FLOWER KNIGHT LEAF (藤宮ぽぽ)
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第一章【燎煙の雪語】(イオノシジウム、ペポ、ランタナ、サンダーソニア、グリーンベル、ヒメシャラ)
1-1 ペポたちと銀色の世界


このお話を書いたのは、それまで詳細が謎に包まれていたロータスレイクがついに全貌を現し始めたといったころで、当時は各国家同士の交流についてはあまり言及されていなかった印象があります。
それがシナリオがどんどん深化するにつれ、トリトニア調査隊やネライダいった面々や組織が加わり、同時に国家間の連携も活発になってきました。
世界観が重層化していくにつれ、すべての状況や要素を把握するだけでもなかなか大変な作業になっていきますが、それがまたファンとしては嬉しい悲鳴だったりもします。
 


  

「わあ……!」

 

 

 どこまでも、白銀が支配する世界。

 まるで波のように連なる山々が、頂きを真っ白に化粧している。

  

 頂上ばかりではない。

 足下に広がる裾野もまた、染みのひとつすらない、白の一色だ。

 ただ、ひたすらに。視界のすべてがきらめく単色に埋めつくされた雪景色は、見る者の多くを圧倒させてやまない。

  

 そこに、小さな。

 ほんの小さな。さながら斑点のごとく、周囲とは異なる、何種類かの色。

 近づいてみれば、それは荷車の隊列ということが分かるだろう。

 そして、その部分だけが。巨大な手つかずのキャンバスのようにも思えた風景に、かすかな変化を与えつづけていた。

  

  

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

  

  

「ランタナちゃん、見て見て! ほら、あっちの山も、こっちの丘も、みんなみーんな真っ白だよー!」

 

「雪! かき氷! なにこれ、いくら食べてもぜんぜん減らないじゃん! マヨネーズもソースも足りないじゃん!」

 

 

 ――右を見て。左を見て。

 場所が場所なら挙動不審と疑われかねないほど、落ち着きがないこと(はなは)だしい。

  

 国境を越えウィンターローズに入ってからというもの、前後左右にきょろきょろと首を振り、飽きずに何度も歓声をあげつづけているペポ。

 やわらかな陽光を浴びて乱反射する氷の芸術に目を細めつつ、興奮はいつまでも収まるところを知らないようだ。

 そしてまた、その隣ですっくと仁王立ちスタイルで、これまたペポと同様にはしゃいでいるランタナ。

 たまに足場が揺れて転びそうになったりするけど、そんなことを気にする様子すらどこにもない。

 きゃっきゃうふふと、さして広くもない一室の中の空気は、ふたりのおかげで底抜けに明るかった。

 

 

「……あんたたち。興味津々って気持ちも分かるから、あんまりうるさく言いたくはないけどさー」

 

 

 とはいえ、これだけ騒がれると。同行者が「やれやれ」といった気分になるのも無理はない。

 

 

「窓を開けるのも、まあいいわ。けど、身を乗り出しすぎて、客室から落っこちるのだけはNGだからね」

 

「はーいっ。心配してくれてありがとうございます、イオノシジウムさん!」

 

 

 ぺこりと小さくうなずいたものの、ペポの視線はすぐさま窓の外の銀世界へと戻ってしまう。

 

 

「……それにしても、ランタナちゃん。ウィンターローズへ来たのって、これがはじめてなの?」

 

「んー? わたし、宵越しの記憶は持たない主義だし。よく覚えてないやー」

 

 

 二頭立ての大型馬車が、十輌ほど。

 ペポたちが乗る四輪の幌馬車を先頭にして、その背後に複数の荷馬車が縦列でつづくといった格好だ。

 御者台でたくみに馬を操っているのは、地元であるウィンターローズの騎士学校に所属している見習い騎士。

 まだ見習いであるのに、こんな雪道でもまるで問題なく馬車を走らせることができる。雪景色と同じくらい、その技能の優秀さにも、ペポは驚かされていた。

  

 一行が向かう先は、ウィンターローズ国内の僻地に存在する村々。

 地図にすら載らず、よって国から恩恵を受けることもほとんど期待できないという、小さな村や集落のいくつかだった。

 

 ……けれど、そんな状況が変わるかもしれない。

 今回、ペポたちに与えられた任務。それというのが、そうした不遇の村に必要な生活物資を、バナナオーシャン公認のもとで輸送し届ける、というものだったからだ。

  

