白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話 (二本角)
しおりを挟む

短編集
白蛇と彼の一日(短編版)


ふと思い立って以前になろうで投稿した小説をハーメルンでも投稿。
ヤンデレ大好き。

2020/12/6 勝手ながら、このお話は短編版とすることにしました。
大まかな流れはそのままの予定ですが、連載版は久路人の好感度がもっと高いです。

2021/1/26
この短編をリメイクした連載版を次話に投稿しました。

2021/7/29
リメイクを3章の始めに移動しました。


 昔々、あるところにとてもとても強い蛇がおりました。

 

 蛇はいつもいつも退屈していて、暇つぶしに畑を洪水で押し流したり、村に大雪を降らせたりしました。

 

 村人たちは狩った獲物を貢物に差し出しますが、蛇は全然大人しくなりませんでした。

 

 困った村の人々は、偶然訪れた旅のお坊様に蛇を退治してくれと頼みました。

 

 お坊様は村人のお願いを聞き入れ、持っていた特別なお酒を蛇に贈るように言いました。

 

 村人から酒をもらった蛇は嬉しそうにがぶがぶと飲み干して、酔っぱらって寝てしまいました。

 

 お坊様が寝ている蛇になにやら経文を書き込むと、蛇はどこかに消えてしまいました。

 

 驚いた村人はお坊様に聞きました。

 

「蛇はどこに行ったのでしょうか?」

 

 お坊様は答えました。

 

「あちら側に帰ったのだ」

 

 こうして蛇はいなくなり、村の人々は幸せに暮らしましたとさ。

 

 めでたしめでたし。

 

 

―――そんな昔話から長い長い時が流れ・・・

 

 

 

「珍しいな・・・白い蛇?」

 

 

 

 霧雨の降るある日のこと、幼い男の子は白い蛇を拾った。

 

 

 

―――

 

 

 

「・・・・・朝か」

 

 

 突然だが、主人公というモノを描写するテンプレートというものをご存じだろうか。

 

 本屋に行くでもネット小説の投稿サイトを見るでもいいが、その多くにはやれ「俺は普通の~」だの、やれ「どこにでもいる~」だのといった紹介が溢れていることだろう。いわゆるテンプレというやつだ。テンプレートというものは、手垢がつくほど使われ続けることで定型となるに至ったもので、それそのものは使われ続けられるほどに良いモノだということだ。

 

 だが、問題なのはその後で、散々普通だのなんだの言っておいたくせに常人では人生を10回繰り返しても遭遇しないような珍事に巻き込まれ、やはり一般人なら20回は死んでるような状況から生還するなんて物語もたくさんある。他にも今時幼馴染が朝に不法侵入して起こしに来てくれたり、突如異世界に召喚されていきなり殺人行為に及んだりと、「いや、ソレ全然普通じゃねーから」と突っ込みたくてたまらなくなる昨今である。

 

 

「・・・・・」

 

 

 窓から差し込んできた朝日を浴びて目を覚ましつつ、どうして僕がこんなことを考えているのかといえば、それは早速僕が普通ではない事態に陥っているからだ。

 

 

「うわ、やっぱり今日もいるよ・・・」

 

 

 布団を捲りながら僕は思わず声を漏らす。

 

 朝日が差し込む少し前にまどろんでいた時から違和感はあったのだが、気のせいだろうと思い込んでいた。

 

 昨日の僕は確かに一人でベッドに潜り込み、しばらく暗闇の中で何も考えずにぼうっとしたままでいて、いつしか眠りに落ちていた。その間、間違いなく僕の部屋には僕しかいなかったはずなのだ。

 

 そのはずなのに・・・

 

 

「んんぅ~? もう朝ぁ?」

 

 

 僕の隣に女の子が一人眠っていた。

 

 布団をはがされたことで目が覚めたのか、その女は起き上がりながら伸びをして、日本人にはありえないような美しい銀髪がサラリと流れる。どこかの漫画の中から出てきたのかと思わせるような整った顔立ちの彼女ならば、「ふぁぁ~」とあくびする姿でさえ絵になっているが、自室のベッドという不可侵のテリトリーを侵されている僕にとっては侵略者の示威行動と何ら変わりない。

 

 伸びをした時に白い着物越しにはっきりと浮かび上がる小高い丘を努めて見ないようにしながら、僕はとげのある口調で口を開いた。

 

 

「あのさ、僕、昨日は誰もこの部屋入れた覚えはないんだけど?不法侵入とかモラルって言葉知ってる?」

 

「知ってるけど? 私がここにいることと関係あるの?」

 

 

 僕のじっとりとした視線を意にも介さず、僕のセリフの前半をバッサリ無視して腹立たしいほど可愛らしく小首をかしげてみせる。

 

 思わず顔面に拳を打ち込みたくなったが、やったところで何の意味もないのはこれまでの経験からよくわかっている。

 

 

「何にも言わずに人が寝てるベッドに入ってくるってどうよ?夫婦でも驚くっていうか、あんまやらないと思うんだよね」

 

「えっ!? じゃあ私と久路人(くろと)は夫婦よりも固いきずなで結ばれた親密度MAXの関係ってこと!?今日から私は月宮雫(つきみやしずく)!? もぅ~朝から照れるよぉ~!!」

 

 

 赤くなった頬に両手を当ててブンブン首を振る姿には殺意しかわかないが、やはりどうしようもないので行き場のない思いをため息に乗せて吐き出す。

 

 この脳みそが桃色に染まった生き物に構うのは貴重な朝のひと時をどぶに捨てるに等しい。

 

 僕はベッドの壁際の方に寝ていたので、目の前にいる彼女、雫を押しのけてベッドから降りようとしたが、その手が彼女に触れようとした瞬間、ガシッと手首をつかまれた。

 

 

「・・・何かな? 早く朝飯食べて大学行きたいんだけど」

 

「久路人の朝ごはんなら昨日作って冷蔵庫にしまっといたからレンチンするだけですぐできるよ・・・・先に私の「朝ごはん」、済ませてもいい?」

 

 

 疑問形で聞いてはいるが、爛々と輝く紅い瞳を見るに僕を逃がす気はないようだ。一応手を振りほどこうとわずかばかりの抵抗を試みるがピクリとも動かない。リンゴなど片腕どころか指でつまむだけで粉々にできるだろう。これはさっさと抵抗せずに済ませた方が早そうだ。

 

 

「わかったよ。あんまり時間に余裕ないから手短にね」

 

「はーい!!じゃ、いただきます!!」

 

 僕が首の付け根に付けていたガーゼを剥がすと、雫が僕に抱き着いてガーゼの下の傷口に口を寄せ・・

 

「れろっ・・」

 

「・・!!」

 

 鼻孔に広がる雫のほのかに甘い匂いと傷口に這わされた生暖かい舌の感触があまりにも刺激的すぎて、僕はたまらずビクリと震え、僕に抱き着く雫にしがみつく。一体どういう舌をしているのか、数日前に付いた傷からたった今切り付けられたかのように血が流れていくのを感じる。それでいて、まったく痛みがないのが不思議である。

 

 

「えへへっ」

 

「・・・っ」

 

 

 僕が雫を抱き返したようになったのが嬉しいのか、さらにギュっと力を込めて僕を抱きながら甘露を舐めるように僕の血を舌で掬い取っていく。

 

 

「れろっ・・・おいしい」

 

「そりゃよかったよ」

 

 

 生返事を返しながらため息をつく。

 

 先ほどまで雫に抱いていた苛立ちがいつの間にか消えて、どこか落ち着いたような気分になってることに少しイライラする。僕も随分と毒されたもんだ。

 

 

「もういいでしょ。あんま時間ないし、これぐらいにしてくれ」

 

「えぇ~!!もう終わり!? お願い!!もうちょっとだけ!!減るもんじゃないし」

 

「思いっきり減るわ!!っていうかこれ以上吸われたら貧血になるわ!!ホント早く離してってば」

 

「ちぇ~」

 

 

 不満そうな顔をしながらも、僕が本気で言っているのを敏感に感じ取ったのか、名残惜しそうに雫の腕が僕から離れる。

 

 

「じゃ、朝ごはんご馳走になったし、今度は久路人の朝ごはん用意してくるね!!」

 

「・・・よろしく」

 

 

 血を吸われたことで生じたわずかな倦怠感に身を任せつつ応えると、雫は勝手知ったる我が家とでもいうかのように部屋を出ててパタパタと駆けていった。

 

 

「はぁ・・・」

 

 

 口から今朝何度目のものとも知れないため息が出る。

 

 

「朝起きたら隣に美少女が寝てて、朝飯代わりに血を吸われるって・・・」

 

 

 文字に起こしてみると異常しかない。けれど、そんな異常が続いて、今では僕の日常になりつつある。

 

 

「僕はどこにでもいる普通の大学生・・・・・なんてとても言えないよね、コレ」

 

 

 改めて自分の日常の異常さを自覚しつつも、僕はベッドから抜け出して廊下に出ながら言葉に出してみる。

 

「拾った蛇がアルビノヤンデレ美少女になるとか普通思わないから」

 

 

 廊下には食欲を刺激するいい匂いが漂っていた。

 

 

 

 

-----------

 

 

 

 

「ねー久路人。学校なんて行かなくても生きてけるよ?だから家に戻って一緒にゴロゴロしよ?」

 

「うるさいダメ妖怪。せっかく通わせてもらってるんだし、大学はきちんと卒業したいんだよ」

 

「大学卒業してどうするの?久路人って社会不適応者になりそうだし、意味ないと思うけどな~。まあ、私が養うからいいんだけど」

 

「余計なお世話だよ・・・」

 

 

 大学への道を自転車で走りながら僕は口を開く。その隣を雫が宙に浮きながら並走しているが、道行く人は誰も振り返らない。やはりコイツは僕にしか見えていないらしい。

 

 

「はぁ・・」

 

「ため息つくと幸せが逃げるよ。あ!!もしかして私に幸せにして欲しいってこと?それなら・・・」

 

「誰のせいで僕がため息ついたと思ってんだよ・・・」

 

 

 僕はどこにでもいない普通じゃない大学生だ。

 

 自分で言うのはどうかと思うが、客観的に見てもそうだろう。

 

 まず第一に・・・

 

 

「えーと、久路人のおじさん?」

 

「・・・・」

 

 

 コイツが見えることだ。いわゆる霊能者というやつなんだろう。

 

 物心がついたころから、雫に限らずいろんなよくわからないモノを見てきた。

 

 

「ホント、おじさんがいてくれたら・・・」

 

「最後に私が見たの、2年前だったかな~」

 

 

 二つ目は家族構成だ。僕は自分の両親と会ったことがない。そんな僕を育ててくれたのがおじさんである。おじさんも僕と同じような霊能者で、自分たち「見える人」の常識と世間一般の常識を教えてくれなかったら、小学校に通うことすらできなかったろう。そんなおじさんはいつもどこかを飛び回っており、滅多に家に帰ってこない。生活費は振り込まれ続けてるから生きてはいるのだろうが。

 

 そして、三つ目。

 

 

「・・・実に旨そうだ」

 

 

 頭上から声が聞こえた。

 

 

「その肉、血、髪の毛の1本に至るまで食らい尽く・・・!?」

 

 

 次の瞬間、カラスのような翼と顔をして八つ手のような扇子を持った人型の何かが氷漬けになって落ちてきた。あの氷は現実に存在しているものなので、当たったら危ない。幸い目撃者はいないようだし、早く溶けることを祈ろう。なんか中のカラスっぽい生き物ごと派手に砕けたみたいだし、すぐ溶けるだろう。

 

 

「どこの雑魚か知らないけど、久路人に手ぇ出そうとしてただで済むと思うなよ・・・」

 

 

 僕のすぐ隣から、ドスのきいた低い声が聞こえた。

 

 

「守ってくれたのは感謝するけど、一応人語が通じる相手はもうちょっと交渉してみても・・・」

 

「ダメ!!久路人の体は全部私のものなんだから!!私以外の他のヤツにあげるなんて我慢できない!!」

 

「お前にも体全部をあげた覚えはねぇよ!!」

 

 

 僕が普通でないところの最たる要素にして、最も僕を悩ませていること。

 

 

 僕はとっても「美味しそう」らしい。

 

 

-----------

 

 

 僕は普通ではない大学生ではあるが、もちろん世間一般の人々と変わらない部分もある。

 

 雫と違って、僕の容姿は平々凡々。10人すれ違ったところで10人とも気にはするまい。

 

 さらに、これまで歩んできた人生コースも単なる学生の域を出ない。普通の小学校に通い、平凡な中学を卒業してこれまたありふれた高校に受かった。今おじさんに通わせてもらってる大学も地方の中堅大学だ。

 

 決して日夜妖怪的な何かとしのぎを削ったりしてないし、政府の特別機関だとかそんなのにも出会ったことはない。

 

 今日もこれまでと同じように、誰も僕に話しかけてくることはなく、僕も一切口を開かずに板書をとるだけで一日が過ぎていった。

 

 

「あ、久路人!!今日もたくさん倒したよ~!!」

 

 

 僕が校舎を出ると、雫が屋根の上からスッと降りてきた。秋だというのに少し肌寒いのは群がってきた妖怪やら霊やらが朝のカラス的なナマモノのように氷漬けになっているからだろう。さすがに授業中に僕の周りで氷が降ってきたら困るので、雫には学校にいる間は外から警戒してもらっている。どうやら今日も大漁だったようだ。

 

 

「えへへ~」

 

 

 雫がしがみついて顔を埋めてくるが、これもいつものことだ。

 

 抵抗しようが無駄なのでされるがままである。

 

 

「うん!今日も女の臭いはついてないね!!ついでに男の臭いも!!久路人ってホント煙たがられてるんだね!!」

 

「嬉しそうに言うなよ。別に気にしやしないけどさ」

 

 

 僕の日常は平和だ。

 

 妖怪は寄ってくるが、おじさんからの教えで僕だけでもある程度の自衛はできる。僕の手に負えないやつは雫に瞬殺されて終わる。だが、よほど僕が美味しそうなのか、寄ってくるやつらが後を絶たないせいで僕の周りで不可解な怪現象が頻発するともっぱらの噂になっており、僕に好んで近づく人間は昔からいなかった。

 

 

「まあ、そうだよね!! 久路人には私がいるもんね!!」

 

「あ~はいはいそうですね」

 

 

 ”世の中何が役に立つかわからねぇから学校はしっかり出とけ”とは僕のおじさんの言葉である。

 

 僕の立場は養子であって、せっかくお金を出してくれてるおじさんの好意を無為にするのはためらわれるので学校にはきちんと通っているが、他人と積極的に交流を持ちたいと思ったことはない。それを変わっているというかどうかはわからないが、これが僕の性分なのだろう。他人に迷惑をかけたいとも思わないので僕の方から距離をとっているくらいだ。おかげでこれまでの人生において友達ができたことはない。ましてや恋人など・・・

 

 

「・・・・・」

 

「雫、痛い痛い」

 

 

 僕の体を掴む腕の力が跳ね上がる。

 

 

「久路人、変なこと考えてない?」

 

 

 雫は無駄に勘が鋭い時がある。サトリのように心を読む力はないはずなのだが。

 

 

「考えてない考えてない。今日の晩飯何かなってことくらいだよ」

 

「ふ~ん・・・・まあいっか。うん、今日はチキンカレーだよっ!」

 

「チキンか・・・」

 

 

 朝のカラス的な何かを思い出したが、僕は頭を振ってその記憶をかき消すと、家路についたのだった。

 

 

-----------

 

 

 いつも通りの帰り道。

 

 僕の家は郊外にあるので、家に近いところは自然が多く、あまり人気がない。

 

 

「なんと芳醇な香り!!その血、ぜひとも゛っ!?」

 

 

 黒いマントを着た金髪で八重歯のとがった人が激流とともに川に叩き込まれた。

 

 

「小僧!! 頭から喰っ!?」

 

 

 全身が赤くて角が生えたトラ柄パンツの大男の胸から杭のようなツララが生えると、ズシンと倒れた。

 

 

「うふふ、坊や、その精を゛!?」

 

 

 なにやら扇情的な恰好をしてコウモリのような羽を生やした女がいたような気がしたが、雫に手で目隠しをされたのでよくわからなかった。

 

 

「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ・・・・」

 

 

 目を開けてみると粉々になった氷塊を雫が無表情で踏み砕いていたので、先に自転車を走らせる。

 

 

「待ってよ~!!置いてかなくてもいいじゃん!!」

 

「いや、なんか熱中してるみたいだったから」

 

 

 いつも通りのやり取りだ。人気の少ないところは人ならざるモノがよくいるので大抵こんな感じになる。

 

 女性っぽい姿をした妖怪に対しては雫は異常に攻撃的になるから置いてくのもよくあることだ。

 

 

「それにもう家に着いたし」

 

「ああっ!!久路人と一緒の下校っていう甘酸っぱいシチュエーションがっ!?」

 

「血なまぐさいだけだろ」

 

 

 家の周りにはおじさんが結界を張ってあるらしいので妖怪は入ってこれない。

 

 

「はぁぁ~テンション下がるな~。まあしょうがないし、ご飯の支度しよっと」

 

 

 はずなのだが、雫は何もないかのように家の扉を開けて中に入っていった。

 

 やはりいつものことなので気にせずに僕も雫に続いた。

 

 

-----------

 

 

「そういえば、最近カレーとかシチューとか多くない?」

 

 

 夕食の時間、雫の作ったカレーを口に運びながら僕はふと疑問に思った。

 

 いつのころからか、多分数年前から雫は僕の食事を作りたがるようになり、実際に作り続けているためか、雫は料理上手といってもいい腕前だ。

 

 ただ、雫の好みなのか、カレーとかシチューのような料理をよく作る。特に最近は3日に一回は作ってるような気がする。ちなみに夕飯の時には雫も一緒に料理を食べる。僕の血を吸うのは朝の一回だけで、飲みすぎると悪酔いするらしいからだそうだ。僕の血は酒か何か。

 

 

「・・・久路人はカレーとか嫌い?」

 

「いや、そんなことないけど。ただよく見るなって思っただけで」

 

 

 雫の努力のたまものなのか、似たようなメニューであっても飽きたとは思わない。

 

 今日はチキンカレーだが、前に見たカレーはシーフードだったし、シチューも普通のホワイト以外にもデミグラスソースのやつだって作っていた。

 

 

「私が作りやすいから作ってるだけだよ。飽きたなら他のやつにも挑戦してみるけど・・」

 

「別にそんなことないって。まあ、普通に美味しいし、ご飯作ってもらえるのはありがたいし」

 

「そう?それならいいんだけど」

 

 

 テーブルを挟んで言葉を交わしながらも、スプーンを持った手は休む気配がない。

 

 僕も一応最低限の料理はできるが、それはあくまで最低限であり、自分ひとりのために作るのならまあいいかな?といったレベルだ。それを思えば気が付けば勝手に手が動くほどの雫の料理はかなりのぜいたく品と言えるだろう。家賃と食費代わりと思っても充分だ。

 

 

「なんか隠し味とか入れてるの?カレーってそういうのよく入れるって言うし」

 

「・・・・・うーん、入れてると言えば入れてるけど、言っちゃったら面白くないから教えないよっ」

 

 

 やっぱりなんか入れてるのか。レトルトなんかと比べるのはさすがにあれだが、どうにも雫の作る料理は味に深みがあるというか、舌にいつまでも残るような感覚がするのだ。そうしてその感覚がしばらく続いた後、少しづつ薄くなっていく。決して不快ではなく、料理の元になった食材が僕の体の一部になっていくのが肌で感じられるような気がするというか・・・・何を入れればこんな風になるのだろうか?

 

 

「その隠し味のレシピ、本にしたら売れるんじゃない?っていうか、この料理だって・・・」

 

「私、久路人以外にご飯作る気なんてないからね!!一億歩譲って作ることになったとしても、隠し味だけは絶っっっっ対に入れないから!!!」

 

 

 突如、すごい剣幕でまくし立ててきた。まあ、普通の人に姿の見えない雫が店で料理を作るというのも土台無理な話か。一応、姿を見えるようにすることはできるらしいが。というか、隠し味とやらはそんなに大事なものなのか。

 

 

「そこまで言われると気になるんだけど・・・変なものじゃないよね?」

 

「ひどっ!!久路人に食べてもらうものによくわからないモノなんていれないよ!!ちゃんと出所のわかってるものを使ってるってば!!」

 

 

 一応、ここ数年雫の作った料理を食べて体調を崩したことはない。髪の毛とかも入っているのを見たことないし、そもそも味の深みが増すようなものなんだからちゃんとした食品ではあるのだろう。少なくとも毒ではない・・・ってこれはさすがに失礼すぎだな。

 

 

「じゃあ、また機会があったら教えてよ。美味しく作れるっていうなら、自分で作るかもしれないし」

 

「久路人のご飯は一生私が作るつもりだけど・・・・そこまで言うなら」

 

 

 そこで、雫はスプーンでカレーを掬うと、僕の方に突き出してきた。

 

 

「半分は、私から久路人へのたっっっぷりの愛情!!もう半分は近いうちに教えてあげる。はい、あーん」

 

「いや、これはちょっと恥ずかしいんだけど」

 

「はい、あーん!!」

 

「いや、だから・・・」

 

「あーん!!!」

 

 

 だんだんと、雫の眼が朝の時のように爛々と輝き始めた。これは下手に粘らない方がいいだろう。

 

 

「・・・・むぐっ」

 

「えへへへ、美味しい?」

 

 

 いろいろと煩わしく思うことも多いが、僕のために料理を作ってくれるのはありがたいし、美味しいのは間違いないのだ。だから、僕は正直に答える。

 

 

「・・・美味い」

 

「ふふ、ならよかった!!じゃあ、もう一口ね。あーん!!」

 

「・・・・・」

 

 

 それから雫の皿に残っていた分が半分になるまで、カレーと一緒に、親鳥にえさを与えられる雛の気分を味わうことになるのだった。

 

 

 

-----------

 

 

 

「人間の世界っていつも同じようなことしか起こらないんだね」

 

 

 夕食を食べ終えて、夜も更けてきた。

 

 居間のソファでゴロリと寝転がって読書をしていると、さっきまで僕の横でスマホをいじくっていた雫が僕の顔を覗き込んでくる。まとめサイトかニュースサイトでも見ていたのだろうか。

 

 雫は妖怪なのか精霊なのか、少なくとも人ならざるモノなのは確実だが、テレビやらスマホやら文明の利器にすっかり馴染んでいる。

 

 

「今日もいつも通りって感じだったし」

 

「普通の人から見たら僕らの日常は異常そのものだと思うけどね。そうじゃなくても毎日毎日突拍子のないことが起こってたら身が持たないよ」

 

 

 ただでさえ毎日毎日よくわからん怪異に巻き込まれてる身だ。この上でさらに何か起こったらノイローゼになるかもしれないと薄々思っている。その気になれば多分この町を真冬に変えられる雫からすれば今日襲い掛かってきたモノたちなど羽虫みたいなものなのだろうけど。

 

 

「でも、たまには何か変わったことがあって欲しいとか思わない?」

 

「別に・・・・僕としては今の平穏な・・・まあ、平穏と言えるかわからないけど、今日みたいな日がずっと続いてほしいとしか思わないね」

 

 

 僕がそう言うと、雫の瞳がパッと輝いた。わずかにほほを染めてモジモジしながら、

 

 

「そ、それって、私とずっと一緒にいたいっていう遠回しなプロポーズ?いや、もちろんOKだけども突然言われると・・・」

 

「お前のそのポジティブシンキングなところは素直に羨ましいよ」

 

 

 これだけ世の中を自分に好都合なものの見方で見てたら人生楽しいだろう。だが、まあ・・・

 

 

「でも、雫がいてくれてよかったとは思ってるよ」

 

「え?」

 

 

 雫がピタリと固まった。

 

 

「僕がまあまあ平和に過ごせてるのは雫が近くにいるからだしさ。料理も作ってくれてるし、話し相手にもなってくれるし、本当に感謝してる」

 

 

 たまに考えるが、もしも僕が一人だったらどうなっていただろうか?

 

 身を護るくらいはできるから死にはしないだろうが、毎日人じゃないナニカに怯えながら家に引きこもっていたんじゃないかと思う。おじさんはあまり家にいないし、他の人とコミュニケーションをとれるポテンシャルもない。一人しかいない家の中で怯えたままでいたら、とっくに心がダメになってたんじゃないだろうか。

 

 だからこそ、うざいと思うときはよくあれど、心から雫には感謝しているのだが・・・

 

 

「そ、そうなんだ・・・えっと、ど、どういたしまして」

 

 

 その雫は珍しくおどおどとした様子で、耳まで赤くなっていた。

 

 

「言った僕も結構恥ずかしかったんだけど・・・照れてるの?」

 

「あ、当たり前だよ!!とんだ不意打ちだよ!!」

 

 

 けど!! と赤くなりながらも語気を荒くして、雫は僕をまっすぐに見つめた。

 

 

「それじゃあ、私はこれからもずっと、久路人の傍にいてもいいんだね?」

 

 

 嫌って言っても居座るだろとか、ずっとかどうかはわからないぞみたいなセリフがのどの先まで出かかったが、少し不安げな雫の眼を見てその言葉を飲み込んだ。代わりに、僕の心の底からの言葉をくみ出す。

 

 

「ああ、うん・・・これからも頼むよ」

 

「っ!!!」

 

 

 その瞬間、雫の顔がまさに花が咲いたような笑顔になった。

 

 

「言質とったよ!!言質とったからね!!今の言葉、私、ずーっと覚えてるからね!!」

 

「・・・・言っておくけど、告白とかそういうのじゃないからな」

 

「ふふ、ふふふ!!!あは、あははははは!!!勝った!!勝った!!私大勝利~!!」

 

 

 僕の言葉が届いているのか届いていないのか。

 

 雫は満面の笑みのまま立ち上がると、そのまま浮き上がり、何かの儀式としか思えない踊りを舞い始め・・・突然停止した。

 

 

「よし!!久路人、一緒にお風呂入ろ!!」

 

「何がよしだよ」

 

「私たち二人がこの先も末永く暮らしてくって決まった記念!!今日こそ、いやさ、今日だからこそ!!」

 

「記念で一緒に風呂に入る意味がわかんないよ。大体、もうすぐ・・・」

 

 

 雫が僕の腕を掴んで揺さぶってくるが、僕は動くつもりはない。

 

 僕も日本人であるからして当然風呂に入る習慣はあるが、僕が入浴するのは大体夜の9時を回ってからだ。

 

 というのも・・

 

 

「痛っ!!くぅぅぅ~、時間切れかぁぁぁぁあ!!」

 

 

 突然、雫の周りに白い靄が出ると、少しづつ雫の体が透けていった。

 

 

「いやぁ、僕も残念だよ」

 

「少しも残念そうに見えないんだけど!!」

 

 

 この家にはおじさんが結界を張っているが、その結界は人ならざるモノが活発になる夜に最も強くなるようなのだ。これにはさすがの雫も逆らえないようで、強制的に「あちら側」に帰されてしまうらしい。

 

 

「ちっくしょ~!!あともう少しだったのに~!!くぅ・・ここは引くしかないか。でも!!私は絶対にこれで終わらないんだからね!!じゃあ久路人、また明日!!」

 

「どこの悪役だよ、お前は・・・・まあ、それじゃあまた明日」

 

 

 手を振りながら、小悪党のような捨て台詞を残して雫は消えていった。僕も小さく手を振りつつ見送る。

 

 

「それじゃ、風呂入るか」

 

 

 雫は言動はあんなだが、見てくれはかなりの美少女だ。混浴などしたらさすがの僕もどうなってしまうかわからないから、入浴はこうして雫が「あちら側」に戻ってからにしている。あれで雫も無理やり僕になんかしようということはしないので風呂についても普段は冗談めかしてしか誘ってこないのだが、今日はかなり積極的だった。

 

 

「ひょっとしたら、危なかったのかもな・・」

 

 

 もしも雫が「あちら側」に戻るのがもう少し遅かったら・・・・

 

 ずっと一緒に、なんて早まったようなことを言ってしまったけど・・・

 

 

”人間とそうじゃないモノってのはほどほどの距離感ってやつを保たないといけねぇ”

 

”あんまり近寄りすぎるとな、連れてかれちまうぞ”

 

 

「「あちら側」か・・」

 

 

 おじさんは人ならざるモノがいる世界を「あちら側」と呼んでいる。

 

 神隠し、チェンジリング、ヨモツヘグイとそういう世界に関わって帰ってこれなくなるという話は昔からゴロゴロしている。だから、僕が雫に出会った頃はよく気をつけろと言っていたのだが、人の世界に馴染めているとは言い難い僕だ。

 

 

「それも、悪くないのかもな」

 

 

 こんなことを考えて独り言を言っている時点で、僕も今日の雫のようにどこか舞い上がっているのかもしれない。けどやっぱり・・・

 

 

「返事がないってのは、寂しいな」

 

 

 静かなのは好きなほうだが、あの騒がしいのがいないのも、それはそれで張り合いがない。

 

 そんな風に思ってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 こうして、いつものように夜は更けていく。そして・・・・

 

 

 

「久路人、おはよっ!!」

 

「ああ、おはよう。じゃあ、早速だけどベッドから下りてもらおうか」

 

「なんで!?」

 

 

 

 僕らの日常は続いていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 月宮久路人はすでに「人間」の枠から外れつつある。

 

 

 

 

 

「ふんふんふ~ん♪」

 

 

 時刻は朝の4時半。もうすぐ日の出というところ。人ならざらるモノの時間が終わり、人間の時間に変わりつつある時だった。夜の星、特に月とかかわりの深い月宮家にかけられた結界はその力を弱める。そうして弱った結界を素通りし、月宮家の台所に立つのは白髪の少女だ。現在の家の主たる久路人は朝に弱く、目覚めるのはまだまだかかるであろうことを雫はよく知っていた。

 

 

「今日の味噌汁のダシは煮干しにしよっかな。具はわかめと豆腐と・・・・」

 

 

 数年前から、月宮家の食事は雫が作っている。まだ小学生低学年の久路人に拾われて、人間の姿になれるまでに5年。そこから料理の勉強を半年して他人に食べてもらえる程度の腕になってからは、月宮家の台所は雫のテリトリーだ。久路人もある程度料理を覚えたが、雫ほどの熱意はなく、早々に台所の領有権を明け渡している。

 

 

「あとは夕飯のシチューの下ごしらえもしなきゃ。材料はカレーの時に余ったのが・・・」

 

 

 なぜ雫が料理にやる気を出しているのか。それはまず、「好きな人に自分の作った手料理を食べてほしい」という純粋な乙女心がある。

 

 

 そう、雫は久路人に恋をしている。

 

 

「~♪」

 

 

 鼻歌を歌いながら豆腐を包丁で切っている姿からは想像もできないが、雫はかなり格の高い妖怪であった。それが退屈を紛らわすために人里にちょっかいをかけていた結果、長きにわたる封印を施された。

 

 封印が解けてただの蛇と変わらぬほどに力を失った雫にとって世界はそれまでとはすべてが裏返った敵だらけの場所で、そんな中気まぐれであっても拾って保護してくれた久路人に多少の恩を抱くのはさもありなんというところだが、久路人はそれだけではなかった。

 

 雫にとって、久路人はこれまでに出会ったことのない特異点であったのだ。

 

 

「豆腐は準備したし、わかめも戻したし・・・出汁もとれてるね」

 

 

 失われた力をほんの数年で取り戻すくらいの潤沢なエネルギーに満ちた血を持ち、人間の中にありながら雫が人ならざるモノと知っても忌避感を持たない「ズレ」を魂に抱えた少年。

 

 ただの人間の群れを屑石とするなら、久路人は妖しい輝きを放つ宝石のようだった。

 

 最初は少しの感謝と多大な打算、そして興味。そこから自分に付きまとっていた退屈を少しずつ溶かされ、自分ですら気づかなかった孤独が取り払われていると自覚した頃には、単なる「妖怪」ではなく「女」の心を持つまでに力を高めていた雫はどっぷりと魅了されていた。

 

 

「うん、味噌汁はこれでよし、と。次はシチュー・・・」

 

 

 ともかく、恋というにはいささか粘ついた独占欲が多すぎるかもしれないが、雫は久路人のことを心から愛していた。愛する人のために料理をふるまいたいというのは、妖怪であっても人であっても変わらないものであり、それが雫が料理に熱意を燃やす()()の理由だ。そして・・・

 

 

「材料は昨日切りすぎたのがあったから鍋に入れて、後は・・・」

 

 

 雫はそこでいったん手を止めると、先ほどまで使っていた包丁を丹念に洗い始めた。

 

 やがて満足いくまで磨いて布きんで水をぬぐい、台所の明かりを受けて鏡のように輝く包丁に笑みを浮かべる。そして、シチューの具材が入った鍋の上に腕をかざした。

 

 

「たっぷり隠し味を入れないとね!!」

 

 

 雫が包丁を振ると、白い腕に赤い線が走り、深紅の血が鍋に降り注いでいった。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 月宮久路人はすでに「人間」の枠から外れつつある。

 

 

 八尾比丘尼、太歳、ヨモツヘグイ。

 

 人間が人ならざるモノをその身に取り込んだ結果、自身もまたソレらに近づくというのはしばしば伝承として残っている。

 

 

「ふふ、あとどれくらいで、久路人は私のモノになってくれるかな?」

 

 

 自室でぐっすりと眠っている久路人の寝顔を見ながら、雫はつぶやく。

 

 雫から見て、月宮久路人は元よりただの人間とは住む世界が違う。彼の身に宿る力を別にしても、人間の住む世界に適応できていない。彼にとって周りは自分と姿かたちは同じなれど分かり合うことはできない存在であり、干渉すべき存在でもない。そういう致命的な「ズレ」を抱えている。だが、悲しいかな、その体は人間のモノであり、100年もすれば他の人間のように死を迎えるだろう。

 

 

「久路人のいない世界なんて、耐えられないよ」

 

 

 そんなつまらない別れなど、雫には到底認められなかった。だから考えて、決めた。

 

 

 

 

 久路人を私と同じモノにしてしまえばいい。

 

 

 

 

 

 正確には、雫の「眷属」というべきモノになるだろう。そうなってしまえば、誰にももう干渉されない。人間の体という枷から解放されれば、時の流れさえも例外ではない。

 

 一滴でも汚水の混じったワインがワインでなくなるように、自分の血が混ざることで久路人が汚染され、血を味わうことも力を取り込むこともできなくなるだろうが、そんなことは些細な問題だ。むしろ、他の連中からも狙われなくなるだろう。

 

「他の雌にも、誰にも渡さない・・・邪魔するヤツは皆殺しにすればいい」

 

 自分以外の他の誰かの隣に久路人がいる、雌の妖魔が襲い掛かってくる度にそんな妄想が頭をよぎって内臓が石に変わったかのような不快感を覚えたが、そんなこともなくなる。

 

 それまで人間社会で生きてきた久路人にはすぐには慣れないかもしれないが、今よりもはるかに安寧を享受することができるだろう。元々ズレている久路人ならば、必ず受け入れることができるという確信が雫にはあった。この家を残していった久路人の叔父には雫としても多少恩があるし、抵抗するかもしれないが、雫にとっては久路人以外がどうなろうが大して興味はない。

 

「あと、もう少し・・・」

 

 毎朝の「味見」で味が落ちてきていることから、段々と染まってきているのは分っている。

 

 このまま続ければ、あと数年の内に月宮久路人は人間を辞めるだろう。

 

「言質はとったんだからね? 久路人、ずっと、ずっと、ず~っと、一緒だよ」

 

「・・・う~ん?」

 

「ふふっ!」

 

 昨晩の久路人の言葉を思い出しながら、雫は想い人の頬に口づけをして、同じベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、いつものように夜は明けていく。そして・・・・

 

 

 

「久路人、おはよっ!!」

 

「ああ、おはよう。じゃあ、早速だけどベッドから下りてもらおうか」

 

「なんで!?」

 

 

 

 彼らの日常は続いていくのだ。




感想求む!!
ヤンデレシチュエーションで琴線に触れるものがあったら続き書くかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人物紹介・設定資料集(第二章まで)

今週日曜日は更新できない可能性が高いので、その告知も兼ねて

人物紹介・設定資料集は随時更新していきます。



 月宮久路人(つきみや くろと)

 

 本作の主人公。現在編では19歳。

 基本的に彼のいる場所を中心に物語が進んでいく。

 

 外見

 やや背が高く、黒目黒髪で外見は整った顔立ちををしている方ではあるが、地味。10人すれ違っても、10人が気にすることなく通り過ぎていく。普段は温和な表情だが、戦闘時は目つきがかなり鋭くなる。外見のモデルは鬼〇の蛇柱さん。一人称は「僕」。

 

 性格

 性格はルールや常識、約束にうるさい頑固な所があるものの、もめ事を好まず波風立たないように生きているために基本人畜無害。やはり地味。ただし、本人に自覚はないが、やや独占欲は強い。雫のことは好きだが、後述の理由で想いを告げることはできていない。雫を傷つける者、馬鹿にするものにはひどく冷たい態度をとる。好きなタイプは「清楚でロングヘア。背は自分より低い方がいい。かわいい系より美人系。なにより巨乳」とのこと。

 

 戦闘スタイルなど

 「神の血」という特別な力を含む血が色濃く流れており、人外に狙われやすい。また、人間としては非常に珍しいことに人外を恐れない。

 人外が彼の周辺で暴れるため、怪奇現象が起きるという噂が立っており、周囲からやや避けられている。

 霊能力者、武芸者としての才能は非常に高く、雷と類似した性質の極めて膨大な霊力を持ち、剣術や弓術も得意。手先も器用。身体強化の術を使えば大物妖怪とも渡り合うことができるが、霊力の量が多すぎて人間の体には負荷が強すぎるために長時間の戦闘は不可能。直接雷を出すような、攻撃系の術も暴発の危険があり、「自分の意思では」使えない。

 血の影響か、幻術、催眠などを完全に無効化する。

 

 来歴など

 幼いころにペットにするつもりで拾った蛇が雫であり、意思疎通が可能と知り、守護の契約を結んでからは友達のように接し、すぐに親友の間柄になった。

 中学生になって、周囲から虐められていた所を初めて人化した雫に助けられた辺りから無意識に雫を異性として見ていた。高校時代の修学旅行中に想いを自覚するが、直後に九尾の襲撃を受け、「自分の血が雫の心を狂わせ、強制的に好意を持たせているのではないか?」という懸念に囚われてしまう。なお、久路人の血は妖怪には極上の美酒であるもの、洗脳効果や依存性はない。

 現在、雫によって自身の血液に雫の力が大量に混入しており、人外化が進行して違和感を感じているが、雫を疑うことをためらっているために現状に気づいていない。

 

 その他

 アニメ、漫画は全般的に好きだが、基本的に性癖はノーマル(現時点で)。好きな遊戯〇のデッキはパーミッションやバーンのような直接戦闘しないデッキ。モンハ〇は狩猟笛や弓など、テクニカルな武器を好む。過去の女子からのイジメが軽いトラウマになっており、男子とよく一緒にいるせいか、たまにホモと勘違いされるが、その気はない。

 

 

-----------

 

 

 水無月雫(みなづき しずく)

 

 本作のヒロインにして、もう一人の主人公。(見た目は)久路人と同じ年齢。

 

 外見

 外見は人間形態なら誰もが振り向くような美少女。抜けるような白い肌に、腰まで届くストレートの銀髪、ややツリ目がちの紅い瞳をしている。背は同年代の平均よりもやや低く、胸部も薄い。久路人が巨乳好きなのを把握しており、自身の成長を結構気にしている。また、霊能力を持たない者には認識できない。

 とある理由によって霊力が化学兵器レベルの悪臭を放っており、相対する霊能者、妖怪からほぼ確実に臭がられる。現在のところ、この悪臭を全く感じないのは久路人のみ。

 常に青い帯と白い着物を身に着けており、他の服は肌触りが悪いらしく着ない。ただし、着物は自在に変形可能で、ちょくちょく学校の制服に変えていたりする。下着は市販品を履いている他、久路人が加工するアクセサリーは特別な力の有無にかかわらず好んで収集する。外見は銀髪アルビノ美少女キャラなら誰でも。作者の中ではメルブ〇の白レンを成長させた感じ。一人称は「妾」だが、久路人相手かつ人間形態でのみ「私」。

 

 

 性格

 永く弱肉強食の世界で孤独に過ごしていた反動か、久路人にベタ惚れしている。思考の中心は常に久路人であり、「自分と久路人以外の全人類と妖怪が明日滅んでも別にどうでもいい」とすら思っている。その想いの深さは犯罪レベルに踏み込んでおり、ドン引きされることもしばしば。性格は好奇心旺盛で、基本的には寛容。ただし、久路人に少しでも危害を加えようとする者には人間だろうが妖怪だろうが一切の容赦なく抹殺を試みる。極めて独占欲が強く、性別メスに対しては冷酷無慈悲で、わずかでも久路人を奪う可能性があるならば氷漬けにした上で粉々に砕くまで安心しない。

 後述の理由で久路人に想いを告げていない。匂いフェチ。なお、久路人の血を飲むこと、自分の血を久路人に飲ませることに強く興奮する変態でもある。

 

 戦闘スタイルなど

 その正体は妖怪化した白蛇であり、数百年前に封印されていた。封印前はかなりの格の妖怪であったが、永きに渡る封印で大幅に弱体化した。中学編までには久路人の血によって力を取り戻している。水属性の霊力を持ち、大味な広範囲攻撃が得意。反面、細かな霊力の操作は少し苦手で、人化の術の会得にも適性は低かった。近接戦闘時には薙刀を使用。

 蛇の妖怪であるために凄まじい自己治癒能力を持つ他、久路人の血の影響か、幻術、催眠に極めて高い耐性を持つ。人間形態の雫の着物は、蛇の鱗が変化したモノで高い耐久力と術への耐性がある。

 

 来歴など

 封印が解けてただの蛇とほぼ変わらない強さにまで落ちぶれた時に偶然久路人に出会い、拾われて、「雫」と名付けられる。「久路人の血をもらう代わりに、自身が力を取り戻したら久路人を守る」という契約を結び、当初は久路人にくっついていたのも力を取り戻すための打算であり、人間の子供に庇護されることを情けなく思っていた。しかし、妖怪を恐れず、一切の下心なく自分に接する久路人にほだされてすぐに打ち解ける。そうして、かつて孤独に生き抜いていた自分が久路人に守られていることを「悪くない」と思うようになり、「契約がなくてもお互いを守りあう」という約束を交わした時に、無自覚に恋心を持った。

 久路人が中学に上がり、久路人が本格的に周囲から浮くようになった時点で人間の姿になる「人化の術」を会得するために修行していたが、中々実を結んでいなかった。月宮家使用人のメアから発破をかけられ、久路人がひょんなことから女子に苛めを受けた時に自分の想いを自覚する。

 「久路人と結婚するときに名字がいるから」という理由で久路人と出会った頃である水無月を名字にするが、その名字を呼ぶものはいない。

 高校の修学旅行中に九尾の襲撃を受け、「いつ久路人が死んでもおかしくない」ということを思い知らされる。その結果、「久路人を自分と同じ化物に変えれば永遠に一緒にいられる」と考え、罪悪感に駆られながらも自身の血を密かに飲ませて、人外化を進めている。

 自分を置いて久路人が死ぬことを何より恐れており、久路人を化物に変えた結果、憎まれることになっても構わないと覚悟はしているものの、実際に嫌われた場合に正気を保てる自信はない。久路人は「自身の血を得るために、雫が無理やり好意を持たされている」と考えているが、雫は素で久路人を病むほど愛しており、「久路人と一緒にいられるなら血なんていらない」と考えているため、完全にすれ違っている。

 元々「人外の自分が久路人に拒絶されるかも」という恐怖を持っていたが、そこに密かに人外化を進めている負い目もあって、告白はできていない。

 

 

 その他

 娯楽の少なかった世界に生きていたため、好奇心を満たすサブカルチャー全般に傾倒する。R18方面にも深い知識を持ち、久路人からの行為ならばハードリョナも余裕。よく薄い本のシチュエーションを自身と久路人に置き換えて夜な夜な布団の中で妄想に励む。好きな遊〇王のデッキはビートダウン系とロックデッキ。よく久路人にメタられる。好きなモン〇ンの武器は大剣、スラアク、ハンマー。よく久路人はサポートに徹する。

 

 

-----------

 

 

 月宮京(つきみや きょう)

 

 久路人の叔父。現養父。年齢は(見た目は)20代後半。

 

 外見

 よくツナギを着ており、だらしない。無精ひげが生えていることもしばしば。背が高く茶髪のロングヘアで、見た目は完全にチャラ男だが、本人はその呼び方を嫌う。一人称は「俺」。

 

 性格

 異能者の中ではとても人間ができており、ぶっきらぼうな態度であるが情に厚い。特に慕っていた亡き兄の忘れ形見である久路人には結構甘い。また、自身が「嫁」と呼ぶメアにも滅茶苦茶甘い。だが、霊能者らしく人外への警戒心は高く、雫への警戒は怠っていない。しかし、雫の久路人へのヤンデレ具合を見てある程度警戒を解き、最近では月宮家の一員として見ている。

 本作でも屈指の常識人であるが、過去に「嫁のために最高のボディを造る」と考えた結果、霊能者の一族の家々を巡って「パーツのために体の一部を下さい」と土下座して回ったことがあり、界隈からは彼が造った人形とともに狂人扱いされる。

 

 戦闘スタイル

 本人は喧嘩はあまり得意ではない。

 ただし、特別な力を持った道具である「術具」の天才的な製作者であり、それらの術具を使ってガンメタを張る戦法を行う。優れた観察眼を持ち、初見の相手でも弱点を突く術具を即興で作れるとのこと。逆に言うと京の前に姿を現さず、戦いもせずに暗躍するタイプには無力。

 久路人と同じく神の血を引いているが、久路人よりもずっと薄い。何やらその力を引き出す仕掛けがあるようだ。

 

 来歴など

 表向きは建築家を名乗るが、霊能者の一大組織である「学会」の幹部、「七賢」の第三位に収まっている。

 月宮一族という霊能者の名門の生まれだが、本人の天才的なセンスと周囲の異能至上主義者との差に嫌気がさして出奔。同じように家を出た兄とだけ連絡を取りつつ、裏社会や異能者の間を渡り歩いていた。

 ある時、強大な力を持つ亡霊を巡ってとある死霊術師と死闘を演じる。そして、霊能者の家や知り合いからパーツを譲ってもらい、亡霊の成れの果てを組み込んだ超高性能自動人形兼ホムンクルスであり、生涯の伴侶であるメアを得る。

 しかし、それから兄が妻ごと妖怪に襲われて死亡。残された久路人を「絶対に幸せに育て上げる」と決意する。現在は襲撃してきた九尾のような妖怪を探すため、日本各地をメアとともに探索中。「こいつならば久路人を傷つけず、一生傍にいるだろう」という見込みから、雫を久路人の嫁にあてがうことに乗り気だが、保険として他の霊能者の家の娘との縁談も取り持っている。

 

 

 その他

 サブカルチャーには理解があるが、そこまで好きというほどではない。

 「とりあえず強けりゃいいだろ」という理由で遊戯〇のデッキは金に飽かせた環境デッキで、コロコロ変わる。久路人並びに雫からは「魂のデッキを持たないデュエリストの屑」と言われているが何も堪えていない。

 

 

-----------

 

 月宮メア(つきみや めあ)

 

 京の妻兼月宮家メイド。外見年齢は20代前半から変化なし。

 

 外見

 「人形のように」整った外見をしている。長く紫がかった黒髪をポニーテールにしており、常に無表情。

 メイド服ではなく割烹着を着ているが、別にメイド服が嫌いなわけではない。身長は平均的、体つきはやや豊かな方。使用人としては完璧であり、所作も「機械のように」正確で美しい。一人称は、普段は(わたくし)。ある状況の時は、「ワタシ」。

 

 性格

 冷静沈着で丁寧な口調で喋るが、慇懃無礼。ある程度打ち解けると毒舌を隠さなくなる。特に製作者兼夫兼主である京には辛辣。

 ただし、複雑な事情があって京に対して他者にも分かるように愛情を示さないだけで、その想いは危険なほど深い。優先順位は京>月宮家>>>久路人>その他であり、京以外に大して関心はない。京が甘く接する久路人や雫には家族のような情を持ってはいるが、仮に京に危害が及ぶのならば、一切の良心の呵責なしに殺害できる。

 

 戦闘スタイル

 正体は京が制作した自動人形兼ホムンクルスであり、秘めた戦闘能力は非常に高い。その体には多数の術具が仕込まれていて、近距離ならばナイフとクロー、中距離ならばワイヤーを使用。遠距離は描写なし。京との霊力的なパスが繋がっており、京の持つ「神の血」に由来する力も使うことができる。

 

 来歴など

 とある国で発生した亡霊「ナイトメア」と関りがある。

 過去の京によって救われ、今の人形の身体を与えられてからずっと、京に忠誠と愛を誓う。ただし、亡霊からの「呪い」が未だに残っているようだ。

 久路人の両親が死んだ頃にはもう京に仕えており、久路人がある程度大きくなってからは京の命令で彼の戦闘訓練の教師となる。主に武術や判断力を鍛え、久路人の武芸は大半がメア譲りである。また、人化した雫、久路人にどこかズレた指導方法であるが料理などの家事全般も教えている。

 現在は京の護衛として、日本各地を共に回っている。

 

 

 その他

 サブカルチャーに対しては雫以上にはまり込んでおり、雫曰く「ヤツは深淵に生きている」とのこと。雫のR18本供給源はほぼメアであり、雫にNTR,ふたな〇、リョナ、スカト〇などのやや浅い所からR18Gまで布教したのもメアである。かつてNTR本で雫の脳を破壊し、久路人との鍛錬に集中させたことがある。読むだけでなく描く方向でも浸食しており、某漫画市場に京を売り子にして出店したこともあるらしいが、京はそのときのことを語りたがらない。

 好きな〇戯王のデッキは完全なネタデッキ。特殊勝利など、型にはまらない戦い方を好む。以前、月宮家総当たり戦において環境デッキで久路人と雫を叩きのめした京にデュエルを挑み、初手エクゾディ〇で勝利した際には「魂のデッキを持たない貴方にデッキが応えることはない」とキメ顔で言い放った。

 なお、彼女がキーパーツとなるカードを手にした日には、カッターやブラシなどで何かをしていたようであるが、詳細を知る者はいない。京とのデュエルを始める前にも、京から「ショットガンシャッフルはカードを痛めるぜ」と言われていたが華麗にスルーしている。

 

-----------

 

 

 霧間朧(きりま おぼろ)

 

 近日更新

 

 霧間リリス(きりま りりす)

 

 近日更新

 

 珠乃(たまの)

 

 近日更新

 

 晴(せい)

 

 近日更新

 

 ゼペット・ヴェルズ

 

 近日更新

 

-----------

 

 世界設定・用語集

 

-----------

 

「世界」

 

 とある魔法使いによって、「水槽のようだ」と表現される。

 「現世」という人間が主に住む世界と、「常世」という人外が住む世界に分かれており、その間には「狭間」という未確認領域がある。

 

-----------

 

「穴」

 

 現世と常世を繋ぐ穴。小~中規模の穴はそれなりに空くが、大規模の穴は滅多に開かない。

 妖怪は己の力に見合う大きさ以上の穴を通ることでしか、現世に現れることはできない。

 大妖怪が通れる穴は「大穴」と分けて呼ばれる。

 

-----------

 

「忘却界」

 

 とある魔法使いによって現世に貼られた結界。

 人間たちの「異能など存在しない」という認識を元に作られており、妖怪や穴を抑制する。

 ただし、人間の認識を元にしているため、人間の持つ異能までは抑えられない。そのため、たまに霊能者が結界内に発生することもあり、異能を認識できる複数の霊能者が集まると忘却界に綻びが生じ、穴が空くことがある。

 

----------

 

「霊能者」

 

 霊力を持ち、異能を使える人間のこと。異能者とも呼び、海外では魔法使い、魔術師とも言われる。人間は誰でも霊力を持っているが、異能が使えるまでの量を有する者を区別するためにこう呼ぶ。

 過去に忘却界が貼られる前には常世から流れ込んでくる瘴気に当てられた結果、多くの霊能者がいた。忘却界が貼られてからは魔女狩りのような運動もあって激減した。

 古くから大穴を管理してきた一族や偶発的に現れた一族は、忘却界が綻んだ場所に新たな結界を張って寄り集まっている。

 

----------

 

「霊力」

 

 術を使うためのエネルギー。

 この世界の生き物は「魂」という世界の欠片と、「肉体」、その二つを繋ぐ「精神」の三要素で構成されているが、生命力や精神力が魂に当てられて変質したモノ。

 常世に漂う霊力は、数多の妖怪に影響された結果、人間の魂に害を与えるために「瘴気」とも呼ばれる。

 魂が開示した情報によって、霊能者ごとに異なる属性を持つことが多い。「火」、「土」、「水」、「風」、「雷」は基本五属性とされる。

 

----------

 

「魂」

 

 世界の欠片。世界の持つ情報が内包されている。

 この世界の生き物はまず肉体が存在し、そこに魂が入る。肉体の強度に応じて魂は情報を開示し、その生物の「本質」を形作る。魂が大きいほど、生み出す霊力も大きく、霊能者に近づくが、瘴気に当てられて肥大化することがある。ただし、急激な魂の肥大化は存在そのものへのダメージとなり、最悪消滅する。極稀に肉体の特異性に応じて魂が全く未知の変質をすることもある。

 

----------

 

「術」

 

 海外では「魔法」とも呼ばれる。

 霊力という、世界そのもののエネルギーを利用して、通常の物理法則ではありえない現象を起こすこと、もしくはその現象そのものを指す。大きく分けて「具現化」と「付与」の2種類。

 

----------

 

「妖怪」

 

 人外、魔物とも呼ばれる。

 動物や無生物が瘴気に当てられて変質した存在。常世からやって来る者もいれば、現世で発生することもある。妖怪の持つ霊力は瘴気に近く、人間の魂にとっては猛毒。これにより、人間は妖怪を本能的に恐れ、嫌悪する。霊力の量で同格あるいは上回れば恐怖は消せるが嫌悪はぬぐい切れない。

 

----------

 

「眷属」

 

 妖怪によって、その忠実な下僕と化した人間や動物。

 主となった妖怪に似た性質を持つ人外となる。

 血を飲ませて同化させる原始的な方法から、吸血鬼にしか扱えない高等な方法まで様々。吸血鬼こそが眷属を生み出す術の始祖と言われ、吸血鬼の方法のみが唯一の眷属化ともされる。近年、とある吸血鬼によって眷属化の方法が体系化された。

 

----------

 

「霊力の混入」

 

 人間に他の存在の霊力が混ざることは大変危険である。ディーゼルで動く車にガソリンを入れるようなもので、霊力の源である魂に多大な負荷がかかる。霊力が混入した場合、魂は霊力を循環させて異なる霊力を押し出そうとする。他の存在の霊力を人間に止めるには、多大な年月をかけて少量ずつ混入させて馴染ませるか、余程の親和性がなくてはならない。なお、動物を含めた人外が他の存在の霊力を取り込むのは魂の構造の違いからハードルが低い。

 

----------

 

「神」

 

 ある魔法使いが観測した存在。詳細は不明。

 水槽を覗く者であり、この世界の創造主にして管理者。この世界そのもの。

 自意識というものに乏しく、半ばシステムのような存在。滅多に世界に干渉することはないが、世界の危機と判断した場合は何らかの手段でその原因を排除しようとする。

 

 

----------

 

「学会」

 

 霊能者たちの組織。「世界の安寧と人間と人外の融和」を基本理念としている。

 発端は「魔人」と呼ばれる魔法使いが、現世に侵攻してきた「魔竜」を倒すために集った霊能者の一団。

 魔竜との講和の末に、世界の安寧のために現世と常世との関りを平和的に保とうとしてきた。魔人と魔竜による「忘却界」はその一例である。

 幹部として「七賢」という七人の強力な霊能者とその伴侶がいる。

 

----------

 

「七賢」

 

 近日更新

 

----------

 

「旅団」

 

 近日更新

 

「陣」

 

近日更新

 

「神格」

 

近日更新

 

「聖地」

 

近日更新

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人間でも妖怪でも、ましてや神でもない二人の朝

時系列は3章終了後のどこか。
久路人と雫が結ばれ、共にそれまでの枠組みを外れて同じナニカに至った後の日常の一コマ。


「ん・・・ふわぁ~あ・・・」

 

 朝日が差し込む中、僕は目を覚ました。

 寝ぼけ眼を擦りながら時計を見ると・・・

 

「朝6時・・・僕にしては早起きだな。ちょっと肌寒い・・・って、服着てなきゃそうか」

 

 自慢ではないが、僕は朝早くに起きるのが苦手だ。

 一度目を覚ましてもすぐに二度寝、三度寝に入って大学に遅刻しそうになることもある。

 

「さすがにこれ以上遅刻しかけてヒヤヒヤするのは嫌だからいいんだけどさ・・・」

 

 枕元に置いてあった二匹の蛇が絡み合う意匠の指輪をはめながら、独り言ちる。

 僕が何故今日は早く起きれたかと言えば、当然理由があるのだ。

 

「ん~・・・」

 

 僕がその理由を考えることにふけっていると、僕のすぐ隣で布団がモソモソと動き始める。

 そして、朝日に照らされて輝く銀髪がフワリと広がった。

 

「ん~・・・もう朝?」

 

 布団から出てきたのは、美しい少女だった。

 彫刻のように整った顔立ちに、白く透き通るような肌。

 眩い銀髪に、紅玉のような紅い瞳。

 均整の取れた身体に、平原よりはマシかな?と言えるくらいの小ぶりな・・・

 

「久路人、何か言いたいことでもあるの?」

「いいえ、雫様。なんでもございません」

「・・・ふ~ん。でも、そっちは何か言いたいみたいだけど?」

 

 目の前の少女、雫は僕の不躾な視線に気づいたのか、不機嫌そうに眉をしかめながら、長い髪で隠れているだけの胸元を右手で覆う。

 左の手はさっきの僕と同じように、同じデザインの指輪を掴んで器用に薬指にはめていたが、不意に視線の向きを変えた。

 その先を目で追ってみれば・・・

 

「あ・・・」

「久路人って、表情と身体の動きが合ってないことよくあるよね」

 

 布団の下から、塔が1本そびえたっていた。

 布団の下にあるゆえに姿は見えないが、それがどこから建っているのかは、この世界で僕より詳しい者はいないだろう。

 

「そ、その!!これはあの!!」

「そんなに必死にならなくてもいいって。普段は毎日私の方が先に起きてるんだから、もう見慣れてるよ。なんなら夜には直接見てるわけだし。それになにより・・・えいっ!!」

「わっ!?」

 

 そこで雫は、突然僕に抱き着いてきた。

 お互い、身に纏うモノは何もない。

 雫の柔らかな身体が、男である僕の硬い身体とぶつかって、形を変えるのがじかに感じられ・・・

 

「う・・・」

 

 塔は、さらにその頑丈さと高さを増した。

 それを見て、雫はクスクスと笑う。

 

「ふふっ!!朝から元気だなぁ。久路人って巨乳好きなのに私くらいのでもしっかり反応するんだね・・・こうやって、私の裸を見ても何の反応もない方が寂しいから、本当に気にしなくてもいいんだよ?」

「だったらありがたいよ・・・僕が雫に裸で抱き着かれて反応しないことなんて、一生ないから。それに、雫のなら大きさ関係なく好きだから」

「大きさのところだけは疑わしいけど…ふふ、久路人なら、そう返してくれるって知ってたよ。ところで・・・」

 

 そこで、雫はさらに僕の身体に体重を預けてきた。

 

「今から、する?」

「・・・っ!!」

 

 そして、上目遣いで僕を見た。

 その紅い瞳は潤みながらも妖しい光を放っており、僕は益々血の流れが一か所に集まることを感じながらも・・・

 

「い、今はしないっ!!これ以上遅刻ギリギリになったら、本当にダメになりそうだし!!昨日、早めに始めた意味がなくなっちゃうし!!」

「・・・ちぇ~。残念」

 

 僕は断腸の思いで、雫からの誘いを断った。

 今日僕が早起きできた理由は単純で、今言った通りに昨日の夜のまだ早いうちから雫とベッドの上で運動会を行って体力を消耗し、早くに寝たからだ。

 今ここで雫の誘いに乗ったら、そんな行為の意味もなくなってしまうではないか。

 そんな僕の意思が固いのを察したのか、雫は僕から静かに体を離した。

 

「あ・・・」

 

 感じていた柔らかさと温もりが離れて、思わず声が出てしまう。

 

「・・・やっぱりヤる?」

「し、しません」

「・・・そっか」

 

 そうして再び投げかけられた誘いを、また確固たる決意をもって断る。

 少し寂し気な顔をする雫に、心の中でチリチリと引っかかれたような痛みが生まれたが・・・

 

(あ、危なかった)

 

 ・・・危なかった。昨日の夜に自分の中の欲求を発散していなければ、二度目は断れなかっただろう。

 そう、昨日の夜にシていなければ・・・

 

「・・・・・」

 

 そこで、さっきからチラッ、チラッと寂しそうな顔を維持しつつもこちらを見ている雫と目が合った。

 

「・・・その代わり!!今日の夜も、昨日と同じくらいに、その、お願いしてもいいかな?」

「・・・うんっ!!」

 

 雫の顔に、花が咲いたような笑顔が浮かぶ。

 きっと、断れらた後にまた僕から誘われることまで予想してはいたのだろう。

 手玉に取られているようだが、それを全く癪に思わないどころかむしろ嬉しいと思っている辺り、我ながら重症だ。

 

(それにしても、今日の夜も、か)

「久路人?」

「いや、随分長いこと毎日シてるなって思ってさ。よくバテないなって・・・雫は大丈夫?」

 

 改めて、その言葉の異常さをおかしく思う。

 そういった行為というのはひどく体力を消耗するものであり、いくら若いからといって連続でできるものでもないだろう。

 しかも、自分でいうのもなんだが、僕たちの場合はまず間違いなく一般的な、『普通の人間』のそれよりもかなりハードであるという確信がある。少なくとも…

 

「大丈夫に決まってるじゃん。今の私は見た目は人間だけど、人外なんだよ?」

「ならいいけど…」

 

人間ではない雫に『鬼畜!!』だの『ドS!!』だの言われるくらいには。

 

「・・・・・」

 

 そこでふと、僕は自分の身体を見た。

 同年代に比べると遥かに鍛えられているだろうが、それでも体格はさほど優れていると言うほどでもない。少なくとも見た目で言うのなら、僕の身体は普通の人間のソレと見分けはつかないだろう。

 

 そう、見た目だけは。

 

「・・・・・」

「久路人?さっきからどうしたの?」

 

 不意に片手を掲げた僕に、雫は訝し気な目を向ける。

 

「よっと」

 

 そんな雫を尻目に、僕は手に黒い刃を作り出し、自らの手首を思いっきり切り裂いた。

 

「久路人っ!?いきなり何してっ!?」

 

 そんな僕のいきなりの猟奇的な行動に雫が目を剥く中・・・

 

「いや、確認したくてさ。ちゃんと僕が・・・」

 

 僕は、手首を掲げて雫に傷口を見せつける。

 もっとも・・・

 

「雫と同じモノになれたのかって」

 

 もうそこに、傷跡は残っていなかったが。

 

「びっくりさせないでよ・・・いきなりリストカットするとか、久路人がメンヘラになったかと思ったじゃん。それでも一生付き合えるけどさぁ・・・」

「・・・・・」

 

 血まみれだが傷のない手首を見て、雫は安心したようにため息を吐く。

 それは僕の行動をたしなめるような声音だったが、僕には分かる。

 今の雫は、喜んでいることを。

 それは・・・

 

「・・・ふふっ」

 

 僕が雫と同じモノになったことを再確認できたから。

 真っ当な人間として生きる道を捨て、雫と同じ人外の領域にいることがわかったから。

 雫と同じ目線で、同じ道を、同じ時の長さを歩くことができると実感できたから。

 お互いを繋ぐ、命を一つにする呪いの如き『繋がり』を感じることができたから。

 僕は雫だけのモノであり、雫は僕だけのモノであるということを、自分の全てで理解できたから。

 いつの間にか、雫の唇がわずかに釣りあがっていた。 

 その紅い瞳には、恐らく本人も気付かない内にドロリと粘ついた、それでいて焼き付くような熱を孕んだナニカが浮かんでいる。

 しかし、それらはすぐに消え失せて、元の可憐な美少女のような表情に戻る。

 

「・・・そういうのを確かめたいなら、変身すればよかったじゃない」

「それはそうだけど・・・ベッドの上で尻尾とか角とか生やすとまたシーツ破れそうだし」

「あ~・・・それは確かに。何回かやっちゃってるもんね。でも、それにしたってやり方があると思うけど・・・」

 

 そして、周りに飛び散った紅い液体を見回した。

 

「あ~あ、勿体ないなぁ、もう」

 

 雫は、さっきの僕のように手を掲げた。

 すると、シーツや床に飛び散った血がひとりでに浮かび上がり、雫の指先に集まっていく。

 そうしてできた血の塊を、雫はパクッと口に放り込んだ。

 

「ん~!!今日もいい味してるな~」

「・・・・・」

 

 まるで極上の飴を舌の上で転がしたように、雫は至福の表情に変わる。

 ・・・人間の頃から僕の血は妖怪にとって極めて美味かつその力を大きく上昇させる霊薬のようなものだったのだが、人外になってもその効果に変わりはないらしい。

 昔は雫がこの血に狂って無理やり僕のことを好きになるように洗脳されてるんじゃないかとか、実は僕の血のことしか見ていないのではないか?とか色々不安に思ったものだが、今は全くそんなことは気にならず、純粋に僕の血が雫にとって美味しいということを嬉しく思うだけだ。

 ・・・昔の僕が気にしていたようなことは全くの杞憂であり、仮に口に出せば雫を怒らせると同時にひどく悲しませることになると心の底から理解できているから。

 

「じゃ、久路人。腕出して」

「へ?」

 

 物思いにふけっていると、雫が僕の腕を掴んでいた。

 腕に目をやってみれば・・・

 

「あれ?床とかベッドの血はなくなったのに腕のはなんで残って・・・うおっ!?」

「れろっ・・・」

 

 他は綺麗になったのに、僕の腕だけ血まみれなのを不思議に思っていると、雫が僕の腕に顔を近づけ、次の瞬間には生暖かい感触が走った。

 

「ん~!!やっぱり、こうやって直接久路人から吸ったり舐めたりするのが一番おいしいよ。普段は首筋からだけど、たまにはこうやって別のところからってのもいいものだね」

「だからって、やる時は一声かけてよ。びっくりするじゃん」

「れろっ・・・ふふっ!!さっきのリストカットのお返し。っていうか、久路人も分かってたくせに。ちょっと期待してたでしょ」

「・・・・・黙秘します」

「それ、もう答え言ってるようなものだからね?・・・れろっ」

 

 僕たとの会話に、一切の淀みも遠慮もない。

 それが当然であるというように、僕らは日常の一コマの中にいて、それを共有している。

 例えそれが、自らの腕を切り裂いてあふれ出た血を舐められるという、普通の人間から見れば異常そのものであっても。切り裂かれた手首が、あり得ない速度で癒えているという、異様そのものであっても。

 それこそが、今の僕らの当たり前であり・・・

 

「れろっ・・・」

「く、くすぐったい・・・」

「ふふっ!!・・・後、久路人?」

「分かってるよ・・・すぅ~・・・うん、今日もいつもと変わらず、雫はいい匂いだよ」

「ん!!ありがと!!」

 

 僕らの望んだ毎日なのだから。

 そうして、朝のひと時は狂気で非常識で、それでいて普通のままに過ぎていく。

 

「それじゃ、私はご飯の支度してくるね。久路人は部屋の片づけとかお願いね」

「分かったよ・・・念のため言っておくけど、料理に血を混ぜるのはウェルカムだけど、あんまり痛そうなことはダメだからね?さっきのリストカットじゃないけどさ」

「はいはい、分かってますよ~」

「フリじゃないからね?本当だからね!!」

「本当に分かってるって。それよりいつまでも引き留めてていいの?それこそ遅刻しちゃうよ?」

「あ、そうだった・・・」

 

 これは、元人間だった、神の血を引いていた僕。

 そして、元蛇の妖怪で、神の血を取り込んでいた雫。

 今は人間でも妖怪でも、ましてや神でもないナニカになり果てた僕ら。

 そんな二人の、何気ない、だからこそこの先永遠に続いていく日常のひと時である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

昏睡レイ〇!? 野獣と化した白蛇

このお話は色々危ないのでハーメルン版のみ連載。
時期的には3章終了後の、久路人と雫が結ばれ、久路人が人間やめた後なのでネタバレ塗れと言えばネタバレまみれです。

3章の季節を夏にしたのは、この話が書きたかったからです。
お気に入り、評価が激減するの覚悟で書きました。
念のため書いておきますが、私は久路人×雫以外書くつもりはないのでそこはご安心を。

一応、こういうのはよほどリクエストがない限り今回限りにしよっかなと思ってます。


「ふぅ・・・」

 

 明け方、月宮家の離れにある久路人の自室で、雫は目を覚ました。

 

「ん~!!外はもう明るいけど、まだ5時か~。もうちょっと寝てよっかな・・・」

「ZZZ・・・」

「ふふふっ!!下半身にあんな凶悪なドラゴン飼ってるくせに、寝顔はかわいいなぁ・・・」

 

 部屋の主である久路人はその鍛え抜かれた上半身を晒しながらも未だに夢の中にいた。雫の言う凶悪なドラゴンは、布団の中に包まれているために見えない。昨晩雫の渓谷で激闘を繰り広げて消耗したからか、布団の外から見てもその輪郭は分からなかった。

 

「・・・ふふ、人外になっても朝弱いのは変わらないんだね。えいっ、ツンツン」

「む~・・・?」

 

 雫が頬を指でつつくも、起きる気配はない。

 今の久路人は雫と同じ妖怪のような存在であるが、人間であった時からの習慣というのはそう簡単に変わるものではないらしい。

 

「さてと、でも、目が覚めちゃったしな~・・・あ、そうだ!!」

 

 しばらく久路人の頬を突いて遊ぶ雫であったが、眠気もそれで消えてしまったようだ。

 『さて、それではこの時間をどうしよう?』と考え込むも、何やら妙案を思いついたらしい。

 

「よいしょっと」

 

 枕元に置いてあった指輪を左手の薬指に嵌め、何も身に着けていなかった裸身に白い着物を纏ってから雫は久路人のベッドから降り、部屋の隅に置いてある段ボール箱を漁り始めた。

 箱には『雫・同人コレクション』と書かれており、雫が久路人の部屋に持ち込んだ漫画が詰め込まれているようだ。

 

「せっかくだし、新しいネタ仕入れとこっと・・・」

 

 箱から取り出した厚みの薄い漫画を取り出しては放り出し、取り出しては横に置きながら、雫はお気に入りの漫画を探している。

 何をしているかと言えば・・・

 

「う~ん・・・昨日は『稲荷寿司を運んでたバイトがつまみ食いしたのがバレたせいで客に強請られる』ってシチュだったし、今日は・・・」

 

 ここのところ、若い身体を持つ二人は夜にそれはもう色々と仲を深めているのだが、最近は新しい刺激を求めてすでに存在している創作物のシチュエーションを再現するのが二人の間で流行っているのだ。

 今やっているのは、そのネタ探しである。

 ちなみに、昨日の夜の配役は久路人がバイト役で、雫が客の役だった。

 特に西日本に住んでいたことはなかったはずなのだが、『雫の関西弁の演技が本当に迫真だった」と後に久路人は語る。

 

「あ!!これにしよっと!!明日は講義も一コマしかなかったし、前にメアからもらったアレもある。イけるね・・・ふふっ!!」

 

 そうしてお目当てのシチュエーションを見つけたのか、雫は紅い瞳を輝かせて妖しい笑みを浮かべ・・

 

「う~ん・・・」

 

 そんなこともつゆ知らず、久路人は遅刻寸前まで眠りこけるのだった。

 

 

------

 

 

 ジーワジーワと、蝉の声が響く昼下がり。

 月宮家のすぐ近くの下り坂を、久路人と雫は歩いていた。

 久路人の手には買い物袋が下げられており、どこかからの買い物帰りなのだろう。

 もう片方の手は、しっかりと雫の手と繋がれている。

 

「ん~いい時には結構行くよね」

「え?あ、そうだね?」

(え?何の話?雫、何を言ってんだ?)

 

 取り留めのない会話をしながら歩く二人であるが、その距離は近い。

 うだるようなクッソ熱い気温だというのに、そんなことよりも二人でくっついている方が大事だと言わんばかりであった。

 まあ、共に人外である二人にとっては日光どころか火炎放射器の直火焼きでも大したダメージにならないことを考えれば、夏の日差しくらいはなんとでもないのだろう。

 そうして歩く二人であったが、行く手にこれまでの人生を過ごしてきた月宮家が見えてきた。

 

「ここ、ここ!!」

「はぇ~、すっごい大きいよね。改めて見ると」

 

 なぜか今日はテンション高めの雫が久路人の手を引いて月宮家の門を指差した。

 釣られて久路人も見てみれば、一般住宅よりもかなり大き目な月宮家の全体が目に入る。

 田舎であり郊外であることもあって地価は安い部類だろうが、こんな屋敷を建てられる京の財力はどれほどのものなのだろうと、久路人は少し疑問に思った。

 しかし、そんな疑問も未だに手を引いて先を歩く雫の妙な雰囲気の方が気にかかり、すぐに脳裏から消え去る。

 二人は門をくぐって、目の前にある玄関をスルーし、裏庭の方に向かう。

 今二人が住む離れは、裏庭と屋敷の中間にあるのだ。

 

「入って、どうぞ!!」

「え?あ、うん」

「悔い改めて!!」

(今、『悔い改めて』って聞こえたけど、『いいよ、上がって』だよね?)

 

 自宅に帰ったというのに、なぜか客を招いた時のような態度で久路人を家に上げる雫に疑問符を浮かべながらも、『どうせまた何か変な漫画でも読んだのだろう』と、久路人は恋人の作る流れに乗ることにした。

 最近の二人の流行りは、夏と冬の祭典や通販、ホームページからのダウンロードで取引される書物の再現だ。今回の雫の奇行も、そういうプレイの一環なのだろうと久路人は結論付けたのである。

 そう思ってる間にも雫はグイグイと久路人を居間の方へと引きずって、二人は大きなソファに腰掛けた。

 なお、二人は今日大学の講義の帰りに生活雑貨を買いに行って、久路人は適当なTシャツを購入して着替えたのだが、その背にレシートが貼りついていたことには二人とも気が付かなかった。

 

「ふぅ~・・・今日は暑いし、疲れちゃったな」

「ねー。今日練習キツかったねー」

(何の練習やってる設定なんだ?・・・暑いし、雫だし、水泳とかかな。話合わせとこ)

「ふぁい」

「まあ、大会近いからね、しょうがないね」

「そうだよね」

「今日タイムはどう?伸びた?伸びない?緊張すると力でないからね」

「そうなんだよね・・・」

「ベスト出せるようにね」

「うん」

 

 途中、雫がまた意味不明な発言を始めたが、そこは10年以上の付き合いのある久路人。

 咄嗟に話を合わせることに成功していた。

 その機転がもっと早くから発揮されていれば、久路人が人外になるのはもっと早かっただろう。

 そうして久路人にとって意味不明な会話をしばらく続けたところで、雫は身を乗り出した。

 

「まずうちさぁ・・・屋上、あんだけど、焼いてかない?」

「え゛っ!?・・・あ、あぁ~いいっすねぇ~」

(なんで急に屋上!?展開が無理やり過ぎない?)

「ウン」

 

 まずどの辺が「まずうちさぁ・・・」なのか分からないが、せっかく雫が楽しそうなので久路人はやはり流れに身を任せることにするのだった。

 

 

------

 

 

「おじさんとか、メアさん見てないよね・・・」

「大丈夫でしょ。まあ、多少はね?」

 

 月宮家の離れには、屋上がある。

 その屋上にて、二人は雫が水で造ったウォーターベッドに寝そべっていた。

 しかし、その恰好は普段とはかなり異なっている。

 

「そうだよね・・・もしおじさんが今の雫を見てたら、目玉をえぐり取らなきゃいけなくなるし・・・」

「あ、そういう意味・・・やっぱり久路人ってかなり重いよね。そこがすごくいいんだけど」

「だって、今の雫、すごく可愛いから。普段から可愛いけど、今は本当にヤバいから」

「そ、そうなんだ、あ、ありがと」

「本当にマジでヤバいから。雫なら白だろうと思ったのに、黒とか・・・本当にありがとう」

「そ、そんなに頭下げられると逆に恥ずかしんだけど!!」

 

 黒いボクサーパンツのような水着を身に着けた久路人が話しかける雫も、水着だ。

 色は久路人と同じように黒で、タイプはセパレート水着。

 白い肌と黒い水着のコントラストがよく映えており、露出のバランスの良さが、雫の残念な胸部をほどよく目立たなくしていた。

 久路人としては最近は毎晩のように、その水着の下にある部分も含めて雫のすべてを目にしているが、今のように中途半端に隠されると逆に滾るモノがあり、水着を褒める口調にも尋常ならざる熱が籠っている。

 その真剣さにあてられたのか、雫もそれまでの意味不明な発言は鳴りを潜め、素が出てしまっていた。

 

「それはともかく、コホンッ!!・・・暑いね~」

「え?ああ・・・暑いね」

 

 そんな褒め殺しのような状況に耐えられなかったのか、雫は咳ばらいをすると、再び棒読みぎみの口調に戻った。

 どうやら演技を再開するようだ。

 

「オイル塗ろっか」

「ああ・・・」

 

 久路人も演技に乗るモードに入ったのを察したのか、雫は近くに置いてあった鞄をゴソゴソと漁って、サンオイルを取り出した。

 『僕たちの肌って紫外線で焼けるのかな?』と疑問に思いつつも、久路人は仰向けになる。

 

「じゃ、じゃあ、塗るね」

「え、うん」

 

 いざ久路人にオイルを塗る場面になって緊張したのか、さっき始めたばかりだと言うのにまた元の口調に戻りながら、雫は手にオイルをつけて久路人の身体に触れ・・・

 

「っ!?」

「わっ!?い、痛かった?」

 

 ひんやりとした雫の手とオイルの感触に、久路人は思わずビクリと震えた。

 そんな久路人に追従するように、雫もビクッとのけぞる。

 

「い、いや、こういうのはあんまり経験なかったから、驚いただけ・・・そういえば、高校の修学旅行でも雫に背中流してもらったっけ」

「あ~!!覚えてるよ!!あの時も久路人、ビクッってしてたよね」

「そりゃあそうだよ。好きな女子にああやって触ってもらって緊張しない男はいないよ」

「っ!!・・・もうっ!!また不意打ちして」

 

 もはや演技をすることを忘れたのか、それともそれほどまでに強烈な事態だからか、二人は素で話し続けていた。

 話しながらも少しづつ慣れてきたのか、雫の手は段々と動きがなめらかになり、久路人のたくましい身体に手を這わしていく。

 そして、雫は気が付いた。

 

(久路人のココ、硬くなってる・・・)

 

 久路人の身体のある一部分が、確かな硬度を持っていることに。

 それは、眠れる龍の目覚めであった。

 

(久路人、た、溜まってるのかな・・・チャージ速いなぁ)

 

 緊張感に耐えられなくなったのか、雫の口が勝手に開く。

 少しでも、己の望む流れに近づけたかったのだ。

 

(このままじゃ、すぐにこの場所で・・・いや、それでもいいっちゃいいんだけど)

 

「ど、どのくらいやってないの!?」

(何分かりきったこと聞いてんの、私のバカ!!)

「え!?・・・は、半日くらいかな」

 

 もっとも、それは失敗に終わったが。

 久路人も、『え?何聞いてんの!?』とあっけに取られたような表情をしている。

 

「あ、そ、そうだったよね、ごめん・・・」

「い、いや、別に・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 期せずして、二人とも無言になった。

 しかし、触れ合ってる二人には、お互いの心臓の鼓動が早鐘のようになっていることに気付いていた。

 

「はぁっ、はぁっ・・・」

「・・・っ!!」

 

 雫にとっても、久路人の裸は最近になってよく目にするものだ。

 しかし、ここまで丹念に触れる機会というものは、早々なかった。

 そして、中学の頃から久路人の服を合法的に脱がすことをモチベーションとして訓練に励んでいた雫の目の前に、手の下に、久路人の鍛えられた身体がある。

 己に欲情していることを示す、確かな証がすぐそばにあるのだ。

 

「ふぅ・・・はぁっ、はぁっ!!」

「・・・・・」

 

 雫の息は荒くなり、視線は久路人の下半身に住まう龍に向けられる。

 それはまさしく、龍だろうが何だろうがむしゃぶりついてやろうとする野獣の眼光であった。

 

(こ、このままじゃマズい!!まだやりたいことがあるのに・・・なら!!)

「く、久路人!!もう大体塗り終わったからさ、今度は久路人に塗ってもらっていいかな!?」

「え゛っ!?マジで・・・?い、一応聞いておくけど、まさか外で」

「そ、それは流石になしで!!」

「だ、だよね・・・」

 

 色々と辛抱たまらなくなりそうだった雫は、ここで選手交代をすることに。

 交代を持ち掛けられた久路人は、『まさかこの青空の下でヤる気かっ!?』と戦慄したが、流石にそれはないらしく、ホッとしたような少し勿体ないような気分になりながら雫からオイルを受け取り・・・

 

「じゃあ、や、やるよ・・・?」

「う、うんっ!!」

 

 その手が、雫の白い肌に触れた瞬間。

 

「ひゃうぅぅぅううううううっ!?」

「うおぉぉおおおおおっ!?」

 

 半ば出来上がった状態の雫にとって、久路人にオイルを塗られると言うのは想像以上の刺激だったらしい。

 その可憐ながらも甲高い声に驚いた久路人は、修学旅行の時のように猛スピードでバックステップを刻んで後方に下がった。

 

「だ、大丈夫・・・?」

「ご、ごめん・・・大丈夫じゃないや。うん、私はいいや。これ以上やったら気持ちよくなりすぎちゃう。ヤバイヤバイ・・・」

「そ、そっか・・・」

 

 手にオイルを垂らしたまま、久路人はまたも安心したような、ホッとしたような気分になり・・・

 

「私、喉乾いたから、飲み物持ってくるね・・・」

「う、うん・・・あの、大丈夫?僕が行こうか?」

「大丈夫・・・」

 

 フラフラと少々頼りない足取りで下に戻っていく雫を、何とも言えない様子で見送るのだった。

 

 

------

 

 

「ふぅ~・・・落ち着け私、クールダウン、クールダウン・・・」

 

 離れの台所で、雫は静かに深呼吸をしていた。

 先ほどまでの熾烈な攻防で火照った身体と思考を冷やすべく、何度も何度も呼吸を行う。

 

「ふぅ~・・・よし、落ち着いた」

 

 やがて、満足いく状態になったのか、雫は深呼吸をやめた。

 同時に、飲み物を持っていくためのグラスの準備を始める。

 

「ふぅ・・・焦っちゃダメ、私。私がやりたいなって思ったのは、この先なんだから」

 

 そして、冷蔵庫にあったアイスティーをグラスに注いでから、雫は白い薬包紙に包まれた何かを取り出した。

 

「今こそ!!この離れに移る時にもらったコレを使う時!!」

 

 

--サーッ!!

 

 

「ふふふっ!!」

 

 淀んだ瞳で、雫は久路人に渡す予定のグラスに、白い粉を注ぎ込んだ。

 

「メアからもらった薬、何でもすごい強力な睡眠薬らしいけど・・・」

 

 グラスをお盆に乗せながら、雫はこの離れに移る時のことを思い出していた。

 あの時は初デートの後に京たちのせいで久路人とギクシャクしてしまったのだが、そんな時にメアに『せめてものお詫びの品です』と、今注いだ薬をもらったのだ。

 今朝になって今のシチュエーションを再現しようとしたのも、この薬あってのことだ。

 

「せっかくもらったんだし、有効活用しないと勿体ないよね」

 

 『いざとなれば、これで雫様の方から』と渡された時、『まあ、コイツには無理だろうな』という眼をしていたので腹が立ったから切り捨ててやろうとして避けられたことを思い出しながらも、雫は再び屋上に戻るのだった。

 

 

------

 

 

「お待たせ!!アイスティーしかなかったけど、いいかな?」

「うん」

(冷蔵庫の中、緑茶とか他にもなんかあったと思うけど、まあいいか)

 

 棒読みの台詞を吐きながらグラスを差し出してきた雫のノリに、落ち着きを取り戻していた久路人は卒なく合わせる。

 久路人もまた、雫がいなくなった後に必死で深呼吸をしていたのである。

 

「いただきまーす」

「ドゾー」

 

 そのまま、雫から受け取ったグラスの中身を一気に煽る。

 夏日ゆえに、久路人も喉が渇いていたのだ。

 

 

--ニヤリ

 

 

 雫の顔にしたり顔のような不気味な笑顔が浮かぶが、ちょうどグラスを傾けていた久路人はそれに気が付かなかった。

 

「?どうかした?」

「別に~?それより、せっかく屋上にいるんだし、日光浴しよ、日光浴」

「うん」

 

 それからしばらく、他愛のないことを話しながら二人は肌を焼き・・・

 

「それにしても・・・焼けたかな?これもうわかんないなぁ・・・久路人はどう?」

「うーん・・・僕たちの肌って、紫外線にも耐性ありそうだしな」

「すごく白く・・・なってないね。元とあんまり変わってないや」

(水着をめくってる久路人、すごくセクシーでエロいけど)

 

 焼こうとしたが、あまり焼けていなかったようだ。

 しかし、時間は大分経っており、空が少し曇り始めていた。

 

「曇ってきたね・・・そろそろ中に入ろっか」

「そうだね」

「・・・・・」

「雫?」

 

 促されてよどみなくスクッと立ち上がった久路人に、雫は訝し気な目を向けていた。

 

「ねえ久路人、立ち眩みとか大丈夫?」

「別に何ともないけど・・・?」

「そ、そっか・・・・・あれ~?」

(あれ?久路人、確かに睡眠薬入りのアイスティー飲んだよね?だったらなんで・・・・・)

「あ!!」

「?雫?どうしたの?」

 

 そこで、雫は致命的なミスに気が付いた。

 今度は久路人が訝し気な顔をしているが、それに反応する様子もない。

 それほどまでに、それは致命的な大ポカだったのだ。

 

(私のバカ!!今の久路人に毒が効くわけないじゃん!!私に効かないんなら久路人にも効果ないの当たり前じゃん!!)

 

 いかに強力な睡眠薬とはいえ、メアが渡してきたのは久路人がまだ人間の時。

 すなわち、メアとしては人間の久路人に使う想定だったはずだ。

 しかし、今の久路人は雫と全く同質の存在。

 水を操る雫は体内の異物の感知に優れ、同時に耐性を持っていた。

 その耐性は久路人の変化と共鳴して雫もまたそれまでより高次の存在となったことで、さらに強化されており、今の雫は毒物の影響を完全に受けない。

 そして、雫がそうならば、久路人も同じレベルの耐性を獲得しているのだ。

 なお、それと同様に今の雫も久路人と同じ精神系・幻術系の術に対する完全耐性を有している。

 

(ど、どうしよう!!このままじゃ私の完璧な昏睡レイ〇計画が・・・!!)

 

 つい先ほどまで性的興奮のあまりドロップアウトして青〇に至りそうだったことを記憶の彼方に押しやりながら、雫はその頭脳を高速で回転させる。

 そんな雫に、久路人は声をかけ・・・

 

「雫?本当に大丈・・・」

「はぁっ!!」

「おぶっ!?」

 

 白流市どころか日本でも最も霊的に安全と言っていい、月宮家の屋敷の中。

 その中で恋人と二人きりで過ごすという、無警戒になっても責められるはずもない状況にいた久路人の無防備な鳩尾に、雫の拳が突き刺さった。

 

(こうなったら・・・!!)

「し、雫・・・何を゛っ!?」

「落ちろ!!」

「・・・っ!?」

 

 不意打ちを喰らいながらも、そこは流石に人外。

 未だ意識のある久路人であったが、雫はその背後に回り込み、チョークスリーパーを仕掛けだした。

 

(薬が効かないって言うのなら・・・)

「落ちろぉっ!!」

(物理で落とすまで!!)

 

 睡眠薬で眠らせられないというのならば、物理的に気絶させる。

 それが、事ここに至って雫の出した結論であり・・・

 

(く、苦しい!!雫、本当に何を考えて・・・でも)

 

 技を仕掛けられる久路人は、酸欠で息が苦しくなりながらも、あることに気が付いていた。

 

(これ、雫の胸が思いっきり押し付けられて・・・あんまり大きくないけど水着だから、形が変わるのが分かって・・・・・これは、これで)

 

 背中に押し付けられる微かな、しかし確かな感触に満更でもない気分になった久路人は抵抗する気力を削ぎ落されたのだ。恐らく本気で暴れれば拘束から抜け出すことはできただろうが・・・

 

「落ちろ!!・・・落ちたな」

「う、ううん・・・」

「縛らなきゃ・・・」

 

 そうして、久路人の意識は闇に落ちていった。

 どこか満足げな笑みをその顔に浮かべながら。

 

 

------

 

「んっ・・・ん」

「・・・う、ううん?」

 

 ピチャピチャと、かすかな水音が暗い室内に響く。

 その音と、身体を這う生暖かくざらついた感触で、久路人は目を覚ました。

 

「んっ!!んぅ・・・」

「雫っ!?何してんのっ!?さすがにマズくない!?」

「んっ!!いいでしょ、別に。だから・・・」

 

 今の久路人は手錠で腕を縛られ、ベッドの上で雫に圧し掛かられていた。

 雫の赤い舌が薄暗い中わずかな灯りでテラテラと輝きながら、久路人の身体の上で動く。

 そんな久路人に嗜虐心を含んだ視線を向けつつ、抵抗するであろう久路人を抑えつけるための策をなそうとして・・・

 

「まあ、確かにいいけどさ」

「暴れないで・・・え、いいんだ」

「うん」

 

 しかし、久路人としては少し驚いただけで別に今の状況は問題ないらしい。

 だが、流石に状況が意味不明すぎて対応できないのか、演技に付き合う気もないようだった。

 久路人の身体に舌を這わせていた雫は、手に何やら白い布を持っていたが、しばらくその布を見やった後、ポイっとどこかに放り捨てた。

 そして、久路人に向き直って、おずおずと問いかける。

 

「えっと、そのさ、気持ちよかった?」

「え?さっきのやつのこと?・・・そりゃ、気持ちよかったけど」

「そ、そうなんだ・・・え~・・・なんか私の思い描いた流れとこれじゃ・・・じゃ、じゃあさっ!!久路人!!私・・・」

「うん」

 

 『そういや、この離れって地下室あったなぁ』と普段使っていなかった地下室を物珍し気に見回す久路人に、雫はどこか焦った様子でまくし立てる。

 

「く、久路人のことが好きだったんだよ!!」

「知ってるけど?」

「・・・・・」

 

 半ば無理矢理気絶させられた上に手錠で自由を奪われ、上に圧し掛かられながら体中舐めまわされていたというのに、至って平常運転な久路人に、雫はしばし茫然としていたが・・・

 

「はぁ・・・そっか、そうだよね。私だって久路人と同じ状況になっても余裕でウェルカムだし、こうなるよね・・・はぁ」

 

 ひとしきり独り言のようにボソッと呟いてから、久路人に乗ったままで肩を降ろし、ため息を吐いた。

 そんな雫に久路人は、柔らかくほほ笑みながら声をかける。

 

「あのさ、雫」

「うん」

 

 客観的に見て色々とぶっ飛んだ状況であるが、それでも久路人はこれまでの状況から、『雫が何かのシチュエーションを再現したかったのだろう』ということは分かっている。

 だから・・・

 

「多分、またなんかの漫画のシチュエーションをやりたかったんだろうけどさ、あんまり複雑だったり長いんなら打ち合わせしよっか。大抵のヤツなら嫌とは言わないからさ」

「・・・うん」

「サプライズ的にやりたかったんだろうけど、そういうのって多分難しいしね」

「・・・うん、今度からそうするよ。ごめんね、気絶させちゃって」

「いや、いいよ。あれは一応、僕も役得だったから」

「?そうなの?」

 

 すべてを察した上で慰められ、雫は反省をするのだった。

 

「じゃあ、その手錠溶かすね」

「あ、うん。よろしく」

 

 そうして、久路人の手にかけられていた手錠が溶かされていく。

 その手錠は、雫の術で造ったものだったのだ。

 久路人が気絶している間に時間をかけて構築した氷だったため、かなりの強度を持っていた手錠は久路人の手でも解除するのは難しかっただろう。

 つまりだ・・・

 

「ところで雫」

「うん?」

「こんなことをしようとしてたってことはさ、その気はあるんだよね?」

「え?」

 

 雫が龍の封印を解いてしまったということを意味する。

 そして何気ない口調で問いかけてきた久路人に、雫は一切の警戒をしていなかった。

 

「はぁっ!!」

「えぇぇぇえええええっ!?」

 

 自由を取り戻した久路人によって雫は投げ飛ばされ、雫の下にいた久路人はとっさにその場を移動。

 すぐさまベッドに落ちてきた雫の上に馬乗りになる。

 

「え?え?・・・・あ」

 

 そして、雫は気が付いた。

 馬乗りになった久路人の下半身で、龍が目覚めの咆哮を上げていることを。

 

「これってさ、結構仕方ないと思うんだ。彼女に屋上であんな風に焦らされた後に、地下室で拘束されて体中ペロペロされたら、興奮しなきゃ逆に失礼なんじゃないかな?ああ、別に怒ってるわけじゃないよ?怒ってなんかないさ」

「く、久路人・・・」

 

 にこやかな久路人であったが、その眼に先ほどまで雫を慰めていた時の優しさはない。

 彼も彼で、この意味不明なノリに振り回され、気絶させられ、何より興奮させられてお預けされていたことに思うところがあるようで・・・

 

「それじゃあ、今までの仕返しをたっぷりとさせてもらおうじゃないか」

 

 そんな久路人に雫は・・・

 

「お、お手柔らかにお願いします・・・」

 

 なんだかんだ言って『これはこれでアリ!!』と思い、流れに乗ることにしたのだった。

 なお、この後に何度も絶頂を迎えそうになって『イキスギィ!!』と叫んだり、胸にかけて欲しかったのに顔にかけられて『ファッ!?』と言ったりしたかどうかは定かではない。

 

「ん!!」

「ぷはっ!!」

 

 ただ、その最後に幸せなキスをしたのは、確かな事実である。

 

 

------

 

「なるほど、こんな話だったんだね」

「うん。メアが貸してくれた本の中にあったんだ」

 

 その日の夜。

 久路人の部屋のベッドに二人で腰掛けながら、久路人の膝の上に乗せた薄い本を二人で眺めていた。

 その内容は、『水泳部の後輩(男)を先輩(美少女)が家に誘って睡眠薬入りのアイスティーを飲ませて昏睡レイ〇するも最後は純愛風に幸せなキスをして終わる』という中々にカオスな展開であった。

 

「それにしてもこのタイトル、え~と、『昏睡レイ〇!!野獣と化した先輩』って、脳裏にこびりつくフレーズだなぁ」

「一度聴いたら中々忘れられないよね・・・」

「実際に再現されそうになった身としては二重の意味で忘れられないよ・・・って、あれ?」

「どうしたの?」

 

 パラパラと薄い本をめくっていた久路人だが、最後のページに少し気になる記述を見つけたのだ。

 

「なんかこの本って、元ネタがあるんだってさ」

「え!?これの元ネタって・・・AVか何か?」

「そうみたい・・・せっかくだし、ちょっと調べてみよっと」

「女の裸が映りそうだったらスマホの画面壊してでも止めるからね」

「それは少し嫌だな・・・じゃあ雫が見て・・・いや、これホ〇ビデオみたいだ」

「あ、そうなの?ならいいや」

 

 そうして久路人はスマホを取り出して、薄い本に書いてあった元ネタを調べる。

 どうやら元ネタは男性向けではあるようだが、かなり特殊な界隈向けのようだ。

 久路人は駿〇屋に11万4514円で在庫ありらしいビデオの画像をクリックし・・・

 

「え?」

「は?」

 

 久路人と雫は、同時に固まった。

 そこに映っていたのは・・・

 

「え、なにこれは・・・」

「うわぁ・・・これは、田戸君と近野君?」

 

 久路人の中学、高校の同級生だった田戸君と近野君の姿だったのだから。

 さらに・・・

 

「ねぇ久路人。こっちの関連商品のヤツって・・・」

「これは二浦君で、ああ、こっちは林村君だね。間違いない。なんだこれは……たまげたなあ」

 

 別のビデオには、田戸君に加えて同じく同級生だった二浦君と林村君の姿も。

 

「ええ、どうしよう、これ」

「とりあえずさ・・・」

 

 昔の同級生が特殊な道に進んでいたことを知り、愕然とする久路人だったが、そんな久路人に雫は言った。

 

「もうこの本を再現するのはやめよっか」

「・・・そうだね」

 

 こうして、その薄い本はメアの元に返され、厳重に封印されることになったのだった。

 なお、『他にもこういうのがあったらどうしよう』と二人で調べた結果、過去の知り合いの多くが同じ道に進んでいたと知り、ショックを受けるのはまた別の話である。

 




あ~!!めっちゃスッキリした!!
来週は書けたらまた短編を書こうと思ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

IFルート 水底の白蛇

ちょっと悪い子な雫が書きたい、夏だしホラーテイストな話書きたいと思ったら、こんな長さに・・・
しかも結局普段の雫とあんまり変わらない感じに。
自分にガチヤンデレは書けないかもと思う今日この頃です。


 これはもしもの物語。

 人をやめた青年と、人をやめさせた蛇が、異なる道を歩いていた『IF』のお話。

 青年の力が眠り続け、蛇が『こちら側』の世界に封印された世界のお話。

 

------

 

『・・・・・人間だと?』

「・・・うーん」

 

 日本のどこか。

 とある県の、とある田舎町。

 白流市とは遠く離れた別の町。

 その郊外の森の奥にある、小さな泉の底にて。

 

『・・・これは、どうしたものか』

 

 白い大蛇の目の前に、一人の少年が落ちてきたのだった。

 

------

 

「・・・・・はぁ」

 

 街の郊外に繋がる寂れた農道。

 そこを歩きながら、少年はため息を吐いた。

 月宮久路人という少年は、最近とある悩みを抱えていた。

 

「・・・・・今日も疲れたな。って、ああもう!!しっしっ!!」

 

 肩に止まった、目玉に細い虫のような六本脚とハエのような羽が生えた生き物を手で払いながらも、その顔には疲れが滲んでいる。

 

「まったく毎日毎日・・・なんなんだよこいつら」

 

 うんざりしたようにため息をついて、久路人は己を困らせている問題を口に出した。

 

「なんで、こんなよくわからないモノが見えるんだか」

 

 『お化けが見える』

 それは、月宮久路人が幼少の頃からだ。

 子供のころから、時折彼は普通の人間には見えないおかしなモノを見ることがあった。

 そのせいで自制の効かない子供の時分には、他の子どもには見えないモノを見えると言って、周囲から煙たがられていたものだ。

 そんな彼の様子を見て、両親は『それは一握りの人にしか見えないモノで、それが見えると言ってはいけないよ』と教えた。

 彼の父親は久路人と同じモノを見ることはできないが、そういったモノに詳しい一族の出身らしい。

 素質がなかったとして成人するとともに追い出されてしまったようだが、彼の父親は常識と良識を併せ持った人物であり、また、そういった超常の存在を知っていた。

 そのため、久路人は世のルールを覚え、過剰に排斥されることなくまっとうに育つことができたのだ。

 ただ、やはり過去のこともあって周囲からは浮いてしまってはいたので、高校進学を機に別の町に一人暮らしをすることになったが。

 それでも、久路人にとってはよそよそしい態度をとる同年代から離れられる機会というのはありがたいものだったし、そこで得た、自分と普通に接してくれるクラスメイト達にも恵まれた。

 彼は新しい場所で、新たな輝かしい生活をスタートさせることができたのだ。

 

「・・・はぁ」

 

 つい最近までは。

 久路人は、道の端に列を作って歩く人の顔が付いた果物のようなナニカの群れを見ながら愚痴をこぼす。

 

「まったく・・・この街ってああいうのが多すぎでしょ」

 

 久路人の最近の悩み。

 それは、移り住んだ街に、自分にしか見えないナニカがうじゃうじゃいたことだ。

 前に住んでいた場所では本当にたまにしか見えることはなかったのだが、この街ではほぼ毎日のようによくわからないモノを見かける。

 しかも、ただ見えるだけでなく、さっきの虫モドキのようにちょっかいをかけてくるものもいるのだ。

 幸いなことに危険と思えるようなモノはいないが、自分にしか見えないモノが自分にちょっかいをかけてくるのを他人にバレないように対処するというのは、久路人にとって大きなストレスになっていた。

 

「最近は学校だろうが街中だろうがお構いなしだしなぁ・・・ちょっと見た目がキモイくらいだからまだいいけどさ」

 

 久路人には自覚がないが、彼が『よくわからないモノ』に対してちょっと鬱陶しい程度にしか思わないというのはとても幸運で、珍しいことだ。

 彼、そして素質のなかった彼の父親は知らないことだが、そういったモノは人間に対して存在するだけで恐怖や嫌悪を与える存在であり、ただ見えるだけの人間にとっては精神を壊される可能性すらあるのだから。小さなモノならそのリスクもほぼないが、それでも嫌悪の情を抱くのが普通である。

 というか、周りには見えないナニカに纏わりつかれて『ちょっとキモイ』で済ませるなど、そういったモノの特性を差し引いても図太いというレベルを超えている。

 それでいて周囲の視線を気にする繊細な部分もあるのだから、もう訳が分からない。

 普通の人間だけでなく、異能を持つ人間にとっても、久路人は異常な存在だった。

 

「はぁ・・・せめて誰かに相談出来たらな。せっかく普通にクラスメイトと話せるようになったけど、こんなこと相談できないし」 

 

 当の本人は、そんなことを知る由もなく、『悩みを聞いてくれる人がいればな~』と能天気なことしか考えていなかったが。

 と、そこで久路人は足を止めた。

 

「それにしても、やっぱりここはいい場所だな」

 

 悩みながら歩くうちに、久路人は目的地に到着していた。

 そこは、郊外にある小さな森の奥にある池だ。

 子供が遊びに来るには遠く、大人は来る用事がない。

 そのため、人気はなく静かな場所で、他人の目や耳を気にしなくていいこの場所は、最近の久路人にとって憩いの地であった。

 高校では今のところ人間関係に問題はないし、遊びたい気もないではないが、大人数で過ごすのは少し苦手だったりする。

 

「よいしょっと・・・」

 

 近くにいたキノコに手足が生えたようなモノたちを追い払い、久路人は池のほとりの切株に腰を落とした。

 そのまま鞄の中にしまってあった文庫本を取り出して読み始める。

 そうしてそのまま、日が落ちるまで読書をするのが、最近の久路人の放課後だったのだが・・・

 

「ん?」

 

 そこで、久路人は怪訝な顔で池を見つめた。

 

「今、何か池の中を泳いでなかったか?」

 

 一瞬、水の中に大きな影が見えたような気がしたのだ。

 それはすぐに消えてしまったが、細長く、素早く・・・

 

「蛇かな?それにしてはかなり大きかったような・・・?」

 

 『すわ、知られざるUMAか?』と、久路人は年頃の男子らしく冒険心をくすぐられたのだろう。

 あるいは、最近のストレスのたまる日々に新しい刺激が欲しかったのかもしれない。

 そのまま、久路人は池のふちに歩いて行く。

 池は近づいてみると、苔むしてはいるが古い石垣で囲われており、水面までの角度は急だった。

 久路人は石垣の上に足を乗せ、水面を覗き込む。

 

「ん~?やっぱり気のせいかな?何もいないや」

 

 しかし、池の中には小魚が小さな群れを作って泳いでる姿が見えるだけで、他に何もない。

 そもそも池は底が見えるくらいには浅く、久路人が見た大きな影がいようものなら池に収まりきらないだろう。

 

「最近疲れてるせいかな?もう帰って寝ようか・・・」

 

 そうして、久路人は踵を返して歩き出そうとした。

 そのときだった。

 

「うわっ!?」

 

 唐突に、久路人は足を滑らせて、池の中に落ちてしまった。

 水辺にあって湿っていたために、石垣は滑りやすくなっていたのだ。

 だが、そこは精々腰の高さまでしかない池。

 すぐに足が付くはずで・・・

 

(っ!?・・・えっ!?、底がない!?)

 

 しかし、久路人の身体は一向に水中にあった。

 足どころか、体のどこにも物が当たる感覚がない。

 

(まずっ!!このままじゃ・・・)

 

 パニックになりながらも、それでも久路人は反射的にもがいた。

 手足を振り回し、すぐ近くにあるはずの岸にたどり着こうとする。

 

(嘘だろっ!?なんで何もないんだ!?)

 

 だが、やはり久路人の手に水以外の物が触れる感触はない。

 そうこうしている内に、疲れがのしかかってきた。

 服を着た状態で水の中を泳ぐということは、想像以上に体力の消耗を招くのだ。

 

(そんな、なんで・・・こんな、とこ、ろ、で・・・)

 

 そうして、久路人の意識に靄がかかる。

 鼻や口からも水が入り、身体が重くなっていくのが分かった。

 そして・・・

 

『・・・・・』

(紅い・・・点?)

 

 二つの紅い光が視界に映ったのを最後に、久路人の意識は闇に沈んでいった。

 

 

------

 

『・・・これは、どういうことだ?』

 

 青く仄かな光に満ちたその場所で、白い大蛇はとぐろを巻きながら首を傾けた。

 

『この場所に、人間が落ちてくるなど』

「・・・・・」

 

 その紅い瞳の見つめる先には、一人の少年が横になっていた。

 それは、先ほど池に落ちてしまった久路人であった。

 

『ふむ・・・いつの間にか封印が緩んだのか?それともこの小僧が特別なのか・・・よく見てみれば、何かの力を感じるが、量は大したことがない。いや、眠っているのか?』

「・・・・・」

 

 蛇は久路人が落ちてきた理由を考えるが、答えは出ない。

 久路人からは妙な力をわずかに感じるが、それが原因かどうかも分からない。

 分かっているのは・・・

 

『大分水を飲んでいるな・・・ほれ』

「っ!?ゴホッ!?」

 

 蛇が軽く目を向けると、久路人の口から噴水のように水が噴き出した。

 その感覚に驚き、久路人はたまらずに飛び起き・・・

 

「ゲホッ、ゲホッっ!?・・・う、頭痛ぁ・・・って、ここは?」

『目が覚めたか、小僧』

「ここどこ・・・って、デカっ!?すごいデカい蛇がいるっ!?」

『・・・・・』

 

 目を覚ましたと思えば、とぐろを巻いた状態で自分の背丈ほどの高さがある蛇が自分を見つめており、久路人は驚きの声を上げた。

 その様子を見て、蛇はぱっと見では分からないが面倒くさそうな顔をする。

 

『チッ・・・これだから人間は。妖怪を見ただけで無様に慌てふためきおって』

 

 せっかく話を聞こうと思って助けてやったというのに、これでは会話どころではない。

 人間という生き物は蛇の知る限りいつもそうだ。

 ただ興味がわいて村の近くに来ただけだというのに、勝手に警戒して、勝手に恐れて、勝手にこちらを倒そうとするのである。

 瘴気のせいもあるとはいえ、毎度毎度そんな態度をとられては、こちらとしてもうんざりするというものだ。

 

『長く封印されすぎて、そんなことも忘れていたか・・・仕方ない、この小僧は外に放り出して』

 

 そうして、目の前の少年もこれまで見てきた人間と同じように取るに足らないモノと判断し、水流で上に吹っ飛ばそうとした時だった。

 

「・・・それにしても、すごい綺麗な蛇だな」

『・・・何?』

 

 ひとしきり騒いで落ち着いたのか、いつの間にか久路人は蛇をじっと見つめていた。

 人間は妖怪を恐れるモノ。

 蛇にとってはそれが常識だったが、その常識が今まさに覆されていた。

 

「白い身体に紅い眼・・・アルビノか。見た目はアオダイショウに似てるけど、でもなんか違うな・・・っていうか、それ以前に大きすぎでしょ。新種だよね、これ。しかし、こんなアルビノの大蛇なんて、すごいなぁ」

 

 久路人は、ひたすらに感心するように蛇を見つめていた。

 言っていることの意味はよく分からないが、その言葉に負の感情が籠っているようには思えない。

 ・・・実は久路人は、かなりの爬虫類、両生類好きなのだが、それでもアナコンダを超える大きさの大蛇を身を護る柵なしに目の前にして感動している辺り、やはりどこかズレているのだろう。

 あるいは、久路人は気付いていたのかもしれない。

 目の前の蛇がどういう存在なのか、自分に対して敵意を持っているのかを。

 

「本当に、白くて艶があって綺麗っていうか、神秘的っていうか・・・ん?神秘的?」

『ほう?人間のくせに、お前中々見る目があるではないか』

「もしかして、この蛇も・・・って、え?」

 

 そこで、蛇はずいっと首を久路人に近づけた。

 紅い瞳と黒い瞳の線が合わさる。

 蛇の瞳は、知性と理性の輝きを宿していた。

 その瞳を見た瞬間、久路人は本能的に蛇への警戒を解く。

 そして、気が付けば問いが口から飛び出していた。

 

「あの、聞きたいことがあるんですけど」

『なんだ?問いならば妾から投げかけたいところではあるが、今の妾は機嫌がいい。申してみよ』

「あなたって、その、妖怪とか、そういう存在なんですか?」

『・・・今まで気付いてなかったのか?』

 

 蛇は呆れたような瞳になった。

 普通、人間というモノは本能的に妖怪の存在を理解するものだ。

 幻術や人化の術を使っているのならばともかく、今の蛇は見た目まんま大蛇である。

 瞳だけでなく、呟く声にも呆れを滲ませたのだが・・・

 

「って、蛇に聞いても分かるわけないか」

『・・・む!!』

「蛇に言葉が話せるわけないし」

 

 蛇のそんな感情は、欠片も伝わらなかったようだ。

 久路人は『馬鹿なことをした』と言うように肩をすくめる。

 だが、それも無理もない。

 久路人の言う通り、蛇に言葉を話すことができるはずもない。

 ・・・蛇も忘れていたことだが、蛇が先ほどから久路人に向けているのは、言葉が話せない妖怪などが使う『念話』という術の一種である。

 当然、人語しか使えない久路人に理解できるはずもない。

 

『むむ!!妾を愚弄するか!!念話もできんくせに!!・・・ええい、見ておれよ!!』

 

 しかし、そんな久路人の態度は蛇のプライドをいたく傷つけたようだ。

 そんな蛇を尻目に、久路人は現状の分析と脱出方法を考え始める。

 それが益々、蛇の負けん気に火をつけた。

 

「でも、それならこれからどうしよう。この蒼い部屋はどこなんだ?池に落ちたはずなのに空気があるし。どうやって外へ出れば・・・って、ん?何?どうしたの?」

 

 つんつんと何かに突かれる感覚がしたかと思えば、蛇の尻尾の先が久路人の肩を叩いていた。

 振り向いて見てみると、尻尾で自分の首をクイクイと指している。

 まるで、『見ていろ!!』と言っているようだった。

 

「何を見せたいのか知らないけど、僕、今結構困ってるんだ。後にして欲しいんだけ、ど・・・?」

 

 蛇はそんな態度であるが、久路人としては脱出方法を確保する方が大事である。

 言葉が通じるはずがないと分かっていながらも、『後にして』と言い、部屋の探索に戻ろうとした時、白い霧が蛇を覆いだしたのに気が付いた。

 

「え?なにこれ?霧?部屋の中なのになんで・・・?」

『・・・・・』

 

 その変化は唐突で急激だった。

 霧は見る見る内に蛇を完全に覆い隠してしまう。

 状況の変化に着いていけない久路人を置き去りに、霧はさらに濃度を上げ・・・・

 

「はっ!!」

「・・・え?」

 

 突然、霧が晴れた。

 そして・・・

 

「さて・・・」

 

 久路人の目の前に・・・

 

「蛇に言葉が話せるわけがない、だったか?小僧。今の妾にもう一度言ってみろ。ん?」

「・・・・・は?」

 

 得意げな表情で腕を組む、白い着物に身を包んだ、銀髪紅眼の少女が立っていた。

 

 

------

 

「なるほど。お前の名前は月宮久路人。ここには、池に落ちたと思ったらいつの間にかいたと、ふむ」

 

 仄かに青い光に照らされる、どこまでも畳だけが広がる部屋の中で、一人の少年と少女が向かい合って座っていた。

 

「予想は付いていたことだが、お前がなにかしらの術を使ったというわけではないのだな。ならば、やはり封印が緩んでいたのか?しかし、妾の姿が見えていたというなら、お前が無意識に何かをしたのか・・・ううむ、わからんな」

「あの・・・」

「む?なんだ?」

 

 久路人から名前と、これまでのいきさつを聞いて何事かの推測をしていた蛇、否、今は少女に、久路人は問いかけた。

 

「君・・・いや、あなたは本当に、さっきの蛇なんですか?」

「さっきも説明してやっただろう?今の姿は、『人化の術』で変化したモノ。妾は元々蛇そのものだ」

 

 その問いに、蛇は聞き分けの悪い生徒を見る教師のように答えた。

 その答えの通り、今の蛇の姿は人間の身体に変身する術の効果によるもので、元はさっきの蛇である。

 久路人からすれば信じがたい話なのだが、今の状況そのものが信じがたいので納得するしかない。

 

「人化の術は高度な術でな?単なる幻術とは違い、本物の人間の身体を得るものだ。なにせ500年の間暇だったのでな。色々と術を作るくらいしかやることがなかったのだ」

「500年も封印、ですか」

「そうだ!!妾はずっとこの池に封じられていたのだ!!別に大それたことをやったわけではないのだぞ?人間を殺めたこともない。精々真夏に雪を降らせて作物をダメにしたり、川遊びをしてたら洪水を起こしてしまったことくらいだ」

「そ、そうですか・・・それは大変でしたね」

(それって、結構大変なことだったんじゃ?)

「ふん、まあな。だがまあ、妾のような大妖怪にとって500年など昼寝と大して変わらん。故に、寛大な妾はこうして大人しく封じられてやっているというわけだ」

 

 久路人が池に落ちたのは偶然だったが、蛇が池に封印されていたのはそれなりの理由があったらしい。

 人化の術のような術は、封印されている間に暇だったから覚えたのだとか。他にも様々な術を使えるのだと言う。

 しかし、久路人にとって一番重要なのはそんなところではない。

 

「それで、僕はどうやったら元の場所に戻れますかね?」

「ふむ・・・妾からしても、お前は急に落ちてきたといった風だったからな。そうさな・・・」

 

 そこで、蛇は再び考え込んだ。

 しかし、今度はすぐに答えを出したようで、すぐに顔を上げた。

 

「落ちてきたと言うのなら、登ればいいのではないか?」

「登る、ですか?でも・・・」

 

 久路人は上を見た。

 そこには天井はなく、ひたすらに青い空間だけが広がっている。

 当然、はしごや階段などあるはずもない。

 

「どうやって登れば・・・」

「何、そこは心配するな」

「え?」

 

 途方に暮れたような顔をする久路人に、蛇はにこやかな様子で笑いかけた。

 しかし、久路人は背筋に悪寒が走った。

 今の蛇の周りには、いつの間にかどこからか水が集まって渦を巻いていたからだ。

 

「あの、その水は一体・・・?」

「妾としても、封印がどうなったのかは気になるところだ。お前がここから出れるというのなら、妾も出られるかもしれん。だから・・・」

 

 久路人の質問に、蛇は答えなかった。

 だが、その周りに集まる水量は見る見るうちに増えていき・・・

 

「まさか・・・」

「なぁに、安心しろ。加減はする。落ちてきたのならしっかり受け止めてやるさ。だから・・・」

 

 蛇が何かを言う前に、久路人は背を向けて走り出した。

 この部屋のどこかに、出口があるかもしれないという淡い希望を胸に。

 しかし、そんなただの人間の儚い希望が叶うはずもなく・・・

 

「何の心配もせず、吹っ飛ばされろ♪」

「やっぱりぃぃいいいいいいっ!?」

 

 そうして、久路人は再び水に包まれ、意識を失ったのだった。

 

 

------

 

「ふむ、あの小僧、落ちてこないな・・・」

 

 青い部屋の中で、蛇は上を見ながら呟いた。

 

「ということは、本当に封印が綻んでいるのか?しかし、この空間そのものに変化はない。ならば、やはりあの小僧が特別なのか・・・ふん、惜しいことをしたかもな」

 

 蛇は上を見るのをやめ、畳に腰を降ろした。

 自分の選択を少し後悔する。

 

「あの小僧、月宮久路人が特別というのなら、この場所に閉じ込めて調べるべきだった。人間が再びここに入れる保証はないし、そもそももう近づきすらせんだろうからな」

 

 人間は妖怪を恐れるモノ。

 あの月宮久路人は他の人間とは違うようだったが、一度ここを離れれば、頭も冷静になるだろう。

 そうなれば、あの池に来ることもなくなるはずだ。

 

「まあ、いい暇つぶしにはなったがな」

 

 蛇にとって、人間と言葉を交わすのは500年以上昔のこと。

 それも、人間側は悲鳴を上げるばかりだった。

 そう考えれば、まともに会話をしたのが、あの月宮久路人が最初と言っていい。

 初めてのちゃんとした会話は、蛇にとって中々に新鮮なモノだった。

 

「さて、もう来ないヤツのことを考えても仕方がない。また術の開発でもするか、ひと眠りするか・・・む?」

 

 しかし、もう二度と会うことのない人間のことを考えても無駄なだけ。

 蛇はすぐに考えを打ち切ろうとしたが、そこで畳に見慣れないモノが落ちているのに気が付いた。

 

「これは、本というヤツか・・・?む?だが、中身は絵ばかりだな」

 

 その妙にツルツルとした手触りの本を、文字を知らない蛇は読むことができなかった。

 しかし、パラパラと開いてみれば、そこに書かれているのはほとんどが絵であった。

 ・・・それは、久路人が鞄の中に入れてあった漫画であった。

 水流で打ち上げられた時に鞄が開いてしまったのだろう。

 他にも何冊か同じような本が転がっている。

 

「この絵は、何かの術を使っているところか?獲物は刀・・・ならばこちらの絵は?」

 

 字は読めないが、絵で何をしているのかは分かる。

 得られる断片的な情報から、大筋を推測して内容を想像する。

 それは、今までの術の鍛錬に比べると遥かに好奇心をくすぐられるものであった。

 気が付けば、蛇はそこに座り込んで無我夢中で本のページをめくっていた。

 

「ふん、無様な妖怪め。策を弄されたとはいえ、人間ごときにやられるとは。妾なら・・・」

 

 しばらく、青い部屋の中にページがめくられる音と蛇の感想が響くのであった。

 

 

------

 

「参ったな、教科書を落としちゃうなんて・・・」

 

 翌日、久路人は再び森の奥に来ていた。

 昨日は気が付けば池のふちに寝そべっていて、身体も濡れておらず、夢でも見たのかと思った。 

 だが鞄を見てみれば、口が開いていて、漫画と教科書がなくなっていたのだ。

 鞄のポケットにしまっていた財布や携帯は無事であり、本の類だけがなくなっているというのは、泥棒に取られたとも考えにくい。

 ならば・・・

 

「あれが現実で、最後に吹っ飛ばされた時に落としちゃった・・・ってことかな」

 

 正直半信半疑だ。

 しかし、他に考えられる可能性はどれも似たり寄ったりの低さだ。

 

「まあ、違っても服が少し濡れるだけで済むしね・・・」

 

 久路人は鞄を降ろし、近くの茂みに隠すと、体操着になった。

 そして・・・

 

------

 

「・・・人、久路人。・・・え~い!!起きろ!!」

「ゴハッ!?」

 

 体内から無理やり何かが噴き出していく感覚で、久路人は目を覚ました。

 ふらつく頭で辺りを見回してみれば・・・

 

「あ、蛇さん。おはようございます」

「・・・昨日も思ったが、お前本当に人間か?目が覚めてすぐ近くに妖怪がいるというのに挨拶をするなど。まあいい、挨拶を返さないのは礼を失すること。・・・おはよう、久路人」

 

 相変わらず呆れたような表情で久路人を見る蛇がいた。

 

「それで?ここには何をしに来た?てっきり妾はもう来ないかと思っていたのだが」

「それなんですが・・・」

 

 そうして、久路人はここに来た理由を説明する。

 

「ふむ、本か」

「はい、ここに落としちゃったと思うんですけど、知りませんか?」

「ふん・・・」

 

 そこで、蛇はチラッと後ろを振り返った。

 そこには・・・

 

(昨日はあんなタンス、なかったよね・・・)

 

 氷でできたタンスが一つ、すぐ近くに鎮座していた。

 実は会話を始める前から久路人としても気になっていたのだが、なんとなく指摘しにくかったのだ。

 

「確かに、昨日お前がここを出ていった後に本が落ちていた。元々それはお前の物だ。返してやってもいい」

「そうですか!!よかった・・・」

 

 尊大な口調ではあるが、この蛇はかなり人がいいようだ。

 久路人は安心して、タンスの方に近づこうとして・・・

 

「ただし!!」

「うおっ!?」

 

 そこで、蛇が久路人の前に立ちはだかった。

 身長は久路人よりも頭一つ低いが、本人がこぼしていたように彼女は大妖怪。

 それも、久路人がこれまでテレビでも見たことのないレベルの美少女である。

 そんな存在が険しい顔で自分を見つめている。

 そのことに、久路人は気圧されていた。

 

「返してやる。返してやるが、条件がある」

「じょ、条件ですか?」

 

 本は元々久路人の物で、返すのが常識だろう。

 しかし、蛇の家とも言える場所に無断で侵入したのは久路人だ。

 人間相手なら不法侵入罪で訴えられても文句は言えないことを考えれば、条件を吞むのは仕方ないのかもしれない、と久路人は思った。

 

「これ、僕が落とした漫画・・・あの、条件って?」

「これの・・・」

 

 そんな風に構える久路人に、蛇はタンスの中から漫画を取り出して、久路人の目の前に突き出した。

 その顔は俯いていてよく見えないが、肩はプルプルと震えていて、かなり緊張しているのが見て取れる。

 

「これの読み方を教えろ!!後、続きを持ってこい!!」

「それぐらいなら別にいいですよ」

「もし断るようならコレは返さないし、お前もここから出さな・・・何!?いいのか!?」

「はい。何ならそれ、しばらくここに貸しておいても大丈夫です。僕がすぐ持って帰りたいのは教科書だし」

「そ、そうか。そうかそうか!!お前、中々話が分かるじゃないか!!」

 

 OKがもらえるとは考えていなかったのだろうか?

 久路人が快諾するとひどく驚いたような顔をしていたが、すぐに満面の笑みを浮かべる。

 実際に、蛇としては断られるかも?と思っていたのだ。

 久路人は普通の人間とは違うようだが、やはり妖怪などと取引できるものかと考えるかもしれない、と。

 

「お前が変わり者でよかったぞ!!アッハッハッハ!!」

「・・・・・」

 

 そして、教科書を受け取りながら・・・

 

(か、かわいい・・・)

 

 目の前で快活に笑う美少女に、久路人はすっかり見とれていたのだった。

 

「えっと、それじゃあ早速続き持って来ましょうか?辞書とか、平仮名書いてあるやつとかも一緒に。今は鞄持ってないし」

「む!!殊勝な心掛けだな。いいぞ、ここから出してやろう」

「あ!!でも、あんまり荒っぽいのはちょっと・・・昨日それで気絶しちゃってたので、もしかしたらかなり待たせちゃうかもしれません」

「ふむ、それはよくないな。思えば、お前がここに来るときに水を飲んで気絶しているのも手間がかかる。よし、こうしよう」

「?」

 

 一度帰りたいという久路人に、蛇は手をかざした。

 疑問符を浮かべる久路人の前で、蛇の手のひらから水があふれ出し、それはすぐに形を変えた。

 それは素早く宙を駆けると、久路人の身体に纏わりつく。

 

「うわっ!?・・・水でできた蛇?」

「そいつは妾の使い魔のようなモノ。水の災いから、お前を守るように命じてある。これで気を失うことはないぞ。お前から漏れてる力を餌にすれば、この封印の外でも大分持つはずだ」

「あ、ありがとうございます・・・ん?僕の力?それって?・・・って、なんでまた水が渦を巻いてるんですかっ!?」

「お前の力についてはそのうち説明してやる。だから、まずは続きを持ってこい。お前に着けた使い魔で、約束を破ったらすぐに分かるからな!!それっ!!」

「うわぁぁあああああああっ!?」

 

 そうして、久路人は昨日に引き続いて、激流に吹き飛ばされていったのだった。

 

 

 こうして・・・

 

 

「ふむ、この漫画は妖怪のくぉーたーとやらが主人公なのか。実際にそんなものがいるとは思えんが」

「そうなんですか?」

「ああ。普通、人間は妖怪を本能的に恐れるモノだからな」

「え?でも、僕は別になんともないですけど・・・」

「それはお前が異常なだけだ。まあ、そのおかげで漫画が読めるから妾は助かるがな」

「ええ・・・」

 

 

「なんだ、この宇宙空間で戦う侍の漫画は!!本当にあの忍者漫画の作者と同一人物が監修しているのか!?」

「本当に疑いたくなりますよ・・・人は変わるってことでしょうか」

「・・・お前は変わるなよ。漫画が読めなくなる」

「え?」

「なんでもない!!口直しにそっちの鬼が出てくるのを寄越せ!!」

 

 

「・・・おい、『選んで除外する』と『選択して除外する』は何が違うんだ?日本語のルールはいつからその二つを別の意味で扱うようになった?辞書で調べても同じ意味だぞ」

「日本語のルールは同じですけど、これはKONA〇Iのルールに従っているので・・・というわけで、そっちの効果は不発で、手札、墓地、フィールドからそれぞれ一枚ずつ除外しますね」

「くそぉぉおおおお!!何なのだ、このかーどげーむはぁぁああああああ!!」

「これでダイレクトアタック決まりますけど、何かあります?」

「こ、この鬼畜ぅうううう!!」

 

 

「・・・どうだ!?それっぽく見えるか?」

「かなりいい感じです!!後は空中に氷の華を浮かべれば完璧ですよ!!僕にもそういうのできないかなぁ・・・」

「前にも言ったが、お前には間違いなく大きな力が眠っているからな。それが目覚めればできるだろうよ。最近少しずつ漏れてる力が増えてるから、近いうちにできるんじゃないか?・・・お前も氷雪系の力ならいいな!!氷雪系はなぜかやたらと咬ませになりやすいが、妾がその風潮を変えてみせる!!」

「・・・あの、言いにくいんですけど、コミックスじゃなくて本誌の方だと、そのキャラまたやられてます」

「なん、だと・・・」

 

 

「この、ええと、狩人×狩人か?続きはないのか?」

「あ、それ持ってきちゃってたのか・・・すいません、それ続きはちょっと・・・」

「なんだ、ないのか・・・新刊はいつ出るのだ?」

「・・・もしかしたら、僕が寿命で死ぬまで出ないかも」

「なんだとっ!?それは困るぞ!!おい、久路人!!お前、後1000年くらい寿命伸ばせ!!」

「無茶言わないでくださいよ!!」

 

 

「・・・なぜ、この女は主人公を諦めた?なぜ食いつこうとしない?」

「それは・・・僕も正直共感はできないんですけど、もう一人のヒロインの方が主人公に合ってると思ったからじゃないでしょうか」

「・・・ふん、理解できんな。欲しい雄がいるのならば、どんな手段を使ってでも手に入れるべきだろうに。久路人、その漫画の続きはもういい。妾は読まん」

「・・・わかりました」

 

 

 妖怪を恐れない変わり種の人間と、500年を池の底で封印されていた妖怪の、少し変わった交流が始まったのだった。

 

 

------

 

「そういえば、ずっと思ってたんですけど・・・」

「ん?なんだ、久路人?」

 

 二人が出会ってから、それなりの時が経った。

 ほぼ毎日のように池に通い、二人で漫画や小説を読んだり、カードゲームで遊ぶのがすっかり日常となっている。

 今も、二人で蛇が造った水の椅子に腰かけながら、過去の名作を読み返していた。

 そんな時だ。

 

「蛇さんって、名前はないんですか?」

「む・・・ふむ、ないな」

 

 ふと、久路人は蛇の名前が気になった。

 それまでその空間には二人しかおらず、久路人も『あなた』とか『蛇さん』とか呼ぶことが多く、名前を持つ必要性がなかった。

 しかし、たまたま今読んでいる漫画が、名前を大事なテーマとして扱う話だったのだ。

 

「そうですか・・・」

「ああ」

 

 久路人としては、少し気になったから聞いただけ。

 だから、すぐに手元の漫画に意識が戻り・・・

 

「だから、久路人。お前が妾に名前を付けろ」

「・・・へ?」

 

 そう言われた時、久路人の口から呆けたような声が出たのも仕方ないだろう。

 

「え?なんで僕?蛇さんが自分で考えた方がいいんじゃ?」

「いや、それなのだがな・・・妾が自分で考えると、コロコロ変わってしまいそうな気がしてなぁ」

「ああ、結構ロールプレイ好きですもんね」

 

 蛇本人が考えた方がいいのでは?と聞くが、返ってきた答えに久路人は納得する。

 なまじ異能の力があるために、蛇は漫画の技をかなり真似できてしまうのだが、そのせいでいろんなキャラに愛着を持っているのだ。一つに決められないと言うことだろう。

 

(そうなると、逆に蛇さんの大好きなキャラは避けた方がいいかな?蛇さんに合う名前か・・・蛇さんと言えば、水属性、白い髪、紅い眼・・・水、白、紅か)

 

 久路人はそこでしばし考え込んだ。

 そんな久路人を、表面上はすまし顔で、しかし内心はかなりハラハラと期待と不安が混ざった心持で蛇は見つめ・・・

 

「・・・雫」

「む?」

「雫なんて、どうですか?水にまつわる言葉だし、光に反射すれば白、血が垂れたら紅って感じで、えっと、その・・・」

「お前、仮にも女の名前の由来にするものに血の話はするなよ・・・」

「ご、ごめんなさい。じゃあ、他の・・・」

「いい」

「え?」

「雫でいい」

 

 その由来に呆れ顔をされて、すぐに他の名前を考えようとした久路人だったが、蛇は、否、雫はそれを止めた。

 

「由来はどうあれ、中々悪くない響きだ。水にまつわるというのもいい。なにより、外ならぬ、く、久路人が悩んで、考えてくれた名前だからな。わ、妾はこれからし、雫だ」

 

 言っている途中で恥ずかしくなったのだろうか。

 最初は久路人の顔を見て言っていたのだが、そのうちに手元の漫画に目を落としながら、早口になって雫はそう言った。

 手にした漫画のページは、一枚も捲られていなかったが。

 

「は、はい・・・それじゃあ、し、雫さん」

「う、うむ」

 

 そんなどこか甘酸っぱい空気にあてられたのか、久路人もまた、雫の名前を呼びながらも漫画を読む。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 やはり、しばらくの間、ページがめくられる音はしなかった。

 

 

------

 

 それからも、二人の交流は続いた。

 

「妾は手札の古代の機械カタパルトを発動!!歯車タウンを破壊し、デッキから古代の機械ヒートコアドラゴンを二体特殊召喚だ!!ふははははっ!!バトル中に魔法、罠、モンスター効果を発動させないこいつらならばお前が小細工しようが無駄・・・」

「フレシ〇の蟲惑魔の効果発動。素材を一つ取り除いて、手札から奈落の落とし〇を発動」

「なっ!?手札からトラップだと!?な、ならば、王宮の〇触れを発動!!罠は発動できん!!」

「この効果は罠じゃなくてモンスター効果。そのカードじゃ防げませんよ。ヒートコアドラゴン2体を破壊して除外!!これで、雫さんのフィールドはがら空きだ!!」

「あぁああああああああああっ!!妾のモンスターがぁあああああ!!・・・久路人ぉおおお!!そのモンスターを使うのは止めろぉおおおお!!」

「そんなこと言われても、僕、罠効果で嵌めるの好きですし、それが僕のフェイバリットスタイルだし・・・」

「ぐぬぬぬぬ・・・すました顔でなんという台詞を!!というか、罠だのなんだのは関係なく!!そいつの見た目が気に食わんのだ!!男ならもっとゴツイのを使って見せろ!!」

「とりあえず、ダイレクトアタックしますね」

「このドS!!妾達は決闘で分かり合った親友だろう!?」

「親友だからこそ、手は抜かないんです!!雫さんだって、真剣勝負で手を抜かれた嫌でしょ?」

「そ、それはそうだが・・・」

「というわけで、はい、これでライフポイントは0です」

「イワァァァアアアアアアアアアックっ!??」

 

 

「う~ん、この問題、どうやって解くんだろ?」

「なんだ、その問題か・・・ふむ、特性方程式の出し方が間違っている。根っこから間違っていては正解にたどり着けるはずもないぞ」

「あ、ありがとうございます!!・・・あれ?雫さん、どうしてこれの解き方を?」

「お前に付けている使い魔を介して授業を見せてもらった。『水鏡の術』と言ってな、こうやって鏡を作って、そこに映すのだ」

「いや、僕のプライバシーは!?」

「安心しろ。本体である妾がここにいる以上、見ていられる時間はそう長くない。それに、そいつにはお前に寄ってくる小物の処理もさせている。それでも嫌なら外すが?」

「う・・・最近あんまり見かけないと思ったら・・・わかりましたよ。でも!!家にいる時とトイレはのぞかないでくださいよ!!」

「お前、妾を変態か何かと勘違いしてないか?」

 

 二人にとって、二人で過ごす時間はかけがえのない物になっていった。

 久路人にとっては、これまで誰にも理解されなかった人外の見える能力を気にせずに話せる相手で、おまけにかなりの美少女。

 雫にとっても、これまでずっと独りで封印されていたところに現れた、自分を恐れず接してくれる初めての人間。おまけに、今まで初めて近くにいてくれる雄で、自分に名前までくれた存在。

 お互い言葉にこそしてないが、今の二人は間違いなく親友以上の関係であった。

 それは、共依存のようで、健全な関係とは言えないのかもしれない。

 だが、二人が抱えていた孤独は、いつの間にか欠片も残さず消え去っていた。

 

 

「雫さんって、そういえば普段は何食べてるんですか?」

「ん?ああ、この封印の中では、妾はモノを食う必要がないのだ。これはお前もそうだろうが、この中では肉体の時は止まっているようなものだからな」

「え!?そうなんですか!?じゃあ、ここにいたら、身長とか伸びなくなる・・・」

「・・・かもな。まあ、妾がいじくれば別かもしれんが、そんな面倒なことをするつもりはない」

「ええ、それは嫌だなぁ・・・」

「別にいいだろう?お前、すでに妾より背が高いではないか。それ以上伸ばす意味もあるまい。少なくとも、妾はお前の背がどんな高さだろうと気にせんぞ?」

「いや、それはそうかもしれませんけど・・・なんというか、他のクラスメイトが背が伸びてるのに、僕だけ伸びないのは・・・」

「・・・・・」

「雫さん?」

「そんなに背を伸ばしたいのなら、さっさと牛乳でも飲んで寝ろ。今日はもう帰れ」

「え、ちょ!?待っ!?」

 

 そんな中で・・・

 

「今日なんですけど、クラスで文化祭の委員会決めがあったんです。僕、喫茶店の接客係になってしまって・・・」

「・・・そうか」

「僕、アルバイトもしたことないし、どうしようかなって思ってたんですけど・・・」

「・・・そうか」

「クラスの田戸君と近野君が紅茶の淹れ方知ってるって言うから、教わることになったんです。だから、今週の土曜日は、ここに来るのが遅れちゃいます。ごめんなさい」

「・・・勝手にしろ」

「えっと、雫さん?さっきから、何か怒・・・」

「ところで」

「は、はい?」

「田戸と近野とやらは、どこのどいつだ?念のために聞いておくが・・・男だよな?」

「そうですけど?」

「ふん・・・ならいい」

「は、はぁ・・・あれ?そういえば雫さんって、僕が教室にいる時もこれまで見てたんですよね?じゃあ、田戸君たちのこと知ってるんじゃ?」

「久路人以外の有象無象の名前など、いちいち覚えてられるか・・・いい加減この話は止めろ。妾の知らんヤツの話などされても欠片も面白くない」

「わかりました・・・あ、そろそろ僕、帰りますね」

「・・・ダメだ。まだ帰るな」

「え?」

「つまらん話をした罰だ。もう少しここにいろ。よいな?」

「いいですけど・・・・」

「ふん・・・」

 

 雫は、時折ひどく不機嫌になることがあった。

 主に、久路人が雫以外の人物を話題に出した時に。

 その時だけ、雫の中に消え去ったはずの孤独感が戻ったかのように。

 

------

 

 ある日のことだった。

 

「・・・・・む?」

「雫さん?どうしました?」

「・・・久路人、お前、何か変なモノを持ってないか?」

「変なモノ?」

 

 いつものように青い部屋の中に入って鞄を開け、文庫本を取り出した時、雫が怪訝そうな顔をして鼻を鳴らした。

 

「・・・何か、妙な臭いがする。久路人、鞄の中を見るぞ?」

「ええ、構いませんけど・・・?」

 

 そうして、雫は久路人の鞄を漁り出した。

 久路人としても別にみられてやましい物は持っていないため、雫のやるがままにしていたのだが・・・

 

「久路人」

「っ!?」

 

 背筋に悪寒が走った。

 それは・・・

 

「コレは何だ?」

 

 一本のシャープペンを握りしめる雫の声が、今まで聞いたこともないくらい冷たいものだったから。

 

「そ、それは・・・今日、学校で返してもらったヤツです。結構前にペンを忘れてた子がいて困ってたので、貸したんですけど、その子別のクラスだったから、返してもらうのに時間がかかっちゃって」

「・・・そうか」

 

 雫は久路人に背を向けて鞄の中を見ていたため、その表情は見えない。

 しかし、久路人はその幸運に感謝した。

 今の雫の顔を見てはいけないと、自分の中の何かが訴えていたから。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 しばらく、二人の間を沈黙が満たした。

 前の時のように、『男か?』などと聞くこともない。

 

「・・・・・」

 

 雫は蛇の妖怪だ。

 今は人の姿だが、蛇としての感覚も多少残っている。

 だから、雫にはもう分かっているのだ。

 

「・・・・・」

 

 そのペンを貸していたのが、『自分以外の雌』だということに。

 

「なあ、久路人」

「は、はい」

 

 そうして、しばらくの後、雫は口を開いた。

 久路人に背を向けたまま。

 

「このペン、妾がもらっていいか?」

「え?」

「いや、気に入ったんだ。このペン。他の者にも貸したのだろ?なら、いいではないか」

「は、はい。別にいいですけど・・・?」

「そうか・・・ありがとう」

「いえ・・・」

 

 そこで、雫は唐突に振り向いた。

 その顔には・・・

 

「いや、本当にありがとう。前からこういうのが欲しかったんだ」

「あはは・・・それならよかったです」

 

 にこやかな笑みが浮かんでいた。

 

「あ、そうだ!!今日は晩御飯の材料買ってないんです。なので、今日は帰らないと・・・」

「何?まあ、それなら仕方ないな・・・ああ、ちょっと待て」

「はい?」

 

 いつものように久路人を外に送り出す水流を生み出しながらも、雫は久路人に、正確には久路人に着けていた使い魔に近づいた。

 主が寄ってきたのを感知したのかのように蛇も首を垂れると、雫はその頭に指を乗せる。

 

「大分力が減っていたからな。よし、これでまたしばらく持つはずだ・・・安心しろ、久路人」

 

 そうして、久路人を水で押し上げながら、やはり満面の笑みを浮かべて、言った。

 

「お前に、悪いモノは近づけさせないから」

「っ!?」

 

 その眼は、一切笑っていなかったが。

 そして・・・

 

「ではな」

「は、はい」

 

 激流に押し流されながらも、使い魔によって意識を保っている久路人は思った。

 

(前々から欲しかったって・・・あの部屋、漫画以外にノートも何もないのに。何に何を書くつもりなんだろう?)

 

 

------

 

「・・・・・」

 

 久路人が去った後。

 

「・・・・・」

 

 青い部屋の中で、雫は一人立っていた。

 

「・・不愉快だ」

 

 その手に、『気にいった』と言ったペンを握りしめて。

 

「・・・人間の雌餓鬼ごときが」

 

 握りしめすぎて、ビシリとペンから音がしたが、雫は手を離さない。

 そうして・・・

 

「妾の久路人に、近づくなぁぁぁああアアアアアアアアアアアアアっ!!!!!!!!!!」

 

 叫びとともに、ペンは粉々に砕け散った。

 

「はぁっ、はぁっ・・・ふぅ」

 

 しばらく雫は肩で息をしていたが、やがて落ち着いたのか、ため息を吐いた。

 

「ふん、流れろ」

 

 そして、不意に腕を振ったかと思えば、部屋の中に水があふれ、粉々に砕けたペンの残骸を、無限に続いているかのような畳の果てまで押し流していった。

 その様子を、雫は能面のような無表情で見つめていたが・・・

 

「・・・・・害虫駆除を、やる準備をしておくか」

 

 そう言ってから、その日は一言もしゃべらなかった。

 

 この日以降、久路人は雫があのペンを使っているところを見ることはなかったが、それを口に出すこともまたなかった。

 

 

------

 

 その日は、今にも雨が降りそうな曇天だった。

 

「・・・・・ふぅ」

 

 高校の教室で、久路人は小さく溜息をついた。

 今の久路人には雫の使い魔が付いており、人外は近寄る前に駆除される。

 故に、もう以前のような悩みは存在しない。

 今の彼を悩ませているのは、二つの別の理由だった。

 

(雫さん、最近様子がおかしいような・・・)

 

 彼の悩みの一つ。

 それは、毎日のように会いに行く蛇の化身の少女の様子がおかしいことだった。

 

(これまではあの部屋に行ったら漫画の話をしたりカードゲームするのが普通だったけど、最近はあんまり乗ってこないんだよな~・・・僕が読書してる時も、じっとこっちを見てるだけの時もあるし)

 

 これまでは明るかった雫であるが、最近はどうもおかしい。

 暗いというわけでなく、ただ静かになったというだけでもない。

 なんというか・・・

 

(研ぎに研いだ刃物って、あんな感じなのかな・・・なんだ、この例え)

 

 自分で考えたうまくもなんともない例えに自分で苦笑する。

 だが、それはいい得て妙というか、本質をついているのかも、と思った。

 

(なんというか、すごいピリピリしてるって言うのかな・・・今度の日曜日にケーキ買ってくって約束したけど、それで機嫌治してくれるかな・・・?)

 

 雫はどうにも近頃気が立っているようなのだ。

 そこで、久路人は気晴らしも兼ねて、『何か甘い物でも食べてみませんか?』と言ってみたところ、『ふんっ!!この500年生きた妾の舌を満足させられるとは思えんが、まあ、期待はせずに待っておいてやる』と、そのときだけは随分と嬉しそうにしていた。

 あの空間では雫は食べ物を食べる必要はないらしいが、それでも食事そのものはできるらしい。

 漫画でもケーキが出てくるシーンなどたくさんあるし、実は楽しみにしていたのではないか?と久路人は思っている。

 

(もうちょっと早くに切り出しておけばよかったな・・・)

 

 あの部屋では雫の言う通りに空腹をほとんど感じないので今まで思いつかなかったが、雫も蛇とはいえ間違いなく女の子。

 ならば、スイーツの類は気に入る可能性が高いだろう。

 

(餌付けみたいだけど、それで雫さんともっと仲良くなれればいいな・・・やっぱり、僕は)

 

 最近の久路人の思考の中心はほとんどが雫だ。

 気が付けば雫のことを考えている。

 それは雫が美しい少女だということももちろんあるが、それ以上に異能を感じ取れない家族やクラスメートよりも、世界の誰よりも自分が気楽に話せる存在であるというのが大きい。

 雫は、世界で初めて久路人の孤独を埋めてくれた『人』なのだ。

 そして年頃の男子にとって、自分の事を理解してくれる美少女が傍にいて、『そういう』感情を抱くなというのは不可能だろう。

 

(やっぱり、やっぱり僕は雫さんが・・・)

 

 そうして、改めて自分の気持ちを自覚した時だ。

 

「あ、月宮君!!」

「うん?」

 

 隣の席に座る女子生徒が話しかけてきた。

 今の久路人は人畜無害で地味であるが、それゆえにクラスで特にハブられることなく、それなりに良く話す仲の相手が何人かいるという、『普通』の男子高校生であった。

 友達と呼べる間柄の者もそれなりにいるし、女子からもそこそこ話しかけられる。

 

「ほら、あの3組の子が呼んでるよ?」

「あ、本当だ」

 

 女子生徒の指差す方を見ると、確かに別の女の子が教室のドアの前に立っていた。

 その子は、前にペンを貸した少女であった。

 

「何々?月宮君のコレ?いや~月宮君地味だけど、よ~く見ると結構そこそこ、いい感じだもんね、隅に置けないなぁ・・・地味だけど」

「何気に傷つくから二回目を小声で言うの止めてくれない?後、よく見ると結構そこそこって、どのレベルのいい感じなんだよ・・・まあ、別に彼氏彼女でもないけど、呼ばれてるなら行かないと」

 

 そして、久路人は教室の前まで歩く。

 待っていた少女はそれまで顔を俯かせていたが、久路人が近づくとパッと顔を上げた。

 

「えっと、霧間さんだったよね?用って何かな?」

「は、はい!!あのですね・・・」

 

 

--ゾクっ

 

 

「っ!?」

「?月宮君?」

「い、いや、何でもないよ」

(まただ・・・)

 

 霧間と呼ばれた少女が、突然身をこわばらせた久路人に不思議そうな顔を向ける。

 しかし、久路人は何でもないように手を振ってぎこちない笑みを浮かべる。

 

(また、何か見られてるような感じがした・・・)

 

 久路人を悩ませる二つ目の理由。

 それは、ふいに向けられる誰かの視線だった。

 視線の主を見つけようとしても見つからない。

 しかし、視線を向けられていることは間違いない。

 

(すごく粘ついていて、それでいて熱い、そんな感じがする・・・それで)

 

 まるで自分に体を溶かそうとでもいうかのような、強烈な視線を、気のせいで済ませられるはずもない。

 そして・・・

 

「あの、本当に大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫!!なんともないって」

「そうですか・・・」

(また視線が強く・・・そうだ)

 

 その視線は、久路人が女子と話している時に、特に高い頻度で向けられているような気がした。

 実を言うと、最初に教室で隣の女子と話していた時も感じていたのだ。

 だが、今ほど強烈ではなかった。

 久路人が警戒しているのに気が付いたのか、もう視線は感じないが。

 

「あ、あの!!それで、なんですけど・・・」

「え?あ、うん。何かな」

 

 久路人がわずかの間考え事をしている間に、霧間は久路人に話を切り出す覚悟を決めたらしい。

 ぐいっと身を乗り出すように久路人に近づき、目と目を合わせる。

 久路人としても相手の真剣さを感じたために、きちんと話に集中できるように意識を向け・・・

 

「こ、今週の日曜日に、駅前のケーキ屋さんに行きませんか!?」

「・・・え?」

 

 霧間の言った台詞に、その思考を硬直させた。

 そんな久路人の様子を知ってか知らずか、霧間は早口で続ける。

 

「と、友達に聞いたんです!!そこのケーキ屋さんが美味しいって!!月宮君には前に色々お世話になったし、そのお礼をしたいなって・・・」

(それって、で、デートっ!?)

 

 お礼だのなんだの言っているが、それはほぼ間違いなくデートのお誘いであった。

 それまで女子からそういった色気のあるモノに誘われたことのない久路人にとって、いかに『親友』と呼べる間柄である雫がいると言えど、混乱するのは無理もない話だろう。

 

(そのケーキ屋って雫さんに買ってくって言ったとこのケーキ屋じゃ・・・しかも日曜日ってなんていう偶然)

 

 混乱しながらも、運命のいたずらと思えるような偶然に思わず感心する。

 だが、霧間の用事に付き合った場合、雫との予定は完全に潰れることになるだろう。

 ならば、久路人の取る選択は決まっている。

 

「えっと、日曜だよね?その日は・・・」

 

 そうして、脳裏に銀髪赤眼の少女を思い浮かべながらも断ろうとして・・・

 

(・・・待て。ここで断ったら、どうなる?)

 

 ふと、久路人は周りの状況に気が付いた。

 

「お、月宮なんだよ、デートかぁ!?」

「あの子、3組の霧間じゃん・・・目立たないけど、かなり可愛いっていう」

「うおぉぉおおおおっ!?なんで月宮なんだ!!クソッ!!羨ましい!!」

「月宮君、あそこのケーキ屋マジで美味しいから行ってきなよ!!」

「え、あ、その・・・」

 

 いつの間にか、自分たちは教室中から注目を浴びていた。

 霧間は緊張のせいか結構大きな声でしゃべっていたし、その内容が内容だ。

 青春の具現化とも言えるような状況に、年頃の高校生が興味を惹かれないはずもない。

 もしも、そんな中で・・・

 

(もし、もしここで断ったら・・・また、煙たがられるんじゃ?)

 

 久路人の中に、過去の記憶が蘇る。

 この街に来ることになった理由。

 周囲とは違う自分を遠巻きにするかつてのクラスメート。

 いつも周りから弾かれて、寂しい想いをしたかつて。

 そんな自分を心配そうに見る両親。

 だが・・・

 

(いや、それでも・・・)

 

 しかし、そんな懸念はすぐに消え去った。

 自分の中に湧いた嫌な記憶を吹き飛ばしてくれたのは、快活に笑う蛇の化身であった。

 

(今の僕には、雫さんがいる!!)

 

 例えもう一度周りから仲間外れにされることがあっても、自分には孤独を埋めてくれた人がいる。

 その人がいる限り、自分の心が折れることはないという絶対的な自信が久路人にはあった。

 相手は人間ではないが、そんなことは久路人にとってどうでもいいことだった。

 だから・・・

 

「ごめんね、実は日曜日には・・・」

 

 だから、久路人は断ろうとした。

 その日には、大事な人とケーキを食べて過ごすという先約があるから、と。

 断りの言葉を、口に出そうとした。

 

『・・・・・』

 

 デートの誘いを受けてから、ここまで10秒ほど。

 過去の辛い経験や、周りの同調圧力、初めてのデートの誘いという誘惑を受けて、10秒で断ることを決められた久路人は大したものかもしれない。

 

『・・・・・ね』

 

 だが、確かに久路人は迷ったのだ。

 少しの間とはいえ、時間をかけて、天秤にかけてしまったのだ。

 その10秒という時間は・・・

 

『死ね、害虫』

 

 500年を孤独に過ごした妖怪にとって、あまりに長すぎた。

 

「え?」

「っ!?」

 

 その瞬間、その場の温度が、息が白く染まるほどに低下した。

 同時に、久路人の背後から何かが飛び出し、空中で形を変える。

 細長い蛇のようなソレは瞬く間に氷の槍となり、霧間の心臓めがけて飛んでいく。

 それは、本当に一瞬の出来事だった。

 『ただの人間』には、認識すらできないほんの一瞬。

 霧間の死は、もう確定的だった。

 止めることなど、普通の人間にできるはずもない。

 しかし・・・

 

「ダメだっ!!」

 

 久路人は、ただの人間ではなかった。

 

『っ!?』

 

 それは、久路人にとって無意識のことだった。

 なんとなく、嫌な予感がした。

 自分にとって大事な人が、何か大変なことをしようとしている、と。

 ただそれだけ。

 だが、その場にあった大妖怪の殺気ともいえるものが、久路人の中に眠っていたモノをほんのわずかに目覚めさせ・・・

 

 

--グシャっ!!

 

 

 そして、久路人から漏れ出たモノが、氷の槍と化した何かを捻りつぶしていた。

 

「はぁっ、はぁっ・・・」

「つ、月宮君?」

「お、おい月宮、どうした?」

 

 突然叫んだかと思えば、汗を垂らして肩で息をする久路人に、霧間を始め、周りにいた生徒たちは驚きの表情を浮かべる。

 しかし・・・

 

「行かなきゃ・・・」

「え?」

 

 そんなクラスメートたちのことなど視界に入っていないかのように、久路人はゆらりと歩き出した。

 最初は頼りなさげな足取りだったのが、一歩、二歩と歩くたびにしっかりとしたものに変わっていく。

 

「行かなきゃ!!」

「月宮君!?」

 

 そして、久路人は走り出した。

 霧間の制止の声など、耳に入らないかのように。

 その内心は、一人の事しか考えていなかった。

 

(今の感じ、何があったのかは分からない・・・けど、雫さんの声が聞こえた気がした!!)

 

 何が起きたのかは分からない。

 けれども、確かにあの時声が聞こえた。

 何を言っていたのかは分からない。

 それでも、その声を聞き間違えるはずもない。

 

(雫さんに、何かあったのか!?)

 

 突然起きた不可解な現象と、雫の声。

 これで、雫の身に何か起きたのではないかと不安にならないほど、久路人が雫に向ける感情は小さくない。

 

「待っててくれ、雫さん!!」

 

 久路人は走る。

 街の外にある森に向かって。

 

「今すぐに行くから!!」

 

 気が付けば、辺りには霧雨が降り始めていた。

 

 

------

 

「・・・・・」

 

 その部屋は、暗かった。

 

「・・・・・」

 

 いつもは仄かな、しかし明るい青の光に包まれている部屋は、深い池の底のように闇に満ちていた。

 

「・・・・・」

 

 まるで、その部屋の主の心を映すように。

 

「・・・なぜだ」

 

 その部屋の主はといえば、暗がりの中でもわずかな光を反射する鏡の前に立っていた。

 その鏡には、つい先ほどまで一人の少年だけが映っていたが、その姿はもうない。

 鏡に姿を映し出すための媒が壊されてしまったから。

 代わりに今、その鏡は主だけを映し出している。

 

「・・・なぜだ」

 

 その鏡に映る顔は・・・

 

「なぜ、妾の邪魔をした、久路人」

 

 泣いていた。

 人形のように無表情なれど、その頬には、一筋の涙が伝っていた。

 

「そんなに、そんなにあの雌が大事だったのか?そんなに、クラスメートとやらと過ごす日々が大切だったというのか?」

 

 主は鏡に向かって問いを投げる。

 しかし、鏡がそれに答えを返すことはない。

 ただ同じ問いを、主に投げ返してくるだけだ。

 

「この、妾と共にいる時間よりも」

 

 主にとって、絶望を招く答えを孕む問いを。

 

「・・・・・」

 

 しばしの間、主は立ち尽くしていた。

 己が出した答えを、受け止めきれなかったために。

 受け止めるには、辛すぎたために。

 そして・・・

 

「・・・・認めぬ」

 

 やがて、ポツリと静かに呟いた。

 

「絶対に認めぬ」

 

 その声は小さかったが、不思議と大きく響いた。

 それは、そこに秘められた感情が、あまりにも大きかったからだ。

 大きくて、熱くて・・・

 

「妾と久路人が共にいられない未来など・・・」

 

 危険だったから。

 

「認められるかぁぁぁあああああああああああああああああっ!!」

 

 

--パリンっ!!

 

 

 鏡が、粉々に砕け散った。

 主の拳が血で紅く染まるも、その傷はたちどころに消えていく。

 しかし、血だけは残り続けた。

 

「認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないみとめないミトメナイミトメナイミトメナイミトメナイミトメナイミトメナイミトメナイミトメナイミトメナイミトメナイ・・・」

 

 砕け散った鏡の欠片の上で、主は壊れた機械のように同じ言葉を呟き続けた。

 その足は欠片を踏みしめて、目に見えないほどの細かな粒に変える。

 だが、不意にその呟きが途絶えた。

 代わりに、焦点の定まっていなかった瞳が、ある一点に視線を集中させていく。

 

「・・・・・」

 

 鏡にもしも意思があったのならば、砕けてよかったと思っていたかもしれない。

 

「・・・クヒヒッ!!」

 

 その歪みに歪んだ笑みを、映さずに済んだのだから。

 

 

------

 

「雫さんっ!!大丈夫ですか・・・って、え?」

 

 久路人が池に飛び込んでいつもの部屋に着いた時、すぐに異変に気が付いた。

 

「紅い?なんで?」

 

 いつもは、その部屋は青い光に包まれているはずだった。

 しかし、今は違う。

 部屋の中は、真っ赤な光に満ちていた。

 どこか黒を含む、不気味な紅に。

 それは、そう、まるで・・・

 

「もしかして、これって血!?雫さんっ!!」

 

 久路人は叫ぶ。

 大事な想い人の無事を心の底から祈りながら。

 そうして辺りを見回して・・・

 

 

--捕まえた

 

 

「うわっ!?」

 

 突然、久路人は後ろから誰かにしがみつかれた。

 

「はは、捕まえたぞ?捕まえた、捕まえた・・・」

「し、雫さんっ!?」

 

 後ろから抱き着かれているために顔は見えない。

 しかし、久路人にはすぐにそれが誰なのかわかった。

 今、耳元に聞こえる声を聞き間違えるはずもない。

 

「雫さん!!どうしたんですか!?様子がおかしいですよ!?何があったんですか!?」

「ふふふ、久路人だ。ああ、確かに久路人だ・・・はは」

「そうです!!久路人ですよ!!僕は月宮久路人です!!」

 

 しがみついているのは、この部屋の主である雫だった。

 だが、凄まじい力だった。

 様子がおかしい雫を見るために一度離れようとするも、腕はピクリとも動かない。

 

「雫さん!?本当にどうしたんですか!?」

「久路人、ああ、久路人・・・久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人久路人くろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとくろとクロトクロトクロトクロトクロトクロトクロトクロトクロトクロトクロトクロトクロトクロトクロト・・・」

「し、雫さん・・・」

 

 どう見ても正気を失っている。

 一体自分がいない間に何があったというのか。

 

「雫さん・・・」

 

 久路人の胸の内を、後悔と悲しみが満たした。

 直感的にわかったのだ。

 今の雫がおかしい原因には、自分が関わっているのだと。

 その感情が、久路人の口からその言葉を引き出す。

 

「雫さん!!正気に戻ってください!!僕が何かしたのなら謝ります!!だから元の雫さんに戻ってください、お願いします!!僕は・・・」

「クロトクロトクロトクロトクロトクロト・・・」

「僕はここにいますから!!ずっと、ここにいますから!!」

「クロトクロトクロトクロト・・・・・何?」

「!!」

 

 その瞬間、雫の声が聞きなれたトーンに戻る。

 同時に、腕の力が弱まった。

 それを見逃さず、久路人は雫の拘束から抜け出すと、真正面から雫を見た。

 

「雫さん・・・」

 

 普段煌々と明るく輝く紅い瞳は焦点が合っておらず、暗く淀んでいた。

 しかし、久路人がその名前を読んだ瞬間、眼に光が戻り始める。

 

「ずっと、ここに・・・クロトが。クロト、くろと、くろと・・・久路人・・・はっ!?妾は何を!?」

「雫さん!!」

「なっ!?久路人っ!?何故ここにいる!?いつもならばこの時間にはいないだろう!?妾の妄想が生み出した幻覚かっ!?」

「そんなわけないでしょう!?本物ですよ!!雫さんが心配で、学校サボって来たんですよ!!」

「妾を、心配?え、何故だ?」

 

 いつしか、雫の見た目は完全に元通りになっていた。

 眼には光が戻り、今はキョトンとした顔をしている。

 

「それはですね・・・」

 

 雫が正気に戻ったと判断した久路人は、そこでここに来たいきさつを説明する。

 

「なるほど、そういうことか・・・」

「はい。とはいっても、僕にも何が起きたのか分からないんですけど、すごい嫌な感じがして・・・でも、雫さんの声が聞こえたのは確かだったんです。それで、何か雫さんにあったんじゃないかって思ってここに・・・」

「ふむ・・・あの時に殺気と霊力を出しすぎたのか。それで、久路人の本能を刺激し、危機意識から力を目覚めさせてしまったといったところか・・・ふふっ、ならば、あの害虫を選んだからという訳ではないのだな・・・ふふふっ!!」

「雫さん?」

 

 説明を終えた時、雫は何かに納得したように頷くと、小声で何事かを呟いた。

 早口で聞き取れなかったが、今の雫は随分と嬉しそうだった。

 

「いや何、さっきまでの自分がいかに馬鹿な勘違いをしていたのかと思ってな・・・それと、学校をサボってここに来るほど妾を心配してくれたのが嬉しかったのだ」

「心配してくれたって・・・当たり前じゃないですか。雫さんは、その、僕にとっての親友というか、えっと、大事な、人ですから」

「久路人・・・」

 

 久路人が雫を心配するのは当たり前のことだ。

 久路人にとって、雫は大事な存在なのだから。

 だが、それを改まって言葉にされた雫は、瞳を潤ませながら久路人を見つめる。

 そんな視線に恥ずかしくて耐えられなかったのか、童貞くさくどもりながら、久路人は雫から視線を外した。

 

「そ、それで!!雫さんに何があったんですか?なんか部屋も紅いし、勘違いがどうとか言ってましたけど」

「ああ、そのことだがな」

 

 元より、久路人がここに来たのは雫に何が起きたのか知るためである。

 見たところ今の雫に問題はなさそうだが、部屋の様子を見るに何かがあったのは間違いない。

 そして、雫は、いつものように快活な笑顔を浮かべながら話し始めた。

 

「実は妾は、さっきまでアホのような勘違いをしていてな・・・久路人、お前に捨てられたと思っていたのだ」

「は?なんでですか!?そんなことあるわけないじゃないですか!!」

 

 雫の語る理由があまりにも理解ができないもので、久路人は思わず声を荒げた。

 しかし、そうやって必死で否定する久路人を見て、雫はさらに嬉しそうに笑う。

 

「うむうむ!!その通りだ。冷静になって考えれば、休日や放課後のほとんどを他の人間ではなく妖怪の妾と過ごすような変わり者が、そう簡単に心変わりをするはずもない。本当に愚かな勘違いをしていたものだ・・・まあ、おかげで気づけたこともあったがな」

「まったくですよ!!そんな馬鹿な勘違い・・・それで?その勘違いが、この部屋やさっきの雫さんと何の関係が・・・」

「なんだかんだで、妾にも迷いが、罪悪感あったのだな。だから、さっきまで狂ったようになっていたのかもしれん。しかしだ・・・」

「・・・雫さん?」

 

 何かがおかしい。

 久路人はそう思った。

 微妙に会話が繋がっていないような・・・

 

「なあ、久路人」

「は、はい?」

「お前、さっき言っていたな?妾を大事な人だと・・・それに、嘘偽りはないな?」

「はい、そうですけど・・・?」

「そうか・・・なあ、久路人」

 

 そこで、雫は久路人の瞳をじっと見つめた。

 その瞳はさっきまでのように淀んでおらず、澄んだ光を宿している。

 

「妾はな、お前のことが好きだ。一人の男としてのお前が」

「え・・・?」

 

 それは、あまりにも突然の告白だった。

 

「久路人、お前はどうだ?妾のことは、その、好きか?友達としてでなく、女として」

「そ、それは!!その・・・す、好きです。僕も、雫さんのことが好きです!!」

 

 話の流れは不自然ではあるものの、これまで意識し続けていた女の子に告白されて、否と返せるはずもない。

 一瞬で、久路人の内を喜びが満たす。

 これまで感じていた違和感など、頭から消し飛んでしまっていた。

 

「そうか・・・ああ、嬉しいぞ。幸せとは、こういうことを言うのだな。これまで多くの漫画に触れてきたが、実際に体験して初めて分かった」

「ぼ、僕もです!!僕だって、今幸せです!!」

「ああ、妾もだ。お前の気持ちが分かった。妾を受け入れてくれると知ることができて、本当に良かった・・・・・これで」

 

 だから、久路人は気が付かなかった。

 

「ああこれで、これで迷いはなくなった」

「え?」

 

 何故、雫の眼に光が戻ったのか。

 どうして、荒れ狂っていた雫が大人しくなったのか。

 それは、純粋な好意だけに染まったからだ。

 絶望も怒りも悲しみも嫉妬も罪悪感も混ざっていない、狂気に踏み込むほどの『愛』だけに。

 

 

--ピシン

 

 

 瞬時に、紅い部屋が紅い水で満たされた。

 そしてすぐさま、虚空しかなかった部屋に分厚い氷でできた天井が作り出される。

 

「ゴボっ!?ガバッ!?雫さん、何をっ!?・・・あれ、話せる?」

「ふふ、久路人。妾がお前を殺すと思うのか?安心しろ、妾がいる限り、お前がこの部屋で溺れることはない」

「は、はぁ?それならいいですけど・・・って、天井が塞がってるじゃないですか!!あれじゃあ外に出られませんよ」

 

 紅い水で空間を満たした意味はよくわからないが、呼吸ができるというのなら問題はない。

 しかし、天井ができてしまったのはダメだ。

 これまで久路人は、雫の作り出した水流に乗って遥か上空まで吹き飛ばされることで元の世界に還っていた。

 それを天井で塞がれるとなれば、もう帰ることもできな・・・

 

「外に出る必要ない。否、妾が出させない。久路人、お前はここで、ずっと妾と暮らすのだ。永遠に」

「え?」

 

 そんな久路人の抗議を、雫はピシャリと打ち切った。

 久路人にとって、想像もできなかった言葉と共に。

 

「ここで暮らすって、え?どういう意味・・・」

「そのままの意味だ。お前は妾と、妾と同じモノになって永遠の時を過ごす。お前は、妾のことが好きなのだろう?なら、別に構うまい?」

 

 雫の眼は、相変わらず澄んでいた。

 しかし、そこに宿る光が、段々と粘り気を増していっていることに久路人は気が付いた。

 

「いや、確かに雫さんのことは好きですけど、ここにずっとっていうのはちょっと困るというか。それにほら!!雫さんも、新しい漫画とか読めなくなりますよ?」

 

 雫を刺激しないように、久路人は穏便に雫を説得しようとする。

 

「いらん。漫画もゲームも小説も、もう必要ない。そんなものより、お前といる方がいい」

「いや、でも・・・」

 

 久路人は雫のことが好きだが、だからと言っていきなりそこに閉じ込められることに『うん』と即答できるはずもない。

 それは至極当たり前のことだろう。

 だが、雫にとってはそうではなかった。

 

「んぐっ・・・!?」

 

 急に、その場の息苦しさが増した。

 部屋の中に満ちる紅が濃くなる。

 そして・・・

 

(なんだっ!?いきなり息が苦しく!?息ができてない!?・・・いや、逆だ!!『ナニカ』が体の中に入ってきてる!?)

 

 ゾワリと、久路人の身体に悪寒が走る。

 紅い水を吸う度に、身体に痺れにも似た疼きがする。

 それはまるで、自分の身体が別の物に作り替えられているようだった。

 久路人はたまらず膝をついてうずくまる。

 そんな久路人に、真上から冷たい声がかけられた。

 

「久路人・・・お前、まさか嫌だと言うつもりではないだろうな?」

「し、雫さん!?何を・・・」

 

 明らかに異常な身体に鞭うって、声の主を見上げてみれば、その身体から出ているのは声だけではなかった。

 雫はいつの間にかその手に氷でできた刃を持ち、己の手首を切り裂いていたのだ。

 部屋に満ちる紅い水は、白い肌に走る紅い線から漏れ出たものだった。

 けれども、当の本人にとってそんなことはどうでもよかった。

 

「答えろ嫌なのか妾と共にいることが惚れたと言ってみせた女と過ごすことをお前は願い下げだというのか言ってみろ早く」

 

 その紅い瞳は、刃のように鋭く吊り上がっていた。

 嘘偽りは許さぬと、眼で語っていた。

 

 

--嘘を吐いたら死ぬ

 

 

 久路人は、直感的にそう思った。

 

「嫌じゃない、嫌だなんて思うはずないです!!」

 

 それは、久路人の本音だった。

 例え雫の怒気がなくとも、その質問に嘘を言うことはなかっただろう。

 しかし、それだけではないのも確かだった。

 

「ならばよいではないか。何をためらう必要がある?」

「雫さんと一緒にいるのは、僕も好きです!!嫌だと思ったことなんてない・・・けど、僕にも家族や友達がいるんです!!その人たちに、心配をかけるわけにはいかない。父さんや母さん、田戸君に近野君に、霧間さんに・・・」

「他の雌の話をするなぁっ!!!」

「がぁっ!?」

 

 それは、引き金だった。

 雫という少女の激情を暴発させるトリガーだった。

 意識を失いかけるほどの激痛に、久路人はその場に完全にうつ伏せになる。

 視界はほぼ真っ赤に染まり、見えるのは目の前の少女の足だけ。

 しかし、不意に冷たい感触が頬に当たり、気が付けば血走った深紅の瞳と目が合っていた。

 顔を手で挟まれ、そのまま持ち上げられたのだと、一瞬遅れて久路人は気が付いた。

 

「家族、友達・・・くだらん!!そいつらにお前の孤独と苦しみの何を理解できる!?異能の力を持たぬ有象無象と、お前が幸せに過ごせると思っているのか!!」

「・・・・・」

 

 薄れゆく意識の中で、ラジオのノイズのように、目の前の少女の声が響く。

 

「妾だけだ!!お前と心の底からの友となれたのも!!恋をすることができたのも!!家族としてこれからも歩んで行けるのも!!この世界で妾だけだ!!妾のほかに、お前と共にいれる者など認めん!!いや、いなくなるのだ!!なにせ・・・」

 

 そこで、雫はその場にいくつもの刃を作り出す。

 刃は誰の手にも握られていないのにも関わらず、ひとりでに宙に浮かび、雫の身体に次々と紅い線を刻んでいく。

 傷はすぐさま塞がっていくが、紅い滴は次から次にその場に溶けて、その濃さを増していった。

 

「なにせ!!お前はこの妾の血を飲んだのだからな!!もう、お前は人の世で生きることはできん!!」

 

 人外の血をその身に取り込むこと。

 それは、人間が人間を止める唯一の手段。

 

 八尾比丘尼、太歳、ヨモツヘグイ。

 

 人間が人ならざるモノをその身に取り込んだ結果、自身もまたソレらに近づくというのはしばしば伝承として残っている。

 もっとも・・・

 

「ぐ、あ・・・」

 

 雫の言葉に、もはや久路人は返事をすることさえできなかった。

 人間が人間を止めるというのは、決して簡単なモノではないから。

 人外の放つ力というものは人間にとって猛毒であり、存在そのものを作り替えるということは、一度その全てを壊すということなのだから。

 壊れたその時に、『月宮久路人』という中身を保っていられる保証などないのだから。

 

「ああ、痛いか?痛いだろうな。済まぬ、許せとは言わぬ。存分に恨め・・・だが」

 

 だが、雫は信じていた。

 否、信じていなければ、『雫』でいることはできなかった。

 雫は、久路人の頭を己の胸元に導いて抱きしめる。

 

「妾はお前を信じている!!妾を好きだと言ってくれたお前を!!妾を受け入れてくれた久路人を!!お前ならば、妾と同じモノになれると!!」

 

 その瞳には、光が宿っていた。

 ギラギラと見る者をすくませるような、おぞましいまでの狂愛に染まった光が。

 しかし・・・

 

「ああ、妾はお前のためなら何でもするぞ?お前が望むのならば、髪の先からつま先まで、妾のすべてを捧げよう。身も、心もすべてを。お前の子だって産んでやる。だから、だから・・・」

 

 その瞳に、危うい光以外の輝きが溢れた。

 紅い世界の中で、その光だけは白く、透明だった。

 その滴は、水の中だというのに重さを持って久路人の頭に落ちていく。

 

「妾を、妾をもう、独りぼっちにしないでくれ・・・お願いだから、他の誰かのところになんて行かないで」

「・・・・・う」

 

 ポタリと暖かな何かが当たる感覚で、久路人の意識に一瞬光が戻る。

 その刹那に、どうしようもないくらいの寂しさが滲んだ言葉は、スッと久路人の頭に、心に入ってきた。

 それと同時に、命の危機とも言える状況であると言うのに、久路人の中に言いようのない何かが灯る。

 

「久路人・・・どうか、どうか妾とずっと、ずっと一緒に・・・」

「・・・・・」

 

 再び、久路人は己の頭が持ち上げられるのが分かった。

 ぼんやりとする世界の中に、見慣れた紅い瞳が映る。

 その輝きは、段々と久路人に近づいて・・・

 

「・・・・・」

 

 半ば無意識に、もう半分は己の中に湧いてきた何かに押されて、久路人も体重を前へと預けていた。

 

「・・・ん」

 

 唇に柔らかな感触がしたのと同時に・・・

 

「久路人?お前も・・・」

「・・・・・」

 

 月宮久路人の意識は闇に沈んでいった。

 

 

------

 

 それは、とある高校の教室での噂話。

 

 

『なあ、こんな噂知ってるか?』

 

『何だよ?怪談か?』

 

『ああ。最近暑いだろ?丁度いいと思ってさ』

 

『ふーん・・・まあ、ちょうど暇してたとこだし、聞いてやるよ』

 

『おう、聞いてビビるなよ・・・この街の郊外に森があるのは知ってるよな?あそこの奥に池があるのは知ってるか?』

 

『いや、知らねえ。あんなところ行く理由がないからな』

 

『だよな。まあ、あんな場所に行く理由なんて早々ねぇわな・・・けどよ、そう言う場所だから行くって連中もいるんだぜ。肝試しにピッタリだってな』

 

『暇な連中もいるもんだな・・・で?出たのか?』

 

『ああ。出たんだよ、マジで・・・その日は満月だったらしいんだがな。池の水は真っ赤に染まってたらしい』

 

『え?それだけ?地味だな』

 

『馬鹿。んな訳ねーだろ。その真っ赤な池の上に、いたらしいんだよ』

 

『いたって、何が?』

 

『真っ白な着物を着た女と、うちの学生服を着た男子が』

 

『着物を着た女ってのは怪談らしいけど、なんでそんなのとうちの学校の男子が一緒にいるんだよ』

 

『そこだよ。そこがこの話の肝なんだよ』

 

『はぁ?』

 

『肝試しに行ったのって、今の世代とOBだったらしいんだけどよ、OBの方は逃げ帰った後に調べてみたんだと。どっかで見たことある顔だったてな・・・そしたら』

 

『・・・そしたら?』

 

 そこで、噂を話していた男子は、一拍置いて続けた。

 

『そいつ、数年前に行方不明になった月宮ってヤツだったんだとよ』

 

 

------

 

 ある街で、少年は池の底にいた白蛇に魅入られた。

 

 少年は池の底に引きずり込まれ、人ならざるモノになり果てた。

 

 白蛇と少年だったモノの日々は、とある霊能者とその従者が現れるまで続いた。

 

 白蛇はやってきた者たちに引きずりあげられ、討ち滅ぼされる寸前まで追い詰められた。

 

 かつて少年だったモノが体を張って白蛇を庇い、土下座をして命乞いして、二人は見逃された。

 

 それからは、様々な者たちが二人の元を訪れ、二人は池の底から這いあがり、外の世界に関わることになる。

 

------

 

 

「むぅ・・・せっかく久路人と二人きりの世界にいたというのに、あのチャラ男とメイドモドキめ」

「まあまあ・・・雫さんも僕も命が助かったんだから、それだけでも感謝しないと。それに・・・」

「それに?」

 

 とある街の、結界に覆われた屋敷の中に、白い蛇の化身と黒い少年だったモノはいた。

 

「これからも、気が遠くなるくらい長生きできるんだから、そのうちまた二人だけで過ごせますよ。きっと」

「・・・ああ、そうだな。先は長いのだし、焦ることもないか」

「うん・・・あ、これで王手ですね」

「なっ!?・・・ま、待った!!先は長いのだし、急いで詰める必要はないだろう!?」

「将棋って、そんなスローライフみたいなゲームじゃないでしょ・・・はい、詰みです」

「ぬあぁぁああああああああっ!!また負けたぁあああああああ!!」

 

 無理やり人をやめさせられた被害者と、その加害者とは思えないような和気あいあいとした会話。

 それは、異常そのものだ。

 だが、その根源は、少年だったモノが白蛇の狂った愛を受け入れてしまったことから始まる。

 あまりにも苛烈な、猛毒のような激情を、彼は飲み干せてしまったのだ。

 結局は・・・

 

「このサディスト!!妾をいたぶって楽しいか!?」

「いたぶるって・・・僕をいたぶった度合いなら雫さんの方がひどいと思いますけど」

「う・・・それはその、あの時は・・・」

「まあ・・・」

 

 そこで、少年だったモノは遠い目をしながら呟いた。

 

「あれも、雫さんの愛の形なんだって分かってたからいいですけどね」

 

 結局は、少年だったモノが少年であった時から、彼もまた異常だったのだ。

 

 

-----

 

 これはもしもの物語。

 人をやめた青年と、人をやめさせた蛇が、異なる道を歩いていた『IF』のお話。

 青年の力が眠り続け、蛇が『こちら側』の世界に封印された世界のお話。

 

 されど、その結末は同じ。

 いかなる道を辿ろうと、青年と蛇は必ず出会い、同じ道を歩む。

 これは、そんな彼らの歩いた道の一つである。

 

 




本編の雫との一番の違いは、普段からずっと久路人と一緒にいられたかどうか。
限られた時間に、久路人の方から行く気がないと会えないという状況が、久路人を無理矢理人外化させるところまで雫を追い詰めました。
こっちに比べると本編の雫はマジでいい子ちゃんだったと思わなくもない。
結局久路人は変わらずで、ちゃんと結ばれるENDにはなるんですけどね。

次は本編進めます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章 前日譚 白蛇と彼の出会い
前日譚1


世界観を掘り下げたくて投稿。

むしろここから読む方がわかりやすいかも?


 昔々、あるところにとてもとても強い蛇がおりました。

 

 蛇はいつもいつも退屈していて、暇つぶしに畑を洪水で押し流したり、村に大雪を降らせたりしました。

 

 村人たちは狩った獲物を貢物に差し出しますが、蛇は全然大人しくなりませんでした。

 

 困った村の人々は、偶然訪れた旅のお坊様に蛇を退治してくれと頼みました。

 

 お坊様は村人のお願いを聞き入れ、持っていた特別なお酒を蛇に贈るように言いました。

 

 村人から酒をもらった蛇は嬉しそうにがぶがぶと飲み干して、酔っぱらって寝てしまいました。

 

 お坊様が寝ている蛇になにやら経文を書き込むと、蛇はどこかに消えてしまいました。

 

 驚いた村人はお坊様に聞きました。

 

「蛇はどこに行ったのでしょうか?」

 

 お坊様は答えました。

 

「あちら側に帰ったのだ」

 

 こうして蛇はいなくなり、村の人々は幸せに暮らしましたとさ。

 

 めでたしめでたし・・・・・

 

 

-----------

 

 

 またあるところのお話です。

 

 昔々、あるところに、一人の男がおりました。

 

 男は山の中で一人で住んでいて、切り倒した木や狩った獣の皮を麓の村で売って暮らしておりました。

 

 そして、男の家は山の中にポツンとある開けた野原の真ん中に建っていて、男は夜に月を見るのが好きでした。

 

 それはとても月が綺麗な夜のことでした。

 

 男がいつものように月を見上げていると、急に雲が湧いてきて、空を覆いつくしてしまいました。

 

「なんだ? 一雨来るのか?」

 

 せっかく綺麗な月だったのにとこぼしながら、家の中に入ろうとすると、湧きだした雲の中に、丸く切り取ったような穴が空きました。

 

「へぇ、不思議なこともあるもんだな」

 

 まるで男の家が建つ野原にだけ月の光が差し込むかのようで、家に戻りかけた男がまた月を見上げた時でした。

 

 突然穴の向こうの月が煌々と輝きました。

 

「うごぁっ!?」

 

 あまりにもまぶしくて男は手で目を覆いますが、光は辺りを照らし続け、やがて収まりました。

 

 気が付けば空を覆いつくしていた雲も消え、月もいつものように青白くぼんやりと輝いているだけでした。

 

「なんだったんだ?」

 

 男は首をかしげますが、何が何だかまるでわかりませんでした。

 

 男が考え込んでいると、今度は体が燃えているかのように熱くなりました。

 

「が、ぐがぁぁぁぁああああああ!??」

 

 そのまま男はその場に倒れこみ、3日3晩のたうち回りました。

 

 その日から、男は山から降りてこなくなりました。

 

 不思議に思った村人が旅のお坊さんに男のことを話すと、お坊さんは山に登って男の家を見てきてくれました。

 

 お坊さんは言いました。

 

「あの場所は、やんごとなき方々がお休みになった土地だ。これからは、不浄の身なる我らは近づかない方がよい」

 

 村人は問いました。

 

「あの男はどうなったのですか?」

 

 お坊さんは答えました。

 

「あの男はあちら側に魅入られた。抗う術は教えたが、主らは近づかない方がよい」

 

 そうして、村人は山に近寄らなくなりました。

 

 男はそれからお坊さんとどこかに旅立ったそうですが、村人は誰も男がどこに行ったのか知ることはありませんでした。

 

 

 

 めでたしめでたし。

 

-----------

 

 

 (そら)から眩い光に焼かれ、(しゅくふく)いを受けた。

 

 (そら)は貴き(もの)の住まう場所。

 

 (それ)(かれら)の落とし物。

 

 いつしか落ちた場所は月の宮と呼ばれ、月の宮に住まう男はもはや人の世にあること能わず。

 

 その魂は人でもなく、妖でもなく、ましてや神でもあらず。

 

 ただただ独り、血の美酒となり果てた。

 

 願わくば、誰かがソレの寄る辺とならんことを。

 

 

-----------

 

 時が流れた。

 男と僧が姿をくらませてから時代より世界は進み、多くの神秘が隠された時代。

 日本のとある街の、寂れた農道が途切れた先で。

 霧雨が降る中、小さな男の子は白い蛇に出会った。

 

 

「珍しいな・・・白い蛇?」

 

その幼い子供の声は、蛇が目覚めたばかりの頭で聞いた初めての声だった。

 

(ここは・・・?)

 

 蛇は首をもたげて辺りを見回した。

 蛇の記憶は、自分の住処のすぐ傍にあった村からの献上品を口にしたところで止まっている。

 その時の自分は、深い池の底に拵えた氷の庵の中で、村の者の代わりとして旅の僧が持ってきた樽一杯に満たされた酒を豪快に飲み干したのだが・・・

 

(なんだ?ここは?)

 

 目に映るのは、まばらに生えた木々と、広がる畑。

 そして、小さな男の子が立つ砂利だらけの道であった。

 どう見ても、水の中ではない。

 

(それに、辺りから感じる霊力も薄いような・・・どこぞの結界の中か?それにしても、さっきから妙に周りが大きく見え・・・んんっ!?)

 

 不思議に思う蛇であったが、ふと自分の身体に視線を映した途端、そんな疑問は吹き飛んだ。

 

(な、なんだっ!?この矮小な体躯は!?)

 

 蛇は、格の高い妖怪であった。

 満ち溢れる霊力をもって水と氷を操り、真夏であろうと川の水を凍らせてしまうことなど朝飯前。

 その大木を上回る巨体は人間の纏う鎧などとは比べ物にならないほど硬い鱗に覆われ、そんじょそこらの妖怪の牙では傷一つつかないほど。

 仮に傷を負うことになろうが、瞬く間に傷は塞がり元通りになる。

 それは蛇がまだ普通の小蛇だったころから死ぬ気で生き抜いて得た自慢の宝物だったのだが、今や見る影もない。

 

(も、もしやあの酒は毒だったとでもいうのか!?この妾を害するほどの毒など、余程の大物でなければ持ち得ていないと言うのにかっ!?あの糞坊主めがぁ~!!)

 

 蛇の最後の記憶にあるのは、なにやら芳醇な霊力を放つ美酒。

 しかし、あれは毒だったのかもしれない。

 なんにせよ、蛇の霊力はほとんど失われており、今の体に残るものはほんのわずかな滓ばかり。

 知性は変わらずにあるが、それ以外はそこらのアオダイショウと大差ない。

 いや、ひとつだけ違いがあった。

 

「なんだっけ、アルビノってやつ? 図鑑で見たなぁ」

(あ、あるびの?なんだ、それは?)

 

 先ほどの言葉を放った子供が、さらに口を開いた。

 子供の言う通り、蛇は白い体に赤い瞳という珍しい姿をしていたのだ。

 それは蛇が霊力を得ていく内に変わっていったものであったが、今となってはいささか都合が悪いと言わざるを得ない。

 

(なにがなんだか分らんが・・・この矮躯に、この色、それに僅かとはいえ力を持っていること・・・・まずいぞ。これでは襲ってくれと言いふらしているようなものではないか。再び力を得るまで生きることができるかどうか・・・)

 

 現世であろうが常世であろうが、文明を持つに至らない連中はすべて弱肉強食の中に身を置いている。

 その中での弱者にできることと言えば、強者に媚びへつらうか、群れてまとまろうとするか、隠れてやりすごそうとするか、あるいは他の何かの食い物になるかだ。

 しかし、今の蛇の見た目では群れることも隠れることも難しく、頼るべき強者の宛てなどない。

 さらに言えば、わずかとはいえ霊力を宿している自分は、他の動物と比べれば同じく力を持つ者にとって栄養価の高い餌だろう。

 

(まずい、これから一体どうすれば・・・・・)

 

 味方などおらず、いるのは敵ばかり。

 希望はなく、少し考えるだけでも数えきれないほどの壁が思いつく。

 まさしく八方ふさがりだ。

 そうして、蛇が器用にとぐろを巻きつつ首をうなだれさせている時だった。

 

「せっかくだし、この子にしようかな」

 

 先ほどから喋っていた子供が、むんずと蛇の首根っこを掴んで持ち上げた。

 

(な、なんだ!? 何をする気だ人間!! 無礼者!!!)

 

 先のことに絶望していた故に反応できず、そのまま持ち上げられてしまったが、未だに動かせる尾をビシバシと振り回して子供に当てる。

 もっとも、ただの蛇と変わらない現状、子供の手からすらも逃れられなかったが。

 

(くそ、これでは逃げられん。このままでは蒲焼にされてしまう・・・)

 

 蛇はあまり人間とは関わってこなかったが、人間の方からご機嫌取りのように貢物が出されることがあった。

 その中に鰻の蒲焼があって、大層美味であったが、自分がそれになるなど冗談ではない。

 そう思った蛇は掴まれた部分よりも上の頭も振り回して抵抗するが、拘束がゆるむ様子はない。

 

「ふんふ~ん!!」

 

 ちなみに、鼻唄を歌う子供にとって、蛇を食べるなどという発想はない。

 

(くそっ、くそっ、この妾が人間ごときに食われて終わるなぞ・・・・妾が一体何をしたというのだ!!)

 

 蛇としては退屈しのぎに時折鉄砲水を起こしたり、暑い夏に雪を降らせて涼んだりした程度で、見たことのある人間はまずそうで、それほど興味を持っていなかった。

 そのため、積極的に人里を襲ったことはなく、今こうして無様に掴まれて運ばれていることがひどく理不尽に思えていた。

 まあ、鉄砲水を起こされたり、夏場に作物に霜が降りた人間にとっては迷惑極まりなかったのだが。

 

(このっ!! せめてひと噛みでもできれば・・・・・むっ!?)

 

 せめてもの抵抗として蛇は噛みついてやろうとするが、頭が指に届かず、舌を這わせるにとどまった。

 だが子供の指を舐めた瞬間、蛇の中に衝撃が走った。

 

(な、なんだこれは!? 霊力が湧いてくるぞ!?)

 

 ただの蛇が力を持つまでにかかった時間は途方もない。

 理性もなかった蛇はたまたま常世につながる穴の近くに潜り込み、穴から漏れ出る力、いわゆる瘴気を百年をかけてその身に少しづつ浴び続けて知性と霊力を得た。それから穴を通って常世に赴き、より濃厚な瘴気を浴びながら他の妖怪を食らい、さらに数百年を経て神格を持つに至る手前までたどり着いたのだ。

 それがこの子供をひと舐めするだけで、一年を穴の傍で過ごしたのと同じくらいの霊力が戻るのを感じた。

 一年。たかが一年と人間ならば言うかもしれないが、ただの蛇が一年間野生で生きながらえるのは決して容易くはない。

 ましてや蛇がいたのは妖怪が通ることもある穴の傍である。

 

(一体何者なのだ、この童は?)

 

 ひとまず舐められる範囲を舐めて力の増大を感じなくなったあたりで思考にふける。

 力が戻ったせいか、よくよく観察してみれば、この子供からは今までに感じたことのない何かを感じる。

 自分に美酒を飲ませた僧は普通の人間よりはるかに多くの霊力を纏っていたが、それでも自分の知る霊力だった。

 一方で、この子供の纏うそれは霊力に似てはいるが、致命的な違いがある。

 もしくは決定的に違う何かが霊力に混ざっているようだった。

 しかも、この霊力モドキはここまで近寄らなければ気づかないくらい巧妙に隠されていた。

 

(う~む?分らん)

 

 抱いたばかりの絶望も忘れて思考の深みにはまる蛇だったが、そこで子供が口を開いた。

 

「ちょうどペットが欲しかったし、ラッキーだなぁ。どうやって飼おうかな」

(飼う? 今この童は妾を飼うとのたまったか!? 『ぺっと』とやらが何かはわからんが、すさまじく屈辱的な予感がする・・・・・いや、この童の近くにいられるなら悪くはないのか?)

 

 人間の子供ごときに慰み者にされるのは屈辱以外の何物でもないが、何の宛てもない自分にとって霊力を大幅に回復させるこの子供に傍にいられるのは非常に都合がいい。

 

(むう、仕方があるまい。このまま運ばれてやるとしよう。しかし、なんと不幸なことよ。持っていた力を失い、こんな童に頼らねばならんなど)

「あれ、動かなくなった? 弱ってきてるのかな? 早くしないと」

(むごぉっ!? これ、走るな!! 揺れるだろうが!! くそっ!! 本当に不幸だ!!)

 

 そして蛇は、自らの打算のために抵抗を止めて、されるがままに運ばれることにした。

 それを弱ったと勘違いした子供が早く家に帰ろうと走り出し、蛇は己の境遇を不幸だと嘆くのだった。

 

 

----------

 

 このとき蛇は自分の境遇を不幸と嘆いたが、この数年後に振り返って、あの時の自分は世界で一番幸運だったと思うことになる。

 

 一つ、人間の世界から妖怪の生きる世界である常世に封印され、力を失った自分の前に、少年に繋がる穴が空いたこと。

 

 一つ、力を大きく失っていたおかげで警戒されず、また、蛇自身も抵抗しようと思わなかったこと。

 

 一つ、少年の養父が持たせた護符や家に張った結界が、このときは霊力をわずかに持った悪意のない動物には反応しなかったこと。

 

 もしもこのとき、蛇が少年の力を求めて血をすすろうとでもすれば、護符に焼かれるか、結界に弾かれて丸焼きにされていたことだろう。

 それを避けられても、その生い立ちと幼さゆえの直感から悪意や敵意に敏感な少年は決して家に持って帰らずに捨てていたはずだからだ。

 だが、なにより幸運だったのは、少年が数年後に比べればまだピュアな子供だったことだろう。

 このときの少年の力は簡易の護符で抑えられる程度であり、妖怪に襲われることもまだ少なかった。

 人外を恐れないのは変わらないが、それでも数年後ならばいくら珍しいからと言って道端にいる白い蛇を捕まえようなどとは思わないのだから。

 

 

 これより語られるのは、一人の青年が白蛇にまとわりつかれる日常に至るまでの前日譚。

 そして、一人の青年が、まだ『人間』だったころのお話。

 

 

----------

 

 

 

「人間の雌餓鬼ごときが、妾の久路人に何をしている?」

 

 校舎の裏側で、蔑むように、いたぶるように少年を囲んでいた少女たちが、突如として襲い掛かる身を刺すような冷気に震え、小便を漏らしながら少年のようにへたり込む。

 

「久路人のような宝石と、貴様らのような屑石の見分けもできん目玉なぞ、凍って腐り落ちても構わんよなぁ?」

 

 そこで、塵を見る目をしていた白い少女は囲まれていた少年の元に歩み寄る。

 

 さきほどの冷たい声からは想像もできないほど、優しく、それでいて粘つくマグマのような熱を秘めた声で語りかけた。

 

「ごめんね、久路人。 寒いよね? 辛かったよね? 鬱陶しかったよね?」

 

 ぎゅっと、驚きに目を見開く少年を抱きしめる。

 

「でも大丈夫!! これからは、こんなクソ人間どもからも、有象無象の妖怪からも・・・・」

 

 これは、月宮久路人という祝福(のろわれ)された人間と、水無月雫という妖怪のお話。

 

「ずっと、ず~っと私が守るから」

 

 

 一人の少年が、白蛇の化身と出会うまでの物語である。




感想をくれぇぇえええええええええええええ!!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚2

自分が設定厨だということが書いていてよくわかりました。
大して話が進んでいませんが、どうかご容赦を。
早く雫を病ませたいんだけどな・・・・


「それじゃあ、お前に今の世界のことを教えてやろう」

 

 とある屋敷の一室で、その男はそう言った。

 虫かごの中に閉じ込められた蛇は、かごを抱えた少年の膝の上でその声を聞く。

 

------

 

『この世界は、一枚の壁で仕切られた水槽に似ています』

 

 とある魔法使いは、世界のことをそう表現した。

 人間の住まう『現世』と、妖怪や魔物のような人外の領域たる『常世』。そしてそれらを隔てる『狭間』。

 世界はその三つに分けられる。

 

『ですが、その仕切りも完璧ではない。狭間には『穴』が空いている。そして、その穴を通って行き来ができてしまうのです。大抵の人間にとって不幸なことにね』

 

 妖怪と人間は相容れない。

 正確に言うならば、人間が妖怪を受け入れることができないと言うべきか。

 妖怪に残虐で好戦的な者が多いのも理由の一つだが、最たるものは妖怪の発するエネルギーである『瘴気』だ。瘴気は人間にとって有害であり、本能的な恐怖や嫌悪をもたらす。

 そして、妖怪は常世と現世を繋ぐ穴から侵入することもあれば、常世から漂う瘴気で現世の動物が変質して生まれることもある。

 とはいえ、穴にはサイズがあり、どんな妖怪でも移動できるわけではない。

 大抵の穴は小規模か、あっても中規模ほどで、大物が通ることはできない。

 さらに、弱い妖怪ならば瘴気もほとんど出さないためにそこまで悪感情を持たれなかったりする。

 

『私の若いころは大変でしたよ。そこら中に『大穴』が空いていましてね。魔物・・・おっと、東洋では妖怪でしたか。まあ、人外が現世に現れ放題で、さらに穴が増える始末。そうしたら、大穴の空きすぎで仕切り板たる狭間がボロボロになってしまったんですよ。世界そのものを仕切る板が壊れでもしたら、一体どれほどの災害が起きるのか予想もできないですからねぇ』

 

 しかし、サイズの大きい大穴と呼ばれる穴であれば、大物も通過可能だ。

 そして質の悪いことに、大物妖怪が暴れることで大穴はさらに増えるし、大穴の傍には中小の穴も空きやすい。

 大物妖怪の出現と大穴の増加による悪循環で、一時には世界そのものが大きく傷んでしまった。

 狭間が壊れて二つの世界を遮るものがなくなった時、世界そのものが消滅する可能性すらあったという。

 

『力の強い妖怪は我も強いものですから、何を言っても聞きやしない。それでもまあ、協調性もないので単独で暴れるので済めばよかったのですがね。生憎と、彼女が、あの『魔竜』が現れてしまった』

 

 ある時に西の果てに現れた、魔竜と呼ばれた怪物。

 かの竜は、それまでまとまりのなかった人外をまとめ上げ、組織的に現世への侵攻を開始した。

 

『あの時は死ぬかと思いましたねぇ・・・結局はほとんど相打ちのような形で魔竜と引き分けましたが。まあ、個人的な理由を除いて大きな目で見ても、そのおかげで逆侵攻ではなく講和ができたのはかえって良かったでしょう。あの時は我々だけでなく彼女の陣営も疲弊していましたから』

 

 その後、人間も魔竜に対抗して『学会』を組織し、魔竜との決戦に臨んだ。

 戦いは七日七晩続いたが、最終的には『魔人』と呼ばれることになる賢者と魔竜のどちらも力を使い果たしてしまい、引き分けとなった。

 厭戦的になっていた両陣営は講和を果たし、大穴を塞ぎ、現世と常世の間で不可侵条約が結ばれることになる。

 そして、魔人と魔竜は共同でとある術を開発した。

 

『魔竜は人外のトップでしたが、人外のすべてをまとめきれていたわけではありませんでした。不可侵条約を締結しても数こそ少なくできましたが、破る者をゼロにすることはできなかったのです。そこで、私と彼女は『忘却界』を構築しました』

 

 『忘却界』。

 

 それは『現世と常世の関りはお互いのために最低限であるべき』という考えの元、現世に施された魔法。

 その魔法は、人々の霊力と『異能など存在しない』という認識の集合体をエネルギー源にした魔法であった。

 大本の意思を反映した結界によって現世全体を覆い、人外の力や穴の発生は抑制されるようになる。

 この結界のおかげで、現代の人々は人外におびえることなく生きることができているのだ。

 

『現世では妖怪たちが暴れまわったこともあって、我々のような霊能者や異能の力もそこまで珍しいものではありませんでした。ですが我々が穴を塞いだこと、並びに科学が発達したことで、人々は妖怪や異能などというものを信じなくなったのです』

 

 霊能者という存在は、瘴気にある程度適応できたことで異能の力に目覚めた人間のことを指す。

 かつては大穴が空いていていた影響で瘴気の流入もあり、霊能者はありふれた存在だった。

 それが大穴を塞いだことで新たな霊能者が生まれにくくなり、元々いた者たちの中で人に害なす者たちは科学の利器によって排斥され、そうでない者も排斥された者たちを見て、異能をその子孫にも隠すようになった。

 そして、霊能者は段々と数を減らしていった。

 

『おかげで、人々の認識を誘導できるようになりました。まあ、エネルギー源が人間の認識と霊力である以上、霊能者の誕生や人間の持つ異能には効果がないのですけどね』

 

 霊力とは、生命力や精神力がその魂にあてられて変質したエネルギーだ。

 瘴気も妖怪から出た霊力を瘴気と呼んでいるのであり、霊力であるのは同じ。

 そして霊能者でなくとも、人間はわずかながら霊力を持つ。

 忘却界そのものが多くの人間が発するわずかな霊力の蓄積によって構築される異能。

 さらには人間の魔法使いが発動したものであるために、人間が持つ異能との親和性が高く、その発現までは防げない。

 加えて結界そのものの存続のために人間から霊力が失われることも許さない。

 

『先祖に霊能者がいた人間は霊力を受け継ぐことがよくありますし、突然変異のように多く霊力を持った人間は今でもごくまれに生まれます。そして霊能力に目覚めることもある。ジレンマですよ』

 

 瘴気の濃度が薄い今の現世では、人外は霊能者以外に認識することができない。

 だがごくまれに生まれる霊能者は、人外を見たり、自身の霊能力を見てしまうことで『異能など存在しない』という認識を持てなくなってしまう。

 霊力の多い人間はそれだけ結界へのエネルギー供給量も多いのだが、異能を認識してしまうことでそのエネルギーはカットされる。むしろ、『異能は存在する!!』という認識によって結界に綻びができてしまうのだ。

 

『霊力を持つ人間は人外にとって良質な餌だ。異能の使用で発散される霊力や、霊力の素となる感情の発露ですら誘引剤になります。そして異能に関する知識が失われた現代では、それが人外を呼ぶことになることすら知られていないため、それを防ぐ方法も伝えられていない』

 

 一人や二人の霊能者が気付いたくらいならば小さな穴すら空くことはないが、運悪く集団になってしまうとその地域では結界が薄くなり、中小の穴が開いて妖怪などが容易く侵入できるようになってしまう。

 侵入してきた人外が狙うのは、比較的多くの霊力を持った霊能者だ。

 

『結界そのものを完全に壊してしまうという所までは行かないので、普通の人間には人外は認識できない状態のままなんですよね。それがまたタチの悪いことでして。人間の数の暴力で抵抗することもできないんですよ。味方が作りにくいんです』

 

 結界の中に生まれた霊能者は往々にして孤独だ。

 異能を見せようともそれが心から信じられることは少なく、人外を見せることもできない。

 下手に危害を加えれば精神異常者と犯罪者の烙印を押される。

 人間の一番の強みは数であるが、現代の霊能者には当てはまらない。

 

『まあ、かと言ってされるがままに人外に狩られるのを良しとするはずはないですが』

 

 綻びの原因となる異能者たちが全滅すれば、異能を信じない人間の割合が増えることで結界は元に戻る。

 しかし、異能者たちもそうそう自分から命を投げ捨てようとはしない。

 それぞれが持つ異能で抵抗して生き残り、生き残った異能者どうし集まってお互いを守りあうようになった。

 

『こうして今の現世は、『大多数の結界に守られた一般人』と『人外に抵抗するごく少数の霊能者』に分けられました。霊能者たちは集まって『霊地』に拠点を築き、忘却界とは異なる結界を構築して、その中で身を守ることに成功している。まあ、おおむね平和と言っていいでしょう。ただし・・・』

 

 霊地とは、土地そのものが霊力を帯びた場所で、忘却界の影響を受けにくい一方で穴が空きやすい場所だ。 

 塞がれて封印された大穴があったりするのだが、その土地の霊力を利用することで強力な結界を構築することができる。

 古くからの霊能者の一族は、守りを固めた上で積極的に人外を狩ることさえしている。

 ともかく、今の現世はその魔法使いと忘却界、さらには霊地のおかげで、表向きには平穏を保っていると言ってもいい。

 だが、そんな平和を簡単に壊してしまえる存在もいる。

 

『『突然変異』が生まれた場合は別ですが』 

 

 本当に極めて稀なことであるが、突然変異的に『非常に強力な異能』を持った人間現れることがある。

 その場合、単独でも結界を破壊してしまうことがあるのだ。

 そうした人間の周りでは常に穴や人外が現れやすく、ある種の異界と化す。

 質の悪いことにそうした人間を不用意に殺して排除したり、封印しようとすると異能が暴走して大事故が起きたり、最悪の場合にはその異能者の怨念が残って大穴が空くことすらある。

 

『他にも、色々と企み事を考えている人間もいますし、常世側にも不穏分子はまだまだ残っている。薄氷の上の平和ですよ。まったく』

 

 そうして、男の前で書を持つ賢者はため息を吐きながらそう言うのだった。

 

----------

 

「とまあ、今の現世はなんとか平和を保ってるってわけだ。んで、この土地は世界でも有数の霊地で、この『月宮久路人(つきみやくろと)』ってガキは、突然変異。わかったか?」

(長いわ!! もう少し短くまとめろ!!)

 

 とある街の郊外にある一軒家。

 その居間のテーブルには3人の人影と1匹の蛇がいた。

 人影の1人は蛇を拾った少年、さきほど男に紹介された久路人であるが、長話が退屈だったのか、うつらうつらと船を漕いでいる。

 2人目は今、どこか古ぼけたケージの中に入っている蛇の正面で話していた青年だ。

 見た目は20代半ばから後半といったところ。恰好は何かの作業員のように小さなポーチが所々に付いたツナギを着ており、頭に着けているヘッドフォンがミスマッチだ。

 

「しょうがねぇなぁ。脳の容積の小さいお前のために三行で言ってやるとだ・・・

 現世のほとんどの人間は便利な結界のおかげで妖怪なんぞ知らんし見えねえし襲われねえ。

 力を持ってるやつは結界を壊すと知ってるが、まとまって抵抗してる。

 久路人は一人で妖怪の遊園地が作れるくらいのやべーヤツって感じだ」

 

 青年は久路人の肩を叩きながら、微妙にまとめきれていない要約をする。

 

(まとめ方が間違っておる気がするが・・・)

「あれ、おじさん僕のこと話してた?」

「ああ、お前がヤバいからこれからどうしようって話だな」

 

 そこで、眠りかけていた久路人が目を覚ました。

 久路人の言うように、この青年は久路人の現在の保護者であり、久路人の叔父であるらしい。

 この青年も霊能者のようで、たまたま帰宅中に蛇を掴んで家路についていた久路人を見るや、蛇の正体を看破し、突如として何もない空間からケージを取り出したかと思えば、あっという間に蛇を閉じ込めてしまった。

 

 最初は、『やはり蒲焼にするつもりだったか!!』とケージの中で暴れに暴れたが、キズ一つつく様子がなかった。

 それで諦めの境地にいたのだが、月宮家の門をくぐった瞬間、蛇は自分のいるこのケージは自分を閉じ込める檻というだけでなく、自分を守る結界ということを理解した。

 

【一体何なんだ、この家は・・・・】

 

 青年がケージと同じように取り出した耳当てのようなものは、人語の喋れない妖怪などと意思疎通するための道具とのことで、先ほどから蛇の伝えたい考えは青年に伝わっているのだが、今は伝わらないように意識しながら内心で呟く。

 ちなみに、その道具はそれなりに繊細らしく、久路人が着けたがったが、『お前が着けたら速攻でぶっ壊れる』とのことで付けさせてもらえなかった。

 久路人としては大いに不満だったようだが、眠っている内に忘れてしまったらしい。

 

【先堡から、嫌な気配しかしない・・・】

 

 長年野生を生き抜いてきた、大妖怪の勘がけたたましく警鐘を鳴らしている。

 蛇の周りをちらりと伺うような視線に気づいたのか、青年は得意げに言った。

 

「この家が気になるか?見せて回ってもいいが、そのカゴからは絶対に出るなよ? この家は材木の出所や刻んだ術式、間取りや構造までこだわって、お前らみたいな妖怪どもには罠満載の迷路になってるからな」

 

 『まあ、今のお前ぐらいに弱ってりゃ大半は反応しねぇだろうがな』と青年は付け加える。

 

【この家は危険極まりない】

 

 力のほとんどを失い、特殊な結界と化したケージの中にいても尚わかるくらい、この家には無数の術が仕掛けられているようだった。あるいは、わざと蛇に教えたのかもしれない。

 それは恐ろしいまでの熱気を感じる炎を発する術だったり、あるいは底知れぬ谷底を覗き込んだときのような寒気を想起させる封印の術だったりと、そんじょそこいらの妖怪ならば門をくぐって一歩で消滅するだろうというものだ。

 先ほどの口ぶりからこの家の術を考えたのは目の前の青年なのだろうが、有無を言わさずに連れてこられ、『まずは今の現世について話してやる』と長口上をのたまっていたせいで、名前すら伝えられていない。

 

 

(現世のことや、この童が型破りなのはわかったが、その前にお前は一体何なのだ?)

 

 力を失った自分に何ができるということもないが、あまりに得体のしれない術者と話をするのは心臓に悪い。

 

「おお、そういや急で名乗ってなかったな。俺はこの月宮久路人の叔父で養父の月宮京(つきみやきょう)だ。もちろん下の名前は偽名だがな」

(聞きたいのは名前などではない!)

「ああ、分かってるよ。俺の正体は、この現代の現世に生きるしがない『術具師』さ。表向きは建築家で通してるがな」

 

 『術具師』

 

 それははるか昔の妖怪が跋扈していた時代から存在する霊能者の職業だ。

 直接妖怪と武器を持って戦うのではなく、その戦うための道具、いわゆる『術具』を作る者をそう呼ぶ。

 瘴気を多く含む鉱物からそれそのものが特殊な武器を作ったり、ただの刀に霊体を斬れるような術をかけたり、その両方をこなす重要な後方要員である。

 術具は様々な種類があり、蛇が封印される前に飲んだ酒や、京が付けているヘッドフォン、果ては月宮家そのものも術具と言えるだろう。

 術具師はその性質から普段は比較的安全な拠点に籠っているが、妖怪たちに見つかったら何を置いても真っ先に狙われる役割でもある。そのため、昔から彼らは護衛を近くに置いているのだが・・・

 

【そこの女も、付喪神の類かと思ったが、この男が作ったのか? ここまで人間に似た生き人形を作れるとは、この家といい只者ではないな】

 

 蛇の視線が、先ほどから会話に加わらないどころか、身じろぎ一つせず正座する3人目の人影に移る。

 視線の先にいたのは、割烹着を着て紫がかって見える黒髪を馬の尻尾のように結んだ女だった。

 蛇は温度に敏感な生き物だが、その女からは人間のような体温を感じるものの、所々に血の通っていない部分があるようで、なんともいびつな印象を受ける。

 ただし、内に秘める霊力と、隙のなさ、自分の野生を生きた勘からするに、相当腕が立つのは間違いないだろう。

 

「そいつは俺の造った護衛兼嫁のメアだ。人造人間やら自動人形の技術でボディを造って、中身は死霊術と降霊術、精霊に付喪神を参考にした愛しのマイハニ―で・・・・」

「お初にお目にかかります。私はメアと申します。職務はこの屋敷および久路人様の警護、さらに穴があったら入りたいぐらいにはお恥ずかしいのですが、そこの人形に発情するとのたまう度し難い変態性の、どうしてお前のような愚物が我が造物主なのかと問いたくなるような男の護衛でございます。どうか、その狂人で早く警察のご厄介になるか、この世から旅立って欲しい雄の戯言は無視していただければ幸いにございます」

 

 割烹着の女、メアは京の言葉をさえぎって、ため息が出るほどの正確さで蛇に向かって30°の会釈をした。

 

「おうおうなんだよツンデレか~!? いやぁ~、そんな風に振る舞うように作った覚えがないのにツンデレムーブできるくらい自我が発達してくれてハッピーうれピ・・・」

「死ね」

 

 顔すら向けずに一言だけそう言うと、メアは再び石像のように押し黙った。

 京の話を聞くに極めて人間に近い人形のようだが、付喪神のように自我を持っているようだ。

 作り手との仲はあまりよさそうには見えないが。

 

「コホンッ!! まあ、俺のマイハニーは見ての通り素直じゃねぇのは分ってもらえたと思うが、そろそろお前をここまで連れてきた理由を話そうか」

【こいつ、術具師としてだけでなく、中身も大物なのかもしれんな】

 

 『チッ』と自分の造った人形に能面のような無表情をしかめさせて舌打ちされるが、それを気にも留めずに話を続ける。

 

「あれ? 僕のペットにするからじゃないの?」

「惜しいがちげぇな。ペットじゃなくて、お前のボディーガード、つまり護衛として雇おうかって話だ」

(は?)

 

 一瞬、何を言われたのか分からずに蛇は呆けた思考になった。そんな自分を置いてけぼりに、話は進む。

 

「久路人、お前もこいつが常世・・・『あちら側』のやつってことは気づいてんだろ?」

「うん、なんとなく。でも、僕を食べようとか悪いことは考えてなさそうだし、前に教室で家で飼ってるペットの話になって、ペット欲しいなって思ったし、蛇かわいいからペットにしようかなって」

 

 ちなみに、久路人の通う小学校で先週出された宿題は『飼いたいペットについて原稿用紙二枚で作文すること』であり、久路人の提出した内容は蛇や蛙やトカゲについてだった。

 

「邪気を感じねぇってのは、他でもないお前が言うならその通りなんだろうが、腹の中に何もねぇってことはないと思うぜ?なにせ、そんな小さいナリで俺と話してるぐらいだからな。この蛇、人間並みに頭がいいぞ」

「えっ!? そうなの!? あの、その、それじゃあ、その・・・・勝手に連れてきてごめんさい」

「気にすんのそこかよ・・・・お前らしいけど」

 

 何やら子供に頭を下げて謝られたが、イマイチ頭に入ってこない。状況が呑み込めないのだ。

 

「貴方様に、そちらにいる色々と頭のネジがおかしい方々の言うことを翻訳しますと、『貴方様の将来性を見込んで、久路人様の守護神として契約していただくためにお招きした』ということでございます」

(将来性・・・それに、契約に、守護神だと?)

「ああ、術具師は材料から完成品までの目利きができなきゃ話にならねえからな。お前、今はそんなナリだが、その体色に目の鮮やかさ、知能の高さ・・・・元はかなりの大物だったろ?」

 

 メアに端的にまとめられ、京に自分の元々の姿を看破され、蛇は彼らの目的を理解した。

 そして、これが自分にとって美味しすぎるくらいに都合のいい話だと気づく。

 

(確かに、その童を狙うものは多かろう。だが、妾にその童のお守をさせようと言うならば、妾の力を元に戻すのを手伝うということでよいのだな?)

「まあな。そうはいってもすぐじゃねぇ。これから数年かけて少しづつ霊力を分けて戻すって感じだな。当然、力が戻った後に久路人や俺、メアに手を出さねぇようにするのが条件だがな」

(数年だと?そうなると・・・)

「そうだ。お前には、久路人の霊力をやる代わりに、久路人を死ぬまで守るって契約を結んでもらう」

(ふむ・・・・断ったら?)

「そうなったら、最初に久路人が言ったみたいにペット、慰み者だな。んで、久路人に触れたら爆散するような護符をそこら中に仕掛けてやる。それか、どうしてもって言うんなら、さっきまでの話を『忘れてもらって』外に放り出す」

「え~?おじさん、それはかわいそうだよ」

「何言ってやがる。コイツみたいに無駄に知能の高いヤツをほっとく方が面倒なことになんだよ。そもそも、コイツにとってお前と契約を結ぶのはかなり都合のいい話だぜ」

「この家にとって害となるならば、即処分いたします」

 

 メアが腕の関節当たりを捻りながらこちらに感情の読めない目を向け威圧するが、この話は蛇にとって渡りに船なのだ。

 蛇にはかつての力も、頼るべき後ろ盾もなく、これからの展望などまるで見えていなかったのだから。

 ならば、ここで確認すべきことは一つだけだ。

 

(妾は今まで、安全に生きていくことのみを欲して生きてきた。現世も常世も力がすべて。故に、脅かされないために力を付けてきた。だからこそ聞こう。契約を結んだ場合、妾の身の安全はどうなる?)

「そこは大して問題ないだろうよ。確かに久路人の血にはとんでもない価値と力があるが、さすがに大穴を空けるほどのもんじゃねぇ。お前に相手してもらうのは、中程度の穴から出てこれるやつらだよ。お前の力が戻れば餌同然の連中だ。それに、どんなに時間がかかっても、精々が百年程度の間だけだ」

【・・・・百年か。人間の寿命とは短いものだな】

 

 正直、久路人ほどの異常性を持った霊能者の護衛をするのに、そこそこの雑魚だけを相手にするので済むとは少し考えずらい。

 それでも数年で力を取り戻した後に百年だけと考えれば、今の蛇にとって答えは決まっているようなものだった。

 

(わかった。その話、受けよう)

「おっ! いいねぇ、話の分かる妖怪は好きだぜ。喜べ久路人、これからコイツもこの家の一員だ」

「ほんとっ!?」

(白々しい台詞を言うな。妾が受けるしかないことなど分かっていただろうに。して、契約とはどう結ぶものだ?)

 

 久路人は子供らしく無邪気に喜んでいるが、蛇は少々不安を感じていた。

 蛇がこれまでに戦って食らってきたモノの中には、人間の術者と契約を交わしていたモノもいた。自分自身が何かと契約を結んだことはないが、どういうものかぐらいは知っている。

 契約とは、術者本人と妖怪の間、もしくは契約を行う者同士と術をかける術者によって結ばれる術式で、様々な条件を設けた上で何らかの取り決めを行うことだ。

 それだけならば普通の人間同士が行う一般の契約と変わらないが、術という形で縛ることにより、その取り決めには強力な強制力が生じる。

 もしもここで自分に力がないことを盾に不当な条件を押し付けられたとしても、自分には逆らいようがない。

 

「術をかけるのは俺だが、俺から出す条件は・・・

『この場にいる3人を不当に傷つけない』

『他の何かに俺たちを傷つけるようにそそのかさない』

『可能な限り、普通の人間は傷つけない』

・・・ってところだな」

(温いな、それでよいのか?)

「こういうのはあんまり雁字搦めにしない方がいいんだよ。単純で条件も少ない方が強くなるもんだ・・・・・俺からはさっきので全部だが、久路人はなんかあるか?」

「僕?うーんと・・・・」

(こやつ、妙なことを考えておらんだろうな?)

 

 子供というのはいつの時代も突拍子もないことを考えるものである。

 内心でかなりビクビクしている蛇であった。

 

「じゃあ、僕と友達になってください!!」

(ともだち、だと?)

【何だそれは?】

 

 少しの間悩んだ末に、久路人は己の要求を突き付けたが、蛇には意味が分からなかった。

 今まで弱肉強食の世界で己が力のみを頼りに生きてきた蛇には、理解できない言葉だった。

 

「なんつーか、本当にお前らしいな」

「でも、この子は僕の言葉がちゃんとわかるんでしょ? だったら、僕は友達になりたい」

 

 久路人は、『僕もクラスのみんなみたいに、友達をつくってみたいんだもん』と、後に続けた。

 

「まあ、こいつとならなれるかもな」

 

 京はどこか遠い目をしながらつぶやく。

 

(おい、『ともだち』とは何なのだ?)

「あ?友達が何か?・・・久路人、何だと思う?」

「えっ? 何かって、えっと・・・・」

 

 自分で条件を付けたのに、久路人は『ともだち』とやらが何なのかよくわかっていないようだった。

 

「友達とは、『特定の分野において共通の趣味や好みを持ちつつ、いざというときは細かな性癖の違いから殴り合いになることもある味方』のことで・・・」

「わかりやすく言うなら、『気軽にいつでも話せて、下らないことで笑いあえて、お互い助け合えるような間柄』ってとこだな」

 

 メアが小難しい言い方をするのを遮るように京が説明する。それでもよくわからなかったが。

 ちなみに、自分の話を遮られたのが悔しかったのか、メアは京にこれ見よがしに中指を立てていた。

 何の意味があるのだろう?

 

(要するに、味方として有象無象から守りつつ、暇つぶしの相手になればよいのか?)

【童というのは人間と人外の垣根が低いように見えると聞くが、こいつは少々度が過ぎるように思えるな】

 

 子供というのは純粋で、子供の内は人と人でないモノの境目が曖昧になりやすいという。

 それでも、明らかに妖怪とわかっている蛇を相手に遊び相手になって欲しいというのは異常である。

 

「まあ、それでも間違いではねえなぁ・・・・感情を契約で縛るのは面倒なことになりそうだし、『頼まれたら遊び相手になる』でいいだろ?」

「え? うーん、いい、のかな?」

 

 久路人は首を捻りながらも、それで良しとしたようだった。

 それを見て、京は話を進める。

 

「じゃあ、契約内容は決まったな。ここからが重要だが、オイお前、名前はあるか?」

(ない。名前を持つ意味などなかったからな。妾のことを『蛟』だの『水野槌』だの言う輩はおったが、自分の名だと思ったことはない)

 

 蛇にとって、自分以外のすべては『餌』か『敵』か『どうでもいいやつ』の三種類しかいなかった。

 そんな中で名前を持って名乗る必要性はどこにもなかったのである。

 

「そりゃ好都合だ。なら久路人、お前が名前付けろ」

「名前? なら、見つけた時に雨がたくさん付いてたから『しずく』にしようと思ってたけど・・」

 

 子供にしては、それなりに考えられた名前だった。

 きっと家路の最中に考えていたのだろう。

 

「だそうだ。お前もそれでいいな? 契約には、お互いの名前がいるんだよ」

【妾が名付けられるか・・・】

 

 名前というのは世界に己を刻み込むための手段の一つであり、古来より契約の術を行う際には最も重要な要素として扱われる。

 契約を結ぶ片方がもう片方に名前を付けている場合、名前そのものが強力な楔になって名付けられた者は名付けた者と交わした条件を破るのが極めて難しくなる。

 そこまで蛇は知っているわけではなかったが、元より条件を破る意思などないため、受け入れるかは、蛇がその名前を気に入るかどうかなのだが・・・・

 

(しずく、雫か。悪くはない)

 

 蛇は水を司る精とも言われる。

 実際に力を持っていたころの蛇は水を操る術が得意だった。

 そんな自分に水に関係する名前が付くからか、それともあまり名前に関心を持っていなかったからか、初めて聞くというのにしっくりする感じがした。

 

(よかろう。妾の名前は、これより雫だ)

「お前の付けた名前、気に入ったってさ」

「そうなの!? よかったぁ・・・」

 

 自分のセンスを褒められたのが気に入ったのか、久路人は笑みを浮かべる。

 

「長々と話したが、これで最後だ。契約始めるぞ。久路人、この針で適当にどっか刺して血をこいつに押し付けろ」

 

 京が再びどこからともなく羊皮紙と針を取り出すと、先ほどの条件を羊皮紙に書き込みながら1人と1匹に針を渡した。

 

「う~、痛っ」

「貴方様は、不肖この私めが」

(ぬぉおおお!?)

 

 久路人は顔をしかめながら指をちくりと刺し、蛇改め雫は一瞬のうちに近づいていたメアに尾の先を刺されていた。

 そして、久路人は指を、雫は尾を羊皮紙に押し当てる。

 

「久路人、この紙に書いてあるように言え。んで、お前は『誓う』とだけ答えろ」

「え~と、『なんじ、しずくよ、我が力をかてに、我、月宮久路人が命つきるまで守ることをちかうか?』」

(誓おう)

 

 久路人がたどたどしい口調でところどころ平仮名で書かれた契約文を読み上げ、雫は言葉は返せずとも、意思を以て応えた。

 

「わっ!?」

(むっ!?)

 

 その瞬間、羊皮紙が燃え上がり、その炎が輪となって、1人と1匹を取り囲み、消えた。

 

【妾が、これまで身一つで生きてきた妾が、今日あったばかりの童と契約を結ぶことになるとは】

 

 何とも言いようのない感情が雫の胸に浮かぶ。

 しかし、不思議と悪い気分はしなかった。

 それは、自分の安全をとりあえずとはいえ確保できたからか、自分の力を取り戻す当てが見つかったからか、あるいは・・・・

 

「これで、けいやくは結べたんだよね? 改めまして、僕は月宮久路人! これからよろしくね、雫!!」

(・・・・ああ、よろしく頼む。久路人)

 

 あるいは、妖怪である自分に屈託のない笑顔を浮かべるこの子供を気に入ったからなのかもしれない。

 こうして、それから長く長く、途方もなく永く続く1人と1匹の最初の一歩が、確かに結ばれたのだった。

 

 

 

--------

 

 

 

「お前、明日も学校だろ?さっさと風呂入ってこい」

 

 この言葉を受けて『はーい』と返事をした久路人が風呂に向かった後のことだ。

 

 

「んで、何か聞きたいことは?」

(・・・・なぜ、お前はそこまでして久路人を守ろうとする?)

 

 契約を終えてどこか弛緩した空気が引き締まるようだった。

 月宮京と名乗った男の目は先ほどまでと変わらずどこか軽薄な色が浮かんでいるが、今ではそこに、動物としての危機感を駆り立てる冷たい輝きが混じっていた。

 

【妾があの場で契約を結んだ方がよかったのは事実。結んだことに後悔はない。しかし、この男は間違いなく、断っていれば妾を殺していた】

 

 正確には、殺しに来るのは京の傍に控える人形もどきの方かもしれないが。

 どちらが殺しに来るにせよ、力がほとんど戻っていない自分などあっという間にすり潰されるだろう。この2人にとって、自分などそこいらにいる普通の蛇となんら変わりない木っ端のはずなのだ。

 

【なのに、なぜそこまで妾に殺気を向ける?】

 

 この二人とこの家の術式があれば、今の自分ごときを雇う必要などない。

 だが、こいつらはわざわざ殺気を自分にだけ向けて脅迫までしてきたのだ。

 その理由を契約を結んだ者として明らかにしておきたかったが、久路人の前では言えない可能性もある。  

 だから待ったのだ。

 

(久路人の異質さについては実際に見たし、お前たちの話も聞いて分かった。確かにほとんどの妖怪どもが知れば放ってはおかんだろう。だが、お前が渡した護符とやらで隠せているのではないのか?何故わざわざ妾程度を雇った?)

 

「そりゃ簡単だ。あいつが現世と常世のバランスをぶっ壊して、世界中がヤバいことになりかねないからだよ。あいつの意思に関係なく、他の連中のせいでな。だからこそ、猫の手でも借りたいのさ」

 

『見な』といって、京が机に久路人が風呂に行く前に置いていった護符を放り投げる。

 

(これは・・・)

 

 その護符は、まるで焼け焦げたように黒ずんで、今にも崩れそうになっていた。

 

「あいつの中にある力はな、段々でかくなってるんだよ。その護符も、持たせたのは三日前だ」

(いつまでも隠し通せるものではないということか)

「そうだ。それでも、お前が育ちきるまでは持つだろうし、その後もそんじょそこいらの格の低い妖怪どもにバレないようにはできるだろうが・・・・タチの悪いことに、現世には平和ボケした異能者が増えすぎた」

 

 『魔人』が結界を張ってから永い時が経ち、人外が人間を襲うことは少なくなった。

 そして、結界の中で発生した異能者たちが寄り集まり、自分たちにだけ襲い掛かって来る妖怪を退けるようになったが、そのほとんどはかつての『大物』が跋扈していた時代を知らない連中だ。

 大穴の管理者とて、代替わりによってその穴から出てくる脅威のことを伝聞でしか知らないことすらある。

 人間は数が揃えば『自分たちは強い』と思い込んでしまう生き物だ。中規模の穴から出てくる、かつての時代では『雑魚』にあたるようなレベルを倒してすべての怪異を調伏できると愚かにも考える集団がいてもおかしくはない。

 そんな連中に、常世に繋がる大穴を空けかねない存在がいると知られれば・・・・

 

「ここで久路人の存在を知ったお前が、万一そういう馬鹿どもに喋っちまったら面倒だろ?」

(なるほど、妾は妖怪どもが相手、お前たちが相手にするのは人間というわけか)

「そういうこった。人間ってのは1人1人は弱くても数は多いから手が足りねぇ。んで、俺は術具を作るのは得意だが、喧嘩は苦手でね。メアもずっと久路人に付かせて置けるわけじゃねえ」

「まことに不本意ながら、私は最優先警護対象がこのチャラ男造物主になるように設計されていますので」

「別にチャラ男じゃねぇだろ!?」

 

 『ちゃらお』という言葉の意味は分からないが、京としては不本意だったようだ。

 

「・・・・ともかく、この契約はお前にとっても都合がいいだろうが、俺たちにとっても渡りに船だったんだよ」

 

 そう言って京は続ける。

 

「あいつはこれまでも、護符の切れ目に妖怪どもに襲われててな。そんな経験のせいで、なんとなく、自分に害があるのかないのかわかるんだと。そんなあいつが、大物になる才能があるお前を連れてきたんだ。活かさなきゃ馬鹿だろ?」

【ふむ、これまでの話、筋は通っている】

 

 どこまで京の話が真実かは分からないが、久路人が現世と常世の間に大きな混乱を生み出しかねないのは事実だろう。それを防ぐために手を尽くして守ろうとするのは分りやすい話だ。

 だが・・・

 

(本当にそれだけか?)

「あん?」

(お前たちならば、例え大穴が空いたとて、いかようにもできるだろう? 他に何かあるのではないのか?)

 

 それでも、そんなこいつらにとって『どうとでもなりそうな理由』でここまでやるのは理解できなかった。

 

「・・・久路人は本当に見る目のあるやつだよ。いい拾い物したもんだ」

 

 身が裂けそうなほど冷たい空気の中、京は肩をすくめながらそう言った。

 

「けどよ、あんまり好奇心が強いのはどうかと思うぜ?」

「・・・動けば少々痛みますよ」

(・・・・・!!!)

 

 いつの間にか、雫の体には糸が絡みついていた。

 糸はメアの指先から伸びており、ゾッとするような銀色に輝いている。

 

「まあ、お前の言う通り他にもいろいろ理由はあるさ。だが、それはお前の知る必要のないことだし、お前はただ妖怪どもからあいつを守ってりゃいい」

 

 京が手を振ると、雫に絡みついていた糸が解け、メアの指先に一瞬で戻る。

 

「けど、勘の鋭いお前にご褒美代わり言うとだ・・・・」

 

 

 

--あいつは、俺の甥で、兄貴の残した宝物なんだよ

 

 

 

「お前にゃまだわからねぇだろうけどな、『家族』を守るってのは、人間が体張る理由としちゃありふれてるんだぜ」

 

 京はそこで立ち上がり、部屋の扉に手をかけた。

 

「メア、腹減ったからなんか作ってくれ。俺は少し横になる」

「豚の餌でよろしければご用意しておきます」

 

 そんな会話をしながら、京は自室へ、メアは台所へと去っていった。

 

【なんとも、人間というのはいろいろと絡み合っているな】

 

 雫は1匹、テーブルのケージの中で独り言ちる。

 

【これから妾はあやつらと関わっていくわけだが・・・まあ、なるようになるか】

 

 『考えてばかりでも埒が明かない』と結論を出した雫は、カゴの中でとぐろを巻く。

 人間も、久路人も、京も、メアも、妖怪である自分にはまだまだ測りきれない存在であるようだった。




ちなみに、メアは久路人のヒロインにはならないことをここに明言しておきます。
今後雫以外のヒロインは多分出しませんが、もし出すなら最終的には一人になるようにします。だってヤンデレ大好きだから。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚3

執筆に時間を割くのが難しいこの頃
やはり週一更新が限界かもしれません。

ですが、作者にとっては感想は超高カロリー栄養源なので、送ってくれれば速度上がるかもしれませんよ!!


 7月26日 今日の天気 雨

 

 今日は雨だったので、外に遊びに行けなかったから、家でしずくといっしょにお勉強をしました。

 しずくはヘビだけどとても頭がいい子です。

 ちょっと前はひらがなもカタカナも読めなかったけど、今はもうぼくと同じくらい漢字が読めます。

 ぼくの家にはしずくのために五十音が書いてある板があって、その板をしずくがしっぽでたたいてお話ができます。

 足し算や引き算、かけ算にわり算ももうおぼえていて、しずくが学校に来たらテストで百点がとれると思います。

 でも、しずくには手がないので、えんぴつが持てないからテストの答えを書けないので0点かもしれないです。

 今日もぼくの算数のしゅくだいのまちがっているところをぼくより先に気が付いていました。

 「もう少しがんばれ」と言われてしまいました。

 

 しゅくだいが終わったら、そのまましずくとオセロで遊びました。

 しずくがひっくり返したい石をしっぽでつついて、ぼくがひっくり返します。

 今のところ、勝ち負けはどっちも同じくらいですが、今日はぼくが勝ちました。

 「次は絶対にわらわが勝つからな!!」と悔しそうにしていました。

 悔しそうにしてる時は文字をたたくいきおいが速くて読みにくかったです。

 

 しずくはどっちかというと雨が好きらしいのですが、最近は夏休みに入ったのに雨ばかりで外に遊びに行けません。

 明日晴れたら前に遊びに行った川にいっしょに泳ぎに行きたいです。

 

 

 月宮久路人の夏休みの日記より抜粋

 

 夏休み最終日に京が添削し、当たり障りのない内容に書き換えたが、久路人は夏休み期間をほぼ毎日雫と過ごしていたために全ページ書き直すハメになった。

 

 

 

 

-----------

 

「そんな、私のことは遊びだったの!?」

 

 夕日が照らすどこかの崖の上で、一人の女が男に詰め寄っていた。

 女は美しかったが、夕日に照らされる顔は憎悪に歪んでいる。

 

「違う!! そんなつもりじゃない!!彼女とは・・・・」

 

「やめて!! 言い訳なんか聞きたくない!!」

 

 男が女に言い訳をしようとするも、女はそれを遮ってさらに距離を詰める。

 男のすぐ後ろは崖であり、このまま押し倒されたら真っ逆さまだ。

 

「あなたが他の女のものになるなんて、許せるもんですかぁ!!!」

 

「なっ!? やめろぉぉぉ!!」

 

 予想通り、男はそのまま女に押されて崖の下に落ちていった。

 

「安心して? あなた一人で死なせはしないわ」

 

 そして、女もまた男の後を追うように自ら崖を飛び降りた・・・・・

 

 

-----------

 

(おお、これが先月から二股かけてた屑野郎の末路か。よくやったぞ、茂美よ。これで妾の溜飲も下がったわ)

 

 月宮家のある一室。

 一部屋丸ごとに特殊な結界の術が刻まれ、この部屋にだけは妖怪用の罠が仕掛けられていない雫専用の部屋で、2か月前に拾われたばかりの雫がとぐろを巻いて昼ドラを鑑賞していた。茂美とは、さきほどドラマで心中した女の名前である。

 

(しかし、一人の男にあそこまでの熱をあげるのはよいが、その男が悪かったな。やはり雌たれば、番に選ぶ雄は慎重に選ばねば)

 

 ウンウンととぐろを巻きつつ器用に首だけを上下させて、改めて子孫を残す厳しさを感じながら頷く雫であった。

 

(しかし、この妾にふさわしい雄など、そうそういるはずも・・・)

「ね~しずく。もうドラマは終わったんだし、外に遊びに行こうよ」

 

 そこで、何気に隣で一緒にドラマを見ていた久路人は雫に声をかけた。

 まだ小学校2年生の久路人にとって、昼ドラなんてものはよくわからないものだったようで、つまらなそうだ。

 

(まったく、これだから子供は・・・・まあ、子供にはこの男女の浮き沈みのある甘く切ない関係などわかろうはずもないか、フッ)

 

 まだまだお子様の久路人を見て、雫はやれやれと首を振りながらニヒルに笑う。

 なお、本人(本蛇)は下手をすれば同種からも霊力源として物理的に食われる危険性もあったため、そういった経験は一切ない。ほんの数か月前に現代の現世に来たばかりだというのに、人間の作った昼ドラを見たくらいで男女の酸いも甘いも知ったような気分になっていた。

 

「よかろう、妾はこれでも立派な大人だからな。付き合ってやろうではないか」

 

 そんな気分のまま大人の余裕というものを見せつけている、と思い込みながら久路人が持ち歩いている文字盤で了解の意を示す。

 

「本当!? それじゃあ行こう!!」

 

(ぬぉおおお!? これ!! いきなり掴むのは止めろと前々から言っておろうが!!」

 

 久路人は傍に置いてあった雫専用のケージにむんずと掴んだ雫を入れると、部屋を飛び出した。

 

(さて、今日はどこに連れて行く気か。川は水が増えて子供には少々危ないかもしれんし、近所の雑木林で虫取りか? 妾が森の中ではどれほど素早く動けるか、改めて見せつけてやるのも悪くはないな)

 

 この一人と一匹の間には「遊び相手になってと頼まれたら遊ぶ」という契約が交わされている。

 これは精神に働きかけるものではなく、強制的に遊びに行くように意志と関係なく体を動かすものであるため、本人が最初からその気ならば発動しない。そして、その強制力は未だに一度も発動したことがない。

 

 これまで弱肉強食の野生の世界に生きてきた雫にとって、ボードゲームやドラマといったインドアの娯楽から、外での食糧調達とは関係ない虫取りや釣りのようなアウトドアまで、人間の生み出した娯楽は新鮮なものであった。

 元より好奇心旺盛でイタズラ好き(妖怪目線)だった故に封印された雫にとっても、自分を恐れない久路人と遊ぶという行為はなんだかんだ言っても楽しいものであるようだった。

 

 

-----------

 

 欠けている

 

 

 それが雫の抱く久路人という少年への印象だ。

 

 かつての穴があちこちに開いて異能が珍しくなかった時代、人間にとって人外とは自分たちの天敵であった。

 もちろん、人間に害を与えない温厚な妖怪もいるが、人間に関わる=捕食、殺害という図式が成り立つくらい、妖怪が人間を襲うのは当たり前の時代だった。

 そんな時代ならば、人間が人外に向ける態度も反抗的あるいは忌避するようになるのもまた当然だろう。

 そもそも人外の放つ霊力、別名「瘴気」は人間の精神にとって猛毒なのだ。触れ続ければ精神や魂が崩壊する可能性もあり、人間は無意識にでも人外を恐れ、嫌うように本能に刻み込まれているものなのだ。

 雫がかつて見てきた人間たちもそうだった。

 京たちが言うには、現代の人間もそう変わりはないらしい。

 そして、例え瘴気が存在しなくとも、自分たちにとっての「常識」というものが壊されるのを、まるで自分そのものが壊されるかのように感じるのが現代の現世だ。

 「異能を排した世界の法則」である科学を信仰する現代人にとって、科学で解明できない現象というものには無意識であっても恐怖を抱く。その現象が単なる現象であって意思がないのであれば科学者という人種は興味をそそられて解明しようとするだろう。だが、自分たちを容易く殺せる正体不明の存在が意思を持って自分たちの近くにいるとなれば、恐怖を抱かないのは生物としての欠陥であるとすら言える。

 人形であるメアはよくわからないが、あの京ですら、普段はそれなりに気安く接しはすれど未だに警戒しているフシがあるのだが・・・

 

(久路人には、(じんがい)に対する恐怖が欠けている)

 

 久路人に恐怖という感情がないわけではない。

 

 道を歩いている時に角からトラックが自分のスレスレを通って行った時には飛び跳ねて壁に背中を付けるくらいには驚いていたし、怖がっていた。

 家で花瓶を落として割った時にも、「おじさんに怒られるかも・・・」と怯えていた。

 

 だが、人外と関わることにはまるで恐怖を抱いていない。

 それは、ただ単に瘴気に対して耐性を持っているからというだけではない。

 それだけで、自分を簡単に殺せる生き物と笑顔で付き合えるほど人間は強くない。

 それは・・・・

 

(久路人は、人間も妖怪も同じ目線で見ているのだろうな)

 

 久路人の住む街は世界でも多くの穴が開通している場所だ。

 久路人は護符の影響で狙われていないし、京が張った多様な結界で一般人もその姿を認識できないし、襲われないが、妖怪の類がその辺にいる。

 危険度の高いモノはメアが退治して回っているが、無害なモノは放置されているため、久路人が目にする機会は多い。

 そんな風に出会った妖怪にも、雫や京たちにするのと同じように挨拶をしたり話しかけたりするのだ。

 少し前に聞いてみたことがある。

 

「お前は、前にも妖怪に食われそうになったことがあるのだろう?妖怪は怖くないのか?」

「人間だって、他の人間を殺したりするじゃない。そういう妖怪に会ったってだけだよ」

 

 何の気負いもなく久路人はそう答えてみせた。

 その返答は妖怪であり、後の護衛になる雫にとって不安を抱かせるものではあったが、同時に嬉しくもあった。

 

(殺し合い、利用しあう。あるいは恐れ、逃げ出す。それ以外を、久路人とならできるのだろうな)

 

 自分でも認めてきていることではあるが、久路人と過ごす何気ない平穏な時間というものを、雫は気に入ってきているのだ。

 もっとも、久路人のその答えは保護者も不安にさせたようで、いざという時に対応できるように体を鍛えさせたり、護身用の道具を造ったりしているようだが。

 

 

「雫、着いたよ」

 

(む・・・)

 

 雑木林に向かう道中、ケージの中で物思いにふけっていた雫は我に返った。

 

 久路人が雫をケージから出すと、雫はその首に巻き付く。

 これが久路人が雫と外で遊ぶ時の基本スタイルなのだが、力が弱く普通の蛇とほぼ変わらない雫は一般人からも見えてしまうので人気のないところでしかやらないが。

 

「今日はクワガタ取れるかな」

 

(・・・・あんな髪切り虫の何がいいのやら)

 

 そこは、月宮家から子供の足で20分ほど歩いたところにある山のふもとの雑木林だった。

 周りは放棄された畑ばかりで、雑草が生い茂っており、民家もない。

 月宮家がかなり郊外にあるため、ここまで虫取りに来る人間は少なかった。

 中々に広い林で、虫がとれるポイントを回って歩くと30分はかかるだろう。

 

「あ、木の隙間になんかいた!! 雫、取って!!」

 

「いやだ。そんな樹液まみれの隙間なんぞ入りたくない!!」

 

「え~、そんなこと言わないで・・・・って、逃げられちゃった」

 

 雫がこの林に来るのは初めてではない。

 虫取りのポイントも知っているし、自分がどのあたりにいるのかもわかる。

 久路人がよく来るポイントということもあってこの林は念入りに妖怪の類が退治され、穴は塞がれている。監視用の術も仕掛けられているので、安全地帯と言っていいだろう。

 だが、危険ではないモノはたむろしていたりする。

 

「あれ、あんなところにたくさんいる」

 

(ふむ、キノコの精かなにか)

 

 虫取りポイントを巡ることしばらく、林の奥の方に来たあたりで、小さなキノコに手足が生えたようなナニカが道を行進しているのに出くわした。

 

「ねぇねぇ、そんなところで何してるの?」

 

「「「・・・・・・」」」

 

(人語を解するだけの頭はないようだな)

 

 久路人がしゃがみ込んで声をかけるが、キノコもどきは答えることなく行進していくだけだった。

 

「この先、行ってみよっか」

 

「まあ、危険はないだろう」

 

 特に反対する理由もなかった雫は止めずに久路人の首に巻き付いたまま運ばれていく。

 

 そして、一人と一匹は林の奥へ奥へ進んでいった。

 

 

 

 この林は危険な妖怪が退治されていない安全な場所。

 雫のその認識は正しい。

 だが、その安全地帯を破壊する爆弾を抱えているという意識はなかった。

 

 

-----------

 

「結局何だったんだろう、あのキノコ」

 

「さあ、あの程度が考えていることなどわからん」

 

 キノコの後を追いかけて林の奥まで来たが、彼らは大きな切り株の隙間に入っていったきり、出てこなかった。

 ああいう知能の低いモノは大抵何も考えずに本能で行動しているため、その真意を知るのは難しいだろう。

 

「それにしても、結構奥まで来たなぁ」

 

 久路人の言う通り、普段虫取りに来るポイントからも離れた場所だ。

 舗装されていない細い道を通ってきたが、キノコが入っていった切り株の先は完全に草木に覆われて行き止まりになっていた。

 やや登りの道だったことからも、ここは雑木林の先にある山を少し登ったところだろう。

 

「なんか疲れてきたし、もう帰ろうか」

 

「うむ。妾も腹が減った」

 

 時刻は6時を回ったあたり。夏で日が長いとはいえ、林の奥は薄暗いのも相まって少々不気味だ。

 雫としても空腹を感じ始めたので、帰るにはよい頃合いである。

 久路人、京、雫の食事は家政婦としての技能も持つメアが賄っている。

 雫の場合は魚や肉料理を一口サイズにしたものがメインだが、これまでの数百年に渡る中、雫の好物ランキングを制したのは月宮家で5日前に食卓に上がったサイコロステーキであった。

 

「帰ってご飯食べたら、またオセロする?」

 

「ふむ、オセロも悪くないが、前にやった双六も・・・・」

 

 雫が文字盤を叩いていたその時だ。

 

 

 ガサリ

 

 

 茂みが揺れた。

 

「え、なんかいる?」

 

(・・・妙な力は感じないが)

 

 突如として茂みが揺れ、茶色い何かが現れた。

 

「あ、ウリ坊だ」

 

(猪の子供か)

 

 久路人の住んでいる街は地方都市で、郊外には豊かな自然が残っている。

 鹿や猿、猪などの野生動物も生息していた。

 

「ウリ坊なんて近くで初めて見た!!」

 

(おい待て!! 近づくな!!)

 

 久路人は年齢の割には大人びている方だが、この頃はまだまだ子供らしい好奇心が旺盛だった。

 普段は目にしない野生動物に興味を抱き、ウリ坊に駆け寄る。雫は喋れないため、その警告は届かなかった。

 ウリ坊はこちらに近寄って来る人間に怯えて茂みに駆け戻り、久路人は追いかけようとするが・・・

 

 

 

「ブモォオオ!!!」

 

 

 

 野太い声とともに、ウリ坊の親イノシシが突っ込んできた。

 

「うわぁ!?」

 

 咄嗟に横に飛び跳ねてイノシシの突進を躱した。

 

(おい久路人、早く逃げろ!!)

 

 雫が久路人の首にペチペチと尾をぶつけて急き立てる。

 

「わあああああああああ!!!」

 

 声は聞こえずとも意図は理解できたのか、久路人はそのまま走り出そうとして・・・・

 

「うげっ!?」

 

(何をやっておる馬鹿ものぉ!!)

 

 盛大に転んだ。

 

「ブモォオオ!!!」

 

 イノシシはウリ坊に近づいた久路人を敵とみなしたのか、再び突進を仕掛けてくる。

 

(ええい、仕方あるまい!!)

 

「ペッ!!」

 

「ブモァアア!?」

 

 久路人に拾われて二か月。

 毎日芳醇な霊力に満ちる久路人の血液を数滴ずつ吸っていた雫には、多少の力が戻っていた。

 戻った霊力を使って形成した拳大の水の塊をイノシシの眼にぶち当てて怯ませる。

 

(今のうちに走れぇ!!)

 

「うわああああああああ!!!!!!」

 

 イノシシが怯んでいるうちに、久路人は立ち上がり、もう一度走り始めるが・・・・

 

「うぐぅ!!!?」

 

(ぬぉおおおお!?)

 

 またしても盛大に転んだ。

 無理もない話であるが、完全にパニックになっているようだった。

 久路人はまるで自分の体をうつ伏せに摩り下ろすように斜面を滑り、首に巻き付いている雫も振り落とされまいとしがみつく。

 そうこうしている内に・・・・・

 

 

 パキン

 

 

 何かが、砕け散るような音がした。

 

 それと同時に、久路人のいる場所を起点に、猛烈な寒気が発生する。

 

(これは・・・・・まさか、穴が!?)

 

「あ、お守りが・・・・」

 

 その護符は2週間前に京に作ってもらったものだった。

 雫を拾った頃よりも耐久性を上げており一か月は持つはずだったのだが、半月に渡って久路人の力を抑え込んだことと2度にわたって物理的に強い衝撃が与えられたことで壊れてしまっていた。

 

 

 ケタケタケタケタケタケタケタ・・・・・・・

 

 

 ナニカの笑う声が聞こえる。

 

 

「ブモォォォオオオオ」

 

 イノシシはこの場に満ちる異様な雰囲気を感じ取ったのか、すぐに元来た茂みに逃げていき、久路人と雫だけが取り残され・・・・

 

 

 バキン!!

 

 

 突如として空間に直径1mほどの黒い穴が空いた。

 

(アレは、小さめの穴か・・・しかし、穴の向こうに何かいる!!)

 

「アアアアアア、イイ、ニオイ・・・・」

 

 穴の奥から、人間の大人くらいの大きさのナニカが這い出てきた。

 

「アアアアア、ウマ、ソウ・・・・」

 

 ソレは、大まかな見た目はトカゲに似ていた。

 細長い体に生えた四本の手足を地面につけ、長い首と尻尾を持っていた。

 だが、その顔は醜悪な老婆のそれであり、手足は人間のものによく似ている。緑色の体には所々にギョロギョロと動く目玉が埋め込まれたように付いていた。

 老婆の顔も、体中に付いていた目も、少しの間忙しなく動いていたが、久路人を見つけるとピタリと止まった。

 

「ミミ、ミツ、ケタ・・・・」

 

(まずい!!)

 

 小さな穴から出てきた妖怪ではあるが、それでも今の雫では到底敵いそうもない。

 これならばさっきのイノシシ相手に逃げている方がまだマシだったろう。

 

 

(久路人、早く逃げ・・・・)

 

「なあんだ、妖怪か」

 

 雫が再び逃げるように促したが、久路人は先ほどのパニック状態から復帰したように落ち着いた様子で身を起こした。

 

「ねえ、僕たちこれから帰るんだ。君も家に帰った方がいいと思うよ」

 

「アア?」

 

 獲物の様子がおかしいことに気づいたのか、トカゲモドキもその老婆の顔を怪訝そうに歪めた。

 

「おじさんや雫に聞いたよ。今の妖怪は勝手に人間を襲っちゃダメって魔法使いの人と約束したんでしょ? だったら、僕のことも食べちゃダメなんだし、君も帰らなきゃ」

 

(馬鹿者!! こんな獣に近い連中にそんな話が通じるわけあるか!!)

 

「アアアアアアア!!!」

 

 案の定、妖怪は久路人の言うことに耳を貸すことなく四本の足をドタドタと動かして飛び掛かる。

 

「わっ!」

 

 トカゲのような見た目ではあるが、速さまでトカゲ並みではないようで、気味の悪い動きをしながら久路人に迫るもあっさりと避けられる。

 久路人を捕まえられなかったトカゲモドキは憎々しげに睨みつけた。

 

「あ~あ、やっぱりダメか。危ない感じがするけど、話を聞いてくれればなって思ってたのに」

 

(こいつ・・・・)

 

 あのトカゲの見てくれは同じく妖怪である雫から見ても、さっきのイノシシなどよりよほど気味悪く、怖気が走る。

 であるのに、久路人はそれを恐れるでもなく、逃げようともせずに説得しようとしたのだ。

 雫はこんな状況にありながらも、久路人の在り方に戦慄した。

 

「でも、人を襲っちゃダメってルールがあるのに僕を食べようとするのはいけないことだよね?」

 

(何?)

 

「なら、これから僕があいつをやっつけても、せいとうぼうえいってやつだよね?」

 

 それは、いつもの久路人と変わらない平坦な声だった。

 だが、その声を聞いた瞬間、雫になぜか震えが走る。

 

「ねえ、僕を食べたいんでしょ? なら、これも欲しいよね?」

 

「アアア!?」

 

(それは・・・・)

 

 久路人がポケットから取り出したのは、手のひらに収まるサイズのボトルだった。

 その中には、深紅の液体が揺れている。

 

「はいっ!!」

 

「オアアア!!!」

 

 特別製のボトルは中身の特異性を漏らさないが、トカゲモドキには人間を引き裂いたときに溢れるその色が魅力的に映ったのだろう。

 蓋を少し緩めて放り投げられたボトルに食らいつき、かみ砕く。

 

(・・・なるほどな)

 

 ボトルの中身は久路人の血液だ。毎日血を抜いて与えるのも面倒なので数日分をストックしておくのだが、久路人はそれを持ってきていたらしい。

 特殊な霊力に満ち溢れる久路人の血液は妖怪にとって極上の食事だ。1滴摂取するだけで数年分の霊力を補給できる代物だが、雫はトカゲモドキの末路を悟った。

 

「アアアアアアアアアアアアア!!?????」

 

 ボトルをかみ砕き、中身に舌が触れた瞬間に恍惚とした表情を浮かべていた妖怪であったが、次第に怪訝な顔になり、そのうちに地面に横になってもだえ苦しみ始めた。

 やがて動かなくなったと思えば・・・

 

「アァァァァ・・・アア・・・ア・・オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!?」

 

 突如としてその体のあちこちが膨れ上がり、そこから新たな手足や顔が生え始めた。

 さらに、その増殖はどんどん進んでいき、増えた個所から再び新たな部位が増えるのを無限に繰り返していく。

 

「アアアアア・・・・アア」

 

 最終的にはいくつもの血涙を流す顔が付いた球状の肉塊というべきものになり、動かなくなったと思えば、膨れ上がった肉がドロドロとゲル状に溶けて地面に吸い込まれ、後には気味の悪いシミだけが残った。

 

 

(あの程度の器しかなければ、久路人の力を収められるはずもない)

 

 久路人の力は強大だ。あらゆる妖怪に力を与える効果を持つが、その力に耐えうる容量がなければ、その変化に耐えきれずに自壊するのも道理である。

 雫が久路人の力を分けてもらってもトカゲモドキのようにならないのは、摂取する量が少ないのと、増大する力を受け止められるだけの器を備えているに他ならない。

 久路人の血は、妖怪を引き寄せる美酒にして劇薬なのだ。

 

「よし、それじゃあ新しいのが来ないうちに早く帰ろうか!!」

 

(・・・・・うむ)

 

 当の本人はさきほどまでそこで広がっていたあまりにもグロテスクな光景を目にしたにも関わらず、いつもと変わらない調子で走り出した。

 

「でも、うまくいってよかったよ。前に襲われたときにビンを落としたら同じようなことがあってさ」

 

(・・・・・)

 

 一応は和解を考えていた相手が惨たらしく死んだことを毛ほども気にしていないように話すのを聞きながら、雫は自分が巻き付いている少年のことを考える。

 

(薄々思っておったが、イカれておる)

 

 

 妖怪を全く恐れないこと。

 妖怪を人間と同じような目線で見ていること。

 そうでありながら、妖怪を殺すことになれば全くためらわないこと。

 

(もしかすれば、久路人にとっては人間も・・・・)

 

 今日の様子を見ていると、同種であるはずの人間も躊躇せずに殺せるのではないか?

 雫にはそう思えてならなかった。

 それは、弱肉強食を生き抜いてきた野生動物の感性に近い。

 

(だが、何かが決定的に違う)

 

 久路人は最初は話し合いで解決しようとして失敗し、自分の命の危機だから相手を殺した。

 話し合おうとしたのも、殺そうとしたのも・・・・

 

(ルール違反か・・・)

 

 普通の感性からすれば、あの状況でそんなルールなど気にすることはないだろう。だが、久路人はあくまでルールを守るという姿勢を変えなかった。

 

(一体、久路人の中にはどんなルールがあるのだろうな・・・)

 

 自分はとんでもない危険人物と契約を結んでしまったと少々後悔する気持ちもあるが・・・

 

(妾が契約を守る限り、身の安全は保障されている。久路人から傷つけられることもない。ならば・・・)

 

 

 自分を拾ってくれた恩があるのは確か。

 自分の力を取り戻すため、安全に生きるためという打算があるのも確か。

 自分と遊んでくれるのを嬉しい、楽しいと思うのも確か。

 それに加えて・・・・・

 

 

 

(一体こやつは、どのような生き方をするのだろうな?)

 

 

 

 かつては強大な力を誇っていた妖怪が、一人の少年とその未来に多大な「興味」を持った瞬間だった。

 

(久路人と一緒にいれば、退屈することはなさそうだ。まさしく、最高の「娯楽」よな。しかし、それにはこの姿はいささか不便だ。いつまでも声を届けられぬのももどかしい。どうしたものかな)

 

「あ!もうすぐ出口だ!!」

 

 木々の隙間から夕陽が差し込む中、一匹の蛇は一人の少年と歩むこれからに、確かな期待と高揚感を得たのだった。

 

 

-----------

 

 

 ちなみに、林に空いた穴は結界が崩壊したことを察知した京に塞がれた。

 そして、今回護符が壊れた詳細を聞き、物理的な耐久性の向上を目指すのであった。




今回は雫と久路との日常と、前々から言っていた、久路人の異常性について。
次話からは、そんな少年が人間のコミュニティでどうなるかというお話です。

ところで皆さんは、自分の気に入っている人が良く知らない連中にぞんざいに扱われていたら、腹が立ちますか?

私は立ちます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚4

最近お気に入りが50人を超えて嬉しい限り。皆さまありがとうございます。

そして、遅ればせながら、この小説に投票して下った、慧月 東様、ハバラ様、もんぞう様、ヤフー様(五十音順)に重ねて感謝申し上げます。

調べてみたら投票者が5人を超えると評価バーに色が付くらしいです。
あと一人、このお話をいいなと思ってくださったら投票お願いします。

さらに、引き続き感想を大募集中です!!


 久路人の夏休みが終わってすぐのことであった。

 

 まだ力が回復していない雫は普通の蛇と変わらないため、学校には着いていかずに家で待機するのが目下のところだ。

 雫はいつものように専用の部屋でテレビを見ていた。

 夕方のこの時間はイブニングドラマを放送しており、雫もそれなりに楽しみにしている。

 しかし、今日の雫の気分はあまり優れなかった。

 

(・・・・つまらん)

 

 夏休みの間、微妙な顔をする久路人とともに多くのドラマを見ていた雫にとって、今見ているドラマの展開は簡単に予想ができてしまった。そして、予想通りの流れで話が進んでいく。

 

(・・・・つまらんな)

 

 久路人が夏休みの時はこの時間も退屈ではなかった。

 例えば刑事ものを見ているときは・・・

 

「・・・・なんでこの警察の人たち、あんな見えるように後を付けて気づかれないの?」

 

「そんなものどうでもいいだろう? 大人の事情だ、大人の事情」

 

「ふーん。じゃあ、なんで犯人はいつも崖とかビルの屋上とか高いところに追われてるの」

 

「様式美だ」

 

「・・・・・わかんない」

 

 このようにチープな展開があってもそれを話のネタにできた。

 

 またある時に時代劇を見ていた時は・・・

 

「久路人、言っておくが、昔の侍とかいう連中はあんなに礼儀正しいやつらではないぞ。娯楽と称して坊さんに矢を射かけたり、生首を家の前に飾っておったわ」

 

「えっ?そうなの? 僕は歴史はまだ習ってないけど、そんなふうだったんだ」

 

「そうそう。一つ賢くなったな」

 

 このように、長い時を生きた威厳溢れるところを印象付けることもできた。

 ・・・・ちなみに、この時見ていたドラマの時代は江戸時代であり、雫が見た武士がいた時代は鎌倉時代である。

 

 このように、傍で一緒に見ていた久路人が反応を返してくれるのが面白かったのだ。

 いつの間にか、ドラマを見るよりもドラマを見る久路人と話す方が楽しいと思うくらいに。

 

(他にも・・・・)

 

 他にも、久路人が夏休みの時は面白いことがたくさんあった。

 

 京に護符を作ってもらった後にまた雑木林に虫取りに行き、久路人と木登り競争をした(勿論雫が勝った)。

 

 近所の川に泳ぎに行って競泳して、雫が全勝した。

 

 算数の宿題に悩む久路人の横で久路人よりも早く答えに気づいたが、文字盤を叩いている最中に先を越された。

 

 妖怪から逃げるための体力づくりで家の周りを走って汗だくになった久路人に水をかけたらそのまま倒れてしまい焦ったこともあった。

 雨の日にはオセロをやって久路人に勝ち越されたときは悔しかった。

 

 音楽の授業の宿題でリコーダーを吹いていた時には体をくねらせて踊り、終わった後にお互いを称えあった。

 

 夏祭りの日には他の人間にバレないように鞄から頭だけ出して一緒に見回り、フランクフルトを分けて食べた。

 

 他にも他にも他にも、楽しかった思い出はいくらでもある。

 

 

 雫にとって久路人は非常に興味深い存在であるが、そんな相手が自分に好意的に接してくれるというのはとても嬉しいことだった。

 あの妖怪を退治した日の前とは、同じ遊び相手であってもその重みがまるで違ってきたのだ。

 今の雫には、久路人は興味深いだけでなく、大事な大事な遊び相手、いわば・・・

 

(友達、というやつか。うむ、よいものだ)

 

 契約を結ぶ際に、久路人が出した要求だ。

 結局、それは契約に盛り込まれなかったが、その願いは叶えられたと言っていいだろう。

 小さい子供にとっての友達というのは敷居が低いものであるが、仮に雫が普通の人間であったのであれば、周囲からも「仲のいい親友」と思われてただろう。

 

 だが、だからこそ。

 

(久路人のいない今が退屈でしょうがない。それに・・・)

 

 この感情はきっと、あのまま力を失わず、久路人に出会わなかったのならば経験することのなかったであろう感情。

 

(寂しい)

 

 ほんのわずかな間であろうと、久路人が近くにいないのを嫌だと思う。

 

 数百年を孤独に生き、その果てに力を失って周りが敵だらけだった。

 今いる家も、この部屋以外はあっという間に雫の命を奪うであろう極悪な罠が満載であり、その中にいる術具師もその護衛も契約と利用価値によって表立って敵対はしないが、警戒は緩めないある種殺伐とした関係だ。

 そんな雫の世界の中で得た唯一の友人。ただ一人、契約なんてなくても雫を傷つけず、ともに笑い、ともに過ごせる人間。彼がいるからこそ自分は今も安全に生きていける。

 

(そうか、図らずも妾は久路人に守られているのだな)

 

 契約では、自分が久路人を守るはずであった。

 だが、力が戻っていないから仕方がないとはいえ、かつての大妖怪であった自分が年端も行かない子供に守られている。

 昔の自分であったらひどくプライドを傷つけられ、久路人を殺していたかもしれない。

 事実、この家に来たばかりのころは自分を情けなく思ったこともあった。

 しかし・・・

 

(悪くない。うむ、悪くないぞ)

 

 久路人にそんなつもりは微塵もないだろうが、それは前に戯れに見たアニメにあるような、男の子の主人公と彼に守られるヒロインのようで・・・

 

(いや、それはないそれはない)

 

 頭に不意によぎった馬鹿げた妄想を頭を振って追い出す。

 いくらなんでも飛躍しすぎであろう。雫から見ても、久路人はまだまだお子様である。

 仮にそういう仲になるにしてもあと10年は・・・・

 

(・・・・・!!!!)

 

 ゴンゴンと寝そべっているちゃぶ台に頭を打ち付ける。

 

(・・・ドラマを見るのはもうやめにするか。いらん妄想に囚われすぎだ。妖怪と人間が・・・)

 

 自分の思考がおバカな方向に染められつつあるのを自覚して、改めて自戒しようと考えていた時だった。

 

「ただいまー」

 

(ぬぉう!?)

 

 自分が頭の中で考えていた少年が帰ってきて、思わずとばかりに跳びあがった。

 

「あれ、どうしたの雫。そんなに慌てて」

 

「な、なんでもないぞ、なんでもないとも。そうだ、ちょうど聞きたいことがあってな」

 

「ん? 何?」

 

 この時の雫は妖怪となってから五指に入るくらいには慌てていた。

 自分と人間の少年が・・・・などと考え、そのお相手が急に帰ってくれば無理もないことではあるが。

 だからこそ、かつての大妖怪としてのプライドが剥がれ、心の奥にあった不安を表に出す。

 

「なあ、妾に何かあったら、守ってくれるか?」

 

 ・・・・・・・

 

(な、なにを聞いとるんだ妾は~~~~!!!)

 

 本来は自分が契約で守るべき相手。しかも人外を恐れず妙な力はあるとはいえ人間の子供。

 さっきは守ってもらえているのを嬉しいとは思ったが、直接聞くつもりなどなかったのに。

 

「す、少し待・・・」

 

「守るよ。当たり前じゃん」

 

 雫が大慌てで文字盤を叩こうとすると、それを遮るように少年は言った。

 

(な、何?)

 

「雫がどう思ってるかは分らないけど、僕は君と友達になりたいと思ってる。というか、それより前にこの家に住んでる家族だもん。僕に何ができるかわかんないけど、それでも守る」

 

(久路人・・・・)

 

「そ、それは契約なんてものがなくてもか・・・?」

 

 自分の予想とは違えど、どこか心で期待していた答えが返ってきて、思わず続ける。

 

「あれ?雫が将来僕を守ってくれるっていう約束はしたけど、僕が雫を守らなきゃいけない約束なんてそもそもしてないよね?」

 

 久路人は不思議そうに答えた。

 久路人にとって、約束がなくとも雫を守るというのが当然のようだった。

 

「でも、雫が不安なら約束するよ。僕だって、君に何かあったら必ず助けるし、守るって」

 

(・・・・・!!)

 

 少年の顔にはいつものように屈託のない笑顔が浮かんでいた。

 

「そう、そうか。そうかそうか。ならば妾も約束しよう。これは契約ではなく約束だ」

 

 自分が蛇の姿でよかったと雫は思う。

 もしも人間の姿だったら、顔がどのような表情をしているのか想像もできなかった。

 

「妾は、仮に契約がなくなっても、我が友を守る。だから、妾と同じように、お前も妾を守るのだぞ。よいな!!」

 

「・・・うん!!」

 

 少年は嬉しそうに頷いた。

 

 いつの間にか、雫の中にあった退屈と寂しさは粉々に消し飛んでいた。

 

 代わりにその心を満たすのは、温かい何か。

 

 その感情が何なのか、そのときの雫にはわからなかった。

 

 だが・・・・

 

(早く、早く力を取り戻して・・・・)

 

 

 

--人間になりたい。

 

 

 

 そう、強く思うのだった。

 

 久路人が小学校2年生の夏休みが終わってすぐのことだった。

 

 

 

 これより一年後、雫は力を蓄えて蛇の姿のままではあるが、一般人からは見えなくなった。

 また、小さな穴から出てきた妖怪には危なげなく勝てるようになったため、久路人について学校にいくようになった。

 久路人はメアの指導の下生き残るためのトレーニングを続け、京からは内に眠る力の修行を付けられるようになる。

 京の涙ぐましい努力によって封印の護符も耐久性が上がり、滅多なことでは壊れなくなった。

 ただし、久路人の力が成長するのに合わせて封印の能力がやや追いつかなくなって、時折小さな穴が空くことはあったが。

 

 

 そうして月日は流れ、月宮久路人と雫が出会ってから5年が経ち、久路人は中学生になっていた。

 

 

 

-----------

 

 

 

 ねぇねぇ、こんな噂知ってる?

 

 何々?

 

 1-Aの月宮ってやつ、視えるらしいって。

 

 視えるって、何が?

 

 あ~もう、鈍いわね!! 幽霊よユーレイ!! あいつ、霊感持ってるらしいって。

 

 え~嘘だ~。

 

 それが本当なんだって。あいつと同じ小学校の友達に聞いたんだけど、あいつの周りで変な事件が何回も起きたことがあるんだって。

 

 変な事件って例えば?

 

 え? あ~、例えば、誰かの筆箱がなくなったことがあったんだって。それで、教室中を探しても見つからないの。他の友達にも探してもらったらしいんだけど、見つからなかったんだって。

 

 うんうん。それで?

 

 でね、そこに月宮が来て、筆箱の場所を教えたらしいのよ。それで本当にあったんだって。

 

 へぇ~。でもそれって月宮が隠したんじゃないの?

 

 ううん、月宮の教えた場所がね、開かずの部屋って呼ばれてる理科準備室の中だったの。窓もドアも閉まってるし、カギは理科の先生が持ってるんだけど、月宮がカギを借りに来たことなんてなかったって。

 

 うーん。それでも月宮が怪しいような・・・

 

 まあ、気持ちはわかるわ。でも、これだけじゃなくてもっと不思議な話もあるの。そういう筆箱の話とかで月宮を怪しいって思ったやつが、逆に筆箱を隠してやったことがあったんだって。

 

 うわ~ありがち。んで、どうなったの?

 

 そしたらね、隠した子の筆箱が次の日に粉々になってたんだって。

 

 え?粉々? どういう意味?

 

 文字通りの意味。ハサミとかでバラバラに切ったとかじゃなくって、かき氷みたいな感じで机の上に置いてあったんだって。どう見ても人間にできるやり方じゃないって。

 

 人間じゃないって・・・

 

 でも、ちょっと興味あるよね。私最近占いとかハマってるんだ。そういう不思議系な話好きだし。

 

 確かに。本当に霊能力者だったら話してみたいかも。あいつ、根暗っぽいけど顔とか頭悪い方じゃないし。

 

 だよねだよね。じゃあ、今度あいつの周り調べてみない?もっと面白い話見つかるかも。

 

 さんせー。

 

 

 

 

 とある中学生たちの噂話より。

 

 

-----------

 

 

(忌々しい・・・・)

 

 

 雫は不愉快な気持ちを隠さず舌打ちする。

 

 

 今日も人間の雌餓鬼どもが久路人の周りをウロチョロと嗅ぎまわっていた。

 久路人も気づいているのか、最近癖になったように眉間にしわを寄せてため息をつき、持っていた本に再度目を落とす。

 

(物の価値もろくにわからん愚か者どもが!!!)

 

 最近こんなことばかりが続き不快感が募っていた雫は、氷柱をぶつけてやろうと霊力をわずかに上げ・・・

 

「やめろ、雫」

 

 久路人が小声で制止した。

 ピタリと雫は動きを止める。そして、久路人の持つ携帯の画面をタップする。

 ちなみに、今の雫はヘビの幼体程度の大きさのまま久路人の首に巻き付いている。

 

「なぜ止める」

 

「お前がまた妙なことをしでかしたら益々噂が増えるだけだよ。放っておけばいいさ」

 

(ぬぅ・・・)

 

 雫は忸怩たる想いで再び久路人に巻き付く。

 それを尻目に、久路人は読書を再開した。

 

 こうして、その日も事務的な連絡以外では一切喋らず、久路人と雫は家路についた。

 

 これが今の、白蛇と少年の日常だった。

 

 

-----------

 

 

 いつの頃からか、久路人が笑わなくなった。

 

 

 それは久路人がそこいらの低級妖怪に隠された筆箱の場所を教えたやった後だったかもしれないし、そんな久路人にちょっかいをかけたガキに雫が軽い仕返しをした後だったかもしれない。あるいはもっと前からだったのかもしれない。

 

(まあ、予想できていた未来ではあるが)

 

 雫は久路人のことを想いながらも、内心ため息をつく。

 

 小学校のころは久路人の力もまだ成長途上で護符で抑え込めたし、京は久路人に対して異能の力がかかわることや人ならざるモノに人前で関わらないことを徹底させていた。

 久路人は幼いころから聞き分けもよく、ルールを守ることを大事なことだと認識していたために京の言うボロを出さずに過ごせてはいたのだが、それでも完ぺきではなかった。

 久路人が来る前よりこの土地は穴が空きやすい霊地であり、どうしても妖怪との関りを避けられない時もあったのだ。久路人もそうだが、子供というのは大人に比べて本能が鋭いものだ。そういったわずかな綻びから久路人の異質さを感じ取り、段々と久路人は孤立していった。

 孤立すれば、笑顔になって話す相手もいなくなり、そこから笑顔も減っていった。

 久路人はある側面ではイカれているが、人の心がないわけではなく、むしろ平和的で優しい部類だ。

 だからこそ、自分が遠巻きにされていることに傷つかないわけではなかった。

 そして少しずつ少しずつ、月宮久路人という少年は冷めていった。

 

 不幸中の幸いは、久路人は異質ではあるが、人間のルールや常識というものをよく理解していたことだろう。だからこそ、自分が孤立する理由も理解して分をわきまえていたし、久路人に対してイジメのようなところまでいかなかった。

 まあ、イジメなど起きていようものなら久路人に止められても雫によって溺死体がいくらか増えていただろうが。

 ともかく、久路人は周囲から孤立していたが、そのことを受け止め、波風立てないように振る舞うことに徹してきた。周りもそんな久路人に積極的に関わろうとはせず、久路人は静かに過ごしていたのだ。

 

(しかし、最近は・・・・)

 

 だが、中学に上がって、少し状況が変わった。

 

 他の小学校を卒業した子供と混ざり、それまでに暗黙のうちに築かれていた「月宮久路人に関わらない」というルールを知らない者たちが増えたのだ。

 中学生の頃というのは小学校を卒業して広がった世界に興味津々な年ごろであり、好奇心旺盛な時期でもある。特に女子は、「○○のおまじない」だの「△△の噂」だのといったオカルト関係の話は垂涎の的だろう。

 タチの悪いことに久路人は正真正銘の霊能者であり、噂に信ぴょう性があるのも拍車をかけていた。

 

(そのせいで鬱陶しい連中が増え、久路人の笑顔が減るのだ!!)

 

 遠巻きにされることに関しては久路人もしょうがないと自覚しているためか、あるいは慣れたのか小学校5年のあたりからは気にしなくなっていた。あのころの久路人は学校では寡黙だったが、家で前のように雫と遊んだりゲームをしたりしている時は笑顔を見せていたのだ。

 久路人が孤立することだけならば、雫もとやかく言わない。むしろ、久路人には言えないが歓迎していると言ってもいいだろう。久路人の本質からして人間社会に適応するのは不可能である以上、関りを断った方がお互いのためになるし、なにより・・・

 

(あの頃は、妾が久路人を独り占めできていた)

 

 久路人に関わろうとするものはおらず、話し相手は自分だけ。

 家でも自分のことだけを見て遊んでいてくれた。

 

 だが、今のように自分の周りを嗅ぎまわられたり、噂を大々的にされるような状況には久路人も辟易していた。

 家でも億劫そうな顔をするようになり、宿題をやったら雫と話すことなく早々に寝てしまうことが増えた。

 それは久路人が子供から大人になろうとしている最中だからというのもあるだろう。

 しかし、間違いなくその一因には周囲の鬱陶しい連中も入ってる。

 

(全くもって忌々しい・・・せめて妾が人化の術が使えれば今よりも庇いやすくなるだろうに)

 

 今の雫は5年に渡って久路人の血を摂取したこともあり、全盛期の力をほとんど取り戻していた。

 今でこそ久路人の首に巻き付いているサイズであるが、本来はニシキヘビの成体を優に超える大蛇である。サイズを小さくできるのは人化の術の練習で身に着けたもので便利ではあるのだが、肝心の人化は全く進んでいなかった。

 

 京いわく、「元々お前の適性が低い上に、具体的なイメージができてねぇ」だそうだ。

 そもそも人化の術とは、妖怪が人間の姿になるために作った術ではあるが、ただ化けるだけの狐などが行う変化とはまるで違うものだ。この場合の人間の姿というのは幻ではなく実体であり、任意で術を解かない限り効果が永続する。そして、並の人間よりかははるかに頑丈ではあれど、人化の術が使えるほどの妖怪からすれば大きく耐久性が落ちる。

 なぜ人間の姿になる必要があったのかと言えば、霊力の扱いそのものは人間の方が器用だからだ。人間は耐久こそ脆いモノの繊細な霊力の扱いや術具による補助によって精密な術式を扱うことができる。これに人間特有の数を合わせて少ない霊力を補い人外と渡り合ってきたのだ。

 要は、何らかの理由で極めて複雑な術を使いたい妖怪が行う術であり、そんな理由を持っている時点で他の妖怪に比べて物理的な力はないが、ある程度霊力の扱いがうまいというのがほとんどである。

 翻って雫は、元は大蛇であり、吹雪や鉄砲水など大味な術ばかり使ってきたために霊力の扱いはどちらかと言えば不器用である。

 霊力の扱いについてはこの5年で修行するうちにそれなりにはなってきたが、京が言うには人化のように姿を変える術は変身後のイメージや、人の姿で何をなしたいかといった願いが重要であり、雫はそのイメージがうまくできていないのだった。

 

(人の姿で久路人と話せるのならば、中途半端な姿にはなれぬ)

 

 自分の大切な「友人」であり、守りあう約束をした間柄なのだ。

 せっかくならば久路人好みの外見になりたいというのはいたって当然の帰結だろう。

 以前に久路人に好みを聞いてみたことがあるのだが・・・・

 

「好み?・・・・・よくわかんないな。僕にそんな人ができるとも思えないし」

 

 と要領を得ない虚しい答えしか返ってこなかった。

 

 久路人が他の人間の雌相手に懸想をしていないというのは、「恋愛が友情を破壊する」とよく言うように雫にとっては喜ばしいことだったが、そのおかげで具体的な目標が定まらないのである。

 

(まったく、本当にままならぬものだ)

 

 雫は久路人に巻き付きながら、内心で再びため息をつくのだった。

 

-----------

 

 

 こうして、一人と一匹の日常は過ぎていく。

 

 久路人は周りの鬱陶しい視線と噂に辟易しながらも、そのうち収まるだろうとどこか楽観的あるいは達観的に。

 雫は、「自分の気に入った少年」に気安く人間の雌が近づいてくるということに鬱憤という燃料を溜めながら。

 

 少しずつ少しずつ、あらゆるものが進んでいく。

 

 




本当はもっとコンパクトにまとめる予定だったのですが、5000字を超えたあたりからあきらめました。

次回、雫覚醒。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚5

先週の月曜日、ランキングやら評価バーやらをみてその日中ニヤニヤが止まりませんでしたよ、ええ。

一時は総合で10位代行くとかマジで信じられませんわ・・・

感想、評価をしてくださった方々、全員はとてもここに書ききれない(そんなにたくあんの人が評価してくれたのがめっちゃ嬉しい!!!!)のですが、本当に、本当にありがとうございました!!!!

そして、大変申し訳ないのですが、雫を今回でヤンデレ覚醒させることができませんでした!!!
よりにもよって今週が残業続きで時間が取れず、今日の昼から書いていたのですが、1万5千字行きそうだったので分割して投稿します。
お詫びと言っては何ですが、今日の深夜、最低でも明日中に次話を投稿します。


「ぬぅぅううううううう!!!」

 

 土地の余りがちな田舎特有の、無駄に広い庭で一匹の白蛇がうなり声を上げていた。

 

「ぬぬぬぬうううううぅぅぅぅ!!!」

 

 もっとも、蛇に発声器官はないためその声は心の中だけで出していたが。

 最近では、久路人がトレーニングや異能の修行でヘトヘトになった後を狙って、庭で人化の術の練習をしているのだが、一向に成功する様子がない。

 

「ぬぅ、何が足りんというのだ」

 

 雫はひとしきり唸った後に独りごちた。

 心の中で愚痴を垂れるが、その答えは分ってはいる。

 

「思い描く人の姿、もしくは願い・・・だが、願いはこれ以上ないはず」

 

 人化の術に必要な物は具体的なイメージか人の姿で何をなしたいかという確固たる願いだ。

 久路人の好みがわからないので姿のイメージはできていないが、願いだけは分りきっているはずなのに。

 

「友として、久路人を庇い、守る。相手が妖怪であろうが、人であろうが」

 

 それが自分が人の姿で願うこと。

 妖怪が相手ならば今の姿で問題ないが、人が相手ならばちゃんとした言葉を話せるようにならなければならない。大切な友人を守るための手段として、人化の術が必要なのは間違いないはずなのだ。

 

「なんだ、なにが足りていない?」

 

 数多くのドラマで美人と言われる女優を見てきた雫ならば容姿の整った人間の女性を思い描くことはできるため、具体性には欠けるが全く人間の姿の自分を想像できないわけではない。

 イメージ不足は願いの強さで補うことができる。そして自分の「友を守りたい」という願いは間違いなく心の底から来るもののはずであって・・・・

 

(なぜだ? なぜ「嫌だ」と思った?)

 

 まただ。また自分は自分の願いに疑問を持った。

 

「妾が人化の術に取り組んできたのはおよそ4年。いかに適正が低いとはいえ妾の格ならばとっくにできているはずなのだ」

 

 だが、それでも人の姿になるに至っていない。

 人化の術を使おうと己の願いを強く思う度に、「これではない!!」と心が叫ぶのだ。

 

(まさか、妾は・・・妾は、久路人を疎ましく思っているのか?守りたくないと思っているとでもいうのか?)

 

「そんなはずがあるわけなかろうがぁああああああああああ!!!!!!!」

 

 自分の中に汚泥の中から沸く泡のように浮き出た疑問を吹き飛ばすように強く念じる。

 

 そうだ、それだけはあり得ない。

 もしも違うのならばいつも久路人を見ていて思うこの気持ちは何だというのか?

 

 

 喜んでいる久路人を見ると自分も嬉しくなる。

 

 ほとんど見たことがないが、怒っている久路人を見た時は恐れると同時に、怒らせた原因に苛立ちを抱いた。

 

 怯えていたり、悲しんでいたら全力で傍について慰めたくなる。

 

 一緒に遊んでいる時に笑いかけられると、思わず自分も笑ってしまう。

 

 願わくばいつまでも傍にいたい。

 

 そして・・・・・

 

(あの人間の雌どもがうろついてる時は、頭をかち割ってやりたいぐらい憎らしい!!)

 

 そこは自分の、自分だけの場所だ!!

 

 久路人のことを何も知らず、噂につられて物見遊山で来た程度の連中ごときが近づいていい場所では断じてない!!

 

 あまつさえ、久路人の笑顔を削るように追い詰めるなど、百度殺してもなお足りぬ!!

 

 ああ、足りない。それだけでは満たされない。

 

 妾も、いや、「私」もあの人間どものように・・・・・

 

 

 まるで心の中にある火山が噴火を起こしたかのように湧き上がる熱い何か。

 この感情が偽りであるならば、自分はこの世の何も信じることはできない。

 ならば、ならば・・・・

 

「一体何が足りないというのだ!!!!」

 

「まず足りないのは、夜間に野外で大声を出さないようにするお淑やかさでは?」

 

「ぬぉう!?」

 

 完全に不意打ちだった。

 返事など返ってくるわけもないと思っていた雫はまたまた大声で驚く。

 振り向くと、そこにはいつの間にか紫がかったポニーテールの女中が立っていた。

 雫と目が合うと、嫌みなほどに美しい姿勢で会釈をする。

 

「お食事に来られないのでお迎えに上がりました」

 

「・・・久路人はどうした?」

 

 自分を結界の貼ってある屋敷の中を通って食卓まで運ぶのはいつも久路人の仕事だった。

 そのつもりがあるかは知らないが、その役目を奪おうとするメアに苛立たし気に問う。

 

「本日はもうお休みなっておられます。今日の訓練でもどこか精彩を欠く動きでした。疲労がたまっているのでしょう」

 

 何の気負いもなくそう言ってのけるメアに、さらにいら立ちが募る。

 

「それを知っていながら、お前は何とも思わんのか?」

 

「私の役目は主とこの屋敷、そして久路人様の護衛ですが、久路人様の優先順位は3番目でございます。なにより、久路人様の護衛はすでにあなたがどうにかすることでは?」

 

「妾は妖怪だ。人の世について学びはしたが、この姿ではできることにも限度がある」

 

「久路人様の件について、我が主は静観する姿勢を見せております。ならば私も従うのみ。それに、人の噂も七十五日。放っておけば周囲も飽きるでしょう。いちいち対応していては優先順位1位と2位の警護に差し支えがありますので」

 

「・・・貴様、今日はずいぶんと作り物のお人形らしいではないか」

 

 淡々と言葉を重ねるメアはまさしく人形のようだった。普段久路人や京を交えて話す時とは、まるで異なる。その口調は、護衛順位3位だと抜かしているのとは対照的に、久路人のことなど大して気にもかけていないようであった。

 

「久路人様にはなるべく愛想よく接しろと命令されておりますが、あなたの扱いについては特に指定されておりませんので」

 

(ああ、癪に障る・・・)

 

 仮にも同じ家に住む久路人に対する関心の薄さに苛立つ。

 ここ最近の人間どもや人化の術がうまくいかないストレスが、雫に思念の口を開かせた。

 

「はっ。それはそれは大した忠臣ぶりだな。所詮は作り物のからくりに、慈愛の心を期待した妾が馬鹿だった。お人形が忠誠を捧げるのは、そうなるようにお前に仕込んだご主人様にだけ・・・っ!?」

 

 刹那、雫はその場を飛びのいた。

 ほんのつい先ほどまで雫がいた場所に、銀色に輝くワイヤーが伸びて、地面に突き刺さっていた。

 

「そちらこそ、今日はずいぶんと饒舌ですね。自分だけの心があるのに自分のことにも気づけない度し難い間抜けのくせに」

 

「貴様・・・」

 

 雫の視線の先にいる人形の眼には、さきほどまでの様子が嘘のように「本物」の怒りが滲んでいた。

 しばらく蛇と人形はにらみ合っていたが、やがてため息をつくと、メアはワイヤーを己の指に格納する。

 

「お前は、ワタシと京の事情を知らない。故に今回のことは聞き逃しましょう。ですが・・・・」

 

「・・・・」

 

 ビィィンと一瞬でメアの爪が伸び、雫の眼前で止まる。

 

「次はない。蛇風情がワタシの主を賢しらに愚弄するんじゃない」

 

 そう言うと、メアは踵を返した。

 

「少々お待ちを、今から久路人様を起こしてお迎えに上がらせますので」

 

「待て」

 

「・・・まだ何か?」

 

 立ち去ろうとするメアを、雫は呼び止めた。

 無表情で、しかしなぜか、恐ろしく苛立っていることが分かる顔で、メアが振り向いた。

 

「・・・・・」

 

 先ほどのやり取りと、これまでに見たこともないメアの様子を見て、雫の苛立ちは消えて冷静さが戻っていた。

 そして、冷静になった自分の中が告げるのだ。「こいつは自分の知りたい答えを知っている」と。

 

「まずは謝罪しよう。ここ最近のことで、頭に血が上がっていた。お前と、お前の主を侮辱したことを謝る」

 

「・・・・・」

 

 どこか不機嫌そうだったメアの雰囲気がやわらぎ、代わりに怪訝そうな視線が雫に向けられる。

 

「そして、恥を忍んで聞きたいことがある。お前は「自分のことも分かっていない間抜け」と言ったな? 教えてくれ、妾は何に気づいていないのだ?」

 

「頼む」と蛇の姿ではあるが、頭を下げて雫は頼み込んだ。

 そんな雫の様子を見てメアは・・・・・

 

「はぁ~~、あほくさ」

 

 額に手をやり、クソでかいため息をつきながらそう言ってのけた。

 

「なぁ!? 貴様、妾がどんな気持ちで・・・!!!」

 

「ああ、失礼。あなたにだけではありませんよ。先ほどまで威嚇までした私自身も含めて阿呆らしいと言ったのです。まさかこんな漫画にありそうなテンプレな悩みを抱えてテンプレな展開になっているとは。まったく、二次元と三次元を混同するなという話です・・・・」

 

 そう言うメアはついさっきまでの苛立ちが嘘のように、人形とは思えないほど気の抜けた表情だった。

 そんな表情に、雫も毒気が抜かれる。

 

「よくわからんが、まあいい。して、てんぷれな悩みとは何だ?」

 

「貴方、一応アニメとかもよく見てましたよね? そういった作品によく登場するような状況という意味ですが・・・・答えは教えません」

 

「なっ!? 貴様、ここまで引っ張っておいて・・・」

 

「はいはい、二度目の似たような反応ご馳走様です。何も意地悪で言っているんじゃなくて、こういう悩みは貴方自身で気づかないと意味がないんですよ」

 

「妾が自分で気づかないと、意味がない?」

 

「はい。仮にここで私が教えたら、貴方はきっと後々になって後悔するでしょうね・・・・ですが、まあ、ヒントくらいならいいでしょう」

 

「ヒントだと?」

 

「ええ、ヒントです。ヒントだけですが、ほぼ答えと言ってもいいかもしれませんね」

 

 そこでメアは気の抜けた表情を消して、真剣に雫と向き合った。

 雫も、そんなメアと目を合わせると、メアは口を開いた。

 

 

 

「貴方は久路人様とこの先ずっと「友達」で止まって満足できるのですか?」

 

 

 

「・・・・・!!!」

 

 さぁっと一陣の風が吹いた。その風にあおられるように、雫も答えを返そうとする。

 

「何を言うかと思えば、そんなもの、答えは決まって、決まって・・・・・」

 

 何をわかりきったことを、と返そうとするも、雫は答えに詰まった。

 メアの問いに対して、スッと心に浮かんだ答え。

 それをストンと雫の心の中に嵌ったが、口に出すことはできなかった。

 それを口に出してしまったら、今まで続いてきたものがすべて壊れてしまいそうな気がして。

 

「おい、待て。まさか、それは・・・・」

 

「さて、その答えについて考えるのは貴方自身です。貴方も、これ以上私に口を出されたくはないでしょう?」

 

「では」と言って、今度こそその場を立ち去ろうとするが・・・

 

「待て」

 

 再度、雫は呼び止めた。

 

「何ですか? 天丼ですか? 芸能人でも目指すならあなたの沸点の低さを鑑みるにやめておいた方がよいかと」

 

「沸点が低いは余計だ!! お前は、久路人を起こしに行くつもりだろう?そんなことをしたら久路人が可哀そうだろうが。お前が妾を食卓に連れていけ。妾は腹が減った」

 

「私でよろしければ」

 

 立ち去ろうとしたメアは、雫の前でかがんで腕を差し出す。

 雫は差し出された腕に巻き付いた。

 

「ふん、久路人の体の心地よさとは雲泥の差だな」

 

「貴方、自分がとてつもなく変態的なことを言っているという自覚はありますか?」

 

 一匹と一体は歩き出した。

 

「なあ、もう一つ聞きたいことがあるのだが、よいか?」

 

「先ほどの答え以外で私に答えられることでしたら」

 

 そのように話す雫とメアの間の空気には、先ほどまでの重苦しさはなかった。

 

「お前、普段の口調は散々だが、京のことが好きだろう?」

 

 それは、雫からの意趣返しだ。

 自分の中をひっくり返すようなことをしてくれたお返しだ。

 

「ええ、好きですよ」

 

 しかし、その答えは至極あっさりと返ってきた。

 

「・・・ずいぶんとはっきり言うではないか。その割に、ひどくこき下ろしているように思えるが」

 

「私にも色々と事情があるのです。それは、あなたの事情が解決した後に気が向いたら教えて差し上げますよ。ただ確かなのは私が京を愛しているということ。ただし・・・・」

 

 

 それが(わたくし)のものなのか、あるいはワタシのものに由来するのかはわかりませんが。

 

「・・・・・・」

 

 それきり、一匹と一体は黙って無駄に広い敷地を歩き、家の入口の近くまで来た。

 

「なあ、最後にもう一ついいか?」

 

「いいですよ。でも、これから先私は貴方のことを「一生のお願い(キラッ)」を連発するタイプと認識しますね」

 

「お前、無駄にかわい子ぶるのが上手いな・・・・まあいい、今度のはなんてことのない話だ」

 

 雫はそのまま語り続ける。

 

「今日の献立はなんだ?」

 

「本日の夕食はサイコロステーキでございます」

 

「そうか、それは早く食いに行かなくてはな」

 

「ええ、誰かさんのせいでそこそこ時間が経っておりますので、少々急ぎましょうか」

 

「ぬぉう!? お前、室内を走るなぁ!?」

 

 

 

 こうして、一匹と一体の夜は過ぎていく。

 

 蛇の心の中に、大きな変化を巻き起こしながら。

 だが、蛇はまだそれに気づかない。気づいてはいけないと思っている。

 気づいてしまったら、自分も、久路人すらも変えてしまいそうな気がするから。

 

 

 

 

 

 なお、この日より、蛇と人形はそこそこ和やかに話すようになった。

 夜な夜なメアの私室でメア秘蔵のコレクションの論評が行われるようになるが、それはまた別の話である。

 

 

 




書いてたら、脳内でめっちゃメアさんが暴れたせいで5千字越えちゃった・・・
つまり、メアさんが悪いのであって、僕は悪くない!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚6 白蛇の化身が彼と出会った日

なんとか書ききったけど、文字数多すぎや・・・・
めっちゃ眠いんで誤字脱字は許してください・・・・

これで、前日譚の半分は終わりです。
最初は短編一話の世界観を書きたいだけと思ってたんですが、ずいぶんと長くなってしまった。

後、最初の短編とこれからの話にズレが出そうなので、古い方は修正書けるかもしれません。そのときは報告します。
もう、ジャンプの読み切りと連載版みたいなもんだと思ってお目こぼしください・・

後、今回の話を書いていて、ヘイト描写をうまく書ける作者さんはすごいなって思います。
もっとそういう描写をうまく書けるようになりたいです。

追記:今回は深夜に書いたせいか色々粗いのでちょくちょく修正しております(11/1 17:30)


ねぇねぇ、聞いた?

 

あ、もしかして池目君のこと?

 

そうそう!! 最近池目君の物がよくなくなってるらしいの。シャーペンとか消しゴムとか。

 

誰が取ってるんだろうね~池目君、カッコいいし、ストーカーでもいるのかな? いたらキモイな~。

 

あ~それなんだけどね・・・・

 

ん?何か知ってるの?

 

あくまで噂なんだけどさ、月宮がやったって噂あるんだよね。

 

マジ~!? あいつホモかよぉ!?

 

いや、そこまでは知らないけどさ。あいつ、小学校のときも似たようなことやってるらしいのよ。

 

あ、その噂は知ってる。月宮が女子の筆箱盗んでバラバラにしたってやつでしょ。

 

その話、結構有名だよね。でも、今回のは一味違うのよ。月宮がやったって言ってる人がいるの。

 

誰々? 池目君?

 

ううん。男子は誰もそんなことは言ってないのよ。あいつ、普段は波風立てないようにしてるから男子内では地味なヤツとしか思われてないっぽいし。人畜無害系って評判らしいわ。

 

噂を知らなければ月宮はそんな感じにも見えるけど・・・・。じゃあ誰?

 

1-Aの窓奈さん。

 

あの子か~。あの子が言ってると本当かどうかはわかんないけど、逆らいにくいよね。

 

そうね~。可愛いけど、前に池目君狙ってるって話もあったし、もしかしたら月宮に押し付けてるって線もあるよね。

 

あ、でも私月宮が怪しいって噂は聞いたことある。

 

え?私が言ったやつ?

 

違う違うそういう噂じゃなくてさ。最近あいつの周りを調べてた子が言ってたんだけど、あいつの周り、なんか変なんだって。

 

変? 変って何が?

 

月宮の近くにいるとさ、急に冬みたいに寒くなることがあるんだって。

 

冬って、今もう5月じゃん。

 

そうなんだけどさ、それでもものすごい寒い時があるらしいのよ。他にも、あいつの近くでいきなり物が動いたり、濡れている時もあるんだって。

 

うわ~、マジの怪奇現象ってヤツ?

 

そんな感じだよね~

 

でも、そういう話聞くと池目君のこともなんかあったんじゃないかって思っちゃうな。

 

マジで月宮のせいだったり?

 

それか、月宮の近くにいるユーレイとか?

 

なんか、こういう噂があると結構怖いよね・・・・

 

うん。でもさ、なんかワクワクしない?

 

わかる!!ちょっと面白そうだよね!!

 

それじゃ、もうちょっとこの話いろんな子に聞いてみようよ。

 

じゃあ、私お菓子買って来るね。知り合いの家で集まろ?

 

うん。

 

 

 

 

とある中学生女子の噂より・続

 

 

-----------

 

「はぁ~、失敗したな」

 

 夕陽が差し込む中、僕は思わず口に出して愚痴を言った。

 

「まさか、あの小さいのが持っていたのが池目君の私物いれだったとは・・・」

 

 ここ最近、自分のことで妙な噂が流れているのは知っていた。いい加減うんざりするが、噂なんてそのうち止むだろうと思っていたが、今回のは少し質が悪い。

 自分にはホモ趣味はないし、なにより人の物を勝手に取るなんてのは良くないことだというのは子供でも知っている。僕が何の理由もなしにそんなルール違反をすると思われているのなら、少し心外である。

 

「久路人よ。あの袋を持ち出したのはそこらにいた小物だが、その池目とかいうやつの私物を集めたのは恐らくあの女だぞ」

 

 そこで、雫が携帯を弄って文字を打ってくる。

 どうでもいいが、雫が首に巻き付いていると今の時期はちょっとひんやりして気持ちいい。

 

「僕もそこは怪しいと思うけど、証拠はないよ。それに他のみんなからすれば、「たまたま窓奈さんの机の近くに落ちていた私物入れを拾ったら池目君のだったけど、僕は取ってません。窓奈さんが犯人です」なんて僕が言っても信じてくれないよ」

「だが、だからと言って久路人がその窓なんとかいう女の呼び出しに答える必要はないだろう!!」

「こういうのって、無視すると余計に面倒なことになるんだよ。先生に言っても完璧に対応できるとはちょっと思えないし」

 

 さて、今の状況を整理しよう。

 まず、最近の噂にうんざりしつつ、放課後に眠りが浅いせいでうつらうつらしていた僕は、なにやらデフォルメされた小人みたいなモノがクラスでも可愛いと評判の窓奈さんの机の中から何かを運び出しているのを見つけたのだ。

 小学校の頃は妙な場所に隠された後に場所を教えたせいで面倒なことになったので、どこかに隠される前に抑えてしまおうと思い、その布袋を手に取った。

 だが、その小人がしがみついたせいで、袋が破れてしまったのだ。

 そこに窓奈さんが部活から帰ってきて目撃されたという流れだ。

 窓奈さんはそれはもうすごい剣幕で僕を怒鳴りつけ、「1時間後に裏庭に来い!!」と言い残してこちらの返事も聞かずに走り去ってしまった。

 ここで呼び出しに答えなかった場合、クラスカーストトップの彼女にあることないこと言われたらかなり面倒なことになるだろう。少なくとも、妖怪の見えない窓奈さんから見れば僕が彼女の持ち物を壊したのは事実なのだ。それを言われるだけでもこれからの学校生活が過ごしにくくなるのは間違いない。

 

「久路人、初めに言っておくが、もしもあの女が久路人に手を上げるようなら・・・・」

「ダメダメ。それこそもっと面倒なことになるって。心配しなくても大丈夫だよ。女子中学生なんて、こっちの話を聞かないで襲ってくる妖怪に比べたら楽なもんだよ」

「しかし・・・・」

 

 雫はなおも渋っているようだが、先ほどのセリフは僕の本心である。

 

 ここ数年、たびたび妖怪に襲われることがあったが、こちらが警告をしても構わずに向かってきて、雫によって氷漬けにされたり全身を水で破裂させられたりしてきたのだ。

 おじさんとの修行もあって、僕も「術」と呼べるものが使えるようにはなっているし、何よりも雫がいるから安全ではあるが、妖怪はルールを破ってこちらの命を狙ってくるのだ。

 それに比べれば単なる女子中学生のやることなどたかが知れている。

 

「窓奈さんが盗んだ証拠でもあれば話は別なんだけど、そうじゃないなら僕が何を言ってもそれは真実じゃない。それじゃダメだよ」

「証拠とは言うが、京ならば・・・」

「こんな下らないことで異能の力をおじさんに使わせちゃダメでしょ」

 

 暗黙の了解ではあるが、異能者の中にも一応のルールはあり、その中で、一般人にはやむを得ない場合を除いて異能の力を使わないというものがある。

 大昔に魔法使いが貼った結界の保持が根幹にあるらしいが、こんなことでそんなルールを破らせるのは申し訳ない。

 

「まあ、僕もこういう時に備えてボイスレコーダーは誕生日プレゼントに買ってもらってあるから、不当になにかされるならそれでなんとかするよ」

 

 僕は常識とかマナーとかルールとか、そういった「もめ事なく平和に過ごすための規則」というものは絶対に守られるべきだと思っている。

 逆に言うと、そういった規則を破って危害を与えてくる連中に容赦をしてやるつもりはない。同レベルの反撃でしっかり痛み返しをしてやる。

 

「誕生日プレゼントにボイスレコーダーをねだる子供とは・・・・」

「ちゃんと欲しかったゲームも買ってもらったよ。なぜか剣版だけじゃなくて盾版ももらっちゃったけど」

「むう、そのゲームは妾には操作できん・・・」

「そうは言っても、僕がプレイしてたら雫も楽しそうにあれこれ言ってくるじゃない」

「楽しそうだからプレイできないのが嫌なのだ!!」

 

 そんな風にこれから先の憂鬱なことを考えないように話しながら歩いていた時だ。

 

 

「む!!」

「あれ?」

 

 

 急に、空気が冷え込んだ。

 

 

「これは・・・・どこかで穴が?」

 

 最近は、僕の力の増大が著しいらしく、度々穴が空くことがあった。ただ、そういう場合でも僕の近くに空くのが普通なのだが・・・・

 

「少し遠いみたいだね」

「もしかすると、久路人が原因ではないのかもしれんな」

 

 しかし、そうなると面倒だ。

 近くで穴が空いたのならばすぐに向かって、おじさんかメアさんが来るまで待っていることもできるのだが。

 

「雫、悪いんだけどちょっと見てきてくれない? 家よりもここからの方が近いみたいだし、穴から妖怪が散らばってきたら遠くに行く前に倒しておきたいし」

「なっ!? 妾に久路人の傍を離れろと言うのか!? 嫌だ!!断じて認めぬ!!」

「でも、今からの呼び出しをサボっても面倒だし、たくさん妖怪に出てこられるのも嫌だよ。今のところ大した気配はしないから、出てくる前に何とかしておいた方がいいよね。それに、僕だって自衛位はできるし」

「だが・・・・」

「頼むよ。この通り!!」

 

 僕は首から離れ、宙に浮く雫に頭を下げた。

 

「ぬぅぅ・・・・」

「帰ったら、久しぶりに雫の好きな遊びに付き合うからさ」

 

 僕は続けて畳みかける。まあ、これは最近のストレスを発散したいという僕の欲求もあるが。

 

「・・・・わかった。ただし、京かメアが穴を塞いだら、出てきた連中の狩りはやつらに任せてすぐに戻って来るからな」

「それで大丈夫だよ」

「では、気を付けるのだぞ」

 

 そう言うと、雫はすごいスピードで窓をすり抜けて飛んで行った。

 

「ある意味ラッキーだったかな」

 

 僕は雫を見送ると、安どしたように息をついた。

 雫に言ってもらったのは、穴のこともあるが、これからのことを雫に見られたくないというのもあったからだ。

 

「雫が暴走したら大変なことになりそうだし、それに・・・・」

 

 僕も男だ。

 雫の前で女子になじられるようなところは見せたくなかった。

 

 

-----------

 

「人の持ち物漁って破くとかさ、アンタ自分がキモイと思わないの? しかも、関係ない池目君の物まで取るなんてマジで最低なんだけど」

 

 久路人が通う中学校の周りは少し小高い丘の上にあり、裏庭は校舎側を除いて林に囲まれており、人気が少ないところだった。

 そのため、人に見られたくないようなことを行う時にひっそりと使われることがあるという噂だ。

 まさしく、今がその状況だろう。

 

「信じてもらえるとは思わないけど、池目君の持ち物については僕じゃ・・・」

「お前に聞いてない!!」

 

 久路人が裏庭に着いたとき、そこには窓奈以外にも、彼女の取り巻きが数人いた。

 久路人が裏庭の中ほどまで歩いてくると、久路人を取り囲むように移動する。

 

「今マナちゃんが話してんだろ!!」

「お前は黙って聞いとけよ陰キャ!!」

「・・・・」

 

 久路人は内心で「ギャーギャーうるさいなぁ」と思いつつも顔に出さずに押し黙った。

 ちなみに、マナちゃんとは窓奈の愛称だ。

 

「んで、月宮はどうやって私らに謝るつもりなわけ?」

「どうやって?」

 

 ひとしきり騒いだ後、窓奈はニヤニヤと笑みを浮かべながら久路人に聞いた。

 

「はぁ~?アンタマジで馬鹿なの? 私の持ち物壊したことと、池目君のことがあるじゃん。どうやって償う気なのって聞いてんの!!」

「それは、その、すみませんでした。袋については弁償します」

 

 久路人はそこで頭を下げて謝った。

 久路人にとって、袋を破いたことは自分がやったようなものであり、謝って弁償することは筋だろうと思ったからである。

 

「それで謝ってるつもりなわけ?」

「土下座しろよ、土下座!!」

 

 だが、久路人の謝罪は伝わらなかったようだ。

 相手はクラスでも目立たない男子一人。それに対してこちらはクラスでも上位の女子をリーダーに据えた集団。

 明確な力関係があることが、彼女たちに優越感を与えていた。

 

「・・・・・」

 

 久路人は少しの間考えた。

 彼女らの言うことを聞いて土下座することのメリットとデメリットを。

 ここで調子に乗らせれば、ボロを出すかもしれない。だが、あまり恥をさらすようなことをしては面倒だ。さて、どうしようと考えていた時だった。

 

「いいから土下座しろって言ってんだよ!!」

 

 久路人の後ろにいた取り巻きの一人が、久路人の足を蹴りつけようとしてきた。

 

「・・・!!」

 

 後ろにいることには気づいていたし、蹴りを食らわせようとしてきたことも察知できた。

 しかし、普段のメアとの組手の癖で、反射的に反撃しそうになり・・・・

 

「くぅっ!!」

 

 結果、反撃を出そうとした自分の動きを止めた久路人は蹴りをまともに食らい、地面に転がった。

 

「アッハハハハハハ!!! ダッセェ~!!」

「女子に蹴られて転ぶとか、雑魚すぎだろコイツ!!」

 

 癇に障る笑い声がこだまする。

 時刻がもう遅いせいもあって、その声に気付く者もいないようだった。

 

「ほら、寝っ転がってないでサッサと土下座しろよ」

 

 パシャパシャとシャッター音が鳴る。

 見れば、全員が携帯で転んだ久路人を撮っていた。

 

 目立たない、弱い、勝手に荷物を漁るようなキモイやつ、クラスの力関係もわきまえずに盾突くようなムカつくやつ。

 

 この場において、久路人は「悪」であり、彼女たちは「正義」であった。

 仮にこの中の誰かが久路人を庇おうものなら、その者も同じような目にあったに違いないが、当然のごとくそうしようとするものはいなかった。

 

「黙ってないでなんか反応しろよ!!」

「っ!?」

 

 ここに来るまでに買っていたのだろうか。

 清涼飲料水のペットボトルの中身がぶちまけられた。

 久路人の服に付いていた砂にかかり、泥になってシャツにしみ込んでいく。

 だが、久路人はやり返せなかった。自分は今までメアとしか組手をしておらず、正確な手加減ができるかわからない。何より、反撃するところを撮られでもしたら言い訳もできない。

 胸ポケットに仕込んだレコーダーのスイッチは付いている。後はこのままこの品性の汚い連中のセリフを録音してやればいい。

 久路人はそう考えた。

 

「いや、ここまで何もないともう笑えるの通り越してキモイよね」

「うんうん。本当にこんなダサい男子って現実にいたんだね~」

 

 人間の中には、自分たちが「正義」であり、「悪」からの反撃が来ない場合、どこまでも残酷になれる人種がいる。不運なことに、彼女らはそういう人種だったようだ。

 

「そもそもさあ、マナちゃんの荷物漁ってたところからして鳥肌立つんだけど」

「こいつ、マナちゃんのことが好きなんじゃないの?」

「うわっ!? 止めてって、本当に気持ち悪いから!!キモイじゃなくて気持ち悪い!!」

 

 久路人を取り囲んで女子たちは笑う、嗤う、哂う。

 

「いい機会だから教えてあげるけどさあ、お前みたいなキモイやつは一生ドーテーだから」

「マジで陰キャ丸出しって感じだし、女子とまともに喋ったことないんじゃないの?」

「じゃあ、私たちがコイツのドーテー奪ったことになんの? キモっ!!」

「・・・・・」

 

 元より自分の特異性を知っている久路人は、自分にそういう女性ができることなど諦めていた。

 だから、そんなセリフは大して響かなかった。

 しかし・・・・

 

「クラスでもコイツ彼女どころか友達もいないもんね~」

「ボッチ陰キャとか、ネタじゃないんだ、マジびっくり」

 

 そこで、窓奈は心底侮蔑と軽蔑を込めた眼差しで言い放った。

 

「お前みたいなヤツ相手に、友達になってくれるヤツも彼女になってくれる女もいないんだよ!! 」

「あ! でもセンス最悪で他の誰にも相手されないキモイヤツくらいなら相手してくれるかもね!!」

「コイツにお似合いのブサイクなんだろな~!!!」

 

「!!」

 

 ただただ醜く嘲笑う少女たちの無価値な言葉の中で、その言葉だけは耳に残った。

 その言葉は、その言葉だけは否定しなければいけないと思った。

 確かに自分に人間の友達はいない。だが、確かにいるのだ、自分にも友達は。

 その友達を馬鹿にするような言葉だけは無視できなかった。

 

「違う」

 

「あ? 何か言った?」

「僕には、僕にも雫が・・・・」

 

 久路人が何かを言い終わると同時に。

 

 

 裏庭を、白い霧と真冬のような冷気が包み込んだ。

 

 

 

-----------

 

 久路人の住む町の上空を、白い大蛇が泳ぐように飛んでいた。

 

「ちぃっ、思ったより時間がかかったわ」

 

 穴からは久路人が危惧したように妖怪が何匹か出てきたばかりのようで、雫はメアがやって来るまでの間に溢れた妖怪どもを八つ当たりも兼ねて四肢をもいだり氷漬けにしていた。

 しかし、穴の位置は感知したほど近くはなく、雫が到着するのも、その後にメアが駆けつけてくるまでのそこそこ時間がかかってしまったのだ。

 

「むっ、京め、こんなところにまで結界を張りおって」

 

 久路人が通う学校にも、京は秘密裏に結界を貼ってあった。

 これは雫が護衛についているとはいえ、雫が戦闘を行うと結果的に周囲に痕跡が残るからであり、戦闘そのものを避けるためのものだ。これには妖怪から内部を何の変哲もない校舎に感じるようににする効果も盛り込まれており、妖怪はその存在そのものに気づきにくくなる。

 ただし、範囲が広いためあまり綿密なモノは貼れず、小さいモノは見逃すようなザルさではあったが、そのおかげもあって雫は幼体ならば問題なく内部に侵入することができた。

 雫は止む無く姿を縮め、正門の近くに降り立った。

 

「裏庭は、あっちだったな」

 

 雫はその細長い体をくねらせ、高速で校舎を回りこんで裏庭に向かい・・・・

 

 

 

 それを見た。

 

 

 

 久路人が、人間の雌どもに囲まれて、聞くに堪えない下劣な言葉をぶつけられていた。

 

 久路人が地面に転ばされたまま、晒しものにされていた。

 

 久路人に水がぶちまけられ、嘲笑されていた。

 

 久路人はそれに何も言わず、ただひたすらに耐えていた。

 

 普段の訓練を思えば、あんな連中は簡単に蹴散らせるだろうに、無抵抗で。

 それは久路人が騒動を大きくしたくないと思っているからでもあるだろうが、その気になれば恐怖であの愚か者どもを従えることだってできるはずなのだ。

 それをしないのは久路人の中の優しさのおかげだ。

 そんな久路人の内心を踏みにじるように、あの雌どもは久路人を貶め続ける。

 

 

「・・・・・・」

 

 久路人の有様を見たその時から、雫の頭には一切の思考が消えていた。

 

「・・・・・・」

 

 代わりにその身にあるのは、頭が凍り付いたように冷めていく感覚と・・・・

 

「・・・・・・」

 

 胸の中を焦がしつくすような灼熱のナニカだった。

 

「・・・・・・」

 

 その二つに支配され、雫はしばしの間動くことができなかった。

 そのまま雫は動くこともできず、茫然と久路人が嬲られる様を眺めていたが・・・・

 

 その言葉を聞いた瞬間、荒れ狂っていた二つの感覚は一つの方向にまとまり始める。

 

 

「お前みたいなヤツ相手に、友達になってくれるヤツも彼女になってくれる女もいないんだよ!!」

 

 

 その後にも何か言っていたが、それは意味をなさない音として雫の脳を素通りしていく。

 そのやっと稼働した脳にあるのは、純粋な願いだ。

 

 かつての大妖怪としてのプライドも、人間との恋路にある障害の多さへの絶望も、たった一人の少年に拒絶されることの恐怖も、友人という関係で現状を維持しようとする諦観も剥がれ落ちた。

 それは原初の感情。

 

 

 腕が欲しい。 あいつらを殴り殺すために。

 

 足が欲しい  あいつらを蹴り殺すために。

 

 髪が欲しい  あいつらを絞め殺せるように。

 

 歯が欲しい、爪が欲しい。 あいつらの中をえぐり取れるように指も欲しい。

 

 あいつらの血の色がもっとわかるように、よく見える目が欲しい。

 

 あいつらの怯える声がもっと聞こえるように、よく聞こえる耳が欲しい。

 

 欲しい欲しいほしいほしいほしいホシイホシイホシイホシイホシイホシイホシイホシイ

 ホシイホシイホシイホシイホシイホシイホシイホシイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 ああ、だが何よりも

 

 そう、何よりも

 

 

「欲しい」

 

 

 己の魂を、心の内を放つための「声」が欲しい。

 

 ただ暴力を振るうだけでは解放しきれない。

 

 この胸にたぎる怒りを、伝えられるだけの声を望んだ。

 

 久路人を好きになる女がいない?

 

 ならば、ここにいる自分をどう説明する?

