除させてもらう」

 

 そう言うと、綴は蟲飼いに勧められたソファへ座り掃除が終わるのを待つ。

 

「綴、飲み物はいるかい?」

「麦茶」

「やりたい放題か!?」

 

 蟲飼いの用意した麦茶を飲みながら、綴は命令する。

 

「蟲飼い、お前も掃除をやれ」

「本当に人使いが荒い」

 

 と言いつつ嬉しそうなのは気のせいか?

 

「あれ、本当に蟲飼い?」

「? そうたけど?」

「うっそ、信じられない。

 あの蟲にしか発情できない変態が、人間に従順になってるなんて」

 

 酒を飲み干すと戸塚は佇まいを正して綴の頭からつま先をジロジロと見つめる。

 

「まだまだ子供じゃない。歳は?」

「18」

「え、16くらいかと思った」

 

 その戸塚の言葉に綴はムッとする。どうやらそれが表情に出てしまったようで、戸塚はケラケラと笑いながら綴に謝る。

 

 

 そうやって話しているうちに部屋の掃除が終わった。

 

「で? なんで俺をここに連れてきた?」

 

 綴が蟲飼いに質問すると、ニヤリと笑いながら蟲飼いは綴と戸塚にある提案をするのだった。

 

「戸塚はここのオーナー兼ディーラーでね。

 ああ、と言っても譲り受けたってだけだから、あのオークションについては彼女がオーナーになる前からやってたんだよ」

「手を付けるのが面倒でそのまんまにしてんのよ」

 

 オークション、という言葉を聞いて綴は顔を顰める。

 

「あら、こういう話は嫌い?」

「虫唾が走る」

「私もよ。この賭場を手放したいけどね。色々と縛りがあって無理なのよ」

 

 お手上げだと戸塚が言うと、蟲飼いが本題に入る。

 

「だからね、綴……ここを潰そう」

「……潰す?」

「そう、物理的にじゃない。経営できなくするのさ」

 

 蟲飼いは後ろから綴の肩に手を置き、こちらを見上げる綴の顔を覗き込む。

 

「そうすれば戸塚は縛りを解くことができて、綴は資金調達ができて、あの術師は解放される……いい話だろ?」

 

 綴はそれもそうか、と今度は戸塚を見る。

 

「win-winってやつね。私は賛成」

「術師が解放されるのは、俺としても望むところだ」

 

 で、どうすれば良い?と戸塚に尋ねると、戸塚はおもむろにトランプを出てきた。

 

「私と賭けをする。で、勝ち続けてこの賭場にある金庫の金を2000億引き出せば、君の勝ちだ」

「それだけよく溜め込んでたな……」

「政府もうまい汁啜ってる奴がいるから見て見ぬふりしてんのよ」

 

 やはりそういうことか。

 綴は顔をさらに顰めた。

 

「ここが無くなれば、そんな奴も雀の涙程度とはいえ少なくなるわ」

「なら、いいんだけど」

 

 そこで戸塚は少し違和感を覚える。先程の雰囲気が、今までの綴の雰囲気と全く違っていたからだ。

 人の手の内を表情で読み取ることに長けているディーラーだからこそわかる。これは、綴は今不安がっている。

 いったい何に?この賭場を潰せるかどうか?

 

「綴、とりあえずチップはこっちで用意した。

 この1枚でだいたい10万くらいかな?」

「いきなり飛ばすわね。まさかとは思うけど、そこにあるやつ全部?」

「まぁね」

 

 蟲飼いが用意したチップは全て$1000チップである。この勝負に負ければ大きな損失を食らうのは目に見えているが……。

 

「言っとくけど、縛りで手加減はできないからね?

 ゲーム内容は手っ取り早いブラックジャック!」

「それは問題ない……けど、ひとついいか?」

 

 綴は戸塚に真剣な顔でこう言った。

 

「俺、トランプはババ抜きしかしたことがないんだが……?」

「………………………え?」

 

 その戸惑いの声はいったい誰のものだったか……もしかしたら全員のものだったかもしれない。



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9話

遅くなってすみません!



「こ、これは……」

 

 どうすればいいんだろう。

 戸塚は困惑する。

 対する綴はいつもの無愛想な顔。いや、もう通り越して無である。

 蟲飼いが用意したチップは半分以上溶けていた。

 

「……えっと……」

 

 どうしよう。どう声を掛ければいいのかわからないくらいに弱い。

 圧倒的に綴には運が無さすぎる。

 

「む、蟲飼いかそっちの執事さんに代わってもらうのは……?」

「負けて涙目になった綴を慰めるのは俺な」

「綴様に触らないでいただけませんか、この変態が」

 

 この2人、綴を助ける気はまったくないようだ。主人の危機になんて悠長なことを……と戸塚は頭を抱える。

 戸塚は綴のことが嫌いではない。むしろ好感を持っている。

 この男なら、この賭場をどうにかできるはずだと思っていた。

 思っていたのに……。

 

「続行するの?」

「まあ、するしかない、と思う」

 

 綴の後ろで控える蟲飼いと田端が目を光らせている。

 いったいどういう意図を持って綴の逃げ場を塞いでいるかはわからないが、2人は綴が勝負から逃げることを許さないようだ。

 

「……このままじゃ私が納得いかないわ!

 運じゃなくて、別の種類のゲームにしましょう!」

 

 戸塚はたまらず、バンっと机を叩く。

 

「いいのかい?」

「なにつまらなさそうな顔してんのよ!

 ルールはディーラー()が私の都合で変えるわ。神経衰弱、これ一択よ」

 

 これ以上のルール変更はできない。

 それを綴に伝えると、綴は頷いた。

 先程よりも顔色はいい。心底ほっとしているようだ。

 

「でもチップはかえらないわよ。そのかわり、貴方が買った時点でここの所有権を渡す。いいわね?」

「わかった」

 

 ゆっくり頷いた綴を見て、戸塚は満足そうに微笑む。

 

 すぐに用意されたテーブルにはトランプが全て並べられている。

 ひとつの欠けもない、新品のトランプを使用している。

 

「じゃあ、次こそいいわね?」

「要は絵合わせだろう?」

 

 戸塚と綴はまたテーブルを挟んで向かい合い、ゲームを始める。

 

 

 

────────────

 

 

 

 戸塚が抱いたのは違和感だった。

 何故か、覚えていた場所のカードが違うものになっている。

 しかし綴がイカサマを行っているようには見えない。

 そもそもこのゲームではイカサマなどできないようにしてあるのだから、そんなことをした場合、縛りによって呪いを受けるのは目に見えている。

 

「……」

 

 何故?

