SAO外伝 翼を求める者【改訂版】 ( Gat)
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第一話 道を選ぶ者

 青年の前には二つの道があった。
 一つは英傑として、名を残す道。もう一つは、英雄へと至る道。
 彼はさして迷うことなく道を選んだ。その道の先に待つのは、数多の死と深い絶望。
 残された道で待っていたのは、絶え間ない苦悩と一つの死。
 果たして、彼にとってどちらの道が正解だったのか、それは誰にもわからない。
 なぜなら、答えを出すのは彼自身なのだから。




※2022年5月5日 劇場版特典小冊子《その次の日》に書かれていた第1層のフィールド設定に合わせるため、一部内容を変更いたしました。


 二○二二年十一月六日

 

 

 手鏡を持った青年は、鏡に映る黒髪黒目のはっきりした目鼻立ちの男を見て、慌てて周囲を見渡した。

 夕日に照らされている幾度も歩いた中央広場、鏡に映る見慣れた自分の顔。しかし、ここは日本ではない。次世代VRマシン《ナーブギア》が作り出す、新作VRMMORPGソードアート・オンラインの世界だ。

 青年の周囲では、数秒前とは異なる自身の姿を見た者たちがうろたえている。

 混乱する群衆の中で、少しずつ頭が理解し始める。これから自分たちの日常の一部となるはずのゲームが、製作者である茅場晶彦の手によって、非日常的な日常へと変えられてしまったのだと。

 

 ログアウト不可? HPが尽きれば死ぬ? クリアするまで脱出不可?

 

 ……上等だ。八月に行われたクローズドベータテストでも十層までは行けたんだ。そう簡単に死ぬものか。

 

 アルスという名でこの世界に来た青年は、ゲームからの解放を訴える者たちに背を向け、広場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 現在いる《はじまりの街》北部にあるゲートを目指す途中、アルスはふと足を止め、右手の指を振ってゲームのメニュー画面を出現させる。いくつかの操作を行い、メッセージの送信画面へ移り、

 

「…………」

 

 何もしないまま一分ほど経ってからメニュー画面を消した。

 

 再び走り出し、閑散とした大通りを走り抜け、北ゲートからフィールドへと出た。街の外に広がる草原の彼方で、自分より先に街を出たのであろう小さな人影が見える。

 目指すのは現在地から北西の森林地帯にある《ホルンカ》という小村。北西ゲートから道なりに行く方がわかりやすいが、場所さえ分かっていれば北ゲートから出て北西に草原を突っ切って行っても距離はさほど変わらない。

 そのつもりで左に進路を変えようとした時、

 

「……ん?」

 

 先を行く人影が、草原を真っ直ぐに北へ北へと走っていく。

 それを見て感じたのは、大きな好奇心。次いで、小さな危惧。ホルンカへ向かおうとしていた体に急制動をかけ、北の草原地帯に足を踏み入れた。

 

 先を走る人影は時折見かけるモンスターは無視し、道なりに足を止めず走り続けている。少しでも距離を詰めようとアルスは全力で足を動かしているが、人影の大きさは一向に変わらない。

 途中、大きな川にかかった橋を駆け抜け、第一層中央の《ラータ平原》へと足を踏み入れた。レベルも上げておらず、初期装備の現状でこの平原に足を踏み入れるのは、ベータテスターのアルスでもまず避ける。平原に住む昆虫、動物型のモンスターははじまりの街周辺の草原にいるものより多少強い程度だが、平原の中心部にある湿地帯にはプレイヤーたちの最初の難関であり、第一層の支配者である亜人の住処が……

 

 そこまで考えたところで、先を走る人影が足を止めた。腰の剣に手をかけたことから、モンスターと遭遇したのだと気づく。剣を手にしたプレイヤーが見つめる先に視線を向け、そこにいる小柄な影に焦点を合わせた。距離が縮まってフォーカスした影の上にカーソルが表示される。その色は黒みがかった赤色。

 

「嘘だろ……」

 

 次第にはっきりとしてきたモンスターの姿は、二足歩行となった犬のような亜人種コボルドだ。他のMMORPGなら序盤の雑魚的の代表格だが、SAOでは武器を持てる人型のモンスターというだけで十分な強敵となる。なぜなら、武器を持てるということは、プレイヤーと同じようにSAO最大の攻撃手段であるソードスキルを操れることを意味するからだ。

 このコボルドもその例に漏れず、右手にダガーを装備している。しかし、それ以上に目を引き警戒しなければならないのは、左手に持つ鉤縄だ。

 

 固有名《スワンプコボルド・トラッパー》。ベータテストで初見殺しの名を与えられた、第一層のフィールドに出現するモンスターの中ではフィールドボスを除けば一番の難敵。

 レベル5以下ではソロでの討伐はまず不可能なモンスターに向かって、コボルドと相対するプレイヤーは剣を構えて飛び出した。すぐにソードスキルの予備動作を起こしたが、スキルの射程に入るよりも先にコボルドが動く。

 コボルドは左手の鉤縄を回転させ、それを上段に振り上げられたプレイヤーの剣に向けて放つ。縄の先端に付いた鋼鉄製の鈎が剣を絡め取り、コボルドが縄を引くと同時にプレイヤーの手から剣が離れていった。あれがトラッパーの厄介な能力《武器落とし(ディスアーム)》だ。

 プレイヤーの生命線たる武器をほぼ強制的に手放させられるこの能力のせいで、ベータでは多数の犠牲者が出た。落ち着いて他のプレイヤーとスイッチし、別の武器を装備し直せばいいのだが、大抵の人は反射的に落ちた武器を拾おうとしてしまい、その隙を襲われる。

 

 剣を落とされたプレイヤーも同じ運命を、いや、デスゲームとなった現在では遥かに悲惨な死を迎えることになるだろうと予想したが、無理に剣を拾おうとせずにコボルドからの逃走を選択した。

 それ自体は大した判断力だが、まだ甘いと言わざるを得ない。

 コボルドは再び鉤縄を、今度はプレイヤーの足を狙って放った。放たれた鉄鉤は足首に引っかかり、プレイヤーを転倒させる。

 すぐに起き上がろうとしているが、この世界において転倒は明確なバッドステータスとして扱われ、ほんの数秒だがスタン状態に陥りそれが解除されるまで立ち上がることはできない。そして、その数秒をこのコボルドが見過ごすことは絶対にない。

 コボルドは捕らえた獲物に駆け寄り、右手のダガーを振りかぶる。三ヶ月前までは単なる武器を象ったポリゴンの塊だったそれは、今は本物の凶器となっている。あれが振り下ろされた瞬間、倒れたプレイヤーの命が本当に失われる。

 

「間に合え……」

 

 アルスは腰の剣を抜くや右に大きくテイクバック、そのまま片手直剣水平切りソードスキル《ホリゾンタル》のプレモーションを起こし、ダッシュの勢いを剣に乗せてスキルの威力を最大までブーストする。

 スワンプコボルド・トラッパーの得物であるダガーは無防備なところにクリティカルで攻撃を喰らえば危険だが、武器単体としての威力はさほど高くない。総合的なステータスでは劣るレベル1の状態でも、片手直剣のソードスキルをフルブーストで発動できれば相殺することができるはず。

 

「オォォッ!」

 

 アルスの剣がコボルドが振り下ろすダガーと衝突し、一瞬の均衡の後に青色の燐光を弾けさせ、同時に発生した反動が二人の体を引き離す。

 お互いに技後硬直が解けると同時にコボルドは左手の縄を引き、アルスは地面近くにピンと張られた縄を切り裂いた。勢い余ったコボルドがよろけた隙に倒れていたプレイヤーを引き起こす。

 

「武器は諦めろ。急いで川の向こうまで走るんだ」

 

 呆然とした様子でアルスを見上げていたプレイヤーは、立ち上がると小さく頷いてから元来た道を走って行った。アルスもコボルドが縄を捨ててこちらに向かってくるのを知覚しながら、背中を向けて逃げる。鉤縄を失った後ならば、スワンプコボルド・トラッパーから逃げることはそう難しくない。

 

「ナレゴラー!」

 

 背後からコボルド語で何やら叫ぶのを聞きながら、アルスは橋を渡るまで振り返らずに走り続けた。

 

 

 

 橋を渡ってエリアを隔てる川を超えたところで、アルスはようやく足を止めた。すでにコボルドは追跡を諦めたらしく、平原にその姿は見えない。

 

「あ、あの……あ、ありが」

 

 橋では先に逃げたプレイヤーが待っていた。十代半ばと思われる小柄な少女で、茜色の長い髪を後頭部の高い位置でまとめている。装備はアルスが着ているのと同じ防具に空になったスモールソードの鞘。

 アルスは少女の言葉を待たずに訊ねる。

 

「君、ベータテスターじゃないよな」

 

 その言葉に少女はキョトンとした表情を浮かべながら頷いた。

 

「やっぱりな。この道を進んでるからおかしいと思ったよ」

 

「で、でも迷宮区最寄りの町に行くには、この道が最短ルートなんじゃ」

 

 少女が言っていることは間違いではない。第一層北端にある迷宮区タワー及びその最寄り町である《トールバーナ》へ行くなら北へ向かうこの道を進むのが正しい。ただし、それは進める状態ならばの話だ。

 

「その町に行くためには、峡谷に住むフィールドボスを倒さなくちゃならない。レベル1であいつを倒すのは絶対に不可能だ」

 

 トールバーナへ続く道を進むためには、巨大イノシシ型のフィールドボスを倒す必要がある。一応他の道もなくはないが、かなり遠回りな上に長いダンジョンを攻略する必要があるため、こちらも初期装備で進むのは無謀だと言える。

 

「迷宮区に行くつもりなら、先に北西の村に行ってレベル上げと装備を整えていくことを勧める。武器なしじゃ危険すぎるから、一度街に戻って明日案内しよう」

 

 話を聞きながら少女は不思議そうな表情を浮かべた。

 

「もしかして……それを伝えるために追いかけてきたんですか?」

 

「ああ、何も知らないまま見殺しにするのは、さすがに気分が悪かったんでな。それにこんな状況でさっさと街を出るビギナーがどんなやつか興味もあった」

 

 アルスはそう言いながら少女に対してフレンド申請を行った。

 

「君はきっと強くなれる。もし、上の階層に行くことを望むなら、俺が手を貸そう」

 

 ためらう様子を見せながらも少女は意を決したように、アルスが出した申請ウィンドウのYESボタンに指を触れさせた。申請が完了したと同時に少女の頭上にあるカーソルに彼女のプレイヤーネームが表示される。

《Eris》それが少女の名前だった。

 

 

 

 

 二人で街へ戻った頃には既に日は暮れ、西洋風の街並みは街灯に照らされている。広場の喧騒はすでに収まったようで、耳に届くのはNPC楽団が奏でるどこか物悲しい音楽だけだった。

 戦うことを決めた者はすでに街を後にし、迷いのある者は様子を見るために一旦宿屋に退避しているのだろう。通りにはプレイヤーの姿は一人も見えない。

 

「ヨオ。お二人さン」

 

 突然、誰もいないと思っていた近くの路地から甲高い声が響いた。とっさに身構えていると、路地の影からフードを被った小柄な人物が現れる。念のため頭上のカーソルを確認すると、プレイヤーを示すグリーンだ。

 

「驚かせたカ。ちょっと話をしたいだけなんダ」

 

 声と体格からしておそらく女性であろう人物は、敵意は無いとばかりに両手を見せる。

 

「話? 俺にか」

 

 警戒を解きながら、アルスは応える。

 

「そうそう。デスゲーム宣言後に街の外へ出て行った連中は他にもいたけど、こんなに早く戻ってきたのはお兄さんたちが初めてだからネ。ひとまず名乗らせて欲しイ。オイラはアルゴというものダ」

 

「……鼠か」

 

 アルスがそう言った瞬間、アルゴと名乗った女性がかすかに口角を上げる。フードの奥から、彼女の両頬に描かれたヒゲのような赤い線が三本ずつ覗いた。

 

「その名を知ってるってことは、やっぱりそうカ」

 

「ああ、でも後ろの娘は違う。道を間違えてたんで案内を請け負っただけだ」

 

「……道を間違えタ?」

 

 怪訝な表情でエリスを見やるアルゴに、アルスも名乗る。

 

「アルスだ。名前はベータの頃と……」

 

「アルス!? まさか、あの……」

 

 フードが外れんばかりの勢いで驚くアルゴに、アルスは苦笑を浮かべる。

 

「昔のことは…………まあ、今は関係ない」

 

「そう……だナ。でも、あのアルスならぜひ力を貸して欲しい。話っていうのが、情報提供してくれる相手を探しているンダ」

 

「情報……ベータ時代のデータか?」

 

「それもあるが、それだけじゃないヨ。おそらく、この本サービスからベータテストとの変更点が出てくるはずダ。このゲームの攻略情報を集めつつ、変更箇所を見つけていきたいが、オイラ一人じゃ手が足りなイ」

 

「それで協力者を募っていると…………いいだろう。手を貸そう」

 

 一瞬後ろを見遣ってから答えると、アルゴはニンマリと笑ってみせる。

 

「契約成立だナ」

 

 アルゴとフレンド登録をしてから、依頼としてはじまりの街にあるクエストと周辺のモンスターについてのデータ収集を頼まれた。明日ホルンカへ案内するというエリスとの約束を違えることになってしまうが、彼女も調査への協力を受け入れてくれた。

 

「オイラは他の情報提供者を探すために、もう少しここにいるヨ。明日はよろしくナ」

 

 エリスとともにもうすぐ閉店してしまう武器屋へ行くために、アルゴとはそこで別れることとなった。足を進めようとしたところで、アルスはふと思い出したことを口にする。

 

「情報屋をやるなら、一ついいことを教えてやるよ。トラッパーの行動範囲がベータの時より広がっていた。もし中央平原に行くなら、気をつけたほうがいい」

 

「へえ、それは貴重な情報だナ。武器落とし(ディスアーム)の対策を何か考えないとナ」

 

 

 

 

 

 

 翌朝、ベータ時代の記憶を頼りに討伐系クエストを受注すると、エリスとともに街の外でモンスターを出会うそばから斬り倒して行った。

 

 昨日会った時から予想はしていたが、エリスの VR適正はかなりのものだ。

 北東へ走るエリスをアルスが全力で追いかけた時、途中まで追いつけなかったことがそもそも異常なのだ。

 お互いにレベル1で装備が同じ状態なら、身体能力はほぼ同じだ。だが、VR世界で体を動かすためには、それなりに時間をかけて慣れる必要がある。現実とは異なる重力、平衡感覚の狂いなどの差異に適応しなくてはならない。

 ベータテストが始まったばかりの頃、歩くだけでもつまづいたり、転んだりする者は珍しくなかった。アルスとて全力で走れるようになるまで一日を要したのだ。

 萱場晶彦の手によって、アバターが現実の肉体と同じものに変えられたのだとしても、ゲームを始めて数時間であれだけの距離を走れる者はそういない。

 エリスの能力はナーブギアを使用したゲームに慣れているため、と考えていいだろう。

 

 昼頃には、フィールドでモンスターを狩るプレイヤーたちが、少しずつ現れ始めた。ほとんどが六人以上のパーティーで、集団で取り囲むような効率の悪い戦い方だったが、一度も死ねない現状ではそれも仕方ない。

 時折少数、または一人で戦っている者もいた。彼らは戦闘に自信がある故にそうしている者もいるようだが、中には仲間をみつけられなかっただけの者もいるようだ。ソードスキルをまともに発動できなかったり、戦闘中に転んでモンスターに踏みつけられたりして、今にもHPが尽きるんじゃないかと思える光景が何度かあった。

 そんな時だけ、アルスはMMOのマナーを忘れて手助けをした。相手が感謝したかはともかく、その場で彼らが死ぬことはなかった。

 

 フィールドに出てくるプレイヤーの数は増えていったが、朝早くから始めていたおかげもあって、獲物の奪い合いになる前にクエストの目標討伐数に達することができた。

 全てのクエストの完了報告を行い、それぞれの獲得経験値、報酬アイテム、コル、討伐対象の特徴などを記録してアルゴに報告し、ひとまず昨日の依頼は達成した。

 

「クエストはあらかたクリアしたし、二人ともレベル2になった。戦闘は問題なさそうだし、早めにホルンカへ向かうか」

 

 はじまりの街周辺は覚悟を決めたプレイヤーたちで溢れかえり、ろくにモンスターを見つけられない。そんな場所を狩場とするのは非効率だ。昨日アルスが早々にホルンカを目指したのは、こうなる事を予想していたというのも理由の一つだ。

 ゲームに慣れているエリスなら、次の街へ行くことを賛成してくれるかと思ったが、意外にも首を横に振った。

 

「あの、次の村へ行く前に、友達を探すのを手伝ってもらえませんか?」

 

「友達……フレンドを探すのはさすがに……それは自分で頑張ってもらうしか」

 

「そうじゃなくて、私の友達を探して欲しいんです」

 

 エリスの言葉でようやく合点がいった。彼女が探して欲しいのはゲームのフレンドではなく、現実世界での友達なのだと。

 エリスは幼馴染みの二人と一緒にSAOを始める約束をしていたらしい。ただ、サービス開始日である六日は全員集まれるか確証がなかったため、今日七日に集まる予定だったそうだ。

 

「その二人はログインしているかわからないのか」

 

「はい。昨日の正午に私がログインした後、連絡ができなかったので」

 

「……二人のプレイヤーネームはわかるか? 正確な綴りも」

 

「えーと……こっちで会った時に本人かわかるようにって、あらかじめ教えていました。アルファベットしか使えないって、説明書にもあったので。」

 

「よかった。それならなんとかなる」

 

 アルスはそう言ってから、メニューを開いてメッセージタブへ移動する。

 

「このインスタントメッセージって機能は、プレイヤーネームさえわかればフレンドでなくてもメッセージを送ることができる。これを使ってどこかで待ち合わせればいい」

 

 インスタントメッセージは同じ階層でなくては送信できないなど、フレンドメッセージに比べれば使い勝手は悪いが、一層しか開放されていない現状ではほとんど問題はない。

 エリスはアルスの説明を受けながら二人分のメッセージを送信した。ログインしていない、またはプレイヤーネームを変えていることもありえたが、数分後にレスポンスがあった。

 

「二人ともログインしてるみたい。東七区の教会で待ち合わせます」

 

 安堵した表情を見せるエリスとともに、アルスは教会へ向かった。

 教会は各街に配置された施設で、お布施を支払うことでバッドステータス《呪い》の解呪やアンデッドモンスターへの特効バフ、幸運バフなどの恩恵が得られる。しかし、現状それらの恩恵が活かされる機会はほとんどないので、教会周辺にプレイヤーの姿は見えない。

 

 しばらく待っていると、北から二人組がやってきた。

 一人はエリスと同じぐらいの十代中頃と思われる優しそうな少年で、髪はやや短めの茶髪、左利きなのか右腕に盾、右腰に木製のメイスを吊っている。もう一人はバイザー付きのヘルムを被っているせいで顔が見えない。武装は右手のランスと左腕の盾、背丈が隣の少年とほとんど変わらないので、こちらも男だろうか。

 エリスが二人に駆け寄ると、なぜか二人ともひどく狼狽え、さらに声を上げて驚いていた。

 人違いだったのかと思ったが、エリスと一緒に戻ってきたので、どうやら探していた二人だったようだ。

 

「紹介しますね。こっちのメイス持ってる方がビルで、ランスを持ってるのがカインです」

 

 挨拶をする二人にアルスも会釈を返す。その際、声でカインが女性であることに気づいた。エリスがアルスと出会った経緯を説明すると、二人はひどく申し訳なさそうになった。

 

「うちのエリスがお世話になりました」

 

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 

「待って、二人は私のなんなの」

 

 まるで子供の不始末を謝るように頭を下げる二人に、エリスは憤慨していたが、彼らのやりとりを見ると本当に気がおけない友人なんだとわかる。

 

「でも、本当に二人がいてくれてよかった。ビルとカインがいればすごく心強いもん」

 

 そう話すエリスはとても嬉しそうだった。

 三人で笑いあうその光景に、かすかな懐かしさを覚える。

 

「き……」

 

 アルスが口を開きかけたその瞬間、世界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界に光が戻り、体を起き上がらせる。

 奥にある祭壇とそこで淡く輝くろうそくの光を見て、そこが教会の中だと理解する。周りではエリス、カイン、ビルの三人がこちらを見ていた。動けなくなった自分を彼らが教会内に運んでくれたのだろう。

 

「アルス。大丈夫?」

 

「ああ、問題ない」

 

 心配そうにこちらを見つめるエリスに、アルスは硬い表情で返す。

 メニューを開いて時間を確認すると、一時間ほど経っていた。動けなかった間に頭の中で組み立てていた推測をアルゴにメッセージとして送ってから、アルスは立ち上がった。

 

「奥の神父に言えば二階の部屋を使わせてもらえるはずだから、しばらくそこで待っていてくれ。俺が戻ってくるまで、絶対に部屋から出るな」

 

「待ってください。一体何があったんですか」

 

 兜越しにカインが訊き、アルスは短く答える。

 

「回線切断だ」

 

 

 

 教会を出たアルスは急いで道具屋で《立て札》を購入した。立て札は二十四時間だけ地面に設置することができるアイテムで、本来はパーティーやギルドメンバーの募集などに使われる。

 アルスはそれに回線切断が発生する危険があることと、街の外へ出ることを控えるように書いてから、街の各ゲートに設置して回った。

 設置後にアルゴと合流し、外で狩りをしているプレイヤーたちに街への帰還を促しながらホルンカへと走った。そこを拠点としていた者たちにも同じように伝え、はじまりの街へと帰還する。全てが終わった頃には、すっかり日が暮れていた。

 

「では、アルスさん説明をお願いします」

 

 教会の部屋を訪ねるや、紺色のミディアムヘアの整っているが冷たい印象を与える容貌の少女にそう訊かれた。一瞬誰かと思ったが、ビルとエリスが隣にいるので、兜を外したカインだと気づく。

 

「ろくに説明せず出て行ってすまない。ただ、時間がなかったんだ。さっきも言ったが、俺の身に起きたのは回線切断だ。ディスコネクションって、表示が出ていた」

 

「それだけで、なぜここにいろと?」

 

「切断中に考えたんだが、おそらく現実世界の体を病院かどっかに移動させたんじゃないかと思う。もしそうだとしたら、俺だけじゃない二、三日中に全員が同じ現象に遭うだろう。街中ならともかく、これが戦闘中に起きたら命に関わる」

 

 現実の体は今、ナーブギアを着けたまま指一本動かすことができない。そのまま放っていたら、脱水症状に陥って命の危険がある。それを防ぐために、SAOに囚われた人々を順次病院に連れて行っているのだろう。

 だが、問題なのは回線が切れたとしてもプレイヤーが生きている限りは、アバターが残り続けてしまうことだ。ベータ時代の知識が正しければ、通信切断によって残されたアバターもモンスターに襲われればダメージを負う。最悪の場合、戦闘中に切断が起きて、移送完了直後に死亡ということも起こりうる。

 現実世界から、何らかの方法でこちらをモニタリングし、安全圏にいる時を選んでくれていればいいが、それも難しいだろう。

 

「なるほど、納得しました」

 

「そういうわけで、しばらくは教会内にいてほしい。食糧とかは俺が買ってくる。切断が終わるまでの辛抱だ」

 

 アルスが説明を終えたところで、「あ、じゃあ」とビルが口を開く。

 

「その間、僕らに戦い方とか攻略法とか教えてもらえますか」

 

「ビル。いきなり何言ってるの」

 

 カインに窘められながらも、ビルは続ける。

 

「だって、この人ベータテスターですごく強いんでしょ、だったら、いろいろ聞いた方がいいと思って」

 

 打算的でありながら、そうは聞こえないビルの言葉に、アルスは思わず口角を上げて答える。

 

「構わないよ。俺でよければ教えられることは教える。それで……ゲームクリアを目指す気があるなら、俺のパーティーに入って欲しい」

 

「えぇ! 本当に?」

 

 アルスの勧誘に反応したのは、ビルではなくエリスだった。

 

「もちろん危険があるし、二人のやる気次第だが」

 

「絶対に入ります。ねぇ」

 

 エリスがビルとカインに同意を求め、「うん」「まあ、いいけど」と返事したことで、四人パーティーの結成が決まった。

 

 

 翌日、教会内での戦闘訓練が始まった。部屋の中ではソードスキルの空撃ちぐらいしかできないが、空撃ちでもわずかながら武器スキルの熟練度が上昇するし、スキルをスムーズに発動できるようになるだけで、戦闘はかなり有利になる。それに慣れてくると、ソードスキルの発動と同時に自ら体を動かすことで、スキルの威力をブーストするテクニックも教えた。動き方を間違えるとスキルが強制停止してしまうので、使いこなせるのは相当先だろう。

 合間にアルゴが作って持ってきた攻略本を用いて座学も行った。ちなみにこの攻略本は、なぜかアルゴから五百コルで買わされ、「誤字とかあったら教えてくレ」と校正まで頼まれている。

 その日のうちに三人がほとんど同じ時間に回線切断を起こした。幼馴染みと言っていたので、おそらく三人とも近所に住んでいて、同じ病院に運ばれたのだろう。

 

 ゲーム開始から四日目となる十一月九日。

 まだ回線切断が起きていない者がいるためか、プレイヤーが少々まばらになったフィールドで、ビルとカインのクエストを手伝った。クエストの完了報告を終えるとアルスはレベル3に、ビルとカインがレベル2に上がり、翌日のホルンカへの移動が決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 九日の晩、エリスははじまりの街の大通りを一人で歩いていた。街には未だに九千人以上のプレイヤーがいるはずだが、大半は宿屋に閉じこもっているようで、目につくのはNPCばかりだ。

 三日前にデスゲーム開幕のチュートリアルが行われた中央広場に入り、エリスはSAOに囚われてからの出来事を思い出す。

 

 自分が得意なのはゲームだけだった。だから、ゲームなら負ける気はしなかったし、たとえ蘇生できないのだとしても自分なら百層へ行けると思った。だからこそ、街の周りにいる狼や猪よりも強いモンスターを求め、別の村を目指した。

 しかし、結果を見ればそれは完全な思い上がりだった。

 碌に情報を集めずに街を出たせいで、あわや命を落としかけた。アルスに助けられたのは、殆ど奇跡と言っていいだろう。

 強くて優しいテスターのアルスに出会い、現実世界の友人であるビルとカインとも合流できた。この世界に囚われてしまったことは紛れもない不運だったが、今の自分は間違いなく運がいい。

 

 広場を過ぎ、さらに街を南へ進んでいくと南端の展望テラスへ出た。噂ではあの宣言の数時間後にここで身投げをした人がいたらしく、その後彼の姿を見た人はいないという。彼だけが現実世界に脱出できたのではないか、と考える人もいるそうだが、十中八九既にこの世にはいないのだろう。

 そんなことがあった場所へ夜中に来る人はめったにおらず、居たのはテラスの縁に腰掛ける一人のみ。

 

「来たね。エリス」

 

 テラスの柵を越えて、フロアの端に座る少女カインは、見惚れそうな笑顔でそう言った。

 

「ちょっ、そんなとこにいたら危ないよ」

 

「平気だって、エリスも来てみな」

 

 カインがロープを投げ渡してきた。よく見るとカインの腰にロープが巻かれ、ロープの端が柵にきつく縛り付けてある。

 どうやってロープを結べばいいのかわからず、ロープを指先でタップしてみた。SAOのアイテムはオブジェクト化された状態でタップすると、アイテム名や耐久値、マジック効果、使用方法などを確認できる。

 すると、ウィンドウに結束ボタンというものが表示された。説明を読んでからそこを押してみると、指先が光り出し対象選択モードとなる。その指でまず柵に触れると指先の光が消え、代わりにロープの一端が伸びて柵に巻きついた。結び目が緩そうに見えるが、任意で解除しない限り解けないようだ。もう一度操作を行い、今度は腰にロープを巻いてから、柵を乗り越えてカインの隣に腰を下ろす。

 

「うわぁー……綺麗」

 

 恐る恐る顔を上げると、数多の星々が煌めく夜空と月明かりに照らされた雲海が、視界いっぱいに広がっていた。現実世界では見ることのできないその眺めに思わず息を飲む。

 

「いい場所でしょ。みんな寄り付こうとしないけど、この街で一番綺麗な場所だと思う」

 

「もしかして、これを見せたくてこんな時間に呼び出したの?」

 

 わざわざフレンドメッセージを使ってここに呼び出した理由を訊くと、カインは首を横に振った。

 

「それだけじゃないの。ねえエリス……もしかして、アルスさんのこと好き?」

 

 ストレートなその問いに、頬が紅潮するのが自分でもわかった。

 

「いや、そんなんじゃ。そりゃ優しいしかっこいい人だけど、まだ知り合ったばかりだし…………そういうカインはどうなの? ビルのこと好きなんでしょ」

 

「ええ、もちろん」

 

 意趣返しとばかりに同類の質問をしたが、真顔で返された。

 

「ずっと好きだよ。昔も今も」

 

「そう……なら、こっちでも一緒にいられてよかったね」

 

「…………そうね」

 

 カインの声のトーンがわずかに低くなった気がした。

 

「エリス。こっちで最初に会った時に言ってたよね。私とビルがいてよかったって。あれ、どういう意味?」

 

「どうって……私はただ、三人一緒にいられて嬉しかっただけだよ。もしみんなで力を合わせれば、きっとゲームをクリアできるって」

 

「そっか……そうなんだ」

 

「カイン?」

 

 普段とちがう声色を訝しんで表情を見ようとしたが、カインは俯いていて顔がはっきり見えなかった。顔を覗き込もうとすると、カインが視線の先を指差す。

 

「今、下を何か通り過ぎた気がする」

 

「えっ、どこ?」

 

 カインが指す先に目を向けるが、眼下に広がるのは青白い雲海だけだった。

 

「ほら、もっと下の方」

 

 カインが示す場所を見ようとして、エリスは身を乗り出した。命綱代わりのロープが張り、腰のあたりがきつく締まる。しかし、それでも特に変わったものは見えなかった。

 

「カイン。何を見……」

 

 振り返ると、エリスの腰につながるロープにカインがナイフを当てていた。エリスがその意味を理解するより早く、ロープが断ち切られる。

 

「バイバイ、(サクラ)

 

 エリスの体は、仮想の重力によって虚空へと引き寄せられる。

 

《続く》




以前はここまでに4話かけていたので、1話で収まるように変更いたしました。

作中に出てきた進入不可エリアの設定ですが、原作では一層にもそういったエリアがあるかは明記されておりません。ですが、一層のフィールドの設定やプレイヤーが必ずホルンカからメダイへ行くことなどから、進入不可エリアがあると考えました。

それでは二話もよろしくお願いします。

《キャラ設定》
アルス
Player name/Alus
Age/18
Height/176cm
Weight/68kg
Hair/Black Short
Eye/Black
Sex/Male

Lv3(一話時点)
修得スキル:《片手直剣》《武器防御》

元ベータテスターでとある理由からテスターの間では名が通っている。
茅場晶彦への反骨心からゲーム攻略を目指すが、エリスと出会いわずかに心境が変化している。


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第二話 意志を固める者

 私は決断した。戦いに身を投じることを。
 私は手を取った。彼と共に戦うために。
 私は思い出した。頼るべき仲間がいることを。
 私は喜んだ。いかなる状況であっても、愛する人と居られることを。

 私は落ちた。死へとつながる深淵へ。
 私は聞いた。あまりに悲痛なその叫びを。
 私は知った。吐き気を催すような自らの非道さを。
 私は気付いた。この世界が、どんなに心を歪ませるのかを。

 私は決意した。己が成すべきことを、命を賭してでも成し遂げると。



「バイバイ、(サクラ)

 

 命綱が切られ、エリスの体が仮想の重力に引かれて落下を始める。何が起きたか脳が理解する前に、咄嗟に伸ばした右手がかろうじてフロアの端を掴んだ。

 落下が止まりエリスの全体重を受けた細腕に一瞬衝撃が走る。小柄なアバターと街中なために武装を解いていたことが幸いしたのか、レベル2の筋力でも重量に耐え、右手が離れることはなかった。

 

 真下にある雲海を目にし、背筋を冷たい感覚が駆け抜け、心臓が高鳴る。荒い呼吸を幾度か繰り返したところで、エリスは上から見下ろしている少女へ目を向けた。

 

(ラン)。なんで……こんな」

 

 カインと同じように現実世界の名で問いかけた。

 

「わからない? そうだよね……桜は自分の都合しか考えてないものね」

 

 氷のような瞳が槍の如き鋭い眼光を放ち、声音はまるで冷え切った鉄のようにエリスの体温を奪う。その声は幼馴染の少女のものとは思えず、今この瞬間だけ、カインのアバターを別の人間が操っているのだと、本気で思った。

 

 これは藍じゃない。綺麗で、頭が切れて、優しい藍がこんな声を出すはずがない。

 

「なんで私や鈴大(レオ)がこの世界に囚われたと思ってるの。桜、あなたのせいでしょ。あなたがこのゲームに誘わなければ、一緒にやろうなんて言わなければ、私たちはこんなところにいなかった。今日だって学校に行けていたはずだったの。それなのに……」

 

 普段の端麗な容貌からは想像のできない、怒りの感情を顕にしたカインの形相にエリスは身を震わせた。

 

「初めて会った時なんて言ったか覚えてる。二人ともこっちにいてよかった? いいわけがないでしょ。こんな目にあって、いいわけがないでしょ。そりゃあなたは嬉しいでしょうね。大好きなゲームをずっとやってられるんだから。でも、私たちは違うの。現実世界でやりたいことがあるの。やらなきゃいけないことがあるの。こんなところさっさと出て行きたいの」

 

「ちがうの。私は……」

 

「言い訳しないで!」

 

 その一言で、エリスは口を閉ざしてしまった。

 

「あの宣言の後、あなたは私たちの心配をした? ただ自分がやりたいことだけ考えて、気に入った男の人に取り入って、私たちのことだって都合のいい戦力としか思ってないんでしょ」

 

 茅場晶彦によってこの世界に閉じ込められた時、自分は何を考えただろうか。

 ゲームをクリアしなくてはならないと思い、次の村へ行くためにはじまりの街を飛び出した。自分なら多少強いモンスターでも倒せる。自分ならすぐに強くなれると自惚れて。

 その間、藍や鈴大を一瞬でも心配しただろうか。

 いや、しなかった。

 自分が生き残る事ばかり考えていた。

 アルスと次の村へ移動するという話になって、ようやく二人のことを思い出したのだ。

 彼らをパーティーに入れたいと願ったことを、自分の都合で利用していると責められて、否定することができるだろうか。

 

 エリスが言葉を返せずにいると、カインが冷笑を浮かべフロアの縁を歩く。

 

「違わないでしょう。私たちに散々迷惑かけておいて、なんであんなヘラヘラしているのか理解できない」

 

 藍の言うことは事実かもしれない。二人をこの世界に連れてきたのは私なのに、デスゲームに巻き込まれた二人がどんな気持ちでいるのか、何も考えようとしなかった。二人が死に怯え、ナーブギアを被った事を後悔しているのに、こちらにいる事を喜んでしまった。

 藍は命綱を切って自分を落とそうとしたが、自分がやったことはより残酷だ。腕を掴んで奈落に引きずり込み、その姿を笑ったのだから。

 

 カインはエリスの手をまたいで止まり、見下ろしながら問いかける。

 

「落ちる前に教えてよ。なんであんな顔ができるの? 私たちがこっちにいてそんなに嬉しい? ああ、そうか……ゲームなら自分の方が上手いから、この世界なら自分の方が偉いとでも思ってるんでしょ」

 

 違う。そんな風に思ったことはない。

 二人がいて嬉しかったのは、SAOで一人ぼっちにならないと思えたからで、二人を見下したことなんて一度もない。むしろ、藍はずっと憧れだった。美人でスタイルが良くて、頭も良くて、運動もできる。現実の自分が持たないあらゆるものを持つ彼女と、つながりを持ち続けられたのは、一緒にゲームをやっていたからだ。ゲームでは藍より強かったが、それは自分の方が弱くなって、飽きられることへの恐怖心があってこそだった。ゲームの腕は誇れるものではなく、コンプレックスを覆い隠し、自らの姿を欺く張子だった。

 

「ねえ、そうなんでしょう。私たちのことが惨めだと思ったんでしょ。だからあんな風に笑えたんでしょ。自分のせいなのに、心の中で嘲笑っていたんでしょ」

 

「違う。私はただ……」

 

「そうだって言ってよ」

 

 エリスの言葉を遮るようにして、カインが言い聞かせるように叫ぶ。その時、エリスの顔に何かが落ちた。

 頬を伝う熱い感覚の正体に気づき、エリスは無意識に目を逸らしていたカインと目を合わせる。

 

 泣いていた。

 

 氷のように見えるカインの瞳から、熱い涙が落ちてくる。

 怒りの形相を浮かべ、恨み言を叫び続けているカインの姿が、まるで癇癪を起こした子供のように見えてきた。

 

 やっぱり、藍は何も変わっていない。

 多分、藍は本気で私が二人を嘲笑ってると思っているわけじゃない。まだ現実を受け入れきれなくて、彼女の中にある恐怖や不安から目を逸らそうとしているだけだ。今のこの状況を生み出した私を憎むことで。

 突然この世界に閉じ込められて、恐怖や不安を抱いて当然だ。私はデスゲームが始まった時、真っ先に二人を探して謝るべきだった。そうせずに二人のことを忘れて、自分が生き残る事ばかり考えて…………私はバカだ。

 二人をこの世界に連れてきてしまった責任を、私が取らなくちゃダメだ。そのためにも、今ここで死んで、藍に十字架を背負わせるわけにはいかない。

 

 でも、どうすればいい。両手を使えば上に登れなくはないだろうけど、上には藍がいる。このテラスを含む街の中では犯罪防止コードというのが働いているせいで、他のプレイヤーを押しのけることはできなかったはず。藍が突き落とすのではなく、わざわざ命綱を切るという方法をとったのもそれが理由だ。今登ろうとしても、すでにそこにいる藍をどかすことはできない。

 

「藍。落ち着いて……」

 

「黙って」

 

 話を聞こうとしないカインに、エリスは声をかけ続ける。

 

「お願い。話を聞いて」

 

「黙ってって、言ってるでしょ」

 

 冷静さを欠いたカインが右足を上げ、エリスの腕を蹴りつけた。だが、足が腕に当たるその直前、紫色の障壁に阻まれる。カインの動作が犯罪防止コード圏内で禁じられている他者への攻撃と判定され、防御機能が働いたのだ。

 

 それによってエリスの手がフロアから離れることはなかったが、意図せずに止められたカインの右足は空を踏み、バランスを崩させる。柵へ手を伸ばすも届かず、カインの体はフロアの外へ出て命綱がピンと張った。落下が止まりカインが安心したのも束の間、テラスの柵とカインの体に縛り付けられていたロープの結び目が、滑るように解けていった。

 

 

 

 

 この時、エリスとカインは知らぬことだったが、SAOのロープアイテムはポップアップウィンドウを介さずに手で結びつけた場合、一定以上の力が加わると簡単に解ける仕様になっている。

 そもそもVR空間では、紐を結ぶような細かい手の動きを必要とする動作が困難になっており、SAOではその行為を簡略化させるために、ロープアイテムはウィンドウで結ぶ、解くの操作ができるようになっている。そこに手作業で結んだ場合の対応を含むと、システムはかなり複雑なものになってしまう。なのでSAOの製作陣は、システム以外の力で結ばれた箇所は、強い力を受けると簡単に解けてしまう仕様にしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 それを知らずに手で結んだカインのロープは柵と体から離れ、カインの体が再度落下を始める。だが、すぐに落下は止まり、ロープだけが雲海に落ちてこの世界から消滅した。それを目で追ってから、カインはゆっくりと顔を上げる。

 

「……エリス」

 

 苦しそうに顔をしかめたエリスが、カインの左手を掴んでいた。自分の状況を理解して、カインの顔から血の気が引く。

 

「落とさないで、いま手を離されたら、本当に……」

 

「黙って」

 

 突き放すようなエリスの言葉を聞き、カインは自らの行いを思い出す。

 ついさっきまで、自分はエリスを殺そうとしたのだ。その上、怒りのはけ口として、ひどい言葉をいくつもぶつけた。そんな自分が、エリスに命乞いなどできるはずがない。

 カインが力を抜こうとすると、エリスの手がより強く握り締められた。

 

「しっかり、手を握ってて」

 

「エリス、どうして……」

 

 カインが手を握りなおすと、エリスは力を入れているせいか震えながら答える。

 

「絶対に、死なせ、ないから。二人とも、元の世界に、帰してあげるから」

 

 カインは手を強く握りながら、心の中で「ありがとう」と呟いた。

 

 

 

 

 エリスはかすかに感じる腕のしびれを無視して、上へ昇る算段を考えていた。

 今のエリスの筋力値では、カインとともに上へ登ることは不可能だ。SAOではプレイヤーの運搬可能重量が厳密に決められており、それを超える重量の物を持つと、隠しパラメータの疲労度が蓄積し、限界に達すると部分的なスタン状態が発生してしまう。そうなったら、物を掴むことはできなくなる。

 すでに右手が痺れ始めていて、エリスに残された時間は多くなかった。

 

 焦りで思考が進まない中、上から声がかけられる。

 

「エリス、カイン。何をやってるの」

 

 上を見ると、柵から身を乗り出したビルが、心配そうにこちらを見下ろしていた。なぜここにいるのかという疑問をよそに、しゃがんで柵の間から手を伸ばそうとするビルに向かって、声を絞り出す。

 

「柵の上に、ロープが、あるから。それを指で叩いて……」

 

 柵に残っているロープを使ってカインを先に引き上げようと考えたが、ロープはわずかな長さしか残っていなかった。あれでは解いて柵の下の方に結び直しても、エリスの腕にも届かないだろう。

 

「ビル。ちゃんと捕ってよ」

 

 他の方法を思案していると、下からカインの声が響いた。と同時に、丸められたロープが柵を越えて投げ込まれる。

 いつの間にロープを出したのかとエリスは思ったが、それはエリスの腰に結ばれたままだった命綱を外したものだった。

 

「指で叩くと結束ってボタンがあるから、それを柵に結んでからこっちに降ろして」

 

 ビルはロープをキャッチすると、カインの指示通りにロープを結び下に降ろした。降りてきたロープを、カインが右手に巻きつける。

 

「大丈夫。上げて」

 

 ビルがロープを引き始め、エリスは掴んでいたカインの手を離した。カインの手がフロアの縁に届き、体をフロアの上に持ち上げる。

 

「……あ」

 

 その瞬間、気の緩みもあったのか、限界に達したエリスの右手から握力がなくなった。力なく腕を伸ばしたまま、エリスの体が死の奈落へと近づく。

 

 

 奇妙な浮遊感を覚えながら、エリスはきつく目を閉じた。

 助かると思ったのに。三人で協力すればなんとかなると思ったのに。二人を元の世界に返すって決めたのに。自分だけ、一層で死んでしまうなんて。

 せめて、二人だけは頑張って生き残って。アルスと一緒なら、きっと現実世界に帰ることができるから。

 

 

 

 

 

 

 

 ……思ったより、落下する時間が長いな。もしかして、本当に地上まで落ちるのかな。アインクラッドって上空何メートルくらいの設定なんだろ。

 

「エリス。しっかりして」

 

「ふえ?」

 

 目を開くと、カインが限界を迎えて感覚がないエリスの右腕を掴んでいた。そこからビルの協力も得て、ゆっくりとエリスの体を持ち上げていく。

 

「カイン。ありがとう」

 

 数分ぶりに地に足をついて息を整えながら言うと、カインは静かに頭を下げた。

 

「エリスも助けてくれてありがとう。それとひどいこと言ってごめんなさい」

 

 カインに頭を上げるよう言いながら、エリスは柵に結ばれたロープに手を伸ばした。

 

「今回のことで、一つ学んだね」

 

「学んだって、何を?」

 

 ロープのポップアップウィンドウを開き、解いてから答える。

 

「アイテムの説明は、絶対に読むようにする」

 

「うん。これからは絶対にね」

 

 

 

 

 柵を乗り越えて落下の危険がなくなったエリスとカインは、怒りを隠さないビルを見て無意識のうちに正座していた。

 

「フレンドリストの位置追跡機能を試してたら、二人が街のテラスにいたから、何事かと思って急いで来たけど。こんなところで何をしてたの?」

 

「……私が、エリスを呼び出して、それで」

 

 正直に話そうとするカインをエリスが止めた。

 

「違う。全部私が悪かったの。カインとビルがここにいるのは、私のせいなのに。そんなことにも気づかないで、私の都合で振り回して、謝りもしなかったから。だから……ごめんなさい」

 

 地に頭をつけるエリスに、ビルは肩をすくめた。何の説明にもなっていなかったにもかかわらず、それ以上の追及はせずに膝をついて語りかける。

 

「顔を上げて。僕はね、ここに閉じ込められたのが、エリスのせいだなんて思ってないよ」

 

 エリスは顔を上げ、穏やかな表情を見せるビルに胸の奥が痛くなる。

 

「でも、私がSAOを勧めたせいだよ。だから、二人を帰すためなら、私はなんだって」

 

「そんなことは望んでないよ。でも、どうしてもお詫びがしたいって言うなら、そうだな…………何か奢ってよ。現実世界に帰ったら」

 

 それを聞いてエリスは顔を上げ、にっこりと笑った。

 たとえ仮想世界になっても、どんな状況になったとしても、やっぱりビルは現実の鈴大のままだ。

 

「わかった。なんでも奢るから、食べたい物決めておいてね」

 

「言ったな。覚悟しといてよ」

 

 二人のそんなやりとりを見て、カインは毒気の抜けたような表情になって、エリスの肩に手を置いた。

 

「だったら、なんとしても帰らないとね。三人で」

 

 三人は互いに目を合わせ、同じことを決意した。

 この先何が起ころうと、三人で力を合わせ、この世界から脱出すると。

 

《続く》




ロープアイテムの設定は8巻、21巻の記述を参考に、手で結んだ場合の設定を想像しました。
現実には結び方が様々ありますが、VR空間では現実のようなロープの摩擦がシミュレーションされるわけではないため、それぞれの結び方に対する耐久値の減り方や解けやすさに差をつけるのはほぼ不可能。その上、きつく結ばれたものを手で解くのは困難で、ウィンドウから解くにはロープが結ばれた状態であることをシステムに認識させなくてはならない。
そんな面倒な設定をするぐらいなら、最初から手では結べない仕様でいい、という理屈です。


褒められたことではありませんし、結果的には大きな見落としで失敗に終わりますが、ゲーム開始から数日で圏内PK手段を編み出すのは結構すごいことだと思います。カインはモデルのおかげで才女という設定です。


キャラ設定

エリス
Player name/Eris
Age/16
Height/155cm
Weight/51kg
Hair/ Dark red Long Ponytail
Eye/Dark red
Sex/Female

Lv2 (二話時点)
修得スキル:《片手直剣》《軽金属装備》

 茜色の髪と瞳を持つ愛らしい少女。なのだが、自己評価は低く、幾つものコンプレックスを抱えている。SAO発売以前からナーブギア対応のゲームを遊んでおり、仮想世界内での動きの良さや反応速度は、アルスも一目置いている。


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第三話 道を外れる者

 私が渡っていた道は、あまりに細く、わずかでもバランスを崩せば命を落とすものだった。サーカスの綱渡りに似たその道程に疲れ、道を後戻りしてみると、道を外れても柔らかな足場が私の体を受け止めた。
 雲上の楽園というものが実在するのであれば、それはこんな場所を指すのだろう。落ちることを恐れる必要がなく、ただ自由気ままに過ごしていれば良い。微睡みの中にある夢のような空間。永遠にここで過ごせれば、これほど幸せなことはないだろう。
 たとえこの空間が、先の道を阻むものであるのだとしても。



二〇二二年十一月二十八日

 

 SAOのサービス開始から三週間余りが経過した。犠牲者はすでに一八〇〇人に達したとされている。未だ第一層は攻略されていないものの、フィールドはほとんど探索され、残すは次層へ繋がる巨大なダンジョン《迷宮区》を残すのみとなった。

 

 迷宮区最寄りの谷間にある町《トールバーナ》には数十人のプレイヤーが到達し、迷宮区攻略の拠点としている。そんな町の裏通りにひっそりと構えている酒場で、数人のプレイヤーが集まっていた。

 

「何の用なんだ、アルゴ。こんな所に呼び出して」

 

 アルスは正面に座るフードを目深にかぶった情報屋に訊いた。

 

「アルスたちに頼みたいことがあるんダ。最近、集団での強盗事件があったことは知ってるヨナ?」

 

 普段以上に重い口調のアルゴに、アルスは小さく首肯する。

 一層南西の森林地帯で、十人以上のプレイヤーが数人のパーティーを取り囲み、所持していたアイテムやコルを奪う事件があったという噂が流れていた。PKが本当の殺人となるこの世界で、プレイヤーに刃を向ける者はいないと思われていたため、かなり衝撃的なニュースとしてプレイヤーの間で伝わっている。

 

「危険な依頼だから、受けるかどうかはよく考えてくレ。そっちの子たちもナ」

 

 アルゴは隣のテーブルで話を聞いていたエリス、カイン、ビルの三人に目を向けてから、話を続ける。

 

「と言っても、大方予想はついてるだろうけどナ。アルスたちには、やつらをおびき出すための囮になってほしイ」

 

「討伐、ではないんだよな」

 

「そこまで頼むつもりはなイ。それに、今のところ死者は出ていないようだからナ」

 

「だが、そうだとしたら何のための囮なんだ」

 

 仮に恐喝を行ったプレイヤーをおびきだせたとして、彼らを殺さずに無力化するのは困難だ。SAOにはプレイヤーの動きを止めるアイテムとして麻痺毒が存在するが、第一層で手に入るアイテムでは調合スキルをコンプリートしたとしても麻痺毒は作れない。ロープ等のアイテムでも自由を奪える時間はごくわずかだ。その理由は動きを封じることが戦闘面で強力すぎることに加え、プレイヤーを長時間拘束するアイテムが簡単に手に入れば、他者のログアウトを妨害し続けるハラスメント行為が容易になってしまうためだ。

 そのため、ベータテストでは犯罪者プレイヤーを見つけたら、逃げるか殺すかの二択しかなかった。

 

「今回の目的は奴らの討伐でも、捕縛でもなイ。来てくレ」

 

 アルゴが声をかけると、店の隅に座っていた小柄な少年が近づいてきた。

 年齢は十代前半に見える。短髪の赤髪に強気な印象を与える緑色の瞳。防具はブレストアーマーのみで背中に少年の身長より長いスピアを背負っている。

 

「彼はアラシ。今回の依頼人ダ」

 

「依頼人?」

 

 訝しげな表情を浮かべながら、アルスはアラシに目を向ける。

 

「強盗団と一緒にいるらしい彼の仲間を連れ戻ス。それが彼からの依頼ダ」

 

「一緒にいるらしい? もう少し詳しく話してくれないか」

 

 アルゴはアラシに話すよう促した。

 

「俺の仲間にリョーコってやつがいたんだ。でも、一週間ぐらい前から急に姿を消して、探し回ってたんだ。それで……」

 

「オイラのところに来たんダ。彼女を探して欲しいってナ」

 

「彼女って、女の子なのか?」

 

「名前で分かるだロ」

 

 アルスの問いにアルゴは嘆息混じりに答える。茅場晶彦によって現実と同じ性別でのプレイを強制されたために、ネカマをしようとしたプレイヤーが女性名のままでいる可能性もあるのだが。

 

「それで探したら、強盗団の中に似た背格好のプレイヤーがいるという情報があったんダ。アラシと同い年ぐらいの女の子なんてそう何人もいないから、ほぼ間違い無いだろうナ」

 

 SAOでの男女比はおよそ八対二と言われているが、はじまりの街を出てフィールドを探索している女性プレイヤーはさらに少なく、五十人出会えば一人女性がいるかどうかというレベルだ。似たプレイヤーがそういるとは考えにくい。

 その情報を聞いた時のことを思い出したのか、アラシが沈鬱な面持ちになる。

 

「リョーコは……いい奴だったんだ。戦闘はそんなに得意じゃないけど、コツコツ頑張ってレベル6まで上って、新しいスキルを習得して、これからって時だったんだ。なのに……くそっ、畜生」

 

 悔しそうにテーブルを叩くアラシを見て、アルスは決意を固めた。

 

「わかった。俺は手を貸そう。あとは……」

 

「もちろん行くよ」

「そんな話を聞いて、行かないとは言えませんよ」

「当然。三人でね」

 

 エリス、カイン、ビルの三人も賛同する。アルゴは予想通りとばかりにニヤリと口角を上げると、右手を振ってメニューを操作する。

 

「そう言ってくれると思ったヨ。こいつは前払いダ」

 

 アルゴのアイテムウィンドウから出てきたのは、大量の武器防具だった。だが、それらは全てはじまりの街でも手に入るような低級装備だ。

 

「囮用の装備ダ。今使ってるので南側に行くと目立つし、相手も警戒するからナ」

 

 各々が自分にあった武器や鎧を選び取っていく。アルスとエリスは片手剣とチェストガードを、カインはランスと盾と重装鎧、ビルはカインと同じ防具でランスの代わりにメイスを自分のアイテムストレージに収めた。アルゴが出した装備をすべて入れ終えたところで、カインが訊ねる。

 

「アルゴさん。兜はありませんか? この町に来た時に前使っていたのは手放してしまったので」

 

 カインは普段からフルフェイスタイプの兜を装備している。タンクとして防御力を上げる理由もあるのだろうが、本来の目的は顔を隠して女性であることを隠すためだ。

 

「あ、今回カインちゃんは顔を隠さないでくれヨ。使っていいのは、今渡した装備だけナ」

 

「えっと、なぜ?」

 

「アルスたちに依頼したのは、レベルももちろんだが、女の子が二人いるからだヨ。多少人数が多くても、女の子相手にビビる強盗はいないだロ。他の奴らはゴツくて囮に向かなくてネ」

 

 その答えにカインは納得しながらも、苦い表情をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一層南西にある森林エリアは、はじまりの街から次の村であるホルンカへ行くための通り道となっている。森林ゆえに隠れる場所が多く、ホルンカ周辺まで行かなければ厄介なネペント系モンスターが出ないため、他のプレイヤーを待ち伏せるには都合のいい場所だ。

 

 アルスたち五人は一旦ホルンカまで戻り、装備を囮用のものに変更してから森林エリアの探索を開始した。森林エリアは薬草や木材などフィールドで採取できるアイテムが多く、それらに関連したクエストもあるので、長時間の探索自体は不自然ではない。問題となったのは戦闘の方で、既にレベル10前後まで達しているアルスたちならば、やろうと思えばソードスキル一回で倒せるモンスターを、監視されている可能性を考え時間をかけて戦う必要があった。

 

「なんか、私たちお姫様扱い?」

 

「全然嬉しくないけどね」

 

 そういった理由から、戦力を減らすためにエリスとカインは戦闘に参加せず、後方での待機を強いられた。女の子二人は戦力にならないと思わせるカモフラージュにもなっている。

 ビルとアルスの二人がモンスターを倒し武器を収めたところで、バイザー付きのヘルムで顔を隠したアラシが小声で話しかける。

 

「さっきまで、こっちをじっと見てる奴らがいた。グリーンが三人」

 

「三人も? 全然気づかなかった」

 

「ビル。もう少し声を抑えろ。三人……敵の斥候かもしれないな」

 

 アルスの推測に、ビルが疑問を呈する。

 

「どうして、斥候だと?」

 

「他のパーティーを見たら距離を置くのがオンラインゲームでのマナーだ。じっと見てることなんて普通はしない。ベータの頃なら斥候は一人だったが、今はソロプレイヤーが少ないから、怪しまれないように三人一組にしたってところか」

 

 後方で待機中だったエリスとカインを呼んで、アルスは最小限の声で指示を出す。

 

「敵が釣れた。ホルンカへ向かうルートに入る」

 

 五人で固まってホルンカにつながる小径へ向かって歩き出した。強盗団からすれば人通りの多い道や安全圏である村の近くを襲撃場所とするのは避けたいので、小径に近づけば動き出すはずだ。

 しばらくして、複数のプレイヤーが近づく気配を、アルスは感じた。索敵スキルを持つアラシはすでに距離と人数を把握できているらしく、逐一報告をしている。

 

「前方一人距離三十、左後方三人距離二十五、右から一人……消えた、いや、モンスター」

 

 アラシの警告を受けて右に目を向けると、紫色の体に黄色の縞模様が入った蜂型モンスターが現れた。固有名《ポイズン・ビー》。第一層初出の毒攻撃の使い手であり、面倒な飛行型Mobであることから、初心者のホルンカ進出を阻む一番の難敵とされている。

 

「オオオォォー!」

 

 ビルが挑発系スキルである《威嚇》を発動して自分にタゲを向けさせ、ラグビーボール大の腹部から伸びる毒針を銅板の盾で受け止める。攻撃を防がれ動きが止まったポイズン・ビーを、アルスが片手剣単発技《スラント》で斬りつけた。剣は急所である胸部と腹部の間を捉え、HPを削り切る。

 

 モンスター討伐のリザルト画面が出現するのと同時に、周囲の木の裏から複数のプレイヤーが姿を現した。人数は十二人。その中でカーソルが犯罪者カラーであるオレンジになっているのは全体の三分の二ほどで、ホルンカのある北側に固まっている。隠密性を重視するためか重装備のプレイヤーはいないが装備に統一感はなく、素顔を晒しているものもいる。

 アルスたちは五人で背中合わせになりながら、周囲のプレイヤーを観察した。

 

 ほとんど男の集団の中でたった一人、金属鎧と簡素なヘルムを装備し、腰に大振りの直剣を吊った少女の姿があった。アラシが探しているリョーコという女の子で間違い無いだろう。彼女のカーソルはオレンジに変わっている。

 武器を持って応戦の構えを見せるアルスたちに向かって、オレンジの一人が武器を構えながら芝居染みた口調で言った。

 

「おい、てめぇら、抵抗すると命はねぇぞ」

 

「わっかりやすい悪役だな」

 

 ビルはそう呟きながら、メニューウィンドウを呼び出して自分の装備を解除していく。

 他の四人も同じようにメニューを操作し、それぞれの足元に武器防具が積み上げられていく。鎧を除装する姿を無遠慮な視線で見てくる男に、カインが嫌悪感をあらわにした。

 

「近づいてきたら、反撃してもいいんですよね」

 

「自衛の時だけだぞ。先に手を出すな」

 

 アルスはそう答えながらメニューの操作を続け、一つのボタンを押す直前で止まる。

 

「準備はいいか。アラシがヘルムを外すのが合図だ」

 

 直後、アラシがヘルムを外し、それを足元に捨てる。ヘルムが先に外された鎧の上に落ちてがしゃんと音を立てた瞬間、五人がメニューウィンドウにある同じボタンを押した。五人の姿が一瞬ブレ、体の各所に鎧が、手には盾が、腰や背には武器が出現する。囮用に使っていた装備を外しながら、悟られないように本来の装備に変更していき、それらを《一括装備》の機能でまとめて身につけたのだ。

 

 それまでより遥かにハイグレードな、自分たちよりも格上の装備を纏う五人を見て、強盗団が一瞬たじろぐ。その中でただ一人、動じずにいる男がいた。

 

「なるほど、油断させるための偽装でしたか。しかし、一体何のためにそんなことを」

 

 北側にいるオレンジたちの真ん中に立つその男は、暗い色のフード付きマントとレザーアーマーを纏い、顔には左右異なった表情が書かれた道化師のような仮面をつけている。その落ち着き払った態度から、強盗団のリーダー格なのだと伺えた。

 

「まあ、何はともあれ、抵抗するというのなら、こちらも応えなくてはなりません」

 

 道化師の仮面をつけた男は、マントの下から長さ九十センチ程度の金属警棒(メタルバトン)を取り出し、手元でくるくる回し始める。

 

 刃も棘も鍔すら付いていない円筒型の棒にしか見えないその武器は、現実世界であれば短杖や三尺棒などと呼ばれる物で、SAO内では片手棍のカテゴリーに含まれる。しかし、SAOでこのカテゴリーの武器を使うプレイヤーはほとんどいない。 

 メイスやハンマーをはじめとした打撃武器は、他の属性の武器よりも攻撃力が重量に依存しているゆえに、ヘッドが付いていない棍棒は攻撃力が低く設定されている。片手棍の武器としてのメリットは攻撃速度の速さとリーチの長さだが、短剣の方が攻撃力と速さで勝り、片手槍の方が攻撃力とリーチで勝る。攻撃力が低いにもかかわらず、リーチも速さも半端なため、よほどのこだわりがなければ使われない武器だ。

 

 金属棒を回転させる手遊び見て、かつて同じ武器を使っていたプレイヤーを思い出した。三ヶ月前まで行われていたベータテストで、PK集団の頭目として多くのプレイヤーから恐れられたその男の名を。

 

「お前、エルドラか?」

 

 その名前を呼ばれた瞬間、男はバトンの回転を止めて、半分泣き半分笑っている道化師の面をアルスに向けた。

 

「おや、私の名前をご存知とは。もしや、あなたはベータテスターですか。一体どなたで」

 

 エルドラの言葉は耳に届かなかった。身の内から言い様の無い感情が湧き立ち、自然と右手が腰に佩いた銀色の長剣に伸びる。

 

「すまない。少し気が変わった。みんなは来る敵とだけ戦って、隙があったらあの子と一緒に逃げろ」

 

「おい、待てよ」

 

 止めようとするアラシの言葉も無視し、アルスはゆっくりと歩き始めた。

 無造作に近づいてくるアルスに対しどう動くべきか迷う強盗団を、エルドラが一喝する。

 

「何をしているのです。刃向かう奴には攻撃しなさい」

 

 エルドラの周囲にいたオレンジプレイヤーたちが、自身の得物を手に走り出した。

 長槍を持った男が、槍を突き出しながらアルスめがけて突進する。その槍がアルスに届く直前、アルスの剣が一閃し槍の穂先を切り落とした。

 

「……は?」

 

 木製の柄を握ったまま固まる男を左手で突き飛ばし、男の後ろから迫っていた短剣使いに衝突させる。短剣使いが動きを止めた瞬間、不用意に挙げられた右手首を狙って、片手剣垂直斬り《バーチカル》を放つ。短剣を握ったままの右手は地面に落ち、青いライトエフェクトへと変じて消失した。

 

「死ねおら!」

 

 アルスの背後に立った男が《バーチカル》を発動し剣を振り下ろす。青色のエフェクトを纏った剣は、アルスの左腕に装備されたガントレットに弾かれ、片手剣使いが技後硬直に陥るのを見るや水平斬り《ホリゾンタル》で男の左ひざを切り裂いた。

 左足のひざから下がなくなった男は、マネキンのように固まったまま倒れ、呆然とした様子でアルスを見上げる。

 

 武器を失った男、手を失った男、足を失った男を睥睨し、アルスは低い声音で言った。

 

「こいつら、お前の昔の仲間じゃないな。装備は貧弱。レベルも碌にあげていない。連携もグダグダ。ソードスキルも足を止めなきゃ使えない。大方、モンスターを狩れずに食い詰めた連中をかき集めたってところか」

 

 アルスの周囲で倒れていた男たちが、這うようにして逃げて行く。エルドラは指示を出せずに、アルスの顔を見ながら一歩あとずさった。

 

「貴様……まさか、アルス! どうして、あなたがこんなところに」

 

「俺を覚えていたか。本当はそこにいる女の子を助けに来ただけだったんだが、お前が相手とわかって気が変わった」

 

 言い終わるやアルスは地を蹴り、その体が一陣の疾風と化す。片手剣突進技《レイジスパイク》によって得られたスピードを乗せた剣は、エルドラが被っていたフードを裂いた。

 身を捩りながら素早く後退してバトンを構えるエルドラに、剣を向け言い放つ。

 

「お前を斬る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーダーであるエルドラとの戦いに、他のオレンジたちは介入しようとしてこなかった。先ほど三人が倒されたことで警戒しているのと、エルドラの指示がないせいで連携が取れていないのだろう。

 三合ほど打ち合い、互いの武器が交差したところで、エルドラに問いかける。

 

「これだけ戦えるお前が、なんで初心者狩りなんかしてやがる」

 

 最初に放った《レイジスパイク》は、エルドラの首筋を狙った。命中すれば即死はしなくとも、戦闘続行を困難にさせるダメージを与えるはずだった。それをエルドラはバトンで剣の軌道を逸らしながら、体捌きで躱してのけた。そんなことができるプレイヤーは、今のアインクラッドにもごくわずかしかいないだろう。

 それだけの力を持ちながら、前線で戦うのでもなく、初心者を指導するのでもなく、他者からの略奪を行うのは何故なのか。

 

 アルスの問いにエルドラは抑揚のない声で答えた。

 

「なぜって、楽に稼ぐために決まっているでしょう」

 

「でまかせはやめろ。こんなところじゃ大した利益にならないだろ」

 

 第一層南西の森林エリアを通るプレイヤーの大半は、はじまりの街からホルンカの村へ拠点を移そうとする者たちだ。当然彼らが所持しているアイテムは、はじまりの街とその周辺のエリアで入手できる価値の低いものしかない。コルだってそう多くは持ち歩いていないだろう。

 

 エルドラはその問いには答えず、代わりに左足で足払いをかけてきた。不意をつかれ体勢を崩したアルスにバトンを振り下ろすが、既のところで長剣を割り込ませる。エルドラがバトンをさらに押し込もうとするのを、左手で刃を支えて受け止めた。

 

「逆に私も聞きたいですね。あなたこそ、なぜ彼女を助けになんて来たのです」

 

「ハッ、犯罪の片棒を担がされてる女の子を助けるのに、いちいち理由なんかいらないだろ」

 

 その答えにエルドラは「ククッ」と微かな笑い声を漏らす。

 

「あなたは何も知らないんですね」

 

「なんだと!?」

 

 アルスが聞き返す間もなく、エルドラはバトンを持つ右手を引いた。モーションを見て左上からの袈裟懸けと読んで、切り上げで迎撃する。タイミングは完璧なはずだったが、武器同士は衝突せずアルスの剣は空を斬った。

 

「?……がっ!」

 

 バトンが消失したのかと錯覚した直後、アッパーカットを食らったように顎の下から鋭い衝撃が貫いた。

 衝撃の瞬間、アルスは逆手で握られたバトンを見てエルドラの策にはまったのだと気づいた。

 

 通常、長柄武器である斧や槍などは、先端の刃にのみ攻撃判定が発生するため、柄の部分で敵を叩いても大してダメージを与えられない。だが、エルドラが使っているバトンのような太さが均一になっている棍棒は、その形状から武器全体が柄として扱われ、同時に全体が打撃武器としての攻撃判定を持つ特性がある。

 

 エルドラは話で気をそらした隙に、右手をバトンの後端から先端へと移動させていた。リーチを極端に短くして攻撃することでアルスの空振りを誘い、降ろした右手首のスナップでバトンを跳ねあげさせて後端でアルスの顎を打った。

 そのテクニックに感心させられながらも、今が攻撃の好機であると判断し、斜め斬り《スラント》の予備動作に入る。

 

 アルスが知る限り、片手棍系のソードスキルには、逆手持ちでの発動を前提とした技は無い。今の状態では、エルドラはまともにソードスキルを使えないはずで、それは攻撃だけでなく防御においても大きな足枷になる。自身も攻撃を受けたせいですぐにはソードスキルを発動できないが、それでもエルドラが武器を順手に持ち替えてから攻勢に出るよりも早く攻撃ができる。

 

 無理矢理上に向けられた視線を戻しながら、《スラント》を発動させる。その時アルスが見たのは、左手で握られた黄色い輝きを放つバトンだった。

 剣が動き出すのとほぼ同時に突き出されたバトンが、アルスの右肩を穿った。右肩への衝撃で《スラント》の軌道がブレ、ソードスキルが強制終了させられる。

 

 エルドラはアルスの動きが止まるやバトンを右手に持ち替えた。

 無防備なアルスの頭に片手棍横薙ぎ技《ワイド・スイング》が振り抜かれる。

 

「がぁ…………」

 

 頭部への一撃を受けて、アルスはふらつきながら近くの木に背を預けた。技後硬直の解けたエルドラが、バトンを大きく振りかぶり肉薄する。

 

「腕が落ちたようですね。アルス」

 

 赤い閃光を放つバトンがアルスに振り下ろされ…………キーンという甲高い金属音をあげて弾き返された。

 

「そういうお前は」

 

 ソードスキルを防ぐために振り切られた剣は、青色のエフェクト光を保ったまま返す刃でエルドラの胴を真一文字に斬り裂いた。二連撃技《ホリゾンタル・アーク》のダメージでエルドラは膝をつく。

 

「武器の強化を怠ったようだな」

 

 頭への一撃でアルスは瞬間的なスタン状態になっていたが、片手棍の攻撃力の低さが幸いして、立ち直るのに時間はかからなかった。エルドラがソードスキルを発動する頃にはスタンが解け、《ホリゾンタル・アーク》の予備動作に入ることができていた。

 もしエルドラが武器の《硬さ》を強化して攻撃力を上げていたら、もし《速さ》を強化して技の出を早くしていたら、反撃をすることはできなかっただろう。

 対してアルスが持つ《シルバーソード》は、装備破壊やノックバックの成功率を高める《重さ》を強化していたので、ソードスキルを相殺しつつエルドラに大きなダメージを与えることができた。

 

 ダメージの衝撃から立ち直り、エルドラはバトンを杖代わりにして立ち上がる。

 今の攻撃でエルドラのHPは半分近くまで削れている。アルス自身も残りHPは四割強。どちらもあと一撃受ければHPが危険域に達するだろう。

 

 次の攻防で勝敗が決すると判断し、すぐには距離を詰めず武器を構えたまま向かい合った。

 エルドラはバトンを両手で持ち、アルスは剣を上段に構える。

 お互いに相手の動きを観察し、アルスが攻撃を始めようとしたその時、

 

 ザン!

 

 派手なエフェクト音とともにエルドラの胸から鈍色の刃が生えた。その瞬間、標本にされた昆虫のように、エルドラの動きがピタリと止まる。

 刃の正体は背後から突き刺さった剣だ。クリティカルポイントである心臓を貫通し、エルドラの残りHPをほとんど奪っていった。

 

「一体、誰が」

 

 エルドラを貫いた剣の持ち主に目を向けた。そこにいたのは、鎧兜に身を包んだ少女リョーコだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 状況を理解できずに動けないでいると、エルドラの胸を貫いた剣尖の周囲で、赤いダメージエフェクトが瞬いた。

 SAOでは武器が体に刺さると《貫通継続ダメージ》が発生し、武器を抜くまで一定時間ごとにダメージが発生する。エルドラのHPは残り僅かしかない。このままでは、三十秒も経たないうちにHPが尽きて死亡するだろう。そして、それは同時に現実でエルドラを操る人間の死となる。

 

「剣を抜け」

 

 そう呼び掛けても、リョーコは剣を抜こうとしない。エルドラもクリティカルダメージの影響か、虚空を見つめたまま微動だにしなかった。

 血が滴るようにエルドラの胸から赤い光華が零れていくのを、皆が動けずに見つめる中で、アルスはソードスキルの発動を敢行する。エルドラの体を回り込み《バーチカル》でリョーコが剣を握る右手を狙う。剣を取り落とさせるための攻撃だったが、直前でアルスの意図に気付いたリョーコが剣を抜いて後退した。

 アルスは途中で攻撃をキャンセルし、短い技後硬直に囚われる。硬直が解けると同時にエルドラを捕らえるために、左手を伸ばした。

 

 その手がエルドラのマントを掴んだ瞬間、ガラスが割れるような効果音とともにマントが青色の破片となって飛び散り、エルドラの姿を隠した。

 破片が消えるまでの僅かな時間でエルドラは近くの大木に向かって跳び、三角跳びの要領で五メートル近い高さにある枝を掴む。そのまま片手で体を持ち上げると、その枝を足場に別の木へ飛び移った。

 

 高い《軽業(アクロバット)》スキルを要するであろう方法で逃走しながら、エルドラが撤退の命令を出し、他のプレイヤーたちも森の奥へと走り去っていく。

 周囲に人気がなくなったのを確認してから、アルスは剣を収める。剣を抜いたままこちらを見るリョーコにどう声をかけるべきかと考えていると、アラシが駆け寄ってきた。

 

「リョーコ、無事だったんだな」

 

 小さく頷くと、リョーコは手に持っていた片手剣を見せる。

 

「これ見て、ようやく手に入れたの」

 

 どこかずれた発言とほがらかな笑顔とともに見せるその剣は、ホルンカで受けられる高難度クエストの報奨としてもらえる《アニールブレード》だ。クエストにかかる手間と危険性からアルスは入手を断念したが、素のスペックではシルバーソードを上回る。

 その様子にアラシは困惑していたが、リョーコは構わず続ける。

 

「あたし、もっと強くなりたくてこの剣を手に入れようとしたの。でも、なかなかクエストがクリアできなくて……そしたらあのエルドラってやつが剣と交換に協力しろって言ってきたの」

 

「剣と交換にって、じゃあ、まさか自分から」

 

「うん。だけど、あいつはなかなか剣を渡してくれなくって。それが今日、そこの人が左手を使わせたおかげで、やっと私のものにできたんだ」

 

 アルスは「左手を使わせた」という言葉でエルドラが彼女を縛り付けていた方法に気付いた。

 SAOでのアイテムの所有権は、ストレージから出して五分経過すると消滅してしまう。もしエルドラがアニールブレードをリョーコに渡してそのまま五分経てば、彼女が剣をアイテムストレージに入れた瞬間にシステム上の所有権が変更される。

 ただし例外として、自分が装備していたアイテムだけは、同じ部位に別のアイテムが装備されるまで、所有権の保護は一時間まで延長される。

 

 エルドラは左手にアニールブレードを一旦装備してから、剣を貸し与えていたのだろう。それなら仮に剣を持ち逃げしたとしても、一時間以内なら取返す手段がある。だが、先ほどの戦闘で、エルドラはバトンを左手で持ってソードスキルを発動した。その瞬間にアニールブレードの装備者情報は喪失し、剣の所有権がリョーコに移ったのだ。

 このロジックに気づけた者はほとんどいないだろうが、彼女が自分の意思で他のプレイヤーを傷つけていたのだということは誰もが理解していた。

 

「アラシが一緒に強くなろうって言ったから、あたし頑張れたよ。この剣があればアラシの足を引っ張ることはないし、モンスターもさっきの奴等にだって絶対に負けない。だから、これからももっと強くなろう?」

 

 無邪気な笑顔の奥にアルスはかすかな狂気を感じた。

 あまりに異質なこの世界に、彼女は順応できなかった。パズルのピースを無理やりつなぎ合わせれば歪な絵になってしまうように、SAOで生き残らなければならないという彼女の中の強迫観念が、心の形を歪めてしまった。

 これ以上、剣を持たせることも、戦いの場に向かわせることも、彼女に強いるべきではないだろう。

 

 かける言葉が見つからずにアルスたちが固まっていると、アラシが肩を落としながらリョーコの手に触れた。

 

「そうか。頑張ったんだな。俺が……頑張らせちまったんだな。……ごめんな」

 

 アラシの言葉に、リョーコは小さく首を傾げた。

 

 

 

 

 日が傾き始めた頃、アラシ、リョーコの二人と別れ、アルスたちはトールバーナへの帰途についていた。

 二人はグリーンに戻るためのアライメント回復クエストを受けに行き、クエストを終えた後はどうするか、はじまりの街でゆっくり考えると言っていた。リョーコがまた誰かを傷つけることは、恐らく今後ないだろう。

 だが、SAOという非現実的な世界がもたらす人々への悪疾の一端を目の当たりにしたことで、今まで感じなかった異質な不快感を覚えるようになった。恐らく、他の三人も。

 

 会話のないまま道を歩き続けることに耐えかねたのかビルが言った。

 

「さっき戦ってたエルドラって、どういう人だったの? アルスの昔の仲間とか」

 

「ん……いや、仲間じゃない。エルドラはベータの頃プレイヤーキラーの親玉みたいな存在だった。不意打ちで殺されたこともあったし、返り討ちにしたこともあったよ」

 

「プレイヤーキラーってことは、あいつは昔から、あんなことを」

 

「まあ、ベータじゃ一ヶ月でデータが消えるからって、みんな好き放題やってたし。PKもその一つとしか思われてなかったよ。やられるとデスペナ取り戻すのが面倒だったけどな」

 

「それはそうかもしれないけど、今は違う!」

 

 ビルの声にエリスとカインが足を止めた。アルスも足を止め、言葉の続きを聞く。

 

「今は死んだら本当に死ぬし、傷つけられれば本気で恐怖する。そんな中でテストと同じことができるなんて、僕には信じられない。あいつらはおかしいよ。ゲームと現実の区別が、ついていないとしか思えない」

 

 アルスは無意識のうちに腰の剣に手を伸ばした。

 ポリゴン製の武器に、ポリゴンのアバター。仮初めのものでしかないはずのそれらは今、命を奪う凶器であり、命を宿した肉体になっている、その事実を受け入れることが、この世界に適応するための第一歩だ。

 エルドラは、もしかしたらリョーコも、そこから無理矢理目を背けたことで、道を誤ってしまったのかもしれない。

 

「そうだな。ビルの言う通りなのかもしれない。彼らは現実を認識せずに、ゲームであるという現状のみに縋ってしまった。そうすれば死に対する不安を簡単に払拭できてしまうからな。もしかしたら、俺も」

 

 完全なゲームの世界であるSAOを、確かな現実だと認識すること。はたして、ベータテスターとして一ヶ月間ゲームを楽しんでいた自分に、それができているのだろうか。

 

「エルドラに対して、俺は躊躇なく剣を抜くことができた。他の奴の手足を切り落としたときだって、殺してしまう危険性は全く考えていなかった。あのダメージなら死ぬはずはないが、今思えばそれも確信があってやったわけじゃない」

 

 レベル10となった今でも、レベル1のプレイヤーを一撃死させることは困難だ。だがすでにHPが削れていれば、末端部へのダメージでもとどめをさせる。攻撃するときに、いちいちHPゲージの確認などしていなかった。

 手足を切るぐらいなら死にはしないだろうと、ゲームの尺度で測っていた。そんな自分が、この世界を現実として受け入れていると言えるのだろうか。

 

「いや、僕は別にそんなつもりじゃ」

 

「わかってる。でも、これは遅かれ早かれ、自分で気づかなきゃいけないことなんだ。俺自身がこの世界での命の重さを理解しているかどうか」

 

「そんなの理解できてるに決まってるよ」

 

 アルスに顔を近づけながら、どこか責める口調でエリスが言った。思わず身を引いたアルスにエリスは説く。

 

「アルスがエルドラに剣を抜いたのは、あいつが自分の力をゲームクリアのためじゃなくて、他のプレイヤーから奪うために使ってるのが我慢ならなかったからでしょ。それで怒れるってことは、ちゃんと現実として見てるってことだよ。もしそうじゃなかったら、ベータの時と同じで怒ったりしないはずだもん。他の人を斬れたのは、怒りで冷静さを欠いてただけだよ。だから、アルスはそんなこと考えなくても大丈夫」

 

 最後はあやすような口調で、腕を伸ばしてアルスの頭を撫でた。その感触に肩の力が抜けてしまったアルスは、お返しとばかりにエリスの頭をポンポンと叩く。

 

「そう断言するなら、もし俺が判断を誤った時はエリスが止めてくれよ」

 

「任せて。でも、絶対そんなことにはならないよ」

 

 妙に自信に満ちた笑みの浮かべるエリスに、アルスも思わず頰を緩めた。

 そのやり取りにカインが兜を軽く横に振ってから、面頬をあげて切れ長な水色の瞳をアルスに向ける。

 

「アルスさん。念のため言っておきますけど、私たちに戦いを強いているんじゃないかと考えているなら、それは完全な杞憂です。私たちは三人で生き残って、三人で現実に帰ると決めたから、アルスさんについて来たんです。だから、変な遠慮や気遣いはしないでください」

 

 カインは時折、前触れなく核心を衝くことがある。

 アルスが自分の考えで振り回しているのではないかという不安や、先達である自分が皆を率いて守らなくてはならないという重圧に、気づいていたのだろう。

 アルスは降参とばかりに両手を見せる。

 

「すまなかった。なら、明日からの迷宮区攻略はビシビシ行くぞ。全員気を引き締めてかかれよ」

 

 

 アインクラッドの外にある夕日から降り注ぐ緋色の光線を浴びながら、四人は迷宮区へ続く道を真っ直ぐ歩き続けた。

 

《続く》

 




この作品内ではエルドラが使う警棒のような武器は片手棍。メイスやハンマーのようにヘッドがついた打撃武器は片手鎚と区別しています。

貫通継続ダメージは8巻では貫通属性武器のみで発生すると書かれていましたが、プログレッシブで片手剣でも発生するシーンがあったので、そちらの設定を優先させています。


キャラ設定

アラシ
Player name/Arasi
Age/12
Height/144cm
Weight/41kg
Hair/ Scarlet Short
Eye/Pale green
Sex/Male

Lv9(三話時点)
修得スキル:《両手用槍》《索敵》《疾走》

燃えるような緋色の髪と薄緑色の瞳を持つ、勝気な印象を与える少年。はじまりの街でリョーコからパーティーに誘われ、以降共に戦うようになる。フィールドに出るようになると、すぐにSAOでの戦闘に適応していき、いつの間にかリョーコとレベル差がついた。


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第四話 牙を突き立てる者

 ここにいるのは誰のせいか。
 こんな目に遭っているのは誰の責任か。
 多くの人が死んでいったのは誰のせいか。

 そうか。あいつらだ。
 十分な知識を持ちながらも、それを広めず。
 仲間を守る力を持ちながらも、誰も守らず。
 弱者に施しを与えられる資産を持ちながらも、独り占めにする。
 あまりに身勝手なあいつらの責任だ。

 今まで死んでいった者のためにも、力を持たずに街を出られない者のためにも、強者に怒りの咆哮を上げなければならない。
 だから、奴らに牙を剥く。懺悔の声を聞くまで喉笛を離さず、最後の一滴になるまで血を啜り、全身の肉を喰らい、骨の髄までしゃぶり尽くす。そうして得られたものを、力がないもののために使う。それがこの世界を救う唯一の方法。



二〇二二年十二月一日

 

 トールバーナへ戻ったアルスたちは、迷宮区の攻略を順調に進めていた。

 

「ビル。スイッチ」

 

 《ルインコボルド・ランサー》の単発突きを防いだビルと入れ替わり、エリスが前へ出た。槍を突き出したままのコボルドを《ホリゾンタル》で切り裂き、素早く後ろに跳ぶ。そこに今度はアルスが突っ込み、《バーチカル》を発動する。

 交差したダメージ痕を刻まれたコボルドは、ポリゴン片となって四散し、経験値とコル、アイテムを落としていった。

 

「もうちょい慎重にやってもいいかな」

 

 アルスがそんな感想を漏らすと、ビルが目の前に表示されたリザルト表示を見ながら言った。

 

「え、早く倒せる方がいいと思うけど」

 

「俺は構わないが、アタッカーが速攻するとタンクに経験値が入りにくくなるぞ」

 

 SAOではパーティーでモンスターを討伐した場合、モンスターのターゲットを取った時間や、与ダメージ量などで経験値が案分される。そのため、短期決戦にしてタンクがタゲを取る時間が短くなると、タンクの経験値が少なくなる。

 

「……次は一人でやってもいい?」

 

「敵が一体だけならな」

 

 幸い次に現れたコボルドは一体だけだったので、ビル一人だけで戦い、時間はかかったものの大きなダメージを受けずに倒した。第一層の迷宮区に現れるコボルド達は、様々な武器を持ち、ソードスキルを操る強敵なのだが、レベル10に達しているプレイヤーなら一対一でも倒すことは難しくない。

 

 それからもモンスターを倒しつつ、慎重に迷宮区タワーを登っていき、日が落ちる頃には十六階へと到達した。一層の迷宮区タワーは二十階建てなので、八割型攻略したことになる。

 

 ダンジョンの通路を進んでいると、道の先で灰色のウールケープを着た細剣使い(フェンサー)が、レベル6モンスター《ルインコボルド・トルーパー》と戦闘を行っていた。

 フェンサーはコボルドが振る手斧を最小限の動きで躱し、細剣の基本技《リニアー》でダメージを与えている。

 

 その戦闘センスは、アルスがこれまでに見たプレイヤーの中でも群を抜いていた。特に驚かされたのは《リニアー》の威力だった。あれほど威力をブーストさせたソードスキルは、ベータテストですら見たことはなかった。

 二発目の《リニアー》がコボルドの胸甲を貫き、HPを残りわずかまで削る。

 大ダメージによるディレイから回復したコボルドは、それまでと同じように斧を振りかぶった。

 

 この攻撃を三連続で回避すれば、コボルドは体勢を崩す。その隙にあと一回攻撃を当てれば倒すことができるだろう。

 一回目、二回目の回避を成功させたフェンサーは、間隔を見誤ったのかはたまた攻撃を焦ったのか、三回目の攻撃を躱すことができなかった。斧のディレイ効果によって動きが止まった瞬間、コボルドの発動したソードスキルがフェンサーを襲う。ソードスキルの威力で小柄な体がアルス達の近くまで吹き飛ばされ、HPは大きく減少し、ゲージが危険域にまで陥った。

 

「カイン」

 

「わかってます」

 

「エリス。その子を頼む」

 

「うん」

 

 アルスの指示を待たずにカインが飛び出し、《威嚇(ハウル)》を発動した。ターゲットを自分に向けたコボルドを、右手のランスを振って牽制する。

 その間にアルスとビルはコボルドの側面に移動し、フェンサーに近づけないように取り囲んだ。

 

 他プレイヤーがダメージを与えたモンスターに許可なく攻撃することは《横殴り》というノーマナー行為なのだが、今は非常時だと割り切り、次の攻撃を防いでから止めを刺すよう指示を出そうとしたその時、

 

「どいて」

 

 エリスともカインとも違う女性の声が響き、咄嗟にビルが横にずれた。そして、カインとビルの間を抜けて、さっきまで倒れていたフェンサーがコボルドに《リニアー》を叩き込む。

 HPを余さず削り切り、コボルドは消滅した。あまりに無謀な特攻に唖然としながらも、アルスはそのフェンサーのHPがまだ赤いままであることに気付く。

 

「おい、早く回復を」

 

「……ああ、薬あったかな」

 

 緩慢な動作で女性フェンサーがベルトポーチを探り始めたので、アルスは自分のポーチから回復ポーションを取り出した。

 

「これを飲め」

 

「……どうも」

 

 フェンサーはポーションを受け取ると、一気には呷らずに行儀よく飲み始めた。少しずつ回復し始めたHPゲージに少し安心していると、カインが声をかけた。

 

「最後のは少し無謀でしたよ。反撃を受けていたら、あなたは死んでいました」

 

 ポーションから口を離したフェンサーは、フードの奥からライトブラウンの瞳を覗かせる。

 