 ウィンターローズなら、ウィンターローズに所属する組織。バナナオーシャンならバナナオーシャンに所属する組織。

 と、その国に存在する騎士団や個人の善意によって行われるものとは、今回は大きく様相が異なる。

 他国の主導のもと、窮状にあえぐ遠方の村に手を差し伸べる。

 バナナオーシャンの王室みずからが物資の調達を手配し、支援という形で無償で供与する――というのが、今回の大きな目玉となっているのだ。

 両国間で正式に取り交わされ、その名のもとで行われる計画。それは、外交という行為につきまとう面子や打算といったものを超越した、過去には例の少ない挑戦的な試みといえるものだった。

 

 

「……アカシアさんたちって、本当にすごいなぁ。ね、ランタナちゃん?」

 

「……ほえ? お菓子にスイカさん?」

 

「ちがうよ! アカシアさんだよ!」

 

 

 国家の枠にとらわれない、長距離におよぶ物資の大量輸送。

 今回の任務の発案において大きな影響力を与えたのは、実はアカシア隊やオレンジ隊の活躍によるところが大きい……と、ペポは出立前に耳にしたのだった。

 

 

「アカシアさんたちがいなかったら、こんな大きな輸送隊が組めたかどうか分からないって話、ランタナちゃんも聞いてたじゃない」

 

  

 ――スプリングガーデンに住む人々に襲いかかる、果てのない害虫の脅威。

 絶え間のないその襲撃により、輸送や交易においての規模は、それが大きいほど達成の困難さに直結する、というのが一般論だ。

 花騎士にとって輸送隊の警固にあたるというのは、つまりは後方任務にすぎない。と、そのような認識を拭い去り改めることは、なかなか簡単な話ではなかった。

 前線で華々しく戦うほうが、どうしても脚光を浴びがちになる。となれば、功績を立てるのも騎士団への貢献を認めてもらうのも、やはり前線で活躍するに勝るものはない。

 また、そのような支援任務を優先した代償として、直接に討伐へと赴く花騎士の数が不足したらどうするのか。害虫を叩かなければ、そもそも輸送など不可能ではないか。

  

 ……そうした考えが根底を占め、主流となった結果。

 頼れる護衛力にそもそもの限界があり、ときに期待を下回る結果にすらなりかねない以上、物資を大量に扱うほどリスクは増大する――といった考え方こそが「常識」と見られがちという、そんな状況だったのだ。

 

  

「……うん。本当にすごいな、アカシアさんたちって」

 

  

 しかし。

 いつしか当然のこととして固着化しかけていたその概念を、強引ながらも打破するべく行動をはじめたのが、アカシア隊だった。

  

 自身が有力な花騎士でありつつ、専門の部隊として隊商の護衛や輸送任務を請け負う。そうして強力な護衛が確実に得られるという安心感が、活発な交易や物資の大量移送といった話を現実に結びつけることになっていく。

 かつてはまるで夢物語のようにすら思えたそれが、アカシア隊やオレンジ隊の活躍によって空想とは呼べなくなってきている。そして少しずつながら、彼女たちの存在は正当に評価され、注目を浴びるようになりはじめていた。

 そうした背景が、徐々に各国の上層部にも認知されるようになって……今回のような花騎士部隊の護衛による、公的支援プロジェクトとして大きく結実したのだった。

 

 両手の指を使い切らなければいけないほどの数の馬車が、連なるようにして街道をゆく。そんな姿なんて、今まで見たことがあったっけ?

 ――と、ペポは思う。

 

 認められつつあるとはいえ、今でもアカシア隊では充分とはほど遠い輸送量に甘んじざるを得ない場面が往々にしてある、といった噂も耳にする。とすると、今回のこの膨大な物資を見れば、羨ましがられるかもしれない。

 さすがは国家規模の計画と、あらためて驚かされる。そしてさらに、その護衛という重要な役目を自分が担っていることを思い返すと――ウィンターローズの雪景色に目を奪われながらも、ペポなりに何度も緊張をあらたにしてきた。

  

 ただ、同時に。

 もうひとつ、別の思いもまた、どうしても頭から振り落とすことができない。

 

 

「ヒメシャラさん……。村の人たちだって、きっと楽しみにしてくれたと思うんだけどなぁ……」

 

 

 個人的な支援ながら、例年、ウィンターローズの恵まれない辺境の村にクリスマスプレゼントをこっそり贈っていたというヒメシャラ。

 地道な彼女の活動を知る者は、決して多いとはいえない。だからこそ、その話を最初に聞いたときのペポは、なによりも強く感動したものだった。

 それだけに今回、この選抜メンバーの中に彼女の姿がないことに、寂しい思いがしてならない。

 

