白蛇と彼の一日~拾われた蛇がヤンデレて人間やめさせようとするお話 (二本角)
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白蛇と彼の一日(短編版)

ふと思い立って以前になろうで投稿した小説をハーメルンでも投稿。
ヤンデレ大好き。

2020/12/6 勝手ながら、このお話は短編版とすることにしました。
大まかな流れはそのままの予定ですが、連載版は久路人の好感度がもっと高いです。

2021/1/26
この短編をリメイクした連載版を次話に投稿しました。


 昔々、あるところにとてもとても強い蛇がおりました。

 

 蛇はいつもいつも退屈していて、暇つぶしに畑を洪水で押し流したり、村に大雪を降らせたりしました。

 

 村人たちは狩った獲物を貢物に差し出しますが、蛇は全然大人しくなりませんでした。

 

 困った村の人々は、偶然訪れた旅のお坊様に蛇を退治してくれと頼みました。

 

 お坊様は村人のお願いを聞き入れ、持っていた特別なお酒を蛇に贈るように言いました。

 

 村人から酒をもらった蛇は嬉しそうにがぶがぶと飲み干して、酔っぱらって寝てしまいました。

 

 お坊様が寝ている蛇になにやら経文を書き込むと、蛇はどこかに消えてしまいました。

 

 驚いた村人はお坊様に聞きました。

 

「蛇はどこに行ったのでしょうか?」

 

 お坊様は答えました。

 

「あちら側に帰ったのだ」

 

 こうして蛇はいなくなり、村の人々は幸せに暮らしましたとさ。

 

 めでたしめでたし。

 

 

―――そんな昔話から長い長い時が流れ・・・

 

 

 

「珍しいな・・・白い蛇?」

 

 

 

 霧雨の降るある日のこと、幼い男の子は白い蛇を拾った。

 

 

 

―――

 

 

 

「・・・・・朝か」

 

 

 突然だが、主人公というモノを描写するテンプレートというものをご存じだろうか。

 

 本屋に行くでもネット小説の投稿サイトを見るでもいいが、その多くにはやれ「俺は普通の~」だの、やれ「どこにでもいる~」だのといった紹介が溢れていることだろう。いわゆるテンプレというやつだ。テンプレートというものは、手垢がつくほど使われ続けることで定型となるに至ったもので、それそのものは使われ続けられるほどに良いモノだということだ。

 

 だが、問題なのはその後で、散々普通だのなんだの言っておいたくせに常人では人生を10回繰り返しても遭遇しないような珍事に巻き込まれ、やはり一般人なら20回は死んでるような状況から生還するなんて物語もたくさんある。他にも今時幼馴染が朝に不法侵入して起こしに来てくれたり、突如異世界に召喚されていきなり殺人行為に及んだりと、「いや、ソレ全然普通じゃねーから」と突っ込みたくてたまらなくなる昨今である。

 

 

「・・・・・」

 

 

 窓から差し込んできた朝日を浴びて目を覚ましつつ、どうして僕がこんなことを考えているのかといえば、それは早速僕が普通ではない事態に陥っているからだ。

 

 

「うわ、やっぱり今日もいるよ・・・」

 

 

 布団を捲りながら僕は思わず声を漏らす。

 

 朝日が差し込む少し前にまどろんでいた時から違和感はあったのだが、気のせいだろうと思い込んでいた。

 

 昨日の僕は確かに一人でベッドに潜り込み、しばらく暗闇の中で何も考えずにぼうっとしたままでいて、いつしか眠りに落ちていた。その間、間違いなく僕の部屋には僕しかいなかったはずなのだ。

 

 そのはずなのに・・・

 

 

「んんぅ~? もう朝ぁ?」

 

 

 僕の隣に女の子が一人眠っていた。

 

 布団をはがされたことで目が覚めたのか、その女は起き上がりながら伸びをして、日本人にはありえないような美しい銀髪がサラリと流れる。どこかの漫画の中から出てきたのかと思わせるような整った顔立ちの彼女ならば、「ふぁぁ~」とあくびする姿でさえ絵になっているが、自室のベッドという不可侵のテリトリーを侵されている僕にとっては侵略者の示威行動と何ら変わりない。

 

 伸びをした時に白い着物越しにはっきりと浮かび上がる小高い丘を努めて見ないようにしながら、僕はとげのある口調で口を開いた。

 

 

「あのさ、僕、昨日は誰もこの部屋入れた覚えはないんだけど?不法侵入とかモラルって言葉知ってる?」

 

「知ってるけど? 私がここにいることと関係あるの?」

 

 

 僕のじっとりとした視線を意にも介さず、僕のセリフの前半をバッサリ無視して腹立たしいほど可愛らしく小首をかしげてみせる。

 

 思わず顔面に拳を打ち込みたくなったが、やったところで何の意味もないのはこれまでの経験からよくわかっている。

 

 

「何にも言わずに人が寝てるベッドに入ってくるってどうよ?夫婦でも驚くっていうか、あんまやらないと思うんだよね」

 

「えっ!? じゃあ私と久路人(くろと)は夫婦よりも固いきずなで結ばれた親密度MAXの関係ってこと!?今日から私は月宮雫(つきみやしずく)!? もぅ~朝から照れるよぉ~!!」

 

 

 赤くなった頬に両手を当ててブンブン首を振る姿には殺意しかわかないが、やはりどうしようもないので行き場のない思いをため息に乗せて吐き出す。

 

 この脳みそが桃色に染まった生き物に構うのは貴重な朝のひと時をどぶに捨てるに等しい。

 

 僕はベッドの壁際の方に寝ていたので、目の前にいる彼女、雫を押しのけてベッドから降りようとしたが、その手が彼女に触れようとした瞬間、ガシッと手首をつかまれた。

 

 

「・・・何かな? 早く朝飯食べて大学行きたいんだけど」

 

「久路人の朝ごはんなら昨日作って冷蔵庫にしまっといたからレンチンするだけですぐできるよ・・・・先に私の「朝ごはん」、済ませてもいい?」

 

 

 疑問形で聞いてはいるが、爛々と輝く紅い瞳を見るに僕を逃がす気はないようだ。一応手を振りほどこうとわずかばかりの抵抗を試みるがピクリとも動かない。リンゴなど片腕どころか指でつまむだけで粉々にできるだろう。これはさっさと抵抗せずに済ませた方が早そうだ。

 

 

「わかったよ。あんまり時間に余裕ないから手短にね」

 

「はーい!!じゃ、いただきます!!」

 

 僕が首の付け根に付けていたガーゼを剥がすと、雫が僕に抱き着いてガーゼの下の傷口に口を寄せ・・

 

「れろっ・・」

 

「・・!!」

 

 鼻孔に広がる雫のほのかに甘い匂いと傷口に這わされた生暖かい舌の感触があまりにも刺激的すぎて、僕はたまらずビクリと震え、僕に抱き着く雫にしがみつく。一体どういう舌をしているのか、数日前に付いた傷からたった今切り付けられたかのように血が流れていくのを感じる。それでいて、まったく痛みがないのが不思議である。

 

 

「えへへっ」

 

「・・・っ」

 

 

 僕が雫を抱き返したようになったのが嬉しいのか、さらにギュっと力を込めて僕を抱きながら甘露を舐めるように僕の血を舌で掬い取っていく。

 

 

「れろっ・・・おいしい」

 

「そりゃよかったよ」

 

 

 生返事を返しながらため息をつく。

 

 先ほどまで雫に抱いていた苛立ちがいつの間にか消えて、どこか落ち着いたような気分になってることに少しイライラする。僕も随分と毒されたもんだ。

 

 

「もういいでしょ。あんま時間ないし、これぐらいにしてくれ」

 

「えぇ~!!もう終わり!? お願い!!もうちょっとだけ!!減るもんじゃないし」

 

「思いっきり減るわ!!っていうかこれ以上吸われたら貧血になるわ!!ホント早く離してってば」

 

「ちぇ~」

 

 

 不満そうな顔をしながらも、僕が本気で言っているのを敏感に感じ取ったのか、名残惜しそうに雫の腕が僕から離れる。

 

 

「じゃ、朝ごはんご馳走になったし、今度は久路人の朝ごはん用意してくるね!!」

 

「・・・よろしく」

 

 

 血を吸われたことで生じたわずかな倦怠感に身を任せつつ応えると、雫は勝手知ったる我が家とでもいうかのように部屋を出ててパタパタと駆けていった。

 

 

「はぁ・・・」

 

 

 口から今朝何度目のものとも知れないため息が出る。

 

 

「朝起きたら隣に美少女が寝てて、朝飯代わりに血を吸われるって・・・」

 

 

 文字に起こしてみると異常しかない。けれど、そんな異常が続いて、今では僕の日常になりつつある。

 

 

「僕はどこにでもいる普通の大学生・・・・・なんてとても言えないよね、コレ」

 

 

 改めて自分の日常の異常さを自覚しつつも、僕はベッドから抜け出して廊下に出ながら言葉に出してみる。

 

「拾った蛇がアルビノヤンデレ美少女になるとか普通思わないから」

 

 

 廊下には食欲を刺激するいい匂いが漂っていた。

 

 

 

 

-----------

 

 

 

 

「ねー久路人。学校なんて行かなくても生きてけるよ?だから家に戻って一緒にゴロゴロしよ?」

 

「うるさいダメ妖怪。せっかく通わせてもらってるんだし、大学はきちんと卒業したいんだよ」

 

「大学卒業してどうするの?久路人って社会不適応者になりそうだし、意味ないと思うけどな~。まあ、私が養うからいいんだけど」

 

「余計なお世話だよ・・・」

 

 

 大学への道を自転車で走りながら僕は口を開く。その隣を雫が宙に浮きながら並走しているが、道行く人は誰も振り返らない。やはりコイツは僕にしか見えていないらしい。

 

 

「はぁ・・」

 

「ため息つくと幸せが逃げるよ。あ!!もしかして私に幸せにして欲しいってこと?それなら・・・」

 

「誰のせいで僕がため息ついたと思ってんだよ・・・」

 

 

 僕はどこにでもいない普通じゃない大学生だ。

 

 自分で言うのはどうかと思うが、客観的に見てもそうだろう。

 

 まず第一に・・・

 

 

「えーと、久路人のおじさん?」

 

「・・・・」

 

 

 コイツが見えることだ。いわゆる霊能者というやつなんだろう。

 

 物心がついたころから、雫に限らずいろんなよくわからないモノを見てきた。

 

 

「ホント、おじさんがいてくれたら・・・」

 

「最後に私が見たの、2年前だったかな~」

 

 

 二つ目は家族構成だ。僕は自分の両親と会ったことがない。そんな僕を育ててくれたのがおじさんである。おじさんも僕と同じような霊能者で、自分たち「見える人」の常識と世間一般の常識を教えてくれなかったら、小学校に通うことすらできなかったろう。そんなおじさんはいつもどこかを飛び回っており、滅多に家に帰ってこない。生活費は振り込まれ続けてるから生きてはいるのだろうが。

 

 そして、三つ目。

 

 

「・・・実に旨そうだ」

 

 

 頭上から声が聞こえた。

 

 

「その肉、血、髪の毛の1本に至るまで食らい尽く・・・!?」

 

 

 次の瞬間、カラスのような翼と顔をして八つ手のような扇子を持った人型の何かが氷漬けになって落ちてきた。あの氷は現実に存在しているものなので、当たったら危ない。幸い目撃者はいないようだし、早く溶けることを祈ろう。なんか中のカラスっぽい生き物ごと派手に砕けたみたいだし、すぐ溶けるだろう。

 

 

「どこの雑魚か知らないけど、久路人に手ぇ出そうとしてただで済むと思うなよ・・・」

 

 

 僕のすぐ隣から、ドスのきいた低い声が聞こえた。

 

 

「守ってくれたのは感謝するけど、一応人語が通じる相手はもうちょっと交渉してみても・・・」

 

「ダメ!!久路人の体は全部私のものなんだから!!私以外の他のヤツにあげるなんて我慢できない!!」

 

「お前にも体全部をあげた覚えはねぇよ!!」

 

 

 僕が普通でないところの最たる要素にして、最も僕を悩ませていること。

 

 

 僕はとっても「美味しそう」らしい。

 

 

-----------

 

 

 僕は普通ではない大学生ではあるが、もちろん世間一般の人々と変わらない部分もある。

 

 雫と違って、僕の容姿は平々凡々。10人すれ違ったところで10人とも気にはするまい。

 

 さらに、これまで歩んできた人生コースも単なる学生の域を出ない。普通の小学校に通い、平凡な中学を卒業してこれまたありふれた高校に受かった。今おじさんに通わせてもらってる大学も地方の中堅大学だ。

 

 決して日夜妖怪的な何かとしのぎを削ったりしてないし、政府の特別機関だとかそんなのにも出会ったことはない。

 

 今日もこれまでと同じように、誰も僕に話しかけてくることはなく、僕も一切口を開かずに板書をとるだけで一日が過ぎていった。

 

 

「あ、久路人!!今日もたくさん倒したよ~!!」

 

 

 僕が校舎を出ると、雫が屋根の上からスッと降りてきた。秋だというのに少し肌寒いのは群がってきた妖怪やら霊やらが朝のカラス的なナマモノのように氷漬けになっているからだろう。さすがに授業中に僕の周りで氷が降ってきたら困るので、雫には学校にいる間は外から警戒してもらっている。どうやら今日も大漁だったようだ。

 

 

「えへへ~」

 

 

 雫がしがみついて顔を埋めてくるが、これもいつものことだ。

 

 抵抗しようが無駄なのでされるがままである。

 

 

「うん!今日も女の臭いはついてないね!!ついでに男の臭いも!!久路人ってホント煙たがられてるんだね!!」

 

「嬉しそうに言うなよ。別に気にしやしないけどさ」

 

 

 僕の日常は平和だ。

 

 妖怪は寄ってくるが、おじさんからの教えで僕だけでもある程度の自衛はできる。僕の手に負えないやつは雫に瞬殺されて終わる。だが、よほど僕が美味しそうなのか、寄ってくるやつらが後を絶たないせいで僕の周りで不可解な怪現象が頻発するともっぱらの噂になっており、僕に好んで近づく人間は昔からいなかった。

 

 

「まあ、そうだよね!! 久路人には私がいるもんね!!」

 

「あ~はいはいそうですね」

 

 

 ”世の中何が役に立つかわからねぇから学校はしっかり出とけ”とは僕のおじさんの言葉である。

 

 僕の立場は養子であって、せっかくお金を出してくれてるおじさんの好意を無為にするのはためらわれるので学校にはきちんと通っているが、他人と積極的に交流を持ちたいと思ったことはない。それを変わっているというかどうかはわからないが、これが僕の性分なのだろう。他人に迷惑をかけたいとも思わないので僕の方から距離をとっているくらいだ。おかげでこれまでの人生において友達ができたことはない。ましてや恋人など・・・

 

 

「・・・・・」

 

「雫、痛い痛い」

 

 

 僕の体を掴む腕の力が跳ね上がる。

 

 

「久路人、変なこと考えてない?」

 

 

 雫は無駄に勘が鋭い時がある。サトリのように心を読む力はないはずなのだが。

 

 

「考えてない考えてない。今日の晩飯何かなってことくらいだよ」

 

「ふ~ん・・・・まあいっか。うん、今日はチキンカレーだよっ!」

 

「チキンか・・・」

 

 

 朝のカラス的な何かを思い出したが、僕は頭を振ってその記憶をかき消すと、家路についたのだった。

 

 

-----------

 

 

 いつも通りの帰り道。

 

 僕の家は郊外にあるので、家に近いところは自然が多く、あまり人気がない。

 

 

「なんと芳醇な香り!!その血、ぜひとも゛っ!?」

 

 

 黒いマントを着た金髪で八重歯のとがった人が激流とともに川に叩き込まれた。

 

 

「小僧!! 頭から喰っ!?」

 

 

 全身が赤くて角が生えたトラ柄パンツの大男の胸から杭のようなツララが生えると、ズシンと倒れた。

 

 

「うふふ、坊や、その精を゛!?」

 

 

 なにやら扇情的な恰好をしてコウモリのような羽を生やした女がいたような気がしたが、雫に手で目隠しをされたのでよくわからなかった。

 

 

「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ・・・・」

 

 

 目を開けてみると粉々になった氷塊を雫が無表情で踏み砕いていたので、先に自転車を走らせる。

 

 

「待ってよ~!!置いてかなくてもいいじゃん!!」

 

「いや、なんか熱中してるみたいだったから」

 

 

 いつも通りのやり取りだ。人気の少ないところは人ならざるモノがよくいるので大抵こんな感じになる。

 

 女性っぽい姿をした妖怪に対しては雫は異常に攻撃的になるから置いてくのもよくあることだ。

 

 

「それにもう家に着いたし」

 

「ああっ!!久路人と一緒の下校っていう甘酸っぱいシチュエーションがっ!?」

 

「血なまぐさいだけだろ」

 

 

 家の周りにはおじさんが結界を張ってあるらしいので妖怪は入ってこれない。

 

 

「はぁぁ~テンション下がるな~。まあしょうがないし、ご飯の支度しよっと」

 

 

 はずなのだが、雫は何もないかのように家の扉を開けて中に入っていった。

 

 やはりいつものことなので気にせずに僕も雫に続いた。

 

 

-----------

 

 

「そういえば、最近カレーとかシチューとか多くない?」

 

 

 夕食の時間、雫の作ったカレーを口に運びながら僕はふと疑問に思った。

 

 いつのころからか、多分数年前から雫は僕の食事を作りたがるようになり、実際に作り続けているためか、雫は料理上手といってもいい腕前だ。

 

 ただ、雫の好みなのか、カレーとかシチューのような料理をよく作る。特に最近は3日に一回は作ってるような気がする。ちなみに夕飯の時には雫も一緒に料理を食べる。僕の血を吸うのは朝の一回だけで、飲みすぎると悪酔いするらしいからだそうだ。僕の血は酒か何か。

 

 

「・・・久路人はカレーとか嫌い?」

 

「いや、そんなことないけど。ただよく見るなって思っただけで」

 

 

 雫の努力のたまものなのか、似たようなメニューであっても飽きたとは思わない。

 

 今日はチキンカレーだが、前に見たカレーはシーフードだったし、シチューも普通のホワイト以外にもデミグラスソースのやつだって作っていた。

 

 

「私が作りやすいから作ってるだけだよ。飽きたなら他のやつにも挑戦してみるけど・・」

 

「別にそんなことないって。まあ、普通に美味しいし、ご飯作ってもらえるのはありがたいし」

 

「そう?それならいいんだけど」

 

 

 テーブルを挟んで言葉を交わしながらも、スプーンを持った手は休む気配がない。

 

 僕も一応最低限の料理はできるが、それはあくまで最低限であり、自分ひとりのために作るのならまあいいかな?といったレベルだ。それを思えば気が付けば勝手に手が動くほどの雫の料理はかなりのぜいたく品と言えるだろう。家賃と食費代わりと思っても充分だ。

 

 

「なんか隠し味とか入れてるの?カレーってそういうのよく入れるって言うし」

 

「・・・・・うーん、入れてると言えば入れてるけど、言っちゃったら面白くないから教えないよっ」

 

 

 やっぱりなんか入れてるのか。レトルトなんかと比べるのはさすがにあれだが、どうにも雫の作る料理は味に深みがあるというか、舌にいつまでも残るような感覚がするのだ。そうしてその感覚がしばらく続いた後、少しづつ薄くなっていく。決して不快ではなく、料理の元になった食材が僕の体の一部になっていくのが肌で感じられるような気がするというか・・・・何を入れればこんな風になるのだろうか?

 

 

「その隠し味のレシピ、本にしたら売れるんじゃない?っていうか、この料理だって・・・」

 

「私、久路人以外にご飯作る気なんてないからね!!一億歩譲って作ることになったとしても、隠し味だけは絶っっっっ対に入れないから!!!」

 

 

 突如、すごい剣幕でまくし立ててきた。まあ、普通の人に姿の見えない雫が店で料理を作るというのも土台無理な話か。一応、姿を見えるようにすることはできるらしいが。というか、隠し味とやらはそんなに大事なものなのか。

 

 

「そこまで言われると気になるんだけど・・・変なものじゃないよね?」

 

「ひどっ!!久路人に食べてもらうものによくわからないモノなんていれないよ!!ちゃんと出所のわかってるものを使ってるってば!!」

 

 

 一応、ここ数年雫の作った料理を食べて体調を崩したことはない。髪の毛とかも入っているのを見たことないし、そもそも味の深みが増すようなものなんだからちゃんとした食品ではあるのだろう。少なくとも毒ではない・・・ってこれはさすがに失礼すぎだな。

 

 

「じゃあ、また機会があったら教えてよ。美味しく作れるっていうなら、自分で作るかもしれないし」

 

「久路人のご飯は一生私が作るつもりだけど・・・・そこまで言うなら」

 

 

 そこで、雫はスプーンでカレーを掬うと、僕の方に突き出してきた。

 

 

「半分は、私から久路人へのたっっっぷりの愛情!!もう半分は近いうちに教えてあげる。はい、あーん」

 

「いや、これはちょっと恥ずかしいんだけど」

 

「はい、あーん!!」

 

「いや、だから・・・」

 

「あーん!!!」

 

 

 だんだんと、雫の眼が朝の時のように爛々と輝き始めた。これは下手に粘らない方がいいだろう。

 

 

「・・・・むぐっ」

 

「えへへへ、美味しい?」

 

 

 いろいろと煩わしく思うことも多いが、僕のために料理を作ってくれるのはありがたいし、美味しいのは間違いないのだ。だから、僕は正直に答える。

 

 

「・・・美味い」

 

「ふふ、ならよかった!!じゃあ、もう一口ね。あーん!!」

 

「・・・・・」

 

 

 それから雫の皿に残っていた分が半分になるまで、カレーと一緒に、親鳥にえさを与えられる雛の気分を味わうことになるのだった。

 

 

 

-----------

 

 

 

「人間の世界っていつも同じようなことしか起こらないんだね」

 

 

 夕食を食べ終えて、夜も更けてきた。

 

 居間のソファでゴロリと寝転がって読書をしていると、さっきまで僕の横でスマホをいじくっていた雫が僕の顔を覗き込んでくる。まとめサイトかニュースサイトでも見ていたのだろうか。

 

 雫は妖怪なのか精霊なのか、少なくとも人ならざるモノなのは確実だが、テレビやらスマホやら文明の利器にすっかり馴染んでいる。

 

 

「今日もいつも通りって感じだったし」

 

「普通の人から見たら僕らの日常は異常そのものだと思うけどね。そうじゃなくても毎日毎日突拍子のないことが起こってたら身が持たないよ」

 

 

 ただでさえ毎日毎日よくわからん怪異に巻き込まれてる身だ。この上でさらに何か起こったらノイローゼになるかもしれないと薄々思っている。その気になれば多分この町を真冬に変えられる雫からすれば今日襲い掛かってきたモノたちなど羽虫みたいなものなのだろうけど。

 

 

「でも、たまには何か変わったことがあって欲しいとか思わない?」

 

「別に・・・・僕としては今の平穏な・・・まあ、平穏と言えるかわからないけど、今日みたいな日がずっと続いてほしいとしか思わないね」

 

 

 僕がそう言うと、雫の瞳がパッと輝いた。わずかにほほを染めてモジモジしながら、

 

 

「そ、それって、私とずっと一緒にいたいっていう遠回しなプロポーズ?いや、もちろんOKだけども突然言われると・・・」

 

「お前のそのポジティブシンキングなところは素直に羨ましいよ」

 

 

 これだけ世の中を自分に好都合なものの見方で見てたら人生楽しいだろう。だが、まあ・・・

 

 

「でも、雫がいてくれてよかったとは思ってるよ」

 

「え?」

 

 

 雫がピタリと固まった。

 

 

「僕がまあまあ平和に過ごせてるのは雫が近くにいるからだしさ。料理も作ってくれてるし、話し相手にもなってくれるし、本当に感謝してる」

 

 

 たまに考えるが、もしも僕が一人だったらどうなっていただろうか?

 

 身を護るくらいはできるから死にはしないだろうが、毎日人じゃないナニカに怯えながら家に引きこもっていたんじゃないかと思う。おじさんはあまり家にいないし、他の人とコミュニケーションをとれるポテンシャルもない。一人しかいない家の中で怯えたままでいたら、とっくに心がダメになってたんじゃないだろうか。

 

 だからこそ、うざいと思うときはよくあれど、心から雫には感謝しているのだが・・・

 

 

「そ、そうなんだ・・・えっと、ど、どういたしまして」

 

 

 その雫は珍しくおどおどとした様子で、耳まで赤くなっていた。

 

 

「言った僕も結構恥ずかしかったんだけど・・・照れてるの?」

 

「あ、当たり前だよ!!とんだ不意打ちだよ!!」

 

 

 けど!! と赤くなりながらも語気を荒くして、雫は僕をまっすぐに見つめた。

 

 

「それじゃあ、私はこれからもずっと、久路人の傍にいてもいいんだね?」

 

 

 嫌って言っても居座るだろとか、ずっとかどうかはわからないぞみたいなセリフがのどの先まで出かかったが、少し不安げな雫の眼を見てその言葉を飲み込んだ。代わりに、僕の心の底からの言葉をくみ出す。

 

 

「ああ、うん・・・これからも頼むよ」

 

「っ!!!」

 

 

 その瞬間、雫の顔がまさに花が咲いたような笑顔になった。

 

 

「言質とったよ!!言質とったからね!!今の言葉、私、ずーっと覚えてるからね!!」

 

「・・・・言っておくけど、告白とかそういうのじゃないからな」

 

「ふふ、ふふふ!!!あは、あははははは!!!勝った!!勝った!!私大勝利~!!」

 

 

 僕の言葉が届いているのか届いていないのか。

 

 雫は満面の笑みのまま立ち上がると、そのまま浮き上がり、何かの儀式としか思えない踊りを舞い始め・・・突然停止した。

 

 

「よし!!久路人、一緒にお風呂入ろ!!」

 

「何がよしだよ」

 

「私たち二人がこの先も末永く暮らしてくって決まった記念!!今日こそ、いやさ、今日だからこそ!!」

 

「記念で一緒に風呂に入る意味がわかんないよ。大体、もうすぐ・・・」

 

 

 雫が僕の腕を掴んで揺さぶってくるが、僕は動くつもりはない。

 

 僕も日本人であるからして当然風呂に入る習慣はあるが、僕が入浴するのは大体夜の9時を回ってからだ。

 

 というのも・・

 

 

「痛っ!!くぅぅぅ~、時間切れかぁぁぁぁあ!!」

 

 

 突然、雫の周りに白い靄が出ると、少しづつ雫の体が透けていった。

 

 

「いやぁ、僕も残念だよ」

 

「少しも残念そうに見えないんだけど!!」

 

 

 この家にはおじさんが結界を張っているが、その結界は人ならざるモノが活発になる夜に最も強くなるようなのだ。これにはさすがの雫も逆らえないようで、強制的に「あちら側」に帰されてしまうらしい。

 

 

「ちっくしょ~!!あともう少しだったのに~!!くぅ・・ここは引くしかないか。でも!!私は絶対にこれで終わらないんだからね!!じゃあ久路人、また明日!!」

 

「どこの悪役だよ、お前は・・・・まあ、それじゃあまた明日」

 

 

 手を振りながら、小悪党のような捨て台詞を残して雫は消えていった。僕も小さく手を振りつつ見送る。

 

 

「それじゃ、風呂入るか」

 

 

 雫は言動はあんなだが、見てくれはかなりの美少女だ。混浴などしたらさすがの僕もどうなってしまうかわからないから、入浴はこうして雫が「あちら側」に戻ってからにしている。あれで雫も無理やり僕になんかしようということはしないので風呂についても普段は冗談めかしてしか誘ってこないのだが、今日はかなり積極的だった。

 

 

「ひょっとしたら、危なかったのかもな・・」

 

 

 もしも雫が「あちら側」に戻るのがもう少し遅かったら・・・・

 

 ずっと一緒に、なんて早まったようなことを言ってしまったけど・・・

 

 

”人間とそうじゃないモノってのはほどほどの距離感ってやつを保たないといけねぇ”

 

”あんまり近寄りすぎるとな、連れてかれちまうぞ”

 

 

「「あちら側」か・・」

 

 

 おじさんは人ならざるモノがいる世界を「あちら側」と呼んでいる。

 

 神隠し、チェンジリング、ヨモツヘグイとそういう世界に関わって帰ってこれなくなるという話は昔からゴロゴロしている。だから、僕が雫に出会った頃はよく気をつけろと言っていたのだが、人の世界に馴染めているとは言い難い僕だ。

 

 

「それも、悪くないのかもな」

 

 

 こんなことを考えて独り言を言っている時点で、僕も今日の雫のようにどこか舞い上がっているのかもしれない。けどやっぱり・・・

 

 

「返事がないってのは、寂しいな」

 

 

 静かなのは好きなほうだが、あの騒がしいのがいないのも、それはそれで張り合いがない。

 

 そんな風に思ってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 こうして、いつものように夜は更けていく。そして・・・・

 

 

 

「久路人、おはよっ!!」

 

「ああ、おはよう。じゃあ、早速だけどベッドから下りてもらおうか」

 

「なんで!?」

 

 

 

 僕らの日常は続いていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 月宮久路人はすでに「人間」の枠から外れつつある。

 

 

 

 

 

「ふんふんふ~ん♪」

 

 

 時刻は朝の4時半。もうすぐ日の出というところ。人ならざらるモノの時間が終わり、人間の時間に変わりつつある時だった。夜の星、特に月とかかわりの深い月宮家にかけられた結界はその力を弱める。そうして弱った結界を素通りし、月宮家の台所に立つのは白髪の少女だ。現在の家の主たる久路人は朝に弱く、目覚めるのはまだまだかかるであろうことを雫はよく知っていた。

 

 

「今日の味噌汁のダシは煮干しにしよっかな。具はわかめと豆腐と・・・・」

 

 

 数年前から、月宮家の食事は雫が作っている。まだ小学生低学年の久路人に拾われて、人間の姿になれるまでに5年。そこから料理の勉強を半年して他人に食べてもらえる程度の腕になってからは、月宮家の台所は雫のテリトリーだ。久路人もある程度料理を覚えたが、雫ほどの熱意はなく、早々に台所の領有権を明け渡している。

 

 

「あとは夕飯のシチューの下ごしらえもしなきゃ。材料はカレーの時に余ったのが・・・」

 

 

 なぜ雫が料理にやる気を出しているのか。それはまず、「好きな人に自分の作った手料理を食べてほしい」という純粋な乙女心がある。

 

 

 そう、雫は久路人に恋をしている。

 

 

「~♪」

 

 

 鼻歌を歌いながら豆腐を包丁で切っている姿からは想像もできないが、雫はかなり格の高い妖怪であった。それが退屈を紛らわすために人里にちょっかいをかけていた結果、長きにわたる封印を施された。

 

 封印が解けてただの蛇と変わらぬほどに力を失った雫にとって世界はそれまでとはすべてが裏返った敵だらけの場所で、そんな中気まぐれであっても拾って保護してくれた久路人に多少の恩を抱くのはさもありなんというところだが、久路人はそれだけではなかった。

 

 雫にとって、久路人はこれまでに出会ったことのない特異点であったのだ。

 

 

「豆腐は準備したし、わかめも戻したし・・・出汁もとれてるね」

 

 

 失われた力をほんの数年で取り戻すくらいの潤沢なエネルギーに満ちた血を持ち、人間の中にありながら雫が人ならざるモノと知っても忌避感を持たない「ズレ」を魂に抱えた少年。

 

 ただの人間の群れを屑石とするなら、久路人は妖しい輝きを放つ宝石のようだった。

 

 最初は少しの感謝と多大な打算、そして興味。そこから自分に付きまとっていた退屈を少しずつ溶かされ、自分ですら気づかなかった孤独が取り払われていると自覚した頃には、単なる「妖怪」ではなく「女」の心を持つまでに力を高めていた雫はどっぷりと魅了されていた。

 

 

「うん、味噌汁はこれでよし、と。次はシチュー・・・」

 

 

 ともかく、恋というにはいささか粘ついた独占欲が多すぎるかもしれないが、雫は久路人のことを心から愛していた。愛する人のために料理をふるまいたいというのは、妖怪であっても人であっても変わらないものであり、それが雫が料理に熱意を燃やす()()の理由だ。そして・・・

 

 

「材料は昨日切りすぎたのがあったから鍋に入れて、後は・・・」

 

 

 雫はそこでいったん手を止めると、先ほどまで使っていた包丁を丹念に洗い始めた。

 

 やがて満足いくまで磨いて布きんで水をぬぐい、台所の明かりを受けて鏡のように輝く包丁に笑みを浮かべる。そして、シチューの具材が入った鍋の上に腕をかざした。

 

 

「たっぷり隠し味を入れないとね!!」

 

 

 雫が包丁を振ると、白い腕に赤い線が走り、深紅の血が鍋に降り注いでいった。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 月宮久路人はすでに「人間」の枠から外れつつある。

 

 

 八尾比丘尼、太歳、ヨモツヘグイ。

 

 人間が人ならざるモノをその身に取り込んだ結果、自身もまたソレらに近づくというのはしばしば伝承として残っている。

 

 

「ふふ、あとどれくらいで、久路人は私のモノになってくれるかな?」

 

 

 自室でぐっすりと眠っている久路人の寝顔を見ながら、雫はつぶやく。

 

 雫から見て、月宮久路人は元よりただの人間とは住む世界が違う。彼の身に宿る力を別にしても、人間の住む世界に適応できていない。彼にとって周りは自分と姿かたちは同じなれど分かり合うことはできない存在であり、干渉すべき存在でもない。そういう致命的な「ズレ」を抱えている。だが、悲しいかな、その体は人間のモノであり、100年もすれば他の人間のように死を迎えるだろう。

 

 

「久路人のいない世界なんて、耐えられないよ」

 

 

 そんなつまらない別れなど、雫には到底認められなかった。だから考えて、決めた。

 

 

 

 

 久路人を私と同じモノにしてしまえばいい。

 

 

 

 

 

 正確には、雫の「眷属」というべきモノになるだろう。そうなってしまえば、誰にももう干渉されない。人間の体という枷から解放されれば、時の流れさえも例外ではない。

 

 一滴でも汚水の混じったワインがワインでなくなるように、自分の血が混ざることで久路人が汚染され、血を味わうことも力を取り込むこともできなくなるだろうが、そんなことは些細な問題だ。むしろ、他の連中からも狙われなくなるだろう。

 

「他の雌にも、誰にも渡さない・・・邪魔するヤツは皆殺しにすればいい」

 

 自分以外の他の誰かの隣に久路人がいる、雌の妖魔が襲い掛かってくる度にそんな妄想が頭をよぎって内臓が石に変わったかのような不快感を覚えたが、そんなこともなくなる。

 

 それまで人間社会で生きてきた久路人にはすぐには慣れないかもしれないが、今よりもはるかに安寧を享受することができるだろう。元々ズレている久路人ならば、必ず受け入れることができるという確信が雫にはあった。この家を残していった久路人の叔父には雫としても多少恩があるし、抵抗するかもしれないが、雫にとっては久路人以外がどうなろうが大して興味はない。

 

「あと、もう少し・・・」

 

 毎朝の「味見」で味が落ちてきていることから、段々と染まってきているのは分っている。

 

 このまま続ければ、あと数年の内に月宮久路人は人間を辞めるだろう。

 

「言質はとったんだからね? 久路人、ずっと、ずっと、ず~っと、一緒だよ」

 

「・・・う~ん?」

 

「ふふっ!」

 

 昨晩の久路人の言葉を思い出しながら、雫は想い人の頬に口づけをして、同じベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、いつものように夜は明けていく。そして・・・・

 

 

 

「久路人、おはよっ!!」

 

「ああ、おはよう。じゃあ、早速だけどベッドから下りてもらおうか」

 

「なんで!?」

 

 

 

 彼らの日常は続いていくのだ。




感想求む!!
ヤンデレシチュエーションで琴線に触れるものがあったら続き書くかもしれません。


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白蛇と彼の一日(連載版)

こちらは、あまりにも前日譚とズレてしまった「白蛇と彼の一日」のリメイクです。
「過去編なんていちいち読んでらんねーよ!!」という方はこちらからどうぞ!!
細かい設定以外は、大事なことは盛り込んであります!!


短編版のリメイクと思ってたら、丸々書き直すことになってしまった・・・
遅れて申し訳ございません。


 昔々、あるところにとてもとても強い蛇がおりました。

 

 蛇はいつもいつも退屈していて、暇つぶしに畑を洪水で押し流したり、村に大雪を降らせたりしました。

 

 村人たちは狩った獲物を貢物に差し出しますが、蛇は全然大人しくなりませんでした。

 

 困った村の人々は、偶然訪れた旅のお坊様に蛇を退治してくれと頼みました。

 

 お坊様は村人のお願いを聞き入れ、持っていた特別なお酒を蛇に贈るように言いました。

 

 村人から酒をもらった蛇は嬉しそうにがぶがぶと飲み干して、酔っぱらって寝てしまいました。

 

 お坊様が寝ている蛇になにやら経文を書き込むと、蛇はどこかに消えてしまいました。

 

 驚いた村人はお坊様に聞きました。

 

「蛇はどこに行ったのでしょうか?」

 

 お坊様は答えました。

 

「あちら側に帰ったのだ」

 

 こうして蛇はいなくなり、村の人々は幸せに暮らしましたとさ。

 

 めでたしめでたし・・・・・

 

 

―――とは行かず・・・

 

 

 

「珍しいな・・・白い蛇?」

 

 

 蛇が「あちら側」に帰ってから永い時が経った後のこと。

 

 どういうわけか、あちらとこちらを繋ぐ「穴」が開き、蛇は力を失って、こちらに戻ってきました。

 

 そうして霧雨の降るある日のこと、幼い男の子は白い蛇を拾いました。

 

 男の子は、とても変わっておりました。

 

 人間というものは、どんなに蛇が大人しくしていても、小さくなっても、自分を恐れました。

 

 ですが、男の子は少しも自分を恐れなかったのです。

 

 男の子は、自分の家に蛇を連れて帰りました。

 

 男の子のおじさんは不思議な力を持った人で、蛇が大きくなったら男の子を守るように契約させました。

 

 また、男の子は自分の特別な力の籠った血を蛇にあげることを約束しました。

 

 そして、蛇は「久路人」という名前だった男の子から、「雫」と名付けられました。

 

 蛇と男の子は、いつも一緒にいるようになります。

 

 毎日一緒に遊び、宿題をし、ドラマを見たり漫画を読んだりしました。

 

 たまに蛇以外の化物が襲い掛かって来ることがありましたが、おじさんや男の子の不思議な力で倒すことができました。

 

 そうこうしている内に、蛇は男の子に気を許すようになり、男の子は最初から蛇と友達になりたがっていました。

 

 そして、蛇と男の子は友達になったのです。

 

 

「妾は、仮に契約がなくなっても、我が友を守る。だから、妾と同じように、お前も妾を守るのだぞ。よいな!!」

 

 

 おじさんが結ばせた契約なんてものがなくとも、お互いを守りあうようにしようという、大事な約束を交わして。

 

―――

 

 それからしばらく経ちました。

 

 男の子は少年へと成長しました。

 

 男の子は生まれ持った不思議な力と、少し変わった性格から、他の子どもから避けられておりました。

 

 中には、男の子を面白がって付け回す子供もいました。

 

 蛇は面白くありません。

 

 でも、蛇は普通の人を傷つけることが約束でできません。

 

 「せめて自分が蛇ではなく、人の姿になれたら・・・」と思うようになりました。

 

 蛇は人の姿になるための修行を始めました。

 

 けど、「人間の姿になって、大事な「友達」を守りたい」と思っても、中々うまくいきませんでした。

 

 そんな頃、蛇は少年の家の召使いさんにこんなことを言われました。

 

「貴方は、ずっと「友達」のままで満足できるのですか?」

 

 そう、蛇はいつの間にか、少年に恋をしていたのです。

 

 でも、蛇は少年から断られるのが怖くて、そのことを認められませんでした。

 

 そうこうしている内に、少年はちょっとしたことが原因で、激しいイジメを受けることになってしまいました。

 

 蛇が目を離した隙に、たくさんの子供に囲まれて、蹴られるわ怒鳴られるわ水を掛けられるわ、もう大変です。

 

 「お前みたいなやつに友達も恋人もできない」と言われていました。

 

 蛇は怒り狂いました。

 

 約束なんてものを無視して、いじめっ子たちを皆殺しにしてやろうと思いました。

 

 その時、少年は言いました。

 

「僕には、僕にも雫がいる!!」

 

 その言葉を聞いた時、蛇は人間の少女の姿になりました。

 

 いじめっ子を殺すことなんかよりも、心の底から少年を守りたい、助けたいと願ったからです。

 

 そして、蛇の少女はいじめっ子を懲らしめて追い払いました。

 

 少年はどういうわけか、蛇が少女になったのに、それが蛇であるとわかりました。

 

 こうして、少年と蛇の化身は出会ったのです。

 

 蛇の少女と少年は、月夜の下を手を繋いで家に帰ったのでした。

 

-----------

 

 さらにそれから時が経ち、蛇と少年は街を離れて旅行に行くことになりました。

 

 おじさんによって少年たちが住む街には結界が張られていて、強い化物は入ってこられません。

 

 けど、少年も蛇も修行を積んで強くなっていたので、外に出ることを許されました。

 

 少年たちは山へと行きましたが、そこには少年の不思議な力を狙う狐がいました。

 

 旅行の中、少年は自分の中にある、蛇への恋心に気が付きます。

 

 しかし、狐は罠を張って少年たちを待ち構え、少年と蛇を離れ離れにしました。

 

 狐は少年に言います。

 

「汝の血がな?あの蛇を狂わせておるのではないか?と言う話だ」

 

 少年はその言葉に迷いましたが、どうにか狐を倒すことができました。

 

 しかし、その狐は分身で、結局は倒されてしまいます。

 

 一方で、蛇も同じように狐と戦っていました。

 

 狐は蛇に言います。

 

「いつか必ず訪れる、永遠の別れ」

 

「あのガキは確かに特別だが、汝は違う。格のある妖怪ならば、護衛としては誰でもよかったはずだ」

 

 蛇は自分が、人間の少年が持つ寿命のこと、自分がたまたま一緒になっただけで、他の妖怪でも少年を守ることはできたということから目をそらしていたことに気づかされます。

 

 蛇はそのことに気を取られ、狐に負けてしまいます。

 

 そして、蛇の目の前で、少年が狐のモノにされそうになった時です。

 

 少年の不思議な力が暴れまわり、狐を倒すことができたのです。

 

 ですが、その代償は重く、少年は死にかけるほどの大怪我を負いました。

 

 幸い、蛇が己の血を与えることで怪我は直せましたが、蛇はあることを決めます。

 

「久路人を私と同じモノにすればいい」

 

 蛇は、少年と永遠に共に在るために、少年が永久を生きていけるように、少年を化物に変えることにしたのでした。

 

 蛇がそのように思う中、少年もまた決意します。

 

「強くなろう」

 

 蛇が少年を守る代わりに、少年は血を与えるのが契約です。

 

 ならば、蛇が自分を守る必要がなくなるくらい強くなって、血を与えなくてもいいようにしようと決めたのです。

 

 そうすれば、自分の血がこれ以上蛇を狂わせることはないと考えた末のことでした。

 

 そうして、お互いの気持ちに気が付かぬまま、二人の日常は続いていくのです。

 

 めでたしめでたし・・・・?

 

-----------

 

 二人の決意は、お互いを想いあうが故。

 

 二人の想いは、お互いの欲を叶えんがため。

 

 二人の欲は、お互いが結ばれること。

 

 されど、それはどこまでもすれ違う。

 

 少年は守られることを拒み、蛇の心を疑い、自身の血を恨む。

 

 蛇は少年を守ることを望み、少年の心を恐れ、自身の所業を蔑む。

 

 お互いが自身を卑下し、お互いを恐れるために、その心を知ることはない。

 

 だが、お互いへの想いは本物。

 

 故に二人は離れず、その絆は歪。

 

 そんな二人の先に待つものは・・・・

 

 ・・・・・・

 

-----------

 

 

「・・・・・んん?」

 

 光が差し込む部屋の中、ベッドの上に眠る少年、否、青年は目を覚ました。

 

「・・・・・眩しい」

 

 だが、青年は未だにまどろんでいた。

 青年は朝が弱く、いつもこのようにすぐには起きない。

 このまま惰眠を貪っていては、入学して一年少し経った大学の一限に遅れるだろう。それは分かっているが、布団の誘惑には抗えず、二度寝をしかけたその時だ。

 

「久路人~!!朝だよ~!!」

「ん~」

 

 突如として、青年の隣から布団がめくりあがり、一人の少女が顔を出した。

 

「もう!!相変わらず寝坊助なんだから!!」

 

 美しい少女だった。

 白い着物に青い帯を締め、腰まで届くほどの艶やかな銀髪。切れ長でややツリ目気味の、紅玉のような見る者を惹きつける瞳。位置からして間違いなく同衾していたのだが、青年がそれを不思議に思う様子はない。二人にとって、それは当然のことなのだろう。二人の着衣に乱れはなく、別段「そういう」関係ではないようだ。

 

「久路人~!!起きて~!!」

「う~ん・・・・雫?」

 

 少女が久路人と呼んだ青年を揺すり、やっと目を覚ました。

 

「そう、雫だよ!!おはよう!!」

「うん・・・・おはよう・・・」

 

 少女、雫が挨拶をすると、久路人も挨拶を返すが、まだ夢うつつのようだ。

 よほど朝に弱いらしい。

 

「ねぇ、久路人。大学遅刻しちゃうよ?私は別にこのまま久路人と家でゴロゴロしててもいいけど・・・」

「それは、困るな・・・・ん~!!」

 

 そこで、久路人は大きく伸びをした。

 どうやら完全に目が覚めたようだ。

 

「ふぅ・・・それじゃ、雫。着替えるから、ちょっと部屋を・・・」

「嫌」

 

 まさか寝巻で大学に行くわけにもいかず、当然着替える必要があるわけだが、いくらなんでも女の子が見ている前で服を脱ぐのは恥ずかしい。

 そんな久路人の気持ちは、雫には全く伝わっていない。むしろ、紅い瞳を爛々と輝かせて久路人が服を脱ぐのを心待ちにしているようにすら見えた。

 

「時間がないんでしょ?だったら、私に構わず、レッツ、脱衣!!減るもんじゃないだし!!」

「それ、普通男女逆だよね・・・・」

「え!?久路人、私の裸見たいの・・・?ちょ、ちょっと待ってて!!お風呂入って・・・・」

「そういう意味で言ったんじゃないよ!!お風呂に行くのはいいけど、そう言う意味じゃないから!!」

 

 顔を赤くしつつ、叫ぶ久路人。

 眠気は完全に吹き飛んでいた。

 

「はぁ・・・。わかったよ、それじゃあ、僕が部屋を出るから・・・・」

 

 そうして、着替えを持っていくためにベッドから出ようとした時だ。

 

「待って」

 

 久路人はベッドの壁際の方に寝ていたので、目の前にいる雫を押しのけてベッドから降りようとしたが、その手が彼女に触れようとした瞬間、ガシッと手首をつかまれた。

 

「・・・何かな? 早く着替えて、大学行きたいんだけど」

「久路人、分かってるよね?朝の日課、まだ済ませてないよ?」

「・・・・やっぱり、どうしても「直接」じゃなきゃダメ?」

「ダメ!!」

「はぁ・・・・」

 

 先ほどよりも瞳の輝きを強くして、「日課」とやらについて口に出す雫。

 何気に骨をきしませるほどの強さで手を掴まれている久路人は、譲歩を引き出そうとしたようだが、やはり無駄であった。観念したようにもう一度ため息を吐いて、ベッドの上にあぐらをかいて首を少し傾ける。傾けた方向とは逆側には、ガーゼが張られていた。

 それを見た雫は嬉しそうに顔をほころばせ、手を離して、久路人ににじり寄る。

 

「わかったよ。あんまり時間に余裕ないから手短にね」

「はーい!!じゃ、いただきます!!」

 

 久路人が首の付け根に付けていたガーゼを剥がすと、雫が久路人に抱き着いてガーゼの下の傷口に口を寄せ・・

 

「れろっ・・」

「・・!!」

 

 ぺろりと、血のように赤い雫の舌が、久路人の傷口を這った。

 すると、ほとんど塞がっていた傷から、傷口が開いたように血が流れだす。雫は嬉しそうに久路人にしがみついたまま、あふれ出る血を舐めとる。

 

 

「う~ん・・・・今日も美味しいっ!!」

「・・・そりゃ、よかったよ」

 

 嬉しそうな雫の声に、どこか暗い顔の久路人。

 お互いの顔は、抱き合っているために見えていなかった。

 超至近距離で久路人の温もりや匂い、血の味を感じられたのが雫を興奮させたのか、さらにギュっと力を込めて久路人を抱きながら甘露を舐めるように血を舌で掬い取っていく。しかし、直後に雫はその整った眉を少ししかめた。

 

「ねぇ、久路人も!!」

「え?・・・ああ」

 

 その声で、上の空だった久路人も「日課」を思い出したようだった。

 少々ためらいつつも、雫を抱き返し、その頭に顔を寄せる。

 

「・・・・スンスン」

 

 顔を赤くしながらも、久路人は雫の匂いを嗅ぎ始めた。

 事案である。だが、雫がそれを厭うような様子はない。

 

「・・・・久路人、どう?」

「いや、今日も臭くないよ」

「そう・・・ならいいけど」

 

 久路人に、自分が臭わないか聞いた雫は、「いい匂い」と言ってもらえなかったことを若干残念に思いながらも、引き続いて血を啜る。

 久路人もまた、肩や背中の匂いを嗅ぐ方に意識を傾ける。

 そのまましばらくの間、二人は隙間もないくらいに密着していたのだった。

 

-----------

 

「それじゃ、私は朝ごはんの支度してくるから!!」

 

 そう言って、雫は機嫌がよさそうに部屋を出ていった。

 最後にチラッと未練がましく久路人の方を見ていたが、久路人はそれを敢えて無視して着替えを掴みながらドアを閉める。

 

「はぁ・・・まったく」

 

 朝から、この世の者とは思えないほど美しい少女と抱き合いながら、己の血を吸わせ、少女の匂いを嗅ぐ。

 文字に起こしてみると異常としか言いようがない。

 だが、それがこの二人にとっての日常と化していた。

 それは、雫が妖怪であり、久路人が彼らにとって極上の血を持つからだ。

 

 

 妖怪。

 

 それは人間ではない、魔性。人間よりもはるかに強い力を持つ化物。

 人間の住まう世界を現世といい、彼らは常世という世界からやってきた。もしくは、現世と常世の境目にある「穴」から漏れ出る瘴気によって現世の動物が変異した存在。

 雫、水無月雫もまた、かつては現世にいたただの蛇であったが、永い年月を経て大妖怪と言えるほどの大物になった妖怪だ。だが、その昔に封印され、その間に力をほとんど失ってしまった。10年前ほどに偶然久路人に拾われ、その血を与えられることで力を取り戻すどころかかつての頃を上回ってすらいるが。

 

「僕の血、そんなに美味しいのかな・・・・・」

 

 着替えつつ、改めてガーゼを貼りなおした首筋を撫でる。

 その顔はやはり暗かった。

 

 久路人に流れる血は特別だ。

 

 かつて現世に届いた「とある力」を取り込んだ人間を祖に持つ「月宮」一族。

 久路人はその中でも先祖返りと言われるほどに血が濃いらしく、その血は妖怪にとって最高の美酒であり、霊力というエネルギーを増幅させる増強剤としての効果もある。

 その血を持つがゆえに久路人は妖怪に狙われやすく、それを心配した彼の叔父が、久路人が拾ってきた元大妖怪の雫に目を付け、血を与える代わりに久路人の護衛をさせたのが、先ほどまでの「日課」の理由の一つである。

 過去にはこの力が暴走したことがあり、その兆候を観測するために朝に血の味見をするようになったという経緯もあるのだが、もはやそれは雫にとっては当たり前のものになっているようだ。

 だが、久路人にとってはそうでもないらしい。

 

「やっぱり、この血が・・・・」

 

--雫が自分に好意を持ったように見えるのは、自分の血が原因ではないか?

 

 それが、ここ数年の久路人の悩みだ。

 

 雫は美しい少女だ。

 それに、過去の久路人を助け、その心も支えてくれた。他の人間や妖怪に対する態度はお世辞にもいいとは言えないが、自分には慈母のような優しさを見せる。そんな相手だ。久路人が雫に好意を持つのは当然とも言えるだろう。

 しかし、その雫の優しさが自分の血に酔ったせいでもたらされたものだとしたらどうか。

 自分には血しかないのか?他に見てもらえる部分はないのか?という気持ちもないではないが、それ以上に罪悪感が募る。

 

「はぁ・・・早く強くならないと」

 

 自分が、雫に血を与える契約を守らなくてもいいくらいに、雫に護衛してもらう必要がないくらいに強くなる。

 それが、久路人にできる雫への贖罪であり、雫の本当の想いを知るための唯一の方法である・・・と久路人は思い込んでいた。

 

「とりあえず、早く着替えよう」

 

 だが、とりあえずは着替えるところからだろうと久路人は思った。

 久路人はその身に流れる血の影響か、ルールを守ることにこだわりがあった。

 大学の講義に遅れるのはよくないことだし、強くなるにしたって、寝巻のままではダメだろうから。

 

 そうして、久路人は寝巻を脱いで私服に袖を通すのだった。

 

 一階の台所にいる雫の様子に気が付かないまま。

 

-----------

 

「・・・久路人の血、ちょっとずつだけど、味が落ちてきた・・・・かな?」

 

 月宮家の台所。

 そこで雫は味噌汁の煮え立つ鍋をお玉でかき回しながら首を傾げた。

 

「う~ん・・・3年くらいじゃ、そんなに変わんないか。でも、霊力がほとんど上がらなくなってきたし、効果はあるよね」

 

 先ほどまで久路人の部屋で行っていた朝の日課を振り返りつつ、雫は独り言ちる。

 

「はぁ・・・あと何年かかるんだろう」

 

 雫は物憂げにため息を吐いた。

 見た目は整っているので、そんな様子も絵になるが、その様子を見ることができる者は久路人と、今は家を空けている久路人の叔父とその従者くらいだ。

 そして、雫が何を考えているかと言えば・・・・

 

「久路人が私の眷属になるまでに」

 

 眷属。

 それは、強力な力を持った妖怪によって、その忠実な下僕へと変異した存在を指す。

 眷属となった者は人間、獣を問わず主と似た性質を持つ人外へと変わり、主が死ぬまで寿命を迎えることなく、主の命令に絶対服従するようになる。

 そして朝の日課について、久路人は、自分の血を得るついでに状態を調べるためのものだと思っているが、そこには齟齬がある。久路人は自分の血の暴走を察知するためだと考えているが、雫がその日課を提案した理由は、久路人がどれほど「染まった」か調べるためだ。久路人が眷属に近づけば近づくほど、血の味は落ちるはずだから。ちなみに、血を飲むだけなら注射器で採った血でも充分だが、「寝起き直後の血を直飲みするのが一番わかりやすい」と注文を付けることで同衾からの吸血プレイを自然に行うという風に密かに誘導したのだが、それにも気づかれていなかったりする。

 

「ま、地道にやるしかないよね」

 

 雫はそこで、愛用の包丁を取り出すと、水で洗ってから、何のためらいもなく自分の腕に振り下ろす。

 

「量を増やした方がいいかな?でも、気付かれたら嫌だし、急に激しい変化でもしたら困るし・・・」

 

 味噌汁の入った鍋に血がドバドバと流れ込むが、赤味噌を使っていることもあってか、意外と色に変わりはない。やがて、コップ一杯分の血を入れると、雫は傷口を指で一撫でした。それだけで包丁でバッサリと切った傷口は何事もなかったかのように塞がる。

 雫は小皿を手に取ると、己の血が混入した味噌汁を啜る。

 

「ん~・・・ちょっと濃いかな」

 

 雫はグラグラと煮える鍋の中に手をかざすと、何事かを念じる。

 そして、再び味噌汁を口に含み・・・

 

「ん!!これなら大丈夫だね」

 

 どうやら合格点の味になったらしい。

 雫は水を操るのが得意な妖怪であり、血の混じった味噌汁の味をいじる程度は簡単にこなす。

 そのまま雫は冷蔵庫にしまってあった、昨日久路人と一緒に仕込んだカレーにも血を混ぜておく。夕飯の支度は久路人と雫が二人揃ってやるため、この仕込みができるのは朝の今だけなのだ。

 

「ん!こっちもヨシ!」

 

 カレーの方も満足のいく味に調整できたのか、満足げな笑みを浮かべた。

 その顔は、食事に血を混ぜるという行為に何の疑問も覚えていないかのようだった。

 

 

 八尾比丘尼、太歳、ヨモツヘグイ

 

 人間が人ならざるモノをその身に取り込んだ結果、自身もまたソレらに近づくというのはしばしば伝承として残っている。

 それは、一種の眷属化だ。雫が自身の血を密かに飲ませているのも、内側から久路人の肉体を人間から化物のソレに作り替えるためだ。

 雫の目的は、久路人と永遠を生きることであり、そのための人間の寿命を克服させる手段として、久路人の眷属化を目論んでいるのだ。

 なお、雫としては自分の言うことを何でも聞く久路人というのも惹かれるものがないではないが、心を縛るつもりは毛頭ない。それは自分の好きな久路人ではないから。

 

「えへへ・・・、カレーは今日の夜用だけど、味噌汁は今から飲んでもらうんだよね・・・・」

 

 ともかくそういうわけで、愛する人間と共に永久の人生ならぬ妖生を歩むために、雫は数年前から久路人の食事に己の血を混ぜ込んでいる。いるのだが・・・

 

「あっ・・・んっ・・・もう、また・・・」

 

 雫が食事に血を混ぜるのは久路人を眷属にするためで、それ以外の目的はない。眷属化のことがなければ、そんな変態的なことはやろうとは思わなかっただろう。多分。

 しかし、実際にやってみると、困ったことが起きてしまったのだ。

 

「はぁ、はぁっ・・・!!」

 

 しばらく満足げな表情をして、自分の作った料理を食べる久路人を想像していた雫だったが、それがいけなかった。唐突に顔を赤くして、雫は太ももをモジモジとこすり合わせ始める。

 

「・・・どうしよう、またムラムラしてきちゃった」

 

--好きな人が、自分の体液を取り込んで、自分と同じモノに近づいていく。

 

 つまるところ、そのことが、雫に凄まじい快感と興奮をもたらすようになってしまったのだ。

 それは、雫の中身をかき回すような衝動だ。胸の奥に常にくすぶり続ける罪悪感を一時の間忘れさせるほどの。久路人の血を取り込んだり密着するのは朝だけなので、この時間が一日で最も悶々とする時間なのである。

 

「う~!!さすがに、もう時間ないのにぃ・・・・!!」

 

 時計の針を見つつ、『今すぐ服の下に指を突っ込んで、朝からのスキンシップや今しがたの妄想で溜まったリビドーを解放したい!!』と思う雫であったが、いくら朝に弱い久路人であっても、そろそろ一階に降りてくるころだ。恋人になった後ならば、自慰を見せ合うアブノーマルなプレイを行うのも中々興味深いと思うが、今の段階でそのようなことをしたら普通の感性ならばドン引きだろう。

 

「はぁ・・・・朝ごはん食べた後に、急いでヤッちゃうしかないか・・・・・」

 

 「久路人が私の体液ごと食べてるところ見て我慢できるかなぁ・・・?」と顔を上気させながらも、雫は不安そうにつぶやくのだった。

 ・・・雫は心配しているが、ぶっちゃけこれもいつもの朝の風景の一つである。

 

 

-----------

 

 食後に雫が妙に長い時間トイレに籠っていた後。

 雫が朝早めに起こしていたおかげで、多少のイレギュラーがあっても問題なく間に合う時間であったが、やや急ぎ目に久路人は自転車を漕いでいた。

 

「ねー久路人。学校なんて行かなくても生きてけるよ?だから家に戻って一緒にゴロゴロしよ?」

「いやいや。せっかく通わせてもらってるんだし、大学はきちんと卒業したいよ」

「大学卒業してどうするの?久路人って普通の社会で生きてけるの?」

「・・・・雫、正論は一番人を傷つけるんだよ?」

 

 「妖怪に襲われやすい自分の将来どうしよう?」とここ最近の悩みの一つを考えながら、久路人は口を開く。

 自転車に乗る久路人の隣を雫が宙に浮きながら並走しているが、道行く人は誰も振り返らない。基本的に、素質のある人間以外に妖怪は認識できないのだ。

 

 

「はぁ・・」

「まあまあ、そんなに落ち込まないでよ。ほら、私と久路人なら山の中に籠っても自給自足しながら余裕で生きてけるよ?」

「まあ、できると言えばできるけどさ・・・・・はぁ、街の中でも妖怪は襲ってくるし、街の外は論外だしなぁ」

 

 久路人たちのいる現世には、「忘却界」と呼ばれる結界が張られている。

 これは「妖怪などいない」という人間の共通意識を利用した大結界で、妖怪や常世と繋がる穴を大きく抑制する効果があるのだが、妖怪の存在を知る異能者がいるところでは効果が薄れる。ましてや、久路人のような化物クラスでは完全に破壊してしまう。久路人が住む「白流市」も、街の外には忘却界が広がっているが、街の中は久路人の叔父によって別の結界が張られることでかろうじて平和が保たれているのだ。久路人が何の対策もせずに街の外に出ればそれだけで大惨事である。

 

 と、そんな風に取り留めのない会話をしている時だった。

 バチリと紫電を纏う黒い砂が宙を舞った。

 

「・・・あ、近くにいるね」

「本当?どのあたり?」

「ここからまっすぐ行ったところ。この坂を下り終わったところだね」

「はーい。じゃあ、準備しとくね」

 

 唐突に、久路人が何かを見つけたことを雫に言うと、雫は心得たとばかりに、おもちゃのような水鉄砲を着物の袂から取り出した。

 そして、久路人の乗る自転車が坂の終わりに差し掛かり・・・

 

「オオ!!ナント旨ソウ・・・・臭イィィィィイ!?」

「死ね」

 

 電柱の影にうずくまっていた角の生えた緑色の醜い小男が、久路人を見つけてそのかぐわしさに涎を垂らすも、その隣にいたこの世のものとは思えない悪臭を発する雫を視界に入れて、鼻を押さえてのたうち回る。

 次の瞬間には、水鉄砲から打ち出されたツララに脳天をぶち抜かれ、世界に溶けていくように消えていった。

 

「ねえ、久路人・・・・」

「今日も変な臭いはしなかったって・・・・」

「まだ何も言ってないじゃん!!でも、本当だね?本当に私臭くないよね?ねぇ、ちょっと嗅いでみて・・」

「だぁぁああ!!自転車乗ってる時に揺らさないでってば!!」

 

 朝の日課の際、雫が血を吸う一方で、久路人は雫の匂いを嗅いでいたが、あれは久路人の趣味ではない。

 雫は久路人の血を取り込んでいる影響か、妖怪の力と久路人の持つ力が混ざっており、そのせいで霊力を感知できる存在にとって凄まじい悪臭を放っているらしい。雫も数百年を生きているとはいえ女の子であるために、「クサイ」と言われるのはショックであるらしく、吸血のついでに久路人に匂いを確認してもらっているというわけだ。

 まあ、久路人には悪臭が感じられず、雫としても久路人以外にどう思われようと知ったことではないために、二人が朝っぱらから密着するための理由付けにしかなっていないのだが。

 

「ああもう!!大学に着いたら確認するから!!今は止めてって!!」

「本当だね!?約束だよ!?」

 

 ギャアギャアとやかましく騒ぎつつも、幸いにして自転車に乗りながら虚空に話しかける青年を目撃する通行人は誰もいなかった。

 

-----------

 

「う~ん、2年生になっても、実地で何かやるのはまだないんだね」

「農業実習は3年生になってからだからね。早くやってみたいんだけどな」

 

 白流市郊外にある大学。

 久路人はそこの農学部に通っていた。

 始めは久路人の使える「能力」の関係から理学部や工学部も考えたのだが、将来のことも考えて農業を学びたいと思い、農学部を選択した。

 

「でも、さっきの昆虫学はちょっと面白かったかも。昆虫食とか、あんまり考えたことなかったし」

「・・・・本当に、将来のこと考えたら覚えておいて損はないかもなぁ」

 

 先ほどまでは二人そろって講義を受けていたところだ。

 雫は周りからは見えないが、久路人は人気のないエリアを選んで座るため、久路人の隣に陣取るのはやりやすかった。雫は何気に頭がいい方で、小学校から高校に至るまで、久路人と共に授業を聞いていたおかげで普通に大学に合格できるほどの学力があったりする。

 

「あ、またいる」

「はいはいっと!!」

「グギャァァァアア!?」

 

 次の講義室に移動する途中の廊下。

 その曲がり角にいた跳び箱ほどもある人間の顔が付いたダンゴムシがツララで串刺しにされる。周りの気温が少し下がった。

 大学にも結界は張られているのだが、少々ザルな部分があるようで、小物はしょっちゅう入って来るのだ。これは久路人の力のせいで綻びができるからで、力を抑えるための護符も持っているが、最近ではほぼ役に立っていなかったりする。

 

「仕方ないけど、妙な噂が立たなきゃいいなぁ」

「ん~?別に良くない?高校までと違って、大学ってあんまりグループ行動とかないじゃん」

「でも、まったくないってわけでもないでしょ。腫物扱いは慣れてるけど、好き好んでされたくはないよ」

「大丈夫だよ!!ちょっかいかけてくるのがいたら、私がちょちょいと・・・・」

「あんまり過激なことはよしてくれよ・・・?」

 

 

 久路人の日常は平和だ。

 だが、それは薄氷の上にある平和である。

 

 力を抑える護符があっても、妖怪は絶えず襲い掛かって来る。

 さらに、人間の霊能者も希少価値のある久路人の血を前にすれば何をするのかわからないのだとか。

 そういった連中は護衛の雫や、自衛のために戦闘もこなせる久路人本人でも対応できる。

 しかし、周りへの影響はその頻度から完全に隠すのが難しくなってきており、若干周囲から浮いてしまっているのが現状である。

 

「まあ、人間のメスが寄ってこないのはいいことだけど・・・」

「ん?なんか言った?」

「なんでもないよ・・・」

 

 雫が口の中で呟いた言葉は、久路人には気づかれなかった。

 

「でも、まあいいじゃない。久路人にはこの私がいるんだから!!」

「・・・・そうだね」

 

 雫が何気なく言ったその一言に、久路人はわずかばかり影の滲んだ笑顔で返すのだった。

 

 

-----------

 

 

 いつも通りの帰り道。

 月宮家は郊外にあるので、家に近いところは自然が多く、あまり人気がない。

 

 

「クサイぃぃっ!?」

「消えろ」

 

 一つ目の大男が激流とともに川に叩き込まれた。

 直後、川の水は凍り付いて夏の夕暮れを冷やす。あの大男は涼しいどころではないだろうが。

 

「小僧!! 頭から喰っ・・・オゲェ、なんじゃこのニオっ!?」

「失せろ」

 

 朝に見た角の生えた男の赤色版が何かを言いかけたが、真っ赤な血を凍らせたような薙刀で首を吹っ飛ばされる。最近は妖怪の世界でもカラーバリエーションでかさまししないといけないのだろうか。

 

「クカカ!!肉!!血!!・・・・クサっ!?」

「死・・・」

「ふっ!!」

 

 次に現れた、カラスのような翼の生えた猿みたいな何かを鉄砲水が貫こうとしたが、黒い鉄の矢がそれより早く心臓を射抜いた。

 

「あ~!!久路人、また私より先にやったね!?護衛は私の仕事なんだよ!!」

「・・・いや、さっきのヤツ飛んでたし、僕がやった方が早いかなって」

「とにかくダメ!!私の仕事を久路人が取るのだけはダメなの!!」

「・・・わかったよ」

 

 獲物を仕留めた久路人であったが、雫としては仕事を取られたのがいたく気に入らなかったらしい。

 大層ご立腹であり、久路人としてはそれ以上何も言えなかった。

 

(なるべく、雫に守られっぱなしでいないようにしたいんだけどな・・・)

(私が久路人の傍にいる理由がなくなっちゃう!!先手必勝、見敵必殺、サーチアンドデストロイ!!)

 

 二人の内心は盛大にすれ違っていたが。

 

 その後、なんか扇情的な服を着た淫魔っぽいのが出てきたが、思わず久路人が竦むほどの殺気を出した雫によって久路人の視界に入る前にかき氷のように粉々になった。

 

「久路人の目が汚れる!!!妾と久路人の前から、疾く消え失せろ!!」

 

 そのセリフは、雫によって背後から目と耳を塞がれた久路人には聞こえなかった。

 

 だがまあ、これもまたいつもの帰り道であった。

 

-----------

「はぁぁあああああああああああ!!!!」

「わっ!?」

 

 月宮家の裏庭。

 そこはだだっ広い草原だ。

 夕闇が迫る中、そこで久路人は手に持った黒い直刀に紫電を纏わせて、雄たけびを上げながら雫に迫るも、雫は足元を凍らせて、スケートをするかのように滑って回避する。

 

「まだまだぁ!!!」

「ちょっ、タンマタンマぁ!!」

 

 突如として足元が凍り付いたが、久路人がそれを気にする様子はない。

 その足には黒い砂鉄がまとわりつき、氷の上に突き刺さるスパイクとなっていた。

 力強い踏み込みで刀を振り回し、雫の持つ薙刀と打ち合う。

 

「雷切!!」

「瀑布!!」

 

 久路人の刀に流れる紫電が太くなったかと思えば、雷を切り落とすような鋭い斬撃が雫を襲う。しかし、雫はとっさに薙刀を手放して水鉄砲を取り出し、自らの周りに滝もかくやというほどの水柱を発生させ、久路人との距離を取った。

 

「よし、これで・・・」

「紫電改!!」

「えぇ!?て、鉄砲水!!」

 

 距離を取って体勢を整えた雫であったが、そこに飛んでくるのは夕方に空を飛ぶ妖怪を仕留めた黒い矢だ。いつの間にか、久路人の手には刀の代わりに弓が握られており、戦闘機のごとく矢が放たれていた。雫は、今度は消防車のようなジェット水流を出して矢を撃ち落とす。

 

「もうっ!!久路人ったら、激しすぎだよ!!無茶しちゃダメって言ってるでしょ!!」

「無茶しなきゃ勝てないだろ!!」

 

 近距離の間合いから、遠距離攻撃の撃ちあいを経て、ようやくお互いに一息つく間が生まれた。

 雫は明らかに人間の久路人には負担となっているであろう連撃に苦言を呈すが、久路人には聞き入れる様子はない。

 

 二人が何をやっているかと言えば、久路人の戦闘訓練である。吸血やらが朝の日課とするならば、これは夜の日課だ。

 久路人には雫という護衛が付いているが、自衛できるに越したことはない。

 小学校の頃から体を鍛え、中学に上がるころから霊力を用いてこの世の法則を捻じ曲げる「術」の修行を付けられるようになった。高校から今までは武術と術を組み合わせた実戦形式の訓練を行っており、高校の時のとある一件の後には、久路人のやる気は雫が心配するほどに激しい。

 その内心には、「雫に守ってもらう必要がないくらい強くなる」という意思があるのだが、それを雫が知る由はない。むしろ・・・

 

(あんまり久路人に強くなられると、私がいる意味がなくなっちゃう!!)

 

 こんな風に思っており、雫としても久路人に負けるわけにはいかず、本気で戦うようになっていた。

 その結果・・・

 

「はぁっ、はぁっ・・・・」

「ふぅ~・・・時間切れだね」

 

 この訓練は、裏庭にある灯篭が灯ったら終了だ。

 結局、久路人は雫に拮抗することはできたが、土を付けることは叶わなかった。

 だが、それも仕方がない。久路人は霊力こそ雫を上回っているが、肉体は人間だ。車で言うならF1のエンジンを軽自動車に載せているようなものである。身体強化を行う術をかけたところで、術そのものが肉体への負担となるのだ。そのうえで、雫が守りに本気で集中すれば、久路人の方が先に自滅する。現に、久路人の体には内側から裂けたような傷がいくつか付いていた。

 

「久路人、戻ろう?怪我の手当とか、夕飯の支度もしなきゃ」

「・・・・・ああ」

 

 差し伸べられた手を一瞬暗い顔で睨みつつも、久路人はすぐにその手を取って立ち上がった。

 

(こんなんじゃダメだ!!もっと、もっと強くならなきゃ!!)

 

 その内心を悟られないように、必死で笑顔を作りながら。

 

 

-----------

 

 久路人が月宮家に備え付けの術具で傷を癒し、雫が久路人の脱いだ下着の匂いを胸いっぱいに吸い込んでから彼が出た後の残り湯に入ってヘブン状態でリラックスした後。

 

「そういえば、最近カレーとかシチューとか多くない?」

 

 夕食の時間、雫の作ったカレーを口に運びながら久路人はふと疑問に思った。

 食材の買い出しも久路人と雫の二人で行くのだが、目利きは雫の方が上手い。そのため、献立は雫が決めることが多いのだ。

 そして、最近はどうもカレーやらシチューのような汁物が多いような気がした。

 

「・・・久路人はカレーとか嫌い?」

「いや、そんなことないけど。ただよく見るなって思っただけで」

 

 二人とも今はいない家主の従者に料理は仕込まれており、人並みにはこなせる。

 久路人はステーキやらハンバーグといった焼き物が、雫はカレーのような汁物が得意である。ちなみに雫の好物はサイコロステーキだ。だが、その好物を差し置いて、汁物が多い。

 

「私が作りやすいから作ってるだけだよ。飽きたなら他のやつにも挑戦してみるけど・・」

「別にそんなことないって。美味しいし。ただ、最近はサイコロステーキ焼いてないなって思ってさ」

「そうだね・・・なら、次に買い物行くときにはお願いしてもいいかな?」

「ん。任せて」

 

 テーブルを挟んで言葉を交わしながらも、スプーンを持った二人の手は休む気配がない。

 雫は水を操れるためか、汁物の味の調整が得意だ。そのため、カレーの出来も見事なモノだった。

 

「でもこのカレー、なんかこっそり隠し味とか入れてるの?スゴイ美味しいし、カレーってそういうのよく入れるって言うし」

「え~!!そんなの入れてるわけないじゃん!!久路人と一緒に作ってるんだから」

「それもそうか・・・」

 

 雫が何と言うこともないように否定すると、久路人は納得したようだった。

 だが、久路人からすればそのカレー、というか最近の汁物は不思議な味がするような気がするのだ。舌にいつまでも残るような、そうしてその感覚がしばらく続いた後、少しづつ薄くなっていくような食感。決して不快ではなく、料理の元になった食材が自分の体の一部になっていくのが肌で感じられるような気がするというか・・・・よく食べる学食のカレーはそんなこともないのだが。

 

「・・・・・」

 

 どこか腑に落ちないような顔をする久路人を、雫はじっと見つめていた。

 久路人が自分の体液を取り込んでいるということへの興奮と・・・・

 

(ごめんね、久路人)

 

 想い人に黙って、人間から化物に変えていることに罪の意識を感じながら。

 

 そんな中で、「自分の血を入れてもバレにくいからよくカレーを作ってる」などと言えるわけもなかった。

 もしもそれがバレたら、目の前の青年が自分にどんなに甘いといっても、嫌われるのは避けられないだろうから。なによりも、永遠を共に生きることができなくなるから。

 

「・・・・・」

 

 例え憎まれることになったとしても、久路人のいない世界で狂わずに生きていける自信など、雫にはなかった。

 

 

-----------

 

「ん~!!今日もよく遊んだ~」

「そうだねぇ」

 

 夕食を食べ終えて、夜も更けてきた。

 夕食後は、久路人の部屋に二人で入って適当に何かやる、というのがルーチンだ。

 今日は二人でアニメを見た後にモンスターをハントするゲームをして遊んだ。ちなみにその前の日は遊戯の王のカードゲームに興じ、雫がガチガチのロックデッキで先行制圧しようとしたところをバーンデッキで焼かれていた。

 

「ふぅ~!!今日も一日、平和だったね~」

「うん・・・・いや、平和だったかな?」

 

 しんみりとした口調の雫に思わず反射的に頷いたが、直後に久路人は首をかしげる。

 登校、講義中、下校中、すべてで妖怪に襲われていたと思うのだが。

 まあ、雑魚しかいなかったので平和と言っても間違いではないかもしれないが。

 しかし・・・

 

「普通の人から見たら僕らの日常は異常そのものなのかな。妖怪と毎日戦いながら普通に生活してるとか、漫画みたいだ」

「そうかもね~、事実は小説より奇なりってやつ?」

 

 二人は今日一日を振り返ってみる。

 

 朝から二人一緒に目を覚まし、吸血と匂いチェック。

 雫のみであるが、料理に血を混ぜた後、出かける前にエクササイズ。

 大学に向かう最中に妖怪の頭を吹き飛ばし。

 大学に着いて、トイレの個室で匂いチェック(再)の後に襲い掛かってきた妖怪を氷漬けに。

 講義の最中も気付かれないように雑魚を溺死させ。

 下校時には帰り道に氷柱と砂鉄の矢が飛び交う。

 家に帰れば本気で武器と術の撃ちあいだ。

 

「普通の暮らしってやつは正直わかんないけど、私たちって変わってるんだね」

「僕も普通ってよくわかんないけど、変わってるんだろうなぁ」

 

 事あるごとに妖怪に襲われ、その合間に命のやり取りの訓練や想い人の人外化を画策する。

 正直言って気が狂っていると言われてもしょうがない。

 だが・・・・

 

「まあ、いつも通りだよね」

「うん」

 

 それが、白蛇と彼の一日であり、日常だ。

 それこそが、二人にとっての普通なのである。

 だからこそ・・・・

 

「・・・・明日も、明後日も、こんな感じに平和が続いてくれたらいいな」

「・・・・そうだね、私もそう思うよ。これからも、ずっと、ずっとね」

 

 二人は今日のような、普通の人間には異常としか言えない、「当たり前」を望むのだ。

 それは、明るい未来を願う言葉であったが、まるで自分に言い聞かせるようだった。

 

「・・・・・・」

 

 久路人は自らの力不足に焦りと憤りを、雫を狂わせているかもしれないことに罪悪感を抱きながらも、雫が正気に戻るまで、戻った後も今のような日常が続くことを願う。

 

「・・・・・・」

 

 雫は久路人の眷属化が遅々としてしか進まないことに焦燥を、久路人を化物に変えていることに罪悪感を持ちながらも、永い時の果てに今のような日常に戻ることを望む。

 

「あ」

 

 そこで、雫は声を上げた。

 

「ごめんね久路人、時間切れみたい」

「もう、そんな時間か」

 

 いつの間にか、久路人の部屋に霧が出ていた。

 久路人の部屋は厳重な対妖怪のトラップが山ほど仕込まれた家の中でも、特に妖怪の力を制限する罠が多い。そして、この部屋には妖怪が活発になりやすい夜に、妖怪を強制的に締め出す仕掛けが施されている。

 これにより、雫は自室へと強制送還され、一夜を久路人の部屋で過ごすことができないというわけだ。

 実を言うと、この仕掛けがあるのは妖怪除けというよりも久路人の叔父が久路人の貞操を心配したからという理由の方が強かったりする。まあ、明け方には解除されるので久路人が目覚める少し前には侵入した雫も横で二度寝をしているのだが。性的に襲っていないのは自分の体液摂取までさせてるくせに雫が直球勝負ができないヘタレだからである。

 

「それじゃ、おやすみ・・・・また明日」

「うん、また明日。おやすみ・・・」

 

 そうして、二人はいつものように一日の別れの挨拶を告げる。

 胸の中に不穏なモノを抱えつつも、その先に自分たちの未来があることを信じて。

 

「「・・・・・・」」

 

 こうして、彼らの一日は過ぎていき、また新しい一日が始まるのだ。

 明日も明後日も、その先も・・・・

 

 

-----------

 

「久路人、何、ソレ・・・・・!!」

「え!?いや、僕にもわかんないって!?」

 

 夏の朝が、凍えるような冬に変わる。

 

 朝露に濡れていた草木に、瞬く間に霜が降りる。

 

 翌朝、出かける前のこと。

 郵便受けを確認した久路人の手には、一通の封筒が握られていた。

 

 その封筒には、凛々しくも可憐な少女の写真と・・・・

 

「お見合いって、どういうことだぁぁあああああああああああ!!!!!!!」

 

 釣書と、達筆な筆文字で書かれた紙が収まっていたのだった。

 

 

・・・・新しい一日は、昨日とは打って変わって、予想以上に予想外なモノであるらしい。

 



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人物紹介・設定資料集(第二章まで)

今週日曜日は更新できない可能性が高いので、その告知も兼ねて

人物紹介・設定資料集は随時更新していきます。



 月宮久路人(つきみや くろと)

 

 本作の主人公。現在編では19歳。

 基本的に彼のいる場所を中心に物語が進んでいく。

 

 外見

 やや背が高く、黒目黒髪で外見は整った顔立ちををしている方ではあるが、地味。10人すれ違っても、10人が気にすることなく通り過ぎていく。普段は温和な表情だが、戦闘時は目つきがかなり鋭くなる。外見のモデルは鬼〇の蛇柱さん。一人称は「僕」。

 

 性格

 性格はルールや常識、約束にうるさい頑固な所があるものの、もめ事を好まず波風立たないように生きているために基本人畜無害。やはり地味。ただし、本人に自覚はないが、やや独占欲は強い。雫のことは好きだが、後述の理由で想いを告げることはできていない。雫を傷つける者、馬鹿にするものにはひどく冷たい態度をとる。好きなタイプは「清楚でロングヘア。背は自分より低い方がいい。かわいい系より美人系。なにより巨乳」とのこと。

 

 戦闘スタイルなど

 「神の血」という特別な力を含む血が色濃く流れており、人外に狙われやすい。また、人間としては非常に珍しいことに人外を恐れない。

 人外が彼の周辺で暴れるため、怪奇現象が起きるという噂が立っており、周囲からやや避けられている。

 霊能力者、武芸者としての才能は非常に高く、雷と類似した性質の極めて膨大な霊力を持ち、剣術や弓術も得意。手先も器用。身体強化の術を使えば大物妖怪とも渡り合うことができるが、霊力の量が多すぎて人間の体には負荷が強すぎるために長時間の戦闘は不可能。直接雷を出すような、攻撃系の術も暴発の危険があり、「自分の意思では」使えない。

 血の影響か、幻術、催眠などを完全に無効化する。

 

 来歴など

 幼いころにペットにするつもりで拾った蛇が雫であり、意思疎通が可能と知り、守護の契約を結んでからは友達のように接し、すぐに親友の間柄になった。

 中学生になって、周囲から虐められていた所を初めて人化した雫に助けられた辺りから無意識に雫を異性として見ていた。高校時代の修学旅行中に想いを自覚するが、直後に九尾の襲撃を受け、「自分の血が雫の心を狂わせ、強制的に好意を持たせているのではないか?」という懸念に囚われてしまう。なお、久路人の血は妖怪には極上の美酒であるもの、洗脳効果や依存性はない。

 現在、雫によって自身の血液に雫の力が大量に混入しており、人外化が進行して違和感を感じているが、雫を疑うことをためらっているために現状に気づいていない。

 

 その他

 アニメ、漫画は全般的に好きだが、基本的に性癖はノーマル(現時点で)。好きな遊戯〇のデッキはパーミッションやバーンのような直接戦闘しないデッキ。モンハ〇は狩猟笛や弓など、テクニカルな武器を好む。過去の女子からのイジメが軽いトラウマになっており、男子とよく一緒にいるせいか、たまにホモと勘違いされるが、その気はない。

 

 

-----------

 

 

 水無月雫(みなづき しずく)

 

 本作のヒロインにして、もう一人の主人公。(見た目は)久路人と同じ年齢。

 

 外見

 外見は人間形態なら誰もが振り向くような美少女。抜けるような白い肌に、腰まで届くストレートの銀髪、ややツリ目がちの紅い瞳をしている。背は同年代の平均よりもやや低く、胸部も薄い。久路人が巨乳好きなのを把握しており、自身の成長を結構気にしている。また、霊能力を持たない者には認識できない。

 とある理由によって霊力が化学兵器レベルの悪臭を放っており、相対する霊能者、妖怪からほぼ確実に臭がられる。現在のところ、この悪臭を全く感じないのは久路人のみ。

 常に青い帯と白い着物を身に着けており、他の服は肌触りが悪いらしく着ない。ただし、着物は自在に変形可能で、ちょくちょく学校の制服に変えていたりする。下着は市販品を履いている他、久路人が加工するアクセサリーは特別な力の有無にかかわらず好んで収集する。外見は銀髪アルビノ美少女キャラなら誰でも。作者の中ではメルブ〇の白レンを成長させた感じ。一人称は「妾」だが、久路人相手かつ人間形態でのみ「私」。

 

 

 性格

 永く弱肉強食の世界で孤独に過ごしていた反動か、久路人にベタ惚れしている。思考の中心は常に久路人であり、「自分と久路人以外の全人類と妖怪が明日滅んでも別にどうでもいい」とすら思っている。その想いの深さは犯罪レベルに踏み込んでおり、ドン引きされることもしばしば。性格は好奇心旺盛で、基本的には寛容。ただし、久路人に少しでも危害を加えようとする者には人間だろうが妖怪だろうが一切の容赦なく抹殺を試みる。極めて独占欲が強く、性別メスに対しては冷酷無慈悲で、わずかでも久路人を奪う可能性があるならば氷漬けにした上で粉々に砕くまで安心しない。

 後述の理由で久路人に想いを告げていない。匂いフェチ。なお、久路人の血を飲むこと、自分の血を久路人に飲ませることに強く興奮する変態でもある。

 

 戦闘スタイルなど

 その正体は妖怪化した白蛇であり、数百年前に封印されていた。封印前はかなりの格の妖怪であったが、永きに渡る封印で大幅に弱体化した。中学編までには久路人の血によって力を取り戻している。水属性の霊力を持ち、大味な広範囲攻撃が得意。反面、細かな霊力の操作は少し苦手で、人化の術の会得にも適性は低かった。近接戦闘時には薙刀を使用。

 蛇の妖怪であるために凄まじい自己治癒能力を持つ他、久路人の血の影響か、幻術、催眠に極めて高い耐性を持つ。人間形態の雫の着物は、蛇の鱗が変化したモノで高い耐久力と術への耐性がある。

 

 来歴など

 封印が解けてただの蛇とほぼ変わらない強さにまで落ちぶれた時に偶然久路人に出会い、拾われて、「雫」と名付けられる。「久路人の血をもらう代わりに、自身が力を取り戻したら久路人を守る」という契約を結び、当初は久路人にくっついていたのも力を取り戻すための打算であり、人間の子供に庇護されることを情けなく思っていた。しかし、妖怪を恐れず、一切の下心なく自分に接する久路人にほだされてすぐに打ち解ける。そうして、かつて孤独に生き抜いていた自分が久路人に守られていることを「悪くない」と思うようになり、「契約がなくてもお互いを守りあう」という約束を交わした時に、無自覚に恋心を持った。

 久路人が中学に上がり、久路人が本格的に周囲から浮くようになった時点で人間の姿になる「人化の術」を会得するために修行していたが、中々実を結んでいなかった。月宮家使用人のメアから発破をかけられ、久路人がひょんなことから女子に苛めを受けた時に自分の想いを自覚する。

 「久路人と結婚するときに名字がいるから」という理由で久路人と出会った頃である水無月を名字にするが、その名字を呼ぶものはいない。

 高校の修学旅行中に九尾の襲撃を受け、「いつ久路人が死んでもおかしくない」ということを思い知らされる。その結果、「久路人を自分と同じ化物に変えれば永遠に一緒にいられる」と考え、罪悪感に駆られながらも自身の血を密かに飲ませて、人外化を進めている。

 自分を置いて久路人が死ぬことを何より恐れており、久路人を化物に変えた結果、憎まれることになっても構わないと覚悟はしているものの、実際に嫌われた場合に正気を保てる自信はない。久路人は「自身の血を得るために、雫が無理やり好意を持たされている」と考えているが、雫は素で久路人を病むほど愛しており、「久路人と一緒にいられるなら血なんていらない」と考えているため、完全にすれ違っている。

 元々「人外の自分が久路人に拒絶されるかも」という恐怖を持っていたが、そこに密かに人外化を進めている負い目もあって、告白はできていない。

 

 

 その他

 娯楽の少なかった世界に生きていたため、好奇心を満たすサブカルチャー全般に傾倒する。R18方面にも深い知識を持ち、久路人からの行為ならばハードリョナも余裕。よく薄い本のシチュエーションを自身と久路人に置き換えて夜な夜な布団の中で妄想に励む。好きな遊〇王のデッキはビートダウン系とロックデッキ。よく久路人にメタられる。好きなモン〇ンの武器は大剣、スラアク、ハンマー。よく久路人はサポートに徹する。

 

 

-----------

 

 

 月宮京(つきみや きょう)

 

 久路人の叔父。現養父。年齢は(見た目は)20代後半。

 

 外見

 よくツナギを着ており、だらしない。無精ひげが生えていることもしばしば。背が高く茶髪のロングヘアで、見た目は完全にチャラ男だが、本人はその呼び方を嫌う。一人称は「俺」。

 

 性格

 異能者の中ではとても人間ができており、ぶっきらぼうな態度であるが情に厚い。特に慕っていた亡き兄の忘れ形見である久路人には結構甘い。また、自身が「嫁」と呼ぶメアにも滅茶苦茶甘い。だが、霊能者らしく人外への警戒心は高く、雫への警戒は怠っていない。しかし、雫の久路人へのヤンデレ具合を見てある程度警戒を解き、最近では月宮家の一員として見ている。

 本作でも屈指の常識人であるが、過去に「嫁のために最高のボディを造る」と考えた結果、霊能者の一族の家々を巡って「パーツのために体の一部を下さい」と土下座して回ったことがあり、界隈からは彼が造った人形とともに狂人扱いされる。

 

 戦闘スタイル

 本人は喧嘩はあまり得意ではない。

 ただし、特別な力を持った道具である「術具」の天才的な製作者であり、それらの術具を使ってガンメタを張る戦法を行う。優れた観察眼を持ち、初見の相手でも弱点を突く術具を即興で作れるとのこと。逆に言うと京の前に姿を現さず、戦いもせずに暗躍するタイプには無力。

 久路人と同じく神の血を引いているが、久路人よりもずっと薄い。何やらその力を引き出す仕掛けがあるようだ。

 

 来歴など

 表向きは建築家を名乗るが、霊能者の一大組織である「学会」の幹部、「七賢」の第三位に収まっている。

 月宮一族という霊能者の名門の生まれだが、本人の天才的なセンスと周囲の異能至上主義者との差に嫌気がさして出奔。同じように家を出た兄とだけ連絡を取りつつ、裏社会や異能者の間を渡り歩いていた。

 ある時、強大な力を持つ亡霊を巡ってとある死霊術師と死闘を演じる。そして、霊能者の家や知り合いからパーツを譲ってもらい、亡霊の成れの果てを組み込んだ超高性能自動人形兼ホムンクルスであり、生涯の伴侶であるメアを得る。

 しかし、それから兄が妻ごと妖怪に襲われて死亡。残された久路人を「絶対に幸せに育て上げる」と決意する。現在は襲撃してきた九尾のような妖怪を探すため、日本各地をメアとともに探索中。「こいつならば久路人を傷つけず、一生傍にいるだろう」という見込みから、雫を久路人の嫁にあてがうことに乗り気だが、保険として他の霊能者の家の娘との縁談も取り持っている。

 

 

 その他

 サブカルチャーには理解があるが、そこまで好きというほどではない。

 「とりあえず強けりゃいいだろ」という理由で遊戯〇のデッキは金に飽かせた環境デッキで、コロコロ変わる。久路人並びに雫からは「魂のデッキを持たないデュエリストの屑」と言われているが何も堪えていない。

 

 

-----------

 

 月宮メア(つきみや めあ)

 

 京の妻兼月宮家メイド。外見年齢は20代前半から変化なし。

 

 外見

 「人形のように」整った外見をしている。長く紫がかった黒髪をポニーテールにしており、常に無表情。

 メイド服ではなく割烹着を着ているが、別にメイド服が嫌いなわけではない。身長は平均的、体つきはやや豊かな方。使用人としては完璧であり、所作も「機械のように」正確で美しい。一人称は、普段は(わたくし)。ある状況の時は、「ワタシ」。

 

 性格

 冷静沈着で丁寧な口調で喋るが、慇懃無礼。ある程度打ち解けると毒舌を隠さなくなる。特に製作者兼夫兼主である京には辛辣。

 ただし、複雑な事情があって京に対して他者にも分かるように愛情を示さないだけで、その想いは危険なほど深い。優先順位は京>月宮家>>>久路人>その他であり、京以外に大して関心はない。京が甘く接する久路人や雫には家族のような情を持ってはいるが、仮に京に危害が及ぶのならば、一切の良心の呵責なしに殺害できる。

 

 戦闘スタイル

 正体は京が制作した自動人形兼ホムンクルスであり、秘めた戦闘能力は非常に高い。その体には多数の術具が仕込まれていて、近距離ならばナイフとクロー、中距離ならばワイヤーを使用。遠距離は描写なし。京との霊力的なパスが繋がっており、京の持つ「神の血」に由来する力も使うことができる。

 

 来歴など

 とある国で発生した亡霊「ナイトメア」と関りがある。

 過去の京によって救われ、今の人形の身体を与えられてからずっと、京に忠誠と愛を誓う。ただし、亡霊からの「呪い」が未だに残っているようだ。

 久路人の両親が死んだ頃にはもう京に仕えており、久路人がある程度大きくなってからは京の命令で彼の戦闘訓練の教師となる。主に武術や判断力を鍛え、久路人の武芸は大半がメア譲りである。また、人化した雫、久路人にどこかズレた指導方法であるが料理などの家事全般も教えている。

 現在は京の護衛として、日本各地を共に回っている。

 

 

 その他

 サブカルチャーに対しては雫以上にはまり込んでおり、雫曰く「ヤツは深淵に生きている」とのこと。雫のR18本供給源はほぼメアであり、雫にNTR,ふたな〇、リョナ、スカト〇などのやや浅い所からR18Gまで布教したのもメアである。かつてNTR本で雫の脳を破壊し、久路人との鍛錬に集中させたことがある。読むだけでなく描く方向でも浸食しており、某漫画市場に京を売り子にして出店したこともあるらしいが、京はそのときのことを語りたがらない。

 好きな〇戯王のデッキは完全なネタデッキ。特殊勝利など、型にはまらない戦い方を好む。以前、月宮家総当たり戦において環境デッキで久路人と雫を叩きのめした京にデュエルを挑み、初手エクゾディ〇で勝利した際には「魂のデッキを持たない貴方にデッキが応えることはない」とキメ顔で言い放った。

 なお、彼女がキーパーツとなるカードを手にした日には、カッターやブラシなどで何かをしていたようであるが、詳細を知る者はいない。京とのデュエルを始める前にも、京から「ショットガンシャッフルはカードを痛めるぜ」と言われていたが華麗にスルーしている。

 

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 霧間朧(きりま おぼろ)

 

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 霧間リリス(きりま りりす)

 

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 珠乃(たまの)

 

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 晴(せい)

 

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 ゼペット・ヴェルズ

 

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 世界設定・用語集

 

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「世界」

 

 とある魔法使いによって、「水槽のようだ」と表現される。

 「現世」という人間が主に住む世界と、「常世」という人外が住む世界に分かれており、その間には「狭間」という未確認領域がある。

 

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「穴」

 

 現世と常世を繋ぐ穴。小~中規模の穴はそれなりに空くが、大規模の穴は滅多に開かない。

 妖怪は己の力に見合う大きさ以上の穴を通ることでしか、現世に現れることはできない。

 大妖怪が通れる穴は「大穴」と分けて呼ばれる。

 

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「忘却界」

 

 とある魔法使いによって現世に貼られた結界。

 人間たちの「異能など存在しない」という認識を元に作られており、妖怪や穴を抑制する。

 ただし、人間の認識を元にしているため、人間の持つ異能までは抑えられない。そのため、たまに霊能者が結界内に発生することもあり、異能を認識できる複数の霊能者が集まると忘却界に綻びが生じ、穴が空くことがある。

 

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「霊能者」

 

 霊力を持ち、異能を使える人間のこと。異能者とも呼び、海外では魔法使い、魔術師とも言われる。人間は誰でも霊力を持っているが、異能が使えるまでの量を有する者を区別するためにこう呼ぶ。

 過去に忘却界が貼られる前には常世から流れ込んでくる瘴気に当てられた結果、多くの霊能者がいた。忘却界が貼られてからは魔女狩りのような運動もあって激減した。

 古くから大穴を管理してきた一族や偶発的に現れた一族は、忘却界が綻んだ場所に新たな結界を張って寄り集まっている。

 

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「霊力」

 

 術を使うためのエネルギー。

 この世界の生き物は「魂」という世界の欠片と、「肉体」、その二つを繋ぐ「精神」の三要素で構成されているが、生命力や精神力が魂に当てられて変質したモノ。

 常世に漂う霊力は、数多の妖怪に影響された結果、人間の魂に害を与えるために「瘴気」とも呼ばれる。

 魂が開示した情報によって、霊能者ごとに異なる属性を持つことが多い。「火」、「土」、「水」、「風」、「雷」は基本五属性とされる。

 

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「魂」

 

 世界の欠片。世界の持つ情報が内包されている。

 この世界の生き物はまず肉体が存在し、そこに魂が入る。肉体の強度に応じて魂は情報を開示し、その生物の「本質」を形作る。魂が大きいほど、生み出す霊力も大きく、霊能者に近づくが、瘴気に当てられて肥大化することがある。ただし、急激な魂の肥大化は存在そのものへのダメージとなり、最悪消滅する。極稀に肉体の特異性に応じて魂が全く未知の変質をすることもある。

 

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「術」

 

 海外では「魔法」とも呼ばれる。

 霊力という、世界そのもののエネルギーを利用して、通常の物理法則ではありえない現象を起こすこと、もしくはその現象そのものを指す。大きく分けて「具現化」と「付与」の2種類。

 

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「妖怪」

 

 人外、魔物とも呼ばれる。

 動物や無生物が瘴気に当てられて変質した存在。常世からやって来る者もいれば、現世で発生することもある。妖怪の持つ霊力は瘴気に近く、人間の魂にとっては猛毒。これにより、人間は妖怪を本能的に恐れ、嫌悪する。霊力の量で同格あるいは上回れば恐怖は消せるが嫌悪はぬぐい切れない。

 

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「眷属」

 

 妖怪によって、その忠実な下僕と化した人間や動物。

 主となった妖怪に似た性質を持つ人外となる。

 血を飲ませて同化させる原始的な方法から、吸血鬼にしか扱えない高等な方法まで様々。吸血鬼こそが眷属を生み出す術の始祖と言われ、吸血鬼の方法のみが唯一の眷属化ともされる。近年、とある吸血鬼によって眷属化の方法が体系化された。

 

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「霊力の混入」

 

 人間に他の存在の霊力が混ざることは大変危険である。ディーゼルで動く車にガソリンを入れるようなもので、霊力の源である魂に多大な負荷がかかる。霊力が混入した場合、魂は霊力を循環させて異なる霊力を押し出そうとする。他の存在の霊力を人間に止めるには、多大な年月をかけて少量ずつ混入させて馴染ませるか、余程の親和性がなくてはならない。なお、動物を含めた人外が他の存在の霊力を取り込むのは魂の構造の違いからハードルが低い。

 

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「神」

 

 ある魔法使いが観測した存在。詳細は不明。

 水槽を覗く者であり、この世界の創造主にして管理者。この世界そのもの。

 自意識というものに乏しく、半ばシステムのような存在。滅多に世界に干渉することはないが、世界の危機と判断した場合は何らかの手段でその原因を排除しようとする。

 

 

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「学会」

 

 霊能者たちの組織。「世界の安寧と人間と人外の融和」を基本理念としている。

 発端は「魔人」と呼ばれる魔法使いが、現世に侵攻してきた「魔竜」を倒すために集った霊能者の一団。

 魔竜との講和の末に、世界の安寧のために現世と常世との関りを平和的に保とうとしてきた。魔人と魔竜による「忘却界」はその一例である。

 幹部として「七賢」という七人の強力な霊能者とその伴侶がいる。

 

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「七賢」

 

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「旅団」

 

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「陣」

 

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「神格」

 

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「聖地」

 

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第一章 前日譚 白蛇と彼の出会い
前日譚1


世界観を掘り下げたくて投稿。

むしろここから読む方がわかりやすいかも?