 

 お前のような餓鬼が何を言おうが、自分はここにいる。

 

 自分のこの怒りを知らずに、死んでいくことなど許さない。

 

 ザワリと雫の中の何かが蠢いて、その形を変えようとする。

 心の中にある純粋な願いに呼応し、それにふさわしい化物へと姿を変えようとしたその時だ。

 

 

 

「違う」

 

 

 

「・・・・!!」

 

 その声は小さかった。

 

 しかし、雫は絶対に聞き漏らさない。聞き間違えることはない。

 

 

 なぜならば、その人の声は、その人は・・・・・

 

 

「僕には、僕にも雫がいる!!」

 

 

 

 「私」が好きな人の声だから

 

 

 

 刹那、雫の願いは元の形を残しつつ変貌する。

 

 愛する人の敵を殺すためのものはそのままに。

 

 愛する人を庇えるように、守れるように、慰められるように。

 

 愛する人に、自分の気持ちを言葉に乗せて伝えられるように。

 

 狂おしいほどの憎悪と溢れんばかりの恋慕が混ざりあって行く。

 

 

 

 裏庭を、白い霧と真冬のような冷気が包み込んだ。

 

 

-----------

 

 突然、周りを白い霧と、恐ろしいまでの冷気が包み込んだ。

 

「ね、ねえ、これなんだよ!?」

「し、知らない!! おい、月宮!! これは・・・・」

 

 それまで久路人を囲んで悦に浸っていた女子たちが突然の変化に驚いたように周りを見回した。

 

 その直後だった。

 

 

「人間の雌餓鬼ごときが、妾の久路人に何をしている?」

 

 

 美しい声だった。しかし、その声には氷柱のような鋭さと冷たさが宿っていた。

 白い霧を切り裂くように、冷気とともにその声の主は現れる。

 少女たちは、人知を超えた現象とその寒さの余り、思わずへたり込んでいた。

 

 

「ん? どうした? そのように汚らしく小便を漏らしながら震えて。まあ、貴様らのような腐った連中にはお似合いの様だがな」

 

 美しい少女だった。

 年のころは久路人と同じくらいだろうか。

 霧のように白い着物を身にまとい、腰まで伸びる艶やかな髪は光を受けて銀色に輝く。

 その顔はまるで巨匠が長年かけて削って拵えた彫像のごとく整い、肌も雪のように抜けるような白さだ。

 ややツリ目がちの瞳は紅玉のように紅く、同性であっても思わず見とれるほどであったが、その色とは裏腹に恐ろしく冷たい輝きを宿していた。

 

「「「「「あ、あ、ああああああ!?」」」」」

 

 その瞳に睨まれた瞬間、少女たちの瞳はあまりの冷気に凍り付いた。

 

「久路人のような宝石と、貴様らのような屑石の見分けもできん目玉なぞ、凍って腐り落ちても構わんよなぁ? しばらく、そこで大人しくしておれ」

 

 

 そこで、塵を見る目をしていた白い少女は囲まれていた少年の元に歩み寄る。

 その紅い瞳は先ほどまでの冷たさが嘘のように慈愛に満ち溢れ、熱く潤んでいた。

 

「やっと・・・」

 

 さきほどの冷たい声からは想像もできないほど、優しく、それでいて粘つくマグマのような熱を秘めた声で語りかけた。

 

「やっと、やっと、あなたとこうやって話せる・・・」

 

「君は、いや、お前は・・・・」

 

 久路人は何かを言おうとしたが、それを遮るように、少女は驚きに目を見開く少年を抱きしめる。

 

「ごめんね、久路人。 寒いよね? 辛かったよね? 鬱陶しかったよね?」

 

 ぎゅっと、力を込めて少女は抱き着いてくるが、その体温は冷たかった。

 しかし、さきほどまで罵詈雑言の中にいた久路人の心には、そのわずかな熱ですらとても温かく感じられる。

 薄く香る花のような匂いが、久路人を癒していった。

 

「・・・・お前は」

 

 久路人は、少女に抱きしめられた驚きと、恥ずかしさに声を震わせながらも口を開いく。

 なぜか、自然と驚くことなく、自分を抱きしめる少女の名前がわかった。

 

「お前は、雫、だよね?」

「ふふ、やっぱり久路人にはわかるんだね」

 

 抱きしめられていて顔は見えないが、少女が、雫が柔らかく笑ったのは分った。

 空気の温度が、少し上がった気がしたのだ。

 

「え? そりゃあ、分かるけど・・・・あれ、なんでわかったんだろ?」

 

 考えてみても、少女を雫だと認識できた理由がわからなかったのか、久路人は不思議そうに首をひねる。

 雫には、そんな久路人のすべてが愛おしかった。

 

 久路人の声が、ただの音ではなく、これまでよりもずっと鮮明に「声」として聞こえる。

 

 文字盤を介することなく、自分の声をそのまま久路人に聞いてもらえる。

 

 久路人の「香り」が分かる、顔がよく見える、感触がわかる、体温を肌で感じられる、抱き合うことができる。

 

 久路人が今の自分を雫だとわかってくれたことが嬉しくてたまらない。

 

「本当に、なんでわかったんだろう・・・・こんなに綺麗な子になってるのに」

「え!? 本当!? 「私」、久路人から見て可愛く見えるの!?」

 

 思わず、といった具合にポロリとこぼれ出た久路人の言葉を、雫が聞き漏らすはずはなかった。

 獲物に食いつく蛇のごとく、久路人に抱き着く力を強めながら問いかける。

 

「え、うん。あ、でも可愛いっていうより綺麗って感じだな。というか、今私って・・・・いや、それより雫、もうちょっと力を・・・・」

「ふふ、そっかぁ~!! フフ、フフフ、フフフフフフ~そっかそっかぁ~!! あ! じゃあ、声は? あ、あ、あ~・・・・変じゃない?」

「いや、声もきれいだと思・・・・雫、そろそろ、雫? 聞いてる?」

「フフ、アハハ、アハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!」

 

 あふれ出る喜びを抑えられないかのように、満面の笑みを浮かべながら久路人を抱く力を強める。

 

「ちょっ!? ギブギブギブギブ!!!」

 

 バシバシと久路人が肩を叩いてくるが、それすらも心地よい。

 

 正直、さっきまではとにかく人の姿になりたいとしか思っていなかったので、姿についてはほとんどイメージしていなかった。

 久路人を見た瞬間に「抱きしめたい」という欲求がマグマのように湧いてきたのでそれに従ったが、自分の容姿について久路人からどう見えるかには不安があったのだ。

 だが、今しがたその不安は他ならぬ久路人によって取り払われた。

 自分の声も聞いてもらって、綺麗だと言ってもらえた。

 これで後は、心置きなく久路人の感触を全身で楽しむだけ・・・・・

 

 

「あああああ!!目が、目が痛い~!!!」

「・・・・・・・チっ」

 

 

 せっかくの至福の気分が台無しになるような汚い声だった。

 

 そこで、雫は名残惜しそうに久路人から身を離しつつも、倒れて転げまわる女たちの方を見た。

 その顔は裏庭に現れた時ほどではないものの、不機嫌そうに表情が歪んでいる。

 さらに、少々落ち着いて冷静に周りを見れるようになったのか、倒れている女子たちと自分の比較的(重要)起伏の少ない胸部を見比べて、もう一度忌々しそうに「チっ、肥えた豚が」と舌打ちした。

 

「お前らまだいたのか・・・・・・性根だけでなく声まで汚いとは救いようのない連中だな」

 

 パチンと雫が指を鳴らすと、彼女たちの眼の氷が溶けた。

 ちなみに、雫は某錬金術師のアニメを見て以降、密かに指パッチンに憧れがあったりする。

 

「うう・・・」

「目、目が痛い~!!」

「お、お前一体なんなだよぉ!!」

 

 

 閉ざされていた視界が開け、目の前にいる少女が明らかに人ではないことを感じながらも、彼女らはそう問わずにはいられなかった。

 

「うるさい、やかましい、黙れ。お前たちのドブ川に劣る口なんぞ開くな。不愉快だ。お前たちがしていいことは、妾の話を聞き、妾の言うことに絶対服従することのみ」

 

 心底不快そうに美しい眉をしかめつつ、雫は続けた。

 

「貴様らは心底不愉快で今すぐ殺してやりたいくらいのゴミ屑だが・・・・妾は感謝もしている。お前たちがいなければ、妾はあのまま自分の真の願いに気づくこともなかっただろうからな」

 

 雫の願い。

 

「久路人に惚れる女などいない」という言葉を聞いたときに沸き上がった否定から自覚した。

 本当は、あの夜にメアに言われたときには気づいていたこと。

 さらに過去には、あの「約束」を交わした時にはすでに自分の中にあったもの。

 

 それは、久路人を守り、その敵を排除すること。

 それは、久路人とともあり続けること。

 だが、それは友達としてではない。友達だけではとてもじゃないが満たされない。

 久路人のすべてが欲しい。独占したい。誰にも渡したくない。人間の女の子のように見てもらいたいし話したい。

 

 女として、恋人として、妻として一生を添い遂げる。

 

 それこそが雫の真の願いだ。

 

「故に、寛大な妾は今日の蛮行を見逃してやる。久路人も身近で人死にが出たら困るだろうからな。ただし・・・・」

 

 そこで雫は、紅い瞳を細めて少女たちを睨んだ。

 

「え・・・何これ熱い!?」

「イヤアアアアアアアアア!!!!?」

 

 突然、雫が睨みつけた少女たちの肌にブツブツと赤い発疹がいくつも浮かび上がったと思えば、ブツリと爆ぜた。

 少女たちの足元の地面に、汚らしいシミがいくつもできる。

 

 それは、西方にいたとされるバジリスクの「邪視」に近い。人間の姿を手に入れた雫は、単純な破壊力は劣るが、これまでにはとても扱えなかったような様々な術を使えるようになっていた。

 今の発疹は、睨んだ場所の血液の流れを異常に淀ませることでできたものだった。

 

「貴様らが今日のことを口外するようならば、その痘痕を全身に広げてやる・・・・ああ、そうだ。ここで撮っていた写真もすべて消せ。でなければ、次は顔をやる」

「は、はいいいいいいぃぃぃぃ!!!」

 

 少女たちは震える手で携帯を取り出すと、普段からは考えられない遅さでデータを消去した。

 

「フン、まあこれでいいだろう・・・何をしている? さっさと妾と久路人の前から失せろ、痴れ者が!!」

 

 そうして、霧の立ち込める裏庭からは、久路人と雫以外がいなくなった。

 雫はようやく邪魔者が消えたとばかりににこやかな笑みを浮かべながら振り返る。

 

「さ~て、あいつらの記憶の後始末については京かメアに任せるとして、お待たせ久路人!! さっきの続きを・・・・」

「・・・・・うーん」

「って、久路人ぉぉぉおおおおお!!?」

 

 そこでやっと、さっき抱きしめる力が強すぎたために久路人が気絶していたことに気が付くのであった。

 

 

 

-----------

 

 何だろう、何だかとても柔らかくて暖かいモノが頭の下にある。

 

 それが、久路人が薄ぼんやりとした意識で感じた最初の感覚だった。

 

「久路人、起きないな。ちゃんと息はしてるし、心臓も動いてるから大丈夫だよね・・・・はっ!?もしも息が止まってたら人工呼吸のチャンス!? いや、そんな不謹慎なこと考えちゃダメ!!」

 

 とても綺麗な声が聞こえる。いつまでも聞いていたいと思うような、可憐な声だ。

 

「待って、落ち着け私。今のこの状況もチャンスなんじゃあないのか? 今、久路人は眠ってる。何をしても気付かない。やる!!と決めた時にはもうすでに行動を終わらせておくべきなんじゃないのか?、私・・う~!!やっぱダメ!!セカンドやサードならともかく、ファーストはやっぱり・・・」

 

「雫?」

 

 久路人が身を起こした時、信じられないくらい美しい少女の顔が自分の目の前にあった。

 どのくらい近いと言えば、それはもう唇が触れあいそうで・・・・・

 

「わひゃあああああああ!!?」

「うわっ!?」

 

 その近すぎる距離に気づいた瞬間、雫は飼育員が突然近くに現れたレッサーパンダの如く跳びあがって、驚き、その膝の上に寝かされていた久路人は投げ出されたが、普段の鍛錬のおかげでなんとか受け身をとった。

 

「ご、ごめん、久路人。大丈夫?」

「いや、大丈夫だよ。受け身とったし」

「あ、そっか・・・よかった。あ!!それと、気絶させちゃったことも謝らなきゃ!! ごめんね、私力加減ができなくて」

「それもいいよ。雫は、僕を助けに来てくれたんだから」

「うん、ありがとう・・・・あ!!でも、今回みたいなことはもう許さないからね!! 私、もう別行動とかしないから!!!」

「わかったわかった」

 

 申し訳なさそうにする少女の顔を見たくないと思って、久路人は鷹揚に手を振って気にしていないとアピールする。

 久路人としては、そんなことよりも気になることがあった。

 

「それにしても・・・」

 

 会話をしながら、久路人は雫の顔をマジマジと見つめた。

 久路人に見つめられて雫の白い肌に淡く朱がさす。

 

「え? 何? やっぱ、顔とか変?」

「いや、顔も声も綺麗だと思うけど・・・・その喋り方は? 「私」って」

「へ?」

 

 言われて初めて気が付いたというように、雫は虚を突かれたような顔をした。

 そして、あたふたと自分の顔を指差しながら慌てる。

 どうやら、普段の喋り方と違うことに気づいていなかったようだ。

 

「あれ、私、自分のこと「私」って? あれ? く、久路人、別にこれ・・・」

「いや、いいと思うよ。なんか新鮮だし。でも、窓奈さんたちに話すときは前みたいな口調だったよね」

「う~ん・・・・私の願いのせいかなぁ?」

「雫の願い?」

「うん。とはいっても、願いの一部なんだけどね、久路人と普通の女の子みたいに話してみたいって思ってたから」

 

 人化の術は術者の効果は術者のイメージと願いに大きな影響を受ける。

 雫は姿こそイメージしておらず、いわば「素」の雫としての姿になったが、喋り方についてはモデルがあったようである。確かにそれは雫の願いの一部ではあったが、はっきりと反映されている様子を見るに、それなりに大きい願望であるらしい。

 

「一部ってことは、他に何を願ったの?」

「え、それは・・・・・」

 

 しかし、人は~の一部とか言われた他のものも気になってしまうものだ。

 久路人が問いかけるのは自然なことだろう。

 目の前の少女のことをもっと知りたいという気持ちが無自覚に久路人の中ににじみ出ていた。

 

「それはね・・・えっと、それはね・・・・・まだ言えない!!」

「え~」

 

 

 女として、恋人として、妻として一生を添い遂げる!!

 

 

 それは確かに雫の願いの根幹にあるが、雫にはまだ言えなかった。

 雫は敵には容赦ないが、久路人相手では結構ヘタレだった。

 恋する乙女はシャイなのである。

 けれども、残念そうな久路人の顔を見て、別のことなら教えてあげようと思った。

 恋する乙女は優しいのだ。

 

「今のはダメだけど、別のことなら教えてあげる。私の願いの一つはね・・・・」

「うんうん」

「久路人の敵を全部倒して、久路人を守ることだよっ!! 大丈夫!! これからは、さっきみたいなクソ人間どもからも、有象無象の妖怪からも・・・・ずっと、ず~っと私が守るから」

「なんか物騒な言い方だなぁ・・・でも、なんか懐かしいな」

「懐かしい?」

 

 雫の願いを聞いた久路人の言葉に、雫は不思議そうに首を傾げた。

 久路人はかつての光景を思い出しながら、昔のような笑みをわずかに浮かべつつ言う。それは、彼にとっても大事な思い出で、約束だ。

 

「うん、昔したよね、そんな約束」

「うん。確かにしたよ。忘れるわけない」

 

 その約束は、きっと雫が久路人を好きになるきっかけであっただろう。

 絶対に忘れられない、忘れたくない思い出だった。

 

「・・・・・・久路人、一個聞いていい?」

 

 だからこそ、雫はちゃんと確かめておきたかった。

 あの時に願った通り、人の姿になった今だからこそ。

 

「何?」

「あの約束ってさ、その、まだ、有効・・・だよね?」

 

 恐る恐るというように、久路人の顔色をうかがう。

 ちょうど霧が二人の間を通り過ぎて、その表情が見えなかったが・・・

 

 

「はぁ~~」

 

 

 久路人は常識をわかってないやつを見るような顔でため息をついた。

 

「え?なにそのため息!?」

 

 いつかのメアを彷彿とさせるようにため息をついた久路人に、思わず雫はツッこんでしまう。

 もしかして、まさか、あの約束を久路人は・・・・

 

 

「あのさ、雫には僕がそんなに冷たく見えるの?」

 

 今日にいくつも生まれた不安がそうであったように、今抱いた不安も久路人に木っ端微塵に打ち砕かれた。

 雫の心に温かいものと、久路人を疑ってしまった罪悪感が同時に湧く。

 

「そんなことないよ!!でも、それじゃあ、有効なんだね?じゃ、じゃあ、改めて言葉にして言って欲しいな」

 

 全力で久路人の言葉を否定しながらも、「しかし、せっかくここまで聞いたのならば」という衝動に突き動かされた。

 何事も、きちんとした言葉で聞きたいと思うのが乙女心というものだろう。

 

「え~?ちょっと恥ずかしいんだけど・・・・言わなきゃダメ?」

「ダメ!!」

 

 紅い目を輝かせてそう言う雫に、久路人は諦めたようにため息をつくと、顔をわずかに赤く染めながら口を開く。

 わずかに間があったのは、久路人としても照れくさかったからだが、それでも「やっぱりナシ」などとは言えなかった。

 

 

「・・僕は、僕だって、君に何かあったら必ず助けるし、守るよ。それが、約束だ」

「・・・・うん!!」

 

 少年は、やはり少女の知る少年と昔からなんの変りもない。

 期待通りの返事に喜色満面の雫は久路人に飛びつこうとして、寸前で思いとどまったかのように動きを止めた。

 

「えっと・・・」

 

 そして、さきほど願いを言いかけた時のように顔を赤くしながら、上目遣いで久路人を見る。一つ叶えてもらっても、久路人に聞いてもらいたいことが、叶えて欲しいことは次から次へと湧いてくるのだ。

 

(今日の私は、わがままだなぁ)

 

 そう自覚しながらも、止まれない。

 「人間になる」というこれまでの念願が叶ったばかりだが、だからこそ、今の雫は欲張りだった。「今ならどんなことを言っても久路人なら叶えてくれるんじゃないの?」と思ってしまうほどに。

 

「あ、あのさ、私の願いはまだまだあるんだけど、教えてあげる代わりに、叶えてもらってもいいかな?」

 

 だからこそ、言う。この人ならば叶えてくれるはずと信じて。

 

「え? まだなんかあるの? いや、別にここで僕に叶えられることなら聞くけどさ・・・・」

「本当だね? 嘘ついたら嫌だよ?」

「そんなに難しい願いなの・・・?」

「ううん、簡単だよ? 簡単簡単・・・・私の勇気が出せれば」

 

 

 最後の方は小声で聞き取れなかったから、久路人は聞き返そうとしたが・・・・

 雫はスーハースーハーと深呼吸をしてから久路人に向き直った。

 

「久路人さん!! 私と、手をつないで歩いてください!!」

 

 向き直って、まるで一世一代の告白のように、雫はそう言った。

 

 

「え? それだけ?」

 

 その気迫に満ちた雫に対して、久路人の反応はまさしく肩透かしと言う感じだったが。

 雫としては、もう少し空気を読んで欲しいものである。

 

 

「それだけって何!? 私、これでも勇気出したのに!!」

「いや、ごめんごめん。うん、それぐらいなら、いいよ」

「う~、じゃあ、繋ぐよ?」

「・・・うん」

 

 顔を若干憮然とさせたまま、依然として赤く染めながら手を差し出してくる雫にどこか自分も緊張しながら、久路人も手を差し出す。

「あれ、手汗かいてないかな?」「今服で拭うのはなしだよなぁ」などと取り留めもないことが頭に浮かんでは消えていった。

 そして、一人の少年と一匹の蛇、否、一人の少女の手がゆっくりと触れ合い、確かに繋がれる。

 

「「・・・・えっと」」

 

 久路人の手の温かさとたくましさ。雫の手のひんやりとした心地よい冷たさと柔らかさで、心臓が爆発しそうだった。お互いの繋いだ手から、自分の心臓の音が向こうに伝わってしまうんじゃないかと思えるくらいに。

 二人の顔は照れくささで朱色に染まり、気まずさを振り払うように何か言おうとすれば、それも同時に口を飛び出してしまい、思わず押し黙ってしまった。

 そのときだった。

 

 

 一筋の黄金の光が霧を切り裂いて降り注いだ。

 

 

「わぁっ、きれい!!」

「まぶしいくらいだな・・・」

 

 

 それまで辺りを覆っていた霧が晴れ、初夏の夜空に浮かぶ満月が顔を出した。

 眩い月光が、二人の結ばれた手を照らし、二人はわずかの間、無言で顔を見合わせる。

 もうそこに、何を言えばいいかわからないような気まずさはなくなっていた。

 

「帰ろっか」

 

「うん」

 

 どちらからともなく、二人は歩き出した。

 満月が二人を祝福するかのように照らし、二人の背後には長い影が伸びる。

 

「~♪」

 

「・・・・・」

 

 雫は楽しそうに鼻歌を唄い、久路人の顔にも昔のように柔らかな笑顔が浮かぶ。

 

 学校から、月宮家までの帰り道までではあるものの、二つの影は片時も離れることなく、帰り道を歩ききったのだった。

 ずっと、ずっと。

 

 

-----------

 

 

 これは、月宮久路人という祝福(のろわれ)された人間と、水無月雫という妖怪のお話。

 少年が、白蛇の化身と出会った物語である。

 

 

 

 




 一番最後の手をつないで歩くところのBGMイメージは、ゆずソフト様「サノバウィッチ」の紬ルートED「スカート」

 ちなみに池目君は中身もイケメンなので、後日に久路人が事情を話して私物を返したら、「悪い、俺のせいで嫌な目に合わせちゃったな・・」とコンビニで唐揚げ棒を奢ってあげてます。久路人は雫と半分ずつ分けて食べました。


 さて、前日譚は実はここまでにしようと思っていたのですが、皆様のこの身に余る反響もあり、もうちょっと書こうかなと思います。久路人が高校生に上がった後の話ですね。
 私からすると、雫のヤンデレベルはまだ低いです。
 巷では、純愛ゲーのヒロインだろうとファンアートでNTRや凌辱がゴロゴロしており、脳を破壊される者が後を絶ちません。
 どんな関係にも唐突に終わりや別れが訪れる可能性はある。もしくは、自分のいる位置に他の誰かがもしも座っていたら?と考えることもあるでしょう。
 というわけで、次からのお話は「雫が久路人を人間卒業させようと決意するお話」です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白蛇と彼の一日(中学生編・昼の部)

 おかしい、ちょっとした日常を書こうとしているのに、どうして前編だけで7千字越えてんだ・・・?

 後編はまた後日に投稿します。

 お気に入り、評価、感想をくれた方々、誠にありがとうございます。
 人間は欲深いモノ。ああ、もっと、もっと、評価と感想が欲しい!!

 というわけで、続き頑張ります。


 月宮家は、「学会」の幹部である月宮京が材料や構造の基礎部分から始まり、それらに付与される術式に付近の霊脈調整までを一から作り上げた一大術具である。

 月宮家のある街は世界的に見ても現世と常世をつなぐ穴が空きやすい土地であり、そこの管理者として京が派遣されることになったのだが、彼本人が護衛とともに「学会」本部のあるロンドンまで赴くことも多いため、管理者がおらずとも周辺の平和を「ある程度まで」維持するための大結界を展開する要でもある。

 この屋敷には結界が常時展開されているが、その動力源には周辺の霊脈に満ちる自然の霊力だ。

 霊脈とは大地の中を流れる霊力の奔流であるが、そのほとんどは人間では掘り進めないような地下にあり、地表に現れることはない。

 だが、月宮家のある街はその数少ない例外であり、霊脈が地上に接している土地なのだ。

 そして、月宮家はその多くは空に浮かぶ星々や天候にまつわる異能を有し、京も道具に術を刻む付与術とともに星々の巡りによって生じるエネルギーを利用する占星術を得意とする。

 京によって作られた屋敷は星の動きの影響を受けており、妖怪が活発になる夜にこそ最も結界が強固になり、家の中にある罠も最も激しくなるのは夜間である。

 逆に言うと朝や昼は結界も多少脆くなるのだが、昼は大抵の妖怪の力が衰えるため、結果的に常時強力な防御力を発揮しており、侵入者が現れようものなら即座に火を噴くことだろう。

 

 数年に渡って、屋敷に住み着き、さらには最近になって霊力の扱いがさらに器用になった蛇にはそのわずかな綻びを見抜かれてしまっていたが。

 

「ふっふっふ・・・・侵入成功~」

「うーん・・・」

 

 時刻は朝4時過ぎ。

 初夏を通り過ぎたこの時期にはもう大分明るいのだが、ベッドに眠る少年が起きる様子はない。

 それを見て、少年の部屋に侵入した不審者、もとい雫は思わずというように含み笑いを漏らした。

 

「いや~、誰が考えたのか知らないけど、人化の術様様だね。蛇の姿じゃよく分からなかった細い「隙間」が今ならはっきり見える」

 

 ここしばらく、雫はずっと機会をうかがっていたのだ。

 雫は蛇であったころから、屋敷の一室を与えられていたが、罠の関係で出ることは叶わなかった。

 しかし、人化に成功してからは、それまで数年観察して違和感を覚えた場所をよく調べると、罠と罠の間にごくわずかな「継ぎ目」があることに気づいたのだ。

 そうして雫はここ数週間、その隙間の解析を行い、今日にいたって部屋を脱走し、目的地まで侵入に成功したというわけである。

 断っておくが、京が仕掛けた罠は並大抵のものではない。

 数年をかけてヒントを得たとしても、それを出し抜くにはさらにその十倍は長い年月と根気がいたことだろう。

 だが、雫は精密性に長ける人間の姿を手に入れたとはいえ、わずか数週間でやってのけたのだ。

 そこまで雫を駆り立てたモノとは・・・・

 

「朝起こしに来る幼馴染、朝のせ、せ、生理現象を見て混乱、そこから始まるラッキースケベ・・・くぅ~~~、朝起きたら隣で添い寝してたっていうシチュも捨てがたい!! ああ、どっちの夢を選べばいいの私!!」

 

 煩悩であった。

 その夢はまるでエロゲをやりこんだ男の願望である。

 

「せっかく人間の姿になったってのに、いつまでも別の部屋で寝るなんて生殺し、我慢できないよ・・・・」

「ん~~・・・・」

 

 頬をうっすら染めながら、愛おし気に寝ている久路人の頬に触れる。

 寝起きが悪いのか、目覚める様子はない。

 

「あ、でもまだちょっと久路人が起きるには早いし、起こすのはまた次にしようかな。な、なら、添い寝の方を・・・・・」

 

 どうやら自分の中でどちらのシチュエーションを選ぶのか決まったようだ。

 

「フーッ、フーッ!!」

 

 なにやら危ない呼吸を繰り返し、紅い瞳を輝かせながら意を決して久路人の布団をめくりあげ・・・・

 

「イン・トゥ・ザ・フトンズ!!」

 

 

 いざ、その中に滑り込む!!

 

 

 ・・・・・・

 

 

「って、やっぱ無理~!!!」

 

 ・・・・込もうとして、寸前で羞恥心が上回ったようだ。

 部屋に不法侵入している時点で恥など捨てているようなモノという自覚はないらしい。

 

「ダメ!!添い寝なんかしたら心臓が破裂する!!」

 

 やはり、妙なところでヘタレであった。

 布団を極めて丁寧な動きで元に戻し、久路人のベッドに背を向けると、勝手知ったるなんとやらというように部屋の押し入れをゴソゴソと漁り始める。

 

「くっ、私のレベルがまだ足りないみたいだね・・・・でも、諦めない!!いつかその聖域を侵してやるんだから!!」

「zzzzz~・・・・」

 

 妙に気迫のあるキメ顔で寝ている久路人に宣言すると、押し入れから取り出した布団をいそいそとベッドの傍らに敷いて横になる。

 

「zzzz~」

 

 実は結構無理して早起きしていた雫はすぐ眠りにつくのだった。

 

-----------

 

「くぅ・・ふぁぁああ~」

 

 ピピピ・・・と朝の目覚ましのアラームが鳴って、久路人は目を覚ました。

 

「もう明るいな・・・・まだ時間は6時半なのに」

 

 季節が巡るのは早いと久路人は思った。

 

「もう6月に入ったのに、いい天気だな。もうすぐ梅雨なのに」

 

 今は6月。

 もう梅雨入りしそうであるが、今日は快晴だ。

 久路人としても雨だと登下校が面倒なので少し嫌なのだが、梅雨は嫌いではなかったりする。

 

「雫と会った時期だから・・・かな?」

 

 久路人にとって、雫は家族であり大切な親友だ。

 そんな雫と出会った時期だからだろうか、梅雨に入るとどこか感慨深くなる。

 

「っと、こんなこと考えてる場合じゃない。雫を部屋から出してあげないと」

 

 普段雫は結界の貼っていない別室で眠っているが、その部屋から出して罠を避けて居間まで連れて行くのは久路人の毎朝の仕事だ。

 ちなみに、久路人は波風立てないようにするために空気を読む努力をしており、数年前から当然のマナーとして部屋をノックしてから開けている。雫が人間の姿になってからは反応がきちんと帰って来るようになったので久路人としてもやりやすくて助かっている。間違えて着替え中に開けちゃいましたなんてベタな失敗はしない。

 きちんと返事が返ってくるまで何度もノックや声掛けをする久路人に、雫はなぜか残念そうな顔をしていたが。

 

 ともかく、そんな風に考えながらベッドから足を踏み出した時だ。

 

「ぐえっ!!?」

「えっ!? 何!?」

 

 つぶれた蛙のような声と、柔らかい何かを踏んだような感触に、驚き床に目を向けると・・・・・

 

「雫、何してんの・・・?」

「えっと、その、お、おはよう?」

 

 気まずそうな顔をした雫と目が合ったのだった。

 

 

 

 

 久路人と雫の、とある朝の風景より

 

 

-----------

 

「え~、教科書の110ページを開いて・・・・今日は地学の続きをやります」

 

 久路人の通う中学校。

 今日は理科の時間であった。

 

「・・・・・」

 

 久路人は教師の指示の通り、教科書と資料集を開き、鉱物の写真の載ったページを見るが・・・・

 

「あ、この石私見たことある」

 

 すぐ隣の席からずいっと身を乗り出して、セーラー服の少女が写真を指差した。

 

「昔、暇つぶしで山の中をうろついてる時に変な色の石があるって思ったんだよね~懐かしいな」

 

「・・・・・」

 

 久路人の席はクラスの人数の関係で、教室の一番後ろにある。

 しかも、後ろの入口はなるべく広い方がいいという意見があり、窓際だ。

 隣の少女はそれをいいことに、誰もいないスペースに水を固めて見えない机と椅子を作ると、久路人の机にぴったりとくっつけて隣に陣取っていた。

 

「後ね、川の中にも丸くてきれいな石がたくさんあったんだ。昔はどういう理屈かなんて考えもしなかったけど、水で角が削られて丸くなるんだね」

 

「・・・・・」

 

 久路人は努めて何でもないように前を見て、教師の板書をノートに取っていた。

 しかし、隣の少女はそれが気に入らなかったようだ。

 

「久路人~!! 無視はよくないよ~!!傷つくんだよ~!!」

(・・・・話は聞いてるけど、今は授業中だから返事はできないよ!!)

 

 久路人にしな垂れかかろうとして、寸前でヘタレたように止めて教科書の上に指で「の」の字を書く少女に、久路人はノートの片隅に書いたメモで答えた。

 

「・・・・あ、ごめん」

(話ならまた後で聞くし、教科書もみていいから、ちょっと静かにしてて)

「うん、わかったよ・・・・でも、これだと前の逆だね。私がしゃべって、久路人が字で答えるなんて」

 

 久路人に言われて静かになったセーラー服の少女、雫が少し面白そうに笑った。

 久路人は少し雫の方を見やると(確かに)と走り書きする。

 

 そうだ。ほんのついひと月前ぐらいまで、自分と雫は言葉で話すことはできなかった。

 だから、自分が言葉を口にして、雫が文字で答えていたのだが・・・・

 

(なんというか、不思議な気分だ)

「ふふ、私もだよ」

 

 雫が人の姿になった後も、久路人はこれまで通りと変わることなく雫と接してきた。

 今ではもう、雫と言葉で話せないことに違和感と不便さを覚えるくらいだが・・・・

 

(っていうか、今日は夏服なんだ)

「うん、最近暑いしね」

 

 雫の服はデフォルトでは白い着物に青の帯であるが、これは雫の鱗が変化したもので、抜け殻のようなものらしい。霧のように自在に形を変えることができるようで、雫はその日の気分で結構服装を変えていたりする。まあ、雫が見せようと思わない限り普通の人間には姿が見えないので、学校では久路人にしか見せていないが。

 ちなみに、抜け殻と言っても蛇の大妖怪の鱗であり、それにふさわしい硬さと、術への高い耐性を持っているので服というよりは鎧と言った方がいいかもしれない。

 

「で、どうかな?・・・・似合ってる?」

(そりゃ、まあ、似合ってるよ)

 

 今日の雫は白地に赤いリボンという、雫そのままの色をしたような服装だった。

 セーラー服のデザインそのものは周りにいる女子と同じものなのだが、初めて見た時には緊張のあまり正面から見ることができなかったという情けない思い出は雫には話せない。

 

「ふふ、よかった!!」

「・・・・・・」

 

 なんとなく気恥ずかしくて、久路人は笑顔の雫から目をそらした。

 そうだ、授業に集中しなくては・・・・

 

「じゃあ、月宮。この空欄に入るのは何だ?」

「は、はいっ!? え、え~とっ」

「久路人久路人、さっきの話の内容だよ」

 

 そこで間が悪いことに教師が久路人を指し、咄嗟のことで混乱していると、雫が教科書の一文を指差した。

 

「あ、え~と、風化に重要な要素の一つは、「流水」です」

「よろしい」

 

 ふぅ、と胸をなでおろしつつ席に着くと、雫がニヤリと笑っていた。

 

「えへへ、一つ貸しだね?」

(お前が邪魔してなきゃちゃんと答えられたってば!!)

 

 何でもない日常の風景であったが、久路人と雫に退屈などする暇はなかった。

 

 

-----------

 

「おーすっ、月宮メシ食おうぜー」

「あれ、なんかここ湿っぽくね?」

「き、気のせいじゃないかな?」

 

 昼休憩。

 給食の時間である。

 久路人と雫が配膳から給食を受け取ると、声をかけてくる男子たちがいたので、久路人は机を寄せながらも誤魔化した。

 久路人が目配せをすると、渋々といった風に雫はそれまで座っていた机を消す。

 ちなみに、このクラスはなぜか給食の量が一人分多く、食器がいつのまにか一つ多く戻されていることに誰も気付いてない。

 

「お~、今日はラーメンか」

「ソフト麺だけどな~」

「この辺にぃ、美味いラーメンの給食、あるらしいっすよ」

「あ~、いいっすねぇ~」

 

 久路人の近くに来た男子は4人。

 上から、池目(いけめ)半侍(はんじ)田戸(たど)近野(こんの)という。

 池目君と半侍君はクラスでもイケメンであり、池目君とは先日の窓奈(まどな)の件からそこそこ話すようになったのだ。

 そこから池目君の友達である半侍君とも知り合うようになった。

 そうこうしているうちに二人が所属する水泳部で、肌が浅黒い田戸君とどこかトカゲを連想させる近野君とも一緒に昼を食べるようになった。

 クラスで平穏に過ごすには、誰とも関わらないよりも明るい人とそこそこ仲良くしておく方が何かとやりやすいということを久路人は良く知っていた。

 まあ、この4人は性格も良く、久路人としても話しやすいのだが。

 

(ただ、雫は田戸君のことをなんかすごい警戒してるんだよね・・・・)

「久路人、あの黒いのには近づいちゃダメ!!!」

 

 今も一番端に陣取った僕の隣に机を作り直して、トレーを抱えながら紅い瞳を細めている。

 

 この前近野君と一緒に田戸君の家に誘われ、彼の大きな家を訪れたのだが、雫があまりにもピリピリしているので出されたアイスティーも飲まずに帰ってしまったのだ。

 結局近野君だけ残してしまったが、あの日以降妙に田戸君と仲がいいように見えるけど、何かあったのだろうか?

 

「なあなあ、月宮も水泳部入んねー? お前も結構運動神経いいしさ」

「そうだよ」

「入りませんか?入りましょうよ」

「あ~、ごめん、家、門限厳しくてさ。部活やるくらいなら勉強しろって」

 

 久路人が少しぼーっとしていると、いつの間にか自分に話題が振られていた。

 

「月宮の家、厳しいよなー」

「確か、友達でも家に呼んじゃダメなんだっけ?」

「そうなんだよね~。しかも勉強頑張らなきゃいけなくてさ」

「月宮結構頭いいもんな~ でも、親が厳しいのは嫌だよなぁ」

 

 表向き、久路人はどこにでもいる普通の学生を装っている。

 だが、一般人に作用する仕掛けはないが、万が一に備えて久路人はなるべく家に他の人間を呼ばないようにしていた。

 「親が厳しい」、「家が遠い」といった理由で、久路人はのらりくらりと回避している。

 

「そういや、月宮は、あの後大丈夫か?」

 

 そこで、半侍君が小声で何事かを聞いてきた。

 

「あの後って?」

「いや、ほら、窓奈のことでさ。あいつ、池目の前はオレにもベタベタ来てなんか気持ち悪かったし・・・」

「うげ、マジか。粉かけまくりかよ」

「へぇ~、そうだったんだ。でも大丈夫だよ」

 

 あの雫が人化した日のことがよほど恐ろしかったのか、あるいは京あたりに「ナニカ」されたのか、久路人に絡んでくることはなかった。

 結局あの件を異能の力なしで収めようとしたのだが、雫が個人的には嬉しいが強引極まる方法で追い払ってしまったため、どうなるかは不安だったのだが・・・

 

『まあ、これはしょうがねぇな。中学生でこんなんとか将来やばそうだな、オイ』

『私としては、殺さずに済ませた雫様の忍耐を褒めるべきかと』

 

 雫と手をつないで帰った後、事情を説明するとともにボイスレコーダーの内容を聞かせたのだが、京とメアの反応はこんなものだった。

 元々穴の開きやすいこの地域では、多少力を使っても大した影響はない。だが、大ごとになっても困るので、これからはヤバそうなのがいたら連絡しろとは言われたが。

 

「窓奈は顔はいいんだけどな~」

「性格ブスってやつだよな~。性格良けりゃ結構タイプなんだが。なあ、そうだ。お前らは好きなタイプのやつっているか?」

 

 ふと、思いついたように池目君がそんなことを言い出した。

 

「俺はB組の広井(ひろい)かな」

「オレはC組の愛土(あいど)だな~。田戸は?」

「そうですねぇ~、やっぱり僕は王道を行く~、近野ですね」

「先輩・・・・」

 

 何やら近野君が感極まったような声を上げているが、二人は同級生である。

 一体二人の間に何があったのだろうか。

 

「ハハハ、お前らは相変わらずネタ上手いな~・・・月宮は?」

「え?僕?」

 

 なんというキラーパス。

 僕にその話が振られた瞬間、隣でガタッっと何かが震える音がした。

 

「・・・・・・・」

 

 久路人はものすごい圧力と冷気を感じていた。

 気のせいか、紅い光がギラギラと輝いている気がする。

 

(雫!!抑えて抑えて!!)

「・・・・・・・」

「あれ、なんか寒くね?」

「誰かクーラーつけたのか?」

 

 池目君たちが突然下がった気温に不思議そうな声を上げていた。

 これは、早く答えた方がいいと久路人は判断する。

 

「・・・・・・」

 

 隣の少女が何か期待するような眼をしているが・・・・・

 

「う、うーん、僕は特にいないかな」

 

 久路人の脳裏にその白髪紅眼の少女の顔がチラリと浮かんだが、そんなことを口に出したら痛い二次元オタクのレッテルを貼られてしまうだろう。

 故に、久路人の回答は無難だった。

 

「っ!!っ!!っ!!」

(ちょっと、雫、止めろって!!)

 

 もっとも、隣に座る少女にはいたくお気に召さなかったようだが。

 久路人がそう言った瞬間、一気に不貞腐れたような表情になると、給食のサラダを久路人の皿に移し始めた。

 

「まあ、月宮らしいな~」

「お前は、なんかそう答えるって気がしたわ」

「あ、それよりさぁ~」

 

 幸い、雫が冷気を抑えたのか気温はすぐに戻り、話題は次に移っていった。

 

「クソっ!!!あの女が日和ってなければ!!! 「謎の転校生」ってポジションで介入出来たのに!!!」

(おじさんありがとう、雫を抑えてくれて)

 

 雫としては、一応建前上は「久路人を庇うのには人間の姿の方が都合がよい」ということだった。

 しかし、ちょっかいをかける人間がいなくなったのと、「お前、周りに見られてる状態で妖怪とどうやって戦うつもりだよ?それに、生徒として潜り込んだら別行動も結構あるだろうが」という京の正論であえなく撃沈し、結局は今まで通り他の人間に見えないように久路人にくっついて護衛を続けることになったのだ。

 

(なんだかんだ言って、僕も護衛されるような異能側の人間なんだよね。まあ、僕としては今の方がいいし)

 

 雫が他の人間に見えるようになったとしても、その手綱を握るのが久路人であるのは確定だ。

 一体どれほどの気苦労があることか。

 

(それに・・・・いや、気のせいだな)

 

 

 雫を他の人間に見られたくない

 

 

 そんな思考を久路人は一蹴するのだった。

 そして、意識を目の前に戻す。

 

(そう、僕は異能者だ)

「でさ~、この前のテストの結果がさ・・・」

「あ~、難しかったよなぁ」

「問題の出し方がいやらしかったよね」

 

 どこにでもあるような、日常の会話。

 久路人としても中々に心地よい気安さがある。

 嫌ではない。むしろ好ましいだろう。

 

 だが・・・・

 

「久路人、分かってると思うけど・・・・」

 

 久路人の目に映る感情に気づいたのか、雫が声をかけるが、「わかっている」というように久路人が小さく頷いたので、それ以上言うのは止める。

 

(あまり、深くかかわるのは止めておいた方がいいんだろうな)

 

 きっと、この先彼らを月宮家に招くことはないだろう。

 自分の身の上も、両親がいないことも、養父がいることも話すことはないはずだ。

 だが、それでいいのだ。

 

(その方が、きっとお互いにとって「安全」だから)

「・・・・・・」

 

 雫が久路人の袖をいたわるように掴む。

 

 それからも、他愛ない会話は続き、昼休みは過ぎていった。

 

-----------

 

 

 昼休みと午後の授業が終われば、もう夕方がやって来る。

 夕方が過ぎれば、夜が来る。

「異能の力を持つ者たち」の夜が。




作者に「オラァ!!もっと早く書けやぁ!!」と催促したい方!!
評価ポイントか感想、もしくはその両方をぜひともお願いします!!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白蛇と彼の一日(中学生編・夜の部・前半)

すまない、またなんだ。
また、全部書ききれなかったよ・・・・
今日中にもう一話投稿するので許してください。

あと、今回登場する久路人の戦い方は、私が愛読して止まないある小説に登場するボスモンスターをモチーフにしております。


 月宮家の 裏庭は広い。

 田舎の街のさらに外れということもあり、京は周辺の土地をかなり広く買い取ったのだが、屋敷と同じく学校のグラウンド並みの広さの庭にも結界が張られている。

 単純な侵入防止用のトラップもあれば、屋敷を丸ごと認識されにくくする認識阻害、果てには庭の損傷の自動修復に雑草、害虫駆除機能まで盛り込まれた傑作であり、当然のことながら防音完備である。

ただ、庭と言っても殺風景で、表側はまだ植木や申し訳程度のエクステリアで体裁を整えているが、裏庭は完全にただの運動場である。

そんな夕日が沈みかけ、設置された灯篭の灯りに照らされた庭で、一人の少年と少女が向かい合っていた。

 

「・・・・・」

 

「来ないの?なら、今度はこっちから行くよ!」

 

 先に動いたのは白い着物を身につけた少女、雫だった。

 その手には、まるで水晶から削り出したかのような美しく煌めく透明な薙刀が握られていた。

 対する少年、久路人は黒髪を逆立てたまま答えずに手に持った竹刀ほどの長さのある十手を構える。

 

「やぁあああっ!!」

 

 足をトンっと軽く踏み鳴らすとともに周囲の地面を凍らせると、スケート選手の如く滑り込んで久路人に迫る。

 恐ろしいのはそのスピードだ。

 氷の上という普通ならば不安定な環境を逆に利用し、人間の動体視力では追いつけないほどの速さで迫り、薙刀を振るう。

 その振りは迷いなく達人のように研ぎ澄まされた鋭さで久路人を襲う。

 

「っ・・・」

 

 しかし、久路人はその人外の動きに対応し、服を掠めるギリギリまで見切って避ける。

 その靴はただのスニーカーだったが、いつの間にかメタリックな黒に染まっており、靴底にはスパイクが生えている。

 これによって氷の上でも滑らず、安定した立ち回りができるのだが、秘密はそれだけではない。

 

「とぉおう!! ふんっ!! せぇいやぁあああ!!」

「フゥッ・・・!!!」

 

 続けて間髪入れずに振るわれる高速の三連撃も、やはり体をわずかに揺らすように動かすだけで回避する。

 久路人の回避という選択は正解だ。正真正銘人外の膂力で振るわれる薙刀をまともに受け止めた時、骨折で済めば運のいい方だろう。

 

 轟っ!!という濁流のような勢いの攻撃を無理やり止めようとすれば、腕だけが吹き飛んでもおかしくはなかった。

 雫が放つ殺気は本物であり、「必ず切り裂いてやる!!」という強い意志を感じさせる。

 

「・・・・・・」

 

 そんな自らの命を簡単に奪いかねない殺意と斬撃の嵐の中、久路人はじっと雫の動きを観察する。

 その()()に染まった瞳は、付け入る隙を常に探すように鋭く絞られ、足元を一切見ることなく複雑なステップで雫の攻撃をかわし続け・・・

 

「っと!!」

「!!」

 

 薙刀という間合いの長い武器を伸ばした後の、武器を引き戻してもう一度振るうために生じるほんのわずかな隙。

 その隙を久路人は見逃さなかった。

 

「はぁっ!!」

「わぁっ!?」

 

 バチリという電流が流れるような音とともに、バックステップで下がる雫に食らいつくように素早い踏み込みで距離を詰め、勢いが乗る前の薙刀を十手で絡み取る。

 

「でもっ、力比べならっ!!」

「正面から張り合うわけないだろ!!」

 

 雫もさるもの。

 不利な体勢で得物を封じられかけるも、人外の力で無理やり振りほどこうとするが、久路人はその力を利用するかのように逆らわずに流され、器用に手首を捻ってその力の流れに薙刀も乗せる。

 

「フッ!!」

「ええっ!?」

 

 結果、薙刀は自ら離れるように雫の手からすっぽ抜けて飛んでいき、雫は丸腰になった。

 武器を手放した相手に決定打を与えるべく、久路人は十手を突き出すが・・・・

 

「まだまだぁっ!!」

「チっ・・・」

 

 雫が瞬時に作り出したもう一本の薙刀に阻まれ、追撃を諦め後退した。

 

「・・・・・」

「ふぅ~、危なかったぁ・・・・その術、本当に便利だね」

 

 割と本気で焦りつつ、雫はバチバチと()()を纏う久路人に声をかける。

 

 

雷起(らいき)

 

 多くの異能者が人外の身体能力に追いつくために使用する基本にして、己の霊力を使った「強化」系統の術の一種。

 天候にまつわる能力を持つ者が多い月宮家の中でも、類を見ないほどに強力な「雷」の能力を持つ久路人独自の術だ。

 身体強化系統の術は腕力、脚力、持久力、耐久力、動体視力などを人間の限界を大幅に超えて強化するが、雷の性質とともに特異な霊力を持つ久路人の場合は、普通のそれよりも効果が大きい上に、動体視力と反射神経、集中力、神経伝達速度などの「神経系」にまつわる全般と精密動作性、耐電性を人外すら凌駕するほどにはね上げる。

 人間の姿とはいえ、大妖怪たる雫の本気の猛攻を見切らせ、得物を手放させるような技を可能にするのも、この術あってこそである。

 久路人が集中すれば、さきほどの雫の攻撃も文字通り「止まって見える」状態であり、「どのように動けばよいか?」という問いにも瞬時に回答を導き出せる。

 もっとも、そのように判断できるのはこれまでのメアとの手合わせによる経験があるからだが。

 

「そっちこそ、その薙刀、やっぱり厄介だな・・・・」

「ふふーん!! そうでしょ!! 氷は電気を通しにくいって前に調べたもん」

 

 雫の持つ薙刀は、雫が自身の力で作り出した氷を圧縮したものだ。

 雷起を使用している久路人の攻撃は電流を常に纏っており、一撃一撃がスタンガンのようなものだが、雫の氷の薙刀には通用しなかった。

 電熱を利用すれば対抗できるかもしれないが、氷を溶かすまで組み合っていては鍔迫り合いにならざるを得ず、結局は力比べになってしまうだろう。

 

「タイプ相性で言うなら私が有利!! さあ、久路人。大人しく服を・・・・」

「断る!!」

 

 紅い眼を輝かせながら薙刀を再度構える雫を前に、今度は久路人から仕掛ける。

 久路人が腕を振るうと、靴と同じくその黒い学ランをびっしりと覆っていた黒い粒子が雷を纏いながら礫となって飛んでいく。

 

「甘いっ!!」

 

 銃弾もかくやという速度で飛ぶ黒いナニカを、ピッチャー返しの如く薙刀で打ち返すが、地を這うように身をかがめて駆ける久路人には当たらない。

 ギィン・・・と久路人のベルトを掠めるように飛んで、氷にめり込んだのは鈍く輝く黒い金属であった。

 

黒鉄(くろがね)

 

 久路人の霊力をよく馴染ませた砂鉄が変容して生まれた物質であり、久路人の意のままに操ることができる。

 久路人は日頃からすぐ近くにこの黒鉄を細かく散布しながらプールしており、非常時にはこの金属を服に纏わせる。靴を覆い、スパイクとなっているのもこの黒鉄である。

 もっとも、服に纏わせられるくらい「意のままに」コントロールできるようになったのは、必要性に迫られたためについ最近のことであったが。

 だが、そんな努力が実を結んだからこそ、こんな奇襲もできる。

 

「咬みつけ!!」

「えっ!?」

 

 雫に当たるか当たらないかスレスレの位置に放たれた礫とは別に、その背後に打ち込まれた黒鉄が元の砂鉄に戻り、そこからさらに雫の本来の姿のような蛇に姿を変えて襲い掛かった。

 雫はつい後ろを向いてしまい、その隙に久路人が懐に入り込むのを狙い・・・・

 

「なーんて、ね!!」

「!!」

 

 しかし、これも失敗。

 雫の瞳が輝いたかと思えば、砂鉄の蛇はたちまち氷の中に閉じ込められる。

 それと同時に、久路人の方を見ずに振るわれた薙刀が襲い掛かるが、久路人は地面を強く踏み込んで急ブレーキをかけ、即座に後ろに下がり、間合いに入ることだけは免れた。

 だが、無理な体勢で制動をかけたことで、久路人の動きが止まる。

 

「いざ、御開帳ぉぉおおおおお!?」

 

 そして、今度こそ久路人に唐竹割りを仕掛けるべく、力強い踏み込みで前に進んだ雫であったが、今度は雫の方が止まる番であった。

 雫の眼の前にあるのは、バキンと氷を砕いて現れた、黒い握りこぶしを先端に象った鉄の棒だ。

 

「クソっ、ちょっとズレたか」

 

 雫の前髪を掠めて地面から伸びる棒は、久路人が後退する直前までいた地点の地下から伸びていた。

 下がる前に地面に黒鉄を埋め込み、蛇に変形させたのと同様に遠隔発動できるトラップとして利用したのだ。

 さすがの久路人も、目に視えない部分に働きかけて正確にタイミングを合わせるのは難しかったようだが。

 ともかく、二人の攻防の交錯の結果、お互いに近距離でのにらみ合いとなり、振出しに戻ってしまった。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 これまでのせめぎ合いはまったくの互角。

 大妖怪として身体能力、霊力という単純なステータスに優れる雫を、人間でありながら技に長ける久路人がいなしながら食らいつくという形だ。

 この時点で、久路人も充分人外の領域にいると言ってもいいだろう。

 だが、雫が周りの地面のように涼しい顔をしているのに対し、久路人の額には若干汗がにじんでいた。

 久路人の霊力は大妖怪を超えるほどに潤沢で、術の効果時間もほぼ常時続けられるほどに長いが、その体は人間のモノだ。強化し続けられる時間には限界があった。

 

 ここまでは互角。だが、次からは・・・・

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 そのまま二人はお互いの顔を正面から見据えるが・・・・・

 

「・・・・その、そんなに見つめられると、ちょっと」

「・・・・はァ」

 

 先に雫が顔を赤らめて目をそらすと、気が抜けたのか、久路人はため息をつく。

 それと同時に、庭に灯っていた灯篭の灯りが弱まった。

 

「あ、ご飯の時間だ」

「もうそんなに経ってたんだ」

 

 月宮家には灯篭の灯りが弱まる=夕飯の時間というルールがあり、「妖怪に襲われたときに対応できるようにするためのトレーニング」は終了である。

 もしもこれを破ることがあれば、メアは容赦なく二人の分の食事も食い尽くすということを二人は良く知っていた。

 

「今日はカレー作る予定だっけ?」

「ハンバーグもだね」

 

 久路人が雷起を解いて元の黒目に戻ると、雫も薙刀を水に戻し、地面に残る霜とともに消す。

 そして、それまでの気迫に満ちた姿が幻のように、二人は和気あいあいと家の中に入っていった。

 

 これももまた、月宮久路人と雫の日常である。

 

-----------

 

 始まりは、小学校の頃の久路人が妖怪に対して危機意識をほとんど持っていなかったことだ。

 「妖怪相手に警戒しないのはいいが、それなら余裕ぶっこけるだけの実力つけてからにしろや」とは京の言であり、小学校低学年の内は走り込みや受け身などの基礎を京の護衛としての実績があるメアが徹底させた。

 その後、「いつまでも異能のことを知らないのはまずい」ということで京が霊力の扱いを肉体的なトレーニングと並行して教えるようになる。

 小学校高学年からは護身用の武器が与えられ、「妖怪相手でも絶対に生き残れるようにしろ」という主の命令に忠実に従ったメアと武器あり異能ありの超スパルタ実戦形式組手が行われ、それはつい最近まで続いていたのだが、約一月前に雫が人化したことで様子が変わる。

 

「久路人が他の女と付きっ切りでいるなんて我慢できない!!」

 

 そんな想いを胸に雫がスパーリング相手として名乗りを上げたのだ。

 雫としてはメアの想いがどこに向いているのかは重々承知しているが、「それはそれ、これはこれ」であった。

 蛇の姿の時は細かな制御が苦手のため相手をする許可が得られず内心もどかしかったのだが、人化の術によってその事情は改善されたために認められた。

 人化の術の効果により、その動きは願いの影響を受けるが、雫は姿のイメージ不足を補うほどに強い願いを持っている。

 そのため、最初から武芸の達人の如く体を意のままに動かすことができ、武器を使った打ち合いもできるというのもポイントであった。

 こうして雫は、「はいはいご馳走様です。まあ、私としてもこれで時間を割かれることもなくなるからいいんですけど」というメアと交代し、毎日夕方に久路人と二人きりで過ごせるようになったのだ。

 しかし、何の問題もなかったわけではなかった。

 

「久路人~、運動もいいけどたまにはしっかり休まないとダメだよ!!」

 

「久路人!! 私が買ったパックの方にシクレア入ってた!! デッキ調整したから、おい、デュエルしろよ!!」

 

「え~、久路人に武器を向けるなんてできないし~」

 

 などとほざきながら雫が久路人の教導役という立場を濫用するようになったのだ。

 なんだかんだ言ってそこそこ付き合いのいい久路人も「しょうがないにゃぁ」と結果的にサボる始末。

 

 これには京もぶちギレ寸前になり、京の意を汲んだメアが見た目13歳の雫に、「主人公が戦闘中、安全なはずの拠点に籠っていた守られ系ヒロインが侵入してきた敵に・・・・」というシチュエーションのR18本を大量に読ませ、雫の脳を破壊。

 「時代は主人公の隣で戦えるヒロインだよね!!」という風に破壊された、もとい目が覚めた雫はトレーニングに積極的に取り組むようになった。

 その光景を見て、「君、素質あるよ」とメアが言ったとか言わないとか。

 

 ともかく、これで雫もまじめに修行相手を務めるようになったのだが、それでも「久路人に武器を向けるのは・・・・」という問題は解決しなかった。

 

 雫としても、護衛である自分だけでなく、久路人もいざという時に動けた方がいいというのは理解しているが、万が一傷つけてしまったらと考えたら手が鈍るのは仕方ないと言えるだろう。

 そしてとうとう、「久路人が力及ばず攫われて・・・・・この街丸ごと凍り付かせてやろうか?」という思考と「これは愛の鞭、これは愛の鞭、でも私、久路人相手ならどっちかというとMだし、いや、Sも興味ないわけじゃないけど」という思考がせめぎあった結果、ついに天啓に至った。

 

 久路人を傷つけるのがダメなら、久路人の服だけに狙いを絞ればいいのでは?

 

 この閃きが走った時、雫は運命を司る神の存在を信じたかけた。

 それほどの天才的あるいは悪魔的な発想であったのだ。

 

 これによって雫は久路人の意外と引き締まった腹筋や、意外な力強さを思わせる大胸筋、見ずともわかるセクシーさを持つ僧帽筋をトレーニングという大義名分のもとに合法的に観察するチャンスを得るために武芸と異能に磨きをかけ、それに引きずられるように露出癖のない久路人も貞操を守るべく修練に励むようになるのだった。

 これぞまさしく切磋琢磨というものだろう。

 

 ちなみにこの後、汗をかいていた久路人から風呂に入ったが、「さ、さすがにバスタオル巻いただけで突入っていうのは・・・・でも」と、久路人の次に入る予定の雫が脱衣所で悶々としていたのは別の話である。

 

 

-----------

 

 月宮家、リビング。

 そこは今、奇妙な圧迫感に包まれていた。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 固唾をのんで見守るのは、エプロンを付けた久路人と雫の二人だ。

 その視線の先には、箸を器用に持つメアがいる。

 メアはパーツにホムンクルス由来の生体パーツを使っているせいか、普通に食事もとれるし、京に出す食事を作ることもあって味覚も優れているのだ。

 ちなみに京は「阿呆らしい」とばかりにビールを飲みながら枝豆をつまんでいたが、3人の視界には入っていなかった。

 

「では、いただきます」

 

 ゴクリ・・・

 

 その音は、思わず唾をのんだ久路人と雫の出した音だったのか、あるいは咀嚼を終えて嚥下したメアのものだったのか・・・・

 目を瞑りながら一口食べ終えたメアは、そこでおもむろに目を開き、言葉を発する。

 

 

「つまらないですね」

 

 その評価は辛辣だった。

 そうして、数々の美食を口にした評論家のように、メアは語る。

 久路人と雫は初心者だ。ならば、先達の言うことを素直に受け入れねば上達はないという意識の下、メアから語られる厳しくもありがたい指導を聞こうと思い、たたずまいを整える。

 

「こういう料理をし始めたばかりの少年少女は、メシマズか、あるいは、「俺、なんかやっちゃいました?」とか無駄にムカつく感じに上手いというのがお約束で、こんな普通の味は・・・・」

「メアよ、お前いい加減二次元と三次元を混同するのは止めろと言っておるだろうが」

「というか、今までの無駄に話しづらい雰囲気は何だったんだよ・・・」

 

 が、そんな立て板に水と言うようにスラスラと語られる評価の内容が、雰囲気と覚悟に反してあまりにもしょうもなかったので、とうとう二人はツッコんだ。

 「だから阿呆らしいって言ったんだよ」と言いながら、京がちゃっかりと二人の作った料理を口に運んでいるが、誰も反応しない。

 京は少し悲しくなったが・・・・

 

「ん~~、久路人の焼いたハンバーグは火加減はいいが、事前のこね方が甘いせいで小麦粉がダマになってんな。あと一個卵を足してもいいかもしれねぇ。雫は汁物作るのは相変わらず上手いが、久路人とは逆に焼くのが下手だな。バラ肉が固まってるせいで食感が悪い」

「あ~、確かにこねる時間少なかったかも」

「むぅ、解凍はしっかりしたんだがなぁ」

 

 メアよりもよほど具体的なアドバイスをすると、久路人と雫はそろって反省した。

 

「クソイキリマウント造物主様。初心者相手に料理の玄人っぽく振る舞えて満足ですか?」

「お前がまともに評価してりゃそもそも済んだ話だろうが」

 

 自分の見せ場を奪われたのが悔しかったのか、今日もメアは毒舌だ。

 これで内心はかなりデレているのが信じられないと雫は思う。

 

 リビングはガヤガヤと騒がしかったが、これが最近の月宮家夕食の光景だ。

 発端はやはり雫が「私も久路人に手料理作りたい!!」とメアに料理の手ほどきを頼んだことに始まる。

 雫が料理を習い始めたのを見た京が、「料理は覚えて損はないからお前も覚えとけ」と久路人もねじ込み、二人そろって料理を作るようになった。

 久路人は異能のおかげで電子レンジとIHクッキングヒーターを常時感覚的にコントロールしながら並列稼働でき、雫は汁物の濃度が見ただけでわかるので、一部の料理の上達は早かったが、それ以外はまだまだである。

 とはいえ、二人とも並み程度には器用でメアの指示には従っているので、極端にまずいモノは作っていないが。

 

 

「うーん、確かに普通の味だ」

「なんというか、ちょっと粗はあるけど普通に食べられるっていう微妙な感じだよね」

 

 ともかく、一時は妙な雰囲気になったが、運動をして空腹だったこともあり、4人は食事を始める。 味は悪くはないし、話のネタにもなるのでリビングは料理の話で盛り上がっていたが、そこで久路人は雫の方を見て、ある疑問を抱いた。

 

「あれ、雫、血は飲まないの?」

「えっ!? あ、い、いやぁ~、今は血の味よりもご飯の味に集中したい気分なんだよね。久路人の血は食後のデザートっていうか?」

「ふ~ん?」

 

 最近、雫が自分の血を飲むところを見ていない気がすると久路人は思った。

 蛇の姿では、食事の時に一緒にビンの中身をチロチロ吸っていたのだが。

 まあ、血を溜めるボトルは数日おきに空になるし、雫の力が衰えている感じもしないから、飲んではいるのだろう、と久路人はそれきりそのことを考えるのを止め、目の前の料理に集中する。

 

「・・・・・・」

 

 そんな久路人を、複雑そうな顔で雫が見ていたことに、彼は気が付かなかった。

 

-----------

 

 夕食を食べ終えて、明日の仕込みを行った後は、久路人の案内で部屋に向かい、しばらくダラダラと過ごすというのが蛇の時も人の時も変わらないルーチンだ。

 朝方に不法侵入するなら、この時久路人の部屋にとどまればいいのでは?ということを雫も考えないではなかったが、久路人の部屋は見たところ廊下よりもさらに厳重に管理されており、一定の時刻を過ぎると雫を強制的に封印部屋に戻すという機能が仕込まれているのが分かると、早々に諦めた。

 決して、自分から「今日は久路人の部屋で寝たいな?」と言うのにヘタレたわけではない。

 

「えっと、サ行変格活用とナ行変格活用は・・・・」

「うぇ~、久路人よく古文なんてやる気になるね~」

「・・・お前がそれ言うの?」

 

 この時間に二人がやることは日によって様々だ。

 特にこれといって面倒な宿題がなければ昔のようにボードゲームをしたり、ポケットにいるモンスターで通信対戦したり、遊びの王のカードゲームでデュエルしたりとやりたいことをやる。

 だが今日は古文の宿題があり、久路人は教科書の古文の現代語訳をしていた。

 

「別に私は人里に行ったこともあまりなかったし、文字なんて読まなくても生きていけたし」

「だから古文の時間眠そうだったのか」

 

 雫はかなり長生きをしているが、大半を弱肉強食の野生世界に身を置いており、十分な力を得て安全で安定した暮らしと退屈しのぎをしに現世に来た時も人間に興味をあまり持たなかったので文字を知ることもなかったのだ。

 

「あれ、そういえば雫って相当長生きしてるみたいだけど、何歳な・・・・」

「久路人。いくら久路人でもしていい質問と悪い質問があると思うの」

 

 雫はにっこりと可憐な笑みを浮かべるが、その薄く開いた紅い眼は対照的に全く笑っていなかった。

 心なしか、夏が近いのに涼しくなったような気がする。

 

「・・・ごめん」

「ううん、わかればいいの。わかれば」

 

 久路人が謝ると雫は正真正銘のほほ笑みを見せるが、久路人は二度と年齢関係の質問を雫にはしないと決めた。

 

「でも雫って、古文漢文より英語の方が得意だよね。リスニングも上手だし」

「だって今はもう使ってない文法なんて覚えても役に立たないじゃん。私には受験とかないし」

「そこはちょっと羨ましいかもな・・・・」

 

 雫は久路人にくっついて授業を受けているが、生来の好奇心がうずくのか、意外に熱心に聞いていたりする。

 英語のスピーキングの時に、周りに見えないのをいいことにクラスメイトが喋っているのを遮って久路人の相手を務めようと大声で英語を話すのが少し迷惑だが。

 ただ、それは久路人が学生として学校に通わなければならないことが大きいらしく、二人で遊んでいる時の方が楽しそうではある。

 

「だったらさ、久路人、学校何てサボっちゃいなよ。家で私と日がな一日遊ぼ? 楽しいよ?」

「さすがに義務教育を受けずに中学を過ごしたくはないなぁ・・・そういうルール違反はよくないよ」

 

 そのせいか、今のようにたびたび久路人にサボるように誘いをかけてくる。

 久路人としても遊びたいのは山々だが、「学生は学校に通うべし」という社会的な常識を破るのはもっと嫌だった。

 

「久路人はホントにお堅いよね」

「別に普通だろ」

 

 こうしてその晩も久路人の部屋に強制排出機能が発動されるまで居座り、久路人は眠りにつくのだった。

 

「じゃあ、おやすみ、雫」

「うん、おやすみ・・・・久路人」

 

 

 部屋を去り際に、いつものように「おやすみ」を言い合う。これも二人のルーチンだ。

 だが、今日の訓練が堪えたのか、久路人はもう眠そうだったので夕食の時のように気が付かなかった。

 

「・・・・・・」

 

 雫がどこか後ろめたい表情をしていることに。

 

-----------

 

「はあ・・・・・」

 

 月宮家の2階にある一室で、少女はため息をついた。

 久路人の部屋から少し離れた場所にあるその部屋は、妖怪などに対する罠が唯一仕掛けられていない、雫の自室だ。もっとも、雫としてはここを自分の封印部屋としか思っていないが。

 この部屋には蛇であった時から寝るかテレビを見るためにしか使わない。漫画の類はメアの部屋に置いてあるし、ゲームは久路人の部屋だ。最近では自分の私物は久路人の部屋に行く口実も兼ねて少しずつ移していた。

 そんな部屋に新しく京が作ったベッドの上で、雫は紅い液体の入ったボトルを手で弄ぶ。

 

「久路人の血・・・」

 

 その血は、力を封じ込める器の中にあってもなお美しかった。

 ひとしきり満足した雫は、ボトルの蓋を開けて、その白く美しい喉を鳴らし紅い液体を飲み込んだ。

 

「やっぱり美味しい・・・・」

 

 この味は、昔から何一つ変わらない。

 量も質も増え、普段身に着けている護符が役に立たなくなりつつあるが、久路人の血の味は今も雫を満たす極上の味わいだった。

 昔ほどではないが、自分の霊力がわずかに増すのを感じる。

 それに・・・・

 

「んぅ・・・・」

 

 少女から、その幼さの残る見た目に似合わない艶めかしい声が漏れる。

 普段は雪のように白い肌にも、火照ったように赤みがさしていた。

 

「はぁはぁ、んんっ・・・」

 

 体が熱い。

 その吐息には火傷しそうなほどの熱がこもっていた。

 

「久路人、久路人ぉ・・・・」

 

 数百年の時を経て出会った、想い人の名前を口にしながら、白魚のような指が着物の下に潜り込む。

 右手は下に、左手は心臓の上に動いた。

 そして、そのまま指を動かし、指に当たる突起を弄繰り回す。

 

「はっ、あっ、んっ・・・」

 

 興奮する。

 その色に、その香りに、その味に、己の力の増大に。

 だが、何よりも・・・・

 

「久路人が、私の中に・・・・」

 

 最愛の雄の一部が、自分の体の中に入ることに。

 己の中で溶けて、自分の一部と化すことに。

 自分が、久路人に染め上げられていくことに。

 

「ん、あっ、んんぅぅ~!!」

 

 限界に達したのか、雫は一度ビクンと震えると、くたりと脱力したようにベッドに横たわった。

 

「はぁはぁ、ん、はぁ・・・」

 

 ボトルに溜めてあった、やや鮮度の低い血を飲んだだけでこれなのだ。

 新鮮な血ならば、それこそ、久路人の匂いに包まれながら、吸血鬼のように直接その体から吸えば・・・

 いや、逆に今日の訓練の時のように久路人の方から全身で自分にぶつかってきて、この身を押し倒し、そのたくましい体で・・・・

 

「・・・・ははっ」

 

 そこまで妄想して、雫は歪んだ嘲笑を浮かべた。

 この身に走った確かな快楽と、暗い悦び。今、心にに満ちる罪悪感で胸が張り裂けそうだった。

 

「契約とは言え血を飲んでるだけでもアレなのに、それで興奮して自分を慰めるなんて、完全に変態じゃない。しかも、もっとグレードアップしようとするとか・・・・・」

 

 ここ最近、久路人の前で血を飲まない理由がこれだった。

 雫は人化を果たした時点で、久路人への恋心を自覚した。

 だからだろうか、久路人の、想い人の血を吸うと、体が言うことを聞かなくなるのだ。

 ただでさえ、血を飲むなどという「普通の女の子」から程遠いことをやっているのに、こんなアブノーマルな痴態をさらしていることなど、絶対に知られたくなかった。

 

「久路人は、今の私を綺麗って言ってくれた・・・・・」

 

 雫は、あの日を、あの霧の中での言葉を死ぬまで忘れないだろう。

 蛇の姿の時にもかわいいと言われたことがあるが、あんなペットに向ける言葉とは違う、「女の子としての雫」を指して言ってくれた言葉だ。

 だからこそ、そんな「綺麗な女の子」らしくないと思われるようなことはやるべきではないとは思っているのだ。

 こんなことを続けていれば・・・・

 

「・・・・そうだ、明日の朝に久路人の部屋に行けるようにしなきゃ」

 

 そこで雫は立ち上がり、自らの異能で身を清め、水を消す。

 そして、少しでも久路人に近づくために動き始める。

 その積極性は、空元気に近いものだ。

 もはや雫は己の気持ちを自覚した。もう止まれないし、止まるつもりもない。

 

「えっと、扉にかかってる術はっと・・・うん、大丈夫」

 

 だが、もしも自分の歩みを止めてしまうことがあれば、その時自分は気付いてしまうだろう。

 自分の心の奥に潜むものに。

 

「よし、廊下には出れる。後は朝と同じように・・・・って、ん?」

 

 だから、雫はこのときも見て見ぬふりを・・・・

 

「え?なにこれ?」

 

 直後、それまで薄々と考えていた思考が吹き飛んだ。

 

 そして・・・・

 

 

「京~!!!!京、これはどういうことだぁああああああああああああ~!!!!!」

 

 

 夜中の月宮家に、雫の怒声が響き渡ったのだった。

 ちなみに、久路人はこの時には深い眠りについており、その日は起きることなくぐっすり眠れたという。

 

 

 

 




最後の方はちょっとエロに挑戦してみたのですが、規約とかに引っかかるなら書き換えます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白蛇と彼の一日(中学生編・夜の部・後半)

やべぇ、何でこんなに長くなってしまったんだ・・・・
とりあえず、これで本当に中学生編は終了です。

書きたかった京の内心も少し書けたから満足したぜ・・・
基本、京は見た目チャラ男ですが、めっちゃいい人で、異能者にしては大変珍しいことに人間ができてます。


あと、エロ系は色々怖いのと、拒否反応示しそうな方もいるよな・・・と思うので、これからは控えようと思います。


 ドタドタと廊下を走る音が響いた。

 それに追従するようにドォン!!!とかガタァン!!というトラップの発動する音が聞こえるが、走り回る足音は一向に途絶える様子はない。

 後でトラップの強化しとくかと、京は思った。

 

「京ぅ~!!ここにいたかぁああああああ!!!」

 

 そして、ついに目的の人物がいる場所を察知したのか、バタァアアン!!!と全力でドアを開けるとともに雫が部屋の中に突っ込んできた。

 

「お前夜中にドタバタうるせーんだよ。近所迷惑考えろや」

「月宮家の防音設備、および隣家との距離を考えれば、この程度の騒音は問題ないかと」

 

 居間でニュースを見ていた京が雫に説教しようとするが、ソファのすぐ隣に座っていた己の護衛に自分の意見を速攻封殺されていた。

 月宮家の設備を語るときのメアは、いつも微妙にドヤ顔だ。

 

「ええい!!そんなことはどうでもよい!!それよりも、久路人の部屋に行くルートの罠が朝とはまるで別モノではないか!!あれはどういうことだ!!!久路人の部屋に侵入できないではないか!!」

 

 瞳を紅くギラつかせ、凄まじい剣幕で吠える。

 そう、先ほど明日の下見を兼ねて罠を潜り抜けて久路人の部屋に行くルートを確認しようと思ったのだが、朝とは全く違う構成になっていた上に、封印部屋から居間にあるトラップとは桁違いの殺傷力のある罠に変えられていたのだ。

 「さては、自分と久路人の仲を引き裂くつもりか!!」と文句を言いに来たのだが・・・

 

「おいメア、ストーカーが堂々と「お前の家の警備厳重すぎ。もっと私に気持ちよくストーキングさせろ」とか言ってんぞ。盗人猛々しいとかいうレベルじゃねーな」

「月宮家は我が子同然。警備システムも随一です。そんな我が子が素晴らしさのあまり嫉妬の念を抱かれるのはもうこの世の真理であって・・・」

「いや、ちげーよ」

 

 「まったく、俺の作品の話になるといつも早口だよな」と京が呆れた視線を送っていると、

 

「貴様らいつまでコントをやっているのだ!!!質問に答えろぉおおおお!!!」

 

 自分をスルーして屋敷の自慢を始め、それにツッコミを入れる京を見て、いい加減堪忍袋の緒が切れそうなのか、雫は猛烈な冷気を放出し始めた。

「ちとふざけすぎたか」と京も面倒くさそうに雫に向き直る。今は6月で涼しいのは歓迎だが、寒いのは嫌だった。

 

「あのなぁ、考えても見ろよ。久路人は思春期男子だぞ? 一人にさせておいた方がいいこともあるんだよ」

「久路人様に自分の自慰行為を公開したがるような特殊な趣味はございません。雫様とて、ご自分の部屋に突然久路人様が入ってくるようなことがあったら困ることもあるのでは?」

「うっ!? そ、それは・・・」

 

 「あん?」と京が不思議そうな顔をする中、メアは思わぬ急所を突かれて反撃にうろたえる雫に意味深な視線を送る。このあたりは、自動人形とはいえ男性と女性の勘の鋭さの違いもあるのだろう。

 「だがまあ、ともかく」と京はどこか気まずそうな二人を見つつ言葉を切って、それまでのどこか軽薄な雰囲気を消してから雫を見やる。

 

「万が一ってこともあるからな・・・・お前と久路人の契約、緩んできてるだろ」

「・・なんだと」

 

 久路人と雫の間に結ばれた契約は、「雫は久路人が死ぬまで護衛をする代わりに、久路人から霊力を受け取る」というものだ。

 これに追加の条件として、

 

 一つ、久路人、京、メアの3人を不当に傷つけない。

 一つ、雫は契約の破棄のために第三者に上記3名の殺害を促してはいけない。

 一つ、「可能な限り」、一般人は傷つけない

 

 の3つがある。

 当然の条件として、これらが順守されている限り、久路人、京、メアも不当に雫を害することはできない。

 だが、この契約は久路人と雫の間に京が術者として入って結んだ契約だ。

 雫がかつての力を取り戻して、さらに力を高めるにつれて、久路人の内に溢れる力がさらに勢いを増すにつれて、段々と術者である京が縛れるレベルを越えつつあるのだ。

 

 「3人を傷つけない」という縛りについて、ここ最近行われているトレーニングは久路人も雫も合意の上かつ、雫に敵意がないため契約は発動しない。もっとも、その最中に雫が悪意を持って攻撃しようとすれば、その時点で雫は身を割かれるような激痛を味わうことだろうが、雫が悪意を向けているのは久路人の衣服にのみなのでやはり発動しない。

 だが、最近にあった久路人をイジメていた連中に対する仕打ちは別だ。

 確かに悪質な行動ではあり、雫が暴力を以て解決したことには京も何も言わなかったが、それでもそれは、「可能な限り」の範囲を逸脱していたことに間違いはない。あの程度の連中相手なら、さっきのように冷気を出して脅かしてやるくらいで充分だったからだ。

 他にも、メアが雫に京を侮辱されたときに攻撃できたこともそうだ。

 そしてもちろん、京も、メアも、雫も契約の綻びに気付いていた。

 

 だからこそ、その京の言葉は雫には見逃せなかった。

 

「もしや貴様は、妾が万が一にも久路人を害すると、そう言いたいのか・・・・?」

 

 それまでのどこか愛嬌のあった怒りとは違う、凍り付いた刃のような殺気が雫から溢れる。

 その目にはさきほどまでの輝きが失せ、ドロリとした闇が渦巻いていた。

 

「・・・・・・」

 

 殺気の質から、京の危機を察したのか、メアが京を庇うように前に出る。

 メアの眼は元々感情が希薄だが、今の眼は完全に人形のソレだ。

 雫は、メアならば京のためであるのなら、それまで笑いながら食事を採っていた相手でも躊躇なく殺せるであろうという確信があった。

 その姿勢は、今は邪魔だが、嫌いではない。

 だって、自分も久路人のことに関するのならば、京やメアを殺すのに何の抵抗もないから。

 だが、京はメアを手で制した。

 

「技術者ってのは、「もしこうなったら、こうする」っていう想定と対策をいつも考えてなきゃいけない生き物だ。この世に絶対なんてものはねぇ。可能性って意味ならどんなことでもあり得るが・・・」

「・・・・・」

 

 雫の手に、血を凍らせて作ったかのような真っ赤な薙刀が作られる。

 続けてふざけたことを抜かすようなら、一息に首を落としてやるつもりだった。

 

「だがまあ、俺の言った万が一は、お前の考えてるのとは違うぞ」

「何?」

 

 京が口にしたのは、雫の想像とは違っていた。

 雫の殺気が緩んだのを察してか、饒舌に京は語り始める。これ以上引き延ばすのはさすがに面倒なことになると思ったのだろう。

 

「まあ、本当に万が一、億が一、兆が一くらいでお前が久路人に敵意を持つ可能性もなくはないが、それよか可能性が高い危険だな」

「・・・なんだ?勿体ぶらずにさっさと言え」

「あ~、まあな、それはな・・・・」

「?」

 

 雫としては、余計な問答に付き合うつもりはない。

 結論だけが知りたいのだが、京にしては珍しくどうにも歯切れが悪かった。

 

「端的に申し上げますと、学生でない雫様はともかく、中学生という未熟かつ資産も職もない状況で、子供を育てるのは久路人様には荷が重すぎるという懸念です」

「は?」

 

 何の話だ?

 そんな主を援護するようにメアが意見を要約するが、雫には意味が分からなかった。

 

「お前、それは色々飛躍しすぎだろ・・・・まあ、要するに万が一ガキができちまったらどうすんのかって話だな」

「は?」

 

 ガキ、子供、赤ちゃん

 雫の脳内で、瞬時にそんな言葉が駆け巡った。

 

「はぁぁあああああああああああああああああああ!!?」

 

 雫の色白の肌がタコのように真っ赤に染まる。

 手に持っていた薙刀がシュウゥウウウウと湯気を立てて消えていった。

 

「な、な、お、お前たち何を言って・・・・ガ、わ、妾と久路人のこ、こ、ここここ、子供などとぉおお!!! は、破廉恥であるぞぉぉおおおおおおおお!!!」

 

「予想通り面白い反応すんなぁ」といった感じの京の視線と「お前にだけは言われたくない」と言わんばかりのメアの呆れた視線に腹が立った。

 

「はっ!? まさか、さきほどの万が一とは、「コイツなら久路人を性的に襲いかねない!!」という意味か!?」

「いや、お前の方じゃねーから。久路人の方だよ。中学生男子の性欲舐めんな。あいつが無理やりってこともあるかもしんねーだろ」

「雫様のヘタレ具合では、逆レが成功する可能性は限りなく0に近いかと」

 

 再び雫の脳内に某名探偵アニメのごとく電流が走り、さきほどの言葉の真意を察するが、二人はあっさりとその予感を否定した。

 

「な、なんだとぉう!? な、舐めるなよ!! 妾だって本気を出せばだなぁ!!!妾だって!!」

「できんのか?」「できるんですか?」

「それはだな、それは、その、あの、わ、妾にだって、えっと・・・・」

「ほら無理なんじゃねーか」

「予想通りでございます」

「ぬぅううううううううう!!!!」

 

 それなりにプライドを傷つけられた雫が反撃に出るも、今度は2発同時反撃を食らい、あえなく沈黙する。言い返したいが、さきほどの二の舞になるだけだということは分るので、雫は何も言えなかった。

 そんな雫を見て、京は不思議に思ったかのように言う。

 

「はぁ~、部屋に不法侵入までしてんのに、何でそこまでヘタレるかね」

 

 京からすると、ここ最近の雫の行動はよくわからなかった。

 言動と行動が一致していないというか、行動があと一歩足りていないような印象を受ける。

 京とて、そのあと一歩を踏ませないようにしている側ではあるが、雫は自分の意思で足踏みしているように見えるのだ。

 

「いえ、違いますよ、鈍感朴念仁根菜類。雫様は積極的だけどヘタレているのではなく、ヘタレているから積極的なのです」

「なっ!?」

「お前、とうとう罵倒が人間に向けるのじゃなくなってきたな。んで、そりゃどういう意味・・・」

「お、おいメア!!」

 

 主の疑問に答えるべく、口を開いたメアから放たれた特大の奇襲に、雫は思わず声を上げる。

 雫は焦りながらも止めようとするが、メアは意にも介さなかった。

 

「雫様、貴方は隠せているつもりでしょうが、我々も節穴ではありません。こういったことは当事者以外の方が気付きやすいものです。遅かれ早かれ、京も気付きます」

「少なくとも、久路人に関わることなら、今朝のこともあるし、俺には知る権利と義務があるが・・・・もしかして」

 

 改めて「何かある」ということが分かれば、京の優れた頭脳は回転を始める。

 どうやら、京も雫の行動が矛盾している理由に気が付いたらしい。

 

「ああ~、そういうことか。道理で行動がちぐはぐだと思った。まあ、俺も学会で他の術師どもから聞いたことはあるわ」

 

 見ていて驚くほどグイグイと迫っているのに、直前でヘタレる。

 自分の気持ちは自覚していて、止まる気はないのに進めない。

 そして、再び久路人に向かっていく。

 確かに羞恥心もあるだろう。だが、それは雫の中にある別の感情から来るものだ。

 

「・・・なんだ、そんなに悪いか? 妾が傷つくことを恐れるのは」

 

 バレてしまったのならばしょうがない。

 不貞腐れたように、雫はそう言った。

 子供云々の話で弛緩した居間の雰囲気が再び張り詰める。

 雫の口から語られるのは、薄々自覚しながらも見ないふりをしていた内心だ。

 自分では見ないようにしていた部分を外部から指摘され、雫は自暴自棄になっていた。

 

「そうだ。そうだとも、怖いに決まっている」

 

 

-----------

 

 

 雫が人の姿になったあの日、恋心を自覚するとともに、雫の中から二つのモノが消えた。

 

 一つは、大妖怪としてのプライド。

 まあ、これはもう久路人の遊び相手を務めるようになってから段々と薄れていったが。

 あの日を境に久路人に対してそのプライドが発揮されることはもうない。

 

 一つは、諦観。

 久路人と友達でいい。などという妥協と諦めで、雫はもう縛れないし、満たされない。

 まるで底なしの穴になったかのように、雫は久路人をさらに深く求めていくことは、もう決定事項だ。

 

 だが、その代わりに背負うモノはより重さを増した。

 

 古来より、人間と人外が結ばれる逸話は多々ある。

 しかし、その中には幸せな結末で終わらない話もまた数多ある。

 常識、価値観、能力、嗜好などなど。人間と人外の恋路には、想像もできないほどの障害が待ち受けている。

 それらの壁に対する不安もその一つだ。

 だが、最大の重荷、今も雫の胸を締め上げるものはもっと別のモノ。

 

 それは恐怖。

 

 久路人に生涯を共に歩んでくれと言ったときに、断られるのが怖い。

 久路人に「やっぱり人外なんだな」と思われるのが怖い。

 久路人に疎まれるのが怖い。

 久路人の理想から少しでもズレてしまうのが怖い。

 久路人が別の誰かを選んでしまう可能性が絶対にない!!と言い切れないのが怖い。

 

「ああ、妾は恐ろしい」

 

 雫はかつて命を削りあうような環境に身を置き、生命の危機に瀕したことは何度もある。

 だから、死の恐怖、肉体的に感じられる恐怖は熟知している。

 だが、今感じている恐怖はそれらとは全くの別物だ。

 

「奪われるのはまだいい。いや、まったく良くないが、まだ耐えられる。その時は久路人のいる場所以外すべてを水底に沈め、下手人にこの世のありとあらゆる責め苦を与えて始末した後に取り戻して癒してやればよい」

 

 他の誰かに久路人が穢されたくらいで諦めるほど、雫の執着は温くない。

 だが、久路人から拒絶されたら、きっと自分は耐えられない。

 

 雫は心の底からそう思う。

 それは今まで味わってきた単純な死への恐怖とは違う。それは心の死への恐れだ。

 久路人に嫌われた時、その時雫という存在(こころ)はバラバラに壊れてしまうに違いない。

 

「そうだ。妾が久路人に迫るのは、単なる現実逃避と変わらん」

 

 諦めることなんてできない。だから前に進むしかない。

 けれど、嫌われたくない。拒絶されるのが恐ろしい。

 

 --ああ、お願いです。気付いてください。どうかどうか気付いてください。

 

 --自分の口からは怖くて言えない。だから、貴方の方から来て欲しい。

 

 --たくさんたくさん、あなたのために頑張るから、私を好きになってください。

 

 --私にできることなら何でもします。私のすべてを捧げます。だから、どうか。

 

 --お願いだから、いつか、私のことを迎えに来てください。

 

 

 その想いは、人間であっても恋をする者ならば抱くモノなのかもしれない。

 だが、自分は人外だ。

 確かに久路人は妖怪も人間も同じような視線で見ているが、長く人の社会に触れたせいか、昔に見えていた異質さは鳴りを潜めている。

 久路人は永遠に妖怪を人間のように見てくれると、一体誰が保証してくれる?

 よしんばその目線が保たれたとして、友達止まりならいざ知らず、伴侶にまで妖怪を選んでくれるのか?

 恋心が破れることの恐怖に加え、「人外だから」拒絶されるかもしれないという恐怖が合わさり、いつしか雫の心の奥底に、消えないシミのように残り続けた。

 その恐怖を忘れられるのは、久路人の近くで触れ合うか、あるいは久路人のことを想う時。羞恥心と胸の高鳴りだけが、一時の間雫に安らぎを与えていた。

 

「どうだ?妾の心を丸裸にして満足か?ん?」

「「・・・・・」」

 

 何も言わない二人を見て、雫は皮肉を込めて嗤う。

 その瞳はその口調に反して、悲しそうに潤んでいるように見えた。

 その皮肉気な物言いは、引き出した京とメアに向けているのか、それとも今まで抱えていた自分に向けているのか、雫にもわからなかった。

 

「どうした?何か言ったら・・・」

「まあ、満足ちゃあ、満足だな。わからねぇよりずっといいさ」

「ええ。雫様。貴方に謝罪とお礼を。よく話してくれました」

 

 そんな雫を見た二人は、お互いにわずかに目配せをした後に、自嘲するかのような雫を遮って口を開いた。教会で牧師が懺悔を聞いたときのように、二人は馬鹿になどしない。メアが深く腰を折ってお辞儀をすると、京も倣うかのように、「悪かったな」と頭を下げる。

 その言葉を聞いたとき、雫の心の中が少し軽くなったような気がした。溜まっていたモノをいくらか外に出せたようにも思えた。まさしく、懺悔を終えた憐れな子羊のように。

 

「お前たち・・・・」

 

 雫は意外そうに二人を見る。

 メアとは最近はそれなりに仲がいいとは思うが、京の方は単なる契約上の関係で情などないと思っていたからだ。

 

--そうか、こやつらも、妾の事情を分かってくれたのだな・・・・

 

 雫の心の中に、久路人に抱くモノとが違う温かい何かが湧いてくるのが分かった。

 今の雫にはこの正体がわかる。これは「友愛」というものだ。

 

「ならば、京。久路人の部屋に行くに道を・・・・」

「いや、それとこれとは話が別だろうが」

「ええ、その問題は雫様個人が解決すべきことであって、我々も、久路人様も関わることではございません」

「何ぃ!?」

 

 友達ならば、きっとこの願いも聞いてくれる。

 そう信じて雫は続けようとするが、信じたばかりの友人に速攻で裏切られて、雫は思わず愕然とする。

 

「ガキができたらヤバいって事情は何も変わってねーだろうが」

「そのまま逃げていても、その場しのぎにしかならないことは確定的に明らかです」

「貴様ら!!妾の悩みを何だと思っている!!妾は一体どうしろというのだ!!」

「まあ、俺としてはガキができても育てられる年齢、まあ、二十歳くらいになるまで待てってとこだな」

「ええ、ひとまず設備の方は現状維持しつつ、その間に雫様には折り合いをつけていただくのが一番かと」

「お、おう・・?」

 

 京とメアはどこまでも冷静だった。

 雫の癇癪のような噛みつきにも、ある程度具体的な答えが返ってくる。このあたりは単純な年齢でなく、経験の差だろう。

 二人の答えは端的に言えば先延ばしだが、なんとなく、「その方がいい」と雫は思った。

 今の久路人は13歳。いつまでも先の分からない間を待つのは無理だが、7年くらいならばまあ許容範囲内だろう。

 問題は・・・・

 

「しかし、折り合いをつけると言ってもどうやって・・・」

「それは雫様ご自身にしか決められないことです。私たちが何か言ったところで、それが正解になるかわかりません」

「さすがにそれは俺たちでもわかんねーな」

「むぅ、まあ、致し方ないか」

 

 あの恋心を自覚するきっかけとなった日にメアが答えてくれたように、答えが得られるかと思ったが、さすがにそれは甘えすぎかと雫は自答する。

 けれども、やはりどうしたらいいのかは、自分ではわからなかった。

 

「けどまあ・・・」

「む?」

 

 そこで、京が何かを思いついたかのようにポツリと口に出した。

 京は異能者であるが、多くの修羅場をくぐり、海千山千の人間社会暗部にいた時期もある。精神的な事柄ならば、単純に戦ってばかりいた自分よりも経験があるのだろう。

 

「心の中で何かうまくいってない、うまくいくかわからないって思う時は、とにかく成功体験をして、「前に進んでる」って形にして思うのが大事だな」

「逃げてばかりでは意味がない。「自分はこれだけ進んだのだ」という足跡を残すということですね?」

「まあ、そんなとこだ」

「目標のための足跡か・・・」

 

 それは、実に社会人らしい意見であった。雫はふと考え込む。

 自分は確かに人間の姿になってから、久路人の気を引くためにアピールしてきた。

 だがそれは、己の恐怖から目をそらすための逃避でもあった。

 「これだけのことをやった!!」と、何か目に視える形、言葉でわかる形で進めということだろう。

 ならば、ちょうど決めようと思っていたことがあった。久路人がクラスで他の男子たちと飯を食っていた時に首をもたげたことだ。

 あの時、久路人は自分のことを呼ばなかったが、他の男子たちは皆どのように女子のことを呼んでいただろうか。もしもあの時に同じモノを持っていたら、久路人は自分のことを呼んでくれたのではないだろうか。

 

「なあ、京よ。契約の時にはそのものを表す名が重要なのだろう?」

「ん?ああ、そうだが・・・・」 

「ならば妾は、名字を持とうと思う。契約の時には、そのものを表す名は具体的なモノであるのが望ましいが、久路人には月宮という名字があるのに、妾には何もなかったからな」

「そりゃあいいが、なんで今そう決めたんだ?」

 

「急に何を言い出すんだ?」と京は怪訝そうな顔をする。

 自分が今言った、「前に進んでいる」ということと関係があるのだろうか?

 不思議そうな京を見て、雫はどこか得意げに言う。

 

「決まっている。結婚もある種の契約だろう? 久路人と夫婦になるには、結婚式を挙げねばならん。そして、結婚するには戸籍がいるし、そうなったら名字は必須だ。 ここで名字を持てば、久路人と一緒になる障害が一つ減るではないか」

「道理ですね」

 

 メアの言う通り、確かに論理的な意見だった。

 小さいことかもしれないが、やらないよりはずっといい。

 

「なるほどな。んで、どんな名字にするのかは決めてんのか?久路人に考えてもらうか?」

「いや、これは妾が決める。妾が前に進んだと思う一歩目だ。妾が考えずして恰好は付かん・・・・・そうだな」

 

 直感的に、この話を始めた時には思いついていたのかもしれない。

 そうだ、ちょうど今の季節だった。

 

「うむ。「水無月」だ。今日より、妾は「水無月 雫(みなづき しずく)」。まさしく今この時期。久路人と初めて会った月の名だ」

 

 今ここに、「水無月」の字を背負う妖怪が生まれた。

 

「安直かもしんねぇが、センスは悪くないな」

「ええ。明日にでも、久路人様と契約の更新をしないといけませんね」

「む!!言っておくが、絶対に妾より先に伝えるでないぞ!!妾が伝えるのだからな!!」

 

 

 こうして、その日の夜、雫は大人しく自分の部屋に戻って眠るのだった。

 

 

 この日から、雫の積極性は、少し抑えめになった。

 少なくとも、その日に新しく仕掛けられた罠を解析して久路人の部屋に行こうとはしなくなった。

 訓練の際に久路人の脱衣を狙ったり、久路人の授業を時々妨害したりするのは変わらなかったが、血を飲んだ後にはなるべく我慢をするようにもなった。

 自分が逃げる方向に進んでいるのか、それとも前に進んでいるのか? そのことを意識するだけでも、雫にとってためになったのだ。

 

 余談ではあるが、翌朝に雫が、「唐突だけどね、私、これから「水無月」って名字にしようと思うの」と言ったときのこと。

 その日はちょうど梅雨に入ったらしく、霧雨の降る朝だった。

 窓ガラスについた雨の「しずく」を見ながら・・・

 

「そういえば、ちょうど今の時期だったもんね。お前に会ったのは」

 

 昔を懐かしむように微笑みながら、久路人は雫と同じことを返したのだった。

 

 

-----------

 

 さて、これは本当に余談だ。

 雫が名字を決め、「絶対に先に言うなよ!!いいか、絶対にだからな!!」と「それはフリなのか?」と疑いたくなるようなことを言って自室に戻った後のことだ。

 

 

「反対はしないのですね」

「あん?」

 

 雫が居間に来る前の同じように、ニュースを見始めた隣で、同じく視線をテレビに向けながらメアはそう言った。

 

「いえ、雫様のことです。雫様が久路人様に懸想をして、将来は結婚のことまで考えているのに、それに反対しないのですね?と」

 

 雫も察していたことだが、人間と人外の結婚というのは人間同士のそれよりもはるかに障害が多い。

 隣に座る己の主は、その一見軽薄に見える外見とは裏腹に情に厚く、特に甥である久路人のことは目にかけている。

 そんな甥に困難な道を歩ませることになってもよいのか?とメアは疑問に思ったのだった。

 

「まあ、俺としても思うところがないわけじゃなかったが・・・・ここ数年見て、最近の人化を成功させた後のことを観察してりゃ、久路人の相手は雫が一番ってのはわかんだろ。あそこまで、「血」じゃなくて久路人本人を見てやれる女が何人いるか。余計なしがらみがないってのは高ポイントだ」

 

 「久路人も脈なしじゃなさそうだしな」と続ける。

 こういった色恋沙汰は、当事者よりもその周囲の方が察しが付くものだ。

 

「とりあえず、火向(ひむかい)霧間(きりま)が出してた許嫁の話はお茶濁しとくわ」

「・・・断るとは言わないのですね」

「雫にも言ったろ。いざという時の保険は残しときたいんだよ」

 

 火向も霧間も、日本有数の霊能者の名家だ。

 久路人の価値というのは、本人が思う以上に高い。

 妖怪をおびき寄せるのは、うまく使えば撒き餌として有効、その血は強力な術の触媒になり、身に秘める異能も人間としては破格である。

 久路人には言えないが、京も一魔術師として、久路人の霊力を密かに回収して術具の開発や動力源に利用したりもしている。京が久路人を匿う理由の一つだ。

 今は世界中の霊能者、魔術師の集まりである「学会」の幹部メンバー、「七賢」の内、「巨匠」の異名を持ち、「序列三位」である京の庇護下にあるために余計な干渉をしてくる者はいないが、そうでなければ泥沼の争いが起きていた可能性が高い。

 

「雫様にバレたら、事ですよ」

「わかってるよ。今の雫は「神格」に届く手前にいるくらいのバケモンだが・・・お前ならどうにかできるさ」

「はあ・・・せっかく大事にお手入れしている我が子たちが何本か犠牲になりそうですね」

「まあ、そもそもバレなきゃいいさ。バレないうちにさっさとくっついてもらった方が色々楽だな。あの年でガキがデキて、そこからなし崩しにってのはさすがに色々アレだからしょうがないけどよ」

 

 二人の間にあるのは、絶対の自信だ。

 仮に雫と敵対することになっても、それなりに手痛いダメージは負うだろうが、勝てるという確信が二人にはあった。

 

「しかし、本当に久路人はいい拾い物したもんだよ。最初は体のいい護衛兼「受け皿」になればいいとしか思わなかったが、まさか嫁を拾ってくるとは」 

「まさに蛇女房ですね。ですが、本当によろしいのですね?」

「ああ。正直久路人は相手が妖怪でも人間でも大して苦労に変わりはないだろうよ。だったら、あいつを守れる上に、心から支えてやれる雫が一番だ」

 

 

 兄貴でも、同じ判断をするだろうさ。

 

 

 京は遠くを見るようにそう呟いた。

 

「・・・・・・」

 

 京は思い出す。

 兄は、久路人の父親は異能を除けばいたって普通の人だった。

 弟であり、幼いころから「神童」として術具師の才能を発揮していた京にも優しく、京も兄のことは他の一族の俗物どもと違って好きだった。

 普通の家に生まれていれば、普通に学校に通い、普通に友達を作って、普通に仕事について、普通に結婚して、そして老衰で孫に見守られながら死んでいく。

 そんな生き方ができるはずの人だった。

 その身に宿る、久路人と同じような血さえ流れていなければ。

 

「兄貴は、最期には自分の異能に体が耐えられなかった。だから、兄貴よりも何倍も強い力の久路人には、小さいころから余剰の霊力を溜める受け皿が必要だった。それだけだったのにな」

 

 兄は、異能第一主義とも言える月宮家に嫌気がさし、後年の京と同じく家を飛び出した。

 京ともたびたび連絡を取って封印の護符を作ってやったりもした。久路人が持っている護符のノウハウは、兄に渡した護符によって培われたものだ。

 そして、兄は異能の血族ではない、普通の女性と恋に落ち、久路人をもうけた。

 一族の連中が強い異能を得るために方々の霊能者の血を取り込んでいたというのに、歴史上でも初代月宮に並ぶであろう逸材が、普通の女から生まれてきたのは、なんと皮肉なことだろうか。

 だが、そんな兄の最期は、自分たちの家族を襲った妖怪を撃退するために異能を使った時、封印に押さえつけられていた力が暴発し、妻もろとも亡くなった。本来ならば、封印の護符を使っていたからといって、そのようなことはありえない。「本能が、この異能は扱えないと判断し、より魂の奥底に封じ込めようとしたのでしょう。貴方が気に病むことではありませんよ。むしろ、こんな時期にこちらに貴方を呼び戻したことを心から謝罪いたします」と頭を下げたのは、「第一ノ七賢」、「魔人」である。

 ロンドンから帰って、崩れた家の前で茫然としていた京の前に、メアが奇跡的に瓦礫の隙間にいて助かっていた久路人を連れてきたとき、京は決意した。

 

「兄貴を殺したのは、俺みたいなもんだ。だから、俺はその罪滅ぼしとして、必ず兄貴の残した久路人を幸せになるように育て上げる。んで、久路人の寄る辺に雫が一番なら、二人が結ばれるように立ち回るさ」

 

「・・・・・」

 

 そう言う京の瞳は強い意志に満ちていたが、長年連れ添っていたメアには分かる。

 京の心は、今も自分を責め続けていると。

 メアは思わずその手を伸ばして、京の手を握ろうとするが、思いとどまる。

 

 自分から京に触れようと思う時はいつもそうだ。

 慰めてあげたいとき、笑って欲しい時にも、人形たる自分はその行動に疑問を持つ。

 

 私は人形。魂ある人形。悪夢の成れの果てが埋まった人形。

 悪夢の残滓たる人形に、主を哀れに思わせているのは何なのか?

 人形は自分の意思では動かないモノ。

 ならば、私を突き動かすこの「声」はなんだ?

 

 そう、今も、メアの中では声がする。

 

「愛されたい愛されたい愛されたいあいされたいあいされたいあいされたいアイサレタイアイサレタイアイサレタイアイサレタイアイサレタイ」

 

 それは、無数の少女の願いの残滓。

 自分の想い人に愛されたいと願う心

 その願いはさらに告げる。

 

 人に愛されたいのならば、自分も人を愛せ。

 

「愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せあいせあいせあいせあいせあいせあいせあいせあいせあいせアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセ」

 

 さあ、目の前の男を愛せ。

 手を握ってやれ、抱きしめてやれ、慰めてやれ。

 そうすれば、男もお前を・・・・・

 

「・・・・っ!!!!」

 

 人形であるはずのメアが、寒気を感じて思わず自分の肩を抱く。

 京に伸ばすはずだった手は、浅ましくも自分を守るために使われ・・・・

 

「大丈夫だ」

 

 大きく、たくましい腕が振るえるメアを抱きしめた。

 

「お前はもう「悪夢(ナイトメア)」じゃない。ただの「メア」だ」

「京、(わたくし)は、ワタシは・・・・」

 

 自分に回した腕を、京の背中に回し、しがみつく。

 京は何も言わずに、目の前の人形を、否、女の頭を撫でた。

 

 多くの亡霊の集合体であったとある怪異。

 その怪異は討伐され、核となった少女の念は解放された。

 しかし、少女は未だに悪夢に囚われている。

 その魂に残る呪いを、本体を傷つけぬように除去するのには、すさまじい精密さと出力を持った術具と、長い儀式に耐えるだけの極上の霊力が必要だった。

 

 男と女の影が向かい合い、やがて一つに繋がる。

 

 京は口付けを交わしながら、目の前の女を抱きしめる。

 目の前の女を、そう、自分が久路人を手元に置く、もう一つの理由を。

 

 一つになった影は、口付けだけでは止まれなかった。

 

-----------

 

 少年と蛇の少女が眠りにつき、術具師と人形が想いを確かめ合うのと同時刻。

 

「ああ、久しぶりの外の空気じゃが・・・・臭うのう」

 

 女は、顔をしかめながらそう言った。

 その足元には、右腕がなく、足が妙な方向に曲がった少年が転がっている。

 辺りを見回せば、少年と同じような学生服を着た人影が二つ倒れていた。

 ただし、片方は首から上がなく、もう片方は腰から下がなかったが。

 

「が、あ、たす、助け・・・・がああああああああああ!!?」

 

 その森の奥の一角は血生臭さに満ちていた。

 グシャリと、耳を塞ぎたくなるような水音とともに地面に転がった最後の男の背中を、細い美脚が踏みつけ、内臓を突き破って腹の皮を踏みにじる。

 

 そこは、とある霊能者の一族が管理する土地であり、京も許可なく立ち入ることはできない場所だった。

 しかし、異能の薄れた現代ではありがちなことだが、管理者がその任を怠り、ろくな見回りもしなくなっていたというのが、荒れた森の様子からよくわかる。

 真っ二つに割れた岩が転がり、そこに巻き付いていた注連縄も年月による劣化で風化していたのが見て取れるが、注連縄に付いていた札だけは比較的損傷が少なく、人間の手によって剥がされたのだと推測できた。

 

「ふむ。だが、()には分かるぞ。かすかにだが、霊脈を伝って、極上の餌の香りがするぞ」

 

 そこに立っていたのは、豪奢な着物を纏った美しい女だった。

 ふわりとウェーブのかかった長い金髪に、金色の眼、豊満な肢体。

 だが、なによりも特徴的なのは・・・・・

 

「くふふ、ああ、今にでも食いに行きたいところじゃが、まずは今の現世のことを知らなくてはのぉ」

 

 バサリと九本の黄金に輝く尾を広げながら、その「神格」を持つ妖怪は、「九尾」は、妖艶な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 




次の高校生編は、今回出てきた大妖怪が色々と引っ掻き回す予定です。
ちらっと出てきた異能者の一族のことは、書けるまで続くといいなぁ(他人事)。

あと、この小説を気に入ってくれたら、お気に入り登録と評価ポイント、感想お願いします!!
読みにくいところとか、分かりにくい表現してるとか、悪いところも上げていただければ幸いです(人格否定とかは、さすがに遠慮願いますが・・・)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 前日譚 永遠にあなたと在るために
前日譚 高校生編1


今回は説明回の上、久路人と雫は最後の方にしか出ないです。
これだけだとアレなので明日もう一話上げる予定ですが、読み返したら前日譚6と夜の部後半の会話文あたりがグダグダなので大まかな流れは変えませんが書き換えを行います。
そちらに時間がかかったら明日の投稿は無理かもしれません。
(今晩は僕が嵌りこんでいるブラウザゲーの生放送もあるので。みんなも千年戦争アイギ〇、やろう!!)


 かつて、この世界は水槽のようだと「魔人」は言った。

 水槽の片側にある現世と、もう片側にある常世がその全貌。そして、それを仕切る「壁」を「狭間」と呼ぶ。

 かつて、狭間に空いた大穴から現れ、現世を瘴気の満ちる常世へと変えるべく、穴を広げ、狭間を壊そうとした「魔竜」。魔竜から現世を守るために結成された「学会」とそのリーダーである「魔人」。

 この2者の争いは七日七晩続き、最終的には魔人の勝利に終わり、魔竜と和解することで幕を閉じた。

 当時の常世のトップにいた魔竜が敗れ、人間と和解したことにより、常世側から現世への干渉は激減し、学会もまた常世を刺激するような真似を禁止したことで現世と常世の間には平穏が訪れた。

 そうして、現世では常世の脅威から世界を守るために「異能など存在しない」という共通認識を利用して人外の動きを抑制する結界、通称「忘却界」が張られ、妖怪やら魔物やらに襲われることはほぼなくなった。

 しかし、忘却界も完全なものではなく、異能者の出現や偶発的に開く穴によって人外による被害が起きることもなくはない。

 

 だが、「異能の存在から守るために異能の存在を教えれば、それだけ「異能など存在しない」という認識が薄れて危険が増える」というジレンマがあり、政府やら国やらにその存在を知られるわけにはいかない。

 表向きの体裁を整えて大々的に警邏や救助活動をするのも同様のリスクがあり、これも難しい。

 よって、今の学会は消極的なスタンスをとっており、穴の頻発する地域のみに有力なメンバーを派遣し、穴が空き次第即座に塞ぎ、目撃者がいた場合には入念に記憶や痕跡を消す程度にとどめている。

 ただ、もしも大穴が新たに空くことになれば、現在の学会幹部である七賢が総がかりで挑むことになるだろう。

 

第一位 魔人 ファウスト

第二位 永仙 青嵐

第三位 巨匠 月宮京

第四位 万転 ステラ・フィクス

第五位 紅姫 霧間・リリス

第六位 万理 ファイ・フィクス

第七位 鬼門 鬼城操間

 

 この7名とその護衛たる伴侶によって、現世と常世の均衡は保たれていると言っていい。

 特に第三位、「巨匠」と、第四位、第六位にいる「万転」および「万理」のフィクス夫妻によって偽装死体の用意や記憶の消去、地形の修復用術具が多数開発されたことで簡単に事後処理が可能になった。

 元々人外による被害は稀であるため、今後も現世の平穏は保たれる・・・はずであった。

 

 

「最近、妙な雰囲気を感じるのよね」

 

 湯気の立つ紅茶の入ったティーカップを上品に口にしてから、その少女はそう言った。

 

「ここ数年、行方不明者が増えてる。それも、都市部のホームレスやら田舎の孤立世帯みたいな、「いなくなってもすぐには気付かれない」連中が消えてるな。ご丁寧に街なら筋モンの近く、地方なら熊だの猪だのがいるニュースがあった場所でだ」

 

 同じように紅茶をすするも、対面のソファに座る少女とは比べるべくもなく粗野、あるいはチャラい恰好の男、日本にいる2人の七賢の内1人である京はそう返す。

 

 そこはとある山中の奥深く。

 一年を通して霧が発生することから「霧間谷」と呼ばれる場所であり、日本の異能者の名家の一つである、「霧間」一族の住む土地だ。

 二人が話しているのは、霧間一族本家の屋敷からやや離れた場所にある洋館の一室であり、京の対面に座る人物はその女主人である。

 

「本当、むずがゆいというか、小骨がのどに刺さったような気分だわ。人外が原因なのかどうかはっきり断定できないのが気持ち悪いって感じ」

 

 その綺麗に整った眉をしかめながらそう口にするのは、異国の少女だ。

 ツリ目の紅い瞳に抜けるような白い肌、というのは京がよく知る蛇に似ているが、より生気が薄い印象を受ける。美しい金髪は少女漫画に登場するドリルのような縦ロールに整えられ、ツインテールになっていた。身に着けている衣装もゴスロリと呼ばれるようなやたらとフリルの付いたコスプレにしか見えない格好だが、本人の可憐な容姿によく似あっており、違和感がない。

 一見すると日本のオタク文化に憧れた外国人観光客といった風だが、会話の内容から分かる通り、一般人とは程遠い存在だ。というか、「人」ですらない。

 

「アンタのご自慢の術具でなんとかわかんないの? 第三位の天才術具師様?」

 

「そっちこそ、コウモリだのネズミだのの眷属で探らせてねーのか、第五位の真祖さんよぉ?」

 

 真祖。

 京の口にした言葉は、「吸血鬼の皇族」を意味する。今ではほとんどが常世に住まう「吸血鬼」と呼ばれる種族の祖先の血を色濃く引いた高貴な存在である。

 第五位という枕詞の通り、「紅姫」の異名を持つ、日本にいるもう一人の七賢でもあり、人外が扱う様々な術の専門家だ。ちなみに、海の外では「物理法則を霊力で歪めてあり得ない現象を起こすモノ」である「術」のことを「魔法」と呼び、霊力のことを「魔力」と言う。

 そして、なぜそんな大物が霧間の土地にいるかといえば・・・・

 

「・・・・リリス、おかわりはいるか?」

「ん。いただくわ。ありがとうね、オボロ」

 

 空になったティーカップに、これまでソファの後ろに控えていた偉丈夫が紅茶を注ぐ。

 紅茶を受け取る少女、リリスの顔に浮かぶのは、京に向けていた表情とは比較にならないほど柔らかい笑顔だった。

 

「・・・・京さんも、どうぞ」

「お、悪い・・・」

「そこの陰険侍!!尻軽造物主に飲み物を渡すのは、この私の役目ですよ!!」

 

 リリスの対面にいた京のカップも空になっていたのを見て取って、オボロと呼ばれた青年がリリスのものと同じように礼儀正しい所作で紅茶を注ごうとするも、京の隣に座っていたメアに阻まれた。

 青年の持っていたポットをひったくるように奪い取ると、これまた完璧な姿勢で京のカップを満たす。

 無表情ながら、フフンと笑っているようなドヤ顔を見せられ、オボロは何とも言えない表情をした。

 

「ちょっと、そこの人形。人の夫を罵倒した上にアタシの屋敷で野蛮な振る舞いをするなんてどういう了見かしら?」

「穴倉に籠りすぎて脳みそが腐りましたか?私はこの身だしなみにも口調にも一切頓着しないズボラ野郎の従者ですよ?あなたたち相手にはこれがデフォルトです」

「巨匠、アンタこの腐れ等身大メイドフィギュアにどんな教育してんのよ!!」

「お前こそ、自分の旦那、それも霧間家の当主に燕尾服着せて茶くみさせてんじゃねーよ」

「・・・・・いえ、お気になさらず。自分の趣味ですので」

 

 ギャアギャアと姦しく騒ぐ女性陣を尻目に、オボロ、霧間朧はマイペースにそう言った。

 彼こそが、真祖にして七賢五位であるリリスが霧間一族の土地に住むようになった理由であり、ひいては京たちが集まって話す理由でもある。

 

「霧間の方は、なんか言ってねーのか?」

「・・・・いえ、自分は霧間一族全体から疎まれているので」

「フン!!あんな軟弱で陰湿な連中に期待するだけ無駄よ、無駄!!」

「あなた方が疎まれているのは自分たちの行いのせいだと思いますが・・・・」

 

 霧間家の当主とその妻に苦言を呈されてる霧間一族は、古来より火向一族と並んで人外から人々を守るべく奮闘してきた一族だ。学会の方針と違って積極的に動こうとしているのだが、その動きは当主たる朧に止められている。代わりに、学会の幹部であるリリスとともに朧が事後処理を担当しているという現状だ。

 朧は昔に「強力な人外がいるらしい」と、ドイツの片田舎を修行で通りかかった際に、地下で1000年以上文字通り寝食を忘れて人外の扱う魔法の研究に没頭していたせいで弱体化し、さらに忘却界の影響と空腹のあまりうっかり昼間に出てきたせいで日光を直接浴びたことによるトリプルパンチで死にかけていたリリスを発見。そこで何を思ったのか自分の血を与え、リリスは朧の修行に同行するようになり、紆余曲折あってリリスが七賢に認められた後に日本に戻って来ることとなった。

 妖怪の発する霊力は基本的に人間にとっては精神的な毒であり、大抵の人間は異能者であっても、よほど力が上回っていない限り人外には恐れと嫌悪感を抱くのが普通だ。

 それもあって霧間一族は人外を明確に「人間の敵」と見なしている。京ですらメア以外の人外にはあまりいい印象を持っていないが、ここにいる朧や久路人は極めて稀な例外である。

 人外、それも吸血鬼の真祖などという大物を妻として紹介しに来た昔の朧にそれはもう盛大に反発したらしいのだが・・・・

 

「・・・・リリスとの結婚を中々認めてくれなかったので、大喧嘩してしまいましたから」

「あの時の朧、ものす~っごくカッコよかったな~」

 

 当時のことを思い出すかのように苦笑いをする朧に、ぽ~っと恍惚とした表情を浮かべるリリス。

 それだけ聞くと頑固な一族相手に真摯に説得したうえで結婚を認めてもらえたように思えるが・・・・

 

(妹含めて反対する一族全員斬り伏せて一方的に半殺しにするのを大喧嘩とは言わねーよ)

(サイコパスですね)

 

 惚気ている霧間夫妻に気付かれないように、小声で言い合う京とメア。

 斬った肉親の返り血まみれの朧と彼に飛びついて喜んだことでその服を赤で染色したリリスは、その直後にお互い頬を染めながら、文字通り全身真っ赤になって霧間本家で式を挙げたという。まさしく吸血鬼の旦那にふさわしい鬼畜の所業である。ちょうど所用で霧間一族を訪れた時、妹から女/未になりかけている霧間の息女の傍で深紅に輝くルビーの指輪を交換し、キスをしている光景は中々忘れられそうにない。もしも自分が代替内臓の研究をしていなかったら、霧間一族はその日に滅んでいただろう。

 久路人に来た見合い話も、この狂った当主に対抗するための措置なのではないかと思う。

 なお、霧間夫妻からは、「亡霊の大物を嫁にするためにホムンクルスのボディ造るから、生体パーツのサンプル用に内臓を下さい」と霊能者の家を回って土下座した精神異常者とそいつに心酔する件の人形というキチガ〇コンビと思われていることには気付いていない。

 もっとも、七賢全員が似たようなものではあるのだが。

 

「おい、話がそれてんぞ。ともかく、目立った情報はないってことでいいんだな?」

「そっちこそ、隠し立てしてるんじゃないでしょうね?・・・あんたの術具でもアタシの眷属に探させても見つからないってことは、「旅団」じゃないわね」

「あの迷惑集団ならもっと早くにボロ出すだろうからな」

 

 今の現世は忘却界に守られた一般人と、それ以外の少数の異能者に分けられているが、それを快く思わない連中もいる。「旅団」とは「どうして自分たちだけが化物に襲われなきゃいけないんだ」と思う者、「せっかく目覚めた異能を好きなように使わないのは勿体ない」と蛮行を働く者など、学会の思想に反発する異能者たちの集まりで、七賢のような強力な異能者がおらず、寄せ集めレベルだったのだが・・・

 

「「黒狼」や「戦鬼」なら災害レベルの被害が出るでしょうし、「狂冥」が主犯なら隠せないぐらいの数が動くだろうから慎重になってても尻尾くらいは掴めるはずよね」

「少なくとも、黒狼の方は常世で七位とやりあったらしいから現世にはいねえはずだ。どうやって行き来してるのかは知らないけどな」

 

 ここ数十年で、黒狼と呼ばれる圧倒的な強者を旗印に、世界各地で燻っていた化物が集い、学会も危険視せざるを得ないほどの一大組織にまで膨らんだのだ。

 

 「強いヤツと全力で闘いたい」

 

 現在の旅団リーダーにいるとされる黒狼の目的は至ってシンプルだ。

 だがそのために「大穴を空けて常世から大物をおびき出したり、現世にいる強いヤツを育てたり、出てきた七賢も倒す」などと迷惑極まりないことを考えている戦闘狂である。

 極めて厄介なことに、今までどこに隠れていたのかと思えるほどの実力者であり、一対一なら七賢でも負けかねないくらいに強い。救いなのは搦め手を好まず、「弱いやつはどうでもいい」と言って一般人には手出ししないことだが、大穴が空けばその一般人にも相当の被害が出るだろう。

 

「そうなると、本当に偶然か旅団に新メンバーが入ったか、あるいは・・・・」

「全く別の何かが突然現れたか、だな」

「あり得ないって言いきれないのが嫌ね。もしそんなのがいるなら、間違いなく幻術系統の「神格」持ちよ」

 

 吸血鬼の真祖にして、旦那ともども「神格」を持つ少女はそう言った。

 

 --神とは何か?神格とは何か?

 

 そんな質問を、京はいつか「魔人」に投げかけたことがあった。

 それに対して魔人はこう言った。

 

『この世界の創造主にして管理者であり、この世界そのものですね。ただし、かの存在に意志と呼べるものは極めて薄い。システムあるいは現象と言うべき存在です。そして、その神に準ずるレベルのことを神格というのですよ』

 

 神はこの世界を作り、そこに「ルール」を敷いた存在だ。そのルールとは物理法則であり、術であり、狭間であったりと様々だが、神はこの「ルール」を侵さない限り現世にも常世にも干渉することはないという。

 そして「神格」持ちとは、霊力の増大によって存在のレベルが上がり、「神」に近づいた存在のことを言う。

 神のようにこの世界すべてなどは不可能なものの、ある特定の分野において強烈な「支配」を行うことができる。

 学会の七賢になるための条件の一つであり、神格持ちは揃って人間を止めた存在か初めから人外である。

 まあ、京は少々例外だが。

 

「結局、わかったことはほぼなし。精々幻術対策をしとくってくらいか」

「悔しいけど、そうね」

 

 ここ最近の行方不明者増加に対して何か情報を得られないかと七賢どうしで連絡を取り合って話し合うことになったのだが、お互い収穫は得られなかったようだ。

 だが、そこで隣に座っていたメアはあるものを取り出した。取り出したのは二つの小瓶だ。中には紅の液体が入っている。

 話だけなら直接会う必要はない。血の専門家と言える吸血鬼に見てもらいたいものがあったのだ。

 

「ああそうだ。吸血鬼のお前に見て欲しいもんがあるんだが、お前は、これどう思・・・」

「くっさぁあああ!? さっさとしまいなさいそんなもん!!!」

 

 京が片方のビンの蓋を緩めた瞬間、リリスは鼻をつまみながらそう言った。

 反応が完全にクサヤやシュールストレミング、ドリアンの臭いを嗅いだ人である。

 

「そんなに臭うのかよ、俺やメアには全然わかんねーんだが・・・じゃあ、こっちはどうだ?」

「う~、まだ鼻が気持ち悪い・・・あら、そっちはかなりいい香りね。オボロのほどじゃないけど」

 

 京が最初に空けた瓶は雫の、次に空けた瓶は久路人の血が入った瓶だ。

 「ちょっと気になることがあるから血をくれ」と言ったときの、あの蛇の塵を見るような目と、メアから湧き上がる凄まじいオーラに肝を冷やしたが、メアが採血を行い、以後目的に使用するまで同じくメアが保管するというこで納得してもらった。

 

「しかし、最初の方はマジでそんなに臭うのか?神格一歩手前くらいの大物の血だぜ?」

「あんた、いい匂いといい匂いを混ぜたらもっといい匂いができるとか小学生みたいなこと思ってんの?焼き魚とケーキの匂い混ぜて嗅いでみなさいよ」

 

 どうやら、雫の血には久路人の力が大分溶け込んでいるらしい。

 曰く、「2種類の全く違うものが混じった異臭がする。反発している感じはしないから本人に悪影響はないだろうが、こんなもん飲むくらいならその辺の泥水飲んだ方がマシ」とのことだ。

 最近は久路人の力の増大によって護符が抑えられるレベルを越えつつあり、妖怪の襲撃が増したのだが、雫を見ると妙な反応をするようになったのだ。それで気になって調べてみると雫の中に久路人の力が大分蓄積されていることがわかったのだが、それがどうして妖怪たちの反応に繋がるのかはわからなかなったので見て欲しかったという経緯である。

 

「雫様が聞いたら喜ぶでしょうが、この吸血鬼の反応を見たらどう思うのでしょうかね」

「まあ、会わせねー方がいいだろうな」

 

 なんとなく、雫と目の前の吸血鬼は似ているのだが、相性があまりよくないような気がする。

 何かきっかけがあればすごく仲良くなりそうな気もするのだが。

 そうして、二つの瓶をしまおうとした京はさきほどのリリスを見て、ふと疑問に思った。

 「やはり、吸血鬼にとってはすでに特別な契約を結んだ相手がいても久路人の血を飲みたいと思うのだろうか。味はどう感じるのだろうか」と。

 久路人の保護者としては、久路人がどれほど狙われやすいかは改めて知っておきたかったのだ。

 技術者として、七賢まで上り詰めた研究者としての興味もあった。

 

「なあリリス、お前試しにこっちの血を飲んで・・・」

 

 京がそう言いかけた時だ。

 

 

 ガキン!!

 

 

 京の隣にいたメアが眩く神聖な輝きを放つナイフで、血のように紅い刀身の大太刀を受け止めていた。

 

「・・・・・」

「気持ちはわかりますが、京に危害を加えることは許可できません」

 

 いつの間に刀を抜いたのか、真っ赤に血走った目で京を睨む朧に、同じく殺気をほとばしらせるメアは冷たく返す。

 

 そのまま朧は大きく飛びのいて改めて刀を構え、メアは両手に持ったナイフを十字に組む。

 張り詰めたような空気が部屋を支配し、今にも爆発しそうなところで・・・

 

「そこまでになさい、オボロ」

「・・・・リリス、だが」

 

 館の女主人はパンパンと手を叩きながらそう言った。

 妻の言葉に朧は納得がいかないようだったが・・・

 

「冗談よ」

「・・・・何?」

「だから冗談。巨匠が言ったのはただの冗談に決まってるじゃない」

 

 「ねぇ?」と作り物のような笑みを貼りつけながら、目をつぶり、優雅に少し冷めた紅茶で唇を湿らせる。

 再び目が開いたとき、そこにあったのは古井戸のような暗闇だった。

 

「よもや、この吾輩にオボロ以外の血などという汚物を勧めるようなこと、冗句以外で言えるわけがないだろう?なあ?月宮京?」

 

 まさしく血の凍るような冷たい声だった。

 

「・・・ああ、冗談だ。悪かったな」

「確かに、京のジョークにはいつもセンスがありませんね。さきほどのモノはデリカシーの欠片もありませんでしたし」

「お前どっちの味方だよ」

「あんた、今は父親代わりなんでしょ?教育に悪いような言動は慎むべきじゃなくて?」

「・・・・京さん、笑点なら毎週録画しているが、DVDを持っていくか?」

「いらねーよ!!」

 

 相手の本気具合を悟った京が謝罪すると、場の張り詰めた空気は霧散した。

 元のように気安く話しながらも京は思う。

 

(「血人」なんて弱点になりそうなモン作る吸血鬼に、人間から吸血鬼の専用餌になる元人間とかやっぱイカれてんなこいつら。いや、こいつらなら一番効率的か)

 

 真祖であるリリスが研究開発した魔法の中に、「血の盟約」と呼ばれるものがある。

 吸血鬼用の魔法であり、「ある一人からしか血を吸えなくなる代わりに、対象の魔力の質を自分に対してのみ極上レベルに上げる」というものなのだが、当然その血を持つ相手が死んだら自分も飢え死に確定である。

 しかも真祖を満足させるような魔力を持つ餌、人間でも吸血鬼でもなくパートナーが死ぬまで永遠に血を提供し続ける「血人」に変えるという、並の霊能者にとっては死刑と変わらないレベルの人体改造を行う魔法でもある。

 霧間一族当主という元より最強クラスの侍であり、上質な霊力を持つ霧間朧でなければ間違いなく死んでいただろう。言い換えれば、余程のことがない限り絶対に壊れない食糧庫ができたとも言えるが。

 

「いつかあいつらも、こんな感じになるのかね・・・・」

 

 今も月宮家にいる少年と蛇の少女を思い返しながら、京とメアは霧間の地を後にするのだった。

 

 

-----------

 

一方そのころ・・・・

 

「ンンンンンゥウウウウウウ!!!!ヨキカオリガァァァァアアアアアアアア!?クサイィィイィイイイイ!!!?」

「死ねぇえええ!!」

「ンギャァアアアアアアアアアアアアアアア!!?」

 

 夕日の中、自転車に乗って高校から下校する久路人の背にしがみつきながら、荷台に座る雫は般若のような顔で氷柱を放ち、襲い掛かってきた一つ目の怪僧を串刺しにする。

 そして、目の前の久路人の肩をゆすりながら涙目になった。

 

「ねぇねぇ、久路人!!私臭くないよね!? 毎日ちゃんとお風呂入ってるし~!!本当に臭わないよね!?ねぇねぇ嗅いでみてよ、ねぇってば~!!!」

「だぁぁあああああああ!!!自転車を運転中にできるわけないだろ!!いつも通り僕の家の石鹸とシャンプーの匂いだよ!!危ないから揺するのはやめてくれ~!!!」

 

 最近現れる妖怪が雫を見るたびに、よりにもよって久路人の前で「臭い」というようになり、乙女心に密かに大ダメージを受けている雫が、久路人に泣きついていた。

 久路人は高校に上がって自転車通学になり、「憧れの二人乗り~!!」と喜んでいたのだが、ここ最近はいつもこんな感じだ。

 

 京とメアが警戒する中、久路人と雫は日常を謳歌していたのであった。




これは真剣なお願いなのですが、この小説の文章の読みやすさについて、意見をお願いしたいと思っております。
「ここ読みにくい」「くどい」とかあったら、遠慮なく言ってください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 高校生編2

 この小説を読んでくださっている皆様、単純に読んでいただくこと、お気に入り登録、評価、感想ありがとうございます。
 前回があまりにも主人公が関係ない話だったので、追加の投稿です。
 これは全然催促ではないのですが、週2回更新できるってことは、「たくさん感想があれば」週3回更新できるってことじゃないかな?


 月宮久路人の朝は、そんなに早くない。

 久路人は寝起きが悪く、アラーム一回では起きられないため、大体30分おきに数回目覚ましをセットしているので起きるのは遅い。

 

「今日は2回目で起きれた・・・・」

 

 けたたましく鳴る目覚ましを止め、寝ぼけ眼をこすりながら制服に着替え、階段を下りる。そのまま洗面所に行って顔を洗い、寝ぐせを直している間に頭の方はそれなりにすっきりしてきた。

 そんな久路人の脳を揺さぶるのは、香ばしいパンの匂いと、ジュウゥゥ~というソーセージの焼ける音だった。実に食欲をそそるコンボである。

 

「今日はパンか」

 

 昨日の朝食は何だったか。

 確かご飯だった気がする。それでいつぞやに久路人が用意した夕飯の残りと一緒に食べたのだった。

 そんなことを考えながら、リビングに行くと・・・

 

「あ、おはよ~」

「ん。おはよう」

 

 ちょうど少女がフライパンの火を止めたところだった。

 長い銀髪をここにはいない人形のようにポニーテールにまとめ、久路人の通う高校の制服の上にエプロンをつけた少女が振り返り、挨拶を交わす。

 

「いつも思うけど、雫の服って簡単に変えられるし汚れもすぐ落ちるよね。エプロン付ける意味あるの?」

「なっ!?制服の上にエプロン着けて料理してるJK見た感想がそれなの!?」

 

 「お前女子高生なんて年齢じゃないだろ」という言葉が完全に目覚めていない頭から生まれて口から出そうになったが、寸前でこらえる。季節は10月上旬。大分涼しくなってきた時期だが、さすがにまだ雪が降るのを見たいとは思わなかった。

 

「私、久路人が枯れてないか時々本当に心配になるよ・・・・」

「余計なお世話だよ。僕はまだ枯れてない」

「・・・・・まあ、隠しフォルダに入ってる画像を見るに興味ないわけじゃないってのはわかるけど。巨乳モノばっかりだったけど!!」

 

 久路人は同年代に比べるとやや控えめではあるが、それでも健全な男子高校生だ。

 自室にあるパソコンにはその手の画像はちゃんと保存してある。

 もちろん雫もその存在を知っており、隠しフォルダの閲覧のために京とメアから閲覧方法からネットの履歴確認などを教わり、使用頻度含めて把握済みである。

 最初に確認したときはパソコンごと氷漬けにして粉々にしてやりたかったが、「さすがに他人の所有物に勝手に手を出すのは嫌われる」となんとか自制した。なお、「久路人が枯れてないか確認!!好みもチェックしなきゃ!!もちろんスレンダー好きだよね!!」と、勝手に他人のパソコンを検閲してる時点でダブスタである。

 

 そして、鋼の自制心で、奇跡的に部屋の温度を氷点下に下げる程度で済ませた雫が分析したところ、どうやら大変嘆かわしいことに久路人は胸の脂肪が肥えているのが好みらしい。いつか目を覚まさせなければと雫は固く決心している。

 その胸部は壁ではないが平均よりやや下というなんとも表現に困るサイズだった。

 人化の術は最初のイメージに縛られるらしく、一度固定されたイメージは簡単には変更できない。雫の姿は、蛇からそのまま余計な手を加えることなく擬人化した、いわば「素」の雫であり、外見年齢も久路人に合わせて成長させている。すなわち、中学生から高校2年生になるまでの雫本来の成長速度はお察しであった。

 

「ん?どうかした?」

「なんでもない!!それより、朝ごはん食べよ?遅刻しちゃうよ」

「ん。いつもありがとうね」

「ううん、どういたしまして!」

 

 聞こえないように小声でつぶやかれた怨嗟を感じ取ったのか、久路人が不思議そうな顔をするが、雫は誤魔化した。久路人は怪訝な顔のまま、雫がフライパンで拵えた、スライスしたソーセージが入ったスクランブルエッグをトーストの上に乗せ、テーブルに運ぶ。

 月宮家の現在の朝食は朝に弱い久路人に代わって完全に雫が作っていた。昼に食べる弁当の仕込みや夕食は久路人も手伝うのだが、朝は任せきりなのに軽い後ろめたさがあったりする。

 確か、雫が朝食を作るようになったのは、中学生1年生の梅雨のころからだっただろうか。なぜかあのころから一階に行くルートの罠の設定が変わったらしく、雫も自由に移動できるようになったのだ。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 

 手を合わせて、二人で食べる。

 朝だから量も少な目で、すぐに食べ終わってしまうが、雫は朝のこのひと時が好きだった。

 今日も一日の始まりから久路人と一緒にいられるのを実感できるから。

 

「どう?味変じゃない?」

「いや、おいしいよ。雫、もうメアさんより料理うまいんじゃないの?」

「う~ん、それはまだだと思うな。メア、言ってることはあれだけど、家事万能だし」

「いなくなって分かるってやつだね・・・・おじさん達、いつ帰って来るのかなぁ」

 

 この家の本来の主である京とメアはここ最近この家に帰っていない。

 「ちょっと取引先んところに出張行かねーと」と言って、日本のあちらこちらを回っているらしい。

 夜には電話がかかってくるので連絡はとれているが、メアがいかに万能家政婦だったか思い知らされる今日この頃である。

 ちなみに雫は「え!?両親が出張で、男子高校生と女子高生が二人きりで一つ屋根の下!?それなんてエロゲ!?」と興奮していた。メアが夜な夜な行っていた英才教育の成果ははっきりと雫に根付いているようだった。今の雫は純愛からNTR、異種〇、TS、ふたな〇、リョ〇に至るまでの知識を網羅するエリートである。

 

「ご馳走様」

「ふふ、お粗末様でした」

 

 そんなことを話しながらでも、成長期の肉体である二人はすぐに朝食を食べ終わってしまう。

 荷物の準備はすでに夜の内に済ませているので、後は歯を磨いて行くだけなのだが・・・・

 

「よし、じゃあ歯磨きして・・・」

「待った」

 

 まだ時間に余裕はあるにも関わらず、どこかそそくさと居間を離れようとする久路人の襟を、ガッ!!と雫が掴んだ。その力は人外らしく凄まじいものがあり、久路人は前に進めなくなった。朝から身体強化を自分にかける気にはなれない。

 

「久路人、わかってるよね?」

「いや、雫が気にするのはわかるけどさ、本当にやらなきゃダメ?」

「ダメ!!私にとっては心の死活問題なんだよ!?」

「わかった、わかったってば」

 

 鬼気迫るとはまさしくこのこと、という風に久路人に迫る雫を見て、「はぁ」と諦めたようにため息をつく久路人。ここ最近の朝、二人は新しくとある「日課」を始めたのであるが、久路人ととしてはあまり気乗りしない。久路人にとって嫌なことなのかと言えば、まったくそんなことはないのだが。

 ともかく、雫は「日課」を終えるまで学校に行かせてくれるつもりはないようだ。「仕方がない」と久路人も覚悟を決めた。

 

「ん。じゃあ、今日もよろしくね」

「はいはい」

 

 そうして始まる二人の朝の日課。

 まずは居間のソファに久路人が深く座り、足を広げて少しスペースを作る。

 そして、その空いたスペースに・・・・

 

「ふふっ」

「うわっ!?勢いつけながら座るなって」

「あ、ごめんごめん」

 

 背中から久路人に倒れこむように、雫が久路人の前に座る。

 そのまま、髪を束ねていたゴムを外すと、シュルリと艶やかな銀髪が久路人の顔のすぐ下に広がった。

 これで準備は完了だ。

 

「じゃ、じゃあ、やるよ?」

「う、うん。お願い」

 

 二人の顔は赤い。

 最初はノリノリだった雫もやはり恥ずかしいものがあるのか、肩を縮こまらせている。

 久路人はそんな雫の頭に顔を寄せ・・・・

 

「スンスン・・・」

 

 匂いを嗅ぎ始めた。

 

「あっ・・・」

「ちょ!?変な声出すなって!!」

「ご、ごめん」

 

 最初は頭、次は首筋、雫が前かがみになった後は背中まで。

 途中で久路人の息が首筋に当たって、雫が艶っぽい声を上げるが、それでも止めない。久路人の鼻が銀髪に当たって、雫がビクリと震えるが、それでも止まらない。ここまで来たら、「毒を食らわば皿まで」の精神だ。

 朝っぱらから男子高校生が女子高生の体臭を嗅ぐという、実に変態的な光景だが、止める者は誰もいなかった。

 

「ねぇ、大丈夫だよね?変な臭いしないよね?」

「大丈夫だって、いつも通り家のボディソープとシャンプーの匂いだから」

「本当に?本当だね?もっとよく嗅いでみてよ」

「わかったよ・・・」

 

 そして、そのままそろそろ家を出ないと遅刻するという時間までそうしていたのだった。

 

-----------

 

「まったく・・・」

 

 「久路人がそこまで言うなら大丈夫だよね」と言って若干名残惜しそうに洗い物に行った雫を尻目に久路人も歯磨きをしに洗面所に行く。

 

「まるで僕が変態になったみたいじゃないか・・・」

 

 ここ最近、久路人の影響なのか、襲撃してくる妖怪が増えたのだが、そうした連中が妙な反応をするようになった。具体的には雫がしきりに気にしていたように「臭い」と言うようになったのだ。

 雫を視界にとらえた瞬間に動きを止めてそう言うために、そのコンマ1秒後には殺気をほとばしらせた雫の的になるのだが、雫も年頃(すうひゃくさい)の乙女。やはり「臭う」と言われるのは心に来るらしく、体臭のチェックをして欲しい!!と言うようになったのだった。そうして、一日の始まりにさっきのように変態的な行為をすることとなったのである。だが、久路人にとっては複雑なところだ。

 

「僕って、男として見られてないのか?」

 

 好きな人が相手だからと言って、臭いを嗅がせるというのは普通ないだろう。そんなのは常識的に考えてただの変態だ。だが、好きでもない相手に嗅がせるのはさらにないだろう。ならばどうするか?それは、家族のように「恋愛対象にならないのが確定している相手」しかないのではないか?

 久路人はそんな風に思うのだった。こちらは正真正銘年頃の男子としてはややショックである。

 そして、実は久路人は先ほど雫に嘘をついていたりする。

 

(なんで同じ石鹸とシャンプー使ってるのに、あんなにいい匂いするんだろ?)

 

 まさしく変態の考えることのようで、とても口には出せない思春期男子である。

 洗い場からはなぜか機嫌のよさそうな鼻唄が聞こえてくるが、そんなことを考えるだけの余裕は久路人にはなかったのであった。

 

 

 

 これが、高校2年生の月宮久路人と水無月雫の朝のルーチンである。

 

-----------

 

 高校までの道のりを自転車でかっ飛ばして、どうにか久路人は遅刻せずに教室に入ることができた。

 その際中、「雫、急いでる時には荷台に乗るのはなしね」と言われ、「私って重いのかな?」と若干雫がダメージを受けたが些細な問題である。

 なお、その道中にも妖怪が現れたが、雫としては久路人にさえ臭うと思われなければ、他から何を言われたところで気にしないことにしたらしい。若干額に青筋が浮かんでいたが。

 

「よっ、月宮。今日は危なかったな」

「あ~ちょっと寝坊しちゃってさ」

「お前ん家、郊外のほうにあるからちょっと寝坊するだけでもヤバそうだもんな」

 

 今は午前の授業も終えた昼休み。

 机の上に弁当を広げる久路人の近くに集まってきたのは、中学でも一緒だった池目君と伴侍君だ。何気に縁があるのか、高校も同じところに進学することができ、2年生ではクラスも一緒だった。

 ちなみに田戸君と近野君も同じ高校にいるのだが、クラスが分かれてしまっている。なんでも田戸君は水泳部と空手部を掛け持ちするようになったらしく、最近は坊主頭の二浦君と池目君のような二枚目の林村君という男子たちと友達になり、この間には合宿に行ってきたとのことだった。合宿の準備のために中身が見えないように厳重に包装された箱を運んでいたのを見かけた時、「・・・ビールの匂いがする?気のせいかな」と雫が言っていたが、人間の鑑のような彼らがおかしなことをするはずもないだろう。

 

「にしても、もうすぐだよな~」

「ああ、あれな。全く、他の学校は海外行ってるとこもあるってのに、何でうちは山の中なんだよって感じだぜ」

「ああ、修学旅行か」

 

 最近の昼休みの話題は、もっぱらもうすぐ行われる修学旅行のことでもちきりだ。久路人の高校は変わっていて、なぜか国内の山の中にある湿原を延々と歩くという色気もへったくれもないイベントだ。それでもやはりみんなでどこかに行くというのはワクワクするものがあるのか、クラスメイトも活気づいているようだった。

 

「私は山の中とか好きだけどね。人ごみ嫌いだし」

 

 中学の時のように、久路人のすぐそばに見えない机を作りながら、雫はそう言った。その意見には久路人も同意する。

 

「月宮は、今回は行けるんだよな?」

「お前、中学の時の修学旅行は風邪引いちまったんだっけ。災難だったよな」

「あははは・・・・」

 

 久路人は妖怪に狙われやすい体質で、最近は特に襲撃が増えているが、今回の修学旅行は行ってもよいという許可を京からもらっている。というのも、中学の時には妖怪を警戒して休んでしまい、何度もそういうイベントを休むのは不自然だということと、雫が強くなり、久路人も自衛は完璧にできるようになったというお墨付きをもらえたからだ。今の久路人をどうこうできるような大物が現れるには、大穴が空きでもしない限りあり得ない。その上、ほんの少し前に京とメアが修学旅行で行くエリアを下見し、人里離れた場所ということもあって人目を気にせずに強力な結界を張れたというのもある。久路人が向かう場所はとある霊能者の一族が管理する場所の近くなのだが、その家の許可をきちんともらえたためだ。

 

「俺らがいく山だけどさ、熊とか出ることあるらしいぜ」

「マジで!?鈴とか持ってかねーと。背中向けて逃げるのはまずいんだったか?」

「本能が刺激されて追いかけてくるらしいね」

 

 昨今の管理者が少ない山にありがちだが、野生動物が出ることがあるらしい。もっとも、熊くらいなら雫のおやつだろう。久路人でも異能ありなら簡単に対処できる。

 

「熊か~私は牛とか豚のお肉の方が好きだけどな。やっぱり家畜の肉には敵わない・・・うん、おいしい」

 

 雫はミートボールを食べながらそう言った。

 

(あ、あれ僕が作ったヤツだ。というか、雫は食べたことがあるのか、熊)

 

 久路人がそこはかとなく野生の厳しさに想いを馳せていると、池目君が話の舵を切った。

 

「熊で思い出したけどさ。お前ら、最近の噂知ってるか?」

「噂?」

「なんだよ。この辺で熊でも出たのか?」

 

 久路人の住む町は結構な地方都市で、鹿やら猿やら猪が郊外にはうろついているが、さすがに熊が出たという話は久路人も聞いたことがない。

 

「いや、熊じゃなくてさ。狐が出るらしいぜ」

「狐?」

「へぇ~珍しいな」

 

 狸なら何度も見たことがあるが、久路人が狐を見たのは数えるほどだ。生息していてもおかしくはないが、噂になるくらい人里近くに出没するのは珍しい。

 

「狐・・・」

 

 ふと横を見ると、雫が嫌そうな顔で眉をしかめていた。どうしたのだろうと久路人が視線で問いかけると・・・

 

「あいつらが蛇を見るときの目つきが嫌なの。「食ってヤル」って感じで」

 

 何やら雫には嫌な思い出があるようだ。確かに野生の狐は蛇とか食べているだろうが。

 

 それから話題は別なことに流れていく。

 

「この前田戸が言ってたんだけどさ、夜中のトイレにガーゴイルがでるらしいぜ」

「え~なんで高校のトイレにガーゴイルなのさ」

「さあ?でも、空手部の夏吉先生が夜中の見回りで・・・」

 

 そうして昼休みは過ぎていき、噂の話はすぐに忘れられてしまうのだった。

 

 

-----------

 

「・・・・・」

 

 そこは、薄暗い部屋だった。時刻は逢魔が時。外はあと少しで消えてしまいそうなオレンジ色の夕日に照らされてるが、部屋の中に届くことはない。

 田舎にあるような、大きく古風な屋敷。その窓が締め切られた一室に、その女はいた。瞑想をするかの如く畳の上に敷いた座布団に腰掛け、目を瞑っている。豪奢な金髪や着物から見て取れるイメージとは真逆に置物の如く静寂を保っていたが・・・・

 

「見つけたぞ」

 

 不意に、その金色の瞳を見開いた。艶やかな唇が三日月のように吊り上がり、突然9本の尾がザワリと現れる。

 

「ああ、大まかな位置はわかっておったが、アレが源か。媒ごしでもよくわかるのぉ」

 

 クツクツと、蝋燭のわずかな灯りしかない部屋に嘲笑するかのような笑い声が響く。

 そこで、九本の尾を持つ女、九尾はおもむろに手招きをした。すると、部屋の隅に控えていた男がうつろな目つきで盆の上に何かを乗せて持ってくる。男が金色の女の近くに恭しく跪くと、九尾は無造作に盆の上に乗っていたモノをつかみ取り、口に運んだ。

 

「チっ、薄味だな」

 

 九尾にとっては、先ほど見つけた芳醇な霊力を放つ少年のものとは比べる価値もないほどの薄味だ。これでも比較的霊力の多いヤツを狙ったつもりだったのだが、九尾の知る昔とは大分様子が違っているようだった。

 

「片付けろ」

「・・・・・」

 

 女が今まで齧っていたモノを無造作に盆の上投げ返すと、男は夢でも見ているようなおぼつかない足取りで部屋を出ていった。蝋燭のわずかな灯りに照らされたものは、人間の腕だった。その腕は明らかに人間のモノとわかるのに、まるで大きなスペアリブのように調味料が垂らされ、香ばしい匂いを出すほどに「調理」されていた。

 

「・・・・・」

 

 九尾が特殊な術を用いて忘却界や他の術者が張った結界を「化かして」取りに行った人間を解体し、調理する。常人ならば、いや、異能者であっても早々やらないであろうおぞましい所業を、この屋敷の人間は何の疑問も持たずに行っていた。

 

「フン、あれが吾をここに封じた、あの二人組の腰巾着の子孫か。そこそこの腕前だったはずだが、子孫はとんでもない愚物よの」

 

 九尾は嘲笑うよりも、いっそ憐れむかのようにそう言った。

 九尾のいる屋敷は、その周辺の土地を管理する霊能者の一族のモノだ。だが、今では大岩から解き放たれた九尾によって、その住人は皆彼女の支配下にあった。

 

「幻術」

 

 術の一種であり、文字通り幻を見せる術であるが、九尾はこと幻術において「神格」を持つに至った存在だ。その完成度は、大きな動きさえ見せなければ異能者の最高峰である七賢にすら簡単には気付かれないほどである。この屋敷の住人は皆、「自分たちが九尾に仕えることは当然」「やんごとない御方のために、世俗には隠さなければならない」というように認識を改ざんされており、おまけに九尾からある程度離れると九尾に操られていたことも、その存在そのものを忘れてしまうという念の入れようだ。これによって、例え拷問にかけられようと九尾のことを喋ることはできなくなる。

 

「まあ、今の時代にもあの「おのこ」のようなのもいるようだがの」

 

 とはいえ、九尾は油断はしない。

 元々封印されている時も意識はあり、霊脈を介して現世のことは断片的であるが見聞きはしていた。それゆえに封印が解かれた際にはすみやかに結界を張り、自らの存在がバレないように隠ぺいした。九尾からしても、東の方から今もその存在感がわかるほどの血吸いの鬼と、瀑布のような気配を放つ侍の相手はしたくなかった。

 

「くふふ、しかし、天は吾に味方しておる」

 

 「千里眼」という、自らの眷属とした野生の狐を介して遠くを覗く術を以て、九尾は様々な情報を仕入れていた。元より、あの少年がいる土地は千里眼を使わずともわかっていたために、早期から狐を向かわせていた。それによって、少し前にこれまた相手をしたくない気配を発するからくりのような女と妙に薬臭い男が来ることを察知し、さらにはあの少年が来ることもわかったのだ。この自分のお膝元に、自分の意思でやってくる。それはとても愉快なことだった。なにせ、あのからくりどもが張った結界は強力だが、自分はその結界が張られる工程を一から観察することができたため、「結界に自分がいないと誤認させる」ことも容易くはなかったができたのだ。ならば、この結界が無事である限り、あいつらがやって来ることはない。結界そのものが少年の檻になるのだから。

 

「ああ、楽しみだ。一体あのおのこはどんな味がするのだろうなぁ」

 

 媒介ごしに見てもわかる芳醇な霊力だ。極上の味なのは間違いない。ああ、ならば一息に食べてしまうのは勿体ない。あのおのこを捕まえたら居を移し、手足を斬って、一生飼い殺しにしてやるのがいいだろうか。従順なようなら戯れに愛でてもいい。そして・・・

 

「力を蓄え、うじゃうじゃと増えた人間どもを掃除するとしよう」

 

 九尾がいた時代からずいぶんと世界は変わり、人間の数が増えていた。

 それは、九尾にとってはたまらなく不愉快なことだった。

 増大した力で薙ぎ払うのも、ここの住民のように操り人形にするのも悪くない。

 

「まったく、少し時が経っただけで毛虫の如く増えおって。気色悪い」

 

 九尾は人間が、この世界が嫌いだった。かつての幸せな時も、未来への希望も何もかも奪ったこの世界を憎悪していた。いや、人間と世界だけではない。

 

「それに、あの白蛇・・・・」

 

 九尾の顔が歪む。狐を通して、件の少年の傍でメスの顔をしていたあの白蛇だ。あれを見てから心がざわめく。憎悪、憤怒、嫉妬、悲哀、後悔。様々な負の感情が浮かんでは消えていき、最終的に残ったのは、嗜虐的な笑みだった。

 

「あの蛇の前で、おのこを摘まんでやったら、どんな顔をするのかのぉ」

 

 クツクツと暗い愉悦が滲んだ笑い声がこだまする。

 

「ああ、楽しみだ。楽しみだのぉ」

 

 日が落ちて、屋敷も山も闇の中に沈むまで、九尾は笑い続けたのであった。

 クツクツ、クツクツと。

 

 

 

 

 

 

 




ちなみに、山の中に高校の修学旅行で行くというのは作者の実体験です。
相部屋になった友達二人が私そっちのけでディープなエヴァの話をしていたのはよく覚えています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 高校生編3

フゥーハハハ!!!オレは、「会社の昼休み」を生贄に「次話」を召喚!!!
読者にダイレクトアタック!!投稿前進DA!!

でも、お話が大して進んでないのは許して・・・・

あと、今更ですが、タグに「バトル」を追加します。


 月宮家の裏庭。そこはだだっ広い草原だ。一見すると何もない場所なのだが、ここには様々な結界が張られており、結界の内部はどんな損害があっても一晩で修復される実に都合のいい闘技場である。

 そして、「雫匂いチェック」が朝の日課ならば、この夕暮れに行われる日課は「生き残るための模擬戦」である。まあ、最近は生き残るというよりも「滅ぼす」とか「殺しきる」とかそんな感じの目的になりつつあるが。

 

「瀑布!!!」

 

 そんな可憐な声で唱えられた術名とともに雫が手に持ったおもちゃのような外見の水鉄砲から放たれたのは、台風が襲い掛かった際の川のような濁流だ。

 名前は世界にその存在を刻む証。術の名を唱えることは初歩的な術の強化方法だ。妖怪の類は特定の属性しか使えない代わりに術を発動するために詠唱を必要としないものが多いが、唱えることで精度は上がる。

 そうして唱えられた術によって、大人の背丈を超えるほどの高さの波が黒い外套に身を包んだ久路人に迫りくる。

 

「ふっ」

 

 しかし、久路人は動じない。

 瞬時に靴の底に何重にも巻かれたバネを形成すると、水が届く前に跳びあがり、そこを狙って放たれた氷柱を外套が伸びて叩き落とした。さらに、お返しとばかりに外套の一部が剥がれたかと思えば、空中で腕ほどの太さの鏃に変わって雫に向かって飛んでいく。その表面は赤く輝いており、とてつもない高熱を持っていることが見て取れた。

 

「それは嫌かなっ!!」

 

 氷の盾を用意してはいたものの、溶かされる危険性を考えたのか、雫は弾くのを諦め回避を選択。バックステップで後退し、鏃が突き刺さった場所を囲うように氷柱を生やそうとするが、自身の周りに黒い霧のように砂鉄が漂っているのを見て、標的を変更。直後、鏃に付いていたワイヤーを縮めて久路人が着地すると同時に、雫の周りにあった黒鉄は氷漬けになっていた。

 

「たぁっ」

「鉄砲水っ!!」

「!!」

 

 距離を詰めるべく、十手から直刀に武器を変形させて、バネを踏みしめて急加速する久路人と、彼に向って水ピストルを構える雫。一瞬の後、銃口から消防車のホースもかくやという勢いで高圧水流が放たれたが、久路人は驚異的な反射神経でこれを回避・・・・・

 

「えいっ!!」

「!?」

 

 間髪入れずに放たれたのは、精度を気にする必要もないくらい至近距離から迫る巨大な氷柱だった。その射線は久路人の服どころか心臓を貫くコースだが、久路人の纏う外套を突破するにはこれでもギリギリだろう。

 だが、久路人とて馬鹿正直にそんな攻撃を受けるつもりはない。

 

「はぁっ!!」

 

 久路人は走りながら突きの構えを取り、そのまま氷柱に突っ込むと、氷柱は刃先が当たった個所からバターのように裂けていった。それは、雷起による身体強化や単純な技量ではなく、特殊な術の一種によるものだ。

 

 術技「迅雷」

 神楽の如く、特殊な構えによる動作を詠唱の代わりとして発動する術を「術技」と呼ぶ。術として発動させるには技量が必要だが、使えるのであれば詠唱するよりも素早く撃つことができる。

 これによって、久路人は攻撃しながら足を止めずに移動したのである。ただし、走るコースが若干ズレたために、雫の懐に入ることは叶わず、その間に雫は地面を凍らせた上で滑り、久路人から距離を取っていた。そうして、二人は距離を開けたまま向かい合う。

 

「中々近寄らせてくれないね」

「普段だったら大歓迎なんだけどね~。この武器で久路人とクロスレンジで戦うのは嫌かな」

 

 ここ数年で、二人の実力は大きく成長し、中学の頃とは模擬戦でとるバトルスタイルも変わっていた。

 久路人はその反射神経と技量がもっとも発揮される接近戦を。

 雫は元の蛇のように豊富な霊力を使った広範囲攻撃だが、かつては比べ物にならないくらい精密な遠距離攻撃をメインに扱うようになった。もっとも、自分の得意なことを突き詰めるのは大事だが、穴を作るようなことはよくないのは二人とも分かっていた。

 

「なら・・・・」

「次はこれだね!!」

 

 久路人の持つ直刀がサァっと砂になって霧散したかと思えば、次の瞬間にはピンと弦が張られた弓に変わり、雫の持つ水鉄砲はグニャリと溶けて、薙刀に変わった。

 

「やああああ!!!」

「ふぅっ!!」

 

 そこから始まるのは、先ほどの逆。

 遠距離から黒鉄の矢を放つ久路人と、彼に追いすがる雫。

 二人の訓練は灯篭の灯りが消え、闇が訪れるまで続くのだった。

 

-----------

 

 久路人は本当に強くなった。

 

「はふぅ・・・」

 

 久路人が入った後の湯船につかりながら、雫はそう思う。

 

 雫が入浴中に平静をたもてるようになったのは、一年ほど前のことだ。雫の内心で思うように久路人は成長しているが、雫も胸を除けば実力も精神面も成長している。中学までの間は、「ハァハァ、このお湯全部から久路人のエキスを感じる、まるでお風呂の中で久路人とセッ・・・・!!!」となまじ水に対して親和性が高いために入浴中に心を落ち着けるなど不可能であった。しかし、常軌を逸する忍耐と「久路人のエキスに浸かるせいで入浴中に冷静でいられないなら、風呂に入る前にもっと強い刺激で限界までエキスを摂取すればいいのでは?」という天才的な発想によって、脱衣所にある久路人の汗がしみ込んだ服の匂いを吸入することで克服したのだ。

 ともかく、今の雫はある種の賢者タイムであり、冷静に先ほどの模擬戦を振り返ることができていた。

 

今の久路人は強い。瞬間的な強さならば、自分を上回るほどに。

 

大妖怪たる自分が模擬戦の一時の間といえど、逃げの一手をとらされたのだ。もはやそこらの中規模の穴から出てこれるような妖怪では相手にもならないだろう。一時期は「護衛など、いや、私などいらないのではないか?」と目の前が真っ暗になるほどの不安を感じ、模擬戦をサボってしまうこともあった。

 

久路人が強くなったのは、雫のように様々な部分が成長したからだ。霊力は勿論、その扱い方に、武術の冴え。そして、肉体的な成長だ。

 

「久路人、大きくなったな・・・」

 

 雫が出会ったころの久路人はまだ小さな子供だった。

 中学生の頃までは、雫と背丈も大して変わらなかった。だが、今の久路人は体格が大きくなって、雫よりも頭ひとつ分くらい背が伸びた。まあ、それは久路人が平均より少し背が高いのとは逆に、雫が平均よりもやや小柄なのもあるが。

 ともかく、今の久路人は肉体が全盛期に至る一歩手前にいると言っていいだろう。そう、ほんの数年。妖怪にとっては瞬きの間にすら感じるほどのわずかな間にそこまで育ったのだ。それは、久路人が特異な力を持っていても、人間だからだ。

 

「久路人、今日も怪我してた・・・」

 

 最近は、とみに久路人が人間なのだなと感じることが多い。短い間に体が育ったこともあるが、訓練に今までに増して熱が入っている最中に、肩で息をしているとき。強化を解いた時に脱力している時を見たとき。なにより、久路人が溢れ出る霊力を抑えきれずに血管が切れて怪我をしているときだ。自分は蛇という極めて生命力の強い動物が元になった妖怪のため、ちょっとやそっとの傷ならばあっという間に治ってしまうが、久路人はそうでもない。京が用意した術具を使えばすぐに治療はできるが、逆に言えば自力で傷を治すこともできない。少し力が荒ぶっただけで、少し転んだだけで傷ついてしまうような脆い生き物なのだということをまざまざと見せつけられる。

結果的に、そのことが雫に護衛の必要性を改めて示したのだが。

 

「やっぱり、私が傍にいて守ってあげないと!」

 

 ふんす、と雫は鼻息も荒く改めて決意すると、久路人の浸かった残り湯を心いくまで堪能したのだった。

 

-----------

 

 雫にはある悪癖がある

 

「ふんふ~ん、い~い湯だな、ババン!」

 

 鼻唄を歌いながら何の心配もないようにしているが、その悪い癖は今も現在進行形で影を落としていた。

 

「旅行先の温泉は混浴かなぁ?そうだったら、他の女がいなくなるまで久路人には待ってもらわないと」

 

 努めて明るい未来を楽しみにするように、雫は笑う。その脳裏によぎった記憶を忘れるように。

 

 それこそが、雫の悪癖だ。

 雫は、心の中に沸いた大きな不安から目を背けてしまうことがある。先日の久路人に拒絶されるかもしれない恐怖を、見ないフリをして目先の享楽に逃げたのもそうだ。

 

「さ、さすがに混浴だからって一緒に入ろうとするのは、はしたないかな?でもそろそろ・・・」

 

 先ほども、怪我のことが衝撃的でそちらの方が印象に残っていたのも大きいが、雫が感じたのはそれだけではない。雫は最期まで気がつかないフリを、忘れたフリをした。

 

「よし、ちょっと名残惜しいけど、そろそろご飯の支度しないといけないし、上がろっと」

 

 久路人の守護をしてほしいと京に頼まれ、契約したときのことを。そのときに自分が思ったことを。

 結局、雫がそれを思い返すことはなかった。

 

 

 修学旅行に行く3日前のことであった。

 

-----------

 

「なんか退屈だな~。これ、私が飛んでいく方が早くない?信号無視できるし」

「そりゃそうだろうけど・・・・なんなら、先に向かっててもいいよ?地図だって・・・」

「却下!!」

 

 修学旅行に向かうバスの中。雫が僕のすぐ隣にフヨフヨと浮きながらしゃべる中、僕は携帯をいじるフリをして返事をメール画面で打っていた。

 雫が退屈しているのは、運悪く、僕らのバスは渋滞に捕まってしまったからだ。実を言うと、僕も雫もあの街を離れたことはほとんどなかったりするので、僕らにとってあまり見慣れない渋滞やら高架橋やらに最初の内は感心すらしていたのだが、すぐに飽きてしまっており、暇を持て余していた。思えば、都会の光景なんぞニュースだの映画などで見るものと大差あるわけもなく、改めて見てどうというものでもない。

 不幸中の幸いは、バスに乗る際に生徒間で勝手に席替えが行われ、僕と同じ班のメンバーが、僕の隣に座っていた男子も含め、自分が話したい奴の隣に移動したことだろう。見れば、バスの座席間に収納されている非常用の座席を引っ張り出しているのもいる。先生も修学旅行で浮かれるのは仕方ないと考えているのか、これくらいなら目こぼししてやろうと言わんばかりにスルーしている。そのおかげで僕の隣は空席になっており、そこに雫が収まることができていた。

 

「池目君や伴侍君とは班分かれちゃったなぁ・・・・」

「別にいいじゃん!!あの二人は悪い奴じゃないけど、一緒の班だとうるさいのが寄って来るし!!」

「まあ、それはそうだけどさ・・・」

 

 池目君と伴侍君はクラスでも外見・内面ともにイケメンであり、人気がある。僕は中学の一件で縁ができてそこそこ仲がいい方で、おかげで高校では平和に過ごせている。ただ、そんな彼らは非常にモテる。そのおかげで、いや、せいでというべきか、女子たちが近づいて来ることが多いのだ。僕も一時期は女子に群がられたことがあるが、彼らの場合は完全にプラスとマイナスが逆である。その影響で「池目君に好きな人がいるか聞いてくれない?」とか「伴侍君の好み教えて」などと聞かれることも何度かあった。そのたびに雫が不機嫌そうな顔をしていたが、僕としても正直そういうのは勘弁してほしい。

 そういう意味では彼らと班が分かれたのは悪い話ではない。高校に入ってからは怪異の襲撃も増えたが、僕らも強くなり、特に僕は黒鉄を散布することでかなりの範囲を探知できるようになったため、妖怪が出現→僕が発見→雫が氷柱で即死させる→すぐに溶かすというコンボが組めるようになったことで騒ぎになることはめっきり減った。元からあまり他の人と深く関わらないようにしていることもあるだろうが。そのおかげで僕にまつわる悪評も立たず、今回同じ班になったクラスメイトとも仲は悪くない。

 

「というか、飛んでいくって、蛇の姿でしょ?最近はあんまりならないじゃない」

「えっ?そりゃあ、まあ・・・・人間の姿の方が色々都合がいいし」

 

 雫は蛇の姿になると飛ぶことができる。今も浮遊しているが、飛ぶのはなぜか人の姿よりも蛇の姿の方がうまくいくし長時間続けられるのだとか。泳ぐのも蛇の姿の方が得意だし、空を飛ぶのも同じような要領でやっているのだろう。ただ、僕は中学の時から雫が自分から蛇の姿に戻っているのをほとんど見たことがない。

 

「だって、蛇の姿だとゲームもトレーニングもお喋りもできないし・・・」

「でも、僕が頼んでもあまり変わってくれないよね」

「・・・・なんか、複雑な気分になるんだもん」

 

 雫はどこか不満気にそう言った。

 おじさんに聞いたところ、人化の術は一度できるようになると常時かけておくことができるらしいが、別に元の姿に戻れないというわけでもなく、さらに言うなら蛇の姿に戻った後にもう一度人の姿になるのも簡単にできる。僕は小学校のころから蛇やトカゲといった爬虫類やイモリに蛙のような両生類も好きなので、たまにあのスベスベした肌に触れたくなって「ちょっと蛇の姿に戻ってもらっていい?」と頼んだことが何度かある。一回や二回頼むくらいだと「え~・・・」という反応が帰ってきて戻ってくれないのだが、しつこく頭を下げると渋々、本当に渋々といった風に蛇の姿になってくれる。ストレスがたまるとモフモフした生き物を触りたがる人が多いらしいが、僕の場合は爬虫類だ。前に雫が頼んでも元に戻ってくれなかったので庭にいた蛇を捕まえて観察しようとしたところ、凄まじい冷気を放出してあっという間に冬眠させた後に「どうした?蛇に触りたいのであろう?ほれ、好きにすればよいではないか」と拗ねたように大蛇になったこともある。人の姿がちらつくので首に巻いたり服の下に巻き付かせたりはさすがにやらないが、頭を撫でまわしてスッキリしたところで人の姿に戻った時には、「違う。嬉しくないわけじゃないけど、違う、これじゃない」とかなんとかブツブツ言っていた。

 

「前から気になってたんだけどさ、久路人は私が人の姿と蛇の姿だったら、どっちの方がいいの?」

「えっ?」

 

 不意に、雫がそんなことを聞いてきた。なんとなく目がジト目だ。

 

「そりゃあ・・・「言っておくけど、両方はナシね」ええ・・・」

 

 しかも釘を刺された。雫の方を見ると、紅い瞳は不機嫌そうに、しかし真剣にこちらを見ていた。

 これは、おふざけや冗談を言ったらバスの中で誤魔化しが効かないような怒り方をしそうだ。

 僕はまじめに考えて、普段の日常を振り返ると・・・・

 

「まあ、人の姿かな」

「本当!?なんで!?」

 

 僕がそう言うと、それまでの様子が嘘のように目を輝かせて身を乗り出してきた。

 

「えっと、まあ、今こうやってメールで書いてるから特にそうなんだけど、喋れた方がやりやすいし」

「ふんふん、他には?」

「訓練とか、料理とか、ゲームとかは人の姿じゃないとできないし」

「ほうほう、で?」

「えっと、う~ん、今思いつくのはそれくらいかな・・・・」

「・・・・・・」

 

 やや急かされるようにメールを打つと、雫は複雑そうな顔でこちらを見ていたが・・・・

 

「まあ、今はまだこれでいいか。蛇に興奮する特殊性癖じゃないってわかっただけでも」

 

 小声で何事かを呟いたが、隣をちょうどトラックが通り過ぎてよく聞こえなかった。

 

「雫、今なんて・・・?」

「なんでもないよ」

 

 僕が聞き返しても、雫は答えてくれなかった。しかし、人の姿と蛇の姿か・・・・

 

「あ、そうだ!!」

「わ!?どうしたの?」

 

 僕が急に声を上げると、雫は驚いたようにこちらを見る。だが、僕には今までの会話で名案が浮かんだのだ。朝の日課を円滑に行う妙案である。

 

「いや、朝の日課なんだけどさ、人の姿じゃなくて蛇の姿なら早く・・・「却下!!!」」

「え~・・・・」

 

 ものすごい勢いで断られた。

 

「え~、じゃない!!久路人は私が人の姿の方がいいんでしょ!?私の体臭、人の姿の時の方が濃そうじゃん!!」

「・・・・自分で言っててどうなの、それ?」

「~~~!!!知らない、バカっ!!」

 

 雫は自分が何を言ったのか遅れて理解したのか、顔を真っ赤に染めてそっぽを向いてしまうのだった。

 

-----------

 

 その後、「これからは朝だけではなく、訓練後の風呂上りにも匂いチェックする」という条件を僕が飲むと雫は機嫌を直した。ただ、完全には直っていなかったようで、モンスターをハントするゲームをマルチプレイしていると普段は使わない大剣で薙ぎ払いを連発したり、爆弾の詰まった大きなタルを僕の傍に置いた後に爆発させて心中を図ってきたが。さらにその後、「旅行から帰ってきたらメアさん直伝のサイコロステーキを僕が3日間作る」という譲歩を僕から出したらバスに乗る前よりも機嫌がよくなったのだった。

 

 ただ、僕としては実は日課がこれまで通り行われることに、というか追加まで増えたことに内心思うところがあった。

 

(なんというか、中学の前、蛇の姿の時には気にもしてなかった癖に。現金というか、軽いよなぁ、僕も)

 

 「雫が人の姿で日課を続けるということについて、どこかホッとしている自分がいる」などと、もちろん雫には言えなかったが。

 

 

-----------

 

 

 そうして、久路人たちの乗るバスは目的地に到着した。久路人たちのバスには何の問題もなかったものの、田戸、近野、二浦、林村が乗っていたバスでは異臭騒ぎが起きたらしいが、些細なことだろう。

 

 修学旅行の目的地は、自然豊かな山の中で、観光客が訪れることもよくある場所だが、のどかで平和な場所だ。野生動物も多く生息していて、数年前には熊がでたこともあったようだが、近ごろは大人しいらしい。

 最近にあった大きな事件といえば、やはり数年前に、地元の高校生3人が数日行方不明になった後、隣町でバイクに3人乗りをして事故死したくらいだろう。大きな事故と言えば大きな事故だが、元よりその3人は夜な夜などこかに出かけて「幽霊が出た」などと騒ぎを起こすような素行不良の生徒だったようで、事故の現場にも特に不審な様子はなかったため、今ではもう忘れ去られている。

 

 そんな、日本のどこにでもあるような、ありふれた観光地。

 これより始まる、祝福された少年と蛇の少女の物語の、第二部の舞台。

 

 「自分の大事なモノが、永遠に自分のモノである保証はない」

 

 蛇の少女は、それを深く思い知ることになる。

 




俺は強欲だからよ。
感想も、お気に入りも、評価も、なにもかもが欲しい!!
というわけで、感想、評価、お気に入り登録を心からお待ちしております。
作者に「続き早く書いて♡」って思う人はぜひ!!
「ここがダメだよ!!」っていう批判も大歓迎です!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 高校生編4 修学旅行一日目

この3連休でめっちゃ話すすめてやるぜ~というスタイル。書き溜めできるといいな。
唐突ですが、キャラの外見について。

久路人:鬼滅の蛇柱さんっぽい。目つきは柔らかい。
雫:月姫の白レンからリボンとって成長させた感じ。
京:千年戦争アイギスのアトナテスを茶髪にした感じ
メア:艦これの矢矧な感じ

大体こんなイメージ


 葛城山。

 それが久路人たちが修学旅行で訪れる山の名前だ。すぐ近くには別の山々がひしめいており、それらに囲われる湿地帯が遊歩道として全国的に有名な観光地である。修学旅行の日程は3泊四日であり、一日目でバス移動と葛城山付近にある寺社の見学、2日目で湿地帯遊歩道を縦断し、3日目は葛城山登山とかなりのハードコースだ。「これで一体何を学べるんだよ?運動部の合宿か何かか?」と疑問を呈する者も多いが、それらは「伝統だから」との一言だけで一蹴されていた。そして、今は一日目。バスから降りて昼食を摂った後、学生の一団は門前町を訪れていた。

 

「わぁ~!!」

「賑やかなところだな・・・・」

 

 久路人と雫は人生で初めて訪れる観光地の賑わいに驚いていた。これまでは人外の襲撃を考えて生まれ育った街に籠っていたために観光など夢のまた夢であったが、実力を認められたことならびに京の様々な事前準備もあって他の一般生徒と同じように観光ができていた。実に好奇心旺盛な高校生の旅行らしく、各自気の合うメンバーとグループを作って方々を見て回っているが、無論久路人はボッチである。そんなことを口に出そうものなら「私がいるじゃん!!」と大声で否定されるだろうが。

 

「なんかすごいいい匂いがするね~」

「なんだろう?饅頭かな?」

 

 好奇心旺盛かつ手が早いのが原因で封印された雫はもちろん、普段は大人しい久路人も今日はどこか浮ついているのか、あちこちの露店を覗いている。今見ているのは白い湯気がもうもうと湧き出る店で、甘い匂いが漂っていた。雫と二人並んで見てみれば、匂いの通り饅頭だったようだ。

 

「すみませ~ん、二つ下さい!!」

「あ!私はあの桃色のやつがいい」

「白いの一個と桃色の一個で!!」

 

 雫が指差した饅頭とオーソドックスな形をした一口サイズの饅頭を買った久路人は早速雫に一個渡し、自分の分を食べる。

 

「ん~甘さ控えめ」

「でも、しつこくなくていいよ。僕はこういうの好きだな」

 

 雫も久路人の隣で饅頭を口に放り込み、味わった後にゴクリと飲み込んだ。

 空中でいきなり饅頭が浮かび上がって消えた、と思われるような光景だが、気にするものは誰もいないし、久路人も雫もそれを当然のように受け入れている。中学のころ、雫が給食室からトレイやらなにやらを勝手に取っていって、教室まで運んできても誰も気付かなかったように。

 雫は普段は他の人間には見えない。意図的に姿を見せることもできるが、本人が面倒がってやりたがらない。実際、雫のようなアルビノ美少女がいたら注目を買うのは間違いないだろう。だが、慣れている久路人からしても、人が多く出歩く表参道で饅頭のイリュージョンマジックが行われてるのに誰も注目しないと考えると不思議な気分になるようだ。

 

「それにしても、こんなに人がいるのに誰も気が付かないなんてな~」

「私は気付かれない方がいいよ。幽霊騒ぎとかなって変なのが寄ってきたら嫌だし」

「ごもっとも・・・」

 

 中学の頃を思い出し、思わず久路人は苦い顔になる。雫の行動が気にされないのは、京と久路人謹製の術具のおかげである。

 姿の見えない存在が行動しても、その影響を感じさせないようにするために、雫が人化してすぐに京は術具を作った。ただし、メアが「初めて雫様に物を渡すのが京というのは腹が立つので久路人様に作らせましょう。雫様も喜ぶでしょうし」と言ったことで久路人が京の手ほどきを受けながら組み立てた物だが。幸い久路人は元々器用で、雷起を使った場合には米粒に仏を彫れるレベルなので無事に仕上がり、今も雫の腕には銀色の腕輪が嵌っていた。久路人が初めて渡した際に「これ、家宝としてショーケースに仕舞っておくね」と言って恍惚とした表情で言い放ち、「それじゃ意味ないから着けててよ」と突っ込んだことは未だに久路人の記憶に残っている。今でも時々はぁ~っと息を吹きかけては布で磨いたりしている。ちなみに久路人同様に雫の力に耐えられる素材を用意するのが難しい関係ですでに3代目だ。そして、雫の着けている腕輪と同じデザインの腕輪が、久路人の腕にも嵌っていた。

 

「妖怪にも気づかれてないみたいだしね」

「というか、この辺り一帯に妖怪いないんじゃないかな。この辺りは私たちの街より穴が空きにくいみたいだし」

 

 久路人の腕に嵌っている腕輪は、普段身に着けている気配封じの護符の強化版だ。耐久性を度外視して効果のみを突き詰めており、5日間くらいで壊れるだろうと京には言われている。そして、事前に京が複数の術具を起点として湿地を囲うように設置した結界があることで、短期間の間だけだが、雫のように登録した妖怪以外には強力なデバフがかかっていることもあり、久路人が襲われるリスクはほぼ0だ。加えて、お守りには新しく「幻術破り」の効果が付与されたものも持たされている。元よりこの辺りの土地は異能者の一族が集まって管理する土地であるが、異能の力が弱いのか他に原因があるのか知らないが、忘却界の綻びも少なく、穴が空いたとしても小物しか出てこないらしいのだ。そこを管理者の一族がきちんと締めることでこの付近の治安は保たれているのだとか。数年前までは表向きの事業が危うく、そちらにかかりきりで結構杜撰な管理だったとのことだが、事業がここ数年で安定し、異能関係にもしっかり手を回せるようになったらしい。

 

「久路人、久路人!!せっかく何の心配もしないで観光できるんだし、喋ってるだけじゃ勿体ないよ。早く次行こ」

「ああ、うん。そうだね」

 

 少し物思いにふけっていた、久路人は雫の言葉で我に返り・・・

 

「わ!?」

「おっと!」

 

 他の観光客の一団が通りすぎてできた人の波が二人の間に入り込み、少しの間二人はお互いが見えなくなった。

 が、すぐに雫は飛び上がると、久路人のすぐ上で止まる。その顔はせっかくのいい気分を邪魔されたとばかりに不満げだ。

 

「も~なんなのあれ!!」

「まあまあ、しょうがないよ人多いし、雫は見えてないんだから」

「むぅ・・・」

 

 普通の旅行者からみれば、この人混みのなか空いているスペースがあれば通ろうとするのはしょうがないと久路人は思う。だがまあ、いちいち今みたいなことがあっても面倒だし、雫もつまらないだろう。ついでに久路人ととしても、混雑の中で浮いている雫に話しかけるのは変な目で見られそうだし、首も疲れる。「しょうがないか」と久路人は小さく溜息をつきながら歩き始めた。

 

「まったく、服のなかに氷でも突っ込んで・・・」

「それはやめてあげなよ・・・あと、ほら、雫」

「へ?」

 

 不穏なことを企む雫を宥めながら、久路人は自分を道の中央側へ、雫を路肩の方へ誘導するように歩いてから、宙に浮かぶ雫に手を差し出した。

 その手に、雫は呆けたような反応をする。

 

「何度もああいうのが来てはぐれたら困るだろ?僕もお前も土地勘ないんだし。それに、上を見ながら喋るのは変人だって思われるかもしれないし、首が疲れるんだよ」

「・・・・・」

 

 どこか言い訳がましく若干早口で言う久路人を雫はポカンと見ているだけだ。久路人としても気まずくなってくる。やはり、こういうのは自分には似合わなかっただろうか、と。

 

「あ、その、ゴメン。やっぱりなし・・・・」

「わ~!!!待った待ったタンマ!!!」

 

 久路人が手を引っ込めようとしたところで、雫は再起動した。大慌てで丁度良い高さまで降りて、久路人の手を一瞬見つめる。ためらうように、緊張したかのように一瞬止まるも、おっかなびっくり手を伸ばして、久路人の手を掴んだ。

 

「わ、私も下を見ながら話すのは話しにくいし、お店も見にくいし、その・・・・」

「えっと、うん。そうだよね・・・」

 

 しどろもどろといった感じで、二人は手を繋いだはいいものの、なんとなく気恥ずかしい。

 家族のように育った仲といえど、多感な思春期であるゆえに異性と手を繋ぐというのはかなり緊張してしまう。それに、どうしても二人は思い出してしまうのだ。手を繋ぐということそのものが、あの月夜の帰り道を想起させる。

 はて、あの時はどうやってこの気まずい雰囲気をどうにかしたのだったか。

 

「あ、また・・・」

「とりあえず、行こうか」

「う、うん」

 

 そのまま、どちらがリードするかということも決められず、二人で立ち止まっていたが、またしても観光客の集団がやってきた。どうしても動かざるを得ない状況になってしまったので、道の中央側にいた久路人から人ごみを避けるように動き出す。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 それでも、しばらくは何を話せばいいのかお互いにわからなかった。気になるのは、そのたくましく力強さを感じさせる久路人の手の感触と、柔らかくて心地よい雫の手の触感だけだった。しかし、そこは滅多に来れない観光地。話のタネはいくらでもある。歩き続ける内に、また別の土産物屋が見えてきた。

 

「あ、木刀が置いてある。本当に観光名所には置いてあるんだ。久路人、買ってく?」

「う~ん、結構高いな。止めておくよ。刀なら自前のあるし」

「そういやそうだね。でも、久路人なら木刀で鉄とか斬れたりしない?」

「・・・・雷起使えば、できなくない、かも?」

 

 色気も何もない話だが、よく一緒に武器をぶつけ合う仲ゆえに、そんな話題でも盛り上がる。他にも竹でできた水鉄砲が置いてあったりして、そちらにも関心が移っている内に、いつの間にか二人からは緊張が取れていた。そのまま二人の会話は弾んでいき、手を繋いでいるのも自然なことのように思えてくる。

 

「あ、遠くの方にいるの、田戸君たちじゃない?」

「本当だ。木刀買ったんだ、あいつら・・・」

 

 「邪剣夜逝魔衝音(じゃけんよるいきましょうね)~」と叫びながら木刀を振り回している知り合いを発見し、少し引いたりした。田戸君は直後、ムエタイが得意そうな空手部の顧問にぶっ飛ばされていた。

 

「ん~!!この大福、桃入ってておいしい!!」

「僕のはリンゴだったよ」

「あ!!じゃあちょっとちょうだい!!」

「いいけど、そっちのも一かけら欲しいな」

 

 また露店の香りに誘われて大福を買ってみると、中身が違ったようなので、少し交換して食べた。雫は自分が食べた部分をかじってもらおうか少し悩んでいたが、久路人が口を付けたのと反対側をちぎって渡してきたのを見て、自分もそれに倣った。洗濯物の臭いをこっそり嗅ぐのは常習犯なくせに、こういった急に訪れる王道展開ではやはりヘタレである。だが、モノを食べるために一度は手を離したが、次にまた歩き始めるときには雫から自然と手が伸び、久路人も動じることなくもう一度手を繋ぐ。

 

「おじさんたちのお土産、今買っちゃおうかな・・・」

「旅館に置いておけばいいと思うから、別にいいけど、嵩張るのは止めた方がいいんじゃない?」

「う~ん。食べ物系とかかな?」

「なら、あそこに置いてある激辛せんべいとかぬか漬けでよくない?」

「まあ、普通な感じの買ってもつまんないかなぁ」

 

 さらに進んだ先の土産物屋で、京たちに買っていくお土産を物色してみる。雫はネタに走りがちで、尖った物を買いたがっていた。久路人としてもせっかくの旅行なんだしということで普段の無難なチョイスから外してみようと思ったようだ。結局京には「激辛!!人間の食う物じゃないよ煎餅」、メアには「THE職人技~100年ぬか漬けの香り」というよくわからない物を買っていくことにしたのだが、そこで久路人はあるものに目が止まった。

 

「あ、ちょっと私に似てるかも」

「おお、いい湯のみだな」

「「・・・・・・」」

 

 手を繋いでいるのとは、逆の方の指先が触れ合った。思わず顔を見合わせる。

 二人が手を伸ばしたのは、同じものだった。白い蛇が水墨画のようなタッチで描かれた湯飲みである。久路人はちょうど今家で使っている湯飲みが色々と欠けてきたので、新しいモノが欲しく、雫は蛇の絵が「なんとなく見た目が自分に似てる」と思ったのだ。

 

「「えっと・・・」」

 

 二人して何か言おうとして、ハモってしまい、次の句が継げなくなるが、既に二人の手は繋がれている。もう気まずくなることはなかった。クスリと軽く笑い合いながら、雫は久路人に聞く。

 

「これ、買うの?」

「うん。ちょうど欲しかったし。雫も欲しい?」

「あ~、私もちょっと欲しいかもって思ったんだけど・・・・」

「なら、いいよ。これは雫ので。同じの買うのもアレだし、湯飲みが欲しいだけだから。僕はあっちの少し違うやつ買うから」

「え!?それならお金は私が払うよ。さっきの饅頭とか奢ってもらっちゃったし」

「え~、これ1000円近いし、払ってくれるにしても普通に折半でいいよ。おじさんから結構もらってるし」

「それは私もだけど・・・久路人がそう言うなら」

 

 ちょうど隣に少しポーズの違う白蛇が描かれた湯飲みもあったので、久路人はそちらを選ぶことにしたようだ。二人とも修学旅行前に口座から大目に引き出しており、懐には余裕があった。再び二人で並んでレジまで歩き、包んでもらう。

 

「さすがに、ここで使うのは早すぎだよね」

「濡れた湯飲みをカバンに仕舞うのは嫌だな・・・・帰ってからにしよう」

「うん」

 

 そうして、二人は歩き出す。普段は味わえない刺激を存分に味わうために。二人一緒に。

 班行動の時間になるまで、二人は手を繋いで露店を見て回ったのであった。

 

 

-----------

 

 ざわざわと、その場所では学生たちがざわめいていた。

 まさしく観光名所と言わんばかりに整備された古めかしい石畳とその両隣にある白い砂利。砂利道のさらに向こうにはこれまた手入れの行き届いた杉の木立をバックに絵馬やらおみくじやらが結ばれた看板が立ち並ぶ。中央の石畳の道は赤い鳥居に繋がっており、鳥居の向こうには大きな神社が見えた。

 だが、学生が、特に男子たちが騒いでいるのは、そんな風光明媚な観光スポットが原因ではなかった。

 

「あ~、お前ら大人しくしろ。今日から、お前たちにこの辺りのことを教えてくれる、ガイドさんを紹介する」

「皆さんこんにちは!!これから3日間ガイドを担当する、葛原 珠乃(くずはら たまの)って言います!!よろしくお願いしますね?」

「「「「「はぁい!!!」」」」

 

 学年主任兼空手部顧問の夏吉先生がそう言うと、ガイド、葛原が笑顔で挨拶をした。威勢の良い返事が即座に帰って来る。ほとんど男子の声であったが。だが、それも無理もない。葛原は控えめに言ってもかなりの美人であった。軽くウェーブのかかった黒い長髪に、やや糸目気味のたれ目、整った顔立ち、モデルのような長身。なによりも・・・・

 

「デカ・・・・」

 

 PCのフォルダにそれ系の画像を密かに収集している久路人は、威勢の良い返事には加わらずとも思わずその感想を口に出しそうになったが・・・

 

 

 ガッ!!!

 

 

「ねぇ久路人は知ってる?前にテレビで見たんだけど、目玉って冷やすと血行がよくなるんだって」

 

 底冷えのするような声とともに、久路人の視界が塞がれた。久路人の頭蓋を圧砕させるつもりかと疑いたくなるような力で雫は久路人の両目を手で塞いでいた。その手は雫の言う通り真冬の水道から出る水のように冷え切っており、「冷やすっていうか、凍らせるつもりだよね?」と言わんばかりであった。当然、久路人の健康を促進させようとする言葉の内容とは裏腹に、その声には感情が込められていなかった。

 

「・・・あの、前が見えないんだけど」

 

 「今の雫に堂々と言い返すのはマズい!!」と本能で察した久路人は、恐る恐ると言うように雫に抗議する。

 

「ん~?前に進むときは私が合図するから大丈夫だよ?それに、久路人なら黒鉄なしでも目をつぶって1500m持久走とかも普通にできるよね?今の久路人を見てるとセクハラで訴えられないか心配だからしばらくこうしててあげるね」

「・・・・はい」

 

 久路人が収集している画像のことも完璧に把握している雫は、弾むような声でそう言った。やはり、その声は絶対零度である。気のせいか、目を塞いでいる手の温度も下がった気がする。久路人としては、いや、男として「女の胸ガン見してたよな?」と言外に言われた方は従うほかなかった。そんな様子の久路人を見て、雫は若干溜飲を下げたようだが、それでもその目は憎々し気に葛原を、正確にはその体の一部を睨んでいた。

 

「クソッ!!!なんだあのぶくぶくと肥え太った胸は!?一体何を食ったらあんな・・・というか、周りの雌どももよく見たら妾より・・・・クソッ!!!哺乳類どもが!!!」

「・・・・・」

 

 久路人には聞こえないように小声で言ったようだが、隠しきれない負のオーラのおかげで雫が言いたいことを久路人はなんとなく察した。しかし、口には出さない。間違っても、「雫は確かに控えめだけど、全然ないわけじゃないから」などというフォローになってない慰めなど口にしない。もしもそんなことを口走れば、葛城山は一足先に秋真っただ中から真冬に突入するだろう。

 そんな二人のことなど見えていないかのように、葛原はにこやかにガイドとしての務めを果たす。

 

「それじゃあ、皆さん行きましょうか。まずはこの先の葛城神社へ・・・エンッ!!?」

「お?葛原さん、大丈夫ですか?」

「い、いえ、大丈夫です!!ちょっとゴミが鼻に入っただけなので・・・あはは、じゃあ改めて、行きましょうか」

「「?」」

 

 一度生徒たちを見回すように首を回し、ちょうど久路人たちが視界に入ったところで、葛原は突然えずいた。その反応を久路人も雫も不思議に思ったが、葛原が何事もなかったように歩き出したので、すぐに気にするのを止めた。というよりもだ。

 

「え?雫、本当に目隠しして・・・?」

「久路人なら余裕だよね♪」

 

 久路人の視界を塞ぐのと、視界を塞がれたまま歩くのに気を取られてそれどころではなかったのだが。結局、久路人の目隠しが外されたのは石畳の奥の神社に着いてからだった。

 

 「意外と早く済んだな」と久路人は思ったのだった。

 

-----------

 

昔々、この場所には悪い怪物がおりました。

 

怪物は人々が争っているところを見るのが大好きで、村人を化かしては、喧嘩をさせていました。

 

捕まえて懲らしめようと思っても、動きが素早くて中々捕まりません。

 

村人たちが困り果てていると、村に二人の旅人がやってきました。

 

お侍さんとお坊さんの二人組です。

 

「お前たち、一体何があったのだ?」

 

「・・・・・」

 

なんだか怖い顔をしたお侍さんと、笠と頭巾で顔がほとんど見えないお坊さんの二人はとても怪しかったので、疑り深くなっていた村人たちはお坊さんがそう言っても何も言いませんでした。

しまいには、「出ていけ」と言って石を投げられ、二人はすぐに立ち去っていきました。

 

「困ったな。このままでは横になれない」

 

「山の中で寝床を探そう」

 

二人は山の中に入ると、そこに化物が現れました。

 

化物は笑いながら言いました。

 

「あっはははは!!!化物だと疑われて可哀そうに!!今日は凍えて眠るといい!!」

 

「なんだと」

 

「お前が悪いのだな?」

 

怒った二人は化物を倒し、岩に封じ込めました。

 

化物を倒した二人は村に言いに行きましたが、村人には信じてもらえず、もう一度追い出され、今度こそ村には戻りませんでした。

 

しかし、化物を封じ込めた岩は魔除けになったらしく、村人は平和に過ごしましたとさ

 

めでたしめでたし

 

-----------

 

「「・・・・・・・」」

 

 「ツッコミどころの多い話だな」という顔で、久路人と雫は神社の境内の隅にあった立て札を眺めていた。どうやら、この地方に伝わる伝承を記したものらしい。

 

「村人の性格クソすぎない、コレ?」

「その二人も化物を一行で倒すとかどんだけ強いの?って感じだよね。というか、どうして殺さなかったんだろ。私なら封印なんてしないで凍らせて砕くけど」

 

 作者もよくわからないような昔の伝承にそんなツッコミは野暮だろうと思いつつ、二人は看板を眺めていた。今は神社の内部を見学した後に境内のあちことを見回っている最中なのだが、久路人はこのポツンと立っていた看板が気になったのだ。そうして二人、一般人から見れば久路人一人で看板を見ている時だった。

 

「このお話、気になりますか?」

「え?」

「む!!」

 

 すぐ近くに葛原が来ていた。他の男子たちはどうしたのだろうと見回してみると、田戸君と別人のように凛々しい顔立ちの二浦君が境内の中央辺りで迫力のある殴り合いをしていて、みんな夢中になっているようだった。さすがは全国出場も経験したことがあるという空手部員。見事な演武である。どうしてそんなことになったのか?とか、二浦君の足元に転がっている折れた木刀とペンギンのぬいぐるみはその騒動に何か関係があるのか?とかは分からないが。ちなみに、雫は葛原が近づいてきた時点でもう一度目隠しをしようとしたが、さすがに不審がられるかもしれないので取りやめ、今は警戒の眼差しを向けるだけにとどまっている。

 

「えっと、そうですね。僕、こういう昔ばなしに結構興味があるので、あはは」

「まあ、高校生くらいなのに珍しい。そういう人がいてくれるのは、ガイドとして嬉しいで・・クシュン!!」

「だ、大丈夫ですか?」

「ええ、また鼻に少し・・・」

「それ以上近づくと凍らせるぞ、豚が・・・・」

 

 久路人か、はたまた看板に近づいてきたかと思えば急に鼻を押さえた葛原を見て、雫が警戒レベルを上げ、久路人も思わず心配しながら後ずさる。そんな様子を刺激から回復した葛原は、一瞬怪訝な表情で見ていたが、すぐに看板に向き直った。

 

「君は、このお話をどう思いました?」

「どう、ですか?」

「ええ。なんでもいいですよ。どんな感想を持ちましたか?」

 

 男子たちに愛想を振りまいていた朗らかな感じとは異なる、静かな雰囲気だった。なんとなく、答えなければと思わせるような不思議な迫力があった。

 

「そうですね・・・旅の二人組が強いなとか、村人の性格悪いなとか・・・」

「ふふ、そうですね。村人を困らせていた化物を一瞬で倒してしまうなんて、とても、とても強かったのでようね。それに、そんな強い二人と知らないで二回も追い出すなんて、性格が悪いというか・・・・・とんでもない馬鹿としか」

「はあ・・・」

 

 ふふ、と柔らかく笑いながらも辛辣な評価を下す葛原に、久路人も雫も意外そうな顔をする。あの最初の挨拶は演技だったとは思えないくらい心が籠っているように思えたのだが、このニヒルなのが素なのだろうか。

 

「他には、何かあります?」

「え?他にですか?・・・そうだな、化物ってどんな奴だったんだろうか、とか」

「・・・・・・」

 

 久路人がそう答えた瞬間、ザァッっと風が吹いて、落ち葉が久路人と雫の視界を遮り、葛原の表情が少しの間見えなくなった。

 

「・・・・・・」

 

 風はすぐに止み、次に見た時には、柔らかな笑みがそこにあった。

 

「ふふ、この辺りの伝承を調べてみても、この化物の正体は分らないんですよ。一説には、大熊だったとか、化物のフリをした詐欺師だったとか言われてますね」

「へぇ~」

 

 「そんなものか」と久路人は思った。こういうのは、観光客向けに色々と脚色するものだと思ったのだが。

 

「昔のことってわからないことが多いんですね」

「はい。こういうことは、色々と都合のいいように変えられたり、逆に外聞の悪いことは消されたりしてしまいますからね。この化物の正体にしたって・・・・意外とすぐ近くにいるモノがそうだったのかもしれませんよ?」

 

 初めて見た時のようなほほ笑みを浮かべながら、葛原はそう言った。

 

「「・・・・・」」

 

 どうしたわけか、久路人は、そして雫も、今の葛原に対して何も言うことができなかった。何か反応を返してはいけないような、そんな気がしたのだ。

 そして、そんな微妙な雰囲気を察したのか、あるいはそうでないのか、葛原はそこで腕時計を見る。

 

「あ、いけない。そろそろバスが出る時間ですね。君も急いで戻ってください。私も行きますから」

「あ、はい」

 

 そうして、久路人と雫はバスの方に走り去っていった。久路人は足が速いので、すぐに境内からいなくなる。

 

「・・・・・本当に」

 

 振り返ることなく走った久路人も雫も見ることはなかった。

 

「・・・・本当に、度し難い愚か者どもが」

 

 葛原が、心底下らないモノを見る目で立て札を見ていたところを。

 

 




さて、もうちょっと引き延ばします。
感想、評価、お気に入り登録くれればスピード上げますよ!!
特に今は3連休!!効果も倍です!!

特に、特に感想と高評価はモチベ爆上げですよ~!!!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 高校生編5 修学旅行一日目・夜

一日目が終わらなくてすいませんでしたぁああああああああ!!(土下座)
今回の展開を描いてたら無駄に筆が乗ってしまいました。

次くらいから多分シリアス入って来るから、多分。


「えっと、じゃ、じゃあ、流すね」

「あ、ああ。お願い」

 

 男湯の一角、白い湯気で煙る視界の中、バスタオルを巻いただけの雫が、同じく腰にタオルを乗せただけの久路人のすぐ後ろにいた。その手には手ぬぐいと石鹸が握られており、緊張のせいかプルプルと震えている。しかし、正面の鏡に映る雫のそんな姿を見ても、久路人にそれに気付く余裕はなかった。よく見ると久路人の肩も震えており、彼もまた緊張しているのだとわかる。

 

「スゥ~、ハァ~・・・・」

「・・・・・・」

 

 まるで武道の達人のごとく呼吸を整え、精神統一する雫。対する久路人も目を瞑り、座禅を組む修行僧のような厳かさを醸し出している。一見すると何をやっているのだ?修行の一環か?と問いたくなるような雰囲気だが、それを聞ける者はいない。否、大浴場の中で彼らを認識できる者がいない。

 

 幻術「五里霧中」

 

 雫が最近になって覚えた幻術系統の術である。雫が展開した霧の中と外を仕切る結界であり、仕切られた空間の外にいる者は中のことが分からなくなる上に、「そこには霧も、何もない何の変哲もない空間」と思い込ませる効果がある。加えて、「なんとなくそこに近づきたくない」と思わせる人払いも行うという優れものだ。ただし、効果が盛りだくさんな代償に、ある程度以上の実力を持つ異能者には効かないが。元々は妖怪の襲撃があった際に周囲にバレるのを防ぐために考えた術だ。もっとも、物を壊した後などは修復できないため、修復するための術具を使うまでの時間稼ぎにしかならなかったが、それでも中々便利な術である。だが、さすがの雫もこれを「久路人と一緒に風呂に入るために」使うことまでは予想していなかったが。

 

「フゥ~・・・・行くよ!!!」

「ああ!!」

 

 もはや普段の訓練を超える真剣さである。まるで今から必殺技を放とうとしているかのようだったが、心臓の鼓動を超加速させ、まさしく己を殺すことになりかねない致命の行為であると認識する雫にとっては間違いではない。そうして、今まで練り上げた集中力を開放するかのように、雫の石鹸で泡立った手が久路人の背中に触れる。

 

「・・・・っぅ!!」

「だ、大丈夫!?痛かった!?」

「い、いや、痛いわけじゃないから、大丈夫」

 

 雫の柔らかな手が、自分の背中に触れた瞬間、電流が走ったような刺激を覚えたのだ。雷に対して極めて強い耐性を持つ久路人にとっては、初めての「電気が走ったような感覚」であった。

 

「つ、続き、お願いしてもいいかな」

「う、うん・・・!!」

 

 それから始まる、雫による久路人の背中流し。

 体に走るなんとも表現に困る未知の感覚に混乱しながらも、修行僧のように瞑目する久路人は、なぜこんなことになったのかを思い出していた。

 

-----------

 

 葛城神社を後にして、バスに乗り込み、旅館に着いた久路人たちは、まず荷物を降ろした後に夕食を取った。夕食は雫にとってはやりやすいことにバイキング形式であり、ステーキを山盛りにして食べて空にしては、異常に早くなくなるステーキを見た旅館のスタッフに首をひねらせていた。そして、夕食後にはもう一度部屋に戻る。部屋割りは班ごとであり、各班は3~4人で構成され、久路人のグループは3人だ。他の二人は毛部(もうぶ)君と野間琉(のまる)君といい、いたって普通の生徒で、久路人との仲もそこそこであり、教室ではそれなりに話す間柄だ。ただ、二人とも意外というべきか、気配を殺すのが異常に上手く、「そこにいたのにいなかった」とか「俺の背後に立つなぁああ!!」と言われることが多い。本人たちは、「え?そんなつもりないんだけど・・・」と落ち込んでおり、影が薄いのを気にしているらしい。久路人は気配を探るのが得意なのでそんな二人にもすぐに気が付くため、二人からの好感度は久路人が思う以上に高かったりする。

 

「ここが僕らの部屋か~」

「なんというか、旅館って感じの部屋だね」

「お茶菓子食べようよ」

 

 荷物を降ろして部屋を見回し、旅館の雰囲気を感じ取った後、3人が机の上に置いてあった菓子を食べ始める。男子高校生の食欲を侮ってはいけない。夕食後だろうと間食は余裕であったが、それを羨ましそうに見る影が一つ。

 

「いいなぁ~、美味しそう」

「・・・・・半分」

「え?いいの?ありがと、久路人!!」

 

 久路人の護衛として、当然雫も着いてきている。しかし、元々3人が来る予定の部屋には菓子は3個しかなく、雫はくいっぱぐれている状態である。そんな雫を見て久路人はこっそりと菓子を二つに割ると、隣にいる雫に渡した。雫はまさしく蛇の如く丸のみしていたが、幸せそうな顔だ。久路人本人にも言えることだが、バイキングであれだけ食べておいてよく入るものである。

 そうして、しばらくの間、部屋でダラダラすることになったのだが・・・

 

「ところでさ、あのガイドさん、すごい美人だったよね!!」

「ああ、葛原さんだっけ?アイドル並というか、アイドル超えてるだろ。胸も大きかったし」

「本当にツイてるってか運いいよな~。ねぇ、月宮はどう思う?」

「え!?その、す、すごい美人だなとは思ったよ、ははは・・・」

「・・・・・」

 

 アイドルクラスの美人が修学旅行の案内をしてくれるとなれば、反応するなというのは男子学生には酷だろう。さきほどの夕食の時もそうだったが、久路人たちももう一度件のガイドの話になる。毛部君と野間琉君も他の男子たちのように葛原に対して熱を上げているようだった。夕食では教員側と生徒側で席がかなり離れており、中々葛原と話す機会が取れなかったのも一因だろう。対照的に雫の纏う雰囲気は凄まじい勢いで冷え込んでいるが。「話を合わせてるだけだから!!本当だからね!!」と目で合図を試みているおかげか、それとも雫のコントロールが上達したのか、冷気は漏れていないようだが、久路人としてはたまったものではない。だが、そんなやや挙動不審な久路人の様子に気が付いたのか、毛部君と野間琉君は怪訝な顔で久路人を見る。

 

「なあ月宮君、君・・・・」

「まさかとは思うけど・・・」

「え?」

「「もしかして、女より男が・・」

「違うよ!!」

「・・・・久路人?」

 

 どうやらいらん誤解を受けているようで、慌てて久路人は否定する。雫までなんとなく疑いの眼差しで見ているところを見るに、結構その疑惑は深かったようだ。男二人にとっては自身の貞操の危機かもしれないということで、その慌てぶりすら怪しく見えてくるのか、久路人から距離を取っている。

 

「だって、月宮君、クラスの女子とほとんど話さないじゃん」

「それに、いつも池目君とか伴侍君の近くにいるし、あの空手部とも仲良さそうだし」

「誤解だって!!池目君たちとは同じ中学で、そのころから結構話したからで・・」

「「つまり、中学の頃から・・・・」」

「だから違うってば!!わかってて言ってるだろ、二人とも!!」

「「バレたか」」

 

 久路人が若干怒りながらそう言うと、二人はニヤリと笑いながらそう言った。彼らなりのジョークだったのだろう。ただ、久路人がクラスの女子と話さないのは本当だし、そのため男子といる時間の方が長いのも確かだった。それというのも・・・

 

「・・・私のせいじゃないもん」

(・・・まあ、半分は向こうと池目君たちのせいって感じだからなぁ。きっかけは雫だし、池目君たちには感謝してるけど)

 

 前にあまりにも久路人にイケメンたちの好みを教えてと言う女子が多かったので、イラついた雫が足元を一瞬凍らせて転ばせたことがあったのだ。そこでこれまでイケメンズの情報を漏らさない久路人にヘイトが溜まっていたこともあり、転ばせたといういちゃもんがつけられそうになったのだが、そこに池目君と伴侍君が現れ、「俺らの好み聞きたいのなら直接聞きに来いよ。月宮に迷惑かけんな」と一喝。それ以降、クラスの女子からは「下手に関わると伴侍君たちから嫌われるかも」と思われ、なんとなく避けられているというわけである。ただし、一部の女子はその3人の関係を非常に好ましく思っており、「その手の本」の制作を行っているというのは、たまたま存在に気が付かれずに話を聞いてしまった毛部君と野間琉君しか知らないことだ。彼らはその存在感のなさから本人の意思にかかわらず様々な情報を聞いてしまっており、久路人のホモ疑惑もそれらの情報から「割とマジなんじゃね?」と思っていた次第である。

 

「あの空手部はもう別格として、野球部の多田谷、水泳部の近野、アメフト部の小坊に加えてクラスメイトまでホモじゃなくてよかったよ」

「ああ。ゴキブリは1匹いたら30匹いるって言うけど、ホモもそんなだったらどうしようって感じだった」

 

 久路人に聞かれないように、小声で安堵しあう二人。

 何気に二人でパルクール部を作っている二人は運動部周りの情報に特に詳しい。いったい彼らはどこまで運動部まわりの闇を知っているのか?それは彼らにしかわからない。なお、久路人は雫の方を見ていたので彼らの様子には気が付かなかった。

 

「でも、それなら月宮君も好きな女子はいるの?」

「俺たちが把握してる限り、そんな感じしないけど」

「なんか気になる言い方だなぁ・・・・まあ、特にはいないけど」

「「・・・・・・」」

「だから違う!!」

 

 「え?こいつやっぱり・・」という視線を感じ、否定する久路人に、微妙な顔をする雫。だが、さきほどまでの流れでこの返答ではそう思われても仕方ないだろう。

 

「じゃあ、好みのタイプは?」

「さすがにそれくらいはあるよね?」

「え?それは・・・・」

「・・・・・!!!」

 

 雫がガバッ!!と身を起こした。その紅い瞳は期待と不安と興味で輝いている。

 その様子よりも、「ここで「とくにない」とか言ったら確実にホモのレッテルを貼られる」という危機感に駆り立てられた久路人は率直に自分の内心を口に出した。

 

「えっと、まず可愛い系より美人って感じの子かな」

「ほうほう」

「もっと詳しく言うと?」

「う~ん、髪は長い方がいいかも。ストレートな感じで」

「清楚系か」

「背丈とかは?」

「なんとなくだけど、僕と同じくらいか、小柄だといいかなぁ」

「まあ、そこは男ならそうだよね」

「わかるわかる」

 

 恋バナ系が好きなのは、いつの時代も男女共通である。男三人の会話は中々に盛り上がっていた。

 そして・・・

 

(久路人が言った特徴、全部私に当てはまってる!!!)

 

 尻尾が合ったらブンブンと振り回していそうな感じで興奮している雫がいた。かつて中学の頃に似たような会話になったころと比べると飛躍的な進歩である。

 

(やっぱり、もしかして、久路人も私のこと・・・・)

 

 その控えめな胸の内は、期待と喜びで張り裂けそう・・・・・

 

「「で、巨乳と」」

「うん」

 

 速攻で萎んだ。久路人もこの質問には真顔で即答であった。情報通の二人には久路人の巨乳好きもバレていたようである。自分の性癖は偽れない。それもまた摂理。

 だが、久路人は自分の行った悪手に気が付いた。部屋が急激に冷え込み、雫がスゥッと浮かび上がる。

 

「ねぇ久路人、これは純粋な興味から聞くんだけど、あの脂肪の塊になんの魅力があるの?あんなのただの胸筋を鍛えるだけの重りだよね?ねえなんで?」

 

 瞳に闇が渦巻く雫が空中でさかさまに浮かびながら、至近距離で久路人の顔を覗き込んできた。さながらホラー映画のワンシーンである。

 

「ねぇ、教えてよ。なんで?ねぇ、なんで?なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで?」

(怖っ!?というか、前見えないし!!)

「なんか寒くない?」

「もうすぐ夜だしなぁ」

 

 さきほどの返答は雫の逆鱗に触れてしまったようである。冷気のコントロールがブレてきているのか、毛部君と野間琉君も寒さに気付いたようだ。いったいどうやってこの場を収めようと思案していた時だ。

 

 ピピピピ!!!

 久路人の携帯が鳴った。

 

「あ、電話だ」

「月宮君、親からかい?」

「あ、うん。そうみたい。ちょっと外行くね」

 

 ちょうどよく、京から電話がかかってきた。これ幸いとばかりさも「電話だからしょうがないよね」と言わんばかりに大きな声で言って見せる久路人。強引に話を打ち切る気満々である。

 

「・・・・誤魔化されてあげるけど、後で答えは聞かせてもらうからね」

 

 どうやら、その意図はあっさり見破られてしまっていたが。

 

-----------

 

「よぉ、久路人。今大丈夫か?」

「うん。大丈夫。雫も近くにいるよ」

「おし、ならいいや。そっちは変わったことはあるか?」

「特にないよ。穴が空いてる気配もしないし、妖怪はいないみたい。おじさんの方は?」

「俺も別段危険ってわけじゃないが、中々尻尾がつかめなくてな。もう少し時間がかかりそうだ」

 

 旅館のロビーまで来た久路人は、そこで電話に出た。ここのところ家でも毎日行われていた定期報告である。1か月ほど前から、西の方で行方不明者や何かに襲われたような死体が見つかっているとのことで、京はメアを引き連れて調査に向かっていた。久路人がいる葛城山とは逆の方向であり、距離も遠い。

 

「動物を媒介にして術を使ってるのは分ったんだが、媒介になった動物を捕まえてもトカゲのしっぽ切りでな・・・・護符に反応はないんだな?」

「うん、何の反応もないよ。それにしても、おじさんがそんなに手こずるなんて、すごい厄介そうな犯人だね」

「ああ。今のところ目的が掴めねぇのも気味が悪い。東の方では特に事件も増えてねえし、そっちは霧間の縄張りだから大丈夫だとは思うが、護符の反応には気を付けておけよ」

「うん、わかった」

 

 それから軽く旅行であったことを話して、通話を終えようとした時だ。京がふと思いついたように言った。

 

「そうだ。さっき雫も近くにいるって言ったよな?ちょっとハンズフリーにしてくれねぇか?二人に聞かせたいことがある」

「いいけど・・・」

 

 雫の方を見ながら不思議そうな顔をする久路人に、雫も首をかしげてみせる。携帯を操作して、雫が返事をすると、京は確認が取れたと判断して続きを話し始めた。

 

「お前ら、もう風呂は入ったか?」

「いや、まだだけど」

「妾もまだだな」

 

 入浴は男女ごとに時間が決まっており、もう少し先だった。さすがの雫も風呂にまで着いていく気はない。久路人以外の男子の裸など見たいとも思わないし。

 

「そうか、なら雫は久路人と一緒に入れ。あと、寝る時も一緒な」

「「は?」」

 

 爆弾が放り投げられた。二人そろって呆けたような反応をしてしまったが、仕方ないだろう。

 

「おじさん何言ってんの!?」

「妾を痴女だと思っとるのか、貴様ぁ!?」

「うるせーな、ちゃんと理由はあるわ。あのな、いつもの家なら別にいいぜ?あそこは七賢でも無断侵入は簡単にはできない要塞だ。だが、お前らのいる旅館は簡易の結界しか張ってないし、遠いとはいえ、事件だって起きてんだ。入浴中だの就寝中だのは暗殺だって一番やりやすいんだぞ」

 

 京の言うことも一理ある。護衛とはどんなタイミングでも護衛してこそだ。堅固な守りを誇る月宮家ならばその必要は薄いが、今の久路人たちがいる旅館はそうではない。本来ならば修学旅行そのものを休ませればよかったのかもしれないが、中学では休ませてしまっているし、そもそもこれとて念のための処置ではある。必ずやる必要はないが、やっておいた方がよいという話であった。

 

「でも、男湯だよ?」

「いくら姿が見られないとはいえ、さすがに妾も嫌だぞ」

 

 雫も乙女だ。心に決めた殿方以外に肌をさらすなど絶対にお断りだったし、久路人としてもなんとなく嫌だった。

 

「雫、お前最近幻術使えるようになったろ。あの霧で仕切りゃいいだろ。不安なら久路人の黒鉄で壁を作ってもいい。だが、男のいるところで風呂入るのが嫌なら、女子がいるタイミングで幻術使って久路人を・」

「却下!!!それをやるくらいなら男湯に行くわ!!」

「雫!?」

 

 売り言葉に買い言葉とばかりに反応した雫に、「何言ってんの!?」と言わんばかりの目を向ける久路人。だが、それを逃す京ではない。

 

「お?言ったな?なら久路人が入るときに一緒に行けよ?久路人の護衛殿。それとも、護衛の仕事をサボってヘタレ・・」

「上等だチャラ男がぁ!!」

 

 久路人の護衛という誇りある仕事を引き合いに出されたら雫も引けない。久路人の手から携帯を奪い取り、大声で怒鳴りつけると、「フン!!」と通話を切った。「チャラ男じゃねぇ・・・」と言いかける声が聞こえたが、そんなものは二人にはどうでもよかった。

 

「行くよ久路人!!もうすぐお風呂の時間でしょ!!」

「え!?本当にやるの!?」

「私はここ10年ずっと久路人の護衛をしてるんだよ!?あんなこと言われて黙ってらんないもん!!」

「ええ・・・・」

 

 憤懣やるかたなし、といった具合の雫と、展開に呆然とする久路人。

 そうして、着替えを持って男湯に行き、脱衣所の入口から浴場内までを一旦「五里霧中」で塞ぎ、通路を確保してから久路人を着替えさせ、突入したという次第だ。なお、久路人が着替えの際中、雫は「見てないよ、視てないからね?」と手で目隠ししながら言いつつも指の隙間はばっちり空いていており、雫の着替えは普段身に着けている「霧の衣」をバスタオルに変えるだけだったので一瞬で終わった。

 浴場内に侵入した後は霧を隅の方にだけ展開した後に、念のためということで久路人が黒鉄で薄い壁を作り、さあ準備万端となったわけだが・・・・

 

「「・・・・・・」」

 

 無言。

 

((き、気まずい・・・・!!!))

 

 当然である。

 一緒に風呂に入るなど手を繋ぐなどよりも数段ハードルが高い。普段の行動を見ていれば、あのビビりでヘタレな雫がよく実行に移せたものだと思うが、それは「護衛のプライド」、「護衛の必要性も一理ある」、「久路人の裸が見たい」という大義名分があるからで、それらがなければ妄想はすれど実際に行うことはなかったであろう。雫は訓練中も久路人の脱衣を狙う、洗濯籠の久路人の下着の匂いを吸入するなど一線を軽く超えたことをやらかすが、それも「訓練中の事故、強くなるためには致し方なし」とか「リラックスタイムの風呂で休めないのは問題。警護に支障が出るかもしれない」という大義名分(いいわけ)があるからだ。そういった理論武装ができる場合、雫のヘタレは若干鳴りを潜める。とはいえ、何を話していいかもわからない状況に変わりはない。どんどん重くなる場の空気に、二人のメンタルは早くも限界が近づいており、先に音を上げたのはやはりチキンの雫だったが、今回はあまりに特殊な状況だからだろうか、珍しく逃げには回らなかった。

 

「く、久路人、せ、背中流そっか?」

「はい、お願いします!!」

「ええ!?」

「あ!?」

 

 護衛として逃げるわけにはいかない。だが、この沈黙は打破したいと思う雫はつい自分の心の中にある欲望を口に出してしまったのだ。だが、沈黙をどうにかしたかったのは久路人も同じ。「何か、何か会話をしなければ!!会話があったら乗らねば!!」と内心ガチガチだった彼は即答。

 

「ま、や、やっぱ・・・」

「わ、わかった!!石鹸取って!!」

「は、はい!!!」

 

 咄嗟に断ろうとするも、一度沈黙から解放された場の流れは止まらない。久路人が言いきる前に了承した雫が先に進めようとすると、久路人にももはや止めようがなかった。

 そうして、冒頭の状況に繋がるわけである。

 

 

-----------

 

(背中、すごいがっしりしてて、たくましい・・・・)

 

 石鹸の泡を塗りたくりながら、もうなんか色々ありすぎてボゥっとした頭で雫はそんなことを思った。雫もこんな至近距離で久路人の背中をじかに見るのは初めてであるが、さすがは10年以上異能者としての訓練を続けてきただけあって、久路人は中々に鍛えられた体をしている。見せるための筋肉ではなく、効率よく体を動かすための、しっかりと締まった細身の体だ。

 

(あ、でも、キズがある)

 

 しかし、雫はそんな久路人の背中に細い切り傷のような跡がいくつもあるのに気が付いた。状態を見るに、比較的新しいようだ。その傷を見て、雫の頭が少し冷える。ちょうど、石鹸の泡が垂れて傷にかかるところだった。

 

「・・・っ!?」

「大丈夫!?染みた!?」

「いや、大丈夫だよ。慣れてるし」

 

 同じくこの状況に適応するために悟りを開きかけていた久路人も現実に帰ってきたようだ。

 

「久路人、この傷・・・・」

「うん。最近の訓練で霊力を上げすぎると、ちょっとね」

 

 久路人は苦笑しながらそう言うが、雫は浮かない顔だ。最近の久路人の霊力の高まりは異常であり、肉体も成長しているといえど、着いていけなくなってきているのだ。雫としては、「久路人と自分が違うモノ」だということをまざまざと見せつけられるようで嫌だった。石鹸の泡をなるべく染みないようにゆっくりと塗って覆い隠す。

 

(そうだ。久路人は脆い人間なんだから、私がしっかりしないと!!)

 

 そんな決意とともに、雫は久路人の背中を流す。背中の泡はキレイに流れたが、雫の熱意はそのままだ。場の雰囲気によって湧き上がる高揚感と胸の中の決意が、雫を更なる暴走に突き動かす。

 

「ふぅ~、ありがとう。これで背中も綺麗に・・・」

「次は前だね!!!」

「え!?」

 

 「やっと解放される」と思った久路人に思わぬ追撃が襲い掛かる!!

 

「久路人、前も見せて!!そっちにも傷はあるでしょ?タオルの下にも!!」

「雫、何言ってんのかわかってんの!?」

 

 突如立ち上がって回り込もうとする雫から逃げるように回転する久路人。それを追う雫。はた目から見たら完全に痴女とその被害者だ。

 

「いい!!いいから!!前は自分で洗えるから!!」

「私は傷をしっかり見たいの!!」

 

 このままでは埒が明かない。雫の瞳は煌々と輝いており、この状態の雫は早々引き下がらないことを長い付き合いから久路人は良く知っていた。己の貞操を守るため、久路人はカウンターを仕掛けることを瞬時に決定する。

 

「ぼ、僕より、雫の背中が先でしょ!!僕が流すから!!」

「え!?」

 

 雫の動きがピタリと止めた。「今しかない!!」と久路人は立ち上がり、雫の背後を取る。熟達した達人の動きであり、今までの厳しい鍛錬の成果が今こそ発揮されていた。

 

「さあさあ、座って!!流すから!!僕が流すから!!」

「え?え?えぇぇえええ!?」

 

 なんだかんだ言って、雫は久路人からの押しには非常に弱い。促されるままに座ってしまう。「勝った!!」と思った久路人であったが、直後に致命的なミスに気が付く。

 

(こ、これからどうしよう!!?)

 

 目の前にあるのはバスタオルに包まれた雫の背中。たった今、自分は雫の背中を流すと言ってしまった。それを取り消したとしたら、さきほどの状況に逆戻り。しかし、雫の背中を流すにはバスタオルを取らねば・・・・前門の雫後門の雫である。どっちも雫だ。

 

「久路人・・・?」

「え?あ・・・」

「あ、そ、そっか、た、タオルとらなきゃ、ね?」

「う、うん」

 

 「なんかさっきよりも状況悪化してない?」と、この状況を半ば絵の向こうのように現実感のない光景として見始めている久路人がいた。そんな久路人の前で、シュルリと雫のバスタオルが剥がれ、雪原のように白い背中が久路人の前に晒される。

 

「・・・・・・」

「久路人?・・・・私の背中、なんか変?」

「そ、そんなことない!!すごい綺麗な背中だよ!!」

「そ、そうなんだ・・・・よかった」

 

 動きを止めた久路人を不審に思い、上目遣いで不安げに自分を見る雫に、久路人は自分の正直な内心を即答する。

 

(そうだ。やらなきゃ!!ここで退くわけにはいかない!!)

 

 ことがここまで進んでしまえば、もはや前進以外は許されない。今更「やっぱナシ」なんて言ったら、雫は悲しむかもしれない。後退すれば銃殺刑だ。

 

「フッ!!」

 

 息を鋭く吐き、普段の柔和な目つきを刃のように鋭くした久路人は、稲妻のような速さで石鹸と手ぬぐいを取ると、目にもとまらぬスピードで泡立てる。

 

「行きます!!」

「は、はいぃぃぃ!!」

 

 気合の入った声とともに、久路人の手が雫の美しい背中に触れ・・・・

 

「ひゃぅううううう!!?」

「うぉぉおおおおお!?」

 

 ビクン!!と震えた背中と雫の声に驚いた久路人は叫びながらバックステップで下がり、身構える。

 

「だ、大丈夫!?」

「う、うん。ちょ、ちょっと驚いただけ・・・・」

「そ、そうなんだ・・・」

 

 フゥ~、とお互いに深呼吸をして、精神統一を図る二人。立場は逆だが、冒頭と状況は同じである。

 そして、久路人の追撃が雫の背中に襲い掛かる!!

 

「ん、んんぅぅううう~!!」

「し、雫!?」

「だ、大丈夫!!大丈夫だから、つづけ・・ひゃうっ!?」

「・・・・・・・」

 

 久路人の手が雫に触れるたびに漏れる雫の声。まごうことなき美少女から漏れる艶めかしい声は、健全な男子高校生にはあまりにも毒であった。

 

「・・・・!!!」

「?く、久路人?どうしたの?」

「・・・・いや、なんでもないよ」

 

 自身の下半身に起きた現象を自覚し、久路人は慌てるどころか逆に冷静になっていた。

 

(バレたら(つきみやくろと)は死ぬ)

 

 自身の様々な面が絶体絶命の危機にあることを認めた久路人の脳は高速かつ冷静に事態の打開策を考えだす。そうだ。雫の声に気を取られるからダメなのだ。雫の声を無視し、高速で素早く済ませる。これが最適解だ。そのために必要な物はただ一つ。

 

「雷起!!!」

「ええ!?なんで!?」

 

 術を使った久路人に雫が疑問の声を上げるが、もはやその声は届かない。術の効果と想像もしなかったような状況に陥っていることもあって極限の集中力を発揮している久路人には、すべての音が素通りしていった。今の久路人に感じられるものは、正面の雫の背中だけだ。

 

「・・・フゥっ!!」

「ひゃっ!?く、久路人!?」

「・・・・・・・」

「な、なんで無言なの!?怖い・・あぅうううう!?」

「・・・・・・・」

「あっ、はっ、く、久路人、んんぅううう!?」

「・・・・・・・」

 

 雫の艶めかしい声など、湿っぽい吐息など、ビクリと震える白い背中の動きなど、久路人には何も感じない。感じないったら感じない。その手は業物を仕上げる匠の如くよどみなく動き、素早く、かつ傷つけないように雫の背中を洗っていく。

 

「はっ、はっ、はっ、あぅ!?」

「・・・・・・・」

「んぅ~~~~~!!?」

「・・・・・・・」

 

 そして・・・・

 

「・・・・・終わりか」

「ハァハァハァハァ・・・・・」

 

 一仕事終えた職人の如く雫の背中を流し終えた久路人は、冷静な声音でそう言いながら立ち上がる。雫はビクンビクンと小刻みに痙攣しながら湿った息を吐いていた。

 

「それじゃ、前は自分でお願い。僕は後ろ向いて・・・」

「ふぁぁい」

 

 もはやまともな思考ができていなかった雫は、言われるがままに前のバスタオルを外し、体を洗おうとする。久路人が後ろを向く前に。

 

「ちょっ!?雫!?」

 

 驚き慌てて久路人が思わず止めようとするも・・・・

 

「じゃば~」

「・・・・」

 

 気の抜けた声とともに、バスタオルが外れる寸前に雫の周りに渦が現れ、石鹸を中で泡立てながら雫の体を洗っていく。まるで洗濯機のようだった。

 

「終わった~」

「え?ああ、うん」

 

 そうして30秒ほどそうしていた雫が渦を消すと、元通りバスタオルを巻いた雫がそこにいた。

 

「ねえ雫」

「ん~?」

 

 まだどこか上の空だが、さっきよりは思考が元に戻っている雫に久路人は問う。

 

「その方法なら背中流し合う必要なかったんじゃない?」

「あ・・・・・」

 

 結局、男子たちの入浴時間を過ぎてしまいそうだったので、湯船には浸からずにそのまま二人は浴場を出た。その顔は二人ともあまりにも大きな困難を潜り抜けた後に、「え?そんな苦労する方法でやったの?馬鹿じゃね?」と言われた後のように脱力していた。

 

「「・・・・・・・」」

 

 もうなんか色々考えるのが面倒になっていた二人は、二人そろって同じ布団に入った。「あそこまでやったんならもう同じ布団で寝るくらいなんともないや」というある種の賢者タイム兼無敵タイムである。

 翌朝に「「なんでここに久路人(雫)が!?」」と顔を赤くして驚くのは別の話。

 

「・・・・なあ、月宮君ってやっぱり」

「しぃっ!!言うな。俺たちがオカズにされる!!」

 

 男湯から出てきたと思ったら異常に顔を上気させて一言もしゃべらずに布団に潜り込んだ久路人を見て毛部君と野間琉君がまた誤解するのも別の話である。

 

 

 

 

 

 




もう途中でゴールさせちゃってもいいかなと、危ういことを考えてしまいました。
感想、評価よろしくです!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 高校生編6 修学旅行二日目

今回は少し難産でした・・・
頭のいいキャラを書こうとすると、自分も頭のいいキャラになれるようにしなきゃいけない。頭脳戦が書ける作者様を心より尊敬します。

ところで、この小説をもっと多くの人に読んでもらいたいと思っているのですが、タイトルとかキャッチーなのに変えるべきでしょうか?


 目の前に、雄大な山々と広大な湿原が広がっていた。秋が深まる中、山は紅葉の紅と黄に染まり、地面には金色のススキが風になびく。そのススキの海を真っ二つに割るように木製の桟橋がどこまでも続くように伸びている。そこは葛城湿原。街という人間が作り出し、自然を追い出した場所に住む者たちにとっては、異界といってもいいだろう。思わず見とれてしまうのも無理のないことであり、それは久路人と雫も例外ではなかった。

 

「・・・・すごいな」

「うん。私が封印される前でも、こんなのは見たことない」

「そうなの?」

「私がいたころはこんなところは妖怪が住んでて、暴れてたから」

「なるほど」

 

 朝のうちには、妙な温もりを感じると思ったら隣にお互いが横になっており、飛び起きて「なんだ!?夜這いか!?」と毛部君と野間琉君を驚かせてしまったり、昨日の入浴のことを思い出して赤くなって気まずくなっていた二人だが、この光景の前にはそんなものは吹き飛んでしまったようだ。まあ、この旅行中だけでも気まずくなるのが多すぎて慣れてしまったというのもあったが。

 

「今日はこの遊歩道をずっと歩くんだって」

「・・・・私が言うのもどうかと思うけど、修学旅行として正しいの?それ」

「さぁ・・?」

 

 普通は修学旅行と言えば、沖縄、京都、東京、北海道あたりが鉄板だろう。中には海外に行くという高校だってある。それなのに、いくら絶景とはいえひたすら野山を歩かせるというのはどうなのだろうか。それならば修学旅行という名目ではなく「〇〇合宿」とかそんな風に変えた方がいいのではないだろうか。そんな風に思っているのは、久路人たちだけではないようだ。

 

「よっ、月宮」

「どうしたんだよ。そんな山の方をぼーっと見て。やっぱ山登りは嫌か?」

「おはよう、池目君に伴侍君。いや、山が紅葉ですごい綺麗だからさ」

「ああ、確かに」

「もう俺は写真に撮ったよ。でも、あれに登るのはきつそうだ」

「うぉっ!?毛部に野間琉か!?」

「お前らいつの間に後ろに・・・・」

「さっきから二人ともずっとそこにいたよ・・・」

 

 そこそこ交流のある池目君と伴侍君が近くに来た。この二人はスポーツもできるのだが、それでも山登りはさすがに面倒くさそうである。そして、同じ班の毛部君と野間琉君は久路人が雫と話している時には結構近くにいたのだが、池目君たちは気が付かなかったようだ。だが、毛部君たちもそんな反応には慣れているのか、特に何も言わない。ちなみに、この二人もパルクール部を作ってまじめに活動しているせいか、運動神経は良い方だ。高校でもいつの間にか3階から1階に雨どいを伝ってショートカットしていることがあった。しかし、やはりというかなんというか、バレたら怒られそうなのに久路人以外には気づかれていなかったが。

 

「まったく、男子高校生が情けない。私や久路人を見習うべきだよ!!」

(そりゃ、僕らと一緒にしちゃダメでしょ。僕ら、一応人外並だし)

 

 そもそも人外の雫に、その人外と戦って生き残れるように幼いころから訓練を続けてきた久路人だ。湿原のハイキングや山登り程度はただの散歩と変わりない。

 

(人外といえば、ここは妖怪はいないのかな?)

 

 ふとそこで昨日の京が言っていたことが耳に残っていた久路人は、腕輪をチラリと見るが、特に黒ずんだりボロボロになっている様子はない。

 

(・・・・黒飛蝗(こくひこう)

「久路人?」

 

 久路人は、普段自分の近くに忍ばせている黒鉄を、ちょうど風が吹いたタイミングで薄く砂嵐のように散布する。雫が不思議そうな顔をしているが、これは久路人なりの索敵である。宙に舞う小さな黒鉄の一粒が久路人にとってはレーダー光であり、霊力のあるものに反応する。そうして少しばかり周りを探る久路人だが・・・

 

(特に反応なしか)

「私も少し霧で探してみたけど、特になにもいないみたいだよ」

 

 これといった反応は見られなかった。雫もこの黒飛蝗のように霧を使った「移流霧(いりゅうぎり)」という似たようなことができるのだが、それでも見つからないということは、本当に何もいないのだろう。まあ、京の術具と違って二人の索敵は調べられる範囲はやや広いものの、正確性には若干欠けるのだが、二人としては危険な大物以外ならばどうとでもなるので気にしなかった。

 

「? 月宮君?」

「調子悪いのか?」

「ああいや。滅多に見れる光景じゃないから目に焼き付けてただけだよ」

「へぇ~、月宮君、自然が好きなんだ」

「なんとなく分かる気はするけどな」

「月宮、爬虫類のこととか詳しいしな」

「いやあ、ははは・・・」

 

 探知に少しの間集中していたせいか、少し不審に思われつぃまったようなので笑って誤魔化す。それに、自然が好きなのは嘘ではない。自然や生き物が好きだから雫に出会ったのだから。

 ともかく、そうして話しながら歩き出した時だ。

 

「あ、久路人、足元危ないよ」

「え?」

「ほら、足元。木が腐ってる」

「あ、本当だ」

「もぅ~!!ダメだよ気を付けないと!!怪我したら大変でしょ!!」

「ああ、うん」

 

 雫がバッと久路人の前に出てきたと思うと、通せんぼをするように久路人の足元を指差した。確かに雫の言う通り桟橋の一部が腐って穴が空きかけているが、久路人の足が抜けるほどのものでもない。

 

(なんというか、最近雫がなんか過保護だなぁ・・・・)

 

 しばらく前から、どうにも雫が久路人のことを前にもまして気にかけているような気がする。特に訓練の後なんかはその場で服を脱がせて手当てしようとするなど結構露骨である。やはりそういう気遣いは嬉しくないとは言わないが、年頃の男子としては複雑だ。というか、今日はいつにも増して雫がハイテンションなように思える。昨日よりも調子がよさそうだった。

 

「今日の雫、なんか元気がいい感じがするけど、なんかあったの?」

「へ?う~ん、特になんかあったわけじゃないけど、ここを見てると、なんか走り回ってみたい気がするの」

「へぇ~、雫がそんなこと言うなんて珍しいね」

「うん。なんでだろ?」

 

 雫もどことなく不思議そうである。ここにあるのは雄大な山と広い湿原だ。だが、湿原と言えばいかにも蛇や蛙が好みそうな場所である。

 

・・・・だから、それは自然と久路人の口から出てきてしまった。

 

「う~ん、蛇だからじゃない?」

 

 それは、久路人からすれば、本当に何気ない一言だった。

 

「・・・・・」

「雫?」

 

 ほぼ直感的にそう言った久路人だったが、一瞬雫の顔が悲しそうに歪んだのを見て、動きを止める。なにかマズいことを言ったかと焦って、取り繕おうとするが・・・

 

「あ、その・・・」

「・・・もぅ~、いくらなんでも、この時期のススキ原なんて見てもテンション上がんないよ。単純に、ここがすごく綺麗な場所だからじゃないかな?」

「そ、そうなんだ・・・」

「お~い!!月宮、何してんだ?置いてくぞ~!!」

「あ、ゴメン!!すぐ行くよ!!」

 

 すぐに表情を元に戻し、明るく気にしていないといった風の雫に、久路人は何も言えなかった。そうこうしている内にクラスメイトから呼びかけられ、久路人は桟橋の穴を飛び越えて進み、雫もすぐ後ろを着いていく。

 

「・・・蛇だから、か」

 

 ほんの小さく、口の中だけでつぶやいたような小さな声は、雫以外の誰にも聞かれることなく消えていった。

 

 

-----------

 時は進んでお昼時。

 一行は道半ばを多少過ぎたところに差し掛かり、昼休憩を取ることとなった。

 

「最初は自然を見るのも悪くねぇなと思ってたけどさ・・・」

「悪い、やっぱ辛ぇわ」

「景色が単調すぎるっていうかな~」

「話のネタも正直あんまないしね・・・」

「ははは・・・・」

 

 朝に話していた5人で進むこととなり、そのまま歩いていた一行だが、景色に変化もなく、話題もループし始めたあたりから次第にしんどくなってきたらしい。5人で円を組むように丸くなって座り、昼食に支給されたおにぎりを食べていた。ちなみに、雫はいつも通り久路人の隣に陣取って同じようにおにぎりを頬張っている。

 

「んぐんぐ・・・ぷはっ!!確かに最初は綺麗だな~って思ってたけど、結構歩いていると見慣れちゃうよね。私も飽きてきたよ」

(同感・・・)

 

 かくいう久路人も似たような感想である。普段から鍛えているため疲れはほとんど気にならないが、基本的に人と話すのがあまり得意ではないため、話題がなくなった時のちょっと重くなった空気が辛かったのは他の4人には内緒だ。5人でまとまって歩いていたのに、「あれ?毛部どこ行った?」とか「野間琉がいねぇ・・・遭難か?」といったことに3回ほどなって、影の薄い二人が泣きそうになっていたのは久路人の心の中に仕舞っておくつもりである。

 

(泣きそう、と言えば・・・)

 

 そこで、チラリと久路人は雫を見るが・・・・

 

「ん?どうかした?」

 

 雫は不思議そうに、おにぎりを持ったままこちらを見るだけだ。どうやら朝の悲しそうな雰囲気は引きずってはいないようだ。「何でもないよ」と目だけで答えると、首を傾げたまま捕食活動に戻った。

 

(気のせいだった・・・ってわけじゃないと思うんだけどなぁ)

 

 考えてみるが、久路人には何が原因であんな顔をさせてしまったのかわからなかった。

 小さいころから小学校のころまでならよくしていたような会話だっただろう。だが、久路人からみれば大事な家族同然の友達を悲しませてしまった状態なのだ。しっかり答えを見つけるべきだろう。

 

(蛇って言われるのを嫌がった・・・んなわけないか。だって雫は出会った頃から蛇だったんだし、蛇の姿だろうが人の姿だろうが、接し方を変えた覚えはないし)

 

 まあ、「女の子なんだし、ベタベタ触られるのは嫌だろう」ということで、人の姿になってから、例え蛇に戻っても過度なスキンシップをしないようにはしているが。

 

 ・・・・久路人は気付いていない。自分が蛇から人の姿になれる化物のすぐそばで暮らしていることに何の疑問も恐怖も持っていないことを。ましてや、その人の姿と蛇の姿で全く態度を変えない、気にしないことがどれほど異常なのかということを。久路人はそんなことを思い浮かべもせずに思考を続ける。

 

(大体、毎日匂いチェックなんて頼むくらいだから雫としてはまだ人間よりも蛇に近いメンタルなのかもしれないし)

 

 思い浮かべるのは旅行前の朝のひと時だ。

 まっとうな人間ならば匂いを嗅がせようとはしてこないだろう。それなのにそんなことをしてくるということは、雫はまだまだ動物的な本能というか習性が残っているのかもしれない。雫が人化する前には腕や首に巻くなんてこともよくやっていた。それか・・・

 

(完全に僕が男として見られてない・・・とかはちょっと複雑だなぁ)

 

 久路人の心の中にモヤモヤとしたモノが立ち込める。なんというか、それでは完全に久路人の独り相撲だ。

 

(こっちは結構気を遣ってるんだけどな・・・・)

 

 訓練の時も、最近はこちらの攻撃が早々通ることもないのでやらないが、最初のころは結構攻撃するのを遠慮したりした・・・・これはむしろ失礼だったろうか。

 雫が服装を変えたら、必ず反応するようにする。

 女の子の残り湯にいつも浸かってると思われたくないから風呂は久路人が先に入る。

 雫を朝に起こしに行く時は、雫の場合は一瞬で終わると言え、間違っても着替えに遭遇しないようにちゃんと声掛けとノックを徹底する。

 雫が浮いているときは下から覗き込まないように絶対に真下にはいかないようにするとか。

 件の匂いチェックだって、自分と雫の体がぴったりと接しないように少し離れるようにしているとか。そう、自分の心音が間違っても届かないように・・・・

 

(だあああああ!!何考えてんだ僕は!?)

「く、久路人?」

「お、おい月宮?」

「いきなり首振り回してどうしたんだよ!?」

「なあ、もしかして昨日くらいじゃ欲求不満・・・」

「しぃ!!ここにはイケメンが二人もいるんだぞ!!刺激するな!!」

 

 周りのそんな様子にも気づかず、久路人は思考の深みにはまっていく。最初は「どうして雫が悲しそうな顔をしていたのか?」ということについて考えていたはずなのだが、いつの間にか別なことを考えていることに気付いていない。その思考は電気を通したかのように高速でグルグルと駆け巡り、止まろうとしても止まれない。「何考えてんだよ!!いや、けどあの時は・・・」とか「うわぁあああ!!なんかめっちゃキモイこと考えてる!!でもあれは雫だってグイグイ気にしてないみたいに来るから悪いのであって・・」みたいな、そんなループに入り込んでいた。

 

(いやでも、昨日の風呂は雫も緊張してた・・・のかな?なんか僕もよく覚えてないや。というか・・・・いや、これ以上はダメだ!!!)

 

 しかし、そんなループもついに昨日の風呂のことを考えた時に終わりが来たようだ。思い浮かぶのはバスタオルを取った雫の白い背中に、その背中に触れる自分の手、手が触れた瞬間の、肌の感触と艶めかしい声が・・・・

 

「だああああああああ!!?」

「久路人?しっかりして、久路人!!」

「お、おい月宮、本当に大丈夫かよ!?」

「お、俺誰か呼んでくる!!」

 

 いきなり叫び出した久路人の首を揺すって正気に戻そうとする雫に、うろたえる池目君、助けを呼びに行った伴侍君。そして・・・・

 

「なあ、月宮のズボンが・・・」

「馬鹿!!食われたいのか!?あれは完全に戦闘モードだろうが!!」

 

 雫の姿を思い出して一部が元気になった久路人を見て、ますます誤解を深める毛部君と野間琉君。だが、幸いにも本人たちは「触らぬ神に祟りなし」とばかりに静観を決め込み、他の面々も普段とはまるで異なる久路人に気を取られてそちらには気づいていなかった。いや、雫は・・・・

 

(はっ!?久路人のほっぺたにご飯粒が付いてる!?)

 

 ウンウン唸りながら頭を振っている内に付いたのだろう。久路人の頬におにぎりの米粒が付いていた。

 それを見た瞬間、手が久路人から離れ、代わりに脳内にかつて読んだことのある漫画のワンシーンがフラッシュバックする。

 

(これは、これは、あの「ご飯粒ついてたよ♡」という絶好のシチュエーション!?ご飯粒を指でとって、目の前で食べて、それから「じゃあ、俺のこいつも食べてくれよ・・・」に繋がるあの!?)

 

 「きゃ~~!!」と先ほどの久路人のように頭を振って妄想に走り出す雫。雫が読んでいた漫画は当然R18 指定である。

 

「葛原さん、こっちです!!」

「ええと、これはどういう状況ですか・・・?」

「月宮が、月宮がなんか変なんです!!」

「月宮君が・・・・あの、大丈夫ですか?」

「はっ!?僕は何を!?」

 

 雫が妄想にふけるうちに、伴侍君が近くにいた大人ということで葛原を呼んできていた。雫による脳シェイクや葛原からの呼びかけもあり、久路人は正気に戻ったが、雫は気が付かない。その脳内はピンク色の妄想とそれを実行しようとする意志に溢れていた。

 

(そう!!これは、チャンスだ!!単なる「蛇」から抜け出すための機会!!)

 

 雫の中にあるのは、やはり先ほどの久路人の言葉であった。あのときは久路人の蛇呼ばわりを雫は笑顔で取り繕って流したが、やはりショックは受けていた。だが、ここでこうやって「女の子らしい」アピールをすれば、久路人も自分をもっとそういう目で見てくれるのではないか?いつまでもヘタレていては何も変わらない。昨日など、風呂にも布団にも一緒に入ったではないか。それに比べれば、頬についたご飯粒を取ってあげることが何だというのだ。

 

(京もメアも言ったではないか。恐怖から目をそらすための逃げではなく、前に進んだという足跡を残すのが大事なのだと)

 

 人化したばかりの雫ならば、さっきの発言を受けて泣いてしまったかもしれない。しかし、京やメアに背中を押してもらい、あれからも、久路人に意識してもらえるように匂いチェックのようなスキンシップを取ろうと足掻いてきたのだ。ショックを受けたが、いや、ショックを受けたからこそ、今の雫の気持ちは燃えていた。

 

(よし!!やるぞ!!)

「あ、久路人・・・」

「あ、月宮君、顔にご飯粒ついてますよ」

「え?あ、本当だ。ありがとうございます」

「いえいえ」

 

 しかし、そんなやる気に満ちた雫が声をかける数瞬前、まさかの葛原のインターセプトが入る。葛原に言われて自分の頬に付いた米粒に気が付いた久路人は、自分で取ってしまっていた。

 

(こ、この雌豚がぁああ!!!いつの間にぃぃいいいい!!!)

 

 せっかくの夢のシチュエーションを叶えるチャンスを潰され、湧き上がる憤りを久路人に聞かれぬように奥歯をかみ砕かん勢いで震える。だが、次の瞬間には、「フゥ」と息をついてクールダウンした。

 

(フン!!今日の妾は淑女的だ。運が良かったな!!)

 

 雫から見れば、葛原や周りの人間は命拾いしたと言える。冷静かつ寛大な自分だからこそ、心の整理が付いたのだ。これが他の女だったら、もしくは、久路人本人ではなく、葛原が飯粒を取って食べていたら、今頃この辺りにいる人間は久路人以外凍死していただろう。まあ、その内心は言葉とは裏腹にいまだに荒れ狂っていたが。

 

(焦るな。焦るな妾。こいつはただのガイドだ。修学旅行が終われば会うことは二度とない。そう、この妾と違ってな!!!)

 

 内心で、雫は葛原に対してマウントを取って心の平静を保つ。

 

(妾と久路人の今までの絆に時間を考えれば、こんな女の入る隙間なぞあるものか!!それに、妾には未来がある!!)

 

 まだまだ、自分と久路人が過ごす時間はたくさんあるのだ。焦る必要ない。少しずつ、少しずつ距離を詰めていけばいい。いつか、いつかもっと距離が縮まった時にこそ、やりたいことも、やろうとしていることも必ずできるはずだから。

 

(そうだ。その通り!!急いては事を仕損じるというではないか)

「クシッ!!・・・・じゃあ、私は先に行きますね」

「あ、はい。その大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありませ・・・クシュン!!問題ないですよ!!それでは!!」

 

 このとき雫は、まるで何か近寄りたくない物から全力で遠ざかるような葛原と、そんな彼女を不思議そうな目で見送る久路人を視界の隅に入れつつ、心の中で独りごちていた。

 誰に言い聞かせるでもないのに、まるで誰かに言い訳するように、言い聞かせるように。

 

(だから、だから、いつか、きっと・・・・)

 

 何度も何度も、心の中の何かが告げる警鐘から耳を塞ぎながら。

 

 

-----------

 

(まったく、あいつら、実は吾に気付いているのではなかろうな?)

 

 暴走する久路人たちの元を離れた葛原は、内心で毒づいた。昨日から鼻が痛くてしょうがない。あの蛇から放たれる悪臭が、凄まじい不快感をもたらしていた。

 

(霊力の感知は五感と結びついている。嗅覚を鈍らせるような術は使っているが、それでも抑えきれんとは)

 

 思わず表情が歪む。それほどまでに耐え難い悪臭であった。だが、これもあの少年から力を得るために越えなければならない障害だ。「仕方ない」と葛原、否、九尾は割り切った。

 

(しかし、あの様子からすると、あのガキも蛇も気付いてはいないか・・・人化の術ならばやはり問題はないのぅ)

 

 この辺りに居を構え、今は九尾に支配されている霊能者の一族の表の顔は、観光業だ。それを利用し、数か月前からガイドとして潜り込み、今回の修学旅行を利用してターゲットに近づく狙いであった。元々化かす、すなわち演じることが得意であり、人化の術への適性が極めて高い九尾にとってはガイドに成りすますなど簡単なことだ。久路人たちを観察するに、幻術に対抗するような術具を持ってはいるようだが、人化の術は「人外を人間のように見せる幻術」ではなく、「人間の体そのものに変える術」であるために、幻術を見破る術具では意味がない。特に、雫と違って人化の術に適性の高い九尾の場合は霊力を漏れないように制御すれば看破するのは実質不可能である。

 

(この格好は怪しまれずに観察するのには都合がいい。周りのませた餓鬼どもの目が鬱陶しいがな。発情した猿か貴様らは)

 

 今も遠めにチラチラとこちらを伺う男子生徒たちの視線を感じながらも、それに関する不快感は表には出さない。昨日の紹介の後も自分の顔やら胸やらに無遠慮に見てくる男が多く、気持ちの悪さといら立ちはそれなりに感じていたが、その浅ましさを内心で嘲笑うことで溜飲を下げていた。

 

(吾の封印を解いた餓鬼どもも「顔のいい奴だったら倒してヤってもいいよな」だのなんだの言っておったな。まあ、吾の瘴気を浴びた瞬間に小便を漏らしていたが、あれは滑稽だった)

 

 自分を解放したあのガキ3人を幻術と暴力を使って軽く尋問してやったら、あっさりと色々と吐いたことを思い出す。あの3人はどうやら霊能力が目覚めていたらしく、付近の鬼火やら亡者やらを倒して調子づき、「レベルアップ」だの「中ボス戦」だのと言って山の中に入り込んでいる内にあの大岩を見つけたらしい。大物妖怪には容姿がいいものが多く、過去の物語でも異種婚姻譚のような話があるため、スリルとそういった下半身の目的で封印を解いたとのことだった。だが、人外の放つ霊力、常世に満ちる霊力に近い瘴気は一般人、異能者関係なく毒であり、嫌悪感もしくは畏怖の念を抱かせる。雑魚ならば大したことはなかったのだろうが、九尾ほどの大物の瘴気だ。ガキ3人はそれだけで精神崩壊しかけていた。

 結局いたぶった後にその辺の獣どもを動かして骨まで食わせてやったが。

 

(しかし、今周りにいるやつらは他とは違うようだの。衆道は今の世にも残っているのか)

 

 そこで、九尾は周りを見た。九尾は今、教員も含むとあるグループにくっつくようにして移動していたのだ。

 

「ぬわああああん疲れたもおおおおんぬ!!」

「チカレタ・・・・」

「おら、なめてんじゃねーぞ!!」

「先輩!!何言ってるんですか!!弱音吐くのは止めてくださいよ本当に!!」

「人間の屑がこの野郎・・・・」

(やかましいのぅ・・・)

 

 さきほどの伴侍君が呼びに来る前にもいたのだが、こいつらが周りにいると他の学生が寄ってこないのである。チラチラと向けられる視線やらつまらない会話に付き合うよりはマシなので九尾はそのグループにいるというわけだ。

 

「このキャンパスで、この大自然を芸術品に仕立てや・・・仕立てあげてやんだよ」

「まったく、最近の高校生は軟弱なことしか考えないのか・・・・」

「まったく困ったもんじゃい・・・」

「あぁ~、この山の空気がたまらねぇぜ。さっきから、肺の中でぐるぐるしている」

 

 上から美術教師の黒久保(くろくぼ)先生、物理担当の平田(ひらた)先生、剣道部顧問にして日本史担当の桂木(かつらぎ)先生、現国担当の土方(ひじかた)先生である。これに先の5人を合わせた布陣であり、いかに九尾が扮する葛原が美人だろうと、近づく者はいなかった。おかげで九尾も冷静に考えをまとめることができていた。

 

(あのガキと蛇を庇護している、からくりとその作り手、七賢序列三位の月宮京の戦略は至って人間らしい)

 

 京の戦法は先んじて情報を集めて相手の特徴や戦法を知り、それを徹底的に対策した術具で本気を出させずに倒すというものだ。あらゆる術具の作り手である京は、七賢の中でも柔軟な戦い方を可能としており、相手に合わせて様々な術具を使いこなす。情報が集められずとも、直接相対すればわずかな時間で対抗措置を作ることもできる。だが・・・・

 

(今現在、戦略の上で吾が有利。西への陽動もうまくいっているようだしのぉ)

 

 そのやり方は、九尾相手には極めて相性が悪い。

 九尾は幻術においては七賢を上回っており、その痕跡を見つけることすら難しい。加えて、九尾本人はほぼ動かず、配下とした動物を介して一部の術しか使わないため、京は「何かがいる」ということは分っても、それが何なのかは分からない。九尾は直接戦うのではなく、相手に情報を与えず、じわじわと搦め手で弱らせるのが大の得意であった。それに対して、京は七賢であるために知名度も高く、その術具は異能の関係者間では高く取引されている。九尾が隠れ蓑にしている一族は零細であったが、そんな一族でも簡単に情報が手に入るくらいだ。

 

(こちらは一方的に相手の手の内を知り、向こうには一切の情報を与えない。戦いの鉄則よな)

 

 さらに、運も九尾に味方していた。京が「何かいる」と感づき、霧間本家を訪れたのはこの地に結界を仕込んだ後だったのだ。もしも仕込む前に気付いていたのならば、さらに強力な効果を突貫で組み込んでいた可能性もある。だが、今の現世には大物が現れることは難しい。本来は大穴を介さねば出現できないような九尾が、忘却界が展開された後にも封印という形で現世に残っていたとはさすがに予想外であった。封印の大岩も他の霊能者の一族によって管理されており、しかもその一族が放置していたせいで情報が逆に広まらなかったも九尾にとっては幸運だった。そして、その上で九尾は作戦を組み立てた。

 

(敢えて幻術は使わず、人化の術で接近し、隙をついて一気に身柄を奪う)

 

 京の手の内を知っているからこその作戦である。

 九尾は自分の幻術に絶対の自信を持っているが、相手もまた術具作成の達人だ。もしかしたら、自分の幻術を見切る術具も作れるのかもしれない。ならば、幻術を使うのはもはや相手に気付かれても問題のないくらいに王手をかけてからだ。「敵は幻術使いだ」と考えているのであれば、幻術を使わないことが最も有効な奇襲だ。昨日に久路人たちに近づいたのは、人化の術による隠ぺいが本当に有効か確かめるためでもあった。そして、今は・・・

 

(あのガキと蛇の「急所」を探す)

 

 こうしてガイドとして潜り込んでいる最大の理由が、ターゲットの観察である。もしかしたら、あの二人にも何か隠し玉があるかもしれないし、何気ない仕草から性格や考え方が、ひいては戦い方も分かる。封印される前には多くの村、街、都の住民たちの人心を読み解いて堕落させ、滅ぼしてきた九尾ならば一日の観察でもある程度のことは把握できる。九尾の目的にして勝利条件は「久路人を抵抗できないようにして力を得られるよう確保する」ことだ。それに対して、向こうは「修学旅行の間を無事にしのぎ切る」もしくは「九尾に気付き、討伐ないし撃退する」ことが勝利条件である。自身の勝利条件を満たす作戦を考えるための材料を集める腹積もりであった。

 

(この旅行を逃せば、あの要塞のような屋敷のある街に帰られてしまう。そうなれば今よりも圧倒的にやりにくくなる)

 

 九尾は久路人たちが住む街にも狐を放っていたが、それでも月宮家付近にはとりわけ厳重な結界が張られており、本体ならばともかく、遠隔操作する狐程度では近づくことができなかった。だからこそ、今この時間はとても貴重なものであり、今も歩きながら思考を回転させていた。

 

(一つ目の幻術を使ったかく乱はなし、二つ目に辺りのガキどもを人質にするのは・・・・これもないな。あのガキだけならばともかく、蛇には通用せんだろう。最悪人質を殺しかねん。三つ目、吾の支配した人間に薬か何か盛らせる・・・幻術を使うのと大して変わらんな。それに、あの蛇の霊力の質は水。毒の類は気付かれるか)

 

 様々な手を考え付くが、即座に否定する。いずれにせよ、護衛として傍に控える雫はどうしても邪魔だった。直接叩きのめして連れ去ることもできなくはないが、大っぴらに行えば東の方にいる吸血鬼も黙っていないだろう。

 

(あの二人を分断するのは、強引な手を使わねば難しそうだな・・・この悪臭をどうにかするには引き離すのが一番なのだがなぁ)

 

 昨日もホテルで霊力を追いながら観察を続けていたが、あの二人は風呂や寝床まで一緒のようだった。あれでは護衛ではなくストーカーである。元々鼻の利く九尾にとってあの蛇の発する臭いはもはや攻撃と変わりない。だが、その臭いもまた攻略の手がかりではある。

 

(この混ざりあったような臭い、いや、混ざりかけの臭いと言うべきか。あの二人、交わってはいないようだの)

 

 この悪臭は二つの異なる力が混ざろうとしているために生じる臭いだ。完全に混ざるか、一方が染め上げているのならばもっと違う臭いになるはずであった。

 一見すれば、いや、よく見ても親しい仲としか思えない二人であるが、どうやら一線は超えていないようだ。さらに、ごくごくわずかであるが、二人の間にはぎこちなさがある。それは、九尾にとって有益な情報だ。

 

(結局、あいつらがここに来る前から考えていた策が一番か。霊力の消費は激しいが、その方が色々と楽しめそうだしの。もう一つの手も考えてはいたが、やはりあり得ぬ)

 

 九尾の顔に一瞬耳まで裂けるかのような笑みが浮かぶ。遠方から覗くだけではわからなかったが、近くで観察することでより「愉しめる」策を選ぶことに決めた。もう一つの策は、九尾のプライドや心情的に取りたくない策だったというのもある。

 

(吾が、人間の雄に頭を垂れるなど、あり得ぬ)

 

 九尾がもっとも有効だと考えていた策は二つある。そのうちの一つは、「雫と同じように正式に契約を結ぶように交渉する」ことだ。あの蛇を連れていることからして、非常に珍しいことに人外への嫌悪感がほとんどないのだろう。ならば、自分の有益さをアピールして、従順に振る舞えば力を得るように契約を行える可能性は低くはなかった。だが、妖怪を弱らせる結界が張られている中で自分のような大物が突然現れれば警戒はされるだろうし、契約によって強力な制限をかけられる可能性もある。なにより・・・

 

(許さぬ、絶対に許さぬ)

 

 九尾の瞳に暗い炎が宿る。忌まわしい過去と、手の届かない理想がそこにあった。

 

 ああ、憎らしい。憎くてたまらない。

 なぜお前はそんなに強力な霊力を持ちながら、その年まで健康に生きている?

 周りの人間どもは、なぜそんな異物を追い出そうとしない?

 現世は、いつからこんな争いもない温い時代になった?

 あのからくりも、第三位の七賢とやらも、そんな強者がどうして味方をしている?

 それに、それに・・・・

 

(あの蛇は、何を根拠に「自分がいつまでも隣にいるのが当たり前」という顔をしている?)

 

 ああ、腹が立つ。理不尽だ。不平等だ。あいつらは恵まれすぎている。

 自分は、自分たちの時には手を差し伸べてくれるものなど誰もいなかったくせに。

 

(やはり、やはり力が必要だ。こんなクソのような世界を壊すための力が!!)

 

 その顔は、ずっと笑顔だった。優しいガイドさんと言ったら10人中10人が納得するような、そんな顔だった。その顔は仮面だ。その心の中に燃え盛る憎悪と嫉妬の炎を覆い隠す仮の面だった。その仮面の下から、冷徹な思考を以て、己の野望のために、九尾は観察を続ける。

 

-----------

 

 その日も、久路人と雫は旅行を満喫した。散々歩いてくたびれたと言いながら宿の夕食と菓子を食べた。

 風呂にも昨日と同じように一緒に入ったが、背中を流すのは雫の術を使った。同じ布団に入ったが、昨日と違って中々寝付けなかった。顔が熱くて、そんな顔を見られたくなくて、お互いに背中を向けて寝た。

 

 自分たちを睨み続ける、冷たい視線に気が付かないまま。




次回、九尾襲来。
感想、評価よろしくです!!感想が来れば来るほど早く投稿できますよ!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 天花乱墜1

九尾戦スタート
今回は導入をあっさり進めるつもりだったのに、どうしてこんなに長くなった・・
そして、この回より、短編版と明確に違いが出てしまいます。久路人の好感度調整ミスりましたね、これは。なので、短編の方はもう、(短編)という扱いにします。

あと、今更ですが章わけしました。


「準備は整ったようじゃな」

 

 葛城山中腹にある神社から少し離れた一角で、九尾はそう呟いた。

 そこは神社の境内にある分社の、そのまた脇にある小道を進んだ先のこじんまりとした広場だ。だが、そこにいるのは九尾だけではない。

 

「「「・・・・・・」」」

「フン。自分で考えて動いて家を傾けた愚か者め。吾が命を下してやった方がよほど効率が良いではないか」

 

 煌々と輝く松明の灯りに照らされて、生気の抜けた顔をした人間たちが闇の中に浮かび上がる。時刻は丑三つ時。いかにそこが観光地であろうととうに人がいるはずもない時間であるが、九尾の支配下にある人間には関係がなかった。彼らは己の主の命に従って、九尾の用意した策の最期の仕上げを整えていた。

 彼らの足元には赤黒い液体が滲んだような跡があり、その跡は森の奥の暗がりまで延々と繋がっている。

 

「さて、霊脈との接続はとうにできておる。ここに敷いた道を通り、霊力は十分に溜まった」

 

 九尾は状況を口に出して確認する。地面の赤黒い跡は九尾が封印されていた大岩のある場所から伸びていた。あの岩は九尾の封印を司るとともに、霊能者の一族がいることで妖怪がやってくるのを防ぐために張られた結界の要でもあったのだ。その結界は忘却界が展開された後にも依然として残り続け、役目を忘れた一族の代わりにこの地を守り続けてきた。その動力源は封印の大岩がある場所に繋がった霊脈から溢れる霊力だ。もっとも、霊脈が地上に出ているとはいえ、その規模は小さなものであったが、周辺に結界を張るのには十分だった。そして、九尾が解き放たれた後には、その結界を今まで散々サボったツケを払わせるように結界の展開は一族に任せ、その分の霊力は封印で弱った九尾の回復に費やした。そうして、九尾の力が回復した後に、件の少年と蛇がこの地に来るのを知り、封印の大岩から霊力を送る流路を作り、この広場に霊力を貯蓄させた。

 

「そして、その霊力を費やす「陣」の準備も今整った」

「「「・・・・・・・」」」

 

 九尾とその支配下にある人間の足元にあるのは、森の奥に続く跡だけではない。人間たちの手には、生臭い臭いを放つ赤黒い液体の入った袋が握られている。袋からは今も液体が滴っており、この広場をぐるりと囲うように線が引かれ、ところどころに崩れた文字のようなものが書かれていた。今まで人間たちが行っていたのは、その文字を刻むための作業だった。術を使用するには、その名前や起きる現象を詠唱という形で声に出して唱え、世界に刻み付けて発動させる方法があるが、九尾が準備したように文字や図で形にするのも有効な方法である。

 

「明日だ。明日の間にケリを付ける」

 

 九尾の顔に歪んだような笑みが浮かぶ。それは、自分の野望が叶う一歩手前に近づいたことへの達成感であり、あの気に食わない蛇で遊ぶことへの楽しみから来るものでもあった。

 

「もうすぐだ。もうすぐで力が手に入る。そうなれば、そうなれば・・・」

 

 九尾は想像する。多くの人間どもが毒と瘴気に溺れて腐り果てるのを。

 炎に焼かれ、あるいは石となり、永遠の苦痛を味わうのを。

 お互いに疑い合い、足を引っ張りあいながら殺し合う愚かなさまを。

 強大な力で薙ぎ払うのも、奸計を以て嬲り殺すのも、どちらでもよかった。九尾にとってたった一人の例外を除いて、人間などすべて滅ぼしてしまいたい生き物だ。そう、九尾にとっては。

 そこで九尾の笑みが消え、一瞬、ほんの一瞬だけ悲し気な表情になった。

 

(せい)。汝は吾のやろうとしていることなど望んでおらんのかもしれん。これは吾の自己満足なのじゃろうよ。だがなぁ、吾が未だに汝の後を追わぬのは、汝のせいでもあるのだぞ?ひどい(おのこ)じゃよ、汝は」

 

 誰とも知れぬ者に恨むような、恋しがるような声音でそう言いつつ、九尾は踵を返した。その影は、森の暗闇に呑まれるように消えていく。

 

「もしも天国と地獄があるのなら、汝と吾が会うことは、二度とないのじゃろうな・・・・」

 

 そう、寂し気に呟きながら。

 

-----------

 

「わからない・・・・」

 

 修学旅行3日目の朝、久路人は便座の上でそう呟いた。時刻は朝の6時。なぜかやや久路人から離れた場所に布団を敷いた毛部君と野間琉君はまだ眠っている。

 

「わからない。わからないよ・・・・」

 

 久路人は再度同じセリフを呟いた。よほど疑問に思っているのか、珍しく眉間にしわが寄って、ウンウンと唸っている。

 

「雫は、本当に僕のことをどう思ってるんだ?」

 

 久路人の口から、疑問の中身がこぼれ出た。昨日の昼から今まで、ずっと久路人の中にある問いである。それというのも、昨日の夕方ごろから雫の接し方が少し変わったからだ。具体的に言うと、押しが強くなった。

 

「さっきといい、昨日の夜のことといい・・・・」

 

 昨日も一昨日と同じ理由で風呂を一緒に入ることになったのだが、久路人が相変わらず尻込みしていたのに対し、雫はグイグイ来た。背中を流すのも術ではなく、直接手でやって欲しいと言ってきたり、久路人の前に回り込んで隙あらばタオルをはぎ取って洗おうとしてきた。もはや完全に痴女である。風呂は結局久路人が土下座しかねない必死さで説得したために術でやってもらえたが、その後もひと悶着あった。

 

「まさか旅行先でも匂いチェックをやることになるとは・・・」

 

確かに、行きのバスで風呂上がりにもやるとは言ったが、風呂に一緒に入ったのにやる意味はあるのだろうか?ただでさえ入浴中に色々と危なくなったのに、湯上がりの雫が普段とは違う浴衣に身を包んでいる状態でもたれ掛かって来るのだ。しかも、久路人が間隔を空けようとすると顔を赤くしながらも距離を詰めてくるナイトメアモードである。もしも自分の下半身事情を知られたら舌を噛みきる覚悟で、再び雷起を使って匂いを嗅ぐはめになった。そうして、つい先ほども朝のチェックを周りにバレないようにどうにかこうにか終えたばかりである。昨日の夜は五里霧中を展開してから空いている椅子を使えたが、今は寝ているクラスメイトを飛び越えて起こすリスクを考え、霧の範囲を久路人の布団の上に限定して発動させたために、どうしてもくっついてやらざるを得なかった。朝から大分何かが削られたような気がする久路人である。

 

「そもそも、全然休めた気が・・・いや、結構するな?」

 

 体力、気力を回復させる代表例には睡眠があるが、これも初日と同様に雫と同じ布団であった。

風呂、匂いチェックに加え、今度はきちんと意識した上での同衾である。顔が熱く、赤くなっていることは見なくてもわかったため、背中を向けて寝ていいか?と聞いてみたのだが、これにはなぜかOKが出たので、結局お互いに背中を向けて寝ることになったのだ。すぐ近くにいる雫の体温やら息遣いやらいい匂いが感じられて、最初は眠れるわけがないと思っていたのだが、意外にもすぐに眠ることができた。というか、普段よりも安眠できたような気がしなくもない。しかし、どうして修学旅行でこんなに旅行に関係ないことで気を病まなければならないのか。

 

「本当に、普段はこんなこと考えたことなかったのにな・・・いや、普段よりも一緒にいる時間が長いからか?」

 

 思わずそう呟いてしまうほどに、久路人はこの修学旅行の間に旅行先の風景でも食事でもなく雫のことばかり考えているような気がする。それは久路人の言う通り、一緒にいる時間が長いからだろう。行のバスに始まり、一日目の門前町にホテルの風呂、二日目の湿地の桟橋にやはり風呂と布団。いつもはさすがに風呂や布団は別なので、この旅行中はそれこそ今のトイレくらいしか一人になっていない。そのトイレにしたって、ドアの向こう側で雫が耳を塞いでスタンバっている。しかも、ただ一緒にいる時間が長いだけではなく、そこでの体験も濃厚だ。まさか普段の匂いチェックよりもハードなことをやるとは思わなかった。新しい場所に来たことで、普段とは違う状況や心情になっているからだろうか。雫にポロっと言ってしまった蛇発言だって、湿地に来なければ言わなかったはずだ。

 

「う~ん・・・・」

「ね~、久路人大丈夫?お腹冷やした?」

「いや、すぐ出るよ」

 

 あまり長い時間をトイレで悩んでいたからか、ノックの音ともに雫の心配そうな声が聞こえてきたため、久路人は思考を中断してズボンを履きなおし、外に出た。それなりの時間が経っていたため、毛部君と野間琉君も起きているころだろう。しかし、なぜ彼らは昨日僕から離れたところでお互いを守りあうかの如くくっついて寝ていたのだろうか?一昨日のホモ疑惑は彼らなりの冗談だったはずであり、本気ではないはずだ。なのに・・

 

「まさか、二人はそういう・・?僕に冗談を振ってきたのも、カモフラージュのためか?」

「久路人?」

 

 「はっ!?」と脳内にピキーンと電流が走り、久路人の中に一つの仮説が浮かぶ。久路人にその気はないが、知り合いがそういう趣味のカップルを作っているのならば、自分に押し付けてこない限り祝福するつもりであった。なお、その二人からはむしろ久路人こそがそちら側だと思われていることには当然気付いていない。

 

「ねぇ、バラの花のお土産って売ってるかな?」

「・・・・よくわかんないけど、買うの止めておいた方がいいと思うよ」

 

 取り留めのないことを話しながらも、二人は歩く。

 今日も昨日や一昨日と同じように、普段の日常とは少し違うけれども、穏やかな日になると信じて。

 

-----------

 

 修学旅行3日目。

 今日のスケジュールは、山登りである。とはいっても、湿地を歩き回った次の日ということもあり、葛城山はそこまで標高の高い山ではない。目的地は山頂ではなく中腹の神社がある高さまでであり、そこまではロープウェイが通じているため、帰りは楽な予定だ。行の道も緩やかで、コンクリートで整備された道もある。ちょっとキツ目のハイキングと言ったところだろうか。

 

「昨日に比べたら楽だね」

「うん」

「昨日は延々歩いたもんな。平地でもアレはきついよ」

 

 なだらかな登りの道を歩きながら、毛部君と野間琉君と話す。池目君と伴侍君は最初は近くにいたのだが、今日はコースが緩いこともあって、女子たちに群がられている内に離れてしまった。あの二人には悪いが、あまりああいう女子グループに混ざりたくはないので、置いて先に行かせてもらっている。

 

「でも、こういう山の中って結構いいよな」

「登る前は面倒くさかったけど、杉の匂いとかがいい感じだね」

「杉なんて地元にもあるけど、こういう雰囲気ある場所だと違うように感じるよ」

 

 僕らの地元、白流市はかなりの地方都市であるために手付かずの自然も残っているのだが、やはり観光明地となるだけあってか、山や森もなんとなく雰囲気があるというか、見ていて癒されるものを感じる。

 

「あと、結構観光客の人もいるね」

「門前町はわかるけど、こんなとこまで来るんだな」

「学生は僕らの高校だけみたいだけどね・・・あ、あんなお爺さんお婆さんもいるんだな」

「姿勢が綺麗な人たちだね~」

 

 さっきから、荷物を持った観光客と思しき人々とすれ違っている。まあ、時期が時期だからか、あるいは場所のせいか、学生は僕ら以外いないようだが。そして、ちょうど僕らの前方から一組の老夫婦が歩いてくるところだった。すれ違いざまに、会釈して「こんにちわ」と言い合う。僕につられてか、雫も「こんちわ~」と軽めに挨拶していた。

 

「おお、こんにちは。修学旅行かい?儂らも久しぶりにこっちに来たんでついでに観光しとるんだが」

「あ、はい。結構離れた県から来たんです」

「礼儀正しい学生さんたちねぇ~お爺さん。ところで、貴方たちはカップルか何か・・・」

「「「違います!!!」」」

 

 突然意味不明なことを言い出したお婆さんに、男三人は速攻で否定した。

 お婆さんは「あらそう?」と不思議そうな顔をしながらも「邪魔しちゃ悪いよ婆さん」と言うお爺さんに引き連れられて、去っていった。

 

「婆さんや、この、『人間は食べちゃいけない激甘饅頭』って食べたらやっぱり危ないかのぉ?」

「糖尿病になるかもしれないけど、気になりますねぇ、お爺さん」

 

 そんなことを話しながら歩いていく老夫婦を尻目に、僕らは笑みを貼りつけながらも、どこか張り詰めた空気で先を行く。

 

「いや~、おかしなことを言うお爺さんたちだったね~」

「ホントホント。すごい元気そうに見えたけど、ちょっとボケてんのかな?」

「もしかしたらそうかもね~」

「「「アハハハハハハ!!!」」」

 

 男三人で、そう言いながら笑い合う。僕+雫と、毛部君と野間琉君の間にジリジリと距離を空けながら。

 

(やっぱり、あの二人はそういう・・・・)

((どっちだ!?俺たちのどっちが月宮の彼氏に見えたんだ!?))

「変なの・・・・」

 

 男3人の心の中では大きな誤解が進行しており、そんな3人を怪訝そうな目で雫は見ていた。

 そうして無事に中腹まで着いたときに、「「「じゃあ、ここからは自由行動だね。僕(俺たち)は行きたいところがあるから!!」」」と言って別れたのであった。

 

-----------

 

 葛城山中腹は、コンクリートで舗装された道が通っており、車の往来もある。門前町ほどではないがそこそこの数の出店も開いており、観光客でごった返していた。

 

「さすがに3日目はお土産屋巡りはいいかな・・・」

「うん。私も今日は人ごみに入りたくないし」

「こう見ると、1日目でお土産買っておいてよかったな」

「あ、でもお昼は食べときたいかも」

 

 時刻は正午を回ったところだ。今朝に先生方から学生は1000円分の食券を渡されており、この中腹にある店で各自昼食を摂ってくれとのことだった。雫もちゃっかり一枚食券を拝借済みである。ちなみに昼食の後はしばらく自由時間であり、夕方に奥にある神社の観光を済ませた後で下山する流れだ。

 お昼時ということもあって空腹を感じ始めた二人は手頃な店を探して入ることにした。

 

「いらっしゃいませ~!!2名様ですか?」

「はい」

 

 雫と連れ立って、久路人は近くにあったうどん屋に入ることにした。こうした店に入るとき、雫は「ある程度」一般人にも見えるように姿を現す。朧げにしか認識できない上に、術具の効果も合わされば、一般人からすると「誰かいる」のは分かるが、結果的にその行動のほとんどが記憶に残らなくなる。もっとも、そうした微妙な力加減は雫としては面倒らしく、外食に行くときくらいしかやらないが。今の雫は髪や眼の色はアルビノカラーだが、服装は久路人と同じく高校の制服を着ていた。

 

「えっと、僕は月見うどんで」

「私は狐うどん」

「かしこまりました!!」

 

 隅の方の席を選んで座り、注文を済ませて、店を見回すと、中々年季の入った店だ。客もかなり入っており、賑わっている。

 

「なんというか、老舗って感じだ」

「雰囲気あるよね」

 

 そんな風に店を見たり、外を歩く観光客を見ながら雫と話していると、しばらく経ってからうどんが来た。これだけ混みあっているとどうしても遅くなってしまうのは仕方ないだろう。

 

「いただきま~す!!」

 

 なんとはなしに、久路人は割りばしを持ってうどんをすする雫を見る。久路人から見ればただの美少女なのだが、周りは一向に気にする様子を見せない。自分だけが、この場で彼女に干渉できる。

 

(なんだろ。なんか安心感というか、悪い気はしないな)

 

 それは久路人からすると時折感じる何かだった。雫と一緒に日々を過ごしているとたまに湧き出てくる感情。久路人にはその名前はわからないが。

 

「久路人?食べないの?伸びちゃうよ?」

「ああ、すぐ食べるよ」

 

 久路人が手を付けないのを不思議に思った雫が声をかけてきたので、久路人も割りばしをパキリと割ってうどんを食べ始める。

 

「おお、おいしい」

「だね!!ちょっと値段は高めだけど、味の方はっ・・熱っ!?」

 

 喋りながら食べていたからだろうか。雫の持っていた器から汁が撥ね、手に付いた。

 

「大丈夫?」

「大丈夫大丈夫!!ちょっとびっくりしただけだから。でもちょっと勿体ないな・・・れろっ」

「・・・・・」

 

 雫が、手の甲についた汁を舐めとった。行儀がいいとは言えないが、声を出してたしなめる程の事でもない。けれど、久路人はなぜかその様子から目が離せなかった。その少し赤くなった白い肌と、紅い舌が目に焼き付く。普段は気にもしないだろう。だが、ここ数日の積み重ねもあって、その所作にどうしようもない色気が・・・・

 

(・・・・・何考えてんだよ僕!!本当におかしいぞ!!!)

 

 頭によぎった考えを振り払うように無我夢中でうどんをかきこむ。舌を火傷しそうになるも、まったく気にならないくらい顔が熱い。まったく、汁の温度が高すぎるとクレーム入れてやろうか。

 

「く、久路人?そんなに気に入ったの?」

「お、お腹が減ってたんだよ!!」

「そ、そうなんだ・・・」

 

 雫としてもここ最近何かがおかしい久路人の様子が気になっていたようだ。だが、昨日で懲りたのか今日の久路人は大人しめだったので、そのことについてはそれ以上は言わないことにしたらしい。けれども、雫はそこで止まるつもりはなかった。

 

「ね、ねぇ久路人?」

「な、何?」

 

 やや緊張した面持ちの雫に、先ほどの動揺が未だに尾を引いている久路人。どちらも若干声が震えているが、雫はさらに踏み込む。雫は決めたのだ。蛇ではなく女の子として見てもらうようになる、と。幸いなことに、雫の声の違和感は久路人には気づかれなかったようだ。久路人も平常心ではないからだろう。

 

「せっかく違うの頼んだし、ちょっと交換してみない?」

「え・・・?」

 

 そんな雫からの提案に、少しの間思考が追い付かなくなる久路人であった。そりゃあそうだ。同性の友達同士、もしくは小学生の間ならともかく、今の久路人と雫でそういったことは・・・

 

(そう、これは・・・)

(こ、これは・・・・)

((間接キス!!))

 

 雫の狙いはそれであった。実を言うと、店に入り、注文をするときにはすでに組み立てていた策である。重要なのは表情に出さないこと。何でもないように、下心などないように振る舞うこと。そうすれば・・・・

 

「う、うん。いいよ」

(よしっ!!!)

 

 「かかった!!」と雫は内心でガッツポーズを決める。基本的に受け身がちな久路人ならば、こういった誘いは断らないと踏んだが、思惑通りである。なお・・・

 

(ここで断ったら、それこそなんか意識してるみたいだし・・・)

 

 久路人も久路人で先ほどの一幕からのこれであったために、内心は大混乱である。雫の思惑以上に、やる前からすでに意識しているということに、雫も、久路人本人も気付いていなかったが。

 

「じゃあ、ど、どうぞ」

「よ、よし」

 

 雫が丼を差し出すと、久路人も自分の丼を滑らせるように押し出した。

 お互いの手前に来た丼を見つめ、「ゴクリ」と唾をのむ。

 

「あ、あれ?食べないの?」

「う、ううん!!食べるよ!!でも、そう、せっかくだからさ!!同時に食べようよ!!」

「わ、わかった」

 

 言い出しっぺの雫が食べないので、久路人としても手を出しにくい。そこで、雫は「死なばもろとも!!」とばかりに久路人も巻き込んで箸を改めて手に取った。「「スゥ~」」とお互いに軽く息を吸い、同時に箸を丼に突っ込んで麺をすする。

 

((味がわかんない!!))

 

 いざ口に麺を放り込んでみるも、さっきにはお互いに美味しいと思った麺だというのに、味が分からなかった。いや、お互いが美味しいと言っていたというよりも・・・

 

((さっきまで久路人(雫)が口に入れてた箸を突っ込んでた丼!!))

 

 そんなことばかりが浮かんで味わうどころではなかったのである。しかし、黙っていては「何事もないように」などという演技もできない。

 

「く、久路人!どう!?」

「お、美味しいです!!そっちは!?」

「私も美味しい!!」

 

 思い立った雫を皮切りに、お互いに投げつけ合うかのように感想を言い合う。味なぞわからないくらいに緊張していたが、それでもここで「マズい!!」などと言えるわけがなかった。

 

「「・・・・・・」」

 

 それから二人は無言でうどんをすする。雫の策略通りの展開ではあるものの、こうなるとは予想ができなかった。空気は妙な感じになるばかりである。

 とはいえ、男子高校生にとってうどん一杯など大したものでもない。雫も結構な健啖家なので、二人はあっという間に食べ終えて、逃げるように会計をして店を出た。

 

「・・・・う~ん!!美味しかったけど、まだ入りそうかな~!!ちょっと見て回る!?」

「そうだね!!せっかくだし!!!」

 

 さきほどまでの空気を振り払うかのように、二人はわざとらしい大声でそう言い合った。雫はともかく、久路人は普通に一般人からも見えているので妙な目で見られているが、気付く余裕もないようだ。

 だが、その誘いは何も空気をどうにかしようとするためだけの方便ではない。腹が膨れたことで、いや、胃袋が刺激されたことで火が点いたのもある。雫はどこか物欲しそうな目で店を見ていた。久路人もうどんだけではやや物足りなかったので、もう少し食べたい気分ではあった。そうして足早に歩き出そうとして・・・・

 

「じゃ、はい!!」

「え?あ、うん」

 

 雫が、隣にいる久路人に手を差し出したので、反射的にその手を握る。雫の顔はさっきまでの余韻もあって若干赤いが、一昨日ほどではない。まるで、「手を繋いで歩くのが当然」という意識があるようだった。そういえば、一昨日も最初こそぎこちなかったが、最期の方はお互いに気にすることなく手を繋いでいた。この旅行で色々とあってもう手を繋ぐくらいでは動じないのだろう。

 

「行こ?」

「うん」

 

 そう思う久路人も、一昨日ほど緊張はしていない。風呂やら匂いチェックやらさっきのうどんの方がよほどハードであるからだ。だが、エベレストと富士山を比べて「富士山ってしょぼいな!!」とはならないように、手を繋ぐことくらいで雫を意識しないということにはならない。

 

「あ!!ここでも饅頭売ってる」

「デザートと饅頭って語感がなんか合わないなぁ」

 

 店に出入りして買い食いしつつも、久路人の中では何かが動いていた。

 今日の朝にも感じた何か。途中で考えることを止めてしまったが・・・・

 

(雫は僕のことをどう思ってるんだろう。僕はどうしてこんなに雫のことを考えてるんだろう?)

 

 一昨日はあんなに緊張したのに、今はむしろ雫と手を繋いでいることに落ち着きを感じる。朝よりもずっと冷静に考えることができていた。しかし、そうして落ち着いていたからこそ、そこで久路人は奇妙なことに気付いた。

 

「あれ?なんかうちの学校の生徒がいないな?」

「本当だね。あれ?久路人の持ってたしおりだと、まだ今は自由時間だよね?」

「うん。そのはずだけど」

 

 周りには観光客が歩いているが、学生の姿が見えないのだ。

 山を登る際に毛部君と野間琉君も言っていたが、この時期にこの辺りに来る学生はうちの高校くらいなものだが、それでも一人も姿が見えないというのはおかしい。あのうどん屋に入る前にはチラホラと歩いていたのだが。

 

「なんか変更とかあったのかもしれないな」

「なら、神社に行ってみる?集合場所がそこなんでしょ?」

「う~ん、どうしようかな。他の場所に行ってることも・・・」

「あんた、学生さんかい?」

「はい?」

 

 不思議に思った久路人が小声で雫と話していると、近くにいた露店の店主が久路人に声をかけてきた。雫はうどん屋を出たあたりで霊力の調整が面倒になったらしく姿を見えなくしているので、久路人にだけ声をかけたようだ。

 

「あの、どうしました?」

「いや、さっきこの辺りにここいらの元締めの家の人たちが回ってきてね。『学生さんが来たら神社の方へ行くように言ってくれ』って。あんたも行った方がいいんじゃないか?」

「あ、そうなんですか。わかりました。ありがとうございます」

 

 久路人はそこで店主にお礼を言うと、店から離れて歩き始める。

 

「何があったんだろ?」

「さあ?でも、携帯にメールを回せば済むのに、わざわざ歩き回って言うなんて変だなぁ」

「そのうちメールも来るんじゃない?」

 

 そんなことを喋りながら、手を繋いで歩く。

 何か事情があったのだろう、ということで、久路人と雫はそこで出店を回るのを止め、神社に向かうことにしたのだった。

 

 

-----------

 

「え~、なにこれ」

「なになに、『ただいま補修箇所があるため立ち入り禁止』?」

 

 神社に着いた久路人たちであったが、本尊に行く道には看板が立っていた。看板は新しい、というよりもかなり適当な感じで、どうみても緊急で作りましたという風だった。

 

「本尊に何かあったからこの辺りに集合ってことにしたのかな?」

「それにしては誰もいないみたいだけど・・・」

 

 見回してみるが、学生どころか他の観光客もいない。まあ、立ち入り禁止になっている個所があるならわからないでもないが、ならばさっきの店主の話はなんだったのか?

 

「ちょっと近くを探してみようか」

「うん。あっちにも別の建物があるしね」

 

 雫が指差す方向には、麓にあった神社のような建物があった。本尊とは別にそういったものもあるのだろう。少し離れた場所にあるようで、ここから見えるのは屋根だけだ。後の部分は木立に隠れて見えなかった。

 

「久路人、メールはまだ来ない?」

「うん。池目君たちにもメールを送ったんだけど、繋がらなくてさ。電源を切ってるみたいだ」

「そういうマナーのところにいるのかな?」

「かもね」

 

 ここに来る途中にも、久路人は友達にメールやら電話やらをしてみたのだが、電源が切れているようだった。すでに電源を切って欲しいというような施設にでも入ったのかもしれない。

 

「でも、ここにも誰もいないね」

「うん。本当にどこに行ったのやら」

 

 しかし、目的地に着いてもそこには誰もいなかった。

 がらんとした境内に、10月の午後らしいオレンジ色の光が差し込んでいる。

 

「連絡しても繋がらないなら、もうちょっと待ってから探す?歩き回って少し疲れたでしょ?」

「僕はそこまで疲れてないけど、確かに闇雲に探してもなぁ。店主さんたちは神社の方って言ってたし、ここいらで間違いはないはずだしね」

 

 とりあえず色々と歩き回ってさらに迷うのは避けたかったので、二人は少し休むことにした。

 

「よっこいしょ」

 

 久路人は建物の前にある賽銭箱に繋がる短い石段に腰掛ける。歩き回って少し火照った体に、石段の冷たさが心地よい。

 

「久路人、ちょっと詰めてもらっていい?」

「え?うん」

「えいっ!!」

「おおぅ!?」

 

 久路人が涼んでいると、雫がずいっと隣に詰めてきた。石段の幅はそこまで広いものではないが、距離を詰めて座るほどでもないはずなのだが。

 

「し、雫?」

「体冷やしすぎちゃ風邪引いちゃうかもしれないでしょ?」

 

 急に接近してきた温もりと優しい香りに、久路人の声が跳ねる。

 雫は休みながらも周りを見回そうとしているようで、久路人とは逆の方向を向いていたが、その白い耳が赤くなっていた。

 

「えっと、やっぱり、誰もいないね・・・・」

「うん・・・」

 

 周りを見ていた雫がそう言うが、久路人としては耳に入らない。

 うどん屋で間接キスにうろたえ、参道で手を繋いで落ち着き、そして今この場での密着だ。アップダウンが激しすぎてスキーだったらプロ選手でもコケるに違いない。

 

「「・・・・・・」」

 

 二人の間に沈黙が訪れる。だが、その沈黙はうどん屋の時のように重いものではない。場の静寂さと景色、隣り合って座るだけという間接キスや背中流しに比べれば控えめな接触が、どこか二人に安らぎを与えていた。

 周りは杉と紅葉に覆われ、境内の中には赤や黄色の葉が落ちて絨毯のようになっている。時折風が吹いて渦を巻くように空に舞っていたが、そこで少し強い風が吹いた。

 

「わっ!?」

 

 ザァッと地面に落ちていた葉が舞い上がり、久路人たちの方に飛んでくる。思わず目をつぶってしまった。

 

「もぅ~!!目に砂入った~!!」

「あはは、びっくりした・・・あれ、雫、頭に葉っぱが乗ってるよ?」

「う~、目が痛い・・・取ってもらっていい?」

「うん」

 

 さきほどの風で舞ってきた葉が一枚、雫の髪に付いていた。紅い紅葉の葉が白い髪に映え、まるでアクセサリーのようにも見える。「ちょっと勿体ないかな」と思いつつも久路人は雫の頭に手をやって、葉を摘まみ・・・

 

「ん?」

「あ」

 

 そこで、目をこすり終えた雫と、久路人の目が合った。唇が触れ合うには全然遠い。しかし、手を繋いでいる時よりも近い。そんな距離だった。

 

―ドキリと久路人の心臓が大きく鼓動するのが聞こえたような気がした。

 

(あれ、なんだこれ?なんか、なんか・・・・)

 

 ドキドキと高鳴る鼓動に、久路人は困惑する。朝にも、ついさっきまでも考えたことがぶり返すが、今の状況はそれをさらに加速させる。血液の流れがもっと奥へと押し込むようだった。もっと奥へ。久路人の心の奥底へ。

 

(雫は僕のことをどう思ってるんだろう。どうして僕は、雫のことをこんなに気にしてるんだろう。いや・・・・・)

 

 そこで、久路人はついに疑問の核心にたどり着く。なぜ自分は、こんなにも目の前の少女を気にしているのか、その答えに繋がる扉。

 

(僕は、雫のことをどう思ってるんだろう?)

 

 その疑問が浮かんだ時、久路人の頭のモヤモヤが晴れたような気がした。回り道をしていたが、ついに目的地にたどり着いたような、そんな気分。

 

(少し前までは、友達とか家族みたいだと思ってた。けど違う。おじさんやメアさんには感じたことのない気持ち・・・)

「久路人?」

 

 不思議そうにこちらを見る紅い瞳。その瞳に映る自分は、何かに気付いたような顔をしていた。

 

(僕は、僕は・・・・・)

 

 隣にいる彼女の感触が熱が、声が、視線が、この旅行中だけではない、今までの思い出がその答えを教えてくれているような・・・・

 

(そうか、僕は、僕は雫のことが・・・)

 

 自分の心の中に眠っていたソレに、久路人はようやく気が付いた。

 

「雫・・・」

「久路人?どうしたの?」

 

 自分の気持ちは分かった。だが、目の前の少女は、果たして同じ気持ちなのだろうか?

 今この場には誰もいない。この場所ならば、この時ならば、久路人には聞けそうな気がした。

 

「雫は、僕のこと・・・」

「見つけましたよ」

「「!?」」

 

 突然境内に響いた声に、いつの間にか至近距離で見つめ合っていた二人はシュバッと離れた。まあ、一般人からしてみたらいきなり久路人だけが声をかけられて驚いたように見えるのだろうが。

 

「く、葛原さん!?」

「何をしてるんですか?周りの人からお話は聞かなかったのですか?」

 

 葛原はどこか不快そうな表情をしていた。一人だけはぐれた生徒を探し回っていたら、境内で黄昏ていたところを見ればそうなるのも仕方ないかもしれない。

 

「す、すみません・・・」

「早く行きますよ。みんな待っていますから」

「・・・・雌豚が。せっかくなんとなくいい雰囲気だったというに」

 

 ツカツカと歩く葛原に続いて、久路人は申し訳なさそうに、雫は不満そうに続く。葛原の足は淀みなく進み、境内の脇にある小道を通っていく。小道とはいえきちんと雑草も抜かれて整えられており、両端には柵も設けられていた。この先にも観光施設か何かあるのだろう。

 

「えっと、葛原さん、この先に・・・」

「月宮君、一昨日に見た話を覚えていますか?」

「え?はい」

 

 この先にあるもののことを聞こうとした久路人だったが、それを遮るように葛原は口を開いた。

 一昨日に見た話と言えば、あの怪物を封印した話だろう。確か村人の性格が悪かったような気がする。

 

「あの話をした後の、私の感想も覚えていますか?」

「え?え~と、村人が馬鹿な人たち、でしたっけ?」

「はい。そうですね。でもね、それは正確じゃないんですよ」

「「?」」

 

 道の先に、広場のようなものが見えてきた。だが、そこには誰もいない。落ち葉の降り積もった空き地があるだけだった。葛原は迷いなくそこに踏み込んでいき、久路人たちも着いて広場の中に入った。

 久路人たちが広場の中ほどまで来ると、そこで葛原は振り返る。その顔には、隠しきれないような笑みが浮かんでいた。

 

「私の、吾の感じたことはな、『人間とは愚かな生き物』だということじゃ」

「葛原さん?」

「・・・久路人、下がって」

 

 不穏な空気を感じ取ったのか、雫は前に出て、久路人を守るように立ちはだかる。葛原は、そんな雫を面白いものを見るように見ていた。

 

「フン、さっきまで色ボケていた蛇ごときが一端に守護神気どりか。吾の正体にも、策にかかったことにも気づかんとは、滑稽じゃの」

「お前、妾が見えておるのか!?」

「・・・・・・」

 

 嘲るように、明確に雫を見ながらそう言う葛原に、二人の警戒レベルが跳ね上がる。

 雫は薙刀を作り出そうとし、久路人は周囲に漂わせている黒鉄を呼び出そうと・・・・

 

「見るは幻、聞くは虚言、動くはただ影ばかり、開け、『天花乱墜』」

 

 それより早く、葛原が「ナニカ」を発動し・・・・・

 

-----------

 

「なっ!?」

 

 気が付けば、久路人は一人、満月の輝くススキ原に立っていた。

 




 小説を書くのは自分が書きたいからというのもありますが、せっかくならば面白いものを書きたいという想いがあります!!評価、感想というのは「面白かった」とかそういのがわかる作者にとっての通信簿なわけで、安心材料でもあるわけです。逆に悪いところがあれば反省すべき指標にもなります。
 そういうわけで、感想、評価おねがいします!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 天花乱墜2

超難産回。というか、土曜仕事からの日曜ゴルフの練習ってなんスカ、先輩・・・・
もしかしたら、これから更新頻度落ちるかもしれないです。週一回は最低でも続けたいと思いますが・・・




「なんだ、ここは・・・・」

 

 僕の目の前に広がっていたのは、一面のススキ原だった。僕の立っている辺りだけは草刈りが行われたように地面がむき出しになっており、頭上の星と満月が青白く照らしている。

 だが、おかしい。さっきまで僕は葛城山にいたはずなのだ。あの山は自然豊かな山だったが、あるのは紅葉や杉のような木立ばかりで草地はなかった。なにより、ついさっきまではまだ夕方だった。いくら日が落ちるのが早くなったからと言って、瞬きにも満たない時間で満月が登るはずもない。

 

「雫!!雫!?」

 

 声を張り上げて頼れる相方を呼ぶが、返事はない。いつもならば僕が呼べばどんなに遅くとも2秒以内には何かしらの反応が返ってくるのだが・・・

 

「まさか、幻術?」

 

 おじさんが最近電話で言っていた、幻術使いの仕業だろうか?そう思って腕輪を見るも、特に変わった反応はない。おじさん曰く、「どんなに強力な幻覚でも、何の反応もしないうちにハマるのだけは防げる」と言っていたから、これは幻術ではないのだろう。だとすると・・・・

 

「これは、まさか『陣』!?・・・・」

「なんだ、知っておったのか?」

「!?」

 

 突如として響いた声に、反射的にその場を飛びのき、服に仕込んでいた黒鉄を操ってマントを作る。

 

(クソっ、黒鉄の量が少ない)

 

 詳しい理屈は分らないが、今の僕は葛城山どころか、現世でも常世でもない空間に飛ばされたのだろう。僕は普段黒鉄を辺りに薄く散布しているが、この空間に持ち込めたのは服に仕込んでいた分くらいだ。防御用のマントと刀か弓と矢を数本作るくらいが限界だ。あまりにも心もとないと言うしかない。そう、こんな真似ができる相手には。

 

「まさか、『陣』を使える妖怪が今もいるなんて・・・・」

「ふふ、先入観は目を曇らすぞ?いい勉強になったな」

 

 僕の目の前にいるのは、葛城山にいた葛原さんだ。だが、感じるプレッシャーが違う。最低でも雫と同格の霊力はあるだろう。だが、それも当然だ。

 

『陣』

 

 それは、水槽の中から水槽を覗く者に至る道しるべ。

 使えるものは極めて少ないと言われる、非常に珍しく、強力な術だ。その術を使うには、「神格」を持っていなければならない。逆に言うと、陣が使えることが神格の証明だと言ってもいい。その効果は今の僕が体験しているように、現世とも常世とも狭間とも異なる新たな水槽を作ること。それは単なる結界とはまるで違うものだ。おじさん曰く、術者の特性が大きく反映されるようで、水槽の作り主は内部において術の使用に絶対的なアドバンテージを有するらしい。だが、いいことずくめではない。

 

「ともかく、我が箱庭、『天花乱墜』にようこそ。歓迎するぞ」

「歓迎してくれるって言うんなら、お茶とお菓子くらいは欲しいんだけど」

「おお、これは失礼したの。だが生憎そういったもてなしの用意は切らしてしまっているのじゃ。代わりの『もてなし』をするゆえ、許してたもれ」

「気持ちは嬉しいけど、お腹すいてるから食べ物は用意してほしかったなぁ」

 

 相手の会話に乗りつつ、少しでも時間を稼ぐ。

 陣はある意味で世界を侵す術だ。長時間の使用は「神」とやらの「ルール」に触れるらしい。さらに言うなら消費する霊力も膨大だ。時間稼ぎで霊力切れを待つのも有効だと聞いている。

 

「いつから僕たちを狙ってた?」

「さて、いつからかのう?そんなことを知って意味があるのかの?」

「そりゃあ、こんな状況だからね。あなたがどこから来て、一体どういう目的でいつからこんなことを考えてたかくらいは気になるさ」

「それもそうか。だが、狙いくらいはわかるじゃろう?汝は存在そのものが力の塊のようなもの。手にしたいと思うのは当然だと思わぬか?」

「悪いけど、自分をそんな資源みたいに思ったことがなくてね。というか、力を手に入れてどうする気?世界征服でもするの?」

「くふふ、世界征服か。いいのう。やってみたいぞ」

「そんなに悪役ムーブしたけりゃネトゲでロールプレイでもしてなよ」

「そんな夢幻みたいなもんで覇権を握ったからなんだというのだ。やるならば現実に決まっておろう?」

「そうかい」

 

 軽口を叩きながらも聞きたい情報を集める。

 目の前の妖怪は葛城山に張られた結界を無視するかのように、さらにはガイドという人間社会に溶け込んだ立場で現れた。幻術への反応がなかった以上、それらはこの妖怪が異能を使わずにやってのけたということだが、とても短期間でできることとは思えない。また、陣を使えるような大物が大穴を空けて乗り込んできたらまずバレるだろうに、そんな様子もなかった。よほど前から人間社会に潜り込んでいたか、あるいは協力者がいるか。こんなのが後何体かいるようならば非常にまずい。

 

「ふふ、そんなに心配せずとも仲間などおらぬよ。それに、今の世に吾ほどの妖怪もそうはおらぬ。横やりなど気にしなくてもよい」

「それはどうもご丁寧に。でも意外だな。騙し討ちなんてしてくるわりにはやけに素直じゃない」

「嘘は真実があるからこそ映えるもの。ここぞというときに使うからこそ嘘にも意味があるのじゃ。まあ、さっきまで言ったことが真実がどうか信じるのかは汝次第じゃがな」

 

 クスクスと、目の前の女はからかうように笑う。いや、実際にからかっているのだろう。葛原からは自分が絶対的優位にいるという余裕があった。だが、彼女の言うことは恐らく真実の可能性が高い。陣というのは相手にとって実力を100%以上発揮させるホームグラウンド。この陣に引き込んだ時点で、向こうの勝利は決まったようなものだからだ。駄目押しに戦力を解放したほうが効果的である。

 

(まだだ、まだ諦めるな。このまま会話を続けて引き伸ばせ。こいつの口ぶりから、こいつは前々から僕らを知ってた。なのに仕掛けてこなかったのは、おじさん達を警戒してたから。引き延ばして時間稼ぎをしてから、どうにかおじさん達と連絡が取れれば・・・・)

「とりあえず、あなたの言うことを信じる・・ああ、あなたじゃちょっと呼びにくいな。名前は何て言うの?葛原さんは偽名だよね?」

「本当に汝は物怖じせんな。その度胸に免じて、珠乃と呼ぶことを許す。それがまごうことなき我が名ゆえにな。吾は、字と姿は仮初めであろうと、この名を偽ることは好かぬ」

 

 葛原が、否、珠乃の姿が揺らめく。陽炎のように一瞬姿がぼやけたと思えば、そこには豪奢な着物を身に纏った女が立っていた。その髪と瞳は金色に輝いている。だが、注目すべきはそこではないだろう。

 

「九本の狐の尾!?・・・・なんでそんな大物が」

「さて、吾にも過去にいろいろとあってな。だがどうじゃ?己が一体何の胃袋にいるのかはよくわかったじゃろう?」

 

 九本の尾をザワリと揺らめかしつつ、珠乃は嗤う。その笑みは三日月のように弧を描き、美しくもその残虐さを現しているようだった。

 

「さて、汝は長々とお喋りをしたいようだが、吾は汝をダシにしたこの後のお楽しみに尺を使いたくてな。悪いが、この辺りで大人しくしてもらうぞ?」

「ダメ元で聞くけど、話し合いで何とかなったりしない?」

「できない相談じゃな。この陣に誘い込んだ時点で、それよりもよほど良い選択肢がある」

「こっちとしては、九尾の狐がなんでガイドなんてしてたか気になるんだけど・・・」

「ふむ、それは機会があったら答えてやろう・・・・汝に言葉を解す能が残っていればの話だがなぁ!!」

「雷起!!」

 

 珠乃がこちらに手を向ける。その数瞬前に、僕は強化の術を発動。同時に、黒鉄を高速で集め、弓矢を作る。幻術を使うつもりなら、その前に一矢報いる!!

 

「紫電!!」

「幻炎!!」

 

 僕の放った弓矢の術技、「紫電」と珠乃が出した炎がぶつかる。恐らく、珠乃は僕を舐めつつも反撃をしてくることは予想していたのだろう。幻術にかかったとしても、その直前に放った攻撃が無効化されるわけではない。それを見越しての攻撃だったのだろう。だが、僕の術技を甘く見るな。

 

「何っ!?」

 

 その矢はまさに紫色の電光。矢と弦に付与された磁力による反発と、矢が秘める電熱、術で強化された僕の腕力で引いた弓は大妖怪と言っていい雫やメアさんでも防御より回避を選択する。黒鉄の矢は炎を突き破って珠乃に迫る。

 

「ちぃっ!!」

 

 だが、紫電は珠乃が再び出した炎が弾けたことで明後日の方向に吹き飛ばされた。けれども、その動作によって確かな隙ができた!!

 

「紫電・四機梯形」

「なぁっ!?」

 

 すかさず放たれる四本の矢。同時に飛び出した矢は微妙に速度が異なっており、1本を吹き飛ばしても残りは直撃コースだ。

 

「き、狐塚!!」

 

 しかし、それも心底驚いたような九尾の唱えた術によって現れた土の壁に阻まれる。四本もの矢を受けた塚は弾け飛ぶも、あれでは矢は届いていないだろう。四本の矢で仕留められればよかったが、相手は神格持ち。その程度で獲れるとは思っていない。矢を放った直後には、次の術の準備はできている。どういうつもりか知らないが、狐お得意だという幻術を使ってこないということは、未だに僕を舐めているに違いない。それは好都合だ。ならば僕を見下したまま死んでしまえ。いきなりこんな状況を引き起こすような無法者に、手段を選ぶことも容赦もない。

 

「電光石火!!」

 

 靴底に貼った薄い2枚の黒鉄の板に術を使用する。地面に接する方とその片割れに、反発する磁力を付与。僕は文字通り弾かれたように一気に土煙の中に突入。弓は跳ぶ間に直刀へと形を変える。

 

「せいっ!!」

「ぬぉおおおお!?」

 

 僕が吹き飛ぶ土くれを弾きながら吶喊するのと、珠乃が狐らしい俊敏な動きで飛びのくのはほぼ同時だった。僕の術技、迅雷はその着物の裾を少々切り裂くだけにとどまり、珠乃は僕の間合いの外に逃れ、獣のように前かがみになりながら構えを取っていた。

 

「ちっ!!速・・「何故だ!?」」

「?」

 

 僕が仕留めきれずに舌打ちしながらも弓に矢をつがえようとしたところで、珠乃は僕の方を見ながら信じられない物を見たような声で言う。

 

「貴様、幻炎を見たにも関わらず、なぜまだ動ける!?」

「・・・はぁ?」

「ここは吾の世界!!いかに七賢が作った術具といえど、この場所で吾が使う幻術を完全に防ぐなどあり得ぬ!!一体どういうからくりだ!?」

 

 目の前の慌てようは、果たして演技だろうか?僕にわざと希望を持たせてすぐに絶望させるために?あり得ないとは言わないが、それならもう少しギリギリまで追い詰めさせたところでやる方がよいのではないか?とも思う。珠乃の言うことが真実ならばあの炎には幻術にかける効果があり、それが僕には効いていないということになるが・・・・

 

「・・・・・」

 

 僕はチラリと腕輪を見るも、反応はない。確かに九尾の狐が使うような幻術を無効化しているのならばすぐに壊れてもおかしくはなさそうだが、その様子もない。まるで、「術具が作動する必要はない」と判断しているかのようだ。

 

「あり得ぬ、あり得ぬ!!この世界で吾の術を防げるものなど、それこそ・・・・・いや、待て」

 

 そこで、炎のように髪を逆立てながら吠えていた珠乃が、スッと冷静になった。

 

「そうか、月宮、天の一族。なるほど、それならば・・・・」

「・・・・・?」

 

 こちらを見つつも珠乃はぶつぶつと何事かを呟いていたが、その間に、僕はさっき飛ばした矢を砂状に戻して回収する。さて、ここからどうするか。このまま時間稼ぎに徹するか、一気呵成に攻めるか。雷起は今のところ連続して使えるのは1時間程度だが、相手の陣がどの程度持つのかは未知数だ。もしも僕の方が先にガス欠になるのなら負けが確定する。今の状況を考えるに・・・・

 

(攻めるか)

 

 理由は分らないが、向こうの幻術は僕には効かないようだ。九尾の狐といえば狐の妖怪の頂点にして幻術使いの王。過去の複数の討伐記録によると、その本領は戦闘能力よりも幻術によるかく乱と人心掌握にあるらしい。そのメインウェポンを無効化できているというのならば、例え神格持ちといえど勝ち目は0ではないはずだ。であるなら、速攻で片付ける。僕は弓を握りなおし・・・

 

「気が変わった」

「・・・!!」

 

 そこで、珠乃はポツリと呟いた。同時におぞましさを感じさせる霊力が放出され、背筋に悪寒が走る。

 

「クククク、まさかこのクソのような世界を壊すための餌が、こうもおあつらえ向きとはのぉ・・・いやはや、『神』というやつはいい趣味をしておるわ」

「・・・・」

 

 その顔に浮かんでいる感情は何だろうか?

 憤怒、悲哀、喜悦、憎悪。様々な感情が渦巻いていびつな笑みを作っていた。だが、これだけは分る。

 

「吾が世界を相手取る前座にふさわしい。蛇の前で嬲ってやるつもりだったが、今ここで、サシで這いつくばらせてやろう!!」

「紫電・三機縦隊!!」

「孤影」

 

 珠乃はもまた、全力で僕にぶつかって来るつもりだ。その気迫を打ち破るように、僕は3本の矢を立て続けに放つも、珠乃はぬるりと染み出すように現れた影に呑まれて消えた。

 

「どこにっ!?」

「幻炎」

「っ!!」

 

 思わず周囲を見回してその姿を追おうとした直後、背後から感じた殺気から離れるために全力で飛びのくと、さっきまで僕が立っていた場所に火柱が立ち上っていた。

 

「・・・サシで倒すとか言ったくせに、やり方がせこくない?」

「ぬかせ。生き残りをかけた勝負は最後まで立っていた者が勝者。勝てば官軍じゃ」

「おおむね賛同するけど、やられる側はたまったもんじゃないっての!!」

 

 言い合いながらもどこからか飛んでくる、炎、岩、氷、風。それらを雷起で強化した反射神経と身体能力で避けていく。

 

「もはや汝の前に姿を現すつもりはない。このまま嬲り殺してやる」

「チっ・・・」

 

 こっちは短期決戦で攻めたいのに、向こうはゲリラ戦を選んだようだった。こちらのガス欠を狙っているのだろうが、こうなるとこの空間を維持できる時間は存外と長いのかもしれない。

 「これはマズい流れになった」そう思うも口には出さない。だが・・・

 

「長い夜になりそうだなぁ!!」

 

 襲い掛かる術の数々をいなしながら、僕はそう叫んだ。

 

 

 

-----------

 

(・・・・・・・よく動くものじゃな)

 

 自分が放つ術を交わし続ける少年を見ながら、珠乃は内心でそう呟いた。自分がこの戦法を取り始めて30分ほど経ったころだろうか。

 

「・・・フゥッ!!」

 

 地面から生える岩の杭を跳びあがって躱し、そこを狙った炎は羽織った黒いマントに弾かれた。着地に合わせたカマイタチもその黒鉄の衣を破れずに散らされる。

 

(あの年ですさまじい技量と判断じゃな。純粋な身体能力も大したものだが、集中力と判断力が特に高い。躱す必要のある攻撃と外套で防げる攻撃を瞬時に判断して対応できておる)

「はっ!!」

 

 頭上からの氷柱を切り払いながら泥沼と化した地面に砂鉄の板を敷いて跳ね跳んで離脱。久路人を押しつぶすように展開された土砂崩れは弓矢で穴を空ける。

 先ほどから常に全力疾走しているようなものだが、その身の動きは陰ることなく、霊力が切れる様子もない。常日頃から鍛錬を重ねてきただろうことがうかがえる。

 

(忌々しい・・・)

 

 珠乃の顔が苛立たし気に歪む。目の前の少年が、物語の英雄もかくやというように動いているのが心底気に食わないと言うように。

 

(なぜそこまでの霊力を持ってしまった人間にそんな動きができる?どうして体が壊れない?晴はいつも伏せっていたというのに!!)

 

 珠乃の胸の内にどす黒い何かが湧き上がる。どうしてあの健康な肉体が彼にはなかったのか?どうしてあんな大きな霊力を持ってしまったのか?どうして自分は・・・・・!!!

 

(我慢ならん。このままチマチマと術を撃ち続けるだけでは気が済まん。それに、ヤツの手札も含め、知りたいことはおおよそ知れた。吾の予想が正しければ、ヤツに吾は捉えられん)

 

「頃合いじゃの」

 

 ニィッと、九尾の顔に裂けるような笑みが浮かんだ。

 

-----------

 

 術の嵐をさばき続けてどれほど経っただろうか?

 

(術者はどこにいる?)

 

 今もすさまじい勢いで吹き付ける砂嵐を外套でガードしながらも僕は密かに索敵を続けていた。

 

(黒鉄が少ないせいで時間はかかってるけど、黒飛蝗を出しても反応がない。僕に幻術が効かないなら感知はできるはずだけど)

 

 珠乃が影に消えた直後から、僕は外套の一部を切り離して周囲に放ち、術者を探しているのだが、未だに当たりがない。影に潜り込んだように見えたため、試しに影も切ったり突いたりしてみたのだが効果はないようだった。この空間がどれほどの広さなのかは分からないが、こんなものを外側から維持・操作ができるとは思えない。必ず内側にいるはずである。

 

(正直、これ以上時間がかかるのは少しマズいぞ・・・!!)

 

 今はまだもっているが、そのうちに雷起の維持時間に限界が来る。その前に見つけ出さねばならない。

 考えながらも四方から襲い掛かる巨大な火の玉を躱し、回避しきれないものは弓矢で撃ち落とす。もう少しでも黒鉄があればもっと余裕のある戦いができるのだが・・・・

 

「クソッ!!」

 

 離れた場所で少しずつ矢に使った黒鉄を回収しつつ、歯がゆい状況に思わず舌打ちした時だ。

 

「クククク・・・」

「!!」

 

 どこからか、珠乃の声が聞こえた。

 

「ずいぶんと汚い言葉遣いじゃのぉ?仮にもおなごが見ている場でそんな口を利くのは感心せんぞ?」

「女子扱いされたかったらまず目の前に出てきてくれない?」

「おお怖い怖い。そんな弓を構えながら言われては恐ろしくてかなわぬよ。汝はもう少しおなごの心を大事にすべきだと思うがの?」

「余計なお世話だよ・・・」

 

 珠乃が話している間、術は飛んでこなかった。声が聞こえてくる方向を特定しようと耳を澄ませるも、一言一言ごとに聞こえる場所が変わっており、判然としない。

 

「いやいや、こういう助言は腐らず受け止めておくものじゃぞ?汝、おなごが怖いんじゃろう?」

「何・・・?」

「クフフ、吾は知っての通りここ二日汝らを見ておったからな。男とつるんでばかりで男色の気でもあるのかと思ったが、おなごと関わり合いになりたくないのじゃろう?」

「・・・それがどうかしたのかよ?」

 

 否定はしなかった。図星だというのもあるが、回復のチャンスでもある。

 僕は一旦雷起の効果を反射神経のみに限定する。こうすれば、ある程度長持ちするし、少しの間でも体を休めることができる。

 

「クフフフ、いや、ずいぶんとあの蛇を信用していると思うてな?あの蛇も元は蛇とはいえ、今のナリは人間のおなごと変わらぬじゃろう?」

「当たり前だろ。確かに僕は女子と関わるのが苦手だけど、そのきっかけから助けてくれたのも雫なんだから」

 

 僕の中で忘れられないあの日。雫が人化の術に成功したとき。

 珠乃の言うことは当たっている。僕は女が怖い。寄ってたかって僕を嬲ったあの眼差しが、あの声が心の奥から消えやしない。けれども、同時に刻み込まれたものもある。

 

----久路人の敵を全部倒して、久路人を守ることだよっ!! 大丈夫!! これからは、さっきみたいなクソ人間どもからも、有象無象の妖怪からも・・・・ずっと、ず~っと私が守るから!!---

 

 この言葉を僕は忘れたことはない。確かに雫は人間の女の子と見た目は同じだが、その言葉が、あのときの僕を抱きしめてくれた感触が、雫に恐怖を抱かせない。

 

「ほぉ~う!!これはこれはずいぶんと入れ込んでおるではないか。だが、向こうはどう思っておるのかの?」

「・・・さっきから何が言いたいんだよ、お前」

 

 自分でも驚くほどの冷たい声が出た。回復させようと思っていた体に、無意識に霊力が流れ込む。

 

「これこれ、そう怒るな。吾はただの一般論を話そうとしているに過ぎん。月宮久路人よ。汝は人間と妖怪の間に情が通じると思うのか?人間と化物。姿や能力も違えば、価値観もまるで異なる。人間同士でも相容れぬことなど日常茶飯事だというのに、種族の違う者同士でうまくいくと思うか?」

「昔から思うけど、そのあたりの感覚は分らないね。お前の言う通り、人間同士ですらうまくいかないことがあるんだ。逆に言えば、妖怪と人間が親しくなることだってあってもおかしくないだろ?人間も妖怪も僕から見れば大した違いはないよ」

「ほぅ!!言うではないか!!」

 

(ヤツが何を狙っているのか知らないが、惑わされるな!!術者の位置を探せ!!)

 

 僕は先ほどまでのように索敵を続ける。しかし、反応はない。

 

(チっ!!)

 

 焦りと、先ほどからの意図の分からない質問への苛立ちから、僕は内心で舌打ちする。そんな僕の心を知ってか知らずか、再び声が響いた。

 

「吾はこれでもかなり長生きをしておるが、汝のような人間は本当に珍しい。その偏見のない考え方はとても尊いものじゃ」

「・・・・・そりゃどうも」

 

 何を考えているのかは分からないが、会話は続ける。これは時間稼ぎだ。熱くなるな。

 

「だがなあ?それはあくまで、汝個人の考えであろう?結局のところ、あの蛇が汝のことをどう思っているのかはわからぬではないか」

「・・・・・」

 

 その言葉に、僕は思わず押し黙った。

 

--雫は、僕のことをどう思っているのだろう?--

 

 それは、この旅行中にずっと考えていたこと。もしも珠乃が来るのがあと少し遅かったら、聞いていたこと。だが、今この時点でも答えられる言葉はある。

 

「友達だよ。僕と雫は友達だ。もう10年も前から」

「ほう、友達。友達かの?」

 

 それは、あの幼いころに交わした約束だ。

 

---妾は、仮に契約がなくなっても、我が友を守る。だから、妾と同じように、お前も妾を守るのだぞ。よいな!!---

 

 あの言葉も、あの約束も、僕にとっては大事なものだ。約束は守らねばならないもの。そういう意味とは別の意味でも。

 

「クフフ、クハハハ・・・アッハハハハハはははははははははあ!!!」

「何がおかしい!!」

 

 だが、そんな大事な約束をあざ笑うかのように、いや、事実馬鹿にしているのだろう。下品とも言えるような笑い声が響いた。

 

「おおすまんの。許してたもれ?先ほどあんなにも勇ましく『人間も妖怪も大差ない』と言った汝が、結局はただの人間というのがアホらしくてのぉ!!アッハハハハハ!!!」

「・・・・どういう意味だよ」

 

 その瞬間、索敵すら忘れて僕はどこにいるともしれない狐に問いかけていた。

 

「その質問を投げとる時点で分かっておらん証拠じゃの。よいか?妖怪に、『友達』などという概念はない。我らは弱肉強食の世界を生き抜く獣から成りあがったモノ。生き抜くために協力することはあっても、心からの友情など抱かぬ」

「・・・それだって、お前個人の話だろ」

「先ほども言うたじゃろ?吾は長生きしておると。今まで多くの人間も妖怪も見てきたが、対等な友人となった人間と妖怪なぞ見たこともないわ。あの「魔人」とて、講和を交わしたのは「魔竜」に打ち勝ってから。すなわち、力で結んだ関係ぞ」

「じゃあ何か?雫が僕に嘘をこれまでつき続けてきたって言うのか?僕らのことをほんの2日間しか見てないお前が?」

「いやいや、そうは言うておらんよ。そう焦るでない。さきほども、「心からの友情」と言ったじゃろ?だが、ふむ、何と言えばよいかのう?・・・・ああ、そうじゃ!!」

 

 そこで、珠乃は一拍置いてから、その言葉を口にした。

 

「友達なんて言葉は、犬だろうが猫だろうが、果てはぬいぐるみにだろうが使うだろう?なあ、人間」

「・・・・!!」

 

 その言葉は、妙に耳に残った。僕の中に、日常の風景が駆け巡る。

 

 朝の匂いチェック。あの時、僕は思わなかったか?「男として見られていないのか?兄弟のように思われてるんじゃないか?」と。だが、それ以下だったとしたら?家族という言葉は、ペットにだって使うものだ。

 

 最近、雫が妙に過保護じゃなかったか?雫にとって、僕は脆い人間で、雫よりもずっと下のように見ていたのか?まるで壊れ物の人形のように。

 

 旅行中の風呂や同衾も、手を繋いで歩いたのも、僕を「そういう対象」として見ていなかったから以前の話なんじゃないか?

