ジオウくろすと 掌編集 (度近亭心恋)
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ビルドが託す明日

過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844~1900)


「……つぐみを。アイツらをよろしくな」

 

 悟られるな。

 

 それ以上でも以下でもない、ただのそれだけの一言。

 

 俺の“歴史”を託すには、“それだけ“で十分。この男には、”それだけ“の言葉で十分。

 

 助手君──日寺壮間は少しきょとんとした顔を残し、でけえタイムマシンのハッチが閉まると同時に隠れて見えなくなった。

 

 あんな調子だが、あいつは信頼のおける男だ。王になる、というのは実のところ天才☆科学者の俺でもよくわからないけれども……

 

 

「才能だとか……素質だとか。偽善とか、正義だとか、憧れだとかどうでもいい!!」

「何も成して無い奴の戯言なんて、何の意味もないんだよ!」

「俺は……王になる! この力で、“俺”という存在を歴史に刻む! それが俺の戦う理由だ!」

 

 

 今はまだ、”自分”の為。

 

 けれど、きっといつか……“誰か“の明日を創る為に、戦える男だ。

 

「さよならだ」

 

 その言葉が聞こえたのか、聞こえていないのか。

 

 壮間の乗ったタイムマシン──”タイムマジーン”は、時空を越えるトンネルの中に帰っていった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

──2015.5.29

「バンド? お前達が?」

 

 それはあまりにも突然の(しらせ)だった。

 

 羽沢珈琲店で店番をしていた天介は、義妹(いもうと)のつぐみ以下幼馴染五人組の突然の来店に面食らいつつも嬉しくなり、他に客もいないのをいいことに会話を弾ませていた。その中で、つぐみがぽろっとこぼしたのだ。私達、バンド始めることにしたんだと。

 

「バンドねえ。名前とかももう決めちゃってたり?」

 

「ふふふ~~、あたし達はね……。【Afterglow】だよ~~……」

 

 天介の問いに、青葉モカがいつものスポンジで出来たロードローラーが走るかのようなゆったりとした口調で返す。

 アフターグロウ。あふたーぐろう。天介はしばし思案する。

 

「グロウっていうと烏の」

 

「……それはクロウ」

 

 美竹蘭がぼそりと突っ込む。

 

「バットと」

 

「グローブ!」

 

 上原ひまりは苦笑いした。

 

「黄金の夜明け団の分裂の契機となった、二十世紀初頭の魔術師だな」

 

「そ・れ・は! アレイスター・クロウリーだろぉ天さん!」

 

 宇田川巴の良く通る凛々しい声での突っ込みに、天介は目を丸くした。

 

「いやよく知ってるな! 巴のキャラじゃないぞそれは」

 

「あこがそういうの好きだからさ……」

 

 茶化すのはその辺にしてよ、とつぐみに言われ、天介は頭を掻く。

 

「冗談。Afterglow。『夕焼け』。良い名前じゃんか」

 

 でしょお、とモカがにやけたのを見てから、天介は改めて五人を見た。

 

「しかしまあ、何でバンド?」

 

 この五人はいつも一緒だ。天介が記憶を無くし養子として羽沢家に引き取られた時、既に五人の世界は出来上がっていた。

 

 今でこそその才覚と人柄の良さで兄貴分のように振舞ってはいるが、当時は全てにおいて自信が無かったこともあり、そのコミュニティの中に入っていけない、自分の居場所などどこにも無いと思ったものだ。

 

 この五人はその絆で、安寧と安らぎに溢れた日常を──”いつも通り”を謳歌している。

 そんな中でバンドという新しいこと──”いつも通り”の変革を始めるというのは、何か特別な理由があるはずだ。

 

「ほら、前に言ったじゃない? 蘭ちゃんが……」

 

 つぐみの少し歯切れの悪い切り出しから大体のことを察し、天介はああと得心して返した。

 

 五人は学校でもずっと同じクラスなのが自慢だったが、今年度のクラス替えで初めて蘭だけが隣のクラスとなってしまった。

 

 もっとも、長い人生の中から見ればそんな連続性の消失はほんの些細なこと。そんなこともあった、と流してしまえる程度のことだ。

 

 だが、当事者にとってそれは全く違う。

 

 わずか14年という吹けば飛ぶような短い人生の中で、大部分を占めていた”五人”の”いつも通り”。

 

 それが不可逆のどうしようもない潮流によって変わってしまうことは当人──蘭にとって、些細なことでも流してしまえる程度のことでもないのだ。

 

 その小さなほころびが、いつか大きな亀裂を作るのではないか。

 

 “いつも通り”が“いつも通り”である保証など、どこにもない。

 

 今日見ている景色が、明日も変わらずそこにあると、誰が保証できるというのだ。

 

 その不安に苛まれ押し潰されそうになった蘭は、授業をフケ始めた。

 

 たった一人で屋上に佇み、ただただ不安を、焦燥を……滓のように心の中に溜まった気持ちをどうすることも出来ぬまま、青春の貴重な時間を浪費していった。

 

「あ、あのさっ。その……蘭ちゃんとクラスがわかれちゃって、なかなか5人みんなでいる時間が少なくなってきて……どうしたら5人で一緒にいられるかって考えてたんだ」

「部活とか、みんな色々あるかもしれないけど……みんなで一緒に何かやってみたらきっと、一緒の時間……たくさん作れるよね?」

 

 それは、幼馴染の彼女達にとって共通の想いだった。

 

 環境の変化によって生まれる亀裂を恐れる蘭の行動が、皮肉か僥倖か、つぐみ達にも亀裂への危機感を与えたのだ。

 

 学校以外で、一緒にいられる時間を作りたい。

 

 何か、五人だけで共有できるものを。

 

 それを命題として解決案に悩んでいた彼女達にバンド活動を提案したのは、他ならぬつぐみであった。

 

「そうか」

 

 羽沢天介に言えるのは、それだけだ。

 

 義兄妹とその友人たち、という関係は随分と馴染み、精神的距離もまた随分と縮まったが──天介は、彼女達の”核”の一歩手前までしか踏み込まないことを心に決めていた。

 

 それは年齢差や性差といった違いからくる自然なものと言うよりも、天介の矜持に近い。

 

 天介は時々考えるのだ。自分の存在はまるで()()()()()()5()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 それが幸か不幸かはわからないが少なくとも今の天介にとって、

 

 

 彼女達との日常は、この上も無く心地よいのだ。

 

 

「天兄もいつか、聴いてね」

 

 そう言う蘭の表情は、バンドを結成したことでだいぶ救われたように見える。

 

「ああ。いつか、な」

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

──2017.5.27

「ボトル……ねえ」

 

 役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持った団扇でぱたぱたと風を額に送り、ゴリラかこれは?──とボトルを摘んでかちゃかちゃと振ってみせ、それから手元のアイスコーヒーを飲み干して氷を一気に奥歯でがりがりと噛み砕いてから、

 

「俺には必要ないな。何故なら俺には筋肉がある」

 

 ──と、結んだ。

 

「おい筋肉馬鹿」 

 

 天介のいらいらした声に、東馬はきょろきょろする。

 

「何してんだよ」

 

「いや、お前が呼んだキンニクバカさんはどこにいるのかと」

 

「お前だよ! おーまーえ! YOU! 経堂東馬=筋肉馬鹿! ドゥー、ユー、アンダースタンンン!!?」

 

 俺か、と別段驚いたふうもなく、東馬はまた天介を見た。

 

「筋肉の何が悪い? 重いのを持ち上げるやつとか楽しいぞ」

 

「そこは問題じゃあ無いんだよ!」

 

 全く疲れる奴だと天介は頭を抱えた。

 

 経堂東馬は街一番──否、世界でも有数の富豪たる弦巻家の令嬢、弦巻こころ専属の使用人兼ボディーガードのような男だ。

 

 天介は”仮面ライダービルド”として戦う過程で彼と知り合い、自らの秘密を知る数少ない相手となった。

 

 その時以来何かと縁があり、ヒジョーに嫌々ながらも行動を共にすることも多い。

 

 そうなってくると、「明日の地球を投げ出せない」というぐらいの覚悟でヒーローとして戦う天介としては避けられない問題があった。

 

「俺の秘密を知っていて、ネビュラガスも吸った。否が応でもお前と行動が一緒になることが多いとなったら……お前もスマッシュに狙われる可能性が高くなるんだよ」

 

 そこなのだ。

 

 天介自身周りに被害を出さないよう、犠牲を出さないよう戦ってはいる。だがどうしても、守り切るには限界がある。

 

 幸いにして東馬が頭の出来と引き換えに見事なまでの恵体を持っていることを利用し、彼にフルボトルをひとつ預けて護身用にさせようと天介は考えたのだった。

 

「フルボトルは振るだけで使用者に力を与える。持ってろよ、そのボトル」

 

「ボトル……ねえ」

 

 役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持った団扇でぱたぱたと風を額に送り、ゴリラかこれは?──とボトルを摘んでかちゃかちゃと振ってみせ、それから手元のアイスコーヒーを飲み干して氷を一気に奥歯でがりがりと噛み砕いてから、

 

「俺には必要ないな。何故なら俺には筋肉がある」

 

 ──と、結んだ。

 

「おい筋肉馬鹿」

 

「それは俺のこと、だったな」

 

「よく解ってんじゃねえか。そこでよく解ってるオリコーサンな東馬君に聞きたいんだがな」

 

「何だ」

 

「何で一回飲み干して氷まで食ったのにもう一度アイスコーヒーを飲み干せるんだよお前は!!」

 

「あ」

 

 無意識にやっていたと見え、東馬は手に持った空のグラスを見た。

 

「それは俺のアイスコーヒーだっての! いいから聞けよ」

 

「兄さん?」

 

 つぐみがビルドラボの階段を降り、顔を出した。

 

「ちょっと静かにしようよ」

 

「あーごめんつぐみ! ど、どうだ練習は?」

 

「楽しいよ! ハロハピにキーボードはいないけど、やっぱり勉強になることが多くて……」

 

 ビルドラボはライブハウス” CiRCLE”の地下にある。地上では、Afterglowとハロー、ハッピーワールド!の二大バンドによる合同練習が行われていた。

 

「お嬢はどうだ」

 

「やっぱり凄いねこころちゃんは! 練習なのにバク転したり、見てて飽きないっていうか……」

 

 つぐみから聞かされるこころの姿に、東馬は内心嬉しい気持ちになる。

 

 だが、それは表情には出ない。否、出せない。経堂東馬とはそういう男なのだ。

 

 世界を笑顔にするバンドに一番近しい男が、笑顔を知らない。

 

 皮肉で、滑稽な話だ。

 

「つぐみ、悪いけどまりなさんに言ってアイスコーヒーもらってきてくれるか? 一人分な、一人分。この筋肉馬鹿のぶんは必要ないからな!」

 

「ああ……うん」

 

 つぐみは取って返すと、すぐにアイスコーヒーを盆に乗せて持ってきた。

 

「ありがとな」

 

「兄さん……その」

 

「ん?」

 

 何の話をしてるの、と聞きたかった。

 

 だが天介の顔をじっと見ていると、つぐみにそれは切り出せなかった。天介が何かを秘密にしているのはとっくに解っている。義妹とは言え、ひとつ屋根の下で暮らしてきたのだ。

 

 だがそれを詮索しようとするのは、天介の矜持への侮辱となるだろうというのもまた解っていた。

 

 彼女は知っている。

 

 羽沢天介は何よりも、誰よりも──自分を、Afterglowを大切にしてくれているのだと。

 

 その天介が自分達に「言わない」という選択をしたのならば、それを詮索するべきではない。

 

 「知りたい」という気持ちもまた、十二分にあるのだけれども。

 

「何でもない! コーヒー置いとくね」

 

 つぐみはそう言うと、足早に去っていく。

 

 その後姿を見ながら、天介は自分のヒーローとしてのアイデンティティに思いを馳せていた。そしてまた、東馬の方へと向き直る。

 

「とにかく、だ。お前だってハロハピの皆を巻き込みたくはないだろ? いや……既に美咲ちゃんが巻き込まれてるか。だからお前はそのボトルで……」

 

「ボトル……ねえ」

 

 役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持った団扇でぱたぱたと風を額に送り、ゴリラかこれは?──とボトルを摘んでかちゃかちゃと振ってみせ、それから手元のアイスコーヒーを飲み干して氷を一気に奥歯でがりがりと噛み砕いてから、

 

「俺には必要ないな。何故なら俺には筋肉がある」

 

 ──と、結んだ。

 

「おい」

 

「何だ」

 

「だから、どうして俺のアイスコーヒーを飲むんだよ!!」

 

「あ」

 

「あ、じゃない! お前は俺の話を聞くのか聞かないのかどっちなんだ!!」

 

「聞くつもりだが」

 

「じゃあ聞けよ! リッスン!」

 

「満州事変の調査団だな」

 

「それはリットン! お前馬鹿のくせに何でそーゆーのは知ってるんだ!」

 

 天介は半ば憤慨しながら上に上がると、まりなさんにうるさくしてすみませんとぺこぺこ頭を下げながらアイスコーヒーを貰って戻ってきた。

 

「まだ飲むのか?」

 

「まだ、って俺はまだ一度も飲んでないっての!」

 

「俺は腹が少し緩いような」

 

「立て続けに三杯もアイスコーヒー飲むからだろ!」

 

 クールで細マッチョな天才科学者の正義のヒーロー、を自称する天介にしてみれば、まったくここまでエクスクラメーションマークを多用する会話は他に無いとため息をついた。

 

 やっぱり、経堂東馬は馬鹿だ。けれど、放っては置けない。

 

 何故かは解らないが、この男を無下にすることはできないと感じるのだ。

 

「お前のそのおツムと引き換えの筋肉なら、きっとボトルの力を引き出せるって話なん……あっおい! 返せコーヒー!」

 

「ボトル……ねえ」

 

 役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持った団扇でぱたぱたと風を額に送り、ゴリラかこれは?──とボトルを摘んでかちゃかちゃと振ってみせ、それから手元のアイスコーヒーを飲み干して氷を一気に奥歯でがりがりと噛み砕いてから、

 

「俺には必要ないな。何故なら俺には筋肉がげーぷ」

 

 天介は深い溜息をついた。

 

「あのなあ経堂、せいぜい三回どまりだぞこの手の冗談は」

 

「だな。今のはわざとやった」

 

「味を占めるな!! というか最初の三回は天然なのにびっくりだよ!!」

 

 とにかくだ、と天介は叫び、半ば強引にしっかりと東馬の手にゴリラフルボトルを握らせた。

 

「お前が持ってろ! お前ならハロハピの皆や周りの人間を守ることができる、そのボトルで!」

 

「ボトル……ねえ」

 

 役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持っスパァァン!

