北陸の小さな港町に、
東京からの客が多く、若者や家族連れが観光や海水浴のついでに立ち寄ってくれる。小さな店ではあるが、テラスから海を眺めながら味わうコーヒーは格別だった。
その店の主、
都会で流行りの
それは、8月の中頃だった。高校生ぐらいだろうか、白いワンピースに麦わら帽子の少女が来店した。東京からの観光客だと推測できる垢抜けした雰囲気だった。
「いらっしゃいませ」
外出中のウエイトレスに代わって、義信が水を持っていった。
「アイスコーヒーを」
そう言って帽子を取った少女の顔を見て、義信は目を丸くした。
「……」
無言で見つめる義信を少女が不思議そうな顔で見上げた。
「……何か?」
「あ、失礼しました。知り合いに似ていたものですから。申し訳ありません」
義信はお辞儀をすると、カウンターに戻った。――グラスに氷を入れながら、海を眺める少女の横顔を
……似ている。
義信はそう思いながら、顔を確認するかのように何度となく少女を見た。そして、メモ用紙に走り書きをすると、その紙切れをグラスと一緒にトレイに載せた。
「おまちどおさまです」
グラスを置いた。
「つかぬことをお尋ねしますが、この名前に心当たりはありませんか」
そう言って、テーブルに紙切れを置いた。そこに書いてあったのは、〈菜月〉だった。
「あ、お
少女が笑顔で見上げた。思った通りの返答に、義信は顔を
「やっぱりそうでしたか。
「そうだったんですか……」
「お顔がそっくりなので、もしかしてと思って」
「よく言われます。
そう言って、少女は白い歯を覗かせた。その時、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
客が来た。――店が混み始め、注文の料理を作るため、義信はキッチンに入った。折よく戻ってきたウエイトレスが店を切り盛りした。
ナポリタンを手にカウンターに戻ると、少女の姿はなかった。菜月のことを聞きたかった義信は肩を落とした。――
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後編
菜月は高校時代の友だちだった。卓球やボウリングをしてよく遊んだ。自分の気持ちを上手に伝えることが苦手だった義信は、姉のようにリードしてくれる活発で勉強もできる菜月に
就職で上京した菜月とはそれ以来会っていなかったが、孫だという少女に
その翌日。最後の客が帰り、そろそろ閉めようと思った時だった。ドアベルが鳴った。ドアに目をやると、白いワンピースに麦わら帽子の女が入ってきた。一瞬、昨日の少女かと思った。
「いらっしゃいませ」
昨日の少女が座った席に就いた女のテーブルにコップを置いた。昨日とまったく同じシチュエーションだった。
「アイスコーヒーを」
女はそう言って、帽子を取った。途端、
「あっ」
義信は小さく声を発した。女は
「な、菜月?」
「お久しぶり。荒木くん」
そう言って、菜月は柔らかい笑顔を向けた。口元に浅いシワを刻んでいたが、当時の面影はそのままだった。昨日の少女の母親でも通る。と義信は瞬時に思った。
「お孫さんに聞いて?」
「ええ」
「しかし、君にそっくりだった」
「よく言われるわ。隔世遺伝だって」
昨日の少女と同じ言いぐさだった。
「ちょっと待って。今、アイスコーヒー持ってくる」
義信は慌ただしく背を向けると、急いで店を閉めた。
二人はテラスで、夕焼けに染まる海を眺めながら潮風を浴びていた。
「……君はあの時のままだ。変わってない」
「変わったわよ。シワができちゃった」
「目立たないよ。俺なんかご覧の通りの白髪頭だ」
「私だってそうよ。染めてるだけ」
「サラサラで綺麗な髪だ」
「ありがとう。トリートメントのおかげ」
「あんな可愛いお孫さんが居て幸せだな」
「ええ、幸せな人生よ。荒木くんは?」
「俺も幸せな人生だ。娘も嫁に行って、孫も居る。女房は2年前に亡くなったが」
「私の夫は3年前に亡くなったわ」
「じゃ、二人とも独身だな?」
「ふふふ……。そうね」
柔らかい笑顔を向けた。
「あの頃、……君に片想いだった」
「えっ?」
菜月が驚いた顔をした。
「……私も」
「えっ!」
今度は義信が驚いた顔を向けた。
「私も荒木くんのこと好きだった。一緒に居ると気持ちが安らいだ。……安心できた」
菜月の瞳が潤んでいた。
「……菜月」
菜月からの思いがけない告白に、義信は高校生に戻った気分だった。義信はしみじみと菜月を見つめ、そして、静かに唇を重ねた。二人を照らしていた夕日は、水平線の向こうに沈んでいった。――
翌日、開店して間もなくドアベルが鳴った。ドアを見ると、白いワンピースに麦わら帽子の女が入ってきた。菜月だと思って声をかけようとした瞬間、少女が義信を見て、ニコッとした。孫のほうだった。
「いらっしゃいませ」
水を持っていくと、少女の指定席になったテーブルに置いた。
「菜月さんに教えてくださったんですね。ありがとうございます」
「えっ?」
少女が
「……私のことを」
「なんのことですか……」
少女は腑に落ちない顔をしていた。
「……」
噛み合わない会話に釈然としなかった義信は次の言葉が出てこなかった。
「お盆なので、実家に帰ってたんです。家族でお祖母ちゃんのお墓参りをしました。今日、東京に帰ります」
「……お墓参り?」
「はい。それで、ご挨拶をと思って」
少女が、菜月とそっくりの笑顔を向けた。義信の頭はこんがらがっていた。
「あなたのお祖母ちゃんは、川島菜月さんで、蓮町に住んでいた県立東高校の卒業生ですよね?」
人違いかと思った義信は再度確認した。
「ええ、そうですが……」
少女は不可解な面持ちだった。
「……」
義信は口を閉ざした。
……菜月は既に亡くなっていた?「昨日、お祖母ちゃんに会いましたよ」と口走ったならば、気が触れたのかと思われかねない。――昨日会った菜月は幽霊だったと言うのか?あの笑顔も、あの告白も、あの唇の感触も幻だったと言うのか……。
「これ、去年、お祖母ちゃんが亡くなる前に一緒に撮った写真です」
「えっ?」
スマホを手にした少女のその言葉で、義信は我に返った。
そこに写っていたのは、昨日会った時と同じ笑顔の菜月だった。思わず義信に笑みが溢れた。
……会いに来てくれたんだね?俺に気持ちを伝えるために。……ありがとう、菜月。
完
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