 昔々、あるところに、一人の男がおりました。

 

 男は山の中で一人で住んでいて、切り倒した木や狩った獣の皮を麓の村で売って暮らしておりました。

 

 そして、男の家は山の中にポツンとある開けた野原の真ん中に建っていて、男は夜に月を見るのが好きでした。

 

 それはとても月が綺麗な夜のことでした。

 

 男がいつものように月を見上げていると、急に雲が湧いてきて、空を覆いつくしてしまいました。

 

「なんだ? 一雨来るのか?」

 

 せっかく綺麗な月だったのにとこぼしながら、家の中に入ろうとすると、湧きだした雲の中に、丸く切り取ったような穴が空きました。

 

「へぇ、不思議なこともあるもんだな」

 

 まるで男の家が建つ野原にだけ月の光が差し込むかのようで、家に戻りかけた男がまた月を見上げた時でした。

 

 突然穴の向こうの月が煌々と輝きました。

 

「うごぁっ!?」

 

 あまりにもまぶしくて男は手で目を覆いますが、光は辺りを照らし続け、やがて収まりました。

 

 気が付けば空を覆いつくしていた雲も消え、月もいつものように青白くぼんやりと輝いているだけでした。

 

「なんだったんだ?」

 

 男は首をかしげますが、何が何だかまるでわかりませんでした。

 

 男が考え込んでいると、今度は体が燃えているかのように熱くなりました。

 

「が、ぐがぁぁぁぁああああああ!??」

 

 そのまま男はその場に倒れこみ、3日3晩のたうち回りました。

 

 その日から、男は山から降りてこなくなりました。

 

 不思議に思った村人が旅のお坊さんに男のことを話すと、お坊さんは山に登って男の家を見てきてくれました。

 

 お坊さんは言いました。

 

「あの場所は、やんごとなき方々がお休みになった土地だ。これからは、不浄の身なる我らは近づかない方がよい」

 

 村人は問いました。

 

「あの男はどうなったのですか?」

 

 お坊さんは答えました。

 

「あの男はあちら側に魅入られた。抗う術は教えたが、主らは近づかない方がよい」

 

 そうして、村人は山に近寄らなくなりました。

 

 男はそれからお坊さんとどこかに旅立ったそうですが、村人は誰も男がどこに行ったのか知ることはありませんでした。

 

 

 

 めでたしめでたし。

 

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 (そら)から眩い光に焼かれ、(しゅくふく)いを受けた。

 

 (そら)は貴き(もの)の住まう場所。

 

 (それ)(かれら)の落とし物。

 

 いつしか落ちた場所は月の宮と呼ばれ、月の宮に住まう男はもはや人の世にあること能わず。

 

 その魂は人でもなく、妖でもなく、ましてや神でもあらず。

 

 ただただ独り、血の美酒となり果てた。

 

 願わくば、誰かがソレの寄る辺とならんことを。

 

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 世界は壁で仕切られた水槽に似ている。

 

 

 とある魔法使いは世界の形を問われたときにこう返したという。

 

 曰く、「この世界は常世と現世からなり、この二つの間には様々な大きさの穴が空いた壁がある」

 

 

 現世とは人間が住む領域であり、常世は妖怪や精霊あるいは魔物といった化物が住まう領域だ。

 

 この二つは壁の穴を通して繋がっているが、穴は小さいものほど数が多く、大きくなるほど減少し、その大穴も今日に至るまで人間と人外双方の働きかけで塞がれるか、あるいは監視されている。

 

 その理由としては、はるか昔から幾度となく二つの世界どうしでお互いの世界に支配権をめぐって争いが起き、そのたびに双方が疲弊してきたからだ。

 

 ある時代に海の外で、現世にありながら「魔人」と呼ばれる魔法使いを中心にまとまった「学会」という一団が強大な「竜」を討ち取り、講和を結んだことを皮切りにその流れが広がり、今では「竜」のようなある種の神格を持つレベルが通れる穴は両手の指で数え切れるほどしかない。

 

 しかし、中小の穴はいまだに世界各地に残っており、未だに両者の行き来が可能なほか、新しく穴が空くこともある。

 

 

 その街は日本、いや、世界的に見ても多くの穴が存在する街だ。

 

 霧雨の降るある日、祝福された血を持つ少年と、長きにわたる封印でやせ細った蛇の前で、小さな穴が開いた。

 

 

 

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 「珍しいな・・・白い蛇?」

 

 

 蛇が目覚めたばかりの頭で聞いた初めての声だった。

 

 

(ここは・・・? それに、この矮小な体躯は?)

 

 

 眠る前にあった力、霊力は失われており、今の体に残るものはほんのわずかな滓ばかり。

 

 知性は変わらずにあるが、それ以外はそこらのアオダイショウと大差ない。

 

 いや、ひとつ違いがあった。

 

 

「なんだっけ、アルビノってやつ? 図鑑で見たなぁ」

 

 

 先ほどの言葉を放った子供が、さらに口を開いた。

 

 子供の言う通り、蛇は白い体に赤い瞳という珍しい姿をしていた。

 

 その色は蛇が霊力を持っていたころから変わらないが、ただの蛇から長い間にわたって力を蓄えてその姿に至った蛇は、今の状況が最悪に近いことを理解した。

 

 

(この矮躯に、この色、それに僅かとはいえ力を持っていること・・・・これでは再び力を得るまで生きることができるかどうか)

 

 

 現世であろうが常世であろうが、文明を持つに至らない連中はすべて弱肉強食の中に身を置いている。

 

 その中での弱者にできることと言えば、強者に媚びへつらうか、群れてまとまろうとするか、隠れてやりすごそうとするかあるいは他の何かの食い物になるかだ。

 

 この見た目では群れることも隠れることも難しく、頼るべき強者の宛てなどない。

 

 逆にわずかでも力を宿している自分は、他の動物と比べれば、同じく力を持つ者にとっては栄養価の高い餌だろう。

 

 

(まずい、これから一体どうすれば・・・・・)

 

 

 蛇がそうして器用にとぐろを巻きつつ首をうなだれさせていると

 

 

「せっかくだし、この子にしようかな」

 

 

 先ほどから喋っていた子供が、むんずと蛇の首根っこを掴んで持ち上げた。

 

 

(な、なんだ!? 何をする気だ人間!! 無礼者!!!)

 

 

 先のことに絶望していた故に反応できず、そのまま持ち上げられてしまったが、未だに動かせる尾をビシバシと振り回して子供に当てる。

 

 もっとも、力を失ったためかサイズも幼体並みに戻っており、子供の手からすらも逃れられなかったが。

 

 

(くそ、これでは逃げられん。このままでは蒲焼にされてしまう・・・)

 

 

 大蛇だったころに献上されたものの中に鰻の蒲焼があって、大層美味であったが、自分がそれになるのはごめんだと思った蛇は掴まれた部分よりも上の頭も振り回して抵抗するが、拘束がゆるむ様子はない。

 

 ちなみに、子供にとって蛇を食べるなど思いつきすらしないだろう。

 

 

(くそっ、くそっ、この妾が人間ごときに食われて終わるなぞ・・・・妾が一体何をしたというのだ!!)

 

 

 蛇としては退屈しのぎに時折鉄砲水を起こしたり、暑い夏に雪を降らせて涼んだりした程度で、見たことのある人間はまずそうで、それほど興味を持っていなかった。

 

 そのため、積極的に人里を襲ったことはなく、今こうして無様に掴まれて運ばれていることがひどく理不尽に思えていた。まあ、鉄砲水を起こされたり、夏場に作物に霜が降りた人間にとっては迷惑極まりなかったのだが。

 

 

(このっ!! せめてひと噛みでもできれば・・・・・むっ!?)

 

 

 せめてもの抵抗として蛇は噛みついてやろうとするが、頭が指に届かず、舌を這わせるにとどまったのだが、子供の指を舐めた瞬間、驚いた。

 

 

(な、なんだこれは!? 霊力が湧いてくるぞ!?)

 

 

 ただの蛇だった自分が力を持つまでにかかった時間は途方もない。

 

 理性もなかった蛇はたまたま常世につながる穴の近くに潜り込み、穴から漏れ出る力、いわゆる瘴気を百年をかけてその身に少しづつ浴び続けて知性と霊力を得た。それから穴を通って常世に赴き、より濃厚な瘴気を浴びながら他の妖怪を食らい、さらに数百年を経て神格を持つに至る手前までたどり着いたのだ。

 

 それがこの子供をひと舐めするだけで一年を穴の傍で過ごしたのと同じくらいの霊力が戻るのを感じた。

 

 一年。たかが一年と人間ならば言うかもしれないが、ただの蛇が一年間野生で生きながらえるのは決して容易くはない。ましてや蛇がいたのは妖怪が通ることもある穴の傍である。

 

 

(一体何者なのだ、この童は?)

 

 

 ひとまず舐められる範囲を舐めて力の増大を感じなくなったあたりで思考にふける。

 

 力が戻ったせいか、よくよく観察してみれば、この子供からは今までに感じたことのない何かを感じる。

 

 自分に美酒を飲ませた僧は普通の人間よりはるかに多くの霊力を纏っていたが、それでも自分の知る霊力、普通の人間や動物には扱えない不思議な術を使うための燃料であった。

 

 この子供の纏うそれは霊力に似てはいるが、致命的な違いがある、もしくは決定的に違う何かが霊力に混ざっているようだった。しかも、この霊力モドキはここまで近寄らなければ気づかないくらい巧妙に隠されていた。

 

 

 そこで、子供が口を開いた。

 

 

「ちょうどペットが欲しかったし、ラッキーだなぁ。どうやって飼おうかな」

 

 

(飼う? 今この童は妾を飼うとのたまったか!? ぺっととやらが何かはわからんが、すさまじく屈辱的な予感がする・・・・・いや、この童の近くにいられるなら悪くはないのか?)

 

 

 人間の子供ごときに慰み者にされるのは屈辱以外の何物でもないが、何の宛てもない自分にとって霊力を大幅に回復させるこの子供に傍にいられるのは非常に都合がいい。

 

 

(むう、仕方があるまい。このまま運ばれてやるとしよう。しかし、なんと不幸なことよ。持っていた力を失い、こんな童に頼らねばならんなど)

 

 

「あれ、動かなくなった? 弱ってきてるのかな? 早くしないと」

 

 

(むごぉっ!? これ、走るな!! 揺れるだろうが!! くそっ!! 本当に不幸だ!!)

 

 

 そして蛇は、自らの打算のために抵抗を止めてされるがままに運ばれることにした。

 

 それを弱ったと勘違いした子供が早く家に帰ろうと走り出し、蛇は己の境遇を不幸だと嘆くのだった。

 

 

 

 

 

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 このとき蛇は、のちに「雫」と子供に名付けられる妖怪は自分の境遇を不幸と嘆いたが、この数年後に振り返って、あの時の自分は世界で一番幸運だったと思うことになる。

 

 

 

 一つ、常世で力を失った自分の前に、子供だった頃の月宮久路人に繋がる穴が空いたこと。

 

 

 

 一つ、力を大きく失っていたおかげで警戒されず、また、雫自身も抵抗しようと思わなかったこと。

 

 

 

 一つ、久路人の養父が持たせた護符や家に張った結界が、このときは霊力をわずかに持った悪意のない動物には反応しなかったこと。

 

 

 

 もしもこのとき、雫が久路人の力を求めて血をすすろうとでもすれば、護符に焼かれるか、結界に弾かれて丸焼きにされていたことだろう。

 

 それを避けられても、その生い立ちと幼さゆえの直感から悪意や敵意に敏感な久路人は決して家に持って帰らずに捨てていたはずだからだ。

 

 

 だが、なにより幸運だったのは、月宮久路人が数年後に比べればまだピュアな子供だったことだろう。

 

 

 このときの久路人の力は簡易の護符で抑えられる程度であり、妖怪に襲われることもまだ少なかった。

 

 人外を恐れないのは変わらないが、それでも数年後ならばいくら珍しいからと言って道端にいる白い蛇を捕まえようなどとは思わないのだから。

 

 

 

 これより語られるのは、一人の青年が白蛇にまとわりつかれる日常に至るまでの前日譚。

 

 

 

 

 

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「人間の雌餓鬼ごときが、妾の久路人に何をしている?」

 

 

 校舎の裏側で、蔑むように、いたぶるように少年を囲んでいた少女たちが、突如として襲い掛かる身を刺すような冷気に震え、小便を漏らしながら少年のようにへたり込む。

 

 

「久路人のような宝石と、貴様らのような屑石の見分けもできん目玉なぞ、凍って腐り落ちても構わんよなぁ?」

 

 

 そこで、塵を見る目をしていた白い少女は囲まれていた少年の元に歩み寄る。

 

 さきほどの冷たい声からは想像もできないほど、優しく、それでいて粘つくマグマのような熱を秘めた声で語りかけた。

 

 

「ごめんね、久路人。 寒いよね? 辛かったよね? 鬱陶しかったよね?」

 

 

 ぎゅっと、驚きに目を見開く少年を抱きしめる。

 

 

「でも大丈夫!! これからは、こんなクソ人間どもからも、有象無象の妖怪からも・・・・」

 

 

 これは、月宮久路人という祝福(のろわれ)された人間と、水無月雫という妖怪のお話。

 

 

「ずっと、ず~っと私が守るから」

 

 

 

 一人の少年が、白蛇の化身と出会うまでの物語である。




感想をくれぇぇえええええええええええええ!!!


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前日譚2

自分が設定厨だということが書いていてよくわかりました。
大して話が進んでいませんが、どうかご容赦を。
早く雫を病ませたいんだけどな・・・・


 現世と常世という言葉は、現世に住むある魔法使いが考えた言葉だ。

 そして、今の現世はこの魔法使いのおかげで、大きな目で見れば、平和であると言っていい。

 

 この魔法使いは「現世と常世の関りはお互いのために最低限であるべき」と考え、現世そのものにある魔法を行使した。その魔法は、「人々の霊力と認識の集合体をエネルギー源にする」魔法であった。

 現世ではかつては多くの穴から現れる妖怪たちが暴れまわったこともあって、異能の力もそこまで珍しいものではなかったが、魔法使いが穴を塞いだこと、並びに科学が発達したことで人々は妖怪や怪異などというものを信じなくなった。ありふれていた異能者も、人に害なす者たちは科学の利器によって排斥され、そうでない者も排斥された者たちを見て異能をその子孫にも隠すようになり、段々と数を減らしていった。

 だが、人々が異能を信じなくなっても霊力は未だに人間に宿っており、多くの人間に「異能など存在しない」という共通認識を持たせることで、それがある種の結界を構築している。これこそが魔法使いのかけた魔法である。

 この結界によって穴が存在しないエリアでの化物の類が現れることを抑制しており、穴の発生も極めて起こりにくくなる。さすがに「竜」のような怪物を封じたり、大穴を塞ぐことはできないが、竜が通れるような大穴は厳重に封印もしくは管理された場所にしか開通しているものはなく、この結界のおかげで人々は怪異におびえることなく生きることができているのだ。

 

 一方で、この結界そのものが多くの人間が発するわずかな霊力の蓄積によって構築される異能であり、人間の魔法使いが発動したものであるために、人間が持つ異能との親和性が高く、その発現までは防げない。加えて結界そのものの存続のために人間から霊力が失われることも許さない。

 ほとんどの人間はわずかにしか霊力を持たず、現代では人里離れた場所にしかない穴の近くで長年瘴気を浴びでもしなければ異能が発現することはないが、先祖に霊能者がいたり、突然変異のように多く霊力を持った人間はごくまれに霊能力に目覚めることがある。

 そうして生まれた異能者は普通の人間より霊力が強く、また異能を認識してしまうため、結界に綻びが生まれる。異能に関する知識が失われた現代では、異能を認識することが怪異を呼ぶことになることすら知られていないため、それを防ぐ方法も伝えられていない。

 一人や二人ならば小さな穴すら空くことはないが、運悪く集団になってしまうとその地域では結界が薄くなり、中小の穴が開いて妖怪などが容易く侵入できるようになってしまうのだ。それでも結界の効果そのものは完全には消えないため、普通の人間は怪異を認識することができない故、人間の数の暴力で抵抗することもできない。

 侵入してきた怪異が狙うのは、比較的多くの霊力を持った異能者であり、綻びの原因となる異能者たちが全滅すれば結界は元に戻る。しかし、異能者たちもそうそう自分から命を投げ捨てようとはしないため、それぞれが持つ異能で抵抗して生き残り、生き残った異能者どうし集まって密かに住み分けをするようになった。

 

 こうして今の現世は「大多数の結界に守られた一般人」と「ごく少数の怪異に抵抗する異能者」に分けられ、表向きには平穏を保っている。

 だが、本当に極めて稀なことであるが、「非常に強力な異能」を持った人間がいる場合、単独でも結界を破壊してしまうことがある。

 そうした人間の周りでは常に怪異が現れやすく、ある種の異界と化す。

 質の悪いことにそうした人間を不用意に殺して排除したり、封印しようとすると異能が暴走して大事故が起きたり、最悪の場合にはその異能者の怨念が残って大穴が空くことすらある。

 

 

 月宮久路人とという少年は、その恐ろしく希少な「超強力な異能」を持った人間である。

 

 

 

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「ってのが今の現世だ。わかったか?」

 

(長いわ!! もう少し短くまとめろ!!)

 

 

 とある街の郊外にある一軒家。

 その居間のテーブルには3人の人影と一匹に蛇がいた。

 

 人影の一人は蛇を拾った久路人であるが、さきほどまでの話が退屈だったのか、うつらうつらと船を漕いでいる。

 二人目は今、どこか古ぼけたケージの中に入っている蛇の正面で話していた青年だ。

 見た目は20代半ばから後半といったところ。恰好は何かの作業員のように小さなポーチが所々に付いたツナギを着ており、頭に着けているヘッドフォンがミスマッチだ。

 

「しょうがねぇなぁ。脳の容積の小さいお前のために三行で言ってやるとだ・・・

 現世のほとんどの人間は便利な結界のおかげで妖怪なんぞ知らんし見えねえし襲われねえ。

 力を持ってるやつは結界を壊すと知ってるが、まとまって抵抗してる。

 久路人は一人で妖怪の遊園地が作れるくらいのやべーヤツって感じだ」

 

 青年は久路人の肩を叩きながら、微妙にまとめきれていない要約をする。

 

(まとめ方が間違っておる気がするが・・・)

 

「あれ、おじさん僕のこと話してた?」

 

「ああ、お前がヤバいからこれからどうしようって話だな」

 

 そこで、眠りかけていた久路人が目を覚ました。

 

 久路人の言うように、この青年は久路人の現在の保護者であり、久路人の叔父であるらしい。

 この青年も霊能者のようで、たまたま帰宅中に蛇を掴んで家路についていた久路人を見るや、蛇の正体を看破し、突如として何もない空間からケージを取り出したかと思えば、あっという間に蛇を閉じ込めてしまった。

 

 最初は、「やはり蒲焼にするつもりだったか!!」とケージの中で暴れに暴れたが、キズ一つつく様子がなく諦めの境地にいたのだが、月宮家の門をくぐった瞬間、蛇は自分のいるこのケージは自分を閉じ込める檻というだけでなく、自分を守る結界ということを理解した。

 

<一体何なんだ、この家は・・・・>

 

 青年がケージと同じように取り出した耳当てのようなものは、人語の喋れない妖怪などと意思疎通するための道具とのことで、先ほどから蛇の伝えたい考えは青年に伝わっているのだが、今は伝わらないように意識しながら内心で呟く。ちなみに、その道具はそれなりに繊細らしく、久路人が着けたがったが、「お前が着けたら速攻でぶっ壊れる」とのことだった。

 

 蛇の周りをちらりと伺うような視線に気づいたのか、青年は得意げに言った。

 

「この家が気になるか?見せて回ってもいいが、その籠からは絶対に出るなよ? この家は材木の出所や刻んだ術式、間取りや構造までこだわって、お前らみたいな妖怪どもには罠満載の迷路になってるからな」

 

 まあ、今のお前ぐらいに弱ってりゃ大半は反応しねぇだろうがな、と青年は付け加える。

 

<この家は危険極まりない>

 

 力のほとんどを失い、特殊な結界と化したケージの中にいても尚わかるくらい、この家には無数の術が仕掛けられているようだった。あるいは、わざと蛇に教えたのかもしれない。

 それは恐ろしいまでの熱気を感じる炎を発する術だったり、あるいは底知れぬ谷底を覗き込んだときのような寒気を想起させる封印の術だったりと、そんじょそこいらの妖怪ならば門をくぐって一歩で消滅するだろうというものだ。

 先ほどの口ぶりから、この家の術を考えたのは目の前の青年なのだろうが、有無を言わさずに連れてこられ、「まずは今の現世について話してやる」と長口上をのたまっていたせいで、名前すら伝えられていない。

 

 

(現世のことや、この童が型破りなのはわかったが、その前にお前は一体何なのだ?)

 

 力を失った自分に何ができるということもないが、あまりに得体のしれない術者と話をするのは心臓に悪い。

 

「おお、そういや急で名乗ってなかったな。俺はこの月宮久路人の叔父で月宮京だ。もちろん下の名前は偽名だがな」

 

(聞きたいのは名前などではない!)

 

「ああ、分かってるよ。 俺の正体は、この現代の現世に生きるしがない術具師さ。表向きは建築家で通してるがな」

 

 

 術具師

 

 それははるか昔の怪異が跋扈していた時代から存在する霊能者の職業だ。

 直接怪異と武器を持って戦うのではなく、その戦うための道具、いわゆる術具を作る者をそう呼ぶ。

 瘴気を多く含む鉱物からそれそのものが特殊な武器を作ったり、ただの刀に霊体を斬れるような術をかけたり、その両方をこなす重要な後方要員である。術具は様々な種類があり、蛇が封印される前に飲んだ酒や、京が付けているヘッドフォン、果ては月宮家そのものも術具と言えるだろう。

 術具師はその性質から普段は比較的安全な拠点に籠っているが、妖怪たちに見つかったら何を置いても真っ先に狙われる役割でもある。そのため、昔から彼らは護衛を近くに置いているのだが・・・

 

<そこの女も、付喪神の類かと思ったが、この男が作ったのか? ここまで人間に似た生き人形を作れるとは、この家といい只者ではないな>

 

 蛇の視線が、先ほどから会話に加わらないどころか、身じろぎ一つせず正座する3人目の人影に移る。

 視線の先にいたのは、割烹着を着て紫がかって見える黒髪を馬の尻尾のように結んだ女だった。

 蛇は温度に敏感な生き物だが、その女からは人間のような体温を感じるものの、所々に血の通っていない部分があるようで、なんともいびつな印象を受ける。

 ただし、内に秘める霊力と、隙のなさ、自分の野生を生きた勘からするに、相当腕が立つのは間違いないだろう。

 

「そいつは俺の造った護衛兼嫁のメアだ。人造人間やら自動人形の技術でボディを造って、中身は死霊術と降霊術、精霊に付喪神を参考にした愛しのマイハニ―で・・・・」

 

「お初にお目にかかります。私はメアと申します。職務はこの屋敷および久路人様の警護、さらに穴があったら入りたいぐらいにはお恥ずかしいのですが、そこの人形に発情するとのたまう度し難い変態性の、どうしてお前のような愚物が我が造物主なのかと問いたくなるような男の護衛でございます。どうか、その狂人で早く警察のご厄介になるか、この世から旅立って欲しい雄の戯言は無視していただければ幸いにございます」

 

 割烹着の女、メアは京の言葉をさえぎって、ため息が出るほどの正確さで蛇に向かって30°の会釈をした。

 

「おうおうなんだよツンデレか~!? いやぁ~、そんな風に振る舞うように作った覚えがないのにツンデレムーブできるくらい自我が発達してくれてハッピーうれピ・・・」

 

「死ね」

 

 顔すら向けずに一言だけそう言うと、メアは再び石像のように押し黙った。

 京の話を聞くに極めて人間に近い人形のようだが、付喪神のように自我を持っているようだ。

 作り手との仲はあまりよさそうには見えないが。

 

「コホンッ!! まあ、俺のマイハニ―は見ての通り素直じゃねぇのは分ってもらえたと思うが、そろそろお前をここまで連れてきた理由を話そうか」

 

<こいつ、術具師としてだけでなく、中身も大物なのかもしれんな>

 

 「チッ」と自分の造った人形に能面のような無表情をしかめさせて舌打ちされるが、それを気にも留めずに話を続ける。

 

「あれ? 僕のペットにするからじゃないの?」

 

「惜しいがちげぇな。ペットじゃなくて、お前のボディーガード、つまり護衛として雇おうかって話だ」

 

(は?)

 

 一瞬、何を言われたのか分からずに蛇は呆けた思考になった。そんな自分を置いてけぼりに、話は進む。

 

「久路人、お前もこいつが常世・・・「あちら側」のやつってことは気づいてんだろ?」

 

「うん、なんとなく。でも、僕を食べようとか悪いことは考えてなさそうだし、前に教室で家で飼ってるペットの話になって、ペット欲しいなって思ったし、蛇かわいいからペットにしようかなって」

 

 ちなみに、久路人の通う小学校で先週出された宿題は「飼いたいペットについて原稿用紙2枚で作文すること」であり、久路人の提出した内容は蛇や蛙やトカゲについてだった。

 

「邪気を感じねぇってのは、他でもないお前が言うならその通りなんだろうが、腹の中に何もねぇってことはないと思うぜ? なにせ、そんな小さいナリで俺と話してるぐらいだからな。この蛇、人間並みに頭がいいぞ」

 

「えっ!? そうなの!? あの、その、それじゃあ、その・・・・勝手に連れてきてごめんさい」

 

「気にすんのそこかよ・・・・お前らしいけど」

 

 何やら子供に頭を下げて謝られたが、イマイチ頭に入ってこない。状況が呑み込めないのだ。

 

「貴方様に、そちらにいる色々と頭のネジがおかしい方々の言うことを翻訳しますと、「貴方様の将来性を見込んで、久路人様の守護神として契約していただくためにお招きした」ということでございます」

 

(将来性・・・それに、契約に、守護神だと?)

 

「ああ、術具師は材料から完成品までの目利きができなきゃ話にならねえからな。お前、今はそんなナリだが、その体色に目の鮮やかさ、知能の高さ・・・・元はかなりの大物だったろ?」

 

 メアに端的にまとめられ、京に自分の元々の姿を看破され、蛇は彼らの目的を理解した。

 そして、これが自分にとって美味しすぎるくらいに都合のいい話だと気づく。

 

(確かに、その童を狙うものは多かろう。だが、妾にその童のお守をさせようと言うならば、妾の力を元に戻すのを手伝うということでよいのだな?)

 

「まあな。そうはいってもすぐじゃねぇ。これから数年かけて少しづつ霊力を分けて戻すって感じだな。当然、力が戻った後に久路人や俺、メアに手を出さねぇようにするのが条件だがな」

 

(数年だと?そうなると・・・)

 

「そうだ。お前には、久路人の霊力をやる代わりに、久路人を死ぬまで守るって契約を結んでもらう」

 

(ふむ・・・・断ったら?)

 

「そうなったら、最初に久路人が言ったみたいにペット、慰み者だな。んで、久路人に触れたら爆散するような護符をそこら中に仕掛けてやる。それか、どうしてもって言うんなら、さっきまでの話を「忘れてもらって」外に放り出す」

 

「え~?おじさん、それはかわいそうだよ」

 

「何言ってやがる。コイツみたいに無駄に知能の高いヤツをほっとく方が面倒なことになんだよ。そもそも、コイツにとってお前と契約を結ぶのはかなり都合のいい話だぜ」

 

「この家にとって害となるならば、即処分いたします」

 

 メアが腕の関節当たりを捻りながらこちらに感情の読めない目を向け威圧するが、この話は蛇にとって渡りに船なのだ。

 蛇にはかつての力も、頼るべき後ろ盾もなく、これからの展望などまるで見えていなかったのだから。

 ならば、ここで確認すべきことは一つだけだ。

 

(妾は今まで、安全に生きていくことのみを欲して生きてきた。現世も常世も力がすべて。故に、脅かされないために力を付けてきた。だからこそ聞こう。契約を結んだ場合、妾の身の安全はどうなる?)

 

「そこは大して問題ないだろうよ。確かに久路人の血にはとんでもない価値と力があるが、さすがに大穴を空けるほどのもんじゃねぇ。お前に相手してもらうのは、中程度の穴から出てこれるやつらだよ。お前の力が戻れば餌同然の連中だ。それに、どんなに時間がかかっても、精々が百年程度の間だけだ」

 

<・・・・百年か。人間の寿命とは短いものだな>

 

 正直、久路人ほどの異常性を持った異能者の護衛をするのにそこそこの雑魚だけを相手にするので済むとは少し考えずらいが、それでも数年で力を取り戻した後に百年だけと考えれば、今の蛇にとって答えは決まっているようなものだった。

 

(わかった。その話、受けよう)

 

「おっ! いいねぇ、話の分かる妖怪は好きだぜ。喜べ久路人、これからコイツもこの家の一員だ」

 

「ほんとっ!?」

 

(白々しい台詞を言うな。妾が受けるしかないことなど分かっていただろうに。して、契約とはどう結ぶものだ?)

 

 久路人は子供らしく無邪気に喜んでいるが、蛇は少々不安を感じていた。

 蛇がこれまでに戦って食らってきたモノの中には、人間の術者と契約を交わしていたモノもいた。自分自身が何かと契約を結んだことはないが、どういうものかぐらいは知っている。

 契約とは、術者本人と妖怪の間、もしくは契約を行う者同士と術をかける術者によって結ばれる術式で、様々な条件を設けた上で何らかの取り決めを行うことだ。

 それだけならば普通の人間同士が行う一般の契約と変わらないが、術という形で縛ることにより、その取り決めには強力な強制力が生じる。もしもここで、自分に力がないことを盾に不当な条件を押し付けられたとしても、自分には逆らいようがない。

 

「術をかけるのは俺だが、俺から出す条件は、「この場にいる3人を不当に傷つけない」、「他の何かに俺たちを傷つけるようにそそのかさない」、「可能な限り、普通の人間は傷つけない」ってところだな」

 

(温いな、それでよいのか?)

 

「こういうのはあんまり雁字搦めにしない方がいいんだよ。単純で条件も少ない方が強くなるもんだ・・・・・俺からはさっきので全部だが、久路人はなんかあるか?」

 

「僕?うーんと・・・・」

 

(こやつ、妙なことを考えておらんだろうな?)

 

 子供というのはいつの時代も突拍子もないことを考えるものである。

 内心でかなりビクビクしている蛇であった。

 

「じゃあ、僕と友達になってください!!」

 

(ともだち、だと?)

 

 <何だそれは?>

 

 少しの間悩んだ末に、久路人は己の要求を突き付けたが、蛇には意味が分からなかった。

 

 今まで弱肉強食の世界で己が力のみを頼りに生きてきた蛇には理解できない言葉だった。

 

「なんつーか、本当にお前らしいな」

 

「でも、この子は僕の言葉がちゃんとわかるんでしょ? だったら、僕は友達になりたい」

 

 久路人は、「僕もクラスのみんなみたいに、友達をつくってみたいんだもん」と、後に続けた。

 

「まあ、こいつとならなれるかもな」

 

 京はどこか遠い目をしながらつぶやく。

 

 

(おい、ともだちとは何なのだ?)

 

「えっ? 何かって、えっと・・・・」

 

 自分で条件を付けたのに、久路人は「ともだち」とやらが何なのかよくわかっていないようだった。

 

「友達とは、「特定の分野において共通の趣味や好みを持ちつつ、いざというときは細かな性癖の違いから殴り合いになることもある味方」のことで・・・」

 

「わかりやすく言うなら、「気軽にいつでも話せて、下らないことで笑いあえて、お互い助け合えるような間柄」ってとこだな」

 

 メアが小難しい言い方をするのを遮るように京が説明する。それでもよくわからなかったが。

 ちなみに、自分の話を遮られたのが悔しかったのか、メアは京にこれ見よがしに中指を立てていた。何の意味があるのだろう?

 

(要するに、味方として有象無象から守りつつ、暇つぶしの相手になればよいのか?)

 

<童というのは人間と人外の垣根が低いように見えると聞くが、こいつは少々度が過ぎるように思えるな>

 

 子供というのは純粋で、子供の内は人と人でないモノの境目が曖昧になりやすいという。

 それでも、明らかに怪異とわかっている蛇を相手に遊び相手になって欲しいというのは異常である。

 

「まあ、それでも間違いではねえなぁ・・・・感情を契約で縛るのは面倒なことになりそうだし、「頼まれたら遊び相手になる」でいいだろ?」

 

「え? うーん、いい、のかな?」

 

 久路人は首を捻りながらも、それで良しとしたようだった。

 

 それを見て、京は話を進める。

 

「じゃあ、契約内容は決まったな。ここからが重要だが、オイお前、名前はあるか?」

 

(ない。名前を持つ意味などなかったからな。妾のことを「蛟」だの「水野槌」だの言う輩はおったが、自分の名だと思ったことはない)

 

 蛇にとって、自分以外のすべては「餌」か「敵」か「どうでもいいやつ」の3種類しかいなかった。

 そんな中で名前を持って名乗る必要性はどこにもなかったのである。

 

「そりゃ好都合だ。なら久路人、お前が名前付けろ」

 

「名前? なら、見つけた時に雨がたくさん付いてたから「しずく」にしようと思ってたけど・・」

 

 子供にしては、それなりに考えられた名前だった。

 きっと家路の最中に考えていたのだろう。

 

「だそうだ。お前もそれでいいな? 契約には、お互いの名前がいるんだよ」

 

<妾が名付けられるか・・・>

 

 名前というのは世界に己を刻み込むための手段の一つであり、古来より契約の術を行う際には最も重要な要素として扱われる。

 契約を結ぶ片方がもう片方に名前を付けている場合、名前そのものが強力な楔になって名付けられた者は名付けた者と交わした条件を破るのが極めて難しくなる。

 そこまで蛇は知っているわけではなかったが、元より条件を破る意思などないため、受け入れるかは、蛇がその名前を気に入るかどうかなのだが・・・・

 

(しずく、雫か。悪くはない)

 

 蛇は水を司る精とも言われる。実際に力を持っていたころの蛇は水を操る術が得意だった。

 そんな自分に水に関係する名前が付くからか、それともあまり名前に関心を持っていなかったからか、初めて聞くというのにしっくりする感じがした。

 

(よかろう。妾の名前は、これより雫だ)

 

「お前の付けた名前、気に入ったってさ」

 

「そうなの!? よかったぁ・・」

 

 自分のセンスを褒められたのが気に入ったのか、久路人は笑みを浮かべる。

 

「長々と話したが、これで最後だ。契約始めるぞ。久路人、この針で適当にどっか刺して血をこいつに押し付けろ」

 

 京が再びどこからともなく羊皮紙と針を取り出すと、先ほどの条件を羊皮紙に書き込みながら一人と一匹に針を渡した。

 

「う~、痛っ」

 

「貴方様は、不肖この私めが」

 

(ぬぉおおお!?)

 

 久路人は顔をしかめながら指をちくりと刺し、蛇改め雫は一瞬のうちに近づいていたメアに尾の先を刺されていた。

 そして、久路人は指を、雫は尾を羊皮紙に押し当てる。

 

「久路人、この紙に書いてあるように言え。んで、お前は「誓う」とだけ答えろ」

 

「え~と、『なんじ、しずくよ、我が力をかてに、我、月宮久路人が命つきるまで守ることをちかうか?』」

 

(誓おう)

 

 久路人がたどたどしい口調でところどころ平仮名で書かれた契約文を読み上げ、雫は言葉は返せずとも、意思を以て応えた。

 

「わっ!?」

 

(むっ!?)

 

 その瞬間、羊皮紙が燃え上がり、その炎が輪となって、一人と一匹を取り囲み、消えた。

 

<妾が、これまで身一つで生きてきた妾が、今日あったばかりの童と契約を結ぶことになるとは>

 

 何とも言いようのない感情が雫の胸に浮かぶ。

 しかし、不思議と悪い気分はしなかった。

 

 それは、自分の安全をとりあえずとはいえ確保できたからか、自分の力を取り戻す当てが見つかったからか、あるいは・・・・

 

「これで、けいやくは結べたんだよね? 改めまして、僕は月宮久路人! これからよろしくね、雫!!」

 

(・・・・ああ、よろしく頼む。久路人)

 

 あるいは、妖怪である自分に屈託のない笑顔を浮かべるこの子供を気に入ったからなのかもしれない。

 

 

 

 こうして、それから長く長く、途方もなく永く続く一人と一匹の最初の一歩が、確かに結ばれたのだった。

 

 

 

--------

 

 

 

「お前、明日も学校だろ?さっさと風呂入ってこい」

 

 この言葉を受けて「はーい」と返事をした久路人が風呂に向かった後のことだ。

 

 

「んで、何か聞きたいことは?」

 

(・・・・なぜ、お前はそこまでして久路人を守ろうとする?)

 

 契約を終えてどこか弛緩した空気が引き締まるようだった。

 月宮京と名乗った男の目は先ほどまでと変わらずどこか軽薄な色が浮かんでいるが、今ではそこに、動物としての危機感を駆り立てる冷たい輝きが混じっていた。

 

<妾があの場で契約を結んだ方がよかったのは事実。結んだことに後悔はない。しかし、この男は間違いなく、断っていれば妾を殺していた>

 

 正確には、殺しに来るのは京の傍に控える人形もどきの方かもしれないが。

 どちらが殺しに来るにせよ、力がほとんど戻っていない自分などあっという間にすり潰されるだろう。この二人にとって、自分などそこいらにいる普通の蛇となんら変わりない木っ端のはずなのだ。

 

<なのに、なぜそこまで妾に殺気を向ける?>

 

 この二人とこの家の術式があれば、今の自分ごときを雇う必要などない。

 だが、こいつらはわざわざ殺気を自分にだけ向けて脅迫までしてきたのだ。

 その理由は、契約を結んだものとして明らかにしておきたかったが、久路人の前では言えない可能性もある。だから待ったのだ。

 

(久路人の異質さについては実際に見たし、お前たちの話も聞いて分かった。確かにほとんどの妖怪どもが知れば放ってはおかんだろう。だが、お前が渡した護符とやらで隠せているのではないのか?何故わざわざ妾程度を雇った?)

 

「そりゃ簡単だ。あいつが現世と常世のバランスをぶっ壊して、世界中がヤバいことになりかねないからだよ。あいつの意思に関係なく、他の連中のせいでな。だからこそ、猫の手でも借りたいのさ」

 

「見な」といって、京が机に久路人が風呂に行く前に置いていった護符を放り投げる。

 

(これは・・・)

 

 その護符は、まるで焼け焦げたように黒ずんで、今にも崩れそうになっていた。

 

「あいつの中にある力はな、段々でかくなってるんだよ。その護符も、持たせたのは3日前だ」

 

(いつまでも隠し通せるものではないということか)

 

「そうだ。それでも、お前が育ちきるまでは持つだろうし、その後もそんじょそこいらの格の低い妖怪どもにバレないようにはできるだろうが・・・・タチの悪いことに、現世には平和ボケした異能者が増えすぎた」

 

 「魔人」が結界を張ってから永い時が経ち、怪異が人間を襲うことは少なくなった。

 そして、結界の中で発生した異能者たちが寄り集まり、自分たちにだけ襲い掛かって来る妖怪やら怪異を退けるようになったが、そのほとんどはかつての「大物」が跋扈していた時代を知らない連中だ。大穴の管理者とて、代替わりによってその穴から出てくる脅威のことを伝聞でしか知らないことすらある。

 人間は数が揃えば「自分たちは強い」と思い込んでしまう生き物だ。中規模の穴から出てくる、かつての時代では「雑魚」にあたるようなレベルを倒してすべての怪異を調伏できると愚かにも考える集団がいてもおかしくはない。

 そんな連中に、常世に繋がる大穴を空けかねない存在がいると知られれば・・・・

 

「ここで久路人の存在を知ったお前が、万一そういう馬鹿どもに喋っちまったら面倒だろ?」

 

(なるほど、妾は妖怪どもが相手、お前たちが相手にするのは人間というわけか)

 

「そういうこった。人間ってのは一人一人は弱くても数は多いから手が足りねぇ。んで、俺は術具を作るのは得意だが、喧嘩は苦手でね。メアもずっと久路人に付かせて置けるわけじゃねえ」

 

「まことに不本意ながら、私は最優先警護対象がこのチャラ男造物主になるように設計されていますので」

 

「別にチャラ男じゃねぇだろ!?」

 

 ちゃらおという言葉の意味は分からないが、京としては不本意だったようだ。

 

 「・・・・ともかく、この契約はお前にとっても都合がいいだろうが、俺たちにとっても渡りに船だったんだよ」と京は続ける。

 

「あいつはこれまでも、護符の切れ目に妖怪どもに襲われててな。そんな経験のせいで、なんとなく、自分に害があるのかないのかわかるんだと。そんなあいつが、「大物」になる才能があるお前を連れてきたんだ。活かさなきゃ馬鹿だろ?」

 

<ふむ、これまでの話、筋は通っている>

 

 どこまで京の話が真実かは分からないが、久路人が現世と常世の間に大きな混乱を生み出しかねないのは事実だろう。それを防ぐために手を尽くして守ろうとするのは分りやすい話だ。

 

 だが・・・

 

(本当にそれだけか?)

 

「あん?」

 

(お前たちならば、例え大穴が空いたとて、いかようにもできるだろう? 他に何かあるのではないのか?)

 

 それでも、そんなこいつらにとって「どうとでもなりそうな理由」でここまでやるのは理解できなかった。

 

「・・・久路人は本当に見る目のあるやつだよ。いい拾い物したもんだ」

 

 京は肩をすくめながらそう言った。

 

「けどよ、あんまり好奇心が強いのはどうかと思うぜ?」

 

「・・・動けば少々痛みますよ」

 

(・・・・・!!!)

 

 いつの間にか、雫の体には糸が絡みついていた。

 糸はメアの指先から伸びており、ゾッとするような銀色に輝いている。

 

 

「まあ、お前の言う通り他にもいろいろ理由はあるさ。だが、それはお前の知る必要のないことだし、お前はただ妖怪どもからあいつを守ってりゃいい」

 

 京が手を振ると、雫に絡みついていた糸が解け、メアの指先に一瞬で戻る。

 

「けど、勘の鋭いお前にご褒美代わり言うとだ・・・・」

 

 

 

--あいつは、俺の甥で、兄貴の残した宝物なんだよ

 

 

 

「お前にゃまだわからねぇだろうけどな、「家族」を守るってのは、人間が体張る理由としちゃありふれてるんだぜ」

 

 京はそこで立ち上がり、部屋の扉に手をかけた。

 

「メア、腹減ったからなんか作ってくれ。俺は少し横になる」「豚の餌でよろしければご用意しておきます」と、そんな会話をしながら、京は自室へ、メアは台所へと去っていった。

 

<なんとも、人間というのはいろいろと絡み合っているな>

 

 雫は一匹、テーブルのケージの中で独り言ちる。

 

 

<これから妾はあやつらと関わっていくわけだが・・・・>

 

 

人間も、久路人も、京も、メアも、妖怪である自分にはまだまだ測りきれない存在であるようだった。

 

 

 

 

 

 

 




ちなみに、メアは久路人のヒロインにはならないことをここに明言しておきます。
今後雫以外のヒロインは多分出しませんが、もし出すなら最終的には一人になるようにします。だってヤンデレ大好きだから。


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前日譚3

執筆に時間を割くのが難しいこの頃
やはり週一更新が限界かもしれません。

ですが、作者にとっては感想は超高カロリー栄養源なので、送ってくれれば速度上がるかもしれませんよ!!


 7月26日 今日の天気 雨

 

 今日は雨だったので、外に遊びに行けなかったから、家でしずくといっしょにお勉強をしました。

 しずくはヘビだけどとても頭がいい子です。

 ちょっと前はひらがなもカタカナも読めなかったけど、今はもうぼくと同じくらい漢字が読めます。

 ぼくの家にはしずくのために五十音が書いてある板があって、その板をしずくがしっぽでたたいてお話ができます。

 足し算や引き算、かけ算にわり算ももうおぼえていて、しずくが学校に来たらテストで百点がとれると思います。

 でも、しずくには手がないので、えんぴつが持てないからテストの答えを書けないので0点かもしれないです。

 今日もぼくの算数のしゅくだいのまちがっているところをぼくより先に気が付いていました。

 「もう少しがんばれ」と言われてしまいました。

 

 しゅくだいが終わったら、そのまましずくとオセロで遊びました。

 しずくがひっくり返したい石をしっぽでつついて、ぼくがひっくり返します。

 今のところ、勝ち負けはどっちも同じくらいですが、今日はぼくが勝ちました。

 「次は絶対にわらわが勝つからな!!」と悔しそうにしていました。

 悔しそうにしてる時は文字をたたくいきおいが速くて読みにくかったです。

 

 しずくはどっちかというと雨が好きらしいのですが、最近は夏休みに入ったのに雨ばかりで外に遊びに行けません。

 明日晴れたら前に遊びに行った川にいっしょに泳ぎに行きたいです。

 

 

 月宮久路人の夏休みの日記より抜粋

 

 夏休み最終日に京が添削し、当たり障りのない内容に書き換えたが、久路人は夏休み期間をほぼ毎日雫と過ごしていたために全ページ書き直すハメになった。

 

 

 

 

-----------

 

「そんな、私のことは遊びだったの!?」

 

 夕日が照らすどこかの崖の上で、一人の女が男に詰め寄っていた。

 女は美しかったが、夕日に照らされる顔は憎悪に歪んでいる。

 

「違う!! そんなつもりじゃない!!彼女とは・・・・」

 

「やめて!! 言い訳なんか聞きたくない!!」

 

 男が女に言い訳をしようとするも、女はそれを遮ってさらに距離を詰める。

 男のすぐ後ろは崖であり、このまま押し倒されたら真っ逆さまだ。

 

「あなたが他の女のものになるなんて、許せるもんですかぁ!!!」

 

「なっ!? やめろぉぉぉ!!」

 

 予想通り、男はそのまま女に押されて崖の下に落ちていった。

 

「安心して? あなた一人で死なせはしないわ」

 

 そして、女もまた男の後を追うように自ら崖を飛び降りた・・・・・

 

 

-----------

 

(おお、これが先月から二股かけてた屑野郎の末路か。よくやったぞ、茂美よ。これで妾の溜飲も下がったわ)

 

 月宮家のある一室。

 一部屋丸ごとに特殊な結界の術が刻まれ、この部屋にだけは妖怪用の罠が仕掛けられていない雫専用の部屋で、2か月前に拾われたばかりの雫がとぐろを巻いて昼ドラを鑑賞していた。茂美とは、さきほどドラマで心中した女の名前である。

 

(しかし、一人の男にあそこまでの熱をあげるのはよいが、その男が悪かったな。やはり雌たれば、番に選ぶ雄は慎重に選ばねば)

 

 ウンウンととぐろを巻きつつ器用に首だけを上下させて、改めて子孫を残す厳しさを感じながら頷く雫であった。

 

(しかし、この妾にふさわしい雄など、そうそういるはずも・・・)

「ね~しずく。もうドラマは終わったんだし、外に遊びに行こうよ」

 

 そこで、何気に隣で一緒にドラマを見ていた久路人は雫に声をかけた。

 まだ小学校2年生の久路人にとって、昼ドラなんてものはよくわからないものだったようで、つまらなそうだ。

 

(まったく、これだから子供は・・・・まあ、子供にはこの男女の浮き沈みのある甘く切ない関係などわかろうはずもないか、フッ)

 

 まだまだお子様の久路人を見て、雫はやれやれと首を振りながらニヒルに笑う。

 なお、本人(本蛇)は下手をすれば同種からも霊力源として物理的に食われる危険性もあったため、そういった経験は一切ない。ほんの数か月前に現代の現世に来たばかりだというのに、人間の作った昼ドラを見たくらいで男女の酸いも甘いも知ったような気分になっていた。

 

「よかろう、妾はこれでも立派な大人だからな。付き合ってやろうではないか」

 

 そんな気分のまま大人の余裕というものを見せつけている、と思い込みながら久路人が持ち歩いている文字盤で了解の意を示す。

 

「本当!? それじゃあ行こう!!」

 

(ぬぉおおお!? これ!! いきなり掴むのは止めろと前々から言っておろうが!!」

 

 久路人は傍に置いてあった雫専用のケージにむんずと掴んだ雫を入れると、部屋を飛び出した。

 

(さて、今日はどこに連れて行く気か。川は水が増えて子供には少々危ないかもしれんし、近所の雑木林で虫取りか? 妾が森の中ではどれほど素早く動けるか、改めて見せつけてやるのも悪くはないな)

 

 この一人と一匹の間には「遊び相手になってと頼まれたら遊ぶ」という契約が交わされている。

 これは精神に働きかけるものではなく、強制的に遊びに行くように意志と関係なく体を動かすものであるため、本人が最初からその気ならば発動しない。そして、その強制力は未だに一度も発動したことがない。

 

 これまで弱肉強食の野生の世界に生きてきた雫にとって、ボードゲームやドラマといったインドアの娯楽から、外での食糧調達とは関係ない虫取りや釣りのようなアウトドアまで、人間の生み出した娯楽は新鮮なものであった。

 元より好奇心旺盛でイタズラ好き(妖怪目線)だった故に封印された雫にとっても、自分を恐れない久路人と遊ぶという行為はなんだかんだ言っても楽しいものであるようだった。

 

 

-----------

 

 欠けている

 

 

 それが雫の抱く久路人という少年への印象だ。

 

 かつての穴があちこちに開いて異能が珍しくなかった時代、人間にとって人外とは自分たちの天敵であった。

 もちろん、人間に害を与えない温厚な妖怪もいるが、人間に関わる=捕食、殺害という図式が成り立つくらい、妖怪が人間を襲うのは当たり前の時代だった。

 そんな時代ならば、人間が人外に向ける態度も反抗的あるいは忌避するようになるのもまた当然だろう。

 雫がかつて見てきた人間たちもそうだった。

 京たちが言うには、現代の人間もそう変わりはないらしい。

 自分たちにとっての「常識」というものが壊されるのを、まるで自分そのものが壊されるかのように感じるのが現代の現世だ。

 「異能を排した世界の法則」である科学を信仰する現代人にとって、科学で解明できない現象というものには無意識であっても恐怖を抱く。その現象が単なる現象であって意思がないのであれば科学者という人種は興味をそそられて解明しようとするだろう。だが、自分たちを容易く殺せる正体不明の存在が意思を持って自分たちの近くにいるとなれば、恐怖を抱かないのは生物としての欠陥であるとすら言える。

 人形であるメアはよくわからないが、あの京ですら、普段はそれなりに気安く接しはすれど未だに警戒しているフシがあるのだが・・・

 

(久路人には、(じんがい)に対する恐怖が欠けている)

 

 久路人に恐怖という感情がないわけではない。

 

 道を歩いている時に角からトラックが自分のスレスレを通って行った時には飛び跳ねて壁に背中を付けるくらいには驚いていたし、怖がっていた。

 家で花瓶を落として割った時にも、「おじさんに怒られるかも・・・」と怯えていた。

 

 だが、人外と関わることにはまるで恐怖を抱いていない。

 というよりも・・・・

 

(久路人は、人間も妖怪も同じ目線で見ているのだろうな)

 

 久路人の住む街は世界でも多くの穴が開通している場所だ。

 久路人は護符の影響で狙われていないし、京が張った多様な結界で一般人もその姿を認識できないし、襲われないが、妖怪の類がその辺にいる。

 危険度の高いモノはメアが退治して回っているが、無害なモノは放置されているため、久路人が目にする機会は多い。

 そんな風に出会った妖怪にも、雫や京たちにするのと同じように挨拶をしたり話しかけたりするのだ。

 少し前に聞いてみたことがある。

 

「お前は、前にも妖怪に食われそうになったことがあるのだろう?妖怪は怖くないのか?」

 

「人間だって、他の人間を殺したりするじゃない。そういう妖怪に会ったってだけだよ」

 

 何の気負いもなく久路人はそう答えてみせた。

 その返答は妖怪であり、後の護衛になる雫にとって不安を抱かせるものではあったが、同時に嬉しくもあった。

 

(殺し合い、利用しあう。あるいは恐れ、逃げ出す。それ以外を、久路人とならできるのだろうな)

 

 自分でも認めてきていることではあるが、久路人と過ごす何気ない平穏な時間というものを、雫は気に入ってきているのだ。

 もっとも、久路人のその答えは保護者も不安にさせたようで、いざという時に対応できるように体を鍛えさせたり、護身用の道具を造ったりしているようだが。

 

 

「雫、着いたよ」

 

(む・・・)

 

 雑木林に向かう道中、ケージの中で物思いにふけっていた雫は我に返った。

 

 久路人が雫をケージから出すと、雫はその首に巻き付く。

 これが久路人が雫と外で遊ぶ時の基本スタイルなのだが、力が弱く普通の蛇とほぼ変わらない雫は一般人からも見えてしまうので人気のないところでしかやらないが。

 

「今日はクワガタ取れるかな」

 

(・・・・あんな髪切り虫の何がいいのやら)

 

 そこは、月宮家から子供の足で20分ほど歩いたところにある山のふもとの雑木林だった。

 周りは放棄された畑ばかりで、雑草が生い茂っており、民家もない。

 月宮家がかなり郊外にあるため、ここまで虫取りに来る人間は少なかった。

 中々に広い林で、虫がとれるポイントを回って歩くと30分はかかるだろう。

 

「あ、木の隙間になんかいた!! 雫、取って!!」

 

「いやだ。そんな樹液まみれの隙間なんぞ入りたくない!!」

 

「え~、そんなこと言わないで・・・・って、逃げられちゃった」

 

 雫がこの林に来るのは初めてではない。

 虫取りのポイントも知っているし、自分がどのあたりにいるのかもわかる。

 久路人がよく来るポイントということもあってこの林は念入りに妖怪の類が退治され、穴は塞がれている。監視用の術も仕掛けられているので、安全地帯と言っていいだろう。

 だが、危険ではないモノはたむろしていたりする。

 

「あれ、あんなところにたくさんいる」

 

(ふむ、キノコの精かなにか)

 

 虫取りポイントを巡ることしばらく、林の奥の方に来たあたりで、小さなキノコに手足が生えたようなナニカが道を行進しているのに出くわした。

 

「ねぇねぇ、そんなところで何してるの?」

 

「「「・・・・・・」」」

 

(人語を解するだけの頭はないようだな)

 

 久路人がしゃがみ込んで声をかけるが、キノコもどきは答えることなく行進していくだけだった。

 

「この先、行ってみよっか」

 

「まあ、危険はないだろう」

 

 特に反対する理由もなかった雫は止めずに久路人の首に巻き付いたまま運ばれていく。

 

 そして、一人と一匹は林の奥へ奥へ進んでいった。

 

 

 

 この林は危険な妖怪が退治されていない安全な場所。

 雫のその認識は正しい。

 だが、その安全地帯を破壊する爆弾を抱えているという意識はなかった。

 

 

-----------

 

「結局何だったんだろう、あのキノコ」

 

「さあ、あの程度が考えていることなどわからん」

 

 キノコの後を追いかけて林の奥まで来たが、彼らは大きな切り株の隙間に入っていったきり、出てこなかった。

 ああいう知能の低いモノは大抵何も考えずに本能で行動しているため、その真意を知るのは難しいだろう。

 

「それにしても、結構奥まで来たなぁ」

 

 久路人の言う通り、普段虫取りに来るポイントからも離れた場所だ。

 舗装されていない細い道を通ってきたが、キノコが入っていった切り株の先は完全に草木に覆われて行き止まりになっていた。

 やや登りの道だったことからも、ここは雑木林の先にある山を少し登ったところだろう。

 

「なんか疲れてきたし、もう帰ろうか」

 

「うむ。妾も腹が減った」

 

 時刻は6時を回ったあたり。夏で日が長いとはいえ、林の奥は薄暗いのも相まって少々不気味だ。

 雫としても空腹を感じ始めたので、帰るにはよい頃合いである。

 久路人、京、雫の食事は家政婦としての技能も持つメアが賄っている。

 雫の場合は魚や肉料理を一口サイズにしたものがメインだが、これまでの数百年に渡る中、雫の好物ランキングを制したのは月宮家で5日前に食卓に上がったサイコロステーキであった。

 

「帰ってご飯食べたら、またオセロする?」

 

「ふむ、オセロも悪くないが、前にやった双六も・・・・」

 

 雫が文字盤を叩いていたその時だ。

 

 

 ガサリ

 

 

 茂みが揺れた。

 

「え、なんかいる?」

 

(・・・妙な力は感じないが)

 

 突如として茂みが揺れ、茶色い何かが現れた。

 

「あ、ウリ坊だ」

 

(猪の子供か)

 

 久路人の住んでいる街は地方都市で、郊外には豊かな自然が残っている。

 鹿や猿、猪などの野生動物も生息していた。

 

「ウリ坊なんて近くで初めて見た!!」

 

(おい待て!! 近づくな!!)

 

 久路人は年齢の割には大人びている方だが、この頃はまだまだ子供らしい好奇心が旺盛だった。

 普段は目にしない野生動物に興味を抱き、ウリ坊に駆け寄る。雫は喋れないため、その警告は届かなかった。

 ウリ坊はこちらに近寄って来る人間に怯えて茂みに駆け戻り、久路人は追いかけようとするが・・・

 

 

 

「ブモォオオ!!!」

 

 

 

 野太い声とともに、ウリ坊の親イノシシが突っ込んできた。

 

「うわぁ!?」

 

 咄嗟に横に飛び跳ねてイノシシの突進を躱した。

 

(おい久路人、早く逃げろ!!)

 

 雫が久路人の首にペチペチと尾をぶつけて急き立てる。

 

「わあああああああああ!!!」

 

 声は聞こえずとも意図は理解できたのか、久路人はそのまま走り出そうとして・・・・

 

「うげっ!?」

 

(何をやっておる馬鹿ものぉ!!)

 

 盛大に転んだ。

 

「ブモォオオ!!!」

 

 イノシシはウリ坊に近づいた久路人を敵とみなしたのか、再び突進を仕掛けてくる。

 

(ええい、仕方あるまい!!)

 

「ペッ!!」

 

「ブモァアア!?」

 

 久路人に拾われて二か月。

 毎日芳醇な霊力に満ちる久路人の血液を数滴ずつ吸っていた雫には、多少の力が戻っていた。

 戻った霊力を使って形成した拳大の水の塊をイノシシの眼にぶち当てて怯ませる。

 

(今のうちに走れぇ!!)

 

「うわああああああああ!!!!!!」

 

 イノシシが怯んでいるうちに、久路人は立ち上がり、もう一度走り始めるが・・・・

 

「うぐぅ!!!?」

 

(ぬぉおおおお!?)

 

 またしても盛大に転んだ。

 無理もない話であるが、完全にパニックになっているようだった。

 久路人はまるで自分の体をうつ伏せに摩り下ろすように斜面を滑り、首に巻き付いている雫も振り落とされまいとしがみつく。

 そうこうしている内に・・・・・

 

 

 パキン

 

 

 何かが、砕け散るような音がした。

 

 それと同時に、久路人のいる場所を起点に、猛烈な寒気が発生する。

 

(これは・・・・・まさか、穴が!?)

 

「あ、お守りが・・・・」

 

 その護符は2週間前に京に作ってもらったものだった。

 雫を拾った頃よりも耐久性を上げており一か月は持つはずだったのだが、半月に渡って久路人の力を抑え込んだことと2度にわたって物理的に強い衝撃が与えられたことで壊れてしまっていた。

 

 

 ケタケタケタケタケタケタケタ・・・・・・・

 

 

 ナニカの笑う声が聞こえる。

 

 

「ブモォォォオオオオ」

 

 イノシシはこの場に満ちる異様な雰囲気を感じ取ったのか、すぐに元来た茂みに逃げていき、久路人と雫だけが取り残され・・・・

 

 

 バキン!!

 

 

 突如として空間に直径1mほどの黒い穴が空いた。

 

(アレは、小さめの穴か・・・しかし、穴の向こうに何かいる!!)

 

「アアアアアア、イイ、ニオイ・・・・」

 

 穴の奥から、人間の大人くらいの大きさのナニカが這い出てきた。

 

「アアアアア、ウマ、ソウ・・・・」

 

 ソレは、大まかな見た目はトカゲに似ていた。

 細長い体に生えた四本の手足を地面につけ、長い首と尻尾を持っていた。

 だが、その顔は醜悪な老婆のそれであり、手足は人間のものによく似ている。緑色の体には所々にギョロギョロと動く目玉が埋め込まれたように付いていた。

 老婆の顔も、体中に付いていた目も、少しの間忙しなく動いていたが、久路人を見つけるとピタリと止まった。

 

「ミミ、ミツ、ケタ・・・・」

 

(まずい!!)

 

 小さな穴から出てきた妖怪ではあるが、それでも今の雫では到底敵いそうもない。

 これならばさっきのイノシシ相手に逃げている方がまだマシだったろう。

 

 

(久路人、早く逃げ・・・・)

 

「なあんだ、妖怪か」

 

 雫が再び逃げるように促したが、久路人は先ほどのパニック状態から復帰したように落ち着いた様子で身を起こした。

 

「ねえ、僕たちこれから帰るんだ。君も家に帰った方がいいと思うよ」

 

「アア?」

 

 獲物の様子がおかしいことに気づいたのか、トカゲモドキもその老婆の顔を怪訝そうに歪めた。

 

「おじさんや雫に聞いたよ。今の妖怪は勝手に人間を襲っちゃダメって魔法使いの人と約束したんでしょ? だったら、僕のことも食べちゃダメなんだし、君も帰らなきゃ」

 

(馬鹿者!! こんな獣に近い連中にそんな話が通じるわけあるか!!)

 

「アアアアアアア!!!」

 

 案の定、妖怪は久路人の言うことに耳を貸すことなく四本の足をドタドタと動かして飛び掛かる。

 

「わっ!」

 

 トカゲのような見た目ではあるが、速さまでトカゲ並みではないようで、気味の悪い動きをしながら久路人に迫るもあっさりと避けられる。

 久路人を捕まえられなかったトカゲモドキは憎々しげに睨みつけた。

 

「あ~あ、やっぱりダメか。危ない感じがするけど、話を聞いてくれればなって思ってたのに」

 

(こいつ・・・・)

 

 あのトカゲの見てくれは同じく妖怪である雫から見ても、さっきのイノシシなどよりよほど気味悪く、怖気が走る。

 であるのに、久路人はそれを恐れるでもなく、逃げようともせずに説得しようとしたのだ。

 雫はこんな状況にありながらも、久路人の在り方に戦慄した。

 

「でも、人を襲っちゃダメってルールがあるのに僕を食べようとするのはいけないことだよね?」

 

(何?)

 

「なら、これから僕があいつをやっつけても、せいとうぼうえいってやつだよね?」

 

 それは、いつもの久路人と変わらない平坦な声だった。

 だが、その声を聞いた瞬間、雫になぜか震えが走る。

 

「ねえ、僕を食べたいんでしょ? なら、これも欲しいよね?」

 

「アアア!?」

 

(それは・・・・)

 

 久路人がポケットから取り出したのは、手のひらに収まるサイズのボトルだった。

 その中には、深紅の液体が揺れている。

 

「はいっ!!」

 

「オアアア!!!」

 

 特別製のボトルは中身の特異性を漏らさないが、トカゲモドキには人間を引き裂いたときに溢れるその色が魅力的に映ったのだろう。

 蓋を少し緩めて放り投げられたボトルに食らいつき、かみ砕く。

 

(・・・なるほどな)

 

 ボトルの中身は久路人の血液だ。毎日血を抜いて与えるのも面倒なので数日分をストックしておくのだが、久路人はそれを持ってきていたらしい。

 特殊な霊力に満ち溢れる久路人の血液は妖怪にとって極上の食事だ。1滴摂取するだけで数年分の霊力を補給できる代物だが、雫はトカゲモドキの末路を悟った。

 

「アアアアアアアアアアアアア!!?????」

 

 ボトルをかみ砕き、中身に舌が触れた瞬間に恍惚とした表情を浮かべていた妖怪であったが、次第に怪訝な顔になり、そのうちに地面に横になってもだえ苦しみ始めた。

 やがて動かなくなったと思えば・・・

 

「アァァァァ・・・アア・・・ア・・オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!?」

 

 突如としてその体のあちこちが膨れ上がり、そこから新たな手足や顔が生え始めた。

 さらに、その増殖はどんどん進んでいき、増えた個所から再び新たな部位が増えるのを無限に繰り返していく。

 

「アアアアア・・・・アア」

 

 最終的にはいくつもの血涙を流す顔が付いた球状の肉塊というべきものになり、動かなくなったと思えば、膨れ上がった肉がドロドロとゲル状に溶けて地面に吸い込まれ、後には気味の悪いシミだけが残った。

 

 

(あの程度の器しかなければ、久路人の力を収められるはずもない)

 

 久路人の力は強大だ。あらゆる妖怪に力を与える効果を持つが、その力に耐えうる容量がなければ、その変化に耐えきれずに自壊するのも道理である。

 雫が久路人の力を分けてもらってもトカゲモドキのようにならないのは、摂取する量が少ないのと、増大する力を受け止められるだけの器を備えているに他ならない。

 久路人の血は、妖怪を引き寄せる美酒にして劇薬なのだ。

 

「よし、それじゃあ新しいのが来ないうちに早く帰ろうか!!」

 

(・・・・・うむ)

 

 当の本人はさきほどまでそこで広がっていたあまりにもグロテスクな光景を目にしたにも関わらず、いつもと変わらない調子で走り出した。

 

「でも、うまくいってよかったよ。前に襲われたときにビンを落としたら同じようなことがあってさ」

 

(・・・・・)

 

 一応は和解を考えていた相手が惨たらしく死んだことを毛ほども気にしていないように話すのを聞きながら、雫は自分が巻き付いている少年のことを考える。

 

(薄々思っておったが、イカれておる)

 

 

 妖怪を全く恐れないこと。

 妖怪を人間と同じような目線で見ていること。

 そうでありながら、妖怪を殺すことになれば全くためらわないこと。

 

(もしかすれば、久路人にとっては人間も・・・・)

 

 今日の様子を見ていると、同種であるはずの人間も躊躇せずに殺せるのではないか?

 雫にはそう思えてならなかった。

 それは、弱肉強食を生き抜いてきた野生動物の感性に近い。

 

(だが、何かが決定的に違う)

 

 久路人は最初は話し合いで解決しようとして失敗し、自分の命の危機だから相手を殺した。

 話し合おうとしたのも、殺そうとしたのも・・・・

 

(ルール違反か・・・)

 

 普通の感性からすれば、あの状況でそんなルールなど気にすることはないだろう。だが、久路人はあくまでルールを守るという姿勢を変えなかった。

 

(一体、久路人の中にはどんなルールがあるのだろうな・・・)

 

 自分はとんでもない危険人物と契約を結んでしまったと少々後悔する気持ちもあるが・・・

 

(妾が契約を守る限り、身の安全は保障されている。久路人から傷つけられることもない。ならば・・・)

 

 

 自分を拾ってくれた恩があるのは確か。

 自分の力を取り戻すため、安全に生きるためという打算があるのも確か。

 自分と遊んでくれるのを嬉しい、楽しいと思うのも確か。

 それに加えて・・・・・

 

 

 

(一体こやつは、どのような生き方をするのだろうな?)

 

 

 

 かつては強大な力を誇っていた妖怪が、一人の少年とその未来に多大な「興味」を持った瞬間だった。

 

(久路人と一緒にいれば、退屈することはなさそうだ。まさしく、最高の「娯楽」よな。しかし、それにはこの姿はいささか不便だ。いつまでも声を届けられぬのももどかしい。どうしたものかな)

 

「あ!もうすぐ出口だ!!」

 

 木々の隙間から夕陽が差し込む中、一匹の蛇は一人の少年と歩むこれからに、確かな期待と高揚感を得たのだった。

 

 

-----------

 

 

 ちなみに、林に空いた穴は結界が崩壊したことを察知した京に塞がれた。

 そして、今回護符が壊れた詳細を聞き、物理的な耐久性の向上を目指すのであった。




今回は雫と久路との日常と、前々から言っていた、久路人の異常性について。
次話からは、そんな少年が人間のコミュニティでどうなるかというお話です。

ところで皆さんは、自分の気に入っている人が良く知らない連中にぞんざいに扱われていたら、腹が立ちますか?

私は立ちます。


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前日譚4

最近お気に入りが50人を超えて嬉しい限り。皆さまありがとうございます。

そして、遅ればせながら、この小説に投票して下った、慧月 東様、ハバラ様、もんぞう様、ヤフー様(五十音順)に重ねて感謝申し上げます。

調べてみたら投票者が5人を超えると評価バーに色が付くらしいです。
あと一人、このお話をいいなと思ってくださったら投票お願いします。

さらに、引き続き感想を大募集中です!!


 久路人の夏休みが終わってすぐのことであった。

 

 まだ力が回復していない雫は普通の蛇と変わらないため、学校には着いていかずに家で待機するのが目下のところだ。

 雫はいつものように専用の部屋でテレビを見ていた。

 夕方のこの時間はイブニングドラマを放送しており、雫もそれなりに楽しみにしている。

 しかし、今日の雫の気分はあまり優れなかった。

 

(・・・・つまらん)

 

 夏休みの間、微妙な顔をする久路人とともに多くのドラマを見ていた雫にとって、今見ているドラマの展開は簡単に予想ができてしまった。そして、予想通りの流れで話が進んでいく。

 

(・・・・つまらんな)

 

 久路人が夏休みの時はこの時間も退屈ではなかった。

 例えば刑事ものを見ているときは・・・

 

「・・・・なんでこの警察の人たち、あんな見えるように後を付けて気づかれないの?」

 

「そんなものどうでもいいだろう? 大人の事情だ、大人の事情」

 

「ふーん。じゃあ、なんで犯人はいつも崖とかビルの屋上とか高いところに追われてるの」

 

「様式美だ」

 

「・・・・・わかんない」

 

 このようにチープな展開があってもそれを話のネタにできた。

 

 またある時に時代劇を見ていた時は・・・

 

「久路人、言っておくが、昔の侍とかいう連中はあんなに礼儀正しいやつらではないぞ。娯楽と称して坊さんに矢を射かけたり、生首を家の前に飾っておったわ」

 

「えっ?そうなの? 僕は歴史はまだ習ってないけど、そんなふうだったんだ」

 

「そうそう。一つ賢くなったな」

 

 このように、長い時を生きた威厳溢れるところを印象付けることもできた。

 ・・・・ちなみに、この時見ていたドラマの時代は江戸時代であり、雫が見た武士がいた時代は鎌倉時代である。

 

 このように、傍で一緒に見ていた久路人が反応を返してくれるのが面白かったのだ。

 いつの間にか、ドラマを見るよりもドラマを見る久路人と話す方が楽しいと思うくらいに。

 

(他にも・・・・)

 

 他にも、久路人が夏休みの時は面白いことがたくさんあった。

 

 京に護符を作ってもらった後にまた雑木林に虫取りに行き、久路人と木登り競争をした(勿論雫が勝った)。

 

 近所の川に泳ぎに行って競泳して、雫が全勝した。

 

 算数の宿題に悩む久路人の横で久路人よりも早く答えに気づいたが、文字盤を叩いている最中に先を越された。

 

 妖怪から逃げるための体力づくりで家の周りを走って汗だくになった久路人に水をかけたらそのまま倒れてしまい焦ったこともあった。

 雨の日にはオセロをやって久路人に勝ち越されたときは悔しかった。

 

 音楽の授業の宿題でリコーダーを吹いていた時には体をくねらせて踊り、終わった後にお互いを称えあった。

 

 夏祭りの日には他の人間にバレないように鞄から頭だけ出して一緒に見回り、フランクフルトを分けて食べた。

 

 他にも他にも他にも、楽しかった思い出はいくらでもある。

 

 

 雫にとって久路人は非常に興味深い存在であるが、そんな相手が自分に好意的に接してくれるというのはとても嬉しいことだった。

 あの妖怪を退治した日の前とは、同じ遊び相手であってもその重みがまるで違ってきたのだ。

 今の雫には、久路人は興味深いだけでなく、大事な大事な遊び相手、いわば・・・

 

(友達、というやつか。うむ、よいものだ)

 

 契約を結ぶ際に、久路人が出した要求だ。

 結局、それは契約に盛り込まれなかったが、その願いは叶えられたと言っていいだろう。

 小さい子供にとっての友達というのは敷居が低いものであるが、仮に雫が普通の人間であったのであれば、周囲からも「仲のいい親友」と思われてただろう。

 

 だが、だからこそ。

 

(久路人のいない今が退屈でしょうがない。それに・・・)

 

 この感情はきっと、あのまま力を失わず、久路人に出会わなかったのならば経験することのなかったであろう感情。

 

(寂しい)

 

 ほんのわずかな間であろうと、久路人が近くにいないのを嫌だと思う。

 

 数百年を孤独に生き、その果てに力を失って周りが敵だらけだった。

 今いる家も、この部屋以外はあっという間に雫の命を奪うであろう極悪な罠が満載であり、その中にいる術具師もその護衛も契約と利用価値によって表立って敵対はしないが、警戒は緩めないある種殺伐とした関係だ。

 そんな雫の世界の中で得た唯一の友人。ただ一人、契約なんてなくても雫を傷つけず、ともに笑い、ともに過ごせる人間。彼がいるからこそ自分は今も安全に生きていける。

 

(そうか、図らずも妾は久路人に守られているのだな)

 

 契約では、自分が久路人を守るはずであった。

 だが、力が戻っていないから仕方がないとはいえ、かつての大妖怪であった自分が年端も行かない子供に守られている。

 昔の自分であったらひどくプライドを傷つけられ、久路人を殺していたかもしれない。

 事実、この家に来たばかりのころは自分を情けなく思ったこともあった。

 しかし・・・

 

(悪くない。うむ、悪くないぞ)

 

 久路人にそんなつもりは微塵もないだろうが、それは前に戯れに見たアニメにあるような、男の子の主人公と彼に守られるヒロインのようで・・・

 

(いや、それはないそれはない)

 

 頭に不意によぎった馬鹿げた妄想を頭を振って追い出す。

 いくらなんでも飛躍しすぎであろう。雫から見ても、久路人はまだまだお子様である。

 仮にそういう仲になるにしてもあと10年は・・・・

 

(・・・・・!!!!)

 

 ゴンゴンと寝そべっているちゃぶ台に頭を打ち付ける。

 

(・・・ドラマを見るのはもうやめにするか。いらん妄想に囚われすぎだ。妖怪と人間が・・・)

 

 自分の思考がおバカな方向に染められつつあるのを自覚して、改めて自戒しようと考えていた時だった。

 

「ただいまー」

 

(ぬぉう!?)