 さっきから綴も違和感を感じているようで後ろを睨みつけている。

 蟲飼いと田端、2人を見比べて綴は口を開いた。

 

「…………田端、余計なことすんな」

 

 え、と戸塚と蟲飼いが呟いた。

 さっきまで綴が負けていても手を貸さなかったような男が、イカサマなど思想にもない男がイカサマをしたのだ。

 

「失礼致しました」

 

 田端は綴に恭しく一礼する。

 

「しかし貴方が勝つという結果がわかるような試合を、時間をかけてまでする必要がありますかな?」

「ある」

 

 綴は田端から目を逸らすと、ゲームに集中し始める。

 

「……ねぇ、田端…さん?」

「なんでしょうか?」

「さっきの言葉の意味って、つまり私が負けることが確定してるってこと?」

 

 若干その言葉に引っかかった戸塚は田端に質問する。

 田端は如何にもと頷いたが、それが戸塚の勝負師魂に火をつける。

 たとえディーラーだとしても、この賭場を手放したいと願っていても、戸塚はどうしようもなくギャンブラーなのだ。

 

「じゃあ、仕切り直してもう1回……」

「いえ、このまま続行よ」

 

 蟲飼いがカードを配り直そうとした時、戸塚がそれを止めた。

 

「こっから巻き返してこそ、でしょう?」

「やれやれ、田端が余計なことするから」

 

 戸塚栄子。

 彼女は呪術師、というわけではなかった。しかし昔から呪霊が見えていたこともきっかけとなり、この界隈へ足を踏み入れてしまった。

 どうやら自分にはギャンブラーとしての素質があったようで、次々と勝っていき……ついにはこの賭場を手に入れた。

 そこからはつまらない日々、初めの頃にあった一喜一憂するあの感覚を得られない。

 

 だから、この界隈から足を洗いたかった。

 たったそれだけで、幾人もの挑戦者と勝負してきた。

 

 

 その結果が、例え自分の破滅だとしても。

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

「……良かったの?」

「何が?」

 

 椅子に座りながらぼうっとしている綴に蟲飼いが話し掛ける。

 

「戸塚は呪術師ではないが、呪霊が見えていた」

「……」

「惜しい女を亡くしたと、そう思わない?」

 

 蟲飼いの眼差しは真剣なものだ。

 それを聞く綴の表情などこか暗い。

 何も答えない綴に、蟲飼いは溜息を吐く。

 

「ま、綴が何でもいいなら俺もいいけど……しかし、あの呪いがあんな効果を発揮するなんて……戸塚も運の悪いやつだ」

「手前が俺に何を求めているか全くわからないが、俺はこの結果で良かったと思っている」

 

 綴はハッキリと蟲飼いに伝えた。

 少し目を見開いてから、蟲飼いは綴に微笑む。

 

「………そう、綴がそれでいいなら、それも満足だ。

 きっと戸塚も、安らかに眠って………」

 

 蟲飼いがそう言った時、扉がバンっと開いた。

 

「死んでないわよ!!」

「おっと、戸塚無事だったか」

 

 そう言う戸塚の頭には包帯が巻かれている。

 

「どうやら、負けると致命傷を負う呪いがあったようです」

 

 戸塚を治療していた田端も同じように扉から入ってきた。

 

「しかし驚きねぇ、あの田端さん反転術式使えるなんて」

「亀の甲より年の功ってね」

「蟲飼い、貴方も独自の治療術があるでしょうに」

「正直綴以外に使いたくないんでね」

 

 放っておけば死んでいたであろう戸塚は綴の指示によって生きながらえた。

 

「さて、これでここのオーナーは貴方よ、綴君」

「戸塚………それはアンタのままで良いだろう?」

「は?」

 

 綴は面倒くさそうに戸塚を見ながらそう言った。

 戸塚は自由になるためにこの賭けに乗ったのだ。何を今更、と口を開きかけたが……。

 

「確かに、この土地の持ち主は俺になってるけど、それで俺がここに関わっていると高専に知られたら厄介なことになる」

 

 綴が手を差し伸べる。

 

「アンタは俺の部下になってもらう。

 だから、ここは今からアンタが自分の居心地のいいように使ってもらって構わない。

 その代わり、情報や資金はこちらに提供してもらう」

 

 困惑する戸塚に、綴は言葉を続ける。

 

「勝負して、どれだけ自由に焦がれているかはよく分かった。見えない人間(非術師)に振り回されて、不本意でここまでやってきたんだろ?

 俺は、俺達が自由であれる世界を作りたい。アンタみたいな人間を無くしたい。だから、手伝って欲しい。

 戸塚、アンタは自由(・・)が良く似合う」

 

 理解者がいてくれる事がどれだけ嬉しいことか。

 欲しいものを手に入れた時、どれだけ感動することか。

 手を差し伸べ、導いてくれる存在が、こんなにも喜ばしいだなんて……。

 

「わかった、やるわ……私にできることなら、なんでも」

 

 戸塚は綴の手を取って、涙を堪えて答えを出した。

 

 

 

 

 こつりと、靴の音がする。

 

「えー、お集まりの皆様……どうも初めまして、蟲飼いと申します」

 

 スポットライトに照らされ、蟲飼いがマイクを持ってニッコリと笑う。

 

「今日からこの賭場は我らが主の所有物となります」

 

 困惑が賭場を支配する。

 

「ですので……

 

 

 

 

 

 

         死ね」

 

 その瞬間、蟲飼いの周りに蝶のような蟲の呪霊が現れる。

 それが弾丸のように次々に賭場にいた人間達を貫く。

 

 

 しばらくすると、蟲飼いはまたニッコリと笑う。

 

 

「今、生きている人達は俺の蟲が見える人間だと判断した人達です。

 俺の主は優しいので、見える人間は生かしておけとのことで………」

 

 血溜まりを歩く。

 

「でも、俺は綴のように慈悲深くない」

 

 賭場の中心へやってきた蟲飼いは笑みを消す。

 

「綴に従え、さもなくば死ね」




こうして綴ガチ勢が増える。


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10話

遅くなりました。


 綴の目の前は目隠しをされ真っ暗だ。

 そのまま椅子に座らされ、やや緊張したような面持ちである。

 

「綴、口を開けて」

 

 蟲飼いの声が聞こえてきた。

 綴は若干躊躇したが、結局蟲飼いが言う通りに口を開ける。

 舌に蟲飼いが何かを乗せる。

 それを口を閉じて咀嚼し…………。

 

 

「…………………佃煮?」

「んー、惜しい! さて、これはなんの佃煮でしょうか?」

「小エビとか?」

 

 首を傾げながら答えるが、蟲飼いは「違う」と答える。

 若干嬉しそうなのが腹立つ。

 

「ほらほら、味覚がまだしっかり残っているかの調べてるんだから、頑張って」

 

 そう言われても……佃煮であることは確かであるが、しかし"何の"とつけば全くわからない。

 さて、どうするか。このまま答えを聞くのも嫌だ。絶対にからかってくるのは目に見えている。

 肉類、魚類の歯ごたえで無いことは確かだ。

 食べた中で1番近いものは小エビだったが、それは蟲飼いから不正解だと言われてしまった。

 

「……んー……」

「もう1回食べる?」

「うん、食べる」

 

 もう1度蟲飼いから口を開けるよう指示をされ、綴は口を開ける。

 目の前に気配がする。蟲飼いが佃煮を綴の口元へ運んでいるようだ。

 あと少しで口の中に佃煮が入る。

 