 

「代わってあげたかったなぁ。でも、気がついて探したときには、別の任務に出発しちゃった後だったし……」

 

「それとこれとは、話が別よ。きっとヒメシャラだって、そう納得してるはずだわ」

 

「……はい、イオノシジウムさん……」

 

 

 ペポの頭の上に、ぽんと優しく手のひらが置かれる。

 

 

「……気にしなくても、きっと大丈夫よ。聖夜祭は毎年、必ずやってくるんだしね」

 

  

 バナナオーシャンに所属する、この任務を割り当てられた花騎士は、つごう五名。

 ペポ、ランタナ、イオノシジウム。

 そして――

 

 

「……そういえば。イオノシジウムさんって、たしか、ウィンターローズの出身なんですよね?」

 

「ええ、そうよ。まあ、花騎士になって、バナナオーシャンに配属されることになって……」

 

「……その後、何度かふらりと里帰りをしてるんですよね、イオノシジウムったら」

 

「ちっがーう! その言い方だと、いかにも里心がついて、みたいなイメージになっちゃうでしょー!

 ……たしかにね。何回かこっちに戻って活動した、ってことはあるわよ? あるけどさー」

 

 

 ペポやランタナとは、向かい側となる座席。そちらで歓談するのは、今回の隊長役を務めるイオノシジウムと、それにサンダーソニアとグリーンベルの三人だった。

 五人の花騎士が、護衛の任に就きながら。そこにウィンターローズ所属の見習い騎士が二十名ほど、道案内および御者の役割を担って、輸送部隊はひたすら目的地に向かって進みつづけている。

 

  

「なあなあペポペポ~。仕事が終わったらさ、アレやろうよアレ!」

 

「アレってなあに、ランタナちゃん?」

 

 

 ペポの問いにランタナは片手を拳にして差し出すと、中に何かをぎゅっと詰めるような仕草をしたあとに、それをひょいっと空中に放ってみせた。

 

 

「うーん……おにぎり?」

 

「ペポのおバカー! 食べ物を放り投げるやつが、どこにいるんじゃーいっ!」

 

「うそうそ、冗談だってばー。雪合戦でしょ? いいね、やろうやろう~♪」

 

 

 任務が重要だろうと、そうでなかろうと。

 ペポたちはそれを失敗に終わらせることがないように、一生懸命にこなすだけ。

 

 そして、無事に完了したなら。

 ……そのあとは少しくらい遊んでも、きっと許してもらえるよね。うん。

  

  



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1-2 サンダーソニアのお仕事

  

「それじゃサンダーソニア、お願いね」

 

「はいっ!」

  

 

 ――イオノシジウムさんの指示を受けて、私ことサンダーソニアは、手にしている金色のハンドベルを大きく上下に振りました。

 村のみなさんに、支援物資の配給が開始されることをお知らせする合図です。

 

 物資の数々が順番に並べられ、準備の整った広場にはすでにかなりの人が集まってきています。

 でも、もしかしたらまだ気づいていない人もいるかもしれません。そう思って、私はできるだけ遠くにも響くよう、懸命に腕を振りつづけました。

 

 

「ではみなさん、これから配給券を二枚ずつお渡ししますので、受け取ったらそれぞれの列に順番にお並びください。

 物資は不足なく充分にお配りできるはずですので、どうか慌てることなく、列を決して乱さないよう心がけていただいて――」

 

 

 グリーンベルさんの説明にうなずきながらも、村の人たちは今か今かと待ちきれないといった様子です。

 配給する物資は、二種類。広場を大きく二分して、それぞれに受付とお渡しする場所が設置されました。

 東側ではイオノシジウムさんとグリーンベルさんが担当する食料品、そして西側はペポさんとランタナさんが担当する日用品とわずかながらの娯楽用品。それが今回の支援物資の中身です。

 一方で、私の担当はというと、手伝ってくれるウィンターローズの騎士見習いさんたちをまとめながらの、行列の形成やその監督。また、不正を行う人がいないか、目を配ることも含まれています。

 

 この村じゅうにも雪が降り積もって寒いはずなのに、広場周辺だけが人々の熱気で寒さを少しも感じません。それは同時に、辺境の村の生活が過酷だという証拠のようにも私には思えました。