 

 自分が頭の中で考えていた少年が帰ってきて、思わずとばかりに跳びあがった。

 

「あれ、どうしたの雫。そんなに慌てて」

 

「な、なんでもないぞ、なんでもないとも。そうだ、ちょうど聞きたいことがあってな」

 

「ん? 何?」

 

 この時の雫は妖怪となってから五指に入るくらいには慌てていた。

 自分と人間の少年が・・・・などと考え、そのお相手が急に帰ってくれば無理もないことではあるが。

 だからこそ、かつての大妖怪としてのプライドが剥がれ、心の奥にあった不安を表に出す。

 

「なあ、妾に何かあったら、守ってくれるか?」

 

 ・・・・・・・

 

(な、なにを聞いとるんだ妾は~~~~!!!)

 

 本来は自分が契約で守るべき相手。しかも人外を恐れず妙な力はあるとはいえ人間の子供。

 さっきは守ってもらえているのを嬉しいとは思ったが、直接聞くつもりなどなかったのに。

 

「す、少し待・・・」

 

「守るよ。当たり前じゃん」

 

 雫が大慌てで文字盤を叩こうとすると、それを遮るように少年は言った。

 

(な、何?)

 

「雫がどう思ってるかは分らないけど、僕は君と友達になりたいと思ってる。というか、それより前にこの家に住んでる家族だもん。僕に何ができるかわかんないけど、それでも守る」

 

(久路人・・・・)

 

「そ、それは契約なんてものがなくてもか・・・?」

 

 自分の予想とは違えど、どこか心で期待していた答えが返ってきて、思わず続ける。

 

「あれ?雫が将来僕を守ってくれるっていう約束はしたけど、僕が雫を守らなきゃいけない約束なんてそもそもしてないよね?」

 

 久路人は不思議そうに答えた。

 久路人にとって、約束がなくとも雫を守るというのが当然のようだった。

 

「でも、雫が不安なら約束するよ。僕だって、君に何かあったら必ず助けるし、守るって」

 

(・・・・・!!)

 

 少年の顔にはいつものように屈託のない笑顔が浮かんでいた。

 

「そう、そうか。そうかそうか。ならば妾も約束しよう。これは契約ではなく約束だ」

 

 自分が蛇の姿でよかったと雫は思う。

 もしも人間の姿だったら、顔がどのような表情をしているのか想像もできなかった。

 

「妾は、仮に契約がなくなっても、我が友を守る。だから、妾と同じように、お前も妾を守るのだぞ。よいな!!」

 

「・・・うん!!」

 

 少年は嬉しそうに頷いた。

 

 いつの間にか、雫の中にあった退屈と寂しさは粉々に消し飛んでいた。

 

 代わりにその心を満たすのは、温かい何か。

 

 その感情が何なのか、そのときの雫にはわからなかった。

 

 だが・・・・

 

(早く、早く力を取り戻して・・・・)

 

 

 

--人間になりたい。

 

 

 

 そう、強く思うのだった。

 

 久路人が小学校2年生の夏休みが終わってすぐのことだった。

 

 

 

 これより一年後、雫は力を蓄えて蛇の姿のままではあるが、一般人からは見えなくなった。

 また、小さな穴から出てきた妖怪には危なげなく勝てるようになったため、久路人について学校にいくようになった。

 久路人はメアの指導の下生き残るためのトレーニングを続け、京からは内に眠る力の修行を付けられるようになる。

 京の涙ぐましい努力によって封印の護符も耐久性が上がり、滅多なことでは壊れなくなった。

 ただし、久路人の力が成長するのに合わせて封印の能力がやや追いつかなくなって、時折小さな穴が空くことはあったが。

 

 

 そうして月日は流れ、月宮久路人と雫が出会ってから5年が経ち、久路人は中学生になっていた。

 

 

 

-----------

 

 

 

 ねぇねぇ、こんな噂知ってる?

 

 何々?

 

 1-Aの月宮ってやつ、視えるらしいって。

 

 視えるって、何が?

 

 あ~もう、鈍いわね!! 幽霊よユーレイ!! あいつ、霊感持ってるらしいって。

 

 え~嘘だ~。

 

 それが本当なんだって。あいつと同じ小学校の友達に聞いたんだけど、あいつの周りで変な事件が何回も起きたことがあるんだって。

 

 変な事件って例えば?

 

 え? あ~、例えば、誰かの筆箱がなくなったことがあったんだって。それで、教室中を探しても見つからないの。他の友達にも探してもらったらしいんだけど、見つからなかったんだって。

 

 うんうん。それで?

 

 でね、そこに月宮が来て、筆箱の場所を教えたらしいのよ。それで本当にあったんだって。

 

 へぇ~。でもそれって月宮が隠したんじゃないの?

 

 ううん、月宮の教えた場所がね、開かずの部屋って呼ばれてる理科準備室の中だったの。窓もドアも閉まってるし、カギは理科の先生が持ってるんだけど、月宮がカギを借りに来たことなんてなかったって。

 

 うーん。それでも月宮が怪しいような・・・

 

 まあ、気持ちはわかるわ。でも、これだけじゃなくてもっと不思議な話もあるの。そういう筆箱の話とかで月宮を怪しいって思ったやつが、逆に筆箱を隠してやったことがあったんだって。

 

 うわ~ありがち。んで、どうなったの?

 

 そしたらね、隠した子の筆箱が次の日に粉々になってたんだって。

 

 え?粉々? どういう意味?

 

 文字通りの意味。ハサミとかでバラバラに切ったとかじゃなくって、かき氷みたいな感じで机の上に置いてあったんだって。どう見ても人間にできるやり方じゃないって。

 

 人間じゃないって・・・

 

 でも、ちょっと興味あるよね。私最近占いとかハマってるんだ。そういう不思議系な話好きだし。

 

 確かに。本当に霊能力者だったら話してみたいかも。あいつ、根暗っぽいけど顔とか頭悪い方じゃないし。

 

 だよねだよね。じゃあ、今度あいつの周り調べてみない?もっと面白い話見つかるかも。

 

 さんせー。

 

 

 

 

 とある中学生たちの噂話より。

 

 

-----------

 

 

(忌々しい・・・・)

 

 

 雫は不愉快な気持ちを隠さず舌打ちする。

 

 

 今日も人間の雌餓鬼どもが久路人の周りをウロチョロと嗅ぎまわっていた。

 久路人も気づいているのか、最近癖になったように眉間にしわを寄せてため息をつき、持っていた本に再度目を落とす。

 

(物の価値もろくにわからん愚か者どもが!!!)

 

 最近こんなことばかりが続き不快感が募っていた雫は、氷柱をぶつけてやろうと霊力をわずかに上げ・・・

 

「やめろ、雫」

 

 久路人が小声で制止した。

 ピタリと雫は動きを止める。そして、久路人の持つ携帯の画面をタップする。

 ちなみに、今の雫はヘビの幼体程度の大きさのまま久路人の首に巻き付いている。

 

「なぜ止める」

 

「お前がまた妙なことをしでかしたら益々噂が増えるだけだよ。放っておけばいいさ」

 

(ぬぅ・・・)

 

 雫は忸怩たる想いで再び久路人に巻き付く。

 それを尻目に、久路人は読書を再開した。

 

 こうして、その日も事務的な連絡以外では一切喋らず、久路人と雫は家路についた。

 

 これが今の、白蛇と少年の日常だった。

 

 

-----------

 

 

 いつの頃からか、久路人が笑わなくなった。

 

 

 それは久路人がそこいらの低級妖怪に隠された筆箱の場所を教えたやった後だったかもしれないし、そんな久路人にちょっかいをかけたガキに雫が軽い仕返しをした後だったかもしれない。あるいはもっと前からだったのかもしれない。

 

(まあ、予想できていた未来ではあるが)

 

 雫は久路人のことを想いながらも、内心ため息をつく。

 

 小学校のころは久路人の力もまだ成長途上で護符で抑え込めたし、京は久路人に対して異能の力がかかわることや人ならざるモノに人前で関わらないことを徹底させていた。

 久路人は幼いころから聞き分けもよく、ルールを守ることを大事なことだと認識していたために京の言うボロを出さずに過ごせてはいたのだが、それでも完ぺきではなかった。

 久路人が来る前よりこの土地は穴が空きやすい霊地であり、どうしても妖怪との関りを避けられない時もあったのだ。久路人もそうだが、子供というのは大人に比べて本能が鋭いものだ。そういったわずかな綻びから久路人の異質さを感じ取り、段々と久路人は孤立していった。

 孤立すれば、笑顔になって話す相手もいなくなり、そこから笑顔も減っていった。

 久路人はある側面ではイカれているが、人の心がないわけではなく、むしろ平和的で優しい部類だ。

 だからこそ、自分が遠巻きにされていることに傷つかないわけではなかった。

 そして少しずつ少しずつ、月宮久路人という少年は冷めていった。

 

 不幸中の幸いは、久路人は異質ではあるが、人間のルールや常識というものをよく理解していたことだろう。だからこそ、自分が孤立する理由も理解して分をわきまえていたし、久路人に対してイジメのようなところまでいかなかった。

 まあ、イジメなど起きていようものなら久路人に止められても雫によって溺死体がいくらか増えていただろうが。

 ともかく、久路人は周囲から孤立していたが、そのことを受け止め、波風立てないように振る舞うことに徹してきた。周りもそんな久路人に積極的に関わろうとはせず、久路人は静かに過ごしていたのだ。

 

(しかし、最近は・・・・)

 

 だが、中学に上がって、少し状況が変わった。

 

 他の小学校を卒業した子供と混ざり、それまでに暗黙のうちに築かれていた「月宮久路人に関わらない」というルールを知らない者たちが増えたのだ。

 中学生の頃というのは小学校を卒業して広がった世界に興味津々な年ごろであり、好奇心旺盛な時期でもある。特に女子は、「○○のおまじない」だの「△△の噂」だのといったオカルト関係の話は垂涎の的だろう。

 タチの悪いことに久路人は正真正銘の霊能者であり、噂に信ぴょう性があるのも拍車をかけていた。

 

(そのせいで鬱陶しい連中が増え、久路人の笑顔が減るのだ!!)

 

 遠巻きにされることに関しては久路人もしょうがないと自覚しているためか、あるいは慣れたのか小学校5年のあたりからは気にしなくなっていた。あのころの久路人は学校では寡黙だったが、家で前のように雫と遊んだりゲームをしたりしている時は笑顔を見せていたのだ。

 久路人が孤立することだけならば、雫もとやかく言わない。むしろ、久路人には言えないが歓迎していると言ってもいいだろう。久路人の本質からして人間社会に適応するのは不可能である以上、関りを断った方がお互いのためになるし、なにより・・・

 

(あの頃は、妾が久路人を独り占めできていた)

 

 久路人に関わろうとするものはおらず、話し相手は自分だけ。

 家でも自分のことだけを見て遊んでいてくれた。

 

 だが、今のように自分の周りを嗅ぎまわられたり、噂を大々的にされるような状況には久路人も辟易していた。

 家でも億劫そうな顔をするようになり、宿題をやったら雫と話すことなく早々に寝てしまうことが増えた。

 それは久路人が子供から大人になろうとしている最中だからというのもあるだろう。

 しかし、間違いなくその一因には周囲の鬱陶しい連中も入ってる。

 

(全くもって忌々しい・・・せめて妾が人化の術が使えれば今よりも庇いやすくなるだろうに)

 

 今の雫は5年に渡って久路人の血を摂取したこともあり、全盛期の力をほとんど取り戻していた。

 今でこそ久路人の首に巻き付いているサイズであるが、本来はニシキヘビの成体を優に超える大蛇である。サイズを小さくできるのは人化の術の練習で身に着けたもので便利ではあるのだが、肝心の人化は全く進んでいなかった。

 

 京いわく、「元々お前の適性が低い上に、具体的なイメージができてねぇ」だそうだ。

 そもそも人化の術とは、妖怪が人間の姿になるために作った術ではあるが、ただ化けるだけの狐などが行う変化とはまるで違うものだ。この場合の人間の姿というのは幻ではなく実体であり、任意で術を解かない限り効果が永続する。そして、並の人間よりかははるかに頑丈ではあれど、人化の術が使えるほどの妖怪からすれば大きく耐久性が落ちる。

 なぜ人間の姿になる必要があったのかと言えば、霊力の扱いそのものは人間の方が器用だからだ。人間は耐久こそ脆いモノの繊細な霊力の扱いや術具による補助によって精密な術式を扱うことができる。これに人間特有の数を合わせて少ない霊力を補い人外と渡り合ってきたのだ。

 要は、何らかの理由で極めて複雑な術を使いたい妖怪が行う術であり、そんな理由を持っている時点で他の妖怪に比べて物理的な力はないが、ある程度霊力の扱いがうまいというのがほとんどである。

 翻って雫は、元は大蛇であり、吹雪や鉄砲水など大味な術ばかり使ってきたために霊力の扱いはどちらかと言えば不器用である。

 霊力の扱いについてはこの5年で修行するうちにそれなりにはなってきたが、京が言うには人化のように姿を変える術は変身後のイメージや、人の姿で何をなしたいかといった願いが重要であり、雫はそのイメージがうまくできていないのだった。

 

(人の姿で久路人と話せるのならば、中途半端な姿にはなれぬ)

 

 自分の大切な「友人」であり、守りあう約束をした間柄なのだ。

 せっかくならば久路人好みの外見になりたいというのはいたって当然の帰結だろう。

 以前に久路人に好みを聞いてみたことがあるのだが・・・・

 

「好み?・・・・・よくわかんないな。僕にそんな人ができるとも思えないし」

 

 と要領を得ない虚しい答えしか返ってこなかった。

 

 久路人が他の人間の雌相手に懸想をしていないというのは、「恋愛が友情を破壊する」とよく言うように雫にとっては喜ばしいことだったが、そのおかげで具体的な目標が定まらないのである。

 

(まったく、本当にままならぬものだ)

 

 雫は久路人に巻き付きながら、内心で再びため息をつくのだった。

 

-----------

 

 

 こうして、一人と一匹の日常は過ぎていく。

 

 久路人は周りの鬱陶しい視線と噂に辟易しながらも、そのうち収まるだろうとどこか楽観的あるいは達観的に。

 雫は、「自分の気に入った少年」に気安く人間の雌が近づいてくるということに鬱憤という燃料を溜めながら。

 

 少しずつ少しずつ、あらゆるものが進んでいく。

 

 




本当はもっとコンパクトにまとめる予定だったのですが、5000字を超えたあたりからあきらめました。

次回、雫覚醒。


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前日譚5

先週の月曜日、ランキングやら評価バーやらをみてその日中ニヤニヤが止まりませんでしたよ、ええ。

一時は総合で10位代行くとかマジで信じられませんわ・・・

感想、評価をしてくださった方々、全員はとてもここに書ききれない(そんなにたくあんの人が評価してくれたのがめっちゃ嬉しい!!!!)のですが、本当に、本当にありがとうございました!!!!

そして、大変申し訳ないのですが、雫を今回でヤンデレ覚醒させることができませんでした!!!
よりにもよって今週が残業続きで時間が取れず、今日の昼から書いていたのですが、1万5千字行きそうだったので分割して投稿します。
お詫びと言っては何ですが、今日の深夜、最低でも明日中に次話を投稿します。


「ぬぅぅううううううう!!!」

 

 土地の余りがちな田舎特有の、無駄に広い庭で一匹の白蛇がうなり声を上げていた。

 

「ぬぬぬぬうううううぅぅぅぅ!!!」

 

 もっとも、蛇に発声器官はないためその声は心の中だけで出していたが。

 最近では、久路人がトレーニングや異能の修行でヘトヘトになった後を狙って、庭で人化の術の練習をしているのだが、一向に成功する様子がない。

 

「ぬぅ、何が足りんというのだ」

 

 雫はひとしきり唸った後に独りごちた。

 心の中で愚痴を垂れるが、その答えは分ってはいる。

 

「思い描く人の姿、もしくは願い・・・だが、願いはこれ以上ないはず」

 

 人化の術に必要な物は具体的なイメージか人の姿で何をなしたいかという確固たる願いだ。

 久路人の好みがわからないので姿のイメージはできていないが、願いだけは分りきっているはずなのに。

 

「友として、久路人を庇い、守る。相手が妖怪であろうが、人であろうが」

 

 それが自分が人の姿で願うこと。

 妖怪が相手ならば今の姿で問題ないが、人が相手ならばちゃんとした言葉を話せるようにならなければならない。大切な友人を守るための手段として、人化の術が必要なのは間違いないはずなのだ。

 

「なんだ、なにが足りていない?」

 

 数多くのドラマで美人と言われる女優を見てきた雫ならば容姿の整った人間の女性を思い描くことはできるため、具体性には欠けるが全く人間の姿の自分を想像できないわけではない。

 イメージ不足は願いの強さで補うことができる。そして自分の「友を守りたい」という願いは間違いなく心の底から来るもののはずであって・・・・

 

(なぜだ? なぜ「嫌だ」と思った?)

 

 まただ。また自分は自分の願いに疑問を持った。

 

「妾が人化の術に取り組んできたのはおよそ4年。いかに適正が低いとはいえ妾の格ならばとっくにできているはずなのだ」

 

 だが、それでも人の姿になるに至っていない。

 人化の術を使おうと己の願いを強く思う度に、「これではない!!」と心が叫ぶのだ。

 

(まさか、妾は・・・妾は、久路人を疎ましく思っているのか?守りたくないと思っているとでもいうのか?)

 

「そんなはずがあるわけなかろうがぁああああああああああ!!!!!!!」

 

 自分の中に汚泥の中から沸く泡のように浮き出た疑問を吹き飛ばすように強く念じる。

 

 そうだ、それだけはあり得ない。

 もしも違うのならばいつも久路人を見ていて思うこの気持ちは何だというのか?

 

 

 喜んでいる久路人を見ると自分も嬉しくなる。

 

 ほとんど見たことがないが、怒っている久路人を見た時は恐れると同時に、怒らせた原因に苛立ちを抱いた。

 

 怯えていたり、悲しんでいたら全力で傍について慰めたくなる。

 

 一緒に遊んでいる時に笑いかけられると、思わず自分も笑ってしまう。

 

 願わくばいつまでも傍にいたい。

 

 そして・・・・・

 

(あの人間の雌どもがうろついてる時は、頭をかち割ってやりたいぐらい憎らしい!!)

 

 そこは自分の、自分だけの場所だ!!

 

 久路人のことを何も知らず、噂につられて物見遊山で来た程度の連中ごときが近づいていい場所では断じてない!!

 

 あまつさえ、久路人の笑顔を削るように追い詰めるなど、百度殺してもなお足りぬ!!

 

 ああ、足りない。それだけでは満たされない。

 

 妾も、いや、「私」もあの人間どものように・・・・・

 

 

 まるで心の中にある火山が噴火を起こしたかのように湧き上がる熱い何か。

 この感情が偽りであるならば、自分はこの世の何も信じることはできない。

 ならば、ならば・・・・

 

「一体何が足りないというのだ!!!!」

 

「まず足りないのは、夜間に野外で大声を出さないようにするお淑やかさでは?」

 

「ぬぉう!?」

 

 完全に不意打ちだった。

 返事など返ってくるわけもないと思っていた雫はまたまた大声で驚く。

 振り向くと、そこにはいつの間にか紫がかったポニーテールの女中が立っていた。

 雫と目が合うと、嫌みなほどに美しい姿勢で会釈をする。

 

「お食事に来られないのでお迎えに上がりました」

 

「・・・久路人はどうした?」

 

 自分を結界の貼ってある屋敷の中を通って食卓まで運ぶのはいつも久路人の仕事だった。

 そのつもりがあるかは知らないが、その役目を奪おうとするメアに苛立たし気に問う。

 

「本日はもうお休みなっておられます。今日の訓練でもどこか精彩を欠く動きでした。疲労がたまっているのでしょう」

 

 何の気負いもなくそう言ってのけるメアに、さらにいら立ちが募る。

 

「それを知っていながら、お前は何とも思わんのか?」

 

「私の役目は主とこの屋敷、そして久路人様の護衛ですが、久路人様の優先順位は3番目でございます。なにより、久路人様の護衛はすでにあなたがどうにかすることでは?」

 

「妾は妖怪だ。人の世について学びはしたが、この姿ではできることにも限度がある」

 

「久路人様の件について、我が主は静観する姿勢を見せております。ならば私も従うのみ。それに、人の噂も七十五日。放っておけば周囲も飽きるでしょう。いちいち対応していては優先順位1位と2位の警護に差し支えがありますので」

 

「・・・貴様、今日はずいぶんと作り物のお人形らしいではないか」

 

 淡々と言葉を重ねるメアはまさしく人形のようだった。普段久路人や京を交えて話す時とは、まるで異なる。その口調は、護衛順位3位だと抜かしているのとは対照的に、久路人のことなど大して気にもかけていないようであった。

 

「久路人様にはなるべく愛想よく接しろと命令されておりますが、あなたの扱いについては特に指定されておりませんので」

 

(ああ、癪に障る・・・)

 

 仮にも同じ家に住む久路人に対する関心の薄さに苛立つ。

 ここ最近の人間どもや人化の術がうまくいかないストレスが、雫に思念の口を開かせた。

 

「はっ。それはそれは大した忠臣ぶりだな。所詮は作り物のからくりに、慈愛の心を期待した妾が馬鹿だった。お人形が忠誠を捧げるのは、そうなるようにお前に仕込んだご主人様にだけ・・・っ!?」

 

 刹那、雫はその場を飛びのいた。

 ほんのつい先ほどまで雫がいた場所に、銀色に輝くワイヤーが伸びて、地面に突き刺さっていた。

 

「そちらこそ、今日はずいぶんと饒舌ですね。自分だけの心があるのに自分のことにも気づけない度し難い間抜けのくせに」

 

「貴様・・・」

 

 雫の視線の先にいる人形の眼には、さきほどまでの様子が嘘のように「本物」の怒りが滲んでいた。

 しばらく蛇と人形はにらみ合っていたが、やがてため息をつくと、メアはワイヤーを己の指に格納する。

 

「お前は、ワタシと京の事情を知らない。故に今回のことは聞き逃しましょう。ですが・・・・」

 

「・・・・」

 

 ビィィンと一瞬でメアの爪が伸び、雫の眼前で止まる。

 

「次はない。蛇風情がワタシの主を賢しらに愚弄するんじゃない」

 

 そう言うと、メアは踵を返した。

 

「少々お待ちを、今から久路人様を起こしてお迎えに上がらせますので」

 

「待て」

 

「・・・まだ何か?」

 

 立ち去ろうとするメアを、雫は呼び止めた。

 無表情で、しかしなぜか、恐ろしく苛立っていることが分かる顔で、メアが振り向いた。

 

「・・・・・」

 

 先ほどのやり取りと、これまでに見たこともないメアの様子を見て、雫の苛立ちは消えて冷静さが戻っていた。

 そして、冷静になった自分の中が告げるのだ。「こいつは自分の知りたい答えを知っている」と。

 

「まずは謝罪しよう。ここ最近のことで、頭に血が上がっていた。お前と、お前の主を侮辱したことを謝る」

 

「・・・・・」

 

 どこか不機嫌そうだったメアの雰囲気がやわらぎ、代わりに怪訝そうな視線が雫に向けられる。

 

「そして、恥を忍んで聞きたいことがある。お前は「自分のことも分かっていない間抜け」と言ったな? 教えてくれ、妾は何に気づいていないのだ?」

 

「頼む」と蛇の姿ではあるが、頭を下げて雫は頼み込んだ。

 そんな雫の様子を見てメアは・・・・・

 

「はぁ~~、あほくさ」

 

 額に手をやり、クソでかいため息をつきながらそう言ってのけた。

 

「なぁ!? 貴様、妾がどんな気持ちで・・・!!!」

 

「ああ、失礼。あなたにだけではありませんよ。先ほどまで威嚇までした私自身も含めて阿呆らしいと言ったのです。まさかこんな漫画にありそうなテンプレな悩みを抱えてテンプレな展開になっているとは。まったく、二次元と三次元を混同するなという話です・・・・」

 

 そう言うメアはついさっきまでの苛立ちが嘘のように、人形とは思えないほど気の抜けた表情だった。

 そんな表情に、雫も毒気が抜かれる。

 

「よくわからんが、まあいい。して、てんぷれな悩みとは何だ?」

 

「貴方、一応アニメとかもよく見てましたよね? そういった作品によく登場するような状況という意味ですが・・・・答えは教えません」

 

「なっ!? 貴様、ここまで引っ張っておいて・・・」

 

「はいはい、二度目の似たような反応ご馳走様です。何も意地悪で言っているんじゃなくて、こういう悩みは貴方自身で気づかないと意味がないんですよ」

 

「妾が自分で気づかないと、意味がない?」

 

「はい。仮にここで私が教えたら、貴方はきっと後々になって後悔するでしょうね・・・・ですが、まあ、ヒントくらいならいいでしょう」

 

「ヒントだと?」

 

「ええ、ヒントです。ヒントだけですが、ほぼ答えと言ってもいいかもしれませんね」

 

 そこでメアは気の抜けた表情を消して、真剣に雫と向き合った。

 雫も、そんなメアと目を合わせると、メアは口を開いた。

 

 

 

「貴方は久路人様とこの先ずっと「友達」で止まって満足できるのですか?」

 

 

 

「・・・・・!!!」

 

 さぁっと一陣の風が吹いた。その風にあおられるように、雫も答えを返そうとする。

 

「何を言うかと思えば、そんなもの、答えは決まって、決まって・・・・・」

 

 何をわかりきったことを、と返そうとするも、雫は答えに詰まった。

 メアの問いに対して、スッと心に浮かんだ答え。

 それをストンと雫の心の中に嵌ったが、口に出すことはできなかった。

 それを口に出してしまったら、今まで続いてきたものがすべて壊れてしまいそうな気がして。

 

「おい、待て。まさか、それは・・・・」

 

「さて、その答えについて考えるのは貴方自身です。貴方も、これ以上私に口を出されたくはないでしょう?」

 

「では」と言って、今度こそその場を立ち去ろうとするが・・・

 

「待て」

 

 再度、雫は呼び止めた。

 

「何ですか? 天丼ですか? 芸能人でも目指すならあなたの沸点の低さを鑑みるにやめておいた方がよいかと」

 

「沸点が低いは余計だ!! お前は、久路人を起こしに行くつもりだろう?そんなことをしたら久路人が可哀そうだろうが。お前が妾を食卓に連れていけ。妾は腹が減った」

 

「私でよろしければ」

 

 立ち去ろうとしたメアは、雫の前でかがんで腕を差し出す。

 雫は差し出された腕に巻き付いた。

 

「ふん、久路人の体の心地よさとは雲泥の差だな」

 

「貴方、自分がとてつもなく変態的なことを言っているという自覚はありますか?」

 

 一匹と一体は歩き出した。

 

「なあ、もう一つ聞きたいことがあるのだが、よいか?」

 

「先ほどの答え以外で私に答えられることでしたら」

 

 そのように話す雫とメアの間の空気には、先ほどまでの重苦しさはなかった。

 

「お前、普段の口調は散々だが、京のことが好きだろう?」

 

 それは、雫からの意趣返しだ。

 自分の中をひっくり返すようなことをしてくれたお返しだ。

 

「ええ、好きですよ」

 

 しかし、その答えは至極あっさりと返ってきた。

 

「・・・ずいぶんとはっきり言うではないか。その割に、ひどくこき下ろしているように思えるが」

 

「私にも色々と事情があるのです。それは、あなたの事情が解決した後に気が向いたら教えて差し上げますよ。ただ確かなのは私が京を愛しているということ。ただし・・・・」

 

 

 それが(わたくし)のものなのか、あるいはワタシのものに由来するのかはわかりませんが。

 

「・・・・・・」

 

 それきり、一匹と一体は黙って無駄に広い敷地を歩き、家の入口の近くまで来た。

 

「なあ、最後にもう一ついいか?」

 

「いいですよ。でも、これから先私は貴方のことを「一生のお願い(キラッ)」を連発するタイプと認識しますね」

 

「お前、無駄にかわい子ぶるのが上手いな・・・・まあいい、今度のはなんてことのない話だ」

 

 雫はそのまま語り続ける。

 

「今日の献立はなんだ?」

 

「本日の夕食はサイコロステーキでございます」

 

「そうか、それは早く食いに行かなくてはな」

 

「ええ、誰かさんのせいでそこそこ時間が経っておりますので、少々急ぎましょうか」

 

「ぬぉう!? お前、室内を走るなぁ!?」

 

 

 

 こうして、一匹と一体の夜は過ぎていく。

 

 蛇の心の中に、大きな変化を巻き起こしながら。

 だが、蛇はまだそれに気づかない。気づいてはいけないと思っている。

 気づいてしまったら、自分も、久路人すらも変えてしまいそうな気がするから。

 

 

 

 

 

 なお、この日より、蛇と人形はそこそこ和やかに話すようになった。

 夜な夜なメアの私室でメア秘蔵のコレクションの論評が行われるようになるが、それはまた別の話である。

 

 

 




書いてたら、脳内でめっちゃメアさんが暴れたせいで5千字越えちゃった・・・
つまり、メアさんが悪いのであって、僕は悪くない!!


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前日譚6 白蛇の化身が彼と出会った日

なんとか書ききったけど、文字数多すぎや・・・・
めっちゃ眠いんで誤字脱字は許してください・・・・

これで、前日譚の半分は終わりです。
最初は短編一話の世界観を書きたいだけと思ってたんですが、ずいぶんと長くなってしまった。

後、最初の短編とこれからの話にズレが出そうなので、古い方は修正書けるかもしれません。そのときは報告します。
もう、ジャンプの読み切りと連載版みたいなもんだと思ってお目こぼしください・・

後、今回の話を書いていて、ヘイト描写をうまく書ける作者さんはすごいなって思います。
もっとそういう描写をうまく書けるようになりたいです。

追記:今回は深夜に書いたせいか色々粗いのでちょくちょく修正しております(11/1 17:30)


ねぇねぇ、聞いた?

 

あ、もしかして池目君のこと?

 

そうそう!! 最近池目君の物がよくなくなってるらしいの。シャーペンとか消しゴムとか。

 

誰が取ってるんだろうね~池目君、カッコいいし、ストーカーでもいるのかな? いたらキモイな~。

 

あ~それなんだけどね・・・・

 

ん?何か知ってるの?

 

あくまで噂なんだけどさ、月宮がやったって噂あるんだよね。

 

マジ~!? あいつホモかよぉ!?

 

いや、そこまでは知らないけどさ。あいつ、小学校のときも似たようなことやってるらしいのよ。

 

あ、その噂は知ってる。月宮が女子の筆箱盗んでバラバラにしたってやつでしょ。

 

その話、結構有名だよね。でも、今回のは一味違うのよ。月宮がやったって言ってる人がいるの。

 

誰々? 池目君?

 

ううん。男子は誰もそんなことは言ってないのよ。あいつ、普段は波風立てないようにしてるから男子内では地味なヤツとしか思われてないっぽいし。人畜無害系って評判らしいわ。

 

噂を知らなければ月宮はそんな感じにも見えるけど・・・・。じゃあ誰?

 

1-Aの窓奈さん。

 

あの子か~。あの子が言ってると本当かどうかはわかんないけど、逆らいにくいよね。

 

そうね~。可愛いけど、前に池目君狙ってるって話もあったし、もしかしたら月宮に押し付けてるって線もあるよね。

 

あ、でも私月宮が怪しいって噂は聞いたことある。

 

え?私が言ったやつ?

 

違う違うそういう噂じゃなくてさ。最近あいつの周りを調べてた子が言ってたんだけど、あいつの周り、なんか変なんだって。

 

変? 変って何が?

 

月宮の近くにいるとさ、急に冬みたいに寒くなることがあるんだって。

 

冬って、今もう5月じゃん。

 

そうなんだけどさ、それでもものすごい寒い時があるらしいのよ。他にも、あいつの近くでいきなり物が動いたり、濡れている時もあるんだって。

 

うわ~、マジの怪奇現象ってヤツ?

 

そんな感じだよね~

 

でも、そういう話聞くと池目君のこともなんかあったんじゃないかって思っちゃうな。

 

マジで月宮のせいだったり?

 

それか、月宮の近くにいるユーレイとか?

 

なんか、こういう噂があると結構怖いよね・・・・

 

うん。でもさ、なんかワクワクしない?

 

わかる!!ちょっと面白そうだよね!!

 

それじゃ、もうちょっとこの話いろんな子に聞いてみようよ。

 

じゃあ、私お菓子買って来るね。知り合いの家で集まろ?

 

うん。

 

 

 

 

とある中学生女子の噂より・続

 

 

-----------

 

「はぁ~、失敗したな」

 

 夕陽が差し込む中、僕は思わず口に出して愚痴を言った。

 

「まさか、あの小さいのが持っていたのが池目君の私物いれだったとは・・・」

 

 ここ最近、自分のことで妙な噂が流れているのは知っていた。いい加減うんざりするが、噂なんてそのうち止むだろうと思っていたが、今回のは少し質が悪い。

 自分にはホモ趣味はないし、なにより人の物を勝手に取るなんてのは良くないことだというのは子供でも知っている。僕が何の理由もなしにそんなルール違反をすると思われているのなら、少し心外である。

 

「久路人よ。あの袋を持ち出したのはそこらにいた小物だが、その池目とかいうやつの私物を集めたのは恐らくあの女だぞ」

 

 そこで、雫が携帯を弄って文字を打ってくる。

 どうでもいいが、雫が首に巻き付いていると今の時期はちょっとひんやりして気持ちいい。

 

「僕もそこは怪しいと思うけど、証拠はないよ。それに他のみんなからすれば、「たまたま窓奈さんの机の近くに落ちていた私物入れを拾ったら池目君のだったけど、僕は取ってません。窓奈さんが犯人です」なんて僕が言っても信じてくれないよ」

「だが、だからと言って久路人がその窓なんとかいう女の呼び出しに答える必要はないだろう!!」

「こういうのって、無視すると余計に面倒なことになるんだよ。先生に言っても完璧に対応できるとはちょっと思えないし」

 

 さて、今の状況を整理しよう。

 まず、最近の噂にうんざりしつつ、放課後に眠りが浅いせいでうつらうつらしていた僕は、なにやらデフォルメされた小人みたいなモノがクラスでも可愛いと評判の窓奈さんの机の中から何かを運び出しているのを見つけたのだ。

 小学校の頃は妙な場所に隠された後に場所を教えたせいで面倒なことになったので、どこかに隠される前に抑えてしまおうと思い、その布袋を手に取った。

 だが、その小人がしがみついたせいで、袋が破れてしまったのだ。

 そこに窓奈さんが部活から帰ってきて目撃されたという流れだ。

 窓奈さんはそれはもうすごい剣幕で僕を怒鳴りつけ、「1時間後に裏庭に来い!!」と言い残してこちらの返事も聞かずに走り去ってしまった。

 ここで呼び出しに答えなかった場合、クラスカーストトップの彼女にあることないこと言われたらかなり面倒なことになるだろう。少なくとも、妖怪の見えない窓奈さんから見れば僕が彼女の持ち物を壊したのは事実なのだ。それを言われるだけでもこれからの学校生活が過ごしにくくなるのは間違いない。

 

「久路人、初めに言っておくが、もしもあの女が久路人に手を上げるようなら・・・・」

「ダメダメ。それこそもっと面倒なことになるって。心配しなくても大丈夫だよ。女子中学生なんて、こっちの話を聞かないで襲ってくる妖怪に比べたら楽なもんだよ」

「しかし・・・・」

 

 雫はなおも渋っているようだが、先ほどのセリフは僕の本心である。

 

 ここ数年、たびたび妖怪に襲われることがあったが、こちらが警告をしても構わずに向かってきて、雫によって氷漬けにされたり全身を水で破裂させられたりしてきたのだ。

 おじさんとの修行もあって、僕も「術」と呼べるものが使えるようにはなっているし、何よりも雫がいるから安全ではあるが、妖怪はルールを破ってこちらの命を狙ってくるのだ。

 それに比べれば単なる女子中学生のやることなどたかが知れている。

 

「窓奈さんが盗んだ証拠でもあれば話は別なんだけど、そうじゃないなら僕が何を言ってもそれは真実じゃない。それじゃダメだよ」

「証拠とは言うが、京ならば・・・」

「こんな下らないことで異能の力をおじさんに使わせちゃダメでしょ」

 

 暗黙の了解ではあるが、異能者の中にも一応のルールはあり、その中で、一般人にはやむを得ない場合を除いて異能の力を使わないというものがある。

 大昔に魔法使いが貼った結界の保持が根幹にあるらしいが、こんなことでそんなルールを破らせるのは申し訳ない。

 

「まあ、僕もこういう時に備えてボイスレコーダーは誕生日プレゼントに買ってもらってあるから、不当になにかされるならそれでなんとかするよ」

 

 僕は常識とかマナーとかルールとか、そういった「もめ事なく平和に過ごすための規則」というものは絶対に守られるべきだと思っている。

 逆に言うと、そういった規則を破って危害を与えてくる連中に容赦をしてやるつもりはない。同レベルの反撃でしっかり痛み返しをしてやる。

 

「誕生日プレゼントにボイスレコーダーをねだる子供とは・・・・」

「ちゃんと欲しかったゲームも買ってもらったよ。なぜか剣版だけじゃなくて盾版ももらっちゃったけど」

「むう、そのゲームは妾には操作できん・・・」

「そうは言っても、僕がプレイしてたら雫も楽しそうにあれこれ言ってくるじゃない」

「楽しそうだからプレイできないのが嫌なのだ!!」

 

 そんな風にこれから先の憂鬱なことを考えないように話しながら歩いていた時だ。

 

 

「む!!」

「あれ?」

 

 

 急に、空気が冷え込んだ。

 

 

「これは・・・・どこかで穴が?」

 

 最近は、僕の力の増大が著しいらしく、度々穴が空くことがあった。ただ、そういう場合でも僕の近くに空くのが普通なのだが・・・・

 

「少し遠いみたいだね」

「もしかすると、久路人が原因ではないのかもしれんな」

 

 しかし、そうなると面倒だ。

 近くで穴が空いたのならばすぐに向かって、おじさんかメアさんが来るまで待っていることもできるのだが。

 

「雫、悪いんだけどちょっと見てきてくれない? 家よりもここからの方が近いみたいだし、穴から妖怪が散らばってきたら遠くに行く前に倒しておきたいし」

「なっ!? 妾に久路人の傍を離れろと言うのか!? 嫌だ!!断じて認めぬ!!」

「でも、今からの呼び出しをサボっても面倒だし、たくさん妖怪に出てこられるのも嫌だよ。今のところ大した気配はしないから、出てくる前に何とかしておいた方がいいよね。それに、僕だって自衛位はできるし」

「だが・・・・」

「頼むよ。この通り!!」

 

 僕は首から離れ、宙に浮く雫に頭を下げた。

 

「ぬぅぅ・・・・」

「帰ったら、久しぶりに雫の好きな遊びに付き合うからさ」

 

 僕は続けて畳みかける。まあ、これは最近のストレスを発散したいという僕の欲求もあるが。

 

「・・・・わかった。ただし、京かメアが穴を塞いだら、出てきた連中の狩りはやつらに任せてすぐに戻って来るからな」

「それで大丈夫だよ」

「では、気を付けるのだぞ」

 

 そう言うと、雫はすごいスピードで窓をすり抜けて飛んで行った。

 

「ある意味ラッキーだったかな」

 

 僕は雫を見送ると、安どしたように息をついた。

 雫に言ってもらったのは、穴のこともあるが、これからのことを雫に見られたくないというのもあったからだ。

 

「雫が暴走したら大変なことになりそうだし、それに・・・・」

 

 僕も男だ。

 雫の前で女子になじられるようなところは見せたくなかった。

 

 

-----------

 

「人の持ち物漁って破くとかさ、アンタ自分がキモイと思わないの? しかも、関係ない池目君の物まで取るなんてマジで最低なんだけど」

 

 久路人が通う中学校の周りは少し小高い丘の上にあり、裏庭は校舎側を除いて林に囲まれており、人気が少ないところだった。

 そのため、人に見られたくないようなことを行う時にひっそりと使われることがあるという噂だ。

 まさしく、今がその状況だろう。

 

「信じてもらえるとは思わないけど、池目君の持ち物については僕じゃ・・・」

「お前に聞いてない!!」

 

 久路人が裏庭に着いたとき、そこには窓奈以外にも、彼女の取り巻きが数人いた。

 久路人が裏庭の中ほどまで歩いてくると、久路人を取り囲むように移動する。

 

「今マナちゃんが話してんだろ!!」

「お前は黙って聞いとけよ陰キャ!!」

「・・・・」

 

 久路人は内心で「ギャーギャーうるさいなぁ」と思いつつも顔に出さずに押し黙った。

 ちなみに、マナちゃんとは窓奈の愛称だ。

 

「んで、月宮はどうやって私らに謝るつもりなわけ?」

「どうやって?」

 

 ひとしきり騒いだ後、窓奈はニヤニヤと笑みを浮かべながら久路人に聞いた。

 

「はぁ~?アンタマジで馬鹿なの? 私の持ち物壊したことと、池目君のことがあるじゃん。どうやって償う気なのって聞いてんの!!」

「それは、その、すみませんでした。袋については弁償します」

 

 久路人はそこで頭を下げて謝った。

 久路人にとって、袋を破いたことは自分がやったようなものであり、謝って弁償することは筋だろうと思ったからである。

 

「それで謝ってるつもりなわけ?」

「土下座しろよ、土下座!!」

 

 だが、久路人の謝罪は伝わらなかったようだ。

 相手はクラスでも目立たない男子一人。それに対してこちらはクラスでも上位の女子をリーダーに据えた集団。

 明確な力関係があることが、彼女たちに優越感を与えていた。

 

「・・・・・」

 

 久路人は少しの間考えた。

 彼女らの言うことを聞いて土下座することのメリットとデメリットを。

 ここで調子に乗らせれば、ボロを出すかもしれない。だが、あまり恥をさらすようなことをしては面倒だ。さて、どうしようと考えていた時だった。

 

「いいから土下座しろって言ってんだよ!!」

 

 久路人の後ろにいた取り巻きの一人が、久路人の足を蹴りつけようとしてきた。

 

「・・・!!」

 

 後ろにいることには気づいていたし、蹴りを食らわせようとしてきたことも察知できた。

 しかし、普段のメアとの組手の癖で、反射的に反撃しそうになり・・・・

 

「くぅっ!!」

 

 結果、反撃を出そうとした自分の動きを止めた久路人は蹴りをまともに食らい、地面に転がった。

 

「アッハハハハハハ!!! ダッセェ~!!」

「女子に蹴られて転ぶとか、雑魚すぎだろコイツ!!」

 

 癇に障る笑い声がこだまする。

 時刻がもう遅いせいもあって、その声に気付く者もいないようだった。

 

「ほら、寝っ転がってないでサッサと土下座しろよ」

 

 パシャパシャとシャッター音が鳴る。

 見れば、全員が携帯で転んだ久路人を撮っていた。

 

 目立たない、弱い、勝手に荷物を漁るようなキモイやつ、クラスの力関係もわきまえずに盾突くようなムカつくやつ。

 

 この場において、久路人は「悪」であり、彼女たちは「正義」であった。

 仮にこの中の誰かが久路人を庇おうものなら、その者も同じような目にあったに違いないが、当然のごとくそうしようとするものはいなかった。

 

「黙ってないでなんか反応しろよ!!」

「っ!?」

 

 ここに来るまでに買っていたのだろうか。

 清涼飲料水のペットボトルの中身がぶちまけられた。

 久路人の服に付いていた砂にかかり、泥になってシャツにしみ込んでいく。

 だが、久路人はやり返せなかった。自分は今までメアとしか組手をしておらず、正確な手加減ができるかわからない。何より、反撃するところを撮られでもしたら言い訳もできない。

 胸ポケットに仕込んだレコーダーのスイッチは付いている。後はこのままこの品性の汚い連中のセリフを録音してやればいい。

 久路人はそう考えた。

 

「いや、ここまで何もないともう笑えるの通り越してキモイよね」

「うんうん。本当にこんなダサい男子って現実にいたんだね~」

 

 人間の中には、自分たちが「正義」であり、「悪」からの反撃が来ない場合、どこまでも残酷になれる人種がいる。不運なことに、彼女らはそういう人種だったようだ。

 

「そもそもさあ、マナちゃんの荷物漁ってたところからして鳥肌立つんだけど」

「こいつ、マナちゃんのことが好きなんじゃないの?」

「うわっ!? 止めてって、本当に気持ち悪いから!!キモイじゃなくて気持ち悪い!!」

 

 久路人を取り囲んで女子たちは笑う、嗤う、哂う。

 

「いい機会だから教えてあげるけどさあ、お前みたいなキモイやつは一生ドーテーだから」

「マジで陰キャ丸出しって感じだし、女子とまともに喋ったことないんじゃないの?」

「じゃあ、私たちがコイツのドーテー奪ったことになんの? キモっ!!」

「・・・・・」

 

 元より自分の特異性を知っている久路人は、自分にそういう女性ができることなど諦めていた。

 だから、そんなセリフは大して響かなかった。

 しかし・・・・

 

「クラスでもコイツ彼女どころか友達もいないもんね~」

「ボッチ陰キャとか、ネタじゃないんだ、マジびっくり」

 

 そこで、窓奈は心底侮蔑と軽蔑を込めた眼差しで言い放った。

 

「お前みたいなヤツ相手に、友達になってくれるヤツも彼女になってくれる女もいないんだよ!! 」

「あ! でもセンス最悪で他の誰にも相手されないキモイヤツくらいなら相手してくれるかもね!!」

「コイツにお似合いのブサイクなんだろな~!!!」

 

「!!」

 

 ただただ醜く嘲笑う少女たちの無価値な言葉の中で、その言葉だけは耳に残った。

 その言葉は、その言葉だけは否定しなければいけないと思った。

 確かに自分に人間の友達はいない。だが、確かにいるのだ、自分にも友達は。

 その友達を馬鹿にするような言葉だけは無視できなかった。

 

「違う」

 

「あ? 何か言った?」

「僕には、僕にも雫が・・・・」

 

 久路人が何かを言い終わると同時に。

 

 

 裏庭を、白い霧と真冬のような冷気が包み込んだ。

 

 

 

-----------

 

 久路人の住む町の上空を、白い大蛇が泳ぐように飛んでいた。

 

「ちぃっ、思ったより時間がかかったわ」

 

 穴からは久路人が危惧したように妖怪が何匹か出てきたばかりのようで、雫はメアがやって来るまでの間に溢れた妖怪どもを八つ当たりも兼ねて四肢をもいだり氷漬けにしていた。

 しかし、穴の位置は感知したほど近くはなく、雫が到着するのも、その後にメアが駆けつけてくるまでのそこそこ時間がかかってしまったのだ。

 

「むっ、京め、こんなところにまで結界を張りおって」

 

 久路人が通う学校にも、京は秘密裏に結界を貼ってあった。

 これは雫が護衛についているとはいえ、雫が戦闘を行うと結果的に周囲に痕跡が残るからであり、戦闘そのものを避けるためのものだ。これには妖怪から内部を何の変哲もない校舎に感じるようににする効果も盛り込まれており、妖怪はその存在そのものに気づきにくくなる。

 ただし、範囲が広いためあまり綿密なモノは貼れず、小さいモノは見逃すようなザルさではあったが、そのおかげもあって雫は幼体ならば問題なく内部に侵入することができた。

 雫は止む無く姿を縮め、正門の近くに降り立った。

 

「裏庭は、あっちだったな」

 

 雫はその細長い体をくねらせ、高速で校舎を回りこんで裏庭に向かい・・・・

 

 

 

 それを見た。

 

 

 

 久路人が、人間の雌どもに囲まれて、聞くに堪えない下劣な言葉をぶつけられていた。

 

 久路人が地面に転ばされたまま、晒しものにされていた。

 

 久路人に水がぶちまけられ、嘲笑されていた。

 

 久路人はそれに何も言わず、ただひたすらに耐えていた。

 

 普段の訓練を思えば、あんな連中は簡単に蹴散らせるだろうに、無抵抗で。

 それは久路人が騒動を大きくしたくないと思っているからでもあるだろうが、その気になれば恐怖であの愚か者どもを従えることだってできるはずなのだ。

 それをしないのは久路人の中の優しさのおかげだ。

 そんな久路人の内心を踏みにじるように、あの雌どもは久路人を貶め続ける。

 

 

「・・・・・・」

 

 久路人の有様を見たその時から、雫の頭には一切の思考が消えていた。

 

「・・・・・・」

 

 代わりにその身にあるのは、頭が凍り付いたように冷めていく感覚と・・・・

 

「・・・・・・」

 

 胸の中を焦がしつくすような灼熱のナニカだった。

 

「・・・・・・」

 

 その二つに支配され、雫はしばしの間動くことができなかった。

 そのまま雫は動くこともできず、茫然と久路人が嬲られる様を眺めていたが・・・・

 

 その言葉を聞いた瞬間、荒れ狂っていた二つの感覚は一つの方向にまとまり始める。

 

 

「お前みたいなヤツ相手に、友達になってくれるヤツも彼女になってくれる女もいないんだよ!!」

 

 

 その後にも何か言っていたが、それは意味をなさない音として雫の脳を素通りしていく。

 そのやっと稼働した脳にあるのは、純粋な願いだ。

 

 かつての大妖怪としてのプライドも、人間との恋路にある障害の多さへの絶望も、たった一人の少年に拒絶されることの恐怖も、友人という関係で現状を維持しようとする諦観も剥がれ落ちた。

 それは原初の感情。

 

 

 腕が欲しい。 あいつらを殴り殺すために。

 

 足が欲しい  あいつらを蹴り殺すために。

 

 髪が欲しい  あいつらを絞め殺せるように。

 

 歯が欲しい、爪が欲しい。 あいつらの中をえぐり取れるように指も欲しい。

 

 あいつらの血の色がもっとわかるように、よく見える目が欲しい。

 

 あいつらの怯える声がもっと聞こえるように、よく聞こえる耳が欲しい。

 

 欲しい欲しいほしいほしいほしいホシイホシイホシイホシイホシイホシイホシイホシイ

 ホシイホシイホシイホシイホシイホシイホシイホシイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 ああ、だが何よりも

 

 そう、何よりも

 

 

「欲しい」

 

 

 己の魂を、心の内を放つための「声」が欲しい。

 

 ただ暴力を振るうだけでは解放しきれない。

 

 この胸にたぎる怒りを、伝えられるだけの声を望んだ。

 

 久路人を好きになる女がいない?

 

 ならば、ここにいる自分をどう説明する?

 

 お前のような餓鬼が何を言おうが、自分はここにいる。

 

 自分のこの怒りを知らずに、死んでいくことなど許さない。

 

 ザワリと雫の中の何かが蠢いて、その形を変えようとする。

 心の中にある純粋な願いに呼応し、それにふさわしい化物へと姿を変えようとしたその時だ。

 

 

 

「違う」

 

 

 

「・・・・!!」

 

 その声は小さかった。

 

 しかし、雫は絶対に聞き漏らさない。聞き間違えることはない。

 

 

 なぜならば、その人の声は、その人は・・・・・

 

 

「僕には、僕にも雫がいる!!」

 

 

 

 「私」が好きな人の声だから

 

 

 

 刹那、雫の願いは元の形を残しつつ変貌する。

 

 愛する人の敵を殺すためのものはそのままに。

 

 愛する人を庇えるように、守れるように、慰められるように。

 

 愛する人に、自分の気持ちを言葉に乗せて伝えられるように。

 

 狂おしいほどの憎悪と溢れんばかりの恋慕が混ざりあって行く。

 

 

 

 裏庭を、白い霧と真冬のような冷気が包み込んだ。

 

 

-----------

 

 突然、周りを白い霧と、恐ろしいまでの冷気が包み込んだ。

 

「ね、ねえ、これなんだよ!?」

「し、知らない!! おい、月宮!! これは・・・・」

 

 それまで久路人を囲んで悦に浸っていた女子たちが突然の変化に驚いたように周りを見回した。

 

 その直後だった。

 

 

「人間の雌餓鬼ごときが、妾の久路人に何をしている?」

 

 

 美しい声だった。しかし、その声には氷柱のような鋭さと冷たさが宿っていた。

 白い霧を切り裂くように、冷気とともにその声の主は現れる。

 少女たちは、人知を超えた現象とその寒さの余り、思わずへたり込んでいた。

 

 

「ん? どうした? そのように汚らしく小便を漏らしながら震えて。まあ、貴様らのような腐った連中にはお似合いの様だがな」

 

 美しい少女だった。

 年のころは久路人と同じくらいだろうか。

 霧のように白い着物を身にまとい、腰まで伸びる艶やかな髪は光を受けて銀色に輝く。

 その顔はまるで巨匠が長年かけて削って拵えた彫像のごとく整い、肌も雪のように抜けるような白さだ。

 ややツリ目がちの瞳は紅玉のように紅く、同性であっても思わず見とれるほどであったが、その色とは裏腹に恐ろしく冷たい輝きを宿していた。

 

「「「「「あ、あ、ああああああ!?」」」」」

 

 その瞳に睨まれた瞬間、少女たちの瞳はあまりの冷気に凍り付いた。

 

「久路人のような宝石と、貴様らのような屑石の見分けもできん目玉なぞ、凍って腐り落ちても構わんよなぁ? しばらく、そこで大人しくしておれ」

 

 

 そこで、塵を見る目をしていた白い少女は囲まれていた少年の元に歩み寄る。

 その紅い瞳は先ほどまでの冷たさが嘘のように慈愛に満ち溢れ、熱く潤んでいた。

 

「やっと・・・」

 

 さきほどの冷たい声からは想像もできないほど、優しく、それでいて粘つくマグマのような熱を秘めた声で語りかけた。

 

「やっと、やっと、あなたとこうやって話せる・・・」

 

「君は、いや、お前は・・・・」

 

 久路人は何かを言おうとしたが、それを遮るように、少女は驚きに目を見開く少年を抱きしめる。

 

「ごめんね、久路人。 寒いよね? 辛かったよね? 鬱陶しかったよね?」

 

 ぎゅっと、力を込めて少女は抱き着いてくるが、その体温は冷たかった。

 しかし、さきほどまで罵詈雑言の中にいた久路人の心には、そのわずかな熱ですらとても温かく感じられる。

 薄く香る花のような匂いが、久路人を癒していった。

 

「・・・・お前は」

 

 久路人は、少女に抱きしめられた驚きと、恥ずかしさに声を震わせながらも口を開いく。

 なぜか、自然と驚くことなく、自分を抱きしめる少女の名前がわかった。

 

「お前は、雫、だよね?」

「ふふ、やっぱり久路人にはわかるんだね」

 

 抱きしめられていて顔は見えないが、少女が、雫が柔らかく笑ったのは分った。

 空気の温度が、少し上がった気がしたのだ。

 

「え? そりゃあ、分かるけど・・・・あれ、なんでわかったんだろ?」

 

 考えてみても、少女を雫だと認識できた理由がわからなかったのか、久路人は不思議そうに首をひねる。

 雫には、そんな久路人のすべてが愛おしかった。

 

 久路人の声が、ただの音ではなく、これまでよりもずっと鮮明に「声」として聞こえる。

 

 文字盤を介することなく、自分の声をそのまま久路人に聞いてもらえる。

 

 久路人の「香り」が分かる、顔がよく見える、感触がわかる、体温を肌で感じられる、抱き合うことができる。

 

 久路人が今の自分を雫だとわかってくれたことが嬉しくてたまらない。

 

「本当に、なんでわかったんだろう・・・・こんなに綺麗な子になってるのに」

「え!? 本当!? 「私」、久路人から見て可愛く見えるの!?」

 

 思わず、といった具合にポロリとこぼれ出た久路人の言葉を、雫が聞き漏らすはずはなかった。

 獲物に食いつく蛇のごとく、久路人に抱き着く力を強めながら問いかける。

 

「え、うん。あ、でも可愛いっていうより綺麗って感じだな。というか、今私って・・・・いや、それより雫、もうちょっと力を・・・・」

「ふふ、そっかぁ~!! フフ、フフフ、フフフフフフ~そっかそっかぁ~!! あ! じゃあ、声は? あ、あ、あ~・・・・変じゃない?」

「いや、声もきれいだと思・・・・雫、そろそろ、雫? 聞いてる?」

「フフ、アハハ、アハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!」

 

 あふれ出る喜びを抑えられないかのように、満面の笑みを浮かべながら久路人を抱く力を強める。

 

「ちょっ!? ギブギブギブギブ!!!」

 

 バシバシと久路人が肩を叩いてくるが、それすらも心地よい。

 

 正直、さっきまではとにかく人の姿になりたいとしか思っていなかったので、姿についてはほとんどイメージしていなかった。

 久路人を見た瞬間に「抱きしめたい」という欲求がマグマのように湧いてきたのでそれに従ったが、自分の容姿について久路人からどう見えるかには不安があったのだ。

 だが、今しがたその不安は他ならぬ久路人によって取り払われた。

 自分の声も聞いてもらって、綺麗だと言ってもらえた。

 これで後は、心置きなく久路人の感触を全身で楽しむだけ・・・・・

 

 

「あああああ!!目が、目が痛い~!!!」

「・・・・・・・チっ」

 

 

 せっかくの至福の気分が台無しになるような汚い声だった。

 

 そこで、雫は名残惜しそうに久路人から身を離しつつも、倒れて転げまわる女たちの方を見た。

 その顔は裏庭に現れた時ほどではないものの、不機嫌そうに表情が歪んでいる。

 さらに、少々落ち着いて冷静に周りを見れるようになったのか、倒れている女子たちと自分の比較的(重要)起伏の少ない胸部を見比べて、もう一度忌々しそうに「チっ、肥えた豚が」と舌打ちした。

 

「お前らまだいたのか・・・・・・性根だけでなく声まで汚いとは救いようのない連中だな」

 

 パチンと雫が指を鳴らすと、彼女たちの眼の氷が溶けた。

 ちなみに、雫は某錬金術師のアニメを見て以降、密かに指パッチンに憧れがあったりする。

 

「うう・・・」

「目、目が痛い~!!」

「お、お前一体なんなだよぉ!!」

 

 

 閉ざされていた視界が開け、目の前にいる少女が明らかに人ではないことを感じながらも、彼女らはそう問わずにはいられなかった。

 

「うるさい、やかましい、黙れ。お前たちのドブ川に劣る口なんぞ開くな。不愉快だ。お前たちがしていいことは、妾の話を聞き、妾の言うことに絶対服従することのみ」

 

 心底不快そうに美しい眉をしかめつつ、雫は続けた。

 

「貴様らは心底不愉快で今すぐ殺してやりたいくらいのゴミ屑だが・・・・妾は感謝もしている。お前たちがいなければ、妾はあのまま自分の真の願いに気づくこともなかっただろうからな」

 

 雫の願い。

 

「久路人に惚れる女などいない」という言葉を聞いたときに沸き上がった否定から自覚した。

 本当は、あの夜にメアに言われたときには気づいていたこと。

 さらに過去には、あの「約束」を交わした時にはすでに自分の中にあったもの。

 

 それは、久路人を守り、その敵を排除すること。

 それは、久路人とともあり続けること。

 だが、それは友達としてではない。友達だけではとてもじゃないが満たされない。

 久路人のすべてが欲しい。独占したい。誰にも渡したくない。人間の女の子のように見てもらいたいし話したい。

 

 女として、恋人として、妻として一生を添い遂げる。

 

 それこそが雫の真の願いだ。

 

「故に、寛大な妾は今日の蛮行を見逃してやる。久路人も身近で人死にが出たら困るだろうからな。ただし・・・・」

 

 そこで雫は、紅い瞳を細めて少女たちを睨んだ。

 

「え・・・何これ熱い!?」

「イヤアアアアアアアアア!!!!?」

 

 突然、雫が睨みつけた少女たちの肌にブツブツと赤い発疹がいくつも浮かび上がったと思えば、ブツリと爆ぜた。

 少女たちの足元の地面に、汚らしいシミがいくつもできる。

 

 それは、西方にいたとされるバジリスクの「邪視」に近い。人間の姿を手に入れた雫は、単純な破壊力は劣るが、これまでにはとても扱えなかったような様々な術を使えるようになっていた。

 今の発疹は、睨んだ場所の血液の流れを異常に淀ませることでできたものだった。

 

「貴様らが今日のことを口外するようならば、その痘痕を全身に広げてやる・・・・ああ、そうだ。ここで撮っていた写真もすべて消せ。でなければ、次は顔をやる」

「は、はいいいいいいぃぃぃぃ!!!」

 

 少女たちは震える手で携帯を取り出すと、普段からは考えられない遅さでデータを消去した。

 

「フン、まあこれでいいだろう・・・何をしている? さっさと妾と久路人の前から失せろ、痴れ者が!!」

 

 そうして、霧の立ち込める裏庭からは、久路人と雫以外がいなくなった。

 雫はようやく邪魔者が消えたとばかりににこやかな笑みを浮かべながら振り返る。

 

「さ~て、あいつらの記憶の後始末については京かメアに任せるとして、お待たせ久路人!! さっきの続きを・・・・」

「・・・・・うーん」

「って、久路人ぉぉぉおおおおお!!?」

 

 そこでやっと、さっき抱きしめる力が強すぎたために久路人が気絶していたことに気が付くのであった。

 

 

 

-----------

 

 何だろう、何だかとても柔らかくて暖かいモノが頭の下にある。

 

 それが、久路人が薄ぼんやりとした意識で感じた最初の感覚だった。

 

「久路人、起きないな。ちゃんと息はしてるし、心臓も動いてるから大丈夫だよね・・・・はっ!?もしも息が止まってたら人工呼吸のチャンス!? いや、そんな不謹慎なこと考えちゃダメ!!」

 

 とても綺麗な声が聞こえる。いつまでも聞いていたいと思うような、可憐な声だ。

 

「待って、落ち着け私。今のこの状況もチャンスなんじゃあないのか? 今、久路人は眠ってる。何をしても気付かない。やる!!と決めた時にはもうすでに行動を終わらせておくべきなんじゃないのか?、私・・う~!!やっぱダメ!!セカンドやサードならともかく、ファーストはやっぱり・・・」

 

「雫?」

 

 久路人が身を起こした時、信じられないくらい美しい少女の顔が自分の目の前にあった。

 どのくらい近いと言えば、それはもう唇が触れあいそうで・・・・・

 

「わひゃあああああああ!!?」

「うわっ!?」

 

 その近すぎる距離に気づいた瞬間、雫は飼育員が突然近くに現れたレッサーパンダの如く跳びあがって、驚き、その膝の上に寝かされていた久路人は投げ出されたが、普段の鍛錬のおかげでなんとか受け身をとった。

 

「ご、ごめん、久路人。大丈夫?」

「いや、大丈夫だよ。受け身とったし」

「あ、そっか・・・よかった。あ!!それと、気絶させちゃったことも謝らなきゃ!! ごめんね、私力加減ができなくて」

「それもいいよ。雫は、僕を助けに来てくれたんだから」

「うん、ありがとう・・・・あ!!でも、今回みたいなことはもう許さないからね!! 私、もう別行動とかしないから!!!」

「わかったわかった」

 

 申し訳なさそうにする少女の顔を見たくないと思って、久路人は鷹揚に手を振って気にしていないとアピールする。

 久路人としては、そんなことよりも気になることがあった。

 

「それにしても・・・」

 

 会話をしながら、久路人は雫の顔をマジマジと見つめた。

 久路人に見つめられて雫の白い肌に淡く朱がさす。

 

「え? 何? やっぱ、顔とか変?」

「いや、顔も声も綺麗だと思うけど・・・・その喋り方は? 「私」って」

「へ?」

 

 言われて初めて気が付いたというように、雫は虚を突かれたような顔をした。

 そして、あたふたと自分の顔を指差しながら慌てる。

 どうやら、普段の喋り方と違うことに気づいていなかったようだ。

 

「あれ、私、自分のこと「私」って? あれ? く、久路人、別にこれ・・・」

「いや、いいと思うよ。なんか新鮮だし。でも、窓奈さんたちに話すときは前みたいな口調だったよね」

「う~ん・・・・私の願いのせいかなぁ?」

「雫の願い?」

「うん。とはいっても、願いの一部なんだけどね、久路人と普通の女の子みたいに話してみたいって思ってたから」

 

 人化の術は術者の効果は術者のイメージと願いに大きな影響を受ける。

 雫は姿こそイメージしておらず、いわば「素」の雫としての姿になったが、喋り方についてはモデルがあったようである。確かにそれは雫の願いの一部ではあったが、はっきりと反映されている様子を見るに、それなりに大きい願望であるらしい。

 

「一部ってことは、他に何を願ったの?」

「え、それは・・・・・」

 

 しかし、人は~の一部とか言われた他のものも気になってしまうものだ。

 久路人が問いかけるのは自然なことだろう。

 目の前の少女のことをもっと知りたいという気持ちが無自覚に久路人の中ににじみ出ていた。

 

「それはね・・・えっと、それはね・・・・・まだ言えない!!」

「え~」

 

 

 女として、恋人として、妻として一生を添い遂げる!!

 

 

 それは確かに雫の願いの根幹にあるが、雫にはまだ言えなかった。

 雫は敵には容赦ないが、久路人相手では結構ヘタレだった。

 恋する乙女はシャイなのである。

 けれども、残念そうな久路人の顔を見て、別のことなら教えてあげようと思った。

 恋する乙女は優しいのだ。

 

「今のはダメだけど、別のことなら教えてあげる。私の願いの一つはね・・・・」

「うんうん」

「久路人の敵を全部倒して、久路人を守ることだよっ!! 大丈夫!! これからは、さっきみたいなクソ人間どもからも、有象無象の妖怪からも・・・・ずっと、ず~っと私が守るから」

「なんか物騒な言い方だなぁ・・・でも、なんか懐かしいな」

「懐かしい?」

 

 雫の願いを聞いた久路人の言葉に、雫は不思議そうに首を傾げた。

 久路人はかつての光景を思い出しながら、昔のような笑みをわずかに浮かべつつ言う。それは、彼にとっても大事な思い出で、約束だ。

 

「うん、昔したよね、そんな約束」

「うん。確かにしたよ。忘れるわけない」

 

 その約束は、きっと雫が久路人を好きになるきっかけであっただろう。

 絶対に忘れられない、忘れたくない思い出だった。

 

「・・・・・・久路人、一個聞いていい?」

 

 だからこそ、雫はちゃんと確かめておきたかった。

 あの時に願った通り、人の姿になった今だからこそ。

 

「何?」

「あの約束ってさ、その、まだ、有効・・・だよね?」

 

 恐る恐るというように、久路人の顔色をうかがう。

 ちょうど霧が二人の間を通り過ぎて、その表情が見えなかったが・・・

 

 

「はぁ~~」

 

 

 久路人は常識をわかってないやつを見るような顔でため息をついた。

 

「え?なにそのため息!?」

 

 いつかのメアを彷彿とさせるようにため息をついた久路人に、思わず雫はツッこんでしまう。

 もしかして、まさか、あの約束を久路人は・・・・

 

 

「あのさ、雫には僕がそんなに冷たく見えるの?」

 

 今日にいくつも生まれた不安がそうであったように、今抱いた不安も久路人に木っ端微塵に打ち砕かれた。

 雫の心に温かいものと、久路人を疑ってしまった罪悪感が同時に湧く。

 

「そんなことないよ!!でも、それじゃあ、有効なんだね?じゃ、じゃあ、改めて言葉にして言って欲しいな」

 

 全力で久路人の言葉を否定しながらも、「しかし、せっかくここまで聞いたのならば」という衝動に突き動かされた。

 何事も、きちんとした言葉で聞きたいと思うのが乙女心というものだろう。

 

「え~?ちょっと恥ずかしいんだけど・・・・言わなきゃダメ?」

「ダメ!!」

 

 紅い目を輝かせてそう言う雫に、久路人は諦めたようにため息をつくと、顔をわずかに赤く染めながら口を開く。

 わずかに間があったのは、久路人としても照れくさかったからだが、それでも「やっぱりナシ」などとは言えなかった。

 

 

「・・僕は、僕だって、君に何かあったら必ず助けるし、守るよ。それが、約束だ」

「・・・・うん!!」

 

 少年は、やはり少女の知る少年と昔からなんの変りもない。

 期待通りの返事に喜色満面の雫は久路人に飛びつこうとして、寸前で思いとどまったかのように動きを止めた。

 

「えっと・・・」

 

 そして、さきほど願いを言いかけた時のように顔を赤くしながら、上目遣いで久路人を見る。一つ叶えてもらっても、久路人に聞いてもらいたいことが、叶えて欲しいことは次から次へと湧いてくるのだ。

 

(今日の私は、わがままだなぁ)

 

 そう自覚しながらも、止まれない。

 「人間になる」というこれまでの念願が叶ったばかりだが、だからこそ、今の雫は欲張りだった。「今ならどんなことを言っても久路人なら叶えてくれるんじゃないの?」と思ってしまうほどに。

 

「あ、あのさ、私の願いはまだまだあるんだけど、教えてあげる代わりに、叶えてもらってもいいかな?」

 

 だからこそ、言う。この人ならば叶えてくれるはずと信じて。

 

「え? まだなんかあるの? いや、別にここで僕に叶えられることなら聞くけどさ・・・・」

「本当だね? 嘘ついたら嫌だよ?」

「そんなに難しい願いなの・・・?」

「ううん、簡単だよ? 簡単簡単・・・・私の勇気が出せれば」

 

 

 最後の方は小声で聞き取れなかったから、久路人は聞き返そうとしたが・・・・

 雫はスーハースーハーと深呼吸をしてから久路人に向き直った。

 

「久路人さん!! 私と、手をつないで歩いてください!!」

 

 向き直って、まるで一世一代の告白のように、雫はそう言った。

 

 

「え? それだけ?」

 

 その気迫に満ちた雫に対して、久路人の反応はまさしく肩透かしと言う感じだったが。

 雫としては、もう少し空気を読んで欲しいものである。

 

 

「それだけって何!? 私、これでも勇気出したのに!!」

「いや、ごめんごめん。うん、それぐらいなら、いいよ」

「う~、じゃあ、繋ぐよ?」

「・・・うん」

 

 顔を若干憮然とさせたまま、依然として赤く染めながら手を差し出してくる雫にどこか自分も緊張しながら、久路人も手を差し出す。

「あれ、手汗かいてないかな?」「今服で拭うのはなしだよなぁ」などと取り留めもないことが頭に浮かんでは消えていった。

 そして、一人の少年と一匹の蛇、否、一人の少女の手がゆっくりと触れ合い、確かに繋がれる。

 

「「・・・・えっと」」

 

 久路人の手の温かさとたくましさ。雫の手のひんやりとした心地よい冷たさと柔らかさで、心臓が爆発しそうだった。お互いの繋いだ手から、自分の心臓の音が向こうに伝わってしまうんじゃないかと思えるくらいに。

 二人の顔は照れくささで朱色に染まり、気まずさを振り払うように何か言おうとすれば、それも同時に口を飛び出してしまい、思わず押し黙ってしまった。

 そのときだった。

 

 

 一筋の黄金の光が霧を切り裂いて降り注いだ。

 

 

「わぁっ、きれい!!」

「まぶしいくらいだな・・・」

 

 

 それまで辺りを覆っていた霧が晴れ、初夏の夜空に浮かぶ満月が顔を出した。

 眩い月光が、二人の結ばれた手を照らし、二人はわずかの間、無言で顔を見合わせる。

 もうそこに、何を言えばいいかわからないような気まずさはなくなっていた。

 

「帰ろっか」

 

「うん」

 

 どちらからともなく、二人は歩き出した。

 満月が二人を祝福するかのように照らし、二人の背後には長い影が伸びる。

 

「~♪」

 

「・・・・・」

 

 雫は楽しそうに鼻歌を唄い、久路人の顔にも昔のように柔らかな笑顔が浮かぶ。

 

 学校から、月宮家までの帰り道までではあるものの、二つの影は片時も離れることなく、帰り道を歩ききったのだった。

 ずっと、ずっと。

 

 

-----------

 

 

 これは、月宮久路人という祝福(のろわれ)された人間と、水無月雫という妖怪のお話。

 少年が、白蛇の化身と出会った物語である。

 

 

 

 




 一番最後の手をつないで歩くところのBGMイメージは、ゆずソフト様「サノバウィッチ」の紬ルートED「スカート」

 ちなみに池目君は中身もイケメンなので、後日に久路人が事情を話して私物を返したら、「悪い、俺のせいで嫌な目に合わせちゃったな・・」とコンビニで唐揚げ棒を奢ってあげてます。久路人は雫と半分ずつ分けて食べました。


 さて、前日譚は実はここまでにしようと思っていたのですが、皆様のこの身に余る反響もあり、もうちょっと書こうかなと思います。久路人が高校生に上がった後の話ですね。
 私からすると、雫のヤンデレベルはまだ低いです。
 巷では、純愛ゲーのヒロインだろうとファンアートでNTRや凌辱がゴロゴロしており、脳を破壊される者が後を絶ちません。
 どんな関係にも唐突に終わりや別れが訪れる可能性はある。もしくは、自分のいる位置に他の誰かがもしも座っていたら?と考えることもあるでしょう。
 というわけで、次からのお話は「雫が久路人を人間卒業させようと決意するお話」です。


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白蛇と彼の一日(中学生編・昼の部)

 おかしい、ちょっとした日常を書こうとしているのに、どうして前編だけで7千字越えてんだ・・・?

 後編はまた後日に投稿します。

 お気に入り、評価、感想をくれた方々、誠にありがとうございます。
 人間は欲深いモノ。ああ、もっと、もっと、評価と感想が欲しい!!

 というわけで、続き頑張ります。


 月宮家は、「学会」の幹部である月宮京が材料や構造の基礎部分から始まり、それらに付与される術式に付近の霊脈調整までを一から作り上げた一大術具である。

 月宮家のある街は世界的に見ても現世と常世をつなぐ穴が空きやすい土地であり、そこの管理者として京が派遣されることになったのだが、彼本人が護衛とともに「学会」本部のあるロンドンまで赴くことも多いため、管理者がおらずとも周辺の平和を「ある程度まで」維持するための大結界を展開する要でもある。

 この屋敷には結界が常時展開されているが、その動力源には周辺の霊脈に満ちる自然の霊力だ。

 霊脈とは大地の中を流れる霊力の奔流であるが、そのほとんどは人間では掘り進めないような地下にあり、地表に現れることはない。

 だが、月宮家のある街はその数少ない例外であり、霊脈が地上に接している土地なのだ。

 そして、月宮家はその多くは空に浮かぶ星々や天候にまつわる異能を有し、京も道具に術を刻む付与術とともに星々の巡りによって生じるエネルギーを利用する占星術を得意とする。

 京によって作られた屋敷は星の動きの影響を受けており、妖怪が活発になる夜にこそ最も結界が強固になり、家の中にある罠も最も激しくなるのは夜間である。

 逆に言うと朝や昼は結界も多少脆くなるのだが、昼は大抵の妖怪の力が衰えるため、結果的に常時強力な防御力を発揮しており、侵入者が現れようものなら即座に火を噴くことだろう。

 

 数年に渡って、屋敷に住み着き、さらには最近になって霊力の扱いがさらに器用になった蛇にはそのわずかな綻びを見抜かれてしまっていたが。

 

「ふっふっふ・・・・侵入成功~」

「うーん・・・」

 

 時刻は朝4時過ぎ。

 初夏を通り過ぎたこの時期にはもう大分明るいのだが、ベッドに眠る少年が起きる様子はない。

 それを見て、少年の部屋に侵入した不審者、もとい雫は思わずというように含み笑いを漏らした。

 

「いや~、誰が考えたのか知らないけど、人化の術様様だね。蛇の姿じゃよく分からなかった細い「隙間」が今ならはっきり見える」

 

 ここしばらく、雫はずっと機会をうかがっていたのだ。

 雫は蛇であったころから、屋敷の一室を与えられていたが、罠の関係で出ることは叶わなかった。

 しかし、人化に成功してからは、それまで数年観察して違和感を覚えた場所をよく調べると、罠と罠の間にごくわずかな「継ぎ目」があることに気づいたのだ。

 そうして雫はここ数週間、その隙間の解析を行い、今日にいたって部屋を脱走し、目的地まで侵入に成功したというわけである。

 断っておくが、京が仕掛けた罠は並大抵のものではない。

 数年をかけてヒントを得たとしても、それを出し抜くにはさらにその十倍は長い年月と根気がいたことだろう。

 だが、雫は精密性に長ける人間の姿を手に入れたとはいえ、わずか数週間でやってのけたのだ。

 そこまで雫を駆り立てたモノとは・・・・

 

「朝起こしに来る幼馴染、朝のせ、せ、生理現象を見て混乱、そこから始まるラッキースケベ・・・くぅ~~~、朝起きたら隣で添い寝してたっていうシチュも捨てがたい!! ああ、どっちの夢を選べばいいの私!!」

 

 煩悩であった。

 その夢はまるでエロゲをやりこんだ男の願望である。

 

「せっかく人間の姿になったってのに、いつまでも別の部屋で寝るなんて生殺し、我慢できないよ・・・・」

「ん~~・・・・」

 

 頬をうっすら染めながら、愛おし気に寝ている久路人の頬に触れる。

 寝起きが悪いのか、目覚める様子はない。

 

「あ、でもまだちょっと久路人が起きるには早いし、起こすのはまた次にしようかな。な、なら、添い寝の方を・・・・・」

 

 どうやら自分の中でどちらのシチュエーションを選ぶのか決まったようだ。

 

「フーッ、フーッ!!」

 

 なにやら危ない呼吸を繰り返し、紅い瞳を輝かせながら意を決して久路人の布団をめくりあげ・・・・

 

「イン・トゥ・ザ・フトンズ!!」

 

 

 いざ、その中に滑り込む!!

 

 

 ・・・・・・

 

 

「って、やっぱ無理~!!!」

 

 ・・・・込もうとして、寸前で羞恥心が上回ったようだ。

 部屋に不法侵入している時点で恥など捨てているようなモノという自覚はないらしい。

 

「ダメ!!添い寝なんかしたら心臓が破裂する!!」

 

 やはり、妙なところでヘタレであった。

 布団を極めて丁寧な動きで元に戻し、久路人のベッドに背を向けると、勝手知ったるなんとやらというように部屋の押し入れをゴソゴソと漁り始める。

 

「くっ、私のレベルがまだ足りないみたいだね・・・・でも、諦めない!!いつかその聖域を侵してやるんだから!!」

「zzzzz~・・・・」

 

 妙に気迫のあるキメ顔で寝ている久路人に宣言すると、押し入れから取り出した布団をいそいそとベッドの傍らに敷いて横になる。

 

「zzzz~」

 

 実は結構無理して早起きしていた雫はすぐ眠りにつくのだった。

 

-----------

 

「くぅ・・ふぁぁああ~」

 

 ピピピ・・・と朝の目覚ましのアラームが鳴って、久路人は目を覚ました。

 

「もう明るいな・・・・まだ時間は6時半なのに」

 

 季節が巡るのは早いと久路人は思った。

 

「もう6月に入ったのに、いい天気だな。もうすぐ梅雨なのに」

 

 今は6月。

 もう梅雨入りしそうであるが、今日は快晴だ。

 久路人としても雨だと登下校が面倒なので少し嫌なのだが、梅雨は嫌いではなかったりする。

 

「雫と会った時期だから・・・かな?」

 

 久路人にとって、雫は家族であり大切な親友だ。

 そんな雫と出会った時期だからだろうか、梅雨に入るとどこか感慨深くなる。

 

「っと、こんなこと考えてる場合じゃない。雫を部屋から出してあげないと」

 

 普段雫は結界の貼っていない別室で眠っているが、その部屋から出して罠を避けて居間まで連れて行くのは久路人の毎朝の仕事だ。

 ちなみに、久路人は波風立てないようにするために空気を読む努力をしており、数年前から当然のマナーとして部屋をノックしてから開けている。雫が人間の姿になってからは反応がきちんと帰って来るようになったので久路人としてもやりやすくて助かっている。間違えて着替え中に開けちゃいましたなんてベタな失敗はしない。

 きちんと返事が返ってくるまで何度もノックや声掛けをする久路人に、雫はなぜか残念そうな顔をしていたが。

 

 ともかく、そんな風に考えながらベッドから足を踏み出した時だ。

 

「ぐえっ!!?」

「えっ!? 何!?」

 

 つぶれた蛙のような声と、柔らかい何かを踏んだような感触に、驚き床に目を向けると・・・・・

 

「雫、何してんの・・・?」

「えっと、その、お、おはよう?」

 

 気まずそうな顔をした雫と目が合ったのだった。

 

 

 

 

 久路人と雫の、とある朝の風景より

 

 

-----------

 

「え~、教科書の110ページを開いて・・・・今日は地学の続きをやります」

 

 久路人の通う中学校。

 今日は理科の時間であった。

 

「・・・・・」

 

 久路人は教師の指示の通り、教科書と資料集を開き、鉱物の写真の載ったページを見るが・・・・

 

「あ、この石私見たことある」

 

 すぐ隣の席からずいっと身を乗り出して、セーラー服の少女が写真を指差した。

 

「昔、暇つぶしで山の中をうろついてる時に変な色の石があるって思ったんだよね~懐かしいな」

 

「・・・・・」

 

 久路人の席はクラスの人数の関係で、教室の一番後ろにある。

 しかも、後ろの入口はなるべく広い方がいいという意見があり、窓際だ。

 隣の少女はそれをいいことに、誰もいないスペースに水を固めて見えない机と椅子を作ると、久路人の机にぴったりとくっつけて隣に陣取っていた。

 

「後ね、川の中にも丸くてきれいな石がたくさんあったんだ。昔はどういう理屈かなんて考えもしなかったけど、水で角が削られて丸くなるんだね」

 

「・・・・・」

 

 久路人は努めて何でもないように前を見て、教師の板書をノートに取っていた。

 しかし、隣の少女はそれが気に入らなかったようだ。

 

「久路人~!! 無視はよくないよ~!!傷つくんだよ~!!」

(・・・・話は聞いてるけど、今は授業中だから返事はできないよ!!)

 

 久路人にしな垂れかかろうとして、寸前でヘタレたように止めて教科書の上に指で「の」の字を書く少女に、久路人はノートの片隅に書いたメモで答えた。

 

「・・・・あ、ごめん」

(話ならまた後で聞くし、教科書もみていいから、ちょっと静かにしてて)

「うん、わかったよ・・・・でも、これだと前の逆だね。私がしゃべって、久路人が字で答えるなんて」

 

 久路人に言われて静かになったセーラー服の少女、雫が少し面白そうに笑った。

 久路人は少し雫の方を見やると(確かに)と走り書きする。

 

 そうだ。ほんのついひと月前ぐらいまで、自分と雫は言葉で話すことはできなかった。

 だから、自分が言葉を口にして、雫が文字で答えていたのだが・・・・

 

(なんというか、不思議な気分だ)

「ふふ、私もだよ」

 

 雫が人の姿になった後も、久路人はこれまで通りと変わることなく雫と接してきた。

 今ではもう、雫と言葉で話せないことに違和感と不便さを覚えるくらいだが・・・・

 

(っていうか、今日は夏服なんだ)

「うん、最近暑いしね」

 

 雫の服はデフォルトでは白い着物に青の帯であるが、これは雫の鱗が変化したもので、抜け殻のようなものらしい。霧のように自在に形を変えることができるようで、雫はその日の気分で結構服装を変えていたりする。まあ、雫が見せようと思わない限り普通の人間には姿が見えないので、学校では久路人にしか見せていないが。

 ちなみに、抜け殻と言っても蛇の大妖怪の鱗であり、それにふさわしい硬さと、術への高い耐性を持っているので服というよりは鎧と言った方がいいかもしれない。

 

「で、どうかな?・・・・似合ってる?」

(そりゃ、まあ、似合ってるよ)

 

 今日の雫は白地に赤いリボンという、雫そのままの色をしたような服装だった。

 セーラー服のデザインそのものは周りにいる女子と同じものなのだが、初めて見た時には緊張のあまり正面から見ることができなかったという情けない思い出は雫には話せない。

 

「ふふ、よかった!!」

「・・・・・・」

 

 なんとなく気恥ずかしくて、久路人は笑顔の雫から目をそらした。

 そうだ、授業に集中しなくては・・・・

 

「じゃあ、月宮。この空欄に入るのは何だ?」

「は、はいっ!? え、え~とっ」

「久路人久路人、さっきの話の内容だよ」

 

 そこで間が悪いことに教師が久路人を指し、咄嗟のことで混乱していると、雫が教科書の一文を指差した。

 

「あ、え~と、風化に重要な要素の一つは、「流水」です」

「よろしい」

 

 ふぅ、と胸をなでおろしつつ席に着くと、雫がニヤリと笑っていた。

 

「えへへ、一つ貸しだね?」

(お前が邪魔してなきゃちゃんと答えられたってば!!)

 

 何でもない日常の風景であったが、久路人と雫に退屈などする暇はなかった。

 

 

-----------

 

「おーすっ、月宮メシ食おうぜー」

「あれ、なんかここ湿っぽくね?」

「き、気のせいじゃないかな?」

 

 昼休憩。

 給食の時間である。

 久路人と雫が配膳から給食を受け取ると、声をかけてくる男子たちがいたので、久路人は机を寄せながらも誤魔化した。

 久路人が目配せをすると、渋々といった風に雫はそれまで座っていた机を消す。

 ちなみに、このクラスはなぜか給食の量が一人分多く、食器がいつのまにか一つ多く戻されていることに誰も気付いてない。

 

「お~、今日はラーメンか」

「ソフト麺だけどな~」

「この辺にぃ、美味いラーメンの給食、あるらしいっすよ」

「あ~、いいっすねぇ~」

 

 久路人の近くに来た男子は4人。

 上から、池目(いけめ)半侍(はんじ)田戸(たど)近野(こんの)という。

 池目君と半侍君はクラスでもイケメンであり、池目君とは先日の窓奈(まどな)の件からそこそこ話すようになったのだ。

 そこから池目君の友達である半侍君とも知り合うようになった。

 そうこうしているうちに二人が所属する水泳部で、肌が浅黒い田戸君とどこかトカゲを連想させる近野君とも一緒に昼を食べるようになった。

 クラスで平穏に過ごすには、誰とも関わらないよりも明るい人とそこそこ仲良くしておく方が何かとやりやすいということを久路人は良く知っていた。

 まあ、この4人は性格も良く、久路人としても話しやすいのだが。

 

(ただ、雫は田戸君のことをなんかすごい警戒してるんだよね・・・・)

「久路人、あの黒いのには近づいちゃダメ!!!」

 

 今も一番端に陣取った僕の隣に机を作り直して、トレーを抱えながら紅い瞳を細めている。

 

 この前近野君と一緒に田戸君の家に誘われ、彼の大きな家を訪れたのだが、雫があまりにもピリピリしているので出されたアイスティーも飲まずに帰ってしまったのだ。

 結局近野君だけ残してしまったが、あの日以降妙に田戸君と仲がいいように見えるけど、何かあったのだろうか?