 

「もうアイスコーヒーは無いぞ!!」

 

 天介が、思いきり筋肉馬鹿の頭をはたいていた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

──2017.7.20

「はァァァァァん」

 

 KIHACHIのアイスがとろっとろに溶けたかのような声を上げ、天介はテーブルに突っ伏した。

 

「いや無理だ! やっぱり俺に作詞は無理!」

 

「どうしても?」

 

 向かいの席の蘭が突っ伏した頭を覗き込む。天介はがばと顔を上げ、蘭と目が合った。

 

 Afterglowの新曲の歌詞を一緒に考えてほしい、というのが蘭の提案だった。普段は一人で歌詞を考えており、そういうことを言ってくるタイプでも無いが故に珍しいなと思いつつ、それが嬉しくて応えたものの──

 

 羽沢天介には、絶望的に文学的センスが無い。

 

「いやね? 俺はそりゃあ天才☆科学者ですから……できないことは無いんだけれどもね? けれど、こう……メロディに乗せるような文の流れを考えるのは何というか……」

 

「貸して」

 

 蘭は天介の手元から何やら文の書かれた紙をひったくる。

 

「あッちょっと待て! お待ちになって!」

 

「どれどれ」

 

 そこには、几帳面かつ丁寧な字でこう書かれていた。

 

 

 

 

 パイナップルと同じくらいあなたが好き

 シュークリームと同じくらいあなたが好き

 だからあるのです

 パイナップル入りシュークリーム

 

 ほうれん草は嫌いです あなたが好き

 生ビールは嫌いです あなたが好き

 だからないのです

 ほうれん草入り生ビール

 

 

 

「……これは?」

 

「詞」

 

 悪戯を見つかった子供のような顔で、天介は蘭を見る。

 

「詞ってより詩でしょこれは!? ふざけてる!?」

 

 天介はまた、はァァァァァんと声を上げる。

 

「これが俺の全力なんだ! わかって!」

 

 隣のテーブルで眺めていた他のメンバーは、呆れ笑いでそれを見ていた。

 

「まあ天さんはな……」

 

「向き不向きってあるもんね!」

 

「メソメソクヨクヨするな~~、テンシンメン食べて昨日を忘れよう~~……」

 

 そこに、つぐみが厨房からアイスクリームを器に盛って人数分持ってきた。

 

「ほら、兄さんはね……理系だし。文系の才能は……」

 

「それは偏見だッ! 俺は皆のその言葉が痛い……!」

 

 天介は改めて自分の詞を見た。

 

 感情や心の機微に疎いわけでは無いが、それを言葉にして紡ぐとなるとそれはやはり才能の如何だ。

 

「なあ。何で俺なんだ? 詞だったら蘭のほうが才能がある。わざわざ俺が……」

 

「……一個ぐらい」

 

「ん?」

 

「一個ぐらい、天兄との思い出の曲……作るのもいいかなって」

 

 言ってすぐ、蘭は顔を真っ赤にした。それはきっと、彼女の奥底にあった本音だったのだろう。

 

「必要あるか? 俺はただ、お前達の“いつも通り”を守って……」

 

「あたし達は……」

 

 

 

「天兄がいるところまで含めて、“いつも通り”だから」

 

 

 

 今度は天介が顔を赤くする番だ。

 

 自分なりに線引きをしていたつもりだったが──そう言ってもらえるのは、何とも嬉しく、恥ずかしく、誇らしい。

 

「そうか」

 

 勿論、そう思ったことを悟られないようには取り繕ったのだけれども。

 

「文学って言えば、この間薫先輩の公演見てきてさー!」

 

 どことなくこっ恥ずかしい雰囲気を、ひまりが他の話題を出して変えていく。

 

「アタシも見たぞ! 『銀色の眼のイザク』、良かったな~!」

 

 巴も乗ってくる。

 

「ねー! 絶滅したアルテスタイガーの最後の一頭、銀色の眼のイザクを薫先輩、見事に演じてて……」

 

 ひまりはそこまで言って、少し表情を曇らせた。

 

「ど~したのー、ひーちゃん」

 

「うん……。イザクに語りかけるヒロイン役の先輩、すごくスタイルが良くて……」

 

 ひまりは自分の身体を見下ろす。決して太っているわけではないが、肉付きがよくボリュームのある身体だ。

 

「私だって頑張ってるんだけどなぁ~~……。私じゃない私になりたい……」

 

「ひまり!」

 

 天介は思わず立ち上がった。言いようのない感情に、目じりがピグピグと動いている。

 

「あ……」

 

 場の空気が澱む。

 

 記憶喪失で「自分」を失った天介の前で馬鹿なことを言ったという空気。

 

 そして天介もまた、反射的に反応して空気を悪くしたという後悔。

 

「……悪い」

 

 天介は自分からそう言うと、ひまりの頭に手をやった。

 

「ごめんな。でも、自分は自分。人は人。誰だって『自分』を生きていくしかないんだ」

 

「私、こそ、その……」

 

「ひまりは今でも可愛い」

 

 天介は笑った。釣られて、周りも笑った。……ただ一人を除いて。

 

「蘭ちゃん?」

 

 つぐみは恐々蘭を見る。蘭は何かに憑かれたかのように、目を見開いて天介を見ていた。

 

「それだ……それだ天兄!」

 

 蘭はペンを取ると、紙の上でそれを滑らせ思いついたフレーズを書きなぐった。

 

 

 

 僕は僕。君は君。生きよう。

 say! “That is how I roll!”

 

 

 

「……思い出の曲、できそうだね~」

 

 モカが、全てを飲み込んで笑った。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

──2017.10.11

「さあ……さあさあさあ!!」

 

「やめろぉぉぉぉーーーー!!」

 

 ビルドの叫びは、届かなかった。

 

 パンドラボックスが、ブラッドスタークの手によって起動する。

 

 大地が。

 国が。

 世界が。

 日常が。

 分断される。

 

 パンドラボックスは強い光を放ちながら、巨大な壁を三方向に創り出していた。壁は容赦なく人々の日常を破壊し、分断していく。市街地も、山林も、お構いなしだ。

 

 ビルドはただ、その光景を見つめていることしか出来なかった。彼は敗北(まけ)たのだ。

 

 スカイウォール計画を、阻止することは出来なかった。

 

「俺は……おれ、は……」

 

 同刻、羽丘の屋上ではつぐみ達が突如現れたスカイウォールにただただ圧倒されていた。巨大な壁はちょうど屋上に差し込んでいた夕陽の日差しを遮り、影を作っていた。

 

「夕焼けが……」

 

「見えない……」

 

 何かとんでもないことが起こり始めているのは解った。

 だがそれ以上に、目の前の”これ”は圧倒的だ。

 

 

 “いつも通り”が“いつも通り”である保証など、どこにもない。

 今日見ている景色が、明日も変わらずそこにあると、誰が保証できるというのだ。

 

 

「あたし達の……”いつも通り”が……」

 

 それは羽沢天介にとって、完全なる敗北を意味していた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

──2018.3.19

「待ってて、友希那お姉ちゃん」

 

 仮面ライダーエボルは、装置の中で人形のように微動だにしないまま眠る湊友希那を見つめながらそう言った。

 

「……あなたは、間違っているわ」

 

 友希那に言われた言葉が、潮騒のように頭の中に寄せては返す。

 

「世界を、変える」

 

 誰に言うとも無く、そう呟いた。

 

 

 

「キリが無いな……」

 

「どこまでも出てくるな」

 

 羽沢天介と経堂東馬は、背中合わせに立っていた。

 

 大量のクローンスマッシュが、世界を終わらせんと溢れ出す。

 

 終末のラッパが鳴った時というのは、こういうものなのだろうか。

 

「まだいけるよな」

 

「お前よりは体力があるつもりだ」

 

 そんな中でも二人は、諦めてはいない。

 

「経堂」

 

「何だ」

 

「これが最後の戦いだ」

 

「そうなのか」

 

「そうなんだよ。……ここで俺達が終わらせて、そうさせてみせる」

 

 天介は笑った。

 

「聞かせろよ。お前は何の為に戦う?」

 

「何の為?」

 

「俺は、つぐみの……あいつらの為に戦う。あいつらの“いつも通り”が“いつも通り”であり続けられるよう、俺が戦う。お前は?」

 

「俺は……」

 

 相変わらず無表情なその顔。だが、天介には解る。

 経堂東馬は今、心で笑っている。

 

「お嬢の為に戦う。それはつまり……『世界を、笑顔に』する為に戦う!」

 

「ああ……最ッ高だ!」

 

 “ジーニアス!”

 “ボトルバーン!”

 

「変身!」

 二人の声が、重なる。

 

 “完・全・無・欠のボトルヤロォォォォーー!! ビルドジーニアス! スゲェェェーーイ!! モノスゲェェェーーイ!!”

 

 “極・熱・筋・肉ゥゥゥ!! クローズマグマ! アチャチャチャチャチャチャチャチャーーッ!!”

 

「“いつも通り”が、“いつも通り”である為に!」

「世界を笑顔にする為に!」

 

 

「俺達は、勝つ!!」

 

 

 

 

 同じ頃、弥生北斗と四谷西哉もまた、背中合わせになりながらクローンスマッシュを撃退していた。

 

「おっさん!」

 

「おっさんは……やめろと! 言っている!」

 

「おっさんはおっさんだろーがダボカス!」

 

「ダボッ……」

 

 憎まれ口を叩き合いながらも、手は休めない。

 

「俺ら、死ぬかもな」

 

「あ?」

 

 西哉は怪訝な顔になる。

 

「どーせ死ぬんなら、推しに看取ってもらって……」

 

「馬鹿か、クソガキ」

 

「あァ!?」

 

「死ぬつもりで戦ってるなら、帰れ」

 

 そう言う西哉の顔は、流石にいち社会人として、組織の人間として激しい潮流に揉まれてきた大人の顔だった。

 

「俺は戦う。笑顔を失くしたあいつらに……キラキラやドキドキは、消えたりしないと証明するために」

 

「おっさん……」

 

 北斗はその姿に、へへっと笑った。

 

「上等だコラ! 俺だってなあ……証明してやるんだよ! 努力すれば叶わない夢は無いってな!」

 

 

“ボトルキーン!”

“プライムローグ!”

 

 

「変身!」

 二人の声もまた、重なる。

 

 

 “激・凍・心・火!! グリスブリザァァーード! ガキガキガキガキ、ガキーーン!!”

 “大・義・晩・成!! プライムロォォォーグ! ドリャドリャドリャドリャ、ドリャーー!!”