「倒せたからいいでしょ。あなた達には関係のないことだし」

 

「関係ないって……今、私たちがいなかったら、あなたは死んでいたかもしれないんですよ」

 

「別に助けてなんて頼んでないわ」

 

「あなたね!」

 

「カイン。落ち着いて」

 

「ここで大声出すと大変なことになるから」

 

 バイザー越しでもわかる程の怒気を放ち始めたカインをビルとエリスが抑え、アルスがあとを引き継いだ。

 

「君はたしかに強い。俺たちが助けなかったとしても、生き残ることはできたかもしれない。でも、もう少し命を大事にした方がいい。一人であんな戦いを続けるのは危険すぎる。もしよかったら、俺たちと一緒に行動しないか?」

 

「結構よ」

 

 即答し、ポーションを飲み干して去ろうとするフェンサーを、アルスは呼び止める。

 

「待て。君はこの先も一人で戦い続けるのか。そんな危険を冒すことになんの意味がある」

 

「どうせすぐにみんな死ぬのよ。どうしたところで遅いか早いかの違いだけ。それなら自分がやりたいようにするだけよ」

 

「そんなことはない。プレイヤー同士力を合わせれば、このゲームはきっとクリアできる。いつかクリアされる日まで、生き残る努力をするべきだ」

 

 フェンサーはレイピアの切っ先のごとき鋭い眼差しを、アルスに向ける。

 

「もうすぐ一ヶ月よ。その間に二千人も死んだのに、まだ最初の層もクリアできてない。このゲームはクリア不可能なのよ。あなた達が生き残るために仲間を作りたいなら、勝手にすればいい。でも、それに私を巻き込まないで」

 

 そう言い放ったフェンサーは、メニューを開いてオブジェクト化した金貨を、アルスに投げつけてきた。

 

「これ以上私に関わらないで」

 

 グリーンにはなったものの、まだ全快には至ってないHPで、フェンサーは先に進んでいった。アルスは右手でとったポーション一本分の金貨と、フェンサーの背中を交互に見てしばし逡巡したが、最後は金貨をストレージに入れた。

 

「振られたね」

 

 ビルの冗談に、アルスは肩を落とす。

 

「あそこまで拒絶されるとは思わなかったな」

 

 彼女の特攻を止められなかったことに責任を感じているのか、エリスが心配そうな表情で通路の奥を見つめる。

 

「追いかけたほうがいいんじゃ」

 

「俺もそうしたいが、彼女を説得できる自信はない」

 

 そう言われてもフェンサーを追いかけようとするエリスを、カインが止めた。

 

「追っても無駄だよ。エリス」

 

「でも……」

 

 

「多分、今の彼女はなにを言っても聞いてくれない。このゲームがクリア可能だと思わせない限りは」

 

「絶対にクリアできるよ。みんなで頑張れば」

 

「だけどそれは、客観的な根拠を見せられるものじゃないでしょ。そんな簡単な問題じゃないの、これは」

 

 エリスが口を噤むが、それでも視線は通路の奥から逸らさなかった。

 声からしてエリスとそう変わらない年頃と思われる彼女を心配する気持ちは、アルスにも理解できた。だが、カウンセリングの心得もない自分たちが無闇に接触を続けても、感情を逆なでするだけだろう。それで激情して剣を抜かせ、彼女を犯罪者にしようものなら、さらに危険な状況に陥らせてしまう。

 迷宮の先に進まぬまま立ち止まっていると、重い空気に耐えかねたのか、ビルがモンスターを呼び寄せないギリギリの声を発する。

 

「アルス。そろそろここを出ない? なんかお腹すいてきたし」

 

「そうだな。もう夜だし、今日は町に帰ろう」

 

 不安そうな表情を浮かべるエリスとともに、四人は階段を降り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一時間後、迷宮区から出る時にアルスたちは一人のプレイヤーとすれ違った。

 そのプレイヤーはダークグレーのレザーコートを着て、背中に片手剣を吊った黒髪の少年で、アルス達を一瞥するとわずかに目を細めた。だが、すぐに興味をなくしたようで、迷宮区の奥へとを進んでいく。

 

「…………」

 

 アルスはその背中を、少しの間目で追っていた。

 

「知ってる人?」

 

「いや、違うと思う」

 

 エリスの言葉を即座に否定したものの、今のプレイヤーの出で立ちは、アルスの記憶に引っかかるものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食後、宿の部屋でくつろいでいると、部屋の扉が間隔をあけながら数回叩かれる。

 

「ちょっと待ってろ」

 

 アルスが鍵を開けると、部屋に入ってきたのは、町中でもフーデッドマントを装備している情報屋《鼠のアルゴ》だった。

 

「すまないナ。外だとできない話があったんダ」

 

 アルゴは全く遠慮せずに、部屋に一つしかない椅子に腰掛けた。アルスはそのことには特に触れず、ベッドに座る。

 

「だと思ったよ。でなきゃ、部屋を教えろなんて言わないからな」

 

 トールバーナに戻った後、アルゴから連絡を受けた。内密な話があるから、宿の部屋番号を教えてほしいと。

 

「その話の前に一つ連絡があル。明日の午後四時に、噴水広場で攻略会議が開かれるそうダ」

 

「攻略会議? もうボス部屋を見つけた奴がいるのか」

 

「いや、それはまだみたいダ。だけど、かなり上まで行ったパーティーがいて、そいつらがもうすぐボス部屋を見つけられそうだからって、レイドのメンバーを集めようとしているみたいダナ」

 

「そうか。で、外でしたくない話は?」

 

「ボスと戦うなら、当然ボスの情報が必要になル。オイラはベータの時のボスと戦ってないから、ベータ時代のフロントランナー達にボスのことを聞いて回っているんダ」

 

「そういうことか。じゃあ、俺が知っている限りのことを話すよ」

 

 アルスはかつての第一層ボス攻略のことを思い出しながら、アルゴに伝えていった。

 フロアボスのイルファング・ザ・コボルドロードが使用したソードスキル、そのダメージ量、大まかなHP量。それと取り巻きのルインコボルド・センチネルについてのデータと、どのタイミングで何体湧くか。

 時折アルゴの質問に答えながら、覚えていることを全て話した。

 

「ありがとウ。情報料は……」

 

 目の前に表示されたトレードウィンドウを見て、アルスは首を横に振る。

 

「いや、いらないよ。どうせ無料で配るんだろ」

 

「そうカ。じゃあ、何か知りたい情報があったら、安く売るヨ」

 

「情報か……灰色のケープを着たフェンサーを知っているか?」

 

 そう訊いた瞬間、アルゴの表情が凍り付いた。

 

「ん? 知らないなら別にいいんだが」

 

「いや、知っているヨ。けど……」

 

 アルゴは蔑むようにアルスを睨む。

 

「エリスちゃんがいるっていうのに、他の女に目移りするとはナ。ちょっと感心できないゾ」

 

「待て、何故エリスの名前が出てくる。というか、そんな理由じゃない」

 

「おいおい、女性のパーソナルデータを欲しがる理由なんて、他にないダロ。それにしても、あの子に目をつけるとはアルスもなかなか……」

 

「違うって言ってるだろ。この話はもういい。今度マップデータを買うときに負けろ」

 

「いいのカ? 彼女の情報なら五百コルで売るゾ」

 

「今日見て少し気になっただけだ。次会ったときに生死だけ教えてくれ」

 

 そう依頼すると、アルゴはヒゲのペイントが描かれた頬を上げて、ニヤニヤしている。

 

「へー、やっぱり気になるんじゃないカ」

 

「…………お前もう帰れよ」

 

 ため息をつくアルスを散々からかってから、アルゴは部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二〇二二年十二月二日

 

 迷宮区の探索を午前中で切り上げ、アルスたちトールバーナにあるレストランで昼食をとっていた。

 食事中の話題は、午後に開かれる予定の攻略会議のことだった。

 

「会議に何人ぐらい集まると思いますか?」

 

 カインの質問にアルスはここ数日の記憶をもとに概算する。

 

「トールバーナと迷宮区で見たプレイヤーが二、三十人はいたから、全体数がその倍として、レイド上限の四十八人ギリギリぐらいかな。というか、最低でもそれぐらいは欲しい」

 

「四十八人って、そんなにいないと勝てないんですか?」

 

「システムの上限がそうなっている以上、フロアボスをそれに見合った強さにするのは当然だよ。プレイヤーの平均レベルが高そうだから、もしかしたら数人足らなくても勝てるかもしれないが」

 

 アルスが攻略会議についての予想を話す傍らで、エリスはビルと楽しげに話していた。

 

「四十八人でのレイド戦とか、なんかわくわくするね」

 

「えーと、僕はエリスほどMMOをやったことないから知らないけど、やっぱり四十八人って多いの?」

 

「うーん。ゲームによるかな。百人ぐらいで戦えるのもあるよ。ただ、人数が多いと、処理落ちしてレスが遅くなっちゃうから、大人数でのレイド戦って、あんまりやりたくなかったんだよね」

 

「へー、でもそんなに人数が多くて、連携はどうするの? 反応悪いんじゃ、チャットで指示しても混乱しそうだけど」

 

「みんな好き勝手に殴る。以上」

 

「え…………」

 

 そんな会話をしつつ四人は昼食を終えた。食後のお茶を頼んだところで、エリスが訊く。

 

「会議が始まるまでどうする?」

 

 NPCウェイトレスが運んできた青色のハーブティーをすすってから、アルスは答える。

 

「また迷宮区に行くのは時間が中途半端だな。ドロップ品を処分してから、道具屋でも見て回っとくか」

 

「ボスと戦うなら、装備の強化もした方がいいよね。私の剣もそろそろアルスと同じ+4にしようと思うんだけど」

 

「素材あったか?」

 

 アルスがメニューウィンドウを開こうとすると、一人のプレイヤーがテーブルに近づいてきた。先ほどまで店の隅に一人でいたモーニングスターのような特徴的な髪型の男で、小さい三白眼をアルスに向ける。

 

「ジブン、アルス言うんか?」

 

「ああ、そうだが」

 

「ベータ上がりのアルスか」

 

「…………そうだ」

 

 ベータテスターであることを明かすべきかどうか数秒悩みながらも、アルスは正直に答えた。すると、関西弁の男は獲物を見つけた猛獣のごとく牙を剥く。

 

「やっぱりおったな。ベータ上がりっちゅうこと隠して、ボス戦の仲間に入れてもらおうとしとる厚かましい奴が」

 

「厚かましい、だと」

 

「そやろが。ベータ上がりはどもビギナーのことを見捨てて、ジブンらだけ強なることしか考えとらん。ジブンらがちゃんとビギナーのこと見とったら、死ぬ人間は減っとった。いや、もっと攻略が進んどったはずや。せやのに、ジブンは今までなにしてたんや」

 

 この男と同じような考えを持つ人間がいることを、アルスは噂で聞いていた。何の根拠もない主張ではあるが、それが完全な誤りとも言い切れない。ベータテスターたち行動次第で、救えた命も確かに存在しただろう。

 なので、アルスは白を切り通すことも、男の言葉を否定することも選ばなかった。しかし、アルスが言葉を返す前に、隣に座っていたエリスが割って入る。

 

「アルスのことを何も知らないのに、勝手なことを言わないでください」

 

「なんや、嬢ちゃんもベータ上がりか」

 

「違います。私はビギナーで、ゲームが始まったその日にアルスに助けてもらいました。そのあともずっと助けてもらってここまで来たんです」

 

「フン。嬢ちゃんを助けたからって、他のやつを無視してええわけやないやろ」

 

 見下すような視線を向ける男に、エリスは噛み付くように反論した。

 

「私だけじゃないです。助けを求める人がいれば必ず手を差し伸べたし、回線切断が起きた時だって、アルスは率先して動いていたんです」

 

「エリス。もういい。やめろ」

 

 アルスの制止も聞かず、エリスはさらにまくしたてる。

 

「こないだも強盗たちを撃退したんです。そのリーダーの……」

 

「もう黙ってろ。俺の言っていることが聞こえないのか」

 

「え……ごめん」

 

 怯えたように下がるエリスは見ずに、アルスは男に問うた。

 

「あなた。名前は?」

 

「あん? わいはキバオウや」

 

「では、キバオウさん。あなたは俺にどうしろと言いたいんだ?」

 

「決まっとるやろ。会議の時に全員の前で土下座して、今まで貯め込んだ金やアイテムをボス戦のために供出するんや」

 

 やや行き過ぎに思えるその要求にエリスたちが息を呑む中、アルスははっきりと頷いた。

 

「わかった。それで、いくら出せば認めてもらえる?」

 

「は?」

 

「俺がいくら払えばベータテスターとしての責務を果たすことができるのか、と訊いているんだ」

 

 今まで高圧的に話していたキバオウが、威嚇された獣のようにたじろいだ。

 

「好きな金額を言えばいい。手持ちで足りなければ、ボス戦までに必要な額を稼いでくる。それでテスターの責務を果たせるというなら、安いものだ」

 

 そう付け加えると、キバオウは肩をいからせ「ハッ」と鼻を鳴らした。

 

「もうええ。どうもジブンは他のベータ上がりどもとはちゃうようや。さっき嬢ちゃんが言ったことは信じたる」

 

 キバオウはテーブルから離れ、店の外へ向かう途中で足を止めた。

 

「けどな、わいはベータ上がりどもをまだ許したわけやない」

 

 そう言い残したキバオウが店を出て行った後、エリスが泣きそうな声を出しながら、アルスの腕を掴む。

 

「アルス。どうして……なんで、あんなやつに……」

 

「宿に戻るぞ」

 

 その続きを言われる前に、アルスは掴まれた腕を引きながら店をあとにした。

 

 

 四人は宿に戻ると、アルスの部屋に集まった。

 部屋の扉が閉じた途端、エリスはスイッチが入ったように喋り始める。

 

「なんであんなやつの言いなりになるの? はっきり言えばいいじゃない。自分はそんなことはしていないって。そんなことを言われる筋合いはないって」

 

「エリス。正しいことを言ったからって、必ずしも納得してもらえるわけじゃない。相手の要求を受け入れることも必要なんだ」

 

「だからって、あんな奴の言うことを聞く必要ないじゃない」

 

「それは…………」

 

 アルスが言葉に窮していると、カインが小さく肩をすくめながら、エリスの肩に手を置いた。。

 

「エリスも元テスターじゃないかって疑われたからですよね。それで四人とも疑われるぐらいなら、自分だけ罰を受ける方がマシ。とでも考えたんでしょう」

 

「こういう時、カインには敵わないな」

 

「このぐらい、アルスさんの顔を見ればわかります」

 

 カインに肩を抱かれたまま、エリスは顔を俯かせた。

 

「ごめん。私、何にも考えてなかった」

 

「いいんだよ。エリスは俺のために怒ってくれたんだろ。でも、あのぐらい言われたところで、どうってことない。エリスたちが俺を信頼してくれていれば、それで十分だよ」

 

 アルスの言葉にエリスは顔を紅潮させて固まってしまい、見かねたカインがベッドに座らせる。カインがエリスを落ち着かせていると、ビルが疑問を口にした。

 

「だけど、なんでアルスがベータテスターだってばれたんだろ。話の内容だけでわかるとは思えなかったけど」

 

「いや、あいつは俺の名前で確信していたようだった。多分、アルスという名前のベータテスターがいるって噂が広まっているんだろう」

 

「まさか、エルドラが逆恨みして、情報を流したんじゃ」

 

「それはないな。あいつがクエストをクリアしてグリーンに戻れるのは、早くても昨日のはずだ。噂を広められる状態じゃない」

 

「おそらくですが……」

 

 エリスの背中に手を置きながら、カインが推測を話す。

 

「アルスさんと会った誰かが、アルスという名のベータテスターに教えてもらったというような話をして、そこからアルスはベータテスターという部分だけが、先行して広まっているんだと思います」

 

「俺もそう思うよ」

 

 アルスが同意し、ビルも頷いた。

 

「アルスのことを話した人も、こんなことになるとは思わなかっただろうに。でも、ベータテスターってだけで、どうしてあんな目の敵にするんだろ。キバオウって男、ベータテスターに何か怨みでもあるのかな」

 

 その言葉に、カインは首を横に振る。

 

「違うと思う。きっと、あの人は理不尽な現状に対する行き場のない怒りを、何かにぶつけたかったんじゃないかな。その対象が、ベータテスターになってるだけなんだよ。そんなことしたって、何の解決にもならないのに」

 

 カインがそう言い終えると、エリスがカインの体にぎゅっと抱きついた。カインは少し驚いた顔を見せたが、微笑みながらエリスの頭をゆっくりなで始める。

 その行動にどんな意味があるのかと、アルスが考えていると、カインの顔つきがいつもの怜悧なものに戻った。

 

「それより、このあとの会議はどうしますか?」

 

 アルスはすぐに頭を切り替え、右手を振ってメニューを開いた。既に時刻は午後三時を過ぎていて、会議が始まるまで一時間もない。

 

「今回は諦めるか」

 

 ボス攻略のための会議に出れば、当然レイドに参加するように言われる。そして、レイドを組めば必然的に名前を明かさなくてはならなくなる。もし、キバオウのようにアルスというベータテスターがいると知っている者がいれば、そしてその人物がキバオウと違い簡単に引き下がらなければ、会議で何が起こるか予想もつかない。

 レイドから外されるだけならいいが、吊るし上げの対象になる危険もある。エリスのように擁護する者がいるかもしれないが、その人もテスターだと疑われれば、レイド内で対立が起きるだろう。

 そんなことになれば、フロアボスの攻略は困難なものになってしまう。

 

「でも、広まっているのは名前だけで、顔まではバレていないみたいだな。だから、お前ら三人だけなら、会議に出ても問題はない」

 

 アルスがそう伝えると、ビルがため息まじりに言った。

 

「あのさ、今更僕らだけ別行動って言われて、素直に従うと思う?」

 

 ビルの言葉にカインとエリスが続く。

 

「危険なボス戦に私たちを放り出すなんてこと、アルスさんならしませんよね」

 

「もちろんボスは倒したいけど、それをやる時はアルスも一緒だよ」

 

 彼らの反応にアルスは自然と笑みをこぼす。

 

「だったら、予定は変更だ。今後の戦いに備えて、明日は武器強化素材集めに向かう。今日はしっかり準備しておけ」

 

 

 数十分後、ボス戦への参加を望むプレイヤーが噴水広場に集まった。人数は四十四人。フルレイドには四人足りない陣容であった。

 

《続く》

 




プログレッシブ一巻で薬はいらないといったアスナですが、三巻にて迷宮区のコボルドの攻撃を受けてHPが赤くなったと言っているので、アルスからポーションを恵んでもらってます。

個人的には一層の頃のキバオウは行きすぎた正義感を持っているだけだと思っているので、アルス視点では割と話がわかる人物となっています。



キャラ設定

カイン
Player name/Cain
Age/17
Height/168cm
Weight/55kg
Hair/ Dark blue Medium
Eye/Ice blue
Sex/Female

Lv10(四話時点)
修得スキル:《片手用突撃槍》《盾装備》《挑発》
紺色の髪と水色の瞳を持つ怜悧な美貌の少女。頭の回転が速く、人の感情の機微に聡い。幼なじみのエリスがアルスと結ばれることを望んでおり、同時に自身の恋がまったく進展しないことを悩んでいる。


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第五話 刃を鍛える者

 その男は何年もある一つのものを目指して、一心不乱に鎚を振るい続けた。
 周りの人間が離れていっても、男が鎚を手放すことはなかった。
 何度危険な目にあっても、探求することを諦めなかった。
 幾度失敗を重ねても、心が折れることはなかった。
 たとえ命が失われても、彼は再び生を受け夢を追い続ける。
 自らの役割を果たすその日まで。



二〇二二年十二月二日

 

 

「オーイ。ちゃんと読んでるカ?」

 

「読んでるよ」

 

 アインクラッド初の攻略会議が行われた日の晩、アルスはあくびを噛み殺しながら、宿屋の部屋でアルゴの攻略本に集中していた。

 これはアルスを含めたベータテスター達から集めた情報をまとめたもので、第一層のフロアボスに関するデータが網羅されている。誰かがボスの姿を確認し、ボスがベータテストから変化していなかったら配布する予定らしい。

 内容に誤りがあるとボス戦に影響が出かねないので、誤字などを含めてミスがないか調べなくてはならない。その確認作業をアルスはやらされている。

 

「なんで俺にやらせるんだ。別のやつに頼めよ」

 

「アルスが一番速くて正確だからだヨ」

 

 たった三枚の羊皮紙からなる冊子を読み終え、それを閉じて結果を報告する。

 

「誤字なし。情報にも問題なし。このまま出して問題ないだろ。最後のも含めてな」

 

 閉じられた冊子の裏表紙には、真っ赤なフォントで【情報はベータテスト時のものです。現行版では変更されている可能性があります】と書かれている。

 これまでのアルゴの攻略本は、最前線で戦っているベータテスターから情報を買った上で出版していた。万が一ベータテストから変更があれば、攻略本の信用が一気に落ちてしまうためだ。

 しかし、フロアボスについての情報はそうはいかない。

 フロアボスは、数十人規模のレイドで倒すことを前提にしたボスだ。少数のプレイヤーで偵察を行うのはリスクが大きすぎて、調査を行うことはできなかった。

 

「お疲れサン。その攻略本は持っていっていいゾ」

 

 読んでいた冊子をストレージに入れ、アルスは一つ息を吐く。

 

「ようやくボス戦か。何事もなく終わってくれればいいが」

 

「会議を見たけど、レベルの高いやつが多そうだったし、そうそう負けることはないダロ。アルスはボス戦に出ないんだよナ」

 

「名前でテスターだってバレてるっぽくてな。会議で無用な諍いが起こるのは避けたい」

 

「まあ……賢明な判断ダナ。アルスほどのやつが参加できないのは惜しいガ」

 

「買いかぶり過ぎだ」

 

 肩をすくめるアルスを横目に、アルゴが黒色のフーデッドマントを身に纏う。

 

「さて、オイラは別のクライアントのところに行くから、これで失礼するゾ」

 

「おい待て、まさか校正作業やらせといてタダ働きなんて言わないよな」

 

 アルゴはドアノブに手を握ったままアルスの方を向き、一瞬顔を上げてから底意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

「昨日依頼された件だが、アルスのお気にのフェンサーさんは生きてたゾ。ついでに面白い情報もあるんだガ。よければ二千コルで……」

 

「帰れ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、迷宮区はボス戦参加予定のプレイヤーでごった返すだろうと予想し、フロア北西の端にある鉱山エリアに来ていた。

 鉱山の壁には鉱脈と呼ばれる採掘ポイントが発生し、ツルハシで叩くことで装備の強化や製造に使える鉱石を入手できる。ただし、かつて人々が廃坑した場所なため鉱脈はさして多くなく、坑道はコボルドの住処になっている。

 

 一日かけて坑道を端から端まで探索し、大量の鉱石を掘りだして地上に出る頃には、すでに日が暮れ、視界はアインクラッドの外から伸びる茜色の光に照らされていた。

 トールバーナへ戻ろうとすると、どこかから小さな悲鳴が聞こえ、近くの岩陰から一匹のコボルドが飛び出した。

 

「戦闘よう……えっ?」

 

 抜剣しようとするアルスたちには見向きもせずに、何かを抱えたコボルドは坑道の奥へと走り去っていった。

 初めて見る行動パターンに警戒を解かずにいると、再び悲鳴が届く。

 

「あっちからだ」

 

 ビルがコボルドの現れた方向を指差し、四人はそちらに向けて走った。

 悲鳴の主はコボルドに襲われているNPCの老人だった。老人は坑夫のような作業着姿で、折れたツルハシを振り回して三匹のコボルドを牽制している。驚いたことに老人の頭上にはクエストの開始点を示す金色の!マークが浮かんでいる。

 

「これはクエストの開始点ってことですか?」

 

「そのようだな。こうやって誰かを助けるクエストはたまにある」

 

 カインの質問に答えながら、アルスはベータ時代の記憶を漁る。

 ベータテストではこの鉱山で発生するクエストは存在しないはずだった。現在出版されているアルゴの攻略本にもこの情報は載っていない。

 つまりは誰も受注していない未発見クエストであり、可能ならばその情報を集めておきたい。圏外でNPCと共闘するクエストは、クエスト発生地点がランダムの場合があり、今ここで受けないと次に受注する機会は訪れない可能性が高い。

 

「このクエストをやるぞ。三人とも装備に問題がないか確認しろ。カインは念のため老人の警護をしててくれ。残りの三人で一人一体ずつコボルドを討伐する」

 

 小声でそう指示を出し、全員が準備を終えてから合図を出す。

 

「スリーカウントで行く。3、2、1、ゴー」

 

 四人が一斉に飛び出し、老人とコボルドの間に割って入った。

 それと同時に老人の頭上にある!マークは?マークに変わり、HPゲージが表示される。もし老人が死んだら、その時点でクエスト失敗ということになる。

 それを防ぐために、カインが老人の前に陣取り、アルス、ビル、エリスの三人はそれぞれコボルドと相対した。

 

 コボルドは《マインコボルド・ディガー》という鉱山エリアにのみ出現するモンスターで、手にはツルハシのような形状のメイスを持っている。

 

「ぐううぅぅー」

 

 獣とも人とも思える唸り声を出しながら、コボルドはメイスを振りかざした。

 アルスはメイスの攻撃を躱しながら、すれ違いざまに一太刀を入れる。ツルハシはメイス系統でありながら装甲貫通力が高い武器であるが、このコボルドは坑夫の名を持つためか、穴を掘る時のようにツルハシを縦方向にしか振らない弱点を持つ。攻撃を避けるのは容易い。

 自身にヘイトが向くように気を配りながらアルスは攻撃を続け、最後はソードスキルで首を落とし止めを刺した。

 エリスとビルが戦闘を終えたのを確認し、老人の元へ駆け寄る。

 

「大丈夫か? 爺さん」

 

「ありがとう。旅の剣士。うっ……」

 

 老人は左足を抑えて踞った。

 

「コボルドに襲われた時に足を怪我してな。すまないが、わしの家まで運んでくれんか?」

 

 クエストログが更新されて、『老人を家まで連れて行け』という一文が現れる。誰が運ぶかという話になって、四人の中で一番筋力値が高いビルがその役目を担うこととなった。

 ビルは老人の前でしゃがみ込んでから、背中に乗るように促す。

 

「ありがとう」

 

 お礼を言いながらビルの背中に乗ると、老人は森の奥を指差した。

 

「わしの家はここから東に行った森の中じゃ。そんなに遠くはない」

 

 老人の案内を聞きながら戦闘を可能な限り避けて十分程歩くと、森の中にポツンと立つ粗末な小屋に着いた。中に入るとまず目に付いたのは、金属を熔かすための大型の炉と回転砥石。右手の壁には大小さまざまなスミスハンマーが所狭しと並べられ、左手の棚には鉱石や地金が置かれている。老人にわざわざ尋ねる必要もない。そこは紛れもなく鍛冶師の工房だった。

 しかし、工房に置かれているものを見てかすかな違和感を覚えた。鍛冶を行うための道具は全て揃っているにもかかわらず、あるべきものが置かれていない、そんな違和感が。

 

 ビルが背負っていた老人を、部屋の中央にある鉄床の椅子に座らせる。

 老人は近くの棚に手を伸ばし、インゴットを一つ手に取った。

 

「本当に助かった。鉱石を採りに行った帰りに、コボルドに襲われてしまってね。あいにくこんなものしかないが、受け取ってくれ」

 老人から手渡されたのは、一層ではそこそこ貴重な鋼鉄(スチール)インゴットだった。このインゴットを一つ作るのに、今日集めていた鉄鉱石が二十四個必要になる。四人掛かりで数時間かけて集めた量には劣るが、戦闘一回で終わるクエストの報酬と思えば悪くないだろう。

 

「ありがとうございます。では……」

 

 これで失礼しますと言って小屋を出ようとしたが、その前にエリスが老人に尋ねる。

 

「あの、おじいさんのところへ行く前に、何かを抱えたコボルドを見たのですが、もしかしてあれはおじいさんの荷物では?」

 

 未発見のクエストが気になって忘れていたが、クエストを受ける直前に、奇妙な動きをするコボルドと遭遇した。あのコボルドがクエストと無関係とは考えにくい。

 エリスの問いに老人は表情を曇らせる。

 

「実はコボルドに襲われた時に、荷物を奪われてしまってな。あの中には、わしの大事な物も入っておったが、もう諦めるしかあるまい」

 

「そうだったんですか。もしよかったら、その荷物を私たちが取り返してきましょうか」

 

 エリスの提案に一瞬表情を明るくしたが、老人はすぐに首を横に振る。

 

「いや、そこまでしてもらうわけにいかん。命を助けてもらっただけで充分じゃ」

 

「いいえ。行かせてください。大切なものなんですよね。そんな簡単に諦めちゃダメです」

 

 引き下がらないエリスに気圧されたのか、老人はゆっくり首肯する。

 

「……そうかい。なら、お願いしようかの。じゃが、たいした礼はできんぞ」

 

 クエストログが更新され、老人の荷物を取り戻せという一文が追加される。

 それに気づいたのか、エリスが「ぃえっ!」と叫びながらアルスの方を向く。

 

「ご、ごめん。勝手に話しちゃって、そのせいでまたクエストが」

 

「いいや、エリスよくやった。クエストの続きを見落とさないで済んだ」

 

「え……あ、うん」

 

 エリスは戸惑いながら、わずかに頬を染めた。

 

 

 エリスの質問から始まったこのクエスト《不撓の刀工》の第二部は、次のような内容だった。

 鉱山に住むコボルドたちは、採取した鉱石などをボスの元へ持っていくため、鉱石を入れていた老人のカバンもボスがいる場所に運ばれた可能性が高い。なので、取り戻すには鉱山の奥にいるボスを討伐しなくてはならない、ということだ。

 

「コボルド共のボスは強い。しっかり用心して戦うことじゃ」

 

「わかりました」

 

 老人の忠告にアルス以外の三人も頷くと、老人はスミスハンマーを手に取った。

 

「わしにできるのは、このぐらいしかない。武器の修理や強化をするなら、遠慮なく言ってくれ。かつて《トールバーナ》一の刀匠と呼ばれたこのわしが、鎚をふるってやろう」

 

 老人が言い終わると同時に、アルスの目の前に鍛冶屋用のメニューウィンドウが表示される。そこには耐久値回復(メンテ)、武器強化、精錬などお馴染みの文字が並んでいるが、一つだけ欠けているものがあった。

 それに気付くと同時に周囲を見渡すと、最初に感じた違和感の正体を理解する。

 

 メニューで欠けているのは武器作製。この小屋には、完成した武器が一つも置かれていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 鍛冶師の仕事場になぜ武器が置かれていないのかは気になるところだが、まずは老人の言葉に従って武器の修理と強化を依頼した。

 全員の武器の耐久値を全回復してもらってから、今日集めた鉱石を全て強化素材用の金属片(プランク)に変え、プランクを使って武器の強化を依頼する。

 結果、強化は全て成功し、四人の武器はそれぞれ強化値が1ずつ上昇した。

 

 町一番の刀匠という肩書きに偽りはないようで、使っているスミスハンマーもトールバーナのNPC鍛冶師より上位のものだ。しかし、ならばなぜこんな森の中に工房を構えているのかという疑問も出る。

 

「武器を作ってもらうことはできませんか?」

 

 口頭で作成を依頼できないかと思い訊くと、老人は一度渋い表情になってから答えた。

 

「すまんな。わしには作りたい武器があるんじゃ。それが完成するまで、他の武器を作らんと決めておる」

 

 その作りたい武器がなんなのかを聞いてみるが、「言ったところで信じてもらえんじゃろ」というばかりでまともな答えが返って来なかった。クエストを進めないと会話が成立しないというのは、ゲームらしい不条理だ。

 

 老人から話を聞き終えた頃にはすでに日が完全に落ちていたので、ボスへの挑戦は明日にし、一度トールバーナへ帰還することにした。

 町へ戻る途中にカインが尋ねる。

 

「このクエスト、本当にベータの時には無かったんですか?」

 

「間違いない。俺も記憶にないし、アルゴにも聞いてみたが、知らないそうだ。多分、このクエストを受けたのは、俺たちだけだ」

 

「私たちだけ、ですか」

 

「このクエストだと、俺の知識も当てにならない。ボスとの戦いは充分に用心してやらないと」

 

 今までにもベータとの変更点はいくつかあったが、他のプレイヤーからの情報提供があったり、戦闘に大きな影響を与えるものではなかったりと、危険に陥ることはなかった。だが、今回のクエストは、全く事前情報が無い状態で行わなくてはならない。

 どんなことが起きても、俺がパーティーを守らないと。

 アルスが自分にそう言い聞かせていると、今度はエリスが訊いてきた。

 

「ボス戦で思い出したけど、フロアボスの方はどうなってるの?」

 

「クエストの情報を得るついでにアルゴから聞いたら、明日の昼にボス戦を行うらしい。無事倒せれば、明日の午後から二層にいける」

 

「ところで今まで聞いたことなかったけど、一層のフロアボスってどんなやつなの?」

 

「フロアボスは《イルファング・ザ・コボルドロード》。取り巻きは《ルインコボルド・センチネル》。武器は……って、これを読んだ方が早いな」

 

 ストレージからアルゴの攻略本・第一層フロアボス編を取り出し、エリスに渡す。

 

「なんで、こんなの持ってるの?」

 

「昨日の夜にアルゴからもらった」

 

「ふーん……」

 

 なぜか怪しむような視線を向けながらエリスは冊子を受け取り、それを読み始める。

 

 イルファング・ザ・コボルドロードは片手斧と革製の円盾を装備した体高二メートル超の赤褐色のコボルドで、四段あるHPゲージが最後の一段になると、曲刀カテゴリの湾刀に持ち替える。取り巻きであるルインコボルド・センチネルは、全身を強固な鎧で包み、斧槍を装備している。出現数は三体で、ボスのHPゲージが一段削られるたびに、三匹ずつ追加で出現する。

 そういった情報に目を通してから、エリスは冊子をカインに渡した。カインが読んでいると後ろからビルが覗き込み言った。

 

「イルファング・ザ・コボルドロードか。明日戦うボスコボルドも、こんなやつなのかな」

 

「さすがにフロアボス級のステータスってことはないだろうけど、もしかしたら見た目とかは似てるかもしれないな」

 

 

 

 

 

 

 

 

二〇二二年十二月四日

 

 今日はフロアボス攻略戦が予定されているため、午後からは二層の攻略を行うつもりで、朝早くから鉱山エリアへ向かった。

 昨日も戦った雑魚コボルドを倒しながら坑道を進み、予めマップで当たりをつけていた最奥部の大部屋に到達する。

 

 部屋に入った瞬間、奥の薄闇から起きな足音が響き、坑道を満たす冷たい空気が重くなる。

 そして、岩壁を振るわせる雄叫びをあげ、一つの巨大な影が四人の前に躍り出た。

 

「はぁっ?」

 

 目的のボスらしきその姿を見た瞬間、アルスが素っ頓狂声を出した。姿が視認されたことで、ボスの頭上に赤いカーソルと固有名が表示される。

 

「あれ?」「ん?」「えっ?」

 

 他の三人もそれぞれの方法で、しかし全く同じタイミングで、表示された名前を凝視する。

 ボスは二メートルを超える逞しい体躯を持つ青い肌のコボルドで、橙色の瞳を炎のように輝かせ、右手には鋼鉄製の斧、左手には鋼鉄製のバックラーを装備している。

 頭上に浮かぶ、やや色の濃いカラーカーソルの下に表示されている名前は、《イビルファング・コボルドロード(Evilfang Kobold Lode)》。

 体色などいくつかの差異はあるが、目の前にいるボスの姿は、第一層のフロアボス《イルファング・ザ・コボルドロード(Illfang The Kobold Lord)》とあまりに酷似していた。

 

「データの使い回しだろ、これ」

 

「フロアボス……じゃ、ないんだよね?」

 

「だと思うよ。(Lord)のスペルが違うし」

 

「たしかLodeは鉱脈という意味だったはず」

 

 それぞれが思ったことを口にしていると、イビルファングの隣に新たなモンスターが出現した。

 体格は普通のコボルドと同じだが、全身を金属鎧で隈なく覆い、長い斧槍(ハルバード)を持っている。その装備は、イルファング・ザ・コボルドロードの取り巻きである《ルインコボルド・センチネル》と同じだった。しかし、名前の方は《マインコボルド・エイド》と、それほど似てはいない。

 

「取り巻きもよく似てる。どんだけ手抜きなんだよこのクエスト……」

 

「アルスさん。そんなことより、指示をお願いします」

 

 カインに言われ、過去のボス戦と一昨日に読んだ攻略本の内容を思い出しながら、アルスは指示を出した。

 

「俺とビルがボスの足止め、カインとエリスは取り巻きの討伐。取り巻きは関節、特に喉元が弱点だからそこを狙え。わからないことは俺に訊け。以上、戦闘開始」

 

 フロアボス討伐のため、トールバーナでプレイヤーが集結しつつある頃、たった四人によるボス戦が今火蓋を切った。

 

 

 

 

 

 

 キイイィィーン。

 

 銀色の剣と斧が衝突し、甲高い金属音と共に発生した大量の火花が薄闇を照らした。

 大きく後退し、動きが止まった二人の間にビルが飛び込み、重量級のメイスをボスの腹に叩きつける。

 

「グオォー」

 

 狼に似た咆哮を上げ、イビルファングが斧を振り上げると、分厚い刃が緑色のライトエフェクトに包まれた。

 すかさずアルスも《スラント》を発動し、振り下ろされようとしていた斧をはじき返す。

 再び発生した金属音と火花。直後に訪れる刹那の静寂。そこへ入り込むように、ビルはメイスを振り抜く。

 攻撃を受けたボスが身をよじらせ、後退するのに合わせて、アルスとビルも距離をとった。

 

「ビル今ので全部だ。動きがわからないやつはあるか?」

 

「大丈夫。タイミングも大体分かった」

 

「なら交代だ。無理に相殺はしないで、盾で受けろ」

 

 肉薄するボスの前に出て盾を構え、ビルが斧による連続攻撃を捌く。

 

 これまでにボスが使ったソードスキルは、攻略本に載っていたイルファング・ザ・コボルドロードが使うスキルと全て同じだった。だが、HPゲージは二段しかなく、フロアボスに比べればステータスは全体的に低くなっている。

 

 アルスは攻撃を終えて隙ができたボスの懐に入り、二連撃技《ホリゾンタル・アーク》を食らわせた。巨体を深く抉る斬撃は、ひときわ激しい効果音と光を生み出し、これまでの攻撃と合わせてHPを七割まで減少させる。

 

「アルス。こっちは終わった」

 

 タゲを外さないためにビルがヘイトスキルを使ったところで、取り巻きのエイドを倒したエリスがカインと一緒に合流してきた。視界の左上にあるパーティメンバーのHPゲージを確認すると、エリスとカインもほとんどダメージを負っていない。

 

「エイドのスキルは?」

 

「スキルはセンチネルと同じだった。でも、強さは迷宮区のコボルドと変わらない気がする」

 

 ボス、取り巻きのいずれもフロアボス戦で使われるのと同じスキルを使い、数人でも相手できるようにステータスが低く設定されている。この戦いは、まるでフロアボス戦をワンパーティー用にスケールダウンしているかのようだ。

 このクエストの存在理由を考えそうになるが、一度頭の隅に追いやり目の前のボスを倒すために指揮をとる。

 

「エリス、カイン。攻撃しつつ、ボスのソードスキルを確認。ビルのHPが六割になったらカインが壁に。それとゲージが二本目になったらまたエイドが出るはずだから、残り一割以下になったら下がって周辺警戒」

 

「わかった」

「了解です」

 

 一息に指示を出してから、アルスは攻撃を仕掛けた。エリスとカインも続いて攻撃し、ボスのHPが半分を切る。

 そこからさらに数回の攻防を行ってから、一度ビルとカインが交代し、ビルがポーションで回復を図る。一本目が残り少なくなると一旦攻撃を控えて、回復を終えたビルが壁役となり、エリスとカインは下がる。

 アルスが一本目を削り切り、二体目のエイドが出現すると、カインがエイドを引きつけた。

 一体目よりも早くエイドを倒したエリスとカインが、すぐさまボスの攻撃に参加し、着々と二本目のゲージを削っていき、ついに五割に達する。

 

「グウゥオオオオォォー!」

 

 最後のゲージが半減するのと同時にボスが吼えた。瞳は輝きを増し、鮮やかな青色だった体が赤熱したように赤みを帯びる。

 

暴走(バーサーク)状態だ。フロアボスと違って武器の換装はしないみたいだが、攻撃速度が上がる。対応をワンテンポ早く」

 

 ボスの腰に曲刀がない事から予想していたが、このボスは最後まで斧のみで戦うようだ。急な使用スキルの変更がないことは、幸運と言えるだろう。

 しかし、速度が増したボスの攻撃に対応仕切れないせいで、ビルの防御に余裕がなくなってきた。このままではPOTローテが間に合わなくなると判断し、カインと二人掛かりで防御を行わせる。

 壁役の交代先は無くなってしまうが、それよりもビルが攻撃を防げずに大ダメージを負い、交代直後のカインもスピードになれないまま戦ってダメージを受け、二人ともに戦闘不能になるという展開を避けなくてはならない。

 

 攻撃役が一人減ったせいでDPSは落ちたが、確実にボスのHPを削っていった。あと少しで倒せると思ったその時、アルスの耳が炭酸水の蓋を開けた時のような小さな効果音を捉える。

 その音の正体を悟ると同時に振り返り、音とともに生み出されたそれ目掛けて走りながら、アルスは叫ぶ。

 

「エリス! 右に避けろ」

 

 唐突な指示に反応仕切れなかったエリスを押しのけた直後、アルスの左肩を斧槍が貫いた。

 穂先がさらに刺さることも構わずに、アルスは斧槍を持つコボルドの兜を左手で掴み、喉元にある装甲の隙間に剣を突き立てる。弱点を突かれたコボルドがもがき、斧槍を抜いてアルスから距離をとった。

 

「アルス。大丈夫?」

 

「この程度なら問題ない。でも、こいつは想定外だな」

 

「どうして、エイドがもう一体」

 

 アルスが耳にしたモンスターのポップ音によって生み出されたのは、全て倒したはずのマインコボルド・エイドだった。

 ルインコボルド・センチネルは、ボスのHPゲージが減った時にしか追加POPしないので、エイドも同じだと思い込んでいた。だが、何をトリガーとしたのかは不明だが、今まさに新たなエイドが出現している。

 

 エイドとボスに挟撃されることは確実に避けなくてはならない。そうなると、エイドと戦うのは今タゲを取っているアルスになるが、ボス戦の指揮も取らなくてはならない。

 アルスがボスの様子を見やると、兜の中からこちらを伺うカインの瞳と一瞬交錯した。直後、斧の一撃を盾で防ぎながら、カインが叫ぶ。

 

「アルスさん。こっちは気にせずに、そいつを倒して下さい」

 

「スピードにはもう慣れたし、スキルの軌道も見えてる。何分だって耐えてみせるよ」

 

 ビルがそう続けて、アルスの中で決心が固まった。それと同時に、自分一人で背負い込んで、二人を信頼しきれていない自分を恥じる。

 

「わかった。ボスは任せる。エリス、こっちを手伝ってくれ」

 

 エリスがうなずくのを確認するや、アルスはエイドが突き出すハルバードを斬り上げる。

 

「スイッチ」

 

 アルスが飛び退ると仰け反っているエイドの首筋を、エリスが《ホリゾンタル》で斬り裂いた。

 硬直が解けハルバードを振り上げるエイドに対し、アルスはタイミングを計ってソードスキルで迎撃する。エイドが穂先を失い柄のみになった武器を手に固まった瞬間、エリスが発動した高速の《レイジスパイク》が喉元を貫き、エイドを三度葬った。

 

 エイドの小さな体が消え去り、二人は剣の切っ先をボスへと向ける。

 

 

「一気にボスを叩くぞ」

 

「わかった」

 

 剣を上段に構えたエリスの体が、不可視の推力を得て翔んだ。十メートル近い距離を一瞬で詰め、《ソニックリープ》の斬撃がボスの左目を抉り、痛烈な一撃を受けて隙を見せたボスに、カインとビルが追撃を加える。

 残りHPが数ドットまで減り、なおも足掻こうとするイビルファングに、アルスは剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 ボスの体がポリゴン片に変わり、視界に経験値加算のメッセージが現れてから、四人は武器を収める。

 

「終わった……か」

 

 ラストアタック・ボーナスの表示を一瞥しただけで確認は後回しにし、他のモンスターがいないか周囲を確認するが、動く影は一つもない。

 

「疲れたー。お腹空いたー」

 

「まだお昼前だよ」

 

 最後まで壁をやり続けたビルとカインは、晴れ晴れとした表情でポーションを飲んでいる。今回の戦いで二人はタンクとして十分な活躍をしてくれた。今後、敵が強くなってくれば、二人に頼る機会は増えていくだろう。そのためにも多くの経験を積んでもらう必要がある。

 

「あったよ。おじいさんの荷物」

 

 部屋の奥を捜索してきたエリスが、クエストアイテムタグのついたカバンを手にして戻ってきた。《使い込まれたカバン》というアイテム名を確認すると、クエストログが『刀匠の元へカバンを届けよ』というものに変わる。

 全員のHPを回復してから部屋を出て、可能な限り戦闘を避けながら老人の工房へ向かった。

 

 工房に入ると、老人は安堵したような表情を見せた。続けて何か言おうとしたようだが、取り返したカバンを見せると、口を半開きにしたまま信じられないと言うように目を瞬かせる。

 

「まさか、本当に取り返してきてくれたのか」

 

 老人は立ち上がりかけたが、足の怪我を思い出したらしくすぐに座り込んだ。アルスがカバンを手渡すと、愛おしそうにそれを抱きしめる。

 

「おお……まさしくわしのものじゃ。剣士たち。本当にありがとう」

 

 老人はカバンを開けて中を探ると、古びたスクロールを取り出した。意外なものの出現に、アルスは思わず目を瞬かせる。

 スクロール自体は証書やレシピなどとして、クエストではよく使われる。だが、老人が出したのは、見慣れた羊皮紙一枚を丸めただけの簡素なアイテムではなく、和紙を重ねて作られた忍者漫画で出てくるような巻物だった。

 老人は世界観にそぐわないそのアイテムを、アルスたちの前で広げてみせる。

 

「それがおじいさんの大切なものなんですか?」

 

 エリスが興味深そうに覗き込むと、老人は鷹揚に頷いた。

 

「うむ。これは十年ほど前に偶然手に入れたものでな。まだこの世界が地続きになっていた頃に書かれた貴重なものじゃ。異国のカタナという武器のことが書かれておる」

 

「刀だと」

 

「アルスさん。このゲームに刀なんてあるんですか?」

 

 老人の言葉に引っかかりを覚えながらも、アルスはカインの問いに答えた。

 カタナはベータテストの終盤で、当時最前線だった十層の迷宮区に出現するモンスター《オロチ・エリートガード》が使っていた武器だ。

 カタナスキルは速く、鋭く、変幻自在で、多数のプレイヤーに十層攻略を断念させることになった。その上、カタナスキルはプレイヤーの習得方法も対応する武器の入手方法も不明で、テスト終了までほとんど情報が出回ることもなかった。

 

 アルスが小声でそう説明する傍らで、老人は自らの身の上話を語っていた。

 この巻物を手に入れてから老人はカタナの再現に挑み。作業に集中するために全ての仕事を断り続けた。そのせいで町では偏屈な職人として扱われ、いつからか素材を卸してくれていた商人にも見放される。しかし、それでも老人はカタナへの執着を捨てられず、この森へ工房を移し自ら素材を集めながら日夜カタナの作成を続けているそうだ。

 

「カタナは刃が細く、軽いのに、決して折れず、曲がらず、普通の剣と同等以上の切れ味を持つとされている。そんな武器を作れるわけがないと、何度も言われた。じゃが、わしは諦めていない。素材となる金属、道具、製法、あらゆることを試して必ずカタナを完成させてみせる」

 

 老人の熱意あふれる言葉はNPCながら素晴らしいものだが、少しばかり話が長すぎる。アルスがカタナの説明を終えても延々話が続き、エリスはあくびをかみ殺す始末だ。

 モンスターは手抜きのくせにやたら設定はこだわったクエストだな、と思っていると、老人が唐突に切り出した。

 

「そういえば、童の頃に聞いた話で、コボルドの王が曲刀のように反った細い刃の武器を腰に佩くというものがあったな。おそらく、カタナの一種なんじゃろう。わしもあと三十年若かったら、自分で調べに行ったんじゃがな」

 

「……え?」

 

《続く》




キャラ設定

ビル
Player name/Bill
Age/17
Height/170cm
Weight/58kg
Hair/ Brown Short
Eye/Lime green
Sex/Male

Lv10(五話時点)
修得スキル:《片手鎚》《盾装備》《挑発》

 茶髪とライムグリーンの瞳を持つ穏やかな青年。趣味は料理で食べるのも作るのも好きなのだが、そのせいでアインクラッドでの食生活に少々不満を感じている。空気を読みすぎるきらいがあり、カインの気持ちも察しているが、関係が変わるのを恐れて答えを出せずにいる。ようはヘタレである。


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第六話 盾を構える者

 その男は身を守る術に長けていた。
 堅固な防具に身を包み、仲間の盾となることを己が役割として、より固くあろうとした。
 そして彼は、多くのものを守ってきた。
 だが、ある戦いの後で彼は悟った。
 自分の盾が守っていたのは、結局自分の身だけだったのだと。



二〇二二年十二月四日

 

 

 

「……え?」

 

 アルスは自分の耳を疑い、目の前の老人に思わず聞き返した。

 

「爺さん。今、なんて言ったんだ?」

 

「まだわしが童じゃった頃に聞いた話でな。コボルドの王は腰に緩く反った細い刃の武器を佩くらしい。もしそれがカタナなら、ぜひ一度目にしたいものじゃ」

 

 老人はその話に確信を持っているわけではないようだが、この情報が誤りであるなら、クエストの作成者はこんなセリフを言わせないはずだ。つまりそれは、コボルドの王たるイルファング・ザ・コボルドロードの使う武器が、曲刀からカタナに変更されていることを意味する。

 その事実に声を出せずにいると、老人は心配そうな面持ちで言った。

 

「どうしたんじゃ。暗い顔をして。何はともあれ、お前さんたちには礼をしなくてはな。わしがあげられるものなら、なんでも譲ろう」

 

 視界にクエスト報酬の選択画面が表示されるが、アルスはそれを見ずに即答した。

 

「でしたら、その巻物を譲ってもらうわけにはいきませんか?」

 

「これをか」

 

 老人は戸惑いながら、持っている巻物に目を向ける。

 老人のために取り返した物を要求するのは少しおかしな話だが、巻物にはカタナスキルの特性やソードスキルについても書かれていた。それはベータテスターですら入手できなかった情報であり、何万コル叩いても手に入れられないものだ。それにフロアボスがカタナを使うのであれば、この情報ほど攻略に有益なものはない。

 

 その要求に老人はしばし逡巡していたが、アルスの目を見ると微かな笑みを浮かべながら巻物を差し出した。

 

「お前さんたちがいなければ、なくなっていたはずのものじゃ。それに夢を見るだけのわしよりも、お前さんたちの方がこれの価値を分かっているようじゃしな。代わりに一つだけ頼みを聞いてほしい。もしカタナを手に入れる機会があったら、それをわしに見せてほしい」

 

「わかりました。その時は、必ずここに持ってきます」

 

 巻物を受け取ると自動的にストレージに収められ、クエストクリアのメッセージとともにボーナス経験値が加算された。同時にアルスの体が光り、レベルアップのファンファーレが響いたが、今はそれを喜んでもいられない。

 工房を出るとメニューを開き、フレンドリストからアルゴの名前を選択する。

 

「アルスさん。まさか本当にボスの武器が」

 

 メッセージを入力しながら、アルスはカインの言葉の引き継ぐ。

 

「刀に替えられている。このままじゃ、ボスの攻略は失敗する」

 

 カタナはベータテスターの精鋭たちを倒した強力なスキルだ。それを事前情報無しで、それもフロアボスが使うとなったら、対処できずに部隊が壊滅することは目に見えている。

 アルゴ宛てに、【クエストでボスがカタナを使うという情報を得た。速やかにレイドへ通達せよ】というメッセージを送信する。一分も経たないうちに返信されたが、その内容はアルスの望まぬものだった。

 

「ダメだ。ボス戦に参加するプレイヤーは、もう全員迷宮区に入っているらしい。メッセージを送れない」

 

 迷宮区をはじめとしたダンジョン内では、メッセージの送受信を行うことができない。その上、アルゴは現在フロア最南端にある《はじまりの街》にいて、北端にある迷宮区へ伝令役を依頼することもできない。

 視界の隅にある時刻表示を一瞥してから、アルスは三人に新たな使命を伝えた。

 

「急いで迷宮区に向かうぞ」

 

 

 

 

 

 工房を後にしたアルスたち四人は、迷宮区を目指して走っていた。

 避けられる戦闘は避け、避けられないものは速攻で終わらせ、休まずに足を動かし続ける。

 昨日アルゴから聞いた情報では、攻略部隊は十時にトールバーナを発つ予定だった。四十人を超えるレイドパーティーなら、移動速度は確実に落ちる。概算だが、トールバーナから迷宮区まで行くのに一時間、二十階のボス部屋に辿り着くのに一時間半はかかる。現時刻は十二時十五分なので、おそらく攻略部隊はまだ迷宮区を上っている頃だろう。

 

 迷宮区に入る直前でアルゴから新たなメッセージが届き、内容を確認する。

 それは迷宮区上層階からボス部屋までの最短ルートが記されたもので、メッセージの全文を手持ちの羊皮紙アイテムにコピーし、パーティー間共有ストレージに入れた。こうすれば、もしアルスが途中で動けなくなっても、残りのメンバーがボス部屋を目指すことができる。

 

 攻略部隊との差は約一時間二十分。迷宮区の踏破に一時間かかるとすると、五十分遅れでボス部屋に着くことになる。

 フロアボスが刀を使うとすれば、湾刀と同じでHPゲージが最後の一段になった時だが、レイド部隊の平均レベルが10程度だとすると、三十分もあれば三本のゲージを削ることは難しくない。フロアボスが刀を抜く前にボス部屋に行くことは困難だ。

 攻略部隊でカタナスキルに対応できるプレイヤーがいれば、カタナを使われても戦線を立て直せるかもしれない。だが、十層の迷宮区に行ったベータテスターは数十名。その中でオロチ・エリートガードと渡り合えた者となると、ほとんどいない。

 

 他のベータテスターがなんとかしてくれるという、甘い考えは捨てるべきだ。

 なんとか、間に合ってくれ。

 

 

 

 

 

 

 一時間かけて、四人はボス部屋に到達した。かなり強引にモンスターを倒してきたうえ、途中で休憩も取らなかったので、全員HPがかなり減っている。

 

 開け放たれたままの大扉からボス部屋に入ろうとすると、中から数人のプレイヤーが現れ、アルスたちを無視して下の階に繋がる通路へと進んでいった。扉の脇に避けて様子を見ていると、その後も次々とプレイヤーが部屋を出て行く。フロアボスを倒し町へ帰還するつもりなのだろうが、プレイヤーたちの雰囲気は一様に暗い。

 四十人近いプレイヤーが通路の奥に消えてから部屋の中を見ると、ボス部屋には一人も残っていなかった。

 どこかちぐはぐな印象を受けるその光景に、エリスが首傾げる。

 

「フロアボスは倒したんだよね。でも、だったらなんで二層に行かないで下に降りるんだろ」

 

「わからない。彼らの様子と何か関係するのかもしれないが……ひとまず、アルゴと連絡をとるために外へ出よう」

 

 下へ降りるより早いと考え。ボス部屋の奥から伸びる長い螺旋階段を昇り、第二層を目指した。

 

 階段の上にある扉を開くと岩山の中腹にあるテラスのような場所に出る。そこからは二層の景色が一望でき、正面には三人のプレイヤーの姿があった。

 ボス戦に参加していたプレイヤーは、全員迷宮区を降りて行ったと思い込んでいたので、予期せぬプレイヤーたちとの遭遇に身を隠す余裕はなかった。三人もこちらの存在に気づき振り返る。

 

 先頭に立つのは、フルプレートアーマーとタワーシールドを装備した大柄なメイス使い。年齢はおそらく四十代で、頭を剃り上げ無精髭を生やした顔には迫力がある。

 

 その後ろにいるプレイヤーは、派手な飾りがついた兜を被り、重厚な鎧とラウンド・シールド、やや小ぶりな直剣を装備している。メイス使いほどではないがかなり大柄で、年齢は二十代に見える。

 

 一番後ろにいるのは、先の二人に比べてやや小柄な短剣使いで、年は直剣使いと同程度。短剣使いにしては重装備で、鉄製のブレストプレートとガントレット、ヘッドギアのようなヘルメットを装備している。

 短剣使いはこちらを警戒する素振りを隠そうともせずに問いかける。

 

「お前たち、ボス戦では見なかったな。こんなところで何をしている」

 

 アルスは両手を見せて敵意は無いことを示しながら、できるだけ穏やかな口調で答えた。

 

「迷宮区に来たらボスが倒されたと聞いたので、他のプレイヤーにも知らせるために、二層に上がってきたんだ。下に降りるより、早そうだったんでな」

 

「ほう……俺たちと同じ理由か。ならば、とっとと知らせてやれ」

 

 短剣使いはそう言いながらも、こちらを睨んだまま警戒を解こうとしない。アルスもアルゴ宛てにメッセージを送りながら、男たちの動きを注視した。

 男たちに不審な点は見られないが、ボス部屋での様子と彼らだけが二層にいる点を考えると、安易に信用することもできない。

 例えばボスを倒した後にプレイヤー間で諍いが起こり、それを理由にあの三人が他のプレイヤーへ二層に上がらないよう言い含めたか、脅したのではないか。何の根拠もない憶測だが、彼らがこちらに害意のない存在だと判断する理由もない。

 

 三人の男を観察していたアルスの視界に、手紙のアイコンが出現した。

 半ば無意識にそのアイコンをタップすると、アルゴからのメッセージが表示される。

【例のクエストについて詳しく聞きたいから、ウルバスの高いケーキが食えるレストランで待っていてくレ。近くにエデンという男がいると思うから、そいつと一緒に来イ】

 アルスは全文を読み、最後の一文だけもう一度読んでから、三人に尋ねる。

 

「そっちにエデンという男はいるか?」

 

 するとダガー使いと直剣使いの視線がメイス使いに向けられ、メイス使いは鎧をガシャガシャと鳴らしながら、アルスの前へと来た。

 相対した瞬間、ある確信が生まれ、笑い出しそうになる衝動を抑えて右手を出した。

 

「ずいぶん老けたな。エデン」

 

「お前はあまり変わっていないな。アルス」

 

 エデンは躊躇することなく、握手に応じてくれた。

 

 

 

 

 

 

 エデンはベータテスト時代に、最前線で活動していた壁戦士(タンク)のまとめ役的存在だった。フロアボス戦ではタンク隊を指揮し、当時最大規模のギルドでリーダーを任されていた。

 アルスはそのギルドに所属していなかったが、エデンとはボス戦などで交流があり、フレンド登録もしていた戦友だ。

 そんな過去話をすると警戒心が薄れ、それぞれの名前とデスゲーム開始後の行動について話していた。

 

 エデンの仲間二人は、片手直剣使いがドラン、ダガー使いがドロイという名前で、二人とも元ベータテスターだったそうだ。彼ら三人は互いを元テスターだと知った上で、本サービス序盤からパーティーを組んで行動を共にし、フロアボス戦ではエデンとドランはB隊、ドロイはD隊に所属していたらしい。

 エリス、カイン、ビルの三人が元テスターでないことを伝えると、エデンはさして驚かなかった。

 

「ベータの頃に組んでた二人とは違うってすぐわかったし、アルスがはじまりの街に残っていたという噂は聞いていたからな。もしかしたら、とは思っていた」

 

 思いの外自分の名前が広まっていることに苦笑しながら、アルスはボス戦の顛末を訊いた。

 やはりクエストで得た情報に間違いはなく、フロアボスは曲刀ではなく刀を持っていた。それに気づかずに突撃したアタッカー隊の一人がボスの連擊を浴び、助ける間もなく命を落としてしまう。

 死んだのはディアベルというレイドの指揮官を務めていた男で、彼を失ったことで連携は失われ、レイドはあわや崩壊しかけた。

 そんな状況でカタナスキルに的確な対応をし、軽傷のプレイヤーをまとめあげてボスを討伐したのが、片手剣使いのベータテスター、キリトだった。

 無事ボスは倒したものの、攻略本の情報が誤っていたことを理由にアルゴを非難する声が上がり、それを収めるためにキリトは言い放った。自分はベータテスト期間中に他のテスターとは比較にならない経験と情報を得たビーターであると。

 

「キリトか。あのキザなソロプレイヤーが、まさかそんなハッタリをかますとはな」

 

「俺も驚いたよ。だが、結果的にそのおかげで、アルゴや俺たちに向くはずだった矛先が、あいつ一人に向くことになった。俺たちは、キリトに守られたんだ」

 

 エデンはいらだたしげにテラスの柵を殴りつけた。

 

「情けない話だ。あんな子供に守られるなんて。俺は最初アルゴとキリトを擁護するつもりだった。なのに、他の奴らの声が大きくなるの見て、我が身可愛さにベータテスターであることを言い出せなかった。キリトはたった一人で全てを背負ったというのに」

 

 エデンだけでなく、他の二人も悔しそうに歯嚙みする。

 その理由は強者ゆえのプライドか、大人としての責任感か。何れにしても、彼らの思いは元テスターとしての力をキリトを助けるために使いたがっている。

 この三人なら信頼に足ると判断し、クエストで手に入れた巻物を取り出した。

った。

 

「エデン、こいつを見てくれ。ついさっき手に入れたカタナスキルの指南書だ」

 

「なんだと……そんなもの一体どこで」

 

「鉱山地帯のクエストでこれとボスの情報を得たから、俺たちはここに駆けつけたんだ。もう一時間早ければ、誰一人死ぬことはなかっただろうな。だから、次は絶対に間に合わせたい。そのために力を貸してくれ」

 

 アルスの要請にエデンは大きくため息をついた。

 

「全くキリトといい、お前といい、子供がやたらと背負い込みやがって」

 

「もう十八だ。子供扱いするな」

 

「俺の半分しか生きてないじゃないか。若いうちはもっと大人を頼って、気楽に生きろ。俺が言っても、いまいち説得力がないだろうがな」

 

 エデンたちが協力要請を受諾してくれた後、アルスはある事実に気づいた。

 

 絶対に四十は超えていると思ったけど、エデンって三十六歳だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二層での行動指針が決まったところで、七人はアルゴの待ち合わせ場所であるレストランを目指した。

 一層では見られない地平線に連なる岩山とサバンナのような平原が珍しいのか、二層へ初めて来た三人は興味深そうに周囲を見回している。そうしてしばらく歩いていると、ビルが不思議そうに言った。

 

「さっきから、なんでモンスターが一匹もいないんだろ」

 

 その疑問に隣を歩いていたエデンが答える。

 

「フロアボスが倒されてから三十分間は、主街区までの道にモンスターが出現しないんだ。ボスを倒したプレイヤーが、初見のモンスターに倒されないようにな」

 

「そういうことか。オッさんもやっぱりテスターだけあって詳しいね」

 

「ああ、まあ……でも、初対面でオッさんはないだろ。もう一段階ぐらい敬った呼び方をしてくれないか」

 

「なら、エッさん」

 

「五十音の一個上って意味じゃない」

 

 そんな会話を挟みながらフィールドを進んでいると、巨大なテーブルマウンテンを掘り抜いてできた街、第二層主街区《ウルバス》が見えてきた。

 

 街へ向かう途中、珍妙な悲鳴をあげながら、二つの灰色の影が走り抜けていく。

 

「「ござるううぅぅぅー……」」

 

 忍び装束に見えなくもない装備を纏った二人組が走り去った後、元テスターの四人は一斉に振り返った。

 ベータテストの頃に、忍者という戦闘スタイルを確立しようとするプレイヤーによって結成された、風魔忍軍なるギルドが存在していた。しかし、彼らは他のプレイヤーから忍びではなく、いつしか黒猫という通り名を授かることになる。

 なぜなら、彼らが通り過ぎた後には厄介なモンスター群が襲ってくるからだ。つまり、彼らはモンスターを後ろに引き連れて他のプレイヤーにタゲを擦りつけていく、悪質なトレイン常習犯なのだ。

 

「やっぱりか。面倒くさいもの押し付けやがって」

 

 予想に違わず、忍者どもが来た方向から、巨大牛型モンスター《トレンブリング・オックス》が迫ってきている。トレンブリング・オックスは、その巨体に見合った攻撃力と防御力を持つなかなかに強力なモンスターだ。更に厄介なことに、プレイヤーを見つけたら問答無用で追い掛け回し、振り切るのも難しい。

 街までの距離とオックスの移動速度から、すでに逃げ切るのは困難だった。

 

「ここで倒す。エデン、奴を止めろ」

 

「任せろ」

 

「エデンを中心に横列展開。エデンが攻撃を止めたのを合図に、囲んでソードスキルで攻撃」

 

 指示を出し配置につく途中で、カインが不安げな表情を見せる。

 

「アルスさん。私とビルも防御に回ったほうがいいんじゃ」

 

「エデンなら心配ない。ビルも参考になるからよく見とけ」

 

 なおも不安そうな表情を見せながら、カインはエデンの隣に立った。配置が決まったところでエデンが盾を掲げてヘイトスキルを発動し、一歩前に出て盾を構える。

 直後、猛進するオックスの額とエデンの盾が衝突した。

 

「うそ……」

「スゲッ」

 

 隣でその光景を見ていたカインとビルが、そんな言葉を漏らしてしまうほどに、エデンの防御は一線を画していた。

 巨体を誇るオックスの突進を受けたにもかかわらず、エデンの体は深く根を張った大樹のように、微動だにしない。その様はいささか現実離れしていて、一歩も進めないでいるオックスが不可視の拘束魔法をかけられていると言われた方が納得してしまいそうだ。

 動きが止まった雄牛は他の六人にとってでかい的でしかなく、ソードスキルの一斉攻撃で倒された。戦闘終了後、何事もなかったように街へと歩き始めるエデンに、ビルは尊敬の眼差しを向ける。

 

「ベータテスターって、やっぱりすごい」

 

 それを聞いた同じ元ベータテスターであるドランが大きく頭を振った。

 

「いや、あんなのごく一部だから」

 

 

 

 

 

 ウルバスに入ると、街はすでに転移門を使って移動してきたプレイヤーたちで賑わっていた。人混みを避けながら細く入り組んだ道を抜けていき、待ち合わせ場所であるレストランに入る。

 トレンブル・ショートケーキという二層では規格外な味とサイズと値段のメニューが存在することから、ベータ時代に有名な店ではあったが、まだ情報が出回っていない上に奥まった場所にあるせいで見つけにくいためか、他のプレイヤーの姿はなかった。アルゴの姿も。

 

「まだ来てないのか」

 

 アルゴがいたのは転移門がある《はじまりの街》だったので、転移門がされた今なら、ウルバスへ来るのにたいして時間はかからない。何かアクシデントがあったのかと思い、フレンド追跡を行うと、アルゴの現在位置を示す光点は二層に移動していた。ただし、街から遠く離れた東の端にある岩山の上に。

 

「エデン。この層の東の端に、何かあったか?」

 

「いいや。特に覚えはないが。なぜそんなことを」

 

「アルゴがそこにいる」

 

「……二層に来て早々、何やってるんだアルゴのやつ」

 

「あいつ、俺たちのこと忘れてないよな」

 

 アルスはアルゴに【早く来い】とだけ書いたメッセージを送った。

 

 

 

 アルゴが来るまでの間に、遅めの昼食をとることになった。           

 今までアルス以外のベータテスターと話す機会がなかったビギナーの三人は、しきりにエデンたちに質問している。

 

「前から思っていたんですけど、アルスってテスターの間じゃ有名なんですか?」

 

 エリスが過去のテスターたちが見せた反応から推測したのであろうその疑問に、パンを噛みちぎりながらドランが答える。

 

「そりゃそうだ。なにせアルスといえば、ベータ時代にデュエルトーナメントで優勝した。最強のテスターなんだからな」

 

「えー! すごい」

 

 茜色の瞳に星を瞬かせるエリスから顔を背け、アルスは即座に否定する。

 

「優勝したって言っても、何回も行われたデュエル大会の最後の一回だけだ。PvP上位勢ってだけなら、キリトもそうだし、エオスやケイン、トールだっていただろ」

 

 ベータ時代に名の通っていた強者たちの名を挙げると、エデンが「そういえば……」と切り出した。

 

「エオスは知らないが、ケインとトールならボス戦で見たぞ。ケインはD隊、トールはG隊のリーダーをやっていた」

 

「あいつら、あのレイドにいたのか。全然気づかなかったぞ」

 

 他のベータテスターたちはうまく紛れ込んでいるのだな、と感心していると、ビルがエデンたちに訊いた。

 

「あれ? でも強いベータテスターがそんなにいたなら、カタナを使われても簡単に対処できたんじゃないの? さっき聞いた話だと、キリトって人以外はカタナの攻撃を防げなかったみたいだけど」

 

 聞き様によっては相当に不躾なその質問に、エデンたちは一瞬顔を引きつらせた。どことなく諦観したような印象の声でドロイが答える。

 

「そいつは無理だな、少年。カタナを使う奴が登場したのはベータの終盤で、そいつらと戦って早々テスト期間中に十層の迷宮区攻略は無理だって空気になってたからな。俺もそうだが、大抵のやつは迷宮区に行かないで、未開拓エリアの探索や未達成クエストのクリアやらを優先したよ」

 

 ドロイの話をエデンが引き継ぐ。

 

「カタナスキルに対処できるようになるまで戦ってた物好きとなると、最終日までソロで迷宮区に潜っていたキリトと……アルス、お前ぐらいのもんだろ」

 

 突然名前を出され、六人の視線がアルス一人に向けられる。

 今度のことについては、半ば以上事実であるので反論ができない。ベータテスト終盤に単身でオロチ・エリートガードたちに戦いを挑み続け、彼らのスキルを研究していたことはある。  

 もし、刀を使う敵が現れたとしても、一人で対処することは可能だろう。フロアボスのカタナスキルを防ぎ続けろなどと言われたら、絶対にごめん蒙りたいが。

 六人の中で一人だけ視線の色が異なるように感じるカインが、おずおずと尋ねる。

 

「あの、アルスさん……」

 

「よーっス。遅くなってすまなかったナ」

 

 レストランの扉が開き、アルゴが飛び込んできた。街まで走ってきたようだが、悪怯れないその態度にアルスは反射的に尋ねる。

 

「いったい何をしていたんだ?」

 

「その情報は十万コルだナ」

 

 アルゴがいつもの逃げ口上を使ってから席に着くと、前置きもなくカタナスキルの情報を得たクエストについて訊いてきた。

 アルスがクエストの内容を話し、手に入れた指南書を見せると、アルゴは頭を押さえながら机に突っ伏す。

 

「ボスに何らかの変更がされる可能性は考えていたガ。まさかここまで大きな変更を加えた上、その情報が得られるクエストがあるのに気づけないとハ。情報屋の名折れダ」

 

「こんなの予想できないだろ。それでエデンとも話したんだが、二層でも同じようにボスの情報を得られるクエストがあるはずだ。そのクエストを何としてもボス戦の前にクリアしたい」

 

「……わかっタ。他のやつにも頼んですぐにクエストの捜索を……」

 

「いや、クエストのことはしばらく隠しておいた方がいい」

 

「なぜダ?」

 

「ボス戦で、アルゴが嘘の情報を流した疑いが持たれている。ボス戦直後にこの情報を流せば、その疑いは余計に強くなってしまう。情報の漏洩は可能な限り避けるべきだ」

 

 アルスの提案に、アルゴはしばらく考え込んでいた。

 今回のボス戦で彼女なりに責任を感じている部分があるだろうし、情報の隠匿は情報屋の矜持に反することでもあるのだろう。だが、最終的には折れたようで、ゆっくりと頷いた。

 

「そう……だナ。すまなイ。いろいろあって、あまり冷静じゃないようダ」

 

 アルゴはウルバスのマップデータを開き、街の中心辺りを通るように指で線を引いた。

 

「街の西側のクエストはアルス、東側のクエストはエデンたちが調べてくレ。クエストを終えたら、オイラに報告。ベータの頃になかったクエストを見つけたら、すぐに連絡をすル」

 

「ああ!」

 

「とっとと始めるぞ」

 

 アルスとエデンが席を立ち、それぞれのパーティーメンバーが二人に続く。

 

 

 第一層ボス戦の中で誕生した悪のベータテスター、《ビーターのキリト》。その黒き存在が作り出した影の中で、新たな戦いが静かに始まっていた。

 

 

《続く》

 




 風魔忍軍の二つ名は、勝手に考えました。ただ、黒っぽい服装の奴らが横切った後にモンスターが襲ってきたら、不幸の象徴的な呼ばれ方するだろうなと。

 エデンは一層ボス戦後に、ジョーに反論したメイス使いだったという設定です。B隊からエデンとドランが抜けた四人が、後のアニキ軍団となります。



キャラ設定

エデン
Player name/Eden
Age/36
Height/184cm
Weight/78kg
Hair/ Black Close-Cropped
Eye/Green
Sex/Male

Lv12(六話時点)
修得スキル:《片手鎚》《盾装備》《挑発》《重金属装備》

元ベータテスターの大柄で老け顔のタンク。卓越した防御技術を持ち、ベータテストでは大規模ギルドのリーダーであり、タンクのまとめ役的存在だった。対人戦闘は不得手で、デュエル大会などには出ていなかったため、アルスとの交戦経験はない。PKからは、大概集団で行動していた上、硬すぎて倒すのに時間がかかるという理由で狙われることはなかった。


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第七話 羽を失う者

少女は遥かな高みを目指した。
手を届かせることも、目にすることすらできない高みへ、一刻も早く到達したいと願った。
自分の憧憬へ近づくために、友との誓いを果たすために、少女は羽を振るう。
より鋭く、より速く、羽撃き続けていれば、いつか高みに届くと信じて。



二〇二二年十二月六日

 

 

 

 二層が開放されてから、今日で三日目。二層主街区《ウルバス》はすでに日が落ちかけているにもかかわらず、武器防具をまとったゲーム攻略を目指すプレイヤーと、初期装備とあまり変わらない簡素な服装をした一層からの観光客らしきプレイヤーたちで賑わっている。

 

 エリスはたくさんの人と行き交いながら、一人でウルバスのメインストリートを歩いていた。

 今日までの間に、ウルバスと南東にある小村《マロメ》で発見されたクエストの調査はすでに完了している。明日からフィールドの辺境を探索するために、今日は午後から皆準備も含めて自由に行動している。

 

 買い物を終えてから、エリスは東広場の端で《Nezha’s smith shop》という看板を出した、露天鍛冶屋のところに来ていた。本当は一層の森に住む老人の工房を訪ねたかったが、彼のところに行くまで時間がかかりすぎるので、二層で腕が良いと噂のこの店を選んだ。

 

「いらっしゃいませ。お買い物ですか? それともメンテですか?」

 

 灰色の絨毯の上で、鉄床の前に座る小柄で気弱そうな青年が訊いてきた。

 一瞬NPCかと思ってしまうが、彼の頭上にあるカーソルは自分たちと同じグリーン。つまり、彼はプレイヤーなのだ。

 アルスから聞いた話では、《ベンダーズ・カーペット》というアイテムを圏内に敷くことで、簡易的なプレイヤーショップとすることができるらしい。彼が下に敷いている地味な絨毯がそのアイテムなのだろう。

 絨毯の上には小型の炉に回転砥石、鉄床、数多の武器と、到底一人では持ちきれない量のアイテムが並ぶが、カーペットの収納機能を使えば問題なく運ぶことができるらしい。

 

 エリスは腰に下げていた愛用の片手剣である《フェザーブレード》を鞘ごと外して答えた。

 

「強化をお願いします。強化の種類は鋭さで」

「……素材のご用意はありますか?」

 

 一瞬、質問の意図がわからなかったが、彼の手元に置いてある革袋を見て合点がいった。

 NPCの鍛冶師は、強化や製造などの鍛冶に関係したことしか行わない。でも、プレイヤーの鍛冶師はそうではない。自分で素材を集めることだってできる。

 NPC鍛冶師に強化を依頼する時は、必要な素材をすべて依頼者が用意しなくてはならないが、プレイヤーの鍛冶師が相手なら、鍛冶師の方でも素材を用意してくれるのだろう。もちろん、追加料金は取られるのだろうけど。

 エリスはトレード窓を開いて、用意した素材を鍛冶師に見せた。

 

「上限まで用意があります。スチール板が四個とレッド・スポテッド・ビートルの角が二十個です」

「解りました。では、武器と素材をお預かりします」

 

 頭を下げながらそう言った鍛冶師に、エリスは鞘に収めたままのフェザーブレードを渡し、トレード窓経由で素材と強化代行の代金を払った。

 鍛冶師は左手に剣を持ち、右手で携行炉の操作を始めるが、その表情はどこか残念そうに見える。

 素材を買わなかったから、儲けが減ったと思っているのか。いや、生産職としてはやはり、自分の武器を買ってくれる客の方が嬉しいのかもしれない。だけど、絨毯の上に並べられた武器は、一層の武器屋でも買えるようなものばかりで、欲しいものはなかった。

 

 携行炉に入れられた素材アイテムが溶け、炉の炎が黄色く染まった。鍛冶師はそれを確認してからフェザーブレード抜き、携行炉に置く。薄く細い刃が黄色い炎に包まれていく。

 刀身全体が炎をまとうと、鍛冶師は剣を鉄床の上に置き、スミスハンマーを振り上げた。

 

 カァン、カァンと剣を打つ槌音が響く。

 強化の時は武器の性能や鍛冶師のスキル値に関係なく、武器をスミスハンマーで十回叩く必要がある。今まで何度も見た光景だが、叩かれるたびにドキドキする。

 武器の強化は必ず成功するわけじゃない。鍛冶師のスキル値や使用する素材の質、量などで確率が変わるが、よほどスキル値に余裕がない限りは百パーセントになることはないらしい。今まで武器の強化が失敗したことはないが、成功するのかどうか、毎回不安になってしまう。

 

 フェザーブレードはアルスが選び、最初にみんなで狙って手に入れたドロップ武器だ。できることなら完全強化をして、少しでも長く使っていたい。

 

 カァン。カァン。

 

 八回。九回。あと一回で強化は終わる。

 強化に失敗して、プロパティが減少するのは嫌だ。あと、プロパティチェンジで重さが強化されるのもダメだ。失敗だとしても、この二つにだけはならないで。

 

 カァンッ。

 

 十回目の槌音が響き、剣は一際強い光を放った。

 結果はエリスが恐れていたものにはならなかった。しかし、強化が成功したのでも、失敗して強化数が変化しなかったのでもなかった。

 

 フェザーブレードは……

 

 カシャーン。

 

 儚く、寂しい音とともに砕け散った。

 

 

 

 

 

 

 

「え……」

 

 エリスが目の前で起きたことを理解するのに、数瞬の時間を要した。そして、理解すると同時に粉々になった剣に手を伸ばす。

 剣の欠片を集めようとするが、欠片は淡雪を掴んだように手の中で消えていく。

 十秒ほどで宙を漂っていた欠片も全てなくなり、剣があったという痕跡は何一つ残っていなかった。

 

「すみません。すみません」

 

 鍛冶師が地面にぶつけそうな勢いで何度も頭を下げて謝るが、その言葉はエリスに届いていない。

 パーティー内で初めて強化した武器は、あのフェザーブレードだった。その時に、アルスが強化についての一通りの説明をしてくれた。

 その説明では、強化失敗の際に発生するペナルティは、《プロパティ減少》、《プロパティチェンジ》、《素材ロスト》の三つしかないと言われた。

 アルスが嘘を教えるわけがない。きっと、これは何かの間違いだ。バグか何かで、武器が一時的になくなっただけで、すぐに修正が入ってくれるはずだ。

 

 そうに決まってる。

 

 何度願っても、エリスの手元にフェザーブレードが戻ってくることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 そこからどうやって帰ったのか、鍛冶師とどんな話をしたのか、ほとんど覚えていない。

 気づいた時にはカインに連れられて、宿の部屋に戻っていた。

 カインに尋ねられながら、さっきのことをポツリポツリと話していると、いつの間にか部屋にはビルと、アルゴを連れてアルスが入ってきていた。

 カインによって剣が失くなるまでの経緯を説明がされた後、ビルがアルスに尋ねる。

 

「武器強化の失敗に武器消失は無いんじゃなかったの?」

「ああ、無いはずだ。ベータテスト時代に見た公式サイトの情報には、強化失敗のペナルティに武器の消失は存在しなかった。これは間違いない」

 

 同じ質問にアルゴも答える。

 

「オイラも強化で武器を失ったなんて話、今まで聞いたことがないゾ。プレイヤー鍛冶師のみに起きる現象なのカ……いや、バランス調整にしては、ペナルティが重すぎル」

 

 二人が考察を始めようとしたが、カインがすぐに中断させた。

 

「武器が壊れた理由を考えるのは、後にしましょう。今はエリスの武器をどうするかを考える方が先です」

 

 二層のNPC武器屋で買うという案が真っ先に出たが、すぐに却下された。

 フェザーブレードはその名が示すように、羽根のように軽い片手剣で、重さは同ランクの細剣にも劣らないほどだった。そのため、筋力要求値も他の片手剣に比べて低く設定されていて、敏捷性を優先していて筋力値が低いエリスでも扱うことができた。

 エリスが装備可能な剣を選ぶと、フェザーブレードよりもかなり攻撃力が低い剣しか無いだろう。

 

「二層のクエスト報酬かドロップ品で、似た剣はないの?」

 

 ビルが訊くと、アルスは少し考えてから答えた。

 

「一つある。ただ、ドロップするモンスターがかなり強くてな。そいつを倒しに行くなら、エリスを街に置いていくことになる」

 

 その瞬間、今まで微動だにしなかったエリスが顔を上げた。

 

「置いていくって。大丈夫だよ。フェザーブレードがなくたって、私はちゃんと戦えるから」

「ダメだ。主武器を失った状態で連れて行くことはできない。それに戦えるというが、今のエリスに何ができるんだ」

 

 確かにそうだ。

 攻撃力が落ちたスピードタイプのアタッカーなんて、戦闘では何の役にも立たない。

 防御力の低い自分に壁なんてできるわけがないし、敵を撹乱するようなスキルもない。一緒に行ったところで、足手まといになるだけだ。

 

「わかった。じゃあ、私は一人で別の場所に」

「それもダメだ。フィールドに一人で出ることは許さない。剣を手に入れるまで、街でおとなしく待ってろ」

「そんな、そんなの……」

 

 いやだ。

 剣がなくなって戦力差ができているのに、その上街を出られなかったら、レベルにも差ができる。

 立ち止まりたくない。

 戦いたい。

 一秒でも早く、強くなりたい。

 

 そう言いたいのに、言葉が出ない。

 

 断固としてエリスを連れて行こうとしないアルスに、アルゴがなだめるように言う。

 

「落ち着けヨ。エリスちゃんのことが心配なのはわかるが、そこまでする必要無いだロ」

 

 言い終えた直後、アルゴはメッセージが届いたのか、ウィンドウを開いて読み始める。そして、小さく「オッ」と声を上げてから、何かを企むようにニヤリと笑った。

 

「エリスちゃんは、盾を持たないスピード型の片手剣士だったヨナ」

「は、はい。そうですが」

「三日間スキルの修行をしてみないカ。《体術》というスキルのナ」

 

 

 

 

 

 翌日、岩壁を登り、洞窟を抜け、川を下るというなかなかにスリリングな道程を経て、エリスはアルス、アルゴとともに二層東端にある岩山に来ていた。

 

「こんなところに体術スキルの獲得クエストがあるとはな。二層解放直後にここにいたのは、このクエストについて調べていたからか?」

 

 アルスの問いに、アルゴは「ニシシ」と笑う。

 

「悪いが、これ以上の情報は有料だヨ。体術スキルの分だけは、一層のボスクエストでチャラにしてやル」

 

 アルゴが教えてくれたのは、体術スキルの効果と拳で大岩を砕くというクエストの内容だけで、それ以上は有料だと言って譲らなかった。アルスにも訊いてみたのだが、ベータテスト時代にスキルの存在は噂で聞いていたものの、詳細はほとんど知らないらしい。

 

 岩山の頂上近くまで登ると、岩壁に囲まれた小さな空間に出た。そこには一本の木と小さな泉、所々に転がっている大岩、奥に小さな小屋が一軒建っている。

アルゴが躊躇わずに小屋の中に入ると、いかにも格闘道場の師範といった佇まいの筋骨隆々な禿頭の大男が、クエスト開始店である金色の【!】マークを浮かべていた。ただ、先客がいたようで、艶やかな銀髪を長く伸ばした細身のプレイヤーが、師範と話している。

 そのプレイヤーはこちらに気づいたようで、話を中断して近づいてきた。

 

「あら、アルゴちゃん。情報提供ありがとね」

 

 後ろ姿でてっきり女性だと思い込んでいたが、その声音はやや高いものの男性のものだった。よく見れば、身長もエリスより頭一つ分高いアルスと比べても少し高い。しかし、体格が少し華奢で、容姿も中性的で整っていて、長身な女性にも見える。

 

「ヨオ、早速来たんだナ。こっちの子もクエストを受けるから、いろいろ教えてやってくれヨ」

 

 アルゴに手で示され、エリスは思わず挨拶をした。

 

「エリスです。よ、よろしくお願いします」

「エリスちゃんね。私はラスク。時間がかかるクエストだけど、お互い頑張りましょ」

 

 そう言って差し出してきた手をエリスは軽く握った。

 やや距離感が近いように思えるが、アルゴも信用しているようだし、悪い人ではないのだろう。と、ラスクの人となりを想像していると、後ろでアルスが「ラスク?」と男の名前を呟いていた。

 それに気づいたのか、ラスクがアルスの顔をじっと見つめる。

 

「ねえ、あなた……もしかして、アルスじゃない?」

「え! ……おい、じゃあ、まさか」

「やっぱり。久しぶりね、アルス」

 

 ラスクはエリスの手を離し、いきなりアルスに抱きついた。

 

 えー!