 

「なあなあ、月宮も水泳部入んねー? お前も結構運動神経いいしさ」

「そうだよ」

「入りませんか?入りましょうよ」

「あ~、ごめん、家、門限厳しくてさ。部活やるくらいなら勉強しろって」

 

 久路人が少しぼーっとしていると、いつの間にか自分に話題が振られていた。

 

「月宮の家、厳しいよなー」

「確か、友達でも家に呼んじゃダメなんだっけ?」

「そうなんだよね~。しかも勉強頑張らなきゃいけなくてさ」

「月宮結構頭いいもんな~ でも、親が厳しいのは嫌だよなぁ」

 

 表向き、久路人はどこにでもいる普通の学生を装っている。

 だが、一般人に作用する仕掛けはないが、万が一に備えて久路人はなるべく家に他の人間を呼ばないようにしていた。

 「親が厳しい」、「家が遠い」といった理由で、久路人はのらりくらりと回避している。

 

「そういや、月宮は、あの後大丈夫か?」

 

 そこで、半侍君が小声で何事かを聞いてきた。

 

「あの後って?」

「いや、ほら、窓奈のことでさ。あいつ、池目の前はオレにもベタベタ来てなんか気持ち悪かったし・・・」

「うげ、マジか。粉かけまくりかよ」

「へぇ~、そうだったんだ。でも大丈夫だよ」

 

 あの雫が人化した日のことがよほど恐ろしかったのか、あるいは京あたりに「ナニカ」されたのか、久路人に絡んでくることはなかった。

 結局あの件を異能の力なしで収めようとしたのだが、雫が個人的には嬉しいが強引極まる方法で追い払ってしまったため、どうなるかは不安だったのだが・・・

 

『まあ、これはしょうがねぇな。中学生でこんなんとか将来やばそうだな、オイ』

『私としては、殺さずに済ませた雫様の忍耐を褒めるべきかと』

 

 雫と手をつないで帰った後、事情を説明するとともにボイスレコーダーの内容を聞かせたのだが、京とメアの反応はこんなものだった。

 元々穴の開きやすいこの地域では、多少力を使っても大した影響はない。だが、大ごとになっても困るので、これからはヤバそうなのがいたら連絡しろとは言われたが。

 

「窓奈は顔はいいんだけどな~」

「性格ブスってやつだよな~。性格良けりゃ結構タイプなんだが。なあ、そうだ。お前らは好きなタイプのやつっているか?」

 

 ふと、思いついたように池目君がそんなことを言い出した。

 

「俺はB組の広井(ひろい)かな」

「オレはC組の愛土(あいど)だな~。田戸は?」

「そうですねぇ~、やっぱり僕は王道を行く~、近野ですね」

「先輩・・・・」

 

 何やら近野君が感極まったような声を上げているが、二人は同級生である。

 一体二人の間に何があったのだろうか。

 

「ハハハ、お前らは相変わらずネタ上手いな~・・・月宮は?」

「え?僕?」

 

 なんというキラーパス。

 僕にその話が振られた瞬間、隣でガタッっと何かが震える音がした。

 

「・・・・・・・」

 

 久路人はものすごい圧力と冷気を感じていた。

 気のせいか、紅い光がギラギラと輝いている気がする。

 

(雫!!抑えて抑えて!!)

「・・・・・・・」

「あれ、なんか寒くね?」

「誰かクーラーつけたのか?」

 

 池目君たちが突然下がった気温に不思議そうな声を上げていた。

 これは、早く答えた方がいいと久路人は判断する。

 

「・・・・・・」

 

 隣の少女が何か期待するような眼をしているが・・・・・

 

「う、うーん、僕は特にいないかな」

 

 久路人の脳裏にその白髪紅眼の少女の顔がチラリと浮かんだが、そんなことを口に出したら痛い二次元オタクのレッテルを貼られてしまうだろう。

 故に、久路人の回答は無難だった。

 

「っ!!っ!!っ!!」

(ちょっと、雫、止めろって!!)

 

 もっとも、隣に座る少女にはいたくお気に召さなかったようだが。

 久路人がそう言った瞬間、一気に不貞腐れたような表情になると、給食のサラダを久路人の皿に移し始めた。

 

「まあ、月宮らしいな~」

「お前は、なんかそう答えるって気がしたわ」

「あ、それよりさぁ~」

 

 幸い、雫が冷気を抑えたのか気温はすぐに戻り、話題は次に移っていった。

 

「クソっ!!!あの女が日和ってなければ!!! 「謎の転校生」ってポジションで介入出来たのに!!!」

(おじさんありがとう、雫を抑えてくれて)

 

 雫としては、一応建前上は「久路人を庇うのには人間の姿の方が都合がよい」ということだった。

 しかし、ちょっかいをかける人間がいなくなったのと、「お前、周りに見られてる状態で妖怪とどうやって戦うつもりだよ?それに、生徒として潜り込んだら別行動も結構あるだろうが」という京の正論であえなく撃沈し、結局は今まで通り他の人間に見えないように久路人にくっついて護衛を続けることになったのだ。

 

(なんだかんだ言って、僕も護衛されるような異能側の人間なんだよね。まあ、僕としては今の方がいいし)

 

 雫が他の人間に見えるようになったとしても、その手綱を握るのが久路人であるのは確定だ。

 一体どれほどの気苦労があることか。

 

(それに・・・・いや、気のせいだな)

 

 

 雫を他の人間に見られたくない

 

 

 そんな思考を久路人は一蹴するのだった。

 そして、意識を目の前に戻す。

 

(そう、僕は異能者だ)

「でさ~、この前のテストの結果がさ・・・」

「あ~、難しかったよなぁ」

「問題の出し方がいやらしかったよね」

 

 どこにでもあるような、日常の会話。

 久路人としても中々に心地よい気安さがある。

 嫌ではない。むしろ好ましいだろう。

 

 だが・・・・

 

「久路人、分かってると思うけど・・・・」

 

 久路人の目に映る感情に気づいたのか、雫が声をかけるが、「わかっている」というように久路人が小さく頷いたので、それ以上言うのは止める。

 

(あまり、深くかかわるのは止めておいた方がいいんだろうな)

 

 きっと、この先彼らを月宮家に招くことはないだろう。

 自分の身の上も、両親がいないことも、養父がいることも話すことはないはずだ。

 だが、それでいいのだ。

 

(その方が、きっとお互いにとって「安全」だから)

「・・・・・・」

 

 雫が久路人の袖をいたわるように掴む。

 

 それからも、他愛ない会話は続き、昼休みは過ぎていった。

 

-----------

 

 

 昼休みと午後の授業が終われば、もう夕方がやって来る。

 夕方が過ぎれば、夜が来る。

「異能の力を持つ者たち」の夜が。




作者に「オラァ!!もっと早く書けやぁ!!」と催促したい方!!
評価ポイントか感想、もしくはその両方をぜひともお願いします!!!


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白蛇と彼の一日(中学生編・夜の部・前半)

すまない、またなんだ。
また、全部書ききれなかったよ・・・・
今日中にもう一話投稿するので許してください。

あと、今回登場する久路人の戦い方は、私が愛読して止まないある小説に登場するボスモンスターをモチーフにしております。


 月宮家の 裏庭は広い。

 田舎の街のさらに外れということもあり、京は周辺の土地をかなり広く買い取ったのだが、屋敷と同じく学校のグラウンド並みの広さの庭にも結界が張られている。

 単純な侵入防止用のトラップもあれば、屋敷を丸ごと認識されにくくする認識阻害、果てには庭の損傷の自動修復に雑草、害虫駆除機能まで盛り込まれた傑作であり、当然のことながら防音完備である。

ただ、庭と言っても殺風景で、表側はまだ植木や申し訳程度のエクステリアで体裁を整えているが、裏庭は完全にただの運動場である。

そんな夕日が沈みかけ、設置された灯篭の灯りに照らされた庭で、一人の少年と少女が向かい合っていた。

 

「・・・・・」

 

「来ないの?なら、今度はこっちから行くよ!」

 

 先に動いたのは白い着物を身につけた少女、雫だった。

 その手には、まるで水晶から削り出したかのような美しく煌めく透明な薙刀が握られていた。

 対する少年、久路人は黒髪を逆立てたまま答えずに手に持った竹刀ほどの長さのある十手を構える。

 

「やぁあああっ!!」

 

 足をトンっと軽く踏み鳴らすとともに周囲の地面を凍らせると、スケート選手の如く滑り込んで久路人に迫る。

 恐ろしいのはそのスピードだ。

 氷の上という普通ならば不安定な環境を逆に利用し、人間の動体視力では追いつけないほどの速さで迫り、薙刀を振るう。

 その振りは迷いなく達人のように研ぎ澄まされた鋭さで久路人を襲う。

 

「っ・・・」

 

 しかし、久路人はその人外の動きに対応し、服を掠めるギリギリまで見切って避ける。

 その靴はただのスニーカーだったが、いつの間にかメタリックな黒に染まっており、靴底にはスパイクが生えている。

 これによって氷の上でも滑らず、安定した立ち回りができるのだが、秘密はそれだけではない。

 

「とぉおう!! ふんっ!! せぇいやぁあああ!!」

「フゥッ・・・!!!」

 

 続けて間髪入れずに振るわれる高速の三連撃も、やはり体をわずかに揺らすように動かすだけで回避する。

 久路人の回避という選択は正解だ。正真正銘人外の膂力で振るわれる薙刀をまともに受け止めた時、骨折で済めば運のいい方だろう。

 

 轟っ!!という濁流のような勢いの攻撃を無理やり止めようとすれば、腕だけが吹き飛んでもおかしくはなかった。

 雫が放つ殺気は本物であり、「必ず切り裂いてやる!!」という強い意志を感じさせる。

 

「・・・・・・」

 

 そんな自らの命を簡単に奪いかねない殺意と斬撃の嵐の中、久路人はじっと雫の動きを観察する。

 その()()に染まった瞳は、付け入る隙を常に探すように鋭く絞られ、足元を一切見ることなく複雑なステップで雫の攻撃をかわし続け・・・

 

「っと!!」

「!!」

 

 薙刀という間合いの長い武器を伸ばした後の、武器を引き戻してもう一度振るうために生じるほんのわずかな隙。

 その隙を久路人は見逃さなかった。

 

「はぁっ!!」

「わぁっ!?」

 

 バチリという電流が流れるような音とともに、バックステップで下がる雫に食らいつくように素早い踏み込みで距離を詰め、勢いが乗る前の薙刀を十手で絡み取る。

 

「でもっ、力比べならっ!!」

「正面から張り合うわけないだろ!!」

 

 雫もさるもの。

 不利な体勢で得物を封じられかけるも、人外の力で無理やり振りほどこうとするが、久路人はその力を利用するかのように逆らわずに流され、器用に手首を捻ってその力の流れに薙刀も乗せる。

 

「フッ!!」

「ええっ!?」

 

 結果、薙刀は自ら離れるように雫の手からすっぽ抜けて飛んでいき、雫は丸腰になった。

 武器を手放した相手に決定打を与えるべく、久路人は十手を突き出すが・・・・

 

「まだまだぁっ!!」

「チっ・・・」

 

 雫が瞬時に作り出したもう一本の薙刀に阻まれ、追撃を諦め後退した。

 

「・・・・・」

「ふぅ~、危なかったぁ・・・・その術、本当に便利だね」

 

 割と本気で焦りつつ、雫はバチバチと()()を纏う久路人に声をかける。

 

 

雷起(らいき)

 

 多くの異能者が人外の身体能力に追いつくために使用する基本にして、己の霊力を使った「強化」系統の術の一種。

 天候にまつわる能力を持つ者が多い月宮家の中でも、類を見ないほどに強力な「雷」の能力を持つ久路人独自の術だ。

 身体強化系統の術は腕力、脚力、持久力、耐久力、動体視力などを人間の限界を大幅に超えて強化するが、雷の性質とともに特異な霊力を持つ久路人の場合は、普通のそれよりも効果が大きい上に、動体視力と反射神経、集中力、神経伝達速度などの「神経系」にまつわる全般と精密動作性、耐電性を人外すら凌駕するほどにはね上げる。

 人間の姿とはいえ、大妖怪たる雫の本気の猛攻を見切らせ、得物を手放させるような技を可能にするのも、この術あってこそである。

 久路人が集中すれば、さきほどの雫の攻撃も文字通り「止まって見える」状態であり、「どのように動けばよいか?」という問いにも瞬時に回答を導き出せる。

 もっとも、そのように判断できるのはこれまでのメアとの手合わせによる経験があるからだが。

 

「そっちこそ、その薙刀、やっぱり厄介だな・・・・」

「ふふーん!! そうでしょ!! 氷は電気を通しにくいって前に調べたもん」

 

 雫の持つ薙刀は、雫が自身の力で作り出した氷を圧縮したものだ。

 雷起を使用している久路人の攻撃は電流を常に纏っており、一撃一撃がスタンガンのようなものだが、雫の氷の薙刀には通用しなかった。

 電熱を利用すれば対抗できるかもしれないが、氷を溶かすまで組み合っていては鍔迫り合いにならざるを得ず、結局は力比べになってしまうだろう。

 

「タイプ相性で言うなら私が有利!! さあ、久路人。大人しく服を・・・・」

「断る!!」

 

 紅い眼を輝かせながら薙刀を再度構える雫を前に、今度は久路人から仕掛ける。

 久路人が腕を振るうと、靴と同じくその黒い学ランをびっしりと覆っていた黒い粒子が雷を纏いながら礫となって飛んでいく。

 

「甘いっ!!」

 

 銃弾もかくやという速度で飛ぶ黒いナニカを、ピッチャー返しの如く薙刀で打ち返すが、地を這うように身をかがめて駆ける久路人には当たらない。

 ギィン・・・と久路人のベルトを掠めるように飛んで、氷にめり込んだのは鈍く輝く黒い金属であった。

 

黒鉄(くろがね)

 

 久路人の霊力をよく馴染ませた砂鉄が変容して生まれた物質であり、久路人の意のままに操ることができる。

 久路人は日頃からすぐ近くにこの黒鉄を細かく散布しながらプールしており、非常時にはこの金属を服に纏わせる。靴を覆い、スパイクとなっているのもこの黒鉄である。

 もっとも、服に纏わせられるくらい「意のままに」コントロールできるようになったのは、必要性に迫られたためについ最近のことであったが。

 だが、そんな努力が実を結んだからこそ、こんな奇襲もできる。

 

「咬みつけ!!」

「えっ!?」

 

 雫に当たるか当たらないかスレスレの位置に放たれた礫とは別に、その背後に打ち込まれた黒鉄が元の砂鉄に戻り、そこからさらに雫の本来の姿のような蛇に姿を変えて襲い掛かった。

 雫はつい後ろを向いてしまい、その隙に久路人が懐に入り込むのを狙い・・・・

 

「なーんて、ね!!」

「!!」

 

 しかし、これも失敗。

 雫の瞳が輝いたかと思えば、砂鉄の蛇はたちまち氷の中に閉じ込められる。

 それと同時に、久路人の方を見ずに振るわれた薙刀が襲い掛かるが、久路人は地面を強く踏み込んで急ブレーキをかけ、即座に後ろに下がり、間合いに入ることだけは免れた。

 だが、無理な体勢で制動をかけたことで、久路人の動きが止まる。

 

「いざ、御開帳ぉぉおおおおお!?」

 

 そして、今度こそ久路人に唐竹割りを仕掛けるべく、力強い踏み込みで前に進んだ雫であったが、今度は雫の方が止まる番であった。

 雫の眼の前にあるのは、バキンと氷を砕いて現れた、黒い握りこぶしを先端に象った鉄の棒だ。

 

「クソっ、ちょっとズレたか」

 

 雫の前髪を掠めて地面から伸びる棒は、久路人が後退する直前までいた地点の地下から伸びていた。

 下がる前に地面に黒鉄を埋め込み、蛇に変形させたのと同様に遠隔発動できるトラップとして利用したのだ。

 さすがの久路人も、目に視えない部分に働きかけて正確にタイミングを合わせるのは難しかったようだが。

 ともかく、二人の攻防の交錯の結果、お互いに近距離でのにらみ合いとなり、振出しに戻ってしまった。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 これまでのせめぎ合いはまったくの互角。

 大妖怪として身体能力、霊力という単純なステータスに優れる雫を、人間でありながら技に長ける久路人がいなしながら食らいつくという形だ。

 この時点で、久路人も充分人外の領域にいると言ってもいいだろう。

 だが、雫が周りの地面のように涼しい顔をしているのに対し、久路人の額には若干汗がにじんでいた。

 久路人の霊力は大妖怪を超えるほどに潤沢で、術の効果時間もほぼ常時続けられるほどに長いが、その体は人間のモノだ。強化し続けられる時間には限界があった。

 

 ここまでは互角。だが、次からは・・・・

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 そのまま二人はお互いの顔を正面から見据えるが・・・・・

 

「・・・・その、そんなに見つめられると、ちょっと」

「・・・・はァ」

 

 先に雫が顔を赤らめて目をそらすと、気が抜けたのか、久路人はため息をつく。

 それと同時に、庭に灯っていた灯篭の灯りが弱まった。

 

「あ、ご飯の時間だ」

「もうそんなに経ってたんだ」

 

 月宮家には灯篭の灯りが弱まる=夕飯の時間というルールがあり、「妖怪に襲われたときに対応できるようにするためのトレーニング」は終了である。

 もしもこれを破ることがあれば、メアは容赦なく二人の分の食事も食い尽くすということを二人は良く知っていた。

 

「今日はカレー作る予定だっけ?」

「ハンバーグもだね」

 

 久路人が雷起を解いて元の黒目に戻ると、雫も薙刀を水に戻し、地面に残る霜とともに消す。

 そして、それまでの気迫に満ちた姿が幻のように、二人は和気あいあいと家の中に入っていった。

 

 これももまた、月宮久路人と雫の日常である。

 

-----------

 

 始まりは、小学校の頃の久路人が妖怪に対して危機意識をほとんど持っていなかったことだ。

 「妖怪相手に警戒しないのはいいが、それなら余裕ぶっこけるだけの実力つけてからにしろや」とは京の言であり、小学校低学年の内は走り込みや受け身などの基礎を京の護衛としての実績があるメアが徹底させた。

 その後、「いつまでも異能のことを知らないのはまずい」ということで京が霊力の扱いを肉体的なトレーニングと並行して教えるようになる。

 小学校高学年からは護身用の武器が与えられ、「妖怪相手でも絶対に生き残れるようにしろ」という主の命令に忠実に従ったメアと武器あり異能ありの超スパルタ実戦形式組手が行われ、それはつい最近まで続いていたのだが、約一月前に雫が人化したことで様子が変わる。

 

「久路人が他の女と付きっ切りでいるなんて我慢できない!!」

 

 そんな想いを胸に雫がスパーリング相手として名乗りを上げたのだ。

 雫としてはメアの想いがどこに向いているのかは重々承知しているが、「それはそれ、これはこれ」であった。

 蛇の姿の時は細かな制御が苦手のため相手をする許可が得られず内心もどかしかったのだが、人化の術によってその事情は改善されたために認められた。

 人化の術の効果により、その動きは願いの影響を受けるが、雫は姿のイメージ不足を補うほどに強い願いを持っている。

 そのため、最初から武芸の達人の如く体を意のままに動かすことができ、武器を使った打ち合いもできるというのもポイントであった。

 こうして雫は、「はいはいご馳走様です。まあ、私としてもこれで時間を割かれることもなくなるからいいんですけど」というメアと交代し、毎日夕方に久路人と二人きりで過ごせるようになったのだ。

 しかし、何の問題もなかったわけではなかった。

 

「久路人~、運動もいいけどたまにはしっかり休まないとダメだよ!!」

 

「久路人!! 私が買ったパックの方にシクレア入ってた!! デッキ調整したから、おい、デュエルしろよ!!」

 

「え~、久路人に武器を向けるなんてできないし~」

 

 などとほざきながら雫が久路人の教導役という立場を濫用するようになったのだ。

 なんだかんだ言ってそこそこ付き合いのいい久路人も「しょうがないにゃぁ」と結果的にサボる始末。

 

 これには京もぶちギレ寸前になり、京の意を汲んだメアが見た目13歳の雫に、「主人公が戦闘中、安全なはずの拠点に籠っていた守られ系ヒロインが侵入してきた敵に・・・・」というシチュエーションのR18本を大量に読ませ、雫の脳を破壊。

 「時代は主人公の隣で戦えるヒロインだよね!!」という風に破壊された、もとい目が覚めた雫はトレーニングに積極的に取り組むようになった。

 その光景を見て、「君、素質あるよ」とメアが言ったとか言わないとか。

 

 ともかく、これで雫もまじめに修行相手を務めるようになったのだが、それでも「久路人に武器を向けるのは・・・・」という問題は解決しなかった。

 

 雫としても、護衛である自分だけでなく、久路人もいざという時に動けた方がいいというのは理解しているが、万が一傷つけてしまったらと考えたら手が鈍るのは仕方ないと言えるだろう。

 そしてとうとう、「久路人が力及ばず攫われて・・・・・この街丸ごと凍り付かせてやろうか?」という思考と「これは愛の鞭、これは愛の鞭、でも私、久路人相手ならどっちかというとMだし、いや、Sも興味ないわけじゃないけど」という思考がせめぎあった結果、ついに天啓に至った。

 

 久路人を傷つけるのがダメなら、久路人の服だけに狙いを絞ればいいのでは?

 

 この閃きが走った時、雫は運命を司る神の存在を信じたかけた。

 それほどの天才的あるいは悪魔的な発想であったのだ。

 

 これによって雫は久路人の意外と引き締まった腹筋や、意外な力強さを思わせる大胸筋、見ずともわかるセクシーさを持つ僧帽筋をトレーニングという大義名分のもとに合法的に観察するチャンスを得るために武芸と異能に磨きをかけ、それに引きずられるように露出癖のない久路人も貞操を守るべく修練に励むようになるのだった。

 これぞまさしく切磋琢磨というものだろう。

 

 ちなみにこの後、汗をかいていた久路人から風呂に入ったが、「さ、さすがにバスタオル巻いただけで突入っていうのは・・・・でも」と、久路人の次に入る予定の雫が脱衣所で悶々としていたのは別の話である。

 

 

-----------

 

 月宮家、リビング。

 そこは今、奇妙な圧迫感に包まれていた。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 固唾をのんで見守るのは、エプロンを付けた久路人と雫の二人だ。

 その視線の先には、箸を器用に持つメアがいる。

 メアはパーツにホムンクルス由来の生体パーツを使っているせいか、普通に食事もとれるし、京に出す食事を作ることもあって味覚も優れているのだ。

 ちなみに京は「阿呆らしい」とばかりにビールを飲みながら枝豆をつまんでいたが、3人の視界には入っていなかった。

 

「では、いただきます」

 

 ゴクリ・・・

 

 その音は、思わず唾をのんだ久路人と雫の出した音だったのか、あるいは咀嚼を終えて嚥下したメアのものだったのか・・・・

 目を瞑りながら一口食べ終えたメアは、そこでおもむろに目を開き、言葉を発する。

 

 

「つまらないですね」

 

 その評価は辛辣だった。

 そうして、数々の美食を口にした評論家のように、メアは語る。

 久路人と雫は初心者だ。ならば、先達の言うことを素直に受け入れねば上達はないという意識の下、メアから語られる厳しくもありがたい指導を聞こうと思い、たたずまいを整える。

 

「こういう料理をし始めたばかりの少年少女は、メシマズか、あるいは、「俺、なんかやっちゃいました?」とか無駄にムカつく感じに上手いというのがお約束で、こんな普通の味は・・・・」

「メアよ、お前いい加減二次元と三次元を混同するのは止めろと言っておるだろうが」

「というか、今までの無駄に話しづらい雰囲気は何だったんだよ・・・」

 

 が、そんな立て板に水と言うようにスラスラと語られる評価の内容が、雰囲気と覚悟に反してあまりにもしょうもなかったので、とうとう二人はツッコんだ。

 「だから阿呆らしいって言ったんだよ」と言いながら、京がちゃっかりと二人の作った料理を口に運んでいるが、誰も反応しない。

 京は少し悲しくなったが・・・・

 

「ん~~、久路人の焼いたハンバーグは火加減はいいが、事前のこね方が甘いせいで小麦粉がダマになってんな。あと一個卵を足してもいいかもしれねぇ。雫は汁物作るのは相変わらず上手いが、久路人とは逆に焼くのが下手だな。バラ肉が固まってるせいで食感が悪い」

「あ~、確かにこねる時間少なかったかも」

「むぅ、解凍はしっかりしたんだがなぁ」

 

 メアよりもよほど具体的なアドバイスをすると、久路人と雫はそろって反省した。

 

「クソイキリマウント造物主様。初心者相手に料理の玄人っぽく振る舞えて満足ですか?」

「お前がまともに評価してりゃそもそも済んだ話だろうが」

 

 自分の見せ場を奪われたのが悔しかったのか、今日もメアは毒舌だ。

 これで内心はかなりデレているのが信じられないと雫は思う。

 

 リビングはガヤガヤと騒がしかったが、これが最近の月宮家夕食の光景だ。

 発端はやはり雫が「私も久路人に手料理作りたい!!」とメアに料理の手ほどきを頼んだことに始まる。

 雫が料理を習い始めたのを見た京が、「料理は覚えて損はないからお前も覚えとけ」と久路人もねじ込み、二人そろって料理を作るようになった。

 久路人は異能のおかげで電子レンジとIHクッキングヒーターを常時感覚的にコントロールしながら並列稼働でき、雫は汁物の濃度が見ただけでわかるので、一部の料理の上達は早かったが、それ以外はまだまだである。

 とはいえ、二人とも並み程度には器用でメアの指示には従っているので、極端にまずいモノは作っていないが。

 

 

「うーん、確かに普通の味だ」

「なんというか、ちょっと粗はあるけど普通に食べられるっていう微妙な感じだよね」

 

 ともかく、一時は妙な雰囲気になったが、運動をして空腹だったこともあり、4人は食事を始める。 味は悪くはないし、話のネタにもなるのでリビングは料理の話で盛り上がっていたが、そこで久路人は雫の方を見て、ある疑問を抱いた。

 

「あれ、雫、血は飲まないの?」

「えっ!? あ、い、いやぁ~、今は血の味よりもご飯の味に集中したい気分なんだよね。久路人の血は食後のデザートっていうか?」

「ふ~ん?」

 

 最近、雫が自分の血を飲むところを見ていない気がすると久路人は思った。

 蛇の姿では、食事の時に一緒にビンの中身をチロチロ吸っていたのだが。

 まあ、血を溜めるボトルは数日おきに空になるし、雫の力が衰えている感じもしないから、飲んではいるのだろう、と久路人はそれきりそのことを考えるのを止め、目の前の料理に集中する。

 

「・・・・・・」

 

 そんな久路人を、複雑そうな顔で雫が見ていたことに、彼は気が付かなかった。

 

-----------

 

 夕食を食べ終えて、明日の仕込みを行った後は、久路人の案内で部屋に向かい、しばらくダラダラと過ごすというのが蛇の時も人の時も変わらないルーチンだ。

 朝方に不法侵入するなら、この時久路人の部屋にとどまればいいのでは?ということを雫も考えないではなかったが、久路人の部屋は見たところ廊下よりもさらに厳重に管理されており、一定の時刻を過ぎると雫を強制的に封印部屋に戻すという機能が仕込まれているのが分かると、早々に諦めた。

 決して、自分から「今日は久路人の部屋で寝たいな?」と言うのにヘタレたわけではない。

 

「えっと、サ行変格活用とナ行変格活用は・・・・」

「うぇ~、久路人よく古文なんてやる気になるね~」

「・・・お前がそれ言うの?」

 

 この時間に二人がやることは日によって様々だ。

 特にこれといって面倒な宿題がなければ昔のようにボードゲームをしたり、ポケットにいるモンスターで通信対戦したり、遊びの王のカードゲームでデュエルしたりとやりたいことをやる。

 だが今日は古文の宿題があり、久路人は教科書の古文の現代語訳をしていた。

 

「別に私は人里に行ったこともあまりなかったし、文字なんて読まなくても生きていけたし」

「だから古文の時間眠そうだったのか」

 

 雫はかなり長生きをしているが、大半を弱肉強食の野生世界に身を置いており、十分な力を得て安全で安定した暮らしと退屈しのぎをしに現世に来た時も人間に興味をあまり持たなかったので文字を知ることもなかったのだ。

 

「あれ、そういえば雫って相当長生きしてるみたいだけど、何歳な・・・・」

「久路人。いくら久路人でもしていい質問と悪い質問があると思うの」

 

 雫はにっこりと可憐な笑みを浮かべるが、その薄く開いた紅い眼は対照的に全く笑っていなかった。

 心なしか、夏が近いのに涼しくなったような気がする。

 

「・・・ごめん」

「ううん、わかればいいの。わかれば」

 

 久路人が謝ると雫は正真正銘のほほ笑みを見せるが、久路人は二度と年齢関係の質問を雫にはしないと決めた。

 

「でも雫って、古文漢文より英語の方が得意だよね。リスニングも上手だし」

「だって今はもう使ってない文法なんて覚えても役に立たないじゃん。私には受験とかないし」

「そこはちょっと羨ましいかもな・・・・」

 

 雫は久路人にくっついて授業を受けているが、生来の好奇心がうずくのか、意外に熱心に聞いていたりする。

 英語のスピーキングの時に、周りに見えないのをいいことにクラスメイトが喋っているのを遮って久路人の相手を務めようと大声で英語を話すのが少し迷惑だが。

 ただ、それは久路人が学生として学校に通わなければならないことが大きいらしく、二人で遊んでいる時の方が楽しそうではある。

 

「だったらさ、久路人、学校何てサボっちゃいなよ。家で私と日がな一日遊ぼ? 楽しいよ?」

「さすがに義務教育を受けずに中学を過ごしたくはないなぁ・・・そういうルール違反はよくないよ」

 

 そのせいか、今のようにたびたび久路人にサボるように誘いをかけてくる。

 久路人としても遊びたいのは山々だが、「学生は学校に通うべし」という社会的な常識を破るのはもっと嫌だった。

 

「久路人はホントにお堅いよね」

「別に普通だろ」

 

 こうしてその晩も久路人の部屋に強制排出機能が発動されるまで居座り、久路人は眠りにつくのだった。

 

「じゃあ、おやすみ、雫」

「うん、おやすみ・・・・久路人」

 

 

 部屋を去り際に、いつものように「おやすみ」を言い合う。これも二人のルーチンだ。

 だが、今日の訓練が堪えたのか、久路人はもう眠そうだったので夕食の時のように気が付かなかった。

 

「・・・・・・」

 

 雫がどこか後ろめたい表情をしていることに。

 

-----------

 

「はあ・・・・・」

 

 月宮家の2階にある一室で、少女はため息をついた。

 久路人の部屋から少し離れた場所にあるその部屋は、妖怪などに対する罠が唯一仕掛けられていない、雫の自室だ。もっとも、雫としてはここを自分の封印部屋としか思っていないが。

 この部屋には蛇であった時から寝るかテレビを見るためにしか使わない。漫画の類はメアの部屋に置いてあるし、ゲームは久路人の部屋だ。最近では自分の私物は久路人の部屋に行く口実も兼ねて少しずつ移していた。

 そんな部屋に新しく京が作ったベッドの上で、雫は紅い液体の入ったボトルを手で弄ぶ。

 

「久路人の血・・・」

 

 その血は、力を封じ込める器の中にあってもなお美しかった。

 ひとしきり満足した雫は、ボトルの蓋を開けて、その白く美しい喉を鳴らし紅い液体を飲み込んだ。

 

「やっぱり美味しい・・・・」

 

 この味は、昔から何一つ変わらない。

 量も質も増え、普段身に着けている護符が役に立たなくなりつつあるが、久路人の血の味は今も雫を満たす極上の味わいだった。

 昔ほどではないが、自分の霊力がわずかに増すのを感じる。

 それに・・・・

 

「んぅ・・・・」

 

 少女から、その幼さの残る見た目に似合わない艶めかしい声が漏れる。

 普段は雪のように白い肌にも、火照ったように赤みがさしていた。

 

「はぁはぁ、んんっ・・・」

 

 体が熱い。

 その吐息には火傷しそうなほどの熱がこもっていた。

 

「久路人、久路人ぉ・・・・」

 

 数百年の時を経て出会った、想い人の名前を口にしながら、白魚のような指が着物の下に潜り込む。

 右手は下に、左手は心臓の上に動いた。

 そして、そのまま指を動かし、指に当たる突起を弄繰り回す。

 

「はっ、あっ、んっ・・・」

 

 興奮する。

 その色に、その香りに、その味に、己の力の増大に。

 だが、何よりも・・・・

 

「久路人が、私の中に・・・・」

 

 最愛の雄の一部が、自分の体の中に入ることに。

 己の中で溶けて、自分の一部と化すことに。

 自分が、久路人に染め上げられていくことに。

 

「ん、あっ、んんぅぅ~!!」

 

 限界に達したのか、雫は一度ビクンと震えると、くたりと脱力したようにベッドに横たわった。

 

「はぁはぁ、ん、はぁ・・・」

 

 ボトルに溜めてあった、やや鮮度の低い血を飲んだだけでこれなのだ。

 新鮮な血ならば、それこそ、久路人の匂いに包まれながら、吸血鬼のように直接その体から吸えば・・・

 いや、逆に今日の訓練の時のように久路人の方から全身で自分にぶつかってきて、この身を押し倒し、そのたくましい体で・・・・

 

「・・・・ははっ」

 

 そこまで妄想して、雫は歪んだ嘲笑を浮かべた。

 この身に走った確かな快楽と、暗い悦び。今、心にに満ちる罪悪感で胸が張り裂けそうだった。

 

「契約とは言え血を飲んでるだけでもアレなのに、それで興奮して自分を慰めるなんて、完全に変態じゃない。しかも、もっとグレードアップしようとするとか・・・・・」

 

 ここ最近、久路人の前で血を飲まない理由がこれだった。

 雫は人化を果たした時点で、久路人への恋心を自覚した。

 だからだろうか、久路人の、想い人の血を吸うと、体が言うことを聞かなくなるのだ。

 ただでさえ、血を飲むなどという「普通の女の子」から程遠いことをやっているのに、こんなアブノーマルな痴態をさらしていることなど、絶対に知られたくなかった。

 

「久路人は、今の私を綺麗って言ってくれた・・・・・」

 

 雫は、あの日を、あの霧の中での言葉を死ぬまで忘れないだろう。

 蛇の姿の時にもかわいいと言われたことがあるが、あんなペットに向ける言葉とは違う、「女の子としての雫」を指して言ってくれた言葉だ。

 だからこそ、そんな「綺麗な女の子」らしくないと思われるようなことはやるべきではないとは思っているのだ。

 こんなことを続けていれば・・・・

 

「・・・・そうだ、明日の朝に久路人の部屋に行けるようにしなきゃ」

 

 そこで雫は立ち上がり、自らの異能で身を清め、水を消す。

 そして、少しでも久路人に近づくために動き始める。

 その積極性は、空元気に近いものだ。

 もはや雫は己の気持ちを自覚した。もう止まれないし、止まるつもりもない。

 

「えっと、扉にかかってる術はっと・・・うん、大丈夫」

 

 だが、もしも自分の歩みを止めてしまうことがあれば、その時自分は気付いてしまうだろう。

 自分の心の奥に潜むものに。

 

「よし、廊下には出れる。後は朝と同じように・・・・って、ん?」

 

 だから、雫はこのときも見て見ぬふりを・・・・

 

「え?なにこれ?」

 

 直後、それまで薄々と考えていた思考が吹き飛んだ。

 

 そして・・・・

 

 

「京~!!!!京、これはどういうことだぁああああああああああああ~!!!!!」

 

 

 夜中の月宮家に、雫の怒声が響き渡ったのだった。

 ちなみに、久路人はこの時には深い眠りについており、その日は起きることなくぐっすり眠れたという。

 

 

 

 




最後の方はちょっとエロに挑戦してみたのですが、規約とかに引っかかるなら書き換えます。


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白蛇と彼の一日(中学生編・夜の部・後半)

やべぇ、何でこんなに長くなってしまったんだ・・・・
とりあえず、これで本当に中学生編は終了です。

書きたかった京の内心も少し書けたから満足したぜ・・・
基本、京は見た目チャラ男ですが、めっちゃいい人で、異能者にしては大変珍しいことに人間ができてます。


あと、エロ系は色々怖いのと、拒否反応示しそうな方もいるよな・・・と思うので、これからは控えようと思います。


 ドタドタと廊下を走る音が響いた。

 それに追従するようにドォン!!!とかガタァン!!というトラップの発動する音が聞こえるが、走り回る足音は一向に途絶える様子はない。

 後でトラップの強化しとくかと、京は思った。

 

「京ぅ~!!ここにいたかぁああああああ!!!」

 

 そして、ついに目的の人物がいる場所を察知したのか、バタァアアン!!!と全力でドアを開けるとともに雫が部屋の中に突っ込んできた。

 

「お前夜中にドタバタうるせーんだよ。近所迷惑考えろや」

「月宮家の防音設備、および隣家との距離を考えれば、この程度の騒音は問題ないかと」

 

 居間でニュースを見ていた京が雫に説教しようとするが、ソファのすぐ隣に座っていた己の護衛に自分の意見を速攻封殺されていた。

 月宮家の設備を語るときのメアは、いつも微妙にドヤ顔だ。

 

「ええい!!そんなことはどうでもよい!!それよりも、久路人の部屋に行くルートの罠が朝とはまるで別モノではないか!!あれはどういうことだ!!!久路人の部屋に侵入できないではないか!!」

 

 瞳を紅くギラつかせ、凄まじい剣幕で吠える。

 そう、先ほど明日の下見を兼ねて罠を潜り抜けて久路人の部屋に行くルートを確認しようと思ったのだが、朝とは全く違う構成になっていた上に、封印部屋から居間にあるトラップとは桁違いの殺傷力のある罠に変えられていたのだ。

 「さては、自分と久路人の仲を引き裂くつもりか!!」と文句を言いに来たのだが・・・

 

「おいメア、ストーカーが堂々と「お前の家の警備厳重すぎ。もっと私に気持ちよくストーキングさせろ」とか言ってんぞ。盗人猛々しいとかいうレベルじゃねーな」

「月宮家は我が子同然。警備システムも随一です。そんな我が子が素晴らしさのあまり嫉妬の念を抱かれるのはもうこの世の真理であって・・・」

「いや、ちげーよ」

 

 「まったく、俺の作品の話になるといつも早口だよな」と京が呆れた視線を送っていると、

 

「貴様らいつまでコントをやっているのだ!!!質問に答えろぉおおおお!!!」

 

 自分をスルーして屋敷の自慢を始め、それにツッコミを入れる京を見て、いい加減堪忍袋の緒が切れそうなのか、雫は猛烈な冷気を放出し始めた。

「ちとふざけすぎたか」と京も面倒くさそうに雫に向き直る。今は6月で涼しいのは歓迎だが、寒いのは嫌だった。

 

「あのなぁ、考えても見ろよ。久路人は思春期男子だぞ? 一人にさせておいた方がいいこともあるんだよ」

「久路人様に自分の自慰行為を公開したがるような特殊な趣味はございません。雫様とて、ご自分の部屋に突然久路人様が入ってくるようなことがあったら困ることもあるのでは?」

「うっ!? そ、それは・・・」

 

 「あん?」と京が不思議そうな顔をする中、メアは思わぬ急所を突かれて反撃にうろたえる雫に意味深な視線を送る。このあたりは、自動人形とはいえ男性と女性の勘の鋭さの違いもあるのだろう。

 「だがまあ、ともかく」と京はどこか気まずそうな二人を見つつ言葉を切って、それまでのどこか軽薄な雰囲気を消してから雫を見やる。

 

「万が一ってこともあるからな・・・・お前と久路人の契約、緩んできてるだろ」

「・・なんだと」

 

 久路人と雫の間に結ばれた契約は、「雫は久路人が死ぬまで護衛をする代わりに、久路人から霊力を受け取る」というものだ。

 これに追加の条件として、

 

 一つ、久路人、京、メアの3人を不当に傷つけない。

 一つ、雫は契約の破棄のために第三者に上記3名の殺害を促してはいけない。

 一つ、「可能な限り」、一般人は傷つけない

 

 の3つがある。

 当然の条件として、これらが順守されている限り、久路人、京、メアも不当に雫を害することはできない。

 だが、この契約は久路人と雫の間に京が術者として入って結んだ契約だ。

 雫がかつての力を取り戻して、さらに力を高めるにつれて、久路人の内に溢れる力がさらに勢いを増すにつれて、段々と術者である京が縛れるレベルを越えつつあるのだ。

 

 「3人を傷つけない」という縛りについて、ここ最近行われているトレーニングは久路人も雫も合意の上かつ、雫に敵意がないため契約は発動しない。もっとも、その最中に雫が悪意を持って攻撃しようとすれば、その時点で雫は身を割かれるような激痛を味わうことだろうが、雫が悪意を向けているのは久路人の衣服にのみなのでやはり発動しない。

 だが、最近にあった久路人をイジメていた連中に対する仕打ちは別だ。

 確かに悪質な行動ではあり、雫が暴力を以て解決したことには京も何も言わなかったが、それでもそれは、「可能な限り」の範囲を逸脱していたことに間違いはない。あの程度の連中相手なら、さっきのように冷気を出して脅かしてやるくらいで充分だったからだ。

 他にも、メアが雫に京を侮辱されたときに攻撃できたこともそうだ。

 そしてもちろん、京も、メアも、雫も契約の綻びに気付いていた。

 

 だからこそ、その京の言葉は雫には見逃せなかった。

 

「もしや貴様は、妾が万が一にも久路人を害すると、そう言いたいのか・・・・?」

 

 それまでのどこか愛嬌のあった怒りとは違う、凍り付いた刃のような殺気が雫から溢れる。

 その目にはさきほどまでの輝きが失せ、ドロリとした闇が渦巻いていた。

 

「・・・・・・」

 

 殺気の質から、京の危機を察したのか、メアが京を庇うように前に出る。

 メアの眼は元々感情が希薄だが、今の眼は完全に人形のソレだ。

 雫は、メアならば京のためであるのなら、それまで笑いながら食事を採っていた相手でも躊躇なく殺せるであろうという確信があった。

 その姿勢は、今は邪魔だが、嫌いではない。

 だって、自分も久路人のことに関するのならば、京やメアを殺すのに何の抵抗もないから。

 だが、京はメアを手で制した。

 

「技術者ってのは、「もしこうなったら、こうする」っていう想定と対策をいつも考えてなきゃいけない生き物だ。この世に絶対なんてものはねぇ。可能性って意味ならどんなことでもあり得るが・・・」

「・・・・・」

 

 雫の手に、血を凍らせて作ったかのような真っ赤な薙刀が作られる。

 続けてふざけたことを抜かすようなら、一息に首を落としてやるつもりだった。

 

「だがまあ、俺の言った万が一は、お前の考えてるのとは違うぞ」

「何?」

 

 京が口にしたのは、雫の想像とは違っていた。

 雫の殺気が緩んだのを察してか、饒舌に京は語り始める。これ以上引き延ばすのはさすがに面倒なことになると思ったのだろう。

 

「まあ、本当に万が一、億が一、兆が一くらいでお前が久路人に敵意を持つ可能性もなくはないが、それよか可能性が高い危険だな」

「・・・なんだ?勿体ぶらずにさっさと言え」

「あ~、まあな、それはな・・・・」

「?」

 

 雫としては、余計な問答に付き合うつもりはない。

 結論だけが知りたいのだが、京にしては珍しくどうにも歯切れが悪かった。

 

「端的に申し上げますと、学生でない雫様はともかく、中学生という未熟かつ資産も職もない状況で、子供を育てるのは久路人様には荷が重すぎるという懸念です」

「は?」

 

 何の話だ?

 そんな主を援護するようにメアが意見を要約するが、雫には意味が分からなかった。

 

「お前、それは色々飛躍しすぎだろ・・・・まあ、要するに万が一ガキができちまったらどうすんのかって話だな」

「は?」

 

 ガキ、子供、赤ちゃん

 雫の脳内で、瞬時にそんな言葉が駆け巡った。

 

「はぁぁあああああああああああああああああああ!!?」

 

 雫の色白の肌がタコのように真っ赤に染まる。

 手に持っていた薙刀がシュウゥウウウウと湯気を立てて消えていった。

 

「な、な、お、お前たち何を言って・・・・ガ、わ、妾と久路人のこ、こ、ここここ、子供などとぉおお!!! は、破廉恥であるぞぉぉおおおおおおおお!!!」

 

「予想通り面白い反応すんなぁ」といった感じの京の視線と「お前にだけは言われたくない」と言わんばかりのメアの呆れた視線に腹が立った。

 

「はっ!? まさか、さきほどの万が一とは、「コイツなら久路人を性的に襲いかねない!!」という意味か!?」

「いや、お前の方じゃねーから。久路人の方だよ。中学生男子の性欲舐めんな。あいつが無理やりってこともあるかもしんねーだろ」

「雫様のヘタレ具合では、逆レが成功する可能性は限りなく0に近いかと」

 

 再び雫の脳内に某名探偵アニメのごとく電流が走り、さきほどの言葉の真意を察するが、二人はあっさりとその予感を否定した。

 

「な、なんだとぉう!? な、舐めるなよ!! 妾だって本気を出せばだなぁ!!!妾だって!!」

「できんのか?」「できるんですか?」

「それはだな、それは、その、あの、わ、妾にだって、えっと・・・・」

「ほら無理なんじゃねーか」

「予想通りでございます」

「ぬぅううううううううう!!!!」

 

 それなりにプライドを傷つけられた雫が反撃に出るも、今度は2発同時反撃を食らい、あえなく沈黙する。言い返したいが、さきほどの二の舞になるだけだということは分るので、雫は何も言えなかった。

 そんな雫を見て、京は不思議に思ったかのように言う。

 

「はぁ~、部屋に不法侵入までしてんのに、何でそこまでヘタレるかね」

 

 京からすると、ここ最近の雫の行動はよくわからなかった。

 言動と行動が一致していないというか、行動があと一歩足りていないような印象を受ける。

 京とて、そのあと一歩を踏ませないようにしている側ではあるが、雫は自分の意思で足踏みしているように見えるのだ。

 

「いえ、違いますよ、鈍感朴念仁根菜類。雫様は積極的だけどヘタレているのではなく、ヘタレているから積極的なのです」

「なっ!?」

「お前、とうとう罵倒が人間に向けるのじゃなくなってきたな。んで、そりゃどういう意味・・・」

「お、おいメア!!」

 

 主の疑問に答えるべく、口を開いたメアから放たれた特大の奇襲に、雫は思わず声を上げる。

 雫は焦りながらも止めようとするが、メアは意にも介さなかった。

 

「雫様、貴方は隠せているつもりでしょうが、我々も節穴ではありません。こういったことは当事者以外の方が気付きやすいものです。遅かれ早かれ、京も気付きます」

「少なくとも、久路人に関わることなら、今朝のこともあるし、俺には知る権利と義務があるが・・・・もしかして」

 

 改めて「何かある」ということが分かれば、京の優れた頭脳は回転を始める。

 どうやら、京も雫の行動が矛盾している理由に気が付いたらしい。

 

「ああ~、そういうことか。道理で行動がちぐはぐだと思った。まあ、俺も学会で他の術師どもから聞いたことはあるわ」

 

 見ていて驚くほどグイグイと迫っているのに、直前でヘタレる。

 自分の気持ちは自覚していて、止まる気はないのに進めない。

 そして、再び久路人に向かっていく。

 確かに羞恥心もあるだろう。だが、それは雫の中にある別の感情から来るものだ。

 

「・・・なんだ、そんなに悪いか? 妾が傷つくことを恐れるのは」

 

 バレてしまったのならばしょうがない。

 不貞腐れたように、雫はそう言った。

 子供云々の話で弛緩した居間の雰囲気が再び張り詰める。

 雫の口から語られるのは、薄々自覚しながらも見ないふりをしていた内心だ。

 自分では見ないようにしていた部分を外部から指摘され、雫は自暴自棄になっていた。

 

「そうだ。そうだとも、怖いに決まっている」

 

 

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 雫が人の姿になったあの日、恋心を自覚するとともに、雫の中から二つのモノが消えた。

 

 一つは、大妖怪としてのプライド。

 まあ、これはもう久路人の遊び相手を務めるようになってから段々と薄れていったが。

 あの日を境に久路人に対してそのプライドが発揮されることはもうない。

 

 一つは、諦観。

 久路人と友達でいい。などという妥協と諦めで、雫はもう縛れないし、満たされない。

 まるで底なしの穴になったかのように、雫は久路人をさらに深く求めていくことは、もう決定事項だ。

 

 だが、その代わりに背負うモノはより重さを増した。

 

 古来より、人間と人外が結ばれる逸話は多々ある。

 しかし、その中には幸せな結末で終わらない話もまた数多ある。

 常識、価値観、能力、嗜好などなど。人間と人外の恋路には、想像もできないほどの障害が待ち受けている。

 それらの壁に対する不安もその一つだ。

 だが、最大の重荷、今も雫の胸を締め上げるものはもっと別のモノ。

 

 それは恐怖。

 

 久路人に生涯を共に歩んでくれと言ったときに、断られるのが怖い。

 久路人に「やっぱり人外なんだな」と思われるのが怖い。

 久路人に疎まれるのが怖い。

 久路人の理想から少しでもズレてしまうのが怖い。

 久路人が別の誰かを選んでしまう可能性が絶対にない!!と言い切れないのが怖い。

 

「ああ、妾は恐ろしい」

 

 雫はかつて命を削りあうような環境に身を置き、生命の危機に瀕したことは何度もある。

 だから、死の恐怖、肉体的に感じられる恐怖は熟知している。

 だが、今感じている恐怖はそれらとは全くの別物だ。

 

「奪われるのはまだいい。いや、まったく良くないが、まだ耐えられる。その時は久路人のいる場所以外すべてを水底に沈め、下手人にこの世のありとあらゆる責め苦を与えて始末した後に取り戻して癒してやればよい」

 

 他の誰かに久路人が穢されたくらいで諦めるほど、雫の執着は温くない。

 だが、久路人から拒絶されたら、きっと自分は耐えられない。

 

 雫は心の底からそう思う。

 それは今まで味わってきた単純な死への恐怖とは違う。それは心の死への恐れだ。

 久路人に嫌われた時、その時雫という存在(こころ)はバラバラに壊れてしまうに違いない。

 

「そうだ。妾が久路人に迫るのは、単なる現実逃避と変わらん」

 

 諦めることなんてできない。だから前に進むしかない。

 けれど、嫌われたくない。拒絶されるのが恐ろしい。

 

 --ああ、お願いです。気付いてください。どうかどうか気付いてください。

 

 --自分の口からは怖くて言えない。だから、貴方の方から来て欲しい。

 

 --たくさんたくさん、あなたのために頑張るから、私を好きになってください。

 

 --私にできることなら何でもします。私のすべてを捧げます。だから、どうか。

 

 --お願いだから、いつか、私のことを迎えに来てください。

 

 

 その想いは、人間であっても恋をする者ならば抱くモノなのかもしれない。

 だが、自分は人外だ。

 確かに久路人は妖怪も人間も同じような視線で見ているが、長く人の社会に触れたせいか、昔に見えていた異質さは鳴りを潜めている。

 久路人は永遠に妖怪を人間のように見てくれると、一体誰が保証してくれる?

 よしんばその目線が保たれたとして、友達止まりならいざ知らず、伴侶にまで妖怪を選んでくれるのか?

 恋心が破れることの恐怖に加え、「人外だから」拒絶されるかもしれないという恐怖が合わさり、いつしか雫の心の奥底に、消えないシミのように残り続けた。

 その恐怖を忘れられるのは、久路人の近くで触れ合うか、あるいは久路人のことを想う時。羞恥心と胸の高鳴りだけが、一時の間雫に安らぎを与えていた。

 

「どうだ?妾の心を丸裸にして満足か?ん?」

「「・・・・・」」

 

 何も言わない二人を見て、雫は皮肉を込めて嗤う。

 その瞳はその口調に反して、悲しそうに潤んでいるように見えた。

 その皮肉気な物言いは、引き出した京とメアに向けているのか、それとも今まで抱えていた自分に向けているのか、雫にもわからなかった。

 

「どうした?何か言ったら・・・」

「まあ、満足ちゃあ、満足だな。わからねぇよりずっといいさ」

「ええ。雫様。貴方に謝罪とお礼を。よく話してくれました」

 

 そんな雫を見た二人は、お互いにわずかに目配せをした後に、自嘲するかのような雫を遮って口を開いた。教会で牧師が懺悔を聞いたときのように、二人は馬鹿になどしない。メアが深く腰を折ってお辞儀をすると、京も倣うかのように、「悪かったな」と頭を下げる。

 その言葉を聞いたとき、雫の心の中が少し軽くなったような気がした。溜まっていたモノをいくらか外に出せたようにも思えた。まさしく、懺悔を終えた憐れな子羊のように。

 

「お前たち・・・・」

 

 雫は意外そうに二人を見る。

 メアとは最近はそれなりに仲がいいとは思うが、京の方は単なる契約上の関係で情などないと思っていたからだ。

 

--そうか、こやつらも、妾の事情を分かってくれたのだな・・・・

 

 雫の心の中に、久路人に抱くモノとが違う温かい何かが湧いてくるのが分かった。

 今の雫にはこの正体がわかる。これは「友愛」というものだ。

 

「ならば、京。久路人の部屋に行くに道を・・・・」

「いや、それとこれとは話が別だろうが」

「ええ、その問題は雫様個人が解決すべきことであって、我々も、久路人様も関わることではございません」

「何ぃ!?」

 

 友達ならば、きっとこの願いも聞いてくれる。

 そう信じて雫は続けようとするが、信じたばかりの友人に速攻で裏切られて、雫は思わず愕然とする。

 

「ガキができたらヤバいって事情は何も変わってねーだろうが」

「そのまま逃げていても、その場しのぎにしかならないことは確定的に明らかです」

「貴様ら!!妾の悩みを何だと思っている!!妾は一体どうしろというのだ!!」

「まあ、俺としてはガキができても育てられる年齢、まあ、二十歳くらいになるまで待てってとこだな」

「ええ、ひとまず設備の方は現状維持しつつ、その間に雫様には折り合いをつけていただくのが一番かと」

「お、おう・・?」

 

 京とメアはどこまでも冷静だった。

 雫の癇癪のような噛みつきにも、ある程度具体的な答えが返ってくる。このあたりは単純な年齢でなく、経験の差だろう。

 二人の答えは端的に言えば先延ばしだが、なんとなく、「その方がいい」と雫は思った。

 今の久路人は13歳。いつまでも先の分からない間を待つのは無理だが、7年くらいならばまあ許容範囲内だろう。

 問題は・・・・

 

「しかし、折り合いをつけると言ってもどうやって・・・」

「それは雫様ご自身にしか決められないことです。私たちが何か言ったところで、それが正解になるかわかりません」

「さすがにそれは俺たちでもわかんねーな」

「むぅ、まあ、致し方ないか」

 

 あの恋心を自覚するきっかけとなった日にメアが答えてくれたように、答えが得られるかと思ったが、さすがにそれは甘えすぎかと雫は自答する。

 けれども、やはりどうしたらいいのかは、自分ではわからなかった。

 

「けどまあ・・・」

「む?」

 

 そこで、京が何かを思いついたかのようにポツリと口に出した。

 京は異能者であるが、多くの修羅場をくぐり、海千山千の人間社会暗部にいた時期もある。精神的な事柄ならば、単純に戦ってばかりいた自分よりも経験があるのだろう。

 

「心の中で何かうまくいってない、うまくいくかわからないって思う時は、とにかく成功体験をして、「前に進んでる」って形にして思うのが大事だな」

「逃げてばかりでは意味がない。「自分はこれだけ進んだのだ」という足跡を残すということですね?」

「まあ、そんなとこだ」

「目標のための足跡か・・・」

 

 それは、実に社会人らしい意見であった。雫はふと考え込む。

 自分は確かに人間の姿になってから、久路人の気を引くためにアピールしてきた。

 だがそれは、己の恐怖から目をそらすための逃避でもあった。

 「これだけのことをやった!!」と、何か目に視える形、言葉でわかる形で進めということだろう。

 ならば、ちょうど決めようと思っていたことがあった。久路人がクラスで他の男子たちと飯を食っていた時に首をもたげたことだ。

 あの時、久路人は自分のことを呼ばなかったが、他の男子たちは皆どのように女子のことを呼んでいただろうか。もしもあの時に同じモノを持っていたら、久路人は自分のことを呼んでくれたのではないだろうか。

 

「なあ、京よ。契約の時にはそのものを表す名が重要なのだろう?」

「ん?ああ、そうだが・・・・」 

「ならば妾は、名字を持とうと思う。契約の時には、そのものを表す名は具体的なモノであるのが望ましいが、久路人には月宮という名字があるのに、妾には何もなかったからな」

「そりゃあいいが、なんで今そう決めたんだ?」

 

「急に何を言い出すんだ?」と京は怪訝そうな顔をする。

 自分が今言った、「前に進んでいる」ということと関係があるのだろうか?

 不思議そうな京を見て、雫はどこか得意げに言う。

 

「決まっている。結婚もある種の契約だろう? 久路人と夫婦になるには、結婚式を挙げねばならん。そして、結婚するには戸籍がいるし、そうなったら名字は必須だ。 ここで名字を持てば、久路人と一緒になる障害が一つ減るではないか」

「道理ですね」

 

 メアの言う通り、確かに論理的な意見だった。

 小さいことかもしれないが、やらないよりはずっといい。

 

「なるほどな。んで、どんな名字にするのかは決めてんのか?久路人に考えてもらうか?」

「いや、これは妾が決める。妾が前に進んだと思う一歩目だ。妾が考えずして恰好は付かん・・・・・そうだな」

 

 直感的に、この話を始めた時には思いついていたのかもしれない。

 そうだ、ちょうど今の季節だった。

 

「うむ。「水無月」だ。今日より、妾は「水無月 雫(みなづき しずく)」。まさしく今この時期。久路人と初めて会った月の名だ」

 

 今ここに、「水無月」の字を背負う妖怪が生まれた。

 

「安直かもしんねぇが、センスは悪くないな」

「ええ。明日にでも、久路人様と契約の更新をしないといけませんね」

「む!!言っておくが、絶対に妾より先に伝えるでないぞ!!妾が伝えるのだからな!!」

 

 

 こうして、その日の夜、雫は大人しく自分の部屋に戻って眠るのだった。

 

 

 この日から、雫の積極性は、少し抑えめになった。

 少なくとも、その日に新しく仕掛けられた罠を解析して久路人の部屋に行こうとはしなくなった。

 訓練の際に久路人の脱衣を狙ったり、久路人の授業を時々妨害したりするのは変わらなかったが、血を飲んだ後にはなるべく我慢をするようにもなった。

 自分が逃げる方向に進んでいるのか、それとも前に進んでいるのか? そのことを意識するだけでも、雫にとってためになったのだ。

 

 余談ではあるが、翌朝に雫が、「唐突だけどね、私、これから「水無月」って名字にしようと思うの」と言ったときのこと。

 その日はちょうど梅雨に入ったらしく、霧雨の降る朝だった。

 窓ガラスについた雨の「しずく」を見ながら・・・

 

「そういえば、ちょうど今の時期だったもんね。お前に会ったのは」

 

 昔を懐かしむように微笑みながら、久路人は雫と同じことを返したのだった。

 

 

-----------

 

 さて、これは本当に余談だ。

 雫が名字を決め、「絶対に先に言うなよ!!いいか、絶対にだからな!!」と「それはフリなのか?」と疑いたくなるようなことを言って自室に戻った後のことだ。

 

 

「反対はしないのですね」

「あん?」

 

 雫が居間に来る前の同じように、ニュースを見始めた隣で、同じく視線をテレビに向けながらメアはそう言った。

 

「いえ、雫様のことです。雫様が久路人様に懸想をして、将来は結婚のことまで考えているのに、それに反対しないのですね?と」

 

 雫も察していたことだが、人間と人外の結婚というのは人間同士のそれよりもはるかに障害が多い。

 隣に座る己の主は、その一見軽薄に見える外見とは裏腹に情に厚く、特に甥である久路人のことは目にかけている。

 そんな甥に困難な道を歩ませることになってもよいのか?とメアは疑問に思ったのだった。

 

「まあ、俺としても思うところがないわけじゃなかったが・・・・ここ数年見て、最近の人化を成功させた後のことを観察してりゃ、久路人の相手は雫が一番ってのはわかんだろ。あそこまで、「血」じゃなくて久路人本人を見てやれる女が何人いるか。余計なしがらみがないってのは高ポイントだ」

 

 「久路人も脈なしじゃなさそうだしな」と続ける。

 こういった色恋沙汰は、当事者よりもその周囲の方が察しが付くものだ。

 

「とりあえず、火向(ひむかい)霧間(きりま)が出してた許嫁の話はお茶濁しとくわ」

「・・・断るとは言わないのですね」

「雫にも言ったろ。いざという時の保険は残しときたいんだよ」

 

 火向も霧間も、日本有数の霊能者の名家だ。

 久路人の価値というのは、本人が思う以上に高い。

 妖怪をおびき寄せるのは、うまく使えば撒き餌として有効、その血は強力な術の触媒になり、身に秘める異能も人間としては破格である。

 久路人には言えないが、京も一魔術師として、久路人の霊力を密かに回収して術具の開発や動力源に利用したりもしている。京が久路人を匿う理由の一つだ。

 今は世界中の霊能者、魔術師の集まりである「学会」の幹部メンバー、「七賢」の内、「巨匠」の異名を持ち、「序列三位」である京の庇護下にあるために余計な干渉をしてくる者はいないが、そうでなければ泥沼の争いが起きていた可能性が高い。

 

「雫様にバレたら、事ですよ」

「わかってるよ。今の雫は「神格」に届く手前にいるくらいのバケモンだが・・・お前ならどうにかできるさ」

「はあ・・・せっかく大事にお手入れしている我が子たちが何本か犠牲になりそうですね」

「まあ、そもそもバレなきゃいいさ。バレないうちにさっさとくっついてもらった方が色々楽だな。あの年でガキがデキて、そこからなし崩しにってのはさすがに色々アレだからしょうがないけどよ」

 

 二人の間にあるのは、絶対の自信だ。

 仮に雫と敵対することになっても、それなりに手痛いダメージは負うだろうが、勝てるという確信が二人にはあった。

 

「しかし、本当に久路人はいい拾い物したもんだよ。最初は体のいい護衛兼「受け皿」になればいいとしか思わなかったが、まさか嫁を拾ってくるとは」 

「まさに蛇女房ですね。ですが、本当によろしいのですね?」

「ああ。正直久路人は相手が妖怪でも人間でも大して苦労に変わりはないだろうよ。だったら、あいつを守れる上に、心から支えてやれる雫が一番だ」

 

 

 兄貴でも、同じ判断をするだろうさ。

 

 

 京は遠くを見るようにそう呟いた。

 

「・・・・・・」

 

 京は思い出す。

 兄は、久路人の父親は異能を除けばいたって普通の人だった。

 弟であり、幼いころから「神童」として術具師の才能を発揮していた京にも優しく、京も兄のことは他の一族の俗物どもと違って好きだった。

 普通の家に生まれていれば、普通に学校に通い、普通に友達を作って、普通に仕事について、普通に結婚して、そして老衰で孫に見守られながら死んでいく。

 そんな生き方ができるはずの人だった。

 その身に宿る、久路人と同じような血さえ流れていなければ。

 

「兄貴は、最期には自分の異能に体が耐えられなかった。だから、兄貴よりも何倍も強い力の久路人には、小さいころから余剰の霊力を溜める受け皿が必要だった。それだけだったのにな」

 

 兄は、異能第一主義とも言える月宮家に嫌気がさし、後年の京と同じく家を飛び出した。

 京ともたびたび連絡を取って封印の護符を作ってやったりもした。久路人が持っている護符のノウハウは、兄に渡した護符によって培われたものだ。

 そして、兄は異能の血族ではない、普通の女性と恋に落ち、久路人をもうけた。

 一族の連中が強い異能を得るために方々の霊能者の血を取り込んでいたというのに、歴史上でも初代月宮に並ぶであろう逸材が、普通の女から生まれてきたのは、なんと皮肉なことだろうか。

 だが、そんな兄の最期は、自分たちの家族を襲った妖怪を撃退するために異能を使った時、封印に押さえつけられていた力が暴発し、妻もろとも亡くなった。本来ならば、封印の護符を使っていたからといって、そのようなことはありえない。「本能が、この異能は扱えないと判断し、より魂の奥底に封じ込めようとしたのでしょう。貴方が気に病むことではありませんよ。むしろ、こんな時期にこちらに貴方を呼び戻したことを心から謝罪いたします」と頭を下げたのは、「第一ノ七賢」、「魔人」である。

 ロンドンから帰って、崩れた家の前で茫然としていた京の前に、メアが奇跡的に瓦礫の隙間にいて助かっていた久路人を連れてきたとき、京は決意した。

 

「兄貴を殺したのは、俺みたいなもんだ。だから、俺はその罪滅ぼしとして、必ず兄貴の残した久路人を幸せになるように育て上げる。んで、久路人の寄る辺に雫が一番なら、二人が結ばれるように立ち回るさ」

 

「・・・・・」

 

 そう言う京の瞳は強い意志に満ちていたが、長年連れ添っていたメアには分かる。

 京の心は、今も自分を責め続けていると。

 メアは思わずその手を伸ばして、京の手を握ろうとするが、思いとどまる。

 

 自分から京に触れようと思う時はいつもそうだ。

 慰めてあげたいとき、笑って欲しい時にも、人形たる自分はその行動に疑問を持つ。

 

 私は人形。魂ある人形。悪夢の成れの果てが埋まった人形。

 悪夢の残滓たる人形に、主を哀れに思わせているのは何なのか?

 人形は自分の意思では動かないモノ。

 ならば、私を突き動かすこの「声」はなんだ?

 

 そう、今も、メアの中では声がする。

 

「愛されたい愛されたい愛されたいあいされたいあいされたいあいされたいアイサレタイアイサレタイアイサレタイアイサレタイアイサレタイ」

 

 それは、無数の少女の願いの残滓。

 自分の想い人に愛されたいと願う心

 その願いはさらに告げる。

 

 人に愛されたいのならば、自分も人を愛せ。

 

「愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せあいせあいせあいせあいせあいせあいせあいせあいせあいせアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセ」

 

 さあ、目の前の男を愛せ。

 手を握ってやれ、抱きしめてやれ、慰めてやれ。

 そうすれば、男もお前を・・・・・

 

「・・・・っ!!!!」

 

 人形であるはずのメアが、寒気を感じて思わず自分の肩を抱く。

 京に伸ばすはずだった手は、浅ましくも自分を守るために使われ・・・・

 

「大丈夫だ」

 

 大きく、たくましい腕が振るえるメアを抱きしめた。

 

「お前はもう「悪夢(ナイトメア)」じゃない。ただの「メア」だ」

「京、(わたくし)は、ワタシは・・・・」

 

 自分に回した腕を、京の背中に回し、しがみつく。

 京は何も言わずに、目の前の人形を、否、女の頭を撫でた。

 

 多くの亡霊の集合体であったとある怪異。

 その怪異は討伐され、核となった少女の念は解放された。

 しかし、少女は未だに悪夢に囚われている。

 その魂に残る呪いを、本体を傷つけぬように除去するのには、すさまじい精密さと出力を持った術具と、長い儀式に耐えるだけの極上の霊力が必要だった。

 

 男と女の影が向かい合い、やがて一つに繋がる。

 

 京は口付けを交わしながら、目の前の女を抱きしめる。

 目の前の女を、そう、自分が久路人を手元に置く、もう一つの理由を。

 

 一つになった影は、口付けだけでは止まれなかった。

 

-----------

 

 少年と蛇の少女が眠りにつき、術具師と人形が想いを確かめ合うのと同時刻。

 

「ああ、久しぶりの外の空気じゃが・・・・臭うのう」

 

 女は、顔をしかめながらそう言った。

 その足元には、右腕がなく、足が妙な方向に曲がった少年が転がっている。

 辺りを見回せば、少年と同じような学生服を着た人影が二つ倒れていた。

 ただし、片方は首から上がなく、もう片方は腰から下がなかったが。

 

「が、あ、たす、助け・・・・がああああああああああ!!?」

 

 その森の奥の一角は血生臭さに満ちていた。

 グシャリと、耳を塞ぎたくなるような水音とともに地面に転がった最後の男の背中を、細い美脚が踏みつけ、内臓を突き破って腹の皮を踏みにじる。

 

 そこは、とある霊能者の一族が管理する土地であり、京も許可なく立ち入ることはできない場所だった。

 しかし、異能の薄れた現代ではありがちなことだが、管理者がその任を怠り、ろくな見回りもしなくなっていたというのが、荒れた森の様子からよくわかる。

 真っ二つに割れた岩が転がり、そこに巻き付いていた注連縄も年月による劣化で風化していたのが見て取れるが、注連縄に付いていた札だけは比較的損傷が少なく、人間の手によって剥がされたのだと推測できた。

 

「ふむ。だが、()には分かるぞ。かすかにだが、霊脈を伝って、極上の餌の香りがするぞ」

 

 そこに立っていたのは、豪奢な着物を纏った美しい女だった。

 ふわりとウェーブのかかった長い金髪に、金色の眼、豊満な肢体。

 だが、なによりも特徴的なのは・・・・・

 

「くふふ、ああ、今にでも食いに行きたいところじゃが、まずは今の現世のことを知らなくてはのぉ」

 

 バサリと九本の黄金に輝く尾を広げながら、その「神格」を持つ妖怪は、「九尾」は、妖艶な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 




次の高校生編は、今回出てきた大妖怪が色々と引っ掻き回す予定です。
ちらっと出てきた異能者の一族のことは、書けるまで続くといいなぁ(他人事)。

あと、この小説を気に入ってくれたら、お気に入り登録と評価ポイント、感想お願いします!!
読みにくいところとか、分かりにくい表現してるとか、悪いところも上げていただければ幸いです(人格否定とかは、さすがに遠慮願いますが・・・)


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第二章 前日譚 永遠にあなたと在るために
前日譚 高校生編1


今回は説明回の上、久路人と雫は最後の方にしか出ないです。
これだけだとアレなので明日もう一話上げる予定ですが、読み返したら前日譚6と夜の部後半の会話文あたりがグダグダなので大まかな流れは変えませんが書き換えを行います。
そちらに時間がかかったら明日の投稿は無理かもしれません。
(今晩は僕が嵌りこんでいるブラウザゲーの生放送もあるので。みんなも千年戦争アイギ〇、やろう!!)


 かつて、この世界は水槽のようだと「魔人」は言った。

 水槽の片側にある現世と、もう片側にある常世がその全貌。そして、それを仕切る「壁」を「狭間」と呼ぶ。

 かつて、狭間に空いた大穴から現れ、現世を瘴気の満ちる常世へと変えるべく、穴を広げ、狭間を壊そうとした「魔竜」。魔竜から現世を守るために結成された「学会」とそのリーダーである「魔人」。

 この2者の争いは七日七晩続き、最終的には魔人の勝利に終わり、魔竜と和解することで幕を閉じた。

 当時の常世のトップにいた魔竜が敗れ、人間と和解したことにより、常世側から現世への干渉は激減し、学会もまた常世を刺激するような真似を禁止したことで現世と常世の間には平穏が訪れた。

 そうして、現世では常世の脅威から世界を守るために「異能など存在しない」という共通認識を利用して人外の動きを抑制する結界、通称「忘却界」が張られ、妖怪やら魔物やらに襲われることはほぼなくなった。

 しかし、忘却界も完全なものではなく、異能者の出現や偶発的に開く穴によって人外による被害が起きることもなくはない。

 

 だが、「異能の存在から守るために異能の存在を教えれば、それだけ「異能など存在しない」という認識が薄れて危険が増える」というジレンマがあり、政府やら国やらにその存在を知られるわけにはいかない。

 表向きの体裁を整えて大々的に警邏や救助活動をするのも同様のリスクがあり、これも難しい。

 よって、今の学会は消極的なスタンスをとっており、穴の頻発する地域のみに有力なメンバーを派遣し、穴が空き次第即座に塞ぎ、目撃者がいた場合には入念に記憶や痕跡を消す程度にとどめている。

 ただ、もしも大穴が新たに空くことになれば、現在の学会幹部である七賢が総がかりで挑むことになるだろう。

 

第一位 魔人 ファウスト

第二位 永仙 青嵐

第三位 巨匠 月宮京

第四位 万転 ステラ・フィクス

第五位 紅姫 霧間・リリス

第六位 万理 ファイ・フィクス

第七位 鬼門 鬼城操間

 

 この7名とその護衛たる伴侶によって、現世と常世の均衡は保たれていると言っていい。

 特に第三位、「巨匠」と、第四位、第六位にいる「万転」および「万理」のフィクス夫妻によって偽装死体の用意や記憶の消去、地形の修復用術具が多数開発されたことで簡単に事後処理が可能になった。

 元々人外による被害は稀であるため、今後も現世の平穏は保たれる・・・はずであった。

 

 

「最近、妙な雰囲気を感じるのよね」

 

 湯気の立つ紅茶の入ったティーカップを上品に口にしてから、その少女はそう言った。

 

「ここ数年、行方不明者が増えてる。それも、都市部のホームレスやら田舎の孤立世帯みたいな、「いなくなってもすぐには気付かれない」連中が消えてるな。ご丁寧に街なら筋モンの近く、地方なら熊だの猪だのがいるニュースがあった場所でだ」

 

 同じように紅茶をすするも、対面のソファに座る少女とは比べるべくもなく粗野、あるいはチャラい恰好の男、日本にいる2人の七賢の内1人である京はそう返す。

 

 そこはとある山中の奥深く。

 一年を通して霧が発生することから「霧間谷」と呼ばれる場所であり、日本の異能者の名家の一つである、「霧間」一族の住む土地だ。

 二人が話しているのは、霧間一族本家の屋敷からやや離れた場所にある洋館の一室であり、京の対面に座る人物はその女主人である。

 

「本当、むずがゆいというか、小骨がのどに刺さったような気分だわ。人外が原因なのかどうかはっきり断定できないのが気持ち悪いって感じ」

 

 その綺麗に整った眉をしかめながらそう口にするのは、異国の少女だ。

 ツリ目の紅い瞳に抜けるような白い肌、というのは京がよく知る蛇に似ているが、より生気が薄い印象を受ける。美しい金髪は少女漫画に登場するドリルのような縦ロールに整えられ、ツインテールになっていた。身に着けている衣装もゴスロリと呼ばれるようなやたらとフリルの付いたコスプレにしか見えない格好だが、本人の可憐な容姿によく似あっており、違和感がない。

 一見すると日本のオタク文化に憧れた外国人観光客といった風だが、会話の内容から分かる通り、一般人とは程遠い存在だ。というか、「人」ですらない。

 

「アンタのご自慢の術具でなんとかわかんないの? 第三位の天才術具師様?」

 

「そっちこそ、コウモリだのネズミだのの眷属で探らせてねーのか、第五位の真祖さんよぉ?」

 

 真祖。

 京の口にした言葉は、「吸血鬼の皇族」を意味する。今ではほとんどが常世に住まう「吸血鬼」と呼ばれる種族の祖先の血を色濃く引いた高貴な存在である。

 第五位という枕詞の通り、「紅姫」の異名を持つ、日本にいるもう一人の七賢でもあり、人外が扱う様々な術の専門家だ。ちなみに、海の外では「物理法則を霊力で歪めてあり得ない現象を起こすモノ」である「術」のことを「魔法」と呼び、霊力のことを「魔力」と言う。

 そして、なぜそんな大物が霧間の土地にいるかといえば・・・・

 

「・・・・リリス、おかわりはいるか?」

「ん。いただくわ。ありがとうね、オボロ」

 

 空になったティーカップに、これまでソファの後ろに控えていた偉丈夫が紅茶を注ぐ。

 紅茶を受け取る少女、リリスの顔に浮かぶのは、京に向けていた表情とは比較にならないほど柔らかい笑顔だった。

 

「・・・・京さんも、どうぞ」

「お、悪い・・・」

「そこの陰険侍!!尻軽造物主に飲み物を渡すのは、この私の役目ですよ!!」

 

 リリスの対面にいた京のカップも空になっていたのを見て取って、オボロと呼ばれた青年がリリスのものと同じように礼儀正しい所作で紅茶を注ごうとするも、京の隣に座っていたメアに阻まれた。

 青年の持っていたポットをひったくるように奪い取ると、これまた完璧な姿勢で京のカップを満たす。

 無表情ながら、フフンと笑っているようなドヤ顔を見せられ、オボロは何とも言えない表情をした。

 

「ちょっと、そこの人形。人の夫を罵倒した上にアタシの屋敷で野蛮な振る舞いをするなんてどういう了見かしら?」

「穴倉に籠りすぎて脳みそが腐りましたか?私はこの身だしなみにも口調にも一切頓着しないズボラ野郎の従者ですよ?あなたたち相手にはこれがデフォルトです」

「巨匠、アンタこの腐れ等身大メイドフィギュアにどんな教育してんのよ!!」

「お前こそ、自分の旦那、それも霧間家の当主に燕尾服着せて茶くみさせてんじゃねーよ」

「・・・・・いえ、お気になさらず。自分の趣味ですので」

 

 ギャアギャアと姦しく騒ぐ女性陣を尻目に、オボロ、霧間朧はマイペースにそう言った。

 彼こそが、真祖にして七賢五位であるリリスが霧間一族の土地に住むようになった理由であり、ひいては京たちが集まって話す理由でもある。

 

「霧間の方は、なんか言ってねーのか?」

「・・・・いえ、自分は霧間一族全体から疎まれているので」

「フン!!あんな軟弱で陰湿な連中に期待するだけ無駄よ、無駄!!」

「あなた方が疎まれているのは自分たちの行いのせいだと思いますが・・・・」

 

 霧間家の当主とその妻に苦言を呈されてる霧間一族は、古来より火向一族と並んで人外から人々を守るべく奮闘してきた一族だ。学会の方針と違って積極的に動こうとしているのだが、その動きは当主たる朧に止められている。代わりに、学会の幹部であるリリスとともに朧が事後処理を担当しているという現状だ。

 朧は昔に「強力な人外がいるらしい」と、ドイツの片田舎を修行で通りかかった際に、地下で1000年以上文字通り寝食を忘れて人外の扱う魔法の研究に没頭していたせいで弱体化し、さらに忘却界の影響と空腹のあまりうっかり昼間に出てきたせいで日光を直接浴びたことによるトリプルパンチで死にかけていたリリスを発見。そこで何を思ったのか自分の血を与え、リリスは朧の修行に同行するようになり、紆余曲折あってリリスが七賢に認められた後に日本に戻って来ることとなった。

 妖怪の発する霊力は基本的に人間にとっては精神的な毒であり、大抵の人間は異能者であっても、よほど力が上回っていない限り人外には恐れと嫌悪感を抱くのが普通だ。

 それもあって霧間一族は人外を明確に「人間の敵」と見なしている。京ですらメア以外の人外にはあまりいい印象を持っていないが、ここにいる朧や久路人は極めて稀な例外である。

 人外、それも吸血鬼の真祖などという大物を妻として紹介しに来た昔の朧にそれはもう盛大に反発したらしいのだが・・・・

 

「・・・・リリスとの結婚を中々認めてくれなかったので、大喧嘩してしまいましたから」

「あの時の朧、ものす~っごくカッコよかったな~」

 

 当時のことを思い出すかのように苦笑いをする朧に、ぽ~っと恍惚とした表情を浮かべるリリス。

 それだけ聞くと頑固な一族相手に真摯に説得したうえで結婚を認めてもらえたように思えるが・・・・

 

(妹含めて反対する一族全員斬り伏せて一方的に半殺しにするのを大喧嘩とは言わねーよ)

(サイコパスですね)

 

 惚気ている霧間夫妻に気付かれないように、小声で言い合う京とメア。

 斬った肉親の返り血まみれの朧と彼に飛びついて喜んだことでその服を赤で染色したリリスは、その直後にお互い頬を染めながら、文字通り全身真っ赤になって霧間本家で式を挙げたという。まさしく吸血鬼の旦那にふさわしい鬼畜の所業である。ちょうど所用で霧間一族を訪れた時、妹から女/未になりかけている霧間の息女の傍で深紅に輝くルビーの指輪を交換し、キスをしている光景は中々忘れられそうにない。もしも自分が代替内臓の研究をしていなかったら、霧間一族はその日に滅んでいただろう。

 久路人に来た見合い話も、この狂った当主に対抗するための措置なのではないかと思う。

 なお、霧間夫妻からは、「亡霊の大物を嫁にするためにホムンクルスのボディ造るから、生体パーツのサンプル用に内臓を下さい」と霊能者の家を回って土下座した精神異常者とそいつに心酔する件の人形というキチガ〇コンビと思われていることには気付いていない。

 もっとも、七賢全員が似たようなものではあるのだが。

 

「おい、話がそれてんぞ。ともかく、目立った情報はないってことでいいんだな?」

「そっちこそ、隠し立てしてるんじゃないでしょうね?・・・あんたの術具でもアタシの眷属に探させても見つからないってことは、「旅団」じゃないわね」

「あの迷惑集団ならもっと早くにボロ出すだろうからな」

 

 今の現世は忘却界に守られた一般人と、それ以外の少数の異能者に分けられているが、それを快く思わない連中もいる。「旅団」とは「どうして自分たちだけが化物に襲われなきゃいけないんだ」と思う者、「せっかく目覚めた異能を好きなように使わないのは勿体ない」と蛮行を働く者など、学会の思想に反発する異能者たちの集まりで、七賢のような強力な異能者がおらず、寄せ集めレベルだったのだが・・・

 

「「黒狼」や「戦鬼」なら災害レベルの被害が出るでしょうし、「狂冥」が主犯なら隠せないぐらいの数が動くだろうから慎重になってても尻尾くらいは掴めるはずよね」

「少なくとも、黒狼の方は常世で七位とやりあったらしいから現世にはいねえはずだ。どうやって行き来してるのかは知らないけどな」

 

 ここ数十年で、黒狼と呼ばれる圧倒的な強者を旗印に、世界各地で燻っていた化物が集い、学会も危険視せざるを得ないほどの一大組織にまで膨らんだのだ。

 

 「強いヤツと全力で闘いたい」

 

 現在の旅団リーダーにいるとされる黒狼の目的は至ってシンプルだ。

 だがそのために「大穴を空けて常世から大物をおびき出したり、現世にいる強いヤツを育てたり、出てきた七賢も倒す」などと迷惑極まりないことを考えている戦闘狂である。

 極めて厄介なことに、今までどこに隠れていたのかと思えるほどの実力者であり、一対一なら七賢でも負けかねないくらいに強い。救いなのは搦め手を好まず、「弱いやつはどうでもいい」と言って一般人には手出ししないことだが、大穴が空けばその一般人にも相当の被害が出るだろう。

 

「そうなると、本当に偶然か旅団に新メンバーが入ったか、あるいは・・・・」

「全く別の何かが突然現れたか、だな」

「あり得ないって言いきれないのが嫌ね。もしそんなのがいるなら、間違いなく幻術系統の「神格」持ちよ」

 

 吸血鬼の真祖にして、旦那ともども「神格」を持つ少女はそう言った。

 

 --神とは何か?神格とは何か?

 

 そんな質問を、京はいつか「魔人」に投げかけたことがあった。

 それに対して魔人はこう言った。

 

『この世界の創造主にして管理者であり、この世界そのものですね。ただし、かの存在に意志と呼べるものは極めて薄い。システムあるいは現象と言うべき存在です。そして、その神に準ずるレベルのことを神格というのですよ』

 

 神はこの世界を作り、そこに「ルール」を敷いた存在だ。そのルールとは物理法則であり、術であり、狭間であったりと様々だが、神はこの「ルール」を侵さない限り現世にも常世にも干渉することはないという。

 そして「神格」持ちとは、霊力の増大によって存在のレベルが上がり、「神」に近づいた存在のことを言う。

 神のようにこの世界すべてなどは不可能なものの、ある特定の分野において強烈な「支配」を行うことができる。

 学会の七賢になるための条件の一つであり、神格持ちは揃って人間を止めた存在か初めから人外である。

 まあ、京は少々例外だが。

 

「結局、わかったことはほぼなし。精々幻術対策をしとくってくらいか」

「悔しいけど、そうね」

 

 ここ最近の行方不明者増加に対して何か情報を得られないかと七賢どうしで連絡を取り合って話し合うことになったのだが、お互い収穫は得られなかったようだ。

 だが、そこで隣に座っていたメアはあるものを取り出した。取り出したのは二つの小瓶だ。中には紅の液体が入っている。

 話だけなら直接会う必要はない。血の専門家と言える吸血鬼に見てもらいたいものがあったのだ。

 

「ああそうだ。吸血鬼のお前に見て欲しいもんがあるんだが、お前は、これどう思・・・」

「くっさぁあああ!? さっさとしまいなさいそんなもん!!!」

 

 京が片方のビンの蓋を緩めた瞬間、リリスは鼻をつまみながらそう言った。

 反応が完全にクサヤやシュールストレミング、ドリアンの臭いを嗅いだ人である。

 

「そんなに臭うのかよ、俺やメアには全然わかんねーんだが・・・じゃあ、こっちはどうだ?」

「う~、まだ鼻が気持ち悪い・・・あら、そっちはかなりいい香りね。オボロのほどじゃないけど」

 

 京が最初に空けた瓶は雫の、次に空けた瓶は久路人の血が入った瓶だ。

 「ちょっと気になることがあるから血をくれ」と言ったときの、あの蛇の塵を見るような目と、メアから湧き上がる凄まじいオーラに肝を冷やしたが、メアが採血を行い、以後目的に使用するまで同じくメアが保管するというこで納得してもらった。

 

「しかし、最初の方はマジでそんなに臭うのか?神格一歩手前くらいの大物の血だぜ?」

「あんた、いい匂いといい匂いを混ぜたらもっといい匂いができるとか小学生みたいなこと思ってんの?焼き魚とケーキの匂い混ぜて嗅いでみなさいよ」

 

 どうやら、雫の血には久路人の力が大分溶け込んでいるらしい。

 曰く、「2種類の全く違うものが混じった異臭がする。反発している感じはしないから本人に悪影響はないだろうが、こんなもん飲むくらいならその辺の泥水飲んだ方がマシ」とのことだ。

 最近は久路人の力の増大によって護符が抑えられるレベルを越えつつあり、妖怪の襲撃が増したのだが、雫を見ると妙な反応をするようになったのだ。それで気になって調べてみると雫の中に久路人の力が大分蓄積されていることがわかったのだが、それがどうして妖怪たちの反応に繋がるのかはわからなかなったので見て欲しかったという経緯である。

 

「雫様が聞いたら喜ぶでしょうが、この吸血鬼の反応を見たらどう思うのでしょうかね」

「まあ、会わせねー方がいいだろうな」

 

 なんとなく、雫と目の前の吸血鬼は似ているのだが、相性があまりよくないような気がする。

 何かきっかけがあればすごく仲良くなりそうな気もするのだが。

 そうして、二つの瓶をしまおうとした京はさきほどのリリスを見て、ふと疑問に思った。

 「やはり、吸血鬼にとってはすでに特別な契約を結んだ相手がいても久路人の血を飲みたいと思うのだろうか。味はどう感じるのだろうか」と。

 久路人の保護者としては、久路人がどれほど狙われやすいかは改めて知っておきたかったのだ。

 技術者として、七賢まで上り詰めた研究者としての興味もあった。

 

「なあリリス、お前試しにこっちの血を飲んで・・・」

 

 京がそう言いかけた時だ。

 

 

 ガキン!!