 

 

--雫は、僕のことをどう思っているのだろう?--

 

 それはさっきと同じ問い。けれども、今、その問いが持つ意味は・・・・

 

「くくっ!!ほれ、気を抜いてよいのか?」

「!?」

 

 僕が呆けていたのはほんの少しの間だった。だが、それは致命的な隙だった。足元の影がぐにゃりと形を変えたかと思えば、鋭い杭のように尖って、僕の首に迫る!!

 

「くっ!?」

「おお、よく避け・・・「迅雷!!」」

「むぐぅ!?」

 

 影は僕の首筋を掠めたが、かすり傷だ。雷起をかけなおしていたのが功を奏した。そして、この影は今までとは明らかに違う攻撃だ。間違いなく、この攻撃の根元に本体がいる!!

 

「おお、今のは焦ったのぉ!!」

「チっ!!」

 

 咄嗟に放った迅雷だったが、さっきまで影に撃った攻撃のようにダメージは与えられなかったようだ。影に攻撃したつもりだが、それは地面をえぐるにとどまっている。だが・・・・

 

(間違いなく、さっきの珠乃は本気で焦ってた)

 

 さっきの攻撃と今までの違いは何だ?術技だったから?単純な威力の問題?だが、有効打にはなっていなかった。術技そのものが有効なのではない。僕の刀は地面を削るだけで、影は変わらない形をしている。それも当然だ。影に実体はないのだから、斬れるわけが・・・

 

「まさか・・・実体!?」

「ふん、気付いたか」

 

 僕が思わず呟くと、珠乃の返事があった。

 術技は剣技や弓術の動作を詠唱代わりに使う。必然的にその攻撃には必ず実体がある。そして、実体のあるものでは影は傷つけられない。影に入り込むにはまさしく異能の力が必要だ。術技も術の一種であり、僕の場合は雷とよく似た性質の霊力が強く纏わりついている。その霊力が本体に届きかけたのだろう。

 

「汝、遠くの物を狙う時も、弓しか使っておらんかったな?先ほどからチマチマやっておる術も砂鉄を媒介にしたもの。汝、純粋な術が使えん、いや、使ったら体が壊れるのだろう?」

「・・・・・!!」

 

 そうだ。僕の術は身体強化の雷起を除いて、すべて黒鉄か術技を介さねば使えない。それは・・・・

 

「それほどの霊力。攻撃用の術を使おうものなら、人間の体で耐えられるものか」

「・・・・」

 

 例えるのならば、発電所の電力すべてを電子レンジに流し込むようなものだろうか?強大すぎる霊力を直接エネルギーに変換しようとすれば、人間の体では壊れてしまう。ほんの少し霊力を使うつもりでも、それがどれほどの規模になるのか、僕自身にもわからない。

 

「お前がわざわざ答えを言うのは・・・・」

「その通り。汝では吾を捉えることはできんからじゃ。自爆覚悟でやってみるか?影を傷つける前に体が吹き飛ばなければいいのう?」

「・・・・・」

 

 珠乃はまるで自分が絶対的に優位にいるように笑った。それもそうだろう。陣という自分の最高の環境に引きずり込んだ上に、自分は傷つけられないという確信を持ったのだから。だが・・・

 

(手はある。やはりこいつは僕のことを舐め腐っている)

 

 だが、それを使うには、気取られないようにしなければいけない。雷起を使っていられる時間にそろそろ限界が来る。ここで外して、さらに警戒されたら勝ち目はなくなる。

 

「それで?お前は僕にどうしろってんだよ。敗北宣言でもすればいいの?」

「む?なんじゃ、もう諦める気かの?」

「そんなわけないだろ。最後まで足掻くさ。お前にいい顔されてると思うと腹が立つ」

「大人しそうな顔して結構いい性格しておるの・・・・」

 

 会話を続けろ。調子に乗らせろ。虚勢を張っていると見せかけろ。「こいつにはもう打つ手がない」と思わせろ。

 

「まあ、精々頑張るといい。吾は一足先に、味見といこうかの。どれ・・・・お?おお!?」

(隙を作る。その隙に・・・)

 

 僕がそうして作戦を立てている時だった。先ほどの影に付いていた僕の血を珠乃が舐めたようだ。

 

「なんと、素晴らしい味じゃ!!はは、よいぞ!!一舐めしただけで力が増えるのを感じる!!」

「そうかい。お気に召したようで何よりだよ」

「うむ!!気に入ったぞ!!」

 

 そうだ。そうやって気を抜いてろ。

 珠乃が笑い声を上げた瞬間・・・

 

「紫電!!」

「届かぬわ。阿呆」

「チっ!!」

 

 僕は刀を弓に変え、影に向かって矢を放つ。霊力の籠った矢であったが、点の攻撃ではやはり本体には届かなかったようだ。だが、別にこの攻撃に期待はしていない。

 

「ふん。影の中まで矢が飛んでいくとでも思ったのか?」

「実体のあったお前が飛び込んでいったからね。ワンチャンあるかと思ったんだよ」

「それは残念だったの」

 

 大して面白くもなさそうに、珠乃が僕を馬鹿にする。それでいい。準備は整った。

 

「ところでさ、僕が血をあげるって言ったら、見逃してくれたりしない?」

「ほう?今度は交渉でもする気か?汝を操り人形にすればいくらでも好きにできるものを、契約を結んでまで手間をかけるつもりはない」

「そう言わずさ。もう少し飲んでみない?」

「長生きすると我慢強くなっての。焦らした方が後の楽しみも増えるというもの。吾を酔わそうとしたところで無駄なことよ」

「・・・・・」

 

 さて、どうやって一撃叩きこむ隙を作るか。血を飲ませられればやりやすいと思ったのだが、警戒はされているらしい。どうしたものだろうか。

 

「しかし・・・」

「?」

 

 僕が考え込んでいると、珠乃が恍惚とした口調で喋り出した。

 

「酔う、か。クフフ、汝の血は最高の美酒じゃの。ほんの少し舐めただけにもかかわらず、ほろ酔いになったかのようじゃ」

「そりゃよかった。おかわりはいる?」

「ああ、汝を倒した後でいただこう。ああ、それにしてもあの蛇が羨ましい。こんな極上の美酒を日頃から飲んでいるとはの。まさか吾が酔わされそうになるとは予想外じゃ。これは、先の言葉を訂正せねばならんかもしれん」

「どういう意味?」

 

 よし。ヤツの言っていることは真実なのか、口調が少し軽くなっている。今までこの体質に感謝したことはあまりないが、珍しく褒めてもいい気分だ。このまま会話に乗って・・・

 そうして、相槌を打つように返事をした時だ。

 

「あの蛇が、汝のことを本当に友だと、いや、それ以上だと思っておるかもしれんということだ」

「え・・?」

 

 その言葉を聞いたとたん、ゾクリと嫌な予感がした。

 

「・・・どういう意味だよ?」

「ふむ?汝は喜んでもいいと思うがの?汝、あの蛇に懸想しておるじゃろ?」

 

 珠乃の言うことは当たっている。

 確かに、これまでの僕には迷いがあった。それは、僕の本当の気持ちを覆い隠す蓋だった。

 

 

 蛇の姿の時には気にしたこともなかったくせに、美少女の姿になったら気にするなんてずいぶんと虫のいい話だ。

 

 これまでは友達、家族のように接していた。だが、これからはどうすればいいのだろう?

 

 雫の本質は蛇の時と変わらないのだろうか?

 

 自分は男として見られていないのではないか?

 

 そうした迷いと困惑に、雫の態度も手伝って、本当についさきほどまで気が付かなかった。

 だが、それはもう過去の話だ。僕の中には、もうその想いがしっかりと根付いている。珠乃が雫の内心のことを指摘した後も、それは変わらない。揺らげはすれど、所詮は僕らのことをよく知りもしない敵の言うことである。僕自身の想いが消えることはない。

 だからこそ、先ほどから悪寒が消えない。

 

 

「・・・だから?」

「吾も不思議だったのじゃ。さきの言葉と矛盾するようだがの、あの蛇は吾から見ても本気で汝を慕っているように見えた」

「・・・・・」

 

 それは、本当ならば喜ぶべきことだろう。事実、あの神社の中で雫の口から聞けていたら、喜びの余り死んでいたかもしれない。だが、今はただただ頭が痛くなるくらいの寒気しか感じない。

 けれども作戦のため、不自然な行動はできない。だから、会話を切ることもできない。話の流れのままに、僕は嫌な予感がするにも関わらず、続きを・・・・

 

「だが、こうまで力に満ちた血を持っているとなれば話は変わる。この血ならばあり得ぬこともないじゃろう」

「まどろっこしいな!!何が言いたいんだよ!!」

 

 思わず、声を荒げる。「止めろ!!この先を聞くな!!」と何かが警鐘を上げているが、もはや作戦のことなど関係なく止まれなかった。

 

 

「ふむ、ここまで言って分らぬか?鈍いのう。つまりな・・・・・」

 

 

---汝の血がな?あの蛇を狂わせておるのではないか?と言う話だ---

 

 

-----------

 

 久路人には、ずっと疑問に思っていたことがある。

 昔現れたトカゲのような妖怪は、久路人の血を飲んだ瞬間に体が崩壊した。久路人の血の力に体が耐えられなかったからだ。そして、雫がそれに耐えられるのは雫にそれにふさわしい器があるからだ。

 

 だが、それは永遠に続くものなのだろうか?

 

 汚水が少しづつ大地を蝕んでいくように、自分の血が雫に悪影響を与えることはないのだろうか?

 京によれば「心配ない」とのことだったが、日に日に強くなる自分の力は本当に安全なものなのだろうか?

 この、自分の体にすら害を与えかねないこの血が。

 

「・・・!!!!」

 

 だからこそ、それは、呪いの言葉だった。久路人の心の奥底にまでめり込む棘。

 

「人間でも分かるじゃろう?酒も麻薬も、人間を狂わせ、依存させる。それを得るためならばどんな尊厳でも捨てさせるほどに。あるいは、本当にそれが好きだと思い込ませるほどにのぅ」

「・・・・・・」

「あの蛇があんなにも汝に従順だったのも頷ける。あの蛇は精神に作用する術は使えないようだったからの。汝に媚を売っているのか、それこそ「汝のことを愛している」と思わされているのかまでは分らぬがな」

「・・・・・れ」

「いやあ、よかったではないか!!これで晴れて汝らは両想い!!人間と妖怪という種族を超えた愛を生み出したではないか!!」

「・・・・黙れ」

「うむ!!何度も過去の発言を取り消すのは恰好が悪いが、また気が変わったぞ!!汝らのその尊い愛に免じて見逃して・・・・」

「黙れぇぇぇぇぇぇえぇええええええええええええええええ!!!!!!!!」

 

 久路人の頭からその瞬間、この声の主を殺すこと以外のすべてが消えていた。結果的に、それが一番の奇襲になったのだろう。

 

「鳴弦んんん!!!!!!」

「何ぃ!?」

 

 久路人が持っていた弓をかき鳴らすと、膨大な霊力が音とともに拡散する。

 鳴弦は術技の一種だ。弓の弦を鳴らす音は古来より魔除けと言われていたが、この術技もその効果は同じ。ただ他の術技と違いがあるとするならば、音という実体のないものを媒介にすることで、霊力そのものを拡散する、術により近い形態ということだ。そうして、拡散する霊力は、影の中にまで伝わる。久路人の膨大な霊力をそのまま放つその攻撃は、あらゆるものを揺さぶる音響兵器であった。

 

「ぐぅぅううううう!!?」

 

 影の中はこのススキ原ほどに広くなかったのか、たまらんとばかりに珠乃は飛び出した。その耳からは血が垂れている。

 

「おのれ、よくも、よくもぉおおお!!!」

 

 圧倒的優位に立っているという自負から、手痛い反撃を食らったことがいたくプライドを傷つけたのだろう。その目は怒りに燃えていた。

 

「炎獄!!」

 

 放たれたのは見上げるのも馬鹿らしくなるくらいの大火球だった。食らえば焼ける前に全身が粉々に吹き飛ぶであろう威力を持った術がたった一人の少年に向かう。その炎は大妖怪たる九尾の怒りの塊だ。

 

「死ねぇぇぇぇええええ「雷切!!!」」

「なあっ!?」

 

 されど、怒りに燃えているのは珠乃だけではない。どこに向けていいかもわからない。名前も分からない感情が、久路人の中には渦巻いていた。そうして、そのはけ口はその場には一つしかない。

 雷すら切り落とすような鋭い斬撃が火球を切り裂くと、さながらモーゼの十戒のごとく珠乃までの道が開けた。

 

「死ね」

「な、お゛お゛!?」

 

 道が開いた後はまさしく一瞬であった。

 本物の雷の如き速さで迫った久路人の「迅雷」は、珠乃の心臓を貫いていた。

 

「これで、消えろぉぉおおおおおおおおおおお!!!」

 

 久路人の刀が赤熱し、心臓から全身を焼いていく。久路人の手も焼け焦げていくが、意にも介さない。

 

「そんな、吾が、こんな、こん・・・・」

 

 そうして何かを言いかける前に、神格を持つほどの大妖怪、九尾は灰となった。

 灰が巻き起こった風に運ばれて散っていくのを、肉体が限界に達し、雷起も切れた久路人は脱力感に身を任せたまま茫然と見つめていた。精神力も尽きたのか、その身を纏う黒鉄の外套もサラサラと崩れる。

 

「・・・・・・」

 

 ススキ原が、ひび割れていく。

 造物主がいなくなったことで、形を保てなくなったのだろうと、どこか他人事のように周りを見る久路人は思った。事実、久路人にとってこの空間がどうなろうとどうでもよかった。その頭にあるのはたった一つのことだけだ。

 

「・・・・雫、僕は」

 

 先ほどの珠乃が言った言葉。

 

「僕は、僕は・・・・」

 

 もしもあの言葉が、自分こそが雫を正気でなくしているのが事実だとしたら・・・・

 

「僕は、どうすれば・・・・」

 

 答えを返してくれる者などいないことが分かりきった場所で、久路人がそう呟き・・・・

 

 

「幻炎」

「がぁっ!?」

 

 背後から放たれた炎が、久路人を吹き飛ばした。

 身体強化も、纏う鎧もない久路人に直撃し、その体を吹き飛ばして、したたかに地面に叩きつける。

 

「・・・な、なんで?」

 

 今までの消耗に、完全に不意を打たれた久路人は、そう問いかけることしかできなかった。しかし、先の独り言に応える者はいなかったが、この問いには返事をする者がいた。

 

「ふん、一番最初に言ったじゃろう?『見るは幻、聞くは虚言、動くはただ影ばかり』とな」

 

 久路人の背後にいつの間にか立っていたのは、先ほど灰になったはずの珠乃であった。だが、その体どころか服にも焦げ目一つない。まるでこのススキ原にたった今歩いてきたような、場違いを感じさせるような違和感。そして、久路人はその正体に気が付いた。姿を偽るのとは別の方向で騙す方法の一つ。

 

「分け身・・・」

 

 分け身の術。

 幻術と並んで九尾のような妖怪が得意とする自分の実体ある分身を作り出す術だった。

 

「今頃気付いたところで遅いわ。だがまあ、炎獄を切り裂いたのは驚いたのぅ。直接やりあっておれば、吾が負けた未来もあり得たかもしれぬ。まあ、吾が不利になるような勝負などそもそも乗らんがな」

 

 崩れかけていたススキ原が元に戻っていく。その崩壊すら演技だったのだろう。

 最初から、すべてが手のひらの上だった。

 幻の世界に誘い込み、虚言で久路人の心を乱し、分身を囮に影をもってとどめを刺す。

 例え最も得意とする幻術を封じられようと、神格に至った妖怪が、そう簡単に敗れるはずもない。

 

「ではな。年頃のおのこの心の動きは操りやすくて助かったぞ」

「くそ・・・・」

 

 久路人の目の前が暗くなっていく。だが、久路人の心の中にあるのは、先ほどから変わらない。

 

「しずく・・・」

 

 そうして、月宮久路人は意識を失った。

 




感想、評価お願いします!!
というか、感想はマジでお願いします!!平日にもちょこちょこ書いてくモチベ維持のために!!

ちなみに、次は雫回です。久路人とは別の内容で心折りに行く予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 天花乱墜3

申し訳ありません。雫パートをここで全部書いてしまおうと思ったのですが、収まりきらなかったので分割して投稿します。それでも1万字越えちゃったけど・・・
書きたいことがたくさんあって、それを盛り込もうとして雪だるま式に増えていくという悪循環よ。


「ここは・・・」

 

 雫の目の前にあるのはアスファルトで舗装された車一台が通るのがやっとの道路だった。立ち並ぶ電柱には色の褪せた選挙候補のポスターが貼られ、やや汚れた家々の壁や苔の生えたブロック塀が、それらが昔からこの地に建っていたのだと物語っている。時刻は朝の7時過ぎだろうか。自転車に乗る高校生や並んで歩く小学生の姿も見える。

 そこはこの2年、最愛の少年にくっついて通う高校への通学路であった。

 

「ふむ・・・?」

 

 雫が自分の恰好を見てみると、いつもの白い着物ではなく高校の制服であった。秋のこの時期にはもう衣替えを済ませており、紺色のブレザーである。

 

「妾は・・・」

 

 なぜ自分はこんなところにいるのだろうか?

 

「・・・・・」

 

 頭の中にある情報がささやきかけてくる。

 そう、今は10月。もうすぐ修学旅行だ。昨日も高校に行って、班決めを行ったのだった。自分もクラスの一員として、恋人である少年と同じ班になった。「よっ、新婚旅行か?」「あの女に縁のなさそうだった月宮がなあ・・・ま、おめでとさん!!」「あの月宮にこんなカワイイ彼女がいたなんてな・・・」「ああ、まさか両刀だったとは」と祝福されたのだった。

 

「・・・・・」

 

 記憶は語る。

 そう、雫と彼は恋人だ。幼いころからずっと一緒だった彼は、雫が蛇であることなど欠片も気にしなかった。妖怪に襲われやすい彼を守り続ける中で、自分の退屈さと孤独をすっかり埋められた雫は、彼に恋をした。そして、人間と妖怪の差などまるでないかのように振る舞う少年も、傍にあり続けてくれる少女を憎からず想っていたのだ。少年と少女のじれったい関係は、ある時不意に転機を迎える。なんと雫達の住む街に、強大な妖怪が襲い掛かってきたのだ。だが、その妖怪を二人は力を合わせて打倒し、その中でお互いの想いを知り、結ばれたのだ。

 

「・・・・・」

 

 雫も想いが通じ合ったのを機に周囲にも姿を見せるようになり、「普通の女の子」のように過ごすようになった。街を救うことになった二人は保護者や友人も含め、周りから大いに祝福された。

 ちなみに今の月宮家には少年と雫しかいない。彼らの保護者は祝福を告げた後に他の妖怪たちを抑えるため、街を旅立っていった。あと数十年は帰ってこないだろう。あの家は、今や二人の愛の巣と言っていい。

 

「・・・・・」

 

 お互いを想い合う年頃の男女が一つ屋根の下にいるのだ。「そうなる」ことは当然の成り行きだった。最初のきっかけは何であったか。保護者の術具師が「祝い酒」と称して未成年にも関わらず酒を送ってきたことだったか。あるいは雫が風呂上りにいつものように自分の匂いを確かめてもらう際に、アクシデントで着物がはだけてしまったことだっただろうか。ともかく、酒で湯だった頭と、湯上りでほんのりと赤らんだ白い肌が、甘く誘うような香りが、慎ましくも美しい形をした双丘が、それを手で隠しつつも、反応を伺うような赤い瞳の上目遣いは、少年の理性の壁を壊すには十分だった。そして、そんな最愛の少年が向けてきた獣欲と愛情を拒むことなど雫にはありえなかった。そうして二人はその夜に晴れて文字通りの意味で「結ばれ」、繋がった。その日から、毎晩毎晩想いを確かめるように体を重ねた。そう、つい昨日も・・・

 

「・・・・・」

 

 そこで、雫は思考を打ち切った。その理由は二つ。

 

「雫」

 

 一つは、自分のすぐそばにいた「少年」が柔らかな口調で話しかけてきたからだ。自分に話しかけてくる者がいれば、意識が向くのは自然なことだろう。

 その黒目黒髪の少年は、どこにでもいそうな見た目ので、これまたありふれた学ランを着ていた。だが、まだ齢17とは思えないほどにどこか落ち着いた雰囲気がある。そして雫は、雫だけは知っている。その柔らかい目つきが、いざという時には刃のように鋭くなることを。窮地に立った時でも、自分が人間でない妖怪だと知っていても、決して見捨てずに体を張って守ってくれるナイトにして王子様であることを。

 そして、思考を止めた二つ目の理由も、その「少年」に由来する。

 

「雫・・・」

「失せろ」

 

 考えるのもおぞましくなるような記憶と胸の中からこみ上げるすさまじい不快感を糧にするかのように、その手に作り出した真っ赤な薙刀が振りぬかれ、こちらに手を伸ばそうとした「少年」の首が宙を舞う。

 

「馬鹿なっ!?」

 

驚愕する女の声とともに、世界にヒビが入った。

 

-----------

 

「虫唾が走る・・・!!!」

 

 その整った顔を忌々しそうにしかめながら、雫は辺りを改めて見回し、最後に己の手首を見た。そこに嵌まる腕輪は仄かな光を発し、やや熱い。その術具としての機能を発揮していた証拠である。

 

「やはり幻術か。気色の悪い真似をしおって・・!!」

「どういうことじゃ!?」

 

 紅葉の舞う深山の森に、その叫び声は響いた。辺りにはただただ森ばかりが広がっており、人の手が入った様子はない。原初の自然がそこにはあった。

雫はブレザーを白い着物に変えると、その袖から水鉄砲を取り出す。

 

「何故吾の幻術を破れた!?あの男の術具は吾を越えているというのか?模倣は完璧だったはずじゃ!?」

「模倣が完璧?あの程度で?はっ、貴様がどこの誰か知らんが、いや、確か葛原珠乃と言ったか?まあ、ともかくあんなお粗末な代物ではお里が知れるぞ」

「なんじゃと!?」

 

 声はすれど姿は見えず。

 だが、その慌てようから声の主が動揺しているのは誰でもわかることだろう。そんな相手に、雫は不快感に満ちた表情から、その顔に嘲笑を浮かべる。

 

「あんな漫画の安い実写映画のようなパチモンごときに騙されるか!!貴様は妾を本気で謀る気があるのか?実写映画を撮る時には金をかけて衣装とキャストに気を配り、余計な改変やオリキャラを入れないのが常識だろうが!!よもやあの木偶を久路人だとのたまうつもりではないだろうな!?」

「汝は何を言っている!?この吾の世界で展開した幻影が木偶だと!?」

 

 雫の言うことの意味がまるでわかっていないような声の主、否、珠乃に、雫は「やれやれ」と腹の立つような笑みを浮かべながら肩をすくめる。

 

「はんっ!!映画監督のセンスがまるでない貴様に教えてやろう。いいか?まず久路人は朝が弱いこの朝の時間の久路人は昼時に比べればややダウナーになっておるそれゆえに貴様の木偶より目付きの角度が2度低い加えて声音も貴様のものは高過ぎだしずく↑ではなくしずく~↓と若干下がるさらに言うなら肌の色も血行の鈍さで白さが増しておるのに貴様のは赤みが差していただろう他にも久路人はあれでズボラなところがあって学ランにシワがよく寄っているのにそれもなかったいや妾としては別にそういった欠点があることを責めているわけではないむしろそういう少し抜けたところがある方がかわいいし親しみやすいしお世話をする口実ができて大変によろしいのだがああ話がそれたが匂いも大事だな最近は朝にくっつくことが多いから久路人から妾の匂いが少し漂ってくるのだがそれがマーキングみたいで大変興奮するそれに引き換えあれはなんだ妾のマーキングがついていないどころか久路人の匂いに欠片も似ておらん本物のイチゴとかき氷のイチゴ味のシロップくらいの差があったぞいやすまんな細かいところばかり言ってしまったが要するにそもそも見た目も声も匂いもあらゆるものがあまりにお粗末すぎ再現度が低すぎだ!!」

「・・・・・」

 

 珠乃はそのあまりにもあんまりな内容の早口に何も言えなかった。その心の中にあるのはたった一つの感情。

 

(気色悪いのう、こやつ)

 

 惚れてるとか追っかけしてるとかそういうレベルではない。ストーカーの究極系か、好きが行き過ぎて設定がギッチギチに詰まったR18の夢小説を描くクラスのオタクである。しかも純愛厨でNTRとか見たら絵師に猛烈なクソリプで凸しに行くタイプだ。いろんな意味であまり関わり合いになりたくないタイプである。

 だが、珠乃の幻術を破ったのは事実だ。あまりの温度差に、珠乃の頭も冷え、現状の分析を始める。

 

(あの幻術避けの術具のおかげか?いや、霊力の消耗具合からアレに大した負荷はかかっていない。そうなれば、あの蛇本体の幻術や催眠への耐性が異常に高いのか。まさか本当にあのガキへの思慕が原因で?否、違う。あの蛇ではない。蛇に混ざりこんでいるあのガキの力か)

 

 高位の霊能者や妖怪は精神や記憶への干渉に耐性を有する。しかし、いくら耐性があるとはいえ、珠乃の箱庭と言っていい陣の中で、最も得意とする幻術が破られるのはおかしい。そして、雫の最も異質な点は、この2日間珠乃の鼻を刺激した悪臭だ。その悪臭は、二つの異なる力が混ざることによって生じるモノ。すなわち、混ざりこんでいる件の少年の血が幻術をレジストしたのだろう。それはあまりにも特異な力。

 

(吾の支配する世界でもそんな真似ができるのは、現世も常世も含めた、この世の偽らざる真理を見定める権利を有する者のみ。なるほど、あのガキに流れる力は・・・・)

 

「ともかくだ」

「む」

 

 珠乃のが自分のターゲットの正体に気付いたところで、長々と幻術の欠点を、辛口レヴューを描く映画評論家のごとく指摘していた雫はようやく話を変えた。その表情は話している間にもさらにフラストレーションが溜まっていたのか、眉間に深いしわが寄っていた。

 

「一時とはいえ、あんな紛い物と寝起きする記憶を見せられるとは不愉快極まる。それに、妾の体感で久路人から離れて10分は経っておる故、クロトニウムの欠乏も深刻だ。『久路人はどこだ?』などと聞きはせん。叩きのめして無理やりこの空間を解除させてやる!!」

「はっ!!囀るな蛇が!!一体どうやって・・」

「瀑布!!」

 

 ここは珠乃の支配する世界。その世界の中でどうやって術者を倒すというのか。

 大言壮語を吐く雫を鼻で笑う珠乃であったが、雫の回答はシンプルだった。雫の持つ水鉄砲から、凄まじい量の水が放たれ、周囲の紅葉を木の根ごと薙ぎ払う。いや、木々を押し流してもまだ止まらない。無限に水が湧き出る井戸の如く、とめどなく水があふれ続けていた。その水はただの水ではない。雫の豊富な霊力が込められた霊水とも言える水である。

 

「ちぃっ!!」

 

 自身の潜む影にまで霊力の奔流が届きかける。久路人の霊力が雷に近い性質を持つのに対し、雫の霊力は水に近い。霊力を知覚することができる存在にとって、雫の霊力に包まれることは溺死に繋がりかねない。たまらず珠乃は影の中から飛び出した。

 

「はっはっは!!なるほど、影に隠れていたか!!溺れずに済んでよかったなぁ!!」

「貴様ぁ!!!」

「京から聞いたことがある。陣は隔絶された一つの世界ではあるものの、無限の空間ではない。術者の霊力に応じた容量があるとな。このまま水に沈めてくれる!!」

 

 雫のやろうとしていることは単純だ。珠乃の天花乱墜という水槽の中に納まりきらないくらいの水を注いで溢れさせる。ただそれだけだ。陣は別の世界を作る術ではあるものの、その広さは有限である。雫から見るに、相手は幻術のような搦め手を得意とするタイプ。そういった輩は霊力の扱いは上手くともその量は少ないことが多い。逆に言うなら霊力の量が少ないからこそそういった搦め手を専門とするようになるといったところか。

 

「妾は霊力の量ならば自信がある!!出てきたのならば話が早い。この世界ごと貴様も沈め!!」

「この脳筋がぁ!!幻術で遊んでやろうと下手に出ればつけあがりおって!!」

 

 まさかこんな馬鹿正直な手で影から引きずり出されるとは。影から出てきたことで今までは触れてこなかった悪臭が鼻を突く。できる限りこの臭いから離れていたかったために隠れていたのに台無しであった。

 珠乃の顔が屈辱と嗅覚への爆撃で歪み、それまでのガイドの姿から、豪奢な着物を纏った金髪の姿に変わる。その背後には九本の狐の尾が揺れていた。

 

「九尾の狐か!!昔でも出くわしたことはなかったぞ!!ちょうどいい!!今の妾がどこまでの力を持っているか貴様で試してやろう!!」

「舐めるな蛇が!!くそ!!この吾がこんな正面から張り合うような真似をせねばならんとは・・・!!貴様、その皮を剥いで財布に・・・いや、こんな臭う皮なんぞ燃やしてくれる!!」

「・・・・よほど命がいらんようだな。だったら妾はその尾を引きちぎって襟巻にしてやる!!鉄砲水!!」

 

 雫は手に持った水鉄砲を向けて引き金を引くと、大木ほどの太さがある水流がまさしく鉄砲水のごとく珠乃に迫る。

 その水鉄砲は京と久路人謹製の術具、「蛇井戸」。とにかく大量の霊力を扱うことに特化しており、これを装備した雫は人化の術を使用した状態でも、元の大蛇と同等の規模の広範囲攻撃を行うことができる。久路人の血を10年に渡って取り込んだ雫の霊力は久路人には及ばないが、大妖怪として封印される前の量すら上回っている。さらに、蛇井戸と人化の術の影響で細かな制御も可能だ。珠乃に向けたセリフは決して大言壮語ではない。

 

「くっ!?この!!幻炎!!」

「妾に炎など効くか!!瀑布!!」

「この猪女が!!馬鹿の一つ覚えのように・・・!!」

 

 雫の放った激流を避けてお返しとばかりに幻術にかける炎を撃つも、再び周囲に無差別にあふれ出る濁流にあっという間に打ち消された。しかも幻術が効いている様子がない。

 

「九尾の狐と言えば、その最も得意とする術は幻術。しかし、その炎も妾には効かんようだな?」

「それで勝ったつもりか!!ここが吾の世界と言うのを忘れるな!!飯綱ぁ!!」

「雷など見飽きとるわ!!氷鏡!!砕けろ!!」

「くぅ・・・おのれぇ!!」

 

 珠乃が出した雷を氷の壁が阻む。さらに、壁は砕けると氷の礫となって珠乃に襲い掛かった。

 雫の言う通り、九尾の狐のメインウェポンは幻術だ。だが、その幻術は雫には効かない。雫としては、搦め手を無視できる以上、正面からの術の打ち合いに持ち込めば勝機はあるという考えだった。それは奇しくも同時刻、別の場所に飛ばされた久路人と同じ考え。しかし、霊力による肉体の損耗をほとんど気にしなくていい雫の方がより勝率は高い戦法だ。例え幻を見せられようと、その幻ごと巻き込む大規模攻撃は珠乃にとっても相性が悪い。だが、そこは珠乃の霊力で染められたフィールド。術の使用に関しては珠乃の方に一歩アドバンテージがある。それによって起きるのは・・・・

 

流氷(りゅうひょう)!!」

 

 人間の大人を上回る大きさの氷塊がいくつも浮かんだ大波が樹木が押し流され、今では完全に水底に沈んだ山肌をさらにえぐり取る。だが、珠乃は狐のごとく軽やかに跳びあがると、その氷を足場に激流を躱す。

 

「埋まれ!!狐塚(きつねづか)!!」

 

 反撃とばかりに、度重なる洪水によって湖となった場に島を作るように珠乃は巨大な土塊を落とす。その直下にはもちろん雫がいる。

 

「ならば腐れ!!紫霧(しぎり)!!」

 

 頭上に大質量の土塊が迫るも、雫に焦りはない。霊力を変換して生み出すのは、紫色の霧。その霧に触れた瞬間、土の塊はドロドロに溶解し、周囲の水気を吸い込んだ。

 

「お返しだ!!」

 

 毒気を含んだ土は水に支配され、濁流となって元の術者に返っていく。

 

「蛇らしく毒まで使うか!!だが、毒ならば吾も負けん!!狐毒ノ法(こどくのほう)!!」

 

 その濁流に真っ向から衝突するのは、毒々しい紫色の狐の群れ。だがその群れは走りながらもお互いを食らい合い、やがて一匹の巨大な狐の姿となり、両者はぶつかり合った。紫色の飛沫が辺りに飛び散り、湖を汚染する。

 

「水を汚そうと妾には無意味!!行けぇ!!紫大蛇(むらさきおろち)!!」

「迎え撃てぇ!!殺生石(せっしょうせき)

 

 湖が波打ったかと思えば、現れたのは高層ビルもかくやと言わんばかりの巨大な水の蛇。毒に染まった水のみを集めて固めた氷の牙を備え、その牙を突き立てるように大口を開けて珠乃を飲み込まんとするが、突如として出現した大岩が口に挟まり、動きが止まると口元から石化していく。やがて、湖にもろとも沈んでいった。

 

 

 繰り返される大技の応酬。水と氷が次々と現れ、それらを打ち消すように岩や土、果ては毒の塊までがぶつかり合う。狐の呼んだ風と雷が蛇の出した水と合わさり嵐となる。もはやそこに最初の山の面影はどこにもなく、海のごとく水平線の見える湖が広がり、かつての山頂が島となって点々と顔を出す。その島すら沈みそうになれば、頂きから溶岩が吹きあがり、陸地を増やす。それはまるで神話に語られるような光景であった。

 

 

-----------

 

 

「どうした。ここはお前の作った場所だろう?ほとんど水で埋まってしまったがな!!」

「この霊力デブがぁ・・・・!!」

 

 湖から本物の海のように一面が青に染まった世界。2体の化物はその波打つ青から少し高い空中に浮かびながら向かい合っていた。あれからも術の撃ち合いは続き、お互いに被弾もしたために服が少々痛んでるが、致命傷とは程遠い。だが、どちらが優勢かと言えば、それは眼下の海が物語っている。

 

(なんだこの蛇の霊力は・・・・底がないのか?何故吾が天花乱墜の中でこれほどまで拮抗している?)

 

 自身のアイデンティティともいえる陣。その陣を塗り替えるように満たす水は、その空間の支配者への叛逆の証だ。

 

(クソが!!陣の制御がブレる・・・!!奴の霊力に染まった水が増えすぎた)

 

 術の応酬の前に雫が言ってのけた作戦は、実のところ有効であった。もっとも、幻術を無効化できるほどの耐性と空間をパンクさせるほどの物体を生み出す霊力という高すぎる前提はあるが。

 

(吾との相性が悪い・・・!!幻術が効かず、影に入れば水攻め、分け身を使おうと分身ごと薙ぎ払う大規模無差別攻撃)

 

 それは雫にとって守るべき者がいないからこそできる戦い方でもある。久路人が傍に入たり、市街地でならばここまでの広範囲攻撃はできなかった。陣という空間が有利に働いたのは珠乃だけではなかったのだ。

 

(認めよう。相性はあれど、単純な力量ならばこの蛇は吾を上回っておる。陣を習得するための条件さえ満たせば、すぐに神格に至るであろうな。だが・・・)

「なんだ?黙りこくって?負けを認める気になったか?」

「・・・・・・」

 

 己の優勢を悟っているのか、饒舌な雫を見やる。事実、このまま続ければ雫がこの勝負を制するだろう。

 

「・・・そうじゃな。このまま続ければ吾の負けじゃろう。吾が霊力を損耗すれば、この陣も維持できなくなる」

「ふん、やけに素直ではないか。わかっているのならばさっさと降参したらどうだ?今なら楽に殺してやるぞ?」

「その前に一つ聞きたいことがある。お前とあのおのこに関わることじゃ。よいか?」

「・・・・言ってみろ」

 

 突然にしおらしくなった珠乃を見て、雫は不信感を持った。警戒心を高め、珠乃の一挙一動を注視する。何を企んでいるのか、何かの策の準備のつもりか。だが、久路人が関わることとなれば無視をするのも憚られた。そんな雫をよそに、珠乃は語り始めた。

 

「ならば言わせてもらおう。汝は、吾を倒したところで、その後どうするつもりなのじゃ?」

「何を言っておる?貴様を殺し、この空間を出たら帰るに決まっているだろう」

「そういう意味ではない。もっと長い目で見た話をしておる」

 

 いきなり何を言い出すのか。珠乃の意図が雫には理解できなかった。

 

「雫といったな?汝は、あの久路人というおのことの日常に戻ると言っておるのじゃな?」

「当たり前だろう?それの何がおかしい」

 

 それは雫にとって当たり前のことであり、最上の幸福だ。最愛の少年である久路人との何気ない日々。あの日常に戻れない結末など断じて認めない。

 

「そこに、人間と妖怪の壁があることを知っての上でか?」

「・・・・ああ。重々承知している」

 

 妖怪と人間との壁。それは能力であり、価値観であり、様々な要因がある。だが、そんなものは雫とて承知の上である。こんな話はもうすでに、水無月の名字を名乗ると決めた時に済ませている。その上で決めたのだ。それでも一歩ずつ前に進んでいこうと。そうして進んできたのだ。あの時から少しづつ。あれからずっと自分と久路人は親密になったと思う。人化したばかりのころは今ほど直接触れ合うことはなかった。スキンシップを、久路人は恥ずかしがることはあっても嫌がっていることはなかった。

 今の雫は確かな足跡の先に立っている。その自覚が雫にはあった。そうして、自分たちはその先に進むのだ。この先、もっと時間をかけて少しづつ。そうすればいつか・・・

 

「嘘をつくな」

 

 だが、そんな雫を、珠乃は否定する。

 

「何が重々承知しているだ。笑わせるな!!」

「・・・・貴様、そんなに早く死にたいか?」

 

 雫の周囲から、これまでとは別格の冷気が放たれる。眼下の海が見る見るうちに凍り付き、氷の大地が形作られていく。

 

「なんだ?もしかして自覚がないのか?この二日間汝を見てきたが、吾には一時の悦楽のためのお遊びに興じているようにしか見えなかったぞ?」

「死ね」

「狐影」

 

 次の瞬間、珠乃に襲い掛かったのは、無数の氷柱だった。空間に満ちる冷気が、足元の氷の地面が杭に形を変えて逃げ場を奪うように全方位から串刺しにせんと飛来する。しかし、珠乃は氷柱が届く前に足元の影に潜り込む。

 

「何だ?図星を突かれて怒ったか?」

「もう、貴様の話など聞くに値せん。疾く消えろ」

 

 雫の手に持った銃から、何度目かになる大波があふれ出す。その激流は氷の上を押し流し、影の中にも流れ込んでいくが、珠乃は出てこなかった。

 

「クフフ、あのガキが哀れじゃな。珍しく人間と妖怪の境を気にしない気質だというに、よもや信頼する傍仕えに弄ばれておるなど」

「妾を煽る前に自分の心配をしたらどうだ?貴様の肺活量がどのくらいか知らんが、いつまで水底でつぶれずに持つか見ものだな」

 

 今の状況において、有利なのは雫だ。珠乃は影の中に潜んでいるが、その中には雫の霊力が流れ込んでいる。恐らく影の中で結界でも張っているのだろうが、このまま雫が水量を増やしていけば結界を解くことも叶わず、酸欠か結界があまりの霊力に耐えきれずに崩壊するかのどちらかだ。

 

「おうおう、流石は男を手玉に取っているだけはあるの。大した悪女ぶりじゃ。本当にだまくらされているあのガキが可哀そう・・・」

「妾がいつ久路人を騙した!!」

 

 珠乃の言葉にとうとう雫の堪忍袋の緒が切れたのか、雫は激高した。それは雫にとってあまりにも否定せずにはいられない侮辱であった。雫にとって、久路人はすべてだ。京やメアも雫の中では一応、大事な家族のように思っているが、久路人は格が違う。極論、雫には明日久路人以外の人類が滅亡したところで別に構わない。久路人以外はどうでもいい。

 

 初めて自分を助けてくれた人。

 初めて無力な自分を守ってくれた人。

 初めて自分と友達になってくれた人。

 初めて自分の孤独と退屈を取り払ってくれた人。

 初めて自分に名前をくれた人。

 そして、それ故に、「私」が初めて恋をしてる人。

 

 文字に起こせばたったこれだけ。されど、その重みと想いは長い年月を孤独に生きてきた雫だからこそとても言葉にも文字にも表せない。そんな大切な想い人を、自分が騙すなど・・・

 

「我らから見ればほんの刹那の間のみ夢中にさせ、人間としてまっとうに生きる道を封じる。そして自身は別れの後も生き続け、新たな出会いを得る。向こうから見れば、騙された、遊ばれたと言われてもおかしくはないだろう?」

「何を言って・・・・」

「いい加減見ないふりはやめたらどうだ?」

「・・・・・」

 

 それまでのこちらを小馬鹿にするような口調から、言葉は一気に刃の如く鋭くなった。その圧に押され、思わず雫は口ごもる。

 

「汝が気付いていないというのならばいいだろう。かつての同じ道を通った先達としての情けだ。吾が教えてやる」

「・・・!!」

「例えここで吾を打ち倒して日常に戻れたとしても、そんな日常がいつまで続くと思っている!!」

「・・・やめろ」

「目をそらすな!!現実を見ろ!!汝とあのガキがともに歩める時間などどれだけ残っている!!」

「やめろ!!」

「人間と人外の『寿命の差』!!その壁があることを知りながら、どうして、この日々が永遠に続く、などという顔をしている!!」

「やめろと言っておろうがぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」

 

 それは、雫がずっと目をそらし続けていたこと。

 

 久路人の、人間の寿命。

 

 京から契約を持ちかけられた時には確かに言われた。

 

--それに、どんなに時間がかかっても、精々が百年程度の間だけだ--

 

--・・・・百年か。人間の寿命とは短いものだな--

 

 いつの頃からか、忘れていた。否、思い出さないように記憶の底に封じ込めた。

 人間と人外の寿命は驚くほど違う。人外にとっては人間の寿命などほんの少しの休暇程度だ。だからこそ、雫はその休暇にのめり込むようにしてみて見ぬふりをした。

 

「人間の中でも、異能者の中には我らと同じくらい長生きする者もいる。しかし、すべての異能者がそうではない。むしろその逆もいる。あのガキはまさにその典型だろうよ」

「・・・・」

 

 雫には何も言えなかった。思い当たる節がいくつもあった。

 訓練の後、体に傷が残ることが増えた。それは久路人の霊力が肉体の成長を超えて増幅しているためだ。本人にもコントロールできないような量のエネルギーは、その器を傷つける。

 雫とも互角に打ち合えるようになった。最初は護衛としての役割がいらなくなるかもと不安になったが、嬉しくもあった。それは、「久路人が自分と同じようなレベルに達した」と錯覚したからだ。だが、すぐにその気持ちは消えた。久路人が強くなったのは、単純に肉体が成長したから。しかし、それは不可逆の劣化だ。一度とった年は戻らない。今はいい。けれども、今から10年後は?20年後は?久路人はどんどん老いていく。妖怪の自分を置き去りにして。

 加齢によって肉体は衰え、そこを霊力による重圧に晒される。その結果、訪れるのは・・・

 

「いつか必ず訪れる、永遠の別れ」

 

 珠乃が、その答えを口にした。

 

「その結末を知りながら、我らの道に無理やり付き従わせることが、弄ぶことと何の違いがある」

 

 それは、珠乃の本心だった。

 

「いつか必ず別れが来るのならば、お互いに悲しい想いをするのならば、傷は浅い方がいい。むしろ、最初から出会わなければよかった。ここを出たところで、その結果は変わらぬ」

 

 その声音は穏やかだった。まるで後輩に優しく諭すように。「自分と同じ道を歩むことはない」という想いを込めて。だが・・・

 

「ふざけるな!!」

 

 雫は、その慈悲を跳ねのけた。

 

「さっきから聞いておれば、ゴチャゴチャと勝手に妾たちの進む道に口を出しおって!!それを決めるのは妾たちだ!!まさか、ここで貴様に大人しく殺されるのが正しいなどと言うとでも思ったか!!」

 

 珠乃の言うことは、彼女にとっては正しいのかもしれない。だが、それは珠乃個人の話に過ぎない。

 そのために自分から命を捨てろなどという話に、納得しろという方が無理な話だ。

 

「妾は、久路人と出会ったことを、久路人に恋したことを絶対に後悔などせぬ!!ああ、そうだ!!妾と久路人の寿命は違う。だが、妾は最期まで久路人に付いていく!!久路人が死ぬというのならば、妾もそこで死んでやる!!妾自身の意志でな!!断じて、貴様の言うことになど従うものか!!」

 

 先のセリフが珠乃の本心ならば、これは雫の魂の叫びだった。一種の開き直りでもある。雫にとっては、久路人がすべて。その久路人がいない世界など、到底耐えられるものではない。その時が来たのならば、喜んで命を捨ててやるつもりだった。

 

-----------

 

「・・・・鏡写しとは、こういうことを言うのかの」

 

 雫の決意を聞いて、影の中の珠乃は過去の自分を幻視する。

 ああ、自分もかつてはああだった。最愛の男に死んでもなお追いすがると決めていた。覚悟もしていた。だが、それも叶わなかった。

 

--生きて--

 

(そんな風に言われては、生きるほかないじゃろうに。本当に、ひどい男に惚れてしまった)

 

 それは、恋人から珠乃に刻まれた呪い。

 彼は死の間際に、自分の恋人にそう願った。だから彼女は生き続けた。生きて生きて、いつしかその執念の燃料には・・・

 

(そして、吾は今まで生き続けた。晴のいない、この地獄と変わらん世界を。だからこそ、吾はこの世界に復讐する!!)

 

 珠乃の眼にどす黒い炎が宿る。

 珠乃をここまで生かし続けたモノ。どんなに手を、身を汚すことになろうと、生に食らいつかせたモノ。

 それは復讐。かつて自分たちに襲い掛かった、この世の理不尽への怨嗟。

 

(故に、吾自身が理不尽の権化に成り下がろうと、止まりはせぬ!!)

 

 自らが、蛇とそのつがいの仲を裂くことになるのは承知している。そこに、罪悪感がないとは言わない。かつての自分が今の自分を見たら、果たして何と言うだろうか。けれども、それでも珠乃は止まらない。罪悪感は黒い衝動にしぶきの如く砕かれる。恋人の願いとこの世への恨み。それに加えて・・・

 

(かつての吾が歩めなかった道を往く者など、認められるものか!!!)

 

 過去の自分たちが行くはずだった道を進もうとしている者たちが、妬ましくてしょうがなかった。

 それらは、珠乃を突き動かす。どこまでも邪悪な智謀を生み出し、残忍な畜生に変貌させた。

 

(必ず、必ず、吾は成し遂げる!!)

 

 すでにあの蛇の心は乱れ始めている。後は、その隙を広げ、そこに食らいつくだけだ。

 影の中で、珠乃は霊力を研ぎ澄ませる。

 

(晴。お前に重荷を背負わせたこの世界も、人間も、すべて吾が壊してやる!!)

 

 そのはるか過去に、想いを馳せながら。

 




次回、過去編+雫パート後半。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 天花乱墜~夜空の霹靂

遅くなって申し訳ありません。
過去編だけを投稿するのもどうかと思って雫パートまで仕上げたのですが、凄まじい量に・・・・お読みいただければ幸いです。

そして、皆さんよいお年を!!


 それは、今よりはるか昔。

 それは海の外で魔人が魔竜を打ち倒すよりも前、今では現世のほとんどを覆いつくす忘却界が作られるよりも前のことであった。

 現世と常世は分かたれてはいたものの、その境目である狭間には現代よりもずっと多くの穴が空いていた。様々な魑魅魍魎が常世から現世に渡って狼藉を働き、人間は彼らに怯えつつ、その身に異能を宿す者たちにすがって生きていた。現代よりも現世に満ちる瘴気が濃く、異能者もそれなりの数がおり、その技量も実戦によって洗練された者たちが各地にいたために妖怪と人間の均衡がかろうじて拮抗していた、そんな時代。

 

 ある日の夕暮れ、一匹の狐が常世から現世に逃げてきた。

 

-----------

 

「はあっはあっはあっ・・・・」

 

 夕暮れの山の中、一人の女が獣道を這うようにして歩いていた。なぜ這うようにしているかと言えば、その体が傷だらけだからだ。まるで何か大きな物がぶつかったかのように、片方の腕が完全に潰れ、着物には鋭利な刃物で斬られたような跡がいくつもつき、深い傷跡からは止めどなく血が溢れている。元は綺麗な模様のある高価そうな着物であったのだろうが、今や完全にぼろきれと化していた。さらには、片足も土踏まずから5本の指に至るまでの範囲がスッパリとなくなっていた。着物のように、かなりの業物に斬られたのだと誰でも分かることだろう。その整った顔には脂汗が滴り、ふんわりとした金髪にも泥と血が塗りたくったかのように付いていた。

 

「はあっ・・・なんとか、逃げ切ったか・・・」

 

 思わず目をそむけたくなるようなひどい有様だが、その時代は妖怪も多く、また人間の治安もよいとはいえなかったため、怪我人がふらふらしていることそのものはそんなに珍しいことではない。さすがに女ほどの重症の者はそうそういないものの、それはままある光景であった。この時代に道行く怪我人にかまうほど余裕のあるものなど中々おらず、そもそも女のいる山の中は夕暮れということもあって人気が無い。明日の朝には山の中に死体が一つ増え、そのうちに獣か妖怪に食われ無くなる。そんなありふれた末路をこの女も辿るのだろうと思われたが、常人ならば一歩も進むことができなくてもおかしくないほどの怪我であるのに、女は一向に止まる気配がない。それもそのはずだ。

 

「くぅ・・!!」

 

 女は憎々し気に表情を歪めながら傷ついた体に鞭を撃ち打って歩く。その背後に生える5本の狐の尾を揺らしながら。

 

「常世には・・・しばらく戻れんな。現世でなんとか体を癒さねば・・・・」

 

 常世からやって来る者に、まともなモノはいない。そこからやって来る者は、皆、人の理から外れたモノたちだ。そして女もまたそうした人外の一体であり、生き抜くための力を高めるために修行を積んでいた狐の妖怪であった。

 

「くそっ・・・あの鬼女めぇ・・!!」

 

 なぜそんな彼女、狐がこのような傷を負っているのか?それは常世における上位者の趣味によるものだ。狐が戦った、もとい逃げ回っていた妖怪は常世の中でも指折りの戦闘狂であり、誰彼構わず襲い掛かるような動く災害であった。格下である狐にもかの妖怪は嬉々として拳と武器を振るい、その命を散らそうとしてきたのである。狐は得意の幻術や分け身を使ってどうにかこうにか近くにあった中規模の穴に飛び込んで現世に逃げてきたのだ。不幸中の幸いとも言おうか、相手が狐よりもはるかに格上だったおかげで中程度の穴を通り抜けることができなかったようである。

 

「さすがに、これ以上はきついかの・・・」

 

 ひたすらに歩いていた狐は、大木にもたれて座り込んだ。妖怪といえど、それほどの大怪我を負いながら進むのは厳しかったのだろう。その表情は疲れ切り、今にも気を失いそうであった。

 

「吾も、ここまでか・・・」

 

 現世といえど、その時代は各地に多数の穴が空いている時代だ。体力も霊力も底をついた状態で、血の臭いを漂わせながら道端で倒れ込んでしまえば、ほぼ命の保証はない。そんじょそこらにいる妖怪の餌になるのは確定である。現に、狐の優れた感覚は、血の臭いに惹かれた妖怪が近くにいることに気づいていた。

 

「ああ、生き残るために力を求めたのに、その半ばで終わるとは。これならば、ただの獣のまま死んでいた方がマシだったかの・・・」

 

 狐は元々はただの獣だった。ただ、素養があったのか、穴から現世に満ちる瘴気を浴び続けたことで霊力と知性を得たのである。一度知性と理性を手にしてしまえば、途端に死ぬのが怖くなった。そうして、現世や常世の各地を巡りながら力を蓄えていたのだが、それがこのようなところで終るとなれば、ひたすらに虚しかった。

 

「吾は、何のために生きてきたのだろうな・・・」

「グルルルルル・・・・」

 

 独り言をつぶやくも、返ってきたのはガサリと茂みを揺らして現れた二つの首を持つ狼の唸り声だけだ。

 力を得たのは生き残るため。では、生き残ったら何をしたかったのだろう?まさか、この雑魚妖怪の胃袋に収まるためではあるまい。死の間際だからこそ、そんな疑問が湧いて来るも答えはでなかった。それがわからないことが悲しかった。

 

「吾は、吾は・・・・」

「グガアアアアアアアアア!!」

 

 狼が地を蹴って飛び掛かって来る。さて、二つの首のどちらが先に届くだろうか。狐はなぜか不思議と落ち着いた気分だった。だからこそ、「自分の生きてきた理由」という、自分の中にあるかどうかもわからない答えを絞り出そうとする。死を前にしながらも、最後の力をつぎ込んで声を・・・

 

「刺せ、『百舌の早贄』」

「ギャオオアアアアアアア!?」

「吾、は・・?」

 

 声を出そうとしたところで、自分の知らない声音がした。同時に、近くの木の枝が槍のように尖ったかと思えば、狼はまるで鳥の保存食のごとく串刺しになっていた。

 

「ふう、間に合ったぁ・・・・なあ、狐のねーちゃん、薬はいるか?」

「・・・・最後に見るのが、人間、とはな。まさか、人間に、助けられる・・・とは」

「あっ!?おーい!!目を閉じるな!!死ぬぞぉ!!」

 

 もしかしたらこれは噂に聞く走馬灯というやつかもしれない。それか、あまりの辛さに知らず知らずうちに自分に幻術でもかけたのだろうか?まさか自分が化かされるとは、最後に奇妙な体験ができた。

 そんなことを想いながら、慌てたような男の声を尻目に狐の意識は闇に沈んでいった。

 

-----------

 

 パチパチと火の爆ぜる音がする。

 

「・・・ん?」

 

 耳に小刻みに届く音が、狐を起こした。

 

「・・・ここは?吾は?」

 

 体に走る痛みは鈍くなっており、頭もぼんやりとしていて定かではない。辺りを見回すと、そこはどうやらどこかの家の中のようだった。板張りの床の上には草を編んで作った敷物が敷かれ、さらに自分はその上にある布団の中に寝かされていた。どうやらあの世というのはずいぶんと庶民的なところのようだ。

 

「ここがあの世か。思ったより普通のところよな」

「人の家を死後の世界呼ばわりしてんじゃねーよ。オレは閻魔様か?」

「!?」

 

 ぽつりと呟いた独り言に返事があった。

 

「おお。さすがは妖怪。怪我大分治ってんじゃん。いや、ダメもとで前作った試作品のおかげか?蛇やら蜥蜴やらぶち込みまくったお遊びで作ったやつだったんだがな~」

 

 ぎょっとした顔で狐が声のした方を向くと、ちょうど部屋の入口から男が湯気の立った盆を運んできたところだった。匂いからして粥だろうか。

 

「まあいいや。これ食うか?」

「・・・・・汝は」

 

 整ってはいるが、青白い顔をした男であった。年のころは20には届かないくらいだろうか。そこいらの村民が着るような粗末な服よりは少し上等な着物を着ており、背こそ高いが、袖から覗く腕は枯れ木かと思うほど細く弱弱しい。後ろで束ねた緑がかった黒髪も艶がなく、萎れた蔦のようにゆらゆらとしいる。だが、その目と声には不思議な活気に満ちていた。

 

「オレか?オレは晴。この村で薬師やってる。お前は?っていうか、これ食うの?食わないの?」

「吾は・・・吾に名前はない」

「へ~、そうなんだ。で、これ食う?オレとしてはそろそろ腕が限界なんだけど」

「・・・・一度床に置けばいいのではないか」

「あっ、そっか・・・・」

 

 晴と名乗った若者はそこでプルプルと震える腕で盆を布団の近くの床に下した。そこで、晴もドカッとあぐらをかく。

 

「ふぅ~。きつかった。オレってばこれでも昔は都住みだったから、体力ないんだよね~」

「・・・・・」

 

 やれやれと困ったように半笑いする晴に、狐は何も答えない。その目は冷たく晴を見据えていた。

 

「で、食べ・・・」

『なぜ吾をここに連れてきた?』

 

 なぜか執拗に粥を勧めてくる晴を無視して、狐はその声に霊力を乗せて、気になったことを聞くフリをして術を使う。狐の力がこもった声もまた幻術の一種となり、問いかけられた者の意識を混濁させ、真実を自白させる。今回は質問をしたいこともあるが、それ以上に意識を奪いたかった。未だに尻尾の数は5本と言えど、格はそろそろ大穴でなければ通れなくなるほどには高い狐の術だ。生半可な術者であれば抵抗する間もなくハマるのだが・・・

 

「言ったじゃん?オレ薬師だし。怪我人は客っていうか?あと、弱ってるのに無理して術使うなよ」

(やはり効果がないか。こやつ、相当な手練れの術師だ)

 

 晴は特に術にかかった様子もなく答えてみせた。だがそれは狐にも予想できたことでもある。近くにいるから分かるが、晴からはかなり強力な霊力を感じる。気を失う前に見た術から判断しても、間違いなく自分よりも格上だ。幻術も弾かれてしまっている。

 

「そうか、ならば尻尾を一本くれてやるから吾を見逃せ。傷もここまで治れば十分。薬代くらいにはなるだろう」

「いやいや、そんなもん渡されても困るって。確かにアンタに用があったから助けたけど、尻尾は別に・・・いや、結構触り心地よさそうだから後で触らせてください」

(・・・もしかすれば、あそこで死んだ方がマシな目にあうかもしれんな。まさか吾よりも上手の術師に捕まるとは。薬の材料にでもする気か?尻尾一本程度では足らんようなことをする気か?)

 

 どこかズレたような返答をする晴を見やりながらも、狐の頭はスッと冷めていった。元より体力も霊力も大して回復していない。その上で頼みの幻術も効かないのならばもうどうにもならない。一種の諦めの境地である。

 

「・・・目的を教えろ。尻尾を触らせるぐらいならいくらでも触って構わん。だからせめて一思いに・・」

「じゃあ、オレの嫁になって下さい!!」

「・・・・は?」

 

 もはやどうにでもなれと投げやりに問いかけた狐に、理解不能な答えが返ってきた。

 

「今、何と言った?」

「結婚してください!!」

「・・・・正気か?」

 

 狐は目の前の男の目を見てそう言う。もしかしたら自分の勘違いで、実はしっかり術にかかっているのだろうかと思うが、その目は濁った様子もなくキラキラと輝いている。

 

「正気も正気・・・いや、ねーちゃんの色香、恋の病に侵されているから正気ではないのか?オレは今、正気なのか?そもそも正気のオレとは一体?」

「・・・・・」

 

 どういう思考回路をしているのか、いつの間にか哲学的なことを考え出した晴を気味の悪いものを見るような目で狐は見る。細やかな幻術の扱いを身につける過程で人化の術を、さらには半妖体を、ひいては人間の表情を観察する技術を身に着けた狐には分かることがあった。

 

(こやつ、正気だ。素面で言っておる)

 

 妖怪やら人外が発する霊力は人間の精神にとって毒だ。それらは妖怪への恐怖と嫌悪をもたらし、同格以上であっても完全に消し去ることはできない。さらには現代よりも妖怪の脅威が身近な時代だ。妖怪と人間の仲は最悪といっていい状況である。まあ、狐は何かを襲って敵を作ることよりもひたすら逃げ回って危険を避ける性格だったために人間に危害を加えたことはなかったが。

 

「ともかく、オレはあんたに一目ぼれしちゃったわけよ。そろそろオレもこんな年だし、人肌も恋しいしっていう感じで」

「・・・吾は妖怪だぞ」

「え~。でもあんたくらい綺麗な女なんてそうはいないし・・・・胸もでかいし(ボソッ)」

「・・・・・」

「と、ともかく、オレは昔から妖怪だの人間だのあんま気にしない方なんだよ。人間だってお世辞にもお上品な奴らばっかなんて言えないし。それなら妖怪を嫁に選んでも大して変わんないって。少なくともあんたくらいの別嬪を妖怪だから諦めるなんて勿体ない真似できない!!」

 

 だが、目の前の男は非常に珍しい例外のようであった。その目は半妖化した狐の豊かな胸部を穴の開くような目で見ており、生理的嫌悪感から狐が胸を手で隠しつつ視線の温度を下げると、晴は慌てたようにまくし立てる。だが、チラチラと未練がましく、ぎらついた眼を隠しきれていなかった。そんな晴に呆れたようにため息をつく。

 しかし、晴の話は狐にとって中々悪くない話だ。

 

「わかった。汝の嫁になるということは、手荒な真似はせんということだな?ならば・・・」

「あ~!!ちょっと待った!!そういうのじゃないって!!それならいいよ!!悪かった!!」

「何?」

「いや、どこかの賊じゃないんだから、そんな交換条件で嫁になってもらうとか後味悪いじゃん。それに、そうでなくたってあんたはオレが拾った客なんだし、途中で放り出すようなことしねぇよ。オレはこれでも気遣いのできる男なんだぜ」

「・・・・そんなだから童貞なんじゃぞ」

「ど、童貞とちゃうわ!!」

 

 どうやらこの晴と言う男は妖怪と人間の違いを気にしないばかりか、ずいぶんとお人よしらしい。それはその時代においてどれほど珍しいことか。現代まで見渡しても同じような人間は数える程だろう。

 

「まあでも、あんたが身の安全を守りたいって言うんならさ、契約を結ばないか?」

「契約だと?」

「そう。オレはあんたに手を出さないし、他の連中にもアンタのことは言わない。その代わり、アンタは怪我が治ったらオレの仕事の手伝いをして欲しい。オレの代わりに薬の材料採りに行くとかそういう感じで。実を言うと仕事の弟子とかそんな感じのやつも欲しかったんだよね。昨日アンタを見つけたのも薬草採りに行ってたからなんだけど、採ってすぐに加工しなきゃいけないのは式神には無理でさぁ」

「ふむ」

 

 なるほどと、狐は合点がいった。結婚云々も本気のようだったが、主な目的はこちらだったのだろう。狐が密かに耳をそばだてるも、この家に晴以外の人間の気配はない。この病弱そうな男からすれば人では多い方がいいということか。

 

(吾としても未だに傷は癒えておらず、どこかで落ち着いて休む必要がある。それに、この男が本当に吾に、その、あれだ。こ、好意を持っているというのならば、身の安全に利用できるやもしれぬ。体は弱そうだが、霊力はすさまじいものがある。吾より強いのは間違いない)

 

 狐はそんな打算を組み上げると、晴の提案を受け入れることにした。

 

「わかった。ならば受けよう。無論、細かいところは詰めさせてもらうがな」

「本当か!?いやいや、面倒だから大体そっちで決めちゃっていいぜ!!アンタみたいな別嬪が仕事手伝ってくれるってだけで元は十分取れ・・・・グフッゥ!!」

「なっ!?お、おい!!大丈夫か!?」

 

 話がまとまったところで、晴が口を手で押さえたかと思えば、強く咳き込んだのだ。その手からは赤い液体が滴っている。

 

「ゴフッ!!、ゲホッ!!・・・ちょ、そこのお椀、取って・・・」

「わ、わかった!!ほれ!!」

「ケホッ!!・・・・あ~出したわ。助かったぜ・・・・薬飲まねぇと。あ、そうだ。ほれ、これアンタ用の薬粥。病人はちゃんと薬飲まないとダメだぜ」

「お前に言われたくないわ!!!というか、そんな病気になりそうな真っ赤な粥なんぞ食う気がするか!!」

 

 懐から取り出した丸薬をかみ砕きつつ、自分の喀血がふんだんに入った椀を臆することなく差し出してきた晴に、自分の怪我も忘れて狐は大声で突っ込んだ。

 

 

-----------

 

「なあ、珠乃。その干物取って」

「ああ、このイモリの干物か」

「そうそう」

 

 2年が経った。

 晴の屋敷の一室。壁をすべて埋めるように棚が置かれ、その棚にはこれまた隙間なく壺やら何かの干物の束やらが並べられている。

 狐、否、珠乃がイモリの干物を渡すと、晴はその非力な腕を動かして乳棒を動かして他の薬草とすり潰す。身体強化系の術を使用しているようで、干物はあっという間に粉々になった。

 

「・・・・」

「ん?どうした珠乃?じっと見て。惚れた?」

「たわけ。そんなわけがあるか。ただ、吾に名前が付き、それを自然と受け入れていたな、とな」

「あ~」

 

 珠乃という名前を付けたのは晴だ。「名前がないのは呼びにくい」という至極もっともな理由で、過去にいたという狐の大妖怪の名をもじったものらしい。特に反対する理由もなかったが、どうやら自然と自分の名前だと認識していたらしい。ちなみに、最初に名前の由来を言う際に、「胸にでかい玉が二つついてるから」と晴が口走ったが、「そうか。ならばお前の股についてる玉は吾の名と被るから潰してやろう。これからは玉なしと名乗るがいい」と返され顔色の悪い顔をさらに青くして本当の由来を説明した。

 

「名前、気に入らなかった?」

「そんなわけがない。気に入らねば撤回させておる。ただ、なんとなく感慨深く思っただけじゃ」

「そっか。まあ、昔のお前はなんかピリピリしてたしな。なんか丸くなったんじゃね?珠乃だけに」

「別にうまくないぞ」

「いや、今のはいろんな意味があってな?お前、ここにきてから結構いろんなもの食ってるから、腹の肉が・・・・」

「ふん!!」

「おぶぅ!?」

 

 妙なことを口走った晴の頭をそこそこ力を出してはたく。晴はすり鉢に顔を突っ込みかけた。

 

「汝、いい加減女心を考えよと言ったじゃろうが。しかもつまらんぞ」

「いや、悪いわる、ゴフッ!?」

「む!!いつもの発作か。ほれ」

「ゴフッ、ゴハッ・・・・・・悪い、助かったわ」

 

 晴が突然咳き込んだかと思えば、血を吐いた。しかし、最初のころは驚いていた珠乃も慣れたものだ。丸薬を取り出すと晴に飲ませる。

 

「しかし、汝の発作は治らんのぉ」

「なんか生まれつきなんだよね。昔はそこまでひどくはなかったんだが、数年前くらいから血が出るようになってさ。薬師になってなきゃ死んでたね」

 

 晴は生まれつき体が弱かったらしい。晴は元々都の帝に仕える霊能者の一族の直系だったようなのだが、どういうわけか他の兄たちよりも何倍も強い力を持って生まれてきたために、その霊力のせいで体が痛めつけられているとは本人の弁だ。おかげで植物を媒介としなければ霊力が暴走してろくに術も使えないらしい。ややこしいことに、晴は直系とはいえ当主とその愛妾の子らしく、そんな卑しい身分の者が他の有力な霊能者一族から迎えた妻との子どもよりも強い力を持ってしまったことで、色々と面倒ごとが多かったとか。そこで、晴の母は晴を連れて田舎に離れようと考えて今のところに移り住んだ。そして、子供のために薬学と医学を学び、そんな母を見て、晴も母を支えるため、そしてゆくゆくは自分のために術の修行をこなしつつ薬師になった。幸いというべきか、当主が晴の母に向ける愛情は確かなモノだったようで、資金や住居、医学書などは惜しみなく支援してくれた。都からはずいぶんと離れているのだが、年に一回はわざわざ会いに来るほどだった。その時は晴の母も嬉しそうな顔をしていたというから、その愛は一方通行ではなかったのだろう。そんな晴の母は珠乃が来る一年ほど前に事故で亡くなり、父である当主もほどなくして後を追うように死んだ。それからは支援もなくなったが、しっかりと生活の基盤を築いていた晴は問題なく独り立ちできていた。

 

「しかし、珠乃がいてくれて本当に助かったわ。一人だと薬飲むまでに結構かかるんだよね」

「まあ、ここでの生活はなかなかに安定しておって、吾としても悪くないからの。汝にいなくなってしまってもらえば困る」

「え?何それ?遠回しな愛の告白?」

「・・・汝、頭の方も病気か?」

『ごめんくださ~い!!先生はいますか~?』

「お、客だ。珠乃、診察部屋に通して軽く診といて。少ししたら行くわ」

「うむ」

 

 他愛のない会話をしていると、村人が来た。また病人か怪我人でも出たのだろう。村には晴が結界を張っているために、妖怪の襲撃は防げており、平和だ。そして、珠乃は契約のこともあって薬師見習いとして修行しており、村人の簡単な診察も行えるようになっていた。おかげで村人の仲はそれなりによい。人化の術を使い、霊力を抑えているのは当然だが、晴が良い関係を築いていたのが大きいだろう。まあ、男の患者が来た時には発作がきつくても晴が対応するくらいに何やら警戒していたが。

 

(そんなに不安がらずとも、吾は・・・って、何を考えておる!!妖怪が人間となど、あり得るはずがなかろう!!)

 

 廊下を歩く際中、珠乃は妙なことを考えてしまい、なぜか火照った顔をピシャリと両手ではたいた。

 

-----------

 

 さらに一年経った。

 

「おお、珠乃、また尻尾増えてんじゃん」

「うむ!!これで吾の安全はさらに高まったな!!」

「いや~。オレもなんか感慨深いね。これ、間違いなくオレが作った薬のおかげじゃん?」

「薬というよりは、汝の血じゃろうな。まさかこんな形で役に立つとはの」

 

 珠乃は7本になった己の尾を見つつ嬉しそうにしていた。だが、それが晴の薬のおかげだというのが若干複雑であった。それというのも・・・

 

「汝のための試作品を吾で試すというのはまあよかったが、時折混じっていた赤いのが汝の血だったとはな」

「悪い悪い。調合やってる時に血が混じっちゃってさ。あれ?でも珠乃がオレの体液を取り込んで強くなるって、こう、なんか不思議な興奮が・・・・」

「気色の悪いことを言うでないわ!!」

「あっはっは。悪い悪い。ほれ、新しい試作品」

 

 晴は自分の体調の維持のために薬を調合するのだが、その試作品にもたびたび改良を加えていた。しかし、そのうちに「万が一があっては困る」と珠乃が実験台を請け負うようになったのだ。晴は常世との穴の近くに生える霊力を帯びた霊草にこれまた穴の近くにいる妖怪となる前の生物を材料として使用しており、最近は珠乃がそれらを採りにも行っていた。しかし、それらの調合中に晴の霊力に満ちた血が混入することが頻発し、珠乃も晴の血を度々取り入れ、霊力の格を上げることになった。それが今までを過酷な生存競争で力を高めていた珠乃を何とも言えない気分にさせるのである。加えて最近はそこらの妖怪たちが「クサイ!!」と言って離れていくのも気になっていた。

 

(改めてそう言われると、薬が飲みにくくなるであろうが!!まったく晴のやつめ!!・・・そう、これは晴の試作品を試すのと吾が力を高めるだけのもの!!断じて妙な意味はない!!決して晴の血を飲むことに興奮など・・・・・はっ!?)

「ん?どうした?」

「な、なんでもない!!飲むぞ!!・・・・味は普通だな。体に違和感もない」

「そっか。ならあともう少し様子みて、そいつを叩き台にして作る・・・・ゴフッ」

「ほれ、薬」

「うう・・・スマン」

 

 最近になって、晴の発作の頻度が少し上がっていた。晴の中の霊力が未だに高まり続けているのもあるのだろう。霊草には高ぶった霊力を鎮静させる効果を持つものもあり、今はそうした草を材料にした薬で持ちこたえているが・・・・

 

「おい晴、少し横になったらどうだ?」

「え~。でもまだ調合しときたいのあるし」

「それは後で吾がやっておく。今は少し休め。吾の膝を貸してやる」

「・・・・本当ですか?」

「何故敬語になる?というか、懐を探って財布を出そうとするのをやめろ。金など取らんわ」

「あの、ボク初めてなんで優しくお願いします」

「・・・・気持ち悪(ボソっ)」

「ちょっと聞こえるぐらいの小声でそう言うの止めて!!」

 

 会話をしている内に、珠乃は自分が何を考えようとしていたか忘れていた。

 

-----------

 

 さらに一年が経った。

 

「ゴホッゴホッ・・・珠乃、そっちの薬草取って・・・」

「おい、晴。頑張るのはいいが根を詰めすぎだ。少し抑えろ。その薬の調合は吾にもできる」

「あ~。そうかな。ならちっと休むわ・・・・・まったく、妖怪もいるってのに人間同士で戦なんぞやってんじゃねぇっての。薬が売れるのはありがたいけどさ」

「まったくじゃな・・・」

 

 晴のいる村は山深いところで戦火とは無縁であったが、薬師として有能な晴には行商人やら近くの豪農やらなにやらから依頼がひっきりなしに来た。つい先日には使いではなく直接格のある家の者がやってきて晴を無理やりにでも引っ張り出そうとしてきたほどだ。当然、その者は珠乃の手にかかり、今では虫も殺せぬくらい臆病な性格に捻じ曲げられていたが。ともかく、当時の現世は乱世だった。妖怪が人を襲い、病がはびこり飢饉が起きた。妖怪に怯える暮らしは人の心を蝕み、恐怖と飢えが獣性を煽る。そうして安全と明日への糧を得るために人間同士の不毛な争いが各地で巻き起こっていた。

 

「じゃあ、珠乃、膝」

「わかったわかった・・・・おい、うつ伏せになろうとするな。どこの匂いを嗅ぐつもりじゃ」

「え~、しょうがねえな。じゃあ下からその二つの山を見上げるとしようかね」

「壁の方を向け!!壁を」

「ちぇ~」

 

 晴の軽い体が、床の敷物の上に横たわり、頭は珠乃の膝に乗った。いつの頃からか、晴が休むときはこうするのが当たり前になっていた。

 

「ケホッケホッ・・・」

「晴。本当に大丈夫か?最近とみに顔色が悪いのじゃ」

「ゴホッゴホッ・・・あ~確かに最近は働きずめだしな。あ!!でも元気になる方法一個あったわ!!」

「・・・・一応聞いてやる。どんな方法だ?」

「いやね、珠乃さんがお薬を口移しで飲ませてくれたらね。そりゃあ元気になりますよ。そりゃもういろんなとこが」

「そんな減らず口を叩けるのなら大丈夫そうじゃな」

「え~!!そこは『しょうがないのぉ』って言いながらやってくれるとこじゃ・・・うぐっ!?ガハァッ!?」

「晴!?」

 

 そこで、晴が大きく咳き込んだ。床に赤い液体が広がる。

 

「はあはあ・・・・ゴフッゴハッ・・・やべ、息・・・カフッ!?」

 

 顔色が悪い。額からはいつの間にか大粒の汗がにじんでいた。それを見た珠乃に迷いはなかった。

 

 

―チュゥと二人の唇が重なった。

 

「・・・・ふぅ、って、あれ・・・珠乃さん?今・・・・」

「汝の言ったことが嘘でなければ、それで元気になるのじゃろ?さっさと元のヘラヘラしたツラに戻れ・・吾は今から粥でも作る。大人しくしておれよ?仕事など始めたら承知せんからな」

「えっと、その・・・はい」

 

 借りてきた猫のようにおとなしくなった晴を尻目に、珠乃は赤くなった顔を見られないように素早く立ち上がって部屋を出た。

 心臓がうるさいほどに鳴っていた。

 

(唇を重ねるというのは、あんなにも気持ちのいいものなのだな・・・)

 

 そんなことを考えながら。

 

-----------

 

 さらに一年が経った。

 

「なあ、初めて会ったときのこと覚えてるか?」

「なんじゃ唐突に。もちろん覚えておる」

 

 布団に横たわる晴に膝枕をしつつ、珠乃は晴の頭を愛おし気に撫でた。

 この一年で、晴の体調は悪化していた。霊力の成長がとどまることを知らなかったのだ。常世、現世にいる生き物は、肉体、精神、魂の三要素で構成されている。肉体は文字通りの体。精神は魂と肉体を繋ぐ紐。そして魂とは霊力の源であり、この世界の欠片であるいうことがここ最近の二人の研究でわかっていた。どうしてそんなことを調べたのかと言えば、晴の霊力の成長を止めるためだ。しかし、それが分かっても役には立たなかった。わかったことと言えば、晴の魂である世界の欠片というものが、並程度の霊能者よりもはるかに大きいということだけだ。まるで水晶のように欠片が成長しているかのようだった。

 

「じゃあさ、オレが珠乃を拾った理由も覚えてるよな?」

「ああ。弟子が欲しかったんじゃろ?」

「・・・・わざと言ってるわけじゃないよね?もう一つの、っていうか一番大きな理由の方」

「・・・・・ああ。覚えておる」

 

 珠乃が晴を撫でる手つきに力がこもった。知らず知らずのうちに動きが早くなる。

 

「なぜ今そんなことを言う?」

「んや。なんか思い出しちゃってさ。最初に会った時は珠乃が寝ててオレが看病してたから」

「・・・・そうか」

 

 二人の間に沈黙が訪れた。

 

「珠乃、結婚してくれ」

「・・・・・」

 

 晴が口火を切った。その顔は普段の軽薄な様子は全くなく、真剣そのものだ。

 

「オレは多分そんなに長くない。自分勝手なことを言ってるのも分かってる。別にオレと寝てくれなんて言うつもりもない。ただ、オレはお前にも・・・」

「断る!!」

「・・・・・」

 

 何かを続けようとした晴を遮るように、珠乃は叫んだ。

 

「人間と妖怪の結婚などうまくいくものか!!それに、吾は汝のことなどなんとも思っておらぬ!!吾がここにいるのは、汝と交わした契約とここが安全に力を蓄えられるからだ!!思い上がるな!!」

 

 珠乃は立ち上がると、逃げるように部屋を出た。

 

「珠乃・・・・」

 

 晴が自分の名前を呼ぶ声が耳に入ったが、珠乃は止まらなかった。ただ、熱い液体が頬を伝って落ちていった。

 

-----------

 

 嬉しかった。

 

 好きだった。

 

 愛している。

 

 晴が結婚してくれと言ってくれた時、珠乃の心は喜びで満ちていた。

 いつの間にか惚れていた。彼がいる場所はこれまでいたどの場所よりも暖かくて優しかった。ずっと、その温もりが続くと思っていた。

 

(だから、断った)

 

 けれども、そんなことはただの幻想だ。珠乃は妖怪で、晴は人間だ。それも、晴は人間の仲でも体が弱かった。

 結婚の話を断ったのは、その終わりが確定しそうだったからだ。晴の言う通りに結婚してしまえば、本当に晴が死んでしまうと思ってしまったから。

 

-----------

 

 半年が経った。

 

「・・・・吾の負けじゃ。ああ、吾の負けじゃとも!!だからその土下座を止めろ!!」

「本当?嘘じゃない?嘘だったらオレ死ぬよ?本当に死ぬからな?自殺する前に心が死ぬから!!」

「わかった!!わかったから!!」

 

 晴の寝室。

 布団の上で土下座し、珠乃が動けばその方向にズリズリと土下座のままはい回る晴は正直言って気持ち悪かった。晴がよく潰して薬にしている虫そっくりの動きである。

 あの結婚の申し出を断ってから半年。当初は晴との関係そのものが壊れる可能性も覚悟していた珠乃であったが、妖怪の女を「嫁にしたいから」という理由で山から拾って看病した男の性欲と根性を、何より自分への愛情を舐め腐った判断であったと思い知らされた。

 

(一時は気でも狂ったのかと思ったがのぅ・・・)

 

 基本的に珠乃と会うとほぼ土下座。薬を飲むときと食事の時以外はその顔はひたすら床に押し付けられていた。最近では薬は珠乃がほとんど作っているため、晴は休めているのだが、布団の上でも土下座である。時には一日中晴の顔を見れなかったこともあったくらいだ。果ては今のように顔をあげずにどこに珠乃がいるのかを察知し、土下座の姿勢のまま動く術すら開発する始末である。そうしてそこまでしてやることが「結婚してください」「愛しています」とひたすらに呟き続けることであった。気持ち悪い、怖いを通り越してもはや感心する域である。人間とは己の欲望のためにここまで尊厳を捨てられるものなのかと。知りたくもなかったことを知れた珠乃であったが、常時そんなことをされては身も心も持たない。気合がよほど入っているのか、晴の体調は小康状態であったが、当然だが晴の体にも負担がかかる。それでも珠乃は半年は意地を張って耐えていたが、色々と限界だった。

 

(あんなに愛していると言われて、耐えられるか・・・)

 

 言うなれば、晴の方はハナから珠乃に全面降伏しているような状態であり、後は珠乃だけの問題だった。好きでもない男にそんな真似をされていたら炎で即刻焼き殺していただろうが、相手は自分の惚れた男である。常人ならば気持ち悪くて縁を切りたくなるようなことでも相手が好きな男なら話は別。ただし美男子に限るというヤツだ。

 

「じゃあ・・・・」

「わかったと言っておろう・・・・不束者だが、よろしく頼むぞ。旦那様」

「は、はい!!よろしくお願いします!!我が妻よ!!」

 

 そうして、ついに二人は結ばれたのであった。

 

「じゃ、じゃあ、その、早速なんだけど夫婦の営みってやつを、その・・・」

「うわぁ・・・」

 

 頬を赤らめて情緒の欠片もないことを口にしながら、上目遣いする自分の夫となった男に、妻となった女はドン引きした視線を向けるのだった。

 

 ちなみに、この後晴の体調に気を付けつつ、滅茶苦茶まぐわった。病弱なはずなのになぜか晴の方が優勢だったことをここに記しておく。げに恐ろしきは童貞の性欲であった。

 

-----------

 

 さらに一年が経った。

 

 相変わらず、現世には戦乱があった。病があった。飢饉があった。その流れは晴たちの住む村にも及んだ。しかし、晴と珠乃の心は暖かった。珠乃が他の人間には入れないような山奥まで行って食糧を確保できることもあったが、何より晴の体調が回復を始めたのだ。

 

「晴、こちらの薬は用意できたぞ」

「お、ありがとな。じゃあオレの方も・・・・って、そろそろ薬草の在庫がなくなるな。採って来るか」

「む。薬草採りなら吾が行くぞ。汝は寝ておれ」

「え~。オレだって結構調子戻ってきたし、運動がてら・・・」

「ダメじゃ!!休んでおれといっておるじゃろ」

「わかったよ・・・はあ、布団の中だとあんなに従順なのになん・・・」

 

 カッと音がして、晴の鼻先を掠めて薬草を刻む小刀が壁に突き刺さった。

 

「何か言ったか?」

「なんでもございません」

 

 その視線は絶対零度であった。晴に逆らえるはずもなく、すごすごと引き下がる。そんな晴を見て珠乃はフゥとため息をついた。

 

「まったく、汝はいつまで経っても情緒というか女心というものがわからん男じゃな」

「いやそうは言ってもさ、オレの体調よくなったのは事実だし。やっぱ原因は夜のアレじゃないの?お前の尻尾も9本になったし」

「・・・・・まあ、否定はせん」

 

 房中術というものがある。

 これは男女の交わりを術に組み込んで効果を発揮するもので、大抵は怪し気な儀式やらなんらかの邪法に使われるのだが、この二人の間にも一種の房中術の効果が表れていた。晴の体調が悪かったのは元々の体の弱さに加えて霊力による負荷がかかっているからだが、その霊力の多くが珠乃に流れ込むことで負荷が減っているようなのだ。加えて晴の体にも珠乃の霊力が入り込んでいるらしい。だが、その霊力は肉体を傷つけるのではなく逆に馴染んでいるような感覚だという。なお、そのせいか晴からも他の妖怪が嫌う臭いが出るようになったらしい。肉体と魂を繋ぐ精神を介するのでなく、肉体と肉体を介する故の変化だろうという推測だが、詳細は今後調べていけばいいだろう。

 

(そうだ!!今の吾と晴には未来がある!!)

 

 珠乃の心は踊っていた。

 もう続かないと思えていた晴との未来は、まだ続くという光が見えたのだ。人間が妖怪のような寿命を得る方法はまだわからないが、今の晴に起きている変化を調べればそれすら掴めそうな気がする。

 

「けどさ、珠乃の方は大丈夫なわけ?」

 

 そこで、晴が唐突にそう聞いた。

 

「む?何がじゃ?別に問題はないが。むしろ調子がいいくらいだ。霊力が体中に満ちておる」

「いや、そっちも心配っちゃ心配なんだけど、その、ほら、あれだよ」

「あれ?」

「そう、あれっていうか、うん。あれだ。孕んでないか?」

「はぁ!?」

 

 珠乃の顔が真っ赤になった。

 

「いや、オレとしてお前に思い出とかそういうもんを残せればって思ったんだけど、あのときは流れでヤっちまったからできてたらどうしようとか、子育てとか準備しないととか・・・・」

「あ、あるわけなかろう!!というか、汝、かなり最低なクズ男のようなことを言っていると自覚しろぉ!!」

 

 その辺になぜか落ちていた枕を、晴の顔に思いっきり投げつける。

 

「ぶっ!?」

「いいから寝ておれ!!吾は山に行ってくるからな!!」

 

 そうして、顔を赤く染めたまま、珠乃は山に向かったのだった。

 

 

 

 

 そして、それが珠乃の幸せと希望に満ちた時間の最期だった。

 

-----------

 

「ふんふんふふ~ん」

 

 珠乃は歩きながら鼻唄を歌う。その表情はご機嫌そのものだ。その背負った籠には薬草やら狩った獣の肉を草でくるんだモノやらが詰まっていたが、珠乃の気分がいい理由はそれだけではない。

 

「まったく、晴のやつめ。情緒というか女心の機微のわからんやつだ!!まったく、いきなり身ごもっているかどうか聞くやつがあるかという話だ・・・・ふふ」

 

 言葉では晴をなじるようであるが、その声音は弾んでいた。

 

「しかし、子供か。育児などやったことがないが、吾に務まるだろうか?まさか獣のやり方が通用するとは思えぬ」

 

 自分と晴の住む家に、子供が一人加わる。

 晴が薬を作る傍ら、自分は家事をしたり、子供の世話をする。

 自分と晴の子供ならば術者としての素質は十分だろう。身を守れるようにするためにも、術の扱いは慎重に教えなければならない。もちろん、人の世と関わるならば学問も大事だし、家業を継いでもらうのならば薬学や医学も伝えなければならない。それには自分の方が向いているだろう。晴は賢いが、下世話なことを教えかねない。父親と似たような性格になったら困りものである。まあ、そんな困った性格の男を夫にした自分も大概ではあるのだが、己の血を継ぐ子が寒い下ネタを連呼するようになったらさすがに嫌だった。

 

「血を受け継ぐ子か。晴と吾の子」

 

 そこで、ふと珠乃は思った。心の中に浮かんだ、その言葉。その言葉はなぜかストンと胸に収まったのだ。それが珠乃の奥底にあり続けた疑問の答えなのではないだろうかと。いや、そうだ。それだ。それこそが・・・

 

「それこそが、吾の生きてきた意味だったのか」

 

 晴と出会い、恋をして、時間はかかったが受け入れあった。

 そして、そんな男と心を通わせ、力を混ぜ合わせ、体を交わす。

 その先に、自分たちの生きてきた結晶を産み、未来へとつないでいく。

 

「ふふ、確かに、長生きしてでも待った甲斐があったな」

 

 なるほど、口に出してみれば簡単なことだ。だが、それがどれだけ幸福なことか、昔の自分にはわからなかったに違いない。

 

「まったく、こんなところで答えが出るとはな・・・・む?」

 

 そんな風に、最近になっては思い出すことも稀だった問いに答えを出した珠乃は、顔をしかめた。

 

「これは、妖怪の死骸か・・・・行きでは見かけなかったが」

 

 道端に低級妖怪の亡骸が転がっていたのだ。死骸を見てみるとなんらかの術を撃ち込まれたようだった。これをやったのは人間だろう。

 

「晴ではない・・・村に術師が来ているのか?」

 

 たまに流れの僧やら霊能者の一族の者が修行として各地を回ることがある。これもその一環なのだろうか?ならば、自分はもう少し山の方にいたほうがいいだろうか。生半可な術者にバレるようなことはないだろうが、妖怪の自分が見つかったら面倒なことになるだろう。

 

「ならば、もう少し時間を潰して・・・・何、これは!?」

 

 考えに耽る珠乃の元に、一羽の鳥が飛んできた。植物の扱いが得意な晴は、紙を媒介にした式神を使うが、その鳥こそがそれだった。だが、その式神の羽は焼け焦げ、今にも折れかかっていた。事実、珠乃の手に止まった瞬間にボロリと崩れる。だが、それで十分だった。間違いなく、村と晴に何かが起きたのだ。

 

「晴!!」

 

 珠乃は人化の術を解き、妖怪と人の中間のような半妖体となって山道を駆けた。

 

-----------

 

「ああ・・・」

 

 家が燃えていた。

 数年間、毎日過ごした晴と自分の家に火柱が立っているのを村の入口から珠乃は茫然と見ていた。

 すべてが燃えていく。晴が寝ていた布団も、いつからか珠乃用にと晴が作ってくれた医療具も、何もかも。

 家の周りには、村人が集まり、その先頭には一人の男が立っていた。

 その男の顔は晴に少し似ていた。だが、その目は欲望にぎらつき、口元には晴とは似ても似つかない歪んだ笑みが浮かんでいる。

 

「皆の者!!この者こそがこの地を襲った戦、飢饉、病、災いの元凶である!!この者は妖と結びつき、諸君らに飢えと悲しみをもたらしたのだ!!」

 

 男は火柱を満足げに見つめると、村人に向き直った。

 

「幸いにも、この者には神仏の罰が下っていたのか、弱っていた!!だが、それだけではない!!この邪悪を討ち取れたのは、諸君らの協力あってこそ!!よくぞ立ち上がってくれた!!」

「俺たちが飢えてるのに、病気のあいつがいつまでも生きてるのが不思議だったんだが、納得いった!!」

「まさか、先生が妖怪と通じていたなんて・・・」

「この前、うちの子を助けられなくてすまない、なんて謝ってたけど、嘘だったのね!!助けられるのに助けなかったんだ!!」

「でも、最後まで俺たちに愛想をまくフリしてくれて助かった!!おかげで急病だって言ったら簡単に釣れたしな!!」

「ああ、俺たちを騙してたんだろうが、最後は俺たちが騙してやった!!ざまあみろ!!」

 

 村人たちは燃えている家を囲みながら、口々に晴を罵った。

 前に家にやってきた女がいた。晴が渡した薬でよくなったとお礼を言っていた。

 前に晴が直接診断してやった男がいた。最初は晴の代わりに珠乃が診るはずだったのだが、病気を押して晴が診たのである。「お熱いねぇ」と笑いながら祝福してくれた。

 前に二人で取り出した子供がいた。どうにかこうにか身重の母から取り出した子供は今では大きく育っていた。道で会うと笑いながら挨拶してくれた子供だった。

 みんなみんな、かつては笑顔だった。晴とも珠乃とも仲良しだった。

 みんなみんな、怒りと憎しみで顔が歪んでいた。その口から吐き出されるのは晴への呪いだった。

 

 妖怪に脅かされる時代。現代とは違って物に乏しい時代。

 人々の心は世界の気まぐれのような変化で簡単に煽られてしまっていた。心に巣くっていた恐怖と飢えが、彼らを突き動かす怒りと憎しみに変わっていた。

 

「ああ、そうだ術師様!!あの男には妻がいました!!あいつも妖怪と繋がっていたに違いねえ!!」

「昔からおかしいと思ってたのよ!!いつの間にか村に来て、ずっと居座ってるんだもの!!あいつも絶対に悪人よ!!」

「なんとなんと!!それは本当か!?ふむ、その女に子はいたか?」

 

 村人の憎悪は珠乃にも及んでいた。

 それを珠乃はぼんやりとした頭で聞いていた。

 

「いえ!!いませんでした!!」

「ふむ、そうか!!ならばその女も見つけ出して殺すのだ!!この男に繋がるものはすべて消し去る!!さすれば、この男が契約を結んだ妖怪もこの地を離れよう!!これはその手始めだ!!」

「あ・・・・」

 

 その時、珠乃の目に男が掲げているモノが目に入った。

 

 晴の首だった。

 

 男はまるで毬でも放り投げるように乱雑に晴の首を炎の中に投げ込んだ。

 晴の首は、あっという間に炎に巻かれて見えなくなった。

 

 その瞬間、珠乃の中で何かが蠢いた。

 

「さあ、妖怪よ!!災いもたらす化物よ!!お前が契約を結んだ男は消えた!!そしてこれよりその妻も消す!!この地より・・」

「そんなに、晴と契約を結んだ妖怪に会いたいか?」

「なっ!?」

 

 いつの間にか、男のすぐそばに珠乃は立っていた。

 

「き、貴様は一体・・・!!」

「災いもたらす化物と言ったな?そんなにお目にかかりたいのなら見せてやる」

「な、何を・・・ゴボッ!?」

 

 何かを言おうとした男は、言葉を発することは叶わなかった。その心臓を狐の尾が貫いていたからだ。

 

「見せてやるから・・・・」

「ガ、ハァ・・・・」

 

 心臓を貫かれても、男はまだ生きていた。そして、わずかな瞬間でも、男はその生を後悔した。

 

「疾く、この世から消え失せろぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」

 

 その女の顔は美しかった。美しい故に、その憤怒の表情はなくなった心臓を凍らせるような純粋な恐怖を呼び起こす。血が滲んだかのように紅く血走った黄金の瞳が、男の見た最後の光景だった。男はたちまちのうちに全身が腐り果てて、汚いシミとなった。

 

「あ、あ・・・・」

「よ、妖怪だ・・・・」

「け、結界は!?結界があるんじゃ・・・・」

 

 村人たちは恐怖した。

 さきほどまで自分たちを救うといい、元凶たる薬師を排除する策を出した英雄が瞬きの内に死んだのだ。霊能者でもない村人に、目の前の妖怪をどうにかする手段などあるはずもなかった。

 

「・・・次は貴様らだ」

 

 黄金の瞳が、獲物を捉えた。

 

「ま、待ってくれ!!」

「わ、私たちはあの男にそそのかされたんだ!!」

「悪いのはあの男・・・」

「・・・・・」

 

 村人の醜い言い訳は、珠乃に一つの真実をもたらした。

 

(ああ、人間はゴミだな)

 

 こんな屑どものために晴は体に鞭うって薬を作っていたのか。

 こんな連中に自分たちの幸せは壊されたのか。

 ああ、そうだ。この連中は、このゴミどもこそが・・・・

 

「貴様らが、貴様らこそが!!災いそのものだろうがぁあああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 珠乃はその9本の尾を逆立て吠える。

 その身から放たれた瘴気は村全体を包み込んだ。

 

「「「「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!???」」」」」

 

 老若男女問わず、汚らしい叫びがこだました。

 山々に響いた声がかすれ、瘴気が晴れた時、その村には腐った肉の塊だけが転がっていた。

 

-----------

 

「晴、晴・・・・」

 

 珠乃は、一人焼け落ちた家の跡に座り込んでいた。

 その膝には一個のしゃれこうべが乗っていた。愛おし気に撫でるも、返事があるはずもない。

 すぐ近くには、焼け焦げたボロをまとった、人の形をした炭の塊が転がっていた。

 

「晴・・・・」

 

 返事のないしゃれこうべから目を離し、その体を見た。

 いくつもの薬を作り、多くの人間を救い、何より自分に触れてくれたその手はもう動かない。

 その握りこぶしは固く握りしめられていたが、そこで、手の端から炭の欠片が零れ落ちているのに気が付いた。

 

「これは・・・・」

 

 珠乃が触れると、今まで気張っていた力が溶けたように、拳は開いた。そこには、一枚の布が残っていた。布は晴の着ていた着物の切れ端のようだったが、赤い文字が書かれていた。

 

 

--生きて

 

 そこには、それだけが書かれていた。誰に向けて書いたものなのかなど、聞くまでもなかった。

 

「晴、晴、せい、せい・・・・うわぁぁああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 珠乃は叫んだ。叫んで、泣いた。

 

 涙が枯れ果てるまで泣いた。声が枯れるまで叫んだ。

 

 すべてを出し尽くすほどに絞り出したころには、夜を迎えて朝になっていた。

 

-----------

 

「許さぬ・・・」

 

 朝日に照らされながらも、珠乃の心の中にあるのは、そのドス黒く濁った瞳にあるのは、怒りと憎悪だけだった。

 

「絶対に許さぬ・・・」

 

 なぜ、晴はこんな目にあわなければならなかった?

 

 妖怪として恐れられる自分はまだ分かる。しかし、晴は人間だった。むしろ人間を生かすために働いていた。

 

 戦があったからか?病があったからか?飢饉があったからか?世が乱れていたからか?

 

 なぜ誰も晴を助ける者がいなかった?もしも晴の父が、母が生きていれば何かが変わっただろうか?

 

 妖怪が暴れていたからか?異能者として怪しまれたからか?

 

 晴の体が弱かったからか?晴の体が完全に回復していればここまでのことにはならなかっただろうか?

 

 晴の体が弱かったのはなぜだ?その身に膨大な霊力の負荷がかかっていたからだ。なぜ晴はそこまでの力を持ってしまっていたのだ?

 

 ああ、それに。それになによりも・・・・

 

「なぜ・・・」

 

 何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ

 

「どうして・・・」

 

 ああ、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテ

 

 

「どうして、吾はもっと早く晴と出会っていなかった?」

 

 晴の体は回復し始めていた。

 晴には未来があったはずなのだ。

 もっと早く、もっともっと早く晴と出会っていれば。あるいは・・・・

 

「もっと早く、晴を受け入れてやれなかった?」

 

 あと半年、あと半年も早ければ、晴の体は完全に治っていたかもしれない。

 体が治っていれば、この九尾とかした自分すら上回る霊能者たる晴が不意を突かれようと村人ごときにやられるはずもない。

 

 つまり、晴を死に至らしめたのは・・・・・

 

「あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 本来の姿である狐の爪をもって、己の体をかきむしる。爪が剥がれても、今度はその牙で肉を食いちぎる。だが、どれだけ自分を痛めつけても、死ぬことだけは許さなかった。

 

 それが、晴が最後に残した言葉だったから。

 

「許さぬ・・・・」

 

 珠乃を突き動かすのは、怒りと憎悪だ。

 

 その矛先は、愚かな人間。本当に些細な巡りあわせ、運で自分を翻弄する世界そのもの。

 何よりも・・・・

 

「吾は、世界を、なによりも、己を呪う!!!」

 

 その時、この地に神格を持つ妖怪が生まれ落ちた。

 

-----------

 

 それからの珠乃はひたすらに力を付け、人間を苦しめるために生きた。

 

 一度はもう戻るつもりのなかった常世にまで行き、再び修行を積んだ。

 

 霊能者を誑かし、その肉を食うこともあった。術をかけて、精を絞り出すこともあった。

 

 どちらも死ぬほどマズかった。口に入れた瞬間、吐き出した。だが、珠乃は吐しゃ物にまみれたそれを何回も口に入れては飲み込み、吐き出すのを繰り返した。

 

 すべては己の力を高めるために。

 世界のすべてを壊すために。

 そのためなら、晴以外の男で穢されようとも歩みを止めなかった。

 

 村を襲った男が晴の一族の者だったと知ったのは、都に赴いてその上層部の精神を護衛の術師たちもろともことごとく破壊して傀儡とした時だ。

 亡き晴の父から晴の兄に当主の座は移ったようだが、そこから再びお家騒動があったらしく、一族内で暗殺が頻発したらしい。晴を狙ったのは、かつての当主のお気に入りの忘れ形見という立場を警戒したためだったようだ。村に設置してあった罠を突破できたのも、そのからくりが一族の使う術とよく似ていたからだったためだ。そうして村に侵入し、旅の僧侶を装って心の乱れていた村人を扇動した。村への潜入はあの日の数日前から仕込んでいたのだ。

 

「まあ、今となってはそんなことを知ってもどうにもならんがの」

 

 晴の一族はその日、叛逆の疑いをかけられ、全員死罪となった。

 

-----------

 

 いくつもの村が、町が、国が滅んだ。

 

 戦火に焼かれた国があった。

 

 病に侵された町があった。

 

 飢えに襲われた村があった。

 

 珠乃はそのすべてを操った。

 

 術を以て、天候を操り、作物を枯らす。

 

 かつて晴とともに薬を作った手で毒を作り、その土地ごと汚染した。

 

 幻を見せて人を操り、殺し合わせた。

 

 人間を減らすのは簡単だった。世界を乱してやればいい。

 

 世界が乱れれば心が乱れる。心が乱れれば人は簡単に獣に堕ちる。そこに軽くひと押しするだけで、大勢の人間が血にまみれて死んでいった。

 

「ああ、素晴らしい。吾は、世界を壊すことだけを考えればいいのだな」

 

 いつしかその整った顔には歪んだ笑みがよく浮かぶようになった。

 

 鏡を見た珠乃は思った。

 

(ああ、あの村に来た男もこんな気分だったのだろうな)

 

 自分の手で人間を手玉に取って操って、壊す。

 

 それがたまらなく楽しかった。

 

 されど、珠乃の顔に一筋の滴が伝っていた。

 

-----------

 

 終わりは再び唐突だった。

 

「この『白竜廟』に入った以上、そなたに勝ち目はない」

「くぅ・・・!!何者だ貴様らぁ!!」

 

 珠乃の目に映るのは白い霧と二人の人影。

 

 紫電を纏う黒衣の侍と、笠で顔を隠した一人の僧だ。

 

 霧の満ちるその場は、僧の開いた陣であり、珠乃は己の天花乱墜を出す前に相手の陣に取り込まれていた。その陣はすべてを凍らせ、流す。あらゆる術は封じられ、動きは止まる。黒い侍が動くことなく、珠乃は敗北していた。

 

「くそっ!!吾は!!吾はこんなところで負けるわけにはいかんのだ!!世界を壊す、その時まで!!」

「憐れな・・・」

「何!?」

 

 自分を憐れむ僧に、珠乃は怒りを抱いた。

 お前が一体自分の何を知っているという!!

 何の権利があって自分を上から憐れむ!!

 何も、何も知らない癖に!!

 それに・・・・

 顔は見えず、声にも細工をしているようだが、珠乃には分かった。

 

--貴様には、隣を歩く伴侶がいるくせに!!!

 

「己のすぐ傍にいるのに気が付かぬか。怒りがその目を曇らせているか。ならばそなたをここで封じよう」

「や、やめろ!!」

「願わくば、そなたの怒りと憎しみが忘れられ、そなたに付き従う者に気づかんことを・・・『凍土結界』」

「ぐわぁあああああああああああ!?」

 

 そうして、珠乃は永い時を岩に封じ込められることとなった。

 

 あの愚かな人間のガキどもが封印を破るその時まで

 

-----------

 そして、時は現代に戻る。

 

「だからこそ、貴様には腹が立つ」

 

 暗き影の中、深海のごとき重圧で迫る雫の霊力をかろうじて防ぎつつ、珠乃は思う。

 

 何故、自分の大切な人間といつまでも歩んでいけると思っている?

 

 いつ、どんな理不尽が襲い掛かって来るともしれないのに、何を能天気に過ごしている?

 

 どうして、永遠を生きる道を探さない?守り抜くための力を求めない?なぜ・・・

 

「その想いを告げない?」

 

 ああ、本当に腹が立つ。あの蛇は、まさしく過去の珠乃だ。

 関係が壊れることを恐れて、未来があると楽観して怠け、すべてを失った愚か者。

 世界で最も嫌う、己自身。

 

「そんな貴様が、吾の通るはずだった道を進むことなど、認められるか!!」

 

 これは醜い嫉妬だ。それは珠乃にも分かっている。けれど、その憎悪の炎は止まらない。

 それでも、その身は圧倒的な霊力の海に沈みかけていた。これでは、隙を見つける前に・・・

 

「そうだ、認められるはずが・・・・・・何?」

 

 そこで、珠乃の霊力に反応があった。

 それは、こことは別の場所に開いた「天花乱墜」を展開する「本体」が放った霊力の信号だ。空間の完成度を保つために、別の空間との干渉は極力避けていたのだが、それを押しての連絡。その内容は・・・

 

「これは、そうか・・・クク、そうかそうか!!」

 

 それを聞いて、珠乃は確信した。

 

「この勝負、吾の勝ちだ!!」

 

-----------

 

「・・・・あの狐、死んだか?」

 

 珠乃が影の中に潜り込み、その影にアリの巣穴に水を流し込むように霊力を注いでしばらくが経った。

 珠乃からの反応がなくなったが、雫は未だに油断はしていなかった。

 

「いや、この空間が解けていない以上、まだ生きているのか。しかし、流石にもう限界のはず・・・む!?」

 

 雫が凪いだ水面を見つつ不審そうな顔をしていると、陣の中に変化が起きた。

 

「これは・・・ヒビ?それに、水が引いていく?」

 

 突如として空と水底に沈んだ地面にヒビが入り、そこから水が流れ出ていったのだ。

 

「もしや、陣を解除したのか?しかし、こんな中途半端に維持するような真似をすれば霊力の消費は・・・」

「誇るがいい、白蛇。こうしなければ汝に勝てぬと悟っただけじゃ」

「ふん。ずいぶんと無理をするものだ。だが、霊力が底を突きかけているのではないのか?さっさと影から出てきたらどうだ?」

「くく、吾はこの地に数か月前から準備を施していた。この程度で枯れはせぬよ」

 

 そして、空に開いたヒビの一つから、珠乃の声がした。

 どうやら影の中にあった雫の霊力もどことも知れない場所に流してしまったようだ。だが、世界を塗り替える陣という超高難易度の術を中途半端に展開するというのは、無理な体勢で超重量のバーベルを持ち上げようとするようなものだ。いくら霊力をため込んでいようとそう長持ちするとは思えない。

 だが、本当にまるで焦りなどないように珠乃は語り出した。

 

 

「いや、それにしても先ほどは大層な啖呵を聞かせてもらった。吾は心が震えたよ」

「なんだ?またお得意の難癖か?貴様の戯言などただの雑音に過ぎん」

「ククク、ならば聞き流せばよいではないか。そこらにいる、何も考えておらん蛇のようにの。汝の想い人も気にすまいよ。なあ、ただの蛇?」

「貴様・・・!!気色の悪い覗き魔が!!」

 

 それは当てつけだった。珠乃はこの旅行の間もずっと雫達を観察していたという。二日目のあの一幕も見ていたのだろう。

 

「あの時だけではない。吾は、ここしばらく汝らを観察していた。汝らのいた街も、狐の目を介してな」

「ふんっ!!気色の悪いことだな!!」

「ああ。傍から見ればそうじゃろうよ。だが、そのおかげで吾には分かったことがあるぞ?汝らの絆など、所詮は汝からの一方通行よ」

「はっ!!ただの覗き魔風情に妾と久路人の何が分かる!!」

「ならば言ってやろう。汝ら、まだ交わっておらんな?」

「はあ?どういう意味だ?」

 

 交わるとはどういう意味だ?何かの隠語か?

 

「鈍いな。いや、本当に知識がないのか?なら分かりやすく言ってやろう。汝ら、セックスしておらんだろう?」

「はぁあああ!?き、貴様何を言っている!?」

「汝から漂う悪臭。あれはあのガキの力と汝の霊力が混ざり合って生じるモノ。だが、完全に溶け合っておればあのような臭いはせぬ。何より、あのガキの方から同じ臭いがせぬことが何よりの証拠じゃ」

「そ、それがどうした!?」

 

 珠乃の言葉は、その意図がなんであれ完全な奇襲だった。雫にとって、久路人とそういったことをするのは、人生の目標であり、新たなスタート地点である。なぜ今の話の流れでそんなことになるのか。

 

「わからんか?それはな、汝があのガキから女として見られていない証拠であろうよ」

「なっ!?貴様、妾ばかりでなく、久路人まで愚弄するか!!許さんぞ!!」

 

 今の珠乃の言うことは、「月宮久路人は女と見ればすぐに肉体関係を持ちたがる直結厨」と言うようなものであった。

 

「ふん。ずいぶんとおぼこなことだ。あの年頃の男の性欲を知らんと見える。いや、これは逆に憐れんでやるべきかの?よもや、接吻すらまだとは言うまいな?」

「貴様ぁ・・・!!!」

「おいおい、まさか図星か?これはこれは失礼・・・むぐぅ!?」

「もうよい、貴様はこのまま潰れろ!!」

 

 雫は亀裂に向かって、蛇井戸から鉄砲水を出す。その圧が伝わったのだろう。珠乃は苦し気なうめき声を上げる。だが、珠乃の言葉は止まらない。

 

「はっ、そこまで怒るとは、よほど気にしていたようだな?蛇よ」

「黙れ!!」

 

 それは、ずっと雫の心の中に巣くい続けているモノ。

 水無月の名字を名乗った後にも、折り合いがまだついていないモノ。

 

 人外であること。久路人からの拒絶。

 

 いかに歩み寄ろうと、最後の一歩を詰められない原因だ。

 確かに自分は今、これまでの歩みの先にいる。しかし、その先に行き止まりはないのか?

 友達として、家族のような間柄として親しくなっている。それは間違いない。だが、それ以上は?女として見てもらうことはできるのだろうか?

 拒絶される不安と恐怖は、どんなに雫が心を奮い立たそうと完全に消すことは叶わない。

 

「ふん、汝は前に進んだだのなんだの言っておるが、そもそもそれすら錯覚ではないのか?」

「もう、貴様は喋るな!!」

 

 だが、雫がいかに聞く耳を持たなかろうが、珠乃の口は休まず雫の心の奥底へと忍び寄る。例え幻術が効かずとも、何の異能も介さない言葉による揺さぶりは防げない。

 

「あのガキは確かに特別だが、汝は違う。格のある妖怪ならば、護衛としては誰でもよかったはずだ。それこそこの吾でもな」

「黙れと言っている!!!」

 

 雫は己の中にある霊力をすべて亀裂に注ぎ込む勢いで流し込む。いかに外に漏れだそうと、出ていく量よりも満たす量が上回ればよい。久路人の血によって無尽蔵に近い霊力を持つ雫ならばそれも不可能ではない。

 

「たまたまだ。本当に偶然、汝は今の立ち位置に収まっているに過ぎない。そんな汝に抱く情が、汝の言うほど大きいものか?」

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇえええええ!!!!!!」

 

 もうここですべての霊力を使い切ってしまってもいい。それほどの勢いで術を連発する。再び陣の中に水が満ち始めた。

 

「人間の寿命のことからさえも目をそらしていた汝だ。他のものにも見落としがあって然るべきだろう?汝があのガキを想う重さと、あのガキが汝に向けるソレは、果たしてどれほどの違いがあるのかの?」

「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

 

 珠乃は雫の心を掘り起こしていく。そこに埋まる、雫が目をそらしてきたことを。それは、雫が逃げてきたツケだった。

 

 

--久路人は、自分のことをどう思っているのだろう?

 

「おいおい、そんなにムキになるでない。それではまるで・・・・」

 

 常に心の中にあり、されど考えたくなかったこと。恋をする者ならば誰でも思うこと。自分が人間の少女だったのならば、ここまでその答えに怯えずに済んだのだろうか?

 

「まるで、本当にあのガキに汝が嫌われているようではないか」

「もう、死ねぇえええええええええええええええええええ!!!!!!!!」

 

 自分は久路人にどう思われているのだろう?

 好かれていたとしても、それは女の子としてのソレだろうか?

 蛇というペットを飼っている感覚なのではないだろうか?

 ああ、知りたい。久路人の心の中が。

 ああ、知りたくない。久路人の心の奥底を。

 だって、もしも、もしものことだ。

 普段の久路人が見せ掛けで、その心の中で想像もできないことを考えていたら。

 ああ、ダメだ。こんなことを考えちゃいけない。それは久路人を信じていない証拠だ。怖い。ああ、怖い。別のことを考えよう。こんなことを考える女だと知られたら・・・・

 

--久路人に本当に嫌われちゃう。

 

 雫の眼には、もう亀裂の奥にいる狐を殺すことしか映っていない。それ以外は考えない。考えたくない。そう、これはあの狐の策略だ。考えちゃいけない。集中しろ。目の前にある亀裂に、限界まで霊力を注ぐことだけを・・・・

 

「感謝するぞ?また目をそらしたな?」

「ガフッ!?」

 

 次の瞬間に、雫の細い肢体を貫いていたのは、鋭く尖った牙だった。

 目の前の亀裂ではなく、雫の足元にできていた影。そこから矢の如く飛び出た家ほどの大きさの狐が、雫に噛みついていた。

 

「ガ、アアア・・・貴様ぁ!!」

「フン、この姿は吾もあまり好かんのだがな。まあ、仕方ない」

 

 それは、珠乃の本性、原形とも言える姿だった。

 雫の元が大蛇のように、珠乃は古狐がその真の姿だ。術を操る精密性に優れる人間の姿。妖怪としての身体能力とのバランスが取れた半妖体。そして獣のスピードとパワー、最大の霊力を持つ妖怪形態。

 これまでの術の撃ち合いによる遠距離戦から一転して、力任せの近接戦闘。遠くの的を狙っていた雫は、その落差に気が付かなかったのだ。

 

「グゥウウ!!舐めるな!!これしき・・・!!」

「ほう?貴様もなるか?元の蛇に?人間の女とはかけ離れた醜い姿に!!」

「・・!?」

 

 それはほんのわずかな隙だった。

 雫も人化の術を使っているとはいえど、大妖怪だ。体に太い杭が刺さったくらいでは即死はしない。珠乃のように大蛇の姿になれば盛り返すこともできただろう。だが、一瞬、蛇になるのをためらった。蛇の姿は、人外の象徴。それになれば、ますます久路人との距離が開いてしまう。そんな気がした。

 そして、そのわずかな隙が致命的だった。

 

「ガ、アアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

 珠乃の牙がさらに深く刺さり、その周囲が見る見るうちに灰色に染まっていく。すぐさま雫の四肢が石と化した。

 

「吾の牙にあるは石化の毒。殺生石ノ法。吾を封じた石を模した猛毒よ。この陣の中のみ用いることのできる特別製じゃ」

「き、貴様ぁああ・・・・」

 

 叫ぼうとするも、その声に力はない。完全に先手を取られていた。体を変化させようにも、変化させる肉体が石となっては意味がない。その石はただの石ではない。九尾の狐を封じ込めるほどの強力な枷だ。多少なりとも霊力を消耗していたところに、最も大量の霊力を流し込める獣の姿での、力押しの猛毒だ。即死はせずとも、抵抗もできなかった。

 

「勝負ありだ。白蛇」

「クソオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!」

 

 世界が再び歪む。不確かだった空間が形を持ち始める。

 眼下の湖が消え、月夜のススキ原が蜃気楼の如く浮かび上がる。

 

 半ば石と化した雫は、そのままススキ原に落ちていった。

 

 

-----------

 

「う、うう・・・・」

「はっ!!いい恰好だな?蛇よ」

 

 満月の照らすススキ原の中、地面に横たわった雫は自分を見下ろす珠乃を睨みつけるが、どうにもならなかった。落下の際に封じかけられた霊力を振り絞ってどうにか衝撃を弱めるように水を操ったために死にはしなかったが、それだけだ。もはや動くことも叶わない。だが・・・

 

「だが、いくらなんでも、貴様も限界のはずだ・・・・・あれだけ中途半端な陣の展開に、この新しい陣への張替え。いくら前もって準備していたとしても・・・」

「ああ、そうだな。確かに、この吾はもう限界だ」

 

 珠乃の言うことは真実だ。

 先ほどまではまだ余裕のあった表情にも、このススキ原に来てからは汗がにじんでいる。だが、その後の言葉は無視できなかった。

 

「・・・この吾、だと?」

 

 雫が聞き返すと、珠乃は汗の滲んだ表情ながらも、ニヤリと笑って指を鳴らした。

 すると、空間に大きなヒビが入り・・・・

 

「ご苦労、吾よ。もう下がってよい」

「ああ、そうさせてもらおうかの、吾よ」

「分け身!?いや、ただの分け身ではない!?」

 

 空間から顔を半身を出したのは、もう一人の珠乃だった。それはこれまで大波で押し流したチンケな分身とは訳が違う。その珠乃と今まで戦っていた珠乃から感じた霊力はほぼ同等だったのだ。

 

「通常、分け身というのは本体よりも弱い力しか持たすことができん」

「だが、この天花乱墜の中で、術者たる吾ならば話は別。この世界の理は吾のものじゃ」

「鏡狐。吾と全く同じ力を持った分け身。まあ、流石に出せるのは2体が限界じゃがな」

 

 そして、今まで戦っていた珠乃が霞の如く消え去ると、もう一人の珠乃が完全に姿を現し・・・

 雫は叫んだ。

 

「久路人!?」

 

 今まで見えていなかったもう半身の腕に抱えられていたのは、久路人だった。霊力は感じるために生きてはいるようだが、気絶しているのか、身動き一つしない。

 

「くく、このガキは強かったぞ?吾の油断もあったとはいえ、もう一体の鏡狐を倒してのけたのだからな」

「貴様!!久路人に何をした!?」

 

 珠乃の言うことなど、雫には気にもならなかった。雫にとっての至上命題は、いつでも久路人のことだけだ。

 

「なに、少し眠ってもらっておるだけじゃ。負っていた傷も、ある程度は吾が直してやったのだぞ?感謝してもいいぐらいだと思うがの?」

「久路人を離せ!!痴れ者が!!」

「・・・・自分の立場が分かっておらんようじゃの」

 

 そこで、珠乃は久路人を乱雑に放り出して前に一歩踏み出すと、雫の頭を力を込めて踏みつけた。整った顔が土に沈み、美しい銀髪に泥がかかる。

 

「ガ・・ゥウウ」

「今、この場の支配者はこの吾だ。分をわきまえよ。まずは口の利き方から直してもらおうか?『申し訳ございませんでした、珠乃様。今より貴方の仰せのままに致します』とでも言え。さもなければこのガキがどうなるかわかっておろうな?」

 

 そうして、つま先で雫の顎を持ち上げ、上を向かせると・・・

 

「ぺっ!!」

 

 珠乃の顔に、雫の唾がかかった。

 

「はっ!!その手には乗らん!!安易に契約書に手を出すななど、小学生でも習う・・・ガッ!?」

「・・・・勘のいい蛇じゃな」

 

 横たわる雫の腹を思い切り蹴り飛ばし、水を出して唾を洗い流す。

 さきほどの命令は一種の契約だ。雫が承諾していれば、それである程度の行動を縛れるはずだった。

 

「まあいい。その気丈さがあるのもまた一興だ」

「・・・なんだ?悪役よろしく妾を痛めつけでもする気か?三文役者が」

「そんなことはせんよ。むしろ、吾としては汝には美しくあってもらわなければ困る。『自分には何の落ち度もなかった』と言い訳もできぬようにな」

「・・・何を言っている?」

 

 珠乃が手をかざすと、雫の体が浮かび上がり、珠乃の目の前に現れた椅子に降ろされた。さらに、流水が現れたと思えば、汚れを洗い落としていく。

 

「なんのつもりだ?」

「なに、年上の先達として、経験の足らん汝に一手教授してやろうと思ってな」

 

 珠乃は続けてもう一つ椅子を出すと、そこに腰を降ろした。

 

「女が男を堕とす手練手管をな」

「貴様・・・まさか!!」

 

 パチンと指を鳴らす音がすると、今度は久路人の体が浮かび上がり、珠乃の太ももの間に収まった。ちょうど、珠乃が後ろから久路人を抱きかかえるような形だ。珠乃の手が、久路人のズボンの上をなぞる

 

「ほう、顔に似合わず中々立派なモノを持っておるではないか。服の上からでもわかるとは」

「やめろ!!それは、それだけは!!!」

 

 雫の顔色が蒼白になった。手足を動かして暴れようともがくが、石となった部位は動かない。霊力も枷のせいでほぼ封じられている。

 

「そうだのぉ・・・止めて欲しいか?なら、その態度はいただけんな」

「・・・・止めてください。お願いします」

 

 雫は歯を食いしばってから、動く首だけで頭を下げた。

 妖怪となった後も、人化した後にも、このようなことは初めてだった。

 

「はっはっは!!なんだ?先ほどと違ってずいぶんと従順ではないか?だが、それに免じてチャンスをやろう。吾の問いに答えられたら考えてやる」

「・・・質問は何ですか」

 

 内心で何もできない無力な自分に罵詈雑言をぶつけているのだろう。瞳の端に涙をためつつ、雫が問うと、珠乃は楽しそうに嗤った。

 

「うむ!!吾や汝のような妖怪が人間から力を吸う時だがな?血はとても効率の良い入れ物じゃ。我らは血をすすることで力を得ることができる。じゃがの?」

「・・・・・」

 

 そこで、珠乃は間を置くと、続けた。

 

「血よりも濃い霊力が溶け込んだ、若い男からしか得られない体液とは、果たして何じゃろうなぁ?」

「まさか・・・それって」

 

 その答えはすぐに脳裏に浮かび上がった。しかし、口には出せなかった。この狐がやろうとしていることが形を成してしまうから。

 

「3、2、1。時間切れじゃな」

「あ・・・・」

 

 そこで、無情にも珠乃は答えを打ち明けた。

 

「覚えておくといい。我ら妖怪にとって一番の力の源はな?若い男の精に決まっておろう?」

「やめて!!お願い!!やめてください!!それだけは!!それだけは許して!!」

 

 雫は懇願した。妖怪としてのプライドなどかなぐり捨てた。涙があふれた。声も震えた。だが、それでも珠乃はその手を止めない。

 このままでは・・・・

 

--久路人が穢される。私以外の女の手で

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

 

 気が狂いそうだった。

 絶対に、絶対に認められないことだった。

 目の前の狐を百度殺してもなお足りないくらいの憎悪が巻き起こる。

 でも、体は動かなかった。

 

「うるさいのう。これからが本番なのじゃがな?今でこれでは、初めての男が他の女に絶頂させられた時に、どうなってしまうのかの?」

 

 実に楽しそうに、珠乃の顔に三日月のような笑みが浮かぶ。

 そして、久路人の顔を動かし、自分の顔を近づけた。久路人の首筋に付いた傷に舌を這わすと、久路人はビクリと震えた。

 

「おお、なんと芳醇な霊力!!陣で疲れた身によく染みる。この血があればまだまだ続けられそうじゃの」

「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 雫は壊れたスピーカーのように叫び続けるが、珠乃にはそれすら面白く映るのだろう。今度は久路人の顔に両手を添えた。

 

「そういえば、さっきの鏡狐ごしに見ていたが、汝らは接吻もまだなのだったな?ならば、吾がもらってやろう」

「あ・・・・・・・・・・・」

 

 珠乃の顔が久路人に近づく。そして、その唇に触れるほんの手前。

 

「・・・・ん」

 

 少年は目を開けた。

 

-----------

 

「・・・・ん?」

 

 僕は、何が何だかわからなかった。

 目の前に、さっきまで戦っていた珠乃の顔がある。

 体がうまく動かない。

 頭がぼんやりする。

 何か術でもかけられたのかもしれない。

 

「おお!!目を覚ましたか。これはいい!!反応が何もなければつまらんかったからのう」

 

 すぐ近くにある珠乃の顔が何か言っていたが、よくわからなかった。

 だって、僕の耳に届いたもう一つの声の方が大事だったから。

 

「久路人?久路人!!クソッ!!動け!!動きなさいよぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「しずく?」

 

 ぼんやりとする頭を動かそうとすると、珠乃の手が離れた。なんだかニヤニヤ笑っているが、ありがたい。しずくは、僕の好きな女の子はどこにいる?

 

「しずく・・・・」

 

 そうして僕は頭を動かして・・・・

 

 それを見た。

 

 

 

 雫が、その綺麗な手足を石にされて動けなくなっていた。

 

 

 

 雫が紅い瞳に涙を溜めて泣いていた。

 

 

 

 雫が、声を枯らしそうなほどに僕の名前を叫んでいた。

 

 

 

 雫はとても必死で、けれどもどうにもならないことが分かっているような、怒りと悲しみが混ざったような顔をしていた。

 

 

「・・・・・・」

 

 

 それを見た瞬間、ぼんやりとしていた頭がスッと冷えた。

 それは僕に一つのことを示していた。

 それは僕にとっては一つの証明だった。

 それはどんな理由があるにせよ、僕にとっては決して許してはいけないことだ。

 

「おお、なんと健気な従僕だろうなぁ!!ほれ、何か言ってやることはないのかの?」

 

 再び珠乃が何か言っているが、それは意味をなさない音として僕の脳を素通りしていく。

 

 

 雫の有様を見たその時から、僕の頭には一切の思考が消えていた。

 

 代わりにその身にあるのは、頭が凍り付いたように冷めていく感覚と・・・・

 

 胸の中を焦がしつくすような灼熱のナニカだった。

 

「・・・・・・だ」

 

 いや、もう一つあった。

 

「ん?なんと言ったかの?」

「・・・・違反だ」

「・・・何?」

 

 僕はまるで自分が機械になったようだとどこか他人事のように思いながらも声に出す。

 体の中を蟲のように這いずり回るおぞましい嫌悪感を吐き出すように。

 

 

 

--「でも、雫が不安なら約束するよ。僕だって、君に何かあったら必ず助けるし、守るって」

 

 

 それは幼いころに僕が雫と交わした約束だ。

 とてもとても、何よりも大事な約束だ。

 約束は守らなくてはならない。

 この世界は約束、決まり事、法則によって正しく回っている。約束は守らなければならない。守られなければならない。

 だが・・・・・

 

「・・・久路人?」

 

 今までの必死な様子から、怪訝そうな表情に変わった雫が僕を見ていた。

 その顔には、涙の跡がはっきりと残っていた。その手足は未だに石のままだ。

 それが意味するのは、たった一つのこと。

 

「ルール違反だ」

 

 僕は、約束を守れなかったのだ。

 

-----------

 

 次の瞬間、偽りの月夜に、つんざくような雷鳴がこだました。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 天罰の執行者

あけましておめでとうございます。
本年も、この小説を読んでいただければ幸いです。

長く続けた九尾戦ですが、今回で決着です。


 昔からそうだった。

 

「ルール違反だ。そう、これはルール違反だ」

 

 口に出す。自分の荒れ狂う心の内を、少しでも吐き出さなければというように。

 

「ルール違反・・・・」

 

 僕は約束とか、ルールとかいうものを守らなくちゃ気が済まなかった。

 全部が全部っていうわけじゃない。「後で借りた百円返す」くらいの口約束とかそのくらいを破る程度ならまだ我慢できる。それでも・・・

 

 人間社会を円滑に回すための常識というルール

 人外はむやみに人間を襲ってはいけないという古に結ばれた協定

 親友との、今では異性として好きになった女の子との、守りあうという大事な約束。

 

 つまるところ、自分と雫、親しい人たち。そしてそれらを取り巻く世界の安寧を保つための決まり事。

 

 この約束だけは破っちゃいけないという想いは常に胸にあった。

 このルールは守らなければならない。

 そのはずだった。でも、できなかった。

 

「ああ、守れなかった。僕は約束を守れなかったんだから」

 

 ああ、今の僕の心中を何と言えばいいのだろう?後悔?怒り?悲しみ?嫌悪?あるいはその全てかもしれない。ルールを守れなかったということが、僕の心で消えない嵐のように暴れまわる。

 

「ああ・・・・」

 

 初めてそういう風に思ったのがいつからかは覚えていない。

 初めて妖怪に襲われた時かもしれない。あるいは別のタイミングだったかもしれない。

 僕自身でなくても、ルールを破る存在というものに、どうしようもない苛立ちを覚える。

 ああ、そうだ。今は他のやつらじゃない。とうとう、この僕が・・・・

 

「ああ、守れなかった。守れなかった。守れなかったんだ。守れなかった、破ってしまった。ああ、ルール違反だ。ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反」

「・・・久路人?」

「おい!!汝、何を言っている!?」

「ああっ!!ああっ!!あああああああああああっ!!!!約束をっ!!この僕が、絶対に守ると誓った約束をっ!!ルールを、守れなかったぁああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」

 

 叫ぶ。そうしなければ気が狂ってしまいそうだった!!

 雫と珠乃が何か言っているが、耳に入らない。気が付けば、僕の体は地面に投げ出されていた。きっと珠乃が突き飛ばしたのだろう。だが、それも気にならない。

 それは、僕が大事な約束を守れなかったから!!

 約束を破った罪悪感と嫌悪感が霊力とともに体を駆け巡る!!

 

「ああ、僕はっ!!僕はっぁあああアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!!!!!!!!!!」

 

 そうだ!!僕は大事な大事な、とても大切な約束を守れなかったのだ!!なんという罪深いことをしたのか!!雫とどんな顔をして向き合えばいいのかわからない!!かくなる上は腹を切って・・・

 

 

--要因を排除せよ

 

 

「あ」

 

 声が聞こえた。

 

 

--世界を乱す異物を除去せよ

 

 

 まるで僕の内側から囁くような声。

 その声を聞いた瞬間、頭が落ち着いた。やらなければならないことを思い出したのだ。そう、この感情の荒波をぶつけなければならない相手がいるではないか。自分を責める前にやることがある。

 

「・・・・・・」

 

 僕に約束を破らせたのは誰だ?どうしてそんなことになった?何が原因で、何が悪いかなんてわかりきっているだろう?

 

--法を犯す者に、罰を

 

 冷静になった頭で思う。

 そういえば、雫と会ったばかりのころもこんな気持ちになることがあった。確かクワガタを採りに近所の雑木林に行って、人間をトカゲの形に無理やり変えたような妖怪に襲われたときだ。あの時は、その少し前におじさんから「妖怪と人間は『魔人』と『魔竜』っつー馬鹿みたいに強い奴らが決めたルールで仲良くしねえといけない」と教えられていたのだ。おじさんが言う「ルール」というものは現世と常世の平和を守る上で大事なモノ、ということは子供だった僕にもよく理解できた。だから、そのルールを破ったトカゲモドキは悪いことをしていて、悪いことをしたからには罰を受けなきゃいけない、ルール違反の責任を取らせなければいけないと思ったのだった。あの時と同じだ。考えてみると珠乃は・・・

 

「そうか、お前はとっくにルールを破ってたんだな」

「はあ?」

 

 僕がそう言うが、珠乃は何が何だかわからないような顔をしていた。

 まったく、これだからアウトローってやつはいけない。自分が何をしでかしたのかもわかっていないのだ。現世と常世の平和を保つということは、この水槽の均衡を保つということ。それを無視して現世で騒ぎを起こすばかりか、世界にとっての癌とも言える陣まで展開するなんて、厚顔無恥にも程がある。世界はルールを守ることで成り立っている。その世界にルールを無視するどころか己の意思のみを規則とする別の世界を作るということがどれほど水槽の管理者をコケにしたことかまるで理解できていない。水槽の壁を無理矢理加工して増築するようなもので、水槽そのものを歪めかねない事態だと言うのに。怒りを通り越して悲しくなってしまう。

 

「いや、今更気が付いた僕も僕だな」

 

 思えば僕も随分と温くなった。

 確かに、これまではあまりにも襲い掛かって来る妖怪どもが多くて、それが日常のように感じていた。だが、それは本来あってはいけないことなのだ。人間の良識という、これまた大事な規範を守るために、僕はあまり異能を使うのは好きじゃないし、手荒なことも嫌いだ。だから、僕、というか雫にやってもらったのは、僕らに襲い掛かってくる妖怪だけを倒すという対処療法だ。いつの間にかそれで満足してしまっていた。だが、そんなものでは足りないのだ。この現世に平穏を壊すために、すなわち世界そのものの均衡を乱そうとする輩はすべて消し去るぐらいでちょうどいいのだ。ルール違反を直接犯さなくとも、見て見ぬふりだって立派な罪だ。だから・・・

 

 

--罪には罰を。罪人には贖いを。

 

 

「責任を取ろう」

「・・・何をさっきから言っておるかわからんが、少し黙れ」

 

 珠乃が再度近づいて、僕に手をかざした。何か術を撃つつもりなのだろう。ならば、対策をしなければ。幸い、今の僕には霊力が有り余っているうえに体の方も復調している。

 

 

--今ならば、今だけならば、使える術がある。

 

 

 僕の「血」はそう言った。

 すべてはこの無法者を誅するがため。陣を以て世界を乱す愚か者に罰を与えるため。

 僕は内側から語るような声に抗わず、その術を使う。

 

月読(ツクヨミ)

 

 与えられるのは神の視点。目に映るのは、紫色の毒々しい術。その術をまともに食らい、衰弱する自分の姿。

 ああ、そうか。こいつはどこまでもルールを破るつもりなんだな、と再確認する。それならば、僕も容赦はしない。

 

「狐毒・・・なっ!?」

「当たらないよ」

 

 ほぼゼロ距離で放たれた紫色の狐のようなナニカを、頭を軽くそらして避ける。何が来るのかわかっていれば、回避なんて簡単だ。今の僕にはそれができる。しかし、この距離は窮屈だな。ちょうど次に石化の霧が飛んでくるみたいだし、移動しなければ。

 

「どいてくれ」

「ちぃっ!?」

 

 僕が全身から体に纏わせるように雷を出すと、術を出そうとしていた珠乃は後ろに跳んで僕から離れた。これで動きやすくなった。僕はそのまま雫の近くまで移動し、雫を後ろに庇うように立ちながら、珠乃を見た。

 大丈夫だ。あいつは僕を警戒している。しばらくは、向こうから術は撃ってこない。

 

「久路人?さっきから、なんか変だよ?それに、そんな術見たことないし、一体どうした・・・」

「責任を取るんだ」

「え?」

 

 雫が呆けたような声を出す。僕が約束を交わした女の子。僕が好きになった女の子。僕は彼女を守れなかった。約束したのに守れなかった。彼女を傷つけたのはあの狐だ。世界のルールどころか、雫にまで手を出した。

 

「責任を取らなくちゃいけない」

 

 雫との約束を守れなかったことの責任。その償いを。

 

「責任を取らせなきゃいけない」

 

 世界のルールを犯した責任。その罰を。

 

 

「『そのすべての元を断ち、清算する』」

 

 

 あの狐を、この世界から消すことを以て。

 

 

神在月(カミアリヅキ)

 

 

 僕が術を使うと同時、偽りの月夜に耳をつんざくような雷鳴がこだました。

 

-----------

 

「何だ!?その妙な霊力は!?」

 

 珠乃は先ほどまでの情緒不安定な状態から一変して、能面のように無表情となったまま構える久路人に、珠乃はまくし立てた。

 

「・・・・・・」

 

 久路人は答えない。

 耳に入るのはシュウシュウ・・・と水蒸気の噴き出る音だけだ。巨大なドームほどはあろうかという太さの雷が降り注ぎ、珠乃の周囲の地面は黒く焦げ、未だに赤熱していた。咄嗟に発動した結界によって、珠乃の足元だけは元の地面が残っているが、完全には防ぎきれなかったようで、着物はところどころ焦げていた。

 

(ヤツの霊力は雷だけだったはず!!だが、今感じるのはそれだけではない!!何の属性かもわからんが、凄まじいもう一つの霊力が溢れている!!)

 

 通常、人間だろうが妖怪だろうが、霊力には属性がある。属性は多種多様であるが、火、土、水、風、雷あたりが基本五属性とも呼ばれる。京や珠乃のように複数の属性を持つ者もいるが、久路人は間違いなく、鏡狐と戦っていた時には雷の属性しか帯びていなかった。

 

(だが、今のヤツが放つコレは?背筋が粟立つ・・・・炎のような熱さも、雷のような痺れも、水の冷たさも感じない。ただ、純粋な力の塊。無形の圧力。そんなナニカだ。あれが、月宮の持つ力なのか?)

 

 珠乃にはもはや油断はない。

 先ほどの久路人の戦いでは一瞬の油断から稲妻のような速さで心臓を貫かれた。こうしている今も、少しでも隙をさらせばそれだけで首を落とされそうなプレッシャーを感じていた。だが、付け入る点がないではない。

 

(妙な力こそ感じるが、肉体への負担がない、というわけではなさそうじゃの)

「久路人・・・」

 

 珠乃がそう思うと同じく、雫が痛ましげな声を出した。

 

「・・・・・」

 

 久路人の腕から、血が伝っていた。まるで内側から溢れる力が無理やり出てこようとしたかの如く、二の腕にぱっくりと大きな裂傷が開いていた。

 

(あの厄介な砂鉄はすべて、前の空間ごと消した。ヤツの攻撃手段は遠距離の術のみだ。ならば、少し耐え凌ぐだけで、ヤツは自滅する)

 

 今のススキ原は、久路人が戦った場所とは異なる空間だ。前の空間にいた時、珠乃は万が一抵抗されたときのことを考え、傷を治すのは最低限とした上で黒鉄をすべて破棄したのだ。

 

(そうだ。あの異質な力は警戒に値するが、焦る必要はない。ヤツの血で、霊力も賄えた。何も問題は・・・)

霹靂神(ハタタガミ)

「なぁ!?」

「久路人!?」

 

 腕から血を流しながらも、それを一切気にした様子もなく、久路人は次の術を放つ。

 放たれたのは雫の瀑布を超える、雷の大津波。

 

「狐塚!!・・・・・ぐぅううううううううう!?」

 

 回避は間に合わないと悟り、土壁を出すも、雷は壁を紙の如く突き破って珠乃を飲み込んだ。

 

「・・・・・」

 

 ブツリと、今度は頬に深い裂け目ができるが、久路人に動じた様子はない。

 

「おのれぇ!!」

 

 そこで、全身を焦げ付かせた珠乃が激高しながら飛び掛かって来る。

 

「死ねぇ!!幻炎!!」

「・・・・・」

 

 目の前に炎の塊が迫るも、久路人に焦りは見られない。まるで、そう来るのが分かっていたかのようだった。だが・・

 

(この炎を汝は躱せぬ!!)

「あ・・・」

 

 雫が思わず声を出す。久路人は雫を庇うように立っていた。久路人が避ければ、雫にそのまま直撃する。普段ならばいざ知らず、手足が石化した状態で食らえばどうなるかなどすぐわかることだろう。

 

避雷神(ヒライシン)

 

 しかし、爆炎が雫の手足を砕くことはなかった。

 まさに雷光のような速さで動いた久路人が、雫を抱えて移動したからだ。さらに・・・

 

神威(カムイ)

 

 雫を抱えたまま跳びあがった久路人は、まるで日輪のように全身から稲光を放った。

 その光は偽りの月光を塗りつぶし、ススキ原を銀色から黄金に染める。

 

「ぐっ!?」

 

 雫が座らされていた椅子の影から、黒焦げの人型が飛び出した。久路人が炎を防いでいる隙に、分身で雫を人質にでもしようとしたのだろう。

 

「・・・・盾と武器がいるな」

 

 術の影響か、腕に新しい傷を作りながらも、久路人はそう呟いた。

 

「く、久路人・・・」

 

 抱えられた雫にはわかった。傷ができているのは腕だけではない。服の下にも、おびただしい量の血が流れていると。珠乃は傷を治したが、それはあくまで応急処置。激しい術と運動の連発で傷が開いたのだ。

 

「久路人!!それ以上無茶しちゃダメ!!もう少し待てばこの石化も・・・」

 

 雫は久路人に訴えかけた。

 ただでさえ、その霊力の高さから軽い身体強化の術だけでもダメージがあるのだ。これほどの規模の術を使い続けて、生きているのがもはや奇跡なのである。

 

「・・・・ああ、なるほど。こうすれば届くのか」

「久路人?ねえ、お願い!!話を聞いて!!」

 

 その声は届かない。

 まるで聞こえていないかのように、久路人は霊力を高め始めた。その独り言は、一体誰に向けて、何を見て口に出したものなのか。

 

「・・・何をしようとしているのか分らんが、させるはずがなかろう!!」

 

 珠乃には久路人の意図はわからなかった。しかし、全身を針で突かれたような圧を感じていた。

 

(マズい!!アレは止めねばマズい!!ヤツと蛇どころか、吾まで巻き込んで殺しかねんほどの力だ!!)

 

「炎獄!!」

 

 ススキ原を燃やし尽くしかねないほどの炎の塊が現れる。

 炎の狙いはもちろん久路人だ。珠乃は久路人を殺すつもりで術を放った。血を得ることよりも、ここでアレを撃たせたら、最悪ここにいる者全員が死ぬ可能性を危惧したのだ。

 

「・・・・・」

 

 それでも、久路人は一切の動揺を見せなかった。これまでのように、まるでその先の結末が分かっているように。

 

 

 パシンと音を立てて、炎がかき消された。

 

「な!?何が起きた!?」

「れ、霊力だけで、あの炎を消したの・・・?」

 

 炎を防いだのは、何の形もとっていない、純粋な霊力だった。

 霊力とは、生命力や精神力が魂という世界の欠片に染まって変質したエネルギーだ。確かにそれそのものが破壊力を持つが、術によって加工されていない霊力にできるのは指向性を伴わない破壊のみ。特定のものだけを選んでまるごと消滅させてしまうような真似は不可能なはずなのだ。そもそも、久路人や雫が影の中の珠乃に攻撃したときのように術としての形を持っていなければ、その破壊力にしても大きく劣る。

 霊力を霧に例えるのならば、術というのはその霧を集めて固めて、水や氷に変えて出すものだ。その際、術そのものが放つ霊力は冷気のように特定の効果を持つ。しかし、なんの加工もしなければ、霊力は漂う霧でしかない。

 

「・・・・・」

 

 久路人は黙したままだ。ただひたすらに、霊力を高め続けていた。

 

「これが、これが月宮の持つ力なのか?」

 

 目の前の信じられないような光景を見て、珠乃がうわごとのように呟いた。

 

「現代にまで続く、『天使』の一族。もっとも水槽を覗く者に近い血を持つ血族」

 

 封印が解け、葛原の地の霊能者を傀儡とした後、珠乃は現代の現世のことを調べさせた。それは今の自分を脅かす敵を知るためであったが、それによって高名な七賢や悪名高い旅団について知った。そんな情報の中に、月宮一族に関するものもあったのだ。

 

 

--月宮一族は天の一族。一族のすべてが天にまつわる異能を持つ。大いなる力の片鱗を宿す者たち。

 

 

「・・・・溜まった」

 

 久路人はそこで、ポツリと口に出した。

 その周りには、眩い黄金の輝きが目に視えるほどに濃密な霊力が渦巻いている。

 

 

--月宮一族が天にまつわる異能を持つのは、その始まりに天より降りた祝福を宿す者がいたからだ。

 

 

「久路人・・・」

 

 久路人の腕の中で、雫は力無くその名を呼んだ。

 嵐のような霊力の奔流のただなかにありながらも、その体に傷はない。だが、「もう止まらない」という、諦めに近い確信がその声にはあった。

 

 

--雷とは、すなわち神鳴り。天上の存在が振るう力の欠片。初代の先祖返りとも言える久路人に宿る力は、人の身で扱える程度に零落したといえど・・

 

 

「偽りの世界に終焉を。今ここに、裁きを下す」

 

 久路人はそこで、上を見た。空に浮かぶ、偽りの月。その月を、空を砕くように睨みつけ、その名を唱える。

 

--その力は、まごうことなき神の力!!

 

鳴神(ナルカミ)!!」

 

 夜空を割るかの如く、一筋の眩い閃光が、地上から天へと昇っていった。

 

 

-----------

 

「う・・・・」

 

 目がつぶれるかと思うほどの閃光が通り過ぎた後、雫は目を開けた。

 

「久路人、久路人は?」

 

 今、雫は地面に転がっていた。さっきまでは久路人の腕の中にいたのだが。抱えられている時は、いわゆるお姫様だっこというやつで、こんな状況でもなければ喜びの余り発狂していたかもしれない。だが、久路人の温もりは感じられない。

 

「あ、腕が戻ってる」

 

 とりあえず周囲を探ろうと腕を動かしたら、ぎこちなくはあったが、動いた。どうやら石化の術が解けたようだ。とはいえ、毒はまだ残っているようで、霊力ともども、いつものように動かすのはまだ無理だったが。

 

「そうだ!!久路人は・・・いた!!」

 

 周りを見回すと、少し離れたところで久路人が立ち上がるところだった。

 さきほどの雷の術の威力が高すぎて、雫ごと吹き飛ばされたのだろう。立ち上がれるということは、生きているということだ。

 

「よかった!!久路人・・・・えっ!?」

 

 そのままふらつきながらも雫は立ち上がり、よろめきつつ、久路人に駆け寄る。

 そして、そこで気が付いた。

 

「・・・・・」

「久路人?」

 

 久路人の周りに、黒い糸のようなモノが漂っている。それはまるで操り人形を手繰る糸のようで・・・

 

「久路人!?」

 

 雫はそこでようやく理解した。久路人は立ち上がったのではない。立ち上がらされたのだ。その身に繋がる、黒鉄の糸で。

 

「・・・・・」

 

 久路人の目に光がない。片目から血を流しながらも、焦点の合ってない瞳はひたすらに前を見ていた。そして、動きのない本人とは逆に、その周りに集まる黒い砂鉄の量は見る見るうちに増えていく。

 

「何!?何が起きてるの!?」

 

 思わず叫んだ雫は、黒鉄の動きを目で追っていた。

 今、この黒鉄が久路人を動かそうとしている。この事態を起こしているモノに繋がっているのかもしれない、と。

 

「え?空が、割れてる?」

 

 黒鉄は空から降ってくるように集まっていた。雫が空を見上げると、月夜はそこになく、空には大きな亀裂がそこかしこに走っていた。その隙間から、薄ぼんやりとしたオレンジ色の光とともに、黒い砂が流砂のように流れ込んでいた。

 

「何、アレ?もしかして、外と繋がってるの?・・・・陣を、壊したっていうの?」

 

 さきほどまでの戦いで、久路人は得意とする黒鉄を使わなかった。恐らくは珠乃によって没収か破棄されたのだろうと雫は思っていたが、それは正解であった。ともかく、今までこの世界に黒鉄はなかった。なのに、今この場にあるということは、外の世界にプールしてあった分を呼び戻しているに違いない。

 だが、それはありえないことだ。陣は現世でも常世でもない別の世界。隣接はすれど、術者の許可なく干渉などできない。そんなことができるというならば、それは世界そのものを壊したということだ。

 

「黒鉄外套、装備完了・・・・」

「久路人!!ねえ、久路人!!」

 

 そこで、砂鉄が形作る黒いマントに身を包んだ久路人は口を開いた。普段とは違う、何の温度もない声が響く。雫が呼びかけるも、反応はない。

 

「陣の破壊は・・・不完全。術者は・・・・生存・・・・排除、未遂」

 

 久路人の右手に、黒鉄が集まっていく。それは、久路人の手の中で長十手のような直刀に形を変える。

 

「・・・雫、保護対象の、確保」

「やっ!?なにこれ!?」

 

 ほんの瞬きの間に、雫の周りにも黒鉄が集まったかと思えば、黒い檻の中に雫はいた。

 

「久路人!!もうやめて!!後は私がやるから!!それ以上は久路人が死んじゃう!!!」

 

 雫が檻の隙間から手を伸ばすも、久路人には届かない。

 久路人は、血まみれの手で刀を握りしめた。久路人を吊り上げるような糸がユラユラと蠢き、久路人はフラリと歩き出す。

 

「罰の執行を・・・・再開する!!」

「久路人!!」

 

 雫の頬を涙が伝う。あまりにも、自分が惨めだった。自分の無力が憎かった。

 何が護衛だ!!久路人を守れなかったどころか、久路人に逆に庇われている!!久路人は今も死にかけるほど傷を負っているのに、それを止めることすらできていないじゃないか!!!

 

「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!」

 

 そんな雫をよそに、獣の咆哮が響いた。

 ガラリと音を立てて、あちこちがめくれ上がった地面をさらに壊しながら、家ほどもある狐が現れた。

 

「危険だ!!貴様は、危険すぎる!!」

 

 狐は、否、珠乃は吠えた。

 

「陣を、世界を壊す力!!ああ、それは吾が望んだ力だ!!だが、ソレは、一個の命が持つにはあまりにも過ぎた力だ!!ほんの少しだけで、あらゆるものを狂わせる!!」

 

 その力は、すべてを滅ぼしかねない。ともすれば、何かを壊す前に、その持ち主に牙を向くだろう。だが、それは世界のありように似ていた。あまりにも大きくて、ほんの少し身じろぎしただけで、運の悪いものを踏みつぶしていく、世界そのものと。かつて、狐の化身とその夫を襲った時のように。そして、目の前の少年の持つ力は、世界そのものとも言える存在の欠片だ。すなわち、世界とつながった存在だ。過去も、そして今も、世界は珠乃の前に立ちふさがる。そう、それが世界の意思だとするのならば・・・・

 

「吾を、晴を、弄んだ報いを受けよぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!」

 

 九本の尾がうねり、灰色の霧が火砕流もかくやと久路人に迫る。

 

「殺生石ノ法!!」

 

 それは、珠乃の怒りのすべてだった。かつて、自分と夫を襲った理不尽。それを引き起こした世界そのものの力を持つ者が、目の前にいる。湧き上がる怒りは、すべてが霊力へと変わり、万物を石と化す灰色の嵐となった。

 

「蓄電・・・完了!!」

 

 しかし、久路人には、その血を流す紫の瞳には、何が来るか分かっていた。それを壊すための準備もできていた。

 いつの間にか、久路人の周りを漂う砂の色が変わっていた。鈍く光る黒から、鮮やかな紅色に。久路人の掲げた刀の周りに、渦を巻くように紅い輝きが宿る。

 

紅月(こうげつ)

 

 紅く熱を帯びた鉄は、久路人の太刀筋に合わせて形を三日月へと変えた。

 あらゆるものを焼き切る美しい月が、灰色の嵐とぶつかり合う。

 

「・・・・!!?」

「ぐぅ!!!?」

 

 刹那、爆発。

 

 ぶつかり合った殺意の塊は、お互いを食らい合った。

 爆風が地面を吹き飛ばし、視界が役に立たなくなる。

 

「はあああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」

「があああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」

 

 しかし、久路人と珠乃には、そんなことは何の関係もなかった。

 久路人はすべてを見通す目が。珠乃には、獣の鼻があった。

 黒衣の少年と古狐は、再度ぶつかり合う。今度は術ではなく、その武器を以て。

 

--久路人の纏う黒鉄のマントが剥がれ落ちると、手に持った刀に吸い込まれていく。周囲を漂っていた黒鉄も同様だ。それは、防御を捨てて、貧弱な人間の体を晒して放つ一撃。からくりの如く体を操る糸が忙しなく蠢き、最も効率よく、すべてのエネルギーをその一撃に詰め込む構えを取る。

 

--珠乃の九本あった尾の内、八本が影に沈むように消えると、影から八本の触手が伸びてその爪に纏わりついた。これまで積み上げてきた霊力のすべてをつぎ込んだ一撃。その影が含むのは、数多の人間を葬ってきた毒の全て。

 

砕月(さいげつ)!!」

孤影瘴全(こえいしょうぜん)!!」

 

 月すら砕くような刺突と、瘴気を纏った爪がぶつかり合った。

 

「くぅうううううううううっ!!!!!!!!!!!」

「おおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!」

 

 月にまで届きそうな一撃が、珠乃の爪を砕く。

 鉄すら侵す猛毒が、久路人の刀を溶かす。

 

「く、おお、おあああああああああああ!!!!!!」

「死ねぇええええええええええええええ!!!!!!」

 

 二つの勢いは互角だった。

 お互いがお互いを食らい合い、その命を奪おうとする。

 どちらも譲らない。譲れない。

 

 久路人には、己の信念と、この世界そのものからの勅令が。

 珠乃には、永い時をかけてため込まれた世界への憎しみが。

 

 どちらも譲らない。譲れない。

 お互いに一歩も引くことなく、殺意の刃を押し付け合う。

 

「ぐ、ああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」

「ははっ、ははははははははははははぁぁぁあああっ!!!!!!!!」

 

 だが、それは永遠には続かない。

 決着は、必ず付くものだ。

 狐の哄笑とともに、黒い刃が押され始めた。

 

「はははははははははっ!!!ははははぁぁぁあっ!!!!そうだ!!貴様は・・・・」

 

 狐は嗤う。この勝負における、久路人の敗因を。

 

「貴様は所詮!!人間だぁぁぁあああああああああっ!!!」

「く、く、クソォォォオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 久路人の体が悲鳴を上げる。

 一人、珠乃の分身と戦い、傷が癒えたばかりだというのに、世界を揺るがすような術を連発。その上で今の鍔迫り合いだ。体はとっくに限界だった。体のあちこちが裂け、肌の色が見えないほどに血に塗れている。それは、久路人が人間だから。脆い人間の肉体の、限界であった。

 そしてとうとう、その黒い刀に、ピシリとヒビが入る。黒鉄の制御すら、もはや手放しかけていた。

 

「これで、終わりじゃあぁぁぁぁぁぁァアアアアアアアアアアアっ!!!!!!!!!」

「がぁぁぁああああああああああああっ!!!!?」

 

 久路人の刀が砕け、同じように欠けながらも、まだ鋭さを残した凶爪が、久路人の心臓をめがけて突き出され・・・・・

 

「させるかぁぁあああああああああああああああ!!!!!!!」

「なっ!?」

 

 血を固めたような薙刀が、爪を流水に乗せるかのように受け流した。

 全力を込めた一撃を流され、狐の体が宙を泳いだ。

 

「久路人ぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「はぁぁあああああああああああ!!!!!」

 

 最後は一瞬だった。

 

「お、おの、れぇぇ・・・・・」

 

 散らばった砂鉄が瞬時に集まり刃を作ると、月光のような輝きとともに振りぬかれ、狐の首が空に舞った。

 紅い薙刀が奔り、津波のごとき勢いで、心臓ごと狐の胴体を縦に両断する。

 

 小さく怨嗟の声を残し、永き時を生きた、人間と世界と、なにより己を憎んだ古き狐は、動かなくなった。

 

「久路人!!」

 

 だが、蛇の娘には、そんなことはどうでもよかった。

 

「久路人!!!!」

 

 さきほどの胴を断つ一撃で残っていた毒が広がったのか、全身に走る倦怠感に襲われつつも駆けだした。

 

「・・・・・」

 

 雫の向かう先では、ドサリ、と文字通り糸が切れたように、久路人が倒れるところだった。

 




最近評価とか色々ご無沙汰ですので、押していただければ私のお年玉代わりになります!!

あと、「ここよかった!!」とか、「なんだこの展開いみわかんねーよ!!」とかあったら、感想お願いします!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前日譚 永遠にあなたと在るために

筆が乗ったので、ついつい書いちゃいました。
色々と粗いので、後で手直しするかもしれません。
久しぶりにヤンデレ書けて生き返った気分。


 ほんの少し前までススキ原だった荒れ地の上、空の至る所に、黒い亀裂が走っていた。

 

「久路人!!久路人ぉ!!」

 

 ひび割れていく世界の中で、悲痛な声を上げながら雫は久路人に駆け寄る。

 

「・・・・・」

 

 しかし、その声に返事はなかった。

 あの鍔迫り合いの最中で久路人が砂鉄の制御を失いかけたために、もう雫を囲っていた牢は欠片も残っておらず、同じように、さきほどまでその体を人形のように操っていた黒鉄の糸は霧散し、まさしく物言わぬ人形のように、少年は動かない。

 

「ひどい傷・・・・」

 

 久路人の黒鉄のマントはすでに無く、服は激戦の余波でぼろきれと化し、素肌が見えていた。

 そして、雫の言う通り、久路人の身体はひどいものだった。

 霊力の過剰行使による全身への裂傷とそこからの出血はもちろんだが、あの「鳴神」という術と、珠乃との最後の鍔迫り合いが特に響いたのだろう。胸の裂傷を塞ぐように心臓を中心として鎖骨まで広がるように火傷が走り、刀を持っていた腕と、体を支えていた脚は骨が折れておかしな方向を向いていた。

 

「早く・・・早く手当しなきゃ!!」

 

 自身の体も、珠乃の石化の毒による影響が残っており、本調子ではなかったが、そんなことは気にもならなかった。

 雫は水を出すと、久路人の体を洗い流し、傷口の上で水の動きを固定する。そうすることで止血はできるはずだった。

 

「・・・・・」

「ダメ!!こんなのじゃ足りない!!」

 

 だが、それは漏れ出る血を止めただけだ。体に負った損傷を癒すことなどできはしなかった。

 

「そうだ!!治療用の術具が・・・・」

 

 そこで、普段訓練の後に使う治療用の術具の存在を思い出した。本格的なモノは月宮家の備え付けだが、簡易のものならば携帯していた。そちらはほとんど使う機会もなかったために今の今まで忘れていた。

 

「あ・・壊れてる」

 

 しかし、先ほどまでの激戦で、その術具も壊れてしまっていた。石化していることから、獣となった珠乃に咬まれたときに体ごと貫かれたのだろう。

 

「どうしよう・・・・どうしよう!!」

 

 雫の頭の中が真っ白になった。どうしていいのか、まるで分らなくなったのだ。

 

「死ぬ・・・このままじゃ、久路人が死んじゃう!!」

 

 頭の中は白く、目の前は黒に染まるようだった。

 

--いつか必ず訪れる、永遠の別れ

 

 珠乃の言った言葉が、雫の中に蘇る。

 

「やだ・・やだよ!!絶対に嫌!!」

 

 久路人が死ぬ。

 久路人と二度と会えなくなる。

 久路人と二度と話せなくなる。

 久路人と二度と笑えなくなる。

 久路人と二度と触れ合えなくなる。

 久路人と二度と共に過ごせなくなる。

 

「やだ!!やだやだやだやだ!!やだやだやだやだやだやだやだやだヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!!」

 

--まだ、一度も気持ちを伝えてないのに!!

 

 駄々をこねる子供のように、雫はひたすらに叫ぶ。だが、それで状況は変わらない。

 

 ガラガラと世界が崩れる音がする。

 珠乃の開いた陣は、久路人の術と術者が倒れていたことで壊れかけていた。しかし、その速さが妙に遅く感じられる。

 

「早く、早く!!」

 

--早くここを出なければいけないのに!!

 

 はるか上のひび割れを、血走った眼で見つめるも、崩れ落ちる速さは変わらなかった。

 何も変わらない。叫ぼうが、睨もうが、何をしようが。

 かつて護衛として契約を結んだ少女に、できることは見つからなかった。

 

「ちくしょう、ちくしょぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 

 幾度目かになるか分からない、雫の涙。

 悔しかった。憎らしかった。怒りが止まらなかった。

 ああ、なんで・・・

 

「私は!!私は何でこんなに役立たずなの!?」

 

 己の無力を、さっきまでも嫌というほど味わった。もうたくさんだった。けれども、世界はさらにその現実を突きつける。

 

「私は!!私は!!私はぁぁぁ・・・・・」

 

 ヘビとして拾われた時、京を介して結んだ契約も、幼いころの久路人と交わした約束も、どちらも守れていない!!

 守ることも、救うことも。あの狐に止めを刺したのだって、本来は守られるべきである久路人だ。

 ならば、自分は、自分はいったい何のためにここにいる!!

 激しい叫びは次第に弱まり、やがて嗚咽へと変わっていく。

 

「ごめんね・・・久路人、ごめんねぇ・・」

 

 久路人の頭を膝に乗せ、雫はただただ泣きながら謝ることしかできなかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい・・・・・・!!」

 

 懺悔の言葉を口にしながら、久路人の頭をかき抱く。

 ポロポロと雫の瞳から零れ落ちた涙が、久路人の顔を伝い・・・

 

「・・・・う」

「久路人!?」

 

 その一滴が久路人の口に流れ込んだ時、久路人がわずかに身じろぎした。

 

「これは、なんで・・・・そうだ!!」

 

 雫は、自分の腕を見た。

 獣となった珠乃の牙に貫かれ、石と化していたその腕は、今では珠の肌の手本とばかりに傷一つない。それは、雫が蛇と言う極めて生命力の強い妖怪であるためだ。そして、雫の涙は、雫の体液でもある。そこには、雫の妖怪としての霊力が溶け込んでいる。それが、久路人の体に影響を与えたのだろう。

 雫の眼に、光が灯った。

 

「なら!!」

 

 雫は氷の刃を作ると、何のためらいもなく手首に深い切り傷を走らせた。鮮血が溢れるが、傷口はすぐに塞がろうとする。

 

「久路人、飲んで!!」

 

 雫は片手に刃を持ち、切り傷を癒さぬように広げながら、手首を久路人の口の上に持っていく。雫の腕から滴る血は、久路人の口に入っていくが・・・

 

「・・・ゲホッ」

「あ!!吐いちゃダメ!!」

 

 無意識なのだろうが、突然流れ込んできた液体を拒絶するように、久路人は咽た。血は零れ、辺りに飛び散っていく。

 

--このままでは、久路人は死ぬ。

 

 

 その考えが頭をよぎった瞬間、雫はそこで、今まで抱えていたこだわりを捨てた。

 

 

--雫の唇が、久路人の唇に重なった。

 

 

「・・ん」

「・・・」

 

 血を口に含み、自分の唇を久路人の唇に押し付ける。

 吐き出されないように、しっかりと久路人を抱きしめながら、舌を動かし、己の血を流し込む。

 久路人はビクリと震えたが、今度は吐き出すことなく、雫の体液を飲み込んでいく。

 

「ぷはっ!!」

 

 そこで、雫は、唇を離した。

 紅い糸が一瞬二人の間に架かり、切れた。

 雫はまた手首の傷を広げ、血を含む。

 

「はぁ、はぁ・・・・んぅ」

「・・・ん」

 

 そして、また二人は重なった。

 久路人の中に、雫の血が流れ込むたびに、久路人の呼吸が落ち着いていく。冷たかった久路人の体が、再び熱を持ち始めた。いや、熱を持っているのは、雫も同じだった。

 

「んくっ・・・・んっ!!」

「・・・・うう」

 

 それから、再び二人の間に橋が架かる。

 

「ん、れろっ・・・・・」

「・・・・・」

 

 何度も何度も、影が重なる。唇が触れ合い、舌が絡まり、互いの唾液が雫の血とともに交換される。そうして幾度目かの行為の後、雫は久路人から顔を離した。

 ふぅ・・・と一息ついて、どこか恍惚とした顔をしながら呟いた。

 

「・・・えへへ、ファーストキス、久路人にあげちゃった・・・あ、セカンドもサードも・・・何回したっけ?」

 

 久路人が死の淵から離れていくのが、肌で触れてわかったのだろう。雫の顔にも希望が戻っていた。その顔は、熱に浮かされたように赤く、紅い瞳は興奮に潤んでいた。

 

「はあ・・・・本当は、もっとロマンチックな感じであげたかったんだけどな」

 

 夕日を眺めながら、海の見える高台の上で、とか。

 満天の星空の下で、月を眺めた後に、とか。

 

 理想のシチュエーションでファーストキスを渡せなかったことにため息をつきながらも、その顔はどこか満足そうだった。

 雫が見つめる久路人の胸は規則正しく動き、いつの間にか傷が塞がりかけていた。まだまだ油断はできないが、死の危険から大分遠のいたことがよく分かったのだ。安堵の余り、雫は久路人の頬を撫で・・・・

 

「まだ、傷、治りきってないよね・・・・」

 

 ポツリと口に出した。

 

 

--ああ、今、久路人の体に、私の一部が入り込んだ。

 

 

「まだ、内臓とか、見えないところが、治ってないかもしれない・・・」

 

 ハッ、ハッと雫の息遣いが荒くなる。

 

 

--私の血が、久路人の中に入って、取り込まれた。

 

 

「もしも、跡が残ったら、久路人も嫌だよね・・・・」

 

 紅い瞳は爛々と輝き、体中に溶岩が流れているかのようにその身が火照る。

 

 

--私が、久路人を染め上げた!!

 

 

「はぁはぁはぁはぁ・・・・・!!」

 

 雫の下腹部が燃えるように熱くなった。

 キュンと何かが締まるような感覚。

 それは、久路人の血を雫が飲んだ時と同じ、否、わずかに異なる興奮と快感。

 

--久路人が私に入って来るのとは逆!!私が久路人を侵している!!

 

「あ・・ダメ、だよね、こんなの・・・気持ち、悪いよね・・・嫌われちゃうよね」

 

 だが、かろうじて残る理性が、過去に水無月を名乗る時に決めた誓いが、雫を繋ぎとめた。

 こんな欲望に負けて、獣のように襲い掛かるのは、今までの前へと進めていた歩みを無駄にするものだ。

 大体、人命救助だからやったのであって、断じてさっきまでの行為は雫の願望とは関係ない。相手の血を飲んで興奮するのも変態的だが、自分の血を飲ませて体が火照るなど、蛇だとか人外として見られるとかそれ以前の問題で・・・・

 

「・・・・・」

 

 そこで、久路人の唇の端に付いた、己の紅い体液が目に入った。

 唇にも及んでいた傷は、血が触れた個所を中心に癒えていた。

 

「あ・・・」

 

 それを見た時、ドクンと、雫の心臓が跳ねた。

 動悸が激しくなる。知らず、手汗が滲んだ。

 

「これは、これなら・・・」

 

 そのとき、雫は気付いた。己の中で囁いた、悪魔の誘惑に。

 傍から見ればおぞましいともとれる手段。想い人にすら疎まれかねない禁じ手。

 だが、それはあまりにも魅力的だった。それならば、今の、さきほどまでの戦いで、自分の中に植え付けられた憂いをすべて取り払うことができる・・

 

「でも・・・」

 

 雫は迷った。その天秤は揺れていた。

 想い人との束の間の幸せに浸りながら、逃げ続けるか。

 あるいは、想い人から拒絶される未来を孕むも、永遠に共に歩くか。

 

「私は・・・」

「ぐ・・・うう」

「!?」

 

 突然背後から聞こえてきたうめき声に、雫はビクリと震えて、振り向いた。

 

「お、おのれぇ・・・・!!」

「な!?お前、まだ生きて・・・!!」

 

 うめき声の正体は、珠乃の首だった。先ほどまで家ほどもあった図体であったが、今は普通の狐と同程度の大きさになっていた。

 そして、地に落ちた狐の首だけが、うわごとのように恨みを呟く。

 

「なぜ、だ・・・なぜ・・・吾には、晴には、お前たちのように・・・・」

「・・・・・」

 

 警戒した雫だったが、すぐにそれは杞憂であったと悟る。

 珠乃のからは、ほとんど霊力を感じない。その目からも、輝きが消えていた。

 

「吾も、晴と、歩き、たかった。もっと・・・・もっと、二人で・・・・」

「・・・・・」

 

 恐らく、もう雫のことも見えていない。今にも消えかかり、術を使うことも噛みつくことすら不可能だろう。

 雫は、黙って珠乃の今際の言葉を聞いていた。

 

「二人で・・・生きたかった・・・・子供も・・・欲しかった・・・家族、で・・・」

「・・・・・」

 

 今にも消えそうな声だった。聞き漏らさないように、雫は耳をそばだてる。

 聞かねばならないような、聞いてあげなければいけないような気がしたのだ。

 そうして・・・・

 

「ああ、晴・・・済まぬ。約束を・・・果たせ・・・なかった」

 

 蛇の見守る前で、今度こそ、多くの人間を殺め、雫と久路人に大きな爪痕を残した九尾の狐は死に絶えた。

 

 

-----------

 崩れかけた世界に、そよ風が吹いている。

 

「お前のおかげで、よくわかった」

「・・・・・・」

 

 久路人を慎重に横たえてから、珠乃の首の元まで歩き、雫はそう言った。

 狐の首は、もはやなにも語らない。

 

「きっとお前にも、愛した男が、いや、今でも愛している男がいるのだな」

 

 戦いの最中、珠乃は言っていた。自分は先達であると。あれは、ただ長生きした妖怪という意味ではない。きっと、自分と同じように人間に恋をした妖怪という意味だったのだろう。

 

「だが、お前は一人だった」

 

 その男は、最後まで姿を現さなかった。もうこの世にいないのだろう。何があったのかは雫には分からない。ただ、狐とその片割れが死に別れたということだけが確かだった。

 

「もしかしたら・・・・」

 

 そこで、雫は言葉を切った。

 

--もしかしたら、狐は、自分の未来の姿の一つなのかもしれない。

 

「愛する男を失い、それでも生き続けた。なぜ生きようとしたのかは、妾には分からぬ。お前の言いかけた約束とやらなのかもしれん」

 

--考えたくもないことだが、もしも自分と久路人が死に別れる時、「生きろ」と言われたら、自分はそれに従うだろうか?

 

「お前は、強かったのだな」

 

--愛する者がいない世界で、ただ一人生きる。考え得る上で最悪の地獄だろう。

 

 そして、そうやって生き抜いた珠乃は、自分よりもずっと強かったのだ、と。

 だが、想い人との約束というものが、どれほど重いものかは、雫にもよくわかっていた。

 自分がその時、どうするのかはそれでも想像できないが。

 

「お前は、久路人を襲おうとした。愛している男がいながら。妾達が妬ましかったのかもしれんが、他の男に手を出すほど、お前は・・・・」

 

 きっと、自分には耐えられない。

 自分の身も心も、久路人だけのものだ。それを、自分から他の男に食指を向けようとするなどあり得ないと思うが、最愛の男を失った珠乃は、もはや心が壊れかけていたのだろう。

 

「それほどまでに、何かを憎んでいた・・・」

 

--「吾と晴を、弄んだ報いを受けよ」か。

 

 二人に何が起きたのかは分からない。世界を憎むような理不尽があったのだろう。己の無力を呪ったのかもしれない。だが、雫には、そんな珠乃から学んだことがあった。

 

「お前のおかげでよくわかった。妾は、妾はと久路人は、ただ運が良かっただけなのだ」

 

--今回のことでよくわかったのだ。

 

「久路人が、ずっと妾の、いや、私の傍にいる保証なんてないんだって」

 

 久路人と雫の間にある、いくつもの障害。それが、たまたま今まで牙を剥かなかっただけ。

 

「お前の言ったとおりだよ。私は、たまたま今いる場所に立っていられるだけなんだ。久路人の心が、私じゃない誰かに向くことだって、あるかもしれない。また、お前のようなヤツが来るかもしれない」

 

 今日だけで、雫は学んだ。その魂に刻み付けられた。今まで目をそらしていたそれらを、これでもかと見せつけられた。こうなっては、もう気付かないふりはできない。

 突き付けられた寿命というタイムリミット、珠乃のような自分よりも強い敵。そして、久路人の中にある得体のしれないナニカ。久路人自身の心の在り方。

 

「この世界は、何が起きても不思議じゃないんだ」

 

 様子がおかしかったとはいえ、久路人は雫の言うことに耳を貸すことなく、無茶をした。

 あんな風に、自分のことなど一切気にかけず、他の女に向かうこともありえるのかもしれない。奪われることだってあるかもしれない。

 今日のように、突然平穏が壊され、離れ離れになることだってあるかもしれない。

 あるいは、不幸な事故や病気で、久路人と死に別れることも。

 少なくとも、今のままでは百年も経てば必ず人間の久路人と人外の自分はともに歩めなくなる。

 

「認めない」

 

 ポツリと、小さく俯きながら、しかし、次の瞬間に雫は顔をあげ、カッと目を見開いた。

 

「久路人と離れるなんて、私は絶対に認めない!!」

 

 雫は叫びながら、大きく足を踏み出し、狐の首を踏みつぶした。

 

「妾は・・・いや、私は!!お前と同じにならない!!お前の通った道は歩かない!!」

 

 何度も何度も、細かな肉片になるまですり潰す。まるで、狐の口にした全てを否定するかのように。

 

「私はお前を忘れない。感謝はしないけど、お前のおかげで進む道が決まったから」

 

--雫という妖怪のすべて。それは月宮久路人という少年のために。

 

 雫は、すべてを捧げる覚悟はとうにできていた。身も心も、それこそ命も魂すらも。それを、改めてこの場で見つめなおす。その上で、決める。

 

 グジュリグジュリと、偽りの世界に、雫の足に、その創造主が擦り付けられていく。

 それは、雫にとっての誓いだ。自分にとっての憎らしくも偉大なる先達。その生き様を自分に刻む儀式だった。それが意味するのは決別だ。自分の望まぬ道を歩いた狐との、そして、今までのぬるま湯に浸かっていた雫自身との。

 

「私は絶対に久路人を諦めない!!」

 

 

 その身を蛇から人へと変えた願いは変わらず、否、より強固なモノへと変貌する。

 

 

「久路人の全てを、私のモノにする!!」

 

 そこで、雫は完全に肉片となった狐の首に背を向け、歩き出した。

 

 

--待っているだけじゃ、今の速度で歩くだけでは到底届かない。

 

 

--もっとだ!!もっともっと、先に進まなくてはいけない。

 

 

 それは、傍に迫られる者にとって、決して受け入れられるものばかりではないだろう。

 

 ザッザと、雫は歩く。

 

 

「離れていったら、地の果てまで追いかける」

 

 絶対に逃がさない。

 

「他の女の物になったら取り返す」

 

 誰にも渡さない。

 

「嫌われるのならば、振り向いてもらえるまで居座ってやる!!」

 

 必ず私のモノにする。

 

「でも、それには足りない。久路人の残り時間が足りなすぎる」

 

 足りないもの。それは時間。

 久路人を手に入れ、二人でともに何の気負いもなく歩くには、それ相応の時間がなければならない。

 

 気持ちを伝えきれないうちに、自分の傍からいなくなっている内に、自分を嫌っている内に、人間の久路人が死んでしまったら何の意味もない。久路人のいない世界など、耐えられない。

 

「嫌われてもいい。それでもいいから、生きていて欲しい」

 

 だが、雫には、その解決法をすでに理解していた。奇しくもさきほど、久路人を助けるための咄嗟の行動で。それは、おぞましい方法。人を人でないモノに変えること。

 

「久路人を私と同じモノにすればいい」

 

 久路人の体をああもすぐに治して見せた、癒しの力を持つ妖蛇の血。

 久路人の中に流れる血を、すべてこの自分の血と入れ替える。

 そうなれば、体が壊れても死ぬことはない。時の流れによる劣化すらも受け付けなくなるだろう。

 

「前例はある」

 

 八尾比丘尼、太歳、ヨモツヘグイ。

 

 人間が人ならざるモノをその身に取り込んだ結果、自身もまたソレらに近づくというのはしばしば伝承として残っている。なにより、その逆もいる。

 

「この、私自身が」

 

 十年間、久路人の血を飲んだ雫は、普通ならばありえない速さで霊力を高めている。あの狐も言っていた。妖怪が嫌う臭いは、久路人の血に宿る力と、自分の力が混ざった結果であると。久路人にも臭いがついていないのは、血が混ざっていない証拠だと。逆に言えば、人間である久路人にも力を与えることが可能ということ。ならば、

 

「久路人を、私の、私だけのモノにできる!!」

 

 正確には、雫の「眷属」というべきモノになるだろう。そうなってしまえば、誰にももう干渉されない。

 

『眷属』

 

 それは、力ある妖怪によって、その身を魔に堕としたモノ。力を与えた主に永遠の忠誠を誓うモノ。

 元は吸血鬼という種族のみが使える術であったが、ある吸血鬼の皇族によって、極めて高度なものであれど、体系化された術。

 どんな動物でも、人間でもそうなれるとは限らない。抵抗力がなければ、肉体が崩壊するか、理性を失って畜生に墜ちるかだ。

 詳細までは語られていないために雫は知らないが、霧間朧の結んだ「血の盟約」も一種の眷属化だ。

 

「少しづつでいい。私の時みたいに、すこしづつ」

 

 だが、久路人ならば問題はないだろう。久路人は霊力の扱いに苦慮しているが、それはその身に秘める力が大きすぎるからだ。霊力による過負荷をかけないように、自分が子蛇のときに、少しづつ血を飲んでいったように、焦らず確実に染め上げてやればいい。

 

「眷属にしてしまえば・・・・」

 

 離れたくても、主たる自分から離れられない。

 他の誰にも奪わせない。干渉させない。

 己の一部、半身とも言っていい存在。

 それが、眷属。

 

「でも・・・」

 

 だが、当然問題もある。

 

「・・・・・」

 

 そうして、雫はたどり着いた。己の愛する少年の元に。

 

「久路人に、本当に嫌われるかもしれない」

 

 それは、先ほどから何度も何度も頭をよぎっていること。

 今まで恐れていたことは、「もしも」という仮定の中にあった。しかし、それに手を染めれば、仮の話では済まなくなる。

 だが、それは当然だろう。人間として生まれてきたのに、雫自身の我がままで人間を辞めるとなったら、普通の神経をしていれば受け入れられるはずがない。

 

「・・・・・」

 

 雫は、もう一度久路人の頭を膝の上に乗せた。久路人の髪を優しく撫でる。サラサラとした感触が心地よかった。

 

 久路人に嫌われる。拒絶される。

 

 それは雫が今までで一番恐れてきたことだ。

 それに比べれば、自分の血が混ざって汚染され、久路人の血を味わうことも力を取り込むこともできなくなることなど本当にどうでもいいことだ。

 

「・・・・でも」

 

 だが、それよりも恐ろしい事態が起こり得ると、今日知った。

 

--永遠の別れ

 

 そうなった道を歩んだ者の末路も見た。

 もしかしたら、自分も歩いていたかもしれない道の果てに行きついた結果を。

 

「・・・・・」

 

 今度は、傷の塞がった頬を撫でた。

 暖かかった。柔らかかった。ずっと守りたいと思える優しさがあった。

 触れる久路人の存在すべてが、雫の背中を押した。

 

「大丈夫・・・」

 

 雫は、久路人の温もりを感じながら呟いた。

 

 蛇は、覚悟を決めたのだ。

 例え疎まれることになろうとも、決して止まらない覚悟を。

 

 

「久路人は、他の人間とは違うもの」

 

 雫から見て、月宮久路人は元よりただの人間とは住む世界が違う。彼の身に宿る力を別にしても、人間の住む世界に適応できていない。彼にとって周りは自分と姿かたちは同じなれど分かり合うことはできない存在であり、干渉すべき存在でもない。そういう致命的な「ズレ」を抱えている。

 

「だから、大丈夫」

 

 もしも人間を止めたとしても、それまで人間社会で生きてきた久路人にはすぐには慣れないかもしれないが、元々ズレている久路人ならば、必ず受け入れることができるという確信が雫にはあった。

 それに、もしも、危惧する通りになったとしても・・・

 

「久路人が私と同じになれば、時間は私の味方だから」

 

 それまで自分たちを追い詰めていた時間は、それからは味方となる。

 嫌われたのならば、振り向いてもらえるまで居座る。

 喉が枯れようが、愛の言葉を贈ろう。

 例え千年経とうが万年が過ぎようが諦めない。

 他の人間の女は年老いて消えていき、妖怪は、あの月宮家に籠っていれば近寄れない。無理にでも近づいて来るなら、生まれてきたことを後悔させるぐらい惨たらしく殺してやる。

 京たちが邪魔をするのなら、どんな手を使ってでも排除する。

 いや、さきほどの行為が禁止されなかったということは、契約が緩んでいると言えど、あれは救命行為とみなされたということ。久路人の命を長らえさせたいという想いに、一切の偽りはない。ならば、京たちも自分には手を出せない。

 つまり、久路人を、雫だけが独占できる。

 永遠とも言える時間があれば、きっと久路人は分ってくれる。

 

--それは分かる!!なぜならば、今までずっと見てきたから!!

 

「そうすれば、そうなれば・・・・」

 

--そうすれば、久路人は、私のことだけを考えて、私のことだけを見てくれる。

--ずっと、私の傍にいてくれる!!

--永遠の時を、一緒に歩いていける!!

 

「ふふふ、ふふ、ふふふふふふふふ・・・・・・」

 

 雫の顔に、蕩けたような、歪んだ笑みが浮かぶ。

 

「ふふ、ははは・・・アハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!」

 

 とうとう、雫は笑い出した。

 その笑みは、誰もが目を向けてしまうほどに艶やかで、同時に、誰もが背筋を凍らせるような狂気を孕んでいた。

 

「ああ、久路人・・・・」

 

 そこで、雫はもう一度氷の刃を作り出した。

 雫の手首に、赤い線が走る。

 同じ色の瞳には、すぐ傍にいる少年への狂おしいほどの愛情と劣情が渦を巻いていた。

 恍惚とした表情のまま、その血を口に含む。

 

 

--私は、貴方のためにすべてを捧げる。

 

 

「だから・・・」

 

 

--だから、貴方の全てを、私にちょうだい?

 

 

「すべては・・・」

 

 

--永遠にあなたと共に在るために。

 

 

 二つの影は一つになり、深紅の液体が、今一度、少年の口に落ちていった。

 

 

-----------

 

「あ、出れた」

 

 久路人を背中におぶった雫は、亀裂から、現実の地面へと踏みしめた。

 

「術具も反応してない・・・・間違いなく現実だね」

 

 改めて自分の腕に嵌った術具を見るも、反応はない。その術具は久路人の持っていたものだ。

 雫の持っていた幻術対策の術具は壊れてしまっていたが、久路人の持っていたものは無事だったのだ。

 どうやら、黒鉄とともに久路人から没収していたようで、ススキ原の片隅に落ちていたのだ。後で解析でもするつもりだったのかもしれない。

 

「時間は・・・もう夜だね」

 

 雫たちが出てきたのは、珠乃に案内された広場だった。どれほど時間が経っていたのか、夕陽は落ちて、夜のとばりに包まれていた。月はススキ原のような満月ではなく、細い三日月だ。

 

「さてと、これからどうしようかな?とりあえず京に連絡はするとして、久路人を病院に運ばなきゃ。でも、普通の病院に連れてっていいのかな?」

 

 雫は少しの間悩んだ。

 自分たちは完全に訳アリである。自分が実態を現わせば受け付けはしてもらえるかもしれないが、何やら面倒なことになりそうな気がする。

 

「それに、学校のこともあるしな~。というか、他のヤツらはどこ行ってたんだろ?」

 

 そういえば、自分たちは元々他の生徒からはぐれたと騙されて連れてこられたのだ。何かしらの細工を生徒側にもしていたのだろうが、あの狐のことだから、陣の外で大ごとになるようなことはしないだろう。多分、あの無駄に肥えた脂肪の塊で馬鹿な男子でも誘惑したのだろう。

 

「ま、いっか!!面倒なことは全部京にまかせちゃお。そもそも、京が珠乃に気付いてればこんなことにはならなかったんだし、自業自得だよね」

 

 雫は、考えるのが面倒になったのか、京に丸投げすることに決めたようだ。

 雫自身もまだ本調子とは言い難いため、疲れがたまっているというのもある。

 

「そうと決まれば、とりあえず一旦旅館に・・・・!?」

 

--ビシリ!!!

 

 辺りに響き渡るような、何かにヒビが入る音がした。

 

「なっ!?」

 

 雫の目の前の広場に、黒く大きなクレバスのような裂け目ができていた。

 裂け目からは、濛々と肌を舐めるような濃い霊力が流れている。

 

「なにこれ・・・これは、瘴気?これ、もしかして、『大穴』!?」

 

『大穴』

 

 それは、常世と現世の間にある狭間に空いた、文字通りの大穴だ。

 今の現世は忘却界という共通認識を糧にした結界で、普通は小規模、できても中規模の穴が精々だった。

 大穴を使えば、神格持ちすら常世から現世に移動ができる。

 

「陣を開いたのと、久路人が使った術のせい?って、こんなこと考えてる場合じゃ・・・・!!!」

 

 過去、トカゲモドキに襲われる切欠となった穴も、久路人の霊力が原因で空いたものだった。陣の中とはいえ、霊力をほぼ全開放し、あまつさえ陣を破壊して現世に干渉したのだ。大穴が空いても不思議ではなかった。

 

--ォォォオオオオアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!

--ギギャァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!

--アォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンンンン!!!!!!!!

 

「きゃっ!?」

 

 辺りに、耳をつんざくような、無数の咆哮がこだました。それは、大穴の奥から響く声だった。

 

「穴の向こう、何かいる!?」

 

 その大穴が常世のどこに繋がっているのかは分からない。

 雫は過去に常世にいたこともあるが、あそこは現世よりもよほど混沌とした世界だ。常世の中でいくつもの世界に分かれ、強者が徘徊する場所もあれば、弱者が寄り集まるところもある。

 だが、少なくともこの大穴の向こうにいる連中は、中規模の穴を易々と抜けてくるレベルのやつらとは格が違うのは分かった。

 

「まずい!!今の私じゃ・・・・!!!」

 

 今の雫は、本調子とは程遠い。それでも一人だけならばなんとかなるかもしれないが、雫は久路人を背負っている。当然、捨てていくなどあり得なかった。

 

「早く、早く逃げなきゃ・・・・!!」

 

 そうして、雫が走り出した時だった。

 

--オオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォ!!!!!

 

 巨大な熊のような妖怪が大穴から這い出てきた。

 三つの頭を持ち、その毛は太い杭のように鋭く尖っている。

 ケルベロスと熊とハリネズミを掛け合わせたような妖怪だった。

 

「ちっ!!」

「グルルルルルルルル」

 

 熊の三つの首にある、計六つの目は、一心に雫を、雫の背中を見つめていた。その狙いは明らかだった。

 

「・・・・どこをほっつき歩いていた木偶の坊か知らんが」

「ゴォォォアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 雫が何か言っていることなど気が付いていないように、熊は爪を振り上げて襲い掛かってきた。

 そのコースは久路人はもちろん、雫も引き裂くコースである。

 

「久路人に手を出して、タダで済むと思うなよ!!」

「ゴギャァァアアアアアアアアアア!?」

 

 雫の瞳が紅く輝いた瞬間、熊の腕は氷漬けとなった。突然のことに驚いたのか、熊の動きが止まる。

 

「はぁっ!!!」

「ゴ・・ガ・・・」

 

 その隙に、雫は薙刀を作り出し、久路人を背負ったまま跳躍。

 片腕のみであったが、そのひと振りで三つの首を叩き落した。

 

「チッ!!最初の邪視だけでケリがつけられないとは!!」

 

 雫は舌打ちした。

 本当に、力が出せていない。それもあるし、大穴から出てきた妖怪の格は、普段襲い掛かって来る連中よりはるかに上だった。封印される前の雫より少し弱いくらいだろう。

 どうにかこうにか一体は瞬殺できたが・・・

 

「クソッ・・・・」

「ギァァァアアアアアアアアア!!!」

「ゴルォォォオオオオオオオオオ!!!」

「キシキシキシキシ・・・・・・・」

 

 雫と久路人はすでに囲まれていた。

 四本の腕を持つ猿のような妖怪。ワニのような頭に、人間の体を持った化物。無数の鋏を備えた付属肢を持つムカデのような人外。他にもウヨウヨと大穴から湧き出していた。

 いずれも、さきほどの熊モドキと同程度の霊力を持っているようだ。

 雫の悪臭に怯みつつも、久路人の発する霊力に引き付けられているのか、散らばっていく様子はない。

 

「・・・・妾は、私は、決めたのだ」

 

 だが、そんな大妖怪の群れを前にしても、雫は怯んでいなかった。

 その闘志は、むしろ燃え盛っていた。

 

「私は、永遠に久路人とともに在ると」

 

 雫は、体中の霊力をかき集める。

 さっきまでいた崩れゆくススキ原で決めた覚悟が、霊力の源となる。

 すべては、己と久路人の永遠に続く日々のために。

 まだ一歩を踏み出したばかりなのに、止まれるわけがない。

 群れに向かって、雫は吠えた。

 

「貴様らごときに、邪魔などさせるかぁぁあああああああああああああああ!!!!!!!」

「「「ォォォオオオオアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」」」

 

 雫の叫びをかき消すように、妖怪の群れが吠えた。そして、とても食えそうもない悪臭を放つ蛇の少女が背負う、極上の獲物を食わんと雄たけびを上げながら飛び掛かろうとして・・・・

 

 

吸血皇ノ哄笑(ブラッディ・ハウリング)

「「「ギギャアアアアアアアアアアアア!!!!!!?」」」

「何!?」

 

 突然現れたコウモリの群れが、嘲笑うかのように飛び回りながら目に視えない何かを放った。

 すると、妖怪たちは全身を細切れにされたかのように、内側からはじけ飛び、大地を汚した。

 

「グゥゥウウウウウウ・・・ォオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 大半の妖怪は汚いシミと化した。

 しかし、大穴の近くにいた猿モドキはコウモリの範囲から逃れていたらしい。

 他に残っていた妖怪とともにひと塊になって、なおも雫を狙おうと身構え・・・・

 

枯山水(かれさんすい)

「「「ゴガァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!!?」」」

 

 その行為は、突然駆け込んできた影によって無意味となった。

 なぜかガスマスクのような物を被った長身の男が振るった、血のように赤い刀身の大太刀に、猿モドキたちはまとめて切り捨てられた。斬られた体は未だに動いていたが、やがてその体躯から血が不自然な量と思えるほどに流れ落ち、ミイラのようになって死んでいった。生命の源たる赤い液体を酒を楽しむように、赤い刀が飲み干していく。

 

「な・・・お前は?」

「・・・・・」

 

 雫はガスマスク男に声をかけたが、返事はない。

 むしろ、雫の方を振り向くと、ビクリとガスマスクごしに鼻を押さえるような仕草をして、凄まじいスピードで離れていった。

 

「な!?失礼だろう、貴様・・・・」

「失礼なのはアンタの体臭よ」

「なんだとぉ!?」

 

 そこで、どこからか少女の声が聞こえてきた。

 雫が辺りを探すも、人影は見えない。

 そうして、首をあちこちに向ける雫の前に、一匹のコウモリが現れた。

 

「ここよ、ここ!!使い魔ごしに失礼するけど、それはアンタの体臭のせいだから」

「貴様・・・・・」

 

 本来は礼を言うべきとは頭で理解しているものの、自分を産業廃棄物のような扱いをしてくるその声にムカつきを覚えるのは仕方がないだろう。

 

「なぁに?アンタ、助けられたのにお礼も言えないの?はぁ~ヤダヤダ。これだから礼儀のなってないヤツは・・・・京のヤツはきちんとした礼儀作法も教えなかったのかしら?」

「お前、京を知っておるのか?」

 

 腹を立てていた雫だったが、コウモリが口に出した名前に反応する。

 

「ええ、もちろん知ってるわよ。同僚だもの。色々とアンタは礼儀がなっていないけれども、アタシの管轄するエリアの近くで起きた騒動に間に合わなかったお詫びも兼ねて、無作法には目をつぶって教えてあげる」

 

 そこで、コウモリは、いや、コウモリの主は名を名乗った。

 

「アタシは『学会』の幹部。『七賢』の第五位の席を預かる者。霧間リリスよ。んで、さっき刀を振り回してたのがアタシの旦那の霧間朧」

「七賢・・・」

 

 雫は驚きに目を見開いた。

 

 七賢は、この世の異能を扱う者たちの総本山である学会の7人しかいない幹部だ。全員が神格持ちであり、とてつもない実力者たちである。

 

「元々、京とも話をして、なんだかきな臭いことになってるのは知ってたんだけどね。まさか陣まで使えるようなのがいるなんて想定外だったわ・・・・まあ、ともかく、それでこの地にあった雷に気付いてここに急行したってワケ。ああ、ちなみに京には連絡済みよ?後で確認してもいいけど」

「なんとも・・・・」

 

 雫としては、突然の急展開に驚きである。だが、その言葉を疑う余地はなかった。

 雫も当然、七賢の情報は知っていたからだ。その得意とする術なども頭に入っていた。

 

「使い魔を扱う術に、霧間・・・・お前が『紅姫』か」

「リリスって名乗ったでしょうが。あんまりそのチュウニビョーみたいな呼び方は好きじゃないの。呼ぶならリリス様って言いなさい。リリスさんでも可」

「う、うむ、わかった、リリス、さん」

「む~、まあ、いいわ。それよりアンタたちは一度京と合流なさい。送ってってあげるから」

 

 そこで、どこからかパチンと指を鳴らす音が聞こえた。

 

召喚(サモン)亡霊馬(ファントム・スティード)

「おお!?」

 

 現れたのは、半透明の馬と、二頭立ての馬車だった。馬ごと、わずかに宙に浮いている。

 ギィィィと雰囲気のある音を響かせて両開きのドアが開く。

 

「この馬車には、アンタの住んでた街まで送るように言ってあるわ」

「お前たちは、どうするのだ?」

 

 七賢という立場の者がわざわざ出てきたのだ。確かに今ここで起きている事象はただ事ではないが、自分たちに何も聞かないでいいのだろうか?

 

「アタシたちは、ここに空いている大穴の封印作業をするわ。開いたばかりなら、封印もまだ楽だし。それで、そのためにはアンタの背負ってる子には離れてもらった方が都合がいいのよ」

「・・・・・・」

 

 少なくとも、これまでこのコウモリが言うことに筋は通っているし、自分が知る七賢の情報とも一致している。どのみち、あの霧間朧という男も併せて、自分たちよりも格上であろうことは間違いない。下手に逆らっていいことはなさそうであった。

 

「・・・・わかった」

 

 雫は馬車に乗り込んだ。

 そして、自分の膝に久路人の頭を乗せ、座席に久路人を寝かせる。

 すると、馬車の扉が勝手に閉まり、ヒヒーンと馬が高らかにいななく。

 

「あ!!馬車の中にアタシの連絡先のメモがあるから、ちゃんと持って帰りなさいよ!!それじゃ、発進!!」

 

 リリスが号令を出すと、馬車がフワリと浮かび上がる。

 馬車はそのまま走り出し、滑るように山の斜面から滑空すると、三日月の浮かぶ空へと舞い上がっていった。

 

「ふぅ・・・・」

 

 馬車の中で、雫は久路人の頭を撫でながら息を吐いた。

 未だに完全に警戒を解いたわけではないが、それでも限界が近かったのだ。

 

「さすがに疲れた・・・・」

 

 修学旅行の最中で、突然神格を持った妖怪に襲われ、陣の中に閉じ込められた。

 陣の中で激闘を繰り広げるも、敗北し、久路人を奪われかけた。

 そうこうするうちに、久路人が突然目覚めたかのように世界を壊すような大技を使い、撃破。

 だが、脱出するも久路人の影響か、大穴が開いた。

 大妖怪の群れに囲まれ、襲われかけたが、七賢の第五位が駆けつけて助けられた。

 そして、今は空飛ぶ馬車に乗って、帰路についている。

 文字に起こすだけでも激動の一日であった。

 

「ごめんね、久路人。私も、少し・・・寝る」

 

 そうして、雫の首がカクンと垂れた。

 そのまま、スゥスゥと寝息を立て始める。

 

--ヒヒィィ~ン!!!

 

 御者のいない馬車を引く馬は、空の上でいななきながら、主に命じられたように、もう一人の七賢にして、馬車で眠る二人の保護者が待つ街へと向かうのだった。

 

 

-----------

 

「行ったわね」

 

 馬車が去った後の広場で、コウモリたちが集まって蚊柱のようにまとまると、そこから金髪をツインテールにした少女が現れた。その手には黒い傘が握られている。

 

「朧、それ、もう外していいわよ」

「・・・・ああ」

 

 そして、今まで大穴から現れたいた妖怪を次々と切り捨てていた朧が、ガスマスクを取った。ガスマスクは、臭い防止のための術具であるが、雫の臭いはそれを貫通したらしい。

 

「・・・・ひどい臭いだった」

「同感ね。ちゃんとお風呂はいってるのかしら、あの蛇。使い魔越しでも少し臭うとか本当に何なのよ」

 

 二人して、雫が発していた悪臭に辟易とする。

 臭いにうるさい吸血鬼と、その眷属である血人だからこその文句である。

 もちろん、臭いは霊力のせいであって、雫は毎日風呂に入っていると、雫の名誉のためにここに記しておく。

 

「まあ、いいわ。あの子たちのことも含め、後の面倒ごとは全部保護者さんに任せましょ。アタシたちには別にやるべきことがあるわ」

「ああ」

 

 そこで、二人は目の前に広がる大穴を見た。

 

--オオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォ!!!!!

--ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!

 

 その暗闇からは、未だに多くの雄たけびが聞こえてくる。よほど血の気が多い連中のいるところに繋がっているようだ。

 

「さて、本当にヤバいのが来るかもしれないし、さっさと塞いじゃいましょ。アタシは術に集中するから、いつも通り頼むわよ」

「任せてくれ」

 

 朧からの返事は短かったが、リリスにはそれで十分だった。

 もっとも信頼する、この世で唯一のパートナー。彼が任せろと言ったのならば、自分は絶対に安全だ。

 目をつぶり、傘を杖のように振るいながら、封印の術の準備をする。

 

(それにしても・・・・)

 

 朧が妖怪を切り捨てるたびに響く断末魔を聞きながら、リリスは思う。

 

(あの子たち、色々と拗らせてそうだけど、どうなるのかしらね・・・・ちゃんと結ばれてくれるのが、一番平和に済みそうだけど)

 

 七賢として、異種族と結ばれた先達として。

 馬車に運ばれていった二人の行く末が、波乱なく実を結ぶように小さく祈るのだった。

 

 

-----------

 

 同時刻。

 

「あの雷は、あの力があれば・・・・・」

 

 霧深い谷の集落で、一人の少女は恨みがましく呟いた。

 

 

-----------

 

 同時刻。

 

「おお、とうとう目覚める者が現れた!!初代以来の、現人神ぞ!!」

 

 山に囲まれた、丸く切り抜かれたような土地に建てられた屋敷の中で、一人の老人が歓喜に震えた。

 

-----------

 

・・・・・そして

 

「ククッ!!」

 

 同時刻、葛城山の近くの森の中。

 注連縄が巻かれていた、砕けた岩の影で、ナニカが嗤った。

 

「クククッ!!クハハッ!!」

 

 楽しそうに、本当に楽しそうに、クツクツと。

 

-----------

 

 この日より、世界は変わる。

 

 一人の少年が、その身に眠る力を呼び覚ましたことで。

 

 祝福された少年が、想い人に何を想おうと。

 

 蛇の少女が、想い人に何を想うと。

 

 この世界の鍵を握りかねない力を巡り、すべてが動く。

 




感想、評価プリーズ!!
次は閑話を挟んで、いよいよ時系列は現在に進みます!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白蛇と彼の一日(高校生編1)

はい、またまた閑話が一話で収まり切りませんでした。無能作者とののしってください(どM)
可能ならば、次の話は今週の平日に上げます!!


「うん・・・・?」

 

 雫が目を開けると、そこは月宮家の裏庭だった。

 普段よく久路人と訓練を行う場所であり、一目でわかった。時刻は夕方を過ぎたのか、夕陽がほぼ沈み切り、薄暗い中にわずかに毒々しい赤い光が見えている。

 

「あれ、私、なんでここに・・・・?」

 

 何やら記憶が曖昧な雫は辺りを見回して首をかしげる。

 はて、どうしてここにいるのだろう?

 

「雫」

 

 暗闇に染まる芝生の上を通って、少年の声がした。

 雫は、その声だけは聞き逃さないし、聞き間違えない。例え幻術の最高峰の使い手に術を使われようが見破ったほどだ。聞いているだけで心が癒されるような、力が湧いてくるような、不思議な声。

 

「久路人!!」

 

 いつの間にか、少し離れたところに久路人がいた。

 いつものような学ランを着て、俯いているせいで目元は良く見えないが、確かに久路人であると雫の本能が告げていた。

 

「雫・・・・」

「?久路人、体調悪いの?大丈夫?」

 

 だが、どうにも様子がおかしかった。声に覇気がなく、どこか肌も青白いように見える。

 雫は何があったのかと、久路人に近づいて・・・・・

 

「近づくな!!」

 

 それは、怒りと悲しみが入り混じった、拒絶の言葉だった。

 

「え?」

 

 久路人に一歩近寄った瞬間、久路人からこれまでに聞いたことがないような声がしたのだ。

 

「く、久路人?何が・・・」

「どうしてなんだ・・・・」

 

 突然の拒絶に、頭と心が追い付かなかった雫は聞き返すことしかできなかった。悲しみよりも困惑が先にやってきた。否、「久路人からの拒絶」というものを受け入れることを拒んだ結果だった。

 しかし、そうして問いかけようとする言葉は久路人からの憎しみすら籠った声に塗りつぶされた。

 

「どうして・・・・っ!!」

 

 そこで、雫の言葉など聞こえていなかったような久路人は、俯いていた顔をあげた。

 

「どうして僕を化物に変えたっ!!」

 

 久路人の瞳は、人間の瞳ではなかった。

 充血し、白目が完全に紅く染まった蛇の瞳。本来ならば優しく柔らかな久路人の瞳は、今は怒りと憎悪で赤黒く濁っていた。

 

「な・・・」

「どうしてなんだ、なぜなんだ!!ずっと、ずっと信じていたのに!!」

 

 久路人が一歩ずつ雫に近寄って来る。黒い砂が鱗粉のように舞い、次第に久路人の手の中で刃を作る。

 その体は歩みを進めるごとにひび割れ、まるで蛇の脱皮のように所々からベロりと皮がめくれていく。

 新しく外にさらけ出されたその身は、固まり始めた血のような粘液がべったりと滲んだ黒い鱗に覆われており、人間だった部分はその大木のように膨れ上がったアンバランスな脚に踏みつぶされた。

 

「違うの!!聞いて!!」

 

 雫は必死で弁解しようとする。嫌われるのは覚悟していた。それでも、それは想像よりもずっとずっと辛かった。今すぐにでも自分の気持ちを伝えなければ、心が壊れてしまいそうだった。

 

「私は久路人とずっと生きて・・・・!!」

 

 化物にしようとしたのは否定できない。だが、それは悪意からではない。ずっと一緒にいたいからだと。どんな姿になっても、自分は受け入れられると。だが・・・・

 

「こんな化物になってまで、僕は生きたくなんてない!!」

「・・・っ!!」

 

 返ってきたのは、どこまでも雫のすべてを否定し、拒絶する言葉だった。

 

「僕は、僕はっ!!」

 

 気づけば、完全に異形と化した久路人が、目の前にいた。

 その背丈はいつの間にか3メートルを超える巨体と化しており、見た目はラミアと呼ばれる半人半獣に似ていた。人間の下半身であった部分はその付け根から折曲がって尻尾のように後ろに伸び、芋虫のように人間の足が左右にいくつも並んでいる。上半身は黒い鱗と生臭い粘液に覆われ、腕の数は4本に増えていた。その筋骨隆々な腕には黒い刃が握られ、人間の顔を無理矢理前に引っ張って蛇のように扁平になった頭は、雫を睨みつけている。

 

「僕は、お前を許さない」

「待って、久路人、お願いだから!!」

 

 黒い刃が振り上げられる。

 

「お前なんて、嫌いだっ!!」

「っ!?」

 

 異形のような身になったとしても、雫にとって久路人は久路人だった。どんな姿になっても一緒にいたいと思う気持ちは本物だ。

 だからこそ、その拒絶の言葉は雫の心を壊さんばかりに突き刺さり・・・・

 

「消えろ化物!!」

「あ・・・・」

 

 最後に雫が見たものは、振りぬかれた刃と、首のない自分の体。そして・・・・

 

「ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!」

 

 血のように赤い涙を流す久路人の姿だった。

 

 

-----------

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・!!!」

 

 ガバッと、雫はベッドの上で跳ね起きた。

 目に映ったのは見慣れた自室の天井だ。

 

「・・・・・夢、か」

 

 汗ばんだ手で首筋を撫でてみるが、傷もなく、しっかりと繋がっている。こうして思考ができている時点で当たり前と言えば当たり前だが。

 

「はぁ・・・・」

 

 しっかりと今が現実だと認識した雫はため息を吐いた。

 白い着物の帯をしっかりと締めなおし、ぐっしょりとしみ込んだ寝汗を術で飛ばしてからベッドから降りて自室を出る。季節は11月。修学旅行から帰ってきて、2週間が経ったばかりだ。秋から冬に移り変わろうとする今の時期、日の出は遅い。まだ暗い廊下へと、雫は足を踏み出した。

 

「また、あの夢か・・・」

 

 月宮家の廊下に仕掛けられたトラップは中学生のころからグレードアップし、日替わりで構造が変わるのだが、主たる京が最近長期間家を空けているためにアップデートもなく、雫はもはや完璧に罠の回避法を把握していた。よどみなく歩きながらも、雫はさっきまで見て、今も脳裏にこびりついた夢のことを思う。

 

「旅行から帰ってきてから、ずっとだな・・・」

 

 あの葛城山への修学旅行。

 神格持ちである九尾の狐に襲われ、幻影の世界に閉じ込められた。一時は久路人ともども敗北したが、久路人が突然暴走したかのように力を開放し、体を削りながらもどうにか勝利することができた。

 そして、そこで雫は決意したのだ。

 

「どんな夢を見ようが、止める気なんてない・・・・!!」

 

 久路人と雫は、どうやら幻術や催眠といった精神系の術に極めて高い耐性を持っているようで、夢などに干渉されることもほぼありえないという。だから、今見た悪夢は異能も何も絡まない、ただの夢。けれど、そんな夢を続けて何度も見るのは、雫の中にまだ迷いか、罪悪感があるからか。だが、雫はもう進むと決めている。

 

「例え何年経とうが、久路人がどんな醜い姿になろうが、久路人に嫌われても構わないっ!!」

 

 夜から朝に変わりかけの、寒く、暗い廊下。罠の山を踏み越え、雫の目の前にあるのは、一枚の扉。

 その先はもう、目をつぶっても分かるほどに慣れ親しんだ部屋の中。いつも雫の心の中に住んでいる少年が眠る部屋。

 

「私はもう、今までとは違うんだっ!!」

 

 ドアに仕掛けられたトラップを解除し、音を立てないように開ける。

 一歩踏み込んで最初に目に入るのは久路人が使う学習机と、教科書や漫画が収められた本棚だ。ドアから見て左側には大きな窓があり、そちらからは沈みかけた月の光と、薄ぼんやりとした白い朝日が差し込むが、その光は壁の奥にいるベッドには届かない。

 

「・・・・・・」

「・・・・久路人」

 

 慎重にドアを閉め、静かにベッドにまで歩み寄り、指の先でベッドの上で眠る少年の頬を撫でる。

 

「・・・・・」

 

 久路人は朝に弱く、寝起きが悪い。雫が少し触った程度では起きるはずもない。

 

「ふふっ・・」

 

 雫の顔にほほ笑みが浮かぶ。

 触れるだけで、さっきまで残っていた悪夢の残滓は、欠片も残さず消え失せていた。

 久路人から伝わる温もりと柔らかさが、雫に久路人の存在そのものを伝えてくる。それは、雫の体だけではなく、心にまで流れ込んで、雫を癒すとともに、確かな実感を与えるのだ。

 

「世界中で、こうやって久路人に触れられるのは、私だけなんだ」

 

 久路人は寝起きが悪いが、訓練の成果もあり、殺気や霊気が近くに湧けば飛び起きるし、知らない気配がすれば即座に反撃が返って来る。しかし、久路人の着る衣服には「この世から消え去れ」とばかりの殺意を向けたことはあるが、久路人本人相手に殺気を出すことなどない。だから、こうして触れても久路人が起きないのは、それだけ雫に心を許していることの証明なのだ。その事実が、雫に優越感をもたらし、支配欲と独占欲が満たされる。だが、満たされるのはほんのわずかな間だけだ。雫も自覚はあるが、雫は存外に欲深い。自分の執着することに関しては底なしの強欲さを発揮する。

 

「それじゃ、そろそろ・・・・」

 

 そうしてしばらく久路人の頬を堪能すると、雫は一息ついた。そして、おもむろに久路人の布団をめくりあげる。雫を突き動かすのは、己の欲望と決意だった。

 

「・・・うぅん?」

「・・・・ごくり」

 

 突然外気に晒されたためか、久路人が目覚めかけるが、睡魔が勝っているのか、すぐにまた眠り始めた。そんな久路人を注意深く見守ってから、雫は緊張のあまりにつばを飲み込みつつも、ベッドの上に足を乗せた。

 

「すぅ~・・・・よし!!」

 

 深呼吸を一回。深く息を吸い込んで、吐く。それで雫の覚悟は定まった。

 威勢のいい掛け声とともに、その身を久路人の隣へと滑り込ませ、サッと布団をかけなおす。

 

「・・・・ん」

「よし、今日も侵入成功」

 

 まるで困難な任務を遂行したばかりの凄腕のスパイのように己の行動を静かに誇る。

 まあ、口調は静かであっても、その上気した頬と荒い息遣いから体の方は孟っているのだが。

 

「ハァハァハァ・・・久路人の匂い、すごい濃い」

 

 久路人が普段から使用し、今も一晩眠っていた布団である。久路人はきちんと体を清潔にしており、体臭も悪いものではないが、布団に移り香するのは当たり前であろう。そもそも、その匂いの元である久路人がすぐ横で眠っているのだから、匂いが濃いのも当然である。久路人は壁の方を向いて眠っているために背中を向かい合わせにするような形になったが、それでも今の雫には刺激が強すぎるようであった。

 

「んん・・・我慢、我慢しなきゃ」

 

 普段から久路人と雫は距離が近いが、ここまで接触面積が大きくなることは早々ない。あってもお互いの意識がある状態であり、なんらかの不可抗力がある場合だけだ。そして、そんな不可抗力がついこの間あったばかりである。

 

「んっ・・・本当に、ダメ、なんだから」

 

 雫の脳内に思い起こされるのは、白い湯けむりの中でお互いの背中を流しあったこと。

 久路人のたくましい背中に手を触れ、久路人の手が自分の背中を撫でていった感触は今でも鮮明に思い出せる。

 さらに脳裏を巡るのは、お互いの唇を重ねた時。柔らかい唇どうしが触れ合い、舌が絡まり、久路人の唾液が喉を通っていったあの時を忘れられるはずもない。

 

「ハァハァ・・・んっ・・・」

 

 雫はもじもじと体を震わせ、内股を擦り合わせる。

 吐息は湿っぽくなり、体は火照る。

 その白魚のような指が、燃え盛るような熱を持つ秘所に行こうとするも・・・・

 

「ダメ・・・・」

 

 雫は手をもう片方の手で押さえつけて、自制した。

 フゥ~と息を吐くと、体の熱が出ていくように猛りが収まっていく。

 

「これは、そういうのじゃないんだから・・・」

 

 雫にとって、久路人と同衾するのは決意と決別の表れだ。断じてただ欲求を満たすためではない。

 本音を言えば今にでも色々とヤりたいこともあるが、それを押さえつけるだけの楔もまた雫の中にあった。

 

「これは、今までの私とのケジメなんだから」

 

 次に吐き出された言葉には、先ほどまでの熱は欠片も籠っていなかった。

 体を燃え上がらせるような記憶の後に蘇るのは、その熱を一瞬で冷ます光景だ。

 

「もう二度と、久路人をあんなに傷つけさせない」

 

 全身から血を流し、土気色の顔をした久路人。

 泣き叫ぶだけしかできなかった自分。

 そうなった理由は複雑に絡み合っているが、雫はその中の一つに当たりを付けていた。

 

「私に、もっと覚悟があればマシになっていたかもしれない」

 

 それは、護衛としての意識。久路人をどんな時でも守り抜くという覚悟。あのときまでの自分は、どこか高をくくっていた。「この現世で自分よりも強い妖怪が襲い掛かってくるわけがない。来ても返り討ちにできる」と。だが、結果は久路人を死の淵に立たせることになってしまった。幸いにも久路人は助かったが、自分がもっとしっかりしていれば、あの陣の中に閉じ込められることもなかったのではないかと今でも思う。そして・・・

 

「どんな時でも、少しでも久路人が生き残れるようにするんだ」

 

 それは、あの失敗を経て得た新たな覚悟。

 「久路人を眷属にする」という至上の命題。

 そのために、すでに雫は行動を始めており、ここに同衾しているのもその一環だ。自分の欲望に振り回されている暇などどこにもないのである。元々早朝にはここに来る予定ではあったが、あの悪夢のせいで少し早く起きてしまい、暖かな布団に入ったせいで睡魔が再び訪れる。

 

「・・・・・おやすみ、久路人」

「・・・・・ん」

 

 雫は久路人に一声かけると、もう一度眠りの世界に入っていく。

 興奮の熱が覚悟の冷気で打ち払われ、その睡魔を妨げる者はいなくなっていた。

 

「すぅ・・・・えへへ」

 

 その寝顔を見るに、どうやら悪夢も去っていったようであった。

 

 

-----------

 

「・・・・・朝か」

 

 六畳一間に差し込む朝日と、チュンチュンと外で元気よく鳴く鳥の声が、僕を起こした。

 

「珍しいな、アラームが鳴る前に起きれるなんて」

 

 自慢ではないし、普通にダメなところだが、僕は朝に弱い。

 普段はアラームを2回は聞かないと起きないのだが、今日はかなりのレアケースだ。

 なんだか頭がボゥっとするが、これは・・・

 

「まあ、早く起きれたのならそれはそれで・・・・ん?」

 

 そこで、僕は違和感を覚えた。自分の体のことではない。それよりももっと大きな違和感だ。

 具体的に言うと、なんか隣に温かい何かがある。温かくて、柔らかくてなんかサラサラした感触が・・・

 

「ええ・・・・今日もいるよ」

 

 昨日の僕は、旅行前よりも厳しくした訓練の後、確かに一人でベッドに潜り込み、しばらく暗闇の中で何も考えずにぼうっとしたままでいて、いつしか眠りに落ちていた。その間、間違いなく僕の部屋には僕しかいなかったはずなのだ。

 

 それなのに・・・・

 

「んんぅ~? もう朝ぁ?」

 

 僕の隣に女の子が一人眠っていた。

 

 布団をはがされたことで目が覚めたのか、その女の子は起き上がりながら伸びをして、日本人にはありえないような美しい銀髪がサラリと流れる。どこかの漫画の中から出てきたのかと思わせるような整った顔立ちの彼女ならば、「ふぁぁ~」とあくびする姿でさえ絵になっているが、その彼女に懸想をしている身としては中々に刺激的に過ぎる。

 伸びをした時に白い着物越しに微妙に浮かび上がる平原と丘の中間のような立体構造物を努めて見ないようにしながら、僕は口を開いた。

 

「えっと、雫、前も言ったけど、ここは僕の部屋なんだけど・・・・」

「ん?あれ?久路人?なんで・・・・・えぇっ!?」

 

 僕がここがどこかを告げると、雫はベッドの上で両膝を付いた状態から器用に跳びあがった。普段は雫の方が先に起きて僕を覗き込んでいるのと逆で、よほど驚いたのだろう。しかし、僕は比較的落ち着いていた。旅行から帰ってきてから、何度かこんなことがあったからだ。ちなみに、初めての時は僕も死ぬほど驚いた。そのときは雫が先に起きていたのだが、雫が僕の隣で寝ていたと気づいた瞬間、全力で雷起を発動し、窓をぶち破って外に出ようとしたほどだ。幸い、月宮家の窓ガラスはおじさんの手によって強化された特別製であり、僕が猛スピードで突っ込んだ瞬間に自動的に開き、ガラスを割ることはなかった。

 

「あ!!えっと、そう!!あのね、今日もね、その!!」

「そんなに慌てなくても、理由は知ってるよ」

「え?あ、うん・・・・そうだよね」

 

 僕が冷静なのを見て、段々と雫も落ち着きを取り戻したのか、大人しくなった。

 さて、さきほど言ったように雫が同衾していた理由を知ってはいる。知ってはいるが・・・・

 

「でも、その、一緒に寝る必要はないんじゃない?」

「そ、それはダメだよ!!寝起きが一番わかりやすいんだから」

 

 僕がやんわりと同衾はどうよ?と言ってみるも、雫に退く気配はない。確かに、雫がやろうとしていることは大事なことだとは思うのだが、それにしたってわざわざ同じ布団で寝る必要性はないと思うのだ。だが、強く言うのも憚られた。雫を拒むようなことは、したくなかったから。

 

「・・・・・」

「久路人?」

「あ、ごめん。なんでもない・・・」

 

 少しの間、上の空だったようで、雫が不思議そうな顔をしていた。だが、次の瞬間には覚悟を決めたような顔になり、僕の方にずいっと近づいてきた。

 

「あの、それじゃあさ、始めても、いいかな?」

 

 雫の顔はうっすらと赤く染まっていた。右と左の人差し指を突き合わせてモジモジとしている。今からやることに欠片の嫌悪もない表情。誰もが見惚れてしまいそうな、可憐な仕草。妖怪を恐れる普通の人間は違うのかもしれないが、僕にとっては今から行うことを除いても、この表情を見れるだけでもご褒美だ。当然、僕にも多少の恥じらいはあるが、拒むはずもなく・・・・

 

 

--ふむ、ここまで言って分らぬか?鈍いのう。つまりな・・・・・

 

「っ!!」

 

 一瞬脳裏をよぎったのは、あの九尾。だが、それはほんの一瞬だけだった。

 

 

--雫を拒みたくない。嫌われたらどうする?

 

 

 そのすぐ後に、心の中でつぶやかれた自分の声で、我に返る。

 

「ああ、いいよ」

 

 僕は、雫の申し出を受け入れた。

 

「本当!?じゃ、じゃあ、遠慮なく・・・・いただきます」

 

 恥ずかしそうにしながらも、その紅い瞳は煌々と輝いていた。

 雫が僕に近寄るのと同時に、僕は少し屈んで、首の付け根に付けていたガーゼを剥がした。そのすぐ後に、ほっそりとして華奢な両腕が恐る恐るといった風に、僕を包み込んだ。そして、ガーゼの下の傷口に雫の口が寄せられ・・

 

「れろっ・・」

「・・!!」

 

 鼻孔に広がる雫のほのかに甘い匂いと傷口に這わされた生暖かい舌の感触があまりにも刺激的すぎて、ゾクゾクと寒気が走る。僕はたまらずビクリと震え、僕に抱き着く雫にしがみついた。一体どういう舌をしているのか、数日前に狐のせいで付いた傷からたった今切り付けられたかのように血が流れていくのを感じる。それでいて、まったく痛みがないのが不思議である。雫の術の影響だろうか。

 

「わひゃっ!?」

「・・・っ」

 

 僕が雫を抱き返したようになったのに驚いたのか、さらにギュっと力を込めて僕を抱きつく。しかし、甘露を舐めるように僕の血を舐めとる舌は休まなかった。

 

「れろっ・・・ん、おいしい」

 

 自分の血を好きな女の子に美味しいと言われる。

 それを喜んでいいのかどうかわからなかったが、無視するのも憚られたので、返事はしておこう・・・

 

「えっと・・・」

 

 

--汝の血がな?あの蛇を・・・・

 

 

「っ!!」

「ん?ふらと?」

「な、なんでもない」

「?ほう?」

 

 再び、脳裏をあの声が通り過ぎた。だが、それを雫には悟らせない。悟らせるわけにはいかない。

 僕はなんとか生返事を返した。

 

「んっ・・・れろっ・・・・・」

「・・・・・・っ!!」

 

 そこから、僕と雫の間に会話はなかった。

 雫は熱に浮かされたように僕の血をすすり、僕は体に走るゾワゾワとした名状しがたい感覚をなだめすかす。それがここ最近の、朝の風景だ。

 

「雫、そろそろ・・・・・」

「ん・・・・あ、そうだね」

 

 僕がそう言うと、雫はどこか名残惜しそうに、僕の体から離れた。すぐ近くにあった雫の温もりが消え、11月の朝の冷気が肌を刺す。その感触は、まるで僕を責めているようだった。

 

「えっと、『味見』だけどね、今日も前とあんまり変わってないと思うよ!」

「そう・・・・」

 

 雫は、僕の首筋を見ながらそう言った。

 

『味見』

 

 それは、僕らが旅行から戻り、おじさんと旅行先で何があったのか話し合ってから、雫が僕に言い出したことだ。何をやるかと言えば単純明快で、文字通りの味見だ。何の味を見るかと言えば、さっきまでのように僕の血である。

 

「あ、雫の方も、今日も匂いは問題なかったから」

「あ、うん。ありがとう・・・・」

 

 雫はそう言いながらベッドの上から降りた。

 雫が僕の血を吸っていたのはほんの少しの間だけだ。しかし、朝のひと時は貴重だ。少しうかうかしていると、すぐに遅刻の危険が迫って来る。味見はこれまでの匂いチェックも兼ねており、それは時間の節約のためでもあった。

 

「じゃあ、私は朝ごはんの準備してくるから・・・・」

「うん、ありがとう」

 

 雫がドアの前に立ち、振り向いてそう言った。

 朝は雫が用意するのが前々からの習慣である。僕は朝が弱いので、それを見かねた雫がやり出してくれたのだが、後ろめたさを感じ・・・・

 

 

--それだけじゃないだろう?

 

「・・・・・・」

 

 今度は、あの狐ではなく、自分の声だった。

 

 

--お前が後ろめたく思っていることは、それだけじゃない。いや、むしろあっちの方がメインだろう?

 

「・・・・・・」

 

--本当なら、断らなきゃいけない。よしんば受けても、喜ぶようなことがあっちゃいけない。なにせ、雫がお前にここまでしてくれるのは、お前の血・・・・・

 

 

「っ!!雫、僕も手伝う・・・・」

 

 僕はそこで、膝を打って頭を振った。

 この新しい日課が終わるたびに沸き上がる自分の声。その声が言うことは正論だ。ルールの好きな僕らしい、まったくの正論。しかし、それに従うことが意味するのは、僕がもっとも避けたい未来がやって来ることだ。

 僕は内なる声を押さえつけ、雫にだけ支度をさせるわけにはいかないと思いながら、立ち上がり・・・

 

「あれっ?」

「久路人?」

 

 くらっと、視界がブレた。

 さっきまで雫と触れ合っていたから感じていたと思っていたゾクゾクした感覚と、頭がボウッとなる感覚が同時に襲い掛かって来る。

 

「なん、で・・・」

「久路人!?」

 

 ボフンとベッドの上にもう一度倒れ込み、意識を失うその前に。

 

「久路人、大丈夫!?」

 

 僕が見たのは、手を差し伸べようと近づいて来る雫の姿だった。

 

(雫、ごめん)

 

 その手が僕に触れる前に、僕は謝ろうと声を出そうとしたが、結局言葉は出てこなかった。

 

-----------

 

 ピピピ・・・と体温計の音が鳴った。

 

「えっと・・・37.9℃。風邪かなぁ」

「38℃スレスレじゃん!!今日は学校行っちゃダメだからね!!」

「わかってるよ。あ、でも術技の練習くらいは・・・」

「・・・・・久路人。いくら久路人相手でも、私だって怒ることはあるんだよ?」

「ごめん・・・・」

 

 それまでの慌てたような表情から一変し、能面のような無表情になった雫はこれまでに見たことがないくらい怖かった。

 

「まったく・・・久路人は最近訓練とか頑張りすぎ!!」

「う・・・でも、あんなことがあったし」

「でももだってもない!!それで久路人が体を壊したら何の意味もないでしょ!!大体、久路人を守るのは護衛の私の仕事!!わかった!?わかったら、今日はじっとして寝てなきゃダメだからね!!」

「・・・・はい」

 

 凄まじい剣幕で怒る雫に、僕が逆らえる道理はない。

 実際、最近の訓練では自分でもやりすぎたかと思う時もある。

 しかし、僕としては強くならないといけないという気持ちを抑えられないのだ。

 

「とにかく!!私はお粥作ってくるから、大人しく寝てて!!勝手に動いて外に出るとかしたら、私本気で怒るからね!!」

「わかったよ・・・・」

 

 僕がそう返事をすると、雫はしばらくじぃっと疑わしそうに僕を見つめていたが、そのうちに「さっきのはフリじゃないからね?本気だからね?」と言って、部屋を出ていった。

 ドタドタと階段を駆け下りる音がする中、僕は「はぁ」とため息を吐いた。

 

「確かに、今日はもう動く気はないけどさ、あんなことがあっちゃあ、強くなろうとするのはしょうがないよ」

 

 僕がここまで訓練をハードにこなそうとするのには、正確には自分の力を使いこなそうとするのには、当然理由がある。

 それは、葛城山で絶体絶命になるまでに追い詰められたこと。朧げな記憶しか残っていないが、僕が自分の潜在能力を引き出して九尾の珠乃を倒したことだ。

 

「あの力が、もう一度使えるようになれば・・・・」

 

 今の僕に、あれだけの力は使えない。

 どうやって体をバラバラにしないままにあれほどの力を使えたのか、さっぱりわからない。だが、あれだけの力があれば・・・

 

「もう二度と、約束を破らなくていい」

 

---妾は、仮に契約がなくなっても、我が友を守る。だから、妾と同じように、お前も妾を守るのだぞ。よいな!!---

 

 幼いころに交わした大事な大事な約束を、僕は守れなかった。結果的に見れば僕は珠乃を倒したのだから、落とし前は付けられたのかもしれない。だが、それでも雫が傷ついた事実は消えない。

 だから僕は、もう二度と雫を傷つけないようにしなきゃいけない。

 

 そう、雫が傷つかなくてもいいように。

 雫が、僕の血を飲んで力を高める必要がなくなるくらいに。

 

「・・・・・・」

 

 僕は、窓から差し込む光に、自分の手をかざした。

 自分の体に流れる血が、それで見えるようになるわけではない。だが、感じることはできる。今もこの身に巡る、血と力を。

 

--それが、お前の体に流れている力の正体だ。

 

「・・・・・・」

 

 おじさんの言葉が耳に蘇った。

 それは、自分の持つ異常な力のこと。自分の体を動かしたナニカのこと。雫が『味見』を提案するようになった理由でもある。

 

「・・・・神の血、か」

 

 僕は、旅行から帰ってきたばかりのことを思い出していた。

 




評価、感想お願いします!!
あと、もしよろしければtwitterでの読了宣言とか、特にこちらと変わりありませんがなろうの方にも評価入れていただければ、モチベ上がります!!

なろう版 https://ncode.syosetu.com/n6569gn/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白蛇と彼の一日(高校生編2)

まさか2話でも終わらなかったとは・・・・
設定盛り込みすぎました。

キリがあまり良くないので、次の最期の閑話は来週の火曜日の夜に投稿します!!




 白流(はくる)市。

 この街は、とある県の地方都市だ。自然と都会がバランスよく融合した街であり、街の中心部はそれなりに栄えているが、少し郊外に出れば手付かずの森や耕作放棄地が広がっており、鹿やら狸やらがウロウロしている。

 そんな街の郊外にある一軒家で、4人の人影が一部屋に集まっていた。

 

「まず最初に謝っとく。俺がもっと注意深く観察してればここまでのことにはならなかったかもしれねぇ。本当に済まなかった」

 

 久路人たちがリリスの馬車で月宮家付近に送られ、京に引き取られた後。久路人と雫の体調を精密検査し、眠り続けているが放置しても問題ないと判断した京たちは旅行関係者や学校の人間の記憶処理やら何やらで方々を駆けずり回った。その間に久路人と雫は月宮家で疲労と解毒のためにほとんど絶対安静で眠りこけ、今は旅行から帰って3日後、久路人が目覚めて少し経った後のことである。

 

「ちょっ!?頭上げてよおじさん!!相手は幻術の神格持ちだったんだから、しょうがないって!!」

「仕方がなかろうがなんだろうが、それでお前が死ななかったのは運が良かっただけだ。俺も気が抜けてたのは間違いねぇよ」

 

 

 月宮家の居間では、家主の京が向かい側のソファに座る久路人に頭を下げ、それを慌てて久路人が止めようとしていた。

 京としては自分の兄の忘れ形見を危うく死なせかけたのだから、何度謝っても足りないという心境なのだろうが、直接敵と戦った久路人としては陣を展開できるような相手が潜伏していたのを見つけろというのはかなりの無茶ぶりだと思っている。

 

「俺は、兄貴に、いや、お前の親父に約束してたんだよ。お前を守るってな。俺は、その約束を守れなかった。頭下げて当然だ」

「おじさん・・・・」

 

 「約束」という単語に、久路人の語気が弱まった。

 大事な約束を守れなかった時の罪悪感については、自分もつい最近に実感したばかりである。久路人には京の気持ちが痛いほどよくわかったのだ。

 

「久路人様、私も貴方を守護するという役目を果たせませんでした。その段階で、私も同罪です。もしもお叱りになるのでしたら、京だけでなく私も・・・・」

「メアさんまで・・・・」

 

 そこで、京の隣に控えていたメアも主に倣って頭を下げた。彼女もまた久路人の護衛を命じられてはいるが、メアの場合は第一優先対象は主である京であり、仕方のないことだとは久路人には思えた。

 さらに・・・・

 

「待てお前たち。あの場にいなかったお前たちがそうまで頭を下げるのならば、妾の立つ瀬がないだろうが。久路人の一番の護衛はこの妾なのだからな。妾こそ、最も罪が重いだろうよ」

 

 久路人の隣に座っていた雫が口を開いた。

 雫は久路人の血をもらう代わりに護衛をするという契約を結んでいるうえに、契約がなくとも守るという約束も交わしている。この場で最も決まりを破っているのは雫である。しかし、久路人にはとても雫を責める気にはなれなかった。それは好きな異性ということもなくはないが、それ以上に雫が全力で闘い、結果的に契約を果たせずとも、誓いを守るという意思をはっきりと見せつけたのを知っているからだ。なにより、自分も雫との約束が守れなかったことを考えればとやかく言えるはずもない。つまるところ、この場の全員が決まりを破っているのである。

 

「わかりました・・・・みんなの謝罪を受け取ります。でも、だからこそ!!もう謝るのは止めて欲しい!!約束を守れなかったのは皆同じだけど、その元凶は倒した。なら、もう二度と約束を破らないようにする方が大事だよ!!」

 

 それは久路人自身に向けた言葉でもあった。

 約束を破った嫌悪感は未だに胸に残っているが、そのことを延々と責め続けて同じような事態を引き起こすようなことがあれば、それは今回以上のルール違反である。

 

「わかった。お前がそう言うなら、クヨクヨすんのはもうやめだ」

「ええ、偉そうなことは言えませんが、その方が建設的かと」

「私も、もうあんな目にはあいたくないしね」

 

 久路人の言葉に、場の雰囲気が変わる。

 この4人の中で、これまでの失態はこれで手打ちになったということだろう。

 

「んじゃあ、早速だが反省会といくか。今回こんなことになった理由だが、昔に九尾が封印されていたのを管理してた一族が忘れてて、封印が弱ったところで解けちまったらしい」

「久路人様たちが旅行に行く前に京とともに葛城山に向かいましたが、その時点ではおかしな点は見つかりませんでした。その地の霊能者の様子も不審なところはなかったのですが・・・・」

「昨日一昨日と、向こうに行ってみたらひどい有様でな。幻術が解けたんだろうが『我々のせいではない!!』だの言い訳しかしやがらなかったから一発ぶん殴ってすぐに帰ってきた。そのうち学会から監査が入って、土地も学会か霧間一族の管理下になるだろうな」

「他の生徒については、特におかしなところはありませんでした。生徒に術をかけたのではなく、操った葛城山の一族を使って携帯の使えない観光施設に誘導しただけだったのでしょう。久路人様がいなくなった件については、急病ということで処理しました」

「あそこに空いた穴については、第五位のやつが封印した。空いてすぐだったから、簡単に塞げたみたいだったぜ。

 

 そうして語られる事の発端と顛末。

 九尾がいたのは忘却界が張られるより前に葛城山に封印され、その封印が解けたため。管理を怠った一族は更迭され、新しく封印された穴も含め、今後の葛城山は学会、ひいて七賢第五位を擁する霧間一族が治めることになるだろう。

 

「つまりだ。今回みたいなことを防ぐには、各地の霊能者のテコ入れやら大昔に封印された妖怪の探索が必要ってわけだな」

「霊能者との連携に関しては、日本は学会との関りが薄く、各地方の一族が幅を利かせているためにまだまだ先のことになるでしょうが、封印については「そういうものがある」ことさえ分かっていればやりようはあります」

 

 日本という国は、世界的に見ても穴の空きやすい霊地を多く保有する特異点ともいえる島国だ。しかし、忘却界が張られるより前から島の中で独自の発展を遂げた霊能者たちによって人外としのぎを削ってきたという背景もあり、ロンドンに本部を置く学会との折り合いはよくはない。学会が七賢を二人も配属するのには、それ相応の理由があるのだ。

 

「学会にも応援を頼むが、俺とメアは、これからそういう封印を探そうと思う。色々とあちこちで人間もうるさくなりそうだし、もしも九尾みたいな神格持ちがまだいるなら、相手できるのは俺たちくらいだろうしな。だが、その間お前らは・・・」

「この街から出ないようにする、かな?」

「そうだ」

 

 今回の件で京たちが犯した最も大きなミスは、久路人たちを街の外に出したことだろう。例え相手がどんなに巧妙に気配を隠せるのだとしても、月宮家という拠点のあるこの街で完全に隠れるのは難しい。事実、九尾も使い魔を放つのが関の山であり、久路人たちが修学旅行で外に出るのを待っていたのだから。

 

「僕はそれでいいよ。元々あまり遠くに出かけるのは好きじゃないし」

「妾もだな」

 

 インドア派の久路人と、久路人が近くにいれば基本なんでもいい雫にとっては街から外に出ないのは大した痛手ではない。幸いなことに久路人が進路を考えている大学も街の郊外にキャンパスがある。

 

「しかし、封印を探すといっても、もしも今回のように幻術に優れたヤツがいたらどうするのだ?そもそも発見できないのではないか?」

 

 雫の懸念はもっともだろう。九尾のような格の持ち主がまだいるのかは分からないが、中々尻尾を見せずに待ち構える者がいる可能性は0ではない。

 

「おお、よくぞ聞いてくれた!!今回で、超激レアな素材が手に入ったからな。耐性の高いお前らには必要ないだろうが、俺が取りこぼすことはもうねーよ」

 

 しかし、京は心配ないと笑って、狐の尻尾のような襟巻を取り出した。

 

「メアも俺と霊的感覚を同期させてるから、俺がハマらなきゃ問題ねえ」

「実に変態的な機能を付けられたと思っていますが、こういう時に片方だけが対策すればいいので、案外便利なものです」

「・・・・・その尻尾みたいのって、まさか」

「ああ、お前らが倒した九尾の死骸から作った術具だ。なにせ元が一級品だからな。幻術対策は完璧だ」

「なんというか、業が深いというべきなのだろうか・・・・」

 

 京は得意げに襟巻を見せてくるが、久路人たちから見れば微妙な心境である。特に雫は珠乃の最期を見ているがためになおさらだ。だが、これも久路人の安全を守るために必要と考えれば仕方のない気もしてくる。自分だって決別のためとはいえ死骸の頭を踏みつぶしたこともある。

 

「ところでだ・・・・」

 

 そこで、京は笑顔を消して真剣な表情になった。

 

「俺が九尾の死骸を手に入れたのは一昨日なんだが、そこで死骸の状態をじっくり見た。その上で言う。久路人、お前どうやって九尾を倒した?」

「それは・・・・」

 

 京からすると、九尾の死骸は中々に信じがたい跡が残っていた。単純な武器の跡はともかく、付着していた霊力の質が問題だったのだ。

 そんな京の剣幕に威圧されながらも、久路人は覚えていることをポツリポツリと語った。詳細まできちんと覚えていたわけではないが、途中黒鉄の糸で「まるで自分の意思で動かしているのではないように」体を動かしていた時も大まかな流れは記憶しており、あいまいな部分は雫が補足したために、九尾との戦いをすべて説明する。ついでに、とてつもない力を使った反動を、雫の血で癒したことも。無論、口移しで飲ませたということは伏せてだが。

 

「雫・・・・」

「そんな顔しないで、久路人。私の怪我なんて簡単に治るんだから。むしろ、あそこで役に立てたのが嬉しいくらい」

 

 自分が気絶していた後に起きたことを知り、申し訳なさそうな顔をする久路人だったが、雫はなんてことのないように笑う。

 

「雫の血ね・・・最近は俺にも分かるくらい臭うんだが、久路人、腹壊してねぇよな?」

「ちょっとした拷問ですね」

「捻りつぶすぞ、貴様ら」

「とりあえず、久路人が助かったんならいいが、あんまり飲ませすぎんなよ?お前に久路人の血が混ざってるから親和性があったんだろうが、妖怪の血なんぞ、人間の体に入れていいことは普通はねぇ」

「・・・・・・・ああ、わかっておるよ」

 

 雫はゆっくりと頷いた。京の言う通り、あの時はそれしか方法がなかったために決行したが、雫の血を人間の久路人に飲ませるというのは賭けでもあった。そして、賭けに勝って死の淵から急速回復させるほどの効果を出せたのは、久路人が相手だったからだ。

 

「だが、お前が危惧するほどの危険はないだろうよ。妾が交わした契約が、血を飲ませるのを止めることもなかったのだからな」

「まあ、それもそうか」

 

 雫の言葉に、京は納得したようだった。契約が緩んでいるとはいえ、それは雫と京ならびにメアとの関りだけだ。久路人との繋がりは依然として強固である。雫が久路人に「悪意」をもって何かしら企めば、瞬く間に契約は雫に牙を剥くだろう。

 

「お前の血は、久路人用の特効薬みたいなもんだしな」

「ふふん!!久路人専用か。よいではないか!!」

「私からすれば、そんなヘドロにも劣る液体を飲むくらいなら死んだ方がマシですが・・・」

「なんだと貴様ぁ!!」

「・・・・・・」

 

 自分の血が久路人専用と言われて雫も悪い気はしない、というか、いざという時に自分だけが久路人を癒せるということで、どことなく優越感が湧いてくる。ふんす、と得意げに雫は鼻を鳴らしたが、直後のメアの正直な感想に食って掛かっていた。一方で、好きな女の血が自分の特効薬と聞いて、久路人は嬉しいような気まずいようなどちらともつかない顔をしていたが。

 ともかく、雫の血には、混ざりかけとはいえ久路人の血が混ざっており、久路人との親和性が非常に高く、京の言うように久路人専用の特効薬といえる。これが他の重傷者相手ならば、回復の効果はあれどそうたいしたものにはならないだろう。もしくは、逆に蛇の毒として体を痛め付ける可能性もあるし、肉体が目も当てられない肉塊に変わることもあり得た。まあ、どちらにせよ雫の血は雫の霊力の超高濃度濃縮液であり、相性のいい久路人以外は冗談抜きで悪臭のあまり精神崩壊する危険性があるだろうが。

 

「改めて言うが、妾が久路人に危害を加えることなどあり得ぬ。この世で、妾以上に久路人が末永く生きるのを望んでいる者など存在しないのだからな・・・・というか、いつまでもこのことを話していいのか?他に聞くことも考えることもあるだろう?」

「ああ、そうだな・・・・」

「・・・・・・」

 

 雫の言ったその言葉に、久路人はどこか痛ましいような目を向けるが、それは続く話題に流されて気づかれなかった。話は雫の血のことから、久路人がどのように九尾を倒したかに再び移り、ざっくりとした流れから、より細かい部分を京が聞きだしていく。

 

「よくわからん声に、今まで使ったこともないとんでもない威力の術、自分の体が壊れても戦い続けることができる糸、んで、「天」属性の霊力か」

 

 そうして話を聞き終わった京は、なにやら納得したかのようにウンウンと頷いていた。

 

「おい、お前だけが分かったような顔をするな。なにか知っているのならば妾たちにも教えろ」

「そうだよ。僕のことなんだし、僕も知りたい」

「ああ、悪い。んじゃ、そうだな・・・・・何があったのか簡単に言うと、お前の体にある霊力を通して、「神」のやつがお前を操ったんだよ」

「「は?」」

 

 久路人たちには京の言うことがよくわからなかったようだ。

 ある意味当然である。この世界の「神」に関する情報はごく一部の者しか知らないのだから。

 

「俺も直接会ったことがあるわけじゃねえがな。この世界には「神」っていう存在がいる。いや、「在る」っていったほうがいいのかね。ともかく、そいつは基本的に現世にも常世にも干渉はしてこないんだが、特定の条件を満たすとこっち側に介入してこようとするんだよ」

 

 『神』

 

 ソレを観測したのは『魔人』が初めてだという。

 現世と常世も含めた、水槽の創造主であり管理者。

 『神』と魔人が呼称したのも便宜的なもので、どのような存在であるのかもすべては解き明かされていない。

 分かっていることは、その大きすぎる力のせいで基本的に現世にも常世にも現れることができず、また現れようとしないということ。

 特定の意思、姿を持たず、ある種のシステム、現象に近い存在であるということ。

 人体の抗体のように、世界に「陣」のような異物が発生した、もしくは世界そのものが存亡の危機に瀕すると判断したときのみ何らかの手段で干渉してくるということだ。

 

「神の持ってる力はデカすぎるみたいでな。普通にこの世界に現れようとすると、陣以上に何が起きるのかわからねぇんだと。だから、神は他の手段で世界の異物を除去しようとする。「神兵」っつー神の分身みたいなヤツを送り込んでくることもあるが、あの場にいたお前を使う方が効率がいいとでも思ったんだろうよ」

「ちょっと待ってよ!!神っていうのがいて、陣を消そうとしたのは納得できるけど、どうして僕を操ったりできるんだよ!?」

 

 そこで、久路人から待ったが入った。久路人は自分が妙な体質だとは思っていたが、それが神とやらとどんな関係にあるというのか。

 

「そりゃ、月宮一族の初代が神の力を取り込めた突然変異体だったからだ。俺も含め、月宮一族には神の力が溶けた神の血が流れてる。お前は歴代でも特に血が濃いみたいだが、過去にはお前みたいにその血を通して神が操った例もいくつかあるらしい」

「・・・・あのとき感じた妙な霊力は、神に由来するモノということか」

「ああ、俺は「天」属性って呼んでる。あらゆる欺瞞を許さず、世界をありのままに正す力。魔人が言うには、俺たちが普段使ってる霊力の属性は全部ひっくるめて「天」から派生した「地」属性なんだとさ」

 

 珠乃の渾身の術を打ち払った不思議な霊力。とてつもない力のようだったが、この世界の創造主の力と言われれば納得もいく。あらゆる欺瞞を許さないという性質は、元が神という管理者の扱う力だからだろう。久路人と、久路人の血を取り込んだ雫が幻に高い抵抗力を持つのも、神の血によるものだ。もしかしたら、久路人がやたらと「ルール」にこだわるのも、その血に由来するからなのかもしれない。

 

「昔、忘却界が展開される前は、現世と常世の狭間は強い妖怪どもが陣を使いすぎて穴だらけだったらしい。あまり穴が空きすぎると、現世と常世のバランスが崩れて、世界そのものが滅ぶって話らしいんだが、神は世界の化身だから、世界が滅ぶと自分も死ぬ。だから陣を無造作に開くと神が干渉してくるのさ」

 

 元々月宮の初代が神の祝福、すなわち神の力を浴びるきっかけになったのも、世界に空いた穴が大きすぎて、神が存在するエリアと繋がったためだという。まあ、神の力を受け入れられて消滅していない時点で初代は初めから人間の突然変異種ともいえる存在だったのだろうが。

 

「僕が神の血を引いてるのはわかった。けど・・・」

「神とやらは、いつでも好きなタイミングで久路人を操り人形にできるということか?」

 

 久路人は不安げに、雫は冷たい怒りを滲ませながらそう言った。

 久路人からすればたまったものではない。神という存在がいることは認められても、それに自分の体や意思を好き放題される可能性があるということなどとてもでないが受け入れられない。

 雫にしても、自分の想い人がいつあんな血まみれになるか分からない状態にあるなど許せるものではない。

 

「そう心配することはねぇよ。確かに神はこの世界の異物をどうにかするために行動するが、そもそもそんなことが早々起こるもんじゃねぇ。陣にしたって、あの狐みたいに無茶な使い方をしないで、きちんと「安定」させるように開けばよほど長時間続けない限りお咎めもないしな。さらに言うなら、お前を操ったのだって、お前が現世でも常世でもない陣の中にいて、干渉ができたからだ。現世にいれば操られることはねぇよ。それは・・・・」

 

 そして、なおも不安そうな二人の前で、京はおもむろに右手を掲げた。

 

「天の使い手の先輩である俺が保証してやる」

「「・・・・!!」」

 

 京の手に、白い光が灯った。

 それは、珠乃の陣の中で久路人が纏っていた力と同じモノ。

 もっとも、その輝きは久路人の使っていた時よりも弱弱しかったが。

 

「おじさん、それは・・・・」

「ああ、これが「天」属性の霊力だ。お前よりかなり血が薄いからそこまで大したもんじゃないが、俺も昔、お前みたいにこの力を使わされたことがあるんだよ。俺が七賢の3位にいる理由でもあるんだが、まあそれはいい。ともかく、その経験のある俺が言うが、神に操られるにしても、その時は操られた方がマシな場合が多いんだ。とんでもない力がなきゃ、くたばってたって意味でな。逆に言うと、素の俺らにどうにかできそうなことならわざわざ干渉はしてこねぇ」

「そう言われれば確かに・・・・もしあのまま負けてたら・・・・」

「妾たちが分身を押している間には妙なことも起きなかったしな」

「・・・・・」

 

 久路人と雫が思い思いに分析する一方で、メアが、どこか懐かしいものを見る目で京の右手を見ていた。

 

「月宮一族は天の一族。それは、この天の力を受け継いでるから。それが、お前の体に流れている力の正体だ・・・・・まあ、今の現世でこの力が使えるのは俺とお前くらいだろうがな」

「天の、神の力・・・・」

 

 久路人は、自分の手のひらを見つめた。刀や弓を使っているためにタコができていること以外は、何の変哲もない普通の手。しかし、そこにはとてつもない力が流れている。

 

「ちなみに言っておくが、あまりこの力を過信するなよ?神はいざ使うとなったら俺らが死にかねないようなこともさせるし、逆に世界の存続に関係のないことで死ぬことになろうが何もしてこねぇからな」

「つまり、護衛である妾は変わらず必要ということか」

「そういうこった。この力を使わずに済むのなら、それが一番。だから今まで伝えてなかったんだが、こうなったら仕方ねぇ」

 

 そこで、京はフゥとため息を吐きながら言った。

 

「久路人、お前はできればもう前に出るな。厄介なことは雫に任せとけ。その力については、今すぐ暴走するなんてことはねぇし、眠ってるみたいだから、俺の方が落ち着いたらじっくり教えてやる」

「なっ!?おじさん、それは・・・・!!」

「うむ!!妾に任せておけばいい。今度こそ、久路人が傷つかないようにしてみせるとも!!」

「・・・・・・」

 

 京の言葉に言い返そうとした久路人は雫の力強い宣言に遮られた。

 何か言いたげな視線を雫に送るが、雫は気付いたそぶりはない。

 それどころか、雫はさらに言葉を重ねていた。それは、雫からの「提案」であった。

 

「話は変わるが、お前は今、久路人の力が眠っていると言ったが、その力がどのような状態にあるかじっくり調べる必要があると思うのだが、どうだ?」

「何?」

「雫?」

 

 突然何を言い出すのかと、京も久路人も怪訝そうな顔を向けるが、雫は構わずに続ける。

 

「お前は、これからあの九尾のような妖怪を探しに方々を巡るのだろう?天の力とやらについて、妾は良く知らんが、専門家のお前がいない時だからこそ、日々のちょっとした変化も見ておく必要があると、妾は思うのだ」

「まあ、データが取れるなら取っておいた方がいいのは確かだが・・・なんか当てがあんのか?」

「ああ、当たり前だ。なければこんな提案はせん」

 

 雫は、久路人の首筋に貼られたガーゼに目を向けた。そこは珠乃によって傷をつけられた部分であり、瘴気の影響で治りが遅い箇所でもあった。

 

「これから毎朝、妾が久路人の血を直に吸おうと思うのだ。妾のこれまでの経験上、久路人の血が新鮮かつ寝起きに摂ったものの方が濃厚で味が分かりやすい。その状態ならば、久路人の血の中にある力に何かあれば感じ取ることができるやもしれぬ」

「えっ!?ちょっ!?直飲みって・・・・」

 

 「直に吸う」という言葉の意味から何やら察したのか、久路人が慌てる。よく見れば、平然とした顔をしている雫も、頬が赤くなっていた。

 

「ふーん・・・まあいいんじゃねぇの?元々、お前と久路人が結んだ契約で、久路人の血をやることにはなってるんだし、そのついでに簡易の健康チェックができるんならお得だしな」

「絵面は少々物騒かもしれませんが、別に害のあるものでもないでしょうしね」

「二人とも!?」

 

 まさかの賛成意見により、反対派は久路人一人だけであった。

 二人が反対しなかったのは、水無月を雫が名乗ることを決めた時のことがあるからだ。あの時から前に進もうとしているのなら、応援はすれど反対はしないというのが二人のスタンスだった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!!そんなの・・・」

「ああ?なんだよ久路人、嫌なのか?」

「久路人・・・?」

「い、いや、別に嫌じゃないけど・・・・」

「なら、よいではないですか」

 

 メンタルの問題で、なおもこれまで通り穏便に血の供給を済ませたい久路人としては、反対意見を述べたいところだったが、契約で血を与えるのが確定している以上「じゃあ嫌なのか?」と言われたら、後は久路人が雫との接触を嫌がるかどうかの問題だ。そうなれば、久路人にノーと言えるはずがない。まして、雫の見てる前で断るなど、絶対にありえなかった。

 

「わ、わかったよ・・・・」

「よっしゃぁぁあああああああああああああ!!!!!!」

 

 久路人が折れると、雫は渾身のガッツポーズを決めて跳びあがる。

 京とメアは、そんな様子を微笑ましい目で見つめていた。

 

「・・・・・・・」

 

 だが・・・・・

 

「おじさん、あのさ・・・・」

「あん?」

 

 どこか浮かない顔で雫を見ていた久路人が、京に何事かを聞こうとしたが・・・・

 

「じゃ、じゃあ、久路人!!明日からよろしくね!!」

「え?ああ、うん・・・・」

「どうした?なんか聞きたいことがあったんじゃねぇのか?」

「い、いや、なんでもないよ」

「?そうか?」

 

 それは、喜色満面、かつ恥じらいを少し含んだ雫に横入りされて、タイミングを逸した。

 そして、そのまま夜も遅いということで、その場はお開きとなったのだった。

 

「・・・・・・」

 

---汝の血がな?あの蛇を狂わせておるのではないか?と言う話だ---

 

 

 珠乃のあの言葉を、久路人の耳の内に何度も響かせたまま。

 

 

 

 

-----------

 

「・・・・雫、嬉しそうだったな」

 

 朝日が差し込む中、久路人はポツリと呟いた。

 あの夜、京とメアは祝福するように雫を見ていたが、久路人は逆に後ろめたいような罪悪感を抱いていた。

 

--月宮久路人は、水無月雫のことが好きだ。妖怪だとか護衛だとかは関係なく、一人の異性として。

 

「・・・・・」

 

 今日の朝も、雫の言う「味見」をした。

 まるで本物の恋人のように、同衾した後で、体を密着させて、抱きしめ合って。

 

「・・・・・」

 

 好きな女の子とそんな風に触れ合えて、嬉しくないはずがない。しかも相手も嫌がらず、むしろ喜んでいるようにすら見える。

 その関係は、あの旅行で気が付いた、久路人の心の奥底にある理想の具現と言ってもいい。

 今の雫にならば、久路人が想いを告げても断られないだろうという確信があった。自分の理想に至るまで、後はもう言葉一つで到達できる場所に立っている。そのことがたまらなく幸せだ。

 

「それが・・」

 

--それが、「本物」の気持であったのならば。

 

「・・・・・」

 

 己の中で、絶対に聞かれてはいけないことを呟く。

 

 

--雫の好意は、僕の血によって植え付けられたものなのか?

 

 

「・・・・・」

 

 始めは、京に聞こうとも思った。だが、聞けなかった。

 

 

--もしも、それが真実だったら?お前は、雫から離れられるのか?

 

「・・・・・」

 

 それを確認することが怖かった。

 今更雫と離れるなど、久路人にはできなかった。それは、雫への恋心を自覚する前でも同じだろう。

 もしも久路人の血の効果が本当ならばこれ以上飲ませてはいけない。だが、血によって依存しているというのならば、血を与えなくなったらどうなる?

 

 

--雫に嫌われたくない。

 

 

「少しずつ、少しずつだ・・・」

 

 嫌なことを考えているからだろうか?頭が朦朧とする感覚が強くなってきた。

 

--強くなろう。

 

 

 もう二度と、約束を破らなくていい。雫を傷つけることもない。それも確かにある。だが、他にも理由がある。 

 

 

--自分が護衛されなくてもいいくらい強くなればいい。

 

 

「・・・・・」

 

 久路人が雫に血を与えるのは、雫が久路人の護衛を務める対価としてだ。

 強くなれば、断る理由ができる。契約の範疇から外れる。

 幸いにして、今はまだ使い方が分からないものの、強くなれる当てはある。

 

 

--これからは、僕が守るから。

 

 

「だから・・」

 

 

--ずっと、僕の傍にいて欲しい。偽りの気持ちじゃなくて、心の底からの想いで。

 

 

「・・・雫」

 

 想い人の名前を呟きながら、眠りに落ちていこうとしたその時・・・

 

 

「久路人!!お粥できたよ~!!」

 

 

 自室の扉が、明るい声とともに勢いよく開かれた。

 

 

 




あと、感想を読んでいて思ったのですが、前日譚という今までの表記は止めるべきでしょうか?元々短編に繋がる話を書いてきたつもりだったのですが、大分ズレてきてしまったので・・・


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白蛇と彼の一日(高校生編3)

火曜日+2時間で投稿!!間に合った!!
でも、眠いんで後で手直しするかもです!!


「まったく、久路人ったら、昔から変なところで頑固なんだから」

 

 月宮家の一階にある台所。

 普段はストレートにしている銀髪をポニーテールに結んでからエプロンを身に着けた雫は、グツグツと煮える鍋の前に立っていた。鍋からは実に食欲をそそる匂いが沸き立ち、卵とトマトソースを落とされて赤色になった卵粥が湯気を立てている。

 

「久路人は「まだ」人間なんだから、無茶しないで欲しいんだけどな」

 

 少々怒っていたように呟いていた雫であったが、途中で何かを思い出したのか、嬉しそうな顔になる。

 

「ふふ、でも、護衛として傍にいられるのも悪くないね。京の話だと、まだまだ久路人のボディガードは必要ってことだし」

 

 雫にとって、久路人と一緒にいる理由は多ければ多いほどいい。それだけ離れにくくなるから。

 神の血に頼らないようにするために、久路人を厄介ごとから遠ざける。襲い掛かって来る敵はすべて自分が倒し、二人だけでこの閉じた屋敷の中に籠る。それは久路人が弱い人間の肉体でいる時にだけ味わえる贅沢だ。永遠を一緒に生きるのは最高だが、自分なしでは生きていけない久路人とというのも中々にいいものだと雫は思う。

 

「ゆっくりゆっくり進めていくけど、血もそのうち美味しくなくなるだろうし、今の内にたっぷり堪能しないと・・・っと」

 

 そこで、鍋の沸騰が激しくなってきた。十分に火が通った証拠である。雫はクッキングヒーターのスイッチを切ると、スプーンに少し粥を掬って、本来の意味での味見をする。

 

「ん!!ちょうどいい塩加減だね。よし、いい出来!!」

 

 粥の味付けはどうやらうまくいったようだ。雫の顔に満足げな笑みが浮かぶ。

 

「でも、『隠し味』が、まだ入ってないよね」

 

 だが、次の瞬間に浮かべていた笑みの質が変わった。

 理想の味付けができたと子供のように素直に喜ぶ笑みから、思わず目が離せなくなるように妖艶な、されどどこか粘ついたように恍惚とした、ドロリとしたソレに変わる。

 

「ふんふ~ん♪ふふ、こういう時は、不謹慎だけど久路人が動けなくてちょっと助かるかも」

 

 雫が取り出したのは、銀色に輝く包丁だ。雫愛用の一品であり、毎日毎日丹念に手入れをしており、変わらない切れ味を保っている。そして最近では、その「用途」から、まるで妖刀のような妖しさを醸し出していた。

 

「いつもは、久路人にバレないかちょっと心配しながらだけど、今日は大丈夫だしね」

 

 ハァッと息を吹きかけて、念入りに布きんで拭う。

 いつもの朝ならば、雫にここまでやる暇はない。久路人は朝が弱く、雫が味見をした後は少しまどろんでいるとはいえ、その隙はわずかな間しかないからだ。雫としても久路人が寝ている早朝に「仕込み」をした方が効率的だとはわかっているが、それは久路人との同衾タイムを減らすことになる。苦渋の決断の上、朝のわずかなひと時の間に必要なことをするという選択を選んだ。だが、今の久路人の状態ならばベッドから動かないだろうし、その気配もない。なので、念入りに道具の手入れができるというわけだ。

 

「うん、きれいになったね」

 

 幾重もの磨きによって、鏡のように輝く包丁に自分の顔を映し、満足げな笑みが浮かぶ。

 そして、熟練の板前のごとき手つきで、包丁を手に取り・・・・

 

「ふふ、えいっ♪」

 

 そんな可愛らしい声とともに、銀色が一閃され、雫の手首に赤い線が走る。

 

「隠し味、たぁ~っぷり入れなきゃね」

 

 雫の華奢な手首から迸る赤いシャワーが、粥の色をさらに赤く染めていった。

 そのまま思わず「トマトソースを入れたから」では誤魔化せなくなるほどの量を入れてしまいそうになってしまったが・・・・

 

「ふぅ~・・・まだ焦っちゃダメ。今は、本当に少しずつ入れなきゃ」

 

 およそ、コップ半分程度の量が入ったところで、雫は慌てて傷を塞いだ。

 

「まだまだやり始めたばかりなんだし、慎重に、慎重に・・・・」

 

 雫の「久路人眷属化計画」はまだ始まったばかりだ。

 旅行から帰ってきてからの朝からずっと、雫が久路人の朝食を作っているが、そのすべてに今のように血を混入させていた。ただし、血の色や匂い、霊力の残り香などでバレないように、また、久路人にとって急激な変化を起こさないように、少しずつだが。

 

「本当は、もっとたくさん入れたいんだけどな・・・」

 

 ハァと熱のこもった吐息と欲情したかのような上気した顔で悩まし気な目を鍋に向ける。

 だが、ここは我慢しなければならない。久路人の体のことも大事なのはそうだが、ここでバレてしまえばすべてが終わりだ。もっと眷属化が進行した段階でならともかく、今バレた場合には間違いなく京に追放されるだろう。そうなってしまえば久路人を浚ってどこかに監禁するしかないが、そこまでのことをしてしまえば契約が反応するのは避けられない。というか、想いが通じ合った後のプレイでやるなら興味津々だが、できることなら久路人が嫌がりそうなことをこれ以上重ねたくはなかった。無論、必要とあらばためらわないが。

 

「でも・・・」

 

だが・・・

 

「んっ・・でも・・わかってる、わかってるんだけど・・・」

 

 そこで雫は包丁を傍に置き、鍋の火を止めてしゃがみ込んだ。

 

 

--頭では、少しづつ進めなきゃって分かってる。でも、気持ちが止められない。

 

 

「ハァ、ハァハァッ・・・だって、だって・・・」

 

 先ほどまでは平常通りだった呼吸が、荒くなった。

 頬の赤みはますます強くなり、下腹部が熱くなる。

 

 

--だって、久路人と朝からあんなことしたんだもの。

 

 

「ダメ・・・我慢、できない・・・!!」

 

 とうとう、手を服の下に滑り込ませるのを止められなかった。

 

 

-- 新鮮な血ならば、それこそ、久路人の匂いに包まれながら、吸血鬼のように直接その体から吸えば・・・--

 

 それは、まだ雫が人化したばかりのころ、瓶に保存された久路人の血を飲むたびに思ったことだ。

 あのころは、鮮度の落ちた血であっても、体の疼きがこらえられずに自分を慰めてしまった。

 初めてその欲求の解放に成功したときは、しばらく自分が何をしていたのか自分でも把握できないくらい茫然としていたものだった。

 そこから水無月と名乗ることを決めてから、どうにか自制できるようになったのだが、『味見』の提案が通ってしまった日から、過去の自分が妄想していたことが現実のシチュエーションとなったのだ。

 

「ハッハッハッ・・・・」

 

 

--毎日、久路人と一緒に目が覚める。私の体に、久路人の匂いがたっぷり付いてて、久路人の方からも、私の匂いがする。

 

 

「ハッハッ・・・んっ!!」

 

 

--そのまま、恋人みたいに体をくっつけて、もっともっと濃い匂いを付け合って、首筋にキスしてから、あったかい血を吸う。久路人だって、私に顔を近づけて、くんくん私の匂いを嗅いで・・・・

 

 

「んぅっ・・・あっ!!!」

 

 

--それから、朝ごはんの用意をするけど、隠し味に私の血を入れる。ちょっとしたら、久路人も着替えて降りてきて、朝ごはんを食べる。私の、血と、一緒に・・・!!

 

 

「はっ!!あっ!!んぁっ!?」

 

 

--毎朝毎朝、お互いの体液を交換してる!!私と久路人が混ざり合って、侵しあってる!!久路人が!!久路人が・・・・・!!!

 

 

 料理をしていたらとてもしないような淫らな水音が台所に響く。

 雫がその名の如く水滴を滴らせ・・・・

 

 

--久路人が、どんどん私のモノになってく!!!!私に染まっていく!!!!

 

 

「久路人、久路人、久路人・・くろ、とぉ・・ふわぁっ!?」

 

 最後には、想い人の名をうわごとのように口にしながら、朝からの濃厚な体験によって溜まった欲望を解放した。

 

「はぁはぁはぁはぁ・・・はぁ、また、やっちゃった・・・・」

 

 びしょ濡れになった指やら下着やらを見下ろしつつ、雫はため息を吐いた。

 霊力を操り、水気をすべて飛ばして元通りにする。

 

「もう・・・ここのところずっとだよ・・・・」

 

 ここ最近は、朝からずっとこのように昂ってしまうのを止められないでいた。同衾だけならばまだ我慢できるのだが、久路人の匂いを体に付け、自分の匂いを嗅がれながら血を直のみし、さらにこれから自分の血をこっそり飲ませるなどと考えてしまうと、とてもでないが耐えられないのだ。どうにか朝食を用意するまで耐えられても、久路人が自分の体液ごと朝食を食べているのを見ていると、体が燃えるように熱くなる。とりあえずは、久路人が身だしなみを整えたり、トイレに行っている間に、2階のトイレか自室で素早く済ませているのだが、今日は久路人が動けないために妙な解放感があったのと、台所という普段とは違う場所という背徳感のせいでいつもよりも激しくなってしまった。そんな自分を、自分でも気持ちが悪いと思うし、心底嫌気がさすのだが・・・

 

「まあ、止める気はないけど」

 

 雫に、久路人の眷属化を止めるつもりは毛頭なかった。

 昔は、今も感じている嫌悪感に負けて足踏みしてしまっていた。

 久路人とのスキンシップで、嫌なことから目をそらそうとしていた。

 けれども、自分はもう止まらない。同衾にしたって、血の直飲みだって、今しがたの自慰にしても、すべては過去の自分との決別の産物だ。ここまでやったからにはもう後には引けないという、自分への追い込みだ。不退転の決意の現れなのだ。まあ、自己嫌悪はするが。

 

「はぁ~・・・あ!!お粥!!」

 

 自己嫌悪に浸っていた雫が慌てて鍋を確認すると、粥は少し冷めていたのだった。

 

 

 

-----------

 

「うん!!改めて味見してもいい感じだね!!トマトソースを入れてよかった!!」

 

 久路人の部屋に続く階段を登りつつ、指で掬った粥を舐めとり、満足げに雫は笑う。

 結局あの後温めなおすことになったが、味には別段問題はない。

 

「色も別におかしくないし、これならいけるね!」

 

 水を操ることにかけては妖怪のなかでもトップクラスである雫ならば、濃度の変化によって味や香りを調整するなど造作もないことだ。雫が食べてみても、血の香りも味もしない。

 そのまま踊るように廊下を進み、お盆を持っていることなど感じさせないように軽やかに歩いて、あっという間に久路人の部屋の前に着いた。

 

「よし・・・・久路人!!お粥できたよ~!!」

 

 そして、雫は扉を開けて中に入る。

 

「・・・雫?」

 

 部屋の中に入ると、久路人はベッドの上で眠たそうな顔をしていた。

 顔色が朝よりも少し赤い。熱が上がってきているのかもしれない。

 

「久路人、大丈夫?お粥作ってきたから、食べて?」

「うん・・・・」

 

 雫の顔を見て、なぜか一瞬申し訳なさそうな顔になったが、すぐにいつもの柔和な表情に戻る。

 もしかしたら、こんな風にお世話されることに後ろめたさを感じているのかもしれない、と雫は思った。思えば、久路人は体が丈夫なのでここまで風邪をこじらせるようなことはこれまでなかったのだ。当然、看病された経験もない。

 

(ということは、私が久路人の初看病いただきってことだね!)

 

 内心で、またひとつ久路人の初めてを奪ったことに喜びと謎の興奮を感じつつも、それをおくびにも出さず粥の乗った盆を差し出す。

 

「じゃあ、いただきます」

「うん、召し上がれ!!」

 

 そうして、久路人の膝の上にお盆を乗せ、スプーンを震える手で持った時だ。

 

「「あ」」

 

 カランと音を立てて久路人の手の中からスプーンが滑り落ちた。

 もう一度、盆の上に戻ってしまう。

 

「ごめん、ちょっと手が滑ったみた・・・」

「貸して!!」

 

 久路人がもう一度手を伸ばそうとしたとき、それを遮るように雫が先にスプーンを掴んだ。

 

「雫?」

 

 久路人がぼんやりとした目で不思議そうに雫の顔を見る。

 

「・・・・・」

 

 一方の雫は、真剣な顔でスプーンを見つめていたが・・・・・

 

「スゥ~・・・・よし!!」

「?」

 

 深呼吸を一回すると、気合を入れるように一声いれて、お盆の上の粥にスプーンを突っ込んだ。

 そして・・・・

 

「あ、あ~ん・・・」

「えぇ!?」

 

 熱で顔を赤くした久路人に対抗するように、頬を染めながら雫はスプーンを久路人の目の前に突き付ける。久路人としては朦朧としていることを差し引いても状況の把握に時間を要した。

 

「あの、雫?」

「あ~ん!!」

 

 久路人が問いかけるも、雫は一向に手を引っ込める様子がない。視線は真正面から久路人を見る余裕がないのか、壁の方を向いているが、チラチラと久路人の目をチラ見していた。

 

「えっと、その・・・」

「さ、さっきスプーンうまく持ててなかったでしょ!!だから、私が食べさせたげる!!それに、は、早くしないとせっかく作ったのに冷めちゃうでしょ!!だから早く、あ、あ~ん!!!」

 

 いつまでも踏ん切りのつかない久路人に業を煮やしたのか、若干ヤケになったかのように早口になりながらも、スプーンを久路人の口に付くギリギリまで伸ばす。その顔は、とうとう久路人よりも赤くなっていた。

 

「・・・・んぐ」

 

 熱の影響もあってなんだかもう考えることが面倒くさくなったのと、なにより雫の剣幕に押されて久路人は素直に己の欲望に従った。大人しく、雫の差し出したスプーンを口に含む。

 

「ど、どう?美味しい?」

 

 雫が少し不安げに聞くも、久路人はモグモグと口を動かしているだけだ。

 そのうちに、ゴクリと音を立てて粥を飲み込んだ。

 

「美味しい・・」

「そっか!!よかったぁ!!」

 

 久路人からの評価に、雫はホッと胸をなでおろす。

 きちんと自分で味見もしたが、やはり「隠し味」がうまく受け入れられるかは、ここ最近毎度のことではあるものの、少し不安だったのだ。

 

「でも、なんかトマトっぽい味するし、これってお粥じゃなくてリゾットじゃないの?」

「リゾットは最初にお米を油なんかで炒めてから使うから、これはお粥なんじゃないかなぁ?まあでも、美味しいならよかったよ。じゃあ、また、あ~ん」

「・・・・んぐ」

 

 今度は、二人ともスムーズな動きだった。

 久路人は、雫が一度やり始めたことを早々諦めないのをよく知っている。一回「あ~ん!」をやり遂げた以上、このお粥を自分の手で掬って食べることはもうないと確信していた。

 

しかし・・・

 

「熱っ!?」

「わっ!?大丈夫?」

 

 粥の温度が熱かったのか、久路人は反射的に吹き出しそうになった。だが、かろうじてその衝動に耐えて、時間をかけて飲み込む。最初の一口が食べられたのは、雫が「あ~ん」を迷ってなかなか久路人に差し出せない内に冷めたのだろう。

 

「は~、熱かった・・・」

「ごめんね、久路人」

「いや、大丈夫だよ。でも、もう少し置いておいた方がいいかな・・・」

「・・・・・」

「雫?」

 

 しばらく置いて冷まそうと久路人は思ったが、雫は再び何かを思案する顔をしていた。さっきの今である。久路人はなんとなく嫌な予感がした。

 

「えっと」

「・・・・・」

 

 久路人が不安そうに見るなか、雫はもう一度スプーンを手に取った。若干震えている手で粥を掬い、じっと見つめてから、顔を近づけ・・・

 

「ふ~、ふ~」

「し、雫!?」

 

 なんと、自分の息を吹き掛けて粥を冷まし始めた。

 

「そ、そこまでしなくてもいいって!!」

「せっかく作ったのに、置いておいて、冷ましすぎたら勿体ないよ。いいからちょっと待ってて!!」

 

 なんというか、あざとい。そして、この間が気恥ずかしい。

 そんな気まずさが、熱でぼやけていた久路人の頭を少しだけ冷やした。

 

「あ、そうだ!雫なら冷気でちょうどよくできるんじゃない?」

 

 少し冷えた頭で、我ながら名案だと思うような打開策を思いつく。

 雫は水と氷を操ることに関しては右に出る者はいない。粥を適温に冷ますくらいはどうとでも・・・

 

「無理!!」

 

 しかし、雫からの返答は2文字だけだった。

 それだけ言うと、また己の息を吹きかける行為に戻る。

 

「え、なんで・・・?」

「ふぅ~・・・だって、この部屋って、妖怪へのデバフが一番強いんだもの。細かい制御ができるかもわかんないし~?」

「え~・・・」

 

 なんとなく棒読みっぽい言い方だなと思ったが、雫の言うことは事実である。

 久路人の部屋は要塞と化している月宮家の中でも、特に妖怪の力を封じる効果が強く、雫ほどの妖怪であっても術の行使は難しくなる。できても、繊細なコントロールは不可能であった。まあ、雫からすれば単なる方便であるが。

 そして、満足いくまで吹いたのか、顔を離し、スプーンを前へと付き出した。

 

「はい、あ~ん」

「・・・・・」

 

 ふ~ふ~から、まさかの「あ~ん」続行である。

 その目は獲物を狙う蛇そのものであり、「絶対に途中でやめるものか!」という意思に満ち溢れていた。

 

「むぐっ」

「ふふ・・・今度のはどう?」

「ごくっ・・・ちょうどいいよ」

「じゃ、またやってあげるね。ふ~ふ~・・・・」

 

 そう言うと、またまた雫は粥を掬って冷まし始めた。

 やはり雫は生半可なことじゃ止まらないなと思いつつ、先ほど食べた粥の、まるで体に直接染み込んでいくような不思議な食感を思い出しながら、それからも久路人は雫に粥を食べさせられたのだった。

 

 

-----------

 

「・・・・・・・」

「ふふ、久路人、寝ちゃった・・・」

 

 粥を食べさせ、密かに持ってきていたリンゴを手刀でウサギさんに切って、これまた「あ~ん!」で食べさせた後。色々と肉体的にも精神的にも疲れたのか、久路人は眠ってしまっていた。

 汗のしみ込んだ服を「術が使えないんだからしょうがないよね!?」と言って無理やり脱がそうとしたことはきっと関係ない。さすがに着替えの際には追い出されてしまったが。

 

「なんか、この寝顔を見てると、ムラムラするっていうよりも落ち着くなぁ・・・なんでだろ?」

 

 実を言うと、理想のシチュエーションの一つであった、「風邪でダウン中に看病」、「ふ~ふ~からのあ~ん」が達成できたことによる満足感と興奮が激しく、さらには自分の血入り粥が久路人の喉を通っていったのを見た時には少し前に発散したにも関わらずまた催してしまったのだが、この安らかな寝顔を見ていると熱い気持ちが鎮まり、代わりに温かいものが胸に満ちていくのを感じていた。

 

「ふふ、つんつん」

「ん~~」

 

 なんとなく触りたくなって、久路人の頬を指でつつく。

 なにやら声は出しているが、それなりに深い眠りのようで、起きる気配はない。

 

「ま、さすがに病気の時にこれ以上構うのはやめよっか」

 

 これまで散々好き放題していたくせにどの口が言うのか、といった具合だが、雫はやおらに立ち上がろうとして・・・・

 

「・・・・雫」

「ひゃっ!?」

 

 離れそうになった雫の手を、久路人が掴んだ。

 

「え!?何!?久路人、起きてるの!?」

「・・・雫」

「久路人?・・・・寝てる」

 

 どうやら、寝相のようなものだったらしい。

 しかも、雫の名前を寝言で呟いていたが・・・

 

「私の夢、見てるのかな」

「・・・・・・」

「ふふっ・・だったら嬉しいな」

 

 雫は立ち上がりかけた姿勢から、久路人のベッドに腰を掛ける。

 その間、掴まれた手が離れないようにゆっくりと。

 

「・・・・雫」

「・・・何?久路人」

 

 やはり久路人は眠っていて、これはただの寝言だ。

 だが、久路人に呼びかけられたのならば、雫が応えないことはあり得ない。

 答えは返ってこないと知っていながらも、雫は返事をして・・・・

 

「傍に、いて欲しい・・・・」

「え?」

「僕から・・・離れないで、くれ」

「・・・・久路人」

 

 もう一度、注意深く観察してみるが、血液の流れからも、間違いなく眠っている。

 病気の時は心細くなるというし、これもそんな寂しさの一つなのだろう。

 しかし・・・・・

 

「夢の中の私は、脳みそが腐ったのかなぁ・・・!!久路人から離れようとするとか、あり得ないんだけど」

 

 久路人にそんなことを言わせているであろう、夢の中の自分に腹が立つ。

 いや、イチャイチャされても現実の自分でない以上、嫉妬するのは抑えられないだろうが。

 そんな内心を抑えつつ、雫は久路人の手を握り返した。

 

「ふふ、久路人の方から傍にいて欲しいだなんて・・・・嬉しいな。でも、言質はとったからね?私は、今の言葉、ずっと覚えてるからね?」

 

 届かないと思いつつも、届いてほしいと思って、声をかけて、手を握る。

 

「大丈夫。夢の中の私が何しようが、本物の私はここにいるよ」

「ん・・・・」

 

 久路人の手は汗が滲んでいたが、気持ちの悪さなど全く感じなかった。

 

「ずっと、ずっと、傍にいるから。だから、安心して眠って、早く風邪治そうね」

「・・・・・ん」

 

 雫の声を聞いたからか、誰かが手を握ってくれているのを感じているのか。

 久路人の寝顔が安らかになった。うわごとのように何かつぶやいていたのも止まり、穏やかな寝息を立て始める。きっと、悪夢から良い夢に変わったに違いない。

 

「本当にずっと、ずっと一緒にいるから。ずっと、ずっと、永遠に・・・・」

 

 そんな久路人の頬を優しく撫でてから、雫は自分の顔を近づける。

 

 

--雫の唇が、久路人の頬に触れた。

 

 

 触れていたのは、ほんの一瞬だった。

 繋がっていた部分はすぐに離れ、雫はもう一度久路人の寝顔を優しいまなざしで見つめながら、再び頬を撫で・・・

 

ポタッ・・

 

「あれ・・・?」

 

 滴が一滴、久路人の頬に落ちた。

 

「あれ、私・・・なんで?」

 

 気が付けば、雫の頬にも涙が伝っていた。

 雫には、なぜ自分が泣いているのか、最初は分らなかった。

 

「・・・・雫」

「え?久路人?」

 

 そこで、久路人が寝言を呟いた。それは、やはり自分の名前で・・・・

 

「・・・・・ありがとう・・・・ごめんね」

「あ・・・・・」

「・・・・・・」

 

 それっきり、久路人は喋らずに、さらに深い眠りに落ちていった。

 

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 しばらく、静寂だけがそこにあった。

 

「どうして・・・・」

 

 そして唐突に、雫は口に出した。

 

「どうして久路人が謝るの?」

 

 自分がどうして泣いていたのか、その理由が分かったから。

 

 

--ああ、私は、久路人の信頼を、心を裏切ったんだ。

 

 

「一緒にいて欲しいって言ってくれたのに・・・謝らなきゃいけないのは、私の方なのにっ・・・!!!」

 

 

--久路人を私と同じモノにすればいい。

 

 それは、あの崩れかけた世界で誓ったこと。

 それは、久路人を化物に変えるのと同じこと。

 受け入れられるはずもない、おぞましい外法。

 それを、自分は久路人に施している。

 あまつさえ、それに興奮し、自慰までしている。

 どこまでも汚らわしい、最低の化物。

 一体どの口で、「傍にいる」などとほざけるのか。

 

「ごめんね、ごめんね、ごめんねぇ・・・・!!!」

 

 ごめんなさい。

 謝っても許してもらえることじゃない。

 自分がやっているのは、最低で、下劣で、嫌われてもしょうがないことだ。

 でも・・・・

 

「本当に、本当にごめんなさい。でも、私はもう止まれないの」

 

 嫌だ。

 絶対に認められないものがある。

 それだけは耐えられない。

 

「あなたがいない世界なんて、耐えられないから」

 

 この罰は絶対に受ける。

 どんな責め苦でも、あなたが与えるものならば受け入れる。

 償えというのならば、どんなことでもやって見せよう。

 だから・・・・

 

「傍にいて・・・私から、離れないで・・・・」

「・・・・・・」

 

 ポタポタと、ベッドの上に水滴の落ちたシミがいくつもできた。

 

「うう、うぁぁぁ・・・うわぁぁぁぁああああ!!!」

 

 あふれ出る涙もそのままに、雫は久路人のベッドに顔を押し付けて泣いた。

 泣いて泣いて、涙が枯れ果てるまで。

 

「・・・・・」

 

 気が付けば、泣きじゃくる雫の頭には久路人の手が置かれていた。

 その温もりを感じながら、雫はポツリと呟いた。

 あの陣から出て、京の話を聞いてから、心の中にある、もしもの願い。

 それがなければ、今頃もっと自分と久路人の仲は縮まっていただろうかという、ありもしないことを考えながら。

 

 

「神の血なんて、なければよかったのに」

 

 

 そうしていつの間にか、雫も久路人と同じように、眠りの世界に誘われていった。

 

-----------

 

「雫、ここで寝ちゃったのか・・・・」

「ん~・・・・」

 

 久路人が目を覚ますと、自分の胸の近くに頭を乗せて、雫が眠っていた。

 時計を確認すると、時刻は夕方の6時を過ぎていた。

 外はもう暗く、夜のとばりが落ちている。

 

「体、大分軽くなったな・・・・」

 

 ん~っと伸びをしながら、体を動かすも、眠る前にあった倦怠感は吹き飛んでいた。

 

「・・・・雫のおかげかな」

「んん~・・・」

 

 朝に粥やらリンゴやらを食べて、栄養と水分を補給できたのも大きいだろう。

 スプーンを勧められるのは少し、いや、かなり恥ずかしかったが。

 

「雫、ありがとう」

「ん・・・・」

 

 寝起きでまだ頭が完全に起きていないからだろうか。

 普段ならばやらないが、久路人は雫の美しい銀髪の上に手を置き、頭を撫でた。

 

「ん~」

 

 寝ながらであるが、まるで日向に眠る猫のように、雫はどこか満足げな顔をしていた。

 

「・・・・あれも、雫のおかげかな」

 

 久路人は雫の頭を撫でながら、寝ている間に見ていた夢を思い返していた。

 とはいえ、よく覚えているわけではない。

 最初の内は、自分の血のせいで狂った雫の洗脳が解け、自分を罵って離れていく悪夢だった。

 夢の中とはいえ、胸を引き裂かれるような悲しみと絶望が襲い掛かったのを覚えている。

 

「けど、途中で変わったんだよ」

「・・・久路人ぉ・・・むにゃ」

 

 寝言だろうか。自分の名前を出してくれたことが、久路人には嬉しかった。

 そう、夢の中でもそうだった。

 

「雫が、傍にいてくれるって言ってくれたんだった」

 

 自分から離れていく雫。

 それをただ見ているしかできなかった自分。

 だが、突如として乱入してきたもう一人の雫が、「くたばれこのド腐れがぁぁぁああああああああああ!!!!!」と叫びながら離れていく雫の頭にドロップキックをかましてどこかに吹き飛ばした後、自分の方に駆け寄って、手を握って傍にいてくれると言ってくれたのだ。

 風邪をひいていたせいか少々バイオレンスだったが、それでも手を握ってくれたことがどれほど嬉しかったことか。

 

「でも・・・」

「んにゃ・・・?」

 

 そこで、久路人は雫から手を離した。

 雫が寂しそうな声を出すが、触れる気は、触れていい気はしなかった。

 

「それも、もしあの狐が言ったとおりだったせいだったら・・・・」

 

 

---汝の血がな?あの蛇を狂わせておるのではないか?と言う話だ---

 

 

 あの陣での戦いの後も、絶えず久路人を責めさいなむその言葉。

 風邪をひく原因にもなった激しい訓練も、すべては久路人自身が強くなり、雫の護衛としての役割を奪うためだ。

 あの言葉が真実だったのならば、自分は早急に強くならなければならない。

 雫が、自分の血を得るために、自分に気に入られるために、自分に好意を持たされているとしたら、早く血を断たせるようにしなければいけない。

 本当に、取り返しのつかなくなるくらい、雫が狂ってしまう前に。

 

「はぁ、本当に・・・・」

 

 ため息を吐きながら、後ろ向きになっていた考えを打ち切る。そういうネガティブなことはよくないと思ったからだ。だが、益体もない思いは消えずに残り、別の形をとった。

 そして、久路人はポツリと呟いた。

 あの陣から出て、京の話を聞いてから、心の中にある、もしもの願い。

 それがなければ、今頃もっと自分と雫の仲は縮まっていただろうかという、ありもしないことを考えながら。

 

 

「神の血なんて、なければよかったのに」

 

 

 そうして、奇しくも雫と同じ「もしも」を口に出すのだった。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 冬の夜に月が登っていた。

 不気味なほど美しい紅い光が、夜空を切り裂いて差し込む。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 紅い満月は何も言わず、ただ部屋の中を照らし続けるのだった。

 

 

 

-----------

 

 時は少し巻き戻る。

 それは、久路人たちが白流市に戻り、吸血鬼の皇族が大穴を塞いでいる最中のことであった。

 

「ここは?吾は、死んだはずでは?」

 

 九尾、珠乃は不意に目を覚ました。

 否、目を覚ましたというのは正確ではない。珠乃の肉体はすでに雫たちによって破壊されており、その場にいるのは珠乃の意識だけだったからだ。

 

「これは、どういうことじゃ?」

 

 体は存在しないが、もしもあれば首をひねっていただろう。

 しかし、体は存在しないのに、周りが見え、匂いを感じ、音が聞こえる。どうたらそこは、自分が封印されていた岩の傍のようだった。

 どういう理屈で自分の意識がここにあるのか。

 

「死後の世界など、なかったということか?・・・・・これが、散々悪事を働いた吾への罰だと?」

 

 珠乃は、そんなことを思った。

 今まで珠乃は、理不尽な目にあったとはいえ、罪のないものも含めあまりにも多くの者を殺め、運命を狂わせた。まるで自分に降りかかったものを周りにぶちまけるように。

 その報いが、死んでも死ねず、亡霊として愛する人のいない世界を生前と同じようにただ彷徨うだけなのだとしたら・・・・それは珠乃にとって最も重い罰だろう。

 

「なるほど、これが、地獄『たま、の・・・』・・・・何っ!?」

 

 そうして、珠乃が己の境遇にどこか悟りすら開いた時だった。

 それは突然のことだった。

 男の声がした。

 

「今の、今の声は!?」

 

 聞き覚えのある声だった。忘れられるはずもない声がした。

 枯れ木のような見た目のくせに、あいつは妙に元気だった。

 いつでも明るくて、活気に満ちた声は、知らず知らずのうちに自分にも力をくれた。

 

「珠、乃・・・・」

「あ、ああ・・・!!!」

 

 その声は、その声だけは聞き間違えるはずもない。

 どれほど永き時が経とうと、気が狂おうと、その声だけは聞き漏らすことはない。

 

「珠乃・・・」

「お前か!?お前なのか!!」

 

 姿は見えない。

 けれど分かる。

 肉体がなくとも、感じることができた。

 そこにいると、確かにわかった。

 

「晴!!」

「・・・珠乃」

 

 間違いない!!

 意識だけとなっても、間違えるはずもない!!

 確かにそこに、自分の夫が、理不尽に奪われた、晴がいた。

 その瞬間、珠乃はすべてを理解した。

 そうだ、ずっと・・・・

 

「ああ、晴!!お前は!!お前はずっと吾の傍にいたのだな!!済まぬ!!済まぬ!!」

「・・・・・」

 

 珠乃は謝ることしかできなかった。

 苦しかった。

 自分が今までやってきたことを、晴が見ていたのならば、自分は何度謝ればいいのか。

 これこそが、罰なのかもしれない。

 だが・・・・

 

「謝って済むことではないだろう!!お前にだけ謝れば済むことでもない!!だが、済まない!!吾は、吾は!!嬉しい!!また、お前に会えたことが、何よりも!!」

「・・・・・」

 

 例え嫌われることになろうとも、軽蔑されることになろうとも、晴のいない世界よりもはるかにマシだ。

 これが罰だというのならば、自分は喜んで受け入れよう。どんなに辛かろうと、晴が同じ場所にいるというだけで耐えられる。世界が、地獄ではなくなったのだ。

 

「珠乃、珠乃・・・」

「どうした?吾に何か言いたいことがあるのか?何でも言ってくれ!!お前の言うことならば、吾は・・・」

 

 謝り続ける珠乃に、晴は何かを伝えようとしていた。

 珠乃はそれを聞こうとした。

 どんなに自分を口汚くののしる言葉だろうが構わなかった。

 晴と話せるということだけでも、珠乃は満ち足りるのだから。

 

「珠乃・・・・逃げ、ろ・・・・」

「何?逃げろだと?それは、どういう・・・・」

 

 だが、晴の言葉は珠乃を責めるものではなかった。

 むしろ逆に珠乃を案じる言葉で、本気でそう言っているのが心で理解できた。

 だが、だからこそわからなかった。

 一体、何から逃げろというのか?

 珠乃はそれを聞こうとして・・・・・

 

 

--捕まえた。

 

 

「ガッ!?」

 

 聞いたこともない男の声とともに、それまで意識だけしかなく、肉体の感覚から乖離していた体に痛みが走った。まるで熱した鉄鎖で体を雁字搦めにされたような、そんな痛み。

 

「いやぁ!!よかったよかった!!あんなスゴイ攻撃の後だったもの。壊れてないか心配だったよ!!でも、やっぱり愛の力は無敵だね!!君も良かったねぇ!!それまでずっと傍にいたのに気が付かれなかったのが、やっと同じ場所に来れたんだ。まさしく感無量ってヤツだろう?」

 

 いつの間にか。

 本当にいつの間にか、男がそこに立ってた。いや、立っているという言葉は正しいのだろうか?

 男の下半身は影の中に沈み込んでおり、上半身だけが宙に浮いていた。

 枯れ木のようだった晴よりもなお青白い。生きているのかわからないくらい白く、元は整っていたのだろう骸骨のようにやせこけた顔に埋まった目には、ギラギラと青い光が灯っている。小さな髑髏がいくつも着いた趣味の悪いシルクハットが、頭からずり落ちそうになっていた。

 

「珠・・乃・・・を、離せ・・・・クソ、野郎」

「オイオイオイオイオイ!!!なんだいなんだい!!君もやっぱり恋人に会えてテンションが上がってるんじゃあないか!!まさか数百年も世界を彷徨い続けた魂が、今もほとんど崩れていないなんて、奇跡としかいいようがない!!感動した!!愛の力は素晴らしい!!愛は、すべてを救うんだってよくわかるよ!!」

 

 会話が通じていない。

 よく見れば、男の傍にはボゥっと光る人魂のようなモノが浮き、そこから伸びる鎖が男の手に握られていた。その光っている塊のようなものから、晴の声がしていた。さらに今までわからなかったが、珠乃自身も光る玉のようなものになっているらしく、晴と同じく男の手と繋がった鎖に絡めとられていた。

 そして、握られている鎖は一本ではなかった。

 

「ああ、離して、離してくれ・・・・」

「おぁぁあああああ!!!!」

「お袋・・・・!!!」

「この声は・・・・」

 

 珠乃は、その3人分の声にも聞き覚えがあった。

 

「あれは、吾の封印を解いた、ガキども・・・?」

「おお!!君たちもあの時はご苦労だったね!!道案内してくれたそこの彼もそうだけど、君たちにも感謝しないと!!君たちが封印を解いてくれたおかげで、珠乃さんは現世に出てこれて、こうして恋人に出会えたのだから!!さあ、祝福しよう!!」

 

 もがき苦しむ声などまるで聞こえていないかのように、男はなおも明るい声で場にそぐわないことを言い続ける。頭がおかしくなりそうだった。

 

「一体・・・・何が」

「んん?おお!!これは失礼!!いきなりすぎて状況がわからないのも無理はないね!!さあ、落ち着いて深呼吸をするんだ!!安心しなさい!!ボクがちゃーんと説明しようじゃないか!!」

 

 珠乃の呟きに、男はビクンとバネ仕掛けの人形のように跳ねて、背後にいた少年たちに話しかけていた首だけがグルンと180℃回転する。

 

「な・・・」

「ふむ、そうだね、まずはなにから話そうか・・・・ボクは故あって数年前にこの国を訪れたんだがね?ちょうどこの辺りに来た時に、この地を彷徨う魂を、君の旦那さんを見つけたのさ!!!いや!!本当に素晴らしい!!確かに彼は魂が異常に大きいみたいだが、それでも数百年世界に還らないでいるなんて、とてもありえないことさ!!魂の強さと、君への想いのなせる業・・・おっと、話がそれた!!そう、そうして彼を辿って、君に気が付いたんだ!!そのころ僕はちょうど強い仲間を探していてね!!君の封印を解くことにしたんだが、さらにタイミングのいいことに、そこの3人がこの地にはいた!!好奇心溢れる、勇気ある若き異能者!!力を求め、それを振るう相手を探していた!!その輝かしい向上心に感動したボクは、彼らを鍛えてあげることにしたのさ!!ボクの力で妖怪や世界に還る前の魂を起こして、戦ってもらい、そして!!十分な力を得た彼らに、さらなる腕試しの場として、君のことを人づてに伝えた!!そうしたら、なんと素晴らしいことに、彼らは少しも怯えずに君の封印を解いてくれた!!悲しくも、目覚めたばかりで気の立っていた君に殺されてしまったが、それすらもボクにとっては幸運!!そんな勇気溢れる彼らを、ボクの友達にできたのだから!!まあ、君のいた場所で騒ぎになるのは面倒だったから、隣町で死に直してもらったがね!!おおっと、また別の話をしてしまった!!失敬失敬!!・・・そう!!本当はすぐにでもお誘いを掛けたかったんだが、君は目覚めたばかりだったし、それからも多忙なようだったからね!!何より、ボクにとっても、とっても面白そうなことをやろうとしていたからね!!君のやろうとしていることを見守ってから、今みたいに落ち着いて話せるようになるのを首を長くして待っていたというわけさ!!長くしすぎてちぎれちゃったけどもね!!ハハッ!!」

「馬鹿な・・・魂を、見る、だと?ましてや、操る、だと?」

 

 テンションがおかしいのと、長すぎてよくわからなかったが、その力の異質さに、珠乃は恐怖すら覚えた。

 それは本来あり得ないことだからだ。

 

『魂』

 

 それは、この世の万物を構成する肉体、精神、魂の3要素の一つ。

 世界から零れ落ちた欠片。

 まず魂がこの世に現れ、宿るべき肉体に入り、精神の紐で繋がる。

 魂は世界のあらゆる情報は詰まった高エネルギー体であり、肉体に応じて情報を開示し、また魂の情報に応じて肉体も変化しうる。

 そして、魂は世界の一部であったために、肉体から離れると速やかに分解されて世界に還っていく。

 アンデッドのような例外を除いて、魂は本来この世にとどまることなく、また認識することもできない。

 

「オイオイオイオイオイ!!!それは違う!!魂が世界に還るには個人差はあるがラグがあるのさ!!強力な力を持つ者は、それだけ長く魂が残りやすい!!そして魂の認識についてだが!!確かに大半の存在は魂に気づくことはできない!!しかし、何事も例外はあるものさ!!このボクのようにね!!」

 

 だが、ごくまれに魂を知覚し、時には操ることさえできる者がいる。

 それは霊力の高さによるものではなく、先天的な才能によるもの。

 しかし、死者を弄ぶようなその力は、多くの者に忌避される。

 それはそうだ。誰だって、自分の死後を操られたいとは思わない。

 そんな存在のことを・・・・

 

「まさか、お前は・・・・!!!」

 

 そこで珠乃は、現世に解き放たれた後に得た知識から、男の正体に気が付いた。

 そんな様子を察したのか、あるいは偶然か、男も自分の失態に気が付いたらしい。

 

「おおっ~と!!!なんたること!!!このボクとしたことが!!名前を名乗り忘れるだなんて!!これは、死んでお詫びせねばぁぁあああああああああ!!!!!!!!・・・・ああっ!!なんということだ!!」

 

 そして男は、下手糞な人形師に操られる人形のように大げさに体を振り回し、やがて自らの首に両手を添え・・・・

 

「ボクはもう、死んでいるじゃないかっ!!」

 

 ブチブチと音を立てて、己の首を引き抜いた。

 ドス黒く濁った血が、引きちぎられた断面から流れ落ちる。しかし、それをなんとも感じないように、首は喋り続けた。

 

「改めて、自己紹介をしよう!!ボクはヴェルズ!!ネクロマンサーのゼペット・ヴェルズ!!かつては「学会」で七賢として死霊術を修め、今は光栄にも、世を彷徨う哀れな迷い子を受け入れる「旅団」の幹部に席を置く者!!人はボクを「狂冥」と呼ぶ!!」

 

 ちぎれた首を小脇に抱え、ピエロのように愉快そうに死霊術師を語る男は、ヴェルズと名乗った。

 そして、ズルリと影に呑まれていた下半身を引き抜いて地に足を着き、首を元の位置に戻してから、出てきた影をさらに大きく広げてみせた。それはまるで、マジシャンがマントからとても収まりそうにないものを取り出す動きに似ていた。

 

「さらにさらに、ご紹介しよう!!ここに現れる彼女こそ、我が最愛の妻!!永遠を約束された淑女!!かつてはボクと同じく学会に身を寄せ、多くの人にあだなす悪魔を討った神殿騎士!!その名をぉ・・・!!」

 

 影が布のように波打ち、ヴェルズと同じような青白い足が現れた。

 そのまま鎧に包まれた腰や胸、兜を抱えた腕が続けて抜け出し、最後には金髪を後ろで太い三つ編みにした美しい顔が進み出る。

 

「我が名は、ガブリ・・・」

 

 そうして、その名を名乗ろうとした時だった。

 

「偽物がぁぁああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」

 

 それまで最も愛おしい存在を見守るような顔をしていたヴェルズが手に持った髑髏の乗ったステッキで、女の首を殴り飛ばした。その顔は憎悪に歪み、飛んでいこうとした首の三つ編みをつかみ取って、地面に叩きつけていた。

 

「・・・・・っ!!」

「偽物が!!偽物め!!ニセモノォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!」

 

 ガッ、ガッ、ガッと、地面に堕とした首を殴る。

 殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る

 

「ハァ~、ハァ~、ハァ~・・・違う!!・・違う違う違う!!!何もかもが違う!!ガブリエラの声はもっと優しかった!!ガブリエラの歩き方はもっと優雅だった!!ガブリエラは、もっと美人だったぁあっぁぁぁぁああ!!!!!!!!!」

 

 意味の分からない言葉を叫びながら、ひたすらに首だったものを殴り続けた。

 やがて殴られすぎてペースト状になった腐肉を地面にめり込ませ、ヴェルズは杖を振るうのを止めた。

 

「ふぅ~・・・・いや、済まない、取り乱した!!見ての通り、ボクの死霊術はまだまだ未熟でね!!ボクの妻すら完璧に、「元通り」にできないんだ!!魂はちゃ~んと保管してあるから、何度でも試せるんだけど、無駄はよくない!!やるなら、極上の素材を使わないといけないのさ!!!」

「・・・・・・」

 

 妻だと言う肉塊を足で踏みにじりながら、笑顔でそう言うヴェルズに、珠乃は、戦慄を隠せなかった。

 

「狂っておる・・・・」

「そう!!愛は劇薬だ!!すべての人間は、愛の前には狂うしかないのさ!!ボクは、愛に狂っている!!!」

 

 やはり、会話が通じていない。

 珠乃の言った言葉が、正しく伝わっていない。否、理解しようとしていない。

 視線は合っているはずなのに、自分のことを見ていない。

 いや・・・・

 

「さて・・・・」

 

 そこで、先ほどまでの暴れぶりが嘘のように、ヴェルズはポツリと切り出した。

 

「本当なら、もっときちんと妻の紹介をして、君たちを祝福したいんだがね!!残念ながら、あまり時間がないんだ!!今は「大穴」の影響であの麗しい吸血鬼と、その忠誠心溢れる気高き侍はボクに気づいていないが、それも時間の問題だ!!申し訳ないが、『祝福』はボクだけで済まさせてもらおう!!」

「グゥッ!?」

「・・チィっ」

 

 ヴェルズは手に持ったステッキを振り回し、同時に珠乃と晴が繋がった鎖も投げ出された。

 宙に舞う鎖はそこで絡まり、珠乃と晴の魂を厳重に縛り上げる。

 

「グッ・・・クォオオァァアアアアアアア!?」

「ガ、ガァァァアアアアアアアアアアアア!?」

 

 本来ならば、嬉しくてたまらないはずの、晴との触れ合い。

 しかし、今そこには痛みしかなかった。

 棘だらけの鎖が、二人の魂を押しつぶしかねないほど強く締め上げる。

 

「愛し合う者たちは、共にいてこそ美しい!!愛し合う者たちは、常に一緒にいるべきだ!!数百年叶わなかった君たちの再会を!!君たちを『一つ』にすることで、ボクは心から祝福しよう!!!」

 

「「ウォォオオオオオオオオォォオォアォオアオアオアアアアアアアアアアアアアア!!!!」」

 

 歪む。

 鎖も、珠乃も、晴も、何もかも。

 歪んで歪んで捻じ曲げられて、こねくり回されて、潰される。

 砕かれ、壊され、粉にされ、そうしてまた固められる。

 それが、何度も何度も繰り返される・・・・・

 

 そして・・・

 

「ああ、おめでとう!!君たちは、今ここに!!一つになった!!」

 

「「ォォォオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」」

 

 そこにいたのは、一匹の狐のようなナニカだった。

 だが、それは決して狐ではない。

 人間の男と女の首が二つ生え、尻尾のように9本の腕が生えている。

 前足と後ろ足も人間の足でできており、胴体に生える体毛は人間の髪の毛だった。

 どこまでもおぞましい怪物。しかし、ヴェルズはそれが天からの使いであるように、眩しいものを見る目を向けていた。

 

「いやしかし!!今日のボクは幸運だ!!長くすれ違っていた恋人どうしを祝福で来た上に、友達になることができた!!とっても強い、優秀な友達だ!!さらにさらに、それだけじゃあない!!!」

 

 そこで、ヴェルズは珠乃の首を取り外し、眼球をえぐり取って、脳みそにまで指を伸ばす。

 さらには、晴の首にまで同じように手を伸ばしていた。

 

「ゴ、オ、アァァァアアアアアアアアア・・・・」

 

 二つの首が呻くが、ヴェルズがそれを気にする様子は一切ない。

 続けて、今にも踊り出しそうなくらい楽し気に語る。

 

「おお、おお!!思い出す!!思い出せるぞ!!!神の子だ!!!話にだけは聞いていた!!ずっとずっと会いたかった、ボクから『ナイトメア』を横取りした、あの『巨匠』が匿っていた神の子!!!しかも、しかもだ!!!」

 

 その口に上がるのは、先ほどまで珠乃の展開した陣で戦っていた少年と蛇の少女だ。

 

「あの蛇!!彼女のやろうとしていることは素晴らしい!!永遠の愛!!ボクの理想とも言えること!!ああ、知っているぞ!!彼らよりも前に!!同じことをした者たちを知っている!!その至る先を、知っている!!!実に!!実に都合がいい!!!」

 

 今度は晴の首の眼球に指をめり込ませつつ、そう言った。

 

「ああ!!準備をしなければ!!ボクの目的を果たす準備を!!彼らにふさわしい試練を!!愛には試練が付き物だ!!試練を乗り越えてこそ、絆はより強固に、本物になる!!!」

 

 ヴェルズは、首から手を離した。

 そして、調子の外れた歌を歌いながら、酔っぱらいのようにフラフラと踊り始めた。

 

「さあ!!!祝福と喝采を!!今日という良き日を、ボクは神に感謝しよう!!ああ、受け取っておくれ!!ボクの感謝を!!ククク!!!クハハハ!!!クハハハハッハハハハハ!!!!!!!!」

 

 それからヴェルズは踊り続けた。

 吸血鬼が大穴を塞ぐその時まで。

 己が気が付かれる寸前まで。

 楽しそうに、心底楽しそうに。

 友達だというおぞましい狐モドキの化物と、妻と呼んだ肉塊を、背後に置いたままに。

 




次から第三部に入ります!!
次の話はプロローグもかねて短編のリメイクかも?
章全体のテーマは「人間卒業」です!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 永久の路を往く者
白蛇と彼の一日(連載版)


こちらは、あまりにも前日譚とズレてしまった「白蛇と彼の一日」のリメイクです。
「過去編なんていちいち読んでらんねーよ!!」という方はこちらからどうぞ!!
細かい設定以外は、大事なことは盛り込んであります!!


短編版のリメイクと思ってたら、丸々書き直すことになってしまった・・・
遅れて申し訳ございません。

2021/7/29
なんかお話が暗いので、3章の初めに移動させました。


 昔々、あるところにとてもとても強い蛇がおりました。

 

 蛇はいつもいつも退屈していて、暇つぶしに畑を洪水で押し流したり、村に大雪を降らせたりしました。

 

 村人たちは狩った獲物を貢物に差し出しますが、蛇は全然大人しくなりませんでした。

 

 困った村の人々は、偶然訪れた旅のお坊様に蛇を退治してくれと頼みました。

 

 お坊様は村人のお願いを聞き入れ、持っていた特別なお酒を蛇に贈るように言いました。

 

 村人から酒をもらった蛇は嬉しそうにがぶがぶと飲み干して、酔っぱらって寝てしまいました。

 

 お坊様が寝ている蛇になにやら経文を書き込むと、蛇はどこかに消えてしまいました。

 

 驚いた村人はお坊様に聞きました。

 

「蛇はどこに行ったのでしょうか?」

 

 お坊様は答えました。

 

「あちら側に帰ったのだ」

 

 こうして蛇はいなくなり、村の人々は幸せに暮らしましたとさ。

 

 めでたしめでたし・・・・・

 

 

―――とは行かず・・・

 

 

 

「珍しいな・・・白い蛇?」

 

 

 蛇が「あちら側」に帰ってから永い時が経った後のこと。

 

 どういうわけか、あちらとこちらを繋ぐ「穴」が開き、蛇は力を失って、こちらに戻ってきました。

 

 そうして霧雨の降るある日のこと、幼い男の子は白い蛇を拾いました。

 

 男の子は、とても変わっておりました。

 

 人間というものは、どんなに蛇が大人しくしていても、小さくなっても、自分を恐れました。

 

 ですが、男の子は少しも自分を恐れなかったのです。

 

 男の子は、自分の家に蛇を連れて帰りました。

 

 男の子のおじさんは不思議な力を持った人で、蛇が大きくなったら男の子を守るように契約させました。

 

 また、男の子は自分の特別な力の籠った血を蛇にあげることを約束しました。

 

 そして、蛇は「久路人」という名前だった男の子から、「雫」と名付けられました。

 

 蛇と男の子は、いつも一緒にいるようになります。

 

 毎日一緒に遊び、宿題をし、ドラマを見たり漫画を読んだりしました。

 

 たまに蛇以外の化物が襲い掛かって来ることがありましたが、おじさんや男の子の不思議な力で倒すことができました。

 

 そうこうしている内に、蛇は男の子に気を許すようになり、男の子は最初から蛇と友達になりたがっていました。

 

 そして、蛇と男の子は友達になったのです。

 

 

「妾は、仮に契約がなくなっても、我が友を守る。だから、妾と同じように、お前も妾を守るのだぞ。よいな!!」

 

 

 おじさんが結ばせた契約なんてものがなくとも、お互いを守りあうようにしようという、大事な約束を交わして。

 

―――

 

 それからしばらく経ちました。

 

 男の子は少年へと成長しました。

 

 男の子は生まれ持った不思議な力と、少し変わった性格から、他の子どもから避けられておりました。

 

 中には、男の子を面白がって付け回す子供もいました。

 

 蛇は面白くありません。

 

 でも、蛇は普通の人を傷つけることが約束でできません。

 

 「せめて自分が蛇ではなく、人の姿になれたら・・・」と思うようになりました。

 

 蛇は人の姿になるための修行を始めました。

 

 けど、「人間の姿になって、大事な「友達」を守りたい」と思っても、中々うまくいきませんでした。

 

 そんな頃、蛇は少年の家の召使いさんにこんなことを言われました。

 

「貴方は、ずっと「友達」のままで満足できるのですか?」

 

 そう、蛇はいつの間にか、少年に恋をしていたのです。

 

 でも、蛇は少年から断られるのが怖くて、そのことを認められませんでした。

 

 そうこうしている内に、少年はちょっとしたことが原因で、激しいイジメを受けることになってしまいました。

 

 蛇が目を離した隙に、たくさんの子供に囲まれて、蹴られるわ怒鳴られるわ水を掛けられるわ、もう大変です。

 

 「お前みたいなやつに友達も恋人もできない」と言われていました。

 

 蛇は怒り狂いました。

 

 約束なんてものを無視して、いじめっ子たちを皆殺しにしてやろうと思いました。

 

 その時、少年は言いました。

 

「僕には、僕にも雫がいる!!」

 

 その言葉を聞いた時、蛇は人間の少女の姿になりました。

 

 いじめっ子を殺すことなんかよりも、心の底から少年を守りたい、助けたいと願ったからです。

 

 そして、蛇の少女はいじめっ子を懲らしめて追い払いました。

 

 少年はどういうわけか、蛇が少女になったのに、それが蛇であるとわかりました。

 

 こうして、少年と蛇の化身は出会ったのです。

 

 蛇の少女と少年は、月夜の下を手を繋いで家に帰ったのでした。

 

-----------

 

 さらにそれから時が経ち、蛇と少年は街を離れて旅行に行くことになりました。

 

 おじさんによって少年たちが住む街には結界が張られていて、強い化物は入ってこられません。

 

 けど、少年も蛇も修行を積んで強くなっていたので、外に出ることを許されました。

 

 少年たちは山へと行きましたが、そこには少年の不思議な力を狙う狐がいました。

 

 旅行の中、少年は自分の中にある、蛇への恋心に気が付きます。

 

 しかし、狐は罠を張って少年たちを待ち構え、少年と蛇を離れ離れにしました。

 

 狐は少年に言います。

 

「汝の血がな?あの蛇を狂わせておるのではないか?と言う話だ」

 

 少年はその言葉に迷いましたが、どうにか狐を倒すことができました。

 

 しかし、その狐は分身で、結局は倒されてしまいます。

 

 一方で、蛇も同じように狐と戦っていました。

 

 狐は蛇に言います。

 

「いつか必ず訪れる、永遠の別れ」

 

「あのガキは確かに特別だが、汝は違う。格のある妖怪ならば、護衛としては誰でもよかったはずだ」

 

 蛇は自分が、人間の少年が持つ寿命のこと、自分がたまたま一緒になっただけで、他の妖怪でも少年を守ることはできたということから目をそらしていたことに気づかされます。

 

 蛇はそのことに気を取られ、狐に負けてしまいます。

 

 そして、蛇の目の前で、少年が狐のモノにされそうになった時です。

 

 少年の不思議な力が暴れまわり、狐を倒すことができたのです。

 

 ですが、その代償は重く、少年は死にかけるほどの大怪我を負いました。

 

 幸い、蛇が己の血を与えることで怪我は直せましたが、蛇はあることを決めます。

 

「久路人を私と同じモノにすればいい」

 

 蛇は、少年と永遠に共に在るために、少年が永久を生きていけるように、少年を化物に変えることにしたのでした。

 

 蛇がそのように思う中、少年もまた決意します。

 

「強くなろう」

 

 蛇が少年を守る代わりに、少年は血を与えるのが契約です。

 

 ならば、蛇が自分を守る必要がなくなるくらい強くなって、血を与えなくてもいいようにしようと決めたのです。

 

 そうすれば、自分の血がこれ以上蛇を狂わせることはないと考えた末のことでした。

 

 そうして、お互いの気持ちに気が付かぬまま、二人の日常は続いていくのです。

 

 めでたしめでたし・・・・?