 

 

「努力を!」

「キラキラとドキドキを!」

 

 

「俺達は、守る!!」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「────はっ!?」

 

 羽沢天介は我に返った。

 

 今見ていたものは、確かに自分の歴史。だが、後半からはおかしい。

 

 まだ体験してすらいないものを、彼は確かにこの目で見た。

 

「スカイウォールが……。それに、四谷さんが仮面ライダーローグって……」

 

 だが彼は、それを瞬足で理解した。

 

 きっとそれらは、歴史を託さなければ本来あり得た時間の流れなのだ。

 思っていた以上に大変なものをあの“王様”に託してしまったとも思ったが……天介はすぐに、頭を振ってそれを打ち消した。

 

「お前なら、大丈夫だ。助手君」

 

 それが、歴史から消えた羽沢天介の最後の言葉だった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「天介さん……」

 

 壮間は羽沢珈琲店のテーブルで、羽沢天介に思いを馳せていた。

 

 ビルドの力と歴史が自分の掌中にあることで、あの“いつも通り”は“いつも通り”では無くなったのだ。ならば自分に出来ることは何か。

 

 取りあえずは──言葉通り、見守っていくことだ。

 

 羽沢天介が、何よりも守りたかったもの。

 

 この、日常を。

 

「つぐはまたツグってますな~~」

 

 隣のテーブルでは、モカと香奈がつぐみと談笑している。

 

「本当だよね! つぐちゃんってなんかこう……妹にしたい!って感じあるよね!」

 

 香奈の何気ない一言に、壮間はぴくりと反応する。

 

(妹……)

 

「あはは……」

 

 そう苦笑したつぐみの眼から、すうっ……と一筋の涙が落ちた。

 

「え?」

 

 困惑する香奈。

 

「え?」

 

 だが誰よりも困惑したのは、つぐみの方だ。

 

「あれ? な、何でだろう……。妹、って言われると何か懐かしい気持ちになっちゃって。変だよね」

 

 壮間は一瞬どきりとした。

 

 だが、きっとそれは偶然。そう、偶然だ。彼はただひたすらに、王として全てを守る決意をより強くした。

 

 誰も覚えていない、あの約束。

 

 それが果たされる日はきっと、「おかえり」の一言と共に。

 

 

おわり



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彼はなぜその街に向かったのか

不決断こそ最大の害悪。
ルネ・デカルト(1596~1650)


「帰るんだな」

「ええ」

 

 日寺壮間はラビットハウスの前に立ち、この時間のこの街を去ろうとしていた。

 たった数週間の付き合いだというのに、考えてみれば何とも濃密で楽しい時間だった。壮間も栗夢走大も、はっきりとそう言える。

 結局、ドライブの歴史を継承したのはミカドだった。王になる為にライダーの歴史を集めるということを考えれば、二手目にして失敗したようにも見える。

 しかしこれは、”失敗”ではない。

 

 この物語の中心にいた者が。

 歴史を本来持つべきはずの者が。

 

 

「ミカドさん!!」

「やはり、分からん女だ」

 

 

 ミカドこそ、この歴史を”持つべき者”だと選んだのだから。

 

 その選択が、”失敗”であろうはずもない。

 

「あの」

 

 香風智乃────チノは、つつっと歩み寄り壮間の目を見た。

 

「……智乃さん?」

「ミカドさんは……」

 

 それが問題なのだ。ミカドは壮間から2枚目のルパンのシストの地図をひったくるように受け取ると、挨拶もせずに去っていってしまった。歴史を受け継いだ者の礼儀としてもう少し、とも思うが。

 ミカドがこの街と、そこに生きるチノ達の生き様にどれだけ得るものがあったか。

 

 それは、ミカドのみぞ知ることだ。

 

「……また、会えますよ。きっと」

 

 気休めのつまらない言葉だとも思う。

 しかし壮間には、また彼らはいつか巡り合うだろうと、そんな気がした。

 

「それじゃあ!」

 

 壮間は頭を下げ、その場を後にしようとした。その時────

 

「壮間!」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 リース=リング・モーゼル・シューベルトは、大学の研究室にいた頃に「軍」にその才を買われてスカウトされた「天才」だった。

 

「興味はあります。少しでも”速く”、『軍』が必要のない平和な世の中を作ることに関しては、ね」

 

 この言葉には直々にスカウトに来た陸軍少将も顔が引きつった、と記録にはある。その後彼は十数年かけ、あるものを開発した。

 

 コア・ドライビア。

 

 有体に言ってしまえば、「究極の”速さ”を得られるエンジン」。

 エンジンとして組み込まれたメカニックの性能を格段に向上させるだけではなく、それを起動することで”重加速”と呼ばれる周囲の物体の相対速度の低減を可能とする。

 

 何よりも有用なのは、重加速が起動すると“範囲内の使用者以外の人間の意識を鈍化させる”という点だ。

 リース=リングは争いもそうだが、血を見るのを好まない。

 この重加速によって敵軍を鈍化させ、その間に武装解除してしまえば敵軍の命を奪うことなく制圧できる。そこが彼の狙いであった。

 

「はっは! やはり貴様の才を囲い込んでおいて正解だったわシューベルト! コア・ドライビアがあれば、一気に”勝利”を手にすることができるぞ!」

「少将殿、”勝つため”ではありません。”終わらせる”ために、私はこの技術を……」

「とにかく、だ! すぐに増産体制に入れ!」

 

 実際のところ、千や万といった物量のコア・ドライビアを増産するのは不可能であった。

 原材料であるレアメタルの希少性、複雑すぎるが故に量産には向かない構造。それらがコア・ドライビアの物量作戦を不可能にしていた。

 

 ならばと軍が提示してきた数は「107台」。

 上層部のありようにはどこか怪しいものもあったが、兎にも角にも彼はそれに従いコア・ドライビアを用立てた。

 この長い開発期間の間に家庭を持っていた彼は、一刻も早く戦争を終わらせたかったのだ。

 

 しかし。

 

「どういう事だ……!?」

 

 軍はその期待を最悪の形で裏切ることになった。

 

 リース=リングは以前別のチームから相談を受け、あるものを草案としてまとめたことがあった。

 人間をコピーすることで諜報、暗殺に向かわせることができ、さらには人間の感情をより強く学習することで、自己進化する人造機械生命体。

 本体はあくまでコアと呼称される人工知能であり、バイラルコアなる肉体の材料となる圧縮金属と融合することで人間大になるという超技術は、大層驚かれた。

 

 とは言っても、これを実用化するのは難しいだろうというのが彼の結論であった。あくまで”アイディア”としてまとめてはいるものの、実用化するとなれば倫理的な問題が大きい。

 自我を持った新種の生命体を形にして兵器にするなど、まともな倫理観ではとうていできないだろう、という話だ。しかし────

 軍の上層部は、思っていた以上にまともの範疇から脇道に逸れた人間の集まりだった。

 彼らは人造機械生命体を実用に移す計画を早い段階から進め、「107体」の製造に成功していた。そしてかれらのコアに、「107台」のコア・ドライビアが使われたのだ。

 

 ここで一つ、読者諸兄に忠告がてら言及したいのは……

 

 

 意志を持った生命を己の思い通りに御することができる、などとは思わない方が良いということだ。

 

 

 “ロイミュード”という種の名前を得た彼らは、人類に反旗を翻した。軍の研究施設は次々と破壊され、後方の司令部も襲撃された。そこでリース=リングも事態に気づき、現場に馳せ参じた。

 惨状だった。

 血と肉が散らばり、それらが焦げる火葬場のような臭いが充満している。血染めのべっとりと赤い手形が、ベタベタといくつも白い壁を彩っていた。

 

「少将殿!」

 

 炎の中に、一人少将が立ち尽くす。

 

「どういう事ですかこれは!!」

 

 普段は理知的で物静かなリース=リングも、流石にこれには激昂していた。ロイミュード、と名付けられた人工生命体達の多くは既にこの研究所を後にし、戦場の最前線や市街地に向かっている。

 これでは、”終わらせる”どころか……今まで以上の惨劇は必至だ。

 

「見ての通りだ」

 

 少将は意外にも冷静に、この事態を見つめていた。

 

「私が人工生命体を秘密裏に製造認可を出し、生産後ラーニングさせたところ────彼らは自らの意志で反旗を翻し、ここを壊滅に追い込んだ」

 

 そこで少将は初めて、リース=リングに顔を合わせた。

 

「大失敗、だなあ」

 

 背後で燃える炎が明かりとなり、その顔は思い切り逆光だ。

 

 だが。

 だが、確かに。

 

 その口元は少しだけ、”笑っていた”。

 

 リース=リングは思わず、胸倉を掴んでいた。

 

「大失敗!? それに今のは……何を無責任な!!」

「ああ、ひとつ捕捉だ」

 

 少将は眉一つ動かさず、リース=リングを突き飛ばす。突き飛ばされた彼は足元で出来ていた血だまりにぬるり、と足を取られ、想定以上の勢いでスッ転んだ。

 床に倒れ込んだ瞬間、彼の視界には────

 

 顔が真っ黒に焼け焦げた、凄まじい死体が飛び込んできた。

 

「ひ、ひっ……!」

 

 凄まじさに息を呑んだその直後、彼はまた息を呑む。

 死体は軍服を纏っていた。そしてその襟章は確かに、この基地にただ一人しかいない少将のものだったのだから。

 

「指示を出したのは”私”じゃない。私にコピーされる程度の存在意義しか無かった、”その男”だったな」

 

 少将はとっくに死んでいた。己の存在証明である貌を奪われ、焼かれ、死んでいた。

 

「お前も、死ね」

 

 そこで少将は身体を揺らめかせ、ロイミュードの本性を現した。

 ロイミュードは草案の際、”強く狡猾な生き物”を三種選び出し、それらが雛形となった。このロイミュードはその一つ、コブラ型。

 胸にはナンバープレートがついている。そこに書かれたナンバーが、きっと107の個体の識別番号なのだろう。ナンバーは……

「006」。

 

 リース=リングは死を覚悟した。これも運命だと思った。

 理由はどうあれ、こんな機械人形(バケモノ)を生みだしてしまった以上、その咎を自分も受けるべきだ。心残りと言えば、家族と、生まれ育ったあの美しい木組みの街の────

 

「おりゃああああああああああああ!!」

「だああああああらっしゃらあああああああああああああ!!」

 

 見上げていたロイミュード006が、横っ飛びに吹っ飛ばされた。006に体当たりした影が、二つあったのだ。リース=リングは困惑したが、

 

「逃げますよ!! 博士!!」

「立って!!」

 

 二人は屈強な男だった。後で知った事だが、この二人は前線から報告に来ていた軍人二人であり、事件に巻き込まれたのだ。二人はリース=リングを連れ、その場からすぐさま駆け出していった。

 男の一人が駆け出す際、焼け焦げた少将の顔を踏んでしまいボゾッ、と崩れたのも……火急の事態ゆえ、仕方のないことだ。誰も気に留める暇など無かった。

 しかし006は焦る様子もなく、

 

「人間は、“遅すぎる”」

 

 重加速を発動した。

 

(何だよ……これ……!?)

(身体が……動かねえ……!)

 

 軍人二人は、この怪現象に困惑する。

 

(まずいぞ……!! 重加そくは、いしきも、どんか、させる。このま、まだと、み、んな、し)

 

 リース=リングは徐々に鈍化していく思考に、焦りを感じていた。だが、その焦りは杞憂に終わる。

 一瞬にして、重加速が解除されたからだ。

 理由は解らない。ただ今は、逃げるしか無かった。

 

「無粋な……」

「そう言うなよ、006。アイツにゃあまだ、死んでもらっちゃ困る理由が出来た」

 

 006を制止し重加速を止めさせたのは、スパイダー型ロイミュード002。

 

「見ねぇな、これを。俺達の”進化”を可能にするプログラムを、あの科学者は作ってた」

 

 そう、リース=リングはこの人工生命体の草案を渡す際、意図的に一部のプログラムを秘匿した。人間の感情を学習し、ロイミュードをさらに一段階上の”進化態”に変化させるプログラムを。

 

「感情による、進化?」

 

 006は辺りを見回す。人間が死に、辺りが燃えている。

 燃えている。

 燃えている。

 燃えている。

 この炎はまさに、”勝利”の証明。

 

「私にとってそれはきっと、”勝利”だろうな」

 

 006は、また薄く笑った。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「それじゃあ」

 

 喫茶店、ラビットハウスのカウンターで、リース=リングはカップを置き立ち上がった。

 戦争が終結し、彼がこの木組みの街に戻って来てから随分と時間が経った。

 終結したと言っても、それは彼が望んだような平和的な形では断じてない。ロイミュードの進出により、人間同士での戦争などやっている余裕が無くなったからだ。

 ロイミュード達の動向は現在のところ大人しいが、それは期を窺っているに過ぎない。このまま野放しになどできるはずもなかった。

 

「東京も良いけど、たまには戻ってきてくださいよ、博士」

「いずれ、な」

 

 コーヒー豆の袋を運んでいる青年が声をかける。彼はかつて、リース=リングを救ったあの軍人だ。青年──タカヒロは、リース=リング同様この街の出身だった。もう一人の軍人、天々座も右目こそ失ったが、この街に戻ると事業を始め、人を集めて立派にやり始めている。

 

「サキさんも、お元気で」

「寂しくなるわ……」

 

 妊娠中のタカヒロの妻、咲は静かな笑みで返した。生まれてくる予定の女の子の顔を見られないのは残念だが、致し方ない。

 この平和を、守る為の出奔だ。

 

「コーヒー飲んで、頑張るんじゃぞ」

「ありがとうございます、マスター。豆までいただいちゃって」

「なんの、なんの」

 

 そして最後に、この喫茶店の主人である白い髭が印象深い老爺のマスター。彼にとっては、マスターは第二の父親のようなものだった。

 

「いずれ必ず、戻ります」

 

 彼は笑って、ラビットハウスを後にした。東京に出てロイミュードの情報を集め、彼らを撲滅する。

 その日までは、決してこの街に戻らないと誓いながら。

 

 

 そしてその願いは────終ぞ果たされることは無かった。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 ────2013.6.28

 

『そこで彼は言ったのさ。「今はベーシストよりも、シストだ」とね』

「その話まだ続く? ベルトさん」

 

 栗夢走大は、仮面ライダードライブ専用に設えられた秘密基地、ドライブピットの中で溜息をついた。

 