 

 

 京の隣にいたメアが眩く神聖な輝きを放つナイフで、血のように紅い刀身の大太刀を受け止めていた。

 

「・・・・・」

「気持ちはわかりますが、京に危害を加えることは許可できません」

 

 いつの間に刀を抜いたのか、真っ赤に血走った目で京を睨む朧に、同じく殺気をほとばしらせるメアは冷たく返す。

 

 そのまま朧は大きく飛びのいて改めて刀を構え、メアは両手に持ったナイフを十字に組む。

 張り詰めたような空気が部屋を支配し、今にも爆発しそうなところで・・・

 

「そこまでになさい、オボロ」

「・・・・リリス、だが」

 

 館の女主人はパンパンと手を叩きながらそう言った。

 妻の言葉に朧は納得がいかないようだったが・・・

 

「冗談よ」

「・・・・何?」

「だから冗談。巨匠が言ったのはただの冗談に決まってるじゃない」

 

 「ねぇ?」と作り物のような笑みを貼りつけながら、目をつぶり、優雅に少し冷めた紅茶で唇を湿らせる。

 再び目が開いたとき、そこにあったのは古井戸のような暗闇だった。

 

「よもや、この吾輩にオボロ以外の血などという汚物を勧めるようなこと、冗句以外で言えるわけがないだろう?なあ?月宮京?」

 

 まさしく血の凍るような冷たい声だった。

 

「・・・ああ、冗談だ。悪かったな」

「確かに、京のジョークにはいつもセンスがありませんね。さきほどのモノはデリカシーの欠片もありませんでしたし」

「お前どっちの味方だよ」

「あんた、今は父親代わりなんでしょ?教育に悪いような言動は慎むべきじゃなくて?」

「・・・・京さん、笑点なら毎週録画しているが、DVDを持っていくか?」

「いらねーよ!!」

 

 相手の本気具合を悟った京が謝罪すると、場の張り詰めた空気は霧散した。

 元のように気安く話しながらも京は思う。

 

(「血人」なんて弱点になりそうなモン作る吸血鬼に、人間から吸血鬼の専用餌になる元人間とかやっぱイカれてんなこいつら。いや、こいつらなら一番効率的か)

 

 真祖であるリリスが研究開発した魔法の中に、「血の盟約」と呼ばれるものがある。

 吸血鬼用の魔法であり、「ある一人からしか血を吸えなくなる代わりに、対象の魔力の質を自分に対してのみ極上レベルに上げる」というものなのだが、当然その血を持つ相手が死んだら自分も飢え死に確定である。

 しかも真祖を満足させるような魔力を持つ餌、人間でも吸血鬼でもなくパートナーが死ぬまで永遠に血を提供し続ける「血人」に変えるという、並の霊能者にとっては死刑と変わらないレベルの人体改造を行う魔法でもある。

 霧間一族当主という元より最強クラスの侍であり、上質な霊力を持つ霧間朧でなければ間違いなく死んでいただろう。言い換えれば、余程のことがない限り絶対に壊れない食糧庫ができたとも言えるが。

 

「いつかあいつらも、こんな感じになるのかね・・・・」

 

 今も月宮家にいる少年と蛇の少女を思い返しながら、京とメアは霧間の地を後にするのだった。

 

 

-----------

 

一方そのころ・・・・

 

「ンンンンンゥウウウウウウ!!!!ヨキカオリガァァァァアアアアアアアア!?クサイィィイィイイイイ!!!?」

「死ねぇえええ!!」

「ンギャァアアアアアアアアアアアアアアア!!?」

 

 夕日の中、自転車に乗って高校から下校する久路人の背にしがみつきながら、荷台に座る雫は般若のような顔で氷柱を放ち、襲い掛かってきた一つ目の怪僧を串刺しにする。

 そして、目の前の久路人の肩をゆすりながら涙目になった。

 

「ねぇねぇ、久路人!!私臭くないよね!? 毎日ちゃんとお風呂入ってるし~!!本当に臭わないよね!?ねぇねぇ嗅いでみてよ、ねぇってば~!!!」

「だぁぁあああああああ!!!自転車を運転中にできるわけないだろ!!いつも通り僕の家の石鹸とシャンプーの匂いだよ!!危ないから揺するのはやめてくれ~!!!」

 

 最近現れる妖怪が雫を見るたびに、よりにもよって久路人の前で「臭い」というようになり、乙女心に密かに大ダメージを受けている雫が、久路人に泣きついていた。

 久路人は高校に上がって自転車通学になり、「憧れの二人乗り~!!」と喜んでいたのだが、ここ最近はいつもこんな感じだ。

 

 京とメアが警戒する中、久路人と雫は日常を謳歌していたのであった。




これは真剣なお願いなのですが、この小説の文章の読みやすさについて、意見をお願いしたいと思っております。
「ここ読みにくい」「くどい」とかあったら、遠慮なく言ってください。


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前日譚 高校生編2

 この小説を読んでくださっている皆様、単純に読んでいただくこと、お気に入り登録、評価、感想ありがとうございます。
 前回があまりにも主人公が関係ない話だったので、追加の投稿です。
 これは全然催促ではないのですが、週2回更新できるってことは、「たくさん感想があれば」週3回更新できるってことじゃないかな?


 月宮久路人の朝は、そんなに早くない。

 久路人は寝起きが悪く、アラーム一回では起きられないため、大体30分おきに数回目覚ましをセットしているので起きるのは遅い。

 

「今日は2回目で起きれた・・・・」

 

 けたたましく鳴る目覚ましを止め、寝ぼけ眼をこすりながら制服に着替え、階段を下りる。そのまま洗面所に行って顔を洗い、寝ぐせを直している間に頭の方はそれなりにすっきりしてきた。

 そんな久路人の脳を揺さぶるのは、香ばしいパンの匂いと、ジュウゥゥ~というソーセージの焼ける音だった。実に食欲をそそるコンボである。

 

「今日はパンか」

 

 昨日の朝食は何だったか。

 確かご飯だった気がする。それでいつぞやに久路人が用意した夕飯の残りと一緒に食べたのだった。

 そんなことを考えながら、リビングに行くと・・・

 

「あ、おはよ~」

「ん。おはよう」

 

 ちょうど少女がフライパンの火を止めたところだった。

 長い銀髪をここにはいない人形のようにポニーテールにまとめ、久路人の通う高校の制服の上にエプロンをつけた少女が振り返り、挨拶を交わす。

 

「いつも思うけど、雫の服って簡単に変えられるし汚れもすぐ落ちるよね。エプロン付ける意味あるの?」

「なっ!?制服の上にエプロン着けて料理してるJK見た感想がそれなの!?」

 

 「お前女子高生なんて年齢じゃないだろ」という言葉が完全に目覚めていない頭から生まれて口から出そうになったが、寸前でこらえる。季節は10月上旬。大分涼しくなってきた時期だが、さすがにまだ雪が降るのを見たいとは思わなかった。

 

「私、久路人が枯れてないか時々本当に心配になるよ・・・・」

「余計なお世話だよ。僕はまだ枯れてない」

「・・・・・まあ、隠しフォルダに入ってる画像を見るに興味ないわけじゃないってのはわかるけど。巨乳モノばっかりだったけど!!」

 

 久路人は同年代に比べるとやや控えめではあるが、それでも健全な男子高校生だ。

 自室にあるパソコンにはその手の画像はちゃんと保存してある。

 もちろん雫もその存在を知っており、隠しフォルダの閲覧のために京とメアから閲覧方法からネットの履歴確認などを教わり、使用頻度含めて把握済みである。

 最初に確認したときはパソコンごと氷漬けにして粉々にしてやりたかったが、「さすがに他人の所有物に勝手に手を出すのは嫌われる」となんとか自制した。なお、「久路人が枯れてないか確認!!好みもチェックしなきゃ!!もちろんスレンダー好きだよね!!」と、勝手に他人のパソコンを検閲してる時点でダブスタである。

 

 そして、鋼の自制心で、奇跡的に部屋の温度を氷点下に下げる程度で済ませた雫が分析したところ、どうやら大変嘆かわしいことに久路人は胸の脂肪が肥えているのが好みらしい。いつか目を覚まさせなければと雫は固く決心している。

 その胸部は壁ではないが平均よりやや下というなんとも表現に困るサイズだった。

 人化の術は最初のイメージに縛られるらしく、一度固定されたイメージは簡単には変更できない。雫の姿は、蛇からそのまま余計な手を加えることなく擬人化した、いわば「素」の雫であり、外見年齢も久路人に合わせて成長させている。すなわち、中学生から高校2年生になるまでの雫本来の成長速度はお察しであった。

 

「ん?どうかした?」

「なんでもない!!それより、朝ごはん食べよ?遅刻しちゃうよ」

「ん。いつもありがとうね」

「ううん、どういたしまして!」

 

 聞こえないように小声でつぶやかれた怨嗟を感じ取ったのか、久路人が不思議そうな顔をするが、雫は誤魔化した。久路人は怪訝な顔のまま、雫がフライパンで拵えた、スライスしたソーセージが入ったスクランブルエッグをトーストの上に乗せ、テーブルに運ぶ。

 月宮家の現在の朝食は朝に弱い久路人に代わって完全に雫が作っていた。昼に食べる弁当の仕込みや夕食は久路人も手伝うのだが、朝は任せきりなのに軽い後ろめたさがあったりする。

 確か、雫が朝食を作るようになったのは、中学生1年生の梅雨のころからだっただろうか。なぜかあのころから一階に行くルートの罠の設定が変わったらしく、雫も自由に移動できるようになったのだ。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 

 手を合わせて、二人で食べる。

 朝だから量も少な目で、すぐに食べ終わってしまうが、雫は朝のこのひと時が好きだった。

 今日も一日の始まりから久路人と一緒にいられるのを実感できるから。

 

「どう?味変じゃない?」

「いや、おいしいよ。雫、もうメアさんより料理うまいんじゃないの?」

「う~ん、それはまだだと思うな。メア、言ってることはあれだけど、家事万能だし」

「いなくなって分かるってやつだね・・・・おじさん達、いつ帰って来るのかなぁ」

 

 この家の本来の主である京とメアはここ最近この家に帰っていない。

 「ちょっと取引先んところに出張行かねーと」と言って、日本のあちらこちらを回っているらしい。

 夜には電話がかかってくるので連絡はとれているが、メアがいかに万能家政婦だったか思い知らされる今日この頃である。

 ちなみに雫は「え!?両親が出張で、男子高校生と女子高生が二人きりで一つ屋根の下!?それなんてエロゲ!?」と興奮していた。メアが夜な夜な行っていた英才教育の成果ははっきりと雫に根付いているようだった。今の雫は純愛からNTR、異種〇、TS、ふたな〇、リョ〇に至るまでの知識を網羅するエリートである。

 

「ご馳走様」

「ふふ、お粗末様でした」

 

 そんなことを話しながらでも、成長期の肉体である二人はすぐに朝食を食べ終わってしまう。

 荷物の準備はすでに夜の内に済ませているので、後は歯を磨いて行くだけなのだが・・・・

 

「よし、じゃあ歯磨きして・・・」

「待った」

 

 まだ時間に余裕はあるにも関わらず、どこかそそくさと居間を離れようとする久路人の襟を、ガッ!!と雫が掴んだ。その力は人外らしく凄まじいものがあり、久路人は前に進めなくなった。朝から身体強化を自分にかける気にはなれない。

 

「久路人、わかってるよね?」

「いや、雫が気にするのはわかるけどさ、本当にやらなきゃダメ?」

「ダメ!!私にとっては心の死活問題なんだよ!?」

「わかった、わかったってば」

 

 鬼気迫るとはまさしくこのこと、という風に久路人に迫る雫を見て、「はぁ」と諦めたようにため息をつく久路人。ここ最近の朝、二人は新しくとある「日課」を始めたのであるが、久路人ととしてはあまり気乗りしない。久路人にとって嫌なことなのかと言えば、まったくそんなことはないのだが。

 ともかく、雫は「日課」を終えるまで学校に行かせてくれるつもりはないようだ。「仕方がない」と久路人も覚悟を決めた。

 

「ん。じゃあ、今日もよろしくね」

「はいはい」

 

 そうして始まる二人の朝の日課。

 まずは居間のソファに久路人が深く座り、足を広げて少しスペースを作る。

 そして、その空いたスペースに・・・・

 

「ふふっ」

「うわっ!?勢いつけながら座るなって」

「あ、ごめんごめん」

 

 背中から久路人に倒れこむように、雫が久路人の前に座る。

 そのまま、髪を束ねていたゴムを外すと、シュルリと艶やかな銀髪が久路人の顔のすぐ下に広がった。

 これで準備は完了だ。

 

「じゃ、じゃあ、やるよ?」

「う、うん。お願い」

 

 二人の顔は赤い。

 最初はノリノリだった雫もやはり恥ずかしいものがあるのか、肩を縮こまらせている。

 久路人はそんな雫の頭に顔を寄せ・・・・

 

「スンスン・・・」

 

 匂いを嗅ぎ始めた。

 

「あっ・・・」

「ちょ!?変な声出すなって!!」

「ご、ごめん」

 

 最初は頭、次は首筋、雫が前かがみになった後は背中まで。

 途中で久路人の息が首筋に当たって、雫が艶っぽい声を上げるが、それでも止めない。久路人の鼻が銀髪に当たって、雫がビクリと震えるが、それでも止まらない。ここまで来たら、「毒を食らわば皿まで」の精神だ。

 朝っぱらから男子高校生が女子高生の体臭を嗅ぐという、実に変態的な光景だが、止める者は誰もいなかった。

 

「ねぇ、大丈夫だよね?変な臭いしないよね?」

「大丈夫だって、いつも通り家のボディソープとシャンプーの匂いだから」

「本当に?本当だね?もっとよく嗅いでみてよ」

「わかったよ・・・」

 

 そして、そのままそろそろ家を出ないと遅刻するという時間までそうしていたのだった。

 

-----------

 

「まったく・・・」

 

 「久路人がそこまで言うなら大丈夫だよね」と言って若干名残惜しそうに洗い物に行った雫を尻目に久路人も歯磨きをしに洗面所に行く。

 

「まるで僕が変態になったみたいじゃないか・・・」

 

 ここ最近、久路人の影響なのか、襲撃してくる妖怪が増えたのだが、そうした連中が妙な反応をするようになった。具体的には雫がしきりに気にしていたように「臭い」と言うようになったのだ。

 雫を視界にとらえた瞬間に動きを止めてそう言うために、そのコンマ1秒後には殺気をほとばしらせた雫の的になるのだが、雫も年頃(すうひゃくさい)の乙女。やはり「臭う」と言われるのは心に来るらしく、体臭のチェックをして欲しい!!と言うようになったのだった。そうして、一日の始まりにさっきのように変態的な行為をすることとなったのである。だが、久路人にとっては複雑なところだ。

 

「僕って、男として見られてないのか?」

 

 好きな人が相手だからと言って、臭いを嗅がせるというのは普通ないだろう。そんなのは常識的に考えてただの変態だ。だが、好きでもない相手に嗅がせるのはさらにないだろう。ならばどうするか?それは、家族のように「恋愛対象にならないのが確定している相手」しかないのではないか?

 久路人はそんな風に思うのだった。こちらは正真正銘年頃の男子としてはややショックである。

 そして、実は久路人は先ほど雫に嘘をついていたりする。

 

(なんで同じ石鹸とシャンプー使ってるのに、あんなにいい匂いするんだろ?)

 

 まさしく変態の考えることのようで、とても口には出せない思春期男子である。

 洗い場からはなぜか機嫌のよさそうな鼻唄が聞こえてくるが、そんなことを考えるだけの余裕は久路人にはなかったのであった。

 

 

 

 これが、高校2年生の月宮久路人と水無月雫の朝のルーチンである。

 

-----------

 

 高校までの道のりを自転車でかっ飛ばして、どうにか久路人は遅刻せずに教室に入ることができた。

 その際中、「雫、急いでる時には荷台に乗るのはなしね」と言われ、「私って重いのかな?」と若干雫がダメージを受けたが些細な問題である。

 なお、その道中にも妖怪が現れたが、雫としては久路人にさえ臭うと思われなければ、他から何を言われたところで気にしないことにしたらしい。若干額に青筋が浮かんでいたが。

 

「よっ、月宮。今日は危なかったな」

「あ~ちょっと寝坊しちゃってさ」

「お前ん家、郊外のほうにあるからちょっと寝坊するだけでもヤバそうだもんな」

 

 今は午前の授業も終えた昼休み。

 机の上に弁当を広げる久路人の近くに集まってきたのは、中学でも一緒だった池目君と伴侍君だ。何気に縁があるのか、高校も同じところに進学することができ、2年生ではクラスも一緒だった。

 ちなみに田戸君と近野君も同じ高校にいるのだが、クラスが分かれてしまっている。なんでも田戸君は水泳部と空手部を掛け持ちするようになったらしく、最近は坊主頭の二浦君と池目君のような二枚目の林村君という男子たちと友達になり、この間には合宿に行ってきたとのことだった。合宿の準備のために中身が見えないように厳重に包装された箱を運んでいたのを見かけた時、「・・・ビールの匂いがする?気のせいかな」と雫が言っていたが、人間の鑑のような彼らがおかしなことをするはずもないだろう。

 

「にしても、もうすぐだよな~」

「ああ、あれな。全く、他の学校は海外行ってるとこもあるってのに、何でうちは山の中なんだよって感じだぜ」

「ああ、修学旅行か」

 

 最近の昼休みの話題は、もっぱらもうすぐ行われる修学旅行のことでもちきりだ。久路人の高校は変わっていて、なぜか国内の山の中にある湿原を延々と歩くという色気もへったくれもないイベントだ。それでもやはりみんなでどこかに行くというのはワクワクするものがあるのか、クラスメイトも活気づいているようだった。

 

「私は山の中とか好きだけどね。人ごみ嫌いだし」

 

 中学の時のように、久路人のすぐそばに見えない机を作りながら、雫はそう言った。その意見には久路人も同意する。

 

「月宮は、今回は行けるんだよな?」

「お前、中学の時の修学旅行は風邪引いちまったんだっけ。災難だったよな」

「あははは・・・・」

 

 久路人は妖怪に狙われやすい体質で、最近は特に襲撃が増えているが、今回の修学旅行は行ってもよいという許可を京からもらっている。というのも、中学の時には妖怪を警戒して休んでしまい、何度もそういうイベントを休むのは不自然だということと、雫が強くなり、久路人も自衛は完璧にできるようになったというお墨付きをもらえたからだ。今の久路人をどうこうできるような大物が現れるには、大穴が空きでもしない限りあり得ない。その上、ほんの少し前に京とメアが修学旅行で行くエリアを下見し、人里離れた場所ということもあって人目を気にせずに強力な結界を張れたというのもある。久路人が向かう場所はとある霊能者の一族が管理する場所の近くなのだが、その家の許可をきちんともらえたためだ。

 

「俺らがいく山だけどさ、熊とか出ることあるらしいぜ」

「マジで!?鈴とか持ってかねーと。背中向けて逃げるのはまずいんだったか?」

「本能が刺激されて追いかけてくるらしいね」

 

 昨今の管理者が少ない山にありがちだが、野生動物が出ることがあるらしい。もっとも、熊くらいなら雫のおやつだろう。久路人でも異能ありなら簡単に対処できる。

 

「熊か~私は牛とか豚のお肉の方が好きだけどな。やっぱり家畜の肉には敵わない・・・うん、おいしい」

 

 雫はミートボールを食べながらそう言った。

 

(あ、あれ僕が作ったヤツだ。というか、雫は食べたことがあるのか、熊)

 

 久路人がそこはかとなく野生の厳しさに想いを馳せていると、池目君が話の舵を切った。

 

「熊で思い出したけどさ。お前ら、最近の噂知ってるか?」

「噂?」

「なんだよ。この辺で熊でも出たのか?」

 

 久路人の住む町は結構な地方都市で、鹿やら猿やら猪が郊外にはうろついているが、さすがに熊が出たという話は久路人も聞いたことがない。

 

「いや、熊じゃなくてさ。狐が出るらしいぜ」

「狐?」

「へぇ~珍しいな」

 

 狸なら何度も見たことがあるが、久路人が狐を見たのは数えるほどだ。生息していてもおかしくはないが、噂になるくらい人里近くに出没するのは珍しい。

 

「狐・・・」

 

 ふと横を見ると、雫が嫌そうな顔で眉をしかめていた。どうしたのだろうと久路人が視線で問いかけると・・・

 

「あいつらが蛇を見るときの目つきが嫌なの。「食ってヤル」って感じで」

 

 何やら雫には嫌な思い出があるようだ。確かに野生の狐は蛇とか食べているだろうが。

 

 それから話題は別なことに流れていく。

 

「この前田戸が言ってたんだけどさ、夜中のトイレにガーゴイルがでるらしいぜ」

「え~なんで高校のトイレにガーゴイルなのさ」

「さあ?でも、空手部の夏吉先生が夜中の見回りで・・・」

 

 そうして昼休みは過ぎていき、噂の話はすぐに忘れられてしまうのだった。

 

 

-----------

 

「・・・・・」

 

 そこは、薄暗い部屋だった。時刻は逢魔が時。外はあと少しで消えてしまいそうなオレンジ色の夕日に照らされてるが、部屋の中に届くことはない。

 田舎にあるような、大きく古風な屋敷。その窓が締め切られた一室に、その女はいた。瞑想をするかの如く畳の上に敷いた座布団に腰掛け、目を瞑っている。豪奢な金髪や着物から見て取れるイメージとは真逆に置物の如く静寂を保っていたが・・・・

 

「見つけたぞ」

 

 不意に、その金色の瞳を見開いた。艶やかな唇が三日月のように吊り上がり、突然9本の尾がザワリと現れる。

 

「ああ、大まかな位置はわかっておったが、アレが源か。媒ごしでもよくわかるのぉ」

 

 クツクツと、蝋燭のわずかな灯りしかない部屋に嘲笑するかのような笑い声が響く。

 そこで、九本の尾を持つ女、九尾はおもむろに手招きをした。すると、部屋の隅に控えていた男がうつろな目つきで盆の上に何かを乗せて持ってくる。男が金色の女の近くに恭しく跪くと、九尾は無造作に盆の上に乗っていたモノをつかみ取り、口に運んだ。

 

「チっ、薄味だな」

 

 九尾にとっては、先ほど見つけた芳醇な霊力を放つ少年のものとは比べる価値もないほどの薄味だ。これでも比較的霊力の多いヤツを狙ったつもりだったのだが、九尾の知る昔とは大分様子が違っているようだった。

 

「片付けろ」

「・・・・・」

 

 女が今まで齧っていたモノを無造作に盆の上投げ返すと、男は夢でも見ているようなおぼつかない足取りで部屋を出ていった。蝋燭のわずかな灯りに照らされたものは、人間の腕だった。その腕は明らかに人間のモノとわかるのに、まるで大きなスペアリブのように調味料が垂らされ、香ばしい匂いを出すほどに「調理」されていた。

 

「・・・・・」

 

 九尾が特殊な術を用いて忘却界や他の術者が張った結界を「化かして」取りに行った人間を解体し、調理する。常人ならば、いや、異能者であっても早々やらないであろうおぞましい所業を、この屋敷の人間は何の疑問も持たずに行っていた。

 

「フン、あれが吾をここに封じた、あの二人組の腰巾着の子孫か。そこそこの腕前だったはずだが、子孫はとんでもない愚物よの」

 

 九尾は嘲笑うよりも、いっそ憐れむかのようにそう言った。

 九尾のいる屋敷は、その周辺の土地を管理する霊能者の一族のモノだ。だが、今では大岩から解き放たれた九尾によって、その住人は皆彼女の支配下にあった。

 

「幻術」

 

 術の一種であり、文字通り幻を見せる術であるが、九尾はこと幻術において「神格」を持つに至った存在だ。その完成度は、大きな動きさえ見せなければ異能者の最高峰である七賢にすら簡単には気付かれないほどである。この屋敷の住人は皆、「自分たちが九尾に仕えることは当然」「やんごとない御方のために、世俗には隠さなければならない」というように認識を改ざんされており、おまけに九尾からある程度離れると九尾に操られていたことも、その存在そのものを忘れてしまうという念の入れようだ。これによって、例え拷問にかけられようと九尾のことを喋ることはできなくなる。

 

「まあ、今の時代にもあの「おのこ」のようなのもいるようだがの」

 

 とはいえ、九尾は油断はしない。

 元々封印されている時も意識はあり、霊脈を介して現世のことは断片的であるが見聞きはしていた。それゆえに封印が解かれた際にはすみやかに結界を張り、自らの存在がバレないように隠ぺいした。九尾からしても、東の方から今もその存在感がわかるほどの血吸いの鬼と、瀑布のような気配を放つ侍の相手はしたくなかった。

 

「くふふ、しかし、天は吾に味方しておる」

 

 「千里眼」という、自らの眷属とした野生の狐を介して遠くを覗く術を以て、九尾は様々な情報を仕入れていた。元より、あの少年がいる土地は千里眼を使わずともわかっていたために、早期から狐を向かわせていた。それによって、少し前にこれまた相手をしたくない気配を発するからくりのような女と妙に薬臭い男が来ることを察知し、さらにはあの少年が来ることもわかったのだ。この自分のお膝元に、自分の意思でやってくる。それはとても愉快なことだった。なにせ、あのからくりどもが張った結界は強力だが、自分はその結界が張られる工程を一から観察することができたため、「結界に自分がいないと誤認させる」ことも容易くはなかったができたのだ。ならば、この結界が無事である限り、あいつらがやって来ることはない。結界そのものが少年の檻になるのだから。

 

「ああ、楽しみだ。一体あのおのこはどんな味がするのだろうなぁ」

 

 媒介ごしに見てもわかる芳醇な霊力だ。極上の味なのは間違いない。ああ、ならば一息に食べてしまうのは勿体ない。あのおのこを捕まえたら居を移し、手足を斬って、一生飼い殺しにしてやるのがいいだろうか。従順なようなら戯れに愛でてもいい。そして・・・

 

「力を蓄え、うじゃうじゃと増えた人間どもを掃除するとしよう」

 

 九尾がいた時代からずいぶんと世界は変わり、人間の数が増えていた。

 それは、九尾にとってはたまらなく不愉快なことだった。

 増大した力で薙ぎ払うのも、ここの住民のように操り人形にするのも悪くない。

 

「まったく、少し時が経っただけで毛虫の如く増えおって。気色悪い」

 

 九尾は人間が、この世界が嫌いだった。かつての幸せな時も、未来への希望も何もかも奪ったこの世界を憎悪していた。いや、人間と世界だけではない。

 

「それに、あの白蛇・・・・」

 

 九尾の顔が歪む。狐を通して、件の少年の傍でメスの顔をしていたあの白蛇だ。あれを見てから心がざわめく。憎悪、憤怒、嫉妬、悲哀、後悔。様々な負の感情が浮かんでは消えていき、最終的に残ったのは、嗜虐的な笑みだった。

 

「あの蛇の前で、おのこを摘まんでやったら、どんな顔をするのかのぉ」

 

 クツクツと暗い愉悦が滲んだ笑い声がこだまする。

 

「ああ、楽しみだ。楽しみだのぉ」

 

 日が落ちて、屋敷も山も闇の中に沈むまで、九尾は笑い続けたのであった。

 クツクツ、クツクツと。

 

 

 

 

 

 

 




ちなみに、山の中に高校の修学旅行で行くというのは作者の実体験です。
相部屋になった友達二人が私そっちのけでディープなエヴァの話をしていたのはよく覚えています。


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前日譚 高校生編3

フゥーハハハ!!!オレは、「会社の昼休み」を生贄に「次話」を召喚!!!
読者にダイレクトアタック!!投稿前進DA!!

でも、お話が大して進んでないのは許して・・・・

あと、今更ですが、タグに「バトル」を追加します。


 月宮家の裏庭。そこはだだっ広い草原だ。一見すると何もない場所なのだが、ここには様々な結界が張られており、結界の内部はどんな損害があっても一晩で修復される実に都合のいい闘技場である。

 そして、「雫匂いチェック」が朝の日課ならば、この夕暮れに行われる日課は「生き残るための模擬戦」である。まあ、最近は生き残るというよりも「滅ぼす」とか「殺しきる」とかそんな感じの目的になりつつあるが。

 

「瀑布!!!」

 

 そんな可憐な声で唱えられた術名とともに雫が手に持ったおもちゃのような外見の水鉄砲から放たれたのは、台風が襲い掛かった際の川のような濁流だ。

 名前は世界にその存在を刻む証。術の名を唱えることは初歩的な術の強化方法だ。妖怪の類は特定の属性しか使えない代わりに術を発動するために詠唱を必要としないものが多いが、唱えることで精度は上がる。

 そうして唱えられた術によって、大人の背丈を超えるほどの高さの波が黒い外套に身を包んだ久路人に迫りくる。

 

「ふっ」

 

 しかし、久路人は動じない。

 瞬時に靴の底に何重にも巻かれたバネを形成すると、水が届く前に跳びあがり、そこを狙って放たれた氷柱を外套が伸びて叩き落とした。さらに、お返しとばかりに外套の一部が剥がれたかと思えば、空中で腕ほどの太さの鏃に変わって雫に向かって飛んでいく。その表面は赤く輝いており、とてつもない高熱を持っていることが見て取れた。

 

「それは嫌かなっ!!」

 

 氷の盾を用意してはいたものの、溶かされる危険性を考えたのか、雫は弾くのを諦め回避を選択。バックステップで後退し、鏃が突き刺さった場所を囲うように氷柱を生やそうとするが、自身の周りに黒い霧のように砂鉄が漂っているのを見て、標的を変更。直後、鏃に付いていたワイヤーを縮めて久路人が着地すると同時に、雫の周りにあった黒鉄は氷漬けになっていた。

 

「たぁっ」

「鉄砲水っ!!」

「!!」

 

 距離を詰めるべく、十手から直刀に武器を変形させて、バネを踏みしめて急加速する久路人と、彼に向って水ピストルを構える雫。一瞬の後、銃口から消防車のホースもかくやという勢いで高圧水流が放たれたが、久路人は驚異的な反射神経でこれを回避・・・・・

 

「えいっ!!」

「!?」

 

 間髪入れずに放たれたのは、精度を気にする必要もないくらい至近距離から迫る巨大な氷柱だった。その射線は久路人の服どころか心臓を貫くコースだが、久路人の纏う外套を突破するにはこれでもギリギリだろう。

 だが、久路人とて馬鹿正直にそんな攻撃を受けるつもりはない。

 

「はぁっ!!」

 

 久路人は走りながら突きの構えを取り、そのまま氷柱に突っ込むと、氷柱は刃先が当たった個所からバターのように裂けていった。それは、雷起による身体強化や単純な技量ではなく、特殊な術の一種によるものだ。

 

 術技「迅雷」

 神楽の如く、特殊な構えによる動作を詠唱の代わりとして発動する術を「術技」と呼ぶ。術として発動させるには技量が必要だが、使えるのであれば詠唱するよりも素早く撃つことができる。

 これによって、久路人は攻撃しながら足を止めずに移動したのである。ただし、走るコースが若干ズレたために、雫の懐に入ることは叶わず、その間に雫は地面を凍らせた上で滑り、久路人から距離を取っていた。そうして、二人は距離を開けたまま向かい合う。

 

「中々近寄らせてくれないね」

「普段だったら大歓迎なんだけどね~。この武器で久路人とクロスレンジで戦うのは嫌かな」

 

 ここ数年で、二人の実力は大きく成長し、中学の頃とは模擬戦でとるバトルスタイルも変わっていた。

 久路人はその反射神経と技量がもっとも発揮される接近戦を。

 雫は元の蛇のように豊富な霊力を使った広範囲攻撃だが、かつては比べ物にならないくらい精密な遠距離攻撃をメインに扱うようになった。もっとも、自分の得意なことを突き詰めるのは大事だが、穴を作るようなことはよくないのは二人とも分かっていた。

 

「なら・・・・」

「次はこれだね!!」

 

 久路人の持つ直刀がサァっと砂になって霧散したかと思えば、次の瞬間にはピンと弦が張られた弓に変わり、雫の持つ水鉄砲はグニャリと溶けて、薙刀に変わった。

 

「やああああ!!!」

「ふぅっ!!」

 

 そこから始まるのは、先ほどの逆。

 遠距離から黒鉄の矢を放つ久路人と、彼に追いすがる雫。

 二人の訓練は灯篭の灯りが消え、闇が訪れるまで続くのだった。

 

-----------

 

 久路人は本当に強くなった。

 

「はふぅ・・・」

 

 久路人が入った後の湯船につかりながら、雫はそう思う。

 

 雫が入浴中に平静をたもてるようになったのは、一年ほど前のことだ。雫の内心で思うように久路人は成長しているが、雫も胸を除けば実力も精神面も成長している。中学までの間は、「ハァハァ、このお湯全部から久路人のエキスを感じる、まるでお風呂の中で久路人とセッ・・・・!!!」となまじ水に対して親和性が高いために入浴中に心を落ち着けるなど不可能であった。しかし、常軌を逸する忍耐と「久路人のエキスに浸かるせいで入浴中に冷静でいられないなら、風呂に入る前にもっと強い刺激で限界までエキスを摂取すればいいのでは?」という天才的な発想によって、脱衣所にある久路人の汗がしみ込んだ服の匂いを吸入することで克服したのだ。

 ともかく、今の雫はある種の賢者タイムであり、冷静に先ほどの模擬戦を振り返ることができていた。

 

今の久路人は強い。瞬間的な強さならば、自分を上回るほどに。

 

大妖怪たる自分が模擬戦の一時の間といえど、逃げの一手をとらされたのだ。もはやそこらの中規模の穴から出てこれるような妖怪では相手にもならないだろう。一時期は「護衛など、いや、私などいらないのではないか?」と目の前が真っ暗になるほどの不安を感じ、模擬戦をサボってしまうこともあった。

 

久路人が強くなったのは、雫のように様々な部分が成長したからだ。霊力は勿論、その扱い方に、武術の冴え。そして、肉体的な成長だ。

 

「久路人、大きくなったな・・・」

 

 雫が出会ったころの久路人はまだ小さな子供だった。

 中学生の頃までは、雫と背丈も大して変わらなかった。だが、今の久路人は体格が大きくなって、雫よりも頭ひとつ分くらい背が伸びた。まあ、それは久路人が平均より少し背が高いのとは逆に、雫が平均よりもやや小柄なのもあるが。

 ともかく、今の久路人は肉体が全盛期に至る一歩手前にいると言っていいだろう。そう、ほんの数年。妖怪にとっては瞬きの間にすら感じるほどのわずかな間にそこまで育ったのだ。それは、久路人が特異な力を持っていても、人間だからだ。

 

「久路人、今日も怪我してた・・・」

 

 最近は、とみに久路人が人間なのだなと感じることが多い。短い間に体が育ったこともあるが、訓練に今までに増して熱が入っている最中に、肩で息をしているとき。強化を解いた時に脱力している時を見たとき。なにより、久路人が溢れ出る霊力を抑えきれずに血管が切れて怪我をしているときだ。自分は蛇という極めて生命力の強い動物が元になった妖怪のため、ちょっとやそっとの傷ならばあっという間に治ってしまうが、久路人はそうでもない。京が用意した術具を使えばすぐに治療はできるが、逆に言えば自力で傷を治すこともできない。少し力が荒ぶっただけで、少し転んだだけで傷ついてしまうような脆い生き物なのだということをまざまざと見せつけられる。

結果的に、そのことが雫に護衛の必要性を改めて示したのだが。

 

「やっぱり、私が傍にいて守ってあげないと!」

 

 ふんす、と雫は鼻息も荒く改めて決意すると、久路人の浸かった残り湯を心いくまで堪能したのだった。

 

-----------

 

 雫にはある悪癖がある

 

「ふんふ~ん、い~い湯だな、ババン!」

 

 鼻唄を歌いながら何の心配もないようにしているが、その悪い癖は今も現在進行形で影を落としていた。

 

「旅行先の温泉は混浴かなぁ?そうだったら、他の女がいなくなるまで久路人には待ってもらわないと」

 

 努めて明るい未来を楽しみにするように、雫は笑う。その脳裏によぎった記憶を忘れるように。

 

 それこそが、雫の悪癖だ。

 雫は、心の中に沸いた大きな不安から目を背けてしまうことがある。先日の久路人に拒絶されるかもしれない恐怖を、見ないフリをして目先の享楽に逃げたのもそうだ。

 

「さ、さすがに混浴だからって一緒に入ろうとするのは、はしたないかな?でもそろそろ・・・」

 

 先ほども、怪我のことが衝撃的でそちらの方が印象に残っていたのも大きいが、雫が感じたのはそれだけではない。雫は最期まで気がつかないフリを、忘れたフリをした。

 

「よし、ちょっと名残惜しいけど、そろそろご飯の支度しないといけないし、上がろっと」

 

 久路人の守護をしてほしいと京に頼まれ、契約したときのことを。そのときに自分が思ったことを。

 結局、雫がそれを思い返すことはなかった。

 

 

 修学旅行に行く3日前のことであった。

 

-----------

 

「なんか退屈だな~。これ、私が飛んでいく方が早くない?信号無視できるし」

「そりゃそうだろうけど・・・・なんなら、先に向かっててもいいよ?地図だって・・・」

「却下!!」

 

 修学旅行に向かうバスの中。雫が僕のすぐ隣にフヨフヨと浮きながらしゃべる中、僕は携帯をいじるフリをして返事をメール画面で打っていた。

 雫が退屈しているのは、運悪く、僕らのバスは渋滞に捕まってしまったからだ。実を言うと、僕も雫もあの街を離れたことはほとんどなかったりするので、僕らにとってあまり見慣れない渋滞やら高架橋やらに最初の内は感心すらしていたのだが、すぐに飽きてしまっており、暇を持て余していた。思えば、都会の光景なんぞニュースだの映画などで見るものと大差あるわけもなく、改めて見てどうというものでもない。

 不幸中の幸いは、バスに乗る際に生徒間で勝手に席替えが行われ、僕と同じ班のメンバーが、僕の隣に座っていた男子も含め、自分が話したい奴の隣に移動したことだろう。見れば、バスの座席間に収納されている非常用の座席を引っ張り出しているのもいる。先生も修学旅行で浮かれるのは仕方ないと考えているのか、これくらいなら目こぼししてやろうと言わんばかりにスルーしている。そのおかげで僕の隣は空席になっており、そこに雫が収まることができていた。

 

「池目君や伴侍君とは班分かれちゃったなぁ・・・・」

「別にいいじゃん!!あの二人は悪い奴じゃないけど、一緒の班だとうるさいのが寄って来るし!!」

「まあ、それはそうだけどさ・・・」

 

 池目君と伴侍君はクラスでも外見・内面ともにイケメンであり、人気がある。僕は中学の一件で縁ができてそこそこ仲がいい方で、おかげで高校では平和に過ごせている。ただ、そんな彼らは非常にモテる。そのおかげで、いや、せいでというべきか、女子たちが近づいて来ることが多いのだ。僕も一時期は女子に群がられたことがあるが、彼らの場合は完全にプラスとマイナスが逆である。その影響で「池目君に好きな人がいるか聞いてくれない?」とか「伴侍君の好み教えて」などと聞かれることも何度かあった。そのたびに雫が不機嫌そうな顔をしていたが、僕としても正直そういうのは勘弁してほしい。

 そういう意味では彼らと班が分かれたのは悪い話ではない。高校に入ってからは怪異の襲撃も増えたが、僕らも強くなり、特に僕は黒鉄を散布することでかなりの範囲を探知できるようになったため、妖怪が出現→僕が発見→雫が氷柱で即死させる→すぐに溶かすというコンボが組めるようになったことで騒ぎになることはめっきり減った。元からあまり他の人と深く関わらないようにしていることもあるだろうが。そのおかげで僕にまつわる悪評も立たず、今回同じ班になったクラスメイトとも仲は悪くない。

 

「というか、飛んでいくって、蛇の姿でしょ?最近はあんまりならないじゃない」

「えっ?そりゃあ、まあ・・・・人間の姿の方が色々都合がいいし」

 

 雫は蛇の姿になると飛ぶことができる。今も浮遊しているが、飛ぶのはなぜか人の姿よりも蛇の姿の方がうまくいくし長時間続けられるのだとか。泳ぐのも蛇の姿の方が得意だし、空を飛ぶのも同じような要領でやっているのだろう。ただ、僕は中学の時から雫が自分から蛇の姿に戻っているのをほとんど見たことがない。

 

「だって、蛇の姿だとゲームもトレーニングもお喋りもできないし・・・」

「でも、僕が頼んでもあまり変わってくれないよね」

「・・・・なんか、複雑な気分になるんだもん」

 

 雫はどこか不満気にそう言った。

 おじさんに聞いたところ、人化の術は一度できるようになると常時かけておくことができるらしいが、別に元の姿に戻れないというわけでもなく、さらに言うなら蛇の姿に戻った後にもう一度人の姿になるのも簡単にできる。僕は小学校のころから蛇やトカゲといった爬虫類やイモリに蛙のような両生類も好きなので、たまにあのスベスベした肌に触れたくなって「ちょっと蛇の姿に戻ってもらっていい?」と頼んだことが何度かある。一回や二回頼むくらいだと「え~・・・」という反応が帰ってきて戻ってくれないのだが、しつこく頭を下げると渋々、本当に渋々といった風に蛇の姿になってくれる。ストレスがたまるとモフモフした生き物を触りたがる人が多いらしいが、僕の場合は爬虫類だ。前に雫が頼んでも元に戻ってくれなかったので庭にいた蛇を捕まえて観察しようとしたところ、凄まじい冷気を放出してあっという間に冬眠させた後に「どうした?蛇に触りたいのであろう?ほれ、好きにすればよいではないか」と拗ねたように大蛇になったこともある。人の姿がちらつくので首に巻いたり服の下に巻き付かせたりはさすがにやらないが、頭を撫でまわしてスッキリしたところで人の姿に戻った時には、「違う。嬉しくないわけじゃないけど、違う、これじゃない」とかなんとかブツブツ言っていた。

 

「前から気になってたんだけどさ、久路人は私が人の姿と蛇の姿だったら、どっちの方がいいの?」

「えっ?」

 

 不意に、雫がそんなことを聞いてきた。なんとなく目がジト目だ。

 

「そりゃあ・・・「言っておくけど、両方はナシね」ええ・・・」

 

 しかも釘を刺された。雫の方を見ると、紅い瞳は不機嫌そうに、しかし真剣にこちらを見ていた。

 これは、おふざけや冗談を言ったらバスの中で誤魔化しが効かないような怒り方をしそうだ。

 僕はまじめに考えて、普段の日常を振り返ると・・・・

 

「まあ、人の姿かな」

「本当!?なんで!?」

 

 僕がそう言うと、それまでの様子が嘘のように目を輝かせて身を乗り出してきた。

 

「えっと、まあ、今こうやってメールで書いてるから特にそうなんだけど、喋れた方がやりやすいし」

「ふんふん、他には?」

「訓練とか、料理とか、ゲームとかは人の姿じゃないとできないし」

「ほうほう、で?」

「えっと、う~ん、今思いつくのはそれくらいかな・・・・」

「・・・・・・」

 

 やや急かされるようにメールを打つと、雫は複雑そうな顔でこちらを見ていたが・・・・

 

「まあ、今はまだこれでいいか。蛇に興奮する特殊性癖じゃないってわかっただけでも」

 

 小声で何事かを呟いたが、隣をちょうどトラックが通り過ぎてよく聞こえなかった。

 

「雫、今なんて・・・?」

「なんでもないよ」

 

 僕が聞き返しても、雫は答えてくれなかった。しかし、人の姿と蛇の姿か・・・・

 

「あ、そうだ!!」

「わ!?どうしたの?」

 

 僕が急に声を上げると、雫は驚いたようにこちらを見る。だが、僕には今までの会話で名案が浮かんだのだ。朝の日課を円滑に行う妙案である。

 

「いや、朝の日課なんだけどさ、人の姿じゃなくて蛇の姿なら早く・・・「却下!!!」」

「え~・・・・」

 

 ものすごい勢いで断られた。

 

「え~、じゃない!!久路人は私が人の姿の方がいいんでしょ!?私の体臭、人の姿の時の方が濃そうじゃん!!」

「・・・・自分で言っててどうなの、それ?」

「~~~!!!知らない、バカっ!!」

 

 雫は自分が何を言ったのか遅れて理解したのか、顔を真っ赤に染めてそっぽを向いてしまうのだった。

 

-----------

 

 その後、「これからは朝だけではなく、訓練後の風呂上りにも匂いチェックする」という条件を僕が飲むと雫は機嫌を直した。ただ、完全には直っていなかったようで、モンスターをハントするゲームをマルチプレイしていると普段は使わない大剣で薙ぎ払いを連発したり、爆弾の詰まった大きなタルを僕の傍に置いた後に爆発させて心中を図ってきたが。さらにその後、「旅行から帰ってきたらメアさん直伝のサイコロステーキを僕が3日間作る」という譲歩を僕から出したらバスに乗る前よりも機嫌がよくなったのだった。

 

 ただ、僕としては実は日課がこれまで通り行われることに、というか追加まで増えたことに内心思うところがあった。

 

(なんというか、中学の前、蛇の姿の時には気にもしてなかった癖に。現金というか、軽いよなぁ、僕も)

 

 「雫が人の姿で日課を続けるということについて、どこかホッとしている自分がいる」などと、もちろん雫には言えなかったが。

 

 

-----------

 

 

 そうして、久路人たちの乗るバスは目的地に到着した。久路人たちのバスには何の問題もなかったものの、田戸、近野、二浦、林村が乗っていたバスでは異臭騒ぎが起きたらしいが、些細なことだろう。

 

 修学旅行の目的地は、自然豊かな山の中で、観光客が訪れることもよくある場所だが、のどかで平和な場所だ。野生動物も多く生息していて、数年前には熊がでたこともあったようだが、近ごろは大人しいらしい。

 最近にあった大きな事件といえば、やはり数年前に、地元の高校生3人が数日行方不明になった後、隣町でバイクに3人乗りをして事故死したくらいだろう。大きな事故と言えば大きな事故だが、元よりその3人は夜な夜などこかに出かけて「幽霊が出た」などと騒ぎを起こすような素行不良の生徒だったようで、事故の現場にも特に不審な様子はなかったため、今ではもう忘れ去られている。

 

 そんな、日本のどこにでもあるような、ありふれた観光地。

 これより始まる、祝福された少年と蛇の少女の物語の、第二部の舞台。

 

 「自分の大事なモノが、永遠に自分のモノである保証はない」

 

 蛇の少女は、それを深く思い知ることになる。

 




俺は強欲だからよ。
感想も、お気に入りも、評価も、なにもかもが欲しい!!
というわけで、感想、評価、お気に入り登録を心からお待ちしております。
作者に「続き早く書いて♡」って思う人はぜひ!!
「ここがダメだよ!!」っていう批判も大歓迎です!!


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前日譚 高校生編4 修学旅行一日目

この3連休でめっちゃ話すすめてやるぜ~というスタイル。書き溜めできるといいな。
唐突ですが、キャラの外見について。

久路人:鬼滅の蛇柱さんっぽい。目つきは柔らかい。
雫:月姫の白レンからリボンとって成長させた感じ。
京:千年戦争アイギスのアトナテスを茶髪にした感じ
メア:艦これの矢矧な感じ

大体こんなイメージ


 葛城山。

 それが久路人たちが修学旅行で訪れる山の名前だ。すぐ近くには別の山々がひしめいており、それらに囲われる湿地帯が遊歩道として全国的に有名な観光地である。修学旅行の日程は3泊四日であり、一日目でバス移動と葛城山付近にある寺社の見学、2日目で湿地帯遊歩道を縦断し、3日目は葛城山登山とかなりのハードコースだ。「これで一体何を学べるんだよ?運動部の合宿か何かか?」と疑問を呈する者も多いが、それらは「伝統だから」との一言だけで一蹴されていた。そして、今は一日目。バスから降りて昼食を摂った後、学生の一団は門前町を訪れていた。

 

「わぁ~!!」

「賑やかなところだな・・・・」

 

 久路人と雫は人生で初めて訪れる観光地の賑わいに驚いていた。これまでは人外の襲撃を考えて生まれ育った街に籠っていたために観光など夢のまた夢であったが、実力を認められたことならびに京の様々な事前準備もあって他の一般生徒と同じように観光ができていた。実に好奇心旺盛な高校生の旅行らしく、各自気の合うメンバーとグループを作って方々を見て回っているが、無論久路人はボッチである。そんなことを口に出そうものなら「私がいるじゃん!!」と大声で否定されるだろうが。

 

「なんかすごいいい匂いがするね~」

「なんだろう?饅頭かな?」

 

 好奇心旺盛かつ手が早いのが原因で封印された雫はもちろん、普段は大人しい久路人も今日はどこか浮ついているのか、あちこちの露店を覗いている。今見ているのは白い湯気がもうもうと湧き出る店で、甘い匂いが漂っていた。雫と二人並んで見てみれば、匂いの通り饅頭だったようだ。

 

「すみませ~ん、二つ下さい!!」

「あ!私はあの桃色のやつがいい」

「白いの一個と桃色の一個で!!」

 

 雫が指差した饅頭とオーソドックスな形をした一口サイズの饅頭を買った久路人は早速雫に一個渡し、自分の分を食べる。

 

「ん~甘さ控えめ」

「でも、しつこくなくていいよ。僕はこういうの好きだな」

 

 雫も久路人の隣で饅頭を口に放り込み、味わった後にゴクリと飲み込んだ。

 空中でいきなり饅頭が浮かび上がって消えた、と思われるような光景だが、気にするものは誰もいないし、久路人も雫もそれを当然のように受け入れている。中学のころ、雫が給食室からトレイやらなにやらを勝手に取っていって、教室まで運んできても誰も気付かなかったように。

 雫は普段は他の人間には見えない。意図的に姿を見せることもできるが、本人が面倒がってやりたがらない。実際、雫のようなアルビノ美少女がいたら注目を買うのは間違いないだろう。だが、慣れている久路人からしても、人が多く出歩く表参道で饅頭のイリュージョンマジックが行われてるのに誰も注目しないと考えると不思議な気分になるようだ。

 

「それにしても、こんなに人がいるのに誰も気が付かないなんてな~」

「私は気付かれない方がいいよ。幽霊騒ぎとかなって変なのが寄ってきたら嫌だし」

「ごもっとも・・・」

 

 中学の頃を思い出し、思わず久路人は苦い顔になる。雫の行動が気にされないのは、京と久路人謹製の術具のおかげである。

 姿の見えない存在が行動しても、その影響を感じさせないようにするために、雫が人化してすぐに京は術具を作った。ただし、メアが「初めて雫様に物を渡すのが京というのは腹が立つので久路人様に作らせましょう。雫様も喜ぶでしょうし」と言ったことで久路人が京の手ほどきを受けながら組み立てた物だが。幸い久路人は元々器用で、雷起を使った場合には米粒に仏を彫れるレベルなので無事に仕上がり、今も雫の腕には銀色の腕輪が嵌っていた。久路人が初めて渡した際に「これ、家宝としてショーケースに仕舞っておくね」と言って恍惚とした表情で言い放ち、「それじゃ意味ないから着けててよ」と突っ込んだことは未だに久路人の記憶に残っている。今でも時々はぁ~っと息を吹きかけては布で磨いたりしている。ちなみに久路人同様に雫の力に耐えられる素材を用意するのが難しい関係ですでに3代目だ。そして、雫の着けている腕輪と同じデザインの腕輪が、久路人の腕にも嵌っていた。

 

「妖怪にも気づかれてないみたいだしね」

「というか、この辺り一帯に妖怪いないんじゃないかな。この辺りは私たちの街より穴が空きにくいみたいだし」

 

 久路人の腕に嵌っている腕輪は、普段身に着けている気配封じの護符の強化版だ。耐久性を度外視して効果のみを突き詰めており、5日間くらいで壊れるだろうと京には言われている。そして、事前に京が複数の術具を起点として湿地を囲うように設置した結界があることで、短期間の間だけだが、雫のように登録した妖怪以外には強力なデバフがかかっていることもあり、久路人が襲われるリスクはほぼ0だ。加えて、お守りには新しく「幻術破り」の効果が付与されたものも持たされている。元よりこの辺りの土地は異能者の一族が集まって管理する土地であるが、異能の力が弱いのか他に原因があるのか知らないが、忘却界の綻びも少なく、穴が空いたとしても小物しか出てこないらしいのだ。そこを管理者の一族がきちんと締めることでこの付近の治安は保たれているのだとか。数年前までは表向きの事業が危うく、そちらにかかりきりで結構杜撰な管理だったとのことだが、事業がここ数年で安定し、異能関係にもしっかり手を回せるようになったらしい。

 

「久路人、久路人!!せっかく何の心配もしないで観光できるんだし、喋ってるだけじゃ勿体ないよ。早く次行こ」

「ああ、うん。そうだね」

 

 少し物思いにふけっていた、久路人は雫の言葉で我に返り・・・

 

「わ!?」

「おっと!」

 

 他の観光客の一団が通りすぎてできた人の波が二人の間に入り込み、少しの間二人はお互いが見えなくなった。

 が、すぐに雫は飛び上がると、久路人のすぐ上で止まる。その顔はせっかくのいい気分を邪魔されたとばかりに不満げだ。

 

「も~なんなのあれ!!」

「まあまあ、しょうがないよ人多いし、雫は見えてないんだから」

「むぅ・・・」

 

 普通の旅行者からみれば、この人混みのなか空いているスペースがあれば通ろうとするのはしょうがないと久路人は思う。だがまあ、いちいち今みたいなことがあっても面倒だし、雫もつまらないだろう。ついでに久路人ととしても、混雑の中で浮いている雫に話しかけるのは変な目で見られそうだし、首も疲れる。「しょうがないか」と久路人は小さく溜息をつきながら歩き始めた。

 

「まったく、服のなかに氷でも突っ込んで・・・」

「それはやめてあげなよ・・・あと、ほら、雫」

「へ?」

 

 不穏なことを企む雫を宥めながら、久路人は自分を道の中央側へ、雫を路肩の方へ誘導するように歩いてから、宙に浮かぶ雫に手を差し出した。

 その手に、雫は呆けたような反応をする。

 

「何度もああいうのが来てはぐれたら困るだろ?僕もお前も土地勘ないんだし。それに、上を見ながら喋るのは変人だって思われるかもしれないし、首が疲れるんだよ」

「・・・・・」

 

 どこか言い訳がましく若干早口で言う久路人を雫はポカンと見ているだけだ。久路人としても気まずくなってくる。やはり、こういうのは自分には似合わなかっただろうか、と。

 

「あ、その、ゴメン。やっぱりなし・・・・」

「わ~!!!待った待ったタンマ!!!」

 

 久路人が手を引っ込めようとしたところで、雫は再起動した。大慌てで丁度良い高さまで降りて、久路人の手を一瞬見つめる。ためらうように、緊張したかのように一瞬止まるも、おっかなびっくり手を伸ばして、久路人の手を掴んだ。

 

「わ、私も下を見ながら話すのは話しにくいし、お店も見にくいし、その・・・・」

「えっと、うん。そうだよね・・・」

 

 しどろもどろといった感じで、二人は手を繋いだはいいものの、なんとなく気恥ずかしい。

 家族のように育った仲といえど、多感な思春期であるゆえに異性と手を繋ぐというのはかなり緊張してしまう。それに、どうしても二人は思い出してしまうのだ。手を繋ぐということそのものが、あの月夜の帰り道を想起させる。

 はて、あの時はどうやってこの気まずい雰囲気をどうにかしたのだったか。

 

「あ、また・・・」

「とりあえず、行こうか」

「う、うん」

 

 そのまま、どちらがリードするかということも決められず、二人で立ち止まっていたが、またしても観光客の集団がやってきた。どうしても動かざるを得ない状況になってしまったので、道の中央側にいた久路人から人ごみを避けるように動き出す。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 それでも、しばらくは何を話せばいいのかお互いにわからなかった。気になるのは、そのたくましく力強さを感じさせる久路人の手の感触と、柔らかくて心地よい雫の手の触感だけだった。しかし、そこは滅多に来れない観光地。話のタネはいくらでもある。歩き続ける内に、また別の土産物屋が見えてきた。

 

「あ、木刀が置いてある。本当に観光名所には置いてあるんだ。久路人、買ってく?」

「う~ん、結構高いな。止めておくよ。刀なら自前のあるし」

「そういやそうだね。でも、久路人なら木刀で鉄とか斬れたりしない?」

「・・・・雷起使えば、できなくない、かも?」

 

 色気も何もない話だが、よく一緒に武器をぶつけ合う仲ゆえに、そんな話題でも盛り上がる。他にも竹でできた水鉄砲が置いてあったりして、そちらにも関心が移っている内に、いつの間にか二人からは緊張が取れていた。そのまま二人の会話は弾んでいき、手を繋いでいるのも自然なことのように思えてくる。

 

「あ、遠くの方にいるの、田戸君たちじゃない?」

「本当だ。木刀買ったんだ、あいつら・・・」

 

 「邪剣夜逝魔衝音(じゃけんよるいきましょうね)~」と叫びながら木刀を振り回している知り合いを発見し、少し引いたりした。田戸君は直後、ムエタイが得意そうな空手部の顧問にぶっ飛ばされていた。

 

「ん~!!この大福、桃入ってておいしい!!」

「僕のはリンゴだったよ」

「あ!!じゃあちょっとちょうだい!!」

「いいけど、そっちのも一かけら欲しいな」

 

 また露店の香りに誘われて大福を買ってみると、中身が違ったようなので、少し交換して食べた。雫は自分が食べた部分をかじってもらおうか少し悩んでいたが、久路人が口を付けたのと反対側をちぎって渡してきたのを見て、自分もそれに倣った。洗濯物の臭いをこっそり嗅ぐのは常習犯なくせに、こういった急に訪れる王道展開ではやはりヘタレである。だが、モノを食べるために一度は手を離したが、次にまた歩き始めるときには雫から自然と手が伸び、久路人も動じることなくもう一度手を繋ぐ。

 

「おじさんたちのお土産、今買っちゃおうかな・・・」

「旅館に置いておけばいいと思うから、別にいいけど、嵩張るのは止めた方がいいんじゃない?」

「う~ん。食べ物系とかかな?」

「なら、あそこに置いてある激辛せんべいとかぬか漬けでよくない?」

「まあ、普通な感じの買ってもつまんないかなぁ」

 

 さらに進んだ先の土産物屋で、京たちに買っていくお土産を物色してみる。雫はネタに走りがちで、尖った物を買いたがっていた。久路人としてもせっかくの旅行なんだしということで普段の無難なチョイスから外してみようと思ったようだ。結局京には「激辛!!人間の食う物じゃないよ煎餅」、メアには「THE職人技~100年ぬか漬けの香り」というよくわからない物を買っていくことにしたのだが、そこで久路人はあるものに目が止まった。

 

「あ、ちょっと私に似てるかも」

「おお、いい湯のみだな」

「「・・・・・・」」

 

 手を繋いでいるのとは、逆の方の指先が触れ合った。思わず顔を見合わせる。

 二人が手を伸ばしたのは、同じものだった。白い蛇が水墨画のようなタッチで描かれた湯飲みである。久路人はちょうど今家で使っている湯飲みが色々と欠けてきたので、新しいモノが欲しく、雫は蛇の絵が「なんとなく見た目が自分に似てる」と思ったのだ。

 

「「えっと・・・」」

 

 二人して何か言おうとして、ハモってしまい、次の句が継げなくなるが、既に二人の手は繋がれている。もう気まずくなることはなかった。クスリと軽く笑い合いながら、雫は久路人に聞く。

 

「これ、買うの?」

「うん。ちょうど欲しかったし。雫も欲しい?」

「あ~、私もちょっと欲しいかもって思ったんだけど・・・・」

「なら、いいよ。これは雫ので。同じの買うのもアレだし、湯飲みが欲しいだけだから。僕はあっちの少し違うやつ買うから」

「え!?それならお金は私が払うよ。さっきの饅頭とか奢ってもらっちゃったし」

「え~、これ1000円近いし、払ってくれるにしても普通に折半でいいよ。おじさんから結構もらってるし」

「それは私もだけど・・・久路人がそう言うなら」

 

 ちょうど隣に少しポーズの違う白蛇が描かれた湯飲みもあったので、久路人はそちらを選ぶことにしたようだ。二人とも修学旅行前に口座から大目に引き出しており、懐には余裕があった。再び二人で並んでレジまで歩き、包んでもらう。

 

「さすがに、ここで使うのは早すぎだよね」

「濡れた湯飲みをカバンに仕舞うのは嫌だな・・・・帰ってからにしよう」

「うん」

 

 そうして、二人は歩き出す。普段は味わえない刺激を存分に味わうために。二人一緒に。

 班行動の時間になるまで、二人は手を繋いで露店を見て回ったのであった。

 

 

-----------

 

 ざわざわと、その場所では学生たちがざわめいていた。

 まさしく観光名所と言わんばかりに整備された古めかしい石畳とその両隣にある白い砂利。砂利道のさらに向こうにはこれまた手入れの行き届いた杉の木立をバックに絵馬やらおみくじやらが結ばれた看板が立ち並ぶ。中央の石畳の道は赤い鳥居に繋がっており、鳥居の向こうには大きな神社が見えた。

 だが、学生が、特に男子たちが騒いでいるのは、そんな風光明媚な観光スポットが原因ではなかった。

 

「あ~、お前ら大人しくしろ。今日から、お前たちにこの辺りのことを教えてくれる、ガイドさんを紹介する」

「皆さんこんにちは!!これから3日間ガイドを担当する、葛原 珠乃(くずはら たまの)って言います!!よろしくお願いしますね?」

「「「「「はぁい!!!」」」」

 

 学年主任兼空手部顧問の夏吉先生がそう言うと、ガイド、葛原が笑顔で挨拶をした。威勢の良い返事が即座に帰って来る。ほとんど男子の声であったが。だが、それも無理もない。葛原は控えめに言ってもかなりの美人であった。軽くウェーブのかかった黒い長髪に、やや糸目気味のたれ目、整った顔立ち、モデルのような長身。なによりも・・・・

 

「デカ・・・・」

 

 PCのフォルダにそれ系の画像を密かに収集している久路人は、威勢の良い返事には加わらずとも思わずその感想を口に出しそうになったが・・・

 

 

 ガッ!!!

 

 

「ねぇ久路人は知ってる?前にテレビで見たんだけど、目玉って冷やすと血行がよくなるんだって」

 

 底冷えのするような声とともに、久路人の視界が塞がれた。久路人の頭蓋を圧砕させるつもりかと疑いたくなるような力で雫は久路人の両目を手で塞いでいた。その手は雫の言う通り真冬の水道から出る水のように冷え切っており、「冷やすっていうか、凍らせるつもりだよね?」と言わんばかりであった。当然、久路人の健康を促進させようとする言葉の内容とは裏腹に、その声には感情が込められていなかった。

 

「・・・あの、前が見えないんだけど」

 

 「今の雫に堂々と言い返すのはマズい!!」と本能で察した久路人は、恐る恐ると言うように雫に抗議する。

 

「ん~?前に進むときは私が合図するから大丈夫だよ?それに、久路人なら黒鉄なしでも目をつぶって1500m持久走とかも普通にできるよね?今の久路人を見てるとセクハラで訴えられないか心配だからしばらくこうしててあげるね」

「・・・・はい」

 

 久路人が収集している画像のことも完璧に把握している雫は、弾むような声でそう言った。やはり、その声は絶対零度である。気のせいか、目を塞いでいる手の温度も下がった気がする。久路人としては、いや、男として「女の胸ガン見してたよな?」と言外に言われた方は従うほかなかった。そんな様子の久路人を見て、雫は若干溜飲を下げたようだが、それでもその目は憎々し気に葛原を、正確にはその体の一部を睨んでいた。

 

「クソッ!!!なんだあのぶくぶくと肥え太った胸は!?一体何を食ったらあんな・・・というか、周りの雌どももよく見たら妾より・・・・クソッ!!!哺乳類どもが!!!」

「・・・・・」

 

 久路人には聞こえないように小声で言ったようだが、隠しきれない負のオーラのおかげで雫が言いたいことを久路人はなんとなく察した。しかし、口には出さない。間違っても、「雫は確かに控えめだけど、全然ないわけじゃないから」などというフォローになってない慰めなど口にしない。もしもそんなことを口走れば、葛城山は一足先に秋真っただ中から真冬に突入するだろう。

 そんな二人のことなど見えていないかのように、葛原はにこやかにガイドとしての務めを果たす。

 

「それじゃあ、皆さん行きましょうか。まずはこの先の葛城神社へ・・・エンッ!!?」

「お?葛原さん、大丈夫ですか?」

「い、いえ、大丈夫です!!ちょっとゴミが鼻に入っただけなので・・・あはは、じゃあ改めて、行きましょうか」

「「?」」

 

 一度生徒たちを見回すように首を回し、ちょうど久路人たちが視界に入ったところで、葛原は突然えずいた。その反応を久路人も雫も不思議に思ったが、葛原が何事もなかったように歩き出したので、すぐに気にするのを止めた。というよりもだ。

 

「え?雫、本当に目隠しして・・・?」

「久路人なら余裕だよね♪」

 

 久路人の視界を塞ぐのと、視界を塞がれたまま歩くのに気を取られてそれどころではなかったのだが。結局、久路人の目隠しが外されたのは石畳の奥の神社に着いてからだった。

 

 「意外と早く済んだな」と久路人は思ったのだった。

 

-----------

 

昔々、この場所には悪い怪物がおりました。

 

怪物は人々が争っているところを見るのが大好きで、村人を化かしては、喧嘩をさせていました。

 

捕まえて懲らしめようと思っても、動きが素早くて中々捕まりません。

 

村人たちが困り果てていると、村に二人の旅人がやってきました。

 

お侍さんとお坊さんの二人組です。

 

「お前たち、一体何があったのだ?」

 

「・・・・・」

 

なんだか怖い顔をしたお侍さんと、笠と頭巾で顔がほとんど見えないお坊さんの二人はとても怪しかったので、疑り深くなっていた村人たちはお坊さんがそう言っても何も言いませんでした。

しまいには、「出ていけ」と言って石を投げられ、二人はすぐに立ち去っていきました。

 

「困ったな。このままでは横になれない」

 

「山の中で寝床を探そう」

 

二人は山の中に入ると、そこに化物が現れました。

 

化物は笑いながら言いました。

 

「あっはははは!!!化物だと疑われて可哀そうに!!今日は凍えて眠るといい!!」

 

「なんだと」

 

「お前が悪いのだな?」

 

怒った二人は化物を倒し、岩に封じ込めました。

 

化物を倒した二人は村に言いに行きましたが、村人には信じてもらえず、もう一度追い出され、今度こそ村には戻りませんでした。

 

しかし、化物を封じ込めた岩は魔除けになったらしく、村人は平和に過ごしましたとさ

 

めでたしめでたし

 

-----------

 

「「・・・・・・・」」

 

 「ツッコミどころの多い話だな」という顔で、久路人と雫は神社の境内の隅にあった立て札を眺めていた。どうやら、この地方に伝わる伝承を記したものらしい。

 

「村人の性格クソすぎない、コレ?」

「その二人も化物を一行で倒すとかどんだけ強いの?って感じだよね。というか、どうして殺さなかったんだろ。私なら封印なんてしないで凍らせて砕くけど」

 

 作者もよくわからないような昔の伝承にそんなツッコミは野暮だろうと思いつつ、二人は看板を眺めていた。今は神社の内部を見学した後に境内のあちことを見回っている最中なのだが、久路人はこのポツンと立っていた看板が気になったのだ。そうして二人、一般人から見れば久路人一人で看板を見ている時だった。

 

「このお話、気になりますか?」

「え?」

「む!!」

 

 すぐ近くに葛原が来ていた。他の男子たちはどうしたのだろうと見回してみると、田戸君と別人のように凛々しい顔立ちの二浦君が境内の中央辺りで迫力のある殴り合いをしていて、みんな夢中になっているようだった。さすがは全国出場も経験したことがあるという空手部員。見事な演武である。どうしてそんなことになったのか?とか、二浦君の足元に転がっている折れた木刀とペンギンのぬいぐるみはその騒動に何か関係があるのか?とかは分からないが。ちなみに、雫は葛原が近づいてきた時点でもう一度目隠しをしようとしたが、さすがに不審がられるかもしれないので取りやめ、今は警戒の眼差しを向けるだけにとどまっている。

 

「えっと、そうですね。僕、こういう昔ばなしに結構興味があるので、あはは」

「まあ、高校生くらいなのに珍しい。そういう人がいてくれるのは、ガイドとして嬉しいで・・クシュン!!」

「だ、大丈夫ですか?」

「ええ、また鼻に少し・・・」

「それ以上近づくと凍らせるぞ、豚が・・・・」

 

 久路人か、はたまた看板に近づいてきたかと思えば急に鼻を押さえた葛原を見て、雫が警戒レベルを上げ、久路人も思わず心配しながら後ずさる。そんな様子を刺激から回復した葛原は、一瞬怪訝な表情で見ていたが、すぐに看板に向き直った。

 

「君は、このお話をどう思いました?」

「どう、ですか?」

「ええ。なんでもいいですよ。どんな感想を持ちましたか?」

 

 男子たちに愛想を振りまいていた朗らかな感じとは異なる、静かな雰囲気だった。なんとなく、答えなければと思わせるような不思議な迫力があった。

 

「そうですね・・・旅の二人組が強いなとか、村人の性格悪いなとか・・・」

「ふふ、そうですね。村人を困らせていた化物を一瞬で倒してしまうなんて、とても、とても強かったのでようね。それに、そんな強い二人と知らないで二回も追い出すなんて、性格が悪いというか・・・・・とんでもない馬鹿としか」

「はあ・・・」

 

 ふふ、と柔らかく笑いながらも辛辣な評価を下す葛原に、久路人も雫も意外そうな顔をする。あの最初の挨拶は演技だったとは思えないくらい心が籠っているように思えたのだが、このニヒルなのが素なのだろうか。

 

「他には、何かあります?」

「え?他にですか?・・・そうだな、化物ってどんな奴だったんだろうか、とか」

「・・・・・・」

 

 久路人がそう答えた瞬間、ザァッっと風が吹いて、落ち葉が久路人と雫の視界を遮り、葛原の表情が少しの間見えなくなった。

 

「・・・・・・」

 

 風はすぐに止み、次に見た時には、柔らかな笑みがそこにあった。

 

「ふふ、この辺りの伝承を調べてみても、この化物の正体は分らないんですよ。一説には、大熊だったとか、化物のフリをした詐欺師だったとか言われてますね」

「へぇ~」

 

 「そんなものか」と久路人は思った。こういうのは、観光客向けに色々と脚色するものだと思ったのだが。

 

「昔のことってわからないことが多いんですね」

「はい。こういうことは、色々と都合のいいように変えられたり、逆に外聞の悪いことは消されたりしてしまいますからね。この化物の正体にしたって・・・・意外とすぐ近くにいるモノがそうだったのかもしれませんよ?」

 

 初めて見た時のようなほほ笑みを浮かべながら、葛原はそう言った。

 

「「・・・・・」」

 

 どうしたわけか、久路人は、そして雫も、今の葛原に対して何も言うことができなかった。何か反応を返してはいけないような、そんな気がしたのだ。

 そして、そんな微妙な雰囲気を察したのか、あるいはそうでないのか、葛原はそこで腕時計を見る。

 

「あ、いけない。そろそろバスが出る時間ですね。君も急いで戻ってください。私も行きますから」

「あ、はい」

 

 そうして、久路人と雫はバスの方に走り去っていった。久路人は足が速いので、すぐに境内からいなくなる。

 

「・・・・・本当に」

 

 振り返ることなく走った久路人も雫も見ることはなかった。

 

「・・・・本当に、度し難い愚か者どもが」

 

 葛原が、心底下らないモノを見る目で立て札を見ていたところを。

 

 




さて、もうちょっと引き延ばします。
感想、評価、お気に入り登録くれればスピード上げますよ!!
特に今は3連休!!効果も倍です!!

特に、特に感想と高評価はモチベ爆上げですよ~!!!!


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前日譚 高校生編5 修学旅行一日目・夜

一日目が終わらなくてすいませんでしたぁああああああああ!!(土下座)
今回の展開を描いてたら無駄に筆が乗ってしまいました。

次くらいから多分シリアス入って来るから、多分。


「えっと、じゃ、じゃあ、流すね」

「あ、ああ。お願い」

 

 男湯の一角、白い湯気で煙る視界の中、バスタオルを巻いただけの雫が、同じく腰にタオルを乗せただけの久路人のすぐ後ろにいた。その手には手ぬぐいと石鹸が握られており、緊張のせいかプルプルと震えている。しかし、正面の鏡に映る雫のそんな姿を見ても、久路人にそれに気付く余裕はなかった。よく見ると久路人の肩も震えており、彼もまた緊張しているのだとわかる。

 

「スゥ~、ハァ~・・・・」

「・・・・・・」

 

 まるで武道の達人のごとく呼吸を整え、精神統一する雫。対する久路人も目を瞑り、座禅を組む修行僧のような厳かさを醸し出している。一見すると何をやっているのだ?修行の一環か?と問いたくなるような雰囲気だが、それを聞ける者はいない。否、大浴場の中で彼らを認識できる者がいない。

 

 幻術「五里霧中」

 

 雫が最近になって覚えた幻術系統の術である。雫が展開した霧の中と外を仕切る結界であり、仕切られた空間の外にいる者は中のことが分からなくなる上に、「そこには霧も、何もない何の変哲もない空間」と思い込ませる効果がある。加えて、「なんとなくそこに近づきたくない」と思わせる人払いも行うという優れものだ。ただし、効果が盛りだくさんな代償に、ある程度以上の実力を持つ異能者には効かないが。元々は妖怪の襲撃があった際に周囲にバレるのを防ぐために考えた術だ。もっとも、物を壊した後などは修復できないため、修復するための術具を使うまでの時間稼ぎにしかならなかったが、それでも中々便利な術である。だが、さすがの雫もこれを「久路人と一緒に風呂に入るために」使うことまでは予想していなかったが。

 

「フゥ~・・・・行くよ!!!」

「ああ!!」

 

 もはや普段の訓練を超える真剣さである。まるで今から必殺技を放とうとしているかのようだったが、心臓の鼓動を超加速させ、まさしく己を殺すことになりかねない致命の行為であると認識する雫にとっては間違いではない。そうして、今まで練り上げた集中力を開放するかのように、雫の石鹸で泡立った手が久路人の背中に触れる。

 

「・・・・っぅ!!」

「だ、大丈夫!?痛かった!?」

「い、いや、痛いわけじゃないから、大丈夫」

 

 雫の柔らかな手が、自分の背中に触れた瞬間、電流が走ったような刺激を覚えたのだ。雷に対して極めて強い耐性を持つ久路人にとっては、初めての「電気が走ったような感覚」であった。

 

「つ、続き、お願いしてもいいかな」

「う、うん・・・!!」

 

 それから始まる、雫による久路人の背中流し。

 体に走るなんとも表現に困る未知の感覚に混乱しながらも、修行僧のように瞑目する久路人は、なぜこんなことになったのかを思い出していた。

 

-----------

 

 葛城神社を後にして、バスに乗り込み、旅館に着いた久路人たちは、まず荷物を降ろした後に夕食を取った。夕食は雫にとってはやりやすいことにバイキング形式であり、ステーキを山盛りにして食べて空にしては、異常に早くなくなるステーキを見た旅館のスタッフに首をひねらせていた。そして、夕食後にはもう一度部屋に戻る。部屋割りは班ごとであり、各班は3~4人で構成され、久路人のグループは3人だ。他の二人は毛部(もうぶ)君と野間琉(のまる)君といい、いたって普通の生徒で、久路人との仲もそこそこであり、教室ではそれなりに話す間柄だ。ただ、二人とも意外というべきか、気配を殺すのが異常に上手く、「そこにいたのにいなかった」とか「俺の背後に立つなぁああ!!」と言われることが多い。本人たちは、「え?そんなつもりないんだけど・・・」と落ち込んでおり、影が薄いのを気にしているらしい。久路人は気配を探るのが得意なのでそんな二人にもすぐに気が付くため、二人からの好感度は久路人が思う以上に高かったりする。

 

「ここが僕らの部屋か~」

「なんというか、旅館って感じの部屋だね」

「お茶菓子食べようよ」

 

 荷物を降ろして部屋を見回し、旅館の雰囲気を感じ取った後、3人が机の上に置いてあった菓子を食べ始める。男子高校生の食欲を侮ってはいけない。夕食後だろうと間食は余裕であったが、それを羨ましそうに見る影が一つ。

 

「いいなぁ~、美味しそう」

「・・・・・半分」

「え?いいの?ありがと、久路人!!」

 

 久路人の護衛として、当然雫も着いてきている。しかし、元々3人が来る予定の部屋には菓子は3個しかなく、雫はくいっぱぐれている状態である。そんな雫を見て久路人はこっそりと菓子を二つに割ると、隣にいる雫に渡した。雫はまさしく蛇の如く丸のみしていたが、幸せそうな顔だ。久路人本人にも言えることだが、バイキングであれだけ食べておいてよく入るものである。

 そうして、しばらくの間、部屋でダラダラすることになったのだが・・・

 

「ところでさ、あのガイドさん、すごい美人だったよね!!」

「ああ、葛原さんだっけ?アイドル並というか、アイドル超えてるだろ。胸も大きかったし」

「本当にツイてるってか運いいよな~。ねぇ、月宮はどう思う?」

「え!?その、す、すごい美人だなとは思ったよ、ははは・・・」

「・・・・・」

 

 アイドルクラスの美人が修学旅行の案内をしてくれるとなれば、反応するなというのは男子学生には酷だろう。さきほどの夕食の時もそうだったが、久路人たちももう一度件のガイドの話になる。毛部君と野間琉君も他の男子たちのように葛原に対して熱を上げているようだった。夕食では教員側と生徒側で席がかなり離れており、中々葛原と話す機会が取れなかったのも一因だろう。対照的に雫の纏う雰囲気は凄まじい勢いで冷え込んでいるが。「話を合わせてるだけだから!!本当だからね!!」と目で合図を試みているおかげか、それとも雫のコントロールが上達したのか、冷気は漏れていないようだが、久路人としてはたまったものではない。だが、そんなやや挙動不審な久路人の様子に気が付いたのか、毛部君と野間琉君は怪訝な顔で久路人を見る。

 

「なあ月宮君、君・・・・」

「まさかとは思うけど・・・」

「え?」

「「もしかして、女より男が・・」

「違うよ!!」

「・・・・久路人?」

 

 どうやらいらん誤解を受けているようで、慌てて久路人は否定する。雫までなんとなく疑いの眼差しで見ているところを見るに、結構その疑惑は深かったようだ。男二人にとっては自身の貞操の危機かもしれないということで、その慌てぶりすら怪しく見えてくるのか、久路人から距離を取っている。

 

「だって、月宮君、クラスの女子とほとんど話さないじゃん」

「それに、いつも池目君とか伴侍君の近くにいるし、あの空手部とも仲良さそうだし」

「誤解だって!!池目君たちとは同じ中学で、そのころから結構話したからで・・」

「「つまり、中学の頃から・・・・」」

「だから違うってば!!わかってて言ってるだろ、二人とも!!」

「「バレたか」」

 

 久路人が若干怒りながらそう言うと、二人はニヤリと笑いながらそう言った。彼らなりのジョークだったのだろう。ただ、久路人がクラスの女子と話さないのは本当だし、そのため男子といる時間の方が長いのも確かだった。それというのも・・・

 

「・・・私のせいじゃないもん」

(・・・まあ、半分は向こうと池目君たちのせいって感じだからなぁ。きっかけは雫だし、池目君たちには感謝してるけど)

 

 前にあまりにも久路人にイケメンたちの好みを教えてと言う女子が多かったので、イラついた雫が足元を一瞬凍らせて転ばせたことがあったのだ。そこでこれまでイケメンズの情報を漏らさない久路人にヘイトが溜まっていたこともあり、転ばせたといういちゃもんがつけられそうになったのだが、そこに池目君と伴侍君が現れ、「俺らの好み聞きたいのなら直接聞きに来いよ。月宮に迷惑かけんな」と一喝。それ以降、クラスの女子からは「下手に関わると伴侍君たちから嫌われるかも」と思われ、なんとなく避けられているというわけである。ただし、一部の女子はその3人の関係を非常に好ましく思っており、「その手の本」の制作を行っているというのは、たまたま存在に気が付かれずに話を聞いてしまった毛部君と野間琉君しか知らないことだ。彼らはその存在感のなさから本人の意思にかかわらず様々な情報を聞いてしまっており、久路人のホモ疑惑もそれらの情報から「割とマジなんじゃね?」と思っていた次第である。

 

「あの空手部はもう別格として、野球部の多田谷、水泳部の近野、アメフト部の小坊に加えてクラスメイトまでホモじゃなくてよかったよ」

「ああ。ゴキブリは1匹いたら30匹いるって言うけど、ホモもそんなだったらどうしようって感じだった」

 

 久路人に聞かれないように、小声で安堵しあう二人。

 何気に二人でパルクール部を作っている二人は運動部周りの情報に特に詳しい。いったい彼らはどこまで運動部まわりの闇を知っているのか?それは彼らにしかわからない。なお、久路人は雫の方を見ていたので彼らの様子には気が付かなかった。

 

「でも、それなら月宮君も好きな女子はいるの?」

「俺たちが把握してる限り、そんな感じしないけど」

「なんか気になる言い方だなぁ・・・・まあ、特にはいないけど」

「「・・・・・・」」

「だから違う!!」

 

 「え?こいつやっぱり・・」という視線を感じ、否定する久路人に、微妙な顔をする雫。だが、さきほどまでの流れでこの返答ではそう思われても仕方ないだろう。

 

「じゃあ、好みのタイプは?」

「さすがにそれくらいはあるよね?」

「え?それは・・・・」

「・・・・・!!!」

 

 雫がガバッ!!と身を起こした。その紅い瞳は期待と不安と興味で輝いている。

 その様子よりも、「ここで「とくにない」とか言ったら確実にホモのレッテルを貼られる」という危機感に駆り立てられた久路人は率直に自分の内心を口に出した。

 

「えっと、まず可愛い系より美人って感じの子かな」

「ほうほう」

「もっと詳しく言うと?」

「う~ん、髪は長い方がいいかも。ストレートな感じで」

「清楚系か」

「背丈とかは?」

「なんとなくだけど、僕と同じくらいか、小柄だといいかなぁ」

「まあ、そこは男ならそうだよね」

「わかるわかる」

 

 恋バナ系が好きなのは、いつの時代も男女共通である。男三人の会話は中々に盛り上がっていた。

 そして・・・

 

(久路人が言った特徴、全部私に当てはまってる!!!)

 

 尻尾が合ったらブンブンと振り回していそうな感じで興奮している雫がいた。かつて中学の頃に似たような会話になったころと比べると飛躍的な進歩である。

 

(やっぱり、もしかして、久路人も私のこと・・・・)

 

 その控えめな胸の内は、期待と喜びで張り裂けそう・・・・・

 

「「で、巨乳と」」

「うん」

 

 速攻で萎んだ。久路人もこの質問には真顔で即答であった。情報通の二人には久路人の巨乳好きもバレていたようである。自分の性癖は偽れない。それもまた摂理。

 だが、久路人は自分の行った悪手に気が付いた。部屋が急激に冷え込み、雫がスゥッと浮かび上がる。

 

「ねぇ久路人、これは純粋な興味から聞くんだけど、あの脂肪の塊になんの魅力があるの?あんなのただの胸筋を鍛えるだけの重りだよね?ねえなんで?」

 

 瞳に闇が渦巻く雫が空中でさかさまに浮かびながら、至近距離で久路人の顔を覗き込んできた。さながらホラー映画のワンシーンである。

 

「ねぇ、教えてよ。なんで?ねぇ、なんで?なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで?」

(怖っ!?というか、前見えないし!!)

「なんか寒くない?」

「もうすぐ夜だしなぁ」

 

 さきほどの返答は雫の逆鱗に触れてしまったようである。冷気のコントロールがブレてきているのか、毛部君と野間琉君も寒さに気付いたようだ。いったいどうやってこの場を収めようと思案していた時だ。

 

 ピピピピ!!!

 久路人の携帯が鳴った。

 

「あ、電話だ」

「月宮君、親からかい?」

「あ、うん。そうみたい。ちょっと外行くね」

 

 ちょうどよく、京から電話がかかってきた。これ幸いとばかりさも「電話だからしょうがないよね」と言わんばかりに大きな声で言って見せる久路人。強引に話を打ち切る気満々である。

 

「・・・・誤魔化されてあげるけど、後で答えは聞かせてもらうからね」

 

 どうやら、その意図はあっさり見破られてしまっていたが。

 

-----------

 

「よぉ、久路人。今大丈夫か?」

「うん。大丈夫。雫も近くにいるよ」

「おし、ならいいや。そっちは変わったことはあるか?」

「特にないよ。穴が空いてる気配もしないし、妖怪はいないみたい。おじさんの方は?」

「俺も別段危険ってわけじゃないが、中々尻尾がつかめなくてな。もう少し時間がかかりそうだ」

 

 旅館のロビーまで来た久路人は、そこで電話に出た。ここのところ家でも毎日行われていた定期報告である。1か月ほど前から、西の方で行方不明者や何かに襲われたような死体が見つかっているとのことで、京はメアを引き連れて調査に向かっていた。久路人がいる葛城山とは逆の方向であり、距離も遠い。

 

「動物を媒介にして術を使ってるのは分ったんだが、媒介になった動物を捕まえてもトカゲのしっぽ切りでな・・・・護符に反応はないんだな?」

「うん、何の反応もないよ。それにしても、おじさんがそんなに手こずるなんて、すごい厄介そうな犯人だね」

「ああ。今のところ目的が掴めねぇのも気味が悪い。東の方では特に事件も増えてねえし、そっちは霧間の縄張りだから大丈夫だとは思うが、護符の反応には気を付けておけよ」

「うん、わかった」

 

 それから軽く旅行であったことを話して、通話を終えようとした時だ。京がふと思いついたように言った。

 

「そうだ。さっき雫も近くにいるって言ったよな?ちょっとハンズフリーにしてくれねぇか?二人に聞かせたいことがある」

「いいけど・・・」

 

 雫の方を見ながら不思議そうな顔をする久路人に、雫も首をかしげてみせる。携帯を操作して、雫が返事をすると、京は確認が取れたと判断して続きを話し始めた。

 

「お前ら、もう風呂は入ったか?」

「いや、まだだけど」

「妾もまだだな」

 

 入浴は男女ごとに時間が決まっており、もう少し先だった。さすがの雫も風呂にまで着いていく気はない。久路人以外の男子の裸など見たいとも思わないし。

 

「そうか、なら雫は久路人と一緒に入れ。あと、寝る時も一緒な」

「「は?」」

 

 爆弾が放り投げられた。二人そろって呆けたような反応をしてしまったが、仕方ないだろう。

 

「おじさん何言ってんの!?」

「妾を痴女だと思っとるのか、貴様ぁ!?」

「うるせーな、ちゃんと理由はあるわ。あのな、いつもの家なら別にいいぜ?あそこは七賢でも無断侵入は簡単にはできない要塞だ。だが、お前らのいる旅館は簡易の結界しか張ってないし、遠いとはいえ、事件だって起きてんだ。入浴中だの就寝中だのは暗殺だって一番やりやすいんだぞ」

 

 京の言うことも一理ある。護衛とはどんなタイミングでも護衛してこそだ。堅固な守りを誇る月宮家ならばその必要は薄いが、今の久路人たちがいる旅館はそうではない。本来ならば修学旅行そのものを休ませればよかったのかもしれないが、中学では休ませてしまっているし、そもそもこれとて念のための処置ではある。必ずやる必要はないが、やっておいた方がよいという話であった。

 

「でも、男湯だよ?」

「いくら姿が見られないとはいえ、さすがに妾も嫌だぞ」

 

 雫も乙女だ。心に決めた殿方以外に肌をさらすなど絶対にお断りだったし、久路人としてもなんとなく嫌だった。

 

「雫、お前最近幻術使えるようになったろ。あの霧で仕切りゃいいだろ。不安なら久路人の黒鉄で壁を作ってもいい。だが、男のいるところで風呂入るのが嫌なら、女子がいるタイミングで幻術使って久路人を・」

「却下!!!それをやるくらいなら男湯に行くわ!!」

「雫!?」

 

 売り言葉に買い言葉とばかりに反応した雫に、「何言ってんの!?」と言わんばかりの目を向ける久路人。だが、それを逃す京ではない。

 

「お?言ったな?なら久路人が入るときに一緒に行けよ?久路人の護衛殿。それとも、護衛の仕事をサボってヘタレ・・」

「上等だチャラ男がぁ!!」

 

 久路人の護衛という誇りある仕事を引き合いに出されたら雫も引けない。久路人の手から携帯を奪い取り、大声で怒鳴りつけると、「フン!!」と通話を切った。「チャラ男じゃねぇ・・・」と言いかける声が聞こえたが、そんなものは二人にはどうでもよかった。

 

「行くよ久路人!!もうすぐお風呂の時間でしょ!!」

「え!?本当にやるの!?」

「私はここ10年ずっと久路人の護衛をしてるんだよ!?あんなこと言われて黙ってらんないもん!!」

「ええ・・・・」

 

 憤懣やるかたなし、といった具合の雫と、展開に呆然とする久路人。

 そうして、着替えを持って男湯に行き、脱衣所の入口から浴場内までを一旦「五里霧中」で塞ぎ、通路を確保してから久路人を着替えさせ、突入したという次第だ。なお、久路人が着替えの際中、雫は「見てないよ、視てないからね?」と手で目隠ししながら言いつつも指の隙間はばっちり空いていており、雫の着替えは普段身に着けている「霧の衣」をバスタオルに変えるだけだったので一瞬で終わった。

 浴場内に侵入した後は霧を隅の方にだけ展開した後に、念のためということで久路人が黒鉄で薄い壁を作り、さあ準備万端となったわけだが・・・・

 

「「・・・・・・」」

 

 無言。

 

((き、気まずい・・・・!!!))