 

 エリスが声にならない悲鳴をあげる横で、アルゴはなぜか値踏みするような目で二人を眺めている。

 

「フム。この情報はいくらになるカナ」

「おい、アルゴ。何を売ろうとしてやがる。ラスク、もうわかったから離れろ」

 

 アルスが振り解くと、ラスクは簡単に腕を離した。ただ、その目にはわずかに涙を浮かべている。

 

「だって、こんなところで会えるなんて思わなくて。突然デスゲームになったとか言われるし、姿も変わっちゃうしで連絡しづらくて」

「だいたいわかったから、落ち着けよ。俺も連絡できなくて、すまなかった」

「ううん。アルスのせいじゃない。元はと言えば、私が……」

「旧交を暖めるのはそれぐらいにして、早くクエストを受けないカ。さっきから、おっさんが待ってるゾ」

 

 アルゴに言われて見てみると、こちらを睨んでいる師範がどこか苛立っているように感じられた。これ以上待たせると、小屋を追い出されそうな気がする。

 ラスクはアルスから離れ、再びエリスの手を取る。

 

「さあ、早く行きましょ。エリスちゃん」

「ちょっ、待って」

 

「オイラたちはもう下山するカ」

「そんな急かすなよ」

 

 アルスもアルゴから小屋から出るように促されている。このクエストをクリアするには、少なくとも三日はかかると、アルゴは言っていた。たった三日とはいえ、アルスに会えなくなるなら、最後にちゃんと話しておきたい。

 師範の元へ行くのを渋っていると、ラスクが耳元に顔を寄せて囁いた。

 

「このクエストを受けると、顔に落書きをされちゃうの。そんな顔を見られないうちに、アルスには帰ってもらった方がいいんじゃない」

 

 ラスクは顔を離すと、全てを見透かしているかのように空色の瞳を細めて微笑んだ。

 顔が赤くなるのを感じながら、エリスは小屋から出ようとしないアルスに、突き放すように言った。

 

「私のことは気にしないでいいから、もう帰って。クエストが終わったら連絡するから、それまでここには絶対に来ないで」

 

 言った後で、言葉のチョイスを誤ったと思ったが、弁解する前に「わかった。頑張れよ」と言って、アルスは小屋を出て行ってしまった。どこか寂しそうな表情で。

 凹んでいるエリスに、ラスクが声をかける。

 

「大丈夫。アルスはあれくらいで嫌ったりしないわ。さっさとクエストを終わらせて、アルスのところに帰りましょ」

「……はい」

 

 ちゃんと説明すれば、アルスはきっとわかってくれる。ならば今すべきことは、あの師範が課す修行を終わらせ、一刻も早く戻ること。

 

「よし! 目標は三日、いや二日以内」

「その意気よ。まずは師範に挨拶をしないと」

 

 

 この時、エリスは知る由もなかった。

 クエストクリアのために砕く大岩が、想像を絶する硬度であるということを。

 クエスト中、ほとんど干渉してこない師範とは違い、ラスクが少しでも早く終われるようにと、とんでもないスパルタ指導を行うことを。

 このクエストが終わる頃には、ラスクを師匠と呼ぶようになることを。

 

《続く》

 




キャラ設定

ラスク
Player name/Rask
Age/19
Height/181cm
Weight/62kg
Hair/ Silver Long
Eye/Sky blue
Sex/Male

Lv12(七話時点)
修得スキル:《短剣》《隠蔽》《軽業》《体術》

長い銀髪と空色の瞳の中性的な容姿の青年。ベータテスト時代にアルスとパーティーを組んでいた一人で、ベータでは女性アバターを使っていた。当時の言葉遣いが抜けないせいで、今でもフェミニンな話し方をする。
テスト期間中に体術スキルを発見した数少ないプレイヤーの一人であり、正式サービスで二層が解放された際に、アルゴからクエストのクリア者が出た時に連絡するよう依頼していた。


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第八話 声を喪う者

僕は泣いていた。涙は出ても、声は出なかった。
僕は仲間を求めた。振り向かせることはできても、信頼は得られなかった。
僕は恐怖を覚えた。命の危機を感じても、助けを求めることはできなかった。
僕は能面を被ろうとした。どんなに頑張っても、自分自身の心ですら欺くことはできなかった。

ある日、僕は彼と出会った。涙が溢れても、声を出すことはできなかった。あの時ほど、自分が声を出したいと思ったことはなかった。



二〇二二年十二月七日

 

 

 体術スキル修得のためにクエストを受けるエリスと別れた後、アルスは麓で待っていたカイン、ビルの二人と合流した。一緒に下山したアルゴは用事があると言って、どこかへ走り去り、三人は西平原の先にある荒れ地エリアを目指した。

 

 道中でエリスと一緒に体術スキル修得クエストを受けているラスクのことを話すと、カインが咎めるような表情で睨んでくる。

 

「ベータ時代の知り合いとはいえ、エリスを男の人と二人っきりにしてきたんですか?」

「まあ……そうと言えなくもないが、ラスクが男だってまだ意識できないんだよな。今もぱっと見は男に見えないけど」

「どういうことですか?」

「ラスクは女だったんだ。俺がパーティーを組んでた頃は」

「それは……いわゆるネカマだったということですか」

 

 ラスクは昔女性だった。誤解のないように言えば、ベータテストは女性のアバターでプレイをしていた。

 茅場晶彦によって行われたチュートリアル以降、本サービスではアバターの性別はリアルのものと統一されているが、ベータテストでは異性のアバターを使うことが可能で、実際にそうしていたプレイヤーは少なからず存在した。

 カインの言葉に苦笑していると、ビルが笑いながら言う。

 

「じゃあアルスは、ベータの頃ずっと騙されてたってことか」

「そういうことになるな。ただ、ひとつ補足すると、相手がネカマかどうか調べる方法は、実はベータテストで見つかっていた」

「え、どんな方法?」

「ハラスメント防止コードの説明は、必要無いよな」

 

 《ハラスメント防止コード》。圏内、圏外に関わらず常に働いている防止コードで、異性に不適切な接触を行うと、システムメッセージとともに反発力が発生し、何度も行うと監獄エリアへ転送されるというシステムだ。

 このシステムでの異性というのはプレイヤーとNPCの両方を含み、元々はNPCへの不適切な接触を防ぐために導入された。

 

「そりゃ、まあ、知ってるけど」

「じゃあ、問題だ。女性のアバターを使う男プレイヤーが女性NPCに触れた場合、ハラスメントコードはどうなる?」

「えーと……」

 

 ビルが考え込んでいる間に、カインが素っ気無い口調で答える。

 

「発動するはずです。そうでなくては、このシステムの意味がありませんから」

「正解だ。これでもう分かっただろ。プレイヤーの性別を知る方法が」

「……ああ、そういうことか」

 

 ハラスメント防止コードが導入された理由は、男性プレイヤーがうら若き女性NPCに好き放題触れるという環境に、問題があると判断されたためらしい。それなのに、男性プレイヤーが女性のアバターを使うだけでコードが発動しないのでは、意味がない。

 

 ハラスメント防止コードではプレイヤーの脳波からリアルの性別を判断し、触れたアバターを操る人間のリアルの性別と触れられたアバターの性別が異なるかどうかで、コード発動の有無が判断される。

 つまり、プレイヤーの性別を確認したいのであれば、そのプレイヤーが操るアバターと同性のアバターに触れてコードが発動するかどうかを調べればいい。

 

「一時期この方法が広まって、女性アバターを使うプレイヤーが、ネカマかどうかを手当たり次第調べるやつが出てな。運営からは注意喚起のアナウンスが流された。本サービスになったら、同性でもコードが発動するように変わるんじゃないかとか噂されたが、その必要は無くなったな」

 

 テスターの間では有名な話をしていると、ビルが何かに気づいたらしく、小さく首をかしげる。

 

「今思ったんだけど。異性のアバターを使うプレイヤーが自分の体を触った場合はどうなったの?」

「それは……」

 

 今まで全く気づかなかったが、異性のアバターを使えれば、自身の体に触れてみたいと考える輩がいてもおかしくはない。中学生の頃に話題となった映画で、男子高校生の主人公が入れ替わった女子の体を触るシーンがあったなと思い出しながら、システム面から推測して答える。

 

「……アバターの体表面感覚はナーブギアを着けるときに行う、キャリブレーションのデータが元になっているから、リアルの自分の体に触れるのと同じ感覚になる。それならコードは発動しない理屈ではあるんだが……自信は無いな」

 

 冷静に考えてみれば、時間の無駄としか思えない疑問に頭を抱えていると、カインがため息まじりに答えを口にした。

 

「それで合ってますよ。コードは発動しません」

「……なんでカインが知ってるんだ?」

 

 アルスが訊くと、カインは兜で隠した顔を逸らしながら答えた。

 

「……自分でやりましたから」

 

 その言葉が意味することを理解するまで、少しばかり時間を要した。それはつまり、カイン自ら男性のアバターを使用していたということだ。

 

「つまり、カインは元ネナ……」

「違います。私は女性アバターだと色々面倒なことがあるって聞いていたからそうしただけで、別に他の理由なんてありません」

「いや、わかったから。落ち着いてくれ」

 

 珍しく声を荒げて早口で反論するカインを、ビルは大笑いしながら見ていた。

 

 

 

 

 

 荒地エリアへ向かう途中、ウルバス西平原では珍しく大岩が点在するエリアで、数人のプレイヤーが一人を取り囲んでいる光景が目に止まった。

 エルドラとの一件から卑劣な行いが連想され、アルスは咄嗟に声をかける。

 

「おい、そこで何をしている」

 

 すると、リーダー格と思しき両手斧を背中に吊った禿頭の大男が、迫力のある容貌をこちらに向けた。しかし、いざとなれば抜剣も辞さないこちらの態度を感じ取ったのか、穏和な表情を浮かべ頭を振る。

 

「待ってくれ。俺たちは別にこの子に危害を加えるつもりはない」

 

 弁解する彼の後ろには、仲間らしき体格のいい両手武器使いの男が三人と、彼ら四人の中心に一人の少年がいた。

 少年はナーブギアの使用可能年齢である十四歳に達しているとは思えないほど小柄で、短く切り揃えられた黒髪の下にある容姿はとても幼い。得物は少年の身長より長い両手槍で、武器に縋りつくように立っている。

 

「その子が何かしたのか」

「実は俺たちが追いかけてたモンスターを、この子が倒しちまってな。俺たちが攻撃する前ではあったんだが、人によっては横取りだとか言う奴もいると思って、気をつけたほうがいいと言っていたんだ」

 

 斧使いの話を聞きながら少年に目を向けると、少年は体を小さくして怯えているように見えた。彼の話を信じるのであれば、少年が怯える理由はない。だとすれば、少年の反応は話の内容に対してではなく……

 

「おじさんの顔が怖いんじゃないの。その子」

 

 ビルがアルスの想像と同じことを言うと、斧使いの仲間三人が腹を抱えて笑い始めた。当の本人はというと、本気で傷ついたようで項垂れている。

 

「間違いない。エギルの顔の怖さはトレンブリング・オックスも顔負けじゃからな」

「テメェだって人のこと言える面じゃねぇだろ。ウルフ」

 

 エギルと呼ばれた斧使いが、長い顎鬚をはやした両手剣使いに怒鳴りつけると、少年の体がビクッと震えた。

 アルスは膝を曲げて少年と目の高さを合わせ、できるだけ穏やかな声音で話しかける。

 

「怖がらなくて大丈夫だ。このおじさんたちは、別に怒ってるわけじゃない」

「おじさんって、俺はまだ二十代なんだが」

 

 エギルの言葉は無視して、アルスは続けた。

 

「攻撃する前だとしても、自分が倒そうとしたモンスターを他の人が倒してしまうと、人によっては不愉快になることがある。だから、攻撃する前に周りをよく見たほうがいい。そう言ってるだけなんだよ」

 

 アルスが言い終わると、少年は何かを否定するように首を横に振った。それから腰に手を伸ばし、少年の手に収まるぐらいの長さしかない小さなナイフを見せてきた。

 

「ん……もしかして」

 

 アルスは一つの仮説を組み上げると、立ち上がってエギルに訊ねる。

 

「エギルさん。あなたたちが追いかけてたモンスターは何だったんだ?」

「えっ……トレンブリング・オックスだったが」

「やはりそうか。だとすると、モンスターを横取りしようとしたのは、この子じゃない。あなたたちの方だ」

「なんだと!?」

 

 怪訝な表情のエギルに、アルスは少年からナイフを借りて説明する。

 

「トレンブリング・オックスの行動アルゴリズムだと、通常時はゆっくり歩き、プレイヤーを襲うときだけ走るように設定されている。つまり、追いかけなきゃならないような速さで移動していたなら、それはすでに戦闘が始まっていたということだ」

「だが、この子はオックスからかなり離れた場所にいたぞ」

「これを見てくれ」

 

 アルスは少年が持っていたナイフを見せる。

 

「こいつは投剣スキル用の投げナイフだ。投剣スキルのシステムアシストがあれば、遠く離れた場所からでも攻撃できる。こいつで攻撃して、オックスの突進を防げるこの岩場におびき出している時に、あなたたちがやってきたってところかな」

 

 MMORPGでは、他のプレイヤーが攻撃したモンスターに攻撃を加えることは、《横殴り》という経験値やドロップアイテムを奪うノーマナー行為だとされている。

 そのため他のプレイヤーが戦闘しているモンスターには手を出さないのが鉄則であるが、遠隔攻撃職の場合、モンスターと戦闘中なのかがわかりづらく、気づかずに横殴りをしてしまう場合がある。

 例えば、魔法使いが詠唱している間にモンスターが倒されたり、弓使いが距離をとりながら戦っていると、通りすがりのプレイヤーが止めを刺してしまったり、といったことは時折起きてしまう。

 遠隔攻撃の手段が乏しいSAOでは珍しいことだが、今回はそれらと同種の事故だろう。

 

「投剣のダメージは微々たるものだから、オックスがダメージを負っていることに気づけなくても仕方がない。ただ、この子からしたら、突然因縁をつけられたように感じたんだろう」

「そうだったのか」

 

 エギルはその巨体を可能な限り小さくすると、少年に言った。

 

「すまなかったな。話を聞かずに言いがかりをつけちまって。これからは気をつけるから、許してもらえないか」

 

 少年を怖がらせないように、エギルは最大限の笑顔……のつもりなのだろう形相で頭を下げた。

 幸いと言うべきか今度は少年は臆する様子は見せず、無言のまま右手を振ってウィンドウを開いた。メニューウィンドウを可視モードに変更し、メッセージタブへ移動して素早いタイピングで文字を打ち込んでいく。

 

【気になさらなくて大丈夫です。こちらこそ、獲物を横取りするような形になってしまって、すみませんでした】

「まさか、声が……」

【はい。僕はFNCの影響で声を出せません】

 

 少年が入力した一文を読んで、その場にいる者たちは驚愕の表情を浮かべた。

 FNC。Full dive NonConformingの略で、脳とナーブギアとの間で行われる通信に、異常が発生してしまうことを指す。滅多に起きることではないが、フルダイブ環境下で五感や運動機能に障害が発生したり、最悪の場合ダイブを行えなかったりする。

 この少年の場合は、声帯の運動信号の通信がうまく行えないせいで、声を出すことができないという珍しいケースだ。

 ただ、アルスは少年と全く同じ障害が起きたプレイヤーを、一人だけ知っていた。

 

 

 

 誤解が解けるとエギルたちは別の狩場へ向かい、少年も一礼して立ち去ろうとした。

 少年の小さな背中に、アルスは呼びかける。

 

「待ってくれ、ダイモン」

 

 少年は振り返り、アルスの顔をまじまじと見つめてからメッセージ画面に入力を始める。

 

【アルス。なんですか?】

「ああ、久しぶりだな。ダイ」

 

 そう応えた瞬間、少年は目を潤ませながら、高速でタイピングする。

 

【ごめんなさい。連絡できmsぃて。ずっっと空いたかっk蓼酢】

「俺も会いたかったよ。今までずっと一人だったのか?」

【パーテジークンエクもらえないs、テスターだとバレララ危ないって行くし、ずっとおs路でした】

「ベータの頃も苦労してたもんな。また俺とパーティーを組んでくれるか?」

 

 目を袖で拭いながら、少年は小さく頷いた。

 ここまでのやり取りで色々と察したのだろうカインが、声を抑えて尋ねる。

 

「アルスさん。もしかしてこの子もベータテストの時の」

「そうだ。ダイモンはラスクと一緒に組んでいたもう一人のパーティーメンバーだ」

 

 ベータテスト時代、ラスクと一緒にクエストを受けようとした時に、クエスト開始地点でじっと立っていた無口で無愛想な槍使いの男が、今のようにメッセージを利用した筆談で突然クエストの共闘を申し込んできた。それがダイモンとの出会いだ。

 というのも、ダイモンは発声ができないせいでクエスト受諾に必要なフレーズを言うことができず、クエストを行うためには、他の人のパーティーに入ってクエストを受けてもらうしかなかったのだ。そのクエストをクリアした後も同じような事が何度もあり、いつしか三人でパーティーを組むのが当たり前になっていった、というのが当時のパーティー結成の経緯だ。

 

 ひとしきり涙を流し、恥ずかしそうにしながらもようやく落ち着いたダイモンが、メッセージを打ち直して、カインとビルに見せる。

 

【では、改めまして。ダイモンです。みんなからはダイと呼ばれていたので、よろしければお二人もそう呼んでください】

「これからよろしく。ダイくん」

「よろしく。アルスの仲間が、こんな幼い子だなんて知らなかったよ」

「俺だって知らなかったよ。ベータの頃は普通に大人のアバターを使っていたからな」

 

 かつて共に戦っていた時は、自分とそう年の変わらない青年だと信じて疑わなかった。今思えば、リアルでの年齢がばれないように気を張っていたのだろう。やたら無愛想だったのも、そのせいかもしれない。

 

「ダイ。俺たちはこれから、この先の荒地エリアに向かうんだが。一緒に来てくれるか?」

 

 ダイモンは当然とばかりに頷いて、持っていた槍を強く握りしめた。

 

「頼りにしてるぞ」

 

 

 

 

 

 

 ウルバス西平原は、トレンブリング・オックスをはじめとした巨大野牛型モンスターが闊歩する危険なエリアだ。しかし、その平原を抜けた先にある荒れ地エリアの危険度はその比ではない。

 荒れ地エリアにはPOP数は少ないものの、二層では抜きん出たレベルのモンスターがうろついており、不用意に入れば適正レベルのプレイヤーでもただでは済まない。

 そんな危険地帯へクエストの探索とドロップアイテム入手のために、四人は踏み込んでいった。

 エリアに入った直後、遥か遠くで砂煙が上がる。

 

「早速見つかったな。全員戦闘用意」

 

 まだモンスターの姿が見えていないにもかかわらず、アルスは臨戦の指示を出した。

 何せ今回狙うモンスターのモデルは、自らの脳よりも大きな眼球で五キロ先まで見通す視力を持ち、脚力は最高時速七十キロに達する。人間をはるかに超越した能力を持つ動物を、倍以上の大きさに巨大化させた化け物なのだ。

 

「お、大きい」

 

 数百メートルの距離を十秒足らずで詰めてくるモンスターの姿を見上げて、カインがそう呟いた。

 モンスターの名前は、《シヴァリング・オーストリッチ》。黒色の羽根と強靭な足を持つ巨大駝鳥型モンスターだ。体高は五メートル以上、ボスモンスターを除けば、二層最大のモンスターとされている。

 

 巨体に見合う大きなストライドで迫るオーストリッチの進路を阻むように、ビルが盾を構えて挑発スキルの《威嚇(ハウル)》で自分にターゲットを向けさせる。勢いを殺さずに放ったオーストリッチの前蹴りを、ビルは横に飛んで回避した。着地したオーストリッチが嘴でビルを攻撃し、今度は盾で防ぐ。

 嘴ではダメージが通らないと判断したのか、再度前蹴りが放たれた。ビルが躱し、オーストリッチが再度攻撃する隙をついて、ダイモンはソードスキルを発動する。

 両手用長柄武器汎用単発技《ランドフリック》。地面スレスレを薙ぐこの技は、威力こそ低いものの相手に《転倒》のバッドステータスを与えるという特性がある。重心が高く、キックをするために片足立ちになっていたオーストリッチには効果覿面で、巨体が荒れ果てた大地の上に倒れる。

 

「全員、頭に集中攻撃」

 

 オーストリッチの脚は硬い皮膚に包まれ、体は分厚い羽毛に覆われているせいで、攻撃してもダメージを与えにくい。唯一弱点と言えるのは頭だけなのだが、頭が小さい上五メートルの高さにあるので、こうやって転ばせて攻撃するのが攻略法となる。

 オーストリッチが立ち上がるまで攻撃を続け、合計で四割のHPを削った。タゲを取ったままのビルだけを残して、三人は一旦距離をとる。

 

「ギュイエェェー」

 

 巨鳥は奇声をあげながら羽を震わせ、ビルを連続で蹴りつけた。初めは上手く捌いていたが、次第に躱し切れなくなり、強烈な一撃が盾ごとビルを蹴り飛ばした。

 直後クールタイムを終えたダイモンの《ランドフリック》で、オーストリッチを転倒させて追撃を防ぎ、ビルを除く三人で小さな頭を突き、刺し、斬りつける。

 

「カイン。壁役スイッチ。ビルは後方で回復」

 

 さっきの一撃だけで、ビルのHPは三割近く減少した。この層の適正レベルを上回っている上、防御力を重視した装備のビルにこれだけダメージを与える蹴りの威力は、フィールドボスにも比肩する。前衛のHPを万全の状態にしておかねば、到底耐え凌げるものではない。

 カインが代わりにタゲを取り、《ランドフリック》を再使用するまでの時間を稼がせる。

 踊るように放たれる巨鳥の蹴りを、カインは盾で受け、ステップで躱し、隙ができると胸部にランスを突き立てた。運良く羽と皮を貫いてダメージが徹ったらしく、身もだえするオーストリッチの脚をダイモンが払い、三度転倒させる。

 

「ビルも来い。全力攻撃」

 

 このまま倒しきる判断をし、回復中のビルも含めて四人で一斉に攻撃を加える。攻撃の度に残り四割ほどだったHPバーが短くなっていくが、ほんのわずかな量を残したところでオーストリッチは立ち上がった。

 自分の判断ミスを悔いるのと同時に、止めを刺すために跳躍技《ソニックリープ》の予備動作を取る。

 

 しかし、アルスが跳ぶ直前に、ダイモンが持っていた槍を地面に突き立て、腰につけていた投げナイフを抜いて投擲した。システムアシストを受けて放たれたナイフは、五メートル先にあるオーストリッチの瞳を切り裂き、巨鳥の肉体を大量のポリゴン片へと変じる。

 その妙技を見てアルスが剣を降ろすと、ダイモンは『腕は落ちてません』と言わんばかりの顔で、Vサインをして見せた。

 

 戦闘終了後、全員でドロップアイテムの確認をしたが、出たのは羽や革、肉といった素材アイテムで、目的である剣はドロップしていなかった。

 

「そうだ。訊き忘れてましたけど、剣のドロップ率ってどのくらいなんですか?」

 

 やや疲労しているように見えるカインの問いに、アルスは数秒考えてから答えた。

 

「多分、五パーセントぐらいだろうな」

「多分?」

「荒れ地エリアのモンスターは討伐数が少ないから、確率を出そうにもデータが足りないんだ。まあ、普通のモンスターの武器ドロップ率よりは高いはずだ」

 

 不安そうな視線を向けるカインに背を向け、アルスは周囲の警戒を始めた。すると、また遠くで砂煙が上がる。

 

「さて、次が来たようだな」

「次って……いや、早すぎるでしょ!」

 

 ようやく回復を終えたビルが、近づいてくる砂煙を見て驚愕する。

 

「言い忘れてたが、あのダチョウのアグロレンジは荒地エリア全域だ。一体しか出現しないが、荒地エリアにいる限りほぼ確実に襲ってくる。調査をする時も邪魔になるから、POPが枯渇するまで倒さなくちゃならない」

 

 アルスは抜剣し、パーティーメンバーに告げる。

 

「危なくなったらエリアの外で回復するが、それまではあの鳥どもを狩り尽くす。全員戦闘用意」

 

 腕の見せ所だと張り切る槍使いと、うんざりした表情を見せる重戦士二名とともに、再び戦いが始まった。

 

 

 

 

 数時間後、シヴァリング・オーストリッチが現れなくなるまで狩り続け、ドロップ武器《ウィングブレイド》の入手と、エリア調査の二つを完遂した。大型モンスターとの連戦に次ぐ連戦で四人とも疲労困憊し、達成感の余韻に浸ることもできず、重い足取りで街へ戻るという代償を払って。

 

 

《続く》

 




キャラ設定

ダイモン
Player name/Daemon
Age/11
Height/140cm
Weight/36kg
Hair/Black Short
Eye/Vermilion
Sex/Male

Lv10(八話時点)
修得スキル:《両手用槍》《軽金属装備》《投剣》


 整えられた黒髪と緋色の瞳を持ち、純朴な印象を与える少年。NPCショップはメニューウィンドウでの売買が可能だが、クエストの受注では発声による意思表示が必要なため、一人だとクエストを受けることができない。発声できないためにコミュニケーションが難しく、ベータテスターだとバレれば命を狙われる危険があると考えて、ほとんどソロで行動していた。
 リアルでは小学五年生であり、本来ならベータテスターになることはできないが、中学生の兄からテスターの権利を譲られる。
 兄は右手を動かそうとすると左手が動く、運動神経の左右反転という格ゲーの混乱のようなFNCが出てしまい、早々にプレイを諦めた。弟にも別種のFNCが出てしまったのは、あまりに奇跡的な不運か、はたまた幸運だったのか。


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第九話 肉を喰らう者

ずっと飢えていた。
ナイフで切るあの感触を、血が滴るあの光景を、切り口から覗く真っ赤な肉の色を。
かつて自分が切り刻んできたものを思い出すたびに、腹の中で野獣が吠える。
もう我慢の限界だった。ようやく力を手に入れて、思うままに切り刻んだ。でも、ダメだ。筋肉質なオスでは、満足できない。やるなら肉が柔らかいメスの方がいい。でも、この世界ではメスはかなり希少だ。

そんな時、僕はあるものを見つけた。こいつなら、飢えを癒せるかもしれない。
さあ、どう料理してやろうか。



二〇二二年十二月九日

 

 

 

 フィールドボス攻略戦が行われるこの日、南エリアへ進出する準備の為にウルバスで買い物をしていると、エリスとラスクからメッセージが届いた。いずれも体術獲得クエストが終わったので、正午に合流しようという内容だ。

 

「エリスとラスクからだ。クエストが終わったらしい」

「思ったよりも、早かったですね」

「三日かかるって言ってたのに、丸二日で終わらせるなんて」

 

 予定よりも早い帰還に喜ぶカイン、ビルの二人とは異なり、どこか怯えた様子でダイモンがタイピングする。

 

【ラスクも来るんですか?】

 

 ラスクと会ったことは、ダイモンにも一昨日のうちに話してあった。ベータテストの頃に三人でパーティーを組んでいたので、ダイモンも当然ラスクのことを知っている。

 二人がどんなやり取りをしていたか、アルスももちろん覚えている。なのでダイモンに真実を伝えた。

 

「安心しろ。ベータの頃とは別人だったし、昔みたいなことはされないよ」

 

 アルスの言葉に安心したようで、ダイモンはウィンドウを閉じた。

 

 

 

 

 正午過ぎ、ウルバスの裏通りにあるレストランには、五人のプレイヤーの姿があった。

 一番奥にあるテーブルの壁側の椅子にアルスが座り、その隣にエリス、アルスの向かいにカインが座っている。隣のテーブルではダイモンとラスクが一緒に席についていた。

 ミルクティーを飲みながら、遅れているビルが来るまで、穏やかな時間を過ごそうとしているのだが、隣のテーブルからダイモンが怨みがましい視線を向けてくる。

 

「別人だっただろ。少なくとも性別は」

 

 そんな言い訳も通じず、ダイモンはアルスを睨み続ける。さすがに少々可哀想に思えてきたので、助け舟を出すことにした。

 

「ラスク。そろそろ離してやったらどうだ」

「イヤよ。だってダイのリアルが、こんなに可愛いとは思わなかったんだもの。それにもう逆ハラは起こらないしね」

 

 ダイモンはラスクと一緒に席に座っている。より正確に言うなら、椅子に座るラスクがダイモンを抱きしめて膝の上に座らせている。なぜそうなっているかと言うと、ダイモンが店に入った直後、ラスクはダイモンを抱き上げ、椅子に座って頭を撫で始めたのだ。

 ちなみに逆ハラというのは、女性プレイヤーが男性プレイヤーに抱きつくなどして、女性側が原因で発生するハラスメントコードの総称だ。

 

「でも、それじゃあ食べにくいだろ」

「なら、全員揃うまでね」

 

 そう言ってラスクは引き下がろうとしなかったが、

「ごめん、ちょっと遅れた」

 幸いなことに、ちょうどビルが店に入ってきた。

 

 ラスクは不満そうな顔でダイモンを解放し、ダイモンは一目散に向かいの椅子に飛び乗った。 

 その光景を不思議そうに見ていたビルは、カインの隣に座ると、アイテムストレージから大皿に盛られた料理を取り出す。

 

「こいつを作ってたら、思ったより時間がかかってね」

 

 出されたのは、香ばしく焼かれた厚切りの赤身肉だった。ソースも付け合せもないが、ジューシーな肉からは湯気が漂い、刺激的な香りが食欲をそそる。

 突然出された豪勢な肉料理に、アルスは思わず喉を鳴らした。

 この料理の出処に気づいたカインが、呆れながら言う。

 

「やっぱり取ったんだ。《料理》スキル」

 

 二層で戦闘やらクエストやらをこなしているうちに、アルスたちのレベルは十二に到達し、四つ目のスキルスロットが解放された。各自修得するスキルは任せていたが、ビルは《料理スキル》を修得したらしい。

 

「たまにはこういう肉料理も食べたいけど、どこの店にも売ってないからさ。だったら、自分で作るしかないと思って」

 

 ビルは全員分の取り皿も出し、大皿の肉を取り分けていった。現実のレストランで同じことをすれば、間違いなく店を追い出されるだろうが、NPCレストランでは食べ物の持ち込みをしても店員に怒られることはない。しかし、さすがに罪悪感があるのと、肉だけを食べ続けるのはきついので、パンとサラダを注文した。

 全員に料理が行き渡り、六人は肉を食べ始める。

 

「おいしい」

「うん。さすがビル」

「ビルくん。料理がうまいのね」

 

 皆が口々に絶賛し、ダイモンも嬉しそうに肉にかぶりついている。

 厚切り肉は肉汁が少なくややあっさりした味わいだが、しっかりとした旨味があり、焼き加減もミディアムレアなのに生臭くなくしっとりと柔らかい。

 ベータテストを含めて、SAOで食べた料理の中では、かなり上位の味だと断言できる。

 

 皆が夢中で食べ進め、あらかた食べ終わったところでアルスはふと疑問を覚えた。

 この肉は一体何の肉なのか、と。

 二層で手に入る肉と言えば《トレンブリング・カウの肉》だが、牛肉にしては脂肪が少なく、独特のクセが無い。筋張って硬い《トレンブリング・オックスの肉》でないことも間違いない。現実世界で食べた肉と比べても、似た味のものは思い浮かばなかった。

 

「ビル。これは何の肉を使ったんだ?」

 

 アルスが訊くと、ビルは意外な動物の名前を出した。

 

「え、ダチョウの肉」

 

 カシャン。

 その直後、計四本のナイフとフォークが落下した。食器を落としたカインとダイモンは、肉が乗っていた皿をまじまじと見つめている。

 

「ダチョウって、一昨日倒したやつか」

「そうそう。どんな味がするのか気になって、ドロップしたやつを取っておいたんだ。何度も焦がしちゃったけど、思ったより美味くできたよ。現実世界(むこう)でもダチョウの肉でいろいろ作ってみたいな」

「いや、ゲームのスタッフがこの味に設定してるだけで、現実のダチョウも同じ味だとは限らないぞ」

 

 カインがNPCウェイトレスに水を注文し、一人話についていけていないエリスが、毒でも盛られたような青い顔で尋ねた。

 

「えっと、ダチョウってどんなやつなの?」

 

 ウェイトレスからもらった水を飲み干し、カインが答える。

 

「荒れ地エリアで戦った。五メートルぐらいはあるでっかい化け物鳥」

「ご、五メートル!」

 

 エリスもその姿を想像して食欲が失せたのか、ナイフとフォークを肉が一切れ残った皿の上に置いた。

 

「そんな気にすることないのに。大きい鶏みたいなものじゃん」

「「全然違う」」

 女性二人から大バッシングを受け、さすがのビルも少し堪えたようだった。

 

 エリスとラスクのクエスト達成祝いという名目で、二人の機嫌を直すためにこのレストランで一番高価なメニューである《トレンブル・ショートケーキ》をワンホール注文することになった。

 少し経って運ばれてきたのは、直径三十六センチ、高さ八センチの生クリームをたっぷり使った超巨大ショートケーキだ。日本で一般的に売られているケーキが五〜六号(直径十五〜十八センチ)なので、十二号といえばそのサイズの異常さがよくわかるだろう。

 しかも、六分の一が一人前なので、これで六人前だ。甘いものが苦手な人間であれば、これを見ただけで頭が痛くなるだろう。

 

 ウェイトレスの手によって巨大なケーキを綺麗に六等分に切り分けられていく。さすが仮想世界というべきなのだろうが、ケーキを切るナイフにクリームがつかず、寸分たがわぬケーキが六つできるのは、いささか奇妙ではあった。

 SAO始まって以来のまともなデザートに皆舌鼓を打ち、不穏な空気が一転して会話も弾むようになった。その話の中でエリスがラスクに尋ねる。

 

「師匠、前から聞こうと思ってたんですが、アルスを見ただけでアルスだって気づいてましたよね」

 

 耳で聞くと分かりにくいが、顔を見ただけでアルスだと気付いたのはなぜかという意味だろう。どうでもいいことだが、なぜ師匠呼びなのか。

 

「ん……まあ、そうね。見てすぐにわかった」

 

 何事もないようにケーキを食べ続けるラスクとは違い、ビルとカインが手を止めて考え込む。

 

「そういえば、ダイも見ただけで気付いてたような」

「エルドラとエデンさんもそうだった」

「やっぱりおかしいよね。ベータの頃とアバターが違うはずなのに」

 

 エリスの指摘は至極当然のものだろう。手癖や口調でピンとくる場合もあるが、アバターの外見が変わっているせいで、ベータテスト時代の知人かどうか見ただけで判断することは難しい。だが、それにも一つ例外がある。

 

「あらエリスちゃん。そこまでくれば、もう答えはわかるでしょ」

「へ?」

「ベータの頃とアバターが同じってこと。アルスの顔はベータの時とそっくりだもの」

「えー! なんで?」

 

 エリスから好奇の眼差しが向けられ、何やら背中がむず痒くなるのを感じながら、アルスは当時のことをありのままに話した。

 

「アバター作成のオプションで、現実(リアル)の顔と同じにする機能があるんだ。俺は細かい設定をするのが面倒で、自分の顔をベースにアバターを作ったんだよ」

 

 今にして思えば、あの機能は本サービスで現実と同じ容姿にするための下準備だったのだろう。そんなことは思いも寄らず、手間が省けるぐらいの気持ちでその機能を使用していた。

 この機能に気づいた者の間では、いったい誰が好き好んで現実の顔でプレイするのか、と言われていたが。

 

「結構いじったつもりだったんだけどな」

「たいして変わってないわよ。でも、どちらかといえば今の顔の方が、私は好みかな」

【僕も今のアルスの方が好きです】

 

 ラスクとダイモンの言葉に少々照れくさくなりながら、アルスはかつての二人の姿を思い浮かべる。

 

「そういうお前らは、いくらなんでも変わりすぎだろ。あの銀髪美少女とクールな美青年はどこに行った。しかも、二人ともリアルとの身長差が三十センチぐらいあっただろ。よくそれで動けたな」

「慣れよ。慣れ」

【努力しました】

 

 誇らしげな表情を浮かべる二人に、アルスは呆れるべきか称えるべきか本気で悩んだ。

 ただ一つだけ確信を持って言えることがある。

 かつて共に戦った二人。女の子らしく振る舞おうとして、どこか空回りしていた少女と、大人びた振る舞いを意識していたせいか、表情が固くなっていた無口な青年。彼らよりも、今の二人の方が自分は好きになれるだろうと。

 

 その後も会話を挟みながら、残りわずかになったケーキを食べ終えようとしていると、なぜかまたエリスが好奇の目を向けてきた。

 

「アルスにもう一つ聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「どうして、イチゴを全部残してるの?」

 

 アルスが食べたケーキの皿には、手つかずのイチゴが幾つも置かれていた。

 

「これは……後で食べるためだ」

「うん。そういう人はいるけど、クリームの中に入ってるのまでは、残さないんじゃないかな」

 

 その皿には、ケーキの上に大量に乗せられていたイチゴだけでなく、スポンジの間に挟まれたクリームの中にあったものまで、しっかりと残されている。

 エリスの視線が訝しげなものに変わっていき、これ以上の言い訳は無理だと悟った。

 

「ああ、そうだよ。イチゴが嫌いなんだ。悪いか」

 

 開き直ってそう答えると、エリスはなぜか笑いをこらえているような表情になった。

 

「悪くはないけど、なんで嫌いなの?」

「果物か野菜か分類が曖昧なものは苦手なんだ。舌が混乱する」

「そんな理由!?」

 

 驚くエリスとは対照的に、アルスの正面に座るカインは理知的な双眸を向けてくる。

 

「では、アルスさん。スイカはどうです?」

「苦手だ」

「メロンは?」

「苦手だ」

「バナナは?」

「……青いやつなら、ギリいける」

 

「待って、バナナって野菜なの?」

 ビルが思わずといった感じで訊くと、カインは冷静に解説した。

「植物としての分類では、バナナは草に分けられるから、果樹ではないという意味では野菜になるの。まあ、多年草だから、という理由で基本的には果物にされるけど」

「へー」

 

 感心するビルの向かいで、エリスは物欲しそうにアルスの皿を見つめる。

「こんなに美味しいのに、イチゴの良さがわからないなんて、人生損してるよ」

「食べ物の好みは人それぞれだろ。そんなに欲しいなら、全部やるから」

 

 残っていたイチゴの一つをフォークで刺し、エリスの方に向けると、遠慮勝ちに身を引かれた。

 

「いや、それは……」

「遠慮するな。俺が嫌々食うよりも、美味しいと感じる人が食べた方が、ずっといい」

「うん……じゃあ」

 

 了承が得られたところで、嬉しそうに大きく口を開けているエリスの皿へ、刺していたイチゴを移した。

 他のイチゴもエリスの皿へ移し、人に渡すのは気が引けるクリームまみれの分だけは、無理やり掻き込んでミルクティーで飲み下した。

 そうして一息ついたところで周りを見ると、隣ではエリスがイチゴのように真っ赤な顔でさっきあげたイチゴを食べ、正面にいるカインには大きなため息をつかれ、その隣にいるビルは苦笑いを浮かべられ、別のテーブルにいるラスクからは冷ややかな視線が向けられた。

 

 

 

 

 

 昼食後、フィールドボスが討伐され、南エリアへの進出が可能になったとの情報が来ていたので、六人は南エリアにある村《タラン》へと移動した。村のはずれにある酒場に入ると、奥の席でアルゴが手を振る。

 

「ヨオ、そこに座ってクレ」

「呼び出したってことは、進展があったと思っていいんだよな」

 

 アルスの問いに、アルゴは小さく首肯し右手の指を二本立てる。

 

「アルスたちに伝えることが、二つあル。まず、ボスクエストの方ダ」

 

 指を一つ折ると、アルゴは沈鬱な面持ちで言った。

 

「一層で見つけた《不撓の刀工》ってクエスト。エデンたちが受けることはできなかったそうダ」

 

 第一層の鉱山地帯でアルスたちが発見したクエスト《不撓の刀工》。

 内容は老人をコボルドから助け、鉱山の奥にいるボスコボルドを討伐し、老人の奪われた荷物を取り戻すというもので、それ自体はごくありふれた内容だ。だがその報酬として、フロアボスの武器がカタナであるという情報を得ることができ、さらにカタナスキルの指南書まで手に入れることができる。

 

 フロアボスの情報が得られるこのクエストをボスクエストと呼び、二層の迷宮区に到達するのと同時に情報を公開する予定だった。ただし、クエストを発見したのも、クリアしたのもエデンということにして。

 

「ここ何日か、エデンたちには一層の鉱山を調べてもらっタ。けど、クエストを受けることはできなかったそうダ」

「森の工房は見つけられたのか?」

「それはあっタ。でも、そこで受けられたのは別のクエストだったンダ」

 

 エデンたちが工房を訪れると、鎚を振るって鍛錬を行う刀匠の老人がいて、話しかければクエストを受けることができたそうだ。ただし、クエストの内容は次のように変わっていた。

 

『わしは足を怪我しておって、鉱石を集めるのも一苦労なんじゃ。もしよかったら、わしの代わりに鉱石を採ってきてくれんか? もし採ってきてくれるなら、お前さんたちの武器を強化してやろう』

 

 つまり、以前のクエストで老人が足を怪我したという設定が残ったまま、別のクエストに変えられてしまったのだ。老人が鉱山に行かない以上、以前と同じクエストを受けることはできないと考えていいだろう。

 

「となると、ボスクエストの公表はできないか」

 

 ボスクエストの情報を今まで公開しなかったのは、アルゴに情報隠蔽の疑いがかけられていたからだ。ボス討伐の直後にボスの情報を得るクエストがあったと知れれば、アルゴがその情報を隠していたと思われる恐れがある。

 

 予定では二層に来て数日経ってから、エデンたちがそのクエストをクリアし、新発見のクエストとして公表するはずだった。ボス戦に参加していた彼らの言葉であれば、他のプレイヤーも信用しやすいと考えて。しかし、クエストを受けられないのでは、この方法は使えない。

 

「ボスクエストのことは、エデンたちも交えて考えよウ。二つ目は、前に依頼を受けた、武器強化のペナルティのことダ」

 

 アルゴは右手の指を五本立て、左の掌を見せて阿弥陀像のようなポーズをとる。

 

「五千コル」

「金かよ。しかも高いな」

 

 いささか拍子抜けしながら情報料を支払うと、ひどく暗い表情でアルゴが調査結果を話し始める。

 

「知り合いのプレイヤー鍛冶師に実験してもらったが、強化失敗のペナルティとして武器が壊れることはありえナイ。唯一武器が壊れたのは、強化試行回数を使い切った武器を、さらに強化しようとした場合ダ」

 

 エリスが使っていた《フェザーブレード》の強化試行回数は六回で、二層に来た時点でまだ二回残っていたはずだ。一回強化を行っただけで、破壊されるなどということはありえない。

 

「まさか、強化試行回数を使い切った武器とすり替えたってことか」

 

 アルスがそう言った瞬間、ラスクがゆっくりと立ち上がった。出口に向かおうとするラスクをカインが呼び止める。

 

「ラスクさん。どこに行くんですか?」

「その鍛冶師さんに、ちょっとお仕置きをしようと思ってね」

 

 ラスクの空色の瞳が、氷のように冷たい輝きを放っている。今まで見せたことのない雰囲気にたじろぎながらも、カインは引き下がらなかった。

 

「待ってください。まだ本当に武器を奪われたかわからないんですよ。下手に動いたら、相手に隙を見せるだけです」

 

 アルスの推測に、アルゴは肯定も否定もせず、情報料の提示も行わなかった。それはアルゴ自身も真相にたどり着いていないという意味だ。武器をすり替えた手口も、その証拠も。

 

「エリスちゃんはどうなの。あなただって剣を取り返したいんでしょ」

 

 ラスクの問いに、エリスは迷いながら答えた。

 

「私は剣が無くなった時はショックでしたし、本当に奪われたんだとしたら、許せないとは思います。でも、なんか釈然としないっていうか。あの鍛冶屋さんが武器を取るような人には思えなくて。それならまだ操作ミスで壊したって方が納得できる、気がします」

「だけど……」

「落ち着けラスク。鍛冶屋のことは気になるが、今すべきはボスクエストの方だ」

 

 渋々といった様子でラスクが席に戻り、アルゴが落ち着かせるように言った。

 

「アルスが言うように、みんなにはボスクエストを優先してほしイ。ネズハって鍛冶師のことは、オイラが調べておくヨ」

 

 数分後、エデンがやってきて、ボスクエストについての会議が始まった。ドランとドロイの二人がいないのは、老人のクエストをクリアするために鉱石を集めているためだ。

 

「クエストはクリアするつもりだが、カタナスキルの情報は得られそうにないな」

 

 散々調べまわった後なのであろう、疲労をうかがわせる表情のエデンがぐったりと肩を落とす。

 

「いっそ、僕たちがクエストを見つけたってことにするのは? 僕とカイン、エリスの三人だけなら、ビーターとか言われることもないだろうし」

 

 ビルの提案に、隣に座っていたカインが首を横に振った。

 

「それはやめた方がいいでしょうね」

「どうして?」

「エデンさん。おじいさんは指南書のことを話してくれたんじゃないですか?」

「刀のことを聞いたら、教えてくれたよ。五日前、つまり十二月四日に持っていた指南書を旅の剣士に渡した、と。ボス戦前にクエストをクリアしていたと分かれば、ディアベルが死んだのはお前らの責任だと言い出す奴が出る。なぜそれを今まで黙っていたのか、ともな。そうなっては、クエスト探しどころではない」

 

 ボス戦前にクエストがクリアされていたと知られれば、キリトがビーターとなったことで、ひとまずは収まっている暴動が再燃する事は、目に見えている。同じクエストが残っていれば、ボス討伐後にクリアしたと言い張ることもできたが、フロアボスが倒された後にクエストが変わっていたことは、大きな誤算だ。

 ボスクエストの存在を公表できないとなると、このことを知っている十人だけで二層のボスクエストを探さなくてはならなくなる。直径十キロ近い二層を探し回るには、明らかに手が足りない。

 クエストの捜索を諦めるという意見が出かけたところで、アルスは一つの推論を口にした。

 

「コボルドロードの情報を得るためのクエストが、鉱山エリアで見つかった。これは本当に偶然だと思うか?」

 

 その問いに皆が疑問符を浮かべていたので、先にコボルドの説明から始める。

 コボルドというのはドイツの伝承に登場する妖精のことで、ゲーム業界では犬のような顔を持つ亜人と説明されるが、元は鉱山の地下に住むイタズラ好きな小人のような存在だ。コバルトの語源でもあり、貴重な銀をコボルドが魔法で作り変えた金属がコバルトだと言われている。

 これだけ鉱山と関わり深いモンスターの情報を得られるクエストが、鉱山で発見されるというのは、製作者側の意図を感じさせる。

 

「つまり、アルスはこう言いたいんだナ。二層のボスクエストがある場所も、フロアボスとなんらかの関係があるはずだッテ」

 

 アルゴがまとめると、ラスクがすぐさまベータ時代の記憶を掘り起こした。

 

「二層のフロアボスは、大きなミノタウロスだったかしら」

 

 ミノタウロスが出てくる話といえば、該当するものは一つしかない。

 ギリシャ神話で登場する、牡牛とクレタ島の王妃の間に生まれたアステリオスという名の牛頭人身の怪物。それがミノタウロスだ。ミノタウロスはクレタ島の王ミノスによって地下迷宮に閉じ込められ、生贄として迷宮に送られる七人の少年と少女を喰らって生きていたが、生贄に紛れて迷宮へと入った勇者テセウスによって倒される。

 ミノタウロスはその一生のほとんどを、地下迷宮の中で過ごしたと言えるだろう。

 

「ミノタウロスに関連する場所といえば迷宮だ。迷宮区にクエストがあるはずだ」

 

 アルスはそう考えたが、エデンが補足する。

 

「迷宮というだけなら、フィールドの地下ダンジョンという可能性も捨てきれない。だが、それだけ絞れれば、見つけるのは不可能じゃない」

 

 迷宮区は他のプレイヤーも探索するので、未探索エリアだけに絞れば人手は少なくて済む。二層にある地下ダンジョンも数はさして多くないし、小規模なものがほとんどだ。数日で回りきれるだろう。

 

「なら、フロアボス戦までに二層にある全ダンジョンを探索し、ボスクエストをクリアする。この方針で異論はないな…………よしじゃあ、行動開始だ」

「「おう!」」

 

 こうして、二層ボスクエストの捜索が開始された。

 しかし、捜索は想像以上に難航し、どこのダンジョンでも、手がかりを見つけることができなかった。

 

 それから五日後、十二月十四日の早朝。

 フロアボス戦が予定されているその日、ついにアルゴがベータテストにはなかったクエストを発見した。

 

《続く》

 

 




本文に入らなかったレストランでの会話。

ビル「三人はベータの頃にいつもパーティーを組んでたんだよね。だったら、ゲームの初日に連絡取り合ったりしなかったの。名前は知ってたんだから、インスタントメッセージが使えたでしょ」
アルス「まあ、色々あってな」
カイン「エデンさんの話で気になってたんですが、アルスさんはテスト終盤だけソロで活動してましたよね。もしかして、その頃に何かあったんですか?」
アルス「あー……そうだ。二人とも、突然ログインをしなくなってな。二人が俺と組みたくなくなったか、SAOに飽きたんだと思って、連絡をしなかったんだ」
ラスク「いや、違うの。別に嫌とかそういう理由じゃなかったの」
ダイモン【僕もそうです。やむを得ない事情があって】
エリス「では師匠、どうして急にログインしなくなったんですか?」
ラスク「実は……十層の迷宮区を目前にしたあの日、私は七層で手に入れた情報を頼りに、体術スキル獲得クエストを受けに行ったの。そしたら、顔に落書きをされるし、壊すように言われた大岩もテスト期間中に終わらせるのは絶対に無理な硬度で。色々なショックが重なって、ゲームをする意欲が無くなって……」
エリス「……えっと、じゃあダイくんの方は?」
ダイモン【僕は夏休みの宿題が終わってなくて、宿題が終わるまで母にナーブギアを没収されていたんです。宿題が終わった頃には、ベータテストも終わっていました】
アルス「……お前ら、そんな理由だったんなら、本サービス始まってすぐ連絡しろよ」
ラスク「だって二ヶ月も経ってたし、アルスがあの時のことを怒ってるんじゃないかと思うと怖くて。悩んでいたら、現実の姿に変えられちゃうし」
ダイモン【僕も歳がバレたらパーティーに入れてもらえないと思って】
アルス「はー、なんだよ。俺も結構悩んでたのに、蓋を開けてみればこんなことかよ」
ビル「こう言っちゃ悪いけど、全然たいしたことない事情だったね」
カイン「まあ、人間関係のもつれなんて、案外こんなもんじゃないかしら」
エリス「お互いのことを知るために一歩踏み出すのが、一番の近道ってことか」

 くだらないすれ違いから、彼らは何かを学んだのだった。




キャラ設定

ドラン
Player name/Doran
Age/28
Height/183cm
Weight/71kg
Hair/ Dark brown Short
Eye/Viridian
Sex/Male

Lv13(九話時点)
修得スキル:《片手直剣》《盾装備》《重金属装備》《武器防御》

エデンとパーティーを組む、剣闘士のような派手な飾り兜とグラディウスのような直剣を装備した元ベータテスター。ゲーム初日にはじまりの街を飛び出し、ソロでの攻略中にエデンに誘われてパーティーを組んだ。ベータテスト時代はPvPを好んで行うプレイスタイルだったが、キリトをはじめとした上位勢に勝つことができず、入賞経験はなし。アルスも対戦経験がなかったために、名前を覚えていなかった。


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第十話 糸を手繰る者

なぜ私はここにいるのだろう。
愛する家族のことも顧みず、寝食もおろそかにして、私はずっとここにいる。
どうやってここを見つけたのか、不思議と記憶が曖昧だ。まるで見えない糸を手繰ってきたかのようにここへ導かれ、以来私の心を縛り付けている。
ここで謎を解かなければ、私は帰ることができない。帰りたいはずなのに、体がそちらへ向かおうとしない。

私の力では、これ以上は無理だ。誰か、来てくれないだろうか。謎を解き、私に家へ帰るための道標を残してくれる誰かが。



二〇二二年十二月十四日

 

 フロアボス戦が予定されている日の朝、アルゴから新クエスト発見の連絡を受け、アルスはすぐさまパーティーメンバーを連れて宿を飛び出した。

 タランの村に着いてから五日間、フロアボスの情報を得られるボスクエストの探索を続けてきたが、未だ手がかりなしだった。そこに来たのがアルゴからの連絡だ。ボス戦が始まる前に、急いでクエストをクリアしなくてはならない。

 フレンド追跡の機能を使ってアルゴを追い、合流したのは一軒の民家の前だった。

 

「アルゴ、クエストは?」

 

 短い問いを受け、アルゴが荒い息を整える。

 

「今オイラがやってるところダ。村中に届け物をしていル」

 

 後に聞いた話だが、アルゴが発見したクエストは次のような内容だった。

 村でNPCから話を聞いていると、近くにある牧場で雄牛を一頭逃してしまったという噂が流れており、もしやと思い迷宮区近くの密林を探すと、真っ白な雄牛が草を食んでいた。

 雄牛を牧場に届けると牧場主から木こりの家に牛乳を届けて欲しいと頼まれ、牛乳を届けると木こりから材木を彫刻家の家に届けて欲しいと頼まれ、材木を届けると彫刻家から雌牛を象った木彫りの像を牧場主の奥様に渡すよう頼まれ、木彫りの像を届けると奥様から羊毛を届けて欲しいと頼まれる。

 そうして、羊毛の届け先であるこの民家に行き着いたのだそうだ。

 

 クエストに参加するため、アルゴとレイドパーティを組んでから、民家の中へと入る。

 民家にいたNPCは三人。奥にある暖炉の前で編み物をしている老婆と、ソファに座る若い女性、その女性の隣に座って絵本を読んでもらっている五歳ぐらいの男の子。

 女性NPCはこちらに気づくと、絵本を閉じて立ち上がった。頭上に浮かぶ黄色いカーソルの下には《Aria》という名前が表示されている。

 

「あら、何かご用かしら?」

 

 出迎えてきた女性に、アルゴは運んできた羊毛を見せる。

 

「牧場からの届け物ダ。アリアさんに渡して欲しいと言われタ」

「ありがとう。これでようやく仕事が始められるわ」

 

 アリアは羊毛を受け取り、隣の部屋へ持って行った。

 その部屋には色彩鮮やかな幾つもの毛糸玉と、『眠れる森の美女』ぐらいでしかお目にかかることがなくなった糸車が置かれていた。アリアは糸車の前に座ると、持っていたモコモコの羊毛をちぎって糸を紡いでいく。その頭上にはクエスト開始点を示す金色の【!】が出現した。

 アリアの見事な仕事ぶりをしばし見てから、アルゴがクエスト受諾の定番フレーズを言う。

 

「何かお困りのことはありませんカ?」

「いいえ、大丈夫。助かったわ」

「…………」

「…………」

「……アレ?」

 

 何のクエストも発生せず、アルゴは首を傾げた。

 忙しそうに糸を紡ぐアリアを横目に、アルゴに耳打ちをする。

 

「まさか、どこかでフラグを立て忘れたんじゃないか?」

「そんなはずは……別のフレーズが必要なのカ」

 

 アルゴと一緒に頭を悩ませていると、隣の部屋から男の子が入ってきてアリアの足にしがみついた。

 

「おかーさん。つづき、つづき」

「お母さんはお仕事してるの。少し待ってて」

「ダメ。つづきー」

 

 スカートを引っ張って自分の要求を通そうとする男の子を、アリアは慣れた手つきで引き剥がす。

 

「お仕事の邪魔をするなら、もう読んであげません」

「むー……」

 

 幼い割には聞き分けがいいのか、それとも単に製作者側が面倒臭がったか、おそらく後者だろう。あっさりと引き下がって、寂しそうな足取りで男の子は部屋を出ようとする。

 

「ねえ僕、お姉さんと遊ぼうか」

 

 それを見兼ねたエリスが男の子に声をかける。男の子はパァーッと表情を明るくし、エリスの手を引いて隣の部屋へ向かった。

 

 邪魔がなくなり、アリアは再び淡々と仕事を進める。そこへアルゴも再度クエスト受託のフレーズを言った。

 

「お手伝いすることはないですカ?」

「必要ないわ」

「最近変わったことはありませんカ?」

「特に無いわね」

「何か欲しいものはありませんカ?」

「そうね……子供を見てくれる人がいるのは、やっぱりありがたいわね」

「…………あとは」

 

 他のクエストで使われるフレーズを片っ端から試していくが、いずれもクエストが進展する気配が無い。家の中にヒントが無いかと、フレーズを試している間に手の空いてるメンバーに調べてもらったが、何も見つからなかった。

 

 クエストを受けられない理由として、まず考えられるのはフラグの立て忘れだが、アルゴがそんなミスをするとは思えないし、そもそもそれが理由なら【!】自体出現しないはずだ。となると、他のNPCから情報を集めて受諾フレーズを探すか、何らかのキーアイテムが必要か。

 

 ゴロゴロドッカーン。

 

 突如雷鳴が轟いた……様を再現したと思われる大声が響き、その音源に目を向ける。

 そこではソファの上で、男の子がエリスに絵本を読んでもらっていた。雷鳴を轟かせたエリスが、絵本の続きを読んでいく。

 

「雷の音に驚いた人たちが見たのは、見上げるほどに大きな一体のトーラスだった。そのトーラスの名前はアステリオス。トーラス族の王様だ。アステリオスはトーラスを守るため、人間との戦いを始めた。……あれ? これで終わりなんだ。じゃあ、おしまい」

 

 エリスが本を閉じると、打ち切り漫画のような終わり方にもかかわらず、男の子は楽しそうに笑っている。

 アルスは隣の部屋へ行き、どこか釈然としない表情のエリスの手から絵本を奪って、その中身をパラパラとめくった。それにはトーラス族と人間が争い、トーラスの将軍と部下が窮地に陥り、王が救援に来るまでの話が、独特な絵と丁寧な文章で描かれている。

 

「これ、全部日本語で書いてあるのか」

「え? そんなの当たり前じゃ」

「いや、SAOだと日本語で書かれた本って、かなり貴重なんだよ」

 

 SAOでは民家などにインテリアとして本棚が置かれているが、その中身は著作権の切れた海外の本がほとんどだ。ごく稀に日本語の本もあるらしいが、探そうとすれば砂漠で一粒の砂金を見つけるような苦行を強いられる。

 日本語の本があるとすれば、それは一粒の砂金か、一層で手に入れた指南書のようなクエスト報酬、もしくは何らかの目的で置かれたクエストのキーアイテム。

 

「アリアさん。この絵本の続きはありませんか?」

 

 そう訊ねた瞬間、アリアの頭上にある【!】が【?】へと変わる。

 

「それは学者をやってるうちの主人が書いたものなの。何でも、近くにある遺跡で見つけた壁画を解読して書いたそうなのだけど、それを書いた後また調査だと言って、出かけたまま帰ってこないのよ」

 

 やはり、これはボスクエストだ。真のフロアボスであるトーラス族の王アステリオスの秘密が、その壁画に残されているのだろう。そして、それを読み解けるのは、アリアの夫だけということだ。

 

 奔放な夫に振り回されているらしく、うんざりした表情のアリアに遺跡の場所を訊くと、快く教えてくれた。もし主人に会ったら、さっさと帰ってくるよう伝えて欲しい、という小言と一緒に。

 クエストログが進行したことをアルゴに確認して、遺跡へ行くために民家を出た。

 エリスは名残惜しそうな男の子の頭を撫で、なぜか編み物を教わっていたビルは老婆に別れを告げ、彼らの家族を探しに向かう。

 

 

 アリアから聞いた場所は、二層南西エリアにある岩山の洞窟だった。この数日で二層にあるダンジョンは探索し尽くしたので、当然この洞窟も探索済みだ。だが、クエストの指示に従って最奥部の部屋に入ると、以前はなかったはずの地下への入り口が現れた。

 

「どうやら、クエストを受けないと、見つけられない場所のようだナ」

 

 アルゴが臆することなく地下へ降り、危険がないことを確認してから、その後を追っていく。モンスターとの戦闘もないまま、松明で周囲を照らしながら進んでいると、途中から壁が人の手で削り取られたような直線的なものに変わる。

 奇妙に感じてメニューウィンドウからダンジョンマップを出した瞬間、アルスは叫んだ。

 

「止まれ!」

 

 全員が足を止め、先行していたアルゴが戻ってくる。

 

「アルス、急にどうしたの」

 

 訝しげな視線を向けるラスクに、今開いたダンジョンマップを見せる。

 

「これを見てくれ、このダンジョンはマッピングされていない」

「え、嘘でしょ」

 

 本来であれば、これまで進んできた道が表示されるはずのマップは、真っ白なまま何ひとつ表示されていなかった。

 各々が自分のマップを確認し、誰一人としてマッピングされていないことを確認すると、アルゴが松明で先の道を指す。

 

「オイオイ、この先道が枝分かれしてたゾ。マッピングせずに迷わず進むのは無理ダ」

 

 もしかすると、このダンジョンこそがギリシャ神話で登場する脱出不可能な迷宮《ラビリントス》を、再現した場所なのかもしれない。

 だがそれならば、探索する方法はある。勇者テセウスは、ラビリントスの中でミノタウロスを倒し、無事生還している。彼と同じ行動をとれば、迷わず進めるようにデザインされているはずだ。確か、テセウスが迷宮探索のために使ったものは……

 

「っ……そうか、そういう意味だったのか」

「何かわかったのカ?」

「アリアドネの糸だ。ここを探索し、外へ出るためにはアリアドネの糸が必要なんだ」

 

 それだけでアルゴも気づいたようで、悔しそうに歯噛みする。あからさまなヒントがあったのに、ここへ来るまでまったく気づくことができなかった。

 アリアドネはミノス王の娘であり、ミノタウロスとは同腹の姉の関係にある人物だ。彼女は生贄に紛れてやってきたテセウスに恋をし、迷宮を作った名工ダイダロスから教わった、迷宮の脱出方法を彼に伝える。

 その方法とともにテセウスへ渡されたのが、アリアドネの糸と呼ばれる糸玉だ。テセウスはその糸玉から伸ばした糸を道標とすることで、複雑な迷宮から脱出してみせた。

 

 このクエストの依頼主であるアリアという名前。そして、彼女が糸縒り職人であることから、これらのエピソードは連想できる。クエストを進めるためには、彼女から糸玉をもらう必要があったのだ。

 

「な、何か代わりになるものを」

「ロープなら持ってますけど、使えませんか?」

「たぶん無理ね。長さが足りないし、放置してる間に消滅したら、出られなくなる」

【僕がマップを書きます。それで少しでも進みましょう】

「みんなはできる範囲で探索を続けてくレ。オイラはタランに戻って、糸玉をもらってくル」

「糸玉ならあるよ」

「「え?」」

 

 エリス、カイン、ラスク、ダイモン、アルゴが現状を打開する策を考えていると、ビルがお菓子でも御裾分けするような言い方で、全員の視線を受けながら、アイテムストレージから赤い毛糸玉を取り出した。

 念のため毛糸玉のポップアップウィンドウを開くと、長めのフレーバーテキストが表示される。

 

【アリアの糸玉:タランの糸縒り職人アリアが丹精込めて作り上げた糸玉。引っ張っても千切れないほどに強靭で、砂埃を浴びてもくすまない光沢を持つ】

 

 その上、耐久値が十層で手に入る防具よりも高い数値に設定されている。これならば、道標として使っても途中で耐久値が全損することはないだろう。

 

「早く言いなさいよ。それになんでビルがこんなの持ってるの?」

 

 カインの詰問に、ビルは申し訳なさそうに答える。

 

「ごめん、言うタイミングがなくて。さっきの家におばあさんがいたでしょ。おばあさんが何か知ってるんじゃないかと思って話しかけたら、一緒に編み物することになって。そしたら帰り際に一個分けてくれたんだ」

 

 意図せぬところで、ビルはキーアイテムの入手に携わっていたらしい。

 何はともあれ、これで迷宮を進むことができる。

 都合よく入り口近くに糸を巻きつけられそうなオブジェがあったので、そこに毛糸を巻いて糸を伸ばしながら先に進んだ。それだけでは分かれ道でどの道に入ったか忘れる危険があったので、羊皮紙と羽ペンを使ってダイモンに手書きのマップを作成してもらう。

 中は相当に複雑で、マップと糸玉無しでは間違いなく堂々巡りになっていただろう。

 幾度も道を間違えながら先に進み、二時間近く経った頃に明かりが漏れる小部屋にたどり着いた。

 

「これは……」

 

 松明のかすかな光に照らされた部屋は、入り口がある面を除いた三面全てが、人間とトーラス族の戦いが描かれた壁画になっていた。そのうちの幾つかは、アリアの家にあった絵本の絵とよく似ている。

 部屋の中に入ると、奥の壁画を調べていた男が松明を手に近づいてきた。

 

「まさか、こんなところで他の人に会うとは思わなかった。よくあの迷宮を突破できましたね」

 

 学者と聞いていたのでひ弱な印象を持っていたが、意外にもがっしりした体格の精悍な男で、服装も探検家といった趣きだった。頭上のカーソルには《Seus》という名が記されている。

 アルゴがアリアからこの場所を聞いて、絵本の続きを教えて欲しくて来たと伝えると、セウスは嬉々とした様子で壁画の前に案内した。巨大なトーラスが暴れる様を描いた壁画に触れると、その下に書かれた謎の象形文字の解読を始める。

 

「あの本の続きだと……ここからですね。アステリオスは我らの三倍は優に超える身の丈で、手には巨大な鎚を持ち、六本の角が生えた頭に王冠をかぶる。他のトーラスをはるかに上回る強さで、戦況を一変させた」

 

 読み終わると、次の壁画へ移動した。そちらには口を開けたアステリオスと、稲妻を受ける人間が描かれている。

 

「アステリオスが息を吸い、瞳が輝いた直後、雷鳴の如き咆哮とともに戦場を稲光が薙いだ。稲光を受けた者は、瞬く間のうちに動けなくなり、アステリオスに潰され息絶える」

 

 セウスが解読した文章の前半部分、これはボスの攻撃方法だ。その文章が意味するものはおそらく、ベータテストではもっと上層になるまで使われなかった、SAOでは強力な遠距離攻撃スキル。

 

「雷系のブレス攻撃ね」

 

 壁画の稲妻模様をなぞりながら、ラスクが呟いた。

 強力な各種ブレス攻撃の中でも、雷系は特に厄介だ。発射してから最大射程距離まで一瞬で届くため、発射を見てから躱すことはほぼ不可能。その上、攻撃を食らうと高い確率で麻痺状態になってしまう。フロアボス戦で麻痺になれば、文字通り命取りとなる。

 

 ただ、さすがの茅場晶彦も初見殺しの雷ブレスへの対応策を用意する程度の良心はあったようで、発射前に瞳が光ることで回避のタイミングを取りやすくなっている。この情報があれば、ブレス攻撃を受ける危険は大きく減るだろう。

 

「アステリオスに何か弱点はないのカ?」

 

 アルゴが訊くと、セウスは隣の壁画の解読を始めた。そこには王冠に槍を突き立てられ、苦しみ悶えるアステリオスが描かれている。

 

「劣勢に立たされた人々は撤退を始め、負傷者を運ぶために持っていた槍を投げつけた。投げられた槍の一本が、アステリオスの王冠に突き刺さる。その瞬間、アステリオスは大きく仰け反り、動きを止めたことで撤退が完了する」

「これはつまり……投擲武器を王冠に当てろってことカ」

 

 角の間の頭部はトーラス族共通の弱点だが、身の丈が推定六メートルはあるだろうアステリオス相手では、弱点を狙うのは困難だ。それを考慮して、投擲武器を当てた場合の仰け反り(ディレイ)効果を上げているのだろう。

 ボスの姿、攻撃方法、弱点まで明かされたが、まだ壁画は一つ残されている。

 セウスは最後の壁画の前まで来ると、苦い表情になった。

 

「すみません。最後のこれだけ解読が終わっていないんです。人間がアステリオスを何らかの武器で撃退したことまではわかるのですが、その武器が何かわからなくて」

 

 最後の壁画には、全身に槍を突き立てられたアステリオスと、岩山の上に置かれた巨大な武器を操る人間たちが描かれていた。人間が使う武器は緩く沿った弧線と、その両端に接するV字の線、V字の間から伸びる槍で構成されている。

 かなり簡略化されているが、これはとある武器の形状と一致する。SAOには存在しないはずの遠隔型攻城兵器。

 

「これ弩砲じゃないのか」

 

 そう言った瞬間、セウスが好奇心の煌めく瞳をアルスに向けた。

 

「ドホウ? それは一体どんな武器ですか?」

「弩砲っていうのは、地面に接地して使う大きな弓……じゃわからないか。木の弾性を利用して反動で糸を引っ張って、槍を高速で射出する武器だ」

 

 どうやらその説明で理解できたようで、セウスはしきりに頷いて壁画に描かれた弩砲の部分に手を触れる。その顔は謎が解けた喜びに満ち、瞳は純真な子供のように輝いている。

 しかし、過去に行われた戦いで、弩砲が使われていたというのは少々妙だ。

 

「アインクラッドに弓はないはずだが、弩砲なんて存在したのか」

「おそらく、長い歴史の中で失われた技術なのでしょう。ここに描かれている戦いは、この土地がまだ地上にあった頃に起きたようですからね」

「地上にあった頃? それってどういう……」

「セウスさん。他にアステリオスについて知ってることはないのカ?」

 

 セウスの言葉の意味を訊ねる前に、アルゴがボスについての新たな情報を求めた。だが、壁画に描かれていること以外の情報は持っていないようで、これ以上の収穫は得られなかった。

 迷宮の探索に時間を使いすぎたせいで、フロアボス戦の開始予定時刻が迫ってきていた。一刻も早くボスの情報を届けるため、急いで帰り支度に移る。

 

 帰り際にアルスが「奥さんが早く帰るよう言っていた」と伝えると、セウスは顔を引きつらせて苦笑いを浮かべた。続いてエリスが「息子さんが絵本の続きを楽しみにしてますよ」と伝えると、朗らかな笑みを見せた。

 

 

 

 帰り道はアリアの糸を道標にして戻るので、行きよりもスムーズに進んでいった。

 その道中で、カインが一つ不安を口にする。

 

「投擲武器が弱点なのはわかりましたが、ボス戦に出てる人で投剣スキルを持ってる人なんているんでしょうか」

「うーん……少なくとも、一層のボス戦で投剣スキル持ちは見なかったナ」

 

 アルゴがそう答えると、全員の視線が自然と一人に向けられる。小さな体にかかる重圧を和らげるためか、ラスクが軽く肩をたたく。

 

「大丈夫。ダイなら余裕でできるから」

 

 今いるメンバーで一番投剣スキルを上げているダイモンが、自信にあふれた表情で大きく頷いた。ボスの背丈が六メートルだろうと、十メートルだろうと、ダイモンの腕なら王冠を狙うことは容易い。見た目が幼いダイモンを、他のプレイヤーたちが受け入れてくれるかは不安だが、いざとなればエデンたちに口添えしてもらえば何とかなるだろう。

 地下迷宮を脱出し、洞窟内のモンスターを倒しながら出口へと向かった。順調に進んでいたが、先頭を進んでいたアルゴが突然速度を落とす。

 

「声が聞こえル。多分、プレイヤーだナ」

「何も聞こえなかったが……もしかして《聞き耳》スキルか?」

「ああ、便利だから、アルスも修得したらどうダ?」

「……検討しとこう」

 

 辺鄙な場所にある洞窟なため、他のプレイヤーがいるのは少々意外だったが、全くありえないことではない。

 ボスクエストの情報を秘匿している手前、クエストを行っていることに気づかれたくないという心理が働き、自然と口数が減り足取りも静かになった。

 

 さらに進んでアルスの耳にも声が聞こえるようになると、アルゴが振り返って唇に人差し指を当てて、《静かに》という意味のジェスチャーをする。

 不思議に思いながらも指示に従い、そろりそろりと近づいていき、曖昧だった声がはっきりと耳に届いた。

 

「今日もいなかったんだな」

 最初に聞こえたのは、よく通る男の声。

 

「そーなんですよー。お仲間さんたちも探してるみたいでしたぁー」

 次に聞こえたのは、語尾を妙に伸ばす無邪気な雰囲気の声。

 

「まあ、作戦を行うには十分な働きと言えるんじゃないですか」

 もう一人は、硬質な響きを含んだ変声前の少年のような声。どうやら、洞窟にいるのは三人組のようだ。

 

「念のため、後で生きてるか確認しとくか」

「一人で圏外に出るとは思えませんけどねー。まあ、もし死んでたりしたら、ぜーんぶ台無しですからねー」

「お金を一人で持ち逃げしたのかもしれませんよ。強化詐欺で、相当な額を稼いだはずですから」

 

 強化詐欺。その言葉を聞いた瞬間、アルスは自らの感情を抑えながら、じっと耳をすませた。

 

 

《続く》




弩砲(原作の設定)
アインクラッドができるよりはるかな昔、数多の種族が地上で暮らしていた頃、戦場では魔法を用いた兵器や弓をはじめとした遠隔武器が使われていた。しかし、地上の都市が円盤となり、アインクラッドが誕生した途端、全ての魔法は失われ、弓から放たれた矢はまっすぐ飛ばなくなってしまった。
そうして長い時間の中で使われなくなった魔法と弓矢の技術は次第に衰退し、人々の記憶からも失われてしまう。
だが、どういうわけか、弩砲のレシピだけはどこかに残されており、特殊な技術を持った職人のみ作り出せるとされている。


ボスクエスト(本作品内設定)
フロアボスは地上にいた頃から存在しており、迷宮区の守護者となった時に永遠の命と力を与えられた。ボスクエストは遺跡や書物、口伝などで残されたフロアボスの知識を得ることができるクエストである。地上にいた頃のフロアボスの知識であるため、それを知る者はアインクラッド創生前の歴史や、アインクラッド創生の秘密についての知識も有している。



キャラ設定

ドロイ
Player name/Doroi
Age/26
Height/169cm
Weight/57kg
Hair/ Ash gray Short
Eye/Black
Sex/Male

Lv12(十話時点)
修得スキル:《短剣》《軽金属装備》《軽業》《》

 エデンのパーティー三人目のメンバーで元ベータテスター。ドランと同じようにエデンからパーティーに誘われる。短剣使いでは珍しく、鉄製のブレストプレートとガントレット、ヘルメットを装備している。リアルではボクシングをやっており、超近接戦でのフットワーク、身の熟しはかなりのもの。
 ベータテストの頃から体術スキルを修得したいと考えており、ラスクから体術獲得クエストの存在を聞いてから、クエストに挑戦したいと考え、四つ目のスキルスロットを空けている。


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第十一話 凶刃を振るう者

 できるだけ多くの人間を殺す。
 この世界に来てからそう考えるようになったが、どういうわけか他の奴らは、誰も他の人間を殺したがらない。せっかくこんなビッグステージが用意されているというのに、誰もそれを楽しもうとしない。
 ここにいる奴らは結局、腰抜けのゲーマーばかりということだ。色々と策を巡らせ、殺しができる環境づくりをしなくてはならないとは、なんとも面倒なことだ。
 一応同志らしき奴らはできたが、こいつらはゲームに毒されただけのバカなガキでしかない。人を殺すことができるとしても、それは命の重さを分かっていないだけで、本当の意味で殺し合いをしているわけじゃない。

 だが、どうやら面白い奴もいるようだ。こちらの武器に臆することなく、容赦なく人を斬ることが出来る奴が。さて、他にいるかな。俺と殺し合ってくれる兄弟は。


二〇二二年十二月十四日

 

 真のフロアボスであるアステリオスの情報を得るため、アルスがパーティーメンバーとアルゴを含めた七人で洞窟の奥にいる学者から話を聞いた帰り道、洞窟の入り口近くで三人組の男が不穏な会話をしていた。

 話の中で出てきた強化詐欺というのは、鍛冶師が強化のために預かった武器を、強化試行回数を使い切ったエンド品とすり替えて、武器を詐取する手口のことだろう。

 彼らはそれを行っていた鍛冶師を探しているようだ。

 

「持ち逃げですかぁ。お仲間さんたちの装備はだいぶ強化されてたので、そんなにお金はないはずですよぉ」

「わかりませんよ。強化詐欺の儲けの一部を、仲間にも隠していたのかもしれません。レア武器を何本も奪えば、相当な利益になりますからね」

「どっちだっていいだろそんなこと。あとで生きてるかどうか確認しとけ」

 

 壁に身を隠しながら入り口の方を覗きこみ、三人の姿を確認する。

 語尾が少し伸びる話し方をしているのは若い男で、ダークグレーのスケイルアーマーを着て、ラウンドシールドと片手斧で武装している。

 強化詐欺という言葉を口にしたのは小柄なプレイヤーで、軽量な金属鎧と片手剣を装備し、頭には球状の兜をかぶっている。バイザーを降ろしているせいで顔は見えないが、声から受けた印象ではまだ少年のように思えた。

 もう一人、リーダーらしき長身の男は、フードの付いた黒いポンチョのような防具を身に付けている。武器は確認できなかったが、持っているとすれば短剣だろう。フードを目深にかぶっているせいで、この男も顔を確認できなかった。

 

 確認を終えてからすぐに身を隠し、男たちの会話に耳をすませる。

「そもそも僕は、こんなやり方には反対だったんですよ。もっと手っ取り早い方法がいくらでもあるじゃないですか」

「だーかーらー、前にも言ったでしょう。今はまだ準備の段階なんですよー。お楽しみはこれからですってー」

「それはわかってますけど、クイックチェンジを使うやり方は、元はと言えば僕が考えたんですよ。手口が広まったら、もう使えないじゃないですか」

 

 《クイックチェンジ》というのは、武器スキルを鍛えることで使える派生能力の一つで、ショートカットボタンを使うことで、装備している武器を瞬時に別の武器と交換することが出来る。強化詐欺ではその機能を応用して、エンド品と預かった武器をすり替えていたのだろう。

 詐取の方法はわかったが、なぜ彼らが鍛冶師に詐欺をやらせていたのか、どうにも判然としない。これまでの話を聞いた限り、彼らは鍛冶師から分け前をもらっているわけではない。儲けたお金で鍛冶師の仲間を強くすることが目的、というわけでもないようだ。それが目的なら、装備の強化を終えた今、鍛冶師を探す必要がない。鍛冶スキル修得の手間があるとはいえ、自分たちで詐欺をやらなかった理由はなんだ。

 

 不満を漏らす片手剣使いの少年に、黒ポンチョの男が咎めるように言う。

 

「それがすぐにバレて、どんなことが起きたか、忘れたわけじゃないだろ。それに、そんなセコいやり方より、もっと手っ取り早い方法があっただろ」

「……ええ、そうですね」

「さて、鍛冶屋が見つかるまでは動けねーから、俺たちは次の作戦に移るぞ。情報の共有は済んでるな」

 

 ポンチョ男が訊くと、斧使いが甲高い声で返す。

 

「はい。でもヘッド、自分一人でも平気ですよー」

「二人の方が確実だ。作戦の確認だが……」

 

 キィーーー。

 

 作戦の内容が話されようとした瞬間、金属同士をこすり合わせたような不快な高周波音が、聴覚を貫いた。音源を察して振り返ると、洞窟の天井近くに小型のコウモリが羽ばたいていた。

 固有名《ハウリング・バット》。洞窟系ダンジョンに出現し、耳障りな音でプレイヤーの行動を阻害する飛行型Mobだ。その高周波音は広範囲に響き、すぐ近くにいたアルスたちだけでなく、距離があった三人組の耳にも届いていた。

 

「この音は!?」

 警戒する片手剣使いに、斧使いが呑気な声で答える。

「ハウリング・バットですねー。壁の向こうに誰かいるんですよー」

「シッ……誰かいやがったか。場所を変えるぞ」

 

 ポンチョ男はすぐさま洞窟の外へ出るように指示を出した。

 彼らが何をしようとしているのか知るためにも追いかけるべきだが、まずはこのコウモリをどうにかしなくてはならない。

 

「ウオオォォー!」

 勇ましい雄叫びが響き、高周波音が塗りつぶされる。ビルが挑発スキルのハウルででターゲットを自分に向けさせたのだ。音波攻撃をやめたコウモリに、カインがリーチの長いランスで攻撃する。

「アルスさん。追ってください」

 

 コウモリは二人に任せ、アルス、エリス、ラスク、ダイモン、アルゴの五人は洞窟の外へ走り出した。

「オイラは迷宮区に行って、ボスの情報を伝えてくル。あいつらのことは任せタ」

「ああ、頼む」

 アルゴは迷宮区へ行かせ、残りの四人で三人組の追跡を始める。洞窟の外に広がる密林を、木々の間を縫うようにして走った。

 三人組は先を行っているが、ステータス差のせいかその速度にはバラツキがある。金属鎧をまとっている片手剣使いだけ足取りが遅く、前の二人が速度を合わせているようだった。

 片手剣使いとの距離を目測し、四人の中で一番速いラスクと目を合わせる。

 

「追いつけるよ」

「攻撃はいい。取り押さえろ」

 

 そう指示を出した直後、ラスクの体が推進装置を得たかのように加速し、木々の間をすり抜けていく。見る見る間に片手剣使いに迫って行き、その背中に手を伸ばした。

 ラスクの手が片手剣使いに届こうとした瞬間、二人の間を黒い影が通り抜けた。次の瞬間、ラスクの右膝から下が消失する。

 

「ガッ……グ……」

 

 片足を失ったことでバランスを崩し、ラスクの手が空を切った。倒れないよう近くの木につかまり、ラスクは彼の足を切り落とした黒ポンチョの男と相対した。黒ポンチョが突き出した短剣を紙一重で躱し、カウンターの掌打を鳩尾に叩き込む。ソードスキルではなかったが、体術スキルの威力補正が乗ったようで、黒ポンチョの体が浮き上がる。黒ポンチョはそれ以上の攻撃を諦め、仲間の元へ走り出した。

 

「ラスク、そこで待ってろ。エリスは右、ダイは左から回り込め」

 

 ラスクがやられたのは想定外だったが、そのおかげで黒ポンチョのカーソルは犯罪者を示すオレンジとなった。オレンジ相手であれば、斬り掛かってもこちらがオレンジになることはない。

 エリスとダイモンが移動したのを確認すると、黒ポンチョとの間に障害物がなくなったタイミングで、アルスは跳躍技《ソニックリープ》を発動する。

 

 十メートル近くあった距離を一瞬で詰め、黒ポンチョ男を背後から斬りつける。刃がはためくポンチョに触れる寸前、振り返った男が漆黒のダガーで攻撃を防いだ。白銀のロングソードと黒金のダガーが交差し、二振りの剣による二重奏が始まった。

 

 男はこちらの攻撃をいなし後退しながら、急所を狙ってダガーを振るう。

 互いに決定打を与えられないまま剣戟が続き、その最中で男は目深にかぶったフードで影になっている口元を嬉しそうに歪める。

 男は互いの命を奪い会おうとしているこの状況で、面白いおもちゃでも見つけたように笑みを浮かべていた。そして、その表情のままアルスの首筋目掛けてダガーを走らせる。

 刃が首筋をかすめ、背筋が冷たくなるのを感じた瞬間、直感的にこの男の剣がかつて戦った短剣使いたちとは一線を画すものだと悟った。男が身につけている技は、モンスターやプレイヤーを倒すためではなく、現実の人間を殺すために磨かれた剣だ。

 

 一体、この男は現実世界で何をして生きてきたんだ。

 

 男を睨むと、これが答えだとでも言うように、鎧の隙間を縫って心臓にダガーを突き立てた。クリティカルポイントへの攻撃でアルスのHPが大きく削れ、男の唇がいっそう大きく歪む。

 

 満足げな表情で男がダガーを引き抜き、飛び退る。ダガーが抜け切った瞬間、アルスの左手が男の腕を掴んだ。

 

「捕まえたぞ」

 

 その一突きは、男が初めて見せた隙だった。

 男が使う剣技は人を殺めるために磨き上げられたものであったが、ここは首への一太刀、心臓への一突きが生死を分ける現実とは違う。HPという数値化された命を削り合うゲームの世界だ。ダガーの一撃であれば、たとえ心臓を貫こうとも大した痛手ではない。

 ベータテストで戦ったダガー使いたちであれば、退避がワンテンポ遅れる突きをこの局面で選んだりしなかった。現実での戦闘を学んでいたからこそ、生まれてしまった悪手だ。

 

 左腕を引きながら《スラント》を発動し、男の右肩を切り裂くが部位欠損には至らず、男はアルスの左手を振り払って逃走を始めた。振り返りざまに左足のつま先が、アルスの鳩尾に突き刺さる。

 腹部を強く押されたような感触を覚えながらも、アルスは背後から男に斬り掛かった。追撃を躱しながら男は走り続け、ついに密林を抜ける。だが、その先に道は続いておらず、切り立った崖が男の逃げ道を断った。

 

「さて、教えてもらうぞ。お前らが何をしでかそうとしているのか」

 アルスが追いついて剣を向けながら問い詰めると、男は小声でブツブツと言い始める。

「やっぱ効かねえか。あの野郎のは、スキルってやつのせいか。どうにもそういうのは慣れねえな」

「おい、答えろ! お前の目的はなんだ」

 

 再度尋ねると、男はニヤリと笑う。

「なーに、俺はただこの世界を楽しみたいだけだよ。それにしても驚いたぜ。ここにいるのは、ただのゲーマーだけだと侮っていたが、お前みたいなやつもいるんだな」

「俺はただのゲーマーだよ。そういうお前はなんだというんだ。ゲーマーじゃなければ、本職のアサシンとでも言いたいのか?」

 

 この男の使う技が、現実にいた頃から武器を使い続けたことで身につけたものであることは、ほぼ確信している。だが、それ以外にも言い知れない殺気のようなものを、この男は身につけている。無意識のうちに、アサシンという単語を連想させるほどに。

 アルスの問いに対し、男は感心したように口笛を吹くだけで、それ以上は語らなかった。

 

 左右に目を向けると、右ではエリスが斧使いを、左ではダイモンが片手剣使いを崖際まで追い込んでいた。黒ポンチョの仲間二人はここへ来るまで戦闘を行わなかったようで、カーソルはともにグリーンのままだ。彼らはオレンジ化するのを恐れているようだが、同時に黒ポンチョも見捨てることはできないようだ。どちらも単独で逃げる機会はあったはずだが、エリスとダイモンが加勢に向かうことを防ぐために、ここまで牽制しあってきたのだろう。

 

 黒ポンチョ男も仲間の姿を見やり、ダガーを腰の鞘に収めた。

「残念だが、今日はここまでだ。また会おうぜ、剣士さん」

 そう言い残すと、男は崖を飛び降りた。

 すぐに崖の下を覗き込むが、男は岩壁を這う蔦につかまって減速し、谷底を流れる川に飛び込んだ。彼の仲間もそれに続き、次々と川に飛び込んでいく。

 川に流される三つの影を追って、エリスも崖下に降りようとする。

 

「追いかけないと」

「待てエリス。これ以上は無理だ」

 二層の谷底を流れる川は、各所にある岩山の地下ダンジョンへと続いている。一本の川でも複数の支流を持ち、流されても同じダンジョンに行けるとは限らない。ただでさえ、SAOで川へ落ちることは命の危険がある。ここで深追いすることは自殺行為だ。

 ダイモンも川を見ると首を横に振って追跡に反対し、エリスは抜いていた剣を収めた。

 