『……失敬なヤツだなあ君は。人の話にそういう遮り方は無いだろう?』

「初めて聞いた話ならな!! 俺はもうその『ベースが趣味の乾物屋がシストにハマった話』は24.4回聞いたぞ!!」

『……0.4回は何かね』

「あの不倫事件の捜査で話が中断された時のやつ!」

『ああ、三週間前の』

「覚えてんじゃん!!」

『それとも私の先祖の話でも……』

「『アンタの先祖が織田信長に鉄砲を売りつけた』って話はもう8回目だ!」

 

 走大はため息をついた。

 彼が先程まで会話していた視線の先には、中型の機械が置かれていた。

 

 ひねる形のスイッチやディスプレイパネルがついた、見たことのない機械。

 側面に取りつけられた帯の根元らしき部分があることで、それが辛うじて”ベルト”のバックルなのだと認識できるぐらいだ。

 

「それより今回の問題は、骨だよ」

『骨とは?』

「骨は骨だよ。お(こつ)

『走大、口を開いてみたまえ』

「あ?」

 

 走大はんがっ、と”ベルト”に向けて口を開く。

 

『喉には何も刺さっていないようだが』

「……ベルトさん、俺の今日の昼飯は」

『BLTベーグルサンドと魚肉ソーセージ』

「その組み合わせでどうやったら骨が刺さるんだよ」

『さあねえ?』

 

 走大はまたため息をついた。

 ある日、彼に声をかけわけもわからぬうちに“戦士ドライブ”に選び出したこの“ベルト”は、何とも胡散臭くて疑り深い秘密主義者だ。

 いつも大事なことは(けむ)に巻き、時にはこうやってワケのわからない方法でからかってくる。

 

 しかし、相性は悪くない。

 

 靴下は黒。ネクタイは赤。ステーキはミディアム。コンビニのフライドチキンはLチキ。サーティーワンはロッキーロード。『ホーム・アローン』で一番好きなのは『3』だし、『トムとジェリー』はハンナ・バーベラ期よりチャック・ジョーンズ期。

 

 何もかも好みが一致していて怖いぐらいだ。“ベルト”なのにロッキーロード食ったことあンのか、とも思うが。

 

「俺の喉の話じゃねえよ。火葬場から連続して骨が消えたって話」

『しかし火葬場の職員の裏取りはしたんだろう? 火力が強すぎて燃え尽きてしまった、と』

「それが一人ならまあそうだが……。もう四人連続だぞ」

『窯の調子が悪いのかもな』

「いや、俺はもっとやばい可能性を疑ってる」

『というと?』

「例えば……消えた四人の死因に、細工があったとしたら?」

 

 一瞬会話が止まる。

 

『細工というと、あの角のある大きな』

「それは犀」

『金槌持ってトンテンカン』

「大工」

『パンやケーキを焼く』

「ベイクね」

『じゃあ一時間目は国語、二時間目は理科、三時間目はおや、着替えを用意しなくっちゃなあ』

「そ、それは……体育か」

『じゃあヒカシューの曲で、映画「チェンジリング」の主題歌にもなった』

「……何だよそれ」

『「パイク」』

「知るかンなものおおおおおおおおおおおおお」

 

 ぱこ。

 

 走大はブン殴り、そして後悔した。鉄の塊のベルトを殴るのは、殴った側が10:0でダメージを受けるのに決まっているのだから。

 

『突っ込みと言ったって限度があると思うがね』

「俺たちゃ警官とベルトのオモシロエンターテイナーやってるんじゃ無いんだよ!!」

『正直ベルトと話している警察官はかなりシュールだと思うが』

「あんたの責任だろそれは!!」

 

 走大は三度(みたび)溜息をつき、椅子に身体を預けた。

 

「なぁ、俺はいつになったら本当のドライブになれるんだ?」

 

 手にした黒いミニカー型の人工知能、”プロトスピード”を弄びながら、走大は尋ねた。

 彼が変身し戦う”戦士ドライブ”は、まだ本来の姿に覚醒していない。

 彼の言う”本当のドライブ”────赤いドライブにならなければ、ロイミュードのコアを破壊することは叶わないというのに。

 

『君の頭脳、身体、能力は間違いなく超人だ。しかし、“心”が足りなければドライブを使いこなすことはできない』

 

 走大にとって、それは聞き飽きた回答だった。プロトスピードを机に置き、改めてベルトに視線を送る。

 

「心ねぇ……。一体何がダメなんだよ、アンタなら分かるだろ?」

『それは君自身が考え、答えを出すべきだ。君がその答えを見つけ、“真のドライブ”として共に戦える日を、私は心待ちにしているよ』

 

 こういうところだ。

 こういう話をする時だけ、”ベルト”は思慮深く、才のある者の片鱗を覗かせる。

 

『それに、君が”真のドライブ”に覚醒した時の為の武器も考えてある』

「武器!?」

 

 それはありがたい話だった。今のドライブは徒手空拳のみでの戦闘を強いられている。武器が手に入るとなれば、その戦闘は飛躍的に選択肢が増えるはずだ。

 

『見たまえ』

 

 ベルトがそう言うと近くのモニターの電源が入り、剣と銃の姿が映し出される。

 

「良いなこれは! ハンドルのついた剣に……ドアのついた銃か! 名前は!?」

『「ハンドル剣」に、「ドア銃」』

「く そ だ せ え な!! 見たまんまか!?」

『まあ落ち着け、叫んだところで喉も乾いたろう。そこにあるボトルのものでも飲んで』

 

 あ、ああと返し、走大はボトルを掴みグイっと飲んだ後……突然、瞑想状態に入った。

 目は半目で、口元はアルカイックスマイル。まるで仏像だ。

 

『ようやく静かになったね』

 

 栗夢走大は、飲み物で性格の変わる仰天オモシロ特異体質だ。ベルトがボトルに仕込んでいたのは抹茶。

 走大は秘密にしていたつもりだったが、ベルトは彼が抹茶を口にした時、前後の記憶すら消える”無”状態になることをちゃんと知っていた。

 

『おかしなヤツだな、君は』

 

 本人が聞いていないのを良いことに、ベルトは言葉を続ける。

 

『仲間を求めていないにも関わらず、自分を信じ切れず私に頼りすぎている』

 

 それこそが、走大の欠点だった。

 相反する二つの感情を抱えていながらもそれに気づくことが出来ず、矛盾(パラドックス)の中にいる。

 そこに”自分で”気づかない限りは……”真のドライブ”への覚醒は、まだまだ先だろう。

 

『トーヤ……』

 

 “ベルト”はリース=リング・モーゼル・シューベルトであった頃の、最後の悔恨を呟いた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 ────2013.12.24

 

 クリスマス・イブの夜だというのに、雪は降らず冷たい雨が降り続けていた。

 

「全てのロイミュードは倒した! 残るはお前一人だ……!!」

 

 “黒いドライブ”はその雨の中、

 

「002!」

 

 “最後のロイミュード”へと、向かい合った。

 結局走大はベルトの期待に反し、この時まで真のドライブへと覚醒することが出来なかったのだ。

 

「倒したってえのは正確じゃねえだろ? コアはまだ、生きてる」

「……お前をここで倒せば、同じことだ!!」

 

 黒いドライブ────”プロトドライブ”は拳を握り、002へと向かっていった。

 

「来いよ……”仮面ライダー”!!」

 

 002もまた拳を握り、それを迎え撃つ。

 冬の乾いた街に少しだけ与えられた湿り気の中に、互いが互いを殴りつける鈍い音が響き続けた。

 しかし、

 

「もっとだ……もっとぉ!!」

「がっ……!!」

 

 鉄の拳が、ドライブの胸元を捉える。

 

 002の強さは圧倒的だった。

 

 ロイミュードの進化を可能にするプログラムは、今だベルトによって秘匿されている。だと言うのにこの強さ。走大にはわかる。

 

 002は最後に出会ったロイミュードにして、最初に出会った最も進化態に近いロイミュードだと。

 

 011も大概なものだったが、こいつはそれ以上だ。

 

『落ち着け走大! ペースが乱れているぞ!』

「……じゃあどうすりゃいいんだよ!? こいつの強さは圧倒的だ!! 教えてくれよ、ベルトさん!」

 

 二人が言葉を交わす間にシフトカー達が飛び交い、002を攻撃する。しかし002はそれらを全て払いのけ、おまけに一切のダメージを受けていない。

 

「ふざけてんのか?」

 

 002の声に、怒気がこもった。

 

「テメェの決断を……」

 

 002はその怒りのままに、

 

「他人に……」

 

 拳を固く握り、

 

「委ねるなァァ!!」

 

 ベルト目掛けて、その拳を叩きこんだ。

 あまりの勢いに、ドライブの身体は後方に思い切り吹き飛ばされ────後方の廃工場に突っ込んだ。

 

「あっ……」

 

 変身が解除され、走大は痛む身体を何とか動かそうとする。ベルトがどこかに飛んで行ってしまい、このままでは変身もままならない。

 

「ベルトさん! ベルトさん!?」

 

 走大は必死に探し求めた。まるで、親とはぐれた子供のように。

 

『ここだ……走大……』

「ベルトさん!?」

 

 かすかに聞こえた声に、走大は歓喜の声を上げた。

 

「ベルトさん!!」

 

 声のした瓦礫の中を漁った瞬間、走大は絶句した。

 ベルトの中心は、002が殴った場所を中心に大きくひびが入っていた。もはやディスプレイ画面は光を発することもできず、ベルトも辛うじて声を出しいている状態だ。

 

「ベルトさん……!?」

『基幹部をやられた……。私はあと少しで、消える』

「は、はぁ!?」

『だから最後に、全てを伝える』

 

 ベルトは話し始めた。

 ロイミュードの進化態プログラムを隠した”ある街”とは、彼の故郷であり”悪意とは最も遠い場所である”木組みの街であったこと。

 

 木組みの街に、その時に備えてドライブピットを用意していること。

 

 街に着いたらまず、喫茶店”ラビットハウス”を訪ねて欲しいことを。

 

『今までの君は、私がいなければ何も出来なかった。いいか、走大』

 

 走大は泣きじゃくっていて、返事が出来ない。

 

『君は仲間を得ることを恐れていた。だが……』

 

 ベルトのひび割れが、また少し大きくなった。

 

『仲間がいれば迷わない。誰よりも早く、君の道を走り抜けろ』

 

 その瞬間、バチッと電気の弾ける音がベルトから響く。

 

「嫌だ……嫌だよベルトさん!! ベルトさん!!」

『あの街に行けば、君のその心を救う仲間がきっと見つかる』

「あんただって仲間だろうが!! 俺を置いて、いかないでくれよ……! 俺はまだ……!」

『言っただろう? 君は、超人だ。ただ、エンジンのかけ方を忘れているだけだ……』

 

 ベルトの声が、小さくなっていく。

 

『頼んだぞ。この頭脳派気取りの、火の玉小僧が……!』

 

 その言葉を最後に、

 

「……ベルトさん?」

 

 ベルトが答えることは無かった。

 

「ベルトさん? ベルトさん!! ベルトさん!!」

「終わったか?」

 

 002が、”ただの機械”になったベルトを抱く走大を見下ろしていた。

 

「進化態のプログラムが、まさかそんなところにあったとはな。一杯食わされたぜ、リース=リング・モーゼル・シューベルト」

「リース=リング……?」

「……まさかテメェ、知らなかったのか? “ベルト”が人間だった時の名前だ」

 

 初耳だった。

 

 ああ、そうか。

 

 俺はベルトさんに頼りっきりの癖に、ベルトさんのことを何も知らなかったんだ。

 そんな悔恨が、走大を覆いつくす。

 

「お前の判断が遅かったせいで、”ベルト”は死んだ」

 

 002は続ける。

 

「これはテメェが自分で飛び込んだ戦いだ。なのに、テメェはその決断を”ベルト”に委ねた」

 

 こんな相手に仲間であるロイミュードが106体も倒されたのかと、

 

「愚かだな、仮面ライダー」

 

 その声は、侮蔑をはっきりと伝えていた。

 しかし走大は、何も言い返せない。自分が愚かだったのも、決断が遅かったのも。

 全て変えようのない事実だ。

 

「ベルトもそうだ。お前みたいな奴を選んだせいで、犬死にすることになっちまってよぉ。愚かさの極みだ」

「……何だと?」

 

 しかしながら、

 

「聞こえなかったか? お前を選んだベルトの判断は間違いだったって言って……」

「黙れ!!」

 

 走大にも、見過ごせないものがある。

 

「確かに俺の判断は遅かった!! けどなあ!!」

「うるせぇ!! テメェが黙れ!!」

 

 002は鉄の拳で、生身の走大を思い切り殴りつける。おブッ、と血を吐きながら、走大は雨に濡れた地面に転がった。

 

「大好きなベルトさんがバカにされて悔ちいでちゅ~~ってか!? どこまでガキなんだテメェは!!」

「黙れって言ってんだろおおおお!!!」

 

 鉄の塊を殴ることは、自分へのダメージしかない。

 それを痛いほどわかっている筈の走大が、002の頬をまた思い切り殴りつけた。

 

「俺にも絶対引けない戦いがある!」

 

 走大が言っているうちに、また002の鉄の拳。

 

「たとえ……!」

 

 鉄の脚。

 

「とうてい……」

 

 鉄の頭突き。

 

「かち、めのない、あいてだろうと……」

「しつけぇぞ!!」

 

 鳩尾への鉄の一発。ボグッという音と共に、走大は倒れ伏し今度こそ動かなくなった。

 

「最後の最後で、バカみてぇに食らいつきやがっ……」

「俺、には」

「なッ……!?」

「倒れ、られない、戦いがある、それ、は」

 

 何故立っていられるのか、002には全く理解が出来なかった。常人ならばとっくに死んでいる筈だ。

 

「仲間の志を……! 侮辱された時だ!!」

 

 ベルトは確かに自分を信じ、自分に全てを託したのだ。

 そのベルトの判断が間違っていたなど、許しておけるはずもない。

 

 002もまた、自分に初めて向けられる人間の感情に戸惑っていた。これは、そう……

 “怒り”だ。

 

 速さが欲しい、と走大は願った。彼には、自分が”遅すぎた”せいで零れ落ちそうなものを、今すぐに走り出して救い出せるような”速さ”が必要だった。

 そして、それに伴う……”覚悟”が。

 

 その時、

 

「プロトスピード……!?」

 

 今まで黒かったプロトスピードが。

 赤く。紅く。緋く。

 輝いた。

 “シフトスピード”へと生まれ変わったそれは、走大に自分を使えと語り掛けているかのようだった。

 

「俺はもう、迷わない」

 

 走大はただの機械になったベルト────ドライブドライバーを巻くと、シフトスピードを捻り腕のシフトブレスへとセットし……シフトレバーの如きそれを動かし、

 

「Start……my……ENGINE!!」

 

 自らの、”ギア”を入れた。

 

“DRIVE!”