 

 当然である。

 一緒に風呂に入るなど手を繋ぐなどよりも数段ハードルが高い。普段の行動を見ていれば、あのビビりでヘタレな雫がよく実行に移せたものだと思うが、それは「護衛のプライド」、「護衛の必要性も一理ある」、「久路人の裸が見たい」という大義名分があるからで、それらがなければ妄想はすれど実際に行うことはなかったであろう。雫は訓練中も久路人の脱衣を狙う、洗濯籠の久路人の下着の匂いを吸入するなど一線を軽く超えたことをやらかすが、それも「訓練中の事故、強くなるためには致し方なし」とか「リラックスタイムの風呂で休めないのは問題。警護に支障が出るかもしれない」という大義名分(いいわけ)があるからだ。そういった理論武装ができる場合、雫のヘタレは若干鳴りを潜める。とはいえ、何を話していいかもわからない状況に変わりはない。どんどん重くなる場の空気に、二人のメンタルは早くも限界が近づいており、先に音を上げたのはやはりチキンの雫だったが、今回はあまりに特殊な状況だからだろうか、珍しく逃げには回らなかった。

 

「く、久路人、せ、背中流そっか?」

「はい、お願いします!!」

「ええ!?」

「あ!?」

 

 護衛として逃げるわけにはいかない。だが、この沈黙は打破したいと思う雫はつい自分の心の中にある欲望を口に出してしまったのだ。だが、沈黙をどうにかしたかったのは久路人も同じ。「何か、何か会話をしなければ!!会話があったら乗らねば!!」と内心ガチガチだった彼は即答。

 

「ま、や、やっぱ・・・」

「わ、わかった!!石鹸取って!!」

「は、はい!!!」

 

 咄嗟に断ろうとするも、一度沈黙から解放された場の流れは止まらない。久路人が言いきる前に了承した雫が先に進めようとすると、久路人にももはや止めようがなかった。

 そうして、冒頭の状況に繋がるわけである。

 

 

-----------

 

(背中、すごいがっしりしてて、たくましい・・・・)

 

 石鹸の泡を塗りたくりながら、もうなんか色々ありすぎてボゥっとした頭で雫はそんなことを思った。雫もこんな至近距離で久路人の背中をじかに見るのは初めてであるが、さすがは10年以上異能者としての訓練を続けてきただけあって、久路人は中々に鍛えられた体をしている。見せるための筋肉ではなく、効率よく体を動かすための、しっかりと締まった細身の体だ。

 

(あ、でも、キズがある)

 

 しかし、雫はそんな久路人の背中に細い切り傷のような跡がいくつもあるのに気が付いた。状態を見るに、比較的新しいようだ。その傷を見て、雫の頭が少し冷える。ちょうど、石鹸の泡が垂れて傷にかかるところだった。

 

「・・・っ!?」

「大丈夫!?染みた!?」

「いや、大丈夫だよ。慣れてるし」

 

 同じくこの状況に適応するために悟りを開きかけていた久路人も現実に帰ってきたようだ。

 

「久路人、この傷・・・・」

「うん。最近の訓練で霊力を上げすぎると、ちょっとね」

 

 久路人は苦笑しながらそう言うが、雫は浮かない顔だ。最近の久路人の霊力の高まりは異常であり、肉体も成長しているといえど、着いていけなくなってきているのだ。雫としては、「久路人と自分が違うモノ」だということをまざまざと見せつけられるようで嫌だった。石鹸の泡をなるべく染みないようにゆっくりと塗って覆い隠す。

 

(そうだ。久路人は脆い人間なんだから、私がしっかりしないと!!)

 

 そんな決意とともに、雫は久路人の背中を流す。背中の泡はキレイに流れたが、雫の熱意はそのままだ。場の雰囲気によって湧き上がる高揚感と胸の中の決意が、雫を更なる暴走に突き動かす。

 

「ふぅ~、ありがとう。これで背中も綺麗に・・・」

「次は前だね!!!」

「え!?」

 

 「やっと解放される」と思った久路人に思わぬ追撃が襲い掛かる!!

 

「久路人、前も見せて!!そっちにも傷はあるでしょ?タオルの下にも!!」

「雫、何言ってんのかわかってんの!?」

 

 突如立ち上がって回り込もうとする雫から逃げるように回転する久路人。それを追う雫。はた目から見たら完全に痴女とその被害者だ。

 

「いい!!いいから!!前は自分で洗えるから!!」

「私は傷をしっかり見たいの!!」

 

 このままでは埒が明かない。雫の瞳は煌々と輝いており、この状態の雫は早々引き下がらないことを長い付き合いから久路人は良く知っていた。己の貞操を守るため、久路人はカウンターを仕掛けることを瞬時に決定する。

 

「ぼ、僕より、雫の背中が先でしょ!!僕が流すから!!」

「え!?」

 

 雫の動きがピタリと止めた。「今しかない!!」と久路人は立ち上がり、雫の背後を取る。熟達した達人の動きであり、今までの厳しい鍛錬の成果が今こそ発揮されていた。

 

「さあさあ、座って!!流すから!!僕が流すから!!」

「え?え?えぇぇえええ!?」

 

 なんだかんだ言って、雫は久路人からの押しには非常に弱い。促されるままに座ってしまう。「勝った!!」と思った久路人であったが、直後に致命的なミスに気が付く。

 

(こ、これからどうしよう!!?)

 

 目の前にあるのはバスタオルに包まれた雫の背中。たった今、自分は雫の背中を流すと言ってしまった。それを取り消したとしたら、さきほどの状況に逆戻り。しかし、雫の背中を流すにはバスタオルを取らねば・・・・前門の雫後門の雫である。どっちも雫だ。

 

「久路人・・・?」

「え?あ・・・」

「あ、そ、そっか、た、タオルとらなきゃ、ね?」

「う、うん」

 

 「なんかさっきよりも状況悪化してない?」と、この状況を半ば絵の向こうのように現実感のない光景として見始めている久路人がいた。そんな久路人の前で、シュルリと雫のバスタオルが剥がれ、雪原のように白い背中が久路人の前に晒される。

 

「・・・・・・」

「久路人?・・・・私の背中、なんか変?」

「そ、そんなことない!!すごい綺麗な背中だよ!!」

「そ、そうなんだ・・・・よかった」

 

 動きを止めた久路人を不審に思い、上目遣いで不安げに自分を見る雫に、久路人は自分の正直な内心を即答する。

 

(そうだ。やらなきゃ!!ここで退くわけにはいかない!!)

 

 ことがここまで進んでしまえば、もはや前進以外は許されない。今更「やっぱナシ」なんて言ったら、雫は悲しむかもしれない。後退すれば銃殺刑だ。

 

「フッ!!」

 

 息を鋭く吐き、普段の柔和な目つきを刃のように鋭くした久路人は、稲妻のような速さで石鹸と手ぬぐいを取ると、目にもとまらぬスピードで泡立てる。

 

「行きます!!」

「は、はいぃぃぃ!!」

 

 気合の入った声とともに、久路人の手が雫の美しい背中に触れ・・・・

 

「ひゃぅううううう!!?」

「うぉぉおおおおお!?」

 

 ビクン!!と震えた背中と雫の声に驚いた久路人は叫びながらバックステップで下がり、身構える。

 

「だ、大丈夫!?」

「う、うん。ちょ、ちょっと驚いただけ・・・・」

「そ、そうなんだ・・・」

 

 フゥ~、とお互いに深呼吸をして、精神統一を図る二人。立場は逆だが、冒頭と状況は同じである。

 そして、久路人の追撃が雫の背中に襲い掛かる!!

 

「ん、んんぅぅううう~!!」

「し、雫!?」

「だ、大丈夫!!大丈夫だから、つづけ・・ひゃうっ!?」

「・・・・・・・」

 

 久路人の手が雫に触れるたびに漏れる雫の声。まごうことなき美少女から漏れる艶めかしい声は、健全な男子高校生にはあまりにも毒であった。

 

「・・・・!!!」

「?く、久路人?どうしたの?」

「・・・・いや、なんでもないよ」

 

 自身の下半身に起きた現象を自覚し、久路人は慌てるどころか逆に冷静になっていた。

 

(バレたら(つきみやくろと)は死ぬ)

 

 自身の様々な面が絶体絶命の危機にあることを認めた久路人の脳は高速かつ冷静に事態の打開策を考えだす。そうだ。雫の声に気を取られるからダメなのだ。雫の声を無視し、高速で素早く済ませる。これが最適解だ。そのために必要な物はただ一つ。

 

「雷起!!!」

「ええ!?なんで!?」

 

 術を使った久路人に雫が疑問の声を上げるが、もはやその声は届かない。術の効果と想像もしなかったような状況に陥っていることもあって極限の集中力を発揮している久路人には、すべての音が素通りしていった。今の久路人に感じられるものは、正面の雫の背中だけだ。

 

「・・・フゥっ!!」

「ひゃっ!?く、久路人!?」

「・・・・・・・」

「な、なんで無言なの!?怖い・・あぅうううう!?」

「・・・・・・・」

「あっ、はっ、く、久路人、んんぅううう!?」

「・・・・・・・」

 

 雫の艶めかしい声など、湿っぽい吐息など、ビクリと震える白い背中の動きなど、久路人には何も感じない。感じないったら感じない。その手は業物を仕上げる匠の如くよどみなく動き、素早く、かつ傷つけないように雫の背中を洗っていく。

 

「はっ、はっ、はっ、あぅ!?」

「・・・・・・・」

「んぅ~~~~~!!?」

「・・・・・・・」

 

 そして・・・・

 

「・・・・・終わりか」

「ハァハァハァハァ・・・・・」

 

 一仕事終えた職人の如く雫の背中を流し終えた久路人は、冷静な声音でそう言いながら立ち上がる。雫はビクンビクンと小刻みに痙攣しながら湿った息を吐いていた。

 

「それじゃ、前は自分でお願い。僕は後ろ向いて・・・」

「ふぁぁい」

 

 もはやまともな思考ができていなかった雫は、言われるがままに前のバスタオルを外し、体を洗おうとする。久路人が後ろを向く前に。

 

「ちょっ!?雫!?」

 

 驚き慌てて久路人が思わず止めようとするも・・・・

 

「じゃば~」

「・・・・」

 

 気の抜けた声とともに、バスタオルが外れる寸前に雫の周りに渦が現れ、石鹸を中で泡立てながら雫の体を洗っていく。まるで洗濯機のようだった。

 

「終わった~」

「え?ああ、うん」

 

 そうして30秒ほどそうしていた雫が渦を消すと、元通りバスタオルを巻いた雫がそこにいた。

 

「ねえ雫」

「ん~?」

 

 まだどこか上の空だが、さっきよりは思考が元に戻っている雫に久路人は問う。

 

「その方法なら背中流し合う必要なかったんじゃない?」

「あ・・・・・」

 

 結局、男子たちの入浴時間を過ぎてしまいそうだったので、湯船には浸からずにそのまま二人は浴場を出た。その顔は二人ともあまりにも大きな困難を潜り抜けた後に、「え?そんな苦労する方法でやったの?馬鹿じゃね?」と言われた後のように脱力していた。

 

「「・・・・・・・」」

 

 もうなんか色々考えるのが面倒になっていた二人は、二人そろって同じ布団に入った。「あそこまでやったんならもう同じ布団で寝るくらいなんともないや」というある種の賢者タイム兼無敵タイムである。

 翌朝に「「なんでここに久路人(雫)が!?」」と顔を赤くして驚くのは別の話。

 

「・・・・なあ、月宮君ってやっぱり」

「しぃっ!!言うな。俺たちがオカズにされる!!」

 

 男湯から出てきたと思ったら異常に顔を上気させて一言もしゃべらずに布団に潜り込んだ久路人を見て毛部君と野間琉君がまた誤解するのも別の話である。

 

 

 

 

 

 




もう途中でゴールさせちゃってもいいかなと、危ういことを考えてしまいました。
感想、評価よろしくです!!



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前日譚 高校生編6 修学旅行二日目

今回は少し難産でした・・・
頭のいいキャラを書こうとすると、自分も頭のいいキャラになれるようにしなきゃいけない。頭脳戦が書ける作者様を心より尊敬します。

ところで、この小説をもっと多くの人に読んでもらいたいと思っているのですが、タイトルとかキャッチーなのに変えるべきでしょうか?


 目の前に、雄大な山々と広大な湿原が広がっていた。秋が深まる中、山は紅葉の紅と黄に染まり、地面には金色のススキが風になびく。そのススキの海を真っ二つに割るように木製の桟橋がどこまでも続くように伸びている。そこは葛城湿原。街という人間が作り出し、自然を追い出した場所に住む者たちにとっては、異界といってもいいだろう。思わず見とれてしまうのも無理のないことであり、それは久路人と雫も例外ではなかった。

 

「・・・・すごいな」

「うん。私が封印される前でも、こんなのは見たことない」

「そうなの?」

「私がいたころはこんなところは妖怪が住んでて、暴れてたから」

「なるほど」

 

 朝のうちには、妙な温もりを感じると思ったら隣にお互いが横になっており、飛び起きて「なんだ!?夜這いか!?」と毛部君と野間琉君を驚かせてしまったり、昨日の入浴のことを思い出して赤くなって気まずくなっていた二人だが、この光景の前にはそんなものは吹き飛んでしまったようだ。まあ、この旅行中だけでも気まずくなるのが多すぎて慣れてしまったというのもあったが。

 

「今日はこの遊歩道をずっと歩くんだって」

「・・・・私が言うのもどうかと思うけど、修学旅行として正しいの?それ」

「さぁ・・?」

 

 普通は修学旅行と言えば、沖縄、京都、東京、北海道あたりが鉄板だろう。中には海外に行くという高校だってある。それなのに、いくら絶景とはいえひたすら野山を歩かせるというのはどうなのだろうか。それならば修学旅行という名目ではなく「〇〇合宿」とかそんな風に変えた方がいいのではないだろうか。そんな風に思っているのは、久路人たちだけではないようだ。

 

「よっ、月宮」

「どうしたんだよ。そんな山の方をぼーっと見て。やっぱ山登りは嫌か?」

「おはよう、池目君に伴侍君。いや、山が紅葉ですごい綺麗だからさ」

「ああ、確かに」

「もう俺は写真に撮ったよ。でも、あれに登るのはきつそうだ」

「うぉっ!?毛部に野間琉か!?」

「お前らいつの間に後ろに・・・・」

「さっきから二人ともずっとそこにいたよ・・・」

 

 そこそこ交流のある池目君と伴侍君が近くに来た。この二人はスポーツもできるのだが、それでも山登りはさすがに面倒くさそうである。そして、同じ班の毛部君と野間琉君は久路人が雫と話している時には結構近くにいたのだが、池目君たちは気が付かなかったようだ。だが、毛部君たちもそんな反応には慣れているのか、特に何も言わない。ちなみに、この二人もパルクール部を作ってまじめに活動しているせいか、運動神経は良い方だ。高校でもいつの間にか3階から1階に雨どいを伝ってショートカットしていることがあった。しかし、やはりというかなんというか、バレたら怒られそうなのに久路人以外には気づかれていなかったが。

 

「まったく、男子高校生が情けない。私や久路人を見習うべきだよ!!」

(そりゃ、僕らと一緒にしちゃダメでしょ。僕ら、一応人外並だし)

 

 そもそも人外の雫に、その人外と戦って生き残れるように幼いころから訓練を続けてきた久路人だ。湿原のハイキングや山登り程度はただの散歩と変わりない。

 

(人外といえば、ここは妖怪はいないのかな?)

 

 ふとそこで昨日の京が言っていたことが耳に残っていた久路人は、腕輪をチラリと見るが、特に黒ずんだりボロボロになっている様子はない。

 

(・・・・黒飛蝗(こくひこう)

「久路人?」

 

 久路人は、普段自分の近くに忍ばせている黒鉄を、ちょうど風が吹いたタイミングで薄く砂嵐のように散布する。雫が不思議そうな顔をしているが、これは久路人なりの索敵である。宙に舞う小さな黒鉄の一粒が久路人にとってはレーダー光であり、霊力のあるものに反応する。そうして少しばかり周りを探る久路人だが・・・

 

(特に反応なしか)

「私も少し霧で探してみたけど、特になにもいないみたいだよ」

 

 これといった反応は見られなかった。雫もこの黒飛蝗のように霧を使った「移流霧(いりゅうぎり)」という似たようなことができるのだが、それでも見つからないということは、本当に何もいないのだろう。まあ、京の術具と違って二人の索敵は調べられる範囲はやや広いものの、正確性には若干欠けるのだが、二人としては危険な大物以外ならばどうとでもなるので気にしなかった。

 

「? 月宮君?」

「調子悪いのか?」

「ああいや。滅多に見れる光景じゃないから目に焼き付けてただけだよ」

「へぇ~、月宮君、自然が好きなんだ」

「なんとなく分かる気はするけどな」

「月宮、爬虫類のこととか詳しいしな」

「いやあ、ははは・・・」

 

 探知に少しの間集中していたせいか、少し不審に思われつぃまったようなので笑って誤魔化す。それに、自然が好きなのは嘘ではない。自然や生き物が好きだから雫に出会ったのだから。

 ともかく、そうして話しながら歩き出した時だ。

 

「あ、久路人、足元危ないよ」

「え?」

「ほら、足元。木が腐ってる」

「あ、本当だ」

「もぅ~!!ダメだよ気を付けないと!!怪我したら大変でしょ!!」

「ああ、うん」

 

 雫がバッと久路人の前に出てきたと思うと、通せんぼをするように久路人の足元を指差した。確かに雫の言う通り桟橋の一部が腐って穴が空きかけているが、久路人の足が抜けるほどのものでもない。

 

(なんというか、最近雫がなんか過保護だなぁ・・・・)

 

 しばらく前から、どうにも雫が久路人のことを前にもまして気にかけているような気がする。特に訓練の後なんかはその場で服を脱がせて手当てしようとするなど結構露骨である。やはりそういう気遣いは嬉しくないとは言わないが、年頃の男子としては複雑だ。というか、今日はいつにも増して雫がハイテンションなように思える。昨日よりも調子がよさそうだった。

 

「今日の雫、なんか元気がいい感じがするけど、なんかあったの?」

「へ?う~ん、特になんかあったわけじゃないけど、ここを見てると、なんか走り回ってみたい気がするの」

「へぇ~、雫がそんなこと言うなんて珍しいね」

「うん。なんでだろ?」

 

 雫もどことなく不思議そうである。ここにあるのは雄大な山と広い湿原だ。だが、湿原と言えばいかにも蛇や蛙が好みそうな場所である。

 

・・・・だから、それは自然と久路人の口から出てきてしまった。

 

「う~ん、蛇だからじゃない?」

 

 それは、久路人からすれば、本当に何気ない一言だった。

 

「・・・・・」

「雫?」

 

 ほぼ直感的にそう言った久路人だったが、一瞬雫の顔が悲しそうに歪んだのを見て、動きを止める。なにかマズいことを言ったかと焦って、取り繕おうとするが・・・

 

「あ、その・・・」

「・・・もぅ~、いくらなんでも、この時期のススキ原なんて見てもテンション上がんないよ。単純に、ここがすごく綺麗な場所だからじゃないかな?」

「そ、そうなんだ・・・」

「お~い!!月宮、何してんだ?置いてくぞ~!!」

「あ、ゴメン!!すぐ行くよ!!」

 

 すぐに表情を元に戻し、明るく気にしていないといった風の雫に、久路人は何も言えなかった。そうこうしている内にクラスメイトから呼びかけられ、久路人は桟橋の穴を飛び越えて進み、雫もすぐ後ろを着いていく。

 

「・・・蛇だから、か」

 

 ほんの小さく、口の中だけでつぶやいたような小さな声は、雫以外の誰にも聞かれることなく消えていった。

 

 

-----------

 時は進んでお昼時。

 一行は道半ばを多少過ぎたところに差し掛かり、昼休憩を取ることとなった。

 

「最初は自然を見るのも悪くねぇなと思ってたけどさ・・・」

「悪い、やっぱ辛ぇわ」

「景色が単調すぎるっていうかな~」

「話のネタも正直あんまないしね・・・」

「ははは・・・・」

 

 朝に話していた5人で進むこととなり、そのまま歩いていた一行だが、景色に変化もなく、話題もループし始めたあたりから次第にしんどくなってきたらしい。5人で円を組むように丸くなって座り、昼食に支給されたおにぎりを食べていた。ちなみに、雫はいつも通り久路人の隣に陣取って同じようにおにぎりを頬張っている。

 

「んぐんぐ・・・ぷはっ!!確かに最初は綺麗だな~って思ってたけど、結構歩いていると見慣れちゃうよね。私も飽きてきたよ」

(同感・・・)

 

 かくいう久路人も似たような感想である。普段から鍛えているため疲れはほとんど気にならないが、基本的に人と話すのがあまり得意ではないため、話題がなくなった時のちょっと重くなった空気が辛かったのは他の4人には内緒だ。5人でまとまって歩いていたのに、「あれ?毛部どこ行った?」とか「野間琉がいねぇ・・・遭難か?」といったことに3回ほどなって、影の薄い二人が泣きそうになっていたのは久路人の心の中に仕舞っておくつもりである。

 

(泣きそう、と言えば・・・)

 

 そこで、チラリと久路人は雫を見るが・・・・

 

「ん?どうかした?」

 

 雫は不思議そうに、おにぎりを持ったままこちらを見るだけだ。どうやら朝の悲しそうな雰囲気は引きずってはいないようだ。「何でもないよ」と目だけで答えると、首を傾げたまま捕食活動に戻った。

 

(気のせいだった・・・ってわけじゃないと思うんだけどなぁ)

 

 考えてみるが、久路人には何が原因であんな顔をさせてしまったのかわからなかった。

 小さいころから小学校のころまでならよくしていたような会話だっただろう。だが、久路人からみれば大事な家族同然の友達を悲しませてしまった状態なのだ。しっかり答えを見つけるべきだろう。

 

(蛇って言われるのを嫌がった・・・んなわけないか。だって雫は出会った頃から蛇だったんだし、蛇の姿だろうが人の姿だろうが、接し方を変えた覚えはないし)

 

 まあ、「女の子なんだし、ベタベタ触られるのは嫌だろう」ということで、人の姿になってから、例え蛇に戻っても過度なスキンシップをしないようにはしているが。

 

 ・・・・久路人は気付いていない。自分が蛇から人の姿になれる化物のすぐそばで暮らしていることに何の疑問も恐怖も持っていないことを。ましてや、その人の姿と蛇の姿で全く態度を変えない、気にしないことがどれほど異常なのかということを。久路人はそんなことを思い浮かべもせずに思考を続ける。

 

(大体、毎日匂いチェックなんて頼むくらいだから雫としてはまだ人間よりも蛇に近いメンタルなのかもしれないし)

 

 思い浮かべるのは旅行前の朝のひと時だ。

 まっとうな人間ならば匂いを嗅がせようとはしてこないだろう。それなのにそんなことをしてくるということは、雫はまだまだ動物的な本能というか習性が残っているのかもしれない。雫が人化する前には腕や首に巻くなんてこともよくやっていた。それか・・・

 

(完全に僕が男として見られてない・・・とかはちょっと複雑だなぁ)

 

 久路人の心の中にモヤモヤとしたモノが立ち込める。なんというか、それでは完全に久路人の独り相撲だ。

 

(こっちは結構気を遣ってるんだけどな・・・・)

 

 訓練の時も、最近はこちらの攻撃が早々通ることもないのでやらないが、最初のころは結構攻撃するのを遠慮したりした・・・・これはむしろ失礼だったろうか。

 雫が服装を変えたら、必ず反応するようにする。

 女の子の残り湯にいつも浸かってると思われたくないから風呂は久路人が先に入る。

 雫を朝に起こしに行く時は、雫の場合は一瞬で終わると言え、間違っても着替えに遭遇しないようにちゃんと声掛けとノックを徹底する。

 雫が浮いているときは下から覗き込まないように絶対に真下にはいかないようにするとか。

 件の匂いチェックだって、自分と雫の体がぴったりと接しないように少し離れるようにしているとか。そう、自分の心音が間違っても届かないように・・・・

 

(だあああああ!!何考えてんだ僕は!?)

「く、久路人?」

「お、おい月宮?」

「いきなり首振り回してどうしたんだよ!?」

「なあ、もしかして昨日くらいじゃ欲求不満・・・」

「しぃ!!ここにはイケメンが二人もいるんだぞ!!刺激するな!!」

 

 周りのそんな様子にも気づかず、久路人は思考の深みにはまっていく。最初は「どうして雫が悲しそうな顔をしていたのか?」ということについて考えていたはずなのだが、いつの間にか別なことを考えていることに気付いていない。その思考は電気を通したかのように高速でグルグルと駆け巡り、止まろうとしても止まれない。「何考えてんだよ!!いや、けどあの時は・・・」とか「うわぁあああ!!なんかめっちゃキモイこと考えてる!!でもあれは雫だってグイグイ気にしてないみたいに来るから悪いのであって・・」みたいな、そんなループに入り込んでいた。

 

(いやでも、昨日の風呂は雫も緊張してた・・・のかな?なんか僕もよく覚えてないや。というか・・・・いや、これ以上はダメだ!!!)

 

 しかし、そんなループもついに昨日の風呂のことを考えた時に終わりが来たようだ。思い浮かぶのはバスタオルを取った雫の白い背中に、その背中に触れる自分の手、手が触れた瞬間の、肌の感触と艶めかしい声が・・・・

 

「だああああああああ!!?」

「久路人?しっかりして、久路人!!」

「お、おい月宮、本当に大丈夫かよ!?」

「お、俺誰か呼んでくる!!」

 

 いきなり叫び出した久路人の首を揺すって正気に戻そうとする雫に、うろたえる池目君、助けを呼びに行った伴侍君。そして・・・・

 

「なあ、月宮のズボンが・・・」

「馬鹿!!食われたいのか!?あれは完全に戦闘モードだろうが!!」

 

 雫の姿を思い出して一部が元気になった久路人を見て、ますます誤解を深める毛部君と野間琉君。だが、幸いにも本人たちは「触らぬ神に祟りなし」とばかりに静観を決め込み、他の面々も普段とはまるで異なる久路人に気を取られてそちらには気づいていなかった。いや、雫は・・・・

 

(はっ!?久路人のほっぺたにご飯粒が付いてる!?)

 

 ウンウン唸りながら頭を振っている内に付いたのだろう。久路人の頬におにぎりの米粒が付いていた。

 それを見た瞬間、手が久路人から離れ、代わりに脳内にかつて読んだことのある漫画のワンシーンがフラッシュバックする。

 

(これは、これは、あの「ご飯粒ついてたよ♡」という絶好のシチュエーション!?ご飯粒を指でとって、目の前で食べて、それから「じゃあ、俺のこいつも食べてくれよ・・・」に繋がるあの!?)

 

 「きゃ~~!!」と先ほどの久路人のように頭を振って妄想に走り出す雫。雫が読んでいた漫画は当然R18 指定である。

 

「葛原さん、こっちです!!」

「ええと、これはどういう状況ですか・・・?」

「月宮が、月宮がなんか変なんです!!」

「月宮君が・・・・あの、大丈夫ですか?」

「はっ!?僕は何を!?」

 

 雫が妄想にふけるうちに、伴侍君が近くにいた大人ということで葛原を呼んできていた。雫による脳シェイクや葛原からの呼びかけもあり、久路人は正気に戻ったが、雫は気が付かない。その脳内はピンク色の妄想とそれを実行しようとする意志に溢れていた。

 

(そう!!これは、チャンスだ!!単なる「蛇」から抜け出すための機会!!)

 

 雫の中にあるのは、やはり先ほどの久路人の言葉であった。あのときは久路人の蛇呼ばわりを雫は笑顔で取り繕って流したが、やはりショックは受けていた。だが、ここでこうやって「女の子らしい」アピールをすれば、久路人も自分をもっとそういう目で見てくれるのではないか?いつまでもヘタレていては何も変わらない。昨日など、風呂にも布団にも一緒に入ったではないか。それに比べれば、頬についたご飯粒を取ってあげることが何だというのだ。

 

(京もメアも言ったではないか。恐怖から目をそらすための逃げではなく、前に進んだという足跡を残すのが大事なのだと)

 

 人化したばかりの雫ならば、さっきの発言を受けて泣いてしまったかもしれない。しかし、京やメアに背中を押してもらい、あれからも、久路人に意識してもらえるように匂いチェックのようなスキンシップを取ろうと足掻いてきたのだ。ショックを受けたが、いや、ショックを受けたからこそ、今の雫の気持ちは燃えていた。

 

(よし!!やるぞ!!)

「あ、久路人・・・」

「あ、月宮君、顔にご飯粒ついてますよ」

「え?あ、本当だ。ありがとうございます」

「いえいえ」

 

 しかし、そんなやる気に満ちた雫が声をかける数瞬前、まさかの葛原のインターセプトが入る。葛原に言われて自分の頬に付いた米粒に気が付いた久路人は、自分で取ってしまっていた。

 

(こ、この雌豚がぁああ!!!いつの間にぃぃいいいい!!!)

 

 せっかくの夢のシチュエーションを叶えるチャンスを潰され、湧き上がる憤りを久路人に聞かれぬように奥歯をかみ砕かん勢いで震える。だが、次の瞬間には、「フゥ」と息をついてクールダウンした。

 

(フン!!今日の妾は淑女的だ。運が良かったな!!)

 

 雫から見れば、葛原や周りの人間は命拾いしたと言える。冷静かつ寛大な自分だからこそ、心の整理が付いたのだ。これが他の女だったら、もしくは、久路人本人ではなく、葛原が飯粒を取って食べていたら、今頃この辺りにいる人間は久路人以外凍死していただろう。まあ、その内心は言葉とは裏腹にいまだに荒れ狂っていたが。

 

(焦るな。焦るな妾。こいつはただのガイドだ。修学旅行が終われば会うことは二度とない。そう、この妾と違ってな!!!)

 

 内心で、雫は葛原に対してマウントを取って心の平静を保つ。

 

(妾と久路人の今までの絆に時間を考えれば、こんな女の入る隙間なぞあるものか!!それに、妾には未来がある!!)

 

 まだまだ、自分と久路人が過ごす時間はたくさんあるのだ。焦る必要ない。少しずつ、少しずつ距離を詰めていけばいい。いつか、いつかもっと距離が縮まった時にこそ、やりたいことも、やろうとしていることも必ずできるはずだから。

 

(そうだ。その通り!!急いては事を仕損じるというではないか)

「クシッ!!・・・・じゃあ、私は先に行きますね」

「あ、はい。その大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありませ・・・クシュン!!問題ないですよ!!それでは!!」

 

 このとき雫は、まるで何か近寄りたくない物から全力で遠ざかるような葛原と、そんな彼女を不思議そうな目で見送る久路人を視界の隅に入れつつ、心の中で独りごちていた。

 誰に言い聞かせるでもないのに、まるで誰かに言い訳するように、言い聞かせるように。

 

(だから、だから、いつか、きっと・・・・)

 

 何度も何度も、心の中の何かが告げる警鐘から耳を塞ぎながら。

 

 

-----------

 

(まったく、あいつら、実は吾に気付いているのではなかろうな?)

 

 暴走する久路人たちの元を離れた葛原は、内心で毒づいた。昨日から鼻が痛くてしょうがない。あの蛇から放たれる悪臭が、凄まじい不快感をもたらしていた。

 

(霊力の感知は五感と結びついている。嗅覚を鈍らせるような術は使っているが、それでも抑えきれんとは)

 

 思わず表情が歪む。それほどまでに耐え難い悪臭であった。だが、これもあの少年から力を得るために越えなければならない障害だ。「仕方ない」と葛原、否、九尾は割り切った。

 

(しかし、あの様子からすると、あのガキも蛇も気付いてはいないか・・・人化の術ならばやはり問題はないのぅ)

 

 この辺りに居を構え、今は九尾に支配されている霊能者の一族の表の顔は、観光業だ。それを利用し、数か月前からガイドとして潜り込み、今回の修学旅行を利用してターゲットに近づく狙いであった。元々化かす、すなわち演じることが得意であり、人化の術への適性が極めて高い九尾にとってはガイドに成りすますなど簡単なことだ。久路人たちを観察するに、幻術に対抗するような術具を持ってはいるようだが、人化の術は「人外を人間のように見せる幻術」ではなく、「人間の体そのものに変える術」であるために、幻術を見破る術具では意味がない。特に、雫と違って人化の術に適性の高い九尾の場合は霊力を漏れないように制御すれば看破するのは実質不可能である。

 

(この格好は怪しまれずに観察するのには都合がいい。周りのませた餓鬼どもの目が鬱陶しいがな。発情した猿か貴様らは)

 

 今も遠めにチラチラとこちらを伺う男子生徒たちの視線を感じながらも、それに関する不快感は表には出さない。昨日の紹介の後も自分の顔やら胸やらに無遠慮に見てくる男が多く、気持ちの悪さといら立ちはそれなりに感じていたが、その浅ましさを内心で嘲笑うことで溜飲を下げていた。

 

(吾の封印を解いた餓鬼どもも「顔のいい奴だったら倒してヤってもいいよな」だのなんだの言っておったな。まあ、吾の瘴気を浴びた瞬間に小便を漏らしていたが、あれは滑稽だった)

 

 自分を解放したあのガキ3人を幻術と暴力を使って軽く尋問してやったら、あっさりと色々と吐いたことを思い出す。あの3人はどうやら霊能力が目覚めていたらしく、付近の鬼火やら亡者やらを倒して調子づき、「レベルアップ」だの「中ボス戦」だのと言って山の中に入り込んでいる内にあの大岩を見つけたらしい。大物妖怪には容姿がいいものが多く、過去の物語でも異種婚姻譚のような話があるため、スリルとそういった下半身の目的で封印を解いたとのことだった。だが、人外の放つ霊力、常世に満ちる霊力に近い瘴気は一般人、異能者関係なく毒であり、嫌悪感もしくは畏怖の念を抱かせる。雑魚ならば大したことはなかったのだろうが、九尾ほどの大物の瘴気だ。ガキ3人はそれだけで精神崩壊しかけていた。

 結局いたぶった後にその辺の獣どもを動かして骨まで食わせてやったが。

 

(しかし、今周りにいるやつらは他とは違うようだの。衆道は今の世にも残っているのか)

 

 そこで、九尾は周りを見た。九尾は今、教員も含むとあるグループにくっつくようにして移動していたのだ。

 

「ぬわああああん疲れたもおおおおんぬ!!」

「チカレタ・・・・」

「おら、なめてんじゃねーぞ!!」

「先輩!!何言ってるんですか!!弱音吐くのは止めてくださいよ本当に!!」

「人間の屑がこの野郎・・・・」

(やかましいのぅ・・・)

 

 さきほどの伴侍君が呼びに来る前にもいたのだが、こいつらが周りにいると他の学生が寄ってこないのである。チラチラと向けられる視線やらつまらない会話に付き合うよりはマシなので九尾はそのグループにいるというわけだ。

 

「このキャンパスで、この大自然を芸術品に仕立てや・・・仕立てあげてやんだよ」

「まったく、最近の高校生は軟弱なことしか考えないのか・・・・」

「まったく困ったもんじゃい・・・」

「あぁ~、この山の空気がたまらねぇぜ。さっきから、肺の中でぐるぐるしている」

 

 上から美術教師の黒久保(くろくぼ)先生、物理担当の平田(ひらた)先生、剣道部顧問にして日本史担当の桂木(かつらぎ)先生、現国担当の土方(ひじかた)先生である。これに先の5人を合わせた布陣であり、いかに九尾が扮する葛原が美人だろうと、近づく者はいなかった。おかげで九尾も冷静に考えをまとめることができていた。

 

(あのガキと蛇を庇護している、からくりとその作り手、七賢序列三位の月宮京の戦略は至って人間らしい)

 

 京の戦法は先んじて情報を集めて相手の特徴や戦法を知り、それを徹底的に対策した術具で本気を出させずに倒すというものだ。あらゆる術具の作り手である京は、七賢の中でも柔軟な戦い方を可能としており、相手に合わせて様々な術具を使いこなす。情報が集められずとも、直接相対すればわずかな時間で対抗措置を作ることもできる。だが・・・・

 

(今現在、戦略の上で吾が有利。西への陽動もうまくいっているようだしのぉ)

 

 そのやり方は、九尾相手には極めて相性が悪い。

 九尾は幻術においては七賢を上回っており、その痕跡を見つけることすら難しい。加えて、九尾本人はほぼ動かず、配下とした動物を介して一部の術しか使わないため、京は「何かがいる」ということは分っても、それが何なのかは分からない。九尾は直接戦うのではなく、相手に情報を与えず、じわじわと搦め手で弱らせるのが大の得意であった。それに対して、京は七賢であるために知名度も高く、その術具は異能の関係者間では高く取引されている。九尾が隠れ蓑にしている一族は零細であったが、そんな一族でも簡単に情報が手に入るくらいだ。

 

(こちらは一方的に相手の手の内を知り、向こうには一切の情報を与えない。戦いの鉄則よな)

 

 さらに、運も九尾に味方していた。京が「何かいる」と感づき、霧間本家を訪れたのはこの地に結界を仕込んだ後だったのだ。もしも仕込む前に気付いていたのならば、さらに強力な効果を突貫で組み込んでいた可能性もある。だが、今の現世には大物が現れることは難しい。本来は大穴を介さねば出現できないような九尾が、忘却界が展開された後にも封印という形で現世に残っていたとはさすがに予想外であった。封印の大岩も他の霊能者の一族によって管理されており、しかもその一族が放置していたせいで情報が逆に広まらなかったも九尾にとっては幸運だった。そして、その上で九尾は作戦を組み立てた。

 

(敢えて幻術は使わず、人化の術で接近し、隙をついて一気に身柄を奪う)

 

 京の手の内を知っているからこその作戦である。

 九尾は自分の幻術に絶対の自信を持っているが、相手もまた術具作成の達人だ。もしかしたら、自分の幻術を見切る術具も作れるのかもしれない。ならば、幻術を使うのはもはや相手に気付かれても問題のないくらいに王手をかけてからだ。「敵は幻術使いだ」と考えているのであれば、幻術を使わないことが最も有効な奇襲だ。昨日に久路人たちに近づいたのは、人化の術による隠ぺいが本当に有効か確かめるためでもあった。そして、今は・・・

 

(あのガキと蛇の「急所」を探す)

 

 こうしてガイドとして潜り込んでいる最大の理由が、ターゲットの観察である。もしかしたら、あの二人にも何か隠し玉があるかもしれないし、何気ない仕草から性格や考え方が、ひいては戦い方も分かる。封印される前には多くの村、街、都の住民たちの人心を読み解いて堕落させ、滅ぼしてきた九尾ならば一日の観察でもある程度のことは把握できる。九尾の目的にして勝利条件は「久路人を抵抗できないようにして力を得られるよう確保する」ことだ。それに対して、向こうは「修学旅行の間を無事にしのぎ切る」もしくは「九尾に気付き、討伐ないし撃退する」ことが勝利条件である。自身の勝利条件を満たす作戦を考えるための材料を集める腹積もりであった。

 

(この旅行を逃せば、あの要塞のような屋敷のある街に帰られてしまう。そうなれば今よりも圧倒的にやりにくくなる)

 

 九尾は久路人たちが住む街にも狐を放っていたが、それでも月宮家付近にはとりわけ厳重な結界が張られており、本体ならばともかく、遠隔操作する狐程度では近づくことができなかった。だからこそ、今この時間はとても貴重なものであり、今も歩きながら思考を回転させていた。

 

(一つ目の幻術を使ったかく乱はなし、二つ目に辺りのガキどもを人質にするのは・・・・これもないな。あのガキだけならばともかく、蛇には通用せんだろう。最悪人質を殺しかねん。三つ目、吾の支配した人間に薬か何か盛らせる・・・幻術を使うのと大して変わらんな。それに、あの蛇の霊力の質は水。毒の類は気付かれるか)

 

 様々な手を考え付くが、即座に否定する。いずれにせよ、護衛として傍に控える雫はどうしても邪魔だった。直接叩きのめして連れ去ることもできなくはないが、大っぴらに行えば東の方にいる吸血鬼も黙っていないだろう。

 

(あの二人を分断するのは、強引な手を使わねば難しそうだな・・・この悪臭をどうにかするには引き離すのが一番なのだがなぁ)

 

 昨日もホテルで霊力を追いながら観察を続けていたが、あの二人は風呂や寝床まで一緒のようだった。あれでは護衛ではなくストーカーである。元々鼻の利く九尾にとってあの蛇の発する臭いはもはや攻撃と変わりない。だが、その臭いもまた攻略の手がかりではある。

 

(この混ざりあったような臭い、いや、混ざりかけの臭いと言うべきか。あの二人、交わってはいないようだの)

 

 この悪臭は二つの異なる力が混ざろうとしているために生じる臭いだ。完全に混ざるか、一方が染め上げているのならばもっと違う臭いになるはずであった。

 一見すれば、いや、よく見ても親しい仲としか思えない二人であるが、どうやら一線は超えていないようだ。さらに、ごくごくわずかであるが、二人の間にはぎこちなさがある。それは、九尾にとって有益な情報だ。

 

(結局、あいつらがここに来る前から考えていた策が一番か。霊力の消費は激しいが、その方が色々と楽しめそうだしの。もう一つの手も考えてはいたが、やはりあり得ぬ)

 

 九尾の顔に一瞬耳まで裂けるかのような笑みが浮かぶ。遠方から覗くだけではわからなかったが、近くで観察することでより「愉しめる」策を選ぶことに決めた。もう一つの策は、九尾のプライドや心情的に取りたくない策だったというのもある。

 

(吾が、人間の雄に頭を垂れるなど、あり得ぬ)

 

 九尾がもっとも有効だと考えていた策は二つある。そのうちの一つは、「雫と同じように正式に契約を結ぶように交渉する」ことだ。あの蛇を連れていることからして、非常に珍しいことに人外への嫌悪感がほとんどないのだろう。ならば、自分の有益さをアピールして、従順に振る舞えば力を得るように契約を行える可能性は低くはなかった。だが、妖怪を弱らせる結界が張られている中で自分のような大物が突然現れれば警戒はされるだろうし、契約によって強力な制限をかけられる可能性もある。なにより・・・

 

(許さぬ、絶対に許さぬ)

 

 九尾の瞳に暗い炎が宿る。忌まわしい過去と、手の届かない理想がそこにあった。

 

 ああ、憎らしい。憎くてたまらない。

 なぜお前はそんなに強力な霊力を持ちながら、その年まで健康に生きている?

 周りの人間どもは、なぜそんな異物を追い出そうとしない?

 現世は、いつからこんな争いもない温い時代になった?

 あのからくりも、第三位の七賢とやらも、そんな強者がどうして味方をしている?

 それに、それに・・・・

 

(あの蛇は、何を根拠に「自分がいつまでも隣にいるのが当たり前」という顔をしている?)

 

 ああ、腹が立つ。理不尽だ。不平等だ。あいつらは恵まれすぎている。

 自分は、自分たちの時には手を差し伸べてくれるものなど誰もいなかったくせに。

 

(やはり、やはり力が必要だ。こんなクソのような世界を壊すための力が!!)

 

 その顔は、ずっと笑顔だった。優しいガイドさんと言ったら10人中10人が納得するような、そんな顔だった。その顔は仮面だ。その心の中に燃え盛る憎悪と嫉妬の炎を覆い隠す仮の面だった。その仮面の下から、冷徹な思考を以て、己の野望のために、九尾は観察を続ける。

 

-----------

 

 その日も、久路人と雫は旅行を満喫した。散々歩いてくたびれたと言いながら宿の夕食と菓子を食べた。

 風呂にも昨日と同じように一緒に入ったが、背中を流すのは雫の術を使った。同じ布団に入ったが、昨日と違って中々寝付けなかった。顔が熱くて、そんな顔を見られたくなくて、お互いに背中を向けて寝た。

 

 自分たちを睨み続ける、冷たい視線に気が付かないまま。




次回、九尾襲来。
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前日譚 天花乱墜1

九尾戦スタート
今回は導入をあっさり進めるつもりだったのに、どうしてこんなに長くなった・・
そして、この回より、短編版と明確に違いが出てしまいます。久路人の好感度調整ミスりましたね、これは。なので、短編の方はもう、(短編)という扱いにします。

あと、今更ですが章わけしました。


「準備は整ったようじゃな」

 

 葛城山中腹にある神社から少し離れた一角で、九尾はそう呟いた。

 そこは神社の境内にある分社の、そのまた脇にある小道を進んだ先のこじんまりとした広場だ。だが、そこにいるのは九尾だけではない。

 

「「「・・・・・・」」」

「フン。自分で考えて動いて家を傾けた愚か者め。吾が命を下してやった方がよほど効率が良いではないか」

 

 煌々と輝く松明の灯りに照らされて、生気の抜けた顔をした人間たちが闇の中に浮かび上がる。時刻は丑三つ時。いかにそこが観光地であろうととうに人がいるはずもない時間であるが、九尾の支配下にある人間には関係がなかった。彼らは己の主の命に従って、九尾の用意した策の最期の仕上げを整えていた。

 彼らの足元には赤黒い液体が滲んだような跡があり、その跡は森の奥の暗がりまで延々と繋がっている。

 

「さて、霊脈との接続はとうにできておる。ここに敷いた道を通り、霊力は十分に溜まった」

 

 九尾は状況を口に出して確認する。地面の赤黒い跡は九尾が封印されていた大岩のある場所から伸びていた。あの岩は九尾の封印を司るとともに、霊能者の一族がいることで妖怪がやってくるのを防ぐために張られた結界の要でもあったのだ。その結界は忘却界が展開された後にも依然として残り続け、役目を忘れた一族の代わりにこの地を守り続けてきた。その動力源は封印の大岩がある場所に繋がった霊脈から溢れる霊力だ。もっとも、霊脈が地上に出ているとはいえ、その規模は小さなものであったが、周辺に結界を張るのには十分だった。そして、九尾が解き放たれた後には、その結界を今まで散々サボったツケを払わせるように結界の展開は一族に任せ、その分の霊力は封印で弱った九尾の回復に費やした。そうして、九尾の力が回復した後に、件の少年と蛇がこの地に来るのを知り、封印の大岩から霊力を送る流路を作り、この広場に霊力を貯蓄させた。

 

「そして、その霊力を費やす「陣」の準備も今整った」

「「「・・・・・・・」」」

 

 九尾とその支配下にある人間の足元にあるのは、森の奥に続く跡だけではない。人間たちの手には、生臭い臭いを放つ赤黒い液体の入った袋が握られている。袋からは今も液体が滴っており、この広場をぐるりと囲うように線が引かれ、ところどころに崩れた文字のようなものが書かれていた。今まで人間たちが行っていたのは、その文字を刻むための作業だった。術を使用するには、その名前や起きる現象を詠唱という形で声に出して唱え、世界に刻み付けて発動させる方法があるが、九尾が準備したように文字や図で形にするのも有効な方法である。

 

「明日だ。明日の間にケリを付ける」

 

 九尾の顔に歪んだような笑みが浮かぶ。それは、自分の野望が叶う一歩手前に近づいたことへの達成感であり、あの気に食わない蛇で遊ぶことへの楽しみから来るものでもあった。

 

「もうすぐだ。もうすぐで力が手に入る。そうなれば、そうなれば・・・」

 

 九尾は想像する。多くの人間どもが毒と瘴気に溺れて腐り果てるのを。

 炎に焼かれ、あるいは石となり、永遠の苦痛を味わうのを。

 お互いに疑い合い、足を引っ張りあいながら殺し合う愚かなさまを。

 強大な力で薙ぎ払うのも、奸計を以て嬲り殺すのも、どちらでもよかった。九尾にとってたった一人の例外を除いて、人間などすべて滅ぼしてしまいたい生き物だ。そう、九尾にとっては。

 そこで九尾の笑みが消え、一瞬、ほんの一瞬だけ悲し気な表情になった。

 

(せい)。汝は吾のやろうとしていることなど望んでおらんのかもしれん。これは吾の自己満足なのじゃろうよ。だがなぁ、吾が未だに汝の後を追わぬのは、汝のせいでもあるのだぞ?ひどい(おのこ)じゃよ、汝は」

 

 誰とも知れぬ者に恨むような、恋しがるような声音でそう言いつつ、九尾は踵を返した。その影は、森の暗闇に呑まれるように消えていく。

 

「もしも天国と地獄があるのなら、汝と吾が会うことは、二度とないのじゃろうな・・・・」

 

 そう、寂し気に呟きながら。

 

-----------

 

「わからない・・・・」

 

 修学旅行3日目の朝、久路人は便座の上でそう呟いた。時刻は朝の6時。なぜかやや久路人から離れた場所に布団を敷いた毛部君と野間琉君はまだ眠っている。

 

「わからない。わからないよ・・・・」

 

 久路人は再度同じセリフを呟いた。よほど疑問に思っているのか、珍しく眉間にしわが寄って、ウンウンと唸っている。

 

「雫は、本当に僕のことをどう思ってるんだ?」

 

 久路人の口から、疑問の中身がこぼれ出た。昨日の昼から今まで、ずっと久路人の中にある問いである。それというのも、昨日の夕方ごろから雫の接し方が少し変わったからだ。具体的に言うと、押しが強くなった。

 

「さっきといい、昨日の夜のことといい・・・・」

 

 昨日も一昨日と同じ理由で風呂を一緒に入ることになったのだが、久路人が相変わらず尻込みしていたのに対し、雫はグイグイ来た。背中を流すのも術ではなく、直接手でやって欲しいと言ってきたり、久路人の前に回り込んで隙あらばタオルをはぎ取って洗おうとしてきた。もはや完全に痴女である。風呂は結局久路人が土下座しかねない必死さで説得したために術でやってもらえたが、その後もひと悶着あった。

 

「まさか旅行先でも匂いチェックをやることになるとは・・・」

 

確かに、行きのバスで風呂上がりにもやるとは言ったが、風呂に一緒に入ったのにやる意味はあるのだろうか?ただでさえ入浴中に色々と危なくなったのに、湯上がりの雫が普段とは違う浴衣に身を包んでいる状態でもたれ掛かって来るのだ。しかも、久路人が間隔を空けようとすると顔を赤くしながらも距離を詰めてくるナイトメアモードである。もしも自分の下半身事情を知られたら舌を噛みきる覚悟で、再び雷起を使って匂いを嗅ぐはめになった。そうして、つい先ほども朝のチェックを周りにバレないようにどうにかこうにか終えたばかりである。昨日の夜は五里霧中を展開してから空いている椅子を使えたが、今は寝ているクラスメイトを飛び越えて起こすリスクを考え、霧の範囲を久路人の布団の上に限定して発動させたために、どうしてもくっついてやらざるを得なかった。朝から大分何かが削られたような気がする久路人である。

 

「そもそも、全然休めた気が・・・いや、結構するな?」

 

 体力、気力を回復させる代表例には睡眠があるが、これも初日と同様に雫と同じ布団であった。

風呂、匂いチェックに加え、今度はきちんと意識した上での同衾である。顔が熱く、赤くなっていることは見なくてもわかったため、背中を向けて寝ていいか?と聞いてみたのだが、これにはなぜかOKが出たので、結局お互いに背中を向けて寝ることになったのだ。すぐ近くにいる雫の体温やら息遣いやらいい匂いが感じられて、最初は眠れるわけがないと思っていたのだが、意外にもすぐに眠ることができた。というか、普段よりも安眠できたような気がしなくもない。しかし、どうして修学旅行でこんなに旅行に関係ないことで気を病まなければならないのか。

 

「本当に、普段はこんなこと考えたことなかったのにな・・・いや、普段よりも一緒にいる時間が長いからか?」

 

 思わずそう呟いてしまうほどに、久路人はこの修学旅行の間に旅行先の風景でも食事でもなく雫のことばかり考えているような気がする。それは久路人の言う通り、一緒にいる時間が長いからだろう。行のバスに始まり、一日目の門前町にホテルの風呂、二日目の湿地の桟橋にやはり風呂と布団。いつもはさすがに風呂や布団は別なので、この旅行中はそれこそ今のトイレくらいしか一人になっていない。そのトイレにしたって、ドアの向こう側で雫が耳を塞いでスタンバっている。しかも、ただ一緒にいる時間が長いだけではなく、そこでの体験も濃厚だ。まさか普段の匂いチェックよりもハードなことをやるとは思わなかった。新しい場所に来たことで、普段とは違う状況や心情になっているからだろうか。雫にポロっと言ってしまった蛇発言だって、湿地に来なければ言わなかったはずだ。

 

「う~ん・・・・」

「ね~、久路人大丈夫?お腹冷やした?」

「いや、すぐ出るよ」

 

 あまり長い時間をトイレで悩んでいたからか、ノックの音ともに雫の心配そうな声が聞こえてきたため、久路人は思考を中断してズボンを履きなおし、外に出た。それなりの時間が経っていたため、毛部君と野間琉君も起きているころだろう。しかし、なぜ彼らは昨日僕から離れたところでお互いを守りあうかの如くくっついて寝ていたのだろうか?一昨日のホモ疑惑は彼らなりの冗談だったはずであり、本気ではないはずだ。なのに・・

 

「まさか、二人はそういう・・?僕に冗談を振ってきたのも、カモフラージュのためか?」

「久路人?」

 

 「はっ!?」と脳内にピキーンと電流が走り、久路人の中に一つの仮説が浮かぶ。久路人にその気はないが、知り合いがそういう趣味のカップルを作っているのならば、自分に押し付けてこない限り祝福するつもりであった。なお、その二人からはむしろ久路人こそがそちら側だと思われていることには当然気付いていない。

 

「ねぇ、バラの花のお土産って売ってるかな?」

「・・・・よくわかんないけど、買うの止めておいた方がいいと思うよ」

 

 取り留めのないことを話しながらも、二人は歩く。

 今日も昨日や一昨日と同じように、普段の日常とは少し違うけれども、穏やかな日になると信じて。

 

-----------

 

 修学旅行3日目。

 今日のスケジュールは、山登りである。とはいっても、湿地を歩き回った次の日ということもあり、葛城山はそこまで標高の高い山ではない。目的地は山頂ではなく中腹の神社がある高さまでであり、そこまではロープウェイが通じているため、帰りは楽な予定だ。行の道も緩やかで、コンクリートで整備された道もある。ちょっとキツ目のハイキングと言ったところだろうか。

 

「昨日に比べたら楽だね」

「うん」

「昨日は延々歩いたもんな。平地でもアレはきついよ」

 

 なだらかな登りの道を歩きながら、毛部君と野間琉君と話す。池目君と伴侍君は最初は近くにいたのだが、今日はコースが緩いこともあって、女子たちに群がられている内に離れてしまった。あの二人には悪いが、あまりああいう女子グループに混ざりたくはないので、置いて先に行かせてもらっている。

 

「でも、こういう山の中って結構いいよな」

「登る前は面倒くさかったけど、杉の匂いとかがいい感じだね」

「杉なんて地元にもあるけど、こういう雰囲気ある場所だと違うように感じるよ」

 

 僕らの地元、白流市はかなりの地方都市であるために手付かずの自然も残っているのだが、やはり観光明地となるだけあってか、山や森もなんとなく雰囲気があるというか、見ていて癒されるものを感じる。

 

「あと、結構観光客の人もいるね」

「門前町はわかるけど、こんなとこまで来るんだな」

「学生は僕らの高校だけみたいだけどね・・・あ、あんなお爺さんお婆さんもいるんだな」

「姿勢が綺麗な人たちだね~」

 

 さっきから、荷物を持った観光客と思しき人々とすれ違っている。まあ、時期が時期だからか、あるいは場所のせいか、学生は僕ら以外いないようだが。そして、ちょうど僕らの前方から一組の老夫婦が歩いてくるところだった。すれ違いざまに、会釈して「こんにちわ」と言い合う。僕につられてか、雫も「こんちわ~」と軽めに挨拶していた。

 

「おお、こんにちは。修学旅行かい?儂らも久しぶりにこっちに来たんでついでに観光しとるんだが」

「あ、はい。結構離れた県から来たんです」

「礼儀正しい学生さんたちねぇ~お爺さん。ところで、貴方たちはカップルか何か・・・」

「「「違います!!!」」」

 

 突然意味不明なことを言い出したお婆さんに、男三人は速攻で否定した。

 お婆さんは「あらそう?」と不思議そうな顔をしながらも「邪魔しちゃ悪いよ婆さん」と言うお爺さんに引き連れられて、去っていった。

 

「婆さんや、この、『人間は食べちゃいけない激甘饅頭』って食べたらやっぱり危ないかのぉ?」

「糖尿病になるかもしれないけど、気になりますねぇ、お爺さん」

 

 そんなことを話しながら歩いていく老夫婦を尻目に、僕らは笑みを貼りつけながらも、どこか張り詰めた空気で先を行く。

 

「いや~、おかしなことを言うお爺さんたちだったね~」

「ホントホント。すごい元気そうに見えたけど、ちょっとボケてんのかな?」

「もしかしたらそうかもね~」

「「「アハハハハハハ!!!」」」

 

 男三人で、そう言いながら笑い合う。僕+雫と、毛部君と野間琉君の間にジリジリと距離を空けながら。

 

(やっぱり、あの二人はそういう・・・・)

((どっちだ!?俺たちのどっちが月宮の彼氏に見えたんだ!?))

「変なの・・・・」

 

 男3人の心の中では大きな誤解が進行しており、そんな3人を怪訝そうな目で雫は見ていた。

 そうして無事に中腹まで着いたときに、「「「じゃあ、ここからは自由行動だね。僕(俺たち)は行きたいところがあるから!!」」」と言って別れたのであった。

 

-----------

 

 葛城山中腹は、コンクリートで舗装された道が通っており、車の往来もある。門前町ほどではないがそこそこの数の出店も開いており、観光客でごった返していた。

 

「さすがに3日目はお土産屋巡りはいいかな・・・」

「うん。私も今日は人ごみに入りたくないし」

「こう見ると、1日目でお土産買っておいてよかったな」

「あ、でもお昼は食べときたいかも」

 

 時刻は正午を回ったところだ。今朝に先生方から学生は1000円分の食券を渡されており、この中腹にある店で各自昼食を摂ってくれとのことだった。雫もちゃっかり一枚食券を拝借済みである。ちなみに昼食の後はしばらく自由時間であり、夕方に奥にある神社の観光を済ませた後で下山する流れだ。

 お昼時ということもあって空腹を感じ始めた二人は手頃な店を探して入ることにした。

 

「いらっしゃいませ~!!2名様ですか?」

「はい」

 

 雫と連れ立って、久路人は近くにあったうどん屋に入ることにした。こうした店に入るとき、雫は「ある程度」一般人にも見えるように姿を現す。朧げにしか認識できない上に、術具の効果も合わされば、一般人からすると「誰かいる」のは分かるが、結果的にその行動のほとんどが記憶に残らなくなる。もっとも、そうした微妙な力加減は雫としては面倒らしく、外食に行くときくらいしかやらないが。今の雫は髪や眼の色はアルビノカラーだが、服装は久路人と同じく高校の制服を着ていた。

 

「えっと、僕は月見うどんで」

「私は狐うどん」

「かしこまりました!!」

 

 隅の方の席を選んで座り、注文を済ませて、店を見回すと、中々年季の入った店だ。客もかなり入っており、賑わっている。

 

「なんというか、老舗って感じだ」

「雰囲気あるよね」

 

 そんな風に店を見たり、外を歩く観光客を見ながら雫と話していると、しばらく経ってからうどんが来た。これだけ混みあっているとどうしても遅くなってしまうのは仕方ないだろう。

 

「いただきま~す!!」

 

 なんとはなしに、久路人は割りばしを持ってうどんをすする雫を見る。久路人から見ればただの美少女なのだが、周りは一向に気にする様子を見せない。自分だけが、この場で彼女に干渉できる。

 

(なんだろ。なんか安心感というか、悪い気はしないな)

 

 それは久路人からすると時折感じる何かだった。雫と一緒に日々を過ごしているとたまに湧き出てくる感情。久路人にはその名前はわからないが。

 

「久路人?食べないの?伸びちゃうよ?」

「ああ、すぐ食べるよ」

 

 久路人が手を付けないのを不思議に思った雫が声をかけてきたので、久路人も割りばしをパキリと割ってうどんを食べ始める。

 

「おお、おいしい」

「だね!!ちょっと値段は高めだけど、味の方はっ・・熱っ!?」

 

 喋りながら食べていたからだろうか。雫の持っていた器から汁が撥ね、手に付いた。

 

「大丈夫?」

「大丈夫大丈夫!!ちょっとびっくりしただけだから。でもちょっと勿体ないな・・・れろっ」

「・・・・・」

 

 雫が、手の甲についた汁を舐めとった。行儀がいいとは言えないが、声を出してたしなめる程の事でもない。けれど、久路人はなぜかその様子から目が離せなかった。その少し赤くなった白い肌と、紅い舌が目に焼き付く。普段は気にもしないだろう。だが、ここ数日の積み重ねもあって、その所作にどうしようもない色気が・・・・

 

(・・・・・何考えてんだよ僕!!本当におかしいぞ!!!)

 

 頭によぎった考えを振り払うように無我夢中でうどんをかきこむ。舌を火傷しそうになるも、まったく気にならないくらい顔が熱い。まったく、汁の温度が高すぎるとクレーム入れてやろうか。

 

「く、久路人?そんなに気に入ったの?」

「お、お腹が減ってたんだよ!!」

「そ、そうなんだ・・・」

 

 雫としてもここ最近何かがおかしい久路人の様子が気になっていたようだ。だが、昨日で懲りたのか今日の久路人は大人しめだったので、そのことについてはそれ以上は言わないことにしたらしい。けれども、雫はそこで止まるつもりはなかった。

 

「ね、ねぇ久路人?」

「な、何?」

 

 やや緊張した面持ちの雫に、先ほどの動揺が未だに尾を引いている久路人。どちらも若干声が震えているが、雫はさらに踏み込む。雫は決めたのだ。蛇ではなく女の子として見てもらうようになる、と。幸いなことに、雫の声の違和感は久路人には気づかれなかったようだ。久路人も平常心ではないからだろう。

 

「せっかく違うの頼んだし、ちょっと交換してみない?」

「え・・・?」

 

 そんな雫からの提案に、少しの間思考が追い付かなくなる久路人であった。そりゃあそうだ。同性の友達同士、もしくは小学生の間ならともかく、今の久路人と雫でそういったことは・・・

 

(そう、これは・・・)

(こ、これは・・・・)

((間接キス!!))

 

 雫の狙いはそれであった。実を言うと、店に入り、注文をするときにはすでに組み立てていた策である。重要なのは表情に出さないこと。何でもないように、下心などないように振る舞うこと。そうすれば・・・・

 

「う、うん。いいよ」

(よしっ!!!)

 

 「かかった!!」と雫は内心でガッツポーズを決める。基本的に受け身がちな久路人ならば、こういった誘いは断らないと踏んだが、思惑通りである。なお・・・

 

(ここで断ったら、それこそなんか意識してるみたいだし・・・)

 

 久路人も久路人で先ほどの一幕からのこれであったために、内心は大混乱である。雫の思惑以上に、やる前からすでに意識しているということに、雫も、久路人本人も気付いていなかったが。

 

「じゃあ、ど、どうぞ」

「よ、よし」

 

 雫が丼を差し出すと、久路人も自分の丼を滑らせるように押し出した。

 お互いの手前に来た丼を見つめ、「ゴクリ」と唾をのむ。

 

「あ、あれ?食べないの?」

「う、ううん!!食べるよ!!でも、そう、せっかくだからさ!!同時に食べようよ!!」

「わ、わかった」

 

 言い出しっぺの雫が食べないので、久路人としても手を出しにくい。そこで、雫は「死なばもろとも!!」とばかりに久路人も巻き込んで箸を改めて手に取った。「「スゥ~」」とお互いに軽く息を吸い、同時に箸を丼に突っ込んで麺をすする。

 

((味がわかんない!!))

 

 いざ口に麺を放り込んでみるも、さっきにはお互いに美味しいと思った麺だというのに、味が分からなかった。いや、お互いが美味しいと言っていたというよりも・・・

 

((さっきまで久路人(雫)が口に入れてた箸を突っ込んでた丼!!))

 

 そんなことばかりが浮かんで味わうどころではなかったのである。しかし、黙っていては「何事もないように」などという演技もできない。

 

「く、久路人!どう!?」

「お、美味しいです!!そっちは!?」

「私も美味しい!!」

 

 思い立った雫を皮切りに、お互いに投げつけ合うかのように感想を言い合う。味なぞわからないくらいに緊張していたが、それでもここで「マズい!!」などと言えるわけがなかった。

 

「「・・・・・・」」

 

 それから二人は無言でうどんをすする。雫の策略通りの展開ではあるものの、こうなるとは予想ができなかった。空気は妙な感じになるばかりである。

 とはいえ、男子高校生にとってうどん一杯など大したものでもない。雫も結構な健啖家なので、二人はあっという間に食べ終えて、逃げるように会計をして店を出た。

 

「・・・・う~ん!!美味しかったけど、まだ入りそうかな~!!ちょっと見て回る!?」

「そうだね!!せっかくだし!!!」

 

 さきほどまでの空気を振り払うかのように、二人はわざとらしい大声でそう言い合った。雫はともかく、久路人は普通に一般人からも見えているので妙な目で見られているが、気付く余裕もないようだ。

 だが、その誘いは何も空気をどうにかしようとするためだけの方便ではない。腹が膨れたことで、いや、胃袋が刺激されたことで火が点いたのもある。雫はどこか物欲しそうな目で店を見ていた。久路人もうどんだけではやや物足りなかったので、もう少し食べたい気分ではあった。そうして足早に歩き出そうとして・・・・

 

「じゃ、はい!!」

「え?あ、うん」

 

 雫が、隣にいる久路人に手を差し出したので、反射的にその手を握る。雫の顔はさっきまでの余韻もあって若干赤いが、一昨日ほどではない。まるで、「手を繋いで歩くのが当然」という意識があるようだった。そういえば、一昨日も最初こそぎこちなかったが、最期の方はお互いに気にすることなく手を繋いでいた。この旅行で色々とあってもう手を繋ぐくらいでは動じないのだろう。

 

「行こ?」

「うん」

 

 そう思う久路人も、一昨日ほど緊張はしていない。風呂やら匂いチェックやらさっきのうどんの方がよほどハードであるからだ。だが、エベレストと富士山を比べて「富士山ってしょぼいな!!」とはならないように、手を繋ぐことくらいで雫を意識しないということにはならない。

 

「あ!!ここでも饅頭売ってる」

「デザートと饅頭って語感がなんか合わないなぁ」

 

 店に出入りして買い食いしつつも、久路人の中では何かが動いていた。

 今日の朝にも感じた何か。途中で考えることを止めてしまったが・・・・

 

(雫は僕のことをどう思ってるんだろう。僕はどうしてこんなに雫のことを考えてるんだろう?)

 

 一昨日はあんなに緊張したのに、今はむしろ雫と手を繋いでいることに落ち着きを感じる。朝よりもずっと冷静に考えることができていた。しかし、そうして落ち着いていたからこそ、そこで久路人は奇妙なことに気付いた。

 

「あれ?なんかうちの学校の生徒がいないな?」

「本当だね。あれ?久路人の持ってたしおりだと、まだ今は自由時間だよね?」

「うん。そのはずだけど」

 

 周りには観光客が歩いているが、学生の姿が見えないのだ。

 山を登る際に毛部君と野間琉君も言っていたが、この時期にこの辺りに来る学生はうちの高校くらいなものだが、それでも一人も姿が見えないというのはおかしい。あのうどん屋に入る前にはチラホラと歩いていたのだが。

 

「なんか変更とかあったのかもしれないな」

「なら、神社に行ってみる?集合場所がそこなんでしょ?」

「う~ん、どうしようかな。他の場所に行ってることも・・・」

「あんた、学生さんかい?」

「はい?」

 

 不思議に思った久路人が小声で雫と話していると、近くにいた露店の店主が久路人に声をかけてきた。雫はうどん屋を出たあたりで霊力の調整が面倒になったらしく姿を見えなくしているので、久路人にだけ声をかけたようだ。

 

「あの、どうしました?」

「いや、さっきこの辺りにここいらの元締めの家の人たちが回ってきてね。『学生さんが来たら神社の方へ行くように言ってくれ』って。あんたも行った方がいいんじゃないか?」

「あ、そうなんですか。わかりました。ありがとうございます」

 

 久路人はそこで店主にお礼を言うと、店から離れて歩き始める。

 

「何があったんだろ?」

「さあ?でも、携帯にメールを回せば済むのに、わざわざ歩き回って言うなんて変だなぁ」

「そのうちメールも来るんじゃない?」

 

 そんなことを喋りながら、手を繋いで歩く。

 何か事情があったのだろう、ということで、久路人と雫はそこで出店を回るのを止め、神社に向かうことにしたのだった。

 

 

-----------

 

「え~、なにこれ」

「なになに、『ただいま補修箇所があるため立ち入り禁止』?」

 

 神社に着いた久路人たちであったが、本尊に行く道には看板が立っていた。看板は新しい、というよりもかなり適当な感じで、どうみても緊急で作りましたという風だった。

 

「本尊に何かあったからこの辺りに集合ってことにしたのかな?」

「それにしては誰もいないみたいだけど・・・」

 

 見回してみるが、学生どころか他の観光客もいない。まあ、立ち入り禁止になっている個所があるならわからないでもないが、ならばさっきの店主の話はなんだったのか?

 

「ちょっと近くを探してみようか」

「うん。あっちにも別の建物があるしね」

 

 雫が指差す方向には、麓にあった神社のような建物があった。本尊とは別にそういったものもあるのだろう。少し離れた場所にあるようで、ここから見えるのは屋根だけだ。後の部分は木立に隠れて見えなかった。

 

「久路人、メールはまだ来ない?」

「うん。池目君たちにもメールを送ったんだけど、繋がらなくてさ。電源を切ってるみたいだ」

「そういうマナーのところにいるのかな?」

「かもね」

 

 ここに来る途中にも、久路人は友達にメールやら電話やらをしてみたのだが、電源が切れているようだった。すでに電源を切って欲しいというような施設にでも入ったのかもしれない。

 

「でも、ここにも誰もいないね」

「うん。本当にどこに行ったのやら」

 

 しかし、目的地に着いてもそこには誰もいなかった。

 がらんとした境内に、10月の午後らしいオレンジ色の光が差し込んでいる。

 

「連絡しても繋がらないなら、もうちょっと待ってから探す?歩き回って少し疲れたでしょ?」

「僕はそこまで疲れてないけど、確かに闇雲に探してもなぁ。店主さんたちは神社の方って言ってたし、ここいらで間違いはないはずだしね」

 

 とりあえず色々と歩き回ってさらに迷うのは避けたかったので、二人は少し休むことにした。

 

「よっこいしょ」

 

 久路人は建物の前にある賽銭箱に繋がる短い石段に腰掛ける。歩き回って少し火照った体に、石段の冷たさが心地よい。

 

「久路人、ちょっと詰めてもらっていい?」

「え?うん」

「えいっ!!」

「おおぅ!?」

 

 久路人が涼んでいると、雫がずいっと隣に詰めてきた。石段の幅はそこまで広いものではないが、距離を詰めて座るほどでもないはずなのだが。

 

「し、雫?」

「体冷やしすぎちゃ風邪引いちゃうかもしれないでしょ?」

 

 急に接近してきた温もりと優しい香りに、久路人の声が跳ねる。

 雫は休みながらも周りを見回そうとしているようで、久路人とは逆の方向を向いていたが、その白い耳が赤くなっていた。

 

「えっと、やっぱり、誰もいないね・・・・」

「うん・・・」

 

 周りを見ていた雫がそう言うが、久路人としては耳に入らない。

 うどん屋で間接キスにうろたえ、参道で手を繋いで落ち着き、そして今この場での密着だ。アップダウンが激しすぎてスキーだったらプロ選手でもコケるに違いない。

 

「「・・・・・・」」

 

 二人の間に沈黙が訪れる。だが、その沈黙はうどん屋の時のように重いものではない。場の静寂さと景色、隣り合って座るだけという間接キスや背中流しに比べれば控えめな接触が、どこか二人に安らぎを与えていた。

 周りは杉と紅葉に覆われ、境内の中には赤や黄色の葉が落ちて絨毯のようになっている。時折風が吹いて渦を巻くように空に舞っていたが、そこで少し強い風が吹いた。

 

「わっ!?」

 

 ザァッと地面に落ちていた葉が舞い上がり、久路人たちの方に飛んでくる。思わず目をつぶってしまった。

 

「もぅ~!!目に砂入った~!!」

「あはは、びっくりした・・・あれ、雫、頭に葉っぱが乗ってるよ?」

「う~、目が痛い・・・取ってもらっていい?」

「うん」

 

 さきほどの風で舞ってきた葉が一枚、雫の髪に付いていた。紅い紅葉の葉が白い髪に映え、まるでアクセサリーのようにも見える。「ちょっと勿体ないかな」と思いつつも久路人は雫の頭に手をやって、葉を摘まみ・・・

 

「ん?」

「あ」

 

 そこで、目をこすり終えた雫と、久路人の目が合った。唇が触れ合うには全然遠い。しかし、手を繋いでいる時よりも近い。そんな距離だった。

 

―ドキリと久路人の心臓が大きく鼓動するのが聞こえたような気がした。

 

(あれ、なんだこれ?なんか、なんか・・・・)

 

 ドキドキと高鳴る鼓動に、久路人は困惑する。朝にも、ついさっきまでも考えたことがぶり返すが、今の状況はそれをさらに加速させる。血液の流れがもっと奥へと押し込むようだった。もっと奥へ。久路人の心の奥底へ。

 

(雫は僕のことをどう思ってるんだろう。どうして僕は、雫のことをこんなに気にしてるんだろう。いや・・・・・)

 

 そこで、久路人はついに疑問の核心にたどり着く。なぜ自分は、こんなにも目の前の少女を気にしているのか、その答えに繋がる扉。

 

(僕は、雫のことをどう思ってるんだろう?)

 

 その疑問が浮かんだ時、久路人の頭のモヤモヤが晴れたような気がした。回り道をしていたが、ついに目的地にたどり着いたような、そんな気分。

 

(少し前までは、友達とか家族みたいだと思ってた。けど違う。おじさんやメアさんには感じたことのない気持ち・・・)

「久路人?」

 

 不思議そうにこちらを見る紅い瞳。その瞳に映る自分は、何かに気付いたような顔をしていた。

 

(僕は、僕は・・・・・)

 

 隣にいる彼女の感触が熱が、声が、視線が、この旅行中だけではない、今までの思い出がその答えを教えてくれているような・・・・

 

(そうか、僕は、僕は雫のことが・・・)

 

 自分の心の中に眠っていたソレに、久路人はようやく気が付いた。

 

「雫・・・」

「久路人?どうしたの?」

 

 自分の気持ちは分かった。だが、目の前の少女は、果たして同じ気持ちなのだろうか?

 今この場には誰もいない。この場所ならば、この時ならば、久路人には聞けそうな気がした。

 

「雫は、僕のこと・・・」

「見つけましたよ」

「「!?」」

 

 突然境内に響いた声に、いつの間にか至近距離で見つめ合っていた二人はシュバッと離れた。まあ、一般人からしてみたらいきなり久路人だけが声をかけられて驚いたように見えるのだろうが。

 

「く、葛原さん!?」

「何をしてるんですか?周りの人からお話は聞かなかったのですか?」

 

 葛原はどこか不快そうな表情をしていた。一人だけはぐれた生徒を探し回っていたら、境内で黄昏ていたところを見ればそうなるのも仕方ないかもしれない。

 

「す、すみません・・・」

「早く行きますよ。みんな待っていますから」

「・・・・雌豚が。せっかくなんとなくいい雰囲気だったというに」

 

 ツカツカと歩く葛原に続いて、久路人は申し訳なさそうに、雫は不満そうに続く。葛原の足は淀みなく進み、境内の脇にある小道を通っていく。小道とはいえきちんと雑草も抜かれて整えられており、両端には柵も設けられていた。この先にも観光施設か何かあるのだろう。

 

「えっと、葛原さん、この先に・・・」

「月宮君、一昨日に見た話を覚えていますか?」

「え?はい」

 

 この先にあるもののことを聞こうとした久路人だったが、それを遮るように葛原は口を開いた。

 一昨日に見た話と言えば、あの怪物を封印した話だろう。確か村人の性格が悪かったような気がする。

 

「あの話をした後の、私の感想も覚えていますか?」

「え?え~と、村人が馬鹿な人たち、でしたっけ?」

「はい。そうですね。でもね、それは正確じゃないんですよ」

「「?」」

 

 道の先に、広場のようなものが見えてきた。だが、そこには誰もいない。落ち葉の降り積もった空き地があるだけだった。葛原は迷いなくそこに踏み込んでいき、久路人たちも着いて広場の中に入った。

 久路人たちが広場の中ほどまで来ると、そこで葛原は振り返る。その顔には、隠しきれないような笑みが浮かんでいた。

 

「私の、吾の感じたことはな、『人間とは愚かな生き物』だということじゃ」

「葛原さん?」

「・・・久路人、下がって」

 

 不穏な空気を感じ取ったのか、雫は前に出て、久路人を守るように立ちはだかる。葛原は、そんな雫を面白いものを見るように見ていた。

 

「フン、さっきまで色ボケていた蛇ごときが一端に守護神気どりか。吾の正体にも、策にかかったことにも気づかんとは、滑稽じゃの」

「お前、妾が見えておるのか!?」

「・・・・・・」

 

 嘲るように、明確に雫を見ながらそう言う葛原に、二人の警戒レベルが跳ね上がる。

 雫は薙刀を作り出そうとし、久路人は周囲に漂わせている黒鉄を呼び出そうと・・・・

 

「見るは幻、聞くは虚言、動くはただ影ばかり、開け、『天花乱墜』」

 

 それより早く、葛原が「ナニカ」を発動し・・・・・

 

-----------

 

「なっ!?」

 

 気が付けば、久路人は一人、満月の輝くススキ原に立っていた。

 




 小説を書くのは自分が書きたいからというのもありますが、せっかくならば面白いものを書きたいという想いがあります!!評価、感想というのは「面白かった」とかそういのがわかる作者にとっての通信簿なわけで、安心材料でもあるわけです。逆に悪いところがあれば反省すべき指標にもなります。
 そういうわけで、感想、評価おねがいします!!


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前日譚 天花乱墜2

超難産回。というか、土曜仕事からの日曜ゴルフの練習ってなんスカ、先輩・・・・
もしかしたら、これから更新頻度落ちるかもしれないです。週一回は最低でも続けたいと思いますが・・・




「なんだ、ここは・・・・」

 

 僕の目の前に広がっていたのは、一面のススキ原だった。僕の立っている辺りだけは草刈りが行われたように地面がむき出しになっており、頭上の星と満月が青白く照らしている。

 だが、おかしい。さっきまで僕は葛城山にいたはずなのだ。あの山は自然豊かな山だったが、あるのは紅葉や杉のような木立ばかりで草地はなかった。なにより、ついさっきまではまだ夕方だった。いくら日が落ちるのが早くなったからと言って、瞬きにも満たない時間で満月が登るはずもない。

 

「雫!!雫!?」

 

 声を張り上げて頼れる相方を呼ぶが、返事はない。いつもならば僕が呼べばどんなに遅くとも2秒以内には何かしらの反応が返ってくるのだが・・・

 

「まさか、幻術?」

 

 おじさんが最近電話で言っていた、幻術使いの仕業だろうか?そう思って腕輪を見るも、特に変わった反応はない。おじさん曰く、「どんなに強力な幻覚でも、何の反応もしないうちにハマるのだけは防げる」と言っていたから、これは幻術ではないのだろう。だとすると・・・・

 

「これは、まさか『陣』!?・・・・」

「なんだ、知っておったのか?」

「!?」

 

 突如として響いた声に、反射的にその場を飛びのき、服に仕込んでいた黒鉄を操ってマントを作る。

 

(クソっ、黒鉄の量が少ない)

 

 詳しい理屈は分らないが、今の僕は葛城山どころか、現世でも常世でもない空間に飛ばされたのだろう。僕は普段黒鉄を辺りに薄く散布しているが、この空間に持ち込めたのは服に仕込んでいた分くらいだ。防御用のマントと刀か弓と矢を数本作るくらいが限界だ。あまりにも心もとないと言うしかない。そう、こんな真似ができる相手には。

 

「まさか、『陣』を使える妖怪が今もいるなんて・・・・」

「ふふ、先入観は目を曇らすぞ?いい勉強になったな」

 

 僕の目の前にいるのは、葛城山にいた葛原さんだ。だが、感じるプレッシャーが違う。最低でも雫と同格の霊力はあるだろう。だが、それも当然だ。

 

『陣』

 

 それは、水槽の中から水槽を覗く者に至る道しるべ。

 使えるものは極めて少ないと言われる、非常に珍しく、強力な術だ。その術を使うには、「神格」を持っていなければならない。逆に言うと、陣が使えることが神格の証明だと言ってもいい。その効果は今の僕が体験しているように、現世とも常世とも狭間とも異なる新たな水槽を作ること。それは単なる結界とはまるで違うものだ。おじさん曰く、術者の特性が大きく反映されるようで、水槽の作り主は内部において術の使用に絶対的なアドバンテージを有するらしい。だが、いいことずくめではない。

 

「ともかく、我が箱庭、『天花乱墜』にようこそ。歓迎するぞ」

「歓迎してくれるって言うんなら、お茶とお菓子くらいは欲しいんだけど」

「おお、これは失礼したの。だが生憎そういったもてなしの用意は切らしてしまっているのじゃ。代わりの『もてなし』をするゆえ、許してたもれ」

「気持ちは嬉しいけど、お腹すいてるから食べ物は用意してほしかったなぁ」

 

 相手の会話に乗りつつ、少しでも時間を稼ぐ。

 陣はある意味で世界を侵す術だ。長時間の使用は「神」とやらの「ルール」に触れるらしい。さらに言うなら消費する霊力も膨大だ。時間稼ぎで霊力切れを待つのも有効だと聞いている。

 

「いつから僕たちを狙ってた?」

「さて、いつからかのう?そんなことを知って意味があるのかの?」

「そりゃあ、こんな状況だからね。あなたがどこから来て、一体どういう目的でいつからこんなことを考えてたかくらいは気になるさ」

「それもそうか。だが、狙いくらいはわかるじゃろう?汝は存在そのものが力の塊のようなもの。手にしたいと思うのは当然だと思わぬか?」

「悪いけど、自分をそんな資源みたいに思ったことがなくてね。というか、力を手に入れてどうする気?世界征服でもするの?」

「くふふ、世界征服か。いいのう。やってみたいぞ」

「そんなに悪役ムーブしたけりゃネトゲでロールプレイでもしてなよ」

「そんな夢幻みたいなもんで覇権を握ったからなんだというのだ。やるならば現実に決まっておろう?」

「そうかい」

 

 軽口を叩きながらも聞きたい情報を集める。

 目の前の妖怪は葛城山に張られた結界を無視するかのように、さらにはガイドという人間社会に溶け込んだ立場で現れた。幻術への反応がなかった以上、それらはこの妖怪が異能を使わずにやってのけたということだが、とても短期間でできることとは思えない。また、陣を使えるような大物が大穴を空けて乗り込んできたらまずバレるだろうに、そんな様子もなかった。よほど前から人間社会に潜り込んでいたか、あるいは協力者がいるか。こんなのが後何体かいるようならば非常にまずい。

 

「ふふ、そんなに心配せずとも仲間などおらぬよ。それに、今の世に吾ほどの妖怪もそうはおらぬ。横やりなど気にしなくてもよい」

「それはどうもご丁寧に。でも意外だな。騙し討ちなんてしてくるわりにはやけに素直じゃない」

「嘘は真実があるからこそ映えるもの。ここぞというときに使うからこそ嘘にも意味があるのじゃ。まあ、さっきまで言ったことが真実がどうか信じるのかは汝次第じゃがな」

 

 クスクスと、目の前の女はからかうように笑う。いや、実際にからかっているのだろう。葛原からは自分が絶対的優位にいるという余裕があった。だが、彼女の言うことは恐らく真実の可能性が高い。陣というのは相手にとって実力を100%以上発揮させるホームグラウンド。この陣に引き込んだ時点で、向こうの勝利は決まったようなものだからだ。駄目押しに戦力を解放したほうが効果的である。

 

(まだだ、まだ諦めるな。このまま会話を続けて引き伸ばせ。こいつの口ぶりから、こいつは前々から僕らを知ってた。なのに仕掛けてこなかったのは、おじさん達を警戒してたから。引き延ばして時間稼ぎをしてから、どうにかおじさん達と連絡が取れれば・・・・)

「とりあえず、あなたの言うことを信じる・・ああ、あなたじゃちょっと呼びにくいな。名前は何て言うの?葛原さんは偽名だよね?」

「本当に汝は物怖じせんな。その度胸に免じて、珠乃と呼ぶことを許す。それがまごうことなき我が名ゆえにな。吾は、字と姿は仮初めであろうと、この名を偽ることは好かぬ」

 

 葛原が、否、珠乃の姿が揺らめく。陽炎のように一瞬姿がぼやけたと思えば、そこには豪奢な着物を身に纏った女が立っていた。その髪と瞳は金色に輝いている。だが、注目すべきはそこではないだろう。

 

「九本の狐の尾!?・・・・なんでそんな大物が」

「さて、吾にも過去にいろいろとあってな。だがどうじゃ?己が一体何の胃袋にいるのかはよくわかったじゃろう?」

 

 九本の尾をザワリと揺らめかしつつ、珠乃は嗤う。その笑みは三日月のように弧を描き、美しくもその残虐さを現しているようだった。

 

「さて、汝は長々とお喋りをしたいようだが、吾は汝をダシにしたこの後のお楽しみに尺を使いたくてな。悪いが、この辺りで大人しくしてもらうぞ?」

「ダメ元で聞くけど、話し合いで何とかなったりしない?」

「できない相談じゃな。この陣に誘い込んだ時点で、それよりもよほど良い選択肢がある」

「こっちとしては、九尾の狐がなんでガイドなんてしてたか気になるんだけど・・・」

「ふむ、それは機会があったら答えてやろう・・・・汝に言葉を解す能が残っていればの話だがなぁ!!」

「雷起!!」

 

 珠乃がこちらに手を向ける。その数瞬前に、僕は強化の術を発動。同時に、黒鉄を高速で集め、弓矢を作る。幻術を使うつもりなら、その前に一矢報いる!!