「ラスクたちと合流して、迷宮区に向かう。奴らのことは一旦忘れろ」

 アルスも剣を鞘に戻して、迷宮区へと走り出す。

 黒ポンチョに斬られた首と左胸は、未だに血を失ったように冷たく、鈍く疼いていた。

 

 

 

 

 

 右足の部位欠損を回復させたラスク、コウモリとの戦闘を終えて洞窟を出たビル、カインと合流し、六人で迷宮区を登っていった。ボス部屋の入り口が見えてきたところで、アルゴが呑気に手を振ってくる。

 

「おう、遅かったナ」

「遅かったな、じゃないだろ。ボス戦はどうなったんだ」

 そう訊ねると、アルゴはヒゲのペイントが描かれた頬を持ち上げて、右手でサムズアップしてみせた。

「ギリギリセーフダ。一緒にいい投擲武器の使い手もきてくれたから、そっちも心配いらないゾ」

 それを聞いて、皆安堵の声を漏らした。ボス戦前に情報を届けることはできなかったが、少なくとも最悪の状況は避けられたようだ。

 

「さて、来て早々で悪いが、ウルバスへ向かうゾ」

「ボス戦に参加しなくていいのか? まだ戦いは続いてるんだろ」

「いいのサ。それより、ボスが倒されたことを知らせるのが、情報屋の仕事だからナ」

 彼女にそう言わせられる程の実力者が、ボス戦に参加しているのだろう。代価を払えばそれが誰か教えてくれるだろうが、遠からず会う機会があるはずだ。

 

 ボス戦は現在戦っているパーティーに任せ、迷宮区を出るために七人で下の階へ降りていった。

 難なく迷宮区を脱出し、ウルバスへ向かう途中でアルゴのもとにメッセージが届く。

「なになに、二層の攻略は完了。一時間以内に転移門が開通する、だそうダ」

 その知らせに小さく歓喜の声が上がる。これでまたゲームの脱出に一歩近づくことができた。

 

 三層の話をしながらウルバスに着くと、既にアルゴがメッセージで三層の開通を知らせていたために、転移門周辺には人だかりができていた。

 転移門広場の端で開通されるのを待っていると、またメッセージが届いたらしくアルゴがウィンドウを開く。

「これは…………」

 アルゴは他のプレイヤーには無地の板にしか見えない画面を見つめ、おもむろにエリスに目を向けてから小さく頷いた。

「三層で会って欲しい人がいル。転移門がアクティベートされたら、一緒に来てくレ」

「えっと……私にですか?」

「ああ、彼らの言葉を聞いて、どうするかはエリスちゃん次第だがナ」

 エリスはキョトンとした顔で首をかしげた。

 

 

 

 

 

 

 

「本当に申し訳ございませんでした」

 

 六人の男に目の前で土下座されて、エリスはただただ圧倒されていた。

 想定外の状況に言葉が出ないエリスの代わりに、ビルがアルゴに訊く。

 

「えっと、この人たちは?」

「レジェンド・ブレイブス。彼らは今回のボス戦の功労者であり、強化詐欺の実行犯ダ」

 

 アルゴに連れられた三層の宿屋に正座して待っていたのが、彼らレジェンド・ブレイブスだ。六人のうちの一人はネズハという名の鍛冶師で、彼は自分がエリスの剣を詐取したことを告白し、その賠償をしたいと言ってきた。

 ようやく状況に慣れてきたエリスはカインに後押しされながら、頭を下げている六人に声をかける。

 

「あの、顔を上げてください」

 六人がゆっくりと頭を上げてから、エリスはネズハに訊ねる。

「賠償すると言っていましたけど、具体的には」

「できればあなたの剣をそのままお返ししたいのですが、もう手元にはないので、お金での弁償になってしまいます。あなたの武器はフェザーブレード2Q2Sでしたね」

「え…………はい」

「こんなことで許してもらえるとは思いませんが、受け取ってもらえませんか?」

 

 そう言いながらネズハはトレード窓を開き、フェザーブレードとプラス六にするための強化素材を買うのに十分な額を提示してきた。現時点では相当な大金だ。

 そんな大金を渡すと言われているのに、エリスはどこか悲しそうな目で、トレード窓ではなくネズハの方を見ていた。

 

「一つお訊きしてもいいですか?」

「はい、何なりと」

 

 これ以上ないほどに申し訳なさそうな顔をしているネズハは、体を硬くしてエリスの言葉を待った。どんな罵倒をされても、甘んじて受けるだけの覚悟があるのだと感じさせる。

 

「あなたたちはこれからどうするんですか?」

「同じように武器をだまし取った人の元へ行って、謝って回ります」

「そのあとは?」

「そのあとは…………全員でやり直したいとは思っています。今度は真っ当な手段で強くなって、攻略集団に加わりたいです。と言っても、装備のほとんどは賠償金を払うために売ってしまったので、すぐには無理でしょうが」

 

 レジェンド・ブレイブスの六人は感情を押し殺すように目を伏せた。奪った武器を糧にしていたとはいえ、勇者を名乗る彼らにとって、自ら強化し愛用してきた装備を手放すのは、半身たる聖剣を失うような行為だったはずだ。強化詐欺に手を染めたのは、少しでも早く強くなろうとした彼らの焦りにつけ込まれたためなのだろう。

 方法を違えた彼らに同情はできないが、自身の名に恥じぬ強さを手に入れて戦おうとした意志だけは、紛れもない本物だ。いつか彼らが前線に戻ってくれば、きっと力になってくれる。

 

 ネズハの話を聞いていたエリスは、表情を引き締めて小さく頷いた。

 

「わかりました。なら」

 

 エリスの次の言葉を待って六人は身構える。だが、すぐにそれは無駄なこととなった。

 

「このお金は皆さんの装備代に当ててください」

「へ…………そ、それはどういう」

「私の賠償はいいので、このお金はあなたたちで使ってください」

 

 神から初めての託宣を賜った勇者のように、ネズハは目を瞬かせる。

 

「本当にいいんですか?」

「はい。私には新しい剣がありますから、お金は必要ありません」

「本当にいいんですか?」

 

 NPCのように全く同じ言葉を繰り返すネズハに、エリスは笑みを浮かべて頷いた。

 その言葉が冗談でないとわかり、ブレイブスの六人は顔を綻ばせて互いを見合う。そして、オルランドと名乗ったガタイのいい男が、エリスに名前を尋ねてから、六人は片膝をついて頭を垂れた。

 

「我らレジェンド・ブレイブス。エリス様の御慈悲に応えられるよう、一層精進して必ずや前線へと返り咲いて見せます」

 彼らの姿は、さながら姫に忠誠を誓う騎士のようであった。

 

 

 

 

 

 部屋を出た後、アルゴは他の被害者を探しに行くと言って、レジェンド・ブレイブスの六人と共に行ってしまった。アルスたち六人は、三層のボスクエストについて話し合うため、エデンたちがいる部屋へと向かう。

 

「エリスちゃん。本当にあれでよかったの?」

 ラスクが小声で訊ねると、エリスはためらいなく頷いた。

「はい師匠。ネズハさんは、私のことも私が何の武器を渡したのかも覚えてました。きっと、盗った武器の持ち主にずっと謝りたかったんだと思います。そう考えたら、お金をもらわなくてもいいかなって思って」

 

 エリスの言葉に、ビルが小さく肩をすくめる。

「実際に剣を盗られたのは確かなんだから、その分だけでももらってもよかったのに」

「でも、あの人たちも根は悪い人じゃなさそうだし、戦いたいっていうなら応援したいと思って」

 あまりにお人好しな発言に、カインも少々呆れていた。

「まあ、それがエリスのいいとこなんだろうけどね」

【でも、エリスさんの判断は正しかったと思います。ブレイブスの皆さんはいつかまた、ボス戦で戦ってくれますよ】

 ダイモンはエリスの考えを肯定して、ウィンドウにそう打ち込んで見せた。

 

 エリスからもらった金額だけでも、六人分の装備を整えるには十分なはずだ。彼女の想いが、彼らにとってのアリアドネの糸(みちしるべ)となって、英雄として戻ってくることを今は願おう。

 しかし、未だに疑問なのが、レジェンド・ブレイブスに詐欺をやらせていた奴らの目的だ。何かの下準備のようなことを言っていたが、こんなことをして一体どんな意味があったのか。

 三層でも何かの作戦を行うと言っていたから、また会う機会はあるだろう。その時に彼らの目的を暴き、黒ポンチョの男との決着をつける。

 自分のたちの強化にボスクエストの調査、今回見つけたプレイヤーたちの捜索。層をまたぐごとに、やることが増えているように思える。だが、その一つ一つを乗り越え、この城の頂へといつか到達する。そのために自分たちは戦い続けているんだ。

 現実世界へとつながる小さな一歩を踏み出しながら、アルスは窓の外に見える空を覆う鉄の蓋を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二層南部にある地下ダンジョンの湖から、ずぶ濡れになった三人の男が這い出てきた。

 男たちは周囲に敵影がないことを確認すると、それぞれ手頃な岩に腰掛ける。

 

「いやー、危なかったですねぇ」

 スケイルアーマーを着た若い男は、呑気な声をあげ、

「最悪ですよ。こんな目に遭うなんて」

 鎧兜をまとった少年は悪態をつき、

「代わりに、なかなか面白いやつに会えたがな」

 長時間水中にいたせいで、危険域にまで達しているHPを気にするそぶりも見せず、黒ポンチョの男は笑みを浮かべる。

 

「幸い、次の作戦のことは聞かれなかったな。改めて内容の確認を……」

「僕は降りさせてください。作戦には参加しません」

 黒ポンチョの言葉を断ち切り、鎧兜の少年が立ち上がった。そのまま立ち去ろうとするのを、スケイルアーマーの男が引き止める。

「えー、そんなこと言わずに一緒にがんばりましょーよー。カケル君」

 

 カケルと呼ばれた少年は肩に回された腕を振り払い、目障りな羽虫を見るような一瞥を向ける。

「あいにく、面倒ごとはごめんですよ。さっきあなたは一人で出来ると言っていたじゃないですか。でしたら、お一人でどうぞ」

 そう言って服が乾くのも待たず、少年は地上に通じる道へと向かっていった。立ち去っていく少年の後ろ姿を見て、スケイルアーマーの男が大げさに肩をすくめる。

 

「はぁーあ、しょうがないですねー。カケル君はー」

「たくっ……これだからガキは」

「と、いうわけでー。三層の作戦は、自分に任せてくださーい」

「……そうするしかないんだが、お前一人でやるにも問題があるな」

「え! 自分なら大丈夫ですよー。何が不安なんですかー?」

 

 スケイルアーマーの若い男が意外そうな顔をすると、黒ポンチョの男はため息まじりに答えた。

「あいつらに顔見られただろ。お前だけ」

「あー! そうでしたー。どうしましょう。どうしましょう」

 

 本当に焦っているのか、それともただおどけているだけなのか判別しにくい声を上げる若い男に、黒ポンチョの男はいらだたしげに言う。

 

「俺は贖罪クエストとかってのをやらなきゃならねえから、お前に任せるしかない。ひとまず三層へ行く前に、顔を隠せるものをかぶっておけよ」

「わっかりましたぁ。じゃあ、早速街でヘッドみたいなフード付きのポンチョを……」

「バカか。俺と同じじゃあ、仲間だと感づかれるかもしれないだろ。別のにしろ」

「えー……それなら、カケル君と同じ兜もダメですよねー。あと、レザーマスクも。他に顔を隠せる装備となると……あー! あれなんて言いましたっけ? あの頭に被るチェインメイルみたいなやつ」

鎖頭巾(Coif)か」

「そうです。そうです。あれにしますー」

 

《続く》

 




キャラ設定

カケル
Player name/Kakeru
Age/14
Height/157cm
Weight/45kg
Hair/ Dark purple Short
Eye/Dark red
Sex/Male

Lv11(十一話時点)
修得スキル:《片手直剣》《所持容量拡張》《疾走》

 夕闇のような紫色の髪と夕焼けのような赤い瞳を持つ少年。高校生の兄と一緒にログインし、デスゲームに巻き込まれた。兄と一緒にゲーム攻略を行うが、囮役や運び屋のようなことをやらされ続け、手に入れたコルやアイテムもほとんど兄に使われてしまう。
 ある時、兄が使っている武器と同じ武器がドロップし、同時期に取得した《クイックチェンジ》の効果を見て、手に入れたばかりの自分の剣と強化されている兄の剣をすり替えることを思いつく。狩りの最中に適当な理由をつけて武器を借り、すり替えを実行した。
 しかし、すぐにバレてしまい、怒り狂った兄から攻撃を受け、逆にオレンジとなった兄を強化された剣で返り討ちにする。そうして他者から奪う快感を覚えるようになり、その光景を目撃したPoHと共に行動するようになった。


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第十二話 大樹を守る者

 ああ、今日で俺は死ぬのか。
 なんの前触れもなく、そんな予感が頭をよぎった。目の前には自分が持つ秘宝を奪おうとする仇敵がいるというのに、こんなことでは騎士失格だ。
 気合を入れ直そうと、目の前に立つ男と剣を交えるが、なぜかその男と同じ色の肌と髪を持つ綺麗な女の顔を幻視した。
 女の顔に覚えはない。戦いの最中に敵種族の女の顔を思い浮かべるなど、どうかしている。本当に死期が近いのかもしれない。だが、ここで命を落とすとしても、この秘宝を敵に奪われることだけは避けなくては。

 聖大樹よ。我に力を与え給え。



二〇二二年十二月十四日

 

 第三層主街区《ズムフト》。

 ズムフトは転移門以外の主要施設が、並び立った三本の大樹の内部に作られている。この街の北を上とした時に右下の樹にある宿屋の一室で、アルス、エリス、カイン、ビル、ラスク、ダイモンの六人とエデン、ドラン、ドロイら三人の合計九人が集まっていた。

 街が解放されたばかりで観光客が多く、店や空き家で話をすると誰かに聞かれる恐れがあると思い、宿屋で一番広い部屋を借りたのだが、さすがに九人では少し手狭だった。

 

「では、三層のボスクエストについての会議を始める」

 

 司会を買って出たドロイが口火を切った。

 

「ここまでのボスクエストは、一層が鉱山の近く、二層が迷宮区近くの密林で発見されている。我々は今までボスクエストが発生する場所は、ボスに関連する場所であるという推測の基、調査を行ってきた。この推測はおそらく間違っていないだろう。確か、三層のフロアボスは《ネリウス・ジ・イビルトレント》だ。となると、トレントに関連する場所ということになるが、トレントについて何か知っている者は?」

 

 ドロイが訊いた瞬間、八人の視線がアルスへと向けられた。

 まあ、そうだよな。と思いつつトレントについての説明を始める。

 

「厳密に言うと、トレントはゲーム世界だけに登場するモンスターで、元ネタは昔のファンタジー小説に出てくるエントという巨人だそうだ。樹木を守るために作られたと言われている」

「うーむ。樹木を守る巨人か」

 

 今までの法則に従って考えれば、フロアボスに関連する場所は森ということになる。しかし、三層はフィールドのほぼ全てが森だ。森を探すということは、この層全てを探すのに等しい。

 そのことに思い至ったのだろうドランが言った。

 

「つまり、今回はノーヒントということか。他のやつからも情報を集めて、クエストを一つ一つやっていくしかないな」

「いや、そうでもない。樹木を守る者というのが今回のヒントだとすれば、調べるべきものが一つある」

 

 ドランの意見を即座に否定すると、エデンが重厚な鎧をガシャガシャ鳴らしながら、首をひねる。

 

「だがアルス、木を守るなんて設定のモンスターやNPCが三層にいたか?」

「いただろ。この層から出てくる大樹を守る妖精が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが、エルフ」

 そう呟いたエリスの視線の先では、二体のNPCによる剣戟が繰り広げられていた。

 金色と緑色の鎧をまとい、高級そうなロングソードとラウンドシールドで武装した森エルフ。

 対照的に黒と紫の鎧を身につけ、ゆるく弧を描くサーベルとカイトシールドを装備した黒エルフ。

 

 それぞれのエルフの頭上にはクエスト開始点であることを示す金色の【!】マークが表示されているが、普段ならはっきり見えるはずのそのマークが霞むほどに、エルフ同士の戦闘は目まぐるしく、激しい。

 この戦闘を初めて見る三人は、しばし目を奪われていたが、まだ説明すべきことがあるので話に集中させる。

 

「これが大型キャンペーンクエスト。エルフ戦争クエストの開始点だ。おそらく、これが三層のボスクエストになる」

 

 SAOに出てくるエルフたちは、聖大樹と呼ばれる木を神聖視し、その恩恵を得た種族という設定を持つ。エントと同じように樹木を守る者と言えるだろう。

 エルフ戦争クエストは三層から始まり、完結するのは九層というベータテストで発見された中では最大のクエストだ。三層のものだけでもクリアするには短くとも数日はかかってしまうので、街で受けられるクエストの調査はエデンに任せ、アルスたちは森のどこかで戦っているエルフをこうして探しに来たというわけだ。

 

「このクエストを受けるには、どちらかのエルフの味方について、戦闘に参加する必要がある。どっちを選んでも報酬やクエストの難易度はあまり変わらないんだが、俺たちが昔やったのが森エルフだから、森エルフ側にさせてもらう」

 

 受けるクエストについて確認を取っていると、何かに気づいたのかダイモンがタイピングを始めた。

 

【ベータでクエストを受けた時、ダークエルフの方は女性だったと思うのですが、気のせいでしょうか】

 

 言われてみれば、ベータテストで戦ったダークエルフは、キズメルという名の女性だった。しかし、今目の前にいるエルフたちは、どちらも間違いなく男だ。

 

「女性を助けたいからって、ダークエルフを選ぶ人が多かったから、運営側が変えたんじゃないかしら」

「うーん。そうなの……か」

 

 女性だからという理由でダークエルフを選ぶプレイヤーが知り合いにいたので、ラスクの推測もあながち間違っていないのかもしれない。

 

「まあ、別に気にすることでもないだろ。クエストを受けた時だが、俺たちのレベルではあのエルフにはまず勝てない。だから、森エルフが助けてくれるまで戦闘は防御中心で、消費アイテムは使わないこと」

 

 目の前で戦闘をしているエルフは、フォレストエルフが《フォレストエルブン・ハロウドナイト》、ダークエルフが《ダークエルブン・ロイヤルガード》という名前で、いずれも本来なら七層以上で出現するエリートMobだ。レベル十二前後では相手にすらならない。

 

「フォーメーションは、俺とビル、カイン、ダイがダークエルフの正面、エリスとラスクが背後だ。基本的に攻撃する必要はないけど、パーティーの連携を確認したいから、隙ができた時は攻撃してもいい。他に質問がないなら行くぞ。俺たちが近づくとエルフは戦闘を中断するから、今言った通りの陣形に動いてくれ。スリーカウント、三、二、一、ゴー」

 

 アルスたちが茂みから出るやいなや、二体のエルフは戦闘をやめ、互いに距離をとる。

 

「人族がこの森で何をしている!」と、フォレストエルフ。

「邪魔立て無用! 今すぐに立ち去れ!」と、ダークエルフ。

 

 彼らの言葉を無視し、全員でダークエルフを取り囲み、ビルとカインは盾を他の四人はそれぞれの武器を構える。

 武器を向けられたダークエルフは、浅黒く精悍な顔を徐々に険しいものへと変えていく。

 

「愚かな……フォレストエルフ如きに加勢して、我が刃の露と消えるか」

「そうだ。だが、死ぬのは貴様の方だ」

 

 クエスト受諾のセリフを言うと、ダークエルフはより一層険しい顔つきになり、カーソルの色がNPCを示す黄色から、遥かに格上な敵であることを示すダーククリムゾンへと変わる。

 

「よかろう、ならば貴様らから始末してやろう、人間よ」

 

 向けられたサーベルに意識を集中しつつ、アルスは指示を出す。

 

「ビル、カイン、威嚇(ハウル)。ダイはデバフをかけろ」

 

 

 

 やはり、ダークエルブン・ロイヤルガードは強敵だった。

 幾つかの縛りをつけているとはいえ、ほぼ一方的な戦いが続いた。

 重装甲のビルとカインが攻撃を立てで防いでも、HPがガリガリ削られていき、対してこちらの攻撃はまともに当てても碌にダメージが入らない。目に見えてゲージを減らせるのは、仲間のフォレストエルフの攻撃だけだ。

 そんな戦闘を五分ほど続け、どうにか黒エルフのHPを三割近く減らしたが、戦いはついに終わりを迎える。

 

「シェアアァァー!」

 

 ダークエルフのサーベルが閃き、ビルの鎧を切り裂いた。その攻撃によって、ビルのHPゲージが黄色の注意域となる。

 

「総員後退」

 

 この戦闘では、パーティーメンバーのうち一人でもHPが注意域に陥れば、クエストが進み、味方のエルフが助けてくれる。HPが黄色くなった者が出た後は、下がってその光景を見るだけでいい。事前にそう説明した上で、後退の指示を出したのだが、

「あ……」

 戦闘に集中して聴き漏らしたのか、エリス一人だけが背後からダークエルフに斬りかかった。

 

「警告に従い立ち去っておれば、このようなことにはならなかったものを。愚かな人間たちよ……その愚かさの報いを受けるがよい」

 しかし、ダークエルフはエリスの攻撃など気にする素振りも見せず、クエストに沿ったセリフを続ける。

 

「ヤバッ」

 

 技後硬直が解けるやエリスは急いでダークエルフから離れようとする。が、逃げる方向が悪かった、

 

「貴様の敵は私だ、リュースラの騎士!」

 

 エリスの進路を阻むように動いたフォレストエルフが、ロングソードに緑色の輝きをまとわせ、ダークエルフに斬りかかる。ダークエルフは攻撃をに、サーベルで受け止めた。交差する二本の刃から、通常ではありえない強さの衝撃波が発生し、離れた場所にある木々の幹すら震わせる。

 

「ィヤアァァー」

 

 エルフたちのすぐ近くにいたエリスは、衝撃波に耐えきれずに悲鳴をあげながら吹き飛ばされた。だが、そんなことがあってもクエストはつつがなく進んでいく。

 二体のエルフは剣を軋ませながらせめぎ合うが、少しずつフォレストエルフが押されている。サーベルが目前まで迫った時、フォレストエルフは再び叫んだ。

 

「カレス・オーの聖大樹よ! 我に最後の秘蹟を授けたまえ!」

 

 フォレストエルフの胸から黄緑色の光が放たれ、ダークエルフの全身を包み込むと、しゅば! という音とともに拡散する。たったそれだけの現象だったが、光はダークエルフのHPを残らず削り取り、フォレストエルフのHPもいつの間にか空になっていた。

 その光景を初めて見る二人は崩れ落ちる二人のエルフに見入り、過去に見たことがある三人は少しばかり懐かしさを覚えながら眺め、もう一人は

「きゅう……」

 目を回して空を見ていた。

 

 

「秘鍵を北の野営地に届けてくれ」

 森エルフは遺言を残すと、その体を幾多のポリゴン片に変え、かすかな音とともに消えた。

 アルスは森エルフがいた場所に落ちている葉の巾着袋を拾い上げ、それをパーティー共有ストレージへと入れる。

 

「エリス、大丈夫?」

「うん。なんとか」

 

 エリスはカインに肩を貸してもらいながら立ち上がった。あの衝撃波はイベントの演出なので、ダメージは受けていないようだが、吹き飛ばされた時のショックで足元がおぼつかない。

 やむなくエリスが歩けるようになるまで休息を挟んでから、北にあるフォレストエルフの野営地を目指した。三層を北と南に分ける岩壁の近くを探索し、霧に隠された野営地へとたどり着く。

 野営地の入り口で長槍を携えた衛兵エルフに秘鍵を見せて通してもらい、森エルフの司令官の元へ案内してもらった。

 司令官はアルスたちを助けたエルフ騎士の訃報を聞いて悲しんだが、翡翠の秘鍵を取り戻したことには大いに喜び、褒賞としてコルと装備をくれた。

 報酬の装備は複数の選択肢から選ぶことができ、ビルとカインはラウンドシールドを、エリスとラスクは敏捷値が上がるイヤリングを、ダイモンは筋力値が上がる指輪を、アルスはロングソードを手に入れる。

 報酬をもらった後に次のクエストである《毒蜘蛛討伐》を受諾し、司令官のいる天幕を後にした。

 

 クエストを受けている間は、亡くなったエルフ騎士が使っていた天幕を充てがわれ、この野営地に宿泊することができる。野営地には他に食堂や鍛冶屋、それに風呂用の天幕まであることがわかると、女性陣二人は華やいだ声を上げた。

 

「覗かないでよ」

「わかってるって」

 ビルのそっけない返事に、カインは不満そうに顔をそらす。

「でも、この世界の裸って、見てもそんなに面白いものじゃないのよ。だって……」

「ラスク、そんなこと言わなくていい」

 

 妙なことを言おうとしたラスクの口を封じ、エリスとカインを風呂用の天幕へ案内した。残った男四人は近くで待つわけにもいかず、他の天幕を見て回る。

 

「ここ食事代も宿代もかからないし、さっきの道具屋は商品が充実してたし、下手すると主街区より居心地がいいんじゃない」

 

 物珍しそうに野営地を見渡すビルに、ラスクは柔らかい口調で答える。

 

「そうね。クエストをしている間は、ここを拠点にする人は多いかしら。インスタンスマップだからメッセージが使えないけど、そこさえ我慢すれば十分快適ね」

「あれ? でもここ圏外なんだよね。だったら、オレンジプレイヤーも拠点に使えるんじゃないの?」

「圏外村は道具屋の品揃えが悪いし、宿屋は高いし、鍛冶屋なんかは無いから、ここを拠点にしようとしたオレンジはいたわ。でも入り口で、『同胞である人族を傷つける者など信用できん。その罪を償うまで野営地に入ることは認められない』って言われて失敗したそうね」

 エルフの真似をするときだけ勇ましい声を出すラスクを見て、ビルは笑いをこらえていた。

 

 二人が話す後ろで、ダイモンは打ち込んだ文章をアルスに見せる。

【アルスはどうして指輪ではなく、片手剣をもらったのですか?】

 

 このクエストの第一章《翡翠の秘鍵》でもらえる片手直剣《フォレストエルブンソード》は、強化施行数が多いものの、性能としては今アルスが持っているシルバーソード+6よりわずかに劣る。普通ならば、剣以外の装備品を選ぶべきなのだが、あえて剣をもらったのには理由があった。

 

「この剣は念のための予備だな。シルバーソードをインゴットに変えるつもりだから、新しい片手剣が欲しかったんだ」

【両手剣を作るんですね。でも、インゴット一つでは足りませんよね】

「そういえば、ダイモンには……いや、よく考えたら誰にも話してなかったな」

 

 

 四人は鍛冶屋の天幕へと足を向けた。

 野営地にいるエルフの鍛冶師は、なぜかどちらの種族でも無愛想で、店に入っても挨拶どころか顔を向けることさえしなかった。だが、持っているスミスハンマーからわかるように、腕の方はズムフトにいる鍛冶師を上回っている。純粋なスキル値なら一層で出会った老人の方が上なのだが、彼は武器を作ってくれないので、武器作成能力という意味では現状目の前にいるエルフが最高だろう。

 

 鍛冶屋用のメニューでシルバーソード+6をインゴットに変えるよう依頼し、出来上がった銀色のインゴットをストレージに入れてから、今度は両手剣の武器作成を依頼する。

 素材を選択していき、最後に現れたダイアログのYesを選択すると、目の前に選択した素材が入った革袋と二つのインゴットが出現した。二つのインゴットのうち一つは、今作ってもらった銀色のインゴット。そして、もう一つは鮮やかな青色。

 

「こんな色のインゴット、初めて見たわ」

「これがイビルファングのラストアタックボーナス」

 

 ラスクとビルが食い入るように見ているのは、一層のボスクエストで倒した《イビルファング・コボルドロード》のLAボーナスで、《リジッドコバルト・インゴット》という青色のインゴットだった。

 いつか使おうと思っていたのだが、一層の老人は武器を作ってくれず、二層で鍛冶屋をやっていたネズハは強化詐欺のことがあったので依頼できず、今日までストレージに埋もれていた。

 

 鍛冶師のエルフは青いインゴットにはさして興味を示さず、素材が入った革袋を無造作に青緑色の炎で満たされた炉に入れた。袋はたちまち燃え尽き、中に入っていたアイテム群が赤く灼け始める。火中のアイテムが溶け崩れ、炎の色が明るい白へ変わると、見計らったように二つのインゴットを投入する。二色のインゴットは溶けて混ざり合いながら、眩い輝きを帯びる。

 固唾を呑んで見守る四人の視線など一顧だにせず、鍛冶師は一つになった金属塊を白い革手袋をつけた手で掴み、アンビルへと移動させ、右手のスミスハンマーで打ち付けた。

 

 カーン、カーンと定期的に鎚音が響き、槌音が五十回に達したところで金属塊は一振りの剣へと形を変え、最後に一際強い光を放つ。そうしてアンビルの上に現れたのは、とても美しい両手剣だった。

 長くやや幅広な刀身は、刃の部分は銀色だが、鎬の部分はまるで丁寧に磨かれたラピスラズリのように、ところどころが銀色に煌めく深い群青色になっている。一目見ただけで、NPCショップで買える既製品とは、次元が違う武器だと確信できた。

 

 鍛冶師は「……いい剣だ」と呟くと、黒革の鞘を取り出し、完成した剣を収めた。

 両手で差し出されたその剣を受け取った時、美麗な見た目とは裏腹な重量にとり落としそうになるが、どうにか踏ん張って抱きかかえる。

 鍛冶師は依頼は済んだと言わんばかりの態度で、再び自分の仕事へと戻っていった。

 腕に抱えた業物を作り出した男に一礼をしてから、剣のプロパティ窓を表示させる。

 

「銘は……スター・キャスター? なんでこんな名前が」

 

 SAOの序盤で手に入る剣は大抵、なんたらブレードやらなんとかソードといった名称で、こんな名称の剣はベータテストでも見た覚えがない。

 

「強化施行回数は二十か…………二十!」

 

 アルスが巨大なハンマーで頭を殴られたような衝撃を味わっていると、ビルとラスク、ダイモンもウィンドウに殺到する。

 さっき手に入れたフォレストエルブンソードの強化施行回数は十一で、三層までで手に入る武器の強化施行数は最大でもその程度だと言われている。強化施行数二十の武器となると、最低でも八層以上でないと入手できず、こんな低層で手に入るものではない。

 

「アルス。さっきのインゴットを入手したのは、一層のボスクエストって言ってたわね」

 

 真剣な表情で訊くラスクに向かって、未だ衝撃から回復せぬ頭を縦に動かす。

 

「そのクエストはもう存在しないはずだから、同じインゴットを入手する手段は、今の所無いってことなのね」

 

 同じように頭を動かすと、ラスクはアルスの肩に手を置き、初夏の風を思わせるような爽やかな笑顔で言った。

 

「それ熔かそ」

「断固として拒否する」

 

 そうして始まったスター・キャスター争奪戦は、ビルとダイモンも参入し、全員で剣を奪い合う修羅場と化した。

 欲にまみれた醜い争いは、ゆっくりと湯に浸かっていたエリスとカインが戻ってくるまで行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二〇二二年十二月十五日

 

 エルフ戦争クエストの第二章《毒蜘蛛討伐》は、森にある女王蜘蛛の洞窟を探し出し、地下一階奥の部屋に落ちている森エルフの徽章を見つけ、野営地にもちかえるパート1と、司令官の命で地下二階にいる女王蜘蛛を討伐するパート2の二段階に分かれている。

 朝早くに野営地を出たアルスたちは、蜘蛛型モンスターを倒しながら洞窟を探し出し、昼過ぎには洞窟から徽章を持ち帰った。野営地の食堂で昼食をとった後、再び洞窟に向かい、今度は洞窟のボス《ネフィラ・レジーナ》を討伐。ボス戦は意外にもあっさり終わり、日が高いうちに暗い洞窟から抜け出した。

 

「ボスを倒せたのはいいが、やっぱり戦略を変える必要があるな」

 

 星空を映し出したような刀身を持つ新たな愛剣《スター・キャスター》を見つめながら、アルスは大きなため息を吐く。

 

「そうですね。今の私とビルでは、アルスさん以上のヘイトを稼ぐことができません」

 

 スター・キャスターはとても心強い武器なのだが、一つ問題がある。それは威力が高すぎて、ヘイトを稼ぎすぎてしまうことだ。先刻のボス戦では、ソードスキルを一回当てただけでタゲが移ってしまい、途中からアルスの役割をアタッカーからタンクに変えざるを得ない展開となった。

 

「だから言ったじゃない。その剣は熔かそうって」

「そんな勿体無いことできるか」

 

 ラスクの案である剣をインゴットに戻して合金を行い、全員で分配するという方法は、費用がかかる上にリスクが大きすぎる。せっかくのレア武器をドブに捨てるような真似は、絶対にごめんだ。

 

「どうにかして、この剣を使いこなせるようにならないとな」

 

 女王蜘蛛の洞窟から野営地に帰ると、司令官から第三章《手向けの花》のクエストを依頼される。黄昏時の森で花を収集し、洞窟で死んだ偵察兵の墓に徽章と共に供えたところで、第三層二日目が終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、十二月十六日。第四章のクエスト《緊急指令》は、黒エルフの野営地を探しに行ったまま帰ってこない森エルフの偵察兵を、救助するという内容だ。

 南側の森で黒エルフの狼に追われていた森エルフ兵を助け出し、野営地よりも近くにある森エルフのキャンプで保護してもらう。野営地に戻って司令官から褒賞を受け取った後、寝泊りしている天幕で昼食をとることにした。

 

「つまり、さっき助けたエルフは偽物ってこと?」

 

 エリスがサンドイッチを片手に訊いてきた。

 

「そうだ。あいつは黒エルフが変装した偽物で、秘鍵を盗むために野営地に潜入しようとしたという設定らしい」

 黒エルフは偵察兵に変装して野営地に潜り込む算段だったが、キャンプ地の隊長からキャンプ地での怪我の回復と継続しての偵察任務を指示され、やむなく作戦の変更を行う。

 それが第五章のクエスト《撃退》。キャンプにいる黒エルフの合図でやってきた軍勢から、キャンプ地を防衛するクエストだ。

 

「黒エルフの兵士をある程度倒せば撤退するが、それが無理でも十分耐えれば森エルフの援軍が来て戦闘が終わる。隊長がいた天幕はよほど劣勢にならない限り敵が来ないから、HPが減ったらそこに入って回復すること。説明は以上だ」

 

 説明を終えてから、アルスもサンドイッチに手を伸ばした。

「うん。うまいなこれ」

 大皿に大量に盛られたサンドイッチは、朝のうちにビルが作ったものだそうだ。ハムと葉野菜が挟まれたものと、スライスしたゆで卵を挟んだもの、トマトに似た野菜とチーズを挟んだもの、チョコレートペーストが塗られたものの四種類がある。

 

「卵も茹で加減が絶妙」

「本当にビルくんって、料理が上手いのね」

 カインとラスクがサンドイッチの味を褒めるなか、エリスはこちらの手元をじっと見てきた。

「アルス、さっきからトマトのやつだけ手をつけてないけど、もしかして……」

「別にいいだろ」

 そもそもトマトをはじめとしたナス科の植物は実に毒を持っており、食用のものであっても微量ながら毒素を含んでいる。トマトを食べないのは、生物の本能に従ったためであり、決して味覚が幼いという理由ではない。

 

 サンドイッチを食べ終えたところで、ダイモンがメッセージウィンドウに感想を入力する。

【とても美味しかったです。特にチョコレートのが絶品でした。チョコなんてどこで買ったのですか?】

 ダイモンの感想を見て、三層でチョコレートペーストなど手に入らないことに気づいた。NPCショップでは間違いなく売っていないし、カカオに似た素材アイテムもないので、自作もできないはずだ。

 

「いや、それだけは買ってないよ」

 

 ビルがそう言いながらアイテムストレージを開き、パンに塗られていたのと同じ茶色いペーストが入った容器を取り出した。ドロップアイテム特有の簡素な入れ物を見た瞬間、全員が何かを察して不穏な空気になる。

 

「これは昨日倒した蜘蛛たちからドロップした《蜘蛛の体液》っていうアイテム。なめてみたらチョコレートそっくりだったから驚い……グゴッ」

 カインが目にも留まらぬ速さで《蜘蛛の体液》をひったくり、ビルの口へと突っ込んだ。

「今後ドロップアイテムで料理作るの禁止!」

 

 しかし、その後もビルが懲りずにゲテモノ料理を度々作り、カインが叱責するというのが、このパーティーでの恒例行事となった。

 

 

 

 

 

 

 賑やかな食事が終わり、再び森エルフのキャンプへ行くと、隊長エルフが鋭い目つきになって駆けてきた。

 

「大変だ。そなたらの連れてきた兵士が、ダークエルフが化けた偽物だったのだ。彼奴らめ。まさかこんな卑劣な手を使ってくるとは」

 

 秘鍵を手に入れてなかったら、あんたらも同じ手を使うんだよ。そう思ったが、興ざめになるだけなので黙っておく。

 

「ダークエルフの兵どもがこちらに向かって来ている。連絡用の鷹を飛ばしたが、増援が来るまでしばらくかかる。それまで持ちこたえるのだ」

 

 そして始まった森エルフと黒エルフの戦闘は…………増援が来る前に終戦となった。なぜなら、スター・キャスターの一振りで黒エルフたちが斬り飛ばされ、あっという間に戦線が瓦解したのだ。

 

 敵が撤退した後、少しして現れた援軍とともにキャンプ地を出た瞬間、キャンプ地が消え去った。

「あれ? キャンプが消えた」

 振り返るビルの視線の先には、一切の痕跡もない空き地が広がるのみだった。

「あのキャンプは誰かがクエストをクリアすると、消えて別の場所に出現するようになってるんだ」

 

 キャンプ内のNPCやアイテムの状態(ステータス)をリセットするために、クエストがクリアされたあとにキャンプの場所が変わるという仕様なのだが、次のクエストをクリアするためには、またキャンプを探さなくてはならないので、ベータ時代にはよく仕様変更が望まれていた。にもかかわらず、運営側は本サービスでも仕様を変えなかったようだ。

 

 再び野営地に戻ると、司令官から新たなクエストが下された。

 第六章のクエストは《物資運搬》。これは襲撃されたキャンプへけが人のための薬や新しい武器などを運ぶお使いクエストだ。新しく出現したキャンプはステータスがリセットされているので、物資の補給など必要そうに見えないのだが、いちいち突っ込んでいたら、MMORPGなどやっていられない。マップに表示された光点を頼りに新たなキャンプ地を探し、物資を届け終えて野営地に戻ったところで、第三層三日目が終わる。

 

 

 

 

 翌十七日、野営地で司令官から褒賞をもらっていると、天幕に突然見張りの兵がやってきて、第七章《狼退治》のクエストが始まった。

 黒エルフたちはキャンプ地と野営地を往復したアルスたちの匂いを狼に辿らせ、野営地の場所を暴こうとしている。それを防ぐために、森の中をうろついて匂いを辿りにくくし、やってくる黒エルフの狼使い(ダークエルブン・ウルフハンドラー)が連れている狼を五体討伐せよ、というクエストだ。

 狼使いはそれなりの強敵だが、ここでもスター・キャスターが頼りになった。次々と現れる狼使いを倒していき、第七章も余裕でクリアできた。

 

 続く第八章《東の霊樹》では、エルフだけが別の層に転移できる霊樹へ秘鍵を運搬するクエストだ。霊樹を使って四層に秘鍵を持っていけば終わりなのだが、この手のクエストが予定通りに終わるはずもなく、三人の森エルフ兵士と共に東の端にある霊樹へと向かう途中、《アンノウン・マローダー》という黒装束の四人組が襲いかかってきた。

 全滅させるつもりで戦ったが、三人目を倒したところで四人目が煙玉を放ち、森エルフたちの隙をついて秘鍵を奪い逃げていった。

 

 続く第九章《追跡》。兵士の一人が逃げていく賊に発光薬の瓶をぶつけたらしく、森の中に点在する光る目印を探しだし、アンノウン・マローダーの逃亡先を突き止めるのが目的だ。この光る目印というのが、あまり目立たない上、それぞれの距離がかなり離れているので、見つけ出すのにかなり時間がかかる。

 六人がかりで探し回り、賊のアジトと思われる洞窟を見つけ出したのは十八日の午後のことだった。すぐにでも洞窟に潜入し、秘鍵を奪還すべきなのだが、一通のメッセージがクエストの中断を余儀なくした。

 

 

 

 

 

 主街区で指定された部屋に入ると、忙しそうに攻略本の編纂を行うアルゴが一度手を止めた。

 

「ヨッス。クエストの調子はどうダ?」

「ようやく九章が終わったところだ」

「さすがに早いナ。他の奴らはまだ五章あたりだってのに」

「クエストの話はまた今度だ。それより、片手斧使いのことを教えてくれ」

 

 二層でレジェンド・ブレイブスに詐欺の手口を教えた三人組。アルゴには彼らの捜索を依頼していた。他の二人はまだだが、片手斧使いについての情報が得られたという連絡があったので、ここへ来たのだ。

 

「まあ。あまり急かすナ。先に言っておくが、片手斧使いを見たという情報を聞いただけで、オイラはまだその姿は見てないんダ」

「わかった。で、どこで見たと言っていたんだ?」

「それがキバオウのパーティーらしいんダ」

 

 キバオウは三層に上がってすぐギルド結成クエストを受け、《アインクラッド解放隊(ALS)》なるギルドを作ったと聞いている。ならば、ギルドの入団希望者なのではないかと訊くと、アルゴは首を横に振った。

 

「だとすると、少し妙なんダ。今日のフィールドボス戦には、二層のフロアボス戦に参加していたメンバー以外の姿はなかったし、ALSのメンバーにそれとなく探りを入れたが、新入りのことなど知らないと言っていタ」

 

 つまり、ギルド外部のプレイヤーが手を貸しているか、ギルドに入っていることを他のメンバーにすら隠しているかのどちらかということになる。いずれにしても、確かにキナ臭い話だ。

 

「キバオウがどこにいるかわかるか?」

「ALSの拠点は主街区じゃなくて、次の町ダ。そこで張り込んでいれば、斧使いに会えるかもしれなイ」

「わかった。今夜から奴らを張ってみるよ。情報料だ」

「毎度」

 

 アルゴは五百コル分の金貨をストレージに収めると、再び攻略本の編纂作業に戻った。部屋を出る前に、アルスはその姿をしばし見ていた。

 

「なんだヨ。オレっちの顔に何か着いてるのカ?」

「いや、今回は真面目だなと思ってな。帰り際になんか言ってくるだろうと予想してたんだが」

「それは、アルスをからかっても、面白くないってわかったからだヨ。やるならキー坊、キリトの方だナ。今夜会う予定だから、アーちゃんとどこでいちゃついてるのか、訊いてくるヨ」

 

 頬を釣り上げて「ニシシ」と意地悪そうに笑う情報屋を見て、こちらではまだ会っていないキリトに同情してしまった

 

 

 

 

 その日の夕方から、アルスはエリスと二人で次の町へ行き、小さな空き家の中に隠れた。

 正直なところ、黒ポンチョとも遭遇する危険があったので連れて来たくなかったのだが、斧使いの顔を間近で見たのはエリスだけなので、面通しのために来てもらうしかなかった。

 エリスと二人でビルが作ってくれた軽食(当然チョコレートサンドは無い)をつまみながら、空き家の窓から町の入り口に目を凝らし、キバオウが来るのを待った。

 

 まだこの町まで攻略を進めているプレイヤーはほとんどいないようで、しばらく待ってみても町に入るプレイヤーの姿はない。日が暮れてくると、ALS所属と思われるプレイヤーやって来たが、その中にも片手斧使いはおろか、キバオウの姿もなかった。

 日付が変わり、二人で雑談をして眠気をこらえるようになり、今夜の張り込みを切り上げようか迷っていたところで、町の入り口に複数の人影が現れた。近づいてくる人影の数は五人。揃いのモスグリーンの胴衣を着た五人の中に、特徴的なトゲトゲ頭が見える。

 

「来た。キバオウだ」

 

 二人で窓の外を覗き込み、空き家の前を通り過ぎる五人の姿を確認する。しかし、その中に片手斧使いはいなかった。装備を変えているのかとも思ったが、エリスも片手斧使いと同じ顔のプレイヤーはいなかったと断言している。

 だとすると、町の外でだけパーティーを組んでいて、どこかで別れたということだろうか。もしそうだとすれば、町で張っているだけでは斧使いと出会うことは不可能ということになる。

 これ以上の張り込みは無駄だと考え、宿へ戻ろうと声をかけようとすると、エリスが窓の外を指差した。

 

「アルス。見て」

 

 何かと思い、エリスが指す場所を見ると、キバオウが宿屋から出てくるところだった。しかも、パーティーの人数が十二人に増えている。

 キバオウは再び空き家の前を通り、町の外へ向かって行った。

 

「追うぞ」

 

 エリスが頷いたのを確認し、キバオウたちを追跡する。モンスターは先を行く彼らが倒してしまうので戦闘する必要がなく、彼らの中に索敵スキルを持つプレイヤーはいないようで、気づかれることはなかった。

 橋を渡り、しばらく川沿いの道を進むと、遠くに見える丘の上に複数の天幕が見えてきた。先日クエストをクリアしたのとは別の場所だが、森エルフのキャンプだ。

 キャンプを目指しているということは、キバオウたちもエルフ戦争クエストを受けているということになる。しかし、アルゴからそんな話は聞いていない。もしアルゴが知っていたならば、間違いなくこの情報を売ってきたはずだ。

 

 キバオウたちの動きをよく見るために、丘の南側にある森に入って身を隠しながら距離を詰める。モンスターがいないことを確認しながら、木々の間を抜けて進み、

「……何だ貴様ら!」

 突然叫び声が聞こえ、エリスを抱き寄せて木の裏に隠れた。

 キバオウがこちらに気づいたのかと思ったが、誰かが近づいてくる気配はない。

 

 自分たちのことでないとすれば、さっきの声は一体……

 

 木の陰から顔だけ出し、キャンプのある丘を登る道の入り口に目を向ける。すると、今まで追っていた十二人の他に、複数のプレイヤーの姿があった。キバオウ率いる十二人と対峙している六人の先頭に立つ人物は、藍色の長髪を後ろで束ね、曲刀と盾を装備した男だった。

 その特徴に合致する人物を、一人だけ知っている。キバオウのアインクラッド解放隊と双璧をなすもう一つのギルド、《ドラゴンナイツ・ブリゲード》のギルドリーダーであるリンドだ。

 

「一体、何が起きているんだ」

 

《続く》

 




アイテム解説

・蜘蛛の体液
蜘蛛型モンスターからドロップする素材アイテム。低級だが毒消しポーションの調合素材として利用でき、ポーションは炭酸と砂糖を抜いたコーラのような味になる。蜘蛛を生で食べるとチョコレートの味がするという俗説があるためか、チョコレートペーストのような味と見た目をしている。


・リジッドコバルト・インゴット
 太古の昔、コボルドが精錬した鉱物に、魔法をかけて作り上げた金属。アインクラッド創生後も魔法は解けずに、その性質を保っている。コボルドにとっては儀礼的な供物であり、金属素材としては粗悪なものである。そのまま装備の製造に用いると、硬いが脆弱な装備になってしまう。しかし、聖属性を持つ銀系統のインゴットと混合した場合のみ、魔法の一部が解けて強靭な金属へと生まれ変わる。イビルファング・コボルドロードのLAボーナスとして入手できるほか、鉱山地帯に住むコボルドから、極低確率でドロップすることもある。


・シルバーソード
 第一層にある村の教会で、ウェアウルフ討伐のクエストを受けることで手に入れることができる片手剣。強化試行上限数は七で、性能は同じクエスト報酬であるアニールブレードと比べると、わずかに劣る。アンデッド系のモンスターに対し特攻性能を持っているが、五層に行くまでアンデッド系のモンスターはほぼ出現せず、その頃にはもっと強力な剣が手に入るので、あまり有用な能力ではない。アニールブレードより入手が容易なため、それなりに使用者は多い。


・スター・キャスター
 リジッドコバルト・インゴットにシルバーソードを溶かしてできたインゴットを混ぜ合わせたことで、現状では最上に近い金属素材となり、それをまれに業物を打つエルフの鍛冶師が鍛えたことで、偶発的に生まれた強力な両手剣。本来なら三層で手に入るような剣ではなく、その攻撃力は未強化の状態であっても、三層の弱いモンスターであれば、一撃で屠るほどに高い。強化していけば、十層以上でも通用するポテンシャルを秘めている。
 剣の銘は小説アクセル・ワールドに登場する大剣から。


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第十三話 絆を守る者

 またあの人は勝手なことを。

 こんな風に思ったのは、これで何度目だろう。
 初めて会ったときからそうだった。こちらが頼んだわけでもないのに助言を口にし、それを突っぱねたのにもかかわらず、私を助けてくれた。

 そのあともずっと変わらない。
 誰に言われたわけでもないのに、一人で背負いこんで。
 一人で調べて知恵を絞って、失くしたものを取り返してくれて。
 自分も死ぬかもしれないのに、私の元へ駆けつけてくれた。

 そんなことをして欲しいなんて、一度も言ったことがないのに、ずっと守られていた。
 本当は足手まといなんじゃないかと、考えたこともある。でも、それを口にしたとしても、あの人は私がはっきり拒絶しない限り、私のことをずっと守ってくれるのだろう。
 守られたままでいるのは、自分を許せない。
 
 だから、私は決めた。
 あの人の隣にい続けて、いつかあの人を守れるようになると。



二〇二二年十二月十九日

 

 森エルフのキャンプ地がある丘へと続く北へ進む道と東西に伸びる道が交わる丁字路で、十数人のプレイヤーが対峙している。東側にはリンドを筆頭に《ドラゴンナイツ・ブリゲード(DKB)》のメンバーと思しき六人。西側には今まで追っていた《アインクラッド解放隊(ALS)》の十二人。その雰囲気はとても友好的なものには見えず、互いに罵り合う怒声が聞こえてくる。

 

「どうしたの?」

 

 エリスが顔を赤らめながら、上目遣いで訊いてきた。隠れた時から抱きしめたままだったことに気づき、そっと腕を解く。

 

「DKBの奴らがいる。どうやら、協力するために合流したんじゃなくて、たまたまかちあったみたいだな。だが……」

 

 対立しあっている二ギルドが、まるで示し合わせたようにキースポットで鉢合わせるなんてことが、偶然起こるだろうか。

 

 まさか、二層であの三人が言っていた作戦というのは、この事なのか。

 ALSのパーティーにいたという片手斧使いが奴らのうちの一人だとすれば、DKBの方にはあの片手剣使いがいた可能性が高い。二人でクエストの進捗具合を調整し、同時にここへ来るよう誘導したのだとすれば、この状況には説明がつく。

 

 だが、そんな事をして何の意味がある。

 どちらかのギルドのみを妨害しようとしたなら、まだ納得できる。それならいずれかのギルドと裏で繋がっていると考えれば、つじつまが合うからだ。二ギルド両方の妨害をしてしまっては、互いに足を引っ張り合うだけでどちらのギルドにもメリットが無い。

 二層の強化詐欺の件も合わせて考えると、奴らの目的はALSとDKBを妨害し、攻略の速度を落とすことに思える。

 

 それによって奴らが得るものは何か。

 二つのギルドに代わって、自分たちが攻略集団のトップに立つため、とは思えない。それとも、攻略されないことを望んでいるとでも言うのだろうか。

 

 思索を重ねている間に罵り合いは収まっていた。しかし、険悪な雰囲気は変わらず、決戦前のようなピリピリとした空気が伝わって来る。

 その空気に耐えきれなくなったのか、リンドは先に到着した自分達にこそ、優先権があると主張した。

 

 しかし、キバオウは到着順による優先権に従う気など見せず、キャンプの襲撃を強行しようとする。

 キバオウが受けているクエストはおそらく、黒エルフ側のクエスト第六章《潜入》だ。あのクエストは高レベルの隠蔽スキル持ちがいれば戦闘無しでもクリア可能だが、それができなければキャンプを襲撃して、クエストアイテムである司令書を奪い取るしかない。そのために、メンバーを増やしてここへやってきたのだろう。

 

 リンドはなおも先に到着した自分達がクエストを行うのが、プレイヤーとしての道理だと譲らなかったが、それに対してキバオウはリンドをねめあげてこう言った。

 

「ならワイも言うたるわ。あんた、三層来てからずーっと隠しとったやろ。このエルフクエがフロアボス攻略に必須やっちゅうことをな!」

 

 は……!?

「えっ、ング……」

 

 驚愕が声となるのを抑え、抑えきれずに声を上げかけたエリスの口を手で塞ぐ。

 キバオウは自信と怒りに満ちた声で、二層のフロアボス戦でアステリオスが追加されていたように、三層でも同様の変更がなされていることを、リンドは知っていたにもかかわらず情報を隠し、あまつさえフロアボスに対抗するアイテムの入手手段がエルフ戦争クエストであることを伝えずに、自分たちだけでクエストをクリアしようとしていると責めた。

 

 これは、どういうことなんだ。

 脳内で状況を整理しようとしたが、エリスがモゴモゴ言いながら身じろぎし始めたので、先に手を離した。

 

「ぷはっ。なんで、キバオウがボスクエストの情報を知ってるの」

「多分情報が漏れたわけじゃない。俺たちとは別にエルフクエストをボスクエストだと考えている奴が……いや、そう思わせている奴がいる」

 

 ここでALSとDKBを鉢合わせさせるには、タイミングを合わせる前に、両方のギルドがクエストを行うという前提条件が必要になる。おそらく、ボスの特効アイテムが得られるというのは、ALSにクエストを行わせるための餌だ。

 リンドはキバオウの発言を否定し、あくまで経験値と報酬のアイテムで自分たちが強くなるためだと言ったが、キバオウはそれを信じず、キャンプへ向かってクエストを強行しようとする。

 リンドがキバオウを止め、キバオウもリンドの胸ぐらを摑む。互いに摑み合い動きが止まると、キバオウは武力による解決案をちらつかせるようになった。

 

 

 

 

 …………まずい。

 

 DKB、ALSの両ギルドは、どちらも自分たちがクエストをクリアすることしか考えていない。このままでは、二つのギルドがキャンプに突入し、エルフたちを交えた乱戦になりかねない。そうなれば、少なからずオレンジになるプレイヤーが出てしまうだろう。

 だが、どうやって止める。キバオウは自分たちの顔を知っている。元ベータテスターのアルスがフロアボスとクエストの関連を否定したところで、キリトをビーターと非難した彼らが信じてくれるとは考えにくい。クエストをクリアした後では、キャンプに行っても友軍として迎えられるだけで、キャンプそのものには干渉できない。いっその事、トレインでもしてどちらかを妨害するべきか。

 

 そんなことを考えて森に目を向けると、一つのカーソルがこちらに近づいてきていた。カーソルの色は、深夜の森の闇に溶け込んでいるかのような黒。

 

 黒いカーソル。……いや、ありえない。

 

 カーソルの色が黒になるのは、相手が自分をはるかに上回る戦闘力を有したモンスターである場合のみ。《翡翠の秘鍵》で戦った《ダークエルブン・ロイヤルガード》もまぎれもない強敵だったが、それでもカーソルはわずかに赤みがかっていた。三層のフィールドにやつ以上のモンスターがいるはずがない。

 理性でそう判断していても、少しずつ大きくなっている黒いカーソルは、音もなく近づいてくる肉食獣のように、本能的な恐怖を駆り立てる。

 

「エリス走るぞ。声を出すな」

「え?」

 

 疑問符を浮かべるエリスの口を塞ぎ、身を寄せ合って森の中を東に走る。できるだけ音を立てず、身を隠しながら動いていたが、黒いカーソルも進路を変えて確実に距離を詰めてくる。

 逃げ隠れするだけでは、確実に追いつかれてしまう。

 エリスから手を離し、右手で背中にあるスター・キャスターの柄を掴んだ。

 

「このまま主街区まで走れ」

 

 そう指示したが、エリスもカーソルの存在に気づき、アルスの後ろで腰に吊るしたウィング・ブレイドに手を伸ばした。

 

「ダメ。アルスが戦うなら、私も残る」

「言うことを聞け。こいつは本当に」

 

 エリスだけでも逃がしたかったが、もう遅い。

 言い終える前に木の陰から、頭上に黒色のカーソルを浮かべた女性のダークエルフが飛び出してきた。

 その姿には覚えがある。彼女はベータテストで戦った《ダークエルブン・ロイヤルガード》のキズメルだ。カーソルの色から見て、そのステータスは間違いなく、最初のクエストで戦った男性騎士を上回っている。スター・キャスターを手に入れた今でも、勝てる保証はない。

 

 背中のスター・キャスターを抜こうとしていると、ダークエルフの女性騎士は一瞬エリスに目を向けてから、ひどく気まずそうな表情で言った。

 

「すまない。逢い引きの邪魔をする気は無かったのだ」

「……は?」

 

 その言葉の意味を問う前に、今度は灰色がかった赤いケープを着た長い栗色の髪の女性プレイヤーが現れた。

 

「キズメル。キリト君は?」

「アスナ。どうやら、我々は邪魔をしてしまったようだ」

 

 アスナと呼ばれた少女は、こちらを見ると一瞬気まずそうな表情になってから、顔を真っ赤にして素早く頭を下げた。

 

「すみません。お邪魔しました」

 

 それだけ言って、アスナはキズメルとともに、そそくさと立ち去ろうとする。

 

「いや、違う違うちがーう」

 

 彼女たちがどんな誤解をしているか察し、キズメルが敵対勢力のエリートMobであることなど忘れて、必死に呼び止めた。

 話を聞いたところ。どうやら、木の裏に密着して隠れていた姿を、キズメルが一人分の人影だと勘違いしたらしく、それが実は男女の二人組であるとわかり、二人ともに妙な方向へ想像を巡らせたようだ。

 なんとか誤解を解いてから小さくため息を吐き、こちらの名前と元ベータテスターであることを明かしてアスナに訊ねる。

 

「さっき、キリトと言っていたけど、もしかして君はキリトの仲間なのか?」

 

 すると驚いたことに、アスナではなく、NPCであるはずのキズメルが答えた。

 

「ほう、そなたはキリトの知己なのか。私はエンジュ騎士団に所属する近衛騎士キズメルという。我々は共に任務を行っていたのだが、どうやらキリトが一人で任務を遂行しに行ったようでな。こうして追いかけてきたのだ」

 

 尋ねられたことしか答えないはずのNPCとは思えない、あまりに流暢な説明をするキズメルの存在に、思わず頭を抱えた。

 

「…………アスナさん。説明をお願いできるか」

 

 アスナはキズメルに聞かれたくないのか、近くに来てから小声で教えてくれた。

 信じがたい話ではあったが、《翡翠の秘鍵》で《フォレストエルブン・ハロウドナイト》を倒したことで、キズメルを仲間にすることができたらしい。死んだら終わりの状況で、あの強敵に本気で挑んで倒すとは、偉業と称えるべきか、愚行と非難すべきか。

 

「事情はだいたいわかった。キリト一人で向かったのは、六章の《潜入》だよな。だとすると、今はタイミングが悪い」

「何があったんですか?」

 

 説明のためにアスナとキズメルを連れて、ALSとDKBが対峙する丁字路の南にある大樹の裏へ移動した。

 ALSとDKBの両陣営は互いに相手の説伏を試みているようだが、どちらも一歩も引こうとせず、何人かは得物に手が伸びている。キバオウはリンドの胸ぐらを掴んでおり、まさに一触即発といった状況が続いていた。

 

「この人たちはまた……どうして、こんなことに」

「はっきりしたことはわからないが、このままだとまずいことになる」

 

 ベータテスターである自分の言葉は、彼らに届かない。エリス一人では、あの二人の仲裁は無理だろう。ビーターと呼ばれるキリトの仲間であるアスナが行けば、鎮静化するどころか余計な火種になりかねない。

 いや、ここにはもう一人。

 

「キズメル……さん。俺たちには、あなたの強さがわかる。あなたの姿を見れば、奴らは逃げていくはずだ」

 

 黒エルフ側のクエストを受けているキバオウと対立しているのなら、リンドはおそらく森エルフのクエストを受けている。リンドがキズメルをキバオウの援軍とでも思えば、ここで剣を抜く真似はしないだろう。これならば、少なくとも二ギルドの抗争は止められる。

 この提案にアスナがすぐさま反論を述べた。

 

「そんなのダメです。キズメルだけ危険な目に合わせるわけにはいきません」

「キズメルなら、あの人数でもやられることはまずない。それに所詮はNPC。傷ついたとしても、気に病むことはないだろ」

「違います。キズメルは私の……私たちの仲間なんです。一人だけ戦わせるようなことは、絶対にさせません」

 

 キズメルを仲間だと言い切るアスナの考えを、すぐには理解できなかった。

 

「アスナ……」

 

 だが、アスナを見つめるキズメルの表情を見た瞬間、彼女がこうもこのNPCに固執する理由がわかってしまった。

 アスナへの親愛を示すような微笑や、自分から話し出すほどの対話能力は、他のNPCとは明らかに異なっている。ほんのわずかな時間しか話していない今でさえ、彼女が本当にNPCなのか、自信が持てなくなっている。

 

 アスナの反論を覆すことができなくなり、完全に手詰まりとなったことで、お互いに口を閉ざす。その時、丁字路でキバオウが何事かを叫び、そちらに目を向けた。

 キバオウはリンドの胸倉を掴んでいた手を離すと、後ろで控えていたALSのメンバーに言い放った。

 

「このまま話してても時間の無駄や! とっととキャンプに突入するで!」

 ALSの十一人を率いて、キバオウがキャンプのある丘を登り始めた。

 

「くっ、遅れるな。我々が先にクエストをクリアするんだ!」

 負けじとリンドらDKBの六人も走り出す。

 

 しかし、彼らが動いた距離はほんの数歩だけだった。なぜなら、彼らが走り始めるのとほぼ同時に、丘の上にあったキャンプが消えてしまったからだ。

 静止画のように固まった彼らの視線の先で、月光に照らされた丘の上から、一人のプレイヤーが降りてくる。

 

「キリト君」

 

 久しく静寂が訪れた森の中で、悲しそうなアスナの声だけが聞こえた。

 

 

 

 

 

 あれがキリトか。

 背に吊るした片手直剣と黒髪はベータテストの時と同じだが、顔立ちはだいぶ幼くなり、装備も地味な革装備に変わっている。ただ、浮世離れしたような雰囲気だけは、ベータテストの頃に見た剣士と共通するものがあった。

 

「悪いけど。ここのクエストは俺がクリアしたから、あんたらは別のキャンプを探してくれ」

 

 その風貌に似合わぬふてぶてしい態度に、キバオウは怒りを露にし、リンドとキリトが利己的な判断でクエストを行っていると責めた。

 キバオウはキリトが否定しても、エルフクエストの報酬がフロアボスの特効アイテムである、と思い込んでいる。むしろ、ビーターのキリトがクエストを行っているとわかり、確信を強めていた。

 疑惑を消すためには、目的が報酬アイテムでないことを証明するしかない。そのために、キリトはある決断をした。

 

「キャンペーン・クエストはここで中断する」

 

 キリトの宣言に対し、

「それしかないか」

 アルスは密かに同意し、

「本気!?」

 エリスはその損失の大きさを理解して驚き、

「あの人は、勝手なことを」

 アスナは相棒の身勝手さに呆れ、

「む? どういう意味だ」

 キズメルは小首を傾げた。

 

 近くでパーティーメンバーが聞いていることなど知る由もなく、キリトは親指で遥か遠くにある迷宮区を示しながら、自分一人で迷宮区を攻略し、ボス部屋へ着いたら自分で集めた攻略メンバーとともに、フロアボスを倒すと宣言した。

 部外者のアルスでさえ呆れるその宣言に、声を上げるものはいなかった。呆れているからではなく、キリトの言葉の意味がわからないせいで何も言えないキズメルに、アスナが説明を試みる。

 

「ごめんなさい、キズメル。私たちはあなたと一緒に任務を行うことができなくなるわ。私はキリト君と二人で、迷宮区に行かなくてはならないの」

「……そうか。天柱の塔を上り、守護獣を倒す人族の務めを果たさなくてはならないのだな」

 

 今のでどうやら通じたようだ。キズメルの言う《天柱の塔》は迷宮区タワー、《守護獣》はフロアボスを意味するエルフ族の言い回しだ。

 

「もとより、そなたらは我らダークエルフとは何の所縁もない。任務を放棄したところで、私がとやかく言う権利などない。だが……」

 

 そこから続く言葉は、NPCとしてあるまじきものだった。

 

「私はまだ二人と別れたくない。そなたらと共に戦い、暮らしてきたあの時間を私はまだ終わらせたくないのだ。そなたらが天柱の塔へ赴くと言うなら、私も共に行こう」

「キズメルが来てくれるなら、すごく心強いけど、任務はいいの?」

「問題ない。私はキリトとアスナを守ると決めたのだ。その行き先が天柱の塔になったことなど、些細なことさ」

 

 今度こそ信じられなかった。

 NPCが自らの感情に基づいて言葉を発し、役割の拡大解釈をして行動範囲を広げるなんてことが、本当にあり得るのだろうか。現実の人間がキズメルを操っている可能性は、限りなく低い。ならば、彼女の意思は、言葉は、一体どこから生まれているというのか。

 

 迷宮区攻略に意気込むキズメルの手を取るアスナだったが、

「……あんたの相棒はどこにいるんだ? もしかしたら、あんたがここでオレたちを足止めしている間に、キーアイテムを預かった相棒がクエストを進めてたりするんじゃないか?」

 リンドがそう言った瞬間、ライトブラウンの瞳を丁字路に向ける。

 

 ここにアスナがいることから、リンドの指摘は完全に的はずれだ。しかし、アスナの居所を知らないキリトは、リンドの指摘を容易に否定することもできず、固く口を閉ざした。

 それを見たDKBとALSのプレイヤーは、今までの鬱憤を晴らすかのように、罵詈雑言の嵐をぶつける。

 離れていても届く非難の声に、エリスは恐怖のあまり目をそらし、耳をふさいだ。アルスはエリスの肩に手を置きながら、ビーターという汚名とともに、キリトが請け負ったものの大きさを知り、忸怩たる思いを募らせる。

 

「……なんでよ」

 

 隣でアスナが小さく言葉を漏らす。鈴を転がしたような少女の声に、身が竦みそうになる怒気が含まれていた。

 

「なんでそんなひどいことが言えるのよ。キリト君がどれだけあなたたちのことを考えて、どれほどのものを背負って戦っているのか、どうしてわかってくれないのよ。キリト君に助けてもらってることに、どうして気づかないの」

 

 エリスとそう変わらぬ年頃の少女が、目を背けることも、耳をふさぐこともせず、凄絶な光を瞳に宿らせ、怒りに震える手で腰に煌めく銀色のレイピアを握っている。

 フォレストエルブン・ハロウドナイトを倒したという話が、今ならば信じられる。可愛らしい容姿をしているが、アスナは高潔な意志と強さを秘めた獰猛な女戦士だ。

 今にも抜剣し、丁字路に飛び出しそうなアスナを、キズメルが後ろからそっと抱きしめる。彼女たちの姿は、どことなく妹をなぐさめる姉のように見えた。

 

「落ち着け、アスナ。そなたが同胞を斬ることなど、キリトは望んでいない。今すべきことは、キリトの隣に立って一緒に重荷を背負ってやることだ。違うか?」

 アスナはキズメルと一瞬目を合わせると、小さく頷いた。

「そうよね」

 

 アスナはレイピアから手を離し、瞳を一度伏せてから、男たちのいる丁字路へ射るような眼差しを向ける。

 

「キズメル。私はキリト君のところへ行くわ。あなたもマントで姿を消してついてきて」

「心得た」

 

 キズメルが頷き、紫色のマントを纏って姿を隠すと、アスナはアルスとエリスへ目を向けた。

 

「あなたたちは、どうされますか?」

 

 その問いは、かすかだが助力を求めているように聞こえた。

 元ベータテスターであれば、キリトに力を貸してくれるかもしれない、アスナはそう考えたのだろう。彼女の言葉には、キリトを助けたいという強い思いが込められている。

 

 正直なところ、キリトの力にはなりたい。だが、ベータテスターと知られている自分が、ビーターのキリトに手を貸せば、彼の行動は無に帰してしまう。キリトがビーターとなったように、今の立場だからこそできることをするのが、自分たちの役目だ。

 

「すまないが、今は一緒に行けない。俺はビーターになるわけにはいかないんだ」

「……わかりました」

 

 アスナは少し残念そうだったが、こちらの真意を理解しているのか、その表情に非難の色は見えなかった

 

「こんなことを言える立場じゃないが、今キリトを支えてやれるのは君だけだ。キリトの隣にいてやってほしい」

「……はい」

 

 少し恥ずかしそうに応え、アスナは丁字路へ向かおうとした。が、突然足を止め、再びアルスと向き直る。

 

「最後に一つだけ言わせてください。……あの時は本当に助かりました。キリト君と出会えたのは、あなたたちのおかげです」

 

 言い終わると同時に、アスナはフードを被って顔を隠した。その出で立ちは、一層の迷宮区で出会ったソロのフェンサーと瓜二つだ。

 

「そうか。君は、あの時の……」

 

 アスナは小さく会釈し、凛とした声を夜の森に響かせた。

 

 

 

 

 

 アスナとキズメルの登場によって、状況は一変した。

 両ギルドが話し合った結果、ALSとDKBは共にキャンペーン・クエストを放棄し、迷宮区の攻略を始めることとなった。キリトたちはクエスト検証の任を与えられ、明日の夕方までにクエストのクリアを目指す。ひとまずこれでギルド同士の抗争は回避された。

 ALS、DKB、キリトたちが去った後、アルスとエリスも街への帰路についた。

 

「キリトさんとアスナさん。大丈夫かな」

 

 エリスが不安そうに、キリトたちが去って行った南の森を見つめる。

 

「あとの四章を明日の夕方までにクリアするのはかなり厳しいが、ベータテスターのキリトにエリートMobのキズメルがいるんだ。どうにかなるだろ」

「それならいいんだけど。それと……私たちはどうするの」

「そんなの決まってる。片方だけじゃ検証としては不十分だからな。俺たちは森エルフ側でクエストをクリアするんだよ」

 

 

 

 夜が明けて、目を覚ましたパーティーメンバーに、深夜に起きたことの経緯をかいつまんで話し、急いで第十章《秘鍵奪還》のクエストに挑んだ。

 キリトたちは第六章をクリアしたところで、アルスたちは今第十章。互いのクエストを完遂させるためには、この差を縮めるわけにはいかない。

 

 強盗たちが逃げ込んだ洞窟内部は、地下二階の広大なダンジョンになっている。出現するモンスターは現在のレベルでは苦戦するほどでもなく、正午には地下一階のボスを討伐し、地下二階へ続く階段を降りた。

 時折安全地帯で小休止を挟みながら奥へ進み、最奥部にある盗賊たちのアジトへ到着すると、秘鍵を奪った堕ちた(フォールン)エルフたちとの戦いになる。

 

 フォールンエルフは、かつて聖大樹の力を我が物にしようとし、逆に呪われて追放されたエルフたちの末裔だ。その肌は壊死したように黒ずんでおり、美麗なエルフと同族とは思えない醜悪な姿をしている。

 アジト最奥部で対峙するボスは《フォールンエルブン・コマンダー》。二メートル近い細身ながら立派な体格を持ち、業物と思われる曲刀と、精緻な細工が施されたバックラーを装備している。取り巻きは《フォールンエルブン・サージェント》という、それまで戦ったフォールンエルフの上位個体が五体もいる。クエスト最終章にふさわしい難敵だ。

 

 秘鍵を取り返そうとするプレイヤーたちに、怨嗟の言葉を言い放ったコマンダーは、自らの曲刀を抜き、サージェントたちに突撃の指示を出す。

 

「「オオォォー」」

 

 突撃してくるサージェントの前にビルとカインが立ちふさがり、二人同時に《威嚇》を発動した。五体のサージェントによる攻撃を、二人はお互いの死角をカバーし合いながら、ひるまずに防御し続ける。その後ろからダイモンが長槍で敵の動きを阻害し、エリスとラスクは敵の間を縦横無尽に動き回って攻撃しつつ撹乱する。そして、アルスは一人でコマンダーに挑んだ。

 

「ほう、一人で向かってくるとは。やはり人族は愚かだな!」

 

 コマンダーが振り下ろす曲刀を、スター・キャスターで迎え撃つ。二本の剣が衝突し、星の瞬きに似た火花が、苦悶の表情を浮かべるコマンダーの顔を照らした。

 

「こ、この」

「フッ」

 

 再び迫る凶刃へ一閃。

 曲刀とともに弾かれたコマンダーが後退し、今斬り結んだ者の正体を探るように、目を見開いた。

 

 先日のネフィラ・レジーナとの戦いで、カインとビルがどう頑張っても、アルスが攻撃をすればタゲが移ってしまうのは避けられないとわかった。敵のタゲが突然変われば混乱するし、盾持ちの二人と両手剣持ちのアルスとでは、同じ前衛でもスイッチのタイミングが変わってくる。その結果、戦闘に障害が生まれるのであれば、最初からアルスがタゲを取り続ける方が、危険は少ないという結論になった。

 無論、スター・キャスターのスペックの高さがあってこその戦略なので、上の層に進んでいけばまた戦い方を変えなければならない。だが、現状ではこれが最善だ。

 

 片手曲刀と両手剣がぶつかり合えば、後者に軍配があがる。コマンダーは剣での打ち合いは不利だと判断して、盾での防御に切り替えたが、スター・キャスターの刃は決して性能が低くないその盾に阻まれてもなお、コマンダーにダメージを与えていき、二段あったHPゲージは、いつの間にか残り一段となっていた。

 果敢に斬りかかってくるコマンダーの曲刀を、剣で受けて鍔迫り合いになると、突然小声で語りかけてきた。

 

「驚いたぞ、人族の剣士。これほどやられたのは、ノルツァー将軍と手合わせした時以来だ」

 

 追放されたとてエルフ族なので、会話用のAIが組み込まれているのは当然だが、戦闘中に話しかけてくるのは意外だった。それにノルツァー将軍という名前には、覚えがない。

 

「これほどの腕がありながら、フォレストエルフの尖兵として使われるのはあまりに惜しい。人族の剣士よ。我らの元で共に戦わぬか? 貴殿なら将軍も厚遇なさるはずだ」

 

 コマンダーの話を聞いて、RPGでは有名な「世界の半分をくれてやる代わりに、自分の部下となれ」、と言ってきたラスボスのことを思い出した。古来からこの手の質問は、プレイヤー側に断る以外の選択肢がないのが定番だ。

 だが、VRMMORPGであるSAOでは、プレイヤーの行動の自由度がかなり高い。当然バッドエンドルートにつながる危険性もあるが、もしかしたら、ここで提案に乗れば、本当にフォールンエルフと手を組むことができるのかもしれない。

 

 もともと、森エルフに手を貸したのは、ボスクエストの調査のためだ。情報と報酬さえもらえれば、どのエルフの元で戦おうと、さして違いはない。もしベータテストの頃であれば、報酬の量を天秤にかけて、答えを選んでいただろう。

 

「一つ訊きたい。お前たちが秘鍵を奪うのは、何のためだ」

 

 ベータテストの頃、六本の秘鍵を使って開くことができる聖堂が一体どんなものなのか、詳細な説明を聞くことはできなかった。なので、質問をはぐらかされるかとも思ったが、コマンダーは一瞬眉をひそめただけですぐに答えた。

 

「そんなことも知らずにエルフに手を貸しているのか。秘鍵を集め聖堂が開かれた時、我らを追放したエルフ共を滅ぼすための力が手に入る。貴殿が望むなら、人族に残されたまじないの力を我がものとし、支配することも可能だろう」

 

 その答えを聞いて、完全に腹積もりは決まった。

「そうか」

 両腕に力を込め、曲刀ごとコマンダーを斬り飛ばした。愕然とするコマンダーに、スター・キャスターの切っ先を向ける。

 

「俺が今日まで戦ってきたのは、守りたい人たちがいるからだ。仲間を守るためでなく、同族を滅ぼすために戦うお前たちに、手を貸すことはできない」

 

 コマンダーは諦観したような空虚な笑い声をあげて、武器を振りかぶった。すでに五体のサージェントは倒れ、残りはコマンダー一体のみ。彼の中ですでに負けを覚悟していたのだろう。

 たとえ勝ち目がないとわかっていても、戦い続けるのがボスモンスターの宿命だ。

 

「ならば仕方ない。私も一人の兵士として、戦場で生き続ける覚悟を決めている。貴殿と刃を交えたことは、冥府での武勇伝とさせてもらおう」

 

 六人でコマンダーを打ち倒した後、「後悔するぞ」と言い残して、呪われた肉体を泥のように溶け崩し、一人の兵士が戦場で息絶えた。

 

 

 

 アジトの奥で秘鍵を取り戻し、再び森エルフの兵士と共に東の霊樹へ向かい、今度は妨害されることもなく四層へ秘鍵が運搬され、第三層のエルフクエストは完了した。

 だが、最後に確かめなくてはならないことがある。このクエストがボスクエストであるか否かということだ。

 野営地の司令官から提示された最後の報酬アイテムリストを、六人で隅から隅まで読み込んだが、報酬アイテムの中に、フロアボスと関連のありそうなアイテムは確認できなかった。

 キバオウが主張した特効アイテムの存在は、やはり誰かが流したデマだったのだろう。万が一のことを考えて全員で別々のアイテムを選択し、これで本当にクエストは終わった。

 

 と思ったのだが、司令官のエルフが最後に一つだけアドバイスをくれた。

 曰く、フロアボスは毒攻撃を使うので、解毒ポーションを持っていくように、と。

 一層、二層に比べると驚きに欠けるが、重要な情報であることには違いない。ここまでに得られた情報を全てアルゴに伝え、主街区ズムフトの宿屋に入った。

 

 夕食をNPCレストランで済ませると、明日の予定について話し合った。フロアボス戦は二十一日の予定なので、それまでは三層に留まることになる。

 エデンをはじめとしたベータテスターたちによって、エルフ戦争クエストを除くクエストの調査は終わっている。迷宮区の攻略はALSとDKBがやっているので、下手に手を出すべきではないだろう。

 

 今日までエルフ戦争クエストにかかりっきりで、他のクエストをやっていなかったので、効率のいいクエストをやった方がいいのではないか、という話になったところでダイモンがメッセージを打ち込んだ。

 

【それでしたら、ギルド結成クエストをやりませんか?】

「あら、いいわね。ベータじゃ結局ギルドは作らなかったし、せっかく時間があるんだもの」

 

 ラスクの言うように、ベータテストでは三人で固定パーティーは組んでいたものの、ギルドは作らなかった。理由は、作ってもひと月足らずでなくなってしまうことがわかっていたので、なんとなく面倒に思えてしまったからだ。

 

「ギルドかー。やっぱり名前は、覚えやすくてかっこいい方がいいよね」

「ギルドマークも作れるんだよね。いいデザインを考えておかないと」

「ビルのセンスは、あまり信用できないけど」

 

 もうすでにギルドができたかのように、エリスが名前の候補をあげていき、ビルはダイモンから紙とペンを借りて、ギルドマークのデザインラフを描き始める。

 その中でアルスは、あの面倒なクエストを明後日の昼までに終わらせられるか、不安に襲われていた。

 

《続く》




エルフ戦争クエスト(一部オリジナル)
三層
   黒エルフ側 森エルフ側
一章 翡翠の秘鍵 翡翠の秘鍵
黒エルフと森エルフのエリート騎士から、どちらか一方を選択し、共闘してもう一方の騎士と戦闘を行う。エリート騎士の強さは七層上位クラスで、プレイヤーのレベルが二十近くないと、敵騎士を倒すことは困難なうえ、仮に倒せても死に際に敵が聖大樹の力で相打ちに持ち込もうとし、味方のエルフがそれを防ぐために犠牲になってしまう。


二章 毒蜘蛛討伐 毒蜘蛛討伐
両種族共通のクエストで、どちらも女王蜘蛛の洞窟に入り、徽章の回収とボスの討伐を行う。不思議なことにどちらの種族のクエストでも、徽章が同じ小部屋の中に落ちており、ベータテスターの間では死に際に敵対種族であるエルフ同士が共闘したという説と洞窟の中で遭遇し、相打ちになってしまったという説のどちらが正しいかで、議論が行われた。

三章 手向けの花 手向けの花
両種族共通のクエストだが、種族ごとに手向ける花が異なっており、採取アイテムが変化するという微妙な違いがある。

四章 緊急指令  緊急指令
敵野営地の偵察に向かったエルフを、敵エルフの追撃から守り、自軍の拠点まで護衛するというクエスト。黒エルフ側では野営地まで連れて行くことになるが、森エルフ側では森の中にあるキャンプ地で保護してもらう。

五章 消えた兵士 撃退
四章で救出したエルフが、敵エルフの変装だと判明し、裏切られるクエスト。黒エルフ側では敵エルフに秘鍵を奪われ、逃走先である森エルフのキャンプを見つけ出さなくてはならない。森エルフ側では、キャンプ地の黒エルフが野営地への侵入は困難だと気付き、援軍を呼んでキャンプをを襲うので、それを防衛するクエストとなる。

六章 潜入    物資運搬
五章の後始末的なクエスト。闇エルフ側は森エルフのキャンプ地から、秘鍵を盗み出すよう記された指令書と、前章で奪われていた場合は秘鍵を取り返さなくてはならない。隠蔽スキルがあれば盗み出すことも可能だが、なければ敵エルフを倒し、奪い返すことになる。森エルフ側は前章の戦いが熾烈なためか、比較的簡単な内容で、野営地から補給物資を届けるのみである。

七章 蝶採集   狼退治
どちらも野営地を探る敵の斥候を倒すという内容。闇エルフ側では、森エルフが放った蝶を倒さなくてはならない。投剣スキルがあれば楽だが、ない場合は小石を必死になって投げることになる。森エルフ側では、野営地を探ろうとする黒エルフの狼使いを討伐するクエストとなる。こちらは匂いをたどって敵の方からやってくるので、強敵ではあるが見つけるのは容易。

八章 西の霊樹  東の霊樹
秘剣を四層へ運ぶために、エルフのみが使える上層へと転移できる霊樹へ味方のエルフ兵と共に、秘鍵を護送する。その道中でアンノウン・マローダーから秘鍵を奪われる。敵を倒していくと最後の一体が煙玉を使い、秘鍵を奪っていく。なお、範囲攻撃などを用いて全滅させることに成功しても、隠れていたもう一体が同じことをするので、秘鍵を守る手段はない。

九章 追跡    追跡
前章で鍵を奪った敵にぶつけた発光薬が森の中に落ちていき、それを追って襲撃者のアジトを特定するクエスト。夜間や暗視能力があると、光る目印を見つけやすい。

十章 秘鍵奪還  秘鍵奪還
前章で見つけたアジトに侵入し、最奥部にいる襲撃者の正体であるフォールンエルフを討伐して、秘鍵を奪い返すクエスト。ボスであるフォールンエルブン・コマンダーのHPをエルフの助力なしで一段削りきると、実力を認められ、フォールンエルフ側に勧誘される。フォールエルフ側でクエストを進めていくと、他のクエストでは手に入らない強力なアイテムを手に入れることができる。


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第十四話 証を作る者

 SAOのシステム的なプレイヤー同士の関係は、四種に分けられている。
 一つ目が何のつながりもない赤の他人。
 二つ目が相互の了承によって成り立つフレンド。
 三つ目が異性のフレンドに受け入れられることでなれる結婚相手。
 四つ目がギルドリーダーの承諾によって在籍できるギルドメンバー。


 これらを現実での関係性に言い直すとどうなるか。
 赤の他人は文字通りの他人。フレンドは友人。結婚相手も現実と同じパートナーと言えるだろう。しかし、ギルドメンバーだけは意見が分かれる。
 ある者は家族と呼び、ある者はサークルと呼び、ある者は軍隊と呼び、またある者は互助団体と呼ぶ。

 ギルドを作る目的も人よって様々だ。
 ある者は自らの名声や力を誇示するために。ある者はパーティーの戦闘力を上げるために。ある者は仲間とのつながりを明らかにするために。またある者はより強い絆を手に入れるために。

 しかし、ギルドに所属する者たちの間で共通するものが一つだけある。
 それはギルドの印章が、自分たちのつながりを示す証であるということだ。



二〇二二年十二月二十日 

 

 キリトたちがフォールンエルフのアジトを目指しているであろうその頃、アルスたち六人はズムフトの北側にある巨大樹《ユーツリー》の螺旋階段を上っていた。

 時代設定を考慮してか、この木にはエレベーターもエスカレーターもなく、プレイヤーはこの螺旋階段で移動しなくてはならない。肉体的疲労がない仮想世界だからいいが、もし現実だったらとっくに腿が痛くなっていただろう。

 数分かけて二十階まで上りきり、町長の部屋へ向かうと、部屋の前に見知った顔があった。

 

「あれ……アラシ」

「アルス。久しぶりだな」

 

 装備はだいぶ変わっているが、そこにいたのは一層で強盗団相手に共闘した長槍使いの少年で間違いなかった。アラシの周囲には、パーティーメンバーらしき男女が五人いる。

 

「もしかして、ギルドを作りに来たのか」

「まさか、アルスもか。なんだ、とっくにギルドを作ってると思ってたぜ」

「三層に来てからずっと、他のクエストにかかりっきりでな。昨日ようやくクリアできたんだ。えっと、アラシがギルドリーダーになるのか?」

「俺じゃないよ。うちのリーダーはあの人」

 

 そう言ってアラシが示したのは、長い赤髪を後ろで束ねた見覚えのない女性プレイヤーだった。年齢は三十代半ばぐらいだろうか、板金鎧と両手鎚を装備しているが、エプロンを着て台所にいる方が似合いそうな優しそうな女性だ。

 

「こんにちは。リーダーを務めるリデルと言います」

「初めまして、俺は……」

「あら、初めまして、ではないでしょう。アルス」

「え!」

 こちらの名を知っているからには、面識があるはずだが、改めてリデルの顔を見ても見覚えはない。

「鍛冶師リデル。この名前を忘れたの?」

「あっ……」

 

 鍛冶師リデル。ベータテスターでその名前を知らない者は少ない。

 ベータ時代にいた生産職プレイヤーの中では、トップクラスの鍛冶スキルを持ち、細工スキルでオリジナルのエンブレムを入れた彼女の武器は、一つのブランドにすらなっていた。

 ベータテストでリデルが作った武器を使ったことはないものの、何度か行列に並んで武器の強化を依頼したことがある。

 

「アルスなら気づいてくれると思ったのに、こんなおばさんじゃ、わからないってことかしら」

「いや、そんなことは……すぐに気づけなくてすまない」

「フフッ、あなたは全然変わっていないようね」

 

 いつまでも二人だけで話してるわけにもいかないので、お互いのメンバーを紹介しあった。ラスクとダイモンがベータテスターであることにリデルは気付いただろうが、そこには触れてこなかった。