“Type,SPEEEEEEEEED!!”

 

 まるで肉体に血が通うかのように、ドライブの身体もまた赤く、紅く、緋く染まっていく。

 これこそが、ベルトが求めた”真のドライブ”。

 

 “仮面ライダードライブ タイプスピード”だった。

 

 この姿を以てドライブは002を下し、ロイミュード107体を殲滅完了した。

 しかし、生き延びたコアは木組みの街へと向かい……次の戦いが始まることとなる。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

「壮間!」

 走大は声をかけ、そして────

 

 

「走大くん! 一緒にチノちゃんもふもふしよ~~!」

「あのなあ、24歳男性が14歳女子中学生にそういうことするってどうなるか解ってて言ってる?」

 

 

「走大君はやっぱり飲んでくれないのね……。ショック!」

「抹茶だけは! 抹茶だけは勘弁してな千夜!」

 

 

「お互い苦労の絶えない体質よね」

「シャロの場合は駆という負債つきだしな」

「言うな──!!」

 

 

「サボるな走大! ミニカー全部ブロカントに売り出されたいか!?」

「おーっと、警官に鬼軍曹が命令と来ましたか!」

 

 

「ラの人がいれば私らと走大と併せてソラマメ隊だったのになー」

「ねー」

「いいから非番の日ぐらい好きにさせろ!」

 

 

(あんたの言う通りだった、ベルトさん)

(この街で俺は、最高の仲間に出会えた)

 

 

「仲間がいれば迷わない。誰よりも早く、お前の道を走り抜けろ」

 

 その言葉を、贈った。

 

「……はい!」

 

 壮間もまた、その”覚悟”を受け取る。まだ“駆け出しの王様“を……

 

 警察官として最高の敬意の証。

 

 敬礼で、走大は見送った。

 

 

おわり



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インタールード2018

旅は人間を謙虚にします。
世の中で人間の占める立場がいかにささやかなものであるかを、つくづく悟らされるからです。
ギュスターヴ・フローベール(1821~1880)


 その部屋は臭かった。

 安タバコと、汗と、古いエアコンの詰まりかけのドレンから登ってくる水アカの匂いだ。

 

「キミさあ」

 

 部屋の真ん中のソファに居丈高に座るその男は、目の前に座る少年を訝しげに見る。

 

「依頼はいいけど、『コッチ』の方は大丈夫なの」

 

 (しい)()牛人(ぎゅうと)は探偵だ。

 

 素行調査、浮気調査、調べ物は何でもござれ。牧場の息子として生まれた彼は、(ベコ)に好かれる人になれとこんな変わった名前をつけられた。しかし牧畜よりも子供の頃に見た『古畑任三郎』シリーズに憧れ、彼は探偵になった。殺人事件に遭遇したことは一回も無いが。

 

 そもそも、古畑任三郎は探偵じゃなくて刑事だ。

 

 それでも探偵の仕事は始めてみると意外と楽しく、やりがいがある。探偵の仕事とは突き詰めてみれば、依頼人の求める”真実”を追求する仕事。真実に向かって情報をかき集め、そこに辿り着き、それを依頼人に提供する。彼らは真実の存在に喜び、ありがとうと去っていく。

 それはなかなかに理想的な仕事であり、関係であると牛人は思っていた。

 

 しかし、それは対価あっての話だ。

 

 真実に辿り着く為には、労力が要る。時間が要る。カネが要る。その為には、依頼人からの報酬はそれなりのものでないと困るのだ。さりとて彼のような何とか探偵やってますって程度の男には、簡単な労力で済む、つまりは対価が安いのとイコールな依頼しか回ってこないのだけれども。

 それだけに、今回の依頼は別格だ。

 

 人探し。

 

 目の前の高校生ぐらいの少年(ガキ)は、探偵の苦労を本当にわかってるのかと言いたくなるぐらいにむずかしい依頼を持ってきていた。

 

「報酬の方は、用意はあります」

 

 少年──書いてもらった依頼書によると名は日寺壮間──は、こっちの態度を意に介さず真面目くさった表情でそう返す。

 

「んー、そう。じゃあもっかい君の依頼を復唱しようか」

「はい」

「人を探してほしいと」

「ええ」

 

「名前は」

「以前は『アリオス』さんと言ったんですが……今はどんな名前になっているのか」

「外人? 日本に帰化したとか?」

「それもちょっと違うというか」

「どの辺に住んでたの」

「以前は静岡の内浦に」

「遠いな」

「正直、今どの辺りにいるのかも……」

「世界中周って探せって?」

「いや、その」

 

 ここで牛人は、タバコを取り出すと火をつけた。ポウポウとしばしやった後、彼はまた壮間を見る。

 

「顔とかわかる」

「あ、それはこれを」

 

 壮間は懐から写真を取り出す。それは幾人もの少女たちを映した集合写真だった。

 

「どれよ」

「この人です」

 

 壮間が指さした先には、一人の女性が映っていた。綺麗だが、どことなく中性的な印象を与える女性だ。

 

「他には」

「これだけです。申し訳ないですけど……」

 

 一応念の為、と壮間はアリオスの映っているところだけを引き伸ばした写真を別に取り出した。最近のデジカメは画質が良いとはいえ、引き伸ばされると流石にジャギっていて厳しいものがある。この内容に牛人は、またタバコに口をつけた後ふうっと煙を吐き出す。

 

「要点整理ね。名前はアリオス……だったかもしれない。今は違うかも」

「はい」

「以前は内浦に住んでた。今はどこかわからない。手がかりなし」

「はい」

「手掛かりは顔写真一枚だけ。しかも集合写真引き伸ばした画質がアレなやつ」

「はい」

 

 牛人はンンン、と喉を唸らせる。

 

「で?」

「で、とは……」

「いくら出せるの? この依頼に」

「これを」

 

 壮間は封筒を取り出し、テーブルに置いた。

 

「五万あります。人探しの相場の基本と聞いて。追加であと数万円程度は……」

「ンンン~~~~……」

 

 牛人は苦い顔になり、

 

「やめとこうか」

 

 そう切り捨てた。壮間はええっ、と頓狂な声を上げる。

 

「割に合わなすぎる。その少なすぎる手掛かりのうえで内浦に行ったりするから出張費もかかったりするのに五万? 無理だね」

「でも……!」

「大体五万ってそれ、ネットで『依頼料 相場』とかで検索したよーなヤツだろ? そーゆーのは人材や資産が十分にある大手の事務所の基準。うちは社長経理管理人事総務全部俺一人でやってるから、大きなヤマならそれに合わせてそれなりに貰ってないとやってけないわ」

「事務所の広告には『報酬応相談』って!」

「だから相談に乗ったうえでやめとこうつってんだろ! はっきり言う! 割に合わねえしめんどくせえ! 以上!」

 

 牛人は話を切り上げると壮間に帰るよう、出口の方を顎でしゃくる。

 

「待ってください、お願いします!」

 

 意外や意外、それでも諦めず壮間は食らいついてくる。

 

「待たない。帰って」

「俺にはここしかないんです!」

「五万あるんならまず大手の事務所行けよ!」

「どこでも断られちゃったんですよ!」

「ああ!? じゃあうちは仕方なくってか!? ますますムカつくなァ──ッテメェ──ッ!!」

 

 壮間は一瞬押し黙るが、

 

「……彼女との関係を話してくれって言われて、友人と言ったんですが」

 

 ゆっくりと、

 

「情報が少なすぎる場合は、ストーカーがストーキング対象探してる事例もあるから怪しいと言われちゃって」

 

 ここを頼るしかない事情を語った。

 

「はっきり言えないんなら受けられないって?」

「ええ」

「どこでも断られた、と」

「はい」

「で、ウチみたいな貧乏所帯の切羽詰まって逼迫してそーなところだったら金さえ出せば受けてくれるだろーと、君はそーやって俺をナメてかかったわけだ」

「それは!」

「……どういう事情なの」

「え?」

「だから! どーゆー事情でその女性(ひと)探すことになってるのかって話」

 

 ああ、と壮間は得心し、

 

「お世話になったんです。彼女に」

「あー……それはシモの方で?」

「え?」

「ヤッたの? ムスコがお世話されちゃったの?」

「は、はあ!? やめてくださいよそういう冗談!!」

 

 ここで壮間は初めてまともに怒った。

 

「はいはい、で?」

「……俺が自分の道に迷っていた時に、背中を押してくれました」

 

 壮間にとって、

 

 

「私はお前が思うような立派な人間ではない。私以外だってそうだ。お前が見てきた先人たちも、それぞれ悩んで生きて育つうえで、数えきれない過ちを犯し、取返しのつかないものを何度も捨ててきたはずだ」

 

「未来を今知る事はできない。だったら、理屈じゃなくて心で選べ」

 

「心の声に従うんだ。お前の心の叫びを、私は絶対的に肯定しよう」

 

 彼女から貰った言葉は、本当に重い。

 過去で出会ったレジェンド達は幾人といたが、歴史を継承し改変されたこの時間でも出会ってもう一度言葉を交わしたいと思ったのは初めてだった。

 

 

 羽沢天介は、記憶を失う過程が無くなった以上もう羽沢天介ではない。それにもしもう一度会えるとするならば、それは自分ではなくつぐみに機会が与えられるべきだ。誰よりも、何よりも先に。

 

 

 栗夢走大とは、あの木組みの街で交わすべき言葉は全て交わしたと言っていい。歴史を託した相手こそミカドだったが、走大は自分に己の物語と覚悟の全てを乗せた言葉を贈ってくれた。

 

 

 ヒビキに接触するのは気持ち的に忍ばれるという以前に、先祖返りである彼が今現在幾つなのかもわからない。あのまま歳を重ねたのか、それともまた生まれたのか。

 何よりきっと────この時間でも、彼はきっと九十九との時間を過ごしているに違いない。それを思うと下手に壮間が割り込むのも、といったところだ。

 

 

 朝陽は論外だ。ウィルの言葉が正しければ、彼は第二次世界大戦中に死んでいる。この時間では、手厚く葬られているのを祈るばかりだ。

 

 

 アラシと永斗も論外。いつにも増して激しかったあの戦いでしっかりと受け継いだのもあるが……探偵を探すのに探偵を使うだなんて馬鹿な話も無い。この時間でも探偵に近いことはやっているのではと色々と探してみたが、ホームページもSNSも手掛かりなしでお手上げだ。

 

 

 何より、傲慢じゃないか。

 例え世界を救う為でも、歴史を奪って、あるべき出会いと人生を歪めた自分が────彼らの今を見届けようなんて。

 

 

 ならば何故、アリオスには出会おうとするのか。それも傲慢な我儘だ。

 長いようで短い時間、たった二人で仲間を救うために駆けずり回ったニューヨークと秋葉原の想い出。それはこれまでのレジェンドとの出会いの中で、殊更に記憶に残り、彼を成長させた。

 あの時間があったからこそ────壮間は”主人公”として、一段上へと上れたのだ。

 

 だからこそ、一目見ておきたい。

 

 彼女はこの時間でも、笑っていられるのか知りたい。

 あの芯の強さのある言葉に、もう一度触れたい。

 まだまだ“駆け出しの王様”は、そんなすぐには強くはなれない。今一度彼女の言葉を胸にして、さらに先へと進みたかった。

 

 壮間がそんな想いを抱いているとは露知らず、牛人ははあ、といった表情で彼を見る。

 

「まあ、事情はわかるけどさ」

「……じゃあ!」

「でもダメだ。割に合わねえってのは変わらないんだから」

 