 

「紫電!!」

「幻炎!!」

 

 僕の放った弓矢の術技、「紫電」と珠乃が出した炎がぶつかる。恐らく、珠乃は僕を舐めつつも反撃をしてくることは予想していたのだろう。幻術にかかったとしても、その直前に放った攻撃が無効化されるわけではない。それを見越しての攻撃だったのだろう。だが、僕の術技を甘く見るな。

 

「何っ!?」

 

 その矢はまさに紫色の電光。矢と弦に付与された磁力による反発と、矢が秘める電熱、術で強化された僕の腕力で引いた弓は大妖怪と言っていい雫やメアさんでも防御より回避を選択する。黒鉄の矢は炎を突き破って珠乃に迫る。

 

「ちぃっ!!」

 

 だが、紫電は珠乃が再び出した炎が弾けたことで明後日の方向に吹き飛ばされた。けれども、その動作によって確かな隙ができた!!

 

「紫電・四機梯形」

「なぁっ!?」

 

 すかさず放たれる四本の矢。同時に飛び出した矢は微妙に速度が異なっており、1本を吹き飛ばしても残りは直撃コースだ。

 

「き、狐塚!!」

 

 しかし、それも心底驚いたような九尾の唱えた術によって現れた土の壁に阻まれる。四本もの矢を受けた塚は弾け飛ぶも、あれでは矢は届いていないだろう。四本の矢で仕留められればよかったが、相手は神格持ち。その程度で獲れるとは思っていない。矢を放った直後には、次の術の準備はできている。どういうつもりか知らないが、狐お得意だという幻術を使ってこないということは、未だに僕を舐めているに違いない。それは好都合だ。ならば僕を見下したまま死んでしまえ。いきなりこんな状況を引き起こすような無法者に、手段を選ぶことも容赦もない。

 

「電光石火!!」

 

 靴底に貼った薄い2枚の黒鉄の板に術を使用する。地面に接する方とその片割れに、反発する磁力を付与。僕は文字通り弾かれたように一気に土煙の中に突入。弓は跳ぶ間に直刀へと形を変える。

 

「せいっ!!」

「ぬぉおおおお!?」

 

 僕が吹き飛ぶ土くれを弾きながら吶喊するのと、珠乃が狐らしい俊敏な動きで飛びのくのはほぼ同時だった。僕の術技、迅雷はその着物の裾を少々切り裂くだけにとどまり、珠乃は僕の間合いの外に逃れ、獣のように前かがみになりながら構えを取っていた。

 

「ちっ!!速・・「何故だ!?」」

「?」

 

 僕が仕留めきれずに舌打ちしながらも弓に矢をつがえようとしたところで、珠乃は僕の方を見ながら信じられない物を見たような声で言う。

 

「貴様、幻炎を見たにも関わらず、なぜまだ動ける!?」

「・・・はぁ?」

「ここは吾の世界!!いかに七賢が作った術具といえど、この場所で吾が使う幻術を完全に防ぐなどあり得ぬ!!一体どういうからくりだ!?」

 

 目の前の慌てようは、果たして演技だろうか?僕にわざと希望を持たせてすぐに絶望させるために?あり得ないとは言わないが、それならもう少しギリギリまで追い詰めさせたところでやる方がよいのではないか?とも思う。珠乃の言うことが真実ならばあの炎には幻術にかける効果があり、それが僕には効いていないということになるが・・・・

 

「・・・・・」

 

 僕はチラリと腕輪を見るも、反応はない。確かに九尾の狐が使うような幻術を無効化しているのならばすぐに壊れてもおかしくはなさそうだが、その様子もない。まるで、「術具が作動する必要はない」と判断しているかのようだ。

 

「あり得ぬ、あり得ぬ!!この世界で吾の術を防げるものなど、それこそ・・・・・いや、待て」

 

 そこで、炎のように髪を逆立てながら吠えていた珠乃が、スッと冷静になった。

 

「そうか、月宮、天の一族。なるほど、それならば・・・・」

「・・・・・?」

 

 こちらを見つつも珠乃はぶつぶつと何事かを呟いていたが、その間に、僕はさっき飛ばした矢を砂状に戻して回収する。さて、ここからどうするか。このまま時間稼ぎに徹するか、一気呵成に攻めるか。雷起は今のところ連続して使えるのは1時間程度だが、相手の陣がどの程度持つのかは未知数だ。もしも僕の方が先にガス欠になるのなら負けが確定する。今の状況を考えるに・・・・

 

(攻めるか)

 

 理由は分らないが、向こうの幻術は僕には効かないようだ。九尾の狐といえば狐の妖怪の頂点にして幻術使いの王。過去の複数の討伐記録によると、その本領は戦闘能力よりも幻術によるかく乱と人心掌握にあるらしい。そのメインウェポンを無効化できているというのならば、例え神格持ちといえど勝ち目は0ではないはずだ。であるなら、速攻で片付ける。僕は弓を握りなおし・・・

 

「気が変わった」

「・・・!!」

 

 そこで、珠乃はポツリと呟いた。同時におぞましさを感じさせる霊力が放出され、背筋に悪寒が走る。

 

「クククク、まさかこのクソのような世界を壊すための餌が、こうもおあつらえ向きとはのぉ・・・いやはや、『神』というやつはいい趣味をしておるわ」

「・・・・」

 

 その顔に浮かんでいる感情は何だろうか?

 憤怒、悲哀、喜悦、憎悪。様々な感情が渦巻いていびつな笑みを作っていた。だが、これだけは分る。

 

「吾が世界を相手取る前座にふさわしい。蛇の前で嬲ってやるつもりだったが、今ここで、サシで這いつくばらせてやろう!!」

「紫電・三機縦隊!!」

「孤影」

 

 珠乃はもまた、全力で僕にぶつかって来るつもりだ。その気迫を打ち破るように、僕は3本の矢を立て続けに放つも、珠乃はぬるりと染み出すように現れた影に呑まれて消えた。

 

「どこにっ!?」

「幻炎」

「っ!!」

 

 思わず周囲を見回してその姿を追おうとした直後、背後から感じた殺気から離れるために全力で飛びのくと、さっきまで僕が立っていた場所に火柱が立ち上っていた。

 

「・・・サシで倒すとか言ったくせに、やり方がせこくない?」

「ぬかせ。生き残りをかけた勝負は最後まで立っていた者が勝者。勝てば官軍じゃ」

「おおむね賛同するけど、やられる側はたまったもんじゃないっての!!」

 

 言い合いながらもどこからか飛んでくる、炎、岩、氷、風。それらを雷起で強化した反射神経と身体能力で避けていく。

 

「もはや汝の前に姿を現すつもりはない。このまま嬲り殺してやる」

「チっ・・・」

 

 こっちは短期決戦で攻めたいのに、向こうはゲリラ戦を選んだようだった。こちらのガス欠を狙っているのだろうが、こうなるとこの空間を維持できる時間は存外と長いのかもしれない。

 「これはマズい流れになった」そう思うも口には出さない。だが・・・

 

「長い夜になりそうだなぁ!!」

 

 襲い掛かる術の数々をいなしながら、僕はそう叫んだ。

 

 

 

-----------

 

(・・・・・・・よく動くものじゃな)

 

 自分が放つ術を交わし続ける少年を見ながら、珠乃は内心でそう呟いた。自分がこの戦法を取り始めて30分ほど経ったころだろうか。

 

「・・・フゥッ!!」

 

 地面から生える岩の杭を跳びあがって躱し、そこを狙った炎は羽織った黒いマントに弾かれた。着地に合わせたカマイタチもその黒鉄の衣を破れずに散らされる。

 

(あの年ですさまじい技量と判断じゃな。純粋な身体能力も大したものだが、集中力と判断力が特に高い。躱す必要のある攻撃と外套で防げる攻撃を瞬時に判断して対応できておる)

「はっ!!」

 

 頭上からの氷柱を切り払いながら泥沼と化した地面に砂鉄の板を敷いて跳ね跳んで離脱。久路人を押しつぶすように展開された土砂崩れは弓矢で穴を空ける。

 先ほどから常に全力疾走しているようなものだが、その身の動きは陰ることなく、霊力が切れる様子もない。常日頃から鍛錬を重ねてきただろうことがうかがえる。

 

(忌々しい・・・)

 

 珠乃の顔が苛立たし気に歪む。目の前の少年が、物語の英雄もかくやというように動いているのが心底気に食わないと言うように。

 

(なぜそこまでの霊力を持ってしまった人間にそんな動きができる?どうして体が壊れない?晴はいつも伏せっていたというのに!!)

 

 珠乃の胸の内にどす黒い何かが湧き上がる。どうしてあの健康な肉体が彼にはなかったのか?どうしてあんな大きな霊力を持ってしまったのか?どうして自分は・・・・・!!!

 

(我慢ならん。このままチマチマと術を撃ち続けるだけでは気が済まん。それに、ヤツの手札も含め、知りたいことはおおよそ知れた。吾の予想が正しければ、ヤツに吾は捉えられん)

 

「頃合いじゃの」

 

 ニィッと、九尾の顔に裂けるような笑みが浮かんだ。

 

-----------

 

 術の嵐をさばき続けてどれほど経っただろうか?

 

(術者はどこにいる?)

 

 今もすさまじい勢いで吹き付ける砂嵐を外套でガードしながらも僕は密かに索敵を続けていた。

 

(黒鉄が少ないせいで時間はかかってるけど、黒飛蝗を出しても反応がない。僕に幻術が効かないなら感知はできるはずだけど)

 

 珠乃が影に消えた直後から、僕は外套の一部を切り離して周囲に放ち、術者を探しているのだが、未だに当たりがない。影に潜り込んだように見えたため、試しに影も切ったり突いたりしてみたのだが効果はないようだった。この空間がどれほどの広さなのかは分からないが、こんなものを外側から維持・操作ができるとは思えない。必ず内側にいるはずである。

 

(正直、これ以上時間がかかるのは少しマズいぞ・・・!!)

 

 今はまだもっているが、そのうちに雷起の維持時間に限界が来る。その前に見つけ出さねばならない。

 考えながらも四方から襲い掛かる巨大な火の玉を躱し、回避しきれないものは弓矢で撃ち落とす。もう少しでも黒鉄があればもっと余裕のある戦いができるのだが・・・・

 

「クソッ!!」

 

 離れた場所で少しずつ矢に使った黒鉄を回収しつつ、歯がゆい状況に思わず舌打ちした時だ。

 

「クククク・・・」

「!!」

 

 どこからか、珠乃の声が聞こえた。

 

「ずいぶんと汚い言葉遣いじゃのぉ?仮にもおなごが見ている場でそんな口を利くのは感心せんぞ?」

「女子扱いされたかったらまず目の前に出てきてくれない?」

「おお怖い怖い。そんな弓を構えながら言われては恐ろしくてかなわぬよ。汝はもう少しおなごの心を大事にすべきだと思うがの?」

「余計なお世話だよ・・・」

 

 珠乃が話している間、術は飛んでこなかった。声が聞こえてくる方向を特定しようと耳を澄ませるも、一言一言ごとに聞こえる場所が変わっており、判然としない。

 

「いやいや、こういう助言は腐らず受け止めておくものじゃぞ?汝、おなごが怖いんじゃろう?」

「何・・・?」

「クフフ、吾は知っての通りここ二日汝らを見ておったからな。男とつるんでばかりで男色の気でもあるのかと思ったが、おなごと関わり合いになりたくないのじゃろう?」

「・・・それがどうかしたのかよ?」

 

 否定はしなかった。図星だというのもあるが、回復のチャンスでもある。

 僕は一旦雷起の効果を反射神経のみに限定する。こうすれば、ある程度長持ちするし、少しの間でも体を休めることができる。

 

「クフフフ、いや、ずいぶんとあの蛇を信用していると思うてな?あの蛇も元は蛇とはいえ、今のナリは人間のおなごと変わらぬじゃろう?」

「当たり前だろ。確かに僕は女子と関わるのが苦手だけど、そのきっかけから助けてくれたのも雫なんだから」

 

 僕の中で忘れられないあの日。雫が人化の術に成功したとき。

 珠乃の言うことは当たっている。僕は女が怖い。寄ってたかって僕を嬲ったあの眼差しが、あの声が心の奥から消えやしない。けれども、同時に刻み込まれたものもある。

 

----久路人の敵を全部倒して、久路人を守ることだよっ!! 大丈夫!! これからは、さっきみたいなクソ人間どもからも、有象無象の妖怪からも・・・・ずっと、ず~っと私が守るから!!---

 

 この言葉を僕は忘れたことはない。確かに雫は人間の女の子と見た目は同じだが、その言葉が、あのときの僕を抱きしめてくれた感触が、雫に恐怖を抱かせない。

 

「ほぉ~う!!これはこれはずいぶんと入れ込んでおるではないか。だが、向こうはどう思っておるのかの?」

「・・・さっきから何が言いたいんだよ、お前」

 

 自分でも驚くほどの冷たい声が出た。回復させようと思っていた体に、無意識に霊力が流れ込む。

 

「これこれ、そう怒るな。吾はただの一般論を話そうとしているに過ぎん。月宮久路人よ。汝は人間と妖怪の間に情が通じると思うのか?人間と化物。姿や能力も違えば、価値観もまるで異なる。人間同士でも相容れぬことなど日常茶飯事だというのに、種族の違う者同士でうまくいくと思うか?」

「昔から思うけど、そのあたりの感覚は分らないね。お前の言う通り、人間同士ですらうまくいかないことがあるんだ。逆に言えば、妖怪と人間が親しくなることだってあってもおかしくないだろ?人間も妖怪も僕から見れば大した違いはないよ」

「ほぅ!!言うではないか!!」

 

(ヤツが何を狙っているのか知らないが、惑わされるな!!術者の位置を探せ!!)

 

 僕は先ほどまでのように索敵を続ける。しかし、反応はない。

 

(チっ!!)

 

 焦りと、先ほどからの意図の分からない質問への苛立ちから、僕は内心で舌打ちする。そんな僕の心を知ってか知らずか、再び声が響いた。

 

「吾はこれでもかなり長生きをしておるが、汝のような人間は本当に珍しい。その偏見のない考え方はとても尊いものじゃ」

「・・・・・そりゃどうも」

 

 何を考えているのかは分からないが、会話は続ける。これは時間稼ぎだ。熱くなるな。

 

「だがなあ?それはあくまで、汝個人の考えであろう?結局のところ、あの蛇が汝のことをどう思っているのかはわからぬではないか」

「・・・・・」

 

 その言葉に、僕は思わず押し黙った。

 

--雫は、僕のことをどう思っているのだろう?--

 

 それは、この旅行中にずっと考えていたこと。もしも珠乃が来るのがあと少し遅かったら、聞いていたこと。だが、今この時点でも答えられる言葉はある。

 

「友達だよ。僕と雫は友達だ。もう10年も前から」

「ほう、友達。友達かの?」

 

 それは、あの幼いころに交わした約束だ。

 

---妾は、仮に契約がなくなっても、我が友を守る。だから、妾と同じように、お前も妾を守るのだぞ。よいな!!---

 

 あの言葉も、あの約束も、僕にとっては大事なものだ。約束は守らねばならないもの。そういう意味とは別の意味でも。

 

「クフフ、クハハハ・・・アッハハハハハはははははははははあ!!!」

「何がおかしい!!」

 

 だが、そんな大事な約束をあざ笑うかのように、いや、事実馬鹿にしているのだろう。下品とも言えるような笑い声が響いた。

 

「おおすまんの。許してたもれ?先ほどあんなにも勇ましく『人間も妖怪も大差ない』と言った汝が、結局はただの人間というのがアホらしくてのぉ!!アッハハハハハ!!!」

「・・・・どういう意味だよ」

 

 その瞬間、索敵すら忘れて僕はどこにいるともしれない狐に問いかけていた。

 

「その質問を投げとる時点で分かっておらん証拠じゃの。よいか?妖怪に、『友達』などという概念はない。我らは弱肉強食の世界を生き抜く獣から成りあがったモノ。生き抜くために協力することはあっても、心からの友情など抱かぬ」

「・・・それだって、お前個人の話だろ」

「先ほども言うたじゃろ?吾は長生きしておると。今まで多くの人間も妖怪も見てきたが、対等な友人となった人間と妖怪なぞ見たこともないわ。あの「魔人」とて、講和を交わしたのは「魔竜」に打ち勝ってから。すなわち、力で結んだ関係ぞ」

「じゃあ何か?雫が僕に嘘をこれまでつき続けてきたって言うのか?僕らのことをほんの2日間しか見てないお前が?」

「いやいや、そうは言うておらんよ。そう焦るでない。さきほども、「心からの友情」と言ったじゃろ?だが、ふむ、何と言えばよいかのう?・・・・ああ、そうじゃ!!」

 

 そこで、珠乃は一拍置いてから、その言葉を口にした。

 

「友達なんて言葉は、犬だろうが猫だろうが、果てはぬいぐるみにだろうが使うだろう?なあ、人間」

「・・・・!!」

 

 その言葉は、妙に耳に残った。僕の中に、日常の風景が駆け巡る。

 

 朝の匂いチェック。あの時、僕は思わなかったか?「男として見られていないのか?兄弟のように思われてるんじゃないか?」と。だが、それ以下だったとしたら?家族という言葉は、ペットにだって使うものだ。

 

 最近、雫が妙に過保護じゃなかったか?雫にとって、僕は脆い人間で、雫よりもずっと下のように見ていたのか?まるで壊れ物の人形のように。

 

 旅行中の風呂や同衾も、手を繋いで歩いたのも、僕を「そういう対象」として見ていなかったから以前の話なんじゃないか?

 

 

--雫は、僕のことをどう思っているのだろう?--

 

 それはさっきと同じ問い。けれども、今、その問いが持つ意味は・・・・

 

「くくっ!!ほれ、気を抜いてよいのか?」

「!?」

 

 僕が呆けていたのはほんの少しの間だった。だが、それは致命的な隙だった。足元の影がぐにゃりと形を変えたかと思えば、鋭い杭のように尖って、僕の首に迫る!!

 

「くっ!?」

「おお、よく避け・・・「迅雷!!」」

「むぐぅ!?」

 

 影は僕の首筋を掠めたが、かすり傷だ。雷起をかけなおしていたのが功を奏した。そして、この影は今までとは明らかに違う攻撃だ。間違いなく、この攻撃の根元に本体がいる!!

 

「おお、今のは焦ったのぉ!!」

「チっ!!」

 

 咄嗟に放った迅雷だったが、さっきまで影に撃った攻撃のようにダメージは与えられなかったようだ。影に攻撃したつもりだが、それは地面をえぐるにとどまっている。だが・・・・

 

(間違いなく、さっきの珠乃は本気で焦ってた)

 

 さっきの攻撃と今までの違いは何だ?術技だったから?単純な威力の問題?だが、有効打にはなっていなかった。術技そのものが有効なのではない。僕の刀は地面を削るだけで、影は変わらない形をしている。それも当然だ。影に実体はないのだから、斬れるわけが・・・

 

「まさか・・・実体!?」

「ふん、気付いたか」

 

 僕が思わず呟くと、珠乃の返事があった。

 術技は剣技や弓術の動作を詠唱代わりに使う。必然的にその攻撃には必ず実体がある。そして、実体のあるものでは影は傷つけられない。影に入り込むにはまさしく異能の力が必要だ。術技も術の一種であり、僕の場合は雷とよく似た性質の霊力が強く纏わりついている。その霊力が本体に届きかけたのだろう。

 

「汝、遠くの物を狙う時も、弓しか使っておらんかったな?先ほどからチマチマやっておる術も砂鉄を媒介にしたもの。汝、純粋な術が使えん、いや、使ったら体が壊れるのだろう?」

「・・・・・!!」

 

 そうだ。僕の術は身体強化の雷起を除いて、すべて黒鉄か術技を介さねば使えない。それは・・・・

 

「それほどの霊力。攻撃用の術を使おうものなら、人間の体で耐えられるものか」

「・・・・」

 

 例えるのならば、発電所の電力すべてを電子レンジに流し込むようなものだろうか?強大すぎる霊力を直接エネルギーに変換しようとすれば、人間の体では壊れてしまう。ほんの少し霊力を使うつもりでも、それがどれほどの規模になるのか、僕自身にもわからない。

 

「お前がわざわざ答えを言うのは・・・・」

「その通り。汝では吾を捉えることはできんからじゃ。自爆覚悟でやってみるか?影を傷つける前に体が吹き飛ばなければいいのう?」

「・・・・・」

 

 珠乃はまるで自分が絶対的に優位にいるように笑った。それもそうだろう。陣という自分の最高の環境に引きずり込んだ上に、自分は傷つけられないという確信を持ったのだから。だが・・・

 

(手はある。やはりこいつは僕のことを舐め腐っている)

 

 だが、それを使うには、気取られないようにしなければいけない。雷起を使っていられる時間にそろそろ限界が来る。ここで外して、さらに警戒されたら勝ち目はなくなる。

 

「それで?お前は僕にどうしろってんだよ。敗北宣言でもすればいいの?」

「む?なんじゃ、もう諦める気かの?」

「そんなわけないだろ。最後まで足掻くさ。お前にいい顔されてると思うと腹が立つ」

「大人しそうな顔して結構いい性格しておるの・・・・」

 

 会話を続けろ。調子に乗らせろ。虚勢を張っていると見せかけろ。「こいつにはもう打つ手がない」と思わせろ。

 

「まあ、精々頑張るといい。吾は一足先に、味見といこうかの。どれ・・・・お?おお!?」

(隙を作る。その隙に・・・)

 

 僕がそうして作戦を立てている時だった。先ほどの影に付いていた僕の血を珠乃が舐めたようだ。

 

「なんと、素晴らしい味じゃ!!はは、よいぞ!!一舐めしただけで力が増えるのを感じる!!」

「そうかい。お気に召したようで何よりだよ」

「うむ!!気に入ったぞ!!」

 

 そうだ。そうやって気を抜いてろ。

 珠乃が笑い声を上げた瞬間・・・

 

「紫電!!」

「届かぬわ。阿呆」

「チっ!!」

 

 僕は刀を弓に変え、影に向かって矢を放つ。霊力の籠った矢であったが、点の攻撃ではやはり本体には届かなかったようだ。だが、別にこの攻撃に期待はしていない。

 

「ふん。影の中まで矢が飛んでいくとでも思ったのか?」

「実体のあったお前が飛び込んでいったからね。ワンチャンあるかと思ったんだよ」

「それは残念だったの」

 

 大して面白くもなさそうに、珠乃が僕を馬鹿にする。それでいい。準備は整った。

 

「ところでさ、僕が血をあげるって言ったら、見逃してくれたりしない?」

「ほう?今度は交渉でもする気か?汝を操り人形にすればいくらでも好きにできるものを、契約を結んでまで手間をかけるつもりはない」

「そう言わずさ。もう少し飲んでみない?」

「長生きすると我慢強くなっての。焦らした方が後の楽しみも増えるというもの。吾を酔わそうとしたところで無駄なことよ」

「・・・・・」

 

 さて、どうやって一撃叩きこむ隙を作るか。血を飲ませられればやりやすいと思ったのだが、警戒はされているらしい。どうしたものだろうか。

 

「しかし・・・」

「?」

 

 僕が考え込んでいると、珠乃が恍惚とした口調で喋り出した。

 

「酔う、か。クフフ、汝の血は最高の美酒じゃの。ほんの少し舐めただけにもかかわらず、ほろ酔いになったかのようじゃ」

「そりゃよかった。おかわりはいる?」

「ああ、汝を倒した後でいただこう。ああ、それにしてもあの蛇が羨ましい。こんな極上の美酒を日頃から飲んでいるとはの。まさか吾が酔わされそうになるとは予想外じゃ。これは、先の言葉を訂正せねばならんかもしれん」

「どういう意味?」

 

 よし。ヤツの言っていることは真実なのか、口調が少し軽くなっている。今までこの体質に感謝したことはあまりないが、珍しく褒めてもいい気分だ。このまま会話に乗って・・・

 そうして、相槌を打つように返事をした時だ。

 

「あの蛇が、汝のことを本当に友だと、いや、それ以上だと思っておるかもしれんということだ」

「え・・?」

 

 その言葉を聞いたとたん、ゾクリと嫌な予感がした。

 

「・・・どういう意味だよ?」

「ふむ?汝は喜んでもいいと思うがの?汝、あの蛇に懸想しておるじゃろ?」

 

 珠乃の言うことは当たっている。

 確かに、これまでの僕には迷いがあった。それは、僕の本当の気持ちを覆い隠す蓋だった。

 

 

 蛇の姿の時には気にしたこともなかったくせに、美少女の姿になったら気にするなんてずいぶんと虫のいい話だ。

 

 これまでは友達、家族のように接していた。だが、これからはどうすればいいのだろう?

 

 雫の本質は蛇の時と変わらないのだろうか?

 

 自分は男として見られていないのではないか?

 

 そうした迷いと困惑に、雫の態度も手伝って、本当についさきほどまで気が付かなかった。

 だが、それはもう過去の話だ。僕の中には、もうその想いがしっかりと根付いている。珠乃が雫の内心のことを指摘した後も、それは変わらない。揺らげはすれど、所詮は僕らのことをよく知りもしない敵の言うことである。僕自身の想いが消えることはない。

 だからこそ、先ほどから悪寒が消えない。

 

 

「・・・だから?」

「吾も不思議だったのじゃ。さきの言葉と矛盾するようだがの、あの蛇は吾から見ても本気で汝を慕っているように見えた」

「・・・・・」

 

 それは、本当ならば喜ぶべきことだろう。事実、あの神社の中で雫の口から聞けていたら、喜びの余り死んでいたかもしれない。だが、今はただただ頭が痛くなるくらいの寒気しか感じない。

 けれども作戦のため、不自然な行動はできない。だから、会話を切ることもできない。話の流れのままに、僕は嫌な予感がするにも関わらず、続きを・・・・

 

「だが、こうまで力に満ちた血を持っているとなれば話は変わる。この血ならばあり得ぬこともないじゃろう」

「まどろっこしいな!!何が言いたいんだよ!!」

 

 思わず、声を荒げる。「止めろ!!この先を聞くな!!」と何かが警鐘を上げているが、もはや作戦のことなど関係なく止まれなかった。

 

 

「ふむ、ここまで言って分らぬか?鈍いのう。つまりな・・・・・」

 

 

---汝の血がな?あの蛇を狂わせておるのではないか?と言う話だ---

 

 

-----------

 

 久路人には、ずっと疑問に思っていたことがある。

 昔現れたトカゲのような妖怪は、久路人の血を飲んだ瞬間に体が崩壊した。久路人の血の力に体が耐えられなかったからだ。そして、雫がそれに耐えられるのは雫にそれにふさわしい器があるからだ。

 

 だが、それは永遠に続くものなのだろうか?

 

 汚水が少しづつ大地を蝕んでいくように、自分の血が雫に悪影響を与えることはないのだろうか?

 京によれば「心配ない」とのことだったが、日に日に強くなる自分の力は本当に安全なものなのだろうか?

 この、自分の体にすら害を与えかねないこの血が。

 

「・・・!!!!」

 

 だからこそ、それは、呪いの言葉だった。久路人の心の奥底にまでめり込む棘。

 

「人間でも分かるじゃろう?酒も麻薬も、人間を狂わせ、依存させる。それを得るためならばどんな尊厳でも捨てさせるほどに。あるいは、本当にそれが好きだと思い込ませるほどにのぅ」

「・・・・・・」

「あの蛇があんなにも汝に従順だったのも頷ける。あの蛇は精神に作用する術は使えないようだったからの。汝に媚を売っているのか、それこそ「汝のことを愛している」と思わされているのかまでは分らぬがな」

「・・・・・れ」

「いやあ、よかったではないか!!これで晴れて汝らは両想い!!人間と妖怪という種族を超えた愛を生み出したではないか!!」

「・・・・黙れ」

「うむ!!何度も過去の発言を取り消すのは恰好が悪いが、また気が変わったぞ!!汝らのその尊い愛に免じて見逃して・・・・」

「黙れぇぇぇぇぇぇえぇええええええええええええええええ!!!!!!!!」

 

 久路人の頭からその瞬間、この声の主を殺すこと以外のすべてが消えていた。結果的に、それが一番の奇襲になったのだろう。

 

「鳴弦んんん!!!!!!」

「何ぃ!?」

 

 久路人が持っていた弓をかき鳴らすと、膨大な霊力が音とともに拡散する。

 鳴弦は術技の一種だ。弓の弦を鳴らす音は古来より魔除けと言われていたが、この術技もその効果は同じ。ただ他の術技と違いがあるとするならば、音という実体のないものを媒介にすることで、霊力そのものを拡散する、術により近い形態ということだ。そうして、拡散する霊力は、影の中にまで伝わる。久路人の膨大な霊力をそのまま放つその攻撃は、あらゆるものを揺さぶる音響兵器であった。

 

「ぐぅぅううううう!!?」

 

 影の中はこのススキ原ほどに広くなかったのか、たまらんとばかりに珠乃は飛び出した。その耳からは血が垂れている。

 

「おのれ、よくも、よくもぉおおお!!!」

 

 圧倒的優位に立っているという自負から、手痛い反撃を食らったことがいたくプライドを傷つけたのだろう。その目は怒りに燃えていた。

 

「炎獄!!」

 

 放たれたのは見上げるのも馬鹿らしくなるくらいの大火球だった。食らえば焼ける前に全身が粉々に吹き飛ぶであろう威力を持った術がたった一人の少年に向かう。その炎は大妖怪たる九尾の怒りの塊だ。

 

「死ねぇぇぇぇええええ「雷切!!!」」

「なあっ!?」

 

 されど、怒りに燃えているのは珠乃だけではない。どこに向けていいかもわからない。名前も分からない感情が、久路人の中には渦巻いていた。そうして、そのはけ口はその場には一つしかない。

 雷すら切り落とすような鋭い斬撃が火球を切り裂くと、さながらモーゼの十戒のごとく珠乃までの道が開けた。

 

「死ね」

「な、お゛お゛!?」

 

 道が開いた後はまさしく一瞬であった。

 本物の雷の如き速さで迫った久路人の「迅雷」は、珠乃の心臓を貫いていた。

 

「これで、消えろぉぉおおおおおおおおおおお!!!」

 

 久路人の刀が赤熱し、心臓から全身を焼いていく。久路人の手も焼け焦げていくが、意にも介さない。

 

「そんな、吾が、こんな、こん・・・・」

 

 そうして何かを言いかける前に、神格を持つほどの大妖怪、九尾は灰となった。

 灰が巻き起こった風に運ばれて散っていくのを、肉体が限界に達し、雷起も切れた久路人は脱力感に身を任せたまま茫然と見つめていた。精神力も尽きたのか、その身を纏う黒鉄の外套もサラサラと崩れる。

 

「・・・・・・」

 

 ススキ原が、ひび割れていく。

 造物主がいなくなったことで、形を保てなくなったのだろうと、どこか他人事のように周りを見る久路人は思った。事実、久路人にとってこの空間がどうなろうとどうでもよかった。その頭にあるのはたった一つのことだけだ。

 

「・・・・雫、僕は」

 

 先ほどの珠乃が言った言葉。

 

「僕は、僕は・・・・」

 

 もしもあの言葉が、自分こそが雫を正気でなくしているのが事実だとしたら・・・・

 

「僕は、どうすれば・・・・」

 

 答えを返してくれる者などいないことが分かりきった場所で、久路人がそう呟き・・・・

 

 

「幻炎」

「がぁっ!?」

 

 背後から放たれた炎が、久路人を吹き飛ばした。

 身体強化も、纏う鎧もない久路人に直撃し、その体を吹き飛ばして、したたかに地面に叩きつける。

 

「・・・な、なんで?」

 

 今までの消耗に、完全に不意を打たれた久路人は、そう問いかけることしかできなかった。しかし、先の独り言に応える者はいなかったが、この問いには返事をする者がいた。

 

「ふん、一番最初に言ったじゃろう?『見るは幻、聞くは虚言、動くはただ影ばかり』とな」

 

 久路人の背後にいつの間にか立っていたのは、先ほど灰になったはずの珠乃であった。だが、その体どころか服にも焦げ目一つない。まるでこのススキ原にたった今歩いてきたような、場違いを感じさせるような違和感。そして、久路人はその正体に気が付いた。姿を偽るのとは別の方向で騙す方法の一つ。

 

「分け身・・・」

 

 分け身の術。

 幻術と並んで九尾のような妖怪が得意とする自分の実体ある分身を作り出す術だった。

 

「今頃気付いたところで遅いわ。だがまあ、炎獄を切り裂いたのは驚いたのぅ。直接やりあっておれば、吾が負けた未来もあり得たかもしれぬ。まあ、吾が不利になるような勝負などそもそも乗らんがな」

 

 崩れかけていたススキ原が元に戻っていく。その崩壊すら演技だったのだろう。

 最初から、すべてが手のひらの上だった。

 幻の世界に誘い込み、虚言で久路人の心を乱し、分身を囮に影をもってとどめを刺す。

 例え最も得意とする幻術を封じられようと、神格に至った妖怪が、そう簡単に敗れるはずもない。

 

「ではな。年頃のおのこの心の動きは操りやすくて助かったぞ」

「くそ・・・・」

 

 久路人の目の前が暗くなっていく。だが、久路人の心の中にあるのは、先ほどから変わらない。

 

「しずく・・・」

 

 そうして、月宮久路人は意識を失った。

 




感想、評価お願いします!!
というか、感想はマジでお願いします!!平日にもちょこちょこ書いてくモチベ維持のために!!

ちなみに、次は雫回です。久路人とは別の内容で心折りに行く予定。


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前日譚 天花乱墜3

申し訳ありません。雫パートをここで全部書いてしまおうと思ったのですが、収まりきらなかったので分割して投稿します。それでも1万字越えちゃったけど・・・
書きたいことがたくさんあって、それを盛り込もうとして雪だるま式に増えていくという悪循環よ。


「ここは・・・」

 

 雫の目の前にあるのはアスファルトで舗装された車一台が通るのがやっとの道路だった。立ち並ぶ電柱には色の褪せた選挙候補のポスターが貼られ、やや汚れた家々の壁や苔の生えたブロック塀が、それらが昔からこの地に建っていたのだと物語っている。時刻は朝の7時過ぎだろうか。自転車に乗る高校生や並んで歩く小学生の姿も見える。

 そこはこの2年、最愛の少年にくっついて通う高校への通学路であった。

 

「ふむ・・・?」

 

 雫が自分の恰好を見てみると、いつもの白い着物ではなく高校の制服であった。秋のこの時期にはもう衣替えを済ませており、紺色のブレザーである。

 

「妾は・・・」

 

 なぜ自分はこんなところにいるのだろうか?

 

「・・・・・」

 

 頭の中にある情報がささやきかけてくる。

 そう、今は10月。もうすぐ修学旅行だ。昨日も高校に行って、班決めを行ったのだった。自分もクラスの一員として、恋人である少年と同じ班になった。「よっ、新婚旅行か?」「あの女に縁のなさそうだった月宮がなあ・・・ま、おめでとさん!!」「あの月宮にこんなカワイイ彼女がいたなんてな・・・」「ああ、まさか両刀だったとは」と祝福されたのだった。

 

「・・・・・」

 

 記憶は語る。

 そう、雫と彼は恋人だ。幼いころからずっと一緒だった彼は、雫が蛇であることなど欠片も気にしなかった。妖怪に襲われやすい彼を守り続ける中で、自分の退屈さと孤独をすっかり埋められた雫は、彼に恋をした。そして、人間と妖怪の差などまるでないかのように振る舞う少年も、傍にあり続けてくれる少女を憎からず想っていたのだ。少年と少女のじれったい関係は、ある時不意に転機を迎える。なんと雫達の住む街に、強大な妖怪が襲い掛かってきたのだ。だが、その妖怪を二人は力を合わせて打倒し、その中でお互いの想いを知り、結ばれたのだ。

 

「・・・・・」

 

 雫も想いが通じ合ったのを機に周囲にも姿を見せるようになり、「普通の女の子」のように過ごすようになった。街を救うことになった二人は保護者や友人も含め、周りから大いに祝福された。

 ちなみに今の月宮家には少年と雫しかいない。彼らの保護者は祝福を告げた後に他の妖怪たちを抑えるため、街を旅立っていった。あと数十年は帰ってこないだろう。あの家は、今や二人の愛の巣と言っていい。

 

「・・・・・」

 

 お互いを想い合う年頃の男女が一つ屋根の下にいるのだ。「そうなる」ことは当然の成り行きだった。最初のきっかけは何であったか。保護者の術具師が「祝い酒」と称して未成年にも関わらず酒を送ってきたことだったか。あるいは雫が風呂上りにいつものように自分の匂いを確かめてもらう際に、アクシデントで着物がはだけてしまったことだっただろうか。ともかく、酒で湯だった頭と、湯上りでほんのりと赤らんだ白い肌が、甘く誘うような香りが、慎ましくも美しい形をした双丘が、それを手で隠しつつも、反応を伺うような赤い瞳の上目遣いは、少年の理性の壁を壊すには十分だった。そして、そんな最愛の少年が向けてきた獣欲と愛情を拒むことなど雫にはありえなかった。そうして二人はその夜に晴れて文字通りの意味で「結ばれ」、繋がった。その日から、毎晩毎晩想いを確かめるように体を重ねた。そう、つい昨日も・・・

 

「・・・・・」

 

 そこで、雫は思考を打ち切った。その理由は二つ。

 

「雫」

 

 一つは、自分のすぐそばにいた「少年」が柔らかな口調で話しかけてきたからだ。自分に話しかけてくる者がいれば、意識が向くのは自然なことだろう。

 その黒目黒髪の少年は、どこにでもいそうな見た目ので、これまたありふれた学ランを着ていた。だが、まだ齢17とは思えないほどにどこか落ち着いた雰囲気がある。そして雫は、雫だけは知っている。その柔らかい目つきが、いざという時には刃のように鋭くなることを。窮地に立った時でも、自分が人間でない妖怪だと知っていても、決して見捨てずに体を張って守ってくれるナイトにして王子様であることを。

 そして、思考を止めた二つ目の理由も、その「少年」に由来する。

 

「雫・・・」

「失せろ」

 

 考えるのもおぞましくなるような記憶と胸の中からこみ上げるすさまじい不快感を糧にするかのように、その手に作り出した真っ赤な薙刀が振りぬかれ、こちらに手を伸ばそうとした「少年」の首が宙を舞う。

 

「馬鹿なっ!?」

 

驚愕する女の声とともに、世界にヒビが入った。

 

-----------

 

「虫唾が走る・・・!!!」

 

 その整った顔を忌々しそうにしかめながら、雫は辺りを改めて見回し、最後に己の手首を見た。そこに嵌まる腕輪は仄かな光を発し、やや熱い。その術具としての機能を発揮していた証拠である。

 

「やはり幻術か。気色の悪い真似をしおって・・!!」

「どういうことじゃ!?」

 

 紅葉の舞う深山の森に、その叫び声は響いた。辺りにはただただ森ばかりが広がっており、人の手が入った様子はない。原初の自然がそこにはあった。

雫はブレザーを白い着物に変えると、その袖から水鉄砲を取り出す。

 

「何故吾の幻術を破れた!?あの男の術具は吾を越えているというのか?模倣は完璧だったはずじゃ!?」

「模倣が完璧?あの程度で?はっ、貴様がどこの誰か知らんが、いや、確か葛原珠乃と言ったか?まあ、ともかくあんなお粗末な代物ではお里が知れるぞ」

「なんじゃと!?」

 

 声はすれど姿は見えず。

 だが、その慌てようから声の主が動揺しているのは誰でもわかることだろう。そんな相手に、雫は不快感に満ちた表情から、その顔に嘲笑を浮かべる。

 

「あんな漫画の安い実写映画のようなパチモンごときに騙されるか!!貴様は妾を本気で謀る気があるのか?実写映画を撮る時には金をかけて衣装とキャストに気を配り、余計な改変やオリキャラを入れないのが常識だろうが!!よもやあの木偶を久路人だとのたまうつもりではないだろうな!?」

「汝は何を言っている!?この吾の世界で展開した幻影が木偶だと!?」

 

 雫の言うことの意味がまるでわかっていないような声の主、否、珠乃に、雫は「やれやれ」と腹の立つような笑みを浮かべながら肩をすくめる。

 

「はんっ!!映画監督のセンスがまるでない貴様に教えてやろう。いいか?まず久路人は朝が弱いこの朝の時間の久路人は昼時に比べればややダウナーになっておるそれゆえに貴様の木偶より目付きの角度が2度低い加えて声音も貴様のものは高過ぎだしずく↑ではなくしずく~↓と若干下がるさらに言うなら肌の色も血行の鈍さで白さが増しておるのに貴様のは赤みが差していただろう他にも久路人はあれでズボラなところがあって学ランにシワがよく寄っているのにそれもなかったいや妾としては別にそういった欠点があることを責めているわけではないむしろそういう少し抜けたところがある方がかわいいし親しみやすいしお世話をする口実ができて大変によろしいのだがああ話がそれたが匂いも大事だな最近は朝にくっつくことが多いから久路人から妾の匂いが少し漂ってくるのだがそれがマーキングみたいで大変興奮するそれに引き換えあれはなんだ妾のマーキングがついていないどころか久路人の匂いに欠片も似ておらん本物のイチゴとかき氷のイチゴ味のシロップくらいの差があったぞいやすまんな細かいところばかり言ってしまったが要するにそもそも見た目も声も匂いもあらゆるものがあまりにお粗末すぎ再現度が低すぎだ!!」

「・・・・・」

 

 珠乃はそのあまりにもあんまりな内容の早口に何も言えなかった。その心の中にあるのはたった一つの感情。

 

(気色悪いのう、こやつ)

 

 惚れてるとか追っかけしてるとかそういうレベルではない。ストーカーの究極系か、好きが行き過ぎて設定がギッチギチに詰まったR18の夢小説を描くクラスのオタクである。しかも純愛厨でNTRとか見たら絵師に猛烈なクソリプで凸しに行くタイプだ。いろんな意味であまり関わり合いになりたくないタイプである。

 だが、珠乃の幻術を破ったのは事実だ。あまりの温度差に、珠乃の頭も冷え、現状の分析を始める。

 

(あの幻術避けの術具のおかげか?いや、霊力の消耗具合からアレに大した負荷はかかっていない。そうなれば、あの蛇本体の幻術や催眠への耐性が異常に高いのか。まさか本当にあのガキへの思慕が原因で?否、違う。あの蛇ではない。蛇に混ざりこんでいるあのガキの力か)

 

 高位の霊能者や妖怪は精神や記憶への干渉に耐性を有する。しかし、いくら耐性があるとはいえ、珠乃の箱庭と言っていい陣の中で、最も得意とする幻術が破られるのはおかしい。そして、雫の最も異質な点は、この2日間珠乃の鼻を刺激した悪臭だ。その悪臭は、二つの異なる力が混ざることによって生じるモノ。すなわち、混ざりこんでいる件の少年の血が幻術をレジストしたのだろう。それはあまりにも特異な力。

 

(吾の支配する世界でもそんな真似ができるのは、現世も常世も含めた、この世の偽らざる真理を見定める権利を有する者のみ。なるほど、あのガキに流れる力は・・・・)

 

「ともかくだ」

「む」

 

 珠乃のが自分のターゲットの正体に気付いたところで、長々と幻術の欠点を、辛口レヴューを描く映画評論家のごとく指摘していた雫はようやく話を変えた。その表情は話している間にもさらにフラストレーションが溜まっていたのか、眉間に深いしわが寄っていた。

 

「一時とはいえ、あんな紛い物と寝起きする記憶を見せられるとは不愉快極まる。それに、妾の体感で久路人から離れて10分は経っておる故、クロトニウムの欠乏も深刻だ。『久路人はどこだ?』などと聞きはせん。叩きのめして無理やりこの空間を解除させてやる!!」

「はっ!!囀るな蛇が!!一体どうやって・・」

「瀑布!!」

 

 ここは珠乃の支配する世界。その世界の中でどうやって術者を倒すというのか。

 大言壮語を吐く雫を鼻で笑う珠乃であったが、雫の回答はシンプルだった。雫の持つ水鉄砲から、凄まじい量の水が放たれ、周囲の紅葉を木の根ごと薙ぎ払う。いや、木々を押し流してもまだ止まらない。無限に水が湧き出る井戸の如く、とめどなく水があふれ続けていた。その水はただの水ではない。雫の豊富な霊力が込められた霊水とも言える水である。

 

「ちぃっ!!」

 

 自身の潜む影にまで霊力の奔流が届きかける。久路人の霊力が雷に近い性質を持つのに対し、雫の霊力は水に近い。霊力を知覚することができる存在にとって、雫の霊力に包まれることは溺死に繋がりかねない。たまらず珠乃は影の中から飛び出した。

 

「はっはっは!!なるほど、影に隠れていたか!!溺れずに済んでよかったなぁ!!」

「貴様ぁ!!!」

「京から聞いたことがある。陣は隔絶された一つの世界ではあるものの、無限の空間ではない。術者の霊力に応じた容量があるとな。このまま水に沈めてくれる!!」

 

 雫のやろうとしていることは単純だ。珠乃の天花乱墜という水槽の中に納まりきらないくらいの水を注いで溢れさせる。ただそれだけだ。陣は別の世界を作る術ではあるものの、その広さは有限である。雫から見るに、相手は幻術のような搦め手を得意とするタイプ。そういった輩は霊力の扱いは上手くともその量は少ないことが多い。逆に言うなら霊力の量が少ないからこそそういった搦め手を専門とするようになるといったところか。

 

「妾は霊力の量ならば自信がある!!出てきたのならば話が早い。この世界ごと貴様も沈め!!」

「この脳筋がぁ!!幻術で遊んでやろうと下手に出ればつけあがりおって!!」

 

 まさかこんな馬鹿正直な手で影から引きずり出されるとは。影から出てきたことで今までは触れてこなかった悪臭が鼻を突く。できる限りこの臭いから離れていたかったために隠れていたのに台無しであった。

 珠乃の顔が屈辱と嗅覚への爆撃で歪み、それまでのガイドの姿から、豪奢な着物を纏った金髪の姿に変わる。その背後には九本の狐の尾が揺れていた。

 

「九尾の狐か!!昔でも出くわしたことはなかったぞ!!ちょうどいい!!今の妾がどこまでの力を持っているか貴様で試してやろう!!」

「舐めるな蛇が!!くそ!!この吾がこんな正面から張り合うような真似をせねばならんとは・・・!!貴様、その皮を剥いで財布に・・・いや、こんな臭う皮なんぞ燃やしてくれる!!」

「・・・・よほど命がいらんようだな。だったら妾はその尾を引きちぎって襟巻にしてやる!!鉄砲水!!」

 

 雫は手に持った水鉄砲を向けて引き金を引くと、大木ほどの太さがある水流がまさしく鉄砲水のごとく珠乃に迫る。

 その水鉄砲は京と久路人謹製の術具、「蛇井戸」。とにかく大量の霊力を扱うことに特化しており、これを装備した雫は人化の術を使用した状態でも、元の大蛇と同等の規模の広範囲攻撃を行うことができる。久路人の血を10年に渡って取り込んだ雫の霊力は久路人には及ばないが、大妖怪として封印される前の量すら上回っている。さらに、蛇井戸と人化の術の影響で細かな制御も可能だ。珠乃に向けたセリフは決して大言壮語ではない。

 

「くっ!?この!!幻炎!!」

「妾に炎など効くか!!瀑布!!」

「この猪女が!!馬鹿の一つ覚えのように・・・!!」

 

 雫の放った激流を避けてお返しとばかりに幻術にかける炎を撃つも、再び周囲に無差別にあふれ出る濁流にあっという間に打ち消された。しかも幻術が効いている様子がない。

 

「九尾の狐と言えば、その最も得意とする術は幻術。しかし、その炎も妾には効かんようだな?」

「それで勝ったつもりか!!ここが吾の世界と言うのを忘れるな!!飯綱ぁ!!」

「雷など見飽きとるわ!!氷鏡!!砕けろ!!」

「くぅ・・・おのれぇ!!」

 

 珠乃が出した雷を氷の壁が阻む。さらに、壁は砕けると氷の礫となって珠乃に襲い掛かった。

 雫の言う通り、九尾の狐のメインウェポンは幻術だ。だが、その幻術は雫には効かない。雫としては、搦め手を無視できる以上、正面からの術の打ち合いに持ち込めば勝機はあるという考えだった。それは奇しくも同時刻、別の場所に飛ばされた久路人と同じ考え。しかし、霊力による肉体の損耗をほとんど気にしなくていい雫の方がより勝率は高い戦法だ。例え幻を見せられようと、その幻ごと巻き込む大規模攻撃は珠乃にとっても相性が悪い。だが、そこは珠乃の霊力で染められたフィールド。術の使用に関しては珠乃の方に一歩アドバンテージがある。それによって起きるのは・・・・

 

流氷(りゅうひょう)!!」

 

 人間の大人を上回る大きさの氷塊がいくつも浮かんだ大波が樹木が押し流され、今では完全に水底に沈んだ山肌をさらにえぐり取る。だが、珠乃は狐のごとく軽やかに跳びあがると、その氷を足場に激流を躱す。

 

「埋まれ!!狐塚(きつねづか)!!」

 

 反撃とばかりに、度重なる洪水によって湖となった場に島を作るように珠乃は巨大な土塊を落とす。その直下にはもちろん雫がいる。

 

「ならば腐れ!!紫霧(しぎり)!!」

 

 頭上に大質量の土塊が迫るも、雫に焦りはない。霊力を変換して生み出すのは、紫色の霧。その霧に触れた瞬間、土の塊はドロドロに溶解し、周囲の水気を吸い込んだ。

 

「お返しだ!!」

 

 毒気を含んだ土は水に支配され、濁流となって元の術者に返っていく。

 

「蛇らしく毒まで使うか!!だが、毒ならば吾も負けん!!狐毒ノ法(こどくのほう)!!」

 

 その濁流に真っ向から衝突するのは、毒々しい紫色の狐の群れ。だがその群れは走りながらもお互いを食らい合い、やがて一匹の巨大な狐の姿となり、両者はぶつかり合った。紫色の飛沫が辺りに飛び散り、湖を汚染する。

 

「水を汚そうと妾には無意味!!行けぇ!!紫大蛇(むらさきおろち)!!」

「迎え撃てぇ!!殺生石(せっしょうせき)

 

 湖が波打ったかと思えば、現れたのは高層ビルもかくやと言わんばかりの巨大な水の蛇。毒に染まった水のみを集めて固めた氷の牙を備え、その牙を突き立てるように大口を開けて珠乃を飲み込まんとするが、突如として出現した大岩が口に挟まり、動きが止まると口元から石化していく。やがて、湖にもろとも沈んでいった。

 

 

 繰り返される大技の応酬。水と氷が次々と現れ、それらを打ち消すように岩や土、果ては毒の塊までがぶつかり合う。狐の呼んだ風と雷が蛇の出した水と合わさり嵐となる。もはやそこに最初の山の面影はどこにもなく、海のごとく水平線の見える湖が広がり、かつての山頂が島となって点々と顔を出す。その島すら沈みそうになれば、頂きから溶岩が吹きあがり、陸地を増やす。それはまるで神話に語られるような光景であった。

 

 

-----------

 

 

「どうした。ここはお前の作った場所だろう?ほとんど水で埋まってしまったがな!!」

「この霊力デブがぁ・・・・!!」

 

 湖から本物の海のように一面が青に染まった世界。2体の化物はその波打つ青から少し高い空中に浮かびながら向かい合っていた。あれからも術の撃ち合いは続き、お互いに被弾もしたために服が少々痛んでるが、致命傷とは程遠い。だが、どちらが優勢かと言えば、それは眼下の海が物語っている。

 

(なんだこの蛇の霊力は・・・・底がないのか?何故吾が天花乱墜の中でこれほどまで拮抗している?)

 

 自身のアイデンティティともいえる陣。その陣を塗り替えるように満たす水は、その空間の支配者への叛逆の証だ。

 

(クソが!!陣の制御がブレる・・・!!奴の霊力に染まった水が増えすぎた)

 

 術の応酬の前に雫が言ってのけた作戦は、実のところ有効であった。もっとも、幻術を無効化できるほどの耐性と空間をパンクさせるほどの物体を生み出す霊力という高すぎる前提はあるが。

 

(吾との相性が悪い・・・!!幻術が効かず、影に入れば水攻め、分け身を使おうと分身ごと薙ぎ払う大規模無差別攻撃)

 

 それは雫にとって守るべき者がいないからこそできる戦い方でもある。久路人が傍に入たり、市街地でならばここまでの広範囲攻撃はできなかった。陣という空間が有利に働いたのは珠乃だけではなかったのだ。

 

(認めよう。相性はあれど、単純な力量ならばこの蛇は吾を上回っておる。陣を習得するための条件さえ満たせば、すぐに神格に至るであろうな。だが・・・)

「なんだ?黙りこくって?負けを認める気になったか?」

「・・・・・・」

 

 己の優勢を悟っているのか、饒舌な雫を見やる。事実、このまま続ければ雫がこの勝負を制するだろう。

 

「・・・そうじゃな。このまま続ければ吾の負けじゃろう。吾が霊力を損耗すれば、この陣も維持できなくなる」

「ふん、やけに素直ではないか。わかっているのならばさっさと降参したらどうだ?今なら楽に殺してやるぞ?」

「その前に一つ聞きたいことがある。お前とあのおのこに関わることじゃ。よいか?」

「・・・・言ってみろ」

 

 突然にしおらしくなった珠乃を見て、雫は不信感を持った。警戒心を高め、珠乃の一挙一動を注視する。何を企んでいるのか、何かの策の準備のつもりか。だが、久路人が関わることとなれば無視をするのも憚られた。そんな雫をよそに、珠乃は語り始めた。

 

「ならば言わせてもらおう。汝は、吾を倒したところで、その後どうするつもりなのじゃ?」

「何を言っておる?貴様を殺し、この空間を出たら帰るに決まっているだろう」

「そういう意味ではない。もっと長い目で見た話をしておる」

 

 いきなり何を言い出すのか。珠乃の意図が雫には理解できなかった。

 

「雫といったな?汝は、あの久路人というおのことの日常に戻ると言っておるのじゃな?」

「当たり前だろう?それの何がおかしい」

 

 それは雫にとって当たり前のことであり、最上の幸福だ。最愛の少年である久路人との何気ない日々。あの日常に戻れない結末など断じて認めない。

 

「そこに、人間と妖怪の壁があることを知っての上でか?」

「・・・・ああ。重々承知している」

 

 妖怪と人間との壁。それは能力であり、価値観であり、様々な要因がある。だが、そんなものは雫とて承知の上である。こんな話はもうすでに、水無月の名字を名乗ると決めた時に済ませている。その上で決めたのだ。それでも一歩ずつ前に進んでいこうと。そうして進んできたのだ。あの時から少しづつ。あれからずっと自分と久路人は親密になったと思う。人化したばかりのころは今ほど直接触れ合うことはなかった。スキンシップを、久路人は恥ずかしがることはあっても嫌がっていることはなかった。

 今の雫は確かな足跡の先に立っている。その自覚が雫にはあった。そうして、自分たちはその先に進むのだ。この先、もっと時間をかけて少しづつ。そうすればいつか・・・

 

「嘘をつくな」

 

 だが、そんな雫を、珠乃は否定する。

 

「何が重々承知しているだ。笑わせるな!!」

「・・・・貴様、そんなに早く死にたいか?」

 

 雫の周囲から、これまでとは別格の冷気が放たれる。眼下の海が見る見るうちに凍り付き、氷の大地が形作られていく。

 

「なんだ?もしかして自覚がないのか?この二日間汝を見てきたが、吾には一時の悦楽のためのお遊びに興じているようにしか見えなかったぞ?」

「死ね」

「狐影」

 

 次の瞬間、珠乃に襲い掛かったのは、無数の氷柱だった。空間に満ちる冷気が、足元の氷の地面が杭に形を変えて逃げ場を奪うように全方位から串刺しにせんと飛来する。しかし、珠乃は氷柱が届く前に足元の影に潜り込む。

 

「何だ?図星を突かれて怒ったか?」

「もう、貴様の話など聞くに値せん。疾く消えろ」

 

 雫の手に持った銃から、何度目かになる大波があふれ出す。その激流は氷の上を押し流し、影の中にも流れ込んでいくが、珠乃は出てこなかった。

 

「クフフ、あのガキが哀れじゃな。珍しく人間と妖怪の境を気にしない気質だというに、よもや信頼する傍仕えに弄ばれておるなど」

「妾を煽る前に自分の心配をしたらどうだ?貴様の肺活量がどのくらいか知らんが、いつまで水底でつぶれずに持つか見ものだな」

 

 今の状況において、有利なのは雫だ。珠乃は影の中に潜んでいるが、その中には雫の霊力が流れ込んでいる。恐らく影の中で結界でも張っているのだろうが、このまま雫が水量を増やしていけば結界を解くことも叶わず、酸欠か結界があまりの霊力に耐えきれずに崩壊するかのどちらかだ。

 

「おうおう、流石は男を手玉に取っているだけはあるの。大した悪女ぶりじゃ。本当にだまくらされているあのガキが可哀そう・・・」

「妾がいつ久路人を騙した!!」

 

 珠乃の言葉にとうとう雫の堪忍袋の緒が切れたのか、雫は激高した。それは雫にとってあまりにも否定せずにはいられない侮辱であった。雫にとって、久路人はすべてだ。京やメアも雫の中では一応、大事な家族のように思っているが、久路人は格が違う。極論、雫には明日久路人以外の人類が滅亡したところで別に構わない。久路人以外はどうでもいい。

 

 初めて自分を助けてくれた人。

 初めて無力な自分を守ってくれた人。

 初めて自分と友達になってくれた人。

 初めて自分の孤独と退屈を取り払ってくれた人。

 初めて自分に名前をくれた人。

 そして、それ故に、「私」が初めて恋をしてる人。

 

 文字に起こせばたったこれだけ。されど、その重みと想いは長い年月を孤独に生きてきた雫だからこそとても言葉にも文字にも表せない。そんな大切な想い人を、自分が騙すなど・・・

 

「我らから見ればほんの刹那の間のみ夢中にさせ、人間としてまっとうに生きる道を封じる。そして自身は別れの後も生き続け、新たな出会いを得る。向こうから見れば、騙された、遊ばれたと言われてもおかしくはないだろう?」

「何を言って・・・・」

「いい加減見ないふりはやめたらどうだ?」

「・・・・・」

 

 それまでのこちらを小馬鹿にするような口調から、言葉は一気に刃の如く鋭くなった。その圧に押され、思わず雫は口ごもる。

 

「汝が気付いていないというのならばいいだろう。かつての同じ道を通った先達としての情けだ。吾が教えてやる」

「・・・!!」

「例えここで吾を打ち倒して日常に戻れたとしても、そんな日常がいつまで続くと思っている!!」

「・・・やめろ」

「目をそらすな!!現実を見ろ!!汝とあのガキがともに歩める時間などどれだけ残っている!!」

「やめろ!!」

「人間と人外の『寿命の差』!!その壁があることを知りながら、どうして、この日々が永遠に続く、などという顔をしている!!」

「やめろと言っておろうがぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」

 

 それは、雫がずっと目をそらし続けていたこと。

 

 久路人の、人間の寿命。

 

 京から契約を持ちかけられた時には確かに言われた。

 

--それに、どんなに時間がかかっても、精々が百年程度の間だけだ--

 

--・・・・百年か。人間の寿命とは短いものだな--

 

 いつの頃からか、忘れていた。否、思い出さないように記憶の底に封じ込めた。

 人間と人外の寿命は驚くほど違う。人外にとっては人間の寿命などほんの少しの休暇程度だ。だからこそ、雫はその休暇にのめり込むようにしてみて見ぬふりをした。

 

「人間の中でも、異能者の中には我らと同じくらい長生きする者もいる。しかし、すべての異能者がそうではない。むしろその逆もいる。あのガキはまさにその典型だろうよ」

「・・・・」

 

 雫には何も言えなかった。思い当たる節がいくつもあった。

 訓練の後、体に傷が残ることが増えた。それは久路人の霊力が肉体の成長を超えて増幅しているためだ。本人にもコントロールできないような量のエネルギーは、その器を傷つける。

 雫とも互角に打ち合えるようになった。最初は護衛としての役割がいらなくなるかもと不安になったが、嬉しくもあった。それは、「久路人が自分と同じようなレベルに達した」と錯覚したからだ。だが、すぐにその気持ちは消えた。久路人が強くなったのは、単純に肉体が成長したから。しかし、それは不可逆の劣化だ。一度とった年は戻らない。今はいい。けれども、今から10年後は?20年後は?久路人はどんどん老いていく。妖怪の自分を置き去りにして。

 加齢によって肉体は衰え、そこを霊力による重圧に晒される。その結果、訪れるのは・・・

 

「いつか必ず訪れる、永遠の別れ」

 

 珠乃が、その答えを口にした。

 

「その結末を知りながら、我らの道に無理やり付き従わせることが、弄ぶことと何の違いがある」

 

 それは、珠乃の本心だった。

 

「いつか必ず別れが来るのならば、お互いに悲しい想いをするのならば、傷は浅い方がいい。むしろ、最初から出会わなければよかった。ここを出たところで、その結果は変わらぬ」

 

 その声音は穏やかだった。まるで後輩に優しく諭すように。「自分と同じ道を歩むことはない」という想いを込めて。だが・・・

 

「ふざけるな!!」

 

 雫は、その慈悲を跳ねのけた。

 

「さっきから聞いておれば、ゴチャゴチャと勝手に妾たちの進む道に口を出しおって!!それを決めるのは妾たちだ!!まさか、ここで貴様に大人しく殺されるのが正しいなどと言うとでも思ったか!!」

 

 珠乃の言うことは、彼女にとっては正しいのかもしれない。だが、それは珠乃個人の話に過ぎない。

 そのために自分から命を捨てろなどという話に、納得しろという方が無理な話だ。

 

「妾は、久路人と出会ったことを、久路人に恋したことを絶対に後悔などせぬ!!ああ、そうだ!!妾と久路人の寿命は違う。だが、妾は最期まで久路人に付いていく!!久路人が死ぬというのならば、妾もそこで死んでやる!!妾自身の意志でな!!断じて、貴様の言うことになど従うものか!!」

 

 先のセリフが珠乃の本心ならば、これは雫の魂の叫びだった。一種の開き直りでもある。雫にとっては、久路人がすべて。その久路人がいない世界など、到底耐えられるものではない。その時が来たのならば、喜んで命を捨ててやるつもりだった。

 

-----------

 

「・・・・鏡写しとは、こういうことを言うのかの」

 

 雫の決意を聞いて、影の中の珠乃は過去の自分を幻視する。

 ああ、自分もかつてはああだった。最愛の男に死んでもなお追いすがると決めていた。覚悟もしていた。だが、それも叶わなかった。

 

--生きて--

 

(そんな風に言われては、生きるほかないじゃろうに。本当に、ひどい男に惚れてしまった)

 

 それは、恋人から珠乃に刻まれた呪い。

 彼は死の間際に、自分の恋人にそう願った。だから彼女は生き続けた。生きて生きて、いつしかその執念の燃料には・・・

 

(そして、吾は今まで生き続けた。晴のいない、この地獄と変わらん世界を。だからこそ、吾はこの世界に復讐する!!)

 

 珠乃の眼にどす黒い炎が宿る。

 珠乃をここまで生かし続けたモノ。どんなに手を、身を汚すことになろうと、生に食らいつかせたモノ。

 それは復讐。かつて自分たちに襲い掛かった、この世の理不尽への怨嗟。

 

(故に、吾自身が理不尽の権化に成り下がろうと、止まりはせぬ!!)

 

 自らが、蛇とそのつがいの仲を裂くことになるのは承知している。そこに、罪悪感がないとは言わない。かつての自分が今の自分を見たら、果たして何と言うだろうか。けれども、それでも珠乃は止まらない。罪悪感は黒い衝動にしぶきの如く砕かれる。恋人の願いとこの世への恨み。それに加えて・・・

 

(かつての吾が歩めなかった道を往く者など、認められるものか!!!)

 

 過去の自分たちが行くはずだった道を進もうとしている者たちが、妬ましくてしょうがなかった。

 それらは、珠乃を突き動かす。どこまでも邪悪な智謀を生み出し、残忍な畜生に変貌させた。

 

(必ず、必ず、吾は成し遂げる!!)

 

 すでにあの蛇の心は乱れ始めている。後は、その隙を広げ、そこに食らいつくだけだ。

 影の中で、珠乃は霊力を研ぎ澄ませる。

 

(晴。お前に重荷を背負わせたこの世界も、人間も、すべて吾が壊してやる!!)

 

 そのはるか過去に、想いを馳せながら。

 




次回、過去編+雫パート後半。


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前日譚 天花乱墜~夜空の霹靂

遅くなって申し訳ありません。
過去編だけを投稿するのもどうかと思って雫パートまで仕上げたのですが、凄まじい量に・・・・お読みいただければ幸いです。

そして、皆さんよいお年を!!


 それは、今よりはるか昔。

 それは海の外で魔人が魔竜を打ち倒すよりも前、今では現世のほとんどを覆いつくす忘却界が作られるよりも前のことであった。

 現世と常世は分かたれてはいたものの、その境目である狭間には現代よりもずっと多くの穴が空いていた。様々な魑魅魍魎が常世から現世に渡って狼藉を働き、人間は彼らに怯えつつ、その身に異能を宿す者たちにすがって生きていた。現代よりも現世に満ちる瘴気が濃く、異能者もそれなりの数がおり、その技量も実戦によって洗練された者たちが各地にいたために妖怪と人間の均衡がかろうじて拮抗していた、そんな時代。

 

 ある日の夕暮れ、一匹の狐が常世から現世に逃げてきた。

 

-----------

 

「はあっはあっはあっ・・・・」

 

 夕暮れの山の中、一人の女が獣道を這うようにして歩いていた。なぜ這うようにしているかと言えば、その体が傷だらけだからだ。まるで何か大きな物がぶつかったかのように、片方の腕が完全に潰れ、着物には鋭利な刃物で斬られたような跡がいくつもつき、深い傷跡からは止めどなく血が溢れている。元は綺麗な模様のある高価そうな着物であったのだろうが、今や完全にぼろきれと化していた。さらには、片足も土踏まずから5本の指に至るまでの範囲がスッパリとなくなっていた。着物のように、かなりの業物に斬られたのだと誰でも分かることだろう。その整った顔には脂汗が滴り、ふんわりとした金髪にも泥と血が塗りたくったかのように付いていた。

 

「はあっ・・・なんとか、逃げ切ったか・・・」

 

 思わず目をそむけたくなるようなひどい有様だが、その時代は妖怪も多く、また人間の治安もよいとはいえなかったため、怪我人がふらふらしていることそのものはそんなに珍しいことではない。さすがに女ほどの重症の者はそうそういないものの、それはままある光景であった。この時代に道行く怪我人にかまうほど余裕のあるものなど中々おらず、そもそも女のいる山の中は夕暮れということもあって人気が無い。明日の朝には山の中に死体が一つ増え、そのうちに獣か妖怪に食われ無くなる。そんなありふれた末路をこの女も辿るのだろうと思われたが、常人ならば一歩も進むことができなくてもおかしくないほどの怪我であるのに、女は一向に止まる気配がない。それもそのはずだ。

 

「くぅ・・!!」

 

 女は憎々し気に表情を歪めながら傷ついた体に鞭を撃ち打って歩く。その背後に生える5本の狐の尾を揺らしながら。

 

「常世には・・・しばらく戻れんな。現世でなんとか体を癒さねば・・・・」

 

 常世からやって来る者に、まともなモノはいない。そこからやって来る者は、皆、人の理から外れたモノたちだ。そして女もまたそうした人外の一体であり、生き抜くための力を高めるために修行を積んでいた狐の妖怪であった。

 

「くそっ・・・あの鬼女めぇ・・!!」

 

 なぜそんな彼女、狐がこのような傷を負っているのか?それは常世における上位者の趣味によるものだ。狐が戦った、もとい逃げ回っていた妖怪は常世の中でも指折りの戦闘狂であり、誰彼構わず襲い掛かるような動く災害であった。格下である狐にもかの妖怪は嬉々として拳と武器を振るい、その命を散らそうとしてきたのである。狐は得意の幻術や分け身を使ってどうにかこうにか近くにあった中規模の穴に飛び込んで現世に逃げてきたのだ。不幸中の幸いとも言おうか、相手が狐よりもはるかに格上だったおかげで中程度の穴を通り抜けることができなかったようである。

 

「さすがに、これ以上はきついかの・・・」

 

 ひたすらに歩いていた狐は、大木にもたれて座り込んだ。妖怪といえど、それほどの大怪我を負いながら進むのは厳しかったのだろう。その表情は疲れ切り、今にも気を失いそうであった。

 

「吾も、ここまでか・・・」

 

 現世といえど、その時代は各地に多数の穴が空いている時代だ。体力も霊力も底をついた状態で、血の臭いを漂わせながら道端で倒れ込んでしまえば、ほぼ命の保証はない。そんじょそこらにいる妖怪の餌になるのは確定である。現に、狐の優れた感覚は、血の臭いに惹かれた妖怪が近くにいることに気づいていた。

 

「ああ、生き残るために力を求めたのに、その半ばで終わるとは。これならば、ただの獣のまま死んでいた方がマシだったかの・・・」

 

 狐は元々はただの獣だった。ただ、素養があったのか、穴から現世に満ちる瘴気を浴び続けたことで霊力と知性を得たのである。一度知性と理性を手にしてしまえば、途端に死ぬのが怖くなった。そうして、現世や常世の各地を巡りながら力を蓄えていたのだが、それがこのようなところで終るとなれば、ひたすらに虚しかった。

 

「吾は、何のために生きてきたのだろうな・・・」

「グルルルルル・・・・」

 

 独り言をつぶやくも、返ってきたのはガサリと茂みを揺らして現れた二つの首を持つ狼の唸り声だけだ。

 力を得たのは生き残るため。では、生き残ったら何をしたかったのだろう?まさか、この雑魚妖怪の胃袋に収まるためではあるまい。死の間際だからこそ、そんな疑問が湧いて来るも答えはでなかった。それがわからないことが悲しかった。

 

「吾は、吾は・・・・」

「グガアアアアアアアアア!!」

 

 狼が地を蹴って飛び掛かって来る。さて、二つの首のどちらが先に届くだろうか。狐はなぜか不思議と落ち着いた気分だった。だからこそ、「自分の生きてきた理由」という、自分の中にあるかどうかもわからない答えを絞り出そうとする。死を前にしながらも、最後の力をつぎ込んで声を・・・

 

「刺せ、『百舌の早贄』」

「ギャオオアアアアアアア!?」

「吾、は・・?」

 

 声を出そうとしたところで、自分の知らない声音がした。同時に、近くの木の枝が槍のように尖ったかと思えば、狼はまるで鳥の保存食のごとく串刺しになっていた。

 

「ふう、間に合ったぁ・・・・なあ、狐のねーちゃん、薬はいるか?」

「・・・・最後に見るのが、人間、とはな。まさか、人間に、助けられる・・・とは」

「あっ!?おーい!!目を閉じるな!!死ぬぞぉ!!」

 

 もしかしたらこれは噂に聞く走馬灯というやつかもしれない。それか、あまりの辛さに知らず知らずうちに自分に幻術でもかけたのだろうか?まさか自分が化かされるとは、最後に奇妙な体験ができた。

 そんなことを想いながら、慌てたような男の声を尻目に狐の意識は闇に沈んでいった。

 

-----------

 

 パチパチと火の爆ぜる音がする。

 

「・・・ん?」

 

 耳に小刻みに届く音が、狐を起こした。

 

「・・・ここは?吾は?」

 

 体に走る痛みは鈍くなっており、頭もぼんやりとしていて定かではない。辺りを見回すと、そこはどうやらどこかの家の中のようだった。板張りの床の上には草を編んで作った敷物が敷かれ、さらに自分はその上にある布団の中に寝かされていた。どうやらあの世というのはずいぶんと庶民的なところのようだ。

 

「ここがあの世か。思ったより普通のところよな」

「人の家を死後の世界呼ばわりしてんじゃねーよ。オレは閻魔様か?」

「!?」

 

 ぽつりと呟いた独り言に返事があった。

 

「おお。さすがは妖怪。怪我大分治ってんじゃん。いや、ダメもとで前作った試作品のおかげか?蛇やら蜥蜴やらぶち込みまくったお遊びで作ったやつだったんだがな~」

 

 ぎょっとした顔で狐が声のした方を向くと、ちょうど部屋の入口から男が湯気の立った盆を運んできたところだった。匂いからして粥だろうか。

 

「まあいいや。これ食うか?」

「・・・・・汝は」

 

 整ってはいるが、青白い顔をした男であった。年のころは20には届かないくらいだろうか。そこいらの村民が着るような粗末な服よりは少し上等な着物を着ており、背こそ高いが、袖から覗く腕は枯れ木かと思うほど細く弱弱しい。後ろで束ねた緑がかった黒髪も艶がなく、萎れた蔦のようにゆらゆらとしいる。だが、その目と声には不思議な活気に満ちていた。

 

「オレか?オレは晴。この村で薬師やってる。お前は?っていうか、これ食うの?食わないの?」

「吾は・・・吾に名前はない」

「へ~、そうなんだ。で、これ食う?オレとしてはそろそろ腕が限界なんだけど」

「・・・・一度床に置けばいいのではないか」

「あっ、そっか・・・・」

 

 晴と名乗った若者はそこでプルプルと震える腕で盆を布団の近くの床に下した。そこで、晴もドカッとあぐらをかく。

 

「ふぅ~。きつかった。オレってばこれでも昔は都住みだったから、体力ないんだよね~」

「・・・・・」

 

 やれやれと困ったように半笑いする晴に、狐は何も答えない。その目は冷たく晴を見据えていた。

 

「で、食べ・・・」

『なぜ吾をここに連れてきた?』

 

 なぜか執拗に粥を勧めてくる晴を無視して、狐はその声に霊力を乗せて、気になったことを聞くフリをして術を使う。狐の力がこもった声もまた幻術の一種となり、問いかけられた者の意識を混濁させ、真実を自白させる。今回は質問をしたいこともあるが、それ以上に意識を奪いたかった。未だに尻尾の数は5本と言えど、格はそろそろ大穴でなければ通れなくなるほどには高い狐の術だ。生半可な術者であれば抵抗する間もなくハマるのだが・・・

 

「言ったじゃん?オレ薬師だし。怪我人は客っていうか?あと、弱ってるのに無理して術使うなよ」

(やはり効果がないか。こやつ、相当な手練れの術師だ)

 

 晴は特に術にかかった様子もなく答えてみせた。だがそれは狐にも予想できたことでもある。近くにいるから分かるが、晴からはかなり強力な霊力を感じる。気を失う前に見た術から判断しても、間違いなく自分よりも格上だ。幻術も弾かれてしまっている。

 

「そうか、ならば尻尾を一本くれてやるから吾を見逃せ。傷もここまで治れば十分。薬代くらいにはなるだろう」

「いやいや、そんなもん渡されても困るって。確かにアンタに用があったから助けたけど、尻尾は別に・・・いや、結構触り心地よさそうだから後で触らせてください」

(・・・もしかすれば、あそこで死んだ方がマシな目にあうかもしれんな。まさか吾よりも上手の術師に捕まるとは。薬の材料にでもする気か?尻尾一本程度では足らんようなことをする気か?)

 

 どこかズレたような返答をする晴を見やりながらも、狐の頭はスッと冷めていった。元より体力も霊力も大して回復していない。その上で頼みの幻術も効かないのならばもうどうにもならない。一種の諦めの境地である。

 

「・・・目的を教えろ。尻尾を触らせるぐらいならいくらでも触って構わん。だからせめて一思いに・・」

「じゃあ、オレの嫁になって下さい!!」

「・・・・は?」

 

 もはやどうにでもなれと投げやりに問いかけた狐に、理解不能な答えが返ってきた。

 

「今、何と言った?」

「結婚してください!!」

「・・・・正気か?」

 

 狐は目の前の男の目を見てそう言う。もしかしたら自分の勘違いで、実はしっかり術にかかっているのだろうかと思うが、その目は濁った様子もなくキラキラと輝いている。

 

「正気も正気・・・いや、ねーちゃんの色香、恋の病に侵されているから正気ではないのか?オレは今、正気なのか?そもそも正気のオレとは一体?」

「・・・・・」

 

 どういう思考回路をしているのか、いつの間にか哲学的なことを考え出した晴を気味の悪いものを見るような目で狐は見る。細やかな幻術の扱いを身につける過程で人化の術を、さらには半妖体を、ひいては人間の表情を観察する技術を身に着けた狐には分かることがあった。

 

(こやつ、正気だ。素面で言っておる)

 

 妖怪やら人外が発する霊力は人間の精神にとって毒だ。それらは妖怪への恐怖と嫌悪をもたらし、同格以上であっても完全に消し去ることはできない。さらには現代よりも妖怪の脅威が身近な時代だ。妖怪と人間の仲は最悪といっていい状況である。まあ、狐は何かを襲って敵を作ることよりもひたすら逃げ回って危険を避ける性格だったために人間に危害を加えたことはなかったが。

 

「ともかく、オレはあんたに一目ぼれしちゃったわけよ。そろそろオレもこんな年だし、人肌も恋しいしっていう感じで」

「・・・吾は妖怪だぞ」

「え~。でもあんたくらい綺麗な女なんてそうはいないし・・・・胸もでかいし(ボソッ)」

「・・・・・」

「と、ともかく、オレは昔から妖怪だの人間だのあんま気にしない方なんだよ。人間だってお世辞にもお上品な奴らばっかなんて言えないし。それなら妖怪を嫁に選んでも大して変わんないって。少なくともあんたくらいの別嬪を妖怪だから諦めるなんて勿体ない真似できない!!」

 

 だが、目の前の男は非常に珍しい例外のようであった。その目は半妖化した狐の豊かな胸部を穴の開くような目で見ており、生理的嫌悪感から狐が胸を手で隠しつつ視線の温度を下げると、晴は慌てたようにまくし立てる。だが、チラチラと未練がましく、ぎらついた眼を隠しきれていなかった。そんな晴に呆れたようにため息をつく。

 しかし、晴の話は狐にとって中々悪くない話だ。

 

「わかった。汝の嫁になるということは、手荒な真似はせんということだな?ならば・・・」

「あ~!!ちょっと待った!!そういうのじゃないって!!それならいいよ!!悪かった!!」

「何?」

「いや、どこかの賊じゃないんだから、そんな交換条件で嫁になってもらうとか後味悪いじゃん。それに、そうでなくたってあんたはオレが拾った客なんだし、途中で放り出すようなことしねぇよ。オレはこれでも気遣いのできる男なんだぜ」

「・・・・そんなだから童貞なんじゃぞ」

「ど、童貞とちゃうわ!!」

 

 どうやらこの晴と言う男は妖怪と人間の違いを気にしないばかりか、ずいぶんとお人よしらしい。それはその時代においてどれほど珍しいことか。現代まで見渡しても同じような人間は数える程だろう。

 

「まあでも、あんたが身の安全を守りたいって言うんならさ、契約を結ばないか?」

「契約だと?」

「そう。オレはあんたに手を出さないし、他の連中にもアンタのことは言わない。その代わり、アンタは怪我が治ったらオレの仕事の手伝いをして欲しい。オレの代わりに薬の材料採りに行くとかそういう感じで。実を言うと仕事の弟子とかそんな感じのやつも欲しかったんだよね。昨日アンタを見つけたのも薬草採りに行ってたからなんだけど、採ってすぐに加工しなきゃいけないのは式神には無理でさぁ」

「ふむ」

 

 なるほどと、狐は合点がいった。結婚云々も本気のようだったが、主な目的はこちらだったのだろう。狐が密かに耳をそばだてるも、この家に晴以外の人間の気配はない。この病弱そうな男からすれば人では多い方がいいということか。

 

(吾としても未だに傷は癒えておらず、どこかで落ち着いて休む必要がある。それに、この男が本当に吾に、その、あれだ。こ、好意を持っているというのならば、身の安全に利用できるやもしれぬ。体は弱そうだが、霊力はすさまじいものがある。吾より強いのは間違いない)

 

 狐はそんな打算を組み上げると、晴の提案を受け入れることにした。

 

「わかった。ならば受けよう。無論、細かいところは詰めさせてもらうがな」

「本当か!?いやいや、面倒だから大体そっちで決めちゃっていいぜ!!アンタみたいな別嬪が仕事手伝ってくれるってだけで元は十分取れ・・・・グフッゥ!!」

「なっ!?お、おい!!大丈夫か!?」

 

 話がまとまったところで、晴が口を手で押さえたかと思えば、強く咳き込んだのだ。その手からは赤い液体が滴っている。

 

「ゴフッ!!、ゲホッ!!・・・ちょ、そこのお椀、取って・・・」

「わ、わかった!!ほれ!!」

「ケホッ!!・・・・あ~出したわ。助かったぜ・・・・薬飲まねぇと。あ、そうだ。ほれ、これアンタ用の薬粥。病人はちゃんと薬飲まないとダメだぜ」

「お前に言われたくないわ!!!というか、そんな病気になりそうな真っ赤な粥なんぞ食う気がするか!!」

 

 懐から取り出した丸薬をかみ砕きつつ、自分の喀血がふんだんに入った椀を臆することなく差し出してきた晴に、自分の怪我も忘れて狐は大声で突っ込んだ。

 

 

-----------

 

「なあ、珠乃。その干物取って」

「ああ、このイモリの干物か」

「そうそう」

 

 2年が経った。

 晴の屋敷の一室。壁をすべて埋めるように棚が置かれ、その棚にはこれまた隙間なく壺やら何かの干物の束やらが並べられている。

 狐、否、珠乃がイモリの干物を渡すと、晴はその非力な腕を動かして乳棒を動かして他の薬草とすり潰す。身体強化系の術を使用しているようで、干物はあっという間に粉々になった。

 

「・・・・」

「ん?どうした珠乃?じっと見て。惚れた?」

「たわけ。そんなわけがあるか。ただ、吾に名前が付き、それを自然と受け入れていたな、とな」

「あ~」

 

 珠乃という名前を付けたのは晴だ。「名前がないのは呼びにくい」という至極もっともな理由で、過去にいたという狐の大妖怪の名をもじったものらしい。特に反対する理由もなかったが、どうやら自然と自分の名前だと認識していたらしい。ちなみに、最初に名前の由来を言う際に、「胸にでかい玉が二つついてるから」と晴が口走ったが、「そうか。ならばお前の股についてる玉は吾の名と被るから潰してやろう。これからは玉なしと名乗るがいい」と返され顔色の悪い顔をさらに青くして本当の由来を説明した。

 

「名前、気に入らなかった?」

「そんなわけがない。気に入らねば撤回させておる。ただ、なんとなく感慨深く思っただけじゃ」

「そっか。まあ、昔のお前はなんかピリピリしてたしな。なんか丸くなったんじゃね?珠乃だけに」

「別にうまくないぞ」

「いや、今のはいろんな意味があってな?お前、ここにきてから結構いろんなもの食ってるから、腹の肉が・・・・」

「ふん!!」

「おぶぅ!?」

 

 妙なことを口走った晴の頭をそこそこ力を出してはたく。晴はすり鉢に顔を突っ込みかけた。

 

「汝、いい加減女心を考えよと言ったじゃろうが。しかもつまらんぞ」

「いや、悪いわる、ゴフッ!?」

「む!!いつもの発作か。ほれ」

「ゴフッ、ゴハッ・・・・・・悪い、助かったわ」

 

 晴が突然咳き込んだかと思えば、血を吐いた。しかし、最初のころは驚いていた珠乃も慣れたものだ。丸薬を取り出すと晴に飲ませる。

 

「しかし、汝の発作は治らんのぉ」

「なんか生まれつきなんだよね。昔はそこまでひどくはなかったんだが、数年前くらいから血が出るようになってさ。薬師になってなきゃ死んでたね」

 

 晴は生まれつき体が弱かったらしい。晴は元々都の帝に仕える霊能者の一族の直系だったようなのだが、どういうわけか他の兄たちよりも何倍も強い力を持って生まれてきたために、その霊力のせいで体が痛めつけられているとは本人の弁だ。おかげで植物を媒介としなければ霊力が暴走してろくに術も使えないらしい。ややこしいことに、晴は直系とはいえ当主とその愛妾の子らしく、そんな卑しい身分の者が他の有力な霊能者一族から迎えた妻との子どもよりも強い力を持ってしまったことで、色々と面倒ごとが多かったとか。そこで、晴の母は晴を連れて田舎に離れようと考えて今のところに移り住んだ。そして、子供のために薬学と医学を学び、そんな母を見て、晴も母を支えるため、そしてゆくゆくは自分のために術の修行をこなしつつ薬師になった。幸いというべきか、当主が晴の母に向ける愛情は確かなモノだったようで、資金や住居、医学書などは惜しみなく支援してくれた。都からはずいぶんと離れているのだが、年に一回はわざわざ会いに来るほどだった。その時は晴の母も嬉しそうな顔をしていたというから、その愛は一方通行ではなかったのだろう。そんな晴の母は珠乃が来る一年ほど前に事故で亡くなり、父である当主もほどなくして後を追うように死んだ。それからは支援もなくなったが、しっかりと生活の基盤を築いていた晴は問題なく独り立ちできていた。

 

「しかし、珠乃がいてくれて本当に助かったわ。一人だと薬飲むまでに結構かかるんだよね」

「まあ、ここでの生活はなかなかに安定しておって、吾としても悪くないからの。汝にいなくなってしまってもらえば困る」

「え?何それ?遠回しな愛の告白?」

「・・・汝、頭の方も病気か?」

『ごめんくださ~い!!先生はいますか~?』

「お、客だ。珠乃、診察部屋に通して軽く診といて。少ししたら行くわ」

「うむ」

 

 他愛のない会話をしていると、村人が来た。また病人か怪我人でも出たのだろう。村には晴が結界を張っているために、妖怪の襲撃は防げており、平和だ。そして、珠乃は契約のこともあって薬師見習いとして修行しており、村人の簡単な診察も行えるようになっていた。おかげで村人の仲はそれなりによい。人化の術を使い、霊力を抑えているのは当然だが、晴が良い関係を築いていたのが大きいだろう。まあ、男の患者が来た時には発作がきつくても晴が対応するくらいに何やら警戒していたが。

 

(そんなに不安がらずとも、吾は・・・って、何を考えておる!!妖怪が人間となど、あり得るはずがなかろう!!)

 

 廊下を歩く際中、珠乃は妙なことを考えてしまい、なぜか火照った顔をピシャリと両手ではたいた。

 

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 さらに一年経った。

 

「おお、珠乃、また尻尾増えてんじゃん」

「うむ!!これで吾の安全はさらに高まったな!!」

「いや~。オレもなんか感慨深いね。これ、間違いなくオレが作った薬のおかげじゃん?」

「薬というよりは、汝の血じゃろうな。まさかこんな形で役に立つとはの」

 

 珠乃は7本になった己の尾を見つつ嬉しそうにしていた。だが、それが晴の薬のおかげだというのが若干複雑であった。それというのも・・・

 

「汝のための試作品を吾で試すというのはまあよかったが、時折混じっていた赤いのが汝の血だったとはな」

「悪い悪い。調合やってる時に血が混じっちゃってさ。あれ?でも珠乃がオレの体液を取り込んで強くなるって、こう、なんか不思議な興奮が・・・・」

「気色の悪いことを言うでないわ!!」

「あっはっは。悪い悪い。ほれ、新しい試作品」

 

 晴は自分の体調の維持のために薬を調合するのだが、その試作品にもたびたび改良を加えていた。しかし、そのうちに「万が一があっては困る」と珠乃が実験台を請け負うようになったのだ。晴は常世との穴の近くに生える霊力を帯びた霊草にこれまた穴の近くにいる妖怪となる前の生物を材料として使用しており、最近は珠乃がそれらを採りにも行っていた。しかし、それらの調合中に晴の霊力に満ちた血が混入することが頻発し、珠乃も晴の血を度々取り入れ、霊力の格を上げることになった。それが今までを過酷な生存競争で力を高めていた珠乃を何とも言えない気分にさせるのである。加えて最近はそこらの妖怪たちが「クサイ!!」と言って離れていくのも気になっていた。

 

(改めてそう言われると、薬が飲みにくくなるであろうが!!まったく晴のやつめ!!・・・そう、これは晴の試作品を試すのと吾が力を高めるだけのもの!!断じて妙な意味はない!!決して晴の血を飲むことに興奮など・・・・・はっ!?)