 だからこそ、不測の事態や混乱が起きないよう――村の人たちに残念な思いをしてもらわないよう、公平かつ正確に行わねばなりません。

 でも……きっと大丈夫。みなさんの足音を聞いていると、気持ちが浮き立っているだけ。

 ソワソワやワクワクといった気持ちばかりで、悪心を胸に秘めた、重たいすり足のような足音はどこからも聞こえてはきません。

 

 

「よし……頑張らなくっちゃ!」

 

 

 ――私が気合いを入れたそのとき、グリーンベルさんの開始の合図が聞こえてきました。

 

 

 

 

「はーい、押さないでー。押さないでくださーい。品物はたくさん用意してありますからー!」

 

「かじらないでー。ペポをかじらないでくださーい。ペポをかじっていいのはわたしだけですからー!」

 

 

 最初のうちはそんなペポさんたちの言葉が聞こえてきたりもしましたけど、特に混乱や問題らしい事態も起こらず、順調に配給は進んでいきました。

 通りがかった列の途中で、年老いたおばあさんから感謝の言葉をかけられたりして。ちょっと気恥ずかしくもあったけど、嬉しい思いもしたりしました。

 物資を受け取って、自宅へと戻っていかれたのでしょう。時間の経過とともに、だんだんと広場の混雑ぶりも落ち着いてきます。

 開始からずっと動きっぱなしだった私たちも、ちょっと休憩。現場は交代してくれた騎士見習いの人たちにお任せです。

 

 ……の、はずだったんですが。

 

 

「みんな、いいー? よーく見ててねー。ここをこう、ちょっと押してみると……ほら、動いた!」

 

 

 ペポさんが手にしたおもちゃを操作すると、その周囲をぐるりと囲んでいた小さな子供たちが「わぁー!」と、いっせいに歓声をあげました。

 ペポさん、子供に大人気です。

 たとえ疲れていたって、子供の前では一気に吹っ飛んでしまうのかもしれません。そんなペポさんの笑顔を見ていると、まるで花の蜜を飲んだかのように、こちらまで元気になってしまいます。

 

 ……あれ。でもそういえば、ランタナさんは……?

 

 

「それじゃあねー、今度はこっちのおもちゃだよ。えーっと、こっちはねー……」

 

 

 ぺしゃっ。

 

 そのときでした。

 ペポさんの顔が、いきなり真っ白になっちゃったのは。

 

 

「うははー。ペポ太郎め、油断したなー。戦いはもう始まっておるのだー!」

 

「もうー。いきなり雪の玉を投げてくるなんて、ひどいよランタナちゃん!」

 

 

 そう言いながらも、嬉しそうなペポさん。つられて子供たちも笑います。

 

 

「おもちゃの解説は終わった? なら雪合戦しようじぇー! さあさあ子供たち、勇者ランタナ軍と魔王ペポ軍に分かれて戦争するじょー!」

 

「うぅー、不意打ちしておいて勇者って、それぜんぜん説得力ないよー。でも、だったらここは悪い勇者をみんなでやっつけないとね。終わったら、またおもちゃの話をしようねー」

 

 

「おれ魔王軍ー!」「魔王やだー。勇者軍がいいー!」などときゃっきゃとはしゃぎながら、あっという間にそれぞれのチームを作る子供たち。

 その光景を眺めながら、イオノシジウムさんがやれやれといった感じで肩をすくめました。

 

 

「まったく……元気ねえ、あの二人は」

 

「あなただって、けっこう子供に好かれているじゃないですか。参戦してきたらどう?」

 

「やーよ。めんどくさいし、暑くなるもん。グリーンベルこそ、一緒に混じってきなさいよ」

 

 

 こちらはすっかり、くつろぎモード。

 休憩時間だし、こっちの方が正しい姿といえなくもないですが……。

 

 

「私もバナナオーシャン所属だし、雪合戦ってほとんど経験したことがないんですよね。まあ、どうせやるなら、最初からしっかりと作戦を立てて……わきゃっ!」

 

 

 ぱしっ!

 ひゅんっ!