 そこで、

 

「お願いします!!」

 

 壮間はぐっと、牛人の手を握った。

 

「いややめろよそーゆーの! ンなことやったってなあ……」

 

 牛人が手を振り払おうとしたその時────

 

「……あ?」

 

 壮間と、目が合った。

 彼はその瞬間からしばらく、狐につままれたかのような表情で壮間を見ていた。そして長い沈黙の後、

 

「わかったよ」

 

 面倒くさいといった表情を隠そうともしなかったが、手を振り払ってから彼はそう答えた。

「ほ……本当ですか!」

「やるよ。やりゃいいんだろ」

「ありがとうございます!!」

「じゃあ、早速五万を……」

「成功報酬でいい」

 

 壮間は牛人に何度も礼を言うと、改めて資料の写真を渡し事務所を後にしていった。

 そして相変わらず臭い事務所の中で、牛人はほう、とため息をついた。

 

「なんて目ェしてんだよ、あのガキ」

 

 牛人は確かにあの瞬間見た。

 

 控えめで童貞臭いガキの筈なのに────壮間の目には、世界全体を威圧するかのようなスゴ味があった。

 

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 その目に魅入られた瞬間、彼は抗う気力を無くしていたのだ。面倒くさいことに変わりはないが、受けるしかないと。

 

「さーて……どっから探すかな」

 

 画質がアレなアリオスの写真を手に取りながら、牛人は頭を掻いた。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 椎尾牛人への依頼から数日経ち、夏休みに入った。

 

 そして壮間は、

 

「来ちゃったよ……!」

 

 山間(やまあい)の合宿所に来ていた。

 

 修学旅行から帰ってから夏休み前の期間で、壮間は普通二輪の免許合宿を申し込んだのだ。

 出来ることは多い方がいい。ライドストライカーというバイクを持っているのだから、それを使えた方がいい。

 出会ってきたレジェンド達も、それぞれにマシンを駆使し戦うことが多かった。仮面を被ったライダーで”仮面ライダー”だ。むしろバイクに乗れなくてどうすると言わんがばかりだ。

 

「よし!」

 

 とりあえず、意気込みから。誰に聞かせるでもなく、壮間は気合を入れた。

 

 合宿は順調だった。

 8泊9日のみっちりとした技能、学科講習が詰まっており、ひたすらバイクのことだけを考えていられる。講習の合間にある事故に遭遇した時のための応急救護講習も、いざという時に役に立つだろうと思われた。

 

 そして五日目ともなる頃には、だいぶバイクを転がすことができるようになってきていた。学科講習も元々地頭は悪くない為、こつさえ掴めばすっと入ってくる。これなら卒検もいけるだろうと思うと、嬉しくなってくるというものだ。

 王として、主人公として、己を高めようと思った。

 そんな中で何か成功のワンステップを踏めたというのは、非常に気持ちが良い。

 

「ねえ」

「はい?」

「七味、かけすぎじゃないの」

「……ああっ!?」

 

 合宿仲間の女性に声をかけられ、壮間は我に返った。

 

 今は五日目昼休み昼食時間。合宿所の食堂は簡素ではあったが、毎日メニューが凝っていた。今日の昼は肉ごぼう天うどん。九州の味だ。

 

「考え事してたら、つい」

 

 そう言いつつ、うわうわうわ、といった困惑の目で壮間は自分のうどんを見る。考え事をしながら上の空で振った七味が、肉もごぼう天もツユも朱色に染め上げていた。

 

「あたしのと代えてあげよっか」

「ええ!? い、いや何言って……!」

「いいから」

 

 女性は素早く自分のトレーを置いて壮間の側まで押し出すと逆に壮間のトレーを引き寄せ、目にも止まらぬ早さでテーブルの割り箸を割り、その朱色のうどん────らしきものを啜った。

 

「あ」

「……はい! もう口つけたからこれあたしのね! 君はそっち」

「何だか、その。すいません」

「すいませんじゃなくてありがとう、でしょーよーそこは。テンアンツ! 蟻が十匹! 蟻が十!」

 

 こう言ってはなんだが、何だか非常に絡みづらい人だと思った。

 

 切り揃えたおかっぱの黒髪。背が高く肩幅が広い、女性にしては大柄な体格。

 年齢は30代前後だろうか。

 

 いつも講習の時は言葉少なに見えた為、何というか……ここまでクセがすごい人物だとは予想だにしなかった。

 

「日寺君、だよね」

「え? ええ。覚えててくれてたんですね」

「そりゃ覚えるでしょ! 高3のこの時期に夏期講習ならぬ免許合宿来るとかチャレンジャ~~! 逃げない負けない泣かない燃えろアドベンチャー! チャレンジャー三年生! あっここ『ゼミ』でやったところだ! チャレンジャー号は悲劇に見舞われたわけですが……君の受験はどうなの? 大丈夫?」

「ええ、まあ」

「うっわ余裕のよっちゃん!? いいわねェ~~強者の余裕! あたしもそのぐらい悠々自適な高3ライフ送りたかったわ!」

「はあ」

 

 なんだろう。疲れる。そんな壮間の反応をよそに、目の前の女性は七味だらけの朱染めのうどんをずるずると啜り、いや(から)(つら)いわ、ってか辛いと辛いって同じ字だわ、などとごちゃごちゃ言いながらそれを胃の腑へと収めていく。壮間もそれを見ながら、さっさと手元のうどんを同じように口にしていく。

 

 ごぼうが美味い。

 

「で?」

 

 彼女はひと息つくと、水をぐっと一気に飲み干し壮間に尋ねた。

 

「で、とは」

「いやわかんない!? わかんないか主語がないもんなあ! 守護が無いのは頼朝より前だよなあ! ……いやだからね、高3のこの時期に免許取る理由ってなにって話よ。お姉さんに聞かせてみ?」

 

 壮間は考えあぐねる。冷静に考えれば何で一瞬でこんなウザ絡みされたうえに身の上話までしなけりゃいけないんだという話だ。

 

 だがその一方で、ここで答えず取り乱すように去ってしまうのもまた──どこか弱々しく情けない態度だと壮間は思った。それはきっと、”王”のすることではない。

 目の前の些事にビクついて振り回されるのは、そう────”主人公”らしからぬ振る舞いだ。

 ウザ絡みの七味うどん女が何だ。別にうどんを交換してくれって頼んだわけじゃない。感謝しないわけではないが、それよりも無理矢理自分のペースに巻き込もうとするその態度が気に入らない。

 

 口を慎めよ脇役(モブ)

 これは俺の物語だ。

 

「……やりたいことが、あるんです」

 

 心中のザワつきを抑えながら、壮間はいたって平坦な口調でそう返した。

 

「やりたいこと」

「ええ」

「それは、どんな?」

 

 壮間の心は揺るがない。ざわめかない。

 その問いにも、

 

「王様になろうかと思ってます」

 

 はっきりとそう返した。

 

「王様?」

「ええ」

「あのねえ、あたしは真面目に」

「大真面目、ですよ」

 

 瞬間、空気が震えた。

 

 壮間の眼が、はっきりと女性の眼を視線で捉える。表情こそ柔和だが、眼は笑っていない。

 女性は継ごうとした二の句を口から吐き出すことのできぬまま、ごくりと肉の塊でも飲み込むかの勢いで飲み下し胸中に収めた。

 

「それじゃあ。午後も頑張りましょうね」

 

 壮間は平静を保ったまま、トレーを持ちカウンターにそれを片づけに立ち上がる。少しずつ遠くなっていく彼の背中を見ながら、女性はまた水を一杯注ぎ、一気に飲み干した。

 

「あー辛、辛」

 

 彼女はしばし呆然とその場に座ったままだったが、やがて同じようにトレーを持って立ち上がるとそれを片づけていった。

 

 そして彼女は廊下に出ると、

 

「あれがこっちの『ジオウ』? まあまあね」

 

 知る筈のない、壮間の正体を口にした。

 

「あっちの『ジオウ』に比べたら素の性格も、王への自信も、レジェンドの力の扱い方もまだまだ中途半端。眼だけはいっちょ前に『俺が主人公だ』って感じであたしのこと見ちゃってたけどさァ」

 

 彼女は品定めするかのように、壮間を見た限りでの所見を述べていく。そしてまた何か言おうとした瞬間、

 

「……あーら」

 

 彼女の首に、がっしりとしたマフラーが巻きついていた。

 

「我が王にちょっかいをかけるとは……。随分と調子づいたものだね」

「一瞬で絞め殺せるって? キャーコワーイ」

 

 無言の返答として、マフラーの締まりがキツくなる。

 預言者ウィルは、目の前の“異物”を始末せんが勢いだ。彼女はこの物語において、絶対的に不要な存在なのだから。

 

「ゲッほ! ちょっとさァ、マジにやる気? あたしは構わないわよ、こんなしょーもねーつまんない二次創作みてーな物語ぶっ壊れてうグぐぐぐぐ」

 

 マフラーの締まりは今や完全に殺す勢いだ。もう呼吸の猶予も与えんと言わんがばかりに締まっている。

 

「しょうもない? 二次創作? ……違うな」

 

 未だ壮間も信用のおけない預言者ウィルではあるが、ただひとつ信じてもよさそうな点がある。

 

「これはもう、”彼”の物語なんだ。誰にも邪魔はさせない」

 

 彼は恐らく、誰よりも────この”物語”を愛しているだろうと。

 女は青い顔をしていたが、

 

「……だァらァァ!!」

 

 巻きついていたマフラーを手刀で完全に両断すると、咳き込みながらも思い切り酸素を脳に回していった。

 

「調子乗ってんじゃあねーわよもどきヤローがよォォォ!! ボケ! ションベンチビリ! 旧世代社長秘書ヒューマギアと名前被り! 死ねカス!!」

 

 一瞬でとりあえずとばかりに出した語彙で軽く悪罵すると、彼女はダダダッと『悪魔の手毬唄』の葡萄畑を走り抜ける老婆かと言わんがばかりの勢いで飛び出し、廊下の曲がり角の先へヒョイと消えた。

 ウィルは急いでそっちの方向に走ったが、そのまま彼女は煙のように消えてしまっていたのである。

 

 曲がり角の先は照明がなく、昼でも薄暗い廊下になっていて、どこか薄気味が悪かった。ウィルは一瞬ゾオッと背筋が総毛立つ感覚を覚えたが、なんのと改めて思い直した。

 

 あの女は、”異物”だ。

 

 この物語に相応しくなく、似つかわしくなく、全くもってそぐわない……パステルカラーの乙女ちっくな文芸誌に、鈍色に毒々しく血文字が描かれた栞を挟むが如き存在だ。

 

「月に叢雲、花に風……。よく言ったものだ」

 

 物事は邪魔が多く、予定通りにならないと古人は言った。全くその通りだ。

 こんなにも思い通りにならない物語は、他に無いだろう。

 あの、何者かもわからない悪役(ヒール)といい。

 

「だが、それがいい」

 

 思い通りにならない。上等じゃないか。

 むしろ、それでこそ物語。

 

「さて、君はどう切り抜ける? 我が王、日寺壮間」

 

 ウィルはそう呟くと、彼もまたふっとその場から姿を消した。

 午後の講習で、壮間は教官からあの女性が急用で合宿所を去ったと聞かされた。

 

「名前……なんていいましたっけ。あの人」

大門(だいもん)桐子(きりこ)。まあ急用じゃな、仕方ないな」

 

 壮間は桐子の表情を一瞬思い出すが、すぐにそれを頭の隅に追いやり、目の前の講習と向き合うことにした。

 今やるべきことは、それだけのはずだ。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 日寺壮間は昔から思っていた。

 

 免許証の写真というのは、どうしてあんなにもブ細工に写るのだろうかと。

 

 彼の両親も当然免許証は持っており見せてもらったことはあるが、どうにもこうにも普段と違ったかしこまった表情、独特の青い背景のせいかブ細工に見えた。別段、両親の顔の造作が不味いというわけではなく。

 

 だから彼は密かに決意していたのだ。

 自分が免許を取った暁には、絶対にブ細工どころか好男子に写ってみせるぞと。

 

 しかし、

 

「ブ細工……!」

 

 試験に合格し、完成した免許の入った共同ケースからヒョイとつまんでそれを見た時、壮間は愕然とした。

 

 なんだろう。どうあってもブ細工に写る運命なのかと絶望するほどに、壮間の初めての免許の写真もまた、随分と普段に比べてブ細工に写っていた。小さな目標が打ち砕かれたその感覚は、地味に切ない。

 

「香奈には笑われること確定だな、これ」

 

 そんなことを思い、幼馴染の哄笑を想像すると苦笑いが出たが、兎にも角にも────

 

「免許取得……成功!」

 

 貴重な高校三年生の夏休みを二週間近く消費しただけの価値はあった。

 これでバイクに乗れる。ライドストライカーを自由に扱える。

 ジオウとしての戦いに、幅が出るというものだ。

 

 何より、定めた目標をひとつ達成するというのは気持ちが良い。

 免許の写真写りという小目標は逃したが、中目標としての免許取得は成し遂げた。これをバネに、王になり世界を救うという大目標を成し遂げたいものだと。

 

「おめでとう、我が王よ」

「……ウィル」

 