「何を! しているんですか!?」

 

 が、それは田端によって止められた。

 

「何って……いつもの味覚診断」

「質問が間違っていました。

 何を綴様に食べさせようとしているのですか!?」

 

 田端は急いで綴の目隠しを外す。

 

「イナゴの佃煮」

「!?」

 

 綴は目の前にあった器に盛られたそれを見て絶句した。

 

「綴が俺の育てたイナゴ食べてるのを想像したら、もう……興奮しちゃって……」

「何故それを実行した!?」

「俺もう田端が用意したものでしか診断しない」

「えー? でも美味しかったでしょ? 俺が、綴のために、真心込めて作ったんだよ」

 

 息がだんだん荒くなる蟲飼いから綴を庇うように田端が仁王立ちで立ち塞がる。

 

「綴様に近付くな変態が」

「田端、なんか飲み物用意してくれ」

「かしこまりました」

 

 田端は綴にそう言われると、綴を連れて部屋を出る。

 

「いやいやいや! なんで綴を連れてくの!?」

「貴方と綴様を一緒の部屋にすることはできません。

 全く油断も隙もない人だ」

「酷い。俺ほど綴を思ってる人間はいないよ?」

 

 自分の正当性を主張し始める蟲飼いを無視して綴と田端は調理場へと向かった。

 

「美味しいのに」

 

 蟲飼いは残念そうな声を部屋に残し、蝶となってその場から消え去った。

 

 

「美味かったのが余計に腹立つ」

 

 田端が入れた麦茶をストローで飲みながら、ため息を吐く。

 

「美味しかったのですね」

「普通に小エビかなんかの佃煮だと思ってたわ」

 

 蟲飼いはこうして忘れた頃に自分で育て、自分で作った昆虫食をあの手この手で食べさせようとしてくる。

 普段は田端が目を光らせているのだが、今回はタイミングが悪かった。

 

「前回ははちのこでしたね」

「幼虫類はトラウマあるって言ってんのに……。

 で、そっちはどうだ?」

 

 綴の問いに田端は書類を綴に渡す。

 

「使えそうな呪術師は、10人も残っていません。

 あとは、本当に見えるだけ呪力があるだけの人間でした」

「ふぅーん……」

 

 綴の合図で田端は書類のページをめくっていく。

 それら全てはあの賭場でこちら側へ引き入れた呪術師の詳細な情報である。

 

「ま、呪術師が非呪術師に買われなくて良かったよ」

「そうですね」

 

 田端は穏やかに笑い、綴の言葉に同意する。

 その笑みで田端が言いたいことがあるのだと綴は察する。

 

「なに?」

「12月の百鬼夜行から、また大きくなられた、と思いまして」

「そうか? そういえば今年はまだ測ってないな」

 

 そういう意味では無いのだが……と苦笑すると、綴は少しムッとしたように口を歪ませる。

 

「やはり貴方様を主と認めて正解でございました。

 この田端、残りの生命は全て綴様の為に使う所存でございます」

「いや、そこまでせんでもいいよ」

 

 田端の決意には素直に感嘆するが、でもそこまでして欲しい訳では無い。

 ただ、これまでの人生においてろくな事がなかった田端が、これから先の残りの人生を謳歌できればいいと思っている。

 

「私がそうしたいのですよ」

 

 そう言われてしまえば何も言うことが出来ない。

 田端はいつもこうだ。

 なんでもなんでも優先事項は綴。もっと他のことにも目を向ければいいのに、と思うが田端にその気は無いので何度言っても頷くだけで気にも止めないのだろう。

 

 その時、不意に部屋の扉が開いた。

 

「おや、蟲飼いがいないとは珍しいね」

 

 綴と田端がそちらへ目を向けると、そこに立っていたのは師の皮を被った男だった。

 

「………………田端、飲み物を」

「下水ですね」

「中身はメロンパンだが、身体は傑兄ちゃんだ。玉露をお出ししろ」

「かしこまりました」

 

 顔は怖いことになっているのにも関わらず、綴はテキパキと男を出迎える準備を始める。

 

「君に椅子を勧められるとは思ってもみなかったな」

「身体が傑兄ちゃんだからだっつーの。そうでなかったらマジで下水だしてるよ」

 

 立ち上がった綴は椅子を糸で出し、男を座るのを見てから綴も椅子に座った。

 夏油が生きていた頃は、それはもう尻尾をはち切れんばかりに振る子犬のように夏油を歓迎していた。1部の綴派の人間はその光景をハンカチを噛み締めながら覗いていたという。

 

「──で、なんの用?」

「また、頼みたいことがあってね」

「またかよ」

 

 というかこの男、人使いが荒くないか?気のせいか?

 

「綴、呪胎九相図は知っているね?」

「……ああ」

 

 明治の初めに史上最悪の呪術師として名を馳せた加茂憲倫によって生み出された九体の呪物の総称、それが呪胎九相図。

 

「実はそれの1番から3番までを受肉させてね」

 

 曰く、それらに宿儺の指の回収を命じた。

 曰く、ただの利害の一致であるためまだ信用ができない。

 曰く、もしもの事がないように監視をして欲しい。

 

「いや、別に俺じゃなくてもいいだろ」

「忘れたかもしれないけどね、綴……」

 

 夏油はやれやれと首を横に振る。

 それを見て綴がキレそうになるが、それを何とか堪えて次の言葉を待つ。

 

「君も、彼らと立場は一緒なんだよ」

「………………」

 

 いつ裏切るかわからない。

 

 綴達も、その九相図も同じだと男はそう言った。

 

「ここでもしも私は兎も角、呪霊達の信用を得られなければ、困るのは君だろう?」

 

 綴を呪霊側に引き込むことを呪霊達は了承している。

 だが、綴についてきた呪詛師達はその限りではないということだと、綴は初めに聞かされていた。

 それでも必要だと感じたからこそ綴は彼らを呼び戻した。

 つまり彼らがまた綴の元へ集結した理由は綴にあり、綴の都合なのだ。

 その都合で大切な仲間を殺してはいけない。

 

「……わかったよ、やればいいんだろ?」

「監視するのは君と…田端と蟲飼い以外の呪術師……最近、また数人引き入れたのだろう?」

「そこも指定してくんのかよ」

「むしろ君を参加させてあげることに感謝して欲しいよ」

 

 綴に近しい人間は綴の立場をわかっているからこそ、綴が、望まないことはしない。

 だが、綴と一緒に行動するようになって日の浅い人間はそうではない。まだ綴の考えていることを察することができない。

 

「まあ、ちょっとした試験ってやつだ。

 万が一があれぱ……わかっているね?」

「……わかった」

 

 睨みにけながら綴は吐き捨てるように了承した。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、あの子はどう動くかな?」

 

 綴達が潜伏する部屋から出て、男は呟いた。

 彼にとって綴は駒のひとつに過ぎない。だが、その駒はいつどんな風に動くか全く予想ができない。

 