 

「でも、なんでリデルがギルドを? ベータの頃は興味がないとか言ってなかったか」

「前とは事情が変わったのよ。私はね、あのチュートリアルの後、生産職志望者を集めた寄合みたいなものを作ったの。最初は少人数だったけど、戦闘を恐れたプレイヤーたちが少しずつ集まってきたわ。けど、彼ら全員分の道具や素材を用意するのは、資金的に無理があった。そんな時にアラシと会ったのよ」

 リデルはアラシを見ながら微笑を浮かべた。

「この子は友達を仲間に入れる代わりに、素材と資金の援助を申し出てくれたの。さすがに、それじゃあ申し訳ないから、無償で装備の補修と強化をすると言ったけどね。その話が広まって、私たちに協力してくれる戦闘職の人が増えてきたの。私たちがギルドを作るのは、今の関係に目に見えるつながりを作るためよ」

 

 つまり彼女は、生産職と戦闘職が協力し合えるギルドを作るつもりなのだろう。ギルド内で素材の収集、アイテムの生産を分担すれば、より効率的にアイテムを作成することができる。もしリデルの理想が実現すれば、SAOにおける生産職の活動は、今よりもはるかに活発になる。

 

「すごいな。俺たちが前線で戦ってる間に、リデルも頑張ってたんだな」

「ええ。ゲーム攻略は戦うことだけじゃない。そう考えてもらうためにも、一刻も早くギルドを結成するわ。したいんだけど、ね」

 

 リデルは町長の部屋の扉に目をやり、(じれ)ったそうに右手を振ってメニューで時間を確認する。

 

「先客がいるのか」

「私たちがここに来てから、もう二十分は扉は閉じたままよ。そろそろ町長の話が終わって、クエストが進行してもいい時間だと思うんだけど」

 

 リデルが言い終わるのとほぼ同時に、町長の部屋の扉が開いた。

 部屋から、クエストを受注してきたと思しき六人パーティーが、ぞろぞろと出てくる。やや軽装なプレイヤーが多く感じるが、彼らの装備は三層でなら十分通用するものだ。前線では見ない顔だったが、不思議なことにその顔ぶれはどこか記憶に引っかかった。

 アルスやリデルが待っていたことに気づくと、パーティーの先頭を歩く男が芝居掛かった動きで帽子を取り、深く頭を下げる。

 

「これは皆さん。お待たせしてしまい、申し訳ございません」

 

 男は長身で細身の美青年だが、その容姿を台無しにするような装備をしている。防具は眩しいほどに目立つ黄色の革ジャケットとスラックスに、同じ色のシルクハット。手に持っているのは、ファッション用か戦闘用か判断に迷うステッキ。芸人とマジシャンをごっちゃにしたようなその姿は、あまりに異質で奇妙だった。

 もし声を聞かなければ、奇異な男と思うだけで、それ以上気に留めることはなかっただろう。

 

「……エルドラ」

 目の前で頭を下げている男の名が口から漏れ出る。この男こそ、アルスがアラシたちと出会うきっかけを作った強盗事件の首謀者だ。

 

「てめぇ」

 固く拳を握り、今にもエルドラに殴りかかりそうなアラシの肩を、防止コードが働かないギリギリの力で掴む。

 

「落ち着け。手を出したところで、何も意味はないぞ」

「……わかってる」

 

 言葉とは裏腹に、アラシの手から力は抜けない。エルドラがやったことを考えれば、アラシが怒るのも無理はない。

 ただ、数日前にアルゴからもたらされた情報が正しいのだとすれば、エルドラを責めるべきではないのかもしれない。

 アラシの肩を掴んだまま、エルドラを見据えて問いかける。

 

「お前、今までの被害者に慰謝料を払ったと聞いたが、本当か?」

 

 エルドラは頭を上げ、能面のように表情を変えることなく答えた。

 

「おや、よくご存知で。確かにそんなことをしましたね」

「なぜあんなことをしたんだ?」

「あんなこと、とは?」

「他のプレイヤーを襲ったこと、それに慰謝料のこと、両方だな」

「なるほど。そうですね……」

 

 その瞬間、能面のようだったエルドラの顔が、自嘲するように笑う。

「ゲームだと思いたかったから、ですかね。何日経ってもログアウトできない世界に嫌気がさして、ここはゲームだと思い込むようにしたんです。だから私はゲームを楽しんでいました。……ですが、あの戦いでHPが残りのわずかになった時、死の恐怖を知ってしまったんです。ゲームだから死ぬわけがない、といくら思い込もうとしても、恐怖は消えなかった。それで思い知らされたんです。やっぱり、これはゲームではないのだと。だから、足を洗うことに決めました。慰謝料を払ったのは、そのためのケジメですね」

 

 ベータの頃からタチの悪いオレンジで、デスゲームになっても同じことを続けていたエルドラに、正直いい感情は持っていなかった。だが、エルドラも自分たちと同じ茅場晶彦の虜囚であり、望んでここにいるわけではない。

 誰もが皆手段の差はあれ、この理不尽に抗おうとしている。エルドラはその手段を間違えたがために、敵対してしまったのだ。

 

「皆さんにも謝らなくてはなりませんね。あなたがたに武器を向けたこと、大きな迷惑をかけたこと、全メンバーを代表して謝罪いたします」

 

 パーティーメンバーとともに、再びエルドラは深く頭を下げた。今度はわざとらしさなどは感じられず、はっきりとした謝意が伝わった。

 さすがのアラシも怒りを抑え、敵意のある視線を向けることはなくなっていた。

 

「謝罪の言葉、確かに受け取った。今回のことはこれ以上訊くつもりはない。だが、もしまたお前がオレンジになっていたら、問答無用で叩き斬るから覚悟しとけ」

 

 冗談混じりにアルスが言うと、エルドラは顔を上げ、口角を上げながら答えた。

 

「わかりました。そうならないよう気をつけますよ。あなたに斬られるのは、もうこりごりですからね」

 

 

 

 

 

 

 

 エルドラたちが去った後、リデルのパーティーが町長の部屋に入り、しばらく待ってようやくアルスたちが部屋に入る番となった。

 町長の部屋は壁に絵が飾られ、応接用のソファとテーブル、それと奥に大きな木製のデスクが置かれている。町長はデスクで何か書き物をしていたが、アルスたちが部屋に入ると手を止めて席を立った。

 

「旅の剣士たち。私に何か用か?」

 頭上に金色の【!】マークを浮かべている、口髭を生やした小太りの町長に、アルスはクエスト開始のキーワードを言った。

「はい。町長さんが持っている印章(シギル)についてお聞きしたくて来ました」

 町長の頭上にある【!】マークが【?】マークに変化し、町長は嬉々とした笑顔でソファを勧めてくる。

「そういうことなら、かけなさい。シギルのことを話すなら、そうだな……この町がどうやってできたのかを話したほうがいいだろうな」

 

 そこから、町長が町の歴史について長々と話し始めた。

 要約すると、ズムフトにある三本の大樹は、それぞれ別のグループが彫り進めていて、三グループは互いにいがみ合っていた。そんな彼らをこの町長の先祖にあたる人物がまとめ上げ、無事町を完成させた。その偉業をとある国の王に認められ、ギルドリーダーの証となる指輪のシギルとシギルの製法を授けられた、という話だ。

 その話を、町長はまるで自分の功績であるかのように自慢げに話し、実際に見たかのように事細かに説明してくれた。そして、三十分ほど経って、ようやく話し終わると立ち上がった。

 

「シギルは町長の証として受け継がれ、隣の部屋で保管している。よかったら見ていきなさい」

 町長はアルスたちを連れて隣の部屋へと繋がる扉の鍵を開け、中に入った。と、同時に大きな声を上げる。

「おい! いったい何があった」

 

 町長に続いて入った部屋は、壁に沿って高級そうな机が並べられ、その上には何の価値があるのかわからない小物や証文が並べられていた。部屋の中央には、ひときわ豪奢な台座があるが、そこには何も置かれていない。

「目を覚ませ。何があったんだ」

 町長は台座の横で倒れている兵士の頬を叩き、乱暴に肩をゆすっている。アルスたちも手伝うと、兵士は目を覚まし、ゆっくりと口を動かした。

 

「町長……すみません……何者かに……シギルを……奪われまし、た」

「なんだと、あれは我が一族の、いやこの町の宝だぞ。それが盗まれるなど」

「申し訳、ありません……どのような……罰でも」

「わかっとるお前はクビだ。クビになる前に答えろ。犯人はどんなやつなんだ?」

 兵士は必死に思い出そうとしたようだが、首を横に振った。

「すみません……不意を……つかれて」

「チッ、最後まで使えんやつだ」

 

 町長が舌打ちして立ち上がると、兵士はまた気を失ったのか目を閉じてしまった。クビにした以上、もう関係ないとばかりに兵士のことを無視して、町長は台座の周りを歩きながらブツブツと言い始める。

「このままシギルが戻らないと、町長としての威厳が……いや、盗まれたと知られただけでも民の信用が……やはり、盗まれたと知られるわけには……そうなると、むやみに兵は動かせんし……」

 足を止め、町長はアルスたちにクエストを依頼する。

 

「旅の剣士たち。お前たちでシギルを取り返してきてくれ。ただし、町の者たちにシギルが奪われたことを悟られてはならん。もしできたら、お前たちの望むシギルを作ろう」

 

 

 

 

 

 ギルド結成クエストは、エルフ戦争クエストと同じように幾つかの小クエストをクリアしていく形式をとっている。このクエストの大きな特徴は、同じクエストでも複数のクリア方法があり、クリア方法によってルートが分岐していくということだ。そうなっている理由は、戦闘を行わずにクリアできるルートを作ることで、非戦闘職のプレイヤーでもギルドを結成できるようにするためだろう。

 だが、戦闘無しでクリアするルートは、大量のコルを消費するか、時間を浪費するかのいずれかなので、結局戦えるなら戦うのが一番手っ取り早く、コストも少なくて済む。

 

 街中にいるNPCに話しかけてクエストを受け、シギルを盗んだ泥棒の足跡を追い続けた。

 集まった情報から、泥棒は三人組で、どうやら街の外へ逃げたらしいということがわかり、森の中で目撃者を探すことになった。

 

 

 日が暮れた森の中を探索していると、薬師だという初老の男と出会った。薬師が言うには、村で蜘蛛の毒に侵されて苦しんでいる木こりがいるらしく、薬を作るために女王蜘蛛の洞窟にある紫色の発光苔を探しているのだそうだ。

 その木こりは蜘蛛に襲われる直前に、怪しい三人組を見たということなので、話を聞くために薬の材料を取りに行く、というクエストだ。

 女王蜘蛛の洞窟は一度行った場所なので、迷うことはなく紫の苔が生えている地下二階へと到達できた。ただ、ここには厄介な敵がいる。

 

「またこいつか」

 うなり声と地響きが聞こえ、アルスは松明を乾いた床に置き、背中のスター・キャスターを抜いた。

 闇の中から現れたダンジョンのボス《ネフィラ・レジーナ》は、銀の模様が入った紫色の体を揺らしながら突進してくる。

「キシャアアァァー」

 気色の悪い叫び声をあげながら振り下ろしてくる牙を剣で受け止め、後ろにいるパーティメンバーに指示を出す。

 

「カイン、ビル、ダイモンは俺と一緒にボスを抑えてくれ。エリス、ラスクは二人でアイテムの回収だ」

 このダンジョンは緑色の発光ゴケが生えているぐらいで、照明となるものが少なく、ほとんど真っ暗闇に等しい。戦闘に必要な最低限の範囲を照らすために松明を使っているのだが、そうすると必然的に片手が埋まってしまう。

 カインとビルは盾を持つために松明を持てず、両手武器を使うアルスとダイモンは戦闘の際には松明を手放す必要があるので、ここで床や壁に松明をおいて戦い、片手武器使いのエリスとラスクは松明を持ったまま探索を行う。

 このボスとは既に一度戦っているので、四人ともすぐ攻撃に対応し、着実にHPを削っていく。

 

 五分ほど戦闘を続け、二本目のゲージを半分ほど削ったところで、苔を取りに行っていたエリスとラスクが戻ってきた。

「アイテムはあったか?」

「うん。奥の方に少しだけ生えてた」

 エリスがストレージから紫色に光る塊を取り出した。毒々しい色合いをしているが、これでもれっきとした解毒アイテムの材料だ。

「よし、二人も攻撃に……いや、ジャンプ」

 ボスが跳び上がるのを見て、全員でジャンプする。

 

 ボスの着地時に発生する衝撃波を回避した直後、真っ暗な洞窟の天井を一筋の流星が横切った。

「ハアッ」

 白銀のライトエフェクトをまとったラスクが、急降下してネフィラ・レジーナの背に短剣を突き刺した。あれは《ストラト・シュート》というジャンプ中に発動可能となるソードスキルだ。

 ダメージを受けてボスが身悶えし、短剣はすぐに抜けてしまったが、ラスクの攻撃はまだ続いた。空中で体勢を整えて左足を伸ばし、体術スキルの《弦月》を発動してボスの複眼を蹴り上げ、着地するやいなや懐に飛び込んで間断のない連続攻撃を加えていく。

「みんな。あとちょっとよ。このまま押し切るわ」

 ラスクが攻撃しながらそう言うと、カイン、ビル、ダイモンがソードスキルを繰り出した。エリスも発光苔をストレージに戻してボスへと攻撃する。

 

 立て続けにソードスキルを喰らい、ノックバックしたネフィラ・レジーナの頭部を、両手剣垂直斬り《カスケード》で叩き斬る。ここでもスター・キャスターの攻撃力が活き、ネフィラ・レジーナはその巨体を爆散させる。

「ぐふっ」

 と同時に、くぐもった声が聞こえてきた。なにかと思うと、ラスクが顔に異様な物体を乗せて倒れている。

「おい、何があった」

 

 ラスクは顔に乗っていたものを投げ捨て、気分が悪そうに袖で顔をぬぐった。

「何か顔に落ちてきたの。ダメージも毒もないみたいだけど」

 捨てられたものは、濃い紫色のヌメッとした質感をもつ袋状の物体だった。試しにタップしてみると、《女王蜘蛛の毒腺》と表示される。ネフィラ・レジーナのドロップアイテムのようだが、ストレージに入らず、直接オブジェクト化したということは、どうやらこれもクエストアイテムのようだ。

「これも持って行ったほうがいいのか」

「私は気持ち悪いから、捨ててってもいいんだけど。あの薬師にあげましょうか」

 

 洞窟を出て発光苔と毒腺を渡すと、薬師は大いに喜んだ。特に毒腺は薬師にとって、とても興味深い調合素材なんだという。なんでも、紫色の苔は蜘蛛の毒を浴びた緑色の苔が、解毒物質を分泌した状態らしく、毒腺を使えば苔や他の植物に毒を与えて、同じような解毒物質を分泌する植物が作れる可能性があるのだとか。

 解毒薬で回復した木こりの証言をもとに捜索を続け、泥棒たちのアジトが見つかったところで、一度街へと帰還した。

 

 

 

 

二〇二二年十二月二十一日

 

 フロアボス戦が始まる正午にはクエストを終わらせるために、朝早くから森に入って泥棒たちのアジトへ向かった。

 アジトである洞窟の入り口では、岩陰に隠れながらローブの男が周囲を警戒している。

「よし、行け」

 

 アルスが指示した直後、ラスクがダッシュし、突進技《ゲイルスラスト》を発動させた。

「敵……ぐはっ」

 ローブの男はラスクが視界に入った瞬間大声を出すが、得物を抜く前にラスクの短剣で刺される。さらに遅れて飛び出したエリスの《ソニックリープ》による追撃を受け、大ダメージによるスタン状態になり、男は洞窟の前で倒れた。

 

「くそ。もう見つかったのか」

「もうすぐ約束の時間だってのに」

 男の仲間二人が洞窟から現れ、それぞれ腰の短剣を抜く。それを見るや、エリスとラスクは素早く反転し、近くの木立へ走った。男たちは素直に二人の後を追い、木立の中へ入った瞬間、二本の槍が行く手を阻む。新手の存在に気づいて男たちは下がるが、二人の槍使いが追随する。

 

「ハアアァァー」

 勇ましい声を上げながら、カインが突撃槍ソードスキル《スプラッシュ・スティング》の乱れ突きで、男の体から飛沫の如く赤いダメージエフェクトを迸らせる。

「…………」

 もう一人の男は、ダイモンが放つ光速の一突き《ルミナス・ストローク》によって、串刺しにされている。

 カインとダイモンは硬直から回復するや、森の中へと下がっていった。ダメージから回復した男たちは、追いかけるべきか洞窟へ退避するか迷って、足を止める。

 

 カーン。カーン。

 

 男たちの後ろで、鐘を鳴らしたような高い音が響く。二人は振り向いて、左手のメイスで右腕に装備したラウンドシールドを叩くビルの存在に気づいた。

 ビルはすかさず挑発スキルを発動し、男たちの標的を自分へと向けさせる。カインとダイモンにやられた二人だけでなく、ラスクとエリスの攻撃を受けた男もスタンから回復し、ビルに襲いかかった。

 

「ビル、スイッチだ」

 

 後退したビルと入れ替わるようにアルスが前に出て、緑色のエフェクトを帯びたスター・キャスターを、大きくテイクバック。ローブの男たちが持つ短剣の射程に入る前に、両手剣旋回斬り《サイクロン》が、三人をまとめて吹き飛ばす。既に手傷を追っていた男たちのHPは余さず削られ、その場で全員地に伏した。

 

 シギルを盗んだ男たちは、シギルを隠した洞窟から一定以上の距離は離れないというアルゴリズムが設定されているので、森の中へと逃げ込みながらダメージを与えていき、最後はスター・キャスターで一掃するという作戦をとったのだが、思った以上にうまくいった。

 プレイヤーの心理面を考慮してか、クエスト中に敵対NPCを倒した場合、HPが尽きても気絶という形で死なずにアバターが残り続ける場合がある。後にこの男たちは衛兵が連行していくらしいので、念のため持っていたロープアイテムで全員縛り付けた。

 犯人である男たちの捕縛が済んだところで、洞窟の中に隠されていた金色の指輪を探し出し、それによってギルド結成クエストのクリア条件が満たされる。

 

「これでクエスト完了?」

 シギルを持って洞窟を出ると、盾の耐久値を気にしていたビルが、そう訊いてきた。

「ああ、あとは町長にこの指輪を渡すだけだから、街に戻って……」

 その時、エリスが街のある方角を指差した。

「あそこ。衛兵の人たちが来たよ」

 不思議に思いながら、エリスが指す方向を見ると、ズムフトにいる衛兵と同じ格好をしたNPCが三人、こちらへ向かってきていた。

 

 エリスは衛兵たちに駆け寄り、二、三言葉を交わしてから、洞窟へ先導し始める。

 アジトの前で犯人の三人を確保する展開に変わったのだと納得しかけたが、脳裏に引っかかるものがあった。

 

 あの衛兵たちは、一体どうやってこの場所を突き止めたんだ。

 

 町長はシギルが盗まれたことを隠すために、衛兵たちを動かさないと言っていた。ならばあの衛兵たちは自分たちのように聞き込みをして、ここへ辿り着いたわけではない。そうでないのだとすれば、初めからこの場所を……

 そこまで思考が至るのと同時に、衛兵の中に見知った顔があることに気づいて、全てが繋がった。

 

「エリス。そいつらから離れろ!」

「っ……」

 聞き返すこともせず、エリスは素早く走り出した。衛兵たちは慌ててエリスに追いすがり、先頭の衛兵が手に持っていたハルバードを振り下ろす。だが、鋭い刃がエリスに届く前に、抜き打ちしたスター・キャスターがハルバードを弾き返した。

 

 ハルバードを構え直し、アルスと相対する衛兵の格好をした男は、怒りを孕んだ形相を浮かべ、頭上には真っ赤なカーソルを浮かべている。その男の顔は、このクエストの最初に盗人共に襲われて、町長からクビを宣告された衛兵と同じものだった。

「なるほどな。これで合点がいった」

 

 本来であれば、犯罪者相手に無類の強さを発揮する衛兵が、なぜさして強くもない盗人にあっけなく倒され、シギルを奪われてしまったのか。ベータテスターの間では、しばしば話されていた疑問の一つだ。その答えが今ようやくわかった。

 要するに、衛兵と盗人たちがグルだったということだ。それならば、シギルを盗むことなど容易いことだろう。なぜそんなことをしたのかは不明だが。ひとまず辻褄は合う。

 

 衛兵が敵だとわかり、他のパーティーメンバーも武器を手に臨戦態勢をとった。アルスの隣でランスを構えながら、カインが小さくため息を吐く。

「一体、どこでルートを変えてしまったんですか」

「ボス蜘蛛を倒したところかな。ともかく、こいつらを倒せば、今度こそ終わりのはずだ」

 

 

 

 

 どうにか三人の衛兵を返り討ちにし、昼前にズムフトへと帰還した。また階段を上って町長の部屋を訪ね、起きたことをありのままに話すと、町長は顔を真っ赤にしながら目を血走らせ、怒鳴って呼んだ兵士に捕らえた泥棒と衛兵の投獄を命じた。

 

 町長が席を外している間に兵士から聞いた話によると、今の町長は先祖の功績にあぐらをかくばかりで、血筋だけで町長になった態度だけデカイ無能、と兵士たちの間では思われていたらしい。そんな町長に不満を持つ者の一部が、今回の犯行を計画したそうだ。シギルがなくなったと知られれば、民の信頼は失われ、世襲で町長を決めるやり方が変わっていくだろうと考えて。

 

 少々複雑な気分で、町長から特別報酬という名の口止料をもらった後、ついにギルド結成の時が来た。

 アルスの前に表示されたギルド名入力のウィンドウを見やりながら、エリスが言った。

「それで、アルスはどんな名前を考えてきたの?」

「え……俺が決めるのか」

「もちろん、みんなで決めるけど、やっぱりアルスのギルドだから、最初に意見を聞いておこうと思って」

 

 一昨日の夜、ノリノリでギルド名を考えていたのに、真っ先に俺に聞くのかよ。

 そう心の内でぼやきながら、なんのアイデアも持っていなかったので、周囲を見ながら頭をひねった。そのとき目に留まったのが、エリスの腰に吊るされた二層のドロップ武器《ウィング・ブレード》だった。

 

 ……ウィング……翼か。

「なあ、二層でしたミノタウロスの話の続きは知ってるか」

 

 ラビリントスに住む怪物ミノタウロスが英雄テセウスに倒された話には、ちゃんと続きがある。

 テセウスはミノタウロスを討伐後、糸をたどってラビリントスを脱出するのだが、この方法を考えたのは、糸玉を渡したアリアドネではなく、ラビリントスを作り出したダイダロスという名匠だった。ミノタウロスの死にダイダロスが手を貸したことを知ったミノス王は、ダイダロスを彼の息子であるイカロスとともにラビリントスに幽閉してしまう。

 

 ダイダロスは迷宮の中で脱出の方法を考え、空を飛ぶ鳥を見て、飛んで脱出することを思いついた。

 ダイダロスが落ちていた鳥の羽をロウで繋ぎ合わせて二つの翼を作り上げ、無事二人はラビリントスを脱出する。しかし、息子のイカロスは空を飛ぶ快感に魅せられ、ダイダロスの言いつけを破って高度を上げすぎしまい、太陽の熱で蝋が溶け、翼を失ったイカロスは海へと落ちてしまう。これがギリシャ神話では比較的ポピュラーな、イカロスの翼の話だ。

 

 

「へー、イカロスの話は聞いたことあるけど、ミノタウロスの続きなんて知らなかった」

「ああ。イカロスは太陽を目指した為に落ちて死んだ、という部分ばかりが広まってるけど。そもそもあの翼が作られた目的は、牢獄からの脱出だったんだ」

 そこに含まれた意味に、カインがいち早く気づく。

「つまり、アインクラッドから飛び立つための翼。ということですね」

「そうだ。少し縁起の悪い名前かもしれないが、どうだろう?」

 

「いいんじゃないかしら。慢心してはならないって意味もあるし」

【シンプルで奥深い名前だと思います】

「昨日出した案は全ボツだったし、良いと思うよ」

 ラスク、ダイモン、ビルが賛成し、最後にエリスを見ると、腰の剣に手をやって、はにかみながらも笑顔で答えた。

「うん。すっごく良い名前だと思う」

 それぞれ考えていた名前があったにもかかわらず、咄嗟に考えた名前が満場一致で決まってしまったことを、少し申し訳なく思いながらウィンドウにギルド名を入力する。

 

《Icarus Wings》

 

 Yesボタンを押して、ギルド名とギルドのエンブレムが決まった。その後、町長から全員の手に一対の翼がデザインされた指輪が渡される。

 ギルドメンバー全員に与えられるシギル。この日、ただのパーティーだった六人は、ギルドという形で自分たちの絆を示す証を手に入れた。

 

 

 

 アインクラッドに誕生した新たなギルド《イカロスの翼》は、後に攻略組の一翼を担い、はるか先にある百層へ上るため、慢心することなく最後まで戦い続けた。

 だが、その名の意味をアルスが真に理解するのは、イカロスと同じく落ちた後のことだった。

 

《続く》




キャラ紹介

リデル
Player name/Ridder
Age/35
Height/164cm
Weight/55kg
Hair/ Red Long
Eye/Red
Sex/Female

Lv12(十四話時点)
修得スキル:《両手鎚》《長柄武器作成》《片手武器作成》《金属防具作成》

 長い赤髪を持つ女性鍛冶師。鍛冶スキルは現アインクラッドで最も高く、拠点としているはじまりの街では有名な職人。ベータテストでもトップクラスの鍛冶師として名が知られていた。
 ゲーム序盤から鍛冶スキルを上げており、はじまりの街で店を出すようになると、他の生産職希望者が話を聞きに集まるようになった。次第に生産職の力を求める戦闘職も集まるようになり、ギルドの原型が出来上がった。
 アルゴが強化詐欺の検証を依頼した相手がリデルであり、アルゴからの信頼も厚い。


エルドラ
Player name/Eldora
Age/18
Height/182cm
Weight/62kg
Hair/ Yellow Short
Eye/Yellow
Sex/Male

Lv13(十四話時点)
修得スキル:《片手棍》《隠蔽》《軽業》《解錠》

 黄色の髪に黄色の瞳、どこかの芸人に似た真っ黄色の服と、整った容姿以上に目立つ装いをした青年。ベータテストではPK集団の頭目として名が知られ、奇襲や搦め手が使える状況であれば、最前線のプレイヤーですら倒していた。
 本サービスでも一時期現実逃避のために、プレイヤーの装備を奪う行為に手を染めたものの、アルスとの戦いで瀕死となり、ここが現実であると思い知らされ、グリーンに戻ることを決める。ともに強盗を行っていたプレイヤーの中から、自分と同じように足を洗おうとする者を連れて、奪ったものを返すために金策に励むようになった。元のスキル構成もあってメンバーはややシーフ型に偏っており、解錠スキルを活かしてダンジョンで宝箱を開けることを得意としている。


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第十五話 馬を駆る者

いつまでも走り続けていたい。

最初はそんな動機だった。
幾度も落ちては同じことを繰り返し、現実で学んだ技術も駆使して、どうにか乗りこなせるようになった。
だが、いざ戦いになればそんな技術は役に立たず、逃げ惑うだけだった。

死の恐怖から逃げ続け、怯えるばかりの日々が変わったのは、自分が追う立場になった時のことだった。
目指す目標ができ、そこ目掛けて走り続けていられれば、何も考える必要はなかった。
自分の技術がどれだけの力を持つか気づいてからは、何も恐れることはなかった。

ただひたすら前を向いて、自分は走り続けていればいい。
たとえ向かう先が、緩やかな滅亡につながっているのだとしても。




 《イカロスの翼》結成からおよそ二十ヶ月が経ち、前線を戦うプレイヤーの顔ぶれは大きく変わった。特に大きな変革をもたらしたのは、二十五層のフロアボス戦だ。二十五層は二十四層をはるかに超える難易度に設定され、無謀にも単独でフロアボスと戦ったキバオウ率いるアインクラッド解放隊(ALS)の精鋭部隊が壊滅し、主力プレイヤーの多くを失うこととなった。それ以来、ALSは下層の治安維持に注力するようになり、前線に顔を出すことはない。

 

 ALSが抜けたことで、最前線で戦うプレイヤーたち通称《攻略組》の戦力は、大きく減ることになった。そこへ現れたのが、突如頭角を表したヒースクリフという男が率いる《血盟騎士団》というギルドだ。ドラゴンナイツ・ブリゲードから名を改めたギルド《聖竜連合》とともに、攻略二大ギルドと呼ばれるようになり、この二ギルドを中心に二十六層以降の攻略が進められるようになった。

 

 しかし、規模が大きかったALSの穴を血盟騎士団だけでは埋めることができず、イカロスの翼をはじめ、それまで表舞台へ出ずに力を蓄えていた七つのギルドが、攻略組へ加わるようになった。七つのギルドはいずれも、イカロスの翼と同じようにベータテスターがリーダーを務めるギルドであった。

 

 

二〇二四年八月十五日

 

 この日、アルスはアルゴから一つの依頼を受けた。

 依頼の内容はファーミングスポットが発見されたので、調査をして欲しいというものだ。ファーミングスポットというのは、モンスターのPOP速度が高く高回転でモンスターを狩り続けられる場所のことで、通常の狩場に比べてはるかに経験値効率が良い。そのため、プレイヤー同士で奪い合いになることもあり、攻略組ではファーミングスポットの情報は全プレイヤーで共有し、譲り合って使うべきであるという紳士協定がある。

 

 しかし、モンスターが大量に出るということは、効率がいいと同時に危険でもある。昨年末まで有名なスポットだった四十六層のアリ谷では、低確率だが高ステータスの女王アリが出現し、レベリング中のパーティーが死にかけたという実例がある。

 そのため、前もって有力なギルドによる調査が行われることになっており、今回イカロスの翼にその任務が回ってきた。

 

 最初は高効率の狩場を先に使えると喜びもしたが、それも場所を聞くまでだ。

 調査する階層は六十一層。主街区である湖に囲われた城塞都市セルムブルグは、アインクラッド内でも一、二を争うほどに美しく拠点としては人気の高い階層だが、湖から出た先のフィールドは通称むしむしランドと呼ばれ、狩場としては一、二を争うほどに不人気な階層だ。

 

 

 未だに人数の増えないイカロスの翼のメンバー六人は、気色悪い虫型モンスターを蹴散らしながら、六十一層のフィールドを進んでいた。

 アルゴから聞いたポイントはアインクラッドの外周付近にある丘の上で、道中の戦闘は決して少なくなかった。だが、最前線である七十層から九層も下にあるフィールドで苦戦することはなく、全員体力的にはほとんど消耗せずに目的地の近くまでやってきた。もっとも、精神力の方はかなり削られたが。

 

「ファーミングスポットがあっても、二度とここには来ないからね」

 エリスが半泣きになって、体についた巨大ナメクジ型モンスター《ブルスラッグ》の粘液を拭いている。改めてここで戦ってみると、攻略から三ヶ月近く経つまでファーミングスポットが見つからなかったのも、宜なるかなと思えてしまう。

 

 ようやくたどり着いた目的地は、枯れた二本の大樹を中心に倒木が転がる草地だった。大樹の周りには、真っ白な巨大アリが数匹見える。

 これまで倒してきたイモムシやらムカデやらに比べれば、まだ愛嬌があるように見えなくもないシロアリの姿を目にし、カインがホッと胸を撫で下ろす。

「アリか。よかった」

 ここで同じ社会性昆虫でも、蟻は昆虫綱蜂目だが、シロアリは昆虫綱ゴキブリ目であるなどと話せば、確実に士気が下がるので黙っておくことにした。

 

「でも、思ったよりモンスターが少ないね」

 大樹の方を見ながら、ビルがそう言った。言われてみれば、今見えるシロアリの数は数匹で、さして効率のいい狩場とは思えない。戦闘を始めた途端、あの大樹から新たな個体がわらわら出てくるというタイプの場所だろうか。

 

 戦闘開始前に調査方法の確認を行ってから、草地へと足を進めた。その直後、微かな物音が聞こえ、目の前に毒々しいほどに黄色い球状のアイテムが投げ込まれた。そのアイテムはすぐさまパンという破裂音とともに、周囲に黒煙を振り撒いた。

 

 視界が真っ黒に染まり、自分の手さえ見えない状況の中、アルスは目を閉じて仲間の名を呼ぶ。

「ダイ」

 それだけで意図は通じ、突如発生した強風が一瞬にして煙を吹き飛ばす。

 十層のとあるクエストをクリアしたことで、ダイモンが新たに修得した《扇スキル》だ。扇は打撃武器としての性能は最弱クラスだが、強風を起こすことでブレス攻撃の反射や煙幕の無効化などを行える。

 

 視界が晴れてくると、遠くから大きな足音を立てて何かが迫っていることに気づき、急いで散開し回避するよう指示を出した。

 その直後、六人の間を砲弾の如く駆け抜けていったそれは、中世の戦場で猛威を振るっていた騎士だ。 鎧をまとった馬に跨がり、自身も全身に甲冑を身に付け、左手に手綱を右手に大型のランスを握る一人のプレイヤー。頭上には犯罪者であることを示す鮮やかなオレンジ色のカーソルが浮かんでいる。

 

 騎士プレイヤーは手綱を引いて一度馬を止め、向きを変えてからアルスたちの十メートルほど前まで馬を歩かせた。

「おや、これは攻略ギルドとして名高いイカロスの翼の皆様。このような場所でお目にかかれるとは思わなかったな」

「あなたは誰」

 ラスクが反射的に訊くと、騎士は芝居がかった口調で答えた。

「馬上から失礼。僕はラフィン・コフィンのプルート。よろしく御見知り置きを」

 騎士がそう名乗った瞬間、全員が無意識のうちに身構えた。

 

 殺人ギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。今年の元日からその存在が明らかとなった殺人者たちのギルドだ。その被害者数は百を超えると言われ、数ある犯罪者ギルドの中でも最悪のギルドとされている。かつて第二層で刃を交えた黒ポンチョの男(後にPoHという名だと判明した)がリーダーを務めており、他のメンバーも何人か判明しているものの、いまだにアジトの場所をはじめ謎が多い。

 

 すでに幾人かの命を奪っているであろうプルートを相手に、ラスクは怯まずに再び訊ねる。

「ラフコフがこんなところで何をしているのかしら。もしかして、あなたたちもここで狩りを」

「君たちと違って、僕らは人の多いところには行けないんでね。その点、ここは人が来なくてよかったのに、もう見つかってしまったとは残念だ。リーダーには攻略組に手を出すなと言われているけど……仕方ない。ここは君たちの装備で埋め合わせさせてもらおう」

 

 プルートがランスを掲げると、それを合図として周囲の木立や藪の陰から、五人のプレイヤーが飛び出した。五人とも暗い色のマントやローブを身に纏い、手に持った鈍く光る刃をこちらに向けて、品定めするような視線を向けてくる。

 

 過去に攻略組のプレイヤーとラフコフのプレイヤーが交戦した記録は、ほとんどない。流石にレベルは攻略組が勝るだろうが、数多のPK手段を駆使するラフコフのプレイヤーは、対人戦に慣れている。実際に戦って、どちらが勝つかは予想ができない。

 

 自分たちの身の安全を考えれば、すぐにでも逃げるべき状況なのだが、緊急離脱用の転移結晶はボイスコマンドを発してから転移するまで数秒のラグがある。その隙を彼らが見逃してくれるとは思えない。馬を使って高速で移動できるプルートの前では、全員無事に転移することは不可能だろう。この窮地を脱するためには、彼らと戦わなくてはならない。

 幸い、毒蜘蛛や毒蜂の対策に耐毒ポーションを飲んでいたので、麻痺毒を喰らう危険性は低い。麻痺にさえならなければ、そう負ける相手ではない。

 

 背中の両手剣を抜きながら、周りで武器を手にしたパーティーメンバーに告げる。

「プルートは俺がやる。こっちの暫定的な指揮はラスクに一任するが、これだけは言っておく。全員生き残ることを最優先にしろ。転移も各自で判断していい。以上だ」

 頷くだけで、誰も何も言わない。だが、内心では全員気づいているだろう。

「行くぞ!」

 これから始まるのが、正真正銘互いの命をかけた殺し合いになるということを。

 

 

 

 アルスが接近すると、プルートは手綱を操って馬を走らせた。数歩でAGI特化型のラスクでも出せない速度まで達し、距離をとる。

 見た目に違わず、プルートは馬に乗ったまま戦う騎兵スタイルだ。

 馬などの騎乗動物に乗ったまま戦うことは、MMORPGにおいて決して珍しいことではない。移動用のアイテムとして馬に乗れるタイトルは少なくないし、一部のタイトルでは職業が騎士になると画面上で常に動物に乗っているようにもなる。

 

 SAOでも《騎乗》スキルを修得し、騎兵という戦闘スタイルを目指したプレイヤーは、ベータテストの頃から存在していた。馬の機動力とそのスピードを利用した突破力、さらに馬は不死扱いでHPを持たず、馬に乗っていれば敵の攻撃が届きにくくなるので、防御の面でも優れている。

 そう考えられていたが、騎兵は実現不可能だとほとんどのプレイヤーが結論付けた。

 

 第一の理由は、騎乗スキルを修得していたとしても、馬の扱いが恐ろしく困難だということだった。長時間練習すればある程度言うことを聞くようになるが、それをするためにはNPCが運営する厩舎からバカ高い料金を払って馬を何度も借りる必要があり、大半のプレイヤーはここで挫折した。

 馬の動きを見る限り、プルートは騎乗スキルを相当鍛えているようなので、この問題はクリアしたのだろう。だが、もう一つの問題はそう簡単にはいかないはずだ。

 

 距離をとったプルートが、今度はアルス目掛けて突っ込んでくる。

 スピードは恐ろしく速いが、距離があるので躱せないことはない。ランスが届く距離に入る直前で、アルスは右へ飛んで回避した。プルートは右手でランスを持っているので、逆側に避ければ攻撃を受けることはまずない。

 すぐ横を風のように駆け抜けるプルートから目を離さず、次は剣を引いて待ち構える。

 再びプルートはランスを構えて突進してくる。同じように攻撃を躱し、すれ違いざまに馬を斬りつけた。

 

 騎兵が実現不可能だと言われた第二の理由。十分な資金を持ち、騎乗スキルを鍛えあげたプレイヤーがぶつかった壁。それはSAOの馬が所詮移動用の動物でしかない、ということだ。

 あくまで騎乗動物である馬は、プレイヤーに都合の良い盾とはならない。馬を移動用のアイテムとするタイトルでは、大抵攻撃を受けると強制的に騎馬状態が解除される仕様になっている。SAOでもそれは同じで、攻撃された馬は猛り狂い、プレイヤーを落馬させる。

 これは騎乗スキルを鍛えたところで変わらない。システム的な制約……のはずだった。

 

「なにっ!」

 鎧によって剣が弾かれ、馬は何事もなかったように走り抜けていく。剣を構え直すこちらを見て、プルートが嘲笑うように言った。

「この鎧は限界まで強化されているからね。その程度の攻撃じゃ痛くもかゆくもないよ」

 どうやら、あの鎧は飾りではなく、上等な防具を鍛え上げたもののようだ。馬に鎧を着せられるという話は聞いたことがないが、おそらく騎乗スキルを上げることで可能になるのだろう。

 

 通常攻撃では、落馬はできそうにない。手応えからして、生半可なソードスキルでも効果は薄い。硬直時間が長い大技なら効くかもしれないが、そんなことをすれば暴れ馬の前で無防備になってしまい、こちらがダメージを負うことになる。

 

 落馬させるのが無理なら、騎手を狙うしかない。

 素早く折り返してくるプルートの突進を躱し、跳び上がって剣を振り下ろす。しかし、手綱と鐙の操作で馬の向きを変え、紙一重で躱された。

 予想はしていたが、走っている時に騎手を狙うのは、相当にタイミングがシビアだ。

 そもそもSAOの馬は、プレイヤーが走るよりも速く移動するためのものだ。跳び上がって馬に乗る騎手を落とすことは、高速戦闘を得意とするAGI型のプレイヤーに攻撃を当てること以上に難度が高い。

 

 着地後の隙を突くために、プルートは素早く向きを変えて突撃してきた。

 アルスは回避を諦め、ソードスキルによるランスチャージの迎撃を選んだ。ランスごとプルートを弾き飛ばすつもりで、緑色のエフェクト光をまとった両手剣を振り抜く。

「え……」

 彗星の如く鮮やかな黄色い帯を引いたランスが、両手剣を弾き、アルスの胸を貫いていった。ランスを介して与えられた運動エネルギーによって、二、三度草の上をバウンドし、HPの三割以上を失った。

 

 大ダメージの衝撃から回復するや、素早く立ち上がって剣を構えた。

「今のソードスキルか。一体、どうやって……」

 馬に乗っている時は、鐙に足をつけて体勢を安定させるため、下半身はほぼ固定される。ソードスキルの予備動作は腕の構えだけでなく、足の開き方なども決められているので、馬に乗ったままの体勢ではソードスキルが使えない。

 にも拘わらず、プルートはソードスキルを発動した。しかも、威力が劣るはずの片手用ランスで、両手剣の攻撃に打ち勝っている。馬の突進力が加わるとはいえ、ただの片手槍系ソードスキルではありえない威力だ。

 

「わかっていないようだから、教えてあげるよ」

 技後硬直があったためか、馬を止めているプルートが得意気に語る。

「騎乗スキルの熟練度をあげると、《馬上槍》というエクストラスキルを修得できるのさ。このスキルがあれば、馬に乗ったままソードスキルを使えるんだよ」

 プルートがこれまで余裕を見せていたのは、このスキルの存在があったためだ。たとえ攻略組が相手であろうと、馬に乗っていれば、自分は負けないという自負を持っている。

 

 馬への攻撃は鎧で防ぎ、ソードスキルが使えない欠点はエクストラスキルで補う。かつてプレイヤーたちが幻想だと見限った攻撃力、防御力、機動力に秀でる完成された騎兵の姿がそこにあった。

 

 

 

 中世の戦いにおいて、一人の騎兵は歩兵数人分の戦力と考えられていた。当時使われた騎兵を倒すための戦略は、集団による遠間武器での攻撃や、長柄武器を構えた密集陣形など、騎兵の数倍から数十倍の人員を必要とした。

 これらの歴史が証明することは、歩兵一人で騎兵を倒すことはできないということだ。

 おそらく、三人がかりで戦えば、突進後の隙をついてプルートに直接攻撃することができるだろう。だが、他のパーティーメンバーは未だ交戦中で、こちらに戦力を割く余裕はない。

 

 時間を稼ごうにも、馬相手では逃走は不可能。回避し続けるにも限界がある。馬上槍ソードスキルはそう何度も耐えられる威力じゃない。一対一で勝つ方法を見つけなければ、まちがいなく殺される。

 

 歩兵一人で騎兵に勝つためには、騎手を直接攻撃するか、馬から引き摺り下ろさなくてはならない。

 直接プルートを狙うのはリスクが大きい。馬を狙って落馬させる方がまだ可能性は高そうだ。

 音や光で馬を驚かせるか……いや、あの馬は動物型のオブジェクトではあるが、結局のところアルゴリズムで動く存在にすぎない。攻撃されれば暴れる、自分より大きなモンスターからは逃げるなど、単純な行動パターンで行動している。

 あの馬をもっとロジカルな乗り物として考えろ。例えば、車やバイクみたいな。

 

 その連想から、脳内で連鎖的に閃くものがあった。

 策を考えている間に、プルートのランスが燃えるように赤く輝かせ、先刻を上回る速度と威力で迫って来た。

 今思いついたことが成功するかは完全に賭けだ。それでも、試すならHPに余裕がある今しかない。

「ウオオォォー!」

 選択したスキルは、両手剣重単発技《グレイト・フォール》。大瀑布に例えられる一撃は、ランスを真上から叩き斬り、穂先を下に向けさせる。しかし、両手剣最大威力のスキルでさえ、完全に相殺するには足りず、ランスは大剣を弾いてアルスの腹を貫いた。

 ランスは突進の勢いによって、深く、深く沈んでいき、HPを削っていく。HPゲージはすぐさま黄色くなり、それでもなお減少を続けた。

「グッ……ウウゥゥー!」

 両足を踏ん張り、ランスチャージの威力に抗う。

 長大なランスが腹を貫き続け、あまりの威力に仮想の嘔吐感すら覚えた。このまま貫通し、土手っ腹に穴が空くのではないかと思ったが、根元まで達したところでランスが纏っていた炎は失せ、馬が足を止めた。

「ゲハッ……」

 詰めていた息を吐き出し、プルートを睨みつける。その視線に対し、プルートは面白がっているのか笑い声を上げた。

「ハハッ、よく止めたね。けど、一回止めた程度じゃ何の意味もない」

 

 プルートは手綱を引いて、馬を進ませようとした。だが、手綱は動かず、馬が苦しそうに鳴く。

「なっ…………き、貴様」

 そこでようやくプルートも気づいた。アルスの両手剣が手綱に引っかかり、その操作を阻んでいると。

「この死に損ないが! 無駄なあがきを」

 プルートが手綱を動かすのに合わせて、アルスは全力で手綱を引き続ける。

 

 いくら騎乗スキルを上げても、馬と意思疎通できるようになるわけではない。馬を操るには手綱を介する必要がある。言い換えるなら、車のハンドルと同じだ。手綱のコントロールを奪われれば、馬を操ることはできない。

 手綱は破壊不能オブジェクト扱いなので、剣を引っ掛けても切れる心配はない。ここまで深く刺さっていれば、ランスによる攻撃も封じられる。この状態ではお互いに手を出すことはできず、手綱を引っ張り合うだけだ。

 単純な力比べであれば、レベルの高いアルスが有利となる。

 

「くっ、調子にのるなぁ」

 プルートがランスから手を放して、両手で手綱を引こうとした瞬間、アルスは手綱から剣を抜いた。

 拮抗していた力が失われたことで、手綱は馬の左側へと強く引かれる。急激な動作は操作ミスと判断され、馬が前足を上げて大きく嘶いた。

 

 そこでようやく、プルートが立てた騎兵戦略の穴を目の当たりにした。

 プルートが乗る馬は全身を鎧で覆っている。いくら馬の力が強いとはいえ重い鎧を身につけて何の影響も無いはずがない。重量過多による速度減少などのペナルティが発生するはずだ。

 そのペナルティを避けるために、何らかの対策を講じていることは想像に難くない。例えば、攻撃を受けにくい箇所の防御を捨てて、鎧を軽量化しているのではないかと。

 四つ足で生活する動物ならば敵に晒す機会が少なく、それゆえに守る構造が存在しない弱点となる部位。体を上げてあらわになった馬の腹部に、アルスは剣を突き刺した。

 

 攻撃を受けたことで大きな嘶きを上げ、馬が暴れ始める。巻き込まれないようにアルスは離れ、プルートは落馬しないよう馬体にしがみついた。

 だが、馬の激しい動きに耐えられず、プルートの手が離れる。落馬した騎手には目もくれず、馬はどこかへと走り去っていった。

 地面に倒れたプルートの首にアルスは剣を突き立て、胸甲に足を乗せる。

「さて、プルート。お前にはいろいろ聞きたいことがある。ラフコフにいる他のメンバーのこと。ラフコフのアジトがどこにあるのか。すべて話せば命だけは助けてやる」

「ぐっ…………」

 プルートは抵抗しようとせず、悔しそうにこちらを見上げた後、離れた場所で交戦中のラフコフメンバーに目を向けた。

 五対五の戦いは、どちらも死者は出ていないものの、イカロスの翼が優勢のようだった。ラフコフの連中はビルとカインの防御力に攻めあぐね、二人を盾にしてうまく立ち回っている三人によって、かなりダメージを負っている。

 

 どこか苛立って見えるラフコフの五人に向かって、プルートは声を張り上げた。

「総員。撤退準備」

 その指示が出された途端、劣勢だったラフコフの五人は戦闘をやめ、すぐさま逃走を始めた。ラスクは深追いは不要と判断し、陣形を崩さぬまま警戒を続ける。

 逃走する五人は真反対にある大樹を目指していて、彼らの誰一人として、プルートを助けようとする気配はない。

 

「さすがは殺人者のギルドといったところか。全員が仲間を見捨てられる非情さを持っているようだな」

「…………ここを使うのなら、一ついいことを教えてあげるよ」

 見捨てられているにも拘わらず、怯える様子も見せず、プルートは淡々と話し続ける。

「シロアリの討伐数は、ちゃんと覚えておいた方がいい。でないと、大変なことになるからね」

「どういう意味だ?」

 問い返した後で、ラフコフの五人が逃走しているだけで、転移結晶を使っての撤退はしていないことに気づいた。オレンジプレイヤーである彼らは、街の転移門を利用できないので、層の移動をするために転移結晶を持っているはずだ。本当に逃げるつもりなら、さっさと結晶で帰ればいい。

 

 ラフコフの五人は二本の大樹へ走り寄ると、周囲にいるシロアリを倒し始めた。防御力が低いモンスターなのか、十数秒ほどで数体のシロアリが一体残らず掃討される。そして、最後の一体が倒れたのを確認するや、五人は結晶で転移していった。

「今にわかる」

 プルートがそう言った直後、二本の大樹の根元で大量のポリゴンが噴出した。それは大型モンスターがPOPする前兆だ。

 

 ズン、ズンと巨神の足音に似た衝撃を響かせながら、ポリゴンがつなぎ合わさり、二体のモンスターへと姿を変えていく。どちらも形態はシロアリに似ているが、さっきまでいたモンスターのゆうに十倍以上はでかい。体長は二十メートル以上、体高も五メートルを超すだろう。腹部が極端に肥大化しており、うち一体はもう一体よりもさらに大きく膨れている。

 出現したモンスターの頭上で、かなり濃い赤色のカーソルとともに、固有名が表示される。

 腹部が大きい方は《バウキス・ザ・ターマイトクイーン(Baukis The Termite Queen)》。

 小さい方は《フィレーモン・ザ・ターマイトキング(Philemon The Termite King)》。

 どちらも定冠詞付きのボスモンスターだ。

「フィールドボスだと」

「ここのアリたちは、倒しすぎると王を呼び出す。ステータスは二体合わせればフロアボスぐらいになるんじゃないかな。初めてここで狩りをした時、仲間が何人か殺されたっけ」

 現実世界にいるシロアリが放つフェロモンの中には、外敵の存在を知らせる警報フェロモンがある。おそらくは、それを再現した設定なのだろう。

 

 この層のモンスターであれば、たとえ十体まとめてであろうと、倒す自信があった。だが、ボスモンスターとなれば話は別だ。フロアボス級のモンスターを事前情報無しで、ワンパーティーで倒すことなど不可能だ。

「今なら、転移結晶で逃げられるはずだ」

 実体化し、こちらへ迫る二体のボスを見ながら、プルートは促すように言った。

 

 完全に見誤っていた。あの五人は、プルートが逃げる機会をしっかり作ってから撤退していったのだ。この場で悠長に尋問などしていたら、あのボスたちに襲われる。かといって、護送用の回廊結晶や捕縛用の麻痺アイテムは手持ちがない。ここで殺すのだとしても、抵抗されれば時間がかかってしまう。

 プルートを解放しなければ、命を脅かされるのはこちらになる。

 ボスの出現に気づき、こちらへ走ってくるパーティメンバーに向けて、アルスは転移結晶での撤退を指示し、自らもベルトポーチから、青色の結晶を取り出す。

 パーティーメンバーが転移していった後、剣を刺したままプルートを見下ろした。

「もし生き残っていたら、今度こそ吐いてもらうぞ」

「……もう二度と会う気はないよ」

 二体のボスが目前まで迫ったところで、アルスは転移のボイスコマンドを口にした。

 

 

 

 ギルドホームがある四十九層主街区《ミュージェン》の転移門広場に転移し、アルスは先に転移していた五人を見つけ声をかけた。

「全員無事か?」

 そう訊いた途端、全員こちらを見てギョッとした表情で視線をわずかに下へ向ける。

「いやいやいや、アルスの方こそ大丈夫なの?」

 ビルに聞き返され、遅まきながら自分の状態に気づいた。腹には未だに、プルートの長大なランスが刺さったままだ。皆の協力を得て腹からランスを引き抜き、空腹感にも似た妙な違和感を覚えながら、再度訊ねる。

 

 ラスクが言うには、最初こそ麻痺毒で動きを封じようとしてきたPKたちだったが、毒が効かないとわかると投擲武器や煙玉などを使用してきた。しかし、それらも戦局を変えるには至らず、あとはほとんど一方的にPKを攻撃する展開となった。

 ラフコフの五人も、攻略組と本気でやりあう気は無かったのか、終盤はかなり消極的な戦いぶりだったようだ。搦め手なしの戦闘であれば、こちらの方が地力は上だと気付いたのかもしれない。

 

 そして、今度はアルスから話す番となった。

「なんとかプルートを馬から落としたんだが。すまない。何も聞き出すことはできなかった」

 頭を下げると、エリスが勢いよく首を横に振った。

「アルスが謝ることじゃないよ。それにあのボスが出現したのは、私たちが他の五人を逃しちゃったせいなんだし。それよりもアルスが無事で本当に良かった」

 花のような笑顔を向けられ、くすぐったくなって思わず微笑み返す。

 それを見てカインがどこか面白がるような視線を向けてきたかと思うと、すぐに表情を引き締めた。

「予定外ではありましたが、ラフコフの狩場を潰すことができました。これは大きな収穫です」

 続いてダイモンもメッセージを送ってくる。

【これまでの情報をまとめておきました。すぐにアルゴさんに報告しましょう】

 ダイモンが書き上げた報告書を受け取りながら、アルゴへのメッセージを打つ。

 偶然が重なった結果ではあったが、ラフコフのメンバーを一部明らかにし、間接的にではあるが戦力を削ぐことにつながった。いつか来るラフコフとの戦いのために、この情報を存分に活かさなくてはならない。

 

 メッセージを送り、アルスは次なる戦いへと目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある階層にある小さな洞窟の中で、プルートは壁にもたれるようにしながら歩いていた。

「はあ……はあ……死ぬかと思った」

 アルスが転移した後、プルートは急いで立ち上がって目の前にいる女王と王を振り切ろうとした。全身フルプレート装備の自分では逃げ切ることは困難だったが、同じようにボスから逃げる馬を見つけ、なんとか飛び乗って振り切ることができた。

 

 ラフィン・コフィンがアジトとしている安全地帯に入ると、先に転移していた五人が、PoHに何かを話しているところだった。

 PoHはこちらに気づき、いつも被っているフードの奥から、身を貫くような視線を向けてくる。

「おい、聞いたぞ。前に俺の許可なく攻略ギルドの連中に手を出すなと言ったはずだが」

 あの五人は、馬鹿正直に先ほどのことを話してしまったようだ。怒りがこみ上げそうになったが、どちらにしても狩場を失ったことは話す必要があるし、自分たちの情報も遠からず要注意プレイヤーとして出回る。隠すことは不可能だっただろう。

 

 言い訳を考えることはやめ、プルートは膝をついて頭を垂れた。

「申し訳ございません。あまりに軽率な行動でした。二度とこのようなことはいたしませんので、どうかお許しを」

「……まあいい。攻略ギルドには手を出さないよう他の奴にも厳命しておけ。それと代わりの狩場を急いで見つけろ」

「え……は、はい。寛大なご処置感謝いたします」

 あっさり許されたことに拍子抜けしながら、プルートは他の仲間を連れて手分けして別の狩場を探すために上層へ転移していった。

 

 

 

 

「フゥー…………」

 ダンジョンの壁に背を預けながら、PoHは長く息を吐いた。

 

 効率のいい狩場には多くの人が集まるため、オレンジカーソルのラフコフメンバーはおいそれと立ち入れない。だからこそ、六十一層の狩場、他の奴らが農園(Farming)と呼んでいたシロアリはいい経験値稼ぎが出来る相手だったのだが、攻略組に見つかった以上もう使えない。

 どれだけ対人戦に慣れたとしても、この世界での戦闘はレベルとスキルの数値が低くては話にならない。何人プレイヤーを殺しても、いくら金を持っていても、経験値が手に入らない以上、強くなるためには、モンスターを倒す必要がある。

 

 ラフィンコフィンを存続させるためには、一刻も早く新たな狩場の確保が必要だ。他のプレイヤーが来ず、人目につかず、効率のいい狩場が。そんな場所、そうそうあるわけがない。

 

 PoHは体を前に折り、大きなため息を吐く。

「ハァー…………面倒だな」

 

 

《続く》




キャラ紹介

プルート
Player name/ Pluto
Age/23
Height/166cm
Weight/51kg
Hair/ Charcool gray Short
Eye/Sulfur yellow
Sex/Male

Lv72(十五話時点)
修得スキル:《片手用突撃槍》《盾装備》《重金属装備》《騎乗》《調教》《軽業》《馬上槍》《隠蔽》《疾走》《所持容量拡張》

騎乗スキルを鍛え上げ、騎兵という戦闘スタイルを完成させたアインクラッド唯一のプレイヤー。最初はランス使いのタンクとして戦っていたが、現実の趣味である乗馬を行えることを知り、騎乗スキルを鍛えるようになった。いつか馬に乗って戦うことを夢見ていたが、SAOの馬は自分より大きなモンスターを怖がるため、モンスター狩りで使うことは難しい。しかし、プレイヤー相手に追い打ちするのであれば、これ以上に有効な手段は存在しないとPoHに教えられ、スカウトされた事でラフィンコフィンに入ることとなった。


スキル解説

調教:本来は家畜や牧羊犬を躾けるための生活系スキル。騎乗動物を操る際にも、従順になりやすくなる。鞭スキルがあると、効果が向上する。


馬上槍:騎乗スキルと槍系統の武器スキルを一定以上まで上げることで、修得可能となる上位スキル。修得している武器スキルに応じて、騎馬状態でも発動可能なソードスキルを使えるようになる。大ぶりな単発技がほとんどだが、威力は数多ある武器スキルの中でもトップクラス。


扇:舞踊スキルを修得して、十層のクエスト《扇の舞》をクリアすることで修得可能。打撃武器としては攻撃力、リーチ、耐久力が最低クラスだが、風を起こすことでブレス攻撃の防御、煙幕の無効化、臭気を払うなど、攻撃以外での汎用性は高い。


舞踊:プレイヤーにバフを与える踊りを踊ることができる。ただし、効果があるのは使用者とパーティーメンバーのみで、効果は長くても数十分ほどである。ステップ防御時に機動力の補正がかかるほか、武器スキルとの組み合わせで、特殊なソードスキルを修得可能。


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第十六話 命を守る者

 初めて会った時、守ってやりたいと思った。
 その実力を見て、もっと強くなりたいと思った

 ともに強くなっていくのが嬉しかった。
 その背中に近づいていると気づくのが嬉しかった。

 時間が経つごとに、その思いは強くなっていった。
 距離が近づくほどに、その気持ちは大きくなっていった。

 だから俺は、彼女を守り続けると誓った。
 だから私は、彼の隣で戦い続けると決めた。

 たとえ、どんな敵が現れたとしても。



二〇二四年八月二十二日

 

 

 この日七十層のフロアボスがいるボス部屋が発見されたという連絡を受け、アルスは五十六層にある聖竜連合のギルドホームへと赴いた。

 フロアボスの情報共有を行う会議は、これまでなんども行われてきたのだが、今回の招集は少々妙だった。

 七十層到達から一週間以上経っていたので、ボス部屋が発見されたことには何ら不思議はない。ただ、今回送られたメッセージの末尾には普段は無い一文が添えられていた。

 

【なお、今回の会議は代表者のみ出席すること】

 

 

 

 

 

 五十六層主街区近くにある小高い丘の上に建てられた白亜の城。もしSAOがMMOではなく、一人用のRPGであれば、冒険開始前の王への謁見か中ボスの住処に使われたであろうここが、攻略二大ギルドの一つである《聖竜連合》の本拠地だ。

 

 入り口で仁王の如く構える守衛のチェックを受けて中に入り、案内された大部屋に入ると、すでに一人のプレイヤーが足を組んで席についていた。

「お前が一番乗りか。夏だってのに相変わらず暑苦しい格好だな。ケイン」

 紺碧のフルプレートアーマーを纏い、腰に大ぶりな両手剣を吊ったその男は、アルスが声をかけると牡牛のような角がついたフルフェイスタイプのヘルメットをこちらに向けた。軽く肩をすくめ、ヘルメット越しでもよく通る美声で返す。

「あのなぁ、アルス。一週間ぶりの挨拶がそれか」

 

 ギルド《円卓騎士団》のリーダーであり、元ベータテスターの両手剣使いケイン。

 円卓騎士団は、ケインをはじめ高い攻撃力が自慢のプレイヤーが集っており、フロアボス戦ではアタッカー部隊を任せられている。

 

「今日はあの双子がいないし、このぐらいいいだろ。それより、ケインは何か聞いていないか? 今回の会議のこと」

 ケインも代表者のみという文言が引っかかっていたらしく、それだけで話は通じた。

「俺も……まだ何も聞いていない。七十層のボスは強敵ではあるだろうが、だからと言って、リーダーだけの会議を開く意味がわからん」

 その後もケインと簡単な情報交換をするが、やはり会議の目的はわからなかった。少しして、新たな出席者が部屋に入る。

 

「あら、まだ少し早かったかしら」

 次にやってきたのは、現在のアインクラッドでもまだ十数人ほどしかいないとされるマスタースミスのリデルだ。

 リデルは三層のギルドクエストをクリアし、《プロメテウス》という名の生産者ギルドを結成した。十人ほどの職人とその倍ほどいる戦闘職プレイヤーが所属し、今ではあらゆる武器防具が揃う大型店舗を経営している。

 

「プロメテウスも呼ばれたのか」

 アルスの言葉に、リデルはわずかな戸惑いの表情を浮かべながら頷いた。

「ええ。うちはあくまで職人のギルドで、会議に呼ばれたことなんてほとんどなかったのに」

 プロメテウスにいる戦闘職のプレイヤーは、使っている装備の質がいいこともあって、攻略組の主力にも劣らない実力がある。しかし、よほど戦力が不足している状況でもなければ、フロアボス戦には参加してこなかった。ボス攻略が難航した時に開かれる二度目、三度目の会議ならともかく、最初の会議に呼ばれたことなどなかったはずだ。

 

 リデルとも今回の会議について話していると、不意に嘲笑うような声が響き渡る。

「クク、とうとう攻略組も人手不足ということですかね。こちらも手が足りなくて忙しいというのに、無理やり呼び出して……こんな城に住んで王様にでもなったつもりなんでしょうか」

 侮蔑と怒りを含んだその声は、部屋のあらゆる場所から響き、リデルは声の主を見つけられずに周囲をキョロキョロと見渡す。

 アルスはじっと耳を澄ませ、かすかな足音が止まった瞬間、一脚の椅子を指差した。

「ネットじゃあるまいし、愚痴なら姿を見せて言ったらどうだ。エルドラ」

 名を呼んだ直後、バサッと音を立てながら黒色のマントが脱ぎ捨てられ、まばゆい黄金色のタキシードに身を包んだ美青年が椅子の後ろに姿を現した。

 

 リデルと同じようにギルドクエストをクリアしたエルドラは、《ニーベルングの指輪》というギルドを立ち上げた。階層攻略は他のギルドに任せ、こそこそと迷宮区の宝箱を開けていた彼らは、いつからか自分たちが見つけたアイテムを販売するようになった。その規模はどんどん大きくなっていき、様々なアイテムの売買を行う商業ギルドとして知られるようになった頃からは、レアアイテムのオークションまで開催している。

 

 エルドラは手に持っているステッキで床を突くと、荒々しく椅子を引いて腰を下ろした。

「言われなくても、後で呼び出した人たちに直接言いますよ。くだらない理由だったら、しばらく店を出入り禁止にしましょうかね」

 口ぶりからして、エルドラも会議の目的を聞かされていないようだ。商業ギルド所属のエルドラまで呼ばれたということは、ボス攻略に特定のアイテムが必要ということだろうか。だが、それでもわざわざ呼び出す必要はない。

 

 会議の目的がわからず頭を悩ませていると、今度はエデンがやってきた。

 エデンは《エデンの園》というギルドを作り、最前線の攻略を行うとともに後続プレイヤーの育成に力を入れている。入団の条件が他の攻略ギルドに比べて緩く、所属メンバーの数は百を超えてアインクラッド内で第二位だ。

 エデンなら何か知っているかと思ったが、訊いても首を横に振るだけだった。ここまで情報が秘匿されている理由とは、一体……

 

「少しは落ち着いて待てんのか? 小僧」

 威圧するような低くどっしりとした重みのある声をかけられ、ゆっくりと入り口の方を向いた。

「トール。あんたは何か知っているのか」

 そこにはいたのは、立派な髭を蓄え、巨大なハンマーを背負った大男だ。名をトールと言って、攻略ギルドの一角である《ミョルニル》のリーダーを務めている。

 

 北欧神話に登場する雷神を体現しているとしか思えない風貌をした男は、こちらを見下ろしながら、フンと鼻を鳴らして吐き捨てるように言った。

「知らぬ」

 肩透かしを食らい、苛立ちを隠さずに睨み返すが、トールは平然と視線を受け止める。

「じきわかることだ。今知ったところで、たいして違いなどあるまい。それにどんなことであっても、お前のとこのような女子供ばかりのギルドができることなど高が知れている。おとなしく待っておけ」

 そう言ってトールは自分の席に向かって行った。

 

 ミョルニルは実力、規模ともに攻略組有数のギルドなのだが、十代の若いプレイヤーや女性プレイヤーを少々見下している傾向にある。ギルドの入団条件にすら、年齢や性別についての制限があるので、ギルドの共通見解と考えていいだろう。

 だが、その理由がただの差別的な示威行為なのではなく、弱いものは守るべきという独善的な自己犠牲が含まれているのではないか、と思わせる時がある。もっとも、ミョルニルの全員がそうだとは思えないし、どちらにしても他のプレイヤーからは余計なお節介でしかないのだが。

 

「ホント、うるさいおじさんよね」

 アルスの考えを読んだかのような言葉が耳元で囁かれた。吐息すら感じさせるほどに近い、妖艶な雰囲気を漂わせる女性の声に対し、反射的な動きで大きく飛び退る。

 一瞬前まで自分がいた場所の近くに、かすかな空間の揺らぎを見つけ、そこに焦点を合わせる。すると、誰もいなかったはずのその場所に、一人のプレイヤーの姿が浮き上がってきた。

 

 長く艶やかな白髪に、切れ長な銀色の瞳。全身はピッタリとした白革のつなぎに包まれ、しなやかながらも女性らしい起伏に富んだ肢体がはっきりとわかる。

 彼女の名はエオス。ギルド《アウローラ》のリーダーであり、攻略組最速の短剣使い。そして、アインクラッドで五指に入ると言われるほどの美貌で知られている。

 アウローラは個人の戦闘力を重視しており、入団基準がかなり厳しめなのだが、エオスに近づきたいがために、遮二無二レベルを上げるファンが後を絶たないなんて噂まで聞く。

 

 エオスは髪を指に巻きながら、恥じらうように蠱惑的な銀の瞳を伏せる。

「間近でじっと見られると、さすがに恥ずかしいんだけど」

「そう思うんなら、こんなところで隠蔽を使うな」

 アルスは視線を外さずに反論する。

「なーに、その言い草。会議の前に硬くなってたから、少しほぐしてあげようと思ったのに」

 恥じらう演技をすぐにやめ、エオスは不機嫌な態度を顕にした。数多のファンを自らのギルドに引き入れ、人の心を掌握する術に長けた彼女とまともな受け答えをしてはならない。少しでも弱みを見せてしまえば、すぐに話の主導権を奪われてしまう。

 

「それでエオスは何か知ってるのか」

「いいえ。私も何も聞いていないの。知ってるのは、聖竜連合と血盟騎士団の動きが、昨日あたりから少し妙なことぐらいかしら」

「二大ギルドだけが何かの情報を得たって言うのか。ボスの弱点とか」

「さあね。私もこれ以上のことは何も」

 他ギルドにいるファンからも情報を集められるエオスですら知らないとなると、かなり厳重な箝口令が敷かれているのだろう。そこまでして秘匿しなければならない情報など、すぐには思い浮かばない。

「そんなに頭使ってると、会議の時に何も考えられなくなるわよ。アルスもさっさと座ったら」

 

 エオスに従うのは少々癪だが、これ以上の推測を諦めて軽やかな足取りで進む彼女の後を追って、アルスも会議の席に着く。妙な予感と強い違和感を感じたまま、他の参加者が来るのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖竜連合ホームの一室に、各ギルドの代表者十名が揃った。

 

 会議のホストであり、トップギルドを自負する《聖竜連合》幹部シュミット。

 最強ギルドとして名高い《血盟騎士団》の副団長アスナ。

 所属人数が百を超える大規模ギルド《エデンの園》の管理人エデン。

 最大の攻撃力を誇るアタッカー集団《円卓騎士団》の団長ケイン。

 厳格な規律で統率される《ミョルニル》のマスター、トール。

 エオス親衛隊と称される《アウローラ》のアイドル、エオス 

 あらゆる武器防具を生み出す《プロメテウス》店主リデル。

 金とアイテムの流通を牛耳る《ニーベルングの指輪》オーナー、エルドラ。

 構成人数わずか六人ながら、多くの戦果を上げる《イカロスの翼》リーダー、アルス。

 固い結束と連携で着実に力をつけていった《風林火山》の頭クライン。

 

 いずれも役割は異なるが、攻略組の中核を担ってきたギルドだ。普段からしばしば顔を合わせているが、こうしてリーダーのみが一堂に会すると、いつもとは別種の緊張感が漂う。

 

 予定開始時刻になったところで、ホストであるシュミットが会議の開会を告げた。

「みんなよく集まってくれた。まずは全員出席してくれたことに感謝する」

 そのあとに長い挨拶などせず、シュミットはすぐさま本題に入る。

「今回はフロアボスの攻略会議ということで集まってもらった……ということだったが、先に一つ謝罪したい。本会議の議題は、レッドギルド笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の討伐作戦についてだ」

 

 その議題に、会議の参加者たちは怪訝な表情を見せる。

 殺人ギルドであるラフィン・コフィンの討伐は、ラフコフが結成された今年の一月から、幾度も計画されてきた。だが、それが今まで実行に到らなかったのは、やらなかったからではなく、できなかったためだ。

 

 当然のように出る疑問をクラインが口にした。

「それなら今までだって何度も話し合っただろ。けど、奴らのアジトがわからないことにはどうしようもないって結論になって、今もアジトを探し続けてるんじゃねぇか」

「確かにそうだ。だが、今回そのアジトが明らかになったんだ。送り主は不明だが、昨日、聖竜連合及び血盟騎士団に、アジトの場所を示す告発書が届いた」

 聖龍連合と血盟騎士団を除く八ギルドの代表者は、その報告に様々な反応を見せた。突然の報告に対する驚き、ようやく判明したことに対する喜び、中には疑いの眼差しを向ける者もいた。

 

 より詳細な情報を求める彼らに、アスナが答える。

「アジトとされる場所は低層にあるダンジョンの安全地帯で、情報屋アルゴによって調査が行われました。ダンジョン入り口の監視を続けたところ、ラフコフメンバーと思われるオレンジプレイヤーが出入りする姿が確認されました。ダンジョンにアジトがあることはほぼ間違い無いとのことです」

 

 アルゴは第一層の頃から様々な情報を広めた情報屋として、攻略組からの信用も厚い。彼女が断言したからには、情報に誤りはないだろう。敵の居所さえわかれば、すぐにでも討伐作戦を実行に移すことができると、会議の場が沸き立った。

 

「アルゴの言葉は信じますがね。そんな誰のものかもわからない密告は、本当に信じていいんですか。第一、ラフコフから反逆の意思を持つ者が出るとも考えにくいですね。何かの罠ってことは考えられませんか?」

 しかし、エルドラの言葉によって一瞬で静まり返る。

 

 確かにその危険性も否定はできない。殺人の罪に耐えかねて密告をしたと考えるよりも、攻略組をはめるために、罠を張っていると考えた方がまだ奴らのイメージに合う。その考えには同意するが、奴らがそれを実行することは困難だ。

 怪訝な表情をしているエルドラに、アルスは問いかける

 

「逆に訊くが、仮に罠だとして奴らが攻略組と戦う理由はなんだ? 奴らに勝算があると思うのか」

「奴らは殺人鬼なんですよ。目障りな我々を殺す機会を伺っていてもおかしくないし、人を殺す術に長けています」

「攻略組がラフコフの犯行を止めた事なんて、ほんの数回だろ。それに先週ラフコフのメンバーと交戦したが、地力は俺たちの方が間違いなく上だ。不意打ちや毒さえ対策できれば、恐れる相手じゃない」

「ですが、これが罠なら何か策を講じていると考えることも……」

 

「いや、それも無理だろ」

 エルドラの言葉を遮って、ケインが反論を述べる。

「密告からもう一日以上経つんだぜ。いつ俺たちが攻め込むかもわからないのに、ずっと待ち伏せなんてしたら、奴らのほうが精神的に参る。SAOで使える自動式の罠じゃせいぜい警報ぐらいにしか使えないし、低層のダンジョンならMPKの危険性も無い。策を講じたところで、俺たちを殺すのは無理ってわけだ。昔オレンジだったお前なら、それはよくわかっているだろ」

「まあ……そうなのですが」

 

 襲撃時間がわからなければ、待ち伏せは不可能。なんらかの罠を張ったとしても、攻略組との力の差を埋めることはできない。攻略組の大部隊をMPKしようとしたら、最前線のモンスターを百体集めても足りない。どう考えても、ラフコフが攻略組に勝つことは不可能だ。

 

 エルドラはそれ以上の不安要素を口にしなかったが、彼の意見も無視されたわけではなかった。

「ラフコフに勝算がないと言っても、それはきちんと対策ができていればの話。作戦を行うにしても、しっかり準備を整える必要があるわ」

 エオスがそう言うと、シュミットは当然とばかりに頷いた。

「もちろんそれはわかっている。だからこそ、プロメテウスとニーベルングに来てもらったんだ。両ギルドには、作戦に必要なアイテムを用意してほしい」

 

 続けて、アスナが手元の資料に目を向ける。

「現時点で必要だと考えているのは、耐毒ポーション、浄化結晶、回復結晶、捕縛用の麻痺毒付き武器、ロープ、回廊結晶。他にも必要なアイテムがあれば、おっしゃってください。リデルさん、エルドラさん、用意はできますか?」

「うちに薬師がいるから、ポーションと麻痺毒は用意できると思う。毒性効果付きの武器は、できるだけ準備しておくわね」

「結晶の類は、料金さえ頂ければ何個でも用意しますよ。ポーションの素材や武器の方も、うちの在庫から出しましょう」

 

 戦闘が本職でない二人が呼ばれたのは、ボス戦では使わないようなアイテムを、秘密裏に集めるためだった。フロアボスを相手にするのと、プレイヤーを相手にするのとでは、使うアイテムが異なる。今回の作戦をラフコフに悟られるわけにはいかないので、可能な限り情報の拡散は防がなくてはならない。

 

 アイテム確保についての話が一段落すると、今度は実行部隊の編成についての話となった。

 回廊結晶で転移できる上限の四十八人が望ましい、というシュミットの発言に対し、トールが噛み付いた。

「まさかとは思うが、戦闘系の八ギルドから、それぞれ六人ずつ人員を出せなどとは言うまいな。場合によっては、殺し合いに発展するかもしれないこの戦いで」

「当然、作戦への参加は各自の判断に任せる。だが、情報の漏洩を防ぐために、作戦のことを伝える相手は最小限にしてくれ。こちらでも、信用のできるプレイヤーに絞って、依頼を出していく予定だ」

 トールも一応は納得したようで、それ以上の発言はなかった。

 

 各ギルドで参加メンバーを募り、明日中に討伐部隊の編成を行う決まった頃には、会議の終了時刻が迫っていた。何度も攻略組が集まれば不審に思われ、ラフコフにこちらの動きが察知される危険があるため、次の会議は明後日の作戦直前に行われる。

 閉会を告げた後で、シュミットが胸を張り、鼓舞するように言った。

「このゲームをクリアすることが俺たち攻略組の目標だが、中層で人殺しを続ける奴らを野放しにするわけにはいかない。このチャンスにラフコフを壊滅させる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルドホームのリビングに全員で集まり、ビルが作った夕食を食べ終えてから、アルスは会議の内容を話す前にこう伝えた。

「今日の会議についてだが……この情報は絶対に他のプレイヤーに漏らしてはならない。最初にそれだけは肝に銘じてくれ」

 

 不思議そうな表情をする五人が頷いてから、アルスは報告を始める。

「ラフィン・コフィンのアジトが判明した」

 その情報だけで、全員の表情が引き締まった。

「明後日には討伐作戦が開始される。だから、それまでに参加メンバーを決めておかなくてはならない。参加の判断は各自に任せるが、先に一人だけ参加を辞退してもらう者がいる。……ダイ、お前だけはここに残れ」

 

 ダイモンはメニューウィンドウを呼び出し、何か打ち込もうとしたが、その前にラスクが立ち上がった。

「私もダイにまたあんな戦いはさせたくないけど、どうしてダイの意思も聞かずに、辞退させるの。年齢だけが理由って、わけじゃないでしょうね」

 ラスクの質問というより詰問に、アルスはわずかにたじろぎながらも、理由を話す。

「年齢も考えなかったわけじゃないが、決め手は別のことだ。ダイを外したのは、一人じゃ結晶を使えないからだ」

 

 SAOではデバフの一つに《沈黙》というものがある。これは声を出せなくすることでプレイヤー間の意思疎通を妨害すると同時に、ボイスコマンドを封じることで、クリスタルを使用できなくする効果がある。

 FNCで声を出せないダイモンは、常時《沈黙》状態といってよく、会話もクリスタルの使用もできない。フロアボスとの戦いでは、意思疎通はハンドサインで、クリスタルはパーティーメンバーに使ってもらうことでどうにかしていたし、もともと後衛なのでクリスタルを使う機会も比較的少なかった。

 だが、もし数十人はいるであろうラフコフのプレイヤーと乱戦になったら、そんなことをする余裕はないだろう

 

「一人じゃ離脱することも、助けを求めることもできないプレイヤーを連れて行くのは、リスクが大きすぎる。俺の独断ですまないが、今回の参加を認める気はない」

 はっきりとそう伝えると、ダイモンはたどたどしい手つきでタイピングを始めた。

【そういう理由でしたら、僕は今回辞退するのです。会議の事は聞かない方がいいと思うので、今日はこれで休ませてもらいます】

 メッセージ画面を見せると、ダイモンは席を立って部屋を出て行く。平静を装ってはいたが、小さな背中はどこか寂しそうに見えた。

 

 ダイモンが去った後で、ラスクは小さくため息を吐く。

「ダイ、絶対に傷ついたわよ。あの子ずっとFNCのせいで足を引っ張ることがないようにしてたのに」

「わかってる。でも、今回は人同士の一対一での戦いになる可能性が高い。考えられるリスクは、出来る限り避けておきたいんだ」

 

 アルスは残っているエリス、カイン、ビル、ラスクの四人を見据える

「ダイ以外に参加を強制するつもりはない。辞退したい者は部屋を出てくれ」

 一分ほど待ったが、席を立つ者はいなかった。

「全員、参加の意思有りと考えていいんだな」

 そう訊くと、ラスクは「ダイの分も頑張らないとね」と冗談っぽく答えたが、空色の瞳は抜き身のナイフのように鋭かった。

 

 エリスも同じ問いに対し、力強く答える。

「アルスは何があっても参加するつもりなんでしょ。だったら、私もアルスと一緒に戦いたい」

 その答えに、カインとビルが小さく肩をすくめる。

「エリスがこう言うなら、私も行かないわけにはいきませんので」

「そうそう、僕たちも一緒じゃないと」

「だから、二人にとって私はどういう扱いなの」

 

 全員の意思確認ができたところで、アルスは明後日の予定について話してから、自らにも言い聞かせるつもりで宣言した。

「前回の戦いで敵の力はある程度わかったはずだ。だが、慢心が死を招くことは忘れてはならない。全員自信は持っていいが、油断せず、人を斬る覚悟を決めて作戦に参加しろ。そうすれば、俺たちは絶対に負けない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 各自が部屋に戻った後、アルスは自室で討伐作戦に瑕疵がないか考えていた。

 情報漏洩の可能性。アジト突入時に気付かれ、奇襲が失敗した時の対処法。交戦となった場合に敵が取りうる戦略。戦法が割れているラフコフメンバーの攻略法。

 すでに会議で話された箇所も改めて洗い直したが、問題は見られない。ラフコフを取り逃がす可能性だけは、やはり完全に消すことはできないが、少なくとも攻略組側の負け筋は無い。

 不安があるとすれば、作戦に参加するメンバーが集まらず、こちらの戦力が劣ってしまうことだ。だがそれも六十一層の戦いでラフコフと攻略組との力の差が周知され、ラフコフへの恐怖心が薄れてきているので、心配する必要はないだろう。

 

 日付が変わり、疲れを残さないためにそろそろ休もうかと思ったところで、部屋の扉が叩かれた。

「アルス。まだ起きてる?」

 少し待つよう伝え扉を開けると、髪を下ろし寝間着の姿のエリスが立っていた。

「どうしたんだ? こんな時間に」

「ごめん。ちょっと話したくて」

「だったら、リビングで……」

「あ、いや、できればこの部屋の方が」

 頬を赤く染め、扉の前から動かないエリスを見て、アルスはゆっくり身を引いた。

「入れ」

「……おじゃまします」

 

 エリスは未マッピング区域にでも入ったかのように、恐る恐る足を進めてから部屋の中を見渡した。

「私の部屋とあんまり変わらないね」

「そりゃそうだろ」

 イカロスの翼のギルドホームは、一階にリビングとキッチンと物置、二階に個室が六部屋というSAOではごく一般的な作りだ。個室のカスタマイズは個人の自由だが、基本的には宿屋の部屋と同じで最低限の家具と調度品しか置かれていない。

 当然ながら応接用の机とソファなどなく、部屋にはベッドの他に書き物用の小さな机と椅子が一脚あるだけだ。

 遅まきながらそのことに気づいたらしく、エリスがあたふたし始めたので、半ば無理やり椅子に座らせ、アルスはベッドに腰掛けた。

 

「それで話って?」

 なかなか話を切り出さないのでこちらから促すと、しばしの沈黙の後に小さな声が漏れた。

「…………アルスはどうして、今回の作戦に参加するの?」

「どうしてって、そりゃ……ラフコフの被害者をこれ以上出さないためだろ」

「うん。そう、だよね」

 そしてまた、エリスは口を閉ざしてしまった。

 

 何度も口を開きかけては、躊躇ってうつむくエリスに、アルスは思わず言葉をこぼす。

「作戦に参加したくないなら、そう言っていいんだぞ」

「えぇ! いや、違くて……」

 それだけ言って萎縮してしまう、急かすのは止めてしばらく待つと、途切れ途切れに言葉を紡ぎ始めた。

 

「アルスが、また、一人で戦っちゃうんじゃないかと、思って」

 先細りになっていく言葉を最後まで聞いてから、アルスは訊ねる。

「俺が一人で? なんでそんな心配してるんだ」

「六十一層でアルスだけが強いヤツと戦って、一人だけボロボロになってたでしょ。また、あんなことになるんじゃないかって、急に考えちゃって」

「プルートの時は戦略的にそうする必要があると思ったからだ。まあ、結果的に判断ミスだったかもしれないが。とにかく、一人で無茶な戦いをしたりはしないから、心配するな」

「うん。でも……」

 

 なおも何か言いたげなエリスの顔に手を添えて正面を向かせ、強制的に目を合わさせる。

「仲間の忠告は絶対に聞く。自分の力を過信してはならない。それがイカロスが飛び続けるための鉄則だ。俺はそのルールを破る気はない。でも、もし俺が一人で飛び上がりすぎているのだと感じたら」

 頰を熱くさせながら目を逸らさずにいるエリスに、アルスは真剣な表情で頼み込む。

「その時は、エリスが俺を止めてくれ。どんな状況でも、エリスの声なら俺の耳に届く。絶対にだ」

 エリスは目をパチクリさせながら、ゆっくりと首肯した。

「……わかった。その時は、私が……るから」

 

 アルスはエリスの顔から手を離し、同じように頷いた。

「頼んだぞ。他に、何か言いたいことはあるか?」

「え……その……」

 茜色の髪との境が分かりにくくなるほどに、エリスは顔全体を真っ赤にさせながら、突然立ち上がった。

「私……」

 

 だが、その一言を言った途端に、ネジが切れたように動きを止め、再び緩々と椅子の上へと戻る。それからゆっくりと深呼吸を始め、顔の赤みが引いていく。

「ごめん。なんでもない。今言ったら、ダメな気がするから」

「……そうか。なら、言いたくなったらいつでも聞かせてくれ。俺も色々話したくなるだろうからな」

 

 エリスは恥ずかしそうに顔を俯かせ、「じゃあ、今日はここまでで」と呟いてから、素早く立ち上がって扉へと足を向けた。扉を開け、小さく頭を下げる。

「……おやすみなさい」

「おやすみ」

 扉が閉じられた後、足早に部屋へ戻っていく足音が聞こえた。

 

 綿菓子を口に含んだ時のような、言い知れない幸福感を胸に抱えながら、アルスはベッドに倒れ込んだ。

 言葉を交わさずとも、通じ合うものはある。それでもいつか言葉で伝え合いたいと思う日がやってくる。

 腕を磨き、策を練り、敵を倒し、次の戦場へと向かう。今までずっと、そんな日常を繰り返してきた。明日となったラフコフ討伐作戦も、同じように過去の一部へと変わる日が来るだろう。作戦が終われば、いつかがきっと訪れる。

 

 とても近くにありながら、不思議と遠くに感じる未来を思いながら、アルスは眠りについた。

 

 

 

 

 

二〇二四年八月二十四日午前二時

 

 討伐作戦直前に行われたミーティングには、五十一人のプレイヤーが集まった、

 そのうち実行部隊となるのは四十八人。八つの戦闘系ギルドの主力メンバーに加え、他のギルドの有力プレイヤーやソロプレイヤーであるキリトの姿も見受けられる。

 残り三人のうち二人はエルドラとリデル。さすがの手腕で、結晶にポーション、様々な装備品など、二日足らずで必要なアイテムを揃えていた。

 最後の一人は情報屋のアルゴ。ラフコフアジト周辺の地形や、彼らの行動パターンを報告するために来ていた。

 

 まず話されたのが、アジトへの侵入方法だった。四十八人が洞窟の入り口に転移するのは発見されるリスクが高いので、アルゴが位置セーブしてきた回廊結晶を使って、アジトがある洞窟の入り口から百メートル程離れた地点に転移し、そこから斥候を出しつつ進むこととなった。

 

 次に話されたのは、ラフコフの各メンバーについての情報だった。要注意人物としてあげられたのが、首領のPoH、幹部の赤目のザザとジョニー・ブラックの計三人。それに加えて先週イカロスの翼が戦ったプルートら六人の使用武器や推測されるスキル、ステータスの情報が共有される。