 預言者ウィルはいつの間にか傍らに立っていた。もう驚くほどの事でもないが、こちらの事情などお構いなしだなと壮間は苦々しげに彼を見る。

 

「さて」

 

 ウィルはうやうやしく礼をすると、少し上目遣いで壮間を見る。

 

「君はまず、どこに行きたい?」

「どこに、って」

「折角免許を取ったんだ。君が手にしたライドストライカーは、決して足場として使うためだけにあるわけではないと考えるが……」

「とりあえず、どっか転がしてみろって?」

 

 壮間は苦笑しつつ、ライドストライカーのウォッチを取り出す。

 

「まあ、行きたい場所が無いってわけじゃないんだけどね」

 

 どこに行きたいか。ひとまずの答えは決まっていた。

 まずは────

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「ごゆっくりどうぞ!」

 

 ごゆっくりさせる気があるのか無いのかといった元気の良い挨拶と共に、壮間の前にアイスコーヒーが差し出された。

 

「どうも」

 

 この子アイドルの若宮イヴだよな?と困惑したものの、ガールズバンドの縁でアルバイトしているのだと聞くと成程と得心した。羽沢珈琲店は、そう……つぐみのガールズバンドを起点にして、縁が出来、人が集まる場所であり、そして────

 

「お久しぶりです」

 

 二度三度と来た程度ではあったが、つぐみは壮間のことを何だかんだ顔まで覚えていた。香奈の幼馴染という点もあったと考えれば、やはり彼女にも感謝しなくてはならない。

 

「日寺さん、結構焼けてません?」

「あ、やっぱり?」

 

 教習で暑い山の中を陽射しに晒されまくれば、嫌でもそうなる。だろうな、と壮間は苦笑した。

 

「いやね、合宿でバイクの免許取ってきたから……そのせいかな」

「免許!?」

 

 間に頓狂な声を挟み驚いたのは、今井リサ。やはりつぐみとはガールズバンドで縁があり、今日はここに涼みに来ているのだ。

 ギャルっとした見た目に最初は引け腰になったものの、話して見ると気立てがよく、わりかしに純朴である彼女は壮間にとっても話しやすい。

 

「え、でも日寺君ってアタシらと同学年(タメ)じゃなかったっけ」

「ええ」

「……なのに、免許!? 受験は?」

「そっちもまあ、なんとか」

「……!!」

 

 壮間のふんわり答えながらも余裕を感じられる態度にリサは目を見開いた後で、

 

「友希那……。彼に勉強教わった方がいいんじゃない……?」

 

 真向かいに座る自身のバンド、Roseliaのボーカルにして幼馴染、湊友希那へと目を向けた。

 

「必要ないわ」

 

 友希那は淡々と返しながら、アイスで出されたはちみつティーを口にした。

 一同はあっはは、と笑い、壮間もつられて軽く笑った。

 

 羽沢珈琲店。

 

 つぐみのガールズバンドを起点にして、縁が出来、人が集まる場所であり、そして────

 羽沢天介が何よりも守りたかった、”いつも通り”の場所。

 

 この想いを、未来へつなごう。

 天介が戦った、過去をいたわろう。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「来たのはいいけど……」

 

 日寺壮間は、高くそびえるそれを見上げていた。

 

「入れるわけでもなし、だよなあ」

 

 メゾン・ド・章樫(あやかし)、通称”妖館(あやかしかん)”。

 

 祖先が妖怪と交わり、何度も同じ姿で生まれてくるという半人半妖、“先祖返り”たちが住まうマンション。

 

 純然たる妖怪に狙われやすい先祖返り達を護るために作られたコミュニティの礎ということもあり、元より鉄壁のセキュリティを誇る場所だ。

 今現在は”部外者”となってしまった壮間には、入れる余地もない。

 

「でも、まあ────」

 

 そこに変わらずあってくれるだけだよい。言葉の続きを、壮間はあえて飲み込んだ。

 

 2005年。

 

 消えたその物語では鉄壁のセキュリティに加え、ここを護る”鬼”たちがいた。

 何度も生まれ、何度も死に、400年間以上運命を変えようとし続けた男がいた。

 

「……ありがとうございます」

 

 誰よりも愚かだが、誰よりも強かったその男に拳を届かせた時と、同じ言葉を口にする。

 忘れない、という自戒を込めて。

 

 壮間はライドストライカーに跨ると、次の行き先へと向かった。

 それと同時に、妖館の戸が開き────

 

「もう信じられない! 折角出かけるって言ってたのにSSが寝坊するってある!?」

「オマエが夜遅くから『この子の七つのお祝いに』観たいって言ったからだろーが! 一人じゃ見られないって言うから!」

 

 喧嘩しながらも、互いに憎からずといった様子のマスク姿の少女と、スーツ姿の少年。4号室の住人だ。

 彼らの未来は、始まったばかり。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 神田明神に吹く夏の風は、ぬるく生暖かかった。

 

 ここに連なる石段では、幾人かの女子高生が昇り降りしてトレーニングをしている。かつてこの場所で伝説を作った”女神”達にあやかろうというのだ。

 ここに来る途中で秋葉原のスクールアイドルショップにも寄ったが、10年近い時が経とうというのにμ'sの人気は健在だ。

 今でもグッズが並び、買い求めるファンは多い。

 

「伝説を、作ったんだよな……」

 

 誰も知らない。知るはずも無い。

 

 本当なら彼女達の伝説の傍に、二人組の探偵がいたことを。

 

 伝説と言っても、彼らは何か特別な事をしたわけではない。

 ただ、ありのままにそこにあった。

 自分を信じ、自分のやりたいことを貫いた。

 

 だが、きっとそれが────

 

「────ハードボイルド、ですよね」

 

 壮間は神田明神を後にする。

 次のステージへ、風が連れていく。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「いい香りです」

「どうも」

 

 壮間に褒められ、香風智乃は軽く笑み頭を下げた。

 

 ラビットハウスのコーヒーは、変わらず芳しい香りで鼻孔をくすぐる。

 木組みの街までは流石に高速経由で飛ばさなければ厳しい道程だった。もう夕方であるがそれは流石に想定内のこと、今日は木組みの街の町はずれにある“兎の湯”なるひなびた温泉宿に一泊する予定だ。

 

「ところで」

「はい?」

「近頃は、この街で事件なんか起きたりは……?」

 

 壮間はそれとなく尋ねるが、

 

「何言ってるんですか、この街で事件なんて……。平和そのものですよ、ずっと」

「そう、ですか」

 

 今度は壮間が笑む番だ。

 

 栗夢走大が守ろうとしたこの街は、この街の心は、正義は……変わらず、そこにあるとわかったから。

 ここに来る前に真っ先に立ち寄った街にただ一つの交番に、その男はいないのだけれども。

 

「……今の俺には、仲間がいます。誰よりも早く、俺だけの道を走り抜けていきます」

 

 この喫茶店の喧騒の中に、走大はいた。駆もいた。それを想えば心が痛い。

 だが────この痛みも連れて行く。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「まさかまた来るとは……」

 

 しかもこんなに早くとは。

 修学旅行の時には思いもしなかったなと、壮間は浜辺から海を見た。

 

 木組みの街で一泊してチェックアウトし、高速を乗り継ぎ内浦方面に辿り着いた時にはもう昼を過ぎていた。

 

 夏の太陽の強い陽射しが海面を照らし、きらきらと輝いている。刺激が強すぎて、眼を細めてしまうほどに。輝きはいつだって、日常と共にある。

 

 彼女達はここで、そのもっともっと先の輝きを追い求めたのだ。

 

 人は死ぬ。必ず死ぬ。いつか仲間も、自分も必ず死ぬ。

 

 けれどその”輝きに向かう意志”は……次の時代を生きる者達に受け継がれる。

 

 既に死んだはずの心優しい青年は、今を生きる少女達が輝く為に、ちょっとだけ手助けをしていった。“この時間”ではその事実そのものが消えてはいるが……

 きっと、彼がどこかから見守り続けているのは変わらないだろうと。

 

「さて、と」

 

 感傷にふけるのもそろそろだと壮間は立ち上がり、浜に連なる道に停めていたライドストライカーのところに戻っていった。そして浜から階段で上がった時────

 

「あ」

「え?」

 

 歩いてきた、一人の女性を目の当たりにした。

 

「高海、千歌さん……」

 

 先日の戦いで見た時よりも背が伸び、化粧がうまくなり、私服には年相応の分別がある。

 かつて輝きを追い求めた“主人公”は、過去の物語を完遂させ、今を生きていた。

 

「そうだけど……あ! Aqoursのファン!?」

「え、ええ、まあ。幼馴染が皆さんのファンで」

「そっかあ、ありがとう! たまに来てくれるんだよねえ、嬉しいな」

 

 千歌は優しい笑顔で返す。成長してはいるが、芯の部分は変わらぬままだと壮間はまた嬉しくなった。

 

「あの」

「うん?」

「『アリオス』さんって……ご存知ないですか?」

「え? アリ……なに? だれ?」

 

 千歌の反応に、壮間は馬鹿なことを聞いたと頭を振る。

 彼女達の時間を継承し、ある意味で奪ったのはお前じゃないかと。

 それでも探偵に依頼するだけのこと、やはり尋ねたくなってしまったというのが正直なところだ。そっちの方は、あの探偵に任せることにしよう。

 

「すいません、忘れてください」

「はあ」

「……お元気で!」

 

 壮間はライドストライカーに跨り、ヘルメットを照れ隠しの如くさっと被るとその場から去っていった。

 もう、振り返らない。新しい歴史に、漕ぎ出していこう。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 静岡から東京までは高速で1時間半ほどだが、壮間はあえてそっちに入らずしばらく海岸線を走り続けてみることにした。

 

 潮風が、陽射しが────とても心地良い。

 

 神奈川を目前にして、夏の夕陽がこうこうと輝き、オレンジの光で彼を包む。

 長かった今までの戦いを巡る旅も、いよいよ終わろうとしている。

 寂寞感というか、大いなる感傷というか。

 旅の終わりという事実と、夕暮れの陽射しが生み出すそういった巨大な感情が彼を包み、自然と目元から涙が溢れていた。

 

 

 愛と平和を胸に、ガールズバンドの居場所を守った仮面ライダービルド。

 

 

 正義の意味を問い続けながらも、木組みの街という人の善意を信じられる場所に在り続けた仮面ライダードライブ。

 

 

 先祖返りを守り、先祖返りの運命に抗いながら生きてきた仮面ライダー響鬼。

 

 

 輝きを追い求めた少女達と共に、自分の命を、生きている意味を探し求めた仮面ライダーゴースト。

 

 

 伝説を作った”女神”達と共に、己の信念を貫き戦った探偵達、仮面ライダーW。

 

 

 彼らの物語があって、自分は今ここにある。

 

 “主人公”になると決め、主人公であると確信したのだ。彼らの物語が掌中にあるというのなら、彼らの物語を全て統べる主人公になってやる。

 免許を取っただけのことかもしれないが……彼は今、ひとつの成長と共に、自身の在り方にひとつの区切りをつけていた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 溢れる感情が、思わず叫びとなる。

 やってやろうじゃないか。なってやろうじゃないか。王に。

 何故なら────

 

 

 日寺壮間は、主人公なのだから。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「今日こそ来てるかな、ミカド」

 

 日寺壮間は暇人だ。

 住所不明のミカドに免許を取ったことを報告するために、夏休みの学校に毎日来ているのだから。

 

「あれ、ソウマ?」

「香奈じゃん」

「じゃん、って何かなあじゃん、って。そりゃ部活あるからさ、いるよ」

「そりゃどうも」

「でも、ちょうど良いところで会った!」

「え、何」

「……宿題写させて!」

「あのなあ」

 

 早めに動けるなら自分でやりなよ、と言いかけたところで、壮間は教室の戸に手をかけ、開く。そして……

 

「うぉっ!? 本当にミカドいた!?」

 

「えーまたまたー……わっ、本当にいる! しかも泣いてる!!!????」

 

 教室にいた、光ヶ崎ミカドを目の当たりにした。

 

 

To be continue “KAMEN RIDER ZI-O ~Crossover Stories~”……



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トーンハウス2023

強さは肉体的な力から来るのではない。それは不屈の意志から生まれる。
マハトマ・ガンディー(1869~1948)


「アイスコーヒー、お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」

「ありがとうございます、つぐみさん」

 

 客である日寺壮間の返答に対し、羽沢つぐみは微笑むと丁寧にぺこりと頭を下げ、バックヤードへと引っ込んでいった。

 夏休みの午後だというのに、羽沢珈琲店の客は壮間ひとり。随分と静かというか、物寂しいと言ってよい。こんな暑い日に外に出る人間の方が珍しいのかもしれないが。

 

 しかし、いや、だからこそ────今日の目的に集中できるというのは多分にあった。

 

 壮間の手元には、一冊の本がある。

 厚手の白一色のブックカバーがかかったそれは、本の表紙を覆い隠し中身がわからない。

 壮間はそれをただ懸命に、ひたすら懸命に読み耽っているのであった。

 