「期待しているよ、甘菜綴」



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11話

めっちゃ遅くなった。


 甘菜綴と名乗ったその男を初めて見た時、弱そうだと思った。

 両腕は拘束衣によって縛られ、ほっそりとした身体や傷1つ無い顔を見て、矢野はそう判断した。

 

 彼はあの賭場で売られそうになっていたところを助けられた。

 呪術師であることによって差別されてきた矢野にとって、あの出来事は光でしか無かった。

 

「えっと、綴さん……どうして俺を連れて行くんですか?」

「……素人じゃないから」

 

 矢野はこれまで呪術を行使する事態に陥ることが多かった。そのおかげであの日まで逃げおおせることができていたのだが、それを見破られるとは思っておらず僅かに目を見開く。

 目的地に行くため、矢野は綴の後ろを着いて歩く。

 

「危ないと思ったらすぐ逃げろ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 綴のことは事前に蟲飼いと名乗った男に聞いていた。

 呪術師には優しいから安心していいと言われていたが、まだどこかで信じきれずにいる。

 

「矢野」

「はい、なんですか?」

「先に目的地に行っといてくれ」

「え?」

 

 矢野はずっと綴に気を取られていたため気が付かなかったが、前に見知らぬ人物がいることに気が付いた。

 

「あの、でも……今から会うのって、呪霊なんですよね?」

「厳密に言えば、呪物の受肉体だ。呪胎九相図と言って………いや、この話は後にするか。

 今、アイツらが俺達を害するとは思えないから安心していいと思う」

 

 そう言うと、綴は矢野の背中を膝で軽く蹴った。早く行け、ということだろう。

 矢野は急いで見知らぬ人物の横を通り過ぎた。通り過ぎたところで、彼が人間では無いことに気がついて後ろを振り返るが……綴に睨まれたため、すぐに前を向いて走った。

 

 

 

 

「で、なに?」

 

 矢野がいなくなったことを確認して、綴は目の前に現れた真人を睨む。

 

「いや、ちょっと勧誘?」

「は?」

 

 露骨に嫌そうな顔をする綴に苦笑する真人は、言葉を続ける。

 

「俺達は夏油と協力関係にあるわけなんだけど、やっぱり心底からは信用できなくて」

「それが懸命だな」

「キミも、そうだろ?

 むしろ憎くてたまらない、殺してやるってね。でもできないのは夏油の呪霊操術のせいで、夏油の支配下にあるからだ」

 

 綴は子蜘蛛によって半分が人間ではなく呪霊として存在している。

 それを夏油の呪霊操術でコントロールしているため、急激に子蜘蛛と成り果てることはなかった。ゆっくりと、亀の歩み寄りもゆっくり子蜘蛛となっていく。

 本当ならば既に失っているであろう味覚、消化器官能力も僅かに落ちただけで健在だ。

 

「でもそんなことはどうでもいい。

 夏油を殺せないのは、夏油に抑え込まれるからじゃない?」

 

 どれだけ殺そうとしても、寸前のところで止まってしまう。

 

「だから俺達と手を組もう。夏油よりは信用出来る」

「人間と呪霊は根本的なところ理解し合うことができない。だから俺はあのメロンパン野郎と同じくらいお前達を信用出来ない」

「でも、ほとんど呪霊だろ?」

「舐めんな、まだ人間だ」

 

 綴のその答えは真人がよそうしていたものと同じだった。

 

「というか、お前は呪術師を殺してるんだろうが」

「そこ、重要?」

「重要だ。俺は、呪術の存在を知る人間だけの世界を作るのが目的だからな」

「………無理だと思うよ?」

「俺もそう思う」

 

 でも、だからと言って諦めるつもりはない。

 そう言った綴の魂は今まで見てきたどんなものよりも力強い。

 

「俺の共犯者は、あの人だけで充分だ」

 

 綴は真人の隣を通り過ぎる。

 

 彼の目的は、自分達の「呪霊と人間の立場の逆転」という目的よりも途方もない事だ。

 その昔、呪術は今よりも一般的なものであったという。それでも1000年以上の時が経ち、呪術師は忘れ去られていった。

 もしも綴の目的が達成されても、結局はまた永い時を経て現代に戻ることだろう。

 それでもやるのだと言い切った彼は、今後どうなっていくのだろうか。

 

「ま、邪魔になるなら殺せばいいか」

 

 

 矢野のことが心配で早足で向かったのだが、どうやらその心配は必要なかったらしい。

 

「あ、綴さん!」

 

 矢野は、九相図の1人とババ抜きを楽しんでいた。

 

「……何やってんだ、お前」

「血塗君とババ抜きです!」

「見たらわかんだよ」

 

 まさかこんなにも短時間で打ち解けてしまうとは思っても見なかった。

 矢野と血塗は真剣な表情をしてトランプとにらめっこをしている。

 

「貴方が甘菜綴ですね?」

「……そうだけど。アンタが脹相?」

「いえ、私は壊相と申します」

 

 裸体の上に蝶ネクタイと女性物のボディハーネス、Tバックを着用した奇抜な壊相だが、性格には問題はなさそうだ。

 

「この度は我々の監視をすると聞いていますが………」

 

 壊相が見たのは、弟の血塗とババ抜きを楽しみ、負けたことを悔しがってもうひと勝負しようとする矢野だ。

 

「貴方を待つ間、暇つぶしに何故かこうなってしまって。これで通算4度目です」

「あの短時間で4回もババ抜きできんのかよ」

「2人は楽しんでいるようなので、我々だけで打ち合わせをしましょう」

「わかった」

 

 矢野はこれまでまともに生活出来なことがないことを綴は聞いていた。

 だから、心の底から笑って楽しむ矢野の邪魔をしてはいけないと、綴は壊相の後ろをついて行く。

 

「…………なんでこっちを見る?」

「背中は、あまり見られたくありませんから」

「………」

 

 後ろ向きで歩く壊相の後ろ(?)をついて行くと、壊相や血塗よりも強いと分かる男が立っていた。

 

「受胎九相図長男・脹相、で間違いないな?」

「ああ、そうだ」

 

 正直、綴は呪霊達と同じように彼らを信用していない。ここで一悶着あることも織り込み済み。それだけ彼らにとって監視者は面倒なものだろうと、踏んでいる。

 矢野は問題ないだろう。例え深手を負わされても、即死しなければ彼の術式でなんとかなる。

 

「弟が済まないな」

「は?」

 

 まさかそんなことを言われるとは思っておらず、綴は困惑する。

 

「いや……うちの部下こそ、済まない」

 

 弟、おそらく血塗のことだろう。

 しかし矢野が楽しんでいるのなら、別に綴は何も思わない。むしろ、新しい一面も知れてよかった。

 

「血塗が、友人ができたと言っていた」

 

 呪胎九相図は兄弟だと聞いている。

 脹相の血塗を思うその表情は、どこか見覚えのあるものだった。

 そんな眼差しを向けられていたような気がする。師であった夏油もそうだが……もっと別の……。

 

「甘菜綴?」

「いや、何でもない。

 あと名字の方はあまり呼ばないでくれ」

 