 

-----------

 

 二人の決意は、お互いを想いあうが故。

 

 二人の想いは、お互いの欲を叶えんがため。

 

 二人の欲は、お互いが結ばれること。

 

 されど、それはどこまでもすれ違う。

 

 少年は守られることを拒み、蛇の心を疑い、自身の血を恨む。

 

 蛇は少年を守ることを望み、少年の心を恐れ、自身の所業を蔑む。

 

 お互いが自身を卑下し、お互いを恐れるために、その心を知ることはない。

 

 だが、お互いへの想いは本物。

 

 故に二人は離れず、その絆は歪。

 

 そんな二人の先に待つものは・・・・

 

 ・・・・・・

 

-----------

 

 

「・・・・・んん?」

 

 光が差し込む部屋の中、ベッドの上に眠る少年、否、青年は目を覚ました。

 

「・・・・・眩しい」

 

 だが、青年は未だにまどろんでいた。

 青年は朝が弱く、いつもこのようにすぐには起きない。

 このまま惰眠を貪っていては、入学して一年少し経った大学の一限に遅れるだろう。それは分かっているが、布団の誘惑には抗えず、二度寝をしかけたその時だ。

 

「久路人~!!朝だよ~!!」

「ん~」

 

 突如として、青年の隣から布団がめくりあがり、一人の少女が顔を出した。

 

「もう!!相変わらず寝坊助なんだから!!」

 

 美しい少女だった。

 白い着物に青い帯を締め、腰まで届くほどの艶やかな銀髪。切れ長でややツリ目気味の、紅玉のような見る者を惹きつける瞳。位置からして間違いなく同衾していたのだが、青年がそれを不思議に思う様子はない。二人にとって、それは当然のことなのだろう。二人の着衣に乱れはなく、別段「そういう」関係ではないようだ。

 

「久路人~!!起きて~!!」

「う~ん・・・・雫?」

 

 少女が久路人と呼んだ青年を揺すり、やっと目を覚ました。

 

「そう、雫だよ!!おはよう!!」

「うん・・・・おはよう・・・」

 

 少女、雫が挨拶をすると、久路人も挨拶を返すが、まだ夢うつつのようだ。

 よほど朝に弱いらしい。

 

「ねぇ、久路人。大学遅刻しちゃうよ?私は別にこのまま久路人と家でゴロゴロしててもいいけど・・・」

「それは、困るな・・・・ん~!!」

 

 そこで、久路人は大きく伸びをした。

 どうやら完全に目が覚めたようだ。

 

「ふぅ・・・それじゃ、雫。着替えるから、ちょっと部屋を・・・」

「嫌」

 

 まさか寝巻で大学に行くわけにもいかず、当然着替える必要があるわけだが、いくらなんでも女の子が見ている前で服を脱ぐのは恥ずかしい。

 そんな久路人の気持ちは、雫には全く伝わっていない。むしろ、紅い瞳を爛々と輝かせて久路人が服を脱ぐのを心待ちにしているようにすら見えた。

 

「時間がないんでしょ?だったら、私に構わず、レッツ、脱衣!!減るもんじゃないだし!!」

「それ、普通男女逆だよね・・・・」

「え!?久路人、私の裸見たいの・・・?ちょ、ちょっと待ってて!!お風呂入って・・・・」

「そういう意味で言ったんじゃないよ!!お風呂に行くのはいいけど、そう言う意味じゃないから!!」

 

 顔を赤くしつつ、叫ぶ久路人。

 眠気は完全に吹き飛んでいた。

 

「はぁ・・・。わかったよ、それじゃあ、僕が部屋を出るから・・・・」

 

 そうして、着替えを持っていくためにベッドから出ようとした時だ。

 

「待って」

 

 久路人はベッドの壁際の方に寝ていたので、目の前にいる雫を押しのけてベッドから降りようとしたが、その手が彼女に触れようとした瞬間、ガシッと手首をつかまれた。

 

「・・・何かな? 早く着替えて、大学行きたいんだけど」

「久路人、分かってるよね?朝の日課、まだ済ませてないよ?」

「・・・・やっぱり、どうしても「直接」じゃなきゃダメ?」

「ダメ!!」

「はぁ・・・・」

 

 先ほどよりも瞳の輝きを強くして、「日課」とやらについて口に出す雫。

 何気に骨をきしませるほどの強さで手を掴まれている久路人は、譲歩を引き出そうとしたようだが、やはり無駄であった。観念したようにもう一度ため息を吐いて、ベッドの上にあぐらをかいて首を少し傾ける。傾けた方向とは逆側には、ガーゼが張られていた。

 それを見た雫は嬉しそうに顔をほころばせ、手を離して、久路人ににじり寄る。

 

「わかったよ。あんまり時間に余裕ないから手短にね」

「はーい!!じゃ、いただきます!!」

 

 久路人が首の付け根に付けていたガーゼを剥がすと、雫が久路人に抱き着いてガーゼの下の傷口に口を寄せ・・

 

「れろっ・・」

「・・!!」

 

 ぺろりと、血のように赤い雫の舌が、久路人の傷口を這った。

 すると、ほとんど塞がっていた傷から、傷口が開いたように血が流れだす。雫は嬉しそうに久路人にしがみついたまま、あふれ出る血を舐めとる。

 

 

「う~ん・・・・今日も美味しいっ!!」

「・・・そりゃ、よかったよ」

 

 嬉しそうな雫の声に、どこか暗い顔の久路人。

 お互いの顔は、抱き合っているために見えていなかった。

 超至近距離で久路人の温もりや匂い、血の味を感じられたのが雫を興奮させたのか、さらにギュっと力を込めて久路人を抱きながら甘露を舐めるように血を舌で掬い取っていく。しかし、直後に雫はその整った眉を少ししかめた。

 

「ねぇ、久路人も!!」

「え?・・・ああ」

 

 その声で、上の空だった久路人も「日課」を思い出したようだった。

 少々ためらいつつも、雫を抱き返し、その頭に顔を寄せる。

 

「・・・・スンスン」

 

 顔を赤くしながらも、久路人は雫の匂いを嗅ぎ始めた。

 事案である。だが、雫がそれを厭うような様子はない。

 

「・・・・久路人、どう?」

「いや、今日も臭くないよ」

「そう・・・ならいいけど」

 

 久路人に、自分が臭わないか聞いた雫は、「いい匂い」と言ってもらえなかったことを若干残念に思いながらも、引き続いて血を啜る。

 久路人もまた、肩や背中の匂いを嗅ぐ方に意識を傾ける。

 そのまましばらくの間、二人は隙間もないくらいに密着していたのだった。

 

-----------

 

「それじゃ、私は朝ごはんの支度してくるから!!」

 

 そう言って、雫は機嫌がよさそうに部屋を出ていった。

 最後にチラッと未練がましく久路人の方を見ていたが、久路人はそれを敢えて無視して着替えを掴みながらドアを閉める。

 

「はぁ・・・まったく」

 

 朝から、この世の者とは思えないほど美しい少女と抱き合いながら、己の血を吸わせ、少女の匂いを嗅ぐ。

 文字に起こしてみると異常としか言いようがない。

 だが、それがこの二人にとっての日常と化していた。

 それは、雫が妖怪であり、久路人が彼らにとって極上の血を持つからだ。

 

 

 妖怪。

 

 それは人間ではない、魔性。人間よりもはるかに強い力を持つ化物。

 人間の住まう世界を現世といい、彼らは常世という世界からやってきた。もしくは、現世と常世の境目にある「穴」から漏れ出る瘴気によって現世の動物が変異した存在。

 雫、水無月雫もまた、かつては現世にいたただの蛇であったが、永い年月を経て大妖怪と言えるほどの大物になった妖怪だ。だが、その昔に封印され、その間に力をほとんど失ってしまった。10年前ほどに偶然久路人に拾われ、その血を与えられることで力を取り戻すどころかかつての頃を上回ってすらいるが。

 

「僕の血、そんなに美味しいのかな・・・・・」

 

 着替えつつ、改めてガーゼを貼りなおした首筋を撫でる。

 その顔はやはり暗かった。

 

 久路人に流れる血は特別だ。

 

 かつて現世に届いた「とある力」を取り込んだ人間を祖に持つ「月宮」一族。

 久路人はその中でも先祖返りと言われるほどに血が濃いらしく、その血は妖怪にとって最高の美酒であり、霊力というエネルギーを増幅させる増強剤としての効果もある。

 その血を持つがゆえに久路人は妖怪に狙われやすく、それを心配した彼の叔父が、久路人が拾ってきた元大妖怪の雫に目を付け、血を与える代わりに久路人の護衛をさせたのが、先ほどまでの「日課」の理由の一つである。

 過去にはこの力が暴走したことがあり、その兆候を観測するために朝に血の味見をするようになったという経緯もあるのだが、もはやそれは雫にとっては当たり前のものになっているようだ。

 だが、久路人にとってはそうでもないらしい。

 

「やっぱり、この血が・・・・」

 

--雫が自分に好意を持ったように見えるのは、自分の血が原因ではないか?

 

 それが、ここ数年の久路人の悩みだ。

 

 雫は美しい少女だ。

 それに、過去の久路人を助け、その心も支えてくれた。他の人間や妖怪に対する態度はお世辞にもいいとは言えないが、自分には慈母のような優しさを見せる。そんな相手だ。久路人が雫に好意を持つのは当然とも言えるだろう。

 しかし、その雫の優しさが自分の血に酔ったせいでもたらされたものだとしたらどうか。

 自分には血しかないのか?他に見てもらえる部分はないのか?という気持ちもないではないが、それ以上に罪悪感が募る。

 

「はぁ・・・早く強くならないと」

 

 自分が、雫に血を与える契約を守らなくてもいいくらいに、雫に護衛してもらう必要がないくらいに強くなる。

 それが、久路人にできる雫への贖罪であり、雫の本当の想いを知るための唯一の方法である・・・と久路人は思い込んでいた。

 

「とりあえず、早く着替えよう」

 

 だが、とりあえずは着替えるところからだろうと久路人は思った。

 久路人はその身に流れる血の影響か、ルールを守ることにこだわりがあった。

 大学の講義に遅れるのはよくないことだし、強くなるにしたって、寝巻のままではダメだろうから。

 

 そうして、久路人は寝巻を脱いで私服に袖を通すのだった。

 

 一階の台所にいる雫の様子に気が付かないまま。

 

-----------

 

「・・・久路人の血、ちょっとずつだけど、味が落ちてきた・・・・かな?」

 

 月宮家の台所。

 そこで雫は味噌汁の煮え立つ鍋をお玉でかき回しながら首を傾げた。

 

「う~ん・・・3年くらいじゃ、そんなに変わんないか。でも、霊力がほとんど上がらなくなってきたし、効果はあるよね」

 

 先ほどまで久路人の部屋で行っていた朝の日課を振り返りつつ、雫は独り言ちる。

 

「はぁ・・・あと何年かかるんだろう」

 

 雫は物憂げにため息を吐いた。

 見た目は整っているので、そんな様子も絵になるが、その様子を見ることができる者は久路人と、今は家を空けている久路人の叔父とその従者くらいだ。

 そして、雫が何を考えているかと言えば・・・・

 

「久路人が私の眷属になるまでに」

 

 眷属。

 それは、強力な力を持った妖怪によって、その忠実な下僕へと変異した存在を指す。

 眷属となった者は人間、獣を問わず主と似た性質を持つ人外へと変わり、主が死ぬまで寿命を迎えることなく、主の命令に絶対服従するようになる。

 そして朝の日課について、久路人は、自分の血を得るついでに状態を調べるためのものだと思っているが、そこには齟齬がある。久路人は自分の血の暴走を察知するためだと考えているが、雫がその日課を提案した理由は、久路人がどれほど「染まった」か調べるためだ。久路人が眷属に近づけば近づくほど、血の味は落ちるはずだから。ちなみに、血を飲むだけなら注射器で採った血でも充分だが、「寝起き直後の血を直飲みするのが一番わかりやすい」と注文を付けることで同衾からの吸血プレイを自然に行うという風に密かに誘導したのだが、それにも気づかれていなかったりする。

 

「ま、地道にやるしかないよね」

 

 雫はそこで、愛用の包丁を取り出すと、水で洗ってから、何のためらいもなく自分の腕に振り下ろす。

 

「量を増やした方がいいかな?でも、気付かれたら嫌だし、急に激しい変化でもしたら困るし・・・」

 

 味噌汁の入った鍋に血がドバドバと流れ込むが、赤味噌を使っていることもあってか、意外と色に変わりはない。やがて、コップ一杯分の血を入れると、雫は傷口を指で一撫でした。それだけで包丁でバッサリと切った傷口は何事もなかったかのように塞がる。

 雫は小皿を手に取ると、己の血が混入した味噌汁を啜る。

 

「ん~・・・ちょっと濃いかな」

 

 雫はグラグラと煮える鍋の中に手をかざすと、何事かを念じる。

 そして、再び味噌汁を口に含み・・・

 

「ん!!これなら大丈夫だね」

 

 どうやら合格点の味になったらしい。

 雫は水を操るのが得意な妖怪であり、血の混じった味噌汁の味をいじる程度は簡単にこなす。

 そのまま雫は冷蔵庫にしまってあった、昨日久路人と一緒に仕込んだカレーにも血を混ぜておく。夕飯の支度は久路人と雫が二人揃ってやるため、この仕込みができるのは朝の今だけなのだ。

 

「ん!こっちもヨシ!」

 

 カレーの方も満足のいく味に調整できたのか、満足げな笑みを浮かべた。

 その顔は、食事に血を混ぜるという行為に何の疑問も覚えていないかのようだった。

 

 

 八尾比丘尼、太歳、ヨモツヘグイ

 

 人間が人ならざるモノをその身に取り込んだ結果、自身もまたソレらに近づくというのはしばしば伝承として残っている。

 それは、一種の眷属化だ。雫が自身の血を密かに飲ませているのも、内側から久路人の肉体を人間から化物のソレに作り替えるためだ。

 雫の目的は、久路人と永遠を生きることであり、そのための人間の寿命を克服させる手段として、久路人の眷属化を目論んでいるのだ。

 なお、雫としては自分の言うことを何でも聞く久路人というのも惹かれるものがないではないが、心を縛るつもりは毛頭ない。それは自分の好きな久路人ではないから。

 

「えへへ・・・、カレーは今日の夜用だけど、味噌汁は今から飲んでもらうんだよね・・・・」

 

 ともかくそういうわけで、愛する人間と共に永久の人生ならぬ妖生を歩むために、雫は数年前から久路人の食事に己の血を混ぜ込んでいる。いるのだが・・・

 

「あっ・・・んっ・・・もう、また・・・」

 

 雫が食事に血を混ぜるのは久路人を眷属にするためで、それ以外の目的はない。眷属化のことがなければ、そんな変態的なことはやろうとは思わなかっただろう。多分。

 しかし、実際にやってみると、困ったことが起きてしまったのだ。

 

「はぁ、はぁっ・・・!!」

 

 しばらく満足げな表情をして、自分の作った料理を食べる久路人を想像していた雫だったが、それがいけなかった。唐突に顔を赤くして、雫は太ももをモジモジとこすり合わせ始める。

 

「・・・どうしよう、またムラムラしてきちゃった」

 

--好きな人が、自分の体液を取り込んで、自分と同じモノに近づいていく。

 

 つまるところ、そのことが、雫に凄まじい快感と興奮をもたらすようになってしまったのだ。

 それは、雫の中身をかき回すような衝動だ。胸の奥に常にくすぶり続ける罪悪感を一時の間忘れさせるほどの。久路人の血を取り込んだり密着するのは朝だけなので、この時間が一日で最も悶々とする時間なのである。

 

「う~!!さすがに、もう時間ないのにぃ・・・・!!」

 

 時計の針を見つつ、『今すぐ服の下に指を突っ込んで、朝からのスキンシップや今しがたの妄想で溜まったリビドーを解放したい!!』と思う雫であったが、いくら朝に弱い久路人であっても、そろそろ一階に降りてくるころだ。恋人になった後ならば、自慰を見せ合うアブノーマルなプレイを行うのも中々興味深いと思うが、今の段階でそのようなことをしたら普通の感性ならばドン引きだろう。

 

「はぁ・・・・朝ごはん食べた後に、急いでヤッちゃうしかないか・・・・・」

 

 「久路人が私の体液ごと食べてるところ見て我慢できるかなぁ・・・?」と顔を上気させながらも、雫は不安そうにつぶやくのだった。

 ・・・雫は心配しているが、ぶっちゃけこれもいつもの朝の風景の一つである。

 

 

-----------

 

 食後に雫が妙に長い時間トイレに籠っていた後。

 雫が朝早めに起こしていたおかげで、多少のイレギュラーがあっても問題なく間に合う時間であったが、やや急ぎ目に久路人は自転車を漕いでいた。

 

「ねー久路人。学校なんて行かなくても生きてけるよ?だから家に戻って一緒にゴロゴロしよ?」

「いやいや。せっかく通わせてもらってるんだし、大学はきちんと卒業したいよ」

「大学卒業してどうするの?久路人って普通の社会で生きてけるの?」

「・・・・雫、正論は一番人を傷つけるんだよ?」

 

 「妖怪に襲われやすい自分の将来どうしよう?」とここ最近の悩みの一つを考えながら、久路人は口を開く。

 自転車に乗る久路人の隣を雫が宙に浮きながら並走しているが、道行く人は誰も振り返らない。基本的に、素質のある人間以外に妖怪は認識できないのだ。

 

 

「はぁ・・」

「まあまあ、そんなに落ち込まないでよ。ほら、私と久路人なら山の中に籠っても自給自足しながら余裕で生きてけるよ?」

「まあ、できると言えばできるけどさ・・・・・はぁ、街の中でも妖怪は襲ってくるし、街の外は論外だしなぁ」

 

 久路人たちのいる現世には、「忘却界」と呼ばれる結界が張られている。

 これは「妖怪などいない」という人間の共通意識を利用した大結界で、妖怪や常世と繋がる穴を大きく抑制する効果があるのだが、妖怪の存在を知る異能者がいるところでは効果が薄れる。ましてや、久路人のような化物クラスでは完全に破壊してしまう。久路人が住む「白流市」も、街の外には忘却界が広がっているが、街の中は久路人の叔父によって別の結界が張られることでかろうじて平和が保たれているのだ。久路人が何の対策もせずに街の外に出ればそれだけで大惨事である。

 

 と、そんな風に取り留めのない会話をしている時だった。

 バチリと紫電を纏う黒い砂が宙を舞った。

 

「・・・あ、近くにいるね」

「本当?どのあたり?」

「ここからまっすぐ行ったところ。この坂を下り終わったところだね」

「はーい。じゃあ、準備しとくね」

 

 唐突に、久路人が何かを見つけたことを雫に言うと、雫は心得たとばかりに、おもちゃのような水鉄砲を着物の袂から取り出した。

 そして、久路人の乗る自転車が坂の終わりに差し掛かり・・・

 

「オオ!!ナント旨ソウ・・・・臭イィィィィイ!?」

「死ね」

 

 電柱の影にうずくまっていた角の生えた緑色の醜い小男が、久路人を見つけてそのかぐわしさに涎を垂らすも、その隣にいたこの世のものとは思えない悪臭を発する雫を視界に入れて、鼻を押さえてのたうち回る。

 次の瞬間には、水鉄砲から打ち出されたツララに脳天をぶち抜かれ、世界に溶けていくように消えていった。

 

「ねえ、久路人・・・・」

「今日も変な臭いはしなかったって・・・・」

「まだ何も言ってないじゃん!!でも、本当だね?本当に私臭くないよね?ねぇ、ちょっと嗅いでみて・・」

「だぁぁああ!!自転車乗ってる時に揺らさないでってば!!」

 

 朝の日課の際、雫が血を吸う一方で、久路人は雫の匂いを嗅いでいたが、あれは久路人の趣味ではない。

 雫は久路人の血を取り込んでいる影響か、妖怪の力と久路人の持つ力が混ざっており、そのせいで霊力を感知できる存在にとって凄まじい悪臭を放っているらしい。雫も数百年を生きているとはいえ女の子であるために、「クサイ」と言われるのはショックであるらしく、吸血のついでに久路人に匂いを確認してもらっているというわけだ。

 まあ、久路人には悪臭が感じられず、雫としても久路人以外にどう思われようと知ったことではないために、二人が朝っぱらから密着するための理由付けにしかなっていないのだが。

 

「ああもう!!大学に着いたら確認するから!!今は止めてって!!」

「本当だね!?約束だよ!?」

 

 ギャアギャアとやかましく騒ぎつつも、幸いにして自転車に乗りながら虚空に話しかける青年を目撃する通行人は誰もいなかった。

 

-----------

 

「う~ん、2年生になっても、実地で何かやるのはまだないんだね」

「農業実習は3年生になってからだからね。早くやってみたいんだけどな」

 

 白流市郊外にある大学。

 久路人はそこの農学部に通っていた。

 始めは久路人の使える「能力」の関係から理学部や工学部も考えたのだが、将来のことも考えて農業を学びたいと思い、農学部を選択した。

 

「でも、さっきの昆虫学はちょっと面白かったかも。昆虫食とか、あんまり考えたことなかったし」

「・・・・本当に、将来のこと考えたら覚えておいて損はないかもなぁ」

 

 先ほどまでは二人そろって講義を受けていたところだ。

 雫は周りからは見えないが、久路人は人気のないエリアを選んで座るため、久路人の隣に陣取るのはやりやすかった。雫は何気に頭がいい方で、小学校から高校に至るまで、久路人と共に授業を聞いていたおかげで普通に大学に合格できるほどの学力があったりする。

 

「あ、またいる」

「はいはいっと!!」

「グギャァァァアア!?」

 

 次の講義室に移動する途中の廊下。

 その曲がり角にいた跳び箱ほどもある人間の顔が付いたダンゴムシがツララで串刺しにされる。周りの気温が少し下がった。

 大学にも結界は張られているのだが、少々ザルな部分があるようで、小物はしょっちゅう入って来るのだ。これは久路人の力のせいで綻びができるからで、力を抑えるための護符も持っているが、最近ではほぼ役に立っていなかったりする。

 

「仕方ないけど、妙な噂が立たなきゃいいなぁ」

「ん~?別に良くない?高校までと違って、大学ってあんまりグループ行動とかないじゃん」

「でも、まったくないってわけでもないでしょ。腫物扱いは慣れてるけど、好き好んでされたくはないよ」

「大丈夫だよ!!ちょっかいかけてくるのがいたら、私がちょちょいと・・・・」

「あんまり過激なことはよしてくれよ・・・?」

 

 

 久路人の日常は平和だ。

 だが、それは薄氷の上にある平和である。

 

 力を抑える護符があっても、妖怪は絶えず襲い掛かって来る。

 さらに、人間の霊能者も希少価値のある久路人の血を前にすれば何をするのかわからないのだとか。

 そういった連中は護衛の雫や、自衛のために戦闘もこなせる久路人本人でも対応できる。

 しかし、周りへの影響はその頻度から完全に隠すのが難しくなってきており、若干周囲から浮いてしまっているのが現状である。

 

「まあ、人間のメスが寄ってこないのはいいことだけど・・・」

「ん?なんか言った?」

「なんでもないよ・・・」

 

 雫が口の中で呟いた言葉は、久路人には気づかれなかった。

 

「でも、まあいいじゃない。久路人にはこの私がいるんだから!!」

「・・・・そうだね」

 

 雫が何気なく言ったその一言に、久路人はわずかばかり影の滲んだ笑顔で返すのだった。

 

 

-----------

 

 

 いつも通りの帰り道。

 月宮家は郊外にあるので、家に近いところは自然が多く、あまり人気がない。

 

 

「クサイぃぃっ!?」

「消えろ」

 

 一つ目の大男が激流とともに川に叩き込まれた。

 直後、川の水は凍り付いて夏の夕暮れを冷やす。あの大男は涼しいどころではないだろうが。

 

「小僧!! 頭から喰っ・・・オゲェ、なんじゃこのニオっ!?」

「失せろ」

 

 朝に見た角の生えた男の赤色版が何かを言いかけたが、真っ赤な血を凍らせたような薙刀で首を吹っ飛ばされる。最近は妖怪の世界でもカラーバリエーションでかさまししないといけないのだろうか。

 

「クカカ!!肉!!血!!・・・・クサっ!?」

「死・・・」

「ふっ!!」

 

 次に現れた、カラスのような翼の生えた猿みたいな何かを鉄砲水が貫こうとしたが、黒い鉄の矢がそれより早く心臓を射抜いた。

 

「あ~!!久路人、また私より先にやったね!?護衛は私の仕事なんだよ!!」

「・・・いや、さっきのヤツ飛んでたし、僕がやった方が早いかなって」

「とにかくダメ!!私の仕事を久路人が取るのだけはダメなの!!」

「・・・わかったよ」

 

 獲物を仕留めた久路人であったが、雫としては仕事を取られたのがいたく気に入らなかったらしい。

 大層ご立腹であり、久路人としてはそれ以上何も言えなかった。

 

(なるべく、雫に守られっぱなしでいないようにしたいんだけどな・・・)

(私が久路人の傍にいる理由がなくなっちゃう!!先手必勝、見敵必殺、サーチアンドデストロイ!!)

 

 二人の内心は盛大にすれ違っていたが。

 

 その後、なんか扇情的な服を着た淫魔っぽいのが出てきたが、思わず久路人が竦むほどの殺気を出した雫によって久路人の視界に入る前にかき氷のように粉々になった。

 

「久路人の目が汚れる!!!妾と久路人の前から、疾く消え失せろ!!」

 

 そのセリフは、雫によって背後から目と耳を塞がれた久路人には聞こえなかった。

 

 だがまあ、これもまたいつもの帰り道であった。

 

-----------

「はぁぁあああああああああああ!!!!」

「わっ!?」

 

 月宮家の裏庭。

 そこはだだっ広い草原だ。

 夕闇が迫る中、そこで久路人は手に持った黒い直刀に紫電を纏わせて、雄たけびを上げながら雫に迫るも、雫は足元を凍らせて、スケートをするかのように滑って回避する。

 

「まだまだぁ!!!」

「ちょっ、タンマタンマぁ!!」

 

 突如として足元が凍り付いたが、久路人がそれを気にする様子はない。

 その足には黒い砂鉄がまとわりつき、氷の上に突き刺さるスパイクとなっていた。

 力強い踏み込みで刀を振り回し、雫の持つ薙刀と打ち合う。

 

「雷切!!」

「瀑布!!」

 

 久路人の刀に流れる紫電が太くなったかと思えば、雷を切り落とすような鋭い斬撃が雫を襲う。しかし、雫はとっさに薙刀を手放して水鉄砲を取り出し、自らの周りに滝もかくやというほどの水柱を発生させ、久路人との距離を取った。

 

「よし、これで・・・」

「紫電改!!」

「えぇ!?て、鉄砲水!!」

 

 距離を取って体勢を整えた雫であったが、そこに飛んでくるのは夕方に空を飛ぶ妖怪を仕留めた黒い矢だ。いつの間にか、久路人の手には刀の代わりに弓が握られており、戦闘機のごとく矢が放たれていた。雫は、今度は消防車のようなジェット水流を出して矢を撃ち落とす。

 

「もうっ!!久路人ったら、激しすぎだよ!!無茶しちゃダメって言ってるでしょ!!」

「無茶しなきゃ勝てないだろ!!」

 

 近距離の間合いから、遠距離攻撃の撃ちあいを経て、ようやくお互いに一息つく間が生まれた。

 雫は明らかに人間の久路人には負担となっているであろう連撃に苦言を呈すが、久路人には聞き入れる様子はない。

 

 二人が何をやっているかと言えば、久路人の戦闘訓練である。吸血やらが朝の日課とするならば、これは夜の日課だ。

 久路人には雫という護衛が付いているが、自衛できるに越したことはない。

 小学校の頃から体を鍛え、中学に上がるころから霊力を用いてこの世の法則を捻じ曲げる「術」の修行を付けられるようになった。高校から今までは武術と術を組み合わせた実戦形式の訓練を行っており、高校の時のとある一件の後には、久路人のやる気は雫が心配するほどに激しい。

 その内心には、「雫に守ってもらう必要がないくらい強くなる」という意思があるのだが、それを雫が知る由はない。むしろ・・・

 

(あんまり久路人に強くなられると、私がいる意味がなくなっちゃう!!)

 

 こんな風に思っており、雫としても久路人に負けるわけにはいかず、本気で戦うようになっていた。

 その結果・・・

 

「はぁっ、はぁっ・・・・」

「ふぅ~・・・時間切れだね」

 

 この訓練は、裏庭にある灯篭が灯ったら終了だ。

 結局、久路人は雫に拮抗することはできたが、土を付けることは叶わなかった。

 だが、それも仕方がない。久路人は霊力こそ雫を上回っているが、肉体は人間だ。車で言うならF1のエンジンを軽自動車に載せているようなものである。身体強化を行う術をかけたところで、術そのものが肉体への負担となるのだ。そのうえで、雫が守りに本気で集中すれば、久路人の方が先に自滅する。現に、久路人の体には内側から裂けたような傷がいくつか付いていた。

 

「久路人、戻ろう?怪我の手当とか、夕飯の支度もしなきゃ」

「・・・・・ああ」

 

 差し伸べられた手を一瞬暗い顔で睨みつつも、久路人はすぐにその手を取って立ち上がった。

 

(こんなんじゃダメだ!!もっと、もっと強くならなきゃ!!)

 

 その内心を悟られないように、必死で笑顔を作りながら。

 

 

-----------

 

 久路人が月宮家に備え付けの術具で傷を癒し、雫が久路人の脱いだ下着の匂いを胸いっぱいに吸い込んでから彼が出た後の残り湯に入ってヘブン状態でリラックスした後。

 

「そういえば、最近カレーとかシチューとか多くない?」

 

 夕食の時間、雫の作ったカレーを口に運びながら久路人はふと疑問に思った。

 食材の買い出しも久路人と雫の二人で行くのだが、目利きは雫の方が上手い。そのため、献立は雫が決めることが多いのだ。

 そして、最近はどうもカレーやらシチューのような汁物が多いような気がした。

 

「・・・久路人はカレーとか嫌い?」

「いや、そんなことないけど。ただよく見るなって思っただけで」

 

 二人とも今はいない家主の従者に料理は仕込まれており、人並みにはこなせる。

 久路人はステーキやらハンバーグといった焼き物が、雫はカレーのような汁物が得意である。ちなみに雫の好物はサイコロステーキだ。だが、その好物を差し置いて、汁物が多い。

 

「私が作りやすいから作ってるだけだよ。飽きたなら他のやつにも挑戦してみるけど・・」

「別にそんなことないって。美味しいし。ただ、最近はサイコロステーキ焼いてないなって思ってさ」

「そうだね・・・なら、次に買い物行くときにはお願いしてもいいかな?」

「ん。任せて」

 

 テーブルを挟んで言葉を交わしながらも、スプーンを持った二人の手は休む気配がない。

 雫は水を操れるためか、汁物の味の調整が得意だ。そのため、カレーの出来も見事なモノだった。

 

「でもこのカレー、なんかこっそり隠し味とか入れてるの?スゴイ美味しいし、カレーってそういうのよく入れるって言うし」

「え~!!そんなの入れてるわけないじゃん!!久路人と一緒に作ってるんだから」

「それもそうか・・・」

 

 雫が何と言うこともないように否定すると、久路人は納得したようだった。

 だが、久路人からすればそのカレー、というか最近の汁物は不思議な味がするような気がするのだ。舌にいつまでも残るような、そうしてその感覚がしばらく続いた後、少しづつ薄くなっていくような食感。決して不快ではなく、料理の元になった食材が自分の体の一部になっていくのが肌で感じられるような気がするというか・・・・よく食べる学食のカレーはそんなこともないのだが。

 

「・・・・・」

 

 どこか腑に落ちないような顔をする久路人を、雫はじっと見つめていた。

 久路人が自分の体液を取り込んでいるということへの興奮と・・・・

 

(ごめんね、久路人)

 

 想い人に黙って、人間から化物に変えていることに罪の意識を感じながら。

 

 そんな中で、「自分の血を入れてもバレにくいからよくカレーを作ってる」などと言えるわけもなかった。

 もしもそれがバレたら、目の前の青年が自分にどんなに甘いといっても、嫌われるのは避けられないだろうから。なによりも、永遠を共に生きることができなくなるから。

 

「・・・・・」

 

 例え憎まれることになったとしても、久路人のいない世界で狂わずに生きていける自信など、雫にはなかった。

 

 

-----------

 

「ん~!!今日もよく遊んだ~」

「そうだねぇ」

 

 夕食を食べ終えて、夜も更けてきた。

 夕食後は、久路人の部屋に二人で入って適当に何かやる、というのがルーチンだ。

 今日は二人でアニメを見た後にモンスターをハントするゲームをして遊んだ。ちなみにその前の日は遊戯の王のカードゲームに興じ、雫がガチガチのロックデッキで先行制圧しようとしたところをバーンデッキで焼かれていた。

 

「ふぅ~!!今日も一日、平和だったね~」

「うん・・・・いや、平和だったかな?」

 

 しんみりとした口調の雫に思わず反射的に頷いたが、直後に久路人は首をかしげる。

 登校、講義中、下校中、すべてで妖怪に襲われていたと思うのだが。

 まあ、雑魚しかいなかったので平和と言っても間違いではないかもしれないが。

 しかし・・・

 

「普通の人から見たら僕らの日常は異常そのものなのかな。妖怪と毎日戦いながら普通に生活してるとか、漫画みたいだ」

「そうかもね~、事実は小説より奇なりってやつ?」

 

 二人は今日一日を振り返ってみる。

 

 朝から二人一緒に目を覚まし、吸血と匂いチェック。

 雫のみであるが、料理に血を混ぜた後、出かける前にエクササイズ。

 大学に向かう最中に妖怪の頭を吹き飛ばし。

 大学に着いて、トイレの個室で匂いチェック(再)の後に襲い掛かってきた妖怪を氷漬けに。

 講義の最中も気付かれないように雑魚を溺死させ。

 下校時には帰り道に氷柱と砂鉄の矢が飛び交う。

 家に帰れば本気で武器と術の撃ちあいだ。

 

「普通の暮らしってやつは正直わかんないけど、私たちって変わってるんだね」

「僕も普通ってよくわかんないけど、変わってるんだろうなぁ」

 

 事あるごとに妖怪に襲われ、その合間に命のやり取りの訓練や想い人の人外化を画策する。

 正直言って気が狂っていると言われてもしょうがない。

 だが・・・・

 

「まあ、いつも通りだよね」

「うん」

 

 それが、白蛇と彼の一日であり、日常だ。

 それこそが、二人にとっての普通なのである。

 だからこそ・・・・

 

「・・・・明日も、明後日も、こんな感じに平和が続いてくれたらいいな」

「・・・・そうだね、私もそう思うよ。これからも、ずっと、ずっとね」

 

 二人は今日のような、普通の人間には異常としか言えない、「当たり前」を望むのだ。

 それは、明るい未来を願う言葉であったが、まるで自分に言い聞かせるようだった。

 

「・・・・・・」

 

 久路人は自らの力不足に焦りと憤りを、雫を狂わせているかもしれないことに罪悪感を抱きながらも、雫が正気に戻るまで、戻った後も今のような日常が続くことを願う。

 

「・・・・・・」

 

 雫は久路人の眷属化が遅々としてしか進まないことに焦燥を、久路人を化物に変えていることに罪悪感を持ちながらも、永い時の果てに今のような日常に戻ることを望む。

 

「あ」

 

 そこで、雫は声を上げた。

 

「ごめんね久路人、時間切れみたい」

「もう、そんな時間か」

 

 いつの間にか、久路人の部屋に霧が出ていた。

 久路人の部屋は厳重な対妖怪のトラップが山ほど仕込まれた家の中でも、特に妖怪の力を制限する罠が多い。そして、この部屋には妖怪が活発になりやすい夜に、妖怪を強制的に締め出す仕掛けが施されている。

 これにより、雫は自室へと強制送還され、一夜を久路人の部屋で過ごすことができないというわけだ。

 実を言うと、この仕掛けがあるのは妖怪除けというよりも久路人の叔父が久路人の貞操を心配したからという理由の方が強かったりする。まあ、明け方には解除されるので久路人が目覚める少し前には侵入した雫も横で二度寝をしているのだが。性的に襲っていないのは自分の体液摂取までさせてるくせに雫が直球勝負ができないヘタレだからである。

 

「それじゃ、おやすみ・・・・また明日」

「うん、また明日。おやすみ・・・」

 

 そうして、二人はいつものように一日の別れの挨拶を告げる。

 胸の中に不穏なモノを抱えつつも、その先に自分たちの未来があることを信じて。

 

「「・・・・・・」」

 

 こうして、彼らの一日は過ぎていき、また新しい一日が始まるのだ。

 明日も明後日も、その先も・・・・

 

 

-----------

 

「久路人、何、ソレ・・・・・!!」

「え!?いや、僕にもわかんないって!?」

 

 夏の朝が、凍えるような冬に変わる。

 

 朝露に濡れていた草木に、瞬く間に霜が降りる。

 

 翌朝、出かける前のこと。

 郵便受けを確認した久路人の手には、一通の封筒が握られていた。

 

 その封筒には、凛々しくも可憐な少女の写真と・・・・

 

「お見合いって、どういうことだぁぁあああああああああああ!!!!!!!」

 

 釣書と、達筆な筆文字で書かれた紙が収まっていたのだった。

 

 

・・・・新しい一日は、昨日とは打って変わって、予想以上に予想外なモノであるらしい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

現在編1

この話より、本格的に時系列が未来に進みます。
お見合いについての話は、2話に挿入した白蛇と彼の一日(連載版)をお読みください。


 お見合い。

 それは、結婚を考えている男女を会わせ、紹介させるイベントだ。まあ、紹介するといっても、事前に写真と釣書という履歴書のお見合いバージョンのような物を送って相手のことを最低限知っておくようなのだが。

 昔の日本では「男は結婚して家を持って一人前」というような風潮もあり、家族どころか職場の人間が相手を紹介することも多かったらしいが・・・

 月宮久路人、19歳。成人前に見合いの申し出がやってきたのだった。

 

『・・・・して、言い訳があれば聞いてやる。これは貴様の差し金か?京?』

 

 夕方の月宮家。

 普段の訓練を休んで、久路人と雫は居間にいた。

 雫の手には備え付けの電話の受話器が握られているが、よほど強い力で握っているのか、ミシミシと嫌な音がしている。ちなみにハンズフリーで、会話は久路人にも聞こえている。電話の相手はもちろん、月宮家の主であり、久路人の養父である京だ。霊能者からのお見合いの申し出に、この男が関わっていないはずがないという明確な理由である。

 

『まあ、落ち着けよ。別に俺から言い出した話じゃねぇ。ただ、保険として・・・・』

『今すぐ貴様のいる場所を教えろ。よほど命がいらんようだなぁ?えぇ?』

 

 部屋の空気が凍った。比喩ではない。部屋の壁から家具まで、ソファに座っている久路人を除き、部屋に霜が降りていた。不気味なのは、雫の表情だ。雫は笑っていた。しかし、それは大蛇がとぐろを巻いて威嚇しているかのような、刺すような威圧感を感じさせる笑みだった。

 

『昔から何度も言っておるよなぁ?「妾が久路人を傷つけるようなことはせん」と、何度もなぁ。それを言うに事欠いて「保険」で見合い相手を用意していただと?はっはっは!!数百年生きてきたが、ここまでコケにされたのは初めての経験だぞ?はっはっはっ!!!」

 

 怖い。寒い。怖い。

 

 それが今の久路人の心境だった。

 ガチガチと走る体の震えが、部屋を凍らせたことによるものか、雫の放つ殺気によるものなのか判別がつかなかった。多分両方だろう。

 

「し、雫、もう少し抑え目に・・・・」

「久路人は黙ってて!!」

「はい・・・」

 

 その寒さとは正反対に内心で烈火のごとく怒り狂っているであろう雫をなだめようとしたが、聞き入れる様子はない。逆にカウンターでこちらが黙らざるを得なかった。今朝封筒を開けた時からこんな感じで、登下校の間に現れた妖怪たちは普段の2倍ほど苦しめられて退治されていた。「雫に守られるばかりではいけない」ということを置いておいても、全身の毛穴から細い氷柱を少しづつ埋め込まれたり、眼球の水分を一気に沸騰させられる様を見せられれば、「さすがにもう早く楽にしてやれよ・・」という意味で久路人が代わりに介錯してやりたい気分になった。今も雫はハリセンボンの如く全方向に神経を尖らせており、とにかくピリピリして機嫌がこれまで見たこともないくらい悪かった。

 しかし、電話越しで冷気も殺気も伝わっていないのが大きいのか、それとも肝が据わっているのか、京はなんら気にした様子もない。

 

『あのなぁ・・俺だって言ったはずだぜ?「この世に絶対なんてものはねぇ」ってな。事実、九尾みたいな化物だっていただろうが』

『な・・!?そ、それとこれは話が別だろう!?保険を用意するのはまだわかるが、それが久路人の見合い相手と一緒である理由にはなるまい!?』

『ま、それはそうかもな。だが、そもそもこれは俺が言い出した話じゃねぇんだよ。そういう条件で向こうさんが申し出てきたから乗っかっただけだ。保険として、な』

『そ、それだ!!そもそも、そこがおかしいだろう!?妾は現時点で護衛として申し分ないはずだ!!この街を出ない限り、妾だけで充分で、外様を入れるなどデメリットでしかない!!なぜ今になって・・・』

『そこだ。確かに俺は保険として霧間一族との見合い話は保留にしてたが、まだ答えは返してねぇ。向こうが強引に進めようとしてんだろ』

『なんと・・・霧間一族がか』

 

 京は海千山千の裏社会を歩き、術師たちの総本山とも言える学会の幹部を務めるほどの逸材だ。

 そんな京にかかれば怒り狂った雫との対話など大したことでもないのだろう。その声に動揺は見られず、雫もそんなのらりくらりとした京の様子に気勢を削がれたようだった。「主犯は霧間一族」という情報を保険の有用性を示唆してから告げることで、怒りの矛先を逸らしたのである。九尾の一件で戦力の問題については雫も身をもって思い知らされていたというのも大きい。

 

『霧間一族って、修学旅行で行った葛城山の近くの名家だっけ?』

『そうだ。だが、見合い話を持ち掛けてきたのは当主の霧間朧じゃねぇ。前当主の朧の親父や他の親族どもだな。あいつは昔一族ともめて仲がすげぇ悪いからな』

『では、霧間リリスもこの件には無関係だということか?』

 

 雫と霧間朧、霧間リリスには一応の面識がある。

 九尾と戦った後、その余波で大穴が空きかけた際、戦う力がほとんど残っていなかった雫たちの前に駆けつけ、現世にやってきた妖怪の群れを蹴散らしてくれたのだ。その際に連絡先も伝えられており、久路人は後日電話で感謝を告げてたのだが、

 

「アンタはあの蛇と違って礼儀正しいわね~。本当に京の養子なの?」

「・・・そんなに気にされることはありませんよ。自分たちは学会の一員として当然のことをしたまでです」

 

 と言われた。ノリの軽いリリスとお堅い朧だが、いい人そうというのが久路人の印象である。

 ともかく、雫と久路人にとっては恩のある相手であり、できることなら争いにはなって欲しくない相手でもある。まあ、雫からすれば久路人を自分の一族に引き込もうとしている、だの下らないことを考えているようなら一切の容赦なく首を叩き落してやるつもりだが。

 

『聞いてはいないが、まず関係ねぇよ。朧と一族が仲が悪いのも、リリスとの結婚が原因だからな。あの一族は人外を人間の敵だと思い込んでる。なのに当主が吸血鬼を嫁にしたんだ。大方、あの二人への対抗手段が欲しいってところだろ』

『チッ・・・!!胸糞の悪い連中だな』

 

 霧間一族。

 その一族は、古来より日本の無辜の民を人外から守り続けてきた。故に人外を明確に人類の敵と認識しており、人外との融和を推し進めた学会とは折り合いが悪い。しかし、何の因果か、その当主たる霧間朧が吸血鬼の皇族であるリリスに一目惚れし、一族を半殺しにして婚姻を認めさせてしまったのだ。それで当主とそれ以外の仲がこじれないはずがない。だが、相手は学会の七賢の一人であり、その護衛を務める朧も同等の実力を持っている。霧間一族としては下克上など望むべくもなかった。つい数年前までは。

 

『狙いはやはり、「神の血」か』

『ああ。久路人が葛城山で見せたあの力。あれはほんの少しの間だけだったが、日本中で観測できたからな。この俺と敵対するってわかってても欲しがるやつらはいるだろうよ。実を言うと、俺のところには久路人に会わせて欲しいって言ってくるやつらもいたしな。全部断ったが』

 

 3年前に久路人が葛城山で九尾と戦った時のことだ。久路人の中に眠る力に「神」が干渉し、九尾を倒させたことがあった。あのときは陣を破壊し、現世にまで届くほどの攻撃が放たれた。当然、そんな力が現れれば霊能者には丸わかりで、これまでにも実は京のところに「お宅の子に合わせて欲しい」といった話がチラホラと来ていたのだ。まあ、日本は学会との折り合いが悪く、学会の幹部たる京にそういった交渉を持ちかけられる立場の人間は少ないのだが。

 

『ともかく、そんなわけで俺としてもその話は寝耳に水だ。俺からも霧間一族にはよく言っておくが・・・・久路人』

『え?何?』

 

 そこで、京は受話器を握る雫でなく、ソファに座る久路人に声をかけた。なお、久路人が寒そうにしていたので久路人の周りだけ冷気を操作して、雫がちょうどいい気温に調整済みである。

 

『この話、断るかどうかはお前が決めろ』

『えぇっ!?』

 

「・・・・・」

 

 その瞬間、部屋の気温がマイナス20℃を下回った。

 

 キラーパス。

 そんな単語が久路人の脳内に走った。

 雫は受話器を持って電話の方を向いており、久路人から顔は見えない。だが、その手には青筋が浮かんでおり、受話器はピシピシとヒビが入り始めていた。

 

『ちょ、ちょっとおじさん!!なんで・・・』

『そりゃ、この話がお前宛てに直接来て、お前がそのことを知ったからだ。それに、相手は霧間。日本の霊能者の一族でも名門だ。これまで俺の機嫌を伺いながら恐る恐る来た雑魚どもとは違う。お前が相手でも受け入れることはできるだろ。んで、相手の女も、確かかなりの美人・・・・イタッ!?おい、メア!!いきなりつねるんじゃねぇ!!』

 

 何やら電話の向こうで従者とふざけ合っている京は置いておいて、久路人は思わずテーブルの上にある釣書と写真に目が行った。写真には、振袖を着て、長い黒髪をストレートに伸ばした凛々しい顔立ちの少女が映っている。

 

 

 霧間八雲

 

 年齢は17歳。趣味、特技は剣道と料理。得意料理は和食全般。好きなタイプは・・・・

 

 

 ゴッ!!!

 

 

 そこまで読んだ瞬間、テーブルが真っ二つに割れた。

 太もも程の太さがあるであろう巨大なツララが突き刺さったのだ。上に乗っていた写真と釣書はツララに貫かれて、床にめり込んでいる。ツララの先端は、写真の顔の部分を気持ち悪いくらい正確にに穿っていた。

 

「し、雫・・・さん?」

「久路人・・・・」

 

 なぜか、久路人は敬語になった。敬語にならなければいけないような気がしたのだ。

 

「えっと・・・」

「断るよね?」

「え?」

 

 雫はまだ、電話の方を見ていて、久路人には背中を向けている。だが、ゆっくりと、本当にゆっくりと、久路人の方に向き直ろうとしていた。

 

「お見合いなんて、久路人は行かないよね断るよね行くわけないよね行くわけないじゃないそんな女のところなんて何が趣味料理だそんなところで女子力アピールなんてウザイんだよ和食全般とかフカシこいてんじゃねーよというか17歳ってまだガキだろうが一丁前にマセやがってその胸もどうせ詰め物だろ私より大きいとか認めねー剣道やってるとか言ってんだしどうせ全部胸筋だろ腕だって私と違ってゴリゴリのゴリラアームなんだろ大体久路人は庶民なんだから普通の家庭料理の方が好みだし堅苦しいのも苦手だから名門一族だか何だか知らないけど久路人も息苦しくなるだけでいいことないし行かない方がいいよそうだそうだよそうに決まってる久路人はこの街のこの家で私とずっと一緒にいるのが一番いいのそれ以外は全部バッドエンド直行で・・・・」

 

 

--顔を見たら死ぬ

 

 直感的に、久路人はそう思った。

 動きはゆっくりなのに、顔を見せないままに高速で何やら呪詛のようなものをブツブツと呟くさまは、本能的な恐怖を呼び起こしたのだ。何を言っているのかは正直早口すぎて聞き取れないが、聞こえない方がいいことだろうなと久路人の勘が告げていた。

 

「い、行かない!!」

 

 故に、久路人の答えは決まっていた。

 まあ、元より久路人が好きなのは目の前の少女であるからして、雫の態度があってもなくても断るのは確定していたが。

 

「あははっ!!だよね!!ごめんね、変なこと聞いちゃって」

 

 久路人が答えた瞬間、雫はそれまでの動きが嘘のように軽やかにターンし、花が咲くように笑顔を浮かべた。どこに出しても恥ずかしくない美少女である。さっきまでダークサイドに堕ちていたのは幻覚に違いない、と床に突き刺さるツララを努めて見ないようにしつつ、久路人は深く考えないようにした。

 

『・・・たくっ、だから俺が言ったのは客観的な話であって、主観的に言えば一番美人なのはお前・・・って、なんだ、行かないのか』

『ふん!!当たり前だろうが。ねー、久路人?』

『う、うん』

 

 「ねー」と言って、こちらを見てきた雫の視線が、なぜかスゴイ怖かったと、久路人は後に語る。

 

『なんか釈然としねぇが・・・まあ、久路人がそう言うなら別にいい。けど、断りの手紙は書いとけよ?俺も伝えておくが』

『おう!!任せておけ!!妾の全力を尽くして、投稿サイトでランキングトップになれるぐらいのお断り文を書いてやるわ!!ではな!!』

(お断りの手紙に評価ポイントってあるのかな?)

 

 「よーし!!評価10を100人目指すぞ~!!」と言って受話器を置いて墨汁と筆を探しに行った雫を見て、久路人はそう思った。

 

「しかし・・・・」

 

 断りの手紙を書くにも、住所は必須である。

 雫のツララに貫かれて大穴が空いた釣書と封筒を慎重に取り出しながら、久路人はちぎれ飛んでバラバラになった写真を見た。

 

「お見合いなんて、僕にはまだ関係ないよね」

 

 写真の切れ端を集めて、ゴミ箱に入れながら、久路人はそう呟くのだった。

 

 ちなみに、幸いなことに、住所の部分は無事であった。

 

-----------

 

「ふぅ~・・・・」

 

 その日の夜、夕食を食べて、いつものように久路人の部屋でゴロゴロした後のことだ。

 雫は強制送還された自室で、面倒ごとが片付いたように一息ついた。

 

「ふん!!いきなりこんな写真を送り付けてくるような連中だ!!この程度で十分だろう」

 

 部屋の隅に置かれた机の前で、雫はポイッと持っていた筆を転がした。

 筆の傍には、ついさきほどまで雫が口調とは裏腹に文才の全てを注ぎ込んだお断りの手紙が真新しい封筒に収められている。雫的にも会心の出来であり、WEBに発信できないのが残念なほどだった。

 翌日、「なんでお断りのくだりで霧間の人が異世界転生して魔王に殺されてるの?」と久路人に赤字塗れの添削をされることになるが、それは別の話である。

 

「まったく、何がお見合いだ・・・・バカバカしい」

 

 雫はベッドの上にボフッと身を横たえながら忌々しそうに口にした。

 さっきまでは文章を書くのに集中していたために忘れていたが、改めて苛立ちがぶり返したのだ。

 

「ああ、まったく腹立たしい!!久路人に小汚いハエがまとわりつくだけでも鬱陶しいというのに・・・!!!」

 

 久路人が他の女に狙われる。

 それだけでも、雫にとってはこれ以上ないほど苛立たしいことだ。だが、それでも久路人が狙われるのは分らないでもないのだ。だって、久路人は雫から見れば100点満点の男だから。だが・・・

 

「どうせ、久路人の血のことしか見てない癖に・・・・・!!」

 

 あの手紙を送ってきたやつは、京も言っていたが久路人の血を、正確には、「神の血」にしか興味がないのだろう。時期を考えても、久路人の力が暴走し、京が各地に訪れるために家を空ける期間が長引いた今送ってきたのだ。そうとしか考えられない。

 それが何よりも腹立たしくてたまらない。それでは、「月宮久路人という男には血しか価値がない」と言われているようではないか!!

 

「久路人には、いいところがたくさん、本当にたくさんあるのに・・・・!!!」

 

 雫は久路人のいいところを、その魅力のことならば、一日中語ることができる。

 その自信があったし、事実その通りだった。雫は手を天井に伸ばして、少し考えてみる。

 

「まず、すっごい優しいところでしょ~。でも優しいだけじゃなくてちゃんと間違ってるって思ったことには叱ってくれるのは絶対にいいところだよね。甘やかされてばかりじゃダメになるに決まってるし、悪いところから目をそらしてちゃ、夫婦は長続きしないって聞いたことあるし」

 

 雫は一つ、指を折った。

 

「すごい几帳面で真面目だし、散財とかもあんまりしないのは高ポイント!!家計的にも助かるし・・・あ、でもでも、ただ堅物なんじゃなくて、ノリも結構いいのが話しやすいんだよね!!私がツッコミ欲しいな~って思ったらすぐに突っ込んでくれるし・・・ふふ、将来は私がボケで、久路人ツッコミで芸人コンビ組んでもいいかも!!古き良き夫婦漫才!!って感じで!!ふふふ~!!」

 

 雫は二つ、指を折った。

 

「家事とかも、私にだけやらせるのは悪いってきちんと手伝ってくれるし、料理も結構うまいのは当然好印象!!あ、でも「仕込み」がやりにくくなるから、今だけは私に全部任せてくれた方がありがたいかな~。まあ、それも久路人が私の眷属になるまでだけど」

 

 雫は三つ、指を折った。

 

「趣味が合うのも結婚して長い間を一緒に生きていくなら欠かせない所だよね!!私も久路人もゲームとかアニメとかドラマとか大好きだし。かなりディープな話しても着いてきてくれるし、推しカプの好みも一緒だし。カードゲームに至っては、私が始めたのに久路人の方が強いし」

 

 雫は四つ、指を折った。

 

「あと、顔も私の好み!!そりゃ、雑誌とかに載るようなイケメンって顔じゃないかもしれないけど、それ言ったら私だって元は蛇だし・・・・はぁ~!!普段はすごい優しそうな顔なのに、剣を握ったらシュッ!!って鋭くて凛々しくなるギャップがたまんない!!あの尖った目つきが、すっごいカッコいいんだよね~!!」

 

 雫は五つ、指を折った。

 

「何より、あの肉体美!!細マッチョ!!機能美溢れる筋肉!!あの普段着てる服の下に鍛えに鍛えられた肉体があるって考えただけで、もう・・・・・・・うっ!!ふぅ~・・・・」

 

 雫はもう片方の指を折った。

 正確には、折り曲げて色々ヤッた。

 

「腕っぷしが強いのも・・・・まあ、護衛としての仕事のことにまで手を出されたら困るけど、頼もしい・・・・う~、でも、いいところなんだけど、危ないことはして欲しくないのにな~・・・・」

 

 思考を賢者にしてから、雫はもう一本指を折る。

 

「これはオマケ程度だけど、手先が器用で雷が扱えるって言うのは現代だと反則だよね。術具で電化製品を一から作れる上に電力まで賄えるとか、ハイスペックなんてもんじゃないし。私の水も合わせれば、どこでだって暮らせちゃうもの」

 

 指を折りつつ、雫は将来のことに思いをはせる。

 久路人は人間社会で暮らすのが難しいであろう自分の将来のことを考え、数年前から様々なことを学ぶようになった。大学で農学部を選んだのもそうだし、京がたまに帰ってきたタイミングで、術具の作成についても教わっている。物を介せば力の暴走もリスクが低く、さらに元から才能があるようで、雷や金属に関する術具についてはあっという間に作れるようになっていた。そこに雫の水属性を揃えれば、久路人と雫は人間社会から隔絶された秘境でも生きていけるはずである。雫もいざという時に食料を確保できるよう、食べられる野草や獣の解体についても勉強し、その辺の鹿や猪で練習してマスターした上に、剝ぎ取った皮をなめして毛皮を加工するところまでできている。最初は久路人も、「そういうのって、免許とらなきゃダメなんじゃ・・」と渋い顔をしていたが、「最近は鹿が増えすぎて困ってるし、猪も人里に出てきたら危ないでしょ」と言ったところ、浮かない顔ながらも納得してくれた。

 

「いざとなったら、常世に行ってもいいしね」

 

 何なら、適当な大穴に今から目星をつけておき、常世に渡ってもいい。あそこは弱肉強食の世界であるが、それ故に久路人と雫ならばそこそこ快適に暮らせるはずだ。そう、将来に、自分の眷属となって悠久の時を過ごせるようになった久路人とともに。

 

「えへへ・・・、将来、将来かぁ・・・」

 

 異能の力で小さな家を建て、その中で暮らす二人。

 昼間は雫か久路人が狩をし、畑を耕し、久路人が作った術具でご飯を作る。隣り合って座って食べながら、その日にあったことや、明日のことを笑顔で話す、温かい家庭。漫画やアニメは見れなくなるかもしれないが、二人には些細なことだ。だって、一番お互いの好奇心と欲求を満たせる相手が傍にいるのだから。

 そして夜はお互いを欲望のままに求めあい・・・・

 

「ウヘヘヘ・・・・・おっと、私と久路人のラブラブ新婚生活を考えるのは後で絶対にやるとして、それからそれから~久路人のいい所は・・・・・」

 

 つい先ほど賢者となっていたからか、その妄想は途中で止めることができた。

 それから、思考を再開し、雫は思いつくままに久路人の魅力を挙げていく。

 指は両手では足りず、両足の指まで折り曲げることになったが、それでも足りなかった。

 

「ん~!!まだまだあるけど、とりあえずこんなとこかな~」

 

 それからとりあえずパッと思いつくところまで久路人の魅力を掘り起こし、指が痛くなってきたのでそこで思考を中断した。

 

「久路人の魅力は、私だけが知ってればいい。私以外の雌に知られるのも嫌。けど・・・」

 

 

--久路人がただの物みたいに見られるのは、たまらなく腹立たしい!!

 

 

 つまるところ、雫が一番苛立っているのはそこだった。

 久路人に雌が寄ってくるのは嫌だ。久路人は自分のモノだし、他の雌が本格的にターゲットにしてくるリスクを減らすためにも、その魅力は自分だけが独占したい。だが、久路人の血しか見ないで寄って来るのは、もっと嫌だ。恋のライバルなんて陳腐なモノだとは思うが、どうせ完膚なきまでミンチに、もとい蹴落とすにしても、競うのならば久路人の魅力が分かっているヤツの方がいい。物としかみていないヤツなど、ライバルにする価値もない。

 それはどこまでも矛盾した感情だが、恋はそういうものだ。理屈ではないのである。

 

「そりゃ、最初は私も久路人の力のことしか見てなかったけどさ・・・・」

 

 雫は、初めて久路人と出会った頃を思い返す。

 あの頃は、自分は本当に弱い妖怪で、久路人の力でかつての力を取り戻すことしか考えていなかった。

 だが、少し一緒にいるだけでも、久路人の特異性、魅力は単に不思議な力を持っていることなどではないことはすぐわかった。だから、仮にもかつては大妖怪であった雫は、心から久路人と友となり、さらに進んで、恋をするようにもなったのだ。

 

「久路人は久路人で、神の血なんてものだけじゃないんだから・・・・!!」

 

 決してそれだけではないのだ。神の血なぞ、おまけでしかない。むしろ、今の雫にとっては久路人の体を傷つけるあの力は忌々しいものでしかない。

 

「ま、あのお断りの手紙を出せば、全部終わりなんだし、気にするだけ時間の無駄だね。明日も早いし、もう寝よ」

 

 そして雫は布団の中に潜り込んで、丸くなって眠り始めた。

 また明日も、朝から日課があるのだから。

 

 

-----------

 

「ふん、何が神の血だ、ガキが調子づきやがって・・・・」

 

 某県某所。

 月宮と呼ばれる山を有する、ある街。

 その麓の街を一人の男が表情を歪めながら歩いていた。

 

「久雷翁め、今更そんなどこの馬の骨とも知れん男に一族の当主に据えるなぞ、認められるものかよ!!」

 

 男の名は、月宮健真。

 月宮一族の本家筋の一人であり、現当主である月宮久雷がもうけた幾人もの息子の子供の内の一人、孫である。

 かつて一族を出ていった神童である月宮京に次ぐ実力者であり、京があの異端者ぞろいの学会に身を置く恥さらしとなってからは、次期当主は彼だと言われていた。二百年を生きたという久雷も、流石にもう寿命が迫っていることからは逃れられず、ここまで続いた月宮一族を、正確にはその豊富な人脈と、異能の力を用いて得た莫大な富を継ぐという栄誉を当然のものだと思っていた。ほんの3年前までは。

 

「あの力が現れてから、一族が皆おかしくなった・・・!!」

 

 久路人が葛城山で「神の力」を暴走させた時。その力は、月宮一族も感じ取ることができたのだ。

 それからだ。月宮一族の中で、「あの力の使い手こそ、次期当主に!!」という動きが急激に高まったのだ。ついさきほどまでも、「どうやってあの京から引きはがすか?」という答えの出ない下らない問いを当主をはじめとしたお歴々を交えて話し合ったばかりである。

 

「何が、一族の悲願だ!!そんなもの、今のこの世界で何になると言うんだ!!」

 

 月宮一族は、神の力を手に入れた男を祖に持ち、一族全員が「天」にまつわるなんらかの異能を有する。しかし、その力の大きさは文献にしか残っていない初代とは比べるのもおこがましいほどに弱く、偉大なる祖の力を取り戻すことこそを、一族の悲願としていた。そのために各地の霊能者から半ば強引な手を使ってでも強力な異能者を迎え入れ、力を高めようとしてきたのだ。そこに、長年追い求めてきた初代に匹敵する力の持ち主が現れたのである。さもありなんといったところだろう。手に入るはずだった当主の座から遠のいた健真には認められなかったが。

 

「そのガキがもし来たなら、俺が力づくでも追い出して・・・・」

 

 そうして、その醜い嫉妬と欲を隠さず悪態をついていた時だった。

 

「やあ、そこの青年!!実にいい夜だね!!」

「あん・・・なんだオマぇぇエえ!?」

 

 いつの間にか入り込んでいた裏路地から、一人の男が現れたと思った瞬間。

 自分の体の中に、「ナニカ」が入り込んできたのを感じ・・・・

 

「あ、あ、ああ・・・・・・」

「うん!!ボクのお友達は君の体を気に入ってくれたみたいだ!!まあそこそこの霊力の体に、負の感情!!君の心は、実に入りやすかったと感動しているよ!!これで、君とボクも友達さ!!」

 

 そして瞬く間に、月宮健真という男の心はこの世から消え去った。

 

「それにしても・・・・・」

 

 そこで、男は鍵のかかっていない窓のある家を見るように、辺りを見回した。

 

「ずいぶんと結界にガタが来ているなぁ・・・・まったく!!不用心なことだ!!悪い魔法使いでも来たらどうするんだ!!ここに来たのがこのボクだったから良かったけど、他のメンバーなら一体何をしていたことか!!この幸運に、世界は感謝するべきだよ!!」

 

 ウンウンと頷きながらも男は裏路地に入っていく。

 月宮健真は、月宮健真だったモノは、男を見送るだけだ。

 男は再度周囲に目をやり、最後に、月宮の山のある方向を見やった。

 

「この土地にある力も、ずいぶんと弱弱しい。大本は「あの人」に流れ込んで、土地に残っていた力は残りカスだったのかな?土地に根差した結界を張ったはいいが、肝心の力は補充されない・・なるほど、結界が弱るわけだ!!」

 

 男の体が路地裏の影の中に収まると、その色が漆黒に染まった。

 ずぶずぶと底なしの沼に変わったかのように、男は影に沈み込んでいく。

 

「それじゃ!!後のことは追々指示を出すから、頼んだよ!!月宮だけじゃなくて、霧間も色々と面白いことになっているようだからね!!・・・・・おぉっと!!いけないいけない!!また同じミスをやらかすところだった!!お友達になったのに、自己紹介もしないなんて、何度もやるのは人として恥ずかしい!!ボクはもう人間じゃないけどね!!はっはっはっ!!!」

 

 男は笑いながら、心を侵された木偶に名を名乗る。

 

「ボクはヴェルズ!!別名を狂冥!!ゼペット・ヴェルズさ!!これからよろしくね!!名も知らぬ青年!!」

 

 そして男は、自分の名を名乗って消えていった。ただ、その声だけが響いて、少しばかりその場に残る。

 

「・・・・・」

 

 月宮健真だった木偶は、「お友達」になったと言われたのに、名前すら聞かれなかった男は、フラフラと歩き出した。最初は人形のように頼りない歩き方だったのが、路地裏を出るころには元のようにしっかりとした足取りに戻っていた。しかし・・・

 

「承知、いたしました・・・ヴェルズ様」

 

 その眼に光が灯ることは、二度となかった。

 




感想、評価よろしくです!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

現在編2

すみません、遅れました・・・・
あと、唐突ですが、最近タイトル詐欺というかあらすじ詐欺になってるんで、ちょっとタイトルを変えます。

ところで、ジャンルを恋愛/冒険・バトルにしたいんですけど、どうやればいいんだろう?


「ん~?」

 

 最近どうも、何かがおかしい。

 

「やっぱり、なんか変だな・・・」

 

 月宮家の裏庭。

 青白い月光を浴びながら、久路人はそう思った。

 近頃は雫が自室に戻った後、こっそりと一人で鍛練に励むようにしており、今も素振りと黒鉄の操作をしていたところだったのだが・・・

 

「霊力が、扱いにくくなったような?」

 

 身体強化をした際に、効果にムラがある。

 黒鉄を操ろうとした時に、少しタイムラグがある。

 術具を調整しようとした時に、流れる霊力がブレているような気がする。

 

「気のせい、といえば気のせいなのかもしれないけど」

 

 違和感があるといっても、本当にわずかなものだ。

 もしかしたら、気にしすぎということも考えられるのだが。

 

「雫も、朝に特に変わったことがあるとか言ってないしなぁ・・・」

 

 神の血という強大な力を内包した血が久路人には流れているが、それが影響しているとすれば雫が気付きそうなものだ。そのために朝に一緒に起きて血を吸わせているのだから。最近も依然と変わらず「うん、おいしい!!」と言うばかりで、本当に変化が分かるのかは正直疑問なのだけれど。

 

「う~ん・・・そこまで大きな影響があるってわけじゃないけど、気になるな」

 

 久路人は改めて自分の体に霊力を流す。

 直接霊力を雷のようなエネルギーに変換するのは暴発の危険があるが、身体強化や黒鉄の操作、術具の調整など、物体に流すだけならばきちんと制御ができる。むしろ久路人は霊力の扱いはかなり才能がある方で、七賢である京からもお墨付きをもらっているほどだ。久路人以外が神の血を持っていたとしたら、普通の生活すら難しかったかもしれない。そんな才能ある久路人の感覚では、やはり以前までと微妙な違いがあるような気がする。

 

「なんだろう・・・靄がかかってるっていうか、ノイズ、みたいな?」

 

 例えるならば、ホースの中に細かな何かが詰まって水がでにくくなっているといった感覚だろうか?

 

「でも、そんなに大したことがなさそうなら、今は気にしなくていいかな・・・」

 

 そこで、久路人は裏庭の芝生の上にあぐらをかき、座禅を組む。

 目をつぶり、血の流れ、心臓の鼓動、肺の呼吸といった自分の体の中に意識を向けた。

 

「スゥ~・・・・・・・ハァ~・・・・・」

 

 大きく息を吸って、長い時間をかけて吐く。

 それを、規則正しい一定のリズムを崩さず続ける。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

 久路人は黙したまま一心に、いや、無心で自分の中に意識を潜らせ続ける。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

 そのまましばらく久路人は瞑目していたが・・・

 

「ダメだ、やっぱりわからない。瞑想じゃ見つけられないのかな・・・」

 

 諦めたようにため息を吐いて、目を開けた。

 

 瞑想。

 

 霊能者の行う基本的な修行の一つであり、体調管理の一環でもある。

 意識を集中して呼吸と共に霊力を循環させることで増強するのが主な目的だが、霊力の把握を行うことも気休め程度だができる。まあ、霊力の調子を見るだけならば、京いわく、「血を直接分析する方がずっと正確」とのことだが、夜の修行ではあまり激しく動いて雫にバレるわけにもいかないので瞑想を取り入れているのだ。しかし、成果は芳しくない。

 

「神の力を、早くものにしたいのに・・・」

 

 久路人が探しているものは、自分の中に眠るという神の血だ。

 久路人は雫との契約を破棄・変更するために強くなろうとしているが、やはりそれには神の血について知るのがよいのではと考えた。

 うっすらとしか覚えていないが、葛城山で発揮した力は凄まじいものであったし、あれを使いこなせるようになれば、自分を害することができるようなのは、大穴を使わなければ現世に来れないような大物か七賢くらいだろう。それだけの力が付けば、雫に守ってもらう必要もなくなるし、血を与えてさらに自分への依存を深めさせるようなこともなくなる。

 だが、瞑想でも、朝の日課でも、神の血とやらは眠っているようなのだ。「不思議な力は感じる」とは雫の言葉だが、あくまで変わった力を感じるだけで、強大なものではなさそうとのこと。術を使ってみようと霊力を巡らしても、雷が出るだけで他に特別な効果もなさそうであった。そういうわけで、特別な力が使えるようになる兆候はまったくない。

 

「まあ、焦って無理しちゃ本末転倒か・・・・」

 

 以前に無理をしすぎて風邪をひいたことがあるので、久路人はそこで切り上げることにした。雫は久路人が無茶をするのをものすごく嫌う。前に風邪をひいたときは、看病の時こそ優しかったが、治った後は無理が原因で風邪を引いたということもあり、しばらく不機嫌だったものだ。久路人としても雫が不機嫌だと心が痛む。好きな女の子に叱られれば、心のダメージも大きくなるというものだからだ・・・・少しゾクゾクする物があったような気もするが、気のせいに違いない。久路人にその方面の趣味はない。

 

「それにしても・・・・・」

 

 そこで、久路人はふと疑問に思ったことを口に出した。

 それは、霊力に違和感を感じるようになって、注意深く瞑想をして気付いたことなのだが・・・

 

「霊力の中に混じってるノイズみたいなの・・・・雫の霊力に似てるような?」

 

 自分の中にある異物感の正体が、よくよく観察すると自分がよく見知っている少女の霊力と似ているような気がしたのだ。だが、すぐに首を振って否定する。

 

「まさかね・・・雫の霊力が僕に混ざる理由がないし。一緒の家で暮らしてるくらいじゃ、霊力が入って来ることはないものな」

 

 人間にとって霊力の混入というのは、非常に危険な現象だ。

 ガソリンで動く車に軽油を補充するようなもので、霊力を扱えないようになるばかりか、霊力の発生源である魂に大きな負荷がかかる。エンジンならば交換すればよいが、魂となるとそうはいかない。魂が破損するというのは、その存在そのものが壊れるというのと同義だ。魂が壊れたという情報が肉体へと伝わり、肉体も大ダメージを受ける。そのため、自分とは異なる霊力が体に入ってこようとすると、霊力の循環が高まり、押し出そうとするのだ。そうそう他人の霊力がとどまるということは起こりえない。そんなことが起きるとすれば、根気よく、少しづつ長年かけて霊力を体に馴染ませるか、あるいはよほど親和性が高い場合だろうが、それでもまずないだろう。ちなみに、霊力の混入が危険なのは人間の場合であって、動物も含めた人外は魂の構造が違うので平気なことが多い。なんでも、人間は肉体から精神を通して魂を変容させる段階で他の生物と異なるようだが、詳しいことは知らない。ともかく、雫が久路人の血を飲んで力を高めることができているのも、雫の器が大きいからだ。そう・・・

 

「霊力を混ぜるなんて、直接血でも飲ませない限りありえないしね」

 

 久路人が血を与えるのは契約によるものだが、雫から血を与える理由がない。霊力量が劣る雫から久路人に血を飲ませたところで上昇はしないし、危険である。まあ、葛城山で重傷を負った久路人を治すために血を飲ませても平気だったようだから相性はいいのだろうが、健康体の状態で飲ませることにやはり何の意味もない。あるとすれば、雫に血をこっそり飲ませる趣味がある、といったところだろうが・・・・

 

「まさか、そんなことがあるわけないって」

 

 

--雫にそんな変態的な趣味があるものか。

 

 久路人が見てきた雫は、そのようなことをするはずもない。

 

 冷たさを感じさせるほどの美貌を持ち、その紅い瞳を見ていると、心臓の鼓動が早くなる。

 

 凛として清楚で、戦う時には大妖怪にふさわしい威容を見せる。

 

 でも、時々抜けてるところもあって、普通の少女のように漫画やアニメを見て可愛らしく笑っていることもある。

 

 服の類はあまり買わないが、自分の作る術具兼アクセサリーには興味津々で、「こういうのが欲しい!!」と目を輝かせながらリクエストしてくることもあり、そういうところは「女の子なんだな」と思う。

 

 料理についても熱心で、家事も自分と共同でやってるとはいえ、家庭的だ。

 

 恋バナも好きだし、ネットのまとめサイトやら掲示板に入りびったている俗っぽいところも親しみがあるというか、なんだかギャップがある。

 

 よく漫画の推しキャラを巡ったレスバトルに顔真っ赤になりながら熱中し、「板に残り続けて最後にレスしたから私の勝ち!!」と煽りカス丸出しの子供っぽいところも見ていて飽きない。

 

 京やメアはともかく、他人に対しては冷たいが、自分にだけは暖かい心の中を見せてくれる。それは血のせいなのかもしれないが、やっぱり優越感を感じてしまうし、嬉しい。

 

 蛇兼大妖怪でありながら、その中身はちょっと変わっただけの、「普通の女の子」。

 それが、久路人から見た雫だ。

 

「普通の女の子が、そんなことするわけないし」

 

 変態的どころか、清楚で性的なことにも免疫のなさそうな雫である。

 自慰すらしたこともなさそうなのに、どうしてそんなアブノーマルな趣味を持っているはずがあろうか。

 大体、雫の血が混ざれば、そのぶん神の血の純度も下がる。血を欲しがっている雫にとっては不利益でしかないだろう。

 

「というか、ずいぶん失礼なこと考えてるよな・・・・もう戻ろう」

 

 そして、妙な方向に進んだ思考を打ち切り、月夜を背にして久路人は月宮家の中に戻っていったのだった。

 

 

-----------

 

 翌日の午前11時。土曜日。

 大学が休みの日は、夕方以外にも訓練を行っている。

 これは久路人から言い出したのだが、雫は正直反対であった。

 ただでさえ術技の使用は久路人の身体に負担がかかる。それを一日に二回もやるなど、雫としては心配でしょうがないのだ。しかし、久路人になら四肢切断からのダルマプレイでも快感に変換できる自信のある雫であるからして、そこまでべた惚れしている久路人から「頼む!!」と頭を下げられては承諾するしかなかった。

 そういうわけで、休日の午前から訓練が始まったのだが・・・

 

 

「はぁっ!!」

 

 力強い踏み込みと共に、久路人は凍った大地を踏みしめて駆ける。

 その手に握る直刀には紫電がまとわりつき、眼前に迫る氷の礫をことごとく打ち払う。

 

(遠距離戦だとジリ貧だ・・・勝つには、接近戦しかない!!)

 

 雫に遠距離で戦いを挑めば、術の撃ち合いで霊力と時間をひたすらに削りあうだけだ。

 そうなれば、肉体の限界がある久路人では絶対に勝てない。それは、これまでの訓練でわかりきっていた。

 

「電光石火!!」

 

 故に久路人はひたすらに距離を詰める。

 使うのは高速移動の術技、電光石火。黒鉄で覆った靴底を2層にわけ、最下層との磁力の反発で吹き飛ぶように移動する。これによって、久路人の身体は宙に飛び出し、矢の如く雫に迫るが、その軌道もまた矢のごとく直線。そして相手は久路人と何度も相対してきた雫である。

 

「流氷!!」

 

 当然、雫はその軌道を見切っていた。

 これまでも、本当にわずかな隙を見計らって、久路人は懐に飛び込んできた。だが、だからこそどうすればよいかも体が覚えている。

 確かに目にもとまらぬ速さで動く。だが、その先が見えていればそこに壁を置けばいい。

 確かに氷の礫やツララ程度では止められない。ならば、止められるだけの勢いのある攻撃を選ぶまで。

 その手に握られる玩具のような水鉄砲、「蛇井戸」改め「大蛇ノ釣瓶」から、大人の背丈ほどもある氷塊をいくつも飲み込んだ大波が現れる。

 

「飲み込めぇ!!」

 

 空中を跳ぶ久路人は急な方向転換などできない。

 ならば、正面からこの大波に突っ込むしかない。

 完全に止めることはできないだろうが、大幅に勢いが落ちるのは間違いない。

 だが、それで十分だ。速さが緩めば、それで最後。幾重もの水の壁で押しつぶし、絡めとる。抜け出しても、振出しに戻るだけ。依然として、自分の有利に変わりない。それが、今日までの流れだった。

 

電迅誘導(でんじんゆうどう)!!」

 

 しかし、久路人は成長し続ける。

 昨日のままで終わらない。少しでも力を付け、目の前の少女を契約から解放するために進み続けている。

 故に、「今日まで」の流れなど、まるでないかのように突き破るだけだ。

 

「ええ!?」

 

 突如として、宙に舞う久路人の身体がさらに斜め上に吹き飛ぶ。

 その先にあるのは、久路人が黒鉄をまき散らす「黒飛蝗」の応用で空中に作り上げたバネ。バネまでの間には砂鉄が描くレールが敷かれ、飛び出した時よりもさらに加速して突き進み、バネまで至り、強く蹴り飛ばすように踏みしめ・・・・

 

「疾風迅雷!!」

氷鏡(ひかがみ)!!」

 

 その速さは矢を超え、雷のごとし。

 空中でさらなる加速を経た久路人は三角飛びの要領で氷の津波を回避し、一息に雫の元にたどり着いた。

 だが、雫もさるもの。その進行を阻めないと判断するや、氷の壁を作り出し、防御。

 

「チィッ!!」

「くぅ・・・・!!」

 

 久路人の刀は磨き上げられ鏡のように艶やかな氷を砕く直前、炸裂装甲として雫に砕かれて飛び散った氷の破片が散弾銃もかくやと襲い掛かる。久路人の纏う黒鉄のマントを貫くには到底及ばないが、カウンター気味の衝撃で一瞬足が止まる。

 

大蛇(おろち)!!」

 

 そこに襲い掛かるのは、氷の牙を備えた水の大蛇。

 その蛇は足の止まった久路人を飲み込んで弾け、終わらせる一手だ。これで仕留めきれずとも、その破裂だけで雫自身も距離を取ることができる。そうなれば、どのみち終わりだ。ここまで術技を連続し、無茶な移動をした久路人のスタミナはそこで切れ・・・・

 

「紫電改・5機散開!!」

「っ!?」

 

 蛇の頭が弾けた。しかし、その弾け飛び方は、雫の想定とは異なる。

 全方位に放射状に濁流を生み出すはずだった蛇は、3本の矢とともに天空へと打ち上げられるように消し飛んでいき、その刹那に・・・・

 

「きゃっ!?」

 

 濛々と煙る霧を切り裂いて、黒い矢が二本、雫の草履の先端を射抜いて地に縫い留めた。

 放たれた矢は5本。3本は蛇を吹き飛ばし、残りの2本で雫を捉えたのだ。雫本人ではなく、足元を狙うような攻撃を、雫はタッチの差で察知できなかった。

 

(距離を取ろうとしたのを読まれてた!?でも、この距離で一度剣を捨てて弓に持ち替えるなんて・・・!!)

 

 雫相手に距離を詰めるのは至難を極める。それを久路人は良く知っていたが、だからこそ、刀ではなく弓を持った。

 

(今の雫は、必ず僕との鍔迫り合いは避ける!!少しでも隙があれば、攻撃しながら逃げを選ぶ!!)

 

 お互いがお互いのことをよく知る仲だ。

 しかし、この場においては熱意が違う。

 「雫を打ち倒す」しか勝ち目のない久路人と、「倒してもいいが、逃げ切っても勝ち」な雫。

 元々、最近の久路人の身体を気遣って、戦うことにそこまで乗り気ではない雫である。その場に挑む気概の差が、読み合いの差を分けた。

 

「はぁぁぁあああ!!!!」

「う、うわぁぁあああああああ!!!?」

 

 雫は動けない。草履を脱ぎ捨てるにも、一瞬の間はいる。

 その一瞬があれば、久路人が迫るには充分すぎた。

 瞬時に刀を弓に変えつつ雫の元まで詰め寄り、雷を切り裂く斬撃を見舞う。

 対して雫はろくに踏み込むこともできず、苦し紛れに作り出した薙刀で受ける。

 この時点で、雫の敗北は決定した・・・・はずだった。

 

「雷きりぃぃ・・・・・・ぃぃいいいいい!?」

「え?」

 

 久路人がコケた。

 

 正確には、氷の上を踏みしめた久路人がそのまま足を地面にまでめり込ませ、つんのめったのだ。

 そして、そのまま顔面から氷の上に叩きつけられた。

 

「・・・~~!!?」

「だ、大丈夫!?」

 

 よほど痛かったのだろうか。

 珍しく久路人は起き上がることなく、氷の上をゴロゴロと転がりまわる。

 雫は少しの間呆けていたが、我に返ったように草履を脱ぐと、宙に浮かんだまま久路人の顔にアイシングする。

 

「クッソぉぉおお!!!もう少しだったのに・・・・うう、痛い」

「ほら、こっち向いて!!すぐに冷やすから!!後、早く家の中に戻るからね!!」

 

 そして、久路人は雫に手を引かれ、鼻を押さえながら家の中に連行されていったのだった。

 

-----------

 

「それで、さっきはどうしたの?久路人があんな風に転ぶなんて、何があったの?」

「う・・・そ、それは」

 

 月宮家のリビング。

 備え付けの術具で傷を治し、風呂で汗を流した二人は、居間のテーブルを挟んで向かい合っていた。

 だが、その雰囲気は重い。まるで刑事ドラマの取り調べである。もちろん、雫が刑事で、久路人がホシである。

 ちなみに、テーブルは前に雫によって穴があけられたものを、久路人が補修したものだ。綺麗に円形の穴が開いていたので、塞ぐのも簡単だった。

 

「その、たまたま、足が滑って・・・・」

 

 ドン!!

 

「・・・・・久路人、こういうことで嘘ついたら、私本気で怒るからね?」

「・・・・はい」

 

 雫が思いっきり拳を叩きつけると、久路人が補修した箇所に再び大穴が空いた。

 今度の穴もきれいに開いたので、また塞ぐのも楽だろう。

 

「・・・それで?」

「えっと、その、ですね・・・実は最近、調子が悪くて・・・・」

 

 そして、久路人は最近の霊力の扱いにくさについて話した。

 

「・・・・というわけで、制御がブレて力みすぎちゃったんだけど」

「・・・・・・」

 

 シン・・・と部屋の空気が冷えた。

 恐る恐ると言った風に、久路人が雫を見ると、その紅い瞳は凍り付いたかのように瞬き一つしない。

 

「えっと・・・・」

「訓練禁止」

「え?」

 

 ぼそりと、雫はそう言った。

 

「いや、その・・え?」

「訓練禁止」

 

 久路人の目を見たまま、雫は光の灯っていない眼で再びそう言った。

 

「あの、それは、ちょっと困るというか・・・・」

「・・・あのさ」

 

 雫は、基本的に久路人にはダダ甘だ。

 久路人が元々羽目を外さない性格というのもあって、久路人に怒ることなど年に一回あるかどうかというもの。しかし、年に一回は怒るのだ。そして、雫が久路人に怒る時、それはいつだって本気で久路人に言い聞かせたい時。すなわち・・・

 

「私、体調悪かったら言ってって、いつも言ってるよね!?なんで黙ってるの!?なんでそのまま術技まで使ってるの!?それで久路人に何かあったらどうするの!!!!」

「はい・・・」

 

 久路人のことを本気で心配している時なのだ。

 久路人の身に危険が迫りそうなとき、その時は例え久路人にどう思われることになろうと、雫は本気で怒る。

 

「はい、じゃない!!どうして黙ってたのか聞いてるの!!」

「それは、雫に心配かけたくなかったから・・・・」

「ふざけないで!!心配してくれるのは嬉しいけど、やり方が間違ってる!!私に気を遣うくらいなら、最初から言ってよ!!!久路人に何かある方が、私はずっと嫌なんだからね!!!」

「ごめんなさい・・・・」

 

 ただでさえ、強力な力を秘める久路人は、術を使う度に肉体に負荷をかけている。

 それでも今まで訓練を続けてこれたのは、中学くらいまでは霊力の成長がまだ緩かったことと、久路人の類まれな霊力制御あってこそだ。

 翻って、今ではかつてのころよりもはるかに霊力が増幅し、護符が役に立たないほどにまでなっている。

 そこで、霊力の扱いに異常が出たというのならば、久路人は絶対安静しなければならないということである。ただの運動ですら暴発のきっかけになりかねない・・・・と雫は思っているのだろう。

 

「そういうわけだから、訓練はしばらく禁止!!私は付き合わないし、一人で自主練しようとしたら、ベッドに縛り付けるからね!!!」

「う・・・で、でも!!」

「でももだってもない!!・・・・久路人だって、無理して体壊したら本末転倒だってことくらい、わかるでしょ?」

「それは・・・・」

 

 烈火のごとく怒っていた雫だが、頭の中は冷静だったようだ。怒っていた声音を抑え、諭すように語り掛ける。

 久路人は実に合理的な性格をしており、感情的に威圧するよりも、論理的に理由を説明する方がよほど納得してくれるということを、雫は良く知っている。

 そして、久路人も以前に倒れた経験から、無理をするとよくないことは身に染みて知っていた。

 

「わかったよ・・・・」

「わかればよろしい!!それじゃ、久路人はちょっと休んでて。私はお昼の支度してくるから」

「え?それくらいなら僕も・・・・」

「・・・・・・」

「わ、わかりました・・・」

 

 霊力を使わない調理ぐらいなら動けると、ソファから身を起こそうとした久路人だったが、絶対零度の視線に刺されてすぐに座り込む。滅多に怒らない雫だが、その分怒ると根が深いのだ。

 

「・・・じゃあ、ここで休んでて。動いたら・・・わかってるよね?」

「は、はい・・・・」

 

 それから雫が昼食を運んでくるまで、久路人は大人しくしていたのだった。

 

 

-----------

 

 月宮久路人は、人間の枠を外れつつある。

 

「・・・・・やっと、効いてきた」

 

 月宮家の台所で、雫はそれまでわざと(・・・)しかめていた顔を、ドロリと崩して三日月のように裂けた笑みを浮かべる。

 本当に大変だった。久路人から、霊力の扱いに違和感があると聞いてから、怒っているフリをするのは。

 いや、それは正確ではない。久路人が黙ったまま体を酷使することには本気で怒った。だが、その怒りを押し流してしまうほどの、圧倒的な「喜び」を抑えるのが、本当に、本当に大変だった・・・・!!!

 

「ふふ、ふふふ・・・!!ああ、ダメ、我慢しなきゃ・・・!!!久路人は居間にいるんだし、ここで笑ったらバレちゃうよ・・・・!!!」

 

 なぜ雫がここまで喜んでいるのか?

 それは単純だ。

 

「久路人が、化物(わたし)に近づいてる・・・・!!!」

 

 久路人が、人間ではないモノに、己と同じモノになりつつあるからだ。

 これまで続けてきた仕込みが、実を結ぶのも遠くない。

 

「血の味に違いがないから、効果がないかもって思ってたよ・・・・ふふ、これは嬉しい誤算かな。血は美味しいに越したことないしね」

 

 毎朝の日課で血の味を確認していたが、特に変化が無かったのを、雫は気にしていた。

 

「ああ、量を増やしてよかった!!」

 

--私の決断は間違っていなかった。

 

そう思いながら心の底から嬉しそうな顔をしつつ、雫は怪しまれないためにも昼食の準備をする。とはいっても、昨日の内に久路人とともに料理は作ってある。冷蔵庫から、昨晩から寝かせていたビーフシチューを取り出して、流し台の傍に置く。そして・・・

 

「よっと!!」

 

 流しの中に、白い腕が転がった。

 

 唐突に雫は己の腕を手刀で斬り飛ばしたのだ。

 噴水のように血が噴き出そうとするが、それはすぐに不自然に動きを止める。

 

「おっと、ダメダメ。勿体ない。私の血は・・・」

 

 そこで、雫は片腕で、流しに転がる自分のもう片方の腕を手に取った。

 

「全部、全部、久路人に飲ませるんだからぁ!!!」

 

 

 ブシュッ!!

 

 

 雫が己の腕を握りしめると、果実を搾り取るように、真っ赤な血がジュースとなって滴り落ちる。

 それは、しばらく前とは桁違いの量だった。

 

「本当に、私が水を扱う才能があってよかったよ。これも運命だよね、きっと」

 

 戸棚を空けて、大量に買い込んでおいた香辛料の缶を一つ手に取って開ける。

 「そんなに買うの?」と久路人にいぶかしげな眼で見られたが、ごり押しした甲斐があったというものだ。

 追加された香辛料と、雫の術によって、大量に混ざった血の臭みはあっという間に消え去った。

 味見をしてみたが、これならば気づかれまい。

 

「ふふふ・・・!!朝昼晩、ぜーんぶ、私の血を腕一本分混ぜてるもんね。これなら、もっと、ずっと早く久路人を私のモノにできる・・・・!!そうだ・・・・・!!」

 

 干からびてミイラのようになった腕を元の部位に取り付けつつ、雫は口を開いた。

 繋がれた腕は瞬く間に潤いを取り戻し、切れ目はもはやどこにあったのかもわからなくなった。

 

 

「人間の雌なんかに、久路人を渡すもんですか!!!」

 

 

 それが、雫がここ最近、久路人に飲ませる血の量を増やした原因だった。

 「久路人は自分のモノだ!!」という証を、早くその手に収めたかったのだ。

 

「振られたんなら、いつまでも付き纏うんじゃねぇよ、見苦しい・・・・!!!」

 

 事の始まりは、霧間家からの見合い話は断ったことだ。

 確かに、久路人の意思で見合いは断り、きちんと久路人からのチェックを通ったお断りの手紙も出した。  だが、話はそれで終わらなかった。

 「その気がございましたら、こちらはいつでも場を用意いたします」と、久路人との婚姻を諦めるつもりはないという返事が届いたのだ。しかも、それだけではない。

 

「ウジャウジャウジャウジャ・・・・!!!鬱陶しいんだよ、クソどもがっ!!!」

 

 霧間一族がお見合いの申し出を断られた、というのが広まったのか、他の家からも同じような手紙が届くようになったのだ。どれもこれも、「ぜひウチの娘とあって欲しい」という当主の手紙が同封されており、「神の血」が欲しいという卑しい願いが丸見えであった。それにはさすがの久路人も引き気味だったが。

 

 

--久路人に女が寄ってくるだけでも不愉快なのに、久路人の血しか見ずに、その中身を蔑ろにするだと?よほど死にたいようだな?

 

 

 ポストに入っていたいくつもの封筒を一つ一つ開けて、目に焼き付けるようにして読んだ後、それらを凍らせて粉々にした雫はそう思った。

 

 

--ああでも、恐ろしい。

 

 

 そして、抱いたのは、俗物どもへの怒りだけではない。

 

 

--もしも、もしも久路人が気に入るような女がいたら・・・・

 

 

 写真もすべて確認したが、どれもこれも人間の中では容姿の整った子女ばかりだった。

 霊能者というのは、なぜか美形が多い。一番は霧間朧の妹である霧間八雲だったが、他もアイドルになれるようなレベルだった。久路人も男だ。そんな美人に惹かれて、魔がさすこともあるかもしれない。

 

 

--久路人が、私の傍からいなくなってしまうかもしれない。

 

 

 そう思ったら、雫は自らの腕を切り飛ばしていた。

 一刻も早く、久路人を自分だけが独占したかった。他の女の目に触れさせるのも嫌だった。久路人が他の女に目を向けることにも、胸がズキンと痛んだ。

 そうして、これまで少しづつ少しづつ入れていた血を、大幅に増やしたのだ。

 それでも最初は恐る恐ると様子見していたが、特に急激な悪影響はなさそうだったので、さらに混ぜる量を増した。その成果がやっと出てきたとなれば、喜ばないでいられるわけがない。付け加えるなら、ほんの数年で霊力に異常が出るまで進むほど、自分の血と久路人の相性がいい、ということも誇らしかった。やはり、自分こそが久路人にふさわしいのだ!!と、自信が付くようだった。

 

「でも、ここからはまた気を付けないと・・・霊力に異常があるってバレてるなら、私が犯人って分っちゃうかもしれない」

 

 もう少し、と思って焦る気持ちはある。一気にゴールまでの距離を縮められるなら、飛びついてしまうだろう。だが、そんなショートカットはないのだ。

 それに、久路人はとても合理的な性格をしている。仮に雫の犯行という疑惑があったとしたら、「まさかそんなはずはないだろう」と思うかもしれないが、可能性の一つとして完全にその疑いを捨てることはないだろう。

 

「とりあえず、訓練はしばらく禁止だね。私の霊力が一番感じられるのもその時だろうし、戦わなければそんなに霊力のことは気にならないよね。それになにより危ないし・・・・まあ、危なくしてるのは私のせいなんだけど」

 

 さっきはちょっと言いすぎてしまったかもしれない。

 本来、自分に久路人を叱る資格などないのだが。

 だが、雫が久路人を守るというのは、出会ってから今まで続いてきた契約だ。

 それに、最近の久路人の訓練への熱の入れようは、正直異様だ。それだけ珠乃に襲撃されたときのことがトラウマなのだろうが、少し気に食わないところでもある。

 

「もっと、私を頼ってくれていいのに・・・・」

 

 自分は久路人の護衛だ。

 例え契約がなくなっても、久路人の傍に居座るつもりではあるが、大手を振っていられるのは、護衛という立場があるからだ。それは、久路人と自分を繋ぐ太い鎖の一つだ。そして護衛というからには、頼られる存在でなければならない。

 

「守りあうって約束はした。すごい嬉しかった。でも・・・・」

 

 確かに、久路人とは契約がなくとも守りあうという大事な大事な約束はした。だが、本来ならば久路人を危険にさらすような場面を作ってしまうことは護衛として失格であり、護衛対象に守られるのも同様だ。ならば、そうならないように強くあらねばならない。あの約束を結んだのも、あの時は雫はそこらの蛇と変わらないほどに弱くて、不安だったからだ。護衛どころか逆に久路人に守ってもらう情けない始末だった。

 

「今は、違う。もう、私は大丈夫」

 

 葛城山の事件より、雫は久路人の鮮度の高い血を飲み続け、修行を重ね、封印される前よりもはるかに強くなった自負がある。相性もあるが、今ならば、人質さえなければ陣の中でも珠乃に勝てるだろう。

 そして、ここから先の久路人は、そんな自分に頼らざるを得なくなる。

 

「もう、久路人を危ない目には会わせない!!久路人が霊力を使えない間は、ずっと私が守るんだ!!守って、守り抜いて、全部終わった後に、怒られよう」

 

 目標までの道筋が確かなものになったからこそ、気を引き締める。見えてきたとはいえ、まだ至ってはいないのだから。

 それに、ゴールにたどり着いた後にこそ、久路人と自分の道は始まるのだから。

 例え、そこで久路人に憎まれることになったとしても。

 

「とりあえず、ご飯にしなきゃ・・・・大分待たせてるし、おなか減ってるよね」

 

 温めなおしたビーフシチューは、少し冷めてしまっていた。

 

-----------

 

「ああ、さすがだ!!さすがだよ、京!!」

 

 その日は、新月の夜だった。

 白流市とその隣街との境目。道路から外れた森の中に、ヴェルズは影からにじみ出るように現れた。

 

「すさまじい強度の結界だ!!これを正面から破ろうとするのなら、このボクでも一筋縄ではいかない!!仮に突破できたとしても、確実に気が付かれる!!本当に素晴らしい結界だよ!!」

 

 過去、京とヴェルズには因縁がある。

 ある亡霊が原因で、二人は争うことになったのだが、様々な要因が絡んだ結果、その勝者は京だった。

 ヴェルズにとって京は憎き敵とも言えるのだが、結界を見てその落ちくぼんだ眼を不気味に輝かせる様子からは、そのような印象は受けない。純粋に、目の前にある結界の完成度と、その術者への敬意がそこにはあった。

 

「さすがは、我が宿敵!!ナイトメアを花嫁としただけある!!いやぁ、思い出すなぁ、あの時を!!あれは勿体なかった!!あれだけの規模の悪霊を友達にできたら、今も楽ができただろうに・・・!!!だが、あのときの勝者は京だ!!そして、ナイトメアと京は結ばれた!!ならば、敗者であり、同じく愛する者のいるボクにできるのは、二人を祝福することのみ!!!ああ、おめでとう!!願わくば、その幸福が永遠に続きますよう!!!」

 

 パチパチパチパチ!!!

 

 満面の笑みを浮かべながら、スタンディングオベーションといったように高らかに拍手をするヴェルズ。

 夜の森で、誰も聞くものもいないというのに大声で語り始め、拍手をする様子は、ひたすらに不気味だった。

 

「しかし・・・」

 

 フッと、ヴェルズは唐突に手を止めた。

 突然音が消え去り、森はしばしの間、静寂に包まれる。

 だが、次の瞬間、その静寂は再び破られた。

 

「しかし!!しかし!!しかぁあしぃぃいいいいい!!!!敗者はいつまでも敗者というわけではない!!何度負けようと、諦めずに何度でも挑む者に、勝利の女神は微笑む!!!ああ、そうだ!!ボクは確かにキミに負けた!!だが、負けっぱなしじゃ終わらない!!ボクは、月宮京!!キミにぃぃ!!新たな挑戦状を送ろう!!!」

 

 そのピエロが着るようなタキシードをはためかせながら、頬まで裂けるかのような狂笑を浮かべながら、唾を飛ばし、高らかに告げる。

 

「キミが守っている、神の子!!その子の持つ力を、ボクがいただく!!大事に匿っている子だ!!その子を手にいれれば、ボクの勝ちといってもいいだろう!!ああ、そうだ!!必ず!!ボクはあの力を奪って見せようじゃないか!!!」

 

 神の血を宿す子。だから、神の子。

 その身が宿す力は、世界の理に通じる鍵。

 世界の理を手にすれば、それはあらゆる願いを叶えられることと同義。

 例え、禁忌と呼べる願いであったとしても。

 そのために、ヴェルズは必ず神の子を今すぐにでも手にすると・・・・

 

「だが、今じゃない」

 

 ・・・誓わなかった。

 

「神の力!!ああ、あの力は強大だ!!世界そのものを壊しかねない力!!世界の理を覆す力!!ああ、欲しい!!欲しいさ!!欲しいとも!!だが!!!」

 

 ヴェルズは、どす黒い血の涙を流しながら、慟哭する。

 

「ああ!!なんということだ!!あの力は強すぎる!!とてもボクの手には負えない!!ああ、なんということだ!!これじゃあボクのささやかな、誰もが望むような慎ましい願いは叶わない!!!」

 

 神の力は強力すぎる。

 それこそ、その持ち主すら傷つけるほどに。

 そのような力を、他者に十全に扱えるはずもない。

 ヴェルズは、その願いを諦めるしか・・・・

 

「だが、前例がある!!!」

 

 ・・・諦めるわけがなかった。

 七賢という異能者のトップから抜け出して、ごろつきの集まり同然の旅団に流れ着いてでも叶えようとした願い。

 人の身を捨て、不浄なアンデッドと化しても捨てきれない望み。

 否、それはもはや望みではなく執着だ。

 まさしく憑りつかれたかのように、ヴェルズは止まらない。

 

「あの力は、原油のようだ!!原油と違って純粋だけれども、粗削りだ!!使うのに、最適化されてない!!ああ、京とも違う!!京は肉の身体を捨てて合わせに行ったが、そのやり方は、彼には使えない!!力の質そのものを変える必要があるんだ!!そして、その前例をボクは知っている!!それに必要なモノも知っている!!!」

 

 寿命亡きモノとして、現世と常世を彷徨ったからこそ、ヴェルズは多くの秘儀を、怪物を、奇跡を目にしてきた。故に、自分の求めるモノへの道筋も見えていた。

 

「蛇だ!!あの蛇の少女も必要だ!!あの二人は、つがい!!魂が繋がれた、引き裂くことの叶わぬ運命の相手!!二人を揃えねば、意味がない!!それこそが、ボクの求める力への、唯一の道!!!」

 

 久路人と雫。

 ヴェルズの狙いは、どちらか片方ではない。

 二人を揃え、誰にも引き裂かれないように雁字搦めに縛り付けてこそ、彼の求めるモノが手に入る。

 しかし、だ。

 

「さあ!!ここで振出しに戻るわけだ!!考えよう!!考えるんだ、ボク!!どうすればいい!?どうすれば、ボクはこの壁を越えて、二人を結びつけることができるんだ!!?」

 

 そして、結局は目の前にある結界に話は戻る。

 七賢第三位の京の張った術具を介した結界は、容易に打ち破ることは敵わない。こっそりとすり抜けることも、同様に不可能だ。

 

「ああ、どうしよう!!どうしたら!!どうすればいいんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!おお!?」

 

 そこで、ヴェルズはハタと気づいた、と言うように、まじまじと結界を見つめた。

 

「おお、おお!!おおおおお!!?神よ!!ああ、神よ!!!感謝します!!!あなたの与えた力に!!!ああ、そうだ!!月宮京!!!キミは素晴らしい術具師だ!!だが、相手が悪い!!!キミが匿おうとしているのは、人の手に負えぬ神の子だ!!!ああいや、キミが人間を捨て去っているのは知っている!!!

ならば、人外の手にも負えぬと言うべきか!?まあいいさ!!ともかくともかく!!!結界に閉じ込めるには、あの力は強すぎる!!!細かな細かな、小さな小さな穴が、ところどころに開いているじゃあないか!!!!!」

 

 久路人の持つ力は、日々成長している。

 最初は、護符で抑えることができた。

 しかし、ある時期から護符では足らず、大きな結界で覆わなくてはならなくなった。

 またある時期からは、さらに大きな結界で。そうして今では、街一つを包む、地脈の力を引き出した大結界でなければ対応できなくなっていた。いや、それは正しくない。

 今や、それほどの檻ですら、足りなくなっていた。

 

「あの蛇の少女が平気なのは、彼女もまた染まりつつあるからか!!?だが、今は置いておこう!!重要なのは、目の前に壁に穴がいくつもあることだが・・・・・ああ、とてもじゃあないが、小さすぎる!!!」

 

 京の張った結界は、大きく分けて、登録した妖怪以外の人外や穴を抑える効果と、妖怪であれ人であれ、異能が外から侵入するのを防ぐ効果、そして中からの神の力の漏洩を塞ぐ効果の計3つの役割を持っている。

 他にも中に穴から侵入してきた連中の探知を行う機能や、その除去用に傀儡を送る機能もあったりするが、大抵妖怪や穴は久路人の前で開くために、彼らによってどうにかされている。

 そして、それだけの効果を広範囲に発揮できているのには、久路人の力や、一級の霊地である白流市の地脈を使っている以外の理由がある。

 

「ああ、もどかしい!!!欲しいものがあるのに、届かない!!ああ、届かないとも!!ああ、このボクでは!!!」

 

 ヴェルズが髑髏がいくつも取り付けられた杖を振るうと、周りの木々がざわついた。

 そして・・・・

 

「だが!!!だが!!!だがぁぁあああ!!!!彼らならば問題ない!!!」

 

 

--ブブブブブブブブブブブブブ・・・・・・!!!!

 

 

 蠢動。

 

 まさしく、蠢動であった。

 ヴェルズの背後に、赤黒い粒のようなものが無数に現れる。

 それはまるで、紅い霧にようだったが、そうではない。

 「それら」は蠢いていた。

 

「この国には、素晴らしい諺がある!!!『一寸の虫にも五分の魂』!!!素晴らしい!ああそうだ!!彼らにも、魂がある!!!」

 

 神の子という特大の地雷を抱えながらも、街を覆うたった一人の術者によって張られた結界が機能し続ける理由。

 それは、締め出すものを大きな的に絞っているからだ。

 

「ああ、そうだ!!しょうがない!!!いくらキミでも、神の子を完全に抑え込むのは不可能だ!!!どうしてもザルになる!!!小さなもの相手にまで気にしすぎていたら、維持できない!!そして、そんな小さな穴では、普通の妖怪も異能者も、入ることなどできやしない!!!けど!!彼らならどうだ!!!」

 

 紅い霧が、街を包むように薄く広く広がっていく。

 それは、暑い今の時期ならば日本のどこにでもいる生き物だった。いや、それは間違いだ。蠢くそれらは、すべてもう死んでいるのだから。

 

「ああそういえば!!諺だけじゃない!!こんな現象もあるらしいじゃないか!!そう!!えっと、なんだったかな!!!そうだ・・・」

 

 ヴェルズの前で、いくつもの『蚊柱』が散らばっていく。

 

「そう!!蚊柱だ!!その一匹一匹が、ボクの支配下にある蚊の死骸!!名付けて『死紋蚊(デス・ピラー)』!!!中々便利な術だろう!?霊力はわずか!!見た目もそこらの蚊と変わらない!!!ああ、それになによりだ!!!それだけじゃあない!!」

 

 そう、紅い霧の正体は、すべて蚊の死骸が集まったものだったのだ。

 そして、旅団の幹部であるヴェルズの死霊術が、ただの蚊の死骸をあやつるだけで終わるはずもない。

 むしろ、蚊の死骸など、この術の表層でしかない。その真価は・・・・

 

「来てくれ!!カレル!!カレン!!」

 

 ヴェルズが、誰かの名前を叫んだ。

 

「はっ!!お呼びでしょうか」

「なんなりとご命令を、ヴェルズ様」

 

 蚊柱が集い、二つの男女の生首が、ヴェルズのすぐ傍に浮かぶ。

 その顔は整った北欧系のようだったが、大きく突き出た八重歯が特徴的だった。

 

「そう畏まらないでくれ!!!ボクと君たちは友達・・・・いや!!ボクの子供のようなものなんだから!!そして、ここに君たちを呼んだのは他でもない!!!お願いしたいことがあるからさ!!!」

「「はっ!!」」

 

 首しかないものの、二人は45℃に自身を傾けて、己の創造主の命を聞く構えを取った。

 

「君たちは、これからこの壁の向こうに行って、ある蛇の妖怪を襲って欲しいんだ!!!一緒にいる男の子は無視していい!!いや、そっちは絶対に殺しちゃダメだ!!!逆に言うと、殺さなければ何をしてもいい!!!殺さなければ反撃してくれていい!!!」

「「承知いたしました!!!」」

 

 そして、二人はその身を再び蚊へと変えて主の命を遂行しようと・・・・

 

「話は最期まで聞けよ!!!このグズどもがああああああああああああああああああ!!!!!!!」

「「ガフッ!?」」

 

 宙に現れた黒い鎖が、散らばろうとした首を無理矢理に固める。

 

「この!!!グズがっ!!!グズがっ!!!グズっ!!!グズグズグズグズグズグズグズグズグズグズグズグズ!!!!!!!!!親不孝者がぁぁあああああああっ!!!!!!!」

 

 ヴェルズは、鎖を滅茶苦茶に振り回す。

 まるでハンマー投げで放り投げられるハンマーのように、二人の生首は引っ張られ、そこかしこに叩きつけられる。

 

「フゥーッ!!!フゥーッ!!フゥーッ・・・・・・・ああ、済まないね!!!取り乱してしまった!!!もう、ダメだよ!!?人の話は最後まで聞かなきゃさ!!」

「「も、申し訳ありませんでした・・・・」」

 

 やがて散々首を痛めつけて気が済んだのか、それまでの鬼気迫る様子が嘘のように、ヴェルズは朗らかに笑いかける。二つの首は、息も絶え絶えになりながらも、返事を返した。

 

「うん!!謝れるのはいいことだ!!!親として鼻が高い!!!さて、それじゃあ、気を取り直してやってもらいたいことを言うよ!?まず、蛇の妖怪を襲うこと!!一緒にいる男の子は殺さなければ何をしてもいいこと!!そして最後に、一番大事なことなんだけど・・・・・」

 

 

--『血の盟約』について、二人に教えてあげて欲しんだ!!!

 

 

-----------

 

「フフフフフフ!!!!」

 

 二つの生首が蚊へと変わって、飛び去った後。

 暗い森の中で、ヴェルズは笑っていた。

 

「さて!!あの子たちはやられちゃうだろうけど、それは仕方ないかな!!子は親のために尽くすもの!!このボクのために滅びることができるんだから、本望ってヤツだよね!!」

 

 造物主でありながら、いや、だからこそ、ヴェルズは自身の作品が壊れることを何とも思わない。

 

「あの程度なら、また何度でも材料があれば作れるしね!!ああ、不安だなぁ!!!あのグズども、ちゃんと血の盟約について伝えられるかなぁ!!!」

 

 何度でも作れる。

 だから、その一つ一つに愛着などない。

 

「ああ!!心配だ・・・・・・ん!?」

 

 自らが子とさえ呼んだ作品ではなく、自らの目的が達成されるかを不安に思うように呟いていたヴェルズは、後ろを振り向いた。

 

「おやおや!!君たちも来ていたんだね!!いやあ!!見て見なよ!!この結界!!君たちも見覚えがあるだろう!?」

「「・・・・・・」」

 

 そこにいたのは、狐のようなナニカだった。

 美しい女の首と男の首が縫い付けられたかのように二つついている。

 その9本ある尻尾のようなものは、すべて人間の腕だった。

 

「フフフフ!!!いやあ!!君たちは本当に強いねぇ!!!さっきのグズどもとは大違いだ!!!まだ意思が残っているだなんて!!!でも、残念!!君たちの出番はまだまだ先さ!!!君たちにとって因縁のある相手だろうけど、まだまだダメさ!!!お預けさ!!!」

 

 狐、かつて久路人たちと戦った珠乃と、その夫である晴は憎々し気にヴェルズを睨むが、それを意に介した様子もなくヴェルズは喋り続ける。

 

「さあ!!!月宮京!!そして、かつてのナイトメアよ!!!今夜から始まるのは、前哨戦だ!!!君たちに挑むための前座!!!だけど、手は抜かないぜ!!!ボクは、ボクの目的のために必ず成功させて見せるとも!!!!」

 

 ヴェルズは、高らかにステッキを振り上げた。

 

「すべては!!!我が愛しき妻のために!!!」

 

 そんなヴェルズに、狐の身体に縛られた二つの首は恨みがましい視線を向けることしかできなかった。

 




モチベアップのために!!仕事の合間を縫って執筆するボクを応援してほしい!!
・・・・とヴェルズが言ってます。いや、まじでモチベーション上げのために評価と感想を下さい!!

なぜかヴェルズ書こうとすると文章量がクソ伸びる不思議。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

現在編3

なんか、タイトルって大事なんだなと思った一週間でした・・・・久々に総合ランキング50位内に入りました。
お気に入り、評価くれた方、そして読んでくれた方。誠にありがとうございます!!



 それは、とある死霊術師が部下を送り込むよりも前の事だった。

 

 霧深い谷に建てられた大きな日本家屋。

 その一室にて、椅子に座った一人の少女は手紙を読みながら呟いた。

 

「お断り、ですか・・・・」

 

 大和撫子という言葉を体現するかのような少女であった。

 精巧な人形のように整った顔立ちに、濡れた烏のように黒く、長い黒髪は首の後ろで一つに束ねられている。

 年の頃は十代後半だろうか。起伏にとんだ体つきをしているが、よくよく見ればその体はしっかりと鍛えられ、女性らしいしなやかな筋肉に包まれているのが分かる。

 その身にまとう雰囲気も大人びていて、落ち着いており、手紙を読みながらため息をつく姿すらどこか気品を感じさせた。

 

「しかし、残念というか、少し悔しいですね」

 

 少女は手紙を畳むと、近くの机の上に放り投げ、もう一度ため息をついた。

 放り投げられた手紙には、『お見合いにつきまして、大変魅力的な申し出ではございますが、一身上の都合によりお断りいたします』といった旨が書かれていた。要するに、少女は振られたのである。

 

「これでも見た目には自信があったのですが」

 

 少女の言葉は決して自信過剰ではない。

 少女の見た目ならば、間違いなく世界的なトップアイドルを狙えるだろう。通っていた学校は上流階級の子息たちが集う由緒正しい学び舎であったが、中学、高校ともに告白された数は百から先を数えていない。

 彼女から「お付き合いしていただけませんか?」と言われて頷かない男など、そうはいないだろう。

 だが、その「そうはいないだろう」男が現れたのだ。断るからには、必ず理由がある。そして、少女はその理由に心当たりがあった。

 

「警戒されているのでしょうか?あの力を見た後の申し出となれば、その裏を疑いはするでしょうし」

 

 お見合いの申し出であったが、そこには打算しかないからだ。

 まあ、時期的にも透けて見えるその目論見を見破られたのだろうと少女は考えた。

 

「しかし、諦めるわけにはいきません」

 

 そこで、少女は唐突に立ち上がり、美しい顔を憎悪に歪めた。

 その憎々し気な視線は、窓の外に向けられている。その方向には、彼女が敬愛する兄と、その兄を誑かし、一族を蹂躙したおぞましい血吸いの化物が住んでいる館がある。

 

「霧間として、私自身のために・・・・何より兄さんために・・・・!!!」

 

 少女の名は、霧間八雲。

 古くから日本で人々を守るために人外と戦い続けてきた一族の直系である。

 霧間家現当主である霧間朧の妹であり、霧間一族として学業と並行して日夜人外退治と稽古に明け暮れ、「兄とともにこの国の人々を妖怪から守るのだ!!」と信じて戦い続けてきた。

・・・・数年前までは。

 

「あの売女がぁっ!!兄さんを洗脳するだけでは飽き足らず、この霧間谷に土足で踏み入って居座るなどっ!!兄さんに父を、母を、私を斬らせるなどっ!!絶対に許すものですかぁっ!!!」

 

 八雲の兄である朧は霧間一族として、というよりも人間としてはかなり珍しいことに妖怪に対して嫌悪感を持っていなかったが、それでも人々が妖怪に襲われるようなことを黙って見過ごすような性格でもなく、八雲と同じように人外と戦い続けてきた。

 そして数年前、「学会」の七賢三位が支配する地を除いて国内のほとんどの場所を巡って妖怪を斬り伏せた朧は修行として海外に出ていったのだ。八雲は寡黙ではあるが強く、優しい兄によく懐いており、人外との融和を推し進めた学会の勢力圏に兄が行くことを不安にも思ったが・・・

『兄さんなら、どんな妖怪にも負けませんよねっ!!』

 と信じて涙を呑んで送り出したのだ。

 だが・・・・

 

『・・・唐突ですが、こちらが自分の嫁のリリスです』

『リリス・ロズレットよ!!よろしくね!!』

 

 帰ってきた兄は、汚らわしい吸血鬼の下僕と化していた。

 あろうことか、吸血鬼などという人にあだなす怪物の中でも最上位の人外を霧間当主の嫁として迎えると言い放ったのだ。

 

『何を言ってるんですか!!兄さん!!目を覚ましてください!!』

 

 当然、八雲は反対した。父も、母も、一族の全員が猛反対した。

 そして・・・・

 

『お前がっ!!お前がァっ!!兄さんを元に戻せぇぇぇぇええええええっ!!!!』

 

 八雲は敬愛する兄を人外へと変えた吸血鬼を討ち取ろうとした。

 元凶を倒せばすべて元通りになると思い込み、己を信じ込ませ、刀を振るい・・・・

 

『・・・自分の嫁だと言った筈だ、愚妹』

『え?』

 

 気づけば、八雲の腰から下がなくなっていた。

 兄の手には、血を固めて拵えたような大太刀が握られており、下半身を失って上半身ごと落ちていきながら、あの刀が自分を斬ったのだと理解した。

 

『・・・ええと、いいの?朧?アンタの妹なんでしょ?』

『・・・嫁を紹介した瞬間に斬りかかってくる狂人など、恥でしかない。昔からやたらと血の気の多い一族だと思っていたが、ここまでとはな』

 

 その後に行われたのは、虐殺だった。

 父も、母も、みんな狂った兄によって斬られた。

 

『・・・これで、自分たちの邪魔をするものはいなくなった』

『アタシ、とんでもない人のお嫁さんになっちゃったかも・・・でも!!アタシのためにここまでやってくれるなんて、アタシは嬉しいよっ!!オボロっ!!』

 

 そして、八雲も含めた家族が血まみれで転がる中、吸血鬼とその下僕は返り血で真っ赤に染まりながら口付けを交わし、血と同じ色の宝石が嵌った指輪を交換した。その光景を、八雲は見ていることしかできなかった。失血で意識がもうろうとしながらも、八雲は目に焼き付けた。

 

『必ず、必ずっ!!必ず殺してやるぞ吸血鬼っ!!!』

 

 そう、心に誓ったのだ。

 

『すいませーん、ちょっとホムンクルス作りたいんで余ってる内臓とかないですか・・・うおっ!内臓!?っていうか何があった!?』

 

 そこにたまたま現れた通りすがりの七賢三位の月宮京、通称「巨匠」によってその場にいた者たちは全員助かったが、心に刻まれた傷は今も疼いている。

 

「今回のことを考えれば、あの巨匠も一枚かんでいたということもありえるかもしれませんね・・・亡霊用に霊能者の肉体を部品にした人形を作るなどという、狂人ですし」

 

 あの時巨匠が現れたタイミングが良すぎる。もしかしたら、初めからあの吸血鬼と組んで日本有数の名家である霧間家を乗っ取ろうとしているのかもしれない・・と八雲は考えていた。そして、今回の見合いが断られたのも、巨匠の策がまだ熟しておらず、期が来るまで待っているのではないか?とも。

 なお、京があの場にきたのはパーツ集めのためであり、まったくの偶然であり、血まみれで指輪交換する朧たちを見て、『なんだこのヤベーやつら・・・』と自分のことを棚に上げてドン引きしていた。

 

「あの力を持っている月宮久路人という方も、巨匠の庇護下にあるようですし。ですが、それ故に引き抜くことができればあの吸血鬼と巨匠両方の痛手となる」

 

 人外を倒し続けてきた霧間家、月宮家を始めとする日本の霊能者の名家と、人外との融和を進めた学会の折り合いは悪い。八雲もまた、兄が日本にいる時から学会に良い印象は持っておらず、件の吸血鬼が七賢五位ということもあり、兄が帰ってきてからのイメージは最悪となった。ひいては、巨匠に対する信頼も皆無に等しい。

 

「しかし・・・」

 

 そこで、八雲は改めて手紙の方を見て憐れむような目をした。

 月宮久路人という青年の情報についても下調べはもちろんしてあり、その事情も知っているからだ。とはいっても、数年前の修学旅行の時まで、詳しい情報は判明していなかったのだが。

 

「なんと可哀そうに。生まれた時からその力ゆえに学会の手の者に囚われ、さらには蛇の妖怪と契約を結ばされた上に監視を付けられるとは」

 

 聞けば、例の蛇の妖怪は一日のほとんどを青年に付き纏っているという。就寝中は当たり前。風呂やトイレの時まで虎視眈々と狙うような目をしていて、青年の下着を収集してるという冗談のような噂まである。自分だったら発狂しているだろう。

 

「まったく気色悪いっ!!人外ごときが、人間を情夫扱いするなどっ!!」

 

 間違いなく、月宮久路人という青年は兄と同様に学会によって洗脳されており、妖怪との共存などという絵空事を信じ込まされているに違いない。それは許されざることだ。ましてや、この世の人外すべてを滅ぼしうる力の持ち主なのだ。なんとしても救い出さねばならない。

 

「待っていてください、月宮さん。兄さんを元に戻すためでもありますが、貴方のことも私が救って見せます」

 

 月宮久路人に返事を書くために紙と筆の準備をしつつ、八雲はそう決意するのだった。

 

 

-----------

 

「いただきます」

「いただきまーす!!」

 

 白流市のとある大学の食堂にて、久路人は壁際の一か所のスペースを残して座り、雫は久路人の確保した席に座り込んだ。

 そんな二人の前にあるのは、二つの弁当箱である。二人が弁当箱を開けると、中身は唐揚げ弁当であった。

 

「うーん・・・」

「どうしたの、久路人?」

 

 雫の方は食堂にある箸でひょいひょいと唐揚げを口に放り込んでいるが、久路人は箸で唐揚げを摘まんだまま不思議そうな顔をしていた。

 

「いやさ?なんかこの唐揚げ、色がなんか変じゃない?赤っぽいっていうか」

「・・・そんなことないよ。こういう唐揚げも売ってたりしてるじゃん?」

「そうかなぁ?まあ、確かに赤っぽくなることもあるけど」

 

 疑問に思いつつも空腹だったのか、久路人も唐揚げを食べ始めた。それを見て、雫は内心息を吐いていた。

 

(なんとかバレずに済んだか・・・付け置きと衣に血を混ぜたのは気付かれなかったみたいだね)

 

 ここのところ、久路人の食事は朝昼晩すべて雫の血がふんだんに混ざったものになっている。

 大学に通い始めの頃は二人とも学食を食べるようにしていたのだが、お見合いの後から雫が「よく考えたら、学食ってコスパあんまりよくなくない?お弁当の方が節約できるよね?」とか「今の内からお金は大事にしておいた方がいいと思うけどな~」と上手いことを言って久路人を説得したのだ。

 それからも、「どうやったら汁物を使わずに血を大量に混ぜ込めるか?」ということを追求し、前日から漬け込みをしたり、衣を纏わせるような料理が作ることを思いついた。その結果、味噌汁やカレーが使える朝晩をよりも量は少し劣るが、自分の血を摂取させることに成功している。

 

「うん、僕が揚げておいてなんだけど、結構おいしいね」

「久路人、火加減とか調整するの上手いもんね」

「そうなんだよ。なんとなくわかるんだよね」

 

 とはいえ、そんなことはおくびにも出さずに雫は食事を続ける。

 久路人も普段通りの雫との会話に何の疑惑も抱かないようで、食べる前に感じていた唐揚げの違和感も忘れているようだった。

 

「・・・・・」

 

 久路人が寝ている内に雫の血をしみ込ませた鶏肉を、これまた血を混ぜ込んだ衣に包んで久路人が揚げた唐揚げが、久路人の口に入ってかみ砕かれ、ごくりと音を立てて飲み込まれて内臓に流れ込み、消化されて久路人の中に取り込まれていく。

 

「・・・・・」

「雫?どうかした?」

「えっ!?あ、ううん!!なんでもないよ!!」

「そう?」

 

 じっと久路人が食事をしているところを見ていたのを疑問に思ったのか、久路人が雫に問いかけるも、雫は受け流して食事に集中した。

 

(・・・ちょっとムラムラしてきちゃった。まあ、朝ほどじゃないし、家に帰るまで我慢我慢)

 

 弁当の難点といえば、やはり雫が真昼間から自分の体液が取り込まれているのを見てしまうことか。

 大学の場合、緊急手段としてトイレで致すことも何度かあるが、その間は護衛がいなくなってしまうため、できる限り我慢するようにしている。ちなみに久路人がトイレの時は、幻術「五里霧中」を使ってギリギリのところまで男子トイレ内に陣取り、雫がトイレの時は女子トイレ入口近くに同様の手段で久路人が待機している。初めの頃は「もうちょっと近くまで入ってきてもいいんだよ?」と雫も言ったが久路人が固辞したために入口で妥協したのだが、それが功を奏した。

 

(声は抑えてるけど、聞かれっちゃったらマズいし・・・・そういうのはきちんと全部終わった後に焦らしプレイの一環としてじゃなきゃね!!)

 

 自分と久路人が結ばれた後に、抑えた喘ぎ声を聞いた久路人が劣情を我慢できずにそのまま個室を蹴り破って無理やり・・・などというシチュエーションですでに数回は致している雫である。いついかなる時に久路人が襲い掛かってきてもいいように、ありとあらゆる状況を想定済みだ。

 と、そのように二人が食事を採っていた時だ。

 

「あ、月宮君じゃん」

「久しぶり~」

 

 久路人が座る席の向かい側に、二人の男子生徒がやってきた。

 

「野間琉君に毛部君」

(こいつらか・・・まあ、放っておいてもいいか)

 

 よいしょ、と対面の椅子を引いて持っていたトレイを置く二人は、高校の頃のクラスメイトだった野間琉君と毛部君だ。久路人とはそこそこ交流があり、異能のことは知らないが数少ない友人と言ってもいいだろう。影が薄いことを悩んでいるが、気配に敏感な久路人はしっかりと認識できるため、よく話すようになったという経緯がある。

 

「本当に久しぶりだね。学部が違うからしょうがないけど」

「そうだな、俺らは文系だしな」

「棟も離れてるし、食堂に来なきゃ会わないだろうし」

 

 大学の同じ学部の生徒とはあまり話さない久路人にとって、久しぶりの大学内での会話である。なお、毛部君と野間琉君も認識のされずらさからお互い以外の友達はいない。

 

「あれ?月宮君、弁当だっけ?」

「前来た時は学食じゃなかったか?」

「あはは・・・僕ちょっと諸事情あってバイトできなくてさ。節約のためだよ」

「ふーん・・・でも、自分の弁当を作ってこれるのもすごいと思うぞ」

「そうそう。俺らなんて毎日学食だし」

(久路人もバイトやったことあるよね?)

(あれは、普通のバイトとは違うと思うなぁ・・・)

 

 妖怪に襲われやすい久路人にとって、ある程度の時間を拘束されるバイトは難しい。とはいっても経験のために内職系のバイトに何回か手を付けたことはある。あまり他人と接点を作りすぎるのもよくないため、短期的なものばかりを選んでいるが。

 

「それにしても、なんか懐かしいよな、こういうの」

「高校の頃も昼には集まって飯食ってたもんな」

「そうだね。池目君と伴侍君は大学で分かれちゃったからな・・・・」

 

 中学の頃から付き合いのあった友人には池目君と伴侍君がいたが、二人は都会の大学に行ってしまった。高校の卒業式の後には彼らも交えて近所の焼き肉屋で食べ放題を食べたことを思い出す。「元気でな!!」「変な女には気を付けろよな!!」と笑っていたものだ。

(私がいる限り、変な女なんて寄せ付けないからね!!でも、あんたたちは久路人によくしてくれたからお礼ぐらいは言ってあげる!!)と雫も一応言うぐらいには久路人と仲の良かった二人である。彼らの事だから今頃大学生活をエンジョイしているだろうが、元気だといいなと久路人は思った。

 

「そういや、田戸たちとも別れちまったよな」

「そうだな。えっと、あいつらはどこの大学に行ったんだっけ?」

「うーんと、確か聖バビロン大学とかいうミッション系の大学だった気がするよ」

 

 高校生の頃に交流があった中には田戸、近野、二浦、林村もいたのだが、あの4人とその他の学生たちは同じ大学に進んでいったようだった。「大学でも迫真空手やりますよ~やるやる!!」と言っていたが、元気だろうか?睡眠薬を飲まされたり、先輩に襲われるようなことがなければいいのだが。

 

「あ、月宮君。ちょっと聞いたんだけどさ」

「ん?何?」

 

 そこで、野間琉君が久路人にふと思いついたように声をかけた。

 

「お前、最近また変な目に遭ったりしてないか?」

「え?」

「いやさ?俺らも詳しく聞いたわけじゃないけど、月宮君の周りでなんか物が壊れたりとかなんか起きてるって聞いたからさ」

「あはは・・いや、そんなことないよ。昔みたいにしつこい人が絡んでくることもないし」

「そうか?まあ、高校の頃は池目たちのこともあったからな・・・・」

「まあ、なんかあったら言いなよ?相談くらいは乗るからさ」

「うん、ありがとう」

(・・・・・)

 

 大学に入ってからも久路人の力は伸び続け、抑えつけることが難しくなっている。その影響で小規模の穴が空くことが毎日のように起きており、そこから飛び出してきた雑魚の対処で少し騒ぎが起こっているようである。幸いにしてこの街は京によって、多くの人々が持つ霊力を利用した「忘却界」とは異なる結界で管理されていることもあってか、久路人以外の霊能者が発生することもなく、それらを認識できている者はいない。さらに、大学生になったことでグループ実習の時間が減ったこと、イケメンの二人が傍からいなくなったこともあり、中学や高校の時のように悪い意味で久路人に関わろうとする人間はいなかった。それは久路人にとっては都合のいいことではあったが・・・

 

(なんか、久しぶりだな。こういう会話)

 

 だからだろう。こんな何気ない男友達の会話というものが、とても懐かしく感じられた。それは、久路人にとっても悪い気がするものではなかった。

 

(・・・・・久路人)

 

 そこに、やや冷ややかな眼をした雫が声をかける。

 

(ああ、分かってるよ)

 

 そんな雫に、久路人も小声で答えた。

 

(今の僕と関わっても、いいことはないだろうからね)

 

 この会話は心地のいいものではあったが、今の久路人は穴を誘発する力が強い。あまり関わりの深い人間を作るのはお互いのためにならないということを、久路人はよくわかっていた。

 まあ、雫としては二人だけの空間に邪魔者をこれ以上いれたくないという理由が大きいのだが。

 

「それじゃ・・・」

 

 そう言って、久路人が空になった弁当箱を片付けようとした時だ。

 

「あ、月宮君、もう一つ!!」

「ん?」

 

 今度は、毛部君の方が声をかけてきた。

 

「実はなんだけどさ、今日声をかけたのはもう一つ理由があるんだ」

「そうそう。よかったら月宮君もどうかなって・・・仲間が欲しいっていうのもあってさ」

「?」

 

 野間琉君も加わり、何やらウキウキとした様子で話しかけてきた。

 こんな様子は珍しい。高校の頃には一度も見たことがない反応である。

 

「実は、俺たち、合コンに誘われたんだ!!」

「えっ!?マジで!?」

 

 久路人はかなり本気で驚いた。

 言っちゃあ悪いがこの二人、かなり存在感がない。気配に敏い久路人だからこそ気付けているところもある。そんな二人が誘われるとは・・・

 

(・・・・・・)

 

 何やら不穏な話の流れを感じたのか、雫が眉をしかめた。

 心なしか、辺りの気温が下がる。

 

「マジマジ!!俺ら、大学でもパルクール部作ったんだけどさ、結局俺たちしか部員がいなくて・・・」

「それで活動するのも面倒だけど、せっかくだから家に帰る時に森の中をパルクールして帰るようにしてたんだけど・・・・」

「そしたら映画研究部が撮ってた動画に偶々俺たちの動きが映ってたみたいでさ!!」

「『スタントマンやってみない?』って話になって、今度打ち合わせすることになったんだよ」

「映画研究部はなんか知らないけど女が多くてさ。せっかくだから合コンやらないかってことになったわけ」

「なるほど・・・・」

 

 この二人、影は薄いが身体能力はかなりのものがある。久路人は特別な訓練を積んでいるが、この二人は恐らく完全なセンスによるものだ。その俊敏さから生まれる時代が違っていれば伝説の忍者として名前を残して・・・いや、やっぱり気付かれないかもしれない。

 

「それで、なんだけど」

「月宮君も来ない?」

「えっ!?」

(・・・・・・・)

 

 その瞬間、テーブルの上に置かれていたコップの中身が凍った。

 

「月宮君も、噂だと彼女いないんだよね?」

「俺らも呼べるなら他に男子呼んでもいいって言われててさ」

(・・・・・久路人?)

 

 タラリと、久路人の首筋に冷や汗が伝った。

 

(な、なんかデジャブだ。ほんのつい最近こんな空気になったばっかだよ!!)

 

 つい先日、自分も成人する前にお見合いを申し込まれたばかりである。というか、現在進行形で申し込まれ続けている最中だ。そういうこともあって、雫の機嫌が一気に最低値になった。そして、久路人はその解決法を知っているし、初めから答えは決まっている。

 

「ご、ごめん。すっごい嬉しいんだけど・・・・最近家が忙しくてさ」

「あ、そっか・・・・」

「無理にってわけじゃないから、気にしないで」

((やっぱりまだ月宮君は、『そっち側』なのか・・・・))

 

 この二人、実は修学旅行の時から久路人にそっちの趣味があると誤解していたりする。久しぶりに会ったのもあって、あれから変わったのかを確認する意味もあったのだが、どうやら確定のようだ・・・と二人の誤解が益々強くなったが、久路人が知る由はない。

 

(あれ、そういえばこの二人はお互いのことが・・・・冗談だったのか?それともブラフか?もしや、合コンというのは建前で、僕を誘おうと?考えすぎか?)

 

 久路人もこの二人がそういう仲だと思っていたのだが、そちらの誤解も絶賛迷走中だ。

 

「あ、あはは・・・ごめんな、変な話しちゃって」

「いや、気にしないでよ・・・僕こそごめんね?」

「そっちも気にしすぎないでいいよ?」

 

 そして、なぜかテーブルが気まずい空気になった。立ち去ろうとしていた久路人だが、これでは逆に離れにくい。

 

「そ、そういえばさ!!二人は合コンに行くんだから、好きなタイプは決まってるの?」

 

 それは、久路人からの苦し紛れの話題逸らしだった。

 本当に、大した意図もない、場つなぎのための言葉であった。

 

「えっ!?いや、俺らは決まってないけど・・・・」

「会ってからよさげな子がいればなって・・・・」

「そうなんだ」

「・・・・なんか懐かしいな。修学旅行の時もこんな話になったな」

 

 意図したわけはないが、思わぬ方向に話が転がった。気まずい空気がなくなり、話せる話題が降ってきたのだ。

 

「そういやそうだな」

「あ、あのときか」

(・・・・!!)

 

 過去に一度、同じような会話になった時がある。

 修学旅行の旅館の一室で、久路人の好みの話になったことがあった。雫が地味にショックを受けた時でもある。

 

「月宮君の好みは、あれから変わった?」

「確か、清楚で、ロングで、かわいいより美人で、巨乳だっけ?」

((・・・・・月宮君が嘘をついていなければな))

 

 せっかくここまで来たので、自らの安全のためにも久路人の好みをここではっきりさせた方がいいだろうと考えた二人は、もう一度鎌をかけてみることにした。

 二人からしてみれば、あの時は冗談の雰囲気で流れたので、うまくかわせればよし。マジなようならば今後は少しづつフェードアウトするか、早く彼女を作ってノンケアピールするという方針決めにしようという軽い程度の・・・・いや、かなり重要な質問だった。

 

「僕の、好み・・・・?」

(((え?)))

 

 しかし、久路人は驚くほど真剣な表情で何やら考え込み始めた。

 これには雫も含め、その場にいる全員が意外そうな顔になる。

 予想では茶化したように誤魔化すか、少しムキになって怒るか、あるいは「まあ、どうかな?」と意味深な笑いを浮かべるか、といったものだったからだ。二人にとってはそこそこ重要な問いだったが、それとは別のベクトルで久路人は本気で悩んでいるようだった。

 

 

「・・・・・・」

 

 

--僕の好きな人は、もう決まっている。

 

 

 久路人の中で、もう初めから答えは出ている。

 だが、今はそれを口に出すことはできない。その資格はない。それでも、自分が偶然出した話題から芽生えた唐突な質問は久路人の中に大きく響くものだった。

 

 

--ならば、僕はどう答えるべきなんだろう?

 

 

 気持ちを表に出すことはできない。けど、やりたいことは決めてある。

 

「そうだね・・・・特に、好きなタイプっていうのはなくなったな」

「「え?」」

(久路人?)

 

 

--タイプ、じゃなくて、その人しかいないから。

 

 

 久路人の口から、はっきりと答えが出てきた。

 いつの間にか、久路人の表情が変わっていた。雫だけが見たことのある、戦いに挑むときの顔つきだった。

 

「でも、好きな人ができたら、僕の方から声をかける。そういう風には決めてるよ」

「そ、そうか・・・」

「が、頑張れよ」

「うん。それじゃあ、僕はもう行くね」

 

 久路人の顔つきは、答えを口に出すとともに元に戻っていた。

 空気から気まずさがなくなり、どこか呆けたような雰囲気になったことで、一人正常な久路人は手早く片づけを終えて席を立った。

 

(・・・・・)

 

 そんな久路人を、雫は不安げな瞳で見つめるしかできなかった。

 

 

-----------

 

「なんか、さっきの月宮君、ちょっと変、っていうか雰囲気違ってたよな」

「ああ。なんというか、真剣っていうのか?本気でそう思ってるって感じだったな」

 

 久路人が去った後、野間琉君と毛部君はさっきの久路人の様子について語った。

 

「多分、あいつ、ホモじゃない、よな」

「ああ。そんな気がする。っていうか、好きな人が、もういるんじゃないか?」

「「・・・・・・」」

 

 高校時代の友人が、いつの間にか一皮むけた男の顔をするようになっていた。

 なんとなくそのことが悔しくて、羨ましくて、なぜか嬉しくなった。

 

「俺らも、頑張るか」

「そうだな」

 

 そして、二人もトレイを片付けてその場を去っていった。

 図らずも、久路人のホモ疑惑が晴れた瞬間であった。

 

-----------

 

「ねぇ、久路人」

「ん?」

 

 次の講義室に向かう廊下の中で、雫は久路人に声をかけた。

 その声はかすかに震えていたが、本当にかすかだったので、久路人は気付かなかった。

 

「さっきの話なんだけどさ、あれって・・・」

「ああ、僕もそろそろ二十歳近いからさ。お見合いの話もあったし、ああいう風に考えておいた方がいいかなって思っただけだよ。別に好きな人が『今』できたわけじゃない」

「そうなんだ・・・・」

 

 久路人からしてみれば、この会話の流れは予想できたものだった。

 

(今の血で狂ってるかもしれない雫なら、食いついて来るよね)

 

 ここで「好きな相手は雫だ」と言っても、きっと雫は応えてくれるだろう。だが・・・・

 

(それは、雫の『本当の』答えじゃないかもしれない)

 

 だから、「好きな人はいない」と答えることは決まっていた。『今』というのも、未来の話ではなく、『過去』の話だ。久路人が隣の少女を好きになったのは、数年前。もしかしたら、もっと前なのかもしれないのだから。

 

「・・・・・・」

 

 講義室が見えてきたので、久路人は前を向いて歩き続ける。

 だから、隣の雫の表情は見えなかった。

 

(久路人・・・・・)

 

 

--もしも、私以外に好きな人ができたら、私を置いていくの?

 

 

 さきほどの久路人の答えを聞いた瞬間に、雫はそう思ってしまった。

 それはそうだろう。

 

 

--私が今やっていることは、久路人に受け入れてもらえるわけがないもの

 

 

 久路人の眷属化。化物への変異。

 まっとうな神経をしていたら、それで雫のことを嫌わないはずがない。

 そのとき、今のように打算でも久路人を受け入れる人間の女がいたら・・・・

 

(嫌!!!!)

「わっ!?雫!?」

 

 雫は、久路人の腕に飛びついていた。

 がっしりと握りしめ、離さないようにする。

 

「え、えっと・・・どうしたの?」

「護衛」

「え?」

 

 ポツリと小さく沈んだ声で呟いた雫だったが、次の瞬間、バッと顔をあげた。

 その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。

 

「ほら!!今、久路人は訓練も休んでるし、霊力がうまく扱えない状態でしょ?だから、至近距離で護衛しようと思って・・・・ダメ?」

 

 小首をかしげて、普段のように、明るく、にっこりと笑う。

 

「・・・・いや。いいよ。でも、講義中は離してね?ノート取りにくいからさ」

「うんっ!!」

 

 久路人もまた、少し眉間に皺を寄せつつ、少し面倒くさそうに、いつも通りに答える。

 そうして、二人はそのまま歩いて行った。

 

「「・・・・・・」」

 

 もしも彼らを目にすることができる人間がいたら、「仲睦まじい恋人のようだ」と思っただろう。

 

 だが・・・・

 

 

--やっぱり、雫の心はもう狂ってしまっているんじゃないか?・・・・早く、早く強くならなくちゃ!!

 

 

--認めない。久路人は私のモノだ!!誰にも渡さない!!早く、早く染め上げなきゃ!!

 

 

 だが、その心はどこまでもすれ違っていた。

 ただ、皮肉にも・・・・・

 

 

             --ずっと、ずっと二人で一緒にいるために!!!--

 

 

 

 その想いだけは、どこまでも同じだった。

 

 

-----------

 

 ある日の夜。

 久路人も雫も寝静まるような、深い夜だった。

 

 

--ブブブブブブブブブブブブブ

 

 

 夜闇の中、白流市のある川のほとり。

 月明りもない中で、その蚊柱を目にすることのできる人間はいなかった。

 

 

--ブブブブブブブブブブブブブ

 

 

 だが、その場に誰かがいたのならば、その音はあまりに異常だと気が付いただろう。

 確かにこの夏の時期には、虫が湧くことはある。しかし、まるで鼓膜をぶち破らんがごとくざわめくほどの羽音がでることなど、まずありえない。

 故に、その瞬間に気が付く者もいなかった。

 

 

--ブブブブブブブブブブブブブ

 

 

 真っ赤な蚊でできた入道雲のような蚊柱が、少しづつ固まっていく。

 虫どうしが、お互いの体が潰れるのも構わず、むしろつぶし合うように押し固まり、一つになっていく。

 

 

--ブブブ、ブブ、ブブ・・・・・・

 

 

 やがて、耳をつんざくような羽音が少しづつ収まっていった。

 そして・・・・

 

 

「「・・・・・・さあ」」

 

 

 いつの間にか、そこには二人の男女が立っていた。

 服装はそこら中にいる観光客が着るような服と大差ない。だが。その肌は病気を疑うほどに青白かった。

 

 

「「ヴェルズ様の命を果たそう」」

 

 

 大きく尖った八重歯を晒しながら、二人は言葉を発した。

 そのまま、夜闇の中を進み、森の中に消えていく。

 

 

--この中ならば久路人の護符が砕けない限り大物は来ない

 

 

 九尾の時とは違う、完全な安全圏の中。

 結界の存在を知る者ならば、誰もが抱くその前提を踏みにじるように、二人の怪異が忍び寄るのだった。

 

 




感想、評価お待ちしております!!
特に感想!!更新ペースは変わらないかもしれませんが、文字数は増えるかもしれません!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

刺客1

三章の前座、吸血鬼モドキとの戦いスタート。
正直前半パートがウジウジしすぎて作者もあまり筆が進みませんでした。三章はもうちょっとジメッとしたパートが続くんじゃ・・・・


あまり関係ないけど、最近、雫はヤンデレなのか?と疑問に思う自分がいます。
雫って、ちょっと愛が重いだけなんじゃね?ヤンデレ描けてなくね?っていう・・


 チュンチュンと雀の鳴く声が聞こえる。

 早朝の月宮家。久路人の自室。そこで、久路人と雫が抱き合っていた。

 

「ん・・・・・」

「・・・・・・」

 

 雫が久路人の首筋に顔を寄せて、舌を這わせ、流れ出る血を舐めとっていく。久路人はその間雫を抱きしめたまま動かない。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 二人の間に会話はない。この日課が当たり前のものとなっていて、特に何も言う必要がないというのもあるが、それだけではない。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 雫は表面上はいつもと変わらず。久路人はどこか思いつめたように、自分の血が吸われる感覚を味わっていた。

 

「雫、どう?」

「ん・・・変わらないよ。美味しい」

「そう・・・・」

 

 そうしてしばらく経った後に雫に問いかけるも、返ってくるのはいつも通りの答えだ。

 『血の味に変わりはなく、これといって問題が起きているようには思えない』という、この日課を始めた時から変わらない返答だった。

 

「久路人、別にそんなに気にしなくてもいいじゃない。霊力が使えなくなっても、なくなったわけじゃない。むしろ、きちんと体を休められるチャンスだって思った方がいいよ。体がよくなったらまた使えるようになるって」

「うん・・・・」

 

 ここ最近、久路人はこの朝の日課に積極的になった。その理由は、自身に起きた異常について知るためだ。

 ここしばらく、久路人が感じていた霊力への違和感は日に日に大きくなるばかりで、一向に解決する様子がない。それどころか、とうとう基礎的な黒鉄の操作さえ手間取るようになる始末である。

 

「でも、やっぱりおじさんに相談した方がいいんじゃ・・・・」

「っ!?ダメ!!!」

 

 不安からか、今も日本各地を巡って妖怪退治をしている京に相談を持ち掛けることを考えるも、その考えは雫の叫ぶような声に打ち消される。

 

「雫?」

「きょ、京だって忙しいんだし、あんまり手間取らせるのは良くないよ。それに、京も言ってたじゃない。『血を観察するのが一番精度が高い』って」

「それは、そうだけど・・・」

 

 数年前に九尾に襲われた後から続けている日課であるが、それが京にも認められているのは、その方法が的確であるからだ。さらに言うなら、雫への信頼もある。雫ならば久路人を絶対に傷つけることはないという契約と信頼が京を街の外に送り出す理由でもあるのだ。

 そう、かつては雫を警戒していた京と、その忠実な従者たるメアが雫を信頼しているのだ。ならば当然・・・

 

「それとも、さ・・・・」

 

 そこで、雫は悲し気に顔を伏せた。

 

「久路人は、私のことが、その、信じられない・・・?」

「っ!?そ、そんなことないっ!!!」

 

 久路人が雫を信頼しないことなどありえないのだ。

 

「あははっ・・だよね?ごめんね?変なこと聞いちゃって」

「いや、僕こそごめん。雫を疑うようなこと言っちゃって」

 

 久路人は自分を恥じるように顔を俯かせてそう言った。

 

(そうだよ。雫が僕を危険にさらすようなことをするはずがない。契約だとかそんなものは関係ない。今でも訓練とかしようとするとものすごい怒るくらいだし・・・)

 

 久路人にとって、雫が自分にとって害になるような行動をとるなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことだ。契約で危害を加えられないという制約があるという以前の問題である。家族が他の家族を害そうとするという発想がないのだ。そして、それは正しい。雫は久路人に対して、決して「悪意」を持って行動することはないからだ。もっとも・・・・

 

「いいよいいよ。気にしないで?今まで使えてた力が使えなくなっちゃったんだもん。不安になって当然だよ。けど、大丈夫」

 

 雫は、俯く久路人に目線を合わせて、口を開く。その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

 

「久路人のことは、絶対に私が守るから!!」

 

 「悪意」がないからと言って、それが無害とは限らないわけだが。

 

 久路人の肩が、ピクリと動いたことに、雫は気が付かなかった。

 

 

-----------

 

「はぁ・・・・」

 

 雫が「じゃあ、私は朝ごはんの支度してくるねっ」と言って部屋を去ってから少し経った後。

 久路人はベッドの上で未だにうなだれていた。

 

「本当に、どうしちゃったんだろう。僕」

 

 不安げに、自分の体を見下ろし、おもむろに目を閉じる。

 

「スゥ~・・・・・」

 

 深く息を吸い、吐く。久路人がここのところよくやっていた瞑想だ。本来は、瞑想とは霊力を増幅させるために行うものであるが、今この場では別の目的がある。

 

「ハァ~・・・・・」

 

 吸って、吐く。吸って吐く。

 何度も何度も呼吸を行うことで、己の中にある力の流れを把握する。

 呼吸のたびに力が集中する部位がある。息を吐くごとに、全身に広がっていく流れがある。それらをすべて認識する・・・・

 

「・・・・・うん。霊力はちゃんとある」

 

 やがて、久路人は目を開けた。

 

「霊力は感じる。量も減ってない。けど・・・・」

 

 そこで、久路人は軽く手を目の前にかざした。

 バチリと紫電が弾ける音がすると、部屋のどこからか黒い砂が集まり出し、刀のような形を作ろうとして・・・・

 

「っ!?」

 

 ボロリ、と作られかけた刀が霧散した。

 久路人の足元に黒い砂山ができる。そして、その山の上に赤い滴が垂れた。

 

「はぁっ、はぁっ・・・・」

 

 久路人の指の腹がぱっくりと裂け、そこから血が流れ出ていた。

 

「くそっ・・・・!!!」

 

 久路人は悪態をつき、部屋の机の引き出しから絆創膏を取り出して巻き付けた。

 

「本当に、なんなんだよ、コレ・・・・!!!」

 

 苛立たし気に、久路人は最近の自分の状況へのどうにもできない焦りを零す。

 

「どうして霊力が使えないんだ・・・!!」

 

 本当につい最近になって、霊力がほとんど扱えなくなっていた。少し前までは術の効果にムラが出る程度だったのだが、日増しにその症状は悪化していた。これまで、霊力が大きすぎて肉体に負担がかかった末に術が使えなくなることはあった。しかし、今起きている症状はまるで異なる。霊力そのものは体に満ち溢れているし、体にも負荷がかかっているというわけではない。なのに、霊力を使おうとすると、思い通りに動かない。まるで自分の霊力にナニカが混ざって、自分の命令を妨げているかのようだった。そして、そのナニカは・・・

 

「そんなはずがないだろっ!!!」

 

 自分の頭によぎった考えを、本人のいない場所であっても、久路人は口に出して否定する。

 そうだ、そんなはずがない。絶対にありえない。

 さっきも本人にそう言っただろう?それは心からの言葉だ。自分は心から彼女を信じている。だからこそ、即答できたのだから。だが、どうしてもそれは脳裏に付き纏う。さきほどまで心の奥底に潜んでいた疑念が顔を出す。

 

「雫が、この原因だなんて・・・・」

 

 久路人の中にある違和感。段々と強くなっていくその感覚は、やはりどこかで感じたことのある霊力が混じっているような気がするのだ。いや、気がするではない。久路人がそれを見逃すはずがない。なぜなら、いつも一緒にいて、この先もずっと共にいたい少女の霊力だから。

 

「そんなはずない、そんなはずない、そんなはずがあるわけない・・・・!!だって、雫は言ったじゃないか・・・!!!」

 

 これまでだったのならば、「自分が情けない」と思ってしまうような言葉。「もっと強くならねば」と自分を奮起させる言葉。だが、久路人は今その言葉に縋る。

 

「『久路人のことは、絶対に私が守るから!!』って・・・・!!」

 

 これまでの雫は、常に久路人を守ることに全力を尽くしてきた。あの九尾との戦いだって、ボロボロになりながらも逃げようとも裏切ろうともしなかった。普段の生活の中でも、過保護だと思えるレベルで久路人を気遣ってくれた。体の事だけではない。心だって、雫に守ってもらったことが、救ってもらったことが何度あったことか。雫がいたから今まで自分は折れずに生きてこれたと言っても過言ではないのだ。そんな雫が・・・

 

「雫が、僕を嵌めようとしているなんて、あるわけない・・・!!!そうだ、そもそも今の雫は僕の血のせいで狂ってるんだし、猶更そんなことあるわけないんだ!!」

 

 久路人の中で、雫の思考が自分の血のせいで歪んでしまっているというのは、ほぼ確定事項になっていた。

 

--いくら大事なことだからって、好きでもない男に抱き着いて嬉しそうに笑うはずがない。

 

--好きでもない男に匂いを嗅がれて気持ち悪く思わないはずがない。

 

--好きでもない男とわざわざ添い寝なんてするものか。

 

 それらの行動は、すべて自分の血が雫を狂わせているからだと。

 

「そう、そうだよ・・」

 

 そう思うと、今まで抱いていた雫への不安はスッと消えていった。

 

「感情論を抜きにして冷静に考えても、本当に雫がこの原因になるはずはないんだよ。特に味に変化はないって言ってたけど、血に不純物が混ざって雫にいいことがあるわけないし」

 

 結局は、そこに行きつく。

 雫は今狂っていて、自分を害するようなことはしない。だから、今自分に起きている異常は、まったく別の原因がある、と。

 

「う~ん、でも、それならやっぱりおじさんに相談してみた方がいいのかな?雫を疑うなんてしないけど、おじさんは七賢だし、こういうことにも詳しそうだし。でもなぁ・・・雫にバレたら揉めそうだしな」

 

 雫の意見を優先するか、自分の意見を通すか。

 もしも自分の意見を押し通すと言うのなら、それは雫への信頼を損なった、と思われるのではないだろうか?自分の命のことならば、それこそ我が身を犠牲にすることもためらわなさそうな雫への裏切りととらえられないだろうか?

 

 

--雫に嫌われたくない。

 

 

 そんな思いが、久路人を知らず知らずのうちに縛り付けて、どうにもならないようになっていた。

 もっとも、久路人にその自覚はなかったが。

 

「はぁ・・・・雫の言う通り、もう少し様子を見るか。もっとひどくなるようなら、その時に雫と相談して、おじさんに伝えよう」

 

 疲れ切ったように、ため息を吐く。

 選んだ選択肢は、現状維持。問題の先送り。なあなあの決着。

 合理的な思考をする久路人らしくない結論を下したことに、久路人は「仕方ない」と思うことしかできなかった。

 

 

-----------

 

「じゃあ、私は朝ごはんの支度してくるねっ」

 

 雫は笑顔を浮かべてそう言って、久路人の部屋を出た。

 廊下を歩き、トントンッと階段を下り・・・・

 

「・・・・・・」

 

 台所に入った時には、一切の感情が消えた、能面のような顔になっていた。

 

「・・・・・・」

 

 雫は流し台の前に立つと、いつものように愛用の包丁を手に取った。

 そして、その包丁を思い切り振り上げ・・・・・

 

「・・・・ダメ」

 

 ボソリと呟くと、振り上げた包丁を乱雑に放り投げる。

 カランと音を立てて、流し台の上に包丁が転がった。

 

「あれじゃ、ダメ」

 

 雫は俯いたまま、周りを物色する。

 辺りに収められていた道具を手に取っては離し、手にとっては放り投げていく。

 ナイフ、フォーク、ミキサー、麺棒、台所ばさみ、ピーラー。その他、様々な道具を見るも、足りないとで言うように手放していく。そして・・・

 

「やっぱりコレが、一番かな・・・・」

 

 そして、雫は何も持たずに流し台の前に戻った。

 そのまま、右腕で左腕を掴む。白魚のような指が腕に絡まる様は、まるで蛇が獲物を締め付けているようであった。

 

「多分コレが・・・・」

 

 ミシミシという音がして、指が腕にめり込んでいく。肉が指の形にえぐれ、血がしたたり落ちる。

 しかし、そうなっても雫に止まる気配はない。むしろ、腕に込める力を益々強めていく。ミシミシと軋むような音にグジュリと水音が混ざり始め、さらにはバキバキという硬質なモノにヒビが入るような音まで響き・・・・

 

「これがっ!!これが一番、痛いからぁぁぁあああああっ!!!?」

 

 

 ブチィっ!!!

 

 

 ガバッと伏せていた顔を上げ、カッと目を見開くと同時に、雫の左腕が無理やりちぎり取られた。

 おびただしい量の血があふれ出そうとするも、流れ出た血は空中で止まり、腕の断面から中に戻っていく。

 

「はぁっ、はぁっ・・・・」

 

 雫の顔に、脂汗が浮かんでいた。

 普段も腕を落として血を搾り取っているが、その際は包丁を人外の膂力で振るうことで一瞬で終わる。治すのも雫特有の治癒能力にかかれば瞬きの間があればいい。だが、さすがに自身で腕をちぎり取るのは痛みが大きいようだった。

 

「何が・・・・」

 

 もっとも。

 

「何がっ!!『私のことが信じられない?』だぁぁぁああああああああっ!!!!!!」

 

 その程度の痛みでは、自分への罰にはまるで足りないようであったが。

 

「どの口が、久路人にそんなこと言ってんだよ・・・!!!久路人を騙してるくせにっ!!!久路人に嫌な思いさせてるくせにっ!!この口がっ!!この口がぁぁあああああっ!!!」

 

 指を自身の唇にやって、摘まむと、一気に引きちぎる。だが、こちらは骨がない部位だからか、あっという間に再生した。

 

「この口がっ!!この口がっ!!この、クソがぁぁぁあああああああああっ!!!!!!!!」

 

 再生した部位が、治った傍からむしられる。肉の欠片が、流し台の中に降り積もっていく。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・」

 

 やがて、まだまだ満足には程遠い表情ではあるものの、雫は自傷行為を止めた。

 それは、自分に充分罰を与えたから、という理由ではもちろんなく、単純に時間の問題だからであったが。

 

「はぁ~・・・・ホント、最低」

 

 侮蔑に満ちた表情と口調で、長いため息の末に己を嘲る。

 時間がないからできないが、余裕があれば百の罵倒を自身に浴びせていたことだろう。

 

「久路人を悲しませてることにもイラつくけど、あんなに久路人が落ち込むことが予想できなかった自分に腹が立つ・・・・!!なにより、久路人が凹んでるのに、喜んでる自分に反吐が出るっ!!!」

 

 久路人の身に起きている異常は、間違いなく久路人の眷属化が進んでいる証だ。それそのものは、雫にとっては喜ぶべきことだ。なぜなら、愛しくて愛しくてたまらない久路人との永遠の生にそれだけ近づいたということなのだから。実際に、今も胸の奥で暗い歓喜の感情が密かに渦巻いているのを感じる。だが、雫はその喜びが許せない。

 

「久路人の悲しみと引き換えなんて、喜んでいいはずないのにっ!!」

 

 雫は、久路人が好きだ。久路人の全てが好きだ。けれど、久路人が悲しんでいる顔は、嫌いだ。

 そして、その原因は自分だ。ならば、自分に喜ぶ資格などあるはずもない。

 雫は久路人のことならば大抵のことを知っている。好きな食べ物はもちろん、性的嗜好から密かに憧れている中二病漫画のキャラの技まで知っている。もちろん、久路人が最近強くなろうと我武者羅だったのも知っていた。だが、それであそこまで落ち込んだようになるのは予想できなかった。そうさせたのは雫だ。ならば、自分にそんな自惚れを持つことはもう許されない。

 

「けど・・・・」

 

 雫は、ツイと指を振った。

 流し台の中に積もっていた肉片から血が流れだし、空中でゴムボール大の珠を作る。

 

「この先は、こんなもんじゃない・・!!」

 

 予想はできているつもりだった。

 覚悟もできているつもりだった。

 久路人に嫌な思いをさせるのは、分かっていたはずだった。

 久路人の霊力に異常が出始めた時は、素直に喜べた。その時は、久路人が悲しそうにしていなかったから。

 

「この先は、この先はっ・・・!!!」

 

 けれど、今日、雫が受けた衝撃は、予想をはるかに超えるものだった。

 自分が久路人を悲しませていること。

 自分が久路人を悩ませていること。

 それこそ、久路人に疑われることだって。

 喜びを簡単に台無しにするほどの悲しみを味わった。

それでも消えない喜びを燃やす、自分への吐き気も感じた。

水無月雫という存在が、ここまで卑しい雌だとは思わなかった。

 だが、こんなものはまだ序の口に過ぎない。

 

「久路人を、化物に変えるんだから・・・!!!」

 

 雫が目指している久路人の眷属化は、久路人を人間でないモノに変えることを意味する。

 それが成ったとしたら、どれほど久路人は悲しむか。少なくとも、今の比ではないことは確かだろう。

 そうなれば、自分もまたどれほどの衝撃を受けることか。

 

 

--久路人が死ぬのに比べれば、嫌われることなんてなんともない。

 

 

 そんな思いで始めた眷属化だった。

 

 

「甘く考えすぎだった・・・」

 

 雫の中に、黒いインクのように鬱屈とした思考が滲みだす。

 

 

--久路人を悲しませるだけで、胸が張り裂けそうになり、腕を引きちぎるほどの怒りを感じたのだ。

 

 久路人に嫌われるとなれば、永遠の生を分かち合えたとして、果たして自分は正気でいられるだろうか?

 

--今ならばまだ間に合う。

 

 ここで血を飲ませるのを止めれば、やがては久路人の中の雫の血も薄れ、人間のままでいられるだろう。

 

--そうすれば、久路人が悲しむこともない。

 

 人間として産まれた久路人が、人間として死ねる。

 

--それこそが、一番久路人のためと言えるのではないか・・・?

 

 

 

ゴッ!!!

 

 

 

 次の瞬間、雫は自分の頬に全力の拳を叩き込んでいた。

 バキンと奥歯が噛み砕かれる音とともに、頬骨が折れるも、一秒後には元通りになる。

 

「今更、後に引けるかっ・・・!!」

 

 傷は元通りになったが、心の中に沸いて出た弱気は消し飛んだようだ。

 

「これは、私がやると決めて始めたんだ。もう、久路人を一度は悲しませたんだ。ここで止めても、その事実はなくならない・・・!!」

 

 雫が指を動かせば、血の塊が宙を舞い、鍋の中に落ちる。

 

「私は、私のエゴで、久路人に人間やめさせるって決めたんだ」

 

 雫のすべては久路人のために。

 けれど、この願いだけは雫のためだけに。

 そのために、雫は久路人から人間であるという最低限の権利を奪う。

 

「一度自覚して、決めて、手を染めたんだ。もう逃げられない」

 

 例えこの場で諦めたとしても、自分はこの欲望を忘れられない。

 必ず自分は、再び同じことに手を染めるだろう。

 

--久路人と永遠に生きたい。

 

 別離の恐怖からは逃げられず。

 

--久路人が、私の体の一部を取り込んで、私に近づいている!!

 

 汚辱の快感を忘れることもできない。

 

 もはや麻薬と変わらない。一度味わってしまった恐怖も快感も、さらにはそれらを取り上げられることへのさらなる恐怖も。一度体に刻み込まれたのならば、もう逃れることは不可能だ。

 

「なら、やる!!絶対にやり遂げる!!」

 

 結局は、そこに行きつく。

 後悔もする。罪悪感を抱く。懺悔したくてたまらなくなる。けど止まらない。止められない。

 彼女を推し進めるものは、三つ。

 

「私は、久路人が好きだから」

 

 月宮久路人という男を、心の底から好いているという、恋慕。

 

「私は、久路人の幸せを壊してでも、久路人が欲しいから」

 

 月宮久路人という男を、どんな手を使ってでもその手に収めたいという欲望。

 

「私が、この私がっ!!絶対に久路人を幸せにするからっ!!」

 

 そして、月宮久路人という男を、必ず幸せにするという覚悟。

 

「例え、どんなに久路人に嫌われても・・・・!!!」

 

 水無月雫は止まらない。

 今日のように、立ちふさがる障害に足が竦むことはあるだろう。

 どうしようもなく自分を殺したくなる時もあるだろう。

 だが、雫は必ずそれを乗り越える。

 

「・・・・いい加減、支度しないと」

 

 そして、進み続けるのだ。

 まさしく、今この時のように。

 

 

-----------

 

 その日は、7月の中頃らしい、ムワッとした蒸し暑い空気が残る夕暮れだった。

 

「今日も熱いね。もう夜になるのに・・・・」

「うん」

 

 時刻は7時半を回ったところだった。

 一年で一番日が長い時期であるが、それでも夜のとばりが少しづつ降りていく。

 人気もなく、畑の広がる田舎の道に、自転車の走る音が響く。

 

「今日は災難だったね。先生から手伝い押し付けられて。断ればよかったのに」

「うん・・・」

 

 普段の久路人は、まだ大学2年生で研究室に所属していないこともあり、夕方の6時過ぎには家路についている。しかし、今日は偶々最後の講義の教授にちょっとした手伝いを頼まれたのだ。きっと、周りがグループどうしで固まって帰ろうとしている中で一人席を立とうとしているから話しかけやすかったのだろう。基本的に人のいい久路人はこれを断れず、この時間まで残っていたというわけだ。

 

「私もちょっと手伝ったけど、書庫の整理なんて自分のゼミの学生にでもやらせればいいのに。凍らせてやればよかった」

「うん・・・」

「・・・・・」

 

 自転車がキィキィと音を立てて走っていく。

 その速度は、少し前よりずっと遅い。

 ペダルをこぐ足は重く、漕ぎ手の顔は暗く、上の空だった。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 最初の内は一方的にあれこれと話しかけていた雫であったが、久路人の様子に何も言えなくなる。

 これが少し前までならば、ここまで反応が薄ければ頬でもつついて怒らせてでもリアクションを取らせようとしただろう。しかし、久路人がそうなる理由を知っている身の上であるために、後ろめたさが勝ったのだ。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 ここのところ、ずっとそうだった。

 帰り道だけではない。登校中も、講義の最中も、食事の時でさえ、久路人は常に何かを思い悩んでいるようだった。何に悩んでいるかなど、聞くまでもないだろう。

 

「ねぇ、久路人」

「・・・・・」

 

 だが、今日の雫は一歩を踏み込むことにした。

 

 

「霊力を扱えないことって、そんなに辛いの?」

「・・・・・」

 

 朝に、自分の腕を引きちぎった時のように。

 

「別にいいじゃない。霊力が使えなくたって」

「・・・・・」

 

 朝に自分を殴った時のように。

 

「そりゃあ、今まで使えてた力が使えなくなるのは不安かもしれないけどさ。それだけ久路人は戦わなくていいんだし、安全になるじゃない」

「・・・・・」

 

 雫は、久路人のことは大抵理解している。

 どうして久路人が思い悩んでいるのかも、久路人が強くなりたがっていることも。

 その上で、そこに触れて欲しくないと思っていることも。

 だから、それは朝のように、自罰の一種だったのだろう。

 

「大丈夫だよ。久路人は、私が守るから!!」

「・・・・雫」

 

 その久路人の声をなんと表現すべきだろうか。

 微妙に震えていて、今にも消えてしまいそうな。だけれども、耳に残って離れない、強さを感じる声だった。

 自らへの怒りと情けなさ。雫への悲しみと憐れみに罪悪感。仮初の喜びと安堵に虚無感。

 いくつもの感情が入り混じり、久路人本人にも理解ができない感情の荒波が巻き起こるも、それを発揮するだけの気力はない。

 

「雫はさ・・・」

「うん?」

「面倒くさくないの?」

 

 久路人は、もう疲れていた。

 意図せずとはいえ、自分の大好きな少女の心を弄んでいるかもしれないことに。

 大好きな少女の心を、常に疑い続けることに。

 そんな少女を解放しようと足掻いても、先に進めないことに。

 少女が自分の傍にいてくれることに罪悪感を覚えながらも、突き放すこともできずに密かに喜びを感じている自分への苛立ちに。

 そこに、先へ進む唯一の足掛かりである力まで取り上げられてしまったのだ。

 完全に気力が萎え切っていた。

 

「面倒くさいって何が?」

「・・・今の僕の傍にいること」

 

 それは、真面目な月宮久路人という男にとってはとても珍しい、愚痴だった。

 

「そんなことあるわけないじゃん!!私はむしろ、久路人の傍にいられて楽しいくらいだよ!!ほら!!弱いところに女はグッとくるっていうか!!」

「・・・・・」

 

 しかし、珍しく心の弱みをさらけ出そうとしても、帰ってくるのはいつも通りの天真爛漫な笑みだ。

 そしてその笑みが、久路人の心に圧し掛かる。

 

 

--この笑みは、本心からのものなのだろうか?

 

 

 久路人は疲れていた。疲れ切っていた。

 今日の朝など、とうとう目の前の少女が自分を弱らせている犯人だと疑ってしまうほどに。

 それは、久路人にとっては重大な裏切りだ。ルール違反を心底憎む久路人にとっては許せないことで、そんなことを思わず考えてしまうほどに、心が弱っている証でもあった。

 だから、その言葉が出たのも、逃げたかったからだろう。

 目の前の大好きな少女から、久路人は逃げ出したくなったのだ。

 もう、これ以上彼女を疑いたくないから。

 守られることが嫌なのに、守ってあげると言われて喜ぶ情けない自分を見たくないから。

 

「もういいよ」

「え?」

「もう、僕の傍にいなくても」

 

 雫は理解できなかったように、アホのように口を開いた。

 立ち止まった雫を置いていくように、久路人は一気に自転車を漕ぐスピードを上げる。

 

「え?ちょっと待って?どういう・・・」

「ついて来るなっ!!!」

「っ!?」

 

 それは、初めての拒絶だった。

 想い人からの、突然の大声に、思わず雫はビクリと肩を震わせ、追って内容を理解し、脳髄が凍り付いたように冷えていき・・・・

 

血杭(ブラッド・パイル)

 

「ガッ!?」

「雫っ!?」

 

 突如飛んできた深紅の矢が、雫の肩に突き刺さった。

 

-----------

 

 ガシャンと自転車が倒れる音が響き、ダンっと地面を蹴る衝撃が走ったかと思えば、雫の目の前には久路人がいた。

 

「雫っ!?大丈夫っ!?」

「っ痛ぅ!!・・大丈夫、平気!!・・・えへへ、心配、してくれるんだ」

「当たり前だろっ!!馬鹿なこと言ってると怒るよっ!!」

「ふふ、もう怒ってるじゃん・・・」

 

 雫にとっては、やけに痛む矢傷よりも、さっき拒絶の言葉を口にした久路人が泣きそうな顔で自分を心配してくれることの方が大事だった。それだけで、雫はもう大丈夫だ。

 

「動かないで。今その矢を抜くから」

「大丈夫だよ。このくらい・・・ふんっ!!」

 

 慎重な手つきで矢に触れようとした久路人を手で制しつつ、雫は乱暴に自らの肩を貫く矢を掴むと、思いっきり引き抜いた。ブチブチと音を立てて矢は抜けたが、一呼吸の間に傷は塞がる。しかし・・

 

(傷の治りが少し遅い。気だるさも感じる・・・毒でも塗ってあったのか?けど、毒が血に乗って広がっていく感じはない。何故だ?)

 

 雫は再生力が極めて強い妖怪だ。ただの矢ならば、そもそも刺さらない。刺さる前に肉が盛り上がって矢を弾くのだ。それ以前に、雫の纏う「霧の衣」に阻まれるはずだ。だが、今しがたの矢は易々と雫を射抜き、すぐに再生したとはいえ、手傷を負わせて見せた。

 その様子を見た久路人が呟く。

 

「・・・雑魚じゃないね」

「うん・・・・おい、そこの茂みにいるヤツ。出てこい」

 

 久路人に頷き返しつつ、雫は言葉と共に電柱ほどもあるツララを何本も放つ。

 ツララは近くの茂みに高速で飛んでいき、そこに潜む下手人に襲い掛かるも・・・

 

 

 キィン・・・・

 

 鋭い音と共に、直線を描いていた軌道が唐突に真上に跳ね上がる。

 紅黒いナニカが、ツララを弾き飛ばしたのだ。

 さらに・・・・

 

『血杭』

 

「チッ!!もう一人いたかっ!!」

 

 ツララが放たれたのとは全く別の方向から、紅い矢が飛来する。

 しかし、警戒していた雫には当たらない。久路人を庇うように跳びあがりつつ、矢を薙刀で払いのけ・・

 

(速いっ!?)

 

 払いのけようとするも、想定以上の速度の矢が薙刀の柄を滑って霧の衣を削っていった。

 そして、その隙を突くように、黒い影が茂みから滑るように駆けてきた。その手には武骨なロングソードが握られている。

 

「・・・・・」

「お前・・・」

 

 雫の薙刀と鍔迫り合いを繰り広げている男は、青白い肌に犬歯のように尖った八重歯をしていた。

 怪力を誇る雫と曲がりなりにも打ち合えるとなれば、それ相応の大物であることに疑いはない。

 

「吸血鬼か」

「・・・・・」

 

 吸血鬼。

 今はもう、七賢のリリスを除き、常世にしかいないとされる種族だ。

 人外の中でも強力な種族であり、下位のものでも小規模の穴では現世に来ることはできない。

 上位のモノとなれば、大穴でしか移動できず、目の前の男はまさしくその類だろう。

 そして、吸血鬼といえば、その戦い方も有名だ。

 

「なるほど。傷の治りが遅いのも、先ほどよりも矢が速かったのも、妾の力を吸い取ったからか。卑しい連中だな、寄生虫」

「・・・・・」

 

 吸血鬼はその名の通り、吸血を行うことで他者の力を得ることができる。

 吸血と言っても直接血を吸う以外の方法もあり、自身の霊力の籠った武具や術で間接的にエナジードレインを行うこともできる。雫が食らった矢も、雫の霊力を奪う効果があったのだろう。こうしている今も、目の前の男は剣ごしに雫の霊力を吸い取っている。

 だが・・・・

 

「・・・・っ!!」

「フン!!なんだ、そのしかめっ面は?自慢どころか恥でしかないが、妾の霊力は大層臭うようでな?鼻の利くお前たちにはさぞ辛いのだろうな?」

 

 言葉を放った後に鋭い蹴りをくれてやると、男は吹き飛ぶように距離を取った。当たったようだが、大したダメージにはなっていない。自分から後方に下がったのだ。

 

「・・・・・・」

 

 男の表情は無表情のままだが、幾分か険しい顔をしているように見えるのは、雫の言葉が図星だからだろう。

 久路人を除き、あらゆる霊能者、妖怪から避けられるほどの悪臭を放つ雫は、ある意味で吸血鬼の天敵に近い。どうやら目の前の男は何らかの方法で嗅覚を麻痺させているようだが、霊力知覚まで封じれば戦闘どころではないからだろう。元より妖怪や霊能者にとって霊力が感じられなくなる状態というのは目隠しをしているのも同義であり、ほぼ何もできなくなるに等しい。男は至近距離から漂う刺すような悪臭に、死体のような顔をしかめさせていた。思えば、もう一人の方も一発目から次の矢まで間があった。エネルギーとして吸収はできたのだろうが、臭いによるダメージも受けたのだ。

 

「雫、もう一人はあっちの林の中だ」

 

 そこに、久路人が声をかけた。

 その髪は逆立ち、瞳は紫に染まっている。前からは考えられないほどに遅いが、身体強化の術を成功させたようだ。

 久路人は雫の背後にある林を見つめていた。

 

「久路人、無茶は・・・・!!」

「この状況でそんなこと言ってる場合じゃないだろ!!」

 

 今の久路人は、まともに霊力を扱えない。その状況で無理やりに身体強化の術を使っていることを雫は咎めるが、久路人は術を解く気はないようだ。まあ、久路人の言うことにも一理はあるからだが。

 

(確かに、この状況はマズい・・・!!)

 

 雫は、素早く頭の中で状況を整理する。

 

(目の前の連中は、明らかに大穴から出てくるレベルだ。そんなのが二人に対し、こちらは力の使えない久路人を守りつつ戦わねばならない。そもそも、こいつらが二人だけという保証もない)

 

 雫と背中合わせになりつつ、久路人も同じように考えていた。

 

(こんな大物が、どうやってここに現れた?おじさんの張った結界なら、こいつらレベルならまず入れないはず。結界に異常が起きてるのか?クソ!!黒飛蝗が使えれば・・・・)

 

 白流市には、七賢である京の張った結界が展開されている。

 中にいる久路人の力が強大すぎるために多少の粗はあるが、それでも大物が通れるようなチャチなものではない。ならば、結界に何らかの干渉が行われているのかもしれない。そうなったのなら、増援が現れる可能性もあり、常に目の前の敵以外も警戒しなければならない。先ほどの矢の位置から、もう一人の敵の位置はある程度割り出せたが、他にもいる可能性を考えれば、うかつに突っ込むわけにもいかない。

 さりとて、結界に異常があるかもしれないとなれば、強力な範囲攻撃を使うわけにもいかない。それでこの街にある結界が破壊されるようなことがあれば、目の前の敵以上の化物に繋がりかねない、大穴が空くかもしれなかった。

 

 

「・・・・・・」

 

 眼前の男が、再び剣を構えた。

 顔はしかめられたままだが、戦意が鈍っている様子はない。

 

『・・・・・・』

 

 自らの位置がバレたのを察したのか、林の方からも刺すような殺気があふれ出る。

 

「雫・・・」

「うん、やるしかないね・・・・久路人は気を抜かないで、私の後ろにいて。矢が飛んできそうなら弾くから」

 

 身構える二人。

 雫は久路人を目の前の男から庇うようにしつつ、後ろにも気を配る。

 久路人は戦力になれないことに歯がゆさを感じつつも、せめて見張りだけは努めようと、神経を林に集中する。

 

「・・・・・・」

『・・・・・・』

 

 そんな二人に、温度のない二つの視線が向けられる。

 その眼差しは、傷の塞がったはずの雫の肩をじっと見つめていた。

 

-----------

 

 田舎ならばどこにでもあるような、長閑な道で唐突に始まった日常の崩壊。気が付けば、夕日は完全に沈み切っていた。

 星もなく、新月の空に光はない。

 蒸し暑い闇の中、吸血鬼との命を懸けた激しい舞踏が、今ここに始まろうとしていた・・・・

 




感想、評価よろしくです!!!
特に感想は批評でもなんでもいいので、お待ちしております!!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

刺客2

めっちゃ長い話になってしまった・・・
正直戦闘パートはものすごい筆の乗りが悪かったんですが、後半の乗りはやばかったですね、ええ。

あと、初めて総合で9位と10位内に入れました!!感謝です!!


 もしも空気が目に視えるのならば、きっとそこは無数の刃が浮かんでいるように見えただろう。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 田舎の農道で、雫と死人のように青白い男がにらみ合う。

 さきほどの鍔迫り合いで彼我の力量と相性を判断したのか、男から向かってくる様子はない。だが、雫もわざわざ剣を持った相手に接近戦を仕掛けるつもりはなかった。

 

「鉄砲水!!」

 

 身構える男に、雫が打ち出した水流が迫る。

 

「・・・・・」

 

 男は表情一つ変えずに、数歩動くだけでこれを回避した。

 

「おまけだっ!!」

「・・・・っ!!」

 

 続けざまに撃たれた氷の礫も剣で打ち落とし、体には一切触れさせない。

 しかし、男も攻撃を流すので手一杯なのか、攻撃に転じる様子はない。ならば、と雫はさらに遠距離から術を重ねようとするも・・・・

 

「っ!!雫っ!!」

「むっ!!」

 

 男の迎撃に集中していた雫に、久路人の声が届く。

 ガキンと音を立てて、飛来した矢を薙刀で叩き落した。

 

「・・・・!!」

「っ、来るか!!」

 

 矢を打ち落とした瞬間、雫の動きがわずかに止まった。

 その隙は逃さないとばかりに、男が素早く駆け寄って剣で斬りつけようとしてきたが・・・

 

「せいっ!!」

「っ!?」

 

 夜の闇と同化したような黒い刃が宙を駆ける。

 久路人が投擲した黒鉄の短剣を回避しつつ、男は再び後方に下がった。

 男が距離を取ったことで、空気が若干緩む。

 

「さっきといい、まどろっこしい戦い方をする連中だな・・・・!!!」

「ヒットアンドアウェーってやつだね。それかゲリラ戦か。狙撃手の方もすごい正確な狙いだよ・・」

「・・・・・」

 

 久路人たちが顔をしかめながらそう言うも、男は無表情のまま剣を構えているだけだ。

 さきほどと同様に、近距離にいる男がかく乱している間に、隠れているもう一人が狙撃。狙撃をさばいた直後を男が突撃しては離れていくというスタイルのようだが・・・

 

(見た感じ、おじさんの張った結界のデバフを受けてないね。本当に、結界に異常があるのかもしれない)

(うん。それに、こんな時間のかかる攻め方するんだから、それだけ余裕があるみたいだね・・・京たちが来るまでにかなりかかるって分かってるんだ)

 

 男を目の前にしながらも、久路人と雫は小声で話し合う。

 白流市を覆う結界は、京に認められた例外を除く、特定以上の力を持つ異能の存在を遮断、弱体化させる効果がある。しかし、吸血鬼の男の放つ霊力は大穴を通る妖怪にふさわしいものであり、体の動きにもよどみがない。いくら強大な存在であっても、突然重しを付けられれば動きに違和感が出るはずであり、その様子がないことから、結界の効果を受けていないと分かる。何らかの対抗策を事前に準備していたのかもしれないが、計画的な襲撃の可能性が高い。京は今、本州の西端まで向かっており、道中に忘却界があることも考えれば、急いでも数時間はかかるだろう。

 

「でも、このまま粘られても、不利なのは向こうのはず。何かあるのかな?」

「短期決戦で決めた方がいいかもね。あまり大規模な術を使うわけにはいかなそうだけど、林の中にいるヤツをどうにかしないと・・・」

「雷起は成功したし、今なら僕が偵察に・・・・」

「ダメッ!!」

 

 敵の意図はよくわからないが、戦い方から時間を稼ぎたいという思惑があるようだ。こちらも時間を掛ければ京が駆けつけてくるであろうことを考えれば、持久戦に付き合うのも悪くはないが、わざわざ相手の策に乗る必要もない。

 しかし、久路人の提案に雫は大声で噛みついた。

 

「今の久路人は本当に不安定なんだから、無茶は絶対ダメ!!」

「でもっ!!そんなこと言ってる場合じゃないだろ!!」

「ダメなものはダメ!!それで久路人に何かあったら・・・っ!?」

 

 敵の目の前で揉める二人。

 それを好機と見たのか、林の中から矢が飛び、またも男が二人に向かって踏み込んでくる。

 

「・・血刃(ブラッド・エッジ)

 

 その手に握られる剣には、固まりかけた血のような赤黒いオーラが纏わりついている。

 

「くっ!?」

「ちっ!!」

 

 飛んできた矢を常人離れした反射神経で察知した久路人が短剣で弾き飛ばし、向かってくる男に対しては、久路人の周囲以外を凍らせることで対処する。男の剣は雫の持つ薙刀に触れるが、地面が凍り始めたのを感じて飛びのき、男は凍り付くことなく範囲外に逃れ・・・

 その瞬間、久路人は雫と一瞬目を合わせた。

 

「逃がすか!!」

「・・・っ!?」

 

 矢を弾き飛ばした短剣を、久路人は鋭いスナップで投擲する。空中にとどまっていた男は足に突き刺さる短剣に気を取られ、その場に落下する。

 

「死ね」

「っ!?・・血棘(ブラッド・ソーン)!!」

 

 次の瞬間、真っ赤な薙刀が走り、吸血鬼の首が地に落ちた。雫の刃が届く寸前に、赤黒い剣が投擲されるも、雫は多少のダメージを無視して攻撃を続行する。

 結果、転がった首と棒立ちの身体は見る見るうちに氷に覆われ、雫が指を鳴らすと同時に粉々に砕ける。

 

「・・・これで、久路人が偵察に行く必要はないよね?」

「・・・うん」

 

 場に漂う雰囲気はギスギスしているが、そこはさすがのコンビネーションというべきか。

 図らずも、仲たがいを起こしかけたことで相手の攻撃するタイミングを誘導することができた。飛び道具の矢はともかく、本体が直接向かってくるならば、やりようはいくらでもある。雫が男を氷漬けにしようとした時点で、久路人は男の方を先に仕留める方針に切り替えたのだ。そのまま男の動きを止めたところで、雫がとどめを刺してほしい・・・という狙いを、雫は正確に読み取った。突然の喧嘩からの流れを利用する形になったので、あまりいい気分はしなかったが。

 

「ともかく、一人は倒したんだし、このままもう一人の方も・・・・」

 

 そうして、雫が林の方を睨んだ時だ。

 

 

---ブブブブブブブ・・・・

 

 

「っ!?雫!!」

「・・・・血刃!!」

「なっ!?貴様ぁ!!・・・くぅ!?」

 

 ガキンと音を立てて、久路人が作り出した短剣と、男の持つ黒い長剣がぶつかり合う。そして、再度飛来する矢を雫は打ち払うが、反応が遅れてかすり傷ができた。

 矢を食らいながらも雫は氷柱を撃ちだしたが、男はまたも距離を取って避ける。

 

---ブブブブブブブ・・・・

 

 遠く離れたどこかで、蚊の羽音が増した。

 

「・・・・・・」

「砕けたけど、死体の入った氷はまだ残ってるのに・・・」

「どういう絡繰りだ・・・?」

 

 そこに立っていたのは、先ほどの男だった。死人のように青白い肌に、生気のない淀んだ紅い瞳。いつのまにか服装が黒いロングコートに変わっていたが、確かに先ほど首を跳ねて粉々にしたはずの男だ。

 

「・・・反撃を確認。月宮久路人を、攻撃対象に設定」

「わっ!?」

「久路人!?」

 

 それまで無言だった男がボソリと呟くと、紅い矢が飛んできた。それまではなぜか雫しか狙っていなかったが、その行く先は久路人だ。術の効果で向上した反射神経で見切って弾くも、雫としては気が気ではない。

 

「戦闘を続行する・・・」

「くっ・・・!!」

「ちっ!!」

 

 長剣を構える男に、「これは長丁場になりそうだ」と、二人は場の空気が重くなるような感覚を味わうのだった。

 

 

----------

 

「おお!!中々やるじゃないか!!うん、見直したよ二人とも!!グズ、という評価は撤回しようじゃないか!!さすがだよ愛する我が子たち!!不意打ちとはいえ、無事に「楔」を撃ち込めるとは!!」

「「・・・・・・」」

 

 白流市に貼られた結界と忘却界の境目。

 暗い森の中、結界の中で戦う吸血鬼の主たるヴェルズと、九尾の成れの果てが佇んでいた。

 ヴェルズのいる場所からは、とても市内の様子が見えるはずもない。しかし、その眼は確かに中の状況を捉えているようだった。

 

「ふむ。どうやら久路人クンの方は不調のようだねぇ!!予想は付いてはいたが、雫チャンの血が随分濃く混じってるように見える・・・うん!!とてもいいことだ!!」

 

 落ちくぼんだ眼球をギョロギョロと気味悪く動かしながら、ヴェルズは叫ぶ。

 そうして、そのまましばらく「おお!!」だの「よく避けた!!」だのと一人でやかましく騒いでいたが・・・・

 

「ん!?ああ~!!カレルがやられてしまったか・・・!!いやぁ、念入りにやるねぇ!!」

 

 吸血鬼の男、カレルが首を撥ねられ、全身を氷漬けにされた後に粉々になった。

「そこまで丁寧に殺すか~!!」と思わず感心してしまうほどだった。

 

「だが!!ボクは先ほど君たちの評価を見直している!!きちんと「楔」を撃ち込んだ以上、これくらいの失点には目を瞑ろうじゃないか!!」

 

 それを見ても、ヴェルズは動じない。この程度のことは予想済み、とでも言いたげだ。

 

「さて、それじゃあリトライだ!!頑張っておいで、我が子よ!!」

 

 ヴェルズは持っていた杖を振るう。いつの間にかその手には、二つの紅い血のような輝きを宿す肉塊が握られており、そのうちの一つがドクン、と鳴動する。

 すると、杖頭についていたいくつもの小さな髑髏の口が開いた。

 

「「「「オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!!!!」」」

 

 髑髏が叫ぶ。その声は、十字架にはりつけにされ、火で炙られる罪人のようだった。

 

「「「「ウ゛オ゛オ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!!!!」」」

 

 しかし、その叫び声はただの絶叫ではない。抑揚があり、一定のリズムのようなものもある。

 まさしく、それは歌だった。「狂冥」の異名を象徴する、おぞましき術を紡ぐ詠唱だ。

 

祝歌(キャロル)』!!!

 

 ヴェルズが再び杖を振るって、術の名を高らかに叫ぶ。

 

 

---ブブブブブブブ!!!!

 

 

 髑髏の歌とヴェルズの叫びは音だ。

 音は振動、波となって伝わっていく。

 

---ブブブブブブブ!!!!

 

 いつの間にか、ヴェルズの周りには無数の蚊柱が現れていた。

 おびただしい数の蚊のさざめきは、髑髏の歌と合わさり、さらに遠くへと響いていく。

 

「さあご覧あれ!!このゼペット・ヴェルズの「死霊術(ネクロマンシー)」を!!」

 

 まるで楽隊を指揮する指揮者のように、杖を振って、ヴェルズは笑う。

 その視界にはまるで防犯カメラのように、林の中から二人の男女を除く視点とは別に、至近距離から蛇の少女と神の血を引く青年を見る視点が復活していた。

 

「さて・・・・」

 

 ヴェルズはそこで、視界に映る少女に語り掛ける。その声が届くことはないが、そんなことは気にしないとばかりに、言葉は止まらない。

 

「不安定なのは、久路人クンだけじゃあない!!妖怪である君には自覚が薄いし、久路人クンほどではないだろうが、君もまた不安定ではあるんだよ、雫チャン!!」

「・・・・・」

 

 嬉しそうに叫ぶ死霊術師を、狐は忌々しそうに睨んでいた。

 

 

----------

 

 

「はぁっ、はぁっ・・・ちぃっ!!一体何なんなのだ、こいつらは!!」

 

 田舎の農道に、爆音がこだまする。

 砂利道の地面が盛大に削られて吹き飛び、道の脇にある林の木々がバキバキと折れては倒れていく音が響いていた。

 

「・・・・血刃」

「血杭」

「くぅっ!?」

「ええいっ!!離れろぉ!!!」

 

 襲い掛かって来る男と、飛来する矢。

 飛んでくる矢を久路人が弾き、近づいて来る男を雫が迎撃する。男は長剣で薙刀を受け流すも、わずかでも刃に触れた瞬間には詰んでいた。

 

「っ!!血棘!!」

 

 雫の刃を受けた個所から霜が降り、あっという間に剣を持った手にまで冷気が浸食する。

 しかし、男は剣を投げ返し、片腕だけが凍り付いた状態で離れようとするが、その首筋に黒い短剣が突き刺さった。地面に倒れた体に、先ほど逃れたはずの冷気が再び襲い掛かり、速やかにその命を奪う。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・!!!!」

 

 肩で息をしながらも、久路人は正確な狙いで短剣を投擲し、見事に命中させた。

 そして、動きが止まるのを確信して、雫は冷気で凍らせることに成功したのだ。男から投げ返された剣も雫が弾き飛ばしたために、ダメージはない。

 だが・・・・

 

「・・・・・・」

「はぁっ、はっ、はっ・・・・くそっ!!またか!!」

「一体、いつまで続くんだよ・・・」

 

 いつの間にか、本当に突然、剣を構えた男が現れていた。

 先ほどから、この繰り返しだった。倒しても倒しても、何度でも男がどこからか襲い掛かって来るのだ。

 そのせいで、狙撃を行う片割れも見つけられず、一方的に撃たれる状況に甘んじている。

 

「珠乃のような分身・・・にしては実力に差がなさすぎる。陣を張っているわけでもないのに、自らと同等の分身を作ることなどできるわけがない」

「本体がどこかにいるのか?でも、術を使ってる気配がしない・・・・」

 

 二人で思いつく意見を口にしてみるが、答えは出ない。大穴を通れるほどの妖怪を何体でも生み出す術など、陣でも展開しなければまず不可能だ。もしもできたとしても、相当大規模な術になる。

 

 

---ブブブブブブブ・・・・

 

 

 もしも久路人が本調子ならば、少し遠くの異変に気が付いただろう。

 

 

---ブブブブブブブ・・・・

 

 

 久路人と雫が戦う道を取り囲むように、無数の蚊が群れを成して空中にとどまっていた。

 その蚊は、ヴェルズが操る死紋蚊であり、一匹一匹は京の張った結界に引っかからない程度の霊力しか持たない。京の結界は異能の存在を魂の大きさでふるい分けをしているために、この蚊の群れは霊力の総量では神格持ちの妖怪に匹敵するほどであるにも関わらず、依然として結界の対象外なのだ。通常ここまで多くの下僕を操る術など、とてもコストが釣り合わないために使うものなどいない。それこそ、七賢の中でもあらゆる術に精通する第一位か『使い魔』の専門家である第五位くらいのものだ。そして、ゼペット・ヴェルズは七賢の『元第三位』であり、その数少ない例外だ。故に、京の予想を超えた結果がこの地に現れていた。

 

 

---ブブブブブブブ・・・・

 

 

 術者の血を吸い、限りなく術者に近い存在である蚊の羽音は、遠くで紡ぐ詠唱を伝え、離れた場所に術者の望む現象を生み出す。

 それは魂を冒涜する、おぞましき魔術、死霊術。

 

 

---ブブブブブブブ・・・・

 

 

 負の感情を多くため込んだ魂は、その怨念の強さだけ世界に還りにくくなる。

 そうして世界にとどまった魂が霊力の籠った肉や骨などを変質させて仮初の肉体を得たモノがアンデッドである。アンデッドとなった場合の肉体や能力は、魂と霊力との同調具合によってピンキリだ。並み程度ならば意思を持たず生者に襲い掛かるだけの低級な存在に成り下がるが、強く同調して魂が保持した情報を伝えることができれば、生前を上回る力を持つこともある。もちろん、元の死体があればその朽ちた肉体を情報源として利用することもできる。

 死霊術とは、漂う魂の持つ情報をくみ出して伝え、霊力や肉体の素材と共鳴させることで人為的にアンデッドを作り、使役する術だ。

 そして、遠隔からの羽音の共鳴と、死霊術による魂の共鳴によるアンデッド操作。

 二つの共鳴を操る死霊術師からこそ、ゼペット・ヴェルズは「狂冥(きょうめい)」と呼ばれる。

 

 

---ブブブブブブブ・・・・

 

 

「もう、これで何体目だよ!?」

「はぁっ、はぁっ・・・クソがぁ・・・・!!!」

 

 今も、「オリジナル」の血を吸った蚊を素材に、倒された男が復活した。復活する吸血鬼は、いわば蚊の群体だ。術者の術を伝えるメッセンジャーと、素材の血を吸った材料。このどちらかの蚊を全滅させない限り、この遠隔死霊術に終わりはない。

 

 

 男を見る二人の表情は疲れ切っている。しかし、事態はさらに悪化していく。

 

「ハッ、ハッ、ハッ・・・ケホッ!?」

「雫!?」

「さっきから、何か、変・・!!」

 

 雫が、急に膝をついた。

 その顔は顔面蒼白であり、脂汗がダラダラと垂れている。

 

「雫、どうしたの!?」

「れ、霊力が・・・」

 

 先ほどから、雫の様子がなにかおかしい。

 久路人が近づき、雫をよく見ると、違和感に気づいた。

 

「霊力が、乱れてる?うまく流れてない・・・?」

 

 雫から感じられる霊力に、ブレがあるのだ。いきなり強くなったり、かと思えば弱まる。

 それはまるで、ここ最近の久路人のようで・・・

 

「血刃」

「させるかっ!!」

 

 ついにうずくまってしまった雫に男が剣を振りかぶるも、そうはさせまいと久路人は剣を受け止めた。

 雫が動けなくなった今、男の勢いを投擲で止められなかったら最悪の事態になる・・・そう思っての打ち合いだが、それは悪手だった。

 

「・・・・!!!」

「なっ!?」

 

 刹那、男の持っていた剣が膨れ上がった。

 元のロングソードから、幅広のグレートソードにまで一気に膨張する。

 

「・・・!!」

「ぐぅっ!!」

 

 増強されたのは剣だけでなく、男の身体能力も劇的に向上した。

 

(これは、僕の霊力を吸ったのか!?)

 

 霊力に刺激物が混ざったような雫の血は、吸った霊力を剣にとどめて投擲で使いつぶすくらいの使い道しかないが、久路人は別だ。混ざりものがあるとはいえ、その血は未だ妖怪にとって極上のエネルギー源である。その芳醇な霊力は男の力を強化し、さらには数が減っていた蚊(素材)の数まで盛り返す。

 

(っ!?ヤバい、霊力が・・!!)

 

 しかも、タイミングの悪いことに、ここで今まで使えていた霊力の流れに異常がぶりかえしたようだ。

 身体強化の効果にムラが出た。

 

血斬(ブラッド・ザンバー)!!」

「くぉっ!?」

 

 その結果、赤黒いオーラを纏った広範囲を切り裂く薙ぎ払いを、久路人は受けきれなかった。かろうじて短剣で受け流しつつ身をかがめて回避するも、腕に痺れが走る。

 

「血杭」

「クソォォォオオオ!!!!」

 

 これ以上ない隙を晒している今、狙われないはずがない。

 久路人が回避して体勢を崩した所に、守る者のいない雫めがけて赤い矢が飛来する。

 

「くぅ・・!!舐めるなぁっ!!!」

 

 雫がこの世で最も恐れているモノは、久路人の死。

 そして、最も嫌いなモノの一つは久路人の足を引っ張ることだ。

 あの九尾との戦いを思い起こさせるような自らの不甲斐なさに、身が焼き切れるような憤怒の念で体に鞭うって立ち上がる。

 雫の身体を貫くはずだった矢は、その手に握りつぶされて赤いシミになった。

 

「雫!!大丈夫なの!?」

「な、なんとか・・・矢を弾くくらいは、でき、る」

「全然そんな風に見えないよ!!とにかく雫は林から離れて休んで・・・・」

「できる、わけ・・ないでしょ・・久路人だって・・さっきから・・はぁっ・・刀も弓も作れない・・癖に!!休むのは久路人だよ!!」

「僕はまだ一発も攻撃を受けてない!!僕の方が戦える!!」

 

 最初の一人を倒した時のように、二人で言い争う。

 違うのは、あの時よりもはるかに戦況が悪化していることだ。

 久路人の術は効果が不安定になり、雫も原因不明の霊力不調に陥っている。

 

(なんだ!?私に今、何が起きてるの!?あいつらの攻撃に何かあった?多少はドレインされたけど、その程度の量で私の霊力が枯渇するはずない!!神格持ちの化物のものでもない限り、毒だって効かない!!なのに、なんで!?)

 

 雫は自分にふいに襲い掛かってきた不調に混乱するが、答えは出ない。

 出るはずがなかった。

 なぜなら、その原因は、自分の愛する青年なのだから。

 

 

---ブブブブブブブ・・・・

 

 

 はるか上空では、蚊の大群がその羽を震わせていた。

 

----------

 

「ふふふ!!愛しい愛しい彼の霊力だ!!!まさか君が拒めるはずもない!!!だが、恥じることはない!!むしろ誇るべきだ!!それだけ君は彼を愛しているという証明なのだから!!!」

 

 杖を振るいながら、ヴェルズは満足げにそう言った。

 

「これは予想でしかなかったが、カレルとカレンの目を通して、確信が持てた!!変化しているのは、久路人クンだけじゃあない!!雫チャンもそうだ!!混ざりかけなのは、彼女も同じ!!!完全に混ざっていないのならば、付け入る隙はある!!!」

 

 ヴェルズが使っている術は、死霊術だけではない。正確には、吸血鬼を蘇生させる死霊術と、その応用ともいえる術を同時に使っているのだ。

 

「魂から情報をくみ出し、同調させるのが死霊術の基礎!!!そして、同調させることができるのならば、その逆もまた然り!!!そのための楔は、優秀な我が子たちが付けてくれた!!!」

 

 死霊術の基礎にして応用、『共鳴』。その一つである、「不協和音(ディスコード)」。

 それは、反発する要素を強めることで、その内側を狂わせる術だ。不意打ちで雫に食らわせた矢には、不協和音の術を発動させるための仕込みが組み込まれていたのだ。あの矢だけでなく、カレルの刃にもエナジードレインだけではなく、同様の効果があった。攻撃を受けて壊死した細胞から、雫の霊力に干渉したのである。これは催眠や幻術のように、雫の精神を操る術ではないために、久路人の血が持つ力でも抵抗はできなかった。

 その術を以て、あの矢が刺さった瞬間から、もう雫の霊力は蝕まれていたのだ。

 

「君の中にある完全に混ざっていない久路人クンの力を強めて反発させてやればいい!!それだけで、いかに膨大な霊力を持っていようと、いや、強力な力を持っているほど、その影響は大きくなる!!!普段慣れ親しんでいるほど、それを失ったときの衝撃は大きいだろう!!?」

 

 雫の中には久路人の血が混ざりこんでいるが、それはあくまで久路人の力であり、完全に雫のものになったわけではない。大部分は雫が取り込んでいるとはいえ、吸収できていない部分もある。特に最近はいくら親和性が高いとはいえ、「雫の血と反発する久路人の血」という、最初から雫の血に抵抗する因子を飲んでいるのだ。その反発している部分の情報をピックアップして強化してやれば、今の久路人と同じような状態にすることができる。久路人の血は扱いが難しいが、逆に反発させるのは容易だ。

 とはいえ、一時的にヴェルズの術で反発を強められているだけだ。魂と肉体の繋がりが人間と異なる妖怪ならば、強く反乱分子を拒絶すれば抑えることもできるのだが、雫が久路人の因子を跳ねのけることなど、無意識であってもできるはずはない。自らの血に混じる不純物を、雫のものだと認められなかった久路人のように。

 

「ああ!!何たる皮肉!!何たる悲劇!!愛しているからこそ、その力は自らを傷つける!!!ああ、なんてボクは罪深い魔法を作ってしまったんだ!!!神よ!!!許しは請わない!!!ボクはいずれ地獄に落ちるだろう!!!」

 

 大げさな芝居をするピエロのように、ヴェルズは涙を流しながら胸に手を当て、天を仰ぐ。

 その様子は、どこまでも白々しかった。

 

「さてさて!!!そういうわけで、雫チャンはもうこの戦いでは力を振るうことはできない!!!久路人クンはかろうじて戦えるが、いつ崩壊するか分からない!!!まさに絶体絶命の状況ってやつさ!!!さあ、ここからだ!!!さらなる絶望と、それを乗り越えるための希望を見せて・・・おお?」

 

 そこで、唐突にヴェルズは怪訝な表情で、再度戦場に目を向けた。

 

 

---------

 

「だから!!!いい加減にしろよ、雫!!早く離れろって!!!」

「この、分からず屋!!!逃げるのは、はぁっ・・久路人だって、言ってる・・でしょ!!!」

 

 水流で凸凹に歪み、道の脇に生える木々がなぎ倒された農道。

 青年と少女はかろうじて殺意の奔流から逃れながらも、お互いの意見を譲らなかった。

 

「血刃」

「くっ!!」

 

 振るわれる刃をもはや受け止めることはできず、久路人は普段からは考えられないほどに不格好な動きで避ける。

 

「血杭」

「うぉぉおお!!!」

 

 放たれた矢を、雫は雄たけびを上げて崩れそうな自らを奮い立たせながら弾き飛ばす。

 とてもではないが、戦えてる、とは言い難い。逃げ回るのが精いっぱいだった。

 

「ほら!!!もう、避けるしか・・できない、じゃん・・早く・・どっか、行きなよ!!!」

「そっちこそ!!!棒立ちで待ち構えるしかできてないでしょうが!!!」

 

 逃げ回りながらも、お互いに逃げるように促すのは止めていなかったが。

 

(どうして、どうして分かってくれないんだ!!?僕は、雫を守りたいのに!!!)

(なんで分かってくれないの!!?久路人に逃げて欲しいのに!!!馬鹿久路人!!!)

 

 その心の中は、どこまでもお互いを想って、守りたい、救いたいと願っている。

 しかし、これまでの日常がそうであったように、二人の真意が伝わることはない。

 お互いの優先順位が、お互いの邪魔をしていた。

 

 そんな中でも。

 

(マズい!!この状況は本当にマズい!!今、僕の術の効果が切れたら、絶対に二人とも死ぬ!!)

 

 久路人は雫と言い合いながらも、心の中で叫びながらも、その頭の中では冷静に現状を判断していた。

 最悪の可能性が思い浮かび、思わず口が止まる。

 

(僕も死ぬ。雫も死ぬ。それは・・・・)

 

 どうしても、久路人は思い出してしまう。

 

(あの時と同じ!!!)

 

 それは、忘れられない出来事だった。

 久路人が、雫のためにもっと強くなろうと決意した始まり。今のように、雫がもう傷つく必要がないくらいに自分を鍛えようと思ったきっかけだった。

 

「ねぇ、久路人!!聞いてるの!?」

「・・・あのときは」

 

 久路人の脳裏によみがえるのは、九尾の珠乃が張った陣の中でボロボロになった雫の姿だ。

 互いに互いを守りあうという大事な『約束』を、破ってしまったあの時だ。

 今も、あの時に似ている。あの時ほどではないが、このままでは、同じことになるのは確実だ。

 

(そうならないためには、どうしたらいい!?どうやったら、今をなんとかできる!?)

 

 あの時、自分はどうやってあの絶望的な状況を乗り切った?

 どういう時に、何をしたからこそ、雫を守る力を得た?

 

「・・・そうだ」

 

 そこで、久路人は思い出していた。

 自分が「どういう時に」、我を失ったかのように暴走したのかを。

 

「とにかく!!久路人は下がってて!!久路人は私が・・・っ!?」

「・・・血斬!!」

「血杭」

 

 二つの殺意の狙いは、雫だった。

 これまで久路人は牽制か防御がメインで、男にとどめを刺してきたのが雫だったからだろうか?

 先ほどよりも感情を昂らせている雫は、その攻撃に対する反応が遅れ・・・

 

 

ドンっ!!

 

 

「えっ?」

「「・・っ!?」」

 

 その瞬間、雫は不意に体勢を崩した。

 突然、横合いから突き飛ばされたのだ。

 常人を超える膂力で押された雫は、そのまま矢と刃の射程から逃れ、道に転がった。

 

「あ、ああ、あ・・・・・・・」

 

 顔を上げた雫が見たものは・・・・・

 

「久路人ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」

 

 

 胸に、矢と刃を受ける久路人だった。

 

 

『クハハっ!!』

 

 

 吸血鬼の目を通してその様子を見ていた術者が笑うが、それに気付くはずもなかった。

 

 

----------

 

「クハハッ!!いいねぇ!!やはり、真剣に想い合う者どうしというのは、心の底からのぶつかり合いをしなきゃあいけない!!お世辞にも良いとは言えない状況でお互いを守ることを優先するなんて、その上で、愛する娘のために身を挺して庇うだなんて!!ああ、予想はできていたとはいえ、なんと素晴らしい愛なんだろう!!いや、これは予想以上だ!!ここまで絆が強いとは!!!なにより、さすがは我が子たちだ!!ギリギリで急所を外してくれたね!!!」

 

 パチパチパチパチとスタンディングオベーションしながら、目の端に涙さえ浮かべ、感動したように笑うヴェルズ。いや、感動したように、ではない。本当に心動かされているのだ。

 

「ああ!!彼らを見ていると思い出す!!思い出してしまう!!ボクとガブリエラの甘い日々を!!あの、何気なくも、お互いに包み隠さず心をさらけ出していた素晴らしい日々を!!お互いに守りあいながら、デーモンどもとしのぎを削っていたあの時代を!!!」

 

 ヴェルズはポケットから花柄のハンカチを取り出して目元をぬぐう。ハンカチは、あっという間に赤黒い液体を吸収していった。目から流れる涙はただの水ではなく、どす黒い血液だった。

 

「ふぅぅぅぅ・・・・・!!!!おお、いけない!!!感動して目を閉じるなんて、勿体ない!!用意していた筋書きとは違うが、これはこれで自然な導入だ!!!それでこそ、彼らに『あの術』を使わせる必要性が生まれる!!!それに、そろそろ時間切れだ!!!」

 

 ヴェルズは、はるか西から迫りくる大きな気配に気づいていた。

 もう少しで、この地の管理者が戻ってくる。

 

「今回は、きっかけさえ作れればいい!!あわよくば、この時に回収できればと思ったが、欲張っちゃいけない!!!心のわだかまりをさらけ出して水に流し、分かりあう!!今の彼らの想いは、どこまでもすれ違っている!!まずはそれを正さねば!!!そして、完全に染め上げる方法を知るんだ・・・そのために、そこに至るヒントをここで示そう!!!それが達成できれば十分だ!!!」

 

 そこで、ヴェルズは蚊の群れを操り、最後の指示を出す。

 

「カレン、カレル!!最後の指示だ!!!「血の盟約」に従い、全力を出すんだ!!!」

 

 その指示を最後に、ヴェルズは蚊の群れを撤退させる。

 同時に吸血鬼と、その相棒である血人の同調を限界まで強め、生前の状態を完全に再現する。例えこの二人を倒しても、ヴェルズの術で蘇っていたことなど分からないように。

 

「さあ、今宵の演劇のフィナーレだ!!!華々しくいこうじゃないか!!!!」

 

 暗い森の中、死霊術師は高らかに嗤った。

 

 

---------

 

「あっ・・・う、ぐ・・・・!!!!」

 

 頭が揺れる。

 体が重い。

 

「久路人!!!久路人!!!」

 

 それでも、自分に呼びかけてくる愛しい少女の声だけは聞き漏らさない。

 

「し、ず、く・・・・」

「久路人!!!馬鹿!!!なんで私を庇うの!!!今、私の血を・・・」

「い、い・・・・・」

「はぁ!?」

「これ、で、いい」

「何言ってんの!?」

 

 視界一杯に映る、雫の泣き顔。そんな顔をさせてしまっていることを申し訳なく思うが、この状況は久路人の狙い通りだった。

 

(急所は、外れてる・・・でも)

 

 久路人は、雫の身体を押しのけながらも、フラフラと立ち上がる。雫は久路人の思惑を理解できず、混乱するばかりだ。まあ、無理もないだろう。久路人の発想は狂人のそれだからだ。

 

(これで、僕には後がない)

 

 葛城山での事件の後、久路人はあのときの力を、あのときの感覚を思い出そうと試行錯誤してきた。

 しかし、その結果は実らなかった。それは、あのときと同じ状況を再現できていなかったからではないか?

 

(ここで僕が倒れたら、僕は雫を守れない。それは、僕の中の、最悪のルール違反!!!)

 

 すぐに死ぬことはないが、それでも放っておけば失血で死ぬ。今の久路人はそんな状態だった。だが、だからこそ、久路人の頭は冴えわたっていた。

 集中力が研ぎ澄まされ、体内に流れる霊力を完全に把握できていた。

 それは、いわゆる火事場の馬鹿力というやつだろう。

 身体を痛めつけ、自らの決めたルールを破り、最愛の少女を危険にさらしかねない今、久路人の精神力はどこまでも静まり返っていた。

 

(極限状態への追い込み!!)

 

 あの時のような不思議な力の感覚はしない。京が言っていたように、「世界の危機」に値する事態ではないからだろう。だが・・・

 

「お前らは、ルール違反者だ」

 

 自分でも驚くほど、冷たい声が出た。

 

「今の現世で、妖怪が人間を襲うのは禁じられている。それは、古い時代に結ばれた盟約だ。この世界を守る忘却界への配慮であって、それを侵すのは、すなわち世界への叛逆だ。例えここが忘却界の中でなかったとしても、関係はない。何より・・・・」

 

 思考が冷えていく。

 湧き上がる力はなくとも、冷徹なまでの霊力制御ができていた。

 混ざる不純物が薄い箇所を選定し、術に使用できる部分のみを切り取って使う。

 意図的に霊力を循環させ、一時的に不純物の吹き溜まりを作る。それは、霊力を使用不能にするような異物を集積させる一種の自傷行為だ。自分を壊しかねない行為であったが、今の久路人にためらいはなく、それを止められる雫も動けない。

 

 

--そうしなければ、雫を守れない。すべては・・・・

 

 

「お前たちは、雫を傷つけた!!!」

 

 

--約束を守るために・・・・

 

 

 このままでは、約束を守れないこと。

 このままでは、雫を守れないこと。

 それは、久路人の中で最悪のタブーだ。

 その禁を破るくらいならば、なんのためらいもなく自害を選ぶほどに。

 

 

--雫を守るために!!!

 

 

 雫から見れば、独りよがりでしかないその思考。

 しかし、その想いこそが、今の久路人を突き動かす。

 

「食い尽くせ!!黒飛蝗(こくひこう)!!!」

 

 久路人の声とともに、無数の砂鉄が集まる。

 砂鉄の塊は凄まじい速度で移動しながら寄り集まり、砂嵐となって男に襲い掛かった。

 

「・・・っ!?」

 

 とてもではないが、避けられる範囲ではない。

 男にできたのは、大剣を盾にして、砂鉄に含まれる霊力を吸い取り続けて強化することのみであった。

 そして・・・・

 

「・・・そこにいたのか」

「!?」

 

 言葉と共に、空中で幾本もの黒い刀が造られ、飛んでいく。

 刀は林の木々を切り倒して、通路を作る。切って、切って、切り倒して、追いかける。

 やがて、一人の女が林の中から飛び出してきた。その手には、男が握る剣と同じように赤黒いクロスボウが抱えられていた。こちらの女の方も人外のようではあるが、八重歯も短く、男と比べるといささか人間に近い印象を受ける。

 

「よくも今まで散々雫を狙い撃ちにしてくれたな?さっさと死ね」

「・・!!」

 

 これまで撃たれたような矢が、今度は久路人から放たれる。

 黒い矢は女の腕や胸を貫くが、足を狙ったものは一本も刺さらなかった。

 矢を受けながらも、女は砂嵐の収まった道に駆け込み、ボロボロに欠けた大剣の影に転がり込んだ。

 

「何のつもりか知らないけど、二人まとめて・・・っ!!」

 

 そこに、ちょうど一か所に集める手間が省けたとばかりに久路人が追撃を仕掛けようとするも、突然蹴り飛ばされた大剣が回転しながら飛んでくるのを見てわずかに動きが止まる。

 

「黒鉄ノ外套」

 

 大剣は砂鉄を固めてできたようなマントに弾かれ、明後日の方向に飛ばされる。

 グサッと視界の隅で地面に刺さるのを見つつ、ターゲットをもう一度見た時だ。

 

「?」

 

 吸血鬼の男が、女の首に噛みついていた。

 

「・・・血の盟約の元に、ここに誓う。我、カレン・ブラッカードは我が血を供物に捧げん。盟約に従い、貴方を支える力を我に」

「・・・血の盟約の元に、ここに誓う。我、カレル・ブラッカードはそなたの血を食らう。盟約に従い、我を支えよ」

 

 女、カレンと言った方がカレルと呼ばれた男に何がしかを誓うと、カレルは女の血を啜った。

 その瞬間、間欠泉のように膨大な霊力が二人を中心に湧き上がる。

 赤黒い霧がカレルとカレンを覆い隠していった。

 

「なんだか知らないけど、待っててあげる義理はこっちにはない・・・紫電改」

 

 何をやっているのかは分からないが、明らかにパワーアップイベントだ。久路人が放っておくはずもない。

 一本だけとはいえ、槍のような長さの矢が紫電を纏いながら音を置き去りにして迫り・・・

 

 

--グガァァァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!

 

 

 その矢は、雄たけびとともに叩き落とされた。

 

「・・・・何だ?その姿は?」

 

 久路人は、相手が敵であると知りながらも、そう問わずにはいられなかった。

 そして、今まで会話に応じるつもりもなさそうだった二人から、否、二体から、返事があった。

 

「これは、吸血鬼にのみ伝わる、血の盟約の恩恵」

「至高の供物である、唯一の血を持つ眷属より血を取り込むことでのみ至れる、吸血鬼の奥義」

「例え下賤な人の身から拾われた者であろうと、尊き血を持つ祖に届かせる秘法」

 

 その言葉を聞いた瞬間、今まで茫然とへたり込んでいた雫の肩がビクリと震えた。

 

「「真祖化(モード・トゥルーヴァンパイア)」」

 

 そこには、二体の吸血鬼がいた。

 カレルという男の方は、元々長かった犬歯がさらに伸び、暗かった瞳孔には不気味な紅い光が灯っている。手に持ってるのは、禍々しい棘が背びれのように生えそろった大剣だ。

 カレンと呼ばれた女は、元々はカレルと比べるとまだ人間に近いように見えたが、今ではカレルと同じように完全な人外に変貌していた。クロスボウは羽を広げたコウモリのように大きく広がり、羽を支える骨にあたる部位には、併せて5本の矢がつがえられていた。

 二体ともに、それまで負っていた怪我はまったく見当たらない。どうやらこれまでにはなかった再生能力を備えているらしい。

 

「この姿となった我らを倒すは至難の業」

「改めて、ここに参・・・」

「うるさいんだよ」

 

--矢が一本叩き落とされたからなんだというのか。

 

「「!?」」

 

 そうして2体の真祖が見たものは、真っ赤に熱された砂鉄の嵐だった。

 焼けた砂が肌に付くたびに皮膚は再生するが、吹き付けられる砂の量は加速度的に増加していく。

 

--ならば、弾くこともできない量で押し潰してしまえばおい。

 

「霊力は上がってるけど、僕程じゃないし、神格持ちの妖怪にも及ばない。加えて、陣を使う様子もないし、この街には僕が扱える武器がそれこそ山ほどある」

 

--再生能力がある?ならば治るより前に焼き尽くしてしまえばいい。

 

 月宮久路人は普段の穏やかな雰囲気とは裏腹に、極めて才能のある霊能者だ。

 霊力量は七賢を上回り、霊力制御も天才のそれだ。彼だからこそ、神の血などという霊力の暴力とでもいうべき血を体に収めていられるのだ。そんな彼がその力を使わないのは、周りに与える被害や後始末を考えてのことだ。加えて、訓練でも術技などは全力を出しているものの、黒鉄の使用についてはかなり制限している。それは、危険すぎるからだ。

 葛城山の陣の中で、閉ざされた空間を水で埋め尽くした雫が、それを久路人に使わないのと同じように。

 

--僕の一番大事な人に手を出したんだ・・・

 

「お前らみたいな連中相手に、容赦はしない。溶かせ、紅飛蝗(べにひこう)

「「ガァッ!?」」

 

 マグマのようにうねる砂嵐が、二体の吸血鬼を押しつぶす。

 逃れようとする暇さえなかった。白流市は、久路人の庭だ。そこかしこに彼の武器となる黒鉄がある。今彼らがいる道も例外でなく、ドームのように黒鉄が漂っており、抜け出す隙間など存在しない。修学旅行の時のように、黒鉄を没収されず、相手のみが格段に有利になる陣を使われていないのならば。一時的とはいえ、霊力の使用に何の問題もなく、何のためらいもなくぶつけられる相手ならば。そして、相手に化物クラスのバックアップがなければ・・・・

 

「「オァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!?」」

「今更、神格持ちでもないやつに負けるか」

 

 そうして、瞬く間に二体の真祖は灰になった。

 

 

---------

 

 風に運ばれ、灰の塊が空に舞っていく。

 

「ふぅ・・・・」

 

 久路人はそこで、大きく息を吐いた。

 だが、まだ気は抜かない。珠乃にやられたときは、「倒した!!」と思った後だったからだ。

 

「黒飛蝗・・・」

 

 目を瞑り、砂鉄を飛ばして辺り一帯を観測する。

 ・・・・どうやら、人っ子一人いないようだ。霊力の感知にも引っかからない。

 いや・・・

 

「これは、メアさん?すぐそこまで来てたのか」

 

 街の端の方に、見知った気配を感じた。

 メアの戦闘能力は、特別な術こそ使えないが七賢に匹敵する。「あの人が来ればもう安心だ」という安堵感から、久路人はやっと力を抜いた。

 

「はぁ・・・」

 

 これならば、ここまで自分を追い詰めなくても助かったかもしれないと思うが・・・

 

(いや、そんなことない。この僕が、雫を守れたってことが大事なんだ!!)

 

 久路人の顔に、知らず知らずのうちに笑みが浮かぶ。

 気が抜けたことで、それまでアドレナリンの放出で静めていた傷の痛みが蘇るが、それすらも勲章のように思えた。確かに自分は怪我を負ったし、雫も矢を受けるなど、無傷とはいかなかったが、命は助かったのだから。

 ここ最近久路人を悩ませていた事柄も、これならばなんとかなるとどこかに吹き飛んでいくようだった。

 

「あ、そうだ!!雫、霊力の異常は・・・」

 

 そこで、久路人は雫の身体を襲っていた霊力異常のことを思い出した。

 そうだ、何も物理的な傷だけが重篤な事態を引き起こすのではない。霊能者にとっては、呪いなどの術によって引き起こされる不調も大事に至る可能性があるのだ。

 久路人は雫の方を振り向いて・・・

 

「大丈・・・ぶっ!?」

「飲んで」

 

 いつの間にか、本当にいつの間にか、雫がすぐ後ろにいたのだ。

 そして、血のにじんだ指を久路人の口の中に突っ込んできた。

 その表情は、俯いていて影ができているために良く見えなかったが。

 

「ふぃ、ふぃふく?」

「いいから飲んでっ!!」

 

 目を白黒させながらも、反射的に口の中に入ってきた指を舌でなぞる。

 鉄くさい液体が舌を伝って、喉を通るのを感じ・・・・

 

「ぷはっ!!・・・わっ!?雫!?」

「・・・・・・」

 

 スッと痛みが消えていくのを感じ、もう十分だと判断した久路人が雫の指から離れると同時に、雫が久路人を押し倒した。

 久路人の上に馬乗りになり、その胸元をじっと見つめている。その紅い瞳は、本物の宝石のようだった。美しくはあったが、まるで無機物のようであり、まったく温度が感じられない。

 

「・・・・・・・」

「雫、さっきからどうした・・・」

「怪我」

「へ?」

「怪我、治ってるね」

「え?あ、うん。・・・前は気絶しててわからなかったけど、雫の血はすごいね。傷も治ってるし、体もなんか軽いような・・・」

 

 雫が見ていたのは、矢の刺さった跡と、刃が走った個所だった。

 先ほどまで血が流れ出ていた箇所には、もう小指の爪の先ほどの傷もない。

 それは、雫の血を飲んだからだけではない。久路人の無茶な行動が原因でもある。

 久路人は極限状態に追い込まれた際に、霊力を循環させて、不純物を塊にして内臓などの重要な部位を避けた個所にまとめた。不純物とは雫の霊力であり、その性質は水に近い。濃縮されたことで久路人の血という液体と同化し、限りなく雫の血液に近いものになると、血流にのって傷を癒したのだ。

 傷の治癒という代償に、体の中に溜まっていた久路人を人外へと導く雫の因子が、若干消費されてしまったが。久路人にしてみれば、霊力の不調を引き起こしていた原因が少なくなったことで霊力の巡りが回復したように感じられていた。

 

「って、そうだよ!!僕のことはいい。雫は・・・」

「『僕のことはいい?』?」

「・・・雫?」

 

 久路人は、雫の様子がおかしいことに気が付いた。

 感じる霊力からムラがなくなっているため、不調は回復したようだが、それとは別におかしく見える。

 そのことを問おうとする前に、雫は口を開いた。

 

「さっきから聞きたかったんだけどさ・・・」

「え?」

「久路人、なんでさっきからそんなに嬉しそうなの?なんで、死にかけたのにヘラヘラ笑ってるの?」

「・・・・・」

 

 雫の表情は、無だった。

 普段喜怒哀楽に富んだ様子からは想像もできないほどに、能面のような顔つき。

 しかし、長年ともに過ごした久路人には、雫がどんな感情を抱いているのか読み取ることができた。

 

(雫、すごい怒ってる・・・?)

 

「えっと、雫・・・・」

「久路人はさ、もう私はいらない?」

「え?・・・・・あ!!」

 

 雫の言葉は、久路人からすれば信じられないものだった。

 だが、即座に思い出す。あの吸血鬼たちと戦う前に、自分が目の前の少女に何を言ったのかと。

 

「ごめん!!本当にごめん、雫!!」

 

 久路人は心の底から謝った。

 戻れるのならば、あの時の自分を斬り殺してやりたかった。

 だが、心の中では喜びもまた渦を巻いていた。

 

 

--僕が、敵を倒した!!僕は、戦えるんだ!!!

 

 

「実は、僕、最近は自分に自信がなかったんだ。霊力も使えなくなって、ただ妖怪に狙われるだけで・・」

 

 

--そりゃあ、ただで勝てるなんてわけじゃないだろう。今日みたいに、何事にも代償は必要だ。

 

 

「ずっと、雫だけに戦わせてた。雫に守られてた。それが、本当に苦しかった」

 

 

--でも、それを気にすることはないんだ。今日みたいに、自分を限界まで追い詰めれば・・・・

 

 

「だからって、あんな言葉を言っていいわけないっていうのは分かってる!!本当にゴメン!!雫にとってはなかったことにできないかもしれないけど、僕はもうそんなことは思ってない!!あの言葉は撤回する!!これからも、僕は雫と一緒にいたいと思ってる!!!それで、今日みたいに雫に迷惑かけちゃうことがあるかもしれないけど!!でもっ!!!」

 

 

--僕でも・・・

 

 

「でも大丈夫!!もしまた今日みたいに何かが襲い掛かってきても・・・・」

 

 

 そこで、久路人はまるでそこに勲章でもあるかのように、誇らしげに傷のあった場所に手をやりつつ・・

 

 

「今日みたいに、どんなに傷だらけになっても・・・・・」

 

 

 その顔に、満面の笑みを浮かべて。 

 

 

「必ず、僕が雫を守るから!!!」

 

 

--雫を守ることができるっ!!!

 

 

 雫の大好きな青年は、(護衛の任を帯びた少女)に、そう言った。

 

「・・・・・・」

 

 そんな、まるで『一世一代の告白をしてやった!!』というような表情をする久路人に、雫の返すモノは・・

 

 

パンッ!!!

 

 

 

「はぶっ!?」

 

 

 雫が送ったモノは、張手だった。

 ビンタだった。腰の捻転が綺麗に乗った、お手本のような一撃だった。

 久路人の身体が吹き飛びかけたが、雫が馬乗りになっているために衝撃を逃がすこともできず、痛みがまともに久路人を襲う。

 

「し、雫!?何を!?」

「久路人の・・・・」

 

 久路人が信じられないようなものを見る目で雫を見上げるも、雫はただ震えているばかりだった。

 その震えは、「久路人を傷つけてはいけない」という契約を破ったことによる激痛か、はたまた内に秘める激情のためか。久路人には、まるで火山が噴火する直前のように見えた。

 

「久路人のっ!!大馬鹿ぁぁぁああああああああっ!!!」

「ガフッ!?」

 

 カッ!!と伏せていた眼を見開きつつ、雫は叫んだ。

 続けざまに、目にもとまらぬ速さで、先ほど打たれたのとは逆の頬をはたかれる。

 状況がまるでわかっていないように混乱している久路人であったが、「どうして自分がビンタされたのか分からない」と言うかのような表情が、雫の怒りにガソリンを注ぎ込む。

 

「私っ!!私はいつも言ってるよね!?「久路人を守るのは私の仕事だ」って!!!久路人、なんにも聞いてなかったの!?脳みそないの!?頭空っぽなの!?どうしてそんな無茶するのっ!!?」

「雫・・・・」

 

 ポタリ、と。

 久路人の胸の上に温かい滴が垂れた。

 久路人が見上げるその先で、久路人の愛する少女は、大粒の涙を流していた。

 

「どうして久路人が無茶するの!!?どうして久路人が私を守るの!?久路人は人間なんだよっ!!?久路人は脆いんだよっ!?ちょっとの傷で死んじゃうかもしれないんだよっ!!?久路人は前に出なくていいの!!久路人は危ない目に遭うようなことはしちゃダメなの!!!久路人は、久路人は・・・・!!!」

「雫・・・・」

 

 久路人の心は痛んでいた。罪悪感で、胸が張り裂けそうだった。

 理由はよくわからないが(・・・・・・・・・・・)、最愛の少女が目の前で泣いている。泣き叫んでいる。

 自分は、すぐに、どんな手を使ってでもその涙を止めなければならない。

 そう思っていた。激情のままに、まるで幼い子供のように叫ぶ雫を久路人はなだめようとした。

 確かに、なだめようとしていた。

 

 

「久路人はっ!!私に守られてればいいんだよっ!!!」

 

 

--その言葉を聞くまでは。

 

 

「・・・・なんだよっ、それ」

 

 カッ!!と、目の前が熱くなるようだった。

 先ほどまで誇らしかった勲章に、泥を掛けられたような気分だった。

 

「何?そんなこともわかんないの?」

 

 だが、雫も止まれなかった。今まで久路人に向けたこともないような、嘲るような言葉と視線を向ける。

 

ーー足手まといの分際で、よくそんなことが言えるなテメェ

 

 雫の中でそんな声がするも、雫は止まれなかった。

 先ほどまでの戦いで晒した無様への怒り、自分への不甲斐なさ。

 そして、『久路人にとって、自分はもう必要ではないのでは?』という恐怖。

 その全てが雫の胸の中で渦を巻いたようにぐちゃぐちゃになって、暴れ狂っていた。

 それを誰かにぶつけなければ、気が狂ってしまいそうだった。

 そしてなにより、今の久路人はあまりにも危うすぎた。

 今日と同じことがまた襲いかかってこようと、何度でも身を削るだろうという確信があった。そのさきに何があるかなど、考えなくともわかる。

 それだけは。その結末だけは、雫には認められない。

 

「久路人は、大人しく家で過ごしてればいいの。私が守るから。もう、どこにも行かなくていいの。必要なことは、全部私がやるから」

 

 それは、雫なりに、久路人のことを最大限に思っての言葉だった。

少しでも最悪の結末から遠ざけたいと願うが故の言葉だった。

 だが、その真意が届くことはない。

 惚れた女にそんなことを言われて、「はいそうですか」と流せるほど、久路人は達観しても、腐ってもいなかった。何より、その言葉は、『ルール違反』だからだ。

 

「・・・・雫、お前は、約束を破る気か?」

 

 久路人もまた、先ほどまで敵と認めた相手にしか向けない声音で続ける。

 

 

--仮に契約がなくなっても、我が友を守る。だから、妾と同じように、お前も妾を守るのだぞ。よいな!!

 

 

「あの約束を、守りあうって約束をっ!!お前はっ・・・!!!!」

「久路人だって!!!」

 

 約束を破ることは、久路人にとって最も許せないことだ。それは、例え自分がこの世で一番好きと言える少女であっても。

 怒り心頭という顔で続けようとする久路人を遮るように、雫は叫ぶ。

 

「久路人だって、約束破ってるじゃん!!!何が、『守りあう』よ!!ボロボロになってるのは、久路人だけじゃないっ!!!!」

「・・・・っ!!!」

 

 その言葉に、久路人は黙らざるを得なかった。

 確かに、雫の言う通りではある。

 さっきの戦いでは、追い詰められたのは二人共だった。

 だが、勝手に自分から窮地に入って活路を開いたのは久路人だけだ。その意味では、久路人は約束を破ったと言えるだろう。

 しかし、だ。

 

「はっ!!それは、しょうがないんじゃないの?だって、あの場をなんとかするには、あの方法しかなかった!!あれが!!あれだけが正解だった!!!」

「・・・っ!!」

 

 それを認められるほど、久路人はまだ『大人』ではなかった。

 久路人の取った選択肢は、開き直りだった。

 

「『守られてばいい』だって?そっくりそのまま返すよ!!!雫は、僕が守る!!雫が僕を守る必要なんてないくらい、僕は強い!!!」

「っ!?」

 

 ビクリと、雫が震えた。

 久路人には分かるはずもないが、それは、雫にはもっとも言ってはいけない言葉だった。

 雫が久路人の傍にいるための、最も大きな理由を、真っ向から否定する言葉だった。

 

 

ドンッ!!!

 

 

「ぐわっ!?」

 

 雫が、久路人の胸を強く押して立ち上がった。

 人外からの不意打ちを受け、久路人は少しの間息が詰まり・・・・

 

「~~~~~っ!!!!!!!!」

 

 ダッと足音を立てて、雫は走り去っていった。

 キラキラと、輝く水滴を落としながら。

 

「雫ッ!!・・・・・フンっ」

 

 それを見て、久路人は立ち上がって反射的に追いかけそうになったが、その足は止まる。

 さきほど久路人が言ったのは、雫にとって最悪の言葉だったが、その前に雫が口にした言葉も、久路人にとっては言ってはいけない言葉だったのだから。

 

「・・・・僕は間違ってない」

 

 あくまで、己は正しいことを言ったと、久路人はそう思う。

 けれども、久路人の胸には、後味の悪い痛みが残っていた。

 

「・・・・・」

 

 

--雫を守れてよかった!!

 

 

 そんな、誇らしい気分は、最初からなくなったように消えてしまっていた。

 

 

「帰るか」

 

 

 そして、久路人もまた、歩き出した。

 リーリーと、今更ながら、「こんなにうるさかったか?」と思うほどの虫の鳴き声をBGMに。

 うだるような暑い夏の気配が残る夜道を、足を引きずりながら。

 

「・・・・・」

 

 少女が走り去っていった方向と同じ、帰るべき家の方に。

 

 




正直ヴェルズのやりたかったことは色々ありますが・・・
今回は「くそっ…じれってーな 俺ちょっとやらしい雰囲気にしてきます!!」的なのがメインだったりします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

説教

ウジウジパートに自分でもイライラするんじゃ~!!!
今回は、前回は雫が超ダブスタだったけど、久路人も久路人で周りの事考えてないよねって話です。自分を追い詰めるためにわざと矢と剣を受けるとか狂人の思想だからね?

あと、今週はめっちゃ忙しくなりそうなので、更新できない可能性大です。


 夏の早朝。

 白い朝日が朝靄を切り裂いて降り注ぎ始め、鳥の鳴き声が響く。

 夏休みを楽しむ子供たちには、ワクワクする一日の始まりを予感させるだろう。思わず外に飛び出したくなるに違いない。

 しかし、月宮家のある一室は、外のさわやかな空気とは無縁であった。

 

「・・・・・・」

 

 窓を締め切った真っ暗な部屋の中で、雫はベッドに横になっていた。

 

「・・・・・・」

 

 白い着物が寝転がったことで少しはだけ、キメ細やかな艶かしい柔肌がさらけ出されているが、それを気にする様子もない。

 

「・・・・・・」

 

 その顔は能面のようで、紅い瞳は仮面に嵌まるガラス玉のごとく美しいが、無機物と言われても信じられるほどに生気がこもっていなかった。今の雫を人形だと言ったら、それを疑わないのは難しいだろう。元々の人間離れした端正な容姿もあって、初めからそういう姿勢になるように計算された芸術品に見間違えられても無理はない。もっとも、彼女を鑑賞できる者は誰もいなかったが。

 

 

「・・・・・朝」

 

 やがて、やっと一言を呟いた。

 目線だけが部屋の時計に向くが、それだけだ。全く動く気配がない。

 普段ならば、この時間にはもうこの部屋にいないはずなのに、だ。

 

「久路人・・・・」

 

 ポツリと、名前だけを呟く。

 大好きな人の名前。

 いつでも隣にいたいと思う人の名前。

 離れたくないと思う人の名前。

 行こうと思えば、1分もかからずに会いに行ける人の名前。

 だが・・・

 

「・・・・・」

 

 生気の抜けた表情のまま、雫は動かなかった。

 否、動けなかった。

 

「私・・・」

 

 その脳裏に巡るのは、昨日の吸血鬼との戦い。

 

「最低だ・・・」

 

 そして、その直後に自分が言い放った一言だ。

 昨晩、逃げるように家の中に飛び込んで、そのまま布団にくるまったが、その間にもずっと耳の中に残る言葉。

 枯れるほどに涙を流し、皮膚がこそげるほどに目を擦っても頭の中に響く声。

 

 

--久路人は、私に守られてればいいんだよ!!

 

 

「私の方が弱かったのに、役に立たなかったのに、守ってもらったのに・・・」

 

 昨日の戦いで、不調なのは久路人のはずだった。

 だが、実際には雫の方が動けなくなり、逆に久路人は自身の霊力異常を克服し、真祖と化した2体を屠って見せた。その間に雫にできたことと言えば、ただ茫然と気だるい体で地べたに座り込んで見ているだけだったくせに。護衛としての役割を果たすどころか、逆に守るべき人間に守られたくせに。あの場は、久路人が言うように、久路人のやり方こそが正しかったのだ。

 あんな八つ当たりなんて、口が裂けても言ってはいけなかったのに。

 

「私に、あんなこと言える資格なんてあるわけないのに・・・・!!」

 

 そもそも、それ以前の問題で、久路人の調子が悪かったのは雫のせいなのだ。

 今もまだ、久路人の中には、久路人の知らないうちに人間を止めさせる因子が残っている。

 そのことだけでも、自分に何かを言う権利など消し飛ばしてしまうというのに。

 

「うううううううぅぅぅ・・・・・っ!!!!!」

 

 ジワリと雫の眼の端に涙が浮かぶ。

 心の中は、自分を責める言葉で溢れていく。

 その手が白磁のような肌から肉をえぐり取ろうと動くが、傷をつける前にピタリと止まる。

 そうだ、本来なら、もうこの部屋を出なければならない時間なのだ。

 

「ここでクヨクヨしてるくらいなら、もっと他にやることがあるでしょうが・・・!!」

 

 そこで、雫はベッドから抜け出して立ち上がった。

 ゆっくりと部屋のドアまで歩き、ドアノブに手をかけ・・・

 

「・・・・・・」

 

 スルリとその手が滑り落ちた。

 そのままペタンとその場に座り込んでしまう。

 

「ダメ・・・・」

 

 この部屋から外に出ようとする気力が、底が抜けたかのように消えていく。

 どうしても、考えてしまうのだ。

 

「無理だよ・・・」

 

 あの時のどうしようもないくらい愚かな言葉を。

 それがもたらした結果を。

 ああ、そうだ。

 絶対に、もう・・・

 

「私・・・・」

 

 この水無月雫という護衛失格の役立たずでグズで無能でどうしようもないくらい卑しいカス妖怪なんて。

 

「久路人に、嫌われたっ・・・!!!」

 

 ボロボロと、大粒の涙が次から次に溢れてくる。

 顔を両手で覆ってみるも、指の隙間から流れ落ちて、床に水たまりを作っていく。

 

「私、どんな顔して久路人に会えばいいか、わかんないよっ!!」

 

 謝らなければならない。

 昨日のことを、何もかも。

 久路人を守れなかったこと。

 久路人に守らせてしまったこと。

 何もできなかったこと。

 そして、最低の八つ当たりをしてしまったことを。

 そうしなければならないのだ。

 なのに・・・

 

「怖い、怖いよ・・・」

 

 昨日は、荒れ狂う心の暴風が誤魔化してくれた。

 八つ当たりが元ではあったが、間違ったことばかり言ったわけではないという自覚は今もある。

 だが、今の雫に、昨日のような真正面からの口喧嘩などできる気概はなかった。

 思い出してしまうのだ。これまで敵にしか向けられていなかった、あの冷たい表情と言葉を。

 

 

--久路人に、これ以上嫌われたくない。

 

 

 その想いが、今の久路人に会うことを拒絶する。

 久路人の眷属化を始めたころは、嫌われるのも覚悟できていたつもりだったが、とてもでないが耐えられない。

 あの戦いの前と後で、2回も拒絶された。1回目はまだよかった。久路人が自分を本当に心配してくれたから。だが、2回目はダメだ。なぜなら、久路人のその心遣いを踏みにじったようなものだから。

 久路人にあんな仕打ちをしてしまったのだ。

 もう、取り返しがつかないくらいに嫌われてしまったに違いない。

 

「私、私っ・・・!!!」

 

 今の雫には、ただうずくまって泣くことしかできなかった。

 昨日の吸血鬼との戦いと同じように。

 ただただ惨めだった。

 結局、自分には何もできないのだと突き付けられているようで。

 事実、何もできなくて。

 いっそ、このまま消えてしまいたいとすら思うほどに・・・

 

--コンコンコン・・

 

 唐突に、ノックの音がした。

 

 

「っ!!」

 

 反射的に、雫はドアから離れた。

 雫が人化するまでは、部屋から出られない雫を出すのは、たった一人だけが担う役割だった。

 失礼があってはいけないと、雫の方から部屋の扉を叩くまでは、決して入ってこなかった。

 人化してすぐは、着替える必要もないのに服を着崩して待っていたのに、結局一回も勝手に部屋に入って来ることはなかった。

 そんな少し神経質なくらい律儀なところも、雫には愛おしくて・・・

 

「く、久路人・・・・?」

 

 雫は、恐る恐る、消え入りそうな声でその名前を問いかけた。

 普段ならば、久路人の方から部屋に来てくれたら喜んだだろう。

 だが、今は無性に怖かった。

 震える声でドアの向こう出ていった声への返事は・・・

 

「雫様、私です。メアです」

 

 それは、雫がよく知る、この家の主に仕える従者の声だった。

 

「なっ!?メア!?何故ここにっ!?」

 

 本来ならば、ここにいるはずがない者の声に、雫の中にある鬱屈とした気分が少々薄れた。

 

「貴方は昨日ずっと部屋で眠っていたようでしたからね。気が付かなくとも無理はありませんか。そのあたりのこともお話しましょう」

 

 いつものように抑揚のない、機械のような声。

 この従者は、主のことが関わらない限り、基本的に感情を表に出さない。

 だが、心なしか、今日のメアの声音は穏やかなような気がした。

 

「部屋のドアは開けなくても結構。そのまま、私の話に付き合ってくれませんか?」

 

 ドア越しに、そんないつもと違う様子のメアは、そう言ったのだった。

 

「まずは、昨日の事からお話ししましょうか」

 

 

---------

 

「さて、それでは詳しい事情をお聞かせ願います、久路人様」

「・・・うん」

 

 リーリーと虫の鳴き声が聞こえてくる夏の夜。

 月宮家の居間で、本州の西端からいかなる手段を使ってかものの数十分で駆け付けたメアは、なぜか両頬が赤く腫れている久路人にそう問いかけた。

 

「ああ。その前に、私がどうしてこの場にいるか説明しましょう。久路人様にも持たせていますが、雫様にも術具を持たせており、それで雫様のバイタルに異常があったことが感知できたため、異常事態と判断しました。ここにいる私はスペアのボディであり、霊力の半分ほどを移譲していますが、本体は京の傍にいます。そして、いざここにまで線路のやら高速道路の上を駆けてきたら既に状況は解決済みだったというわけです」

 

 そうして、メアは改めて問いかける。

 

「それで、何があったかご説明していただけますか?ここに、普段貴方様の影のように控える雫様がいないことも含めて」

「っ!?」

 

 雫のことを問われた瞬間、久路人の表情が歪んだ。

 大好きな少女から平手打ちと、これまでの信念を台無しにするような発言をもらったのは、ほんの一時間ほど前のことだ。

 久路人としてはあまり話したくはない。しかし、話さなければならないこともあるのは理解しているので、細部はぼかして説明する。

 突然吸血鬼と思しき二人組が襲い掛かってきたこと。結界の影響を受けていなかったこと。何度倒しても復活したこと。途中、無理やり自分を追い込んで霊力制御を回復し、真祖とやらになった二人組を撃破したことを。

 

「・・・・なるほど。由々しき事態ですね。結界をすり抜けて侵入してきたばかりか、その影響も受けない大穴を通れるレベルの妖怪がいるとは」

 

 メアは珍しく整った眉をしかめながらそう言った。

 京を絶対的な主として信仰するメアにとって、彼の作った術具は完璧な逸品だ。それをいかなる手段を使ったのか、すり抜けるような真似ができる者がいるなど、大変不愉快なことであった。

 

「この屋敷に着いてから確認しましたが、この街を覆う結界に問題は発生していません。久路人様のお話からしても、そこに疑いはないでしょう」

「え?」

 

 どういうことだ?と久路人は怪訝な表情になった。

 結界に異常があったから、あの吸血鬼は侵入できたのではないかと。

 だが、メアはそこに答える気はなさそうであった。

 

「その点については、後程肝心な時に大事な場所にいない役立たずの保護者(京)に確認してもらいましょう。それで?ここに久路人様の護衛である雫様がいない理由は何でしょうか?久路人様の表情を見るに、怪我を負ったという様子ではないようですが」

「・・・・・・」

 

 久路人は、サッと目を背けた。

 そこを説明するのは、久路人としても避けたかったのだ。

 そんな久路人を見て、メアは珍しいものでも見るかのように目を細めた。

 

「久路人様がそのような反応をするとは稀有なことですね。もしかしてですが、喧嘩でもしましたか?」

「なっ!?」

「反応が分かりやすいですね。しかし、本当に珍しい。一体どのような理由でそのようなことになったのですか?」

「・・・・雫が、よくわからない理由で怒ったんですよ」

 

 契約のこともあって追及を逃れられないのを悟ったのか、あるいは、話している内に胸中に溜まった不満をぶちまけたくなったのかは分からないが。

 久路人は、それまでの様子が嘘のように怒涛の勢いで語り始めた。

 

「いつも、雫は僕を守ってくれている。それは契約だからだ。でも、そのせいで雫が傷つく」

 

 久路人は語る。これまで胸の中で燻っていた想いを。

 

「僕は、それが我慢ならない。確かに、契約を守ることはとても大事なことだ。でも、僕と雫は契約だけじゃなくて、約束もしてる。契約なんてなくてもお互いを守りあうって。その約束を蔑ろにするのは絶対に許せない。なにより、雫が傷つくのも嫌だ」

 

 月宮久路人という青年は、約束を順守する。

 中でも、雫との互いを守りあうという約束はとりわけ重い。それは、久路人が約束を抜きにしても雫という少女を大事だと想っているからだ。最初に雫と結んだ契約とその後に結んだ約束。どちらも大事なもであるが、どちらの方を優先するかといえば、約束の方だ。

 

「だから、僕は強くなろうとした。雫が傷つかなくても済むようにって。僕が雫を守れるようにって。それに・・・」

 

 

--雫は、僕の血のせいで狂っているんじゃないのか?

 

 

 今の久路人を悩ませ、力に駆り立てているのはその懸念だ。

 朝のチェックや、日々の言動から、雫が自分に好意を持っていると思うのは久路人の自惚れではないだろう。あの九尾に言われる前までは、「蛇としての本能が抜けてないから」だの「男として見られてないから」だのと思っていたのだから自分はどれだけ鈍感だったんだとも思ったが。

 ともかく、今の雫は、久路人に対して異性として好意を持っているのはほぼ確実だろう。

 だが、その好意が自分の血によって強制的に持たされているのだとしたら?媚を売って、血を得やすくしようという無意識によるものだったら?

 それならば、今後も血を与え続ければ、雫はもうどうしようもないくらいに狂ってしまうんじゃないのか?ならば、雫に血を与えるのを止めなければならない。それには、契約を守る意義を無くす必要がある。

 雫に、守ってもらう必要がないくらい強くならなければならない。

 もちろん、血が狂わせている云々はメアには言えなかったが。

 

「でも、雫はそれを嫌がった。危ないからって・・・」

 

 久路人は、高校の修学旅行の後から、それまでよりも過酷な訓練を己に課していた。だが、それで体調を崩してから、雫の厳しいチェックが入るようになり、結局は大幅に緩められたトレーニングしかできなかったのだ。霊力に異常が出てからはさらに顕著になり、ここ最近では体を動かすことにすら難色を見せていたほどだ。

 

「だけどっ!!」

 

 そこで、久路人は力強く言葉を切った。

 

「今日はっ!!僕が雫を守ったんだっ!!雫が途中で動けなくなったから、僕がやるしかなかったっ!!」

 

 そこに雫はいないのに、まるで目の前に雫がいるかのように、自分の想いを分かってもらいたいとでも言うかのように。

 

「あの時は、あれが正解だった!!僕自身を追い詰めて!!極限まで追い込んでっ!!葛城山の時みたいに、大逆転を狙うしかなかった!!」

「・・・・・」

 

 口から唾を飛ばしながらも、熱に浮かされたようにまくし立てる。

 スッとメアの視線が冷たくなったことに、久路人は気が付かなかった。

 

「なのにっ!!雫はそれを否定したんだっ!!『私に守られてればいいんだよ』って!!意味が分からない!!あの時守ったのは僕で、雫は僕に守られたのに!!」

 

 それは、久路人の中で燃え上がる理不尽への怒りだった。

 見返りを求めてやったことではない。大事な人を守ろうとするのは当たり前のこと。だが、それを拒絶されるのは納得がいかない。

 久路人は本気でそう思っていた。

 それは、早く雫を自分の血から解放しなくてはならないという使命感もあるのだろうが、あの時雫が言った理由に皆目見当がつかなかった。

 だから今、こうして心の内をさらけ出し・・・・

 

「僕はっ!!・・・・」

「もういいです」

「雫のことを大切に想って・・・・・え?」

 

 メアの温度が籠っていない言葉が、久路人の熱弁を猛烈に冷やした。

 

「どうして雫様がこの場にいないのかは分かりました。ですので、その独りよがり全開の聞くに堪えない自己主張はもう結構です」

「・・・・どういう意味ですかっ!!」

 

 その言葉を久路人は聞き流せなかった。

 他の事ならば全く構わないが、雫を守ることで「お前が間違っている」などと言われることに、久路人は我慢できなかった。

 だが、そんな久路人に対するメアは・・・

 

「言葉通りの意味です。何やら熱く語ってくれましたが、久路人様が勝手に暴走した結果、たまたま運よく事態が解決したということ。さらには、雫様だけでなく、京が貴方様を案じる気持ちまで踏みにじっていることに全く気付いていないことはよくわかったということです。こんなに懇切丁寧に解説したのですから、流石に理解できましたよね?」

 

 その瞳に敵意に近い光を宿しながら、そう言ってのけた。

 

「メアさんも、僕が間違ってるって言うんですか!!?」

「・・・耳か脳の検査をお勧めします。私はそんな趣旨で発言した記憶はありません。五体満足で今もこうして生きている以上、間違いは犯していないのでしょうから。たまたま、本当に運よくですが」

 

 普段は京にしか口に出さない、メアの毒舌。

 しかし、今久路人に向けられるそれは、京に向けられるものよりもはるかに冷たかった。

 そしてその毒舌は、久路人を煽るのには充分すぎた。

 

「ああそうですか!!あなたの言う通り、僕は脳に問題があるみたいだ!!メアさんの言うことがちっともわかりませんよ!!なら、雫が動けない時に、僕はどうすればよかったって言うんですか!?あれ以上の正解があったって言うんですか!?」

 

 普段の久路人からは考えられないくらいの荒れようだった。

 それくらい、雫を守るために体を張ることは、久路人にとって誇らしい行為だったのだ。

 そして、久路人にとって、あれ以上の手段はなかったのだ。それを・・・

 

「普通にこの家まで逃げればよかったじゃないですか。そして、我々に電話でも寄越せばよかった」

「へ?」

 

 メアの返答は、至極あっさりとしていた。

 

「貴方のお話を聞くに、相手は吸血鬼が2体。大穴を通ることでしか出現できないレベルが2体の上に、待ち伏せされて、狙撃で狙い撃ちまでされていた。その時点で、速やかにその場を離れる選択をするべきでした。どんなに遅くとも、二度倒しても復活した時には、逃げる算段をすべきでしょう。屋敷までそう遠くもなかったですし、どうしようもない状況ならばともかく、貴方たちならば相手の前衛を倒した隙に逃げることくらいはできたはず。それならば敢えて体を張る意味などありません」

 

 久路人もメアも知らないことだが、ヴェルズが取られて一番嫌な選択肢は、逃走であった。

 あの吸血鬼は血の盟約の関係で同時に2体までしか出せず、手数に乏しい。ヴェルズも全力で妨害するつもりではあったが、遠隔での術の使用には若干のタイムラグがある。もしも死紋蚊の包囲網を超えられたら、血の盟約という「人外へ至る正規ルート」をしっかり見せつけることもできないばかりか、こじれた仲に向き合う切欠すら与えられない。ヴェルズからすればどちらかを殺すこともできず、雫に久路人が逃げるための時間稼ぎで足止めでもされたら最悪だ。彼の思惑が成ったのは、幸運にも呪いを撃ち込む先制攻撃が成功したことと、呪いが効果を発揮するまでの間戦い続けるほどに二人が好戦的であったからだ。

 

「久路人様も知っての通り、この家の結界は非常に強固なうえに、迎撃用のトラップも多数仕掛けています。今はこの街を覆う規模まで結界を展開していますが、それは貴方が一般人と同じように普通の生活を送れるようにするためです。この家に籠城するのならば、外の結界は必要ありません。相手は外の結界をすり抜けて侵入したようですが、もしもあらゆる結界を超えられるのならば、直接この家に乗り込んできたはずです。入浴中でも就寝中でも、わざわざ雫様といる時を狙う必要などないのですから。それでなくとも、家にいる時に襲い掛かってこなかったことを考えるだけでも、この屋敷の結界は有効だったとことは推測できるでしょう」

 

 相変わらず、冷たい口調のままで。

 だが、久路人も言われるままではいられなかった。

 

「で、でも!!もしかしたら、街の人達が人質にされるかもしれなかったじゃないか!!」

「それなら、もっと市街地に近いところで襲うのでは?人気のない郊外に来てから襲撃してきたのならば、向こうもあまり大きな騒ぎにしたくなかったのでしょう。あまりに凶悪性のあることを仕出かせば、それだけ学会からのマークが厳しくなりますから。ですので、貴方たちはさっさと逃げるべきだったんですよ」

 

 久路人の反論も、すっぱりと切り捨てられた。

 これは雫もそうだが、メアにとって取るに足らない一般人と久路人では価値が違いすぎるというのもあるが。仮に人質がいようものなら、雫が先に殺していただろう。

 

「これに関しては、久路人様もそうですが、雫様も悪いですね。ですが、久路人様よりずっとマシです」

 

 そこで、メアは改めて久路人に向き直った。

 その時、久路人は初めて、メアが既視感のある表情をしていることに気が付いた。

 それは・・・・

 

「貴方は、自分の危険性と自分がどれだけ大事に思われているのか、まるで理解していない」

 

 雫が、久路人の頬を打った時の表情とよく似ていた。

 

「貴方にもしも何かあれば、この街に貼った結界が丸ごと壊れていたかもしれない。葛城山のように大穴すら空いたかもしれない。そのリスクを考えれば、貴方が体を張る必要はない。それどころか、マイナスです。そうなるくらいならば、雫様に殿を任せて貴方だけでも逃げた方がマシなくらいには」

 

 その怒りが、自分の大事な造物主()に心配されていること並びにそれに無頓着なことに対する嫉妬がから来ることには気が付かなかったが。

 

「そんなことができるわけないでしょうっ・・・!!大体!!大事に想ってるとかいうなら、僕だって雫のことを・・・・!!」

「いい加減騎士様気どりはやめろクソガキ」

「っ!?」

 

 いつの間にか。

 本当にいつの間にか、久路人の首筋にナイフが突きつけられていた。

 

(反応できなかった・・・!?)

「さっきから守っただの守るだのと調子こいてるようですが、お前が真祖に勝てたのは京の結界による弱体化があったからです。血の盟約による真祖化というのは、陣こそ使えませんが、霊力や身体能力、再生能力は神格を持つ本物の真祖と同等レベルになります。体を焼こうが、灰になってから復活するくらいは余裕です。一時的にハイになっていたからといって、死にぞこないが持久戦に持ち込まれたら勝ち目はなかった。お前は、本当に運が良かっただけに過ぎない・・・・まあ」

「・・・・・」

 

 久路人にナイフを当てながら、メアは普段と変わらない口調で喋りかける。

 久路人は、メアと護衛の契約は結んでいない。メアがその気ならば、自分はあっという間にあの世行きであるのに、それを心底どうでもいいと思っていそうなメアに恐怖を抱く。

 

「正直に言って、ワタシにとって、お前が正しかろうが間違っていようが全くどうでもいいことなんですが・・・・」

「・・・・・」

 

 久路人は、その言葉に返事もできなかった。

 メアの雰囲気は、口ではどうでもいいと言いながらも、その眼は怒りの炎が灯っていたからだ。

 

「『同じ傷ができて嬉しい』とでも言いたげなクソみたいな自己満足は、反吐が出るほど嫌いなんですよ。体を張るのは構いませんが、それならばお前がやるべきだったのは、『心配かけてゴメン』と謝ることであって、守る側の気持ちを馬鹿にすることじゃない。『大事に想ってる』だとか笑わせるな。リスカして気を引こうとしてるメンヘラと同レベルなのに気付いてないんですか?ワタシの大事な主の願いを踏みにじってるくせに喜ぶなよクソガキ」

「・・・・・・」

 

 「ついでに、雫様の想いもね」と言いながら、メアは取り出したナイフを仕舞う。

 そして、久路人に背を向けた。居間の出口に向けて歩きながら、メアは背後に声をかける。

 

「散々好きに言いましたが、吸血鬼が街に侵入できたのは我々の落ち度です。そこだけは謝罪しましょう。そして、今日の私の暴言も含め、京に告げ口するかは貴方様の自由です。それでは」

「・・・・・・」

 

 そうして、月宮家の居間には、何も言えなかった久路人だけが取り残された。

 

「守る側の気持ち・・・?」

 

 ただ・・・

 

「・・・・くせに」

 

 防音性に優れた月宮家の壁は、その声を誰にも届けなかった。

 

「雫が、どうして僕なんかを好き好んで守ろうとしているのかも知らないくせにっ!!」

 

 ドカっと居間にあったゴミ箱を蹴り飛ばしつながら、久路人はその言葉を吐き出した。

 そのこじれにこじれた思い込みを否定できる者もまた、誰もいなかった。

 

 

---------

 

「とまあ、そんなことがありまして・・・」

「言いすぎだ馬鹿者ぉぉおおっ!!!?」

 

 ドア越しに語られたメアのあまりにもあんまりな言いざまに、雫はそれまでの暗澹たる気持ちも忘れてツッコむのだった。

 

「む。心外ですね。雫様の言いたくても言えないことを代弁したと思ったのですが」

「だからやりすぎだっ!!確かに守る側の気持ちを考えて欲しいとも思ったし、体を大事にして欲しいのも事実だが、言い方がきつすぎるぞ!!!」

 

 今、メアは雫の代弁と言ったが、よもや、「『雫様がおっしゃっていたのですが~』などと頭に付けていなかっただろうな?」と本気で心配した。そんなことを言われていたら、関係の修復は絶望的だ。

 今の雫には久路人に対して何かを言える資格などないという気持ちと、久路人の言葉への共感があった。  メアの言葉は、大半が雫にもグサリと刺さる言葉のナイフであった。

 

「大体、久路人の言う気持ちは、妾にも分かる。妾だって、久路人を守るために傷つくことは厭わん。久路人を守れればそれでいいとも思う。傷ついても、それを勲章のように思うかもしれん。まあ、久路人に心配をかけるのならば謝るくらいはもちろんするが。そもそも、あの場で妾が守られるしかなかったのは確かであって、その意味では久路人の方が正し・・・・」

「ああ、その辺は私にはどうでもいいです。あの時は久路人様がムカついただけなので。雫様が心配する気持ちを踏みにじろうが別に構いません。ただ、京の願いを蔑ろにした上にまったく気にしていないことだけは全力でぶん殴ってやりたいくらい腹が立ったんです。まあ、実際に殴るわけにもいかないので、精神的に煽ってやろうと思い、適当に刺さりそうなことを言ってみただけですね」

「お、お前・・・・」

 

(暴君か・・・)

 

 雫の内心は、その感想だけに満たされていた。

 『こいつ、自分の都合しか考えてないのか?』と。

 

「まあ、というわけで、久路人様の自己犠牲癖をどうにかしたいので雫様のところに相談しに来たんですよ。久路人様に何か言い聞かせるなら、貴方が一番でしょうから。いつまでも、京の願いを無視されるようなことをされたら、それこそ私が我を失いそうなので」

 

 そうして、マイペースを崩さず、メアは当たり前のことを言うようにそうのたまった。

 

「何がどういうわけなのだ。それに、そう言われても、妾は久路人に八つ当たりを・・・」

「ああ、それと」

 

 そして、メアは自信なさげな雫を遮るように・・・・

 

「久路人様の体内に、雫様の血が大量に混入していることについても、説明をお願いしますね」

「!?」

 

 雫にとって、自らのすべてを崩壊させかねない爆弾を放り投げるのだった。

 




もうすぐ、第三章はガラッと動きます。
それまで私も我慢ですね。このスレ違いに私がイラついてきたわ。

そして、ツイッターのURL貼っときます。
更新については、これで発信するかも。
https://twitter.com/qvhsokxvkihcqui


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

数年越しの願い

今までで一番の難産でした・・・毎度こんなこと言ってる気がするな
ちなみに、今週の日曜日も楽しい楽しい社内ゴルフなので、更新は無理かもです。
更新してほしい人は、日曜日に台風が直撃するように雨ごいをお願いします。


「久路人様の体内に、雫様の血が大量に混入していることについても、説明をお願いしますね」

 

月宮家の雫の自室。そのドア越しにメアの口から飛び出た言葉を聞いた瞬間の雫の行動は決まっていた。

 

--バァン!!!

 

 文字通りドアを蹴り開け、ターゲットを血走った紅い瞳で探す。

 

「・・・あまり屋敷の中を傷つけないでいただけますか?この屋敷は、京が設計した、いわば私の姉妹のようなもの。手荒に扱うようなら・・・・」

 

 瞬時にドアの前から飛びのいて壁を背にしたメアは不快そうな表情で雫に苦言を呈する。そして、言葉を言い切る前にメアは割烹着の袖からナイフを取り出した。

 

「・・・・!!!!」

「頑丈な手ですね。このナイフも京の作った一品。ドラゴンの鱗でも裂ける切れ味なのですが」

 

 狭い廊下の中だ。あまりリーチのある武器は使いにくい。そのため、雫が選択したのは自身の肉体だ。クリスタルのような氷に包まれた雫の貫手がメアの心臓めがけて突き出され、それをメアはナイフを交差させて受け止めていた。

 「契約」によってメアに殺意を向けて行動に移したことで、雫の身体を鈍痛が襲うが、久路人に平手打ちをした時ほどではない。これならば戦闘は続行できると雫は判断した。

 

「しかし、先ほどから申し上げておりますが、屋敷内での戦闘行為は控えてください。もしも設備が傷つくようなら、私としても貴方を処分する必要性が・・・」

「そうか。ならばその前にお前が死ね」

 

 会話をするつもりなどないと言うように、雫は体を引き絞って、もう一度攻撃する構えを見せる。

 

 

--久路人の眷属化のことがバレた以上、コイツは生かしておけん。

 

 

 雫がメアを襲う理由は、それだけだった。

 ここで雫が久路人を人外にしようと画策していることが京に伝わってしまえば、流石の雫といえど何らかの処罰は免れないだろう。死刑も充分に考えられる。まだ道半ばなのだ。こんなところで計画を邪魔されてたまるものか。なによりも・・・

 

 

--これ以上久路人に嫌われたら、私が私でいられなくなる!!!

 

 

 昨日のことで、ただでさえ関係にひびが入っているのだ。ここでメアの口から久路人にまで事の次第が伝われば、久路人との仲は完全に崩壊するだろう。数年もの間騙し続けていたこと、密かに人間を止めさせようとしていたこと、最近の霊力異常の原因。どれをとっても致命的だ。眷属化が完全に進行しているのならば永い時をかけて修復できるかもしれないが、今はまだダメだ。もしも今の段階で久路人に完全に嫌われたら、確実に雫の心は死ぬ。その確信があった。

 だからこそ・・・・

 

「お前は、お前は今、確実に殺す!!妾と久路人が共に・・・・」

「ああ、私に先ほどのことを告げ口するつもりはないですよ」

「歩むために・・・・・は?」

 

 今にも月宮家ごと凍らせようとしていた雫であったが、その殺気が風船がしぼむように消えていった。

 

「待て!!お前、今・・・」

「・・・昨日の久路人様もそうでしたが、揃って耳を診ていただくことをお勧めしますよ。念のため再度申し上げますが、私に久路人様が人間を止めかけていることを言いふらすつもりはありません」

「・・・・・」

 

 こともなげにそう言って見せるメアの表情は、いつものように人形然としたそれだ。何の感情も読み取れない。雫が訝し気な視線をぶつけるも、小揺るぎもしなかった。

 

「・・・どういうつもりだ?」

 

 睨みつけている間に頭が冷静になったのか、雫は静かにそう問いかけた。

 対するメアは、出した時と同じようにナイフをしまう。

 

「そうですね。いくつか理由はありますが、一つ言うならば・・・・」

 

 そこで、メアは初めて表情を変えた。

 

「『愛する人と永遠に生きていたい』という想いに口出しする資格がありませんので」

「・・・お前」

 

 その時のメアの顔は、わずかにほほ笑みを浮かべていた。

 嬉しそうに、そして、誇らしそうに。

 しかし、それはほんの一瞬の事だった。

 意外そうな顔をする雫の前で、すぐさま元の鉄面皮に戻る。

 

「もうそれなりに時間が経っていますが、色々と長くなりそうですし、やはり部屋に入っても?」

「・・・ああ」

 

 雫としても、メアに聞きたいことができた。

 雫は言われるがままにメアを自室に招くのだった。

 

---------

 

「ひとまず私に告発する意図はないということを前提に、久路人様のことについて伺っても?」

「その前に詳しく聞かせろ。言いふらす気はないというのはなぜだ?」

 

 雫の部屋は久路人の部屋に比べると殺風景だ。

 ベッドと机に椅子。そして大きな本棚と小ぶりな衣装タンスくらいなもの。実年齢は数百歳とはいえ、年頃の少女と大して変わらない精神であることを考えれば少ない方だろう。

 雫の娯楽の大半である漫画やらゲームやらを久路人の部屋に置いてあるからだが、そんな少し寂しい部屋の中で、ベッドに腰掛けた雫は椅子に座るメアにそう聞き返した。

 

「まずは先ほど申し上げたように、私、さらに言うならば京に他の七賢にしても添い遂げたい相手と永遠に生きたいという想いを・・・・申し訳ありません。質問に質問を返すようですが、貴方が久路人様と永久にいたいという前提は間違っていませんか?当然そうだろうとは思っていましたが、確認はとっておりませんでしたので」

「ああ、間違いない」

 

 久路人と恋人として、妻として永遠に添い遂げる。

 それは雫にとっての究極の目標である。今更問われたところで動揺などしない。

 

「そうですか、それは失礼しました・・・では続けますと、我々に貴方の想いを否定する資格がないこと、貴方が久路人様に危害を加えるつもりはないということが判明していること、その上で久路人様が人外化によって長生きする分には京も悪い顔はしないであろうということ、久路人様が自衛する手段が増えることで京の負担が減ること、自己犠牲癖が出てきても早々死ななくなるであろうこと、それによって京の関心が私に集約する可能性が高まることなどが挙げられます。端的に言いますと、久路人様が人外となるデメリットよりも、メリットが上回る可能性が高いからですね。まあ、京も複雑な心境にはなるでしょうが、最終的には許可を出すかと」

「・・・お前も中々自分の欲望に正直な方だな」

 

 メアが告げ口しない理由の大半が京関係だった。

 だがまあ、メアが京を行動の基準に据えているのは雫としてもよく知っているので驚きはないが。むしろメアが本気で告発するつもりがないというこれ以上ない理由であり、雫としては納得がいった。

 

「京は、妾の血が久路人に混ざることをよく思っていなかったはずだが?」

「ええ。妖怪の血が人間に混ざることは基本的に害にしかなりません。ですが、貴方と久路人様ほど親和性が高ければ有害になる可能性は低い。京としてもあまりいい顔はしていませんでしたが、それはあくまで念を入れてといったところです。なにより、貴方と久路人様の間にある契約が反応していない。その時点で貴方に悪意がないことは明白です。霊力の異常にしても一過性のもののようでしたし」

「なるほど、妾の血にお前が気が付いたのは・・・・」

「はい。久路人様の霊力にを至近で観察したところ、ムラがありましたので。久路人様の口からも霊力が扱いにくかったとの報告も受けましたし・・・・久路人様を人外化することに私はとやかく言いませんが、我々に虚偽の報告をするのは感心しませんね。人外化のことはともかくとしても、霊力に異常が起きていることが分かっていれば我々ももっと早くこの街に戻ってきたのですが」

「仕方ないだろう。こんなことをお前たちに正直に言えるか」

 

 現在京とメアは日本各地を巡っているが、久路人は定期的に現況を報告している。雫としては久路人の眷属化など当然却下されると思い、久路人に言い含めて霊力異常のことは言わせなかったのだ。

 

「久路人が人間社会で生きていけなくなることについては?」

「それこそ今更でしょう。今のままでも久路人様が普通に暮らすことは困難です。京が整備したこの街でも小規模の穴がしょっちゅう開くくらいなのですから、忘却界を壊さずに中に入るなど不可能です。実質この街でしか久路人様は人間として暮らしていけないということですから」

「確かに」

(意外といえば意外だが、メアの言うことには筋が通っている。言いふらすつもりが、いや、伝わっても難色を示される程度で強硬に反対はしないというのは確かか)

 

 雫とメアは淀みなく会話を続ける。

 そして、メアと仏頂面で話しながらも雫の頭は回転を続け、状況を整理していく。

 

(否定する資格云々の件は妾にはわからんが、他のことには納得できる)

 

 雫から見ても、京は久路人に対しては少し過保護なところがある。

 いかに特殊な力を持っていようと、特大の厄ネタでもある久路人のために街一つ覆うような結界を造ったり、自分のようなどこの馬の骨とも知れない妖怪を家に上げるなど、普通の感性ではやらないであろう点がいくつも思い浮かぶ。久路人を単なる研究対象や神の血とやらの供給源としか見ていないのならば、家に閉じ込めるなり飼いならすなりすればいいのに、なるべく久路人本人が望むような普通に近い暮らしをさせようとするのも謎だ。今も久路人のために未然の脅威を狩るべくわざわざ日本各地を巡っているのも労力に見合わないだろう。

 彼が久路人を守ることに全力を注いでいるのは間違いない事実であり、久路人が人外化することで長寿化、強化されることには賛成する可能性が高い。人間を止めさせるということそのものに関してはメアの言う通り複雑なのかもしれないが、合理的な京からすれば最終的には利のある方を選ぶだろうということも。

 

(ならば、ここはむしろ京とメアに協力を願うべきか?久路人の説得に力を貸してくれるかも・・・・いや、待て。何か引っかかる)

 

 これまで雫は京たちから反対され、そこから久路人に真実が伝わることで永遠を歩めるようになる前に引き離されることを恐れて眷属化のことを伏せてきた。だが、蓋を開けてみれば京とメアは久路人の人外化に悪い印象は持っていなかった。久路人のことを思えば、人外化はむしろ歓迎すべきとすら。

 だが・・・

 

(いささか都合がよすぎる。久路人が人外になることを認められるなら、京ならばいくらでも手があったはず。なぜやらなかった?いや、まさか)

 

「なあ、メア」

「なんでしょう?」

 

 雫はそこで思考を一旦切ると、思い付いた仮説を口に出す。

 

「お前たちは、最初からこのつもりだったのか?」

 

 京たちがここまで久路人の人外化を受け入れる姿勢ができているとなれば、最初から、それこそ幼い久路人が力を失った自分を拾ってきたころからこの未来を組み立てていたのかもしれない。

 雫はそう思ったのだ。しかし、メアは被りを振った。

 

「いえ。さすがに最初からではありませんでしたよ。ある時期から選択肢の一つとしては考えておりましたが」

「ある時期?」

 

 どうやらその予想は外れていたが、当たらずとも遠からずといったところだったようだ。

 ならば、いつから京たちは久路人が人間を止めることを視野に入れていたのだろうか。

 

「はい。貴方たちが修学旅行から帰ってきたころです」

「なるほど」

 

 そのタイミングも雫にとっては大いに理解できるものだった。

 あの九尾の珠乃に襲撃され、久路人が死にかけた時こそ、雫も久路人を己と同じモノに変えようと決意した時だったからだ。

 

「それ以前に、久路人様の身体が霊力で摩耗していた辺りでも選択肢として考えないではなかったのですが、その時には判断材料が欠けていましたから」

「・・・久路人への安全性か?」

「その通りです。久路人様が高校に入学した辺りで貴方の血は採取していたので親和性についてはおおよその予想はできていましたが、人体実験をするわけにもいかなかったので」

「あの時お前が採血した血か」

 

 高校に入学し、雫が臭いとその辺の妖怪に騒がれるようになったころ、その調査ということで雫は自身の血を提供したことがある。雫は知らないことだが、その血は七賢第五位のリリスのチェックも受けており、彼女の鼻にダイレクトアタックを仕掛けている。

 そして九尾との戦いの後で瀕死の久路人に雫は自分の血を飲ませ、死の淵から救い上げたことで久路人への安全性も確かめられたということだ。

 

(なるほど、合点がいった。確かにそういう背景ならば妾に人外化させてもよいという判断を下すか)

 

 雫は内心でこれまでの話をまとめ、咀嚼した。

 そして・・・

 

 ニィと口の端が釣りあがった。

 

「フフフ・・・」

 

 思わず含み笑いが漏れる。

 雫は、己の勝利を確信したのだ。

 

(ククク!!!ならば、久路人を妾の眷属とするのはもう叶ったと言っていい!!京とメアが反対しないのならば、もはや邪魔者はいない!!いや、二人が味方に回るのならば、久路人に嫌われることも避けられる可能性が高い!!なにせ、妾の欲だけでなく、養父と養母が身を案ずる気持ちまで手札として説得に使えるのだ。事が露見したとて、久路人からの不満や拒絶を分散できる!!考えたくもないが、仮に、仮に妾が完全に拒絶されてしまったとしても、フォローが期待できる!!)

 

 ついさきほどまで部屋から外に出ることすら厭っていたのが嘘のように、雫の心は躍っていた。

 久路人と喧嘩して会いにくいのは変わらないが、すぐそばまで求めるモノが近づいていることを思えばむしろ今すぐにでも会いたい気持ちすら湧き上がってくる。なにせ心強い後ろ盾が手に入ったのだ。今ならば久路人に昨日のような剣幕で怒鳴られてもかろうじて泣かずに済むくらいにはメンタルが強化されていた。

 ・・・・今の雫に、自分が軽い躁うつの気がある自覚はないようだった。

 

「私の意図はご理解いただけましたか?」

「ああ。よくわかった」

「そうですか、ならば、私からも聞きたいことがあります」

 

 メアが何やら言っているが、その言葉も右から左へ流れていく。

 雫の頭の中は久路人に会いに行くことで一杯だった。

 

(そうだな。いつもならばもう久路人の味見をしている時間だ。昨日のことを謝り、守ってもらった礼を言わねばならんし、今すぐにでも向かわねば!!)

 

「メア、話は分かった。お前たちが話の分かるやつらで助かったぞ。しかし、妾は今から久路人のところに・・」

 

 メアが何かを聞こうとしているのは何となくわかったが、それに答えるのももどかしい。

 雫はベッドから立ち上がり、部屋のドアの前まで歩いてドアノブに手を触れ・・・

 

「久路人様の人外化について、もちろん久路人様の同意は得られているのですよね?」

 

 その手が、ピタリと止まった。

 

 

---------

 

「先ほどまでのお話ですが・・・・」

 

 人形のように無機質な表情で、どこまでも温度の籠らない声音で、メアは雫の背に言葉をかける。

 

「久路人様の人外化は、あくまで選択肢の一つです」

 

 雫は振り向くことができなかった。

 先ほどまでの浮かれた気持ちに、自身の操るツララがぶち込まれたかのようだった。

 

「人間のままこの街で生を終えるか、あるいは人外と化して生きながらえるか。京は、その選択を久路人様にゆだねるつもりでした」

 

 メアの口調は変わらない。

 しかし、背後から感じるプレッシャーは一言喋るごとに強くなっていた。

 

「私は、正直に申し上げまして久路人様の生き方にそこまでの興味はありません。ただ、京の願いの通りに進むように手助けをするだけです。つまり、もしも、万が一、貴方が独断で久路人様の同意も得ずに我々の考えていた選択肢を潰すようならば、それは京への反抗です。私としても許しがたい。さらに言うならば・・・」

 

 ギシリと椅子の軋む音がして、メアが後ろで立ち上がったのが分かった。

 京という至高の主に仕えることを至上とするメアにとっては、雫がやっていることは最も理解できないことであった。だからこそ、メアに雫を逃がすつもりはない。

 

「私は、好きな人と永遠に生きようとすることには何も言いません。しかし・・・」

 

 コツコツと硬質な音を立てながら、メアが雫の背後に立った。

 だが、雫には動くことはできなかった。

 

「自分の我がままのために、知らず知らずのうちに引き返せないところまで愛する人を突き落とすような真似には、流石に嫌悪感を覚えます。久路人様も大概でしたが、それもまた最低の行為かと・・・もちろん、きちんと許可を得ているのならば何も問題ないですが」

 

 雫の首筋に顔を近づけ、機械仕掛けの従僕は低い声でそう言った。

 それは、雫にとっての一番の負い目だった。

 

「それで?どうなのですか?昨日の久路人様はずいぶんと空回っているようでしたが、ちゃんと現状を・・」

「・・・・うるさいっ!!!」

 

 地獄から天国、天国から地獄。

 久路人と喧嘩して沈んでいたところに希望を与えられ、そのすぐ後に最も罪悪感を煽る一点を突かれた。

 雫の心は、本人にも分からないほどに乱れていた。今の雫は、どこまでも情緒不安定だった。

 

「メアっ!!お前はいいよなっ!!久路人から聞いたぞ!?お前たちは、京の方からお前に惚れたのだろう!?お前のために方々を回ってパーツを集め、生身の身体を捨てているのだろう!?そして、京の方から永遠を歩みたいと言い出したのだろう!?」

「・・・・・・」

 

 雫は、永い常世での弱肉強食の生活せいか、何事にも保険をかけ、大義名分や安全マージンを取りたがるところがある。自分の弱みのようなものを晒さない。それは、雫が愛してやまない久路人が相手であってもだ。いや、むしろ久路人相手だからこそ弱みを見せない。

 

 弱みを見せたら、失望されるかもしれない。

 護衛として失格と思われるかもしれない。

 もういらないと言われるかもしれない。

 捨てられるかもしれない。

 

 そんな恐怖を、常にため込んでいる。

 あの修学旅行の一戦までは、それでも問題はなかった。雫は護衛としては非常に優秀であったし、そもそも雫を脅かすような大物が現れることなど今の現世で早々あるはずもない。その心に蓄積していた恐怖は表に出ることなく、日々の久路人との触れ合いによって、緩やかに溶けていったのだ。

 

「妾はっ!!妾と久路人は違う!!妾と久路人がともにいるのは、契約があるからだっ!!妾と久路人の関係は、あくまで契約に縛られた結果に過ぎん!!確かに情がないわけではない!!しかし、それは友情とか、そういうものだ!!決して、その先に進めるものではない!!そんな様で、正直に『人間やめて』などと言って受け入れられるものか!!」

 

 しかし、あの時から、雫は少しずつ壊れていた。

 あの日、雫は負けた。久路人を守れなかった。

 それまで積もっていた恐怖が現実味を帯びた。

 さらには、久路人が永遠にいなくなってしまうという、もっと重い恐怖まで背負ってしまった。

 

「ああそうだっ!!妾は、久路人を騙しているっ!!久路人が知らぬ間に食い物に血を混ぜて、人間を止めさせている!!最後には妾なしでは生きられぬ眷属としようとしている!!」

 

 久路人に嘘を吐き続けているという罪悪感がその心を腐らせ、目を曇らせていた。

 久路人とのこれまでの繋がりが見せていた輝きも、ほんの少し目を離したすきに消えてしまいそうなくらい儚いものに見せていた。

 これまで築いてきた二人の絆も、雫にとっては偽りや契約という打算の上に成り立ったもののように思えていた。そう思ってしまうような行いに、雫自身が手を出したせいで。

 だからこそ、雫は約束ではなく契約に縋る。久路人が自分よりも強くなることは望まない。自分が久路人の傍にいるための理由を、一つでも失いたくない。

 

「ああ!!妾はどこまでも卑しい、最低な雌だろうよ!!自分の血が久路人に飲まれているのを見て興奮する屑だ!!久路人を好きだという資格すらないだろう!!だがっ!!だがなぁっ!!!」

 

 だから、雫は八つ当たりをする。

 昨日、久路人に対して言ったのと同じ。自分にどうしようもない状況に陥った時に、その乱れた心を吐き出すように。そうしないと・・・

 

「そうでないとっ!!!そうしなければっ!!もう気が狂ってしまいそうなんだっ!!!久路人がいなくなることをっ!!久路人がいない世界に取り残されることが頭によぎるだけでっ!!」

「・・・・・」

 

 ドアノブに手を触れたまま。ドアの方を見たままに、雫は背後のメアに叫ぶ。

 

「久路人に嫌われることもっ!!久路人がいなくなることも恐ろしいっ!!昨日も、怖くて怖くてたまらなかった!!!久路人が、あのまま死んじゃうかと思った!!ああそうだよ!!最近の久路人はおかしいよっ!!」

 

 いつの間にか、その口調が久路人に話すときのそれになっているのに、雫は気が付かなかった。

 

「久路人は、異常だよ!!あんな風に命を削るような真似をしてまで、なんで私なんかを守ろうとするの!?全然わかんないよっ!!あんなことを続けたら、久路人が本当に死んじゃうのに!!」

 

 心の中をすべて吐き出すように、雫は聞かれてもいないことまで叫ぶ。

 それは、ここしばらくの雫の中にあり続ける疑問だった。

 

「久路人のことならなんでも知っていると思っていた!!どんなことでも理解できると自惚れていた!!」

 

 それは決して傲慢ではない。

 月宮久路人の人生の大半において、常に雫は傍にいたのだから。

 いつでも、二人で過ごしてきたのだから。

 

「けど!!私には、今の久路人のことが全くわからない!!それが、それが悔しくて、不甲斐なくて、そして、怖くて怖くてたまらない!!」

「・・・・・」

 

 はーっ、はーっと雫は肩で息をしていた。

 その顔には涙が伝い、雫が今朝部屋から出ようとした時のように、床にシミを作る。

 それでもなお・・・

 

「私はっ!!」

「もう結構ですよ。お気持ちはよくわかりました」

 

 それでも己の中にあるものを吐き出そうとした雫の肩を、メアの手が叩いた。

 

「やはり私が女だからでしょうかね。久路人様よりも、雫様の主張の方が理解ができますね」

 

 そう言いながら、メアは無駄に綺麗なバックステップで椅子に座りなおす。

 不思議なことに、椅子がきしむ音も床を蹴る音も聞こえなかった。

 

「メア・・・」

「似た者どうしですね、お二人は。お互いがお互いを想い合っているのに、拒絶されるのが怖くて、それを表に出さないせいですれ違っている。独りよがりなところもよく似ています。まあ、自覚がある分、雫様の方が大分マシですが」

「お互いを、想い合っている・・・?私と、久路人が?それって、どういう・・・」

「おっと、失言でしたか。忘れてください。いえ、覚えていてもいいですが、詳しいことは私には聞かないでくださいね・・・それよりも先に話すことがありますから」

 

 メアの言葉の中に、とても聞き逃せないことが入っていたが、それは煙に巻かれてしまった。

 ごく自然に振り向いた雫がメアの顔を見るも、やはり表情はいつもの鉄面皮だ。だが、今はどこか微笑ましいものを見ているようにも見えた。

 そのまま、メアは改めて姿勢をただす。

 

「どうやら貴方は我々の考えていた選択肢を潰したようですし、そこは腹立たしいですが、処分をすぐに下すのは早計です。要は・・・」

 

 そこで、メアは雫と目を合わせた。

 

「貴方が用意した道を、久路人様が自分の意思で選びとっていたのならば何も問題はないのですから」

「なっ!?」

 

『始めから久路人が人間をやめるつもりだったのならば、それでいい』。

 メアが言っているのはそういうことだった。

 

「馬鹿な!!あり得るわけがない!!久路人は常識だとかルールを大事にしている!!勝手に進めることを抜きにしても文字通り人道を外れることなど、まともな神経をしていれば認めるはずが・・・・」

「おや?これはおかしなことをおっしゃいますね」

「なんだと!?」

 

 それまで人間として生きてきた全てを捨てて化物になって生きて欲しいなどという願いなど、まっとうな精神をしていれば受け入れるはずもない。

 そう思いつつ気色ばむ雫に対し、メアは不思議そうな顔をしていた。

 

「貴方はつい先ほど、久路人様のことがわからないと言ったばかりではないですか。どうして人外化を断ることが断言できるのですか?」

「は?」

 

 まさかのカウンターパンチであった。

 

「い、いや待て!そういう話ではないだろう!!あくまで一般常識とかそっちの話で・・・」

 

 あまりにも意外な視点に、雫は混乱した。

 それは考えたことない可能性でもあった。しかし、今までずっと久路人は人間を止めることなど認めないと思いながら進んできたのだ。いきなり鞍替えできるはずもない。

 

「だいたい!!それを言ったら受け入れるかどうかも分からんだろうが!!」

「分からないなら、知ろうとすればいいではないですか。きちんと確認したんですか?面と向かって聞いたんですか?」

「え?い、いや?」

 

 これ以上ない正論であった。

 言い返せない正論に、雫の攻勢が一瞬止まり、素直な答えが飛び出す。

 改めて他の者から聞かれてみれば、久路人が人間をやめることを拒む明確な証拠のようなものはパッと思いつかなかった。普通の人間ならば嫌悪感を感じることだろうが、久路人は雫のこと以外ではいたって理性的に対処するし、人外に特別な嫌悪感を示すこともない。

 伴侶に人外を選べるかどうかはわからないが、妖怪に狙われやすい体質を考えれば、久路人が人外となることそのものにはそれなりにメリットがある。

 ならば・・・

 

--人間をやめることは、久路人にとってのルール違反にあたるのだろうか?

 

 

 そんな考えが頭をよぎった。そんな雫を知ってか知らずか、メアはさらに畳みかける。

 

「なら、答えは確定していないじゃないですか」

「そ、そうはいってもだなぁ!!普通、まっとうな神経をしていればそんなことは拒絶するのが当然・・」「私としましては久路人様はまともな神経とやらは持っていないように思いますが」

「何ぃ!?久路人を馬鹿にするな!!」

「いえ、これも先ほど貴方が言ったことではありませんか。『久路人は異常だ』と」

「あ・・」

 

 雫は、自分の投げたブーメランが顔面に直撃したような感覚を味わった。さっきと併せて二度目である。

 そんな雫を尻目に昨日の久路人との会話を思い出しながら、メアは続ける。

 

「久路人様の、雫様を守るという意思は異常です。本当に貴方の言う通りですよ。守るための力が欲しいからと言ってわざと吸血鬼に斬られにいく人間がこの世に何人いるというのですか。それ以前に、妖怪に対してあそこまでフレンドリーな時点で完全な異常者です。我々や久路人様以外と関わりのない貴方には実感できないかもしれませんが」

「それは・・・」

 

 まさしく狂人の所業である。

 そして、何がそこまで久路人を狂わせているかと言えば、それはメアの目の前にいる少女に他ならない。

 

「あれはもうヤンデレと言っていいかと。いえ、自分の傷を誇らしげに想っていた節もありますし、メンヘラも混じっているでしょうか?それが貴方を家族として見ているからなのか、それ以外の枠で見ているからなのかは断定できませんが」

「ヤ、ヤンデレ、久路人が、妾にヤンデレ・・・・はっ!?」

 

 ヤンデレ久路人という単語が雫の脳内に生み出され、独占欲全開になった久路人が自分を檻の中に監禁する場面と、首輪をつけられて喜びながらお散歩プレイする自分というシチュエーションが一瞬で構築された。そのまま甘美な妄想の中に取り込まれそうになったが、そんな場合ではないとすぐに我に返る。

 

「いや待て!!妾と久路人は昨日大喧嘩をしたぞ!!妾など、契約を破って二度も平手打ちをしてしまったし、久路人のやったことを真っ向から無下にしてしまった!!もう久路人に守ってもらえるとは・・・」

「あのですねぇ、雫様」

 

 頭が可哀そうな生き物を見る目で雫を見やりながら、メアはそこでため息を吐いた。

 

「なら、貴方の立場で考えてください。貴方は、もう久路人様を守りたくないと思っているのですか?」

「そんなわけがあるか!!」

 

 考えるより先に、反射的に否定していた。

 確かに今は久路人に会いにくいとは思っているが、守りたいという想いには一切の曇りはない。そうでなければ、朝からドアの前で泣くこともなかっただろう。

 

「久路人様も同じですよ。命を投げ捨てて守ろうとした相手を、暴言を吐かれた程度で諦めると思いますか?昨日話した限りでは、あの執念がちょっとやそっとの口論で消えるとはとても思えません。その口喧嘩にしても、久路人様が貴方を守りたいという主張を、ほかならぬ貴方が受け入れられなかったのが発端でしょう?昨日の久路人様はかなり自己中でムカつく点がありましたけど、貴方を守りたいという想いだけは一貫していましたよ」

「むぅ・・・」

 

 雫はあまり思い出したくない昨日の喧嘩のことを思い起こしながら口ごもる。

 確かに、あの喧嘩の元は久路人が自分のみを顧みずに雫を守ろうとしたことだった。雫としてもそこまでの気持ちを向けられることはたまらなく嬉しいが、護衛という役割の必要性がなくなって傍にいられる理由が消えるのは嫌だったし、何より久路人が傷ついて死んでしまうかもしれないことが怖かったから受け入れられなかった。だが、久路人も強硬に己の意思を曲げようとしなかったから、最後には雫の方が逃げ出してしまった。

 メアの言う通り、久路人が雫を守ろうとする意志は、鋼のように硬かった。

 

「久路人は・・・」

 

 ポツリと、雫は独り言を言うようにこぼす。

 

「なぜ久路人はそこまでして妾を守ろうとするのだ。久路人が約束ごとに律儀なのは知っているが、あの約束に守られるような価値は、もう妾にはないというのに」

「それは、貴方が自分のやっていることを何も言わないからでしょう」

「!!」

 

 グサリと、言葉が雫の胸に刺さった気がした。

 

「久路人様は貴方によって人間を止めつつあることを知らない。だから、貴方が自分を卑下する理由も分からない。それならば、久路人様にとっては貴方がたが結んだ約束というのは未だに有効なのでしょう。部外者である私からすれば、約束に価値がないというのは貴方の思い込みにしか見えませんが」

「・・・・・」

「久路人様に、サトリ妖怪のような心を読む能力はありません。いいですか?これは久路人様にも言えることですが・・・・」

 

 言い聞かせるように、諭すように、メアは言う。

 

 

「想いなんてものは、言葉にしなければ伝わらないんですよ」

「・・・・・」

「貴方は久路人様のことが好きなんでしょう?ならば、それを避けて通ることはできません。例え人間をやめさせることができたとしても、そのことも、貴方の想いだって必ず話さなければいけないのですから。それを成さずに繋がりあえることなどありえないのです。早いか遅いかの差です。貴方は・・・」

「・・・・・」

 

 雫は、その言葉を黙って聞くことしかできなかった。

 だが・・・・

 

 

「久路人様と心の底から結ばれないで、満足できるのですか?」

「!!」

 

 その言葉が届いた瞬間、雫の胸の中で何かが沸き立つのを感じた。何かが、記憶の底から浮かび上がってくるような感覚。

 

(そうだ、妾は久路人を諦めることなどできん・・・・なんだ?ずっと前にも、こんなことがあったような)

 

 メアに諭される自分。

 こんな状況が過去にもあった。

 

 

ーー「貴方は久路人様とこの先ずっと「友達」で止まって満足できるのですか?」

 

 

 かつて言われたその台詞。

 満たされるか問うのは同じでも、その深さはまるで違う。

 

(そうだ。人化の術を習得する前だった。あの時にもメアに発破をかけられたからこそ、妾は人化ができた。久路人への本当の想いがわかったから)

 

 その言葉をきっかけに、いくつもの記憶があふれでる。

 

(そもそも最初に人化の術を覚えようと思ったのは、妾が久路人に惚れていると気づいた時は、妾が初めて人化した時は・・・)

 

 どうして今この瞬間にかつての記憶がよみがえるのか?

 今の自分が何をしたいのか、正直雫には分からない。いろんな恐怖や自己嫌悪が絡まって、かつて持っていたものを取り落としてしまったから。だが、過去の自分なら、それを持っているはずだ。

 過去の自分が今の自分を見たのならば、果たして何と言うだろう?

 

(きっと、怒るだろうな。久路人と喧嘩するなんてありえないって思うはずだ。いや、贅沢だと思われるかな?なにせ、昔の妾は言葉で喧嘩することすらできなかったんだから)

 

 自分がまだ蛇の姿だったころ。

 あの頃は、文字が書かれた板に尻尾を押し当てて意思疎通をしていた。

 あれは本当にまだるっこしかった。久路人とたくさん話がしたいのに、少しずつしか言葉を交わせなかった。伝えきれないこともあった。そうだ、今でこそ人の姿が当たり前になったが・・・

 

(妾は・・私は、今でも、久路人の恋人になりたい。久路人のお嫁さんになりたい。初めて人化の術を使った時は、久路人を守りたかった。助けたかった。イジメられてた久路人を慰めたかった。久路人と遊びたかった。普通の女の子みたいに触れ合いたかった。そして、それよりも前には・・・)

 

 そうして思い出すのは、一番最初に人間になりたいと思った時のこと。

 

(久路人と、たくさん話してみたかった。言葉が届けられないのが、もどかしかったんだ)

 

 あのトカゲのような妖怪を久路人が撃退した後のことだ。

 あの時、自分は久路人に対して興味を持ったのだ。そして、そこからどんどん久路人という存在の大きさが膨れ上がって、気が付けば約束を交わして友達になり、そして惚れていた。

 初めて喋れるようになった時には、やっと話せると泣きそうになった。

 

(話してみたい。久路人と、たくさん)

 

 最近の自分は、ちゃんと久路人と話せていただろうか?

 雫は自身に問う。

 

(本当に、心の底から思い切り話せたことは、多分なかった。最近・・・ううん。人化して、久路人が好きだってわかった時から。あの時から、怖くなったから)

 

 蛇だったころは、久路人に嫌われるだなんて考えたこともなかった。あの時は、雫は完全な人外だったから。そして、そう思っていたように、久路人に拒絶されることなどなかった。

 人化してからなのだ。人の姿を手に入れたからこそ、生まれたものなのだ。雫の中に「人外だから嫌われるかも」などというもしもへの恐怖が巣食い始めたのだ。

 

(そうだ。私はまだ、叶えてない・・・)

 

 人化の術は、その願いに大きな影響を受ける。

 願いによって、容姿や能力、心の在り方は変容する。雫の口調が、久路人と話す時だけに、普通の女の子のようになることだってそうだ。それは、雫が普通の女の子のように久路人と話してみたかったという願いの発露だ。

 

(久路人と、思いっきり色んなことを話してみたい!!話して、知って欲しい!!私が望んでいることを!!久路人に歩いてほしい道を!!)

 

 人化の術を会得してから、数年越しの願いの自覚。

 それは、今になって久路人と真正面から話せない状況が来たからか、過去の自分を彷彿とさせる場面が巡ってきたからなのか。

 ともかく、今の自分の中に久路人に嫌われる恐怖と拮抗するかのように、熱い何かが満ちていくのが雫には分かった。

 

「・・・・・」

 

 それまで不安定に光が明滅するかのようだった雫の瞳に、火が点いたような輝きが灯ったのがわかったのだろう。そこで、メアは立ち上がった。まるで、やるべきことをやり終えたのが分かったように。

 

「・・私が今日ここに来たのは、久路人様の変化の確認と久路人様が京の意思に反して早死にするのを貴方にどうにかしてほしいからです。そして、昨日に久路人様、今日に貴方と話してよくわかりました。私の目的を達成するために必要なものは、先ほど申し上げたように、あなた方二人がきちんと腹を割って話し合うことです」

 

 ツカツカとドアの前まで歩いてきたので、雫はドアの前から離れた。

 その眼は、しっかりとメアを見つめ返していた。

 

「それでは、伝えるべきことは伝えたので、私はこれで・・・」

「ああ・・・・ありがとう、メア」

 

 そうして、雫はさっきまでの自分と違って何のためらいもなくドアノブを掴んで回したメアを見送り・・

 

「いや待て。最後に一つだけ聞いてもいいか?」

 

 去り行くメアの背中を、雫は呼び止めた。

 

「・・・なんでしょうか?」

 

 雫が過去の自分を思い出していたように、メアもまたこの瞬間、数年前のことを思い起こしていた。

 あの夜も、去ろうとしたメアを雫が引き止めたから。

 そして、そんなメアを見ながら、あの夜のように雫は教えを乞う。

 

「・・・メア。お前は、血の盟約というものについて、詳しく知っているか?」

 

 それは、いささか突拍子もない問いだった。

 

「・・・またずいぶんと脈絡のないことを聞きますね。いえ、確か昨日戦った吸血鬼が結んでいたのでしたか・・私も詳しく知っているわけではありませんが、人間をやめさせる方法の中でも、最も高度で強力な契約ということくらいですね。貴方も会ったことのある、リリス様が専門家です。詳しいことは彼女に聞いた方がよろしいかと」

「そうか・・・ありがとう」

「いえ・・・」

 

 そうして雫もメアに背を向けて自室のコンセントの傍で屈み、充電してあったスマホを手に取った。電話帳を開き、かつてリリスからもらった番号を呼び出す。その様子を、振り返ったメアはじっと見つめていた。

 

「・・・なんだ?部屋を出るのではなかったのか?」

「いえ。少々気になりまして。何故、今になって血の盟約のことを?」

「昨日戦った吸血鬼どもが言っておったのだ。ただの人を至高の領域に押し上げる秘法だとな。どうせ久路人を人外にするのならば、そちらの方法も参考になるかもしれないと思った」

「・・・結局、今まで通りに進めるということですか?」

 

 メアの声が、冷たさを帯びた。

 今までのように久路人への同意なく人外化を進めるというのならば、それは自分の言ったことを無視するということであり、すなわち京への叛逆だ。

 

「いや、きちんと久路人と話し合うさ」

 

 だが、雫はあっさりと否定する。

 

「妾が何をやっていたのか。久路人をどうしたいと思っていたのか。久路人にどうして欲しいのかを、久路人に話そうと思う。思いっきり、心の底を晒してな。その時のために、知っておきたいんだ」

「・・・そうですか」

 

 

--もう大丈夫だろう。

 

 

 心の中でだけ、メアはそう呟いた。

 そのまま今度こそ振り返らずに部屋を出て、ドアを閉めようとして・・・

 

「雫様」

「・・・なんだ?」

「最後に、一つ最愛の人と結ばれた者としてのアドバイスです。お互いのすべてを話し合った上で、意地の張り合いでにっちもさっちもいかなくなるようならば・・」

 

 本当に珍しいことに、メアは京以外の人物を手助けする。

 メアからしても、自分がどうしてここまで肩入れしようと思ったのかは分からない。

 この二人がくっつくことが京にとっても都合がいいだとか、昨日の久路人がムカついただとかの理由もあるが、それだけではない。今の、くっつきそうで様々なしがらみのせいでくっつけない二人に、思うところがあるのかもしれない。

 機械仕掛けの身の上ながら、実体のない心とやらを分析しつつ・・・

 

「その時は、寝込みでも襲ってしまいなさい。京に口利きくらいはしてあげます」

「はぁっ!?」

「こういう時は、女の方から襲ってしまえば丸く収まるものです。まあ、貴方にそんな真似をする度胸があればの話ですけど」

 

 電話がつながらなかったのか、スマホを耳から離した雫が素っ頓狂な声を上げるのを聞いた。

 返事が返って来る前に追い打ちを浴びせて、メアはドアの隙間を閉じる。

 

「よ、余計なお世話だ!!!」

 

 雫が投げた枕は、したたかにドアを叩いたのだった。

 

---------

 

「・・・・はぁ」

 

 朝と呼べる時間から、昼に変わりそうな頃。

 いつもよりだいぶ遅い時間に、久路人は目を覚ました。

 

「・・・寝坊か」

 

 天井を見ながら、ポツリと呟く。

 

「・・・いつもなら」

 

 寝起きの頭であるが、久路人は気付いていた。

 気づかないはずがない。いつもなら目覚めたらすぐ隣に感じるはずの温もりが足りないのだから。

 きっと、自分が起きられなかったのは・・・

 

「雫・・」

 

 今まで毎日欠かさずにこの部屋に来てくれた少女の名前を呟く。

 自分が恋焦がれている、けれども昨日には喧嘩してしまった少女。

 彼女が来なかったから、自分は起きられなかったのだろう。起こしてくれる必要はない。傍にいるだけで、久路人はいつも通りに動けるのだから。

 

「・・・・」

 

 結局昨日はあれから会うことはできなかった。

 家に帰ったらすぐにメアとひと悶着あったからだ。雫が泣きつかれて眠ってしまったころ、久路人は自分の中に渦巻く激しい負の衝動を、己を気絶させるかのようにして眠って抑えつけていた。

 だから、久路人は雫の顔を半日以上見ていない。

 こんなことは、雫に会ってから初めてだった。

 そして、久路人にとってそれは・・・

 

「・・・・調子が出ないな」

 

 もう一度、久路人は布団の中にくるまった。

 昨日の夜は猛り狂っていたのに、今は何もする気が起きなかった。

 そのまましばらくうつ伏せに枕に顔を預けていたが・・・・

 

「・・・・・」

 

 ゴロンと転がって、再び天井を見つめた。

 

「・・・・僕は」

 

 その耳をよぎるのは、機械仕掛けの使用人の言葉。

 

 

--自分がどれだけ大事に思われているのか、まるで理解していない

 

 

「・・・・僕は」

 

 そして、脳裏をかけるのは、夕闇の中走り去っていく少女の後ろ姿と、その少女から零れる滴。

 

「・・・・僕は、間違ったことはしてない。あの場から助かるには、ああするしかなかった」

 

 それらを打ち消すように、久路人は己の行動は正しかったと改めて念じる。

 メアは最初から逃げればよかったと言っていたし、それそのものは事実だったろう。だが、現実は二人してあの場にとどまってしまった。ならば、ああするしかなかったはずなのだ。

 そして、守り切ったのだ。だから、自分は正しかった。

 そもそも・・

 

「雫が僕を守ろうとするのは、契約で縛ってるだけじゃない。僕の血のせいだ」

 

 雫は、自分の血で狂ってしまっている。

 あそこまで怒るほどに自分を守ろうとするのは、雫の本心ではないはずなのだ。

 そう、久路人は思っている。

 

「自分がどれだけ大事に思われてるか気付いてない・・?はっ!!とんだマッチポンプじゃないか」

 

 久路人の顔に、自嘲の笑みが浮かぶ。

 雫が自分を大事に思っていることなんて、九尾と戦った後には気づいている。そして、その気持ちの根元から偽りであることも。

 少女の心を弄んで、己を守ってもらう。正しくこれ以下はないクズの所業だ。

 

「なら、これ以上雫に戦わせるわけにはいかないだろ・・・!!!」

 

 自分が心から好きな少女に偽りの好意を仕込んで、戦わせる。

 もしもそれで雫が傷つくのならば、考えたくもないが、万が一死んでしまうようなことがあれば・・・

 

「僕は、僕が許せなくなる・・・!!!」

 

 そうだ。許せない。絶対に認められない。

 雫に嫌われるなんて嫌だ。でも、雫が死んでしまうはもっと嫌だ。

 大喧嘩しても、それは変わらない。だって、守りあうって約束をしたから。

 無理やり守らせているようなものなのだから、自分が体を張って戦って、やっとつり合いが取れるくらいのはずなのだから。そうでなければ、約束を破ってしまう。それもまた、許せないことだ。

 けれど・・・

 

「でも僕は、僕は・・・・」

 

 

--何が、『守りあう』よ!!ボロボロになってるのは、久路人だけじゃないっ!!!!

 

 

 泣きながら、自分こそが約束を破っていると糾弾する大好きな少女の姿が、目に焼き付いて離れない。

 自分に落ちてきた温かい滴を忘れられない。

 そう、どんな理由があろうとも・・・

 

「僕は、雫を泣かせたんだ」

 

 果たして、それは雫を守ったと言えるのだろうか?

 命が助かっているのが一番大事なのはそうだろう。だが、雫が泣いたままならば、雫の心は傷ついたままなのではないだろうか?

 葛城山でも、朧げな記憶であるが、雫は泣いていた。あの時は、雫を守りきることができなかったからだと思っていた。だが、あの時も雫の心は傷ついていたのだろうか?

 ならば、自分はどうするべきなのか?

 

 

--それならばお前がやるべきだったのは、『心配かけてゴメン』と謝ることであって守る側の気持ちを馬鹿にすることじゃない。

 

 

「・・・そうだな」

 

 久路人は、布団を跳ねのけて床に足を着いた。

 寝巻を脱いでからクローゼットから普段着を取り出して、着こむ。

 

「・・・・・・」

 

 どんな状況になろうとも、久路人は己の考えを曲げるつもりはない。

 雫にどう思われようと、雫を庇って戦うことを止めようとはしないだろう。

 だが・・・

 

「謝りに行こう。心配かけてゴメンって・・・・そうだ」

 

 雫が泣いているのは嫌だった。

 雫が泣き止むためにできることがあるのなら、すべてやっておきたかった。

 そして、久路人は自室を出たのだった。

 

「大丈夫。もうすぐだから、雫。お前が守る必要がないくらい、心配しないくらい強くなるから。それまで、辛いだろうけど耐えてくれ」

 

 ・・・・己の抱える誤解と、そこから育った独善に気付かないまま。

 雫が恐怖で壊れていたように、久路人もまた歪んでいた。

 

 

 

------そして・・・・

 

 

 

『アンタたちの経緯は分かったわ。けど血の盟約をもしやるんなら、覚悟はできてるんでしょうね?あの久路人って子が死んだら、アンタも死ぬことになるのよ』

 

 部屋の中で、珍しく誰かと電話で話していた雫。

 不審に思って、術を使ってまで盗み聞きをしてしまった久路人はそれを聞く。

 

「ああ!!」

 

 自分の大好きな少女が・・・・

 

「久路人がいない世界に価値などない!!妾はとっくに、久路人と共に死ぬ覚悟はできている!!!久路人が死ぬというのなら、妾も喜んで命など捨ててやる!!」

 

 もう、どうしようもないところまで、己の血に洗脳されていることに。

 

 

---------

 

 

「なんだよ、それ」

 

 気づけば、久路人は自室に戻っていた。

 どうやって戻ってきたのかは、覚えていない。

 そんなことよりも、頭がスッと冷たくなる感覚が痛かった。

 

「僕と死ぬ覚悟までできてるなんて、正気じゃないぞ・・・!!!」

 

 強くなるまで、契約を履行しなくてもいいくらい力を得るまでは仕方がないと思っていた。

 だが、遅かったのだ。

 

「雫は、もう狂ってるのか・・・?」

 

 好きな人と共に死ぬ。

 それは、恋人たちにとってはある意味幸福なことなのかもしれない。大好きな人と死ねるのだから。

 だが、それは普通ではないだろう。誰かと心中する覚悟なんて、まともでは抱けない。久路人自身は雫となら死ねるとは思うが、雫の方はそんな想いは持ってはいけない。

 

「僕の、血のせいで・・・・」

 

 その想いは、偽物なのだから。

 

「僕は、このままじゃ、僕が雫を・・・・」

 

 

--偽物の「好き」で、雫を殺すのか?

 

 

「ダメだ!!!」

 

 部屋の中で、久路人は叫ぶ。

 それは、それだけは認められない!!!