 

 

「ふははは! 戦場エリアは広大無辺、観覧席という安全地帯なぞどこにもないのじゃ。見たか、私のとっておきの二連弾……って、な、なんだってー!?」

 

 

 完全に蚊帳の外とばかり、のんびりと会話していたところ。

 流れ弾とは明らかに違う、最初からこちらを狙った一発がグリーンベルさんに直撃――って、雪玉を受けたときのグリーンベルさんの驚き声、ちょっとかわいかったかも……。

 その一方で、イオノシジウムさんはというと。こちらは何事でもないように、ひらりとかわしていました。

 

 

「ふふーん。甘いわね、ランタナ」

 

「ぬぬぬ、やるなイオノシジウム。ひとかたならぬと思っておったその回避力、幼少時の度重なる雪合戦で磨かれた成果であったとは!」

 

「いや、別にそういうわけじゃないんだけど……」

 

 

 でも、ランタナさんの挑発行為を受けて、イオノシジウムさんにもばっちり火がついちゃったようです。

 

 

「まあいいわ。あたしが加わるとなったら、あんたなんてボッコボコの雪まみれよ?」

 

「おうさ、上等でい! やれるものならやって……へぶっ!」

 

「わーい、さっきの不意打ちのお返しだよ! 油断したのが悪いんだからね、ランタナちゃん♪」

 

「よーし。それじゃあたしはペポに加勢するわ。グリーンベル、あなたも入れて3人でワンサイドゲームよ」

 

「まったく……元気なのは、誰かさんも一緒じゃないですか」

 

 

 つい今しがたまでの気が抜けきった姿とは一転して、軽快に駆けていくイオノシジウムさんの背後で、グリーンベルさんも重い腰を上げます。

 でも、気づいちゃいました。不承不承といった感じのグリーンベルさんも、その表情はぜんぜん違っていることに。

 すぐに本人も、そのことに気がついたようです。そして、もう本物の笑顔を隠そうとしないまま、私に手を差し伸べてきてくれました。

 

 

「……ともあれ、いただきものにはお返しをするのが礼儀ですから。サンダーソニアさん、あなたも一緒に行きましょう?」

 

「はい、ぜひっ!」

 

 

 最初は魔王軍に入って、ひとしきり雪玉をぶつけあって……。

 でも最後まで一人きりじゃランタナさんがかわいそうだから、途中からは勇者軍に入ってあげようかな?

  

  



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1-3 グリーンベルの決断

  

「さらば、村の人々よ! さらば、ともに過ごした短き時間よ! そしてランタナたちは、ふたたび車中の人となったのであった~!」

 

「みんなからすごく歓迎されて、それにすごく感謝されちゃったね。私がプレゼントに持ってきたおもちゃも、いっぱい遊んでもらえたらいいなぁ」

 

「大丈夫ですよ、ペポさん。みなさんの嬉しそうな声、とってもいい音でしたもん」

 

 

 ――往路と比べると、帰路の旅路はなんとなく物寂しい。

 予定通りにすべての村々を巡り終えると、あれほど山をなしていた積荷の姿は消え、かわりに交易品として生産された村の品々が荷台の一角をちょこんと占領するばかりとなった。

 荷台はがらんとしてしまった……とはいえ、メンバーの士気がすこぶる高いのは、喜ばしいことだ。

 

 ウィンターローズを包み込んでいる厳しい環境と同じように、城下町以外のほとんどは害虫による危険エリアといってよい。

 今回我々が任務を全うできなければ、国家間が手を取り合ったせっかくの計画も、次がなくなってしまうかもしれない。そうした未来には、決してしてはいけない。

 

 

「あとはウィンターローズの城下町へ帰還して、私たちはバナナオーシャンに戻るだけですね。団長だけでなく、ヒメシャラさんにもしっかりといい報告ができそうじゃない」

 

「……んー、そうね……」

 

「カタバミも、いつまで大人しくできているかしらね。そろそろ辛抱の限界といったところではないでしょうか?」

 

「……まあ、そうねー……」

 

「……もう、何ですかイオノシジウム。まだ終わったわけじゃないのに、すっかりだらけて……」

 

「だってさー……」

 

 

 客室の座席に、深く深く半身をうずめながら。

 動作のひとつすらも面倒くさげに、私に指を突きつけてくるイオノシジウム。

 

 

「グリーンベルなら、言わなくっても分かるでしょー」

 

「んー……まあね」

 

「あつーい! 日差しつよーい! 帰るのはいいけれど、バナナオーシャンのあれだけはユウウツだわー」

 

 

 私にとっては、いつものイオノシジウムだ。

 とはいえ……今回の任務では、リーダーは彼女。こんな姿を見せていたのでは、格好がつかない。

 バナナオーシャンから一緒のメンバーなら多少なりともイオノシジウムの性格を知っているだろうからまだしも、未来の正式な花騎士を目指すウィンターローズの見習いの子たちにとって良い手本となるとは、とうてい思えない。