 おそらく、ラフィンコフィンのメンバーの総数は推定三十人以上と言われているが、交戦したプレイヤーの大半は殺されているので、情報が集まっていないのは仕方がない。

 

 作戦中の行動の確認とアイテムの配布が完了し、移動用の回廊結晶がアルゴからシュミットに手渡された。

 転移の前に、シュミットが参加メンバーに告げる。

「これからの動きは今説明した通りだ。それと出発の前に一つ言わせて欲しい。全員わかっていると思うが奴らはレッドプレイヤーだ。もし戦闘になれば何の躊躇もなく俺たちの命を奪おうとするだろう。だから、こっちも躊躇うな。迷ったらこっちが殺される」

 そして、ボイスコマンドを発し、アジト近くへと通じるゲートが出現する。

 

 他のプレイヤーがゲートに入っていく姿を見て、アルスはその先にあるものを想像した。、

 これから向かう場所は、過去に何十回も訪れたフロアボスの部屋とは大きく異なる。敵は見上げるような巨体も、並外れた膂力も、超常的な能力も持ってはいない。自分たちに最も近く、しかし最も得体の知れない敵が、息を潜めている場所だ。

 ラフィンコフィンがすぐに投降すれば話は簡単だが、もし抵抗することがあれば、アインクラッドでかつて一度も起きたことがない数十人規模でのプレイヤー同士の殺し合いが始まる。

 寝静まったところを奇襲するので、そうなる危険性は低い。理性で納得しているはずなのに、異様な胸騒ぎが治まらない。

 

 ゲートに入る順番となり、木立に覆われた小さな空き地へと転移した。情報の漏洩や個人での仇討ちが起こることを防ぐために、転移先がどこの階層かは知らされていない。マップを開けばすぐに分かることだが、さして意味はないだろう。

 

 何の気なしに上を見上げると、黒い鉄の蓋が天を覆っていた。

 太陽の眩しい陽射しも、月の淡い光も、星々の煌めきも妨げ、側面から差し込む光を反射して光る上層の大地。自分たちが目指す場所へ至るための踏み台。二年近く見続けてきたものがなぜか今になって、自分たちを閉じ込めている迷宮の壁なのだと気付かされた。

 

 

 

《続く》

 




キャラ紹介

ケイン
Player name/ Kein
Age/21
Height/177cm
Weight/67kg
Hair/ Blue Short
Eye/Blue
Sex/Male
Guild/Knights of Round Table

Lv83(十六話時点)
修得スキル:《両手剣》《武器防御》《重金属装備》《疾走》《剛力》《瞑想》《体力増強》《戦闘時回復》《軽業》《耐毒》《豪腕》


 ギルド円卓騎士団のリーダーを務める元ベータテスター。常に分厚いプレートアーマーとごついヘルメットを装備しており、ヘルメットの下の素顔は同じギルドのメンバーですら見た者はいないと言われている。
 第一層のフロアボス戦ではD隊のリーダーを務め、終盤はB隊とともにコボルドロードと戦っていた。ボス戦後のキリトのビーター宣言を聞いた後、ベータテスターとしてすべきことは何かを考えるようになり、腕を見込んだプレイヤーを集めてギルドを結成する。
 同じ両手剣の使い手であり、ベータテスト時代に負けたことのあるアルスをライバル視している。



トール
Player name/ Thor
Age/40
Height/184cm
Weight/77kg
Hair/ Brown Semilong
Eye/Purple
Sex/Male
Guild/Mjolnir

Lv82(十六話時点)
修得スキル:《両手鎚》《剛力》《所持容量拡張》《武器防御》《重金属装備》《瞑想》《体力増強》《投剣》《応急手当》《戦闘時回復》《豪腕》


 ギルドミョルニルのリーダーを務める元ベータテスター。その名前が示す通り、巨大なハンマーを操る長いあごひげを蓄えた大男。威圧的な態度で好感を持たれにくい人柄だが、一撃の威力は攻略組内でも一、二を争う。
 第一層のフロアボス戦ではG隊を率いて最後まで戦い続けた。キリトにビーターという重荷を背負わせたことを恥じ、自ら最前線で戦えるプレイヤーを育てるためにギルドを結成した。ギルドの入団条件には戦闘力以外にも、男性で二十歳以上という制限を設けている。



エオス
Player name/ Eos
Age/24
Height/161cm
Weight/47kg
Hair/White Long
Eye/Silver
Sex/Female
Guild/Aurora

Lv83(十六話時点)
修得スキル:《短剣》《隠蔽》《索敵》《軽業》《疾走》《瞑想》《耐毒》《革装備》《聞き耳》《応急手当》《駿足》


 ギルドアウローラのリーダーを務める元ベータテスター。艶やかな白髪と銀の瞳にカスタマイズされた容貌は、儚くも神秘的な美しさを備えており、多くのプレイヤーを魅了する。同じように人気の女性プレイヤーである閃光のアスナと比較され、AGIに特化したステータスを活かした戦い方から流星の二つ名を持つ。
 ゲーム序盤はソロで活動していたが、自分に言い寄るプレイヤーを半ば利用する形でパーティーに加えるようになり、管理を効率化していった結果ギルドという形へと変わっていった。
 ベータテストではアルスと二度デュエル大会で対戦したことがある。



スキル解説

剛力:筋力、装備可能重量、運搬可能重量に補正がかかる。便利なスキルではあるが、スキルを鍛えるには重い装備を身につけるか、重いものを持ち運ぶ必要があるので、軽装のプレイヤーではほとんどスキルが育たない。


体力増強:HPの最大値を増加させる。最大HPの何%分増加するという効果なため、STRが低かったり、防具によるHP補正値が低いプレイヤーは修得の優先度が低い。


豪腕:筋力値が一定以上に達することで修得可能となるスキル。筋力値、装備可能な武器の重量、攻撃の威力、ノックバックに補正がかかる。


駿足:敏捷値が一定以上に達することで修得可能となるスキル。敏捷値、攻撃速度、クリティカル発生率、機動力に補正がかかる。


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第十七話 命を奪う者

 一度奪われたものは、もう二度と戻ることは無い。
 できるのは、これ以上奪われないようにすることだけだ。

 自分が奪われる立場になった時、それは間違いだと思った。
 人はなにかを奪われた時に、初めてその価値に気づくことができる。
 奪われた後でしか、それが自分の中でどれだけ大きな存在であったか、知ることはできない。
 奪われたものの本質を知った後でしか、自分の中にできた欠落を測ることはできない。


 そして、人は自らの欠落を、相手から奪う事で埋めようとする。
 だが、奪われた時にしか大きさを知ることができないということは、奪ったものの大きさがわからないということだ。大きさがわからないものでは、欠落を埋めることは決してできない。

 そうなってから、ようやく理解する。
 奪ったものでは、奪われてできた欠落を補うことはできない。
 できるのは、奪われないことで欠落を広げないようにすることだと。



二〇二四年八月二十四日午前三時

 

 ついに、ラフィン・コフィン討伐作戦が始まった。

 

 回廊結晶を使ってラフコフのアジトがある洞窟付近のフィールドへ転移した後、討伐部隊は索敵スキル持ちのプレイヤーを偵察に向かわせ、人気がないことを確認してから洞窟内への侵攻を開始する。洞窟内の通路は、密告書とともに送られていたマップデータの通りで、目的の部屋まで最短経路で進んでいった。 

 洞窟内でも斥候を使ったが、雑魚モンスターと遭遇するだけで、プレイヤーを発見したという報告はない。何の異常も確認されないまま、討伐部隊は奥へと進んでいく。

 

 ラフコフが根城とする安全地帯となっている部屋の手前にある大部屋まで来たところで、一度全員集められた。

 ここからは二手に分かれ、安全地帯の入り口と出口をそれぞれ押さえることで、敵の退路を断つ。

 移動を始める前にシュミットが会議と同じ警告をもう一度言い、緊張をほぐすためか冗談ぽく続けた。

「とはいえ、人数もレベルも攻略組である俺たちの方が上だ。案外戦闘にならないで降伏ということもあり得るかもな」

 

 微かな笑い声が漏れるがすぐに止み、部隊が動き始める。その時、アルスは殺意を秘めた声音に、首を断たれたような錯覚を覚えた。反射的に声のした方へ振り返り、目を見張る。

 数十秒前まで誰もいなかった洞窟の脇道から、オレンジ色のカーソルを浮かべたプレイヤーが次々と姿を現した。総数はおそらく三十人ほど。暗色の装備を身に纏い、手にはギラリと光る得物を持っている。

 それは周到に準備された待ち伏せだった。敵のアジトへ行くのだから、当然待ち伏せの危険性は考えられていた。それを防ぐために作戦開始時刻は極秘にしていたのだが、ラフコフの全戦力が襲いかかってきているのを見るに、こちらの作戦が漏れていたのだろう。

 討伐部隊のプレイヤーは奇襲にうろたえながらも、武器を抜いて敵を迎え撃つ。

 

 イカロスの翼のパーティーへ向かってくる敵の数は三人。うち一人が投擲のモーションをとり、赤褐色の光を帯びた武器がアルス目掛けて放たれる。

 首筋に迫る投擲武器を剣で弾く。弾かれた武器は持ち主の元へ戻り、それを掴み取りながら一人のプレイヤーキラーが肉薄してくる。

 その男が持つ武器はチャクラム。ノコギリ状の歯が付いた刃は輪状に形成され、一部が革紐を巻かれたグリップになっている。投擲武器でありながら、手に持つことでナックル系武器としても使うことができるレアな武器だ。

 

 チャクラムを握った右手が突き出され、防御のために剣で受ける。格闘戦の間合いでは、両手剣の威力を十分に発揮することができないと考えての判断だろう。だが、格闘戦ならこちらも負けはしない。

「エリス。頼むぞ」

 両手剣を押し出しながら後ろに下がり、両者の間隙にエリスの小柄な体が入り込んだ。

「ハアッ」

 左拳で放つエリスの体術スキル《閃打》が、チャクラム使いの腹を抉る。そこから拳と蹴りによる打ち合いが始まった。チャクラムを握る右手だけは剣で防ぎ、他の攻撃は四肢の防具で弾きつつ、鋭い反撃を加える。

 

 アルスは側面に回り込み、チャクラム使いに上段から斬りかかった。チャクラム使いはエリスの攻撃によって体勢を崩されていたにもかかわらず、後ろに倒れ背後に飛ぶことで斬撃を回避する。

 回避は成功したものの、やはり無理な動きだったらしく、チャクラム使いは地面に倒れた。エリスとアルスの追撃に気づき、苦し紛れにチャクラムを投げる。

 ソードスキルのアシストは受けていないが、それでも高速で迫る刃に向かって、エリスは剣を突き出した。通常なら剣に弾かれ、チャクラムは持ち主の元へ戻ってしまう。それをチャクラムの中心にある穴を剣で貫くことで、完全に動きを制止させ、手元に戻るのを防いだ。

 

「グッジョブ」

 エリスに賞賛を送り、両手剣を後ろに引きながら、完全に無手となったラフコフの男との間合いを詰める。敵もここで退くのは悪手と考えたようで、起き上がりながら懐に飛び込んできた。

 再び格闘戦に持ち込み、こちらの剣を封じる狙いだろう。戦略として間違いではないが、両手剣が超近接戦で全く使えないわけではない。

 テイクバックした両手剣の柄頭が青いライトエフェクトを纏い、眼前まで迫っていた男の顔を殴りつけた。《トーレント》という剣の柄で攻撃する特殊なソードスキルで、刃で攻撃するのに比べればダメージが少なく、リーチも他のスキルに比べてはるかに短い。しかし、手を伸ばせば届くような距離まで敵が迫っている今のような状況であれば、十分にその威力を発揮できる。

 

 男は転倒には耐えたが、スキルの追加効果であるノックバックとスタンによって、足がふらついている。そこへ追いついてきたエリスが、緑色に濡れた刀身を持つ小ぶりなナイフを投げつける。

 ナイフは男が装備していた革鎧を貫き、直後糸が切れたマリオネットのように、その体が地面に崩れ落ちた。体はほとんど動かず、男の頭上に浮かぶHPゲージが緑色の枠に覆われている。

 

 リデルが作成した毒性(トキシティ)効果付きの投げナイフと、プロメテウスの調合師が作ったレベル五の麻痺毒。たとえ耐毒スキルを持っていても、十分は動きを封じられる強力な毒だ。

 ひとまずは行動不能にできたが、強力な毒であっても、浄化結晶や解毒ポーションがあれば回復できる。万が一のことも考えて、アイテムストレージから拘束用のロープを取り出した。

 残り二人の敵がどうなっているか見てみると、カインとビルがうまく攻撃を防いでいるようだが、ラスク一人では二人を麻痺状態にするには手数が足りないようで、まだ戦闘が続いていた。

「エリス。ラスクたちに加勢してくれ。俺はこいつを拘束して見張っておく」

「わかった」

 加勢に向かうエリスを横目に、アイテムの使用を封じるために、男の腕を縛り付ける。

 拘束を終えてから警戒のために周囲を見渡した。不意を突かれて混乱していていたのは最初だけだったようで、すでに数名のラフコフプレイヤーが拘束され、戦いは攻略組側が優勢になっていた。

 安堵の息を漏らしそうになったところで、こちらに迫る足音と小さな破裂音に気づく。破裂音のした場所から黒い煙が吹き出し、視界が黒く染め上げられる。

 プルートとの戦いで使われたのと同じ煙玉だろう。前はダイが風を起こして吹き飛ばしたが、今回同じ手は使えない。

 自分の手すら見えない状況の中、アルスは剣を構えたまま目を閉じ、チッと舌打ちをした。

 この舌打ちはれっきとしたスキルの起動モーションで、聞き耳スキル上位Modの一つ《反響定位(エコーロケーション)》を発動する。エコーロケーションは潜水艦のソナーのように、音の反響で周囲の様子を探るスキルだ。壁などの障害物は貫通できないが、濃霧や暗闇の中では索敵スキル以上の探知能力を発揮出来る。

 

 真っ暗な視界の中で、ぼんやりとした白い影が浮かぶ。設定的には音の反響によって物の位置を探知するスキルなため、敵味方はおろか、プレイヤーかオブジェクトかの判別すら難しい。だが、煙幕の中で迷いなく自分に迫ってくる影だけは、敵だと確信できた。

 

 …………今。

 

 影が間合いに入った瞬間、剣を振り下ろす。回避できない距離のはずだったが、向こうも黒煙の中で敵の動きを察知するスキルを持っているらしく、手応えが浅い。

 影が移動を始め、今度は背後から回り込んで襲いかかってくる。さっきの攻撃が当たったのは偶然だと思っているのか、反撃を警戒する様子はなく、振り向くと同時に薙いだ剣が影を斬り飛ばした。

 

 さすがに動きが見えていると気づかれたらしく、影は距離を取り始める。途中で何かを投擲したのか、鎧の上から軽く叩かれたような感触があったが、HPゲージにほとんど変動はない。

 黒煙が薄くなる頃合いを見計らって目を開くと、薄くなった煙の中で黒ずくめの男が立っていた。

 小柄な体を包むレザーアーマーに、細身のパンツ、鋲付きのレザーブーツに至るまで黒に統一されている。武装は右手にある細身のナイフと、腰に並ぶ数本の投げナイフ。そして、何より特徴的なのが、頭にかぶった目の部分だけ穴が空いている頭陀袋のようなマスクだ。

 

 マスクの奥から恨みがましい視線を向けてくる男に、アルスは問いかける。

「お前、ジョニー・ブラックか」

 男は答えながらも、油断のない動作でナイフを構える。

「そうだよ。テメェはアルスだっけか、プルートに勝ったっていう」

 アルスが頷くと、ジョニー・ブラックは苛立ちを隠さずに叫んだ。

「テメェらがうちの農園(ファーミング)を潰したせいで、クソめんどい狩場探しをやらされたんだよ。おまけにアジトにまで押しかけてきて、どんだけ俺らをイラつかせりゃ気がすむんだ」

「お前たちがおとなしくするまで、だな」

 真面目に答えてやると、ジョニー・ブラックはマスク越しでもわかるほどに表情を歪ませた。

「……ぶっ殺す」

 ジョニー・ブラックはソードスキルを使わずに、鎧の隙間を狙って高速でナイフを振るってきた。言葉とは裏腹な緻密な攻撃を、アルスは防ぎ続ける。

 

 ジョニー・ブラックは赤目のザザと並ぶラフコフの主力プレイヤーであり、毒ナイフの使い手として知られている。今奴が持っているナイフも緑色に濡れていて、強力な麻痺毒が塗られていると考えていいだろう。耐毒ポーションを飲んでいるため、麻痺に陥る危険性は低いが、あえて攻撃を受ける必要もない。

 

 突き出されたナイフを両手剣で強く弾き、動きが止まった隙に斬り上げる。

 攻撃の正確さこそ攻略組のアスナに迫るものがあるが、速さも威力も所詮は攻略組に及ばない。ラフコフのメンバー間で対人戦の練習はしていただろうが、それは攻略組も同じこと。より長い時間をかけて自らを鍛え続けたものが強くなるのは、あらゆるネットゲームに通ずる真理だ。自分より弱いプレイヤーを殺すことだけに情熱を注いできた奴らが、攻略組に勝つ道理などない。

 

 攻撃を受けたジョニー・ブラックは、HPを三割近く失いながらも反撃に出た。

 幾十も閃くナイフの軌跡がアルスに襲いかかる。大半は両手剣に弾かれ、一部は鎧に阻まれ、ほんの一、二撃だけがアルスの体を掠めてささやかなHPを奪う。

 攻撃を当てても麻痺にならないことが、ジョニー・ブラックにさらなる焦りを生んだらしく、攻撃はより激しくも単調なものに変わっていった。

 冷静に防御を続け、相手が踏み込み過ぎた隙を狙ってカウンターの一撃を叩き込む。幾度も攻撃を受けたことでジョニー・ブラックのHPは半分を切り、ゲージが黄色へと変わった。

「毒が効かなければ、お前程度じゃ俺たちには勝てない。そのナイフで自分を切るなら、少なくとも命は助かるぞ」

 アルスの勧告に対し、ジョニー・ブラックは悪態を吐く。

「クソ……ザッけんな。このまま殺られてたまるかっての」

 降伏の意志を見せずに、再びナイフが構えられる。このままHPが尽きるまで戦わなくてはならないのか、と考えた時、どこかからフロアボスに追い詰められた時と同じ、死に怯える悲鳴が聞こえてきた。

 

 視界の端で、さっきまでラフコフのプレイヤーを追い詰めていた討伐部隊のメンバーが、逆に腰を抜かして後ずさる光景が映る。相対しているラフコフのプレイヤーは、瀕死と言っていいほどにHPを減らしているというのに。

 そこでようやく、ラフコフが攻略組に唯一勝っているものがあることに気づいた。

 これまで百を超える人間の命を奪ってきた奴らは、殺人への忌避感を持っていない。対して、攻略組でプレイヤーを殺した経験を持つものなど、おそらく皆無だろう。

 躊躇なくトドメをさせるか否かの差が、ここにきて表面化した。

 各所で同じ悲鳴が響き、命の終わりを告げるガラスが砕けたような破砕音が続く。無意識のうちにパーティーメンバーのHPゲージに視線が向いた直後、正面で地面を蹴る音がした。

 

「よそ見してんじゃねぇ」

 ジョニー・ブラックが飛びかかりながら、ナイフを振り下ろす。

 完全に隙を突かれたが、すんでのところで両手剣を掲げ、ナイフを受け止めた。防いだと思った直後、腹部に痺れたような鈍痛が響く。ジョニー・ブラックを押し返した後、痛みを感じた場所を見ると小さなナイフが突き刺さっていた。

 SAOでは両手に別々の武器を装備してしまうと、ソードスキルを使用できなくなってしまう。これは投擲武器である小さな投げナイフですら例外ではない。なにより、煙の中での奇襲以降、一度も投げナイフを取ろうとしなかったため、左手は空だと思い込んでいた。

 

 奇策で一矢報いたつもりなのかもしれないが、ナイフ一本刺さった程度では、大したダメージにはならない。

「こんなもの……え……」

 ナイフを抜こうとした途端、全身から力が抜けた。立つことさえできなくなり、剣が手から離れながら地面に倒れる。よく見れば視界上部にあるHPゲージは緑色の枠に覆われ、同色のデバフアイコンが表示されている。まぎれもない麻痺状態だ。

 

「どう、して」

 舌まで痺れ始め、うまく言葉が出ない。

 おかしい。麻痺のアイコンの隣には、まだ耐毒のバフアイコンが表示されている。例えレベル五の毒であったとしても、ほぼ確実に抵抗できる効果があるはずだ。事実、これまでジョニー・ブラックの攻撃を受けても、麻痺にはならなかった。にもかかわらず、なぜ今更。

「ふー、効いたようだな。これまだ一回分しか作れてないんだぞ。レベル六の麻痺毒」

「レベル、六だと」

 

 毒の強さはレベル五が上限とされているが、実はそれより上があるのではないかという噂は以前からあった。調合スキルのレシピで、レベル五用の解毒ポーションよりも高品質な素材を要求するレシピが見つかっていたからだ。

 だが、レベル五を超える強力な毒を使うモンスターが現れず、万が一そんなモンスターに遭遇した場合は浄化結晶を使えばいいとされたため、ほとんど気にされなかった情報だ。その毒を、まさかラフコフで完成させているなど、誰も予想していなかった。

 毒はモンスター狩りで使うには効率が悪く、ボスモンスター相手では効果が薄いため、アイテムとしての需要が低い。それゆえに攻略組では、毒アイテムの調合レシピの研究が進んでいなかった。毒武器をメインに使うジョニー・ブラックだからこそ、作り出すことができたのだろう。

 

「毒が効かなきゃ、俺に勝てないだっけか。だったら、毒で動けない今はどうなんだよ」

 見下ろしてくるジョニー・ブラックに悟られないよう、唯一動く右手をゆっくりとベルトポーチに伸ばす。ポーチにある浄化結晶を使えば、どれだけ強力な毒であっても回復することができる。

「無視してんじゃねぇ」

 結晶を手に取ったタイミングで、返答がないことに苛立ったジョニー・ブラックがアルスの体を蹴飛ばした。衝撃で握力が弱まっている右手から緑色のクリスタルが落ち、回復しようとしていたことに気付かれてしまう。

 ジョニー・ブラックはアルスの右手を足で押さえつけながら、喉にナイフを突き立てる。

「ガッ……」

「おら、ちゃんと答えろよ。動けなくてどんな気分だ」

 急所への一撃によってHPが大きく削られ、一瞬息が止まった。

 

「ちゃんと答えねぇと、すぐ死んじまうぞ」

 何度も何度も喉元にナイフが振り下ろされる。

 抵抗しようにも、麻痺で右腕以外動かすことができない。麻痺から自然に回復するまで、少なくとも十分以上は要するだろう。それだけあれば動けないプレイヤー一人殺すのは容易い。

 

 勝ち目がない。

 

 それがジョニー・ブラックの質問に対する答えだ。

 毒ナイフ一本が刺さっただけで、力の差を埋めることができる。プレイヤーの動きを封じる麻痺毒は、強力であるがゆえに十分な対策が講じられたはずだった。だが、まだ甘かった。

 本当にこんなところで死んでしまうのか。毒に頼ることでしか戦えないようなこんな男を相手に。アインクラッドから飛び立つと誓った翼が、こんな低層で折れるのか。

 

 アルス。

 

 声が聞こえた。

 脳裏に一人の少女の笑顔が浮かぶとともに、昨夜の会話が思い出される。

 

 心配するなって言ったんだ。一人で無茶はしないって言ったのに、ここで負けちまったら、約束を守れなくなっちまう。俺はエリスを守るためにも、約束を破るわけにはいかないんだ。

 

 何かがひび割れる音とともに、今までぴくりとも動かなかった左手が、振り下ろされようとしていたジョニー・ブラックの右手を掴んだ。ナイフの動きが止まり、ジョニー・ブラックの表情が驚愕に染まる。

「ンダヨそれ! なんだって、麻痺が効いてねえんだ」

 なぜ左手が動くようになったのかは、アルスにもわからなかった。一つ気付いたのは、HPゲージの下に表示された麻痺のアイコンが明滅し、新たに見慣れぬアイコンが出現したことだけだが、そのアイコンが出現した理由に心当たりがない。

 麻痺を無効化している理由の代わりに、アルスは一つ前の質問に答えた。

 

「さっきの答えだが、俺にもう勝ち目はない。でもな、お前なんかに負けるつもりもない」

 

 体の奥底から不思議な力が満ち溢れ、ジョニー・ブラックのナイフを押し返す。左手も乗せて体重をかけながら両手でナイフを押し込まれるが、元の筋力値の差もあってか拮抗状態となった。互いに攻撃の手はない状態。だが、デバフが回復するまで耐えきることができれば、アルスの勝ちだ。

 

 このまま、何分だって付き合ってやる。

 

 必死にナイフを降ろそうとするジョニー・ブラックと、左手のみでその力に抗うアルス。動きのない戦いは、一つの風切り音とともに終わりを迎えた。

「がっ……なんだよ。これ……」

 ジョニー・ブラックの左肩から、銀色に光る槍の柄が伸びていた。

 突然の攻撃による動揺で力が抜けた体を、アルスは左手で押し出しながら起き上がる。

 素早く身を引き、肩から槍を抜いたジョニー・ブラックは、これ以上の攻撃を警戒してか左肩を抑えながら走り去って行った。

 

 戦いが終わったのを意識した瞬間、再び全身の力が抜け、アルスは手をついて体を支えた。HPゲージでは麻痺のアイコンが明滅すること無く点灯し、正体不明のアイコンはいつの間にか消えている。

 目の前には、ジョニー・ブラックが抜いた槍が落ちていた。銀色の全金属製で、一メートル弱と槍にしてはやや短く、穂先がかなり細身になっている。これは片手用槍の中でも投擲に最適化されたジャベリンだ。こんな槍を使うプレイヤーは、攻略組内で一人しかいない。

「アルス。大丈夫?」

 攻略組唯一のジャベリン使いであるエリスが、息を切らせながら駆け寄ってきた。救援に来るためにかなり無茶な戦いをしたのか、HPはアルスと同じぐらいまで減っている。

「ああ……助かった」

 感謝の言葉はいくらでも浮かんだが、痺れた口でそれだけ言うのが精一杯だった。たったそれだけの言葉でも、エリスは満面の笑みを見せ、浄化結晶を手渡してくれる。

 

 すぐに戦いを終わらせ、胸のうちに溜まった言葉を伝えるために、麻痺から回復しようとした瞬間、近くで悲鳴が上がった。

 次いで悲鳴をあげたプレイヤーの体が砕け、発生した青白いポリゴンを邪魔そうにかき分けながら、オレンジカーソルのプレイヤーが歩み出る。

 体格はかなり小柄、ダークカラーの服に暗い紫色の軽鎧、同色の兜を装備し、それらの防具に比べ、明らかな業物とわかる片手剣を右手に持っている。兜の奥に見える赤黒い瞳がアルスに向けられ、剣を構えて走り出した。

 

「キュア」

 急いで解毒のボイスコマンドを発し、クイックチェンジでストレージから武器を出そうとしたが、それより早くエリスが前へ出た。ジャベリンを使うため鞘に収めていた剣を抜き、片手剣使いの斬撃を受ける。

 レベルは上のはずだったが、剣の重さで負け、エリスの剣が弾かれてアルスの前に落ちた。武器を失ってもエリスは臆することなく、格闘戦に持ち込もうとさらに前へ出る。

 

「待て。下がれ!」

 アルスの呼びかけに応えず、エリスは拳を構える。だが、体術の間合いに入る前に、振り上げられていた敵の剣が青色に発光し、動き出した。

 斬撃がエリスの腹を、足を、腕を、胸を切り裂き、残り少なかったHPを削り切る。

 ソードスキルの威力によって、後ろに倒れるエリスの小さな体を、アルスはしっかりと抱きとめた。ゆっくりと顔を上げ、アルスの顔を見上げながら、エリスははにかんだような表情を見せる。

「ごめん。約束破っちゃった」

 言い終えるのと同時に、肉体は青色の破片へと変わり、腕の中にあった重みが消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前の光景が信じられず、とっさに視界上部にあるHPゲージに目を向けた。ゲーム序盤からずっと自分のゲージのすぐ下に表示されていたエリスのゲージが、全損を示す灰色に変わっている。

 

 エリスが死んだ。

 

 現実を受け入れた瞬間、胸に空洞ができたかのような虚無感が生じ、手元に残っていたわずかな欠片を逃したくないがために、両手を胸に押し当てた。

 そんなことをしても実体のない欠片は手から零れ、目の前を立ち昇って行く。今にも消え入りそうな青い光の中に、最後の言葉を残すエリスの姿を見た。

 

 約束を破った……違う。先に約束を破ったのは、ジョニー・ブラックと一人で戦い、麻痺にさせられた俺の方だ。

 エリスなら片手剣使いの攻撃を躱すことも、武器を弾かれた後に逃げることもできたはずだ。それをしなかったのは、麻痺から回復したばかりで丸腰の俺を庇うためだ。

 エリスを死なせたのは、自分の力を過信して油断した俺のせいだ。

 

 自然と下を向いていた視線の先に、エリスが残した剣が落ちている。ナックルガードがギルドマークと同じ翼の意匠になっている華奢で美しい白銀の片手剣。一度剣を失ったことのある彼女が、その後手に入れた剣を何度も鍛え直して、今日まで大切に使い続けてきた世界に一振りしかない彼女の分身。

 アルスの視界に、エリスの剣に向かって伸びる手が入り込む。それを意識した瞬間、反射的に剣を拾い上げ、剣から伝わる熱がアルスを立ち上がらせた。

 

 一歩後ろに下がってから、羽根のように軽い片手剣を、この剣を拾い上げようとした片手剣使いに向ける。

「この剣をどうするつもりだ」

 アルスの問いに、意図がわからないとばかりに首を傾げながら、片手剣使いは答える。

「何って、ドロップ武器を拾うのは、ゲームじゃごく当たり前のことでしょう。あなたたちだって、いつもやっているじゃないですか。あ、モンスター相手だと、装備が直接ドロップすることはないんでしたっけ」

 少年のものと思われる濁りのないテノールに、アルスは怖気を覚えた。人の命を奪ったにもかかわらず、この少年はそれがさも当然の行動であるかのように言い、瑣末な疑問を抱いている様子すら見せない。その言葉には、無邪気ささえ感じさせた。

 

 エリスの命を奪った剣の刀身をペタペタ触りながら、少年はさらに続ける。

「これもさっき拾ったいい剣なんですが、僕には少し重いんですよね。そっちの方が軽そうだし、切れ味も悪くなさそうです。僕なら、さっきの女性よりも上手く使いこなしますよ」

「エリスよりも、だと」

 あまりに異質で理解し難い少年の言葉の中で、それだけがアルスの脳内に届いた。

 誰よりもこの剣を愛し、誰よりもこの剣を振るい、エリスの魂が込められた剣。それを容易に使いこなせるという言葉は、彼女の努力を無下にするものだと感じられた。

「お前には無理だ」

「おや? どうしてそんなことが言えるんですか」

「この剣を使いこなせない俺に、今この場でお前が負けるからだ」

 エリスの剣を手に、アルスは猛然と斬りかかった。

 

 

 エリスとの約束を守るなら今一人で戦うことは避けるべきだったが、それはできなかった。周囲に助けを求められるプレイヤーがいなかったとか、敵が退避する隙を与えてくれなかったとか、建前はいくらでも作れるが、実際のところはエリスの仇である少年を自分の手で倒したかっただけのことだ。

 武器にしたって、使い慣れないエリスの剣のままで戦うより、落とした両手剣を拾いに行くなり、予備の武器をストレージから出すなりした方が、本来の実力を発揮することができる。エリスの剣では軽すぎて、連撃系のソードスキルを使う時に慣性の違いで動きに支障が出るだろう。しかし、この剣を手放した瞬間、戦えなくなってしまうのではないかという漠然とした不安が、別の剣を手に取ることを拒んだ。

 

 少年が振るう討伐部隊の誰かが使っていた業物を、アルスは手首のひねりを使って受け流す。

 エリスの剣は軽い反面、威力が低く、他の片手剣に比べて脆い。アルスがいつもするように、敵の武器を弾いたり、受け止めたりしようとすれば、すぐに剣が折れてしまうだろう。

 剣の消耗を防ぐために、敵の攻撃を真正面から受けずに、刀身で滑らせて力の向きを変えさせる。フロアボスなど、圧倒的な攻撃力を持つ敵と戦うために身につけた技術だ。

 

 アルスの反撃を少年が受け、鍔迫り合いとなる。

「もっと手っ取り早く片付くと思いましたが、存外やりますね」

 その言葉に古い記憶が呼び起こされた。この少年の声は、前に一度聞いた覚えがある。

「お前、二層でPoHと一緒にいたやつだな。強化詐欺の手口を考えたと言っていた。よくあんな手を考えついたものだ」

「へぇ、そんな昔のことよく覚えてますね。ええ、そうですよ。僕から搾取し続ける兄の剣を奪うために考えた方法を基にしたんです。力あるものが弱者から全てを奪うのが、自然の摂理だと教えてくれた兄の言葉を証明したんです」

「……違うな。力あるものが奪うだけでは、何も生まれはしない。何かを得る権利があるのだとしても、それは力あるものが自らの責任を果たした時だけだ」

 

 アルスの言葉に対し、少年が初めて声に感情を込めた。

「なんですか。あなたも僕に説教するんですか? その力をゲーム攻略に役立てましょう。プレイヤー同士で助け合いましょう。僕たちは分かり合えるはずだ。そんな綺麗事はもう聞き飽きました」

 これまで少年と戦ったプレイヤーたちが、命乞いとともに述べたものだろう。彼らの言葉は、少年が剣を収めるには足りなかった。おそらく、アルスがいくら弁を尽くしたところで、同じ道をたどる結果にしかならない。

 なにより、アルスに少年を救う気持ちは微塵もなかった。

 

「いや、今更そんな話をするつもりはない。多くのものを奪ってきたお前の命を、俺が奪うつもりだからな」

「大した攻撃もできないくせに、なめた口を叩くな」

 少年は大きくバックジャンプし、アルスの喉元を狙って剣を突き出した。剣は肉を裂き、血しぶきに似た赤いダメージエフェクトを噴き出させる。

「な!……」

 その量は、残り少ないアルスのHPをほんのわずかに削る程度。剣の切っ先は喉まで届かず、アルスの左手に掴まれることで動きを止めていた。

 受け流す防御を続けていれば、防御しにくい突き技が来ることは予想できる。剣の重さのせいで動きが鈍いこともあり、突きを待ってその刀身を掴むことは難しくなかった。

 

 両者の間合いは、少年の剣と腕の分だけ離れている。普通に剣を振っても届かない距離だが、この間合いでも届くソードスキルが一つある。

「お前が何を奪ってきたか、教えてもらうぞ」

 左手は前に出し、右腕を後ろに引きながら肩の上で剣を構え、刀身に赤い光が灯った瞬間、蓄えた力を解き放つように一直線に突く。

 

奪命の一撃(ヴォーパル・ストライク)

 

 刀身の倍近く伸びた赤黒い刃は、少年の左目と頭を経て兜を貫いた。

 死に際に悲鳴をあげることもなく、少年の身体は静かに砕け散り、その生涯を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年のアバターが消失した頃には、他の場所での戦闘もほぼ終了していた。

 アルスの姿を見つけたラスクが、カイン、ビルとともに駆け寄ってきた。何か言おうとしたようだが、アルスの手にある剣を見た途端、口を閉ざしてしまう。カインは泣き崩れ、それを支えるビルも表情を強張らせていた。

「…………すまない」

 アルスがどうにか口にできたのは、その一言だけだった。

 

 

 

 

 戦闘終了後、捕縛された十二人のレッドプレイヤーを監獄エリアへ送るため、回廊結晶が使われた。

 回廊結晶は一年ほど前からドロップするようになった希少価値の高いアイテムで、大人数を一斉に任意の場所へ転移させることができる。フロアボス戦でフルレイドを直接ボス部屋へ転移させるのが主な使用方法だが、次に多い使い道が牢獄に繋げて犯罪者プレイヤーを移送する使い方だ。このアイテムをデザインしたゲームデザイナーは、果たしてこんな風に使われることを想定していたのだろうか。

 

 回廊結晶が作り出した転移ゲートへ向かうレッドプレイヤーを見ていたら、場違いにもそんなことを考えていた。

 デスゲームに変容したこの世界は、様々なものの有り様を変えている。だが、彼らを殺人鬼へと変貌させてしまったのは、SAOという環境だけが原因だったわけではない。潜在的な欲望を持つ者にPoHの思想が影響したことで、殺人へと駆り立てられたというのが大方の見解だ。

 

 そこで遅まきながら、転移ゲートへ向かう者の中にジョニー・ブラック、赤目のザザの姿があったにもかかわらず、首領であるPoHがいないことに気づいた。

 誰かが倒したのかと思い、PoHと交戦した者がいたか訊ねて回ったが、誰一人としてPoHの姿を見てすらいないと答える。

 その後、洞窟内をくまなく調べたが、生活の痕跡が幾つかあっただけで他のプレイヤーは一人も発見されず、一層にある生命の碑で調べた結果、PoHはまだ生きていると判明した。

 

 

 

 作戦開始から六時間後の朝九時、作戦で死亡したプレイヤー全員の合同葬儀が行われた。

 聖龍連合のギルドホームにある敷地の一角に、死者十一人の名を刻んだ碑が設置され、彼らの勇気を讃えるとともに、冥福を祈る。討伐部隊の参加者以外のプレイヤーも集まり、三百人以上の人々が慰霊碑の前で手を合わせて行った。

 葬儀を終えた後、ラフィンコフィン討伐作戦の終了が言い渡された。

 

 

 

 

 五人となったイカロスの翼は、道中一言も言葉を交わさないままギルドホームへと帰還した。

 葬儀の間もずっと泣き続けていたカインをビルが二階の部屋へ連れて行く。エリスの訃報を聞き、葬儀に列席したダイモンも、ラスクに顔を押し当てながら嗚咽を漏らしている。ラスクは涙を見せずにダイモンを落ち着かせようと背中をさすっているが、その動きはどこか機械的で瞳は光を失い虚ろになっている。

 

 アルスは一階に降りてきたビルと、リビングのテーブルで向かい合って座った。二階へ一瞬目を向けてから、震える声でビルは言った。

「疲れたみたいで、カインは寝てる。エリスのことが、相当ショックだったみたい…………僕も」

 今まで耐えていたのか、ビルの目からも大粒の涙がこぼれた。彼ら三人は、SAOに来る以前からの友人だった。エリスを失った時の苦痛は、他のメンバーよりも大きかっただろう。

 その元凶となった自分の体に爪を突き立てながら、アルスは頭を下げる。

「すまない。俺のせいだ。俺のせいでエリスは……」

「そんなことは……思ってないけど…………でも、僕らは、もう……」

 ビルは絞り出すようにそこまで言ってから、苦しそうに口許を押さえた。

 

 ゆっくりと、少しずつ気持ちを落ち着かせながら、ビルはカインとともにギルドを抜けたいと申し出た。これ以上自分たちは戦えない。死と隣り合わせの場所で、二人のうちどちらかが命を落とすのではないかという恐怖に、耐えることはできないと。

 アルスは二人の脱退を受け入れ、ギルド資産の半分を譲渡した。さらにメニューを操作して、アイテムストレージから槍と剣を取り出す。

「エリスの武器だ。遺品として、これも持っていってくれ」

 テーブルに置かれた二本の武器に、ビルは一度手を伸ばしかけたが、何かを感じたように手を引いた。

 

「いや、これはアルスが使ってくれないかな。多分だけど、この武器はまだ戦いたがってる。アルスと一緒に強くなって、僕らを現実世界に帰したいっていうエリスの心が残ってる気がするんだ」

 卓上で銀色に煌めく槍と剣を手に取って、アルスは強く握り締めた。錯覚だとは思うが、無機質な金属でできた武器から、熱い鼓動が伝わってくる。

「わかった。これは俺がもらう」

 

 

 

 カインの様子を見に、ビルはまた二階へ上っていった。

 リビングにいるのは、アルス、ラスク、ダイモンの三人のみ。ベータ時代のパーティーと同じメンバーだ。今後の攻略はこの三人で行っていくことになるだろう。

 

 内装は何も変わっていないのに、ひどく閑散として見えるホームを見渡しながら、ラスクはポツリと呟いた。

「寂しく、なるわね」

 攻略組の顔見知りが死んだ時も、悲しみや寂しさを感じることはあった。だが、ともにホームで過ごしてきた仲間を失ったことによる空虚さは、あまりに大きく、視界に映るもの全てが色褪せて見える。

 

【でも、エリスさんのおかげでアルスは助かって、ラフコフを壊滅させることができました。エリスさんの夢のためにも、僕たちは戦わなくちゃなりません】

 目に涙を溜めながらも、気丈な態度でダイモンはメッセージを見せた。

 

 ラフィンコフィンという中層の脅威が去った今、攻略組がすべきことは上層の攻略だろう。

 今回の作戦によって、攻略組は十人以上の精鋭を失った。遠からず行われるフロアボス戦では、人員の補充とレイド部隊の再編成も必要になる。今後も最前線に立つプレイヤーとして、フロアボス線に注力していかなくてはならない。

 今までと同じだ。仲間の死を乗り越え、戦いに身を投じ続ける。

 それが今すべき唯一のこと。

 

 

 

 

 

 ……本当にそうだろうか。

 

 アルスの首筋に、冷たい感触が蘇る。

「いや、違う」

 ラスクとダイモンの視線を受けながら、アルスは言い放った。

「まだラフィン・コフィンは消えていない。奴を……PoHを見つけ出す」

 

《続く》

 

 

 




エリス
Player name/Eris
Age/18
Height/155cm
Weight/53kg
Hair/ Dark red Long Ponytail
Eye/Dark red
Sex/Female
Guild/Icarus Wings

Lv83(最終ステータス)
修得スキル:《片手直剣》《軽金属装備》《疾走》《体術》《瞑想》《軽業》《投剣》《片手用槍》《耐毒》《応急手当》《駿足》




カケル
Player name/Kakeru
Age/16
Height/157cm
Weight/45kg
Hair/ Dark purple Short
Eye/Dark red
Sex/Male
Guild/Laughing Coffin

Lv74(最終ステータス)
修得スキル:《片手直剣》《所持容量拡張》《疾走》《隠蔽》《軽金属装備》《投剣》《暗視》《戦闘時回復》《武器防御》《軽業》


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第十八話 謎を解く者

謎を解くことは、正解のわからないジグソーパズルを組み上げていくのに似ている。

何が描かれているかも分からないまま、証拠と証言という名のピースを集めなければならない。しかも、それがパズルで使えるかすらも知ることはできない。

集めたものを組み合わせても、合っているようでわずかに歪んでいたり、どれとも合わなかったりで、なかなか完成に近づかない。完成させる方法を知る者がいるとも限らない。

何より良く似ているのは、組み上がった瞬間、今まで見ていたものとは、全く別の景色が浮かび上がるという事だ。


二〇二四年八月二十四日

 

 攻略組が行ったラフィン・コフィン討伐作戦によって、ラフコフメンバー三十三名のうち二十一名が死亡、十二名が捕縛され、ラフィン・コフィンは事実上壊滅した。しかし、ギルドを立ち上げたPoHはアジトにおらず、いまだ行方がつかめていない。

 多くの犯罪者(オレンジ)プレイヤーを殺人(レッド)プレイヤーへと変えたあの男を野放しにしてしまえば、いつまた同じ悲劇が繰り返されるかわからない。アインクラッドでの殺人をなくすためには、PoHを捕らえる必要がある。

 

 PoHの足取りを追うため、アルスは第一層にある黒鉄宮の監獄エリアに来ていた。それぞれの檻の中にはこれまで投獄された数多の犯罪者プレイヤーが捕らえられており、檻の外にいるアルスに気づくとひそひそと話し始めた。長い時間娯楽のない場所で閉じ込められている彼らにとって、面会者の目的を探ることは一種の暇つぶしなのだろう。

 

 目的の場所であるラフコフメンバーが捕らえられた檻の前で、アルスは足を止めた。

 檻の中には半日ほど前に戦ったジョニー・ブラックの他、赤目のザザなど捕縛された十二人がいる。鉄格子を叩いてこちらの存在を知らせてから、アルスは彼らに尋ねた。

「お前たちに話がある。PoHの居所を知る者はいないか」

 元ラフコフの男たちは、アルスを睨みつけるだけで言葉を返してはこなかった。

 こいつらから話を聞くのは無理かと諦めかけたが、一人だけ牢の奥からアルスのいる鉄格子へ近づく者がいた。

 

「誰かと思えば、イカロスのアルスか」

 近づいてきたのは、濃い灰色の髪と薄暗い牢獄の中で際立つ黄色い瞳を持つ男だった。作戦中に交戦した相手ではなかったはずだが、なぜか声に聞き覚えがある。

「先に名前を教えてもらえるか」

「失礼だな。一度しっかり名乗ったっていうのに。まあ、あの時は兜をつけていたけど」

「兜……まさか、プルートか」

「ああ、六十一層じゃ世話になったね」

 プルートは数日前に六十一層のフィールドで交戦し、アルスを苦戦させた騎兵プレイヤーだ。

 馬に乗られれば攻略組でも容易に倒せない相手ではあるが、洞窟ダンジョンの中では馬を使うことができないため、苦もなく捕縛されたのだろう。

 

「お前が出てくるとは、少し意外だったな。俺を恨んでると思っていたが」

「そりゃ恨んでないわけじゃないけど、PoHを追う気があるというなら、協力するのも吝かじゃないと思っただけさ」

「なぜだ。お前たちのリーダーだろ」

「あいつは、僕らに攻略組の迎撃を指示しておいて、自分だけ逃げ出したんだ。裏切られたと思われても仕方ないだろう」

 PoHの姿がなかったのは、何らかの理由でアジトに不在だったためと考えていたが、プルートの話を信じるなら、戦いの前に一人だけ離脱したようだ。ラフコフの生き残りがPoHを恨んでいるのだとすれば、話が聞きやすくて助かる。

 

「お前たちはPoHがどこに逃げたか知っているのか?」

「いや、残念ながらそれは誰も。他の隠れ家を用意していたのか、それとも誰かに匿われているのかさえわからない」

 ラフコフの連中なら何か知っているかとも思ったが、PoHに繋がる最も有力な線が真っ先に消えた。こうなると、別の線でPoHを追わなくてはならない。

 

「なら、別の質問だ。ラフコフは俺たちを待ち伏せできたが、どうして俺たちが来ていることに気づけたんだ。作戦のことを誰かから聞いていたのか」

「あれはたしか、PoHに言われたんだ。攻略組の大部隊がアジトに向かっている。逃げる時間は無いから、脇道で待ち伏せて迎え撃てって。それから十分後ぐらいに、君たちが来たんだ」

 交戦の十分前なら、洞窟に入る直前ぐらいだ。

 PoHがたまたま洞窟の外にいて、討伐部隊を発見したとは考えにくい。おそらく、作戦の情報を何者かがPoHに流したのだろう。だが、討伐部隊のメンバーであったなら、前日から作戦の内容も開始時刻も知っていた。作戦の間際に知らせたのだとすれば、討伐部隊に参加していなかった誰かが、直前に作戦のことを知って情報を伝えに行ったということになる。そいつから、PoHを追う手がかりを得られる可能性は高い。

 

 と考えた後で、プルートの話に一つ疑問を抱いた。

「逃げる時間が無いって言ったが、十分もあれば洞窟から出るのは無理でも、転移結晶で離脱することはできたんじゃないか」

「普通ならそうしたさ。でも、君たちのせいでそれができなかったんだよ」

「俺たちのせい?」

「そうだ。六十一層のファーミングが使えなくなった後、代わりの狩場を見つけるために各層を回ったせいで、いつも以上に転移結晶を使う羽目になった。それで各人の手持ちを使いきり、補給を待っていたところであの戦いが始まったんだ」

 

 転移門がある街に入れないオレンジにとって、転移結晶は緊急離脱の手段であると同時に、最も手軽な階層の移動手段だ。下層のダンジョンをアジトにしていたラフコフであれば、PKをするにしても、狩りを行うにしても、上層へ行くために結晶を使う必要があったはず。数量の管理にはかなり気を使っていたことだろう。

 アイテムが補給される直前に討伐作戦を実行できたのは、はたして偶然なのだろうか。アジトの場所を密告した誰かは、補給の前に作戦が始まるよう密告書を送ってきたのかもしれない。

 

 その後も質問を続け、一通り話を聞き終えたところで、プルートが言った。

「これだけ話したんだから、こっちの質問にも答えてもらうよ。アジトの場所を漏らしたのは、一体誰なんだい。攻略組と取引した奴が誰かいるんだろ」

 意外な質問に、アルスは一瞬言葉を詰まらせる。

 

「誰って……俺たちも密告書が届いただけで、誰が送ってきたかは知らないんだ」

「そんなバカな。今日アジトにはギルドメンバー全員がいて、PoH以外は戦っていた。捕まったこの十二人に、情報を漏らす奴なんていない。攻略組と取引して投獄を免れた奴が誰かいるはずだ」

 

 密告書を送ってきたのは、殺人の罪に耐えかねたラフコフの誰かだと推測されている。だから、そいつは攻略組にわざと捕縛されたのではないか、と勝手に想像していた。しかし、もしプルートが言うように、捕らえた十二人の中に密告者がいなかったのだとしたら、死んだ二十一人の中にいたことになる。

 だが、それはありえない。殺されたラフコフのプレイヤーは、攻略組のプレイヤーを殺そうとして反撃にあった者たちだ。殺人の罪を償おうとしてる人間が、さらに人を殺そうとなどするはずがない。殺すふりをして反撃を促し、自分を殺させた。いや、そんな博打をするぐらいなら、自分で自分を攻撃してトドメを刺せばいい。

 

 

 密告者は一体誰なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、ラフィン・コフィンの生き残りから得られた情報を伝えるために、アルスは討伐作戦に関わった各ギルドを訪ねて回った。

 

 

《円卓騎士団》

 円卓騎士団のギルドホームを訪ねると、門が開いて二人の女性剣士に出迎えられる。

「「お待ちしておりました。アルス殿」」

 視線すら合わせていないのに、彼女たちの言葉は一音も乱れがなく、頭を下げる動きすら完全に同時だった。

 

 円卓騎士団の副団長を務める双子剣士リーナとリーラ。フレンドであれば頭上のカーソルに名前が表示されるので間違えることはないが、二人の容姿は完全に瓜二つで、髪型がポニーテールかツインテールか以外の違いを見つけることができない。腰に差している打刀も、侍のような鎧も見た目にほとんど違いがなく、ステータスや装備の強化値どころか、修得しているスキルの熟練度まで完全に同一になるよう調整しているなんて噂があるが、さすがに冗談だろう。

 

 二人に案内されて、ホームの最上階にある部屋へ通される。部屋で待っていたケインがリーナとリーラを下がらせ、アルスに真向かいの椅子に座るよう促した。

 腰を下ろした後、プルートの話を資料としてまとめたものを渡し、情報の共有を行う。

「作戦直前に襲撃がばれた、か。洞窟の外に見張りがいて、俺たちの接近に気づいた……ってのは、無理があるよな」

 ケインは資料に目を通してから、尻すぼみな声でアルスに訊ねた。会議で待ち伏せの危険性は低いと言ったのがケインだったので、やはりその点が気になるのだろう。

「無理だろうな。万が一を考えて斥候を使っていたから、見張りがいれば気づけたはずだ。仮に斥候をやり過ごせても、ダンジョンじゃメッセージが使えないから、見張りはアジトまで自分の足で走る必要がある。俺たちに気づかれないで先にアジトへ着くのは不可能だ」

 

 ラフコフのアジトへ向かう時、討伐部隊は最短のルートを使ってかなり早足で進んでいた。見張りが討伐部隊に追いつかれない速度で移動すれば、隠蔽(ハイディング)忍び足(スニーキング)の効果が薄まる。そうなれば、索敵や聞き耳のスキルを持つ誰かに見つかっている。

 

「となると、やはり情報が漏れたと考えるべきか。仲間を疑いたくはないが、念のためギルド内で情報の漏洩がなかったか調べておこう」

「ああ、頼む。他に、何か聞きたいことはあるか」

「……俺は遭ったことがないから聞きたいんだが、PoHはそこまでヤバイ奴なのか。何人も殺してきたことは知ってるし、攻略組に近い実力があるという話も聞いている。それでも、一人でできることなんて高が知れている。わざわざ探すほどじゃないって、考えていたんだがな」

 

 ラフィン・コフィンと攻略組プレイヤーの遭遇回数はあまり多くない。作戦で多くの死者が出たのは、交戦回数が少なかったために、ラフコフを他のオレンジギルドと同一に考えてしまったのが理由の一つだ。PoHと出会った回数は攻略組全体でも数えるほどしかなく、相対した人間の数は片手で足りる。

 二層でPoHに刺された胸に手を当てると、殺意に満ちた奴の剣撃が脳裏をよぎった。

 

「一度斬り結べば、ケインも気づくはずだ。PoHの異常さに。あいつが言葉巧みに人の心を操り、殺人鬼へと変貌させる怪物だということに」

 

 

 

 

 

 

 

 

《プロメテウス》

 プロメテウスのホームは作ったアイテムを販売する店舗の隣に建てられている。ホーム内部は職人用の工房が個人ごとに設えられ、日夜様々なアイテムが生み出される。

 

 アルスが工房に入ると、今まさにリデルがインゴットを鍛えているところだった。

「ごめんなさい。あと少しで終わるから」

 リデルがさらに三十回ほど鎚音を響かせたところで、インゴットの変化が始まった。平たい金属の塊は一本の槍に変化し、プロパティを確認してから隅にある大型チェストへ納める。このチェストもプロメテウスの木工職人が作ったもので、プレイヤーのストレージより多くの量を保管することが可能な逸品だ。

「忙しいところすまないな」

「大丈夫よ。少しなら」

 

 アルスから資料を受け取り、目を通した後でリデルが訊く。

「情報が漏れたとしたら、グリーンのプレイヤーがPoHに伝えたと考えるのが自然だけど、彼らはグリーンの協力者がいたかは話してなかったの?」

「いたらしいが、PoH以外とはほとんど接点がなかったそうでな。どこの誰か見当がつかない」

「そう……でも、攻略組か攻略組と接点のあるプレイヤーがいたはずよね」

「その可能性が高い。だから、全部のギルドに聞いて回るつもりなんだが、作戦のことを討伐部隊のメンバー以外で知っていた者がいたか教えて欲しい」

「私だけよ。麻痺毒とポーションを作った調合師にも、作戦のことは伝えていないもの」

「アイテムを運搬するときはどうだった」

「聖竜連合の人に手伝ってもらったから、うちのメンバーは関わっていないわ。その人たちは会議にいたから、部隊のメンバーだったはず」

 その後も情報の漏洩を疑わせる話は出ず、話を終えて工房を出ようとしたところでリデルが言った。

「私は圏外に出ないけど、アラシみたいな戦闘班やうちのお客さんたちは、今も戦っているの。彼らを安心させるために、PoHをなんとしても捕まえて」

「わかった。絶対に奴を見つけてみせる」

 

 

 

 

 

 

 

 

《エデンの園》

 構成人数百を超えるエデンの園のホームは、三十メートル近い巨木をそのまま使ったマンションのような建物で、全部屋を全て買い上げたものだ。

 ギルドメンバーは幾十もある部屋に分かれて住んでいるらしく、エデンに応接用の部屋まで案内される間に、フィールドへ狩りに向かうパーティーとすれ違った。

「騒がしくてすまないな。あんなことがあったばかりだというのに」

 部屋に入り、扉を閉めてからエデンが言った。

「気にするな。エデンのとこは確か、犠牲者がいなかったんだよな。それなら、仕方ないだろ」

 エデンの園のメンバーで前線攻略に行くのは、全体の三割ぐらいしかいない。残りの者たちは、作戦で死亡したプレイヤーたちの名前は知っていても、面識はなかっただろう。先日の討伐作戦は彼らにとって対岸の火事のようなもので、ラフコフの脅威が去ったことを喜んでいるだけかもしれない。

「六人とも生き残れはしたが、あの作戦じゃあまり貢献できなかった。だから、PoHを探すのに全力を尽くそう」

 資料を受け取り、目を通した後、エデンは口に手を当てて深く考え込んでいた。

「……この話が本当なら、攻略組の中に情報を流した奴がいると考られるが、攻略組の人間がラフコフに手を貸す理由がない。どこかのギルドにラフコフのメンバーが潜入して、監視していたとする方が納得できるが」

「スパイがいた可能性は、十分あり得るな。その場合、一番潜入が容易なのは、人数が多く入団条件が緩いお前のギルドになってしまうが」

「わかっている。心苦しいが、ギルド内で怪しい動きをしていた者がいないか調査をしよう。退団しようとする者がいれば、徹底的に調べ上げる」

 調査方法について話していく中で、エデンがスパイの目的を推測する。

「殺人集団に協力するグリーンが、一体何を得られるんだ。自分はプレイヤーを手にかけることはできないし、金やアイテムが理由というのは今ひとつ釈然とせん」

「わからない。脅されて従わされていたのかもしれないし、俺たちには想像もできないようなメリットがあったのかもしれない。もし脅されていたのだとすれば、助けてやりたいな」

 

 

 

 

《ミョルニル》

 お堅い雰囲気に似合わぬ小洒落た洋館を訪ねると、入り口でいきなりトールが現れた。

「来たか」

 威圧的な態度でそれだけ言うと、巨大な手を差し出してくる。握手を求めているのではないだろうと直感的に判断し、その手に資料を握らせた。

 

 トールは礼も言わないで館の奥へ進みながら、資料をじっくり読み始めた。後を追って会議室らしき部屋に入り、向かい合って腰を下ろす。

 それからもさらに五分はかけて読み終えると、トールは野太い声で話し始める。

「大体のことはわかった。この話が真実なら、どこぞのバカが情報を漏らしたということだ。徹底的に調べ上げて、攻略組からバカを排除しなくては」

「……誰かがうっかり口を滑らせたか、ラフコフのメンバー潜入していたか、情報を得た方法まではまだ分からないがな。ひとまず、各ギルドで会議に出た以外の人間で、作戦のことを知っていたものを調べるつもりだ」

「うちは参加者以外、誰にも漏らしていない。作戦の後に全員と話したからな。もういない奴らには聞きようがないが、あいつらの口の硬さは俺が保証する」

 そう断言し、トールは聖竜連合から情報が漏れたのではないか、と憶測を口にする。

 会議が行われたギルドであることから、作戦のことを知るプレイヤーが多いため、漏洩の危険性が最も高い。さらに聖竜連合はレアアイテムの獲得などの理由があればオレンジ化を辞さない連中もおり、そんな過激な一派の中にラフコフとつながりを持つ者もいるのではないか、と言うのだ。

 何の根拠もないが、現時点で最も怪しむべきが聖竜連合であるのは確かだ。しっかり調べておく必要はあるだろう。

 話を終えた後で、トールは落雷のような怒声を放つ。

「ゲームクリアを邪魔するバカを俺は絶対に許さん。PoHを見つけたら、何があろうと叩き潰す」

「ああ、そうだ。これ以上犠牲者を出すわけにはいかない」

 

 

 

 

 

 

 

《アウローラ》

 ホームである大理石のような白く光沢のある材質でできた城へ行くと、奥にある一室でエオスは女王のように待ち構えていた。案内してきたギルドの団員をねぎらいながらも、追い払うように下がらせアルスから資料を受け取る。

 

 資料に目を通してから、エオスは一つため息を吐いた。

「PoHは私たちが洞窟に入った後で、他のメンバーに迎撃の指示を出して待ち伏せさせた。でも、自分だけは戦いの最中に逃げ出して、その後の居場所は不明…………ねぇ、ラフコフの生き残りはPoHとフレンド登録をしていなかったの?」

「全員登録は解除されていた。位置追跡機能を使うことはできないな」

「ギルド外の協力者についても知らないのよね」

「協力者はいたらしいんだが、会ったことがあるのはPoHだけだそうだ。見つけることができれば、有力な手掛かりになるんだろうけどな」

 

 他のプレイヤーの居所を知る方法は、SAOの場合フレンドの位置追跡機能しかない。追跡スキルというのも存在するが、ストーカー行為を防止するために、プレイヤーを追跡する場合はフレンド相手にしか使えず、転移結晶などを使われれば追跡はできなくなる。

 PoHの居所を探るためには、PoHとフレンドになっているプレイヤーを見つけるのが確実だ。そのためにPoHへと情報が漏れた経路を、明らかにする必要がある。

「だから、スパイがいた可能性も含めて、各ギルドで情報の漏洩があったか調べてもらっているんだ。アウローラではどうだったんだ」

「私が話したのは、あの戦いに参加していた人だけよ。うちのメンバーが私の命令に背くはずがないから、作戦のことを漏らすとは思えないわ」

 

 ミョルニルで聞いたのと同じような答えが返される。おそらく、ほとんどのギルドで似た調査結果が出ることになるのだろう。だが、必ずどこかから情報は漏れていたはずだ。

 エオスが他ギルドとの人脈も使って調査を行うと約束した後で、鏡のような銀の瞳を釣り上げて言った。

「なんとしてでも、あの悪魔を見つけ出さないと。このままあいつを生かしておくわけにはいかないわ」

「悪魔か。PoHの囁きに耳を貸すプレイヤーが出る前に、奴を捕えないとだな」

 

 

 

 

 

《血盟騎士団》

 アスナに待ち合わせ場所として指定されたのは、五十五層の血盟騎士団本部ではなく、五十層の主街区《アルゲード》の転移門広場だった。時刻が正午を指そうとする前に、アスナが姿を見せる。

「すみません。お待たせしてしまって」

「いや、約束の時間前だ」

 ギルドの活動が休止になっているためか、それとも喪服のつもりなのか、今日のアスナは普段の赤と白の制服ではなく、黒一色のシックなワンピースを着ていた。ただ、その格好も後ろの少年が一緒ではペアルックにしたのではないかと勘繰ってしまう。

「キリトもよく来てくれたな」

 

 相も変わらず使い古された黒革のコートを着たキリトは、かすかに張り詰めた空気を漂わせながら、小さく頷く。

「俺もPoHの動向を調べるつもりだったからな。同席して構わないんだよな」

「もちろんだ。この辺に話ができそうな場所はあるか?」

「密談にちょうどいい店がある。そこへ行こう」

 キリトがそう言った瞬間、何故かアスナは少しだけ顔をしかめていた。

 

 転移門広場から歩くこと約五分。元から迷路のようなアルゲードの中でも、さらに複雑な隘路を行った先に薄暗い奇妙な店が立っていた。昼時だというのにレストランらしき店の周囲には他のプレイヤーは見当たらず、店内に客の姿は一人もない。密談に適しているというのは、確かなようだ。

 こちらの希望など聞かず、キリトが《アルゲード焼き》という料理を三人前注文する。テーブルに着くや、アスナは卓上の安っぽい水差しから、コップに氷水を注いでそれぞれの前に置いた。

 アルゲードをホームタウンにしているキリトはともかく、アスナまで店に馴染んでいるのを不思議に思いながら、二人に資料を渡す。

「これが昨日、ラフコフメンバーから聞き出した情報だ。先に一度目を通してくれ」

 

 資料を読み込んでから、キリトがどこか陰のある黒い瞳を細めた。

「やっぱり、どこかから情報が漏れていたってことになるのか」

「でも、一体どうやって知ったのかしら。作戦はごく一部のプレイヤーにしか、知らされていないはずなのに」

 資料に目を向けながら考え込むアスナに、アルスは訊ねる。

「血盟騎士団は密告書を受け取っていたんだよな。その密告書はどうやって届いたんだ」

「密告書は街の外からギルド本部に投げ込まれたようで、門にいた衛兵が拾ってわたしのところに届けられました。密告書のことを知っていたのは、わたしを含めた作戦に参加したメンバーと拾った衛兵、あとは団長だけです」

「団長のヒースクリフは、今回の作戦には参加しなかったんだよな」

「アジトの場所が分かったと報告はしましたが、団長は任せると言っただけで、何もしなくて。衛兵には密告書のことは口止めさせましたし、誰かに情報を漏らすような動きはなかったと思います。他のメンバーも同じです」

 

「やはりそうか。それにしても、料理が来るのが遅いな、この店は」

 アルスがカウンターを覗き込もうとすると、アスナとキリトは顔を見合わせて、笑みを浮かべた。

「それも込みで楽しんでくれよ。氷水ならいくらでも飲めるからさ」

 少し減っていたアルスのコップに、キリトが水を注いでから、さらに続ける。

「迎撃の指示が作戦直前なら、やっぱり情報を漏らしたのは、作戦の参加メンバー以外ってことになるよな。洞窟の外に見張りなんていなかったし」

「キリトも斥候をしていたよな。見張りがいなかったのは確かなのか」

「間違いない。隠蔽効果のあるアイテムやスキルを使ったとしても、俺の索敵スキルを完全に無効化するのは不可能だ。洞窟の近くには、俺たちしかいなかった」

「やはり討伐部隊が転移するより前に、アジトへ行った人間がいたと考えるべきか。問題はどうやって作戦のことを知ったかだな」

 

 情報の流出経路について、三人で推測していく。

 作戦に参加していたのは、攻略に大きく貢献した信頼の置けるプレイヤーたちだ。今までの戦いで多くの命が失われていることを知り、この世界でいかに情報が大きな力を持つか体感してきた彼らが、ラフコフの討伐作戦という重要情報を漏らすとは考えにくい。

 深夜に会議を行う攻略組の動きを怪しんで、会議の盗み聞きしていたという方がまだ可能性は高いだろう。しかし、キリトが言うには聖竜連合のホームで行われた会議中に、聞き耳を立てていた者はいなかったという。後でシュミットに確認する必要があるが、もしそれが事実なら、作戦のことを知るには誰かの口から聞くしかないことになる。

 誰かが口を滑らせたとして、それを特定するのは困難だ。一人一人尋問するのは現実的ではないし、嘘かどうか見抜くこともできない。そもそも、作戦で亡くなった者については調査すら不可能だ。

 

 調査の方法について考えていたところで、キリトが言った

「先に言っておくが、俺はアスナに依頼をされた後、作戦のことは誰にも話してないぞ」

「言われなくてもわかってるよ。だいたい、お前に会議の参加者以外で、話をする相手なんていないだろ」

「そんなことないぞ。俺だって他に友達ぐらいいるさ。エギルとかリズとか、あとは……えっと……」

 

「……おまち」

 キリトの交友関係の狭さが明らかとなる前に、店主が料理を運んできた。やる気のなさそうな動きでテーブルに料理が載った皿を乗せ、のそのそとカウンターへと戻っていく。

 運ばれてきた料理を自分の前へ引き寄せながら、アスナは訝しげな表情を浮かべる。

「……なんなの、この料理? お好み焼き?」

「に、似た何か」

 それは香ばしく焼かれた円形の生地に、茶色いタレが塗られた料理だった。

 みすぼらしい店内で、もそもそと食べ進める音だけが、かろうじて静寂に抗う

 

 数分後、空になった皿を端にやってから、キリトが訊いた。

「で、アルス何か思いついたか?」

 同じく完食した皿を一瞥してから答える。

「ひとまず、これがお好み焼きでないことはわかった」

「うん、俺もそう思う」

「で、さっきの続きだが、参加者全員を調べるのは、現実的に不可能だ。仮にできたとしても、攻略組内で疑心暗鬼になることは避けられない。情報漏洩の有無は念のため調べるとしても、別の方法を考える必要があるな。PoHのことを詳しく知る者がいれば、手がかりが掴めるかもしれないが」

 アルスが額に手を当てて考え込んでいると、キリトがハッとした表情でアスナを見た。

「そうだ。あいつなら、何か知ってるんじゃないか」

「あいつって…………そうか。あの人なら、PoHと面識があったはず」

 アルスが尋ねると、二人は一人の男の名を口にした。

 

 

 

 

 PoHと面識がある男と連絡を取れる方法を伝えると、アルスは代金を支払って、店を飛び出していった。その背中を目で追いながら、キリトとアスナも店を後にする。

「アスナは、さっきの、どう思った?」

「そうね。あれはまさしくソースのかかっていないお好み焼き。わたし、醤油が完成したら、ソースとマヨネーズも作ってみせるわ。そうでないと、この不満感は完全には消えない気がするもの」

「うん。頑張って。もしまたあの店に行くなら、次は是非、さらなる混沌の味アルゲード煮も……」

「却下」

「だよな。って、そうじゃなくて。アルスのことだよ」

 何時ぞやにしたのと似た掛け合いを断ち切ると、アスナはどこか躊躇いがちに答えた。

「なんか、ちょっと危なっかしい感じがする。去年のキリトくんに少し似てるかも」

「あの頃の俺に似てる、か。アルスの場合、仲間が止めてくれるとは思うけど、無茶なことをしなければいいが」

 

 

 

《聖龍連合》

 五十六層のギルドホームに入ると、シュミットが直接出迎えて、先日と同じ会議室へ案内された。資料を渡し、聖竜連合内で情報の漏洩がなかったか訊ねる。

 

「最初の会議の時、作戦の参加メンバー以外には、フロアボスの対策をするための極秘会議だと伝えた上で、参加メンバー以外はホームから出るように厳命した。あの会議の内容が聞かれたとは考えられない。作戦直前の会議では、作戦の参加者以外にキャンプ狩りに行かせて、ホームを空けるようにしていたんだ。会議のことを尋ねられた場合の、ダミー情報も用意していたし、情報の漏洩はまずありえない」

 

 シュミットの答え方は、どこか力が入っていた。作戦実行部隊のリーダーという立場だったために、やはり責任を感じているのだろう。

 それにしても、聖竜連合は想像以上に情報が漏れないよう気を使っていたようだ。ギルドメンバーはさすがに違和感を覚えていたと思うが、仮にスパイがいても何もわからない状態では、PoHに連絡をすることはできなかっただろう。

 ひとまず、聖竜連合から情報が漏れた可能性は、限りなく低いと判明した。

 

「聞きたいことはこれだけなのか」

 自分たちの潔白を示しても、見かけによらず気が弱いのか、シュミットはまだ不安そうな表情を浮かべている。

「いや、一つ頼みたいことがある」

「頼みたいこと?」

「シュミットにしか頼めないことだ。俺を、グリムロックと会わせて欲しい」

 その名を口にした途端、シュミットは目を見開いて一瞬息を止めた。

「……あ、アルス。一体、その名前をどこで……」

「情報の出処は、後で答える。ただ、教えてもらったのは名前とPoHと関わりがあったことだけで、シュミットとどんな知り合いなのかは聞いていない。話してもらえれば助かるが、もし言わないなら、俺の方で勝手に調べさせてもらう」

 

 しばらくは固く口を閉ざしていたシュミットだったが、最後は諦めたように首を縦に動かした。

「わかった。話そう。だが、絶対に他言はしないでくれ」

 そこからシュミットが話し始めたのは、昨年の秋まで所属していたギルドでの事件のことだった。

 

 シュミットが所属していたギルド《黄金林檎》は、総勢八人の中層クラスのギルドだ。ある日超級レアの指輪を手に入れ、ギルド内で話し合った結果、指輪は売却されることとなり、リーダーのグリセルダという女性が上層の競売屋へ向かう。

 しかし、グリセルダは翌日になっても帰ってこず、深夜に死亡していたことが確認される。指輪を奪うためにギルドメンバーが殺人を行ったのではないかと、互いに疑い合うようになり、ギルドは解散となった。

 

 そして、今年の四月に起きた圏内殺人事件。これはグリセルダ殺害の犯人を見つけ出すために、黄金林檎の元メンバーが計画したものだった。死の恐怖から、シュミットはグリセルダの殺害に関わっていたことを告白する。

 グリセルダが上層へ行った日、シュミットは何者かから、グリセルダが泊まった宿屋の部屋で回廊結晶の位置セーブを行い、それをギルド共通ストレージに入れるよう指示された。シュミットはまさかグリセルダが殺されるとは思わず指示に従い、グリセルダが死んだ翌日には報酬として指輪の売却益の半分が部屋に置かれていた。それが聖龍連合へ入るための装備の購入資金となったらしい。

 シュミットはグリセルダの墓でその告白をしたのだが、そこでPoHたちに襲われ、キリトが助けに来たおかげでその場は事無きを得た。

 また同時に、キリトはグリセルダ殺害事件の真相も見破っていた。真犯人はグリセルダの夫であったグリムロックという鍛冶師で、結婚によるストレージ共通化を利用して、指輪を奪っていたのだった。 

 

 あまりに奇怪なその話に、アルスは思わず右手で目を覆った。

「そのグリムロックという男は、PoHに奥さんの殺害を依頼したのか。回廊結晶で部屋に侵入させ、圏外へ奥さんを連れ出して殺させた。ひどい話だな。指輪を奪うためにそこまでするなんて」

「それが違うんだ。グリムロックの目的はあくまでグリセルダを殺すことで、指輪自体に興味はなかったと言っている。その証拠に、指輪の売却益はまるまる持っていた」

「奥さんを殺したかっただけだっていうのか。余計に信じがたい話だな。しかも、大金を使わず持っていたなんて。その事件だって相当に……」

 

 その瞬間、アルスの脳内でまとまりかけていた事件の全容が姿を変えた。

 去年の秋。

 回廊結晶。

 使われなかった大量のコル。

 それらの情報が、アルスの脳内で反発し、事件の構造を崩れさせる。

「俺たちもグリムロックから情報を引き出そうとしたが、何もわからなかった。だから、話を聞くだけ無駄だと思うが」

「いや、グリムロックから聞きたいことができた。それとシュミット、事件のことをもっと詳しく教えてくれ」

 

 

 

 

《ニーベルングの指輪》

 

 最前線である七十層にある一軒の商店。ニーベルングの指輪がオークションハウスとして使うために借りているそこへ、アルスは飛び込んでいった。

 今日はオークションを自粛しているようで、人気の少ない家の中で主人である男の名を呼ぶ。

 

「エルドラ! いないのか」

「挨拶もノックも無しに、大声で人を呼ぶなんて、無作法が過ぎるんじゃないですか」

 不満そうな顔で、エルドラがいつものシルクハットにステッキ、黄色いジャケットという出で立ちで現れた。

「その上、さっきのメッセージはなんですか。一年前のオークションの記録を調べろなんて、無茶もいいところです」

 ニーベルングの指輪では、レアアイテムのオークション記録が保管されている。同じアイテムが出品された時に、値段の指標として使うためらしい。

 

「それで、見つかったのか?」

 アルスの言葉にエルドラは大きなため息を吐きながら、首を横に振る。

「敏捷力が二十も上がる指輪なんて、うちで扱ったことはありませんでしたよ。他の商人にも聞いてみましたが、誰もそんなアイテムは知らないと言っています」

 エルドラに頼んだのは、黄金林檎でドロップした指輪の売買記録を探すことだった。指輪の行方がわかれば、何らかの手がかりになると考えたが、当てが外れた。

 

 しかし、商人の手を介さずに指輪を売却できたのだとすれば、一つの事実が見えてくる。

 それはグリセルダ殺害事件の裏には、攻略ギルドが関わっていたということだ。

 

 グリムロックが持っていたコルは、かなりの金額だった。同額を受け取ったシュミットの分も合わせれば、家すら買うことができる。そんな大金をすぐに用意して指輪を買えるのは、攻略組に属する大規模ギルドぐらいだ。

 

 同じことは、グリセルダの殺害方法でも言える。

 回廊結晶は、今でこそ中層プレイヤーでも手が届く程度の金額で購入できるが、去年の秋、最前線が四十層の頃は攻略組ですら入手が困難なアイテムだった。三十層台でドロップし始めたが、ワンフロアを攻略する間に攻略組全体でも、一つ程度しか手に入らなかったのだ。アイテムとしての効果もフルレイドでの戦いを行う攻略組でしか活用できないため、市場に出回ることもなかった。

 グリセルダの殺害には、部屋への侵入と圏外への運搬のために、二つの回廊結晶を使う必要がある。回廊結晶を複数用意できたのは、最前線で活動する攻略ギルド以外にいない。

 

 ラフコフに与するギルドがあるとは信じられないが、他に説明のつけようがない。

 当時はまだラフコフが結成されておらず、圏内でのデュエルを用いた睡眠PKが横行していた時期だ。回廊結晶を手に入れるほどの戦力も、指輪を買い取れるほどの資金力もない。PoHをはじめとしたレッドプレイヤーのみで犯行を行ったと考えるのは無理がある。

 

 

 攻略ギルドの援助があったとしても、まだ疑問は残る。回廊結晶と指輪を買い取る資金があれば、グリセルダの殺害は可能だが、なぜこの方法で殺害が行われたのかがわからない。

 回廊結晶二つに指輪の代金。攻略ギルドであっても、あまりに大きな出費だ。グリセルダを殺害して、出費に見合うだけのリターンがあったのだろうか。

 グリセルダの殺害がグリムロックの依頼したことならば、グリムロックが何らかの報酬を支払ったと考えるのが自然だが、もしそうならグリムロックはなぜ指輪の売却益を持っていた。その金を殺害の報酬として支払えばよかったはずだ。あの大量のコル以上に価値があるものを、グリムロックが持っていたとは考えられない。

 

 そもそも、グリセルダを殺すだけなら、回廊結晶を使わなくても圏外に出たところを襲えば済む。そうしなかった理由が何かあったはずだ。指輪が売却される前に殺す必要があったということだろうか。

 

 しかし、それも間尺に合わない。

 指輪の代金として支払われたコルは、実際にオークションで出品されたとしても、競り落とすのに十分すぎる金額だった。わざわざ回廊結晶を使ってまで、奪い取る必要があったとは思えない。

 

 それ以前に、グリムロックはどうやってPoHに殺人の依頼をしたんだ。PoHとの連絡手段は、情報屋ですら掴めていない。中層で鍛冶師をしていただけの男が、どうやってその連絡手段を知ることができる。

 

「ちょっと、さっきから何を考え込んでいるんですか」

 エルドラに声をかけられて、思考の坩堝から戻ってきた。予想外の事実が判明したせいで、今の状況も忘れて沈思黙考していたようだ。

 すぐさま謝罪の言葉を述べたが、エルドラはステッキで床をカツカツと突いて、苛立ちを隠そうともしない。

「他に聞きたいことがないなら、さっさと帰ってもらませんかね。これでも、オーナーとして結構忙しい身なのですよ」

 

 事件にキャパシティをつぎ込んだせいで、うまく回っていない脳みそから、なんとか質問をひねり出す。

「あー……その、もしエルドラがPoHの立場だったら、何が欲しい?」

「はぁー?」

 怒りを通り越して、呆れ果てた表情のエルドラに必死で弁解する。

「いや、だから、PoHの立場になれば、何か気づくことがあるんじゃないかと思ったんだ。例えば、レッドギルドじゃどんなアイテムが必要になるか、とか。ギルドの運営に必要なものが何か、とか。ベータでPKのリーダーだったエルドラなら、わかるかなって」

 

 グリムロックの殺害依頼が頭をよぎったせいで、妙な質問となってしまった。エルドラは呆れ返って答えてくれないかと思ったが、意外にも不承不承といった様子ながらも口を開く。

 

「オレンジになって困るのは、やはり転移できないことなので、転移結晶の確保は優先します。人目につかない狩場、PKしやすいポイントの確保、今だと寝床も必要ですね。麻痺毒などのアイテムは、自作できるようにスキルを鍛えさせます」

 

 エルドラが列挙していったものは、ラフコフがしてきたこととほとんど同じだ。彼らの思考を上手くトレースしているが、手掛かりとなりそうなものはない。

「それと、PKギルドをやっていると、一つ難しい問題が生まれます。街に入れないせいで…………」

 

 エルドラが何気なく始めたその話は、アルスの脳内で漂っていた一つのピースにつながった。そのピースが反発しあっていた事件の要素をつなぎ合わせ、完成した一つの絵が事件の新たな真実を見せる。

 

《続く》

 




キャラ紹介

リーナ、リーラ
Player name/Lena ,Lela
Age/22
Height/166cm
Weight/55kg
Hair/Cobalt blue Long Ponytail ,Twintail
Eye/Silver gray
Sex/Female
Guild/Knights of Round Table

Lv82(十八話時点)
修得スキル:《曲刀》《軽金属装備》《軽業》《武器防御》《疾走》《刀》《耐毒》《料理》《応急手当》《戦闘時回復》《体力増強》


 円卓騎士団の副団長を務める双子の女剣士。システム上はギルドのサブリーダーを一人しか指名できないため、週毎に交代している。
 元ベータテスターなのだが、その経緯は少し特殊で、ベータテストでは一つのアカウントを二人で共有して使い、本サービスの時に追加でナーブギアとソフトを購入した。ナーブギアを他人と共有することは基本的にはできないが、体格や脳波の差がほとんどない双子だったために、問題なく行うことができた。
 二人で同時にソードスキルを放つシンクロ攻撃が得意で、ステータス、装備、スキルを可能な限り揃えることで、スキルの発生速度に差ができないようにしている。


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第十九話 愛を知る者

 探偵の仕事の本質は、死者の代弁者だ。失われてしまった言葉を墓の底から掘り返して、死者の名誉を守るためだけに生者を傷つけ、生者に慰めを与えるためだけに死者を辱める。

 昔読んだ小説の中にあったセリフだ。
 その時は面白い言い回しだとしか思わなかったが、実際に探偵となってみて、彼女がどれだけの痛みを経験してあの言葉を口にしたのか、ようやく理解できた。

 探偵として墓の奥底に眠っていた言葉を聞くということは、自らを殺めることだ。なぜなら、それを聞いた瞬間に、墓を暴く前の自分が死んでしまうのだから。何度も何度も自分を殺し、死者の言葉に耳を傾ける苦痛を味わい続けるのが探偵だというなら、探偵を志すことは金輪際ないだろう。

 俺が墓の底で聞いたのは、一人の女性が秘めていた強い意志と深い愛情。そして、それらが踏みにじられた音だ。胸の奥に深く突き刺さったこの言葉で、俺は一人の男を傷つけなくてはならないのかもしれない。



二〇二四年八月二十五日

 

 十九層《ラーベルグ》。時間が遅いこともあり、村はまるでゴーストタウンであるかのように人気が少なく、うら寂しい。かつて黄金林檎のギルドホームが構えられていたというこの村が、シュミットから聞いた面会の場所だ。指定された宿屋へ向かい、朴訥そうな青年と緩くウェーブした長い紺色の髪の若い女性に案内されて、奥の一室へと入る。

 

 調度品が揃えられた広い部屋で、眼鏡をかけた長身の男がソファに腰を下ろしていた。アルスの来訪に気づき、その男は生気を感じさせないゆったりとした動きで顔を向ける。

「イカロスの翼のアルスくん、でいいのかな」

「ああ、初めましてグリムロックさん」

 今目の前にいるのは、一年前、黄金林檎のリーダーであり、自らの妻でもあったグリセルダを、レッドプレイヤーに依頼して殺めた男だ。一見しただけではそのような奇行に走る人物とは思えなかったが、眼鏡の奥にある瞳は、優しそうな印象を与えながらも、暗く澱んでいる。

 

 アルスがテーブルを隔てた向かいに座るや、グリムロックはさっさと話を終わらせたいとばかりに、話を切り出す。

「シュミットから大体のことは聞いている。けど、私から話せることは何も無い。彼らとは長いこと連絡を取っていないし、アジトの場所すら知らされていなかったからね」

「心配には及ばない。これからするのは、答えられる質問のはずだ。グリムロックさん、あんたは今年の四月まで、ラフコフの専属鍛冶師をやっていたな」

 アルスの言葉にグリムロックは瞠目し、数秒動きを止めた。ようやく見せた人間らしい反応だったが、すぐさま死人のような無表情に戻る。

「驚いた。誰にも話していなかったはずだが……いや、そうか。捕縛されたラフコフの誰かから聞いたのかい?」

「その質問の答えはノーだな。グリセルダさんを殺害した手口を聞いて、この答えに行き着いたんだ」

 

 グリセルダの殺害方法は、宿泊している宿屋の部屋で回廊結晶の位置セーブをし、その結晶を使って深夜に部屋へ侵入、圏外へ連れ出して殺害するというものだ。宿屋の扉の鍵は、設定を変えなければ借りた当人のフレンドやギルドメンバーでも開けられるので、シュミットなら隙をついて部屋へ入ることができた。

 部屋からグリセルダを連れ出す際も、目を覚ましてしまったり、他のプレイヤーに目撃されたりすることを防ぐために、回廊結晶で部屋から直接圏外へ出たと考えるのが妥当だろう。

 

「宿屋の部屋から連れ出すためには、侵入用と脱出用、二つの回廊結晶が必要になる。レア装備ほどじゃないとはいえ、回廊結晶の希少性を考えれば、かなりの出費だ。なのに、この殺人で殺人犯は何も得ていない」

 グリセルダが所持していたアイテムは、すべて結婚相手であるグリムロックのストレージに残され、装備していた指輪と剣も殺害現場であるフィールドに残されていた。グリセルダの持ち物で、殺人犯へ渡ったものはおそらくなかっただろう。

 殺害を依頼したグリムロックが報酬を払ったと考えれば納得できるが、回廊結晶二つ分に見合うだけの報酬を、中層ギルドの鍛冶師にすぎなかった彼が支払えるとは考えにくい。レア指輪の売却益を渡せば報酬としては十分だったはずだが、そのコルは事件後もずっとストレージに入れたままだった。

 何の見返りもなく、回廊結晶を二つも使う殺害方法を用いることはありえない。見返りがあったのだとすれば、それはコルに置き換えることができず、形に残りもしないものだったということになる。

「殺人犯が何を得たのか考えた時、元オレンジの知り合いから聞いた話がヒントになった。PKを続けていて困るのは、鍛冶屋が使えないこと何だそうだ」

 

 

 

 数時間前、PKギルドの運営について尋ねた時、エルドラは何気なく話し出した。

「それと、PKギルドをやっていると、一つ難しい問題が生まれます。街に入れないせいで鍛冶屋を使えないので、武器の強化やメンテができないんです」

「言われてみれば、圏外村で鍛冶屋を見たことないな。エルフの野営地とかはオレンジだと進入不可になるし。けど、グリーンの仲間に持って行かせるとか、方法はあるんじゃないか?」

「そうするしか無いのですが、武器はそれなりに高価ですから、持ち逃げされるリスクがあるんですよ。気をつければ対策できないこともありませんが、毎度警戒するのはしんどいんです。もっと厄介なのが強化の方で、強化に失敗した場合、強化素材をネコババしたんじゃないかと疑われますからね」

 

 装備の強化の成功率が百パーセントとなることはそうないので、素材の量を変えても成功するか失敗するかは運次第だ。例えば武器を持って行ったプレイヤーが、仲間の武器に使われるはずだった強化素材を自分の懐に入れて、素材を減らして強化したとしよう。素材の量が増えるほど成功率が上がるので、強化が失敗する確率は高くなる。しかし、実際に成功するかどうかは運次第だ。強化の結果を見ただけでは、強化素材のネコババがあったかどうか調べることはできない。