 

「早く、早くなんとかしないと・・・・!!!」

 

 思い込みは加速する。

 いつもならば、ここまで暴走することはなかっただろう。

 だが、昨日、久路人は初めて本気で雫と喧嘩した。本気で自分を否定された。家族のように思っていた人にも、本気で叱られた。自分が正しいと思ってやったことをだ。

 それは久路人の想像を超えて、その歪みを助長させていた。

 

「早く、早く雫から離れないと・・・!!これ以上、血をあげちゃダメだ!!」

 

 思考がふらつく。考えがまとまらない。

 まるで冬眠から目覚めた熊のように、ウロウロと部屋をうろつくことしかできず・・・

 

「痛っ!!?」

 

 学習机に思いっきり脚をぶつけた。

 机の上に積んであった書類が宙を舞う。

 

「ああもう!!イライラするなっ!!こんな時に・・・・っ!?」

 

 そして、一通の封筒が足元まで落ちてきた。

 それは、運命のいたずらか、はたまた別の何かの計らいか。

 

「これは、これなら・・・!!」

 

 その封筒の差出人には、ある名前が刻まれていた。

 霧間八雲と。

 

 

---------

 

「へぇ、月宮と霧間が手を組むねぇ・・・月宮久雷は、寿命が近いのかな?ずいぶんと、物騒なことを考えるものだね!!」

 

 どことも知れない、光のない黒一色の場所。

 そこで、一人の骸骨のような男が安楽椅子に揺られていた。

 不思議なことに、男が椅子を軋ませるたびに「ウ゛ウ゛・・」といううめき声がするが、その声の主は闇に包まれていて判然としない。

 

「ま!!それもいっか!!面白そうだしね!!!」

 

 片目をつぶり、手に持っていた杖頭の髑髏の眼窩を覗き込みながら、死霊術師は、ヴェルズは笑った。

 

「いつまでもボクがお膳立てしたんじゃあ、つまらない!!ボクの子供たちに比べれば格落ちするが、試練はいくつあってもいいものさ!!!彼らがどの程度進んだのか見るいい機会だ!!」

 

 ヴェルズが笑う度に、ギシギシギシと安楽椅子が揺れる。

 人間の腕を模したかのような手すりに頬杖を突きながら、楽しそうに、ヴェルズは表情を歪める。

 

 

--ヴヴヴ・・・・

 

 

 まるで人間を一人、縦に半分に割って無理やり椅子に加工したかのような物体に腰掛けながら。

 背もたれの頂点から、腐ったような赤い液体が涙のように流れていたが、ヴェルズがそれを気にすることはなかったのであった。

 

 

---------

 

 

 この時、ヴェルズですら思わなかった。

 月宮久路人という青年の思い込みから来る暴走がいささか物足りない試練を大きく変貌させ、図らずも己の願いに大きく近づくことに。

 祝福された青年と蛇の少女のねじ曲がった想いが、大きな転機を迎えることになることを。

 

 




感想をくれると嬉しいです!!
特に最近は暗い展開が多いので、どう思ってるのか知りたいなと思います!!
まあ、もうすぐ書きたいところまで行けそうですけども!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

思い込み

なんとか日曜日に投稿。最近文章量が増えすぎてヤバいけど、分割するのもなという感じ。
ちなみに、来週もゴルフです。誰か僕の代わりに打ってきてください・・


 久路人と雫が吸血鬼に襲撃を受ける日よりも数日前、ヴェルズが結界の綻びを見つけて、今後の計画を練っていた頃。

 日本のある場所で、二つの家による密談が交わされようとしていた。

 

 そのある場所とは、霊峰富士。

 そこは、日本の中でも有数の霊地である。

 大地の奥底を流れる、自然の霊力の奔流である霊脈が地上に顔を出すポイントであり、この忘却界に覆われた現代の現世にあっても、天然の結界が構築されていた。霊能者以外は知覚できず、入ることはできない。そして、霊脈に流れる霊力は世界各地にある霊能者が存在する土地、穴が空いた土地にある霊力が集まったものとされ、本来ならば瘴気も含まれているのだが、忘却界に包まれた現世を長い時間をかけて巡ることで浄化され、人間に害を与えることはない。結界の中は清浄な空気が保たれており、穴や妖怪が現れることもない。

 忘却界が張られた後、人間の意思が絡むことなく張られた強力な結界という存在は霊能者たちにとって争いのタネであった。しかし、学会が台頭してきたことにより霊能者どうしの諍いも抑制されるようになったために、時代が進むにつれて霊能者たちにとって共有の財産として扱われるようになった。

 霊地から溢れる霊力の取り分は持ち回りで各家が受け取ることになり、内部で産出される特殊な霊草や鉱物なども同様だが、それ以上に富士の霊地は霊能者の思惑が混ざらない中立の土地として、複数の霊能者の一族が集まる場となったのだ。

 そして今もまた霊地に建てられた雅な屋敷の中で、日本における有数の名家の内二つである月宮家と霧間家の会談が行われていた。

 

「なんとも、急なお話ですね。驚きましたよ。まさか月宮の方から霧間と手を組みたいなどという話が来るとは」

 

 軽い挨拶を終え、口火を切ったのは霧間の方からだった。

 長い黒髪を首の後ろで一つに結わえた凛々しく美しい少女、霧間八雲はそう切り出した。

 

「ほっほっほ・・・こちらも驚いたと言えば驚いたがの。月宮家当主からの申し出に、当主どころか前当主でもない霧間の息女が受けに来るとは。お主が外に出るとなってはさすがに身を案じられたのではないかの?」

 

 それに答えるのは、見るからに仕立ての良い着物に身を包んだ一人の老人だ。

 だが、着ている物こそ上等であるが、その主は矮躯であった。着ているというよりも、包まれていると言った方がいいかもしれない。頭は禿げ上がり、腕や足からも肉が落ちて、骨と皮ばかりの姿。若かりし頃は美丈夫だったのかもしれないが、今の骸骨のような有様を見て、過去を想像するのは難しいだろう。

 しかし、その眼だけはギラギラと異様な光を放っており、見るものに威圧感と未だ燃え盛る野心を感じさせる。

 そんな老人の名は、月宮久雷といった。もう二百年の間、月宮家の当主を務める人外じみた雰囲気の男であった。その背後には、次期当主と目される月宮健真という男が控えていたが、まるで人形のような表情であり、会話に加わる様子はない。

 

「・・・心配は無用です。霧間は日本でも指折りの名家にして、東日本の霊能者たちをまとめる立場。日々の業務も相当なものです。今頃は父と母を補佐にして、各地のもめ事の処理をしていることでしょう。これでも私も霧間本家の娘として研鑽を積んできた身です。兄も、私のことを気にするよりも目の前の仕事をこなすことを優先するでしょうから」

「そうかそうか。それは何よりじゃな。ずいぶんと信頼されているようで、結構なことじゃ」

「・・・・・」

 

 口調こそ丁寧であるが、両者の間にある空気は刃物を持って構えているかのようだった。

 八雲としては、ある『報酬』が掲げられた突然の申し出に対する不信感から。久雷としては、前当主ではなくその娘が来たことによる、失望感からのものであった。だが、自分の嫌味にもさして動じた様子もなく、こちらの意図を汲んだ返答をしたことで、久雷としても幾分か評価を上げたようだ。その顔にはニヤニヤとした笑みが貼りついている。『報酬』の内容からして霧間家の事情のことなどとっくに把握しているであろう久雷に兄である朧と絡められ、八雲の秀麗な眉には若干の皺が寄っていたが。

 

「前置きはこのくらいでいいでしょう。早く本題に入りませんか?」

「クククッ!!そうじゃの。時間は貴重じゃからな。若人をからかうのも、ほどほどにせんとな」

「・・・・」

 

 八雲の皺が、さらに深くなったが、久雷はただ愉快そうに笑うばかりであった。

 しかし、不意にその表情から感情が消えると、じっと幽鬼のような顔で八雲を見つめる。

 八雲は背中に氷柱が入り込んだかのような感覚を覚えた。

 

「書状にてあらかじめ伝えたが、改めて告げよう。月宮久路人を手に入れるため、儂と組め。見返りは・・」

「月宮久路人の持つ、『天』属性に関する情報。そして、あの吸血鬼、リリス・ロズレットの殺害・・」

「そうじゃ」

 

 突然霧間の地に届けられた、月宮一族からの書状。

 月宮一族は霧間と同じく古くから日本にある名家であるが、強力な霊能者を集めるために手段を択ばないところがあり、霧間としては縁を結ぼうとは思わない相手であった。だが、そんな霧間が月宮からの申し出を見逃せなかったのは、その報酬があったからだ。

 

「月宮久路人の持つ神の力は強大じゃ。じゃが、それ故にその力を扱えておらん。3年前の葛城山で起きた異変で漏れた力も、ずいぶんと荒々しいものじゃったからな」

「・・・ええ。あの時感じた力の大きさは今でも覚えていますよ」

 

 月宮久路人が葛城山で起こした力の暴走。

 あの事件では霧間リリスと霧間朧が迅速に動いたために痕跡などはほぼ残らなかったので詳細は分からないが、葛城の地にいた零細の霊能者の一族が取りつぶされたことから、かの一族が久路人に目がくらんで奸計を巡らした結果だと推測されている。真相は葛城山に封印されていた九尾、ならびに九尾を目覚めさせた死霊術師が原因であるのだが、重要なのはそこではなく、あの時に日本全土から観測された雷の柱だ。

 

「例えどこぞの家が月宮久路人の身柄を抑えたところで、それだけでは何の意味もない。宝の持ち腐れじゃ。しかし、その点我ら月宮は神の力を長きにわたって追い求めてきた一族。かの者が持つ天属性の霊力についても知っておる」

 

 現在、久路人の身柄を、正確には彼の持つ神の力を狙う者は多い。

 しかし、彼らの内誰かが仮に久路人をその手に置くことができたとしても、その目的は叶わないだろう。逆に並大抵の結界を破壊してしまう久路人の力によって妖怪の群れに襲われるのが関の山だ。

 

「今の彼をとどめておけるのは、貴方たち月宮に我々霧間と火向。後は、鬼城くらいでしょう。しかし・・」

「ああ。火向は本家の娘がどこの馬の骨とも知れん下男に連れ去られ失踪。鬼城は、学会の七賢七位、鬼城躁間が支配する家。手を結べるものか」

「でしょうね」

 

 日本有数の霊能者の家は、月宮、霧間、火向の三家だ。

 そのうち、火向は霧間と同じく人外と戦ことを生業とする家だが、『人々を守るため』という信念を持つ霧間とは異なり、傭兵のように雇われた上でのものだ。月宮とは別の意味で手段を択ばないところがあり、人外化に関する研究をしていたという噂もある。今は本家の娘が火向の家に仕えていた従者に連れ去られたと騒ぎになっており、手を組むどころではない。

 鬼城はそこまで有名な家ではなかったが、現当主である鬼城躁間が空間操作と式神の天才的な術者であり、学会の七賢に収まったことで悪い意味で名を知られるようになった。七賢の中でも鬼城躁間は「魔王」を頂点とする、常世に群れなすデーモンの軍団、通称「魔王軍」の参謀を務めており、日本の霊能者からはこれ以上ない異端者として見られている。そして、力関係的にもそんな異端の七賢に逆らえるわけもなく、今の鬼城は学会の勢力に数えられているというわけだ。

 

「そこで、手を組めるのは霧間だけというわけじゃ。お主らも月宮久路人を狙っておるのじゃろう?振られたようじゃがな」

「・・・ずいぶんと耳の早いことで」

「クククッ。何、今の現世では霊能者の存在は公に知られてはおらんが、我らは古くから金稼ぎは得意じゃったからな。色々と便利な世の中になったものじゃ」

「・・・・・」

 

 八雲の視線がゴミを見る目に変わる。

 おそらく、目の前の老人は月宮久路人の住む街から出るありとあらゆる情報を、異能を知らない人間も使って精査しているのだろう。霧間に送り返された郵便物の中身を知るくらいはわけないということか。

 

「しかし、手を組むとは言っても、何をするというのですか?まさか、あの街の結界に特攻をかませというのではないでしょうね?」

 

 月宮のやり口は気に入らないが、言っていることは事実でもある。霧間としては先祖代々守り継いできた霧間谷に土足で踏み入ってきた吸血鬼に罰を下し、一族の希望である霧間朧を取り返さねば気が済まない。

 しかし、相手は学会の七賢五位と、それに洗脳された七賢級の侍だ。その盤面をひっくり返すには、それこそ神の力を手に入れるしかない。そして、その神の力を宿す月宮久路人は、七賢三位が張った結界の中にいる。真正面から挑んだところで何もできずに返り討ちにあうだけだろう。

 これまで保留にされていたという縁談の話を蒸し返して接触を図ったが、それも断られてしまい、正直手詰まりといったところだった。

 

「それこそまさかじゃな。そんな無駄なことをさせるはずがなかろう。先ほど言ったではないか、便利な時代になったものじゃとな」

「・・・・・」

 

 月宮久雷は、その顔を醜悪に歪めて嗤った。

 八雲の汚らわしい汚物を見る眼に動じた様子はない。むしろ、面白がっているようにすら見える。

 

「あの街に張られた結界は強固じゃ。破壊は我らではまず不可能。外部からの霊能者の侵入を阻む効果があり、我らはあの街に入ることはできん。しかし、霊能者でなければ関係はない」

 

 今の白流市を覆う結界は、久路人の持つ力を抑え込むこと、外部からの霊能者の侵入を阻止すること、万一侵入された場合には、強力な弱体化の呪いをかける効果が盛り込まれている。だが、それはあくまで霊能者に関係があるものにのみ作用するのであって、一般人には何の意味もない。

 

「京のヤツも普通の人間を使うことへの対策として術具の設置などはしてあったが、それでも霊能者を相手にするほど強力な殺傷力のあるものは置いておらなんだ」

 

 月宮久雷は、今まで裏世界の住人などにも金をばら撒いて人を集め、白流市に送り込んでいた。しかし、人間と人外の共生を謳う学会の幹部でもある京からすれば、いくら怪しいからと言って非霊能者をおいそれと殺すわけにもいかない。結果として、久雷はがいくつもの伝手を介して足取りがバレないように送り込んだその手の者たちは断片的であるが情報を持ち帰ることができていた。機械技術の発展によって昔よりも情報を集める手段が多角化し、その一つ一つに対して付近の住民にバレないように対策の術具を設置するのが難しかったということもあるが。

 

「近いうちにあの街の警察を懐柔して、月宮久路人を拘束させる。そして、街の外の連れ出す。情報によれば、月宮久路人は真面目で律儀な人柄で、争いは好まないとのことじゃからな。外に出すところまではうまくいくじゃろう。おぬしらに協力を願いたいのは、その先じゃ」

「・・・・彼に憑いているという護衛の蛇。さらには、月宮京と『神機』月宮メアをどうにかしろ、ということですか?」

「ほっほっほ!!察しがよいの!!」

「馬鹿にしているのですか?霧間は七賢の一人をどうにかしようとあがいている最中なのです!!ここでもう一人の七賢に、その従者まで敵に回せるとでも?」

 

 そこで、八雲は席を立った。

 久雷に背を向け、部屋の出口に向かう。

 

「申し訳ありませんが、このお話は断らせていただきます。捨て駒が欲しいのなら、他を当たってください」

「これこれ、そう逸るでない。勝算はあるわい・・・・それとも、お主らはここで話を断って、一生をかの吸血鬼に支配されたままをよしとするのかの?」

「・・・・・・」

 

 ギリッと歯を食いしばりながらも、八雲は振り向いた。

 霧間リリスのことを出されて冷静さを保つのは、まだ高校生の彼女にはまだ難しかったようだ。

 まだ話を聞く気はあるのだろうと判断したのか、久雷は続ける。

 

「何、お主らが実際に戦うことになるのは蛇の護衛くらいじゃろうよ。それでも、神格持ちに迫る大物ではあるが、機会は今を置いてない。今、京は日本各地を回っておる最中じゃからの。月宮久路人を連れ出してから追いつくのには時間がかかる。まあ、人形だけなら早く来れるかもしれんが、戦闘となれば長時間は持たぬ。その間に敵になるのは蛇だけじゃ。街中を通れば、月宮久路人本人は暴れられんじゃろう。そして、お主らが蛇の相手をしている内に、儂が神の力を奪い取る」

「神の力を、奪い取る?」

「そうじゃ。我ら月宮一族はごく微弱なれど皆神の力を宿す。神の力に適性があるのじゃ。詳しい方法までは秘中の秘故に言えんが、神の力を手に入れる算段は整っておる。そして、神の力を手に入れた暁には、京も、霧間の吸血鬼も倒してやろう。これを、儂の名の元に契約で誓おう」

「・・・・・・」

 

 八雲はいぶかしげな表情を崩さない。この老人が正直にすべてを話すつもりなどないことが明らかだからだ。しかし、霊能者がその名にかけて契約を宣言することの重さもまた知っている。

 

「・・・・本当に、契約を交わすおつもりなのですか?」

「無論じゃ。儂は古狸と称されることもあるが、契約で嘘を吐くような真似はせん。というよりも、できん。それは、霊能者たるお主にもよくわかっておるじゃろう?」

「・・・・・・」

 

 八雲はしばしの間考え込んだ。

 この話を受けることのメリットとデメリット。騙されるリスクに、失敗した場合の損害などだ。

 

「・・・・霧間にとって、いささかリスクの大きい話ではありますね。お話の確実性もそうですが、先ほども申し上げたように、現状で七賢、学会と敵対するような真似は避けたい」

 

 いかに契約を結ぶとはいえ、やはり久雷の話だけで信用できるはずもない。先の発言が正しければ、久雷がしくじった段階ですべてご破算なのだ。もしも失敗すれば、今度こそ霧間はあの吸血鬼によって族滅されるだろう。

 

「・・・・ふむ。ならば、霧間は此度、被害者ということにすればよい」

「というと?」

「お主ら霧間は、月宮に弱みを握られて傀儡となっていたということじゃ。これならば、お主らは脅されて従っていただけの被害者となろう。金を借りて、その担保としてという話でもよい。無論、これも契約に組み込もう」

「・・・わかりました」

 

 再び少しの間考え込んだ八雲は、そこで久雷の提案に乗ることを決めた。

 成功すればあの忌々しい吸血鬼に天誅を下すことができる。失敗しても、自分たちは被害者で、月宮もそう供述するように契約で縛る。それならばローリスクハイリターンだ。神格に近い大蛇と戦うことにはなるが、そこについては霧間として覚悟はできている。

 

「その提案を飲みましょう」

「ほっほっほ!!話の分かる者でよかったぞ!!では、契約の準備もしよう。白流市のすぐ近くに、結界を張った区画も用意してある。後で地図も渡そうぞ!!」

 

 久雷は上機嫌そうに笑った。

 その眼の輝きはさらに強くなり、眼にすべての生気を吸い取られたようで、ずいぶんと不気味だった。

 

 

---------

 

 この後、霧間を代表として霧間八雲は月宮久雷と契約を結んだ。

 その内容は以下の通りだ。

 

 

・霧間は月宮と共同戦線を張り、月宮久雷が神の力を手に入れるのに成功する、もしくは失敗するまでその護衛を行う。

 

・月宮久雷と霧間八雲は、月宮久路人とその使い魔、月宮京、月宮メアについて情報を共有し、虚偽の報告並びに独断行動はしない。

 

・月宮久雷は神の力を手にした場合、霧間リリスを討ち滅ぼす。また、学会や月宮京、月宮メアが霧間に襲撃をかけてきた場合にはこれを迎撃する。

 

・月宮家は霧間リリス以外の霧間家の者に危害を加えない。

 

・月宮家は、計画が成功しても失敗しても、対外的には霧間家を脅して従わせたと喧伝する。

 

 

 月宮家にとってずいぶんと不利な条件が多いように思えるが、月宮久雷にとってはどうでもいいことであった。

 富士の地からの帰路。月宮健真の運転する車の中で、久雷は呆れたように呟いた。その手には、手慰みというかのようにスマホのメモリーカードをカチカチと出し入れしている。

 

「ずいぶんと霧間も臆病なモノじゃ。あの吸血鬼に踏み荒らされたときに牙を抜かれたのじゃろうな」

 

 契約を結んだ相手であるが、心底見下したかのような声音だった。

 

「まあよい。神の力さえ手に入るのならば、その程度は些事。一族の悲願を叶えることこそが肝要じゃ。そうじゃろう?健真?」

 

 カチンと音がして弄んでいたメモリカードを嵌め込むと、久雷は自身の孫にそう問いかけた。

 

「・・・・はい。その通りです」

「うむ!!お主は昔はずいぶんとやんちゃをしておったが、近ごろは貫禄が出てきたではないか!!儂が神の力を手にした後も、お主には今まで以上に働いてもらうぞ?」

「・・・・はい」

 

 まるで人形のような返事であったが、久雷がそれを気にすることはない。

 彼にとっては自身と神の力以外はすべてがどうでもよいものだ。

 

「くくく、ああ!!もう少しで手に入る!!いや、手に戻るのだな!!あの懐かしき神の力が!!!」

 

 それまでの骸のように冷たく静かな雰囲気を突然かなぐり捨てて、月宮久雷は恍惚とした笑みを浮かべる。二百年の時を生きてきた老獪な男に宿る妄執の発露であった。

 

「今でも鮮明に覚えておる・・・神の勅命を受け、この世に収まりきらないほどの力が流れ込んでくる感覚を!!そして、それを振るう心地よさを!!」

 

 過去、月宮一族の中には神の命を受け、この世の仕組みに大きな損害を与えうると判断された異分子を排除するために身を投じた者たちがいる。この世の摂理に反して今もとどまり続ける醜悪な死霊術師に、この世界の構造を変えることすら可能とする『陣』を乱発した九尾の狐。そういった脅威は、忘却界が張られた後にも現れた。むしろ、人類との融和に反抗するために現世に取り残された大妖怪たちが殺気立っていた時代があったのだ。月宮久雷は神の力を借りてそんな時代を生き抜いた。しかし、時が過ぎて現世は平穏と呼べるようになったにもかかわらず、老人は神の力を忘れられないでいた。かつて手にした力をもう一度取り戻すために、その生涯を捧げてきた。そして、寄る年波に勝てずに肉体が朽ち果てようとしていたその時に、運命の如く見つけたのだ。本物の現人神を。

 

久遥(くよう)、いや、今は京だったの・・・神の力を追い求めてきた年月と重み、そして叡智は儂の方が遥かに上。お前は儂より先に生身の肉体を捨てて神の力を己のものにしたようだが、儂はさらに強大な力を手にしてみせる!!このような残りカスなどとは違う、本物の力を!!お前も知らぬ、否、下らん情に囚われたお前にはできない手を使ってでもな!!!」

 

 老人の体に、かすかに白い輝きを帯びた雷が纏わりつく。

 それは、葛城山で久路人が見せた光によく似ていた。月宮久雷という男は老いさらばえといえど、神から見ればほんの残滓に過ぎないといえど、この世界を覗く者に至る道しるべに手が届きかけているのだ。霊能者の中でも、相当な高位にいることは間違いない。

 だが、その眼はある一点しか見つめていない。だから、気が付かない。

 

「・・・・・」

 

 自分の孫の中身はとっくに壊れており、代わりに得体のしれないナニカが巣くっていることになど。

 

 

---------

 

 プルルルル・・・と、雫の耳元で携帯の呼び出し音が鳴る。1コール、2コール、3コールと続き・・・

 

『もしもし?霧間リリスですけど、どちら様かしら。この番号をあまり知らない人に教えた覚えはないのだけれど』

 

 教えを乞いたい相手に繋がるとともに、鈴が転がるような声が聞こえてくる。朝から何度か時間を空けて電話をかけたのに繋がらなかったのは、やはり吸血鬼だからだろうか。いや、今はもうすぐ昼に差し掛かる頃だから、吸血鬼云々はあまり関係ないかもしれないと雫は思った。

 

「突然の連絡失礼する。妾は三年前に葛城山でお前、いや、あなたたちに助けてもらった、水無月雫という者だ」

『葛城山?・・・ああ!!あの時の臭い子!!』

「・・・・・」

 

 聞きたいこともあるし、かつて危ないところを救ってもらった恩もある。雫としては珍しいことに、そこそこに気を遣って丁寧な物言いをしたのだが、リリスの口から真っ先に飛び出してきたのは体臭のことだった。客観的に見てもかなり失礼だが、まったく悪びれた様子がない。

 雫の額に青筋が浮かんだが、相手はこれから教えを乞う相手であると強く念じ、聞かなかったことにした。

 

『どうしたのよ?いきなり電話をかけてくるなんて。アンタたちは今、京の家にいるんでしょう?京でもどうにかできないようなことでもあったの?』

「・・・まあ、そんなところだ。妾は知りたいことがあるのだが、なんでもあなたが専門家と聞いてな。時間はあるか?」

『ん~・・・さっきまで朧に鬼○の刃の水の呼吸を真似させてたところだけど、拾壱の型まで終わったからいいわよ。アタシも見た目だけなら波紋疾走使えるようになったしね』

「・・・吸血鬼とその眷属が使っていい技なのか?」

 

 前者はともかく、後者は完全にアウトな気がする。雫も久路人と漫画やアニメの技の再現はよくやるのでやろうと思う気持ちはわかるが。ちなみに雫が真似したのは氷使いの敵の技である。

 だがまあ、雫としても中々面白そうな話題ではあるものの、そちらにかまけている場合ではない。

 

『それで、なんだっけ?アタシが専門のお話?』

 

 幸い、向こうの方から軌道修正をしてくれた。

 

「ああ。血の盟約について、詳しいことを聞きたい。その術を妾が使えるか、使われた者はどうなるかなどをな」

『ふーん・・・まあ、それなら確かにアタシの得意分野ね。血の盟約を完成させたのはアタシだし』

「おお!!やはりそうなのか!!」

 

 吸血鬼の中でしか使われない秘術であるが、吸血鬼の皇族によって体系化されたという話は雫も聞いたことがあった。雫の知る吸血鬼の皇族がリリスしかいないのもあるが、雫としてもリリスが大いに関係しているとは思っていたのだ。

 

「ならば、是非とも教えて欲しい!妾にも使うことはできるか?」

『その前に聞かせなさいな。アンタはどうして血の盟約を使いたいの?それを言わないなら教えないわ』

「む・・・そうだな。それを話すのが筋か」

 

 そして、雫は語った。朝にメアに諭されて気づいた自分の願いを支えに、己のやったことを含めて、すべてを語る。

 

 自分が月宮久路人という青年を愛していること。

 ともに永遠を生きて欲しいこと。

 けれども拒絶されることを恐れ、気付かれないように人外化を進めてしまったこと

 

『・・・・・』

 

 電話越しで表情はわからず、喋ることもなかったが、このときのリリスは機嫌が悪そうだったと、後に朧は語る。

 だが、続く話を聞いて段々と態度を軟化させていった。

 

 最近になってお互いの主張を認められずに喧嘩になってしまったこと

 雫が自分の行いを悔いていること。

 正直にすべてを話して、その上で人間をやめて欲しいと頼む意思を固めていること。

 そのために、血の盟約について話を聞きたいというところまで、雫は語り終えた。

 

『なるほどね・・・何も言わずに人間やめさせるなんてクソみたいな真似すると思ったけど、反省して真正面から向き合おうとするだけマシね。いいわ。その点に免じて教えてあげる』

「・・・・感謝する」

 

 雫は生まれて初めて電話に向かって頭を下げた。

 

『けど、最初に聞いておくわ』

 

 そして、そんな雫にリリスはまず覚悟を問う。

 

『アンタたちの経緯は分かったわ。けど血の盟約をもしやるんなら、覚悟はできてるんでしょうね?あの久路人って子が死んだら、アンタも死ぬことになるのよ』

 

 そんな問答にためらうようなら、雫はここまで拗らせるようなことはなかっただろう。

 その前に久路人を眷属化させようなどと考えなかっただろうから。

 だから、答えは決まっている。

 

「ああ!!久路人がいない世界に価値などない!!妾はとっくに、久路人と共に死ぬ覚悟はできている!!!久路人が死ぬというのなら、妾も喜んで命など捨ててやる!!」

『・・・・そう』

 

 雫の答えを聞いて、リリスは少し間を空けた。

 それまでの溌溂とした雰囲気が少しの間だけ収まる。電話越しでなければ、リリスが遠い目をしているのが雫にも分かっただろう。

 だが、それは本当に少しの間だけで、リリスはすぐに元の調子に戻った。

 

『なら教えてあげるわ。ありがたく思いなさい・・・・・まず血の盟約っていうのを手っ取り早く言うと、たった一人の相手以外から血を吸えなくなる代わりに、その血を極上の質に変える契約よ。人外化はその過程にすぎないわ。人間を己の眷属にするっていうのは、アタシが血の盟約を完成させる前からありふれていたもの』

「そうなのか?吸血鬼に血を吸われた人間はグールとかいう低級のアンデッドになるとは聞いたことはあるが」

『吸った相手をグールにするかどうかは、吸血鬼が選べるの。それに、吸血鬼の格次第ではもっと上等なアンデッドにすることもできるわ。血の盟約は、そういう吸血鬼の特性を加工した術なのよ。どんな人間からも血を吸えて、自らの力に応じた下僕に変えるっていう特性を、一人からしか吸えない代わりに、その吸血鬼専用の極上の血を持つ存在に変えるって感じにね』

 

 電話越しに七賢五位からの講義が始まる。

 学会に所属する者ならば、それこそ血の涙を流してうらやむ者もいるかもしれない。

 

『それで、アンタがこの術を使えるかと言えば、無理ね。吸血鬼としての性質を書き換える術だからこそ、吸血鬼にしか使えないから』

「なんだと!?」

 

 雫はつい声を荒げてしまった。

 雫がこれまで耳にした話では、血の盟約は体系化され、他の種族でも使えるようになったと聞いたからだ。

 

『あ~それはデマね。アタシもことあるごとに言ってるんだけど、噂が独り歩きしちゃってるのよ・・・まあ、完全な嘘ってわけじゃないから噂が消えないんだけどね』

「・・・・どういうことだ?」

『アタシが体系化したのは、血の盟約だけじゃない。他の様々な種族に伝わる方法も調べて、人間を眷属にするための、あるいは単に人外化する条件をまとめたのよ。要するに、人間の眷属化を体系化、一般化・・・まあ、他の種族でも使えるようにしたの。それで一番有名なのが血の盟約だから、それが代表格になったってわけね』

「つまり、血の盟約は無理だが、他の術ならば妾でも使えるということか?」

『そういうことね。というか、アンタはもうその術を使ってるわよ。アタシたちみたいに種族共通で他者を眷属にする手段を持たない連中にとっては、己の一部を取り込ませるっていうのは、ほぼ唯一の眷属化の手段だもの。そのまま続けていれば、そのうちに人外化するでしょうよ・・・ただし、アンタたちの状況を聞くに』

 

 そこで、リリスは一呼吸を置いた。

 そして、告げる。

 

『今のままなら、後50年はかかるでしょうけど』

「な!?そんなにか!?」

『無理やり知能も何もないケダモノにでも変えるって言うのなら別だけどね。でもそんなのは望んでないでしょ?』

「そんな、それじゃあ・・・・」

 

 雫の口から、絶望と驚愕に塗れた声がこぼれる。

 雫としてはたまったものではない。久路人の身体は自身の霊力で摩耗しており、最近では術を使わずともじわじわとダメージを与えている節さえある。あと数十年も経てば久路人の身体は加齢によって衰え、ますます霊力による圧を受けるだろう。雫も久路人が人間をやめるまでに時間はかかると思っていたが、自分が力を取り戻すまでの期間や、久路人の霊力異常を考えると、長くても10年程度だと踏んでいた。それが、50年。普通の人間の半生に当たる期間だ。今の久路人を見るに、50年が経つまで生きているのかはかなり怪しい。

 それでは・・・

 

「それじゃあ、それじゃあ私が全部話して受け入れられても何の意味もないじゃない!!!久路人が私と生きることを選んでくれても、その前に久路人が死んじゃう!!!そんなのは嫌!!久路人が私より先に死ぬなんて絶対に嫌!!嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌いやいやいやいやいやいやいやいやイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ・・・・・・」

『だぁ~~~!!!!落ち着きなさいっ!!!今のままならって言ったでしょ!!!ちゃんと短期間で理性を残したまま人外にする方法はあるわよ!!!』

「本当!!何か方法があるの!?お願いします!!教えてください!!貞操以外なら血でもなんでもあげるから!!」

『教える教える!!教えるから思いとどまれ!!!貴様の血を送り付けるのだけは止めろ!!!吾輩と朧の鼻が壊れる!!!』

 

 壊れたスピーカーのように現実を拒絶し始めた雫にリリスが希望を与えると、雫はすぐに我に返り、受話器に向かって土下座をしながら頼み込む。

 自分の身体をバラバラにして素材として扱われても構わない覚悟であったが、嗅覚が敏感なリリスにとっては雫の一部はマスタードガスに匹敵する化学兵器である。思わず素の口調が出てしまったが、結果的に情に訴えられたというよりも自身の安全を守るために詳細を教えることにしたようだった。

 

『コホンッ!!・・・さっき、人間を眷属にする条件をまとめたって言ったわよね?この条件っていうのは、大きく分けて三つあるの。アンタが今やってる方法はそのうちの二つしか満たさないから、その分時間がかかるのよ』

「・・・三つの条件?」

『そう。魂、肉体、精神という、この世界の生き物を構成する三要素。この三つにおいて、それぞれパスをつなぐことよ。魂のパスは、お互いの魔力、ああ日本じゃ霊力だったかしら。まあ、魂を元にする力を馴染ませること。肉体のパスについては・・・色々方法があるけど省略するわ。血を吸ったり飲ませたりしても同じだしね』

「?」

 

 途中でなぜかリリスが口ごもったが、理由は分らなかった。

 

『ともかく、血には霊力が溶け込んでいるし、アンタの血を飲ませるって方法と、アンタが血を吸うっていう日課で、魂と肉体のパスはほぼ繋げてるわ。アンタは妖怪だし、10年前から相手の霊力を血ごと吸ってるからアンタの方はもうすっかり馴染んでる。相手の子も、霊力に異常が出ているのは一度の入る量が多くなったからで、お互いの霊力がそれだけ多く混ざったってこと。それでも重篤な拒絶反応が出ていないようなら問題ないわ。長年かけて親和性を持ったアンタの血を介してなら、霊力の異常も完全とはいかなくてもそのうち収まるでしょうね・・・・それで、一番大事なのが最後の精神のパスよ』

「精神のパス・・・・つまり」

『そう。お互いがお互いの意思を尊重し、心から受け入れることよ。人間側は一点の迷いもなく人間をやめることを選び、人外側はその想いを受け入れる。元々精神っていうのは肉体と魂を繋ぐもの。それを二人の間で結びつけるのよ。純粋な同意と絆があって、初めて精神のパスが繋がって、アンタが望むような眷属化の契約は成立する。肉体や霊力の相性も大事だけど、一番重要なのが心の繋がり。心さえ繋がっていれば、他の相性が悪くてもなんとかなる。逆に言うと、どんなに相性が良くてもそこがダメならほぼ成功はしないわ。血の盟約がそれまでの吸血鬼の眷属化と一番違うのもそこよ』

 

 種族の特性としての吸血鬼や人狼の眷属化はもちろん、心を術で操る場合でも眷属化は成功はする。しかし、本当の意味で心が繋がっていなければ上書きや眷属の簒奪が起こることもあり、眷属の格にも雲泥の差が出る。

 

「前に、ある妖怪に混ざりかけと言われたことがあるが、それは・・・」

『そうよ。後ろめたさや拒絶への恐怖を感じているせいで、アンタの中にある相手の霊力を取り込み切れてないから。アンタの霊力が一旦扱いにくくなったのもそのせいね。相手の子の霊力異常も、人間だからっていうのもあるでしょうけど、アンタを守りたいっていう願いが空回ってるのがメインみたいだし』

「妾と久路人は、ずっと前からこじれていたということか・・・」

 

 リリスの言葉を聞き、雫は複雑な気分になった。

 メアに諭されたために久路人が自分を嫌ってはいないだろうというのは理解したが、久路人の中にも自分と同じようなしこりがあるとわかったからだ。リリスの言うことが正しいのならば、二人の想いは通じ合っていないということでもある。

 自分が胸の内を話していないから当然のことではあるが。

 

『でもまあ、目がないわけじゃないわよ。精神のパスなしで50年程度で人外化まで行けるアンタたちは正直異常だし、霊力の異常が起きてるのに身体が壊死したりとかしてないのも運がいいとかいうレベルじゃないもの。ひょっとしたら、精神のパスが繋がりかけているのかもしれないけど』

 

 血を飲ませ始めてすぐならばともかく、しばらく経ってから霊力異常が起きているということは、霊力が馴染み始めているから。すなわち、人外化がそれなりに進んだ証。

 もしも精神のパスが繋がってない状態で血を飲ませ続ければ、霊力異常が起きる以前に霊力がとどまることができない。それでも飲ませ続ければ魂への負荷が大きくなりすぎて日常生活も送れなくなる。最悪死ぬ。そうなっていないということは、完全にパスが繋がっていないというわけではないということ。

 

『同意を得ていないのならば成就にはかなりの時間がかかる。だからアタシは50年はかかるって思ったのよ・・・ともかく、アタシが言いたいのはアンタたちはお互いを大事に想ってるのは確かってことと、ちゃんと話し合いなさいってことね』

「・・・あなたも、メアと同じことを言うのだな」

『個人的に、アイツと一緒にされるのはすごい嫌なんだけど・・・』

 

 リリスはなにやら嫌そうな声を出しているが、もはや雫の耳には届いていなかった。

 自分のやるべきことが、たった一つに定められたから。

 

「結局は、そこなのだな」

 

 眷属化や精神のパスを繋ぐのは大事なことだ。しかしそれ以前に、雫は久路人としっかり話し合わなければならないのだ。

 

『覚悟は決まったかしら?改めて言うけど、アンタが使うのは血の盟約ではないけど、強力な3本のパスを結ぶ契約よ。つまり、どちらかが死ねばもう片方もただじゃすまない。二人そろって死ぬことになるわ』

「無論承知の上だ。久路人が受け入れてくれるかは分からないが、それを話す覚悟は決まった・・・・本当に、ありがとうございました」

 

 これからのことを改めて決めた雫は、本日何度目かになる受話器へのお辞儀をする。雫が敬語で礼を言ったのは、このときが初めてであった。

 

『別にいいわよ。アタシとしてもあの神の力を持ってる子をしっかり抑えてくれた方がありがたいし、個人的に異種族のカップル成立は放っとけないもの。アタシの研究がそういうところで役立ってくれるなら嬉しいわ』

「・・・そういえば」

 

 そこで、雫はふと疑問に思った。

 リリスは人外化や眷属化の研究をしていると聞いたが、その発端はやはり・・・

 

「あなたも、自分の好きな人と永遠に生きたかったからなのか?」

『・・・・違うわ。アタシが研究してたのは朧に出会う前からだったし、本当に興味本位よ。血の盟約だって、最初は朧以外の血を吸いたくないから考えたの。アタシは朧が寿命で死んだら後を追うつもりだったから』

「なんと・・・」

 

 葛城山でほんの少し会っただけだが、リリスと朧は心からお互いを信頼しているように見えた。

 だが、そんな二人でも最初は色々とあったらしい。

 

『アタシの場合は朧の方から一緒に生きて欲しいって来てくれたから、アタシも応えられた。もしアタシがアンタの立場だったら、嫌われるのも怖いけど、手を出す勇気もなくて朧が先に寿命を迎えて終わってたでしょうね。そう思えば、アンタはアタシより強いわ。良くも悪くもね』

 

 『だから、アンタならなんとかなるわ。頑張りなさい』と言って、電話は切れた。

 

「ああ。本当にありがとう」

 

 もう声は届かないと知っていながらも、雫はもう一度礼を言うのだった。

 

「妾も、向き合わねばな。しかし・・・・ふわぁ」

 

 メアとリリス。

 二人の先達と話し、雫はやるべきことを決めた。

 だが、話し終えたて気が抜けたからか、頭の中に靄がかかったような感覚がする。昨日の寝つきは最悪であり、十分な睡眠がとれていたはずもない。

 

「メアは今、魔力切れでダウンしているし、京もメアがここまで来るまでの騒ぎの火消しで忙しいのだったか・・・」

 

 朝に話したメアだが、ここにいるのはスペアのボディであり、本体は京の元にいる。スペアには多くの霊力を注いでここまで急行させたが、元々長時間の稼働は想定されていないようで、これ以上こちらにとどまる必要はないと判断したために本体に霊力を還元したらしい。今リビングで横になっているメアは意識のないただの人形である。そして、雫はリリスだけでなくメアにも義理を通すべきと思っていた。

 

「火消しを終えたら京もこちらに来るというし、それまでに時間はあるか。大事な話をするのに、寝不足では格好がつかんしな」

 

 「分かっているとは思いますが、我々が到着するまでに屋敷から出ないでくださいね?」とメアから言われているが、雫に外に出るつもりはない。久路人とて、昨日の今日で出かけることはないだろう。

 雫としても、覚悟を決めて心を落ち着けるために少しだけ間を置きたかった。

 

「少し寝て、起きたら・・・全部話すよ、久路人」

 

 部屋のベッドに横になって目を瞑ると、睡魔がすぐに襲い掛かってきた。

 それに抗うことなく、雫の意識は闇に落ちていった。

 ・・・・もしも雫が万全の状態なら、自分の話の一部が久路人に聞かれていたことに気が付いたかもしれない。そしてそれを聞いた久路人が何をしようとしているのか分かっていたのなら、眠気も吹き飛んでいただろう。それこそ久路人を殴ってでも止めたに違いない。しかし、それはもしもの話である。

 

---------

 

「護符は持てるだけ持った。これなら、白流市を出ても少しは持つはず・・・」

 

 僕はカバンの中に詰め込めるだけ予備の護符を詰め込む。

 最近はほとんど意味がなくなっているが、これだけ持っていれば多少は神の力とやらを抑制できるはずだ。行先は隣町まで。そこに、霧間一族の張った結界があるという。元々僕の体質を考えてお見合いをそこでやろうと考えて準備していたらしいが、どこまで真実であるかは不明だ。

 

「・・・なんで隣町の外れに結界を張っていたかは気になるけど、今は突っ込まないでおこう」

 

 僕の住む白流市はおじさんの術具による結界が張られているが、その外は忘却界に覆われている。忘却界は人外や穴のみを抑制し、人間の異能を妨げるような効果はないために、忘却界の中に別の結界を張ることは可能だ。ただ、そういった行為は忘却界内に霊能者が出入りすることで綻びを出しかねないために学会にバレたのならば注意勧告は避けられない。

 しかし、今の僕にそこをとやかく言うつもりはない。僕はすぐにでも雫の傍を離れなければいけないのだから。

 

「僕は、もう雫と会わない方がいい。これ以上、雫に血をあげちゃダメだ」

 

 思い起こすのは、ほんの少し前に雫が電話に答えた言葉。

 

 

--久路人が死ぬというのなら、妾も喜んで命など捨ててやる!!

 

 

 明らかに常人の思考ではない。

 これが本心から言っているのならばそこまで想ってくれて嬉しいと思うかもしれない。しかし、実際は己の血のせいで無理やり押し付けた好意による強制だ。

 

「もしも、僕の血で狂ったせいで雫が死ぬのなら、僕は腹を切って詫びるしかない」

 

 僕の血のせいで僕が一番好きな女の子が狂って死ぬ。そんなことに耐えられるほど、僕は強くない。

 だから、僕は少し前に届いた霧間からの見合いの申し出を手に取った。手紙では間に合わないと思って、電話を入れさせてもらった。不躾なのは承知だが、胸の中にある焦燥感で身が焼き切れそうだったのだ。

 その結果、『当主の判断を仰ぐので少々お待ちを』と少しの間待たされたが、先ほど折り返しがかかってきて、超ハイスピードのお見合いが成立することになった。

 

「・・・よし、こんなとこかな」

 

 急場のこととはいえ、見合いの席を用意してもらったのだから、高校を卒業するときに来た礼服に身を包み、部屋を出る。護符の詰まった鞄に、その他諸々の小物も持った。

 そのまま2階の階段まで歩き・・・・

 

「・・・・・」

 

 あとほんの少しで、雫の部屋が見えるところまで来た。

 そこで、僕の足がひとりでに止まった。

 

「・・・・雫」

 

 

--多分、これが最後のチャンスだ・・・

 

 

 恐らく、この見合いに行ったら、僕はもう雫と会えないだろう。

 あまりにも手際が良すぎる見合いの返事に、用意されていた結界。おじさんが言っていたように、僕の神の血を手にするために、僕の身柄を押さえる準備を整えているのだろう。

 だが・・・

 

「・・・・行ってくるよ、雫」

 

 僕は、異様に重く感じる足を動かして、階段を下りる。気を抜けば、すぐにでも止まって、いや、戻ってしまいそうだった。それを、雫の狂った言葉を思い出して誤魔化しながら、進む。

 

「・・・・・」

 

 向こうが何を企んでいようと、僕に逆らう気はない。雫やおじさんたちに危害を加えない限り、向こうの要求通りに力を差し出すつもりだった。僕の力を抑えられる結界を大規模に維持するなど早々できることではない。きっと、今の月宮家のような厳重に閉ざされた場所に軟禁でもされることになるか。力の供給源だから、殺されることはないだろうが。

 そんなことを考えている内に、玄関の前まで来た。

 

「・・・・・」

 

 靴を履いて、振り返ろうとして、止めた。

 思えば、昨日喧嘩をしていてよかったのかもしれない。おかげで、雫が狂っていることも分かったし、今日この瞬間まで雫に会うこともなかったから。

 

「雫・・・」

 

 今から僕がやろうとしていることは、裏切りなのだろう。

 今まで街一つを結界で覆ってくれたおじさんに、護身術を教えてくれたメアさん。そして、契約の上で好意を持たされた結果とはいえ、これまで守ってくれた雫のことも。みんなを裏切ることだ。

 けど、これは僕にとって一番大事な約束を守る唯一の方法でもある。

 

「僕は、この方法でお前を守るよ。僕がいなくなれば、お前が戦う必要はない。お前の心も、これ以上侵されない。僕は、約束を守る」

 

 振り返らないままに玄関に手をかけて、静かに告げる。

 

「さようなら、雫」

 

 そうして、僕は家を出た。

 

---------

 

 久路人は一度も振り返らなかった。

 雫に会おうともしなかった。

 雫の顔を見たら、急ごしらえの決意なんてすぐに吹き飛んでいたから。

 

---------

 




次回から、3章は締めに入ります。
こじれにこじれていたのが何とかなりそうな雫と暴走した久路人。
お互いの想いを知るのは、もうすぐそこです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お見合い1

日曜日がダメなら土曜日に投稿すればいいじゃないの精神。
最近カクヨムでも連載始めました。
なろうともども評価とかくれれば作者のモチベが上がります。
具体的に言うと、これからどんなにゴルフに連れ出されることになろうがエタることはなくなりますよ!!

なろう:https://ncode.syosetu.com/n6569gn/
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/1177354054889407214


 寝耳に水、青天の霹靂とは、まさに今のような状況を言うのだろうと霧間八雲は思った。

 

「初めまして、月宮久路人と申します。本日は急な申し出を受けていただき、誠に感謝いたします」

「こちらこそ初めまして。霧間八雲と申します。申し出のことは気になさらないで下さい。偶々私もこの屋敷に来る用事があったので」

 

 目の前で姿勢正しく頭を下げながら非礼を詫びる青年に、柔らかな笑みを浮かべながらそう返す。

その言葉に嘘はない。その日には元々月宮久雷と近々行う計画のために打ち合わせをする予定だったからだ。そのために霧間本家で準備を終えて白流市方面に向かっていたところに、突然久路人から電話がかかってきたのである。契約によって月宮久雷と情報を共有する義務のある八雲が久雷に伝えたところ、大幅な計画変更が行われ、本日にすべてを決行することとなった。久雷によるとあらかじめ準備は整っているとのことだが、彼もまた降ってわいたこの好機にずいぶんと驚いていた。

 

「ところで、白流市とは別に月宮という一族がいるので、久路人さんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「構いませんよ。えっと、それじゃあ僕は・・・・」

「私のことも、八雲で構いません。確か、兄とお知り合いなのですよね?」

「はい。とはいっても、声のやり取りしかしたことはないんですけどね」

 

(こういうことを、運命とよぶのでしょうかね)

 

 久路人と話しながら、胸中で呟く。

 八雲と久雷にとって、今まさに久路人の力を手に入れよと神にお膳立てされているようだった。

 

(兄さんは前のように父上と母上が抑えている。月宮京は昨日の騒ぎを治めるためにしばらく手が離せない。月宮メアも久雷翁曰く霊力切れで動けない・・・・後問題なのは久路人さんに憑いているという蛇くらいだけれども・・・)

 

 八雲の感覚に、強力な妖怪がいる反応はない。

 というよりも、今二人が話している場所に、気付かれずに人外が入って来ることは不可能だ。

 

「それにしても驚きました。いつの間にか隣街にこんな場所ができていたなんて・・・」

「ここは、元々父の個人的な知り合いが持っていた屋敷なんです。その方は霊能者ではなかったのですが、それを最近譲り受けることになりまして。白流もまた日本有数の霊地ですから、万が一を考えて結界を張ってあるのです。数日前に、久路人さんのお宅にも書状を送ったのですが、まだ届いていなかったようですね」

「え?そうなんですか?・・・・確かに、そんな手紙は見ていないですね」

 

 八雲が語ったのは、久雷の用意したカバーストーリーである。今二人がいる土地を買ったのは久雷であるし、書状についても本当に数日前に送られ、そして、不幸にも(・・・・)配達ミスで紛失してしまったという記録まで残っているが。

 さらに、久雷はどういった方法なのか不明だが特殊な結界を張っているようで、目の前にいる久路人の力も抑え込んでいる。白流市にある月宮家も久路人の力を抑えつける効果があるが、それと同系統のものなのだろう。

 

(ともかく、護衛の蛇がいないのは好都合だけど・・・気になりますね)

 

 元よりこの電撃的な見合い話そのものが怪しい。

 そう思っているのは、久路人だけでなく霧間、そして月宮側も同じである。

 月宮久雷もまた裏の意図があることを勘ぐってはいたが、それでもこの機会を捨てるのはあまりにも惜しい。そこで、虎穴に入らずんば虎子を得ず、の精神で受けたという経緯である。

 

(護衛も連れずに一人だけで来た・・・自分の価値を分かっていない?いえ、流石にそれはないでしょう。考えられるのは、やはり我々の動きに気付いた月宮京による罠の可能性・・・・鎌をかけてみますか)

 

「それにしても、久路人さんは御一人で来られたのですか?てっきり月宮京殿が付いておられると思っていたのですが?」

(この質問に特におかしい点はない。元々見合いの話を保留にしていたのは月宮京。霊能者の家どうしの見合いに、一人だけ寄越すなどという真似そのものが不自然なのですから)

 

 霊能者同士での婚姻というのはよくある話だが、そう言った場は一族同士での結びつきを強める意味が強く、当人だけでなく一族の者も来るのが普通である。他にも、万が一裏切られた場合を想定して、護衛としての意味も込める場合も多いが。現に、八雲も霧間家から戦闘に長けた面々を十数人屋敷内に控えさせているし、久雷が連れてきた月宮家の手の者もまたほぼ同数が潜んでいる。

 

「いえ、今日は僕一人だけで来ましたよ。見合いの話については僕に裁量があると告げられていたので」

「そうなのですか・・・しかし、聞くところによると久路人さんは妖怪に狙われやすいとか。この屋敷ならば安全でしょうが、お帰りの際にはこちらから護衛を付けましょうか?」

 

 何か含むものがあるのならば、何らかの理由でこちらの提案を断るだろう。逆に、伏兵がいるのならば受けた上で闇討ちを考えているかもしれない。八雲は久路人の言い分や反応で、どういった意図があるのか探ろうと思ったのだが・・・

 

「・・・護衛」

(・・・?)

 

 久路人はポツリと呟くと、物憂げな顔になった。

 そのあからさまな様子の変化に、八雲も内心で首をかしげる。何かの腹芸かとも思ったが、その纏う雰囲気は重く、心から憂鬱な気分になっているように見える。そもそもそのように見せることに何の意味があると言うのか?

 八雲の中でいくつもの思考が渦を巻いては消えていく途中で、久路人はおもむろに俯いていた顔を上げた。

 

「八雲さん、そちら側も色々と考えていることがあるとは思うのですが、僕の話を聞いていただいてもいいですか?・・・僕が、この見合いの話を申し入れた理由についてです」

「・・・・どうぞ。私も気になっていましたから」

(これは・・・ストレートに来ましたね。隠し事ができないタチなのでしょうか?いえ、それ以前にどうにも様子がおかしい。何かに追い詰められたような、焦燥感に駆られているような顔。強力な妖怪と戦う前にも、同じような顔をしている者たちを見たことがある)

 

 八雲は最初の電話を聞いていないが、受けた者によるとずいぶんと切羽詰まったような声だったという。

 そう、まるで・・・・

 

(何かから逃げてきたような・・・)

 

 八雲の中で何かの点と点が繋がりそうな予感がした時、久路人は決定的な言葉を告げる。

 

「大変失礼なお話なのですが、僕は八雲さんとお見合いをするために来たのではないのです。僕は、今日で月宮の家を離れるつもりでここに来たんです」

「!!」

(これは・・・まさか!!)

 

 その瞬間、八雲の中でもう一つの可能性が頭をもたげた。

 それは、自分たちをけん制する罠以外の可能性であるが、これまでの月宮久路人という青年からは考えられなかったこと。だが、一般人の視点で見れば当然とも言えることだ。

 

「僕には、護衛を務めてくれていた妖怪がいました。僕は、彼女から距離を取りたいのです。そのために、霧間の家を頼りたいんです」

(やはり・・・・ああ!!なんということでしょう!!)

 

 久路人の言葉を聞いて、八雲の中で可能性が確信へと変わった。それとともに、ある感情が芽生える。

 その感情のままに、目の端に涙を浮かべながら、八雲は思わず久路人の手を取った。

 

「勿論です!!そう言うことでしたら、我々が手を惜しむことはありません!!全力を賭して、貴方を守って見せますとも!!」

「へ?」

「さぞや辛かったでしょう!!いえ、こんな言葉を外野から投げ掛けることすらおこがましいかもしれませんね・・・・ですが、もう大丈夫ですから!!」

「は、はぁ?」

 

 その感情は、憐憫と言った。

 

(そう!!最初に思っていたではありませんか!!久路人さんのことも救って見せると!!)

 

 久路人は突然の八雲のオーバーリアクションに驚いているが、八雲がそれに気付くことはなかった。

 彼女の中では、久路人が家を出る理由に心から共感できたからだ。

 久雷と契約を交わす前にも霧間家は情報収集を行っており、久路人が置かれているであろう厳しい状況を察していた。

 

(妖怪と学会の手の者に常に監視される生活。普通の精神をしていれば耐えられるはずもありません!!)

 

 妖怪が発する霊力は瘴気と呼ばれ、人間の魂にとって猛毒であるために、人間は妖怪を本能的に恐れ、嫌悪する。それは、幼いころから刷り込みを施そうが早々変わるものではない・・・・まあ、久路人や八雲の兄である朧は瘴気の影響を受けない数少ない例外なのだが、八雲がそれを知る由はない。

 

(久雷翁の話では、つい昨日に白流市で何らかの異変があったとのこと。月宮メアが忘却界の中を突っ切って駆け付けたことからもそれは明らか・・・恐らく、久路人さんも逃げるチャンスを伺っていたのではないのでしょうか?昨日の異変で、久路人さんを監視する妖怪や結界にダメージがあり、その隙を突いてここまで来た・・・・これならば、つじつまが合う!!単身で他の霊能者の一族が急拵えで用意した屋敷に乗り込むなど、罠にしてもリスクが高すぎますもの!!)

 

 はっきり言ってしまえば、八雲の考えは的外れな勘違いである。しかし、実際の行動を見ると異常なのは久路人の方なのだ。八雲がそう思い込むのも無理はない。

 

(しかし、そうなると・・・)

 

そして、そんな勘違いを抱えたままに、八雲は微かに表情を歪めた。

 

(我々のなんと浅ましいことか・・・自らの野望のために辛い思いで日々耐えてきた久路人さんを騙し、神の力を奪う算段でいる。結局は久路人さんを背後から操っていた月宮京と変わりはない)

 

 霧間八雲という少女は、基本的には善人だ。人々を守るために女だてらに剣を手に取り、異能をもって妖怪と戦えるほどの正義感を持ち、辛い境遇にあった人間の力になりたいと思う優しさもある。ただ、その善性が人間にしか向かないだけで。

そんな彼女にとって、今の騙し討ちのような状況は心苦しいものであった。

 

(今さら、月宮本家との契約を反故にはできません。久路人さんから力を奪うことは確定です・・・・)

 

 霊能者どうしの契約というのは、非常に大きな意味を持つ。特に家の名をかけた契約を破ることは極めて重い罪とされる。既に彼女は霧間の名を背負って契約を交わしており、これを変えることはできない。

 

(ならば、そのぶんを誠意をもって返すしかありません)

 

 それは彼女の真面目さが導きだした答えだ。

 神の力を奪ってしまうしかないのなら、奪った分を久路人を守ることで返す。

 

(考えようによっては、神の力を取り除くことは久路人さんの救済でもある。あれさえなければ妖怪に狙われることもなくなるでしょう。そうなれば、後は霧間谷で匿えばよろしい。契約によってあの吸血鬼がいなくなれば、霧間谷は守るのにうってつけですからね)

「あの?八雲さん?」

「はい?・・・あっ!?申し訳ありません!!私ときたら、少々先走ってしまって!!とにかく!!霧間は久路人さんの申し出を歓迎いたしますよ」

「そ、そうですか、ありがとうございます・・・・あの、ところで」

「?」

 

 盛大な勘違いの末にであるものの、八雲は霧間本家の霊能者としても、善良な人間としても久路人を受け入れることに決めた。それは久路人としても望んでいた通りであり、きちんと礼を言う。しかし、その様子はどうにもしどろもどろであった。八雲の反応もあって、今の状況はいささか落ち着かないのだ。なにせ・・・

 

「その、手のことなんですが」

「?・・・あぁっ!!?」

 

 遠慮がちに久路人は声をかけた。

 見合いの相手とは言え、涙を浮かべた顔で手を握られ続けたら困惑もする。

 久路人にとって重大な場面であるのは確かだが、八雲の行動でその内面にある緊張は霧散していた。

 

「ご、ごめんなさい!!」

「い、いえ・・・」

 

 少しの間、場に気まずい空気が流れた。

 久路人は女の子(雫)と手を握った経験はあるが今回は知らない相手であるし、八雲は初めてだ。八雲は美少女であるし、男からのアプローチも幾度となく受けてきたが、家の事情もあってすべて断っている。

 

「あ、そ、それにしても、八雲さんはかなり剣をやりこんでいるんですね?」

「え?はい、そうですが・・・・そういう久路人さんも、かなりのものですね」

 

 そんな空気を払しょくするためか、久路人は釣書にも書いてあった趣味を思い出す。先ほど手を握られたときにわかったのだが、八雲の手は美しいが、剣を握る者のたくましさも内包していた。剣を振るのは己も同じであり、共通の話題を振れば話が弾むだろうと思ったのだ。自分の目論見は叶ったとはいえ、これからお世話になる相手なのだから仲良くしておいて損はないという打算もある。

 八雲もまた、久路人の手の感触から同じことに気が付いたようだった。

 

「はい。家にいるときはよく訓練をしていたので」

「訓練、ですか?」

 

 それは、八雲にとっては意外だった。

 月宮京にとって、久路人は飼い殺しにしておきたい存在のはずだ。久雷からの話で、街の中を自由に行動できるようにしていたと聞いてはいたが、それは久路人のストレスの解消やご機嫌取りのようなものだと思っていた。しかし、訓練は都合が悪いはずだ。戦う力を持たせてしまいかねないのだから。

 

「ええ。何かあった時に、自分で自分の身を守れるようにと」

「具体的には、どのようなことを?」

「そうですね・・・・小さい頃は使用人の人に手ほどきをしてもらう形だったんですが、そのうちに雫・・ああ、護衛の妖怪との実戦形式でした」

「え!?護衛の妖怪って、確か蛇の大妖怪という・・・だ、大丈夫だったんですか!?」

「?まあ、実戦形式でしたから危なくなるようなことは何度かありましたけど・・・・服をダメにされかけたことは何度もありましたね。なぜか服をよく狙われたので」

「く、久路人さん・・・・!!!!」

「?」

 

 八雲の白い肌から血の気が引き、体が震え始める。

 それを見て久路人は怪訝そうな表情になったが・・・・

 

「なんて、なんておぞましいことを・・・・久路人さん!!これからは、もう妖怪に怯える必要はありません!!!霧間が、いえ、この私がお守りしますから!!!忘れることは難しいかもしれませんが、私がついています!!!」

「え?あ、はい」

 

 久路人はこれまで京以外の霊能者と関わることもなかったために知らないことだが、雫レベルの大妖怪というのは今の現世では霧間ほどの名家が一族一丸となって策を練って戦ってようやく勝てるかどうかという強さだ。しかも、日本の霊能者はそもそも妖怪というのは根本的に人間に仇なす存在であって、和解など不可能と思い込んでいる。そんな彼らが、神の力を使いこなせていない久路人がそんな化物を相手にしてまともな訓練になると思うはずもない。ならば訓練とは何か?

 

(久路人さんの手、それに首の辺り、よく見れば傷だらけです!!許せない!!こんな真面目そうな人をいたぶって訓練などという言葉で偽るだなんて!!きっと、剣の腕も、生き残るために死に物狂いで身に着けたのでしょう、騙されているとも知らずに・・・!!!しかも、服を狙う?そんな強姦魔のような真似までしていたなんて!!!なんという下劣な!!!)

 

 と、このように大妖怪のストレス発散のための、拷問まがいのお遊戯と思い込んでいた。もちろん、久路人は「訓練」という言葉に踊らされて、玩具兼性欲のはけ口にされる憐れな犠牲者である。

 これには事前の情報で「護衛の妖怪が久路人の貞操を狙っている」と冗談まがいの噂を聞いていたことも大きく影響している。タチの悪いことにそこだけは真実であった。

 

(このお見合いは、久路人さんを霧間、月宮本家で囲うための場でしたが・・・・こんな事情があるのならば、放ってはおけません!!霧間としても、対外的な難癖を避けるために、久路人さんのことは私の夫として迎え入れる予定ですし、何より久路人さんも兄さんと同じ妖怪どもの犠牲者。今度こそ、私は守って見せる!!その心も救って見せましょう!!そして、久路人さんを傷つけた人外を、すべて消し去ってやる!!!)

 

 騙しているという負い目と、その凄惨な久路人の生い立ちへの同情から、八雲は改めて決意する。

 政略結婚とはいえど、妻となる者としてこの憐れな青年を守り、人外に凌辱された心を癒すのだと。

 兄の、久路人の尊厳を奪った人でなしどもをこの世から殲滅してやると。

 ・・・・朧のことも含め、ほぼ八雲の勝手な思い込みであったが。

 

「久路人さん!!!」

「は、はい!?」

 

 突然の大声を出した八雲に、珍獣を見るような目をしていた久路人は驚きながら返事をする。

 

「貴方は、もう十分辛酸をなめました。もう、傷つくことはありません。後は、私たちに任せてください。人に仇なす妖怪どもを一掃してみせますから!!」

「はぁ。まあ、人間を襲うような妖怪は僕も許せませんが」

「!!」

 

 これまでのやけにハイテンションな口調で語られるよくわからない決意の数々であったが、「古のルールを破って現世に侵入して人間を襲う人外」というのは久路人にとってもルール違反者であり、殲滅の対象だ。やっと理解できる言葉が出てきたので、久路人も思わず反応してしまった。そしてそれが、八雲をさらなる迷走に駆り立てる。

 

(これはっ!!・・・ああ、そうか。考えてみれば当然のこと。屈辱を受けて、そのまま泣き寝入りで済ませてしまうことなんてできるはずもない!!久路人さんの中にある復讐の刃はまだ折れていないのですね。久路人さんは、私と同じなんだ)

 

 色々と勘違いのままに明後日の方向に進む八雲であったが、その心中に、久路人に対する強い親近感が湧きつつあった。大事な兄を吸血鬼に穢され、先祖代々の土地を土足で踏み荒らされた。その恨みが、今の八雲を動かしているのだから。

 そして、そんな自分と同じ志を持つ者が夫となるのは、八雲としては幸運であるとすら思える。

 

(神の力を抜きにしても、その境遇に、身のこなし、お顔の方もまあ、悪い方ではないですし、何より私と同じものを追いかけていること・・・霧間本家としても、私個人としても家族として、背中を預ける者として迎えるのに申し分ありません)

 

 八雲は、目の前の青年を自分の夫する覚悟を固める。

 すぐにでもその想いを伝えたくもあったが、これから月宮久雷が何がしかの方法で神の力を奪う予定だ。それを伝えるのはすべてが終わって、自分たちの企てを謝ってからの方がよいだろうと八雲は考えた。

 

「久路人さんの想いはわかりました・・・ですが、今は傷を癒す時です。久路人さんが万全の状態になったその時にこそ、私の隣に立って戦ってください。心よりお待ちしていますから!!」

「はい・・・」

 

 やはりよくわからない反応が返ってきたが、なんだかもう面倒くさくなってきた久路人はとりあえず返事をするのだった。

 

 

--------

 

 「それでは、久路人さんを匿うことを霧間本家に伝えてきますので」と言って、八雲さんは部屋を出ていった。

 

(なんか・・・変な人だったな)

 

 一言でいえば、それに尽きる。

 最初は向こうも僕のことを疑っているようだったが、僕が家を離れると言ったとたんにあのテンションだ。こちらの目的が叶ったのはいいが、あんな子がいる家に匿われて大丈夫だろうか?

 

(いや!!ここまで来たらもう退けない!!元々飼い殺しにされるつもりで来たんだし、ちょっと変な子がいるくらいで済むなら大分マシだ!!)

 

 僕の目的は雫から離れるためにお見合いを利用して霧間家に逃げることだったのだが、当初は血を抜き取られるだけのタンク扱いでもいいと思っていた。しかし、あの反応を見るに、待遇はかなりよさそうではある。

 

(けど、雫以外の女の子と話すのなんて、いつ以来だろう・・・・)

 

 先ほどの会話を思い出す。

 正直にって、僕は雫以外の女子があまり得意ではない。

 トラウマというほどでもないだろうが、雫が初めて人化したときのことを思い出すと今でも憂鬱な気分になる。実を言うと今日も八雲さんに挨拶をする段階からかなり緊張していたのだ。家出するときの覚悟と八雲さんの妙な反応である程度やわらいだが。

 

(変な人だったけど、結構強そうだ)

 

 姿勢に歩き方、霊力を見ても、中々の腕前を持つ霊能者だろう。そして・・・

 

(なんというか、美人だったな・・・)

 

 釣書の写真を見た時から思っていたが、八雲さんは美人だ。

 濡れ羽色の長く艶やかな髪を首の後ろでひとまとめにし、腰まで流している。整った顔立ちに、髪と同じ色の切れ長の瞳には理知的な光が宿っていた。身長は僕よりも少し低いくらいだろうか。女子の平均よりやや高いと言ったところだったが、体のある部分については平均を大きく上回っていると思った。雰囲気も落ち着いていて、僕より年下の高校生であると信じられないくらいだ。

 

(でも、やっぱり僕としては・・・・)

 

 黒髪も大和撫子らしくて良いものだが、やっぱり眩く輝くような銀髪が好きだ。

 黒い瞳は見慣れて落ち着く色だが、それ以上に紅玉のような瞳の方が好きだ。

 背は、もうちょっと低い方がいい。

 性格も、大人しいよりは朗らかで明るい方が話しやすい。

 体のある部分は・・・・・

 

(って、何考えてんだ僕!!!失礼すぎだろ!!!せっかく向こうが僕の頼みを聞いてくれたっていうのに!!というか・・・・)

 

 僕は、そこで一度大きく息を吸って、吐いた。

 僕の中に残り続ける理想の女の子のイメージを、それとともに体の外に出すように。

 

(僕は、あの家から、雫から離れるためにここに来たんだ。もう、忘れるんだ・・・)

 

 それは、土台無理なことかもしれない。

 これまでの人生で、物心ついたころから一緒にいた大好きな女の子のことを忘れるなど。

 けど、やらなければならない。それが、これからお世話になる霧間への最低限の礼儀だろう。

 もう一度深呼吸をして、心を落ち着ける。別のことを考えて、少しでも思考を別の方向に逸らすようにしよう。

 

(でもとりあえず、落ち着いたらおじさんに連絡はいれないとな・・・)

 

 雫のことは、早く忘れるべきだ。しかし、その前にやらなければならないこともある。

 勢いでここまで来てしまったが、これがバレたらおじさんたちが大きく動くだろう。霧間家相手に大ごとを起こしそうな気がするし、だまし討ちの形になってしまったが、連絡は入れなければならない。

 

(きっと、すごく怒るだろうな・・・怒られても仕方のないことをしてるからしょうがないけど。でも、もう止まれない。止まるつもりもない)

 

 改めて、覚悟を決める。

 そうだ、僕はやると決めたんだ。

 すべては・・・・

 

「雫を、傷つけないようにするために・・・・」

 

 想いを口に出す。

 そうすることで、己の中にある迷いだとか弱気を消し飛ばすように。

 その名前を口に出すだけで目頭が熱くなる感覚がするけども、気のせいだと言い聞かせて。

 手が震えて、思わず目元に行きそうになるのを歯を食いしばって堪えながら。

 

「僕は、雫を・・・・」

「・・・少々、よろしいでしょうか久路人様」

「っ!?」

 

 突然、背後から声がした。

 それとともに身の毛のよだつのような寒気がして、僕は全力でその場を飛びのく。

 目の中に水が溜まる感覚も、手の震えも嘘のように収まっていた。

 

(気配が、ぜんぜんしなかった)

 

 僕の感覚はかなり鋭敏な方だ。幼いころからの訓練の成果でもあるが、普段から感覚を強化する術を使っているのもあるのかもしれない。しかし、そんな僕でもその気配は感じ取れなかった。

 

「・・・・・あなたは」

「失礼、驚かせてしまいましたか・・・・ノックはしたのですが、返事がなかったもので」

「それは・・・こちらこそ、失礼しました」

 

 後ろにいた男は、髪も黒く、しっかりとした身なりをしているが、どこかおじさんに似ているような気がした。

 しかし、僕はそんなに深く考え事をしていただろうか?

 

「では、改めまして・・・私は」

 

 そして、男は名乗った。

 

「月宮健真と申します」

 

 

--------

 

 同時刻、白流市内の月宮家にて、雫はある部屋のドアの前に立っていた。

 

「スゥ~・・・・ハァ~・・・・・」

 

 息を大きく吸って、吐く。

 少し前から、雫はずっとこの動作を続けていた。

 

「言うんだ。メアにも、リリスさんにも背中を押された。それだけじゃない。妾が、私自身が望んでいることなんだから」

 

 少し寝て、目が覚めてから、雫は家の中を見回った。

 そして、久路人が部屋以外にいないことを確認すると、久路人の部屋の前に来た。

 寝る前に決めていたのだ。少し休んだら、すべてを話すと。

 自分がこれまで犯してきた過ちも、これから自分が久路人に願う望みも、すべてを打ち明けるのだと。

 それを決められたのは、メアとリリスの言葉があっただけではない。

 

--久路人と、思いっきり色んなことを話してみたい!!話して、知って欲しい!!私が望んでいることを!!久路人に歩いてほしい道を!!

 

 それは、今まで雫の中で燻っていた願いだ。

 雫を人間の姿へと導いた望みの一つ。今まで、幾重もの恐怖と不安に蓋をされていた想いだ。

 確かに、昨日喧嘩したばかりの久路人と話すのは怖い。覚悟はしていたはずなのに、嫌われるのが怖い。

 それでも、一度自覚した想いは熱く雫の中で燃え盛る。

 

「ふぅ~・・・・」

 

 息を吐く。

 改めて、心の中に残り続ける恐怖と迷いを体の外に出すように。

 

「スゥ~・・・・」

 

 息を吸う。

 自分の中で燃える炎を、さらに激しく燃やすように。

 

「・・・・よし」

 

 どれほどの時間が経っただろうか。言葉と共に、吸い込んでいた息を吐き出す。

 その手は覚悟が決まったのか、震えはない。

 ノックはしない。もしも返事が返ってこなかったら、そのまま引き返してしまいそうだったから。

 雫はドアノブへと手をかけし、回した。

 

「久路人!!入るよ!!!」

 

 そして、もう幾度も目にした部屋の中に足を踏み入れ・・・・

 

「あのね!!私、今日は久路人にいっぱい話したいことが・・・・・あれ?」

 

 そして、気付いた。

 

「久路人・・・・いない?」

 

 自分の愛する青年が、とっくに家を後にしていたことに。

 自分に何も言わず、どことも知れない場所へ

 

「久路人っ!!!!」

 

 気づけば、雫も家の外に飛び出していた。

 そして、そのまま駆ける。

 探す当てなど、何一つないままに。

 

 

--------

 

「さて、準備は整った」

 

 一人の老人は、静かにそう言った。

 老人がいる部屋は、久路人がいる部屋の真下にあった。屋敷の地下に拵えられたその部屋には老人だけでなく、十数名の人影が佇み、念仏を唱えるようにブツブツと何かを詠唱している。その足元にはこれまた複雑な文字を敷き詰めて描かれた円が描かれており、人影はその円周上に等間隔で並んでいた。

 

「霧間の小娘がなにやら早々に話をまとめてしまったが、まあいい。健真のヤツめが足止めをしておるからの」

 

 老人、久雷は耳に着けたイヤホンから上の部屋での会話を盗聴していた。霊力を介した術を使わないのは、万が一探知されることを恐れてだ。この屋敷には月宮久路人と彼の護衛である大蛇に徹底的に狙いを絞った結界を構築してあるためにいざ戦闘となってもこちらが大いに有利であるが、なるべくなら戦闘は避けたかった。

 

「なにせ、これから儂のモノになる身体じゃからのぅ・・・!!!」

 

 久雷の顔に醜悪な笑みが浮かぶ。

 八雲に語った、神の力を奪うというのは嘘ではないがすべてではない。天属性の膨大な霊力を無理矢理奪ったところで辺りが消し飛ぶほどの暴走を引き起こすだけだ。それでは意味がない。

 

「神の力も、それを振るう肉体も、すべてを手に入れる。神の力を手にしたところで、この体では扱えん。ああ、本当に、この老いた身体が朽ちる前に見つかってよかったわい。これぞまさしく神の思し召しよ」

 

 久雷は、運命という言葉を今この時だけは信じていた。

 すべてが、自分に神の力を振るうように道を整えているような気すらしていた。

 そんな沸き立つような気分のままに、久雷は持っていた杖を振り上げる。

 

「さあ!!始めようではないか!!天の力も、現人神の肉体も、そして神との謁見を!!」

 

 その声と共に、地下室に描かれた文字の一つ一つが、鈍く輝き始めた。

 

 

--ピシリ

 

 

 どこかで、何かがひび割れる音がした。

 

 




感想・評価よろしくです!!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お見合い2

日曜日は、社外含めたゴルフコンペで投稿できませんでした・・・
次は7月に開かれるそうで、私のゴルフ道に終わりはないぜ!!

というわけで、投稿です。
なろうとカクヨムの方でも評価を入れてランクインさせていただければ、モチベが尽きることはない!!!(乞食)


「月宮、健真?」

 

 久路人の前に現れた男は、そう名乗った。

 月宮。久路人と同じ苗字を。

 

「あなたは、月宮一族の・・・?」

 

 久路人は警戒心を滲ませつつ尋ねた。

 京によく聞かされていたのだ。月宮一族という血族が神の力にかけてきたおぞましいほどの執念を。

 他の霊能者の一族と関わることがあったとしても、月宮にだけは近づくなとも。

 

「はい。私は月宮本家の出です」

 

 しかし、警戒する久路人に対して、健真の様子は平坦そのものであった。

 目の前に一族の悲願である力を宿す者がいるにもかかわらず、まったくそれを意識したように見えない。

 久路人としては、いささか拍子抜けだ。

 

「本日は故あって霧間との付き合いが深い我々の一族がこの屋敷を訪れる用がありまして。ですが我々の要件はそう急ぎではなかったので、先に久路人さんの用事を優先した形になります」

「そ、それは・・・も、申し訳ありませんでした」

「いえ・・・本当に、我々の件は大したものではないので。むしろ、こうして貴方と会える機会に恵まれた分幸運だとすら思っています」

 

 そんな久路人を尻目に、やはり何の感慨を見せることなく健真は己がここにいた理由を語る。

 「そういえば、さっきも八雲さんが元々来る用事があったと言ってたな」と思い出しながら、久路人は先客の予定を潰してしまったことを謝るが、やはり健真がそれを気にした様子は全くない。というよりも・・・・

 

(この人・・・表情がすごい分かりにくい)

 

 久路人は目の前の相手が人形だと錯覚しかけた。

 いや、月宮家使用人のメアは人形だが結構感情が分かりやすいのを考えると、違う表現をすべきだろう。

 

(人形っていうか、抜け殻?・・・・なんか、最近似たような感じの何かに会った気がするんだけど・・)

「時に、久路人さん。少々お話をお伺いしても?」

「あ、はい。大丈夫です」

「そうですか。ではまず・・・・」

 

 久路人の中で何かが引っかかったが、それを思い出す前に健真が口を開いたので、意識をそちらに向ける。

 

「失礼ながら、我々は独自の伝手で白流市の内部を調査しておりました。そして、貴方についても、調べられる限りを調べさせてもらいました」

「それは・・・」

 

 いきなり何を言うのだろうという疑問が久路人の頭の中に浮かぶが、それに気付いた様子もなく、あるいは気付いていてわざと無視しているのか、健真は続ける。

 

「その上で、問いたいのです。あの街での貴方の暮らしぶりに、不満はなさそうでした。それが何故、こんなにも急に、護衛の一人も連れずに家出をしたのですか?」

「・・・・・」

 

それは、八雲も疑問に思っていたことだ。

彼女の場合は率直に聞かず、カマをかけようとしているうちに久路人の言葉と境遇から勘違いして自己解決していたが。

 

「端的に申し上げますと、私は貴方を疑っています。それくらい、貴方の行動は不可解だ。今の月宮にとって、霧間に何かあっては困るのですよ」

「・・・・なるほど、わかりました」

 

 困ると言いつつも、表情にも声音にもなんら変化のない健真はストレートにそう聞くが、彼のいうことは至ってまともである。勘違いで納得した八雲がおかしいのだ。それがわかっているために、久路人も正直に答える。

 

「僕が家を出たのは、雫、いえ、護衛を勤めてくれてきた妖怪と距離を取りたかったからです。僕の側に、彼女と別れなければならない事情ができてしまったので」

「・・・なんとも、常識外れな答えですね。要は、喧嘩別れをしたと?妖怪と?」

「喧嘩別れかは分かりませんが、喧嘩はしましたね。それが家出の原因かと言えば違いますけど」

 

 こともなげに言う久路人だが、彼自身に自分がおかしいという自覚はない。

 霊能者だろうが一般人だろうが、人間は妖怪を恐れるもの。それが霊能者たちにとっての常識だ。それと照らし合わせると、妖怪と殺しあいではなく喧嘩をしただの、自分の方が悪いだのと言うのは異常である。しかし、久路にとっては紛れもない真実だ。

 

「信じがたい話ですね。人間にとって、妖怪とは恐れ嫌うモノ。喧嘩別れをする前に、喧嘩できる仲にすらなれないのが普通だというのに。前々から護衛のことを嫌っていて、隙を見て逃げてきたという方がまだ理解できる」

「なら、僕たちが普通じゃなかっただけでしょう。少なくとも僕の方から雫を嫌うなんてことはあり得ません。僕に言えるのは、僕のせいで雫から離れなきゃならなくなったってことだけです」

 

 外面こそ普段通りだが、久路人は内心で苛立ちを感じていた。

 自分から家出をしたとはいえ、それでも自分たちのことをどこまで知っているかも分からない者に雫を嫌っていたなどと思われていい気分になるはずもない。

 

「ふむ・・・嘘をつくならもう少しマシな嘘をつきますか。貴方の暮らしぶりを見るに、日々の待遇に不満があったとも思えない。人間関係の悪化は、突発的な家出の理由としてありふれている。人間が妖怪と心を通じ合わせていたことに目をつぶれば、筋は通っています。色々と貴方は規格外のようですし」

「なんと言われようとも、さっき言ったことが真実です」

「なるほど・・・・まあ、家出をした理由はわかりました」

 

 相変わらず人形じみた表情のままだが、建真は一応久路人の言い分に納得したらしい。しかし、それで満足したという訳ではないようだ。

 

「しかし、それでは根本的なことがわかりません。どうして今になって、それまで上手く付き合っていた妖怪と喧嘩などしたのですか?貴方の方から離れなければならない理由とは何なのです?」

「っ!!」

 

 健真の口から放たれたのは、今のささくれだった久路人の心を逆なでする言葉だった。

 そのストレートな物言いに、今度は目に見えて久路人の表情が歪む。

 

「・・・それを、あなたに言う必要はありますか?霧間じゃなく、月宮のあなたに」

「先ほど申し上げたように、今の月宮と霧間は非常に縁が深い関係ですので。そして、霧間の息女はともかく、霧間家も知りたがることでしょう。私も彼らも、安心が欲しいのですよ。『ああ、なるほど。こんな理由でこちらに来たのならば理解できる』という、納得できる保証がね。そして、霧間に伝わるのならば月宮にも伝わるでしょう」

「・・・・・」

 

 先ほどと同じように、健真の言うことには筋が通っている。 

 この場で最も異常な行動を起こしたのは久路人であり、そんな彼の望みを叶えて匿う用意のある霧間がその真意を知りたがるのは当然のことだ。獅子身中の虫を自ら迎え入れることなど、誰だって避けたい。

 そんな正しい理屈と、久路人の中にある感情がせめぎ合い、久路人はしばし黙りこくるも・・・

 

「遅かれ早かれ、私が貴方の事情を知るのは確定事項です・・・・貴方が霧間に事情を話せばね。まさか、庇護を望んでおいて、そこに至る理由は腹に隠し持ったままでいる、なんて恥知らずな真似はしませんよね?貴方は、とても真面目で規範を尊ぶ性格と聞いていますが」

「・・・わかりました」

 

 久路人の性格は健真の言う通り基本的に真面目で、誠実だ。

 健真の言うことは、久路人を煽る上で非常に効果的だった。諦めたように、あるいは腹をくくるように息を吐いて、久路人は健真に向き直る。

 

「僕と雫は、契約を結んでいました。『僕の血を与える代わりに、雫が僕を護衛する』っていう契約です。それが嫌だったんです」

「・・・それは、護衛の妖怪がすぐそばに居続けるのが嫌だったという意味ではないのですよね?」

「はい。僕は、その契約で雫が戦って、傷つくことが嫌だった」

 

 久路人はその内心を語る。雫はもちろん、京にもメアにも話したことがない心の内。

 

「理解できませんね。貴方は、そういう契約を結び、妖怪もそれに同意したのでしょう?ならば、それを気にするのは傲慢な話です。貴方の霊力に溢れた血という対価を得る代わりに貴方を守る戦いに身を投じることを決めたのは、その妖怪の意思だ。貴方が口出しすることではないでしょう?」

「・・・それは、そうかもしれません。でも、僕は雫に傷ついてほしくない。僕のせいで傷ついてほしくないんです」

「それならば、あの白流にある屋敷に引きこもっていればいいでしょう。わざわざあの要塞のような場所を出て、腹に一物抱えた他所の霊能者の家を頼る必要などないでしょうに。貴方の方から離れなければならない理由としては、弱いですね」

 

 取調室で容疑者を詰問する警官のように、健真は表情を変えないままに久路人の事情を分析し、その矛盾点を指摘する。

 

「・・・それは」

 

 話していて、自分でも説得力が足りないという自覚があったのだろう。

 そのまま、久路人は下を向いていたが、やがて何かを決心したかのように顔を上げた。

 

「・・・健真さん、今から言うことを霧間の偉い人たち以外に言わないって約束。いえ、契約はできますか?」

「・・・・構いませんよ。これでも、私は月宮家では立場がある方なので、私さえ事情を知っていればそれで充分です」

 

 健真はそう言うと、着ていたスーツの裏地に手を入れ、折りたたまれた紙を取り出した。

 

「契約書ですか?用意がいいんですね・・・」

「立場上、霊能者と契約を結ぶことはよくあるので」

 

 感心したかのように驚く久路人に、健真はなんてこともないというように答え、白紙にボールペンで何事かを書いていく。久路人が目で追うと、それは先ほどの久路人が言った条件そのままが書き込まれていた。その条件を設定する代わりに、久路人は理由を話さねばならないとも。

 

「これで、私への縛りは設定しました。今から貴方の語る喧嘩の理由について、私は一切口外しません。霧間については、貴方からじかに伝えてください。こういったことのメッセンジャーになるのは好きではないので」

「わかりました」

 

 健真が差し出した霊力の滲んだ朱肉で捺印をすると同時に、契約が完了し、その強制力が働く。しかし、そんなものがなくとも、久路人は喋っていたかもしれない。王様の耳がロバに変わった童話のように、久路人も無意識に己の気持ちのはけ口を望んでいたから。そうでなければ、月宮本家の人間と会話を続けようとは思わなかっただろう。

 

「僕の血には、妖怪を狂わせる力が、妖怪を洗脳する力があるかもしれないんです」

「ふむ?」

「血を得やすくなるように、血を持つ僕に媚を売るようにさせる、僕を好きにさせるような力が」

「・・・・・」

 

 久路人の説明に、健真は初めて興味深そうな視線を向けた。

 その眼に宿った、どこか怪しげな光に気付かないまま、久路人は続ける。

 

「昔、ある妖怪に襲われたときに言われたんです。僕の血は、妖怪にとっては極上の酒のようなものだと。雫は、その酒に酔っているだけなのではないかと」

 

 久路人の脳裏によみがえるのは、ススキ原で対峙した狐の怪物。

 

 

---汝の血がな?あの蛇を狂わせておるのではないか?と言う話だ

 

 

 あの言葉は、あれからずっと久路人の中に残り続けている。

 

「健真さんがさっき言ったように、契約で決めた通りに雫が戦って、その結果で雫が傷つくっていうのなら・・・すごく嫌ですけど、まだ納得はできたかもしれません。あなたの言う通り、家に籠ることを選んだでしょう。でも、雫が僕を守りたがる理由に、僕の血で狂ったからっていう理由があるのなら」

 

 そこで、久路人の瞳に火が点いたかのような輝きが宿る。

 

「僕は、僕を許せない。好きな女の子の心を弄んだうえに、僕のために戦いたがるように仕向けるなんて、絶対に嫌だ!!」

 

 それは、不退転の決意の証。

 しかし、その光はすぐに萎むように消えていった。久路人にとって、己の最悪の予想が、すでに現実のものとなっていたからだ。久路人は俯きながら話す。

 

「そして、もう雫は取り返しのつかないところまで来てしまっている。今の雫は、僕が死んだら自分も死ぬと本気で考えているみたいなんです。どう考えてもまともじゃない。これ以上、血をあげちゃいけないんですよ。だから、僕は契約を守る必要がなくなるように、僕の血を遠ざけるために、ここまで来たんです」

 

 「これが、僕が家出した本当の理由です」と久路人はしめくくり、顔を上げて健真を見て・・・

 

「素晴らしい!!」

「え?」

 

 ガシッ!!

 

 そんな擬音が聞こえるかのように、健真は久路人の手を握っていた。

 

「素晴らしい!!ああ!!なんて素晴らしい愛だ!!!惜しむらくはお互いの気持ちがすれ違っていることだが、それでも尊いものだ!!!大切な想い人のために、苦汁を飲んで離れる!!!ああ、とてもでないが真似できない!!!なんて辛い決断だろう!!!それを選択し、ここまで来た君に、ボクは心から敬意を捧げよう!!」

「え?え?あの、ちょっと?」

 

 健真の瞳には、ドス黒く禍々しい輝きが宿っているように見えた。

 それまでの能面のような表情や態度からの豹変に、久路人は恐怖を覚えて身を引こうとするも、骨が軋むほどの力で久路人の手を握る健真を振りほどけなかった。

 

「いやぁ!!納得がいった!!!納得したよ!!!最初に使い魔から連絡を受けた時は本当に驚いた!!なんで白流市から君が出てくるんだっ!?ってね!!本当に肝が冷えたよ!!!ここで君に何かあったら本当に大変だからね!!!一体全体どんな理由でそんな危険を冒して他の家の人間と会いに行くんだっ!?彼女とは一体何があったんだ!?なんて疑問で脳みそが吹き飛びそうだったけど、そういう理由なら納得・・・・」

「・・・雷起!!!」

 

 健真は先ほどから何やらまくし立てているが、早口すぎて聞き取れない。

 そのあまりにも異様な言動をする健真から距離を取るために、久路人は身体強化を自身に施してやっとその手を振りほどく。

 

「なんなんですかあなたは!?さっきから何を言ってるんです!?」

「何を言ってるかだって!?それはもちろん・・・・ああ」

 

 そこで、ようやく自分のやっていたことに気付いたのか、健真は己の手を見下ろした。それと同時に、狂気を感じさせる表情も元に戻る。

 

「・・・大変失礼しました。何を隠そう、私は恋バナに興味がありまして。貴方の語る理由が琴線に触れたので、つい」

「・・・・・・」

 

 仮面のような表情でも、狂気の滲んだ表情でも似つかわしくない「恋バナ」という単語が飛び出して来るも、久路人は警戒を止めない。久路人の中で、月宮健真という男が要警戒対象となっているらしい。

 

「どうやら、警戒させてしまったようですね」

「・・・当たり前でしょう。さっきの様子を見てなんとも思わない人なんて早々いないと思います」

「そうですか・・・では、私はこれでお暇しましょう。さきほどの理由は、大いに納得のいくものでしたから」

 

 そして、健真は久路人に背を向けて部屋の出口に向かって歩き出し・・・・

 

「ですが、最後に一つよろしいでしょうか?」

「・・・何です?」

 

 建真は、部屋を出る直前で足を止める。

 健真の一挙一動を見逃さぬように注視していた久路人は、わずかに間を空けて質問を促した。

 ここで「嫌です」と言ったら、もっと面倒なことになりそうだったから。

 

「先ほど、護衛の妖怪が、「貴方が亡くなったら自殺する」というようなことを言ってたと仰っていましたが、それはどのような経緯で気付かれたのですか?昨日白流市で異変があったと聞きましたが、そこで?」

「いえ、気付いたのは、今日の午前中です。雫が電話でそのようなことを言っているのを聞いたんです」

「それはなんとも物騒な話ですね・・・一体何の話をしていればそのような流れになるのですか?」

「え?確か・・・」

 

 久路人は少しの間記憶を振り返るために集中した。

 久路人はあの時、雫が自分に黙ってどこかに電話しているのを初めて聞き、思わす盗み聞きしてしまったのだ。今の雫は久路人の血のせいで狂っているためにあり得ない可能性であるが、もしも久路人以外の男とこっそり会話していたら、彼は家出を止めて一生引きこもっていたに違いない。幸いというか、案の定というか、話の相手は女性だったが、久路人の聞いた限りでは・・・

 

 

ーーアンタたちの経緯は分かったわ。けど血の盟約をもしやるんなら、覚悟はできてるんでしょうね?あの久路人って子が死んだら、アンタも死ぬことになるのよ

 

 

「確か、血の盟約を結ぶと言っていました。その契約を結ぶなら、僕が死んだときには雫も死ぬ。だけど、雫はそれをなんとも思ってなくて・・・」

「それはおかしいですね」

「え?」

 

 話しているうちにその時のことが鮮明に蘇り、久路人の表情が再び罪悪感で歪む。しかし、それを妨げるように、建真はこれまでのように矛盾を指摘した。

 

「貴方は、血の盟約についてどれ程のことをご存じですか?」

「えっと、あまり詳しくは知らないです。吸血鬼が使う高等な眷属を作る術ってくらいのことしか」

「・・・その情報だけでも、おかしいとは思わないのですか?」

 

 出ていきかけた足を回し、建真は改めて久路人に向き直った。その顔はやはり仮面のようだったが、今はどことなく呆れているようにも見える。

 

「おかしいって、何がですか?」

「貴方は言ったはずだ。貴方の血が、その護衛を狂わせていると。血を得るために、貴方に対して強制的に好意を持たせるようにしていると。それならばおかしい。よく考えてみてください。今の貴方は冷静さを欠いている」

「考えてって、事実として雫は僕のために死んでもいいって言ったんですよ!?そんなのまともじゃ・・・」

「汚水が一滴でも混じったワインは、もはやワインではない」

 

 自分がまともな思考をしていないと暗に言われ、久路人は気色ばんだ。

 雫が久路人のためなら命など惜しくないと言ったのは紛れもない事実であり、久路人にとって、それはまともな思考で導かれる答えではない。ならば、狂っているのは雫であり、自分ではない。そんな考えのもとに反論するも、建真は唐突に例え話を始めた。

 

「何を言って・・・」

「月宮久路人。貴方は己が人の身から外れても、人外の血が混ざり込んでも、その血がそれまで通りであると思いますか?」

「あ・・」

 

 久路人は、スッと、冷水を頭に浴びせられたような感覚がした。

神 の力は妖怪にとって極上の味を持ち、霊力を増強する効果がある。だがそこに人外の血が混じったらどうか?少なくとも、純度が下がるのは間違いない。

 建真の言う通り、久路人は昨日の喧嘩や午前の雫の決意を聞いて、持ち前の冷静さを失っていたのだ。それが今、急速に元に戻りつつあった。

 

「神の力は、極めて清浄な力であり、繊細なバランスを保った上で貴方の中にある。そして血の盟約も含め、人外と化す方法はヒトならざるものを己のなかに取り込むことが必須です。そうして貴方が人外となったとき、元の性質が残っているとは考えにくい」

「それは、確かに・・・でも!それならなんで雫はっ!!」

 

 今まで正しいと思い込んでいた考えが、突然穴だらけで不確かなモノになったのだ。

 当然、その考えの上に建っていたモノもほころび始める。

 

「それは分りません。それを知るのは、その妖怪だけでしょう。私から言えるのは、貴方の考えは、血を欲する者が取る行動としては不自然だということだけです」

「・・・・・・」

 

 久路人は、その言葉に返事をしなかった。否、自分の全てを、頭を回転させることに費やしていた。

 

「何故だ?なんで、雫は・・・・」

「貴方だけで考えても、答えは出ませんよ。できるのは憶測を並べたてるだけ。答えを知りたければ、直接その妖怪と、すべてを包み隠さず話し合うほかありません。心を読む力でも持っていない限りはね」

「話し合う、か。でも、僕は・・・」

 

 久路人にとって、話し合うという言葉は遅すぎた。

 久路人はもう、ここまで来てしまったのだから。

 

「遅すぎると言うことはありませんよ」

「え?」

 

 しかし、そんな久路人を健真は否定する。

 健真は、久路人ではなく、部屋に設けられた窓を見ていた。正確には、窓の外に広がる空を。

 

「・・・さすがは大妖怪。忘却界の中でも中々の素早さだ。ボクが道案内をしようと思っていたけど、いらなかったみたいだね。ここに気づけたのは、愛の力かな?それとも別の何かか?いずれにせよ、素晴らしい」

「あの、どういうことですか?」

 

 窓の外を見ながら、それまでとは異なる口調で独り言のように口を開く健真に久路人は問いかけるも、健真は応じることなく踵を返した。

 

「それでは、今度こそ、私はお暇しますよ。願わくば、貴方がたの誤解が全て溶けますように」

「え?あの?」

「あと、貴方の中にはまだ疑念が残っているようですので、私ももう少しこの地に留まりますよ。少しばかり痛い目にあうかもしれませんが、授業料ということで。本当に危なくなったら助け舟くらいは出しましょう」

「え?ちょっ・・・それってどういう意味・・・」

 

 久路人の呼びかけにも足を止めず、健真はそのまま部屋を出ていった。

 久路人は慌てて追いかけるも、廊下にはその姿はすでに無かった。

 

「いない・・・・」

 

 久路人が健真を視界から外したのは、ほんの数秒だ。

 しかし、その間に健真は煙のように姿を消してしまっていた。

 しばらくそこで廊下を見つめていた久路人だったが、すぐに我に返ったように、誰もいない廊下に向かって頭を下げた。

 

「何だかわかりませんでしたけど・・・・あなたのおかげで大事なことに気づけたと思います。ありがとうございました、健真さん」

 

 声が届くはずはないが、不思議とこの台詞が聞かれているような気配が、久路人には感じられた。

 そして、久路人も廊下に背を向けて、部屋の中に戻る。

 

「さて、と・・・」

 

 ほんのついさっきまで、激情やら混乱に支配されていた頭は、どういうわけかスッキリとクリアになっていた。答えこそでなかったが、初めて自分の中にあった本当の悩みを吐き出せたことがよかったのかもしれない。いや、それよりも、長らく久路人の中に憑りついていた焦燥感と罪悪感の元を断つきっかけに気づかせてくれたことだろう。自分はこれまで、ずっと勘違いをしていたのではないか?思い込みをしていたのではないか?ということに。

 

「もしかしたら、雫は・・・・」

 

 そのまま久路人は、思考の渦に落ちていく。

 どのような意図があったのかは定かでないが、これまでの会話で取り戻した冷静さを以て、今までの自分と大切な少女の間にあったすべてを洗い出す。

 

「・・・いや、そうだね。やっぱり、話し合って聞くしかない。今の僕じゃあ、推測しかできない。そうだ、『遅すぎるということはない』、か」

 

 そして、その結論は健真が告げたものと同じだった。

 座り込んでいた座布団から立ち上がり、出口の方を向く。

 

「八雲さんに、謝らないとな・・・」

 

 そして、健真のように部屋を出ようとした。

 そのときだった。

 

 

--ブチリ

 

 

「え?」

 

 何かが、千切れる音がした。

 それと同時に・・・

 

「今、何が・・・?何だ?何が起きたっ!?」

 

 何が起きたのか分からない。

 だが、間違いなく良くないことが起きた。

 全身が、心が悲鳴を上げている。

 

「何だっ!?これ!?もしかして、今のはっ!!」

 

 何かが千切れた。

 今まで自分に繋がっていた大切な何かが。

 10年以上、自分と、大切な少女を繋いでいた何かが。

 

「これはっ、雫との契約がっ!?」

 

 雫と出会った日に、京を介して結んだ契約。

 久路人の血を与える代わりに、雫は久路人を守るという契約。

 久路人と雫を繋いできた、太い鎖の内一つ。それが今、『断たれた』。

 そして、それに気付いた瞬間。

 

 

『さあ、お主の身体を渡してもらおうか。その、神の血と力ごとのぉ』

 

 

 醜悪な老人の声が、久路人の頭の中にねじ込まれた。

 

 




感想、評価よろしくです!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再会

やっとここまで書けた・・・疲れた。


「はっ、はっ、はっ・・・!!」

 

 白流市の住宅街はその日、夏季において史上最低気温を記録した。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・!!!」

 

 道を歩く住民は、当然今の時期は半袖だ。

 しかし、ゴゥッと勢いよく風のように何かが通り過ぎたかと思えば、突然辺りに霜を降ろすような寒さが襲い掛かり、驚きながらも腕をさすってその場から離れていく。

 

「はぁっ、はぁっ・・・・久路人っ!!」

 

 その何かを、否、雫を人々は見ることができない。

 いや、例え見る資質を持っていたとしても、視界にとらえることは難しかっただろう。

 まさしく嵐の如く、通り過ぎた道に氷と霧を残しながら、彼女は駆ける。

 彼女にとって最も大事な男の名を叫びながら。

 

「久路人っ!!久路人ぉっ!!!どこぉっ!!!」

 

 探す当てなど何一つなく、ただひたすらに街の中を走り回って叫ぶ。

 

「久路人っ!!久路人っ!!久路人っ!!!」

 

 雫が久路人の不在に気が付いたのは午後を少し回ったあたり。

 そして、今はもう太陽の光がオレンジ色に変わっていた。

 その間、ずっと雫は走り続けていた。

 

「はっ、はっ、はっ・・・!!」

 

 大学と、そこに繋がる通学路。

 いつも食材を買いに行くスーパーに、ライトノベルを注文する本屋やよく寄るコンビニ。

 これまで通ってきた高校、中学、小学校。

 子供の頃によく遊んだ川や原っぱ、クワガタを捕りに行ったあの雑木林の中にまで。

 考えられる場所は、すべて回った。これまで久路人と歩いてきた場所は、すべて通り過ぎた。

 だが・・・

 

「どこっ!!?どこなのっ!!久路人ぉっ!!!」

 

 いない。どこにもいない。

 雫が世界で一番大好きな青年は、影も形も見つからない。

 

「はっ、はっ、はっ・・・!!」

 

 駆ける。

 ただ、駆ける。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・!!!」

 

 大妖怪である雫が、たかだか数時間走ったところで疲労するわけもない。

 しかし、その息は荒く、汗がしたたり落ちていた。それは、体ではなく心から来るものだから。

 

「久路人、久路人ぉ・・・・・」

 

 見つからない。

 雫が今、いや、いつでも一番会いたい人は、どこにもいなかった。

 いなくなってしまったのだ。自分を置いて。

 

「久路人、久路人、久路人・・・・」

 

 世界が、真っ暗に染まったかのようだった。

 夏の夕暮れの中、夕陽はまだ落ちていない。夜のとばりが落ちるまで、まだしばらくかかるだろう。それなのに、雫には二度と明けない夜がやってきたように感じられた。

 

「・・・・・久路人」

 

 とうとう、雫の足が止まった。

 住宅地の中にある、遊具の類が撤去された公園。時刻の問題か、遊び場としての退屈さか、そこに人気はなかった。雫は、そんな公園の中に申し訳程度に残されたベンチに崩れ落ちるように座り込んだ。

 

「・・・・・・」

 

 ドロリと濁った紅い瞳に、光はない。

 底の見えない絶望に染まった古井戸のような眼であったが、その井戸は枯れていなかった。

 

「うっ・・・くぅっ・・・・」

 

 ポタリと、地面にシミができていく。

 初めはポタリポタリと途切れ途切れだったが、次第に大雨のように絶え間なく降り注いでいく。

 

「久路人っ・・・久路人っ・・・くぅっ、うぅ・・うわぁぁぁぁああああんっ!!!!!」

 

 ただただ、ただただ、雫は泣き続けた。

 

「久路人にっ・・・ヒック・・・・置いてかれたぁ・・・・・」

 

 自分は、間に合わなかった。

 決心するのが遅すぎた。

 街の中はくまなく探したのに、いない。ならば、久路人はもうこの街の外に出たのだ。自分を置いて。

 嫌われているとは思っていた。ひどい言葉をぶつけられるかもと覚悟はしていた。話し合いをする前に、殴られることだって考えていた。

 だからこそ、そこまで考えていたからこそ、何も言わずに、別れを告げる機会すら与えられずに離れていってしまったことが、辛かった。

 まるで、そうまるで・・・・

 

「私は、久路人にとって、その程度だったの・・・?」

 

 月宮久路人という青年にとって、水無月雫は別れを告げる価値すらないと。

 今までの思い出のすべては、大事にしていたのは雫だけで、久路人にとってはどうというモノでもなかったのかと。

 そう、言われたかのようだった。

 メアは言っていた。久路人が自分を守ろうとする意志は異常であると。しかし、本当にそうだったのか?

 

 

--汝があのガキを想う重さと、あのガキが汝に向けるソレは、果たしてどれほどの違いがあるのかの?

 

 あの狐の言葉が耳の中によみがえる。

 メアは心が読めるわけではない。久路人の心の中など、久路人以外には分からない。今、雫の前にある現実が、それを証明している。

 

「久路人は、久路人は・・・・」

 

 

--私以外の誰かを、選ぶの?

 

 

 それは、あの見合い話が立て続けに舞い込んできた時に思ったことだ。

 

 

--もしも、私以外に好きな人ができたら、私を置いていくの?

 

 

 自分のやっていることが受け入れられなかった時、久路人が選ぶかもしれないと思った選択肢。

 まだ、自分の犯したおぞましい所業がバレたわけではない。しかし、その前に、久路人の芯とも言える意思を否定してしまった。大喧嘩をしてしまった。嫌われてしまった。過程は違えど、結果は同じ。

 自分は愛想をつかされ、久路人に逃げられてしまったのだ。そして、久路人は自分以外の誰かを選ぶ。

それは、仕方のないことだ。そうされるようなことを仕出かしてしまったのだから。ならば、諦めて認めるしか・・・

 

「そんなの嫌っ!!!嫌っ!!嫌だよぅ・・・」

 

 認められる訳がない。

 やっと、自分のことをさらけ出そうという覚悟ができたところだったのだ。全てを話そうと意気込んでいたところだったのだ。そうした上で拒絶されるのならばまだしも、そのチャンスさえ与えられないなど、納得できるはずもない。

 過去にも誓ったではないか。

 

 

--離れていったら、地の果てまで追いかける

 

--他の女の物になったら取り返す

 

--嫌われるのならば、振り向いてもらえるまで居座ってやる!!

 

 

 その想いは、今も変わらない。しかし・・・

 

 

「でも、でも・・・久路人、どこにいるの?」

 

 そう思っていても、現実は変わらない。

 依然として久路人の足取りは掴めず、どこにいるのか見当もつかない。恐らくは街の外に出たのだろうが、そうなってしまえば本当に何もわからない。雫の心は折れていないが、追いかけようにも走り出せない。

 忘却界に覆われた街の外は妖怪にとって極めて活動がしにくい場所だ。雫クラスの妖怪ならば動けはするが、白流市のように闇雲に走り回っていればそう遠くないうちにガス欠になるだろう。そこで足止めをもらってしまえば、ますます距離が開いてしまう。何か目印でもあるのならば別だが、そんなものはない。今の雫にできることは、ただただベンチで項垂れるのみであった。

 

「久路人、久路・・・・」

「おい、婆さんや。このお札はどこに持っていけばいいかのう?交番か?」

「・・・・・?」

 

 ふと、雫の耳に老人たちの話し声が聞こえてきた。絶望と恐怖で半ば無気力になっていた雫は、反射的にそちらを見る。

 

「お爺さん、そんなもの持ち込まれても警察の人が困ってしまいますよ。でも、どうしましょうかねぇ」

 

 自分の座るベンチの対面に設けられたもうひとつのベンチに、いつの間にか老夫婦が座っていた。話の流れから、どうやら老爺の方が何か妙なものを拾っていたらしい。その扱いをどうしようと、と話し合っているようだ。

 そのまま何とはなしに老夫婦を見つめていた雫だったが・・・

 

「なっ!?」

 

 次の瞬間、思わず立ち上がって老夫婦に詰め寄っていた。

 

「お前っ!!その護符をどこで拾ったっ!?」

「ん?なんじゃ?このお札欲しいのかい?渋い趣味しとるのぉ」

「お爺さん。多分違いますよ」

 

 突然迫ってきた雫に驚くことなく、老夫婦は穏やかに会話を続けていた。

 しかし、雫にそんなまったりとしたペースなど通用しない。

 

「いいから答えろっ!!それをどこで拾ったっ!?」

「そんなに急かさんでも答えるわい。この街と、隣街との境くらいじゃよ。そこの道を真っすぐ東に進んだ先じゃの」

「隣街・・・やっぱり、街の外に・・・でも、それだけ分かっても・・・」

 

 常人なら震え上がるような雫のプレッシャーを受けても老爺は動じることなく答えた。やはり、雫の予想通り、久路人は街の外に出てしまったようだ。

 

「一か八か、この道沿いに進んでみるか?いや、それでもしも脇道に逸れていたら・・・」

 

 難しい顔になり、考え込む。

 忘却界の中に入り込むのなら、長居はできない。高校の修学旅行の時にもらった簡易結界を貼る護符など、とうに壊れてしまっている。ならば、正確に久路人の後を追わなければならない。

 

「一体、どうすれば・・・」

「なんだかようわからんが、辛そうな顔をしとるの。まったく、嫁にこんな顔をさせておいて、あの小僧は何を自転車なんぞ走らせとるんじゃ」

「あの子も随分と辛そうというか、思い詰めた顔をしてましたけどねぇ。あとお爺さん、このお二人が今そういう仲なのかはわかりませんよ。前会った時は恋人じゃないって言ってましたし」

「あれ?そうだったかの?」

「待てっ!?お前たちは久路人を見たのか!?いや、知っているのか!?」

 

 聞き捨てならない会話が耳に入り、雫は思考の渦から抜け出した。老夫婦は顔を見合わせていたが、老婆の方が静かな口調で口を開く。

 

「このお札を拾う前にの。あの道の先にある隣街の道路じゃったが、随分と急いでペダルを漕いでおったわ・・・今から二時間は前じゃったと思うが、お前さん、あの小僧を探しとるのかい?」

「ああっ!!もちろんだ!!他には!?他に何か知っていることはあるか!?」

「申し訳ありませんが、他には何も・・・」

「うむ。俺たちもすれ違っただけなのでなぁ。とりあえず、このお札はお嬢ちゃんに返しとくぞい」

「そうか・・・いや、こちらこそ突然済まなかったな。助かった」

 

 手がかりを得るうちに段々と落ち着いてきたのだろう。もしくは、老夫婦のどこか達観したような雰囲気にあてられたのか。最初は殺気だっていた雫は、護符を受け取りつつ、老夫婦に頭を下げた。

 

「しかし、本当にこれからどうすれば・・・」

 

 少なくとも、久路人はバスや電車のような公共交通機関は使っていない。妖怪に襲われるために自動車の免許も持っていないので、自転車で二時間ならば、案外遠くには行っていないかもしれない。それが分かっただけでも前進だ。

 

「これは、本当に賭けに出るしか・・・」

「匂いを辿れば追えるんじゃないかしらねぇ」

「・・・なんだと?」

「おいおい婆さん、犬じゃないんだから・・・」

「いや・・・」

 

 ここは一か八か進むしかないと思っていたところで、老婆から思いもしなかった案が出た。老爺が突っ込んでいたが、その考えは電光のように雫のなかで瞬き、形をなす。

 

「そうだ、妾は犬ではない。犬ではないが、鼻のきく生き物だったではないか」

 

 ポツリと小さな独り言を呟くようだったが、やがてそれは己の中を吐き出すように大きな声に変わる。

 

「そうだ、妾は・・・くくっ!!ああ、そうだな。ずっと人間の姿だったから忘れていた。人間の感覚に慣れすぎていたよ・・・お二方」

「ん?」

「・・・」

 

 軽く自嘲するような笑みを浮かべながら、雫は老夫婦に向き直り、頭を下げた。そして、再び上げられた時には、その瞳に炎のような輝きが灯っていた。

 そんな雫を、老爺は怪訝そうに、老婆は微笑みながら見つめ返す。

 

「本当に、お二方に感謝申し上げる。おかげで、探しに行けそうだ」

「ふむ?まあ、よく分からんが、さっきみたいな死んだような眼よりもずっといい顔になったの」

「ええ、本当に。あなたの探している人は、きっと、あなたにとってなくてはならない人なのでしょうね。本来一つであるべき、今は二つに分かれた片割れ。気持ちはよくわかりますよ。ねえ、お爺さん?」

「うむ!!俺も婆さんがいるから今も生きていられるからのぉ!!」

 

(元気な老人たちだな・・・妾も、私も、久路人といつかあんな風に・・・)

 

 途中で惚気だしたが、雫はそんな老夫婦を羨ましそうに見やって、すぐに背を向けて駆け出した。

 

「済まないが、急用があるので失礼する!!本当にありがとう!!」

「うむ、行ってくるといいぞい!!あと、一発くらい彼氏を殴ってもバチは当たらんと思うぞ~!!」

「あなたがちゃんと運命の人と再会できますように・・・どうかお気をつけて」

 

 そして、雫の背中はあっという間に夕闇のなかに溶けるよう小さくなって消えていった。

 

--------

 

「はっ、はっ、はっ・・・!!」

 

 駆ける。

 ただ、駆ける。

 白流市から、隣街へと続く道を、ひたすらに。

 長い上り坂であろうとも、一切ペースを落とさずに、風のように。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・!!!」

 

 それは、先ほどまでの光景と同じだ。

 しかし、一点違うところがあった。

 

「久路人・・・」

 

 走る雫の顔は、さっきまでの絶望と焦りに満ちたそれではない。

 自分の行くべきところが、やるべきことが分かっている者の表情だった。

 

「今まで、ずっと久路人に女の子だと思って欲しかったから、私はこの姿だった・・・」

 

 坂道を駆けのぼりながら、雫はここにいない久路人に告げるように言う。

 雫の眼には、坂の頂点が見えていた。

 

「でも、このまま久路人に会えないで終わるくらいなら、例え久路人にどう思われようと・・・」

 

 そして、とうとう上り坂の終わりに至る。

 今まで走ってきた道が影の中にあったために、夕陽に照らされる街を眺められる坂の上は眩しかった。

 そこで、雫はトンッと地面を蹴って跳びあがった。それと同時に、一瞬だけ白い霧が辺りを包む。

 

「私は、妾は人の姿を捨ててやるっ!!」

 

 次の瞬間、そこには一匹の大蛇がいた。

 大蛇は宙に浮かび、泳ぐように、滑るように空気を切り裂いて飛んでいく。

 

「・・・感じるぞ」

 

 蛇という生き物は、熱を感じるピット器官が有名だが、他にも触覚と嗅覚が非常に優れた生き物だ。

 蛇は、一度狙った獲物を逃がさない。どこまで相手が逃げようと、その痕跡を辿って追い続ける、執念深い生き物なのだ。ましてや、雫にとって久路人は己の全てをなげうってでも手に入れたい相手なのだ。諦めるなどと言うことはあり得ない。

 

「感じるぞ!!久路人の匂いを!!妾が、久路人の匂いを間違えるなどあり得ぬ!!こっちかぁあああっ!!!!」

 

 舌をチロチロと振りながら、雫は久路人の後を追う。毎日毎日久路人と触れ合い、脱衣所で久路人の下着に顔を突っ込んでいた雫にとって、久路人の匂いを追うなど赤子の手をひねるようなものだ。

 一切の躊躇なく大蛇は進み、いよいよ白流市との境目、忘却界の端にまでやってきた。

 忘却界ははるか昔に「魔人」によって貼られた、超大規模魔法。近づくだけでも妖怪である雫には大瀑布のようなプレッシャーが襲い掛かるが・・・

 

「そんなもので、妾が止まるかぁぁぁぁああああああああっ!!!」

 

 凄まじい重圧と倦怠感を感じつつも、雫は忘却界の中に飛び込んだ。

 

「待っていろよ、久路人っ!!今すぐに行くからなぁっ!!」

 

 本調子とはとても言い難い状態ではあったが、それを欠片も感じさせない様子で、雫は前へと進むのだった。

 

 世界で、一番大事な人と、もう一度会うために。

 

--------

 

 雫が走り去った後の公園。

 疾風のような勢いで去っていった雫を見送った老夫婦は、少しの間逢魔が時に墜ちる道を見つめていた。

 

「それにしても・・・」

 

 そこで、老婆が唐突に口を開いた。

 その口調は、どこかしみじみとしていて、昔を懐かしむかのようだった。

 

「あの子、昔はあんなにヤンチャだったのに、見ず知らずの私たちに礼を言えるなんて、変わるものだわ。本当にいい人に会えたのね」

「ん?婆さん、会ったことがあるのかい?あのなんたら山の前に?」

 

 老婆のことは過去も含めてすべて知っている自信のあった老爺であるが、ここでいきなり知らない話が出てきて、意外そうな顔になっていた。

 

「葛城山ですよ、お爺さん。そして、あの子とは、お爺さんと会う前に少しだけ関わったんです。あの子がお爺さんに食って掛かった時に思い出したんですけどね」

「ほーん・・・そんなことがあったんか。まだ、俺の知らんことがあったとはのぉ」

「ふふ、私もほとんど忘れかけていた話ですから、大目に見てください」

「分かっとるよ。俺もあんな女の子のことで怒るほど器は小さくないわい。むしろ・・・」

 

 老婆は、過去に想いを馳せながら遠い目をしていた。

 そんな妻の様子を見た後、少しだけ面白くなさそうな表情をしていた老爺であったが、おもむろに雫が走っていった方に向き直る。その瞳は孫でも見るかのように優しげだった。

 

「ええ。あの子たちが上手くいくことを祈りましょう。昔の私たちのようにね」

「うむ」

 

 そうして、しばらくその場に佇んだ後、老夫婦もまた何処かに去っていったのだった。

 

 

--------

 

「頃合いじゃな・・・」

 

 久路人が健真と話をし始めたころだ。

 久路人たちがいる部屋の真下で、月宮久雷は呟いた。彼の周囲では月宮家の霊能者たちが代わる代わるに詠唱を行い、役目を終えた者は肩で息をしながら壁にもたれている。床に刻まれた複雑な図形の絡まりは、煌々と輝き、そこに込められた力の解放を待ち望んでいるかのようだった。

 

「それにしても、本当に運命というものはあるモノじゃな。儂がこの『転写転生』を編み出したのと時を同じくして、現人神が見つかるなど。いや、そもそも転写転生そのものが、この時代にならなければ思いつかなかったことを考えれば、そこからかの」

 

 久雷は感慨深げに言葉を漏らす。

 

 転写転生。

 それは、神の血を引く月宮本家の当主として、その長い生涯のぼぼ全てを神の力を得る、否、取り戻すことにのみ費やしてきた男の妄執。その効果は単純明快だ。

 

「まずは儂の記憶を電子情報と転じて月宮久路人に転写し、精神を以てそれを楔とする。そして、遺伝情報を同じくし、肉体と霊力、神の力に親和性のある儂ならば、魂の同調は理論上可能。精神と魂さえ繋いでしまえば、この朽ちた身体を捨てて乗り換えることが叶う」

 

 一言で言ってしまえば、乗っ取りだ。

 術者の記憶をコピーして写し、存在しなかった記憶によって「自分は月宮久雷である」と思い込ませた相手に自身の精神を同質のものとする。ここまでが転写であり、これは月宮家以外の人間相手にも使うことができる。そして、その相手が術者と肉体および魂の性質が近い場合には、魂を同調させ、肉体を乗っ取ることが可能だ。月宮久雷は月宮久路人の祖父であり、神の力と雷の霊力を持つという共通点があり、肉体と魂の情報が似通っているのだ。そのために、転写転生を使う条件をすべて満たしている。神の力を持つ者は精神異常に強い耐性を持つが、同じ神の力を有する者ならば耐性をすり抜けることも不可能ではない。

 

「本当に、便利な時代になったものじゃ。あらゆる情報はデータ化され、様々なハードの間を行き交う。そしてこの術は、人間もその流れに組み込む」

 

 今の現世に溢れる情報媒体。久雷はそれらから、転写転生の発想を得ていた。

 そして、本来ならば、この術は月宮健真に対して使用し、神の力を高める術を探し続ける予定であった。

 

「しかし、データと違ってこの術は短期間の間に2度も使える術ではない。叶うことならば健真あたりで実験したかったが、止むをえまい」

 

 永遠の生を得られる夢のような術であるが、魂を同調させて肉体を手放すということは大きな負担がかかる。かといって、月宮久路人の肉体は日に日に強大すぎる神の力に蝕まれており、手をこまねいていては先に死なれてしまう。そのため、ぶっつけ本番で久路人相手に転写転生を行う計画を立てるしかなかった。

 

「さて、結界の準備はできておる。あの高濃度の神の力に触れるのはまずいからの。ある程度は吸わせるとして・・・」

 

 現在久路人がいる屋敷に貼ってある結界も、神の力を研究した久雷が考案したものだ。白流市にある京は貼った結界は、久雷のものを模倣、昇華したものである。ただし、京は久路人が不自由なく暮らせることを主眼としているが、久雷は違う。久雷の結界は久路人のことを最低限にしか考えていない。 さらに、久雷には長年の経験から、久路人の中に眠る神の力を御す自信があった。その自信が、多少の無茶をさせたとしても久路人に問題はないという答えを導いていた。

 

「久遥のやつは甘すぎる。せっかく力があるのだから、奪って使ってしまえばいいものを」

 

 久雷の結界は、久路人の持つ神の力を吸収する効果があり、今もその効果をわずかばかり発揮している。京の結界も体外に溢れている力を吸収する仕組みはあるが、久雷のものは久路人の中から神の力を絞り取ることも可能だ。もちろん、無理矢理に吸い出すような真似をすれば久路人の肉体には負荷がかかることになる。久雷としても久路人に死んでもらっては困るために加減はするが、それでも自分が手に入れる前に死ななければ問題ないとしか考えていない。そうして得た力は吸われた傍から今も詠唱が続けられるこの部屋の仕掛けに注がれる。仕掛けはいくつかあるが、そのうちの一つが転写転生、そしてほかにも・・

 

「ほう!!無意識に放出している霊力だけでも大したものだ!!転写転生に使ってもお釣りがくる!!これならば、『門』の作成に加えて、あの蛇との契約も断ち切れる」

 

 神の血が流れる月宮に、下賤な妖怪の護衛など必要ない。いや、積極的に排除すべきですらある。

 久雷はそう考えていたし、それは他の霊能者の一族でも同じだろう。本来契約に関わりのない第三者が他者の契約に干渉するのは難しいが、月宮久路人が結んだ契約は、その膨大な霊力によって綻びが生じている。そこに、神の力による一部の隙もない結界を構築すれば、二者の間にある霊的な繋がりを完全に断ち切ることができる。

 

「では、後顧の憂いを断つためにも、まずは蛇の方をなんとかするとしよう」

 

 そして、久雷は指を鳴らした。

 すると、床に刻まれた図形の内一つが激しく明滅し・・・

 

--ブツリ

 

 屋敷の周囲に白い輝きを放つ結界が展開されると同時に、白蛇と青年を繋ぐ、始まりの繋がりが断ち切られた。

 

「ふん、これで蛇が月宮久路人を守る理由はなくなった。ならば、もう我らの邪魔をすることもなかろう」

 

 もっとも、月宮久雷がそのようなことを気にするはずもないが。

 

「さて、では・・・」

 

 そして、久雷の皺だらけの顔に、醜悪な笑みが浮かぶ。

 それは、干からびた果物にヒビが入った光景を連想させた。

 

「いよいよ、手に入れるとしようかのぉ!!すべてをなぁ!!」

 

 白い結界が、眩い光を発する。

 霊力が認識できる者ならば、目を開けていられないほどの光量だ。

 突如として自分の大事な契約を断たれた久路人から、その力を吸い取っていき・・・

 

「転写転生!!」

 

 そして、妄執に取りつかれた老人の、おぞましき術が発動した。

 

--------

 

「見えてきたぞ!!あそこかぁっ!!」

 

 忘却界の中。

 ギシギシと体に降りかかる重さを、無理を聞かせて耐えながら、雫は視界に入ってきた屋敷に向かって勢いよく進み続ける。

 その屋敷からは久路人の匂いを感じるが、それ以上におかしなことがあり、すぐにそこがゴールだとわかったのだ。

 

「あの屋敷は、何故あんな妙な結界を貼っているのだ?」

 

 霊力の見えない者には何の変哲もない場所に見えるのだろうが、妖怪である雫にははっきりとその壁が見えていた。そして、雫はその壁が放つ光とよく似た力を見たことがあった。

 

「あの光・・・あの陣の中で久路人が纏っていた力に似ている」

 

 あれが、神の力というヤツだろう、と雫は思った。

 

「まあ、そんなことはどうでもいい!!それよりも、久路人だっ!!」

 

 雫はそこで、蛇の姿から少女の姿に変わった。

 忘却界の中は、妖怪や穴の発生を抑制する。しかし、修学旅行の時のように、人化の術を使っていれば少しは負担もマシになる。目的地が目でとらえられるまで近づいた以上、蛇の姿でいる必要はない。

 

「久路人っ!!今・・・くぅぅうっ!?」

 

 そうして、屋敷の玄関に突っ込んだ直後。

 見えない壁が、雫を弾き飛ばした。

 

「これは・・・結界か!!」

 

 光を発しているものとは別に、もう一枚見えない壁がある。

 

「こんなものっ・・・・ぐっ!?」

 

 普段ならば大して苦労もせずに破壊できるだろう結界に、雫は拳を叩きつけるも、結界はびくともしなかった。

 

「なんだ、この結界は・・・確かに妾の力は忘却界の中ゆえに弱まってはいるが、それでもヒビ一つ入らないなど・・・」

「フフッ!!当たり前でしょう、下劣な蛇め!!その結界は、私たち霧間がお前専用にあつらえた特別製です!!」

「・・・何だ貴様は。いや、待て、貴様、見覚えがあるぞ」

 

 異様に強固な結界に雫が困惑していると、そこに刀を持った凛々しい少女がやってきた。

 その少女を見た瞬間、雫の頭の中で、何かが引っかかる。

 自分は、この女をどこかで見たことがある、と。

 そして・・・

 

「霧間・・・そうか、思い出したぞ。貴様、霧間八雲とかいうヤツか」

「お前のような極悪非道な下衆に知られていても、何も嬉しくないですね!!しかし、ここに来て正解でした。おかしな霊力を感じると思ったら・・・絶対にここは通しませんからね!!」

 

 雫の額に青筋が浮かぶ

 しばらく前にあの忌々しい見合い話を持ち込んできたヤツと顔が一致したのだ。

 

「何故貴様がここに・・・」

「久路人さんを取り返しに来たのでしょうが、そうはいきません!!」

「・・・・は?」

 

 忌々しい女の口から最愛の青年の名前が飛び出した。

 その言葉が耳に届いたコンマ0.1秒後、雫の口から、絶対零度の声が漏れる。

 忘却界の中にも関わらず、辺りが凍り付くほどの冷気が充満する。

 それは、人間一人を軽く氷漬けにできるほどの威力だったが・・・

 

「無駄ですっ!!」

 

 壁の向こうにいる八雲に、その冷気が届いた様子はない。

 

「低能なお前では覚えられませんでしたか?この結界は、水の扱いに長けた我ら霧間がお前への対策として用意したモノっ!!この忘却界の中で、お前に破れる道理はありません!!」

 

 どうやら、目の前の壁は水属性に対して強い耐性を持っているようだ。加えて、『蛇』にまつわる妖怪に対する耐性も。

 

「チッ!!ずいぶんと人間らしい手の打ちようだな!!」

 

 普段とはあまりに違う力の感覚と、目の前の結界の硬さに舌打ちする。

 名の知れた妖怪相手には、相手の属性と正体を調べた上で、相手の攻撃手段を封じ、徹底的に弱点を突く。古来から多くの霊能者が取ってきた作戦であった。

 

「ええそうですとも!!私は人間ですからね。人間らしい手段をとって何が悪いというのです!!さらに言うなら、久路人さんだって人間です!!なのに人間を下に見るような発言をするとは、やはりお前は久路人さんのことを・・・」

「・・・黙れ」

 

 ピクリと、雫の綺麗に整った眉が動いた。

 それと共に、女の口から出たとは思えない低い声が響く。

 しかし、妖怪を嫌悪する霧間の息女がそれに応じるはずもない。

 

「いいえ、黙りません!!お前は久路人さんの・・・」

 

 そうして、八雲は気丈にも言い返そうとして・・・

 

 

--ズドンっ!!

 

 

 屋敷が震えた。

 

「貴様ごときが、久路人の名を軽々しく口に出すなぁぁぁぁああああああああっ!!!」

「っ!?」

 

 それは、拳を氷で包んだ雫が、地面を思いっきり殴った振動によるものだった。

 しばらく怒りを抑えきれないのか、俯いたままハァハァと肩で息をしていた雫だったが、やがてフゥ~と息を吐いて・・・

 

「霧間八雲」

 

 ギロリと、蛇の眼で八雲を睨みつけた。

 

「な、なんですかっ!!蛇ごときがっ!!」

 

 その物理的に殺傷力を持っていそうな視線に張り合うように、八雲も雫を睨みつける。

 しかし、その眼力はいささか以上に力負けしているように思えた。そんな八雲の返事など何一つ気にした様子もなく、雫は続ける。

 

「貴様は殺す」

 

 それは、清々しさすら感じさせる殺害予告であった。

 

「どんな理由で久路人の名を口に出したか知らんし、知りたくもないが、貴様は必ず殺す。ただし、楽には殺さん。手足を斬り落として股の間にツララをぶち込んだ後に内臓を引きずり出して目玉をくりぬいてから首を撥ねてやる」

 

 雫の真紅の瞳からは、光が失せていた。ただし、それは先ほどの公園でうなだれていた時とはまるで異なる。その瞳に今あるのは、闇だ。ドロドロとした名状しがたい、熱いマグマのような禍々しい何かが雫の瞳に宿っていた。

 

「ふ、ふんっ!!お前に何ができると言うのです!!この屋敷を揺らした所で結界は解けません!!そちらこそ、今が年貢の納め時と心得なさい!!これまで久路人さんをいたぶった罪を、ここで・・・」

 

 そして、目の前の蛇の化身が発する殺気に、八雲が気おされながらも口上を述べようとした時だった。

 

「償え・・・きゅっ!?」

「中々面白そうなことを話してるけど、ちょっと静かにね」

「・・・次から次に。お前は何だ」

 

 突然、八雲の背後に男が現れると、手刀を首に打ち込んで、一瞬で気絶させていた。

 

「ボクかい?そうだなぁ・・・誰かと聞かれれば、月宮健真と答えておこうかな?今はね」

「貴様、ふざけているのか?」

「まさか!!ふざけてなんかいないさ!!真面目もまじめ!!大真面目さ!!」

 

 いきなり現れたかと思えば、敵であるはずの雫に飄々とした態度をとる健真に、雫は困惑しながらも鋭い眼光を浴びせる。しかし、健真はそんな雫の気迫を受けても小揺るぎもしなかった。

 

「貴様・・・」

「ボクのことなんかよりさ、いいのかい?」

「何?」

 

 底知れない何かを健真に感じた雫は、八雲の時とは比べ物にならないくらいに危機意識を跳ね上げた。

 今まで見てきたどんな敵よりも、警戒しなければならないと、野生と常世の弱肉強食を生き抜いてきた本能が警告したのだ。だが、やはり健真がそれに取り合う気はないようだ。健真は、八雲をその辺の地面に寝かせると、屋敷の奥の方を指差した。

 

「今、結構大変なことが起きようとしているんじゃないのかな?」

「・・・?どういう・・・っ!?」

 

 雫が聞き返した直後、ほのかに光を放っていた壁から、目もくらむような輝きが飛び出したのだ。

 それと同時に・・・

 

 

--ブツリ

 

 

 久路人と雫を繋ぐ霊力のパス、契約が断たれたのが分かった。

 二人にとって契約の繋がりは、あるのが当たり前で、そこにあることに気づけないほどに自然なモノ。

 だからこそ、それが断たれたときの違和感は大きい。

 

「なっ!?何がっ!!何が起きたっ!!答えろぉ!!!」

 

 雫の顔が一瞬で真っ青になった。

 自分と久路人を繋いでいた契約がなくなる。

 それは、雫が久路人の傍にいる理由がなくなるということであり、雫が恐れていたことの一つであるのだから。いや、それ以上に・・・

 

「久路人のっ!!久路人の身に何が・・・っ!!」

 

 契約が断ち切られるような事態で、久路人が無事である保証はどこにもない。

 雫が一番恐れていることは、久路人に先立たれること以外にあり得ない。

 だが、そんな雫に健真は今までと変わらない様子で話しかける。

 

「まあまあ、落ち着きなよ。君が慌ててちゃ、助けられるものも助けられないよ?まあ、難しいかもしれないけど、一度深呼吸を・・・」

「ふざけるなぁっ!!!!!!!!!!!!!」

 

 

--ズドンッ!!!

 

 

 再び、雫の全力の拳が放たれた。

 ただし、今度は結界に向けて打たれたそれは、何の爪痕も残せていなかったが。

 

「このっ!!このっ!!このぉぉぉおおおおおおおおおっ!!!!久路人ぉ!!!」

 

 何度も何度も何度も、雫は壁に拳を撃ち込み続ける。

 蛇の妖怪の持つ優れた再生能力を超えるほどのペースで、血の滲んだ拳で何度も何度も。

 しかし、やはり結界は壊れる様子を・・・

 

「おお!!自らが傷つくのも構わず愛する人のために足掻く姿・・・実に美しい!!!やはり君たちはお似合い・・・っと、それどころじゃないか。不協和音(ディスコード)

「久路人ぉおおおお!!!・・・・・・うぉぉおおぅっ!?」

 

 雫の健気な様子に胸を打たれたような健真であったが、すぐに我に返ると、指を鳴らした。

 その瞬間、拳を撃ち込み続けていた雫は、いきなり結界に空いた穴から中へと勢いのままに転がり込む。

 しかし、そこは大妖怪。無様に転ぶことなどせずに、すぐに体勢を立て直して健真を睨んだ。

 

「貴様、何のつもり・・・・」

「さっきも言っただろ?いいのかい?ボクなんかに構って。他に行くべきところがあるんじゃないのかい?」

「っ!!!・・・・礼は言わんぞ」

「いいとも。ボクとしては君が彼のところに向かってくれることが大きなお礼さ」

「チッ!!・・・・久路人っ!!」

 

 不審そうな視線を健真に向けるも、その答えは不可解なモノだった。

 しかし、健真の言うことは正しい。今の雫にとって、やらなければならないことは一つだけだ。

 健真に舌打ちを一つくれてやってから、雫は屋敷の奥へと駆けていった。

 

「フフッ!!頑張ってね。色々と・・・」

 

 健真は、そんな雫に笑みを浮かべながら、手を振って見送るのだった。

 

 

-------- 

 

『さあ、お主の身体を渡してもらおうか。その、神の血と力ごとのぉ』

 

「がぁっ・・・!?」

 

 何かが、僕の中に入り込んでくる。

 それと同時に、凄まじい勢いで体から何かが抜けていく。

 ブツブツっ!!と、体の中で細かい何かが弾けていくような感覚がした。

 

『くくくっ!!凄まじい霊力!!いや、お主の中に眠る神の力かっ!!』

 

 何かが、入り込んでくる。いや、塗り替えようとしている。

 

「・・・何がっ!?これはっ!?」

 

 チカッと僕の目に何かが映る。

 それは、セピア色の風景だ。

 

『これがっ!!これこそが神の力っ!!ははっ!!何という力だ!!!』

 

 そこは、深い山の中。

 なぜかそこだけがぽっかりと開けた草地にある屋敷の傍で、巨大なムカデの死骸を前にしながら、『儂』は感動に震えていた。

 

(《そうだ。これは、儂が初めて神の力を授けられた時のこと!!月宮の地に入り込んできた下郎に立ち向かった時・・・》って、何だこれ!?)

 

 知らない記憶が流れ込んでくる。

 

『ああ、神よっ!!俺は貴方に忠誠を誓おう!!この世界の管理者となろう!!この世の均衡を正す調停者となろうじゃないか!!』

 

 そこからも、似たような映像がいくつも頭に浮かぶ。

 ある時は、突然塗り替えられたような歪な世界の中で、ある時は清浄な結界に守られた月宮の地で、またある時は教科書や過去の映像でしか見たことのない古めかしい街の中で。

 

(《『俺』は戦った!!戦い抜いた!!忘却界が貼られた後、すぐに世が平和になったわけではない!!現世に取り残された連中や、常世から新しい穴をあけようとした奴らがまだまだいた時代だった・・・》クソっ!!またっ!?)

 

 見たことのない記憶の中で、『儂』は、いや、『俺』は戦っていた。

 相手取るのは、大穴を超えて現れるような大物ばかり。神の力があろうとも、一筋縄ではいかない強敵しかいなかった。

 

(《何回も死にかけた!!神は、時に『俺』の身体のことなど無視するかのように操ることもあった!!だが・・・》)

 

 過去の中の自分は傷だらけだった。神の力の行使は、人間の身体には負担が大きすぎる。ましてや、相手はそんな力を使わなければ勝てない大物しかいないのだ。しかし、そんな痛みなど苦ではなかった。それ以上に誇らしかったのだ。

 

(《神に認められ、その力の一端を振るい、世界を守る!!これに心震えないものなどいるものか!!》)

 

 多くの妖怪に畏怖された。

 多くの霊能者に称えられた。

 多くの人々を救った。

 そのすべてが、嬉しかった。

 自分が世界を守っているのだという自負が、何より誇らしかった。

 

(《ああ、そうだ!!『俺』は嬉しかった!!こんな『俺』が!!『儂』が世界を、抱えきれないほど多くの人々の平和を守っていることが嬉しかったんだ!!なのに・・・っ!!》)

 

 そして、再度景色は変わる。

 そこは、再びあの山の中の屋敷だった。

 しかし、そこには敵も、それに振るうべき力もなかった。

 

『何故だっ!!?神よっ!!何故なんだっ!?どうして力が消えたっ!?』

 

 戦って戦って、戦い抜いて、大妖怪のほとんどが現世からいなくなった頃だった。

 唐突に、久雷の中にあった神の力が消え失せたのだ。残ったのは、全盛期の1割にも満たない残りカスのみ。

 しかし、世界はそれで困らなかった。元より戦っていたのは月宮家だけでなく他の家もそうであったしい、海の外では『学会』がその役目を果たし続けている。急に月宮の力がなくなっても問題はなかったし、何より、そのころには妖怪による脅威は大幅に弱体化していたのだ。むしろ、強大すぎる月宮の力が人間に向く恐れがなくなったことを喜びさえした。

 

(《あの日から、月宮の栄光は陰った!!他の家の連中も、『儂』らを舐めたような目で見るようになった!!散々儂らに救われた連中が、何も恥じることなくっ!!!》)

 

 だが、『儂』はそれが認められなかった。

 世界には、まだまだ脅威はいる。人外と手を組もうとしている、『学会』の胡散臭い連中もいる。

 奴らを滅ぼすまで、世界に安心は訪れない。

 力が必要なのだ。もう一度、世界を守り続けていた自分にこそ、あの力が。

 

(《だから、儂は調べつくした。己の中に残った残滓を研究した。方々に強力な霊能者を求めた。すべては・・・》)

 

 

--もう一度、神の力を手にするために!!

 

 

 そこからも、セピア色の景色が流れ続ける。

 多くの霊能者の一族と繋がり、血を取り入れ、強力な霊能者を作ろうとした。

 神の力が伝わる仕組みを観察した。

 異能の力で金を稼ぎ、後ろ暗い連中の伝手も得た。

 仮にも平和を守ってきた身の上で、いくつもの悪事にも手を染めた。

 江戸、明治、大正、昭和・・・・どんどん時代が過ぎていくが、成果は出なかった。

 そして、時はさらに進んでいき・・・

 

「ぐぅっ!?」

 

 流れるのは、今の時代にもあるような現代的な建物の数々。

 そう、『僕』が生まれた時代にまで、流れ続け・・・

 

--ズキリと、ひときわ大きく痛みが走った。

 

 いつの間にか、ヌルりと熱い液体が皮膚を流れていく感触がしていた。

 

(《『儂』は・・・》やめろっ!!)

 

 流れ込むと同時に、何かが削れていく。それは、霊力ではない。霊力は今も抜け続けているが、それよりももっと大事なものだ。

 それまで視界に映る映像は一つだけだったのに、いつの間にか二つの映像が並んでいた。

 そこに映るのは・・・

 

 小さな雨合羽を着て、霧雨の中を歩く『僕』

 暗い部屋の中で、その老いた肉体をみっともなく動かしながら、他の家から差し出された娘を犯す『儂』

 

「『ぐがぁっ!!!邪魔をっ!!』・・・・そっちこそ、出てけっ!!!」

 

 入り込んでくる何かに、僕は必死で抵抗する。

 身を斬られたかのような熱い痛みと、血の臭いが鼻を突くが、自身の顔を殴りつけて何かを追い出そうとする。

 しかし、入り込んでくる者の勢いは強かった。ドロドロとした、凄まじい怨念のようなモノすら感じた。

 その気迫に、僕の中の何かが押し流されそうになるも、そんなものは関係ないとばかりに映像が流れていく。

 

 霧雨の中、白い蛇を拾う『僕』

 白い蛇を持ち帰り、契約を結んだ『僕』

 林の中で、妖怪に追いかけられる『僕』

 守りあうと大事な約束をした『僕』。

 生まれたガキが期待外ればかりで、赤子を掴んで地面に叩きつけた『儂』

 

 その白い蛇が現れた瞬間、何かの勢いが弱くなったような気がした。

 体の中で別の何がザワリと蠢くような感覚がした。

 猛烈な勢いで体中を血が巡っているのが分かった。

 

「出てけっ!!『僕』の中からっ!!・・・『無駄な抵抗をぉぉおおっ!!くぅぅうっ!?』」

 

 何かが入り込もうとするたびに、大切な何かが僕の中から消えようとしているのを感じる。

 消えようとする何かを必死で思い出して、僕は抵抗する。

 着ている服が液体を吸い込んで重くなったが、それでも抵抗は止めない。

 

 初めて、あんなに綺麗な女の子と出会った。

 それまでにぶつけられた悪口なんかすべて忘れてしまうくらい、衝撃的だった。

 ふわりと僕を包んでくれた柔らかさと温かさ、いい匂いは今でも鮮明に覚えている。

 

 そして、『彼女』の記憶が流れた瞬間だった。

 

 

--ザザッと、口汚く誰かを罵る年老いた男の映像にノイズが走った。

 

 

 体の中を、濁流のように血が流れていく。

 流れる血は開いたばかりの傷だけでは足りないとでも言うように、ブツン、ブツンと新たに皮膚を内側から破って外に飛び出していく。

 

 

「『ぐあぁっ!?なんだっ!?なんだ、この・・・』出てけっ!!」

 

 一緒に部屋で遊んだ。

 一緒に体を動かして訓練した。

 学校でも、ずっと一緒だった。

 こっそり解答用紙を拝借して受けていたテストで負けた時は、結構悔しかった。

 

 

--ザザッ・・・ザザー・・・

 

 

 段々と、そのノイズは強く、大きくなっていく。

 それに伴い、映像はセピア色から、本物の色が蘇っていく。

 代わりに鼻は、鉄くさい臭い以外を感じられなくなっていた。

 

「『これはっ!?まさか、あの蛇の血・・・・』ああああぁぁぁああああっ!!!!」

 

 毎日、自転車に二人乗りして通った。

 いつの頃からか、朝ごはんを作ってもらうようになった。

 朝からくっついて、匂いを確かめるようになった。

 恥ずかしかったし、とても口には出せないけど、あの時間はとても幸せだった。

 

「『貴様っ!!キサマぁっ!!神の血に、なんという・・・』出てけぇぇぇぇぇええええっ!!」

 

 

--ザザザザザザザザザザッ・・・・・

 

 

 もはや耳がおかしくなりそうなくらい、ひどいノイズが頭の中に響く。

 しかし、『僕』には、その音が心地よく感じられた。

 体を這う液体も、もはや全身を舐めつくしたのか、体に違和感を感じない。

 

 映像は流れ続ける。

 

 あれからも色々あった。

 初めて旅行に行って、一緒に土産物屋を巡り、風呂にまで一緒に入って、初めて同じ布団で寝た。

 旅行の最期に、九尾に襲われた。

 僕は『彼女』を守れなかったが、運よくその場を切り抜けられた。

 けど、『彼女』を泣かせてしまった。

 それからも、何回『彼女』を泣かせてしまっただろうか?

 吸血鬼に襲われたときも、守ることはできたけど泣かせてしまった。

 でも、その涙は偽りの元に流されたものなのかもしれない。

 そう、僕は『彼女』がもう手遅れなくらい狂ってしまったと思うような言葉を聞いた。

 もう二度と、『彼女』を泣かせたくない、心を弄びたくないと思って、僕はここへ来た。

 けど、もしかしたら・・・

 

「『おのれっ!!おのれぇぇぇええええっ!!!絶対に許さんぞっ!!これは、神への冒涜・・』うるせぇぇぇぇえええええええええええええええっ!!!!!!!!!」

 

 

--ブツっ

 

 

 そして、唐突に映像は消えた。

 視界がクリアになる。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・!!!」

 

 気が付けば、僕は血まみれで元居た部屋に横たわっていた。

 さっきの映像で流れていた九尾の時のように、まるで内側から噴水でも噴き出してきたかのように、体のあちこちに切り傷ができて、そこから血が垂れていた。

 

「クソッ・・・何だったんだ・・・・」

 

 自分の身に何が起きたのか、皆目見当もつかなかった。それでも、僕は何があったのか分析しようとして・・・

 

「貴様ぁ・・・」

 

 その時、部屋の中に怨嗟に満ちた声が響いた。

 それは、あの映像に映っていた老人と同じモノだった。

 いつの間にか部屋のふすまが開いており、そこから額に汗を流した老人が駆け込んできた。

 老人は僕の胸倉を掴み上げると、とても老人とは思えない力で僕を引きずりあげた。

 

「ぐっ!?アンタは・・・」

「貴様、何を考えているっ!!?」

「・・・はぁっ?」

 

 突然現れた、顔だけは知っている老人が怒り狂っている理由が分からなかった僕は、呆けたような声しか出せなかったが・・・

 

「何を・・・」

「何故っ!!?」

 

 次に老人が発した言葉は、聞き逃せなかった。

 

「何故貴様の中に、あの蛇の血が入り込んでいるっ!?」

「え?」

 

 それは、本当につい先ほど示唆された可能性を、裏付ける言葉だった。

 

「偶然で入る量ではない!!儂の転写転生を妨害するほど、儂と貴様の親和性を崩すほどの量だ!!普段から、意図的に口にせんでもしない限りあり得ん!!答えろぉ!!貴様は何故、あの蛇の血を取り込んだぁっ!!!!」

「・・・蛇の血が、僕の中に?」

 

 それは、僕のこれまでの思い込みを、完全に払しょくする言葉。

 体はボロボロで、目の前の老人に抵抗することすらできない絶望的な状況なのに、場違いな高揚感が湧いてきて・・・

 

「・・・貴様ぁっ!!!」

 

 そんな僕を見て、老人は拳を振り上げた。

 

「何をヘラヘラ笑って・・・・」

 

 そのときだ。

 

 

「久路人から離れろぉぉぉオオオオオオオオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!」

「・・・おるかぁぁああああああああ!!?」

 

 

 凄まじい勢いで飛び込んできた『彼女』が、老人を殴り飛ばしていた。

 老人はきりもみ回転をしながら、ふすまをぶち破ってどこかへと吹っ飛んでいく。

 そして・・・

 

 

「久路人っ!!」

 

 

 『彼女』が、僕の名を呼んだ。

 

 

「雫・・・」

 

 

 そして、思わず僕も、『彼女』の名を呟いていた。

 




次回、久路人が人間卒業


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

永久の路を往く者

多分あげられたら今日も上げます


 顔を見ていなかったのは、たった一日にも満たない間だっただろう。

 

「久路人っ!!」

 

 声が聞こえる。

 僕の名前を叫ぶ声が。

 その声を聞くのも、ほんの一日ぶりだ。

 だというのに・・・

 

「久路人っ!!」

 

 僕の名前を呼んでくれる彼女を見た瞬間、僕の胸に沸き上がったのは、心の底からの安堵と懐かしさ、そして、罪悪感だった。

 

「雫・・・」

 

 その感情の赴くままに、僕も彼女の名を呼ぶ。

 

「久路人っ!!なんでこんな血塗れに・・・まず血を止めなきゃ!!」

 

 血だまりに沈む僕に、雫は駆け寄ってきた。

 その真っ白な着物が赤く染まるのも気にせずに、僕の前に屈んで、膝の上に僕の頭を乗せる。冷たくも、柔らかい感触を感じている内に、体の表面を流れていた液体の感触が消えていく。水を操る応用で、血を止めたのだろう。

 

「止血はこれでいいとして、早く私の血を・・・」

 

 続いて、雫はすぐさま片手の人差し指を上に突き出した。

 すると、指を覆うように氷の刃が生まれる。そしてそのまま、何のためらいもなく白い手首に氷の刃を走らせると、そこから滴る血を僕の口に近づけてきた。

 

「雫・・・」

「久路人、早く飲んで!!」

 

 必死そうな顔で、泣きそうな顔で、僕に血の付いた手首を押し付けてくる雫。

 そんな彼女を見ていると、僕の頭にあの言葉がよみがえった。

 

 

--お前がやるべきだったのは、『心配かけてゴメン』と謝ることであって、守る側の気持ちを馬鹿にすることじゃない。

 

 

(ああ、僕は本当に馬鹿だな・・・メアさんの言った通りだ。あの時は、運が良かっただけなんだな)

 

 僕は、雫をこれ以上狂わせないために、傷つけないようにするためにここに来た。

 なのに、結果はこのザマだ。守ろうとした雫に助けられ、今もこうして傷を作らせている始末。

 何もなせずに、それどころか雫に忘却界の中にまで来させるという特大の迷惑までぶちまけたのに、こうして傷ついて横たわることしかできない今だから分かる。今までは、単に運が良かっただけだと。

 自分は最善を尽くそうと思っていたのに、真逆の結果を呼び寄せてしまうこともある、と。

 

(僕は、これまでやってきたことを正解だと思ってた。今日だって、ここに来るまで、自分が間違ってるだなんて思いもしなかった。でも、一歩間違えていたら、九尾の時も、吸血鬼の時も、こんな風に何もできずにいたんだろうな・・・)

 

 こんな危険な綱渡りをしていたのに、それを気にした様子もなく誇らし気にしていたら、そりゃあ腹も立つだろう。こんなに心配そうな顔をしてくれる人でも、許せないと思うだろう。馬鹿にされてるとすら思うかもしれない。もしも雫が僕みたいなことをして、僕のようになっていたら、僕は絶対に怒るに違いない。

 

「雫・・・」

 

 だから、その言葉はすぐに出てきた。

 

「久路人っ!?喋るより前に、早く・・・」

「心配かけて、迷惑、かけて、ゴメン・・・」

「・・・久路人」

 

 雫は、少し驚いたような顔をしていた。

 

「あの時も、吸血鬼と・・戦った後のことも・・ゴメン・・・あの時は、ああするしかなかったかもしれないけど・・・雫に言い返す資格なんて・・・んぐっ!?」

 

 今日のことも、今までの事すらも謝る僕を、雫は無理やり止めた。

 僕の口に、血の付いた指を突っ込むことで。

 

「許して欲しかったら、早く怪我を治して!!」

 

 中々血を飲まない僕に業を煮やしたのだろう。

 雫は、滴る血を指に垂らして、無理やり飲ませることにしたようだ。

 口の中に、血の味が広がる。

 いや、それだけじゃない。塩辛い味も感じた。

 

「・・・ずるいよ久路人」

「・・・ふぃふく?」

 

 見上げる僕の目に、水滴がいくつも落ちてきた。

 

「今日の事ね、すごく心配した。すごく悲しかった。すごく怒ってたんだよ?それに、あの時のことだって、私は何もできなかったのにあんなこと言っちゃって、私から謝ろうと思ってたのに・・・久路人の方からそんな風に言われたら、全部タイミング逃しちゃうじゃん・・・ずるいよ」

 

 それは、雫の涙だった。

 

「・・・雫」

 

 じわりと、僕の心の中にいくつもの想いがしみ込んでいく。

 その感情は何というのだろう。

 自分への不甲斐なさを打ち消すような、優しい何か。

 こんな僕を見捨てずに、涙を流してくれることへの喜びと罪悪感。

 僕と同じように、あの時のことを気にしていてくれたことへの嬉しさと共感。

 そして、そんな雫への愛しさが。

 いくつもの心の叫びが折り重なって、僕の中で動き回る。

 何よりも・・・

 

(ああ、そうだ・・・)

 

 乱れに乱れた心の中で、それは今にも飛び出しそうなほど大きくなっていた。

 それは、雫の顔を見た時から。

 いや、健真さんと話した後から、ずっとずっと心の中で叫んでいた何かだ。

 

(僕は、知りたい・・・)

 

 雫の流してくれている涙は、雫の心の底からの、混じりけのない想いから来るものなのか?

 妖怪に力を与える神の血を穢すような真似をしたのは、雫なのか?

 僕の血は、お前の心を縛ってなどいなかったのか?

 ならば・・・

 

(雫の、本当の気持ちを・・・)

 

「雫、僕は・・」

 

 その衝動に押されるように、僕は口を開こうとして・・・

 

「むぐっ!?」

「色々言いたいことがあるのかもしれないけど・・・」

 

 開いた口の中に、暖かい何かが再び突っ込まれた。

 同時に、鉄の匂いが口内に充満する。

 舌に触れた柔らかな質感と硬くて滑らかな感触から、僕はもう一度指が突撃してきたのだとわかった。

 

「それは私もそうだから。だから、後で全部話そう?私も全部喋るから。今は、早く元気になって」

 

 頭上に見える雫の顔は、静かで、どこか緊張しているように見えた。

 僕自身の一世一代の問いを遮られたことに若干の抗議をしたかったが、それもその覚悟のようなものが込められた声を聞いて霧散する。

 

「むぅ・・・」

 

 僕は一旦自分を落ち着かせるように、目を閉じた。

 今の雫は僕の傷が気になって仕方がないようだし、僕自身もヒリヒリとした火傷のような痛みを感じている。

 ならば、先にそちらをどうにかしてからの方がいいだろうと思いなおした。

 

(仕方ない・・・もう一度、後でだ)

 

 そうして、突如として狭まった口の中のスペースをもう一度広げるように、僕は溜まった液体を、反射的に飲み込んで・・・

 

 

--ザワリと、何かが蠢いた。

 

 

(あれ?)

「むぐ?」

「・・・久路人?」

 

 体が熱い。

 何かが、僕の中に広がっていく。口から入って、喉を通って、体の中に流れていく。

 さっきまで怒涛の勢いで流れていた血潮に乗って、僕の身体を駆け巡り、しみ込んでいくのを感じる。

 その動きが、なぜか手に取るように分かった。

 

(今のは、雫の血、だよね?)

 

 僕が呑み込んだモノは、僕の体になだれ込んでいくモノは、雫の血だ。

 それそのものは、過去にも飲んだことがある。

 覚えていないが、葛城山の時もそうだし、昨日の吸血鬼を倒した後もだ。その時は、少なくとも昨日は、こんな熱くなるような感覚はしなかったのだが・・・

 

(僕の身体が、魂が喜んでるような・・・)

「っ!!傷の治りが遅い・・・久路人、もっと!!」

 

 雫の焦ったような声が聞こえる。

 それと同時に、雫は塞がっていた手首の傷をもう一度開き、傷口に指を突っ込んでいた。

 雫に自傷させていることに情けなさと申し訳なさを覚えつつも、僕は疑問に思った。

 

(治るのが遅い?これで?)

 

 雫の言う通り、あちこちに開いていた傷が治っていないのは、なんとなく分かる。しかし、さっきまで体に走っていた鋭い痛みはほぼ消えている。

 その代わりに、体の中に籠る熱は益々強くなっていく。

 普通ならば、あまりの熱で倒れているだろうに、不快感や虚脱感もない。

 むしろ、体の奥底から力がみなぎって来るような・・・

 

 

--ドクン!!

 

 

「うっ!?」

「久路人っ!?」

 

 自分の中で、心臓が大きく鼓動するのが聞こえた。

 そのあまりに大きな鼓動に、思わず声が出てしまう。

 

「大丈夫・・・調子が悪い、とかじゃ、ないから・・・」

 

 ドクンドクンと脈打つ胸を押さえながら、僕はそう言った。

 実際、傷こそ塞がっていないが体は軽快に動きそうなのだ。嘘は言っていない。

 

「そんな血まみれの恰好で言っても説得力ないよ!!とにかく、もっと・・・」

 

 しかし、雫にはまだまだ僕が重傷なように見えるらしい。

 心配そうな顔をしつつも、僕を軽く るような声で、血の付いた指を僕の顔に向かって突き出した。

 その時だった。

 

「神の血を、これ以上汚すなぁぁぁあああっ!!」

「なっ!?」

 

 不意にしわがれた怒鳴り声が響いたかと思えば、一条の閃光が瞬いた。

 

 

--------

 

 

「くぅううっ!?・・・貴様、何故生きている!?」

 

 雫は咄嗟に氷の壁を作ったが、稲妻は壁を容易く打ち破った。しかし、壁が完全に砕かれる前に、雫は久路人を抱えて下がっている。その顔は驚きつつも、険しい眼で稲妻を放った下手人を睨んでいた。

 

「はぁっ、はぁっ・・・あの程度で、神の血を引く儂が死ぬものかよ!!」

 

 雫に思いっきり頬を殴られて独楽のように横回転しながら吹っ飛んだはずなのだが、老人は、久雷は両足でしっかりと床を踏みしめ、確かな足取りで雫と久路人に向かって駆けてくる。

 その矮躯にはバチバチと紫電が纏わりつき、さらにその周りを黒い砂が舞っていた。

 どうやら久路人の雷起と似た、身体能力強化の術を使っていたようだ。

 

「チッ!!しぶといジジイだなっ!!」

「どけぇっ!!蛇がぁっ!!」

 

 老人の進路を遮るように雫が氷の礫を放つも、久雷はわずかに身を躱すだけで次々と氷塊を避けていく。

 というよりも、久路人から見て雫の攻撃が普段に比べると明らかに見劣りする。

 

「雫・・・あんまり、調子が・・・」

「大丈夫!!確かにいつもより動きづらいけど、あんなジジイに負けないよ!!」

 

 そう言う雫であったが、雫の攻撃はすべて避けられている。

 完全に軌道を見破られているのだろう。

 しかし、そこはさすが雫と言うべきか、久雷も中々近づけないようだ。

 そんな状況に怒り心頭なのか、久雷はだみ声で叫ぶ。

 

「この汚らわしい蛇がぁっ!!何故今も小僧を守る!?貴様らが結んでいた契約は断ち切った!!何より、その血はもう穢されている!!貴様が小僧を守る理由など、あるわけがなかろう!!!」

「・・・そうか、契約を消したのは貴様か」

 

 次の瞬間、久路人のいる場所を除いて、部屋中を凄まじい冷気が包み込んだ。

 

「霧間八雲もそうだったが、この屋敷にいるやつは随分と自殺志願者が多いらしい・・・久路人を守る理由だと?そんなもの決まっている!!久路人だからだ!!契約などなくとも、妾は久路人を守る!!そう、確かに約束したからだ!!妖怪からも、貴様のようなクソ人間からもなぁっ!!」

 

 

 雫は、約束よりも契約を重視していた。

 それは、雫が自身の行いから、『久路人に守られる価値などない』と思い込んでいたからだ。

 しかし、雫の方から久路人を守る分には、その約束は雫の中で有効だ。

 いや、約束がなくとも、雫は久路人を守っていたに違いない。

 

「・・・雫」

 

 そしてそれは、久路人も同じだった。

 久路人を背に、雫は叫ぶ。

 

「覚悟しろよ老害!!!久路人に傷を負わせたこと!!妾と久路人を繋ぐ契約を切ったこと!!どちらも万死に値する!!霧間八雲ともども、楽に死ねると思うなよ!!!」

 

 大切な人を傷つけられたこと、大事な契約を踏みにじられたこと。

 どちらも、雫に、いや、久路人にとっても許せないことだ。

 久路人もまた、ヨロヨロと立ち上がりながら久雷に鋭いまなざしを向ける。

 

 そうして、雫が久雷と睨み合っていた時だ。

 

「久雷様!!」

「これはっ!?儀式は失敗したのですか!?」

「久雷殿!?何が起きているのです!?」

「ウ゛っ!?なんてひどい臭い・・・・ヴォエッ!!吐きそう・・・」

「お、おいお前!!吐くなよ!?ここで吐くなよ!?いいか、絶対に吐くなよ!!?」

「・・・主ら」

 

 バタバタといくつもの足音が聞こえたかと思えば、部屋の中に幾人もの人影が飛び込んできた。

 入ってきた面々の顔を一瞥した久雷は、すぐに指示を出す。

 

「来るのが遅いわグズどもが!!状況は見ての通り、そこの蛇のせいで中断された!!だが、小僧の身柄を押さえ、時間をかければ再度儀式を行うことは可能だ!!霧間の者どもも儂に従え!!蛇を殺し、小僧を捉えろ!!」

 

 侵入してきたのは、月宮家の者たちと、霧間一族の霊能者だった。

 月宮一族は久雷の言葉にすぐに武器を取り出して構え、ワンテンポ遅れて霧間一族も雫という大妖怪を逃すつもりはないと言うように戦闘態勢をとるが、そんなものを雫が見逃すはずもない。

 

「チッ!!ワラワラと虫のように沸きやがって!!瀑布!!」

 

 忘却界に入ってからは使っていなかった水の大技をぶちまける。

 部屋の中に激流が現れ、久雷も含めてすべてを押し流そうとするも・・・

 

「無駄じゃ!!」

「っ!?」

 

 雫の前に立ちふさがる人影は、一人も減っていなかった。

 霊能者たちの胸元や服のポケットから、青い光が湧き出して、彼らを守るように包み込んでいる。

 その様子を見て、ニヤリと久雷は笑った。

 

「はっ!!この屋敷は、お前のような蛇や、霧間以外の水属性、そしてそこの小僧の力が何重にも縛られる牢獄よ!!さらに、儂らは雷と水の専門家!!その二つの属性を防ぐ術具も簡単に用意できる!!おまけに小僧の霊力はほぼ空だっ!!楽に死ねると思うなだと?それはこちらの台詞だ、蛇!!」

「はぁっ、はぁっ・・・クソッ!!」

 

 雫は肩で息をしていた。

 忘却界の中を猛スピードで飛ばしてきたことに加え、久雷の言うように屋敷に刻まれた結界が雫の力を大きく削っていた。今まで普段の薙刀や水の広範囲攻撃を使わなかったのはそれらの維持や発動が困難であるためだ。なのに、それらを使っても相手に有効打を与えられなかったのは、かなり厳しいと言わざるを得ない。

 それが分かっているのだろう。久雷の顔に嗜虐的な笑みが浮かぶ。

 その身を纏っていた紫電の色が、紫から白に変わっていた。

 

「この場において我らの勝利は決まっておるが、冥途の土産に見せてやろう!!貴様を滅ぼす我が力をなぁ!!」

「っ!?」

「これは・・・」

 

 雫と久路人は、ブワッと空気の壁ができたような感覚を覚えた。

 久雷から、凄まじいプレッシャーが放たれたのだ。

 

神無月(かんなづき)!!」

「くそっ!!」

 

 雫目掛けて、白いレーザーが一瞬の内に放たれる。

 感じる圧から防御を諦めていた雫は久路人を抱えて回避を選択しており、白い光は何も捉えることなく直進していったが・・・

 

 

ーードォンっ!!

 

 

「なっ!?」

 

轟音とともに、屋敷の外まで繋がる風穴が開いた。

雫たちがいた場所から後ろの壁が綺麗さっぱり消滅している。

 

「貴様ぁっ!!今のが久路人に当たっていたらどうするつもりだぁっ!!」

「ふん!!そやつは神の力や雷撃に耐性がある。一発くらいなら死にはせんだろうよ。生きてさえいればそれでいい」

 

 雫の憤怒に染まった眼差しを受けても、久雷はにやついた表情を崩さない。

 仮にも自分の孫を殺しかけたというのに、罪悪感や良心の呵責も全く見られない。そこには、自分こそがその場の支配者であるという優越感に満ちていた。

 その根幹にあるのは、己の扱う力への絶対的な自信と驕りだ。

「神の、力か・・・」

 

 雫に背負われながら、久路人は呻くように呟いた。

 一度だけとはいえ、同じ力を使った久路人だから分かる。

 神の力には精神耐性を始め様々な特性があるが、それを抜きにしても単純に威力が高いのだ。

 

「その通り!!これこそが、我が研究の成果!!儂の魂に残されたわずかな残滓を集積し、霊力に溶かし込むことで儂の意思で神の力を使うことができる!!どうじゃ?自分よりもはるかに劣る力の使い手に成すすべもない今の気分は?」

 

 嘲笑を浮かべながら、久雷は実に愉快そうに手をかざした。

 その手に、どこからか黒い砂が瞬く間に集まっていく。

 

「そら!!こいつも受け取れぇ!!赤月(せきげつ)!!」

 

 赤熱した刃が手刀とともに宙を駆けた。

 雫は久雷の視線から射線を見切って回避を試みるも・・・

 

「霹靂!!」

「白光!!」

「疾風!!」

「鉄砲水!!」

 

 雫の走る先に、周囲からいくつもの術が撃ち込まれた。

 雷が瞬き、光が走り、風が駆けて、激流が襲い掛かる。

 それらは妖怪との戦いに身を投じてきた経験豊富な霊能者たちによる援護射撃。

 雫の虚を突くようなタイミングを計算して放たれた術を前に一瞬雫の足が止まり・・・

 

「ぐあっ!?」

 

 雫の右足膝から下がゴロゴロと床を転がっていった。

 同時に、久路人とともに雫も床に倒れ込む。

 

「雫!?」

 

 ジュウジュウと肉が焼ける不快な臭いが鼻を横切る。傷口は高熱の刃によって焼かれており、結界の力も相まって、蛇の回復力をもってしても再生が進まなかった。

 

「このっ!!クソジジイがぁっ!!」

 

 雫は、久路人を背に庇い、紅い瞳を不気味に輝かせた。

 

「おうおう流石は大妖怪!!動けなくなっても恐ろしいのぉ!!」

「チッ!!」

 

 動けなくなっても、術まで使えなくなったわけではない。

 睨みつけたモノを凍らせる邪視を発動させたが、久雷には何の痛痒も見られなかった。

 歪んだ笑みを浮かべたまま、久雷は霊能者たちを従えてゆっくりと二人に歩み寄り、宙にいくつもの砂鉄の杭を作り出す。

 

「さて、よくも散々邪魔をしてくれたのぉ?今日のことはもちろんじゃが、神の血を穢したこと・・・万死に値すると知れぇ!!」

「ガッ!?」

「雫っ!?」

 

 久雷が叫んだ瞬間、杭の内一本が真っ赤に輝き、そのまま雫の左足に突き刺さった。

 

「ほう?蛇のくせに中々良い悲鳴をあげるではないか・・・体つきは貧相だが見てくれも上物。人間ならば儂の一物をぶちこんでやったところじゃ」

 

 久雷は一瞬、好色そうな眼で雫を見た。

 しかし、すぐさまその顔に嫌悪が浮かぶ。

 

「だが、妖怪では抱く気も失せる・・・まあ、人間だろうと、この鼻が曲がるような生臭さで全部台無しじゃがなぁ。」

「お前っ!!」

「久路人!?前に出ちゃダメ!!」

 

 動けなくなった雫を庇うように、今度は久路人がふらつきながらも前に出た。

 普段の柔和な目つきは消え失せ、怒りに染まった鋭い目つきで久雷を睨む。

 そんな久路人の視線などどこ吹く風と言うように、これ見よがしに鼻をつまみながら、久雷は心底馬鹿にしたように雫を、そして久路人を見やった。

 

「ふん。神の血を引く高貴な身でありながら、そんな据えた臭いのする女を庇うか。同じ血が流れている者として恥ずかしいわい・・・儂は月宮久雷。これでもお前の祖父なのじゃぞ?」

「へぇ、そうなんですか。貴方が僕の祖父・・・出会って早々いきなりこんな真似をしてくるのが、祖父から孫への挨拶なんですか?これまで身内の中に高齢の方がいなかったので、わからないんですけど」

「言うではないか・・・じゃが、今のお主らの立場は分っているだろうな?」

「・・・・・・」

 

 荒れ果てた屋敷の一室で、祖父は初めて言葉を交わした孫に名乗るが、そこに親愛の情はない。

 あるのは己の野望と、そのためにならばあらゆるものを踏みにじる残虐さだけであった。冷たい声のまま久雷が久路人に問いを投げれば、皮肉に満ちた声音で言い返した久路人の顔に苦み走った表情が浮かぶ。

 しかし、次の瞬間には覚悟を決めた男の顔に変わっていた。

 

「祖父様、お願いがあります」

「ほう?急に殊勝になったな?言ってみろ」

「・・・久路人?」

「・・・雫」

 

 久路人は、自分の名前を呼ぶ雫をわずかの間、振り返って視界に収めた。

 その透明な視線に、雫の中で猛烈に嫌な予感が湧き上がる。

 しかし、そんな雫を無視するように、久路人は久雷に向き直ると、床に両膝を着いた。そして、そのまま深々と頭を下げる。

 

「雫を見逃してください。その代わりに、僕は貴方に忠誠を誓います。契約を結んでも構いません」

「久路人!?そんなのダメ!!」

「カッカッカッ!!!」

 

 土下座をして護衛の妖怪を見逃してほしいと懇願する久路人に、雫が動かない足を引きずって縋りつく。

 その様を前にして、久雷はこれ以上ない見世物を見たというように哄笑を上げた。

 

「これは傑作じゃ!!護衛の妖怪を守るために自ら人身御供になろうとは!!己がどうなるのかも察しはついておるのじゃろう?なのに土下座までするとは!!まさか偉大なる力を宿す者がこんな醜態をさらすとはのぅ!!!ガッハッハッハッハァッ!!!!」

「・・・っ!!」

「貴様ぁ・・っ!!」

 

 身がよじれるほどに、涙すら浮かべながら、久雷は笑い続けた。

 二人を指差し、顔を赤くして、世界で最も愚かなモノを見たかのように。

 実際、久雷は心の底からそう思っていた。

 彼にとって、神の力を本当の意味で宿す久路人は現人神だ。それが卑賎な己の前で土下座までするなど、誰が予想できたことか。その胸の内に、失望とも喜びともつかぬ感情が湧き上がる。その正体はわからなかったが、老人の自尊心は神の力を手にした時以来に満たされていた。

 

「ハーッ、ハーっ・・・・ククッ!!いいじゃろう!!儂としてもお主の身体から蛇の血が抜けるまで契約で大人しくできるのならば蛇を見逃すくらいは構わん!!もちろん、蛇が我らを襲わぬという契約も結ばせてもらうが、よいな?」

 

 しばらく狂ったように笑い続けた後、久雷はそう切り出した。

 

「・・・雫、契約を」

「久路人っ!?何言ってるの!?そんなの認められるわけないでしょ!!!」

 

 久雷の言を受けて、久路人は静かな声で傍らの少女を促す。

 しかし、蛇の少女がそんなものを受け入れられるはずもなかった。

 

「でも!!こうしないと雫が殺される!!今度こそ、僕のせいで!!」

「だからって・・・」

 

 久路人の表情は鬼気迫るものだった。

 この状況は、完全に久路人の暴走によるものだ。これに巻き込んで雫が殺されるようなことがあれば、確実に自害を選ぶだろう。

 だが、それは雫も同じなのだ。この状況が絶望的なのは雫にも理解できているが、例えそれで自分だけが助かる方法があっても意味がないのだ。久路人がいなくなった世界で、雫は一秒でも生きていけないのだから。

 

「頼むよ、頼むから!!」

「無理だよ!!久路人を見捨てて助かっても、私は・・・!!」

 

 そうして、取り囲まれているのを忘れているかのように、二人はお互いを助けるために口論を始め・・

 

「やかましいぞ」

「ゴフッ!?」

 

 雫の腹に、杭が一本突き刺さった。

 

「雫っ!?・・・・なんでだっ!?約束が違う!!雫は見逃すと・・・っ!!」

「お主は阿呆か?儂らはまだ契約を結んでおらんじゃろうが。こちらとしては、その蛇は少し痛めつけてやるだけでは足りんくらいに鬱憤が溜まっておるのでなぁ。別にお主を無理矢理に攫って、蛇を殺すのでもまったく構わんのじゃよ。術に頼らずとも、心をいじくる方法などいくらでもある」

「お前っ!!」

「心配せんでも急所は外しておるわい。すぐに死なれてもつまらんからなぁっ!!」

「雫っ!!」

 

 言葉と共に、宙に浮かぶ杭がもう一本震えた。

 そして、切っ先が雫の方を向く。

 久路人はとっさにその身を盾にするように雫の上に覆いかぶさり・・・

 

 

模倣曲(カノン)

 

 

 鉄の杭は、突然暴れ出したように明後日の方向に飛んでいった。

 

「やあやあ、皆さまご機嫌麗しゅう!!素晴らしいタイミングで入ってこれたみたいだねぇ!!」

 

 それとともに、カツンカツンと音を立てて、一人の青年が壁に空いた穴から部屋の中に入って来る。

 

「貴様は・・・」

 

 その青年を見て、久雷は驚きに目を見開き、恐る恐る顔を上げた久路人は震える声でその名を呼んだ。

 

「健真さん?」

「やあ久路人クン!!あの時言った通り、助けに来たよ!!まあ、命の危険があったのは雫チャンの方だったけどねぇ!!」

「・・・お前」

 

 口から血を吐きつつも、雫もまた健真の方を向いた。

 にこやかに手を振りながら、健真は久路人たちの方に歩み寄り・・・

 

「おっと!!」

 

 素早く身をかがめた。

 その頭上を十数本の杭がミサイルのような勢いでかすめていく。

 

「・・・健真よ、貴様、何の真似だ?」

「フフフ!!!ボクはそこの彼に少しカッコつけちゃいましてねぇ!!一人の大人としていいところを見せに来たんですよ!!!」

 

 その身を襲われかけたというのに、そんなものをまるで気にした様子もなく、月宮健真は父親に笑いかけてみせる。

 そんな健真を見て、久雷は怪訝そうに眉をひそめた。

 

「・・・貴様、何者だ?」

「フフフフフッ!!!その質問するのは大分遅いですよ!!お父様!!!ああ!!なんて可哀そうな息子だろう!!!ここに至るまで実の父親に向き合ってもらえていなかっただなんて!!!でも大丈夫!!このボクがいるさ!!!キミはもういなくなってしまったが、このボクはちゃあんとキミに感謝している!!!なにせ、ここまで美味しい場面に入ってこれたのだからねぇ!!」

 

 大仰な身振りで額に手をやって何かを嘆くような素振りをするも、健真の顔に張り付いたような笑顔は崩れない。ほんの少し前に会ったばかりの青年が豹変したかのような様子に、久路人も訝し気な顔をした時だ。

 

「さて、久路人クンに雫チャン!!!」

 

 大きな声で、健真は二人の名を呼んだ。

 

「君たちの周りに、壁を作ってくれないかい!!今から少しの間だけ、ボクが時間を稼いであげよう!!その間に、君たちはお互いの正直な気持ちをぶつけあいなさい!!」

「へ?」

「・・・どういう意味だ」

 

 突然告げられた意味の分からない指示。

 久路人と雫は困惑した。

 そんな二人に、健真はさらに続ける。

 

「言葉通りの意味さ!!久路人クンには言ったよね?『答えを知りたければ、直接その妖怪と、すべてを包み隠さず話し合うほかありません』ってさ!!今を置いて、その時があるかい!?今生の別れになるかもしれないのに、胸の内の全てを明かさないで我慢できるのかい!?知りたいと思ったことを、知らないままで終わっていいのかなっ!?」

「それは・・・」

「・・・・・」

 

 久路人も、そして雫も、お互いに顔を見合わせた。

 久路人は健真の言う通りにとある疑問を抱え、それを雫に問おうとしていた。

 雫もこれまでの行いの全てを話し、己の願いを告げるつもりで久路人を探していたのだ。

 その答えを知らずに終わるなど、耐えられるはずもない。

 

「この状況を諦めるにせよ、切り抜けるにせよ!!まずはそこからさ!!迷いを抱えたままでは人は戦えない!!二人で力を合わせたいのなら、蟠りは真っ先にどけなきゃいけない!!だから・・・おっと!!」

 

 まるで舞台の上に上がった俳優のように大げさな身振りで何がしかを叫ぶ健真だったが、再び襲い掛かってきた杭や術の奔流を見て、軽やかに跳びあがった。

 

「何の真似か知らんが、儂らの邪魔をするのだ。命を捨てる覚悟はあるのだろうな?」

「命を?捨てる?フフフッ!!フハハッ!!アッハッハッハハッハッ!!!!いいね!!!まさかこのボクに命を捨てるかなんて聞いて来るとはねぇ!!!フフフッ!!命なんて、もうとっくに捨ててるって言うのにさ!!」

 

 いつの間にか、健真を取り囲むように霊能者たちの立ち位置が変わっていた。

 久路人たちを包囲網の中に入れているのは変わらないが、ひとまず怪しげな言動をする健真に狙いを絞ったらしい。

 その様子を見て、健真は改めて久路人たちに言葉を贈る。

 

「さあさあ!!二人とも!!あまり時間はないよ!!!今からここはひどい有様になるだろうからね!!身を護るためにも、少しの間休むためにも壁は作っておいた方がいい!!!あと、念のために言っておくけど、ボクのことなんか気にするなよ!!!ボクはボクで、色々と考えた末にこうしているのだからさ!!」

「健真さん・・・」

 

 取り囲まれる健真を見て、久路人はほんの少しだけためらうような素振りを見せた。

 しかし、今も時折苦しそうに呻く雫を見て、すぐに決断をする。

 

「健真さん、ありがとうございます」

「・・・今回は、礼を言っておく」

 

 そして、二人の周りを砂鉄の壁が包み、さらにその周りを閉じ込めるように氷が覆い隠していった。

 

「フフフ!!!いいね!!後はお若い二人にお任せしようじゃないか!!あと、そうだな・・折角大事なことを話すんだ。静かにできるようにしないとね。無音結界(サイレンス)!!」

「お別れは済んだか?」

 

 結界に覆われていく二人を見て、防音の魔法をかけながら、健真の顔に満足げな笑みが浮かぶ。

 そんな健真に、久雷は白い稲妻を身に纏わせながら死刑宣告をするように声をかけた。

 

「何のつもりか知らんが、無駄なことをする。少しばかり休んだところでこの状況がどうにかるものか」

「さて、それはどうだろう?愛の力というのは偉大だよ?特にボクたちのように異能の力に手を染める者にとってはねぇ!!」

「そうか。つまらん遺言じゃな」

「・・・へぇ?」

 

 健真もまた久雷に向き直って言葉を交わす。

 しかし、愛を否定した久雷に、健真の声が一段低くなった。

 

「どうやら、この青年もそうだが、君たちも随分と可哀そうな人たちみたいだねぇ。愛の力を知らないだなんて、なんて憐れなんだろう?そんな君たちに、遺言のついでに少しばかり教えてあげたいことがあるんだが、いいかい?」

「言ってみよ。どうせすぐに忘れるだろうがな」

「それはどうもありがとう!!・・・え~、さて、それじゃあ日本に住む君たちには釈迦に説法かもしれないが、日本にはこんな諺がある!!」

 

 健真は、否、その中にいるナニカは、声を張り上げた。

 その腕を大きく開いて、久雷に、自身を取り囲む霊能者に講義をするかのように。

 

「人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られて死んじまえ、ってねぇ!!」

 

 いつの間にか健真の周りに、黒い蚊柱のようなものが沸き上がっていた。

 

 

--------

 

「雫、大丈夫!?」

「ん・・・ちょっと痛むけど、平気。でも、この杭はまだ抜かない方がいいかも」

「そう・・・」

 

 久路人と雫が即席で作り上げた壁の中。

 久路人の雷によって照らされながら、二人は向かい合っていた。

 雫の顔には脂汗が滲んでいるが、血は止まっている。しかし、確実に再生能力が落ちている今では、腹に刺さっている杭を抜けば失血死する可能性があった。

 そんな雫の傷を見ながら、久路人はもう一度土下座をする。

 

「雫、本当にゴメン!!僕が馬鹿なこと考えたから、こんなことに・・・」

 

 久路人は、自分が情けなくて仕方がなかった。

 雫をもう傷つけないようにするためにここに来たのに、今の雫は傷だらけだ。

 それはすべて、自分のせい・・・

 

「久路人、それはさっき謝ったでしょ?だから、いいよ」

 

 しかし、そんな風に自分を責める久路人を、雫は許した。

 

「雫・・・でも」

「それより、さ」

「え?」

 

 久路人の頬に、暖かい何かが触れた。

 その何かによって、久路人は顔を上げさせられる。

 急に上を向いた視界に映ったのは、愛しい少女の顔だ。

 しかし、その顔は穏やかなようで、何かを覚悟したような不思議な表情をしていた。

 

「私も、久路人に謝らなきゃいけないことが・・・あるんだ」

「え?雫も?それって、昨日の吸血鬼とのこと?それなら僕だって・・・」

「ううん。そのことじゃないよ。もっと・・・ゴホッ・・別の事。あの時より、ずっと悪いこと・・・」

「あの時よりも・・・?」

 

 久路人は手で挟まれたままに首を傾げた。

 はて、自分は雫に謝られるようなことをされただろうかと。

 

「さっきのヤツが言った通りだよ。ここからどうなるか分からないけど、このことを言わないまま終わるのだけは、コホッ・・絶対に嫌・・・私は、ちゃんと話すって決めたんだから。話して、答えを聞くんだって思ったんだから」

「・・・?」

 

 考え込む久路人をよそに、雫は自分に言い聞かせるようにそう言った。

 そして、久路人から手を離してから姿勢を正し、真正面からその瞳を覗き込む。

 

「久路人」

「は、はい」

 

 その声は静かだった。

 しかし、思わず佇まいを正さねばと思うような厳かな声音だった。久路人もまた自然と正座をして雫に向き直る。

 

「私は・・・」

 

 そうして、雫は告解する。

 

「私は、これまでずっと、あなたの中に私の血を混ぜていました」

 

 己のこれまでの、おぞましき所業を。

 

「あなたを、人間じゃないモノにしようとしていました。あなたに、何も言わないで」

 

 そこまで語ってから、雫はさっきの久路人と同じように、深々と頭を下げ、床に額をこすりつけた。

 

「ちょっ!?雫!!お腹に杭が刺さってるのに無理しちゃダメだ!!早く頭を・・・」

「申し訳ありませんでした!!!」

 

 怪我をしているにも関わらず土下座をした雫を、久路人は慌てて止めようとする。

 だが、そんな久路人を遮るように、自分には頭を上げる資格などないと言うように、雫は大声で謝った。

 その迫力に、久路人の動きが止まる。

 

「謝って済むことじゃないです!!でも、今の私には謝ることしかできない!!久路人がこれまでずっと調子が悪かったのも、あの吸血鬼と戦った時に苦労したのも全部・・・」

「知ってたよ」

「私の・・・え?」

 

 今度は、雫が動きを止める番だった。

 雫の謝罪に差し込むように投げかけられた言葉に、雫は唖然とした顔をする。

 そんな雫の顔を、次は僕の番とでも言うように久路人は手で挟んで、顔を上げさせた。

 

「いや、知ってたっていうのは違うね。正確には、そうかも?って思ってた、かな?気付いたのは本当についさっきだよ」

 

 雫の顔を穏やかな顔で見ながら、久路人はそう言った。

 その顔に、怒りや憎しみのような負の感情は一切見られない。

 

「ここに来て、健真さんと話して、気付いたんだ。僕の身体に入ってるのは、雫の霊力だって。というか、雫が来る直前に、あのクソジジイが言ってたしね」

 

 ここ最近の霊力異常について、久路人は瞑想によって自分の体内に雫の霊力が混ざっているのに気付いていた。しかし、血で狂った雫がそんなことをするはずがないという思い込みからその可能性を考えないようにしていたのだ。だが、月宮健真との会話によってその思い込みにほころびが生まれた。久路人の眷属化を目指す雫と、自分の体内にある雫の霊力。それならば、雫が何らかの方法で己の霊力を自分の中に混入させた以外にあり得ないだろう。図らずも、月宮久雷によって裏付けが取れたが。

 

「それを考えたら、本当に授業料を払ったって感じなのかな・・・というか、霊力を混ぜているとは思ったけど、血を飲まされてたとは流石に・・・」

「ま、待って!!」

「ん?」

 

 健真が去り際に言っていた「授業料」について思い出していた久路人は、そこで我に返った。

 見れば、雫は困惑したような顔で久路人を見つめている。

 そして、震える声で問いかけてきた。

 

「久路人、その・・・怒ってないの?」

「え?怒る?・・・なんで?ああいや、確かに霊力異常は困ったし、勝手にっていうのはちょっとどうかと思うけど」

 

 その問いは、久路人にとって意味がよく分からないものだった。

 

「そうじゃなくて!!久路人、人間やめさせられそうになってたんだよっ!?化物にされそうになってたんだよっ!?どうして・・・」

「化物って・・・その、どんな感じの?クトゥルフとかそういうウネウネ系?」

「う、ウネウネ?いや、流石にそんなのにはならないと思うけど・・コホッ・・って、そうじゃない!!人間から、私みたいな人外に・・・」

「雫と同じなら、それでいいよ」

「なって・・・え?」

 

 自分の言っていることを理解できていないのではないかと思うほどに淡白な久路人の反応に、逆に雫の方が焦っていた。どうにかしてその体に起きていた変化の意味を伝えようとするも、久路人から飛び出した言葉によって思考が完全に停止した。

 

「というか、人外化か。そうだよ、強くなるならそっちの方がずっと手っ取り早かったじゃんか。どうして気付かなかったんだろう。やっぱり僕も焦って・・・」

「・・・久路人」

 

 しばらくの間放心していたような雫だったが、やがて、信じられないモノを見るような目で問うた。

 

「自分が言っている意味分かってる?人間じゃなくなるんだよ?一度人間をやめたら、もう一生化物でいるしかないんだよ?」

「・・・人間と人外ねぇ」

 

 久路人は、何かを思い出すように少しだけ目を閉じた。

 雫は固唾をのんだまま、何も言えなくなる。

 一体、久路人は何を考えているのだろう、と。

 

「これまでも何度かその手のことは聞かされてたんだけどさ。雫、人間と人外の違いって何かな?」

「え?・・・そりゃあ、えっと・・・」

 

 しかし、予想だにしなかった問いが返ってきて、雫は言葉に詰まった。

 そんなことは、語るまでもないことだ。例えるなら、「なんであなたは呼吸をしているんですか?」と聞かれたようなもので、もはや本能だからとしか答えられないような・・・

 

「昔からさ」

 

 どうやら雫は時間切れだったらしい。

 雫の答えを待たず、久路人は己の意見を述べる。

 

「僕には人間と人外の違いってよく分からないんだよね」

 

 それは、久路人が事あるごとに疑問に思っていたことだ。

 強大な力を持つ妖怪も、これまでに会った霊能者も、人間と人外を区別するように扱っていた。

 だが、久路人にはその違いが分からないのだ。

 

「人間だって、妖怪と同じように霊力を持ってる。妖怪だって、人間みたいに意思があって、話し合えるやつもいる。妖怪は他の生き物の霊力を取り込めるらしいけど、それは瘴気を浴びて妖怪になる前の動物だってそうだ。それに、人間の中にだってまるで価値観とかそういうのが違うのもいて、話ができないのもいる。ちょっと姿が違うだけで、そんなに大した違いは・・・って、雫?」

「ははっ・・・」

 

 いつの間にか、雫は笑っていた。

 

「ははっ・・・そうか、そうだよね。久路人は、昔からそうだったもんね。ふふっ・・・そうだな、本当に、馬鹿だったなぁ、私」

 

 雫の脳裏に、久路人が幼いころの記憶がよみがえる。

 あの頃の自分はこう思っていたはずだ。久路人は『欠けている』と。

 

 

--久路人には、妾に対する恐怖が欠けている

 

 

 イカれているとすら思っていた。普通、人間という生き物は己の魂を守るために、本能的に瘴気を放つ妖怪を恐れるものだ。

 だが、あの頃の久路人は、人間と人外の境界をまるで理解できおらず、また、他人もそうだと思っていた。

 それが成長と共に人間社会の常識を身に着け、今のように大人しい久路人になったのだ。

 しかし、その根っこはまるで変わっていなかったのだ。

 

「本当に、自惚れてたなぁ・・・久路人のことなら、何でも分かってるって思ってたのに、全然そんなことなかったんだ。コホッ・・・馬鹿だなぁ」

 

 雫は、己を笑った。

 その笑いは、嘲笑かもしれない。しかし、そこに負の感情は感じられなかった。

 理解したのだ。自分にとっての最大の障害が消え失せた、否、最初から存在しなかったのだと。

 

「雫」

「コホッ・・何?久路人?」

「今度は、僕の方から聞いてもいいかな?」

「うん・・・いいよ」

 

 今度は、久路人の方が据わった目をしていた。

 雫は胸の奥から湧き上がる高揚感と安堵感に浸りながら、半ば夢心地になりながら久路人に返事を・・

 

「雫は、どうして僕に血を、いや、眷属にしようとしたの?僕が人外になったら、神の血だって薄まるはず。僕の血に価値がなくなるけど、それでよかったの?」

「!!」

 

 その問いは、雫のこれまでの行動すべての根幹を問う疑問だった。

 その答えは、一つしかない。

 だが、それを口に出すには、少しだけ、ほんの少しだけ心の準備が足りていなかった。

 

「え、えっと、それはね!!ゴホッゴホッ・・・!!ごめ・・・コホンッ、あのね!!久路人にずっと生きていて欲しいからっていうのと、あの、その・・・私としては久路人の血が二度と飲めなくなってもいいから長生きしてもらいたかったっていうか・・・その、なんでそんな風に思ったかって言うとね・・?」

「僕の血が、もう飲めなくなってもいい、か」

 

 雫の答えは、久路人からの不意打ちということもあり、要領を得なかった。

 しかし、それで久路人には充分だった。

 雫の障害がなかったのと同じように、久路人を縛っていた呪いにも、中身などなかったのだ。

 

「あの、その、えっと、私はね?私はずっと久路人のことが・・・」

「雫さん!!」

「は、はいっ!?」

 

 突然の久路人の大声に、何かを言いかけていた雫は再び正座した。

 そして久路人もまた、背筋をピンと伸ばして、真っすぐに雫を見つめていた。

 

「僕はこれまで、ずっと決めてたことがあるんだ」

「?決めてたこと?」

「うん。決めてたんだ・・・僕の方から声をかけるって」

 

 

--でも、好きな人ができたら、僕の方から声をかける。そういう風には決めてるよ

 

 

 それは、いつかの大学の食堂で、人間の友人たちに向かって言った一言だった。

 久路人は、約束事を守る。

 それはもちろん、自分自身が相手でも。

 

「フゥ~・・・」

 

 久路人は、そこで大きく深呼吸をした。

 息を吸って、吐く。

 これまで自分を苦しめていた呪いを完全に吐き出すように。

 己の心の奥底で、ずっと燃え盛っている想いをさらに燃え上がらせるように。

 

「雫、僕はね・・・」

 

 そして、告げる。

 

 

 

「僕は、あなたが好きです。友達だとか、家族とかじゃなくて、一人の女の子として」

「・・・え?」

 

 

 

 時間が止まった。

 久路人も雫も、まるで時が止まったように思えていた。

 だが、いつまでも止まってはいられない。

 久路人は、時計の針を進める。

 

「だから、僕と付き合ってください!!これからも、ずっと一緒にいられるように、結婚を前提に!!」

「・・・・・・」

 

 再び、静寂が壁の中を包み込んだ。

 久路人は、険しい顔で雫を見ていた。

 その顔は、沙汰を下されるのを待つ罪人のようで・・・

 

「・・・久路人」

「・・・はい」

 

 そして、次に止まった時間を打ち破ったのは、雫だった。

 

「私は、蛇だよ?人間じゃないんだよ?」

「うん。知ってる」

 

 その声はか細く震えていたが、久路人が聞き漏らすはずもなかった。

 

「私は、ずっと久路人を騙したんだよ?人間やめさせようとしてたんだよ?」

「僕は気にしないよ」

 

 少しずつ、雫の声が大きくなっていた。

 

「私、面倒くさいよ?すごく重い女だよ?」

「別にいいよ。むしろ、望むところ。僕だってかなり重い方だと思うし」

 

 その瞳は、いつの間にか潤んでいた。

 

「久路人が私の血で人外になったら、一蓮托生になるんだよ?私が死んだら、久路人も死んじゃうよ?」

「それでいい。というより、それがいいよ。雫のいない世界で生きていても意味ないから。雫の方こそ、僕が死んだら一緒に死ぬことになっても・・・」

「構わないよっ!!私だって、久路人のいない場所で生きていけないんだからっ!!」

 

 お互いの命を交換することになっても、躊躇いはない。

 雫の身体は、心臓は、小刻みに震えていた。

 

「でも、私、私は・・・」

 

 しかし、それでも雫の返事は煮え切らなかった。

 それは、まるで自分にとって不相応な幸運がやってきて、それを受け取って良いのか迷っているようで。

 

「・・・もしかして、雫は、その、僕のことが、あ~・・・嫌・・」

「そんなことないっ!!それだけはあり得ない!!」

「そ、そうなんだ・・・えっと」

 

 だが、久路人のことを嫌うことだけはあり得ないと断言する。

 

「じゃ、じゃあ、久路人!!」

「は、はいっ!!」

 

 そして、雫は幾度目かの問いを投げる。

 けれどもその問いかけは、十年もの間雫も知らないうちにくすぶり続けていた問いだった。

 

 

「久路人は、私とずっと一緒にいるために・・・人間、やめてくれますか?」

 

 

 それが今、音となって世界に形を持つ。

 雫がずっと見てきた想い人に、その言葉ははっきりと届いた。

 

「そんなの・・・」

 

 だが、そのような問いの答えなど分かりきっている。

 久路人は、心の奥底からの答えをくみ出そうとした。

 その時だ。

 

「ゴホッ!!・・・ガフッ!!?」

「雫っ!?」

 

 雫が、真っ赤な血を噴いた。

 

「あ、あれ?おかしいな?ゴフッ・・・私、蛇なのに、なんで・・・ゲホッ!!?」

「雫!!杭がっ!!」

 

 久路人の見るその先で、雫の腹部に刺さる杭からも、血が流れ落ちていた。

 

「ゴホッゴホッ!!?なんでっ・・・傷が、治らなっ・・・ガハッ!!?・・くろ、と」

「っ!!」

 

 どうして再生能力に優れる雫の傷が治らないのか。

 この屋敷に貼られているという結界のせいか。

 久雷の放った杭に込められた神の力のせいか。

 あるいは雫がここに来るまでに消耗していたせいか。

 久路人にその原因はわからない。

 しかし、理解していることがあった。

 本能が、告げていることがあった。

 

 

--ザワリ

 

 

 久路人の身体の中で、何かが脈打つのが分かった。

 そして、その何かが教えてくれている。

 自分が何をすべきなのかと。

 

「雫」

「ゴホッゴホッ!!カハッ!!?・・くろ・・・ゴフッ!?」

「先に謝っておく。ゴメン。そして、これが・・・」

 

 久路人は、自分たちを覆う壁を作るのでほぼ空になった霊力の、最後の一滴を絞り出す。

 久路人の手の中に、小指の先ほどのナイフが造られ、それによって久路人の手首に赤い線が走る。

 久路人は、そこからあふれ出る液体を口に含んだ。

 

「これが!!僕の答えだっ!!」

 

 

--久路人の唇が、雫の唇に重なった。

 

 

「っ!!?」

 

 鮮血で顔を染めながらも、雫の紅い瞳が大きく見開かれた。

 そんな雫を超至近距離で見つめながら、久路人は想う。

 雫への答えを。

 

 

--雫と共にいられるのなら。永遠を一緒に歩んでいけると言うのなら

 

 

 久路人が含んでいた血と、雫の口の中に含まれていた血。

 お互いの紅い滴が交換される。

 それは、その滴は、最後の一押し。

 青年を、永久の路を往く者へと変えるひとしずく。

 

 

--人の身体なんて、喜んで捨ててやる!!

 

 

 その瞬間、壁の中を、屋敷の中を、忘却界の中にすら届く光が満ち溢れる。

 そして・・・

 

 

「「グォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」」

 

 

 黒と白。

 二頭の『龍』が夏の夜空へと飛び立っていった。

 




感想よろしく!!
早ければ早いほど、今日投稿できる可能性が上がるよ!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪あがき1

ちょっと蛇足気味ですが、次話投稿!!
一から今日書いたけど、ウジウジパートがないだけでこんなに書きやすいとは・・!!
もうこの二人を仲たがいさせることはないので、今後は筆が乗りそう。

あと、感想返しはもうしばらくしたらまとめて行います!!
遅れて申し訳ございません!!!


 視界には、夜空しか映っていなかった。

 上にも横にも、空以外ない。

 普段見慣れた街並みは、すべて遥か下にある。

 

『グォォオオオオオオオオオオオオォォオオオオオッ!!!!』

 

 体が熱い。

 全身に力がみなぎっている。

 その力に身を任せるように、僕は昇る。

 

『グガァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』

 

 全力で吠える。

 これまでの人生で出したことがないくらいの大声で叫ぶ。

 叫んだまま、僕はひたすらに上へ上へと・・・ 

 今なら、この世の果てまで飛んでいけそうな気がした。

 それは、体に溢れる力だけではない。

 心もまた、天に昇っていけそうなほどに躍っていたから。

 そうして、僕は、僕たちは、雲の上にまで抜けて、止まった。

 

『む?なんだ?もう止まるのか。このまま成層圏まで飛んでいくかと思ったのに』

『さすがにそんなところまでは行かないよ。ここに来たのも、なんというか、暴走が止められなかったというか、ノリみたいな感じだし』

 

 そこは空の上。

 下には雲の海。

 言葉を放ったところで返事など返ってくるはずもない場所なのに、その声は僕の頭の中に響いてきた。

 

『あれ?なんで頭の中に・・・ねぇ雫、今の僕って耳あるのかな』

『人間をやめて最初に気にするのがそこなのか・・・妾達の会話は念話のようなものだから、耳はなくとも関係ないぞ』

 

 僕の隣には、その声の主が浮いていた。

 いや、声ではないのだったか。

 

『人間をやめた、か・・・思ったより、あんまり変わらないなぁ。もっと暴走というか、はっちゃけた感じになるかと』

『足がなくなって角と尻尾が生えたのは随分大きな変化だと思うぞ・・・』

『まあそうだけど・・・あ、角なら雫にも生えてるよ』

『何っ!?』

 

 それは、いつもと変わらないノリの会話。

 僕の日常の象徴のようなものだ。

 けれど、彼女の、雫の言う通り、今の僕たちは普段通りの姿ではない。

 普段とは違って見える視界で、己の身体を見下ろした。

 

『蛇みたいな身体に、短い手。あと、たてがみがあるのかな・・・これに角があるってことは』

『ああ、龍というヤツだろう・・・久路人だけならともかく、妾まで同じような姿になっている理由はわからんがな』

 

 僕も雫も、ほとんど同じような姿をしている。

 鱗で覆われた細長い身体に、鋭い爪のついた両手。牙の生えそろった厳つい顔に、頭の側面から生えて、後ろの方に伸びた角。

 それは、伝説に謳われる龍そのものであった。

 ただし、鱗の色は僕が黒で、雫が白だったが。

 

『でも、なんで僕らが龍になったんだろう?』

『龍になったのはわからん。だが、久路人が人外になったのは、恐らく条件を満たしたのだろう』

『条件?』

『ああ。ここに来る前に専門家に聞いていたのだ。人間が人外に至る方法と、その条件をな。それは、肉体と魂と精神の三つが繋がること。要するに、妾と久路人の心が通じ合ったからだ』

『心が通じ合う・・・そういえば、雫』

 

 最後の条件とやらを聞いた時、僕は思い出した。

 

『む?』

 

 溢れる力に身を任せて昇っている内に忘れてしまっていた。

 これだけは聞いておかなければならない。

 

『雫、僕はお前に返事をしたよね?それで、こうして人をやめた・・・だから、答えを聞かせて欲しい』

 

 僕の告白への、雫の答えを。

 

『なっ!?ここでかっ!?この姿でかっ!?その、妾としては人間の姿で言いたいのだがっ!?』

『別に僕は気にしないって。ほら、今の僕と雫は同じ種族なんだろうから、姿がどうでも関係ないよ』

『む~、久路人、お前乙女心を少しは考えろ。お前がよくとも妾が気にするのだ・・・だがまあ、久路人がここまで応えてくれたのだ。妾も返さねば筋が通るまい』

 

 雫は龍の姿のまま、久路人に向き直った。

 そのままブレスでも吐くかのように息を吸い込んでは、吐き出した。

 恐らく深呼吸のつもりなのだろうが、すぐ真下の雲海が竜巻に飲まれて散り散りになっていく。

 

『スゥ~・・・ハァ~・・・よし!!久路人、聞くがいい!!妾も、妾も、お前のことがっ!!』

 

 そして、雫がなにやら真剣な顔で語ろうとした時だ。

 

『雫っ!!』

『むっ!?』

 

 頭上から、何かが降ってくる気配を感じた。

 僕らが警戒しつつその場を退くと、直後に白い稲妻が地上に落ちていく。

 

『今のは・・・』

『うん。神の力が籠った雷。あのジジイの術だ・・・って、雫!?』

 

 堕ちていった稲妻を目で追いながら、雫に話しかけ・・・

 

『おのれ・・・』

 

 ゾクリと、龍の身体になったにも関わらず、寒気を感じた。

 

『せっかく妾が覚悟を決めたと言うに、本当は人の姿で言いたかったのに、それでも言おうとしたところを邪魔するとはな・・・』

『し、雫・・・』

『久路人、下に降りるぞ。済まんが、返事はもう少し後だ』

『あ~、うん。わかったよ』

 

 僕は、寒気を感じながらも雫と目を合わせて頷き合った。

 龍の顔のままであったが、瞳に宿る意思は人間の時と変わらない。

 僕らには、お互いの考えていることがすぐにわかった。

 

『妾の告白を邪魔した落とし前に、久路人を痛めつけてくれた礼もしてやらねばならんからな』

『うん・・・それは僕もだよ。雫に血を流させた報いを、たっぷり返してやる・・・あ、でも雫!!体は大丈夫?』

『うむ、問題ない。むしろすこぶる調子がいい!!今ならあの結界があろうとも、容易く奴らを皆殺しにできるぞ!!』

『そっか、奇遇だね・・・僕もだよ!!』

 

 気になることは山ほどある。

 雫の返事だって聞きたい。

 しかし、それ以上にあの雷を見てから、腹の中に渦巻く怒りが抑えられない。

 さっきまでの、雫の苦しそうな表情が目に焼き付いて離れない。

 

『じゃあ、行くよ!!』

『ああ!!』

 

 そして、僕らは昇ってきた空を駆け下りていく。

 相手はさっきまで僕らをボコボコにしてきた連中だ。

 けど、恐怖なんて何もなかった。

 

『『グガァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』』

 

 それは、隣で吠える相棒と仲直りが、否、それ以上の関係になれたからに違いない。

 あの屋敷はもうすぐ目の前にまで迫っていた。

 

 

--------

 

「何だ!?何が起きた!?」

 

 目の前の男が庇うようにしていた氷の結界が割れた直後、月宮久雷は、狼狽したように声を張り上げた。

 彼の目の前で起きたことは、彼の長い人生の中でも経験のないものだった。

 壁の中から凄まじい霊力を放つ何かが2体、空へと消えていったのだ。

 

「小僧と蛇が、逃げた、のか?どうやって?いや、それよりもあの力の大きさは一体・・・小僧の力は限界近く、蛇もこの結界と忘却界の影響で逃げおおせることができるはずも・・・」

「フフフっ!!」

 

 そんな慌てふためく久雷を面白がるように、ボロボロのスーツを着た男は、月宮健真は含み笑いを漏らした。

 健真は左腕が千切れ飛び、左目にも杭が突き刺さっていたが、痛みを感じていないようにケタケタと笑う。

 

「フフフっ!!フハハッ!!アハハハハハハハハハッ!!!!」

 

 最初は聞き取るのがやっとくらいの大きさであったが、気付けば男は顎の関節が取れるのではないかと思うほどに大口を開けて笑っていた。

 

「貴様っ!!死にぞこないが!!何がおかしい!!!」

「何がおかしいって!?決まっているじゃないか!!長年追い求めてきた願いを叶えるためのカギが見つかったんだ!!!これが笑わずにいられるかい!?」

「鍵だと!?何のことを言っている!?」

「フフフっ!!ああそうだっ!!月宮久雷!!君にも感謝しなくちゃねぇ!!!本当だったらボクがやらなきゃいけない役回りを、進んで買って出てくれたんだから!!!君は実に見事な敵役だったよ!!おかげで、予定よりも大分早く手に入る!!ああ、手に入るぞっ!!『龍の血』がァっ!!!」

 

 ゲラゲラゲラと、健真は笑い転げていた。

 焦点の合ってない暗い瞳を見開きながら、床に転がって笑い声を上げるその様は例えようもなく不気味だった。

 

「もうよい!!消えろ気狂いがぁっ!!鳴神ィ!!」

「グォアアアッ・・・!!!」

 

 健真とまともな話し合いができないと判断したのだろう。

 久雷は己の中にある神の力をかき集め、天より雷を降らせた。

 白い稲妻は健真を撃ち抜き、全身を焼き焦がしていく。

 

「・・・クククっ。ああ・・・やっぱり、この力とは、相性が悪いな」

 

 いかなる理屈か、雷による熱を防いでいるらしく、健真はすぐには死ななかった。

 少しずつその身が灰と化していきながらも、その口は止まらない。

 

「だから、だから龍の血が必要なんだ・・・この世の摂理に反するボクが手にするには、神の力は眩しすぎる・・・人間でも、妖怪でも、ましてや・・・神でもないあの、龍の力・・で・・ない・・と・・フフッ」

「さっさと死ね!!痴れ者が!!」

「・・・・フフッ」

 

 いつまでも意味の分からないことを喋る健真を黙らせようとしたのか。

 久雷の作り出した鉄串が健真の舌を撃ち抜き、床へと縫い留めた。

 それと同時に身を護る術の効果が切れたのか、あっという間にその身体は灰になり果てていった。

 最後まで、不気味な笑みをその顔に貼り付けながら。

 

「クソッ!!状況が分からん!!一体何が起きて・・・貴様ら!!何をグズグズしておる!!早くあの小僧どもを追わんか!!早く・・・」

 

 情報源として使えるかもしれないと思い、健真の生け捕りを狙っていた久雷であったが、当てが外れた。

 あんな狂人相手に話が通じるはずもない。

 だが、そうなってしまえばせっかく手中に収まりかけた月宮久路人の行方は完全にわからなくなってしまう。あそこまで消耗させる機会が再び巡って来る可能性はほとんどない。そのため、なんとしてでも逃げていった久路人を捕捉するべく、久雷は自身を囲う霊能者に指示を出そうとして・・・

 

「く、久雷様!!上を!!」

「何ぃ!!?」

 

 部下の一人が上ずった声で上を指差し、釣られるように久雷も天を見上げた時だ。

 

『『グガァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』』

 

 耳をつんざくような咆哮とともに、荒れ狂う嵐が目前に迫っていた。

 

 

--------

 

『よしっ!!クリーンヒット!!』

『やりすぎるなよ久路人。一度に大技で吹き飛ばしては殺せたかどうかわからなくなる・・・次は妾が一人でやろう』

『え?でも雫ってあんまり霊力制御得意じゃないよね?大丈夫?』

『む・・・』

 

 屋敷のすぐ上空。

 そこに、僕と雫はとどまっていた。

 屋敷の中にはさきほど僕ら二人で撃ちだした竜巻によって大混乱に陥っている。

 

『しかし、これが風属性の霊力か。やっぱり空を飛べる生き物だから使えるようになったのかな?』

『妾も前から一応飛ぶことはできたが、上手い方ではなかったからな。龍となったからというのはあるかもしれん』

 

 空を駆け下りる最中に、僕たちは自分の中にある霊力に今まで感じたことのない属性がいくつか混じっているのに気付いた。

 その中でも強く感じられたのが風属性であり、あの屋敷に貼られていた水と雷に対する制限を無視できるのに加え、まだ殺傷力が低いために手加減用に使えると思ったのだが・・・

 

『なんか、元々結界が壊れてたのかな?』

『恐らく、妾たちが龍となった時に壊れたのだろう。我々の今の霊力は以前のものと大きく異なる。あの結界では耐えられなかったのだ。しかし、そうなると今の妾たちは忘却界の中にいることになるが・・・』

 

 雫は、不思議そうに自分の身体を見下ろした。

 

『雫、なんともない?』

『ああ。蛇だった時には忘却界では体中に重りを付けたような感覚がしたのだが、今は何も感じないな。久路人こそどうだ?』

『うん。僕も大丈夫だよ』

 

 今僕らがいるのは人外の力を大きく制限する忘却界の中のはずなのだが、その影響は見られない。

 理由は分からないが、好都合・・・いや。

 

『どうしよう、雫。この姿だと下に降りられない』

 

 力が有り余っているのはいいが、今の僕は相当にデカい。

 全長ならば20mはあるだろうか。これではあのクソジジイどもを倒しに行きたくてもいけない。範囲攻撃でまるごと吹き飛ばす方法もあるが、健真さんを巻き込むのは忍びない。

 しかし、雫はそんな僕を見てフフンと得意げに鼻を鳴らした。

 

『フッ!!焦るな久路人。お前はたった今人外になったばかりの新米だが、妾はプロ!!こんな状況に陥った時の対策ももちろん知っておる!!・・・・人化の術!!!』

『おお!!』

 

 そうか、その手があったかと僕は思わず手を鳴らした。

 龍の顔をしていても分かるほどのドヤ顔をしながら雫が小さく吠えると、白い霧が雫を包み・・・

 

「ほれ!!この通り!!こうすれば建物の中にも余裕で・・・」

『・・・雫、なんか変じゃない?』

「む?言われてみればなんだか胸元がスースー・・・」

 

 これまでの僕が蛇の時の雫の言葉が分からなかったのと同じように、今の雫にも僕の言葉は分からないのだろう。しかし、それでも僕の訝し気な視線に気が付いたのか、雫は自分の身体を見下ろし・・・白い着物の胸の部分に両手を当てた。

 

「なっ!?なんでだっ!?・・・く、久路人ぉ!!向こうを向いておれぇ!!」

『え?いや、服の事じゃなくて角とか他の部分・・・・・』

 

 僕は唸るような声で雫に注意を促そうとしたが、雫は僕に背を向けてしまった。

 そのまま首を自分の足元を見るように傾けると・・・

 

「し、萎んでいる?ただでさえ丘みたいな感じだったのに・・・?これじゃただの平原・・・」

 

 しばらく経ってから雫は振り向いたが、その表情は絶望しきったように見えた。

 やはり、僕の言いたいことには気づいていないらしい。

 

『えっと・・・確か人化の術に必要なのは願いとイメージだっけ』

 

 しょうがないので、僕自身が人化の術を使えるか試してみる。

 雫は習得にずいぶん時間がかかったと聞いたが、元人間の僕ならばイメージは完璧。願いに関しては・・・

 

『いつでも雫と同じようにいられるように・・・!!!』

 

 いつでもどんな時でも雫と共に在りたい。

 雫が龍ならば僕も龍に。

 雫が人間の姿ならば僕も元の姿に。

 その願いは、息をするように自然と浮かび・・・

 

「あっ。できた」

 

 黒い砂嵐が僕を包んだかと思えば、僕は二本の足で屋敷の庭に立っていた。

 しかし、その身体には前の身体にはない感覚が備わっている。

 

「僕にも生えてるんだ、尻尾と角。というか、この格好は・・・?」

 

 腰と頭に少し重い違和感があると思って見てみれば、黒い蛇のような尾が足の間からフラフラと揺れており、手を側頭部に当てれば硬い感触が返って来る。

 どうやら龍の時の尻尾と角が残っているようで、それは雫も同じなのだが、僕の場合はさらにおかしな点があった。

 

「何だろ・・・軍服?」

 

 僕が身に纏っているのは、教科書で見たことがあるような、大日本帝国陸軍の軍服のようだった。

 色はカーキ色ではなく真っ黒だったが、形はよく似ている。そしてそれを覆い隠すように、黒いマントを羽織っていた。

 

「うう、持ってかれた・・胸が・・・妾の、胸がぁ・・・」

「雫、雫。正気に戻って」

「胸・・・・ん?久路人?なんだその恰好は?よく似合っているが、コスプレか?」

「コスプレ・・・そういう雫だって、ぶっちゃけそう見えるよ?口調とかなんかのアニメキャラの真似みたいだし」

「何?妾がか?・・・む!!確かに一人称が・・・えっと、妾・・じゃなくてわた、わた・・・」

 

 何やら発声練習のようなことを始めた雫を何とはなしに見ていると、ピコピコと揺れる白い尻尾が目に入った。雫はさっき僕のことをコスプレと言ったが、やはり雫の方がそれっぽく見える。

 

「別にそんなに気にしなくてもいいよ。そういう喋り方の雫も新鮮・・・っていうか懐かしいし」

「む。そうか?ならば・・・」

「それより、雫はどうやって自然に尻尾動かしてるの?僕はその辺よくわかん・・・」

「フギャッ!?」

「えっ!?雫?」

 

 なんとなく気になったので、思わず僕が揺れる尻尾を掴むと、雫は猫のような奇声を上げた。

 それに驚いて、僕はついギュッと尻尾を握ってしまい・・・

 

「~~~///っ!!!!?」

「わっ!?ちょっと、大丈夫?」

 

 ビクンと大きく震えてから、その場に崩れるように座り込んで、なおも小刻みに痙攣している雫に声をかけ・・・

 

「・・・ふんっ!!」

「うぉおわぁっ!?」

 

 突然雫が槍のような勢いで手を伸ばし、僕の尻尾を掴もうとしてきた。

 なんだか嫌な予感がしたので咄嗟に避ける。

 

「ちょっ!!いきなりなにすんのさ!!」

「フフ・・フフフっ!!!妾だけというのは不公平であろう?さあ!!尻尾を妾の前に出せ!!お前にもメスの快楽を教え込んでやる・・・!!!」

「わわっ!?ゴメンゴメン!!ゴメンってば!!!」

 

 鬼気迫る表情で僕の尻尾を狙う雫と、そんな雫から逃げ回る僕。

 ここは敵地で、本来ならばこんなことをしている暇はないのに、僕の顔には笑みが浮かんでいた。

 こんな風に何の気兼ねもなく雫とふざけ合えるなんて、一体いつぶりの事だろう。

 よく見れば、雫の眼もどこか笑っているようで・・・・

 

「うう、何なのですかこのおぞましい臭いは・・・あっ!!いました!!まさかこんなところにいるなんて・・・・!!!そこの蛇!!止まりなさい!!!さっきはよくわからないうちに負けてしまいましたが、今度はそうはいきません!!!」

「・・・あ゛?」

「あなたは・・・八雲さん?」

 

 唐突に、聞いたことのある声が響いた。

 そして、聞いたことないくらいドスの効いた雫の声も。

 チラっと横目で雫を見てみると、雫の額に青筋が浮かんでいた。

 

「・・・そうだったな。そういえば貴様もいたな。霧間八雲。ちょうどいい。あのジジイの前に貴様も・・・」

 

 何やら、雫と八雲さんには因縁でもあるのだろうか?

 お見合いの話が来た時には大分キレていたが、今の雫の怒りようはあの時の比でない。

 そして、雫が低い声で八雲さんに何かを言い切ろうとした、その時であった。

 

「・・?なんだか急に臭いが強くなったような?・・・あっ!!久路人さん!!そちらにいたんですか!!心配してたんですよ!?まったく、あなたは将来私の夫として霧間を支えていく一人なんですよ?そんなコスプレなんかして、あまり危ないことはしないでください」

 

 空気が凍った。

 

「・・・・え?」

「・・・・は?」

 

 呆けたような返事をする僕と雫。しかし、呆けたままの僕に対して、雫は無意識なのだろうが、行動を開始していた。

 瞬きの間に雫を中心として猛吹雪が巻き起こり、屋敷を丸ごと氷が包んでいく。

 そして・・・

 

 

--ガッ!!!

 

 

「久路人」

 

 八雲さんから飛び出した「夫」という言葉に、つい足を止めてしまった瞬間、僕の腕を絶対零度の冷たさが包んでいた。きっとただの人間のままだったら腕が取れていたんじゃないかと思う。

 

「説明」

 

 しかし、そんな腕のことよりも、顔を俯かせたまま僕の名前を呼ぶ雫から目を離すなと、僕の本能が告げていた。

 

「あの雌は何を言っている?日本語を喋っているのか?あれと一体どんな話をした?そもそも、久路人は何故妾を放ってこの屋敷に来ていた?」

「え、えっと・・・それは」

 

 

--考えろ!!月宮久路人!!返答を間違えたら、想像もできないほど恐ろしいことが起きるぞ!!

 

 

 僕の中で、そんな声が聞こえてきたような気がした。

 

「えっとね、落ち着いて聞いてほしいんだけど・・・」

「久路人さんは、お前から逃げるためにここに来たのです!!」

 

 寒気に耐えつつも、僕は弁明をしようとした。

 しかし、それは鼻をつまんだままの八雲さんによって遮られ、空気がさらに冷え込んでいく。

 

「ちょっ!?八雲さ・・・」

「・・・ほう?」

 

 

--メキリ

 

 

 僕の腕から、そんな感じの音がした。

 

「久路人さんは、月宮京やお前の日々の虐待から逃れるために、虎視眈々と機会を伺っていたのです!!」

「はっ!?何言って・・・」

「久路人、少し黙っておれ」

「オグゥっ!?」

 

 

--ミシリ

 

 

 そんな音を立てながら、僕の足の上に雫の草履が乗っかった。

 そのまま、雫の足が地面に着くまで僕の足をめり込ませる。

 

 

「久路人さんは、我々が出した見合い話を利用して、霧間の庇護を受けることに決めたのです!!そして、その目論見は叶い、私とお見合いをしました!!!」

 

 

--ピシッ!!!

 

 

「い゛っ!?雫!!今僕の腕から鳴っちゃいけない音・・・がぁっ!?」

「・・・・・・」

 

 僕は雫に哀願するが、それが聞き遂げられる様子はない。

 逆にグリグリと足の踏み付けが強まり、痛みの余り僕は悶絶した。

 雫は、顔を俯かせたままだ。

 

「久路人さんは、打算ありきでそのような申し出をしたのでしょう!!いわば、これは政略結婚です!!ですが、私は誓いました!!お前のような下劣な強姦魔に穢され、傷ついた久路人さんを癒すと!!久路人さんの内に眠る、妖怪を滅しようとする正義の意思を支えると!!そのために、私は一生を妻として久路人さんに捧げるのです!!」

「八雲さんっ!?さっきから何を言って・・・ヒッ!?」

 

 先ほどからまるで意味の分からないことを言う八雲さんだが、僕としては気が気ではない。

 「結婚」だとか「妻」だとかいう単語が飛び出すたびに、寒さと腕を掴む力が強くなるのだ。

 間違いなく、人間だったら死んでいた。まさかこんなに早く人外になってよかったと思う時が来るとは思わなかったが、僕は恐る恐る隣の雫を見て、短く悲鳴を漏らした。

 

「久路人」

 

 雫が笑っていた。

 ニッコリというオノマトペが似合うような、可憐な笑み。

 しかし、その瞳には一切の光がなかった。

 

「し、雫・・・違うんだ!!八雲さんの言うことは全然違う!!確かに僕はお見合いの話を利用して雫から離れようとしたけど、それは雫が僕の血のせいでおかしくならないように・・・」

 

 死を幻視したからだろうか。

 かつてないほどに、僕の口が滑るように動いていた。

 そう、僕は今、死の近くにいる!!

 全身全霊で雫に事情を分かってもらえなければ、僕は・・・

 

「はぁ・・・そんなに怯えなくてもいい」

「・・・するためで・・・え?」

 

 その瞬間、不意に寒さがやわらいだ。

 腕の拘束と、足への踏み付けも弱くなる・・・腕は未だに掴まれたままだったが。

 雫は威嚇のような笑みを消して、どこか呆れたような顔で続けた。

 

「詳しい理由までは分からんが、久路人は妾を想ってここに来たのは間違いないのだろう?ならばいい。久路人が妾のために動いて、突拍子もないことをするというのは、ここ最近のことで身につまされている・・・妾は久路人のことを完璧に理解している、とまでは言えんが、人間をやめてくれた久路人が、早々妾を見捨てるようなことも、他の女に乗り換えるようなこともせん。今の妾ならば、それくらいは分かる・・・だから、お前ももう少し妾を信じてくれると嬉しい」

「雫・・・そうだね、ごめん。雫なら、ちゃんと分かってくれるって、僕も・・・」

「ただし!!」

「い゛っ!?」

 

 そこで、雫は再び表情を険しくして、僕を睨みつけた。

 同時に、さっき変な音がした腕をもう一度万力の如く強く握りしめる。

 

「いかなる理由があろうと、あの妄想癖に脳を犯された女と見合いをしたのは許せん!!ちゃ~んと、埋め合わせはしてもらうからな!!いいなっ!?」

「は、はいぃ!!」

「ふんっ!!・・・おいっ!!そこの精神異常者!!」

「・・・まさかと思いますが、それは私のことですか?」

 

 少し拗ねたように僕から視線を外した雫は、僕の腕を掴んだまま、八雲さんに声をかけた。

 精神異常者・・・僕としても、あのお見合いだけであんな架空の設定を考え付いた八雲さんは少しおかしいと思う。

 

「お前以外に誰がいる?・・・ああ、すまん。精神だけでなく脳の方も虫に食われていたか?これは妾の配慮が足らんかったな。許せ」

「なっ!?お前のような下賤な妖怪が何を・・・いえっ!!それよりいい加減久路人さんを離しなさい!!痛がっているでしょう!!!」

「・・・久路人を離せ、か。お前は、一体久路人の何だ?どういう立場でこの妾に久路人のことで指図をしている?」

「決まっているでしょう!!!将来の妻として・・・」

「残念だが、そんな将来などないっ!!!なぜならっ!!」

「え?雫?」

 

 雫は、軽やかに僕の前に立った。

 僕の腕を掴んだまま。

 そして、少し背の低い雫は、そのまま伸びあがって・・・

 

「久路人、あのときの答え。今ここで返す!!」

「え?・・・んっ!?」

「~~!!!」

 

 

--雫の唇が、僕の唇に重なった。

 

 

 柔らかい感触が、僕の唇全体を覆う。

 いつまでも嗅いでいたいと思うような優しい香りが鼻孔をくすぐった。

 それは、時間で言えばほんの数秒にも満たなかっただろう。

 だが、僕には永遠のようにも感じられ・・・やがて、少しの温もりを残したまま、暖かなモノが僕から離れていった。

 

「ぷはっ・・・・妾は!!久路人を愛している!!この先、一生!!永遠の未来の先まで、傍にあり続け、共にいる番だ!!久路人は妾だけのモノで!!妾は久路人だけのモノだっ!!将来の妻など、この妾以外に永劫現れることなどない!!」

 

 雫は、僕の目を見ながら、顔を真っ赤に染めながらも、確かにそう言った。

 

「雫・・・」

 

 そして、茫然としたような僕に満足げ笑みを浮かべながらも、同じくあっけにとられたような八雲さんの方を向いた。

 

「・・・・だからっ!!お前のようなどこの馬の骨とも知れん奴が挟まる隙間などないっ!!お前の気持ちなど単なる横恋慕だ!!すぐに妾が死を以て幕を引いてやる!!」

「あ、あ、あり・・・~~~~~っ!!!!!」

 

 そんな雫の死刑宣告に、八雲さんは顔を真っ赤にしていた。

 

「あ、ありえませんっ!!な、なんて破廉恥な!!下劣な!!妖怪が、人間と番になるなど、あり得るわけがないでしょう!!ましてやお前のような穢れた悪臭を放つ蛇など!!兄さんの時と同じだ!!久路人さんの意思を無視して・・・」

「そうですね。人間と妖怪で番になるのは、難しいかもしれません」

「・・・久路人?」

 

 その瞳に憎悪さえ込めて持っていた刀を抜き放った八雲さんだったが、その言葉は僕には聞き逃せなかった。

 いきなり割り込んできた僕に、雫は不思議そうな、そして少し不安そうな顔で僕を見る。

 僕は、そんな雫と目を合わせ・・・・

 

「んっ!?」

「・・・・」

 

 今度は、僕の方からキスをした。

 

「ぷはっ・・・え?え?・・・久路人?」

「・・・・・っ!!?」

 

 そんな僕を、八雲さんは目を見開いて、信じられないモノを見るかのような眼差しで見つめる。

 

「ふぅ・・・確かに、人間と妖怪の番は色々と障害があると思います。価値観とか、強さとか、寿命とか。でもそれなら、同じになればいい。同じ存在になれば、同じ目線で見ることができる。同じ道を歩いていける・・・だから」

 

 そこで、僕はマントを翻し、漆黒の尾をくねらせ、角に紫電を纏わせた。

 

「僕は、人間をやめました。他ならぬ、僕の意思で、喜んで」

「・・・・・・」

 

 八雲さんは、未だに絶句したままだ。

 

「・・・久路人っ!!」

 

 雫が、僕の腕に飛びついて来る。

 僕は、そんな雫をマントで包んだ。

 雫は、くすぐったそうに、でも幸せそうに目を細める。

 

「僕も、雫を愛している!!これから永遠に一緒に生きていくって決めてるんです!!」

 

 僕は、自分の心の底からの想いを告げた。

 そして、八雲さんに向かって頭を下げる。

 

「・・・・ですから、申し訳ありません。お見合いのお話はなかったことにしてください。こちらから押しかけて図々しいことこの上ないですが、何卒。お詫びになるかわかりませんが、僕の血なら死なない程度に・・・」

「汚らわしいっ!!!」

 

 しかし、僕の言葉を遮って、八雲さんは金切り声を上げた。

 

「汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしいありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないっ!!!」

「・・・八雲さん?」

「・・・久路人、あの女」

 

 八雲さんの様子がおかしかった。

 気が狂ったかのように刀を振り回し、聞き取れないほどの速さで何事かを叫ぶ。

 だが、不意にピタリとその動きを止めた。

 

「フゥ~、フゥ~・・・・ハァ・・・よし。ふふふ、安心してください、久路人さん!!」

「っ!?」

 

 こちらを見るその瞳は、狂気に満ち溢れていた。

 実力で言えば遥かに格下であろうに、その異様な雰囲気に僕は一歩後ずさる。

 

「その蛇に、操られてるんですよね?兄さんもそうだったんです!!久路人さんもそうなんですよね?大丈夫です!!すぐに元に戻してあげます!!その蛇を殺して!!あの吸血鬼も殺して!!全部!!全部元に戻してやるんだよぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 どう見ても、正気ではなかった。

 今の八雲さんに、初めて会ったときの大和撫子のような気品も清楚さもまるで感じられない。

 

「・・・久路人、あの女、妾が殺すぞ」

「えっ?」

 

 雫が僕に体重を預けたまま、耳元でポツリと呟いた。

 

「久路人は、あの女が正気に戻ると思うか?妾たちが普通に話していただけであれだぞ?まともな会話が通じるとは思えん」

「・・・・・それは、いや、わかった」

 

 雫の言葉に、僕は少し間を空けてから頷いた。

 状況的に、今の八雲さんは完全な敵だ。僕はともかく、雫に殺意を向けている。それだけで、僕が味方になることはあり得ない。

 手加減すればいいかもしれないが、生かしておいたところであの狂いようでは同じことの繰り返しにしかならないような気がしてならない。雫が少しでも傷つく可能性があるのなら・・・僕はためらわない。

 

「でも、雫一人でやらなくてもいい。元は僕がまいた種だから、僕が片付ける」

 

 今の僕に、雫よりも優先すべきものなど存在しないのだから。

 

「そうか・・・ならば同時だ。一緒にやろう。二人でやれば、すぐに片付く」

「・・・うん」

「何をゴチャゴチャとっ!!その首!!さっさと叩き落して・・・・!!!」

 

 そうして、僕らが身構えようとした時だった。

 

「今日は、よく気狂いと出会うのぅ!!」

「ガハッ!!?」

 

 八雲さんが、白い閃光に吹き飛ばされてどこかに消えていった。

 

「お前は・・・」

「・・・・・・」

 

 僕と、雫の視線が変わった。

 目の前に現れた老人に、全力の殺意と敵意を向ける。

 そんな僕たちを見て、老人は、月宮久雷も憎々し気に睨み返してくる。

 

「貴様らのせいで、儂の200年に渡る野望が滅茶苦茶だ。どう落とし前を付けてくれるのじゃ?」

「知るか」

「そっちの都合を押し付けないでくれますか?」

 

 久雷はよくわからないことを言ってくるが、こちとらそのせいで死にかけた身だ。

 僕も雫も、その言葉に特大の棘を込めて突き刺してやる。

 

「・・・ふん。だが、小僧からは大量の神の力は奪えた。そして、どうやら貴様は人外に堕ちたようだが、その霊力は何かに使えるかもしれん。転写転生には使えんかもしれんが、あの気狂いが狙っていたところを見るに、有用である可能性がある。大人しく身柄を引き渡せ。そうすれば命は見逃してやる」

「それを信じろとでも?」

「そもそも、今の妾たちとお前で、勝負になると思っているのか?あの結界はもうないし、妾達が忘却界の影響を受けてないことくらい分かるだろう?」

「そうか、聞く気はないか・・・・クックック!!!」

 

 雫の言う通り、今の僕たちは全快の状態だ。

 傷はなく、霊力も完全に戻っており、何の制約も受けていない。

 しかし、久雷は笑っていた。

 

「よかったぞ、貴様らが断ってくれて。さすがの儂も我慢の限界じゃ・・・・貴様ら二人っ!!生まれたことを後悔させてくれるっ!!!他ならぬ、貴様の力でなぁっ!!!」

 

 久雷がそう言った瞬間、地面が揺れた。

 地下から、凄まじい力を感じられ・・・

 

「っ!?」

「これはっ!?久路人のっ!?」

 

 その力の正体に、僕らが気付いたのと同時に、老人のしゃがれた叫び声が響き渡る。

 

「さあ開けっ!!神の御座に繋がる門よ!!この地を聖地とし、世界の敵を屠る力を我にぃっ!!!」

 

 そして、僕らの視界が白い光に包まれた。

 

 

--ピシリ

 

 

 どこかで、何かがひび割れるような音が聞こえたような気がした。

 

 

 

--------

 

 

--不正なアクセスを確認。

 

 

--要因は、元特異点と認識・・・媒体不足により干渉困難。

 

 

--付近に、特異点ならびにその近似値を確認・・・干渉を開始。

 

 

--・・・失敗。ノイズ特大。特異点の体内に異物が混入したことによる、媒体の変質を確認。干渉困難。

 

 

--近域に干渉可能媒体が不在。代替措置を実行。

 

 

--神兵による、要因の排除を開始する。

 




前の話と、今回の話は、かなり前から書きたかったお話です。
そこで、作者より心からのお願いです。

ここまで読んでいただけた皆様の感想を、ぜひとも聞かせていただきたく存じます!!
(ついでに評価も!!!)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪あがき2

長くなったので分割。
残りは今日中に投稿します。

本当はGW中に3話くらい書きたかったんだけど、できなかったよ・・・


 月宮家の初代。

 名を、月宮久瑯(つきみやくろう)。彼が残した逸話は数知れない。

 まだ世界に忘却界が貼られるより前の時代、彼はある時を境に不意に現れ、国中に溢れる人にあだなす妖怪を次から次へと斬り伏せていったという。

 現代にいたるまで、世界中を見渡しても彼に匹敵する霊能者は学会の七賢第一位である「魔人」しかいないとされ、ある時は街どころか国を覆いつくすほどの雷雲を駆って山の如き大きさの巨人を一瞬で焼き付く尽くしたという話があり、またある時は黒い砂嵐とともに天空を駆けながら白龍と死合ったという記録もある。

 もっとも有名な伝説は、突如として現れた『天喰らい』との戦いだろう。天喰らいは、いかなる力をも喰らってしまう巨躯の銀狼であり、大層な戦狂いで、霊能者も妖怪も、時には神格を持つ者や神の遣いすら屠り、貪ってきた化物だ。

 久瑯は供に連れていた僧侶とこれに立ち向かい、天喰らいが喰いきれないほどの力で押し切った。

 これにより、久瑯は神格持ちを喰らう化物を討伐した英雄となったのだ。

 だが、久瑯は英雄でもあったが、同時にひどく恐れられた。生き残っていた霊能者たちの中には、彼に媚を売りつつも、毒や奸計を以て彼を暗殺しようと画策した者たちもいた。

 それらは失敗に終わったが、無用な争いを厭った彼は、僧侶とともにいつの間にか聖地と呼ばれる山奥に消えていたという。

 聖地は強固な結界に閉ざされ、しばらくの間誰も入ることはできなかった。

 そして、ほとぼりが冷めたころを見計らったかのように、ある時結界が弱り、そこには久瑯の息子が住む屋敷があったという。

 これが、月宮一族の起こりである。

 

 しかし、そんな彼がいかようにして現人神とも呼ばれるほどの存在へなり果てたか?という謎は、未だにすべてが解き明かされたわけではない。

 久瑯本人が生まれつきそのような力を持っていたとも、大いなる存在に力を与えられたとも言われているが、真相を知る者はいない。だが、一族の歴史をくまなく調べ上げた月宮久雷は、全てでなくとも知っていたことがある。

 

  現人神が造られた工程。その『一端』が、現代の現世に蘇ろうとしていた。

 

 

 

 

-------

 

「これは・・・神の力っ!?」

「久路人から奪った力かっ!!」

 

 大地が揺れる。

 荒れ果てた屋敷の床をさらに痛めつけようかと言うように、揺れが強まり、辺りに地割れが起きていく。

 そうして生まれた裂け目から、僕にとってなじみ深い力が火山の噴火のように溢れていた。

 あふれ出た力は、瞬く間に周囲に広がっていき、僕らを丸ごと包み込むドームが出来上がる。

 

 

「クカカッ!!クカカカカカカカカカカッ!!!」

 

 

 僕と雫の目の前で、枯れ木のような老人がどこから出しているのか分からないほどの大声で高笑いを上げていた。

 

「そうだっ!!聖地だっ!!月宮一族が月宮と呼ばれるようになった所以!!それこそが、神の恩寵を賜った月宮の地に他ならぬ!!」

「このっ!!鉄砲水!!」

「紫電!!」

 

 敵の前でむざむざと種明かしをするのが許されるのは、フィクションの中の話だ。

 

 僕も雫も、あふれ出る力のままに久雷に攻撃を加える。

 

「ハハハハッ!!!無駄じゃあっ!!」

 

 しかし、僕らの放った術は、突然空中でかき消えた。

 

「なっ!?」

「消えた・・?」

 

 唖然とする僕たちを見て、久雷は嗤う。

 

「ここは儂が神の力をもって築いた、月宮の地に変わる新たな聖地!!いわば、儂の『陣』のようなもの!!すべての霊力は、我が支配下にある!!」

「陣だと!?」

「陣の中は、術者にとって有利な空間になる・・・でも、それだけじゃない。固有の能力があるはず・・・雫、気を付けて!!」

 

 陣とは、神格を持つ者の証である強力な空間系の術だ。

 霊力の扱いにおける、特定の分野において神に近い領域に至った者が使える術。

 神に近いということは、世界の管理者に近いと言うこと。霊力を魂を以て術へと変えるのと同様に、術者の魂に秘められた本質を以て、世界の一部を書き換えたことで生まれた空間だ。術の使用において、術者に極めて有利になるほか、術者の芯に応じた特有の効果を持つ。

 以前、あの九尾と戦った時も、陣の中に取り込まれたことで僕たちはひどく不利な戦いに臨まなければならなかった。幸い、あの時の「天花乱墜」は幻術を超強化する効果であったため、幻術に耐性のある僕らにほとんど意味のないものだった。果たして、この陣は一体どんな効果を持っているのか・・・

 

「クククっ!!案ずるな。この結界に、直接貴様らを害するようなものは仕込んでおらん。儂が神格に至っていない以上、厳密には、ここは陣ではない。聖地の再現をしたに過ぎん。そして、それすら完璧ではない」

「聖地?」

「・・・何なのだ、さっきから貴様の言う聖地とやらは」

「フンっ!!月宮の血が流れていながら聖地も知らぬか。嘆かわしい。よかろう、冥途の土産だ、教えてやる・・・聖地とは、月宮の初代を生み出した地のことだ」

 

 出来の悪い生徒に授業をするように、呆れた表情をしながらも、久雷は僕たちに話を始めた。

 

「月宮の初代、月宮久瑯は、元は単なる木こりだったという。それが何故、神の力を手に入れ、世界最強とも言える存在に至ったか?その答えこそが、神の力が降り注いだ聖地よっ!!」

「むっ!?」

「眩しっ!?」

 

 久雷の言葉と共に、結界が輝き始めた。

 ドームの頂点へと光が集まり、疑似的な太陽を形作る。

 

「本来ならば!!小僧の身体を乗っ取り、神の力をモノにした後に、さらなる力を得るためにやるはずだった!!だが、事ここに至っては、もはやなりふり構っていられん!!この地に溢れる神の力を集約し、神のおわす狭間の奥へとつながる門を開く!!そこから降り注ぐ力によって、この地は真なる聖地となり、儂は再び神の僕へと帰るのだ!!初代が、聖地の力を取り込んだようになぁっ!!」

「くぅっ!!術が消されるならばっ!!」

「接近戦だっ!!」

 

 久雷が手を掲げ、上を見た瞬間、僕たちは駆けだした。

 遠距離から霊力のコントロールを握られて術が消されたのならば、常時制御できる接近戦を挑む。

 久雷が何らかの術を使うと言うのなら、そこに必ず隙ができる。僕らはそれを待っていた。

 

「迅雷っ!!」

「早瀬っ!!」

 

 刀を握り、雷を纏って駆ける僕と、薙刀を構えて流水を渦巻かせながら並走する雫。

 人外となった僕らのスピードならば、久雷が何かをやりきる前に首を落とすこともできるはず。

 しかし、僕たちの刃が久雷に届く寸前に、頭上の光の塊がひときわ強く輝いた。

 

「わっ!?」

「チィッ!!」

 

 その余りの光量に、僕らはたまらず足を止めて、目元を手で覆い隠した。

 そして、それは久雷が術を発動させるのに、十分すぎる隙であった。

 

「さあ開けっ!!天の門よっ!!」

 

 

--ピシリっ!!

 

 

 何かがひび割れる音と共に、力の奔流が辺りを駆け抜けていった。

 

 

-------

 

「クククッ!!クハハハハハッ!!」

 

 笑い声がこだまする。

 しかし、その声はこれまでのしわがれたものではなく、若々しい活力に満ちていた。

 

「戻った!!戻ったぞ!!!」

「う・・・?」

 

 ぼやける視界を落ち着かせながら僕が目を開くと、そこには一人の若者が立っていた。

 

「この身体!!この漲る力!!間違いない!!儂の!!いや、俺の!!全盛期の力だっ!!クハハハハハハハッ!!!やっとだ!!やっと取り戻した!!」

 

 その男は、少し僕に似ていた。

 だが、一回りくらい年上だろうか。

 その男は・・・

 

「月宮、久雷・・・なのか?」

「若返っただと?」

「ククククっ!!ああそうだっ!!この俺こそが、神の忠実なる下僕にして世界の守護者!!月宮久雷だ!!」

「・・・雫」

「うむ。久路人も気付いたか」

 

 久雷は、そう言って堪えられないとばかりに笑う。

 僕は記憶を無理矢理植え付けられたから知っているが、長年の野望が叶ったからだろう。僕らのことなど忘れてしまったかのように笑い転げている。

 しかし、僕にはそれ以上に気になることがあった。

 

「さっきまであった陣みたいのが、なくなってるよね?」

「ああ。あの光ももうないしな」

「ククククっ!!それは当然だ。あの結界は、この土地を聖地とするためのもの。聖地は、この俺の力を取り戻すためのもの。役目を果たした以上、消えるのは道理だろう。そして・・・・」

 

 不意に冷静になったかのように僕らの会話に割り込んできた久雷は、そこで僕たちを見て嗜虐的に顔を歪めた。

 

「用済みなのは貴様らも同じだ。本来なら今よりも遥かに強大な力を手に入れる予定だったが、貴様らは顔を見ているだけでも腹立たしい。聖地を作るための神の力を用意するためにしか役立たなかった罰だ!!すぐにでも消して・・・」

「紫電改・5機縦列!!」

「瀑布!!」

「ぬぉおおっ!!?」

 

 得意げに何やら語っていた久雷だが、そんなものに付き合うつもりはない。

 特に示し合わせたわけでもなく、僕と雫は同時に術を繰り出していた。

 予想通り、術は打ち消されることなく久雷に迫り、久雷はそれを必死の形相で避ける。

 

「貴様らっ!!俺が話している途中で・・・」

「紫電改・5機散開!!」

「鉄砲水!!」

「ぐぅううう!!!貴様らぁ・・・!!!」

 

 僕が牽制するように矢を拡散させるように撃ち、雫が本体を直接狙う。

 これを避けるのは難しいだろう。

 

「調子に乗るな!!神威!!」

 

 久雷も回避より迎撃を選んだようだ。

 全身から日輪のように光を放ち、迫る術を打ち消そうとしたが・・・

 

「がぁあっ!?」

 

 雫の放った激流を止めることは叶わず、そのまま吹き飛ばされた。

 あっけなく、まるで紙切れのように。

 

「やはり、妾達の霊力が大幅に上がっているな。それだけでなく、妾の中に・・・」

「うん。さっきの術、神の力に似た力が混じってた。雫の中にも僕と同じ力が入ってるみたいだね」

「ふふふ、久路人と同じか・・・いいではないか」

 

 久雷の放った神威は、葛城山で僕が使った時とほぼ同じ威力。

 周囲一帯に神の力が混ざった雷をばら撒く術だが、その神威を雫の術は撃ち破った。

 それは、雫の中に神の力のようなものが混じっているからだ。いや、混じっているというよりも溶け込んでいるというべきだろう。今の僕と雫の霊力の質は属性を除けばほとんど同質だ。なんとなくだが、雫の霊力の量も僕と同じくらいになったような気がする。

 

「な、何故だ!!何故貴様のような下賤な蛇まで神の力を!?いや、これは神の力ではない・・?なんなのだその力は!!」

「さあ?さっき手に入れたばかりだから僕らも知らないよ」

「久路人の言う通りだ・・・・お前、丁度いいから実験台になれ。大蛇!」

「ぬぉおおっ!!?ふざけるなぁぁあああああああ!!!!」

 

 叫びながら、久雷はその手に砂鉄から刀を作り出し、水の大蛇と真っ向から打ち合った。

 しかし、神の力を纏っているはずの刀は、大蛇の突進と拮抗していた。

 

「何故だっ!?何故力を取り戻した俺がここまでっ・・・・!!!ぐがあぁっ!?」

「・・・何を考えていたのかは知らんが、あのまま陣を貼っていた方がまだマシだったろうに」

「あの陣の中にあった力を全部取り込んだ・・・いや、あそこにあった力を交換した分を吸収したって感じなんだろうけど、あの霊力の量って元々全部僕の中にあった分なんだよね・・・・・今の僕なら、全力で霊力を使っても身体が耐えられるからなぁ」

 

 再び吹き飛ばされた久雷を見ながら、僕らは呑気に彼我の戦力差を分析していた。

 己の記憶を振り返り、久雷の記憶を植え付けられた僕だから分かるが、全盛期の久雷と葛城山で全力の力を使った僕は大体同じくらいの強さだ。霊力の量も同じか少し上くらいに思える。さらに、僕の持っていた力を取り込んだのか、はたまたそれを利用して門とやらを開けたからか、今の久雷の力は僕の霊力に極めて近い性質を持っている。つまり、大半の霊力が僕に由来すると言っていい。

 しかし、久雷もあの時の僕も力こそ神に匹敵するが、その身体は人間のモノ。当然一度に出しきれる力には限界がある。例え霊力が同程度だったとしても、その時点で、今の人外となった僕の方が圧倒的に有利なのだ。

 それならば、雫の言うようにまだ戦い方を制限される陣を残しておいた方がマシだったろう。

 

「貴様っ!!貴様らぁ!!一体どうやってそれほどの力をっ!!?」

 

 そんな風に雫と話していると、ずぶ濡れになった久雷が怒鳴りつけてきた。

 さっきから結構な勢いで叩きつけられているが、ダメージは大したことなさそうだ。僕よりも力の扱いが上手いというのは確かなのだろう。

 しかし・・・

 

「どうやってって言われても・・・雫は分かる?」

「妾は久路人を眷属にしようとしただけだからな。特別に強くしようと思ったわけではない・・・そもそも、妾の方にまで変化が及んでいるのも意味の分からん話だからなぁ」

「うーん・・・雫が僕の血を取り込んでて、僕の変化にあてられたとか?」

「ふむ・・・リリス殿の話では肉体、魂、精神の繋がりが大事とのことだったが、久路人の持っていた力は特異な力だからな。つながりを介して妾の方にまで影響を及ぼしたというのはあるかもしれん。力の質も変わっているようだからな」

「ああ、そういえば今の方がなんか扱いやすいな。体が頑丈になっただけじゃなくて、霊力そのものが僕に合ったモノになったみたいな・・・」

「そのあたりはここで考えても分からんだろう。京かリリス殿に聞いてみるのがいい」

 

 そこで、僕はふと気づいた。

 

「・・・そういえば、雫。さっきからリリスさんのこと殿ってつけてるけど、なんかあったの?雫がそんな風に誰かを敬ってるのはすごく珍しい感じがする」

「ん?ああ、ここに来る前に少しな・・・さっき上で話した人外化の専門家がリリス殿なんだ。メアもそうだが、背中を押してもらったのだ」

「メアさん・・・はぁ、僕も謝らなきゃ。あの時はどうかしてたよ、本当・・・というか、おじさんにも謝らないといけないし・・・本当に何やってたんだか、僕は」

「まあいいではないか。結局お互いこうして無事で、これからもずっと一緒にいられるのだから。怒られるときは妾も一緒に土下座してやるから、そうしょげるでない」

「ええ?それはさすがに悪いというか、僕が情けないと言うか・・・謝るのは僕だけでいいよ」

「む!!久路人、また悪い癖が出ているぞ。そうやって一人で抱え込むな。それに、妾だって誰にも黙って久路人を人外にしようとしていたのだ。久路人が受け入れてくれたからよかったが、京やメアには謝らねばならん。その時に庇ってくれるのと交換条件というのはどうだ?」

「そういうことなら・・・・それにしても、一人で抱え込むなか。本当にそうだよな。もっと早くに健真さんの言うように話し合ってればこんなややこしい事態には・・・・って、健真さん!!健真さんは・・」

 

 雫と話すうちに、僕は大事なことを思い出していた。

 龍の姿の時にこの屋敷への攻撃を抑えめにしたのは健真さんへの被害を少なくするためだ。

 健真さんは僕と雫の恩人であり、雫がメアさんやリリスさんに背中を押されたと言うように、僕に発破をかけてくれた人だ。

 あの人は今どうなって・・・

 

「俺を無視するなぁぁぁぁあああああああああああっ!!鳴神ぃっ!!!!!」

 

 その時、今まで意識から外れていた久雷がこちらに手をかざし、ビルほどの太さの稲妻を撃ちだしてきた。

 チカッと光ったと思えば、凄まじい高熱が肌を焼く。

 そのままでは灰も残さずに消えてしまうだろうが・・・

 

「フンッ!!!」

「なぁっ!?」

 

 一瞬の後、白い稲妻は僕の手に吸い込まれるように消えていった。

 

「うーん・・・なんかあの人が撃った術って思うと複雑な気分だ。元は僕の力って言ってもいいくらいのものなんだけど」

「妾も迷うところだな。元が久路人のものとなれば・・・しかし・・・」

 

 鳴神は神の力が混ざった雷の術の中でも最高峰の威力を持つ。

 そんな必殺技を撃たれたにも関わらず平然としている僕に、久雷は唖然とした顔をしていた。ちょっとスカッとした気分になる。

 

「き、貴様、今何を・・・」

「雷とか火とか風とか、同系統の術で実体のない属性なら吸収できるのは知ってるよね?ましてや、それって元々僕の力みたいなものだし、吸えるのは当然だよ」

 

「だからと言って、あれほどの熱を受けて・・・」

「今の久路人は人間をやめている。貴様の物差しで測るな」

 

 すべての属性に共通するわけではないが、霊能者は自身と同じ属性を持つモノを吸収することができる。雫は水辺ならば水を吸って体力を回復できるし、僕ならばその辺のコンセントから電気を吸って霊力に変えられる。とはいえ、他の霊能者が使った術には、術者固有の霊力が紛れ込んでいるから完全には吸えないし、術に触れなければいけないので実用的かと言えばそうでもないのだが、この場合は別だ。

 

「それより!!聞きたいことがある!!健真さんはどうした?僕は、あの人にお礼を言わなきゃいけないんだ」

「・・・ふん。久路人以外の男に頭を下げるのは癪だが、妾もまあ、久路人のつがいとして礼の一つはしておきたいところだ。あの男はどこだ?」

「貴様ら、貴様らぁっ!!この俺をどこまでもコケにしおってぇぇぇぇえええええええええ!!!」

 

 久雷の周囲に、黒い砂が集まり始めた。

 そして、すぐさま赤く熱されていく。

 

「実体のある黒鉄ならば吸えまい!!紅げ・・・」

「それ、もらうよ」

「つ・・・ぐぉおおおおっ!?」

 

 刃の形を作りかけていた黒鉄が霧散し、空中でいくつもの杭を作った。そして、杭は猛スピードで久雷を穿ち、その体を地面に打ち付ける。雫に何本も杭を刺してきやがったお返しだ。

 

「な、なぜ・・・」

「さっきからそればっかだな・・・お前の黒鉄の制御を僕が奪ったんだよ」

 

 久雷の言う通り、実体のある黒鉄の攻撃は吸収できない。しかし、その対処は雷よりも簡単だ。

 黒鉄を操っているのは霊力と磁力。その二つの制御を乱してやればいい。

 恐らく霊力の扱いは久雷の方が上なのだろうが、量は圧倒的に僕が上。ごり押ししてかき乱した後に制御を取ってやったのだ。

 

「術は吸えるし、このあたりの黒鉄は全部僕がもらった。お前は磔になって動けない。もうお前には何もできない・・・さてと、それじゃあもう一回聞くよ。健真さんはどこだ?」

「ぬぐぅぅううう!!・・・くく、クハハハハハハハッ!!残念だったなぁっ!!」

 

 しかし、久雷はそこで狂ったかのように笑い出した。

 

「あの男は!!あの出来損ないはっ!!この俺が殺してやったよ!!愛の力がどうだか言っていたが、結局そんなものはあの男を守りやしなかった!!ハハハハッ!!!確かに貴様らは俺よりも強いんだろうさ!!だが、どんなに強かろうと、貴様らがあの男に会うのは・・・・」

「もういい」

「黙れ」

「ぐがっ!?」

 

 僕が浮かべた杭を腹に刺すのと同時に、雫もツララを四肢に打ち込んでいた。

 

「あの人はお前の一族だろう!!それを・・・お前は自分の一族を何だと思って・・・!!!」

「そんなものはどうでもいい!!!神の力だ!!それ以外に重要なモノなど存在しない!!!」

「はっ!!久路人から力を奪っておきながらそのザマでよく言う!!神の力とやらを手に入れてその程度か!!」

「この蛇がぁ・・・・っ!!!」

 

 術を撃てば僕が無効化し、この一帯の黒鉄は僕が奪った。体は杭で磔にされており、動けない。今の久雷には僕らを罵るくらいしかできない。

 そういうわけで、僕らは久雷の扱いについて話し合うことにする。

 

「それで?コレはどうする?手先から凍らせて砕くか?内臓に水を溜めて破裂させるか?すぐに殺してはつまらん。なるべく苦しめてから息の根を止めてやろう」

「それなんだけどさ、殺すのは今は待って欲しいんだ」

「・・・久路人。お前が優しいのは知っているが、こんなヤツに情けをかけるのは・・・」

 

 雫は、僕が久雷を憐れんで、情けをかけようとしていると思ったのだろう。

 険しい顔で僕を咎めてきた。

 しかし、違う。僕は久雷を憐れんでなどいない。むしろその逆だ。

 

「雫。僕はコイツの記憶を植え付けられたから分かるんだ。コイツ、とんでもない数の犯罪をやらかしてる。僕としてはすぐ殺すより、やってきたことをはっきりさせてから生き地獄に突き落としてやった方がいいと思う」

 

 コイツの記憶を見せられた僕にとって、月宮久雷は軽蔑する以外に感情を向けることすらしたくない男だ。僕の身体を乗っ取りかけ、雫を傷つけ、健真さんを殺した。それだけでも同情する価値などないが、それ以前に過去に犯した罪が多すぎる。殺人、強盗、恐喝、誘拐、強姦・・・上げればキリがない。中には異能を使った犯罪もあり、普通の法では裁けなさそうなものまで。

 確かに、過去の久雷は人々を救うことに、世界を守ることに誇りを持っていた。しかし、それは強大な力を振るう快感のオマケでしかなく、実際に力を失った後には妖怪に襲われる人間を助けようともしなかった。そこで他人を助けて感謝されることにやりがいでも感じていればまだ違っていただろうに。徹頭徹尾、月宮久雷は自分の欲望を満たすことしか考えていなかったのだ。

 

「久雷を学会に突き出そうと思う。あそこは異能を使った犯罪も取り締まってるらしいから。噂だと、凶悪犯は死んだ後も魂を拘束して拷問するらしいよ。コイツにはピッタリだと思うね」

 

 雫を傷つけた上に、法を犯しに犯した月宮久雷に、憐れみなど抱くはずもない。

 感情に任せて私刑で殺すのは少しどうかという思いもあるが、それ以上にすぐに殺すことなどコイツには贅沢すぎる。十分に生き地獄を味わわせてから、死んだ後も罰を受けるくらいで丁度いい。

 

「久路人がそこまで言うか・・・そういうことならばいい。ここで殺すのはなしだ。言われてみれば、殺してしまえばそこで終わりだからな」

 

 どうやら、雫も納得してくれたようである。

 

「だが、久路人よ」

「・・・何?」

 

 しかし、雫は笑みを浮かべながら久雷に向かって一歩進み、僕の名を呼んだ。

 僕も聞き返しながら、同じように一歩前に出る。

 

「月宮久雷は、神の力を手に入れた強力な霊能者だ。学会に引き渡すのはいいが、それまでに暴れられたら困るよなぁ?」

「・・・そうだね」

 

 ザッザと、二人で歩く。

 

「き、貴様ら・・・」

 

 久雷は、どこか怯えた表情で僕らを見上げていた。

 チラリと横目で雫を見てみれば、僕に向けていた笑みは消え、氷を削って作り出した彫刻のような無表情になっていた。しかし、紅い瞳にだけはギラギラと鋭い光が宿っている。

 きっと、僕も同じような顔をしているに違いない。

 

「雫が最初に斬られたのは足だったよね。なら、足は僕がやるよ」

「そうか?なら妾は腕だな」

「貴様ら、何を・・・・」

 

 久雷のかすかに震える声に答えず、僕らは霊力を解放する。

 宙に浮かぶのは黒い刃が二つと、血を凍らせたような紅い刃が二つ。

 そこまで来れば、久雷も何をされるのか察しがついたのだろう。顔からサッと血の気が引いた。

 

「ま、待て・・・」

「「これは・・・」」

 

 久雷が制止の声をかけるも、そんなもので止まれるはずもない。

 

「雫を・・・」

「久路人を・・・」

 

 僕と雫は、同時に手を振り上げ・・・

 

「「傷つけた罰だっ!!!」」

「ぐがぁぁぁぁあああああああああっ!?」

 

 手を降ろした瞬間、4本の手足が宙を舞った。

 刃が落ちた衝撃が強すぎたのか、久雷は身体に突き刺さった杭ごと浮かび上がり、ゴロゴロと地面を転がっていく。

 

「ふん。久路人を血まみれにしたのにはまるで釣り合わんが、今はこのくらいで勘弁しておいてやる」

「僕もこれくらいじゃ足りないけど・・・これ以上は殺しかねないからね」

 

 雫を痛めつけた罰としてはまだまだやり足りないが、本当に殺してしまってもそれはそれで後悔するだろう。

 

「しかし、少々強くしすぎたな。吹き飛んでしまった」

「うん。拾いに行かないと・・・・」

 

 そうして、僕らがダルマとなった久雷を回収しようとした時だ。

 

「・・・・ククク」

 

 久雷が吹き飛んだ先から、しわがれた笑い声が聞こえてきた。

 僕と雫は怪訝な表情を作る。

 

「なんだ?手足を落とされて気でも狂ったか?」

「ん?待って。久雷の髪、抜け落ちてない?」

「そういえば・・・体も縮んでいる?」

 

 見れば、久雷の外見が変化していた。

 若々しかった肌は元の老人のように萎び、髪は抜け落ちて、声もしわがれている。

 しかし、その声は笑っていた。

 

「クククッ!!クハハハハハハハッ!!やはりガキだな貴様ら!!詰めが甘い!!」

 

 その身体から、霊力があふれ出ていた。

 いや・・・

 

「僕から奪った霊力を、解放している?」

「何をしようとしているか知らんが・・・久路人、殺すぞ」

 

 その怪しげな様子から、何か良からぬことを仕出かそうとしているのだろう。

 雫はためらいなくツララを投げ放ち・・・

 

「遅いわ!!・・・再び開け!!神の門よ!!!」

 

 しわがれた声とともに、凄まじい光が再びあふれ出た。

 

「この身体に残ったすべてを!!儂自身に残っていたすべてをつぎ込み!!再び門を開く!!もっと奥へ!!神の御許に届くまで!!」

 

 久雷の声が、突如噴出した暴風に乗って響く。

 その台詞から、久雷のやろうとしていることが分かった。

 

「あいつ、またさっきの聖地とかいうのを作る気か?」

「さっきよりも強い力を感じる・・・これで、もっと大きな力を取り込もうってこと?」

 

 どうやら久雷は僕たちに敵わないと悟り、もっと強い力を得ようとしているようであった。

 門とやらの様子も、さっきよりも眩しい光を放っている。

 

「さあ!!神よ!!この忠実なる下僕に、神の力を穢した愚か者どもを罰する力を!!!」

 

 

--バキンっ!!

 

 

 光が強くなる。

 そして、何かに砕け散る音が聞こえ・・・

 

 

--不正なアクセスを確認。発生源の排除を開始します。

 

 

「今こそ!!今こそ儂に再び、あのちか・・がっ!?」

 

 感情の籠っていない声のすぐ後に、老人のくぐもった悲鳴が耳に飛び込んできた。

 

 

-------

 

 

「がぁっ!?」

 

 老人のうめき声とも悲鳴ともつかぬ声が響く。

 

「う・・・」

「何が、起きた・・・?」

 

 久路人と雫は、目を潰しかねないほどの光が過ぎ去ったのを感じ取って、目を開けた。

 ややぼやける視界が、段々とクリアになっていき・・・・

 

「ぐぅ・・・あ、貴方様は・・・御使い・・・なぜ、儂は・・・」

『・・・排除対象の生存を確認。攻撃を続行』

「ぐはぁっ!?」

 

 二人の視界に、十字槍で胸を貫かれた老人と、その槍を持ったナニカが飛び込んできた。

 

「え?」

「・・・どういうことだ」

 

 突然の事態の変化に、二人はしばらく茫然と、そのナニカを見ていることしかできなかった。

 先ほどまで自分たちに追い詰められていた久雷が、もう一度聖地とやらを作ろうとして術を使ったのだろうということまでは分かるが、それと今の光景が繋がらない。

 

『・・・・・』

 

 ナニカはそんな二人の様子など気にした様子もなく、洗濯物が引っかかった竿を持ち上げるように、老人を貫いたままの槍を天に掲げる。そして、槍が眩い輝きを放ち始め・・・

 

「お、お待ちを・・・儂は、これまで、貴方様方に、神に、忠誠を誓ってまいりました・・・」

『・・・・』

 

 久雷の口から出た、『神』という言葉に、ナニカは反応した。

 機械のように正確な動きで槍を掲げていたが、不意に動きを止めて、槍に刺さる老人を見つめる。

 そんな反応をするナニカに希望を見出したのか、久雷は死に瀕しているにもかかわらず饒舌に語り始めた。

 

「儂は!!儂は戦って参りました!!尊き神より力を賜り、その力を以てこの世の平穏を保つべく尽力してきました!!ある日を境に力は失われてしまいましたが、この世界にはまだまだ歪みを招く不届きものがはびこっております!!儂は、そんな連中を滅するために再び・・・」

『無価値。否、有害』

「力、を・・・?」

 

 しかし、そんな久雷の懸命な説得を遮るように、ナニカは無機質な声を出した。

 

『我が主が貴方に媒体を提供した理由は、現世の均衡を整える以外に存在しません。媒体を没収した理由は、その役目が果たされたため。その裁量を超えた行動は、有害ですらある。私がこの場に派遣された理由は、狭間への過干渉を侵した貴方を排除するためです』

「な・・・!?そんな、儂が!!儂がこの世の害だと!?ふざけるなっ!!儂が今までどれだけ神のために・・・・っ!!」

『我が主は、貴方にそれ以上の行動を一切求められていない』

「な、そんな、そんな馬鹿なことが・・・・」

 

 なおも何かを言いつのろうとした久雷であったが、今度はナニカも動きを止めることはなかった。

 槍を握る力を強め、そこに流れ込む力を増していく。

 

「や、やめ・・・」

『主の命により、ここに罰を下す・・・磔十字架(クラスフィキション)

「がぁあっ!?あ・・・あ・・・」

 

 込められた力が限界になったかのように、槍が白く輝いた。

 それとともに、地上から天空に向かって光の奔流が昇っていった。

 

『・・・・排除完了』

 

 光が収まった時、ナニカが握る槍には、先ほどまで刺さっていた老人は影も形も残っていなかった。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 久雷が消えたことに、久路人と雫は少しの間理解が追い付かなかった。

 いや、理解が追い付いていないのは、今の状況すべてである。

 目の前にいるナニカが敵なのか味方なのか、それさえも分からず・・・

 

『・・・・現世の霊力に、大きな乱れを確認』

 

 ポツリと、ナニカが呟いた。

 言葉と共に、ナニカはゆっくりと振り向き・・・

 

『特異点ならびにその近似値を確認』

「「・・・っ!!?」」

『特異点の排除は、命じられていない。判断を保留』

 

 茫然としていた二人は次の瞬間、臨戦態勢をとった。

 ナニカの意識は自分たちに向いたとわかるや否や、本能が警告を上げたのだ。

 

 

--強い!!

 

 

 全身が訴えかけていた。

 あのナニカは強いと。

 戦えば、さらなる進化を遂げた今の自分たちでも危ういと。

 二人は、ナニカを観察する。

 

「久路人・・・」

「うん。あれは・・・」

『・・・・・・』

 

 ナニカは、感情の籠っていない蒼い瞳で、久路人と雫を見つめていた。しかし、その眼はどこか虚ろだ。

 その顔は男性とも女性とも断定できない中性的なつくりをしており、その短髪は眩い金色。肌は病的なまでに白い。

 顔を除く全身を銀色に輝く鎧に包まれていて、なにより特徴的なのは・・・

 

「・・・天使?」

『・・・・・』

 

 その白く大きな二枚の翼をはためかせながら、ナニカは久路人と目を合わせた。

 そして、一瞬目を瞑る。

 

『データベース検索・・・該当あり。特異点、月宮久瑯の近似値。個体名、月宮久路人・・・エラー発生。既知データとの乖離を多数確認。修正の必要ありと判断』

「僕を知っているのかっ!?」

 

 不意に自分の名前を当てられたことで、久路人は警戒を強めた。

 雫もまた、久路人を守るように薙刀を構える。

 しかし、ナニカは久路人の言葉には応えず、その隣にいる蛇の少女に目を向けた。

 

『再度データベース検索・・・媒体の正規取得者に該当なし。月宮久路人との強力なパスを確認。月宮久路人の近似値と判断。月宮久路人に生じた変異も含め、データベース更新・・・・個体名、水無月雫。データベース上の近似値は、月宮久路人および月宮白琉(つきみやはくる)

「・・・妾のことまで知っておるか。何者だ貴様」

 

 雫のことまで知っている様子に、二人の警戒はさらに強まった。

 武器を構え、相手の一挙一動に注目する。

 そんな二人の様子を見て、ナニカもまた動きを変えた。

 焦点の合っていなかった瞳が、今ははっきりと二人を見ており・・・

 

『月宮久路人ならびに水無月雫』

 

 ナニカはそのまま口を開いた。

 

『貴方たちに伺いたいことがあります』

「・・・なんですか?」

「久路人・・・」

 

 ひとまず、久路人はナニカと敵対することなく、対話を選んだ。雫は、そんな久路人に心配するような目線を向けるが、久路人は「大丈夫」とでも言うように頷き返した。

 元より争いを避けるものなら避けたがる性格であるし、ナニカの強さが未知数ということもある。

 そして、そんな二人を見ながら・・・

 

『貴方方に、世界を乱す意思はありますか?』

 

 ナニカはそう言った。

 

「世界を、乱す?それって、どういう・・・」

『言葉通りの意味です』

 

 質問が抽象的で、イマイチ意味が分からなかった。

 久路人が聞き返すと、ナニカは淀みなく答えてみせる。

 

『具体的に言うのならば、その大いなる力を以て忘却界を破壊し、狭間に大穴を空けること。先ほどの月宮久雷が行った術と等しい結果をもたらすことです』

「そんな!!それなら、僕に、僕たちにそんなつもりはありません!!むしろ、そんなことをしようとしているのがいるのなら、止めに行きますよ!!」

「妾もだな。妾は、久路人と静かに暮らせるのならそれでいい。だが、妾達を害そうとする者がいるのならば抵抗するし、お前の言うようなことをする輩がいれば殺す。久路人との平穏の邪魔だからな」

『・・・・・』

 

 久路人たちの答えを聞いて、ナニカはしばし目を瞑って沈黙する。

 ややあって、目を開いた。その瞳は、どこか遠い場所を見つめているようなものに戻っていた。

 

『特異点並びにその近似値に、我が主への叛意なし。脅威度をレベル2と判断・・・処分の必要性なし・・・・了解しました』

 

 ナニカは、まるで自分の上司に報告するように、平坦な声でそう言った。

 そのまましばらくの間、ボソボソとこの場にいない誰かと話すように独り言を呟いていたが、急に口を閉じたかと思えば、その視線を再び二人にあわせる。

 

『月宮久路人ならびに水無月雫』

「は、はい」

「・・・なんだ」

『我が主よりお言葉を賜りました』

「「・・・!!!」」

 

 目の前のとてつもないプレッシャーを感じる存在より上位の存在が、自分たちに何かを伝える。

 ナニカとその主の関係性はよくわからないが、重要なことであろうというのは想像がついた。

 

『先ほどの意思を守るつもりがあるならば、今の姿のまま、もう一度人化の術を使用せよ、とのことです。半妖体でも、貴方方の力は強すぎる。今も、この周辺の忘却界は崩壊を続けている』

「えっ!?」

「何だと?」

 

 その言葉に、久路人と雫は慌てたようにあたりを見回す。

 

「人外になったのに体が妙に軽いと思ったら・・・忘却界が壊れてたのか!!」

「むぅ・・・まるで気がつかなかった」

「いや、それより!!もう一度人化の術を使えばいいんですね?なら・・・」

「あ、待て久路人!!妾も・・・」

「「人化の術!!」」

『・・・・・』

 

 挙動不審になりながらも人化の術を使う二人を、ナニカは無表情で見つめていた。

 しかし、その視線は無表情でありながら、どこか呆れているようにも見えた。

 

「おお!!角が消えた!!尻尾も!!」

「ふぅ・・・あ~、あ~・・えっと、『私』は・・・よし!!私に戻ってる」

「あ!!でもこれだけじゃダメだよ雫!!霊力を抑えないと!!・・・えっと、こうかな?」

「わっ!!そうだった・・・えっと・・・おいそこの!!これでいいか?」

『・・・はい。このレベルまで霊力が抑制されていれば、充分です。忘却界の崩壊が停止しました』

 

 黒い砂嵐と白い霧が一瞬だけ現れたと思えば、そこには角も尻尾も生えていない、人間と同じ姿の二人がいた。二人はすぐさまに霊力を抑え込むと、ナニカに確認を取る。

 二人とも霊力を抑え込む経験に乏しい。特に久路人は体質上、肉体に霊力を押しとどめることは大変危険だったために初の試みであったが、どうやら成功したようだ。

 それを見て満足したのか、ナニカは踵を返して、空中に手をかざした。

 すると、何もなかったはずの空間に、光り輝く扉が現れる。

 

『狭間の深奥にゲートを開通。これより帰還します・・・』

「あ!!待ってください!!」

 

 光り輝く扉に入ろうとする寸前に、久路人はナニカを呼び止めた。

 目の前の得体のしれない存在を呼び止めることに、ためらいがなかったかと言えば噓になる。しかし、久路人としては、聞かずにはいられないことがあったのだ。

 

『・・・・・』

 

 振り返りこそしなかったが、ナニカも足が止まっている。

 

「あの!!あなたのお名前は?あなたは、あなたの主はどういった存在なのでしょうか?」

『・・・・・私は』

 

 向こうは自分たちのことを知っていたが、こちらは何も知らない。久路人にとってそれは、ひどく不気味なことに思えたのだ。

 その問いに、背を向けたまま、ナニカは答える。

 

『私は、貴方方が『神』と呼ぶ御方によって創造され、お仕えする役目を負った『神兵』が一。個体名、『執行者(エグゼキューター)』』

 

 ナニカ、改め執行者は、扉の中に進みながらそう言った。

 

『どうか、貴方方が我が主とよき隣人であらんことを』

 

 そうして、執行者は扉の奥へと消えていき、扉もまた、宙に溶けるように霧散していったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雫の願いが叶う時

本日二話目

バトル中に告白ってよくある気がするんだけど、いざ書いてみるとバトルパートと告白パートをきっちりかき分けるのが難しかった・・・

最近投稿するたびにお気に入りが減っているのですが、やはりウジウジしたパートが長すぎたと作者として反省するばかりです。


「いやあ!!実に素晴らしい夜だった!!!」

 

 白琉市とその隣町の境目。

 一人の痩せぎすの男が、大げさな身振りで、突然影の中から現れた。

 そのすぐ後に、人間のパーツを無理矢理組み合わせたような、二つの生首を据え付けられた狐も続く。

 先ほどまで月宮健真の身体の中に忍ばせた亡霊を介して事態に干渉した男の名は、ゼペット・ヴェルズ。

 獣は、かつて久路人たちを苦しめた九尾とその夫の成れの果てであった。

 

「素晴らしい!!本当に素晴らしい!!愛の強さが、種の壁を超越させた瞬間!!あれを見ることができただけでもこれ以上ない悦びが溢れてくるというのに!!ましてやそれが龍の血の持ち主とは!!ボクは!!なんて幸運な男なんだろう!!!」

 

 おぼろ月の下、男は髑髏がいくつも付いた悪趣味なステッキを振り回しながら叫ぶ。

 そのままクルクルと回転しながら一晩中踊り狂っていそうな様子であったが・・・

 

--ドォン!!!

 

 やや離れた場所に、白い光の柱が落ちたのを見て、ピタリと動きを止めた。

 そして、わざとらしい仕草で耳に手を当てる。

 

「おやおやおやぁっ!!?これは、かの『神兵』かなぁ!!月宮久雷は「残念ながら消えてしまったようだねぇ!!!この様子じゃあ、魂も壊れてしまったかなぁ!?ここまで事態を進めてくれたお礼をしたかったんだけどなぁ!!!」

「・・・・・」

 

 彼方から感じる厳かな霊力を感じ取ったのか、不浄の身と化した狐は忌々しそうに体を震わせる。

 やがて、その神々しい気配も遠ざかっていった。

 

「どうやら還ったようだねぇ!!いやあ!!ボクは本当に幸運だ!!もしもあの場にとどまっていたら、摂理に反するボクは目を付けられていただろうしねぇ!!!ひっっじょぉぉぉぉおおおおおおおに!!!ボクは丁度いいタイミングで抜け出せたみたいだぁっ!!!お土産を持って帰れて、すぐに出発できるこの場所にねぇ!!!」

「・・・・・」

 

 そこで、ヴェルズは影の中から何かを取り出した。

 その大きな影は地面の上に転がるも、起き上がる反応は見せない。

 

「霧間八雲・・・キミの感情は素晴らしかった!!!横恋慕を応援するつもりはないけど!!キミのその怨念じみたモノを宿す心はぁ!!!むざむざ死なせるには勿体ない!!!キミのその想いは!!!キミが生きているからこそ際限なく燃え続けるものだからねぇ!!!」

「・・・・・」

 

 地面に投げ出されたのは、霧間の当主の娘である、霧間八雲であった。

 雫に激高し、切りかかろうとしたところを久雷の術で吹き飛ばされていた。

 そのままであれば、その後の久路人たちの戦いに巻き込まれて死んでいた可能性もあったが、彼女は命を捨てずに済んだようだ。

 それを幸運ととるか不幸ととるかは分からないけれども。

 

「うんうん!!色々とこんがり焼けているけど、ギリギリ命は助かるねぇ!!!ボクの家に送っておこうかな!!!取りに行きたいものもあるしねぇ!!!!」

「・・・・・」

 

 霧間八雲の負った傷の具合を確かめ、すぐに死ぬことはないと判断したのだろう。ヴェルズは影の中にもう一度八雲を叩きこむと、その代わりに別のモノを引っ張り出そうとしていた。

 

「さてさて!!!今回は久路人クンの突発的な行動で準備する時間があまりなかったからねぇ!!!こんな機会はめったに巡ってこないことだし!!!早く行かないとなぁ!!!」

 

 影の中に腕を突っ込みながら、ヴェルズはなおも下僕を探す。

 本来、久路人が龍となるのは、もう少し先のこと。ヴェルズの監視下でのこととなる予定だった。

 入念にその周囲を高位のアンデッドで囲って待ち構え、龍を手に入れる。そのはずであったが、久路人の暴走によってヴェルズは計画を前倒しにせざるを得なかった。

 そのせいで、ヴェルズは戦闘用に使役するアンデッドの調整が未だに済んでいなかったのである。

 

「さてさて!!一体どの子を連れて行こうか!!!選り取り見取りで迷ってしまう・・・」

 

 そうして、久路人の回収に使えるアンデッドを見繕っていた瞬間だった。

 

形態・死霊殺し(モード・アンデッドキラー)。来なさい、俱利伽羅剣(くりからけん)

「ぐぁぁああああああああああっ!!?」

 

 森の奥から割烹着を着た女が、燃え盛る剣を手にヴェルズに斬りかかった。

 かろうじて身体を捻り、真っ二つにされることは避けたようだが、炎と眩い光を放つ刃にその身を大きく切り裂かれる。普段のわざとらしい演技とは違う、本物の悲鳴がヴェルズの口から上がった。

 

「ぐ、おおおおお!!!!キミ、はぁ!!!ナイト、メアだとぉぉお!!!?」

「その名前でワタシを呼ぶな。今のワタシは、月宮メアだ」

 

 ゴロゴロと転がるように距離を取ったヴェルズが驚きながら名前を口にすると、即座に否定が返ってきた。

 割烹着の女、メアが再び剣を構えると、ヴェルズは狼狽したように喚き散らす。

 

「馬鹿なぁ!!!ここには九尾の幻術をかけておいてはずぅ!!!場所が分かるわけ・・・!!!」

「やっぱり幻術使ってやがったな。警戒しておいて正解だったぜ」

「何ぃ!!!」

 

 ガサリと音を立てて、メアの後ろからツナギを着た長髪の男が現れる。

 その手には、狐の尾を加工したような襟巻が握られていた。

 

「幻術対策の術具だ。素材はそこにいる狐モドキの大本・・・幻術は効かねーよ。後、いい加減演技すんのは止めろ。どうせテメェは分霊だろうがよ」

 

 九尾の素材を加工できる術具師など、日本には一人しかいない。

 月宮京は、険しい目でヴェルズを睨んでいた。

 

「・・・なぁんだ、バレてたのか。この身体も、見た目はそっくりに加工したんだけどなぁ」

 

 京の視線に耐えかねた、というわけでもないだろうが、ヴェルズは元のわざとらしい口調に戻る。

 

「とはいっても、痛みがないわけじゃないんだよ?メア君のその剣は、神の力が込められてる上にアンデッドに特効があるみたいだしねぇ・・・本体にまで痛みが届いたよ。イタタタタ・・・・」

「んなこたあ、どうでもいい。テメェ、何を企んでやがる。久路人の馬鹿が結界に引っかかったのが分かって急いで来て見りゃ、こんな場所に幻術かけて居座りやがって。おまけに、さっき感じたのは、神兵の気配だ。忘却界も壊れてるし、何をやらかしやがった」

「オイオイオイ!!!濡れ衣さぁ!!少なくとも今回は、ボクはキミたちにお礼を言われてもいいぐらいの活躍をしたんだがねぇ!!!」

「知るか。どうせテメェの打算ありきだろ。昨日の吸血鬼の襲撃も、犯人はテメェしかいないんだからよ」

 

 ヴェルズの雰囲気は、まるで親しい友人に会ったかのように朗らかだが、京とメアは敵意に満ちている。

 そして、その感情が膨れ上がるのと同時に、白い霊力が場に満ちつつあった。

 ヴェルズはそれを見て、またしても本当に驚いたような顔をする。

 狐はこれから何が起きるのかを察したのか、凄まじい跳躍力で上空へ跳びあがり、白い霊力に包まれる前に逃げおおせていた。

 

「おや、これは・・・」

「幻術を使ってたのはテメェだけじゃねぇ。この襟巻は、使う方でも高性能なんでな。しっかり準備はさせてもらったぜ」

「本体にまでダメージがいくのは確認できました。倒しきれずとも、今後しばらく動けないようにはさせていただきます」

 

 世界が歪む。

 いつの間にか、京の背中からは機械仕掛けの翼が生えていた。

 その翼は光とともに巨大化し、それに反比例するように、京の身体が細かな部品となって翼に組み込まれていく。

 そして・・・

 

「「理を統べ、禁忌を暴き、万物の法を以て、ここに新たな摂理を組み上げよ!!!開け、機械仕掛けの神の舞台(デウス・エクス・マキナ)!!」」

 

 光が収まると、そこには機械仕掛けの天使がいた。

 燃え盛る剣を持ち、巨大な翼を生やしたメアは、歯車に一面を覆われたドームの中で、唯一円形のひのき舞台に立っていた。その剣の切っ先は、同じように舞台の上に立つヴェルズに向けられている。

 それを見たヴェルズは、珍しく毒気を抜かれたような口調で呟いた。

 

「オイオイ、これは・・・・」

 

 身体が動かない。

 この世界は、絶対の支配者が作り出した仕掛けに支配されているのだ。

 この舞台に上がった者は皆、脚本家の描く通りに動き、機械の部品のようにその役目を果たすことしかできない。

 それでは、ヴェルズに与えられた役目とは何か?

 その答えは、機械仕掛けの天使だけが知っている。

 

「随分長い休暇になりそうだなぁ」

 

 そして、目の前の天使が剣を構えたと思えば、視界から消えていた。

 次の瞬間、ヴェルズの腰に一筋の光が走り、そこから上がずり落ちる。

 舞台の上に堕ちる前に、それらはすべて灰へと還っていった。

 

 

-------

 

 

 夏の夜。

 湿気を含んだ生ぬるい風が吹いていた。

 

「・・・ふぅ」

 

 執行者がいなくなった後、周囲に満ちていた威圧感が消え、僕は思わずその場に座り込んで息を吐いた。

 辺りは、屋敷が完全になくなり、むき出しの地面であったが、そんなことも気にならない。

 なんだか気が抜けてしまったのだ。

 

(いろいろあったからなぁ・・・)

 

 僕の勘違いで、雫の言葉を誤解して家出。

 隣町まで急行し、霧間家とお見合い。

 その最中に健真さんと話して誤解を解くきっかけをつかみ。

 そのすぐあとに月宮久雷に体を乗っ取られそうになり、そこを雫に助けられた。

 結局久雷と戦うことになるも、弱っていた僕と雫は追い詰められ、今度は健真さんに守られた。

 そうして、覚悟を決めて、終わる前にすべて話そうと思ったら誤解が解けて告白。

 人外になって、若返った久雷を倒したと思ったら執行者なる存在に久雷が殺されて・・・

 そして今に至るというわけだ。

 

(今日一日にあった出来事だとは思えないよなぁ・・・昨日だって吸血鬼に襲われたばっかだったのに)

 

 改めて、とんでもない人生を送っているものだと感心すらしてしまう。

 いや、もう人間じゃないから人生でなく妖生というべきか?人外とはいえ、僕は妖怪なのだろうか?

 

「ねえ雫、僕って・・・雫?」

「・・・・・」

 

 自分が一体どんな存在にカテゴライズされるのか気になり、隣を見てみると、雫は何やらブツブツと呟きながら自分の胸元をさすっていた。

 

「私、もうちょっとあったよね?絶対もう少しあったはず・・・きっと、人化の術が完全じゃないんだ・・よし、もう一回」

「・・・・・」

 

(雫が胸の大きい女の人に当たりがキツイのは知ってたけど・・・)

 

 なんというか、いたたまれない。

 

「人化の術!!」

 

 そして、そのまま雫が白い霧に包まれるのを見ていた。

 雫は期待するような表情で着物を少し緩めて中を覗き込んだが、すぐにその顔は絶望に染まっていた。

 そして、崩れ落ちるように僕の隣に座り込む。

 その様子があまりに憐れだったので、声をかけることにした。

 

「し、雫、元気だしなよ・・・ほら、僕はあんまり気にしないから」

「・・・本当に?久路人、巨乳好きだよね?」

「え゛?」

 

 つい、変な声が出た。

 

(ば、バレていたのかっ!?なんでっ・・・・いや、それより!!)

 

 僕は、沈んでいる雫を慰めることを優先する。

 断じて、話題を逸らしたいわけではない。

 

「た、確かに好きだけど!!でも、今は雫のが一番好きだよ!!」

「・・・・・」

 

 それは、嘘偽りのない僕の本音だ。

 例えどんな好みの乳だろうと、好きな女の子のソレに敵うはずもない。

 雫のために人間やめた僕だ。己の性癖に抗うことなど難しくもなんとも・・・

 

「じゃあ、巨乳の私と貧乳の私だったらどっちが好き?」

 

 なんとも答えづらいカウンターが返ってきた。

 

「・・・りょ『言っとくけど、両方はナシね』」・・・ずるくない?」

 

 破れかぶれに反撃を試みるが、相手は無慈悲に逃げ道を塞いでくる。

 中途半端な慰めは、時として他人を傷つけるだけに終わる。

 それをよく実感できた僕に、雫はジト目を向けていたが、やがて「はぁ・・」とため息を吐いた。

 

「ふん。別にいいもん。これから久路人に大きくしてもらうから」

「いや、その、流石にそれ以上成長は・・・・え?僕が大きくするの?」

「当たり前でしょ?だって久路人は、私の恋人で、つがいになるんだから」

「それと何の関係が・・・?」

 

 雫の言うことの意味が分からなかったが・・・・

 

「・・・・・ちょっ!?それはさすがにまだ早いって!!」

 

 少し考えたらその意味が分かった。

 さすがにまだ学生の身分でそれは、と思い、慌てて雫を見ると、ニヤニヤと楽しそうに笑っている。

 

「あれ~?久路人、何を想像しちゃったのかな~?私はただ久路人に揉んでもらったら大きくなるかなって思っただけなんだけどな~?」

「・・・・・」

 

 フイ、と僕は雫から目を逸らした。

 顔が熱い。

 なんだか乗せられたような気分であったが、悪い気はしなかった。むしろ・・・

 

「ふふふっ!!」

「あはははっ!!」

 

 どちらからということもなく、僕らは笑い出した。

 可笑しかったのだ。さっきまであんなに緊迫していた状況が、雫と話すだけで何気ない日常の空気に戻ったことが。

 なにより・・・

 

「なんか、すごい自然に恋人とかつがいって言ってたよね・・・僕たち、本当にそういう風になったんだなぁ」

「うん。本当にそうだよ・・・ずっと、私はこういう関係になりたかったんだからね?」

 

 ごく当たり前のように、僕たちの仲が、これまでよりのずっとずっと深いものに変わったことが、嬉しくてたまらないのだ。

 ほんの数年。されど数年。

 僕もまた、ずっと雫とこうなることを望んでいたのだから。

 

「ずっと・・・か。僕もそうだよ。本当の意味で、僕も雫と恋人になりたいって思ってた」

「・・・?本当の意味?」

 

 雫は、わずかに首を傾げた。

 そうか、そう言えば雫の方が、僕をこっそり人外にしようとしているのを、後ろめたく思ってたっていうのは知っていたが、僕がためらっていた理由は少ししか話していなかった。

 

「うん。僕がここに来た理由なんだけどね、僕は、雫が僕の血に洗脳されてるものだと思ってたから、雫から距離を取らなきゃって決めたからなんだ。雫が僕に優しいのも、僕の血のせいなんじゃないかって、ずっと悩んでた」

「え?何それ?なんでそうなってたの?」

 

 雫は訳が分からないといった顔をしている。

 自分で話していて、僕も随分アレなことを言ってるなと思った。これまでの僕は本当に視野が狭かったのだろう。

 

「葛城山で離れ離れになって、九尾に襲われた時があったでしょ?その時に言われたんだ。雫は、お前の血に酔っているだけなんじゃないかって」

 

 それは、これまでずっと僕を縛っていた呪いだ。

 僕の話を聞いた雫は・・・

 

「あのクソ狐!!同情して損した・・・!!あいつのせいでこんなややこしいことに・・・もしあいつが襲ってこなかったら、もっと早く久路人とくっつけたかもしれないのに・・・もっと丁寧に踏みつぶしてやるんだった」

 

 ボソッと怨嗟に満ちた声を漏らしてから、不機嫌そうに僕を見た。

 じっとりした視線が、僕を射抜く。

 

「・・・久路人、それ信じてたの?」

「うっ!!その、うん。僕の血って、自分でもよくわかんなかったし・・・」

「ふーん・・・私の猛アピールが、全部操られた結果だったって思ってたんだ」

「猛アピール?・・・うわっ!?」

 

 雫は紅い瞳を細めて、僕の靴の上に自分の足を乗せた。

 そのまま、軽くフミフミと動かす。

 

「まあ、私もずっと嫌われるかもって思って、自分のやってること言わなかったからお互い様だけどさぁ・・・あのね、久路人」

 

 眉をひそめていた雫であったが、やがてボソリと何事かを口にすると、足をどけた。

 そして、静かにその胸の内を声に出す。

 

「私は、久路人と二人で一緒にいられるなら、それでいいの。だからこれまでは、二人でいるための理由がたくさん欲しかった。契約とか約束とか、日課とか・・・色んな繋がりがあったけど、それがあるから久路人の傍にいられるんだって思ってた」

「そんなこと・・・!!」

 

 僕が思わず否定しようとすると、雫は僕の目の前に手をかざして、僕を遮った。

 

「そう。そんなことないんだって、私はやっとわかったんだよ。久路人も、人間やめてくれるくらい私のことを好きでいてくれるから、何もなくても隣にいられるんだって。それは、私だって同じ」

 

 そこで、雫は僕と目を合わせて言った。

 

「私は、今みたいにずっと一緒にいられるなら、それ以上のものなんて要らない。久路人の血だって、飲まなくて平気・・・そう思ってなきゃ、自分の血を混ぜたりなんかしないよ」

「雫・・・」

 

 改めて、雫は言葉にしてくれた。

 僕を縛っていた呪いを、粉々に砕く言葉を。

 

「大体!!私が久路人のことを好きになったのは、ずっと前のことなんだからね?血の影響があったとしても、そんなのが出る前だから関係ないよ」

 

 そして、雫はやや不機嫌そうな表情のままそう言って見せた。

 

「ずっと・・・それって、いつぐらい?初めて会った頃は、違うよね?」

「うーん・・・はっきり自分でもわかったのは久路人が中学生に上がって少しした頃だったけど、多分、それよりもずっと前だと思う。あの約束をした時には、久路人とずっと一緒にいたいって思ってたから。久路人は?」

「う・・・言わなきゃダメ?」

「ダメ!!」

 

 そして、話は『いつからお互いが好きだったのか?』ということに移る。

 その話をされると、僕としては少し後ろめたいのだが・・・

 

「・・・僕が雫を異性として好きになったのは、初めて雫が人化の術を使った時だよ。あの頃は素直に認められなかったけど、思い出してみたら、あの時以外にないと思う」

「へぇ~そうなんだ!!なら、私とあまり変わらないじゃない。私が人化の術ができるようになったのも、久路人が好きだってわかったからなんだから・・・なんで話しにくそうにしてたの?」

「え?そりゃあ・・・それまでそういう目で見てなかったのに、美少女になった途端に惚れるとか、軽くない?」

 

 それは、僕がずっと気にしていたことの一つでもある。

 友達とか家族として接していた相手が、急に可愛くなったから異性として見るって、こう、なんかだらしないような。

 

「はぁ~・・・久路人って本当にそういうところお堅いっていうか真面目だよね。私としては、そう思ってくれないと人化の術を覚えた意味がなくなるから、むしろウェルカムなんだけど」

「え?そうなの?」

 

 意外だ。

 女の子ってそういうナンパなのは嫌いなもんだと思ってた。

 

「そりゃ、久路人相手だもん。久路人と恋人になりたいから人化の術を使って、その通りになってくれたんだから、悪く思うはずないよ。っていうか、逆に蛇の時から異性として好きでしたって言われたらそっちの方が困るよ。異常性癖じゃん。もちろんそれでも久路人なら受け入れられるけど」

「まあ、そう言われれば確かに・・・?」

 

 爬虫類好きな僕であるが、それは可愛がる対象としてであって、性的な意味ではない。

 というか・・・

 

「あの時言ってた願いの一部って、僕と付き合うことだったんだね」

「あの時?」

「ほら、雫が人化して、イジメられてた僕を助けてくれた後だよ。人化の術に必要な願いについて、全部は話してくれなかったよね?」

「あ~。あの時ね。う~ん・・・」

 

 あの日、「手を繋いで一緒に帰って欲しい」と頼まれて、月夜の下を並んで帰ったのは、一生忘れることはないだろう。あれも、願いの一部ということだったはずだ。

 しかし、僕がそう言うと雫も思い出したようだが、その表情は少し不満気だ。

 

「む~・・・」

「雫?僕、なんか間違ってた?」

「間違いと言えば間違いじゃないけど・・・足りないかな」

「え?」

 

 そこで、雫は上を見上げた。釣られるように、僕も空を見る。

 夏の湿気に満ちた空はどこかぼやけていて、せっかくの満月が隠れてしまっていた。

 

「ねぇ久路人」

 

 雫は、不意に立ち上がった。

 

「今なら、久路人も飛べるよね?ここはちょっと蒸し暑いし、上に行かない?」

「上って、空?なんで・・・」

「いいから!!」

「わっ!?」

 

 雫は、僕の手を取ってふわりと浮かび上がる。

 突然の浮遊感に驚いた僕であったが、身体は自然と風属性の霊力を放出し、空へ空へと昇っていく。

 

「ちょっと雫!!いきなり何を・・・」

「あそこじゃ、なんかヤダ」

「?」

 

 雫はひたすらに上を見ながら、空を駆けていき、僕も自分から並んで走るように何もない場所を踏みしめる。

 見る見るうちに下の街並みは小さくなり、生ぬるい空気が段々と涼しくなってくる。

 そして・・・

 

「ふぅ~!!着いた!!」

「ここって、雲の上?」

「うん!!下からじゃ、月がよく見えなかったから。せっかくあの日と同じ満月なのに、勿体ないもの」

 

 雫が止まったのは、龍の時に昇ってきた雲の海の上。

 夏の白い輝きを放つ満月が、ずっとずっと大きく見えた。

 僕がそんな月に思わず見とれていると、雫が僕の前にまで回り込んで、上目遣いをしながら腕をクイと引っ張った。

 まるで、月なんかよりも自分を見て欲しいと言うように。

 

「ね、久路人。さっきの話」

「さっきの話?・・・足りないってヤツ?」

「そ!!・・・それで、何が足りないか、分かる?」

「え?」

 

 さっきの話は、雫の願いが何かという話だった。

 僕はそれに、『雫が僕と恋人になること』だと思ったのだが、それでは足りないという。

 雫は、疑問符を浮かべる僕の顔を、真正面から見つめた。

 その紅い瞳はキラキラと輝いていて、何かを期待しているようで・・・

 

「私の願い、久路人に当てて欲しいな」

 

 雫は、僕の恋人は、そう言った。

 

「雫の、願い・・・」

 

 

--そうだ。

 

 

 それを聞いて、僕はぐっと拳を握りしめていた。

 

「雫・・・」

「うん」

 

 僕は、雫の本当の気持ちをずっと知りたいと思っていた。

 思えば、あの日に聞いた、雫の願いという言葉が、ずっと頭の中に残っていたのかもしれない。

 

「人間をやめる前に、言ったけど・・・」

「・・・うん?」

 

 雫が、怪訝そうな表情を浮かべる。

 雫の予想していた答えと違っていたのだろう。

 

「僕は、雫のことが好きです」

「・・・・・!!」

 

 雫は潤んだ瞳で、突然の告白に驚いたような表情を作る。

 

「だから・・・」

 

 これから言うことは、雫の願いと同じ意味のはずだ。

 僕には、その確信があった。

 なにせ、僕はそれを、答えを一度聞いているのだから。

 

 

「僕と、結婚してください。お嫁さんとして、僕の傍にずっといてください!!」

 

 

 雫の瞳をまっすぐ見つめ返して、僕はそう言い・・・

 

 

--ヒュウと一瞬、風が吹いた。

 

 

「・・・久路人、私ね」

「・・・うん」

 

 ややあって、雫は口を開いた。

 その声はかすかに震えている。

 

「私ね、ずっと憧れのシチュエーションがあったんだ。久路人とのファーストキスは葛城山で久路人が死にそうになってた時だったんだけど、だから、告白とか、プロポーズは、私の理想を叶えたかったんだ」

 

 僕を見ながら、雫はニッコリとほほ笑んだ。

 その笑顔に、ツゥーッと涙が一筋伝う。

 

「満天の星空と、満月の下。白い雲の海の上・・・二人っきりの場所っ!!」

「わっ!?」

 

 そこで、雫がいきなり僕の胸の中に飛び込んできた。

 僕は慌ててその小さな身体を受け止める。

 そして・・・

 

「んっ!!」

「!!」

 

 顔を上げて、本日4回目のキスをした。

 それは、他の誰かへの対抗心だとか、怪我を治すためだとかじゃない、純粋な意味での口付け。

 

「ぷはっ!!」

 

 しばしの後、銀色の橋をかけながら、雲の上に映る僕と雫の影が少しだけ離れる。

 

「正解だよっ!!大正解っ!!私の願い!!大当たりだよっ!!・・・・久路人っ!!」

 

 雫は、それからまた、涙で潤んだ上目遣いで、僕を見る。

 

「こちらこそ!!私を、あなたのお嫁さんにしてくださいっ!!この先、一生お傍にいさせてくださいっ!!」

 

 

--女として、恋人として、妻として一生を添い遂げる!!

 

 

 僕は、ちゃんと雫の願いを言い当てられたのだ。まあ一回、カンニングしたようなものだが、例えそうでなくとも、正解できた自信はある。

 

「喜んで・・・」

 

 僕は雫の頭の上に手を乗せて、返事をしながらサラサラとした銀髪を撫でた。

 

「雫の夢、叶えられてよかった」

「・・・っ!!うんっ!!ありがとうっ!!」

 

 満足だった。

 幸せだった。

 大好きな女の子と想いを通じ合わせて、大事な夢を叶えてあげることができて。

 いっそ、ここで死んでもいいと思うほどに・・・いや。

 

「それはやっぱりダメだな」

「久路人?・・・んっ!!」

 

 突然脈絡のないことを言い出した僕を、不思議そうな顔で雫が見上げている。

 そんな様子も、どこまでも愛おしかった。

 僕は、雫を抱きしめる力を少し強め、雫の顔を見つめなおした。

 僕のやろうとしていることに気付いたのか、雫も僕に視線を固定する。

 

「雫」

「久路人」

 

 僕らは互いの名を呼び合った。

 これまで幾度も呼んできた名前。何回も口にした言葉。

 けれども、今までで一番想いが籠っていたのは、この時を置いて他にない。

 

「これからも・・・」

 

 僕は、少しづつ雫に顔を近づける。

 

「ずっと一緒にいてね」

 

 雫がその言葉を言い終えた直後。

 

 再び雲海の上で、僕らの影は一つになり・・・

 

「あれ?」

 

 唐突に、僕の中にあった風属性の霊力が消えた。

 

「え?」

 

 不意に浮力がなくなったことで、一気に体に重さが戻る。

 その重さに驚いたのか、僕の身体は雫の腕からするりと抜けて・・・

 

「わぁぁあああああああああああああああっ!!?」

「く、久路人ぉぉぉおおおおおおおおおおおっ!?」

 

 地上に着くスレスレで雫にキャッチされるまで、僕はパラシュートなしのスカイダイビングをする羽目になったのであった。

 




久路人、実はまだ完全に人外化してません。
どうしてもやっておきたいネタがあるので、あと1話か2話の間だけ、人間でいてもらいます。
その後、少しタイトルを変える予定です。

感想、評価よろしくです!!


ところで、まったく書ける気がしないのでアレなのですが、R18版って需要あるんですかね


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三.五章 拾った妖怪に惚れて人間やめた日
事後処理


久路人が人間でいるのは、今回のお話を除いてあと二話かな?
あと、サブタイトルは毎回結構適当です。


「このたびは・・・・」

「数々のご迷惑をおかけしてしまい・・・」

 

 シャーシャーとクマゼミの鳴き声が響く朝。

 白流市の月宮家のリビングにて。

 

「「大変申し訳ございませんでした」」

 

 久路人と雫の二人は、床に額をこすりつけて謝罪をしていた。

 久路人はともかく、地味にプライドの高い雫まで土下座するというのは、相当レアな事態である。

 そして、そんな二人の謝罪を受けた側としては・・・

 

「・・・・・」

 

 月宮家の主にして、久路人の保護者。月宮京は険しい顔のまま瞳を閉じていた。

 二人の謝罪はしっかりと耳に届いていたはずであるが、答える様子はない。

 

「・・・・・」

 

 京と並んでソファに腰かけ、パリパリとポテトチップスを摘まんでいるメアの立てる音だけが静かな部屋の中に響き・・・

 

「いや、なんでテメーはこの空気でポテチ食ってんだよ」

 

 謝罪に答えるよりも、京はまず自分の妻の奇行を諫めることにしたようだった。

 

(聞いてくれてありがとう、おじさん)

(まさか妾たちが聞くわけにもいかんからなぁ・・・)

 

 土下座しつつもメアがポテチを摘まむ音は耳に入っており、なんなら朝に沈痛な面持ちで入ってきた二人の後に、無表情でポテチの袋を抱えてやってきた時点で何かがおかしいとは思っていた。その後に一連の事情を説明している時にも気にはなっていたが、雰囲気的に突っ込みづらかったのである。

 しかし、それもとうとう限界に達したようで、ついに京が口火を切ったのだが・・・

 

「はぁ・・・愚問ですね。我が主とあろうものがそんなことも分からないとは。・・・・ごくっ。貴方は脳みそが入っていないのでは?」

「人と話してる最中に袋傾けて底に溜まった分飲み込んでじゃねぇよ」

(確かに、アレやるけどさぁ・・・)

(妾でも人と話しながらはやらんぞ)

 

 メアはどこ吹く風といった具合で、まったく気にしていないようだ。

 

「ふぅ・・・仕方ないですね。脳みその代わりにジャガイモが詰まっているマッシュポテトのために説明いたしましょう」

「いや、それ完全にただのマッシュポテトじゃねぇか」

「私は昨夜、大量に霊力を消費する大技を使ってしまいました。その前にも遠隔操作をやったこともあり、霊力は枯渇寸前です」

「いや、聞けよ」

 

 京のツッコミにも、耳を貸す様子はない。

 今のメアは、なんだか随分と精神のタガが外れているように見える。

 

「ならば、なるべくリラックスして、自分の好きなように振る舞うのが、最も効率よく霊力を回復する手段なのです。お分かりになりましたか?根菜類」

「理屈は分かったが、俺を芋扱いするのはやめろ。せめて動物として見ろ」

「なにより・・・」

 

 そこで、何やら言いつのる京を無視して、メアは土下座を続けたままの久路人と雫を見た。

 

「こんな茶番に、まともに付き合うのも面倒ですから。これで2回目ですし」

「え?」

「・・・どういうことだ?」

 

 メアの台詞に、久路人と雫は思わず顔を上げた。

 

「お前・・・それを言うなよ」

 

 それと同時に、京はため息をついた。

 メアの言う茶番とやらは、どうやら京も意味が分かっているようであるが・・・

 

「この場にいる者たちは皆、謝らなければならないことがあるということですし、大して怒ってもいないということです。その比重は違いますが」

「九尾の後と同じだな・・・・だがまあ、メアの言う通り重さはお前らと俺らで違う。だから、だ・・・おい、もっかい頭下げろ」

「は、はい」

「・・・・・」

 

 京は不意に立ち上がり、二人の傍にやってきた。

 京の言う通り、久路人は慌てて、雫も久路人に追従するように床に額を付ける。

 

「ふんっ!!」

「ゴッ!?」

「ぐぁっ!?」

 

 そうして下げられた頭に、京は右手と左手で拳骨をかました。

 突然与えられた痛みに、二人はそのまま床を転げまわる。

 

「とりあえずこれで、お前らがやらかしたことはチャラにしてやる。ちゃんと反省はしてるみたいだからな・・・それに今回の件、お前たちをここまで送った後に調べたが、月宮や霧間の連中が前からコソコソ動いてたみたいだ。人間側の動きを止めるのは俺の仕事で、それができてなかった。だから俺も謝る。悪かった」

「いや、おじさんが謝ることは・・・」

「久路人、やらせてあげなよ。京もケジメがつけたいんだよ、きっと」

 

 痛みから回復した二人に改めて頭を下げる京を、久路人は止めようとするも、雫はそのままやらせるつもりのようだ。久路人に謝って、その謝罪を受け取ってもらいたいという気持ちわかるのだろう。

 

「では、私からも。どうやら久路人様が暴走したきっかけは、私も大きく関わっている気がするので。あの時は言いすぎました」

「そ、そんな!!それこそ、僕が悪いです!!あの時は・・・」

「いいから謝らせてやれ。こんな風に言うってことは、コイツもコイツで結構気にしてんだ。相当煽ったみたいだからな」

「勝手に私の気持ちを代弁しないでくれますか?気持ち悪い・・・いえ、キモイので」

「その言い換えになんか意味あんのか?」

「でも、本当にそんなにすぐに許してもらっていいんですか?僕らのやったことって、かなり被害も出たし」

「・・・この場で最も罪が重いのは、すべての原因を作った妾だと思うのだがな。一応、メアからお前たちが考えていた筋書きは聞いているが」

「筋書き?」

 

 久路人にとっては、自分のやらかしが許されていいのかは大いに気になるところだが、雫は何やら理由を知っているようだ。

 

「お前が暴走して他の一族の見合いに行くってのはやりすぎだが、お前がそんなこと仕出かしたのも雫とメア、ついでに俺のミスで入ってきた吸血鬼が原因みたいだからな・・・んで、雫のやったことは元々やろうとしてたことなんだよ。俺たちは久路人にその気があるのなら、雫に人外化させるつもりだったんだ。お前の霊力に体を耐えさせるには、それが一番手っ取り早いからな」

「無論、それは久路人様が二十歳になった後、きちんと意見を聞いたうえで行う予定でした。それを、雫様が先に手を付けていたという流れですね」

「久路人が嫌がってるようなら雫を殺すつもりだったが・・・久路人に受け入れる覚悟があるなら、もうとやかく言う気はねえよ。さっきの拳骨で手打ちにしてやる・・・・念のため聞いておくが、久路人、お前本当にいいんだな?」

 

 雫は、メアに久路人の眷属化がバレた際に聞かされていたが、久路人が京たちの考えを耳にするのは初めてだった。京は改めて、久路人にその覚悟を問うが・・・

 

「うん。むしろ、それ以外を選ぶつもりはないよ。例え寿命になるまで生きられても、雫を置いて死ぬなんて絶対に嫌だ」

「・・・久路人」

 

 間髪入れず、久路人は自分の覚悟を語って見せた。

 その迷いない様子に、雫の薄い胸が高鳴る。

 

「人外になったら、その先お前はどうやって生きてく気だ?俺だって、お前の面倒を見切れるとは限らないぜ」

「人外になっても、人化の術を使って霊力を抑えれば人間と変わらない見た目で、結界への負担も小さくできるみたいだからね。忘却界の中はうっかりしてタガが外れたら危ないかもしれないから、この街で働こうと思ってる。でも、それでも抑えきれなくて、他の人に迷惑がかかるなら・・・」

「妾とともに、常世に行く。今も学会の七賢七位とやらは、日々戦い詰めなのだろう?あそこが昔と変わらず弱肉強食なのは変わらないのならば、妾たちにとっては現世よりも過ごしやすい」

 

 将来のこと。

 昨日の久路人の命綱なしスカイダイビングの後に、二人は徒歩で帰ったのだが、その道中でヴェルズを倒した京たちと会うまでに話し合ったのだ。人外化した後に、人間社会で生きていけるかどうかを。

 

「そこまで考えてんならいいが・・・久路人、嫌じゃなきゃ、学会の息のかかった会社に入れ。少し前に魔人のヤツと話しつけて、この街に俺が社長の会社を作るから、コネ入社で入れてやる。お前の力は、どうしても監視がいるからな。常世に行くのも構わないが、行くなら七位のいる場所にしろ。あいつは結界術のエキスパートだ」

「突き放すような言い方をしておいて、結局道は用意してあるではないか」

「男のツンデレに需要はありませんよ」

「うるせーよ」

 

 面倒を見切れるか分からないといいつつも、京の準備は万端であった。

 とはいえ、それは京に限った話ではない。人間と人外の融和を掲げる学会にとっても久路人と雫の存在は重く、その進む道をある程度コントロールしたいという思惑がある。

 

「コネ入社か・・・そ、その時はよろしくお願いします。っていうか、他にも学会が関係している会社ってあるの?」

「あるぞ。忘却界の中にはないし、日本にはまだあまり進出してないが、霊能者が集まる地域には大体ある。表向きは家電だの家具だののメーカーで、裏で術具の製造とか販売やってるけどな・・・とりあえず、話し戻すぞ」

 

 『これが、最後の質問だ』と前置きしてから、京は居住まいを正した。

 釣られるように、久路人と雫もまた姿勢を正す。

 メアもどこからか取り出した2袋目のポテチの封に手をかけたまま、成り行きを見守ることにしたようだ。

 京も久路人も雫も、もはやツッコミはしない。

 

「雫が死んだらお前も死ぬことになるし、お前が死んだら雫も死ぬことになるんだぞ?好きな女に、自分より長生きしてほしいとか思わねーのか?」

「それは・・・思わないよ。すごいナルシストな考えだけど、僕以外に、雫を幸せにできるヤツなんてこの世にいないから」

「その通りだ!!久路人がいない世界など、地獄でしかない。久路人と死ねるのならば、妾もそれが本望だ。無論、この先久路人を死なせるような目に遭わせるつもりなど毛頭ないがな」

 

 チラリと久路人は雫を見るが、雫も嬉しそうな顔で久路人の言うことを肯定する。

 ここで久路人が雫のことを気にしてためらっていれば、雫は少し傷ついていたかもしれない。それは、雫への理解が足りていないということだから。

 雫は、片割れをなくして、愛する者のいなくなった世界を生きた女の末路を知っているから。

 

「・・・そうか。わかった。なら、もう何も言わねー・・・・いや、おめでとうってだけは言っておく。よかったな、久路人」

「雫様も、おめでとうございます。昨日の朝、発破をかけた甲斐があったというものです」

「おじさん・・・」

「メア・・・ありがとう」

 

 京もメアも、そんな覚悟の決まりきった二人を祝福する。

 なんだかんだ言って、久路人には雫以外にいないということはわかりきっていたのだ。今の形こそが、最も丸く収まったと言えるだろう。

 問題は・・・

 

「湿っぽい話も終わったみたいだし、アタシからもお祝いの言葉を贈らせてもらうわ」

「・・・自分からも。まるで、昔の自分たちを見ているような気分になります」

 

 そこで、4人に声をかける者たちが二人いた。

 実を言うと、最初から部屋の隅の方で待機しており、久路人も気にしてはいたのだ。

 しかし、メアのポテチと同じく、突っ込むタイミングを逸していたのである。

 

「ま、これからまた少し暗い話になっちゃうけどね・・・久路人っていったかしら?よろしくね」

「あ、はい・・・あの、ところで、その、お二人は?」

 

 やっと聞ける空気になったと思い、久路人は二人のことを聞くことにした。

 金髪の縦ロールが似合うゴスロリの小柄な女性に、黒い長髪をポニーテールにした長身の男。ただし、男はなぜかガスマスクのようなものを着けていたが。

 その場では、久路人以外の全員が彼らのことを知っているようだったのだ。

 

「そういえば、前に電話をしたことはあったけど、直接意識のある状態で会うのは初めてだったかしらね。アタシは霧間リリス。七賢の五位よ」

「・・・自分は霧間朧。霧間リリスの夫です・・・この度は、我々霧間が大変ご迷惑をおかけしました。京さんから、火急の用とのことで昨日霧間の地から参りましたが、用が済みましたらすぐに霧間一族を族滅いたしますので、何卒少しばかりご辛抱を」

「じかに会うのは葛城山以来だな、リリス殿。本当に世話になった」

「あなた方があの有名な!!こちらこそどうぞよろしく・・・って族滅?」

 

 雫は朗らかにリリスに声をかけ、久路人も恐縮したように挨拶を返すが、その途中で物騒な単語に気付き、思わず聞き返した。

 すると、朧はその場で久路人に土下座を始めるではないか。

 

「・・・はい。本来ならば霧間の当主として霧間家を治めなければならない身の上ですが、此度はこのような事態の片棒を担いでいたことに気が付きませんでした。一族の長として、ケジメをつけなければなりません。自分の命はリリスと繋がっているために、首を差し上げることだけは御許しをいただきたいのです。代わりに、この件に関わったという霧間の者の首をすべて斬り落とし、霧間の地や財産も献上致しますので、何卒」

「え?えぇ~!?」

 

 凄まじい話の流れに、久路人は驚きの声を上げることしかできなかった。

 そんな夫の姿に続くように、リリスもまた朧の隣に正座する。

 

「そうね。アタシも霧間一族当主の妻としてお願いするわ。代わりに、あなたたちに起きた変化について、無償で調べて、必要なことがあったら無料で対処する。それで、朧の首は勘弁してあげて欲しいの」

 

 そして、リリスも先ほどの久路人たちのように床に額をこすりつけようと・・・

 

「ま、待つのだリリス殿!!・・・く、久路人も別にいいよねっ!?原因は私たちの方だし、関わったヤツさえ殺してくれれば、リリス殿たちの命とかいらないよねっ!?」

「え・・・。あの、状況がよくわかんないんだけど、霧間の人たちの責任を取るってことですよね?なら、雫の言う通り直接の原因は僕たちですし、その、血生臭いのはなくても大丈夫というか・・・」

 

 そんなリリスを雫が慌てて止め、久路人も物騒な流れになりそうなのを止める。

 

「・・・それは、関わった者たちも見逃せということでしょうか?」

「久路人、それは甘いぞ。調べた感じ、あの土地に関わってたのは月宮だが、霧間八雲をお前たちが見た以上、霧間もかなり食い込んでるのは間違いねぇ。ケジメは必要だぜ」

「京も私も、月宮一族については放置するつもりはございません。殺すかどうかは置いておいても、我々に二度と歯向かわないようにはする予定です」

「久路人、私もあそこにいた連中は全員殺しといたほうがいいと思うよ。久路人風にいうなら、あいつらって全員ルール違反者じゃない?」

「・・・それもそうだね」

 

 しかし、京、メアそして雫の言葉に少し考えを改めたようだ。

 そのまま、朧に向き直る。

 

「分かりました。確かに、ルールを侵した連中には罰が必要です。朧さんの首とか霧間の土地とかはいいので、関わっていた人には厳しい罰を下してください。それで言いっこなしにしましょう」

「・・・寛大な処置に、感謝いたします」

 

 霧間一族の大半の命運が、今日この時決まった。

 これにより、月宮久雷の策に乗った、もしくは知っていながら黙殺した者たちは朧の両親も含めことごとく斬り伏せられることになり、事件に関わりのなかった末端の者だけが残ることになる。

 朧としてもリリスとの結婚をかたくなに認めず、邪険に扱おうとしていた連中は目障りではあったので渡りに船であった。

 以後、霧間一族と霧間の地は完全に学会の支配地となる。

 

「話は決まったな。じゃあ朧、さっさと頭上げろ。お前らをここに呼んだのは霧間一族のことだけが理由じゃねぇんだからな」

 

 そこで、京は朧に頭を上げさせ、リリスたちを見てから、久路人と雫の方を向いた。

 

「リリスたちも覚えて欲しいんだが、今回の事件、『狂冥』のヤツが覗き見してやがった」

「なんですってっ!?」

「・・・あの旅団の最高幹部の一人が」

 

 『狂冥』の名を出した瞬間、リリスと朧の顔が変わった。

 対して、久路人と雫はピンと来ていない表情だ。

 

「おじさん、狂冥って?旅団の幹部っていうのは聞いたことあるけど・・・」

「確か、とんでもない腕の死霊術師にして、リッチだったか?七賢並みに強いとか」

 

 久路人と雫が知る情報はこんなものである。

 

「おいおい。お前らも会ってたんだぞ」

「『狂冥』名前はゼペット・ヴェルズ。かつての七賢三位にして、現在の旅団のNo3にしてまとめ役と言われています。何が目的だったのかはよくわかりませんが、下手をすればお二人ともヤツの下僕にされていましたよ」

 

 そんな二人に、京とメアはあきれ顔だ。

 

「えっ!?会ってたって・・・・」

「久路人だけでなく、妾もか?」

「アイツが近くにいたのと、お前らの話を聞いて分かった。健真のヤツは、少なくとも久路人と会ったときにはもうアイツの操り人形だ」

「健真さんが!?」

 

 京の出した名前に、久路人は驚きの声を上げる。

 久路人にとって恩人であり、彼がいたから雫と向き合えたのだ。

 月宮久雷に殺されたと聞いて、罪悪感を今まで抱いていたのだが・・・

 

「間違いない。あの俗物は自分よりも神の力が強いお前を追い出そうとするだろうし、久雷のジジイの生贄にするってんならまず止めるわけがない」

「加えて、結界を壊したという『不協和音』に杭を操ったという『模倣曲』。どれもヴェルズが好んで使用する術です。隠すつもりもなかったのでしょう」

「お前は健真に恩があるみたいだが、そんなもん気にすんな。むしろ警戒しろ。次に狂冥にもしも会うなら、絶対に気を許すな」

「アレは愛だの絆だの耳障りのいいことをほざいていますが、基本的には話の通じない狂人です・・・リリス様たちは大丈夫でしょうが、京の言うように決してほだされないように」

「は、はい・・・」

「あ、ああ」

 

 有無を言わせないような京とメアの様子に、久路人と雫は気おされたように頷くしかなかった。

 それを見て、メアはリリスの方に顔を向けた。

 

「狂冥が何を考えていたのか、私たちでは推測しかできません。しかし・・・」

「どうにもあの野郎は、久路人を人外化させようとしてたみてぇだからな。なら、人外化の専門家の話を聞いてみたいってわけだ」

「なるほど、それでアタシを呼んだってわけね」

 

 そして、話題は本命に移る。

 

「ああ。久路人たちは『何』になったのか、どうして雫にまで変化が伝わったのか。一度人外になった久路人が人間に戻ったのか、ってことだな」

 

 

-------

 

 

 霧間リリスは人外の扱う術の専門家だ。

 特に、人外が人間を己の眷属へと変える方法については常世、現世合わせても彼女より詳しい者はいないだろう。

 昨日の真夜中に、最近になって急に多くの仕事を押し付けられるようになった夫について書類仕事を手伝っていたのだが、やっとその日の分が片付いたと思ったところに京から連絡が入り、白流市付近で起きた事件について知った。そして、京からの要望で色々と調べて欲しいと頼まれ、昨日の夜中に亡霊馬を駆って朧ともどもやってきたというわけだ。

 

「ふむふむ・・・これは」

 

 そんなリリスは今、血の入った小瓶を二つ手にしていた。

 瓶の中身はさきほど採取した久路人と雫の血である。それぞれの小瓶に何やら術をかけたり臭いを嗅いだりしていたが、やがて、彼女を囲うように座る5人を見回した。

 

「ざっとだけど、大まかなことは分かったわ」

 

 七賢として魔法に関して深い知識を持ち、血を扱うことでは右に出る者のいない吸血鬼の皇族だ。

 観察していたのはわずかな時間だったが、それだけでも彼女には得られるものがあったらしい。

 

「今のこの血はそれぞれ妖怪と人間のものだけど、どっちにも、ほんの少しだけ私でも見たことのない種の因子が混じってる」

「お前でも見たことのない、だと?」

 

 リリスの言葉に、同じ七賢である京が反応した。

 同僚だからこそ、京はリリスの優秀さを知っているのだ。そんな彼女が知らないと言うなど、少々予想できなかった。

 

「ええ。人間でも妖怪でも、ましてや神でもない。まさしく分類不能ね。『竜』や『神兵』の血に似てはいるけど、まったくの別物。京や月宮一族に混ざってる神の力とも違う。新種ね」

 

 これまでリリスは人外化の方法をまとめるため、フィールドワークとして多くの種類の人外を見て、学会に保存されている身体や血のサンプルも観察したことがある。そのリリスに分からないと言わせるのならば、新種と言っていいだろう。

 

「僕たちは昨日、『龍』みたいな姿になってたんですが、それとも?」

「『龍』、東洋に現れるドラゴンね。それとも違うわ。似てはいるけど」

 

 久路人は黒い龍、雫は白い龍となって夜空を飛んだが、リリスによれば似ているのは外見だけで、中身はまったく違うもののようだ。

 

「ただ、種としては見たことがないけど、霊力の質は久路人と雫のものによく似てるの。神の力と妖怪の血それぞれの性質が相反することなく融合してる。雫が龍になったのも、この血、というより久路人の元々の血が原因ね」

 

 吸血鬼は人間を眷属するとき、その血を吸う。血を吸われた人間はアンデッドとなるが、吸血鬼はそのままだ。妖怪は他種の霊力を吸収して取り込むことができるからだ。しかし、雫の場合は取り込んだ血の力が強すぎて、吸収しきれなかったのだ。精神的な繋がりがあったためにプラスの側面しかでなかったが、もしも久路人に嫌われていたのなら、取り込み切れなかった力が暴走し、一時期の久路人のように体を内側から破壊していただろう。実際、ヴェルズの不協和音によって体内の調和を乱された時には、霊力異常で動けなくなっていた。しかし、幸いにも二人の想いが通じ合い、精神的なパスが完全につながったことで過剰に雫の中にあった力が雫本来の霊力と融合したのだ。その結果、久路人だけでなく雫も龍となったのであろう。

 

「勿論それだけが原因じゃなくて、久路人に起きた変化そのものがトリガーになったんだと思う。取り込み切れてない力の性質は久路人のものと同じだから、久路人が人外化、すなわち、久路人の中で雫の血が融合したときに共鳴したからね」

 

 雫の中に過剰に存在していた久路人の霊力は、同じモノであるために久路人自身の影響を受ける。

 融合をしたのも、その融合が解除されたのも、久路人本人に起きた変化に対応しているのではないかということだ。

 

「・・・なら、何故久路人は人間に戻ってしまったのだ?」

「・・・まさか」

「言っておくけど、精神の繋がりが切れたとかそういう話じゃないわよ。すぐに切れるようなパスで、一時的にでも人外化は成功したりしないわ」

 

 雫の問いに、久路人は暗い顔になった。

 今のリリスの説が正しいのならば、久路人が人間に戻ったのは、精神的なつながりが切れてしまったからではないかと。

 しかし、それはリリスによってあっさりと否定された。

 

「単純に、量の問題よ。久路人の中にある雫の力が足りなかっただけ。久路人の力の強さに、入り込んでいた量だけじゃ対応できなかったのよ。親和性ならもうこれ以上はないくらい相性がいいわ」

「なんだと!?あれで足りないのか!?」

「足りないっていうか、久路人の力が強すぎたって言った方がいいわね。電話で聞いた話だと、充分だとアタシも思ったし」

 

 『つまり』と、リリスは指を立てながら言った。

 

「久路人が完全に人外になるには、雫の因子をもっと取り込めばいいのよ。今なら拒絶反応も絶対に起こらないし、短期間にドバっといっちゃっていい・・・そういえば雫。アンタ一日でどのくらい久路人に血を飲ませてたの?」

「っ!?」

「・・・雫?」

 

 久路人が自分と同じ存在になる日は近いとわかり、喜色を浮かべる雫であったが、不意に飛んできたその問いに、ビクッと肩を震わせた。

 

「えっと、その・・・最初はコップ半分かそこらくらいだったんだけど・・・」

 

 しどろもどろに話す様子は、なんとも後ろめたそうだ。

 血を飲ませていたとはいえ、雫は意外と常識をわきまえている。必要性があったからやったのであり、背徳感や興奮も感じてはいたが、血を飲ませるという行為がアブノーマルであるという自覚はあった。

 

「最近は・・・腕一本斬ってから、絞って鍋にバシャッて」

「えぇ・・・痛そう」

「京。新しい調理器具を一式お昼までに作ってください。可及的速やかに」

「・・・家の食器、全部使えねぇな」

 

 月宮家一同ドン引きであった。

 久路人は単純に、雫が腕をぶった切っていたということに難色を示しただけであったが。

 

「そんだけの量を入れて、よく気付かれなかったわね・・・」

「味を誤魔化すだけなら、術を使えば簡単だったからな。香辛料も使ったし」

「ああ。それで最近あんなにスパイス買ってたのか。カレーとかが多かったのも、もしかして?」

「・・・うん。血を混ぜてもバレにくかったから。味噌汁なんかにも結構ドバドバ入れてたよ」

「赤味噌使ってるから赤いと思ってたけど、なるほど、赤ぽかったのはそれが原因か」

 

 リリスすらも呆れ顔だが、久路人はただただ納得するばかりであった。

 日々感じていたわずかな違和感の正体が分かってスッキリした気分である。

 

「・・・えっと、久路人。さっきから自分でも思うくらい気持ち悪い話してると思うんだけど、平気なの?」

「うん。最近のご飯美味しいって思ってたし。雫の一部を、雫から食べさせてくれるって、こう、なんか、すごい嬉しい」

「本当っ!?それじゃあ、私、もっと頑張るね!!実は、久路人に血を飲ませるの癖になっちゃって、止めろって言われたらどうしようかと・・・とりあえずお昼は手足全部斬って・・・」

「あ!!でも雫が痛そうなのは嫌だな。もうちょっと穏便なやり方で血を取ってもらえるなら・・・」

 

 その様子に、雫が恐る恐る聞いてみるも、久路人は至って気にしていないようだ。

 むしろ、雫の心配をするほどである。

 そんな久路人に満面の笑みを浮かべながら、雫は血を抜き取る方法を考えていた。

 

「この中で一番やばいの、雫より久路人かもな」

「スプラッタホラーのサイコな犯人みたいですね」

 

 今まで親代わりで育ててきた養子がもしかしたらやべーヤツかもしれないと分かり、京としては少しショックである。

 そこで京はふと、先ほどから喋らない男に水を向けた。

 

「おい朧。お前はどう思う?」

「・・・・・少々一般常識から外れているとは思いますが、あれもまた立派な愛のカタチの一つかと」

「相手側から血を飲ませてくれるのが嬉しいっていうのは、吸血鬼としてよくわかるわね。完全に心を開いている証だもの」

「・・・リリス、お前はさっきから問題はないのか?」

「?問題?どういうことよ朧」

 

 不意に、朧は自分の妻に心配そうに問いかけた。

 リリスはその意味がわからず、疑問符を浮かべている。

 そんなリリスに、朧はその顔に着けているガスマスクを指差した。

 

「・・・葛城山で会った際には、凄まじい悪臭だった。今は何ともないのか?」

「あ~そういえばそうね。そのことでも分かったことがあったわ」

 

 リリスはそこでパンパンと手を叩いて、スプラッタな会話を繰り広げる久路人と雫を止めた。

 

「はい注目。雫、アンタにちょっと聞きたいことがあるわ。アンタ、朧に対して敵意は持ってる?持ってるって言ったらぶっ殺すし、好きって言っても殺すけど」

「・・・・!!」

 

 その問いには、雫よりもむしろ久路人の方が反応した。

 これまで、雫を見ることのできる男性は京くらいのものだった。

 そこに、既婚者とはいえイケメンと思われる男がやってきたのだ。久路人としても多少心が乱されるものがあるのも否定できない。

 

「妾にどう答えろと言うのだ・・・当然だが、妾は久路人以外の男に大して関心はない。まあ、朧殿はリリス殿の夫であるから、敬意を払う相手だとは思っているが、精々その程度だ・・・だから久路人、そんなに心配そうな顔しないでよ。気にしてくれるのは嬉しいけど、私は久路人以外眼中にないから」

「ご、ゴメン雫・・・」

「・・・本心で言ってるのは間違いなさそうね。ならいいわ。朧、そのガスマスク外してみなさい」

「・・・分かった」

 

 自分の器の小ささを後ろめたく思うような久路人と、自分の見える男に対して密かに嫉妬してくれていたことに独占欲とか征服欲が満たされていく雫を尻目に、朧は自分の妻を信じてマスクを外し・・・

 

「少々臭うが・・・会話をするだけなら我慢できる程度だ」

「そういや、久路人が高校生だったころはもっとヤバい臭いがしてたが・・・」

「・・・嗅覚、霊力知覚解放。確かに、大分体臭がやわらいでいますね。昨日話した時には感覚器官を封印しなければ近寄ることもできなかったのですが」

「アタシもそんな感じね。この家に近づいた後にも臭いがしなかったからガスマスクつけ忘れてたけど、今はちょっと酸っぱい臭いがする程度で済んでるわ。あんまり近寄りたくないけど」

 

 実のところ、霧間夫妻が最初部屋の隅の方にいたのは雫から漂う臭いを避けていたからだ。

 京とメアも、今気づいたとばかりに雫の臭いがマシになっていることに気付き、驚いている。

 しかし・・・

 

「久路人、この反応、私はどうすればいいのかな?まだちょっとは臭うとか言われてるんだけど。というか、久路人は・・・」

「雫はいい匂いだよ。ずっと嗅いでいたいくらい」

「そ、そう?なら、他のヤツにどう思われても、まあ、いいかな」

 

 雫としては、久路人からどう思われるのかだけが大事であって、他の連中からの評価など少ししか気にしない。少ししか。

 そこで、リリスは話を戻した。

 

「話がそれたわね。アタシが何を言いたいかっていうと、雫の血は毒で、久路人の血は薬ってことよ」

「僕が、薬?」

「妾が、毒?前に、京には妾の血は久路人への特効薬と言われたことはあるが・・・」

「そうね、そこも説明するわ」

 

 リリスの言葉に、二人は自分の手首を見た。

 そこに流れる血に、そんな性質があるのだろうかと。

 

「要は、二人の血の効果は、周りへの好感度の影響が大きいのよ。妖怪として常世で生きてきた雫は久路人以外への好感度がそんなに高くないし、逆に人間社会でまっとうに生きてきた久路人は他人に対して悪感情をあまり持ってない。雫の血が久路人への特効薬っていうのも、そこが大きいわ。雫がこれまでゲロ以下の悪臭がしてたのは、血の融合が完璧じゃなくてコントロールできてなかったのと、久路人を狙う連中への牽制みたいなものだったんじゃないかしら」

「そういえば・・・」

「霧間八雲は、龍になった妾に近寄れないほどだったな・・・その前に会った時はまだマシなように見えたのに」

 

 思い当たる節が、二人にはあった。

 二人以外にも、メアも思うところがあるらしく、リリスに質問する。

 

「・・・今日の反応を見るに、私やお前への好感度は結構高いと思うのですが、それでも少し臭うというのは?」

「久路人以外を本心ではどうでもいいって思ってるのかもね。まあ、気持ちはわかるわ。アタシも朧以外はどうなってもすぐ忘れるし・・・・あと、久路人の方に臭みが少ないのは、元々の気質と変化の起点だからだと思うわ」

「そうなると、久路人と雫だったら久路人の方が希少価値が上で、逆に雫はこの世の中で久路人以外全員から雫側の好感度MAXでも『ちょっと臭う』って思われるってことか・・・ヴェルズのヤツが狙ってるのも、その薬とかいう性質か?」

「・・・血の盟約の効果と少し似ている。自分がリリスに対してのみ極上の血を持ち、それ以外に対しては大幅に味が落ちるのと同じだ」

「・・・・・」

 

 相変わらず遠慮なく口に出される、「ちょっと臭う」、「少し臭う」という微妙なワードに雫の拳が強く握りしめられた。

 

「雫、ゴメンね」

「え?なんで久路人が謝るの?」

 

 そんな雫に、久路人は申し訳なさそうに謝った。

 対する雫の顔は不思議そうだ。

 

「いや、僕のせいで雫が臭いとか言われてて、傷ついてるんだろうなって・・・」

「・・・ううん。久路人が気にすることなんてないよ。いちいち言ってくる連中はウザイし、久路人にまでそう思われたらどうしようって思うけど、それより嬉しい気持ちが大きいかな。私が近くにいれば悪い虫も寄ってこないってことだし、それに・・・久路人にマーキングされてるみたいで興奮するし」

 

 心配する久路人に対し、雫は笑顔で、本心からそう答えた。

 最後の方はさすがに小声だったが。

 

「!!・・・ゴメン。実は僕も、少し嬉しかった。雫に他の男が寄ってこなくなるかもって・・・」

「っ!!・・・久路人っ!!それだけでもう胸いっぱいだよっ!!久路人の方からそう思ってくれてるってだけでっ!!むしろ、もっと悪臭出してやりたいくらいっ!!」

 

 悪臭ですらイチャつきのネタにできるこの二人は、もしかしたら無敵なのかもしれない。

 

「・・・心なしか臭いが強くなったような・・・」

「あの二人、スカ〇ロに手を出しそうで心配ですね。やるなら屋敷の外でやって欲しいものです」

「野外でスカト〇推奨とか、身内から犯罪者出しそうで怖えよ・・・というか、久路人が女だったらヤバかったかもな。好きな男の悪口ばら撒いて孤立させそうだ」

「雫様は依存型と独占型と排除型の複合。久路人様は依存型と独占型と孤立誘導型ですか。相性がよさそうですね」

 

 朧が鼻に手をやり、メアと京は屋敷の衛生環境と二人の性癖を心配していた。

 そんな収拾のつかなくなりそうな状況を、リリスはもう一度手を叩いて仕切りなおす。

 

「ハイハイ、騒がない!!とりあえずまとめるから静かになさい!!」

 

 そして、皆の注目が集まったことが分かってから、メアはまとめに入った。

 

「種族が分からないとか、血が好感度の影響を受けるとかはあるけど、とにかく、アンタたちが人外カップルになりたいなら、今まで通り過ごしなさい。アタシの今日の見立てだと、そうね、『今のままなら』、後1,2か月ってとこかしら」

「1,2か月か・・・」

「長いような短いような・・・」

「「・・・・・」」

「・・・・・」

 

 微妙な長さの期間を言われ、反応に困る久路人と雫に対し、京とメアは何かに気付いたような顔をしていた。朧は最初から表情が変わっていないので何を考えてるのか分からない。

 

「とりあえず、アタシが今言えるのはこんなところね。もう少しここに留まって、観察をする必要もあると思うけど」

「ああ、助かった。急な呼び出しで悪かったな・・・」

「・・・自分たちには、それにお答えする義務がありましたから。お気になさらず」

「一睡もせずこちらに来て、お疲れでしょう。客間にご案内します」

「俺も、昼飯までに食器を作らねぇといけないからな・・・今日はここで解散だ」

 

 そうして、リビングには久路人と雫だけが残された。

 

「後、1,2か月・・・」

「う~、もどかしいなぁ・・・・血の量を増やしたら、もっと早くなるのかな」

「あんまり痛そうなことはダメだよ、雫。血を飲むのは全然いいけど、雫が痛そうな目に遭ってるのなんて見たくないし・・・・でも、そうだな」

「久路人?」

 

 がらんとした居間の中で、二人は残りの時間の長さを考えていたが、久路人は何かを決めたような顔をしていた。

 そんな久路人に、雫は小首をかしげるが・・・

 

「ねぇ雫」

「うん」

 

 不意に、久路人は雫に切り出した。

 反射的に、雫は返事をして・・・

 

「デートしよっか」

「うん・・・え?」

 

 一拍置いて、雫は久路人の言った単語の意味を理解し・・・

 

「えぇぇぇぇぇぇぇぇええええええっ!!!!?」

 

 月宮家のリビングで、大きな叫び声を上げたのだった。

 その声は、防音設備の整った居間から漏れだすことはなかった。

 ある一室で行われていた会話を、邪魔することはなかったのである。

 

-------

 

「おいリリス、聞きたいことがある」

「何かしら」

 

 月宮家の一階にある客間にて、完璧な手つきで布団を整えるメアと、それに対抗するかのように美しいベッドメイクを行う朧が静かに火花を散らす中、京はリリスに話しかけた。

 

「お前、さっき『今のままなら』1,2か月って言ってたよな」

「ええ、そう言ったわ。それが何か?」

 

 やはりホームグラウンドということもあってか、それともメアが屋敷の使用人という立場を朧が慮ったのか、最終的にどや顔をするメアに、朧は軽く頭を下げる。そんな二人を尻目に、どこか緊迫感のある会話は続く。

 

「なら、『最短』ならどれくらいだ?」

「・・・・・」

 

 その質問に、リリスはわずかに間を開けた。

 否、全力で聴覚を集中させていたのだ。

 

「そんなにお気になさらずとも、月宮家の客間の防音設備は完璧です。この部屋の外から、我々の会話を聞き取ることはできません」

「・・・そう」

 

 リリスの様子に、メアも気付いていたようだ。彼女の心配を杞憂と断じ、リリスも話す決意をしたようである。ふぅ、と息を吸ってから、久路人の保護者たる二人に向き直り・・・

 

「あの様子なら、条件さえ満たせば『今日』にでも可能ね」

 

 1,2か月から大幅に短縮された予想を語って見せた。

 

「今日か・・・それを言わなかったのは」

「ええ。『そういうこと』は、余計なしがらみに囚われず、二人の愛情とかそういうので始めるのがいちばんだと思うのよね、アタシ」

「それは私も同意見ではありますが・・・」

「ああ、狂冥が動いてるなら、あの二人にはさっさと強くなってもらった方がいい。アイツの目論見を叶えるようではあるが、昨日の忘却界が壊れたあたりからは、世界中からあの二人の気配がわかったはずだからな」

 

 これからの世界の動きはますます加速するだろう。

 あの葛城山の事件の後と同じように。

 再び、あの二人に様々な壁が立ちふさがるに違いない。

 ならば、あの二人を育て上げる時間は、一日でも無駄にすべきではない。

 

「メア、冷蔵庫の中身は?」

「・・・ダメですね。人参、ジャガイモ、豚肉・・・ここ最近ずっとカレーやシチューばかり作っていたようです」

「なら、買い物行くぞ。スッポン、オクラ、山芋、マムシドリンク・・・買う物は山ほどある」

「分かりました。では、我々が外泊するためのホテルも予約しておきます・・・申し訳ありませんが、お二人にも」

「構わないわよ・・・っていうかアンタたち、ずいぶんノリノリね。気持ちはわからなくもないけど」

「・・・自分も構いません。しかし、あの二人は幸せ者です。こんなにも身内に祝福してもらえるとは、羨ましい。だからこそ、応援したい気持ちもありますが」

 

 月宮京、月宮メア、霧間リリス、霧間朧。

 

 日本における最高戦力の四人が、同じ目的を持った瞬間だった。

 

 

-------

 

 古来より、人間が人外になる方法は、人外の一部をその身に取り込むことだ。

 しかし、ただ取り込むだけでは、高等なモノにはなれない。

 永遠の時を共に生きる伴侶となるには、獣の如くその血肉を喰らうだけでは不十分なのだ。

 それには魂、精神、肉体。その3要素において深く繋がる必要がある。

 

 霊力を以て魂を馴染ませる。

 心を以て想いを通わせる。

 そして、肉体を「交わらせる」。

 

 この三つを、効率よく同時に行える方法が、一つだけあるのだ。

 余談だが、体液には霊力が多く含まれており、それらを粘膜から直接吸収するのも非常に効果的だ。

 

 

「いいか?今日から全力で、あいつらをヤラしい雰囲気にするからなっ!!」

「「おお~っ!!」」

「・・・・・」

 

 音頭をとる京と、なんだかんだでノリノリのメアとリリスを見ながら、朧は思った。

 

(・・・この人たちが暴走しないように、自分がしっかりせねば。彼らのためにも)

 

 彼もまた人外に惚れて人外になった者だ。

 自分の同志とも言える若者の幸福を、朧は心より祈るのだった。

 




最近評価ポイントがご無沙汰ですので、何卒宜しくお願い致します!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決戦準備

はい、日曜日に投稿できなかったダメ作者です。
おまけに、久路人が人間でいる期間がもう一話伸びました。
非力な私を許してくれ・・・


「言ってしまった・・・」

 

 月宮家の2階にある僕の部屋。

 ベッドの上にゴロリと転がりながら、一人僕は呟いた。

 

「勢いというかノリで言っちゃったけど、どうしよう・・・」

 

 時刻はもうすぐ正午。

 さっきからしばらく、動く気も湧かずにゴロゴロとしていた。というのも・・・

 

「断られた、ってわけじゃないよね」

 

 耳に蘇るのは、さっきの雫の返事だ。

 

『ま、待って!!ちょっと待って!!いや、断るとかそういうのじゃなくて・・・・と、とにかく心の準備をさせて~っ!!!』

 

 断られたわけではないだろう。

 しかし、「OK」とも言われていない。

 そして、当の雫はさきほどの返事をしたすぐ後にどこかに走り去ってしまったのだ。家の外に出た気配はしないので、屋敷の中にいるのだろうが、僕としてはどうしようといったところである。

 そのまま居間にいてもと思い、自室に戻ってきたが、それからずっとベッドの上で悶々としていた。

 

「でも、しょうがないじゃんか・・・デートしたいって思ったんだから」

 

 言い訳がましく、僕はポツリと呟いた。

 地味に、逃げるように走り去られたのはショックだったのだ。

 確かに、いきなりすぎたかもしれないが、僕としてはちゃんと覚悟を決めて誘ったのである。

 

「・・・ずっと、って言っても3年くらい前だけど、その時から好きだったんだから。この先僕は人間じゃなくなるけど、それなら、人間の僕が雫とデートできるのも今しかないんだ」

 

 そう思ってしまったら、もう止まれなかったのだ。

 人間でいるうちにやっておきたいことは何だろう?と考えた時、すぐに思い浮かんだのがそれだったのだから。

 

「人間と妖怪が結ばれるのは難しいとは思う。人間のままだと、雫よりもずっと早く僕だけ死ぬ。だから、僕は人間をやめる・・・でも、雫を好きになったのは、今ここにいる人間としての僕なんだ」

 

 ならば、人間であるうちに雫ともっと深い関係になりたい。

 人間であることを言い訳にして、雫を待たせるようなことはしたくない。

 人間だろうが人外だろうが、月宮久路人という男は雫を愛している。

 それを証明してみたかったのだ。

 しかし、まだ時期早々だったのかもしれない。

 

「はぁ・・・早まったかなぁ。後1,2か月はあるって話だったし。考えてみれば、デート用に服とかも持ってないし」

「おいおい、服も持ってないのにデートに誘ったのか?度胸は褒めてやれるが、準備不足で初デートに挑むのはいただけないぜ」

「・・・自分たちが護衛をしますので、準備を整えに行きましょうか。水無月さんはリリスたちが相手をしてくれる手はずになっていますから」

「本当ですか!!ありがとうございます!!雫と一緒に服を買いに行くのは、今回はないかなって思ってたの・・・で?」

 

 勝負を焦った自分を反省するようにこぼした僕に、なんだか頼りがいのありそうな男の声が二つぶつかってきた。

 さすがに初めてのデートで着ていく服を彼女同伴で選ぶというのはいかがなものか、というか、それがもうデートじゃね?と考えていた僕には渡りに船だったが、そこで僕は気付いた。

 

「おじさんに朧さん!?いつの間にっ!?っていうか、どうやって入ってきたんですか!?」

「あのなぁ、この家を設計して組み立てたのは俺だぞ。隠し通路のルートぐらい覚えてて当たり前だろうが」

「隠し通路!?この家そんなものまであるの!?」

「・・・申し訳ない、久路人君。自分はドアから入ろうと提案したのだが、京さんが『この方が面白そうだから』と言って聞かなくて」

「おい、いつまで関係ない話してんだ。今重要なのは久路人の準備のことだろうが」

「僕としてはプライバシーの問題的にこっちの方が気になるんだけど・・・」

 

 気が付けば、いつの間にか床の一部に穴が空いており、おじさんたちはそこから登ってきたらしい。

 考え事に没頭していたからか、おじさんたちが気配を消すのがうまかったからなのか、まったく気が付かなった。

 しかし、おじさんは僕のプライバシーを考慮する気はまるでないようで、僕の言うことを完全にスルーしていた。

 

「というわけだ。久路人、車出してやるから出かける準備しろ」

「・・・京さんの押しの強さはともかく、デートをするのなら服装、予算、デートコースの下見など、準備は必須です。ここは乗っておいた方がよいかと」

「それは・・・分かりました。お願いします」

 

 色々とツッコミたいところはある。

 だが、雫に断られるにせよ受け入れてもらえるにせよ、そういう服は絶対に必要になるのだ。

 加えてこの二人は人外を嫁に迎えた僕の先輩である。アドバイスをもらうならこれ以上の適任はいないだろう。

 

「よし。それじゃ、俺らは先に外で待ってるから、早くしろよ」

「・・・それでは」

 

 僕の返事を聞くや否や、そう言って、おじさんたちは壁に手を当てて忍者屋敷のようにクルリと壁をひっくり返すと部屋を出ていった。

 

 

「・・・一度、部屋は詳しく調べておこうかな」

 

 デートのこととか人外化のことがひと段落済んだら、部屋にある隠し通路とやらは全部埋めておこうと、僕は心に誓うのだった。

 

 

-------

 

 時はほんの少し遡る。

 京たちが久路人の部屋に不法侵入する少し前のことであった。

 

「メアッ!!メアァッ!!どこだっ!?どこにいるぅぅぅうううっ!?」

 

 月宮家一階の廊下をドタドタと駆けまわる音が響いた。

 

「大変なのだっ!!緊急事態なのだっ!!土下座でも靴舐めでもするから助けてくれぇぇぇえええ!!!」

「・・・貴方に靴を舐められても少しも嬉しくないのですがね」

「ぬぉぉぉおおぅっ!?いきなり出てくるなぁっ!!!びっくりしたではないかぁっ!!」

「いや、どっちなのよ・・・これは相当混乱してるわね」

 

 雫が運よく客間付近に飛び込んだ時、突然ガラッと襖が開き、雫の探していた月宮家使用人と吸血鬼が顔を出した。

 それに驚いて雫はズザァッとブレーキをかけつつ理不尽な怒りをぶつける。

 

「ええいっ!!そんなことはどうでもいい!!至急相談したいことができた!!中に入るぞっ!!」

「ここは客間なのですが・・・」

「アタシたち、一応お客様なんだけど・・・」

 

 来客がいるというのにズカズカと客間に入って来る雫を見て、メアとリリスはやや呆れ顔だが、それに気付いた様子もない。「なんだなんだ」と訝し気な目を向ける京や朧にも目もくれず、入るや否や、後ろ手で襖を閉めた雫はメアの方を向き・・・

 

「実はっ、実はだなっ!!妾、ついさっき久路人にデートに誘われたのだっ!!!」

「「「「・・・っ!!!」」」」

 

 その言葉を聞いた瞬間、部屋の中にいたメンバーに電流が走った。

 そして・・・

 

「なんだよ、結構やるじゃねーか」

「・・・ええ、まさかこんなに早く勝負に出るとは」

「やりますねぇ」

「やるじゃない!!」

 

 口々に久路人を褒め始めた。

 雫が通りかかるほんの少し前まで、「どうやって久路人と雫をヤラしい空気にするか?」という頭が湧いたような議題を熱く語りあっていた面々である。

 久路人の方に積極性ありというのは非常に喜ばしい。

 

「で?デートはいつなの?そのための準備をするって話なのよね?」

「・・・・・」

 

 リリスは顔を真っ赤にした雫にそう問いかけるも、雫はフイと目を逸らした。

 その瞬間、メアたちに嫌な予感が走る。

 

「お前、まさか・・・」

「そ、その、あまりにも突然なことだったから・・・返事をする前に、逃げてきてしまったのだ」

「・・・・・」

 

 京の問いへの答えに、朧は久路人に軽く同情した。

 きっと並々ならぬ覚悟だったろうに、と。

 そして・・・

 

「はぁ~~~~っ、つっかえ!!」

「やめたら?護衛の仕事~~」

 

 メアとリリスはヤジを飛ばしていた。

 それもそうだろう。

 せっかく久路人の方がいい感じだったのに、肝心の雫がこんなヘタレでは進むものも進まない。

 一気に彼らの計画は前途多難になってしまったのだ。

 

「う・・・!!!しょ、しょうがないではないか!!いきなりだったし!!それに!!妾はデートなんてしたことないから、どうすればいいのかも・・・」

「コイツ、自分の血をこっそり飲ませるだの、朝から同じベッドで寝るだのしてるのに、なんでこんなヘタレてんだ?」

「乙女心は複雑なのです。ヘタレたりヘタレなかったりはそういうものだと。ただ、雫様はヘタレすぎです」

「そうよ!!アンタたちもう付き合ってるし、久路人なんかアンタのために人間やめるくらい覚悟決まってんのよ?勝率100%の勝負から逃げてどうすんのよ」

「・・・勝負を恐れる気持ちも時には大事なものですが、まずは久路人君の気持ちを考えるべきかと。きっと今、落ち込んでいるでしょうから」

「・・・っ!!」

 

 雫のヘタレ具合に、一斉砲火がかけられる。

 まあ、客観的に見てもあの状況で逃げに走った雫に褒められる点はないだろう。

 

(そうだ・・・私は自分の事ばかりで、久路人のことを考えずに逃げちゃったんだ)

 

 そして、朧の言う通り、久路人の気持ちを考えてみればこの反応も仕方ないというものだと、雫自身そう思った。

 

「それは・・・そうだな。スゥ~・・・よし!!済まなかったな!!今すぐ久路人のところに・・・」

「少々お待ちください」

「?」

「・・・!!」

 

 深呼吸をして、雫は覚悟を決める。

 久路人に謝りがてら、OKの返事をしようと足を動かそうとした瞬間、メアから待ったが入った。

 雫が疑問符を浮かべる中、メアは一瞬京の方に視線を向ける。

 長年連れ添った京とメアのコンビならば、アイコンタクトだけで意思疎通は容易だ。

 そして、その動きは超一流の戦士でもあるリリスと朧にも届いていた。

 

「そうね。せっかくアタシたちのところに来たんだし、ここでデートに行くときのイメージトレーニングしときなさい。用意するモノとか、アタシたちも相談に乗るから。久路人にOKを出すのは、デートに行く準備ができてからでも遅くはないわ」

「その通りです。我々は貴方の先輩。そういったアドバイスも可能です・・・そういうわけで、野郎二人は一度部屋の外に出ていただけますか?」

「そうよそうよ!!こっからはガールズトークなんだから、さっさと行く!!」

 

 しっしと犬を追い払うような手つきで、メアとリリスは自分たちの夫を部屋から追い出した。

 もっとも、口に出した理由は建前だ。

 

(久路人様はデート用の私服をあまり持っていなかったはず。久路人様にとっても、今回のことは衝動的なモノだったのでしょう。ですが、我々にとってこれはビッグチャンス。引き延ばすのは無駄にプレッシャーをかけることになりかねず、得策ではありません。久路人様も早急に準備を整える必要があります)

(雫に断られたかもって思ってるかもしれないし、そこんところのケアも頼むわよ、朧!!)