 

 

「憂鬱になるのは、せめて国境を越えてからにしてください。今はほら、隊長なんだから、もっとしゃきっとする!」

 

「やーだー。涼しいうちに横になってぐったり休むー」

 

 

 駄々っ子ですか。

 

 

「そだーそだー。わたしもお腹が平気なうちにペポをまったりとかじるー!」

 

「え!? ちょ、ランタナちゃん!? まったりかじるって、なんかそれ変じゃな……って、あいたたたた!」

 

 

 いつものようにランタナさんがペポさんに絡みはじめるや、急に騒がしくなる馬車内。

 それでも、まあ、少しくらいなら。やるべきことは終えたのだし、ほどよく息を抜く程度なら構わないかしら。

 ……とはいえ、なるべく御者台のほうは見ないでおこう。

  

 

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

  

  

「みなさんっ!」

 

 

 ――それから、どれくらい経っただろうか。

 緊張をはらんだサンダーソニアさんの一声に、全員の顔が一瞬にして引き締まった。

 

 

「……間違いないわね、サンダーソニア?」

 

「た、たぶん。……いえ、はい!」

 

「御者さん、ストップ。馬車と荷車を止めて」

 

 

 ついさっきまで緩みきっていた人間とは思えないほど、イオノシジウムが鋭い声を御者台に飛ばす。

 

 

「ど……どうされたんですか、みなさん?」

 

「害虫よ」

 

 

 イオノシジウムの言葉に、表情をこわばらせる御者さん。まだ見習い騎士だもの、無理はない。

 

 

「で、でもですねっ。害虫の姿なんて、どこにも……」

 

「音が聞こえたの。あたしたちを信じて」

 

 

 サンダーソニアさんが、はっきりとうなずく。

 彼女の耳のよさは十分に信用できる。下手に視覚に頼るよりも、時として彼女の聴覚のほうが我々にとって武器たりえると判断されての、今回の人選でもあるのだ。

 

 

「まだ遠いですし……それに、こちらに感づいているような様子でもないと思います」

 

 

 客室の窓枠の外に頭を出し、片方の耳に手を当てて、注意深く様子を探るサンダーソニアさん。

 馬車を一時停止させたのは彼女を信頼して、他の騒音や振動で邪魔しないようにというイオノシジウムの判断だろう。そしてそれは、私も正解のように思える。

 

 

「とはいえ、進路としてはこちらの方向で……彼らの巣へ戻っている、というわけではないのですね?」

 

 

 私の言葉に、はっとした表情を浮かべるイオノシジウム。

 

 

「それって、グリーンベル。もしかして……」

 

 

 

 ――街道に沿うような形で連なる、峰々の奥。

 おそらく、そのあたりに害虫の巣があるのだろう。

 しかし彼らは今、そちらの方角へ向かってはいない。逆にこちら側の、(ふもと)の低地を目指しているようだ。

  

 となれば。

 その方向に存在し、襲われる可能性があるものといえば……。

 

 

「むむっ。このままじゃ、このランタナちゃんを歓待してくれたあの村のいくつかがピンチだとぅっ!?」

 

「イオノシジウムさん、グリーンベルさん! 大変ですよっ!」

 

 

 ほとんど叫びに近い、ペポさんの声。

 彼女の懸念は、私とイオノシジウムが危惧したものと少しも異ならない。

 この頃になるとようやくにして、おぞましさを伴う害虫のうなり声や森の奥の木々をなぎ倒す音が、かすかに私の耳にも届くようになっていた。

 

 サンダーソニアさんと私の推測とを照らし合わせた結果、害虫の規模はちょっとした群れのようだった。

 そして、集団の中に親玉とおぼしき、そこそこの大きさの害虫が混じっている。

 容易ならぬ戦力と思われる。ここにいる全員が一丸となって当たって、それではじめて五分以上の戦いが期待できるだろうという、一筋縄ではいかない相手だ。

 

 

「……どうします、イオノシジウム?」

 

 

 問いかける。

 そして同時に、彼女の選択が気がかりだった。

 

 ――聞くところによれば、かつての聖夜祭でヒメシャラさんやサンダーソニアさんといった面々と行動を共にしたおり、害虫の襲撃と聞くや真っ先に飛び出していったという。

 ヒメシャラさんはその義気を逆に賞賛していたけれど……今回の私たちの状況は、そのときと似ているようで全く違う。そのことを、イオノシジウムはきちんと認識しているのだろうか。