 捨てた家の家名を名乗りたくはないが諸事情により改名できずにいる綴は、酷く嫌悪した顔をして吐き捨てるようにそう言った。

 

「矢野が、誰かと仲良くすることはこちらとしても好ましい」

 

 まるで、これまでの生活を取り戻すかのように遊ぶ矢野を見て、綴は安心していた。

 矢野は強い子だ。その強さが、今回矢野を選んだもうひとつの理由である。

 

「気を許した奴には人懐っこいから、多分今後もこんなことがあると思う。

 そちらが良ければ受け入れてやって欲しい」

「わかった」

 

 話してみればなんてことは無い。むしろ呪霊達よりはだいぶ付き合い安い。

 それがお互いがお互いに抱く印象だった。

 監視され、監視する立場であるが良い関係を築いていけるだろう。

 

「事情があって、表立っては味方できんがな」

「事情、ですか?」

「……夏油傑と名乗った男がいただろう?」

「あの男か」

 

 綴はわざと、わかりやすい溜息を吐く。

 

「アイツの皮は、俺の兄貴分であり師である夏油傑の物だ」

 

 兄の皮を被っている何者か、それを聞いた脹相と壊相の顔に嫌悪が現れる。

 兄弟を大切にする彼らにとって、なんとも酷い話のように聞こえてしまっていた。

 

「アイツは夏油傑の術式も扱える。呪霊操術と呼ばれる物で、呪霊を操ることができる。

 俺が子蜘蛛であることは聞いているな?」

「つまり、下手に裏切ればお前の身が危ないと、そういうことだな?」

「ざっくり言えば。

 でも俺の目的はアイツを傑兄ちゃんの身体から追い出して殺すことだ。

 その後は、呪術を知る人間のみの世界を作る」

 

 綴は胸を張ってそう宣言する。彼ならばその宣言通りの世界を作ってしまうのではないかと錯覚してしまいそうな程、堂々としたものだ。

 だが、それが容易なものでないということは脹相も壊相もすぐに気が付いた。

 

「難しいだろうな」

「俺もそう思う」




芥見先生の健康を祈って折り紙で鶴折ってみる。


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12話

 八十八橋。

 そこを訪れた綴と矢野は、橋を見て回ろうとして足を止めた。

 

「呪術師がいるな」

「え」

 

 姿は確認できないが、おそらく高専のあの1年生達だろう。

 

 さて、どうするか……。

 ここで会ってしまうのは避けたい。会えばまた面倒なことになることは目に見えている。

 だからと言って、呪霊のように非術師に認知されない訳では無い壊相と血塗をここに案内したとしても、しばらく身を潜める場所が無ければ騒ぎになるのもわかっていることだ。

 

「綴さん、あの人達何しに来たんでしょう?」

 

 そう、それが1番の問題。

 もしも自分達と目的が同じであれば、争うことは必至。

 夏油の皮を被った奴の目を欺く為にも、もしもの場合は綴達も加勢することが望ましい。

 

「したくねぇ……」

「面倒相手なんですか?」

「弱くて殺しそう」

「あ、なるほど」

 

 呪術師はできれば殺したくない綴らしい答えだった。

 特級呪術師である夏油の弟子である綴にとって、高専1年生は取るに足らない存在だ。うっかり殺してしまうかもしれない。

 

「そこはほら、壊相さん達に相談しましょって」

「……そうだな。

 はぁ…なんで田端連れてきたらダメなんだろ」

 

 転送術式を扱える田端を使えないこの現状に綴はため息を吐く。

 今回連れて来てもいい存在は、矢野だけだった。

 田端は待機することになっており、その条件を違えれば綴達は呪霊達からの信頼を失うことになる。

 

「なんで呪霊達の信頼を失っちゃダメなんですか?」

「……」

 

 それは綴のせいだ、とは言えなかった。

 綴が夏油の皮を被った彼を裏切れば、1番に被害を受けるのは綴に信頼を寄せる彼らだ。また、彼らが裏切れば被害を受けるのは綴だ。

 呪霊の信頼を失うということは、奴にもそれが直結してしまう。

 

 夏油は綴の中にいる子蜘蛛を使役したからこそ、綴は子蜘蛛と肉体や精神を取り合うことはなかった。

 もしもそれがなくなれば、綴は今までの負荷を一気に受けることになる。

 ほとんどの子蜘蛛を食べている綴の寿命は縮み、そして今までの力を失うことだろう。

 綴を信じる人間たちは、綴を守るために我慢を強いられている。だから綴もそれに応えるために、奴に従うしかない。

 

「……話すべき時がきたら、話す」

 

 矢野の顔を見ずに綴はそう言ったが、矢野は気にしなかった。

 

「はい、待ってますね!」

「聞かないのか?」

 

 矢野は頷いた。

 

「だって、いつかは話してくれるんでしょ?」

 

 満面の笑みを浮かべてそう言う矢野に、綴は顔を顰めた。

 自分は、もしかするとこの少年を裏切ることになるかもしれないと感じたからだ。

 

 面と向かって見せられる好意には未だに慣れない。

 昔からずっと受けてきたものだと言うのに、目を背けたくなる。

 何故なら、自分はそれを受けていい人間ではないから。自分のせいで破滅した人間を見てきたから。

 

「──……。

 とりあえず、この近くを探索して八十八橋の呪いの情報を集める。

 その後に壊相達を呼ぶぞ。アイツらが移動できるのは夜だけだから、明日までにはここへ連れてくる。

 それまでにアイツらが八十八橋について情報を得るようなら……俺達がどうにかするしかない」

 

 できればしたくない。

 

 綴は面倒くさそうにため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

 

「大丈夫でしょうか?」

「田端、部屋をウロウロしないでくれない?」

 

 綴を心配し、部屋をうろつく田端を蟲飼いは鬱陶しいと眉を顰める。

 

「田端は本当に過保護だねぇ……綴のことを思うなら、ちょっと放任すればいいのに」

「またご無理をなされるかもしれないのに?

 蟲飼い、綴様がいない半年間、貴方は何を思い生きてきましたか?」

 

 それを言われてしまえば口を噤むしかない。

 今回自分達は綴について行って手伝うことを禁止されている。

 だが、綴はまだ子供だ。18歳だと言っても、まだ大人目の前だと言うだけで片足にも入っていない。本来であれば、まだ世間から庇護されるべき存在だ。

 そんな子供はいつだって無茶をする。

 無茶をして大人である自分達も守ろうとする。

 だからいつだって、誰よりも傷付く。

 

「何を、思って生きてたか、ねぇ……」

 

 そんなこと決まってる。

 地獄だ。絶望でしかない。

 綴がいない世界は地獄でしかない。毎日がつまらない、綴が心配で心が休まらない。

 最初はただ、子蜘蛛が魅力的で欲しかっただけ。だと言うのに、そんな自分にも手を伸ばし懐に入れてしまった。

 その瞬間から、この子を守らないといけないと感じた。

 この子を死なせてしまったら、きっと自分は後悔する。

 子蜘蛛としてでは無く、1人の甘菜綴(人間)として蟲飼いは綴に対して初めて愛情を抱いた。

 

「そう言う田端はどうなんだ?