 

 一瞬の視線だけで、驚くべき情報量であった。

 

(任せとけ)

(・・・心得た)

「?何なのだお前たち・・・それより、そういうことなら京たちにも聞きたいことが・・・」

 

 急に棒読みになったメアたちにいぶかし気な目線を向ける雫。

 雫としては男性からのアドバイスも欲しいと言えば欲しいと思ったのだ。

 その一方で、京と朧は妻の言いたいことを悟った。

 

(チッ、ヘタレのくせに妙なところで鋭いな。ここは一芝居打つか)

 

 だが、そんな裏の意図があるということが雫に知られてはマズい。

 そこで、京はここで冗句を一つまみ入れることにした。

 

「ガールズって、お前ら全員ガールなんて年じゃ・・・」

 

--カッ!!

--カッ!!

--ズドンッ!!

 

「申し訳ありません。害虫がいましたので、駆除いたしました」

「夏場は色々といるからな。妾も一匹仕留めたぞ」

「吾輩もだな。霧間谷はあまり虫がいないが、ここには随分とうるさい虫がいるようだ」

 

 上から、ナイフが京の右頬を掠めて壁に刺さった音、京の脇腹を掠めて氷柱が壁に刺さった音、京の頭上スレスレを先端のとがった傘が飛んで壁に突き刺さった音だ。

 女性に年齢の話は禁句である。彼女たちとて微妙な年ごろ(数百~千歳)なのだ。

 

「・・・我々のことは気にせず、どうかごゆっくり・・・京さん、行きましょう」

「・・・一応、俺としてはフォローのつもりだったんだがな・・・」

 

 氷点下の視線にさらされ、男どもは肩身が狭そうに客間を出ていき、久路人の部屋を目指すのだった。

 

-------

 

「とりあえず、まずは雫様の服装を考えましょうか。デートプランについては、久路人様にお任せするべきでしょう。初デートのエスコートは、男性にとっても一世一代の舞台ですから」

「霧の衣だっけ?便利と言えば便利ね。どんな服でも再現できるなんて」

「服、服か・・・」

 

 京たちが退散した後の客間。

 布団の上で、女三人が車座になって話し込んでいた。

 議題はもちろんデートの準備について。特に、服のことについてだった。

 

「むぅ・・・確かに妾の霧の衣は大抵の服を再現できるが・・・それでいいのか?こういうのは、やはり本物の服の方がいいのではないか?」

「しかし、雫様は霧の衣以外の服は肌に合わないのでは?久路人様としては、雫様が無理をする方がよろしくないと思われます」

「あら、そうなの?・・・まあ、そういうことならアタシもそこは気にしない方がいいと思うわ。今からそこをどうにかするより、久路人の誘いを引き延ばす方がマイナスよ」

 

 雫が普段着ている白い着物は、霧の衣という一種の術具だ。

 その正体は大蛇の雫の鱗であり、自由自在に形を変えることができる。

 しかし、元が雫の鱗ということもあり、霧の衣をまとっていないと雫は体調が悪くなるのだ。

 爬虫類にとって体表を清潔にすることは体調を保つ上で非常に重要であり、霧の衣の上に別の服を重ね着しても雫としては落ち着かなくなる。ちなみに、一番雫にフィットしているのは、普段の白い着物の状態である。

 

「それはそうかもしれん。だが・・・」

 

 だが、雫としては少し無理をしてでも形に残るものが欲しいという想いがあるのだ。

 初デートに着ていった服は、ずっと取っておきたい。雫と久路人は永遠を一緒に歩けるようになるのだから。

 

「おや?そこは叶えることはできるでしょう?雫様、下着は市販品でしょう?」

「は?」

 

 メアの言っている意味が、雫には分からなかった。

 

「なるほど、それならそこは重要ね」

「ええ。久路人様にとっては、非常に関心を持っているのは間違いないでしょう・・・時に雫様、デート当日にはどれぐらいエゲツないのを履いていく予定・・・」

「死ねぇ!!」

 

 雫は瞬時に腕を凍らせ、渾身のダブルラリアットを放つが、メアとリリスは華麗にバックステップを踏んで回避する。

 

「貴様ら!!これは妾の初デートなのだぞ!!茶化すつもりかっ!?」

 

 目に本気の怒りの炎を灯しながら、雫は吠えた。

 雫からすれば、せっかくの最高の思い出になりそうな初デートを馬鹿にされたような気がしたのだ。

 

「どうやら雫様はまだ逃げ続けるおつもりのようですね」

「メアの言い方は悪いけど、そこはしっかりしとかなきゃダメよ、雫」

「な、なんだと!?」

 

 しかし、そんな雫の気迫を受けても、メアとリリスは暖簾に腕押しといったように何も感じていないようだった。

 逆に雫の甘さを指摘する余裕すらあった。

 

「雫様、一つ質問をしますが・・・デートの後で、久路人様がそこまで迫ってきたらどうされるおつもりなのですか?」

「は?」

 

 突然、ボクサーの全力のストレートが顔面にぶち込まれたような衝撃が雫に襲い掛かった。

 雫の頭の中が真っ白になる。

 

「アンタたち、随分拗らせてたみたいだしね。しかも、結婚するとまで言い合ったんでしょ?無理やりってことは流石にないと思うけど、そんな感じの雰囲気になるのは十分あり得るわ」

「もしもそうなった時に雫様が再び逃げてしまえば、久路人様はどれほどショックを受けるでしょうか。下手をすれば二度と勃たなくなるかも・・・」

「アンタが受け入れても、その時にダサいの履いてたら台無しよ?それ以前に今は夏なんだし、夏らしい恰好するならそういうことを想定しなくとも大事なことよ・・・って、あら?」

「・・・雫様?」

「・・・・・・」

 

 突然のセクハラとも言える発言だが、当然これには意図がある。

 人外化による強化を、義務感を混ぜずに達成させるための策であり、実際に起こり得る可能性でもあるのだ。

 しかし、長々と下着の重要性や久路人が狼になるかもしれないと語った二人であったが、そこで雫の様子がおかしいことに気が付いた。

 

「・・・む、無理やり・・・久路人に、無理やり。そんな、そんなのって・・・」

「「・・・・・」」

 

 頬を赤く染め、手を当てながらクネクネと高速で体を動かすその様に、暴れ狂う蟲を幻視したメアとリリスは一歩引いて見つめることしかできなかった。

 

「や、やっぱりシチュエーションとしては王道を往く壁ドンから、玄関で我慢できなくなった久路人に圧し掛かられて・・・『そ、そんな玄関でなんて、せめてベッドでぇ!!』って私が言っても全然聞いてくれなくてそのまま・・・きゃぁ~~~~~!!!!!」

「「・・・・キッツ」」

 

 とうとう床に横になってゴロゴロと部屋の端から端まで往復運動を開始した雫に、二人は台所を時折はい回る黒い虫を見たような反応をした。

 

「一体なんでここまで妄想できてんのに、デートに誘われたらダッシュで逃げんのよ」

「小学生や中学生男子が学校にテロリストが侵入してきたシチュエーションで大活躍する妄想をするのと同じでしょう。実際に妄想通りに動けるはずはないということです。とはいえ、このままでは話が進みませんね・・・フンッ!!」

「ぐおっ!?・・・・はっ!?妾は何をっ!?」

 

 メアが転げまわる雫の顔面に蹴りをジャストミートさせると、雫はしばらく鼻を押さえて悶絶していたが、やがて正気を取り戻したようだ。

 

「正気に戻られたようで何よりです・・・それで、我々が言ったことの重要性は理解できましたか?」

「なんかめっちゃイタい感じになってたけど、アンタの脳内劇場で放送されてた中でダサいの履いてたら台無しってのは分かったわよね?」

「う、うむ・・・下着か、勝負下着というやつか」

 

 雫は細かいイメージが苦手なため、着替えを除いて普段自分でも目にしない下着はいちいち作るのも面倒なので市販のものを履いている。布地の面積が少なければ、下着でなくマフラーなどでも霧の衣と一緒に身に着けることができるからだ。

 メアたちからすれば鼻で笑うような話だが、雫は貞操観念がかなり強い。久路人しかこの世界に存在しないのならばともかく、外に行くのに下着を着けないなど我慢できるはずもない。

 他にも『久路人と私の下着が一緒に洗濯されてるの見るとなんか興奮する』とか、『洗濯物を干してる時にスゴイ挙動不審になってるのがカワイイ』というのもあり、普段身に着けているものには結構気を遣っていたりする。

 しかし、初デートとなれば、そこも普段より気合を入れなくてはいけないのだと、雫は学んだのだ。ひょっとすれば、その時の勝負下着はこの先一生記憶に残り続ける代物になるかもしれない。その記憶を最高のものにできるか、ガッカリしたものにしてしまうかは、今の雫の努力次第なのである。そう考えると、形に残すものとして、下着は服よりも重い・・・かもしれない。

 

「もちろん、下着以外にもバシバシアドバイスしてくわよ」

「雫様も、普段それなりに服装を変えていますし、雑誌も読んでいますよね。ならば、『こんな格好で行こう』という候補はあるのでは?」

「そ、それは、まあ・・・」

 

 無事に成就したが、雫も恋する乙女だったのだ。

 当然、久路人に意識してもらうための手段として、霧の衣の制限に触れない程度にオシャレには気を配っていた。

 朧げだが、こんな服にしようかな?というイメージくらいある。

 

「よし!!なら、さっさと服を変えなさい」

「ええ。時間は有限です。今日はずっと着せ替え人形になる覚悟をお願いしますね」

「お、おう!!」

 

 女三人寄れば姦しい。

 月宮家の客間は、にわかに「ああでもないこうでもない」と騒がしい喧噪に満たされるのだった。

 

-------

 

「ま、こんなもんでいいだろ」

「だ、大丈夫かな?結構迷ったんだけど・・・」

 

 月宮家を車で出た男衆は、街の中心部になるショッピングモールで服を購入した後、近場に会ったファミレスに入っていた。京はコーヒーを頼み、久路人と朧は冷たい緑茶を喉に流し込む。ファミレスの駐車場に停めた京の車には、戦利品が積みこまれていた。なお、いきなりこんな流れになったために雫の血で汚染された食器の代わりを作る暇もなかったため、全員分の昼食と夕食もテイクアウト済みだ。

 

「・・・ええ。久路人君の身体はよく鍛えられていて、見栄えがいい。大抵の服は着こなせます」

「そ、そうですか?」

 

 自信なさげな久路人に、朧は目を細めながら太鼓判を押す。

 朧の言う通り、久路人は服の下に雫が野獣の眼光を向けるような細マッチョを隠している。雫という気になる女の子がいたために、服装にはそこそこ意識を向けていた久路人であったが、今着ているやや暗い黄土色のオープンカラーシャツに、白いTシャツ、黒いスキニーパンツというシンプルな恰好は、その筋肉美をさりげなくアピールしていた。今の久路人を雫が見れば、たくましい二の腕やセクシーな鎖骨を見てハァハァと息を荒げていたことだろう。

 

「服はこれでいいとして・・・問題は次だ」

「・・・ええ。服がよくとも、回る場所がおかしければむしろ上げて落とすことになり、逆効果でしょう。久路人君は、どんな場所に行く予定なのですか?」

「え、えっと、それは・・・」

 

 どんなところを、好きな女の子との初デートで回りたいか?

 

 それは、さっきまでの買い物の最中に、久路人の脳内でグルグルと駆け巡っていた命題である。

 

(やっぱり、一番大事なのは、雫が楽しいって思えることだよね・・・雫って、結構漫画とか読んでて、雲の上の時もそうだったけど、理想のシチュエーションとかありそうだしな。でも・・・)

 

 しばらくすれ違っていたとはいえ、今の久路人の雫への理解度は相当高い。

 故に・・・

 

「ま、大抵の場所なら、雫は喜ぶと思うけどな」

「・・・容易に想像ができますね」

「う・・・」

 

 そうなのだ。

 ナルシストと言われてもしょうがないが、久路人には、今の雫ならどんな場所だろうが全力で喜んでくれそうな気がするのである。

 それはとても嬉しいことだが・・・

 

(それは、なんか悔しい)

 

 『どこでもいい』というのは、デートプランを考える久路人への挑戦状だ。

 そんなものを突き付けられたのなら、『ここ以外ではこんなに楽しめなかった!!』と思わせたくなるのが男というものだろう。

 だが、だ。

 

(この街は、僕と雫が出会って、ずっと一緒にいた場所だ)

 

 久路人たちのいる白流市は、力を失った雫が流れ着き、久路人に拾われた街だ。

 久路人が少年から青年になるまで、さらには人間をやめるまで、ずっと一緒にいた街なのだ。

 

(だから、だからこそ・・・)

 

 そこで、久路人は京と朧の方を向いた。

 その瞳に宿る闘志にも似た輝きを見て、男二人は「ほぅ?」と面白そうなものを見た時の表情を作る。

 そんな二人を見ながら、久路人は己の計画を語った。

 

「最初は、王道のコースというか、ベタな感じで行こうと思うんだ。それから・・・」

 

 そして、久路人の話を聞き終えた後のこと。

 

「いいんじゃねぇか?そういうの、雫は好きそうな気がするぜ」

「・・・自分も、いいと思います。これまでの積み重ねがある君たちだからこそ、回れるコースかと。良き日になることを、心から願っております」

「ああ。頑張れよ、久路人」

「・・・はい!!」

 

 久路人は、頼もしい先輩たちから背中を押された。

 それは、久路人にとって大きな自信になり・・・

 

「そうだ、おじさん、少し頼みがあるんだけど・・・」

「あん?」

 

 使えるものは何でも使う。

 そう言わんばかりに、背中を押された流れに乗って、久路人は自分の養父にあることを頼むのだった。

 

 

-------

 

「く、久路人!!」

「は、はい!!」

 

 その日の夕方、久路人の自室にて。

 夕日に照らされる部屋の中で、久路人と雫は緊張した面持ちで向かい合っていた。

 

「あ、朝の事なんだけどね!!」

「う、うん!!」

 

 朝の事。

 具体的な内容は語られていないが、何の話かわからないなどという鈍感系主人公のような愚を犯すことはない。

 

「スゥ~~・・・・・」

「・・・・・・!!」

 

 雫が大きく息を吸うのを、久路人は反対に息を止めながら、見つめる。

 二人の手には、いつの間にか汗が滲んでいた。

 

「お、OKです!!」

「・・・それって、その」

「えっと、そう、その・・・」

 

 『何が』OKなのか、雫は言わなかった。

 まだ、雫の中にヘタレている気持ちがあるのだろう。

 久路人としては、ここで焦って朝の時のように逃げられてはたまらない。だからこそ、慎重に距離を詰める。雫もまた、どう言い出せばいいか分からないように視線をあっちに向けたりこっちに向けたりと忙しなかったが、そのうちに自分は久路人を待たせていた立場であったことを思い出した。

 そして、その意識が雫の背を押し出す。

 

「そのっ!!久路人っ!!・・・・・わたっ、私、私を!!デートに連れてってください!!」

 

 それは、雫からのデートの誘いとでもいうべきものであった。

 

「よ、喜んで!!」

 

 当然、久路人がそんな雫を拒絶するはずもない。

 少々どもりながらも、一切のためらいなくその返事を受け取った。

 

「じゃ、じゃあっ!!いつにする!?僕はいつでも大丈夫なんだけど!!」

「わ、私も大丈夫だよっ!!いつでもいけますっ!!」

「なら、明日でもいいっ!!?」

「オフコースっ!!!」

 

 お互いの気持ちが、今ここに再び通じ合ったのだ。

 話している内に、どんどん熱が高ぶってきたのだろう。

 いつのまにか二人の声は大きくなり、最後の雫はなぜか英語だった。

 

「よしっ!!それじゃあ、明日に備えて寝るから、また明日ね!!」

「う、うん!!私も今日は早く寝るから!!グッナイ、久路人!!」

 

 そうして、かなり早めの就寝宣言の後、テンションを高めたまま雫は久路人の部屋を出ていくのだった。

 

 

-------

 

 

「・・・よし!!」

 

 そして、雫が出ていった数分後、久路人は先ほどの言葉と裏腹に、部屋の扉を開けて廊下に躍り出た。

 雫の部屋の方角に意識を向けつつ、足音を殺して階段の方に向かい、一階へと降りていく。

 

 この日、久路人が眠るのは日付が変わる直前であったことを知るのは、彼の養父だけであった。

 

 

 




評価、感想お待ちしております!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初デート 前編

自分の文章構成能力のなさに嫌になる・・・本当ならデートはこの一話で終わらせたかったのですが。
可能ならば、来週の平日に上げたいと思います!!


 月宮家の自室。

 時刻は8時を少し回ったころだ。

 今日は休日なので、いつもならもう少し遅くまでゴロゴロとしているのだが、今日だけは違った。

 

「よし・・・!!」

 

 僕は鏡を見ながら、口に出して確認する。

 そこに映っているのは、いつもの自分と同じ顔。

 けれども、いつもよりもずっとキリリと気合が入ってると自分でも思った。

 

「寝ぐせはなし、顔に何か付いてるとかもない。服もシワとかないし、襟もしっかりしてる・・・」

 

 確認する。チェックする。評価する。

 自分の姿のすべてを。

 これから行くのは、僕にとって、一世一代の舞台だ。

 自分の恰好におかしなところがないか、いくら確認してもしすぎるということはない。

 この確認ももう3回目だが、これで問題ないはずである。

 

「行くか」

 

 機は熟した。

 僕は昨日服と一緒に買ったボディバッグを背負って、部屋を出て・・・

 

「・・・・・」

 

 目を閉じる。

 部屋を出て、僕はまず最初に全力で聴覚に感覚を集中させ・・・

 

「・・・いないね」

 

 廊下を歩く音がしないのに、僕は一安心した。

 こんなところでいきなりエンカウントなど、ムードも何もない。

 ホゥとため息を吐いて、そのままゆっくりと静かに歩き、階段を下りていく。

 

「おっ、おはようさん。休みのお前にしちゃ、かなり早いな」

「うん、おはよう・・・今日は特別な日だからね。それと、昨日はありがとう」

 

 居間に着くと、おじさんがコーヒーを片手に新聞を読んでいた。

 そんなおじさんに、僕はお礼を言う。

 昨日の夜、というか日付的には今日までずっと『あるもの』を作る手伝いをお願いしたのだ。

 

「気にすんな。実際に手を動かしたのはほとんどお前だけだったからな」

「それでもだよ。遅くまで付き合わせちゃったし」

「あのくらいまで起きてるなんざ、俺にとっちゃいつものことだ・・・というか、お前こそ大丈夫かよ?ただでさえ朝弱いのに」

「大丈夫。部屋に戻った後で首に手刀打って落としたから。アラームも10個同時に鳴るようにセットしたし」

「・・・まあ、お前がそれでいいなら別にいいけどな」

 

 自慢でないが、僕は朝が弱い。

 しかし、今日という日だけは絶対に朝寝坊は許されなかったのだ。

 なので、昨日はすぐに意識を強制的にシャットダウンさせ、朝に起きられるように鼓膜が破れるんじゃないかというレベルの音量になるようにアラームをセットしていたのだ。

 僕の部屋は防音もしっかりしているので、外に漏れることもないというのは昔から知っていたことである。

 

「それじゃあ、僕は先に待ってるから、もう出るよ」

「おう・・・ああ、そうだ」

「何?」

 

 昨日買っておいたパンを片手に居間を出ようとする僕を、おじさんは引き止めた。

 

「今日なんだが、俺とメア、あと朧たちも隣街に行く用事ができたから、帰ってこねぇぞ」

「え?そうなの?」

「ああ。お前らが暴れた後の後始末だけどな」

「う・・・ご、ごめんなさい」

「別に結界の補修ぐらい大したことじゃねぇよ。メインは、久雷のジジイが開いた門や、狂冥の野郎がなにかしでかしてなかったか調べることだからな・・・そういうわけで、俺ら全員今日は帰らねぇ」

「うん、わかった」

「・・・・・」

 

 僕らが龍となったことが原因で、現在、隣街まで展開されていた忘却界には穴が空いている。

 応急処置はおじさんたちがしてくれたらしいのだが、あの場所の調査も兼ねて、帰りは遅くなるとのことだった。

 事情も分かったので、僕が頷くと、おじさんは何か言いたげな視線を向けていたが、結局何も言わずに新聞に目を落とした。

 

「それじゃ」

「ああ・・・頑張れよ、久路人」

 

 居間を出る直前に、おじさんはそう言って僕を応援してくれた。

 

「・・・うん」

 

 返事をしつつ、僕は思う。

 

「今日は、人生で最高の日になるようにしないとね」

 

 僕は力強く、玄関に向かって歩いて行ったのだった。

 

 

-------

 

「・・・少し、早く起きすぎたかもな」

 

 月宮家の玄関の前。時刻は9時ジャスト。

 家の壁にもたれながら、持ってきたパンを食べ終えて、僕はそんな独り言を漏らした。

 

「スタート地点は家で、一緒に出るんだから、もう少し遅くなってもよかったよな・・・というか、デートする相手と一緒に住んでるって時点で色々事前知識とズレがあるというか」

 

 昨日は夕方に雫とすぐに分かれたが、ざっくりとした予定についてはJAIN(ジャイン)で教えている。

 送信するや否や、一秒以内に既読マークが付き、『わかった!!』と返ってきているので雫も今日の9時半に玄関前に来て欲しいというのは知っているはずである。

 

(本当は、街の中にある噴水前とかにしたいって気持ちもあったけど・・・)

 

 デートといえば、有名スポット前で待ち合わせというのは王道だろう。

 雫としても理想のシチュエーションの中にそういったものがあるとは思うが・・・

 

(一緒に住んでてわざわざ違うところを集合場所にするのも変だし、僕たちの性質的に、世の中何が起こるか分からないからなぁ・・・)

 

 修学旅行では九尾の狐に襲われ、安全なはずの結界内で吸血鬼に奇襲を受け、見合い話に乗ったら体を乗っ取られかけた上に人間やめたり天使が襲来してくるような僕らである。今更家の中以外で別行動をするなど、1分でも嫌だった。まあ、それを言ったらそもそもデートなどするなという話かもしれないが。

 

「なんにせよ、もう少しかかるだろうし、ちょっとの間だけでも寝ておこうかな」

 

 おじさんには大丈夫と言ったが、実を言うと少し眠気があった。

 まさかデートの最中に寝るわけにもいかないし、体が頑丈なおかげで、僕は立ったままでも眠ることができる。ここはほんの少しでも寝ておこうかと、壁に深く体重を預けたその時だった。

 

 

--ドゴンっ!!!

 

 

「うおっ!?」

 

 爆薬に火でもつけたのかと思うような音と衝撃とともに、玄関が凄まじい勢いで開いた。

 そのショックでわずかにあった眠気が吹き飛び・・・

 

「はぁっ、はぁっ・・・ゴメン!!久路人、待ったっ!?」

「・・・・・」

 

 

 気絶するかと思った。

 

 

「ごめんね!!私、朝かなり早く起きてから二度寝しちゃって・・・メアから久路人がもう待ってるって聞いたんだけど・・・久路人?」

「・・・・・」

 

 目の前に、天使がいた。

 その顔は、これまで毎日見てきたはずなのに、その恰好が普段とまるで違うために、ただでさえ綺麗な顔が言葉にできない美しさを含んで昇華されていた。

 そのあまりの美のオーラに、危うく去っていった眠気の代わりに意識を刈られるところだった。

 

「久路人?」

「雫・・・」

 

 天使の名が、こぼれるように口から出てきた。

 意識をしっかりと保ちながら、僕は改めて雫の姿を目に焼き付ける。

 その上半身は黒いブラウスの上から白黒チェックのシャツを、襟をぐっと後ろに下げて肩が見えるくらいにして纏っている。下は薄茶のロングスカートに、白いロングソックスと黒いショートブーツ。なにより目を引くのは、頭に被ったグレーのキャスケットだった。彼女は、これまで帽子をかぶることはあまりなかったから目立って見えるのだろう。

 服は全体的に暗い色が多いのだが、それによってその抜けるような肌の白さと艶やかな銀髪の美しさがよく引き立てられていた。

 

「久路人?どうしたの?さっきから何も言わないけど・・・もしかして、その、怒って・・・」

「綺麗です」

「へ?」

 

 気が付けば、僕の口が勝手に開いていた。

 

「今日はものすごく綺麗に見え・・・いや、いつもスゴイ美少女だとは思ってたけど、今日はいつもよりもずっと綺麗に見える」

「・・・・!!!」

 

 雫は普段から美少女だ。その彫像のように美しく整った顔が、ボンッと紅く染まる。シュウシュウと白い湯気すら見えそうだった。

 

「それにしても・・・」

 

 それにしても雫とデートをしたいとは思っていたが、正直恰好は何を着ても似合うだろうから、あまり気にしていなかった。しかし、現実はどうだ。『デートのための服を着ている』というだけで、これほどの衝撃を受けるとは・・・

 

(いや、これまでも雫が服を変えてることはあったけど・・・その時はまだ血のことがあったから、そのせいでしっかり見れてなかったのかな)

 

 思い返せば、雫はちょくちょくいつもの白い着物から別の服に変えていることがあった。しかし、その時の僕は、それが偽りの感情がさせた格好だろうと思って、よく見ていなかったのだろう。

 

「クソッ!!あの時の僕が目の前にいたら斬り殺してやるのにっ!!雫の衣装違いバージョンをしっかり見てなかったとか、なんて勿体ないことを・・・っ!!!」

「く、久路人!!いきなり頭を壁に打ち付けてどうしたのっ!?怪我しちゃうからやめようよ!!」

「はぁっ、はぁっ・・・、ゴメン、雫があんまりにも綺麗だったから、気が動転してた」

「きれっ!?・・・そ、そういうのをストレートにいきなり言われると、私も困るっていうか、心臓が爆発しそうになるっていうか・・・え、えっと!!久路人の服もよく似合ってるよ!!にの腕がセクシーっ!!エロいっ!!細マッチョ最高!!」

「え?あ、うん。ありがとう・・・ああ、そうだ」

「?」

 

 これまでの度し難い愚行に、家の壁に頭を打ち付けて反省していると、雫に止められた。

 その冷たくも柔らかい感触と、薄い花の香りのような心地よい匂いで、スッと頭を落ち着く。天使に触れられているというだけで多幸感で頭がおかしくなるかもと思ったが、一周回って逆に冷静になれたらしい。

 そのおかげで、僕は大事なセリフを言い忘れていたのを思い出した。

 雫が物語のお姫様に憧れているというのなら、この台詞は定番だろう。

 

「ずいぶん慌ててたけど、大丈夫だよ・・・僕も、今来たところだったから」

「・・・うんっ!!」

 

 雫に手を差し出しつつそう言えば、雫は嬉しそうに僕の手を取って笑うのだった。

 

 

-------

 

 

「行ったか・・・」

「ええ」

 

 雫を自転車の荷台に乗せて、まるでどこかの青春映画のように華麗に二人乗りをしていく二人を見送る影があった。

 

「いいか、お前ら」

「「「・・・・・」」」

 

 カーテンが閉め切られた部屋で、一人の男が発した掛け声に、残る3人は沈黙で答えた。

 

 

--早く先に進め!!

 

 

 そう、彼らの雰囲気が物語っていた。

 それを感じ取ったのか、男はフッとニヒルに笑うと、懐からリモコンを取り出し、ポチッとボタンを押す。

 

「これより、久路人人外化計画、最終段階に移行する・・・デート監視ショーの始まりや」

 

 なぜか、最後だけ関西弁だった。

 

 

--パチパチパチパチ・・・・

 

 

 どこからともなく降りてきたモニターに、自転車で駆けていく二人が映った瞬間、部屋に静かな拍手が響き渡るのだった。

 

 

-------

 

「わぁ~~!!白流市にこんな場所あったんだ・・・」

「うん。僕も少し調べるまで知らなかったよ」

 

 僕ら二人の前に、天井まで届く大きな水槽がいくつも並んでいた。

 水槽の中には様々な種類の魚たちが躍るように泳いでいる。

 

「これ、全部川の魚なんだねぇ」

「白流市が内陸だからね」

 

 僕らがいるのは、白流湧水ノ水族館。

 この白流市は名前に流れとあるように、大きな川や池がたくさんあり、小さな湖すらある。

 そのせいか、この街には市立の水族館があるのである。

 雫は水属性の霊力を宿し、水の近くでは調子が特によくなる。さらに言うと人ごみも苦手であり、遊園地やショッピングモールのような場所よりは合っていると思ったのだ。

 雫を初デートに連れて行くのならば、この街でここ以上の場所はないだろう。

 

「なんていうか、こうやってじっくり魚を見るって新鮮だな。昔は泳いでる時に横を通り過ぎてくことはあったけど」

「水の中で魚と泳ぐか・・・」

 

 僕と繋いでいる手とは逆の手のひらで水槽をペタリと触る雫を見つつ、僕は想像する。

 水の中で、雫とともに龍となって広い蒼の世界を進んでいく光景を。

 

「いつか、泳いでみたいな」

「できるよ」

「え?」

「もうすぐできるよ」

 

 いつの間にか、雫が水槽から視線を外して、僕の顔を見つめていた。

 

「だって、もうすぐ久路人は私と同じになるんだよ?だったら、水の中でも空の上でも、どこだって行けるよ。私と一緒に」

「雫・・・」

 

 やや薄暗い水族館の中、僕の方を向く雫はスポットライトに照らされていた。

 無数の魚たちが泳ぐ水槽を背に、光に照らされながらほほ笑む雫は神秘的で、幻想的で、まるでこの世の者ではないようで・・・

 

(そりゃそうか、雫は妖怪だもんね。そして、僕ももうすぐ同じ存在になる・・・それなら)

「・・・久路人?」

 

 名前を返すだけで、反応の薄い僕を不思議に思ったのだろう。

 雫が少し近寄って、僕の顔を覗き込んでくる。

 

「ねえ、雫」

「うん」

 

 そんな雫に、僕は一つ頼みごとをすることにした。

 

「雫、他の人たちにも姿を見せるようにできる?」

「え?できるけど・・・なんで?」

 

 雫は不思議そうな顔をしていた。

 これまでの僕は、どちらかと言えば、いや、間違いなく雫を他の誰にも見られたくないと思っていたからだ。

 しかし・・・

 

「今日は、僕が人間でいる時の最初のデートだからさ。ほら、今だって僕が何もない所に話しかけてるように見えてるだろうし。僕も人外になって他の人から見えなくなるならいいけど、そうじゃないなら、『変な奴』って目で見られながらデートはしたくないなって思ったんだ。普通の人間らしいデートをしてみたいかなって・・・ダメかな?」

「あ・・・ゴメンね!!私すっかり気が付かなかった!!確かに今のままじゃ久路人が不審者みたいになっちゃう!!えぇっと・・・これでいいかな?」

「うん、大丈夫だよ」

 

 普段、雫は腕に術具を着けており、その効果で姿が見えない影響の違和感が軽減されるようになっている。しかし、一昨日の騒ぎのせいでいつのまにか術具が壊れており、その機能が使えなくなっていたのだ。

 まあ、おじさんに頼めばすぐにでも作り直してくれただろうが・・・

 

(初デートは、『普通』、いや『王道』のデートの方が雫は喜びそうな気がするんだよね)

 

 術具で姿を誤魔化すのではなく、ありのままの二人で普通にデートをする。

 なんとなく、そっちの方がいいような気がしたのだ。

 

(けど、まあ・・・)

 

 僕らの隣を通りかかった家族連れが、雫を見て驚いたような、いや、見惚れたような顔をするのを見て思った。

 

(次は、僕も人外になった後は、絶対に他の人の目に触れさせないけど!!)

「久路人?本当に大丈夫?すごい怖い顔してるけど・・・」

「い、いや!!大丈夫だよ!!ははは・・・」

 

 自分の器の小ささに軽く自己嫌悪に浸りながらも、僕らは周りの目を引きつつ手を繋いで水族館の中を回るのだった。

 

 

-------

 

「おいおい、あいつ大丈夫かよ・・・」

「なんのかんの言って、これまでの久路人様は雫様が一般人から見えないことを喜んでいましたからね。大方普通のデートをしてみたいと言ったところでしょうが・・・」

 

 月宮家の一室で、ソファに腰掛けた男女がモニターに映る映像を見ながら口を開く。

 その声音は、思わぬ一手に出た久路人を心配するようだった。

 

「それ、アタシとしては悪手だと思うけど。雫からすると、久路人が無理してるように見える方があんまりよくないわ」

「・・・自分も同感です。そもそも、久路人君が水無月さんを衆目に晒したくないと思っているように、水無月さんも久路人君が一般の方々に関わるのをよく思っていないように思えます」

「お~!!お前も中々よく見てるじゃねぇか。まあ、雫のヤツは、『自分と久路人以外の人間と妖怪が滅ぼうが知ったことじゃない』みたいなこと考えてるだろうからな。自分に構う時間が減るくらいなら、関わる人間を殺し始めてもおかしくないぞ」

「・・・やはりそうでしたか。昔のリリスもそうだったので」

「あら、表に出してないだけで今もそう思ってるけど?ここ最近朧に仕事を吹っかけてきた霧間の連中が滅んで清々してるわよ、アタシ」

 

 色々と物騒な発言が飛び交っているが、その分析は的確であった。

 映像越しでも分かるくらい、久路人の顔が引くついている。

 

「でもまあ、今からはそんなに気にしなくていいんじゃない?あの子たちが通ってるルートの先に・・・」

 

 そうこうしている内に、久路人と雫は水族館を回り終えたらしい。

 再び自転車に乗って、街の中を移動中だ。

 なお、二人乗りは交通ルール違反なので、雫はまた見えなくなり、久路人の表情が安らいでいた。

 ともかく、二人の向かう先は・・・

 

「・・・デートの定番。映画館ですか」

「ああ。メアの持っていたチケットを渡してある」

「突然のことで予約が取れず、映画館はスルーする予定だったようですが、この私に死角はありません。京に仕込まれたクラッキング技術を自動人形たる私が使えば、映画館のシステムなどちょちょいのちょいです」

「普通に犯罪よね、それ。まあ、アタシでも同じ立場なら似たようなことをするけど・・・って、あら?」

 

 映像の中で、持っていた封筒を開けた久路人は、少し驚いたような顔をしていたのだ。

 

「そういえば、お前何のチケット渡したんだ?」

「そこは、王道を往くラブロマンスモノに決まっているでしょう?デートといえばそれが定番・・・」

「ちょっと!!なんかアニメ始まったわよ!!」

「・・・これは」

 

 二人並んでシートに腰掛ける久路人と雫の前で、映画館のスクリーンには額にあざのある少年の剣士が雪の中を駆けていくシーンが映っていた。

 

「お前、これ〇滅の刃じゃね?」

「・・・今話題の、無限列車編ですね」

「・・・・・」

「ちょっとメア!!アンタ何渡してんのよ!!これ完全にアンタの趣味でしょうが!!」

「・・・・・どうやら、最近の霊力欠乏のせいで一部機能にエラーが出ていたようです」

 

 様子を見るに、メアはとって来るチケットに自分の趣味が混ざってしまったらしい。

 

「どうすんのよ!!ムード大丈夫なの、これ!?」

「いや、待て」

「・・・落ち着け、リリス。久路人君の周りを見てみれば、カップルも多い。デートで見ても、おかしいものではないようだ」

「結果オーライですね」

「アンタはもうちょっと反省したような顔をしなさいよ!!まったく・・・」

 

 そうして、そのまま映画は始まった。

 

 

-------

 

「うう・・煉〇さん」

「私も、刀使ってみようかな・・・」

 

 映画館から出ると、僕は熱くなった目頭を押さえた。

 映画館の中でも何度か涙ぐんでしまったが、余韻だけで、この場でも泣いてしまいそうだった。

 おじさんから渡されたチケットの封を切って、アニメだった時には驚いたが・・・なるほど、これは薦めるのも分かる。

 見れば、雫も持っていたチュロスを振り回して素振りをしていた。

 雫が美少女であるということを差し引いても注目を浴びていたが、今の僕らにはそんなに気にならなかった。

 なぜか頭の中で、『・・・見事な散り様でした』、『くぅっ!!吾輩があの中に飛び込んでいければ!!あんな縞々にむざむざ殺させずにすんだものをっ!!』、『評判には聞いていましたが、ストーリーは勿論のこと、音響や作画もこれまでのアニメ映画と一線を画している・・・日本のアニメ史に残る名作ですね』、『ああ、今の日本で、アニメだからって軽く見ていいもんじゃねぇな。いくつもの技術の結晶だぜ、こりゃあ』と、4人の男女が今の僕らのように涙ぐんでいる様子が浮かんできたが、頭を振ってそのイメージをかき消す。

 そうだ、いつまでもここにいるわけにはいかないのだ。

 

「そろそろお昼だよね。雫、近くのレストランに電話して・・・」

「あ!!それなんだけど!!」

 

 もうすぐお昼だと思い、近くにあるレストランに空きがないか確認しようとした時、雫が僕を止めた。

 

「実はね、昨日、久路人が寝た後なんだけど・・・」

「!!」

 

 僕は思わずビクッと震えた。

 

(まさか・・・バレた?)

 

 昨日の夕方以降、僕はずっとおじさんに見てもらいながら作業をしていたのだが、雫には『寝ている』と言っていた。もしや、それがバレたのではないかと、ばつの悪い顔をしていると・・・

 

「実はね!!お弁当作ってきたの!!」

「え?」

 

 そう言うと、雫は今まで背負っていたリュックを開けて、中身を僕に見せてきた。

 その中には、確かに大きめの弁当箱が二つ積み重なっている。

 

「だから、お昼はお店じゃなくて、こっちを食べて欲しいかなって・・・」

「それは、むしろ嬉しいけど・・・朝に二度寝したって言っていたのは、お弁当作ってたからか」

「その・・・うん」

 

 僕としては、こっそりと温めている企みがバレていなくてホッとした気分だ。

 いや、他にも胸の奥から温かいモノが湧き上がって来る。

 

(初デートで、彼女の手作り弁当を食べられる・・・明日、僕死ぬかもな)

 

 ただでさえ、雫レベルの彼女ができただけでもこれから先の運をすべて使ってしまったのかと不安になるほどなのだ。

 ここで、男の理想ともいうべきものを前に出されては、こう思うのもやむなしだろう。

 

「それじゃ、行こ?確かこの近くに、広い公園があったよね?」

「ああ、うん・・・そうだね」

 

 今いる場所は、白流市の中央付近だ。水族館も近くにあったが、雫の言っているのは、この街の中央公園の事だろう。中央と名前は付いているが、実際には少し郊外に近い住宅街の方にある。ならば、都合がいい。

 

(次に行きたい場所も、郊外の方だからね)

 

 僕の予定では、午前中から正午の昼食の時まで、王道のデートをするつもりだった。

 そこから、僕と雫だから意味のあるコースを往くのに、雫の提案はちょうどいいものだったのだ。

 

(ここまでは順調・・・でも、本番はこれからだ)

 

 ボディバッグの底に沈めた『あるもの』の感触を確かめながら、僕らはまた二人乗りで街の中を駆けていくのだった。

 




感想と評価で、オラに力を分けてくれ!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初デート 中編

もはや、申し開きはしません!!
一話延長入りまーすっ!!


 白流市中央公園。

 そこは白流市の中央からやや離れた場所に位置する自然公園である。

 この街は住宅街の中にも池や川が多くみられ、中央公園は僕らが修学旅行で歩いた湿地と似ている。鬱蒼とした森と桟橋のかかる湿地に、池の一部が埋め立てられてできた草原があり、まるで街という灰色の海に浮かぶ緑色の島のようだった。

 

「ここは何度か来たことがあるけど、よく街の中にこんな場所があるよね・・・」

「街の開発から取り残されたって感じだよね。でも、僕はこういう場所好きだなぁ。落ち着くというか」

「あ、それは分かる。なんかつい寄りたくなるんだよね、こういう所」

 

 公園の中を流れる川沿いの道を、雫と手を繋いで歩く。

 時刻は正午近くで、街には熱い夏の日差しが燦燦と降り注いでいた。

 しかし、公園の中は樹木と水辺のおかげかひんやりとしていて居心地が良い。

 

「それにしても、結構人がいるね」

「うん。今は夏休みだし、子供とかその親が来てる感じかな。後は・・・」

 

 公園の中を歩いていると、結構な数の人たちとすれ違った。

 虫取り網を持った子供に、その母親。杖を突いたお爺さんもいる。

 年の若い男女が手を繋いで歩いている姿もあった。きっとカップルなのだろう。今の僕らのように。

 そして・・・

 

『お母さん!!あの人スゴイ綺麗!!』

『本当ね~!!アイドルさんかしら・・・』

「・・・・・」

 

 道行く親子が、僕の隣を歩く雫を見て驚いたような声を上げていた。

 

『別嬪さんじゃのぉ・・・』

「・・・・・」

 

 他方、川で釣竿を垂らしていたお爺さんが、思わずといったように感嘆の声を漏らす。

 

『すげ・・・あ痛ぁっ!?』

「・・・・・」

 

 カップルだろうか。男女が僕らのように対面から歩いてきたが、すれ違う間際に、男の方が雫を見て固まっていた。

 すぐに一緒に歩いていた女の人に思いっきり腕を引っ張られていたが、それでも後ろ髪を引かれるようにチラチラとこちらを振り返っている。

 

「・・・・・」

 

 そんな風に、すれ違う人たち皆が雫に見とれていた。

 公園の中に入って10分も経っていないが、人に出会うたびに、様々な視線が僕らの方に向くのを感じる。

 そのほとんどは雫に向けられていたが、いくらか『なんか釣り合ってなくない?』みたいなオーラの混じった目線が僕に飛んできているのもわかった。

 だが、僕に向けられる視線などどうでもいい。

 

(分かっていたことだけど・・・すごいイライラする!!)

 

「・・・・・」

「久路人・・・」

「あ、ごめん・・・」

 

 無遠慮に雫に向けられる目への苛立ち、『雫は僕以外からジロジロと見られている』ということそのものへの不快感、そしてなにより、それらに感情を乱される器の小さい自分に、僕は内心でかなりのストレスを感じていたようだ。

 いつの間にか僕らは無言になり、僕は雫の手を力いっぱい握りしめてしまっていた。

 

「ごめん、ちょっと強く握りすぎた!!

「いいよ。久路人になら、手の骨を砕かれても笑顔でいられる自信があるから・・・」

「いや、そうは言っても、今の僕は・・・」

「手を離さないで!!」

「うおっ!?」

 

 今の僕は、正直不安定になっているという自覚があった。

 しかし、雫に普通の人にも見えるようにして欲しいと言い出したのは僕だ。

 それを、やっぱりやめてと今更言うのは恰好悪いだろう。

 だから、また強く握りすぎないように手を離そうとしたのだが、今度は逆に雫から手を握りしめられる。

 そうして驚く僕の顔を、雫は少しジト目になりながら覗き込む。

 その瞳は何か言いたげだったが・・・

 

「久路人、あのね・・・いいや、ここでいうのはあれだし、もっと奥の方へ行こ!!」

「わっ・・・ちょっ!?雫!?」

 

 雫は何かを言いかけたが、結局ここで言うのは止めたらしい。

 僕の手を引いて、ズンズンと奥の方へ進んでいく。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 僕ら二人は、再び無言になった。

 ただひたすらに、足だけを動かして歩いていく。

 

(はぁ~・・・せっかくの初デートに何をやってるんだ、僕は)

 

 内心で、ここまで上手くやってきたのに、急に気まずくしてしまったことを悔やみながら。

 

 

------

 

「よし、着いたね!!」

「ここは・・・」

 

 雫に引っ張られるように歩いて数分。

 僕たちは森と川のあるエリアを超えて、芝生の広がる広場まで来ていた。

 

「じゃあ、あそこにしよ!!」

「わわっ!!?」

 

 時刻はお昼時。

 広場に設置されたベンチや地面に敷いたレジャーシートに家族連れやカップルたちが座って弁当を広げていた。

 雫はそんな彼らを避けるようにしながらも、一直線に空いているベンチ目指して歩いていく。

 

「ん!!確保・・・」

「あ、雫!!」

 

 そうして、広場の一角にあるベンチの元にたどり着き、荷物を置こうとした時だ。

 

『シャアッ!!』

 

 僕が声を上げて雫の前に出た瞬間、ヒュンっとリュックが飛んできて、ベンチの上に乗っかった。

 

『よっしゃー!!ナイスシュート!!』

『よくこっから置けたな~!!!』

 

 すぐそばにある、僕らが通ってきたのとは反対側の通路からやかましい声が聞こえてきた。

 見れば、数人の若い男が森の中から出てくるところだった。

 

「あ!!そのベンチ、俺らの荷物置いたから俺らのね」

「・・・は?」

 

 リュックを投げたのだろう、体格のいい先頭にいた男が、ベンチの傍まで来てそう言った。

 僕らが近くにいたのは見えていただろうに、荷物を投げつけて場所を取ろうという横柄な態度に、僕は思わず唖然としてしまった。

 

「いや~!!俺らあっちのグラウンドの方でバスケしてたんだけどさ~」

「せっかく座れる場所あんのに、体動かした後で地面に座るとか嫌じゃん?」

「だからさ、俺らに場所譲ってくんない?」

「・・・・・」

 

 ワラワラと出てきては口々に勝手なことを言う連中に、僕は呆れてとっさに返事をすることもできなかった。

 そんな僕を見て話が進まないと思ったのだろうか?彼らは僕の後ろにいた雫に目をやり・・・

 

「うおっ!?すっげぇカワイイ!!」

「何々?お前らデート中だったりすんの?」

 

 またまたこちらの都合など無視するかのように、無遠慮な視線を向けてきた。

 そして、先頭にいた男はにやけた顔をしながら・・・

 

「いや~!!デートしてたのか~!!そりゃ悪かった!!でも、俺らも疲れてるからさ~!!俺らもここ使いたいんだよね。だから提案なんだけど、キミらも一緒にここ座んない?もちろん、そっちの彼氏クンもさ」

「そうそう!!そうしなよ!!その後もとっておきのコース案内してあげるからさ!!」

「いやいや、それはそこの彼氏クンの仕事だろ~!!ま、こんなクソ暑い日に外に連れ出してるって時点で下手糞だけどさ~!!」

「っ!?」

 

 雫に向けて、虫唾の走る視線を向けながらそう言った。

 後ろにいる連中も、追従するかのように耳障りな声を上げる。

 そんな神経を逆なでするような声と、雫が穢されるような感覚から、僕は反射的に殺気を漲らせ・・・

 

「・・・・・」

「・・・雫?」

 

 殺気を出して威圧しようかと思った瞬間、僕を押しのけて雫が前に出た。

 その突然の行動に僕は意表を突かれ、気勢を削がれる。

 僕からは背中しか見えない上に、顔を俯かせており、その表情はわからなかった。

 

「お!?何々!?キミの方から来てくれるってことはOKってこと~!?」

「いいよいいよ~!!キミみたいなキレイな子と飯食えるとかツイて・・・」

 

 目の前に、美少女の方からやってきたことでテンションが上がったのだろう。

 男たちは先ほどに輪をかけてやかましくなり・・・

 

「失せろ」

「「「・・・っ!!!!!!???????」」」

 

 雫がそう一言言った瞬間、突然喋れなくなったように口を開いたまま動きを止めた。

 その表情はまさしく蛇に睨まれた蛙。

 『人間という種が逆立ちしても勝てない天敵』に遭遇してしまったかのように、顔面を蒼白にして、その身体は震えていた。

 

「聞こえなかったか?」

 

 今の雫は、一切霊力を出していない。

 妖怪の放つ霊力は人間にとって猛毒だが、男たちが怯えているのは、雫が妖怪だからではない。

 

「妾は、失せろと言ったのだ!!疾く消えろ、痴れ者がぁっ!!!!」

「「「ヒッ、ヒィィィイイイイイイイイイイイッ!!!?」」」

 

 雫が顔を上げ、『自分たちに意識を向けたのがわかった瞬間』、男たちは脱兎のごとく走り去り・・・

 

「忘れ物だっ!!」

「グペッ!?」

「か、カネちゃんっ!?」

「お、おい!!カネちゃん連れて早く逃げんぞ!!」

「お、お前は足持てっ!!俺が肩持つからっ!!」

 

 雫が瞬時に投げ放ったリュックが先頭を走っていた男の後頭部にヒットして、崩れ落ちるように気絶する。

 残りの連中はカネちゃんと呼ばれていた男を担いで、森の方へと逃げていくのだった。

 あれほど恐怖していながら仲間を見捨てずに逃げたのを見るに、態度は最悪だったが案外身内には優しいのかもしれない。

 

「フンッ!!不愉快な連中だ・・・あ、ごめんね久路人!!お昼にしよ!!」

「え?ああ、うん」

 

 忌々しそうな声を出しながらも、僕の方を振り返った時には、雫の顔にはいつものように可憐な笑みが浮かんでいた。

 その笑顔を見ながら、僕は思いだしていた。

 

(そうか、これがリリスさんの言ってた、『毒』ってことか)

 

 雫は僕以外にとっての『毒』なのだ。

 それは、血や霊力だけではない。文字通り、存在そのものが毒。

 霊力の絡まない声や視線ですら、僕以外にとって有害なのだ。

 霊力を宿さない人間には、意識を向けられるだけで魂を汚染されるような本能的な恐怖を与える。

 これまでのデートでは、雫が僕以外を見ていなかったから被害が出ていなかっただけ。

 

(今の、完全に僕が人外化してない状態でこれなんだ。僕が人外になって、雫にもその影響が出れば・・)

 

 そうなれば、世界で雫を魅力的に想えるのは僕だけということになる。

 霊力の多い者ならば多少は影響がマシになるだろうが、異性として見れるのは僕だけだろう。

 すなわち、それはライバルなど存在しないということで・・・

 いつの間にか、僕の心には昏い悦びのようなものが滲んでいた。だが、同時に罪悪感もある。

 

(でもやっぱり、それは健全じゃないというか、嬉しいけど、雫はそれでいいんだろうか・・・)

 

 そうして、僕が顎に手を当てて考え込んでいると・・・

 

「・・・ふんっ!!」

「おぶっ!?」

 

 突然、頭をベシンとはたかれた。

 

「え?雫?・・・あ、ごめん、ちょっと考え事してて」

「・・・む~」

 

 顔を向けてみると、雫がむくれたような顔で僕を見ていた。

 

「ねぇ、久路人。さっき言おうとしてたことなんだけどさ」

「は、はい!!」

 

 僕はつい敬語になっていた。

 そんな僕を、雫はじっとりとした目で見つめたままだ。

 

「久路人は、今日誰とデートしに来てるのかな?」

「え?そりゃ、もちろん雫だけど・・・」

 

 当たり前の質問に、僕は当然の答えを返すが・・・

 

「ふーん・・・じゃあ、なんでさっきから久路人は、私じゃない他の人間ばっかり気にしてるの?」

「あ・・・」

 

 雫に言われて、気が付いた。

 

(映画館の時はすぐに暗くなったから気にしなかったけど・・・ここに来てから、僕は雫とほとんど話してない!!)

 

 そうだ。僕は、雫が他の人に見られていることを気にしすぎて、周りの人間の事にしか意識していなかった。

 初デートの最中に恋人から意識を外して他人の事しか見ていないなど、言語道断だろう。

 

「その!!ごめん雫!!せっかくのデートなのに・・・」

「む~、ダメ、許さない・・・・って言いたいところだけど。条件次第で許してあげる」

「え!?いいの?」

 

 だが、雫は少々怒っていながらも、許してくれるとのことだった。

 僕は驚きながらもホッとして、聞き返してしまった。

 

「うん。私以外を見ていたのは気に入らないけど、それって、私が久路人以外にジロジロ見られてるのが気に入らなかったからなんだよね?」

「う・・・!!えっと、その・・・そうです」

 

 言葉にされると、改めて自分の器の小ささというか、気持ちの悪い独占欲に塗れているところを突き付けられているような気分になる。

 なんというか、男らしくないというか、本当に好きな女のことを信じているのならば、もっと堂々としているべきなのだろうに。

 

「ふふっ!!」

「雫?」

 

 そんな風に自分を情けなく思っていると、雫が嬉しそうに笑う声が聞こえた。

 驚いて雫の顔を見れば、雫は本当に嬉しそうに、誇らしそうに笑っている。

 そこに、僕に対するマイナスの感情は見られない。

 

「えっと・・・雫は、その、迷惑じゃないの?気持ち悪いとか思わない?」

「久路人こそ、ご飯に血を混ぜて食べさせてた女にそんなこと聞くの?」

「え、それは・・・」

 

 言われてみれば、世間一般的に見て、やっていたことの気持ち悪さは雫の方が上かもしれない。

 しかし、そんな風にチラリと考えている僕を見透かすように、雫は『本当はね・・・』と続けた。

 

「正直言うとね、久路人はかなり束縛強いというか、重い方なんだと思うよ。普通だったら気持ち悪いって思うかもね」

「う゛・・・」

 

 グサリと、言葉が胸に刺さるようだった。

 実際に物理的に何かが刺さったわけでもないのに、僕は胸に手をやり・・・

 

「でもね・・・」

「え?」

 

 しかし、雫はそんな僕をやはり嬉しそうに笑いながら見て、言った。

 

「そんな久路人だからいいの。そんな気持ち悪い久路人だから、安心できるの。『ああ、こんな束縛強くて独占欲も強くて重い人の相手が務まるのは世界で私だけなんだ』って。だって、私も同じだから」

 

 僕の目を正面から見据えて、僕の心に届かせるように、雫は言葉を重ねる。

 

「私は久路人が好きだし、久路人が私のことを好きなのも知ってる。久路人が、私以外に目を向けないって自信だってある。でも、だからって久路人に他の雌がベタベタするようなことがあったら・・・例え相手が何の力もない人間でも、私は殺すよ?取られないからって、汚されないわけじゃないんだから」

 

 雫の顔に浮かぶ笑顔の質が、少しの間だけ変わった。

 心から嬉しそうな朗らかな笑顔から、ドロリと擬音が聞こえてきそうな、粘ついたコールタールのような熱を帯びたソレに。だが、それはほんの一瞬だった。すぐに、元の普通の笑顔に戻りつつ、湿り気を含んだ眼を僕に向ける。

 

「・・・どうせ、『男ならもっとドッシリ構えてなきゃ』とか、『僕は女々しい』とかそんなこと考えてたでしょ?」

 

 図星だった。

 いつの間に雫はサトリ妖怪の力を手に入れたのだろうか。

 

「そりゃあ、まあ。男がそんな風に考えてるのって、なんか情けない・・・」

「はい!!そんな考え方は古いよ!!時代は男女平等!!男だから~なんて言わないの!!」

 

 雫は、僕の言いかけた言葉を遮ってまくしたてる。

 

「大体!!普通の女はどうか知らないけど、私からすれば、ちゃんと目に見える形で嫉妬とかしてくれた嬉しいの!!『私のこと、ちゃんと自分のモノにしたいんだっ!!』って分かるから。逆に、何もなかったらそれこそ寂しいよ」

「雫・・・」

 

 それは、まごうことなき雫の本音だった。

 長年一緒にいて、つい先日には心の底からの想いをぶつけ合ったからこそ、間違えることはない。

 

「だから!!久路人は自分を情けないだなんて思わなくていいし、思って欲しくない!!私自身が毒になったことだって気にしなくていいの!!さっきみたいなクソゴミを追い払うのにも便利だし!!・・・逆に聞くけど、久路人は私以外の雌に絡まれて私と関わる時間が減るのと、自分の体臭が私以外にとって毒ガスになるの、どっちがいいの!?」

「雫と一緒にいられる時間を無くすぐらいなら、僕はスカンク並みの体臭になってもいい」

「でしょ!?だから、私はむしろ気に入ってるんだから!!」

 

 雫からの問いに、僕は考えることなく反射で答えていた。

 僕だって、雫と同じ立場なら、雫さえ嫌わないでくれるなら、どんな体臭になろうが知ったことではない。

 

「ふ~・・・色々言ったけど、とにかく!!久路人は他の人間のことを気に過ぎだし、自分のことも卑下しすぎで、私に対して気も遣いすぎ!!もっと私とイチャイチャすることだけを考えて欲しいの!!自分を責める暇もないくらいに・・・とりあえず、ここでお昼食べたらまた他の人間からは見えないようにするからね!!」

「雫・・・うん、わかったよ」

「分かればよろしい!!」

 

 僕が返事をすると、雫はそれまでの不満気な表情を崩して、にっこりと笑った。

 どうやら、雫も言いたいことを言い終えたようだ。

 姿を見えなくすることについても、午後の予定を考えれば別に問題はない。

 

「でも、久路人もこれで私の気持ちを分かってくれたよね?それが、これまでずっと私が抱えてたのと同じ気持ちなんだからね?」

「え?」

「だから、嫉妬しちゃう気持ちのことだよ。久路人は今日になって分かったみたいだけど、私はこれまで久路人の周りに人間の雌が来たり、久路人の血が目当ての妖怪が襲ってきたときには、さっきまでの久路人みたいになってたんだから」

 

 さっきまでの僕は、嫉妬と恐怖を抱えていた。

 雫は、客観的に見ても世界最高峰の美少女と言っていいだろう。

 雫が言ったように、僕も雫が心変わりをするとは思わないが、世の中何が起こるか分からないということは、九尾やら吸血鬼のことで身につまされている。

 つまり、雫が僕の傍からいなくなる可能性というものを、雫に注目が集まることで、つい考えてしまったのだ。

 だが、僕の体質で起きた事件を振り返ってみれば、雫が僕のようなことを考えてしまったのは、一度や二度ではないだろう。

 

「雫は、すごいね・・・僕は今日だけでも大分きつかったのに」

「ふふんっ!!そうでしょ?すごいでしょ?やっと分かってくれた?」

「うん。よくわかったよ」

 

 改めて、目の前の恋人を真正面から見る。

 自分は、こんな美少女を嫉妬に狂わせるほどに好かれているという幸運をかみしめながら。

 その時だった。

 

 

--ぐぅ~・・・

 

 

「あ・・・」

 

 僕のお腹から、低い音が聞こえた。

 時刻はもう正午を回ってしばらく経っている。

 いい加減、お昼にしないとこれからの予定に差し支えるだろう。

 

「ごめん雫、そろそろお昼にしたいから、お弁当もらってもいいかな?」

 

 そこで、僕はお弁当を作ってきたという雫にお昼を催促し・・・

 

「ヤダ」

「ええ!?」

 

 雫は、僕の視界から隠すように、雫は抱えていたリュックを背中に隠した。

 

「雫、なんで・・・」

「久路人、私言ったよね?『条件次第で許してあげる』って。まだ、許すなんて一言も言ってないよ?許してあげるまで、ご飯抜きね」

「そ、そんな・・・そ、それじゃあ、その条件っていうのは?」

「ふふ、それはね、さっきまで話してたことかな?」

「さっきまでの?」

「うん」

 

 さっきまで話していたことと言えば、要は『雫と仲良くすることだけを考えて欲しい』ということだが・・・

 

「そう!!私とイチャイチャする・・・つまり、私を久路人だけのモノにして、久路人が私だけのモノになるのが最低ライン!!そこまで行けば、久路人だっていちいち自分を情けないだなって思わなくなるよね?自分の大事なモノを、自分以外に触らせたくないって思うのは当たり前の事なんだから」

「え?そ、そうなの?」

「そうなの!!」

 

 そんな単純なものだろうか?

 まあ、雫に入れ込みまくれば、そんなことを気にする暇もなくなるというのはそうかもしれないが。

 

「コホンッ!!・・・そういうわけで、私は証が欲しいの!!私が、久路人だけのモノなんだっていうことと、久路人が私専用っていうことの証!!それをくれたら、許してあげる」

「・・・証」

 

 ドクンと心臓が波打ったような気がした。

 思わず、僕はバックの底を外側から撫でる。

 もしや、雫は僕が『証』を示すピッタリなモノを持っているのに気付いているのではなかろか?

 

(いや、それはない!!雫なら、もっとそういうシチュエーションはこだわるはず!!こんな話をするにしても、もっとデートの終盤まで待つはずだ!!)

「・・・久路人?」

「いや、そうだね」

 

 僕の反応が鈍いのを不安に思ったのか、雫は上目遣いで僕の顔を覗き込んできた。

 それと同時に、僕は『証』を今ここで渡すのは早いと判断を下す。

 

(『証』はまだ渡せない)

 

 しかし、その不安げな顔を放っておくことなどできるはずもない。

 そんな一瞬にも満たない板挟みを味わった直後、僕は本能に任せて動いていた。

 

「・・・ん」

「っ!?」

 

 気が付けば、僕は雫の腰に手を回して抱き寄せていた。

 そのままごく自然な動きで雫の顎を上げ、僕の唇と雫の唇を重ねる。

 

「「・・・・・」」

 

 そうして数秒経った後、僕は雫から離れた。

 カーッと、顔に血が集まって熱くなっているのが、鏡を見なくても分かった。

 

「えっと・・・今のが、僕なりの答えなんだけど、ダメ、かな?これで、雫を僕のモノに、っていうか、その」

「・・・ふぇっ!?あ、その、ちょっ!!・・・・・だ、大丈夫!!問題ナッシング!!」

「そっか、よかった」

 

 雫の顔を見ると、耳まで赤くなっていた。

 今にも湯気が出そうである。

 とりあえず、これでお昼を食いっぱぐれることはなさそうだ。

 

「ま、まさかいきなりこんな風にキスされるなんて・・・久路人、大胆」

「あはは・・・いや、雫に証を付けるなんて言ったら、今ここでできるのはアレしかなかったかなって」

「そ、そうなんだ・・・私はてっきり、言葉で約束してくれるんだって思ってたんだけど、想像以上だったよ・・・」

 

 顔を赤くしたまま、僕らは目線をチラチラと外したり合わせたりしながら会話する。

 正面から見つめ合うのが、今は恥ずかしくなってしまったのだ。

 そうやって、あっちを見たりこっちを見たり、目のやり場に困っていると、気付いた。

 

 

--ザワッ・・・

 

 

「「「「「・・・・・・」」」」」

 

 いつの間にか、広場のあちこちから視線を向けられていた。

 

「あ・・・」

「う・・・」

 

 その視線は、これまでのように雫を物珍しく見るようなものではない。

 その対象は僕と雫の二人ともで、視線の温度はやけに生暖かったが。

 だからこそ、僕らとしても殺気を出したり威圧したりといったことはできなかった。

 

「と、とりあえず!!お昼にしよっか!!おなか減っちゃったし!!」

「そ、そうだね!!私も許すって言ったし!!お弁当出すね!!」

 

 だがしかし、せめてもの抵抗と言わんばかりに努めて周りを見ないようにしつつ、僕らはベンチに座って、雫の取り出した弁当箱に手を付けるのだった。

 

 

------

 

 

--パチパチパチパチ・・・

 

 暗い部屋に、4人分のスタンディングオベーションが響き渡る。

 

「ブラボ~!!おお、ブラボ~!!」

「・・・あのごろつきどもが出たあたりでどうなるかと思いましたが・・・けがの功名と言うべきでしょうか」

「ああ、そうだな・・・なんというか、久路人のヤツ、男になったな・・・」

「ええ。まさか公衆の面前であそこまで大胆な真似ができるとは、予想外です」

「おいメア、録画はしっかりとったんだろうな?」

「あまり私を馬鹿にしないでいただけますか?すでに複数の記憶媒体に保存済みです」

 

 一時は。具体的にはあの荷物を放り投げた男が現れた時点で、この4人の思考は高速で回転していた。

 すなわち、『不安要素を排除する』か『場を盛り上げる舞台装置として利用する』かという決断だ。

 もしもデートの雰囲気を致命的にぶち壊しにするようなら、殺しはしないがかなりの強硬手段に出る予定であった。

 だが、結果を見れば久路人が真昼間から多くの人間がいる広場で雫にキスをしたという、これまた漫画のワンシーンのような状況だ。

 あの男たちは、その幸運に感謝すべきだろう。

 

「・・・しかし、ここまで来ればもう我々が見張る必要はないのではないでしょうか?」

 

 ひとしきり久路人のファインプレーをほめたたえた後、朧はポツリと口に出した。

 

(・・・京さんたちにとって、久路人君は大事な息子。見守りたくなる気持ちはわかる。しかし、これ以上出羽亀をするような真似は・・・)

 

 京が二人をくっつけることに、これまでほとんど見たことがないくらいのやる気を出した時点で、朧はやりすぎを警戒していた。

 これまでのことがあったために監視をするのは分かるが、あまりにも出過ぎた真似をするのは、いくら気付かれていないとしても褒められたものではないだろう。

 ここから先は、密かに尾行させている京の術具を持ったリリスの使い魔を広域警戒に切り替えて、二人はそっとしておくべきだと思ったからこその提案だったが・・・

 

「は?」

「お前頭湧いてんのか?」

「朧!!空気を読みなさい!!」

 

 返ってきたのは、妻も含めた3人の罵倒だった。

 

「ここまで来て途中下車ができるかよ!!」

「こんな二次元の具現化のような状況、そうそうお目にかかれるものではありません。お二人の結婚式で流す映像の確保のためにも、監視は必須です」

「そうよ!!こんな胸キュンする作り物じゃないラブロマンスなんて、一生で何回見られると思ってるの!!」

「・・・・・」

 

 それを聞いて、朧は目を瞑って、心の中で呟いた。

 

(・・・済まない、久路人君、水無月さん。自分には、この人たちは止められないようだ)

 

 正直に言って、朧としても先が気になるのは分からないでもない。

 だが、どうにも胸騒ぎがするのだ。

 それを止める機会を失ったような気がして、朧は二人に謝るのだった。

 

------

 

「わぁ~!!」

 

 公園のベンチに座って弁当箱を開けた瞬間、僕はつい声を上げてしまった。

 

「ふふふ!!今日ばかりは、栄養バランス無視で、久路人の好きなモノだけ詰め込んでみました!!」

 

 雫の言う通り、弁当箱に入っていたのは僕の好物ばかり。

 雫特製の唐揚げ弁当であった。入っているお米は真っ赤なケチャップライス。しかも、雫は汁物用の箱も準備しており、そちらにはビーフシチューが入っている。

 

「すごい美味しそうだよ、雫!!」

「美味しそう、じゃなくて、ちゃんと美味しいよ。しっかり味見したもん。久路人の好きな味にできてるよ・・・さ、召し上がれ」

「うん!!いただきます!!」

 

 手を合わせ、周囲にバレないように雷の付与で弁当箱を温めた後、僕は唐揚げを摘まんで口に入れ・・

 

「うん!!本当に美味しい・・・・あれ?」

 

 雫の言うように、しっかりと僕の好きな味だった。

 口の中に入れた瞬間、油と鶏肉の旨味がジュワっと広がるのが分かる。

 しかし、それと同時に別の感覚もしたのだ。

 

「久路人?どうかした?・・・もしかして、味付けよくなかった?」

「いや、そんなことないよ。すごい美味しい。けど・・・」

 

 口の中で唐揚げを噛みしめる。

 肉汁と油が広がって、それが絶妙な火加減で揚げられ、最適な水分を残していたのだと分かる・・・いや、そうだ。水分だ。

 

「もぐもぐ・・・雫、もしかしてなんだけど」

「うん」

 

 ゴクリと唐揚げを飲み込んでから、僕は雫に答え合わせをすることにした。

 

「いつもより、雫の血がたくさん入ってない?」

「あ!!分かるの!?」

 

 そう、この唐揚げ、どうにも衣がウェットなのだ。

 それそのものはおかしいことではない。僕はカリっとした衣も、ウェットな衣も両方とも好きだから。

 しかし、衣に含まれていた汁気が口の中に広がったとき、それらが体にしみ込んでいく感覚がいつもよりずっと強かったのである。

 

「なんとなくだけどね。味には感じないけど、僕の身体に入り込んでくるのがわかるっていうか・・・」

「そ、そうなんだ・・・」

 

 言いながら、僕は次の唐揚げに箸を伸ばし、ご飯もかき込んで頬張る。

 そうすると、さっきよりも感じられる量が増えた。

 そんな僕を見て、なぜか雫は顔を赤らめながら、体をもじもじと小刻みに揺らしている。

 

「あ!!ご飯もだ。ケチャップライスにしては赤いなって思ってたけど、これって、血でといだりした?」

「うん・・・とりあえず、唐揚げ用に右腕。御飯用に左腕から絞ったんだけど」

「なるほど。道理で・・・じゃあ、そこのビーフシチューも」

「そっちは、両足使ったかな。汁物だから」

 

 さっき、これは雫特製弁当だと思ったが、それはこれ以上ない正解だったらしい。

 この弁当を改めてみると、全体的に赤い。

 まさしく、これは雫そのものが籠った弁当であった。

 

「む~・・・雫、前も言ったけど、あんまり痛そうなことはしないでくれよ?せっかく作ってくれたし、美味しいからこの弁当は全部食べるけど」

「・・・その、久路人に早く人外になって欲しいって思って。でも、久路人がそう言うなら」

 

 唐揚げの合間にビーフシチューを掬って飲む僕を見て、雫は少しばつの悪いような目をしていた。

 

「じゃあ、今度から注射器かなんかを使うのはどうかな?昔僕が血をボトルに入れてたみたいに」

「え~!!それじゃあ、あんまり量が取れないよ」

「う~ん・・・そもそも、血をたくさん抜くって言うのがあまりよくないことだからなぁ」

「久路人、私これでも大妖怪だよ?腕なんて切ってもすぐ繋がったり生えてくるんだから、そんなに気にしなくても・・・」

「ダメだよ!!雫がよくても僕が受け入れられないの!!別に雫の血を一緒に食べるのはいいけど、雫が痛そうなのは嫌だ!!」

「も~!!久路人はそういうところ本当に頑固なんだから・・・そんな久路人には、はい!!あ~ん!!」

「むぐっ!?」

 

 会話の流れが自分に都合の悪いものになったのを察したのだろう。

 突然、雫は僕の口に唐揚げを突っ込んできて、僕は仕方なしに黙らざるを得なくなるのだった。

 

 

------

 

 二人して、真っ赤な弁当に手を付けつつ、和気あいあいと話す。

 恋人が話そうとしているタイミングで、狙いすましたように『あ~ん』を決め、『してやったり』という顔をする雫と、『しょうがないなぁ』という表情をしながら咀嚼する久路人。

 それはまさしく、恋人たちのデートワンシーンにふさわしい光景であった。

 ・・・弁当の素材と、そのおぞましい正体に気が付きながらもまったく気にしていないという歪さに目を瞑れば。

 

「じゃあ、今度注射器買いに行こうか?それか、おじさんに頼んで作ってもらおうかな・・・」

「それなら、久路人に買ってもらう方がいいかな~・・・私の血を抜くものなら、久路人に選んで欲しい」

「確かに、そうだね・・・じゃあ、おじさんに言って作り方を教えてもらおうかな・・・」

 

 ついでに、その会話の内容も。

 さらに言うなら、まったくもって普通の久路人と、ハァハァと微妙に息を荒くして顔を紅潮させた雫の表情の対比も、世間一般の恋人どうしの在り方から大幅にズレたものである

 しかし、二人の顔には自然な笑みが浮かんでいた。

 お互いに幸せそうに飲み、食い、話す。

 それができるのであれば、二人にとってそのようなことなど何でもない些事ででしかないのだから。

 

------

 

「「「「・・・・・・」」」」

 

 部屋の中は、沈黙で満ちていた。

 しかし、やがて一人の男がどこか引きつったような声で口火を切る。

 

「おい朧。お前、今でもこれ以上尾行するのは止めた方がいいと思うか?」

「・・・いえ」

 

 吸血鬼の究極の食糧庫たる朧にとって、血を提供するのは日常であるし、誇り高い役割であるとすら思っている。

 しかし、それが人間にとって異常であるということは分かっているし、直接吸わせるのならばともかく、わざわざ手足を切って、そこから溢れた血を唐揚げに加工して気付かれないように食わせるなど変態の所業だと思う。しかも、わざわざ初デートの場で、一般の目がある状態でやるなど狂気の沙汰だ。

 そして、それを知りながら気にも留めない青年もまた、違うベクトルの変態だろう。

 

(・・・済まない、久路人君。やはり自分は、君たちの行動を見届けなければいけないようだ)

 

 

--この変態たちが、次にどんな行動をとるのか目を離してはいけない

 

 

 霧間家の当主として、長く治安を守ってきた生真面目な朧は、さっきとは別の理由で、心の中で二人に謝るのだった。

 

 




最近リアルで異動があって、地味に辛い・・・
感想、評価よよろしくです!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初デート 後編

更新が遅れて申し訳ないです!!
リアルで色々とありまして、正直今月来月はかなりヤバめなので更新に乱れが出るかもしれません・・・

今回時間が買った理由は、内容的に過去の話を私自身が振り返る必要があったからですが・・・


「ふぅ~・・・ご馳走様でした」

「ふふ、お粗末様でした」

 

 夏の昼下がりの公園にて。

 ベンチに座ったままの僕たちは、お互いに手を合わせて弁当箱をしまった。

 

「さっきも言ったけど、すごい美味しかったよ。量もたくさんあったし」

「しっかり味見したもん。美味しいって思ってもらえそうなものじゃなきゃ、久路人には出せないよ。でも、ありがと!!」

 

 雫の作ってくれた雫エキスがこれでもかと仕込まれた雫特製弁当を食べたが、流石は数年間にわたって月宮家の台所を預かっていただけあり、その味はまさしく絶品だった。

 中学の頃に料理を習い始めたころから雫の料理は口にしていて、旨いとは思っていた。さらにデート中ということでいつもよりも美味しいと感じたのかもしれないが、これならば店に出しても通用するのではないかと思うほどだ。

 

「・・・・・」

 

 ・・・まあ、雫が僕以外に体液入りの手料理をふるまうことなど、絶対に嫌だが。

 

 

「・・・久路人、またなんか変なこと考えてるでしょ?」

「え?」

 

 しばらく料理のことを考えて黙っていたのを不審に思われたのか、雫がやや呆れたような目で僕を見ていた。

 

「な~んか、不安そうというか、嫌そうな顔してたもん」

「あ!!いや、それは!!別に雫の料理がマズかったとかじゃなくて、むしろその逆で・・・」

「『僕以外に手料理作って欲しくない!!』・・・とか?」

「うっ・・・まあ、平たく言うとそうです」

 

 本当に雫はサトリ妖怪の力でも手に入れたのではないだろうか?

 さっきから本当に僕の考えてることを見透かしているようだった。

 そんな雫は「ふふんっ!!」と得意げに鼻を鳴らしながら満足げな顔をしている。

 

「やっぱり!!あのクソ人間どもを追い払った時と同じような顔してたもん。そんな感じの事考えてると思った・・・そんなに心配しなくても、私は久路人以外に手料理作る気はないよ。まあ、メアとかがどうしてもって言うなら作るかもしれないけど、私の血は絶対に入れないよ」

「そ、そっか・・・」

 

 その言葉に、僕の嫌な想像はチリのように吹き飛んでいった。

 同時に『こちらこそ願い下げです』と言う声がどこかから聞こえたような気がするが、それは気のせいだろう。

 

「ふふ、それにしても・・・」

「わっ!?」

 

 そこで雫が、横に座る僕にもたれかかってきた。

 雫の体温と重みが伝わり、僕の心臓がドキリと跳ねる。

 

「私の恋人がこんなに独占欲が強いだなんて思わなかったな~。普通の雌だったらついていけないと思うよ?」

「う・・・で、でも、雫はそれが嬉しいんでしょ?」

「お?やっと久路人も分かってくれたの?」

 

 雫が僕をからかうように笑ったので、僕も半分冗談のようなノリで返してみれば、雫はさらに体重を預けてきた。その顔にはにやけた笑みが浮かんでいる。

 

「そうだよ?私は久路人のモノだもん。久路人に独占されて、縛られて、人目に触れないところで大事にしてくれるのが嬉しいんだよ?久路人になら、ずっと監禁されてもいいくらい・・・もちろん、久路人が隣にいてくれてるのが前提だけど」

「・・・それって、僕も監禁されてるようなものじゃない?」

「ふふっ!!そりゃそうだよ。私は久路人に縛られたいけど、同じくらい久路人のことも縛りたいんだもん・・・久路人は嫌?」

 

 冗談のような流れだったが、雫の声音には真剣さが混じっていた。

 僕を見つめる目にも、粘度の高い熱いモノが浮かんでいる。

 

「嫌なわけないよ。僕だって同じさ。僕は、雫のモノなんだろ?」

「・・・うんっ!!私も同じっ!!」

 

 雫が本気ならば、僕も真剣に答えるのは当然のことだ。

 真昼の公園で話すような内容ではないとは思いながらも、僕がしなだれかかって来る雫の腰に手を回して支えつつ答えれば、雫は花が咲いたような笑顔で頷いた。

 そして、次の瞬間に不意にベンチから立ち上がって、僕の方に手を差し出してきた。

 

「それじゃあさっ!!これからペットショップとかホームセンター行かない?また街の方に戻るよね?首輪とかリードとか手錠とか・・・それにさっき話してた注射器とか色々見て回りたいものができたしっ!!」

「うーん・・・首輪やリードならともかく手錠はホームセンターにはないと思うけどな。ああいうのって、どこに売ってるんだろ?」

 

 雫の手を取ってベンチから立ち上がりながら雫に返事をする。

 僕としても雫からの提案は魅力的だが、残念ながらその期待には応えられそうにない。

 

「でも雫、それはまた今度でいいかな?」

「え?」

 

 キョトンとして僕を見る雫を、今度は僕が引っ張りながら、僕らは広場の出口の方に歩き出した。

 

「これから行きたい場所は、街の郊外の方だから」

「郊外?」

 

 ここから自転車を停めてある場所までそれなりにかかる。

 その間に、これから向かう場所について、雫に説明しておくことにしようか。

 

------

 

「ここは・・・」

 

 自転車を走らせること十数分。

 僕たちは次の目的地にたどり着いていた。

 そこは、何の変哲もない田舎の農道。

 すぐ近くにはほんのつい最近に伐採されたかのように切株がいくつか顔を出している。

 

「あの、吸血鬼たちが襲い掛かってきたところ・・・」

「・・・うん」

 

 自転車を道のすぐわきに停めて、しばらくの間雫と佇んだ。

 あの戦いの後でこの辺りはかなり荒れていたはずだが、いつの間にか道は以前のように何の変哲もない道路に戻っていた。きっとおじさんたちが直してくれたのだろう。

 

「・・・ごめんね」

「え?」

 

 そんな風に少しの間周囲を観察していると、雫が不意に謝ってきた。

 疑問符を浮かべつつ雫を見れば、雫は申し訳なさそうな顔で続ける。

 

「あの時の事。私、久路人に思いっきり八つ当たりしちゃった。私はあの時久路人に守ってもらったのに、あんなにひどいこと言っちゃって・・・そもそも久路人の調子が悪かったのも私のせいだったのに」

「雫・・・」

 

 雫は、悲しそうに目を伏せながらそう言った。

 そんな雫に、僕は・・・

 

「んっ」

「わっ!?久路人っ!?」

 

 僕は、雫を抱きしめていた。

 雫が驚いたような声を上げるが、離さない。

 

「・・・今度は、僕が先に謝られちゃったな。あの時ひどいことを言ったのは、僕だって同じだったのに」

「久路人・・・」

 

 おずおずと、雫も僕の背に腕を回してくる。

 少しの間、僕たちはそのまま抱き合っていた。

 

「・・・雫があんな風に焦ってた理由、今なら分かるよ。雫に教えてもらったから」

「え・・・?」

「自分が、好きな人のすぐ傍にいられる理由を失いたくなかった・・・それで、好きな人から離れたくなかった、嫌われたくなかった・・・違う?」

「うん・・・そうだよ。私は、あの時の自分は、久路人の護衛だから隣にいられるって思ってた。だから、久路人が私がいらないくらい強くなったら、私はいらない子になっちゃうって・・・そうなったら、価値のない私は嫌われちゃうって思った」

 

 回した腕に力を込めながら、雫はそう言った。

 そんな雫に、僕は問う。

 

「今でも、そう思ってる?」

 

 それは、卑怯な問いだったかもしれない。

 雫の本心を聞かせて欲しいという意図が見え透いた、下らない質問だったろう。

 だが、雫はそんな意図に気付いているだろうに、さらに強く僕を抱きしめながら答えをくれた。

 

「そんなことあるわけないでしょ・・・今はもう分かってるよ。久路人は、私のことを好きでいてくれるから私を傍においてくれる・・・ううん、私に一緒にいて欲しいんだって思ってくれてるって。私だって、同じ気持ちなんだから」

「・・・ありがとう」

 

 ぐりぐりと僕の胸板に頭を押し付けてから、雫は抱擁する力を弱めた。

 そして、潤んでいながらもどこかじっとりとした瞳で、僕を睨む。

 

「でも久路人、一個大事なこと言い忘れてるよ」

「え?」

「私があの時怒った理由。久路人が言ったことだけが理由じゃない・・・わかってるよね?」

「う・・・あの時は、心配かけてゴメン」

「よろしい」

 

 あの時雫が怒った理由。

 それは、雫だけでなくメアさんも怒らせた理由であり、僕としても深く反省すべきことだ。

 僕は、自分を危険にさらしたことを謝らず、むしろ誇りにすら思っていたのだから。

 

「あの時は、僕も視野が狭くなっていたというかなんというか・・・なんとかして雫に血をあげない理由を作らなきゃって思ってたから、強くなろうとしてて・・・」

「言い訳は男らしくないよ?」

「・・・ごめんなさい」

「ん!!許してあげる」

 

 雫はどこかおどけたように、仰々しく頷いた。

 「さっき公園で男女平等とか言ってたよね?」と言いかけたが、それはあまりにも器が小さすぎるだろうと思ってやめたけど、正解だったようだ。

 それにしても・・・

 

「あの時は、お互い相当拗らせてたんだね」

「本当にそうだねぇ・・・もっと早く、お互い腹を割って話し合ってれば、もっと早くこうやってくっつけたのかな?」

「そうかもしれないけど、難しかったと思うよ。極限まで追い詰められなかったら、嫌われる覚悟を決めて向き合うのは、僕にはできなかったと思う」

「私も、リリス殿やメアに発破かけられてやっと覚悟が決められたからなぁ・・・確かにそうかも。それに、ここで色々あったから、あんな風に久路人に告白されたって思えば・・・」

「・・・僕も、あんな状況だったからあそこまでできたって言うのはあるなぁ。もっと前だったら人外化まではできなかっただろうし」

 

 お互いに絡み合う腕を自然に外しながら距離を開け、数日前に戦場となった道を見る。

 改めて見ても、そこにあの時の激戦の爪痕は残っていない。

 けれども、あの時ここで僕らは確かに戦って・・・そして、過ちを犯したのだ。

 だからこそ、僕らは今のように結ばれることができた。

 だから・・・

 

「だから、この場所がいいんだ」

「久路人?」

 

 その言葉の意味は、雫には分からないだろう。

 雫は不思議そうな顔で僕を見る。

 

「僕たちは、ここで間違えた。けど、そこからやり直せた。だから、ここはスタート地点にふさわしいって思ったんだ・・・雫」

「なぁに、久路人?」

 

 僕は、雫に向き直った。

 その綺麗な顔を見ながら、今度は僕から手を差し出した。

 

「デートの続き、しよっか。午後の分は、ここからスタートだよ」

 

 さあ、ここからが本番の始まりだ。

 

 

------

 

「次は、久路人の大学?」

「うん」

 

 次なる場所は、ここ一年と少しの間毎日のように通う大学だった。

 白流市に建つとある大学であり、僕はそこの農学部に在籍している。

 この大学は別の県に大きなキャンパスを持つ大学の分校であり、農業の実習や大型の圃場を用意できることから、理学部や農学部が分けられたということらしい。

 そんな大学の構内を、僕と雫は手を繋いで歩いていた。

 雫は他の人間の目に映らないようになっているが、休みということで人通りも少なく、宙に向かってしゃべる僕を気にする者もいない。

 

「でも、なんでここに・・・?」

「うーん・・・ここに来た意味はあんまりないかもな。ここは、今の僕らが通う所だから」

「え?」

 

 雫が不思議そうな顔をしているが、僕としてもここに来た意味はそんなに大したものではない。

 なぜならここはこれから先の未来に向かう場所であり、現在の僕らが様々なモノを積み上げている最中の場所だからだ。

 

「ほら、こっちこっち」

 

 雫の手を引きながら建物に入る。

 目指すのは食堂で、業者や学生がたどり着きやすい場所にあることもあって、あっという間にたどり着いた。

 そして中に入った僕は、食堂のある一角を見つつ思い出す。

 

「・・・・・」

「久路人?」

「ねえ、雫は覚えてる?」

「え?」

 

 未だによくわからない顔をしている雫に、僕は問いかけた。

 

「ここで、僕と野間琉君と毛部君が話してた時のこと」

「え?・・・あ~!!あったね、そんなこと」

「じゃあ、ここで僕が言ったことも覚えてる?」

「ここで?・・・あ」

 

 日数で言えば、ほんの一週間程度前のこと。

 けれど、ここ数日の出来事があまりにも濃密すぎて、懐かしさすら感じた。

 そして、ここで野間琉君と毛部君に言い放った言葉は、僕の決意そのものだった。

 僕の決意であり、約束であり、既に叶えた言葉。

 

 

--でも、好きな人ができたら、僕の方から声をかける。そういう風には決めてるよ

 

 

「ふふ、有言実行ってやつだね、久路人」

「うん。あれは、僕自身への約束でもあったから。まあ、好きな人ができたらっていうか、あの時にはもういたんだけどね」

「確か、『好きな人が今できたわけじゃない』とかも言ってたよね。今だから分かるけど、あれってもっと前から・・・」

「そうだよ。もっと前から、雫のことが好きだったから」

「はぐぅっ!?」

「・・・雫?」

 

 会話の途中でいきなり奇声を上げた雫に何事かと目をやれば、雫は顔を赤くして僕を見ていた。

 

「・・・さっきの公園とか道でもそうだったけど、久路人って不意打ち得意だよね。ここまでが接触系だったところに言葉攻めしてくるなんて」

「? 確かに、気配消して背後から襲い掛かるのはかなり有効だとは思うけど・・・」

「それで、妙なところで鈍いよね・・・私のアピールにもずっと気付いてなかったみたいだし」

「?」

 

 なんだか雫がまたジト目になっていた。

 機嫌が悪いようではないみたいだが・・・

 

「なんでもないよ!!」

「そう?それなら、もう行こうか」

「え?もう行くの?」

「うん。ここには、これからもまた来るから」

「ふーん・・・?」

 

 雫の手を取って、もう一度歩き出す。

 ここは、この先もしばらく通うところだ。

 ならば、ここが本当の意味で僕たちのデートコースになるのは、もう少し先の話だろう。

 

「・・・・・」

「雫?」

 

 廊下を歩いている最中に、雫が不意に黙り込んだ。

 そこは講義室のすぐ近くで、もう少し歩くと別の出口に着く場所である。

 足を止めると、雫は繋いだ手をじっと見つめている。

 

「どうしたの?」

「・・・えいっ!!」

「うわっ!?」

 

 不意に、雫が僕の腕に飛びついてきた。

 思いっきり体重をかけられるが、鍛えていることもあってか、バランスを崩さずに受け止めることに成功する。

 

「い、いきなりどうしたの?」

「なんでもないよっ!!」

「?そ、そう?」

「ふふっ!!そう、なんでもないの。でもね・・・」

「?」

 

 雫は機嫌がよさそうに僕の腕にしがみついている。

 そうしながら、そのまま僕の顔を見つめて・・・

 

「私のこと、ちゃ~んと連れてってよね。置いてっちゃダメだよ?」

「当たり前だよ。僕が雫を置いてくわけないじゃん」

 

 僕が雫を置いてどこかに行くことなどありえない。それは、何も今がデート中だからとかそういう話ではない。この先ずっと、という意味を込めてだ。

 僕だけが先に行くなんてことは、あの見合い話の時だけで、そして、それが最後だ。

 

「ふふふっ!!そう、そうだよね・・・ごめんね?変なこと聞いて」

「いや、別にいいけど・・・?」

 

 僕がそう言うと、雫はパッと腕をほどいた。

 しかし、手は繋いだままだ。

 

「ほらほら、今日は久路人が私を連れてってくれるんでしょ?次はどこに行くの?」

「え?あ、うん・・・よし、それじゃあ次に行こうか」

「うん!!」

 

 雫に促されて、僕らはもう一度歩き出した。

 隣にいる雫は、嬉しそうに鼻歌を唄っている。

 その音色を聞きながら思った。

 

(ここは正直微妙な反応になるかもって思ったけど・・・来て正解だったみたいだな)

 

 雫が嬉しそうな理由が分からないのは、少し悔しかったけど。

 

------

 

「ふふふっ!!」

 

 久路人に手を引かれて歩きながら、雫は心の中で呟いた。

 

(ねぇ、少し前の私・・・)

 

 過去の自分に向けて、言葉を投げる。

 

(私、ちゃんと、久路人に連れてってもらえてるよ。こうやって、手を繋いで)

 

 

--もしも、私以外に好きな人ができたら、私を置いていくの?

 

 

 そんな、今思えばあまりにも馬鹿馬鹿しいことを考えて、久路人に無理やり飛びついた場所を・・・

 

「雫?本当にどうしたの?」

「別にぃ?本当になんでもないよっ♪」

「?」

 

 今度は、久路人の方から差し出された手を握りながら、久路人に導かれて歩いていくのだった。

 

 

------

 

「・・・あ」

 

 白流市の住宅街を、自転車に乗って風を切りながら進む。

 その途中で、荷台に横向き座っていた雫は声を上げた。

 その声は、何かに気付いたかのようだった。

 

「ねぇ久路人。次に行く場所って・・・」

「そうだよ。雫の考えてる通りの場所」

 

 僕らの目の前にあるのはアスファルトで舗装された車一台が通るのがやっとの道路だった。立ち並ぶ電柱には真新しい選挙候補のポスターが貼られ、やや汚れた家々の壁や苔の生えたブロック塀が、それらが昔からこの地に建っていたのだと物語っている。

 ・・・どうやら、雫はここの風景を見て次に行く場所に気付いたようだった。

 

「・・・なるほど。そういうことか~、なるほどぉ」

「・・・・・」

 

 ギュッと、僕にしがみつく雫の力が強くなった。

 

「ねぇ久路人、覚えてる?あの頃は、よく二人で古龍の大〇玉出るまでたくさんマラソンしたよね」

「忘れたくても忘れられないよ・・・なんかあの時は僕の方だけ運が良くてあっさり装備ができちゃったから、雫がお揃いにしたいって駄々こねたんだよね」

「そうだよ!!久路人ったら、先に防具作っちゃうんだもん!!おかけで私だけ乙ることもあって、結構ショックだったんだからね?」

 

 口に出るのは、「あの頃」の思い出だ。

 行く先がバレているのならば、そういう話になるのも当然か。

 そして、そういう話になるということは、午後のデートをどういう目的で回っているのかも気付かれているのだろう。

 

「マラソンといえば、雫が体育の授業の時に僕の隣でずっと走ってることもあったよね。あの時は『なんか月宮の周りは涼しい』って噂になって僕の周りに人が集まってきたんだからね?」

「覚えてるよ!!あの厚かましい連中!!おかげであの頃は久路人から少し離れてなきゃいけなくなったんだった!!」

「・・・あの時は、複雑な気持ちだったな。雫が傍にいないのが寂しいような嬉しいような気がして。なんであの時そう思ったのか分からなかったけど、他の人間から雫が離れてくれたのが嬉しかったんだ」

「久路人、あの時から独占欲強かったんだねぇ・・・」

 

 自転車に乗りながらも、車輪のように話は回る。

 それは、今と同じ道を過去にも何度も走ったから。

 これから向かう場所にも、ここにも、思い出が詰まっているからだ。

 雫はもう完全にデートの趣旨に気付いたようだが、それでいいのだ。

 その方が、楽しい思い出を掘り起こせるから。

 そして・・・

 

「着いたね」

「うん」

 

 次に自転車を停めたのは、『白流高等学校』と書かれた看板の前だった。

 

 

------

 

「よっと」

「ほっ!!」

 

 鍵のかかった校門をジャンプで飛び越えて校内に侵入する。

 今日は休みで、午後の2時ほどになったからか、吹奏楽部の練習以外に音は聞こえず、学生の姿はない。

 

「意外だね~。久路人が不法侵入に手を付けるなんて」

「・・・まあ、僕としてもどうかとは思うんだけどね」

 

 僕は自分で言うのもなんだが、ルールにはうるさい方だ。

 無論、もう高校を卒業した自分たちが勝手に学校の敷地内に入るのはルール違反であることも知っている。

 

「けど、ここをデートコースから外すのは嫌だったんだよ。ルールを破ってしまうことよりも」

「ふ~ん・・・それってさ、ルールよりも私とのデートを大事にしたかったってこと?」

「うん」

 

 雫に言われて、自分でも気づいていたことを改めて自覚する。

 そう、今日の僕は、ルールよりも雫を優先したのだ。

 いや、それは正確ではないかもしれない。

 

「今の僕には、雫に関係することが絶対のルールだから」

「久路人が言うと、重みが違うね・・・まあ、嬉しいけど」

 

 自分の中のルールに、さらに上位のルールが追加されたという感じだ。

 今の僕にとって、雫こそが最優先であり、そのためならばあらゆる法律を無視できる。

 そんな感じだった。

 そんなことを話しながらも、昇降口に入る。

 

「・・・ほんの2、3年前なのに、懐かしいって思うなぁ」

「私も。ここの生徒じゃなかったけど、制服来て入ったこともあったからかな」

「・・・雫の制服か」

 

 僕の通っていた高校は、土足で入るのが普通だったから下駄箱のようなものはない。

 だが、そうでなくとも昇降口は何故だか懐かしい。

 そして脳裏によぎるのは、高校の頃に隣を歩いていたブレザー姿の雫である。

 

「あ!!もしよかったら着てあげよっか?」

「・・・ものすごく魅力的な提案なんだけど、今日はいいや。今日は、今の雫の恰好を目に焼き付けたい。それはまた次の機会にお願い」

「久路人がそう言うなら。まあ、久路人が私服なのに私だけ制服っていうのも変だしね・・・あ!!久路人も人外になって、私の霧の衣みたいな服ができれば、制服デートできるよ!!」

「え?・・・そういえば、僕が半妖体の時の恰好は雫の着物みたいなものだったんだろうし、同じことできそうだな・・・それなら僕が人外になったら、もう一回来ようか」

「うん!!・・・ふふ、今日が初めてのデートだけど、2回目も結構すぐできそうだね!!」

 

 雫からの素晴らしい申し出を断腸の思いで断るも、それよりももっと心惹かれるプランが出てきた。しかも、2回目のデートについてもごく自然に出せるような雰囲気でだ。これが雫の戦略なら恐ろしい頭脳をしていると言わざるを得ない。

 しかし、制服デート・・・そんなものは二次元の中だけに存在するものだと思っていた。

 

「えっと・・・2-4。ここ、久路人の教室だったよね」

「うん」

 

 そうこうしている内に、僕らは一番思い出に残っている場所に出てきていた。

 そこは高校2年生の頃に僕がいた教室である。

 

「確か、席はここだったな」

「久路人って、よく窓際の席になってたよね・・・えい」

 

 そうして、僕は窓際にある席の一つに座った。

 雫も、僕の隣の席に座る・・・ことなく、すぐ隣に氷の机を作り出すと、そこに座った。

 

「ああ、雫は授業中はそうやって机作ってたもんね」

「うん。これなら、いつでも久路人の隣に座れたもん」

 

 雫の隣で、椅子に座りながら黒板を見る。

 ああそうだ。高校の頃はよくこうして授業を受けていた。

 だが・・・

 

「・・・・・」

 

 脳裏によぎるのは、この高校の中で過ごした日々のことではなかった。

 

「久路人、2年生のころの教室を選んだのって・・・」

「うん」

 

 それは、雫もそうなのだろう。

 

「高校のことで一番印象的だったのは、2年生の時、いや、修学旅行の時だったから」

「やっぱり・・・」

 

 机に座っても、思い出すのはあの修学旅行のことだった。

 突如現れたススキ原と銀色の月の世界。

 虚言と影に翻弄され、約束を守れず、一度は死に瀕した。

 奇跡のような力の目覚めによって、どうにか二人とも生きて帰ることはできたが、あの戦いで負った見えない傷は、本当につい最近まで僕ら二人に残っていたのだ。

 

「ねえ久路人、あの吸血鬼と戦った道でも思ったんだけどね」

「うん」

 

 蘇る苦い記憶に思わず胸に手を当てる僕をよそに、雫が黒板を見ながら言う。

 僕の中には不思議な確信があった。

 確かに、あの時の傷は永く残って、僕らを苛んだ。

 しかし・・・

 

「私は、あの時九尾と戦ってよかったって思ってる」

 

 しかし、『決してそれだけのものではなかった、二人ともそう思っているのだ』と。

 雫の言葉が、それを証明する。

 

「もちろん、それは久路人も私も無事に帰ってこれたからだけどさ」

「・・・うん」

「あの時に久路人が死んじゃいそうになったから、私は久路人を私と同じモノにしようって思った。京たちも同じようなことを考えてたみたいだし、結局は久路人に黙って進めちゃったけど・・・」

 

 雫が、僕の顔に目を向ける。

 その瞳はいつもと同じ紅色だ。

 けれども、そこにはドロリとした形容しがたいナニカが混ざっているようにも見えた。

 

 

--久路人を私と同じモノにすればいい

 

 

--すべては、永遠にあなたと共に在るために。

 

 

「久路人を、心の底から私だけのモノにしたいって思ったのは、きっとあの時だったから」

「・・・雫」

 

 雫は、僕のことを『独占欲が強い』と言った。

 それは正解だ。僕は雫を誰にも渡したくないし、できれば僕以外の誰の目にも触れさせたくはない。

 そして、それは雫も同じなのだ。

 今の雫の言葉や視線に混じる異様さは、決して綺麗なだけでは生まれないものなのだから。

 

「あの時に久路人がいなくなっちゃうかもって思ったから、今の私がいるんだと思う」

「それは、僕もそうだよ」

 

 異常とも言える独占欲に執着。

 常人ならば逃げ出してしまうだろう、その粘度の高い感情が自分に向けられていることに対して、僕が抱くのはただただ喜びと安堵だった。

 それを素直に喜べるのは、あの旅行で植え付けられた呪いを解けたからに他ならない。

 しかし、雫がそう思うように、僕もまたその呪いをあそこで抱えたことは意味のあることだったと思う。

 

「あの時に雫の気持ちを疑って、そこから色々やらかしたからこそ、雫が大事にしたいものの価値がわかったから」

 

 それは、今がうまくいっているからこそ言える台詞なのだろう。

 だが、そう思うのは本当のことだ。

 ここ最近の僕の暴走の原因にはあの時の呪いがあって、そこで起きたことを解決したから、気付けたことがある。

 あの時に呪いを受けていなかったら、もっと後になって、さらに厄介なことを引き起こしていたのかもしれないのだから。

 

「・・・もう、一人だけで突っ走ったり、抱え込んだりしたらダメだからね。後、久路人自身のことも大事にすること・・・まあ、私にとってもブーメランだけど」

「約束するよ。これからは、もう何かあっても絶対に雫に打ち明ける。一人で解決しようとなんてしない」

「じゃあ、これ」

「え?」

 

 僕は約束にはうるさいが、守れなかった約束もある。

 けれども、この約束だけは破らない。

 もうあんなに色々と暴走して、雫を悲しませるようなことはしたくない。

 その想いを口に出すと、雫は僕に小指を突き出してきた。

 

「約束。私も、久路人と同じことを誓うから」

「・・・うん」

 

 最初は唖然としたが、その意味を理解すると、僕は雫の小指に自分の小指を絡める。

 そして・・・

 

「「指切りげんまん、嘘ついたら針千本の~ます・・・」」

 

 傾き始めた午後の日差しが差し込む中、僕らの歌う声が吹奏楽の調べに乗って響いていった。

 

 

------

 

 約束の後、話の流れは修学旅行の事から当時の学生生活のことに変わり、そのまま高校でしばらく思い出話に浸った。

 確かに記憶に一番残っていたのは修学旅行のことだし、修学旅行の後からはどことなく雫との関係がギクシャクしていたこともあったが、それでも雫と3年間通った場所だったのだから、話せることは多い。

 池目君と伴侍君が学園祭のイケメンコンテストでワンツーフィニッシュを果たし、その後で友人だった僕に好みを聞きに来る女子が増えて雫が怒ったことだとか、野間琉君と毛部君が朝から席に座っていたのに夕方までどの先生にも存在していたことに気づかれず出席日数が足りなくなっていたのをフォローしたことだとか。

 直接僕に関わる事態でなくとも、それは雫と共に見てきた出来事だ。

 話している内に、大分時間が経っていた。

 

「・・・そろそろ行こうか」

「え?ああ、もう4時なんだ・・・そうだね」

 

 気づけば、吹奏楽部の練習も終わっているようで、校舎には練習の終わった部員たちが話しながら歩く音がかすかに聞こえてくる。

 

「じゃあ、行くよっ!!」

「うんっ!!」

 

 雫は今他の人間からは見えなくなっているが、僕は違う。

 見とがめられる前に軽く術で身体を強化し、足音を立てないようにしながらも壁を蹴ってすぐに校舎の外にまで出る。

 そこまで来れば、自転車を停めてある場所まではあっという間だった。

 

「・・・次は、あそこだよね、久路人?」

「あ~・・・やっぱり分かる?」

「ここまで来れば分かるよ!!それに、ほんのつい最近に私も同じ道を通ったし」

「え?そうなの?」

 

 自転車に乗って次の場所に走り出した時には、雫は目的地に気付いていたようだった。

 コース的に隠せるわけもないので先を読まれるのは予想していたが、雫が最近に訪れていたとは知らなかった。

 

「うん。久路人がいなくなった日にね。あの日は街中走り回ったんだから」

「おぅ・・・それは、その、本当にゴメン」

 

 なんてこった。

 僕がいなくなった日というのは、僕が隣街まで見合いに行った日のことだ。

 まさかそんな雫にとって嫌な思い出と初デートをシンクロさせてしまうとは・・・一生の不覚である。

 

「まあ、だから今が楽しいんだけどね」

「え?」

 

 しかし、そんな後悔は一瞬で雫に消し飛ばされた。

 

「前は不安に思いながら通ったところを、今日は探してた人とゆっくり堪能できるんだもん。ギャップがあるっていうか、久路人が隣にいるありがたみが増すっていうか・・・」

 

 いわゆる、下げて上げるというヤツだろうか?

 

「もう、僕は雫を一人にしないから」

「うん!!約束もしたし、当然だよ!!もちろん、私の方もね」

 

 雫の体温を背中に感じながらそう言えば、雫が僕の腰に回す力も強くなった。

 もう二度とこの温もりを離さない、いや、離れたくない。

 そう思いながらペダルをこぎ・・・

 

「ここも、変わんないなぁ・・・」

「私は最近見たばっかりだけど・・・今は少し違って見える。ううん、昔と同じように見えるのかな」

 

 そこは、少し小高い丘の上にある中学校。

 僕たちは、その裏庭に立っていた。

 校舎の北側に位置し、林に周りを囲まれたこの場所は、人気がない。

 今はまだ夏休み期間でない休日だからか、そこには僕たち以外に誰もいなかった。

 雫ははやる気持ちを抑えきれないとばかりに、駆けだしていく。

 

「懐かしいよ。私はこの場所で・・・」

 

 木漏れ日に照らされる裏庭の中央にまで進んだ雫は、唐突に振り向いた。

 

「初めて久路人と、こうやって話せるようになった」

 

 間違いなく、僕たち二人は同じ光景を思い出しているのだろう。

 雫のすぐ傍まで歩みよって、僕は雫を抱きしめた。

 

「んっ・・・」

 

 今度は、そうすると分かっていたのか、雫に驚いた様子はない。

 ただ、嬉しそうに抱きしめ返してくるだけだ。

 僕は、そんな雫に言葉をかける。

 

「初めて、こうやって抱き合えた」

 

 ここで思い出すのは、クラスメイトの女子に口汚くののしられる自分。

 そこに突然現れた白い濃霧と美しい少女の姿。

 そして、彼女が差し伸べてくれた手と、抱きしめてくれた時の温もりだ。

 

「雫が助けてくれた時は、本当に世界が変わって見えたよ。雫に助けられてなかったら、トラウマになってたと思う」

 

 

--人間の雌餓鬼ごときが、妾の久路人に何をしている?

 

 

--ずっと、ず~っと私が守るから

 

 

 あそこまで囲まれてなじられるのは、初めての事だった。

 今でこそ乗り越えているが、しばらく雫以外の女子が怖く思えたものだ。

 それをなんとかできたのも、すべてはあの時雫が僕を助けてくれたから。

 

「・・・むぅ。私以外の女を怖がるトラウマなら、別に治さなくてもいいんだよ?」

「それはそうかもしれないけど・・・それだけ、雫が来てくれたことが嬉しかったからね」

「それなら仕方ないね。私にとっても、あの時に久路人を助けないなんてことできるわけなかったもん。あのクソガキどもに殺してやりたいくらい腹が立ったし。まあ、この姿になれたから情けをかけたけど・・・ねぇ久路人。ちょっとあそこに横になってもらっていい?」

「うん」

 

 雫が指差す場所には、ベンチがあった。

 僕は少しも疑問を抱かず、そこに仰向けに寝そべり・・・

 

「えいっ!!」

 

 すぐに、柔らかい感触を頭の後ろで感じた。

 

「これも懐かしいな。確か、僕は途中で一度気絶しちゃったんだっけ」

「あはは・・・私が強く抱きしめすぎちゃったからだね。あの時はごめんね?でも、仕方がなかったの。だって、あの時初めて私は・・・」

 

 僕に膝枕をしながら、雫は僕の額を撫でた。

 そして・・・

 

「んっ!!」

「っ!?」

 

 それは不意打ちだった。

 雫が、突然僕の唇に自分の唇を重ねてきた。

 目を見開く僕を尻目に、雫はしばらく僕との距離を0にしたままだったが、やがて遠ざかっていく。

 

「ぷはっ・・・だって、あの時初めて、私は人間の姿になれたんだもん。久路人のことが好きだって気が付けたから・・・えへへ、実はあの時膝枕してる時にもキスしたいって思ってたんだよ?だから、今もらっちゃった」

「・・・あの時キスされてたらどうなってたかな。あの時の僕も気付いてなかったけど、間違いなくあの時だったから。僕が雫を好きになったのは」

 

 ここは、僕と白蛇の化身が出会った場所。

 僕と雫の二人が、その想いに気付いた場所。

 僕と雫にとっての、始まりの場所だと・・・

 

(いや、それは違うな)

 

 僕は、僕の中に思い浮かんだ言葉を否定した。

 そうだ、それは違う。

 そう思うと同時に、僕は鞄を強く抱きかかえた。

 

「ねえ、雫」

「久路人?」

 

 僕は、名残惜しさを感じながらも、雫の膝から起き上がった。

 のけぞるような姿勢になった雫は、少し驚いたような顔をしている。

 そんな雫に、僕は問う。

 

「雫の願いは、まだ全部は叶ってないよね?」

「え?」

 

 初めてここで聞いた雫の願いの欠片。

 その全てを知ったのは、雲の上でのことだった。

 あの大きな満月を背にした雫の出した問いに、僕は正しい答えを出した。

 それは雫の願っていた理想の一つを叶えることになったが、まだその全てを満たせてはいない。

 

「・・・・・・」

「久路人?どうしたの?」

 

 夏の夕暮れは長い。

 空を見上げてみれば、まだ太陽は沈み切っておらず、紅い光が地平線の近くにまで迫っていた。

 それを追いかけるかのように、まだ薄く白い月が存在感を出しつつある。少し欠けてはいるが、その形はまだ満月に近い。

 だが、あの夜の帰り道を照らしてくれた眩さを感じさせるまでには到底至らない。

 

「行こう、雫」

「へ?」

 

 僕が立ち上がって手を差し出すと、雫は目を丸くして驚いていた。

 それを見て、僕の中に少しだけ満足感が湧く。

 雫はここがデートのゴールだと思っていたということで、自分はその予想を超えることができたのだから。

 だが、こんなところで満足などしていられない。

 僕にとってのクライマックスはここからなのだから。

 

「行くって、どこに?」

「決まってるよ」

 

 僕の手を取った雫を引き上げながら、答える。

 

「一番最初の場所さ」

 

------

 

 駆ける。

 ただ、駆ける。

 

「一番、最初の場所って・・・」

「それは着いてのお楽しみってことで」

 

 風のように、僕らは駆ける。

 自転車に二人乗りをしているにも関わらず、そのスピードはこれまでの道のりの時よりも速い。

 そのまま夕暮れに染まる街並みの中を突き進んでいく。

 今まで歩いてきた街が、視界に入っては映画のコマ送りのように流れていく。

 その最中、雫は時折何かを思い出すように声を上げていた。

 

「ここ・・・」

「・・・・・」

 

 昔、夏祭りでフランクフルトを買った露店のあった道路。

 あの時は雫が周りからバレないように浴衣の下に隠れてもらった。

 一人と一匹で分けて食べたフランクフルトの味は最高だった。

 

「あっ、ここも・・・」

 

 僕らが通っていた小学校。

 僕が人間としての常識を学んでいった場所。

 僕が他の人間から距離を置かれ始めたきっかけの場所。

 でも、どんな時でも僕は一人じゃなかったから寂しくなかった。

 

「この場所って、全部・・・」

「・・・・・・」

 

 景色は目まぐるしく変わっていく。

 街の中から郊外の方へ。

 月宮家のある方向へ。

 だんだんと家や電柱の数が減り、緑色の草木の占める割合が大きくなっていく。

 それと同じく、周りを照らすオレンジの光に混ざる紅も濃くなっていく。

 空は夕暮れから夜へと変わる。

 それは人と人ならざるモノが出会う時、逢魔が時。

 まだ人の身である僕と、妖怪の雫が乗る自転車は、その中を走り抜けていく。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 いつしか、僕らは無言になっていた。

 だが、そこにぎこちなさはない。

 それは、今目に映る場所の思い出が、僕たち二人の間に満ちているからだろう。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 今くらいの時期に泳ぎに行って、雫に負けた川。

 体を鍛え始めたころに走った農道。

 木登りや虫取りによく行って、ある時にはトカゲのような妖怪に追いかけられた雑木林。

 

「そっか・・・」

 

 そして、雫が再び何かに気付いたように呟いた時。

 

「ここなんだね」

 

 自転車は、その動きを止めた。

 僕たちは静かに、その場所に降り立つ。

 

「私たちの、始まりの場所って」

「そうだよ。ここが、一番最初の場所だった」

 

 そこは何の変哲もない、舗装もされていない農道の脇。

 月宮家に繋がる道から外れた、ほとんど消えかけた道の果て。

 今から十数年前に、僕がたまたま気が向いたから寄り道をした場所。

 その時は夕方ではあれど、今のような空が見える陽気ではなく・・・

 

「雫、術を使ってもらってもいい?」

「うん・・・これで、いい?」

「ありがとう」

 

 雫が軽く指を鳴らした瞬間、辺りはあの時と同じになった。

 霧雨が降る中、雫以外のすべてが白く覆い隠されて見えなくなる。

 僕のやりたいことをすぐに察してくれたことが、とても嬉しかった。

 そう、まさしく今のような時だった。

 

「この場所で、霧雨の中で、僕と雫は出会った・・・ううん」

「私たちは、出会えたんだよ」

 

 祝福された血を持つ僕と、長きにわたる封印でやせ細った雫の前で、小さな穴が開いたのは。

 それは、果たしてどれくらいの確率であったのだろう?

 きっと、途方もなく小さな可能性であったに違いない。

 それでも、僕らは出会って、友達になって、お互いに恋をして、こうして結ばれた。

 

「僕はね、雫が好きだよ。でも、それは今の雫だけじゃない。人間の雫も、蛇の雫も、両方とも好きなんだ。それを示すなら、ここしかないって思った」

「そっか・・・だから、小学校とかあの雑木林の前を通ったんだよね?」

「あ、やっぱり気付いてた?」

「ふふ、当たり前だよ。もう何年一緒にいると思ってるの?」

 

 雫はそう言ってほほ笑んだ。

 その表情に蔭はない。

 雫と結ばれたあの日に僕が自分の想いを伝えた時も、雫は自身が蛇であることを気にしていたようだった。だから、そのことだけはしっかり分かって欲しいと思ってここに来たのだが、その必要はなかったのかもしれない。

 

「それに、久路人は私と同じモノになるだもん。蛇の私を私自身が認めないなんて、久路人の想いを認めないのと同じだよ・・・あ!!言っておくけど、久路人が私のことを全部好きって言ってくれたことはすごく嬉しいんだから、変に気にしないように!!」

「・・・そこまで読まれてたのか」

 

 本当に自分の心の中が読まれているようである。

 これから先のことが少し心配だ。

 雫を裏切るようなことや悲しませるようなことを考えるつもりはないが・・・

 

「・・・・・」

「久路人?」

 

 僕は密かに、鞄の底にある箱の感触を確かめた。

 僕の顔を見つめていた雫は不思議そうな顔をするが、どうやら僕の動きには気づいていないようだ。

 よかった。こういうサプライズまでバレてしまうのは、少し困る。

 そんな僕を訝し気に見ていたが、この場所の懐かしさが勝ったのか、雫は辺りを見回した。

 

「・・・でも、ここに来るのはあの時以来かな?確かあの時は、私のことをペットしようとか思ってたんだっけ?」

「え!?いや、それは、その時は雫がただの蛇だと思ってたから・・・!!」

「ちゃんと女の子として愛してくれるなら、久路人に飼われるのは結構興味あるよ?」

「・・・雫、あんまりそう言うこと言わないで。犯罪行為に踏み込みそうになるから」

 

 過去の僕は雫の言う通り、珍しい白蛇だった雫をペットにしようとしていたが、今の女の子の雫から『飼われてもいい』とか言われると、色々理性の糸が怪しくなるから正直抑えて欲しい。

 

「そういうのって、合意があればいいんじゃないの?」

「それでもだよ!!」

「む~、残念・・・ふふっ、なんてね。冗談だよ、冗談。半分くらいは」

「半分は本気なの・・・?」

「さあ?どうかな?あ、でも首輪は欲しくなったかも」

「首輪って・・・」

 

 そこで、雫はおどけたように笑って見せた。

 僕としても男であるからしてそういうことにも興味はあるが、そんなアブノーマルなところまでにはもっと段階を踏んで行きたいところである。

 

「・・・・・」

 

 しかし、僕は気付いていた。

 その少しだけ寂しそうな目を見た瞬間、僕はやると決めた。

 雫は、ずっと僕との繋がりの数を気にしていた。

 それが、その目の原因であると言うのならば。

 

「首輪とかは流石にアレだけどさ、他の輪っかはどう?」

「え?」

「例えば・・・これとか」

 

 そこで、僕は鞄を開けた。

 腕を突っ込み、すぐさま底に沈んでいた箱を手に取る。

 ずっと意識していたから、取り出すのは簡単だった。

 

「え?」

「開けるよ」

 

 『なんだそれは?』といった感じの雫を見ながら、僕は箱を開けた。

 そこには・・・

 

「ゆ、指輪・・・?え、これって・・・?」

「僕の、雫への気持ちの『証』。急ごしらえで僕が造ったモノだけど、おじさんにも監修してもらったから、質は確かだよ」

 

 箱に入っていたのは、一対のペアリングだ。

 二匹の蛇が絡まり合った意匠のシルバーリング。

 蛇の瞳には、小粒ではあるが紅いルビーと紫のアメジストが嵌っている。

 

「昼間に『証が欲しいっ』って言われた時には少し驚いたというか、バレてるんじゃないかと思ってたんだけどね」

「気付いてないっ!!ぜんっぜん気付いてないよこんな不意打ち!!やっぱり久路人はアサシンだよっ!!とんでもない・・・」

「雫、手出して」

「サプライズって・・・・久路人ぉっ!?」

 

 突然のことに目を白黒させる雫を見て満足感と達成感を抱きつつ、僕は雫の『左手』を取る。

 そのやや体温が低い白魚のような左手を僕の方に寄せて、その薬指に指輪をはめた。

 

「これは、新しい『契約』の『証』」

「あ・・・」

 

 指輪がピッタリち指にはまった瞬間、混乱したかのようにまくし立てていた雫がピタリと止まった。

 目を見開いて、信じられないモノを見るかのように自分の左手薬指を見つめている。

 その様子を見ながら、僕は自分の左手薬指にも指輪をはめた。

 そして、改めて雫に向き直る。

 

「ここに来たのはね、ここが一番の場所なんだと思ったからなんだ。あの吸血鬼に襲われた場所をスタート地点にしたのと同じでね。ここから全部が始まったから、こここそがデートのゴールで、同時に僕たちの新しいスタート地点にふさわしいって。契約を結びなおすならここだって」

「契約・・・」

 

 僕たちには契約があった。

 出会ったその日におじさんによって結んでもらった契約。

 雫は僕を守り、その対価として僕の血を与えるというモノ。

 雫が何より大事にしていた繋がりにして大義名分。

 しかし、それは月宮久雷によって断たれてしまった。

 

「正直僕は、あの契約ってあんまり好きじゃなかったんだ。雫の意思を無理矢理縛ってるような気がしててさ。僕にとっては『お互いを守りあう』って約束だけでいいって思ってた。けど、雫も言ってたよね」

「私が言ってたこと?」

「うん。久雷を倒した後だね」

 

 契約については、九尾の呪いが解けた後の今でも思っていることは変わらない。

 けど、雫が言っていたことも分かるのだ。

 

「僕だって、雫とのつながりは多ければ多いほどいいんだ。それが味気ないギブアンドテイクだけだったら少し寂しいけど、今から結びたい契約はきっともっと想いが通じ合うようなモノだから」

「それって・・・」

 

 そうして、僕は何かを言いかける雫を遮るように、その名を呼ぶ。

 

「水無月雫さん!!」

「は、はいっ!!」

 

 それは、数日前の満月の夜の焼き増しだ。

 

「僕と・・・」

 

 だが、ただのリフレインではない。

 この場所で、これまでの軌跡を辿る旅を終えた僕らだからこそもっと大きな意味がある。

 新しい契約という意義を持たせることが、僕らを繋ぐ新たな絆となる。

 

「僕と、結婚してください!!僕と、この先一生一緒にいるって契約を、結んで欲しい!!」

「はいっ!!・・・ふっ、不束者ですが、よろしくお願いいたしますっ!!えいっ!!」

「とっ!?」

 

 満面の笑みで飛びついて来る雫を受け止めながら、僕はそう思った。

 

 この日、始まりの場所で始まりの時と同じ霧雨の中で、僕と雫は『夫婦』という新しい契約を結んだのだった。

 

 

------

 

「まあ、正式な結婚とかの手続きは僕が大学を卒業してからになると思うけど。これは結婚指輪じゃなくて婚約指輪だから。雫と結婚するときには急ごしらえじゃなくて、もっと時間をかけて最高の品を作るよ」

「・・・それ、今言う?」

「ここで言わずに後で言う方が卑怯かなって・・・」

「本当に、そういう所久路人はまじめだよね。いい意味でも悪い意味でも」

 

 久路人からの2度目のプロポーズを受けた後、雫はジト目になりながら恋人を見た。

 久路人はかなり真面目というか、お堅いところがある。

 今の話も、雫を養う生活基盤を整えてからとかそういう意図があって言ったのだろう。

 しかし、それはこのプロポーズ後の空気で言うことだろうか?

 まあ、雫としても久路人の生真面目なところだって好きなのだが。

 

「それにしても、水無月雫さんに、新しい契約か・・・ふふっ」

「雫?」

 

 突然小さく笑った雫に、久路人は不思議そうな顔をする。

 雫が笑ったのは、昔を思い出したからだ。

 雫が、『水無月雫』になった日のことである。

 

「えっとね、私が水無月って名字を決めたのはね、久路人と結婚するためだったんだよ?」

「え?どういうこと?」

「結婚するのには戸籍とか色々いるでしょ?その辺は京がどうにかしたみたいだけど、それにしたって名字がいる。だから、水無月って名付けたの」

「なるほど・・・」

「まあ、私のことを水無月って呼ぶ人ほとんどいないけどね」

 

 だが、久路人と結婚するという目的が叶う以上、水無月の名字も役目を果たしたと言える。

 そう考えれば、呼ばれたことが多かろうが少なかろうが雫としては満足だ。

 

「久路人が大学卒業したら、私も月宮雫になるんだね・・・別に変じゃないよね?」

「え?うん。全然変じゃないと思うけど・・・」

「それじゃあ、声に出していってみて?月宮雫って」

「いいけど・・・月宮雫」

「ふふんっ!!じゃあ次は、愛してるよマイハニーって」

「ええっ!?」

「ほら早く早く!!まさか、嫌ってわけじゃ・・・」

「愛してるよマイハニー!!」

「私もだよ、ダーリン!!・・・ねね、もう一回!!もう一回言って!!」

「う・・・あ、愛してるよマイハニー!!」

 

 霧の中、二人はしばし歯が浮くような、胃が持たれるような糖分100%の台詞を言い合った。

 とはいっても、夫婦の誓いを果たした二人にとってはどれだけ恥ずかしい台詞であっても口に出してしまえるのだが。

 

「ふぅ~・・・うん!!満足!!」

「・・・何だろう、すごい胃が持たれるような感覚が。なんか甘いものを食べすぎた後みたいな」

 

 雫が満足したのだろう。

 久路人は少し疲れたような顔で胃の辺りを押さえている。

 しかし、久路人もまたどこか誇らしげだ。

 それは雫の熱烈なラブコールのリピートを終えたのもあるだろうが、それだけではない。

 今の久路人の顔は、何かをやり遂げた男の顔だった。

 そう、人生初めてのデートをやり遂げたのだから。

 

「はぁ~・・・でも、無事終わって良かった。ちゃんと指輪渡せたし、言いたいことも言えたし」

「ふふ、すごくよかったよ?今まで生きて中で、間違いなく今日が最高の日・・・いや、久路人が人間やめた日も捨て難いかも?」

「ちょっ!?雫?」

「ふふふ~っ!!!あ!!とりあえずこの霧は解くね?」

「ちょっと待って!!僕としてはそこはかなり気になる・・・」

 

 それが成功したかどうかは、こぼれるような笑顔で久路人と腕を絡めている雫を見れば語るまでもないだろう。

 久路人を焦らして面白がるついでに、雫は辺りに漂わせていた霧を消し・・・

 

 

 一筋の白銀の光が、霧を切り裂いて降り注いだ。

 

 

「・・・あの時と一緒だね」

「うん・・・」

 

 霧が晴れると、黒い夜空をバックに、白く輝く月が二人を照らしていた。

 それは、雫が初めて人間の姿になったあの夜と同じで・・・

 

「それじゃあ、雫。帰ろうか」

「うん!!」

 

 そして、やはりあの夜と同じく、二人は手を繋いで歩いて帰ったのだった。

 中学校からよりも遥かに短い距離ではあるものの、二つの影の結びつきはあの時よりもずっと強く。

 帰り道の間だけでなく、この先の未来まで片時も離れないと言うように、二人は腕を組んで月宮家まで歩いて帰ったのだった。

 ずっと、ずっと。

 

------

 

「「「「・・・・・」」」」

 

 暗い部屋の中、4人の人影は無言でスクリーンを眺めていた。

 いや、それは正確ではない。

 画面に映る二人を見ながらも、遠い記憶の彼方を思い起こしているようにも見える。

 しかし、それはほんのわずかな間だけであった

 

「あいつら、本当にくっついたんだな」

「・・・ええ。先達として喜ばしい限りです。あの二人ならば、文字通り未来永劫仲睦まじく過ごすことができるでしょう」

「ああ、間違いねぇな・・・・・あとあいつら、自転車あそこに忘れてったみたいだし、後で回収しとくか」

 

 4人の内2人の男、京と朧は感慨深く呟いた。

 養父として見守ってきた京は勿論のこと、リリスという吸血鬼を嫁に迎えた朧は久路人に深い共感を抱いたのである。

 しかし、感動はしていても頭は冷静であった。

 

「おいメア。準備は整ってんだろうな?」

「当たり前でしょう。ここまで来て最後の詰めを誤るはずがありません。事前に我々が外泊することは伝え、月宮家の結界、防犯設備の警戒レベルは最大です。邪魔が入ることはありません。加えて、冷蔵庫の中にも回春効果のある食材を詰め込んであります。電話線に細工をして出前も取れない以上、あの二人は家の中にあるものに手を付けるほかありません。さらにさらに、久路人様の部屋に媚薬効果のある無臭の薬剤を散布済みです」

「よし」

 

 メアの返事に、京は満足げに呟いた。

 そこで、改めて他のメンツを見渡した。

 

「いいかお前ら、計画は最終段階だ。今日これから、あいつ等を全力でやらしい雰囲気にしてヤらせるっていう崇高な計画だが・・・ここまで来れば失敗はあり得ねぇ。よく協力してくれた。あいつの親代わりとして礼を言う」

 

 

--パチパチパチパチ

 

 

 部屋の中に拍手が響いた。

 そこにいる面々も、自分たちのような人外カップルが無事ゴールイン、否、スタートするのは立場的にも個人としても嬉しいのだ。特に、どこぞの使用人と違って純愛的な恋バナが大好物の吸血鬼は瞳を潤ませていた。今日のデート全般、特に最後の中学校からプロポーズまでの流れがツボに入ったらしい。

 

「アタシからも礼を言うわ!!こんな純愛ゲーみたいな流れをリアルで見れるなんて、一生に何回あるかしら?ねえ、朧!?」

「・・・そうだな」

 

(・・・協力といっても、今日動いたのは設備をいじったり冷蔵庫に色々と仕込んでいたメアさんだけでは?)

 

 その夫である朧は拍手をしながらも脳内でツッコミを入れていたが。

 ともかく、ひとしきり拍手が終わった後に京はさらなる指示を出す。とはいっても、京としてもそれ以上動くことはあまり考えていない。

 

「よし、それじゃあ今日はもうカメラ落とせ。んで、ここで俺らは寝るぞ。朧たちは隣に別の部屋を用意したからそっちで休め。さすがにこれ以上追いかけまわすのは野暮だろ」

「・・・ですね」

(・・・よかった。さすがに京さんは分別をわきまえていたか)

 

 朧は短く同意しながらも胸をなでおろしていた。

 もしもこれ以上の、二人にとっての記念すべき夜まで記録に収めるとか言い出すようなら、朧としても実力行使も辞さない覚悟であった。

 変態的な行動を起こすのか不安だったので監視を続けていた朧にとって、これ以上の監視はやりすぎだという思いがあったのだ。

 しかし・・・

 

「は?何言ってるんですか?ここからが本番でしょうが」

「ちょ、ちょっとメア!!さすがにこれ以上はよくないんじゃないかしら」

 

 京の言葉に対して、メアは反旗を翻した。

 隣に座っていたリリスも止めるようなそぶりを見せてはいるが、チラチラとスクリーンを見ていることから興味はあるらしい。

 

「デートシーンが終わって、告白パートも終わり・・・R18シーンはここからでしょうが!!何のためにエロゲを買ったと思ってるんですか貴方たちは!!一般版で満足できるのは枯れたおっさんかガキだけです!!」

「何の話してんだお前!?」

 

 突然意味不明な理屈を言い始めたメアに京は言いつのるが、止まる様子はない。

 もしかしたら、霊力欠乏とやらの影響なのかもしれないが、素のような気もする。

 

「リリス様!!使い魔の動きはっ!?」

「えっ!?い、今も動かせるけど・・・というか、二人を着けさせたままだけど」

「ならばそのまま動かしなさい!!正直貴方様の好きな純愛ゲーは少し私の趣味からは外れていますが、ここまでの萌え要素の詰まったリアルデートは貴重!!ならば最後まで見るのがここまで見てきた我々共犯者の義務・・・」

(・・・共犯者。否定できないが認めたくないな)

 

 これまでゲームの新作映像を見る外国人4人組のように息の合っていた4人であったが、ここで仲間割れが起きた。というか、メアが何やら暴走中のようだ。リリスはそれに引きずられて着いていきそうだし、朧としてはどう収めたものかと思案中。

 静謐だったその場所はにわかにギャアギャアと騒ぐ声が響き・・・

 

「おい待て!!リリス、今も使い魔着けてるって言ったか!?」

「え?言ったけど?」

 

 突如として、京がリリスに食って掛かった。

 口ではなんやかんや言いつつも先が気になっていたリリスは術具を持たせていた使い魔に、月宮家の敷地に入った久路人たちを映させていたのだが・・・

 

「馬鹿野郎!!すぐに離れさせろ!!久路人のやつは勘が鋭い!!使い魔に気付かれたら俺らが見てたこともバレるかもしんねぇ!!」

「あのねぇ!!そこらへんアタシは考えてないわけないでしょ!!アタシの使い魔はちゃんと幻術で見えなくしてるわよ!!アンタの仕掛けた結界からも対象外にしてあるし、このまま家の中でも・・・」

「アイツには幻術が効かねぇんだよ!!家の敷地に使い魔がいるってバレた時点で・・・」

「そういうことは先に言いなさいよ!!というか、そ、それならどうすれば!!先は気になるけど、気付かれたらダメだし・・・」

「何を言っているのですか!!女は度胸です!!幻術に頼らなくとも、遮蔽物を利用すれば隠密行動は不可能ではありません!!屋敷内の構造は隠し通路含めこの私が熟知しています!!それならば・・・」

 

 と、そうして醜い言い争いが行われる中・・・

 

「・・・皆さん!!言い争っている場合では!!このままでは・・・」

 

 呆れた目でどう止めようかと内心考えていた朧であったが、その優れた感覚に危機感を覚えたのだ。

 だが、それは少し遅かった。

 これが朧自身にとって後ろめたさしかないデートの覗き見と、そこから生じた下らない喧嘩の仲裁でもなければもっと早く気が付いていただろう。

 しかし、それは仮定の話だ。

 

「なるほど、今日の様子はこうやってずっと見てたんだ」

「よもや妾の部屋にまでこんな隠し通路があるわけではあるまいな?」

 

 部屋の中に、絶対零度の声が響いた。

 

「それで?おじさんたちはこれから何をしようとしてたのかな?」

「途切れ途切れにしか聞こえてこなかったが・・・妾たちを覗き見しようとしていたのは確かなようだしなぁ」

 

 ギギギ・・・と擬音がしそうな動きで4人が部屋の入口を、正確には床下に空いた穴を見ると、そこから二人の人影が昇ってきた。

 そう、4人がいた部屋は月宮家の屋根裏だったのだ。

 

「結界の中にコウモリが飛んでたから捕まえてみたら術具なんか持ってるし・・・」

「久路人の話では部屋に隠し通路が何本もあるそうではないか。犯人が誰かなど明らかであろう?」

 

 二人。

 手にバタバタと暴れるコウモリを持った雫と、コウモリが持っていた小型カメラのような術具を摘まんだ久路人は、月宮久雷と相対したときのような光の消えた眼で4人を見やった。

 屋敷の結界の仕様で雫は大分力を抑えられているが、久路人はそうではない。

 彼の周りには黒い砂と紫電が纏わりつつあった。

 

「ま、待て久路人!!これにはお前らのためを思った複雑な事情があってだな・・・」

「チッ!!こうなっては・・・・申し訳ございません、私は京を止めきれなかったばかりに。すべてはこの男が企んだ謀。造物主の命令に、私が逆らえる理由があるはずもないでしょう?」

「お、お前!!さっきまで思いっきり口答えしてただろうが!!」

「あ、あのね、アタシも悪いことしてるって自覚はあったんだけどね・・・その、アンタたちがあまりに眩しすぎて目がくらんじゃって」

「・・・リリス、こうなった以上は潔く彼らの怒りを受け止めるべきだ・・・申し訳なかった、久路人君」

 

 見苦しく言い訳をしようとする者。

 罪を擦り付けようとする者。

 開き直る者。

 潔く罪を認め、罰を受ける覚悟を決めた者。

 

 4人の反応は様々であった。

 しかし、それを受けても久路人の様子が変わることはなく・・・

 

「とりあえず!!全員今日見たことは忘れろぉぉぉぉぉおおおっ~~~~~~!!!!!紫電改・5機散開!!」

「どわっ!?そ、育ての親になんて真似しやがる!!いや、悪いのは俺らだけどそれにも理由があんだよ!!」

「屋敷を傷つけるなら容赦はしません。受けて立ちます!!」

 

 雷を纏った鉄の矢が放たれ、屋敷の主と使用人が応戦をはじめ・・・

 

「さて、リリス殿」

「し、雫・・・ほら、アンタには貸しがあるわよね?だから、その・・・」

「話は下で聞こう。無論、着いてきてくださるな?」

「・・・リリス、行くぞ」

「うう、はい・・・」

 

 吸血鬼の主従は物理的に低温を纏った白蛇の化身とともに部屋を出ていった。

 その戦いや説教、後始末には一晩かかることになる。

 当然、『そういう』雰囲気になるはずもない。

 つまり・・・

 

(・・・すべては、自分の力不足か。あの時止められていれば・・・いや、どちらにせよ片棒を担いだ時点でこうなるのは変わらないか。すまなかった、久路人君、水無月さん)

 

 朧が危惧したように、取り返しのつかない事態になったのであった。

 

 




久路人が人間やめるまで、後一話(予定)!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

NTR本に学ぶ

長らくお待たせして大変申し訳ございませんでした。
リアルの仕事の方で色々ありまして、正直今月もヤバめです。
来週とか土曜仕事の後に日曜ゴルフとか過密スケジュールです!!

でも、この小説は後2、3章は続ける予定ですし、読者の皆様の前に私自身が最後まで見たいと思っているので、よほどのことがない限りエタはない・・・はずです。

後、続けての謝罪ですが、やっぱり後1話延長です・・・


「・・・・・」

 

 真新しい壁紙に覆われた居間の中で、壁と同じく新調されたばかりのソファに座りながら、僕は何とはなしに天井を見上げていた。

 

「はぁ~・・・」

 

 思わず、ため息がこぼれる。

 もうこの数日で何度ため息を吐いたことだろうか?

 時刻は午前10時近く。もうすぐ熱さが頂点に達し、蝉の声も少しだけ鳴りを潜めるころだ。もうそろそろ昼食の準備をしなければいけないのだが、そんな気力もない。お腹もすいていないし、今日はこのまま食べなくてもいいかと思っていると・・・

 

「あ・・・」

「・・・・・!!」

 

 ガチャリと居間に続く扉が開かれて、見慣れた銀髪が目に飛び込んできた。

 その紅い瞳と目が合うと、僕と今来たばかりの彼女はピタリと動きを止める。

 

「く、久路人、こっちにいたんだ・・・」

「し、雫こそ、いつもなら部屋でゲームとかしてるころだよね、あはは・・・」

 

 1週間前ほどにデートをして、誓いの指輪を渡し、婚約までした相手である少女。

 彼女は、僕がにとってこの世界で一番大事な女の子であり・・・

 先ほどのため息の原因でもあった。

 

「えっとほら、今日は天気もいいから、部屋の中だけだと勿体ないって思って・・・く、久路人はなんでここに?」

「え?ぼ、僕は、もうすぐお昼だから準備でもしよって思って。この離れは建てられたばっかだし、台所はもっと慣れておきたいかなって」

「そ、そうなんだ・・・な、なら!!私も手伝うよ!!久路人にだけ任せるの悪いし!!」

「い、いや大丈夫だって!!朝は雫に任せきりなんだから、その分僕がやるからさ!!」

「そ、そう?ならお願いしよっかな・・・あはは」

 

 ぎこちない会話を交わしつつ、雫もソファに腰掛けた。

 僕と一人分のスペースを空けて。

 

「「・・・・・」」

 

 そのまま、僕らは無言になる。

 たまらず僕は立ち上がって台所に行こうとしたが・・・

 

「「あ・・・」」

 

 雫も同時に立ち上がって、僕を見ていた。

 再び、紅い瞳と目が合う。

 

「の、飲み物持ってくるけど、久路人は何飲むっ!?」

「そ、それじゃあ、緑茶で!!」

「わかったぁっ!!」

 

 僕が何かを言う前に、雫に先を越されてしまった。

 飲み物を頼んでおきながら昼食の支度をするのもおかしいので、僕はそのままもう一度ソファに座り・・・

 

「はぁ~・・・」

 

 小さな声で、ため息を吐いた。

 

「どうして、こんなことに・・・」

 

 あのデートから1週間。

 僕と雫の間には、奥歯に物が挟まったような気まずい空気が漂っていたのであった。

 

------

 

 事の始まりは、京たちが久路人と雫のデートを監視していたのがバレたことだ。

 

「本当に何考えてんだよおじさん!!」

「待て!!落ち着け!!最近色々物騒だったのは確かだろ!?万が一の護衛ってやつだよ!!」

「それは分かるけど、家の中まではいらないだろ!!」

「それは俺じゃねえ!!メアのやつが・・・」

「うわ・・・早速の責任転嫁。最低ですね」

「オメーの方が最低だろうがよ!!」

 

 雫がリリスたちを連れて説教しに行った後、久路人は屋根裏で京に食って掛かっていた。

 だが、それも当然と言えば当然だろう。人生初のデートの最期に無粋な茶々を入れられたのだから。

 京の言う通り最近になって結界内でも襲われることがあったために蔭ながら護衛する必要があるのはわかるが、流石に家の中はやりすぎだ。もしもあの妨害がなかったのならば今頃は・・・

 

(なんてこった・・・これじゃあヤるどころじゃねぇぞ)

(不覚です。精神がまだ安定していない状態であそこまで熱くなってしまった時点で失策でしたか)

(お前には色々言いたいことはあるが、それは今は放っておく。最優先は・・・)

(ここからどうやって当初の目的を達成させるか、ですか)

 

 久路人と話しながらも、京は念話でメアとやり取りをしていた。

 その話題は現状からのリカバリーについて。

 事ここに至って、京たちは自分たちの作戦が失敗に終わったことを悟った。

 ならば、それを嘆くよりもどうやって軌道修正するか考える方が建設的なのは明らかだ。

 まあ、メアには後で京からの説教が確実に待っているが。

 

「聞いてるのっ!?おじさんっ!!最後の最期で何てことしてくれるんだよっ!!」

「だぁっ~!!悪かった悪かった!!俺が悪かったよ!!」

「不甲斐ない主に代わって、私からも。申し訳ございませんでした、久路人様」

「不甲斐ないとか完全に余計だろうが!!」

 

 ひとまず、京とメアは久路人に謝罪した。

 久路人は良識だとかルールにうるさいが、だからこそきちんと反省した場合には追撃はしてこない。

 この場合、京たちの行動には一応の必然性もあったためになおさらである。

 

「とりあえず!!こっから先は監視するときは事前に言うようにするし、家の中では絶対にやらねぇ。そういう内容で契約を結ぶ」

「加えて、新しく離れを建てましょう。今のこの屋敷には隠し通路が多々あります。その必要性からも、逐一埋めてしまうよりも新しく建て直した方がやりやすいですから」

「は、離れ?別に僕はきちんと反省して、これから先の監視について気を付けてくれればいいんだけど」

 

 京たちの予想通り、久路人はすぐに怒りの矛先を緩めた。

 しかし、新しく離れを作ることに関しては怪訝な顔だ。

 

「我々もこの先はこの街に戻ってきますし、寝起きする時は二人きりの方が何かと都合がいいので。それに・・・」

「お前、こっからも雫の血を取り込むつもりなんだろ?だったら、台所だけでも離してくれ。頭下げるから」

「ああ、そういうこと・・・なら、お願いするよ」

 

 久路人も常識として、血を混ぜた食事というものがアブノーマルであることは分かっている。久路人の場合は、それが大好きな恋人のやることだから大幅なプラス補正がかかっているに過ぎない。そして、その体液入りの食事を自分以外の誰かが食すのは気に入らないという思いもある。

 なので、京の提案にすぐに納得した。

 

「おう、任せとけ。この世界最高の術具師たる俺にかかれば、一日で終わらせてやる。あと、本当に悪かったな。デートにケチをつけちまって」

「・・・ちゃんと悪いと思ってくれてるならもういいよ。でも、次やったら本当に怒るからね」

 

 京とメアが反省しているのは事実であり、久路人としてもそれはわかっているのだろう。最初の剣幕を収め、屋根裏から去っていった。

 そして・・・

 

「なんとか、うまくいったか」

「ええ」

 

 久路人が去った後、京とメアはフゥとため息を吐いた。

 

「本当なら、今日のデートの後が最高のタイミングだったが、失敗した以上しょうがねぇ」

「契約で屋敷内での監視はしないと縛るにしても、我々がいると行為に及ぶタイミングも計りにくいでしょうから。ならば、二人だけの空間を作ってしまえばいい」

 

 離れ云々は、京たちの次善の策だ。

 二人をくっつけるには二人だけの空間を用意しなければならず、本来ならば外泊すると言って久路人たちには今の屋敷には自分たち以外誰もいないと思わせていたのだが、バレてしまったのならばその代わりを造らなければならないというわけだ。

 なお、これ以上雫に台所を汚染されたくないという理由もかなりの比重であったが。

 そういうわけで、七賢三位の実力を持つ術具師である京によって、その日の内に月宮家の裏庭の拡張が行われ、いかなる術によってか2階建ての離れができたのである。

 久路人と雫は早速そちらに移ったのであるが・・・

 

((き、気まずい・・・))

 

 場面は現在の離れに戻る。

 久路人はソファに座り、雫は冷蔵庫を物色している。

 そして、今の二人の間に満ちているのは気まずさであった。

 あのデートの後から、顔を合わせるとどうしても考えてしまうのだ。

 

((あの時におじさん(京)たちが覗いてたのに気付いてなかったら、どうしてたんだろう・・・))

 

 二人も立派なお年頃だ。

 そして、その想いは十年近くお互い熟成させてきたモノ。

 普通の恋人たちが歩む道のりを、それまでの年月を燃料にして爆走してしまいそうなほどに膨れ上がっている。

 当然、その途中にはいろんな意味で『結ばれる』こともあるわけで、二人としても内心で興味津々だ。

 

((絶対に、ヤってた・・・いや、ヤれてた))

 

 あのデートは、二人にとって最高にひと時であった。

 途中でいくらか揉めたこともあったが、それすらある種のスパイスとなり、今までの思い出を彩ってくれた。そして、その最後にはこの先も一生傍にいることを誓う証を得たのだ。

 あの時の二人の気持ちは最高潮にあり、特に指輪を渡された雫の心はこれ以上ないほどに燃え上がっていたのだ。

 

(こんなに素敵な指輪に返せるモノなんて、そんなの『私をプレゼント』以外ないじゃん・・・!!)

 

 将来を誓い合う指輪に見合うモノとして、己の全てを捧げる。

 ヘタレな雫であるが、その分大義名分を得た時の行動力はかなりのものがある。

 あの時の雫は、全力で自分自身をプレゼントする覚悟が決まっていたのだ。

 しかし、それは保護者達の無粋な行いによってご破算となってしまった。

 雫も久路人も、現在地から先に進むタイミングを逸してしまったのである。

 こうなると、あのデートが最高のモノであった分、同じくらいムードを作って事に及ぶ難易度は初回よりも高くなる。

 そのハードルに竦んで、今の二人はどちらからも動けなくなってしまっているのだ。

 

(こ、こういうのって男の僕の方から言い出すべき?いや、あんまりがっつくと身体目当てみたいに思われるかも・・・?)

(や、やっぱり女の私の方から誘うのははしたないよね・・・あのデートの後とかならともかく。あ~でも、せっかく買った勝負下着の出番が・・・)

 

 表面上はいつも通りに振る舞おうとしているが、内心は二人ともこんな感じである。

 仕方がないと言えば仕方ないが、双方ともにヘタレであった。

 契約によって監視はされていないが、メアが見ていたら『何を二人ともヘタレているのですか!!特に久路人様!!あのデートに誘った男気はどこに行ったのですか!!』と説教されていただろう。

 だが、ヘタレはヘタレでも、二人には色々と違いがある。

 それはこういったシチュエーションに対する、サブカルチャーを用いた基礎知識の蓄積量だ。

 具体的に言うなれば・・・

 

(はっ!?今の状況って・・・)

 

 雫の脳内に、電流が走った。

 数年前から密かに読み漁ってきた厚みの薄い本に、今の自分たちのような状況に陥ったカップルもたびたび登場してきたからだ。

 だが、その登場人物の未来はと言えば・・・

 

(昔からずっと一緒にいて、恋人になったはいいけど進展がなくてマゴマゴしてるうちに弱みとか握られて寝取られるシチュエーションじゃん・・・!!)

 

 過失でチンピラの腕を折ってしまったり、成金の家の壺を割ってしまうとかなんやかんやで弱みを握られたヒロインがいつの間にやら快楽調教されてるのがほとんどである。

『そんなご都合全開の展開が現実であるかっ!!』とツッコミたくなるようなものばかりだが、生憎雫達の人生はそんなトンデモ展開ばかりであったのだ。NTRフラグをどこで立てているものか分かったものではない。そしてもちろん雫の脳内では・・・

 

(く、久路人がこの先進級して、ゼミの教授に薬盛られたり、飲み会で酒に酔わされてチャラホモにヤられたり、突然現れたホモレイパーに拉致られたり・・・・)

「っ!?し、雫!?なんか急に寒くなったんだけど、どうしたのっ!?」

 

 雫の妄想内ではヒロインのポジションには当然久路人が収まっており、雫がこれまで読んできたNTR本のシチュエーションを追体験させられていた。軽く妄想するだけでも雫にとって胸糞悪くなる話であり、知らず知らずのうちに霊力が高ぶり、冷気が溢れていた。雫が開けっ放しにしている冷蔵庫の中よりも寒い。そして久路人が話しかけるも、一度始めてしまった妄想に取りつかれてしまったのか、どんどん寒さは強まっていくばかりである。ちなみに、新しく建てられた離れには雫の力を抑え込むような結界はなく、その気になれば雫の方から寝込みも襲えるようになっているのだが、雫に実行に移す気概はない。

 

「ねぇ、久路人。酸で溶かすのと、氷らせて砕くのって死体遺棄するならどっちがバレにくいかな?」

「何の話っ!?」

 

 自分に向かって背を向けたまま殺気を漲らせる相手から、突然死体の処分方法について質問されるのはかなり恐怖を感じるのだと、久路人は初めて知った。

 

(くっ!!このままじゃダメ!!このままウダウダしてたら、また何が起こるかわからない!!何かやらなきゃ、何か・・・)

 

 現状のにっちもさっちもいかない状況に焦りを覚えつつも、さりとて打開手段を思いつかない雫であったが、久路人からの頼みごとは果たそうと緑茶のペットボトルを手に取り・・・

 

「あ」

 

 上の空であったからか、ペットボトルを落としてしまった。

 いつもならば落とすことはなかっただろうし、落としてもすぐにキャッチできただろうが、ペットボトルはゴロゴロと転がって、テーブルの下にまで行ってしまった。

 

「あれ、落としちゃったの?なら僕が・・・」

「いいっていいって!!久路人は座ってて!!」

 

 転がっていった先は久路人の方が近く、久路人が立ち上がって取ろうとするも、雫はそれを遮って久路人の前にまで回り込んでから四つん這いになり、テーブルの下に潜った。

 

「む~・・・結構奥の方にあるね」

「ちょっ、雫!?」

 

 バッと久路人が動くような気配を感じつつも、そのままボトルを取ろうとしたが、そこで雫は気付いた。

 

(なんか、視線を感じるような・・・?)

 

 見られている。

 誰かの視線が、自分に向けられているのを感じる。

 具体的に言うと、自分の臀部の辺りに。

 だが、不思議と嫌悪感は感じない。

 

(まさか、京?いや、あいつらは契約でもう私たちを監視できないはず。それに、なんか嫌な感じはしないし・・・え?じゃあ、今見てるのって・・・)

 

「・・・・・・」

 

 今の京たちは契約で事前の勧告なしに監視はできない。

 リリスたちもそれは同じだ。

 ならば、今の自分を覗くことのできる者など、それも雫に嫌悪感を与えることなくできる者は一人しかいない。

 

(く、久路人!?というか、私今・・・)

 

 雫はそこで、今の自分の体勢について自覚した。

 久路人の目の前で四つん這いになった状態から上半身を床に寝かせ、尻を突き上げているような体勢だ。

 幸いというべきか、雫が普段身に着けている白い着物は丈が長いために下着が見られることはないが・・・

 

(め、雌豹のポーズっ!?私今、久路人の目の前で雌豹のポーズしてるっ!?)

 

 雌豹のポーズとはグラビアアイドルが写真集なんかでやっている扇情的なポーズのことだが、雫は図らずもそんな恰好を久路人に見せつける形になっていた。まあ、上半身はテーブルの下に隠れているので下半身だけだが。

 

(な、なんて恰好をっ!!い、今すぐっ・・・いや、待てよ?)

 

 ヘタレな雫はすぐにテーブルの下から這い出そうとしたが、ピタリと動きを止めた。

 

(これって、チャンスなんじゃないの・・・?)

「・・・・・」

 

 こうしている今も、自分に久路人の視線が向けられているのを感じる。

 自分の臀部に、刺すような目線が久路人から放たれてるのが分かる。

 それはすなわち・・・

 

(く、久路人が、私のお尻に、その、こ、興奮してるってことだよね・・・)

 

 久路人が雫に欲情しているということだ。

 久路人もまた、今の雫との中々進まない関係に思うところがあるのだろう。

 

(わ、私から誘うような真似ははしたないからできないって思ってたけど、ぐ、偶然なら仕方ないよね。降ってわいたこのチャンスを逃す方がもっとダメだよ)

 

 偶然そうなったという大義名分ができたことで、雫の中にあった羞恥心という枷が緩んだ。

 

「あれ~?思ったより遠くにあったな~?中々手が届かないよ~」

「そ、そうなんだ・・・」

 

 雫はやや棒読みになりながらも、何も動きがないのは不自然なので少しだけ前に進みつつ、左右に体を揺らしてみる。

 すると、久路人の座るソファが軋むような音が聞こえてきた。

 自分に向けられる熱い視線も尻の動きを追いかけるように揺れる。

 

「えいっ!!」

「っ!?」

 

 あっちにフリフリ。

 

「よっ!!」

「・・・っ!!」

 

 こっちにフリフリ。

 

(こ、これ、なんか、すごくイイ!!)

 

 体を動かすたびに久路人の動きも変わるのが分かる。

 だんだんと、視線に籠る熱が上がっていくのも感じられる。

 自分の好きな人が自分の身体に夢中になっていることそのものが、雫の中にある自尊心やら独占欲、征服欲を満たしていく。

 久路人以外の男ならば生理的に無理だが、久路人にならばどれほど視姦されようともご褒美にしかならない。

 

「ハッハッハッ・・・」

「・・・・・!!」

 

 いつの間にか、雫の動悸が荒くなっていた。

 体中の血液がガソリンに変わったかのように熱を帯びている。

 久路人に見られている臀部からも熱が伝わったかのように、下半身の一部が燃え上がるように熱くなった。

 

(くっ!!こんなことならミニスカートに着替えとくんだった!!でも、よ、よし!!このまま久路人を誘惑して、そのまま・・・!!)

 

 時刻はまだ正午前。

 昼の光が燦燦と降り注いでいて若干ムードに欠けるが、この状況を見逃すことなど考えられなかった。

 このままいけば辛抱たまらなくなった久路人が理性の枷を外して獣となって、今も獲物を狙うような目を向けている自分に襲い掛かり・・・

 

(はっ!?)

 

 しかし、そこで雫は致命的な見落としに気が付いた。

 

(私、シャワー浴びてない!!)

 

 ここ最近は蒸し暑く、部屋の中にいても汗ばむほどだ。

 さりとて、能力を使うほどかといえばそれほどでもない。

 結果、雫はわずかに汗を含んだ服を着ているわけである。

 

(ど、どうしよう!!このままじゃ久路人に臭いって思われちゃう!!)

 

 突発的に起きたラッキーではあるものの、だからこそ準備が足りていない。

 勝負下着こそ身に着けているが、そんな一級品の装備も臭かったら台無しだ。

 いや、ある程度経験を積んでいたらお互いの濃厚なエキスに塗れながら致すというのも乙なモノかもしれないが、初めてでそれは流石に嫌だった。

 

(でも、でも!!このチャンスを捨てるのも・・・!!)

 

 テーブルの下で、雫は深く葛藤した。

 この千載一遇のチャンスを捨てて理想を追い続けるか。

 あるいは妥協してこのまま久路人と一歩先に進むか。

 

(そんなの、そんなのって!!どうしたらいいの、私~~!!)

 

 思わず肘を床に付き、頭を抱えて首を振る。

 それに釣られて下半身も動き、久路人の視線も誘導されているのだが、雫はそれには気づかなかった。

 究極の選択を突き付けられ、ただただ身もだえすることしかできなかったのだ

 そして、雫の振る腕が、椅子に当たってその脚を動かし・・・

 

「って、あぁ~~っ!!?」

「うおっ!?し、雫っ!?」

 

 テーブルの下に入り込んでいたボトルは椅子に突き動かされ、再びコロコロと転がっていった。

 まるでピタゴラスイッ〇のようにボトルはガンガンとその辺の物に当たって、テーブルの下から出ていった。

 

「あ・・・」

「え・・・」

 

 慌てて雫が机の下から這い出した時、ボトルは何の因果か、久路人の足元に到達していた。

 

「うう・・・」

「えっと・・・と、とりあえず、飲もっか?」

「うん・・・」

 

 瞳に涙を浮かべて悔しそうな顔をする雫と、ボトルを手に持ったまま先ほどまでの自分の変態じみた行動を思い出して後ろめたくなった久路人。

 何ともいたたまれない空気になった二人は、それを誤魔化すようにお茶にすることにしたのだった。

 

 

------

 

 

 時間的にも丁度良かったのでお茶と一緒に昼食も食べた後のこと。

 そのまま居間を出るのも露骨に避けているようなので憚られ、あまり近くにいるのも気まずいという歯がゆい状況の中。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 二人はひたすらに自分の手に持ったスマホの液晶を見つめていた。

 お互いにソファに腰掛けてはいるが、やはり二人の間には一人分のスペースが空いている。

 

 

--カチカチカチ

 

 

 部屋の中には、二人が時折画面をタッチする音だけが響いていた。

 二人の間に会話はなく、そのまま重苦しい空気だけが流れていく。

 

(くっ!!あぁ~~~っ!!もうっ!!)

 

 

 そんな中、雫の心は荒れ狂っていた。

 

(私の馬鹿!!なんであそこで迷ったの!!あのまま焦らずに続けていれば今頃は、今頃ぉ・・・!!)

 

 ひたすらに、その心の中で逃がした魚のことを悔いていた。

 あそこで余計なことを考えずに目的を達成することに集中していれば、今頃この居間で雫の人生初の運動会が開催されていたに違いないと、雫は己の行いを呪っていたのだ。

 

 

--カチカチカチ

 

 

 先ほどまでと変わらず、スマホを触る音だけが鳴る。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 さっきまでギラついていた久路人の視線も、今はその画面にだけ向けられていた。

 

(むっ!!)

 

 そして、それは雫にとってひどく腹の立つことだった。

 

(む~~っ!!久路人!!さっきまであんなに私のお尻見てたくせにっ!!・・・もしかして、ネットでエロ画像とか見てるんじゃないよね?)

 

 せっかくの二人だけの空間。

 さっきまで部屋に満ちていた熱い高揚感。

 けれども、今の久路人はそんなことはなかったとでも言うように、すました顔でスマホをいじっている。

 相手が無機物だと言うのに、雫は久路人の視線を独占しているスマホに嫉妬の念を向けていた。

 なお、同じようにスマホを見ている自分のことは完全に棚に上げている。

 

(まったく!!久路人には危機感が足りてないよ!!いつ私たちのツーショットとか撮られて、『これバラされたくなかったら、わかってるよなグヘヘ』みたいな展開になるのかもわかんないのに!!久路人って結構人がいいし、弱みとか握られたら周りに迷惑かかると思って黙ってそうだし!!最近はNTR本の方がよく売れてるし!!本当に今のシチュエーションなんてNTRモノの王道・・・ん?)

 

 相変わらずこれまで読んできた薄い本によって蓄積された知識によって嫌な想像ばかりが雫の脳内に浮かんでは消えていく。京が見ていたら、『同人誌に脳みそ寝取られてんじゃねぇよ』と言われるだろうが、そこで雫に本日二度目の電流が走った。それは、一度目の同人誌のシチュエーションをさらに深く考察したからこそ至ったモノ。

 

(・・・考えてみれば、NTR本もエロ本の類。ということは、その中で竿役とヒロインは致しているのは間違いない。ただ、その相手が竿役になっているだけ。ならば何故、竿役はそこまで展開を持っていくことができた?)

 

「・・・・・」

「・・・?」

(え?雫、どうしたんだ?まさか、さっき僕が雫に変な眼を向けていたことに気付いて・・・?)

 

 急にスマホをいじる音がしなくなり、ふと不思議に思った久路人が雫を見るも、雫は虚空を睨んだまま真剣な顔で何やら考え事をしていた。

 久路人は己の行いはバレたのではないかと思うも、それを正面から聞けるわけもない。結果、それまでのように黙っているしかないが、それでも雫をチラチラと見やる。

 しかし、雫は久路人の向けていた視線のことなどとっくに気付いていたし、その脳内はさらに先を見据えて高速で回転をしていた。久路人が自分を見ていることにすら気づかないほどに集中して。

 

(要するに私としては、竿役のやった手法を久路人にやってもらえればいい。竿役を久路人に置き換えるようにすればそれでいい。では、どうやって竿役はヒロインにその毒牙をかけた?思い出せ、私!!今こそメアより渡された10万3千冊の薄い本の知識を活かす時!!・・・そうだっ!!)

 

 そこで、雫はスッと立ち上がった。

 

「し、雫?どうしたの?」

「・・・・・」

 

 久路人が声をかけるも、反応はない。

 しかし、その顔は熱に浮かされたように高揚感に満たされていた。

 相手が雫でなければ、不気味さのあまり久路人は武器を抜いていただろう。

 

「雫?」

「・・・久路人」

「っ!?」

 

 二度目の呼びかけに、雫は応えた。

 しかし、自分の方を向いた雫の眼を見た瞬間、久路人の身体に震えが走った。

 

「私、ちょっと二階に行って休んでくるね?」

 

 その眼は、煌々と紅く輝き、危険な色に染まっていたからだ。

 

(な、なんだこの雫の眼は・・・これ、絶対なんか変なことをやらかす気だ)

 

「ちょっと、雫・・・」

「じゃあ、そういうことでっ!!」

「雫っ!?」

 

 呼び止めようとした久路人の声を無視するように、雫はダッと駆けだした。

 そのすぐあとに、久路人も雫を追って走り出す。

 

(まさか、雫。僕みたいにお見合い話とか受ける気じゃ・・・)

 

 雫のしていた覚悟の決まった眼。

 あれには覚えがあった。

 他ならぬ自分自身が勘違いから暴走したときの顔だ。お見合いに行く前に鏡で身だしなみを整えたからよく覚えている。

 

「雫っ!!・・・え?」

 

 どんな勘違いでそんな暴走に至ったのかは分からないが、絶対に止めなければならない。

 そう思って玄関に向かおうとするも、雫の足音は別の方向に向かっていた。

 

(え?これ、僕の部屋?)

 

 足音が聞こえるのは階段の方からであり、つい足を止めて耳を澄ませてみれば、離れに新しく用意された自分の部屋に行こうとしているのがわかった。

 

(え?なんで?)

 

 どうやら自分の想像していた最悪のケースではなさそうだが、だとしたら雫がなぜあんな肝の据わった表情になっていたのか分からない。

 しかし、とりあえず放っておくわけにはいかないだろう。

 

「まったく!!雫!!」

 

 久路人は、自室に向かって階段を駆け上りながら雫の名を呼んだ。

 

 

------

 

 

「到着っ!!」

 

 ズザザッと華麗なスライディングを決めながら久路人の部屋に滑り込んだ雫は、すぐに扉を閉めた。

 

「ふんっ!!」

 

 そして、全力で扉を凍り付かせる。

 これで、久路人もすぐに入ることはできないはずだ。

 だが、稼げる時間は短いだろう。その間に、やるべきことをやらねばならない。

 

「ふふっ、NTRモノの王道・・・それは、ヒロインが竿役に弱みを握られるところから始まる」

 

 ニヒルな笑みを浮かべながら、雫は目的のブツの前にまでやってきた。

 ガラガラとキャスター付きの椅子を引いて腰掛け、目の前の箱のスイッチをオンにする。

 

「相手に怪我をさせる、恥ずかしい所を撮られる、単位が足りないと脅される・・・色んなパターンがあるけど、今の私にできるのは、コレ!!」

 

 カタカタとキーボードを動かしながら、雫は標的を画面に映す。

 ソレが視界に映った瞬間、雫の整った眉が不快そうにしかめられた。

 それと同時に、ドタドタと足音が聞こえる。

 部屋の主が到着したようだ。

 

「雫!!いきなりどうした・・・って、開かないっ!?っていうか、冷たっ!?なんでっ!?」

「・・・久路人、ゴメンね。でも、私にはコレがあるのはどうしても許せないの!!私の目的のためにも・・・・」

 

 ガチャガチャとドアノブを回しているようだが、開くにはもう少し時間がかかるはずだ。

 久路人が苦戦している間にも、雫の握るマウスは動き、ターゲットをすべてドラッグし・・・

 雫の人差し指が、天高く掲げられた。

 

「消えろ!!抹消(デリート)ぉぉぉおおおおおお!!!!」

 

 

--タッーン!!

 

 

 雫の指がキーボードのデリートキーを押した瞬間、画面に映っていたモノたちは消えていった。

 

「はっ!!よし、開いた!!雫、さっきから本当にどうした・・・え?」

 

 そして、術による身体強化で無理やり扉を開けた久路人は、目にすることになる。

 

「あ、僕の、僕の・・・」

 

 自分がここ数年で集めてきた、巨乳モノのエロ画像フォルダが電子の海の藻屑となっていく光景を。

 

「久路人・・・」

 

 さっきから起きている事態に脳がついていけず、思わずペタリと座り込んでしまった久路人の前に、雫はゆっくりと歩み寄った。

 久路人がノロノロと首を上げると・・・

 

「すいません!!許してください!!なんでもしますから!!」

「・・・はい?」

 

 雫が、自分に向かって90°の角度で腰を折って頭を下げていた。

 訳の分からないという顔をする久路人を見ながら、雫は己の勝利を確信していた。

 

(決まった!!私の渾身の策が!!NTR本王道・・・竿役の大事なモノを壊してしまうこと!!)

 

 自分の大事なモノを壊された時、人はどのような反応を見せるだろうか?

 怒る者が大半だろう。相手に殴りかかる者もいるだろうし、弁償を要求する者だっているに違いない。

 そこで、物を壊したのが美少女ならばどうか?

 その少女の身体を弄ぼうとする者も、まあ、いるかもしれない。少なくとも、同人界隈ではそれなりにありふれた展開である。

 そして雫の脳内に天啓のように浮かんだ策こそが、それだった。

 

(いくら久路人でも、ゲームのセーブデータを全消ししたら流石に取り返しがつかないかもしれない。デッキの中身を全部売り飛ばしたら口をきいてもらえなくなるかもしれない、というか私も久路人とデュエルできなくなるのは嫌だし・・・でも!!これなら問題ない!!久路人にとって大事なモノで、私にとっては忌々しいモノ!!怒られるだろうけど、ギリギリでこの展開に持っていけそうなモノ!!)

 

 それこそが、久路人の集めていたエロ画像集であった。

 

(恋人たる私がいるのに、こんなものがあるからいつまでも進めない!!それは、久路人にだって突かれたくないポイントのはず!!だから、そこで私の方から折れる!!『私を好きにしてもいい!!』という逃げ道を作って、誘導する!!これならはしたないこともしないし、忌々しい画像も消せる!!まさに一石二鳥!!)

 

 雫の中でさきほど思いついた策は、完璧なモノであった。

 雫の中では。

 端的に言って、雫はさきほどの失敗のことや、ここ最近の焦りのせいで頭がおかしくなっていたのだ。

 客観的に見て、これなら身体を使って誘惑した方がいくらかマシだったろう。

 その画像集は久路人によって隠しフォルダに収められていたモノであり、偶然消せるものではない。というか、消すところを見られた時点でわざとやったのがバレバレなのだから。

 

「え?え?」

 

 案の定、久路人は目を白黒させていた。

 それも無理はない。

 自分の恋人がいきなり据わった眼になって家の中をダッシュし、自分の部屋に侵入してパソコンの隠しフォルダに入れていたエロ画像を根こそぎ消去した上で謝罪してくるというのは、文字に起こしてみると中々に意味不明だ。軽く恐怖すら感じるかもしれない。

 これが偶然隠しフォルダを見つけた風を装って、軽くむくれた表情で『そんなのに頼らなくても私がいるでしょ?』とか『そこに載ってること、私が代わりにしてあげる』とか言えれば高ポイントを稼げたかもしれない。不可解な奇行に走るのはできたくせに、そんな風に直接誘うような台詞を言える度胸は雫にはなかったが。

 

(さあっ!!来てっ!!久路人!!お仕置きされる覚悟はできてる!!早く『ん?今何でもするって言ったよね?』って続きを・・・)

「・・・雫」

 

 そんな危ない薬でもキメたかのような思考の雫の頭を、いくばくかの時を置いて落ち着きを取り戻し、ゆっくりと立ち上がった久路人はポンポンと撫でた。

 

「雫、ゴメンね」

「え?」

 

 なぜ自分が謝られたのか分からなかった雫は、驚いたように顔を上げた。

 目線を上げた先にあったのは、憐れみに満ちた表情で自分を見る久路人だった。

 

「え?久路人?なんで・・・」

「・・・・・」

 

 未だに頭に載せられている久路人の手の感触を心地よく思いながらも怪訝な顔をする雫を見ながら、久路人の心の中にはある感情が湧き上がっていた。

 

 

--僕が、雫をこんな訳の分からない奇行に走らせてしまったのだ。

 

 

(僕が、あまりに雫を待たせすぎたから・・・)

 

 久路人の中にあるのは、悔恨だった。

 自分が雫を焦らしすぎたから雫はおかしくなってしまったのだろうと。

 それは正解であったが、雫がおかしくなったのは彼女の生来の素質である。

 

(・・・やろう)

 

 雫の本質はともかくとして、久路人は後悔と共に決心する。

 

(僕の方から、進めるんだ!!雫がこれ以上おかしくなる前に!!)

 

 デートの時と同じ。

 久路人方から、二人の関係を前に進めるのだ。

 思えば、『身体目当てと思われるかも?』などというのは雫にとっての侮辱に他ならない。

 それは、雫が自分の想いを分かってくれない、信じてくれないと疑うことと同じなのだから。

 

(でも、その前に・・・)

 

 久路人は覚悟を決めた。

 しかし、それを口に出す前に、どうしてもケリをつけておきたいことがあった。

 それもまた、デートと同じく久路人が人間でいる内にやっておきたいこと。

 一人の男として、関係を進める前に雫に示したいことがある。

 

「雫」

「は、はい!!」

 

 突然張り詰めた久路人の雰囲気に、『や、やっぱり怒らせすぎちゃった!?ど、どうしよう、どんな鬼畜プレイをされちゃうんだろう・・・初めてだからハードSMくらいまでで済ませてくれるかな、三角木馬とかバラ鞭使うヤツで』と、初めてで自分が臭うと思われるのは嫌がるくせにSMはOKなのか、判断基準がよくわからないながらも期待と不安に胸を高鳴らせる雫に・・・

 

「僕と、決闘をしてくれないか?」

「・・・はい?」

 

 久路人は、そう言ったのだった。

 




次のお話で3章は終了予定。
そしたらタイトルをちょっと変える予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決闘開始!!

更新遅れまくって申し訳ないです。
リアルがマジでヤバい・・・
キャラに軽快に喋らせるには、作者のメンタルも万全じゃないと無理っていうのを身をもって実感しました。

そしてもはや恒例ですが、やっぱり延長です・・・


「むぅ~・・・」

 

 月宮家に新しく建てられた2階建ての離れの一室。

 雫は自室にて不満気に寝転がっていた。

 

「むむむ~・・・」

 

 天井を睨みながら何度か寝返りをうつ。

 顔をしかめて唸り声ともなんともつかない声を出しながら、ゴロゴロと布団の上を往復運動することしばし。

 やがてピタリと動きを止めると、雫はポツリと呟いた。

 

「久路人のニブチン」

 

 拗ねたように、いじけるように、雫はそう口に出した。

 一体なぜ先ほどから機嫌が悪そうなのかと言えば、原因は彼女の恋人にあるようである。

 

「せっかく、何でもしていいって言ったのに・・・」

 

 手慰みに抱えていたクッションをポーンと真上に放り投げて、キャッチしながら雫は愚痴をこぼす。

 

「何がどうして、あの流れで久路人と戦わなきゃいけないの・・・」

 

 その顔は心底不満気で、納得がいっていないようだった。

 

 数時間前のこと、雫は訳あって久路人の部屋に不法侵入して本人の目の前で隠されていたエロ画像を消去し、その落とし前として自分のことを好きにしてもいいという趣旨の発言をしたのだが、その答えは『僕と決闘をして欲しい』という色気も何もないものだったのだ。

 文字に起こしてみると支離滅裂な展開だが、本当にそうなのだから仕方ない。

 

「あの身体の一部に脂肪が偏ってる雌豚どもの画像を消したのを怒ってたわけじゃなさそうなのに、決闘っていうのが本当に意味わかんない!!」

 

 決闘とは物騒な言葉ではあるが、それを言ったときの久路人は穏やかな表情であり、怒っていたからその腹いせに殴らせろというようなことではないというのは長年連れ添い、つい最近に心を通わせた雫には分かっている。

 色々と超展開が顔を出していたモノの、客観的に見れば自分の私物を勝手に破棄されたにもかかわらず、怒った様子もなく日常的に行っていた武術の手合わせをお願いするだけで済ませた久路人は褒められるべきだろう。

 

「まあ、流石にあんな急展開でうまくいくのはないかな?とは思うけどさ・・・考えてみたら、なんであんなことしたんだろ、私」

 

 どうやら、雫も数時間前の行動がトチ狂っていたという自覚はあったらしい。

 しかし、雫としては仮にも乙女が『貴方の好きにして?(意訳)』と告げたのにもかかわらず、それを無下にするような真似をした久路人には物申したい気分であるようだ。

 そして、それを抜きにしてもだ。

 

「久路人のバカ・・・私が久路人と戦うの好きじゃないの知ってるくせに」

 

 雫は不満気に、そして少し悲し気にそうこぼす。

 雫があの決闘宣言の後に不機嫌でいる一番の理由はそれだった。

 ちなみに二番目の理由は、あの後に久路人が『一人で集中したいから』と言って唖然とする自分を置いて裏庭に行ってしまったことだったりする。

 

「久路人はまだ人間なのに・・・」

 

 そもそも、雫は久路人と戦うことそのものが好きではない。

 

「まだ、久路人は脆いのに・・・」

 

 久路人と雫が訓練として戦ってきたのは数年前から。

 当初は護衛としての必要性が薄れてしまうこと、なにより久路人を傷つけてしまいかねないことから訓練をサボることもしばしばだったが、メアの『指導』や久路人の服だけを攻撃して不可抗力的に久路人の筋肉美を拝めるといった理由からきちんと取り組むようになった。

 だがそれでも、霊力の大きさからしょっちゅう怪我をする久路人を見るのは、まるで雫自身が傷ついたかのように嫌な気分になった。あの九尾に襲われた修学旅行の後から、戦う中で久路人が無茶をすることが格段に増えたことで益々訓練に嫌気がさした。何度も戦ってそのたびに自分が勝っても、護衛としての優秀さを示すことができても、それでも久路人との戦いを厭う気持ちは常にあった。

 それは、雫に久路人の終わりを示唆しているように見えたのだ。『久路人が人間であって、自分(妖怪)とは違うモノだ』と見せつけられているようにも感じていたのだ。人間という脆い種族、妖怪よりもはるかに短い寿命、その莫大な霊力による肉体の摩耗・・・それらはすべて久路人との永遠の別れを雫に想起させた。

 そういうわけで、雫は久路人と戦うのは嫌いなのだ。

 少なくとも、久路人が雫と同じモノになるまでは。

 だが・・・

 

「気が付いたら、また勝手に一人でこっそり素振りとかしてるし・・・」

 

 隣街から帰ってきた日より、久路人が雫に黙って夜中に鍛錬を積んでいるのを雫は知っている。

 雫に隠しているのは、前に久路人が不調を隠して訓練していたことに雫が激怒したからだろう。

 あのときの不調は雫の血が混ざったのが原因ではあるが、それで久路人が霊力異常に陥って身体に支障が出た時には、雫は怒りながらも密かに喜んだものだ。『妖怪たる自分に近づいている』ということもあったが、それで傷つく久路人を見る機会が減ると思ったから。

 雫が今の久路人の鍛錬を止めないのは、久路人と無事に結ばれたこと、霊力の不調そのものはなくなっていること、『まあ、もうすぐ久路人も人間やめるし』という明るい未来があることで心のゆとりを持てたからだ。雫と実際に打ち合うように頼んでこなかったというのもある。

 しかし、今の精神的に少し不安定な雫にとっては、今まで気にならなかったそれも少々癪に障るらしい。

 

「・・・朝の日課はしてくれないくせに」

 

 嫌なこと、不満なことが、連鎖するように雫の中に浮かんでくる。

 訓練はこれまで夕方の日課とも言えるものだったが、最近は朝の日課である雫の匂いチェック兼久路人からの吸血は休止中だ。

 久路人との契約が断たれて強制されなくなったというのが二人の表向きの理由だが、今の二人にとっては色々と刺激が強すぎだったり、色々あって気まずい空気になったからというのが本当の理由である。

 まあ、これに関しては乙女としては男の方にリードしてもらいたいと思うのも仕方がないのかもしれないが、鍛錬の方は再開したというのにそっちはノータッチというのも気に入らないポイントだ。

 なお、吸血こそしていないが、食事に雫の血を混ぜるのは今もがっつり進行中だ。

 

「戦いたいのだって、どうせ、またなんかよくわかんない理由で焦ってるだけのくせに・・・」

 

 久路人が雫と戦いたがっている理由は、予想が付く。

 数時間前の自分を完全に棚に上げたような口ぶりだが、これに関しては久路人も前科持ちだ。

 なにせ、焦りが過ぎた結果、雫を解放するためによその霊能力者と見合いするなどという訳の分からない暴走をしでかしたことがあるのだから。

 多分さきほどのことも男のプライドだとかそんな感じの理由なのだろうが、雫としてはそんなことで久路人と戦うのは馬鹿馬鹿しいとすら思っている。

 

「・・・本当に、久路人のバカ」

 

 再びそう呟いてから、またゴロリと寝返りを打つ。

 

「・・・・・」

 

 視界に入ってきた時計の針は、もうすぐ決闘の時刻を刺そうとしていた。

 

 

------

 

「ふっ・・・!!」

 

 ブンっと音を立てて、久路人は黒い直刀を振り上げては振り下ろす。

 そのたびに辺りに風が巻き起こり、月宮家の刈り取られたばかりの芝が少し揺れた。

 

「はぁっ!!」

 

 次は横凪の一撃。

 鋭い刃は横一文字の軌跡を描いて空を切る。

 はた目から見ると、オレンジ色に変わった太陽の光が一瞬反射したのが見えるだけで、その動きを捉えることは常人には不可能だろう。

 だが、久路人が思い描く相手はそんな常識の通じる相手ではない。

 

「せいっ!!」

 

 刀を振りきった直後に、素早く姿勢を整えて間髪入れず突きを放つ。

 切っ先は何もない空間を走るだけだが、その動きは一切の淀みがなく、久路人の目には自分の刃が相手を貫いたように見えているかのようだった。

 

「ふぅ~・・・」

 

 そこで、久路人はやっと一息ついて動きを止めた。

 ダラッと体を弛緩させ、筋肉を休ませる。

 

「よし、もう一回・・・」

 

 しかし、休んでいたのはほんの束の間。

 すぐさま久路人は刀を構えて、再び素振りをしようとして・・・

 

「そんなに張り切って、バテても知らないよ」

「っ!?」

 

 背後からかけられた声に、ビクリと体を震わせた。

 ゆっくりと振り向いて、声の主に向き直る。

 

「雫、もう来たんだ」

「・・・まあ、久路人との約束を破るのは嫌だしね」

 

 目に入ったのは夏の湿った風に揺れる銀色の髪。

 そして、どこか不貞腐れたように細められた紅い瞳だった。

 

「それで、もう準備運動はいいの?だったらすぐ始めようよ」

「え?ああ、うん・・・あのさ、雫」

「・・・何?」

 

 冷たさを感じさせる声とともに、雫の手に銃が握られる。

 それまで蒸し暑かった裏庭の気温が、一気に冷え込んだ。雫の方はもう戦闘準備が完了しているようだ。これならば今すぐにでも戦いが始められるだろう。

 しかし、久路人としてはその前に気になることがあった。

 

「その、なんか、怒ってる?」

「・・・別に」

 

 言葉では否定しているものの、その雰囲気はまさしく絶対零度だ。

 むしろ久路人が問いかける前よりも刺々しいオーラが増したようにすら思える。

 

(・・・いや、これ絶対に怒ってるよね)

 

 今の雫を見て、怒ってないと思わない者はいないだろう。

 それぐらいわかりやすかった。

 その理由までは久路人には分からなかったが。

 

「それより、戦うなら早くしようよ」

「わかったよ。でも、その前にね・・・」

 

 そこで、久路人は直刀を正眼に構えながら、雫を見て言う。

 

「今日は、絶対に僕が勝つ!!」

 

 それは、久路人の決意だ。

 久路人の中にある、雄としてのプライドが言わせた台詞。

 

(雫を好きになったのは、人間としての僕。そして、今まで戦ってきて、僕はまだ一度も雫に勝ててない)

 

 二人の想いは、ほんの少し前に繋がったばかり。

 けれども、その想いはずっと前から育まれていたモノだ。

 久路人は人間でありながら妖怪の雫に恋をし、雫もまた大妖怪としての格を持ちながら人間の久路人を愛した。そこに種族の壁はあったものの、その壁はもうすぐ取り払われようとしている。

 そしてその前に、久路人はどうしても雫に勝ちたかった。

 

(雫が好きになってくれた(人間)の僕が、ずっと雫に勝てないままだなんて、カッコ悪いもの!!)

 

 それこそが、久路人が人間でいる内に雫に戦いを挑んだ理由だった。

 

「僕が、雫にとっての最高の相棒だってことを、示して見せる!!」

 

 数時間前の雫の暴走を見て、久路人は『これ以上雫を待たせまい』と心に誓った。

 これから今までよりも関係を深めることを決めたのだ。

 今より行う決闘は、そんな自分を鼓舞するための、そして雫に『雫とこれ以上ないくらい深い仲に至るに足る雄である!!』と証明するための儀式だ。

 そんな熱い決意を秘めた久路人の言葉を受け、恋人である雫は・・・

 

「はぁ・・・やっぱりそんな感じか」

 

 呆れたようにため息を吐いた。

 

「へ?」

 

 自分の渾身の想いを込めた言葉をあっさりと受け流され、久路人は茫然とする。

 そんな唖然とした様子に雫は『このニブチンが・・・』と久路人に聞こえないように呟くが、それでつい先ほどまでベッドの上で燃えていた苛立ちが再点火したようだ。

 事ここに至って、雫としても戦いは避けられないと悟ったのもあるのだろう。雫の言葉にも少しずつ戦意が宿り始める。

 

「あのね、久路人」

 

 雫は冷たい眼差しを向けながら銃を構え・・・

 

「久路人が私にとっての最高のパートナーってことなんて・・・」

 

 同時に、雫の霊力が真冬の雪原を思わせるような冷気とともに吹き上がり・・・

 

「とっくに知ってるってのぉぉぉおおおおおお!!!!」」

「うぉぉぉぉぉおおおおおおおっ!?」

 

 突然目の前に現れた10mを超える高さの大瀑布を、咄嗟に発動した身体強化の術で回避しながら、久路人は叫ぶ。

 

「ちょっ!?雫、不意打ちは・・・」

「うるさいっ!!その勘違いで熱くなった頭、私が冷やしてあげるから大人しく喰らってなさい!!そんなに戦いたいのなら、望み通りボッコボコにしてあげる!!」

「うわわわっ!?ホント雫、一体何怒ってぇぇぇええっ!?」

 

 次々と打ち出される氷柱の雨を避け、打ち払って久路人は叫ぶ。

 

「それが分かんないから久路人は鈍感なのぉぉおおおおおっ!!!」

「理不尽なぁぁぁあああああああっ!?」

 

 こうして、雫の奇行を元として、久路人の微妙に空回った決意で加速した結果決まった決闘は、両者の叫び声と共に始まったのだった。

 

 

------

 

「鉄砲水!!鉄砲水!!鉄砲水!!」

「で、電光石火!!」

 

 怒涛の勢いで撃ちだされる激流を、磁力の反発で得た加速で避ける。

 

「瀑布!!」

「迅雷!!」

 

 久路人の加速方法は磁力を応用したものだが、それ故に軌道は直線的になりやすい。

 久路人が回避する方向を予測したかのように立ちはだかる水の壁を、久路人は雷を纏う突きで打ち破り・・・

 

「呑め、大蛇!!」

「っ!?」

 

 水の壁を破った先には、水でできた大蛇が大口を開けて待ち構えていた。

 空中でその軌道を変えることはできない。

 そして、一度雫の操る水に捕らわれたのならば、その時点で久路人の負けは確定する。

 なにせ、雫は久路人の動きを封じることができればそれでいいのだ。

 まだ人間である久路人は霊力の量こそ雫より上であるものの、一度に解放できるのは限られた量であり、肉体の損耗を考えれば長時間の戦闘は不可能だ。久路人が抵抗する瞬間に併せて雫も霊力を上げれば、先に音を上げるのは久路人になるのである。

 水の大蛇は空中で刀を持ったままの久路人を丸のみにしようと、その首を伸ばした。

 

「電迅誘導!!」

 

 しかし、久路人も然るもの。

 これまで雫と戦ってきた経験から、こんな一回失敗したら即ゲームセットという場面など慣れきっている。

 咄嗟に空中に生み出した黒鉄のバネとレールが発する磁力を辿り、バネを踏みしめて地上にまで矢のような勢いで吹っ飛ぶ。

 水の大蛇は獲物を逃がし、虚しく空を咬むだけに終わった。

 

「ふぅ~・・・」

「チッ!!」

 

 窮地をしのいだ久路人が一息つくのと同時に、雫は眉をひそめて舌打ちした。

 

「さっきのに当たってたら、痛い思いをしないで負けられたのに。久路人のバカ!!」

「んな無茶苦茶な・・・」

 

 距離が開いたことで会話をする余裕が生まれ、二人の間で言葉が行き交う。

 しかし、やはり雫は不機嫌なままであった。

 久路人にかける言葉も理不尽そのものであり、久路人としても『はいそうですか』と受け入れられるものでもない。

 けれども、久路人は何故だかそんな雫に怒る気はしなかった。

 

「無茶苦茶なのは久路人の方だよ!!大雪崩!!」

 

 そんな久路人の気持ちを知ってか知らずか、癇癪を起したように叫ぶ雫が手を空にかざせば、久路人の頭上が暗くなった。

 

「とっ!!」

 

 久路人が急いでその場を飛びのくや否や、小山ほどはある氷山が丸ごと降ってきた。

 ズシンと音を立てて雪と氷の塊が地面に叩きつけられ、白い粉雪が夏の夕暮れに舞う。

 

「氷柱舞!!」

 

 宙に飛び散った雪は雫の声と共に集まって形を変え、氷の槍をいくつも作り出す。

 現れた槍はすぐさま標的に向かおうとするが・・・

 

「紫電改・五機散開!!」

 

 黒い矢が瞬く間に距離を0にして、氷の槍はすべて砕け散った。

 矢は意趣返しと言わんばかりに、槍を砕いた後にも勢いを殺さず雫へと迫る。

 

「も~!!氷鏡!!」

 

 雫にまで届くかと思われた矢は、突如として現れた鏡の如くなめらかな氷の盾に阻まれた。

 氷の盾は矢を喰らって砕けかけるも、砕けた傍から形を変えて矢を包み込んで封じ込める。

 氷鏡は相手の攻撃を受けた後に砕けた破片を跳ね返すカウンター技だが、今回は久路人の攻撃を完全にとどめるために使ったようだ。

 雫のその判断は正しい。

 黒鉄を黒飛蝗で手足のように操れる久路人にとって、地面に落ちた矢は即座に奇襲に使用できる罠となる。封じ込めておかなければ雫はいつまでも背後を狙われ続けただろう。

 だが、一瞬でも視界を遮ってしまったのは大きなミスだった。

 

「疾風迅雷!!」

「うえぇぇえっ!?」

 

 氷鏡がその形を崩すと同時に、雫の真横から刀を構えた久路人が恐るべき速さで迫っていたのだ。

 久路人が雫との戦いで勝利するためには短期決戦しかない。

 そして、大規模な範囲攻撃を得意とする雫相手に遠距離での戦いを挑んでも長引くのは自明。

 ならば、久路人にとって最も必要なのは距離を詰めて接近戦を挑むことなのだが・・・

 

(そんなことは、雫だって分かってるはずなのに・・・やっぱり、今日の雫は・・・)

 

 これまで、久路人と雫は数えきれないほど手合わせを続けてきた。

 その中で、久路人が乾坤一擲の必殺技を狙って間合いを縮めようとすることなど幾度もあったのだ。

 なのに、雫は安易に視界を塞ぐ壁を作った上に、自分の周囲に罠を仕掛けることもなかった。

 そもそも、最初に放った大蛇にしても、久路人の霊力異常が本格化する前の訓練で同じような手で回避されていたのを気にも留めていないようだったのもおかしい。

 

「りゅ、流氷!!」

「はぁっ!!」

「んなぁっ!?」

 

 苦し紛れのように放った氷の混ざった激流を、そこに浮かぶ氷を飛び石のように蹴ってやり過ごしながら、久路人はいよいよ雫の目前にまで近づいた。

 そうして、久路人の刃が雫に届く間際まで迫り・・・

 

「せいやぁぁああああああっ!!」

「こ、こうなったらぁぁああああああっ!!」

「っ!?」

 

 刃が触れる直前に、雫の霊力が吹き上がった。

 溢れた霊力は瞬く間に水に変わり、裏庭のすべてを押し流ていく。

 

「けほっ、けほっ・・・も~!!目に砂入った!!」

 

 雫自身も巻き添えにして。

 言ってしまえば、それは技とも言えない自爆であった。

 水を己の体の一部のように操り、雑魚妖怪ならば百体いようが一方的にすべてを流し去ってしまう普段の姿からが考えられない醜態である。

 

「あ~!!口ん中じゃりじゃりするし~!!あれもこれも全部久路人のせいなんだからね~!!」

「・・・・・」

 

 服を汚し、その美しい髪に泥を付けながら、雫は叫ぶ。

 その姿は、まるでわがままを喚く子供のようだった。

 そんな雫を見て、空中に跳ねることで濁流を回避した久路人は追撃の手を止める。

 

(やっぱり、雫・・・)

 

 久路人は気が付いたのだ。

 自分にとって神聖な儀式とも言える決闘に不満気な態度で現れ、突然理不尽な言動をまき散らし、普段からは想像もできないほど稚拙な戦いをする雫を見ても怒りの感情がわかない理由に。

 

「雫」

「何!?この鈍感泥付き朝鮮人参・・・」

「ずっと、向き合えなくてごめん!!」

「・・・え?」

 

 唐突に頭を下げた久路人に、それまでのように怒りをぶちまけようとしていた雫は面食らって動きを止めた。

 

(今日の雫は、いや、あのデートの後からずっと・・・)

 

 久路人の脳裏に、今日だけでなく、ここ最近の雫の姿がよぎる。

 無粋な横やりで最後の最後で滑ってしまった初デート。

 もしもの可能性を想像してしまい、なんとなくお互いに恥ずかしく、気まずくなってしまった。

 ギクシャクして、会話も弾まなくなり、朝の日課を含めて触れ合うこともなくなった。

 

(雫は、ううん、雫だけじゃなくて僕も・・・)

 

 雫だけでなく、己の心の内も自覚しつつ、久路人は告げる。

 

「ずっと、寂しい想いをさせて、本当にごめん!!」

「あ・・・」

 

 久路人の感じていた違和感。

 それは長い付き合いを経たから気づけたモノ。

 それに加えて、戦いに身を置く者だからこそ感じ取れたモノ。

 すなわち、撃ちだされた技の中に混ざっていた、雫の抱いていた感情。

 そこにあったのは怒りだけではない。

 それは、まるで大好きな親や友達に偶々構ってもらえなかった時のような、悲しみと寂しさだった。

 一体誰が、どうしてそんなモノを抱かせてしまったのか?

 その答えは久路人から見れば一つしかない。

 

「僕が、僕の勇気が足りなかったから・・・」

 

 それは、久路人が足踏みをしてしまったから。

 自分の臆病さが、雫を寂しがらせ、おかしな行動に走らせ、今のように怒らせてしまったのだ。

 

「ホントなら、こんな風に戦う必要だってなかったかもしれない。僕が、もっと早くから・・・」

 

 この戦いは、久路人自身を鼓舞するためのモノ。

 しかし、それは自分の事しか考えていなかったことの裏返し。

 雫は、こんな戦いよりも、久路人に歩み寄ってもらうのを待っていたのだから。

 そうやって、久路人が己の不甲斐なさをなおも詫びようと、さらに言いつのろうとして・・・

 

「いいよ」

「え?」

「もう、謝らなくて。だって・・・」

 

 不意に雫が、静かな声で久路人の謝罪を遮った。

 今度は久路人の動きを止めながら、雫は続ける。

 

「私だって、勇気がなかったのは同じだもん。だから私こそ、ごめん」

 

 そう言って、雫もまた、久路人に頭を下げた。

 そう、雫も久路人の言葉に籠る感情から理解したのだ。

 

(なんだ、久路人も寂しかったんだ)

 

 久路人も、自分と同じように内心で寂しがっていたことを。

 二人の関係を、もっと深いモノにしたがっていたことを。

 それを察した瞬間、雫の中にあった怒りはあっという間に霧散した。

 代わりに胸の中に湧くのは、八つ当たりをしてしまったという罪悪感と・・・

 

「私ね、焦ってたんだ。久路人が隣町に行った時みたいに。初めてのデートの後だったのに、中々久路人との関係を進められなくて」

「雫・・・」

「さっきまで怒ってたのも、ただの八つ当たり。だから、ごめんなさい。久路人がこうやって戦うのを大事に思ってるのは分かってたのに、台無しにしちゃって・・・」

「いや、それは僕の方が・・・ううん、違うな。うん、そうだ。じゃあ、お互い様ってことにして、いいかな?」

 

 久路人も、このまま謝り続けるのは不毛であり、お互いのためにならないと思ったのだろう。

 それよりもせっかくお互いの気持ちが分かったのだから、もっと明るい方向へと向かうべくここで手打ちにした方がずっといい。

 そう考えた久路人は、『お互い様』ということで、謝罪合戦を終わらせた。

 

「・・・うん!!」

 

 自分の謝罪を受け入れてくれた久路人の言葉に、雫の罪悪感は別の感情に置き換わる。

 

「ありがとう、久路人!!」

 

 『自分の本当の気持ちに気付いてくれた』という喜びと、そのことへの感謝に。

 雫の顔に、花が咲いたような笑顔が浮かぶ。

 

「こっちこそだよ、雫」

 

 二人の間に、これまであったぎこちなさはなくなっていた。

 お互いの気持ちが分かって、お互いがお互いを求めていることを理解できたのだ。

 まさしく、今の二人はあの初デートが終わりかけた時に戻ったかのようだった。

 

「えっと、それじゃあ、どうしよう。戦うのは止める?」

 

 そうして、久路人は雫に問いかけた。

 この戦いの目的は、戦う前から果たされていたと言っていい。

 ならば、そこに時間を割くよりも、二人の仲を深めることを優先すべきかと思ったのだ。

 

「う~ん・・・でも、久路人、不完全燃焼でしょ?私に勝ちたいっていうのも本当みたいだし」

「あ、分かる?」

 

 しかし、雫もまた久路人と共に過ごして長い。

 戦う前に久路人が口にした誓いにも、かなりの熱量が籠っていたのには気が付いていた。

 

「だったら、戦おうよ。私も、久路人にあんまり我慢させたくないし、八つ当たりしちゃったり、気に食わないからって久路人の私物を勝手に消しちゃったお詫びも兼ねて、ね・・・ま、勝つのは私だけどね?」

「言ったね?でも、今日は絶対に僕が勝つよ!!」

 

 二人の間に、それまでとは違った空気が漂う。

 緊張感に満ちた、ピリピリとした肌の痺れを感じさせる雰囲気。

 けれど、それは二人が険悪だから生じるのではない。

 お互いがお互いを、優れた戦士だと、己を倒しうる可能性を秘めた相手だと認めているからこそ満ちるモノ。

 その証拠に、そこには刺すようなプレッシャーだけでなく、相手への敬意、なにより相棒への親しみが籠っていたのだから。

 そして、二人は再び武器を構える。

 

「じゃあ、行くよ久路人!!」

「うん!!・・・あ、でも本当にお詫びとかそんなことは気にしなくていいからね?それで手加減とかしたら怒るよ?」

「ふふ、分かってるよ。久路人ってそういうところ、こだわるもんね」

「そりゃあね。それに・・・」

「それに?」

 

 改めて戦いを始める前。

 緊張をほぐすように会話に興じる。

 これも、二人の訓練の間ではよく見られたモノだ。

 中学生の頃は軽口をたたきながら技の応酬を繰り広げていたことも何度もあった。

 それを懐かしく思ったからか、あるいは雫と再び分かり合えたのが嬉しかったのか・・・

 

「画像は、USBにも残してあるし」

「・・・は?」

「・・・あ」

 

 久路人は、つい口を滑らせた。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 そして、二人の間に沈黙が訪れる。

 

「・・・えっと、その」

 

 しばしの後、沈黙を破って久路人が見苦しい言い訳をしようとした時・・・

 

「久路人の・・・」

「っ!!?」

 

 裏庭に、真冬のような寒さが舞い降りる。

 それと同時に、久路人の全身に恐るべきプレッシャーが襲い掛かった。

 ブワッと、久路人の身体から冷や汗が一気に吹き出す。

 そして・・・

 

「ムッツリエロ助がぁあああああああああああああああっ!!」

「うぉぉぉぉぉおおおおおおおっ!?」

 

 雫の叫び声と共に、第二ラウンドが始まったのであった。

 

 

------

 

 

 なお、この台詞を聞いていた某使用人は、『どの口が言ってるんですか?』と呟いたという。

 




感想をくれた方々、返信できなくて申し訳ございません・・・
あ~!!早く4章パロ書きて~~~!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拾った妖怪に惚れて人間やめた日

やっっっと!!ここまで書けました!!
すごい難産だった!!リアルで色々あってもう書くの無理って思ったことも正直ありましたが、なんとか書けた!!

後、最近は一日どころじゃないので、タイトル変えました。
ついでに順番も少しいじってあります。


 月宮家の裏庭に、地の底から響くような声がこだまする。

 

「くらえぇぇぇええええええええええええっ!!!」

 

 怨念すら感じさせる声と共に、氷の塊がいくつも浮かぶ激流が放たれる。

 その声に籠る感情が反映されたかのように、氷には鋭い棘が生えており、まるでウニのようだった。

 

「くぅっ!?」

 

 さっきのように飛び乗って回避するわけにもいかず、久路人はバネを生み出して空中に避難する。

 しかし、今の雫は先ほどまでとはひと味違う。

 

「跳んだね?」

「っ!?」

 

 久路人が空中に逃れた直後、久路人の周りを囲うように、霧が展開された。

 

「これはっ!!電じ・・・」

「遅いっ!!」

 

 慌ててその場から動こうとした久路人であったが、霧は範囲が広く、雫が手をかざした瞬間には術としての形を成していた。

 

「水牢球!!」

「!!」

 

 霧は瞬く間に水の塊へと姿を変え、その中心に黒い人影を捕らえていた。

 

「ふふんっ!!捕まえたっ!!動いてる久路人じゃなくて、久路人のいる場所ごと包んだら避けられないでしょ?ちょ~と苦しいだろうけど、これも煩悩塗れの久路人の頭を冷やすため!!しばらくそこで反省して・・・」

 

 これまで、水の中に久路人を捕らえた段階で、雫の勝利は決定していた。

 内側から無理やりに水の壁を破ろうとしたところで、久路人の最大出力では雫のそれに及ばない。

 己の勝利を確信しかけた雫は腕を組んだまま水の塊に話しかけ・・・

 

「紫電改・三機縦列」

「えぇっ!?ば、瀑布!!」

 

 自分の背後から殺気に振り向いてみれば、雷を纏った矢が3本続けざまに飛んでくるところだった。

 反射的に作り出した水の壁に矢は突っ込み、雫が凍らせたことで完全に封じ込めることに成功する。

 そして・・・

 

「雷切!!」

「漣!!」

 

 雫が足に水を纏わせ、激流に乗って移動した瞬間に、黒い一閃が雫のいた場所を走っていた。

 

「久路人!?どうやって抜け出して・・・っていうか、まだ水の中にいるのに・・・って、あれ!?」

「忍法空蝉の術、なんてね」

 

 雫が己の作り出した水の牢獄に目を向けてみれば、その中にある黒い人影は久路人が纏っていた黒鉄のマントが広がっているだけであった。

 

「あの霧が水に変わる直前に、バネを出すんじゃなくてマントの一部と残りを思いっきり反発させたの?なんというか・・・」

「まあ、滅茶苦茶痛かったけど」

 

 どうやら、雫の術が完成するほんの少し前に自身を磁力の反発で吹き飛ばしてたようだ。

 いくら身体強化の術を使っていたとしても、人間の身には中々堪えそうなやり方である。

 雫の眉が、不快そうにしかめられた。

 

「そういう無茶するところも、私は好きじゃない!!」

 

 雫の叫びに呼応するように、月宮家の裏庭の上を覆うように雲が現れた。

 同時に、身を裂くような冷気があふれ出す。

 

「いろいろ反省しなさい!!この・・・」

「っ!!」

 

 久路人が警戒して再びマントを作り出して構えるのと、雫が腕を振るのはほとんど同時だった。

 

「浮気者ぉぉぉおおおおおお!!!!」

「なんでそこで浮気者!?」

 

 上空から豪雨のように降り注ぐ氷柱をその身に纏う黒鉄のマントで弾きながら、久路人は唐突な雫の言葉を否定するが、そこに返ってきたのは、弾き飛ばした氷柱が姿を変えた氷の大蛇だった。

 

「浮気だよ浮気!!私にとっては寝取られ!!そんなにあの脂肪だらけの雌豚写真集が大事なのっ!?」

「ええっ!?」

「じゃあ、想像してみてよっ!!」

 

 久路人が自分の言うことに気が付かないのが腹立たしいのか、地団駄を踏んで雫は続ける。

 

「久路人は私がそこらのタレントでオナニーとかしてもなんとも思わないのっ!?」

「・・・っ!!」

 

 その瞬間、久路人の動きが止まった。

 雫の怒声と共に襲い掛かる蛇は、わずかに動きを止めた久路人の身体をしっかりと捉え・・・

 

 

--ドォンっ!!!

 

 

 瞬間、内側から赤熱した砂をまき散らしながらはじけ飛ぶ。

 

「ごめん、今すっごい嫌な気分になった」

「でしょ~!!」

 

 雫に負けず劣らずの殺気を漲らせた久路人がはじけ飛んだ蛇の胴体から淀みなく着地すると、雫も攻撃の手を止めて共感の声を上げる。

 二人とも、NTRモノは知らないキャラならそこそこ楽しめるが、思い入れのあるキャラモノはNG派だ。

 他人に欲情して性欲を発散されるなど、二人にとっては浮気、NTRとほぼ同義であると心の底から感じ合った瞬間であった。

 

「そういうわけだから、その画像集は絶対に全部削除するからね!!このスケベ!!」

「ああ、わかった。画像は全部消すよ」

 

 久路人としても、雫という恋人がいるにもかかわらず、いつまでもあの手の画像を持ち続けているのは不義理だとは思っていた。けども、それなりに時間をかけて集めて、愛用していたことや、雫と気まずい仲になってしまったことで捨てるタイミングを見失っていたのだ。雫に想いを告げてデートを経てから1週間ほど経ったが、その間一度も使っていないのは久路人なりの誠意からであるが、持っているだけでも雫にとっては裏切りだろう。今はモロに雫を怒らせて戦っている最中だが、まあ一応さっきまでのことで仲直りはできたので、消すことに関して躊躇はない。

 

「まったく!!本当に久路人はムッツリというか浮気性というか・・・高校の時から隠してたでしょ」

「その時から知ってるのっ!?」

「ふんっ!!この私から隠し事ができるなんて思わないことだよ!!このエロ!!巨乳マニア!!貧乳差別主義者!!いい?今のご時世、慎ましいのは立派な個性なんだからね?ある種のステータスなんだよ!!」

「うう・・・ごめんなさい」

 

 久路人がしっかり反省しているのは雫も分かったのだろう。

 しかし、やや怒気は収まったが、まだまだ怒り足りないようだ。

 まさに立て板に水と言わんばかりに、久路人への不満をぶちまける。

 雫が件の画像を見つけたのは久路人が高校に上がってすぐのこと。当時は久路人の部屋ごとパソコンを氷漬けにしかけたが、そこを鋼の自制心で耐えたのだ。そうして溜まっていたモノが、今この瞬間に飛び出していると考えれば、仕方のないことかもしれない。

 そして・・・

 

「本当にもう・・・私はずっっっと前から、久路人しかオカズにしてないってのに!!」

 

 それは、つい先ほどまでの久路人とよく似ていた。

 

「・・・え?」

「・・・あ」

 

 雫の口から、大声で叫ぶにはあまりにも憚れる台詞がこぼれだす。

 ・・・それは、ここしばらくのぎこちない空気で進まない二人の関係性への苛立ちに対する反動で、以前よりもかなり激しめに発散していたこともあるのかもしれない。

 しかし、その発言はお互いの間にある空気を凍らせるには充分であった。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 再び訪れた沈黙。

 その状況で、先ほどまでと違うのは・・・

 

「えっとさ・・・」

 

 久路人が一方的雫から口撃を受けており、ちょっとした反抗心が芽生えていたことだった。

 

「スケベなのは、雫も同じじゃない?」

「~~~っ!!?」

 

 突然のカウンターに、雫の動きが止まる。

 見る見るうちに、雫の白い肌に朱がさしていく。

 

「さっきから僕のことをスケベだのエロ助だの言ってるけどさ・・・」

 

 少し気まずそうに、けれども言われっぱなしだったことや、無断で部屋に侵入されて私物をダメにされたことは久路人としてもやはり気に入らない部分はあったのだろう。普段ならば自分をオカズにしてくれていたことを純粋に喜んだだろうが、ほんの少しばかり久路人の中にはイタズラ心が顔を出していて・・・

 

「雫だって、相当エロ・・・」

 

 少々口元をにやけさせながらそう言いかけ・・・

 

「だ、大瀑布~~~~!!!!」

「のぉおおおおっ!?」

 

 久路人の言葉を遮るように、水の巨壁が久路人目の前に現れていた。

 久路人は今度は跳躍ではなく、地上を高速で移動して、壁の後ろに回ることで回避する。

 

「い、いきなり攻撃してこなくてもいいじゃん!!僕まだ喋ってたよね!?」

「う、うるさいよっ!!そ、そういうところ、久路人って本当にデリカシーないよねっ!!」

「デリカシーっていうか常識がないのは雫も同じだろ!!これは言わないでおこうと思ってたけど、飯に自分の血を混ぜて飲ませるなんて、一般的な目線ならめっちゃアブノーマルだからね!?雫だからいいけど!!」

「今更そんなこと言うのっ!?だったら私からも言っておくけど!!そんなアブノーマルな女に付き合う久路人だって相当アレだからねっ!?私は嬉しいけどっ!!」

 

 またまた向かい合って、言葉を交わす。

 しかし、なにやら二人ともおかしな具合にヒートアップしていた。

 雫をからかおうとしていたところに不意打ちを受けて怒り気味の久路人と、デリケートな部分を突かれてやはり怒った雫。

 けれども、ネタがあまりにもしょうもないからか、本気で怒る気になれず、さりとて唯々諾々と言葉をぶつけられるだけなのはそれはそれで気に入らない。でもやっぱりこんな下らないことで、あの吸血鬼の時のように喧嘩になるのは嫌だという思いもある。そもそも、あの時と違って、二人はお互いがお互いを好いていることは分かっているのだ。今の喧嘩のことだって、発端の久路人が反省そのものはしているから、雫は本気の本気で怒っているわけではないということも。

 結果・・・

 

「この変態ドン引き性癖美少女!!」

「そっちこそ!!この、陰険ムッツリ堅物・・・えっと、雰囲気イケメン!!」

「そこで間を開けられる方がちょっとショックなんだけどっ!?」

「うるさいっ!!久路人にいい所がたくさんあるのが悪いのっ!!そういう所も面倒くさいんだよっ!!」

「理不尽っ!?」

 

 罵倒してるんだか褒めてるんだか、よくわからない空気になっていくのだった。

 

 

------

 

「くらえっ!!」

 

 相変わらず僕と距離を保ったまま、雫は手に持った水鉄砲から術を乱射する。

 しかし、その狙いはこの戦いが始まった時よりも遥かに正確だ。

 

「でも、避けられないほどじゃない!!」

「くぅ~!!さっきからちょこまかと・・・」

 

 消防車のホースから放たれる高圧水流のような術の連射を、僕は強化した反射神経と身体能力を以てかいくぐる。続けて雫との距離をさらに詰めようとするが・・・雫の瞳が紅く光った。

 

「これはどうっ!?」

「なっ!?」

 

 足を踏み込んだ瞬間、地面がぐにゃりと歪んだ。

 雫の視線は、物体の水分をある程度操ることができる。その応用で地面を沼に変えたのだろう。

 

「大蛇!!」

「クソッ!!」

 

 動きが止まったところを狙うように、水の蛇が襲い掛かって来た。

 僕は、足が完全に沈み切る前に、黒鉄のワイヤーで自身の身体を後方に刺した杭まで引き寄せて回避するが、これで雫との距離が開いてしまった。

 

「これも対応するの・・・なら、次はこれ!!白霧!!」

 

 僕が攻撃を避けたことで悔しそうな顔をする雫だが、攻撃の手を緩めるつもりはないようだ。

 今度は、僕のいる場所も含めて、裏庭全体を白い霧が覆う。

 霧は水。水は雫の手足であり眼だ。これは放っておけない。

 

「紅飛蝗!!」

 

 周囲に漂わせていた黒鉄の砂に霊力を流し、一気に赤熱させる。

 それと同時に、白い霧に対抗するように、砂鉄を裏庭に拡散させた。

 高熱を放つ砂鉄が白い霧とぶつかり合い、霧を吹き飛ばすが・・・

 

「よし、これで・・・え!?」

 

 霧が晴れた後、僕の視界から雫がいなくなっていた。

 

「なっ!?どこに・・・!?」

「鉄砲水!!」

「っ!?黒鉄ノ大盾!!」

 

 なぜか低い位置から聞こえてきた雫の声が響き、僕の背後から激流が迫ってきていた。

 僕は回避よりも防御を選択。

 目の前に瞬時に作り出した黒鉄の盾で激流をシャットアウトした。

 しかし、これは・・・

 

「広がれ!!」

 

 僕は自身の感覚を信じて、黒鉄を再び拡散させた。

 自分の足元の地面に。さらにそこから裏庭全体へ。

 そして・・・

 

「はぁっ!!」

 

 僕が地表を舗装するように広げた黒鉄を操作し、地面に向かって剣山のように鋭く長い棘を生やす。

 

「っ!?ぷはっ!!」

 

 硬い何かに当たった感触を感じた直後、黒鉄で覆った地面の一部が割れて、白い影が飛び出してきた。

 

「よしっ!!紫電改!!」

「こ、このドSぅううう~!!氷鏡!!」

 

 矢は氷の盾に呑まれてしまったが、雫を引きずり出すことには成功したので良しとしよう。

 

「最近はやりの鮫映画かよ・・・地面の中を泳ぎ回るなんて」

「アレと一緒にされるのは流石に嫌なんだけど・・・でも、これもダメか」

「でも、珍しいじゃないか。脳筋の雫がこんな搦め手みたいな戦い方するなんて」

「ふん!!陰湿なやり方をされる気分がわかった?意趣返しってやつだよ!!」

 

 お互いに攻防を終えて一区切り。

 僕は軽く息を整えながら雫に話しかけるが、内心驚いてもいた。

 雫に言った通り、雫はこれまであまりこういったゲリラ戦法のような搦め手を使ってはこなかったのだ。

 それが今日になってこんな手を使ってくるとは。

 

「あれ、そうなの?てっきりこれまで通りのやり方だと僕には勝てないから、そんな風に戦ってるのか思ったんだけど?」

「ふん!!私がこれまで久路人に負けたことがあった?これまで全戦全勝だよ?まあ、久路人とクロスレンジで戦うのは少し嫌だけどさ」

 

 雫が僕と接近戦を演じるのを警戒しているのは間違いない。

 それは、その間合いならば僕の勝ち目が大きいことを意味する。

 しかし、僕が軽く挑発をしても、雫はどこ吹く風だ。

 逆に僕を煽ってくる始末。

 それは、雫がこれまで僕にまともに接近戦をさせてこなかったという自負から来るものだろう。

 だから、雫は僕には負けないと言う自信があるのだ。

 警戒はしても、自分には勝てないと判断している。

 

(まあ、確かに僕が雫に勝ったことはまだないけど・・・)

 

 僕は、これまでの激戦の数々を思い出しながら口に出す。

 僕にとってもあんまり思い出したい記憶ではないが、雫の得意げな表情を崩してやりたかったのだ。

 

「・・・でもさ、あの吸血鬼とか久雷とかと戦った時は、雫も苦戦してたよね。僕もそうだったけど」

「っ!?」

 

 僕がそう言うと、雫は『痛い所突かれた』みたいな顔をした。

 あれらの戦いは僕が色々とやらかしたことも多いが、勝利に貢献した比率は僕も雫もあんまり変わらないようなと、正直思っていたのだ。結局、護衛の契約を結んでいた雫と、守られるはずの僕が協力して乗り切ったことも多々あったわけだが・・・

 

「あ、あの時は色々あって調子が悪かっただけだもん!!そうやって昔のことをねちっこく覚えてる辺りが陰湿なんだよ久路人は!!」

「昔って、まだ一か月経ってないよ」

「そ、そういう細かい所も陰険なんだってば!!」

 

 さっきから繰り返される罵倒の応酬。

 しかし、不思議と嫌な感じはしなかった。

 

「さっきから陰険だの陰湿だのって・・・それを言うなら雫は変態じゃん。さっきも僕をオカズにだのなんだの言ってたし・・・僕の部屋のゴミ箱とか着替えとか漁ってたんでしょ?」

「えっ!?き、気付いてたのっ!?も、もしかして私がお風呂に入る前に久路人の服の匂い嗅いでるところも覗いて・・・?こ、この覗き魔!!」

「・・・え、マジでやってたの?っていうか、その流れで僕が罵倒されるのは納得いかないんだけど。というか、僕がつい最近まで抱いていた清純な雫のイメージがボロボロなんだけど」

 

 大声で叫ぶにはあまりにもあんまりな会話。

 お互いの悪い所やドン引きモノの所業を言い合う、一見すれば険悪としか言えない雰囲気。

 けれども、何故だか僕の心はスッキリと晴れ渡っていた。

 

「う、うるさいっ!!久路人でしか発散してないから一途だし、清純派名乗ってもいいじゃん!!そもそもカマかけるなんてサイテーっ!!」

「客観的に見て、この状況で最低なのは雫の方だからね?」

「しょ、しょうがないじゃん!!久路人からいい匂いするんだもん!!逆に聞くけど、久路人だって朝に私の匂い嗅ぐ時、かなり興奮してたでしょ!?息が少し荒くなってたし!!」

「うっ!?そ、それなら僕だって不可抗力だよ!!好きな女の子の匂い嗅いで興奮するなってのが無理でしょ!!」

「~~///っ!!!?」

 

 それは、お互いの本音を思いっきりぶつけ合えてることの証明だから。

 あの吸血鬼を倒した後の喧嘩とはまるで違う。

 あの時と違って、今の僕たちはお互いの心が繋がっていることが何も言わずとも分かっているから。

 言葉が少し汚くとも、その裏に相手への『好き』という気持ちがたっぷりと感じられるから。

 そして、そこは僕だけでなくて雫も同じ。

 

「デートの時も言ったけどっ!!不意打ち禁止っ!!」

「不意打ちって・・・僕が雫を好きなのなんてもう知ってるでしょ!!このヘタレっ!!」

「あ~っ!!言ったね?メアやリリス殿に続いて久路人まで言ったね!?人が気にしてることを~っ!!」

「自覚あったのかよ!?雫ってなんでこっそり僕に人間やめさせようとするくらい愛が重くて行動力あるのに、そういうところは逃げ腰なのっ!?」

「久路人こそ!!普段お堅くておっとりした感じなのに、どうしてこういう時は積極的なんだよっ!?隣街に行ったときもそうだけど、久路人ってやると決めたらホント猪突猛進っていうか暴走特急じゃん!!」

「それも雫には言われたくないよっ!!『僕に嫌われたら~』なんて考えて何も言わないで人を勝手に人外にしようとするとか、一蓮托生になろうとするとか!!思い込み激しすぎでしょ!!僕はそれぐらい全然OKだけど、そのぐらい僕が雫のこと好きじゃなかったらどうするつもりだったのさ!!」

「そ、それは、その、長年かけて謝って許してもらおっかなって・・・だ、大体!!久路人だって『私が血のせいで狂ってる』なんて思い込んでたでしょ!!私は!!素で久路人のことが大好きなんだからね!久路人の理屈なら、久路人が怪我した時に血を飲ませようとした時点でおかしいって思いなよ!!そこに気が付かないから久路人は鈍感なんだよ!!」

「だからって、こっそり食べ物に体液混ぜられてるとか普通の思考で気付けるわけないだろ!!そんなのを察せるのなんて雫レベルのヤンデレだけだよ!!」

「ヤンデっ!?・・・久路人にだけはヤンデレって言われたくない!!独占欲とか束縛すっごく強いし!!久路人の方こそヤンデレだよ!!着いていけるのは私くらいなものだからね!?私以外で久路人を心の底から愛せて、『その束縛強いところがむしろグッとくる!!』なんて女絶対いないし、いても殺すからね!!」

「そっちこそ、めっちゃ愛が重いじゃん!!雫以外の女の子とか眼中にないけど!!雫しか見えないけど!!」

「私だってそうだよ!!久路人以外なんて、どうでもいい!!久路人しかいらない!!」

 

 全力で、僕たちは自分の想いを言葉に乗せる。

 相変わらず語気は荒いが、いつの間にか僕たちの顔には笑顔が浮かんでいた。

 

「ああっ、もうっ!!このままじゃ埒が明かないよ!!」

「久路人っ!?」

 

 僕は大声で叫んだ。

 同時に、気付けば僕は駆けだしていた。

 自分の心が燃えているようだったのだ。

 言葉だけでなく、行動で、動作で、この想いを伝えたかった。

 それには、立ったままでいられなかったのだ。

 そして、それは雫もきっとそうだったのだろう。

 

「はぁぁああああああああっ!!」

「やぁあああああああああっ!!」

 

 これまで接近戦を避けていた雫が、薙刀で僕の攻撃を受け止めていた。

 

「あれっ!?雫、逃げなくていいのっ!?」

「ふんっ!!確かに接近戦は少し嫌だけど、それでも妖怪の私が簡単に負けるはずないでしょ!!大体!!さっきの黒鉄で私の周りトラップまみれにしたくせによく言うよ!!」

「それはごめんね!!でも、戦いに卑怯も何もないよ!!それに・・・」

 

 そこで僕は一歩下がり、勢いをつけてもう一度雫に斬りかかった。

 

「僕の想い!!雫が好きだって気持ちが!!言葉だけじゃ収まらないんだよっ!!」

「そこでハグとかキスじゃなくて斬りかかって来るところ、ヤンデレ以外の何だって言うの!!」

「しょうがないでしょ!!体が勝手に動くんだから!!雫に勝ちたいんだから!!今分かった!!どうして僕が雫に勝ちたいのかっ!!僕は雫に勝って!!男として雫を全部僕のモノにしたいんだっ!!」

 

 戦いの中で僕は改めて理解する。

 自分の中の、雄としての本能とプライドを。

 

「こ、このヤンデレ!!気持ちはすっごい嬉しいし、押し倒されてみたいけど!!久路人が勝たなくても、もう私は久路人のモノだよ!!」

 

 言葉と共に走った剣閃を、雫は薙刀でもう一度受け止める。

 

「だとしてもだよ!!僕は!!やっぱり雫に勝ちたい!!雫に、僕も強い男なんだって分かってもらいたい!!」

「そんなのもうとっくに知って・・・あ~もう!!わかったよ!!全部受け止めてあげる!!久路人の中の気持ち!!久路人の気が済むまで直接全部受けてみせるよ!!」

「だったら、僕が勝つまで続けるよ!!」

「やってみせてよ!!ヤンデレ久路人!!」

 

 夏の夕日を浴びながら、黒い刃と紅い刃が何度も交差する。

 僕と雫の立ち位置も、幾度も幾度も入れ替わる。

 お互いに武器を振るい合っているというのに、まるで僕らは踊っているようだと思った。

 

「さっきから人のことをヤンデレって・・・僕がヤンデレだって言うなら、それって全部雫のせいだからね!?雫が可愛すぎるから悪い!!」

「そっちこそ!!私がこんなに重くなったのも、全部久路人のせいだよ!!久路人がかっこよくて優しすぎるから悪いの!!責任取ってよ!!」

「取るに決まってるだろ!!僕以外にその責任は誰にも取らせるもんかっ!!」

「そうやって不意打ちでカッコいいこと言うのが卑怯でキュンキュン来るんだよっ!!」

 

 打ち合いながらも、僕らの言葉は止まらない。

 気が付けば、僕たちはお互いの悪い所でなく、好きな所を言い合っていた。

 

「なんだよ!!銀髪で赤眼で美少女って!!漫画かよ!!僕の好みドストライクだよ!!」

「そっちこそ!!普段大人しいのに、いざって時はキリっとした顔でビシッと決めるとかそれこそギャップ萌えを体現してんじゃん!!大好き!!」

 

 黒い刃に雷を纏わせて空を走らせれば、それは紅い氷の刃に打ち払われる。

 

「僕だって!!僕以外には結構ドライなのに、僕にだけは優しい所とかヤバいと思ってるからね!!そんなの絶対に堕ちるわ!!こっそり血を飲まされても余裕だよ!!」

「私だって!!私みたいな重い妖怪女相手に素で優しくされたらコロッと来るよ!!」

 

 紅い刃が上から降りかかってくれば、黒い刃はそれを受け流して見せる。

 

「さっきからああ言えばこう言うなぁっ!!それならまだ言いたいことはあるよっ!!雫のいい所なんて、僕が勝つまでに言い終われないくらいあるんだから!!」

「残念!!それなら私の勝ちだよ!!久路人のいい所は、明日になるまで言い終われない自信あるもんね!!」

「なっ!?それなら僕は3日!!」

「1週間!!」

「一か月!!」

「一年!!」

 

 まるで子供のような言い合いをしながらも、僕と雫は戦い続ける。

 

「~~!!あ~っ、もうっ!!僕が雫を好きだって思う気持ちの方が!!雫の気持ちより強いんだよ!!」

「そんなことない!!私が久路人のこと好きだって思ってる方が大きいよ!!」

「僕の大好きの方が強い!!」

「私の方がもっと大好きだよっ!!」

 

 お互いの気持ちを伝えあう。

 刃が重なるたびに、心臓の鼓動が大きくなるのを感じる。

 言葉を放つたびに、胸の奥が熱くなる。

 しかし・・・

 

「・・・はぁっ、はぁっ!!」

 

 しかし、限界から逃れることはできなかった。

 想いと身体を全力で動かしすぎたのだ。

 身体が心に着いていけなくなるリミットが近づいていた。

 

「ふふっ!!やっぱりそろそろ限界みたいだね?降参する?『雫様の大好きの方が大きかったです』って認めちゃう?」

「まさか・・・そんなわけないだろ」

 

 お互いに身体一つ分の距離を開けて向かい合う。

 ・・・そろそろ、決着を付けなければならないだろう。

 

「雫」

「・・・何?」

 

 僕が静かに口を開くと、雫もまたさっきまでの言い合いが嘘のような穏やかな口調で答えた。

 

「今から、全力で行く。だから・・・」

 

 僕は、全身に霊力を漲らせた。

 脆い人間の肉体が、膨大な霊力の波に晒されて悲鳴を上げる。

 

「・・・・・」

 

 普段ならば止めようとするだろう雫も、今はただ、僕を見守っていてくれていた。

 それは・・・

 

「僕の全力!!僕の雫への想い!!受け取って!!」

「うんっ!!」

 

 僕の本気を、僕の全身全霊の気持ちを、真正面から受け止めてくれるという証だった。

 

「・・・ふぅ~」

 

 僕は息を吸って、吐く。

 霊力を身体に張り巡らせながら、集中する。

 

 

--思い出せ・・・

 

 

 掘り起こすのは、これまでの戦いの記録。

 つい先日の月宮久雷との戦い。

 葛城山での九尾との殺し合い。

 神の力は今は使えないが、その技は身体が覚えている。

 

 

--あの時の感覚を!!

 

 

 これまでは、何度思い出そうとしてもできなかった。

 何度体を動かしても至れなかった。

 けど、今は違う。

 

 

--すべては・・・

 

 

 今の僕には・・

 

 

--雫に、この想いを伝えきるために!!

 

 

 己の想いを全力で伝えたい相手がいる!!

 己の想いを、全力で受け止めてくれる女の子がいるから!!

 

「はぁぁああああああああっ!!」

「・・・っ!!」

 

 霊力は、魂の力。

 魂という世界の欠片にあてられた、生命力と想いの成れの果て。

 そして今、僕の中の想いは、溢れんばかりに漲っている。

 ルールも、常識も、世界の何よりも大事な女の子に向ける想い。

 その子のためならば、すべてを壊しても構わないと思えるほどの気持ち。

 その想いが、今、世界に仇なそうとした狐を屠った技を想起させる!!

 

「砕月!!」

 

 神の力は宿っていない、ただの突き。

 けれども、そこに籠る霊力はあの壊れかけたススキ原での一撃に迫る。

 

「山津波!!」

 

 迎え撃つのは上段から振り下ろされる土砂崩れの如き激流を纏った薙刀の刃。

 

「「はぁぁああああああああああああああああああああっ!!」」 

 

 二つの刃は瞬きの間にぶつかり合う。

 膨大な熱を帯びた突きと、地獄のような冷気を帯びた刃が重なった

 

 

--ドンッ!!

 

 

 巻き起こったのは濛々と煙る霧だった。

 高熱と極低温が急速に接したが故の現象。

 そして・・・

 

「はぁっ、はぁっ・・・!!」

「確か、私たちって、私の方が久路人を好きになる方が早かったよね」

 

 白く煙る視界の中、聞こえた雫の声はどこか嬉しそうだった。

 霧が晴れた時、視界に映ったのは、辺りに散らばる紅い氷の欠片と・・・

 

「やっぱり、こういう恋人どうしのぶつかり合いってさ・・・」

 

 雫の首に届く前に寸止めされた刃と。

 

「先に惚れた方の負けなんだよね」

 

 そして・・・

 

「私の負けだよ、久路人」

 

 柔らかくほほ笑む雫だった。

 それを見た瞬間・・・

 

「やっと・・・勝てた」

「うん、おめでとう。まさか、本当に私が負けるなんて思わなかったな。あ!!でも!!これはあくまで久路人の得意な土俵で戦ったからで、持久戦になったら私の・・・って、久路人!?」

「・・・・・」

 

 僕の意識は、闇に沈んでいった。

 なんだか暖かくて柔らかなモノに包まれる感触と共に。

 

 

------

 

「ん・・・?」

「あ、起きた」

 

 目が覚めると、まだあまり慣れていない天井と紅い瞳が目に入った。

 そして、頭の下に感じる感触。これは・・・

 

「なにここ。雫の膝枕とか、天国?」

「久路人が天国に行くようなことになるくらいなら、私が久路人の天国になるよ」

「もうなってるから大丈夫・・・って、痛っ!!」

「あ~!!あんまり無茶しないの!!まったく!!やりたかったのは分かるけど、あんなに無理して大技使って・・・」

「う・・・ゴメン。でもさ、僕、雫に勝ったよね?」

「なんか素直に認めるのは癪だけど・・・うん、そうだよ。私は久路人に負けた。まあ、久路人はすぐに気絶しちゃったけどね」

「そっか・・・」

 

 起き上がろうとしたら、全身に走る筋肉痛。

 最後に使った大技の反動だろう。

 神の力を込めて使った時よりも遥かに軽いが。

 そして、そんな僕を止めようとする雫からは石鹸のいい匂いがした。戦いの後に風呂に入ったのだろう。

 しかし・・・

 

「本当に、やっと勝てたな・・・」

「前々から思ってたけど、そんなに勝ちたかったの?」

「そりゃあそうだよ。男として、付き合ってる女の子より物理的に弱いって言うのは結構ショックだよ」

「ふ~ん・・・ところでさ」

 

 改めて、自分が雫に勝てたという事実を噛みしめる。

 雫が僕の得意な接近戦に乗ってくれたという点は大きいが、それでも真っ向勝負で勝てたのだ。

 僕の中に、達成感と満足感が湧いて来る。

 と、そうして僕が色々と感傷に浸っていると、雫がなにやらモジモジと体を震わせた。

 身体が揺れて、ちょっとくすぐったい。

 見れば、その頬はうっすらと紅く染まっていた。

 

「久路人、言ってたよね?」

「え?」

「だから、戦う前と戦ってる途中に!!」

「え?戦う前と、戦う途中に・・・?」

「覚えてないの!?あんだけかっこよく啖呵切ったのに!?」

 

 雫が少し怒り気味にまくし立ててくるが、さっきの戦いで色々とありすぎて、何を言ったのかと言われても分からないのだが・・・

 

「だから!!その、ふさわしい男だって証明するとか!!全部僕のモノにしたいとか!!」

「・・・あ!!」

 

 思い出した。

 同時に、僕の頬にも熱がこもっていくのが分かる。

 

「まさか、その~・・・あれ、嘘だったとか」

「そんなわけない!!」

「そ、そっか・・・そうだよね、あはは・・・ふふ、あはは、あははははははっ!!」

 

 僕の反応が芳しくないのを見て不安になったのか、雫の声が小さくなった。

 しかし、僕が否定するとすぐに元の調子に戻って高笑いを始めた。

 ・・・昔から妙なところでヘタレたり恥ずかしがっていた雫だが、なにかの大義名分があると鬼の首を取ったように異様な行動力を見せることがあった。

 嬉しそうに笑う雫の気分を表すように、その左手薬指にはまった指輪がキラリと光る。

 そう、今の雫にとっての大義名分とは・・・

 

「じゃ、じゃあさ!!久路人・・・」

「雫」

「へ?・・・わわっ!?」

 

 気が付けば、僕は一瞬で上体を起こし、雫の肩を掴んで空中で一回転させてベッドに押し倒していた。

 

「く、久路人ぉっ!?」

「・・・・・」

「な、なんで黙って・・・なんか怖いよ、くろ・・んんっ!?」

 

 動転してあたふたとする雫に、僕は自分の唇を重ねた。

 

「~~~っ!?」

「・・・ぷはっ、雫」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 

 唇を離すと、雫は顔を真っ赤にして、瞳をグルグルと回して混乱しているようだった。

 だが、ここで止まるつもりはない。

 大義名分を持った雫は、かなり行動のタガが外れる。

 しかし、今からヤることのリードを、雫にとられるのは嫌だったから。

 

「雫を、本当の意味で全部僕のモノにしたい」

「っ!!」

 

 ビクッと、雫が震えた。

 けれども、目ははっきりと僕と合っている。

 僕の言葉を、一言たりとて聞き逃すまいと集中しているのがわかった。

 

「別に、さっき雫に勝ったからってわけじゃない。例え負けていても、こうしたいって思ってた。あの戦いを挑んだのだって、僕の方がもう限界だったからなんだ。僕は・・・」

「・・・・・」

 

 自分の中にある言葉を、自分の本音を、慎重にくみ出して、組み立てて、僕は形にする。

 雫の嵌める指輪の輝きが、僕自身が贈った証が、今は僕に勇気をくれるように思えた。

 色んな言葉と感情が胸の内でごちゃ混ぜになる中、それでも僕は自分の一番の望みを口に出す。

 

「もっと雫と先に進みたい!!」

「・・・はい」

「・・・雫」

 

 僕が目を向けると、雫は微笑んでいた。

 普段明るく快活に笑う雫にしては珍しい、静かな笑み。

 それはまるで、それこそ天使のようで・・・

 

「私も、最近ずっと思ってた。初めてのデートはすごく良かったけど、最後はあんな風になっちゃったから・・・けど、だからこそ今」

「・・・・・」

 

 その美しさに思わず言葉を止めていた僕に、雫は続けた。

 

「私を、全部、全部久路人のモノにして欲しい。もっと・・・久路人と繋がりたい」

「・・・っ!!」

「っん!?・・・んっ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、僕の中の何かが弾けた。

 もう一度、自分の唇を雫のそれに押し付ける。

 やはり雫も驚いていたが、今度は予期していたのか、すぐに僕の舌を受け入れて、自分の舌と絡めてきた。

 そして、しばらくの後。

 

「ぷはっ!!」

「はぁ~、はぁ~・・・」

 

 唇を離し、お互い肩で息をする。

 僕らの顔は真っ赤にそまっていて、体は熱で火照っていた。

 そして・・・

 

「っ!?く、久路人の・・・」

 

 僕の身体の一部が、雫に当たっていた。

 けれども雫の顔に嫌悪の色はなく、僕もその滾りを隠すつもりはない。

 

「責任」

「へ?」

「さっきの戦いで言ったこと、色々あったけど・・・言ったよね、雫を重い女の子にした責任取るって。だから、今から取るよ」

「・・・うん。私も、取るよ。久路人をヤンデレにしちゃった責任。だから、あげるね」

「・・・・・っ!!!」

 

 雫が、着ていた白い着物をはだける。

 雫の美しい裸身が、白くきめ細やかな肌が、控えめな双丘が、僕の目の前に晒される。

 それを見て、僕の中の熱はさらに大きくなり・・・

 

「私の初めて、久路人にあげる」

 

 

 そこから、僕らは獣になった。

 

 

------

 

 

 チチチチチ・・・と、鳥の鳴く声がした。

 

「う・・・」

 

 目が覚めて、胸に息を吸い込んだ時に感じたのは、ムワッとした熱と臭い。

 感じるのは、体全体が柔らかくとも湿気を含んだ布の上に横たわる感覚。けれども、頭と尻の付け根から先には、これまで感じたことのない違和感のようなものがあった。

 そして、視界に入るのは、穴が空いたり紅いシミがついたりして荒れに荒れたベッドのシーツと・・・

 

「う~ん・・・?」

 

 その白く美しい身体を何も隠すことなく横になる雫の姿だった。

 ただし、その姿には少し違いがある。

 

「おはよう、雫」

「ああ、久路人か、おはよう・・・っ!?」

 

 頭から二本の角を生やし、白い尻尾をくねらせながら目を擦る雫に僕が声をかけると、雫は返事をして・・・

 

「っ!!」

「わっ!?雫っ!?」

「・・・・・」

 

 己が一糸まとわぬことに気が付いたのか、すぐに近くにあった布団にくるまると、中に潜ってしまった。

 僕が様子を見ていると、ニュッと雫は顔を出し・・・

 

「この鬼畜」

「え?」

「・・・・・」

 

 ボソッと告げると、再び布団の中に。

 そしてまた顔を出して・・・

 

「このドS」

「・・・・・」

 

 ボフン

 ニュッ!!

 

「ベッドヤクザ」

「あの・・・」

「凌辱系エロゲ主人公・・・」

「ごめん!!激しくしすぎました!!本当にごめんなさい!!」

「・・・・・」

 

 布団の中に潜ったきり顔を出さなくなった雫に、僕は平謝りした。

 なんというか、昨日はその・・・胸の中にたぎる衝動と、体の中にある熱を発散しようとしたら、途中からある理由で歯止めがかからなくなってしまい、『ちょっとこれは…』と自分でも思わなくもないくらいにハッスルしてしまったのだ。

 

「妾、まさか一晩で一気に二回も処女を失うことになるとは思わなかったぞ・・・」

「はい、反省しております・・・」

「ふんっ!!」

「・・・・・」

 

 しばらく、雫は布団に籠ったままだった。

 時折足と尻尾を出してはバタバタとその辺に叩きつける。

 その仕草は『妾は怒ってます』と言わんばかりだったが、僕には分かる。

 これはフリだ。

 

「ふん!!・・・くくっ、ははは」

 

 やがて、布団の中から押し殺した笑い声が聞こえた。

 僕の予想通り、怒ったフリをしていただけだったことに、予想できていたとはいえ胸をなでおろす。

 そんな僕を尻目に、怒ったフリにも飽きたのか、雫はもう一度顔と白魚のような腕を出して・・・

 

「色々言いたいことはあるが、まあ、なんにせよだ」

「うん」

 

 僕と目を合わせて、心の底から嬉しそうに笑いながら。

 そして、僕の頭に生えた角と、尻尾を触ってから言った。

 

「人間卒業おめでとう。これからも、末永くよろしく頼むぞ。久路人」

「うん!!」

 

 こうして、この世界で何よりも大事な女の子と繋がりあった日。

 

 僕は人間を卒業した。

 

「これからも、ずっと、ずっと、それこそ永遠に、一緒にいよう、雫」

「うむ!!」

 

 これは拾った妖怪に惚れて人間を止めた僕の物語。

 これからも永久に続く、白蛇の化身と人間を卒業した元人間の紡ぐ物語である。

 まだ色々と問題もあるが、それも必ず乗り越えられるはずだ。

 僕と雫の二人なら。

 

「あ、ちょっと待て・・・割と真剣に腰と尻が痛い。久路人、責任取って風呂まで運べ。お姫様抱っこで」

「本当に、昨日は申し訳ございませんでした・・・」

 

・・・多分。

 

 




3章のテーマは人間卒業。
書きたかったのは、『自分が受け入れられるはずない』と思い込む人外ヒロインと、それを全力で受け入れる主人公との組み合わせでした。
ここまで長かった・・・

4章からは日常回とバトルかな(予定は未定)。
評価、感想、お気に入り、推薦、イラストとか、色々待ってるぜ~~!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 白流怪奇譚
人物紹介・設定資料集(第三章まで)


このお話も長くなったので、ギスギスした部分を飛ばして読みたい方用に設置
まだ書けていない項目もありましたが、あらすじと久路人、雫、京、メアのところまででも大丈夫なはず・・・


第三章までのあらすじ

 

第一章

 

 生まれついて異質な霊力を持った月宮久路人は、幼少の頃に白い蛇の妖怪を拾う。

 白蛇は元は格の高い大妖怪であったが、ある時に封印を施されたことで永い眠りにつき、その力を失っていた。

 久路人の養父である霊能者の月宮京は、久路人の持つ力を分け与えて白蛇の力を取り戻させる代わりに、久路人の護衛として久路人と白蛇を契約させる。

 久路人は白蛇に雫と名付け、友達として接するようになり、雫もこれを受け入れる。

 一人と一匹は、契約以外にも『お互いを守りあう』という約束を交わすのだった。

 そして数年を経て、最初は打算で傍にいた雫も孤独を埋められていく内に久路人と共にいる時間をかけがえのないモノだと思うようになっていく。

 だが、普通の人間とはズレている久路人は次第に周りの人間から煙たがられるようになっていた。

 いじめられる久路人であったが、雫はそんな久路人を助ける際に、己の中の久路人への想いを自覚する。

 その想いがきっかけとなり、雫は人間の少女と同じ姿へと変わり、人外はもちろん人間からも久路人を守ることを、己の言葉で久路人に誓うのだった。

 

第二章

 

 高校生になった久路人と護衛の雫は、修学旅行に行くことになる。

 初めて街の外に出て浮足立つ二人だったが、向かった先には久路人を狙う大妖怪『九尾』が待ち構えていた。

 旅行の中で久路人も雫への想いに気付くが、その直後に人間に擬態していた九尾が襲来。

 二人は別々の異空間に閉じ込められてしまう。

 久路人と雫は、それぞれ一人戦う中、九尾からの心の揺さぶりを受ける。

 『強大な力を分け与えられた存在が、まともなままでいられるのか?お前は、あの蛇をお前好みに狂わせている』

『人間と妖怪が共に歩むには、あまりにも時間の壁が厚すぎる。いつまであの人間を弄んでいるつもりだ?』

 二人は、それまで見て見ぬふりをしていた事実を突きつけられ、追い詰められてしまい、とうとう敗北する。

 だが、そこで約束を守れなかったことで久路人の精神に亀裂が走り、その力が暴走する。

 あふれ出た力によって九尾を倒すことに成功するも、久路人は半死半生になり、二人の心には大きな爪痕が残った。

 そして雫は、死にそうな『人間』の久路人を見て、悪魔の誘惑に乗った。

 『久路人と私を、同じモノにすればいい』と。

 

第三章 前半

 

 大学生になった久路人であったが、雫との関係はどこかぎこちないものになっていた。

 久路人は己の力でこれ以上雫を狂わせずに済むように、護衛が必要ないくらいの力を求め、雫は久路人を己の眷属とするために、その血を気付かれないように飲ませていた。

 お互いがお互いを想い合っているのに、常に相手を裏切っているような後ろめたさを感じていた。

 そんな中、吸血鬼の襲撃を受けて窮地に陥った結果、二人はお互いを守ろうと意地を張って仲たがいをしてしまう。

 月宮家の使用人、メアの説得もあって久路人に己の所業を告白し、受け入れてもらおうと決心する雫だったが、そこに久路人の元に他の霊能者の一族から見合いの話が届く。

 雫への後ろめたさのあまり、久路人は一人家を抜け出して見合いの場へと向かってしまうが、それは久路人を手に入れようとする久路人の祖父、月宮久雷の罠だった。

 久路人の力が宿る血を利用とする久雷だったが、久路人は己の中に雫の力が混ざりこんでいることを暴露される。

 久路人を追いかけてきた雫は、久路人が自分のやってきたおぞましい行いに気付いたことを知る。

 しかし久路人にとって、己の力を穢そうとする雫の行為は、雫が己のせいで狂っていないということの証明だった。

 誤解が解けた久路人は、己の想いを雫に告げ、雫の行為も含めてすべてを受け入れる。

 雫もまた久路人の想いを受け止めて、その胸の内を告白。

 その瞬間、久路人は人間を止め、人外への道を踏み出すのだった。

 

第三章 後半

 

 久雷を倒して平穏な日常に戻った二人であったが、久路人の人外化は不完全なものだった。

 雫は勿論、雫と永久に生きていたいと考える久路人は完全な人外化を果たすため、今まで通りの暮らしを続けていく。

 久路人の完全な人外化にはそれなりの時間がかかる見込みであったが、月宮京はある裏ワザを知っていた。

 それは、人間と人外の組み合わせが、『様々な意味で』繋がりあうことであった。

 京とその協力者たちは、久路人と雫に一線を越えさせるべく一計を案じる。

 一方、久路人は人間でいられる内に雫と共にやっておきたいこととして初めてのデートに誘う。

 京たちの策が空回った結果、色々と邪魔が入ってデートは有耶無耶になるが、二人はお互いの思い出と想いを確かめ合うことには成功する。

 最後にはお互いの力と、美点も欠点もすべてを晒しあう決闘へと発展し、その果てに久路人は雫と共に永遠を歩むための自信を得た。

 そして久路人と雫は結ばれ、晴れて『同じモノ』へと至り、これからの悠久の時を一緒に進んでいくことを誓い合ったのだった。

 

 

 

月宮久路人(つきみや くろと)

 

 本作の主人公。現在編では19歳。

 基本的に彼のいる場所を中心に物語が進んでいく。

 

 外見

 やや背が高く、黒目黒髪で外見は整った顔立ちををしている方ではあるが、地味。10人すれ違っても、10人が気にすることなく通り過ぎていく。普段は温和な表情だが、戦闘時は目つきがかなり鋭くなる。外見のモデルは鬼〇の蛇柱さん。一人称は「僕」。

 

 追記

 人外となったことで、完全な人外としての姿、人外と人間の中間の姿である半妖体になれるようになった。

 人外の時は黒い鱗に紫の瞳をした『龍』となる。

 半妖体は人間の姿に龍の角と尻尾が生えた姿となり、龍の鱗が形を変えた、大日本帝国陸軍将校のような黒い軍服を身に纏う。

 

 性格

 性格はルールや常識、約束にうるさい頑固な所があるものの、もめ事を好まず波風立たないように生きているために基本人畜無害。やはり地味。ただし、本人に自覚はないが、やや独占欲は強い。雫のことは好きだが、後述の理由で想いを告げることはできていない。雫を傷つける者、馬鹿にするものにはひどく冷たい態度をとる。好きなタイプは「清楚でロングヘア。背は自分より低い方がいい。かわいい系より美人系。なにより巨乳」とのこと。

 

 追記

 雫への誤解が解けたことで、真っ先に雫へと告白。

 雫が拒むはずもなく二人は結ばれたが、久路人の独占欲は雫レベルまで高まってしまった(雫曰くヤンデレ)。他の男と雫が関わることを考えただけで気分が悪くなり、雫が他の人間に見られることに嫌悪を感じるほどの超束縛・独占系ヤンデレ。

 雫が久路人以外に対して毒気を放つようになり、他の男が寄ってこないことに昏い喜びを感じては己の器の小ささに自己嫌悪し、それを察した雫に慰められるのがテンプレ。

 無論、そんな重い愛も雫にとってご褒美以外の何物でもない。

 ルールや常識の順守についても、優先順位は雫が不動のトップ。

 好みのタイプは雫で固定。

 元からややムッツリであったが、雫と結ばれたことで雫に対してしばしば強い劣情を催すようになった。

 実はかなりドSの気があり、夜のプレイは人外の雫からしても『鬼畜、凌辱系エロゲ主人公、ベッドヤクザ』と言わしめるほどで、若干自分に引いている。

 なお、雫は久路人に対しては底のないドMのため、口で何と言おうがやはりご褒美でしかない。

 

 戦闘スタイルなど

 「神の血」という特別な力を含む血が色濃く流れており、人外に狙われやすい。また、人間としては非常に珍しいことに人外を恐れない。

 人外が彼の周辺で暴れるため、怪奇現象が起きるという噂が立っており、周囲からやや避けられている。

 霊能力者、武芸者としての才能は非常に高く、雷と類似した性質の極めて膨大な霊力を持ち、剣術や弓術も得意。手先も器用。身体強化の術を使えば大物妖怪とも渡り合うことができるが、霊力の量が多すぎて人間の体には負荷が強すぎるために長時間の戦闘は不可能。直接雷を出すような、攻撃系の術も暴発の危険があり、「自分の意思では」使えない。

 血の影響か、幻術、催眠などを完全に無効化する。

 

 追記

 雫と魂、精神、肉体の3要素を深く繋げ合ったことで人外化した。

 龍のような見た目だが、厳密には龍ではなく、神の力も変質して別の力になっている。

 血の専門家のリリスによれば、『人間でも妖怪でも、ましてや神でもない』とのこと。

 同じような変化を遂げた雫の血と極めて似通った性質を持つが、雫が久路人以外にとっての『猛毒』であるのに対し、久路人の血は『薬』の性質であるらしい。薬としての効果は雫に対しては特に強く発揮される。

 雫由来で人外化したためか、耐性や属性が追加されており、毒物による衰弱や麻痺、昏睡、石化などは完全に無効。

 人化の術で人間形態であっても極めて強力な再生能力を有している他、肉体の強度も凄まじく、それまで抑え込めなかった霊力を身体に留めることができるようになった。

 霊力属性に土属性と風属性が加わり、雫と触れ合った状態なら水、火も使用可能。

 

 

 来歴など

 幼いころにペットにするつもりで拾った蛇が雫であり、意思疎通が可能と知り、守護の契約を結んでからは友達のように接し、すぐに親友の間柄になった。

 中学生になって、周囲から虐められていた所を初めて人化した雫に助けられた辺りから無意識に雫を異性として見ていた。高校時代の修学旅行中に想いを自覚するが、直後に九尾の襲撃を受け、「自分の血が雫の心を狂わせ、強制的に好意を持たせているのではないか?」という懸念に囚われてしまう。なお、久路人の血は妖怪には極上の美酒であるもの、洗脳効果や依存性はない。

 現在、雫によって自身の血液に雫の力が大量に混入しており、人外化が進行して違和感を感じているが、雫を疑うことをためらっているために現状に気づいていない。

 

 追記

 九尾の襲撃で雫を狂わせているという疑念に取りつかれ、雫にこれ以上血を与えなくてもいいように護衛としての関係を解消すべく、身体を痛めつけるレベルで訓練に励んでいた。

 しかし、雫が久路人の身体に自分の血を混ぜ込んでいたために霊力異常が起きて、しばらくの間訓練ができなくなり、久路人はかなりのストレスを溜めることになる。

 そんな中で吸血鬼の刺客が襲い掛かってきたが、その際に雫も同じように霊力が使えなくなり、大ピンチに陥り、久路人は敵の攻撃をわざと受けて己を追い込み、火事場のバカ力で撃退に成功する。

 だがそのことで、あまりにも久路人が危うくそのうちに死んでしまうかもしれない懸念と護衛としての立場が失われかねない恐怖に襲われた雫と大喧嘩に発展。

 メアからもその命知らずな行動について説教を受けて納得いかない想いでいたところに、雫が『血の盟約』を自身と結ぼうとしていることを知る。

 『血の盟約を結べば、自分が死んだときに雫も死んでしまう。そこまで雫は狂っていたか』と思い、偶々届いていた他の霊能者一族との見合い話に乗って屋敷を飛び出してしまう。

 だが、向かった先で出会った月宮健真、そして己を利用しようとする月宮久雷から己の身体の中に雫の血が混ざっていることを知らされ、『血で狂っているのなら、その血を汚そうとするのはおかしい』と気付き、誤解が解ける。

 そして自分を追いかけてきた雫に想いを告げ、雫のやってきた行為も受け入れて人外化を果たし、久雷を倒す。

 その後、人外化は不完全だったので解けてしまったが、初めてのデートに雫を誘い、京たちの策略や久路人自身の決心、雫の奇行などの諸々を経て改めて雫と向かい合い、お互いのすべてをぶつけ合った結果、完全な人外化を果たした。

 

 

 その他

 アニメ、漫画は全般的に好きだが、基本的に性癖はノーマル(現時点で)。好きな遊戯〇のデッキはパーミッションやバーンのような直接戦闘しないデッキ。モンハ〇は狩猟笛や弓など、テクニカルな武器を好む。過去の女子からのイジメが軽いトラウマになっており、男子とよく一緒にいるせいか、たまにホモと勘違いされるが、その気はない。

 

 

-----------

 

 

 水無月雫(みなづき しずく)

 

 本作のヒロインにして、もう一人の主人公。(見た目は)久路人と同じ年齢。

 

 外見

 外見は人間形態なら誰もが振り向くような美少女。抜けるような白い肌に、腰まで届くストレートの銀髪、ややツリ目がちの紅い瞳をしている。背は同年代の平均よりもやや低く、胸部も薄い。久路人が巨乳好きなのを把握しており、自身の成長を結構気にしている。また、霊能力を持たない者には認識できない。

 とある理由によって霊力が化学兵器レベルの悪臭を放っており、相対する霊能者、妖怪からほぼ確実に臭がられる。現在のところ、この悪臭を全く感じないのは久路人のみ。

 常に青い帯と白い着物を身に着けており、他の服は肌触りが悪いらしく着ない。ただし、着物は自在に変形可能で、ちょくちょく学校の制服に変えていたりする。下着は市販品を履いている他、久路人が加工するアクセサリーは特別な力の有無にかかわらず好んで収集する。外見は銀髪アルビノ美少女キャラなら誰でも。作者の中ではメルブ〇の白レンを成長させた感じ。一人称は「妾」だが、久路人相手かつ人間形態でのみ「私」。

 

 追記

 久路人の特殊な人外化にそれまで摂取していた久路人の血が呼応した結果、雫も『龍』への変化を果たす。色は蛇の時と変わらず、白い鱗に紅い瞳。

 半妖体も久路人と同様に人間形態に角と尻尾が生えた姿になるが、喋り方は久路人が相手でも他の人物に対するときと同様に一人称が『妾』になり、やや古風になる。

 なお、久路人からすれば元が小さいので大して気にもしていないことだが、半妖体の方が人化の術使用時よりも胸が小さかったりする。もはや壁。

 

 

 性格

 永く弱肉強食の世界で孤独に過ごしていた反動か、久路人にベタ惚れしている。思考の中心は常に久路人であり、「自分と久路人以外の全人類と妖怪が明日滅んでも別にどうでもいい」とすら思っている。その想いの深さは犯罪レベルに踏み込んでおり、ドン引きされることもしばしば。性格は好奇心旺盛で、基本的には寛容。ただし、久路人に少しでも危害を加えようとする者には人間だろうが妖怪だろうが一切の容赦なく抹殺を試みる。極めて独占欲が強く、性別メスに対しては冷酷無慈悲で、わずかでも久路人を奪う可能性があるならば氷漬けにした上で粉々に砕くまで安心しない。

 後述の理由で久路人に想いを告げていない。匂いフェチ。なお、久路人の血を飲むこと、自分の血を久路人に飲ませることに強く興奮する変態でもある。

 

 追記

 己のやってきたおぞましい所業を久路人が受け入れ、さらには久路人から告白され、雫も己の想いを告げることができた。

 久路人は雫と結ばれたことで色々と吹っ切れたこともあったが、雫は元から結構ヤバかったのであまり変わっていない。

 久路人が人外となった後も久路人公認で食事に血を混ぜている他、日課の血の味見や匂いチェックも継続中。

 

 

 戦闘スタイルなど

 その正体は妖怪化した白蛇であり、数百年前に封印されていた。封印前はかなりの格の妖怪であったが、永きに渡る封印で大幅に弱体化した。中学編までには久路人の血によって力を取り戻している。水属性の霊力を持ち、大味な広範囲攻撃が得意。反面、細かな霊力の操作は少し苦手で、人化の術の会得にも適性は低かった。近接戦闘時には薙刀を使用。

 蛇の妖怪であるために凄まじい自己治癒能力を持つ他、久路人の血の影響か、幻術、催眠に極めて高い耐性を持つ。人間形態の雫の着物は、蛇の鱗が変化したモノで高い耐久力と術への耐性がある。

 

 追記

 久路人と同様の変化を遂げている。詳しくは久路人の箇所を参照。

 久路人以外に対して、魂を腐らせて発狂、狂死させかねない神の力が変質した猛毒を発するようになった。雫の機嫌が悪い時には放出量が増え、周辺に生き物は一切寄り付かない。

 ただし、雫からの好感度が高ければある程度緩和される他、雫も普段は努めて抑え込んでいる(雫からの好感度が結構高いメア、リリスでも『ちょっと臭う。会話くらいなら我慢できるがあまり近寄りたくはない』くらい)。

 この毒は薬の性質を持つ久路人と肉体的、精神的に深く繋がった状態かつ二人がリラックスしている場合には中和され、久路人に対してのみ、あらゆる傷を癒す特効薬として働く。

 水の力を持っていた都合上、体内の異物に敏感で毒に強い耐性を持っていたが、龍となったことでさらに強固な耐性を獲得し、毒による衰弱、麻痺、昏睡、石化などは完全無効。

 なお、再生能力や純粋な身体能力は若干雫の方が上。

 久路人と深い繋がりを持って龍となったためか、久路人の持っていた幻術、催眠のような精神攻撃への完全耐性も有している。

 新たに使用できるようになった属性は風属性と火属性。久路人と触れ合った状態なら雷、土属性も使用可能。

 

 

 来歴など

 封印が解けてただの蛇とほぼ変わらない強さにまで落ちぶれた時に偶然久路人に出会い、拾われて、「雫」と名付けられる。「久路人の血をもらう代わりに、自身が力を取り戻したら久路人を守る」という契約を結び、当初は久路人にくっついていたのも力を取り戻すための打算であり、人間の子供に庇護されることを情けなく思っていた。しかし、妖怪を恐れず、一切の下心なく自分に接する久路人にほだされてすぐに打ち解ける。そうして、かつて孤独に生き抜いていた自分が久路人に守られていることを「悪くない」と思うようになり、「契約がなくてもお互いを守りあう」という約束を交わした時に、無自覚に恋心を持った。

 久路人が中学に上がり、久路人が本格的に周囲から浮くようになった時点で人間の姿になる「人化の術」を会得するために修行していたが、中々実を結んでいなかった。月宮家使用人のメアから発破をかけられ、久路人がひょんなことから女子に苛めを受けた時に自分の想いを自覚する。

 「久路人と結婚するときに名字がいるから」という理由で久路人と出会った頃である水無月を名字にするが、その名字を呼ぶものはいない。

 高校の修学旅行中に九尾の襲撃を受け、「いつ久路人が死んでもおかしくない」ということを思い知らされる。その結果、「久路人を自分と同じ化物に変えれば永遠に一緒にいられる」と考え、罪悪感に駆られながらも自身の血を密かに飲ませて、人外化を進めている。

 自分を置いて久路人が死ぬことを何より恐れており、久路人を化物に変えた結果、憎まれることになっても構わないと覚悟はしているものの、実際に嫌われた場合に正気を保てる自信はない。久路人は「自身の血を得るために、雫が無理やり好意を持たされている」と考えているが、雫は素で久路人を病むほど愛しており、「久路人と一緒にいられるなら血なんていらない」と考えているため、完全にすれ違っている。

 元々「人外の自分が久路人に拒絶されるかも」という恐怖を持っていたが、そこに密かに人外化を進めている負い目もあって、告白はできていない。

 

 追記

 久路人の人外化を進めているという負い目や、それによって久路人が霊力異常に陥ってしまったこと、さらには久路人に見合い話が来て『自分の傍から離れていってしまうかもしれない』という恐怖で3章開始時点ではかなり内心追い詰められていた。

 吸血鬼の襲撃で己の不甲斐なさへの怒りや久路人の危うさへの危惧、護衛としての立場が失われることで傍にいる理由がなくなってしまうことへの恐怖でヒステリーを起こし、久路人と大喧嘩をしてしまう。

 部屋から出れなくなるほどの自己嫌悪に陥ってしまったが、メアによる発破もあって立ち直り、久路人にこれまでの己の行いを告げようと決心するも、久路人がいなくなってしまったため、街中を必死で駆けまわることとなった。

 忘却界の中にまで入ってなんとか久路人に追いつき、嫌われることを覚悟して久路人に己の所業を告げたが、元々人間と妖怪の違いを気にもしていなかった久路人にあっさりと受け入れられる。

 そして久路人からの告白に応え、自身も想いを告げ、完全に九尾の呪いから解き放たれた。

 初デートの最後が京たちの横やりで失敗し、しばらくの間NTR同人誌冒頭に登場するカップルのようになっていたが、その危うさに気付き、『久路人の持ってるエロ画像を消去してお仕置きされよう!!』と頭の湧いたような奇行に走るが、これが久路人に最後の決心をつけさせた。

 久路人とお互いの胸の内をすべてぶつけ合いながら決闘し、敗北。

 だが、負けたと言うのにその時の雫の表情は笑顔だった。

 そして、その夜に久路人と真の意味で繋がりあい、永遠の道を共に歩んでいくことを誓い合った。

 

 

 その他

 娯楽の少なかった世界に生きていたため、好奇心を満たすサブカルチャー全般に傾倒する。R18方面にも深い知識を持ち、久路人からの行為ならばハードリョナも余裕。よく薄い本のシチュエーションを自身と久路人に置き換えて夜な夜な布団の中で妄想に励む。好きな遊〇王のデッキはビートダウン系とロックデッキ。よく久路人にメタられる。好きなモン〇ンの武器は大剣、スラアク、ハンマー。よく久路人はサポートに徹する。

 

 追記

 最近は妄想ではなく、本当に久路人と薄い本の内容を再現するようになった。

 だが、なぜか使用した題材が軒並み久路人の同級生が出演したホモビをモチーフにした同人誌ばかりで、『久路人の周りの男は全員ホモだったんじゃないか?』と密かに疑っている。

 再現時には関西弁を話す役をこなす時もあったが、『イナリが入ってないやん!!どうしてくれんのこれ!?イナリが食べたかったから注文したの!!わかる?この罪の重さ?』と流暢な口調で演じ切って見せた。

 

 

-----------

 

 

 月宮京(つきみや きょう)

 

 久路人の叔父。現養父。年齢は(見た目は)20代後半。

 

 外見

 よくツナギを着ており、だらしない。無精ひげが生えていることもしばしば。背が高く茶髪のロングヘアで、見た目は完全にチャラ男だが、本人はその呼び方を嫌う。一人称は「俺」。

 

 性格

 異能者の中ではとても人間ができており、ぶっきらぼうな態度であるが情に厚い。特に慕っていた亡き兄の忘れ形見である久路人には結構甘い。また、自身が「嫁」と呼ぶメアにも滅茶苦茶甘い。だが、霊能者らしく人外への警戒心は高く、雫への警戒は怠っていない。しかし、雫の久路人へのヤンデレ具合を見てある程度警戒を解き、最近では月宮家の一員として見ている。

 本作でも屈指の常識人であるが、過去に「嫁のために最高のボディを造る」と考えた結果、霊能者の一族の家々を巡って「パーツのために体の一部を下さい」と土下座して回ったことがあり、界隈からは彼が造った人形とともに狂人扱いされる。

 

 戦闘スタイル

 本人は喧嘩はあまり得意ではない。

 ただし、特別な力を持った道具である「術具」の天才的な製作者であり、それらの術具を使ってガンメタを張る戦法を行う。優れた観察眼を持ち、初見の相手でも弱点を突く術具を即興で作れるとのこと。逆に言うと京の前に姿を現さず、戦いもせずに暗躍するタイプには無力。

 久路人と同じく神の血を引いているが、久路人よりもずっと薄い。何やらその力を引き出す仕掛けがあるようだ。

 

 追記

 久路人が人外化を果たした所で現れた旅団幹部ヴェルズを撃退。

 その際に陣『デウス・エクス・マキナ』を使用した。

 本気になると自身をメア専用の装備へと変形し、メアのサポートに回る。

 

 来歴など

 表向きは建築家を名乗るが、霊能者の一大組織である「学会」の幹部、「七賢」の第三位に収まっている。

 月宮一族という霊能者の名門の生まれだが、本人の天才的なセンスと周囲の異能至上主義者との差に嫌気がさして出奔。同じように家を出た兄とだけ連絡を取りつつ、裏社会や異能者の間を渡り歩いていた。

 ある時、強大な力を持つ亡霊を巡ってとある死霊術師と死闘を演じる。そして、霊能者の家や知り合いからパーツを譲ってもらい、亡霊の成れの果てを組み込んだ超高性能自動人形兼ホムンクルスであり、生涯の伴侶であるメアを得る。

 しかし、それから兄が妻ごと妖怪に襲われて死亡。残された久路人を「絶対に幸せに育て上げる」と決意する。現在は襲撃してきた九尾のような妖怪を探すため、日本各地をメアとともに探索中。「こいつならば久路人を傷つけず、一生傍にいるだろう」という見込みから、雫を久路人の嫁にあてがうことに乗り気だが、保険として他の霊能者の家の娘との縁談も取り持っている。

 

 追記

 気が付いたら久路人が暴走して滅茶苦茶なことになっていた。

 結果オーライなものの、こうなる前にできることがあったんじゃないかと後悔気味。

 全国の危なそうな場所は見て回ったために、白流市に戻ってきた。

 初デートの際は不測の事態が起こらないようにという京なりの親心とデバガメしたいというイタズラ心からデートの監視をしていたが、いざ久路人と雫が一線を超えようとしたら撤退するつもりだった。

 ある意味被害者と言えるかもしれない。

 

 

 その他

 サブカルチャーには理解があるが、そこまで好きというほどではない。

 「とりあえず強けりゃいいだろ」という理由で遊戯〇のデッキは金に飽かせた環境デッキで、コロコロ変わる。久路人並びに雫からは「魂のデッキを持たないデュエリストの屑」と言われているが何も堪えていない。

 

 

-----------

 

 月宮メア(つきみや めあ)

 

 京の妻兼月宮家メイド。外見年齢は20代前半から変化なし。

 

 外見

 「人形のように」整った外見をしている。長く紫がかった黒髪をポニーテールにしており、常に無表情。

 メイド服ではなく割烹着を着ているが、別にメイド服が嫌いなわけではない。身長は平均的、体つきはやや豊かな方。使用人としては完璧であり、所作も「機械のように」正確で美しい。一人称は、普段は(わたくし)。ある状況の時は、「ワタシ」。

 

 性格

 冷静沈着で丁寧な口調で喋るが、慇懃無礼。ある程度打ち解けると毒舌を隠さなくなる。特に製作者兼夫兼主である京には辛辣。

 ただし、複雑な事情があって京に対して他者にも分かるように愛情を示さないだけで、その想いは危険なほど深い。優先順位は京>月宮家>>>久路人>その他であり、京以外に大して関心はない。京が甘く接する久路人や雫には家族のような情を持ってはいるが、仮に京に危害が及ぶのならば、一切の良心の呵責なしに殺害できる。

 

 追記

 京が最も大事なため、京に目をかけられているにも関わらず己の命を軽視していた久路人に本気でイラついていた。久路人への説教は久路人への注意というよりも、彼女自身のストレスをぶつけたいという意味の比重が大きかったりする。

 その一方で、久路人に嫌われてしまったと悲しんでいる雫には共感するものがあったのか、心からの助言をしたりと、かなり自分の感情に正直で気まぐれなところがある。

 

 戦闘スタイル

 正体は京が制作した自動人形兼ホムンクルスであり、秘めた戦闘能力は非常に高い。その体には多数の術具が仕込まれていて、近距離ならばナイフとクロー、中距離ならばワイヤーを使用。遠距離は描写なし。京との霊力的なパスが繋がっており、京の持つ「神の血」に由来する力も使うことができる。

 

 追記

 京と共に本気になると陣、『デウスエクスマキナ』を発動。

 京を自身の装備として接続し、文字通り体の一部として戦う。

 メア自身の要望もあり、合体時は京が変形している部分が最も強度が高い。

 様々な特攻装備を使いこなし、相手を徹底的にメタる戦法を取る。

 

 来歴など

 とある国で発生した亡霊「ナイトメア」と関りがある。

 過去の京によって救われ、今の人形の身体を与えられてからずっと、京に忠誠と愛を誓う。ただし、亡霊からの「呪い」が未だに残っているようだ。

 久路人の両親が死んだ頃にはもう京に仕えており、久路人がある程度大きくなってからは京の命令で彼の戦闘訓練の教師となる。主に武術や判断力を鍛え、久路人の武芸は大半がメア譲りである。また、人化した雫、久路人にどこかズレた指導方法であるが料理などの家事全般も教えている。

 現在は京の護衛として、日本各地を共に回っている。

 

 追記

 初デートの際には、その前に霊力欠乏を起こしたことで自制心が効きにくくなっており、久路人と雫のベッドシーンをシャッターに収めるべく覗きを続行しようとした結果、二人にバレてご破算となった。

 あの時一番悪いのは間違いなくメアであり、その後京からキツイお仕置きがあったらしい。

 

 

 その他

 サブカルチャーに対しては雫以上にはまり込んでおり、雫曰く「ヤツは深淵に生きている」とのこと。雫のR18本供給源はほぼメアであり、雫にNTR,ふたな〇、リョナ、スカト〇などのやや浅い所からR18Gまで布教したのもメアである。かつてNTR本で雫の脳を破壊し、久路人との鍛錬に集中させたことがある。読むだけでなく描く方向でも浸食しており、某漫画市場に京を売り子にして出店したこともあるらしいが、京はそのときのことを語りたがらない。

 好きな〇戯王のデッキは完全なネタデッキ。特殊勝利など、型にはまらない戦い方を好む。以前、月宮家総当たり戦において環境デッキで久路人と雫を叩きのめした京にデュエルを挑み、初手エクゾディ〇で勝利した際には「魂のデッキを持たない貴方にデッキが応えることはない」とキメ顔で言い放った。

 なお、彼女がキーパーツとなるカードを手にした日には、カッターやブラシなどで何かをしていたようであるが、詳細を知る者はいない。京とのデュエルを始める前にも、京から「ショットガンシャッフルはカードを痛めるぜ」と言われていたが華麗にスルーしている。

 

-----------

 

 

 霧間朧(きりま おぼろ)

 

 日本有数の霊能者の名家、霧間一族の当主にして七賢リリスの夫。年齢は20代後半。

 

 外見

 切れ長の瞳に、整った顔立ちをした長身の美丈夫。リリスと血の盟約を結んで『血人』となってから瞳の色は黒から紅になった。

 長い黒髪をポニーテールのように後ろで束ねている。

 第一印象は『侍』だが、服装は常に燕尾服。

 一人称は『自分』。リリス以外には基本的に敬語。

 

 性格

 寡黙で自分からはあまり喋らないが、作中の登場人物の中でもかなりの常識人。

 ただし、リリスのパートナーであることに凄まじい誇りを持っており、彼女に無遠慮に関わろうとする輩には一切の容赦がない。

 久路人と同じく、妖怪に対する嫌悪感を持たないという極めて珍しい特性を持つ。

 以上のことから、人外を異様に敵視していた霧間一族に対して正直辟易していた。

 

 戦闘スタイル

 作中でまだほとんど戦っていないために詳しいスタイルは不明。

 だが、七賢のパートナーは相方と互角の力を持つため、トップクラスの実力を持つことは間違いない。

 葛城山にて大穴が空いた際にはリリスと共に駆けつけ、現れた大妖怪たちを一刀の元に切り捨て、その血を抜き取ってミイラに変えた。

 

 

 来歴

 霧間一族の長男として生まれ、将来の当主にふさわしい器となるように英才教育を施され、見事その期待に応えてみせた。

 だが、常識人な上に妖怪に対する嫌悪感を持たない朧にとって霧間一族は時代錯誤で野蛮な風習を持った集団であり、あまりうるさく騒がれないように大人しくしていたに過ぎない。

 海外への修行でドイツの片田舎に向かったのも、一族から距離を置くためである。

 そこで運命の相手である吸血鬼のリリスと出会い、一目惚れ。

 紆余曲折あって人間を止め、リリスの生涯にして永遠の伴侶となる。

 当然人外を敵視する一族がリリスのことを認めるはずもなかったが、リリスに手をかけられそうになったことで激昂し、両親と妹、そのほかの親戚含めて全員斬り倒し、返り血に塗れたままリリスと誓いの言葉を交わしている。メアのパーツを集めるために人工臓器の研究をしていた京が近くにいなければ、霧間一族はその時滅んでいた。

 久路人のことは過去の自分を見ているようで、好ましく思っている。

 霧間一族のやらかしのこともあり、何かあればすぐに駆け付ける意気込み。

 

 その他

 サブカルチャーについては疎いが、リリスがそれなりにハマっているために勉強中。

 笑点は毎週録画しているが、最近はネタが粗いとガッカリ気味。

 なお、かなりの脚フェチで、胸の大きさに関心は一切ない。

 

 

-----------

 

 

 霧間リリス(きりま りりす)

 

 常世に住まう吸血鬼の皇族にして、七賢第5位。霧間朧のパートナー。年齢は作中でもかなり上の方で、ざっと数千歳。

 

 外見

 雫よりも色白の肌に、きらめく金髪をツインドリル(縦ロールのツインテール)にしている。瞳は勝気な性格がわかるようなツリ目で、色は紅色。

 恰好はゴシックロリータでいつも日傘を持っているが、本人の容姿と似合いすぎているせいでコスプレと思われない。

 身長は雫と同じか少し低いくらいでかなり小柄。

 胸に至っては雫以下だが、朧が脚フェチのためにリリスも気にしていない。

 一人称は『アタシ』だが、たまに素が出ると『吾輩』になる。

 

 性格

 基本的には勝気なお嬢様。

 ノブレスオブリージュを是とし、尊大に振る舞いつつも実はそれなりにお人よし。

 唯一の血の供給源兼護衛兼従者兼夫の朧には並々ならぬ想いと雫レベルの独占欲を持っており、朧以外の血を吸うことを心の底から嫌悪している。

 あらゆる妖怪にとっての美酒たる久路人の血を前にしても、その扱いは泥水と変わらない。

 何らかの理由(主に朧関連)で感情が高ぶった時には往時の吸血鬼の皇族らしい威厳ある口調に戻るが、その状態のリリスに対峙して生き残った者はほぼいない。

 

 戦闘スタイル

 朧同様にほとんど戦っていないために戦闘能力は不明。

 吸血鬼の皇族、すなわち『真祖』の血族。それ故に千年単位で弱らせでもしない限り、日光を浴びても気分が悪くなる程度。その他の吸血鬼の持つ弱点にも大体耐性を持っている。

 七賢第5位にして人外全般が扱う術の権威であり、特に人間の人外化に詳しく、朧を自身の唯一にして同格の眷属である『血人』に変えた。

 使い魔の召喚と操作が得意であり、葛城山では大穴から出てきた妖怪たちを召喚した使い魔に倒させている。

 移動手段もほぼ使い魔頼りであり、宙を駆ける亡霊馬の馬車をよく使う。

 

 来歴

 朧と結婚する前の名前は長いため、朧にはリリス・ロズレットと名乗っていた。

 吸血鬼の皇族という高貴な身分であるが、吸血鬼の中でもかなりの変わり者。

 魔竜と魔人の戦いで人外側が敗れ、忘却界によって行動が制限され始めたことで吸血鬼のほとんどは常世に移り住んだが、当時から研究者だったリリスはそれに気が付かず、地下の研究室で様々な研究に没頭していた。

 『久しぶりに外に出てみるか』とふと思い立って外に出て見たところ、長年の引きこもり生活による衰弱、忘却界による制限、おまけに日光を浴びてしまったことで消滅の危機に陥る。

 そこを偶然通りがかった朧に救われ、なんやかんやで彼と行動を共にするようになり、紆余曲折あって朧に心から惚れこむことになる。

 最初は『人外と人間がうまくいくはずない』と気持ちを秘めたままにしておくつもりだったが、朧の方から想いを告げられて血の盟約によって彼を永遠の伴侶とした。

 朧が自分のために霧間一族を滅ぼしかけた時には、朧をヤベー奴と思いつつもそこまで重い愛を持っていてくれることを喜んでいた。そこは雫の同類。

 雫については、鼻がもげると思うほどの悪臭と無礼な態度からあまり好感度は高くなかったが、久路人との関係を相談された際に他人事と思えなくなり、親身になって話を聞いた。それ以降、雫からは敬意を払われるようになり、リリスも雫を気に入っている。

 

 その他

 日本のアニメや漫画を面白いと思っており、お気に入りの漫画のキャラの技をよく朧に再現させている。

 ゲームなども嗜むが、あくまで嗜む程度で雫やメアほどのめり込んではいない。

 月宮家遊戯〇総当たり戦に適当なファンデッキで飛び入り参加したところ、『半端な気持ちで入って来るなよ、デュエルの世界によぉ!!』と雫とメアに一喝されてその熱の入れようにドン引きした。

 

 

-----------

 

 

 珠乃(たまの)

 

 近日更新

 

 晴(せい)

 

 近日更新

 

 ゼペット・ヴェルズ

 

 近日更新

 

 月宮久雷(つきみや くらい)

 

 近日更新

 

 月宮健真(つきみや けんま)

 

 近日更新

 

 霧間八雲(きりま やくも)

 

 近日更新

 

-----------

 

 世界設定・用語集

 

-----------

 

「世界」

 

 とある魔法使いによって、「水槽のようだ」と表現される。

 「現世」という人間が主に住む世界と、「常世」という人外が住む世界に分かれており、その間には「狭間」という未確認領域がある。

 

-----------

 

「穴」

 

 現世と常世を繋ぐ穴。小~中規模の穴はそれなりに空くが、大規模の穴は滅多に開かない。

 妖怪は己の力に見合う大きさ以上の穴を通ることでしか、現世に現れることはできない。

 大妖怪が通れる穴は「大穴」と分けて呼ばれる。

 

-----------

 

「忘却界」

 

 とある魔法使いによって現世に貼られた結界。

 人間たちの「異能など存在しない」という認識を元に作られており、妖怪や穴を抑制する。

 ただし、人間の認識を元にしているため、人間の持つ異能までは抑えられない。そのため、たまに霊能者が結界内に発生することもあり、異能を認識できる複数の霊能者が集まると忘却界に綻びが生じ、穴が空くことがある。

 

----------

 

「霊能者」

 

 霊力を持ち、異能を使える人間のこと。異能者とも呼び、海外では魔法使い、魔術師とも言われる。人間は誰でも霊力を持っているが、異能が使えるまでの量を有する者を区別するためにこう呼ぶ。

 過去に忘却界が貼られる前には常世から流れ込んでくる瘴気に当てられた結果、多くの霊能者がいた。忘却界が貼られてからは魔女狩りのような運動もあって激減した。

 古くから大穴を管理してきた一族や偶発的に現れた一族は、忘却界が綻んだ場所に新たな結界を張って寄り集まっている。

 

----------

 

「霊力」

 

 術を使うためのエネルギー。

 この世界の生き物は「魂」という世界の欠片と、「肉体」、その二つを繋ぐ「精神」の三要素で構成されているが、生命力や精神力が魂に当てられて変質したモノ。

 常世に漂う霊力は、数多の妖怪に影響された結果、人間の魂に害を与えるために「瘴気」とも呼ばれる。

 魂が開示した情報によって、霊能者ごとに異なる属性を持つことが多い。「火」、「土」、「水」、「風」、「雷」は基本五属性とされる。

 

----------

 

「魂」

 

 世界の欠片。世界の持つ情報が内包されている。

 この世界の生き物はまず肉体が存在し、そこに魂が入る。肉体の強度に応じて魂は情報を開示し、その生物の「本質」を形作る。魂が大きいほど生み出す霊力も大きく、霊能者に近づくが、瘴気に当てられることで自己防衛本能によって魂が肥大化することもある。ただし、急激な魂の肥大化は存在そのものへのダメージとなり、最悪消滅する。極稀に肉体の特異性に応じて魂が全く未知の変質をすることもある。

 

----------

 

「術」

 

 海外では「魔法」とも呼ばれる。

 霊力という、世界そのもののエネルギーを利用して、通常の物理法則ではありえない現象を起こすこと、もしくはその現象そのものを指す。大きく分けて「具現化」と「付与」の2種類。

 

----------

 

「妖怪」

 

 人外、魔物とも呼ばれる。

 動物や無生物が瘴気に当てられて変質した存在。常世からやって来る者もいれば、現世で発生することもある。妖怪の持つ霊力は瘴気に近く、人間の魂にとっては猛毒。これにより、人間は妖怪を本能的に恐れ、嫌悪する。霊力の量で同格あるいは上回れば恐怖は消せるが嫌悪はぬぐい切れない。

 

 

----------

 

「人化の術」

 

 妖怪が使用する術。

 効果は人間の身体に変身するというモノ。人間としての自分を作る術とも言える。

 幻術とは異なり実体のある人間の身体であり、任意で解かない限り効果は永続する。

 作り上げた人間の身体を妖怪の身体と変換するという仕組みのため、維持に霊力の消費もない。

 元の妖怪からすれば身体能力は若干落ちてしまうが、身体強化の術を施した一流の霊能者よりも肉体の強度は上。

 元々人間の方が霊力の扱いが器用なため、精密な術を使いたい妖怪によって生み出されたと言われる。

 霊力の細かい制御がいるために習得難易度は高いが、この術に最も必要なのは『人間としての己の姿のイメージ』もしくは『人間としてやりたいことへの強い願い』。

 姿のイメージに偏っている場合には願いに適した能力を得られなくなる可能性があり、願いに偏った場合にはその妖怪の『素』を人間に変えた姿になる。

 霊力の扱いに特に長けた妖怪ならば、人化の術を発動した状態でさらに顔や体格を変えることができる。

 忘却界の中でも力は大きく制限されるが行動できるようになる他、瘴気を抑え込めば完全に人間の中に紛れ込むこともできる。

 なお、雫は霊力の扱いが比較的下手な上に自身の願いを重視して人化の術を使用したため、外見年齢を変化させることはできても胸の大きさは変えられない。

 

----------

 

 

「眷属」

 

 妖怪によって、その忠実な下僕と化した人間や動物。

 主となった妖怪に似た性質を持つ人外となる。

 血を飲ませて同化させる原始的な方法から、吸血鬼にしか扱えない高等な方法まで様々。吸血鬼こそが眷属を生み出す術の始祖と言われ、吸血鬼の方法のみが唯一の眷属化ともされる。近年、とある吸血鬼によって眷属化の方法が体系化された。

 

----------

 

「霊力の混入」

 

 人間に他の存在の霊力が混ざることは大変危険である。ディーゼルで動く車にガソリンを入れるようなもので、霊力の源である魂に多大な負荷がかかる。霊力が混入した場合、魂は霊力を循環させて異なる霊力を押し出そうとする。他の存在の霊力を人間に止めるには、多大な年月をかけて少量ずつ混入させて馴染ませるか、余程の親和性がなくてはならない。なお、動物を含めた人外が他の存在の霊力を取り込むのは魂の構造の違いからハードルが低い。

 

----------

 

「神」

 

 ある魔法使いが観測した存在。詳細は不明。

 水槽を覗く者であり、この世界の創造主にして管理者。この世界そのもの。

 自意識というものに乏しく、半ばシステムのような存在。滅多に世界に干渉することはないが、世界の危機と判断した場合は何らかの手段でその原因を排除しようとする。

 

 

----------

 

「学会」

 

 霊能者たちの組織。「世界の安寧と人間と人外の融和」を基本理念としている。

 発端は「魔人」と呼ばれる魔法使いが、現世に侵攻してきた「魔竜」を倒すために集った霊能者の一団。

 魔竜との講和の末に、世界の安寧のために現世と常世との関りを平和的に保とうとしてきた。魔人と魔竜による「忘却界」はその一例である。

 幹部として「七賢」という七人の強力な霊能者とその伴侶がいる。

 

----------

 

「七賢」

 

 近日更新

 

----------

 

「旅団」

 

 近日更新

 

「陣」

 

近日更新

 

「神格」

 

近日更新

 

「聖地」

 

近日更新

 

「怪異」

 

近日更新

 

「霊脈」

 

近日更新

 

「人外化」

 

 人間が人外に変貌すること。霧間リリスの専門分野。

 人間が人外になるには、人外の一部を取り込むのがスタンダード。その他にも仙人のように特殊な術と修行によって人間をやめるパターンや、京のように自身を術具へと改造するパターンもあるが、どちらも極めて難易度が高い。吸血鬼や人狼のように他者を人外化させる能力を持った妖怪を頼る手段もあるが、そういった種族は希少な上にプライドが高く、協力を得られる可能性は低い。

 一部を取り込む場合、ただ取り込むだけでは理性も知性も失った獣以下の存在にしかなることはできないとされ、大本となった妖怪の操り人形とされることもある。

 高等な人外化を果たすためには、一部を提供する人外との魂、肉体、そしてなによりも精神的に強い繋がりが必要となる。

 想いを繋げ、霊力を馴染ませ、身体を交わすことで人間の要素と、人間に取り込まれていた人外の要素が融合し、初めて完全な人外に至る。

 そのため、霊力を含む体液を粘膜を介して直接吸収しつつ愛を確かめ合う行為は、人外化において最も効率が良い。

 これによる繋がりは非常に強く、空間系、時間系の術、果ては異世界に飛ばされようと引き離すことはできなくなる。

 ただし、強い繋がりを結ぶということは一蓮托生になるということでもあり、片方に何かあればもう片割れもただでは済まない。どちらかが死ねばもう一人も確実に死ぬ。

 

 

※久路人と雫の場合

 

 もともと雫が久路人の血を長年飲んでいたために、雫の血と霊力は久路人に対して親和性を獲得していた。

 そのため九尾との戦い以降に雫の血を久路人に飲ませた場合にも拒絶反応は起きず、薬としての効果のみを受けることができていた。数年かけて雫の血を飲み続けたことで肉体と魂(霊力)の繋がりもほぼできていた。

 だが、お互いに相手への後ろめたさがあり、精神面では完全に打ち解けていなかったために一時期その親和性が低下。一度に飲ませる量が増えたこともあって久路人に霊力異常が起きる。

 久路人の告白時に心が繋がり、雫と久路人の血の親和性が100%となり、久路人が人外化する。だがこの時、久路人の神の力が強すぎたため体内にあった雫の血の量が足りず、人外化が解けてしまう。

 デートや決闘を経て改めて想いを伝えあい、一夜を共にしたことで完全な人外化に成功する。

 初めて繋がりあった時には精神、肉体、魂が異常に高揚し、さらには人外となって霊力や生命力が猛っていたこともあり、初夜とは思えないほど激しい営みになったという。

 

 

----------

 

「血の盟約」

 

 朧と永遠を生きるために、吸血鬼の眷属化を参考にして霧間リリスが開発した術。

 相手を『血人』と呼ばれる吸血鬼と似た種族に変える術で、術者は血人からしか血を得られなくなる代わりに、その血の味と燃費を術者にとって極上の品質に上げる。

 血人としての格は術者の格とほぼ同等になる。

 術者一人につき血人は一人しか生み出せず、片方が死ねばもう片方も死ぬ。

 この術にも、術者と相手との間に精神的に強い絆が必要不可欠である。

 

 

----------

 

 

「半妖体」

 

近日更新

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚1

新章スタート
色々と伏線を張りつつ、日常回みたいな感じで進められたらいいかなって思ってます。


「はっ、はっ、はっ・・・!!」

 

 その女の子は、暗い路地裏を必死で走って逃げていた。

 

「はぁっ、はぁっ・・・」

 

 その顔には大粒の汗がいくつも浮かんでおり、どれほど全力で駆けているのかが見て取れた。

 

「はぁっ、はぁっ・・・なんなの、アレ」

 

 しかし、とうとう限界が来てしまったのか、女の子はそこで走るのをやめ、建物の壁に手をつく。

 息を整えて多少落ち着いたのか、彼女は恐怖を貼りつけた顔で辺りを見回して、確認をする。

 

「もう、いないよね・・・」

 

 女の子は壁に背を付けて、左右に首を振るも、そこに見えるのは暗がりだけ。

 大通りに設置された街灯から届く光が路地裏まで届いているが、暗闇の全てを照らすには心もとない。

 だが、そこに動くモノの気配は感じられなかった。

 

「はぁ~・・・」

 

 自分を追うモノがいないとわかったからか、彼女はその場にへたり込んで、足の間に顔を埋めた。

 

「アレがなんなのかわかんないけど・・・」

 

 女の子は顔を伏せたまま、絞り出すように声を出す。

 

「あんな遊び、やるんじゃなかった・・・」

 

 その声には、後悔だけが滲んでいた。

 

 

-----

 

 それは、年頃の少女らしい好奇心が始まりだった。

 

「ねぇねぇ、最近さ、この辺りヤバくない?また出たんだって!!」

 

 白流中学校では、最近ある噂が流行っていた。

 昼休みに給食を食べながら、あるグループはその噂について話題に出す。

 

「知ってる知ってる!!隣のクラスの人が見たっていってた!!」

「夜中にでるってヤツだろ?確か・・・」

「黒マントだよ!!夜に屋根の上をバッタみたいに跳ねて移動してるらしいぞ」

「え?白女のことじゃないの?夜中に白い着物きて飛んでるって・・・」

「違う違う!!黒マントと白女はいるって証拠がないじゃん!!あたしが言ってるのは、『影鬼くん』だよ」

「ああ、そっちか」

「影鬼くんは、本当にいるって話だもんね」

「最近、道路とかに変な足跡があって、それを掃除するのに警察の人とかいるもんな」

 

 影鬼くん。

 それは、つい最近になって白流市に出没すると噂されている『妖怪』である。

 曰く・・・

 

「夜中に道を歩いている時に、後ろから足音がする・・・」

「でも、振り返っても誰もいない。それでもう一度歩き始めると、また足音がする。しかも・・・」

「その足音は、段々と近づいて来る・・・」

「どれだけ速く走っても、振り切れない・・・」

「それでそのうち、足音は・・・」

「自分の背中の後ろまでやって来る・・・」

 

 昼休みで明るい時間帯であるというのに、そのグループの周りだけ、心なしか空気が暗く、重くなったような気がした。

 

「そ、それで、どうなるの?」

 

 グループの中にいた女の子が、少しだけ声を震わせながらそう聞いた。

 どうやら、彼女は影鬼くんとやらの噂を知らなかったようだ。

 そんな彼女を見て、噂をすでに知っていた者たちは顔を見合わせて、得意げに、それでいて声を憚るように続ける。

 

「影鬼くんに追いつかれちゃったらね・・・」

「影を踏まれるんだって・・・」

「そして、影を踏まれると、動けなくなっちゃうの・・・だから影鬼くんって名前がついたんだけど・・・」

「影鬼くんに捕まっちゃたら・・・」

「捕まったら・・・?」

 

 女子生徒がゴクリと息をのむと、噂を話していた生徒は、一度周りを見回す。

 そして、口を開いた。

 

「食べられちゃうんだって」

「っ!!」

 

 その声は小さかったのに、嫌に良く響いた。

 まだまだ暑い季節だと言うのに、噂を知らなかった女の子に背中に、ゾクリとした寒気が走る。

 しかし、だ。

 

「で、でも!!それっておかしくない!?」

 

 彼女は、その噂話の矛盾に気付いた。

 まあ、それは大抵の怖い話に当てはまるものではあるのだが・・・

 

「食べられちゃうって言うんなら、誰がその噂を広めたのよ!」

 

 実際にそんな妖怪がいて、人間を食べてしまうとしてだ。

 だとしたら誰がそんな具体的な体験を残せたというのか。

 噂通りなら、人間が出会ってしまえば逃げることは難しそうな相手である。

 だがそんな疑問が返って来ることなど想定内だったのか、噂を知っていた者たちは増々得意げな顔になった。

 

「ふふん!!そんなの、影鬼くんから逃げられる方法があるからに決まってるじゃない」

「え?そうなの?」

「そうよ!!だから、影鬼くんに襲われても無事だった人がいるんだって」

「それじゃあ、その逃げられる方法って?」

「それはね、影鬼と同じなの」

 

 それは、影鬼くんがその名前を付けられたもう一つの理由なのだそうだ。

 

「影鬼くんに追いかけられたら、影のある場所を走って逃げるの」

「影の中にいる間、影鬼くんには追いかけてる人が少しの間見えなくなるんだって」

「でも、いつまでも同じ場所にいると、そのうち気付かれちゃう・・・」

「だから、影の中に少しの間だけ隠れた後、別の影まで隠れるのを繰り返すの」

「そうすると、影鬼くんは追いかけてる人を完全に見失っちゃうんだって」

「食べられかけたって人は、たまたま月が陰って、その間に逃げたってことらしいよ」

「そうなんだ・・・」

 

 それは、随分簡単そうな対処法だった。

 自分にもできそうな方法で、女の子はホッと安心したようにため息を吐く。

 

「影鬼くんって、最近噂になったんだけど、これだけ広まってるのは本当にいるらしいからなんだって」

「そうなの?」

 

 そうして女の子に一通り影鬼くんのことを教えると、話題は「ヤバい」と言われた内容に移る。

 

「そうそう!!さっきも言ったけど、ここ最近道路とか壁に変な足跡がたくさん付いてることがあるの」

「それは私も見たことある!!幼稚園児くらいの小さな足跡が道路にずっとくっついてるの見た!!近所のおじさんが掃除してたもん」

「俺もそれ見たぜ!!屋根の上に変な足跡があったって爺ちゃんが怒ってた!!」

「え~屋根に?屋根なら黒マントじゃないの?屋根の上を走ってるらしいし」

「黒マントについては襲われたとかいう話も聞かないし、そっちはガセなんじゃないの?影鬼くんの噂がちょっと変わって広まったとか」

「白女もそうだよね。黒マントと一緒に現れるって話だけど、それでどんなことするのか全然わかんないし」

「ちょっと!!今はそっちよりも影鬼くんでしょ!!・・・ちょっとここだけの話があるんだけどさ」

「なんだよ?」

 

 噂の話が影鬼くんから、黒マントと白女という別の妖怪の話になろうとした時、最初に「ヤバい」と言い出した女子は声を潜めてボソリと何かを提案しだした。

 

「・・・今日の放課後、影鬼くん、呼んでみない?」

「え?」

 

 

-----

 

「それじゃあ、影鬼くんを呼ぶわよ」

「ねぇ、本当に大丈夫なの?」

 

 放課後、薄暗い中学校の裏庭に、昼休みに集まっていたメンバーが再度集合していた。

 言い出しっぺの少女が自信満々な様子なのに対し、今日噂を知ったばかりの女の子は不安そうだ。

 

「影鬼くんを呼んで、本当に来ちゃったらどうするの?」

「そんなの、急いで影の中に逃げちゃえばいいじゃない。この辺なんて影だらけだし、大丈夫よ」

 

 少し怯えた様子のある女の子に、得意げな少女は昼にも伝えた対処法を行えばいいと告げる。

 確かに中学校の裏庭は建物の陰にあること、木がたくさん生えていることもあって影だらけだ。

 影の中に入って逃げるには不都合ないだろう。

 

「でもよ、呼ぶっていったってどうやるんだ?そんな方法聞いたことないぞ?」

「当たり前じゃない!!この方法はあたしが考えたんだから」

「はあ?」

 

 その場にいた男の子が、そもそもの呼ぶ方法について聞けば、そんな答えが返って来る。

 その答えに、男の子は唖然とした顔をする。

 

「いや、それならなんでそんな自信があるんだよ?」

「ふふん!!それはね・・・」

 

 そこで、言い出しっぺの女の子はスマホを取り出した。

 そのまま少しスマホをいじると・・・

 

『みんな~!!今日もマリネのチャンネル見に来てくれてありがとぉ~☆』

 

 鈴を転がすような声とともに、一人の奇妙な恰好をした少女が画面に映った。

 フリルだらけの青いダブレットに、黒のオー・ド・ショースと白いバ・ド・ショースを身に着け、金色のサイドテールのすぐ傍には小さな王冠まで乗っている。まるで外国のアニメ映画に登場する王子様のような服といえばわかりやすいか。ただ、少女は顔立ちこそ整っているものの、明らかに日本人であり、髪は染色したものだとすぐにわかる。王子様とはいってもコスプレ感丸出しで安っぽく、いかにもウケ狙いでやってますという具合だった。

 しかし、そんな見た目であっても人気はあるらしく、男の子はテンションが上がったように画面に視線を向けた。

 

「おお!!マリネの動画じゃん!!俺、昨日は見れてなかったんだよね・・・んで、マリネと影鬼くんに何の関係があんだよ?」

「そんなに急かさないでよ、すぐに・・・あ、ほら」

 

 そのマリネという少女は、今流行りの動画配信者のようで、若年層に人気があるらしい。

 しかし、マリネと影鬼くんの関係がどう繋がるのか分からない男の子にとって、今この動画を見る意味は分からなかった。

 そんな男の子を言い出しっぺの女の子は諫めながら、スマホの画面を見せつける。

 

『退屈で平凡で、何の刺激もない日常・・・毎日毎日変わりのないことばかりで、面白みのない日々・・・みんな、そんな毎日を過ごしてないかなっ☆?』

 

 画面の中で、マリネはしょぼくれた顔を見せている。

 しかし、そこでいきなりずいっと顔を近づけてきた。

 

『そんなみんなにグッドニュース☆!!今日もマリネが皆にとっておきの魔法を教えちゃうよ~っ☆!!』

 

 突如としてテンションを爆上げしたマリネが、嬉々とした様子で甲高い声を上げる。

 

『この世界は退屈だけど、それは面白いモノたちが隠れてるだけだからっ☆!!そんな楽しいモノを呼び寄せちゃうおまじないがあるんだっ☆!!でもでもっ!!☆ぜ~んぜん、難しくなんてないから安心してねっ☆!!』

「「「「・・・・・・」」」」

 

 いつの間にか、そこに集まったメンバーは動画にくぎ付けになっていた。

 そこに来た理由すら、今は頭の中から消えていたかもしれない。

 

『方法は簡単っ☆!!まずこうやってお祈りするみたいに両手を合わせてね?目を瞑って3回その場で回っちゃうだけっ☆!!ねっ☆?簡単でしょっ☆?』

 

 画面の中で、マリネは自分の言う通り目を瞑ってクルクルとその場で回った。

 その動きは恰好も相まってコミカルで、ピエロのようにも見える。

 3回回り終わったマリネは、目が回った演技をするようにわざとらしくふらつくと、そこでもう一度画面を見た。

 

『あははは・・・目が回ちゃった・・・みんなはやる時にぶつかったり転んだりしないように気を付けてね☆・・・あっ☆!!そうだっ☆一個大事なこと言い忘れてたよ~☆!!このおまじないをするときに、絶対にやらなくちゃいけないことがあるんだっ☆!!それはね・・・』

 

 その瞬間、ほんのわずかな間だけ、マリネの顔が真顔になった。

 しかし、それは本当に一瞬で、すぐに元の軽薄な笑みに戻る。

 

『それはね、信じることっ☆!!本当にそれだけなんだよっ☆!!そういうモノが近くにいるって思うだけなのっ☆!!もしも名前があるのなら、呼んであげるのもいいかな~☆・・・あっ☆!!もうこんな時間だっ☆!!』

 

 どうやら、この動画はそのおまじないの紹介で終わりのようだ。

 マリネは画面を真正面から見据えると、ヒラヒラと手を振った。

 

『それじゃあ、みんな、まったね~☆!!みんなと、そしてマリネの毎日がっ☆!!刺激的でスリリングでエキサイティングになるの、楽しみにしてるからね~☆』

 

 そこで、動画の再生は終わった。

 

「「「「・・・・・・」」」」

 

 みんな、その場でしばらく固まっていた。

 もう動画が終了したスマホの画面を、それでもまだ何かが流れているかのようにじっと見つめる・・・

 

「・・・っ!!ね、ねぇ、それで、どうするの?」

「あ、ああっ!!っていうか、お前が考えたって言ってたけど、結局マリネが考えた方法なんじゃねぇか」

「うるさいな・・・どうやって名前を呼ぶか考えたのはアタシなんだからいいでしょ」

 

 少ししてから、噂を知らなかった女の子が目が覚めたように口を開けば、他の面々も会話に戻る。

 元々は影鬼くんを呼ぶ方法の説明とのことだったが、動画を見るに、言い出しっぺの女の子が考えた方法とは言っても、それは本当に一部分だけのようだった。

 

「それで?どうやって呼ぶんだよ?」

「そんなに焦らなくても、今から言うわよ・・・え~っ、コホンッ!!」

 

 どこかしらけたように男の子が口を開けば、言い出しっぺの女の子もばつが悪かったのか、眼を逸らす。

 しかし、やる気は十分なのか咳ばらいを一つすると、真剣な顔でおまじないを唱えだした。

 

「・・・影鬼くん、影鬼くん、遊びましょ?影鬼しましょ?楽しい楽しい、影鬼しましょ?」

 

 

--ザァッ・・・

 

 

 女の子がそう唱えた瞬間、風が吹いた。

 裏庭に生える木々が揺れ、木の葉が舞っていく。

 

「「「「・・・・・・」」」」

 

 あきらかにチャチで、どう考えても子供が適当に考えた呪文にしか聞こえないのに、それを茶化そうという空気は微塵もなかった。

 

「・・・じゃあ、やるわよ」

「・・・おう」

「う、うん・・・」

 

 その場のどこか張り詰めたような空気に追い立てられるように、各々は自然と円を描くように並ぶ。

 十分な間隔をとった後、全員はそこで手を合わせて目を瞑った。

 そして・・・

 

「「「「・・・影鬼くん、影鬼くん、遊びましょ?影鬼しましょ?楽しい楽しい、影鬼しましょ?」」」」

 

 3回その場で回りながら、さきほど覚えたばかりの呪文を唱えた。

 

 

--・・・・

 

 

 今度は、風は吹かなかった。

 

「「「「・・・・・・」」」」

 

 眼を開けた後も、全員しばらくピリピリとした雰囲気で辺りを見回していた。

 さっきまでは風の吹く音や木の葉の揺れる音がしていたのに、今は耳が痛いほどの静寂がその場を包んでいる。

 そして、しばらくそうしていたが・・・

 

「何も起きないな・・・」

「そうだね・・・」

 

 不意に男の子がそう言うと、空気が緩んだ気がした。

 それに釣られるように、周りも口を開く。

 

「お前の考えた呪文が悪かったんじゃね?」

「うっさいわね!!あんたこそ、マリネが言ってたみたいにちゃんと信じながらやってなかったんじゃないの!?」

「あはは・・・私は、失敗してよかったかも」

 

 口々に言い合うが、みんな、どこか安心したような雰囲気であった。

 そこにいた面々は、マリネの言う通り本気で信じておまじないに臨んだ。

 だからだろう、こうも思ったのだ。

 

((((本当に影鬼くんが来ていたら、どうなっていたんだろう?))))