 ネコババした事実がなくとも、託した武器の強化値が下がった状態で戻ってきたら、ギルド内の空気が悪くなることは間違い無いだろう。その状況になることを避ける術は無い。

 

「一層であなたと戦ったとき、武器の強化を怠ったとか言われましたが、そういった理由でできなかったんですよ」

「あ、なるほどな。じゃあ、鍛冶スキルを誰かに修得させるのはどうだ」

「現実的には不可能ですね。武器を直すのには大きな回転砥石が、強化するためには炉と鉄床、スミスハンマーが必要です。これらの道具が重すぎるせいで、よほど筋力値を上げないと持ち運びができないんです」

 

 一般的な鍛冶師プレイヤーは、ベンダーズカーペットの収納機能を使って道具を持ち運びしているが、あのアイテムは圏外では使うことができないので、圏外で鍛冶を行うためには自分のストレージに道具をしまわなければならない。

 鍛冶用の道具を全て入れてしまえば、ストレージに他のアイテムを入れる余裕はほとんどないだろう。ポーションはおろか、自分の装備ですら運ぶのに苦労するはずだ。

 筋力値を上げて、所持容量拡張スキルを鍛えれば、幾らか余裕ができると思うが、プレイヤーキラーでそんな能力構成(ビルド)を望む者はまずいない。実際、ラフコフで筋力を優先して上げていたと思われるのはプルートだけだったし、彼も馬に乗ることで移動速度をカバーできたからこそ、STR型でもプレイヤーキラーとして活動することができたのだ。

 

「なので、もし可能なら、専属の鍛冶師を雇いますよ。プレイヤーキラーを信用して、圏外に出てくれる鍛冶師がいればの話ですがね」

 そんな命知らずがいるわけないとばかりに、プルートは笑って付け加えた。

 

 

 

 しかし、現実にそんな鍛冶師が存在していた。

「ラフコフの専属鍛冶師として、装備の修理と強化を請け負うこと。それがあんたの支払った報酬だったんだ。去年の秋といえば、睡眠PKの手口が広まる直前だ。言い換えれば、PKの舞台が圏内から圏外へ変わった時期でもある。それを見越して、PoHが仲間になりそうな鍛冶師を探していた。ここまでで、何か間違っているか?」

 アルスの推理を聞いて、グリムロックは目を数度瞬かせ、感心したように小さく息を漏らす。

「大したものだな。あの時の探偵くんも見事だったが、君はそれ以上かもしれない」

 なおも表情を動かさない男に、アルスは話を促す。

「聞かせてくれないか。どうやってあんたがラフコフの鍛冶師となったのか」

 淡々とした抑揚のない声で、一年前に起きた殺人事件の真相が語られた。

 

 

 

 一年前、二十層にある行きつけのレストランで一人食事をしていた時だ。突然相席に黒いポンチョを着た男が腰かけた。不審に感じながらも食事を続けていた私に、彼は気さくに話しかけてきた。

「黄金林檎のグリムロックさんだな」

 私が頷くと、彼はPoHと名乗り、自らを殺人を行うプレイヤーキラーだと言ってきた。そんな男の話に耳を貸すなんて信じられないと思うだろうが、当時の私は陽気に話す彼の言葉にいつの間にか聴き入っていた。

 PoHは仲間になってくれる鍛冶師を探していた。契約の代償として、なんでも望みを一つ叶えるとまで言ってきてね。欲しいものなど無かったが、変わってしまったグリセルダの姿を見ることに耐えられなかった私は、契約の言葉を口にした。

「なら、私の妻を殺してくれるか」

 そうしたら、PoHは笑っていたよ。ハリウッド映画の俳優みたいな、綺麗な笑い方だった。彼の笑い声を聞いていたら、こんなデスゲームの中でも、グリセルダを殺せば何か変わるんじゃないかと思えた。ただ怯えるだけだった日々の中に、わずかな安らぎを得られるじゃないかって。

 殺害の方法は彼らに任せたよ。最初は圏外でパーティーを襲うのかと思ったが、PoHがそれを良しとしなかった。グリセルダを取り逃がす恐れもあったし、ラフコフが結成されていなかった当時に、ギルドが殺人者集団に襲われるという事件は、無用な注目を浴びてしまう。

 グリセルダ一人が死んで、黄金林檎が自然消滅するのがベストだったんだ。

 PoHと出会ってから数日後、あの指輪がドロップしてグリセルダが前線の街に一人で行くと決まった時は、天啓だと思ったよ。

 私はPoHと連絡を取って、事前に考えていた作戦の一つを実行に移した。

 そこから先は、シュミットから聞いているだろう。ギルドで誰よりも強くなろうとしていた彼は、大金を餌にすれば簡単に動いてくれた。

 シュミットがグリセルダの出かけた隙をついて、宿屋の部屋で回廊結晶の位置セーブを行い、ギルド共有ストレージに入れる。それを私が取り出し、PoHに渡したんだ。

 その日の夜、グリセルダが死んだとわかった時には、心底ほっとしたよ。これでもう何も心配することはない。ユウコは私の思い出の中に残り続けるのだと。

 

 

 

「それから半年間、私はラフコフの鍛冶師となった。連絡をもらってから下層の圏外村へ道具を持って転移し、装備のメンテと強化をしていた。大抵、三人で装備を運んできてたよ」

「三人というのは誰だったんだ?」

「PoHとザザ、あとはジョニー・ブラックだったかな。他のメンバーとは会ったことが無い」

「ラフコフのメンバーで知っているのはその三人だけなんだな。指輪を買った相手や、回廊結晶をくれたのが誰かは、知らないのか」

「さあ? 指輪の売却も回廊結晶の受け渡しも、PoHを通していたからね。これ以上、私に語れることは無いよ」

 

 ここでも、PoHに直接つながる手がかりを得ることはできなかった。だが、まだ完全に希望が潰えたわけではない。今グリムロックが話したことが事実なら、可能性は残されている。

「聞きたいことはこれで全部だ。夜分遅く失礼した」

「いや、力になれなくてすまない」

 言葉のうちに謝罪の意思など感じられなかったが、アルスにとってはどうでもよかった。次の手がかりを追うために腰をあげたところで、グリムロックは気の抜けた声で訊ねる。

「ところで、今話したことはシュミットたちに伝えるのかい」

「あんたがラフコフに手を貸していたことか。別に話す気はない。俺がここへ来たのは、あんたを裁くためじゃないからな」

「そうか……まぁ、どうでもいいことか」

 

 ソファにもたれかかりながら、グリムロックは虚空を見つめる。そこで暗く澱む瞳のうちにあるものが、SAOに閉じ込められたことへの絶望感なのだと気付いた。グリセルダを死なせた罪の意識が、彼を追い込んでいるのだと思っていたが、違った。

 思い返してみれば、グリムロックが過去を語っていた時も、グリセルダへの謝罪の言葉は一つも口にしていない。あたかも、妻を殺害したこと自体は、後悔していないとでも言うかのように。

 

 胸の奥で怒りの感情が沸き立つのを覚えながら、アルスは低い声で訊いた。

「ラフコフの武器に触れた時、あんたは何も感じなかったのか。その中のどれかは、あんたを愛してくれた奥さんの命を奪ったんだぞ」

「グリセルダを殺したのは、ザザのエストックだと聞いている。けど、そのエストックに触れても、何の感慨もなかったよ。そもそも殺害を依頼したのは私なのだからね。それに、彼女も本当は私に愛想を尽かしていたんじゃないかな。戦いを恐れ、圏内にこもってばかりいた臆病な私のことを」

 憤怒の奔流が喉から湧き出ようとしているアルスに、グリムロックはさらに続ける。

「彼女だって、モンスターに殺されるよりは、眠ったまま何の苦しみもなく死んだ方が、きっと幸せだったはずだよ」

 その瞬間、かろうじて流れを阻んでいた堰が砕け散り、アルスはテーブルを乗り越えてグリムロックの胸ぐらを掴んだ。

 

「あんた、何も気づいてないのか。グリセルダさんの剣が自分のストレージに無く、殺害現場に残されていたことに、何の疑問も抱かなかったのか」

 そんな状況でもグリムロックの表情は変わらず、意味がわからないとばかりに首を傾げる。

「君は結婚によるストレージ共通化について詳しくないようだね。常にストレージが共有されていると言っても、装備は対象外だ。結婚していても装備はその場にドロップしてしまう」

「それは装備されていればの話だろ。あんたが売り払った指輪のように、装備されていなければ、ストレージに残っていたはずだ。結婚指輪なら寝る時に着けていてもおかしくないが、武器はストレージにしまうんじゃないか」

「え……」

 

 グリセルダの殺害は、彼女の就寝中に圏外へ連れ出すという計画だった。もしその計画通りに行われていたのであれば、彼女は寝間着姿のまま連れ出され、殺害現場には何も残ることはなかったはずだ。

 だが実際には、殺害現場に剣と指輪が残されていた。圏外へ連れ出した後、ザザがわざわざグリセルダを起こして、自分と戦わせるために武器を出させたとは考えにくい。万が一の失敗も許されない状況だったなら、麻痺毒を使って起きても抵抗できない状態にしてから殺している。

 

 そのことを伝えると、グリムロックが明らかな動揺を見せた。

「待ってくれ、君は何が言いたいんだ。それなら、どうして彼女の剣が残っていたと言うんだ」

「簡単なことだ。グリセルダさんは起きていたんだよ。ラフコフの奴らが侵入した時、目を覚ましていたんだ」

 

 部屋の中のプレイヤーが寝ているかどうか、部屋の外から確実に確認する術はない。聞き耳スキルならドアを隔てていても、中の音を聞くことができるが、物音がないからといって眠っていると断定はできない。時間を見計らうぐらいが関の山だろう。

 圏外へ連れて行かれた後に、グリセルダが武器を手にする余裕があったとは考えにくい。おそらく、部屋の中で侵入者の存在に気づいて、反射的にクイックチェンジを使って剣を装備したのだ。圏内であれば、プレイヤーを無理やり動かすことはできないし、女性のグリセルダに触れようとすれば、ハラスメントコードが発動する可能性もある。ターゲットが目を覚ましていた時点で、計画は失敗に終わるはずだった。

 

 同じことに気づいたらしく、グリムロックは激しく狼狽しながら答えを探る。

「起きていた……いや、そんなはずは…………ありえない。だったら、彼女はどうして殺されたんだ」

 なぜグリセルダが突然の侵入者から逃げずに、圏外へ大人しくついていったのか。アルスに想像できた理由は一つしかなかった。

「あんたのためだよ。グリムロックさん。旦那の部屋にも仲間がいる。殺されたくなければ抵抗せずについて来いとでも言ったんだ。グリセルダさんは、あんたの奥さんは、最後まであんたのことを愛していたんだよ。自分の身の危険と引き換えにできるぐらいにな」

「そんな……バカな……」

「これは俺の憶測だ。真相を知りたいなら、牢獄にいるザザにでも聞くんだな。どっちの言葉を信じるかは、あんた次第だが」

 

 グリムロックは顔を俯かせ、その表情を伺うことはできない。今の話が真実であるか否か、判断しようとしているのか、ぶつぶつと呟く声が微かに聞こえる。

「まさか、本当に…………だが、それ以外には…………なら、グリセルダは私を助けるために死んだというのか。私が、殺害を依頼したとも知らずに…………フフッ」

 突然肩を震わせ、くつくつと笑い始めた。その姿にアルスは怒りを抑えきれず、片手でグリムロックの体を持ち上げながら、眼前で叫ぶ。

「何を笑ってやがる! 奥さんは死ぬ瞬間まで、あんたが生きることを願っていたんだぞ。そんな人の思いを、どうして笑うことができる。誰かを救いたいという意志を、愚弄するな!」

「これが笑わずにいられるか」

 その時、アルスの腕に一滴の雫が落ちてきた、

「馬鹿な女だよ。本当に。それなら、どうして私の言うことを聞いてくれなかったんだ。危険な戦いなどせず、安全な街の中で、二人で解放されるまでの時間を過ごすことができれば、私は良かったというのに。なぜ、ギルドを作って、攻略組を目指すなどと言い出したんだ。なぜ……」

 

 次々と落ちてくる涙を見て、アルスは手の力を緩めた。グリムロックの体は糸の切れたマリオネットのようにソファへと落ち、声をあげることもなく、涙をとめどなく流し続けている。

「グリセルダさんは攻略組に入って、自分の手でこのゲームをクリアするつもりだったんじゃないか。死に怯えていたあんたのために」

 グリムロックは返事もせず、首を動かすことさえしなかったが、アルスは続ける。

「それなのに、自分に反抗したからなんて理由で、あんたはその努力を踏みにじった。ただ二人で過ごしたかったという言葉を、奥さんに伝えたことがあったのか。勝手な思い込みで殺人に踏み切る前に、あんたは奥さんに自分の気持ちをちゃんと伝えるべきだったよ」

 言い終わると、アルスは部屋を出るためにドアへと向かった。

 ドアノブに手をかけたところで振り向き、胸にかすかな痛みを感じながら、最後にもう一つだけ言葉を紡ぐ。

「死んじまったら、もう何も伝えられないんだからな」

 ドアを開き、アルスは部屋を後にする。ドアが閉じる直前、小さく「すまなかった」と言う声が聞こえた。

 

《続く》

 

 



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第二十話 契りを結ぶ者

 最初にその契約を持ちかけられた時は、怒りで手が震えていた。しかし、契約を反故にした瞬間、襲いかかる危険を想像して、恐怖のあまり全身が震えていた。

 守りたいもののために、私は彼と契りを結ぶことに決めた。全てを投げ出すに等しいこの行為は、最初こそ不安もあったが、結果として何かを奪われることにはならなかった。

 何も失わなかった代わりに、誰かに与えるためにあった私の手が、奪うためのものに変わっていった。変化を少しでも止めようと、より多くのものを与えようとするが、奪うことをやめることはできなかった。

 自分の手が血で赤く染まる夢を見るようになり、気が狂いそうになる日々は、唐突に終わりを迎えた。契りは残されていたが、もう恐れる心配はない。ほんの些細な代償のみで、自由の身となることができる。そう理解しているはずなのに、契りを破ることはできなかった。

 自由を得るための行為が、まるで絞首台を作動させるボタンであるかのように、触れることを躊躇わせた。

 未だ、私と彼は契りを結んだままになっている。



二〇二四年八月二十六日

 

 グリムロックとの会談を終えた日の翌朝、アルスは昨日にも訪れたギルドホームの一つに来ていた。

 目の前にいるギルドリーダーと自分の二人だけしかない部屋の中で、グリムロックから得られた情報を伝える。

「PoHについて、新たな情報を得ることができた。どうやら、ラフコフではグリーンの鍛冶師を雇って、装備の強化やメンテをやらせていたらしい。最初に雇われていた鍛冶師とは、既に契約が切れていたが、別の鍛冶師が役割を引き継いでいて、まだPoHとつながっている可能性がある」

「なるほど、それでラフコフに手を貸していた鍛冶師を調べるために、うちへ来たのね」

 生産ギルド《プロメテウス》の店主リデルが、革手袋をつけた両手を握り合わせ、硬い表情でそう言った。

 

 リデルは部屋の隅にある木製のデスクに近づき、引き出しを開けて一枚の羊皮紙を取り出した。

「鍛冶師の名簿ならあるわ。けど、かなりの人数になるわよ」

 プロメテウスはギルド外の生産職プレイヤーであっても、レシピや素材の提供、時には融資まで行う。全員とまではいかないが、アインクラッドにいる生産職プレイヤーの大半がこのギルドと関わっている。生産職プレイヤーに限って言えば、情報屋を凌ぐほどのコネクションがあるだろう。

 だが、アルスはその申し出に対し、首を横に振った。

「その必要はない。もう目星はつけているからな」

「一体誰に。まさか、うちの子を疑っているの」

「いや、違う。俺が疑っているのは、お前だよ。リデル」

「え……」

 一瞬、リデルの表情が凍りつく。しかし、すぐに平静を取り戻した。

「アルスにそんなことを言われるとは思わなかった。どうして、私がそんなことをしなくちゃいけないのかしら」

「理由までは知らない。だが、幾つかの条件を考えて、最も合致するのがリデルだったんだ。もう一度聞くが、ラフコフの専属鍛冶師はお前じゃないんだな」

「ええ、断じて違う。そこまで疑うなら、ちゃんと根拠と証拠を見せてもらえるかしら」

「そうか。証拠を見せればいいんだな」

 

 そう言いながら、アルスはおもむろにメニューウィンドウを開いた。複数あるタブから一つを選んでタップして開き、これまで一度も触れたことがない一番下にあるボタンを押すと、一人の名前が表示される。

 その名前を見つめながら、ゆっくり呼吸を整える。

 今からすることは大きな賭けだ。仮に推理が正しかったとしても、失敗することは十分にあり得る。それでも証拠が残っているとすれば、これ以外には思いつかなかった。失敗した場合は……今は考えるべきじゃない。

 息を吐き切った瞬間、アルスは躊躇わぬよう勢いよくウィンドウ上の名前に触れる。

 その結果は、一秒も経たないうちに、一つのエラーメッセージとして現れた。

 メッセージの内容を見て安堵するとともに、苦い感情が湧き出す。

 本来であれば、このデスゲームの中で最も信頼できる相手を見つけ、絆を深めるために使われる機能が、よもやこんなことに使われているとは、昨夜まで想像すらしなかった。この世界で最も美しくあるべきこの契りが、なぜ人の命を奪うために使われなくてはならないのだろうか。

 アルスに知らしめるように、エラーメッセージには赤いフォントでたった一文だけ書かれている。

このプレイヤーはすでに結婚しているためプロポーズメッセージを送信できません

 そのメッセージから目を離さずに、アルスは重い口調で訊ねる。

「リデル。お前、誰と結婚しているんだ?」

 

 SAOでの結婚システムは、年齢制限を除けば日本の法律に準じたルールとなっている。つまり、今の日本では認められていない同性婚も、重婚もできない。

 異性のフレンドにプロポーズメッセージを送れないとすれば、それはすでに相手が結婚している時だけだ。

 リデルは肩を落とし、ぐったりとした様子で呟くように答える。

「PoHよ」

「……やはり、そうか」

「どうしてわかったのかしら、私が結婚していることに」

「ラフコフの生き残りに話を聞いた時、あいつらはグリーンの協力者に心当たりがないと言っていた。それが本当なら、前の鍛冶師の時は、PoHと一緒に装備を運んでいたザザとジョニー・ブラックですら、今の鍛冶師は知らないことになる。もし他のラフコフメンバーも同じなら、装備の運搬はPoH一人でやっていたということだ」

 

 ラフコフには三十人以上の構成員がいた。彼らの装備を一人で運ぶのは、よほど筋力値に割り振ったプレイヤーでない限り不可能だ。友斬包丁(メイトチョッパー)という銘の短剣を扱っていたPoHが、そんなに筋力を上げていたとは考えにくい。

 本当に一人でやっていたのだとすれば、大容量のストレージを持つプレイヤーが、誰にも気付かれぬように協力してい

たということだ。そんな方法は、SAOで一つしかない。

 

「結婚してストレージが二人分になれば、三十人分の装備を収めることができる。しかも、結婚相手が鍛冶師なら、ストレージに入れた時点で武器の受け渡しが可能だ。この方法なら、PoH一人で武器の受け渡しができるし、鍛冶師も圏外に出ずとも修理と強化を行える」

 アルスの推理を聞いて呆然としていたリデルだったが、ようやく疑問を口にした。

「でも、女性の鍛冶師だってわかっても、私だと断定することはできないんじゃ」

「高レベルの鍛冶スキルを持つ女性鍛冶師なんて、SAOに何人もいないから、最悪しらみ潰しに探すつもりだったよ。でも、そこにある戸棚を思い出して、リデルだと確信した」

 

 リデルの工房に置かれた戸棚は、大容量の外部ストレージとして使うことができる。だが、個人用の工房に置くには、些か不釣合いなアイテムだ。その上、前来た時にリデルは完成した槍を自分のストレージではなく、わざわざ戸棚まで仕舞いに行った。

 そこから、自分のストレージを使えない理由があるのではないかと推測できる。

 PoHが使えるストレージ容量を減らさないために、ストレージにアイテムを入れない癖が付いていたのだろう。

 

 その説明に対し、リデルは小さなため息を吐く。

「一応、納得はしたけど……プロポーズして証拠を見せるなんて、私が離婚していたらどうする気だったのかしら」

 SAOでの離婚は両者の合意がなくても、ストレージ内にあるアイテムの所有権を放棄することで、一方の操作だけで行うことができる。リデルがラフコフ壊滅後に、離婚していた可能性は十分にあった。

 

 リデルの問いに、アルスは苦笑いを浮かべる。

「こればっかりは賭けだったよ。もし離婚していたら、土下座でもなんでもして、プロポーズを取り下げてもらうしかなかった」

「ふふふっ、運が良かったわね。あなたはこんなおばさんと結婚する羽目になっていたのよ」

 リデルが釣られたように笑うが、空虚な笑い声はすぐに消え去った。

 重々しい空気の中、アルスはずっと訊きたかった疑問を口にする。

「なんで、俺たちに話してくれなかったんだ。俺たちの力があれば、PoHに従う必要なんて……」

「だったら、私のギルドのメンバー全員を、あなたは守れると断言できるの?」

 強い声音で訊かれた問いに、アルスは頷くことができなかった。

 いくら攻略組の力が強力といえど、ラフコフの全戦力が突然襲いかかってくれば、犠牲が出ることは免れない。万全の準備を整えた先日の戦いですら、十人以上が犠牲となったのだ。

 

 リデルはフラフラと歩きながら、鍛冶作業を行う鉄床の前に腰を下ろした。

「私はうちのギルドの子たちだけは死なせたくなかった。協力すれば、プロメテウスのメンバーに手を出さないって、PoHは約束してくれたの。逆に一度でも裏切りの兆候があれば、どんな手を使ってでもうちの子を殺すって…………バカみたいって思うでしょ。そんな脅しで言いなりになるなんて」

 

 

 ズガンッ

 

 

 目の前にある鉄床を、リデルが力一杯殴りつけた。決して低くない耐久力を持つ鉄床はその一撃で粉砕され、目がくらむほどの閃光と轟音が、工房の中を駆け巡った。

「でも、私は誰も守れないの。この手は武器を作ることしかできないのよ。だから、私はあいつの言葉にすがってしまった。ラフコフがなくなった今でさえ、離婚した瞬間に誰かが殺されるかもしれない。そんな恐怖に抗えなかったの…………私が弱いから」

 

 すでに八十を超えているアルスには及ばないだろうが、リデルのレベルは相当に高いはずだ。筋力値だけなら、おそらくアルスを上回る。

 だが、仮にリデルが全身を完全強化したレア装備で固めたとしても、アルスの相手にはならない。ラフコフのプレイヤーが相手でも、勝つことはできないだろう。いかに装備を整えても、ゲーム終盤となった今では、生産職と戦闘職との間には、戦闘系スキルやプレイヤースキルに大きな開きができている。

 

 一回り以上年の離れた女性が、まるで幼い少女のように声を荒げるその姿に、アルスはかける言葉を見つけることができなかった。

 

 永遠に感じられるような沈黙の後、リデルがゆっくりと口を開く。

「でもねアルス。あなたの推理は一つだけ間違っているわ。あなたは私が作戦の情報を漏らしたのだと思っているんでしょうけど、それは私じゃない」

「ん……待て、俺はお前が情報を漏らしたとは、言っていないぞ」

 アルスの返答に、リデルは戸惑いの色を浮かべた。

「俺の推理では、一年近く前からラフコフに協力しているギルドがある。そして、そのギルドはプロメテウスではない。もしそうなら、最初からリデルが専属鍛冶師をしたはずだからな」

「じゃあ、私のところに来たのは」

「まだ結婚しているなら、フレンドの追跡機能が使えるよな。それでPoHの居所を割り出してくれ」

 プロポーズするためには、必ずフレンド登録をしなくてはならない。未だ婚姻状態にあるリデルならPoHが今どこにいるか調べることが可能なはずだ。しかし、メニューを開くこともせずリデルは首を横に振る。

「あの作戦の後、何度も追跡を試みたわ。でも、ずっと追跡不可のままよ。ダンジョンに身を潜めているか。隠蔽スキルを使っているんでしょうね」

「用心深いな」

 

 ダンジョンでは、原則としてメッセージの使用もフレンド追跡機能も使うことができない。ダンジョン以外のフィールドや圏内であっても、隠蔽状態ではフレンド追跡は無効となってしまう。フレンド登録が残っている間は、そうやって姿を隠すつもりなのだろう。

「ストレージの中はどうだ。モンスターのドロップ品は入ってないのか」

 ダンジョン内であれば、モンスターとの遭遇は避けられない。中には隠蔽スキルが効かず戦闘を余儀なくされる場面もあるだろう。モンスターを倒してアイテムがドロップしていれば、そのアイテムをリデルが鑑定して、どのモンスターからドロップしたか特定できる。あとはモンスターの出現エリアを調べれば、居所を知る手がかりとなる。

 

 リデルはアイテムストレージを確認したが、しばらくしてため息交じりに答える。

「ないわね。結晶やポーションばかりで、場所を特定できそうなものは」

 その回答は、アルスに新たな衝撃を与えた。

「今……なんて言った。結晶がストレージに入っているのか」

「ええ。かなりの量が残っているわ」

 リデルが可視モードに変更したストレージ画面には、転移結晶を含めた各種の結晶アイテムやハイポーションが大量に表示されていた。二人分のストレージ容量がほとんど埋まっており、到底PoH一人分のアイテムとは思えない。

 プルートの話では、転移結晶の在庫が尽きた後、討伐作戦の前までアイテムの補給を待っていたという。おそらくPoHが持っているアイテムは、その補給物資だ。

 

「リデル。このアイテムがいつからあったか覚えてるか?」

「ええっと……討伐作戦の2日前には、アイテムが入ったままだったと思うけど」

 作戦が始まる前に補給がされていたのだとすれば、PoHがアイテムの隠匿をして、補給を遅らせていたということになる。ストレージ内にある転移結晶があれば、ラフコフのメンバー全員を脱出させることもできたのに、PoHは迎撃の指示をして自分だけ逃亡した。

 つまり、あの戦いはPoHが望んだ結果ということだ。

 この想像が正しければ、今まで推理の前提としていた条件は全て変わる。

 

 作戦開始前から情報を得ていても、PoHがそれをラフコフのメンバーに伝えなかったなら、情報を漏らした人間が会議の出席者だったとしてもおかしくない。しかも、その人間が属するギルドは、一年近くにわたってラフコフに協力していた攻略ギルドと同一の可能性が高い。

 あの会議に出ていた十のギルドのうち、イカロスの翼とプロメテウスを除いた八つ。その中のいずれかが、ラフコフと裏で繋がっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方、円卓騎士団のギルドホームにある会議室で、五人のプレイヤーが大きな円卓を囲んでいた。

「本当にPoHの居所がわかったのか?」

 訝しげな視線を向けるトールに、アルスは落ち着いて口調で答える。

「正確には、潜伏場所の候補が見つかった、だ。ラフコフの生き残りが、以前キャンプ狩りした時に使ったダンジョンの安全地帯のことを思い出して、連絡してくれたんだ。そこにPoHがいるかどうかは、行ってみないとわからん」

「うーむ……あてにはならなそうだが、今はそれにすが

るしかないか」

 トールは釈然としない様子を見せながらも、潜伏場所の調査自体には賛成しているようだった。ケインが潜伏場所の詳細な情報を求めてくる。

「そのダンジョンはどこにあるんだ? 地形やモンスターの情報は」

「五十六層にある洞窟だ。毒蛇が多く出る場所で、毒薬の素材を取りに行ったんだそうだ。マップデータを今渡す」 

 マップデータを送信し、ラフコフがキャンプ狩りで寝床とした安全地帯を伝えた。ほとんど一本道の洞窟で、入り口から最奥部までの中間あたりにある部屋が、安全地帯となっている。

 安全地帯を取り囲む必要はなく、入り口から敵を追い詰めることが可能な地形だ。相手はPoH一人のみの可能性が高く、機動力や隠密性も考えれば、ワンパーティーでの潜入が無難だろう。

 

 その作戦を伝えると、エオスが思案顔でうなずいた。

「幸い、前の作戦で使わなかった耐毒用のアイテムが残っているし、少数なら今すぐにでも作戦を実行できるわね」

 今晩にでも偵察に向かうという話になったところで、エデンがアルスに問う。

「ところで、なぜ集められたのがこの五人だけなんだ。六人揃えるために、血盟騎士団か聖龍連合にも応援を頼めばよかったのに」

 他の三人もその質問に同調したようにアルスに目を向けた。

 ここにいるのは、《イカロスの翼》、《円卓騎士団》、《エデンの園》、《ミョルニル》、《アウローラ》の五ギルドのリーダーのみ。討伐作戦に参加した血盟騎士団、聖竜連合、風林火山の姿はない。

「前の作戦で、ラフコフに情報が漏れた事は疑いようのない事実だ。情報を漏らした人間は、まだ攻略組にうまく入り込んでいる可能性がある。密告書が届いた二ギルドは、特に情報漏洩の疑いが強かったので候補から除いた。風林火山も情報の機密性に不安があったしな。俺が信頼しているのは、ベータの頃から共に戦ってきたお前たちだけだ」

 アルスの言葉に、照れ臭そうに顔を背けたり、吹き出しそうになって口を押さえたりと、それぞれが反応見せた。少々臭い言い方だったかと思いながら、空気を断ち切るように言葉を続ける。

「今夜十二時に、洞窟への潜入作戦を実行する。作戦のことは口外厳禁、各自一人で五十六層まで来てくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二〇二四年八月二十七日午前零時

 

 五十六層東端にあるその洞窟は、光源となる虹色に輝く鉱石が地面から生えており、松明を持つ必要がない。ダンジョンとしては視界が良く動きやすい場所だが、それぞれ体色の異なる七種の蛇が洞窟には潜んでおり、種類ごとに異なる状態異常を発生する毒があるせいで、高レベルの耐毒ポーションや各種治療ポーションがないとまともに行動ができなくなる。狩場としては効率が悪く、人の出入りが少ないため潜伏場所としてはうってつけだ。

 

 五人が集まった後、索敵能力が高いエオスを先頭に、洞窟内の部屋を一つ一つ調べていく。PoHがいないことを確かめながら奥へと進み、中間にある安全地帯へと着いた。

 エオスが目を凝らしながら、部屋の中を進んでいく。その少し後ろで、アルスは目を閉じ、小さく舌打ちをして反響定位(エコーロケーション)のスキルを発動する。

 真っ暗な視界の中で、薄ぼんやりとした白い影が浮かび上がる。先を進むエオスと後ろにいる三人、周囲に散在する鉱石。その鉱石の一つに微かな違和感を覚えた。目を開いて視覚情報と照らし合わせ、音によって得られた情報と差異がある場所へ剣を向ける。

「そこか」

 全力で剣を振り下した瞬間、鉱石の裏から黒い影が飛び出した。間一髪のところで剣を躱した影は、黒いポンチョを纏い、頭上にオレンジカーソルを浮かべた長身の人物だった。その姿を認め、アルスは他のメンバーに向かって叫ぶ。

「いたぞ。そいつがPoHだ」

 アルスの声を聞いて、エオスが驚愕の表情を浮かべて振り返り、短剣を握り直す。

「まさか、本当に」

 後ろからは、ケインが両手剣を手に駆け出した。

「PoH……こいつが」

 少し遅れて両手鎚を持つトールも後を追う。

「奴が……絶対に捕える」

 部屋の入り口では、エデンが立ち塞がるように盾を構えた。

「逃がさん」

 それぞれがギルドのリーダーをしているだけあって、指示がなくとも各自が判断して動いていた。

 アルスも追撃しようとするが、黒ポンチョのプレイヤーは地面に煙玉を投げつけ、周囲に黒煙を振りまいた。たちまちのうちに姿が見えなくなるが、視覚が効かない煙の中でも、アルスの耳は確実に動きを捉える。

「奴は洞窟の奥に向かっている。このまま進んで追い詰めるんだ」

 

 足の速いエオスが真っ先に部屋を飛び出した。

 アインクラッド最速と称されるエオスの脚力で、瞬く間に距離を詰めるが、まるで計ったかのように数体の大蛇型モンスターが襲いかかる。

 無視して進むことも可能だが、蛇の中には行動阻害系のデバフを発生させる種類も混じっているため、デバフを受ける危険を考慮して攻撃を防ぐためにエオスは応戦した。殲滅力が低い短剣ではすぐさま一掃することはできず、止む無く足を止める。そこへ他の四人が追いついた。

「オオオォォー!」

 エデンが雄叫びをあげ、蛇たちの動きを一瞬止めた。挑発スキルの効果によりモンスターのターゲットはエオスからエデンへと移り、這い寄る蛇はケインの両手剣に薙ぎ払われ、トールのハンマーで叩き潰される。

 二人と一緒に蛇を倒しながら、アルスはエオスにPoHの追跡を指示した。

 

 頷く時間すら惜しんで、エオスは再び走り出した。途中で現れたモンスターは接近する隙も与えずに振り切り、先を走る影を追い続ける。

 ようやく追いついた頃には、洞窟の最奥部にある大部屋まで来ていた。

 逃げる先を失い、背後からエオスが接近していることに気づいた黒ポンチョのプレイヤーは、ポンチョの下から中華包丁に似た形状の武器を取り出す。

 

 武器を手に相対した状態で、エオスは声を抑えて問いかけた。

「あなた、PoHじゃないわね」

「…………」

 黒ポンチョの人物は何の反応も見せない。

「どうして、そんな格好を? 何故ここにいるの?」

「…………」

 さらに問いを重ねるが、応答はない。

 

 その態度に苛立ちを覚え、短剣を突き出しながら踏み出す。

「答えなさい」

 直後、視界の端で虹色の光を弾きながら迫るものに気づき、素早く後退した。

 目の前数センチのところを横切った投げナイフの出どころに目を向けると、赤褐色のローブを着た小柄なオレンジプレイヤーが姿を見せる。背には長い槍を、手にはまだ数本の投げナイフを指の間に挟んでいる。

「この人の仲間かしら」

 訊ねてみるが、やはり返答する様子はない。

「あなたたちは何者なの! さっさと答えなさい」

 思わず声量を上げ、強い口調で訊いたがどちらも反応を見せなかった。

 

 黙秘を続けられた事に業を煮やし、二対一でも捕縛に踏み切ろうかと一歩踏み出したところで、ようやく自分以外の声が洞窟内に反響する。

「答えが聞きたいなら、先に一つ教えてもらえないか」

 だが、声の主は部屋に入る二人ではない。その声はエオスの後ろから響いていた。

「なぜそこにいる奴が、PoHじゃないとわかったんだ? エオス」

 最奥部の部屋に入るや、アルスはエオスに剣を向けた。

 

 

《続く》

 

 



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第二十一話 罪を暴く者

 幾度も推理を重ね、最も可能性が高い一人へと行き着いた。
 おそらく証拠は何一つ残されていない。他の者を納得させるためには、奴から証拠を出させるしかないだろう。なんとしてでも、俺は奴が内通者であることを証明しなくてはならないんだ。

 奴が内通者であることを明らかにし、捕らえることができたとしても、俺たちが何かを得ることはないだろう。だが、これ以上何かを失わないためには、戦いを終わらせる必要がある。犯した罪を暴き出し、償わせなければあの戦いが終わることはない。

 何の意味もなく命が消える様を、俺はこれ以上見たくはないんだ。



 二〇二四年八月二十七日深夜

 

 

 五十六層東端にある洞窟ダンジョン最奥部の部屋で、アルスは目の前のプレイヤーに両手剣を向けていた。

「なぜそこにいる奴が、PoHじゃないとわかったんだ? エオス」

 エオスは優美な動きで振り返り、自分に向けられた剣の切っ先を見て銀の瞳を細める。

「どういう意味かしら。それに、その剣はどういうつもり?」

 

 アルスが問いに答える前に、背後の通路から複数の足音が響く。大剣を持ったケインが部屋に飛び込み、奥にいる二人のオレンジの姿を認めるや、エオスの隣に立った。黒ポンチョを着た長身のプレイヤーと隣の赤褐色のローブを着た小柄なプレイヤーに剣を向け、兜の奥から威嚇するように声を張り上げる。

「仲間がいたか。だが、逃がしはしない」

 ケインに遅れてトールとエデンも部屋に入り、自らの得物を構える。

「アルス、エオス、貴様ら何をしている。とっととそいつらを取り押さえろ」

 オレンジの二人を睨みながらトールが叫ぶが、エオスは素早く首を横に振った。

「違う。そこにいるのは、PoHに化けた偽物よ。もう一人も、ラフコフのメンバーじゃないわ」

「なんだと!?」

 

 トールはエオスの言葉が信じられずに、長身のオレンジプレイヤーをじっと見つめる。より近くにいるケインも、警戒を解かないまま目の前にいる黒ポンチョのプレイヤーを観察し、ごつい兜をガシャガシャと鳴らす。

「偽物……黒いポンチョに、特徴的な形状のダガー……俺には、本物としか思えないが」

「よく見て。格好は似せているけど、PoHとは別人よ」

 エオスに言われ、再びポンチョを着た男の出で立ちをじっくり眺める。

「よく見ろって言われても……俺、PoHを見たことがないからな」

 

 ケインの返答を聞いた瞬間、エオスはわずかに目を見開き、一瞬ではあったが動揺を見せた。その隙を逃さずに、アルスは用意していた一太刀を抜く。

「PoHと会ったことがある人間は、攻略組でもごくわずか。この場にいる中じゃ、俺だけだったはずだ。なあ、エオス。見たこともないのに、どうして奴が偽物だと気づけたのか、教えてくれないか?」

 アルスの切り込みに対し、エオスはオレンジの二人を一瞬見やってから毅然と答える。

「…………私が偽物だと気づけたのは、そこの黒ポンチョの男に見覚えがあったからよ。走り方や短剣の構え方を見て、ようやくわかったわ。あそこにいるのは、イカロスの翼のラスクとダイモンでしょう。アルス、あなた自分のギルメンをオレンジに化けさせて、一体何をするつもりなの」

 強い口調を伴う詰問に、アルスは口を閉ざした。

 

 向かい合う二人の周りでは、パーティーメンバーの三人が状況についていけず狼狽えている。しかし、アルスとエオスの発する空気が、不用意な問いかけを躊躇わせた。

 ピリピリと張り詰め、微かな物音をたてることすら気が咎めそうな空気を、気だるげな声が破る。

「私をあんなネカマと間違えないでもらえますか」

 

 その声の主に、全員が視線を向ける。深く被っていたポンチョのフードが外され、短く切りそろえられた黄色い髪が目を引いた。その目立つ髪色を見た瞬間、エオスが目を見張り、血の気を失ったような白い顔で偽物と断じた男の名を口にする。

「エル、ドラ」

 商業ギルド《ニーベルングの指輪》オーナーの登場に、場は騒然となった。

「なぜ、お前がここにいる」

 表情の変化は乏しいながらも、少々上擦った震えた声でエデンが訊ねる。

「アルスに今朝頼まれたんですよ。PoHの格好をしてここで待っていろって。忙しいっていうのに、こんなことをさせて……しかもアルス、あなた最初本気で斬りかかりましたよね」

「昔言っちまったからな。次オレンジになっていたら、問答無用で叩き斬るって」

 アルスの言葉に、エルドラはがっくりと肩を下ろす。

「自分でオレンジにさせといて、それはないでしょう」

 

 その様を隣でケラケラと笑って見ている小柄なオレンジプレイヤーを、エデンがじっと見下ろす。

「なら、こっちは……」

 ローブが脱ぎ捨てられ、燃えるような緋色の短髪の少年が顔を見せる。

「俺だよ」

 生産ギルド《プロメテウス》に所属しているアラシがもう一人のオレンジだとわかり、さすがのエデンも驚愕の表情を浮かべた。滅多に動じぬエデンの珍しい表情を見て、アラシはいたずらを成功させた時のような笑みを見せる。

「俺も今朝頼まれたんだ。オレンジになるのは面倒だったけど、アルスには借りがあるから、断れなくてさ。けど、まさかこんなことになるとは思わなかったな」

 

 子供らしい笑みが消え、アラシは一人のプレイヤーをすっと見据える。その視線を追って、他の者たちの視線も、一人へと集まっていく。

「もう一度だけ訊くぞ。PoHを見たことがある俺でも気づくのが難しいエルドラの変装を、お前はどうして見抜くことができたんだ?」

 六人の視線を受け、青白い顔に赤みがさし、悔しそうに歯を食いしばる人物に追い打ちをかける。

「見抜ける人間がいるとすれば、PoHと頻繁に会っていた奴ぐらいだ。ラフコフのメンバー以外でそんな奴がいるとしたら、情報を流していた内通者しかいない。ラフコフを裏から支援し、作戦の情報を漏らしたのはお前だったんだな。エオス」

 

 

 

 

 

 アルスが名指ししても、エオスは言葉を返さなかった。しかし、否定せずに沈黙を貫くことが、他の者には肯定と受け取れた。

 攻略組内にいる裏切り者の正体が明らかとなったが、ケインは目の前の事実を受け入れられないのか、兜に手を当てながらアルスに訊いた。

「いや待て、それはおかしいだろ。もしエオスが情報が漏らしたのなら、もっと早く情報が漏れていたはずだし、作戦にだって参加するわけがない」

 情報を漏らした人間が、会議や作戦の参加者でないと考えられていたのは、ラフコフに作戦の情報がもたらされたのが、作戦開始時刻の直前だったためだ。作戦のことを知っていた人間なら、もっと早くに情報を伝え、ラフコフと戦闘になることを避けることができたのだから。

 しかし、その推測には、欠けていた要素が一つある。情報は攻略組からラフコフへ直接流れたわけではない。ラフコフの連中に作戦のことを話したのは、攻略組内にいた内通者ではなく、PoHだったということだ。

 

「あの作戦が、全てPoHの策略だったと考えたらどうだ」

「どういうことだ」

「少し考えれば分かることだった。グリーンの協力者と接触していたのがPoHだけだったなら、得た情報を秘匿し、作戦の直前になってから伝えることができたんだ。エオスには作戦開始前に逃げると伝えておいて、逃げ場を失ったラフコフと攻略組を戦わせることが」

 アルスの推測を聞いて、ケインはわなわなと震えながら、兜を押さえていた手をゆっくり下ろす。

「まさか……自分のギルドと攻略組を戦わせることが、PoHの目的だったとでも言うのか。だったら、あの密告書は」

「おそらく、PoHが出したのものだ。そう考えれば、奴らが転移結晶を持っていなかったことにも説明がつく。エオスと連絡を取り合っていたのがPoHだけなら、アイテムの補給もPoHがしていたはずだ。結晶の補給をわざと遅らせ、逃げ道をなくすのは簡単だっただろう」

 どんな理由でPoHがそんな奇行に走ったのかはわからないが、そう考えればあらゆる疑問に説明がつく。

 

 ラフコフのアジトの場所を知らせる密告書が誰によって届けられたのか

 極秘に進められていた作戦の情報がなぜ開始直前に漏れたのか。

 ラフコフはどうして転移結晶で離脱せずに徹底抗戦を選んだのか。

 なぜPoHだけは戦いの中で姿を見せず、一人だけ逃げ出したのか。

 

 すべてはPoHがラフコフと攻略組を戦わせる事を望んだ結果だ

 

 

 

 

 

 

 

 アルスが推理を話し終えると、エオスは両手をパン、パンと叩き始めた。

「さすがね。まるで見ていたかのような推理だわ」

 余裕を見せつけるかのように笑顔で賛辞の言葉を口にしているが、悔しさを隠しきれていないのか、口元はまだ少々固い。

「でも、PoHが仕組んだ事だとわかっても、誰が内通者なのかまでは、わからないんじゃないかしら」

 エオスが指摘した通り、会議に参加していたどのギルドに裏切り者がいるのかを示す証拠は残されていなかった。昨年のグリセルダ殺害事件で回廊結晶の提供があった事から、攻略ギルドのリーダーだと推測できるが、どのギルドか絞り込むにはさらに推理を行う必要があった。

 

「PoHの策略で唯一の懸念点は、討伐作戦の情報が得られないことだ。そのリスクを無視できたなら、内通者は確実に会議に呼ばれる攻略ギルドのリーダー格だったはず。このことから、プロメテウスとニーベルングの指輪は除外できる」

 商業系の二ギルドは、ラフコフ討伐作戦以前の攻略会議では、滅多に召集がかかることはなかった。情報源とするには、あまりに心許ない。

 そう確信できたから、エルドラをPoHの偽物に化けさせることも、リデルに変装用の装備を用意させることもできた。長身のPoHに化けさせるなら、ラスクでもよかったのだが、ボス攻略に参加しているプレイヤーでは動きで気づかれる可能性があったので、エルドラが適任だった。

 

「次にPoHに命を狙われた者、ラフコフの策を妨害したことがある者も容疑者から外した。シュミット、アスナ、クラインがそうだ。他に最初の会議に呼ばれたのは、ケイン、エデン、トール、エオスの四人」

 残りの四人はラフコフと交戦した記録もなく、内通者でないと断定する根拠が見つからなかった。それは裏を返せば、誰もPoHを直接見たことがないということだ。彼らの中に内通者がいるのなら、そいつだけはPoHと面識がありながらそれを隠していることになる。

 内通者を割り出すためには、PoHの偽物を見せ、偽物だと見抜かせるしか方法がなかった。

 

 そこまで話したアルスに、エオスは不服そうに言う。

「私たち四人にだけ声をかけた理由はわかったわ。でも、このダンジョンを選んだのも、PoHに化けたエルドラを追うよう指示したのも、アルスよね。最初から、私だけを疑っていたとしか思えないけど」

 出口のないこの洞窟で、足が速いエオスがエルドラを真っ先に追い詰めるのは自明だ。エルドラと相対し、変装を見破る機会はエオスしか得られない。この作戦は、最初からエオスに狙いを定めたものだった。

「確信があったわけじゃないけどな。エオスだとは思っていたよ」

「ふーん。結構気をつけてたつもりだけど、何か口を滑らせたかしら」

 

 容疑者四人と話した時のことを思い出したが、内通者であることを匂わせるような発言は何もなかった。だが、相手が見せたもの、話したことだけが証拠になるわけではない。時には、見せなかったこと、口にしなかったことが重大な根拠となる。

 一昨日、プルートから得られた情報を伝えた時、誰もが気にしていたことを話題にしなかった人物が一人だけいた。

「各ギルドを訪ねて回った時、お前だけだったんだ。情報漏洩のルートを気にかけず、PoHの足取りを訊いてきたのは」

 秘密を持つ人間は、秘密を明かさぬよう発言に気を使っている。しかし、それゆえに普通なら話すべきことまで、口をつぐんでしまうこともある。あの作戦の後でなぜ情報が漏れたのか気にならないのは、作戦を漏らした当人だけだ。

 

 アルスの答えを聞いて、エオスは自嘲するように唇を吊り上げ、肩を竦める。ごくありふれた動作のはずなのに、今のエオスが行うと退廃的な美しさを感じさせた。

「まさか、たったそれだけで気づかれるなんて。一年間、うまく隠し通してきたのになぁ」

 エオスの言葉には、秘密を明かしたことによる解放感が含まれていたが、彼女の銀色の瞳にまだ不穏な光が瞬いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぜだエオス。ゲームクリアのために戦っている貴様が、なぜラフコフに手を貸したりしたんだ」

 巨大なハンマーを力強く握りしめたトールが、雷のごとき怒鳴り声で尋ねる。

 エオスがラフコフの内通者だとわかっても、その理由には辿り着くことができなかった。アウローラは一人一人が高い戦闘力を持つ武闘派ギルドで、リデルのようにギルメンを人質に脅されていたとは考えにくい。PoHと協力関係を結んだことには、何か理由があったはずだ。

 

「目障りだったのよ。下で遊んでるだけのやつらが」

 エオスは罪の意識など一欠片も感じさせない、平然とした様子で答えた。

「私たちが前線で命がけで戦っている間も、呑気にゲームを楽しんでるだけのやつらなんて、何の役にも立たないじゃない。せいぜい、攻略組の代わりに、PoHたちに殺されるぐらいのことしかできないわ」

 あまりに冷酷な理由に、アルスは思わず息を飲んだ。ラフコフの殺しの対象を、中層、下層で生活するプレイヤーに向けさせることで、攻略組の被害を減らす。そのためにエオスはPoHに手を貸してきたというのか。

 

 PoHが約束を守っていたなら、ゲーム序盤でしばしば起きていたオレンジプレイヤーによる攻略の妨害を、一年間防ぐことができていたのかもしれない。だが、代償として百を超える人間がラフコフの餌食となっている。彼らの命が、必要な犠牲だったとエオスは本気で思っているのか。

 

 背筋に冷たいものが走るアルスの前で、トールがエオスの目の前にハンマーを叩きつけた。ソードスキルのアシストがない通常攻撃にも関わらず、地面を打ち砕いたのかと錯覚するほどの轟音と、ビリビリとした衝撃が響き渡る。

 当たれば致命傷になりえた一撃を、微動だにせず冷ややかな視線で見送ったエオスに、トールが怒りの形相を向ける。

「ふざけるな! そんなことで俺たちを守っていたつもりか。俺は弱い者でも戦いを強いられるこのゲームを終わらせるために、ギルドを作ったんだ。弱者を切り捨てて、自分たちが生き残るためなどでは、断じてない」

 眼前で怒声をあげるトールに、エオスは一切怯んだ様子を見せず、あしらうように言った。

「強者が弱者を守る? 相変わらず傲慢な考え方ね。女子供だってゲームじゃ強さは変わらないのに、勝手に見下して門前払いするギルドのリーダーらしいわ」

「俺の主義に文句を言うなら、役に立たないなどと勝手に決めつけ、命を粗末に扱う貴様はどうなのだ。弱さは罪。殺されたのは自業自得だとでも言うつもりか」

 そう問われ、エオスは数秒考え込む。

「うーん……当たらずとも、遠からずってとこかしら。SAOに弱いプレイヤーは不要。いいえ、むしろ邪魔になるの。弱者の存在は、このゲームをクリアできない危険性すら生んでしまうのよ」

 

 エオスの言葉を、すぐに理解することはできなかった。

 弱いプレイヤーの存在が、ゲームクリアの妨げになることなどあり得るだろうか。

 低レベルのプレイヤーが、前線の攻略を妨害した事例などほとんどない。そんなことをすれば、自らの命を危険にさらすことになる。

 狩り場やアイテムの奪い合いも、レベルに差があれば起らないことだ。レベル制MMOというのは、レベル帯ごとに活動するエリアや使用するアイテムが変わり、プレイヤー間での諍いを生まないように設計されている。SAOだってそこは変わらない。

 ゲームクリアに与しないことはあっても、邪魔になることなどないはずだ。

 

 トールをはじめとした何人かが訊き返したが答えず、エオスは唐突に話題を変える。

「ねぇ、ヒースクリフのスキル《神聖剣》は知っているわよね」

 神聖剣。

 血盟騎士団の団長ヒースクリフだけが持つ唯一無二のスキル。五十層のフロアボス戦では、単身で十分間も攻撃を耐え凌ぎ、他のスキルとは一線を画する性能を見せた。

「あのスキルの修得方法は未だに不明。ヒースクリフも心当たりがないというし、他の修得者は一向に現れない。もしかしたら、彼以外には修得不可能。ユニークスキルとでも呼ぶべきものかもしれない」

 

 わけがわからないまま、エオスの話を聞くしかなかった。

「唯一の修得者としてヒースクリフが選ばれたのだとしたら、その理由は何だったのかしら。ソロのキリトとか、ヒースクリフよりレベルが高いプレイヤーはいたでしょうから、レベルだけが理由とは思えない。レベル以外だとすると、クエストのクリア、スキルの熟練度カンスト、特定の行動を一定回数以上行うなんてのも、ゲームでよくあるわね。もしかしたら、完全にアトランダムってこともあるかもしれない」

 関係のない話をしているだけに思えるが、エオスがこちらに向ける目は、何かを待っているように見えた。まるで、何かの答えに誘導しているかのような。

「ユニークスキルが神聖剣だけと思えないから、他のユニークスキルも、いつかきっと出てくるわ。でも、もし今言った予想が当たっているとしたら、一つ困った問題が出てくるの」

 

 この話がヒントだというのか。

 ユニークスキルの修得条件。

 低レベルのプレイヤーがゲームクリアの妨げとなる理由。

 レベル以外がユニークスキルの修得条件に設定されていた場合の問題点。

 そこに何かつながりがあるとしたら……

「まさかっ……」

 あまりに荒唐無稽だが、完全に無関係とは言えない一つの繋がりが閃いた。

 根拠は薄弱。得られるメリットは軽微。リスクは極大。しかし、それ以外の理由はいくら考えても浮かんでこない。

 思いついた自分を嫌悪したくなるほどに悪魔めいた天啓を、アルスは慎重に言語化する。

「レベルに関係なくユニークスキルを修得できるのであれば、攻略組でないプレイヤーがユニークスキルを得る可能性がある。お前の目的はレベルが低いプレイヤーを減らすことで、攻略組がユニークスキルを修得できる確率を上げること」

「正解よ」

 

 

 

 

 

 低レベルのプレイヤーにユニークスキルを修得させないために、プレイヤーを殺させる。

 あまりに馬鹿げた発想だ。

 そもそも、神聖剣がヒースクリフ以外に修得できないユニークスキルだという根拠はない。

 仮にユニークスキルだとしても、他のユニークスキルがあるかどうかもわからない。

 他のユニークスキルがあったとしても、その修得方法は不明。

 プレイヤーの数を減らせたとしても、ユニークスキルを得られる保証など何もない。それを理解した上で、何百人もの人間の命を犠牲にしたというのか。

 

「バカじゃねぇか」

 アラシが烈火の如き怒りを顕にし、槍を突き出す。

「ユニークスキルなんか、あるかどうかもわかりゃしねぇもののために殺人鬼に手を貸したっていうのか。レベルが低くたってな、強くなろうと頑張ってる奴や、誰かの役に立とうとしてる奴はたくさんいるんだぞ。あいつらが死んだことが、ゲームクリアのためだっていうのかよ」

 眼前に突きつけられた鋭い穂先を、エオスは羽虫が近づいてきた時のように手で払い、嘲るような冷笑を浮かべる。

「半端なレベルのやつらが、今更前線に来たところで何ができるっていうのよ。そんな雑魚にユニークスキルが与えられて、無駄死にするぐらいだったら、最初からいない方がクリアのためよ」

 

 あまりに一方的なその考えに、口数が少なかったエデンまでもが、メイスを構えて怒声をあげた。

「レベルが低いプレイヤーを育てるために、俺はギルドを作ったんだ。ユニークスキルを攻略組でないプレイヤーが得てしまったなら、そいつを俺たちで育てりゃいいだけの話だ。そんなこともわからないのか」

 エオスは大きな溜息とともに言い返す。

「わかっていないのはあなたの方よ。ユニークスキルを手に入れたからといって、その人が前線で戦ってくれるかは別問題だし、戦う気があったとしてもまともにボス戦をやったことのない人が、強力なスキルを得ただけで活躍できるとも思えない。数だけでろくな戦力がいないあなたのギルドを見れば、ボス戦に出られるプレイヤーを育てるのがどれだけ難しいかわかると思うけど」

 素早い切り返しに、エデンは咄嗟に反論することができなかった。

 

 SAOで強くなるためには、単純なレベルやステータスだけでなく、アバターの操作能力、素早い状況判断、反射神経など、様々なプレイヤースキルが要求される。望めば誰もが一線級の戦士になれるという世界ではない。それは確かな事実だ。

 だが、確実ではないというだけで、可能性の芽をすべて摘み取ろうとするのは、あまりに飛躍した行動だろう。

 

「このゲームが詰み状態になることだけは、どうしても避けたかったのよ。私がやったのは、ユニークスキルを有効活用するための投資よ。ねえ、エルドラ。あなただったら、誰がユニークスキルを手にするのが得か、考えなくてもわかるわよね」

 エオスの問いかけに、エルドラは変装用のポンチョを脱ぎ、ダガーに偽装した中華包丁を捨てて答える。

「確かに損得だけを考えれば、攻略組で新たなユニークスキル保持者が現れたほうが、はるかに有益でしょうね。半端なレベルの人が修得するよりもよっぽどね」

 クイックチェンジで出現させた金色のロングバトンを手に、エルドラはさらに続ける。

「ですが、私は博打のような投資はしない主義でしてね。あるかどうかもわからないスキルのために、殺し屋を雇うような真似はしません。ラフコフに殺された人の中には、うちの客もいたんですよ。損得勘定で考えれば、あなたに好き勝手動かれた方が損ですね」

 

 エルドラ、エデン、アラシ、トールの四人に囲まれていても、エオスは平然としていた。さらにケインも剣を構え直し、その切っ先をエオスに向ける。

「エオス。お前の考えに俺たちは賛同できない。昔の仲間にこんなことはしたくないが、レッドギルドを支援した罪で、お前を監獄送りにする」

 その発言に、エオスは面白がるような笑みを浮かべ、わずかに体勢を低くする。見た目には些細な変化だったが、周囲の空気が凍りついたかのように、冷たく重くなる。

「監獄送り? あんな場所で生き恥を曝すなんて、絶対にゴメンだわ」

 

 話しながらわずかにエオスの足が動いたのを見て、アラシは躊躇わず槍を突き出した。ソードスキルでないとはいえ、鍛え上げられたステータスとロングスピアのリーチによる刺突は、多少下がった程度で間合いから逃れることはまず不可能だ。

 その攻撃を、エオスはまるで何かに弾かれたかのように、ワンステップでの超高速跳躍で槍が届かない距離まで下がって躱して見せる。

 常人なら姿を見失うほどの速度だが、ここにいるのは皆歴戦の猛者たち。エオスのスピードに面食らうこともなく、目配せもなしに捕縛のために動き出していた。

 

 逃げるエオスをエルドラが必死に追随し、ロングバトンで攻撃を加える。ダメージは全く与えられていないが、回避先をうまく誘導し、少しずつ壁際へと追い込んでいった。

 部屋の隅まで追い詰めたところへ、エデンが盾を構えて突進する。盾で壁に押さえつけ、動きを封じる狙いだ。筋力値が低いエオスなら、抜け出すことはできない。

 左右に回避するスペースはなく、短剣のソードスキルではエデンを押し戻すこともできない。逃げ場がないように見える状況で、エオスはまるでテレポーテーションでもしたかのように、エデンの盾を飛び越えた。

 

 ずば抜けた敏捷性がなければできない動きだが、その程度なら想定内だとばかりに、エデンの後ろで待ち構えていたトールは、天井近くを飛ぶエオスを叩き落とすためにハンマーを振り下ろす。

 絶大な威力を孕んで迫る鈍器にエオスは焦った様子も見せず、空中で体勢を変え、天井を蹴りつけて軌道を変える。ハンマーが空を切り、地面へと方向を変えたエオスは、地に足を着くやバウンドしたようにトール脇を駆け抜けた。

 あまりに人間離れした三次元的な機動力。しかし、それすらも読んでいたケインが鮮やかな青色の燐光を帯びた両手剣を振り下ろす。

 システムアシストによる加速と命中補正を付与された刃は、完璧にエオスを捉えていた。白い影が何の抵抗もなく真っ直ぐに断ち切られる。

 剣が切り裂いた白い影は、直後何の痕跡もなく唐突に消え失せた。

 

「残像だと」

 今ではギャグマンガでしか聞かないそんなセリフをケインが零したのは、無理もないことだった。それ以外に今見た事象を表現する言葉は浮かばない。エオスのアバターに刃が届いたかと思った直後に、当人は傷一つ無く短剣を振り切った姿勢で部屋の中央まで移動していたのだ。

 冷静に考えれば、突進系ソードスキルのアシストで加速し、ケインの攻撃を躱したのだろう。そうわかっていても、信じがたい速度だ。剣が真っ直ぐ振り下ろされたということは、ソードスキルの命中補正で追いきれなかったのではなく、速すぎてシステムアシストが対応できなかったことになる。しかも、ソードスキルを発動したのは、ケインの攻撃が始まった後だ。

 

 敵として相対したことで、今更になって気付かされた。アインクラッド最速と称される彼女のスピードは、すでにゲームシステムの限界に近い領域まで高められている。回避能力は、もはやゲームバランスを逸脱したレベルと言えるかもしれない。

 コンマ数秒に満たない短い技後硬直が解け、部屋を出ようとするエオスの前に、アルスは立ち塞がって力強く叫んだ。

「俺と賭けをしろ!」

 一瞬懐疑的な表情を見せるも、エオスは返答せずにこちらの隙を伺っている。

「みんな少し待ってくれ」

 今度は走り寄るエデン、トール、ケイン、アラシ、エルドラに向けて言った。

「頼む。少しだけ話をさせてくれ」

 アルスが再度声を上げ、五人は不満そうな言葉を漏らしながらも足を止めた。とはいえ、警戒を解くことはせず、距離をとりながらもいつでも攻撃できるように武器は構えられたままだ。

 

 話している間は攻撃されないと判断したようで、エオスがようやく言葉を返す。

「賭けってどういうことかしら。そんなことをしてる暇があったら、とっとと逃げるわよ」

「ここで逃げたところで、俺たちが証言すれば攻略組にお前の居場所はない。残されているのは、お尋ね者として逃げ続ける未来だけだぞ」

「まぁ……そうかもね。なら、賭けに勝ったら私を見逃してくれるとでも言うのかしら」

「そうだ」

 アルスの発言に、その場にいた者たちは唖然として警戒を緩めてしまった。逃げる絶好の機会だっただろうが、エオスも惚けていて動くことはできなかった。

 彼らを置き去りにして、アルスは宣戦の言葉を放つ。

「互いに半端な結果で終わるより、白黒ハッキリさせよう。お前が勝ったら、今日聞いた話は口外しないと誓う。俺が勝ったら、一生をかけて罪を償え」

 

 

《続く》

 




キャラ紹介

アラシ
Player name/Arasi
Age/14
Height/144cm
Weight/41kg
Hair/ Scarlet Short
Eye/Pale green
Sex/Male
Guild/Prometheus

Lv81(二十一話時点)
修得スキル:《両手用槍》《索敵》《疾走》《投剣》《軽金属装備》《採掘》《暗視》《所持容量拡張》《識別》《応急手当》《武器防御》

 リョーコの生産職転向を契機にリデルと知り合い、プロメテウスで生産用の素材を収集する戦闘班で腕を磨き続けた。現在では実力を認められ、他の年長者に支えられながらリーダーを務めている。レア素材入手のために最前線でも戦っており、攻略組と遜色ない戦闘力を持つ。



エルドラ
Player name/Eldora
Age/20
Height/182cm
Weight/62kg
Hair/ Yellow Short
Eye/Yellow
Sex/Male
Guild/Nibelunge Ring

Lv80(二十一話時点)
修得スキル:《片手棍》《隠蔽》《軽業》《解錠》《鑑定》《罠解除》《交渉術》《疾走》《所持容量拡張》《武器防御》《駿足》


 フロアボス戦を他のギルドに任せ、宝箱を開けるプレイスタイルを現在でも継続して続けている。しかし、罠や隠し部屋を見つけて隅々まで迷宮区を踏破していくため、マッピングデータ提供の功績は全ギルドの中でもトップレベル。ただし、ソロで身軽に動くキリトにはやや劣る。
 不要な戦闘は極力避ける主義だが、迷宮区の宝箱を誰よりも早く開けられるようにと、最前線で活動するに十分なステータスを持っている。

スキル解説

採掘:鉱脈で採掘する際に、鉱石の産出数、鉱石の質を向上させる。スキルがなくても鉱脈の採掘は可能だが、ごく稀にスキル無しでは掘れない鉱脈も存在する。

交渉術:交渉の言葉を口にすることで、NPC相手に商品の購入をするときには安く、売却するときには値を釣り上げることができる。口下手なプレイヤーであっても、決められたワードを口にできさえすれば、スキル熟練度に応じて値段は変動する。当然ながら、プレイヤー相手では何の効果もない。


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第二十二話 命を絶つ者

 こいつは何のために存在しているのだろう。
 そんな風に思う人間を今まで何人も見てきた。いても世の役に立たない、いやむしろ存在するだけで害悪になるような連中だ。スカベンジャーや他の生物の餌になる役割がある分、ハエやゴキブリといった害虫の方がまだ有益だろう。

 この世界でも同じような奴らが蔓延っていた。私たちが戦っている間、のん気に遊んだり他の人にたかるような連中だ。姿が見えなくても、存在するというだけで気分を害するあいつらは、勝手に殺しあっていなくなればいい。

 生きてこの世界から出られるのは生きるために自らを鍛え、命をかけてきた者たちだけでいい。それが道理というものではないか。

 それなのに、なぜ私は私が守ろうとした人たちに武器を向けられているのだろう。



二〇二四年八月二十七日深夜

 

 アルスが勝てばエオスは自ら罪を認め、その罪を償う。

 エオスが勝てばこの場にいる全員がラフコフとの件を口外しないと約束する。

 唐突なアルスの提案に、ケイン、エデン、トール、アラシの四人は一瞬警戒を緩めてしまう。逃走の隙に気づかないまま、エオスは怪訝な表情を浮かべ問いかける。

 

「どうしてそんな賭けを? あなたたち全員で私を捕まえれば終わりじゃないの」

 

「六人がかりで鬼ごっこするより、一対一でも真正面から斬り合う方がまだ確率が上だ。さっきの攻防でそう確信した」

 

「へぇ、でもあなたたちが口を噤んでくれる保証は?」

 

「そうだな……エルドラ、結晶をよこせ」

 

 遠巻きに状況を見ていたエルドラが懐から八面柱型のライトグリーンの結晶を取り出し、不服そうな顔でアルスに投げ渡した。

 

「こいつにはさっきまでの会話がすべて録音されている。俺が負けたらこいつを渡す。それで納得してくれないか」

 

「…………まあ、いいわよ」

 

 録音結晶を一瞥し、エオスは小さく首肯する。この結晶がアルスらの証言を補強する唯一の物証であることを、彼女もすぐに理解した。これを奪いさえすれば、仮に約束を違えることがあったとしても、白を切ることができる。

 

「ルールは初撃決着。装備品以外のアイテムは使用不可でいいな」

 

「構わないけど、半減じゃなくていいのかしら。初撃じゃ一瞬で勝負が着いてしまうわ」

 

「半減じゃ、お前を殺すかもしれないだろ」

 

 条件が決まり、アルスがメニューからデュエル申請のウィンドウを開く。

 

「アルス。本気でやるつもりなのか」

 

 両手剣を構えたまま、兜越しにケインが声を張り上げる。

 

「お前一人で背負わずとも、ここで捕らえればいいことだ。なぜ、デュエルで決める必要がある」

 

「言っただろ。おそらくエオスが逃げに徹すれば、俺たちは触れることすらできない。だが、直接切り結ぶなら勝ち目がある」

 

「しかし、別にお前がやらずとも……」

 

「これは俺が始めたことだ。それにベータでエオスに勝ったのは、この場にいる中じゃ俺だけだ」

 

 アルスの意思を感じ取ったのか、ケインはそれ以上言葉を発しなかった。アルスがデュエルの申請を送り、すぐさまエオスによって受諾され、六十秒のカウントダウンが始まる。

 アルスが構えるのは黒色の刃を持つ大型の両手剣。

 対してエオスの武器は、逆手に握った白銀の短剣。

 防具はアルスが黒色で統一した金属鎧。

 エオスは真っ白な革製のつなぎのみ。

 二人の姿は互いの考えを示すかのように、あまりに対照的だった。

 

「さっき私に勝ったと言ったけど、戦績は確か一勝一敗だったはずよね」

 

「勝率五割なら、賭けるには十分だ。ここで勝ち越して決着をつける」

 

「さっさと終わらせて、帰らせてもらうわ」

 

 カウントダウンが十秒を切る頃には言葉の応酬が終わり、アルスはエオスの姿勢や動きに集中する。

 一秒前、エオスの短剣が光を帯びた直後、その姿が消えた。

 カウントダウンが終了し、DUELの文字が閃いた瞬間、ギンッと音を立てて二人の剣が交差する。エオスの短剣突進技《ラピッド・バイト》を、アルスが正眼に構えていた剣を体に寄せて首筋を守り受けとめていた。

 

 ソードスキルの余勢が無くなり、エオスの剣から力が抜けるや、アルスは脇を締めたまま両手剣を振り抜いた。エオスは大きく下がって躱し、さらに距離をとる。

 再びダッシュの姿勢からエオスの手元で光が瞬く。そこから一呼吸する間もなくアルスとの距離が詰められた。剣を纏う光が尾を引き、ナーブギアの描画エンジンが追いつかないのかエオスの白い姿がぶれる。

 エオスの戦いを見たプレイヤーたちは、彼女にある二つ名を献上した。高速の剣技によって瞬く間に光の帯を生み出すアスナの閃光に対し、剣だけでなく自らの体すらも光の帯へと変えて突き進むエオスの二つ名は……流星。

 高速の一撃離脱戦法(ヒットアンドアウェイ)。対人においてエオスが最も得意とする戦い方だ。

 特化させた敏捷性をスキルや装備によってさらに伸ばし、スキルmodで技後硬直を限界まで短くすることで、ほとんど動きを止めることなく攻撃し続けることができる。

 

 その速さは目で追うことが困難なほどだが、アルスは全ての攻撃を防いでいた。

 攻撃を防ぐことができた理由には、初撃決着というルールが関係している。

 初撃決着は相手のHPを半減させるか、攻撃をクリーンヒットさせることで勝利となる。このクリーンヒットの定義というのは、どのように攻撃が当たったかではなく、一撃で総HPの一割以上を減らしたかで判断される。

 極端なことを言えば、防御力の高いフルプレートをまとった高レベルプレイヤーに低レベルのプレイヤーがどんな攻撃をしても、クリーンヒットによる決着は起こらないことになる。

 アルスとエオスではそこまでの差はないが、鎧に覆われておらず、なおかつ急所となる目や首を狙わなければ、勝負が決するほどのダメージを与えることは難しい。どれだけ速くとも顔を狙われると分かっていれば、防御することは難しくない。

 

「ッ…………」

 

 だが、幾度かの攻防の後、このデュエルでのファーストアタックが決まった。

 

「頭ばかり守って、足元がお留守よ」

 

 エオスがアルスの足元を駆け抜け、すれ違いざまに腿を切りつけたのだ。ダメージはわずかだが、攻撃後に距離を取れるためカウンターを受けにくい手堅い一手だ。

 同じパターンでさらに腕や足を斬りつけられるが、アルスは防御の姿勢を変えようとはしなかった。もし、わずかなダメージを気にかけて頭部の守りを疎かにしてしまえば、その瞬間に勝負が決する。トールやケインのように力で守りを打ち破るのではなく、様々な攻撃パターンを駆使し、守りを相手に崩させる。それがエオスの戦い方だ。

 守りを崩さなければ、クリーンヒットを受ける危険はほぼ無い。かといって、このまま攻撃を受け続ければ、HPが半分を切り敗北する。

 アルスの両手剣ならば、ソードスキルでない通常攻撃でも勝負を決めるだけのダメージを与えることが可能だが、闇雲に剣を振ってもまず当たらない。確実に攻撃が当たる状況をアルス自ら作り出さなければ、勝機は訪れない。

 

 一条の光芒と見紛うようなエオスの動きに必死に追随し、背後を取られぬようアルスは素早く振り返る。それと同時に持っていた両手剣を手放した。

 両手剣のような大型武器は、投剣スキルのアシストを受けることができない。そもそもアルスは投剣スキル自体修得していないので、単に放り投げただけの状態だ。しかし、エオスが急制動をかけて動きを止めていたこと、両手剣の長さなどの要素が組み合わさった結果、剣は回転しながらエオスに迫って行った。

 回避は間に合わないと判断し、エオスは飛んできた両手剣を短剣で防ぐ。ダメージは発生しなかったが、大型武器の重量による衝撃までは防げず、エオスの体は瞬間的なスタン状態に陥る。

 その間にアルスはメニューウィンドウを開き、クイックチェンジのショートカットアイコンをタップ。右手に出現した新たな武器を握り距離を詰める。アルスの右手に現れたのは、長めの刀身と柄を持つ投げつけた両手剣に比べればはるかに華奢な銀色の長剣。それを右肩の上で構えると、刀身がライトブルーのエフェクトに包まれる。

 

「ハアァッ」

 

 片手直剣単発技《スラント》。システムアシストによって加速された右上からの袈裟斬りが、クリティカルポイントである心臓を狙う。しかし、剣が命中する直前、エオスのスタンが解除され、地面を蹴りつける。

 エオスの体が弾かれたように後方へ跳び、アルスの剣が振り下ろされた。

 二人の間に血しぶきに似た赤色のパーティクルが浮かぶ。

 エオスの胸元にあるダメージ痕からこぼれたその量はごくわずかで、剣は心臓までは達さず、切り裂いたのは豊かな胸の膨らみだけだった。

 削れたのは総HPの二パーセント程にもかかわらず、エオスは胸の傷を見て顔をしかめる。

 

「両手剣を放り投げた上に、片手剣で攻撃するなんて。あなたらしくないわね」

 

「なりふり構って勝てる相手じゃないからな。お前は」

 

「そう……けど、そんな戦い方じゃ私には勝てない」

 

 再び始まるエオスのヒットアンドアウェイ。アルスは左手を刀身に添えて剣を構え、頭部の防御に徹する。

 エオスは攻撃を受けるリスクをさらに下げるため、隙が生じるソードスキルの使用を避け、通常攻撃で装甲が薄い箇所を狙い、ダメージを蓄積させる戦略に切り替えた。速度は落ちたが全く動きを止めないエオスに対し、反撃の隙を見出せないまま、アルスのHPはジワジワと削られていく。

 

 残りHPが六割に迫ってきたところで、アルスは攻撃して下がるエオスを追った。それまで防御に使っていた剣で逆袈裟斬りを放つ。

 当たりさえすれば勝負を決したであろうその攻撃を、エオスは高速のバックステップで余裕を持って回避する。そして、地に足が着く前にソードスキルの予備動作を起こし、エオスのアバターに不可視の推力が与えられ、一筋の白い彗星と化す。現実ではまず起こりえない飛行にも似た動きで、無防備となったアルスの首元目掛けて短剣を突き出した。

 短剣が突き刺さると同時にクリティカルヒットを表す激しいライトエフェクトが瞬き、アルスのHPゲージがこのデュエル中最も大きく削られる。

 

 赤い光に照らされるエオスの顔に浮かぶのは、歓喜ではなく驚愕だった。

 エオスの短剣は首ではなく、その前に掲げられたアルスの左腕に突き刺さっていた。

 先ほどのクリティカルヒットは、真クリティカルと呼ばれる偶発的にダメージが増加する現象だった。ダメージは大きくなったが総HPの一割には達しておらず、残量もまだ半分を切っていない。デュエルはまだ続いている。

 

「これで……終わりだ」

 

 アルスは振り下ろしていた右手の剣を突き上げる。

 空中でソードスキルを発動したせいで、エオスは地面から足が離れた状態。深く刺さった短剣を抜いて回避行動を行う前に、アルスの剣が心臓を貫く…………はずだった。

 エオスは短剣が左腕に阻まれたと認識するや、武器を手放していた。

 短剣から手を離すことで、本来なら短剣をより深く突き刺すために使われるはずの運動エネルギーが、エオスの体を前へ進めるだけのものに変わる。エオスは体を反らし、向きを微調整し、アルスの剣を躱しつつ脇をすり抜けていった。

 ソードスキルの途中で武器を手放したことでスキルが強制終了し、エオスの体が硬直する。しかし、短剣スキルをコンプリートする過程で硬直時間を短縮し続けた結果、システムが与えた運動エネルギーが尽き、滑り込むような体勢で着地した頃には硬直が解けていた。

 

 アルスは左腕を強く振って短剣を抜き、右手の剣をテイクバック。片手直剣水平斬り《ホリゾンタル》を発動する。

 起き上がりかけていたエオスは、アルスの攻撃に気づくと再び地面に倒れこんだ。遅れて落ちる長い髪が切り裂かれたことを気にかけず、体勢を低くしたままアルスの後ろへと移動する。

 剣を振り切った状態では片手剣使いにとってほぼ死角となる右後背。地面に落ちていた短剣を拾い上げ、決着をつける最後のソードスキル短剣重単発技《ヴォーパル・ファング》の予備動作を取る。硬直はやや長いが、短剣スキルでは最大の威力を誇る一撃。たとえ鎧で防がれてもアルスのHPが半分を切るのに十分なダメージが徹る。

 勝利を確信して、エオスは背を向けているアルスに襲いかかった。

 

 

 背後から向けられる獰猛な視線を感じて、アルスは自分の読みが当たったことを確信する。

 過去二度の対戦でも、エオスはトドメを刺すときに背後から急所を狙ってきた。そしてこれは、二度目の対戦の再現だ。

 ホリゾンタルが終了し、光が霧散した剣の柄にアルスは左手を添えた。

 右手一本で持っていた剣を両手で握りしめた瞬間、刀身から緋色の閃光が迸る。システムが再びアルスの体を加速し、高速で反時計回りに回転させた。

 一瞬で後ろを向いたアルスの視線が、純白の牙を突き立てようとするエオスとぶつかり合う。

 眼前に迫る牙の先端から目を逸らさないままアルスは剣を振り切り、真一文字に緋色の一閃を描く。その刹那、超新星爆発の如き赤色の輝きが二人の顔を照らし、直後一人が苦悶の表情を浮かべながら強烈なノックバックによって吹き飛ばされる。

 

 ゆっくりと落下するアバターの頭上に浮かぶHPゲージは、その色をグリーンからイエロー、そしてレッドへと変化させ、わずかな量を残して止まった。

 アバターが地面に落ち、ドサッと音をたてる。

 短い静寂の後、二人の間に巨大なデュエルのウィナー表示が出現した。

 

《Winner is Alus》

 

 

 

 

 

 自分の名前が記されたシステムウィンドウを一瞬見やってから、アルスは剣を収めた。周囲で今まで戦いを見守っていた五人が、急いでエオスに駆け寄る。その手には武器が握られており、デュエルが終わっても警戒を緩めていない。

 五人はエオスを取り囲み、アラシの槍やケインの剣が突きつけられた。エオスは大ダメージによるスタン状態に陥っており、未だに身動きができない状態だったが、仮に動けたとしても逃げることはできなかっただろう。

 

「みんなありがとう」

 

 アルスがエオスの逃走を先んじて防いだ五人に言うと、ケインが剣を構えたまま訊いた。

 

「アルス、お前さっきのどうやったんだ?」

 

「さっきのって、何のことだ」

 

「とぼけるな。最後に使ったソードスキルは、両手剣の《バックラッシュ》だろ。片手剣でどうやって発動したんだ」

 

「ああ、それは……」

 

「その剣、本当は両手剣でしょう」

 

 アルスが種を明かす前に、ロングバトンを振りかぶったエルドラが答える。

 

「片手剣にしては少し長いと思っていたんですよ。それは両手剣。いや、バスタードソードと言った方がわかりやすいですね」

 

「さすがにお前は騙せなかったか。そう、これはバスタードソード。つい最近手に入れた一振りだ」

 

 バスタードソードとは現実に存在した両手剣の一種であり、中級以上の両手剣の名称として数多のRPGで登場する。現実のバスタードソードの形状は諸説あるが、ゲーム世界のフレーバーテキストには共通して、片手でも扱えるように設計されたと記されている。

 その設定が反映されたためかSAOのバスタードソードは、両手剣スキルと片手直剣スキルの両方を修得していないと扱えない代わりに、片手直剣のソードスキルを発動できる特性を持つ。

 油断なく槍を向けたまま、アラシが細い銀色の刃をちらりと見る。

 

「そんな業物よく手に入ったな。バスタードソードは使い手が少ないからプロメテウスでも造らないし、滅多に市場にも出回らない武器だぞ」

 

「これは……造ってもらったんだ。仲間の遺品を使って」

 

 エリスから受け継いだ片手剣と投槍は、軽すぎてアルスには使いこなせない武器だった。それでも彼女と共に戦いたいという思いから、二つの武器を鋳潰して合わせ、一本の両手剣にするようリデルに依頼した。

 両手剣としては軽い素材を使ったために、エリスの武器は銀色のバスタードソード《ルシード・ブレード》へ生まれ変わった。

 

「無駄話はそこまでにしろ」

 

 いつでも頭を叩き潰せるようハンマーを掲げているトールが叱責し、続いて侮蔑のこもった眼で足元のエオスを見下ろす。

 

「おい、もうとっくに動けるんだろ。エオス」

 

「…………少しでも動いたら殺す気だったくせに」

 

 エオスは苛立ちを隠さずに言うと、首を動かさずにアルスへ目を向けた。

 

「まさか、あんな騙し打ちで負けるなんて。随分卑怯な男に成り下がったものね」

 

「どんな手を使ってでも、お前に勝つつもりだったからな。自分の戦闘スタイルに自信を持つエオスなら、隙を見せれば絶対に食いついてくると信じてたよ」

 

「へー、でもそんな戦い方は、フロアボス相手には何の役にも立たないわよ」

 

 エオスはアルス以外の面々にも目を向けてから続ける。

 

「あなたたちも五十層のフロアボス戦で気づいたでしょう。このゲームはヒースクリフのようなユニークスキルを持つプレイヤーがいる前提で、バランスが組まれているの。七十五層のボス戦で攻略組が死者を出さないためには、一人でも多くのユニークスキル所持者が必要なの。そのためには、足手まといでしかない低層の連中は一人でも少ない方がいいのよ」

 

 エオスの言葉を、周りの六人は冷ややかな目を向けながら聞いていた。自分に向けられたままの武器を見て、誰一人として賛同する者がいないと悟ったエオスは、ヒステリックに叫ぶ。

 

「なんでこんな簡単なことを、みんな理解できないの!」

 

「逆に訊くが、他人を簡単に切り捨てられる人間は、誰からの信用も得られない。こんな簡単なことをどうして理解できないんだ」

 

 アルスの言葉にエオスは一瞬体を起こしかけ、アラシの槍に押さえつけられる。

 

「ファンが自分のために戦ってくれるお前には、わからないのかもしれないな。自分にとって不要な人は死んでも構わない。という考え方は一見すると合理的だが、その不要な人は他の誰かにとっては大切な人かもしれないんだ。お前の考えを認めたら、自分にとって大切な人が切り捨てられることを覚悟しなきゃならない。だから、俺たちがお前の考えを受け入れることは絶対にない」

 

 槍に抑えられたまま話を聞いていたエオスは、妖しげな微笑を浮かべた。

 

「あなたたちだって、ラフコフの奴らを殺したくせに」

 

 ズガンッ

 

 落雷のような轟音の発生源は、エオスの頭のすぐ横に叩きつけられたハンマーだった。

 

「詭弁を語るな。貴様はこの世界で一体何を見てきたんだ」

 

 トールは怒りをあらわにしながら、ハンマーをゆっくり構え直す。その間にエデンが盾をストレージに入れ、代わりに回廊結晶を取り出した。

 

「先日の作戦で使わなかった予備の結晶だ。黒鉄宮の牢獄でしっかり反省してこい」

 

 自分を牢獄へ連れ去る結晶を目にしてもなお、エオスは微笑を崩さない。

 

「私の話を聴く気は無いようね。アルス、あなたとの賭けはちゃんと守るわ。でもね、死ぬまで牢屋に居るような生き恥をさらすような真似は御免なの」

 

 その言葉を聞いて全員が得物の握りを確かめる。直後、短剣を握るエオスの右手が動き出した。

 反応した五人はエオスの右肩、右腕、左腕、右足、左足に武器を振り下ろす。だが、そのいずれもがエオスを傷つけることはなかった。

 アルスとの戦いでわずかに残ったHP。彼女の儚い命の灯し火。それを余さず奪ったのは、右胸に突き立てられた彼女自身の短剣だった。

 アルスはとっさに腰のポーチから回復結晶を取り出そうとしたが、すでにHPが尽きたものには効果がないと気づき手を止めた。目の前にある全身真っ白なエオスの体が、透けているかのように稀薄な存在に映る。

 

「じゃあね。みんな。あの世で先に待ってるわ」

 

 最期の言葉を残し、アバターが煌めく青い欠片に変わる。

 周囲で光源代わりとなっている虹色の鉱石が放つ光を浴びながら、上へと立ち昇っていく命の残照は、まるで自分たちを隠り世へ誘うような美しい極光の揺らめきだった。

 

 

 

 

 

 

 

「六人で話し合った結果、エオスがPoHに協力していたことは公表しないことになった。証拠の録音はあるが、脅して言わせたとアウローラの連中に疑われると余計な諍いを生む。それがなくても公表したら混乱や攻略組への不信を生むだけで、大したメリットがないと判断した」

 

 アルスの報告にリデルは顔を俯かせた、

 

「そう……なんだか後味の悪い結末になったわね」

 

 エオスの死後、今回の始末について話し合ってから、それぞれ自分のギルドに帰って行った。ただ、エルドラとアラシはアルスの依頼でオレンジになっていたので、二人で贖罪クエストを受けに行ったため、アラシの代わりにアルスが二人の変装用装備などを用意してくれたリデルへと報告をしにプロメテウスのホームへと来ていた。

 

「元から、 すっきりした終わり方になるとは思ってなかった。けど、エオスが考えを改めてくれて、他のみんなが認めてくれるなら、これからも一緒に戦い続けられたんじゃないか。って少しだけ考えてた」

 

「そうね。ゲームをクリアしたいという彼女の意思は私たちと変わらなかったし、今までずっと、死線をくぐり抜けてきた仲間だもの」

 

「残るはPoHを見つけるだけになったわけだが、エオスはやはりPoHの居所を知らないようだった。知っていたなら自分で捕まえに行っただろうし、あんな作戦にも引っかからなかっただろうしな。リデルの方は、何か変化あったか」

 

「いいえ、こっちも何度か確認したけど位置追跡はできないまま……」

 

 そう言いながらメニューを開いたリデルが、とある一点を見て動きを止めた。そして、凄まじい勢いでウィンドウをタップし始めた。

 手の動きから何をしようとしているかアルスは朧気に理解したが、その意図までは計り兼ねた。

 数十秒後にリデルが最後のボタンに触れると、周囲に各種ポーション、結晶類をはじめとした、大量のアイテムが出現する。先ほどまで行われていたのは、アイテムストレージの奥深い階層にある所有アイテム完全オブジェクト化の操作だった。

 リデルは出現したアイテムを見ると、落胆と驚愕に満ちた表情を見せた。

 

「PoHが……一部のアイテムを持ったまま離婚した」

 

「なに! だが、一方の操作だけで離婚するためには、ストレージ内のアイテムの全権利を放棄する必要があるんじゃないのか?」

 

「もしかしたら、誰か協力者がいて、アイテムを一旦譲渡したのかも。それなら、離婚後も協力者の手元にアイテムが残ったままになるから」

 