 俺はアンタと綴がどう出会ったかなんて全く知らないんだ。どういう経緯で、綴に従っているのかは知っているけどね?」

「誰にも話しませんよ。

 それが、あのお方との約束ですのでね」

 

 田端は一礼して部屋を出た。

 

「………相変わらず、ケチだな〜」

 

 そう思わない?

 

 蟲飼いが振り返ると、そこにはツギハギの呪霊が立っていた。

 

「えーと、確か真人だっけ?

 ごめんね、待たせちゃって……」

「別にいいよ、面白い話も聞けたし」

 

 田端が用意した粗茶(謙遜などしていない)を飲みながら、ニコニコと笑っている。

 

「呪霊からこっちにコンタクトを取ってくるなんて、信じられないけど……何の用?」

「いや、ちょっとした人間の勉強って言うかさ。

 前から興味あったんだよ、君達に。もう1人には……逃げられたけどさ」

 

 人間の勉強?

 何わけのわからないことを、と僅かに顔を顰める。

 綴曰く、真人は魂の揺らぎも見えているので、表情を殺していても意味が無い、との事なので、蟲飼いは敢えて表情を全面的に出していくことにした。

 

「俺から学べることなんて、何も無いと思うけど?」

 

 呪霊と話しているだけで、妙な気分になる。

 

「いや、俺が興味持ってるのは……甘菜綴のほうだよ」

「は?」

 

 蟲飼いは綴の名前を聞いて、真人への警戒心を高める。

 

「初めて会った時、ちょっと驚いてさ。

 アイツ、俺でも見えないくらい魂をガッチガチに固めてるんだよ」

 

 綴の本音はいつだって見えない。

 魂が絶対に揺らがない。

 それが不思議でたまらない。

 

 しかし、唯一それが解れる人間がいた。蟲飼いや田端、そして幼い頃から綴を信じて、今また全員集結しようとしている人間達、夏油一派の残党、そういった人間には、綴もある程度気を許している。

 いつでも、誰に対しても魂を固めるなんてできっこない。そもそも魂が揺らがないように固めるなんて無理だと思っていた。

 実際にしているところを見れば、認めるしかないのだけれど。

 

 初めての事例だ。

 だから、甘菜綴が知りたかった。

 

「……綴は、我慢の天才なんだよ。

 

 呪術という世界に触れた時も、綴は我慢した。

 子蜘蛛に己を食い破られそうになっても綴は我慢した。

 五条先輩の時(・・・・・・)も、綴は我慢した。

 

 我慢して我慢して我慢して。

 そんなあの子の気が休まるなら、俺はなんだってするさ。

 少しでも自由に生きられるように努力する。

 俺は綴が、世界で1番大切なんだよ。

 

 だから、悪いけど、そんな大切な綴のことを他人と共有したくないんだよ、俺は。

 ほら、同担拒否って奴。

 人間相手にもそうなのに、呪霊のお前に、これ以上のことは言いたくないね。

 

 ま、綴の魂について教えて貰えたから、少しはサービスしたけど……これ以上はないよ」

 

 それ、飲んだら帰れよ。

 そう言うと、蟲飼いは部屋を出た。

 

──平気そうな顔をして、アイツも甘菜綴が心配なんじゃないか。

 

 真人は粗茶を飲みながら、蟲飼いが出て行った扉を見つめていた。




蟲飼いをもっと気持ち悪く書きたい。


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13話

遅くなりました。
文章の書き方も少し変えています。
あと、久しぶりすぎておかしな日本語使っているかもしれません。
ご了承ください。



 蟲飼いへ。

 お前、まだ俺の言うこと聞くほうだったんだな。

 

 

 綴は血塗(小)を抱える矢野の背中を蹴る。

 

 と言うのも、呪術高専の虎杖悠仁、釘崎野薔薇と対峙した血塗は激闘の末殺されることとなってしまった。

 が、この矢野という呪術師はそれを諦めきれず血塗を血塗(小)にしてしまったのである。

 

「で、でも友達なんだよ!」

「手前の術式で蘇らせたって、それは本人じゃねぇだろが。

 ったく、手出しすんなって言われてんのに手前は本当に……」

 

 矢野は血塗(小)をポケットにしまうと、そのままどこかへ走って行こうとする。

 

「待て待て待て待て、どこに行く!?」

「壊相君の死体の所です!」

「俺の話聞いてた!?」

 

 もうダメだこれ、なんて説明しよう……。

 綴は深いため息を吐いた。

 

「大丈夫ですよ、田端さんなら許してくれます」

「もっと面倒なのが2人くらいいるだろうが!」

 

 再度背中を蹴ると、矢野は鈍い悲鳴を上げる。

 面倒なの2人、例のメロンパンと呪胎九相図の長男のことであるが、本当に何と説明すればいいのやら。

 ここで奴らに目をつけられるのはごめん蒙りたい。かと言って矢野が張り切って術式を使用した血塗(小)について伏せていれば、バレた時の反動がでかいような気もする。

 

「矢野」

「は、はい!」

「俺もついてってやるから謝りに行くぞ」

「何故に!?」

 

 腕が自由なら綴は矢野の額を叩いているだろう。

 

 

「というわけで、本当に申し訳なかった」

 

 血塗(小)を手のひらに載せる脹相、綴とその後ろで頭を下げる矢野という異様な光景を見て、蟲飼いは耐えきれずに笑った。

 

「笑うなバカ」

「だって! 君のことを悪意なく振り回す子なんてなかなかいないから!」

「うるさい。矢野、俺はこの事をあの野郎に説明しに行くから、脹相にはしっかり説明しろよ」

 

 綴はそう言って糸で蟲飼いを引っ張って部屋を出て行ってしまった。

 

「………」

「………矢野、と言ったか」

「あ、はい」

 

 正直、矢野はどうして怒られているのか全くわかっていない。

 単純に血塗と友達になれたのにこのままお別れしてしまうのが嫌だったからこうした形にして残したのに……。

 

「これは、本物の血塗なのか?」

「えーと、俺にもよく分かってないんですけど、呪力や肉体は確かに血塗君のものです。でも……本人の意思は、無いんですよ。そこまでまだ上手くできなくて」

「お前は屍術師、ということか?」

「あ、はい、そうなんです。

 こうやって死んだひとを残しておけるから、俺のしては……その、いい事したなって感じで……なんで怒られたのか、サッパリで」

 

 矢野に悪意は無い。知らないだけなのだ。

 脹相は矢野から小血塗を受け取る。それはとても軽かった。

 

 

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

 

「どうなると思う?」

「なんの事だ?」

「矢野のことだよ、よくわかっているだろう?」

 

 確かにほの暗い廊下を進みながら、綴は矢野のことを考えていた。

 後先考えず行動するところは欠点ではあるが、そのぶん素直な性格であるため打ち解けることが出来れば問題は無いだろう。

 

「俺的には、少し懲りて欲しいなと思っているよ」

「……意外だな」

 