 

 本気で信じていたからこそ、影鬼くんが来ていた場合を不安に思ったのだ。

 しかし、実際には来なかった。

 だから、みんな安心したのだ。

 

「おい。もうこんな時間だし帰ろうぜ」

「そうね。あ~あ、帰ってマリネの過去動画でも見よっと」

 

 そうして、その場は解散ということになったのだった。

 

 

-----

 

「すっかり遅くなっちゃったな・・・」

 

 すっかり日が落ちた街の中を、女の子は歩いていた。

 あの後、女の子は塾だったのだが、塾のある日はいつもかなり遅めの時間になってしまうのだ。

 

「それにしても、影鬼くんか・・・」

 

 思い出すのは、今日の夕方のこと。

 影鬼くんを呼び出そうとしたことだ。

 

「結局、嘘だったってことだよね・・・」

 

 思わず後ろを振り返って確認してみるも、特に変わった様子はない。

 外套に照らされた、何の変哲もない道路があるだけだ。

 

「そっか、そうだよね・・・ただの噂だもんね」

 

 実をいえば、女の子はあのおまじないをやるのには反対だった。

 女の子はかなりの怖がりだったのだ。

 噂を聞いた時も、正直勘弁してほしいと思っていたくらいには。

 だが結局、おまじないをやっても何もなかったため、今はホッとしているところだった。

 

「いけない、いけない・・・早く帰らないと」

 

 少しの間、女の子は後ろを見ていたが、いい加減夜も遅い時間だ。

 明日も学校があるのだから、早く帰って寝なければと思い、前を見た。

 その時だ。

 

「あれ?なにこれ?」

 

 奇妙なモノが目に入った。

 

「足跡・・・?」

 

 前方の道路の壁の影に、見慣れない泥のような物が貼りついていた。

 大きさは小学校低学年くらいの子供と同程度だろうか。

 だが、人間の子供にしては指の部分が細長く、先端には大きな爪の跡があった。

 それは道の曲がり角まで続いていて、かなり長いモノのようだったが、それよりも・・・

 

「さっきまで、こんなのあったっけ?」

 

 女の子は首を傾げた。

 自分は先ほどまで前を向いて歩いていたはずだ。

 しかし、こんなモノはなかったはずだ。

 

「・・・早く帰ろう」

 

 たまたま今まで見落としていただけに違いない。

 そうに違いないはずなのだが、不気味だった。

 女の子は足早にその場を離れようとして・・・

 

 

--カサッ・・・

 

 

「っ!?」

 

 音がした。

 何か硬いモノが、コンクリートに擦れるような音が。

 犬が道路を歩いている時に立てるような音を、無理やり押し殺したような音が。

 

 

--カサっ・・・

 

 

「またっ・・・」

 

 突然のことに立ちすくんでいた女の子は、もう一度聞こえた音で我に返った。

 心なしか、その音は近づいたような気がして・・・

 

「~~~っ!!!」

 

 そう思った瞬間には、女の子は走り出していた。

 外套に照らされた明るい道を、必死で駆ける。

 その時だった。

 

 

--ダダダダダダダダダダダダダダっ!!

 

 

「ヒッ!?」

 

 足音が、にわかに大きくなった。

 それまで獲物にバレてないように動いていたのを、急に『狩る』ために早めたかのように。

 そして、その音は凄まじい勢いで迫り・・・

 

「う、うわぁぁああああああっ!!?」

 

 無意識に、女の子は明るい道から暗い路地裏に飛び込んでいた。

 散らかったゴミを蹴飛ばしながら、必死で走る。

 

(影鬼くんは、獲物が影に入ったら見失うって言ってた!!なら・・・)

 

「こ、このままぁ・・・!!」

 

 そうして、女の子は路地裏を懸命に走っていくのだった。

 

 

-----

 

「ここまで来れば、大丈夫だよね・・・」

 

 路地裏の壁にもたれてしばしの間休んでいた女の子は、そう言って立ち上がった。

 

「もう、足音もしないし・・・」

 

 しばらくの間影の中で大人しくしていたが、あれほど大きくなっていた足音ももう聞こえない。

 どうやら撒けたとみてもよさそうだ。

 

「ふぅ・・・でも、本当にいたんだ」

 

 噂を怖いとは思った。

 おまじないをして、本当に来てしまったらどうしようとは思った。

 しかし、本当にいるとまでは思っていなかった。

 

「マリネの言ってたこと、本当だったんだ・・・」

 

 思い出すのは裏庭で見た動画のこと。

 耳に蘇るのはあの言葉。

 

 

--この世界は退屈だけど、それは面白いモノたちが隠れてるだけだからっ☆!!

 

 

「・・・いけない、逃げられたのなら、早く家に」

 

 自分がこれまで知らなかった、この世界の真実。

 それを目の当たりにして、女の子はつい茫然としてしまった。

 だが、そんなことをしている場合ではないと、自分の頬をはたく。

 

「えっと、なるべく影の中を通るようにして・・・」

 

 自分に活を入れた女の子が、なるべく影の多い場所を見つけて一歩を踏み出す。

 しかし、だ。

 

「え?なんで明るく・・・?」

 

 暗い路地裏に、唐突に光が差し込んだ。

 自分のが前に踏み出した足が、くっきりと見える。

 それは街灯の灯りではない。

 

「月の、光・・・」

 

 建物の影に遮られない真上から、月が女の子を照らしていた。

 そして・・・

 

「あ、れ?」

 

 女の子は、身体を襲う違和感に気が付いた。

 

「動け、ない・・・?」

 

 身体が動かなかった。

 動かそうと思っても、ピクリとも動かない。

 目線すら変えられず、ただただ月明りに照らされる自分の足と、その影しか見ることができず・・・

 

『・・・・・』

「え?」

 

 目が合った。

 

「え?え?え?」

『・・・・・』

 

 いつの間にか、自分は見られていた。

 

『・・・・・キヒっ!!』

「ヒッ!?」

 

 ソレは笑っていた。

 自分の影の中で。

 気が付けば、影の中に顔があったのだ。

 まるで人間の顔を無理矢理歪めたようなしわくちゃの顔に、血が滲んだような赤い眼。

 そして、ノコギリのように細かな歯がいくつも生え、耳まで裂けた口が笑っていた。

 

『ニンゲン、ニンゲン・・・ツカマエタ』

「あ、ああああああああああああっ!?」

 

 

--ガッ!!

 

 

 影から、黒い手が伸びてきた。

 その腕と指は細長く、枯れ枝のよう。

 しかし、その先端についた太く歪んだ爪が、女の子のふくらはぎに食い込んでいた。

 そして、女の子の足をとっかかりにするように、ソレはズルリと影の中から姿を現す。

 

『ニンゲン、ニンゲン・・・アア』

 

 猿のように小柄で、毛だらけ。

 だが、顔はかろうじて人間のようだと思える。

 それが不気味だった。

 ソレは、影鬼くんは、恐怖と痛みで顔を引きつらせる女の子を愉悦に満ちた眼で見つめると・・・

 

『クウ!!クウゾ!!ニンゲン!!』

「ヒィッ!?イヤアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 その大口をガバリと開け、涎を垂らしながら女の子に飛び掛かる。

 乱杭歯のように並んだ黄色い歯が、女の子の柔らかな肌に触れ・・・

 

「紫電」

『ギッ!?』

「え?」

 

 突然、影鬼くんが吹き飛んだ。

 道路の壁に、小さな身体が串刺しになっている。

 

「え?え?」

 

 女の子が状況について行けず、眼を白黒させていると・・・

 

「一晩で4匹も、バラバラの場所に出るなんてね・・・」

「無駄に手間かけさせてくれるよね。そっちは・・・」

「大丈夫。黒飛蝗で対応済み。この子が一番危なかったから直接来たけど、いらなかったかな」

 

 すぐ傍に、黒いマントを着た青年と、白い着物を着た女が立っていた。

 それは、まるで・・・

 

「く、黒マントに、白女!?こっちも本当にいたなんて・・・」

「え?何それ?」

「口を慎め、ガキ。妾はともかく、貴様のようなチビガキが誰の許しを得て久路人を見て・・・む」

「あ、雫、そんなにプレッシャーかけたら・・・」

「う~ん・・・」

 

 まるで大蛇に睨まれたような気配を感じ、そのあまりのショックに、女の子は気を失ってしまうのだった。

 

 

-----

 

「はぁ~・・・それにしても・・・」

 

 夜の街を、僕と雫は並んで歩いていた。

 さっき道で襲われていた女の子は、おじさんから借りた術具で記憶を少しいじった上で交番の前に寝かせておいた。

 後はお巡りさんがなんとかしてくれるだろう。

 あの子を狙っていた妖怪は消し飛ばしたことだし。

 

「その記憶を操る術具、便利だよね。あ~あ、私も記憶を消したところで久路人に拉致られて、生意気に反抗したところを乱暴にわからせられたかったな・・・」

「僕たちには効果なかったからね。元々霊力の高い人には効きにくいらしいけど、僕たちにはその上で耐性が・・・って、そこじゃないよ!!っていうか、何その無駄に具体的で犯罪的なシチュエーション!!」

「え?でも、メスガキわからせプレイって一回はやってみたくない?今の私たちなら子供の姿にもなれるし、それで」

「雫の場合わからせる方じゃなくてわからせられる方だけど、そこはいいのかよ。興味なくはないけどさ・・・・って、そうじゃないよ!!最近の街のことだよ!!さっきの子だって・・・」

「私のこと、見えてるみたいだったしね・・・そんなに霊力も高くなさそうだったのに」

 

 雫の突然の変態発言で脱線しかけたが、僕が言いたかったのはそこだ。

 この街は、元々おじさんの構築した結界で覆われており、小規模の穴が空くことはあっても、早々妖怪たちも活動はできないはずなのだ。

 そして、雫は普通の人間には見えない。

 だが、さっきの状況はそのどちらも破綻していた。

 

「やっぱり、この辺りの霊脈が乱れてるんだね」

「うん。結界は霊脈に依存する要素が多いらしいんだけど、その根元から歪んじゃったから結界もおかしくなってるらしいんだ。おじさんがそう言ってたよ」

 

 霊脈とはこの星を巡る霊力の流れのことで、穴の空いた土地や霊能者がいる土地などにある霊力が大地にしみ込んだなれの果てと言われる。

 通常は大地の奥深くを流れているために利用はできないのだが、この白流市はそんな霊脈が顔を出している珍しい土地とのことで、街そのものを覆うような大規模な結界を貼れているのも、その霊脈を利用しているからだ。

 しかし今、その霊脈に乱れが発生しているのだという。

 それによって、結界が不安定になっているらしく、特に妖怪が活発になりやすい夜にはこの白流の地は異界と言ってもいい場所になっているとのことだ。

 

「行こうか、雫。今日もこのままパトロールね」

「は~い。ふふ、夜のデートだと思えば、これも中々・・・」

「気持ちは嬉しいけど、しっかりね。なんせ・・・」

 

 そして、何故霊脈に乱れが発生しているかと言えば・・・

 

「これも、ほとんど僕らのせいなんだしね」

「わかってるよ。しっかりやるって」

「ん。それじゃ、行くよ」

「うん!!」

 

 僕の、いや、僕と雫のせいなのであった・・・

 

 




評価、感想よろしくです!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚2

怖い話が読みたいです。
なんというか、日常の怪談というか、さっくり読める短めのヤツで。
もし知ってる人いたら教えてください。


 きっかけは、僕が人間をやめて初めて迎えた朝に遡る。

 二人で目覚めた朝、雫の要望通りお姫様だっこで雫を風呂場まで連れて行った後のこと。

 

「ふぅ・・・さっぱりした」

「僕にとっては生殺しもいいとこだったけどね・・・」

「ふふんっ!!昨日さんざん私をいじめてくれた罰だよ・・・っていうか、今は本当にちょっとキツイかな。まだ痛むし。普通ならもう治ってるはずなんだけど、やっぱり久路人につけてもらった傷だからかな?」

「さすがに雫がそんな状態のときに襲ったりしないって・・・」

 

 風呂場に雫を置いて、『じゃあ、僕はこれで』と退散しようとしたところを有無を言わさず浴槽に引き込まれ、そのまま互いの身体を洗いっこすることになった。

 とりあえず角や尻尾は邪魔だったから二人とも人化の術を使ったのだが、雫は相変わらず身体がまだ痛むとのことで、僕は雫の眼に毒としか言いようのないあられもない姿を目の当たりにしながらも、鋼の理性で昨日散々暴れた愚息を抑えつけなければならなかったが。

 

「でも、久路人のソコ、今も辛そうだよね。大丈夫?さっきはああ言ったけど、口とか手でなら別に・・・」

「・・・すごい魅力的な提案だけど、やめておくよ。絶対にそれだけで我慢できそうにないし」

「ならいいけど。じゃあ、続きは夜ね!!さすがにそれまでには治ってるだろうし」

「本当に大丈夫?確かに僕自身すごいムラっとはしてるけど、それでも雫に無理させてまでとは思ってないからね?」

「大丈夫!!ムラムラしてるのは私も同じだから!!」

「・・・嬉しいけど、大声で朝からする会話じゃないよね、コレ。おじさん達に聞かれたら何て言われることやら・・・」

 

 そうして、まるで人間を卒業したこと、いや、二人の気持ちが通じ合ったことでそれまで抑えつけられていた欲求が爆発したような僕らが、その日の夜も熱く過ごすことを約束した時だった。

 

 

--ゾクッ

 

 

 全身に悪寒が走った。

 

「・・・っ!?雫!!」

「うんっ!!」

 

 離れの出口から本家に繋がる廊下に出たところで、僕たちは二人そろって臨戦態勢になった。

 僕が黒いマントと刀を作り出すのと同時に、雫も紅い薙刀を構える。

 

「はぁっ!!」

「やぁあああああああっ!!」

 

 

--ギンッ!!

 

 

 それぞれの得物が、飛んできた幾本ものナイフを叩き落す。

 ナイフはその1本1本がすさまじい切れ味と強度を持った一級品の術具であり、喰らえば今の僕たちでもすぐには癒えない傷を負っただろう。

 そんなナイフが明確な殺意を孕んで僕らに襲い掛かってきた。

 

「・・・・・」

 

 そして、その下手人が僕らの前に姿を現す。

 

「どういうつもりですか?」

「お前は普段からおかしいところもあるが、それなりにいい関係を築いてこれたと思っていたのだがな・・・なあ」

 

 僕たちは、二人そろってその名を呼んだ。

 

「「メア(さん)」」

「・・・・・」

 

 長年僕たちの世話をしてくれた月宮家の使用人兼一応僕の義理の母は、顔を俯かせて反応する様子はない。

 いや、よく見ればその肩は震えていた。

 時折まったく理解できない奇行に走るメアさんだし、正直僕らのことに大して情を持っているかどうかと言われれば自信のない人であるが、それでも僕らに襲い掛かるのにはためらいがあったということだろうか?

 その震えは、どうしようもない理由で僕らを手にかけなくてはならなくなったが故の感情の表れなのかもしれな・・・

 

「黙れ淫獣ども」

「・・・え?」

「・・・は?」

 

 メアさんの内心を考えた僕の耳に届いたのは、罵声だった。

 その唐突に発せられた冷え切った声音に、僕と雫は固まった。

 

「『どういうつもりか?』だと?よくもまあ、このワタシの前でそんな口がきけるなクソガキども。覚悟しろよ?ナニとアワビ切り取ってバーナーで溶接してやるよ!!」

「「ヒっ!?」」

 

 思わず、僕らは二人とも情けない声を上げた。

 あげられたその顔に浮かんでいたのは、笑顔だった。

 だがその額には人形だというのに青筋が走り、唇はヒクヒクと痙攣している。

 メアさんが震えていたのは、悲しみでも迷いでもなく、物理的に僕らを殺せそうなほど濃密な怒りだったということに、今更僕たちは気が付いた。

 

「ワタシと京が必死こいて働いている時に呑気に盛りやがって・・・京の建てたこの月宮家への蛮行をそっくりそのまま返して・・・」

 

 全身からいくつもの少女の顔が浮かんだ赤黒い不気味なオーラを出しながら、メアさんが再びナイフを構えた。

 そのまま体勢を低くし、今にも飛び掛かろうとする獣のように力を溜めてその刃を振るおうと・・・

 

「その辺にしとけ」

「・・・京」

 

 突然響いた声に、メアさんの殺気が萎むように消えた。

 赤黒い影のようなモノも、それと同時に空気に溶けるように見えなくなる。

 いつの間にか、すぐ傍に見知った顔が、現在絶賛お怒り中のメアさんの夫であり、僕の養父であるおじさんが現れていた。

 

「お、おじさん、助かっ・・・」

「セックス禁止」

「え?」

 

 なんだかよくわからなかったが、窮地を救ってくれたおじさんに礼を言いつつ駆け寄ると、帰ってきたのは要領を得ない言葉だった。

 その意図を聞こうとしておじさんの顔を見てみれば、そこに浮かんでいたのはこれまで見たこともないくらい冷たい視線と無表情で・・・

 

「久路人と雫、セックス禁止な」

「「は?」」

 

 先ほどから起きている展開に着いていけなくなった僕らは、揃って呆けた声を上げたのだった。

 

 

-----

 

 

「端的に言うと、だ・・・」

 

 月宮家母屋の居間にて、僕と雫は正座をしながらおじさんの話を聞いていた。

 あの後、本気で怒ったおじさんの気迫に呑まれて二人とも大人しく付いてきたのである。

 あんなに怒ったおじさんを見たのは、中学の頃に雫にそそのかされて二人で訓練をサボった時以来だった。

 そして・・・

 

「お前らのセックスで現世がヤバい」

「え?」

「気でも狂ったか?」

 

 おじさんの唐突な一言を、僕と雫は理解できなかった。

 

「・・・貴方様がたは、今の屋敷に何も感じないのですか?」

「何もって・・・何を?」

 

 そんな僕らにいくらか冷静になったメアさんも加わるが、やはり意味が分からなかった。

 

「・・・お前たち、最近ご無沙汰なのかもしれんが、だからといって妾たちに当たるのは止めろ。そりゃあまあ、すぐ近くでイチャつかれたらイラッとするのは分らんでもないが?お前たちと違って妾達は付き合いたてでホヤホヤのホットな関係で、盛り合うのはもう自然の摂理なのだ。いや、お前たちが羨み、嫉妬するほどラブラブなのは申し訳なく思わなくもないがな?昨日あんだけ愛されるとは思ってもいなかったし、妾も正直愛されすぎて困っちゃってるところだがな?それは久路人が妾のことを好きで好きでたまらないから仕方のないことなのだ。メアも古臭いツンデレなんぞやめてさっさと・・・」

「京。対神兵装使用の許可を。全身ミンチにしてホルマリン漬けにしてやるよクソ蛇」

 

 その意図はないのだろうが、艶やかな顔で穏やかな笑みを浮かべつつ、完全に挑発としか思えない口調の雫に、メアさんはすぐさま殺気を出して応える。

 

「気持ちはわかるが抑えろメア。いや、マジでぶっ殺してやりたいのは分かるけどやめろ。ここで俺たちと久路人たちがやりあったら今どころの騒ぎじゃ済まねーぞ」

「くっ!!」

「今どころの騒ぎって、一体何が起こってるのさ・・・」

 

 おじさんにせよメアさんにせよ、こんなに怒ったり焦っているのは初めて見る。

 あの台詞の意味はわからないが、これは本当にとんでもないことが起きているんじゃないかと覆い始めてきた。

 

「おい久路人に雫。メアも言っていたが、よ~くこの屋敷の様子を探ってみろ」

「?はい・・・」

「まったく何だと言うのだ・・・」

 

 そうして、おじさんに言われるままに周囲を探ってみる僕と雫だったが・・・

 

「あれ?」

「む?」

 

 そこで、違和感に気が付いた。

 

「結界が、ない?」

「いや、あるにはあるが・・・随分と不安定というか、脆くなっているな?」

 

 今僕たちがいるこの月宮家には、常に強力な結界が張られている。

 それは僕という神の血を持つ爆弾を保護するためでもあり、それ以前に霊地たる白流を管理する拠点を守るためでもあった。

 その動力源は、この現世でも珍しい霊脈が開いた土地であるからこそ利用できる豊富な自然の霊力であり、そのエネルギーが切れることなどまずありえない。

 だが、今はその結界が大きく弱体化しているように感じられるのだ。

 

「結界でなく、屋敷の設備全体にも大きなダメージが発生しております。トラップの類は全滅。一部の術具も機能停止。挙句、街全体を覆っていた結界も昨晩には崩壊しました・・・今は我々が復旧しましたが、それでも予断を許さない状況です」

「そんな・・・なんでそんなことに」

「お前ら、隣街でのこと忘れたわけじゃないよな?」

「・・・なるほど。そういうことか」

 

 おじさんの言うことに、雫は納得した様子を見せる。

 一拍遅れて、僕も気が付いた。

 

「隣町で忘却界が壊れたのと同じ・・・人間をやめた僕と雫の霊力が大きすぎたのか」

「そういうこった」

 

 僕が一時的に人間を止めた時。

 隣町を覆っていた現世を覆う大結界である忘却界が壊れた。

 それは、人間でも妖怪でも神でもないナニカになった僕と雫の力が、結界で抑えきれないほどに強かったからだ。

 あの時と同じ現象が、昨日の夜に起きたのだろう。

 

「今はお前ら二人とも人化の術を使ってるからいいが・・・ヤる時ってのはどうしても昂るもんだからな。ましてや、その相手が強いパスで繋がった相手なら猶更だ。ヤるたびに直した結界を壊されたらたまったもんじゃねぇし、なによりだ」

 

 おじさんは、そこで窓の外を見た。

 今は北川の窓が開いており、ここからは裏庭がよく見える。

 

「危うく『白竜門』が開きかけたからな。昨日は操間のヤツにも連絡して、常世側からも調整しなきゃならなかったんだぜ」

「白竜門・・・」

「この街に封じられている大穴だったか」

「もしも大穴が開いたらどうなるかなんて、考えなくても分かるだろ?」

 

 この白流市は僕が生まれる前から常世と現世を繋ぐ穴が空きやすい霊地だ。

 なぜそんなに穴が空きやすいかと言えば、霊脈の入口があるということもあるが、その昔、ある存在が常世から現れた際にできた大穴があるかららしい。

 大穴とは常世に繋がる穴の巨大版で、格の高い妖怪でも通れるようなモノを指すが、大穴の付近は常世との距離が近く、中小の穴も空きやすいのだという。

 大穴がもしも開くことがあれば、七賢並みの力を持った化物が常世の奥深くからやって来る可能性もあり、白竜門も厳重な封印がされているという。

 『お前が近づくと万が一があるかも』ということで、僕はその封印の場所まで行ったことはないが。

 そしてその封印が、昨日の僕らの行為で開きかけたというわけだ。

 

「そういうわけで、お前らしばらくセックス禁止な」

 

 なるほど、おじさんの言うことが理解できた。

 そりゃ、僕らの行為を止めようとするわけである。

 そうなれば、常識やルールの順守、世界の安寧をモットーとする僕としては頷くしかないのだが・・・

 

「ごめん、無理そう」

「お前たち、妾と久路人に発狂して欲しいのか?」

 

 それはできそうにもない相談である。

 

「さっきまで雫と風呂場にいたんだけど、その時からもうなんか身体がおかしいというか・・・」

「今は妾の身体の調子が少し悪いから無理だが、そうでなければ朝から2ラウンドに突入していただろうな。正直、妾も結構キツイ」

「久路人、お前さっきからなんか座ってる時に姿勢がおかしいと思ったら・・・」

「どこの同人誌の設定ですか?」

「面目次第もございません・・・」

 

 こうして正座をしている僕だが、実はさっきから小刻みに体勢を変えていたりする。

 すべては己の戦闘態勢に入ったままの愚息のせいである。

 どうやら雫も同じようで、先ほどからモゾモゾと内股を擦り合わせていた。

 

「多分、これでしばらく雫とできなかったら、本当に頭がおかしくなると思う」

「・・・パスを完全に繋いだばっかだからか。お互いがお互いを求めてどうしようもなくなってるって訳かね・・・俺も覚えがないわけじゃないが」

「それでも、我々の時はこれほど周りに被害を及ぼすようなことはありませんでしたけどね」

「しょうがねぇ・・・こうなりゃ専門家を呼ぶしかねぇか。アイツなら、この家の周りだけならにこいつらの力に耐えられる結界も張れるだろうしな。よし、お前ら」

 

 僕らの様子を見て呆れたようにため息を吐いたおじさんは何事かをボソボソと早口で呟くと、やおらに立ち上がった。

 

「今からお前ら、街のパトロールに行ってこい。帰ってくるまでには結界の手配をしとく」

「え?パトロール?」

「今からか?街を覆う結界そのものは復旧しているのだろう?」

「復旧はしていますが、それまでに時間をかけすぎました。労力を白竜門に割いた影響で、結界構築までに小規模から中規模の穴が多数開いています。というか、この辺りの霊脈までイかれた影響で、結界そのものが不安定なのです。今この瞬間も穴が空いていてもおかしくありません」

「今は昼だからそこまで妖怪も殺気だってないが、それでもいつ人間を襲うかわかんねーからな。これまでは現れたのは大体久路人のところに来たが、今のお前は身体に霊力押し込めるようになったし、気付いていないヤツもいるだろ。そういうのを何とかしてこい。俺たちはその間、霊脈とか結界の調整やっとく」

「わかった。そういうことなら責任とんないとね・・・」

「まあ、妾達のせいで人死にが出たら久路人の精神衛生上よくはないしな。よかろう」

 

 こうして、僕と雫の二人は多発する穴からあふれ出る妖怪をなんとかするために町中を駆けずり回ることになるのだった。

 

 

-----

 

「まさか、霊脈の異常で雫の姿が他の人に見えるようになってるとは思わなかったけどね」

「まあ、夜だけみたいだけどね」

「本当に良かったよ。昼まで見えてたら、僕の心がまともでいれたかどうか・・・」

「なんというか、久路人ってめっちゃ束縛強いよね。私には丁度いいくらいだけど」

 

 そんなこんなで今晩もパトロールの最中である。

 道路を雫と二人で並んで歩いているが、今の雫の恰好はシンプルな白のワンピースに、青いカーディガンを身に着けている。

 忘却界のように白流の結界にも妖怪などを隠ぺいする効果があるが、その効果は今不安定になっている。それに加えて霊脈の異常による土地の霊力増加によって、そこに住む人間の霊力も一時的に上昇しているらしい。それによって、今の雫は妖怪の力が強まる夜限定とはいえ普通の人間にも見えるようになってしまっている。普段の白い着物姿ではあまりに目立ちすぎるのだ。

 一応、雫の行動を気にされなくなるような術具はあるのだが、まだ変化して間もない僕らは霊力のコントロールに若干の違和感があり、ふとした拍子に壊れてしまうので装着はしていない。

 

「ところで雫。一応パトロールなんだから、腕を組むのはちょっとアレじゃない?僕は嬉しいけどさ」

「それなら別にいいじゃん?中規模の穴から出てくるようなのなんて、片腕どころか両手両足使えなくても倒せるんだし」

 

 そうして道を歩く僕らだが、実はさっきから雫が僕と腕を絡めてきているのだ。

 時間的に人通りはほとんどないが、ちょっと恥ずかしい。

 それに・・・

 

「いや、戦闘のこともそうだけど、その、理性的に。さっきから色々当たってる・・・」

 

 雫の大きくはないが形の良い柔らかな果実が、腕に当たっている。

 服越しだから感触はそこまででもないが、色々刺激が強い。

 

「当ててるんだよっ♪えいっ!」

「っ!!」

 

 そこを指摘すると、雫はさらに体を密着させてきた。

 温かな感触と、薄い花のような香りが強まって、自分の体温が上がっていくのを感じる。

 

「ふふんっ!!久路人、今すっごいドキドキしてるでしょ?わかるよ。心臓の音が聞こえるもん・・・寄り道してご休憩しちゃう?」

「それは流石にダメだよ。っていうか、この辺にそんな建物ないし。というか、ほら、着いたよ」

「あ、本当だ。ちぇ~、いくらなんでもこの中でするのは私も嫌だしな・・・」

「こんな他の人に見られそうな場所でヤるのは絶対なしだから」

 

 そんな風に雫とイチャつきながらも歩みを進める僕らの前に、パトロールポイントのある建物が見えてきた。

 

「うわ・・・今日も人間が来てるよ。夏だからって暇なヤツ多いな~」

「ここ、結構話題になってる心霊スポットみたいだからね。特に最近は・・・」

 

 そこにあるのは、小さなビルだった。

 ビルとはいっても、ところどころ崩れかけた立派な廃墟というヤツだ。

 入口の扉は封鎖されているが、ビルの裏口に回ると、そちらは施錠されていなかった。

 少し耳を澄ませてみると、中から複数の足音が聞こえ、時折懐中電灯の灯りが反射するのも見える。

 季節柄、こういう心霊スポットに人が来やすいのだろう。

 本来こういう廃墟に入るのは幽霊に関係なく崩落や不審者が根城にしている可能性もあるのでよくないことだが、中にいる面々はその辺を無視しているらしい。

 だが、彼らはその代償を払うことになる。

 なにせ・・・

 

「本物も出ることだし」

 

 

--ぎゃぁぁぁあああああああああああっ!!!!?

 

 

 僕が呟いた直後、ビルの中から野太い悲鳴が聞こえた。

 ここは郊外にポツンと建っている建物のため、近所迷惑にはならないだろうがやかましいことだ。

 僕はため息を吐きながら裏口のドアに手をかける。

 

「行こっか、雫」

「はーい」

 

 雫の元気のいい返事を聞きながら、僕らはビルの中に入った。

 

 

-----

 

 

「うわっ・・・埃っぽいなぁ」

「人がいるからだろうね。いつもより舞ってるみたいだ・・・っと」

 

 先に入った連中が歩き回ったからだろう。

 建物の中は埃が舞っていた。

 鬱陶しかったので風を軽く起こして開いた窓や壁の隙間から外に放り出す。

 その直後、黒い小さな影が物陰から飛び掛かってきた。

 

「蛇炎」

「グギャッ!?」

 

 頭から小さな角を生やした、細い手足に異常に膨れ上がった腹を持つ妖怪は、雫の手から生み出された炎によって瞬時に灰になる。

 小学生低学年くらいの大きさの生き物をあっという間に焼き殺せるほどの炎だというのに、周りに燃え広がる様子は全くない。

 

「う~ん・・・やっぱり炎はまだ違和感あるな」

「でも、もう大分慣れたんじゃない?最初は威力の調整ミスして裏庭が火の海になってたし」

「あの時もメアには怒られたなぁ・・・久路人も一緒に怒られてたよね」

「ああ・・・僕もあの時は裏庭の土を全部吹っ飛ばしちゃったからね・・・」

 

 雫と雑談をしながら先に進む。

 ここにはもう何度も足を運んでおり、中の構造はほとんど把握している。

 加えて、出てくる妖怪も小規模の穴から出てくるような知性の欠片もない雑魚ばかりだ。

 警戒は絶やしてはいないモノの、過剰に構えるのはむしろ効率が悪い。

 そして、そうこうしている内にさっきから聞こえていた足音が近づいてきた。

 

「はぁっ、はぁっはぁっ!!」

「なんだよ!?なんだよアレぇ!?」

「オレが知るかよ!!いいから早く逃げんぞ!!追いつかれた何されるか・・・ヒィイイイッ!?」

「あ、こんばんは」

 

 ちょうど階段の踊り場に差し掛かったところで、若い男3人が降りてくるところに出くわした。

 聞こえていた足音の数と一致する。

 他に入り込んでいる人はいないようだ。

 

「おい!!何いきなり止まってんだよ!!」

「早く進め・・・って、誰だお前!?」

「あなたたちと同じで、廃墟探索に来たんです。そんなに驚いてどうしたんですか?」

 

 いきなり闇の中から現れた僕に驚いたのか、走ってきた面々がぎょっとした顔で動きを止める。

 落ち着かせようと思って挨拶をしたのだが、あまり効果はないようだ。

 

「・・・・・」

 

 雫は目の前の連中と会話をする気がないのか、僕の背後に隠れていた。

 僕の服の裾をニギニギと握ったり離したりしているが、どことなく苛立っているように思える。

 

『せっかく久路人と二人きりで夜の街をデートしてたのに・・・コイツら邪魔』というような感じのことを考えているのだろうと、なんとなくわかったが。

 

「そこどけよ!!後ろからヤバいのが来てんだよ!!」

「おい待て!!こいつ、使えんじゃね?」

「そうか!!こいつに押し付ければ・・・」

 

 僕が雫の様子を気にしていると、男たちは顔を見合わせて素早くやり取りをしていた。

 断片的に聞こえる内容からすると、僕を囮にするつもりらしい。

 僕としてはむしろそっちの方がやりやすくて助かるのだが・・・

 僕の彼女にとってはそうではなかったようだ。

 

「・・・・・」

 

 シンと空気が冷え込んだ。

 男たちの顔が、目に見えてさっきよりも濃い恐怖の色に染まる。

 いつの間にか、雫が僕の背後から、僕の隣に立っていた。

 その身体からは深紅の霊力が立ち上っており、影からこちらを伺っていた小物の妖怪が、それに触れただけで消滅した。

 

「久路人、こんなゴミども助ける価値あるの?」

「価値があるのかどうか決めるのは僕じゃないよ。学会の決めたルールだ。それによると、異能を知らない人間を、僕たちは人外から守らないといけない」

 

 雫の言うことは僕も分からないでもないが、彼らは一般人だ。

 ならば、人類と人外の融和を目指す学会のルールにのっとって、力を持つモノには守る義務がある。

 そして、今の白流に妖怪が多発しているのは僕らのせいであり、僕らにはそれによって発生する被害から人々を守る責任を果たさねばならない。

 

「・・・はぁ。わかったよ。おい、そこの有象無象ども」

 

 雫も頭では分かっていたのだろうが、感情的に気が進まなかったのだろう。

 けれども納得はしたようで、雫は一歩前に進む。

 その身を包むオーラが、少し遅れて追従した。

 

「久路人に厄介ごとを押し付け、己だけ助かろうとするなど、普段ならば妾から手を下してやるところだが、此度は妾にも一因がある。その幸運に感謝するがいい」

「「「ガッ!?」」」

 

 雫の姿を目にした瞬間、男たちは動くことができなくなっていた。

 生き物の本能として、逃げたい、背を向けたい、目を離したいと思ったことだろう。

 しかし、それすら叶わない。

 雫という猛毒の発生源を視界に入れてしまった彼らに、行動の自由は許されていないのだ。

 

「寝てろ」

「「「・・・・・」」」

 

 雫が語気を強めて言葉を発した瞬間、鼓膜を介して毒気を流し込まれた彼らはあっという間に意識を失った。

 そして・・・

 

「貴様もだ・・・」

『ア、アア・・・』

 

 僕らがそこで立ち往生をしている内に、男たちを追いかけてきたナニカも到着していたらしい。

 階段の上から、長い髪の毛でモップのようになった毛だらけの女のようなモノが、雫を見て固まっていた。

 恐らく、ソレは中規模の穴から出てきたそこそこの妖怪なのだろうが・・・

 

「不愉快だ。仮にも雌に属するモノが、妾の久路人を視界に入れるなぁっ!!」

『ギアアァァァアッ!?』

 

 雫の眼が紅く輝いた瞬間、ナニカの身体が燃え上がった。

 悲鳴を上げられたのはわずかな間で、やはりさきほどの小者のように、すぐさま灰になったが。

 

「フン・・・行こっ、久路人。こんな埃っぽいところ、さっさと見回って出たいし」

「うん、そうだね」

 

 そうして、僕らは寝転がっている男たちに術具を使い、周りを氷と砂鉄の壁で囲った後、建物を一巡してそこを後にしたのだった。

 

 

-----

 

 

「しかしまあ・・・」

「?どうしたの?」

 

 あのビルを出て、それからさらにいくつかのポイントを回った後。

 自然に腕を絡めながら、僕らは家路についていた。

 時間的にもうすぐ朝で、ほとんど徹夜だが、人間を止めたこの身体には大して影響はない。

 そんな中、僕はポツリと呟いた。

 

「いや、今日も人が結構いたよなって」

「本当だよね。なんでこんな夜遅くにああいう場所に行くかな、もう!!」

 

 ここ最近は夏ということもあり、肝試しに行く人が結構いるのだ。

 あのビル以外にも、他のスポットでも同じような連中を見かけた。

 対処法もやはり同じようなモノだったが。

 

「久路人的にはどうなの?ああいうヤツら。廃墟とかそういう場所に許可なく入るような連中だし、あんまり好きじゃないでしょ?」

「そりゃあね。思いっきり私有地に勝手に入ってるようなのはよくないことだし。妖怪に襲われように行ってるようなものだから控えて欲しいとは思うよ。でもね・・・」

 

 そこで、僕はここ最近胸に湧き上がる不思議な感情を口に出す。

 

「普通の人を助けるなんて、あんまりやってこなかったんだなって。今回のことは僕のマッチポンプだけど、これまでここに現れたのは全部僕の方に集中してたからさ」

「・・・人助けできて嬉しいってこと?」

「ありていに言うとそうなのかな?いや、本当にどの口が言ってるんだって話だけどさ」

「ふーん・・・」

 

 雫の言うように、最近の僕は不思議な充足感を得ていた。

 その原因を作った僕にそれを言う資格はないだろうが、人外に襲われる人間を助けることは、嫌いじゃない。

 どの人も記憶をいじくって僕らのことは忘れてもらうし、助けた直後に不審な眼で見られたり怯えられることがほとんどだが。

 

「む~・・・」

「雫?」

 

 考え事を終え、ふと横を見ると、雫が不機嫌そうな顔をしていた。

 僕が疑問に思っていると、眉をひそめたまま、雫は口を開く。

 

「じゃあさ、久路人は私がピンチな時にそこらの人間が襲われてたらどうするの?言っておくけど、両方助けるってのはナシで」

「それなら雫一択だけど?」

「それって、後で後悔しない?」

「しないよ。僕の中の一番は雫だから。現世の人間全部集めても、比べる意味もないくらい」

「・・・ふん。ならよし」

 

 僕がほとんど反射で質問に答えると、雫は喜んでいるような、けれども素直に喜んでいるのを顔に出すのは癪だというような複雑な顔をしてから、フイッとそっぽを向いた。

 

「もしかして、嫉妬してくれたの?」

「・・・久路人が私以外の有象無象を気にかけて、私に意識を割く時間が減るのが嫌なだけだよ。でも、私が一番だって言うなら許してあげる・・・ちゃんといつでも私の傍にいてくれるの前提でね」

「だったら大丈夫だよ。僕は雫の傍から離れないし、他の人を助ける時でも雫に意識は向けてるから」

「・・・・///」

 

 返事はなかったが、暗闇の中でも雫の耳が紅くなっているのは分かった。

 僕の腕をかき抱く力が強くなる。

 今の僕らに、言葉は不要だった。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 無言のまま。けれども、なぜか心地よい沈黙を味わいながら。

 夏特有の湿気の多い夜の中を、僕と雫は並んで歩くのだった。

 




感想、評価よろしくです!!
自分に絵心があったら挿絵描いてたのにと思う今日この頃。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚3

最近少しスランプ気味かも・・・
日常の話を山なし落ちなしで書くのって難しい。


「しっかし、蒸し暑いねぇ・・・これ、そんなにグイグイ引っ張るんじゃないよ」

「・・・・・」

 

 昼間の蝉に代わって、ジージーとクダマキモドキが鳴く夏の夜。

 白流市の郊外にある道を、老人が歩いていた。

 老人の手にはリードが握られており、一匹の柴犬が老人の先を進んでいる。

 日課の犬の散歩ではあるが、どうやら犬は老人を自分より格下と思っているようだ。

 

「ふぅ~・・・昼間はなんだか最近騒がしいけど、さすがに夜中は静かだね。お前の散歩も夜じゃないとやりにくいし、困ったもんだ」

「・・・・・」

「あ、こら。だからそんなに前に行くなって・・・」

 

 『さっきからウルセージジイだな』とでも言うような眼で老人の顔を一瞥すると、犬はすぐに前を向いて歩き始めた。その歩みは堂々としており、飼い主である老人が引きずられるように付いて行っているのを気にしている様子はない。

 そのまま歩き続ける一人と一匹だったが、そんな彼らの前にポツポツと立つ街灯の灯りではない、別の光が現れた。

 それは、田舎ならば目にする機会も多いであろう、ありふれたモノ。

 

「う~ん・・・今日もあんまり売れてないねぇ」

 

 老人は道端に無造作に設置された棚と、そこに置かれた野菜を見てため息を吐いた。

 老人が見ているのは野菜の無人販売所だ。素人が無造作に取り付けたのが丸わかりの蛍光灯に照らされており、夜間でも明るい。

 現在老人が歩いている辺りは老人の所有する畑が広がっているのだが、そこで収穫された野菜の一部を近隣住民へのおすそ分けと見た目が悪いモノの在庫処分を兼ねて打っているという訳である。

 まあ、老人の反応を見るに繁盛しているとは言い難いようだが。

 

「・・・・・」

 

 犬も小休止とばかりにあくびをしてから適当に小便でマーキングし、地べたに横になっている。

 近くには川が流れているので、ここは夏でも比較的涼しいためか、犬も休憩するつもりのようだ。

 老人がこの無人販売所に来るとしばらくは点検やら金の勘定やらで時間がかかるということを知っているのだろう。

 案の定、老人は棚をゴソゴソといじっては数と小銭を確認している。

 

「ん?」

 

 そこで、老人は怪訝な声を上げた。

 

「おかしいな?勘定が合わん。いや、それよりも・・・」

 

 この白流市は治安も良く、ここで野菜を買っていく者たちも無人販売所だろうが張り紙に書いたとおりの値段を置いていってくれる。

 売れゆきはともかくとして、今まで野菜が減った個数と、増えた小銭の額にズレが出たことはない。

 しかし、小銭を溜める缶の中身と今残っている野菜の数が合っていないのは事実であった。

 それだけならば、一人か二人が入れる額を間違えた可能性もあるのだが、問題は残った野菜の量だった。

 

「キュウリだけ、ごっそりなくなっておる・・・」

 

 棚の中にはナスやらトマトやらが少々萎びた状態で残っているのだが、一緒に入れておいたはずのキュウリだけがすべて消えていた。

 1本や2本がなくなっているぐらいなら小銭の額が合わないのもわかるが、これはいくら何でも無理がある。

 

「泥棒か?いや、金は持ってかれてないから、違うか?というよりも、なんでキュウリだけが・・・?」

 

 考えられるのは野菜泥棒だが、それにしては不可解な点が多い。

 泥棒なら金も盗んでいくだろうし、キュウリ以外の野菜には手が付けられていないのも気になる。

 もしかしたらよほどのキュウリ好きなのかもしれないが、そんな奇特な存在がいるのか?という疑念がわく。

 

「う~ん・・・これは一体なんなんだか」

 

 そうして老人が無人販売所の前で首をひねっていた時だ。

 

「・・・ワンっ!!」

「うおっ!?どうしたんだっ!?」

「・・・グルルルル」

 

 それまで退屈そうな顔で寝そべっていた犬がガバッと起き上がり、吠え始めたのだ。

 この犬は頭のいい犬で、彼我の実力差というものをよく理解しており、格付けを正確に行うというのを老人はよく知っていた。

 家に他の人間が来ても、大して強くもなさそうなら見向きもしない。

 そんな犬が、すぐ近くの茂みに向かって唸り声を上げている。

 

「な、何かいるのか・・・?」

 

 老人は、手を振るわせながら持っていた懐中電灯の灯りを暗闇の中に向ける。

 光に照らされるのは何の変哲もないただの草むらだけだ。

 

「な、何もいないじゃないか・・・」

 

 声を震わせつつも、老人は周囲を確認するが、ナニカがいる気配はない。

 聞こえるのは川のせせらぎの音だけ・・・

 

(いや、待て!!さっきまで聞こえてた虫の声は?)

 

 いつの間にか、うるささまで感じていた虫の声が、全く聞こえなくなっていた。

 それに気付くと同時に、急に辺りの空気が冷え込んだような感覚がする。

 心なしか息もしづらくなったような、圧迫感も感じていた。

 

「グルルルル・・・」

「な、何なんだ、一体・・・」

 

 犬はさっきから変わらずに唸り声を出し続けている。

 その唸り声に促されたように、老人としてもすぐさまそこを離れたいという想いで胸が一杯になっていった。

 

「と、とにかく。確認も終わったし帰るぞ!!とりあえず野菜泥棒がいるかもって、明日警察に・・・」

 

 『とにかくここから早く帰りたい』という表情で、老人は犬のリードを引っ張った。

 心の中の動きを表すように、その動きは荒っぽい。

 犬はなおも神経質に辺りの臭いを嗅ぎながら唸っていたが、草むらから何も出てくる気配がないためか、老人の手の動きに従って道の方に向き直って足早に進み始める。

 老人もそれに続くように道に出て、人通りのある方へと走り出そうとした瞬間。

 

 

--ガサッ

 

 

「っ!?」

 

 草むらが揺れる音がした。

 

「ワンッ!!ワンワンッ!!ワオォォォオオオオオンッ!!!」

 

 同時に、犬がそれまでに増して強く吠えたてる。

 まるで、すぐ近くに自分たちの『敵』がいるかのように。

 

(一体、一体何が・・・)

 

 そして、『見てはいけない』と体の奥底から叫んでいるのに、つい反射的に老人は振り向いてしまった。

 懐中電灯の灯りが、さっきまで何もいなかった茂みを照らす。

 そこには・・・

 

「クケケ?」

 

 ナニカがいた。

 光に照らされて、身体を覆うぬめりを帯びた液体が光っていた。

 反射光は全身から光っているが、特に頭部の辺りが強い。

 背丈は老人の腰の高さほど。人間の子供くらいの大きさ。

 しかし、ソイツの身体は緑色だった。

 そして、その顔は明らかに人間のモノではなかった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「クカァアアアアアアアアアアっ!?」

「ワオォォォオオオオオンッっ!!」

 

 老人が叫び声を上げるのと同じくして、ナニカの顔に付いた嘴からも怪鳥のような奇声が迸る。

 犬もパニックを起こしたように喉を震わせて吠えた。

 夏の夜に3つの叫び声が響く。

 

「・・・う~ん」

 

 そして、あまりに衝撃的な光景に、老人の意識はブラックアウトしていくのだった。

 

 

-----

 

「『白流市でUMA現る!?』か・・・」

「ここがそのお爺さん倒れた場所だね・・・なんか野次馬がいるよ」

 

 新聞の切り抜き記事を片手に僕が呟くと、雫が辺りを見回しながらそう言った。

 雫の言う通り、この川の近くの道にカメラやらスマホを持った人たちがウロウロしている。

 今が昼間だからというのもあるのだろうが、心霊スポットと同じようにこういった噂というのは人を集めるものなのだろう。

 しかし、だ。

 

「本当に大丈夫なの?雫。今は明るいし人はいるし、あんまり派手なことはできないよ?」

 

 普段僕たちのパトロールは夜に行っている。

 それは妖怪たちが夜に活発になるのもあるが、仮に戦闘になっても大きな騒ぎになりにくいというのも大きい。

 だが、今日の朝に市が発行している地方紙にあった、気絶して病院に運ばれたという老人の『キュウリがなくなった』だの『緑色の化物』がいた『犬は儂を置いて家に帰って寝てた』だののコメントを見て、雫は『よし、行くよ久路人』と家を出る準備を始めたのだ。

 昼間は雫の姿も他の人間には見えなくなるので、そこはありがたいが。

 

「大丈夫大丈夫!!この水の大妖怪たる雫さんに任せなさい!!」

 

 そんな不安げな僕に、雫は薄い胸をペシンと叩いて得意げな顔をする。

 その胸部とは対照的にどうやら自信が・・・

 

「・・・なんか言いたいことあるなら聞くけど?」

「なんでもありません」

 

 僕の視線に気づいたのか、胸を手で隠しながらじっとりした眼で雫は僕を睨む。

 この夏真っ盛りの時期に霜が降りたらUMA並みの騒ぎになるのは確実だ。

 

「夜には夢中で赤ちゃんみたいに吸い付いて来るくせに・・・まあ、いいや。久路人も知っての通り、私ってかなり格の高い水にまつわる妖怪だよね?」

「うん。それは知ってるけど・・・」

「そして、そのお爺さんが出くわした妖怪は、まず間違いなく『河童』に違いない」

「僕は見たことないけど、まあ、そうだよね」

 

 河童。

 それは小規模の穴、力のある個体ならば中規模の穴から出てくる妖怪だ。

 日本各地に様々な伝承が残っているが、それらはおおむね正解らしく、個体によって有する性質や気質が異なるのだとか。

 全身緑色で頭に皿があり、相撲とキュウリが好きというのは共通しているらしいが、キュウリが好きなのは水の神に捧げる代表的な供物というのは関係なく、単純に味が好みだからという。

 人間との関係は比較的良好というべきか、河童側から襲い掛かるようなケースは稀で、大抵は人間が瘴気のせいで怯えて追い払おうとするのがほとんどだ。

 川や池を住処にするが、忘却界が展開されている今の現世では霊脈が表出した場所や白流市のような特殊な結界に覆われた場所以外にはおらず、大半は常世に移っている。

 ・・・ここまでが僕の知る河童の知識である。

 

「そう!!それが河童だけど、ここで大事なのは川や池が好きな、水属性の妖怪だってこと」

 

 僕が河童について知っていることを言うと、雫は大仰に頷いてみせる。

 

「ところでさ。久路人って水辺で水属性の妖怪に襲われたことってないでしょ?」

「そういえばそうだな・・・川で襲われたことはあるけど、それだって小鬼とか他の場所で見かけるようなやつらばっかだったけど・・・もしかして、雫がなんかしてくれてたの?」

 

 これまで僕は多くの妖怪に襲われてきたが、水属性の妖怪に襲われたことはほとんどない。

 

「その通り!!妖怪っていうのは実力主義だからね。普通は力の強い妖怪がいたら近寄ってこないんだよ。特に同じ属性の霊力を持ってる場合は実力差が分かりやすいし・・・まあ、実力差も分からないような馬鹿は別だけどね」

「そうだったんだ・・・ありがとう、雫」

「いいのいいの!!それが護衛の仕事だもん。それに、これまでは久路人の神の力の影響が強すぎて水属性以外の妖怪には意味なかったしね・・・それで話を戻すけど、要は妖怪は縦社会で、中規模以下のやつらは同じ属性で格上のヤツには絶対服従するってこと」

「そうなると、雫がやろうとしているのは・・・」

 

 そこで、僕は雫がやろうとしていることに察しがついた。

 

「うん。夜中にここまで来るのは面倒くさいし、他の妖怪と戦ったら気づかれて逃げられちゃうし、今の内に『オハナシ』しよっかなって・・・倒れたお爺さんに目立った傷はなかったらしいし、殺しもしてないから、こっちも上に立つ者として命を取るまではいいかなって私は思うけど、久路人はどう?」

 

 今の僕らの目的は、この土地の平穏を守ること。

 暴れる妖怪は鎮圧し、そうでないならば静観する。

 今回の件だって、河童が人間に積極的に危害を加えるならば討伐、大人しいようならばまた人を驚かせないように注意をすることになる。

 前情報からすると後者の可能性が高い以上、雫の言うやり方で問題はないだろう。

 

「うん。僕もそれでいいと思うよ。それにしても、なるほど。だから霊力を抑えて昼間に来たんだね」

 

 今は僕も人外となって身体が頑丈になったので、雫ともども結界の保全や穴の抑制のために霊力を抑え込んでいる。

 これによって妖怪からも襲われなくなったのだが、これまで穴から出た妖怪にとっての撒き餌としては有効だったので一長一短かなと思っていた。

 しかし、雫の考えているように妖怪と交渉をする場合には今の方がいいだろう。

 

「それじゃあ早速行ってみよっか」

 

 雫はそう言うと、ふよふよと宙に浮きながら茂みの上を通過し、川の岸に降りる。

 僕もそれに続いて、周りの野次馬に見つからないように素早く草むらを通過した時には、雫は川の水に手を触れていた。

 そして、一言呟く。

 

『来い』

 

 

--キィン・・・

 

 

 その瞬間、一瞬だけ真冬のように冷たい風が吹き抜けた。

 それはいわゆる『言霊』だ。

 雫は声に己の霊力を乗せて、この周囲一帯に己の存在を知らしめたのである。

 すると・・・

 

 

--バシャァアンっ!!

 

 

「っ!!」

 

 

 大きな水音と共に、小柄な影が川の中から飛び出してきた。

 その影は勢いよく、まるで弾丸のように僕らの方に向かってきたが、僕らの足元にたどり着く前に川に盛大に落下する。

 

「クカッ!!」

 

 しかし、鳥のような声を一声上げると、影は落ちてきた勢いそのままに、水切りのように水上を滑ってこちらにやって来る。

 そして・・・

 

「お、お呼びでござっ、ごごご、ござっ、ございましょうかぁっ!!」

 

 実に見事なスライディング土下座を決めつつ、派手に嚙みながら、『河童』は雫にお伺いを立てるのだった。

 

 

-----

 

「さて、よく参ったと言いたいところだが・・・貴様にいくつか聞きたいことがある」

「へ、へぇ!!何でございやしょう!!なんでもお聞きくだせぇ!!」

 

 氷で作った椅子に足を組んで腰掛けながら、雫は川の中で土下座をする河童を見下ろしながら言った。

 その姿はまるで女帝、いや、女王様であった。鞭とか持っていたら様になりそうである。

 河童は頭の皿から水を零しながらも川底に顔を伏せているのだが、不思議とその声は聞こえていた。

 

「昨日の晩、この辺りを歩いていた老人が緑色の化物に会ったと聞いたのだが・・・それは貴様で相違ないな?」

「き、昨日の晩ですかい?・・・ああ!!間違いございやせん!!確かに人間のジジイと犬に出くわしやした!!すごい大声で叫ぶもんだから、あっしもハラワタが飛び出るかと思うくらい驚きやしたが・・・」

 

 まずは事実確認。

 予想通り、この河童が今UMA扱いされているヤツに間違いないようだ。

 一応、老人を驚かせたのはわざとではないみたいだが。

 

「ふん、そうか。やはり貴様で間違いないようだな・・・次の問いだ。貴様はいつこの地に来た?」

「へ、へぇ!!あっしがこの現世に来たのは、5日ほど前でございやす。常世におりましたら、目の前に穴が開きまして、つい・・・」

「5日前か・・・ここに来てからは何をしていた?」

「ここに来てからは、住処を探しておりやした。穴が開いたのがこの川の上の方なんでやすが、もっと下にいい場所はねぇかと、少しづつ降りてきたんでございやす。ここは常世に比べりゃ大物はいやせんが、それでも時折強いのと出くわしそうになったんで・・・」

「そうか・・・ならば、他の人間には会っていないのだな?」

「へ、へい・・・」

 

 雫の底冷えするような声で行われる詰問に、河童はプルプルと震えながら答える。

 その姿はどことなく憐れみを誘うものであったが、雫が意に介した様子はない。

 妖怪が縦社会というのは本当らしい。

 雫はその調子のまま、淡々と質問を続けていく。

 

「では次だ・・・貴様、人間の育てた野菜を盗み食いしたそうだが、それは真か?」

「は、はい?」

「それは僕も気になるな」

 

 その質問の答えは、僕も興味があった。

 それまでどこか蚊帳の外みたいな立ち位置だったが、そこで僕も会話に加わる。

 

「えっと・・・その、貴方様は?何やら、そこの御方と親しそうでありやすが」

 

 突然割って入ってきた僕が気になったのだろう。

 河童は頭を上げて僕の方を見た。

 恐らく僕が、雫と関わりの深い人物というのを察したのか、人間の姿にしか見えない僕にも態度は丁寧だ。

 その顔はどこか雀とかその辺の小鳥に似ていて、なんとなく愛嬌があった。

 

「貴様・・・!!誰が頭を上げていいと言った?あまつさえ、誰の許しを得て久路人を見ている?」

「ヒィッ!?も、申し訳ございやせん!!」

 

 しかし、絶賛パワハラ中の雫にとって、河童のその行動は腹に据えかねたらしい。

 ピキンと河童の周囲だけ川の水が凍り、頭を残して氷漬けになる。

 

「まあまあ、雫。落ち着いてよ。これじゃあ話もおちおちできないって・・・えっと、僕は月宮久路人で、こっちは水無月雫って言うんだ。僕は人間にしか見えないだろうけど・・・よっと」

 

 そこで僕は猛る雫をなだめて氷を溶かしてもらいながら、人化の術を解除して、角と尻尾を生やした半妖体になる。

 人間を止めて少し経ったが、精神的に昂っていなければ、この姿でも霊力を抑えられるようにはなった。

 河童は僕の姿を見て、嘴をパカンと開けて茫然としていた。

 

「く、黒い鱗の尾に、その角は・・・ま、まさか黒龍様ですかい!?」

「厳密には龍じゃないけど、見ての通り人間ではないよ。それで、君には名前ってあるのかな?」

「あ、あっしの名ですかい?あっしは、三郎と申しやす。字はありやせん・・・」

「そうなんだ。じゃあ、三郎さんって呼んでもいいかな?」

「も、もちろんでございやす!!というか、あっしごときに『さん』なんぞいりやせん!!ただの三郎で十分でさぁ!!」

 

 『なんか刑事モノで出てくる、飴役の刑事みたいになってるなぁ。もちろん鞭役は雫で』と思いつつ、僕は河童の三郎と会話を続ける。

 

「・・・・・じ~」

 

 隣からなんとなく面白くなさそうな雫の視線を感じるが、今の雫だとさっきより派手な鞭を出しそうなので、ここは僕に譲ってもらおう。

 

「わかったよ。なら三郎、さっきの質問なんだけど、君が人間の育てた野菜を食べたのは本当かい?」

「そ、それは・・・へい。こっちに来てからあまり食えるものがなくて、つい。その、旦那、あの野菜は食べちゃいけないものだったんですかい?あんなところに見張りもつけずに置いておくなんて、おかしいとは思いやしたが」

「え?」

 

 その三郎の答えに、僕はポカンとした表情になった。

 

「あ~・・・常世から来たばっかりじゃそりゃそうか。あのね、久路人。常世だと、多分今でも貨幣経済が浸透してないんだと思うよ。弱いヤツと強いヤツで、お金で取引しましょうなんて言っても聞いてくれないだろうし」

 

 そんな僕に、雫がどこか得意げな表情で助け舟を出した。

 なるほど、僕は常世に行ったことはないが、あそこは弱肉強食の世界だと聞いたことはある。

 力こそがルールというのがまかり通っているのならば、確かにお金に価値はあまりないだろう。

 

「それじゃあ、まあ、しょうがないのかな?そういうルールの存在を三郎は知らなかったわけだし。初犯だし。農家の人には僕が立て替えておくとして・・・あのね、三郎。現世の人間は、お金ってモノを使って欲しいモノを交換してるんだ。あれは、そのお金を払った人が持って行っていいものなんだよ」

「は、はあ、そうなんですかい・・・しかし、旦那、見張りを置いとかなきゃ、そのお金ってヤツを置いてかないで持って行っちまう奴らばかりになるんじゃ?」

「そこはまあ、信用っていうか、お金を払わずに持っていったのがバレたら罰を与える人たちがいるってみんな知ってるからね。だから普通はみんなお金を払うんだよ。三郎も今回は初めてだから見逃すけど、次はダメだからね?もしどうしても現世でキュウリが欲しかったら、まず僕らに相談するように。あと、人間に迷惑をかけるようなこともしないこと・・・よし、この鎖をあげるから、何かあったらこの街の一番強い結界のある家に来て。僕の作ったものを持ってれば門前払いはされないだろうから」

「へ、へい!!肝に銘じやす!!」

 

 僕が即席で黒鉄の鎖を作って渡すと、三郎は威勢のいい声でそう言うのだった。

 雫の話によれば、妖怪は上位の存在に頭が上がらない。

 こうして言って聞かせた以上、老人を驚かせた妖怪への対処は終わったと言っていいだろう。

 

「話はまとまったみたいだけど・・・おい貴様。貴様はこれからどうするつもりだ?久路人の作った品を受け取ったようだが、現世に残るのか?」

 

 一通りするべき話をし終えた後、雫が三郎の持つ鎖にじっとりとした視線を向けつつそう言った。

 ・・・なんとなく、三郎に渡したのが鎖でよかったと思う。これで腕輪とか指輪を作っていたら、色々と拗れていたような気しかしない。

 

「そうか。現世で住処を探してるって言ってたけど、常世に帰るって選択肢もあるのか。いや、そっちの方が真っ当か」

「うん。この街はほとんど毎日どっかで穴が開くんだし、近くで穴が開いた時に突っ込んでやれば帰せると思うよ」

 

 だが、雫の言葉に思わず僕は唸った。

 ほぼ初めてであった話の分かる妖怪だから自然と納得してしまっていたが、妖怪とは本来常世の住人。

 次に穴が開いた時にでも、常世に帰すという方法だってある。

 三郎に家族がいるのかは知らないが、元々の故郷に帰す方がいいのではないだろうか。

 

「そ、それは勘弁してくだせぇ!!奥方様ぁっ!!」

「お、奥方様・・・?それは妾のことか?」

「へ、へぇ!!月宮の旦那の奥方がと思ったんですが、違いやしたか?」

「い、いや。間違いではないぞ!!確かにまだ籍は入れていないが、もう数年で夫婦になる契りは交わしているからな・・・なんだ。中々見る目があるではないか、貴様」

(・・・雫、結構チョロいな)

 

 それまでどこか三郎に対して塩対応だったのが、今の一言だけで大分緩んだ気がする。

 彼氏として少々心配だが、それは後でゆっくり考えるとしてだ。

 

「勘弁してってことは、三郎は常世に帰りたくないのかい?」

「へ、へい・・・」

 

 さっき雫に氷漬けにされかけた時とはまた違う恐怖を顔に貼り付けながら、三郎はそう言った。

 その身体は相変わらず震えているが、さらに震えが強くなったように見える。

 

「今、常世には化物みたいに強い鬼がいるんでさぁ。そいつは、弱い奴も強い奴もお構いなしで殺しまくるんで、あっしも目の前で穴が開いた時にはこれ幸いと飛び込んだんです。アイツから逃げられるならって」

「常世にそんなヤツが・・・」

「おじさんは何も言ってなかったけどなぁ・・・」

 

 おじさんの話では、常世には七賢の内、第4位、6位のフィクス夫妻と7位の鬼城という人が担当しているらしい。また、現世と常世は異なる世界ではあるが地形などは一致しているらしく、特に穴が開きやすいエリアも共通している。現世でもかつて魔術の中心であったロンドン、そして八百万の神が住むと言われた日本は世界的に見ても不安定な地域で、フィクス夫妻は現世のロンドンに当たるエリア、鬼城さんは日本を受け持っているのだとか。東に一人、西に二人と偏りがあるが、逆に現世側では1位の『魔人』が西、東はおじさんとリリスさんが見て回ることでバランスを取っていると聞いた。

 そういう訳で、常世の日本で何か異常があればすぐにわかると思うのだが。

 

「そ、そいつは、突然消えたり現れたりする術を使えるんです!!好き放題暴れたらすぐに他の場所に消えたり、戻ってきたりで、動きが全然掴めないみたいなんでさぁ。正直、今の常世はどこにいてもあの鬼に襲われるかもしれねぇんで、もう戻りたくないんです」

「・・・その気持ちは、わからなくもないな」

「そういえば、雫も元々は安全に生きたいから現世に戻ってきたんだっけ」

 

 三郎の語る理由にどこか遠い眼をする雫。

 雫は現世の生まれだが、生き抜くための力を付けるために常世に向かい、大妖怪となるまでに強くなってから敵の少ない現世に戻ってきたという。

 そんな雫には、強敵から逃げてきたと言う三郎の境遇に共感できるものがあるのだろう。

 

「ならわかったよ。君は普通に話が通じる妖怪みたいだし、現世に残っていいと思う。おじさん、いや、この土地の管理をしてる人にも聞いてみるけど、断られないだろうから」

「まあ、ここに残るのなら、何か仕事はしてもらうことになるだろうがな。働かざるモノ食うべからずだ」

「あ、ありがとうごぜぇます!!荒事以外なら、何だってこなして見せやす!!」

 

 僕らがそう言うと、三郎は再び深々と土下座をして、感謝の言葉を述べるのだった。

 

 

-----

 

「これで一件落着かな」

 

 三郎が川に戻っていくのを見送ってから、僕らは川の畔に座り込んだ。

 

「考えてみると、力の強い大物以外で、あんなに話が通じる妖怪は初めてだったな」

 

 これまでは僕の周りには、僕の血を目当てに色んな妖怪が集まってきたが、三郎のように一切の暴力を介することなく会話ができたのはほとんどないような気がする。

 

「これまでは私も傍にいたし、久路人自身の霊力も凄い勢いで漏れてたから、知性はあるけど大人しいのは近寄ってこなかったからね」

「なんというか、新鮮な体験だったよ」

 

 今回の流れはほとんど雫というヒエラルキーのトップによる恐喝に近いとも言えるだろうが、三郎も危険な常世から逃れて、管理者公認で現世に住むことができるようになることを考えれば、あくまでこちら側の視点のみではあるが、悪い取引ではなかったんじゃないかとは思う。

 

「・・・また機会があれば、色んな妖怪と話してみたいかも」

 

 人間と妖怪の融和を目的とする学会の中では、『調停者』と呼ばれている役職の者がいて、今回のように人間に対して敵意を持たない妖怪が現世で生きていけるように妖怪どうしの住み分けや、現世での仕事の斡旋をしているらしい。

 まあ、普通は霊能者であっても瘴気の影響で嫌悪感は持つらしいので、妖怪と人間がなるべく接触しないように動いているとも聞いたが。

 いずれにせよ、彼らは妖怪と人間が争わないで済むように尽力している。

 

(将来は、そっちの道に行くのもいいかもな・・・)

 

 思えば、雫やリリスさんのような大物以外を除けば、妖怪と交渉するなど初めての事だったが、中々に達成感があった。

 今の僕は人間ではないが元人間なのは間違いないし、妖怪と人間が傷つけあわないような世の中になるのなら、それに越したことはない。

 

(帰ったら、おじさんに聞いてみよっかな。あ、そういえばさっきの話に出てきた鬼のことも・・・)

「えい」

「むぐっ!?」

 

 僕が考え込んでいると、頬に衝撃が走る。

 見ると、雫が僕の頬を指で突いていた。

 

「し、雫?どうしたの?」

「・・・久路人が、なんかよからぬことを考えてないかなって」

「・・・前に人助けしたときもそうだけど、雫も結構束縛強いよね」

「久路人にだけは言われたくない」

「心配しなくても、僕が他の妖怪と話すときは絶対に雫も連れて行くから」

「・・・ふんっ!!当たり前だよ」

「僕が一番好きなのは絶対不動で雫だから」

「っ!?・・・そ、そんなこととっくに知ってるよ」

 

 どうやら、雫は自分以外に僕が関心を向けることがお気に召さなかったようだ。

 まあ、僕も雫が僕以外に興味を持つようなことがあったら同じようなことになるから気持ちはよくわかる。

 

「それより!!せっかくお昼に川に来たんだからさ。ちょっと泳いでかない?」

「え?」

 

 そこで、耳を赤く染めた雫が、川の中に足を突っ込みながらそう言った。

 

「ほら。この川の近くは夏でも涼しいし、水も綺麗だし。それに、私の姿も昼なら他の人間には見えないしね?」

「そうは言っても、僕水着持ってきてないよ」

「そんなの、久路人だって私みたいに服を変えればいいじゃん」

「あ、そっか」

 

 今の僕は三郎と話した直後で半妖体のままだ。

 恰好は昔の日本軍の軍服のようだが、これも雫の霧の衣ようにある程度形を変えることができたりする。

 ついでに言えば、半妖体ならば普通の人間からも姿を見られなくなる。

 

「ほらほら、久路人も早く!!」

 

 ガシッと手を握られる。

 気が付けば雫を白い霧が包んでおり、晴れた時には、雫は黒いセパレート水着を纏っていた。

 白い肌に、水着の黒がよく映えている。

 

(そういえば、初めてのデートで水族館に行った時にも思ったな。雫と一緒に泳いでみたいって)

 

 あの時は、僕も雫の元の姿である蛇の姿になって泳ぐつもりであったが・・・

 

(まあ、これもいいな。雫と泳げるだけでも十分すぎるよ)

「わかった。今日は夕方まで泳ごっか」

「うん!!」

 

 そうして、僕は雫に手を引かれるまま、人外の身体能力のままに川を泳いで、水を掛け合い、夏の暑さを忘れたのだった。

 

 

-----

 

 

 そして数日後。

 

「『白流市に宇宙人の侵略!?宙を舞う水の謎に迫る!!』か・・・お前ら、正直に言え。これお前らだろ」

「「申し訳ありませんでした」」

 

 姿こそ見えなかったが、そのせいで空中を大量の水がひとりでに飛び交う光景が生まれたために、白流市に新たな未確認飛行物体のニュースが知れ渡ったのだった。

 

 




感想とか評価とか、読者様の反応お待ちしております!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚4

そろそろ4章もシリアス入るかな~
まあ、これまでみたいに久路人と雫のギスギスはないので書きやすいとは思いますが


「ん~・・・!!疲れた」

 

 クーラーのきいた図書室の中で、僕は大きく伸びをした。

 

「お疲れ様・・・なんか、夜にパトロールする時よりも疲れてない?」

「そりゃあね。身体が頑丈になったからただ戦うだけならなんでもないけど、普段やらないことをやると身体を使わなくても疲れるよ」

「夏休みの課題だっけ。えっと、数年以内の昆虫に関する研究論文のレジュメ提出で、論文は海外の掲載雑誌限定で3つは選択すること・・・面倒くさそう」

「うん。でも、これで2本目が終わったよ。来年研究室に入ったらこういうことを何度もやんなきゃいけないっていうのはちょっと憂鬱だなぁ」

 

 僕らがいるのは僕が通う大学の図書館だ。

 今の時代、論文の検索などインターネットでいくらでもできるのだが、家にいると色々と誘惑があるので、散歩がてら大学まで来たのである。

 周りを見れば、同じようなことを考えてきたのであろう学生の姿があちらこちらにいた。

 

「ふむふむ、『ハダニの食害と、それに誘発される揮発性物質による天敵の誘因』ね・・・うん、結構わかりやすくまとめられてると思うよ。専門用語の解説もしっかりしてるし」

「こういう時、雫がいると助かるよ。僕、こういう課題を見せ合うみたいなことする間柄の人いないし」

「ふふん!!これでもしっかり高校のテストとかセンター試験もこの大学のボーダーは越してたもんね!!そういえば、センター試験ってもうなくなるんだったっけ」

 

 僕が作成したレジュメを雫に渡すと、雫は少しの間それに目を通し、読みやすさや分かりやすさを評価してくれる。

 さっきまで僕は印刷した論文を読んでいて、その間雫は暇そうにしていたのだが、暇つぶしということで僕が分からなかった英単語を代わりに調べてくれたりもしていた。

 数百年前から生きる妖怪であるにも関わらず、雫は英語が得意なのだ。代わりに文系科目は苦手なのだが。

 ともかく、同じ学部にそこまで仲の良い知り合いのいない僕にとって、雫の存在は恋人だということを除いても非常にありがたい存在であった。

 

「さてと、それじゃあキリのいいところまで終わったし、そろそろ出ようか」

「うん。あ~、でも、また熱いところまで出るのは嫌だなぁ・・・ねぇ久路人、この辺、少し冷やしてもいい?」

「う~ん・・・自衛とかそういうの以外で力を使うのは止めといたほうがいいと僕は思うなぁ。ただでさえ、今はまだ結界が不安定みたいだし」

「それもそっか。それにしても、まだ霊脈が安定しないなんて、おかしいよね?」

「おじさんも、そこは変だなって言ってたよ」

 

 図書館を出て、日の当たる構内を歩く。

 話題に上がったのは、この街を覆う結界と、その動力源である霊脈のことだった。

 

「結界の崩壊や霊脈の暴走のきっかけは確かに僕らだったんだろうけど、それが2週間以上も続くなんて、おかしいってさ」

「どこか他の土地で、なんか事件が起きてるとか?」

「『何かほかに原因があるんじゃないのか?』とは言ってたけど、今のところ現世の忘却界がないところでおかしいことは起きてないらしいんだけどね。おじさんが前に日本中を周った時も異常はなかったみたいだし。今回は幻術対策も完璧だから、見落としはありえないって」

 

 僕が人間を止めた際の霊力の暴走で、この街にあった結界は崩壊し、周辺の霊脈も不安定になった。

 しかし、霊脈というのは大きな河の流れのようなもので、一時波が起ころうと、しばらくすれば勝手に収まるはずなのだ。

 それがここまで長期間にわたって継続するなど、早々あることではない。

 きっかけは僕たちだったのだろうが、どこかに僕たち以外で霊脈を乱し続けるナニカがある可能性が高いというのがおじさんの言だ。

 これまでも存在していたものが表に出たのか、僕らが起こした異常に呼応して新しく現れたものなのかはわからないが。

 

「でもこれでちょっとは肩の荷が下りたんじゃないの?久路人、ずっと気にしてたでしょ?」

「まあ、少しはね。でも、原因が僕たち以外だからって、まだまだ穴がそこら中に開いたりしてるんだし、放ってはおけないよ」

 

 雫の言う通り、僕はここ最近の穴の頻発や、それに伴う妖怪の跋扈に罪悪感を覚えていた。

 おじさんから、原因のすべてが僕たちではないと聞かされた時は少しだけ気が楽になったが、それでもこの街の人々が妖怪に襲われる可能性が高いのは変わらない。

 ならば、僕がやるべきこともまた変わらない。

 

「そういうところ、久路人って本当に真面目だよね・・・ま、久路人がその気なら当然私も手伝うよ。私も少しは責任感じるしね」

「うん。ありがとう・・・でも、今日は夜までまだまだ時間があるけどね」

「そうだねぇ・・・あ、久路人、食堂寄ってかない?暑いし、小腹が空いた感じもするし」

「いいよ。確かに、少しお腹も空いたし、何か適当に軽いの頼もうかな」

 

 改めてやるべきことを確認しつつ雫と歩いていると、ちょうど食堂の近くを通り過ぎるところだった。

 しばらく飲食禁止の図書館で課題をこなしていたので、喉も乾いているし、休憩がてらにちょうどいいということで、僕らは食堂で休んでいくことにした。

 

「そこそこ人がいるな・・・」

「お昼を自分で作るのが面倒っていうタイプかもね」

 

 夏休み中ではあるが、僕のように課題をやりにきたのか、サークル活動のためか、食堂の席は半分ほど埋まっている。

 それを尻目に、食堂の食券で雫の分も一緒に軽食を頼んでから、よく座る席に向かって歩く。

 雫は昼の間は他の人間には見えないので、会話をしながら食べるには少し目立たない席を選ぶ必要があるのだ。

 食堂の隅にある、普段人気のないテーブル席が僕らの定位置であり、普段の半分程度しか人のいない今ならば当然空いていると思ったのだが・・・

 

「あれ?」

「あ、人がいる」

 

 珍しいことに、僕らの定位置には先客が座っていたのだった。

 

 

-----

 

 その姉妹にとって、今のこの街は地獄だった。

 

「はぁ・・・」

「ちょっと比呂実、さっきから辛気臭いため息ばかっりしないでよ。こっちまで気分悪くなるじゃない」

「ご、ごめんなさい・・・で、でも、本当にどうしようって思ったら、つい・・・姉さんは」

「あたしに分かるわけないでしょ・・・何か考えがあったら、とっくにやってるわ」

「そ、そうだね。ごめんなさい・・・」

 

 大学の食堂にあるテーブルで、姉妹は昼食を食べていたのだが、テーブルの上にある皿はすでに空になっている。

 しかし、二人とも席を立つ様子はない。

 かといって、席に残って何かをするでもない。

 ただ、建物の外に出たくないと思っているかのようだった。

 確かに今は夏で、空調の整った食堂の外は少し歩いただけで汗ばむような陽気だが、二人の顔の暗さが、そんな軽い理由ではないと物語っていた。

 

「・・・本当に、なんなのよアレ。この街に来てからおかしなモノを見かけることはあったけど、最近は数が多すぎでしょ」

「う、うん。ここに編入したばっかりの時には、私たちのことなんか気にしてなかったみたいだったのに、最近は追いかけてくるし・・・」

 

 二人の悩みの種。

 それは、最近この街にはびこり始めた『化物』のことであった。

 二人は白流市の外にある大学に通っていたのだが、2年生になった時にカリキュラムの変更のために分校である今の大学に編入した。

 そして、この街にはおかしなモノがそこかしこにいることに気付いたのだ。

 だが、周りの同級生などに相談しても、『そんなモノは見えない』と返されるばかり。

 ただ、そういった変なモノは大抵ひとりでに動き回る石ころやら、手足の生えた果物のようなナニカといった、気持ち悪いが積極的に危害を加えてくるモノではなく、こちらから構わなければいつもどこかに去っていくのが常だった。

 元々怖い話は結構好きな方で、ネットの怖い話を読み漁っていた二人はそういった経緯もあって次第に慣れていき、近ごろにはほぼ気にしないようになっていたのだが、2週間ほど前に状況が変わった。

 街の中に出てくるおかしなモノの数が増えただけでなく、明らかにこちらに敵意を持ったようなモノが現れ始めたのだ。

 特に夜になると自分たちを殺しかねないような狂暴で強そうなモノが徘徊するようになり、二人はここしばらくはどちらかが見張りのために起きるようになっており、ろくに眠れていなかった。

 

「で、でも!!ここにいる時は、あんまり変なのが出ないよね。た、多分そういう場所が他にもあるんじゃないかな・・・」

「だとしても、どうやってそんな場所を探すのよ。昼の間にあんまりあいつらがいないところだって、夜になると出てきたりするのよ?いちいち試すようなことをしてたら、命がいくつあっても足りないわよ。この街の神社みたいな場所にもいるし、ここにだって、あたしたちがいつまでもいるわけにはいかないでしょ」

 

 二人がここにいる理由は、そこの席の周りにだけ、なぜか妙なモノが寄ってこないのだ。

 食堂の中にナニカが入り込んでくることはそこそこあるのだが、それでも今二人が座るテーブルの近くには寄り付かない。

 安息の地を求めて街の神社やらお寺やらを一通り巡った二人であったが、今のところ最も安全な場所はそこのテーブルなのだった。

 ただ、最初にここの存在に気付いても、睡眠不足で余裕がなくなるまでは、二人も近寄ろうとはしなかった。

 何故なら・・・

 

「姉さん。やっぱり、ここに前に座ってた人なら、何か知ってるんじゃ・・・」

「だ、ダメ!!それはダメよ!!あんなヤバそうなの連れてたヤツがまともなわけないでしょ!!」

 

 今よりもおかしなモノの数が増える前、二人は一度食堂で見たのだ。

 正真正銘の化物を。

 

「白い着物に、真っ赤な眼・・・地面から浮いてたし、周りがなんか寒かったけど、そんなのよりも、アレには近づいちゃダメ!!ううん、近づきたくない!!理由はわからないけど、アレに関わっちゃだめ・・・」

 

 ソレは、街で見かけるモノよりも、見た目はずっとまともだった。

 抜けるような白い肌に、整った顔立ち。

 恰好は古風な着物だったが、少なくとも外見だけなら恐ろしいモノではなかった。

 だが、ソレは異様だった。

 単純な姿かたちではない。ソレの身に纏う雰囲気は、今までの人生で味わったことがないほどに禍々しいモノだったのだ。

 さらに、ソレから放たれるこの世の汚物を集めて煮詰めたような悪臭は、嗅いだだけで明らかに有害であると察せられるほどで、死を連想させるものだった。初めて遭遇した時にはよく気絶しなかったものだと内心自分たちを褒めてやりたいくらいだ。

 一言でいうのならば、一度その存在を知ったのならば絶対に二度と関わりたくないと心の底から思うほどの、まさしく『化物』であった。

 その化物の傍には人間が一人いたが、正直その化物の印象が強すぎてよく覚えていない。

 しかし、あんな化物と一緒にいられるようなヤツが普通の精神をしているとはとても思えなかった。

 

「け、けど!!ここにいても同じだよ!!ここはあの人たちが座ってた場所なんだから、もしかしたら戻ってくるかもしれないんだよ?どうせ会っちゃ、うん、なら・・・・・」

 

 今後のことについて、喧嘩になりそうな雰囲気で話し合っていた二人だったが、『比呂実』と呼ばれた妹の方が不意に言葉を止めた。

 その顔は文字通り顔面蒼白と言えるほどに青白く、脂汗が噴き出ている。

 

「?いきなり黙って何よ?どうしたのよ?」

「あ、う、う、うし、後ろ・・・」

「後ろ?後ろが何だって言う、の・・・ヒッ!?」

 

 そんな妹の様子を不審に思い、怪訝な顔をする姉は妹に問いかけるが、返事はろくに舌の回っていない言葉と震える指だった。

 今が昼間であることと、そこが安全な場所であるという認識があったのもあるだろう。

 姉は妹の指差す方向を反射的に見た。

 そして、小さく悲鳴を上げた。

 

「えっと・・・僕に何か用ですか?」

「いきなり人を指差すなんて、礼儀のなってない連中だな」

 

 そこには、今まさに話題に上がっていた、こちらに絶対零度の視線を向ける『化物』と、そんな化物を連れた頭のおかしい男がいたのだから。

 

 

-----

 

「僕の名前は月宮久路人。ここの農学部の2年生です」

「見えているようだから名乗ってやるが、妾は水無月雫・・・久路人の彼女にして婚約者、今の時点で実質妻のようなものだ」

 

 食堂の4人掛けのテーブルで、僕らは対面に座る女子に自己紹介をした。

 僕は至って普通の口調で。

 雫はいつも以上に僕との距離を詰めながら、どことなく棘のある口調で。

 

「・・・ふんっ」

 

 鼻を鳴らしながらも、雫は僕の腕をぐいっと取って肩にもたれてきたが、これは雫なりの牽制なのだろう。

 相手は恐らく霊力を持った、可憐という言葉の似合うような女子二人。

 普通の人間にとっての非日常で、僕らにとっての日常に踏み込める同性とあらば、雫が警戒しないはずもない。

 性別が逆だったら、僕だって同じような行動をとる確信がある。

 

「あ、あのっ!!、わ、わたっ、わらひはっ!!」

「・・・・・」

 

 僕たちに応えようと思ったのだろう。

 二人の内、髪が長い方の子が自分の名前を名乗ろうとして、咬みまくっていた。

 もう一人のボブカットくらいの子は顔面蒼白のまま震えており、とても挨拶ができそうな様子ではない。今すぐ病院に行った方がいいのではないだろうか。

 

「そんなに焦らなくても、ゆっくりで大丈夫ですよ」

「ご、ごめっ、ごめんなさい!!・・・ふぅ~、はぁ~・・・あ、改めまして、わ、私は、物部比呂実(もののべひろみ)っていいます。理学部の2年です」

「物部さんですね、わかりました。えっと、では、隣の方は?なんか顔つきが凄くよく似てますけど、もしかして双子ですか?」

「っ!?」

 

 ロングヘアの大人しそうな女子、物部さんがつっかえながらも自己紹介をするが、隣に座る整った顔立ちをした、髪型以外瓜二つの子は黙ったままだ。

 僕がそちらに視線を向けると、ビクッと震え、目を伏せてしまった。

 

「そ、そうなんです。こちらは私の双子の姉で・・・ね、姉さん、ほら」

「・・・も、物部比呂奈(もののべひろな)

 

 姉さんと呼ばれた子が促されて、やはり震えたままだったが、ボソリと呟くように名前を名乗った。

 視線は一度もこちらに向けられていない。

 

「物部比呂奈さんですか。あの、どっちも物部だと、呼ぶ時はどうすれば?」

「な、名前で大丈夫です。私たち、よく一緒にいるので、他の人たちからも区別がつくように名前で呼んでもらってるので・・・」

「・・・・チッ」

「わかりました。なら、比呂実さんと比呂奈さんって呼びますね。それで、僕らのことを知っているみたいでしたけど、何かありましたか?」

 

 僕が他の女子を下の名前で呼ぶことが気に食わなかったのだろう。

 雫が不機嫌そうに舌打ちをして、僕の腕を掴む力が強くなったが、それには触れずに問いかける。

 自己紹介だけでも大分時間がかかってしまったが、僕らがこうして向かい合って座っているのは、僕らの定位置に座っていた彼女らが、僕らのことを指差して固まっていたからだ。

 明らかに僕と、普通の人間には見えない雫に対して反応を示しており、何か用でもあるのかと思ったのだが、二人はただ口をパクパクと開け閉めしながら震えるばかり。

 昼にも関わらず雫が見えていることもあったが、その様子を見てただ事ではないと思い、少々強引だが対面に腰掛けたという訳である。

 なお、その間雫はずっとしかめっ面をしていた。

 

「そ、それは・・・」

 

 本題について聞くも、比呂実さんは俯いてしまった。

 隣の比呂奈さんに至っては、さっきから下を向いたまま肩を震わせるばかりで会話もできそうに・・・

 

「・・・よ」

「え?」

「ね、姉さん?」

 

 そこで、震えてばかりだった比呂奈さんが、ボソリと何かを呟いた。

 

「いい加減にしてよ・・・全部、全部お前らのせいなんでしょっ!?」

「へ!?」

「ね、姉さんっ!?」

 

 かと思いきや、突然ヒステリックに叫び始めた。

 

「この街におかしなモノがいるのも!!あたしたちが狙われるのも!!全部、全部全部お前ら化物のせいなんでしょっ!?」

「ね、姉さん!!落ち着いて!!」

「うるさいっ!!あんたも何こんなのと普通に話してんのよ!!あたしたち、いつそこの女に殺されるかわかんないのよっ!?そっちの男だってそんなのの彼氏とか言われてて、信用できるわけないでしょ!?」

 

 比呂実さんがなだめようとするも、比呂奈さんは増々ヒートアップするだけだった。

 というか、いきなり大声を出すものだから、周りの席に座っていた人たちも怪訝な顔をこちらに向けている。

 これはちょっとまずい。

 

「・・・うるさいぞ」

「「・・・っ!?」」

 

 僕が『さて、どうしたものか』と内心で困っていた時、雫が一言口にした。

 その瞬間僕らの座るテーブルだけに霜が降り、比呂奈さんと、巻き添えを喰らったかのように比呂実さんもピタリと動きを止める。

 

「さっきからキンキンと甲高い声で喚くな。不愉快だ。妾はともかく、久路人に不快な叫び声を聞かせるなよ痴れ者が」

「「・・・・・!!」」

 

 僕の肩にもたれたまま、けれども不機嫌そうに雫は続ける。

 そんな雫に、二人はまさしく蛇に睨まれた蛙ように一切の身動きが取れなくなっていた。

 そんな様子を少しの間、雫はじっと見ていたが、やがて視線を逸らして『はぁ・・・』とため息を吐いた。

 

「・・・久路人」

「・・・わかった」

 

 そして、一瞬だけ僕の方に視線を向ける。

 『私に任せて』と言うことだろう。単に僕と他の女性が口を利くのが嫌なだけかもしれないが。

 僕は小さく頷いて、雫に任せることにする。

 

「いきなり不躾に指差してきたことといい、ヒステリックに喚きだしたことといい、正直妾としてはお前たちは気に食わん。しかし、そっちのお前の言ったことは間違ってはいない」

「「え!?」」

 

 雫が雰囲気をやわらげたことか、それとも雫の告げたことが衝撃的だったのか、怯えて動けなくなっていた二人は思わずと言うように声を上げた。

 

「とはいえ、すべてが妾たちのせいという訳ではないぞ。この街に妖怪が一時多く現れたのは妾たちが原因だが、今もそこらをうろついているのは別の何かのせいだ。妾たちが呼び寄せてしまった連中はほとんど倒してしまったし、そもそもお前たちが狙われるのは、お前らに霊力があるからだ」

「れ、霊力?私たちに、その、ま、漫画とかみたいな不思議な力があるってことですか!?」

 

 比呂実さんが、食いつくように聞いてきた。

 ガッ!!と身を乗り出して、近づいて来る。

 

「えっ?それは・・・」

 

 雫ではなく、雫がもたれかかっている僕の方に。

 

「そ、そっちのヤツが言ったことって、どういう意味?あたしたちが襲われなくなるには、どうしたらいいの?」

 

 比呂奈さんもまた、一瞬雫の方を見てから、すぐに僕と視線を合わせてそう言った。

 二人とも、その眼が言っていた。

 

((そっちとは話したくない!!怖い!!できればどっか行って欲しい!!))

 

 河童の三郎もそうだったが、僕と雫がペアでいると、雰囲気的に大抵僕の方に会話のベクトルが向くのはもう仕方がないのかもしれない。

 雫を僕以外にあまり見られたくないと思う僕としては歓迎すべきですらある。

 だが、この場においてソレは悪手である。

 

「・・・貴様ら」

「「ヒィッっ!?」」

 

 ビキビキとテーブルの上に降りた霜を、霜柱に成長させながら、雫が低い声を出す。

 

「せっかくこの妾が寛大にも話をしてやっているというのに、その態度は何だ?あまつさえ、その眼・・・貴様らにどんな権利があって、妾と久路人を引き離そうとしている?ああ?」

「し、雫・・・」

「「・・・・・っ!!!!!!!」」

 

 目に見えるんじゃないかと思うほどの濃密な怒気をほとばしらせて、雫がひと睨みすると、二人は再び動けなくなっていた。

 

(なんというか、まあ無理もないというか・・・雫の毒気全開ならこうなるよね)

「「・・・・・!!!!!」」

 

 雫は僕以外のすべてにとって、本人の好感度による程度もあるが存在そのものが毒だ。

 ましてや、この二人はまず女性という時点で大幅にマイナス補正がかかり、そこに霊力を持っていることや僕の方に話しかけてくるなどで雫の怒りを買っている。

 さすがの雫も命を取る気はないようなのでこれでも加減しているのだが、それでもろくに異能の力に関わってこなかった人間に耐えられるはずもない。

 しかし、これでは話が進まない。

 

「ほら雫、落ち着きなって」

「む!!でも久路人!!こいつらが・・・!!」

「わかるけど落ち着いてってば。ほら」

「わっ!?く、久路人?」

 

 猛る雫をなだめるも、ヒートアップした雫は中々止まらない。

 だが、僕がしなだれかかって来る雫を僕の真正面に招き、後ろから包み込むように抱きしめると、驚きながらも怒りを鎮めたようだった。

 

「ほらほら、リラックス、リラックス」

「あ・・・はふぅ~」

 

 そのまま雫の肩をポンポンと軽く叩いていると、驚いていた雫も段々と和んできて、すぐに蕩けたような表情になって僕に寄りかかって来る。

 

(ま、これなら大丈夫かな・・・)

「じゃあほら、続き続き」

「ん。わかった・・・ふむ、どこまで話したかな?お前たちが霊力を持っているとかいうところだったか?」

「え?あれ?」

「う、動ける?」

 

 突然その身に襲い掛かっていた重圧が消えたためか、二人は驚いたように自分の身体を見回していた。

 

(雫が毒だっていうなら、僕は薬だからね)

 

 僕以外の全生物に毒な雫だが、その毒気を中和する方法が一つだけある。

 それは、毒の反対である薬としての性質を持つ僕だ。

 僕と雫が肉体的、精神的に超至近距離にあり、かつ二人ともにリラックスしている時のみ、雫の毒気は大幅に薄まるのだ。

 簡単に言うと、僕と雫がお互いを深く想い合い、くっついて和んでいる状態である。

 なお、夜の運動会中はお互いハッスルして、肉体と精神と霊力的な分泌物が色々出るので、むしろ危険だったりする。

 

(・・・だいぶ思考がそれたけど、これで大丈夫なはず)

「お前たち、聞いておるのか?」

「あっ!!ご、ごめんなさい!!聞いてます!!」

「聞く!!聞くから殺さないでぇっ!!」

「あ~、そんなに怯えずともよい。別に妾にお前たちをどうこうするつもりはないからな・・・久路人に色目を使わん限りは」

「だ、大丈夫です!!絶対にそんな気は起こしませんから!!」

「あ、あたしも!!全然タイプじゃないし!!」

「うむ。それでいい。久路人のことを愛しているのは、この世で妾だけで十分だからな・・・そうそう、それで霊力についてだが・・・」

(・・・まあ、大丈夫そうだしいいか)

 

 別に雫以外の女の子にどう思われても気にしないが、なんとなく釈然としなかった。

 そんな僕を尻目に、毒気を中和した雫は二人に最近の状況について説明するのだった。

 

 

-----

 

「・・・という訳だ。今この街は向こうの世界から妖怪どもが侵入しやすくなっていて、お前たちのように霊力を持っている人間は良質な餌として狙われやすい。霊力が生命力や精神力に由来する故に、妖怪に対して恐怖でも関心でも、なんらかの感情を向けている場合は特にな」

「そんなことになってたの・・・なら、妖怪について考えないようにするとか、無視するのがいいのね」

「私たちが霊力を持っているのは生まれつきなんですね・・・なんか超能力みたいの使えると思ったんですけど、使えないのはちょっとショックかも」

「妖怪への対処はそれで問題ない。霊能力についても、お前たちくらいの霊力量では大した術は使えんな。むしろ、下手に術を使おうとする方が狙われやすくなるぞ。そこも気にしないほうが無難だな。生兵法は大怪我の基だ」

 

 そうして、一通り雫は話を終えた。

 物部姉妹も最初はおっかなびっくりだったが、瘴気のない雫は存外に話しやすかったらしく、次第に普通に会話ができるようになっていた。

 雫もまた話している内に二人のことが心配になったのか、説明も丁寧で、聞かれたことにはしっかりと答えていた。

 雫は、僕が絡まないことでは見ず知らずの人間でもそこそこ寛容な方なのだ。

 なお、会話の最中には、僕は一切喋らず、雫の頭を撫でていた。

 不用意に僕が女子と喋ると、今のようにくっついていても雫の機嫌が急転直下するのは目に見えている。

 

「でも、今妖怪がたくさんいる理由はわからないのよね?原因は、最初はアンタたちだったけど今は違うって言うし・・・それは、解決できるの?」

「そこは、今は確かなことは言えんな。ぬか喜びをさせてしまうかもしれんし。だが、この街を管理する術者は優秀だ。そう遠くないうちに結界の安定化まではできるだろうよ。そうなれば、夜でも襲われることはあるまい。原因の根本的な解決については、まだ目途は立っておらんがな」

「そう遠くないうちに、ですか・・・それは、いつくらいになりそうです?今はまだ夏休みだからいいですけど、もしも後期が始まるまで続いたら、その、ちょっと困るというか」

 

 雫の話を聞き終えた物部姉妹だったが、事情は理解できても、解決が早期にはできないと知ったからだろう。

 比呂実さんは不安そうな顔をしながら雫に対策を尋ねていた。

 日常的に妖怪に襲われる経験は僕にもわかる。

 まだ戦えるようになる前には、日々うっとおしい想いをしたものだ。

 ましてや彼女たちには僕とは違って頼れる護衛もいない。

 その恐怖まで理解してあげられるとは言えないが、さぞかし恐ろしいだろうし、不安だろう。

 

「すまんが、そこもなんとも言えんな。だがまあ、原因の一端が我らにもある以上、補填はしよう・・・ほれ、妾の使い魔を付けてやる」

 

 そんな彼女たちに感情移入したのか、それとも自責の念からか、雫は最近使えるようになった使い魔作成の術で、水の蛇を作っていた。

 

「わっ!?水の蛇!?」

「す、すごい!!これが術!!」

「ふふん!!小さいが、そこらの妖怪には簡単に勝てるぞ。万一勝てないようなのがいたとしても、すぐに妾に伝わるからな。その時は我らが飛んでいこう。安心して夜も寝ているがいい」

 

 初めてちゃんとした形で異能の力を見た物部姉妹が、興奮したような声を上げるのを、雫はどこか得意げに見ていた。

 なんというか、初めて会ったころの雫もこんな感じだったと、少し懐かしい気分になる。

 あの頃の雫は、自分ができることや知ったばかりのことを見せびらかすのが好きで、よくドラマの流れについてネタバレされたものである。

 

「そいつは水属性だが、火と風も使える。夏は冷房、冬は暖房もこなせるぞ。まあ、持続は精々3日かそこらだろうが、それだけあれば霊力を封じる道具が調達できる。用意ができたらそいつを介して知らせよう。その時は、もう一度ここに来るといい。今日のところでできるのはここまでだな」

「は、はい!!ありがとうございます!!」

「あ、ありがとう・・・最初は、怒鳴っちゃってごめんね」

 

 身の安全を保障し、僕が昔使っていたような護符を渡す約束を交わしてから、今日はお開きということになった。

 

「気にするな。さっきも言ったが、原因には我らも無関係ではない。まあ、久路人のことを悪く言っていたら許さなかったがな」

「・・・その、さっきから思ってたんですけど、お二人とも本当に仲がいいんですね」

「人間のカップルでもアンタたちくらいイチャついてるのはいないと思うわ・・・」

「うむ!!妾と久路人はもう夫婦のよなものだからな!!というか、久路人からプロポーズされたからな、妾」

「そ、そうなんですか?」

「今は普通に話せるけど、最初に見た時みたいな雫さんに告白できるって、度胸あるのね・・・って、ごめん!!もう月宮君のことは見ないから睨まないで!!」

「・・・・・」

「・・・ふん」

 

 去り際に、相変わらず雫の頭を撫で続ける僕に、感心したかのような、呆れたような視線を向ける。

 だが、得意げでニコニコと笑みを浮かべていた雫の目つきが一瞬で鋭くなったのを見て、二人は慌てて僕から視線を逸らす。

 そんな二人の様子を、雫はしばらくじっとりした雰囲気で眺めていたが、やがて鼻を鳴らすと警戒を解いた。

 

「この街で心穏やかに長生きしたければ、あまり久路人に妙な眼をむけないことだな・・・お前たちに付けた使い魔が、妾の作ったモノだというのを忘れるなよ?」

「は、はい!!肝に銘じます!!」

「じゃ、じゃあ、あたしたち、もう帰るから!!」

「ああ。気を付けてな。護衛がいるとはいえ、あまり人気のないところには行かん方がいいぞ」

 

 そうして、今日最初に会ったときのように怯えながら物部姉妹は去っていった。

 

「ふぅ~・・・久しぶりに久路人以外の人間とこんなに話したかも」

「お疲れ様、雫」

 

 二人を見送った後、僕はしばらく閉じていた口を開く。

 確かに雫の言うように、雫が僕以外とここまで長話をしていたのは初めて見るかもしれない。

 

「ん。私頑張ったよ。ご褒美にもうちょっと撫でて」

「はいはい・・・でも、本当に珍しいよね。雫が僕やおじさんたち以外でこんなに喋ったの」

「まあね~・・・今まで私のことが見える人間とあんまり会わなかったもん。他の霊能者の連中は白流市に入ってこれなかったし」

 

 雫を見ることができて、かつ普通に話し合いができる相手というのは、ほとんどいない。

 大抵の妖怪は雫を見ると逃げるか襲い掛かるかの二択であり、人間で雫を認識できる者もいなかった。

 僕としても、霊能者の一族以外で霊力を持った人間に会うのは初めてだ。

 

「ごくまれに、突然変異みたいに霊力を持って生まれてきたり、穴の近くで暮らして後天的に霊能者になる人もいるって聞いたことはあったけど、本当にいるものなんだね」

「忘却界ができる前には結構いたけどね。今の時代は忘却界の中だと霊力に触れる機会もないだろうし、あの二人みたいに実は霊能者だけど気付いていないってパターンもあるかもね。特にあの二人は力も弱かったし・・・そういえば、あの二人ってどうやって白流市に入ってきたんだろ?霊能者って弾かれるんじゃなかったっけ?」

「さあ?おじさんのことだから、物部さんたちみたいに自覚のない人たちのために何か仕込んでたんじゃないかな?それか霊力の量とか?」

「京なら確かにその辺のことも考えてそうだしね・・・どのくらいあの二人みたいな人間がいるのかは知らないけど」

 

 今の現世は人外の力や穴の発生を抑制する忘却界が広く展開されており、ほとんどの人間は異能の力を創作の中だけに存在するものと思い込んでいる。

 昔はそこら中に今の白流市のように穴が開きまくっており、世界に満ちる瘴気の量が多かったために霊能者も珍しいものではなかったらしいが、今ではそういった一族でもない限り人外を認識できるほどに霊力を持っている人間は激減したとおじさんは言っていた。

 雫の言う通り、霊力があっても自覚のない者だっているのだろうが。

 

「まあ、忘却界が『異能の力なんて存在しない』って認識を集めて展開してるようなモノだからね。自分が霊能者だって気付かれたらむしろ困っちゃうよ」

 

 今の現世の平和は、忘却界があってこそのものだ。

 そうホイホイと霊能者が溢れてしまっては、忘却界ごとその平穏も崩れてしまうだろう。

 

「というか、術を犯罪に使う人間とか出てきそうだしね」

「あ~・・・いるかもね。学会はそういう人間も取り締まってるらしいけど、忘却界の中だと派手なことはできないだろうしね」

 

 人間と妖怪の融和を目的とする学会は、霊能者の犯罪を裁く機関でもある。

 忘却界の外に別の結界を張っている霊能者の一族などには、定期的に監査役を送っているという話だ。

 白流市だと、学会幹部のおじさんとその護衛たるメアさんが治めているために免除されているとのことだが。

 

「そう考えると、今の私たちって学会の仕事に近いことやってるのかな?犯罪者じゃないけど、さっきの二人の相談とか、この前の三郎のこともだけど」

「かもね。まあ、僕としては嫌いじゃないけどさ」

 

 三郎の時も思ったことだが、まっとうな感性をもった妖怪が安心して暮らせるようにすることも、物部姉妹のような人間たちが妖怪に怯えないように過ごしていけるようにすること、どちらもやりがいのある仕事だ。

 

「って、大分時間が経ってるな。もうすぐ夕方だよ」

「あ、本当だ。どうする?このままパトロール行く?」

「う~ん・・・さすがにこの課題を持ったまま行くのはなぁ・・・いったん戻ってもいい?」

「ん。大丈夫だよ」

 

 そこでふと時計を見ると、もう時計の針は4時を指していた。

 最近は少しづつ日も短くなってきたことだし、そろそろ僕らもここを離れた方がいいだろう。

 夜になったら、今日も暴れる妖怪を退治することになるのだから。

 

「じゃあ、帰ろうか」

「うん!」

 

 そうして、僕らはオレンジ色に染まり始めた空の下を、自転車に二人乗りして家路につくのだった。

 

 

-----

 

 

「・・・あ~あ、な~んかつまんないな~」

 

 そこは、薄暗い部屋だった。

 ベッドの上で、安っぽいコスプレをした少女が横になり、プラプラと足を動かしながら、手に持ったスマホで動画を眺めている。

 その動画には、まさに今の恰好をした少女が、道化のようにおどけながら踊る姿が映っていた。

 動画の中の少女は踊りを終え、トークに移る。

 その内容は巷にあふれる都市伝説を題材にしたもので、噂に真実味を持たせるような内容だった。

 話が進んでいくにつれ、かき込まれるコメントの数が瞬く間に増えていく。

 『俺もその話知ってる!!』とか、『それデマだよ』とか、『俺、本当に見たことある・・・』など、少女に肯定的なものも、否定的なものも、果ては嘘かどうかわからないものまで。

 

「ちぇ~。どれもこれも嘘くさ~い」

 

 しかし、コメントを流し読みする少女の顔は浮かないままだった。

 さっきまで見ていた動画を閉じて、これまでに投稿した過去の動画一覧を開く。

 

「最近は動画の伸びはいいけど~・・・それだけじゃ意味ないし~」

 

 ゴロゴロと寝転がりながら、少女は動画の再生数やコメント、お気に入りをチェックする。

 その数字は動画投稿者の中では中々のもので、ここしばらく右肩上がりに増えてはいるが、少女の顔は退屈そうだった。

 まるで、自分の用意したクイズで、全員がひっかけに騙されて、正解にたどり着いた者がいなかった時の出題者のように。

 自分が本当に気付いてほしいこと、伝えたいことに、気付いてもらえなかったアーティストのように。

 

「む~・・・やっぱ、つまんな~い」

 

 やがて数字を目で追うのにも飽きたのか、少女はスマホをポイッと放り投げた。

 そしてそのスマホは・・・

 

「う゛う゛・・・」

 

 薄暗い部屋の中で、逆さづりにされた男の身体に当たった。

 硬質なモノが突然身体に当たったことで、男からうめき声が漏れる。

 男は、その顔に目隠しと猿轡がかまされているが、それでも顔立ちが整っているとわかるほどの端正な顔立ちをしていた。

 顔には隠すモノを着けているものの、服は何も身に着けていない。

 筋肉質な身体には汗が滲んでおり、床には汗の垂れた跡が水たまりになっていた。

 

「あ、忘れてた。そういえば君がいたね」

「う゛あ゛・・・」

「あ~ごめんごめん!!今それ外すからね」

 

 全裸の男が部屋の中で逆さづりされているという異様な光景だったが、少女がそれを気にする様子はない。

 今も、まるでペットの犬のリードを外すかのような気軽さで、男の顔から目隠しと猿轡を外す。

 そして、少女がパチンと指を鳴らすと、男を吊り下げていてた幾本もの細長い糸が一斉に切れて、男の身体が床に鈍い音を立てて落ちた。

 

「それで、気分はどう?身体は痛くない?」

 

 自分の事をマリと呼んだ少女は、倒れ込む男の傍で座り込んで、その顔を覗き込んだ。

 その表情は、ごく普通の少女が体調の悪い人を心配するときのように慈しみに満ちたものだったが・・・

 

「ヒィッ!?」

 

 すぐ近くに迫ったマリを見て、男は情けのない悲鳴を上げた。

 そしてすぐさま床を這って逃げようとする。

 少しでもマリから距離を取ろうと言うかのように、己の爪が剥がれるのにも構わず、床を叩いて自分の身体を押す。

 そのまま、薄暗い部屋の唯一のドアに向かって、進んで・・・

 

「あ、ちょっと待ってね」

「あがっ!?」

 

 ドアに手が届く寸前で、男の身体を再び細長い糸が絡めとった。

 

「別にこの部屋を出ていくのはいいんだけどさ、その前に聞きたいことがあるんだ」

「・・・・・!!」

 

 今度は立ったままの姿勢で吊り上げられた男だったが、その身に起きた理解不能な現象か、目の前の少女か、はたまたその両方が原因なのか、その瞳には恐怖しか映っていなかった。

 そんな男の様子を知ってか知らずか、マリは笑顔のまま問いかける。

 

「ねぇ、マリのこと好き?愛してる?」

「あ、ああ、あ・・・」

 

 だが、男はあまりの恐怖のためか、ろくな返事ができていなかった。

 ただただ、舌がもつれるばかりである。

 

「あはっ!!そんなに怯えなくても大丈夫だよ。ゆっくり、落ち着いて?・・・もう一度聞くよ?マリのことは好き?」

「あ、愛してます!!」

 

 しかし、マリがそんな様子の男をいたわるように少しだけ待ってから問うと、男は追い立てられたように答えた。

 

「え!?本当!?私のこと好きになってくれたの?」

「は、はい!!お、俺は、貴方のことが好きですぅ!!」

「そうなんだ!!嬉しいな♪ねぇ、それってさ・・・」

 

 男の返事を聞いて、マリの整った顔に花が咲いたような笑顔が浮かぶ。

 恐怖に引きつった男の顔とは対照的に、まさしく恋が実った乙女のように、マリは無邪気に喜んだ。

 そして、さらに男に顔を近づける。

 

「あなたの恋人よりも?」

 

 いつの間にか拾い上げたスマホの画面を見せながら、そう聞いた。

 そこには、仲睦まじい様子で笑う男と、マリではない少女が映っていた。

 しかし、男は顔を青白く染めながら口を開く。

 

「は、はい!!貴方が!!その女よりも、貴方が好きです!!」

「ふふ!!そうなんだ?へぇ~、そうなんだ?ふふ、ふふふふふ!!」

 

 それは、肯定の言葉だった。

 内心はどうあれ、マリという少女を受け入れる言葉だった。

 それは、否定の言葉でもあった。

 内心はどうあれ、恋人を突き放す言葉だった。

 そんな男の言葉に、マリは鈴の鳴るような声で笑い・・・

 

「ふふふ!!・・・はぁ、もういいや」

「え?」

「期待外れだよ、君」

 

 唐突に、その顔から表情が消え失せた。

 同時に、クイッと指を動かすと、糸が意思を持った蛇のように蠢いて、男の耳の穴の奥へと入っていく。

 

「オ゛っ!?」

 

 己の脳が侵される感触に、男の顔は恐怖から苦痛の表情に変わる。

 だが、それも一瞬だった。

 

「君、つまんなかったけどイケメンだからコレクションには加えてあげるね」

「・・・はい、光栄です。マリ様」

「ん。じゃあ、もう行っていいよ。部屋を出たら、君のお仲間がいるから、適当に大人しくしといてね」

「・・・かしこまりました」

 

 すぐに人形のような無表情に変わると、それまで恐怖に追い立てられていたのが嘘のように落ち着きを取り戻し、マリの前に跪いた。

 マリはそんな男をつまらなそうな目で見ていたが、やがて完全に興味を失ったのか、犬でも追い払うように手を振って男を退出させる。

 そして、部屋にはマリだけが残った。

 

「あ~あ。こんなに仲が良さそうなら、ちゃんとヴェル君の言ってた真実の愛ってヤツを貫いてくれると思ったのに・・・ちょっと痛くしたくらいで手の平返すなんて、がっかりだよ、もう」

 

 スマホに映る男とその恋人写真を少しの間眺めてから、ため息を吐いて写真を消去する。

 それからもう一度、ベッドに倒れこむように横になった。

 

「はぁ~、やっぱりつまんない。ヴェル君はしばらく動けないし、狼君はどこにいるかわかんないし、カマキリちゃんは向こう側にいるし、真実の愛ってやつも見つからないし・・・本当にこの世にあるのかな、真実の愛って・・・見てみたいな、感じてみたいな。本当にあるのなら、マリも欲しいな・・・」

 

 そうして、薄暗い天井を見ながら呟く。

 知らず知らずのうちに、その顔つきを変えながら。

 

「どこにいるんだろう。可哀そうなマリを救ってくれる、運命の王子様」

 

 その台詞を口に出した一瞬だけ、つまらなそうだったマリの顔には、ひび割れたような笑みが浮かんでいたのだった。

 




感想返しは、もう少し待ってください・・・


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚5

書きたいことが書けない・・・絶賛スランプです。
しばらく更新止まるかも


「さて、今日はここか・・・」

「来るのは久しぶりだね~」

 

 僕らの目の前にあるのは大きな建物だった。

 敷地は周辺をフェンスに囲まれ、時折雲に隠れる月の光に照らされて、まだら模様が建物の壁に浮かぶ。

 その正門のすぐ傍には『市立白流小学校』と書かれていた。

 

「まさか、大学生になってからまたここに来ることになるとはね・・・」

 

 正門の前に立って外から小学校を眺めつつ、僕はそうこぼした。

 僕がここに通っていたのは7年ほど前だが、懐かしさのようなものはあまり感じない。

 つい最近の雫とのデートでも、ここは通り過ぎただけだった。

 

「・・・はっきり言っちゃうと、久路人って小学校にはあんまりいい思い出ないもんね」

「そうなんだよね。中学校からは池目君たちと友達になれたし、高校なら毛部君や野間瑠君もいたからいいけど、小学校の時はな~・・・」

 

 雫の台詞に対して頷く僕だが、本当に小学校には思い入れがない。

 雫がずっと一緒だったからよかったものの、小学生の頃の僕は孤立していて、学校の行事や授業での組み分けもハブられているのがいつものことだった。

 学校とは本来そういうものかもしれないが、ここにはただ勉強しに来ていただけである。

 そして、僕の孤立の原因となったのは、この学校に現れた取るに足らない妖怪のせいだったのだが・・・

 

「まあ、いつまでもここにいても始まらないし、行こうか」

「うん」

 

 僕と雫は、その場でジャンプして正門を軽く飛び越えて敷地内に入る。

 不法侵入になってしまうが、今夜はお目こぼしを願いたい。

 なにせ・・・

 

「白流小学校七不思議か・・・」

 

 僕らが今夜ここに来た理由は、この学校に現れた『七不思議』を祓うためなのだから。

 

 

-----

 

 それは、物部姉妹に約束の術具を渡した後のことだった。

 

「水無月さんたちは、七不思議って知ってますか?」

「七不思議?この大学のか?妾は知らんな」

 

 比呂実さんがその噂について話すのを、僕は雫の頭ごしに聞いていた。

 雫以外の女性と同じ席に着くという時点で、雫が最初から僕の胸板に背中を押し付けてきたのだ。

 おかげで雫の毒気が薄れ、会話はスムーズに進んでいく。

 

「あ、ここのことじゃないです。この街の小学校の七不思議なんですよ。最近噂になってるみたいで」

「小学校の?ならば妾たちが知りようもないな。小学生の知り合いなどおらん。というか、お前はよくそんな話を掴めたな」

「比呂実は昔からその手の話が好きなのよ。知り合いには大体『怖い噂を知ってたら教えて』って言ってるし・・・妖怪に襲われる前だって、マリネとかいう女の変な配信ばっか見てたし」

「あはは・・・まあ、今回の話は本当に偶々聞いたんですけどね」

 

 時刻は正午。場所は大学の食堂。

 時間と場所がちょうど良かったので、僕らはそこで昼食を摂ることになった。

 そして、術具について説明してるうちにこの街にいる妖怪の話になったのだ。

 そこから、最近の不思議な噂について話題が移ったというわけだ。

 

「妖怪がたくさん出てくる前に映研の前を通りかかった時に、部員さんたちが揉めてて・・・なんでも『夜中に七不思議を確かめに小学校に忍び込む!!今度こそマジモンの心霊映画を撮るんだっ』とか言ってたんです。それで、ちょっと気になって聞いたんですよ」

「それはまあ、なんともスゴイ奴がいたものだな・・・しかし、結界がまだ健在の頃ならば、そんな噂になるような奴が出てきたとしても、すぐに久路人に引き寄せられたはずだ」

 

 僕が人外になる前は、僕の力を抑え込むのが難しいせいで結界の中でも穴が開くことはしょっちゅうだった。

 だが、穴が開くのは決まって僕の近くだったし、そうやって現れた妖怪は僕の放つ霊力に引き寄せられ、僕や雫に討伐されていた。

 現世に来て、せいぜいが小学校の噂にしかならないようなことしかしないでとどまっているというのは少し考えにくい。

 けれども、比呂実さんは比呂奈さんの方をみて、比呂奈さんが頷くのを見ると、さらに話を続けた。

 

「それなんですけど、実は昨日の夕方、偶々小学校の近くを通ることがあったんです。そしたら・・・」

「なんか、あの小学校から嫌な感じがしたのよ。なんとなくうまく言えないけど、ゾクって感じ・・・」

「ふむ・・・?」

 

 物部姉妹は現代の現世では珍しく、非霊能者の家系であるのに妖怪を認識できるほどの霊力を持っている。

 霊能者は妖怪や霊力には敏感になりやすく、この二人がそう言うのならば本当に何かがいる可能性はある。

 だが、ここ最近のパトロールで僕たちがそんな感覚を覚えたことはないのは気にかかるところだ。

 

「夜だったから他の妖怪の気配に紛れて気が付かなかったとか?」

「かもね。夜になると妖怪の動きも活発になりやすいから、小物ならわかんないかも・・・よし、その七不思議とやら、今夜妾たちが見に行こう」

 

 そうして、僕と雫は夜の学校に忍び込むことになったのだった。

 

「あ、あの、それって私も付いて行っちゃダメですか?」

「比呂実!!迷惑になるようなこと言うなって!!っていうか、水無月さんと月宮君が二人で行くの邪魔するとか後が怖・・・ヒィッ!?な、なんでもないってば」

「すっ、すみませんでしたっ!!」

「・・・貴様ら、あまり妙なこと考えない方が身のためだぞ?」

 

 結局、その日も物部姉妹は怯えながら帰ることになったが。

 

-----

 

「これまでも心霊スポットはたくさん周ったけど、夜の学校って雰囲気あるね~。妖怪の私が言うのもなんだけど」

「昼間は子供がたくさんいた跡があるのに、夜は静かなのもギャップがある感じだよね」

 

 カツンカツンと、リノリウムの廊下に靴音を立てながら、僕らは夜の小学校を歩く。

 鍵については、カギ穴から黒鉄を侵入させ、近くの窓ガラスの鍵を内側から開けてどうにかした。

 妖怪が赤外線センサーに引っかかるのかは分からないが、玄関から入るのは流石にためらわれたのだ。

 

「とりあえず、まずはどこに行く?」

「そうだな~・・・・」

 

 僕はポケットからメモを取り出して眺める。

 隣を歩いていた雫も足を止めて、僕が持ったメモを覗き込んでくる。

 それは、今日の昼間に比呂実さんから聞いた七不思議のリストだ。

 メモにはこう書いてある。

 

 

① 走る人面犬・・・一階渡り廊下

② 家庭科室の飛ぶ包丁・・・南校舎一階家庭科室

③ プールから伸びる手・・・屋外プール

④ 動く人体模型・・・北校舎一階保健室

⑤ トイレの花子さん・・・北校舎二階女子トイレ

⑥ ひとりでに鳴るピアノ・・・南校舎二階音楽室

⑦ 開かずの間の異世界に繋がる鏡・・・南校舎三階理科準備室

 

 

「なんていうか、オーソドックスな感じだね・・・」

「言っちゃあ悪いけど、定番だよね」

 

 七不思議とは言うが、ネットを漁れば同じような話がいくらでも転がっていそうなものばかりである。

 オリジナリティの欠片もない。

 

「・・・・・」

 

 だが、そのうちの一つを見て、僕はしばらく黙り込んだ。

 

「久路人?どうしたの?」

「あ、ううん。なんでもないよ」

 

 そんな僕を不思議に思ったのか、雫が声をかけてきたので、僕はメモから目線を外して自分の考えを告げる。

 

「とりあえず、人面犬からにしようか。一番近いし」

「そうだね。でも久路人。今ってなんか妖怪の気配とかする?」

「う~ん?なんか薄っすらとするようなしないような・・・」

 

 ひとまず最も距離の近い渡り廊下の人面犬から見に行こうとしたが、今の時点で校舎の中にいるにも関わらず、妖怪の気配は感じない。

 ぼんやりと瘴気を感じるような気はするのだが、それにしたって妖怪がうろついている気配はない。

 

「力は抑えてるから、怯えて引きこもってるってことはないと思うけどな~」

「だよね。でも、なんか気配は薄いし・・・あ、そうだ!!」

 

 廊下を歩いていた僕らであるが、そこで雫が何かを思いついたようだ。

 

「ねぇねぇ久路人!!ちょっとショタになってよ!!」

「・・・は?」

 

 いきなりの意味不明な発言に、僕は思わず雫をまじまじと見つめてしまった。

 僕に見つめられて、『や~ん!!そんなにじっと見られると恥ずかしいよ~』と雫はしばらく身をくねらせていたが、やがて僕の視線の意味に気が付いたのか、コホンと咳払いをして続ける。

 

「ほら、七不思議って、基本的に子供がターゲットになるじゃない?なら、私たちも子供の姿になればいいんじゃないかなって」

「あ~、それは確かにそうかも?」

 

 『なにかおかしなモノでも食べたのか?』と少し不安になったが、思ったよりもまともな理由だった。

 子供の姿になるのは、人化の術の応用で十分可能である。

 子供だろうと霊力の量や操作技術に変わりはないし、こんな屋内ならば刀を振り回して近接戦闘をすることもないだろうから、やったところで特にデメリットはない。

 

「なら、やってみるよ・・・よっ」

 

 昔の写真の中の僕を頭で思い出してみると、僕の周りに黒い砂嵐が一瞬現れ、それが消えた時には僕の視線は雫を下から見上げていた。

 

「うん、できたね。でも、僕だけ変わっても意味ないし、雫も・・・ふがっ!?」

「わぁ~!!久路人可愛い~!!」

 

 雫にも変身を促そうとしたら、突然視界が塞がれた。

 代わりに暖かな何かに包まれる感触と、華のようないい香りを感じる。

 

「ふふっ!!懐かしいな~!!私を拾ってくれたのも、ちょうどこのくらいだったんだよね~」

「・・・っ!!」

(く、苦しい!!なんかゴリゴリして固い!!)

「む」

 

 いきなり呼吸を封じられて驚いたが、バシバシと背中を叩いたことか、はたまた僕の失礼な思考を察したのか、すぐに拘束が緩む。

 

「・・・久路人、今なんか変なこと考えなかった?」

「ぷはっ・・・い、いや、全然?」

「ふ~ん?」

 

 とりあえず、雫におねショタは向いてないということは分かったが、流石に言わないでおく。

 ここで機嫌を損ねたら、七不思議の一つに『夜中に凍り付く校舎』が追加されてしまう。

 

「そ、それよりも、雫も変身しないとダメじゃないかな?ほら」

「・・・まあ、なんか色々引っかかるけどいいや。ふぅ~・・・よいしょっ!!」

 

 僕に怪訝な目を向ける雫であったが、僕に促されて気にするのを止めたみたいだ。

 さっきの僕と同じように、雫の周りを白い霧が包み、次の瞬間には小学校低学年くらいの女の子がそこに立っていた。

 

「うん。今の久路人と同じくらいって思ったら、うまくいったね・・・あれ?どうしたの、久路人?」

「いや、僕が子供の姿でよかったなって。元の姿だったら、僕完全にロリコン扱いになるところだし・・・子供と子供ならセーフだよね?」

「それを言ったら、さっきの私だってショタコンになるから気にしなくても大丈夫だよ」

 

 雫は紛うことなき美少女だ。

 それは、雫が小学校低学年の姿でも変わりはない。

 細く、しなやかだが未成熟な身体。

 整ってはいるが、どこかあどけない顔つき

 まさしく天使の声とでもいうべき、少し舌足らずな声。

 その手の趣味の男なら、ハイエースを持ち出しかねないような容姿だった。

 『そんな雫と恋人の僕は立派なロリコンなのではないか?』と不安に思うのも無理のない話だろう。

 

「最近の小学生は進んでるって言うし、今の私と久路人がイチャイチャしても普通だよ、普通」

「さすがに小学生の段階で普段の僕らがヤってるようなことは早すぎると思うけど・・・ん?」

 

 

--タッタッタッ・・・

 

 

 子供の姿になった僕らが廊下で話し込んでいると、足音が聞こえてきた。

 やけに軽快で、聞こえてくる間隔が短い。

 その音は、かなりの速さでこちらに近づいていた。

 

「久路人」

「うん」

 

 子供の姿ではあるが、戦闘にほぼ支障はない。

 僕の周りには紫電が、雫の周りには粉雪が纏わりつく。

 そうして身構える僕らの前に、ソレはやってきた。

 

「なんだ、お前ら」

 

 現れたのは、まさしく『人面犬』としか表現できないような生き物だった。

 柴犬の身体に、中年の男の顔が付いている。

 まるでコラ画像のような不自然の塊であったが、そんな存在がこちらを胡乱な眼で見ながら口を開く。

 

「君が人面犬か」

「何が目的でうろついているのか知らんが、あまり人間に迷惑をかけるようなら、大人しくしてもらうぞ?」

 

 相手はこちらに友好的かどうか分からない妖怪だ。

 警戒は怠ってはいけないが、かと言って向こうを刺激するようなことも避けたい。

 そうして、適度に距離を保ちつつ、僕と雫は人面犬とコミュニケーションを試みる。

 

「ほっといてくれ」

「え?」

「は?」

 

 しかし、そんな僕らを一瞥すると、人面犬は元来た方に走り去ってしまった。

 

「ちょ、ちょっと待った!!」

「どこに行く!!」

 

 その意外な反応に面くらい、対応が遅れてしまったが、僕らはすぐさま人面犬を追いかけた。

 彼が曲がった廊下の曲がり角を通り抜けて、直線な渡り廊下に出る。

 いくら相手が犬の妖怪だろうと、今の僕らの速度に敵うはずもない。

 すぐに追いついてやろうと思ったのだが・・・

 

「いない・・・?」

「どこに行った・・・?」

 

 渡り廊下には、何もいなかった。

 犬の姿はおろか、足跡や霊力の痕跡すらない。

 いや、そうだ。霊力だ。

 

「ヤツめ、一体どこに・・・」

「・・・ねぇ、雫」

「ダメだ、何もない・・・ん?どうしたの?」

 

 辺りを見回す雫の傍で少しだけ思考した僕は、雫に話しかける。

 調べてみても人面犬に繋がるものが見つからなかった雫は、少し悔しそうにしながら僕の方に振り返った。

 

「さっき人面犬が出てきた時なんだけどさ、霊力って感じた?」

「え?・・・あれ、そういえば何も感じなかったような?」

 

 僕の質問に答えようとして、雫は不思議そうに首をひねる。

 やはり、雫もあの人面犬からは何も霊力を感じ取れなかったらしい。

 だが、その反応で合点がいった。

 思えば、この小学校からぼんやりとした霊力しか感じなかった時点で気付くべきだった。

 

「あの人面犬、現象型の『怪異』だ」

「現象型・・・あ~なるほど、そういうタイプか」

 

 僕の言葉に、雫はすぐに納得した様子を見せる。

 人外という言葉は、『人間ではないモノ』を意味するが、それが内包する範囲は広い。

 そして、大まかに分けると人外は『実在型』と『現象型』に分けられる。

 物体型とは言葉通り、物体として存在するもので、妖怪はほぼすべてこれに当てはまる。

 

「普段私たちが見るのって、ほとんどただの妖怪だったもんね。怪異はもしかしたら初めてじゃないかな?」

 

 常世に元々存在した生物、もしくは瘴気の影響を受けて変質した現世の動物が変異したモノや付喪神のように、道具に瘴気や霊力が宿って変質したモノを妖怪と言い、実際に霊力を持つ者ならば触れることができる。

 他にも自然に溢れる霊力がそこに存在する生き物の意思に当てられて自我を持った精霊も、その属性に応じた実体を持つために実在型に分類される。

 これらは、常に現世、もしくは常世に存在し続けているモノと言い換えることもできるだろう。

 

「怪異は現れるのに色々条件があるからね。今までは結界が機能してたから、霊力の量も今より少なかったし」

 

 一方の現象型は、霊力が特定の条件を満たした場合にのみ現れる現象を指し、例えば『本来は存在しない階に繋がるエレベーター』だとか、『特定のおまじないをすると現れる幽霊』などがある。

 これらは、世界に漂う霊力が何らかの影響で指向性を持って発動した術とも言える存在であり、その多くは忘却界のように『人間の持つ集合意識』が元になるらしく、その成り立ちの違いから、現象型は『怪異』と呼ばれることもある。

 そして人間の集合意識が核となる都合上、霊力さえあれば忘却界の中でも発生することがごくまれにあるらしい。

 まあ、忘却界の中に怪異が発生するほどの霊力を持ち込むなど、人間が意図的にやらない限りあり得ないことだが。

 

「怪異は人間の噂に対する恐怖だとか、興味なんかに霊力が影響を受けて生まれるモノだ。今の白流市は霊力がたくさん漂ってるから、怪異が生まれる土壌はある」

「怖い話なんて、子供は大好物だもんね。この七不思議も、そういう噂への反応で発生した怪異ってことかぁ」

「そう。それで、怪異は噂の内容に則った行動しか取れないし、条件を満たさないと現れない。だから、これまで僕らも気付かなかったんだと思う。多分、この七不思議が発生するのは、『夜中に子供が来た時』ってことなんだろうな」

「あの人面犬も、夜中に校舎にやってきた子供に話しかけてくるだけの存在ってことだね。噂通りの行動をしたから消えちゃったってことか・・・」

 

 僕と雫は、暗い廊下を見渡した。

 そこにはもう何もいない。

 あの人面犬は、己に与えられた役目を果たしたのだ。

 ここで霊力を感じなかったのも、この学校そのものが七不思議を内包する一つの怪異と化しているからだろう。

 七不思議という怪異は噂を元にした不安定な存在で、この辺り一帯の霊力が変化した術なのだ。

 ふわふわと広く漂う煙が、風や物の動きでその一部が一時的に犬の形を取ったようなものだ。

 

「でも、それじゃあどうするの?噂を何とかしないと、この七不思議は消えないってことだよね?ここで見回ったり、出てくる怪異を倒しても意味がないってことだよね?」

 

雫の言う通り、怪異は元を断たない限り、斬ろうが凍らせようが無限に湧き続ける。

 一応、この辺り一帯の霊力を僕らの霊力で染めてしまうという力技もあるが、それにしたってその場しのぎだ。

 

「うん。霊力を変質させてる精神の力、噂への恐怖とかを何とかしないと意味はない。けど、ちょっと気になることがあるんだ」

「気になること?」

「物部さんたちが夕方にここらを歩いて、嫌な感じがしたって言ってたことだよ。夕方に外から見ただけだと七不思議の条件は満たせない。なのに嫌な感じがしたってことは、何かあるんじゃないかな」

「今の白流市には霊力がたくさんあるからって言ったら、そこら中で怪異が発生してもおかしくないもんね。霊力をこの辺に留めるようなモノがあるかもってことか・・・」

「そういうこと。だから・・・」

 

 僕は改めて手にしたままのメモに目を落としながら言った。

 

「七不思議体験ツアー、行ってみよっか」

 

 

-----

 

「二つ目はここだね」

「家庭科室の飛ぶ包丁・・・これって、めっちゃ危ないよね。子供だったら死んじゃうよ」

「子供でなくても死ぬよね」

 

 渡り廊下を南に下って、僕らは家庭科室の前に立っていた。

 二つ目の不思議は、『夜中に家庭科室に入ると包丁が飛んでくる』という物騒なモノだったが・・・

 

「じゃあ、開けるよ」

「うん」

 

 引き戸に手をかけ、ガラっと戸を開けて中を確認する。

 

「何もないね・・・」

「中に入らないといけないのかも。とりあえず、私が入ってみるね。再生能力は私の方が上だし」

「あ、それなら一応これ着といて」

「ふふっ、ありがと!!おそろいだぁ」

 

 今の僕らは一蓮托生。どちらかが傷つけば片割れにも影響がある以上、どちらが先に入っても大差はないが、傷を負った場合の回復能力はわずかに雫の方が高いので、ここは雫の方が向いている。

 けれども、何の備えもないのは不安だから、僕は念のため黒鉄のマントを作って雫に被せた。

 白い着物の上に武骨な黒いマントという若干ミスマッチな見た目であるが、雫は嬉しそうにしていた。

 

「よし、それじゃあ突入」

 

 そうして、雫が部屋に入った瞬間。

 

 

--ヒュンッ!!

 

 

 弾かれた矢のような速度で、暗がりから何かが飛んできた。

 外の街灯の光に、切れ味の鋭そうな刃がキラリと反射する。

 刃はそのまま、部屋の入口に佇む雫に迫るが・・・

 

「ハエが止まる」

 

 ピッと雫が手をかざすと、その指の間に包丁が挟まっていた。

 

「雫、大丈夫?」

「勿論!!こんなの、久路人の撃って来る矢に比べたらあくびが出るよ」

 

 僕も部屋に入り、雫の手元を見ながら声をかける。

 包丁が飛んでくるのは本当だったが、雫にとっては止まって見える程度の速さだったみたいだ。

 包丁そのものも普通の市販品のようだし、これなら届いても、そもそも刺さらないだろう。

 そして・・・

 

「あ、また来た」

「たくさんあるな~」

 

 僕が部屋に入ったからなのか、それとも雫が一度奇襲を防いだせいか、今度は複数の包丁が宙に浮いていた。

 それが、一斉に僕らめがけて飛んでくる。

 

「この噂、実際に確かめた人とかいないよね?」

「大丈夫でしょ。もしいたら、今頃ニュースになってるだろうし」

 

 一瞬の後、包丁はすべて僕の手の中に収まっていた。

 僕にとっても、普通の包丁は高速で飛んでくる程度ならば大した脅威でもない。

 しかし、これが普通の人間なら、今頃惨殺死体が出来上がっているだろう。

 この噂を検証しようとした人がいないことを願うしかない。

 

「う~ん、この部屋にも特に変わったモノはないなぁ」

「そうだねぇ・・・ところで、この包丁どうする?」

「ひとりでに戻るとかは・・・なさそうだね。よし、片付けよう」

「え~、面倒くさぁ~・・・まあ、久路人がやるなら私もやるけどさ」

 

 特に収穫もなく、飛んできた包丁をすべて食器のしまってある棚に収めてから、僕らは家庭科室を出るのだった。

 

「ところで、そのマントいつまで着てるの?」

「最低でも七不思議全部見終わるまで・・・ダメ?」

「いや、別にいいけども・・・」

 

 

-----

 

 プールから伸びる手。

 『小学校のプールには、かつてここで溺死した子供の霊が残っており、生きている子供を妬んで水の中に引きずり込もうとする』とのことだが・・・

 

「ん・・・水の中には、何も沈んでないね」

「そっか・・・それにしても、なんかシュールな光景だ」

 

 プールサイドで水の中に手を入れていた雫が、指を引き抜きながらそう言った。

 どうやら、このプールにも何もないらしい。

 僕の目に映るのは、雫に向かって手を伸ばそうとするも、プールの中に発生した渦に飲み込まれそうになってユラユラと揺れている腕だけだ。

 もちろん、渦を発生させたのは雫である。

 

「怪異って言っても、力負けするんだね」

「さっきの包丁もそうだったしね。ものすごく強い信仰とかが元になった怪異はかなり厄介らしいけど。地方の小学校の七不思議じゃなぁ・・・」

 

 プールから腕が伸びているのは不気味と言えば不気味なのだが、それが流れるプールの中でもがいているのを見ると何とも言えない気分になってくる。

 怪異は元になる噂の知名度や信仰の強さ、影響を受ける霊力の量などでそのスケールも変わって来るらしいのだが、水辺で雫に勝てるレベルの怪異ともなると、世界規模で有名な伝説でもなければ不可能だろう。

 

「とりあえず、キモイから沈めとくね」

「うん・・・」

 

 雫が水の速度を上げると、とうとう流れに逆らえなくなったのか、次々と腕が見えなくなっていった。

 

(なんというか、哀れだ・・・)

 

 沈んでいく腕に憐憫の視線を向けつつ、僕たちはプールを後にするのだった。

 

 

-----

 

 動く人体模型

 『夜の保健室に行くと、人体模型が動いている。人間に気が付くとダッシュで向かってくる』という噂だ。

 そうして、保健室に入った僕と雫であったが・・・

 

「うわっ、キモっ!!」

「とりあえず縛って見たけど、人体模型って元々があんまり見ていたいものじゃないからね・・・」

 

 保健室の隅で、黒い鎖に雁字搦めにされた人体模型が、バタバタと床に倒れてもがいていた。

 その様子は、死にかけの虫を連想させ、元の見た目も相まってかなり不気味だ。

 

「でも、この人体模型、動いて何するつもりだったんだろう?なんかダッシュで近づいてきたから反射的に動けなくさせたけど」

「他の七不思議だと、動く絵画とか、歩く二宮金次郎とかいるけど、あれもただ動いてるだけなら無害だよね。キモイけど」

「そうやって言われると、これもなんか不快害虫みたいだなぁ・・・あ、でも二宮金次郎は走ってきたら危なくない?石とか金属でできた像がタックルしてくるとか、考えてみたら結構ヤバいよ」

「確かに・・・この人体模型はどう見てもプラスチックだけど、硬いし、普通の人間なら真正面から相手するのは止めた方がいいかもね」

 

 床で蠢く人体模型を見やりつつ保健室を調べるも、ここにもめぼしい物はなさそうだ。

 

「それで、これどうするの?」

「拘束解いたらまた飛び掛かってきそうだしなぁ・・・廊下に出てから解けばいいかな」

「それなら、私は凍らせておく方がよさそうじゃない?放っておけば、朝までには溶けてるだろうし」

「そうだね、そうしよっか」

 

 結局、僕が拘束を外した所から雫が凍らせていき、最終的に全身氷漬けになった人体模型を元あった場所に置いてから保健室を出た。

 朝になって水たまりができているかもしれないが、それくらいはお目こぼししてほしい。

 

 

-----

 

 トイレの花子さん

 日本全国で有名な怪談だが、様々なローカライズをされる怪異でもある。

 この学校では、『北校舎二階の女子トイレの一番奥の扉を、夜に3回ノックして、『花子さんでておいで』と言うと現れる。機嫌を損ねると首を絞められて殺される』らしい。

 その花子さんはと言えば・・・

 

「凍れ」

 

 僕の視界に映る前に、トイレの個室から出てこようとした少女はあっという間に氷漬けになって、即座に砕け散った。

 

「久路人の前に、妾の許しも得ずに雌が出てこようなど・・・身の程を知れ」

 

 黒のマントを揺らしつつ、ドスの効いた声で雫が氷の破片を踏みにじるのを見ながら、僕は呟いた。

 

「これぞ出オチってヤツか・・・」

 

 プールの手や人体模型も中々のやられっぷりだったが、ここの花子さんよりはマシだったろう。

 少なくとも彼らには出番があったのだから。

 

「ふんっ・・・行こっ、久路人」

「うん」

 

 もはや何の痕跡も残っていないトイレに背を向けて、僕は心の中でトイレの花子さんに合掌するのだった。

 

 

-----

 

「・・・なんか鳴ってるね。っていうか、勝手にピアノの鍵盤が動いてるよ」

「これって、『エリーゼのために』って曲だったっけ」

 

 音楽室。

 僕たちの目の前でひとりでにピアノの鍵盤が動き、曲が奏でられていた。

 誰もいないのにピアノが弾かれているのは、他の七不思議と同様にやはり少々不気味ではあるが・・・

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 言ってしまえば、ただそれだけである。

 しばらくの間、僕らは黙ってその演奏を聴いていた。

 

「これって、噂に『流行りのアニソンが流れる』みたいなのが混じったらそうなるのかな?」

「なるんじゃないかなぁ・・・そういうのだったらちょっと聴いてみたいかも」

「でも、このピアノの演奏、結構途切れ途切れだし、あんまり上手くないよね」

「夜中に物凄い超絶技巧で勝手にピアノが弾かれるって、字面にしてみるとそんなに怖くないっていうか、むしろ面白そうだよね」

 

 しかし、この演奏は恐怖をあおるためなのか、どうにもぎこちないというか、端的言ってしまえば下手で、次第にただ聴くのにも飽きてきてしまい、僕らは口々にお喋りを始めた。

 演奏中にも関わらず喋りまくる僕らはオーディエンスとしては行儀が悪いだろうが、そんな様子を気にすることもなく演奏は続き・・・

 

「あ、止まった」

「なんでもこの噂、『演奏を最後まで聴いたら呪われる』ってことらしいけど、なんか感じる?」

「ううん、全然・・・あ、ちょっと待って。なんかレジストしたような感じはしたよ」

「呪いそのものは本物だったのかな」

 

 曲を弾き終わったのか、演奏はピタリと止まった。

 曲が止まった直後に何かの術をかけられたような感覚はしたが、『呪い』のような非物理的な状態異常を引き起こす術は、あまりにも霊力量に差があると弾かれてしまうため、結局何が起きるのかは分からずじまいだ。

 ちなみに曲は『エリーゼのために』以外にも、『新世界より』や、『運命』などもあったが、やはりどれもこれも微妙な出来だった。

 

「とりあえず、アンコールってやってみる?」

「そうだね。あんな下手糞な演奏聴いてあげたんだし、最後くらいは感動するようなの聴きたいし。よし、アンコール!!アンコール!!」

「アンコール!!アンコール!!」

 

 しかし、『曲を聞き終わったらなんか起きるかも?』と思って全部聴いてみたのに何も実感できないとあっては、なんだか時間を無駄にしたような、つまらない漫画に金を払ったような気分になってくる。

 なんとなくムカついたので、煽りも兼ねてアンコールを促すべく雫ともどもピアノの前で手を叩いてみるも・・・

 

「何も起きないね・・・」

「ノリ悪いなぁ・・・エンターテイナーならそこはもうちょっと頑張ってよね」

 

 それでも何も起きなかったので、僕らは愚痴を垂れながら音楽室を出ていった。

 なんとも反応に困る七不思議もあったものである。

 

 

-----

 

「な~んか、拍子抜けっていうか、つまんないなぁ」

 

 南校舎の階段を登りながら、雫はいつもよりも高い声で不満そうに言う。

 

「七不思議って言っても、全部ショボいし」

「まあ、所詮はぽっと出の怪異だからね。それでも、家庭科室とかプールの話は普通の人だったら危なかったと思うよ」

 

 ある意味で小学生らしいと言えばいいのか、七不思議は無駄に殺傷能力の高い話が多かった。

 包丁が飛んできたり、水の中に引きずり込んできたり、人体模型がタックルを仕掛けてきたり、ピアノがよくわからない呪いをかけてきたり・・・

 この学校の生徒や、比呂実さんが言っていた映研の部長とやらが探索に来る前に対処できてよかったと思える。

 

「でも、次で最後の話か・・・そこで何か見つかればいいけど」

「これで何もなかったら、力技しかないもんね」

「この辺りの霊力を吹き飛ばすとか、そっちの方が穴が開きそうで怖いけどね」

 

 七不思議を巡ってきたが、今のところ霊力を留めているような要因はなさそうだ。

 根本的な原因となるものがない以上、いざとなればかなり強引な手段を取らざるを得ないが、できれば避けたいものである。

 と、そんなことを話す僕らの前に、最後の話のスポットが見えてきた。

 そこは・・・

 

「理科準備室、か・・・」

「そういえば、ここって・・・」

 

 僕は扉の上に付いているプレートを読みながら呟いた。

 同時に雫もこの部屋のことを思い出したのか、立ち止まって扉をしげしげと眺めている。

 

「うん。ここは、昔クラスメイトの筆箱が隠された部屋だよ」

 

 僕が小学校の頃に孤立した原因はいくつかあるだろうが、その最たるものはあの事件だったに違いない。

 クラスメイトの筆箱が校内に侵入してきた小物の妖怪に盗まれて理科準備室に持ち込まれ、それを教えてあげた結果、僕が犯人なのではないかと疑われた。

 そしてそのことで僕の持ち物も隠されたりと嫌がらせを受けたのだが、雫がキレて下手人の持ち物を凍らせて粉々に砕いたことで、『関わっちゃいけないヤツ』という扱いになったのである。

 

「その、久路人、あの時は・・・」

「別に気にしてないよ。小学校の時は友達はいなかったけど、雫がいたから寂しくなかったんだしね」

「久路人・・・」

 

 当時のことを振り返って、自分の行動が軽率だと思ったのか雫が後ろめたそうな顔をしているが、僕はまったく気にしていない。

 雫が僕のために怒ってくれたことだって、僕にとっては嬉しいことだったのだから。

 そんなことを思いつつ、僕は理科準備室の扉に手をかけた。

 わずかな隙間から黒鉄を潜り込ませ、扉の向こうから鍵を外させる。

 

「それじゃあ、最後の話だ」

 

 そうして、僕らが部屋の中に入った。

 そして・・・

 

「これは・・・」

「鏡?」

 

 理科準備室は様々な模型や実験器具、薬品が棚に収まった部屋だ。

 とはいえ、部屋の中はそう広くはなく、ざっと見るだけで部屋のすべてを視界に収めることができた。

 そんな僕らの目に飛び込んできたのが、部屋に入って右側に備え付けられた、僕の背丈くらいの大きさの鏡だった。

 恐らくこの鏡が・・・

 

「『異世界に繋がる鏡』か・・・」

 

 『白流小学校の理科準備室には、異世界に繋がる鏡がある。開かずの間のはずなのに、中から何かが動いているような音がするのは、その鏡から出てきた幽霊が動いているから』

 それが、『開かずの間の異世界に繋がる鏡』だ。

 そして、この話にはまだ続きがあって・・・

 

「ねぇ久路人、この鏡・・・」

 

 そこで、雫が僕に声をかけてくる。

 その眼は鏡をまっすぐに見つめており、雫が何を考えているのか、僕にもわかった。

 

「うん。これだ」

 

 小学校での事件の時、僕は理科準備室の中に筆箱があると先生に言っただけで、中に入ったことはない。

 だから、その時にこの鏡が部屋の中にあったのかは分からない。

 だが、鏡を見ただけでわかることがあった。

 

「七不思議の大本は、この鏡だ。どういう理屈か知らないけど常世と繋がってる」

 

 目の前の鏡からは、常世に満ちるという瘴気があふれ出ていた。

 瘴気は、僕らが部屋に入った瞬間から急激に鏡からにじみ出ている。

 それは僕らがこの怪談の条件を満たしてしまったからだろう。

 僕らが戦闘態勢に入るのと同じく、鏡が妖しい輝きを放ち、鏡面が水のように波打った。

 何が出てくるのか様子を見る僕らの前で、鏡に映った僕の姿が歪み・・・

 

「え?」

「へ?」

『・・・・・』

 

 次の瞬間には、鏡を背にして、『もう一人の僕』が真正面に立っていた。

 

「え?あれって、僕?」

 

 思わず、僕はまじまじと目の前の少年を見つめてしまった。

 鏡から出てきたからか、その姿は子供の姿の今の僕とまったく同じ。

 だが、その顔には何の感情も浮かんでおらず、人形のようだった。

 そして、そんな『もう一人の僕』を見つめる僕に、彼は手をかざした。

 

『こな、ごな・・・』

「っ!?」

 

 反射的に、僕はその場から飛びのいていた。

 

『こな、ごなっ!!』

 

 もう一人の僕が叫んだ瞬間、さっきまで僕が立っていた位置の真後ろにあった実験器具が粉々になった。

 文字通り、粉々に。

 まるで、凍らせて砕いたかのように。

 

「これが・・・」

 

 その破壊の跡を見て、僕は噂の続きを思い出していた。

 

「『異世界に消えた少年』か・・・」

 

 七つ目の不思議の続き。

 それは、『異世界に繋がる鏡に吸い込まれた少年』だ。

 その昔、自分の筆箱を誰かに隠されてしまった少年が理科準備室の中に入って探し物をしていたら、そのまま鏡に飲み込まれてしまった。

 少年がどうなってしまったのかは分からない。

 けれど、時折理科準備室からは、恨めしい声で筆箱を隠した犯人を呪う声がするという。

 そして、もしもその声の主に見つかってしまったら、全身を粉々にされてしまう・・・・どこかで聞いたような話だ。

 

「どこかで聞いた話だなとは思ったけど・・・どれだけ尾ひれが付いたのやら」

 

 攻撃を避けられたのが腹立たしいのか、忌々しそうな顔をするもう一人の僕を見ながら、僕はため息を吐いた。

 そう、話の続きに登場する異世界に消えた少年とは、この僕だ。

 実際に僕が常世に落ちてしまったことなどないが、あの時の事件は雫の癇癪も併せて、学校中でかなり話題になった。

 その話が、数年かけて色々とねじ曲がってできたのが今の噂なのだろう。

 他のオリジナリティのない話と比べ、この噂だけやたらと詳細な情報があるのは、実際にこの学校で起きた事件をモチーフとしているからだ。

 そうして数年かけて、穴が多発する白流市で語り継がれてきたおかげで、この噂は七不思議の中でも一番強い力を持つこととなった。

 鏡というものは霊力を溜めやすく、異界に繋がる門でもあると古くから信じられている。

 僕が通っていたことで、この学校内には他の場所よりも多くの霊力があっただろうし、それなりに信じられている噂もあり、そこに最近の霊脈異常がとどめとなって、本当に常世に通じる鏡と、そこに呑まれたという少年の怪異が現れてしまった、というところか。

 あの鏡が七不思議という怪異の大本で間違いはないだろうが、実際に存在する物体である以上、あの鏡は怪異ではなく妖怪に分類されるのだろうか?それとも、天然の術具と言うべきか。

 

「・・・ムカつく」

 

 そんな風に、僕が七不思議の発生源について思考し終わるのと同時に、僕の隣から子供にしては低い声が聞こえた。

 

「雫?」

 

 見れば、雫が整った顔をしかめさせながら、もう一人の僕を睨んでいた。

 ・・・あれが単なる怪異で、僕とそっくりとはいえ、雫が他の男を見ていることに少し嫌な気分になる。

 だが、不快に思っているのは雫も同じようだ。

 

「・・・あのクソ狐の幻術を思い出す。大して似てもいない癖に『これがお前の好きな男だろ?喜べよ』って言われてるみたいでマジ腹立つ。ましてやあの偽物は、ここにいたガキどもが私の許しもなく久路人のことを好き勝手な妄想の塊だし・・・まあ、絶対に許可とか出さないけどさぁ。絵が下手なのはまだ許せるけど、原作リスペクトせずに設定ガン無視の自己満足全開オナニー同人とか本当にいい加減にしろよ・・・」

「し、雫・・・」

 

 雫の額には、ビシビシと青筋が走っていた。

 理科準備室の中にも、僕がいる場所を除いて霜が降りており、雫が本気でイラついているのが肌で分かった。

 最後の方はなんか別方向への恨みも混じっているような気がしたが。

 そして自分で言うのもなんだが、あのもう一人の僕は見た目は僕そっくりだと思うのだが、雫には違いが分かるのだろうか。

 もしも分かってくれるというのならば、それはなんだか嬉しいことだ。

 

『こな、ごなぁっ!!』

 

 なんかほっこりとしていた僕をよそに事態は進む。

 ブツブツと呟いていた雫に不穏なモノを感じ取ったのだろうか。

 もう一人の僕はまたも同じ言葉を口にしながら、雫へと手をかざした。

 しかし、その行動は苛立っていた雫の神経を逆なでしただけだった。

 

「半端に似た声で喋るなぁっ!!」

『ご、は・・・』

 

 もう一人の僕が放った何かが雫に到達する前に、激高した雫の手から氷柱が撃ちだされた。

 氷柱は少年の攻撃とぶつかり合うも、紙でも突き破るような容易さでそのまま貫通し、もう一人の僕の顔面に突き立った。

 

「その忌々しい鏡もろとも、消え失せろ偽物がぁっ!!」

『お、あぁ・・・』

 

 雫が手を振るうと、顔に刺さった氷柱を起点にするように、もう一人の僕の全身を氷が包んでいく。

 琥珀に閉じ込められた虫のように氷漬けになったところで、その身体ごと氷が砕け散った。

 

「そんなに好きなら貴様が粉々になっていろ、痴れ者が」

 

 氷の破片を、その温度よりも遥かに冷たい視線で見下ろしつつ、雫は吐き捨てる。

 そうして、後には氷に閉じ込められた鏡だけが残ったのだった。

 

 

-----

 

「という訳で、七不思議は解決した・・・ふんっ、今思い出しても腹立たしい話だ」

「そ、そうなんですか・・・」

「ひぃぃいいい・・・」

 

 再び大学の食堂にて、僕と雫は物部姉妹とお昼を食べていた。

 無論、子供の姿でなく、元の姿に戻っている。

 物部姉妹には雫の使い魔はもう付いていないが、念のためにということで連絡先を交換しておいたので、前に聞いた七不思議の顛末を教えに来たという訳である。

 別にメールだけでもよかったのだが、比呂実さんの方が詳しい話を聞きたがっていたので実際に顔を合わせることになった。

 しかし、今も不機嫌そうな雫の様子を見て、比呂実さんは後悔したような顔をしているし、比呂奈さんの方は目に見えて怯えている。

 雫の毒気は僕と接触していると抑えやすいが、雫が不機嫌なままなので絶賛拡散中だ。

 

「ほらほら雫、いい加減落ち着きなよ。本物の僕はここにいるんだから」

「でも久路人・・・!!もしまたこの辺りのガキどもが同じような噂をしたら、また偽物が出てくるかもしれないんだよ?あんな低クオリティ海賊版久路人が量産されるなんて、私は絶対に認めないから!!」

「それは大丈夫だと思うけどなぁ。鏡はおじさんに引き渡したし・・・あんな天然の術具ができるなんて、この白流市でも滅多にないって言ってたし」

「久路人のことが私以外に噂されてる時点で大丈夫じゃないのっ!!」

 

 僕がなだめても、雫の機嫌は未だによろしくない。

 いつ見ても凄まじい独占欲だが、こんな独占欲の向き先が自分だというのがたまらなく嬉しい僕も、やはりどこかおかしいのだろうか。

 

「もし、もしもまた久路人の偽物が出てきたら・・・それだけでもムカつくのに、それがまかり間違って他の雌どもと交尾とかしてたら・・・あ~っ!!本物の久路人じゃなくてもイライラするっ!!久路人が汚された気分っ!!」

 

 雫の妄想は、今日も全力フルスロットルのようだ。

 これはもう、家に帰って身体を張って慰めるほかなさそうである。

 ちょうど物部姉妹も雫の毒気を浴びて色々とキツそうだし。

 

「ふぅ~・・・ふんっ!!とにかく、報告は以上だ。もうあの小学校の傍を通っても問題はないだろうが、なるべく避けた方が無難だろうな。妾達は帰るぞ」

「あ、あの~・・・そのことなんですが」

「あ?何だ?」

「ヒィッ!?」

 

 雫が機嫌悪そうに席を立ったところで、恐る恐るとばかりに比呂実さんが声をかけてきた。

 そんな比呂実さんに、雫はヤンキーのようにドスの効いた声でガンを飛ばす。

 物部姉妹が間近で雫の毒気に触れるのはこれが3回目。

 少しは慣れてきたのかもしれないが、今のチンピラのような雫を見て、プルプルと震えて涙目になっている。

 

「そ、その、あの後私も色々調べてみたんですけど、実は小学校だけじゃないんです。白流中学校と、高校でも同じような噂があるみたいで・・・」

「・・・何だと?」

「ええ~・・・本当ですか?」

「ひ、比呂実と一緒にあたしも色々聞いて回ったんだけど、中学でも高校でも、七不思議があるんだって」

「しかも、どっちにも、どこかに消えてしまった男の子の話があって・・・」

「・・・ほう」

 

 元々食堂の中は涼しかったが、今は真冬のような寒さにまで気温が下がっていた。

 比呂実さんの話の途中でその寒さはピークに達し、今にも皮膚が張り裂けそうなくらい、空気が冷え切っているのを感じる。

 

「あ、あわわわ・・あのっ!!その噂を流したの、私たちじゃありませんからぁっ!!」

「ちょっ!?比呂実、あたしを置いてくなぁっ!!」

 

 そうして、やはり3度目の今回も、物部姉妹は怯えながら逃げ去っていき・・・

 

「久路人」

「はい」

 

 雫が、僕の方を振り返りながら据わった眼をして口を開いた。

 

「今夜も行くよ。徹底的にやるから」

「・・・うん」

 

 そうして、今日の夜に僕らが行く場所は決定した。

 中学と高校。初デートからそんなに時間は経ってないが、小学校に続いてこんなに早く再び行く機会が来るとは世の中分からないモノである。

 

「海賊版、ダメ、絶対!!STOP海賊版なんだからぁっ!!」

 

 冷え切った食堂の中に、僕にしか聞こえない雫の声がこだまする。

 そろそろ秋が近づく今日この頃であった。

 




モチベアップのために、評価感想よろしくです!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚6

生存報告も兼ねて投稿。
ちょっと半端なところで終わりますがご勘弁を・・・


「はぁ・・・俺たち、なんでここに入ったんだっけ?」

「女の子にモテたいから・・・ここは女の子多いし。それが叶わくても、出会いだけでも欲しかったから」

「だよなぁ・・・なあ、そう考えると俺たちの目的って」

「言うな。俺だって薄々自覚してるんだから」

 

 白流市に建つとある大学の部室棟にて、二人の男がため息を吐いていた。

 二人の周りは陰鬱とした雰囲気で、キノコでも生えそうなほどだ。

 そのじっとりとした空気を感じ取れば、大抵の者はその場を離れたくなるほどの。

 しかし・・・

 

「部長、その服どこで買ったんですか?すごく部長にしっくりきてる感じですよ!!」

「ん?ああ、適当に安い服をネットで探してたら見つけたんだ。特にこだわりがあるわけじゃないよ」

「部長部長!!今度の土曜日に一緒にケーキバイキング行きませんか?最近キャンペーンやってるみたいなんです!!」

「済まないが行けないな。気持ちだけ受け取っておこう。その日はまたこの辺りを探してみようと思っていてね・・・」

「え~!!またUMA探しですか?もうあの噂から結構経ってますし、どこかに逃げちゃったんじゃないですか?」

「確かに例のUMAはいなくなったのかもしれん!!だが、この街には今様々な噂が溢れている!!もしかしたら、まったく新しい未知と出会えるかもしれないじゃないか!!そう考えたら、居ても立っても居られなくてね・・・」

「ちぇ~、せっかく一緒に買い物行けると思ったのに・・・」

「あんたにばっか抜け駆けはさせないわよ。部長とは今度、あたしが撮影に付き合う予定なんだから」

「あ~!!ずるい!!私も行きたい!!」

「ん?なんだ、君も行きたいのかい?ならば来るといい。他にもあと3人ほど来る予定だからな。あと一人増えたところで変わりはないさ」

「行く!!行きます行きます!!そんなチャンス逃せないって!!」

「え~!!あんたも来るの?これ以上ライバル増えて欲しくないんだけど・・・」

 

 まるで二人がまったく視界に入っていないかのように、二人のすぐ前で、数名の女子と一人の男が和気あいあいと話し込んでいた。

 その雰囲気はまるで太陽に照らされたビーチのよう。

 ジメジメとした日陰のナメクジには到底入っていけないフィールドが構築されていた。

 

「くそっ・・・女子がたくさんいるって噂だから入ったけど、全員部長狙いとか聞いてないぜ」

「合コンも、結局部長の独壇場だったからね・・・っていうか、あの時俺らって誰かと話したっけ?」

「お前、さすがの俺たちでも一言くらいは挨拶しただろ・・・したよな?少なくとも、部長とは話した記憶あるぞ」

「合コン言って男と話した記憶しかないって時点で失敗確定じゃんか・・・」

 

 『はぁ・・・』と、二人そろってため息を吐く。

 ・・・彼らは毛部 忠人(もうぶ ただひと)野間瑠 波雄(のまる なみお)

 久路人が高校生の時に知り合った友人であり、なぜか他人から異様なまでに認識されずらいという特技?を持っている。久路人と仲良くなったのも、気配に鋭い久路人が二人のことをしっかり察知することができたからで、今現在周りの女子たちが二人に気付いていないのもその特技によるものだ。

 そして、そんな彼らがなぜこんな状況にいるかと言えば・・・

 

「その話にしたって、俺たちが偶々映った動画を心霊動画と勘違いしてたってことだったしな」

「『まさか幽霊が大学生として人間社会に溶け込んでいるとは思わなかったぞ!!ぜひ出演を!!・・・って、幽霊じゃないのかい?』って言われた時は流石にショックだったよ・・・」

「今思えば、あの合コンって餌だったんだろうな・・・俺らを確実に来させるための。考えたのは周りのヤツだと思うけどさ」

「だよね・・・」

 

 この二人、実は人間だったころの久路人に匹敵するくらいの身体能力を持っているのだが、かつてはその能力を生かしてパルクールで派手なパフォーマンスをして目立とうと思っていたことがあった。

 しかし、まるで呪いのような影の薄さはそれでも払拭できず、一時期は『高速で街の中を動き回る何かがいる』と噂になるのが関の山だった。

 そして、その噂に引き付けられた映画研究部の部長が撮影していた映像に二人が写り込み、その画像から特定され、勧誘を受けたという訳である。

 『女の子がたくさん所属している』という噂に釣られて入部してみたら、実は変人だがイケメンの部長のハーレムだったというオチが付いてしまったが。

 

「あ、すまない君たち。俺はこれから日課の散策があるんだ。今日はこれで失礼するよ」

「あ!!だったらあたしも行きます!!」

「わ、私も!!」

「ウチも!!ちょうど身体動かしたかったんだ~」

「まあ別に構わないが・・・ああ、そうだ」

 

 二人が『どうしてこうなった』と嘆いている内に陽キャたちのお喋りは進んでいた。

 この部長は未知なるものを探し、映像に収めることを生きがいとしているらしいのだが、昔から様々な噂があり、最近ではさらに多くの怪奇現象が起きるこの街で探検をするのが日課なのだという。

 今日も今日とてその日課に赴こうとしているところで、そんな彼に周りの取り巻きが付いていきたがるのはいつものことだった。

 

「君たちはどうする?来るかい?」

「えっ?」

「お、俺たちですか?」

 

 そして、部長はジメッとした雰囲気を纏っていた二人にも声をかけてきた。

 

(部長って、無自覚にモテて女侍らしてるし、変人だし、たまに暴走するけど嫌な人じゃないんだよね・・・)

(そこがなんというか、ここを離れにくいっていうか・・・俺たちにも気づいてくれるし)

 

 この部長、色々とおかしい所がある人物なのだが、気取った性格でもなく、大抵の人間に分け隔てなく接することができる。

 動画や写真の撮影のために常に目を光らせているせいか、久路人ほどではないが影の薄い二人にも気づいてくれる稀有な人間だ。

 なんだかんだ言って二人もこの部長のことは気に入っているのだが・・・

 

「「「・・・・・」」」」

((ヒィッ!?))

 

 部長の後ろから、刺すような視線が飛んでくる。

 

(((お前らが来ると邪魔!!)))

((なんでこんな時には俺らに気付くんだよ!!っていうか、俺らが付いて行ってもあんたら気付かないだろ!!))

 

 普段は自分たちのことなど視界に入っても認識できない癖に、部長に誘われた時には取り巻きから牽制が来るのだ。

 最初は女子目当てで入った二人であったが、今では男の部長の方が癒しになっているくらいには、脈なしであった。

 

「い、いや、俺らはいいですよ」

「は、はい。俺ら、課題やんなきゃいけないんで・・・」

「そうか・・・なら、次に来たいと思ったときには声をかけてくれ。いつもタイミングが合わなくて、悪いね」

 

 二人に軽く謝罪をすると、部長とその取り巻きは部室を去っていった。

 

「「はぁ・・・」」

 

 野郎二人だけになった部屋で、二人は気だるげにため息を吐いた。

 

「俺ら、いつまでこんな感じなんだろうな・・・」

「言わないでよ。そんなの俺にだってわかんないし・・・」

「「はぁ・・・」」

 

 再びため息。

 ここしばらく、二人はずっとこのような感じだった。

 女子に釣られて入ってきてみれば、自分たちは眼中になし。

 さりとて出ていくのはそれはそれで勿体ないような気もするし、自分たちを見つけて興味を持ってくれている部長に悪いような気だってする。

 どうにも出口が見えず、二人の気分は底辺を這っていた。

 そんな時だった。

 

 

--カタン

 

 

「ん?」

「あれ?なんか動いた?」

 

 不意に物音が部室の中に響いた。

 その音は、二人で沈んでいた部屋の中では意外なほどに大きく、二人はつい音の鳴った方に目を向ける。

 そこは映画研究部の備品が収まった棚であり、今では部長が方々から集めた珍品が所狭しと並んでいる。

 その辺りのどこかで、何かが落ちたような音が聞こえた。

 

「この辺からしたよね?」

「何が落ちたんだ?・・・これか?」

 

 棚の近くまで寄って見てみると、棚の中で古めかしい薄い桐の箱が横倒しになっていた。

 元々不安定な場所に積まれていたのが、今になってバランスが崩れて倒れてしまったのだろう。

 倒れた衝撃のせいか、箱の蓋が開いて中身がはっきりと見えていた。

 

「なにこれ?お面?」

「うわっ、不気味なお面だな・・・でも、なんか見たことあるような」

「金剛力士像じゃない?中学の頃歴史の教科書で見たやつ」

「あ~、それだ」

 

 箱からこぼれそうになっていたのは、2枚の仮面だった。

 一枚は厳めしい顔の男が口を開けて怒りを露にしたような表情で、もう一枚は同じような顔の男が口を閉じて怒りを押し殺したような形相をしている。

 ただのお面だというのに凄まじい迫力であり、思わず触れるのをためらってしまうほどだ。

 

「でも、このまま放っておくのもな・・・」

「だよね。箱から転がって割れたら嫌だし」

 

 あまりいじりたくないモノではあるが、それでも放置するのは気が引ける。

 そう思った二人は、箱を取り出して近くの机に置き、仮面をきちんと箱に仕舞うことにした。

 

「なんで部長はこんなもの持ってるんだろうな?」

「さあ?なんか不思議なモノを見るのが生きがいとか言ってるし、これもそんな感じのアイテムなんじゃない?」

 

 そうして二人は蓋を開け、位置がズレてしまっている仮面を元に戻そうと仮面に手を触れ・・・

 

 

--汝らが秘めたる怒り、我らに捧げよ

 

 

「え?」

「野間瑠?」

 

 口を閉じた面に野間瑠が触れた瞬間、そんな声がどこからか聞こえた。

 辺りを見回してみるが、自分たち以外に人影はない。

 毛部が怪訝な顔で野間瑠を見ているだけだ。

 

「どうした?」

「いや、なんか声が聞こえなかった?」

「声?全然?」

「そ、そう?」

 

 毛部に聞いてみても、彼はそんなものは聞こえていないという。

 野間瑠に不思議そうな視線を向けながらも、毛部も仮面に手を伸ばす。

 

「変なこと言ってないで、さっさと戻そうぜ。もし部長たちが帰ってきたら変な誤解を・・・」

 

 

--汝らが怒り、我らが晴らそう

 

 

「は?」

「毛部君?」

 

 今度は、毛部の頭の中に声が響いた。

 

「お、おい、今声が・・・」

「毛部君にも聞こえたの?でも、そっちの声は聞こえなかったけど・・・」

 

 仮面を手に持ったまま、二人は顔を見合わせた。

 その顔には汗が滲んでおり、顔色も悪い。

 二人には、部屋の中の空気が一気に冷え込んだように感じられた。

 

「は、早く片付けようぜ!!」

「う、うん!!」

 

 『何かがおかしい』。

 二人の本能が警鐘を鳴らしていた。

 一刻も早くその場を離れるべきだと。

 その警告に従うように、二人は仮面を箱の中に戻そうとした。

 

「え?て、手が離れない?」

「う、嘘だろ!?」

 

 だが、二人の手は仮面を離すことができなかった。

 否、仮面が二人の手から離れようとしていないかのようだった。

 腕を振って、果ては壁に叩きつけても、仮面は手から離れない。

 それどころか・・・

 

「か、身体が勝手に・・・!?」

「ど、どうなってんだよ!?」

 

 二人の腕が、その意思に反して動いていた。

 手に持った仮面が、ゆっくりと顔に近づいて来る。

 

「や、やめろ!!」

「なんだよこれ!?なんなんだよ!?」

 

 自分の理解を超えた現象に、二人は顔を恐怖に染めて叫ぶが、体の動きは止まらない。

 ついには、その場から動こうとする脚すら立ち止まってしまい、ただ腕だけが別の生き物のように持ち上がって来る。

 そして・・・

 

「「う゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」」

 

 部室の中に、二人の叫びがこだました。

 

 

-----

 

「ありゃあ、ヤバい奴らッス!!跳ねただけで、空にいるオイラのとこまで手が届きそうで怖かったッス!!でも、瘴気は感じなかったッス!!」

「仮面を被った男二人なのデスが、叫びながら追いかけてキテ・・・それがまた速いのナンノ。追いつかれたら何をされるか考えるのも恐ろしいのデス・・・デスから、申し訳ありまセンが追跡はできませんデシタ」

「あっしも川の中から見ただけですが、とんでもねぇ身のこなしでやした。ぱっと見は人間に見えたんですが、ありゃあ、力は人外に両足突っ込んでますぜ・・・」

 

 白流市の住宅街にある公園の、川の畔に設けられたベンチの前。

 人型にして錫杖を持たせたような烏と、尻尾が二股になった二足歩行の猫、そして緑色の肌に頭に皿を乗せた生き物が興奮冷めやらぬといった風に、そう報告してきた。

 

「そうか・・・ありがとう。山坊(やまぼう)、ミィ、三郎」

 

 沈む夕陽に照らされる三匹に、僕は労いの言葉をかける。

 

「そ、そんな、礼なんて受け取れないッスよ、兄貴!!」

「その通りデス、ミスター久路人。ミーたちは結局あの男たちの根城を掴めなかったのデスから・・・」

「旦那、それに奥方様、申し開きのしようもありやせん。白流警備隊の名折れでさぁ」

 

 しかし、三匹は恐縮したように頭を下げる。

 だが、僕としては相手の情報が少しでも手に入った時点でありがたいのだが、この3匹にとっては不甲斐ない結果のようだ。

 

「久路人がいいと言っておるのだ。そんなにへりくだるな。それは久路人の厚意を無下にするのと変わらんぞ?」

「あ、姉御、ですが・・」

「ミセス水無月、ミーたちは・・・」

「奥方様、やはりあっしたちも、もう少しお役に・・・」

「充分役に立ってるよ。僕にとって一番嫌なのは、君たちがやられて相手の情報が分からないことと、これからこの街を守るための手が足りなくなることなんだから。気持ちはありがたいけど、そこは分かって欲しいかな」

「己の力量を悔やむのはいいが、ここでクヨクヨしているくらいなら、訓練の一つでもしていた方がよほどいいぞ。お前たちはまだまだ未熟もいいところだが、それだけ伸びしろがあるということでもある。まずは命を守れ。力を付けるのはそれからだ」

「「「・・・はいっ!!!」」」

 

 そんな彼らも、僕と雫が言葉をかけると落ち着いていった。

 だが、その眼はさきほどの悲嘆にくれたものではなく、メラメラと燃えるような熱い闘志が感じられる。

 

「じゃあ、白流警備隊、解散っ!!何かあれば、術具で報告するようにっ!!くれぐれも、命を無駄にしないこと!!」

「「「はっ!!!」」」

 

 そうして、僕が号令をかけると、首に下げた黒い鎖を揺らしながらそれぞれ散っていった。

 山坊は空へはばたき、ミィは道路を駆けていき、三郎は川の中に潜っていく。

 

「あいつらも、大分様になって来たね」

「うん。白流警備隊・・・最初はちょっとした仕事をあげるだけのつもりだったけど、いい感じだよ」

 

 去っていった三匹を見送りながら、僕と雫は呟いた。

 

 『白流警備隊』

 それは、常世から逃げてきたり、現世で妖怪になったばかりの力の弱い個体で結成された白流市の哨戒部隊だ。

 これは三郎の件があった後に、彼が現世で生きていくための仕事を考えている時に思いついたもので、水中での機動力に優れる三郎に街を流れる川を使って僕らのパトロール範囲をカバーしてもらうことにしたのだ。

 だが、当初は僕らがパトロールをしていない間も警戒をしてくれるようにするのが目的だったのだが、弱い妖怪は彼らどうしで繋がりを作りやすいらしく、いつの間にか白流市に入り込んできた力の弱い妖怪による一大ネットワークが出来上がっていた。

 そこから入手できる情報は玉石混交であるが、常世からいつどんな妖怪が入ってきたか、どんな奴は暴れているのか分かるのはありがたい。加えて常世から来たばかりの妖怪は混乱しているモノも多く、そこに力の強い僕らがいくと怯えて逃げてしまったり、パニックを起こしてしまうこともあるのだが、彼らならばそんな心配もない。

 僕らの、そしておじさんたちの予想よりも優秀な受け皿として、彼らは機能していた。

 そして、学会の面々も彼らには興味を持っているらしく、彼らが現世で生きていくための物資やら何やらはおじさんを介して学会が支給してくれている。

 

「陸海空、全域カバーできるのは本当に便利だしね」

「街の入り組んだ路地とか、狭い隙間とかもあいつらなら詳しく知ってるもんね」

 

 妖怪には様々な種類があり、住む場所も多様。

 それ故に、白流警備隊は街のあらゆる場所を見回ることができるのだ。

 さっきの山坊は常世から勢力争いに負けて逃げてきた烏天狗であり、街を空から見回す空挺部隊の代表。

 ミィは最近猫又になった元飼い猫で、住宅街の隙間を熟知した隠密部隊隊長。

 三郎は一番の古株にして、川や池の多いこの街の水中に目を光らせる潜水部隊隊長だ。

 ちなみに、警備隊に所属する妖怪は僕が作った黒鉄の鎖を身に着けており、鎖には簡易的な通信の術式を刻んである。隊長の鎖には装飾も付けるようにしており、今ではこの街の妖怪の間で立派な鎖を付けるのはステータスなのだとか。

 

「ともかく、彼らのおかげで推測はできるようになった。『夜中に街の中を大声で叫びながら踊る影』・・・通称ナイト・シャドウズ。正体は多分人間だ。それも、すごい高レベルの身体強化系の術が使えるのが二人」

 

 僕と雫はベンチに腰かけたまま顔を突き合わせ、話を聞いて分かったことを整理する。

 

「ナイト・シャドウズねぇ・・・なんかダサい名前」

 

 雫は、中学二年生の男子を見る同学年の女子のような顔でそう言った。

 なんとも微妙な表情で、『あんまり関わりたくないなぁ』と書いてあるようだった。

 

「まあまあ。確かに名前はアレだけど、妖怪たちにはかなり恐れられているみたいだよ?」

 

 ナイト・シャドウズ

 それはこの街の妖怪たちの間で囁かれるようになった新しい噂だ。

 さっき隊長三匹をこの場に呼んだのも、この噂について詳しく知るためである。

 僕も警備隊の面々に通信で聞いたばかりなのだが・・・彼ら曰く。

 

『夜に街を歩いていると、どこからか高笑いが聞こえてくる』

『不気味に思って逃げ出そうとしても、もう遅い』

『声が聞こえた次の瞬間には、ものすごい速さでやって来る』

『目の前で不可思議な踊りを舞いながら、奴らは問いかけてくる』

 

 そこで、僕は一呼吸おいて・・・

 

「『俺たちの名前をしっているか?』ってね」

「・・・・・」

 

 僕の語りを、雫はゴクリと唾をのみながら聞いていた。

 さっきまであまりやる気の見えない顔つきであったが、話が進むにつれて雫に緊張が走っていく。

 僕の口調が上手いのか、それとも雫が聞き上手なのか、段々とその場の空気が冷えて重くなってくるようにも感じられた。

 そして、雫は意を決したように聞いて来る。

 

「もし、答えられなかったら?」

「その時は・・・」

 

 そんな雫に、僕は続きを語る。

 雫は顔を引き締め、どんな凄惨な内容でも受け止めると言わんばかりの表情で僕を見ていて・・・

 

「気絶させられた後に顔中に『ナイト・シャドウズ見参!!』って落書きされて放置されるらしい」

「・・・・は?」

 

 それまでの張り詰めていた雰囲気が、一気に白けた。

 

「これまでに警備隊の中で奴らの餌食になったのは10匹以上・・・犠牲者たちは本当はもっと早く報告したかったらしいんだけど、恥ずかしくて中々言い出せなかったみたいなんだ。それで、今も刻一刻と被害が広がってるところで」

「いや、無駄にシリアスな空気にしようとしなくていいから。もう無理だって。っていうか、何?その地味な被害。しかもなんで妖怪しか襲われてないの?人間は?」

 

 とうとう雫からツッコミが入った。

 なんとなく面白かったのでホラー映画風に説明していた僕だったが、そこでやめることにする。

 

「コホンっ・・・広報でも不審者が出たなんて話は聞いてないし、夜中にパトカーも走ってないから、人間を襲わないのは確かだと思うよ。妖怪しか被害に遭ってない理由は、正直分からないけど・・・もしかしたら、僕たちみたいにパトロールをしてるのかも」

「それにしてはやることが地味すぎでしょ。会った妖怪を殺すのならまだわかるけど顔に落書きって」

 

 僕は自分でも苦しいと思うような推測をしてみるが、雫にばっさりと斬られた。

 まあ無理もない。

 どんな理由でそんなことをしているのかは知らないが、あまりにもやっていることがショボすぎる。

 

「っていうか、どうして急にそんな人間が出てきたんだろう?比呂実たちみたいに、外から来た天然の霊能者?」

「それか、最近結界が不安定なせいで、この街で新しく目覚めた人かもしれないね。霊能力の抑制も機能してないみたいだし・・・まあ、どんな人にしたって今日の内に分かると思うよ」

「・・・!!」

 

 そこで、僕はベンチから立ち上がって黒いマントを羽織った。

 一拍遅れて、気の抜けた雫も表情を一気に険しくすると、立ち上がって水鉄砲を取り出す。

 

「もう、すぐ近くにいるみたいだから」

 

 僕たちが話していたのは、住宅街の中にある自然公園。

 警備隊の面々が集まるのに都合がいいというのもあったが、一番の理由は、そここそが奴らの出現ポイントの一つだったからだ。

 僕らの耳と霊力知覚に、こちらに向かって高速で移動してくる気配が引っかかる。

 

「何?この気配・・・そこそこ強そうなのに、ものすごい感じ取りにくい」

 

 身構える雫であるが、その声はさっきと打って変わって強い警戒心が滲んでいた。

 そしてそれは、僕も同じだ。

 

(雫の言う通りだ。気配を殺すのが上手い。まるで暗殺者みたいだ・・・)

 

 自分でもいうのもなんだが、僕は気配を察知するのが得意だ。

 霊力の探知は霊力の制御と関りがあって、雫よりも僕の方が霊力を感じ取るセンスは優れており、雫より先に気付けたのもそのおかげだ。

 だが、そんな僕にも今近づいて来る連中を捕捉するのにかなり時間がかかった。

 どれほど綺麗な身のこなしをしているのか、足音は針を落とした程度にしか聞こえず、霊力の扱いもうまいのか、無駄に放出している力がほとんどない。

 間違いなく、相当な手練れである。

 

(ショボいことしかしていなくても、気の抜ける相手じゃない。そして、どんな相手であろうと雫に何かするつもりなら・・・)

 

 僕は、刀を作り出して正眼に構える。

 

(久路人に少しでも妙な真似をするようなら・・・)

 

 僕の隣で、雫も静かに霊力を高めている。

 辺りには黒い砂嵐と白い粉雪が舞い始めているが、それは僕らの闘気の象徴だ。

 

((容赦はしない!!))

 

 気配がする方向に向かって武器を向けつつ、殺気すら迸らせる僕たちの目の前で、暗い木々が揺れる。

 一瞬ののち、黒い影が二つ、忍者の投擲した刃のような勢いで飛び出してきて・・・

 

「「ウェェェェェェエエイィィィイイイイ!!!」」

「え・・・?」

「は・・・?」

 

 茫然とする僕らの前で、二つの影が奇声を上げながらキレキレの動きで片手を顔にかざし、もう片方の手を腰をかき抱くように回した香ばしいポーズを決める。

 二人の動きはまるで鏡合わせのように左右対称で、背中合わせになりながらも、その顔はキッチリと僕らの方に向けていた。

 だが、その顔には・・・

 

「何あれ・・・?」

「金剛力士像?いや、っていうか・・・」

 

 なぜか、金剛力士像の顔をそのまま貼り付けたような仮面が嵌っていたが。

 だが、それよりも僕には気にかかることがあった。

 

「闇に輝く二つ星!!見上げて流れるほうき星!!」

 

 顔に金剛力士像(阿形)の面を付けた男が唐突に、腰に当てていた指をビシッと空に向けて叫ぶ。

 

「駆けるぜ一瞬!!逃すな青春!!」

 

 同じく金剛力士像(吽形)の顔を貼りつけた男が、ピッと素早い動きで顔に片手を当てたままこちらを指差す。

 

「俺を見ろ!コイツを見ろ!見逃せるならやってみろ!」

「来たぜ何しに?刻むぜ記憶に!俺らの名前を魂に!」

 

 忙しなく、それでいて見せつけるようにどうにもビシッとした動きで、彼らはお互いを指刺し、僕らをその厳つい仮面ごしに見つめてくる。

 

「聞いて驚け!!見てビビレ!!三回回ってワンと鳴け!!」

「晴らすぜイライラ!!かますぜ鬱憤!!教えてやるぜ、俺らの怒り!!」

 

 『それどこで買ったの?』と聞きたくなるような、妙にボロボロな黒い革ジャンがはためき、ダメージジーンズに包まれた足は残像が見えるほどのスピードでステップを刻んでいた。

 

「・・・うわぁ」

 

 僕の隣で、雫がうめき声にも似た声を出しながら一歩後ずさる。

 

(雫がツッコミを放棄するなんて・・・)

 

 何気にツッコミ気質な雫をドン引きさせて何も言わせないなど、早々できることではない。

 僕は違う意味で彼ら二人のことを上方修正する。

 そんな僕らの様子に気付いているのかいないのか、やたらとキレキレの二人は今も絶賛ダンス中だ。

 

「「俺ら夜型!!俺ら花形!!今宵の主役は俺たちだ!!そうさ、俺らは・・・」」

 

 二人の指先が、コンマ一秒の違いもなく同時に僕らを指差して・・・

 

「「俺たち二人がナイト・シャドウズ!!二人そろってナイト・シャドウズ!!イェェェェエエエエエエエエエっ!!!!」」

 

 最後にクルクルと高速で回転しながら天を指して、二人は高らかに自己紹介をする。

 そんな二人に、僕は言う。

 

「何やってんの、毛部君に野間瑠君」

 

 

-----

 

「「な・・・!!」」

 

 僕の目の前で、金剛力士像が二人固まってる。

 仮面を被っているのに自分の正体を見破られたことが衝撃だったのだろうか。

 

「え。久路人、あいつらって、あのモブっぽい二人なの?」

 

 雫は雫で、向こうの正体に気付かなかったのか、こちらも驚いてはいるようだ。

 

「見覚えのある綺麗な身のこなしに、聞き覚えのある声と息の合ったコンビネーション。なにより、僕でもちょっと注意しなきゃ見逃しちゃいそうなくらいの存在感・・・これであの二人じゃないなら、世界は広いんだなって思うよ」

 

 声を聞いた時にまず違和感を覚え、目の前に現れた時の存在感の薄さで僕はほぼ確信した。

 だが気になるのは、どうして異能の力に関係のなかったあの二人がこんな妙な事態を引き起こしたのかということだが・・・

 それを問いかける前に、向こうから反応があった。

 

「い、否!!否だ否!!断じて否!!」

「我らはナイト・シャドウズ!!俺がTADAHITOで、こっちはNAMIOだ!!断じて毛部や野間瑠ではない!!」

「いや、それ二人の下の名前じゃん」

「あの二人、下の名前はそんなんだったんだ」

 

 何やら二人が慌てて自分たちはナイト・シャドウズだと言っているが、口から出ているのは二人の下の名前である。

 

「くっ!!おいTADAHITO!!やるぞ!!こちらが名前を問う前にフライングなど、様式美というものが分かっていないヤツにはお仕置きだ!!」

「ああ、わかったNAMIO!!しかもソイツは我々をトンチンカンな別人だと勘違いしている!!我らの存在をガン無視したかのようなその振る舞い!!断じて許せん!!」

「我らの名を、その身に刻んでやろう!!」

「なんか結構好戦的だな・・・そこはあの二人らしくないや」

「久路人、どうする?」

「「っ!?」」

 

 どこからかマジックペンを取り出してナイフのように構える二人を見ながら、雫が冷気を纏う。

 それまでとは比較にならないほどの瘴気に、二人は身をすくませているが、退く気はないらしい。

 初めて雫の毒に触れたというのに戦意を絶やさないとは、かなりのものだ。もしかしたらあの妙な仮面にそういった効果があるのかもしれない。

 

「うーん・・・」

 

 少しだけ悩む。

 霊能者として見て、あの二人はお見合い会場にいた久雷の取り巻き程度の力量。あれであいつらは月宮の精鋭だったようだし、それと同等ということはそれなりに強いということだ。万全を期すなら二人で戦ったほうがいいだろうが・・・

 

「雫は手を出さないで。多分、こういうのは僕の方が向いてる」

「うん、わかった」

 

 相手は人間だ。雫では手を抜いても何かのはずみで殺しかねない。ならば、僕だけの方がいいだろう。

 雫も答えを予想していたのか、すんなりと戦意を抑えて後ろに下がる。

 もしかしたら、雫なりに僕とあの二人に気を遣ったのかもしれない。

 

「さっきから何を二人で仲良さげに話している!!」

「彼女いたのか月宮君!!この裏切者!!いや、好きな子がいたのは知っていたけど!!」

「僕のこと知ってるんなら、やっぱり毛部君と野間瑠君の二人で確定じゃん・・・その話したの君たちだけだし」

「黙れぇっ!!彼女持ちの君に、合コンで男と話したことしか記憶にない俺らの悲しみの何が分かる!!」

「普段は女子から見てもらえないのに、邪険にされる時だけ認識される辛さ、たっぷり教え込んでくれる!!」

 

 雫と話していたことが、何やら逆鱗に触れたらしい。

 僕としては普通のやり取りだったのだが、二人はえらくご立腹だ。

 雫が瘴気を消したことで、プレッシャーがなくなったこともあるのだろう。二人は言葉の端々にジメッとした闇が感じられる台詞を吐きながら、僕の方に駆けだしてきた。

 

(速い・・・)

 

 向かってくる二人を見て、僕は素直にそう思った。

 大声で会話するような間合いを、二人はたった一回の踏み込みで縮め、一瞬で僕の目の前に現れていた。

 まだ人間だったころの僕が『雷起』で強化した状態に匹敵するかもしれない。

 だが、予想通り術による遠距離攻撃は持っていないようだ。

 

「くらえぇぇえええ!!」

 

 二人同時に突っ込んできたが、ほんのわずかに速度に差をつけていたのか、最初に僕に攻撃してきたのは毛部君だった。

 手にしたマジックを鋭く振って、僕めがけて突きを撃ちだしてくる。

 仮面と違って持っているのはただのマジックのようだが、それでも軽く僕らの間を舞っていた木の葉がスッパリと切れるほどの速さで突き出されれば、今の僕でも痛みを感じるくらいはするかもしれない。

 白流警備隊の妖怪が、あっという間に気絶させられたのも頷ける。

 

「よっと」

「くっ!?」

 

 まあ、むざむざと当たってあげるつもりはない。

 僕の正面からほんのわずか右から来た攻撃を、僕は左に動くことで避ける。

 これまでこの攻撃を避けられたことがなかったのか、毛部君は驚いたような顔をする。

 

「だがっ!!」

 

 しかし、その眼には『かかった!!』とでも言いたげな光が宿っていた。

 

「もらったぁぁああ!!」

(息が合ってる。すごいコンビネーションだ)

 

 避けられたことはなくとも、避けられる可能性は考えていたのだろう。

 わずかに遅く走ることで毛部君の邪魔になるのを避けていた野間瑠君が、左に避けた僕を待ち構えるように迫っていた。

 毛部君の背中に半身を隠すように走っていたのか、存在感のなさと相まって、まるで瞬間移動でもしたのかと思えるほどにその動きは洗練されていた。打ち合わせはしていたのかもしれないが、ここまでピッタリと合わせて行動できるのはこの二人ならではだ。

 そうして、野間瑠君の持つマジックが僕の顎をめがけて突き出され・・・

 

「捕まえたよ、二人とも」

「「な!?」」

 

 僕は、二人の手首をがっしりと掴んでいた。

 野間瑠君の攻撃を避けながらその手首を掴み、ついでに近くにいた毛部君も僕の手が届く範囲にいたので捕まえる。

 

「まさか二人にこんなに霊能者の才能があるなんて思わなかった・・・」

 

 確かに二人は速かった。

 確かに二人の息は合っていた。

 彼らの持っていた武器が霊力の籠ったナイフであれば、中規模の穴から出てきた妖怪でもあっさりと倒せたに違いない。

 

「けどね・・・」

 

 だが、二人が相手をしているのは、この僕なのだ。

 幼いころから妖怪と戦うべく鍛え上げ、ついこの間とはいえ人間を止めたこの僕だ。

 ちょっとくらい速かろうが、連携が上手かろうが、そんな動きも余裕で目で追える。

 そして、そんな僕相手に接近戦を挑んだのだ。

 

「さすがに素人には負けられないんだ」

「「んぉおおおおおおおっ!?」」

 

 掴んだ手から、死なない程度に電流を流す。

 この二人はそこそこの霊力を持っているようなので、多少コントロールがブレても大事にはならない。

 雫の瘴気にもほんのわずかとはいえ抵抗してみせた仮面もつけていることだし、まず問題にはならないという確信があった。

 そして・・・

 

「「む、無念・・・」」

 

 シュゥゥウウと煙を立てながら、二人は前のめりに地面に倒れたのだった。

 

 

 




四章に入ってからあんまり反応がないので、感想プリーズ!!

後、ここから設定をちょこちょこ後書きに書いてこうと思います!!



設定

霊能者の覚醒

人間はだれしも霊力を持っているが、妖怪を認識できるレベルの者を区別して霊能者、異能者と呼ぶ。
霊能者には久路人のように先天的に霊力の生成量が多い者と、瘴気を受けて魂が変質することで霊力生成量が増える者がいる。
後者については何らかの尖った才能があるものほど覚醒しやすく、その才能に関わりのある術が使えるようになる者もいる。
毛部君と野間瑠君も後天的に覚醒したタイプであり、気配隠ぺいと身体強化の術をかなり高レベルで無意識に使用している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚7

間が開いてしまって申し訳ないです。
マジでスランプが治らない・・・キャラが自分の思うように会話してくんないです。
次もしばらくかかるかもしれませんが、読んでいただければありがたいです。


「さてと・・・いつでもいいよ」

「「・・・・・」」

 

 月宮家の裏庭。

 湿気が少しづつなくなっていく秋の空気に触れながら、三人の青年がそこに立っていた。

 黒いマントを着た久路人は素手のまま自然体で立っているのに対し、彼に向き合うようにしている毛部と野間瑠はその手に武器を持って緊張した面持ちで構えている。

 だが、久路人は先手を譲るつもりのようで動かない。あくまで何の構えもしないまま、二人の動きを待っていた。

 

「波雄、行くぞ」

「・・・うん」

 

 しばらくの間何の動きもせずに固まっていた三人だが、埒が明かないと判断したのだろう。

 毛部は野間瑠に声をかけると、状況を変えるべく一気に動いた。

 

「せやぁああああっ!!」

 

 自分を鼓舞するように雄たけびを上げると、久路人めがけて一直線に駆ける。

 そのスピードは瞬きの間に、10m程度間を開けていた久路人の元に得物を届かせるほどだ。

 その手に握られた霊力を放つナイフが、一切のためらいなく久路人の胴に横凪の軌跡を描きながら迫る。

 ナイフは見るからに鋭そうな業物で、溢れる霊力から術具としても一級品なのが見て取れた。

 いかに久路人が人外とはいえ、今の久路人は身体強化系の術を使っていない。その上で人化の術を使用した状態でなら、喰らえば相応に傷を負うのは間違いないが、毛部に怯む様子はない。

 どうしてこれまで喧嘩の一つもしてこなかった彼が友達に向かってそんな危険なことができるのかと言えば、この一撃程度では久路人に届くことはないと、ここ数日で身に染みているからだ。

 

「ふっ!!」

 

 毛部の予想通り、ナイフの一閃は久路人がほんの少し身体を後退させるだけであっさりと躱された。

 ナイフの切っ先が服を掠めるギリギリの距離を瞬時に見切り、最小限の動きで避ける。

 

(一瞬見失いかけた・・・やっぱりすごい才能だ。覚醒してそんなに日が経ってないのにここまでできるのか)

 

 しかし、内心で久路人は舌を巻いていた。

 毛部と野間瑠が霊能者として目覚めたのはつい最近の事。

 しかも、京によって与えられた術具を持っているとはいえ、今はあの仮面も付けていないというのに、これほどの鋭い動きができるのは凄まじい才能である。

 

「けど、それじゃあ届かないよ」

「くっ!?」

 

 攻撃を空振りした毛部と、ほとんど隙を晒さずにいなした久路人。

 これは毛部にとっては致命的な隙であり、勝負の行方はほぼ決したとみていいだろう。

 毛部は振り切った腕を引っ込めつつ、バックステップで距離を取ろうとするが、それよりも久路人が一撃叩き込む方が早い。

 

「波雄っ!!」

「うんっ!!」

 

 それが、彼らが一人だけで戦っているのであれば。

 

「おっと・・・」

 

 毛部に向けて伸ばされた腕めがけて、毛部の持っているモノとそっくりな造りのナイフが飛んでくる。

 ナイフは黒く染まった久路人の手に払いのけられたが、その間に毛部は久路人の間合いから逃れ、態勢を立て直していた。

 

「まだまだっ!!」

 

 ナイフを投擲したのは、毛部の背後にいた野間瑠だ。

 その手にはナイフが握られており、雨あられのように、されど精密なコントロールで久路人に投げつけてくる。

 投擲は久路人にあっさりと弾かれるが、どれも久路人の急所を狙っており、久路人としてもそちらに対応せざるを得ない。

 

(やっぱり息が合ってる。どっちかと言うと接近戦が好きな毛部君と、投擲で中距離から牽制する野間瑠君・・・今使ってる術具があれば、あの吸血鬼コンビの片割れくらいなら倒せるかも)

 

 術具、『夢幻刃』

 二人が持っているナイフは京の手によって作られた一級品の術具であり、高い耐久性と霊体にすら通じる鋭い切れ味、使い手の霊力を吸って複製を作る能力、さらには姿を隠す能力まで持っている。

 最初に毛部が近づいてきた時にわずかに反応が遅れかけたのも、本人の影の薄さが強化されていたからだ。

 その隠密性と火力、二人のコンビネーションが合わされば、以前に久路人たちを襲撃してきた吸血鬼を倒せるかもしれない。

 

(まあ、初撃の奇襲で仕留めきれなければ大分苦しいだろうけど)

 

 それでも大穴を通り抜けなければ出てこれない妖怪を倒せる可能性があるというのは、早々お目にかかれる才能ではない。

 今の現世の霊能者では、中規模の穴から出てきた妖怪であっても一対一で倒すのが関の山というのがほとんどなのだから。

 

「忠人!!」

「ああ!!」

 

 絶え間ない投擲で久路人の足が止まっている間が、二人が攻撃を当てられる唯一のチャンスだ。

 野間瑠が声をかける前から、毛部はすでに構え終わっていた。

 同時に、野間瑠も自らの霊力を高める。

 

(来るかっ!!)

 

 二人から感じる気配が変わったことで、久路人も一段階警戒レベルを上げる。

 その直後だった。

 

「影刃!!」

「っと!!」

 

 野間瑠から投擲されたナイフを弾くと、ナイフの影から銃弾のような勢いで漆黒の刃が飛んできた。

 これまでとは段違いの速さの攻撃に、久路人も少し驚いたような表情をするも、落ち着いて手刀で叩き落す。

 だが、それで生じた隙はこれまでで一番大きかった。

 

「影閃!!」

 

 その隙を、毛部は見逃さなかった。

 術具の効果も併せて直視していても見失いそうなほどに存在感を薄めてから、高速で久路人の側面に回って、首めがけて一閃。

 野間瑠の術技と同じく、会心の一撃と呼べるほどの斬撃が吸い込まれるように久路人の首筋に走り・・・

 

「甘いよ」

 

 

--ギャリリリリ!!!

 

 

「うおっ!?」

 

 ナイフが触れる直前、漆黒の砂鉄でコーティングされた首筋を敢えて久路人側から押し込むように触れさせ、滑らせる。

 単純な回避ではなく、攻撃の完璧な受け流し。それも、武器ではなく、己の急所を使った離れ業。

 その衝撃に毛部は久路人とゼロ距離で、ただ勢いのままに体を泳がせてしまった。

 

「ふんっ!!」

「おぐっ!?」

 

 そんな隙を見逃すほど、久路人は耄碌していない。

 黒い拳が毛部の鳩尾に突き刺さり、毛部はその場に膝をついた。

 

「忠人!?」

 

 毛部と久路人がほとんど重なり合っていたために、投擲による援護ができなかった野間瑠はただそれを見ていることしかできなかった。

 だが、その間にも久路人は次の攻撃の準備を終えている。

 久路人の親指には、いつの間にかビー玉サイズの黒い塊が乗っていた。

 

「よいしょっ!!」

 

 野間瑠の投擲を真似するかのように、黒い玉が久路人の指から弾き飛ばされる。

 

「あでっ!?」

 

 自らの額に激痛が走ったと思った瞬間、野間瑠は吹き飛ばされて、仰向けになって空を見上げていた。

 その青さを認識すると同時に、野間瑠は自分たちは負けたのだと悟る。

 

「あぁぁあああ~、また一発も入れられなかった!!」

 

 野間瑠がそうして寝転がっていると、先に倒れていた毛部が立ち上がって、悔しそうに吠えた。

 

「そりゃ、僕はずっと修行してたし、それ以前に人間じゃないからね。そう簡単には負けられないよ」

「でも、月宮君は武器なしで、あと術?っていうのも使ってないんでしょ?それでこうやって転がされるだけってのはやっぱり悔しいよ」

 

 久路人と話し始めた毛部に、野間瑠も立ち上がって混じる。

 この訓練を初めてまだ数日であるが、運動神経に自信があり、さらには霊能力の覚醒によってそれまでと比べ物にならない能力を手にしたというのに一方的にやられるだけというのはやはり悔しいものがあった。

 

「いやいや、そうは言っても二人だってかなりすごいんだよ?毛部君の間合いの取り方とか、野間瑠君の投擲の速さと正確さ、どっちもそこらの妖怪なら相手にならないくらいだし。っていうか、術技を一週間くらいで使えてるとか、僕よりも早いからね?」

「そ、そうか?」

「そう言われると悪い気はしないね・・・月宮君、こういうことで嘘つくの苦手だし」

 

 そんな彼らが、自分たちを負かした久路人からの高評価を素直に受け入れられるのは、本人たちの人格と久路人との付き合いあってこそだろう。久路人は敵対している相手ならばともかく、友人にうわべだけ飾り立てた言葉で嫌味を言うような者ではないということくらいは、久路人が霊能者だったとことを知らなかった二人にもわかる。

 

「京さんに聞いたけど、俺たちみたいに後天的に覚醒した人たちって、それまでに才能を発揮していた分が経験値扱いになってるんだろ?それもあるんじゃないのか?」

「それを差し引いてもだよ。っていうか、いくらそれまで積み重ねがあるからって、あんなに鋭い術技は普通に暮らしてるだけじゃ身に付かないし、やっぱりセンスがあるからだと思うよ?」

「まあ、これまで体を動かすのは結構やってきたけど、刃物を振るなんてやったことなかったしなぁ」

「おじさんとメアさんも言ってたけど、身のこなしもいいけど、一番すごいのは気配隠ぺいの術だってさ。そこに関しては霊能者の中でも数えるほどしかいないレベルだって」

「それは・・・」

「そこはあんまり嬉しくないな・・・」

 

 後天的に覚醒した霊能者は尖った才能が霊能力に転じるケースが多く、その才能を振るっていた時間がそのまま修行に当たるらしい。久路人の目から見ても二人の動きが筋がいいと言うのは、その辺りもあるが、自身の存在感のなさを褒められた二人は微妙な表情だ。

 影の薄さが術に昇華されても幻術を無効化する久路人に意味はないが、足運びや視線の向け方、音の消し方など、物理的な意味でも影の薄さに磨きがかかっているため、幻術に耐性があるからと言って油断ができる相手ではない。現に久路人ですら、二人の動きの察知には全神経を使っているほどだ。京にも、この二人には妖怪から身を隠す護符は必要ないと判断されている。

 

「だから、二人は自信もっていいよ。これだけ動ければ、一流の霊能者になれる。二人のやりたいことだって、叶えられるよ」

「・・・そうだな。他でもない月宮がそう言ってくれるのは心強いよ」

「うん。俺たちにも、月宮君みたいに叶えたいことがあるんだ。そのために使える才能があるんなら、使わなきゃ」

 

 男三人で、芝生の上で語り合う。

 その表情は三人とも明るく、楽しそうだ。

 毛部と野間瑠は、負け続きとはいえ自分たちの野望を叶えるために少しづつ前進しているのを感じ取っているし、常人にはない強力な異能の力を持ち、非日常の世界に踏み込んだ高揚感もある。

 そして久路人にとっても、二人は初めてできた異能の力を明かせる同性の友人だ。

 これまで隠していた事情を話すことができて、どこかスッキリとした解放感を感じていたし、友達が同じ世界に来てくれた嬉しさもある。二人を巻き込んでしまったと言えるかもしれないが、二人ともそこをむしろチャンスだと前向きに捉えているのも大きいだろう。

 ともかく、三人は和気あいあいと話を続けようとして・・・

 

「・・・ずいぶんと楽しそうだな」

「「「っ!?」」」

 

 裏庭に冷たい声がこだました。

 笑いながら話していた二人の身体に、氷柱が突き刺さったかのような悪寒が走る。

 

「いいご身分だな?久路人が時間を割いて鍛えてやっているというのに雑談に興じるとは、そんなに自分の実力に自信があると見える。次は妾が相手してやろうか?久路人と違って、本物の妖怪と命のやり取りができる貴重な機会をくれてやる」

「「す、すみませんでしたぁっ!!」」

 

 じっとりと不機嫌さを隠さない声音で、声の主が近づいて来る。

 二人は、すぐさま直立不動になって敬礼した。

 その表情は恐怖に染まっており、少しでも不興を買いたくないと物語っていた。

 

「ふんっ・・・」

「雫、二人に話しかけたのは僕だし、そんなに厳しくしなくても・・・」

「・・・・・」

 

 二人の、いや、久路人の前にやってきたのは雫である。

 雫がどうして機嫌が悪いのかは分かっていて、それを嬉しくも思うが、二人への辛辣な態度に久路人はやんわりとたしなめたが、返ってきたのは不満を隠さない湿気に塗れた深紅の視線だった。

 ずいっと久路人に近寄り、顔と顔がくっつきそうなほどに距離を詰める。

 

「ここ最近、久路人と私が二人でいられる時間が先週比で8.3%も減ってるんだよ!?寝る時もお風呂もずっと一緒だったのに、こいつらが来てから一割近く大事な大事な久路人との時間を削られるとか、久路人はなんとも思わないのっ!?」

「ご、ごめん」

「・・・まあ、久路人が優しいのは知ってるし、こいつらがいたから高校でも面倒な人間に絡まれなかったのは感謝しないこともないけど、それとこれとは話が別なのっ!!」

 

 雫はずいぶんとご立腹であった。

 言葉通り、久路人との時間が削られているのも大きな不満であるが、それ以上に雫は毛部と野間瑠に嫉妬しているのである。

 

「久路人も久路人で、すっごい楽しそうだし・・・」

「それは、まあ、僕としても友達が知ってる世界に来てくれて嬉しいってのはあるし・・・」

「むむぅ~!!」

「だからごめんってば!!わかったよ!!この埋め合わせはちゃんとするってば!!」

「・・・言質とったよ?楽しみにしてるからね?具体的には今日の夜」

「え?早くない?・・・わ、わかったよ!!わかったからここで服を脱がそうとするのはやめてってば!!」

 

 久路人も久路人で後ろめたさがあり、雫の要求に無条件で屈服する。

 その様子に、雫もひとまず満足したのか、『ふんっ』と鼻を鳴らしながらも久路人の服にかけていた手を降ろしたが、心なしか少し残念そうに見えなくもない。

 しかしこの程度で満足したのは、雫の言う通り二人に多少の恩があるのと、なにより二人が男だからである。

 もしもこれが女友達だったとしたら、今頃不慮の事故を装って消されていただろう。

 

(ものすごい美少女とのイチャイチャをほぼ毎日見せつけられてるけど、あんまり羨ましいとは思わねぇな・・・一応、俺らの目標なのに)

(だよね。まあ、水無月さん性格も臭いもキツイなんてもんじゃないし。それ以上にめっちゃ怖いし。よく月宮君は近くで話せるなぁ・・・)

(あんなヤバい子が近くにずっといたのに気付かなかったとか、俺らもしかして滅茶苦茶綱渡りしてたのか?)

(見えてたら見えてたで、それもヤバかったと思うよ。月宮君も水無月さんのことになるとものすごく怖いし)

(似たもの同士だよな、あの二人)

(うん)

 

 そんな二人を見ながら、毛部と野間瑠は小声でささやき合う。

 二人の境遇的に目の前でイチャつくカップルには殺意しか感じないのだが、久路人たちに関してはそんなこともない。

 むしろ、今にも鼻が曲がりそうな悪臭をものともせず、逃げ出したくなるような恐怖など一切感じていないような久路人に畏敬の念しかない。

 最近の雫にとって二人に対する好感度はマイナス気味であり、それにともなって二人に放たれる毒気も凶悪になっており、二人は雫の周囲に近づくことすら困難であった。

 もっとも、それがなくとも二人が雫に近寄ることはないだろう。

 二人は、久路人自身も雫に並々ならぬ愛情を持っていることをここ数日で知っている。妙なことをすれば、いくら友達だろうと何をされるか分からない恐怖を久路人から感じていた。

 

(でもまあ、見ていて損はないというか、やる気は出るよね。俺たちだって・・・)

(ああ・・・)

 

 しかし、彼らにとってはそんな恐怖があろうがあまり関係はない。

 君子危うきに近寄らず。危険なモノにはちょっかいをかけないようにすればいいだけだ。妙な好奇心で、あんなにおっかない化物に近づいて自分たちの目的を果たすための近道を捨てるなど馬鹿げている。

 それに、二人にとってあの二人は自分たちの理想を体現した存在なのだ。

 二人は改めてイチャついているんだか痴話げんかしてるんだか分からない二人を見ながら思う。

 

((あんな風にイチャつける彼女が欲しい!!))

 

 

-----

 

 時はあの仮面を被っていた二人を倒した翌日まで遡る。

 

「「月宮君、本当にゴメン!!」」

 

 月宮家の客間で、毛部君と野間瑠君が僕に頭を下げてきた。

 

「いや、いいよ。二人がおかしくなってたのは、あの仮面のせいだったんだし」

「むしろ、そこで謝らなきゃいけないのは俺の方だな。まさか術具が外から流れてくるなんてな・・・」

 

 そんな二人に、僕とおじさんは気にする必要はないと手を振って見せる。

 ちなみに、毛部君は目元を隠すくらい前髪を伸ばしてマッシュにした少し荒っぽい話し方をする方で、野間瑠君は同じく目元を前髪で隠した天然パーマ気味の大人しい話し方をする方とおじさんには紹介済みだ。

 

 

「あの仮面は、古い術具でな。付けたやつの内なる感情を増幅させて、その分身体を強化するって代物だ。忘却界の中で霊力がなくなりかけてて、結界に引っかからなかったんだろうな。それがこの街にあふれてる霊力を吸って力を取り戻し、お前らに目を付けたってわけだ」

「そ、そうですか・・・」

「そんなことが・・・」

 

 あの後、倒れた二人を僕が月宮家まで運び、おじさんに頼んで二人の体調や持っていた仮面を見てもらい、そのほかの調査も済んだのでその報告会をしている。

 一般人ならば記憶を消しておしまいなのだが、毛部君と野間瑠君の場合はそうもいかない事情があった。

 

「あの後、お前らの部室まで見に行ったが、他にもいくつか術具があった。どれもあの仮面よかグレードは下だったがな」

「え?じゃあ、部長は・・・」

「もしかして・・・」

「安心しろ、白だ。寝込みにちょいと記憶も見させてもらったが、あいつには霊能力はない。術具についても興味があっただけだな。いわくつきの品をオークションやらなにやらで集めてた中に本物が混じってたってわけだ。気になることはあったが・・・まあ、後でいいだろ」

 

 今回の事件は、映画研究部の部長とやらが持っていた術具、二人が持っていた仮面が原因だったと判明している。

 他にも似たような術具がないか探ったり、部長本人が悪意をもって何かを企んでいたのではないかと疑ったが、あの術具は部長の趣味で集めたというだけの代物だった。

 術具というのは霊力によって特殊な効果を持った道具のことだが、忘却界の中にあると術具に込められた霊力が少しづつ漏れていき、やがて使えなくなってしまうらしい。完全に霊力が枯渇してしまえば術具としての機能も失って、もう一度術を込め直さない限りただの道具と変わらなくなるのだが、ハイグレードのモノは霊力が抜けきるまでに時間がかかったり、休眠するモノがあるとのこと。そして、中には使い手を求めて自ら動くモノすらあるという。

 あの仮面もそうやって休眠していたために結界をすり抜けることができたという訳だ。

 まあ、そんなハイグレード品など早々あるものではないらしいが。

 

「あそこにあった術具は、勝手だが全部回収させてもらったぜ。見た目そっくりなレプリカを作っておいたからバレることはないがな」

「おじさんの作ったレプリカなら、まず心配はないね」

 

 おじさんのおかげで、術具に対する後始末はすべて片付いている。

 この街に入ってきた分も、おじさんが昼の間に周って確認してくれていた。

 最近は結界の方もなんとか落ち着き始めたらしく、昼間も付きっ切りで見ている必要はなくなったからとのこと。

 問題は・・・

 

「さて、お前らの身の振りについてだ」

「「!!」」

 

 おじさんの言葉に、二人が一気に身をこわばらせた。

 

「まさか、霊能者の素質があるヤツが天然モノで二人もいるたぁな・・・」

「物部さんたちは先天的だったけど、後天的になる人もいるんだね・・・」

 

 これが、二人の記憶をすぐに消さなかった理由だ。

 僕やおじさん、物部姉妹は生まれた時から霊力の量が多く、ごく自然に異能の存在を見ることができていた。

 それに対して毛部君と野間瑠君は、瘴気を取り込むことで霊力の生成量が増えるタイプ。

 毛部君と野間瑠君には、後天的に霊能者となる才能があったのだ。

 

「お前ら、妖怪やら霊能者のことは説明したから理解したよな?お前らには二つの選択肢がある」

 

 二人には、もう異能の力について説明済みだ。

 この世界には霊能者や妖怪がいて、さらにはとんでもない化物がいる常世が存在していること。

 普通の場所は忘却界に守られていて安全だが、この街はそうではなく、日夜妖怪が跋扈していて、僕らが退治して回っていること。

 そして、二人もそんな非日常の世界に足を踏み入れてしまったこと。

 それを知った上で、二人には選ぶ権利がある。

 

「一つ目。お前らが目覚めてから今日までの記憶を消して、霊力も封印。これまで通りの日常に戻る」

 

 それは、これまで妖怪に襲われていた人に施していた処置でもある。

 物部姉妹についてはこの街に来てから時間が経ちすぎていた上に、生まれつき霊力が多かったため、そうした処置を施すと他の記憶にも影響が出る可能性があったので例外的に見送ったが。

 

「んで、二つ目。お前らも霊能者として俺らに協力してもらう」

 

 二つ目の選択肢は、彼らに非日常の僕らがいる世界に入ってきてもらうことだ。

 物部姉妹にはしなかった提案を、どうして彼らにはするのかと言えば。

 

「はっきり言って、お前らの才能はかなり魅力的だ。腐らせるのは惜しい。使える人手が全然足りねー現状、戦えるやつは希少なんだよ」

 

 それは、二人の持つ才能が中々のものであったからだ。

 さすがに大穴から出てくる妖怪を相手にさせるのは難しいだろうが、装備を整えて訓練を積ませれば中規模の穴から出現するレベルを余裕を持って倒せるくらいにはなるらしい。

 

「俺たちにそんな才能が・・・」

「でも、やっぱり危なくないですか・・・?」

 

 話を聞いた二人の反応は、可もなく不可もなくと言ったところ。

 いきなり戦えと言われても取り乱していないのは、自分たちの力が強いものだとここ数日動き回ったことで自覚しているからか。

 それでも、仮面を外して正気に戻った後では不安もあるようだ。まあ、当然の反応だろう。

 

「まったく危険がないとは言わないぜ。だが、お前らなら鍛えればそこいらの妖怪なら相手にもならないだろうし、なによりそれだけ影が薄けりゃそもそも見つからねえよ。気配隠ぺいなら、間違いなくお前ら天才だぞ。そんだけ存在感薄いのによく今まで生活できてたなって感心するくらいだ」

「「ええ・・・」」

 

 おじさんは褒めている口調なのだが、二人は微妙な表情だ。

 反応の悪さを悟ったのか、おじさんはコホンと咳払いをした。

 

「もちろんただでとは言わねぇ。きちんと報酬は払うし、訓練だってつけてやる。そうだな・・・日給五万でどうだ?お前らが妖怪を倒したら、そいつの強さでさらに上乗せする」

「日給で五万!?」

「ちょっ!?それ本当に危なくないんですか!?」

 

 日給五万。週に一日だけでも月二十万だ。

 学生のアルバイトとして見ればかなり割りがいいだろう。非合法のラインを疑うほどだ。

 

「金が不安なら他のモンでもいいぞ。法に抵触しない範囲でなら大抵のことは叶えてやる。金、権力、女・・・男の欲しいモンなんぞ余裕で揃えてやるが?何かあったら、当然この俺が責任を取る」

「いや、そんな言い方したら余計にダメでしょ。犯罪臭がさっきよりすごいよ。二人とも、確かに才能がありそうだから大丈夫だとは思うけど、別に断ってくれても・・・」

 

 二人の友達の僕としてはどっちかと言えば二人には元の日常に戻ってもらった方がいいとは思う。

 二人が目覚めてしまった遠因には、僕と雫も関わっているし、巻き込んでしまうのは申し訳ない。

 まあ、おじさんが言うように腐らせるのが勿体ないレベルではあるとは思うけども。

 そうして僕は二人に無理して受ける必要はないと言おうとしたのだが・・・

 

「「よろしくお願いしまぁすっ!!」」

「いい・・・え?」

 

 見れば、二人は立ち上がって、おじさんに向かって腰の高さにまで頭を下げている。

 

「そ、その・・・女の子紹介してもらえるのって、マジなんですか?可愛い子期待してもいいんですか!?」

「月宮君もものすごい怖いけど美人な子連れてたし、あのレベルの彼女が俺たちにもできるんですか!?」

 

 頭を下げたままではあるが、二人は真剣な声でそう言っていた。

 

「どんだけお前ら女に飢えてんだよ・・・まあ、お前らのレベルなら他の霊能者の家も欲しがるとは思うぜ。霊能者は基本的に美形が多いし、当たりを引ける確率は高いと思うぞ。そういう家を紹介してやってもいいが」

「「一生付いていきます、月宮さん!!」」

「お、おう・・・お前ら、美人局とかには気を付けろよ?あと」

 

 女の子を餌にした瞬間、迷いなど全く感じさせない勢いで異能者の世界に足を踏み入れることを決めた二人に、おじさんは少し引いたような顔をしていた。

 

「久路人の前で雫のこと口に出すのは止めとけ。おい久路人、お前も刀しまえ」

「・・・うん」

「「え・・・」」

 

 そして、僕もいつの間にか手に持っていた刀を黒鉄の砂に戻す。

 柄を握りしめすぎて血が滲んでいたが、その傷もすぐに治った。

 そんな二人に、僕は笑顔で言う。

 

「二人がそっちの道を選んだのは色々複雑な気分だけど・・・二人が決めたことなら、僕は応援するよ。ただね・・・?」

「「っ!?」」

 

 一瞬で黒鉄の刃を再構築し、殺気を込めて二人の目の前で一閃する。

 刃は二人の鼻先をわずかに掠め、部屋に一陣の風を巻き起こした。

 

「雫を妙な眼で見たら、二人でも容赦しないから」

「「は、はい・・・」」

 

 こうして、毛部君と野間瑠君は、霊能者の世界に足を踏み入れたのだった。

 

 

-----

 

 後になって、『・・・水無月雫だ。久路人の彼女で実質妻だ。それ以上のことなどお前らに教える必要はない』と、不機嫌さを隠さない雫を紹介しつつ、角を生やした半妖体を見せて僕が人間を止めたことを話すと・・・

 

「あ~、なるほど」

「だからあんなに迫力あったんだね・・・」

 

 驚くよりもなぜか納得していたのだった。

 そして、雫の発する毒気を浴びたことで、

 

「漫画とかで人外娘もアリかもとか思ってたけどさ・・・」

「無理。絶対無理!!」

 

 鼻を押さえながら、人外ヒロインへの憧れを諦めるのだった。

 

 

-----

 

(あの部室から持ってきた術具・・・)

 

 月宮家の地下にある京の工房の中。

 映画研究部の部室から押収してきた術具を並べて、京は考え込む。

 

(この仮面は、古い術具だった。珍しい話だが、強い力を込められた術具が忘却界の中で眠ってたってのはなくもない話だ。だが・・・)

 

 毛部と野間瑠が被っていた仮面を手に取るが、その視線はそれ以外の術具に向かっていた。

 仮面については、術具の専門家である京にとってなじみ深いもので、どういった経緯で事件を起こすに至ったか大まかに推測ができた。

 だが・・・

 

(こいつらは何だ?)

 

 京の目に映るのは、部室にあった低グレードの術具だ。

 仮面と同じように古ぼけた見た目の人形やら髑髏のオブジェやら、不気味な見た目のものだったが、問題はそこではない。

 

(隠そうとはしていたが、いやに霊力が『新しい』。そもそも、こいつらくらいのグレードの術具が忘却界の中にあったら、一年もしないうちに霊力が切れるはず。そんなのが複数見つかるだと?)

 

 忘却界の中で術具が休眠しているのはあり得ない話ではないが、そんなことが可能なのはハイグレードの術具だけだ。品質の良くないものなら、短期間で込められた霊力が霧散し、ただの道具に戻ってしまう。

 それなのに、術具として機能を保ったモノが複数見つかっている。

 

(この辺りの霊脈の異常といい、常世から逃げてくる妖怪の多さ、それにこの術具・・・キナ臭いな)

 

 京はそこでいったん思考を打ち切ると、机の上の術具に意識を向ける。

 京にかかれば、術具の鑑定など朝飯前だ。

 だが、万が一を考えて月宮家の中でも最も堅牢な工房で詳しい調査を行おうと思い、今まで放置していたのである。

 そうして、京は術具を解析しようとして・・・・

 

 

--パキンっ!!

 

 

「京っ!!」

「っ!!」

 

 それまで京の隣に控えていたメアが、京の前に出る。

 その手には、飛んできた術具だったものの破片が握られていた。

 

「京、すべての破片を落とした自信はありますが、お怪我は?」

「ねぇよ。助かった」

 

 メアに礼を言う京の前には、バラバラに砕け散った術具の残骸が転がっていた。

 

「鑑定しようとしたら自爆・・・用意のいいこった」

「まるでテロリストですね」

「まるでじゃねーよ。実際テロリストみたいなもんだ。こんな物騒なモンばら撒く連中なんぞ、あいつらしかいねぇ」

 

 焦げ臭い煙が室内に漂うが、それもすぐに部屋にかけられた術によって換気される。

 しかし、京とメアの表情は曇ったままだった。

 それは、この先に待ち受けるであろう『敵』を見据えてのモノ。

 

「とうとう動き出したか・・・『旅団』」

 

 

-----

 

 

「あれ?いくつか壊された?」

 

 薄暗い部屋の中で、寝っ転がって退屈そうな顔しながらスマホを眺めていた少女は、不思議そうな顔をして途中で切れてしまった糸を手繰り寄せる。

 

「あっちこっちにばら撒いたから、ガタが来てるのもあるのかなぁ?それか、どっかの霊能者の結界に引っかかった?バレる前に自壊するようにはしてたけど・・・」

 

 不思議そうな顔をする少女だったが、特に深く気にする様子はない。

 そのまま千切れた糸を、部屋の中に這わせる。

 

「うん、次はこれでいいかな」

 

 部屋の中に転がっていた、古めかしいピエロの人形に糸が絡みつく。

 その人形は見た目こそ少々不気味だが、呪いも何もないただの人形だ。

 

「よっ!!」

「っ!!」

 

 しかし、少女が一声かけた瞬間、ピエロがひとりでに動き出した。

 まるで操り人形のようだが、少女の放った糸は人形に絡みついているだけで、糸が人形を動かしているわけではないのは明らかだ。

 

「よし!!付与完了っと!!せっかくだし、次に売るのはコレにしよっと」

 

 そうして、少女は再びスマホをいじり出すと、メッセージを打つ。

 

「『マリに愛して欲しかったら、これ売って来て♡』っと・・・よし」

 

 スマホに浮かぶ文字を見て、満足そうに笑うマリだったが、すぐに退屈そうな顔に戻る。

 

「はぁ・・・やっぱりダメだね。全然面白くなりやしない」

 

 切り替わったスマホに映るのは、マリが以前に投稿した動画のコメントだ。

 動画は様々な恐怖体験を紹介しているものなのだが、そこには『自分もこういう体験をした』というコメントが寄せられている。

 

「ぜ~んぶ、全部嘘ばっかり」

 

 しかし、マリはそれをすべて嘘だと断じる。

 確かにネットの中は嘘塗れだ。嘘と真実を見分けられないものが手を出すべきではない。

 だが、この世界には異能の力が存在していて、真実が紛れ込む可能性はある。

 どうしてマリはすべてのコメントを嘘と判断することができたのか?

 

「ん~・・・待ってるだけじゃダメってことかな」

 

 そこで、マリはベッドから起き上がった。

 サイドテールの根元に括りつけられた、小さな王冠がスマホの光を鈍く反射する。

 

「うん。これが丁度いいかな」

 

 立ち上がったマリが手に取ったのは、一枚の写真だ。

 写真には、おどろおどろしい姿の長い髪をした女が写っている。

 その写真は、いわくつきの心霊写真という触れ込みで、マリが以前に術具としたものだ。

 写真を見ながら、マリはスマホを操作して、過去に投稿した動画を漁る。

 動画の中で、過去のマリは語る。

 

『これは、マリの知り合いから聞いた話なんだけどね・・・』

 

 

 あるところに、とても一途な、恋に理想を持った女がいた。

 

 女は美人で、長い黒髪が似合う大和撫子のようだった。

 

 けれども女の愛は重く、男と付き合えても長続きしなかった。

 

 そんな彼女だったが、ある時に付き合い始めた男とは長く関係が続いた。

 

 一年経ち、二年経ち、二人は関係を維持し続けた。

 

 だがそのうち、男の方は女を避けるようになった。

 

 女の重い愛に、それまでの男たちのように、次第に耐えられなくなったのだ。

 

 やがて、男は女に黙って姿を消す。

 

 男は、女から逃げ出したのだ。

 

 『もうお前とは付き合えない』そんな置手紙を残して。

 

 それを読んだ女は、そんな現実を受け止められなかった。

 

 『きっと、悪い女に騙されたに違いない!!』

 

 そう思い込むことで、女は現実から逃避した。

 

 それから女は、男を探した。

 

 人を使い、金を使い、男のわずかな痕跡からその行方を掴もうとした。

 

 『ああ、あの人はどこにいるの!?』

 

 胸の中に狂ったような愛を燃やしながら、女は男を探す。

 

 けれども、その願いが叶うことはなかった。

 

 女は、男を探す最中に、車にはねられて死んでしまったのだ。

 

 『どこ、どこぉ・・・どこ、だぁっ!!?』

 

 死の間際まで、女は男の行方を、男を誑かした実在しない女の場所を明かすことを願い続けた。

 

 そして・・・

 

『新しい場所で、新しい彼女と付き合っていた男は、彼女ごと交通事故にあって死んじゃったんだ。その死体にはね・・・?』

 

 動画の中で、マリは物語の結末を語る。

 

『新しい彼女のものじゃない、長~い黒髪が、首を絞めるみたいに絡みついてたんだって』

 

 そして、マリはそこで動画を閉じた。

 

「さ、これが新しい君の入れ物だよ。名前は、そうだなぁ・・・口裂け女にあやかって、安直だけど『黒髪ストーカー』にしよっかな?餌はマリがあげるから、頑張ってね」

『オ゛、ア゛ア゛・・・』

 

 いつの間にか。

 本当にいつの間にか、部屋の中に長い黒髪の女が立っていた。

 マリが声をかけると、女の姿はたちまちのうちに消え失せる。

 

「ふふ、人が死んだ話を器にしたから、もしかしたら死人が出ちゃうかな?でも、しょうがないよね?」

 

 そして、女が消えた部屋でマリは楽しそうに笑う。

 

「だって、マリはかわいそうな被害者なんだもん。今までイジメられてきた弱ーい女の子には・・・」

 

 楽しそうに、面白そうに、口の端を吊り上げて。

 三日月のように顔をひび割れさせながら、マリは嗤う。

 

「何をしたって許されるんだから」

 

 




エタり防止のためにも、評価とか感想お願いします!!


怪異

人外のくくりではあるが、妖怪のような実体のあるモノではなく、『本来は存在しない階に繋がるエレベーター』だとか『おまじないをすると現れる幽霊』のように霊力が特定の条件を満たした時のみ現れる現象のような存在。
霊力は霊能者の意思によって術へと変わるが、怪異はほとんどが『人間の集合意識』によって指向性を与えられ、変質した霊力。怪談話などがモチーフになりやすい。
人間が扱う術の一種とも言える存在であり、人間の集合意識を元に発動する忘却界の影響を受けない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚8

まだまだスランプから抜け出せない・・・
というか、今回は軽い導入のつもりだったのに、それだけで一万字超えちまったぜ・・


「なんか、今年の夏休みは色々あったなぁ・・・」

「そりゃ、自分が霊能者になったって知ったらそうなるよ」

 

 大学の食堂にて。

 向かいの席に座った毛部君と野間瑠君が感慨深そうにしながら、注文した豚丼をかき込んでいた。

 もうすぐ夏休みも終わるからか、前に来た時よりも食堂の中は少し混んでいる。

 

「僕もそうだよ。まさか、身近な知り合いに霊能者になれる人がいたなんて思わなかったし。他にも、人間やめたりしたしなぁ」

「私が言うのもなんだけど、こいつらが霊能者になったこととは比べ物にならないくらい重いことだと思うよ?」

「俺たちとしてもそこは驚きだよ。月宮君が昔からそっち側のヤツだったのは言われれば納得いくけど、人間じゃないってのはな・・・」

「こうしてる今も、月宮君人間にしか見えないし」

「それはまあ、今の僕は人化の術で人間の姿になってるからね。見た目は人間だもの」

 

 僕も受け答えをしながら、頼んだカレーを零さないように細心の注意を払いながら口に運ぶ。

 一滴の汁もこぼすまいと、全神経を集中だ。

 

「あ、久路人カレーにしたんだっけ?それじゃあ、今日の夕飯はカレーじゃなくてシチューにしよっか」

 

 なぜなら、雫は今僕に膝枕された状態で寝っ転がっているからだ。

 最初は僕の膝に腰掛けていたのだが、それでは食べにくかったのでこの体勢に変えてもらっている。

 毛部君たちも会ったばかりの頃は面食らっていたが、今では雫と僕がべったりとくっつきながら行動していても何の反応もない。

 むしろ、雫からのプレッシャーが減って安心したような顔をしている。

 

「月宮君もそうだけど、周りにこんなに色んな妖怪がいたってことはマジで驚いたな」

「だね。見えてなかっただけで、自分の部屋にまで入って来るのがいるとは思わなかったよ」

「二人の部屋に入って来るようなヤツは、本当にたまたま入ってきたのだと思うよ。力が弱いヤツなんかは、虫とあまり変わらないからね。蚊とかカメムシが紛れ込むのと変わらないよ」

「瘴気だっけ?ああいう小さいのからはほとんど嫌な感じしないし、そう言われると本当に虫みたいなもんだな」

「殺虫剤とかは効かないけどね~」

 

 話しながら、食事を続ける。

 それは普通の人から見ても、特段不思議な光景ではないだろう。

 だが、その内容は非日常の世界。

 そんな周りとは少しだけズレた会話を、僕らは続けていた。

 とはいっても、ここで毛部君と野間瑠君に会ったのは偶然である。

 最近は朝と夕の二回に分けて二人とは訓練をしていたが、今はたまたま課題をこなした帰りに、自炊するのが面倒で食堂を利用している二人と鉢合わせた結果だ。

 

「能天気な連中だな・・・比呂奈と比呂実はかなり取り乱していたと言うに」

 

 和気あいあいと話す僕らを少しだけじっとりとした眼で見つつ、雫はポツリとこぼした。

 なんだかんだ言って雫はあの姉妹のことはそれなりに気にかけてはいるらしい。

 

「まあ、物部さんたちは毛部君たちみたいに強い力は持ってなかったからね。そもそも、最初からこの二人は妖怪を襲う側だったし」

「あ、あのときは、その・・・最初は人間相手に目の前で踊ったりとかしたんだけど気付いてもらえなくてよ」

「なんかすごいハイになってて、無視されて腹が立ってたから、俺たちが見えるUMAみたいのならちょっとくらいはっちゃけてもいいかなって思って・・・」

「そこで顔に落書き程度で済ませる辺り、二人とも小市民的というか優しいよね」

 

 毛部君と野間瑠君が最初に妖怪を襲っていた理由は、人間では自分たちに気が付いてくれなかったかららしい。

 妖怪たちに嫌がらせをしていたのはその腹いせだったとか。

 

「そ、それより!!」

「その物部さんっていうのは誰なんだい!?名前的に女の子っぽかったけど!!」

 

 あまり掘り起こされたくない話だったからか、それとも女の子の話の方が気になったのか、急に二人とも早口になっていた。

 

「二人が目覚める少し前くらいに会った人たちだよ。ただ、物部さんたちは二人みたいに後から目覚めたんじゃなくて生まれつきの霊能者だったけど」

「妾たちから見ればお前らも木っ端のようなものだが、比呂奈と比呂実は本当にただ『見える』程度の霊力しか持っておらん奴らだ。まあ、その分中々勘が鋭いようではあるが」

 

 物部姉妹、物部比呂奈さんと物部比呂実さんも、最近僕らが出会った非霊能者家系出身の霊能者だ。

 毛部君と野間瑠君に比べると大分力が弱いが、それは目の前の二人の方が珍しいくらいに力があるからで、物部姉妹の方がむしろ普通だとおじさんは言っていたが。

 

「そ、そうなのか・・・その、その子たちって」

「月宮君から見て、か、かわいい?」

 

 二人は何かを期待するような顔でそう聞いてきた。

 毛部君と野間瑠君の目的を考えれば、まあ予想できる質問であるが・・・

 

「・・・・・チッ」

「「!?」」

 

 瞬間、雫から発される圧が強まり、毛部君と野間瑠君の顔が青ざめた。

 雫の機嫌が悪くなり、毒気が垂れ流しになったのだ。

 『ゴミ屑どもが』と言いたげな視線でテーブルの向こうをひと睨みした雫であったが、その視線はすぐに僕の方に飛んできた。

 

「・・・久路人?」

「え?いや、その・・・」

 

 どうしよう、何も言えない。

 僕の目から見て物部姉妹は顔立ちが整っている美人だと思うが、それを口に出したらこのテーブルの周りにいる人たちが病院に運ばれる事態になる気がする。

 いっそ雫が説明すればいいのでは?と思うが、雫は僕が何と言うのか気になっているようで、僕の方を見てくるだけだ。

 しかし、それならいっそ、ここは色んな意味で正直になった方がいいのかもしれない。

 

「し、雫の方が美人だよ」

「・・・まあ、よし」

 

 どうやら雫の判定はクリアのようだ。

 僕はホッと胸をなでおろす。

 

「いや、それは流石にわかってるって。水無月さんと比べたら」

「水無月さんレベルの美人とか早々いるもんじゃないでしょ・・・臭いのヤバさもだけど」

「・・・は?」

 

 が、二人が雫の容姿のことを口に出した瞬間、僕の中で冷たい何かが沸き起こり・・・

 

「久路人久路人。さすがにここではやめようよ。気持ちは嬉しいけどさ」

「え?・・・ああっ!!ご、ごめん!!」

 

 クイクイと雫に服を引っ張られて我に返る。

 いつの間にか殺気を出して、霊力を昂らせていたようだ。

 

「い、いや、大丈夫」

「俺たちが迂闊だったよ・・・」

 

 雫の毒気と僕の殺気に中てられて、二人はガクガクと体を震わせていた。

 

((ヤンデレって面倒くせぇ!!))

 

 二人は引きつった顔をしながらも、目がそう言っていた。

 一応二人が言ったことは雫に気があるとかそういうニュアンスはなく、普通の会話であったが、それでも一瞬で我慢ができなくなってしまっていた。

 

「はぁ・・・色々気を付けなきゃ」

「まあまあ。私としてはむしろ嬉しいくらいだからそんなに気にしなくてもいいんじゃない?」

「周りの人に迷惑かけるのはダメでしょ。殺気を抑える練習しなきゃな・・・」

((普通は彼女を美人って言われたくらいで殺気なんか出せねーよ))

 

 周りを見回すが、殺気を出していたのは一瞬だけだったためか、特に体調を悪くした人はいないようだ。

 僕はホッと安どのため息を吐き・・・

 

「あ」

 

 そして、見知った顔が目に入った。

 その声に、向こうもこちらに気が付いたのだろう。

 

「あれ、月宮君?」

「水無月さんと・・・誰?」

 

 噂をすれば影。

 物部比呂奈さんと物部比呂実さんが、そこに立っていた。

 

 

-----

 

「は、初めまして!!俺は毛部忠人って言います!!最近霊能者になりました!!特技はパルクール!!」

「お、俺は野間瑠波雄!!霊能者で特技はパル、いや、ナイフ投げです!!」

「「はぁ・・・」」

 

 6人が囲むテーブルで、男二人組は新たに加わった美少女姉妹に張り切ってそう言った。

 

「えっと、私は物部比呂実です。一応霊能者らしいんですけど、ほとんど普通の人と変わらないです。あ、でも怖い話は好きです!!」

「物部比呂奈。こいつの姉よ。霊能力とかよくわかんないけど、妖怪は見える。怖い話は、まあ、嗜む程度」

 

 それに対する物部姉妹の反応は淡白なものだった。

 比呂実さんの方は怖い話の辺りで熱がこもっていたが、比呂奈さんの方は普通の自己紹介としか言いようがない。

 

「お、俺たちをしっかり見て話してくれてる!!」

「すごい!!合コンの時なんか自己紹介すらスルーされたのに!!」

 

 もっとも、霊力のおかげか影の薄い二人をしっかり認識できているというだけで二人にとってはそんな反応などどうでもよくなるレベルだろう。

 雫の言う通り、七不思議に感づいた時のように霊的な知覚能力が高いのかもしれない。

 さすがに二人が術まで使って本気で気配を隠せば見つけられないとは思うが。

 

「怖い話好きなんですか!!なら、俺いい話知ってますよ!!妖怪の前に仮面を被った男が現れる話で・・・!!」

「ずるいぞ忠人!!それ、俺たちの話だろ!!」

 

 だが、毛部君たちはそんな様子に怯みもせずガツガツとアタックを仕掛ける。

 熱くなりすぎて仲たがいを始めているが。

 

「あの、水無月さん。この二人はお知り合いなんですか?」

「妾はただの顔見知りだ。こいつらは久路人の友人だな。一応」

「一応って・・・ちゃんと友達だよ」

「へぇ。月宮君友達いたんだ。意外」

「ね、姉さん!!失礼ですよ!!・・・気持ちはわからなくもないけど」

「久路人は人付き合いがあまり得意な方ではないからな。妾としては別に久路人に友達などいらんと思うが。妾とだけ仲が良ければそれでいいだろうに。まあ、こいつらと後二人のおかげで他の連中にちょっかいをかけられなくなるのに役には立ったがな」

「え、なんか僕ディスられてない?」

 

 毛部君たちに話しかけても埒が明かないと思ったのか、物部姉妹は雫に話を聞くことにしたようだ。

 その結果、なぜか僕がコミュ障とか言われているが・・・まあ、人に避けられやすいのは確かではあるけど。

 

「あの二人とは久路人が高校生になってからの付き合いだな。その時は普通の人間だったが、つい最近にこの街に流れ着いてきた術具が原因で眠っていた素質が目覚めたらしい。妾たちに比べれば大したことはないが、そこそこ、まあそこそこにはやる程度の実力だと久路人は言っていたぞ。ここしばらくは妾たちの家で霊能力の訓練をしているな」

「れ、霊能力の訓練!?どんなことしてるんですか!?」

「ちょっと比呂実・・・はぁ、また比呂実の面倒なところが」

 

 怖い話やらオカルトに興味のある比呂実さんにとって、そういったトレーニングは食指をそそられる話のようだ。

 

「私たちにも霊力はあるんですよね!?私にもできますか!?」

「む。比呂実、前にも言ったが中途半端に鍛えるようなことは・・・」

「あ。ちょっと待った雫」

 

 そこで、僕は雫を止めた。

 おじさんから言われていたことを思い出したのだ。

 

「おじさんが言ってたんだけど、もしも二人にその気があるんなら霊力の扱いについて教えてもいいって」

「京が?なんで?」

「さあ?聞いたけど教えてくれなかったよ。ただ、『この先忙しくなるかもしれないから、人手が欲しい』って」

「ふぅん?京がそう言うのなら、そうするだけの事情があるわけか・・・そういうことらしいが、どうする?」

「やります!!やらせてください!!」

「ちょっと、比呂実!!よくわからないのに即決すんなって!!」

 

 霊力の訓練。

 素人が中途半端にやると妖怪を呼び寄せるだけで危ないだけのこともあるが、しっかりした指導者を付けた上で安全な月宮家で行うのならば問題はないだろう。

 比呂奈さんは分からないが、比呂実さんは食い気味だ。

 

「それで、どんなことをするんですか!?」

「ああ、それなら・・・」

「雫、雫。せっかくなら・・・」

 

 説明をしようとする雫だったが、そんな雫を僕は止める。

 

「えっと、二人とも、説明してもらっていいかな?」

「「よろこんで!!」」

 

 ちょっと前から喧嘩を止めて、さりとて会話の輪に入ることもできず寂しそうな恨めしそうな顔をしていた毛部君と野間瑠君の顔が華やいだ。

 そして、口々に自分たちがやっている訓練内容を話し始める。

 

「という訳で、月宮君と戦ったりするのがメインだけど、それ以外だと瞑想とかやって霊力を増やしたりしてますね!!」

「俺たち、結構強いって、月宮君にも言われてるんですよ!!術具って言う身体を強化したり姿を隠せる術が込められた道具で実戦やってます!!実際に弱い妖怪と戦ったこともありますよ!!」

「よ、妖怪と戦う・・・!!すごい!!本当に漫画みたい!!」

 

 毛部君たちがやっているのは主に戦闘訓練なので、荒っぽい話になってしまったが、比呂実さんは興味津々だ。

 

「あたしはそんなのごめんよ。喧嘩なんかしたことないし、運動も得意じゃないし。それに、そんなことしてる時間ないでしょ。妖怪のせいでバイトもやめちゃったんだから、新しいところ探さなきゃいけないし」

「う・・・それは」

 

 姉の比呂奈さんは嫌がっているが。

 比呂実さんも苦そうな顔をしている辺り、金欠なのだろうか。

 

「その脳筋どもでは説明できんようだから捕捉してやるが、お前たちは多分戦闘の訓練はせんぞ。そいつらは身体を動かす適性があるからそうした修行をしてるだけだ。護身術程度なら教えるかもしれんが、やるなら補助的な術の修行だろうな。それか、術具の扱い方か。後、金も出るぞ」

 

 そんな二人を見て雫は助け舟を出すことにしたのか、アルバイト代のことも絡めて二人に向けた内容を詳しく語る。

 そして、そこを攻め時と見たのか、毛部君と野間瑠君も加わった。

 

「それに、かなり割りのいいバイトでもあるんですよ!!」

「そうそう!!なんと、日給で5万!!」

「はぁっ!?日給5万!?それ大丈夫なの!?」

「雇い主は久路人の養父と養母だ。変わり者ではあるが、悪い奴ではないことは保証してやる。金については、そいつらの言っているのは危険手当も込みだな。お前たちは戦う訳ではないからもう少し額が下がるかもしれんが・・・その辺りは交渉次第だ。まあ、よほど吹っかけん限りは聞いてくれると思うぞ」

「5、5万かぁ、日給5万・・・は、話を聞きに行くだけなら、行ってみようかな」

「なら決まりだね!!水無月さん!!私は今からでも行けますけど、どうですか!?」

 

 バイト代のことで不安になったのは毛部君と野間瑠君と同じだが、やはりそこの誘惑には勝てなかったのか。

 戦うことにはならなそうということもあり、比呂奈さんも陥落した。

 

「その辺りはまた京に聞いておくが、行くなら今日の夕方にこいつらと来るがいい。断りはせんだろう」

「は、はい!!」

 

 こうして、物部姉妹も非日常の世界に足を踏み入れることになったのだった。

 

 

-----

 

「マジでか!?あの時のガイドさん九尾の狐だったの!?」

「修学旅行で突然体調不良で帰ったからおかしいとは思ってたけど・・・」

「あはは・・・あの時は僕も雫も死にかけたからね。本当に運が良かっただけだよ。朧さん・・・えっと、すごい強い吸血鬼みたいな人なんだけど、その人たちが来てくれなかったら今ここにいないだろうね」

 

 あのススキ原での戦いを思い出し、僕はしみじみと偽らざる本音を口に出した。

 

「ああ。あのクソ狐は強かった。あいつお得意の幻術を封じられてなお、妾たち二人を負かしてのけたからな。久路人の言う通り、運が良かったのだ」

「九尾の狐に、別の世界を作る術、吸血鬼の侍・・・本当のことを言ってるんだとは思うけど、想像もできないわね」

「言葉だけじゃ物足りないですよ!!ああ、すっごく見てみたかったです!!」

 

 あれからまた少し訓練の内容について話した後。

 僕と毛部君たちのつながりから、高校時代の話になったのだが、随分と盛り上がっていた。

 毛部君と野間瑠君はあの修学旅行にいたからもちろんだが、内容が濃いためか、物部姉妹も話題の映画を見た後のようにテンションが上がっている。

 

「いや、月宮君だから嘘じゃないんだろうけど、あのガイドさん・・・えっと、葛原さんだっけ?あの人が妖怪だったとか信じらんねぇや」

「本当だよね。どうみても人間にしか見えなかったよ。あの時俺たちが霊能力に目覚めてたら気付けたのかな?」

「う~ん、難しいと思うな。人化の術は幻術じゃなくて、本物の人間の肉体に変わる術だから見破ることができないんだよ。瘴気も大分薄くなるし。しかもあの九尾は霊力を隠すのもすごく上手かったから、向こうが襲ってくるまで完全に気付けなかったし」

 

 毛部君と野間瑠君は九尾が化けた姿に出会っていたこともあり、驚きもひとしおなのだろう。

 思えば、彼らに素質があった以上、あの場で目覚めていてもおかしくはなかったのかもしれない。

 

「え?それじゃあ今この街にも水無月さんたち以外にも人間に化けた妖怪がいるかもしんないの!?」

 

 そう言って不安げな表情をするのは比呂奈さんだ。

 彼女は妹の比呂実さんに比べると慎重というか、怖がりらしい。

 

「さすがにそれはない。人化の術は見破ることはできんが、非常に高度な術だ。そのレベルが使える妖怪は、どんなに隠していても魂の中に膨大な霊力を秘めているから、ここの結界が必ず反応する」

「霊力を隠せるって言っても、限界はあるからね。それ専用の術具を使えば、妖怪や霊能者かどうかくらいは分かるはずだよ。まあ、あの九尾はそもそも疑うことすらできなかったんだけどね・・・」

「普通は極限まで抑えても、大物妖怪ならば多少の瘴気は出るのだがな。妾も、普段はかなり抑えているのだぞ?」

「「え、アレで?」」

「あ゛?」

「「すみませんでした!!」」

 

 雫の台詞に反応した男二人組に、氷の視線が突き刺さる。

 二人はすぐに平謝りした。

 

「あはは・・・雫は霊力抑えるのが昔から下手だったから」

「まあそれもあるが・・・それ以前に、妾は久路人以外の全てにとって存在そのものが毒だからな。どんなに誤魔化そうとも、本質を変えることはできん。妾としては一向に構わんがな。むしろウェルカムだ」

「「「「ええ・・・」」」」

 

 『ふふん!!』ととんでもないことを胸を張りながらどや顔で言う雫に、僕以外の全員が軽く引いていた。

 僕からすれば嬉しさしか沸かないが。

 

「あれ?でも今は月宮君も人外なんだよね?月宮君からは全然嫌な感じがしないけど・・・」

 

 そんな風にウンウンと頷く僕を見て、野間瑠君が不思議そうな顔をする。

 

「僕の霊力の性質かな。雫が毒なら、僕は薬らしいから。後は、僕が元人間だからだね。人間が元の意識を保ったまま人外になった場合は、あまり瘴気が出ないらしいんだ。他にも、仙人みたいに特殊な術を使うとか、おじさんみたいに改造で人間やめても純粋な妖怪に比べると大分少ないんだって」

「薄々思ってたけど、京さんも人間じゃないんだ・・・」

「っていうか、改造って。仮〇ライダーかよ・・・」

「・・・ねぇ、水無月さん。本当にそのバイト大丈夫なの?改造人間にされたりとか、人体実験の素材にされるとかないよね?」

「安心しろ。京はカタギに手を出すようなヤツではない。昔は嫁のパーツのために霊能者の内臓を集めて回っていたようだが、もうソイツは完成しているしな」

「それのどこに安心できる要素があるの!?」

「フランケンシュタインの怪物までいるんですか・・・」

 

 そうして、比呂奈さんが『やっぱバイトの話受けるの止めようかな・・・』と青い顔をして呟くのを比呂実さんと、美人との出会いを減らしたくないのがヒシヒシと伝わってくる野郎二人によって説得されたり、今後必要になりそうなので物部姉妹と連絡先を交換したら、感情のタガが外れて『よっしゃぁっ!!!女子の連絡先ゲットぉぉおおお!!!』『霊能力者万歳!!ありがとう京さん!!』と、毛部君と野間瑠君が狂喜乱舞したりと色々あったのだが・・・

 

「それにしても、意外ですね」

「何がだ?」

 

 それからまた中学時代や、先日の七不思議つながりで小学校のころの話をしてひと段落付いた頃だった。

 比呂実さんがポツリと呟いた。

 

「いえ、確か私たちが初めて会った時、霊能者の家系じゃないのに霊力を持っているのは珍しいって言ってましたよね?それなのに、私たち以外にも二人もいるなんて」

「そういえばそうね。案外そこらの人にも毛部君たちみたいに素質があったりするの?」

 

 ここにいる6人の内、4人はつい最近になって非日常の世界を知った人間だ。

 こうやって集まって話すうちにその辺りが気になったということか。

 二人の言う通り、いくら白流市の結界が歪んでいたからと言って、4人も霊能者が見つかるのは相当珍しいことだ。

 

「先天的か後天的かでかなり違うがな。お前たちのように先天的なヤツらは相当にレアだ。そして後天的に覚醒するヤツらは何がしかかなり尖った才能を持ってるやつがなりやすいらしいから、潜在的にはそれなりに数がいるのかもしれん。そいつらの子供に霊能力が受け継がれるかはわからんがな」

「おじさんが言ってたけど、素質があっても覚醒するのにはきっかけがいるらしいけどね。ちょっと瘴気をや霊力を浴びたくらいじゃ簡単には目覚めないって」

「妾が封じられる前は現世に大穴があちこちで開いていた。瘴気の濃度も高かったから、今よりもずっと霊能者は多かったな」

「へぇ~・・・」

「そういや尖った才能って言ってたけど、アンタたちってどんな才能があったの?」

「「え!?」」

 

 自分たちに急に水を向けられ、毛部君と野間瑠君は固まった。

 あまり注目を浴びるということになれていないのかもしれない。

 いや、それよりも質問の内容か。

 

「お、俺らの才能か・・・」

「えっと、その・・・身体能力かな?パルクールやってたし」

「そうなの?それなら、トップアスリートは全員素質があるってことじゃない?」

 

 それまでのがっついた様子から打って変わって、しどろもどろになって話す二人。

 まあ、確かに二人は自分の才能のことをコンプレックスに思っているようだが・・・

 

「二人とも。物部さんたちは気づいてないのかもしれないけど、すぐバレる嘘はあまりつかない方がいいと思うよ?」

「「う゛」」

 

 今後、物部姉妹と行動することもあるだろうし、隠していてもすぐにわかってしまうだろう。

 ならさっさと明かした方がいいと思い、僕は二人を急かすと、二人が『痛い所突かれた!!』みたいな顔をした。

 

「・・・ま、まあ、コンビニとか行ったらすぐわかっちまうか」

「そうだね・・・あ~、俺たちの才能は、その、影が薄いこと、です」

「「へ?」」

 

 それでも、結局は言うことにしたらしい。

 そうして野間瑠君の台詞を聞いた瞬間、物部姉妹の目が点になった。

 

「影が薄い?いや、確かにあんまり印象に残らない感じだけど」

「言うほどですか?そのくらいで霊能者になれるのなら、もっとたくさんいてもいいんじゃ・・・」

 

 物部姉妹の反応は微妙だった。

 しかし・・・

 

「うっ、うっ・・・!!」

「い、生きててよかった、よかったよぉ・・・!!」

 

 毛部君と野間瑠君は、まさに滝のように涙を流して泣いていた。

 これまで多くの人に気付かれなかった二人にとって、そこを否定してくれた物部姉妹の言葉は福音だろう。

 

「「ええ・・・」」

 

 肝心の姉妹は少し引いていたが。

 

「お前たち二人は、恐らく感知能力が鋭い方なのだろう。だから、そいつらに気付けるのだ」

「この二人、高校の頃とか毎日出席してたのに、先生に気付かれなかったせいで出席日数足りなくなりそうだったから」

「確かにそこまで影が薄いと、もう超能力みたいなもんね・・・」

「あんまり羨ましいとは思いませんけど・・・」

 

 話を聞いて少し同情するような視線を向ける姉妹に、影の薄い二人組は女神を拝むように頭を下げる。

 

「ありがとう、ありがとう・・・!!!」

「俺たちに気付いてくれて・・・一時は、俺らが写った写真が心霊写真と間違えられたことだってあって」

「それで映研にスカウトされたけど、そこでも気づいてもらえなくてさぁ・・・!!」

「ありがとう。本当にありがとう!!」

「そ、そう、大変だったのね」

「ちょっと前にあった映研の心霊写真の噂って、毛部さんたちのことだったんだ・・・なんかショック」

 

 そんな二人に、やっぱり姉妹は引いていた。

 いや、比呂実さんの方は噂がガセだったことにガッカリしているようだったが。

 そうして、男泣きをしていた二人が落ち着いた後。

 

「「映研か・・・」」

 

 ハンカチで目元をぬぐった毛部君と野間瑠君は、遠い目をしていた。

 

「二人とも?」

「ああ、いや。最近あんまり向こうに顔出してないって思ってさ」

「元々幽霊部員みたいなもんだったけど、ここしばらくは月宮君家で訓練してるから、行くタイミング逃した感じだなって」

「フェードアウトは部長に悪い気がするから、挨拶はしに行った方がいいよな」

「だよね」

「二人とも真面目だねぇ」

「そうか?」

「まあ、部長には結構よくしてもらったからね」

 

 二人は映研に所属していたが、そこでは件の部長以外からはあまりいい扱いをうけていなかったようで、前々から辞めることを考えたいた。

 そこにあの仮面での暴走事件があって間が開いてしまい、その上で霊能力に覚醒したり訓練だったりと色々なことが立て続けに起こったため、もう大分部員に会っていない。

 けど、誘いをかけてくれた部長への義理を通しに挨拶には行くのだとか。

 

「映研の部長さんですか・・・確か、かなりのオカルト好きでしたね。行動力がありすぎて、山奥の心霊スポットにもしょっちゅう足を運ぶとか」

「前に部室の前で騒いでるのに出くわしたことがあったわね。『本物の心霊写真を撮るんだ!!』とか言ってたっけ。そういや比呂実は映研入ろうとしたことなかったけ?」

「入ろうとは思ったんだけど、あそこはちょっと・・・部長さんはともかく、周りの子が・・・」

「わかる!!わかるよ比呂実さん!!」

「あいつら、圧が半端ないんだよね!!普段俺らを無視するのに、部長に誘われた時だけ露骨に牽制してくるし!!」

 

 どうやら、僕と雫以外は映研のことを知っていたみたいだ。

 そして、毛部君と野間瑠君は映研で大分ひどい目に遭ったのだろう。

 物部姉妹に迫る時以上に声に籠っているエネルギーが熱かった。

 

(う~ん、おじさんが少し調べたみたいだけど、僕も一度会っておこうかな?)

 

 つい先日の毛部君と野間瑠君の身に起きた事件。

 あれの原因は、その部長が集めていたオカルトグッズの中に紛れ込んでいた本物の術具だった。

 術具はすべておじさんが回収したが、霊能力を持っていないという部長が、どうやってそんなに術具を手に入れることができたのかは興味がある。

 確かオークションを利用したと小耳にはさんだが。

 

「ん?あれ、メールだ」

「あ、俺もだ。ちょっとごめん」

 

 と、そこで毛部君たちの携帯が震えた。

 二人は僕らに断りを入れると、スマホをいじり始め・・・

 

「「え?」」

 

 二人同時に声を上げた。

 

「どうしたの?」

「いや、えっと・・・」

「タイムリーというか、何と言うか・・・」

 

 二人は、僕らにスマホの画面を見せてくる。

 僕と雫は毛部君の、物部姉妹は野間瑠君のスマホを覗き込んだ。

 

「久路人・・・」

「これって・・・」

 

 僕と雫は、思わず顔を見合わせる。

 

-----

 

 From 映研部長

 

 お疲れ。

 最近あまり見かけないが、元気かな?

 

 突然なんだが、君と野間瑠君は白流高校の出身だったな?

 なら、月宮という生徒を知らないか?

 彼に関する噂でもいい。

 知っていたら、教えてくれ。

 

-----

 

 スマホの画面には、こんなメールが浮かんでいたのだった。

 




4章の感想について、話が遅いとかつまらないとかでもいいので感想くれると嬉しいです!!
モチベアップのためにも何卒!!


瘴気

常世に漂う霊力。もしくは妖怪の発する霊力のこと。
他種族の霊力を取り込むことができる妖怪の霊力は、人間の魂に入るとその霊力と癒着しようとする。
霊力が汚染させれれば霊力が循環する魂も歪み、魂が歪めば存在そのものが消滅する可能性もある。
人間は本能的に瘴気に危機感を覚え、妖怪が人間に嫌悪される理由の最たる部分でもある。
血を取り込むことによって人外化が進むのは、血には瘴気が豊富に含まれているから。

ただし、ごくまれに魂の強度が常人とは比べ物にならないほど強い人間が生まれることがあり、そうした人間は瘴気に耐性を持つため妖怪を恐れない。

なお、雫の毒気は『龍の血』によって瘴気がさらに変質したものであり、これに耐性があるのは久路人のみである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚9

遅くなりまして申し訳ありません・・・やっぱ自分、日常モノ書くの苦手だわ
というわけで、次の話書き終わったら第四章は終わりです。


「君が月宮君か!!初めまして!!俺は片葉一(かたばはじめ)。毛部君たちから聞いているかもしれないが、映研の部長をやっている。よろしく!!」

「は、はい・・・」

 

 もはや指定位置となった食堂の一角で、僕は映研の部長、片葉さんと向かい合って座っていた。

 差し出された手を握って握手をしたが、その手は意外にもがっしりとしていて、力強さを感じる。

 

「いや~!!こうして噂の君に会えるなんて感慨深いよ。・・・『粉々になった筆箱』、『水浸しの廊下』、『真夏のつらら』。この辺りの子供や学生の間で有名な噂だが、そのすべてに君が関わっているそうじゃないか。他にも様々な都市伝説が君の周りで起きているっていうし、ずっと会ってみたかったんだ!!」

「そ、そうなんですか」

「チッ・・・随分と馴れ馴れしいヤツだな」

 

 ブンブンと握った手を振りながら満面の笑みを浮かべる片葉さん。

 そんな彼を、僕の背後に浮かぶ雫は不機嫌そうに睨む。

 だが、雫も大分気は遣っていてくれているようで、毒気はそこまで放出されていない。

 

((コ゜ッ!?))

 

 僕の両隣に座っていた毛部君と野間瑠君は悪臭に大ダメージを受けていたが。

 そんな彼らに心の中で手を合わせていると、片葉さんが話しかけてくる。

 

「それで、君は本当に霊能者なのかい?俺はこれまで自称霊能者には何人も会ったけど、本物はまだでね。君からはこれまで見てきた誰よりも『らしい』感じがするんだ」

「あはは、そうですね・・・確かに不思議な体験をしたことはありますけど」

 

 相槌を打ちながら、僕は観察する。

 

「・・・・・」

 

 細みながらも鍛えられた長身に、明るくやや長めの茶髪のセンターパート。。

 顔立ちは中々に整っているほうで、黒ぶちの眼鏡が知的な雰囲気を醸し出している。

 喋り方も明朗で、押しが強いようにも聞こえるのに不快感を抱かせない。

 毛部君と野間瑠君の話通り、性格の良さが伝わってくる。

 この人の場合は、オカルト好きという一風変わったポイントすら一種のアクセントになっている感じだ。

 総じて、男性としてというよりも人間として魅力的な人物と言えるだろう。

 しかし、だ。

 

(・・・普通の人だ)

 

 片葉さんからは、目を引くほどの霊力は感じられない。

 結界も反応していない以上、九尾のように霊力を隠しているというわけでもない。

 鍛えられてはいるが、それでも普通の人よりやや運動ができるといった程度だろう。妖怪と鉢合わせれば、抵抗しようが喰われてしまうのが容易く想像できる。

 つまりは、片葉さんは一般人だ。

 

「・・・どこにでもいるただの人間だね」

 

 雫も僕と同じ意見のようだ。

 少しの間片葉さんに胡乱気なまなざしを向けていたが、すぐに興味を失ったように離れた。

 最初はかなり警戒していたのだが、間近で見ても何も感じないことからひとまず危険はないと判断したのだろう。

 そして片葉さんはと言えば、僕の背後で白い着物の女が浮遊しているというのに何の反応もないところから、間違いなく雫を見ることができていない。これで演技だとしたら、それこそあの九尾並みだ。

 

「不思議な体験か!!それはいいね!!ぜひ聞かせてくれ!!この街はとても面白い噂がいくつも転がっているけれど、その当事者から話を聞けるなんて幸運だよ!!いや、毛部君と野間瑠君にも感謝だね。まさか、噂の君が二人の友達だったなんて」

「どうもっス」

「部長には前々からお世話になってましたし、場を設けるくらいなんでもないですよ。むしろ乗ってきてくれた月宮君こそありがとうというか」

「あはは・・・僕も暇だったから。それで、僕の経験した話ですよね?それならまず、子供の頃にトカゲみたいな妖怪に追いかけられたことがあって・・・」

「おお!!」

 

 そうして、この場を用意してくれた毛部君と野間瑠君も交えて、僕はこの街での体験を適当に脚色しつつ、真実50%くらいの割合で話す。

 片葉さんは目を輝かせながら僕の話に聞き入っていた。

 おもむろに懐から取り出したメモ帳にサラサラと手早くメモを取るほどに熱心に。

 

「久路人、こいつは普通の人間みたいだけど、これからどうするの?」

(そうだね・・・確かにぱっと見は普通の人だけど、九尾みたいなこともあるかもしれないから、もう少し様子を見るよ)

「は~い・・・あ~あ、退屈だな~」

 

 メモに意識が移っている内に、僕は雫と素早く会話する。

 今日の目的は、この部長の観察だ。

 今のところはどう見ても一般人であるが、万が一もあるかもしれないので、まだ観察は続けたいところだが、認識されないために会話に加わることもできない雫は退屈そうだ。

 

(まあまあ。後で埋め合わせはするから)

「本当!?じゃあ、後で一緒にアイス食べたいな!!最近甘いものの店ができたんだって!!」

(そうなんだ。それは僕も楽しみだな・・・)

「当然だけど、二人きりだからね?」

(うん。そのつもり・・・)

「それで月宮君!!キノコの精を追いかけて猪が出てきた後はどうなったんだい!?」

「え?あ、はい。その後は僕が転んで・・・」

「こ、こいつ!!私と久路人がデートの約束してるとこだったのに!!」

(見えてないから仕方ないってば。それにしても本当に雫が見えていない。毒気に反応する様子もない・・・考えすぎだったのかな)

 

 そんな雫をなだめつつ、メモをとっては続きを催促する片葉さんに語りながら、僕は思いだしていた。

 

(片葉さんが、誰かに操られてるかもしれないなんて)

 

 この部長と会うまでの、様々な思惑が絡んだいきさつを。

 

 

-----

 

「おじさんはどう思う?このメール」

「最近のことを考えると、いかにも怪しいと思うがな」

「そうだな・・・」

 

 月宮家の居間にて、久路人は己のスマホを京に見せた。

 メールの中身を読んだ京は、少しの間顎に手を当てて何がしか考え込む。

 今その場にいるのは京と久路人、そして雫の3人だけだ。

 食堂でメールが届いた後、その場にいた全員で月宮家まで来たのだが、残りの面々は客間でメアに異能の世界について説明を受けているところである。

 仮にも毛部たちが世話になっている人間への疑いということで、彼らの耳に入れないための配慮であった。

 

「端的に言うと、だ」

 

 そして、京は口火を切った。

 

「こいつが完全に白だっていう証拠はない」

「そうなの?おじさんが調べたって言うから、僕は『心配すんな』って言われると思ってたんだけど」

「この部長とやらが、お前の目を欺けるほどの手練れの可能性があるということか?」

 

 久路人としては、毛部と野間瑠が暴走した事件の後に京によって記憶を含めて調べの手が入ったと聞いていたため、『念のために報告しておこうかな?』程度の気持ちでいたのだが、予想が外れた。

 

「前にも言ったかもしれねぇが、世の中に絶対はない。雫の言う通り、そいつがとんでもない化物だって可能性も0%とは言えねぇ」

「「・・・・・」」

 

 世の中に絶対はない。

 久路人と雫にとっても、その言葉には重みがあった。

 九尾の狐に襲われ、吸血鬼に襲撃され、霊能者の名家の当主に体を奪われかけ、その果てに人間でも妖怪でもない存在になった二人には。

 

「そもそも、ここの土地の結界も万全ってわけじゃない。久路人が生まれる前からここは霊的に不安定な土地だからな。あの吸血鬼みたいに細い隙間を通って侵入してきた何かかもしれねぇし、大きな動きを見せずにただ監視するだけって術がかけられてる場合は、結界でも感知するのは難しい」

 

 大穴の存在によって白流の地は世界でも指折りの霊地であるが、それ故に管理は難しい。

 荒ぶる霊脈のせいで動力源から歪んでしまえば、結界にも綻びが生じる。

 これまでは久路人の膨大な霊力によってジャミングがかけられていたような状態であり、本当に一部の手練れしか使い魔やらなにやらを仕込むことができなかったが、今はそうではない。

 霊力に乏しい人間や動物の肉体を隠れ蓑に、極小の霊力で組まれた術を隠されれば、察知はほぼ不可能だ。そうした術では人間を操って何かをさせるというのはできないだろうが、その眼を通して情報を抜き取られる可能性はある。

 かつて、野生の狐を使って久路人たちを探っていた九尾のように。

 

「他にも、本人に自覚がなくて、特定の条件を満たしたときだけ術者とパスが繋がるみたいな術は見つけるのがムズイな」

「確か、あの九尾は使い魔の他にも人間に複雑な幻術をかけてお前をやりすごしたのだったか」

「ああ。術者から離れると術者のことを全部忘れちまうってやつだった。そうやって記憶を書き換える術が仕込まれてないって保証はねぇ」

 

 普段は何ともなくとも、何らかの条件で術者のコントロール下に置かれるというような術もある。

 そうした術も、実際にその状態になるまでに発見するのは困難だ。

 

「そうなると、僕らは会わないほうがいいってことかな?」

「いや、逆だ。むしろ会いに行け」

 

 京の話を聞くに、件の部長が敵である可能性は否定しきれないようだ。

 だが、京はむしろ懐に飛び込むべきだと言う。

 

「もしや、久路人に囮をしろと言っているわけではあるまいな?」

「雫・・・」

 

 部屋の中が、一気に氷点下になった。

 部屋の空気に負けないほどの、ゾッとするほど冷たい声を出したのは雫だ。

 雫にとって、久路人を危険にさらすような手を『はい、そうですか』と認められるはずもない。

 

「まあ、ありていに言えばそうだな。だが当然、安全マージンはとる」

 

 しかし、京も然るもの。

 雫の毒気を受けても表情一つ変えない。

 

「確かにここの結界には穴があるが、いくらなんでも今のお前ら二人を倒せるようなヤツを素通しさせるのはほぼありえねぇ。そんなことができるようなヤツなら、もっと目立たずにお前らに接触してきたはずだからな。仮にそんなヤツ相手なら、守りに入ったらドツボにハマる。なのに、ここでビビって手がかりをつかみ損ねたら、そっちの方が後々ヤバいことになりそうだろ?」

「む、それは、そうだが・・・」

 

 しっかりとした理屈を語られれば、雫としても納得せざるを得ない。

 早期発見を怠って、重大な事態になったがもう遅いというのはよく聞く話だ。

 

「それに、俺も監視するからな」

「おじさんも?」

「ああ。この街の結界は俺にとっての眼でもある。監視用の術具でも追いかける。そうすれば、万一何かあった場合でも助けに入れるからな。俺とメアにお前ら二人、七賢級が4人もいりゃ、今の現世にいるやつにはまず負けねぇ」

「むぅ・・・しかしだな」

「いや、僕は賛成だよ、雫」

「久路人?」

 

 なおも渋る雫であったが、そこで久路人が声を上げた。

 

「おじさんの言う通りだ。リスクを考えすぎて行動できなかったせいで大変なことになったら遅いからね。なにより、僕はおじさんを信じてるから」

 

 久路人に迷いがないのは、京への信頼だ。

 これまでは、京はなにかとタイミングが悪かった。

 九尾の時は相手が一枚上手だったのもあるが、久路人たちがホームグラウンドの外にいた。

 吸血鬼や月宮久雷の時は、久路人たちの短慮に加えて、京が白流の地を離れていた。

 しかし、今は違う。

 世界中の霊能者を束ねる『学会』の最高幹部、七賢の序列三位が、慢心なく己の陣地の中で采配を振るうのだ。これでダメなら、ここで行動を起こさなくても大して変わりはない結果になるだろう。

 

「・・・ああ、任せときな。今度こそ、お前らを危ない目にあわせるもんかよ」

 

 そんな久路人に、京は少し間を置いてから、力強く応えた。

 

「・・・久路人がそう言うのなら。私と久路人は一蓮托生だしね」

「ま、そもそもここで話したのが考えすぎで、向こうがシロって可能性の方が遥かに高ぇ。お前らに行ってもらうのも念のためってやつだ。あんまり気負いすぎんなよ」

「うん、わかった」

 

 こうして最終的には雫も賛同し、久路人たちは毛部と野間瑠に事情を説明して場を整えてもらい、件の部長と会うことになったのだった。

 

 

 一方そのころ。

 

 

「わぁ~!!しゃべる猫だなんて・・・可愛い!!」

「こ、この子も妖怪なのよね?嫌な感じはしないけど・・・」

「久路人様の鎖には、瘴気を抑える効果がありますので。この程度の格の妖怪なら完全に無効化可能です」

「や、止めたまえ、ミス・モノノベ!!ミーはぬいぐるみではないのデス!!ミセス・メア!!止めて欲しいのデス!!」

「「び、美少女にあんなにギュっとされるなんて・・・う、羨ましい」」

 

 そんなこともつゆ知らず、客室では物部姉妹が猫又のミィを可愛がっていたのだった。

 小動物に対して恨みがましい嫉妬の視線を向ける男二人組には、当然気が付かなかった。

 

 

-----

 

 あれから、『ぜひ、君と一緒に妖怪が出た場所を周りたい!!』と言われた僕らは、大学の外に出ていた。

 

「ここが、そのトカゲモドキとやらに襲われた雑木林か!!」

「はい。正確にはもっと奥ですけどね」

 

 訪れたのは、さっき片葉さんに話した、昔妖怪に追いかけられた雑木林。

 今の時期は草木が生い茂っているので、林の中は薄暗く不気味だ。

 

「う~む。雰囲気はある場所だが、別段何か起きる様子はないな」

「いつでも僕の周りで怪奇現象が起きるわけじゃないですからね。むしろ何も起きない日の方が多いですよ」

 

 奥の方に歩きつつ、僕は片葉さんの会話に付き合って嘘100%の台詞を告げる。

 

(うわ・・・なんか小さいのがウジャウジャいる)

(この前俺の部屋にもこんなん入って来たなぁ)

 

 僕のすぐ後ろを歩く毛部君と野間瑠君が辺りを見回して小声で話している。

 彼らの言う通り、この林の中には昔見たキノコの精のような力の弱い妖怪がはびこっていた。

 人間に危害を加えるほどの力もないので退治することもないからたくさんいるのだが、やはり片葉さんが気付く様子はない。

 

「おい京。やはり、お前が見てもなんともないか?」

(ああ。少なくとも、何かが寄生してるってのはなさそうだ)

 

 僕のすぐ隣に浮く雫が手に持ったスマホのような術具に話しかけると、そこから聞こえるのはおじさんの声。

 僕と片葉さんが会ったときから、小型のドローンのような術具をひっそりと飛ばし、さらには僕と雫に通信機の術具を持たせ、おじさんはしっかりと片葉さんを監視している。

 

「直接見ないと分からないこともあるのではないか?」

(舐めんな。今飛ばしてるドローンに組み込んだカメラの同期は100%。霊力のセンサーも結界のバックアップで完璧だ。俺がその場で見てんのと変わんねーよ)

 

 しかし、そのおじさんが見ても片葉さんから怪しい気配はしないようだ。

 

「むぅ・・・ならば、こいつは本当にシロということか」

(元からその可能性の方が高かったけどな。まあ、それに越したことねぇが・・・そうだな)

「月宮君!!ここかい?」

「はい。この切株があった所ですね。ここから坂のところで転んで、その時に・・・」

「おお!!」

 

 雫とおじさんの話を聞きながら歩いていると、道の終わりまでたどり着いていた。

 子供のころにはかなり歩いたと思ったが、さすがに大学生の足なら大して時間もかからない。

 片葉さんはテンションが上がった様子であちこちを見回していた。

 おじさんはそんな片葉さんを術具越しにしばらく観察してたが・・・

 

(一つ、鎌かけてみるか・・・雫、攻撃してみろ。もちろん、怪我させねぇ威力でな。毒気もかなり抑え目にしろよ)

「む?妾でいいのか?寸止めの精密射撃なら久路人の方が向いていると思うが」

(むしろ当たるくらいの方が挑発としちゃ上等だろ。なら、雷や土より、水の方がマシだ。あいつがシロでも塗れるくらいで済む)

「そうか。わかった」

 

 おじさんの指示を聞き、雫が片葉さんに指を突き出した。

 その指先に、拳サイズの水の塊が現れる。

 

「喰らえ」

「うおっ!?」

 

 ピンと雫が指を弾くと、水は緩やかな放物線を描いて片葉さんの首筋に落ちた。

 突然の冷たさに、思わずと言うように驚いた声を上げる。

 

「どうしました?」

「い、いや、いきなり水が落ちてきて・・・」

「最近雨も降りましたからね。木の上に溜まってたのが落ちてきたのかも」

「そ、そうかい?しかし、それにしてはかなり大きな塊だったような・・・」

 

 首をさすりながら頭上の木々を見上げる動作に、不自然な様子はない。

 

「・・・演技、というわけではなさそうだが」

(真っ当な霊能者なら、お前のクッソ汚ねぇ瘴気が混ざってるかもしれない水なんぞ条件反射で避けるはずだが・・・)

「おい。まさか妾に攻撃させたのはそれが理由か?」

 

 雫の霊力は毒そのもの。

 今はかなり抑えて撃ったようだが、その水は霊力を持たない者でもなんとなく忌避感を抱くようなシロモノである。

 霊力を感じ取れるのならば、何が何でも喰らわないように本能レベルで対処してしまうほどだ。

 それなのに、何の反応も見せなかった。

 

(仮に本人にもわからねぇような術がかかっていた場合でも、雫の毒を喰らえば術が歪むはず・・・だが、霊力の揺らぎすらねぇとは・・・)

「え?妾の毒ってそんなことまでできるのか?」

(僕も知らなかったんだけど・・・)

(ああ、言ってなかったか)

 

 なんでも、幻術やら霊薬やらで人間に細工をした場合、どんなに巧妙にやっても、他人の霊力による干渉である以上、見つけにくくすることはできるが、完全に隠しきるということも難しいらしい。

 そして、今の雫の毒気ならばその巧妙に隠された術にすら影響を与え、破壊もしくは暴走させることができるのだとか。繊細な術ほどシンプルな破壊力を持つ雫の毒に侵されやすく、分かりやすい反応になるという。

 

(暴走させるってんなら、久路人の薬の霊力でもいいんだがな。毒なら避けようとするだろうし、もっとわかりやすいかと思ったんだが・・・)

「あの、片葉さん、体調は大丈夫ですか?」

「はは、少し水を被ったくらいで大げさだな。けどまあ、少し寒いような気がするかもな?」

 

 おじさんの言うことには納得がいったが、今更ながらそんなヤバいものをぶつけたのが心配になってきた。

 案の定、片葉さんの顔色が少し青い気がする。腕や首筋には鳥肌が浮かんでおり、身体にも震えが走り始めていた。

 

(おじさん、これ以上は・・・)

(・・・まあ、ここまでやって反応がないなら、シロってことでいいだろ。とりあえず、お前の霊力を軽めに流してやれ)

「えっと、片葉さん。失礼しますね」

「おっと、済まないね」

 

 震えのせいかよろけた片葉さんの肩を支え、その隙に霊力を流す。

 雫の毒気は強力だが、僕の霊力なら中和できる。

 

「おや?なんか急に楽になってきたような・・・」

「でも、さっきは顔色悪そうでしたよ。今日は帰った方がいいんじゃないですか?服も濡れちゃってるし」

「う~ん・・・いささか勿体ないような気もするが、そうするか。しかし、突然の水に悪寒・・・はっ!?これこそが噂の怪現象か!?」

「ただの偶然だと思いますよ。僕の傍で起きたヤツは、もっと派手でしたから」

「そうか・・・残念だ」

 

 体調が元に戻った片葉さんは、名残惜しそうにしながらも帰ることにしたらしい。

 疑惑が晴れたこともあり、少し申し訳ない気もするが、やはり大事を取って休んでもらった方がいいだろう。

 

「部長、念のため家まで送るっスよ」

「俺たちの家も近いですから」

「そこまでするほどじゃあないと思うが、そうだな。君たちとはあまり歩いたこともなかったし、丁度いいか」

 

 毛部君と野間瑠君が、片葉さんに付き添ってくれることになった。

 この二人にもさっきのおじさんとの会話は聞こえていたようで、部長の疑惑が晴れてホッとしたような顔をしている。

 

「それじゃあ、済まないが今日はここで失礼するよ。また後日、もう一度付き合ってもらってもいいかな?」

「はい、大丈夫ですよ。その時は、また別の妖怪が出た場所に案内しますよ」

「はは、それは楽しみだな。今日は残念だったが、こうして君に会えたのは収穫だったよ」

 

 そうして雑木林の出口まで来た僕らは、そこで別れたのだった。

 

「結局、私達の取り越し苦労だったのかな」

「今日一番苦労したのは、体調崩した片葉さんだと思うけどね・・・」

(おい、それ言ったらわざわざ術具で追跡してる俺が一番仕事してんぞ)

 

 片葉さんたちが見えなくなってから、僕らは周りの目を気にすることなく話す。

 今回は、片葉さんが何かに操られていたり、悪意を持った霊能者である可能性を確かめるための場だったが・・・

 

「念のため聞いておくが、本当にあいつからは何も感じなかったのか?」

(ああ。食堂から今までずっと見てたが、おかしな気配は何もなかった。最低でも、俺たちに勝てるような霊能者じゃないってのは確定だ)

「なら、次会ったときにはちゃんと埋め合わせしなきゃね。僕らにとっては必要なことだったけど、途中で帰らせちゃったし。今度は、僕がこっそり術でラップ現象でも起こしてみようかな?」

「それなら私も付き合うよ。私がやるなら、やっぱり水の中に引きずり込むとか?それか火の玉でも作るか・・・」

(やるのはいいが、ほどほどにしとけよ?お前らの霊力でやると洒落にならねぇことになるかもしれねぇんだからよ)

 

 葛城山と違って、最大限の警戒をしていた僕と雫、そしておじさんの3人体制で確かめた以上、片葉さんが一般人なのは間違いないだろう。

 警戒しすぎたかもしれないが、ちゃんと確かめて無実を証明出来て良かったと思える。

 なにせ、片葉さんは友達にとっての恩人だ。

 そんな人に手をかけるような事態は、僕だって望んじゃいない。

 

「じゃあ、帰ろっか」

「うん」

(・・・・・ああ)

 

 そうして、僕らもまた、家路につこうとして・・・

 

 

--ピコン!!ピコン!!

 

 

「ん?」

 

 僕の携帯のJINEアプリが鳴った。

 メッセージではなく、通話のようだ。

 

「珍しいね。久路人の携帯に連絡が来るなんて」

(さっきのヤツか、毛部と野間瑠君のどっちかか?)

「いや、違う。これは・・・」

 

 つい数日前に同じような流れになったばかりだなと思いつつ、携帯の画面を見た僕は驚いた。

 画面をタップし、通話を開始する。

 

「池目君?」

『ああ、月宮か・・・』

 

 聞こえてきた声は、中学からの友達である池目君だった。

 しかし、常に生き生きとしていた彼らしくもなく、声には疲れが滲んでいる。

 

「どうしたの?なんか元気ないけど・・・」

『・・・・・』

 

 不思議に思って聞くも、返ってきたのは沈黙だった。

 

『なあ、月宮・・・』

「うん」

 

 そして、ややあってから、意を決したように池目君は言った。

 

『お前、幽霊って信じるか?』

 

-----

 

「じゃあ、部長もお大事に」

「今日はありがとうございました」

「いや、こっちこそお礼を言うよ。月宮君と会えたのは君たちのおかげだからね・・・しかし、本当に映研を辞めてしまうのかい?」

「あ~、すみません・・・」

「俺たち、どうしてもやりたいバイトがあって・・・」

「ああ、そんなに気にしないでくれ。部活を辞めるのは君たちの自由だからね。むしろ、他のメンバーよりも君たちとは構ってあげられなくてこっちのほうが申し訳ないくらいだ」

 

 片葉の住む下宿の前で、毛部と野間瑠は頭を下げて別れの挨拶をする。

 雑木林からここまで自転車で来たのだが、道中で二人は映研を正式に辞めることを話したのだ。

 片葉としてはもう少し二人と交流を深めたいところだったが、二人の意志が固いのを察し、引き止めずに送り出すことに決めたらしい。

 

「次に月宮君と会う時は、俺たちも行きますよ」

「部活には行けなくなりますけど、部長とはまた話してみたいですから」

「それは嬉しいことを言ってくれるね。よし!!それじゃあ、次は映研のメンバーを引き連れてみんなで・・・」

「それは止めた方がいいと思います!!女子を月宮君に近づけるのはマジでヤバいんです!!」

「絶対後悔しますよ!!俺たちも、あいつらも!!」

「そ、そうなのかい?月宮君、そんなに手が速そうには見えなかったんだが・・・」

「そうなんです!!月宮君、ああ見えて高校時代に百人斬りしたこともあって・・・」

「大勢女の子を連れて行ったら、一体どんなことが起きるか・・・」

「君たちがそこまで言うほどか・・・人は見かけによらないな。わかった、次も俺だけで行こう」

「「ぜひそうしてください!!」」

((ゴメン!!月宮君!!))

 

 次は部長のハーレムも連れて会いに行くという申し出に、自身のトラウマやら雫の身の毛もよだつような毒気を思い出しながら必死で拒否した二人だったが、そのせいで久路人について妙な印象を持たせてしまったらしい。

 心の中で謝る二人だったが、後悔はあまりなかった。

 

「「それじゃあ、俺たちもこれで」」

「ああ。またな」

 

 そうして、毛部と野間瑠も家路について、その場を去っていった。

 

「・・・・・」

 

 しばらくの間、二人が歩いて行った方をみる片葉だったが、完全に姿が見えなくなった辺りで踵を返し、自分の部屋の扉を開けた。

 部屋の中は、映研の部室と同じように様々なオカルトグッズが置かれているが、それらも京によって回収済みである。

 そのことに()()()()()()()()()、何も気にすることなどないかのように、部屋の中にあるベッドに横になる。

 

「・・・随分と、用心深いものですね」

 

 窓から部屋の外を眺めながら、片葉は小さく口の中で呟いた。

 未だに自分の跡をつけ、部屋にまで侵入してきた術具のドローンに聞かれないように。

 

「さすがは七賢の三位。ほぼ無実と分かっても、最後まで気を抜きませんか」

 

 片葉は立ち上がると、冷蔵庫からお茶の入ったペットボトルを取り出して口に含む。

 その間も、ドローンは一定の距離を置いて付いてきていた。

 その術具は霊力の込められた小型カメラとマイクを内蔵しており、霊能者であろうと容易に気付けないように透明化の術までかけられている。

 その性能の高さに感心しつつも、あっさりと見破った上で気が付かないフリを続け、今日の事を振り返る。

 

「守りに入ることのデメリットを考慮し、臆さず、機会を逃すまいと罠かもしれない誘いに乗る・・・実に良い判断です。正解だ。ですが・・・」

 

 そこで、片葉は今日の去り際に言った台詞を思い出した。

 

「残念だ。実に残念でしたね・・・京」

 

 口をわずかに笑みの形に歪めつつ、そう小さく呟く。

 それは、一体いくつの意味を持った台詞だったのか。

 しかし、その言葉を聞く者は、片葉の他には誰一人としていなかった。

 

 

-----

 

「ここは・・・」

 

 霧間八雲は目を覚ました。

 

「病室、でしょうか?」

 

 辺りを見回してみると、そこは白を基調とした、明るく清潔な部屋だった。

 八雲も同じく白い病衣を着せられており、ベッドに横になっていたようだ。

 

「あれから、一体何が・・・」

 

 身体には怪我はないが、頭は熱に浮かされたように靄がかかっており、記憶が判然としない。

 覚えているのは・・・

 

「汚らわしい・・・!!」

 

 あのおぞましい瘴気を放つ、白蛇の化身を思い出し、八雲の美しい表情は醜く歪んだ。

 あの蛇が月宮久路人の心と記憶を破壊し、人外の道へ引きずり込んだ情景を思い浮かべるだけで、その悪辣さと醜悪さに吐き気がこみあげてくる。

 だってそうだろう。

 霊能者だろうが一般人だろうが、まともな価値観を持っていれば人外に堕ちることなど選ばない。

 ならば、月宮久路人があのような憐れな姿になり果てたのは、あまつさえ、その姿に歓喜さえ見せていたのは、あの蛇によって狂わされた以外にあり得ない。

 かつての兄のように。

 

「やはり、人外は一匹残らず滅ぼさねばなりませんね・・・しかし、ここはどこなのでしょう?」

 

 どうして自分が意識を失ったのかは記憶にないが、凄まじい熱を感じたのは覚えている。

 恐らく月宮久路人の雷を受けたのだろうとは思うが、そこから一体どうしてこんな場所にいるのか。

 あの場には月宮久雷がいた。彼が敵を取ってくれたのだろうか?もしも負けたのならば、あの邪悪な蛇が気絶した自分を見逃すはずがない。

 

「とりあえず、この部屋を出てみましょうか・・・」

 

 そうして、八雲が立ち上がろうとした時だ。

 

「あ!!起きたんだ!!」

 

 ガラッとドアが開き、一人の少女が入ってきた。

 

「よかったねぇ!!ここに運び込まれた時は死にかけだったから、そのまま死んじゃうのかと思ったよ」

「え?あの、貴方は?」

「マリはマリだよ。この屋敷の女主人ってヤツ!!それで、キミは霧間八雲ちゃんで、お客様だね。運んできたのはマリの仲間なんだけど、安静にして置ける場所がここしかなかったんだって」

「は、はあ?」

「キミ、霧間一族でしょ?今は、霧間一族のほとんどが殺されちゃったから」

「なんですって!?」

 

 奇抜な恰好をしたマリと名乗った少女が、自己紹介と共に現状を軽く説明する。

 しかし、その説明は聞き逃せなかった。

 

「ど、どういうことですか!?」

「マリもその場にいたわけじゃないから詳しくは知らないけど、キミが気絶しちゃった後、最後に勝ったのは白蛇の妖怪と月宮久路人だったんだけどね・・・月宮君が『僕は霧間家と月宮家にハメられた』って言いだしたの。月宮君は学会幹部と仲が良かったから、それで学会が動いて、その責任を取るために霧間家の当主が一族郎党を手ずから始末しなきゃいけなくなったんだって」

「そ、そんな・・・う、嘘ですよね?」

「信じられない気持ちはわかるよ。でもね、もしもマリの言うことが嘘だったら、キミが起きた時に傍にいるのはマリじゃなくてキミの家族だよね?キミたちが勝っていたならもちろん、負けたキミを助けたマリたちは、キミの味方なんだから。生きているのならそっちに任せるもん」

「あ、ああ・・・」

 

 八雲の目の前が真っ暗になったようだった。

 自分の全く知らない間に自分の家族が、よりによって最愛の兄の手によって殺されてしまったのだ。

 それが真実かどうか疑う間もなく、茫然自失となるのも無理はないだろう。

 全身から力が抜け、だらりと腕が落ちる。

 その眼からは涙があふれたが、それをぬぐう気力すらわかなかった。

 

「ねぇ、悔しい?」

 

 頭上から、小さな声が届いた。

 

「悔しいよね?知ってるよ。キミは、吸血鬼に騙されたお兄さんを助けるために頑張ってたんだよね?それが、そのお兄さんに家族を殺させることになっちゃったんだもん。悔しくないわけないよね?」

 

 ぼんやりとした頭のままノロノロと顔を上げると、マリがすぐそばまで近づいてきていた。

 

「ねぇ、どうなの?悔しくないの?ねぇ・・・」

 

 手で、顎をクイと上げられる。

 作り物のような蒼い瞳と目が合った。

 そして、その口が開く。

 

「学会に、人外に・・・蛇とコウモリなんかに、家族を奪われて」

「っ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、八雲の手は稲妻のように動いた。

 

「悔しいに決まっているでしょうっ!!」

 

 無意識に、八雲はマリの胸倉を掴んでいた。

 顔と顔が触れそうになる距離で、八雲は己の心の内をぶちまける。

 

「悔しいっ!!憎いっ!!殺してやりたいっ!!あのクソ蛇とコウモリ女を!!絶対に、絶対にぶっ殺してやるぅぅぅうううううううううううっ!!!」

 

 最後の方は、マリの顔など見ていなかった。

 その眼に焼き付いていたのは、純朴な青年を堕落に導いた白蛇、そしてすべての元凶とも言える吸血鬼の姿だった。

 

「兄さんがっ!!学会なんて異端に加わったのはあの吸血鬼に誑かされたからっ!!あの吸血鬼は、今も兄さんの心を弄んでる!!そうじゃなきゃ、兄さんが家族を殺すはずなんてない!!学会の言うことなんて聞くはずがないっ!!久路人さんだってそう!!あの蛇が、久路人さんを壊したんだっ!!人外は人間にとって敵でしかないのに!!私たちを学会に売る理由だってなかったのにっ!!つがいになるなんて汚らわしいことするはずないのにっ!!」

 

 その顔に伝う涙の質が変わっていた。

 家族を失った悲しみの涙から、その原因へと、仇に向かう憤怒のそれへと。

 

「殺してやるっ!!絶対に、ぶっ殺してやるぅぅぅうううっ!!!!」

「そんなに、人外が憎いんだね?」

「当たり前でしょう!!人外を嫌わない人間などいるはずないっ!!」

 

 いつのまにか、八雲はマリを離していた。

 けれども、マリは怒り狂う八雲から離れなかった。

 ただ、静かな口調で問いかけるだけだ。

 そして、その問いへの八雲の答えなど決まりきっていた。

 

「わかったよ。キミの気持ちは、よくわかった。それだけの憎しみがあるのなら、マリたちはキミを助けてあげる。キミの願いをかなえてあげるよ・・・ヴェル君がキミを連れてきた理由、ようやくわかったよ」

「え?」

 

 八雲の激情。

 その苛烈な炎のような想いを間近で耳にしたマリは、小さく頷いた。

 スマホを取り出し、素早くタップしてメッセージを送る。

 八雲と言えば、突然の助力の申し出に冷水をかけられたように昂りが収まっていた。

 

「マリね。キミみたいに人外にものすごぉ~く恨みを持ってる人を知ってるんだ。その人に会わせてあげる。その人に会えば、キミはとても強い力を手に入れることができる」

「え?人に会うって・・・会うだけで、力が?」

 

 霧間八雲は、己の実力のほどを知っている。

 そして、怨敵の持つ脅威も。

 八雲自身は霊能者としては優秀な方だが、それでも蛇や吸血鬼には到底及ばない。

 力が必要だとは思っていたし、そう考えていたからこそ月宮久路人との縁談を申し込んだのだが、だからこそその話を信じられなかった。

 

「ん。入っていいよ」

「・・・オ、オオ・・サヌ」

 

 そんな八雲を尻目に、マリはドアの方を向いて合図をする。

 すると、能面のような無表情の青年が、車いすを押して入ってきた。

 その車いすには、一人の老人が座っている。

 老人も、車いすを押す青年のように感情の全てが抜け落ちたような無表情だ。

 

「ウ・・・ア、ア・・・ォオオオオオオオオオオオオアアアアアアッ!!!」

「ヒッ!?」

 

 だが、その眼にだけはギラギラとした刃のようなモノが浮かんでいた。

 八雲を目にした瞬間、その激情がさらに吹き上がり、叫びとなって飛び出した。

 その迫力に、怒りを燃やしていたはずの八雲が思わず気圧される。

 

「今日も元気だねぇ・・・それじゃ、八雲ちゃん。そのお爺ちゃんの手、握って」

「え?こ、このご老人の手を、ですか?」

「他にどこにお爺ちゃんがいるのさ。ほら、早く早く。大丈夫。人間なら、そのお爺ちゃんは何もしないよ」

「わ、わかりました・・・」

「ユ、ユ、ユル」

 

 八雲は、マリに促されるまま、すぐ近くまでやってきた老人に手を伸ばした。

 すると、枯れ木のような老人の腕が糸で持ち上げられたように不自然に浮かび上がり、八雲の手に触れる。

 冷たく固い死人のような感触が八雲の手に伝わり・・・

 

「ユルサヌゥゥウウウウウウウ!!!!!!!!!!」

「がっ!?」

 

 次の瞬間、老人の叫びと共に、電流のような痺れが八雲の身体に走った。

 まるで自分の頭の中をミキサーでぐちゃぐちゃにかき回されるような痛みと不快感。

 同時に、冷たい何かが入り込んでくる。

 

「あ、アアッ!!!アアアアアアアアアアアッ!!?」

 

 たまらず、八雲も叫んだ。

 叫ばないと、気が狂ってしまいそうだ。

 しかし、手は離せなかった。

 老人の手と八雲の手が一体となったかのように離すことはできず、冷たい何かの流入も止められない。

 そして、冷たい何かが入り込めば入り込むほど、八雲の中から大事な何かが消えていくような感覚を覚えた。

 

(こ、これは・・・何かが、流れ込んでくる!?いや、消えてる!?)

 

 叫びながらも、直感で、本能で八雲はそれを理解した。

 それは、奇しくも月宮久雷が月宮久路人に仕掛けた企みと同じこと。

 200年の時間をかけ、徹底的に相性を調べ、入念に術を組み上げた上で挑んだ久雷のものに比べるとあまりにも荒々しいものではあったが、本質は変わらない。

 

(上書きされてる!?私自身が!?)

 

 他者による、身体の乗っ取りだ。

 しかし、大きな違いもあった。

 

(騙された!?嫌だ、私は・・・・これはっ!?)

 

 激しすぎる流れに抵抗する意思すら消えかける八雲であったが、その視界にセピア色の景色が映った。

 

(これは、太古の景色?)

 

 そこに映るのは、今よりも遥かに過去。

 忘却界が築かれる前。

 人外によって、現世が恐怖のただなかにあった時代であった。

 その映像の中では、いくつもの暴虐があった。

 いくつもの死があった。

 いくつもの悲しみがあった。

 いくつもの怒りがあった。

 妖怪、魔物によって両親を殺された子供がいた。

 恋人を犯され、喰われた青年がいた。

 子供を浚われ、元の顔が分からなくなるほど醜い化物にされた親がいた。

 

(これは・・・)

 

 記憶の主は、そんな只中にあっても屈しなかった。

 凍り付いてしまいそうなほどの悲しみと、身を焦がすほどの怒り。

 それを抱えつつも、抗った。

 その奥には、いつだって一つの願いがあった。

 

 

--人外に怯えずに済む、平和な世界を

 

 

(この人は・・・)

 

 

 そして記憶の主は出会う。

 魔道を極めた、書を持つ賢者を旗頭に据えた希望の芽の集い。

 異国の仙人に若き死霊術師、光り輝く白き女騎士。数ある術師たちが集まった。

 記憶の主も剣を手に取って列に加わり、ついに始まるのは化物の王率いる軍勢との決戦。

 悪魔の王、精霊の女王、吸血鬼の真祖、山すら越える巨人の戦士、そして魔の竜。

 戦いは七日七晩続き、そして・・・

 

(違う。これは、上書きなんかじゃない。受け入れるんだ)

 

 セピア色だった映像が真っ黒に染まるころには、霧間八雲を襲う喪失感は消え失せていた。

 代わりにあるのは、身体を満たす熱い何か。

 

(だって、この人は・・・)

 

 月宮久雷と月宮久路人。

 記憶の主たる老人と霧間八雲。

 この二つの関係の違い。

 他者の身体を奪い取るというおぞましい所業であるが、そこにある大きな差異。

 

(私と同じなんだから)

 

 それは、『共感』。

 その熱い何かを抵抗せず受け入れる覚悟を決めた時、霧間八雲は生まれ変わった。

 

「う、おお、ウオォォォオアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 八雲の口から、雄たけびが飛び出る。

 手を握っていた老人の身体が、最後の力を使い果たしたかのように床に沈み込んで、見る見るうちに灰に変わっていったが、それを気にすることはなかった。

 その必要がなかったからだ。

 それは単なる死ではなく、新たな誕生なのだから。

 その叫びは、大いなる者の産声だ。

 

「はぁっ、はぁっ・・・」

「・・・気分はどう?」

「はぁ・・・ふぅ。ええ、悪くありませんよ」

 

 叫び終え、汗を滴らせる八雲に、マリは静かに声をかけた。

 その呼びかけに息を落ち着けた八雲は、先ほどの様子が嘘のような落ち着いた声音で応える。

 その身体からは、いつしか瀑布のような勢いで霊力が迸っていた。

 それはまるで、人間が一生をかけて修行に身を投じて手に入る力を何度も重ねたかのような、計り知れない力の柱。

 八雲は、いや、『彼』は、力の漲る拳を握りしめて呟いた。

 

「この力があれば、できる。これがあれば、叶えられる・・・某の願いを。魔物も、それに与する愚か者どももいない、真なる人間だけの世界を!!」

「そっ。それはよかったよ。おめでとう・・・『勇者』様」

 

 かつて魔竜を討った英雄たちが一人、『勇者』。

 そして魔物から無辜の人々を救うべく走り続けた『旅団』の初代団長。

 そう謳われる彼は、こうして今再び現世に蘇ったのだった。

 永き時と、幾重もの命を経て、歪み切った願いを胸に。

 

 




エタリ防止のために、評価・感想お願いします!!


妖怪①
妖怪とは、人外の一種。
現世の動物、道具などが常世から流れる瘴気や霊能者の放つ霊力に中てられて変質したモノ。
あるいは、常世に最初から存在していたモノ。
他種族の霊力を喰らって己の力とすることができ、彼らが放つ霊力は瘴気となって人間を侵す。
人間は妖怪を恐れるが、妖怪は人間を恐れない。
しかし、『力こそが正義』と考える傾向が強く、弱い人間を基本的に見下している。
ちなみに、西洋では『魔物』と呼ばれる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚10

お待たせして申し訳ない・・・
そして4章は次で最後かな?もしくは5章の一話かも。
後、1章一話と二話をちょこちょこ書き直してるので、興味ある方は読んでみてください


 池目円太(いけめえんた)は、イケメンだ。

 

「池目君!!明日暇ならカラオケ行かない?」

「そうそう!!判侍君も誘ってさ」

「あ、悪い。明日はバイトなんだ。明後日なら空いてる。持春は?」

「俺は明後日がダメだな。週末は行けるけど」

 

 今日も、大学のサークルのメンバーからお誘いがかかる。

 彼は幼馴染にして親友の判侍持春(はんじもてはる)とともにテニスサークルに所属しており、サークル内でもかなりの腕前だ。

 持ち前の整った顔立ちと、男らしい優れた身体能力。なにより、そんな生まれ持った才能を鼻にかけず、他人を思いやれる優しさもあって、2人はしょっちゅう女性に声をかけられていた。

 実際に付き合ったことも多々あり、女性経験も豊富である。

 まあ、本気でほれ込んだ相手はいないため、女子の間での後ろ暗いあれやこれやで別れることになってもあっさりと受け入れていたが。

 そんな彼だからこそ、知っていることがあった。

 

(なんだ?あいつ・・・)

 

 ある日の夜のことだった。

 大学からバイト先で働いた後、一人で家路についている時。

 自分の後ろを誰かが付いてきているのに気が付いた。

 チラリと目線を向けてみると、いやに髪の長い女だ。

 目元まで髪で隠れており、暗さもあいまって顔は見えない。

 

(・・・ストーカーか?)

 

 池目は、これまで何回かストーカーの被害に遭ったことがあった。

 その経験から、今自分をつけている女からストーカーと同じような気配を感じたのである。

 彼が付き合った女性と長続きしない理由の一つであるのだが、どうも女運はあまりないらしい。

 

(顔は見えないけど、あんな不気味なヤツ、会った覚えはないけどな)

 

 背後から、強烈な視線と意思を感じる。

 それはまさしくストーカーのソレであったが、池目には後ろの女に見覚えはない。

 これまでは、何度か池目に会うにつれて次第にストーカー行為をしでかすような女しかいなかった。

 何らかの接点がなければストーキングするきっかけにならないからだろうが、そうなると女の正体がまったく掴めない。

 

(一目惚れってヤツか?・・・自分で言うのもなんだけど、めっちゃ自意識過剰なこと考えてんな、俺)

 

 池目は、半ば自分に呆れつつ半笑いを浮かべる。

 普通尾行されてるからと言って、それが自分の魅力に惚れたからとは思わないだろうが、彼の場合はそういうケースが過去に数度かあったために、仕方がない反応と言えるだろう。

 ある意味、余裕のある証拠でもある。

 

(ストーカーね・・・不気味だけど、懐かしいと言えば懐かしいな)

 

 池目とて、不気味に思わないわけではないが、慣れてしまっているのだ。

 同時に、友人たちが親身になって助けてくれた思い出もある。

 初めてストーカー被害を受けたのは、高校の二年の頃だった。

 修学旅行に行くよりもかなり前だったが、顔を隠した女がやけに執拗に付いて来ると不安に思ったものだった。

 当然不気味に思ったが、実害が出るには至っておらず、警察も動いてはくれなかった。

 だが、彼の友人たちは動いてくれた。

 

(持春はいつも一緒に帰ってくれたし、毛部と野間瑠はストーカーを逆にストーキングして特定してくれたしな。そんで、月宮は・・・)

 

 ストーカーについて、あのおとなしい中学からの友人に話した後。

 

『わかった。僕も何とかしてみるよ』

 

 と言った日から、不意にピタリと被害が止まったのだ。

 判侍がいたからストーカーが襲い掛かって来ることもなく、毛部と野間瑠がいたから特定はできた。けれども、どうしてもその先に踏み込むことはできなかった。

 そんな喉に小骨が刺さったような状況が、すぐさま終わったのである。

 普段の池目たちが帰るルートが、その日だけ妙に肌寒かったことはよく覚えている。

 

(中学の頃から不思議なヤツだったけど、月宮が何かしてくれたんだろうな・・・)

 

 月宮久路人に不思議な何かがある、というのは中学ではそこそこ有名な話だった。

 池目自身は、そういった根も葉もないうわさで騒ぎ立てるのは好きではなかったので掘り下げなかったが、久路人の周りで不可解なことがたまに起きているのには気づいていた。

 

(まあ、昔の話より今か。見た感じ、体格は俺よりかなり小さいし、変な道具でも持ってない限りは逃げ切るのは難しくなさそうだ・・・よし!!)

 

 しばし昔の思い出に浸っていた池目であったが、首を小さく振って思考を切り替える。

 思い出の中には頼りになる仲間たちがいたが、今の自分は1人。

 自分で何とかしなければならないが、今の池目には高校から運動部で鍛え続けているガタイがある。

 追いかけてくる女は、はた目には運動ができそうにも見えない以上、全力で走れば撒くのは容易く思えた。

 

「ふっ!!」

 

 ちょうど曲がり角に入ったところで、池目は全力でダッシュした。

 そのまま普段帰るルートとは違う道をジグザグに駆け抜けていく。

 健脚はあっという間に距離を稼ぎ、景色はスイスイと後ろに流れていった。

 

「ふぅ・・・まあ、ここまで来ればいいだろ」

 

 そうして、池目は路地裏をいくつも通り抜けた先にある大通りで足を止めた。

 軽く息が上がる程度で済んでいるが、それは池目だからであり、並の女性では到底追いつくことはできないだろう。

 路地裏でショートカットしたこともあり、行先を予測して便のいい大通りを迂回したとしても、抜かされることはまずない。

 

「とりあえず、このままちょっと遠回りして帰るか。持春とかには明日連絡するとして・・・」

 

 乱れた息を整え、帰り道を考えつつ対策を練る。

 ストーカーへの対処としては、犯人に詰め寄ったりして刺激してはいけないのが第一だ。

 ひとまず万が一のために昔買った防犯グッズを携帯して、ストーキングされているという証拠を集めるところからだろう。

 警察に相談するにせよ、下準備をしておかなければ中々対応してくれない。

 

「前に買ったヤツ、どこに仕舞ってあったかな?下宿に持ってきてはいるはずだけど」

 

 今度は大通りで、夜とはいえ街灯の灯りで明るく、人もまばらにだが出歩いている。

 その安心感もあって、ゆっくりと歩き出した、その時だった。

 

「・・・・・」

「え?」

 

 急に寒気を感じて、ふと視線を前に向けた先。

 電柱の真下に、あの女がいた。

 ひどい猫背で、灯りに照らされながらもやはり顔は見えない。

 服装もよく見れば随分とくたびれた服を着ており、乱れた髪と合わさって暗がりで見るよりも不気味だった。

 だが、そんなことよりも。

 

(どうやって、俺の前に回り込んだんだ!?)

 

 女の服装にも息にも乱れはない。

 靴もよく見てみれば走りにくそうなハイヒールだ。

 とても、池目の先回りができるとは思えない。

 

「ふぅ~・・・今日も疲れたな」

 

 そして、そんな風に混乱する池目の横を、通行人が通り過ぎた。

 そのまま女の横も通り過ぎて、歩いていく。

 

「・・・・・」

(なんで、何の反応もないんだ!?)