「ん?どうした?」

「な、なんでもない!!飲むぞ!!・・・・味は普通だな。体に違和感もない」

「そっか。ならあともう少し様子みて、そいつを叩き台にして作る・・・・ゴフッ」

「ほれ、薬」

「うう・・・スマン」

 

 最近になって、晴の発作の頻度が少し上がっていた。晴の中の霊力が未だに高まり続けているのもあるのだろう。霊草には高ぶった霊力を鎮静させる効果を持つものもあり、今はそうした草を材料にした薬で持ちこたえているが・・・・

 

「おい晴、少し横になったらどうだ?」

「え~。でもまだ調合しときたいのあるし」

「それは後で吾がやっておく。今は少し休め。吾の膝を貸してやる」

「・・・・本当ですか?」

「何故敬語になる?というか、懐を探って財布を出そうとするのをやめろ。金など取らんわ」

「あの、ボク初めてなんで優しくお願いします」

「・・・・気持ち悪(ボソっ)」

「ちょっと聞こえるぐらいの小声でそう言うの止めて!!」

 

 会話をしている内に、珠乃は自分が何を考えようとしていたか忘れていた。

 

-----------

 

 さらに一年が経った。

 

「ゴホッゴホッ・・・珠乃、そっちの薬草取って・・・」

「おい、晴。頑張るのはいいが根を詰めすぎだ。少し抑えろ。その薬の調合は吾にもできる」

「あ~。そうかな。ならちっと休むわ・・・・・まったく、妖怪もいるってのに人間同士で戦なんぞやってんじゃねぇっての。薬が売れるのはありがたいけどさ」

「まったくじゃな・・・」

 

 晴のいる村は山深いところで戦火とは無縁であったが、薬師として有能な晴には行商人やら近くの豪農やらなにやらから依頼がひっきりなしに来た。つい先日には使いではなく直接格のある家の者がやってきて晴を無理やりにでも引っ張り出そうとしてきたほどだ。当然、その者は珠乃の手にかかり、今では虫も殺せぬくらい臆病な性格に捻じ曲げられていたが。ともかく、当時の現世は乱世だった。妖怪が人を襲い、病がはびこり飢饉が起きた。妖怪に怯える暮らしは人の心を蝕み、恐怖と飢えが獣性を煽る。そうして安全と明日への糧を得るために人間同士の不毛な争いが各地で巻き起こっていた。

 

「じゃあ、珠乃、膝」

「わかったわかった・・・・おい、うつ伏せになろうとするな。どこの匂いを嗅ぐつもりじゃ」

「え~、しょうがねえな。じゃあ下からその二つの山を見上げるとしようかね」

「壁の方を向け!!壁を」

「ちぇ~」

 

 晴の軽い体が、床の敷物の上に横たわり、頭は珠乃の膝に乗った。いつの頃からか、晴が休むときはこうするのが当たり前になっていた。

 

「ケホッケホッ・・・」

「晴。本当に大丈夫か?最近とみに顔色が悪いのじゃ」

「ゴホッゴホッ・・・あ~確かに最近は働きずめだしな。あ!!でも元気になる方法一個あったわ!!」

「・・・・一応聞いてやる。どんな方法だ?」

「いやね、珠乃さんがお薬を口移しで飲ませてくれたらね。そりゃあ元気になりますよ。そりゃもういろんなとこが」

「そんな減らず口を叩けるのなら大丈夫そうじゃな」

「え~!!そこは『しょうがないのぉ』って言いながらやってくれるとこじゃ・・・うぐっ!?ガハァッ!?」

「晴!?」

 

 そこで、晴が大きく咳き込んだ。床に赤い液体が広がる。

 

「はあはあ・・・・ゴフッゴハッ・・・やべ、息・・・カフッ!?」

 

 顔色が悪い。額からはいつの間にか大粒の汗がにじんでいた。それを見た珠乃に迷いはなかった。

 

 

―チュゥと二人の唇が重なった。

 

「・・・・ふぅ、って、あれ・・・珠乃さん?今・・・・」

「汝の言ったことが嘘でなければ、それで元気になるのじゃろ?さっさと元のヘラヘラしたツラに戻れ・・吾は今から粥でも作る。大人しくしておれよ?仕事など始めたら承知せんからな」

「えっと、その・・・はい」

 

 借りてきた猫のようにおとなしくなった晴を尻目に、珠乃は赤くなった顔を見られないように素早く立ち上がって部屋を出た。

 心臓がうるさいほどに鳴っていた。

 

(唇を重ねるというのは、あんなにも気持ちのいいものなのだな・・・)

 

 そんなことを考えながら。

 

-----------

 

 さらに一年が経った。

 

「なあ、初めて会ったときのこと覚えてるか?」

「なんじゃ唐突に。もちろん覚えておる」

 

 布団に横たわる晴に膝枕をしつつ、珠乃は晴の頭を愛おし気に撫でた。

 この一年で、晴の体調は悪化していた。霊力の成長がとどまることを知らなかったのだ。常世、現世にいる生き物は、肉体、精神、魂の三要素で構成されている。肉体は文字通りの体。精神は魂と肉体を繋ぐ紐。そして魂とは霊力の源であり、この世界の欠片であるいうことがここ最近の二人の研究でわかっていた。どうしてそんなことを調べたのかと言えば、晴の霊力の成長を止めるためだ。しかし、それが分かっても役には立たなかった。わかったことと言えば、晴の魂である世界の欠片というものが、並程度の霊能者よりもはるかに大きいということだけだ。まるで水晶のように欠片が成長しているかのようだった。

 

「じゃあさ、オレが珠乃を拾った理由も覚えてるよな?」

「ああ。弟子が欲しかったんじゃろ?」

「・・・・わざと言ってるわけじゃないよね?もう一つの、っていうか一番大きな理由の方」

「・・・・・ああ。覚えておる」

 

 珠乃が晴を撫でる手つきに力がこもった。知らず知らずのうちに動きが早くなる。

 

「なぜ今そんなことを言う?」

「んや。なんか思い出しちゃってさ。最初に会った時は珠乃が寝ててオレが看病してたから」

「・・・・そうか」

 

 二人の間に沈黙が訪れた。

 

「珠乃、結婚してくれ」

「・・・・・」

 

 晴が口火を切った。その顔は普段の軽薄な様子は全くなく、真剣そのものだ。

 

「オレは多分そんなに長くない。自分勝手なことを言ってるのも分かってる。別にオレと寝てくれなんて言うつもりもない。ただ、オレはお前にも・・・」

「断る!!」

「・・・・・」

 

 何かを続けようとした晴を遮るように、珠乃は叫んだ。

 

「人間と妖怪の結婚などうまくいくものか!!それに、吾は汝のことなどなんとも思っておらぬ!!吾がここにいるのは、汝と交わした契約とここが安全に力を蓄えられるからだ!!思い上がるな!!」

 

 珠乃は立ち上がると、逃げるように部屋を出た。

 

「珠乃・・・・」

 

 晴が自分の名前を呼ぶ声が耳に入ったが、珠乃は止まらなかった。ただ、熱い液体が頬を伝って落ちていった。

 

-----------

 

 嬉しかった。

 

 好きだった。

 

 愛している。

 

 晴が結婚してくれと言ってくれた時、珠乃の心は喜びで満ちていた。

 いつの間にか惚れていた。彼がいる場所はこれまでいたどの場所よりも暖かくて優しかった。ずっと、その温もりが続くと思っていた。

 

(だから、断った)

 

 けれども、そんなことはただの幻想だ。珠乃は妖怪で、晴は人間だ。それも、晴は人間の仲でも体が弱かった。

 結婚の話を断ったのは、その終わりが確定しそうだったからだ。晴の言う通りに結婚してしまえば、本当に晴が死んでしまうと思ってしまったから。

 

-----------

 

 半年が経った。

 

「・・・・吾の負けじゃ。ああ、吾の負けじゃとも!!だからその土下座を止めろ!!」

「本当?嘘じゃない?嘘だったらオレ死ぬよ?本当に死ぬからな?自殺する前に心が死ぬから!!」

「わかった!!わかったから!!」

 

 晴の寝室。

 布団の上で土下座し、珠乃が動けばその方向にズリズリと土下座のままはい回る晴は正直言って気持ち悪かった。晴がよく潰して薬にしている虫そっくりの動きである。

 あの結婚の申し出を断ってから半年。当初は晴との関係そのものが壊れる可能性も覚悟していた珠乃であったが、妖怪の女を「嫁にしたいから」という理由で山から拾って看病した男の性欲と根性を、何より自分への愛情を舐め腐った判断であったと思い知らされた。

 

(一時は気でも狂ったのかと思ったがのぅ・・・)

 

 基本的に珠乃と会うとほぼ土下座。薬を飲むときと食事の時以外はその顔はひたすら床に押し付けられていた。最近では薬は珠乃がほとんど作っているため、晴は休めているのだが、布団の上でも土下座である。時には一日中晴の顔を見れなかったこともあったくらいだ。果ては今のように顔をあげずにどこに珠乃がいるのかを察知し、土下座の姿勢のまま動く術すら開発する始末である。そうしてそこまでしてやることが「結婚してください」「愛しています」とひたすらに呟き続けることであった。気持ち悪い、怖いを通り越してもはや感心する域である。人間とは己の欲望のためにここまで尊厳を捨てられるものなのかと。知りたくもなかったことを知れた珠乃であったが、常時そんなことをされては身も心も持たない。気合がよほど入っているのか、晴の体調は小康状態であったが、当然だが晴の体にも負担がかかる。それでも珠乃は半年は意地を張って耐えていたが、色々と限界だった。

 

(あんなに愛していると言われて、耐えられるか・・・)

 

 言うなれば、晴の方はハナから珠乃に全面降伏しているような状態であり、後は珠乃だけの問題だった。好きでもない男にそんな真似をされていたら炎で即刻焼き殺していただろうが、相手は自分の惚れた男である。常人ならば気持ち悪くて縁を切りたくなるようなことでも相手が好きな男なら話は別。ただし美男子に限るというヤツだ。

 

「じゃあ・・・・」

「わかったと言っておろう・・・・不束者だが、よろしく頼むぞ。旦那様」

「は、はい!!よろしくお願いします!!我が妻よ!!」

 

 そうして、ついに二人は結ばれたのであった。

 

「じゃ、じゃあ、その、早速なんだけど夫婦の営みってやつを、その・・・」

「うわぁ・・・」

 

 頬を赤らめて情緒の欠片もないことを口にしながら、上目遣いする自分の夫となった男に、妻となった女はドン引きした視線を向けるのだった。

 

 ちなみに、この後晴の体調に気を付けつつ、滅茶苦茶まぐわった。病弱なはずなのになぜか晴の方が優勢だったことをここに記しておく。げに恐ろしきは童貞の性欲であった。

 

-----------

 

 さらに一年が経った。

 

 相変わらず、現世には戦乱があった。病があった。飢饉があった。その流れは晴たちの住む村にも及んだ。しかし、晴と珠乃の心は暖かった。珠乃が他の人間には入れないような山奥まで行って食糧を確保できることもあったが、何より晴の体調が回復を始めたのだ。

 

「晴、こちらの薬は用意できたぞ」

「お、ありがとな。じゃあオレの方も・・・・って、そろそろ薬草の在庫がなくなるな。採って来るか」

「む。薬草採りなら吾が行くぞ。汝は寝ておれ」

「え~。オレだって結構調子戻ってきたし、運動がてら・・・」

「ダメじゃ!!休んでおれといっておるじゃろ」

「わかったよ・・・はあ、布団の中だとあんなに従順なのになん・・・」

 

 カッと音がして、晴の鼻先を掠めて薬草を刻む小刀が壁に突き刺さった。

 

「何か言ったか?」

「なんでもございません」

 

 その視線は絶対零度であった。晴に逆らえるはずもなく、すごすごと引き下がる。そんな晴を見て珠乃はフゥとため息をついた。

 

「まったく、汝はいつまで経っても情緒というか女心というものがわからん男じゃな」

「いやそうは言ってもさ、オレの体調よくなったのは事実だし。やっぱ原因は夜のアレじゃないの?お前の尻尾も9本になったし」

「・・・・・まあ、否定はせん」

 

 房中術というものがある。

 これは男女の交わりを術に組み込んで効果を発揮するもので、大抵は怪し気な儀式やらなんらかの邪法に使われるのだが、この二人の間にも一種の房中術の効果が表れていた。晴の体調が悪かったのは元々の体の弱さに加えて霊力による負荷がかかっているからだが、その霊力の多くが珠乃に流れ込むことで負荷が減っているようなのだ。加えて晴の体にも珠乃の霊力が入り込んでいるらしい。だが、その霊力は肉体を傷つけるのではなく逆に馴染んでいるような感覚だという。なお、そのせいか晴からも他の妖怪が嫌う臭いが出るようになったらしい。肉体と魂を繋ぐ精神を介するのでなく、肉体と肉体を介する故の変化だろうという推測だが、詳細は今後調べていけばいいだろう。

 

(そうだ!!今の吾と晴には未来がある!!)

 

 珠乃の心は踊っていた。

 もう続かないと思えていた晴との未来は、まだ続くという光が見えたのだ。人間が妖怪のような寿命を得る方法はまだわからないが、今の晴に起きている変化を調べればそれすら掴めそうな気がする。

 

「けどさ、珠乃の方は大丈夫なわけ?」

 

 そこで、晴が唐突にそう聞いた。

 

「む?何がじゃ?別に問題はないが。むしろ調子がいいくらいだ。霊力が体中に満ちておる」

「いや、そっちも心配っちゃ心配なんだけど、その、ほら、あれだよ」

「あれ?」

「そう、あれっていうか、うん。あれだ。孕んでないか?」

「はぁ!?」

 

 珠乃の顔が真っ赤になった。

 

「いや、オレとしてお前に思い出とかそういうもんを残せればって思ったんだけど、あのときは流れでヤっちまったからできてたらどうしようとか、子育てとか準備しないととか・・・・」

「あ、あるわけなかろう!!というか、汝、かなり最低なクズ男のようなことを言っていると自覚しろぉ!!」

 

 その辺になぜか落ちていた枕を、晴の顔に思いっきり投げつける。

 

「ぶっ!?」

「いいから寝ておれ!!吾は山に行ってくるからな!!」

 

 そうして、顔を赤く染めたまま、珠乃は山に向かったのだった。

 

 

 

 

 そして、それが珠乃の幸せと希望に満ちた時間の最期だった。

 

-----------

 

「ふんふんふふ~ん」

 

 珠乃は歩きながら鼻唄を歌う。その表情はご機嫌そのものだ。その背負った籠には薬草やら狩った獣の肉を草でくるんだモノやらが詰まっていたが、珠乃の気分がいい理由はそれだけではない。

 

「まったく、晴のやつめ。情緒というか女心の機微のわからんやつだ!!まったく、いきなり身ごもっているかどうか聞くやつがあるかという話だ・・・・ふふ」

 

 言葉では晴をなじるようであるが、その声音は弾んでいた。

 

「しかし、子供か。育児などやったことがないが、吾に務まるだろうか?まさか獣のやり方が通用するとは思えぬ」

 

 自分と晴の住む家に、子供が一人加わる。

 晴が薬を作る傍ら、自分は家事をしたり、子供の世話をする。

 自分と晴の子供ならば術者としての素質は十分だろう。身を守れるようにするためにも、術の扱いは慎重に教えなければならない。もちろん、人の世と関わるならば学問も大事だし、家業を継いでもらうのならば薬学や医学も伝えなければならない。それには自分の方が向いているだろう。晴は賢いが、下世話なことを教えかねない。父親と似たような性格になったら困りものである。まあ、そんな困った性格の男を夫にした自分も大概ではあるのだが、己の血を継ぐ子が寒い下ネタを連呼するようになったらさすがに嫌だった。

 

「血を受け継ぐ子か。晴と吾の子」

 

 そこで、ふと珠乃は思った。心の中に浮かんだ、その言葉。その言葉はなぜかストンと胸に収まったのだ。それが珠乃の奥底にあり続けた疑問の答えなのではないだろうかと。いや、そうだ。それだ。それこそが・・・

 

「それこそが、吾の生きてきた意味だったのか」

 

 晴と出会い、恋をして、時間はかかったが受け入れあった。

 そして、そんな男と心を通わせ、力を混ぜ合わせ、体を交わす。

 その先に、自分たちの生きてきた結晶を産み、未来へとつないでいく。

 

「ふふ、確かに、長生きしてでも待った甲斐があったな」

 

 なるほど、口に出してみれば簡単なことだ。だが、それがどれだけ幸福なことか、昔の自分にはわからなかったに違いない。

 

「まったく、こんなところで答えが出るとはな・・・・む?」

 

 そんな風に、最近になっては思い出すことも稀だった問いに答えを出した珠乃は、顔をしかめた。

 

「これは、妖怪の死骸か・・・・行きでは見かけなかったが」

 

 道端に低級妖怪の亡骸が転がっていたのだ。死骸を見てみるとなんらかの術を撃ち込まれたようだった。これをやったのは人間だろう。

 

「晴ではない・・・村に術師が来ているのか?」

 

 たまに流れの僧やら霊能者の一族の者が修行として各地を回ることがある。これもその一環なのだろうか?ならば、自分はもう少し山の方にいたほうがいいだろうか。生半可な術者にバレるようなことはないだろうが、妖怪の自分が見つかったら面倒なことになるだろう。

 

「ならば、もう少し時間を潰して・・・・何、これは!?」

 

 考えに耽る珠乃の元に、一羽の鳥が飛んできた。植物の扱いが得意な晴は、紙を媒介にした式神を使うが、その鳥こそがそれだった。だが、その式神の羽は焼け焦げ、今にも折れかかっていた。事実、珠乃の手に止まった瞬間にボロリと崩れる。だが、それで十分だった。間違いなく、村と晴に何かが起きたのだ。

 

「晴!!」

 

 珠乃は人化の術を解き、妖怪と人の中間のような半妖体となって山道を駆けた。

 

-----------

 

「ああ・・・」

 

 家が燃えていた。

 数年間、毎日過ごした晴と自分の家に火柱が立っているのを村の入口から珠乃は茫然と見ていた。

 すべてが燃えていく。晴が寝ていた布団も、いつからか珠乃用にと晴が作ってくれた医療具も、何もかも。

 家の周りには、村人が集まり、その先頭には一人の男が立っていた。

 その男の顔は晴に少し似ていた。だが、その目は欲望にぎらつき、口元には晴とは似ても似つかない歪んだ笑みが浮かんでいる。

 

「皆の者!!この者こそがこの地を襲った戦、飢饉、病、災いの元凶である!!この者は妖と結びつき、諸君らに飢えと悲しみをもたらしたのだ!!」

 

 男は火柱を満足げに見つめると、村人に向き直った。

 

「幸いにも、この者には神仏の罰が下っていたのか、弱っていた!!だが、それだけではない!!この邪悪を討ち取れたのは、諸君らの協力あってこそ!!よくぞ立ち上がってくれた!!」

「俺たちが飢えてるのに、病気のあいつがいつまでも生きてるのが不思議だったんだが、納得いった!!」

「まさか、先生が妖怪と通じていたなんて・・・」

「この前、うちの子を助けられなくてすまない、なんて謝ってたけど、嘘だったのね!!助けられるのに助けなかったんだ!!」

「でも、最後まで俺たちに愛想をまくフリしてくれて助かった!!おかげで急病だって言ったら簡単に釣れたしな!!」

「ああ、俺たちを騙してたんだろうが、最後は俺たちが騙してやった!!ざまあみろ!!」

 

 村人たちは燃えている家を囲みながら、口々に晴を罵った。

 前に家にやってきた女がいた。晴が渡した薬でよくなったとお礼を言っていた。

 前に晴が直接診断してやった男がいた。最初は晴の代わりに珠乃が診るはずだったのだが、病気を押して晴が診たのである。「お熱いねぇ」と笑いながら祝福してくれた。

 前に二人で取り出した子供がいた。どうにかこうにか身重の母から取り出した子供は今では大きく育っていた。道で会うと笑いながら挨拶してくれた子供だった。

 みんなみんな、かつては笑顔だった。晴とも珠乃とも仲良しだった。

 みんなみんな、怒りと憎しみで顔が歪んでいた。その口から吐き出されるのは晴への呪いだった。

 

 妖怪に脅かされる時代。現代とは違って物に乏しい時代。

 人々の心は世界の気まぐれのような変化で簡単に煽られてしまっていた。心に巣くっていた恐怖と飢えが、彼らを突き動かす怒りと憎しみに変わっていた。

 

「ああ、そうだ術師様!!あの男には妻がいました!!あいつも妖怪と繋がっていたに違いねえ!!」

「昔からおかしいと思ってたのよ!!いつの間にか村に来て、ずっと居座ってるんだもの!!あいつも絶対に悪人よ!!」

「なんとなんと!!それは本当か!?ふむ、その女に子はいたか?」

 

 村人の憎悪は珠乃にも及んでいた。

 それを珠乃はぼんやりとした頭で聞いていた。

 

「いえ!!いませんでした!!」

「ふむ、そうか!!ならばその女も見つけ出して殺すのだ!!この男に繋がるものはすべて消し去る!!さすれば、この男が契約を結んだ妖怪もこの地を離れよう!!これはその手始めだ!!」

「あ・・・・」

 

 その時、珠乃の目に男が掲げているモノが目に入った。

 

 晴の首だった。

 

 男はまるで毬でも放り投げるように乱雑に晴の首を炎の中に投げ込んだ。

 晴の首は、あっという間に炎に巻かれて見えなくなった。

 

 その瞬間、珠乃の中で何かが蠢いた。

 

「さあ、妖怪よ!!災いもたらす化物よ!!お前が契約を結んだ男は消えた!!そしてこれよりその妻も消す!!この地より・・」

「そんなに、晴と契約を結んだ妖怪に会いたいか?」

「なっ!?」

 

 いつの間にか、男のすぐそばに珠乃は立っていた。

 

「き、貴様は一体・・・!!」

「災いもたらす化物と言ったな?そんなにお目にかかりたいのなら見せてやる」

「な、何を・・・ゴボッ!?」

 

 何かを言おうとした男は、言葉を発することは叶わなかった。その心臓を狐の尾が貫いていたからだ。

 

「見せてやるから・・・・」

「ガ、ハァ・・・・」

 

 心臓を貫かれても、男はまだ生きていた。そして、わずかな瞬間でも、男はその生を後悔した。

 

「疾く、この世から消え失せろぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」

 

 その女の顔は美しかった。美しい故に、その憤怒の表情はなくなった心臓を凍らせるような純粋な恐怖を呼び起こす。血が滲んだかのように紅く血走った黄金の瞳が、男の見た最後の光景だった。男はたちまちのうちに全身が腐り果てて、汚いシミとなった。

 

「あ、あ・・・・」

「よ、妖怪だ・・・・」

「け、結界は!?結界があるんじゃ・・・・」

 

 村人たちは恐怖した。

 さきほどまで自分たちを救うといい、元凶たる薬師を排除する策を出した英雄が瞬きの内に死んだのだ。霊能者でもない村人に、目の前の妖怪をどうにかする手段などあるはずもなかった。

 

「・・・次は貴様らだ」

 

 黄金の瞳が、獲物を捉えた。

 

「ま、待ってくれ!!」

「わ、私たちはあの男にそそのかされたんだ!!」

「悪いのはあの男・・・」

「・・・・・」

 

 村人の醜い言い訳は、珠乃に一つの真実をもたらした。

 

(ああ、人間はゴミだな)

 

 こんな屑どものために晴は体に鞭うって薬を作っていたのか。

 こんな連中に自分たちの幸せは壊されたのか。

 ああ、そうだ。この連中は、このゴミどもこそが・・・・

 

「貴様らが、貴様らこそが!!災いそのものだろうがぁあああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 珠乃はその9本の尾を逆立て吠える。

 その身から放たれた瘴気は村全体を包み込んだ。

 

「「「「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!???」」」」」

 

 老若男女問わず、汚らしい叫びがこだました。

 山々に響いた声がかすれ、瘴気が晴れた時、その村には腐った肉の塊だけが転がっていた。

 

-----------

 

「晴、晴・・・・」

 

 珠乃は、一人焼け落ちた家の跡に座り込んでいた。

 その膝には一個のしゃれこうべが乗っていた。愛おし気に撫でるも、返事があるはずもない。

 すぐ近くには、焼け焦げたボロをまとった、人の形をした炭の塊が転がっていた。

 

「晴・・・・」

 

 返事のないしゃれこうべから目を離し、その体を見た。

 いくつもの薬を作り、多くの人間を救い、何より自分に触れてくれたその手はもう動かない。

 その握りこぶしは固く握りしめられていたが、そこで、手の端から炭の欠片が零れ落ちているのに気が付いた。

 

「これは・・・・」

 

 珠乃が触れると、今まで気張っていた力が溶けたように、拳は開いた。そこには、一枚の布が残っていた。布は晴の着ていた着物の切れ端のようだったが、赤い文字が書かれていた。

 

 

--生きて

 

 そこには、それだけが書かれていた。誰に向けて書いたものなのかなど、聞くまでもなかった。

 

「晴、晴、せい、せい・・・・うわぁぁああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 珠乃は叫んだ。叫んで、泣いた。

 

 涙が枯れ果てるまで泣いた。声が枯れるまで叫んだ。

 

 すべてを出し尽くすほどに絞り出したころには、夜を迎えて朝になっていた。

 

-----------

 

「許さぬ・・・」

 

 朝日に照らされながらも、珠乃の心の中にあるのは、そのドス黒く濁った瞳にあるのは、怒りと憎悪だけだった。

 

「絶対に許さぬ・・・」

 

 なぜ、晴はこんな目にあわなければならなかった?

 

 妖怪として恐れられる自分はまだ分かる。しかし、晴は人間だった。むしろ人間を生かすために働いていた。

 

 戦があったからか?病があったからか?飢饉があったからか?世が乱れていたからか?

 

 なぜ誰も晴を助ける者がいなかった?もしも晴の父が、母が生きていれば何かが変わっただろうか?

 

 妖怪が暴れていたからか?異能者として怪しまれたからか?

 

 晴の体が弱かったからか?晴の体が完全に回復していればここまでのことにはならなかっただろうか?

 

 晴の体が弱かったのはなぜだ?その身に膨大な霊力の負荷がかかっていたからだ。なぜ晴はそこまでの力を持ってしまっていたのだ?

 

 ああ、それに。それになによりも・・・・

 

「なぜ・・・」

 

 何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ

 

「どうして・・・」

 

 ああ、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテ

 

 

「どうして、吾はもっと早く晴と出会っていなかった?」

 

 晴の体は回復し始めていた。

 晴には未来があったはずなのだ。

 もっと早く、もっともっと早く晴と出会っていれば。あるいは・・・・

 

「もっと早く、晴を受け入れてやれなかった?」

 

 あと半年、あと半年も早ければ、晴の体は完全に治っていたかもしれない。

 体が治っていれば、この九尾とかした自分すら上回る霊能者たる晴が不意を突かれようと村人ごときにやられるはずもない。

 

 つまり、晴を死に至らしめたのは・・・・・

 

「あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 本来の姿である狐の爪をもって、己の体をかきむしる。爪が剥がれても、今度はその牙で肉を食いちぎる。だが、どれだけ自分を痛めつけても、死ぬことだけは許さなかった。

 

 それが、晴が最後に残した言葉だったから。

 

「許さぬ・・・・」

 

 珠乃を突き動かすのは、怒りと憎悪だ。

 

 その矛先は、愚かな人間。本当に些細な巡りあわせ、運で自分を翻弄する世界そのもの。

 何よりも・・・・

 

「吾は、世界を、なによりも、己を呪う!!!」

 

 その時、この地に神格を持つ妖怪が生まれ落ちた。

 

-----------

 

 それからの珠乃はひたすらに力を付け、人間を苦しめるために生きた。

 

 一度はもう戻るつもりのなかった常世にまで行き、再び修行を積んだ。

 

 霊能者を誑かし、その肉を食うこともあった。術をかけて、精を絞り出すこともあった。

 

 どちらも死ぬほどマズかった。口に入れた瞬間、吐き出した。だが、珠乃は吐しゃ物にまみれたそれを何回も口に入れては飲み込み、吐き出すのを繰り返した。

 

 すべては己の力を高めるために。

 世界のすべてを壊すために。

 そのためなら、晴以外の男で穢されようとも歩みを止めなかった。

 

 村を襲った男が晴の一族の者だったと知ったのは、都に赴いてその上層部の精神を護衛の術師たちもろともことごとく破壊して傀儡とした時だ。

 亡き晴の父から晴の兄に当主の座は移ったようだが、そこから再びお家騒動があったらしく、一族内で暗殺が頻発したらしい。晴を狙ったのは、かつての当主のお気に入りの忘れ形見という立場を警戒したためだったようだ。村に設置してあった罠を突破できたのも、そのからくりが一族の使う術とよく似ていたからだったためだ。そうして村に侵入し、旅の僧侶を装って心の乱れていた村人を扇動した。村への潜入はあの日の数日前から仕込んでいたのだ。

 

「まあ、今となってはそんなことを知ってもどうにもならんがの」

 

 晴の一族はその日、叛逆の疑いをかけられ、全員死罪となった。

 

-----------

 

 いくつもの村が、町が、国が滅んだ。

 

 戦火に焼かれた国があった。

 

 病に侵された町があった。

 

 飢えに襲われた村があった。

 

 珠乃はそのすべてを操った。

 

 術を以て、天候を操り、作物を枯らす。

 

 かつて晴とともに薬を作った手で毒を作り、その土地ごと汚染した。

 

 幻を見せて人を操り、殺し合わせた。

 

 人間を減らすのは簡単だった。世界を乱してやればいい。

 

 世界が乱れれば心が乱れる。心が乱れれば人は簡単に獣に堕ちる。そこに軽くひと押しするだけで、大勢の人間が血にまみれて死んでいった。

 

「ああ、素晴らしい。吾は、世界を壊すことだけを考えればいいのだな」

 

 いつしかその整った顔には歪んだ笑みがよく浮かぶようになった。

 

 鏡を見た珠乃は思った。

 

(ああ、あの村に来た男もこんな気分だったのだろうな)

 

 自分の手で人間を手玉に取って操って、壊す。

 

 それがたまらなく楽しかった。

 

 されど、珠乃の顔に一筋の滴が伝っていた。

 

-----------

 

 終わりは再び唐突だった。

 

「この『白竜廟』に入った以上、そなたに勝ち目はない」

「くぅ・・・!!何者だ貴様らぁ!!」

 

 珠乃の目に映るのは白い霧と二人の人影。

 

 紫電を纏う黒衣の侍と、笠で顔を隠した一人の僧だ。

 

 霧の満ちるその場は、僧の開いた陣であり、珠乃は己の天花乱墜を出す前に相手の陣に取り込まれていた。その陣はすべてを凍らせ、流す。あらゆる術は封じられ、動きは止まる。黒い侍が動くことなく、珠乃は敗北していた。

 

「くそっ!!吾は!!吾はこんなところで負けるわけにはいかんのだ!!世界を壊す、その時まで!!」

「憐れな・・・」

「何!?」

 

 自分を憐れむ僧に、珠乃は怒りを抱いた。

 お前が一体自分の何を知っているという!!

 何の権利があって自分を上から憐れむ!!

 何も、何も知らない癖に!!

 それに・・・・

 顔は見えず、声にも細工をしているようだが、珠乃には分かった。

 

--貴様には、隣を歩く伴侶がいるくせに!!!

 

「己のすぐ傍にいるのに気が付かぬか。怒りがその目を曇らせているか。ならばそなたをここで封じよう」

「や、やめろ!!」

「願わくば、そなたの怒りと憎しみが忘れられ、そなたに付き従う者に気づかんことを・・・『凍土結界』」

「ぐわぁあああああああああああ!?」

 

 そうして、珠乃は永い時を岩に封じ込められることとなった。

 

 あの愚かな人間のガキどもが封印を破るその時まで

 

-----------

 そして、時は現代に戻る。

 

「だからこそ、貴様には腹が立つ」

 

 暗き影の中、深海のごとき重圧で迫る雫の霊力をかろうじて防ぎつつ、珠乃は思う。

 

 何故、自分の大切な人間といつまでも歩んでいけると思っている?

 

 いつ、どんな理不尽が襲い掛かって来るともしれないのに、何を能天気に過ごしている?

 

 どうして、永遠を生きる道を探さない?守り抜くための力を求めない?なぜ・・・

 

「その想いを告げない?」

 

 ああ、本当に腹が立つ。あの蛇は、まさしく過去の珠乃だ。

 関係が壊れることを恐れて、未来があると楽観して怠け、すべてを失った愚か者。

 世界で最も嫌う、己自身。

 

「そんな貴様が、吾の通るはずだった道を進むことなど、認められるか!!」

 

 これは醜い嫉妬だ。それは珠乃にも分かっている。けれど、その憎悪の炎は止まらない。

 それでも、その身は圧倒的な霊力の海に沈みかけていた。これでは、隙を見つける前に・・・

 

「そうだ、認められるはずが・・・・・・何?」

 

 そこで、珠乃の霊力に反応があった。

 それは、こことは別の場所に開いた「天花乱墜」を展開する「本体」が放った霊力の信号だ。空間の完成度を保つために、別の空間との干渉は極力避けていたのだが、それを押しての連絡。その内容は・・・

 

「これは、そうか・・・クク、そうかそうか!!」

 

 それを聞いて、珠乃は確信した。

 

「この勝負、吾の勝ちだ!!」

 

-----------

 

「・・・・あの狐、死んだか?」

 

 珠乃が影の中に潜り込み、その影にアリの巣穴に水を流し込むように霊力を注いでしばらくが経った。

 珠乃からの反応がなくなったが、雫は未だに油断はしていなかった。

 

「いや、この空間が解けていない以上、まだ生きているのか。しかし、流石にもう限界のはず・・・む!?」

 

 雫が凪いだ水面を見つつ不審そうな顔をしていると、陣の中に変化が起きた。

 

「これは・・・ヒビ?それに、水が引いていく?」

 

 突如として空と水底に沈んだ地面にヒビが入り、そこから水が流れ出ていったのだ。

 

「もしや、陣を解除したのか?しかし、こんな中途半端に維持するような真似をすれば霊力の消費は・・・」

「誇るがいい、白蛇。こうしなければ汝に勝てぬと悟っただけじゃ」

「ふん。ずいぶんと無理をするものだ。だが、霊力が底を突きかけているのではないのか?さっさと影から出てきたらどうだ?」

「くく、吾はこの地に数か月前から準備を施していた。この程度で枯れはせぬよ」

 

 そして、空に開いたヒビの一つから、珠乃の声がした。

 どうやら影の中にあった雫の霊力もどことも知れない場所に流してしまったようだ。だが、世界を塗り替える陣という超高難易度の術を中途半端に展開するというのは、無理な体勢で超重量のバーベルを持ち上げようとするようなものだ。いくら霊力をため込んでいようとそう長持ちするとは思えない。

 だが、本当にまるで焦りなどないように珠乃は語り出した。

 

 

「いや、それにしても先ほどは大層な啖呵を聞かせてもらった。吾は心が震えたよ」

「なんだ?またお得意の難癖か?貴様の戯言などただの雑音に過ぎん」

「ククク、ならば聞き流せばよいではないか。そこらにいる、何も考えておらん蛇のようにの。汝の想い人も気にすまいよ。なあ、ただの蛇?」

「貴様・・・!!気色の悪い覗き魔が!!」

 

 それは当てつけだった。珠乃はこの旅行の間もずっと雫達を観察していたという。二日目のあの一幕も見ていたのだろう。

 

「あの時だけではない。吾は、ここしばらく汝らを観察していた。汝らのいた街も、狐の目を介してな」

「ふんっ!!気色の悪いことだな!!」

「ああ。傍から見ればそうじゃろうよ。だが、そのおかげで吾には分かったことがあるぞ?汝らの絆など、所詮は汝からの一方通行よ」

「はっ!!ただの覗き魔風情に妾と久路人の何が分かる!!」

「ならば言ってやろう。汝ら、まだ交わっておらんな?」

「はあ?どういう意味だ?」

 

 交わるとはどういう意味だ?何かの隠語か?

 

「鈍いな。いや、本当に知識がないのか?なら分かりやすく言ってやろう。汝ら、セックスしておらんだろう?」

「はぁあああ!?き、貴様何を言っている!?」

「汝から漂う悪臭。あれはあのガキの力と汝の霊力が混ざり合って生じるモノ。だが、完全に溶け合っておればあのような臭いはせぬ。何より、あのガキの方から同じ臭いがせぬことが何よりの証拠じゃ」

「そ、それがどうした!?」

 

 珠乃の言葉は、その意図がなんであれ完全な奇襲だった。雫にとって、久路人とそういったことをするのは、人生の目標であり、新たなスタート地点である。なぜ今の話の流れでそんなことになるのか。

 

「わからんか?それはな、汝があのガキから女として見られていない証拠であろうよ」

「なっ!?貴様、妾ばかりでなく、久路人まで愚弄するか!!許さんぞ!!」

 

 今の珠乃の言うことは、「月宮久路人は女と見ればすぐに肉体関係を持ちたがる直結厨」と言うようなものであった。

 

「ふん。ずいぶんとおぼこなことだ。あの年頃の男の性欲を知らんと見える。いや、これは逆に憐れんでやるべきかの?よもや、接吻すらまだとは言うまいな?」

「貴様ぁ・・・!!!」

「おいおい、まさか図星か?これはこれは失礼・・・むぐぅ!?」

「もうよい、貴様はこのまま潰れろ!!」

 

 雫は亀裂に向かって、蛇井戸から鉄砲水を出す。その圧が伝わったのだろう。珠乃は苦し気なうめき声を上げる。だが、珠乃の言葉は止まらない。

 

「はっ、そこまで怒るとは、よほど気にしていたようだな?蛇よ」

「黙れ!!」

 

 それは、ずっと雫の心の中に巣くい続けているモノ。

 水無月の名字を名乗った後にも、折り合いがまだついていないモノ。

 

 人外であること。久路人からの拒絶。

 

 いかに歩み寄ろうと、最後の一歩を詰められない原因だ。

 確かに自分は今、これまでの歩みの先にいる。しかし、その先に行き止まりはないのか?

 友達として、家族のような間柄として親しくなっている。それは間違いない。だが、それ以上は?女として見てもらうことはできるのだろうか?

 拒絶される不安と恐怖は、どんなに雫が心を奮い立たそうと完全に消すことは叶わない。

 

「ふん、汝は前に進んだだのなんだの言っておるが、そもそもそれすら錯覚ではないのか?」

「もう、貴様は喋るな!!」

 

 だが、雫がいかに聞く耳を持たなかろうが、珠乃の口は休まず雫の心の奥底へと忍び寄る。例え幻術が効かずとも、何の異能も介さない言葉による揺さぶりは防げない。

 

「あのガキは確かに特別だが、汝は違う。格のある妖怪ならば、護衛としては誰でもよかったはずだ。それこそこの吾でもな」

「黙れと言っている!!!」

 

 雫は己の中にある霊力をすべて亀裂に注ぎ込む勢いで流し込む。いかに外に漏れだそうと、出ていく量よりも満たす量が上回ればよい。久路人の血によって無尽蔵に近い霊力を持つ雫ならばそれも不可能ではない。

 

「たまたまだ。本当に偶然、汝は今の立ち位置に収まっているに過ぎない。そんな汝に抱く情が、汝の言うほど大きいものか?」

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇえええええ!!!!!!」

 

 もうここですべての霊力を使い切ってしまってもいい。それほどの勢いで術を連発する。再び陣の中に水が満ち始めた。

 

「人間の寿命のことからさえも目をそらしていた汝だ。他のものにも見落としがあって然るべきだろう?汝があのガキを想う重さと、あのガキが汝に向けるソレは、果たしてどれほどの違いがあるのかの?」

「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

 

 珠乃は雫の心を掘り起こしていく。そこに埋まる、雫が目をそらしてきたことを。それは、雫が逃げてきたツケだった。

 

 

--久路人は、自分のことをどう思っているのだろう?

 

「おいおい、そんなにムキになるでない。それではまるで・・・・」

 

 常に心の中にあり、されど考えたくなかったこと。恋をする者ならば誰でも思うこと。自分が人間の少女だったのならば、ここまでその答えに怯えずに済んだのだろうか?

 

「まるで、本当にあのガキに汝が嫌われているようではないか」

「もう、死ねぇえええええええええええええええええええ!!!!!!!!」

 

 自分は久路人にどう思われているのだろう?

 好かれていたとしても、それは女の子としてのソレだろうか?

 蛇というペットを飼っている感覚なのではないだろうか?

 ああ、知りたい。久路人の心の中が。

 ああ、知りたくない。久路人の心の奥底を。

 だって、もしも、もしものことだ。

 普段の久路人が見せ掛けで、その心の中で想像もできないことを考えていたら。

 ああ、ダメだ。こんなことを考えちゃいけない。それは久路人を信じていない証拠だ。怖い。ああ、怖い。別のことを考えよう。こんなことを考える女だと知られたら・・・・

 

--久路人に本当に嫌われちゃう。

 

 雫の眼には、もう亀裂の奥にいる狐を殺すことしか映っていない。それ以外は考えない。考えたくない。そう、これはあの狐の策略だ。考えちゃいけない。集中しろ。目の前にある亀裂に、限界まで霊力を注ぐことだけを・・・・

 

「感謝するぞ?また目をそらしたな?」

「ガフッ!?」

 

 次の瞬間に、雫の細い肢体を貫いていたのは、鋭く尖った牙だった。

 目の前の亀裂ではなく、雫の足元にできていた影。そこから矢の如く飛び出た家ほどの大きさの狐が、雫に噛みついていた。

 

「ガ、アアア・・・貴様ぁ!!」

「フン、この姿は吾もあまり好かんのだがな。まあ、仕方ない」

 

 それは、珠乃の本性、原形とも言える姿だった。

 雫の元が大蛇のように、珠乃は古狐がその真の姿だ。術を操る精密性に優れる人間の姿。妖怪としての身体能力とのバランスが取れた半妖体。そして獣のスピードとパワー、最大の霊力を持つ妖怪形態。

 これまでの術の撃ち合いによる遠距離戦から一転して、力任せの近接戦闘。遠くの的を狙っていた雫は、その落差に気が付かなかったのだ。

 

「グゥウウ!!舐めるな!!これしき・・・!!」

「ほう?貴様もなるか?元の蛇に?人間の女とはかけ離れた醜い姿に!!」

「・・!?」

 

 それはほんのわずかな隙だった。

 雫も人化の術を使っているとはいえど、大妖怪だ。体に太い杭が刺さったくらいでは即死はしない。珠乃のように大蛇の姿になれば盛り返すこともできただろう。だが、一瞬、蛇になるのをためらった。蛇の姿は、人外の象徴。それになれば、ますます久路人との距離が開いてしまう。そんな気がした。

 そして、そのわずかな隙が致命的だった。

 

「ガ、アアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

 珠乃の牙がさらに深く刺さり、その周囲が見る見るうちに灰色に染まっていく。すぐさま雫の四肢が石と化した。

 

「吾の牙にあるは石化の毒。殺生石ノ法。吾を封じた石を模した猛毒よ。この陣の中のみ用いることのできる特別製じゃ」

「き、貴様ぁああ・・・・」

 

 叫ぼうとするも、その声に力はない。完全に先手を取られていた。体を変化させようにも、変化させる肉体が石となっては意味がない。その石はただの石ではない。九尾の狐を封じ込めるほどの強力な枷だ。多少なりとも霊力を消耗していたところに、最も大量の霊力を流し込める獣の姿での、力押しの猛毒だ。即死はせずとも、抵抗もできなかった。

 

「勝負ありだ。白蛇」

「クソオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!」

 

 世界が再び歪む。不確かだった空間が形を持ち始める。

 眼下の湖が消え、月夜のススキ原が蜃気楼の如く浮かび上がる。

 

 半ば石と化した雫は、そのままススキ原に落ちていった。

 

 

-----------

 

「う、うう・・・・」

「はっ!!いい恰好だな?蛇よ」

 

 満月の照らすススキ原の中、地面に横たわった雫は自分を見下ろす珠乃を睨みつけるが、どうにもならなかった。落下の際に封じかけられた霊力を振り絞ってどうにか衝撃を弱めるように水を操ったために死にはしなかったが、それだけだ。もはや動くことも叶わない。だが・・・

 

「だが、いくらなんでも、貴様も限界のはずだ・・・・・あれだけ中途半端な陣の展開に、この新しい陣への張替え。いくら前もって準備していたとしても・・・」

「ああ、そうだな。確かに、この吾はもう限界だ」

 

 珠乃の言うことは真実だ。

 先ほどまではまだ余裕のあった表情にも、このススキ原に来てからは汗がにじんでいる。だが、その後の言葉は無視できなかった。

 

「・・・この吾、だと?」

 

 雫が聞き返すと、珠乃は汗の滲んだ表情ながらも、ニヤリと笑って指を鳴らした。

 すると、空間に大きなヒビが入り・・・・

 

「ご苦労、吾よ。もう下がってよい」

「ああ、そうさせてもらおうかの、吾よ」

「分け身!?いや、ただの分け身ではない!?」

 

 空間から顔を半身を出したのは、もう一人の珠乃だった。それはこれまで大波で押し流したチンケな分身とは訳が違う。その珠乃と今まで戦っていた珠乃から感じた霊力はほぼ同等だったのだ。

 

「通常、分け身というのは本体よりも弱い力しか持たすことができん」

「だが、この天花乱墜の中で、術者たる吾ならば話は別。この世界の理は吾のものじゃ」

「鏡狐。吾と全く同じ力を持った分け身。まあ、流石に出せるのは2体が限界じゃがな」

 

 そして、今まで戦っていた珠乃が霞の如く消え去ると、もう一人の珠乃が完全に姿を現し・・・

 雫は叫んだ。

 

「久路人!?」

 

 今まで見えていなかったもう半身の腕に抱えられていたのは、久路人だった。霊力は感じるために生きてはいるようだが、気絶しているのか、身動き一つしない。

 

「くく、このガキは強かったぞ?吾の油断もあったとはいえ、もう一体の鏡狐を倒してのけたのだからな」

「貴様!!久路人に何をした!?」

 

 珠乃の言うことなど、雫には気にもならなかった。雫にとっての至上命題は、いつでも久路人のことだけだ。

 

「なに、少し眠ってもらっておるだけじゃ。負っていた傷も、ある程度は吾が直してやったのだぞ?感謝してもいいぐらいだと思うがの?」

「久路人を離せ!!痴れ者が!!」

「・・・・自分の立場が分かっておらんようじゃの」

 

 そこで、珠乃は久路人を乱雑に放り出して前に一歩踏み出すと、雫の頭を力を込めて踏みつけた。整った顔が土に沈み、美しい銀髪に泥がかかる。

 

「ガ・・ゥウウ」

「今、この場の支配者はこの吾だ。分をわきまえよ。まずは口の利き方から直してもらおうか?『申し訳ございませんでした、珠乃様。今より貴方の仰せのままに致します』とでも言え。さもなければこのガキがどうなるかわかっておろうな?」

 

 そうして、つま先で雫の顎を持ち上げ、上を向かせると・・・

 

「ぺっ!!」

 

 珠乃の顔に、雫の唾がかかった。

 

「はっ!!その手には乗らん!!安易に契約書に手を出すななど、小学生でも習う・・・ガッ!?」

「・・・・勘のいい蛇じゃな」

 

 横たわる雫の腹を思い切り蹴り飛ばし、水を出して唾を洗い流す。

 さきほどの命令は一種の契約だ。雫が承諾していれば、それである程度の行動を縛れるはずだった。

 

「まあいい。その気丈さがあるのもまた一興だ」

「・・・なんだ?悪役よろしく妾を痛めつけでもする気か?三文役者が」

「そんなことはせんよ。むしろ、吾としては汝には美しくあってもらわなければ困る。『自分には何の落ち度もなかった』と言い訳もできぬようにな」

「・・・何を言っている?」

 

 珠乃が手をかざすと、雫の体が浮かび上がり、珠乃の目の前に現れた椅子に降ろされた。さらに、流水が現れたと思えば、汚れを洗い落としていく。

 

「なんのつもりだ?」

「なに、年上の先達として、経験の足らん汝に一手教授してやろうと思ってな」

 

 珠乃は続けてもう一つ椅子を出すと、そこに腰を降ろした。

 

「女が男を堕とす手練手管をな」

「貴様・・・まさか!!」

 

 パチンと指を鳴らす音がすると、今度は久路人の体が浮かび上がり、珠乃の太ももの間に収まった。ちょうど、珠乃が後ろから久路人を抱きかかえるような形だ。珠乃の手が、久路人のズボンの上をなぞる

 

「ほう、顔に似合わず中々立派なモノを持っておるではないか。服の上からでもわかるとは」

「やめろ!!それは、それだけは!!!」

 

 雫の顔色が蒼白になった。手足を動かして暴れようともがくが、石となった部位は動かない。霊力も枷のせいでほぼ封じられている。

 

「そうだのぉ・・・止めて欲しいか?なら、その態度はいただけんな」

「・・・・止めてください。お願いします」

 

 雫は歯を食いしばってから、動く首だけで頭を下げた。

 妖怪となった後も、人化した後にも、このようなことは初めてだった。

 

「はっはっは!!なんだ?先ほどと違ってずいぶんと従順ではないか?だが、それに免じてチャンスをやろう。吾の問いに答えられたら考えてやる」

「・・・質問は何ですか」

 

 内心で何もできない無力な自分に罵詈雑言をぶつけているのだろう。瞳の端に涙をためつつ、雫が問うと、珠乃は楽しそうに嗤った。

 

「うむ!!吾や汝のような妖怪が人間から力を吸う時だがな?血はとても効率の良い入れ物じゃ。我らは血をすすることで力を得ることができる。じゃがの?」

「・・・・・」

 

 そこで、珠乃は間を置くと、続けた。

 

「血よりも濃い霊力が溶け込んだ、若い男からしか得られない体液とは、果たして何じゃろうなぁ?」

「まさか・・・それって」

 

 その答えはすぐに脳裏に浮かび上がった。しかし、口には出せなかった。この狐がやろうとしていることが形を成してしまうから。

 

「3、2、1。時間切れじゃな」

「あ・・・・」

 

 そこで、無情にも珠乃は答えを打ち明けた。

 

「覚えておくといい。我ら妖怪にとって一番の力の源はな?若い男の精に決まっておろう?」

「やめて!!お願い!!やめてください!!それだけは!!それだけは許して!!」

 

 雫は懇願した。妖怪としてのプライドなどかなぐり捨てた。涙があふれた。声も震えた。だが、それでも珠乃はその手を止めない。

 このままでは・・・・

 

--久路人が穢される。私以外の女の手で

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

 

 気が狂いそうだった。

 絶対に、絶対に認められないことだった。

 目の前の狐を百度殺してもなお足りないくらいの憎悪が巻き起こる。

 でも、体は動かなかった。

 

「うるさいのう。これからが本番なのじゃがな?今でこれでは、初めての男が他の女に絶頂させられた時に、どうなってしまうのかの?」

 

 実に楽しそうに、珠乃の顔に三日月のような笑みが浮かぶ。

 そして、久路人の顔を動かし、自分の顔を近づけた。久路人の首筋に付いた傷に舌を這わすと、久路人はビクリと震えた。

 

「おお、なんと芳醇な霊力!!陣で疲れた身によく染みる。この血があればまだまだ続けられそうじゃの」

「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 雫は壊れたスピーカーのように叫び続けるが、珠乃にはそれすら面白く映るのだろう。今度は久路人の顔に両手を添えた。

 

「そういえば、さっきの鏡狐ごしに見ていたが、汝らは接吻もまだなのだったな?ならば、吾がもらってやろう」

「あ・・・・・・・・・・・」

 

 珠乃の顔が久路人に近づく。そして、その唇に触れるほんの手前。

 

「・・・・ん」

 

 少年は目を開けた。

 

-----------

 

「・・・・ん?」

 

 僕は、何が何だかわからなかった。

 目の前に、さっきまで戦っていた珠乃の顔がある。

 体がうまく動かない。

 頭がぼんやりする。

 何か術でもかけられたのかもしれない。

 

「おお!!目を覚ましたか。これはいい!!反応が何もなければつまらんかったからのう」

 

 すぐ近くにある珠乃の顔が何か言っていたが、よくわからなかった。

 だって、僕の耳に届いたもう一つの声の方が大事だったから。

 

「久路人?久路人!!クソッ!!動け!!動きなさいよぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「しずく?」

 

 ぼんやりとする頭を動かそうとすると、珠乃の手が離れた。なんだかニヤニヤ笑っているが、ありがたい。しずくは、僕の好きな女の子はどこにいる?

 

「しずく・・・・」

 

 そうして僕は頭を動かして・・・・

 

 それを見た。

 

 

 

 雫が、その綺麗な手足を石にされて動けなくなっていた。

 

 

 

 雫が紅い瞳に涙を溜めて泣いていた。

 

 

 

 雫が、声を枯らしそうなほどに僕の名前を叫んでいた。

 

 

 

 雫はとても必死で、けれどもどうにもならないことが分かっているような、怒りと悲しみが混ざったような顔をしていた。

 

 

「・・・・・・」

 

 

 それを見た瞬間、ぼんやりとしていた頭がスッと冷えた。

 それは僕に一つのことを示していた。

 それは僕にとっては一つの証明だった。

 それはどんな理由があるにせよ、僕にとっては決して許してはいけないことだ。

 

「おお、なんと健気な従僕だろうなぁ!!ほれ、何か言ってやることはないのかの?」

 

 再び珠乃が何か言っているが、それは意味をなさない音として僕の脳を素通りしていく。

 

 

 雫の有様を見たその時から、僕の頭には一切の思考が消えていた。

 

 代わりにその身にあるのは、頭が凍り付いたように冷めていく感覚と・・・・

 

 胸の中を焦がしつくすような灼熱のナニカだった。

 

「・・・・・・だ」

 

 いや、もう一つあった。

 

「ん?なんと言ったかの?」

「・・・・違反だ」

「・・・何?」

 

 僕はまるで自分が機械になったようだとどこか他人事のように思いながらも声に出す。

 体の中を蟲のように這いずり回るおぞましい嫌悪感を吐き出すように。

 

 

 

--「でも、雫が不安なら約束するよ。僕だって、君に何かあったら必ず助けるし、守るって」

 

 

 それは幼いころに僕が雫と交わした約束だ。

 とてもとても、何よりも大事な約束だ。

 約束は守らなくてはならない。

 この世界は約束、決まり事、法則によって正しく回っている。約束は守らなければならない。守られなければならない。

 だが・・・・・

 

「・・・久路人?」

 

 今までの必死な様子から、怪訝そうな表情に変わった雫が僕を見ていた。

 その顔には、涙の跡がはっきりと残っていた。その手足は未だに石のままだ。

 それが意味するのは、たった一つのこと。

 

「ルール違反だ」

 

 僕は、約束を守れなかったのだ。

 

-----------

 

 次の瞬間、偽りの月夜に、つんざくような雷鳴がこだました。

 



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前日譚 天罰の執行者

あけましておめでとうございます。
本年も、この小説を読んでいただければ幸いです。

長く続けた九尾戦ですが、今回で決着です。


 昔からそうだった。

 

「ルール違反だ。そう、これはルール違反だ」

 

 口に出す。自分の荒れ狂う心の内を、少しでも吐き出さなければというように。

 

「ルール違反・・・・」

 

 僕は約束とか、ルールとかいうものを守らなくちゃ気が済まなかった。

 全部が全部っていうわけじゃない。「後で借りた百円返す」くらいの口約束とかそのくらいを破る程度ならまだ我慢できる。それでも・・・

 

 人間社会を円滑に回すための常識というルール

 人外はむやみに人間を襲ってはいけないという古に結ばれた協定

 親友との、今では異性として好きになった女の子との、守りあうという大事な約束。

 

 つまるところ、自分と雫、親しい人たち。そしてそれらを取り巻く世界の安寧を保つための決まり事。

 

 この約束だけは破っちゃいけないという想いは常に胸にあった。

 このルールは守らなければならない。

 そのはずだった。でも、できなかった。

 

「ああ、守れなかった。僕は約束を守れなかったんだから」

 

 ああ、今の僕の心中を何と言えばいいのだろう?後悔?怒り?悲しみ?嫌悪?あるいはその全てかもしれない。ルールを守れなかったということが、僕の心で消えない嵐のように暴れまわる。

 

「ああ・・・・」

 

 初めてそういう風に思ったのがいつからかは覚えていない。

 初めて妖怪に襲われた時かもしれない。あるいは別のタイミングだったかもしれない。

 僕自身でなくても、ルールを破る存在というものに、どうしようもない苛立ちを覚える。

 ああ、そうだ。今は他のやつらじゃない。とうとう、この僕が・・・・

 

「ああ、守れなかった。守れなかった。守れなかったんだ。守れなかった、破ってしまった。ああ、ルール違反だ。ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反」

「・・・久路人?」

「おい!!汝、何を言っている!?」

「ああっ!!ああっ!!あああああああああああっ!!!!約束をっ!!この僕が、絶対に守ると誓った約束をっ!!ルールを、守れなかったぁああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」

 

 叫ぶ。そうしなければ気が狂ってしまいそうだった!!

 雫と珠乃が何か言っているが、耳に入らない。気が付けば、僕の体は地面に投げ出されていた。きっと珠乃が突き飛ばしたのだろう。だが、それも気にならない。

 それは、僕が大事な約束を守れなかったから!!

 約束を破った罪悪感と嫌悪感が霊力とともに体を駆け巡る!!

 

「ああ、僕はっ!!僕はっぁあああアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!!!!!!!!!!」

 

 そうだ!!僕は大事な大事な、とても大切な約束を守れなかったのだ!!なんという罪深いことをしたのか!!雫とどんな顔をして向き合えばいいのかわからない!!かくなる上は腹を切って・・・

 

 

--要因を排除せよ

 

 

「あ」

 

 声が聞こえた。

 

 

--世界を乱す異物を除去せよ

 

 

 まるで僕の内側から囁くような声。

 その声を聞いた瞬間、頭が落ち着いた。やらなければならないことを思い出したのだ。そう、この感情の荒波をぶつけなければならない相手がいるではないか。自分を責める前にやることがある。

 

「・・・・・・」

 

 僕に約束を破らせたのは誰だ?どうしてそんなことになった?何が原因で、何が悪いかなんてわかりきっているだろう?

 

--法を犯す者に、罰を

 

 冷静になった頭で思う。

 そういえば、雫と会ったばかりのころもこんな気持ちになることがあった。確かクワガタを採りに近所の雑木林に行って、人間をトカゲの形に無理やり変えたような妖怪に襲われたときだ。あの時は、その少し前におじさんから「妖怪と人間は『魔人』と『魔竜』っつー馬鹿みたいに強い奴らが決めたルールで仲良くしねえといけない」と教えられていたのだ。おじさんが言う「ルール」というものは現世と常世の平和を守る上で大事なモノ、ということは子供だった僕にもよく理解できた。だから、そのルールを破ったトカゲモドキは悪いことをしていて、悪いことをしたからには罰を受けなきゃいけない、ルール違反の責任を取らせなければいけないと思ったのだった。あの時と同じだ。考えてみると珠乃は・・・

 

「そうか、お前はとっくにルールを破ってたんだな」

「はあ?」

 

 僕がそう言うが、珠乃は何が何だかわからないような顔をしていた。

 まったく、これだからアウトローってやつはいけない。自分が何をしでかしたのかもわかっていないのだ。現世と常世の平和を保つということは、この水槽の均衡を保つということ。それを無視して現世で騒ぎを起こすばかりか、世界にとっての癌とも言える陣まで展開するなんて、厚顔無恥にも程がある。世界はルールを守ることで成り立っている。その世界にルールを無視するどころか己の意思のみを規則とする別の世界を作るということがどれほど水槽の管理者をコケにしたことかまるで理解できていない。水槽の壁を無理矢理加工して増築するようなもので、水槽そのものを歪めかねない事態だと言うのに。怒りを通り越して悲しくなってしまう。

 

「いや、今更気が付いた僕も僕だな」

 

 思えば僕も随分と温くなった。

 確かに、これまではあまりにも襲い掛かって来る妖怪どもが多くて、それが日常のように感じていた。だが、それは本来あってはいけないことなのだ。人間の良識という、これまた大事な規範を守るために、僕はあまり異能を使うのは好きじゃないし、手荒なことも嫌いだ。だから、僕、というか雫にやってもらったのは、僕らに襲い掛かってくる妖怪だけを倒すという対処療法だ。いつの間にかそれで満足してしまっていた。だが、そんなものでは足りないのだ。この現世に平穏を壊すために、すなわち世界そのものの均衡を乱そうとする輩はすべて消し去るぐらいでちょうどいいのだ。ルール違反を直接犯さなくとも、見て見ぬふりだって立派な罪だ。だから・・・

 

 

--罪には罰を。罪人には贖いを。

 

 

「責任を取ろう」

「・・・何をさっきから言っておるかわからんが、少し黙れ」

 

 珠乃が再度近づいて、僕に手をかざした。何か術を撃つつもりなのだろう。ならば、対策をしなければ。幸い、今の僕には霊力が有り余っているうえに体の方も復調している。

 

 

--今ならば、今だけならば、使える術がある。

 

 

 僕の「血」はそう言った。

 すべてはこの無法者を誅するがため。陣を以て世界を乱す愚か者に罰を与えるため。

 僕は内側から語るような声に抗わず、その術を使う。

 

月読(ツクヨミ)

 

 与えられるのは神の視点。目に映るのは、紫色の毒々しい術。その術をまともに食らい、衰弱する自分の姿。

 ああ、そうか。こいつはどこまでもルールを破るつもりなんだな、と再確認する。それならば、僕も容赦はしない。

 

「狐毒・・・なっ!?」

「当たらないよ」

 

 ほぼゼロ距離で放たれた紫色の狐のようなナニカを、頭を軽くそらして避ける。何が来るのかわかっていれば、回避なんて簡単だ。今の僕にはそれができる。しかし、この距離は窮屈だな。ちょうど次に石化の霧が飛んでくるみたいだし、移動しなければ。

 

「どいてくれ」

「ちぃっ!?」

 

 僕が全身から体に纏わせるように雷を出すと、術を出そうとしていた珠乃は後ろに跳んで僕から離れた。これで動きやすくなった。僕はそのまま雫の近くまで移動し、雫を後ろに庇うように立ちながら、珠乃を見た。

 大丈夫だ。あいつは僕を警戒している。しばらくは、向こうから術は撃ってこない。

 

「久路人?さっきから、なんか変だよ?それに、そんな術見たことないし、一体どうした・・・」

「責任を取るんだ」

「え?」

 

 雫が呆けたような声を出す。僕が約束を交わした女の子。僕が好きになった女の子。僕は彼女を守れなかった。約束したのに守れなかった。彼女を傷つけたのはあの狐だ。世界のルールどころか、雫にまで手を出した。

 

「責任を取らなくちゃいけない」

 

 雫との約束を守れなかったことの責任。その償いを。

 

「責任を取らせなきゃいけない」

 

 世界のルールを犯した責任。その罰を。

 

 

「『そのすべての元を断ち、清算する』」

 

 

 あの狐を、この世界から消すことを以て。

 

 

神在月(カミアリヅキ)

 

 

 僕が術を使うと同時、偽りの月夜に耳をつんざくような雷鳴がこだました。

 

-----------

 

「何だ!?その妙な霊力は!?」

 

 珠乃は先ほどまでの情緒不安定な状態から一変して、能面のように無表情となったまま構える久路人に、珠乃はまくし立てた。

 

「・・・・・・」

 

 久路人は答えない。

 耳に入るのはシュウシュウ・・・と水蒸気の噴き出る音だけだ。巨大なドームほどはあろうかという太さの雷が降り注ぎ、珠乃の周囲の地面は黒く焦げ、未だに赤熱していた。咄嗟に発動した結界によって、珠乃の足元だけは元の地面が残っているが、完全には防ぎきれなかったようで、着物はところどころ焦げていた。

 

(ヤツの霊力は雷だけだったはず!!だが、今感じるのはそれだけではない!!何の属性かもわからんが、凄まじいもう一つの霊力が溢れている!!)

 

 通常、人間だろうが妖怪だろうが、霊力には属性がある。属性は多種多様であるが、火、土、水、風、雷あたりが基本五属性とも呼ばれる。京や珠乃のように複数の属性を持つ者もいるが、久路人は間違いなく、鏡狐と戦っていた時には雷の属性しか帯びていなかった。

 

(だが、今のヤツが放つコレは?背筋が粟立つ・・・・炎のような熱さも、雷のような痺れも、水の冷たさも感じない。ただ、純粋な力の塊。無形の圧力。そんなナニカだ。あれが、月宮の持つ力なのか?)

 

 珠乃にはもはや油断はない。

 先ほどの久路人の戦いでは一瞬の油断から稲妻のような速さで心臓を貫かれた。こうしている今も、少しでも隙をさらせばそれだけで首を落とされそうなプレッシャーを感じていた。だが、付け入る点がないではない。

 

(妙な力こそ感じるが、肉体への負担がない、というわけではなさそうじゃの)

「久路人・・・」

 

 珠乃がそう思うと同じく、雫が痛ましげな声を出した。

 

「・・・・・」

 

 久路人の腕から、血が伝っていた。まるで内側から溢れる力が無理やり出てこようとしたかの如く、二の腕にぱっくりと大きな裂傷が開いていた。

 

(あの厄介な砂鉄はすべて、前の空間ごと消した。ヤツの攻撃手段は遠距離の術のみだ。ならば、少し耐え凌ぐだけで、ヤツは自滅する)

 

 今のススキ原は、久路人が戦った場所とは異なる空間だ。前の空間にいた時、珠乃は万が一抵抗されたときのことを考え、傷を治すのは最低限とした上で黒鉄をすべて破棄したのだ。

 

(そうだ。あの異質な力は警戒に値するが、焦る必要はない。ヤツの血で、霊力も賄えた。何も問題は・・・)

霹靂神(ハタタガミ)

「なぁ!?」

「久路人!?」

 

 腕から血を流しながらも、それを一切気にした様子もなく、久路人は次の術を放つ。

 放たれたのは雫の瀑布を超える、雷の大津波。

 

「狐塚!!・・・・・ぐぅううううううううう!?」

 

 回避は間に合わないと悟り、土壁を出すも、雷は壁を紙の如く突き破って珠乃を飲み込んだ。

 

「・・・・・」

 

 ブツリと、今度は頬に深い裂け目ができるが、久路人に動じた様子はない。

 

「おのれぇ!!」

 

 そこで、全身を焦げ付かせた珠乃が激高しながら飛び掛かって来る。

 

「死ねぇ!!幻炎!!」

「・・・・・」

 

 目の前に炎の塊が迫るも、久路人に焦りは見られない。まるで、そう来るのが分かっていたかのようだった。だが・・

 

(この炎を汝は躱せぬ!!)

「あ・・・」

 

 雫が思わず声を出す。久路人は雫を庇うように立っていた。久路人が避ければ、雫にそのまま直撃する。普段ならばいざ知らず、手足が石化した状態で食らえばどうなるかなどすぐわかることだろう。

 

避雷神(ヒライシン)

 

 しかし、爆炎が雫の手足を砕くことはなかった。

 まさに雷光のような速さで動いた久路人が、雫を抱えて移動したからだ。さらに・・・

 

神威(カムイ)

 

 雫を抱えたまま跳びあがった久路人は、まるで日輪のように全身から稲光を放った。

 その光は偽りの月光を塗りつぶし、ススキ原を銀色から黄金に染める。

 

「ぐっ!?」

 

 雫が座らされていた椅子の影から、黒焦げの人型が飛び出した。久路人が炎を防いでいる隙に、分身で雫を人質にでもしようとしたのだろう。

 

「・・・・盾と武器がいるな」

 

 術の影響か、腕に新しい傷を作りながらも、久路人はそう呟いた。

 

「く、久路人・・・」

 

 抱えられた雫にはわかった。傷ができているのは腕だけではない。服の下にも、おびただしい量の血が流れていると。珠乃は傷を治したが、それはあくまで応急処置。激しい術と運動の連発で傷が開いたのだ。

 

「久路人!!それ以上無茶しちゃダメ!!もう少し待てばこの石化も・・・」

 

 雫は久路人に訴えかけた。

 ただでさえ、その霊力の高さから軽い身体強化の術だけでもダメージがあるのだ。これほどの規模の術を使い続けて、生きているのがもはや奇跡なのである。

 

「・・・・ああ、なるほど。こうすれば届くのか」

「久路人?ねえ、お願い!!話を聞いて!!」

 

 その声は届かない。

 まるで聞こえていないかのように、久路人は霊力を高め始めた。その独り言は、一体誰に向けて、何を見て口に出したものなのか。

 

「・・・何をしようとしているのか分らんが、させるはずがなかろう!!」

 

 珠乃には久路人の意図はわからなかった。しかし、全身を針で突かれたような圧を感じていた。

 

(マズい!!アレは止めねばマズい!!ヤツと蛇どころか、吾まで巻き込んで殺しかねんほどの力だ!!)

 

「炎獄!!」

 

 ススキ原を燃やし尽くしかねないほどの炎の塊が現れる。

 炎の狙いはもちろん久路人だ。珠乃は久路人を殺すつもりで術を放った。血を得ることよりも、ここでアレを撃たせたら、最悪ここにいる者全員が死ぬ可能性を危惧したのだ。

 

「・・・・・」

 

 それでも、久路人は一切の動揺を見せなかった。これまでのように、まるでその先の結末が分かっているように。

 

 

 パシンと音を立てて、炎がかき消された。

 

「な!?何が起きた!?」

「れ、霊力だけで、あの炎を消したの・・・?」

 

 炎を防いだのは、何の形もとっていない、純粋な霊力だった。

 霊力とは、生命力や精神力が魂という世界の欠片に染まって変質したエネルギーだ。確かにそれそのものが破壊力を持つが、術によって加工されていない霊力にできるのは指向性を伴わない破壊のみ。特定のものだけを選んでまるごと消滅させてしまうような真似は不可能なはずなのだ。そもそも、久路人や雫が影の中の珠乃に攻撃したときのように術としての形を持っていなければ、その破壊力にしても大きく劣る。

 霊力を霧に例えるのならば、術というのはその霧を集めて固めて、水や氷に変えて出すものだ。その際、術そのものが放つ霊力は冷気のように特定の効果を持つ。しかし、なんの加工もしなければ、霊力は漂う霧でしかない。

 

「・・・・・」

 

 久路人は黙したままだ。ただひたすらに、霊力を高め続けていた。

 

「これが、これが月宮の持つ力なのか?」

 

 目の前の信じられないような光景を見て、珠乃がうわごとのように呟いた。

 

「現代にまで続く、『天使』の一族。もっとも水槽を覗く者に近い血を持つ血族」

 

 封印が解け、葛原の地の霊能者を傀儡とした後、珠乃は現代の現世のことを調べさせた。それは今の自分を脅かす敵を知るためであったが、それによって高名な七賢や悪名高い旅団について知った。そんな情報の中に、月宮一族に関するものもあったのだ。

 

 

--月宮一族は天の一族。一族のすべてが天にまつわる異能を持つ。大いなる力の片鱗を宿す者たち。

 

 

「・・・・溜まった」

 

 久路人はそこで、ポツリと口に出した。

 その周りには、眩い黄金の輝きが目に視えるほどに濃密な霊力が渦巻いている。

 

 

--月宮一族が天にまつわる異能を持つのは、その始まりに天より降りた祝福を宿す者がいたからだ。

 

 

「久路人・・・」

 

 久路人の腕の中で、雫は力無くその名を呼んだ。

 嵐のような霊力の奔流のただなかにありながらも、その体に傷はない。だが、「もう止まらない」という、諦めに近い確信がその声にはあった。

 

 

--雷とは、すなわち神鳴り。天上の存在が振るう力の欠片。初代の先祖返りとも言える久路人に宿る力は、人の身で扱える程度に零落したといえど・・

 

 

「偽りの世界に終焉を。今ここに、裁きを下す」

 

 久路人はそこで、上を見た。空に浮かぶ、偽りの月。その月を、空を砕くように睨みつけ、その名を唱える。

 

--その力は、まごうことなき神の力!!

 

鳴神(ナルカミ)!!」

 

 夜空を割るかの如く、一筋の眩い閃光が、地上から天へと昇っていった。

 

 

-----------

 

「う・・・・」

 

 目がつぶれるかと思うほどの閃光が通り過ぎた後、雫は目を開けた。

 

「久路人、久路人は?」

 

 今、雫は地面に転がっていた。さっきまでは久路人の腕の中にいたのだが。抱えられている時は、いわゆるお姫様だっこというやつで、こんな状況でもなければ喜びの余り発狂していたかもしれない。だが、久路人の温もりは感じられない。

 

「あ、腕が戻ってる」

 

 とりあえず周囲を探ろうと腕を動かしたら、ぎこちなくはあったが、動いた。どうやら石化の術が解けたようだ。とはいえ、毒はまだ残っているようで、霊力ともども、いつものように動かすのはまだ無理だったが。

 

「そうだ!!久路人は・・・いた!!」

 

 周りを見回すと、少し離れたところで久路人が立ち上がるところだった。

 さきほどの雷の術の威力が高すぎて、雫ごと吹き飛ばされたのだろう。立ち上がれるということは、生きているということだ。

 

「よかった!!久路人・・・・えっ!?」

 

 そのままふらつきながらも雫は立ち上がり、よろめきつつ、久路人に駆け寄る。

 そして、そこで気が付いた。

 

「・・・・・」

「久路人?」

 

 久路人の周りに、黒い糸のようなモノが漂っている。それはまるで操り人形を手繰る糸のようで・・・

 

「久路人!?」

 

 雫はそこでようやく理解した。久路人は立ち上がったのではない。立ち上がらされたのだ。その身に繋がる、黒鉄の糸で。

 

「・・・・・」

 

 久路人の目に光がない。片目から血を流しながらも、焦点の合ってない瞳はひたすらに前を見ていた。そして、動きのない本人とは逆に、その周りに集まる黒い砂鉄の量は見る見るうちに増えていく。

 

「何!?何が起きてるの!?」

 

 思わず叫んだ雫は、黒鉄の動きを目で追っていた。

 今、この黒鉄が久路人を動かそうとしている。この事態を起こしているモノに繋がっているのかもしれない、と。

 

「え?空が、割れてる?」

 

 黒鉄は空から降ってくるように集まっていた。雫が空を見上げると、月夜はそこになく、空には大きな亀裂がそこかしこに走っていた。その隙間から、薄ぼんやりとしたオレンジ色の光とともに、黒い砂が流砂のように流れ込んでいた。

 

「何、アレ?もしかして、外と繋がってるの?・・・・陣を、壊したっていうの?」

 

 さきほどまでの戦いで、久路人は得意とする黒鉄を使わなかった。恐らくは珠乃によって没収か破棄されたのだろうと雫は思っていたが、それは正解であった。ともかく、今までこの世界に黒鉄はなかった。なのに、今この場にあるということは、外の世界にプールしてあった分を呼び戻しているに違いない。

 だが、それはありえないことだ。陣は現世でも常世でもない別の世界。隣接はすれど、術者の許可なく干渉などできない。そんなことができるというならば、それは世界そのものを壊したということだ。

 

「黒鉄外套、装備完了・・・・」

「久路人!!ねえ、久路人!!」

 

 そこで、砂鉄が形作る黒いマントに身を包んだ久路人は口を開いた。普段とは違う、何の温度もない声が響く。雫が呼びかけるも、反応はない。

 

「陣の破壊は・・・不完全。術者は・・・・生存・・・・排除、未遂」

 

 久路人の右手に、黒鉄が集まっていく。それは、久路人の手の中で長十手のような直刀に形を変える。

 

「・・・雫、保護対象の、確保」

「やっ!?なにこれ!?」

 

 ほんの瞬きの間に、雫の周りにも黒鉄が集まったかと思えば、黒い檻の中に雫はいた。

 

「久路人!!もうやめて!!後は私がやるから!!それ以上は久路人が死んじゃう!!!」

 

 雫が檻の隙間から手を伸ばすも、久路人には届かない。

 久路人は、血まみれの手で刀を握りしめた。久路人を吊り上げるような糸がユラユラと蠢き、久路人はフラリと歩き出す。

 

「罰の執行を・・・・再開する!!」

「久路人!!」

 

 雫の頬を涙が伝う。あまりにも、自分が惨めだった。自分の無力が憎かった。

 何が護衛だ!!久路人を守れなかったどころか、久路人に逆に庇われている!!久路人は今も死にかけるほど傷を負っているのに、それを止めることすらできていないじゃないか!!!

 

「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!」

 

 そんな雫をよそに、獣の咆哮が響いた。

 ガラリと音を立てて、あちこちがめくれ上がった地面をさらに壊しながら、家ほどもある狐が現れた。

 

「危険だ!!貴様は、危険すぎる!!」

 

 狐は、否、珠乃は吠えた。

 

「陣を、世界を壊す力!!ああ、それは吾が望んだ力だ!!だが、ソレは、一個の命が持つにはあまりにも過ぎた力だ!!ほんの少しだけで、あらゆるものを狂わせる!!」

 

 その力は、すべてを滅ぼしかねない。ともすれば、何かを壊す前に、その持ち主に牙を向くだろう。だが、それは世界のありように似ていた。あまりにも大きくて、ほんの少し身じろぎしただけで、運の悪いものを踏みつぶしていく、世界そのものと。かつて、狐の化身とその夫を襲った時のように。そして、目の前の少年の持つ力は、世界そのものとも言える存在の欠片だ。すなわち、世界とつながった存在だ。過去も、そして今も、世界は珠乃の前に立ちふさがる。そう、それが世界の意思だとするのならば・・・・

 

「吾を、晴を、弄んだ報いを受けよぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!」

 

 九本の尾がうねり、灰色の霧が火砕流もかくやと久路人に迫る。

 

「殺生石ノ法!!」

 

 それは、珠乃の怒りのすべてだった。かつて、自分と夫を襲った理不尽。それを引き起こした世界そのものの力を持つ者が、目の前にいる。湧き上がる怒りは、すべてが霊力へと変わり、万物を石と化す灰色の嵐となった。

 

「蓄電・・・完了!!」

 

 しかし、久路人には、その血を流す紫の瞳には、何が来るか分かっていた。それを壊すための準備もできていた。

 いつの間にか、久路人の周りを漂う砂の色が変わっていた。鈍く光る黒から、鮮やかな紅色に。久路人の掲げた刀の周りに、渦を巻くように紅い輝きが宿る。

 

紅月(こうげつ)

 

 紅く熱を帯びた鉄は、久路人の太刀筋に合わせて形を三日月へと変えた。

 あらゆるものを焼き切る美しい月が、灰色の嵐とぶつかり合う。

 

「・・・・!!?」

「ぐぅ!!!?」

 

 刹那、爆発。

 

 ぶつかり合った殺意の塊は、お互いを食らい合った。

 爆風が地面を吹き飛ばし、視界が役に立たなくなる。

 

「はあああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」

「があああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」

 

 しかし、久路人と珠乃には、そんなことは何の関係もなかった。

 久路人はすべてを見通す目が。珠乃には、獣の鼻があった。

 黒衣の少年と古狐は、再度ぶつかり合う。今度は術ではなく、その武器を以て。

 

--久路人の纏う黒鉄のマントが剥がれ落ちると、手に持った刀に吸い込まれていく。周囲を漂っていた黒鉄も同様だ。それは、防御を捨てて、貧弱な人間の体を晒して放つ一撃。からくりの如く体を操る糸が忙しなく蠢き、最も効率よく、すべてのエネルギーをその一撃に詰め込む構えを取る。

 

--珠乃の九本あった尾の内、八本が影に沈むように消えると、影から八本の触手が伸びてその爪に纏わりついた。これまで積み上げてきた霊力のすべてをつぎ込んだ一撃。その影が含むのは、数多の人間を葬ってきた毒の全て。

 

砕月(さいげつ)!!」

孤影瘴全(こえいしょうぜん)!!」

 

 月すら砕くような刺突と、瘴気を纏った爪がぶつかり合った。

 

「くぅうううううううううっ!!!!!!!!!!!」

「おおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!」

 

 月にまで届きそうな一撃が、珠乃の爪を砕く。

 鉄すら侵す猛毒が、久路人の刀を溶かす。

 

「く、おお、おあああああああああああ!!!!!!」

「死ねぇええええええええええええええ!!!!!!」

 

 二つの勢いは互角だった。

 お互いがお互いを食らい合い、その命を奪おうとする。

 どちらも譲らない。譲れない。

 

 久路人には、己の信念と、この世界そのものからの勅令が。

 珠乃には、永い時をかけてため込まれた世界への憎しみが。

 

 どちらも譲らない。譲れない。

 お互いに一歩も引くことなく、殺意の刃を押し付け合う。

 

「ぐ、ああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」

「ははっ、ははははははははははははぁぁぁあああっ!!!!!!!!」

 

 だが、それは永遠には続かない。

 決着は、必ず付くものだ。

 狐の哄笑とともに、黒い刃が押され始めた。

 

「はははははははははっ!!!ははははぁぁぁあっ!!!!そうだ!!貴様は・・・・」

 

 狐は嗤う。この勝負における、久路人の敗因を。

 

「貴様は所詮!!人間だぁぁぁあああああああああっ!!!」

「く、く、クソォォォオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 久路人の体が悲鳴を上げる。

 一人、珠乃の分身と戦い、傷が癒えたばかりだというのに、世界を揺るがすような術を連発。その上で今の鍔迫り合いだ。体はとっくに限界だった。体のあちこちが裂け、肌の色が見えないほどに血に塗れている。それは、久路人が人間だから。脆い人間の肉体の、限界であった。

 そしてとうとう、その黒い刀に、ピシリとヒビが入る。黒鉄の制御すら、もはや手放しかけていた。

 

「これで、終わりじゃあぁぁぁぁぁぁァアアアアアアアアアアアっ!!!!!!!!!」

「がぁぁぁああああああああああああっ!!!!?」

 

 久路人の刀が砕け、同じように欠けながらも、まだ鋭さを残した凶爪が、久路人の心臓をめがけて突き出され・・・・・

 

「させるかぁぁあああああああああああああああ!!!!!!!」

「なっ!?」

 

 血を固めたような薙刀が、爪を流水に乗せるかのように受け流した。

 全力を込めた一撃を流され、狐の体が宙を泳いだ。

 

「久路人ぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「はぁぁあああああああああああ!!!!!」

 

 最後は一瞬だった。

 

「お、おの、れぇぇ・・・・・」

 

 散らばった砂鉄が瞬時に集まり刃を作ると、月光のような輝きとともに振りぬかれ、狐の首が空に舞った。

 紅い薙刀が奔り、津波のごとき勢いで、心臓ごと狐の胴体を縦に両断する。

 

 小さく怨嗟の声を残し、永き時を生きた、人間と世界と、なにより己を憎んだ古き狐は、動かなくなった。

 

「久路人!!」

 

 だが、蛇の娘には、そんなことはどうでもよかった。

 

「久路人!!!!」

 

 さきほどの胴を断つ一撃で残っていた毒が広がったのか、全身に走る倦怠感に襲われつつも駆けだした。

 

「・・・・・」

 

 雫の向かう先では、ドサリ、と文字通り糸が切れたように、久路人が倒れるところだった。

 




最近評価とか色々ご無沙汰ですので、押していただければ私のお年玉代わりになります!!

あと、「ここよかった!!」とか、「なんだこの展開いみわかんねーよ!!」とかあったら、感想お願いします!!


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前日譚 永遠にあなたと在るために

筆が乗ったので、ついつい書いちゃいました。
色々と粗いので、後で手直しするかもしれません。
久しぶりにヤンデレ書けて生き返った気分。


 ほんの少し前までススキ原だった荒れ地の上、空の至る所に、黒い亀裂が走っていた。

 

「久路人!!久路人ぉ!!」

 

 ひび割れていく世界の中で、悲痛な声を上げながら雫は久路人に駆け寄る。

 

「・・・・・」

 

 しかし、その声に返事はなかった。

 あの鍔迫り合いの最中で久路人が砂鉄の制御を失いかけたために、もう雫を囲っていた牢は欠片も残っておらず、同じように、さきほどまでその体を人形のように操っていた黒鉄の糸は霧散し、まさしく物言わぬ人形のように、少年は動かない。

 

「ひどい傷・・・・」

 

 久路人の黒鉄のマントはすでに無く、服は激戦の余波でぼろきれと化し、素肌が見えていた。

 そして、雫の言う通り、久路人の身体はひどいものだった。

 霊力の過剰行使による全身への裂傷とそこからの出血はもちろんだが、あの「鳴神」という術と、珠乃との最後の鍔迫り合いが特に響いたのだろう。胸の裂傷を塞ぐように心臓を中心として鎖骨まで広がるように火傷が走り、刀を持っていた腕と、体を支えていた脚は骨が折れておかしな方向を向いていた。

 

「早く・・・早く手当しなきゃ!!」

 

 自身の体も、珠乃の石化の毒による影響が残っており、本調子ではなかったが、そんなことは気にもならなかった。

 雫は水を出すと、久路人の体を洗い流し、傷口の上で水の動きを固定する。そうすることで止血はできるはずだった。

 

「・・・・・」

「ダメ!!こんなのじゃ足りない!!」

 

 だが、それは漏れ出る血を止めただけだ。体に負った損傷を癒すことなどできはしなかった。

 

「そうだ!!治療用の術具が・・・・」

 

 そこで、普段訓練の後に使う治療用の術具の存在を思い出した。本格的なモノは月宮家の備え付けだが、簡易のものならば携帯していた。そちらはほとんど使う機会もなかったために今の今まで忘れていた。

 

「あ・・壊れてる」

 

 しかし、先ほどまでの激戦で、その術具も壊れてしまっていた。石化していることから、獣となった珠乃に咬まれたときに体ごと貫かれたのだろう。

 

「どうしよう・・・・どうしよう!!」

 

 雫の頭の中が真っ白になった。どうしていいのか、まるで分らなくなったのだ。

 

「死ぬ・・・このままじゃ、久路人が死んじゃう!!」

 

 頭の中は白く、目の前は黒に染まるようだった。

 

--いつか必ず訪れる、永遠の別れ

 

 珠乃の言った言葉が、雫の中に蘇る。

 

「やだ・・やだよ!!絶対に嫌!!」

 

 久路人が死ぬ。

 久路人と二度と会えなくなる。

 久路人と二度と話せなくなる。

 久路人と二度と笑えなくなる。

 久路人と二度と触れ合えなくなる。

 久路人と二度と共に過ごせなくなる。

 

「やだ!!やだやだやだやだ!!やだやだやだやだやだやだやだやだヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!!」

 

--まだ、一度も気持ちを伝えてないのに!!

 

 駄々をこねる子供のように、雫はひたすらに叫ぶ。だが、それで状況は変わらない。

 

 ガラガラと世界が崩れる音がする。

 珠乃の開いた陣は、久路人の術と術者が倒れていたことで壊れかけていた。しかし、その速さが妙に遅く感じられる。

 

「早く、早く!!」

 

--早くここを出なければいけないのに!!

 

 はるか上のひび割れを、血走った眼で見つめるも、崩れ落ちる速さは変わらなかった。

 何も変わらない。叫ぼうが、睨もうが、何をしようが。

 かつて護衛として契約を結んだ少女に、できることは見つからなかった。

 

「ちくしょう、ちくしょぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 

 幾度目かになるか分からない、雫の涙。

 悔しかった。憎らしかった。怒りが止まらなかった。

 ああ、なんで・・・

 

「私は!!私は何でこんなに役立たずなの!?」