 基本、呪術師を殺すことは無い綴に倣い、蟲飼いも呪術師が死ぬことを良しとしていないと綴は思っている。

 実際はどうかはわからない。

 裏でコソコソと邪魔な者を排除している可能性もあるが、証拠がない以上は何も言うことはできない。

 そんな蟲飼いが、自分の前でそんなことを言うなんて思ってもみていなかった。

 

「……綴」

「なに?」

「そろそろ、君は人の上に立つ人間だということを、しっかり自覚した方がいい」

 

 あまりにも真剣な声色に綴は足を止める。

 普段は綴が失敗したとしても、笑って次があるさと言ってのける彼は今はこうして綴の正面に立ち塞がっていた。

 あまりにも珍しい進言に綴は耳を傾ける。

 自分が未熟であるということはよく理解しているつもりだ。だからこそ、その隙を早く克服せねばならない。

 

「夏油傑なら、許しちゃうんだろうけど……君は優しすぎるんだよ」

「身に覚えがないな」

「だろうね。

 でもその身に覚えがない優しさを振り撒いている結果、矢野みたいな君の言うことを聞かないって言うトラブルが起きたんだろう?」

 

 言うことを聞かないのはお前も一緒だと言いたかったが、あまりにも真剣なのでやめておこう。

 しかし、それとこれと何か関係があるのだろうかと綴は首を傾げる。それを見た蟲飼いは僅かに苦笑いをしてみせる。

 

「綴、規律(ルール)は人間にとって必要不可欠なものなんだよ。

 君ひとりのカリスマで成り立っていると言っても過言ではない組織だからね。

 でもそれで綴の身に何かあっては行けないんだ。

 だからしっかりと教えなければならない。君が絶対的な規律(ルール)であることを」

 

 蟲飼いは綴の頬に触れる。

 

「君が心配なんだ」

 

 これは本気でそう思っているのだろうな、とすぐにわかった。

 そうさせてしまったのは自分だ。

 だから本当に申し訳なく思ってしまう。

 

 付き合いだけで言えば蟲飼いは1番古い。

 しかし未だに綴は蟲飼いのことを理解しきれていない。

 付き合い方はそんな中でも色々と学んできたつもりだった。だが、ここまで自分を案じてくれていることを見誤っていたようだ。

 

──どうしてこの男は、自分のことをこんなにも大切にしてくれるのだろうか。

 

 

「………今後は気を付ける」

「本当に?」

「俺が信用できないのか?」

「ふふっ

 冗談だって、そんな顔して怒るなよ。興奮するから」

「キモイ」

 

 蟲飼いの脛をつま先で思い切り蹴って、綴は歩を進める。

 

 そんな彼の後ろ姿を見ながら蟲飼いはため息を吐いた。

 綴が今回血塗と壊相、呪術高専の虎杖悠仁と釘崎野薔薇との戦いに参戦せずにいてくれたことに安堵していたからだ。

 

──綴が現れた場所を高専に知られるのは不味い。

 

 綴は脱獄した呪詛師であると同時にあの五条悟に行方を探られている。

 今は追われないように蟲飼いの蟲で呪力を誤魔化しているが、それもいつ綻びてしまうかわからない。

 そもそも前回の1回でも危なかったところだったのだ。田端の機転がなければ綴はまた捕まっていた。

 

 正直なところ、綴の平穏の為に呪術界が本当の意味で落ち着くまでは彼を助ける気は無かった。

 暗躍している人々、呪霊が多い今この時に綴が出てくれば色んな所から悪意ある手が利用しようと伸ばされるのは目に見えていた。

 その予感は見事に的中した。

 

 綴の所属する夏油一派には夏油派と綴派が存在している。

 綴自身が夏油傑を尊敬していたからこそ、両派閥はそこまでの拗れを産んではいなかった。

 しかし、今回綴が脱獄した途端夏油派の人間達が綴を利用しようとしてきた。それも呪霊達も一緒にだ。

 

 ふざけるな。

 

 綴は彼らのことも未だに仲間だと思っているが、そんなことはもう関係がない。

 どんな理由を並べようと彼らは蟲飼い達を敵に回していた。

 

 

 とにかく、綴が利用され心落ち着かない姿を見たくはない。

 

「だと言うのに、綴はそういうとこ無関心なんだよなぁ」

「何か言ったか?」

「いや、なんでもないよ」

 

 夏油派の人間や、夏油傑の皮を被るアレに協力すると決めてしまっている以上、今は綴がこれ以上苦しまないようにサポートするしかない。

 綴への信用があるため、その決定を覆してまで意見を言うことは無い。もし綴が失敗しそうになっていれば、助けてやればいいだけだ。

 

 でもその前に尋ねなければならないことがある。

 

「綴、1つ聞いてもいいかな?」

「なんだ?」

「君は、俺のことをあの頃(・・・)と変わらず思ってくれているかい?」

 

 幼い綴の手が蟲飼いの手を握ってくれたことを思い出す。

 あの手がなければ、自分はこうして綴をここまで大切に思うことは無かっただろう。

 この子は、今でもあの頃と変わらない救世主なのだろうか……?

 

「当たり前だろ?」

「………そう、か……そうか……」

 

 蟲飼いは安堵の笑みを浮かべて綴の後ろを着いて歩く。

 

「やっぱり綴はこの世で最も美しいよ」

「五月蝿い」



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14話

こっちでは救済するぞ!と意気込んでみましたが、なかなかに難しい……。
あと早く渋谷事変書きたいという煩悩が見え隠れしてます。


 蟲飼いは綴に吹き飛ばされた少年を見て首を傾げる。

 

「あんな子うちにいたっけ?」

「綴様が連れてこられたお方です」

 

 それに答えたのは綴の為によく冷えた水を持ってきた田端だった。

 

「綴が?

 またいつの間に人をたらしこんでるんだか……」

「たらしこんだ、というよりは……」

 

 田端が何かを言おうと口を開くが、それは激しい破壊音によって掻き消えた。

 少年が綴に蹴り飛ばされて壁に突き刺さったようだ。

 

「やりすぎじゃない?