 私と同様に、彼女も考えこんだまま微動だにしない。そこに普段の気だるげな様子はみじんもない。

 

 

「今すぐ全軍突撃をかまそーぜい! なーに、四天王の中でも最強のランタナちゃんがいるのが害虫にとっての運のツキ! ちょっと様子を見てくるだけで、すぐにカタがつくって~!」

 

 

 御者台の見習い騎士にちらちら視線を送りながら、ランタナさんが声をあげる。彼女たちを不安がらせまいとするその配慮は、本人にはちょっと悪いけれど、普段の言動を思えば意外というほかない。

 

 

「……イオノシジウムさん。私も害虫は許せません。もしも、私たちで倒せるなら……」

 

「……ダメですよ」

 

「ちょ、待ってよグリーンベル!」

 

「そんな顔しても、ダメなものはダメ。理由は……あなたも分かっているはずでしょう?」

 

 

 普段は控えめなサンダーソニアさんまでもが害虫との交戦を主張するにおよんで、イオノシジウムの表情が動く。

 だから彼女が口を開くよりも先に、私がそれを制した。

 

 

「……私たちがここにいる理由、そしてこの任務の大きな意義。それをもう一度よく考えてみてください、みんな」

 

 

 アカシア隊、オレンジ隊。

 時を積み重ねた彼らの労苦が、今回の任務につながっている。

 ことは私たち個人の問題ではない。花騎士全員の今後のあり方に関わってくる、大きな可能性があるのだ。

 

 

「今の私たちに与えられているのは、無事に輸送を完遂すること。進路を阻んでいるというなら交戦もやむなしですが、この輸送部隊を放り出すわけにはいきません」

 

「でも、それじゃ、村の人たちを見殺しにすることに……」

 

「……」

 

 

 もちろん、ペポさんから言われずとも、それは分かっている。「見殺し」という言葉を出されると、やはり一瞬返答に詰まってしまう。

 

 

「……そんなこと、させるわけがありません」

 

「だったら、やっぱり……!」

 

「だからこそ、一刻も早くこの任務を果たすべきです。急いでウィンターローズの城下町に帰還し、強力な討伐隊を出してもらうんです」

 

 

 場合によっては、私たちがその討伐役を担ってもいい。けれどそれは、今の役目を完遂してからのことだ。

 とにかく時間が惜しかった。すぐにでも再び馬車を走らせたい。

 

 ――私が今、ここにいる理由。

 今回の任務においての、期待された役割。それを決して忘れてはならない。

 何を優先し、何を後回しにするのが最善の選択なのか。

 

 巡ってきた村々で受けた歓迎ぶりと、そして感謝の念。それを思えば、当然ながら情が湧く。

 しかし、もしも私たちが情義を優先して、輸送任務を放って害虫の撃退に駆けつけたとして。

 その間、この輸送部隊は丸裸に近くなる。周辺すべてをきちんと確認したわけでもない。花騎士とはいえ見習いの子たちが、万一別の害虫の群れに襲われでもしたら。それもまた、「見殺し」ということになりはしないだろうか。

 現在確認できている害虫にしても、無事に倒せればまだいい。けれど、想定外の戦況を迎えることになったとしたら……?

 ここは、慣れ親しんだバナナオーシャンの地ではない。雪上での戦いに慣れていないうえに、地理にも明るくない。どこからか、新手の害虫が現れないとも限らない。

 そんな状態で輸送部隊の安全を確保しつつ、付近で暴れる害虫の群れも同時に殲滅してのける。それが可能だという確証は、どこにもないのだ。

 ならば、一秒でも早く現地の花騎士に危機を伝え、彼らに任せた方が確実ではないだろうか?

 

 ……イオノシジウムは、ずっと押し黙っている。

 ヒメシャラさんから話を聞くまでもなく、彼女の性格はよく分かっているつもりだ。

 今もまた、できることならすぐにも駆けつけたいのだろう。でも、その言葉を出すことができない。自己の気持ちと戦って、悩みつつも最善の行動を選ぼうとしている。

 うん、さすが団長様ね。いい人選を――

 

 

「……助けに行くわ、あたし」

 

 

 ……あれ?