 可能性としては否定できないが、ラフィン・コフィンの全団員の切り捨てたPoHに、まだそんな仲間がいるとは考えにくかった。とはいえ、すでに離婚が成立しているの事実で、彼女のフレンドリストからもPoHの名前はすでに無くなっていた。

 

「つまり、もう位置追跡はできないということか」

 

「ええ、これで私も用なしね」

 

「ああ……でも、心配するな。たとえPoHに協力していたことを明かしても、さほど大きな罪に問われることは無いだろう。もしリデルが望むなら、俺も今回のことは誰にも話さないよ」

 

「いいえ、私だけ何のお咎めなしというわけにはいかない。けど、あなたが情けを与えてくれるなら、一つ頼んでもいいかしら」

 

 そう言いながら、リデルは再びメニュー画面に手を触れた。続いて、目の前に現れたウィンドウ見て、アルスの表情が一瞬でこわばった。

 

「私を殺してくれない?」

 

 それは数時間前にアルスからエオスへ送ったものと同じ、デュエルの申請画面だった。

 

 

 

 

「まさか、エオスが死んだからって、自分も命で償おうとか考えてるんじゃないよな」

 

「いいえ、前から決めていたの。もし離婚出来た時は自殺しようって」

 

「なんでだよ。ようやく解放されたんだぞ、死ぬ必要なんて……」

 

「私は!」

 

 たった一言でエオスに気圧され、アルスは口を閉ざした。

 

プロメテウス(うち)の子たちに、ラフコフに協力していたなんて知られたくないの。最後までみんなのリーダーとして、綺麗な思い出のままにしておきたいの。だから、ここで私を斬って、すべて忘れて」

 

「……ふざけるな。そんな頼み聞けるわけがないだろ」

 

 アルスがどうにか言い返すと、リデルは近くに落ちていた回廊結晶を拾い上げた。

 

「だったら、これを使うしかないようね。PoHにはもう不要なアイテムだと思って、昨日のうちにアインクラッドの外周近くで位置セーブしておいたの。できれば、自殺を疑われる高所落下は避けたかったけど」

 

「やめろ。リデル、残された奴らがどれだけ悲しむか、考えたことはあるのか。突然仲間を失った人間の気持ちが、お前に」

 

「あの子達を悲しませたくはないけど、私がやってきたことを知れば、みんな悲しむことすらなくなって、軽蔑の眼差しを向けてくる。そんなことに私は耐えられない。そうなるくらいなら、何も知らないまま、二度と会えない方がいい」

 

 リデルが右手で握りしめた回廊結晶を掲げる。

 

「今すぐデュエルを受諾して。受諾しないなら、すぐに転移して飛び降りる」

 

「わ、わかった」

 

 アルスはすぐにメニューを操作して、デュエルを受諾した。選択したのは、デスゲームになってからは一度も行ったことがない完全決着モード。

 

「どうしたの? 早く剣を抜いて」

 

 まだ五十秒以上時間があるにもかかわらず、リデルに急かされてアルスは黒色の両手剣を抜剣する。

 

「その剣も私が鍛えたものね。確か銘は《終決の剣(ターミネート・ソード)》。最後を飾るのにふさわしい剣」

 

「そうだったな」

 

「できれば、一撃で決めてくれるかしら。今着てるのはただの服だから、難しくないはず」

 

「ああ」

 

 アルスは生返事をしながら、剣を大上段に振りかぶる。

 

「私が死んだ後、アラシたちのことをよろしくね。あの子戦闘班のリーダーだって、張り切ってくれてるけど、まだ子供だから心配なの」

 

「ああ」

 

 リデルの言葉を聞きながら、アルスは悟られないようにしつつ、回廊結晶が握られた右手に集中していた。

 両手剣の一撃を防具無しで受けたとしても、切られたのが手足であればリデルのレベルなら即死は免れる。右手を切り落とし、回廊結晶を手放して、メニューの使用も封じれば、自殺を防ぐことができる。

 

 ここで死なせたりはしない。

 情けなどかけない。リデルが望まない延命という形で、裁きを与えてやる。

 それでお前の目を覚まさせてやるよ。プロメテウスの奴らは、そんなことで幻滅したりしないって気づかせてやる。

 

 カウントダウンが残り五秒を切り、アルスはソードスキルの初動モーションをとった。

 発動させるのは、両手剣スキルで最大の威力を誇る単発技《グレイト・フォール》。剣を纏う紅蓮の輝きが、二人の体を照らす。

 手加減していると思われないために選んだスキルだが、体に当たれば即死級のダメージとなる。殺さないためには、右腕だけを切り落とさなくてはならない。

 

 残り三秒。

 

「コリドー・オープン」

 

 リデルの声と同時に結晶が砕け、背後に光の渦が現れた。

 表情を凍らせたアルスに、リデルが微笑みかけてくる。

 

 読まれていた。

 こっちに殺す気がないことを、自分が自殺を止めるように動いていたことを。おそらく、最初から……

 

 カウントダウンが終わり、デュエルが開始される。

 

「さよなら」

 

 その言葉を最後に、リデルは後ろにある光の渦に向かって跳んだ。

 

 

 

 

 

 その日の朝、リデルと連絡が取れないことに気づいたプロメテウスのメンバーは、急いで捜索隊を編成した。

 捜索隊はリデルが行きそうな鉱山系のダンジョンへ向かったが、念のため黒鉄宮へ行った団員の報告によって、捜索が終了する。

 

 

 Ridder 死亡日時 八月二十八日 四時二十二分。死因 斬撃属性ダメージ。

 

《続く》




エオス
Player name/ Eos
Age/24
Height/161cm
Weight/47kg
Hair/White Long
Eye/Silver
Sex/Female
Guild/Aurora

Lv83(最終ステータス)
修得スキル:《短剣》《隠蔽》《索敵》《軽業》《疾走》《瞑想》《耐毒》《革装備》《聞き耳》《応急手当》《駿足》


リデル
Player name/Ridder
Age/37
Height/164cm
Weight/55kg
Hair/ Red Long
Eye/Red
Sex/Female

Lv75(最終ステータス)
修得スキル:《両手鎚》《長柄武器作成》《片手武器作成》《金属防具作成》《鑑定》《金属細工》《料理》《所持容量拡張》《採掘》《騎乗》


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第二十三話 狂気を抱く者

 なぜ俺は、あいつのことをこんなに思っているのだろう。
 きっかけは覚えている。初めて計画を邪魔され、どんなやつなのか興味を抱き、その次もまた邪魔をされたので始末しようとしたが殺せなかった。あれ以来、どうすればあいつを殺せるのか、どうすればあいつを絶望させられるのか、どうすればあいつを俺と同じようにできるのか、そんなことばかり考えていた。

 他にも面白い奴はいたが、あいつは格別だった。くだらない人生の最期を少しでも楽しもうとしていた俺に、あいつは希望と喜びを与えてくれた。

 増えすぎた仲間を管理するために、今まであいつと遊ぶことができなかったが、それも今日で終わりだ。初めてあいつと会ったこの場所で、俺はついに自由を取り戻す。



二○二四年八月二十八日早朝

 

 トットットットッ。

 黒いポンチョをはためかせながら、一人の長身の男が薄暗い地下トンネルを走り抜けようとしていた。道を阻もうとするアンデッドモンスターを邪魔くさそうに短剣で斬り伏せ、足を止めずに地上への階段を目指す。

 階段を駆け上がり、朝日が差し込む出口が目に入ると、男はニヤリと笑みを浮かべて一層足を速めた。とある理由から陽の下を歩けなかったことが、彼自身が思っていたよりも苦痛だったらしい。

 別に仮想の日光などが恋しいわけではない。あの光は久しぶりに得た自由の証だ。

 自分を拘束していた契約や重荷がなくなり、これからは自分が望んだままに動くことができる。ようやく、あいつと遊ぶための準備が始められる。

 喜びのあまり飛び跳ねそうになる足を抑えながら、朝日に照らされたフィールドへと飛び出した。

 

 数日ぶりの太陽の下で彼が最初に目にしたのは、自らに襲いかかる陽の光を反射しない漆黒の刃だった。

「What`s ?」

一瞬で男の顔が驚愕に染まり、瞬時にアバターへ回避の指令を送る。高い軽業スキルの補正が超人的な身体能力を発揮させたが、刃の切っ先は男に届くや多くの命を奪っていった。

 体に刻まれたダメージ痕を一瞬見た後、男は自分を殺そうとした者へ視線を移し、わずかに口角を上げた。

「驚いたぜ。どうして、アンタがここにいやがるんだ? イカロスの翼のリーダーさんよぉ」

 

剣を構え直しながら、アルスは冷たい声で答える。

「お前を捕らえるために決まっているだろ。PoH」

 

 

 

 

 剣を向けるアルスにひるむ様子を見せず、口籠ったような表情でPoHは黒いダガーを構えた。

「あー……日本語って、こういう時伝わりにくいんだよな。なんで俺がここにいるってわかったのかを訊きたかったんだが」

「答える義理はないな。少しは自分で考えてみたらどうだ」

 

 

 

 

 

 十分ほど前、家主がいなくなった部屋の中で、アルスは床に散乱した大量のアイテムを拾い集めていた。初めは部屋にある収納チェストに入れていたのだが、空容量が思いの外残っておらず、入らない分は自分のストレージに詰め込んだ。

 まるで拾い(ルーター)Mobにでもなったようだ。

 そんな考えがよぎった瞬間、脳裏でカチリと何かが噛み合わさるような音が響いた。

 

 PoHが離婚時に一部のアイテムを持って行けたのは、他のプレイヤーに一時譲渡したためだと推測したが、その相手は必ずしもプレイヤーに限定されない。所有権を移すだけなら、モンスター相手でもできる。

 強奪(ロビング)スキルを持つルーターMobは、アイテムを拾った瞬間にその所有権を自らのものとする。ルーターMobが出現する場所でアイテムを放置しておけば、さして時間をかけずに所有権の変更が可能だ。拾われたのを確認してから離婚し、あとは拾ったモンスターを自分で倒せば、一方的な離婚でも自分が望んだアイテムを奪える。

 

 もしこの方法をPoHが使ったのだとしたら、今どこにいるか推測できる。

 この方法が使える場所は、かなり限定される。まずはルーターMobが出現するダンジョンであること。フレンド追跡を避けるために、追跡不可なダンジョンを選ぶのは確実だろう。

 次に犯罪者(オレンジ)プレイヤーでも容易に出入りできる場所であること。街や村を通らなければならない場所や、面倒なギミックが施されたダンジョンは避けるはず。

 最後に他のプレイヤーが来ず、アイテムの回収を容易に行える場所であること。他のプレイヤーに見られないのはもちろん、モンスターを倒されることも避けなければならない。加えて、モンスターのレベルはできるだけ低い方が安全になる。ここから、すでに探索し尽くされた低階層のダンジョンだと推測できる。

 これらの条件を全て満たす場所が、第五層主街区《カルルイン》の下に広がる地下墓地ダンジョン。オレンジではカルルインに入ることができないので、出入りには外へと繋がっているトンネルを利用するしかない。

 そう推理してトンネルの出口近くにある村《マナナレナ》へと転移し、PoHの存在を確認しに来た。到着の直後にPoHが姿を見せたため、とっさに攻撃したのは少々予定外だったが。

 

 

 数秒考え込んだが、PoHはその答えにたどり着くことはできなかった。

「……わからねぇ。是非とも教えて欲しいな」

「教えるのは構わないぞ。ただし、教室は牢屋の中だがな」

「ハッ、だったら教わる日は永久になさそうだ」

 二人は言葉を交わしながら、慎重に間合いを計っていた。

 PoHは逃走を試みようとしていたが、後ろのトンネルはほとんど一本道で逃げ切ることは難しく、アルスとの戦闘を避けることはできないと悟る。

 同時にアルスもPoHが自分へわずかに殺意を向けたことに気づく。

 刹那、二人は示し合わせたかのように距離を詰めた。

 

 PoHは両手剣の攻撃を受けにくい密接距離での戦闘を選び、剣が振り下ろされたとしても、刃が当たらない位置まで迫る。アルスは剣を振り下ろすが、手首を固めて剣を立たせた状態にし、柄頭でPoHの頭部を狙う。

 命中の直前にPoHは体を倒して回避し、地面を転がりながら体勢を立て直す。その隙を逃さず、アルスが手首を返し水平に剣を振り抜いた。PoHはダガーで防ごうとするが、両手剣の一撃を受けた瞬間、その刃は砕け散り、多少は軽減されたものの少なくないダメージを受ける。

 PoHは大きく後退しながら右手を腰の後ろに回し、柄を握って自らの得物を抜いた。

「やっぱ、こいつじゃないと勝負にならねぇか」

 アルスが初めて目にする武器だったが、血に濡れたような色合いの肉厚な刃が放つ禍々しい雰囲気は、その正体を物語っていた。おそらく、アインクラッドで最も多くのプレイヤーの命を奪い、最も多くの血を吸ってきた真に凶器と呼ぶべきダガー。

 PoHの主武器(メインアーム)友切包丁(メイトチョッパー)》。

 

 

 本来の武器を手にPoHは猛然と斬りかかった。アルスは剣で弾き返そうとしたが、衝突の瞬間、斧を叩きつけられたかのような予想を大きく上回る衝撃に襲われる。

 レベルの差で体勢を崩されるまでには至らなかったが、反撃のタイミングを逸していた。PoHは畳み掛けるように攻撃を続け、アルスは全力の防御を強いられる。

 単純な速度ならエオスの方がはるかに上だが、PoHのシステムアシストに頼らない剣捌きと虚を突いてくる動きに、アルスの防御が遅れ始める。そこへ狙いすましたような首筋への一撃、剣での受けが間に合わず、ガントレットで覆われた左腕を割り込ませる。

 赤黒い刃は強固なガントレットを容易く切り裂き、血の気がなくなったかのような腕のしびれを与えるとともに、十三分の一程度アルスを死へ近づけた。

 受けたダメージはHPの総量から言えばわずかだが、短剣の通常攻撃を腕で防御したものとしては、あまりにも大きすぎる。エオスのソードスキルを防御した時と、ほとんど変わらない量のHPが失われていた。

 PoHのレベルは、推定だが攻略組の平均を下回っている。それでこのダメージ量ということは、友切包丁の攻撃力が攻略組が使う武器よりも高いことを意味する。

 

 レア武器を強化しただけでは説明がつかないほどのオーバースペック。

 

 得体の知れない恐怖心を抑えながら、右手だけで持った剣で斬り下ろす。PoHはその攻撃を弾き防御で受け流し、さらに一撃を加える。氷の刃を突き刺されたかのように体の奥が冷たくなり、直前の攻撃よりも大きくアルスの命を死へ向かわせた。

 アルスは本能が発する危険信号を一切無視し、一歩前へ出て両手で持ち直したターミネート・ソードを横薙ぎに振る。PoHは友切包丁で受けながら後ろへ跳んで衝撃を逃し、さしてダメージを受けずに凌いで見せた。

 距離ができ、詰めていた息を吐き出す。吐いた空気とともに恐怖も薄れていき、今までの攻防を冷静に俯瞰できるようになった。戦闘中に抱いた小さな違和感、異常なほどの武器のスペック。それらが脳内で組み合わさっていく。

「なるほどな。わかったぞ、その武器の秘密が」

 

 

 アルスの言葉に、PoHは前に出しかけていた足を止めた。

「ほう、こいつの能力に気づいたのか」

「まず違和感を覚えたのは、お前が友切包丁を最初から使わなかったことだ」

 ダンジョンから出た時にPoHが使っていたのは、NPC武器屋で買えるような平凡な短剣だった。いくら低層のダンジョンとはいえ、あえて弱い武器を使う必要はない。

「耐久値の消耗を気にしたのかと思ったが、それにしては俺の攻撃を防ぐことに躊躇いがない。一本目がすぐ折れたように、武器の耐久値が一番減るのは、相手に攻撃された時のはずなのにだ。つまり、友切包丁をダンジョンで使わなかった理由は別にある」

「説明が長いな。さっさと答えを言ったらどうだ」

「慌てるなよ。もう答えは出てる。ダンジョンで使わなかった理由。武器の名前と異常なまでの性能。これらから推測するに、お前は友切包丁でモンスターを倒したくなかったんじゃないのか。モンスターを切ると弱くなり、プレイヤーを切るほどに強くなる武器。それが友切包丁の正体だ」

 

 アルスの推論を聴いて、PoHは初めて会った時と同じような口笛を吹いた。

「どこまでも驚かしてくれるな。こんな短い時間で、こいつの能力を見破ったやつは初めてだ。お前の想像はほぼ当たりだよ。付け加えるなら、モンスターを殺しまくれば呪いが解けて刀に進化するそうだが、俺には使えねぇし、興味もねぇ」

「もしその武器をデザインしたスタッフがいたなら、今の言葉を聞いて悲しむだろうな」

 冗談めかした言葉を聞いて、PoHは突然笑い出した。

「ハッハッハッ、やっぱアンタおもしれーよ。今のジョークがじゃねぇぞ。こんな状況でそんなジョークが言えることがだ。俺に遭った奴らは、大抵ビビって逃げ出すか腰抜かすか、ブチ切れて斬りかかってくるかなんだが、アンタはどれとも違うな。ただ、戦う相手としてはつまらねぇ」

「俺じゃあ、力不足だと言いたいのか」

「いいや、アンタは強えよ。でもな、自分の感情を殺せる奴は、戦っててつまらねぇ。本心では俺をぶっ殺したいだろうに、剣に殺意が込もってない。感情のままに戦わず、常に冷静に、クレバーに相手を観察して最適解を探す。それが強みなんだろうが、俺からしたらロボットを相手にしてるみたいで面白くねぇ」

 

 友切包丁を手元でくるくる回しながら、PoHは懐かしむような顔を見せる。

「その点、ブラッキーのやつは良かったぜ。他の奴らが殺された途端、ブチ切れて二人も殺っちまったんだからな。日本人はああいうのを鬼神の如き、とか言うんだろ。鬼の神(Demon's god)……いや、鬼みてぇな神(Fierce god)か。ああいうのと戦う方がおもしれぇ」

「キリトが二人殺した……お前、あの戦いを見てたのか。てっきり、一人尻尾を巻いて逃げたのかと思っていた。少なくとも、他のラフコフの連中はそう言ってたぞ」

「ああ、戦いが始まる直前に、見つからないよう隠れていたからな。だって、見ないと勿体ないだろう。せっかく」

「せっかく、苦労して自分がお膳立てしたのだから、か」

 アルスが先んじて言うと、PoHはこれまでのような芝居掛かった笑いではなく、心の底からにじみ出たような粘り着いた笑みを浮かべる。

「なんだよ。もうバレてやがったのか。その通りだよ。俺が密告までにどれだけ入念な準備をしてきたのか、聞いて欲しいくらいだ。せっかくだし、一ついいことを教えてやるよ。攻略組には」

「あの二人なら、もうこの世にはいない。揺さぶりに使っても無駄だ」

 その言葉にPoHは一瞬瞠目した後、新しいオモチャでも見つけたような、楽しげな声で言った。

「おいおい、マジかよ。これはたまげたぜ。次はあいつらの情報をリークして、もう少し楽しませてもらうつもりだったのによ。まさか、二人ともテメェが殺ったのか。俺とは違って長い付き合いがあっただろうに、殺した時どんな気分だったんだ?」

 PoHの問いに答える代わりに、アルスは剣を向けた。

「だんまりかよ。でも、少しはいい面になったな。これ以上時間稼ぎに付き合う気もないし、そろそろ再開するか」

 PoHは大きくバックステップし、着地の反動を利用した急加速で肉薄する。同時に友切包丁を上段に構えると、血のように粘度のある赤黒い光が刃を包み、アバターが三人に増えた。

 アルスでも初見のソードスキル。本物を見分ける方法は不明。増えた二体の分身にも攻撃判定、当たり判定があるのかは不明。合計何連撃のソードスキルなのか不明。

 情報は皆無。博打で回避や防御を試みても、成功する望みは薄い。勝機があるとすれば、このソードスキルに打ち勝つことのみ。

 

 ターミネート・ソードを大きくテイクバック。エメラルドグリーンの閃光が迸るや前進。三方向から襲い掛かる凶刃へ、溜め込んでいた力を解き放つように、全身を回転させてターミネート・ソードを振り切った。

 重なった三合の衝突音が響き、弾かれた凶器から光が失われる。アルスが発動した両手剣旋回切り《サイクロン》は、まさしく荒れ狂う暴風のように三人を一遍に吹き飛ばした。

 ソードスキル自体は初見でも、ソードスキル共通のルールは変わらない。スキル同士がぶつかり合えば、武器単体の威力に加えて、重さや耐久力が上回る方に軍配があがる。そして、決められた軌道から武器が大きく離れれば、スキルは強制的に停止される。

 友切包丁の威力が並外れているとはいえ、それはあくまで短剣カテゴリでの話。まともに打ち合えば、威力や重さは両手剣のターミネート・ソードが遥かに勝る。分身から本物を見破る方法はわからなかったが、ならば全て斬り飛ばせばいいだけのこと。

 

 PoHはスキルが強制終了させられたことで左右の分身が消滅し、残った本体は武器を弾き上げられたまま硬直が科せられる。同じようにアルスも硬直を受けたが、先に硬直が解除され、一瞬の躊躇いもなく斬りかかった。

 振り下ろされる剣が当たる直前にPoHも硬直が解け、かろうじて致命傷は避ける。アルスが追撃をかける間際、PoHは左手で取り出した球状のアイテムを地面に向かって投げつけた。地面で炸裂したアイテムから煙が噴出し、周囲に黒煙が立ち込める。

 視界を封じられたが、この戦術は以前の戦いで経験済みだ。すぐに目を閉じ、舌打ちをして聞き耳スキルMod《反響定位(エコーロケーション)》を発動する。真っ暗な視界に音の反響よって再現された周囲の景色が浮かび上がる。しかし、PoHらしき影はなく足音もしない。

「見失った……」

 物陰に隠れたかと思ったが、背後で何かが落ちた音と続いて小さな足音が耳に届く。

 煙幕弾を炸裂させた音に紛れてPoHはその場で跳躍し、アルスの頭上を飛び越えたようだった。高い敏捷性と軽業スキルがなければできない人間の死角をついた上手い動きだ。だが、幸い聞き耳スキルのおかげで、逃げた方向は小さな足音でもはっきりとわかった。

 

 黒煙を抜け出し、先を走るPoHを追跡する。まださほど距離はないが、引き離されてしまえば、転移結晶で逃げる余裕を与えてしまう。そうなる前に勝負を決めるため、突進旋回切り《ツイスター》のプレモーションを起こす。

 このまま真っ直ぐ進めば、マナナレナの村にぶつかる。マナナレナは犯罪者のPoHが進入できない《アンチクリミナルコード有効圏内》。今距離を詰めて追い込めば、退路を断つことができる。

 マナナレナとの境界である柵の方へ走り続けるPoHを、アルスは一陣の風となって猛追する。

 システムアシストによる加速で突き進み、PoHの背中にあとわずかで剣が届く、と思った時に何かを見落としているかのような不安感が芽生え出した。

 さらに接近し、剣が届く間合いへと入る。不安はどんどんと大きくなるが、頭の片隅へと追いやり、剣を振ることに意識を向けた。もはや村は目の前、PoHに逃げ場は残されていない。そう確信していた。

「なっ……!」

 だが、剣が当たる寸前、PoHは村の柵を踏み台にし、そこから高く跳躍した。柵に阻まれたことで前進が止まり、振られた剣は黒いポンチョを切り裂いたのみで終わる。

 

 

 硬直で動けないアルスが見上げる先で、PoHは十メートル以上飛び上がっていた。だが、やがてポンチョをはためかせながら落下し始める。眼下の村に目を向ければ、すでにPoHの侵入を察知した衛兵たちが、落下地点へと集結していた。

 

 ……しまった。

 

 その光景によって、漠然とした不安の正体に気付く。

 マナナレナは古代の鉱山跡地を利用して作られた村で、極めて珍しいすり鉢状の地形となっている。つまり、この村は周囲のフィールドに比べて大きく窪んであり、最も深い場所では三十メートル近い高低差がある。

 NPCの衛兵はオレンジプレイヤーに対して無類の戦闘力を発揮し、戦闘で勝つことは絶対に不可能。逃走する者を易々とは逃さないだけの機動力もある。とは言っても、移動できるのは原則地上のみ。

 現在衛兵たちがいるのはPoHの真下だが、約四十メートルの距離がある。空気抵抗を考慮して落下時間を計算すれば、地面に着くまでおよそ三秒。その間、衛兵はPoHに手出しすることができない。そして、その三秒があれば……

 

 危惧した通り、落下するPoHの左手から微かな破砕音がすると同時に、全身を青色の光が包み込む。転移結晶による瞬間移動の前兆だ。

「クソッ!」

 アルスは硬直が溶けると同時に右手でメニューを開き、素早くクイックチェンジのショートカットアイコンをタップ。ターミネート・ソードと入れ替わったルシードブレードを右肩で担ぐように構え、目の前の柵を飛び越える。片手直剣突進技《ソニックリープ》を発動し、落ちていくPoHに肉薄する。

 自らに迫る銀色の刃に気づいても、PoHは一切の恐れも見せず、嘲るような表情で小さく口を動かした。

「あばよ」

 その言葉を最後に、殺人鬼の姿は消え失せた。青い光の残滓がルシードブレードによって何の抵抗もなく切り裂かれ、一切の痕跡も残さずに霧散する。

 ソードスキルの終了と同時にやってきた自由落下に身を任せ、アルスはマナナレナの奥底へと叩きつけられる。激しい落下音とエフェクトが発生するが、圏内であるために数値的なダメージは一切ない。

 倒れたアルスを見て周囲の衛兵たちは不思議そうな表情を見せたが、すぐに興味を失い、オレンジがいなくなったために通常の行動パターンへ戻る。朝日とともに起き出したNPCたちが店を開き始め、まるで何事もなかったかのように、村は昨日までと変わらない平和な様相を見せていた。

 

「ーーーーーー」

 

 アルスの口から、言葉にならない叫びがあふれ出た。

 怒りか、悔しさか、無力感か、その理由すらアルスには理解できていなかった。今まで押さえ込んでいた感情が入り混じり、耐えきれずに本能のまま喉を震わせる。

 突然の大声にNPCたちは驚いてみせるが、それ以外のアクションは起こさずに自分の役割を果たそうとする。彼らはアルスの声はおろか、その存在すら気にもとめず、記憶からも消してしまう。

 村中に響く声は、この世界に何の影響も与えないまま、ログの海に飲み込まれて消えていった。

 

《続く》




アルス
Player name/Alus
Age/20
Height/176cm
Weight/68kg
Hair/Black Short
Eye/Black
Sex/Male

Lv84(二十三話時点)
修得スキル:《片手直剣》《武器防御》《重金属装備》《両手剣》《瞑想》《剛力》《聞き耳》《戦闘時回復》《疾走》《体力増強》


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第二十四話 戦士を率いる者

戦い続けた。この残酷な世界で。
諦めたくなかった。死んでいった者たちの思いを無駄にしないために。
立ち上がり続けた。いかなる理不尽が降り掛かろうと、どんな困難が待ち構えていようと関係ない。戦い続ける以外に道はない。
だから俺は、さらなる高みを目指す。



 二〇二四年十月二十日

 

 この日、アインクラッド史上類を見ないほどの大イベントが行われていた。

 『ユニークスキル修得者同士の対決! 七十四層のフロアボスを単騎撃破した二刀流の悪魔キリトが、生ける伝説ヒースクリフに挑む』

 つい先日開放された七十五層を含めた各層の主街区の掲示板には、そんな煽りのついたチラシが貼り付けられ、それを見たプレイヤー達が七十五層主街区《コリニア》にあるコロシアムへと集まった。

 商人プレイヤー達はここぞとばかりにコロシアム周辺で露店を開き、観戦に来たプレイヤー達は血盟騎士団の団員から入場チケットを買って、次々とコロシアムに入っていく。勝者を予想するトトカルチョまで行われ、オッズを見て大金をつぎ込むギャンブラーの姿まである。

 入場チケットの中には指定席もあり、当然前の席ほど値段が高くなっている。その中でも最前席であるS席に座っているのは、この世界で最も情報に敏感になっており、また最もお金を持っている者達。つまりは、攻略組の面々である。

 S席以外の席も順調に埋まっていき、満席になるころには観客数は千人を超えていた。このゲームに囚われているプレイヤーは現在六千人強、その二割近くが集まっているのだから、この戦いがどれだけ注目されているかよくわかる。

 その千人が見つめる先で、ついに一人の剣士が姿を現した。

 その剣士は黒革のコートを身に纏い、背に二本の剣を交差させて帯びた少年。畏敬または畏怖の感情を持つ者からは黒の剣士、侮蔑の感情を持つ者からはビーターと呼ばれるソロプレイヤー。二刀流の悪魔ことキリト。

 やや控えめな歓声と「斬れー」「殺せー」という少々物騒な言葉を浴びながらキリトが闘技場の中央付近まで進む。その直後、もう一人の剣士が入場すると、歓声は一気に大きくなった。

 二人目は赤いサーコートを羽織り、左手に十字の長剣を差した巨大な純白の十字盾を持つ男。五十層でフロアボスのタゲを十分間一人で受け持つという偉業を成し遂げ、いまだかつてHPバーが黄色になった姿を見た者はいないと言われるほどの絶対的な防御力を見せる血盟騎士団団長。生ける伝説ことヒースクリフ。

 ヒースクリフはキリトの前まで行き、しばらく言葉を交わしてから、十メートルほど距離をとった。右手を振ってメニューを開き、幾つかの操作を行うとキリトの目の前にもウィンドウが表示され、それが消えると二人の中間地点でデュエル開始までの六十秒のカウントダウンが始まった。

 二人はそれぞれの得物を抜き放つと、まるで二人だけ時間が止まったようにピタリと武器を構え、視線を目の前の相手に集中させる。

 観客の声が響くだけの闘技場で、刻々と時間は経っていく。

 カウントダウンが終わり、【DUEL】の文字が閃くのとほぼ同時に、キリトが地を蹴った。

 体勢を低くしたまま地を這うようにヒースクリフとの距離を詰め、右手の剣による斬り上げから、間髪入れずに左の剣による斬り下ろしという二連撃ソードスキルで攻める。キリトの攻撃は一撃目は盾で、二撃目は剣で阻まれた。開幕のゴングのような激しい金属音を上げながら、キリトはヒースクリフの脇を抜け、スキルの余勢で距離をとって向き直る。

 すると今度は、お返しとばかりにヒースクリフが盾を構えたまま突撃する。キリトは一瞬迷うそぶりを見せてから、盾のある右側に跳んだ。盾持ちを相手にするとき、相手が盾を持っている側に立つことで、攻撃に対処しやすくするという対人戦において定石とも言える手だ。

 その動きに対して、ヒースクリフは盾を水平に構え、盾の先端をキリトに向けた。

「ぬん!」

 気合の入った一声とともに、純白のライトエフェクトを引いた十字盾がキリトに突き込まれる。

 盾による攻撃。SAOでは不可能だと思われていた技は、観客達の度肝を抜いた。

 数メートルも吹き飛ばされ、勝負が決したかと思われたが、キリトはかろうじて交差させた剣で受けて直撃を避けたらしく、HPにほとんど変動はない。右手の剣を床に差して転倒を防ぎ、一回転して着地する。

 ヒースクリフはその隙を逃すことはせず、再び距離を詰めて長剣による連続技を放つ。

 上下から迫る攻撃を、キリトは両手の剣で捌ききり、八撃目の上段斬りを防ぐや右手の剣で発動させた《ヴォーパル・ストライク》で反撃。片手剣で出しうる最大威力の一撃が、盾の中心目掛けて撃ち抜かれる。

 ハイレベルな武具同士が織りなす衝突音を轟かせ、今度はヒースクリフが吹き飛ばされる。盾は未だに健在だが、攻撃を完全に防ぐには至らず、ヒースクリフのHPバーがわずかに削れている。

 二人は大技を使ったことによる硬直と、それを受けたノックバックで一時的に動きを止めたが、体の自由が戻るや互いに間合いを詰めて連続技を発動する。

 二人のスキルや戦闘スタイルから、攻めるキリト、守るヒースクリフとなる大方の予想は外れ、激しい連続技の応酬となった。一時も目を離せぬその攻防に、観客たちはさらにヒートアップする。

 当然ながら《初撃決着モード》で行われているこの闘いは、クリーンヒットを一撃受ければ終わってしまう。互いに決め手となりそうな攻撃を防いでいるが、完全に防ぎきれていないものもあるようで、時折微かなダメージエフェクトが漏れる。

 攻撃の度に二人の動きは速さを増していき、双方のHPはジリジリと削られていった。

 両者のHPが五割近くまで減り、近づく決着の瞬間を見逃すまいとする観客たちの視線の先で、キリトが両の剣から青白い光を噴出する。

 流星群のごとく絶え間ない攻撃が、ヒースクリフに襲いかかる。大型の十字盾でしのぎ続けるが、少しずつ反応が遅れていき、十五撃目を防いだ時僅かに体勢が崩れたかに見えた。だが、次の十六撃目もすんでのところで受け流し、大技を終えて動きを止めたキリトに、流れるような動きで突きを放つ。

 その一撃で倒れたキリトのHPは半分を切り、決着がついた。

「「わあああぁぁー!!」」

 盛大な歓声が沸き起こり、ヒースクリフにまた新たな伝説が生まれた。フロアボスすら屠った蓮撃を耐え切ったその姿に、万雷の拍手が送られる。

 しかし、ヒースクリフは喜ぶそぶりすら見せずに、険しい表情でキリトを一瞥してから、すっと観客たちの前から姿を消した。

 キリトは駆け寄ってきたアスナに助け起こされながら、自分の敗北が信じられないのか呆然としている。

 二人がなぜそんな反応を見せたのか。それは戦っていた二人にしかわからない。

 

 

 

 

「とんでもないわね。神聖剣も大概だと思ってたけど、キリトの二刀流も信じられない威力よ」

『フロアボスを一人で倒したというのは大げさだと思っていましたが、今なら信じられるのです』

 S席で観戦していたラスクとダイモンが、それぞれの感想を述べる。

「行くぞ」

 二人の隣で同じように観戦していたアルスは、試合が終わるやさっさと席を立った。

「あら、アルスはなんだか興味なさそうね」

「そんなことはない。あの攻撃力なら、フロアボス戦でも十二分に活躍してくれるだろう。次のボス戦が楽しみだ」

 エオスが語った攻略組にユニークスキル持ちを増やすという理想は、図らずも現実のものとなった。キリトは今後攻略組のメインアタッカーとして、これまで以上の活躍をするとともに、多くの羨望と嫉妬の対象になるだろう。

 だが、ユニークスキルを持つキリトとヒースクリフに頼っているだけでは、ゲームクリアはできない。

「キリトが攻撃に集中できるように、俺たちがもっと強くならないとな」

 そう言ってから、アルスは階段を登り始めた。その後ろをラスクとダイモンが追いかける。

「そうだったわね」

『僕もそのつもりです』

 現在、イカロスの翼の団員はアルス、ラスク、ダイモンの三名。ワンパーティーにも満たない攻略組で最少人数のギルドだ。戦力不足を痛感することもあったが、他ギルドの協力を得ながらコンビネーションを磨きつつレベルを上げていき、今では三人でも最前線で問題なく活動できるまでになった。

「こんなところで落ちるわけにはいかないからな」

 この城から出るまで、イカロスは落ちない。

 エリスが残した意志を無駄にしないために、エリスの代わりに彼女の親友であるカインとビルを現実に返すために、上を目指す羽ばたきを止める気はない。

 

 

 

 

 

 

 二〇二四年十一月六日

 

 

 七十五層の攻略は当初の予想に違わず、強力なモンスターと複雑な迷宮によって困難を極めたが、二週間以上かけてどうにか犠牲者を出さずにボス部屋の発見に至った。

 強大なボスによって多大な犠牲が出た二十五層、五十層の経験から、七十五層では七十四層よりもはるかに強力なフロアボスが出現すると予想された。そのため、今回の偵察は慎重を期して、五ギルドから選抜された計二十名の部隊によって行われる。

 偵察部隊として参加したのは、《血盟騎士団》、《聖龍連合》、《イカロスの翼》、《エデンの園》、《円卓騎士団》の五ギルド。各ギルドから集まった実力者たちは、迷宮区のモンスターを物ともせず、小休止を挟んだのちボス部屋へと到達する。

「ここで予定通り編成を変える。フロアボス用のパーティーに別れてくれ」

 参加メンバーの中で唯一のギルドリーダーとしてレイドリーダーを務めるアルスは、他のメンバーに指示を出す。

 ボス部屋までの道のりでは、パーティー内での連携を優先するために、ギルドごとにパーティーを組んでいたが、フロアボス戦となるとパーティーごとの役割分担が重要となる。

 今作戦では、偵察用のフォーメーションとして、前衛、後衛を各十人ずつに分けた編成が採用された。

 前衛は先に部屋に入り、ボスが出現したら後退、入り口近くまでプルする。前衛がボス部屋を出た後、後衛から五人が前に出てボスのタゲを取り、可能ならばその場で足止めする。

 そこからはボスの行動によっても変わるが、理想としては後衛が交代でタゲを取って守りに徹している間に攻撃パターンを見極め、前衛がボスのサイドから攻撃し、弱点を探すことだ。

 イカロスの翼では、ラスクとダイモンが前衛、全体の指揮を行うアルスだけが後衛という振り分けになった。ラスクは俊足を活かして部屋の奥へ向かう役目を、ダイモンは前衛の後方に待機し、鉄扇の防御スキルで、回避しにくいブレス攻撃を防ぐ役目を与えられている。

「二人ともわかってると思うが、今回の第一目標は死者を出さずにボスの姿を確認することだ。無理に攻撃しようなんて考えるなよ」

 アルスの言葉に、ラスクとダイモンは辟易とした表情を見せる。

「そんなこと言われなくたってわかってるわよ。心配しないでもちゃんと逃げるから」

『僕は後方からのサポートに徹するので、大丈夫です』

 ダイモンはそう打ち込んでから、シャンッと音を立てて鉄扇を開く。

 準備を終え、隊列を組んだ二十人がボス部屋へと通じる大扉の前に集まる。ドクロの意匠が刻まれた黒曜石の扉は、重々しい雰囲気とともに、かつてないほどの重圧を放っていた。

 アルスが先頭に立ち、右手で軽く扉を押した。たったそれだけで五メートル以上はある扉が音を立てながらゆっくりと開いていく。

 完全に扉が開ききり、露となったボスが棲む空間に向かって剣を抜きつつ叫ぶ。

「第一回七十五層ボス偵察戦、作戦開始!」

 号令を受けて、前衛が次々と部屋に流れ込む。前衛の十人は先頭にラスク、最後尾にダイモンを置いた縦長の陣形となり、周囲を警戒しつつ一歩一歩奥へと進んでいく。

 アルスも中を覗き込むが、見たところ広大な円形の空間があるだけで、特殊なギミックやアイテムの存在は見られず、面積が広いこと以外取り立てて特徴がない。

 前衛が進んでいく姿を、後衛は固唾を呑んで見守っていた。先頭を歩くラスクが部屋の中央まで達し、一瞬部屋の空気が変わる。

 それを感じた直後、突然扉が動き出した。

「なっ……」

 アルスが反射的に扉を抑えようとするが、逆に扉に押し返される。異変に気付いた他の後衛も扉に殺到するも、無情にも扉は轟音を上げながら閉じていった。

 再び扉を開こうと力を込めるが、わずかな力でも開いたはずの扉は、十人の力を合わせても微動だにしない。

「全員一旦下がれ」

 アルスは他のプレイヤーを扉から下がらせ、剣を大上段に構えてあらん限りの力で振り下した。

 この層にいるモンスターですら一太刀で絶命させたであろう一撃は、扉と衝突した瞬間に弾かれ、破壊不能であることを示す【Immortal Object】のシステムタグを出すことしかできなかった。

 他のプレイヤーも槍、斧、ハンマー、それぞれが持つありとあらゆる武器を扉にぶつけた。他にも解錠スキルや各種マジックアイテムなど、思いつく方法を試し続けた。

 いずれの方法でも扉は開かず、まるで何をしても無駄だと言うかのように、扉の表面は【Immortal Object】の表示で埋め尽くされている。

 その光景に心が折られそうになったが、アルスは諦めず扉に耳を当てた。

 《聞き耳》スキルの熟練度を上げれば、本来音を通さない扉越しであっても、音を聞くことができるようになる。フロアボスの部屋で使ったことはないが、ボス部屋の扉が他の扉と同じようにシステムが認識しているなら、スキルは問題なく発動するはずだ。

 アルスの行動の意味を察した他のプレイヤーたちは、音を立てないようにして報告を待った。

 

 

 

 

 宿屋などのドアよりもぶ厚いせいか、やや篭ったように聞こえるが、大扉越しに中から音が聞こえてきた。

 最初に聞こえてきたのは、硬質な物同士が連続でぶつかり合う異様な音。戦闘音ではなく、モンスターの足音だろうか。

 次に聞こえたのは「転移、グランザム」と連呼する声。誰かが転移結晶を使おうとしているようだが、七十四層と同じくこのボス部屋も結晶無効化空間に設定されているらしい。

 その声が突然途切れ、代わりにガラスが割れたような小さな破砕音が響く。今まで幾度も聞いた。人の命が消える音。

 他の生存者はいないかと耳をすませていると、シャン、シャンという金属音が鳴っていた。音源は扉のすぐ向こう。それにこの音はダイモンが持つ鉄扇の音だ。

「ダイ。聞こえるか」

 扉を叩きながら声をかけるが、反応はない。ダイモンも扉を開ける方法を調べているらしく、鉄扇で扉のいたるところを叩いている。

「お願い。開いて」

 ラスクの声だ。それも今まで聞いたことがないような切羽詰まった声。ダイモンが扉を開ける時間を稼ぐために、ボスのタゲを取り続けているのだろう。

 二人がまだ生きていることに安堵しかけた直後、短い悲鳴が聞こえた。続いて二度目の破砕音。ラスクが死んだのだと直感的に理解した。

「ダイ、お前だけでもどうにかして逃げるんだ。ダイ。ダイ!」

 扉を殴りつけて叫ぶと、それに応えるようにダイモンも扉を叩いた。

 一瞬こちらに気付いたのかと思ったが、荒々しく乱雑な叩き方が、ダイモンの精神状態を表していた。闇雲なノックの音の奥で、急速に扉へ近づく足音が響く。

 扉を叩く音が止み、代わりに幼い悲鳴を聞いた気がした。

「ダイ。どうした? おい?」

 扉を叩く音はもう聞こえてこなかった。

 代わりに聞こえたのは、一際はっきりとしたプレイヤーの命が消えた音。

 鉄扇が床に落ちる音。

 ゆっくりと離れていく異様な足音。

 嘲笑うように響き渡る死神の勝鬨だけだった。

 

 

 

 

「つまりはこういうことか。前衛十名が部屋の中央に達した直後、ボス部屋の扉が閉まってしまった。扉は五分以上何をしても開かず、開いた時にはボスも先に入った前衛たちの姿もなかったと」

 グランザムにあるギルド本部の一室で、アルスが報告を終えると、ヒースクリフはそのようにまとめた。部屋にはヒースクリフ以外にも血盟騎士団の幹部プレイヤー四名と、他の攻略ギルドの代表者たちも集まっている。

 そこへ黒鉄宮へ生命の碑を確認しに行かせた偵察隊の一人が帰還し、前衛十人が作戦開始後の五分間で死亡していることが報告された。内部が脱出不可能な結晶無効化空間であることに疑いの余地がなくなり、今後の攻略難度の高さを想像した出席者たちの顔に不安の色が見える。

「退路が絶たれる以上、連携が取れる範囲内で大部隊を編成し、挑むしかない。二時間後、レイド部隊編成の会議を行うこととする。偵察戦の報告はこれで終了だ。では、解散」

 これ以上は不安を煽るだけになると判断し、ヒースクリフは予定の時刻より大幅に早く会議を終わらせた。各ギルドの代表者たちは、レイド部隊の参加者を選抜するために、自ギルドのメンバーに連絡をしたり、他のギルドと連合を組むために話し合いを始めたりするなど、迅速に動き始めた。

 その中でアルスは誰かに声をかけられることもなく、ゆったりした足取りでホームへと帰還した。

 

 

 

 小さなギルドホームに入り、ドアを閉めると、それまで聞こえていた町のBGMや人々の声が消えた。ホーム内には誰かの声はおろか、物音すら全くない。

 

 ガン!

 

 それまで抑えていた感情が噴出し、力一杯壁を殴りつけた。

 壁には傷一つ無く。【Immortal Object】の表示が出現する。

 

 破壊不能。

 

 この世界のオブジェクトはコードにそう記述されるだけで、何よりも強固な物質へと変貌する。そこにはいかなる力も、知恵も、技術も全く意味をなさない。何をしたところで、システムが決めた絶対のルールを変えることはできない。

 それは仕方のないことだと思っている。そのルールが自分たちを助けてくれることもあるのだから、文句を言うつもりはない。

 だが、あんなに理不尽な死まで認めることはできなかった。

 訳も分からず閉じ込められ、死ぬまでボスと戦わされ、仲間に最後を看取ってもらうことも、何かを残すこともできずに消されてしまう。

 フロアボスに与えられた圧倒的なまでのステータス。ゲームシステムの絶対不可侵なルール。プレイヤーが抗えないそれらが唐突に襲いかかれば、今までの努力も、その場での知略も、何もかもが意味をなさない。

 彼らの死は避けようがなかった。彼らが弱かったせいでも、自分たちが不用意だったせいでもない。でも、彼らが命を賭して示してくれた危険を知ってなお、フロアボスを攻略できなければ、それは自分たちの責任だ。

「絶対に倒す。七十五層のボスだけは俺が絶対に」

 決意の言葉を口に出し、アルスはホームを出た。

 

 向かったのは円卓騎士団のギルドホーム。入り口にいる門番に半ば無理矢理取り次ぎをさせて扉を開けてもらい、二ヶ月ほど前にも入った会議室に足を踏み入れる。

「アルス。お前を呼んだつもりはなかったが」

 巨大な円卓の入り口から最も遠くの席に腰掛けているケインから、入ると同時にそんな言葉を浴びせられる。

「会議の後でお前たちが話しているのが聞こえたので、来させてもらった。今までだってここの会議には参加していたのだから、構わないだろう」

「……まあいい。定刻になったので、会議を始めさせたもらう」

 円卓についているのはケインの他に、エデン、トール、エルドラ、アラシの四人。

 ベータ出身者同士で情報交換することを目的に始まったこの円卓会議。一人減り、一人が代替わりした現在でも続いており、今回はボス戦の事前準備と参加メンバーが議題となっている。

「まず、アイテム補給の問題からだ。今回のボス部屋はクリスタル無効化エリアになっているらしいから、回復は基本ポーション頼みになる。アラシ、エルドラ、ポーションの補給について報告を頼む」

「前のボス部屋でクリスタルが使えないって話は聞いてたから、準備はしてあるぜ。二週間前から、うちの調合師がポーションの品質向上のための研究を続けていて、つい先日レシピが固まったところだ。外部の調合師も呼んで明日までに必要な量を揃える手はずは整っている」

「私のとこも同じく、準備をしていましたよ。調合師から買い付けたポーションもありますし、ポーションの素材もたっぷり用意してあります。素材の方は後ほど、プロメテウスに運ぶ予定です」

「わかった。次にボス戦に参加するメンバーについてだが……トール」

「撤退が出来ない今回の戦いだと、レベルだけでなく、精神的にも強い者を選抜するべきだ。となると、ギルドごとにワンパーティー作るのは困難だ。複数のギルドで一つのパーティーを組むのがやっとだろう」

「そうすると、編成は……」

 やはりというべきか、アルスに意見を求められることはなかった。

 メンバーはたった一人。もはやイカロスの翼は、この場にいるどころか、ギルドを名乗る資格すら持ち合わせていない。リーダーの肩書を持つだけのソロプレイヤーだ。

 だが、そんな理由だけでボス戦への参加を諦める気もなかった。

 参加するだけなら一人でも希望を出せば、レイドに入れてもらえるだろう。だが、アルスの望みは参加することではなく、フロアボスに勝って生き残ることだ。そのためには、共に戦ってくれるパーティーメンバーが必要だ。確かな実力を持ち、互いの能力を理解し合ったプレイヤーがあと……五人。

 アルスが発言をしないまま会議は進んでいき、ケインからパーティーの編制案が出される。

「ボス戦に参加するパーティーは次のようにしたい。壁役としてエデンの園から二人、アタッカーをうちのギルドから二人、後方支援役としてミョルニルから二人。各自レイド部隊編成会議までに、メンバーの選出を……」

「ちょっと待ってくれ」

 ケインの言葉を遮り、アルスは立ち上がった。

「おい、今更何を言うつもりだ。貴様の意見など」

「落ち着け。どんな状況になっていても、会議に出ている以上、意見を述べる権利はある」

 不服そうな顔を見せるトールをエデンが抑えた。場が静まってから、進行役のケインが尋ねる。

「言ってみろ。パーティー編成に問題があるというなら、何か代案があるんだろ」

「ああ、各ギルドからメンバーを選抜し、合同のパーティーを組むというのは賛成だ。だが、三ギルドではなく六ギルド。具体的に言えば、この場にいる六人でのパーティー結成を提案する」

 アルスの案を聞いてケインは言葉を失い、エデンは考え込み、エルドラは面白がるような笑みを浮かべ、アラシは瞠目した。その中でトールは不機嫌そうな表情を隠さずに言った。

「何かと思えば、そんな意見か。ボス戦に出たいからって、お前のわがままに付き合う気など」

「頼む」

 アルスは円卓に手をつき、へばりつくように頭を下げた。

「自分勝手なことはわかっている。でも、俺はなんとしても七十五層のボスを倒したいんだ。そのためには、ここにいる五人の力が必要だ。だから、頼む」

 攻略組内でもトップクラスの実力を持ち、なおかつ互いの能力を理解し合ったプレイヤー。アルスの中でその条件に最も合致するのは、この場にいる五人だった。

「しかし」

「俺はその案に乗るぜ」

 トールが何か言おうとするのに先んじて、アラシが立ち上がる。

「戦闘ギルドじゃないから、ボス戦は遠慮しようなんて考えてたけど、俺も仲間の仇を討ちたい気持ちは痛いほどわかる。アルスに手を貸してやりたい」

「俺も行こう」

 次にエデンも腰を上げた。

「敵討ちにこだわるわけではない。が、偵察戦に出た奴らを休ませたいと思っていたところだ。一人での参加ができるというなら、そっちに乗ろう」

「そうか。そうだな。なら、俺も一人で参加だ」

 エデンの話を聞いて、ケインも賛同した。

「うちから二人となると、リーナとリーラのどっちか一人を連れて行くか、二人に行かせるかってことになるからどうするか悩んでいたんだ。だったらいっそ、俺一人で行くほうが気楽だ」

「気楽って、ケインお前」

 苛立つトールがエルドラを見る。

「お前は反対なんだろ。商人のお前じゃ、生き残れはしないぞ」

「確かに私は商人であって、あなた方のように脳筋の戦士ではありません」

 その返答に、トールは安堵する。

「しかしですね。だからと言って、実力まで劣ると思われるのは心外です。それにこんな儲け話を、みすみす逃すわけないでしょう。アルスがドロップ品を譲ってくれるなら、私は喜んで乗りますよ」

 エルドラも参加の意思を示した。これで賛成はアルスを含めて五人。

 残るはトールただ一人。アルスは頭を上げて、トールと視線をぶつけた。

「トール。もし、俺と組めないと言うなら、さっきの意見は取り下げる。けど、今回のボスだけは、どうしても倒したいんだ。今回が最後でいい。ボス戦に勝った後は一切反抗しないと誓ってもいい。だから、力を貸してくれ」

 アルスの言葉を受けて、トールは不機嫌そうな表情のまま、根負けしたように項垂れながら頷いた。

「わかった。そこまで言うなら、参加してやる。今回だけだ」

 六人の意思が決まり、ケインが会議を締める。

「満場一致。フロアボス戦にはこの六人で参加する。パーティーリーダーは、アルス任せたぞ」

「任された。みんな、ありがとう」

 アルスは再び頭を下げ、目から溢れる涙を誰にも見えないようにしていた。

 

 

 

 

 翌日、回廊結晶でボス部屋の前まで転移したプレイヤーは計三十二人。血盟騎士団、聖龍連合、風林火山から各一パーティー、エギルをはじめとした有志の実力者によるパーティーとアルスの六ギルド連合軍、さらにキリトとアスナのコンビが加わった。

 ボス戦前に装備の最終確認を終えたアルスは、視界左上のHPゲージに目を向ける。

 並んだ六つのゲージには、それぞれの名前と共に各ギルドのエンブレムも表示されている。

 

 ギルド名の元ともなった黄金色の指輪がシンボルの《ニーベルングの指輪》。

 赤く燃える炎を表すマークは《プロメテウス》。

 鮮やかな紫色の稲妻は《ミョルニル》。

 緑色の葉を繁らせる大樹は《エデンの園》。

 円の中に青色の剣が描かれているのは《円卓騎士団》。

 一番上自分のゲージについている《イカロスの翼》のエンブレムは、黒い夜空を舞う一対の翼。

 

 背景は最初空色にするつもりだったのだが、『太陽に近づいて翼が溶けたなら、夜に飛べば落ちなかったってことじゃない』というトンチめいたエリスの言葉で夜空に変更された。

 イカロスは太陽の下でなければ落ちることはない。

 この城を攻略し、頂に達するその瞬間まで、倒れるわけにはいかないんだ。

 全員の準備が終わると、ヒースクリフが黒曜石の扉に手をかけた。

「では、行こうか」

 アルスはターミネートソードを抜剣し、後ろでそれぞれの得物を構える仲間に目を向けた。全員と闘志に溢れた視線を交わし、開いた扉の奥にある空間を見やる。

 見るのは三度目となるボス部屋、初めて見た時と全く変化は見られない。だが、その奥に十人の命を奪った怪物がいるのだと思うと、武者震いがする。

 開ききった扉を前にして、ヒースクリフは剣を抜き放ち、叫ぶ。

「戦闘、開始!」

 

《続く》

 




パーティー紹介

アルス
Player name/Alus
Age/20
Height/176cm
Weight/68kg
Hair/Black Short
Eye/Black
Sex/Male

Lv88(二十四話時点)
修得スキル:《片手直剣》《武器防御》《重金属装備》《両手剣》《瞑想》《剛力》《聞き耳》《戦闘時回復》《疾走》《体力増強》

ケイン
Player name/ Kein
Age/21
Height/177cm
Weight/67kg
Hair/ Blue Short
Eye/Blue
Sex/Male
Guild/Knights of Round Table

Lv87(二十四話時点)
修得スキル:《両手剣》《武器防御》《重金属装備》《疾走》《剛力》《瞑想》《体力増強》《戦闘時回復》《軽業》《耐毒》《豪腕》

エデン
Player name/Eden
Age/38
Height/184cm
Weight/78kg
Hair/ Black Close-Cropped
Eye/Green
Sex/Male

Lv86(二十四話時点)
修得スキル:《片手鎚》《盾装備》《挑発》《重金属装備》《瞑想》《体力増強》《耐毒》《戦闘時回復》《所持容量拡張》《応急手当》《豪腕》

トール
Player name/ Thor
Age/40
Height/184cm
Weight/77kg
Hair/ Brown Semilong
Eye/Purple
Sex/Male
Guild/Mjolnir

Lv87(二十四話時点)
修得スキル:《両手鎚》《剛力》《所持容量拡張》《武器防御》《重金属装備》《瞑想》《体力増強》《投劍》《応急手当》《戦闘時回復》《豪腕》

アラシ
Player name/Arasi
Age/14
Height/144cm
Weight/41kg
Hair/ Scarlet Short
Eye/Pale green
Sex/Male
Guild/Prometheus

Lv86(二十四話時点)
修得スキル:《両手用槍》《索敵》《疾走》《投剣》《軽金属装備》《採掘》《暗視》《所持容量拡張》《識別》《応急手当》《武器防御》


エルドラ
Player name/Eldora
Age/20
Height/182cm
Weight/62kg
Hair/ Yellow Short
Eye/Yellow
Sex/Male
Guild/Nibelunge Ring

Lv85(二十四話時点)
修得スキル:《片手棍》《隠蔽》《軽業》《解錠》《鑑定》《罠解除》《交渉術》《疾走》《所持容量拡張》《武器防御》《駿足》


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第二十五話 翼を求める者

 どうして俺はここにいる。
 どうしてお前たちには翼がある。
 どうして俺には翼が与えられなかった。
 どうすれば、俺はここから出ていける。

 その答えが与えられることはない。
 その答えを教えてくれるものは誰もいない。
 その答えは誰にもわからない。
 その答えを決めるのは、俺自身なのだろう。



「戦闘、開始!」

 ヒースクリフに率いられ、レイド部隊が七十五層のボス部屋へとなだれ込む。部屋の中央まで進み、陣形を整えた直後、轟音とともに扉が閉ざされる。これでボスが死ぬか、プレイヤーが全滅するか二つに一つだ。

 扉が閉じるのと同時に、アルスは空気が重くなるのを感じた。間違いなくボスは出現している。が、周囲にその姿はない。

 

 アルスは微かな音も逃すまいと耳をすませる。誰かが沈黙に耐えかねたのか「おい」と呟いたその時、

「上よ!」

 アスナの声が聞こえ、即座に天井を見る。

 

 天井に張り付いているそのモンスターは相当に大きい。いや、長いというべきか。

 

 体長は十メートル以上。体は人の背骨を思わせる構造で、白い円筒形の体節に分かれ、その一つ一つから肋骨の如く鋭い脚が伸びる。その体の一端からは鋭い先端を持つ尾となり、もう一端は頭蓋骨に繋がっている。

 頭蓋骨は既知の生物のどれとも異なるおぞましいものだった。輪郭こそ人のそれに近いが、つり上がった四つの眼窩からは青い炎が漏れ、上顎骨といくつにも分かれた下顎骨には鋭い牙が並んでいる。さらに頭蓋骨のすぐ下には、巨大な鎌を模した腕が生えている。

 

 カーソルとともに表示された名前は骸骨の刈り手(The Skull Reaper)

 スカル・リーパーは突如脚を広げ、その身を宙に躍らせた。

 

「固まるな! 距離を取れ!!」

 

 ヒースクリフの指示に従って走り出す。ボスの落下地点から抜け出し、振り返ると、ちょうどボスの真下にいた三人が逃げ遅れていた。

 キリトに誘導されて動き出したが、直後着地したボスの重みで部屋全体が揺れる。振動に足を取られた三人の動きが止まり、そこへボスの鎌が襲いかかった。

 背後から切り飛ばされた三人の体は宙を舞い、その間にHPが猛烈な勢いで減少する。グリーンからイエロー、そしてレッドへ……

 

「なっ……」

 

 ついにはゼロとなって、三人の体は砕け散った。

 

 一撃死。

 MMORPGにおいて、適正レベルの敵と戦っている限りはまず起きない事象。

 それも今回は、攻略組内でもトップクラスの実力者が集められている。通常なら、フロアボスが相手だとしても数発の攻撃を耐えられるはずだ。それをたった一撃で。

 ボスは三人では満足できないとばかりに、雄叫びをあげながら、その巨体に見合わぬ速度で別のパーティーへと肉薄する。

 一撃必殺の鎌と並外れたスピード。こんな怪物相手では、偵察隊の十人が五分で全滅したのも納得がいく。

 

 狙われたプレイヤーが悲鳴をあげ、左の鎌が振り下ろされたその時、ヒースクリフが間に割り込み、十字盾で受け止めた。しかし、スカルリーパーの動きは止まらず、もう一方の鎌で襲いかかる。

「くそっ……!」

 そこへキリトが飛び込み、交差させた剣で鎌を受ける。さらにアスナが純白の光芒をまとったレイピアで突き上げ、鎌を押し返した。

 ヒースクリフの盾。キリトの斬撃とアスナの刺突。三人の力によって、次の攻撃も弾き返される。

 

「大鎌は俺たちが食い止める! みんなは側面から攻撃してくれ!」

「ああ、みんな行くぞ!」

 キリトが叫ぶのと同時に走り出し、アルスはスカルリーパーの体に猛然と斬りかかった。

 続いて、ケインの両手剣、トールのハンマー、エルドラのロングバトンとエデンのメイス、アラシの槍が様々なライトエフェクトを放ちながら、ボスのHPを削っていく。

 

 アルスたちに続こうとして、別のパーティーが武器を構えて向かってくる。だが、攻撃が届く寸前で、尾の先端に付いた槍によって、薙ぎ払われた。鎌に比べればダメージは小さいようだが、一人が倒れ、二人はHPを赤く染めている。まともに食らえばこちらも即死級のダメージとなる。

 

 今までにない攻撃力を持った異形のボス。過去のフロアボス戦を基として、事前に想定していた戦略はおそらく通用しない。過去の経験と今見たボスの能力、それにパーティーメンバーの特性から、最善の戦略を組み立てる。

 

「……アタッカーはトールとエルドラ。狙うのは脚でいい確実に攻めろ」

「わかった」

「了解しました」

 スカルリーパーの種族的な分類は明らかにスケルトン系。打撃武器のダメージの徹りはいいはずだ。先ほどの攻撃で発生したエフェクトを見ても、この二人が最も多くダメージを与えていた。アタッカーの中心となるはずだったキリトが攻撃に参加できない以上、この二人をメインアタッカーとして攻撃に集中させる。

 

「エデンは二人の護衛。攻撃は隙が出来たときだけでいい。アラシはデバフスキルを使いつつ、周辺の警戒」

「うむ」

「任せろ」

 そのために、槍や鎌の攻撃が来た時の対処はエデンに任せ、取り巻きの出現などを想定してアラシをバックアップに置く。これでほとんどの状況に対応できる。

 

「ケインは……」

「わかっている」

 アルスが指示を出すよりも早く、ケインは今まさに動き出そうとしていた尾を斬り払った。強烈な斬撃で向きが変わり、尾の先端にある槍が床に突き刺さる。

 

「この鬱陶しい尻尾を、お前と一緒に斬りとばせばいいんだろ」

「正解だ」

 鎌は主力の三人が抑えてくれている。あとはもう一つの攻撃手段であるこの尾さえなんとかできれば、犠牲者の数は格段に減る。

「やるぞ!」

「「おう!」」

 スカル・リーパー。死んだ仲間の仇を取らせてもらう。

 

 

 

 

 開戦から四十分が経った。

 スカルリーパーは攻撃力、耐久力、敏捷力といったステータスが高い代わりに、攻撃のバリエーションが少なく、状態異常を起こすような特殊攻撃は持っていない。取り巻きが出ることもなく、致死性の一撃さえ避けることができれば、御しやすい相手と言えた。

 

 だが、その一撃を受けてはならないというプレッシャーが、時に判断を誤らせ、攻撃を避けきれなかったプレイヤーがすでに数人死んでいる。

 犠牲がまだ数人で済んでいるのは、鎌の攻撃をヒースクリフ、キリト、アスナの三人が。尾の攻撃をアルスとケインが、ほとんど防げていることが大きかった。

 

「ケイン。スイッチだ」

 尾の攻撃を弾き返したアルスは、傷ついた体を癒すために、ケインと交代してボスから離れ、ポーションを呷る。プロメテウス謹製の最高級ポーションでも、全快までには数十秒はかかる。その間は戦闘に参加できない。

 

 ボスの頭部を見ると、五段あったHPゲージは残り二段となっていた。残りわずかな二段目も今削り切られ、ついに最後の一段へと突入する。

 その直後、スカルリーパーが怒り狂ったような叫声を上げ、眼窩から漏れ出ていた青い炎が赤色へと変わる。

 

「ゲージラス一、全員警戒!」

 戦っている他のメンバーに向かってアルスは叫んだ。ここからはボスの攻撃速度が増し、未知の攻撃パターンが出てくる恐れもある。終わりが近いからこそ、油断はできない。

 予想に違わず、振り回される尾の速度が上がった。それでもケインは攻撃を見切り、斬撃によって弾き返す。弾かれた尾は、定位置に戻り、五秒ほどのインターバルをおいてまた振るわれる。その間にケインは体勢を立て直し、次の攻撃に備える。

 

 ……そのはずだった。

 

 弾かれた尾は元の位置に帰らず、槍状の先端をケインに向けて再び動き出した。

「避けろ!」

 アルスの言葉に反応し、ケインは回避を試みた。だが、狙い澄ましたように進む尾は、動いたケインを執拗に追いかけ、鋭い槍が胸の中央を貫いた。

 

「がはっ……」

 

 苦悶の声をあげながら吹き飛ばされたケインの元へ駆け寄り、アルスはポーションの栓を抜いた。減少し続けるHPバーを止めるために、口にポーションを突っ込もうとするが、兜のバイザーを上げようとした左手をケインに掴まれる。

 

「手遅れだ」

 左手を握る力が強まる。

「勝てよ」

 その言葉を最後に、ケインの体は砕け散った。最後まで手放さなかった両手剣だけが、その場に残る。

 

「くっ……」

 アルスは自分の剣を拾い上げ、ボスに向かって走り出した。ケインを殺し、定位置まで戻った尾の槍は、エデンに照準を定めている。しかし、今のアルスの位置からでは、その攻撃を止めることができない。

 

「来るぞ。おっさん」

 そのことに気づいたアラシが警告を発し、エデンは盾を構える。まっすぐ突き込まれた槍が、エデンが構える盾の中心に衝突する。他の者なら即死しかねない一撃を、エデンはその場で踏みとどまり、受け止めた。

 だが、攻撃はそれで終わらず、尾が今度は横薙ぎに振るわれる。重い一撃を受けて硬直していたエデンは二撃目を防げず、薙ぎ払われた。

 

 激しい衝撃によってエデンの体が浮き、鎧同士がぶつかり合ってすさまじい音を立てながら落下する。本人の防御力の高さもあって、ダメージ自体は大きくないが、重装備プレイヤーは転倒した際立ち上がるまでに時間がかかる。

「大丈夫か? おっさん」

 手を貸すためにアラシが駆け寄り、落下音を聞いてトールとエルドラが振り向く。

 まるでそれを狙い澄ましていたかのように、スカルリーパーが咆哮を放った。

 

「下がれー!」

 

 耳をつん裂くような咆哮はプレイヤーたちの足を止め、アルスの声をかき消した。

 

 スカルリーパーは哮りながら鎌を無茶苦茶に振り回し、幾十の脚を大きく上げて長い体をくねらせながら暴れ始める。その脚の一部が、トールとエルドラの頭上へ振り下ろされた。

 体に纏わりつくものは振り払われ、鎌の軌道上にあるものは斬り伏せられ、スカルリーパーに誰も近づくことができない。トールとエルドラは鋭い脚で踏み貫かれ、暴れるたびに二人の体が床に叩きつけられる。

 暴走は十秒にも及んだ。その十秒の間に、鎌に斬り払われた者が二人死に、幾度も叩きつけられたトールとエルドラの体が消失する。

 

 床に落ちるロングバトンとハンマーから目を離し、アルスはおとなしくなったスカルリーパーの体を斬りつけた。直後、敵の存在を認識して、尾がアルスに向かって振るわれる。

 

 広範囲の薙ぎ払い攻撃を剣の腹で受け軌道を変えるが、激戦によって消耗した両手剣ターミネート・ソードは、その一撃で砕け散った。

 間を空けず次に迫るのは、まっすぐ進む突き攻撃。アルスはクイックチェンジを発動し、右手にルシード・ブレードを装備する。

 銀色の剣を青色のエフェクトが包み、巨大な槍を水平斬りで迎え撃つ。槍の速度は落ちたが、やはり片手持ちでは威力が足りず、槍はアルスに向かって進み続ける。

 

 槍が眼前まで迫る中、左へ振り切られようとしていたルシード・ブレードの柄を、導かれるようにしてアルスの左手が掴む。その瞬間、剣を包む光が赤色に変じ、大上段へと移動する。

「オオォッ!」

 バスタードソード専用二蓮撃技《ヘテロ・クロス》。

 片手持ちから両手持ちに持ち替える動き自体が、システムアシストに組み込まれた専用ソードスキル。

 

 二撃目の垂直切りを受けた槍は完全に失速し、アルスの眼の前で叩き落とされた。

「これ以上。一人もやらせねぇ」

 次の攻撃を、両手持ちの一撃を弾き返す。間もなく襲いかかる二回目の攻撃が来るのは、技後硬直が解ける直後。回避にしろ、防御にしろ、迎撃をするにしろ、タイミングがわずかでも遅れれば、即死の危険がある。

 

「左上からだ」

 尾が動き出した瞬間、アルスの背後から指示が飛び、左に盾を構えたエデンが割り込む。

「ふんっ!」

 叩きつけられた尾をエデンが盾で受け止め、

「せいっ!」

 動きが止まった尾をアラシが槍で突く。

 

 定位置へ戻る尾の動きは、アラシのソードスキルの効果か、少し遅くなっていた。

「アルス。お前は一発目を弾くことに集中しろ。二発目は俺が防ぐ」

「死角のフォローと動きの指示は俺に任せてくれ」

 エデンとアラシの言葉に頷き、アルスは次の攻撃に備えた。

 

 開戦から一時間後、最後は攻略組の総攻撃によって、スカルリーパーは息絶えた。

 

 

 

 

 ボス戦の終了を告げる【Congratulation】の表示が出ても、誰一人歓声すらあげることはなかった。アルスも幸運にも得られたラストアタックの表示には目もくれず、ボス部屋の中を歩き回って、落ちている武器を回収する。

 ケインの両手剣、トールのハンマー、エルドラのロングバトン。いずれも三人の象徴的な武器であり、彼らが最期の瞬間まで手放さなかった唯一の遺品。

 三つの武器を床に並べ、アルスのはその前で膝を着いた。

 

「お前ら、ごめんな。こんなところに連れてきて、俺なんかの下で戦わせちまって」

 死んだ三人に謝罪の言葉を送るアルスの肩に、アラシが手を置く。

「あまり自分を責めるなよ。アルスはよくやってくれたさ」

「そうだ。俺たち自身の力が足りなかっただけで、あいつらもそれはわかっているはずだ」

 エデンも正面でしゃがみこんで語りかける。

 

 二人の言葉は理解できるが、彼らをここに招き、その命を預かったのは自分だ。

 その責任は取らなくてはならない。彼らが残したものを、彼らの勇姿を無駄にしてはいけない。

 彼らのギルドへ届けるべく、三つの武器をストレージに収める。

 

 その時、どよめく声とかすかな音声エフェクトが耳に届いた。

 音がした方を見ると、そこにあったのは、剣を突きつけられているヒースクリフと、その剣を握るキリト、その間で紫色に発光する【Immortal Object】の表示。

 

 ……不死状態だと。

 

 ヒースクリフは自身のHPゲージがイエローに陥らないようあらかじめ設定していたのだ。

 数々の伝説を残していた男の伝説の正体が、キリトによって今ここで看破された。さらにその正体も。

「…………そうだろう。茅場晶彦」

 

 まさか、あいつが。

 

 そこからヒースクリフは、自らが茅場晶彦であることを認めた。そして、九十五層で正体を明かし、百層で最終ボスとなるその計画を。

「……最終的に私の前に立つのは君だと予想していた。全十種存在するユニークスキルのうち《二刀流》スキルは全てのプレイヤーの中で最大の反応速度を持つ者に与えられ、その者が魔王に対する勇者の役割を担うはずだった。勝つにせよ負けるにせよ。だが君は私の予想を超える力を見せた。攻撃速度といい、その洞察力といい、な。まあ……この想定外の展開もネットワークRPGの醍醐味というべきかな……」

 

 ヒースクリフが得意げに語る裏で、一人のプレイヤーがゆっくり立ち上がった。血盟騎士団の幹部であるその男は、巨大な斧槍を握りしめヒースクリフに襲いかかる。

 だが、ヒースクリフが左手を振り、出現したウィンドウを操作した瞬間、男の動きが停止し、床に音を立てて落下した。男のHPバーに表示されるアイコンは麻痺状態。

 

 ヒースクリフがさらに操作を続けると、他の者も次々と麻痺状態となり、アルスの体も痺れて動かなくなった。

『なんでもありか、こいつ』

 麻痺の影響か、声も囁くように小さなものしか出せなくなっていた。

 

 

 ヒースクリフは彼以外で唯一麻痺状態となっていないキリトを見据え、剣を地面に突き立て言い放った。

「キリト君。君には私の正体を看破した報奨を与えなくてはな。チャンスをあげよう。今この場で私と一対一で戦うチャンスを。無論不死属性は解除する。私に勝てばゲームはクリアされ、全プレイヤーがこの世界からログアウトできる。……どうかな?」

 その申し出にキリトはゆっくりと頷き了承した。

 

『なに勝手に、お前らだけで話を進めてやがる』

 

 ゆっくりと立ち上がり、アスナ、エギル、クラインと言葉を交わしながら二本の剣を抜き放つ。

 

『キリト。なんでお前だけ動けるんだ』

 

 キリトが剣を構えると、ヒースクリフは左手でウィンドウを操作して自身のHPをキリトと同じ量に調整し、不死属性を解除する。

 

『なんでお前だけが戦えるんだ』

 

 ヒースクリフも剣と盾を構え、しばらく睨み合ってから、キリトが地を蹴った。

 

『どうしてお前が二刀流に選ばれたんだ』

 ユニークスキルとはなんなんだ。勇者となるためのスキルだと。そのスキルがなければラスボスと戦ってはいけないのか。だったら、俺たちはなんのためにここにいるんだ。

 

 ヒースクリフとキリトの剣戟は、両者ともにソードスキルを使っていないものの、先日のデュエルにも劣らないハイレベルなものだ。それなのに、アルスにはその戦いがひどく滑稽なものに思えた。

 

 二刀流。神聖剣。二本の剣による蓮撃も、盾を用いた攻防一体の剣技も、俺には必要ない。手にあるこの剣一本で十分だ。この剣だけで、お前ら二人とも倒してやるよ。

『だから、俺にも戦わせろ』

 

 アルスの言葉は誰にも届かず、焦りを見せたキリトがソードスキルを発動し、二十を超える蓮撃が放たれる。だが、ヒースクリフはそのすべてを受け切った。最後の一撃を防がれた際に左手の剣が砕け、長い硬直に囚われたキリトへ、ヒースクリフは深紅に輝く剣を振り下ろす。

 

 その剣がキリトに当たる直前、二人の間に一人のプレイヤーが飛び込んだ。

 麻痺で動けなかったはずのアスナが、ヒースクリフの剣を受け、キリトの腕の中で崩れ落ちる。HPを失った彼女の体は幾つもの欠片となり、キリトの腕をすり抜けて消えていく。

 

 アスナの死など、その時のアルスにとってはどうでもよかった。麻痺であっても動くことができる。その可能性を示してくれたことだけに感謝していた。

 

 動け、動け。

 

 全身に力を入れようとするが、体が言うことを聞かない。

 

 動け、ヒースクリフを殺すんだ。

 

 深紅の騎士に殺意を向けた瞬間、麻痺アイコンが点滅し、見慣れぬアイコンが表示される。それと同時に、体の自由がわずかに戻った。

 

 殺せ。殺せ。殺せ。

 

 殺意を意識すればするほど麻痺のアイコンが薄れて体が動くようになり、剣を支えに歩き始める。

 

 ヒースクリフを、茅場晶彦を殺せ。俺なら、それができる。今なら殺せる。

 

 左手でアスナの剣を拾い上げたキリトが、ヒースクリフに剣を突き出す。だが、その動きは到底攻撃とは呼べない緩慢なものだった。

 

 邪魔だキリト。そこをどいていろ。そんなところにいたら、茅場を殺せないだろ。

 

 ヒースクリフは憐れみの表情を浮かべ、キリトが持つ右手の剣を盾で弾き飛ばし、長剣で胸を貫いた。

 

 言わんこっちゃねぇ。安心しろ。俺がそいつを殺してやる。

 

 キリトのHPは尽き、その体が崩れ始める。あとは何もできず、その体が消滅していくしかない。

 

 えっ……

 

 アルスの眼の前で信じられない現象が起きた。システム的にはすでに死んでいるはずのキリトのアバターが動き出し、左手の細剣をヒースクリフに近づけていく。アルスは無意識のうちに足を止め、それがヒースクリフを貫く瞬間を待っていた。

 なぜか笑みを浮かべるヒースクリフの体を音もなく細剣が貫き、そのHPを削りきる。

 

 茅場晶彦が死んだ。

 

 そう意識した瞬間、アルスの体から力が抜け、床に崩れ落ちた。見慣れぬアイコンはいつの間にか消えており、点滅していた麻痺アイコンが今ははっきりと表示されている。

 キリトとヒースクリフの体は二人同時に消失し、無機質なシステム音が鳴り響く。

 

『ゲームはクリアされました。 ゲームはクリアされました。 ゲームはクリアされました。 プレイヤーの皆様は 順次 ゲームから ログアウトされます。 その場で お待ちください。 繰り返します……』

 

 

 

 

 

 目覚めると、強烈な光が目を襲い、反射的に目を閉じた。目を薄く開いて光に慣らしながら、上半身をゆっくりと起き上がらせる。

 首にある留め具を震える指で取り外して、あの世界と自分を繋げていたナーブギアを脱いだ。目の前に伸び切った前髪が垂れ下がる。

 

 髪をかきあげ、光に慣れた目を開いて自分の手を眺める。

 指紋に皺、産毛まで生えたどこかグロテスクにすら感じる自分の手。

「は……ははっ……そうか。終わったのか」

 それはアルスではなく、現実世界の黒崎蓮(くろさきれん)の手だった。

「……もう、これで終わりなのか」

 

 

 

 

 SAOがクリアされてから、半年ほど経過した。

 一部のプレイヤーがクリア後も目を覚まさず、別のゲームに囚われるという事件も発生したが、それも四ヶ月前に解決し、SAO生還者は皆、日常を取り戻そうとしている。

 蓮も二年間心配をかけ続けた家族と再会し、失った時間を埋めるように家族と過ごしている。休学扱いだった大学は取得単位の関係で後期からの復学となり、復学まではそれまでに取った単位科目の復習とたまにアルバイトをする毎日だ。

 

 そんな日々を送ることに不満はない。

 ただ、ふとした時に考えてしまう。アインクラッドでの二年間は、一体何だったのかと。

 新たに出会えた友を失い、戦友たちを戦いの中で死なせ、時には自分の手で殺しさえした。その日々に一体どんな意味があったというのか。

 イカロスの翼のように、アインクラッドから飛び立って自由を手に入れる。それを目標に戦っていたが、蓮の心は、未だにアインクラッドに囚われたままだった。

 

 

 現実世界に戻り、神話について調べていると、忘れていた一つの事物が目に止まった。

 イカロスがラビリントスから脱出する際、父であるダイダロスから翼を授かっている。では、そのダイダロスとは何者なのか。

 

 ダイダロスはあらゆるものを作り出す名匠であり、ラビリントスを生み出した当の本人だった。

 ダイダロスはミノタウルスを倒したテセウスにラビリントスの脱出方法を教えたことでミノス王の怒りを買い、息子であるイカロスと共に彼自身が作り出した迷宮に閉じ込められる。

 そして、息子と共に翼を使って脱出するのだが、この場面は奇しくもSAOの最後とよく似ている。

 

 アインクラッドの製作者である茅場晶彦が、キリトに二刀流を与え、自らも神聖剣を使って、他の者には手の届かぬ場所へと飛び立つ。

 イカロスの翼というギルド名は、図らずもその未来を暗示していた。

 あの二人をダイダロスとイカロスとするなら、自分は一体なんなのか。

 決まっている。ミノタウルスから運良く逃げおおせた生贄の一人だ。

 

 ダイダロスの知恵も道具も得られずにラビリントスに入った者は、ミノタウルスから逃げ惑い、捕まってしまった者は食われ、運良く逃れた者はひたすらそこで彷徨い続けるのみ。

 アインクラッドでもそれは変わらない。ユニークスキルを持たない者は、フロアボスに倒されれば死に、生き残ってもラスボスに挑むことができずに、あの世界に囚われ続ける。

 

 ユニークスキルがないプレイヤーは、あの世界を形作り、二人の戦いを演出するために集められた。ただそれだけの存在だ。最後は結局、逃げることも戦うこともできず、その成り行きを見守ることしかできない。

 ラビリントスから飛び立つ二人を見上げ、手を伸ばして必死にその翼を求める者。

 それがあの世界でのアルスを表するにふさわしい。

 

 

 

 

 ある日気まぐれに外出し、電車に乗って新宿駅で降りた。迷路のように入り組んだ駅から抜け出し、平日の昼間でも人の往来が絶えない道を目的もなく歩く。

 そんな時、二人の女性が目に止まった。

 二十代前半と思われる若い女性。整った容姿を持ち、凛とした佇まいの二人は、髪型以外一切の違いが見つけられないほどにそっくりな双子だった。

 

 なぜその二人が気になったのかはわからず、蓮は二人の近くを通り過ぎた。数歩進んだところで、追いかけてきた二人が、突然進行方向に割り込んで来た。

「なっ……」

 蓮が文句を言おうとすると、先んじて二人が背筋を伸ばして口を開く。

 

「突然のご無礼お赦しください」

「イカロスの翼のリーダー、アルス殿とお見受けします」

 あの世界での自分のことを知る二人に一瞬警戒したが、古めかしい言葉遣い、そして二人の顔を間近で見たことで蓮も双子の正体に気づく。

「もしかして、ケインのとこの」

「円卓騎士団副長リーラです」

「同じくリーナです」

 その姉妹は、円卓騎士団の双子剣士リーラとリーナだった。

 

 

 人通りの多い場所で立ち話をするわけにもいかないので、近くの喫茶店へと移動し、席について互いに自己紹介を行った。

 リーラとリーナはやはり双子の姉妹で、年はアルスの二つ上。名前はツインテールのリーラが中田璃蘭(りら)、ポニーテールのリーナが中田璃梛(りな)と、キャラネームとそれほど差がなかった。

 年上の女性を名前で呼ぶのは慣れないが、苗字が同じなのでやむなく二人のことはリラさん、リナさんと呼ぶことになった。蓮の方も蓮くんに決まった。

 

「まさか、こんなところでSAOの知り合いと会うとは思いませんでした」

「年上だからって、敬語にすることないのに」

「そうそう、向こうじゃいつもタメ口だったし」

「は、はぁ」

 

 リラとリナは、SAOの頃とはかなりの変貌ぶりを見せた。

 堅苦しい女剣士の面影はどこへ行ったのか、女子大生らしいフランクな言葉遣いになり、コーヒーと一緒に注文したケーキが来ると目をキラキラさせている。

 早々に調子を崩されながらも、蓮はコーヒーを一口飲んでから訊いた。

 

「それで、どうして俺に声をかけてきたんだ」

 リラとリナは持っていたフォークを置き、一度顔を見合わせてから言った。

「実は蓮くんに聞きたことがあって」

「マスター……ケインのことなんだけど、彼は……」

 二人が言わんとすることを察し、アルス無意識に低くなった声で答える。

「ケインは七十五層のボス戦で死んだ。最期まで、勇敢に戦ってたよ」

 その答えを聞いて、二人は表情を見せないように俯いた。

 

 七十五層の戦いで大きな犠牲が出たことは、二人とも知っていたのだろう。覚悟はしていたのだろうが、押し殺された嗚咽が聞こえてくる。

 蓮は二人が落ち着くまで待った。コーヒーが冷めた頃に目を少し腫らした二人が顔を上げる。

「できれば、教えてくれない」

「あのボス戦が、ケインの戦いがどんなものだったか」

 

 蓮はあのボス部屋で起きたことを包み隠さず話した。

 ケインがどう戦い、どんな最期を迎えたのか、あのゲームがどうやってクリアされたのか。

 全てを話し終えてから、蓮は深く頭を下げる。

「すまない。俺が無理矢理ボス戦に参加させたせいで、ケインを死なせることになってしまった。あの日、あいつがボス戦に出ていなければ、今頃きっと……」

「頭を上げて、蓮くん」

「私たちはあなたのことを恨んだりしてないから」

 

 アルスが頭を上げると、二人は穏やかな表情で言った。

「ケインが言ってたの。自分で決めたことだから、何があってもアルスのことを恨まないでくれって」

「むしろ、私たちを参加させずに済んで良かったなんて言ってたの。女性だけを危険にさらすのは紳士のすることじゃないからなって、いつもみたいにカッコつけて」

「でも……」

 

 蓮の言葉を遮るように、歩たちは続ける。

「本当にいいの。今日は話してくれてありがとう」

「私たちは、命懸けで戦ったケインの代わりに、前を向いて生きていかないと」

 リラとリナは、手付かずだったケーキとコーヒーに口をつけた。笑顔で美味しいと言っていたが、蓮には悲しみを抑えるために、無理矢理飲み込んでいるように見えた。

 蓮も自分のコーヒーを一息に飲み干した。冷めたコーヒーの味は、最初に口にした時よりも苦く感じられた。

 

 喫茶店を出て二人と別れた後、蓮は歩きながらケインの死を伝えてよかったのか、と自問自答していた。

 ケインの死を知って、二人は深く悼んでいた。

 だが、その事実を伝えてくれたことに対する、お礼の言葉も嘘とは思えなかった。

 見たくない現実から目を背けることが、時に正しい選択となることもあるだろう。

 でも、きっとあの二人なら、ケインの死を知ってなお、彼の勇姿に力をもらえるだろう。

 もしかしたら、自分がアインクラッドに囚われたままだと感じているように、ケインの死を知ることで、彼女たちのSAOは終わりを迎えられたのかもしれない。

 

 そんな考えが浮かんだ瞬間、蓮は走り出した。

 電気量販店へ行き、必要なものを買い揃え、急いで電車で帰路につく。

 家に着くと、購入したアミュスフィアとアルヴヘイム・オンラインのソフトを出し、自分の部屋でネットに接続する。

 

 七十五層のボス戦の後で決めていた。

 死んだ三人の勇姿を決して無駄にはしないと。

 ならば、生き残った彼らの仲間に、その最期を伝えないでどうする。

 当然、聞きたくないという者もいるかもしれない。自分のことを非難する者だっているかもしれない。

 でも、それを知りたがっている者だって必ずいる。

 そんな人たちに三人の最期を伝えるのは、彼らを死地に導き、それを目撃した自分しかいない。いや、彼らだけでなく、エリスやラスク、ダイモン、あの世界での最期を、知るべき人たちに伝えたい。

 

 未だにアインクラッドから出られたという実感はない。おそらくその理由は、まだあの世界に未練が残っているからだろう。アインクラッドでやり残したことを終わらせない限り、この感覚は一生残り続ける。

 

 全ての準備を終え、蓮はアミュスフィアを着ける。

 アルヴヘイム・オンラインは、SAO時代のアバターデータを使用できる上に、唯一アインクラッドとソードスキルが実装されているVRMMOだ。彼らの最期伝えるならば、まずはアルスに戻る必要がある。

 

 蓮は二年と半年前に全ての始まりとなった呪文を、再び唱える。

「リンクスタート」

 

 

 

《終わり》

 



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