 

 通行人も、女も、何の反応も見せなかった。

 はた目から見ても、電柱の下にいる女は不気味だ。

 しかし、さっきの通行人はまるで女が見えていないかのように気にも留めずに歩いていた。

 

「くそっ!!」

 

 何かがおかしい。

 全身を刺すような寒気に、本能が警鐘を鳴らす。

 次の瞬間には、池目は悪態をついて踵を返し、再び全力で走っていた。

 

「はぁっ、はぁっ!!」

 

 今度は寄り道せずに、まっすぐ家を目指す。

 鍛えられた身体をフルに使って走れば、ものの10分でたどり着いた。

 震える手で鍵を開け、中に入ってすぐにドアを閉めて施錠する。

 そして、部屋の中に向き直った。

 

「はぁ・・・さすがに、いないか」

 

 部屋の灯りをつけてくまなく見渡すが、人影はなく、窓もすべて閉まっていた。

 ドアの鍵もかかっていた以上、内側に侵入されているということもあり得ない。

 

「ふぅ・・・」

 

 一気に気が抜けて、池目はベッドの上に腰を降ろした。

 

「なんだったんだ?あの女」

 

 落ち着いてくると、気になるのはもちろんあの女だ。

 不気味な女だった。

 服もそうだが、何よりも雰囲気が異常だった。

 どういうわけか自分をストーキングし、全力で走って撒いたつもりが回り込まれてもいた。

 しかも、自分以外には認識できていないかのように、通行人は何の反応も見せなかった。

 それはまるで・・・

 

「幽霊・・・」

 

 口に出して、形にする。

 

「幽霊、幽霊・・・ははっ!!」

 

 そうしてから、不意に池目は笑い出した。

 

「んな訳あるか。月宮と違って俺に霊感なんてないし、ビビりすぎだろ、俺」

 

 幽霊など、この世にいるわけがない。

 確かに友人の久路人は不思議な雰囲気をしていたが、彼はきちんと人間であった。

 奇妙な体験をしたこともあったが、それも物理的な理由や『気のせい』で済ませられる程度のモノ。

 振り返ってみると、随分と情けない真似をしたものだ。

 あの女が追い付いたり気付かれなかったのにどんなトリックを使ったのか知らないが、ここまでビビった自分を思い出して、今頃笑い転げているだろう。

 だが、そうとなればこちらも容赦はしない。

 

「悪質な悪戯しやがって・・・こうなったら、防犯カメラでも買ってやろうか」

 

 素早く証拠を集め、警察に動いてもらう必要がある。

 単なるストーカーではなく、自分を脅かして楽しむ愉快犯となれば、こちらもそれなりに用意をしなければならないだろう。

 

「中古で売ってねぇかな・・・」

 

 そうして、調べものをすべくポケットのスマホを取り出した。

 その瞬間、池目は凍り付いた。

 

「なんだ、これ・・・」

 

 スマホには、黒い糸が幾重にも絡みついていた。

 それは、間違いなく・・・

 

『見つけた』

「っ!?」

 

 不意に、部屋の中に声が響いた。

 小さく、聞き逃してしまいそうな声。

 けれども、確かに聞こえた。

 

「どこだっ!?」

 

 反射的に、池目は立ち上がって部屋を見回す。

 しかし、どこにも異常はない。

 さきほど見たように、部屋の中には何もいない。

 

「クソっ!!なんなんだよっ!?」

 

 半狂乱になりつつも、池目はキッチンにあった包丁を手に取り、窓に向き直った。

 ドアの鍵は相変わらず締まったままであり、声を届けるには窓しかない。

 ガラリと窓を開け、ベランダに一歩踏み出すも、やはりそこには何もいなかった。

 

「・・・気のせい、だったのか?」

 

 ベランダから身を乗り出して外を見ても、誰もいない。

 しばらく部屋の中と外に交互に視線を向けていたが、やがて本当に何もいないと確信し、部屋の中に戻る。

 その時に、足元の違和感に気付いた。

 夜の暗闇に紛れて、見ただけでは分からなかったが、踏みつけたから、ソレに気が付いてしまった。

 

「うわっ!?」

 

 ベランダに広がる、長い長い黒髪の絨毯に。

 

 

------

 

 

「あの女を初めて見た時は、そんな感じだったんだ」

 

 そうして、池目君は一旦水の入ったコップを手に取って一気に煽った。

 

「はは、ごめんな。こんな話して。信じられねーと思うだろうけどよ」

「俺からも言うけど、本当の話だと思うぜ。俺はその女を見たわけじゃないけど、円太はこんなことで冗談なんか言わねぇ。幽霊なのか人間なのかは分からないけど、間違いなくヤバい女がいる」

「いや、信じるよ。池目君、判侍君」

 

 白流市から少し離れた場所に位置する、とある喫茶店。

 そこで、僕たちは池目君の話を聞いていた。

 あの通話の後、ただならぬ雰囲気から、すぐに日にちを決めて白流市の近くに来てもらったのだ。

 どうして白流市の近くで会うのかといえば、白流の結界で池目君に憑いているかもしれないモノに逃げられないようにするためだ。

 今いる場所ならば、何かあってもすぐに白流市まで逃げ込める。

 最初は僕の方から行くことも考えたが、池目君たちが住んでいるのは忘却界の奥の方で、いざという時を考えてここで会うことにしたのである。

 池目君たちには手間をかけさせてしまったが、彼らも帰省したかったようなので『大丈夫』とのことだった。

 

(雫。何か感じる?)

「ううん、何も。瘴気は感じないよ」

(そっか・・・白流の結界の近くだからかな)

『・・・いや、微かだが霊力の残滓は感じるぜ。ここには何もいないみてぇだが、コイツが何かに憑かれてたのは間違いない』

 

 その場にいるメンバーは、やたらと憔悴したような池目君と、その付き添いの判侍君。

 そして、僕と雫とおじさんだ。

 おじさんは、前に片葉さんを見ていた時のように術具ごしだが。

 ちなみに、毛部君と野間瑠君も来たがっていたのだが・・・

 

『京さん。池目の下宿まで来たけど、何もいないッスよ』

『・・・この鍵開けの術具、すごいですね。霊力めっちゃ使うけど』

 

 僕の付けているイヤホン型の術具に、2人の声が届いた。

 2人には今、池目君たちが住んでいる場所に向かってもらっていたのだ。

 一応、今の僕らは霊力を抑えることもできるから、おじさんの術具があれば今のように忘却界を壊さずに入ることはできるが、何重にも身体に負荷がかかったような状態になる。

 そのため、純然たる人間の2人に行ってもらったという訳だ。

 戦力的にも2人は十分に戦えるレベルだし、忘却界のデバフは僕たち以外の妖怪にも有効なため、大物はいないだろうという見通しもある。

 まあ、そもそも戦闘に入る前に発見されることすら難しいだろうが。

 

「月宮?」

「どうかしたか?やっぱり、信じられねぇかな・・・」

「あ、ごめん。ちょっと考え事してて・・・うん、信じるけど、だからこそもっと詳しい話が聞きたいな。何かきっかけとかなかった?」

「きっかけか・・・悪い、思いつかねぇや。あの女は、突然現れたんだよ」

 

 少しの間雫たちと話していると、不安に思ったのか、2人は怪訝そうな顔をしている。

 しかし、この様子だと雫にも気が付いていないようだし、毛部君と野間瑠君のように霊能力に目覚めているというわけではなさそうだ。

 そうなると、今の状況に陥った理由にも気が付けないかもしれない。

 案の定、池目君も心当たりはないという。

 

「いや、待った。円太には心当たりはないかもしれねぇけど、俺にはあるぜ」

「持春?」

「そうなの?」

「ああ。お前が体調悪そうだった時、お前の分も顔出しってことで俺だけでサークルの飲み会行ったんだが、そのときに噂を聞いたんだよ」

 

 だが、意外にも判侍君の方は何か知っているらしい。

 というか・・・

 

(また噂か・・・)

 

 ここ最近、そんな話ばかり聞く。

 影の中に潜む妖怪や、河童の三郎、七不思議に、つい最近の毛部君と野間瑠君。

 この白流はそういう土地だから納得もできるが、まさか忘却界の中でもそんなことになってるとは。

 

「俺が聞いた話だと、『黒髪ストーカー』って噂だった」

 

 そうして、判侍君は噂について教えてくれた。

 曰く・・・

 

『ある日突然、黒い髪の女に付き纏われるようになる。女は髪を長く伸ばしていて、顔を見ることはできない』

『逃げようと思っても、逃げられない。どんなに走っても、隠れても、必ず女はやってくる』

『受け入れても救いはない。憑りつかれた男は、女の探す男ではない。女にとっての嘘にしかならない』

『受け入れても、逃げ出しても、もちろん拒んでも、待っているのは女の怒りだ』

『最後には、女の怒りに触れて、死ぬ。髪で首を絞められるか、精神を狂わされて自殺するか、その末路は悲惨だ』

『だが、助かる方法もある。それは・・・』

 

「どこかにある、その女の写った写真を誰かに押し付ければいいんだと」

 

 そう言って、判侍君は話を締めくくった。

 

「お前、そんな話知ってたんならどうして教えてくれなかったんだよ」

「いや、俺も前に聞いたじゃん。写真持ってないかって。そしたら、お前が『持ってない』って言うから。今は月宮もいるから話したんだよ。何のアテもない時にこんなこと話せるかよ」

 

 どうやら、判侍君は池目君に気を遣って話していなかったようだ。

 

「その噂だと、写真は最初はどこから来たことになってるの?」

「わからん。他のヤツに押し付けられたんだと思う。それ以外だと、写真には女の怨念が籠ってて、捨てても戻ってくるってのは聞いたな」

「そういえば、お前にストーカーの話したときにそんなこと聞いてきたな・・・けど、本当に俺はそんな写真持ってないぞ」

『写真ね・・・久路人、こりゃ毛部と野間瑠の時と同じだ』

(術具か)

「あの悪趣味な仮面のことだな」

 

 噂の内容はよく聞くようなチープなものだったが、池目君も判侍君もこんなことで嘘を吐くような性格はしていない。

 そして、おじさんによれば池目君からはわずかに霊力の痕跡があると言う。

 2人の話は真実で間違いないだろう。

 ならば、現状を打開する方法も具体的に考えることができる。

 

『毛部と野間瑠の時も、術具そのものが使い手を探して、暴走させていた。これも少し違うが根っこは同じだな。術具が池目を選んで、憑りついたんだ。そして、『怪異』を引き起こしてる・・・忘却界の中でそんなことが起きたってのは信じがたいが、起こり得る可能性はそんくらいしかねぇ。人間の霊能者が直接やってるんなら、やり方がお粗末すぎる。誰かを殺したいだけなら、こんな回りくどい手を使う必要がねぇ。術具を作ったのは誰だか知らねぇけどな』

 

 忘却界の中で結界の影響を受けずに発現できるのは、人間に由来する異能のみ。

 そして、人間の意思や感情という指向性を与えられた霊力が形を変えたものこそが怪異。

 すなわち、怪異は忘却界の中でも発生するのだ。

 というか、今の現世で忘却界の中で人間に危害を及ぼす異能の存在など、怪異くらいのものだ。

 霊力に乏しい忘却界で怪異が発生するのは滅多にないことだが、恐らくは術具そのものに籠っている霊力を餌にしているのだろう。

 写真が見つからないのは、押し付けた人間がうまく隠したのか、あるいは術具そのものが意思を持って池目君を選び、見つからないように息をひそめているのか。

 

「なあ、頼むよ月宮。中学の頃、お前が噂のせいで嫌な目にあったのは知ってる。けど、こんなこと相談できるの、お前しかいないんだ」

「俺からも頼む。最近の円太は、見てる方がキツいんだ」

 

 そう言って、2人は深く頭を下げた。

 

「・・・・・」

 

 2人とも、僕が中学の頃に色々と噂をされて、いじめに発展しかけたことを知っている。

 あのいじめの関係で、僕と池目君、判侍君は知り合ったが、あれから2人が僕の周りで起きる、妖怪による怪奇現象について口を出してくることはなかった。

 それは、僕がそういうことを掘り返されるのを嫌がるだろうという、2人の優しさだ。

 そして今、そんな事情を知っていてもなお、友達がそんな風に真摯に頼んでくるのだ。

 つまりは、それほど追い詰められているということだ。

 ならば、僕が言うことなど決まっている。

 

「わかった。僕が何とかしてみるよ」

  

 元より異能の力で困っている人間を見捨てるのは、僕個人としても、学会の方針としても認めがたい。

 断るという選択肢は元からないのだ。

 

「ま、この2人には久路人を鬱陶しい雌から庇ってくれた恩もあるしね」

『この怪異をどうにかすれば、気になってることもわかるかもしれねーしな』

 

 雫もおじさんも、反対するつもりはない。

 そして・・・

 

「ありがとう。本当に、ありがとな」

「俺からも・・・ありがとう、月宮」

 

 よほど追い詰められていたのだろう。

 池目君は、緊張の糸が切れたかのように涙をぬぐった。

 判侍君も、そんな池目君の肩を叩きながら、僕に礼を言うのだった。

 

 

------

 

「とりあえずなんとかしてみるけど、その前に聞きたい。その幽霊って、具体的に今までどんなことをしてきたの?なんか、命にかかわることはあった?」

 

 店を出て、すぐ近くの公園。

 そのベンチで、僕はもっと詳しい話を聞くことにした。

 なぜ場所を移したかと言えば、荒事になる可能性が高まってきたからだ。

 

「薄っすらと瘴気を感じる・・・あの七不思議の時と似てるね」

 

 雫が僕の傍でそう言ってくる。

 雫の言う通り、さっきまで感じられなかった瘴気が、急に強まってきたのだ。

 

『怪異は、噂に行動を縛られる。この怪異をなんとかしてくれって話したのは、その女にとって気に入らねぇことだったんだろうよ。反逆の意思ありってな』

 

 他にも、ここに向かう途中で、

 

『月宮君。やっぱり下宿には何もそれらしいモノはないぜ』

『おかしな髪の毛も落ちてないし、池目の方に付いてるんじゃないかな?』

 

 毛部君と野間瑠君から連絡があった。

 怪異は、池目君から離れていない可能性が高い。そう時間を置かず、怪異が現れるのだろう。

 できれば池目君たちは逃がしたいところだが、怪異の狙いが池目君である以上、それも無理な話。

 判侍君一人どこかに行ってもらうのも不自然だ。

 

『まあ、怪異って言ってもそこまで強い奴じゃねぇ。一般人がいたところでそんなに苦労はねぇよ』

 

 そういうわけで、怪異が出てくるまで時間を潰すことにしたのだ。

 この話だけでも、怪異にとっては撒き餌になるかもしれない。

 

「どんなことって言ってもな・・・基本的には付き纏ってくるだけだな。死にそうになったことはないぜ。ただな・・・」

 

 池目君は、やつれた顔で気持ちの悪いモノでも見たかのような目をする。

 

「どこまでも、どこまでも付いて来るんだ。部屋の中どころか、ベッドに髪の毛が落ちてたこともあった」

「寝床まで追いかけてくる女なんて、ヤバいだろ。幽霊でむしろまだマシなんじゃね?生きてるヤツにそんなことされる方が怖いわ」

「幽霊だろうが生きてるヤツだろうがどっちでも嫌だよ。部屋にいきなり入って来るなんて怖すぎだろが」

「怖いっていうか、気持ち悪いわな」

「・・・・・」

 

 確かに、許可なく部屋の中に侵入されているというのは恐ろしいものだ。

 ましてや寝る場所まで掌握されてるとなると、安心できる場所はないと言ってもいいだろう。

 

(あれ?そういえば、昔そんなことがあったような・・・)

 

 しかし、ふと記憶に引っかかるものがあった。

 そういえば中学の頃、朝起きたら雫がベッドの下に布団を敷いて寝ていたことがあったような・・・

 というか、添い寝されるのは高校の頃からほぼ毎日だ。

 

(じ~・・・)

「・・・・・っ!!」

 

 そんなことを考えながらふと雫を見ると、珍しいことにバッと目をそらされた。

 その白い肌にはなぜだか汗が浮いている。

 雫に拒絶されたようなその仕草は普段ならショックを受けるところだが、今は何というか・・・

 

「後は、タンスが荒らされてることがあったな。風呂場も」

「げっ!?それって、服とか下着狙いか・・・?」

「多分な・・・俺のパンツに髪が絡まってるの見た時は、ゾッとしたね。下着全部捨てたわ。おまけにバスタブまで髪の毛で詰まってたしよ」

「そりゃあ、そこまでされたらな・・・」

「ああ。幽霊でも変態っているんだな」

「・・・・・」

 

 またしても、脳裏に何かが蘇った。

 いやに聞き覚えのある話だ。

 いや、これは結構最近のことだ。

 

(確か、僕が雫と戦って初めて勝った時、カマかけたらあっさり喋ってたな。訓練が終わった後、僕の汗がしみ込んだ下着を・・・)

 

 そういえば、僕が率先して先に風呂に入るようにしていたから結果的にそうなっていたわけだが、雫は僕の残り湯に常に浸っていたことになる。

 僕としては、女の子が入った残り湯に浸かってる変態と思われたくないからこそだが、雫がそれに異を唱えなかったということと、今までの行動を振り返るに・・・

 

(じ~・・・)

「・・・・~♪」

 

 再び雫の方をチラリと見ると、なぜかこっちを凝視していた雫は明後日の方向を向いて口笛を吹き始めた。

 うまく吹けてなくてヒューヒューとした音しかしていないが。

 

『雫、お前・・・』

「・・・・~♪」

 

 おじさんがそんな雫に呆れたような声を上げるが、雫は知らん顔だ。

 

「極めつけに、キッチンとか冷蔵庫まで触った跡があったんだ」

「まさか・・・料理に?」

「ああ・・・作り置きしといたカレーに髪の毛とか血みたいのが浮いててさ。食ってないのに吐き気がしたよ」

「ストーカーのレベル超えてんだろ・・・そこまでのことになってたんなら流石に言えよ。飯くらい奢ってやったぜ?」

「いや、それでお前のとこに行ったらヤバいだろ。気持ち悪かったからすぐに片付けて証拠もなかったし」

「まあ、いきなりそんな話されてもすぐには信じられなかったかもな。そのレベルの変態とか、幽霊じゃなくても対処法が分かんねぇよ」

「・・・・・」

 

 これについては、もう思い出す必要すらない。

 今の僕は人間を止めているが、そのためには・・・・

 

「あ~!!あ~!!聞こえない聞こえな~い!!」

(雫・・・)

 

 雫はもはや外部からの情報をシャットアウトするつもりなのか、耳を塞いで大声を出していた。

 なんだかんだ言って雫は意外と常識をわきまえているので、自分の行動が客観的にどれほどキモイのか突き付けられてショックだったのだろう。

 部屋への不法侵入、下着泥棒、自身の一部を食品に異物混入。

 言われてみれば確かに、中々生理的な嫌悪を呼び起こすものばかりである。

 

「とりあえず、こんな感じだな。命取られるようなことはされてないけどよ。それでも・・・」

「なんというか、精神的に殺されそうだよな。なあ、月宮」

「え、あ~・・・」

 

 ひとしきりそのストーカー幽霊の罪状を話してくれた池目君だが、素直に彼らに同意するのはそれはそれで何か違うような気がした。

 

「まあ、確かに気持ち悪いけど・・・・」

(っ!?)

 

 僕がそう言うと、雫の肩がビクッと震えた。

 耳を塞いでいたと思っていたのだが、いつの間にか手を元に戻している。

 僕がなんて返すのかは気になったのだろう。

 背中を向けているが、泣きそうな、悲しそうな気配は伝わってきた。

 僕は池目君たちだけでなく、そんな雫にも届くように言う。

 

「心から好きな人にされるんなら、結構嬉しいかな」

「久路人っ!!」

 

 その瞬間、大好きな飼い主を見つけた犬のようにバッと雫は振り返った。

 その瞳は驚きと喜びでルビーのように輝いている。

 犬のような尻尾があったら千切れんばかりに振っていただろう。

 

「お、おう」

「昔から思ってたけど、お前変わってるよな・・・」

『久路人、お前・・・いや、お前らしいけどよ』

 

 池目君と判侍君は少し引きつった顔で。

 おじさんは呆れと感心が半々くらいの声音でそう言った。

 どうやら引かれてしまったようだ。

 

「久路人~!!」

(わわっ!?)

 

 まあ、今こうして満面の笑みで僕に抱き着いて来る雫の心を守れたならそれくらいどうということはない。

 まぎれもない僕の本心でもあったのだから。

 そうして、池目君たちにバレないように雫の頭を撫でようとした時だ。

 

 

--ゾワリ

 

 

「っ!?2人とも、そこにいて!!」

「「え?」」

 

 空気が変わった。

 今まで初秋の、まだ暑ささえ感じるくらいの陽気だったというのに、今では雫が力を出し始めた時のように空気が冷え込んでいた。

 

『来たな・・・結構強めってとこか』

 

 ドローンごしに、おじさんの声が聞こえる。

 おじさんの言うように、中々強い瘴気を感じる。

 七不思議の、あの鏡を見つけた時とよく似ている。

 怪異の核がすぐそばにいるのだ。

 

「久路人、あそこ」

(うん)

 

 瞬時に僕から離れて警戒態勢になった雫が指差したのは、公園の入り口だ。

 そこに、いつのまにか女が1人立っていた。

 折れ曲がった枝のような猫背で、長い髪が垂れさがっていることもあり、顔は全く見えない。

 

『ミ、ミツ、ミツケタ・・・』

「う、うおっ!?」

「ほ、本当に出やがった!?」

 

 霊力を一般人並みしか持っていない2人にも見えているようだ。

 あの怪異が、己の存在をわざと見せつけているのだろう。

 そうすることが、あの怪異にとってのルールなのだ。

 

(とりあえずどうしようか、おじさん)

『核を探せ。単純に斬るだの焼くだのじゃ、また霊力が集まって堂々巡りだ』

 

 怪異が目の前に現れたが、僕は落ち着いていた。

 確かにあの怪異はそこそこの霊力を感じるが、あくまでそこそこだ。

 七不思議の鏡と同程度だろう。

 怪異ゆえに元を壊さなければ意味がないが、例え忘却界の中であっても、あの程度の怪異にやられることはまずないという確信がある。

 

(まあ、あくまで僕は、だけど。池目君と判侍君のところには行かせないようにしなきゃ)

 

 僕は武器こそ出さずとも、構えて臨戦態勢に入る。

 ことここに至った以上、池目君と判侍君は記憶処理をして帰ってもらうことになるだろうが、あまり強烈な体験をさせると記憶を改変するのも難しくなる。

 それには、あまり強力な術や武器は使うべきでないだろう。

 忘却界の中ということもあり、僕は最小限の力で目の前の怪異に対処しようとして・・・

 

『ミツ、ケタァァァアアアアアアアアアっ!?』

「え、僕?」

 

 女が飛び掛かってきたのは、池目君ではなく僕だった。

 

『あ~・・・お前がさっきコイツのやったことを受け入れるようなこと言ったからだろ。術具の意思が、お前を選んだんだ』

(え~・・・)

 

 まさかの堂々の二股。

 あんなに過激な行動をとっていたというのに、こうも簡単に乗り換えとは。

 

(なんかムカつくな。雫のこと馬鹿にされたような気がする)

 

 雫も、まあ様々な理由があって変態的な行動をしていたわけだが、その根底には僕への愛情があったというのは他でもない僕がいちばんよく知っている。

 それなのに同じようなことをしていたこの怪異が浮気性だと、雫の格まで下げられたような気がしてくるのだ。

 

『オ、オマエガァァアアアアアっ!!!』

(とりあえず、霊力を籠めて殴るか・・・いや)

 

 そんなことを考えている間に、女はすぐそばまで迫っていた。

 僕は迎撃のために拳に霊力を通わせようとして、すぐに止めた。

 僕はコイツにムカつきを覚えたが、それどころじゃないほどの怒気を隣から感じたからだ。

 

「尻軽がぁあああっ!!」

『っ!?』

 

 僕に飛び掛かろうと空中にいた女が、そのまま氷漬けになった。

 

「少し優しくされた程度で妾の前で鞍替えとはいい度胸だ男をコレクション扱いかそんじょそこらの雄なら好きにすればいいがよもや貴様ごとき木っ端が妾から久路人をかすめ取ろうとするとはなぁ身の程を知れ尻軽ビッチがまずはその鬱陶しい髪を丸刈りにして股の間にツララをぶち込んでから八つ裂きにして目玉をくりぬいて首を・・・」

(雫、雫。もう粉々になってる)

「跳ね飛ばしてからそこらの妖怪どもの餌に・・・はっ!?」

 

 一瞬で怪異を氷漬けにして、何やらおっかないことをブツブツと呟いていた雫であったが、僕が肩を叩くと、砕け散った氷を踏み砕くのを止めた。

 どうやら無意識にやっていたらしい。

 

「あと、毒気抑えて。結界もそうだけど、2人が大変なことになってる」

「「う~ん・・・」」

 

 雫が力を解放した瞬間、毒気も周囲にまき散らされていた。

 その余波を受け、池目君と判侍君は目を回してしまっている。

 

『まあ、記憶をいじるなら好都合だがな。それに・・・雫、その氷をよく調べてみろ』

「?ああ、わかった」

 

 僕が倒れてしまった2人に霊力を流して介抱していると、おじさんがそう言った。

 言われるままに雫が砕けた氷をひっくり返していると・・・

 

「む。これは・・・」

「写真だね」

 

 氷の塊の下の方に、一枚の写真がそのままの形で氷漬けになっていた。

 さっきの髪の長い不気味な女が写っている白黒の写真。

 奇跡的に、雫のストンピングから逃れたようだ。

 

『これは・・・でかした、雫』

「む?」

 

 その写真を見て、おじさんが雫を褒めた。

 

『お前の毒気を受けて、遠隔爆破の機能が壊れてる。術具としても完全に壊れちまってるが、原形が残っているなら解析できる。いいサンプルが手に入ったぜ』

「そうなのか?」

「遠隔爆破?これ、そんな機能まで付いてるの?っていうか、そんな物騒なものを誰が・・・」

『その辺の話は帰ってからしてやる。とりあえず、そこの2人の記憶をいじってから起こしてやれ。お前の霊力を浴びたんならもうすぐ目を覚ますだろ』

「ああ、そうだった」

 

 こうして、池目君からのSOSは解決したのだった。

 

 

------

 

 

 そこは、暗い、暗い部屋だった。

 一切の日の光が届かぬ闇の底。

 その部屋の中央には、重厚な封が施された棺が一つ転がっているだけだ。

 どんなことをしても開きそうにない、いくつもの錠前が取り付けられた鎖で雁字搦めにされた棺。

 その棺は、これから先も、永劫の未来の果てまでそのままであるかのように思われた。

 しかし・・・

 

 

--ピシっ!!

 

 

 無音だった闇の中に、ひび割れの音が響いた。

 

 

--ピシピシっ!!

 

 

 最初は小さく。

 次第に大きく。

 音源は、錠前と鎖だ。

 頑丈そうな錠前に次々とヒビが入り、錠前が一つ砕けるたびに鎖もボロボロと崩れていく。

 そして・・・

 

 

--ガシャンっ!!

 

 

 ひと際大きな音がすると、すべての錠前と鎖が完全に崩れ去った。

 封の解かれた棺は、ひとりでにその蓋が動き出す。

 蓋の隙間から現れたのは、血の気の一切感じられない青白い手だった。

 

「ふぅ~・・・よく寝たなぁ」

 

 蓋を開けて棺から起き上がったのは、1人の男だった。

 身に纏うものは薄汚れたピエロスーツ。

 同じく棺に入っていた髑髏がいくつも乗った悪趣味なシルクハットとステッキを身に着け、棺の外に出る。

 男はそのまま深呼吸をするように、大きく息を吸って・・・・

 

「よくもやってくれたなぁぁあああああああああああ!!!クソカスどもがぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 憤怒の形相に顔を歪め、叫んだ。

 

「もう少しだった!!あと少しで神の力が!!龍の力が手に入るところだった!!それなのにそれなのにそれなのにそれなのにぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいっ!!!!!!」

 

 長身の男が闇の中、大声で叫びながら血涙を流して地団太を踏む。

 その不釣り合いな様は、ひどく不気味だった。

 

「絶対に許さん!!あと少しでガブリエラを元に戻すための手段が手に入ったというのに!!彼らはその邪魔をした!!妨害した!!それすなわち!!ボクからガブリエラを奪ったということだ!!許しがたい!!許しがたいぞぉぉおおおおおおおおおおっ!!!!」

 

 叫ぶ。

 ひたすらに男は叫んだ。

 常人ならば疲れて倒れ込んでしまいそうだと言うのに、男の身体は疲れなど感じないかのように叫び続けた。

 一体いつまでそうするつもりなのか。

 もしかしたら、永遠にそうしているのかもしれなかった。

 

「あはっ、ヴェル君起きたんだっ!!」

「おおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!!!・・・・おやぁ?」

 

 その叫びは、突如部屋に差し込んだ光と声に遮られた。

 

「おやおや!!これはこれは!!我が同志のマリじゃないか!!どうしたんだいこんなかび臭い所まで!!いや、それにしても見苦しい所を見せてしまったね!!」

「その叫び声がうるさかったから来たんだよっ!!もう少し静かに起きてよねっ!!」

 

 やってきたのは、安っぽい王子ルックに身を包んだ一人の少女だ。

 明らかな異常者と分かる男に対して、欠片も動じていない。

 

「ヴェル君が寝ている間に、色々と小細工はしておいたよ。結局マリが直接動くことになっちゃったけど、忘却界の中に怪異の種は撒いた。もういくつかは芽が出てるよ。それに、キミが連れてきた霧間八雲って子は、無事に『勇者』に適合したよ。意識の同調までしっかりできてる」

「おお!!そうかい!!色々と苦労を掛けたね!!それにしてもあの八雲クンは拾ってきて正解だったねぇ!!勇者に完全に適合する器なんてここ100年は出てこなかったからね。いやあ、嬉しいな!!かつて共に戦場に立った戦友がこの世に蘇るなんてさ!!まあ、今の彼ではボクのことは覚えちゃいないだろうけどねぇ!!」

「ヴェル君は近づかない方がいいと思うよ~?あの子、人外をバリバリに敵視してるし」

「そりゃあね!!彼は昔から人外が嫌いだったからさ!!まあ、人外を嫌うあまり、自分も人外になりたくないからって転生法に手を出した挙句、他人の身体を乗っ取る悪霊モドキになっちゃたら世話ないけどねぇ!!いやはや!!!これじゃあボクと勇者のどっちが人外かわかりゃしないよ!!」

 

 深い闇の底で、男と少女は気軽な雰囲気で会話する。

 その光景はいかにもちぐはぐで、ひどく気味の悪いモノだった。

 そうして、雑談を交わしながらも、男は一歩を踏み出した。

 それを見て、マリは意外そうな顔をする。

 

「あれ?もう大丈夫なの?病み上がりってヤツなんじゃないのっ?」

「ははははは!!!大丈夫さ!!なにせ・・・」

 

 男の体調を心配するかのようなマリに、男は朗らかに笑いながら答えた。

 その手は、男の首にかかっていて・・・

 

「ボクはもう、死んでるからね!!」

 

 グジュリという湿った音を立てて、男は己の首をちぎり取った。

 男の腕の中で、その首は何事もなかったかのように叫ぶ。

 マリの表情は、やはりそれを見ても変わらない。

 2人は並んで部屋の外に向かって歩き出した。

 

「そっか!!安心したよっ!!これで完全復活ってわけだねっ!!」

「ああその通りさ!!復活!!復活さ!!もう死んでいるボクだけど、だからこそ何度でも蘇る!!それこそがこのボク!!」

 

 部屋の出口に差しかかったところで、男は叫ぶ。

 

「ゼペット・ヴェルズさ!!」

 

 こうして、かつての学会七賢三位にして旅団の幹部。

 久路人を人外に進ませた立役者にして、京とメアの2人と戦った敵。

 死霊術師、ゼペット・ヴェルズは蘇った。

 

 




お気に入り・評価・感想・推薦イラストなんでもお待ちしております!!


術具①

異能の力が込められた道具のこと。
普通の道具を加工して作る場合や、元々霊力の籠ったモノが術具化するパターンもある。
霊能者でなければ使用できず、忘却界の中では封印状態になり、霊力を供給されない限り機能を停止する。
その状態でも術具の中には霊力が霧散するまで残り続けるため、霊力の電池のようなものでもある。

道具が妖怪になった『付喪神』は術具に近いが、術具そのものは瘴気を発しないため、似て非なるモノと言える。
だが、術具の中にも自我を持つモノがあり、自ら使い手を求めてさ迷うこともある。
そうした術具は『呪具』とも言われる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流怪奇譚11

あけましておめでとうございます!!
そして遅くなり申し訳ございません!!

正月休みがあったけど、仕事してないとむしろ筆が進まない自分は精神がやられているのだろうか・・・



「お前ら、旅団についてはどこまで知ってる?」

 

 池目と判侍を白流市の実家まで送った後、京は月宮家の居間で口を開いた。

 あの術具や怪異のことで京が何かを知っていそうだと久路人たちは察したが、一連の後始末が終わって、やっと話し合いの場が作れたのである。

 

「えっと・・・人間の霊能者の組織で、霊能力を自分の好きなように使いたい人たちの集まりってくらい」

「妾も似たようなものだ。旅団には妖怪も関わっているとは聞いているがな」

 

 久路人も雫も、旅団について知っていることはそう多くない。

 一般人がヤクザについて組織の実態を良く知らないようなものだ。

 むしろ、色々と規則にうるさい久路人が暴走しないよう、京があえて情報を伏せていた節もある。

 

「おおまかな認識はそれでいい。要はゴロツキどもの集まりだな。まあ、昔は違ったらしい、今はさらに色々と変わってるんだがな」

 

 

『旅団』

 

 

 それは、学会と呼ばれる組織が誕生したすぐ後に生まれた組織だ。

 かつて人外の首魁であった魔竜を倒すために集った猛者たちであったが、魔竜との決着は付けられず、引き分けとなった。

 そして、厭戦的になっていた人間と人外の両陣営は停戦し、不可侵条約を結ぶこととなった。

 それは、人間と人外との消極的な和平の成立でもあったのだ。

 事実、魔竜を筆頭に、精霊王が学会の正式なメンバーとなり、さらにのちの時代の話になるとはいえ、悪魔王も学会七賢七位の相棒となる。

 だが、それに納得のいかない者たちも当然いた。

 学会の中でもとりわけ人外を憎んでいた勇者と呼ばれた男は、その筆頭だった。

 彼は人外との融和を目指し始めた学会を抜け、あくまでも人外と戦い続けることを選んだ。

 当時、魔竜がある程度掌握していたとはいえ、人外はまだまだ猛威を振るっていた時代。

 勇者が救った命も多く、そんな彼についていく者たちも現れた。

 それが、旅団の始まり。

 

 『融和では救えない人間を守るための剣であり盾であれ』。

 

 その志の元に、旅団は戦い続けた。

 勇者は旅団の団長となり、世界各地を廻ることになったが、学会の者と出くわすこともあった。

 しかし、学会と旅団は決して争わなかった。

 学会も旅団も、手段は真逆であれど現世の平和を守りたいという意思は同じモノだったからだ。

 勇者と相容れない思想ではあるが、彼にとって魔人が友人であるのには変わらなかった。

 二つの組織は現世と常世のように不干渉を保ちつつも、現世に侵攻を続ける人外を倒して回った。

 魔人と魔竜が忘却界を構築することに力を割けた大きな理由の一つに、旅団の活躍も含まれている。

 そうして、世界は平和へと向かっていった。

 

「ま、それも勇者が死ぬまでの、正確には、転生法に手を出す前の話だがな」

 

 京は淡々と続けた。

 

『転生法』

 

 それは文字通り、自らの肉体が朽ちた後、精神と魂を別の肉体に移す外法だ。

 月宮久雷が考案した転写転生もその一種であるが、そちらはは二百年に渡る妄執と研究の果てに生み出されただけあって、非常に完成度の高い術だった。

 久路人が雫の血を大量に取り込んでいたために失敗に終わったが、そうでなければ、月宮久雷は完全に自己を他者の肉体に移すことに成功していただろう。

 だが、勇者は術を専門に扱う魔術師ではなく、剣を振るう戦士。

 勇者が手を付けたその術は、ひどく不安定なものだった。

 

「『継承転生』。それが勇者の扱う転生法だ」

 

 自らの肉体が老いに侵されだした時、勇者は恐怖した。恐怖と共に、悔恨と焦燥、そして憎悪を抱いた。

 なぜなら、世界を勇者の理想の世界とするのには、到底及んでいなかったからだ。

 時が経つにつれ、その感情は膨れ上がり、徐々に勇者を歪めていった。

 

『足りない。まるで足りない!!世界をあるべき姿にするには、時が、なにより某の力が足りなすぎる!!』

『なぜだ!?なぜ世界は狂い続けている!?悲劇は終わらず、無辜の人間が人外に食い物にされるばかりではないか!!』

『ああ恨めしい!!某の無力が!!理不尽が!!人外どもが!!学会の軟弱者どもが!!』

『このままではいけない!!どうにかしなければならない!!なんとしてでも、某の意思を残さねばならない!!』

 そうして、勇者は編み出した。

 精神の強い共鳴を利用した、自らの一部を切り離す術を。

 

「術者の記憶に基づく感情と力を、それに共感するヤツに植え付ける。それが継承転生。正確に言えば、転生じゃないかもしれないがな。なにせ、受け継がれるのは記憶と感情の一部と霊力だけだ。普通の転生よりもずっとお粗末な代物だぜ。けどな・・・」

 

 勇者は自らの意思と力を、当時の旅団の1人に託し、この世を去った。

 それからだ。

 旅団が、人外を滅ぼすためならどんな悪事でも平気でこなす狂信者の群れになったのは。

 そして、その歪みは時代が進むにつれてますます大きなものになっていく。

 

「それを、何百人と繰り返せば話は違う。忘却界が結ばれるより前の時代なら、死人が出る機会なんぞ腐るほどあったろうよ。そんな中で、勇者の意思だけはなんとしてでも守り、受け継いだ。その結果・・・」

 

 旅団は、その志からかけ離れた、俗物の集まりに堕ちた。

 

「人外や、人外と仲よくしようって人間への憎しみが、代を重ねるごとに濃くなっていったんだ。段々と勇者の依り代になったヤツはただの戦闘マシーンになっちまう。そうなったら、まともな組織運営なんぞできるわけがねぇ。今度はその力を目当てに腹に一物抱えたやつらが集まっていくうちに、ゴロツキの集団になったってわけだ。今や旅団で最初から残ってるのは名前と勇者の怨念と力だけだな」

 

 創始者たる勇者はすり寄ってきた人間が言い含めて傀儡とし、その力を利用するだけとなった。

 勇者の力を後ろ盾に、集まった霊能者たちは己の力を好き勝手に振るうようになった。

 忘却界の中では人間の霊力は抑制されず、結界を壊さない程度ならば学会も発見するのが難しくなる。

 そうして、旅団はならず者の集団としてしばし暴れまわることになる。

 

「そうなると、旅団って勇者以外は警戒しなくていいってこと?」

「うむ。その話を聞くに、旅団は単なるチンピラの寄せ集めなのだろう?ならば大した連中でもなさそうだが・・・いや待て。今までの話だと、妖怪が関わる理由になっていないな」

「ああそうだ。まだ続きがあるんだよ。確かに、勇者以外ただの有象無象なら、お前たちが警戒するレベルじゃねぇ。だが、百年くらい前、ちょうど勇者が活動を止めた辺りで動きがあった」

 

 勇者の継承転生は、代を重ねるごとに暴走を始めた。

 転生を果たしても、肉体がその力や怨念について行けず、壊れてしまうことが増えたのだ。

 そして次代の勇者の器が見つからなくなり、間に合わせの器で活動を最低限にすることで、勇者はその意思を残した。

 だが、それで困ったのは勇者の力にすり寄っていた人間だ。

 勇者がいなければ、有象無象の自分たちなど簡単に滅ぼされてしまう。

 そんな彼らに、声をかける存在がいた。

 

 

『やあやあ!!何やらお困りのようだね?ボクでよければ話を聞こうじゃないか!!』

 

 

「『狂冥』ゼペット・ヴェルズ。七賢を追放されたアイツが、旅団を掌握した。んで、さらに強力な人外とも接触を始めたんだ」

 

 当時、とある理由から七賢どうしでの殺し合いにまでもつれ込んだ上で、ゼペット・ヴェルズは学会を追放された。

 そんな彼は、学会に対抗するための組織を求め、旅団に目を付けた。

 ヴェルズの扱う術の都合上、霊能者の組織というのは大変良質な素材の宝庫だ。

 その強さと狂気を帯びたカリスマもあって、ヴェルズは旅団のトップに収まったのだ。

 そして、彼はさらなる力を求め、現世への侵攻を企む妖怪たちに接触した。

 

「それで、旅団に妖怪が絡みだしたってわけだ。ヴェルズの野郎はかなり手広く声をかけたみてぇだが、その中には、七賢よりも強いヤツがいる」

「七賢より?それって、おじさんとメアさんよりもってこと?」

 

 久路人の声には、少なからず驚きが滲んでいた。

 人外の身となり、その身に秘める霊力を十全に振るえるようになった久路人だが、それでも目の前にいる2人の片方にでも勝てるイメージがわかないのだ。

 術具師の極みにいる京には久路人も知らない隠し玉がいくつもあるだろうし、メアの白兵戦の強さについては、師事を受けていた久路人にとっては身に染みている。

 そんな彼らよりも強い敵がいるというのは、にわかに信じがたいことだった。

 

「はい。搦め手がメインの狂冥はともかく、『戦鬼』と『黒狼』、そして適合する器に宿った『勇者』は、我々よりも直接的な戦闘能力は上でしょう」

「今の旅団には、最低でも5人の幹部がいる。ヴェルズの野郎含めて、どいつもこいつもヤバい連中だがな。三郎たちの話を聞くに、常世で暴れてるのは戦鬼だろうよ。ここに繋がる霊脈を荒らしてるのが意図的かどうかは知らねぇけどな」

「『黒狼』、『従牙』、『戦鬼』、『狂冥』、『勇者』。特に、黒狼の強さは圧倒的です」

 

 『勇者』を旗印にしていた旅団を乗っ取った『狂冥』。

 そんな彼が引き入れた『戦鬼』。

 そして、その動きを見て、仕える主の欲を満たすために近づいた『従牙』と、その主である『黒狼』。

 今では、その他の追随を許さない強さから『黒狼』が旅団のトップとして扱われている。

 一度は現世と常世を隔てる狭間に、たった1人で大穴を空けかけたことすらあるという。

 

「ま、黒狼はあんまり旅団に所属してるって自覚がなさそうだけどな。旅団として活動したことはほとんどない。大抵はふらっと1人だけで現れては、好き放題暴れて帰るってはた迷惑なヤツだ」

「活動領域が常世なのは幸いですね。あんなのが現世で暴れれば、忘却界を食い破りかねません。防衛戦を得意とする7位とその相棒である魔王の2人が、ホームグラウンドで戦ってギリギリ負けないようにできているといった具合です。しかも、それでもまだ本気を出しているとは限らないですし」

「まあともかく、今の旅団は学会とタメを張れるくらいのヤバい組織ってわけだ。しかも、今言ったのは現状分かってるだけの情報だ・・・ここからがお前らが知りたがってたことなんだが、恐らく、忘却界の中に人間の幹部がいる。術具を作ってばら撒いたのはソイツだな。映研の部長のコレクションの中にも似たような術具がいくつかあった」

 

 ここで、話は撃退した怪異の話に変わる。

 あの怪異は、術具に籠った霊力が変質して生まれたモノだ。

 怪異が人間の集合意識によって忘却界の中で生まれるのはごくまれにあることだが、今回現れた怪異は明らかに意図的に生み出されたモノ。

 そして、その犯人は術具の制作者である可能性が高い。

 術具に籠った霊力を最もうまく扱えるのは製作者に他ならないからだ。

 そして、いくつもの術具を制作した上で怪異をばら撒くような芸当ができるのならば、それは相応の実力があることを意味する。

 

「ここしばらくは大した動きはなかったが、今回の怪異を見るに、何か企んで動き出したってとこだろう。恐らくやろうとしてるのは・・・忘却界の破壊だ。怪異はそのルール次第で普通の人間でも認識できる。だから怪異をばら撒けば、異能の力の存在を信じ込ませることができるってとこだろ」

「忘却界の破壊!?そんなことしたら・・・」

「かつて、学会が魔竜と和解する前の時代に逆戻りですね。間違いなく、現世は大混乱に陥ります。国の10や20滅んでも不思議ではないでしょうね」

「なぜそんなことを企む?旅団には人間もいるのだろう?」

「さてな。旅団は強いヤツは揃ってるが、連携ができてる組織じゃねぇ。少なくとも黒狼は、『強いヤツと戦えればそれでいい』って考えだからな。世界が昔みたいに戻れば、また強いヤツらどうしの戦争が起きるって思ってんだろ」

「そんなめちゃくちゃな・・・」

 

 旅団は、人間、妖怪が多数所属しているとされるが、その意思は統一されていない。

 しかし、大多数にとって忘却界が邪魔というのは一致しているのだろう。

 

「もしや、あのモブどもや比呂実たちをこちらに引き入れたのは・・・」

「ああ。いざって時の人手の確保だ。向こうが何かやらかす時に利用されないとも言い切れないからな。戦えなくても、他の人間より霊力が多ければ使い道はある。こっちにも、旅団にとってもな」

 

 物部姉妹について、京は最初は護符だけ持たせて放置するつもりだったが、術具が見つかってからは方針を変え、育てることに決めた。

 旅団が動き出した時、人手は多くても多すぎるということはない。

 

「ともかくだ!!今回のことで確信がいった。間違いなく、近々旅団の連中が派手に動き始める」

 

 そこで、京は手をパンパンと叩くと、話を一度仕切りなおした。

 

「そういうわけでだ。白流の結界も最近になって落ち着かせることはできてきたからな・・・久路人、お前しばらく休学しろ」

「へ?」

 

 突然の命令に、久路人は唖然とした。

 そんな反応を無視するように、今度はメアが続ける。

 

「貴方たちも、ここしばらくのパトロールでご自分の力には慣れたでしょう?ですが、まだまだ使いこなせているとは言えません。旅団全体がそうかはわかりませんが、少なくとも狂冥の狙いは貴方たちです。旅団の力を使って、襲い掛かって来る可能性は十分考えられます」

「お前らは強いが、それでもまだ七賢に匹敵するってレベルだからな。七賢と同等以上にならねぇと、旅団の幹部には勝てねぇ・・・つまりだ」

 

 京とメアは、同時に口を開いた。

 

「「これからは、修行パートの始まりってわけだ(です)」」

「「は?」」

 

 そんな2人に、久路人と雫は2人そろって呆けたような反応を返すのだった。

 

 

-----

 

「あ~あ。最近壊されてばっかだな・・・せっかくマリが手作りしたのにさっ」

 

 その部屋の中で、マリは不貞腐れたような顔をしながら片手でスマホをいじっていた。

 年頃の少女が不満気な顔をしながらスマホをいじっている・・・それは、今の世代ならば大して珍しくもないありふれた光景だ。

 ただ、その少女の場合、それはあまりに異様だった。

 

『あるところにね、人間の身体を刃物で切るのが大好きなお医者さんがいたの。そのお医者さんがいた病院でね・・・・』

『その山には、昔から大人たちが近づいちゃいけないっていう廃屋があって・・・』

『それで、騙されちゃったその人は、自分の家族を・・・』

『その女は、今でもずっと、その場所で待っているんだってさ』

 

 部屋の壁を隙間なく埋めるようなディスプレイ。

 スマホ、ノートパソコン、タブレット・・・動画を再生するための機械が所せましと並び、映像と音をまき散らしている。

 そこに映るのは、すべてがマリだ。

 画面の中のマリは全員が全員、鈴の転がるような声を出して、陰惨極まる怪談話を紡いでいた。

 再生されている動画は皆違う日付に収録、投稿されたもので、当然話す内容も異なる。

 動画を垂れ流す機械で埋め尽くされた部屋は、まるで百物語を並列的に実演しているかのようだ。

 同じ顔の少女が変わらない口調でいくつもの怪談を重ねていくのは、それそのものが一つの怪談と言っていいかもしれないほどに不気味だ。

 しかし、部屋の中ではそれよりも遥かに人知を超えた事象が生じていた。

 

『・・・タイ!!ハヤク、はやクシュジュツを!!そのカンジャはバラバラにしないとナオせない!!』

『オ、オオオ・・・マネカレザルおろかモノに、バツ、を・・・』

『ユ、ユルサ、ゆるサナイ、アノペテンが・・・』

『ドウシテ、なンデ、ワタシをウラギッタノ・・・』

 

 錆びついたメスが、古びた小さな仏像が、赤黒いシミがついたロープが、くすんで元の色が分からなくなった指輪が。

 見ているだけで背筋が粟立つような禍々しい道具が、次々と宙に浮かんでいく。

 それらの道具はまるで糸で吊られているかのように部屋を飛び回り、一つの画面の前で止まったかと思えば、おどろおどろしい影を纏う。

 影はすぐさま形を持ち、様々なモノに変わっていく。

 紅く染まった白衣を着た医者がメスを手に持って嗤い、老人の顔を持った子供がニタリと笑いながら仏像を握りしめ、ガリガリに瘦せこけギラギラと目だけ輝かせた中年がロープを自分の首にかけて引き絞り、全身がブヨブヨと水ぶくれになった女が、くすんだ指輪を薬指ごと引き抜いた。

 そんな地獄のような光景が、少女がスマホを持っていない方の手の指を動かすだけであふれかえっていく。

 

「いくらマリなら簡単に作れるって言っても、すぐ壊れちゃうとモチベ下がるんだよねっ」

 

 並の精神の人間ならばとうに発狂しているであろう部屋の中であっても、マリが動じる様子はない。

 それもある意味で当然か。

 なにせ、彼女こそがその光景を生み出している張本人なのだから。

 そう。そこは、たった1人の少女による、一つの工場であった。

 おぞましい逸話を刻まれ、加工された『呪い』の工場。

 製品は一つ一つに負の念を宿し、それを手に取った者に血まみれのサービスを提供する。

 

「もうっ!!本当にいっつもそう!!みんなみ~んな、マリを傷つけるんだっ!!マリはこんなにかわいくて可哀そうで優しいいい子なのに、いつだってマリが悪者扱いっ!!弱い者いじめだよっ、こんなの!!あ~っ!!!!本当にムカツクっ!!」

 

 しかし、段々とマリの機嫌が悪くなってきた。

 最近になって、自分の手がけた作品が立て続けに壊されたのが気に食わないのだろう。

 癇癪を起した子供のように、ブツブツと不満を零していたマリであったが・・・

 

「・・・ムカツク」

 

 ボソリと、それまでの取り繕ったかのような朗らかなトーンが剥がれ、今まさに量産されてる呪いのようなどす黒い声が漏れた。

 

「ムカツクムカツクムカツクムカツクムカツクっ!!!」

 

 

--グシャッ!!

 

 

 不意に、宙をういていた道具の一つが、握りつぶされたかのようにバラバラに吹き飛んだ。

 

「マリとは比べ物にならないようなド低能どもがっ!!マリがその気なら一瞬で死ぬようなカスどもがっ!!学会なんて正義マン気取ってるクソみたいな連中がいなきゃ、コソコソする意味なんてなくなるのにさぁっ!!・・・・クソがッ!!スマホが壊れたじゃねーかっ!!」

 

 持っていたスマホが壁に投げつけられ、画面に大きなひび割れが入る。

 自分で投げつけたのにも関わらず、マリはその結果に益々腹を立てていた。

 落ちたスマホを踏みつけ、粉々にするまで踏み砕いた。

 

「クソがっ!!クソがっ!!クソどもがっ!!マリは悪くないっ!!マリのすることはいつだって正しいんだっ!!霊力のないド低能の猿は、マリの言うことにハイハイ言っておけばいいんだよっ!!だからっ!!マリのやることは正当な権利だっ!!こんな可哀そうなマリが報われないだなんて、間違ってるだろーがっ!!」

 

 霊力の込められた足蹴は、普通の人間が全力でハンマーを振るうよりも凶悪だ。

 スマホはもはや原形をとどめておらず、これ以上壊せないと判断したマリが周りの機械にまでその癇癪を向けようとした時だった。

 

「やあやあ!!なにやらご機嫌斜めだねぇ!!マリ!!」

「あ、ヴェル君じゃんっ」

 

 部屋の中に、いつの間にか1人の男が立っていた。

 部屋の扉が開いた気配はない。

 しかし、その男はそこにいた。

 それを、声をかけられたマリは気にすることはない。

 それどころか、先ほどまで苛立ちで歪み切っていた顔をしていたのが、すっかり元に戻っていた。

 まるで、憤怒で醜く変貌した自分を見られるのを厭ったように。

 そんなブサイクな自分など、自分ではないと否定するように。

 

「聞いてよ~っ!!み~んなが中々信じてくれないから、せっかくマリが『本物』を作ってあげてるのに、すぐに壊されちゃうんだよっ!!」

「おやおや!!それはひどい話だね!!こんなに素晴らしい『想い』の籠った品を蔑ろにするなんて!!芸術ってモノを分かっていない輩がいるものだ!!」

「そうそうっ!!そうなんだよ~っ!!もぅ~っ!!わかってくれるのはヴェル君くらいだよっ!!はっきり言ってヴェル君っていっつも空っぽで上っ面で薄っぺらいことしか言わないけど、マリのおもちゃを褒めてくれる時は本心だもんねっ!!」

「はははははっ!!その通りさっ!!キミの作る作品はどれも素晴らしい!!ボクの愛する子供たちによく似ているからね!!褒めるのも当然さ!!」

「うんうんっ!!そうやって自分に都合のいいことしか聞かないのが本当にヴェル君だよねっ!!一周回って清々しい感じがして好きだよっ!!可愛くて可哀そうなマリに嘘しかつかないクズどもよりぜんっぜんマシっ!!」

 

 不気味な部屋の中で、不気味な少女と男が、マリとヴェルズが笑い合う。

 一見会話が通じているように見えるが、本質的にはお互いがお互いの言いたいことを独り言のように口に出しているだけだ。

 少女も男も、他者からの返事など必要ないし、期待していない。

 圧倒的なほど強烈な『個』で、完成されているのだ。

 世界には己と己の願いを叶えるモノだけがあればよく、それ以外はガラクタに過ぎない。

 ガラクタの言うことなど、耳障りの良いこと以外をわざわざ聞いてやる価値などない。

 だからこそ、通じていない会話が通じているかのように役目を果たせるのだ。

 だが、そこから先は少々違った。

 

「でもさっ!!本当に放っておいていいの?作ってばら撒いたマリが言うのもなんだけど・・・忘却界の中に旅団がいるってバレちゃわないっ?マリも今は『ココ』にいるけど、勇者は忘却界の中だから監視しないといけないしっ。っていうか、いつまでもこんなジメっとした場所にいたくないしっ!!」

「ん?・・・ああ、そのことか!!」

 

 そこで、2人はやっとお互いの目を見て口を開いた。

 マリが口にしたことは、お互いの野望を叶える上で必要なプロセスへの影響を懸念するもの。

 すなわち、お互いの中にある世界にとって関わりのあることだったからだ。

 霊能者として最高峰に位置する者に含まれる2人だが、自分たちだけで目的を達成できるとまでは考えていない。

 絶大な力を持った強者であるが、目的を果たすために、冷静に、慎重に動くこともできるし、異常者と分かっている相手と協力もできる。

 狂ってこそいるが、それは知性がないということとイコールではないのだ。

 

「別に構わないさ!!忘却界の中にキミがいることは察せられているだろうけど、止めることは難しい。なにせ、ボクらは気にしないけど、向こうは結界を壊さないように立ち振る舞わなければいけないからね!!捜索のために、あまり多くの人手を割くことも、結界の維持のためにはやらない方がいいっていうのもある!!なにより、今の学会の七賢は全員が人外だからねぇ!!七賢以外の人間を送り込んだところで、キミを倒すことなんてできないさ!!」

「そっか!!そうだよねっ!!マリはか弱い女の子だけど、『ファン』のみんながいるもんっ!!ふふっ!!さっきもカッコイイイケメンを2人も見つけちゃったし、あのお兄さんたちもファンになってもーらおっ!!い~~~~っぱい役に立ってくれそうっ!!」

 

 マリは、つい先ほどリンクを繋げた術具で見た一幕を思い返す。

 あの術具の持ち主は顔もさることながら、それ以外でも大いに使い道がありそうだ。

 今は難しいだろうが、忘却界の中に戻ってくれば簡単に手に入る。

 

「フフフ!!欲しい物が手に入るのはいいことさ!!今の現世にはキミのお友達がたくさんいるようだし、キミの撒いた種があれば、もっと質のいいお友達が増えるだろう!!いや、実に喜ばしい!!・・・ああ、お友達で思い出した!!マリ、済まないが、少し頼まれごとをしてくれないかい?」

「頼み?ヴェル君がっ?・・・それって、『エリコの壁』に必要なこと?」

「もちろんさ!!本当ならボクが動いた方がいいことなんだが・・・生憎とスタートダッシュが遅れたせいで色々と準備が必要なことが多くてね。そちらに時間を割きたいのさ!!君のお友達と違ってボクの『子供』たちの中には大きすぎる子がいてねぇ!!京は少し前まで日本全国をくまなく周っていたようだけど、『この場所』なら、結界を広げてじっくりと調整をしてもまずバレないからね!!あの2人が力を完全にモノにする前に仕掛けたいところだから、今から行動を起こすのは遅いくらいなんだけどさ!!まあ、あの2人が育つスピードが想定よりも速すぎたから仕方ないね!!」

「あははっ!!確かにココなら、早々見つからないし、知らなきゃ来るのも難しいもんねっ!!それに周りにな~んにもないしっ!!・・・うん、わかったよっ!!『計画』に必要なことなら仕方ないねっ!!」

 

 唐突なヴェルズからの頼みであったが、その理由はマリにとっても納得のいくものだったらしい。

 

「ありがとう!!キミなら受けてくれると信じていたよっ!!これがうまくいけば、『エリコの壁』を一気に最終段階まで進めることができる!!キミの撒いた怪異で第一段階の仕込みは終わっていて、『蟷螂童子』も常世でうまく暴れていてくれてるみたいだし、第二段階に進む準備も整っている!!勇者はまだ慣らしがいるし、黒狼と従牙をうまく動かせるかは分からないが、最終段階まで行けば自分たちから来てくれるだろう・・・そして、そこまで行けばあの2人が大人しく結界に引きこもっているはずがない!!特に久路人クンは正義感が強そうだしねぇ!!」

「それでっ?やって欲しいことってなんなのさっ?」

「ああ!!そうそう!!いけないいけない!!大事なことを言ってなかったね!!そう、これはボクの不始末ではあるが大事な仕事さ!!2人揃った上に、ナイトメアに斬られたせいで縛りが解けた今の『彼女たち』は、正直ボクやキミより強いかもしれないが、なに!!『鍵』は貸すから大丈夫さ!!『操ることにかけては』右に出る者のないキミなら使いこなせるだろう!!」

 

 計画が着々と進んでいることにヴェルズは高揚したように叫ぶ。

 本来、彼の望みを叶えるのは計画が成就しても賭けだった。

 だが、彼は別の希望を見つけていた。

 その希望は、旅団の協力者の望みを叶えて協力を得ることができれば手に入れられるだろう。

 そこに考えが至っただけで小躍りしそうなヴェルズであったが、そんな彼を止めるように、会話が通じている内にマリは先を促した。

 その甲斐あって旅団幹部、『狂冥』ヴェルズは我を忘れる前に、『同僚』たる少女に頼み事を告げる。

 

「かつて世界を憎んで愛しい男のために狂った狐、『九尾』とその夫を、手駒に戻して欲しいんだ!!頼んだよ、『傀儡』!!」

 

 




そういうわけで、これにて4章は終わりです!!
次の5章からはバトルがメインになるかと思われます。

モチベ維持のために、評価・感想よろしくです!!




霊脈

現世・常世に漂う霊力の流れのこと。
基本的には地中を流れており、現世では滅多に地表には出てこない。
霊脈が表出する場所は『霊地』と呼ばれ、常世に近い環境になり忘却界が展開できない。
穴の空いた場所を通過すること、もしくは直接常世から穴を介して流れ込んでいる場合もあり、霊脈の霊力には瘴気も含まれている。
学会も旅団も発見こそしていないが、地下にも穴は存在し、その穴から常世の瘴気が霊脈となって流れ込んでいる土地もあるため、常世の霊脈に異常が生じると現世の霊脈にも異常が発生することもある。
霊地に住む霊能者は忘却界とは別の結界を張ることで瘴気を浄化している。
忘却界は地下に流れる霊脈にも有効であり、忘却界を通ることで霊脈は浄化され、
浄化された清浄な霊脈が表出することで、霊峰富士は天然の結界を構築する。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 エリコの壁
修行開始


新章スタートです


凍滝(いてだき)!!やぁあああああっ!!」

 

 雫が気合のこもった叫びを上げながら、手にした薙刀で斬りかかる。

 刃には冷気が纏わりついており、当たれば『斬られた』というよりも『砕かれた』と言う方が正確な有様になるだろう。

 いや、それ以前に雫クラスの膂力で振るわれる術技など、例え直撃を裂けたとしても、多少腕が立とうが即死するしかない。

 

「振りが粗い上に正直ですね。力任せに振るったところで、速さは出ませんよ?」

「っ!?」

 

 しかし、メアは薙刀よりも遥かにリーチの短いナイフで、そのひと振りを受け流していた。

 

「戦闘中にいちいち驚く暇はありません。そんな暇があるのなら、頭を使いなさい。『光刺(レイ・スラスト)』」

「くっ!?」

 

 渾身の術技を真正面から受け流され、驚きで顔を歪める雫に対し、メアはどこまでも冷静だった。

 雫の刃を弾いた方とは逆の手に持ったナイフを握り、一足で距離を詰めると、がら空きの胴に刺突を見舞う。

 眩い光を纏ったナイフが凄まじい速さで迫りくるのを察し、雫はギリギリで薙刀の柄を使ってガードする。

 同時にバックステップで距離を取ったが、それが雫の命を若干引き延ばした。

 

「妾の薙刀が・・・」

 

 ジュゥゥウウ・・・という音ともに、水を司る人外でもトップにいる雫が作り出した薙刀が、ドロドロと溶けだしていた。

 もしも力に任せて鍔迫り合いになったとしたら、そのまま貫かれていただろう。

 

「よそ見をするのはやめなさいと言っているでしょう?」

「ぬっ!?」

「させるかっ!!紫電改二!!」

『メア、0.001秒後、着弾。狙いは足だ』

 

 思わず得物を確認してしまった雫に、メアが迫る。

 しかし、紫電を纏った弓矢がその突撃を阻むように飛来した。

 人外の腕力、科学では大規模な施設でもなければ再現不可能なほどの膨大な磁力による加速、そして摩訶不思議な霊力が組み合わさった矢は、土属性による強化により空中で溶解することもなく、音速を遥かに超える速さでソニックブームをまき散らしながらメアを穿ち・・・

 

「狙いが正確すぎです。弾いてくれと言っているようなものですよ?」

「嘘でしょ・・・」

 

 超常の力は、同じ力によって退けられた。

 メアのロングスカートに包まれた脚がスリットから飛び出し、電磁砲に相当する威力の矢を蹴り飛ばした。

 矢はスピードをそのままに方向を変えて地面に突き刺さり、クレーターを作る。

 それを、矢を放った久路人は信じられないものを見る顔で見つめていた。

 

『お前の攻撃は効率がよすぎなんだよ。かえって動きが読みやすい』

 

 メアが装着している割烹着の胸元に光る宝玉から、久路人のよく知る叔父の声が聞こえてくる。

 だが、それで納得できるはずもない。

 

「そういう問題じゃないでしょ!!なんで反応でき・・・っ!?」

「『光矢(レイ・ボウ)』・・・雫様に申し上げたことは、貴方様にも当てはまっていますよ?』

「くっ!」

 

 いくら飛んでくる方向と着弾箇所が予想できるからと言って、音速を遥かに超える物体を蹴り飛ばせるなど予想外だ。

 しかも、触れただけで肉体がひき肉になっていてもおかしくないだろうに、メアの動きには一切の陰りがない。

 お返しとばかりに、いつの間にかナイフの代わりに握っていたボウガンから放たれた矢を、咄嗟に弓で叩き落とす。

 これで、久路人の攻撃は不発に終わってしまった。

 

「でも!!」

 

 しかし、結果的に久路人は目的を達した。

 

「もらったぁあああああっ!!炎瀑布!!」

 

 久路人に反撃を行ったのは、ほんの一瞬。

 しかし、人外でも上位に位置する雫にとってはそれで充分だった。

 後退して距離を稼ぎ、すぐさま炎による広範囲攻撃。

 躱しにくく、水とは異なり触れただけでダメージとなる炎を雫は選択した。

 炎の渦がメアを捕らえ、包み込む。

 

「鳴神!!」

 

 雫の術攻撃を待っていた久路人も、遠距離から攻撃を仕掛ける。

 眩い光とともに、一条の稲光が炎の塊に直撃した。

 

「よし!!ならダメ押しに・・・」

 

 だが、雫は油断はしない。

 自分と久路人の術が当たりはしたが、これで仕留められるとは思っていないからだ。

 すぐに第二波を撃つべく、術の準備を始める。

 しかし・・・

 

「『瞬閃(フラッシュ・リープ)

「なぁっ!?れ、『零が・・・』」

 

 炎と光と土埃に塞がる視界を割って、メアがすさまじい速度で突撃してきた。

 雫は驚きつつも、咄嗟に眼を紅く輝かせ、その動きを止めようとするも、それはあまりに遅すぎた。

 

「雫様、アウトです。『銀腕(アガートラム)

「ぐはっ!?」

「雫っ!?」

 

 次の瞬間には、雫の鳩尾に拳を打ち込んでいた。

 たまらず雫は膝をついてしまう。

 メアの拳にナイフはなく、代わりに銀色に輝くガントレットが嵌っていたが、妖怪の枠を超えた雫を一撃でダウンさせる拳など、一体どれほどの威力だったのか。

 

「拘束を目当てにするなら、視界を塞ぐ炎よりも水の方が向いていたかと。まだまだ炎の扱いには習熟が必要なように見受けられます。ダメージを稼ぐために余計な色気を出すべきではなかったですね。さらに言うなら、魔眼の発動も遅い。いかに時間を止める能力があっても、使う前に倒されては何の意味もありませんよ」

「くぅっ・・・」

 

 悔し気な顔でなんとか倒れないように力を振り絞る雫だが、そんな様子を意に介する様子もないメアはダメだしを始める。

 その白の割烹着には先ほどまでなかった紅と黄色のラインが走っており、あれほどの爆炎と雷撃を受けたにもかかわらず、焦げ目一つついていなかった。

 

「疾風迅雷!!」

 

 そんなメアに、久路人が一直線に、最速で迫っていた。

 久路人は、雫が追撃の術を放った後、確実にとどめを刺すために最も得意とするクロスレンジで決めるつもりで術技を繰り出していたのだ。

 先に雫が沈んでしまっていたが、雫をダウンさせるためにメアは完全に久路人に背を向けており、結果的に最も隙のあるタイミングで久路人の突きが炸裂することとなった。

 

 

--ガキン!!

 

 

(硬っ!?)

 

 手に走った猛烈な衝撃と痺れに、久路人の顔が歪む。

 久路人の繰り出した渾身の術技は、背を向けたままのメアに受け止められていたのだ。

 正確には、メアの背中から突然現れた白い翼に。

 

「貴方がたが2人がかりで戦っているように、我々も『2人』です」

『ツメが甘いな。お前なら確実に背後から最速で突っ込んでくるってのは見えてたぜ?そら、罠発動!!『アンドロメダ』!!」

「うわっ!?」

 

 メアに攻撃を受け止められた反動で動きが止まっていた久路人の足元から、光が立ち上る。

 それは、一つの魔法陣のようだった。

 宇宙に浮かぶ星々の軌道を落とし込んだような魔法陣から光の鎖が現れ、久路人を雁字搦めに拘束する。

 

「こ、これ、『神の力』!?」

『俺様自慢の捕獲用トラップだ。お前の言う通り、神の力、『天属性』の霊力をこめてある。後は、星にまつわる術具は俺が一番得意なシロモノなんでな。お前でも簡単にはほどけねぇよ」

「これにてチェックメイトです」

 

 光る鎖に縛られた久路人の喉元に、メアがナイフを突きつけた。

 久路人は鎖に霊力を流し込んで破壊しようとしたが、メアが手を下そうとすれば、鎖が砕ける前に喉笛を斬られるのは火を見るよりも明らかだ。

 

「くっ・・・参りました」

「仕方あるまい・・・妾たちの負けだ」

 

 そうして、久路人と雫は月宮家の裏庭にて、屋敷の主と使用人に敗北を認めたのだった。

 

 

-----

 

「僕たちも、結構強くなったと思ったんだけどな・・・」

「あれから何度か戦ったけど、勝つどころか一撃すら入れられないなんて・・・」

「あのな、俺はこれでも七賢の1人だぞ?年季が違うわ」

「新しい力をいくつも手に入れたようですが、使いこなせていません。我々が付け焼刃の技に敗れると思うとは、まずはそのお花畑な頭から鍛えなおすべきでは?」

((相変わらず腹立つ喋り方するな・・・))

 

 月宮家の居間にて、僕たちは夕飯を食べながらその日の反省会を行ってた。

 おじさんたちが『修行始めんぞ』と言いだしてから数日、毎日の夕食の時間に振り返りをするのが恒例になっている。

 

「ほれ、お前らの分」

「ありがとう、おじさん」

 

 おじさんが、僕に茶碗によそったご飯を差し出してくる。

 そのお椀は離れから持ってきたマイ食器であり、毎日ここに持ってきているが、置きっぱなしにすることは許可されていない。

 僕は人外化してからも欠かさず食事ごとに雫の血を摂取しているが、おじさんたちが『頼むから家の食器は使うな、っていうか、血の付いたもん置いてくな』と真剣な顔で言ってきたからだ。

 今も雫の血が入ったボトルの中身を料理に垂らしているのを、得も言われぬ表情で見つめていた。

 

「お前ら、そんなんだからメアにキツく言われてんだぞ」

「自分の作った料理に血をぶちまけられるのって、結構腹立つんですよ」

 

 どうやら、さっきメアさんの口調がキツかったのはそういう理由らしい。

 しかし、こればかりは譲れない。

 なんだかんだ言って、僕も雫の血を口にするのが癖になってしまっているのだ。

 

「えへへへ・・・」

 

 なにせ、雫が心から嬉しそうに笑ってくれるから。

 味も然ることながら、雫が喜んでくれるのが一番嬉しいのである。

 

「まあ、お前らの変態っぷりは今更だからもう何も言わねぇ。とりあえず今日の振り返りだが・・・お前ら、俺たちと戦って何を感じた?」

 

 そんな僕らを見てため息を吐いたおじさんだが、話を進めることにしたらしい。

 口の中に頬張っていた料理を咀嚼して飲み込んでから、僕と雫は口を開いた。

 

「「やりにくい」」

 

 一言で言うと、それに尽きる。

 おじさんたちは、とにかく戦いづらいのだ。

 

「メアさん1人だけしかいないのに、おじさんが合体してるから、2人分の動きができてるっていうのが混乱するな」

 

 おじさんたちのバトルスタイルは、メアさんがメインで戦い、おじさんがバックアップをするというもの。

 ただし、それは2体2の形ではない。

 おじさんは自身の身体を術具に改造した改造人間なのなだが、戦闘時にはメアさん用のパーツとなり、合体するのである。

 メアさんの割烹着にくっついていた宝石がそれであり、合体時には霊力を共有化するだけでなく術具師として術具であるメアさんの強化・回復から術具の補充までこなし、超高性能なレーダーにもなる。

 さらには、メアさんが生やした翼はおじさんが制御しているらしく、緊急時の防御も万全。

 一時には腕と翼に術具を装備し、腕が四本あるかのような戦い方までやってきた。

 合体状態のメアさんには、死角が存在せず、全方位に常時対応することができる。

 

「はっきり言って、俺は1人だけなら七賢最弱だろうな。霊力量も並みよか上だが、そこまで多かないし、改造人間とは言え、身体能力もお前らよか下だ。だが、俺は術具師だからな。俺自身が弱かろうが、強くて術具の扱いが上手いヤツを造ればいいし、俺が弱点になるのなら、安全圏を造って引っ込んでりゃいい。そんで、俺にとっての一番の安全圏が、コイツってわけだ」

「寄生虫みたいな考え方してますね。普通にキモイです」

「石直球か、お前」

((これがマジモンのツンデレか))

 

 おじさんの台詞に顔しかめながら吐き捨てるメアさん。

 しかし、なんとなく顔が紅くなっているような気もするから、満更でもないのだろう。

 最近はなんとなくメアさんの表情がわかるようになってきた僕らである。

 そんなおじさん達を見ながら、今度は雫が喋り出した。

 

「後は、とにかく戦い方が多様なことだな。動きが読みにくい」

 

 おじさんたちと戦う上で厄介なことは、動きが全く読めないことだ。

 例えば僕の戦い方を説明するならば、刀の近接戦闘か、弓・術による遠距離攻撃だ。属性は雷がメインで、最近では土・風属性も使う。

 これだけでも中々パターンが多いとは思うが、おじさんたちは比較にならない。

 

「火、土、水、風、雷の基本五属性はもちろん、光やら空間やら時のようなレアな属性まで使ってくる上に、ナイフやらボウガンやらグローブまで、武器が全部違うんだもの。間合いもコロコロ変わるし」

 

 多種多様な属性を宿した、多彩な武器の数々を使う。

 おじさんたちの戦闘スタイルは、とにかく種類が多い。

 ありとあらゆる状況に対応できる、汎用性の究極系だろう。

 そのために、次に何をしてくるのか予測が難しいのだ。

 

「それが術具師の頂点たる俺の持ち味だからな。相手の情報を分析して、相手の強みを消した上で弱点を突く。だがまあ、俺から言わせりゃ、お前らも大概だぞ?」

「まず、貴方がたに属性攻撃がほとんど通用しませんでしたからね」

 

 ここで、今度はおじさん達からの評価になる。

 

「お前らが今の姿になる前には、久路人は水、っていうか、氷。雫は土属性が弱点だったな」

「そういやそうだったね」

「あまり意識してなかったなぁ・・・」

「貴方がたは、昔から霊力が多かったからでしょう。大抵はごり押しでなんとかなってましたね」

 

 霊力には属性があるが、これには相性がある。

 霊能者は普通の人間に比べると頑丈だが、それは霊力による強化が無意識に発動しているからなのだが、相性の悪い属性の霊力を受けると、その強化が阻害され、ダメージが大きくなってしまうのだ。

 とはいえ、絶対的なものでもなく、霊力の量が膨大ならばほとんど影響はない。

 そのため、僕も雫も大して気にしてこなかったのである。

 しかし・・・

 

「そういえば、遠距離で雫に押されがちだったのも、そこら辺の影響があったのかな」

「私も、土属性の術にはいい思い出がないかも。あのクソ狐の石化とか、クソジジイの杭とか」

 

 思い返してみると、そこそこ身に覚えがあるような気もしてくる。

 

「属性は地味な要素だが、実力が近い相手には結構響いて来るからな。だが、お前らはそこをペアで戦うことで克服してんだよ」

「久路人様の弱点の氷は雫様の得意属性。そして、最近になって久路人様が土属性を会得したことで、雫様の弱点もカバーができているのです」

「強いパスを結んだヤツらにはよくあるんだが、お互いの耐性を共有するなんてことが起きる。お前らはちょうどかみ合ってんだよ。んで、そういう効果は距離が近いほどデカくなる」

「それ故、我々が多様な属性を使えたとしてもあまり意味がなかったのです。貴方がたに有効な戦い方は、基本五属性以外の属性か、いっそ物理攻撃で再生能力よりも速く削りきってしまうといったところでしょうか。そういう意味では、弱点を突くスタイルをとる我々としては、貴方がたも充分戦いにくい部類です」

「なるほど」

「しかし、それではなぜ妾たちは勝てぬのだ?善戦どころか一発もかませずに負けてばかりだぞ」

 

 おじさんたちからすれば僕らは戦いにくいらしいが、それにしては雫の言う通り負け続きである。

 

「戦っている最中も申し上げましたが、まだその身体に慣れきっていないのが大きいでしょう」

「新しい属性もそうだが、身体能力もそれまでと勝手が違うだろ?今日は人間の姿で戦ったが、これが半妖体や、妖怪形態だったらさらに違うぜ?」

「やっぱりそれか・・・」

 

 言われたことに、僕らは納得する。

 確かにここ最近のパトロールやら何やらで身体には慣れたつもりだったが、それはあくまで日常生活レベルであり、本格的な戦闘への慣らしはやっていなかった。

 

「特に今日の戦いで感じましたのは、『魔眼』の発動に慣れていないことですね」

「むぅ・・・あの眼は使うと少々疲れるのだがな」

「その疲れだって、訓練次第で克服できんだよ。せっかくの魔眼だ。使わなきゃ勿体ないぜ?」

「魔眼か・・・」

 

 僕と雫は、お互いの眼線を合わせた。

 雫の紅い眼と、僕の紫の瞳が交錯する。

 

「葛城山での戦いの時に使った『月読』を再現しようとしたらできた『瞬眼(しゅんがん)』に・・・」

「私が元々できた『邪視』の強化版の『零眼(れいがん)』」

 

 魔眼とは、特殊な術を使えるようになった眼のことだ。

 『瞳術』という眼線を合わせることを合図に体内の霊力を消費して発動する術とは異なり、眼そのものに異能の力が宿った瞳のことを指す。

 僕の場合は葛城山で神の力が暴走した時に使った、未来を見通す術である『月読』を再現しようとしたところ発現した『瞬眼』だ。

 

「未来が見えるのは同じなんだけど、月読は未来の僕自身も見えたのに、瞬眼は相手の動きしか見えないんだよね・・・」

「そりゃ、お前らの霊力は神の力から変わっちまったからな。月読はアカシックレコードにある確定した未来を見る術だったんだろうが、そんなもんはこの世界の管理者から許可もらわなきゃ使えねーよ」

 

 月読の時は、朧げな記憶ではあるが、未来の自分とその周りの風景を動画で再生するかのように見ることができた。

 一方の瞬眼は、見た相手の数瞬先の動きを見ることができるというもの。月読に比べると幾分劣っているように思えるが、それでも時属性という時間に干渉する高度な術らしい。

 

「お前は元々身体強化を使った時に、相手の動きが止まって見えるくらい集中力が上がってたからな。お前の中で、数瞬先の相手の動きが正確にイメージできてるんだろうよ。その分析力やら観察力が龍の力で強化されて、未来視ができるようになったんだろ」

「雫様の場合も同じようなものですね。元々見た者を凍らせる瞳だったものが強化された結果、時間すら止める瞳に進化したと言うところでしょう」

「時間に干渉する能力はそれなりに反動があるからな。霊力の多いヤツだったり、神格を持ってるヤツには通じにくいが、鍛えておきゃ牽制にはなるし、ほんの一瞬隙を作れるだけでも大違いだ」

 

 時間・空間に干渉する術というのはかなり高等な術なのだが、強敵には案外使えないらしく、気軽に相手の時間を止めて一方的に攻撃したり、火山の火口にワープさせるというのはできないのだとか。

 それというのも、強大な力を持つ者は世界そのものへの影響力も大きく、そんな存在の時間を止めるというのは世界に与える影響の時間も止めるということであり、とてつもない負担がかかるからだという。

 しかし、ほんの数瞬しか通用しないとしても、そのわずかな隙が大きな結果をもたらすこともある。

 

「時を操る術と、空間を操作する術はよく似ています。そこを取っ掛かりにすれば『陣』を習得する際にも役に立つでしょう」

「「『陣』・・・」」

 

 僕と雫は揃って呟いた。

 

「僕たちの修行のゴールが、陣の習得だっけ」

「今のところ、まったくできるようになる気がしないのだがな・・・」

 

 陣とは、神格に至った者だけが使える強大な空間系の術のことだ。

 神格に至れば使えるようになり、陣が使える=神格を持つということ。

 世界の管理者に近い力量を持った者の証であり、陣の中は術者の特性が最大限に発揮される結界となる。

 かつて葛城山で戦った九尾が使用した『天花乱墜』は、幻術や分身の術が大幅に強化される空間であった。

 そして、陣に関しては通常の空間系の術とは違い、強い相手も誘い込める。

 それは、陣がこの世界とは別の世界を造る術であるために、世界への影響の大きさが異なるからだとか。

 基本的に陣に対抗するには、こちらも陣を習得するしかない。

 九尾の時に神格に至っていない僕らが勝てたのは、相性が極めて有利だったからで、その上でも神の力の暴走がなければ負けていた。

 故に、僕らの修行の目標は陣を使えるようになることなのである。

 僕たちも戦力として数えられるようになれば、現世の日本にいる七賢級の戦力は4人から6人となり、現世にいるとされる、『勇者』を含む3人の幹部に2倍の数的アドバンテージを稼ぐことができる。

 

「ま、神格に上がるのは単純に力だけあればいいってもんじゃないからな。けど、今のお前らなら大丈夫さ」

「神格を得るのに必要なのは、『霊力』と『意志』です。貴方がたは霊力の基準はクリアしているでしょうが、意志については体を鍛えたところで身につくものではありません。ですが、貴方がたならば遠からず習得できますよ」

「その自信は一体どこから来てるのさ」

「意志・・・確か、『世界の変容を望む渇望』だったか?そう言われてもな・・・」

 

 神格に至る条件については、解明されている。

 なにせ、学会の七賢になる基準の一つに、神格を持つことが義務付けられているほどだ。

 しかし、それとおじさんたちが自信満々な様子なのが結びつかない。

 自分で言うのもなんだが、僕はルールやら規則にうるさい方で、いわば保守的だ。

 そんな僕に、世界を変える意志だの言われても困る。

 

「お前たちが今の姿になったってことが答えなんだよ。今は、その意志が内に向いているだけだ。そのうちに、絶対に目覚める機会が来る」

「これに関しては、修行するよりもデートでもさせた方が早いかもしれませんね。まあ、その前に最低限基礎を作り直してからですが」

「妾が聞くのもなんだが、そんなに悠長にしていていいのか?旅団はすでに動き出しているのだろう?」

「そうだね。僕の周りでも被害があったんだし、今頃忘却界の中だとどんなことになってるか・・・」

 

 陣についておじさんたちは近いうちに使えるようになると思っているようだが、そんな時間があるのか気になるというのはある。

 つい先日も池目君が被害にあったばかりだ。

 闘っている時は余計なことを考えている暇もないから気にならないが、忘却界の中では、今も死にかかっている人がいるのではないかと、こういう時は不安なってくる。

 

「そこは心配ない・・・って断言はできねぇが、時間はまだあるとは思うぜ。あいつらの目的を考えると、異能の力を信じる人間が大量に必要だ。それにはかなりの手間暇がかかる」

「さらに言うなら、怪異によって人死にがでるのも彼らにとって不都合です。異能の力を認めさせても、殺してしまっては無意味ですから」

「忘却界の破壊って言ってしまえば単純だが、取れる手段は多くない。久路人が人外になった時みたいに直接ぶっ壊すような真似は、あいつらもしないはずだ。俺らくらいに気を遣うようなこともしねーだろうけどな」

「なぜだ?考えてみれば、術具ごしに怪異を作り出して襲わせるよりも、人間の幹部とやらが動いて直接暴れ回った方が早そうだが」

「確かに・・・」

 

 雫の言う通りである。

 おじさんたちが言うように、怪異によって死者が出ることはないだろうが、それだって随分と迂遠だ。

 大抵の妖怪にとって人間とは獲物であり、そんな相手の命を保障する手間をかけるのには違和感がある。

 そんな僕らを見て、おじさんは少しの間顎に手を当てて考え込んだが、『まあいいか』と言って口を開いた。

 

「これは学会の上層部にしか知られていないんだが、お前らには教えてもいいだろ。忘却界ってのはな、『神』との契約で生まれたものなんだと」

「この世界で初めて神を観測したのは七賢一位たる魔人なのですが、神は本当ならば魔竜との決戦が終わった後、人間と人外の双方の陣営を消去するつもりだったようです。当時、彼らの度重なる戦いで世界そのものが大きく傷んでいたために、その原因として目をつけられたのでしょう」

「「え?」」

 

 突然の機密情報に目を丸くする僕らに頓着することなく、おじさんたちは続けた。

 

「そこで、魔人は命乞いも兼ねて交渉したのさ。『我々が世界を平和にするから、見逃してください』ってな。それで、必死こいて忘却界を構築して、契約を果たしたってわけだ。厭戦気分になってたのも大きいだろうけどな」

「普段魔人と魔竜は現世の西側の守護に努めていますが、正確には学会の本拠地から離れられないのです。忘却界の起点となった場所で、その維持に力のほとんどを使っていますから」

「んで、それが旅団の連中が表立って暴れない理由でもある。忘却界を直接ぶっ壊すような真似をすりゃ、神を怒らせることになる。そうなりゃ、神本人はないだろうが、使徒が来るのは確実だ。さすがにそれは避けたいだろうって話だな。『壊された』じゃなく、あくまで『壊れた』ようにしなきゃいけないってわけだ。まあ、黒狼あたりはその辺の事情を知ってるか怪しいけどな。そういうわけで、まだ時間はあるだろうって見通しなのさ」

「事情は分かったけど・・・それ、僕らに教えてよかったの?」

「学会から殺し屋が来るなんてことはないだろうな?」

 

 旅団が本格的に動くまでに時間があることは分かったが、果たして聞いてしまってよかったのだろうか。

 

「学会の幹部の俺がいいって言ってんだ。別に問題はねーよ」

「貴方がたは、今後起きるであろう学会と旅団の戦いにおける台風の目です。むしろ、知っておいた方がよいかと。実力面でも知識面でも、貴方がたにはまだまだ学ぶべき点がありますから」

「つまるとこ、しばらくは今日みたいに訓練あるのみってわけだ。わかったらさっさと食って寝とけ。明日もやるんだからよ」

「なんか色々あったけど・・・うん、わかったよ」

「まあ、やられっぱなしは腹が立つからな。明日こそ一撃ぶち込んでやる」

 

 色々と込み入った話があったものの、その後もこまごまとした反省をしつつ、僕らは夕食を終えたのだった。

 

 

-----

 

 

「あはっ!!いたいたっ!!」

 

 同時刻

 久路人たちが夕食を食べ終え、各々休んでいる時に、マリはそこにいた。

 そこは、白流からやや離れた場所にある霊地だった。

 霊地とはいえ霊脈から供給される霊力は少なく、猫の額ほどの広さしかない、小さな寂れた神社の境内。

 その鳥居の前で、髑髏が塚頭に取り付けられたワンドを手に、マリは闇の奥へと目を向けていた。

 その視線の先には・・・

 

「「グルルルル・・・」」

 

 異形の獣がいた。

 人間の毛髪のような毛並みを持ち、人間の足のような四肢を持ち、人間の腕のような九本の尾を持ち、そして・・・

 

「ナゼ、だ・・・ナゼ、アは、セイが・・・コノ、ヨウナ」

「スマ、ナイ・・・タマ、ノ・・・アア、ナゼだ・・・ナンデ、セカイは、コンナ・・・」

 

 男と女。

 二つの人間の首が生えていた。

 それぞれの首はブツブツと何かを呟いているが、途切れ途切れのために聞き取ることはできない。

 しかし、それでもわかることはあった。

 

「ナゼ・・・セイ、が」

「ナゼ・・・タマノが」

 

 二つの首は、同時に呟き、そして叫んだ。

 

「「コンナメにアワねばナらなかったぁあああああああああああああああああっ!!!!!」」

 

 その声に、その眼に宿るのは、真っ黒な憤怒。

 世界そのものへの、憎悪に満ちていた。

 

「うんうんっ!!テメェらの事情とか、マリにはどうでもいいけどさっ!!マリよりもヤバそうだし、これだけ強そうなら使えるねっ!!」

 

 だが、マリはそんな獣を見ても、何も動じていなかった。

 杖を手に持ち、自らより強大と分かる相手にも悠然と歩み寄っていく。

 まるで、自分は絶対に負けないという保証があるかのようで、そんな彼女にとって重要なのは、目の前のケダモノが自分の役に立つかどうか。

 どんなにお涙頂戴のストーリーがあろうと、それがマリに響くことはない。

 

「何があったとしても、世界で一番可哀そうで救われなきゃいけないのはマリなんだよ?だから・・・」

 

 マリの中では自分こそが悲劇のヒロインであり、自分以外に同情を引く存在など、ゴミ屑以下の価値しかないのだから。

 

「大人しく、マリのおもちゃになってよねっ!!」

「「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!!!!」」

 

 そうして、闇の中でおぞましい中身の少女と、おぞましい姿の獣の戦いが始まったのだった。

 




評価・感想とかよろしくです!!


設定

属性

霊力には属性があり、火、水、土、風、雷は基本五属性と呼ばれる。
他にも光、闇、影、木など、様々な属性がある。
それらの属性は大きく『地属性』と呼ばれ、神の力は『天属性』とされる。
久路人と雫の霊力には天でも地でもない全く未知の属性の霊力が含まれている。

なお、属性には相性があり、

雷は氷(水属性)に弱く、水は土に弱い。
その他の相性は後々。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

修行開始2

5章は、久路人と雫以外の掘り下げもやる予定です。
主人公のいない話もでてくるかもしれません。


 そこは、紅に染まった部屋だった。

 

『ふふ、これで、またワタシは美しくなれる!!いつか、あのお方に振り向いてもらえるようになるわっ!!でも、まだまだ足りないわね・・・』

 

 部屋に備え付けられた大きな鏡の前には、美しい女が1人、一糸まとわぬ姿で立っていた。

 その顔は、鏡に映る至宝とも思えるような自らの肢体を見つめ、高揚に茹っている。

 しかし、一糸まとわぬというのは、語弊があるかもしれない。

 

『ああ、足りないわ。全く足りていない。このワタシが美しくあり続けるためには・・・』

 

 女はそこで恍惚に染まっていた顔を歪め、自身の身体を覆う、深紅の液体を見下ろした。

 

『処女の生き血が、まだまだ足りないわ』

 

 女の視線が、身体から部屋の中に移った。

 その視界に映るのは、部屋を紅く染め上げる原因。

 部屋の壁に鎖で吊るされ、元の美貌を絶望に醜く歪めた少女の死体だった。

 死体の手足は欠損しており、そこから滴る血は樋を通って樽に溜められていく。

 部屋の中には他にも樽が置かれており、女が浸るたびに壁に血が飛び、それが部屋の色を元の色からかけ離れたものに変えていた。

 

『ふふ、アナタは幸せ者よ?』

 

 女は、少女の死体の下にまで歩み寄り、語り掛けた。

 

『アナタは、このワタシの美しさの礎になったのだから。あの尊きお方を、共に愛することができるのだから!!さあ!!アナタもあの方を愛しなさい!!愛する者こそが、愛されるの!!さあ愛しなさい!!愛せ!!愛しなさいよっ!!』

 

 最初は穏やかに話しかける女であったが、死体がソレに応えるはずもない。

 女の様子はそれに苛立ったかのように、荒々しいものに変わっていく。

 女は死体の傍に転がっていた大振りのナイフを手に取り、死体に突き立て始めた。

 

『愛せっ!!愛せっ!!お前たちの愛が足りないから、ワタシはっ!!あの方はっ!!』

 

 

--コンコンコン

 

 

 女がその身にさらに血を振りかけるようにナイフを振り回し始めた時、ノックの音が響いた。

 

『主様、失礼いたします』

 

 扉越しに、感情というものが一切感じられない声が届く。

 その氷のような声を聞いた瞬間、女は冷静さを取り戻した。

 

『何かしら?■■■?ワタシは今忙しいの?そんなワタシを遮るということは、よほどの用件なのでしょうね?』

『はい。お屋敷に、もうじきお客様が訪れます。今の内に支度をしなければ間に合わないかと』

『・・・それは確かに重大ね。わかったわ。お前はこの部屋を片付けた後、支度を手伝いなさい』

『かしこまりました』

 

 部屋の扉が開き、1人の少女が入ってきた。

 古式ゆかしいお仕着せに身を包み、長い紫がかった黒髪を後ろで一つに結んだ、人形のように整った顔の少女。

 そんな少女とすれ違う際に、女は問いかけた。

 

『そういえば・・・『新しい子』は手に入ったのかしら?』

『・・・はい』

『そう。やはりお前は優秀ね。お前くらいに綺麗な子なら、ワタシと一つになってもらいたいところだけど、お前がいなくなると困ることが多そうだわ。ごめんなさいね』

『いえ・・・勿体ないお言葉です』

 

 少女は、部屋を出ていく女にお辞儀をして見送る。

 そして、女の足音が遠ざかっていくのを確認すると、部屋の中に向き直った。

 

『お前のせいだ』

『・・・・・』

 

 死体が、口を開いた。

 

『お前がここに連れてきたから、死んだ』

『みんな、死んだ』

『あの気狂いに殺された』

『・・・・・』

 

 いつの間にか、ぶら下がる死体が増えていた。

 少女が壁にぶらさがる少女の言葉を聞くたびに、死体の数が増えていく。

 

『恋をしたかった』

『あの人と一緒になりたかった』

『あの女の男なんて知らない』

 

 いつしか、部屋の中は死体で埋め尽くされていた。

 

『お前も許さない』

『お前も飲み込まれてしまえ』

『あの女の愛に』

『愛せ』

『愛せよ』

『愛しなさいよ』

『『『愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛セ愛セ愛セ愛セ愛セ愛セ愛セ愛セアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセ』』』

 

 部屋の中に響くおぞましい大合唱。

 死体が叫ぶたびに揺れ、鎖が耳障りな音を立てる。

 樽の中の血がぶちまけられ、床が血の海と化す。

 そんな中、少女は・・・

 

『・・・・・』

 

 黙々と、ぶら下がる死体の一つ一つを引きずり降ろして床に並べていく。

 怨嗟の声など、何も気にしていないかのように。

 まるで、体に染みついたルーチンワークをこなすように。

 その手は機械のように無感動に、正確に動き、いつしか一つの死体を除いて皆床に転がされていた。

 その死体は、最初にぶら下がっていた死体だった。

 

『お前も、ワタシたちと同じになる』

 

 少女がその手を死体に向けた時、死体の口が動き出した。

 

『お前も、この愛に飲み込まれる』

 

 少女が死体の鎖を外し、床に死体が落ちた後も、その口は止まらない。

 

『お前の心は、『愛』に染まる。顔も知らない、あの女のはけ口になった男への愛に。だから・・・』

 

 少女は、床に落ちていたナイフを手に取った。

 思いっきり振りかぶり、女の喉に向かって突き立てる。

 その直前に、死体は呟いた。

 

『お前はもう、誰も愛せない』

 

 グシャリと濁った水音と共に血しぶきが舞う。

 床に広がった紅い水たまりが、少しだけその広さを増した。

 そして、そこに映る顔が動いた。

 

『だから、お前は誰にも愛されない』

 

 人形のように整った少女は、自らに向かって呪いの言葉を吐いた。

 

 

-----

 

 

--ガバッ!!

 

 

「・・・夢、ですか」

 

 月宮家の一階にある、屋敷の主人とその妻の寝室。

 そこに敷かれた布団の上で、メアはポツリと呟いた。

 その作り物めいた顔はいつも通りの無表情だが、一筋の汗が伝っている。

 

「ここ最近は、あまり見る機会は減っていたのですが・・・」

「久路人たちと戦って霊力昂ってるせいだろ。少し前にはほぼ全力出して陣まで使ったからな」

 

 メアのすぐ隣から声が聞こえたかと思えば、むくりと男が起き上がった。

 

「私の寝顔見てたんですか?気持ち悪いですね」

「お前のうなされ声がデカすぎて先に起きたんだよ。あんな夢見りゃうなされるのも当然だがな」

「・・・京も、見たのですか。あの夢」

「まあな。俺とお前はパスが繋がってんだ。あの夢はお前の魂にまつわるもんだったし、俺にも見える・・・んん~!!」

 

 布団を剥がして大きく伸びをするのは、メアの主人にして夫たる月宮京だ。

 

「繋がりがあるというのなら、その、アナタは問題ないのですか?」

「あ?お前が俺の心配するなんぞ珍しいなオイ。明日は槍でも降るのかね」

「っ!!茶化さないでくださいっ!!ワタシは本気でアナタを・・・んぐっ!?」

 

 普段の口調に反して、月宮メアという女が京に向ける感情は、ひどく重いものだ。

 そんな彼女だからこそ、あの悪夢を見た京の身を案じる気持ちも本物。

 しかし、いきり立つメアの口は、他ならぬ京によって塞がれていた。

 

「ぷはっ・・・お前と俺は一蓮托生だ。逆に言うなら、お前が無事なら俺も問題ないってわけだ。パスも今確認したら問題なかったしな」

「・・・寝起きにキスするのは止めてください。口くさいです」

「おい、思ったよりもキツイ反撃するのはやめろ。心に来る・・・しょうがねぇ、歯ぁ磨いて来るか」

「あ・・・」

 

 メアの本心など、京には分かっている。

 しかし、京としても妻にそう言われたのは地味にショックだったのか、京は布団から抜け出した。

 そして、そのまま洗面所に向かって歩き出しそうなその手を、メアは掴んでいた。

 自分にとっても無意識の行動だったのだろう。

 メアは、己の手と、そこに握られる京の手をまじまじと見つめていた。

 

「・・・メア?」

「っ!?い、いえ、なんでもありません」

 

 己が何をしようとしていたのか分らなかったメアだが、どうにも気恥ずかしくなって、手を離した。

 そして、京に背を向ける。

 京によって作り上げられた肉体ではあるものの、天才術具師たる彼は貴重な材料を惜しみなく使うことでほぼ完全な生体を再現しており、メアの耳は真っ赤に染まっていた。

 

「きょ、京!!ワタシ、ワタシはっ!!」

 

 自分が何をしようとしていたのかは分からない。

 けれども、何を伝えようとしていたのかは分かる。

 その作り物の身体に内包される、本物の気持ちを口に出そうとして・・・

 

「ぐっ!?」

 

 メアの中の、最も深い部分が軋みを上げた。

 同時に、どす黒い瘴気がメアから立ち上がる。

 瘴気の中にはいくつもの少女の顔が浮かんでおり、それらは口々に囁く。

 

 

--愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛せ愛セ愛セ愛セ愛セ愛セ愛セ愛セ愛セアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセアイセ

 

 

「ぐ、あ、あぁ・・・」

 

 頭の中をミキサーでかき回されたかのような激痛が走り、メアは呻いた。

 それは、呪いだ。

 月宮メアとかつてナイトメアと呼ばれた亡霊との、未だ続く繋がり。

 その呪いは、メアの中の心を侵そうとして・・・

 

「メア。あんま無茶すんな」

 

 その言葉と共に、メアは京の腕の中にいた。

 それと同時に白い光が2人を包み、瘴気が消滅する。

 

「はっ、はっ、はっ・・・ワ、ワタシは、別に無茶など・・・」

「俺とお前は繋がってる。例え、お前が言葉や行動で俺への気持ちが伝えられなくても、俺には分かってる。だから、無茶してまで伝えようとするな。ちゃんとわかってるから」

「っ!?・・・わかり、ました。ありがとう、京」

「おう・・・んじゃ」

 

 久路人と雫の前では見せたことがないくらいに息も絶え絶えになりながらも、メアは京の胸に顔を埋め、礼を言う。

 そんなメアに優し気な目を向けながら、京は寝巻のズボンに手をかけ・・・

 

「・・・何しようとしてるんですか?」

「いや、何ってパスの強化。っていうか、こんぐらいくっついてたらお前も分かってんだろ」

「・・・やっぱりアナタ最低ですね。もうちょっと雰囲気を読んでくださいよ」

「別にいいじゃねぇか。多分久路人と雫も今頃盛ってんだろうし。訓練までまだ時間はあるぞ?」

「まあ、そうでしょうけど・・・」

 

 ちょうど自分の腹部あたりに熱く硬いモノが当たる感触を感じ、メアの口調がいつも通りに戻る。

 しかし、抵抗する様子もない。

 京が自分を布団の上に押し倒しても、されるがままだ。

 

「メア」

「なんですか?時間があると言っても、そんなに長くはできないでしょう?ヤるならさっさと・・・」

「もう少しだ。『薬』と、おまけに『毒』まで手に入ったんだ。もう少しで、呪いは解ける。あと少しの辛抱だ・・・お前はもう、ナイトメアじゃない。誰が何と言おうが、俺はお前を愛している」

「京・・・むぐっ!?んっ!!」

 

 京の言葉に眼を見開いていたメアだが、再びその口が塞がれた。

 しかし、二回目は驚きこそすれど、即座に反撃に出る。

 距離が完全にゼロになった2人の間で、舌が絡み合った。

 当然、行為がそこで終わるはずもなく・・・

 

「京っ!!京!!」

「ぐっ、おおっ!?おいメア!!もう少し・・・」

 

 いつの間にか攻守が逆転していたが、人形とその主の秘め事はしばし続くのだった。

 

 

-----

 

「『黒鱗外套(こくりんがいとう)』」

「『白鱗纏(びゃくりんまとい)』」

 

 砂鉄が集まったかと思えば、一瞬にしてマントの形になり、角を生やした久路人と雫に纏わりつく。

 そしてすぐさまそのマントの上に、白い雪の結晶のような模様が浮かんだ。

 

「「はぁあああああああっ!!!」」

 

 久路人の左目が紫から紅に変わり、マントが極寒の冷気を纏う。

 雫の右目が紅から紫に変わり、マントが紫電を放つ。

 久路人は刀を持ち、雫は薙刀を作り出して、同時に駆けだした。

 

光矢・散乱(レイ・ボウ・ディスパージョン)

 

 そんな2人に襲い掛かるのは、光の矢の雨だ。

 文字通り光速で進む矢を、放たれてから回避するのは不可能と言っていい。

 

「はっ!!」

「舐めるなっ!!」

 

 しかし、2人にダメージを与えることはできていない。

 人外の身体の反射神経をさらに強化して、発射前に軌道を見切り、躱せないものは強固な鱗のようなマントで弾く。

 光の矢は鉄板を容易に溶解させるほどの高熱を帯びているのだが、氷の力を秘めたマントはその熱を通さない。

 

『強化の術の重ね掛けか。単純だが効果的だな。身体強化と防御強化か』

「お互いの弱点を完全に消した上で、物理攻撃にも回避と防御力で対応するということですか。そして、半妖体で使用した場合には、より身体能力を活かせる近接戦闘を仕掛ける。戦い方も正解です」

 

 ボウガンを乱射しながら後退するメアだが、久路人と雫の接近を止めることはできていない。

 そして、撃ちながら下がるメアと、躱しながら前に進む2人の距離はどんどん縮まっていく。

 

白氷石火(はくひょうせっか)!!」

黒砂ノ漣(こくさのさざなみ)!!」

 

 久路人と雫が術技を発動した。

 久路人の足元が凍り付き、雫の踏む土が黒い砂に変わる。

 そして、地面そのものが動く床となって高速で2人を運んだ。

 

「迅雷!!」

「早瀬!!」

 

 間合いを完全に縮めた2人は、さらに術技を使用。

 久路人は雷と冷気を纏った突きを。

 雫は黒い砂が超高速で渦巻く濁流を乗せた斬撃を見舞う。

 半妖体の上に、パスによる霊力の循環が加速した今の2人は、先日の訓練の時とは体のキレが違う。

 タイミングを合わせ、雫の斬撃をさばいても、久路人による狙いすました刺突はそこに生じる隙を逃さない。

 その術技を完全に回避するのは、メアであっても難しいと言わざるを得ない。

 

『構築・三又槍(トライデント)

「『大嵐(ハリケーン)』」

「ちっ!!」

 

 京が海の神の名を持つ槍を呼び出し、その槍を手に取ったメアがバトンを回すように大きく一回転させると、嵐のような風と雨の奔流が生み出され、雫の斬撃を払いのけた。

 だが、雫のわずか後方に位置していた久路人の攻撃はまだ終了していない。

 

「ふっ!!」

『構築・ヤルングレイプ』

「『刃払(パリィ)』」

「クっ!!」

 

 雷神の使用した籠手を嵌めたメアが手刀を放ち、久路人の技を受け流す。

 ガキィン!!と金属の擦れる音ともに火花が飛び散り、久路人は反射的に後退した。

 同時にメアも背後に飛び、2人と2人は睨み合いとなった。

 

「この数日で新たな強化を身に着け、半妖体でありながらスペックに振り回されることなく武術を扱えるようになるとは・・・お見事です」

「そりゃあ、どうも」

「そんな余裕そうなツラをしたヤツに褒められても嬉しくないがな」

 

 未だに戦闘中ではあるが、メアは久路人たちの戦い方を褒める。

 実際、ここ数日でも2人の成長ぶりは目覚ましいものがあったのだ。

 今の攻防でも、2人ともに無傷であり、メアとしても属性に対応する術具を装備した上で防御用の術技を使わなければ手傷を負わされていただろう。これまでなら、適当な属性の術具でごり押しの術技を発動するだけで対処できていたのだが、そのような舐めプは鳴りを潜めつつあった。

 久路人にせよ雫にせよ、秘めている才能はすさまじいものなのだ。

 ただ、それが必要となるほどの敵がこれまで不足していただけ。

 京を装備したメアという強敵と戦うことで、2人は急速に成長していた。

 しかし、メアもまた無傷であり、表情にはまだまだ余裕が見られる。

 だが、その余裕の表情に加え、口調もどこか穏やかだ。

 

「お前にしては随分と真正面から褒めるではないか。何かいいことでもあったか?」

「・・・ええ、まあ」

「「え?何その反応?」」

 

 久路人たちからすれば、メアのその様子は不気味に映ったらしい。

 思わずと言ったように、一歩後ずさった。

 同時に、メアの眉がピクリと動き、殺気が漏れる。

 

「・・・そろそろ本腰を入れますかね」

「雫っ!!」

「ああっ!!」

 

 久路人と雫は再び構えた。

 雫は薙刀のままだが、久路人は刀を短弓に変えて雫の後ろに回る。

 それは、半妖体の優れた身体能力と溢れる霊力を中距離戦に費やすスタイルだ。

 今までのやり取りで、自分たちではまだ接近戦を仕掛けるには技量が足りていないことを察したのである。

 

「伸びろ!!『黒蛇』!!」

 

 雫が薙刀を振るうと、先端の刃と柄の接合部分が融解し、鞭のように伸びた。

 薙刀そのものは久路人の黒鉄を含む水を凍らせたもので、強度は十分。

 文字通り黒い蛇のようにメアに躍りかかる。

 

『こっちもやるかね・・・白翼展開。んで、構築・打神鞭(だしんべん)

「そちらがその気なら、こちらもお応えしましょう。大竜巻(おおたつまき)

 

 京の一声により、メアの背中から白い光を放つ翼が生えた。

 翼が羽ばたきを始めると、メアの身体が浮かび上がる。

 その手に握られているのは風を操る術具。

 メアがひと振りするとたちまちのうちに暴風が吹き荒れ、刃を弾き飛ばす。

 

「紫電改二・十機散開!!」

「これは・・・」

 

 間髪入れず、神がかった集中力で竜巻の流れを見切った久路人が、矢を射放つ。

 矢は風を切り裂き、あるいは乗りこなしてメアに迫るも、メアの翼で払いのけられる。

 しかし、メアの顔には若干の驚愕が浮かんでいた。

 それは、その矢に込められた力の性質だ。

 

『チッ!!制御が!!』

「くっ!!」

 

 矢に纏わりついていたのは、久路人の特殊な『龍』の霊力。

 その作用として術の効果を異常なまでに強化する効果があり、それに翼で触れてしまったメアと京の飛行術式の制御がブレた。

 

「雫っ!!」

「任せろっ!!ああいう攻撃だなっ!!」

 

 とっさに術を停止させ、地上に降りるメアだったが、そこに襲い掛かるのは再びの薙刀だ。

 さきほどと違うのは、その刃の大きさ。

 元の柄の長さを上回る長さにまで伸びた刃が、雫の毒気を帯びた水を従えて津波を巻き起こす。

 

激流早瀬(げきりゅうはやせ)!!」

「っ!?」

 

 着地の直前を狙って放たれた広範囲にわたる毒水の斬撃を前に、メアの顔が初めて焦りに歪んだ。

 直後、盛大な水しぶきが上がる。

 それは、雫の攻撃が直撃した証だった。

 神の力も術具の発動も感じられなかった上、久路人の霊力で霊力制御を乱されている以上、ダメージの軽減はほとんどできていない。

 

「よしっ!!」

「畳みかけるぞっ!!」

 

 そうして、久路人と雫は改めて術技の準備を始め・・・

 

「『『形態変化・禍払い(モード・カラミティリッダー)』、装備『アスクレピオス』!!』」

「「っ!?」」

 

 水を払いのけて現れたのは、当然ながらメアだ。

 しかし、その姿は水に飲み込まれる前の割烹着から白を基調とした、頭まですっぽりと覆うローブに変わっている。

 手に握られているのは、蛇が絡みついたような意匠の杖で、その杖から漏れる白い光が水とぶつかりあって湯気を立てていた。

 

『まさか、こんなに早く形態変化まで使う羽目になるとはな・・・自信無くすぜ』

「本気で先ほどは焦りました。お礼に、この姿でお相手しましょう」

「なんなのさ、その恰好・・・」

「妾の水が近づけん・・・どういう絡繰りだ?」

「それは、これからの戦いでお見せしましょう。『浄化(ピュリフィケーション)』!!」

 

 メアが杖を振るうと、そのたびに辺りに散らばっていた雫の水が消し飛んでいく。

 しかし、久路人の放った矢はそのままだ。

 

「浄化、僕の矢に影響がない理由・・・毒への特効か!!」

『相変わらず勘がいいこった』

「久路人様とパスで繋がる雫様本人にまで大ダメージを与えるものではありませんが、毒気を含む水に対しては極めて有効です」

「ちっ!!」

 

 雫はその攻撃のほとんどに水や氷を纏わせている。

 そして、その水には雫の毒気がたっぷりと含まれている。

 今のメアは毒物に対して特効を持っているようで、雫からの攻撃に絶対的な防御力を発揮しているということになる。

 今まで久路人と雫の2人がかりでやっとここまで追い込めたのだ。

 それを今更久路人1人だけで切り崩すなど、できるはずもない。

 だが、そこまでわかっていれば対策も可能だ。

 

「久路人っ!!」

「うんっ!!」

 

 2人は全力でバックステップして距離を稼いでから、すぐさま半妖体を解除。

 人間の姿になると、手を繋いだ。

 そして、雫は銃型の術具、『大蛇ノ釣瓶』を構える。

 そこに注ぎ込まれるのは、雫の霊力と久路人の霊力。

 毒と薬は混じり合い、その特性を打ち消し合う。

 しかし、2人の霊力は混ざり合うことでその大きさは相乗的に膨れ上がっていく。

 これは、2人が京・メアのコンビに対抗するために編み出した、大規模な術攻撃を行う遠距離戦用の陣形だ。

 

「「『雷霆万鈞(らいていばんきん)』!!」」

 

 銃口から撃ちだされたのは、久路人の鳴神や雫の鉄砲水を超える太さの激流だ。

 水の中には黒鉄が混ざり、幾十もの稲妻を絡めたまま突き進む。

 久路人と雫という、世界でもトップクラスの霊力量を誇る2人の術はもはや大量破壊兵器に等しい。

 そんな術をみた京とメアは・・・

 

『おいおい、大層な術だな。あいつら、俺らを殺す気か?』

「ええ。昨日までの我々なら、これを出されていたら一敗していたでしょうね。ですが、今日のワタシはとても機嫌がいいんです。こんな日に、負けてあげるというのは気が進まないんですよ」

 

 どこまでも、自然体だった。

 メアの纏うローブが一瞬光り輝くと、すぐさま形を変える。

 

「『『形態変化・大魔導(モード・メイガス)』、『レーヴァテイン』装備』」

 

 光が収まった時に立っていたのは、深紅のマントに身を包み、三角帽子を被ったメアだった。

 その翼はマントに穴を空けることなく、すり抜けるように左右に大きく広がり、手にはマントと同じ色に輝く剣が握られていた。

 そして、剣を今にも届きそうな激流に向ける。

 

「『『スルトの炎』』」

 

 激流に真っ向からぶつかったのは、燃え盛る白い炎だった。

 炎と水がぶつかり、辺りが一瞬で白く煙る。

 だが、それは本当に一瞬の事だった。

 

「ぐわっ!?」

「きゃあぁあああっ!?」

 

 超高温の炎は久路人と雫の合わせ技を打ち破り、威力を大幅に減衰させつつも2人にぶち当たったのだ。

 2人は派手に吹っ飛ばされ、地面に転がった。

 

「イタタタタ・・・」

「なんなのあの威力ぅ~!!訓練で使っていい技じゃないでしょ・・・」

『お~、魔術師モードのアレ喰らってその程度のダメージか』

「素晴らしい防御性能です。よく耐えましたね。手足の一、二本は吹き飛んだかと思いましたが」

 

 メアが歩いてたどり着いた時には、久路人と雫は起き上がっていた。

 しかし、2人の纏う外套は所々が破れており、素肌が見えていた。

 派手に吹き飛ばされたことで負けを認めたのか、戦意は消えている。

 

「なんか、最近になって訓練の厳しさ変わってない?」

「これまでがベリーハードなら、今日のはナイトメアという感じだぞ!!段階を踏め!!段階を!!」

「段階ならきちんと踏んでますよ。今日は、我々が本気を出さねばならないほどに追い込まれたからこそ先ほどの術を使ったのです。そうなったということは、日々の訓練で鍛えられているから。すなわち、訓練のレベルを適切に上げてきたということです」

『俺らに形態変化まで使わせたんだ。大したもんだっての』

 

 

『形態変化』

 

 

 それは、七賢三位の月宮京と、その作品たるメアの使う基本戦術にして奥の手だ。

 相手に対して絶対的な相性を構築し、敵の攻撃をほぼ無効化する一方で自分の攻撃は最大のダメージを与える。

 それを可能にするのは、メアという術具にほぼ無数と言っていいほど刻まれた特効用の形態だ。

 ほぼあらゆる種族、属性、攻撃方法、防御方法に対するメタが組まれており、一度ハマれば何もできずに一方的に倒される未来しか待っていない。

 

『お前らは種族でも属性でもメタるの難しいからな。毒だの術攻撃だの、広い範囲でなら対策できるが、そういう汎用的なメタは専門的なのに比べて効果がイマイチだから決め手にならねぇ』

「ですが、今日だけでも強化に各距離に対応した戦術、術の合成など、目覚ましい成長でした。ここ数日の間に練っていたのでしょうが、見事です」

「「・・・・・」」

『あ?どうした、お前ら?』

 

 メアから褒められた2人は、怪訝そうな顔でメアを見る。

 

「おじさんならともかく・・・」

「メアからそう言われると、不気味でしょうがない。さっきも言ったが、一体何があった」

 

 2人からすると、メアという人物は毒舌で、京とその作品のことしか考えておらず、それ以外にほとんど温かい言葉などかけない。

 それなのに、今日は戦闘中も含めて二回も裏表のない誉め言葉を送ってきたのだ。

 ちょっとした異常事態である。

 そんな失礼なことをほざく2人に、メアは『ハァ・・・』とため息を吐いた。

 

「貴方がたが普段の私にどういった印象を持っていたのかということは知っていましたし、どうでもいいことですが・・・私にだって、たまにはこういう時もあります。今日は・・・」

 

 そこで、メアは己の胸元にある宝玉に触れながら、続きを口に出した。

 

「とても、とてもいいことがあったので」

 

 その顔に、滅多に浮かばせない柔らかな笑みを浮かべながら。

 

 

-----

 

「ああ、腹が減るねぇ」

 

 そこは、現世の隣り合わせの異世界、常世。

 人間による科学文明の手が入っていない手付かずの森林が覆いつくす山の一角にて、女は腹をさすりながらそう言った。

 

「ヴェルズのヤツからは指示があるまで適当に暴れていい、とは言われたが・・・こう、適当にって言われると困ったもんさね」

 

 女は、腰掛けていた岩から立ち上がった。

 大柄な女だった。

 肩幅は広く、並の男が着てもだぶつきそうな着流しを着こなし、栗色の長髪が揺れる。

 筋骨隆々といった筋肉の付き方をしているが、それに反して整った顔は小顔で、ひどくアンバランスに感じられた。

 しかし、もしも現世の人間が彼女を見た時、真っ先に気にするのは体格ではないだろう。

 

「まあ、鬼って生き物は適当な生き方をするもんだけどねぇ」

 

 女の額からは、二本の角が生えていた。

 彼女が口に出したように、女は鬼だった。

 女はゴキゴキと肩を鳴らすと、のっしのっしと歩き始める。

 刀や金棒といった武器を持っていないにも関わらず、女が一歩踏み出すたびにズシンと地面が揺れることから、女の重量は大柄な見た目から分かるよりもなお重いということだろう。

 

「さて、次はどこで暴れようかね。いい雄がいればいいんだが・・・」

 

 女は、そこで果たすべき役目を果たし終えていた。

 適度にストレスを発散しつつ、小腹を満たし、なおかつ頼まれたこともこなした。

 故にその場にとどまる理由もないく、女は去っていった。

 後に残されたのは・・・

 

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 女が軽く暴れただけで跡形もなく更地にされた、村だったものと、雌の妖怪の死骸だけであった。

 そこが村だったことを知る者。

 そして、村にいた雄たちがどこに行ったのか。

 それを覚えている者は、もはやどこにもいなかった。

 




評価・感想よろしくです!!


設定

アンデッド

通常、人間でも妖怪でも死ぬと魂は世界に還る。
しかし、強い負の感情を持ったまま死した者の魂は消滅するまでの時間が伸びる。
そして、消滅までに付近の霊力に影響を及ぼして死体と霊力的な繋がりを結び、殻にすることに成功した場合、もしくは霊力で新たに殻を形成できた場合には消滅を免れる。
そうして出来上がったモノをアンデッドと呼ぶ。
基本的に生前から劣化しているのがほとんどだが、抱えている負の感情の大きさと、制御できている霊力次第では生前を上回る強さを持つこともある。
怨念にそって行動し、その感情が満たされることがあれば消滅する。

ネクロマンシーは世界に還る前の魂を捕獲し、その生前の情報を読み取って霊力と共鳴させ、強制的にアンデッドを造り、操作する術である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

作戦会議

無言投下生存報告


「「う~ん・・・」」

 

 月宮家敷地内にある離れ。

 その二階に位置する久路人の自室にて、久路人と雫の唸り声が響いていた。

 2人はちゃぶ台を囲んで険しい顔をしており、その視線はちゃぶ台の上に置かれたノートに向かっている。

 ノートには、こう書いてあった。

 

『第15回対京・メアコンビ作戦会議』

 

「なんで勝てないのかなぁ・・・」

「最近は結構いい線いくようにはなったと思うんだけど、それでも勝てないんだよね」

 

 最近の夕飯時には、月宮の母屋にて京たちも交えた反省会を行っているが、ここで話し合うのは京たちに知られたくない内容。

 すなわち、秘策を考え合う作戦会議である。

 

「じゃあ、ここでいつもの振り返りね」

「私たちが手に入れた新しい力についてだね」

 

 久路人がノートをめくると、そこにはびっしりと細かい字でページが埋められていた。

 雫が覗き込んで言ったように、そこに書かれているのは2人が今の姿になってから手に入れた様々な力について。

 2人は自身の力を改めて見つめなおすことで、新しい戦い方ができないか考えているのである。

 

 

 ①『属性』

 

 

「僕は雷に加えて、土と風。後は、『薬』の力か」

「私は水に火と風、それに『毒』だね」

 

 2人が今の姿になってから扱える属性が増えた。

 それによって、戦い方も多彩になっている。

 

「けど、おじさんたちにはあんまり意味がない」

「属性相性があの2人には通じないからね。全部術具で対策されているし。有効なのは・・・」

「僕の薬と、雫の毒だね。やっぱり、この二つを軸にして攻めるべきか」

 

 属性は増えたが、それが京たちに有効打になっているかと言えば、微妙なところだ。

 基本五属性に属する攻撃は対策もしやすく、京たちは術具でほとんど無効化してしまう。

 だが、極めて珍しい性質を持つ久路人の薬と、雫の毒は有効だ。

 『龍属性』とも言うべき久路人と雫の持つ強大な霊力であるが、久路人には他の霊的な存在を超強化する薬の力。

 雫には、万物を侵す猛毒の力が宿っている。

 久路人の力を受ければ、術具であるならば暴走して自壊し、雫の力を喰らえばそのまま腐食する。

 もっとも、京にも神の力が宿っており、この短期間で久路人たちの力を解析しつつあるのか、最近では少々効きづらくなっているのだが。

 

「でも、他の属性だって役に立たないわけじゃないよ。確かに攻撃には使えないけど・・・」

「強化に使う分には便利だしね。僕の黒鱗外套に、雫の白鱗纏。弱点属性は完全にカバーできるし、物理攻撃にも強い」

 

 久路人は、ノートに書き込んである文字列を指差しながら言った。

 

 

 ②『術・術技(身体能力)』

 

 

 雫は前々から術をメインで扱っていたが、久路人は人間だったころには肉体が霊力に耐えきれず、霊力を属性攻撃に変換する術を使うことができなかった。

 だが、人外の身体を手に入れてからはその制限もなくなり、自由に術を繰り出せるようになったのだ。

 これにより、相手が霊体のような物理攻撃を受け付けない敵にも攻撃手段を獲得できた。

 まあ、結局京たち相手に攻撃系の術はほぼ無意味だったが、それでも久路人が前々から使用していた黒鉄を土属性の霊力を変換することで賄えるようになった。

 もしもかつての葛城山のように、手持ちにほとんど黒鉄がない状況でもすぐに補給可能だ。

 そして、そうして作り出した黒鉄を用いた『黒鱗外套』という新たな防御用の術を開発し、雫もそれに触発され、『白鱗纏』を編み出した。

 久路人は元が人間であったために人外の再生能力だけに頼るのでなく、防御も重視していたからであり、雫としても自身の命が久路人と繋がっている以上、久路人はもちろん雫自身の身も守る必要が出てきたからだ。

 この防御の術は物理的な防御力はもちろん属性攻撃への耐性も高く、黒鱗外套は雷と土、白鱗纏は水と炎を帯びているため、重ね掛けすれば同じ属性の雷、土、水、炎に対して有利に立てる。

 さらには、術に含まれる属性による強化も発動しており、雷による反応速度の向上、土による肉体そのものの硬度上昇、水による再生能力向上、炎による筋力上昇が適用される。

 ただし、久路人には黒鱗外套の強化、雫の場合には白鱗纏の強化は効果を発揮しない。

 

「この身体になってから、前に使ってた身体強化用の雷起が使えなくなったんだけど、あれは使えなくなったって言うよりは・・・」

「人外の身体には、元々強化の術がかかってるようなものだからね。私も前まで強化なんてしようと思わなかったし」

 

 強化系の術は、それなりに繊細な霊力の操作を要する。

 そのため、人間しか基本的に使わない術なのだが、そもそも妖怪には使う必要性がないのだ。

 雫がこれまでにそういった術を使う発想がなかったのも、それが理由である。

 

「今ではもう慣れたけど、この身体のスペックって人間の姿でもとんでもないよ。いくら走っても疲れないし、霊力を限界まで放出してもなんともないし、これまで使ってた術技の威力も比べ物にならないくらい上がってる」

「そりゃあ、人外の身体だもん。私と同じになったんだよ?強いに決まってるし、簡単には怪我なんかしないよ」

 

 改めて自身の身体に目を向ける久路人に、雫は『ふふん』と嬉しそうに笑う。

 雫は、久路人が自分と同質のモノになったのだと感じられるときは機嫌がよくなる。

 自分と久路人が永遠を歩いていけると実感ができるからだ。

 もう久路人が今の姿になってからそれなりに時間が経っているが、それは今でも変わらない。

 

「でも、強化なしだと身体能力は雫の方が強いじゃん。なんかそこは悔しいんだけど・・・」

「それは元々私が妖怪だったからでしょ。私の方が強いって言っても誤差みたいなもんだし、気にしなくてもいいんじゃない?」

 

 身体能力が向上したのは久路人だけではなく雫もだ。

 さすがに伸び具合は久路人の方が圧倒的に上であったが、それでも最終的に雫には届かなかった。

 試しに腕相撲をして久路人が負けた時、久路人は大層悔しそうにしていた。

 一方の雫は、『久路人って、物理的には私より弱いんだ・・・っていうことは押し倒しちゃえば』と、なぜか胸の内から湧き上がる暗い興奮で胸を躍らせていたが。

 ともかく、2人の身体は以前よりも大きく強化されており、腕力や脚力、スタミナを始めとして、耐久力や再生能力も人間からかけ離れたレベルになっている。

 そこから繰り出される術技も相応に強くなっており、久路人たちが身体の扱いに慣れるにつれ、メアも攻撃をさばくのに神経を使うようになってきた。

 また、術にしても反動をほとんど気にする必要がないというのは、戦闘継続に難のあったこれまでの久路人からすれば大きなアドバンテージだ。

 今の身体になってから、2人が新しく編み出した術や術技は多く、攻撃から防御、強化、回復まで幅広くカバーしている。

 

「黒鱗外套以外にも移動用の術技とか、合わせ技も考えたよね」

「あ~、雷霆万鈞とかね。あれくらいの術だと、さすがに京たちも本気で防御してたね」

「それも、僕と雫のパスが繋がったからか」

「うん。これは本当に便利だよ。私たちの強化がすごいのもパスが繋がってるからだし」

 

 

 ③『パス』

 

 

 肉体・精神・魂の三要素を強く結びつけた者同士の間に存在する霊力の繋がりをパスという。

 霊力による糸のようなものであるが、第三者が干渉することはできず、空間・時間的な隔たりがあっても途切れない。

 この繋がりが断たれるのはパスを結んだ2人の死によってのみである。

 パスには、ある程度までの霊力の共有、耐性の共有、属性の共有、強化の共有、思考の伝達、さらには共鳴による霊力の増幅といった効果があり、物理的な距離が短いほど影響は大きくなる。

 京との戦いの中で、久路人が雫の、雫が久路人の属性を使えたのはこのパスによるものだ。

 他にも、半妖体での武器を用いた近接戦闘用陣形や、合成術構築のための遠距離戦用陣形を使う際にも大いに役立っている。

 

「おじさんたちが強いのも、パスが強く繋がってるからなんだろうけどね」

「近ければ近いほど強くなるし、合体してるなら私たちよりもすごい効果があるだろうしね。私たちも合体できればなぁ・・・違う意味での合体なら毎晩してるけど。合体っていうか、連結?」

「雫って、たまにすごい下ネタ平然と言うよね」

 

 京とメアが今の久路人たちよりも強い理由の一つに、パスの強さがあるだろう。

 物理的な距離がほぼ0の京たちはパスも強く、その分連携は久路人たちを上回る。

 カタログスペックならば久路人たちと京たちに大きな違いはないはずなのだが、追いつけないのはコンビネーションの差によるものもあるのだ。

 

「未来の視界を共有できたり、2人で時間を止めることもできるのに、それもおじさんにはバレちゃってるんだよなぁ」

「自分の戦闘能力を完全に捨てて、全部メアに任せた上でサポートしかしない・・・言葉にすると情けない感じだけど、あの戦い方があの2人にとって一番効率的ってことだよね」

「だったら僕たちも、ぴったりの戦い方を見つけなきゃってことだよね。パスを強くするようなやり方をすればいいってことなのかな?」

「いつも手を繋いで戦うとか?でも、片手が塞がってるのはマズいし・・・うん。でもまあ、要は私と久路人の繋がりが強くなればいいってことだよね!!それなら、今日もいっぱい繋がろうね!!久路人!!」

「よくこの流れからそこに持ってくね・・・・・」

 

 以前のヘタレ具合から見違えるほど積極的になった雫に軽く感動しつつ、二度目の下ネタに呆れたような顔する久路人であるが、雫の提案は修行の上でも非常に効率的だ。

 パスは物理的な距離が近いほど効果を増すが、それ以上に心理的な距離の近さの方が大きな影響を持つからだ。

 まあ、雫にとってはそんなことはただの口実であり、単純に久路人とイチャつきたいというのがほとんどであるが。

 むしろ、打算でそういった行為をするような関係ではパスを繋ぐことすらできはしない。

 

「・・・この話合いが終わったら、お風呂行こうか」

 

 当然、すでに極太のパスを繋げている久路人が断るはずもない。

 雫がここまで積極的になれたのは、そういう関係となって『久路人ならば絶対に断らない』という信頼を確固たるものにすることができたからだ。

 それが自身のすべてでわかる久路人の心に、単なる劣情などではない温かなモノが湧き上がっていた。

 そんな久路人に呼応するように、雫は満面の笑みを浮かべる。

 

「うんっ!!じゃあ、さっさと終わらせちゃおうっ!!次々っ!!」

「そんなに急かさなくても・・・それじゃあ、次は魔眼についてだね」

 

 

 ④『魔眼』

 

 

「はっきり言って、魔眼はまだまだ使いこなせてない気がするよ。はっきり覚えてないけど、頑張れば前に使えた『月読』くらいのことはできると思うんだ」

「強い相手には効きづらいけど、それを差し引いても上手く使えてないって感じだよね」

 

 久路人の尋常ならざる集中力と分析力が強化された結果、数秒先の未来を視ることが可能となった『瞬眼』。

 雫の元々持っていた、万物を凍らせる瞳が強化された果てである、時間すら止める眼差しの『零眼』

 どちらも時属性という極めてレアな属性の術を宿した魔眼であるが、久路人も雫も使いこなせているとは言い難い。

 霊力の大きい相手は世界に対する影響力も大きいため、時間・空間系の術で干渉しようとした場合には、その存在を停止させることによって生じる影響を霊力で負担せねばならない。

 よって、強敵相手には効果が薄いのだが、それ以前の問題として魔眼の力に振り回されている感覚があるのだ。

 

「見通せる時間が一秒先だったり、五秒先だったりとかムラがあるし、使った後に反動というか、ギャップが気持ち悪いんだよね。車酔いみたいな・・・」

「私もだよ。止めてられる時間がランダムだし、勝手に発動する時もあるし」

 

 時や空間に干渉する術は基本的にどれも高度である。

 そして、久路人たちの持つ属性が基本五属性に属するのに対し、魔眼に宿った属性は時。

 言うなれば、眼だけが身体から独立した、これまでとはまったく異なる新たな器官になったようなものなのだ。

 

「時間停止の能力が手に入ったと思ったのにこれだもん。あ~あ、せっかく時間停止モノの再現ができると思ったのに」

「・・・それ、時間止められるの僕と雫のどっちなのさ?」

「とりあえず、魔眼はまだまだ訓練がいるね。実戦で使うには不安定すぎるよ」

「いや、雫・・・まあいいや。うん」

 

 久路人のツッコミをさり気なくスルーする雫に、久路人は追撃を仕掛けようとするが、諦めた。

 なんとなく藪蛇になりそうな気がしたのだ。

 

「おじさんが言うには魔眼は『陣』を使えるようになるための練習になるってことだけど、これじゃあ先は長そうだなぁ」

「陣、ねぇ・・・」

 

 陣という単語で、雫はつい昨日の様子を思い出した。

 

「使われてみて思ったけど、やっぱり反則だよ、あんなの」

「反則・・・まあ、おじさんたちの陣は本当にすごかったね。僕たち2人とも龍の姿だったのに、一方的にやられちゃったし」

 

 

⑤『半妖体・龍形態』

 

 

「僕らも半妖体の扱いはだいぶ慣れたし、だからこそ龍の姿で戦ったけどダメだったよね」

「っていうか、龍の姿は使った後怒られたしね。『こんな所でそんなもん使うなって!!』」

「それはそうなんだけど、いざという時使えないんじゃ意味ないしなぁ・・・」

「結局、龍の姿は強いけど、現世だと逃げる時しか使えないってなったけどね」

 

 つい昨日の訓練で、久路人と雫は最大の攻撃力を発揮するために、『龍』の姿になった。

 精密な霊力の扱いを得意とする人間形態、身体能力と霊力操作のバランスがとれた半妖体、そして最も扱える霊力の量が大きく、身体も強大なのが妖怪としての姿である『龍』だ。

 だがその分コントロールが難しく、何気なく放つ霊力だけで付近の結界にダメージを与えてしまう。

 ましてや、最大火力である『ブレス』を撃とうものなら、周辺への被害は月宮家の結界があっても甚大だ。

 だからこそ、京たちは別の世界を構築する陣である、『デウス・エクス・マキナ』の行使に踏み切ったのである。

 その結果、久路人と雫は何もできずにコテンパンにされ、『こんなもん忘却界の中どころか霊地の結界でも使えるわけねーだろ!!できてもいざって時の脱出用だ!!』と説教を受けることとなった。

 もしも再び龍になる時があったとしても、それは自分たちの旗色が悪い時であり、その純然たる人外のスペックのすべてを逃走に費やさねばならない状況である。

 

「陣なんてとんでもない術使う京たちには言われたくないけどね」

「結界の最終系っていうか、別の世界を造る術だしなぁ・・・」

 

 ノートに書かれた内容を一通り見直してから、改めて自分たちの目標である『陣』に話が移る。

 今のところ久路人と雫は陣を習得するために修行をしているが、昨日体験した京とメアが構築した陣がすさまじいシロモノだったからだ。

 

「世界全体を機械に見立てて、取り込んだ相手をパーツとして組み込む」

「パーツになったら、与えられた機能しか果たせなくなる・・・昨日の僕たちは、ただの『的』だった」

 

 京とメアが使用する陣、『デウス・エクス・マキナ』。

 その効果は端的に言うなれば、敵のすべてを暴き、読み込み、解析し、意のままに組み替えるというものだ。

 作り出した世界を機械とし、招いた相手に部品として何らかの役割を与える。

 そして、その役目を押し付けられた相手は、それに絶対に逆らえない。

 久路人と雫はこの能力によって、陣の中でただの『的』にされ、『的は思いっきりぶっ壊されるのが仕事だよなぁ!!』という言葉と共に一方的に攻撃を受けて敗北したという訳である。

 機械を舞台、部品を役者に置き換えれば、その在り方はまさに『機械仕掛けの神の意』。

 設計者にして脚本家である京とメアの設計図(筋書き)通りに、強制的に大団円を迎えさせられることになる。

 あくまで、京とメアにとっての大団円であるが。

 

『神格持ちには、同じ神格持ちしか勝てない。陣も、陣でしか破れない』

 

 それは、修行が始まってから京に教えられた、この世界のルール。

 世界の管理者たる神に近い位にいる者は、基本的に同じ位にいる者でしか勝てない。

 陣の中に閉じ込められたとしても、己の中に確固たる『芯』があれば、『自分の中』という『陣』まで侵されることはなく、逆に押し返すことも不可能ではないという。

 

「「はぁ・・・」」

 

 久路人と雫は、揃ってため息を吐いた。

 今日も振り返りをしてみたが、現状でも一部の属性や術、パスによる強化など、有効打になりそうなものはあれど決定打にはなっていない。

 それは、2人が神格に至っていないからだ。

 恐らく、京たちは今の久路人たちが戦術やら策を弄して自分たちに勝ちにくることは期待していない。

 あくまで、2人が神格に至り、陣を習得して真正面から打ち破りにくるのを待っている。

 しかし、修行が始まってしばらくが経過した今でもその糸口すら掴めていないのだ。

 そもそも、仮に自分たちが同じように神格に届き、陣を使えるようになったとして、あんなものに勝てるようになると言うのか。

 勝てるヴィジョンも見えやしない。

 

「「はぁぁぁ~・・・」」

 

 この2人にしては珍しく、否、あれだけ一歩的にやられてしまえば当然かもしれないが、先行き不安になってしまっているのである。

 京に負けたところで命を取られることはないが、旅団ならばどんな目に遭わされることか。

 これまでも久路人の血を目当てに多くの妖怪と戦ってきたが、旅団幹部ともなれば、あの九尾を上回る激戦になることは間違いない。

 

「「・・・・・」」

 

 自分の命は、自分1人だけのものではない。

 世界で一番、自分自身よりも大事な恋人のものでもある。

 その存在が脅かされるなどあってはならないし、それを考えただけでもいてもたってもいられなくなる。

 けれども、そのために何をすればいいのかもわからなくなってしまっているのだ。

 

「それにしてもさ・・・」

「ん?」

 

 しばらく重い沈黙が続いた後、久路人はポツリと呟いた。

 

「僕たち、よく九尾に勝てたよね」

 

 陣から転じて思い出すのは、あの九尾との戦い。

 京とメアの陣を経験した後だからこそわかるが、陣というのは術者の意のままにできる空間であり、神格を持った存在でもない限り太刀打ちできるものではない。

 だというのに、相性が良かったことや、九尾の慢心、さらには世界の管理者である神の介入による力の暴走があったとはいえ、相手のホームグラウンドである陣に取り込まれた中で勝利したのだ。

 今考えると、奇跡としか言いようがない。

 あの瞬間、久路人は世界のルールに例外を作ったと言えるだろう。

 

「九尾の陣・・・天花乱墜だっけ。う~ん」

 

 しかし、雫は浮かない顔をしていた。

 

「どうかしたの?」

「あ、うん。えっとね、これは京とメアの2人と戦ったから思うんだけど・・・」

 

 雫は、陣について考えている時に気付いたことがある。

 九尾の珠乃、七賢の京とその従者たるメア。

 この3人は皆神格に至っており、陣を使うことができた。

 そして、彼らの使う陣を経験したからこそ感じたこと。

 

「あの九尾の陣、不完全なモノだったんじゃないかなって」

「え?・・・いや、それは僕らに耐性があったからじゃないの?現に、幻術はどうにかできても分身1体と戦うだけでもギリギリだったし」

 

 九尾の珠乃が展開した陣、『天花乱墜』。

 その効果は、幻術と分身の強化。

 中に取り込んだ者に強烈な幻覚を見せる他、自らの分身に本体と同等の力を持たせることができる。

 久路人と雫は幻術に完全に近い耐性を持っていたために、何もわからぬままに一方的に倒されるようなことはなかったが、それでも分身との戦いは厳しいものがあり、弱り切ったところを本体に襲われた際にはほとんど抵抗もできなかった。

 もしも幻術に耐性のない者が取り込まれれば、デウス・エクス・マキナのように何もできずに倒されてしまうだろう。

 久路人としては、天花乱墜もまた凶悪な陣であったという印象である。

 

「ううん。そんなうわべのことだけじゃなくって・・・なんていうのかな?あの陣には、大事な『芯』が欠けてたような気がするの」

 

 しかし、雫にはあの天花乱墜には、京とメアのデウス・エクス・マキナに比べると根本的に何かが足りないように思えていた。

 

「う~ん・・・九尾は1人でおじさんとメアさんは2人がかりだったからとか?」

「それは・・・当たってるけど、全部じゃないと思う。単純に霊力が多いとか少ないとかの問題じゃなくて・・・なんていうか、京たちの陣からは『こうしたいっ!!』っていう意志が伝わってくるんだけど、九尾からはそれがなかったっていうか・・・あ~、もうちょっとで言葉にできそうなんだけど」

「あ~・・・そう言われると分かる気がする」

 

 雫がウンウンと喉に小骨が引っかかったような顔で唸る中、久路人は雫の言いたいことをなんとなく察した。

 京とメアのデウス・エクス・マキナに取り込まれた時、久路人は感じたのだ。

 

 

『バラバラになるまで調べ尽くす』

 

『破片の一つに至るまで、識り尽くす』

 

 

 それは、狂的なほどの欲求。

 『何か』を、原子レベルどころではなく細かな所まで切り分け、解析し、掌握したいという渇望。

 その上で・・・

 

『取り除いてしまいたい』

 

 『何か』の中から、また別の『ナニカ』を排除したいという執念を。

 きっと、取り込んだ者に役割を与えて強制させるなど、その副産物にしか過ぎないのだろう。

 彼らが望んでいるのは、その名の通り、『ご都合主義な結末(デウス・エクス・マキナ)』なのだ。

 それに比べれば、天花乱墜からはそうした渇望のようなものは感じられなかった。

 効果にしても、凶悪ではあれど元々術者が持っている能力の強化にとどまるなど、地味と言えば地味である。

 

「おじさんとメアさんが具体的に何をしたいのかまでは分らなかったけど、2人がどんなことを望んでいるかってことは何となくわかったもんなぁ・・・おじさんとメアさんだからこその陣っていうか」

「あ!!それだっ!!」

「え?」

 

 雫は、『あっ!!』と声を上げた。

 

「それだよ、それ!!あの天花乱墜は、京とメアみたいに『2人』で使う陣なんだよ!!術者が足りてないからなんだ!!」

「それってさっき僕が言ったけど、単に2人がかりって意味・・・じゃないよね?」

「うん!!・・・あ、そう言えば久路人には言ってなかったっけ。あのね、あの九尾には・・・」

 

 そこで、雫は久路人に九尾の最期について話した。

 九尾が、誰かと共に人生を歩いていたかったことを。

 自分にとっての久路人のような、大事な男がいたのであろうことを。

 そのことを知っていたからこそ、雫は違和感を覚えたのだ。

 京とメアからは2人の執念が伝わってくるのに、九尾にも大事な片割れがいたというのに、その想いが伝わってこないのはおかしいと。

 そして、話を聞き終わった久路人はなんとも言えない表情になった。

 

「あの九尾に、そんな人が・・・」

「うん。死ぬ前にうわごとみたいに呟いてたから、嘘じゃないはずだよ。多分、私たちみたいにパスを繋ぎきる前に死に別れたんだと思う。それできっとあの陣は、その人間と一緒に使って完成するモノじゃないかなって」

 

 久路人にとってあの九尾は、突然襲い掛かって雫を傷つけた上に、自分に呪いの言葉を植え付けてくれた憎き敵である。

 あの呪いのせいで、雫と結ばれるまで随分と遠回りをしてしまった。

 しかし、遠回りをしたからこそ、今ぐらいに深い深い絆を雫と結ぶことができたとも思っているし、そもそも雫が自身を人外化させるきっかけを作ってくれた存在であるとも言える。

 そういう意味では、感謝している部分もなくはない。

 その上で雫の話を聞くと、どうにも形容しがたい感情が胸に浮かんでくる。

 それが同情なのか、あるいは『自分が九尾の立場であったら』という共感なのかはわからなかった。

 けれども・・・

 

「・・・・・」

「久路人?」

 

 久路人は、雫の方を見た。

 なんとなく、雫の顔をよく見て見たくなったのだ。

 雫は小首をかしげながらも、視線を合わせてくる。

 

「いや、僕は運がいいなって。僕は、こうやってちゃんと雫と一緒にいられるからさ」

「・・・うん。私も、同じことを考えたよ」

 

 九尾とその片割れは、添い遂げることができなかった。

 九尾は独り取り残され、現世を彷徨うことになった。

 愛する者のいない世界で生き続けるなど、自分には、否、自分たちには不可能だ。

 もしも九尾と同じ立ち位置であったとしたら、パスが繋がっていなくても、自分たちのどちらかが死ねばもう片方も後を追うか、壊れてしまうに違いない。

 あの九尾も、そうして壊れていたのかもしれない。

 片割れとパスが完全に繋がってはいなくとも、心を通じ合わせていたのならば。

 それを考えれば、文字通り生死を共にする仲にまでたどり着けた自分たちは、なんと幸運なことであるか。

 九尾が完全に朽ち果てる直前に、雫も同じように思ったものだ。

 『自分たちは運が良かっただけだった』のだと。

 しかし、これから先はどうなるか分からない。

 自分たちには未だ、お互いを守り抜けるだけの力が足りていないのだから。

 

「・・・世界に変容を望む意志」

 

 久路人はその言葉を思い返す。

 

「陣を使えるようになる条件だっけ?」

「うん。おじさんが言ってた。今の僕たちに必要なのは、作戦とか技とかじゃなくて、それなんだと思う」

「・・・私もそう思う。そうだよ、さっき九尾のことを考えててわかった。私たちも、京とメアみたいに、2人一緒の願いを持ってなきゃいけないんだって」

 

 久路人と雫は、なまじ1人で陣を使っていた九尾と戦っていたために、陣とは自分だけの意志で構築するモノだと考えていた。

 しかし今までの話から、必ずしもそうではないと気づいた。

 月宮久路人と水無月雫の2人は、今や限りなく同じに近い存在だ。

 ならば、抱える願いも、その願いを元に造られる陣も、同じモノになるに違いない。

 肉体、精神、魂の三つで結びつき、今の姿に至った時のように。

 

「とは言ってもな・・・」

 

 はっきり言ってしまうと、今の久路人に大それた願いなどない。

 いや、自分と雫の平穏を壊そうとする敵がいるというのなら、考えたくもないことであるが雫に手を出すような不届き者がいるのならば、そいつらを跡形もなく粉微塵にしてやりたいという想いはある。

 しかし、世界を変えてやろうなどというようなスケールの大きいものではない。

 久路人は、今の生活に満足してしまっているのだ。

 ずっと好きだった女の子と晴れて結ばれて、同じモノになった。

 そしてこれからもずっと、共に永遠を歩いていけるのだから。

 

「・・・・・」

「雫?」

 

 ふと、反応がないと思った久路人が雫を見ると、雫は顎に手を当てて何事かを考え込んでいた。

 そして、小さく口に出す。

 

「世界に願う、世界を変える、か・・・」

 

 小さな声だったと言うのに、なぜかその台詞は響いて聞こえた。

 

「ねぇ、久路人」

 

 雫は、やけにゆっくりと首を動かして、もう一度久路人を見た。

 

「久路人には本当に、世界を変えたいって願いはない?」

「え?」

 

 いつの間にか、雫の紅い瞳はドロリと粘りを帯びて濁っていた。

 その唇はニィと三日月のように釣り上がり、笑みを作っている。

 そのまま雫は呆然とする久路人のすぐそばまでにじり寄ってきたが・・・

 

「なんてね」

 

 すぐにパッと距離を取ると、今度は晴れやかな、柔らかい笑みを浮かべる。

 

「今日ももう遅いし、今はこれくらいにしない?明日もまた修行があるんだしさ。ね?お風呂入ろうよ」

「え?遅いって言ってもまだ・・・ああいや、そうか。うん」

 

 突然の雫の変化に面くらいながらも、久路人は時計を確認するが、針は午後の九時を指している。 

 まだ宵の口といったところではあるが、直後に雫の言いたいことを察した。

 ついさっきに、久路人は雫と絆を深める約束をしたばかりなのだ。

 

「まあ、見直したいことは確認したし、願いにしたって、今ここで考えてわかるものではないだろうしね・・・」

「うんうん!!早く行こうよっ!!」

 

 話の流れを無理矢理切ったような感覚がしなくもないが、夜のお楽しみを心待ちにしている雫ならばそう不思議な行動でもない。

 よっこらせと立ち上がる久路人の腕を、雫はギュッと抱き寄せた。

 薄くとも柔らかな感触に腕が包まれ、久路人の中に麻薬のような多幸感が満ちる。

 

「じゃあ、今日もしっかり洗ってあげるね!!口とか〇〇〇〇とか×××使って!!」

「・・・ベッドに行く前に風呂場で寝ないようにしないとね。前はそれで起きた時に体が痛かったし」

「いざとなったらウォーターベッド作るから大丈夫だよ」

 

 少々公衆の面前では言えないような単語を交わしながらも、久路人と雫は歩き出す。

 毎度毎度理由は少々異なるが、この作戦会議が終わった後は大体似たような感じになる。

 今晩もまた、いつもと変わらぬ日常通りに過ぎていくのだった。

 

 

-----

 

(多分、もうすぐ私たちは神格に届く)

 

 風呂場までの短い距離を歩く中、久路人の腕を描き抱きながら、雫は胸中で呟いた。

 その中身は、半ば確信に近いモノ。

 雫には、京たちの言っていた自身に眠る『世界に変容を望む意志』というものが、朧げであるが分かったからだ。

 

(九尾・・・欲望、執念、執着)

 

 それは、先ほどまでの会話を交わす最中に見えてきたものだ。

 片割れを失いながらも生き続けた狐の話。

 あの狐と戦った時のことを思い出すたびに、胸に蘇るかつての気持ち。

 それが、雫にとっての道しるべとなった。

 残念ながら、久路人は気が付けなかったようだが・・・

 

(まあ、そこはしょうがないかな?そういう経験は、私に比べたらずっと足りてないだろうし・・・でも)

 

 雫には分かる。

 久路人と雫はほとんど同じモノだ。

 肉体の強さも、魂の質も、何より心の在り方が。

 久路人の中にも、自分と同じ想いが埋まっていることが。

 日々の暮らしの中でも、その片鱗は見えているのだから。

 ならば、何も心配はいらない。

 むしろ、楽しみですらある。

 

(久路人は、いつ気付くかな?私の口から言うのはつまらないし。独占欲ムラムラな久路人は、見てていろんなところがキュンキュンするけど、わざと・・・なんて絶対に嫌だし。でも、久路人が気付いたら、その時には・・・フフフっ!!)

「雫?」

 

 そこで久路人は、雫の顔を見た。

 雫が腕を抱く力が、少し強くなったような気がしたのだ。

 

「なんでもないよっ♪」

「?そう?」

 

 やけに機嫌が良さそうな雫を不思議に思いながらも、久路人は脱衣所の扉に手をかける。

 離れは母屋ほど広くはない。

 ゴールになど、あっという間にたどり着いてしまった。

 

「よしっ!!じゃあ、久路人っ!!脱ぎ脱ぎしよっか!!下着は私が預かるから!!」

「・・・いや、洗濯機が目の前にあるんだからそこに入れようよ。それに、下着じゃなくて、その・・・本体の僕がいるんだから取っておく必要はないでしょ」

「え?何?もしかして久路人、自分の下着に嫉妬してたりする?」

「・・・まあ、僕の目の前で、顔を埋めながら思いっきり匂い嗅いでる所見るとモヤっとするのは確かだよ」

「ふ~ん、そうなんだ・・・なら、今日は止めとくよ。それにしても、久路人って本当に独占欲強いっていうか、嫉妬深いよね。私よりすごいんじゃない?」

「さすがに雫より上っていうのは・・・同じくらいでしょ?」

「ふふふっ!!そうだね。私と久路人は、同じくらいだよね!!ふふっ!!」

「?・・・っ!!」

 

 先ほどからやたらとハイテンションな雫に疑問符を浮かべる久路人だが、雫が自身の着物に手をかけ、下着を脱ぎ始めたところでそんな疑問など吹き飛んだ。

 ギン眼になって、恋人のあられもない姿を脳内に焼き付ける作業に集中する。

 そんな久路人の刺すような視線を心地よく感じながら、雫は思う。

 

(もしも、もしも久路人も気が付いたら・・・その時は)

 

 今再び、瞳の中と笑みに湿った熱と粘り気を持たせつつ、続ける。

 

(私の、本当の理想が叶うかもしれない)

 

 その歪んだ表情と心の中の独白は、浴槽から漂う湯気に紛れて消えていくのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白流守備隊合格試験

「チッ!!なんなんだ、ここは・・・!!」

 

 夜の白流の街。

 人気の少ない裏道を、一つの影が走っていた。

 影の大きさは成人男性程度であるが、その速さは並外れており、まるで猿のように前かがみになって、四つ足で駆ける。

 大きさに反して体重が重いのか、影が通ったアスファルトの上には、めり込んだような跡が残っていた。

 

「オラァ!!」

 

 途中、影が苛立ったように付近の塀に拳を打ち込んだが、ただの石コンクリートでできているはずの塀はびくともしない。

 

「チッ、結界か?罠のつもりか?」

 

 影の通る道には結界が張られているようで、無理やり道筋を外れることはできなかった。

 何もないように見える場所にも結界があり、影が進むことができるのは一本の道だけだ。

 

「ムカつくぜ・・・人間ごときが」

 

 やがて影は街中にある、木々の生い茂った公園にたどり着いた。

 入口を通過すると、すぐ目の前には川が流れており、橋が架かっている。

 公園は丸ごと結界で覆われているようだが、橋も含めて中にはこれといった細工のようなものはない。

 そうして、影が橋の前にまでやって来た瞬間だった。

 

『タ、ターゲットが入った!!比呂実!!」

『う、うん!!結界閉じます!!2人とも気を付けて!!』

「ああ?」

 

 どこからか、女の声が聞こえたかと思えば、通ってきた道路へと繋がる入口に半透明の壁が出現した。

 

「また結界・・・ここは檻だってか?舐めやがって」

 

 影の機嫌はますます悪化する。

 確かにこの結界は頑丈だ。

 しかし、それでいつまでも自分を閉じ込めておけると思っているのか。

 こんな結界が長持ちするはずもない。

 結界が消えるまでに自分をどうにかできなければ術者側の負けだ。

 つまり、敵は自分をすぐに倒せると思い込んでいるということ。

 それは・・・

 

「ふざけんじゃねぇぞ!!人間がぁっ!!」

 

 影にとって、否、常世に住まう大妖怪にとって侮辱以外の何物でもなかった。

 刹那、影の形が大きく膨れ上がった。

 成人男性並みだった体躯はおよそ2倍の高さまで伸び、横幅も広がった。

 公園の街灯に照らされたその姿は猿によく似ており、全身を剛毛に覆われ、腕は丸太のように太い。

 

「フゥーッ!!フゥーッ!!」

 

 大妖怪『狒々』

 それが、影の正体だった。

 

「どこにいやがる人間どもが・・・ぶん殴ってから食い殺してやるよ」

 

 そうして、狒々が目の前にある橋を渡りきった瞬間だった。

 

「影刃」

「ぐおっ!?」

 

 背後から何かが飛んできて、頬に傷を残した。

 狒々が振り返るも、背後には何もいない。

 

「人間ごときがっ!!俺様の毛皮に傷をつけやがって!!」

 

 人間風情に傷をつけられたことがプライドに障ったのか、狒々は毛むくじゃらの顔を歪めて怒りに吠える。

 そのまま攻撃が飛んできた方に駆けだそうとした時だ。

 

 

--ガキン!!

 

 

「ああっ!?」

 

 狒々の足に、何かが食い込んでいた。

 

「こいつは、人間の使う罠か?こんなもんで・・・」

 

 狒々に食らいついていたのはトラバサミだ。

 しかし、今いる場所はさっきも通ったはず。

 ならばなぜ、その時は発動しなかったのか。

 

「影閃!!」

「痛ぇなっ!!」

 

 頭によぎった疑問について考えていた間に、またしても背後から攻撃。

 今度は背中をザックリと斬られていた。

 トラバサミを怪力で無理やり抜け出して振り返った時には、またしても下手人の姿は消えていた。

 

「さっきからチマチマと・・・うぜぇんだよ!!だが・・・」

 

 狒々は頭に血が上りやすい性格だが、馬鹿ではない。

 二回とはいえ、攻撃を喰らったことで敵についておおよその特性を掴んだ。

 

(姿はほぼ見えねぇ上に、速い。霊力はそこそこってところだが、力は大したことがない)

 

 狒々が顔をなぞった時、そこにあった傷口はすでに癒えていた。

 背中の傷も、すでに血は止まり、ほぼ塞がりかけている。

 狒々の剛毛は硬く、並大抵の刃を通すものではない。

 それを突破できたことは人間にとって快挙と言っていいが、有効打には程遠い。

 

(数が何人いるか知らねぇが、この程度なら一晩中喰らおうが俺は倒せねぇ。どう考えても、人間どもがへばる方が先だ)

 

 高位の妖怪は、人間の霊能者を大きく上回る身体能力を持ち、治癒能力やタフネスもすさまじい。

 人間であるならば首の動脈を斬られたり、背中を思いっきり斬られれば致命的だが、大妖怪はその程度では止まらない。

 ひるがえって、狒々に襲い掛かって来ている敵は間違いなく人間であり、身体強化を使おうがいつまでも戦いを続けられるというわけではない。

 傷を負えば即座に癒すことは難しく、霊力も狒々に比べれば少ない。

 ならば、持久戦になれば大妖怪である狒々に大いに分があった。

 

(せいぜい粋がってろ。ばてたらすぐには殺さねぇ。手足引きちぎってから、一本ずつ食ってやるよ)

 

 しばし、狒々と影たちの戦いは続く。

 狒々の大木のような腕が縦横無尽に振るわれるが、影を捕らえることはできない。

 むしろ、腕の隙間を縫って届いた刃が狒々に次々と傷を増やしていく。

 だが、絶え間なく背後や真横から襲い掛かって来る影の刃を受けながらも、狒々に大して堪えた様子はない。

 

「はっ!!無駄なんだよ人間が!!いくら俺を切りつけようが・・・」

『・・・野間瑠君、首の背中側を狙ってください!!』

「わかった。影刃!!」

「がっ!?」

 

 微かに女の声が聞こえたと思った直後、狒々の首に刃が突き刺さった。

 それはこれまで通り、浅い傷しか残せなかったが・・・

 

『やっぱり!!あの猿、首の近くに霊力が集まってます!!』

 

 狒々の首の傷は、塞がる気配を見せなかった。

 正確には、少しずつ流れる血の量は減っている。

 しかし、それは他の箇所の傷に比べれば微々たるものだ。

 刃が刺さった個所は、狒々の体内を流れる霊力の主要な通り道。

 人間の血管で言うのなら、頸動脈に当たる、狒々の急所であった。

 

『毛部君は、足を狙って隙を作ってください!!高い位置にあるから、攻撃は野間瑠君に任せます!!』

「「了解!!」」

 

 弱点を見破った後の人間たちの行動は素早かった。

 これまでヒットアンドアウェイで斬りつけてきた影が狒々の近くで動き回って貼りつき、それで生じた隙に遠くから矢のように飛んできた刃が首を狙う。

 これには、さすがの狒々も防御を固めざるを得なかった。

 

「こ、このクソ人間どもっ!!」

 

 首筋を両手で包みながら蹴りを放って影を攻撃するも、素早く動く影には当たらない。

 

「二連影閃!!」

「チィッ!!」

 

 それどころか、両手に刃を持った影に軸足を斬りつけられる始末。

 しかし、急所以外の傷はすぐに癒されてしまい、ダメージになっていない。

 こうなってしまえば、千日手であった。

 そして・・・

 

「オラァッ!!」

「っ!?」

 

 影が狒々の足を斬りつけた瞬間、肉に食い込んだ刃が抜けなくなった。

 狒々が全身に力を籠め、筋肉を締め上げたのだ。

 影はとっさに刃を全力で抜こうとしたが、疲労が蓄積し始めた状態では時間が足りなかった。

 大妖怪と人間のスタミナの差が表れ始めたのだ。

 そもそも、力の強い妖怪と戦うことそのものが人間の精神に多大な疲労を与える。

 狒々も知らないことだが、2人の影は大物と戦うのはこれが初めてであり、こんな状況で一切ブレずに戦えるのはどこぞの妖怪を恐れないキチガイくらいのものである。

 

「死ねぇっ!!」

 

 狒々はそのわずかな間のみ、腕を外して足元の影に拳を振り下ろそうとする。

 刃を引き抜くことに意識を裂いていた影に、その一撃は避けられない。

 

『や、山坊!!アレ使って!!』

「了解ッス!!」

「ぐおっ!?め、目がっ!?」

 

 しかし、そうはならなかった。

 高く上げられた拳が振り下ろされる直前、狒々の顔の前を素早く何かが通り過ぎた。

 何かが手に持った袋から玉のようなモノが飛び出して狒々の顔に当たり、煙が濛々と立ち込める。

 その煙に怯んだ狒々が攻撃を中断した刹那、足元にいた影は刃を回収して離脱していた。

 

『毛部君!!だいぶ疲れてるみたいだから回復して!!ミィちゃん!!薬持ってきて!!』

『野間瑠君はその間に首を攻撃して時間を稼いでください!!』

「これでも喰らえッス!!」

「ミスター毛部!!これを!!」

「悪い!!助かる!!」

「これ手元に戻ってくるんだから回収する必要ないだろ!!影刃!!って、ああっ!?」

「うおっ!?オイラに当たるところだったッス!!」

「悪い!!ごめん山坊!!」

「このクソどもがぁぁあああああっ!!」

 

 指示が重なり、公園の中をいくつもの影が行き交う。

 口に巾着袋を咥えた猫が影の1人に袋の中身を渡し、飲み薬の入った瓶を取り出した影は一気に中身を呷る。

 その間にも空を飛ぶ鳥のような生き物が、狒々の周りを遠巻きにグルグルと回りながら煙玉を投擲して狒々を足止めし、もう1人の影が煙を見透かすように投擲をする。

 

「こ、このっ!!いい加減にしやがれぇぇええええええっ!!」

『っ!?霊力が高まった!?全員下がってくださいっ!!」

 

 だがここで、これまで散々手玉に取られてきた狒々の怒りが爆発した。

 その怒りが狒々の霊力を昂らせ、術を発現させる。

 辺りに立ち込めていた煙が、一瞬で吹き飛ばされた。

 

「まさか、人間とカス雑魚妖怪程度に使うことになるとは思わなかったぜぇ・・・」

 

 狒々は猿に似た妖怪であり、主にその身体能力を生かした物理攻撃を行う。

 しかし、追い詰められた時には、その身に込められた風属性の霊力を解き放ち、大竜巻を起こす。

 今も狒々の周りには風が渦巻き、周囲の木の枝や石が巻き上げられて嵐となっていた。

 弱点である首には特に勢いの強い風が固まっており、投擲で突破することはできそうになかった。

 

「コイツを使うのは強ぇヤツだけと決めていたが・・・もういい。これでグシャグシャのひき肉にしてやるよ!!」

 

 狒々が腕を全力で横凪に振るった瞬間、暴風が辺りに吹き荒れた。

 アスファルトがめくり上げられ、人の頭ほどもある瓦礫が四方八方に飛び散る。

 人間と下級の妖怪にとっては致命的な威力であり、攻撃するどころか、回避さえおぼつかなくなるだろう。

 狒々は嗜虐的な笑みを浮かべ、恐怖に染まった連中の様子を楽しもうとしたが・・・

 

『みんな!!『鱗』を使って!!』

 

 またも女の声が小さく響くと同時に、吹き荒れていた風に変化が起きた。

 公園の至る所を荒らしまわるような流れが変わり、影たちのいる場所を避けるように曲がり出す。

 影たちは皆、薄い膜のようなモノに包まれており、それが風を遮っているのだ。

 

「なっ!?なんだそりゃ!?」

 

 狒々は驚きの声を上げた。

 それは、自身の切り札を無効化されたこともそうだが、それ以上に影たちから立ち上る霊力の質に対してだ。

 

(ありえねぇっ!!本能でわかる!!あの霊力はヤバい!!)

 

 狒々は常世で生き抜いてきた大妖怪。

 本来、現世には大穴を通る以外にくる方法はない。

 そんな狒々から見て、今の影たちが展開している膜の大本は、自身よりも遥かに高位の化物だ。

 

『・・・よしっ!!皆、三郎の準備が終わったわ!!山坊とミィは下がって!!』

「わかったッス!!」

「了解デス!!」

 

 鳥のような妖怪と、猫モドキが走り去っていく。

 その直後。

 

(っ!?今度はなんだっ!?冷てぇ!?)

 

 狒々の身体を、すさまじい悪寒が襲った。

 まるで空気が凍り付いたような冷たさ。

 思わず腕で体を抱え込んでしまうほどだ。

 気が付けば、身体に纏っていた風も弱まり始めている。

 

『トラップ使うわ!!三郎も合わせて!!』

「へい!!」

「ちっ!!またかよっ!!」

 

 狒々の足元に、再びトラバサミが食らいつく。

 狒々の力ならば簡単に抜け出せるが、それでも数秒の時間がかかる。

 そして、その数秒ですべてが決した。

 

「いきますぜ!!『龍泉』発動!!」

「ぐおおおっ!?」

 

 橋の下から聞こえた声とともに狒々を襲ったのは、これまでとは比べ物にならないほどの悪寒。

 足元から全身にビリビリと雷が落ちたかのような痛みと凍るような寒さが駆け巡る。

 痛みの発生源となった地面を見てみれば、いつの間にかバチバチと火花を立てながら地下水が湧き出しており、狒々を中心とした円が描かれ、その中に不気味な霊力が立ち込めていた。

 

(これはっ・・・!!毒かっ!?だが、ここまでヤバい毒なんぞ、人間ごときに用意できるはずが)

 

 狒々は全身を襲う痛みに呻きながらも、その正体を探る。

 毒だということまでは理解できたが、そこから先はまったく分からない。

 大妖怪たる狒々を行動不能に陥らせるほどの猛毒など、人間に作れるものではない。

 だが、現実として今の狒々は毒に侵されている。

 

(やべぇ・・・逃げねぇと!!くそっ!!最初から逃げておけば・・・)

 

 毒の散布そのものは数秒の間だけだった。

 それでも、狒々に蓄積したダメージは相当のモノ。

 毒で腐り果てたのか、トラバサミは消えており、今の狒々を縛る枷はなかったが、狒々の動きは遅々としたものだった。

 その頭をよぎるのは、後悔。

 相手が人間レベルの雑魚しかいないと侮り、切り札を伏せていることに気が付かなかった己の判断への呪い。

 しかし、その後悔すら、すぐに消え去ることになる。

 

「影雨!!」

「影嵐!!」

 

 動きの鈍った狒々など、影にとっては的でしかなかった。

 土砂降りのように降り注いだ刃の雨と、一拍置いて暴れ狂う斬撃の嵐。

 首の背中側にはハリネズミのように刃が突き刺さり、喉元はスッパリと切り裂かれていた。

 

「ぐ・・・が、あぁ・・・」

 

 そうして、小さくうめき声を上げながら、大妖怪狒々は現世の公園で果てたのだった。

 

 

-----

 

「ふぅ~・・・」

「勝った、のか・・・?」

 

 狒々が倒れた後、影たち、毛部と野間瑠は手にしたナイフでツンツンと狒々の死骸を突いていた。

 全身が疲れ切っていたが、普段から厳しく言い聞かされていたのだ。

 

 

--いいか。人外ってのは生き汚い。殺したと思っても油断すんな。

 

 

「・・・動き、完全に止まってるよな?」

「ああ。首とかズタズタだし・・・」

『えっと・・・私から見ても、もう死んでると思いますよ?』

『あたしもそう思うわ。っていうか、それでまだ生きてるならあたしたちだけじゃどうにもなんないって』

 

 先ほどまで狒々の情報や味方のコンディションを確認していた物部姉妹も加わり、狒々の状態を入念にチェックし・・・その結果、間違いなく倒したと判断する。

 その直後。

 

『よくやった、お前ら。テストは合格だ』

『少々危ない場面もありましたが・・・無事、倒せましたね』

 

 男と女の声が木霊した。

 

「すごいよ!!みんな!!大妖怪を倒しちゃうなんて!!」

「・・・現世に来る前の妾より、やや劣る程度か。よく怯えずに最後まで指示をだしたな。比呂奈、比呂実」

 

 そして、それまで誰もいなかったはずの茂みから、2人の人影が現れる。

 新しく現れた者たちは皆、その場にいた毛部たちを褒めた。

 声の主は、京、メア、久路人、雫である。

 京とメアの2人は、物部姉妹がいる月宮家の母屋からの通話であったが。

 

『お前らにも話したが、近々いろいろと物騒な状況になるかもしれねぇからな。最悪、俺たちが白流を出ることもあるかもしれねぇ。そんな時、お前らが戦えるなら心強い』

『忘却界の中に行かなければならないことも考えられます。純粋な人間であるあなた方なら、そんな場合でも対応ができる。大穴クラスの妖怪を倒せるのならば当面の問題はないでしょう』

 

 先ほどまでの狒々との戦いは、京の言うようにテストだ。

 じきに起きると思われる旅団との戦い。

 激戦となれば、七賢の京どころか、久路人たちまで現場に向かわなくてはならない状況も充分に考えられる。

 そんな時に備え、白流の守備兵力を鍛える意味で毛部と野間瑠をはじめとして、常世から逃げてきた烏天狗の山坊、猫又のミィ、河童の三郎のような弱小妖怪には戦闘訓練を施していた。

 戦闘には向いていなくとも、感知能力に優れた才能のあった物部姉妹には術具の扱いを教え、月宮家から指示を出す司令塔として鍛えた。

 そうして、その集大成のテストとして、常世から大穴を通らなければ出てこれないような大物を例外的に連れてきての討伐を行わせたというわけである。

 その結果は、見事合格。

 突出した個の武力はなくとも、種族を超えた集団での連携によって、1人の犠牲者も出さずに狒々を討伐してみせた。

 

「いやあ・・・これだけ色んなサポートがあるからっスよ」

「そうそう。特にこのお守りがなかったら、あんなに動けなかったと思います」

 

 もちろん、京としても実戦形式のテストとはいえ安全面はしっかりと取っている。

 毛部と野間瑠、そして妖怪たちが持っている護符が最たるものだろう。

 

 

『身代わりノ符』

 

 白流の結界の中という条件付きで、致命傷を受けた時に一度だけそのダメージを肩代わりする護符。

 ただし、大妖怪クラスの存在が持っていても効果はない。

 

「一回ならやられても大丈夫っていうのあったけど、防御とか回復用のアイテムがあるっていうのもデカいよな。飲んだら疲れが吹き飛んだし」

「術技を何回も使ったら、すぐに霊力が空になるもんな。あの薬があればそこも心配いらないし・・・って、何っ!?寒いっ!?」

「・・・チッ!!」

『し、雫さん!?』

『どうしたんですか!?すごい瘴気出てますよ!?』

「あはは・・・僕からするとちょっと複雑かな」

 

 戦闘の最中、暴風を防いだ膜や毛部が飲んでいた飲み薬。

 あれも、毛部たちが戦う上で頼みの綱にしていたアイテムだ。

 なぜだか、久路人は苦笑いをし、雫の機嫌が一気に不機嫌になったが。

 

 

『龍の鱗』

 

 久路人の龍形態から剥がれた鱗を加工した術具。

 雷、土、風、毒、精神干渉への耐性が大きく上がる他、火、水にも多少強くなる。

 

 

『龍の霊薬』

 

 霊地に生える霊草を原料にした飲み薬に、久路人の血の希釈液を混ぜたモノ。

 久路人の『薬』の効果により、飲んだ者の体力や疲労、霊力を大幅に回復させる。

 ちなみに、味はオレンジジュースと変わらない。

 

「貴様ら、今回は見逃してやるが、次にあの薬を飲むようなことになってみろ・・・生まれたことを後悔するぐらいの訓練で、二度と負けないくらい鍛え上げてやる。あの薬を飲む必要がなくなるくらいにな」

「「ヒッ!?」」

 

 久路人や雫は超高位の人外であり、その素材は強力な術具になる。

 特に久路人の『薬』の霊力は人間にも無害で、回復や強化の効果を持った術具を作る際には最適の素材だ。

 それ故、毛部と野間瑠は久路人に由来する術具をいくつか持っている。

 それが雫にとってはいたく気に入らないらしい。

 頭ではそれが有用だとは分かっているが、とにかく気に入らないのである。

 特に、久路人の血が混じった『龍の霊薬』については。

 そして、精神衛生上、毛部と野間瑠は薬の正体について詳しく教えられていない。

 さすがに、薄められているとはいえ友人の血が混じった飲み物だと聞かされれば、多少は飲むのに躊躇したかもしれない。

 

『さすがは雫さんの瘴気・・・普段抑えてたって言うのは本当だったんですね』

『最後に使った罠とかチートじみてたもの。ほとんどアレが決め手になってたし』

 

 

『龍泉』

 

 雫の瘴気を久路人の霊力でコーティングした発煙筒型のトラップ。

 その危険性ゆえにマニュアル操作で起動させる必要がある。

 雫の瘴気に由来するため、水に親和性があり、水をかけることで遠隔爆破も可能。

 その効果は強烈で、中級以下なら即死。大物妖怪であってもしばらく行動不能になる。

 

「あのトラップ、俺たち結構離れてたのに、それでもヤバいって思ったもんな」

「月宮君、本当によく水無月さんと付き合えるというか・・・もう一生水無月さんの傍で抑えててほしいよ」

 

 雫の説教から解放された2人は、寒気をこらえながら、狒々を弱らせた毒を思い出す。

 久路人が薬ならば、雫は毒。

 敵への攻撃用の術具ならば雫由来の素材の方が向いている。

 ただし、人間が扱うには危険すぎるため、久路人の霊力でコーティングしなければ携帯はできない。

 今回、狒々に大きな隙を作るために使われた『龍泉』は雫の瘴気を詰めた爆弾であり、毛部と野間瑠、白流警備隊にとっての最大火力である。

 また、他にも山坊が投げていた煙玉や、比呂奈が遠隔で捜査していたトラバサミにも雫の毒気がわずかに含まれている。

 あちらは取り回しの良さを重視したために、久路人の霊力の割合の方がかなり多いのだが。

 

『おいお前ら、喋るのはその辺にして撤収しろ。後片付けは俺らがやっとくから』

『妖怪の解体は、さすがに私たちが担当しますので。皆さまはお戻りを。久路人様、雫様、我々が到着するまでその場で監視をお願いします』

「あっ、はい。わかりました」

「うむ」

 

 それからしばらくの間、気分の高揚していた面々は会話に興じていたが、京の一声で解散となった。

 

『とりあえず、今日はご苦労さん。テストとはいえ大物を倒したんだ。お前ら、ボーナスは期待しとけ』

「マジですか!!」

「普通でも20万もらえるんだから・・・みんなで倒したとはいえ、どれくらいもらえるんだろ」

『よっしゃ!!怖いの我慢して付き合った価値があったわ!!』

『ね、姉さん・・・』

「オイラ、新しい錫杖が欲しいッス!!」

「ミーは、服と帽子が欲しいデスね。オシャレに終わりはないのデス」

「あっしは、新しくキュウリ畑を広げる土地とハウスを融通していただければ・・・」

 

 そうして、久路人と雫をその場に残し、狒々を討った者たちは家路についたのだった。

 

 

-----

 

 

「本当に、強くなったな・・・」

 

 人気の消えた公園の中。

 狒々の死骸を見ながら、久路人は静かに呟いた。

 それは、久路人の本心だった。

 その言葉には、毛部や野間瑠、物部姉妹に白流警備隊への称賛の念が込められている。

 しかし、雫は気付いた。

 

「本当に、みんな強くなってるよ・・・」

「久路人・・・そうだね」

 

 久路人の様子は、一見して普段と変わりない。

 だが、その言葉に混ざるのが、プラスの感情だけでないと。

 それを示すように、久路人の拳はきつく握りしめられていた。

 

(みんなは、成長してるのに・・・)

 

 毛部と野間瑠たちは、大物を倒して見せた。

 久路人や雫からすれば一撃で終わるような相手だが、人間が相手取るには大きすぎる敵。

 それを倒せたのは、皆の努力があってこそ。

 彼らの頑張りが嘘偽りでなかったために、しっかりとした成果を見せたのだ。

 

(それに引き換え、僕は・・・)

 

 一方で、久路人と雫の訓練は、頭打ちとなっていた。

 一向に神格に至る気配はなく、陣が使えるようになる気配もない。

 京とメアにも勝てず、敗北ばかりが積み重なる。

 

(情けない・・・本当に、情けないよ)

 

 心の内で、久路人は独り言ちる。

 その胸の内は、焦りと不甲斐なさに満ちていた。

 

「・・・・・」

 

 そんな久路人の内面に気付いていながらも、雫は何も言わなかった。

 

(今の久路人に、下手な慰めは逆効果っぽいね・・・)

 

 久路人は、とても真面目な性格をしている。

 だからこそ、自分の不甲斐なさが許せず、焦りを覚えているのだ。

 そんな久路人に、現状を許すかのような慰めは受け入れられないだろう。

 一時は持ち直しても、根本的なところが変わらなければ今の久路人はこのままだ。

 それが、雫には手に取るように分かっているのだ。

 だからといって、雫が何もしないということはありえないが。

 

<・・・メア?>

<・・・なんでしょう?わざわざプライベート回線とは。猥談ですか?>

<お前と一緒にするな!!そんな用事のはずがなかろう!!>

 

 雫は、こっそりとメアと念話を始めた。

 この方法ならば、短い間とはいえ久路人にバレる恐れはない。

 

<・・・明日なのだが、一日訓練を休む。構わんか?>

<この時期にわざわざそんなことを言い出すということは、それなりの理由があってのことなのですよね?>

 

 メアは当事者なので当然だが、今の久路人たちの状況を良く知っている。

 今の久路人たちは目標をまるで達成できておらず、無駄に使える時間などない。

 そんなことは雫も充分理解しているはずである。

 

<当然だ。むしろ、現状をどうにかするために休むと言ってもいい>

(・・・訓練でも久路人様には焦りが見られますが、雫様は違う。どうやら、雫様の方は気付き始めているようですね)

 

 だが、雫にも何らかの考えがあってのことようだ。

 そしてメアは、おおよそ雫の思惑を察した。

 それは、京とメアの予想通りでもあったからだ。

 

(気付くのならば、まず雫様の方が先だと思っていましたが、その通りでしたね)

<・・・ならば構いません。京にも伝えておきましょう>

 

 メアは、雫の申し出を受ける。

 京とメアの思惑通りならば、明日の休みは遠回りに見えて、大きなショートカットになるだろう。

 

<助かる。ああ、だがついでに揃えて欲しいモノがある>

<なんでしょう?アダルトグッズですか?>

<だからなんでお前はそっちの方向に行くのだ!!・・・・・だが、まあ、その、よさそうなのがあったら頼む。久路人とのプレイに使いたい>

<ええ~・・・>

 

 メアとしては冗談のつもりだったのだが、マジで食いついてきた雫に若干引いた。

 

<待て!!お前が言い出したことだろう!!お前が引くな!!ええいっ!!話を戻すぞ!!妾が欲しいモノはな・・・>

 

 そんなメアに対して気まずそうにしながらも、『コホン』と一つ咳払いをして・・・

 

<誰の邪魔も入らない、一日だけでも、妾と久路人だけが入れる場所を、見繕ってもらいたい>

 

 雫は、そう言うのだった。

 

 

-----

 

 時はいささか遡る。

 

(ナゼダ・・・ドウして)

 

 暗い、暗い闇の中。

 晴はその暗さが一切気にしていないかのように、己の中に問いかけていた。

 

「まったく!!苦労かけさせてくれたよねっ!!」

 

 己の前には、1人の少女がいた。

 少女の手には、髑髏の取り付けられた杖が握られており、そこから伸びた鎖が、己の穢れ切った肉体を縛り上げていた。

 四肢は砕け散り、尻尾も半分以上が千切れ飛び、頭は地に伏している。

 その二つある首の内、晴の頭を少女は踏みつけていた。

 

「グ・・オォ・・・」

 

 すぐ隣から、うめき声がした。

 

(アア、タマ、ノ・・・)

 

 晴は、ぼやけきった頭で、世界で一番愛している女のことを想う。

 そして、自身に問うのだ。

 

(ナゼ、ナゼ、タマノが、コレホド、苦シマナケレバ、ナラナイ)

 

「ガ、アァァアア・・・・!!!」

「うわっ・・・まだ動けるのお前っ!!いい加減、寝てろってのっ!!」

「グォオオ・・・」

 

 すぐ隣のうめき声に呼応するように、己の中の悔しさと怒りを吐き出すように吠えれば、少女の苛立ちが込められた蹴りが頭を激しく揺さぶった。

 それでも、晴の中にくすぶる想いは一向に消えない。

 

(タマノは、タシかに、ツミをオカした・・・ダガ、コレホドマデの、シウチを、ウけるホドか)

 

 晴。

 彼は、かつて久路人と雫に襲い掛かった九尾、珠乃の夫。

 はるか昔、珠乃と結ばれた後に人間たちに殺され、彼の死が珠乃を復讐に駆り立てることになった。

 そして、死した後も晴の魂は珠乃と共に在った。

 珠乃の所業のすべてを、共に見てきた。

 己の妻が壊れていく様を、まざまざと見せつけられてきた。

 それ故に思うのだ。

 

(オレだけガ、バツをウケるノハ、オレだけデ、イイはずダロウ・・・オレが、オレこそガ・・・)

 

 珠乃が死後もそのすべてを穢されるほどの罪を犯したというのならば、それを背負うのは己であると。

 確かに、珠乃は多くの人間を殺めてきた。

 だが、その発端となったのは晴が助け、救ってきた人間たちであり、殺された己だ。

 晴は、今でも後悔をし続けている。

 

(オレと、デアワナけれバ・・・オレと、ムスバレナければ・・・オレが、アンナ、コトバをノコサなけれバ・・・)

 

 晴は殺された。

 晴を殺したのは、晴が薬師として住んでいた村人だ。

 その村人は、患者を装って晴に近づいてきた。

 人を疑うということをほとんどしない晴は、何も怪しむことはなく、無防備に背中を向け、そこを何の変哲もない包丁で刺された。

 その高すぎる霊力のために体が弱かった晴には、その傷は致命傷となった。

 村人は村にやって来たとある男にそそのかされていたのだ。

 のちに珠乃が調べた結果、その男は晴の一族だったのだが、男はこう言ったらしい。

 

『あの男は妖怪に誑かされている。おかしいとは思わないか?なぜ君たちはそんなに痩せているのに、あの男と妻は元気なのか』

 

 当時、妖怪や人間同士の戦で荒んでいた村人は、あっさりとその言葉に釣られた。

 

『俺たちが飢えているのに、なんであいつらは平気な顔をしてるんだ!!』

『あいつらは、人間じゃない!!』

『俺たちも、いつか食われちまうんだ!!』

 

 そして、晴は殺されたのである。

 消えゆく意識の中、晴が想ったのは珠乃のことだけだった。

 

(オレのことなんて、忘れて、生きてくれ)

 

 珠乃は、優しい妖怪だった。

 そんな珠乃のことだ。

 下手をしたら、己の敵討ちなんて考えるかもしれない。

 珠乃には、そんな血生臭いことをして欲しくなかった。

 晴は、自分の着物に己の血で文字を書いて残した。

 しかし、炎に焼かれ、その言葉は一部しか伝わらなかった。

 

 

--生きて

 

 

 その言葉は、珠乃を縛る呪いと化した。

 片割れを失ってもなお生き続けるしかなかった珠乃に、もはやまともな心を保つことなどできなかった。

 晴の危惧したように、珠乃は人間への復讐に取りつかれてしまった。

 そうしなければ、珠乃は夫との約束を破り、自害するしかなかったから。

 つまりは・・・

 

(オレが・・・オレが、タマノに、コロさせタ・・・ワルいのハ、オレだけダ・・・)

 

 一番悪いのは、晴なのだ。

 晴はそう思っている。

 

(オレが、オレが・・・)

 

 確かに珠乃は罪を犯した。

 しかし、珠乃に罪を犯させたのは晴であり、仮に珠乃に落ち度があったとしても、それはあの神の使いによって殺されたことで清算されてしかるべきだ。

 今のように、死してなお辱めを受けるほどの罰など、背負うのは己だけでいい。

 珠乃はもう、充分すぎるほど苦しんだ。

 己がすべての責を負うから・・・

 

(タマノは、タマノだけは・・・トきハナッて、クレ・・・)

 

 もう、珠乃をこれ以上苦しめないでくれ。

 ああ、誰か、誰でもいいと、晴は懇願する。

 同時に・・・

 

(タマノを、スクッて、クレ・・・ソウ、でナケれば・・・)

 

 それは、不浄の身に押し込められたが故か。

 あるいは、晴もまた長きにわたる旅路でため込んできたのかもしれない。

 

(ノロって、ヤる!!)

 

 呪う。

 

(ナゼ、ドウして、タマノが、ココまでクルシマなけれバ、ナラナい・・・タマノを、セメる、セカイなど・・・ノロイ、コロしてヤル!!)

 

 世界を呪う。

 それは、珠乃が至った想いと同じモノ。

 珠乃もまた、晴こそが救われるべきで、地獄に墜ちるのは己のみでいいと思うからこそ願った願い。

 

「あっ!!ヴェル君っ?うんっ!!ちゃ~んと、九尾は捕まえたよっ!!うんっ!!じゃあ、マリも戻るねっ!!・・・う~んっ!!じゃ、帰ろうかっ!!最後のパーツも手に入ったしねっ!!ふふっ!!もうすぐっ!!もうすぐだっ!!」

「グ、ガァ・・・」

 

 人間の少女とは思えない力で鎖に引きずられながらも、晴、そして珠乃の中に、黒い炎が燃え盛る。

 その炎には、少女も、かつて晴を捕らえた死霊術師も気付いていない。

 その炎が解き放たれるのは、少女の言う通り、もうすぐそこのことなのであった。

 

 




設定

『神格』

 神に迫るほどの高い霊力を持ち、世界に対して強い変革を望む者が至った位階。
 神格に至った存在を神格持ちと言う。
 神に近いということは、世界の管理者に近づいたということ。
 神格に至った者は、己が得意とする領域において絶対に近い支配権を持ち、その力には一部の例外を除いて神格を持つ者でなければ対抗できない。
 神格持ちは、そこに至った瞬間に己の支配領域である『陣』を習得する。
 あるいは、己だけの世界を持つが故に、神格に至ると言える。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白竜庵

長くなりそうなので、少し短いですが投稿。
最近投稿が遅いのは文字数多いせいってのもあるんですが、これくらいなら毎週は余裕かも?


 白流は、日本でも有数の霊地である。

 元々霊脈が表出する珍しい土地ではあったのだが、ある時に『白竜』と呼ばれる常世でも最上位に君臨する妖怪が現れたことで、『大穴』の中でもとりわけ大きな穴が開き、常世と非常に近しい場所となった。

 白竜が通り抜けた穴は『白竜門』と呼ばれ、白竜自身によって封印されたのだが、それでも付近に与える影響を完全に抑えることはできず、白流の土地は霊的に非常に不安定だ。

 忘却界が構築された後も、白流の土地は結界の影響を受けないどころか、逆に忘却界を侵食する始末で、当時の学会は白流に幹部を常駐させることを決めたのである。

 げに恐ろしきは白竜と、その通り道の白竜門。

 白竜が現れたのは千年も前だというのに、今もなお爪痕を残しているというわけだ。

 

「そしてここが・・・」

 

 僕と雫の目の前に、小さな泉があった。

 白竜門には、月宮家の裏庭の普段厳重に封じられている、細い抜け道を通って行けるのだが、この泉はその道半ばにある。

 この泉もまた、白竜に由来するモノだ。

 泉の水は澄んでいて、見ていて心が洗われるようであるが、当然それだけのものではない。

 

「『白竜庵』・・・昔、白竜様が住んでいてた場所か」

 

 『白竜庵』

 

 雫の口に出したように、かつて現れた白竜が住んでいた場所らしい。

 こんな小さな泉に?とも思うが、メアさん曰く『入ってみればわかります』とのことだった。

 

「それじゃあ、入ってみようか?」

「うん!!」

 

 いつまでも泉の前に立っていても始まらない。

 僕と雫は、そろって泉の中に足を踏み入れた。

 冷たい水の感触が広がっていく。

 そのまま足は泉の底に・・・

 

「え?足がつかない?」

「底が見えてるのに!?」

 

 泉は底がすぐに見えるくらいの深さだというのに、足どころか体まで沈んでいく。

 それでいて砂煙で濁る様子もないことから、底よりも少し上のところで空間そのものが歪んでいるようだ。

 そうして、僕たちは完全に水の中に入り込んで・・・

 

-----

 

「・・・ここが」

「本当の白竜庵」

 

 僕たちは、一軒の日本家屋の前に立っていた。

 こじんまりとした屋敷は古めかしいが、荒れていたり壊れている場所はなく、手入れが行き届いている。

 そして、僕たちは後ろに振り返った。

 

「すごいな・・・」

「綺麗な場所だね・・・」

 

 小高い丘の上に建つ白竜庵は周囲を木々に囲まれているが、正面だけは開けており、この世界の景色を一望することができた。

 そこは、雲一つない、どこまでも蒼い空の下。

 目の前に広がるのは、朝露に濡れた草原。

 少し遠くに目をやれば、緑に染まった山々と、光を反射してキラキラと輝く湖が見える。

 泉の外は秋だが、この世界は春のようで、少し肌寒い風に乗って、桜の花びらが舞っている。

 視界の全てに人工物の姿はなく、原初の自然だけが繁栄していた。

 例外は、僕らの背後にある屋敷だけだ。

 

「ねぇ久路人、とりあえず中に入ろっか?」

「あ、うん」

 

 現代の日本ではそうそう拝めない光景に見とれていた僕は、雫に服の袖を引っ張られて我に返った。

 そうだ、こうしてはいられない。

 時間は有限なのだ。

 今日一日は、思う存分、心の底から楽しむことに使うつもりなのだから。

 

「・・・・・」

 

 雫に手を引かれながら、僕は昨日の夜のことを思い出していた。

 

-----

 

「久路人、ちょっといい?」

「え?別にいいけど、何?」

 

 毛部と野間瑠たちが狒々を討伐し、そのお祝いの打ち上げが終わった後のことだ。

 月宮家の離れにある久路人の部屋にて、雫はベッドに寝転がりながら切り出した。

 

「明日なんだけどね、訓練を休んでデートして」

「へ?」

 

 突然のデートの誘いに、久路人は驚きの声を上げた。

 初めてのデートの時には2人とも色々と慌てていたが、あれからもう二か月近く経つ。

 一緒に甘い物を食べに行ったり、買い物に行ったりと、何度かデートをすることはあったために、デートそのものに緊張したり驚くことはない。

 だが、今はタイミングが悪かった。

 

「明日?しかも、訓練を休んでって・・・難しいんじゃないかな」

 

 久路人と雫は、現在対旅団のために修行の真っ最中だ。

 しかも、その捗り具合も芳しくない位。

 神格に至って陣を使えるようにならなければならないというのに、その気配は全くない。

 明日も京たちと模擬戦を行う予定であり、デートに行く時間や体力が残っているとは思えなかった。

 なにより、京たちがその許可を出してくれるかどうかという問題もある。

 

「大丈夫だよ。メアには許可をもらったから。京にも伝えとくって言ってたし」

「メアさんが?」

 

 しかし、久路人の懸念はすぐに霧散することとなった。

 メアの許可がとれたのならば、なし崩し的に京の許しも得られる可能性は高い。

 だが、その理由がわからなかった。

 そんな困惑した様子の久路人に、雫はじっとりとした目を向ける。

 

「最近の久路人、焦ってるでしょ」

「それは・・・でも」

「私としては、今の久路人は放っておけないの。京たちもそうなんだと思うよ?久路人って焦ったり慌てたりするととんでもないことするかもしれないし・・・」

「う・・・」

 

 久路人としては、痛い所を突かれた形だ。

 確かに雫の言う通り、久路人自身も自分のメンタルがよくない状態であるとは思っている。

 少し前には思い込みで暴走して、周辺に多大な被害を出しかけたこともあるのも事実。

 今は想いの通じ合った雫が傍にいるために前ほど荒んではいないが、過去の事を知る者からすれば信用しがたいというのも頷ける話だ。

 

「だ・か・ら!!明日は私と一緒にゆっくりしよう?急がば回れって言うし、こんな時こそ落ち着いて休んだ方がいいと思うけどな・・・」

「それはそうだけど・・・でも」

 

 久路人も、雫の言いたいことはわかるし、筋の通った話だとは思う。

 けれども、月宮久路人という青年はいい意味でも悪い意味でも真面目なのだ。

 上司に『キミ、有給取得義務満たせてないから休んでもいいよ?』と言われると、困ってしまうような性格をしており、なんだかんだ言って会社に通い続けた結果、期限ぎりぎりでまとめて休みを取ったせいでかえって周りに迷惑をかけてしまうタイプである。

 必要であるとはわかっていても、サボることに抵抗があった。

 

「やっぱり、今の時期には・・・」

「・・・ねぇ」

 

 だが、久路人とすべての面で繋がっている雫は、そんなことは百も承知である。

 それでもな尚、こんな提案を真正面からするのは、今の雫には勝算があるからに他ならない。

 

「私、明日、久路人とデート・・・したいな?ねぇ、ダメ?」

「・・・っ!?」

 

 ベッドの上でうつ伏せに寝転がっていた雫は、顔を上げて、少しうるんだ上目遣いで久路人を見つめる。

 その声は砂糖菓子のように甘く、耳の中からドロリと入り込み、脳髄を溶かしきるほどの威力があった。

 加えて、上体を起こした雫の着物が少しだけたわんでおり、その奥にある谷間・・・にはなれないくらいの丘陵がチラリと覗く。

 谷間こそないが、丘の頂上がギリギリで見えそうで見えない、絶妙な身の起こし方だ。

 これぞ、雫が密かに修練を積んで習得した、色仕掛け。

 対久路人専用『おねだり』である。

 

「ねぇ、ねぇってば」

「・・・わかったよ」

「やった~っ!!」

 

 『ハァ』とため息をつきながらも、久路人は了承の返事をすると、雫はパァッと顔を輝かせ、久路人に飛びついた。

 その様子を『やれやれ』と言いたそうな表情を作りつつ、雫の頭を撫でる久路人。

 さっきの雫のおねだりにまんまと乗せられたのはわかっているが、それでもあんなことをされては断れない。

 久路人とて、雫とのデートに行きたくないはずがないのだから。

 そこに、きちんとした道理を説いた上での色仕掛けを掛けられては、抵抗できるはずもなかった。

 

「じゃあっ!!明日の朝に母屋の方に行こう!!メアが準備をしてくれてるって!!」

「それはいいけど・・・メアさんが準備?普通のデートじゃないってこと?」

「フフッ!!それは明日までのお楽しみだよ!!」

「?」

 

 かくして、久路人と雫はデートに出かけることになった。

 疑問符を浮かべる久路人と、そんな久路人にしがみついたままの雫。

 どうやら雫は、メアの行っている準備とやらを知っているようであるが。

 ともかく、2人の夜はその日もいつも通り、仲睦まじく過ぎていったのだった。

 

----

 

「おお!!中も綺麗だね!!純和風って感じ!!」

「本当だ。おじさん達が掃除してるのかな?いやでも、結構長く家を空けていた時もあったしな・・・」

 

 屋敷の中に入った久路人と雫は、縁側のある一室の座布団に座っていた。

 部屋の机の上には湯気の立つ緑茶とお茶菓子まで置かれており、まるで旅館の客室のようだった。

 部屋に入ってすぐに全開になった障子窓からは、朝の日差しがさんさんと降り注ぐ。

 

「さてと!!久路人!!」

「ん?いきなりどうしたの?」

 

 お茶菓子をあっという間に平らげた雫が、お茶を啜る久路人に身を乗り出して言う。

 

「もう!!お茶なんか呑気に啜ってる暇ないよ!!今日はしっかり遊ぶんだからね!!」

「それはいいけど・・・遊ぶって言っても、何をするのさ?ここ、遊べる場所とかお店とかもなさそうだけど。ネットも繋がらないみたいだし」

 

 スマホを取り出した久路人であるが、アンテナは立っておらず、圏外の表示が出ている。

 一応、京の作成した通信用の小型術具をスマホに仕込んであるため、まったく連絡が取れないというわけではないが。

 

「む!!今日はスマホ所持禁止!!」

「うわっ!?」

 

 しかし、雫は久路人の取り出したスマホが気に食わなかったのか、素早く久路人の手から奪い取る。

 そして、自分のスマホと共に机の上に並べた。

 

「えいっ!!」

「えっ!?ちょっ!?」

 

 雫の目が怪しく輝き、スマホは二台とも氷の中に閉じ込められた。

 いや、正確には氷の箱に封じ込められたと言ったところだろう。

 氷漬けにはなっていないが、取り出すには一苦労しそうだ。

 

「いきなり何するのさ。さすがにおじさん達から連絡を受け取れないのはマズいんじゃ・・・」

「む~・・・」

「?」

 

 雫の突然の奇行に驚きつつもたしなめる久路人だったが、雫のむくれたような表情は変わらない。

 久路人には、その理由はわからなかったが、雫もそれを察したらしい。

 咳払いを一つして、指をビシッと久路人に突き付けた。

 

「久路人っ!!この白竜庵は、あの白竜様が造った空間なんだよ?今は京たちが管理してるっぽいけど、そうそう簡単に邪魔者が入って来れる場所じゃないんだよ?」

「?それは、そうだろうけど・・・?」

「も~っ!!ここまで言ってもわからないなんて、久路人のニブチンっ!!つまりね・・・」

 

 そこで、雫は少し間を空けて、その事実を言葉に出した。

 

「今この世界には、私と久路人しかいない、絶対に邪魔されない2人だけの場所なんだよ?」

「・・・っ!!」

 

 さすがにここまで言われれば、久路人にも雫の奇行の意味がわかったらしい。

 雫がスマホを使えなくした理由。

 すなわち・・・

 

「今日は、久路人には、私のことだけ見て、私のことだけを考えて欲しい」

「雫・・・」

 

 その言葉は、絶対の信頼の上に成立する言葉だ。

 『この人は、どんな時でも絶対に自分を好きでい続けてくれる。愛してくれている』ということへの。

 また、『自分は、この人にならどれだけの愛情を向けられても、喜んで受け止められる』ということへの。

 かつての雫には、『人外が受け入れられるはずがない』と考えていた雫には決して言えなかった台詞だ。

 それを言えるようになったということは、2人の仲がそれほどまでに進んでいるという確信があるからであり、そしてそれは正解だった。

 

「わかったよ、雫。今日は、雫以外のことは全部忘れるよ。せっかく、こんないい場所を用意してもらったんだしね」

「久路人・・・うんっ!!」

 

 少しばかり照れつつも、本心からそう言った久路人。

 それが心の底からの言葉だと本能と子宮で理解できた雫は、花の咲いたような笑顔が浮かべる。

 実際、久路人自身も大いに心が揺れ動いたのだ。

 

(誰にも邪魔されない、僕と雫だけの世界か・・・)

 

 それは、これまでの久路人には想像さえもできなかった、ある種の理想郷だ。

 月宮久路人は元人間であるが、人間としての心はしっかりと残っている。

 その心はいたって善人のものであり、他人に対して悪感情を抱くことは稀だ。

 雫のことを最優先で考え、雫と過ごす時間を大切にしているのは確かだが、それでも、他の人間との関りを断ってまでとは考えていなかった。

 学校や家での訓練では京やメアを始めとして、『雫以外の存在』と関わるが、それも雫と一緒の時であり、どうとも思っていなかった。

 雫と同じ屋根の下どころか同じ部屋で眠り、食事どころか風呂も睡眠も、一日の大半の間行動を共にしている故に、『これで充分』と感じていたからだ。

 そこは、蛇という野生動物から、常世という敵だらけの環境を生き抜いてきた雫との大きな差だろう。

 ところが今、図らずも久路人と雫はその理想郷にいる。

 

(そう思うと、なんかドキドキしてくるな・・・)

 

 雫と2人だけのタイミングなど、今までも何度もあったが、この場所ではその純度が違う。

 今ならば、雫とどんなことをしようが、それを咎める者は雫しかいないのだから。

 

(って、何考えてんだよ僕っ!!まだ朝だぞっ!?)

 

 ついアダルトな方向に思考が偏りそうになった久路人は、そんな考えを吹き飛ばすように話を元に戻した。

 

「そ、それで!!結局何をするの?」

「ふっふっふっ!!現代っ子の久路人には想像しにくいだろうけど、昔はゲームもネットもない環境だって、キッズたちは遊んでいたんだよ?これだけ自然豊かな場所なら、いくらでも遊べるよ!!たまには童心に帰ってさ!!」

「・・・そうだね。白流市も自然がたくさんあるけど、ここほどじゃないしね。こんなに綺麗な場所なら、散歩するだけでも面白そうだ」

「でしょ?じゃ、早速外に行こっか!!」

「うん!!」

 

 そうして、2人は屋敷を飛び出して外に駆けだした。

 久路人と雫しかいない、閉ざされていながらも、どこまでも広く自由な世界へ。

 

----

 

(ああ・・・なんていい所なんだろう!!)

 

 雫の心は、絶頂の只中にあった。

 

「わわっ!?雫、ちょっと速くない?」

「そんなことないって!!時間は有限なんだから、急がなきゃ損だよ!!」

 

 久路人の手を引き、雫が前を走る。

 丈の短い草原を、早馬のごとく走っていく。

 雫の心から湧き上がる活力が、全身にエネルギーを与えていた。

 

(私と、久路人だけの世界!!誰にも邪魔されない、2人だけの場所!!ここは、私の理想だ!!ここなら!!こんな場所なら・・・)

 

 芝生を巻き上げながらも、駆け続ける。

 久路人の手を引き、雫は走り続ける。

 

(久路人を狙う雑魚妖怪どもや、人間。それどころか、あのモブどもや比呂奈や比呂実、京やメアにだって、久路人に関われない!!ここは!!ここなら!!)

「くっ!!このっ!!負けないよっ!!」

「ふふっ!!運動神経なら、私の方が上だよっ!!」

 

 走りながらも、話し続ける。

 元が妖怪だからか、純粋な身体能力は雫の方が若干上だ。

 その結果、久路人が雫に追いつこうと奮闘するも、あと少しが詰められない。

 そうなれば、後ろにいる久路人には、雫の表情は見えない。

 だから、久路人には見えなかった。

 

(久路人の視線も、思考も、欲望も、全部全部、私のモノだっ!!私がっ!!久路人のすべてを独り占めできるっ!!)

 

 雫の顔に浮かぶ、熱に浮かされたような、狂気すら感じられるほどの歪んだ笑みが。

 




色々あってモチベが最近低下気味なので、評価とかでブーストお願いします!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白竜庵2

来週は土曜日仕事の日曜日ゴルフコンペなんで無理そうっす・・・


 見渡す限り、蒼い世界が広がっていた。

 

「こんな景色を見れるなんてなぁ・・・」

「私も、ここまで綺麗なところは初めてかも」

 

 話すたびに、泡がボコリと現れては、上に向かって登っていく。

 僕も雫も身に纏うのは水着だけで、冷たい水が全身を包んでいるが、水の大妖怪である雫は勿論、僕にも大した影響はない。

 おかげで、周りの神秘的な光景を見ることに意識を向けることができている。

 

「前に川の中で泳いだけど、全然違うね」

「あそこはゴミとか落ちてたもん。水は綺麗だったけど、近くには人間もいたしね。昔の時代の川や池だって、妖怪が暴れたりしてたし、こんなに静かじゃなかったな」

 

 視界は澄み渡っており、はるか遠くまで蒼く染まった世界がよく見える。

 砂漠のように足元に広がる砂と、そこから突き出る岩。

 たまに落ちている流木の近くでは、小さな魚の群れが僕らに気付いて逃げていく。

 岸辺に近いところでは水草が生い茂っていたが、僕たちが今いる場所は開けている。

 

「本当に、潜ってよかったな」

 

 そう、僕と雫がいるのは、湖の中だ。

 白竜庵のある丘を駆け下りた先にある湖を見た時、僕は思ったのだ。

 

(ここで、雫と泳いでみたい)

 

 初めてのデートの時、水族館を訪れたが、そこで雫と泳ぐ約束をした。

 河童の三郎と初めて会った時の帰りに、川で水遊びはしたが、水深の浅い場所であり、泳ぐことはできなかった。

 けれどもここなら、思いっきり泳げるだろう。

 そう思った僕が雫に提案してみたところ、雫も同じように思っていたらしく、二つ返事で水着姿になってくれたのだ。

 おかげで、あの時の言葉を実現することができている。

 

「しかし、久路人も成長したというか、我慢強くなったね~。私の水着見ても挙動不審にならなくなったし。初めて水着見せた時なんか、ガチガチになってたもん」

「そりゃ、雫のいろんなところを何回見たと思ってるのさ。さすがに慣れ・・・はしないけど、我慢はできるよ」

 

 どこか挑発的な雫の視線に、僕は少し得意げに答える。

 雫が霧の衣を水着に変えた時は、ドキリと心臓の鼓動が激しくなるのは止められなかったが、理性を総動員してこみ上げる衝動を我慢することはできた。

 雫の体ならば一糸まとわぬ姿を拝んだことも何回だってあるが、やはり水着というのはそれとは別の良さがあるというか、隠されてる方が滾るモノがあって大変だったが。

 そもそも、水族館でもそうだったが、雫と水というのは相性のいい組み合わせなのだ。

 今も表面上は平静を装ってはいるが、湖底に差し込む光に照らされる雫という、それこそ一枚の絵画のような光景に、見惚れてフリーズしないように気合を入れている最中で・・・

 

「ふ~ん、そうなんだ・・・私としてはちょっと寂しい、かなっ!!」

「うおぉぉおおっ!?」

 

 そんな風に虚勢を張る僕を見て少々ムッとした表情をしていた雫であったが、すぐにニンマリと笑うと、僕の腕を取って身体を押し付けてきた。

 

「ふふんっ!!どう?これでも余裕?」

 

 水の中だというのに、人外の高性能な身体は、しっかりとその柔らかさを脳に届けてくれる。

 薄い布ごしに、雫の小ぶりな膨らみが潰れるのがわかった。

 こうなってしまえば、僕の薄っぺらい忍耐など続くはずもない。

 

「雫っ!!」

「はい、これでおしまい」

「あ・・・」

 

 僕の内面に反して、雫はすぐに離れた。

 お預けを喰らったような僕は、思わず引き止めるように腕を伸ばそうとしたが、やめた。

 

「・・・ふふっ」

 

 雫の顔には『してやったり』というような笑顔が浮かんでいるが、それだけだ。

 僕の最初の反応が芳しくなかったので、挑発をしてみたが、その先にまで進むつもりはないということだろう。

 この世界にいられるのが一日だけというのなら、まだ早い。

 だから僕は、『フゥ~・・・』と水中にも関わらず深呼吸を一つしてから、素直に謝った。

 

「・・・ごめんなさい。調子こいてすみませんでした」

「ん!!よろしい」

 

 雫はどや顔で胸を張る。

 さっきまであの胸が当たっていたのだと考えると、下半身が熱くなるが、湖の水の冷たさがすぐに冷やしてくれた。

 本当に、水の中でよかったと思う。

 そうして、僕が密かに感謝をしていた時だ。

 

「あ」

「お?」

 

 不意に、魚の群れがすぐ近くを通り過ぎた。

 さっきまで流木の近くにいたのは小魚だったが、今度の群れは串にさして焼けるようなサイズだ。

 

「魚だ。お昼は用意してあるから・・・夕飯用に捕まえてみる?」

「そ、そうだね・・・」

 

 僕はこれ幸いと、変わった話題に飛びついた。

 このままだと、ボロが出てしまいそうだったし。

 

「よしっ!!」

 

 それまでは散歩のように、湖底から少し浮いたところをゆっくりと進んでいたのだが、狩りとなれば動きは変わる。

 一度底まで降りてから、地面を蹴って矢のように飛び出した。

 

「はっ!!」

 

 さすがは水を司る大妖怪だったことはあり、水の中の雫は凄まじい速さだった。

 水を得た魚、水中の魚を上回るスピードで近づき、あっという間に一匹を素手で捕まえる。

 元々身体能力は雫の方が上だが、泳ぎで勝つのは難しいだろう。

 

「へへっ!!まず一匹!!」

「僕もとったよ」

 

 雫に劣るとはいえ、それでも僕だって普通の魚に負けるような泳ぎではない。

 雫から逃れた群れに追いすがり、その中の一匹を捕まえてから浮上すると、お互いの獲物を見せ合った。

 

「大きさは僕のヤツの方がデカくない?」

「見た目は私のヤツの方が綺麗だよ!」

 

 魚はニジマスなのか鮎なのか、魚に詳しくない僕にはよくわからないが、雫の方は紅が濃くて綺麗だった。

 一方の僕は大きさでは上回っているものの、なんだか地味な魚だ。

 

「なら、もう一度行くよ!!」

「次は綺麗で大きい魚をとるんだから!!」

 

 そうしてしばらくの間、湖の底で僕らは魚とりを続けたのだった。

 

 

----

 

 

「この時期に、桜が見れるなんてな・・・」

「外はもう秋だもんね」

 

 湖から上がった僕らは、畔に生えていた桜の木の下にいた。

 雫が外から持ち込んでいたリュックからレジャーシートを取り出して、その上で弁当に舌鼓を打つ。

 

「はい、あ~ん!!」

「んぐっ!!」

 

 雫が、僕に箸でつまんだオカズを差し出してきたので、僕はひな鳥のように受け入れた。

 

「うん、おいしい!!」

「えへへ・・・そう?その鶏肉の煮つけ、仕込みをしっかりしたからね」

 

 雫が口に運んだのは、鶏肉の甘辛煮。

 甘さと辛さがバランスよく両立し、火の通り方も丁度良く、適度な噛み応えがある。

 

「雫、やっぱり最近料理の腕がめちゃくちゃ上がってない?僕じゃあこんな風にうまく味付けできないよ」

「う~ん、火属性が使えるようになったからかな?火というか熱の扱いがうまくできるようになってきたんだよね」

 

 おじさんやメアさんが家を空ける時期がそこそこ長かったのもあるが、月宮家の食事は僕と雫で持ち回りでやっていた。

 朝は雫、夜は僕。休日の昼間は2人でやれるだけやる。

 そして、水属性が使える雫は煮物や漬け込みによる味付けが昔から得意だった。

 そこに火属性が加わり、熱の扱いも精密にできるようになったと言うところか。

 この弁当を温めた時のように、僕も電子レンジの真似事で加熱には自信があったが、素直に負けを認めるしかない。

 土属性は料理の役には立たなかったから、しょうがないのだ。

 

「・・・ふふ」

 

 僕が肉を噛みしめ、その肉汁と、たっぷりとしみ込んだ『隠し味』が口の中に広がっていく感触に何とも言えない快感を味わっていると、雫がさっきのように鶏肉を箸でつまみながら小さく笑っていた。

 その紅い眼は、どこか妖しく輝いており、頬はうっすらと紅潮している。

 合間合間に食べてはいるようだが、食事中は味を楽しむよりも僕を見る方がメインになっているんじゃないかと思うこともあるのだが・・・

 

「・・・・・」

 

 そこで僕は、ゴクリと鶏肉を嚥下して、口の中を空にしてから疑問を口にした。

 

「ご飯のたびに思うんだけど、自分の血の混じったモノを食べるのって、気持ち悪くならない?」

「え?・・・私が言うのもなんだけど、自分のだろうが他人のだろうが、血の入った食べ物を気持ち悪がらない方もおかしいんだからね?」

「いや、僕は雫のだから平気だけど、雫はどうなのかなって」

 

 実は、地味に気になっていたことである。

 もはや慣れ切ってしまったことだが、僕が家で口にする食事には、すべて雫の血がふんだんに混じっている。

 僕と雫は食事のタイミングも一緒であり、食べる物も同じだ。

 つまり、雫は自分の血を味わって食べていることになるが・・・

 

「あ~・・・そう言われればそうなんだけどね。これをやり始めた時にはそんなこと考える余裕なかったしなぁ」

 

 雫が遠い目をする。

 雫が料理に血を混ぜだしたのは、僕の人外化が目的だった。

 そのころは僕も雫も九尾との戦いを終えて、心に様々な問題を抱えていた時期であり、雫も自分の血を取り込む程度、気にしている場合ではなかったということか。

 あの頃を思い返してみれば、よくここまでこれたものである。

 

「それに、私の血って久路人から吸った分も混じってるし、もう一回久路人の血を取り込むと思えば、別に・・・最近なんか、久路人とヤる時に〇液まで飲んでるし。九尾も言ってたけど、精〇って血よりも霊力の効率がだいぶすごいから・・・」

 

 霊力を向上させる上で大きな効果を持つモノは男女で異なっていたりする。

 男は処女の生き血なのに対し、女は若い男の精というのは霊能者界隈では有名な話だが、パスを繋ぎ合った男女の場合は相手が処女でなかったり、若くなくとも強力な効果を発揮する。

 そして、未だ若い僕の精をほぼ毎日取り込んでいる雫の霊力は驚くべき勢いで上昇しており、その雫の血を摂取することで僕の霊力も同じように増大しているのだ。

 僕と雫は2人だけで食物連鎖の輪ならぬ霊力連鎖の輪を循環させており、つまり、雫の言いたいことは・・・

 

「実質私の血は久路人の精え・・・」

「待って雫。そう言われると、急に食欲無くなってきた」

 

 僕は雫の台詞を遮った。

 そうしなければ、この弁当を食べきれなさそうだったからだ。

 好きな人の血を飲む。

 字面にすれば異常としか言いようがないが、恋人が進んで血を混ぜてきてるのだから、据え膳食わぬは男の恥と言うし、食べるのはまったく構わない。

 しかし、雫の理屈で言うと、僕は自身の精〇まで食べてしまっているということになる。

 さすがにそれは勘弁願いたい。

 

「まあ、私からすれば、久路人が私の体の一部を食べてくれるってだけで食欲湧いて来るから、自分の血がどうとかはどうでもいいかな。久路人が美味しそうにしてくれると、私も嬉しいから」

「それなら、僕もさっきの答えは忘れるよ。うん、これに混じってるのは雫の血だ。誰が何と言おうと雫の血なんだ・・・」

 

 僕は、努めてさっきまでの話の内容を考えないようにしながら、弁当を口に運ぶ。

 うん。味は最高だし、雫の想いもたっぷりと込められた弁当だ。

 霊力のパワーアップという意味でもこれ以上ない方法だし、なんら気にすべき要素はない。

 それでいいのだ。

 

「あれ?でも久路人も、Hする時には私の〇液舐めてるし、その理屈だと久路人の血は私の・・・そう考えると、う~ん」

 

 なにやら雫がウンウン唸っているが、藪蛇になりそうだったのでスルーした。

 

 

----

 

 

「あ、花びら・・・」

 

 食事中にするのが憚れるような話をしてからしばらく。

 弁当を食べ終えてから、ふと、雫が上を見上げた。

 釣られて僕も頭上を見ると、僕らの真上にある桜の木から、そよ風に吹かれて花びらが散るところだった。

 

「綺麗だね・・・」

「うん・・・」

 

 ひらひらと舞う花びらが、湖の上まで飛んでいく。

 桜の木は湖の畔の各所にあるようで、そこかしこから飛ばされた花びらが、花吹雪となっていた。

 それは、とても幻想的で、まるで物語のワンシーンのようで・・・

 

「あ・・・」

「ん?どうしたの、久路人?」

「いや、雫の頭に花びらが付いたんだよ」

「え?本当?どこどこ?」

 

 風向きが少しだけ変わり、花びらの落ちる方向がズレた。

 それによって、雫の髪に花びらが乗っている。

 僕は、その花びらを落とそうと、雫の頭に手を伸ばして・・・手を止めた。

 

(そう言えば、前にもあったな、こんなこと)

「久路人?」

 

 不意に思い出されたのは、過去の記憶。

 それは、九尾の話が出たからだろうか。

 前にも、今のようなことがあった。

 あの九尾と戦った、葛城山。

 あの時は秋だったが、山の中にあった神社の境内で、今のように雫の頭に、風に吹かれた紅葉が乗った。

 そして僕は、その葉を取ろうとした時に気付いたのだ。

 

(そうだ。あの時だったな。自分の気持ちがわかったのは・・・)

「久路人?さっきからどうしたの?」

「雫・・・」

「?」

 

 突然動きを止めた僕に、雫は怪訝そうな顔をする。

 その頭に乗っている花びらは、あの紅葉に比べれば小さいが、やっぱり髪留めのように見えた。

 雫の銀髪にはどんな色でも似あうと思うが、赤に近い色がいちばんよく映える。

 僕は、その髪飾りを取るように手を伸ばして・・・

 

「ん・・・」

「っ!?」

 

 雫の顎に手をやって、素早く唇を重ねた。

 唇どうしが触れ合うだけの、軽いキス。

 雫が、目を見開いて驚くのがわかった。

 

「く、久路人っ!?どっ、どうし・・・」

「好きだよ、雫」

「~~~っ!?」

 

 追い打ちをかけるように僕が言葉を続けると、雫の顔が真っ赤に茹で上がる。

 頭についた桜の花びらよりも、なお濃い色だ。

 その顔を見て、僕の顔に自然と笑みが浮かんだ。

 

「ふ、不意打ち禁止って、いつも言ってるでしょぉ~!!」

「さっきのお返しも兼ねてだよ。からかわれて終わりってのも悔しかったし?」

「む~~~っ!!」

 

 混乱から回復したのだろう。

 湯気が上がりそうなくらい赤くなった雫が、僕の胸をポカポカと叩いてくる。

 もちろん、手加減をしてくれてるから、全然痛くない。

 僕は甘んじて猛攻を受けつつ、雫の頭を撫でて反撃すると、雫は気持ちよさそうに目を細めた。

 

「ん・・・私がいつもいつも頭なでなでで懐柔されると思ったら、大間違いなんだからね?でも、今は気持ちいいから許してあげる」

「あはは・・・雫様の寛大なお慈悲に、心から感謝いたします」

 

 お互いにおどけながら、言葉を交わす。

 そんな中、僕の胸の内にはゆっくりと達成感が湧き上がっていた。

 

(今度は、ちゃんと言えたな。だいぶ時間が経っちゃったけど・・・)

 

 僕は、あの時に言おうと思ったことを、今やっと果たせたのだ。

 九尾に襲われて、雫と離れ離れになって、言えなかった言葉を。

 これまで、ずっと心のどこかに残っていた忘れ物を。

 

「久路人、もっと・・・」

「うん・・・」

 

 雫が、僕の胸に顔を埋めて、身体を預けてきた。

 雫の華奢な身体は軽いが、それでも確かな重さと、華のような良い匂いが伝わってくる。

 僕は、これまで以上に大事な大事な壊れ物を扱うように、雫の頭を優しく撫でた。

 

「ずっと、ずっと・・・こうしていたいな」

「・・・うん。僕もだよ」

 

 ポツリと呟かれた雫の言葉に、僕の口からも自然と答えがこぼれる。

 この時、僕の中からは、修行のことも、旅団のことも、外の世界のすべてが抜け落ちていた。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 しばらく、言葉はなかった。

 雫の顔も、僕の胸に押し当てられているから、見ることはできない。

 それでも、今の僕と雫は同じことを考えているのがわかった。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 桜の花びらが舞い散る中、僕と雫はそのまま佇み続けた。

 お互いの温もりと、今この時しかない宝石のような刻を、ゆっくりと味わうために。

 




低評価も歓迎ですが、その場合は理由を教えてくだされば幸いです!!
作品に活かしたいので!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白竜庵3

遅くなって申し訳ありません。
白竜庵はこれで終わり。
久路人と雫の覚醒回です。


「ふふ、久路人、寝ちゃった」

「ん・・・」

「よいしょっと・・・」

 

 花びらを散らす桜の木の下で、雫は眠っている久路人を抱え、自らの膝の上にその頭を寝かせた。

 

「よっぽど疲れてたんだね」

 

 つい先ほどまで2人は抱き合っていたのだが、最近の疲れが溜まっていたのか、あるいは雫の胸の中がそれほどに心地よかったのか、久路人はいつの間にか眠ってしまっていたのだ。

 『できれば、後者の理由の方がいいな』と雫は思う。

 

「本当に寝てるのかな?どれどれ・・・」

「・・・んぅ」

「ふふっ!!かわいいなぁ、久路人」

 

 雫は、久路人の寝顔を微笑みながら見つつ、そっと頬を撫でる。

 深い眠りについているのか、起きる様子のない久路人は、雫の手が触れても眠ったままだ。

 それは、久路人が雫に完全に心を許している証である。

 剣士としても一流の腕を持つ久路人ならば、どんなに深く寝入っていても、誰かが不用意に触ろうとして来れば飛び起きる。

 それがわかっている雫にとっては、このひと時は自身の征服欲やら独占欲が大いに満たされるものであった。

 

「・・・これで、ここに来た目的の一つは達成かな」

 

 ひとしきり久路人を撫でまわして満足した雫は、『ふぅ・・』と一息を吐いてからこぼした。

 

「最近の久路人ったら、本当にピリピリしてたもん。こうやってゆっくり休まないとね」

 

 雫が久路人をデートに誘い、誰の邪魔も入らない白竜庵に連れてきた目的の一つは、久路人を休ませるためだ。

 人外の久路人であるからして、肉体的な疲れはほとんどない。

 しかし、精神的な疲労や焦りが溜まっているのに雫は気付いていたし、そのように久路人にも告げた。

 過去の事もあって、久路人自身も自覚はあったのだろう。

 だからこそ、あのまじめな久路人が休養のために訓練を休んだのだ。

 

「今日は、ずっとこうしてていいからね」

「・・・・・」

「ふふ・・・」

 

 再び、久路人の頬を撫でる。

 安らかな寝息を立てる久路人に、雫は優し気な目を向けた。

 

「さて、と・・・」

 

 しかし、そこで雫から笑顔が消えた。

 雫自身の扱う氷のように、温度のない表情へと変わる。

 

「それじゃあ、もう一つの目的の方も、やっちゃおうかな」

 

 雫は冷たい目で、白竜庵を、否、作り物の箱庭を見回した。

 その眼には、この世界に来た時の、熱に浮かされていた様子は微塵も残っていない。

 

「・・・ここは、本当にいいところだよね。さすがは『白竜様』。すごい術だよ」

 

 『白竜様』

 世界のすべてを『久路人』と『久路人以外』で分けて考えている雫としては、大変珍しい呼び方だ。

 かつて自分の背中を押してくれたリリスでさえも、『リリス殿』としか呼ばない雫が『様』を付けているのには当然理由がある。

 それは、白竜が水を司る存在の頂点に位置する存在だからだ。

 妖怪の世界は縦割り社会であり、力の弱い存在は上位の存在に対して逆らうことはできない。

 同じ属性に属するものならば、さらに強い強制力が働く。

 極めつけに、蛇は水の属性を持つ生き物であり、蛇の妖怪は力には雲泥の差があれど、竜に最も近いと言ってよく、雫を含む蛇の魂には白竜の情報がごくわずかに含まれている。

 だからこそ、雫には白竜への畏怖が本能レベルで沁みついており、今では妖怪という括りを脱し、上下関係もだいぶ白竜に近づいた雫であっても、癖のように『白竜様』と呼んでしまうという訳である。

 なお、この話を久路人にした際には久路人の独占欲を刺激してしまったのだが、『白竜様は女、っていうか雌だよ』と雫が告げたことで事なきを得ている。

 

「ここは、一つの独立した世界に近い。永続してる陣みたいなものなんだね。確かメアが言ってたけど、狭間の一部を加工して造った空間だっけ。だから、土地の管理者の京たちの許可がなければ入れない」

 

 雫は、周りの風景を見回しながら呟いた。

 雫の分析した通り、白竜庵は特殊な空間だ。

 現世と常世の仕切り板である『狭間』の中に極小の穴を空け、そこに加工を施すことで固定した世界。

 ただし、外の世界の霊脈の影響は受けているようで、この世界の維持に霊脈の力は必要である。

 そのため、ここに入るには土地の管理者の許可、つまりは白竜の許しが必要となる。

 雫達が入り込めているのは、この土地を管理している京が白竜に代理の管理者であると認められており、その京に許されているからだ。

 もっとも、京は白竜に会ったことはないらしいので、勝手に管理者に据え付けられたと思っているようだが。

 

「うん。ここは、本当にいい所だよ。私の理想に限りなく近い」

 

 半日だけではあるものの、久路人と2人きりの世界で、思う存分遊び、話し、笑うことができた。

 今も、何の心配もせずに眠る久路人が示すように、邪魔者が入って来る気配もない。

 まさしく、雫にとっての理想と言っていい場所で・・・

 

「けど、やっぱりダメだ」

 

 唐突に、雫の口から冷たい声がこぼれた。

 

「足りない」

 

 それは、雫がここで半日を過ごして感じたことだ。

 久路人が眠ってしまい、一時的に1人だけになってしまったからこそ、さらに強く意識できるようになったことだ。

 最初は、ここが理想の世界なのだと思った。

 事実、白竜庵の屋敷を出て、湖にたどり着いた時には、世界が輝いて見えた。

 久路人と共に水の中を散歩し、雫の作った弁当を美味しいと言いながら食べ、桜の花びらが舞い散る中で抱き合えた。

 それは、雫にとって幸福以外の何物でもない。

 

『ずっと、ずっと・・・こうしていたいな』

 

 そう久路人に言ったのは、本心からだ。

 久路人も、それに応えてくれた。

 2人の想いは、願いは、同じモノだった。

 

「足りないよ」

 

 だが、『したい』というのは、単なる願望に過ぎない。

 雫の言葉は、現実にはなっていない。

 足りていないのだ。

 追いついていないのだ。

 それがわかっているからこそ、否、わかっていても、『したい』と言ったのだ。

 雫は、足りないモノを形にする。

 

「一日なんかじゃ、足りないよ」

 

 それは、あまりに儚い時間。

 自分たちは、明日にはここを出なければいけない。

 そうしなければ、京たちが無理やりにでも引きずりだしに来るだろう。

 そうでなくとも、もしも旅団が白流に侵攻してくれば、この土地の霊脈もただでは済まない。

 そうなれば、この白竜庵とて安全ではない。

 それでは、雫の理想には届かない。

 

「ずっと、ずっと、ずぅ~~~っと!!私と久路人だけの世界は、永遠に続くモノじゃなきゃいけないの!!」

 

 それは、雫の魂の叫びだった。

 

 『雫の理想』。

 

 それは、久路人の伴侶として、一生を添い遂げること。

 伴侶として結ばれることならば、できた。

 けれども、世界は2人だけのモノではない。

 今のままでは、久路人と自分が誰にも邪魔されずに添い遂げることは、きっとできない。

 それには、邪魔なモノが多すぎるのだ。

 どんなに素晴らしい時が過ごせたとしても、たった一日では意味がない。

 無限にも等しい『一生』を、2人『だけ』で歩き続けることこそが、雫の願いなのだから。

 

「ああ、でも、これでわかった。私の、もう一つの目的も、達成できた」

 

 不意に、雫の声のトーンが元に戻った。

 雫は、やっと理解できたのだ。

 『これこそが理想の世界だ!!』と思った場所に飛び込んで、味わったからこそ見えてきた、『足りない』部分。

 それは、雫の願いに具体的な肉付けをするパーツだ。

 

「私の『理想』の再構築。世界に望む『変革』の定義づけ」

 

 そして、それを得ることこそが、雫が白竜庵に、自らの理想を叶えられそうな場所に訪れたもう一つの目的だ。

 陣の構築、ひいては神格を得るのに必要なモノは、それに足る霊力と、世界に変革を望む意志。

 雫はここに来たことで、己の願いの真の形を理解したのだ。

 故に・・・

 

「これが、私が望む『変革』なんだね」

 

 水無月雫は、『神格』に至る資格を得た。

 

 

----

 

「ここは・・・」

 

 いつの間にか、雫は1人だけでどことも知れない場所にいた。

 その世界は白く、まるで水の中のようだったが、肌を撫でる感触は地上のそれだ。

 白く思えるのは、雫の目の前にある大きなガラス張りの水槽のような扉が原因のようである。

 水槽のような扉の中には、白く輝く水が詰まっていた。

 雫は、おもむろに扉に近づいて、手を当てる。

 その瞬間、『ジャラリ』という金属音がした。

 

「何これ?鎖?」

 

 ふと手首を見ると、そこには黒い金属で作られた輪がはまっており、そこから伸びる鎖が果てのない空間のはるか向こうにまで伸びていた。

 さっきの音は、この鎖がこすれた音のようだ。

 気が付いたら自分の体に鎖が取り付けられているなど、正直不愉快な話であるが・・・

 

「なんでだろう・・・この鎖、触ってるとすごく落ち着く」

 

 雫は、愛おし気な表情で鎖に触れた。

 なんだか、この鎖はとても大事なモノと自分を繋いでくれているような気がするのだ。

 鎖から、温かな何かが流れ込んでくるような気がする。

 

「あれ・・・?」

 

 雫が鎖に手を触れていると、唐突に、扉の中に何かが浮かび上がってきていた。

 それは、小さな一匹の蛇だった。

 思わず、雫は鎖から目を離し、扉に注目する。

 その蛇の正体に、強い既視感を感じたからだ。

 

「これ、昔の私?それに・・・」

 

 蛇が現れるとともに、水で満たされていただけの水槽は、その中身を変貌させる。

 雫は、じっと扉を見つめた。

 水槽の中の蛇の、心の声が聞こえてくる。

 

『この世界には、敵しかおらん』

 

 白蛇は、この世界のことが嫌いだった。

 いつもいつも、自分に恐怖と苦しみを与える存在が、大嫌いだ。

 自分を蝕むだけの日々を嫌悪していた。

 知性のない、野生の蛇だった頃からそうだった。

 周りにいる生き物は、すべて敵か、あるいは餌だった。

 瘴気の流れ込んでくる穴の近くに隠れ潜み、霊力を得て妖怪になった後でも、それは変わらなかった。

 

『力だ。力がいる。生き抜くための力が』

 

 白蛇が妖怪になったばかりの頃は、現世にも多くの妖怪がはびこっていた。

 中規模の穴から出てくるような強めの妖怪もゴロゴロおり、見つかれば戯れに殺されてしまうほどに力の差があった。

 同格の妖怪であっても、共食いは日常茶飯事であり、白蛇も多くの妖怪を倒して糧としていた。

 知性を得た白蛇は、己がそんな弱肉強食の世界に閉じ込められていると自覚していた。

 故に、自身が生き抜くためには力が必要だと考えた。

 そして、穴を潜り抜け、常世へと渡ったのである。

 それは、白蛇にとっても命を失いかねない賭けであった。

 

『死にたくない。だが、死なないためには、死ぬかもしれない目に遭わねばならない』

 

 白蛇は、死を恐れた。

 常世での毎日が綱渡りだった。

 白蛇の目的は生き残ることのみであり、その先のことなど考える余裕はなかった。

 それを不幸だの不満だのと思えるほどのゆとりすらなかった。

 だが、言いようのない苦しさと、焦り、恐怖だけは常に傍にあった。

 それを糧にして、白蛇は常世を生き抜いた。

 生き抜いて、大妖怪と呼ばれるほどの力を手に入れた。

 

『ここまでの力を得れば、むしろこの場にいる方が危険だな』

 

 かつては現世だろうが常世だろうが大して変わりはなかったが、大妖怪にまで上り詰めた白蛇にとっては、現世の方が安全だった。

 白蛇は大穴から現世へと戻り、とある地にあった湖を住処にして暮らし始めた。

 それは、大妖怪としてはとても珍しい判断だった。

 力の強い妖怪は、狂暴な気性の者が多く、己の力を高めて振るうことを大いに好んだからだ。

 白蛇からしてみれば、そんな生き方は野蛮で命を縮める愚かな生き方でしかなかったのだ。

 

『・・・暇だ』

 

 しかし、現世で安全な暮らしを手に入れた白蛇が、満たされることはなかった。

 命の危機の次に白蛇を苛んだのは、退屈だった。

 毎日毎日、何をして過ごせばいいのかわからなかった。

 特にやりたいこともなかった。

 気の向くままに、そこらの人間の集落を覗きに行ったり、辺りで鉄砲水を起こして遊んでいたが、それでも心のどこかが寒かった。

 

『妾は、何のために生きているのだろう?』

 

 いつしか、そんなことを考えるようになった。

 それから、いろんなものに興味を抱くようになった。

 自分を満たしてくれるモノを探すために、現世を徘徊した。

 しかし、人間や力の弱い妖怪は、白蛇を恐れて逃げるばかり。

 現世に流れてきた大物からは、幾度も戦いを挑まれた。

 次第に、白蛇は湖の底に籠るようになった。

 結局、力を得て、命の危機から遠ざかったというのに、白蛇は満たされなかった。

 いつの間にか、あの苦しみと焦りと、恐怖が戻ってきていた。

 だから、白蛇はこの世界のことが嫌いなままだった。

 そんなある日のことだった。

 

『そなたが、この湖の主か?そなたに、貢物を届けに参った』

 

 湖の畔に、僧侶が1人現れた。

 男にしては小柄で、笠を深く被っていたから顔は見えなかった。

 僧侶は白蛇が時折ちょっかいをかけていた村からやって来たらしく、酒の入った桶を持っていた。

 白蛇は、その酒を飲み干した。

 酒を飲めば、酔って夢見心地になれると聞いた。

 ならば、その酒で、今の虚ろな心を癒せるかもしれぬ、と考えた。

 

『む・・・眠い。これ、は・・・』

 

 酒を飲み干して、すぐ。

 白蛇の視界がかすんできた。

 頭の中にまで靄がかかり、奇妙な浮遊感が襲い掛かってきた。

 

『そなたは、悪しきモノではない。心に虚を抱え、それを埋めたがっているだけなのだろう。だが、その行いをそのままにはしておけぬ。しばし眠るがいい』

 

 僧侶がそう言ったのを、白蛇は聞き取ることができなかった。

 白蛇は眠りについており、まどろみの中にあったからだ。

 僧侶は白蛇の傍により、封印を施すと、常世に送り返した。

 白蛇はそれから数百年の間を、緩やかに力を失いながら、眠り続けた。

 そして、運命の日がやってきた。

 

「あ・・・」

 

 扉の水槽の中にその姿が映った瞬間、雫は思わず声を上げた。

 

『珍しいな・・・白い蛇?』

 

 白蛇は久路人と出会い、雫となった。

 名前を与えられ、力を与えられ、温もりを与えられた。

 雫を蝕んでいた苦しみも焦りも恐怖も、いつしか消え失せていた。

 退屈と、自覚すらしていなかった孤独を、埋められていたのだ。

 雫は、生まれて初めて満たされていた。

 そこからの日々は、今更語るようなことではない。

 

「・・・・・」

 

 そうして、扉は何も映さなくなった。

 

「・・・私は」

 

 今までの過去を振り返るような光景を見て、雫は思い返す。

 久路人に出会って、雫は満たされては飢え、そのたびに恐怖が戻り、また与えられて満たされた。

 単なる蛇だったころとは、苦しみや恐怖の質は昔とは変わっていたが、やはりそれらが雫を突き動かした。

 紆余曲折の果てに、雫と久路人は結ばれた。

 初めて人となった梅雨の晴れ間の満月、初めて想いを交わせた夏の夜に浮かぶ満月を、雫は忘れることはない。

 久路人とは、身も心も、魂すらも深く繋がって、雫は幸福の絶頂にある。

 だから、今の雫は・・・

 

「この世界が、大嫌いだよ」

 

 この世界が嫌いだった。

 ただし。

 

「久路人を狙うクソどもばっかりな、この世界が」

 

 その理由は、大きく変わっていたが。

 

「どうして、久路人が毎日毎日襲われなきゃいけなかったの?どうして、毎日毎日訓練しないといけないの?どうして、旅団とかいう連中と戦わなきゃいけないの?」

 

 雫は、昔からこの世界のことが嫌いだった。

 今では、さらにその感情は強まっている。

 それはひとえに、久路人の存在があるからだ。

 確かに、雫は一時は満たされた。

 だが、世界は、月宮久路人に優しくない。

 だから、雫は世界が嫌いなままだ。

 

「久路人は、何にも悪いことしてないのに」

 

 月宮久路人という青年は、基本的に温厚で、争いを好まない。

 善か悪かで言えば、間違いなく善人だ。

 かつての自分は、今思えば色々と人間に迷惑をかけていたと思うが、久路人は京の助けがあったからとはいえ、今日に至るまでいたずらに人間を傷つけたことはない。

 どうして、今まで久路人が妖怪に襲われてこなければならなかったのか。

 なぜ、血まみれで、死にかけるような目に遭って、神の操り人形にならなければならなかったのか。

 久路人が、一体どんな理由で無法者の集団と戦わねばならないのか。

 

「そもそも」

 

 それ以前の話として。

 

「この世界には、久路人に関わろうとするヤツが多すぎるんだよ」

 

 それが善意であれ、悪意であれ、久路人の特異性は他の存在を引き付ける。

 旅団やそこらの妖怪は勿論、言ってしまえば京やメアだってそうだ。

 最近では、毛部や野間瑠も当てはまる。

 

「久路人が優しいのはわかってる。そこが、久路人のいい所だもん。そんな久路人だから、私と一緒にいてくれたってことも知ってる。けど・・・」

 

 久路人は優しいから、雫以外の人間や妖怪とだって親しくできることは知っている。

 京やメア、リリスや朧には、雫だって感謝している。

 けれども、どうしても思ってしまうのだ。

 

「久路人に、私以外が近づくなよ・・・」

 

 それが、雫の心の中にあり続ける芯だ。

 だから、雫の霊力は『毒』としての性質を得た。

 雫は元々が野生の蛇であり、周りは敵という環境で育ち、真に心を許せるのが久路人のみだからこそ。

 一方の久路人が『薬』であるのは、本人の生まれつきの善性と、人間社会で生まれ育ったからだ。

 多少のイジメはあったが、京という良識ある大人に育てられ、友人もいた久路人は、真っすぐに歪むことなく成長した。

 それを、雫は悪いことだとは思わない。

 だが、そのせいで、自分と久路人の2人だけの世界に、他の異物が入って来ることにはどうしようもない苛立ちを覚えてしまう。

 

「久路人だって、私と同じなんだ。私さえいれば、それでいい。それは、間違いないんだよ・・・」

 

 傍から聞けば、独りよがり極まりない台詞だ。

 しかし、雫の言うことは真実だ。

 久路人と繋がっている雫には、わかる。

 昔ならいざ知らず、今の久路人は、雫と同じなのだと。

 雫に近づく、己以外のすべてに妬心を向けてしまっていることに、それどころか、自身の身に着けていた衣服にすら嫉妬するほどに重い想いを抱いていることに、久路人自身も気付いている。

 だから・・・

 

「久路人は、私の理想を、絶対に断らない!!」

 

 久路人と雫しかいない、誰の邪魔も入らない理想郷。

 そこに逃げ込むことを、久路人は拒まない。

 久路人を密かに人外にしようとした時は、嫌われるのではないかと怯えていたが、今は違う。

 今ならば、多少の罪悪感は抱くだろうが、最終的には受け入れてくれるという確信があった。

 なぜならば、あの桜の木の下で久路人がこぼした言葉は、久路人の心の底から漏れたものだったのだから。

 ならば、あとやるべきことは一つだけ。

 

「造るんだ!!私の理想の世界を!!このクソみたいな世界じゃない、私の、私たちの世界を!!」

 

 雫は、扉を睨みつけた。

 そこには、紅く燃える瞳を宿した己が映っている。

 

「私たちの世界に・・・」

 

 雫は、そこに映る自身に誓う。

 

「私と、久路人以外なんて、いらない!!」

 

 刹那、扉が砕け散り、世界は白に包まれた。

 その瞬間、雫の黒い鎖が震え、雫は本能で理解した。

 

「久路人・・・」

 

 白い世界の中、雫は、ギュッと鎖を握りしめた。

 

 

----

 

 

「ん・・・」

 

 少しだけ冷たい風が吹いてくる。

 そこに混じっているのは、なんだか懐かしくなるような不思議な香りだ。

 やや青臭い草の匂いと日に焼けた土の匂い。

 いろんなものがないまぜになったようで、けれども調和の整った風は、生き物の中に眠る自然への回帰を促すようだった。

 

「・・・・・」

 

 頭がボゥっとする。

 

「・・・僕は」

 

 記憶が判然としない。

 自分は誰で、今まで何をしていたのか、咄嗟に出てこなかった。

 ただ、奇妙な感覚が残っている。

 

「・・・水の中?」

 

 少し前まで、自分は水中にいたような気がする。

 そこに、鎖を付けて漂っていた。

 言葉にすると拷問のようだが、嫌な思いをしたという感じはしない。

 

「・・・・・」

 

 思わず、手首に触れるが、そこには肌の感触しかしない。

 ついさっきまで、そこには白い氷を固めたような輪っかが付いていたはずなのだ。

 氷のようであったが、その冷たさが心地よく、いつまでも付けていたいと思えるようなモノだった。

 その感触がしないことに、僕は寂しさを覚え・・・

 

「あ、起きた」

 

 その声を聞いた瞬間、一気に意識が覚醒した。

 それと同時に、頭の後ろに極上の柔らかさを持った温かな質感。

 

「何ここ?天国?」

「久路人を逝かせるくらいなら、私が天国になるよ・・・って、前もしなかったけ?こんなやりとり」

 

 どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。

 今の僕は、雫の膝を枕にして横になっていた。

 

「久路人ったら、ずいぶん疲れてたんじゃない?突然返事をしなくなったから、びっくりしたよ」

「あはは、そうかも。最近はピリピリしてたからなぁ・・・って!!」

「ああっ!?」

 

 ガバッと、僕は起き上がった。

 なんだか名残惜しそうな雫の声が聞こえたが、それどころではない。

 

「ご、ごめん、雫!!せっかくのお休みを・・・!!」

 

 僕の記憶は、桜の木の下で雫の頭を撫でている内に、雫が僕に体重を預けてきた辺りで止まっていた。

 雫の体温が心地よく、つい目を閉じてしまった時にはすべてが遅かった。

 あの時はお昼だったのに、今は空がオレンジに染まっていることから、昼下がりのほとんどを寝てしまったのは明らかだ。

 おじさんにも無理を言ってもらった休みを無駄にしてしまったことを、僕は心から謝罪する。

 昨日の様子から、雫が僕とここで過ごすのを楽しみにしていたのは、知っていたというのに。

 朝に屋敷で話したように、今日は雫の事だけ考えて遊ぶと約束したと言うのに。

 

「ふふっ、別に大丈夫だよ・・・久路人、一つ忘れてるでしょ?」

「え?」

 

 平謝りする僕に、雫は苦笑しながら続けた。

 

「ここに来た目的は、久路人と二人きりで過ごすっていうのあるけど、しっかり休むってこともあるんだからね?こうやって寝れたってことは、目的達成できたってことだよ・・・私としても、久路人の寝顔がたっぷり見れて満足感あるし」

「雫・・・」

 

 雫は、本当に気にしていないように笑った。

 それは、雫の本心だろう。

 曲がりなりにも恋人以上の関係である僕にはわかる。

 

「ところでさ」

「え?」

 

 そこで、急に雫は話題を変えた。

 

「久路人は、何か夢とか見てた?」

「夢?」

「うん。なんだか、気持ちよさそうに寝てたから、いい夢見てたのかなって」

「夢・・・」

 

 言われて、ふと、先ほどまで残っていた感触を思い出す。

 手首に目をやるが、やはりそこには何もない。

 だが、覚えていることはあった。

 

「なんだか、水の中にいたような気がする。鎖を付けて」

「え?何それ、拷問?そういうプレイがしたいなら、その、付き合わなくもないけど・・・」

「ち、違うよ!!そういうのじゃなくて、今日の午前みたいに、水の中を散歩してるような、そんな感じ・・・いや、散歩はしてなかったかな?ただ、水の中を漂っているだけだったみたいな・・・なんか、気持ちのいい夢だった」

「ふ~ん・・・」

 

 雫の反応を伺うが、これと言って大きなモノはない。

 しかし、僕は何か違和感を覚えた。

 それに気付けたのは、寝起きの頭が落ち着いてきたからだろうか。

 

(なんか、雫の霊力が、少し違うような・・・?)

 

 目の前にいるのは、間違いなく雫だ。

 僕に幻術耐性があるというのもそうだが、雫と繋がっている魂が、そう言っている。

 けれども、僕が眠る前とは、何かが違う。

 いや・・・

 

(僕自身も、何か、おかしい?)

 

 霊力に、微かに違和感があった。

 量そのものは変わらないはずなのに、魂から溢れる霊力がせき止められているような感覚。

 まるで、内側から大きな力が湧き出そうとしているような、鼓動。

 しかし、その力は、あと一歩というところで留められている。

 その一歩は遠く、あと少しだという感じはするのに、まるで堅牢な鍵のかかった扉でも挟まっているようで。

 

「ねぇ、久路人」

「ん?」

 

 先ほどから立て続けに襲い来る違和感の数々に、つい僕が考え込んでいると、雫が僕の顔を覗き込んできた。

 

「その夢、誰か出てきた?」

「え?・・・いや、誰も出てこなかったような・・・でも、誰かがずっとそばにいたような気がする」

 

 僕は、再び手首を見た。

 そこには何もないが、感触は残っている。

 その正体は・・・

 

「雫が、ずっと僕の手を握ってくれていたような・・・」

「そっか・・・」

 

 そうだ。

 確かに、夢に雫は出てこなかった。

 だが、ずっと僕と繋がっていた。

 それが、夢から覚めた今でもわかる。

 むしろ、なぜ目覚めてから今までわからなかったのか。

 

「じゃあ、いい夢だったってことで、いいのかな?その、私と、2人だけでいられて」

「うん。それは間違いないよ。雫の顔が見れなかったのは残念だけど・・・もう少し、寝ていてもよかったかなって思えるくらいには」

 

 姿がなかったのは残念であるが、雫を感じることはできた。

 青い水の中で、そこにあるのは僕自身と雫の温もりだけだった。

 それは、まるで午前中の散歩のようで、激しい喜びこそないものの、とても心が落ち着くものだった。

 そこまで思い返して、僕は立ち上がり、パンパンとズボンについた芝を払った。

 

「それじゃあ、雫、屋敷の方に戻ろうか?」

「うん。そうだね。時間は有限だもん。なにせ・・・」

 

 僕が雫に手を差し出すと、雫は淀みなく僕の手を握って立ち上がる。

 そして、雫は立ち上がりながら、こう言った。

 

「明日には、『ここ』を出なきゃいけないもんね」

「っ!?」

 

 ピタリと、歩き出そうとした足が止まった。

 

「・・・久路人?」

 

 不意に動きを止めた僕に、雫は静かに声をかける。

 けれども、僕は動けなかった。

 雫の一言は、まるで巨大なハンマーのように、僕を揺さぶったからだ。

 

「ここを、出る?」

「うん。そうだよ。私たちは、帰らなきゃいけないでしょ?」

 

 オウム返しのように虚ろな僕の声に対して、雫の口調はやけに明るい。

 しかし、それと反比例するように、その瞳は無機質だった。

 

「・・・帰る?どこに?」

「私たちの家だよ。この世界の外。京とメアが住んでいる、家の隣」

「ここの、外」

 

 足が動かなかった。

 石か鉄にでも変わったようだった。

 もしも、ここで動いてしまったら、よくないことが起きるような気がした。

 とにかく、僕は・・・

 

「帰りたくないの?」

「っ!?」

 

 雫が、鼻の先と先がぶつかりそうなくらい、すぐ近くにいた。

 僕の瞳を、真っすぐに覗き込んでいる。

 

「どうして?なんで、久路人は帰りたくないの?」

「それは・・・」

 

 僕は口ごもった。

 そう、僕は帰らなければならないはずだ。

 ここにいるのは、一日だけ。

 ほんのわずかな休暇のはずだ。

 外の世界では、僕の身を狙う連中がいて、僕らは対抗するために力を付けねばならないのだ。

 

(外の、連中・・・)

 

 

--ギリッ

 

 

 僕の歯から、嫌な音がした。

 

「血、出てるよ」

「え?」

「勿体ない・・・あ~ん」

「っ!!」

 

 気が付けば、僕は血が出るほどに歯ぎしりをしていた。

 僕の唇の端から漏れる血を、雫が指で拭って、口に運ぶ。

 その動きは、やけに艶めかしく映った。

 

「わっ・・・」

 

 僕は、衝動的に雫を押し倒していた。

 

「ハッ、ハッ、ハッ・・・!!」

「・・・久路人」

 

 突然の行動であったのに、雫に驚いた様子はなかった。

 先ほどまで作り物のようだった雫の瞳に、粘着質な熱が宿っているのに気が付いたが、そんなことでは僕は止まれなかった。

 自分の心臓の鼓動と、息がうるさかったが、それも障害にならない。

 僕はそのまま、雫の着物に手をかけ・・・

 

「私を、自分だけのモノにしたいんだね?」

 

 雫の言葉で、手を止めた。

 

「私を、久路人だけのモノにする。私のやることなすことすべてを、久路人だけが見ているようにしたい。私の心の中を、久路人だけで埋めて欲しい。京や、メアのことだって考えて欲しくない。今ここでやろうとしているのは、外に出たら、『他のヤツ』が邪魔してくるかもしれないから。ここなら、私たちしかいない、『2人だけの世界』だから。この世界で私に消せないくらい久路人を刻んだら、外に出ても私は久路人のモノだから・・・違う?」

「雫、僕は・・・」

 

 それは図星だった。

 降ってわいたような己の中の衝動に形を与えられ、冷水をかけられたように僕は止まってしまう。

 雫は、そんな僕を見てクスリと笑うと、僕の手を、己の着物の中に滑り込ませた。

 僕の手に、柔らかな膨らみの感触が伝わる。

 

「私、嬉しいよ」

「雫」

 

 雫は、笑っていた。

 三日月のようにひび割れて不気味な、それでいて目が離せないくらい艶めかしい色気の滲んだ、矛盾する笑み。

 その唇が開く。

 

「やっと、やっと久路人もそこまで考えてくれるようになったんだね」

「・・・・・」

「私はね、ずっと前からそうだったんだよ?ずっと、そうなったらいいなって思ってた。久路人が、私のことだけを見て、私のことだけを考えてくれたらって」

「・・・・・」

 

 僕は喋れなかった。

 雫の言葉を、咀嚼していた。

 理解できた端から、僕の心は震えていく。

 

「ねぇ、久路人」

 

 そして、雫は、その言葉を口にした。

 

「『邪魔』なヤツが、多すぎるって思わない?」

「・・・っ!!」

 

 ビクリと、僕は震えた。

 

「私たちの仲を引き裂こうとするヤツが、たくさんいるって考えたことない?」

 

 僕の脳裏に、様々な記憶が蘇った。

 普段から、僕と雫が一緒にいると、襲い掛かってきた妖怪たち。

 雫と密かに話している時に、無粋にも話しかけてくる人間たち。

 僕と雫を、実際に引き離した九尾。

 雫に傷をつけやがった吸血鬼。

 雫を好きな僕に、お見合い状を送り付けてくる霊能者。

 雫を殺そうとした、月宮久雷に霧間八雲。

 僕を狙っていると言う、旅団。

 

「例えそこに悪意なんかなくたって、私たちが本当に2人だけになれる場所って中々ないよね」

 

 小さいころから、僕と雫はおじさんとメアさんの2人の近くで暮らしている。

 おじさん達には、たくさんお世話になった。

 何度感謝してもし足りないくらい、恩義を感じているのは間違いない。

 朧さんやリリスさんには、危ない所を助けてもらったことがあるし、雫は背中を押してもらったらしい。

 リリスさんがいなければ、雫は立ち直れず、僕とこうして結ばれることはなかった。

 そう思えば、一生かけても返せないくらいの恩ができている。

 とてもいい人たちというのもあるが、何かあればすぐに助けになりたいと思っているのは本心からだ。

 池目君や、判侍君、毛部君に野間瑠君。物部さんたち。山坊や、ミィ、三郎たち、白流警備隊。

 僕が人間だったころ、平和に暮らせたのは男友達の彼らがいたからだし、毛部君たちや白流警備隊に至っては、この街を守るために力を貸してくれている。

 雫に人間の女友達ができるのは、きっと良いことに違いない。

 そう思っているのは、心の底からのモノだというのは、はっきりした確信がある。

 だが・・・

 

「いいヤツだっている。感謝だってもちろんしてる。何かあれば、力になりたいって思ってる。それは本当だよ?でもさ・・・『邪魔』だなって思ったこともあるでしょ?」

「・・・・・」

 

 僕には答えられなかった。

 それでも、心の奥底の僕は叫んでいた。

 それは、僕の中にずっと前からある、一本の芯。

 

 

『僕の雫に、関わるな』

 

 

「・・・・・」

 

 ずっと昔からそうだった。

 雫にも指摘されたことはある。

 僕は、独占欲が強すぎる。

 雫が、他の人間に見られないことに安堵した。

 雫が毒を振りまいて、他の男が寄ってこれないことに歓喜した。

 だから、ずっと、無意識であっても思っていたに違いない。

 

「僕と、雫だけの・・・僕たちしかいない場所が、あればいいのに・・・!!」

 

 それは、僕の中にずっと眠っていた願い。

 これまでは、まずは雫と結ばれることだけを考えていたから、気付く余裕がなかった。

 だが今では、僕と雫は生涯を誓い合った仲だ。

 だから、それが目覚めるのは時間の問題で、この白竜庵という世界で、一時とはいえ満たされてしまった。

 もう、この欲望から、目をそらすことはできない。

 それは、散々他の人たちの助けを借りていた分際で、なんと器の小さく、浅ましいことだろうか。

 

 

--ドクン!!

 

 

「っ!?」

 

 僕の中で、何かが脈打ったような感覚がした。

 

「いいんだよ」

「雫・・・」

 

 驚き、自分の胸に手をやろうとした僕を、雫は止めた。

 僕の手が食い込むくらい、己の乳房に押し付ける。

 

「言ったでしょ?私も、同じだって」

 

 そんな痛みなどまったく気にしていないように、雫は艶然と笑う。

 

「造ろうよ、久路人。私たちの、理想の世界を」

「理想の、世界・・・」

 

 『そう』と、雫は頷いた。

 

「私と、久路人の理想は同じモノだよ。なら、絶対に造れるよ。だから、もう一度、言ってみて欲しいな」

「僕の、願い」

 

 唐突に、視界が白く染まった。

 僕と雫は、湖の中にいるかのように、白い世界の中にいた。

 その白い何かは、僕のよく知るモノだ。

 

(雫の、霊力)

 

 僕らを包んでいるのは、雫の霊力だった。

 世界一つを構築できそうなほどの膨大な霊力が、辺りに満ちていた。

 そして、僕は前方に気配を感じた。

 

(黒い、扉・・・)

 

 その扉は、黒い鎖で厳重に封鎖されいる。

 しかし、鎖は扉から溢れるモノを抑えきれていないように、千切れかけていた。

 

 

--ジャラリ

 

 

 すぐ近くから、金属の擦れる音がした。

 見れば、僕の右腕には黒い輪、左腕には白い輪が嵌っている。

 輪からはそれぞれ鎖が伸びていて、それは雫の両腕に嵌る輪に繋がっていた。

 鎖を見る僕を、雫はギラギラと燃える瞳で見つめている。

 

 

--ドクン!!

 

 

「っ!?」

 

 

 白い輪から、何かが伝わってきた。

 粘ついていて、真っ赤に煮えたぎった、溶岩のような何か。

 それは雫の霊力かもしれないし、雫の血なのかもしれないし、雫の心なのかもしれない。

 だが、それが決め手だった。

 そこから伝わったモノは・・・

 

「僕の、願いは・・・願いは!!」

 

 僕の抱くモノと、まったく同じだったから。

 

「僕と、雫以外が、存在しない世界!!」

 

 僕がそう告げた直後。

 黒い扉を縛る鎖が砕け散って、扉が開く。

 そして・・・

 

「雫」

「久路人」

 

 お互いから伸びる鎖を絡みつかせ、僕らは唇を重ねる。

 刹那、世界に黒と白が混じり合った。

 

 

----

 

 

 この日、日本の『二か所』で、膨大な霊力が湧き上がった。

 

 一つは、白流れの地。

 白流には七賢の京によって結界が張られているが、その結界が大きく揺らぐほどの大きな反応だった。

 それは、『神格』に至った存在が現れた証。

 

 

『『ォォォォオオオオオオオオオオオッッ!!!』』

 

 

 天に昇っていく、黒と白の霊力の奔流が、その力強さを物語っていた。

 

 

 もう一か所は、かつて久路人たちも訪れた、葛城山。

 観光地として栄えるかの土地は、霊脈が表出する地点でもあり、霊地の一つ。

 今、そこに張られた結界は破られ、その機能も停止した。

 異能の力を隠してきたベールが剥がされ、人々は目にすることになる。

 

 

『『グォォオオオオオオオオオオオオッッ!!!』』

 

 

 おぞましい叫び声を上げながら、かの地に現れた双頭の獣を。

 

 

 人間たちを、現世を守り続けてきた、固く閉ざされてきた忘却界。

 この日、その強大な壁に、大きな亀裂が走ることとなる。

 




そして、重ねてもう一つお詫び。
もしかしたら新作書くかもしれないです(無論、ヤンデレヒロインもので)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エリコの壁1

お久しぶりです。
リアルで資格試験とか新しい作業場とかで色々あったという言い訳・・・
資格試験は終わったけど、仕事はまだまだ面倒なので更新頻度はどうなるかワカリマセンが、エタだけは、エタだけはすまい!!


「おかしい、何かが変だ・・・」

 

 久路人たちが白竜庵に入った後のこと。

 学会より葛城山に派遣されたその男は、違和感に気付いた。

 

「霊脈が乱れている・・・」

 

 男は、以前に九尾によって操られていた霊能者の一族に代わって葛城山の管理を任されていた。

 その仕事には霊地を覆う結界の点検も含まれており、男は普段の業務の一環として山を歩き回っていたのだが、結界にわずかな揺らぎがあったのだ。

 葛城山に展開している結界は、内部で『穴』が発生するのを抑制するほか、妖怪の力を弱める効果や、外部からの霊能者の侵入を知らせる機能がある。

 その動力源は霊地にあふれ出る霊脈由来の霊力であり、結界の揺らぎは霊脈に原因があることはすぐにわかった。

 

「だが、原因がわからん。白流の方で霊脈に大きな異変があったのは知っているが、ここにまで影響があるはずがない」

 

 一か月ほど前、葛城山から県をいくつか隔てた白流にて、周辺の忘却界が崩壊するほどの異変が起きた。

 その真相は以前から学会が注目し、七賢三位の『巨匠』の保護下にあった神の血を引く青年によるものであったが、その影響で白流の霊脈は大ダメージを受けた。

 白流を霊的に治める巨匠によってすぐさま対応措置が取られた他、常世に常駐する七賢七位の『鬼門』を呼んで結界の補強を行ったことで被害は最小限に抑えられたが、それでもつい最近まで霊脈は安定していなかったようだ。

 しかし、その余波が葛城山まで届いているのならば、他の地域でも異変が起きているはずであるが、そんな話は聞いていない。

 今のところ、結界の揺らぎはわずかなモノであるが・・・

 

「念のため、霧間と白流に一報を入れておくか」

 

 この葛城山では、数年前に九尾が復活して大きな騒動を起こしたことがある。

 あの時は一般人には被害はなかったが、一歩間違えば多くの人間に異能の存在が発覚する可能性もあった。そうなれば、学会が最新の注意を払っている忘却界の維持にも悪影響を及ぼしていただろう。

 九尾は討伐されたが、この霊脈の異常に他の大妖怪が関わっている可能性もある。

 ならば、万が一のために備えはしておくべきだと男は判断した。

 そうして、ポケットにしまっていた携帯を取り出そうとした時だ。

 

「うおっ!?」

 

 ズドンッ!!という轟音が響くと同時に、大きな地震が起きた。

 強烈な揺れのせいで、電話を掛けるどころか立っていることすら難しくなり、男は地面にへたり込む。

 

「け、結界がっ!?」

 

 揺れとともに霊脈の流れが一気に洪水のように乱れ、荒れ狂う。

 その結果、葛城山の結界が崩壊した。

 

「こ、これはマズい!!一体何が起きたんだっ!?いや、とにかく報告を・・・っ!!」

 

 揺れはすぐに収まり、男も立てるようになったが、霊脈は荒れたままだ。

 当然、結界も壊れたままである。

 学会から派遣されてきただけあって男も優秀な霊能者ではあったが、これはどう考えても男にどうにかできるレベルを超えている。

 結界が崩壊した以上、霊地であるこの土地は常世との通り道である穴がいつ開いてもおかしくない。

 そのように慌てる男に次に襲い掛かってきたモノは、音だった。

 

 

--グォォオオオオオオオオオオオオッッ!!!!

 

 

「ひっ!?」

 

 身の毛のよだつような獣の咆哮。

 なぜか二重に聞こえる吠え声が聞こえた瞬間、男は完全に動けなくなった。

 再び地面に倒れ込んだ男の、さっきまで頭があった場所を、大きな何かが通り過ぎていく。

 

「あ、あれは・・・」

 

 へたり込んだまま茫然と上を見ることしかできない男の目に、その姿が映る。

 黒い髪の毛のような体毛に、人間の足を無理矢理据え付けたような四肢に、同じく人間の腕でできた九本の尻尾。

 そして・・・

 

--ガァアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!

 

 

 血の涙を流しながら吠える、男と女の首。

 

「きゅ、九尾、なのか・・・?」

 

 凄まじい勢いで山を駆け下りていく九尾のようなおぞましいナニカを見送ることしかできないまま、男はそう呟くのだった。

 

 

----

 

 

「遠隔召喚成功~っ!!」

 

 葛城山の麓に広がる街のさらに隣街。

 あるホテルの一室で、マリは画面に映る九尾を見ながらケラケラと笑った。

 映像は、葛城山に飛ばしたドローンから送られてくるもので、ドローンそのものには異能の力は何も込められていない。

 そして、妖怪は基本的に写真や映像に映っても霊能力のある人間にしか見えないのだが・・・

 

----

おい、なんだアレ!!

 

合成?CGじゃないの?

 

キモッ!?っていうか怖っ!?

 

マリネさん、いつもと動画の空気違いすぎない?

 

やらせか?

 

----

 

「ふふふっ!!よかったっ!!みんなにも見えてるねっ!!」

 

 動画に流れるコメントを見る限り、普通の人間にも見えているようだ。

 九尾という妖怪が規格外の力を暴走させているような状態であることや、普段妖怪の力を抑制する結界が崩壊している影響だ。

 

「これで、『エリコの壁』の第二段階は終わりだねっ!!それにしても、計画の名前がエリコの壁なら、さっきの吠え声はラッパの音の代わりかなっ!!」

 

 『エリコの壁』

 

 それは、聖書に記述される言葉だ。

 エリコという堅固な壁をもつ都市を、神の命を受けた男が攻略したエピソード。

 都市の外壁を周り、ラッパを鳴らしたのを合図に、神の加護によって壁が崩壊したという逸話だ。

 神という存在が実在こそすれど現世への干渉を望んでいない以上、この伝説が真実であるかは不明ではあるが、ヴェルズはその名を計画に刻んだ。

 そこには、ヴェルズなりの思惑があったのだろう。

 

「神様が世界を守るために造らせたっていう忘却界を壊すための計画が、エリコの壁。ヴェル君も皮肉な名前付けるな~。ま、どうでもいいけどさっ!!」

 

 忘却界の破壊。

 それが、旅団に所属する者たちの多くに共通する目的だ。

 強い者が現れるのを促すため。

 主の望みを叶えるため。

 良質な餌を求めるため。

 霊能力を持つ者こそが上に立つべきという理念のため。

 世界の危機に立ち上がるだろう者たちを呼び込むため。

 

 忘却界を壊した後の展望はバラバラだが、旅団はそのために行動してきた。

 まず第一段階として、忘却界内部での異能の存在の流布。

 これは主にマリが作成した術具を方々にばら撒き、人間の構成員が起動することで、各地で意図的に怪異を発生させた。

 これによって直接襲われた者はもちろん、その周囲の人間も怪異の存在を知ることになる。

 他にも、旅団がヴェルズにまとめ上げられる前から行ってきた忘却界内での異能を使った犯罪行為や、霊地における妖怪の襲撃も一役買っている。

 だが、それだけでは世界中の人間によって維持される忘却界を崩すことは難しい。

 

「そのための、この第二段階だけどねっ!!」

 

 第一段階で異能の存在を知る者を増やした後の作戦である第二段階。

 それこそが、今行われている人為的な霊脈の乱れによる結界の崩壊と、大妖怪クラスによる襲撃だ。

 霊脈の乱れについてはヴェルズがまとめ役となってから行われてきたが、つい最近の白流での霊脈異常により、常世のどの部分を刺激すれば現世に影響が出るか判明したのは望外の幸運であった。

 しばらくは月宮京への牽制のために白流に繋がる霊脈を荒らしたが、ヴェルズのアンデッドの調整に目途がついたために、本命である葛城山の霊脈を攻撃したのである。

 霊地としての格はもちろん、観光地として有名であり一般人のアクセスも簡単なこの山は、妖怪の脅威を知らしめるのに最適だったのだ。

 

「ただの妖怪が少し暴れたくらいじゃあ、簡単にもみ消されちゃうだろうけど・・・あの九尾相手じゃそうもいかないよねっ!!」

 

 そこで、マリは画面に向き直った。

 画面の中では、九尾が山を降り、街に踏み出そうというところだった。

 

「あれ~?山の中にいた連中には手を出さなかったんだっ!!ま、いっかっ!!」

 

 

--グォォオオオオオオオオオオオオッッ!!

 

 

 唖然とする街の住民の視線を受けながら、道に停まっていた車を踏みつぶし、九尾は吠えた。

 それを見て、マリは唇を歪める。

 

「すぐに、いっぱい死んじゃうだろうしねっ☆!!アッハッハッハハッハッ!!」

 

 自分の理想の世界が目前に来ていることを感じ、哄笑を上げ・・・

 

「アッハッハッハハッ・・・・・は?」

 

 そのまま九尾による虐殺を観戦しようとして、その笑みが固まった。

 スマホを放り投げ、ホテルの窓を開けて遠方を見やる。

 

「何、この霊力・・・」

 

 マリの見ている方向は、白流の地。

 そこから、目に見えるほど強大な黒と白の霊力が立ち上っていた。

 

『グルルル・・・』

 

 画面の中で、九尾もまた動きを止めて警戒しているのに、マリは気付くことがなかった。

 

 

 

----

 

「おじさんっ!!」

「メアっ!!この霊力は何事だっ!?」

 

 僕と雫の願いを改めて形にした直後、僕たちは強烈な霊力を感じた。

 それは、霊脈を動力源としているとはいえ、白竜庵にまで届くほどのモノ。

 しかも、僕たち2人にとって非常に因縁の深いモノのそれであったのだ。

 目的を達成したこともあり、若干名残惜しさを感じつつも、僕たちはすぐに外にいるおじさんたちに会いに行った。

 

「お前ら・・・その感じだと、ギリギリ間に合ったみてぇだな」

「ええ。ここでまだ至っていないようでしたら、苦戦は免れなかったでしょう」

 

 裏庭から飛び込んできた僕たちを見て、おじさんとメアさんはそう言った。

 どうやら、僕たちが『神格』に届いたのを察したようであるが、僕らの表情を見て、『まあ、それよか説明か』と知りたいことを教えてくれた。

 

「ついさっき、葛城山にいたヤツから連絡があった。それによると、九尾が出たらしい」

「九尾・・・確かにこの霊力はそうだ。しかし、ヤツは久路人と妾が・・・」

「いや、待った雫。確か、僕が人外になった日におじさんたちが死霊術師に会ったって」

「はい。私と京はアンデッドとなった九尾を目撃しています。今現れているのは、その個体でしょう。そして、あれほどのアンデッドを忘却界を通して運ぶ術を持つのは、旅団の死霊術師であるヴェルズのみ。まず間違いなく、旅団の仕業です」

 

 九尾。

 それは、僕と雫にとって忘れたくても忘れられない存在だ。

 僕と雫が結ばれるのを妨げた存在であり、僕たちが心の底から繋がるきっかけになった存在でもある。

 

「・・・・・」

 

 隣を見ると、雫が神妙な顔をしていた。

 つい最近作戦会議をしていた時もそうだったが、雫は九尾に対して僕以上に複雑な感情を抱いている気がある。

 

「それで、これからどうするの?」

 

 雫に代わって、僕が話を切り出した。

 こんな遠方の白流市まで届くような霊力をまき散らしている存在だ。

 まず間違いなく放っておけば大災害を超える被害になるだろう。

 絶対に止めねばならない。

 

「京・・・もし行くのならば、妾たちも連れて行け。お前が久路人のことを想って白流に留めておきたい気持ちはわかる。だが・・・」

「いいぞ」

「この件は、妾たちが・・・何?」

「え、いいの?」

 

 珍しく雫が真剣な顔でおじさんに頼み込んだが、あっさりと許可が得られた。

 

「神格に至っていないようならば、決して許可できませんでした。しかし、今の貴方たちならば問題ないでしょう」

「ここからでも分かるが、九尾は俺たち七賢並みだ。それに加えて、多分だが旅団の幹部もいるだろうからな。もしも黒狼がいるようなら、俺たちと朧たちだけじゃあ良くて五分五分だが、お前らがいれば勝算が出てくる」

「意外だな。妾たちが神格を得てから一時間も経っていないというに。てっきり訓練をしてからだと思ったぞ」

「陣は願いの具現化したものです。使い方は練習なぞしなくても理解できているでしょう?」

「それは、うん」

「問題ないな」

 

 メアさんに言われて、僕と雫はお互いの視線を交わして頷き合う。

 そう。今の僕たちには、この身体から溢れんばかりの力の使い方が手に取るように分かる。

 なぜなら、それは僕らの理想を叶える術だからだ。

 ソレがどのような力で、どのタイミングで使い、どのような結果をもたらすのか、すべてを把握できていた。

 

「よし、そうと決まれば行く準備だが、その前にだ。毛部、野間瑠!!あと物部姉妹っ!!」

「は、はいっ!!」

「何ですか、京さんっ!!」

「わわっ!?バレてたっ!?」

「最初からそんな気はしてましたけどね・・・」

 

 おじさんが手を叩くと、すぐ近くの物陰から黒い影が二つ跳んできた。

 もはや見慣れた光景ではあるが、本当に忍者のようである。

 そして、その後から物部姉妹が歩いて来る。

 物々しい雰囲気を感じて、おじさんたちを見ていたのだろう。

 

「話は聞いてただろうが、俺たちは今から白流を出る。ここの護りは任せたぞ。そこの色ボケどものせいで起きた霊脈異常にも対応できるように結界も造り替えてあるからな。大物も早々入っては来れねぇよ。お前らならできる」

「各小隊長にもご連絡をお願いいたします。白流警備隊合格試験に受かったのです。自信を持つように」

「「「「は、はいっ!!」」」」

 

 おじさんは、毛部君と野間瑠君を激励するかのように肩を叩くと、『お前らはそこで待ってろ』と言って、屋敷の方に歩いて行った。

 メアさんも、物部姉妹の目を見て語り掛ける。

 4人とも嬉しそうである。

 

「なんか、おじさんがあんな風に励ましてるところ、僕見たことないんだけど・・・」

「うん。私もメアが素直に『自信もちなさい』って言うとか軽く信じられないよ」

 

 ここ最近の修行がきつかったから、おじさんたちが優しいのに物凄い違和感を覚える。

 雫もなんか微妙な表情だ。

 そんな僕たちの方に、4人が駆け寄ってきた。

 

「月宮君たち、今からこのヤバい感じがする方に行くんだよな・・・?」

「俺たちは京さんに言われたようにこの街を守るよ。訓練もしてきたしね」

「水無月さんたちにこんなこと言うのもおかしいけど、気を付けてね」

「帰ってきたら、何があったか教えてくださいね!!」

 

 4人とも、心配そうな顔だった。

 普段の癖で、毛部君と野間瑠君は僕、物部姉妹は雫に話しかけているが、今はもう片方にもチラチラと視線を向けている。

 そんな顔を見ていたら、流石に微妙な気分も消えたが・・・

 

「「・・・・・」」

 

 一瞬、僕と雫はお互いの目を見やった。

 互いの霊力を確認し、その昂りをチェックして、パスを介して念話する。

 

(・・・これぐらいなら、大丈夫だね)

(うん。まあ、こいつらが私たちを心配してるのも本当だろうからね)

 

「月宮君?」

「水無月さん?」

 

 一瞬だけのつもりだったが、少し長く目を合わせていたらしい。

 4人が、怪訝そうな顔をしていた。

 

「いや、なんでもないよ。ごめんね・・・うん、行ってくるよ」

「誰に物を言っている。土産話は用意してやるから、お前たちも気を付けるのだぞ」

 

 僕らはそう言い合うと、4人は屋敷にある設備を確認しに戻っていく。

 その後ろ姿を見ながら、僕は呟いた。

 

「メアさんが言うように、使い方はわかるけど、抑える訓練はしなきゃいけないな」

 

 後少し、雫を見られていたら危なかったかもしれない。

 目覚めたばかりだからかもしれないが、己の中で荒れ狂う力が、今にも外に出そうな感覚がする。

 

「本当にね。後ちょっと久路人と話してたら、ここで使ってたかもしれない。そうなったら・・・」

 

 一拍置いて、雫は言った。

 

「あいつら、全員死んでたよ」

 

 




設定

(プリズン)

死霊術師や精霊術師と呼ばれる術者が使用する高等な術。
契約した死霊や精霊などは、常に術者から離れられない。
モノによっては非常に大型になるモノもいるため、術者はそれらの非戦闘時の扱いに苦労することになるのだが、高位の術者の場合はマヨイガのような専用の空間を構築し、そこに保管することでその問題を解決している。
そういった空間の中は時間が止まっており、劣化することもない。
術具に込めることも可能であり、術具を休眠状態にすれば短時間ならば忘却界の中でも保管可能。
ただし、保管できる数や期間、忘却界でのタイムリミットは、術者の力量と契約した存在の格に依存する。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エリコの壁2

無言投下。



「う~む!!間に合わなかったか!!」

 

 夕闇に染まる葛城山の中腹にある社。

 麓で起きた騒ぎが広まって観光客も逃げ去って閑散とする中、趣味の悪い髑髏が乗った帽子を被った男は口を開いた。

 男の名はゼペット・ヴェルズ。

 奔放な黒狼や本能に忠実な戦鬼に、妄執に取りつかれた勇者に代わって旅団を統率する死霊術師である。

 彼が見ているのは、白流の方向であり、空に吹き上がる黒と白の霊力だ。

 その奔流が発生したのは少し前のことだが、未だにその残滓は色濃く残っている。

 そして、その霊力が指し示すのは、ヴェルズの狙っていた標的がさらに強い力を得たということである。

 

「う~む!!できることなら神格に目覚める前に手中に収めたかったんだがねぇ!!ただでさえ京たちがいるというのに、あれほどの力を持ってしまうとは、これは苦労しそうだなぁ!!まあ、それだけ質が上がったということでもあるが!!」

 

 ヴェルズの目的は、神でも妖怪でも人間でもない強力な『龍』属性を有し、万物を強化する『薬』としての性質を持つ久路人の霊力。ひいては久路人そのものだ。

 彼としては久路人が人外となった直後を狙うつもりだったのだが、月宮久雷の襲撃から久路人を庇ったことや京とメアに倒されてしまったこともあり、行動を起こすのがここまで遅れてしまった。

 神格を得たことでさらに霊力の質は上がったが、それだけ捕えにくくなったということでもあり、ヴェルズにとっては面倒な事態である。

 

「ボクの目的を考えれば、ここで旅団を抜けても良かったのだがね・・・!!」

 

 旅団の目的は忘却界の破壊である。

 しかし、ヴェルズのみは破壊『だった』と言える。

 久路人の存在を知る前、ヴェルズが学会を追放された当初のことであるが、彼は至上の願いを叶えるために再び学会の『魔人』の助力を得ることを目論み、忘却界の破壊を交渉の材料とするつもりであった。

 そのために力を求めて旅団をまとめ上げたのだが、久路人を発見したことで事情は変わった。

 久路人さえ手に入れば、わざわざリスクの大きなことをする必要はない。

 忘却界の破壊にせよ、己よりも強く凶悪な者どもをまとめ上げるのも、どちらも非常に危険であり、手を切れるのならばそれに越したことはなかった。

 『エリコの壁』を進めたのは、久路人を釣るためであり、第二段階までならばまだ己に危害が及ぶ可能性が少ないからでもあり、京を抑えるための壁である他の幹部への飴でもあった。

 他のメンバーが七賢を相手している間に久路人を倒し、そのまま旅団を抜けられれば理想的であったのだが、どうやらそれは困難なようだ。

 

「ふむ!!やはり、まだ旅団を切るわけにはいかないか!!中々に扱いにくいメンバーだから、色々とあぶなかっしいのだがね!!う~む!!しかし!!それでは今の状況はよろしくないな!!」

 

 ヴェルズは、自らが従える無数の蟲のアンデッドを介して状況を確認する。

 下僕を介して映るのは、かつて己が『祝福』した狐と人間の夫婦だ。

 人間を憎み、世界を憎み、それらの感情がむき出しのアンデッドとなった今ならば、あの怪物は解き放てばこちらが何をするでもなく殺戮を繰り広げるはずだった。

 しかし、九尾に動きはない。

 遠くの空を見つめたまま、身体を地面に着けて休んでいるように見える。

 まるで、強敵がやってくるのに備えるように。

 そして、九尾が止まっている間に周囲の人間たちは逃げてしまっていた。

 大妖怪による恐怖を人間に知らしめるための『エリコの壁』第二段階であるが、これでは効果が薄い。

 多くの者が無惨に殺され、その屍が晒されて初めて、人間は異能の化物を信じざるを得なくなるのだから。

 

「今、彼らはマリが操っているはずだが・・・さすがに距離があるか!!」

 

 死霊術師や精霊術師といった、他の存在と契約して使役するタイプの術者にとってネックとなるのは、力と距離だ。

 強い存在ほど従えるのは難しく、距離が離れるほど制御はおぼつかなくなる。

 ヴェルズが九尾を従えていた時は常に自分の近くに置いていたし、契約が切れたのも、ヴェルズが媒介としていた分霊が京たちによって消滅したからだ。

 マリには死霊を操る『鍵』を渡してはあるが、確実にマリよりも強いであろう九尾に指示を出すには、忘却界の中は遠すぎるようだ。

 

「愛し合う夫婦が文字通り一つとなった今、万が一ってこともあるからボクが操るのも勘弁願いたいねぇ!!」

 

 かと言って、ヴェルズに今の九尾を支配下に置く気はない。

 あの九尾に宿る二つの魂は、完全にパスが繋がっており、ヴェルズの力量を超えうる。

 愛し合う者同士をくっつけるというのはヴェルズの美学であるが、完全に手綱を握れているのならばともかく、一度断たれた契約をもう一度あの怪物と結ぶとなれば、さすがに無視できないリスクとなる。

 それは、九尾がマリの支配下に入っても変わらない。鞍替えをさせようとすればその瞬間に九尾は自由となる。

 そもそもマリに火中の栗を拾わせたのもそのリスクが理由であり、マリ本人は気付いていないが、返り討ちに遭う可能性も充分あった。

 そしてなにより、あの九尾が今後使い物になる可能性は低い。

 七賢第二位や三位の伴侶のように想いの通じ合った相手によって完璧に調整の行き届いた器ならばともかく、あのような腐りかけの肉体ではあの力には長くは耐えられない。

 たった一度きりしか使えないもののために己の消滅を天秤に乗せるのはヴェルズも御免だった。

 彼には、叶えなければならない願いがあるのだから。

 

「む!!」

 

 そこで、ヴェルズは視線を向ける方向を変えた。

 彼が見ているのは、霧間谷のある方角。

 そちらから、強大な気配がぶつかり合うのを感じたのだ。

 

「どうやら、向こうも始まったようだねぇ・・・!!」

 

 葛城山は、霧間谷からそう離れてはいない。

 大きな異変があれば、京たちよりも七賢第五位のコンビの方が先に駆けつけてくるのは自然だ。

 だからこそ、九尾による殺戮を邪魔されないために旅団は手を打っていた。

 

「ふふ、久しぶりの兄妹の再会だ。喜んでくれるといいねぇ!!・・・おっと!!」

 

 霧間谷を見ながら笑みを浮かべるヴェルズであったが、今度は白流の方角を向く。

 蟲の映す視界には、上空を高速で移動する小型飛行機があった。

 

「白流にも本当はもっと色々仕込みをしておきたかったんだがね・・・うーむ!!やはりあそこでボクがやられてしまったのは痛かったなぁ!!だがまあ、今更過去を悔やんでもしょうがない!!切り替えていこうじゃあないか!!」

 

 ヴェルズは立ち上がると、髑髏があしらわれた杖を振るう。

 すると、ヴェルズの身体が影に沈んでいった。

 

「京は抑えてあげよう。だから、君には期待しているよ?マリ!!」

 

 その言葉と共に、ヴェルズの姿は社から消える。

 後に残るのは静寂のみであった。

 

 

----

 

 同時刻。

 霧間谷。

 日本有数の霊能者の名家であった霧間一族が管理していた霊地。

 霊脈の影響か、一年中霧が立ち込める谷。

 

「朧!!まだなの!!」

「少し待て、リリス」

 

 金髪をツインテールにまとめたゴスロリの少女と、燕尾服に身を包んで携帯を眺める青年がいた。

 少女は学会七賢第五位のリリス。男の方はその夫の霧間朧。

 2人ともにさきほど葛城山から発せられた異様な霊力を感じ、臨戦態勢となっているが、未だに霧間谷にととどまっている。

 リリスは、険しい顔で葛城山を睨みながら口を開く。

 

「まったく・・・!!死霊術師ってのはこれだから嫌よね!!殺したと思った相手を何度でも利用してくるんだもの。よりによって九尾だなんて面倒なのを蘇らせてくれるわ」

「焦るな。相手は幻術に長けた神格持ち。それに加えて旅団の幹部もいる・・・自分たちだけが向かっても分が悪い。まずは京さんと合流だ」

「わ、わかってるわよぅ・・・」

 

 朧の指摘に、リリスはばつが悪そうに口を尖らせる。

 葛城山で異変が起きた直後、リリスは高貴なる義務を果たすべく、真っ先に向かおうとした。

 それを首根っこを掴んで止めたのが朧である。

 幻術使いの頂点にいる九尾に、単独で七賢とその伴侶の2人に相当する旅団の幹部がいるとなれば、朧の言うように分が悪い。

 幻術というものの厄介さを、霊能者の名家である朧はよくよく知っていた。

 だからこそ、対抗手段を持っているであろう京との合流を待つことにしたのだ。

 そこで、朧の携帯が振動した。

 

「もしもし・・・はい、もうすぐそちらを出るのですね?久路人君たちも来る、と。なるほど、白流から感じた霊力はそれで・・・はい、わかりました。我々も出ます・・・では失礼します」

「朧!!京はなんて!?」

「京さんたちも白流を出たそうだ。京さんたちの足なら30分程度だろう。自分たちもそれに間に合うように向かえとのことだ。そして、久路人君たちも来る。2人とも神格に至ったそうだ」

「そう、あの2人・・・こんなときじゃなきゃお祝いに行ったんだけど、今はしょうがないわね!!すぐ行きましょう!!アタシの馬車ならちょうどそのくらいよ!!」

「ああ。祝言は直接会って言うとしよう」

 

 京からの連絡を聞くや否や、リリスは魔法を使い、亡霊場の馬車を召喚した。

 リリスは人外の扱う術全般、特に人外化と使い魔の権威だ。

 馬車には七賢に支給される術具が仕込まれており、忘却界の中も通過可能である。

 2人を乗せた馬車は、すぐに空を駆け・・・

 

遣水(やりみず)!!』

 

「リリス、伏せろ!!」

「っ!?」

 

 丸太を尖らせた杭のような形の水流が飛来して、馬車を貫いた。

 朧は刀を抜き、咄嗟に伏せたリリスの前で水流を受け流す。

 

(重い・・・!!それに、この技は・・・)

 

 大部分を破壊された馬車が消滅する中、朧は自身の手に走る痺れに軽く目を見張りつつも、下手人に当たりを付けた。

 

「朧っ!?これはっ!?」

「敵襲だ」

「っ!!そうよね!!葛城山でなんかやらかそうってんなら、当然ここにもちょっかいかけるわよね!!」

 

 霧間谷は白流に匹敵する霊地。

 当然霊的な防御も施している。

 そんな中での突然の奇襲に混乱するリリスだったが、朧の言葉に冷静さを取り戻して立ち上がる。

 その直後だった。 

 

「久しぶりですね、兄さん」

「・・・・・」

 

 霧が立ち込める谷の中に、凛とした声が響く。

 次の瞬間、唐突に霧が晴れていき、声の主が露になった。

 

「お元気そうでなによりです、兄さん」

「・・・お前は」

 

 現れたのは、霧間八雲。

 霧間一族本家の娘にして、朧の妹だ。

 その顔には柔らかな笑みが浮かび、久方ぶりの肉親との再会を心の底から喜んでいるようだった。

 だが、一方の朧が八雲を見る目は、妹に向けるソレではない。

 

「ここに来るのも一か月ぶりでしょうか?やはり、霧間谷はいいですね。ここに満ちる霊力は落ち着きますよ。『某』(それがし)たちがずっと守ってきた土地ですもの。体に馴染んでいるのでしょうね。ああ、そうそう、某、とうとう夫になる人を見つけたんですよ。久路人さんと言って・・・」

「お前は誰だ」

「・・・・・」

 

 親し気に話しかけてくる八雲の言葉を遮るように、朧は問いかけた。

 言葉と共に、目の前の女に刀の切っ先を向ける。

 その瞬間、八雲の笑顔が固まった。

 

「お前から感じる霊力、以前とは比べ物にならない。短期間でそこまでの力を得ることなど不可能だ・・・余程の外法に手を出さない限りは。答えろ。お前、中に何を入れた?」

「ついでに言っておくけど、久路人にはもう切っても切れない雫って恋人がいるわよ。横恋慕かしら?みっともないわね」

「・・・・・」

 

 武器を向け、己を疑う兄の言葉。

 そして、この世の何よりも優先して消さなければならない血吸いの化物の声を聞き、笑顔すら抜け落ちた。

 顔を俯け、肩が震えだす。

 

「・・・やはり」

 

 顔を上げた八雲の眼に宿っているのは、憎悪の炎だった。

 

「やはり、お前が、人外どもがみんな悪いんですね」

 

 八雲の手に、剣がひと振り現れた。

 それは、これまで八雲が振るってきた刀ではなく、古めかしいロングソードであったが、八雲は慣れた様子でそれを握る。

 そして、兄がそうするように、吸血鬼に向かって刃を突き付けた。

 

「兄さんが、某を疑う訳がない。兄さんが、某に刀を向ける理由がない。兄さんが、人外の隣に立っているはずがない。お前が、お前がそそのかしたんだ!!」

 

 初めは静かだった声音が、次第に熱を帯びていく。

 それと共に、異様なほど濃密な霊力が吹き上がりつつあった。

 そして、それは瞬く間に破裂した。

 

「お前はっ!!お前は斬り殺すっ!!お前もっ!!あの蛇もっ!!人外どもは一匹残らず斬り殺してやるっ!!兄さんも、久路人さんもっ!!世界もっ!!この某が救うのだっ!!」

「っ!?」

 

 そのあまりにもおぞましい霊力に、リリスは思わず後ずさり・・・

 

「死ねぇっ!!」

「なっ!?」

 

 気づいたときには、リリスのすぐ目の前に剣の先端が迫っていた。

 それは、吸血鬼という魔力的にも身体能力的にも優れた種族の眼にもとまらぬ高速移動。

 

「・・・言った筈だ、愚昧」

 

 だが、その剣がリリスを害することはない。

 

「リリスは、自分の嫁だと」

 

 朧の刀が、八雲の剣を受け止めていた。

 霧間朧は、リリスが傷つくことを許さない。

 霧間朧は霧間リリスの唯一の食糧であり、最愛で最強のパートナーなのだから。

 

「離れろ。片男波紋(かたおなみもん)

「ぐあっ!?」

 

 朧の刀に水がうねって渦を巻き、朧は鍔迫り合いの距離にも関わらず、寸勁のように八雲に一撃を与えた。

 己の一撃を止められたこと、何より愛すべき兄が忌まわしい化物を嫁と呼んだことで意識に空白が生まれていた八雲は、真正面から衝撃を受けて吹き飛んだ。

 そして、視線を八雲から離さないまま、朧はパートナーに向かって口を開く。

 

「リリス、援護を頼む」

「っ!!ええっ!!このアタシに任せないっ!!あの生意気な義妹をいびってやるわ!!」

 

 その声に、その在り方に、怯んでいたリリスは即座に立ち直った。

 朧のすぐ後ろに立ち、愛用の杖を仕込んだ傘を取り出す。

 その様子を一瞥し、朧は一瞬ほほ笑むと、改めて構えた。

 

(そうよっ!!アタシには朧がいるじゃないっ!!怯える必要なんてどこにもないっ!!アタシがやるべきなのは、朧と一緒にアイツを倒すことっ!!まずは、アイツを知ることよ!!)

「おのれぇっ・・・っ!!」

 

 リリスの視界で、吹き飛んだ八雲が受け身をとって立ち上がる。

 その顔は、自身を攻撃した最愛の兄ではなく、そうするように仕向けたと思い込んでいるリリスに向いていた。

 だが七賢の伴侶にして同格たる朧の一撃を受けても、なんら痛痒があるように見えない。

 整った顔立ちは怒りで歪み、まさしく修羅のようだが、今度はリリスも怯まなかった。

 その頭脳は学会の最高峰の研究者として回転をしている。

 

(霊力はおかしいけど、アイツは人間!!朧と同じ水属性だから効き目が薄いのもわかるけど、ノーダメージなんて考えられない!!何かの術?いえ、特別な術を使っているようには見えないから、体質みたいな特性かしら・・・今回の葛城山の件とアイツが無関係とは思えない。なら、アイツも旅団の関係者!!旅団で該当する能力を持ってる強力なヤツは・・・!!)

 

 そこで、リリスは八雲の正体に気が付いた。

 

「朧っ!!アイツは『勇者』よっ!!こっちの攻撃は通らないっ!!持久戦を仕掛けるわっ!!」

「魔物殺しの勇者かっ!!承知したっ!!」

「ははっ!!やっぱりそうだっ!!また兄さんをそうやってそそのかして・・・やっぱりお前が悪いんだっ!!絶対に!!絶対にぶっ殺してやるよぉぉおぉおおおおおおおっ!!」

 

 そうして、霧間谷にて交わされる剣戟の嵐。

 その最中、朧は心中にて呟く。

 

(こちらは、完全に足止めされた・・・京さん、久路人君、済まないが、そちらは頼むっ!!)

 

 

----

 

 

「見えてきた・・・」

 

 月宮家の裏庭地下に隠されていた格納庫より飛び立った飛行機の中。

 久路人は窓から見える葛城山を目で捉えた。

 数年前に修学旅行で訪れ、心に深い傷を受けた場所。

 見間違えるはずもなかった。

 

「京、リリス殿から連絡はないのか?」

「ああ・・・ここからでも感じる霊力。足止めもらっちまってるみてーだな」

 

 葛城山が近づいていることに内心で久路人と同じく複雑な心境になりながらも、雫は京に友人のこと尋ねたが、返事は芳しくない。

 コクピットに座るリリスも無表情をわずかに歪める。

 

「あの2人を足止めするとなると・・・並大抵の者ではないでしょう。忘却界にいる人間の幹部や、ヴェルズではない」

「ああ。大穴が開いた気配はしねーから黒狼や戦鬼じゃねーだろうが・・・勇者かもしれねぇな。そうなると、朧たちの援護は期待できねぇ」

「時間はないかもしれないけど、朧さんたちを助けに行くのは?すぐに片付けて、葛城山に向かえば・・・」

「そうだ。我々4人とリリス殿たちなら、足止めなどすぐに倒せるだろう?この飛行機の速度ならばそれほどのロスにはなるまい。九尾も動いていないようだしな」

「いや、勇者相手だとそうもいかねぇ。確かに俺たちなら負けはしねぇだろうが・・・」

 

 葛城山を睨みつつ唸る京に久路人と雫が問いかけるが、京の表情は変わらない。

 黒狼、戦鬼ほどの災害のような能力は持っていないが、人外を憎み続けた勇者には極めて厄介な特性が宿っている。

 それを説明しようとする京だったが・・・

 

「京!!敵襲です!!」

「チッ!!空にいるのに仕掛けてくるかよっ!!」

 

 不意に、飛行機に影が降りた。

 久路人が外を見ると、空にいくつもの黒い穴が開いている。

 

「何あれ?穴、じゃない!?」

「ヴェルズの野郎の檻の入口だ!!来るぞっ!!」

 

 京の言葉を合図にするかのように、黒い穴からいくつもの影が飛び出してきた。

 影が夕陽に照らされて、その骨しかない体が晒される。

 空中を舞う骨を見て、雫が叫んだ。

 

「骨の竜だとっ!?」

「ワイバーンスケルトンです。常世に生息する飛竜のアンデッドですね・・・対空兵装を起動します」

「久路人、お前も用意しとけ!!ヴェルズの戦法通りなら、群れに紛れてドでかいのが来るっ!!」

「わかった!!」

 

 夕闇に染まる中、地上より離れた空の上で死霊との戦いが幕を開けた。

 




モチベアップのために、感想とか評価くださいっ!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エリコの壁3

お久しぶりです。
なんかリアルでいろいろあって遅れました。
なんとか更新ペース戻せたらいいなあ・・・


「クソッ!!なんで動かないんだよっ!!あの役立たずがっ!!」

 

 久路人たちが白流を出発し始めたのとほぼ同時刻、葛城山の麓からやや離れた街にて、マリは苛立たし気に手に持った術具をソファに叩きつけた。

 術具はヴェルズより渡されたモノであり、犬の頭蓋骨が取り付けられたワンドだ。機能としてはアンデッドと契約を行って支配することができる他、契約したアンデッドを収納することもできるという優れものだったが、今は何の反応もない。

 思いっきり投げつけられたワンドであったが、術具として耐久性も高いのか、ソファにぶち当たると床に転がった。

 そんな様子が目に入っているのかいないのか、マリは焦ったように悪態をつく。

 

「何ビビってんだよクソ狐が・・・っ!!この計画は最初が肝心なんだぞっ!!」

 

 エリコの壁計画の第二段階。

 霊地の結界を機能不全にしたところを大妖怪に襲撃させ、人間たちに恐怖とともに異能の存在を知らしめることを目的とする。

 そして、旅団はこの第二段階において最初の襲撃を最も重く見ていた。

 

「学会の連中も馬鹿じゃないっ・・・同じ手は何度も取れないっ!!対策される前に馬鹿どもに化物のことを刻んでやらないといけないのにっ!!」

 

 結界の破壊は常世での霊脈の乱れによるものだ。

 先日の大きな異変のおかげで旅団は現世の葛城山に繋がる霊脈を見つけられたものの、学会側も霊脈の乱れに対応するノウハウを蓄積させることができたのは、白流の様子を見る限り間違いない。

 遠からず、各地の霊脈に何らかの対策が施されるだろう。

 その前に、一般人に大きなインパクトを与える必要があるのだ。

 しかも、それは誰が与えてもよいという訳ではない。

 

「マリじゃあ、あの天使とかいう連中には勝てないっ!!・・・ヴェルズも相性が悪いっ!!クソッ!!あの脳筋どもがっ!!大人しくマリの言うこと聞いときゃいいのにさっ!!」

 

 現世で大きな異変が起きた場合、極めて強力な神の力を操る『天使』の介入がある可能性もゼロではない。

 『神』は現世への干渉を極力避けているようで、学会の七賢のような現地で対抗できる存在がいる場合にはそちらに任せるようだが、もしも天使が出現するようならば、搦め手を得意とするマリや、この世の摂理に歯向かう死者たるヴェルズは相性が悪い。勇者ならあるいはというところだが、天使という存在が勇者の『特性』で対応できるかは未知数だ。そもそも、ヴェルズや勇者には七賢を抑えるという役目がある。

 そして、確実に天使を屠れるであろう黒狼は他者に己の行動を縛られることを酷く嫌い、彼に仕える従牙は主の傍を離れることはなく、戦鬼もまたこちらの言うことを素直に聞き入れる性格ではない。

 さらに、彼らについてはその力の大きさ故にまず現世に来ることが困難であり、大穴を開ける必要があるのも問題だ。

 故に、下手人には強力だがコントロールと耐久性に難があって、使い捨てにしても惜しくない九尾が最適だったのだ。

 だが、その九尾は何かを警戒するように無駄な動きをせず、人間の虐殺などする様子もない。

 術具で言うことを聞かせようにも、距離が遠いせいでコントロールが効かない。

 巻き込まれるのを避けるために、九尾を収めていた別の術具をドローンで落としたのが裏目に出た形だ。

 

「クソッ!!畜生っ!!こうなったら・・・っ!!」

 

 今、あの九尾の操作ができるのはマリのみ。

 勇者は霧間谷に向かわせ、ヴェルズにはこれから白流よりやって来る七賢の相手をしてもらわなければならない。

 そして、エリコの壁の第二段階は最初で躓くわけにはいかない。

 ならば、マリが取るべき手段は一つ。

 

「クソがっ!!」

 

 マリは、床に転がっていたワンドを拾い上げて部屋を飛び出した。

 

「クソ狐もっ!!七賢どももっ!!馬鹿どももっ!!マリの手を煩わせやがって!!絶対に、絶対にぶち殺してやるっ!!」

 

 旅団の幹部が一人、『傀儡』もまた、葛城山に向かうのだった。

 

 

----

 

 白流より飛び立った高速輸送用術具『C-2/K』。

 日本あるいは近隣国で異能による大きな異変が生じた際に、すぐに駆け付けることができるように京が設計・制作した輸送機だ。

 学会の長たる『魔人』の許可のもと、忘却界の中でも一時的に飛行可能であり、久路人たち4人を乗せて葛城山まで飛んできたのだが、降下のためにスピードを落としたところを飛竜のアンデッドに囲まれてしまっていた。

 

「敵は、ワイバーンスケルトンの群れ。そして少数ですが竜騎士(ドラグーン)の姿を確認しました」

「ワイバーンどもは雑魚だが・・・竜騎士か」

「なんだ、そいつらは強いのか?」

 

 機内にて、敵の確認を済ませたメアに、雫は問いかける。

 彼女には、外にいるアンデッドに大した力を感じられなかったためだ。

 

「大抵の竜騎士は問題ありません。しかし・・・」

「常世にも人間が住んでる国がある。その中には竜を飼いならしてるところもあるんだが、そこの精鋭ならこの機体じゃ追いつけねぇ」

「非常に小回りの利く相手です。そもそも、このC-2/Kは輸送機ですから」

「それじゃあ、どうするの?相手を無視するわけにもいかないよね」

「久路人の言う通りだ。九尾と戦うのに横から茶々を入れられては面倒だぞ」

 

 常世は妖怪のような人外の世界だが、人間が暮らす領域も存在する。

 そういった場所に住む人間は現世の人間とは魂の形からして異なるので、人間と言ってよいか微妙だが、往々にして高い戦闘能力を持つ。

 メアの言う竜騎士とやらは、そういった人間の中でも精鋭らしい。

 そして、死霊術師であるヴェルズはその精鋭もアンデッドに変えて手駒としているということらしい。

 

「決まってんだろ。ここで叩き潰す」

「こちらも対空兵装を展開します。貴方がたは周囲の露払いと取りこぼしの処理を。ただし、大技の使用は避けてください」

「もうここには結界はねぇからな。あまりやりすぎると後が怖い。向こうもそれを見越して雑魚をけしかけてきてんだろうが・・・まあ、雑魚は雑魚だ。せいぜい蹴散らしてやれ」

「わかった!!」

「ああ、心得た」

 

 敵の確認が済んだところで、大まかな役割分担を終える。

 そして、飛行機のハッチが開いた。

 

「行くよ、雫!!」

「おう!!」

 

 直後、久路人と雫は空に飛び出した。

 その身には角と尻尾っが生えており、風を纏っている。

 半妖体となった2人は、空の上であるというのに泳ぐように駆けていく。

 

「俺らも行くぞ、メア」

「了解。C-2/K、これより変形します」

 

 京とメアも、2人に任せきりになどしない。

 機体のハッチが閉まり、光に包まれると、そこには先ほどよりも小型ではあるがスマートな形の戦闘機が浮かんでいた。

 

「『形態変化・空戦仕様(モードチェンジ・エアリアル)』、『F-35/K』装備完了」

「行くぜ!!ついてこれるか?ドラグーンども!!」

 

 変形した戦闘機、F-35/Kは久路人たちを超えるスピードで衝撃波をまき散らしながら飛竜の群れに突っ込むと、群れは穴をあけられたように散り散りになるが、すぐさまその膨大な数によって元の密度を取り戻す。

 しかし、京たちの目的は雑魚ではない。

 彼らが相手取るのは死してもなお竜にまたがる騎士たちだ。

 アンデッドだというのに生前の技量をそのまま保つ彼らは、魔力によって強化された竜ともども戦闘機に追いすがり、航空戦を始める。

 葛城山における此度の異変の序章の始まりであった。

 

 

----

 

「はぁっ!!」

 

 僕が腕を振るうと、空気が大きくうねり、竜巻が現れる。

 荒れ狂う風は飛竜の群れを飲み込んで粉々に吹き飛ばした。

 

「このっ!!」

 

 雫も僕と同じように風を巻き起こしていて、さっきから相手をかき回している。

 これによって、敵の数は大きく減ったのだが・・・

 

 

----ギァァアアアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 

「ちっ!!また増えたか!!」

「さっきからキリがないよ!!」

 

 またしても、突然空中に真っ黒な穴が開いたかと思えば、そこから新しいアンデッドたちが飛び出してくる。

 さらにたちの悪いことのに、さっき吹き飛ばしたはずの骨が再び浮き上がり、元の飛竜の形をとって復活する。

 

「狂冥の戦い方は物量作戦って言ってたけど、こんなに早く意味が分かるなんてね・・・」

「蹴散らしても蹴散らしても数が減らん上に蘇るとは!!大技さえ使えればすぐに片付けられると言うのに!!」

 

 はっきり言ってしまえば、敵の強さは大したことはない。

 中規模の穴から出てくる妖怪と同程度の強さ。

 だが、雫の言う通り数が尋常ではない。

 加えて、今僕たちがいる場所は本来あるべき結界が破壊された後の霊地であるという以前に、人間が住む街の上空だ。

 間違っても広範囲攻撃を撃ってはいけないし、質量のある水や土、高威力の火や雷属性に、猛烈な磁気を発生させる黒鉄も使えない。

 僕も雫も強くなったと胸を張って言えるが、無尽蔵とも思えるほどの物量作戦を仕掛けてくる敵と、こちらが使用できる大技と得意属性の制限によって早くも膠着状況に陥っていた。

 さらに・・・

 

「ギァァアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

「チッ!!またかっ!!消えろ!!」

「ギアアアアッ!?」

 

 アンデッドの群れは地上からかなり離れた空中におり、僕たちを足止めするかのように固まっているのだが、時折群れから数体が抜け出し、地上に向かおうとする。

 今も、飛竜が数体群れから離れたところを雫に吹き飛ばされたが、さっきからそのような散発的な襲撃も行われており、そちらの対応にも神経を削らされる。

 

「まったく!!本当に鬱陶しい戦い方をっ!!」

「これじゃあ本当にらちがあかないよ!!しかも、ヴェルズっていう死霊術士は遠隔で術が使えるみたいだから、術者を倒すのも難しいし!!」

「京の話では、小さな蟲の群れを媒介としているのだったか?その群れを吹き飛ばせればいいのだろうが・・・そんなことをすれば下もただではすまんか」

「せめて、結界さえあれば・・・・・ん?結界?」

「久路人?」

 

 膠着する現状に歯がゆい思いをする僕らだったが、ふと閃いた。

 

「別に、倒す必要はないんじゃないか?」

「何?・・・・・ああ、そういうことか!!」

 

 僕のつぶやきにいぶかしげな顔をする雫だったが、すぐに僕の言いたいことに気が付いてくれたようだ。

 僕らは視線を交わした後、霊力を高めた。

 今まで大技を使えなかった分、ここで少々派手に使ったところで、先のことを考えてもおつりが来る。

 

「よし!!霊力は大丈夫だよね?雫?」

「誰にものをいっている!!この辺り一帯程度ならば、三日は何もせずとも余裕で保つぞ!!そら!!」

「「『嵐流』!!」」

「「「「「ギァァアアアアアアアアアアアアアッ!!?」」」」」

 

 僕らが霊力を解放した瞬間、風が吹き荒れた。

 しかし、すぐに風の流れは規則的に動き始める。

 たちまちの内に、黒い穴の開く辺り一帯を覆い尽くす風の球が完成した。

 数こそ多いが、強さは大したことのない雑魚ばかりである以上、僕と雫という神格持ちの作った風の結界を超えることは叶わない。

 現に、街の方に向かおうとしていた飛竜が数体風の壁にぶつかり、壁の内側に向かってバラバラに吹き飛ばされていく。

 

「なにも倒す必要はない。封じ込めてしまえばそれでいい・・・道理であるな」

「うん。例の蟲の群れを全部閉じ込められてたかわからないけど、また出るようならそのたびに壁を作ればいい。いざとなったら、街を全部覆い尽くしてしまえばいい」

「ああ。結界が壊れたのなら、妾たちが作ればいい。この程度の風なら、京たちなら問題ないだろうしな」

 

 無限に増える敵をちまちまと倒すより、封じ込めてスルーする。

 言ってしまえば簡単だが、思いつくまで少々時間をかけてしまった。

 ついでに言うと今もアンデッドの群れの中を高速で飛び回っているおじさんたちごと閉じ込めてしまったが、まあ、雫の言うとおりおじさんたちならば問題はないだろう。

 

「よし、じゃあ九尾のところに・・・」

「む!!待て、久路人!!」

 

 アンデッドの対処は済んだと判断し、風の壁を通り抜けようとしたところで、雫が僕を呼び止めた。

 その直後に感じたのは、強い敵意。

 

「「オオオオオオオオッ!!」」

「うわっ!?」

「こいつらはっ!?」

 

 とっさに飛び退いたところに、飛び込んできたのは2体の飛竜だ。

 他の飛竜の死骸に比べて体が大きく、見るからに上位種だとわかるが、大きな違いはそこではない。

 

「なるほど、こいつらが京の言っていた『ドラグーン』か」

 

 僕らに突っ込んできたワイバーンスケルトン。

 その背にはランスを携え、西洋甲冑を身にまとう乗り手がいたのだ。

 全身をくまなく鎧で包んだ彼らは顔を見ることもできないが、感情も生気も感じられないことから、アンデッドなのだろう。

 猛スピードで突撃してきたというのに、勢いに流されることなく、ましてや風の壁に激突する無様をさらすこともなく、華麗に宙返りを決めて僕らに向かい合っていた。

 確か、インメルマンターンとかいう似たような戦闘機の操縦法があったような気がするが、機械と飛竜の違いはあれど、彼らは空中戦のエキスパートということが直感でわかった。

 おそらく、この風の壁は向こうにとっては打ってほしくない手だったのだろう。

 だからこそ、術者である僕らを倒すために精鋭を出したといったところか。

 

「雫、どう思う?」

「ふむ・・・こいつらを放っておくのはよくないな。こいつらならば風を超えかねん」

「だよね・・・大穴からじゃないと通れないレベルだよ」

 

 感じる霊力は大妖怪の放つそれと同等の強さ。

 以前に戦った吸血鬼よりも上だろう。

 この竜騎士たちならば、風の壁を突撃で破りかねない。

 ならば、倒すのみだ。

 

「「オオオオオッ!!」」

 

 僕たちが戦う気になったのがわかったのだろう。

 竜騎士たちは竜を操り、動きを変えた。

 一騎が前面に出て、またがる竜の口から炎が飛び出した。

 さながら、戦闘機の牽制射撃か。

 

「妾に炎で挑むか。いい度胸だ」

 

 しかし、その炎は僕らに届く前に、雫が手を振るうだけで霧散する。

 今の炎属性を備えた雫に、牽制程度の攻撃など通用しない。

 そして・・・

 

「紫電改・五機縦列」

 

 お返しとばかりに、黒鉄の矢を立て続けに放つ。

 狙いを絞って、単体の敵にのみ使うのならば、周囲に被害を出すことなく高威力の技を使うことができる。

 炎を放ったばかりの竜に吸い込まれるように矢が迫るが、その矢は硬質な音を立てて弾かれた。

 

「オオオオオッ!!」

「もう一騎の方か!!」

 

 炎を出した竜を守るように、もう一騎がすぐ後ろで待機していたのだろう。

 何かの鉱石を丸ごと削ったかのようなランスによって、僕の攻撃はいなされた。

 このとき、かばった騎士によって、炎を吐き出した方は僕らから見えなくなる。

 

「・・・『黒死槍』!!」

 

 見えなくなったのはほんの一瞬。

 しかし、竜騎士にとってはそれだけで充分だったようだ。

 真っ黒な霊力を身にまとい、ランスを突き出しての突撃によって僕らの距離は大きく縮んでいた。

 その狙いは、弓を放った僕、ではなく・・・

 

「むっ!?」

 

 僕の前に飛び出そうとしていた雫であった。

 不気味な黒色に染まったランスを、雫は真正面から受け止めるのではなく、ギリギリの距離で躱す。

 そのまま無防備な背面に一撃を加えようとするが、竜騎士の姿はそこにはなかった。

 

「チッ!!下か!!」

 

 直線的な突撃から、攻撃が失敗と見るや一気に急降下。

 高さを速度に換えて距離を離してから宙返りし、再び突撃の体勢をとっていた。

 その様子を少し離れたところにいた僕は把握できていたのだが、手を出す暇はなかった。

 

「『ダーク・ランス』」

「はっ!!」

 

 攻撃を躱した雫めがけて撃ち出された黒い槍の形をした魔法を、打ち落としていたからだ。

 僕に攻撃を捌かれたとわかった瞬間には、すぐにその場を離れ、魔力を高めながら突撃した竜騎士と合流するように移動する。

 

「久路人、こいつら・・・」

「うん。時間稼ぎだ」

 

 この竜騎士たちは強い。

 しかし、まともにぶつかり合えば勝つのは僕ら。

 互いの実力差をわかっているからこそ、時間稼ぎに徹する。

 なぜなら、彼らを操る死霊術士の目的は僕らの撃破でなく九尾の暴走なのだから。

 だが、この戦い方を経験するのは、これで二度目だ。

 できれば思い出したくない、僕と雫が初めて本気で仲違いをしたあの時以来。

 

「そういえば、あの吸血鬼も、ヴェルズとかいうのが操っていたのだったか」

「うん。そうらしいよ」

 

 やはり雫も、僕と同じことを思い出していたようだ。

 

「ふん、不愉快だな。だが、久路人。わかっているよな?」

「もちろん。あの時の僕らと、今の僕らは全然違うよ」

 

 あの時は、僕の身体は霊力の異常でボロボロ。

 雫の霊力にもつけいる隙があったから、ろくに立てなくなるくらいに弱ってしまっていた。

 だが、今の僕らはほんの一ヶ月前よりの遙かに強い。

 人外となり、神格に至ったのもそうだが、なにより・・・

 

「今の僕と」

「今の妾に」

「「隙はない!!」」

 

 僕と雫は、お互いを心の底から愛しているから。

 その気持ちを、お互いが心の底から受け入れているから。

 もう二度と、あの時のようなすれ違いなんて起こることはない。

 ならば、あの時と同じ戦い方をする敵など、何の障害にもなりはしない。

 

「のらりくらりと逃げるようなら・・・」

「逃げる暇もなく叩き潰すだけだっ!!」

 

 僕らは、空中で手を繋いだ。

 僕らの間に繋がるパスは、距離が短いほど強くなる。

 パスが強化されたことで、僕たちを巡る霊力はお互いの身体の中で共鳴しながら高まっていく。

 本来ならば、結界のない場での強大な霊力は穴の原因となるために御法度だ。

 しかし、僕らの中を廻る霊力は、表出することなく僕たちの中だけで増幅する。

 そして、それを解放するのはほんの一瞬。

 

「「オオオオオッ!!」」

 

 動きを止めた僕らを不審に思ったのか、竜騎士たちは再び突撃する。

 一騎が前に出て、もう一騎は後ろから僕らの動きを牽制といったところだろう。

 だが、そんなものにもはや意味などない。

 

「「凍雷閃」」

「「グオァアッ!?」」

 

 竜騎士たちが僕らを通り過ぎてしばし、その身体は真っ二つになった。

 そして、たちまちの内に凍りつき、バラバラに砕け散る。

 対する僕ら2人で握っていたのは、白い冷気を纏う黒い刀だ。

 毒気と冷気を纏う刃は、雷のような速度で、瞬きの間に2体の竜騎士を切り裂いたのである。

 

「妾の毒が乗った一撃だ。凄腕の死霊術士といえど、復活はできまい」

 

 凍り付き、砕け散った破片は風に飲まれて粉々になったが、新たな竜騎士が向かってくる気配はない。

 周辺への被害を考えて広範囲にばらまくことはできないが、雫の持つ毒には術を阻害する効果がある。

 もうあの2体が復活することはない。

 

「さて、片付いたな。では久路人、行こうか」

「うん。でも、その前におじさんに連絡してからにしよう」

 

 アンデッドの封じ込めが成功したのなら、僕らはもちろんおじさんたちもここに留まる必要はない。

 この先には九尾と、まだ見ぬ旅団の幹部がいる可能性がある以上、こちらも最大の戦力で赴くべきだ。

 そうして、僕がスマホを取り出した時だ。

 

 

 

--オォォォアアアアアアアアアアァァァッ!!!!

 

 

「今のはっ!!」

「この霊力はっ!!」

 

 風の結界ごしであるはずなのに、その悍ましい叫びは耳に届いた。

 その声は、かつて聞いたそれとは禍々しさも強さも大きく変貌していたが、それでも魂は忘れることなく覚えていた。

 その正体は・・・

 

「フフフっ!!思ったより早かったなぁっ!!九尾をもう動かしただなんてさっ!!」

「「っ!?」」

 

 悍ましい叫びの正体を口にしたのは、僕でも雫でもなかった。

 いつの間にか、本当にいつの間にか、1人の男がすぐそばに浮かんでいたのだ。

 乾いた血がこびりついたようなタキシードに、髑髏が乗ったシルクハットを被ったその男は、血の通っていない土気色の顔に歪んだ笑みを浮かべている。

 初めて見る男であるはずだ。

 こんな不気味な男を、忘れるはずもない。

 しかし、僕は強い既視感を感じていた。

 

「お前・・・その不気味な霊力は」

「雫、この人に会ったことがあるの?」

 

 雫の反応も、少々おかしかった。

 初めて見る相手にしては、警戒の度合いが僕よりも強い。

 そうして警戒する僕らに、男はにこやかに口を開いた。

 

「フフフフフッ!!お二人とも一ヶ月ぶりだねぇっ!!おっとぉっ!?この姿でお会いするのは初めてだったかなぁっ!?ならぁっ!!改めて自己紹介をしないとねぇっ!!」

 

 男はそこで姿勢を正すと、手を胸の前に持って行き、優雅に一礼した。

 

「ボクはヴェルズ!!ゼペット・ヴェルズ!!旅団の幹部にして、死霊術士のゼペットヴェルズさっ!!よろしくねぇっ!!」

 

 ひび割れた、聞くモノに不快感を抱かせる声で、その男は名乗りを上げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。