 本のページは既に終盤に差し掛かっている。クライマックスだ。

 ペラ、ペラと一定の長めの感覚で響くページをめくる音が、静かな店内ではよく聞こえた。夏場の事で少しだけ湿気を含んだページの、重めの音が。

 その〝静けさの音〟が、今の壮間には何よりも心地よかった。その音のしない音こそが、彼の持つポテンシャル、〝想像力〟をかき立て、なにかを引き出す。

 

 いやむしろ、引き出されるというよりもそれは────

 

「ソウマ──ッ!!」

 

 キインときた。

 先程まで響いていたはずの〝静けさの音〟は掻き消え、一気に別の音が侵食してくる。

 

「香奈か……」

 

 壮間は本を閉じた。辟易したといった表情の壮間に対し、見知った顔の幼馴染は夏場の熱気をその身に纏わせながらずんずんと店内に入ってきた。

 

「何してるの!?」

 

 声がでかい。

 さっきからの店内の音の調和に対して、これはまるっきり不協和音(ディソナンス)だ。

 

「何って……」

 

 壮間は先程まで読んでいた、

 

「読書だよ」

 

 本を手に取った。

 

「いや余裕過ぎない!? 私達受験生だよね!?」

「午前中はちゃんと夏期講習行ったって」

「午後もやろうよ! やれよ! 私にだけ苦しい思いをさせるなよ日寺壮間~~!!」

「悪役の断末魔?」

「誰がじゃ!!」

 

 ははっと壮間は笑った。わかっている。

 片平香奈は悪役などではなく、壮間よりもずっと、〝主人公〟たりえる存在なのだと。

 

 だから、憧れた。だから、嫉妬した。

 だから、守りたいと思った。

 

「で?」

「で、って何、でって」

「何読んでんの?」

「何って……」

 

 読んでいた本について問われ、壮間は答えあぐねる。答えていいものだろうか。

 

「それは、さ」

「……はい取った!」

 

 突然叫ぶと、香奈は壮間が手にしていた本をばっと奪った。

 力強く掴んでいたわけでもないそれは、しゅるっと壮間の手を抜け高く掲げられる。

 

「ちょっ!」

「え、小説? あー……ライトノベル?」

 

 香奈はぱらぱらとページをめくり、ところどころ見えるカラーのページや挿絵などからそう判断した。

 

「……悪い?」

 

 壮間は小さな声で答える。ばつが悪そうな顔、とはまさにこのことだ。

 ライトノベルという媒体そのものには貴賤もなにもないが、漫画よりもオタク寄りという感じはあるし、ちょっとエッチなサービスシーンもあったりして、読んでいるのを身内に知られるのがためらわれるのは多分にある。それが異性の幼馴染ならばなおさらだ。

 

「いや悪いわけないじゃん!? なんで!?」

 

 香奈は無邪気に尋ね返してくる。こういうところだ。

 他人に対してのハードルというか、偏見が少なくフラットに相手を見られるところ。それもまた、主人公の器だ。

 

「なんでもない」

 

 壮間はふうっと気持ちを吐き出すかのように、一息ついた。

 

「でも珍しいよね」

「なにが?」

「だって、ソウマって物語……嫌いじゃん? だよね?」

「あ、あー……」

 

 そうなのだ。

 日寺壮間は、物語が嫌いだった。

 

 幼い頃は、むしろ物語に親しみ、物語に憧れた。物語の中の登場人物のように、劇的な生き方をしてみたいと思ったからだ。

 

 だが時が経ち、その努力が虚しく価値の無いものだと壮間は諦めてしまっていた。

 主人公らしくあろうと、表だけ取り繕っても中身は空っぽな自分に、嫌気が差した。

 だから物語を遠ざけ、目を背けてきた。

 

 けれど、

 

「それはさ、昔の話だろ? 香奈だってわかるじゃん」

 

 目を背けていた物語と、向き合わざるを得ない経験をいくつもしてきた。

 

 この世界には、たくさんのライダー達の物語があった。そして、彼らと共にある人々の物語が。

 そして壮間は、それらを受け継いできたのだ。

 

 物語と向き合い、それを尊重するのはとても骨の折れる仕事だ。だからこそ壮間は、もうひとつ向き合ってみることにしたのだ。

 純粋に、架空の物語を読み、楽しむということを。

 

「物語を知れば、物語ともっと向き合える気がする。そういうことだよ」

 

「そういうことなんだ」

「そういうことなんだわ」

「で、なんでライトノベル?」

 

 物語は世の中にたくさんある。そんな中から、なぜその一冊を手に取ったのかという話だ。

 

「本屋さんに行ったらあったからさ。ファンタジーならこう、まず俺達には縁のない話じゃん?」

 

 今まで出会ったライダー達とそれに付随する物語は、どれもこの現代日本に即した中で紡がれている。妖怪や先祖返りの存在はだいぶファンタジーな気もするが、それにしてもだ。

 少なくとも、ダンジョンやモンスター、ギルドといったファンタジックなそれとはこれからもまず出会えないだろう。現実離れしているからこそ、物語の物語性を増して楽しむことができる。そういうことだ。

 

「ファンタジーなんだ……」

 

 香奈はブックカバーを外し、その表紙を改める。

 

「『僕は、騎士学院のモニカ。』?」

「そう! そうなんだよ……!」

 

 壮間は思わず身を乗り出す。

 

「音楽の息づく世界シンフォニーアイランドで、男性は騎士、女性は神奏術士になって戦う世界! 未知の怪物、〝ディソナンス〟に立ち向かうそのさまは仮面ライダーにも通じるっていうか!」

 

 そうして口火を切ると、

 

「主人公のモニカは女の子でありながら騎士として戦うんだけど、その身体に入っている精神はこの世界の伝説の騎士、ダレン! 巨大なディソナンスである〝ディザストロ〟に立ち向かって命を落としたはずの彼は、何故か自分を看取ったはずの少女モニカの中にその魂が入っていて……!!」

 

 壮間は、

 

「女性の身体でありながら騎士を目指し、女性にしか使えない神奏術も使える主人公だけのオンリーワンが本当に見事っていうかさ!! 騎士学院の仲間達との日常を通じてモニカとして生きていくダレンの心情もうまくハマっていて!! そしてラスボスの意外な正体がまた!」

 

 がっつりと、語ってしまっていた。

 そうやって語らせるほどに、面白いのだ。『僕は、騎士学院のモニカ』は。

 

 ライトノベルの賞を受賞した作品らしく、帯には「優美かつ独創的な個性」「熱意と実力」など、審査員のコメントがこれでもかと強調されている。そう評されるのもなるほど納得だという面白さだ。

 

 そう、本当に熱く語っていた。

 

「あ、うん」

 

 思わず、饒舌なはずの幼馴染がそんな仁王像みたいな返事しかできなくなるほどに。

 

 その返答に、やっと壮間も自分の異常なテンションに気づいたのか、はっと真顔になった。

 

「ご、ごめん。香奈」

「ううん! 全然、むしろ……嬉しいかも」

「え?」

 

 今のどこに嬉しくなる要素があったのだという話だ。

 別にオタクというわけじゃないが、今の語りっぷりはかなり、こう、限界オタク的なそれだ。気持ち悪いと思いこそすれ、どこに……

 

「だってソウマ、楽しそう」

 

 香奈は、そう言って笑った。

 

 そう。そうなのだ。

 物語の中に生きるような人たちと出会って、自身もまた主人公だと自覚を持ったことで……壮間は、物語を楽しむ気持ちを思い出していたのだ。

 

「まあ、楽しい……かな。うん、楽しい」

「いいねー!」

 

 香奈としても、壮間のそういったところは少しばかり気になってはいたらしい。だからこその言葉だ。

 

「こう、さ。作者の個性が、ってのもそうだけど……これを書いた人はきっと、清らかな心の持ち主なんだろうって」

 

 作中の登場人物のやり取り、キャラクター達の真っ直ぐさ。

 そのどれもが真摯な心情で描かれており、人の善性が、そしてその裏側にある醜さが、しっかりとした筆致で描き出されている。

 

 壮間は文章を書くことに明るくはないが、すばらしいと思った。

 

「清らかかあ……」

 

 香奈はそう呟きながら、ぱらぱらとページをめくる。ライトノベルには、いつも巻末に作者の〝あとがき〟が載っているのがお決まりだ。その冒頭には、こう書かれていた。

 

 

「雄々しく戦う女の子は素晴らしいです。派手に傷付いてると尚いい」

 

 

「……清らか?」

 

 今日一番、特大の苦笑いだ。

 

「いいんだよ! 作者の嗜好と物語は関係ない! そうだろ!?」

 

 壮間は香奈の手から『騎士モニ』をひったくりながら弁明する。

 

「いやさっきの清らかどうこうと矛盾してるじゃん!! ねえソウマ!?」

「あー知りません―聞こえませんー!」

「いらっしゃいませー……香奈さん?」

 

 叫んでやんやとやっていた時、つぐみが顔を出す。

 

「つぐちゃーん! あ、私もアイスコーヒーお願いね!」

「かしこまりました」

 

 そうやって頭を下げるつぐみの姿を見ていると、否が応でも思い出す。

 この場所に、本当はいたはずの彼女の……〝義兄〟を。

〝仮面ライダービルド〟が創るガールズバンドとの物語は、確かにこの場所にあったのだ。

 

(俺は、逃げない)

 

 物語から逃げない。現実の中にも物語は存在し、確かに今、自分を容作っている。

 それらを受け継ぎ、形にする。例え奪ってでも、世界の為にそれを為す。

 王となり、世界の破滅を防ぐために。

 

 けれど、物語とはまず何よりも……

 

〝楽しい〟ものなのだ。

 

 物語を楽しむこと。子供でもできるほどに単純だが、壮間が長らく忘れ高い壁を自分から作ってしまっていたもの。

 それを、何気なく手に取った一冊のライトノベルは思い出させてくれた。

 

 

「教えてください。あなたはモニカさんなんですか? それとも、騎士ダレンなんですか?」

「……『両方』だよ。狭間にいるからこそ、あえて見えることもある。あいつらのような世の中の音を乱す奴らと戦う為に……」

 

「この身体と、命はある!」

 

 

「まだ届かないかもしれない……! いや、あなたにはまだ到底及ばない! それでも一回だけ、一回だけ!! それだけなら、きっと!!」

「わかった。君を、信じるよ」

 

「「────極限技法……!!」」

 

 

「お前も、そうだろ」

「ああ?」

「傍にいることで、自分の何かが崩れそうになる。自信が突き崩されそうになる。けど、いや、だから……そいつの行く高みに、追いつきたくなる」

「はあ? 俺が? 日寺に? ……はあ?」

「……違うのか?」

「黙れ。そして死ね」

「あいにく、死ねない理由が山ほどあってな」

 

 

「で? で? で? 実際のところどうなんですの?」

「え、なにが……」

「ソウマさんとは、どこまで行ってるんですの!?」

「はあ!? リオちゃん!? リオさん!? なんで? なんでそうなるの!?」

「隠さなくてもよろしいんですのよ~~! わたくしそういうお話大好きでして……!!」

 

 

 目を閉じれば、物語の中で戦う自分達の姿が浮かんでくる。今までのように。そして、これからのように。

 

(まあ、流石に無いけどさ。ファンタジーの世界だし)

 

 それでも、夢見てしまう。思い描いてしまう。

 だって────楽しいから。

 

「……ありがとう」

 

 壮間はクライマックスまであと少しといったところの本を撫ぜ、その中に記された物語に感謝を述べた。

 

 物語の楽しさを思い出させてくれて、ありがとうと。

 

 向かいでは香奈が席に着き、つぐみから運ばれてきたアイスコーヒーを受け取っている。

 

「さて、と」

 

 壮間は目の前でアイスコーヒーガムシロップを入れる幼馴染を見ながら、また続きを読み始めた。

 

「そういえばさ」

 

 アイスコーヒーを一口飲んだところで、香奈が思い出したように言う。

 

「それっていつ出た本?」

「え? えっとねえ……」

 

 そこで壮間は奥付を見て、驚愕した。

 

 

「『令和5年1月20日』……『初版発行』!?」

 

 

「は? レイワ? なにそれ」

 

 そんなことはありえない。

 確かに〝令和〟という元号は存在する。壮間は一度、確かにその存在を耳にした。

 ただしそれは、「2019年5月1日」から始まるはずの元号なのだ。

 

「い、いやいやいや」

 

 令和5年と言えば、2023年。今は2018年、平成30年の8月。5年近く先の本が、彼の手元にはある。

 

「そんっ……な……!」

 

 その驚愕的な事実に叫びそうになった時、世界はぶっつりと途切れた。

 全てが真っ黒になり、全てが消え去る。

 あとはただ────暗闇だけ。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「いかがでしたでしょうか。2018年の夏に起こった、ありえない筈の一幕」

 

 預言者ウィルは、暗闇の中で〝我々〟へと語りかけてくる。

 

「なぜ彼が5年も先の本を持っていたか。それは私にもわからない時間の超越」

 

 その表情は、どこか含んだものを持って笑っている。

 

「とにもかくにも……一度は手に取って読むべきです。『僕は、騎士学院のモニカ。』」

 

 その手には、やはり壮間が持っていたものと同じ一冊のライトノベルがあった。

 

 

 

「きっとあなたも……自分の中にある物語への『楽しい』を、思い出すことができるはずです」

 

 

 

おわり



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