 あの子術師でしょ?」

「ええ、ですが最近まで生身の身体を使っての戦闘をしたことが無いとか」

「は?」

 

 どういうことか詳しく聞こうとした時、綴が田端を呼ぶ。

 蟲飼いのことよりも綴を優先する田端から、あの少年のことを聞くことが叶わず思わず肩を竦め、蟲飼いも綴の所へ向かう。

 

「田端、浴室の準備をしておいてくれ」

「かしこまりました。

 お食事の方はどうされますか?」

「適当な物を頼む。こいつは病み上がりだから食べやすい物を」

 

 綴の頼みを聞いて、田端は一礼してから部屋を出る。

 

「で? 綴はなんでその子いじめてるの?」

「いじめてない。

 こいつが頼んできたんだ」

 

 綴がそう言うので蟲飼いは少年をまじまじと観察する。

 頬に傷のある少年だ。

 少年は綴に蹴り飛ばされたことを悔しく思っているのか、口を結んで俯いている。

 

「うーん……よし、自己紹介からだ。

 俺は蟲飼い、ヨロシク……で、君は?」

 

 蟲飼いが差し出した手を訝しげに見つめてから、少年は名乗る。

 

「……与幸吉」

 

 

 綴にとって、呪霊達が何を企もうと関係の無い話だった。

 仕事はするが基本勝手にやっていろ。こちらに火の粉がかかりそうになればトンズラすればいい。

 だが、結局そうも言っていられない事態となった。

 それがこの与幸吉だった。

 

「つまり、殺されそうになっていて、助けられそうだったからこっそり田端の転送術で助けてきた、と?」

「自分でもどうかしてたと思うよ」

「本当にね」

 

 ここは特級呪霊が揃っている。

 もしもそんな彼らの手から逃れた術師がいれば、それが綴によって手引きされたものだと知れば、何が起こるかわかったものではない。

 

「その辺は夏油(あの野郎)がどうにかするだろう」

「イマイチ信用できないけどなぁ」

「俺が死ぬと困る(・・・・・)のはアイツだ」

 

 誤差でしかないだろうが。

 というのは蟲飼いには言わなかった。

 あまり彼を含めた仲間達にこれ以上の心配は掛けたくない。

 ただでさえ最近無茶をしていて彼らを不安にさせているのだから。

 

「……そう。

 綴がそう言うなら信用するよ。でも、本当に無理だけはしないでくれよ?」

「わかってる」

 

 蟲飼いはそんな綴の表情を見て、何かを隠していることに気がついていた。

 その何かはわからないが、もしもの時は自分が何とかすればいいと無理矢理納得することにした。

 

「で?

 与君だっけ? 君はこれからどうするつもり?」

「どうするって……」

「俺らは呪詛師だ」

 

 その一言で与は蟲飼いが何を言おうとしているか何となく理解する。

 「まだ引き返せる」そういうことなのだろう。

 

「田端の転送術なら君を安全な所まで連れて行ける。 

 その後のことは保証できないけどね」

「……俺は」

 

 蟲飼いも綴も与の次の言葉を静かに待つ。

 例え呪術高専の人間であろうと彼は術師だ。どんな言葉が返ってこようと綴はその意志を尊重しようとするし、蟲飼いもそれに従う。

 

「俺は、強くなりたい……皆に、会いに行くために!」

 

 与の脳裏に過ったのは京都校の仲間達…そして、幸せになって欲しいと願った彼女(・・)だった。

 そのためには強くならなくてはならない。

 そうでなければ、彼らに合わせる顔など無い。

 

「……だってさ」

 

 蟲飼いは綴に尋ねる、このまま彼を匿い続けるかどうかを。

 だが、答えは最初から綴のなかでは決まっている。

 

「わかった。

 とりあえず身体の使い方をおぼえろ」

 

 そう言うと綴は2人に背を向けて立ち去って行った。

 取り残され呆ける与の肩をポンポンと叩く蟲飼いの表情を見ることができなかったが、与は少しだけ正気を取り戻す。自分にはまだ、彼らと再会できるチャンスがあるのだと。

 

「待っていてくれ、みんな……」

 

 

 そんな与を尻目に蟲飼いは気付かれないようため息を吐く。

 また面倒ごとが増えた、それが彼の本音である。

 綴を付き従う人間は自分ひとりで充分であるし、こんなどう転ぶかわからないような人間を抱えておくリスクも大きい。

 綴にバレないように感情を押さえ込んでみたが、今の顔は綴にはもちろん他の仲間にも見せられない。

 それくらい酷い顔をしているはずだ。

 

───どうにかして、こいつもどこかで消せないか……?

   綴にバレたら俺の身がどうなるかわかったもんじゃないけど……それはそれで興奮するしな。でも悲しんでるところは、あんまり見たくないなー。

   あー……迷うなぁ……。

 

 蟲飼いは救いようがない変態である。

 

 

 

 

──────────────────

 

 

 

 

 

「やぁ、綴」

「手前に名前で呼ばれたくないんだが?」

 

 綴が睨む先には奴がいた。

 

「そう睨まないでくれよ。

 ほら、見た目は君が大好きな夏油傑だ」

「…………………」

 

 この男を殺してやりたい。

 他の誰でもない自分の手で。

 そうやって恨みを募らせていくが、当の本人はどこか余裕そうに苦笑するのみだ。

 

「そろそろ私の正体にも気がついた頃だろう?

 君の情報収集能力は馬鹿にならないし、何よりあの双子よりも頭がキレる」

「……美々子と菜々子のことか?

 アイツら確かに馬鹿ではあるけどあんまり舐めてんなよ」

「はは、君もなかなか言うね」

 

 この男の正体。

 確かに綴の持てるものを全て駆使して探っていたが、結局答えにまではたどり着けていない。

 それでも、"有り得るのではないか?"という仮説が綴のなかで固まっていた。

 

「……俺の知っている術師の中に、百歳を超える婆さんがいる」

「へぇ、それは長生きだ」

「よく言うよ、それより長くを生きているくせに」

 

 そう言うと彼はニヤリと笑う。

 

「その婆さんが言うには、自分の父親の知り合いには額に大きな縫い目があったらしい。

 名前は、加茂憲倫」

 

 目の前の男の反応を見るに、どうやら当たりのようだ。

 

「………けど加茂憲倫に、その縫い目があるってことはだ……アンタの前の器(・・・)が加茂憲倫ってだ」

 

 そう答えた綴に彼はフッと吹き出すようにして笑う。

 

「前、ね……?

 そこまでは良い推理だったよ」

 

 しかしそれでは足りないのだ、と彼は綴に突きつける。

 

「それじゃあ、これからも引き続き頑張ってくれ」

「わからないな。

 俺はアンタにとってそこまで重要な術師でないはずだし、俺が裏切る可能性のほうが高いだろう?」

 

 何故、この男はそこまで自分をかうのだろうか。

 それがわからなく、綴は不気味に思っていた。

 

「理由はいろいろある。

 君は呪霊操術でいつでも私の思い通りに動かすことが出来るし、人質になる術師もいるからまず裏切ることはない。まだ利用価値もある。

 だがそれ以上に………君を最期の寸前まで思っていた夏油傑に感謝することだ」

 

 それだけを言って彼は綴に背を向ける。

 

「ああ、それと。

 ()のことは呪霊達には秘密にしておくけど、引き際は心得ておくべきだ」

 

 今度こそ彼は綴の元を去っていく。

 完全にいなくなったのを見て、綴はため息を吐いた。

 

「何も対策しなくてもバレバレじゃないか。

 余計なお世話だ(・・・・・・・)。絶対に殺してやる」

 

 奥歯が鳴る音がする。

 それは自分の行動を読まれているこの状況に対してか、それともまだ夏油傑に守られていることがわかってしまったからなのか。

 




劇場版呪術廻戦0、上映おめでとうございます!
もちろん見に行きました!
本当に感動して仕事の疲れも吹っ飛びました。
これからも芥見先生を始めとした呪術廻戦に関わる人々を応援しています!


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