 

 

「助けに行くって……この輸送部隊と任務を放り出すってこと? 隊長である、あなた自らが?」

 

「いやー、そんなに大げさに考えたわけでもないんだけどさー」と、さすがにバツが悪そうにするイオノシジウム。

 

「……そもそもあたしって、そんな熱血キャラでもないと思うのよねー。でもさ……」

 

 

 隊長ってタイプでも、きっとなかったのよ。

 ……決意したときの彼女の意志は固い。親しい間柄だからこそ、翻意させるのが難しいことは承知している。

 

 

「待ってください、イオノシジウム」

 

「待てないわ。今は一刻を争うのよ」

 

 

 そして、今。そんな彼女が、私には輝いて見えた。

 イオノシジウムの決断に、どこか淀みかけていた馬車の中の空気が、一気に流れはじめたような気がした。重く淀みかけていた理由は、全員の表情を見れば分かる。

 ペポさん、ランタナさん、サンダーソニアさん。みんな任務の重さを理解してはいつつも、心情的にはイオノシジウムと同じなのだろう。

 ただ……それでもやはり、これは分の悪い賭けのようなものだと思わざるをえない。そしてリーダーたるもの、安易に天秤のそちら側にチップを乗せるようなことをしてはならないはずだ。

 

 

「自分は補佐役でいたいつもりだろうけど、案外、リーダーにも向いてるのかもしれないわよ。……というわけで、隊長はあんたに任せるわ、グリーンベル」

 

 

 しかし――私ははっきりと首を横に振る。

 自分では適任でないと言っているけど。メンバーの気持ちを高めたりひとつにまとめたりできるのも、立派なリーダーとしての資質よ、イオノシジウム。

 

 

「……団長様から大目玉を食らうかもしれませんよ?」

 

「どーんと来なさいよ。それに失敗するとは限らないし。うまく行ったら、逆に褒めてもらえるかもよ?」

 

 

 お互いに肩をすくめつつも、笑いあう。

 害虫を撃退して村々の脅威を未然に取り除いたところで、その間に護衛すべき対象を軽視していたという事実は消えはしない。そこを突いて、任務放棄だと糾弾する人間は必ず出てくるだろう。

 私たちを理解し、信頼してくれている団長様にも、立場というものがあるし――

 それでも。決断したのなら、あとはベストを尽くすのみ。

 

 

「……ひとつ。私から提案があります」

 

 

 全員で向かったところで、撃退できる保証はない相手。

 まして、おそらくイオノシジウム以外は未経験に違いない、足場の悪い雪上での戦い。

 害虫の群れにしても、ひとつだけと決まったわけではない。それに対する配慮もまた、怠るわけにいかない。

 

 

「害虫の群れと全力で真っ向からぶつかるのは、複数の観点からリスクが高いと判断します。よって、勝利は目指しません」

 

「……どういうこと、グリーンベル?」

 

「負けさえしなければ、それでいい。……そういう戦いをしましょう」

 

 

 とにかくここは輸送部隊と物資を運んだ村、その双方が守られればこちらの勝利なのだ。私たちで害虫を撃破、あるいは全滅させる必要はない。

 

 

「ここは、戦力を分けることにします。イオノシジウムと、あとひとり」

 

 

 害虫の群れに向かう戦力は、最小限。過半数は輸送部隊の護衛に残る。

 それで、多少は言い訳も立つだろう。

 

 

「決して害虫と交戦はせず、引きつける役をお願いしたいのですが……」

 

「わ、私がやります! 私のベルなら、その……遠くからでも、害虫をおびき寄せることができると思いますし」

 

 

 サンダーソニアさんが決意を秘めた表情で、すっくと立ちあがる。こんなに積極的な彼女の姿は、ひょっとしたら珍しいのではないだろうか。

 

 

「分かりました。それでは二人とも、重ねて言いますが、決して無理はしないように。

 ……そして残る我々は、別の害虫に対する警戒を密にして、早急にウィンターローズの城下町へ戻り討伐部隊を要請します。――これでいいでしょうか?」

 

 

 私の作戦案に、全員がうなずきを返してくる。

 わかっている。これはこれで、戦力分散の愚と言われるかもしれない。

 でも、今はこれが最善の策と信じてやるしかない。

 ――最後に私は大きく吐息をつくと、作戦が失敗した時は一番の責任を自分が背負うことの覚悟を決めた。

 

 

「それでは、開始しましょう。そして……」

 

 

 イオノシジウムや私のとった行動も、きっと理解してくれる。団長様はそういう人だ。

 だから、あくまで形式上のものとして終わるに違いないけど――

 

 

 そして、全部が終わったら、最後に。団長様に叱られましょう、みんなで一緒に。

 

 

 私がそう締めくくると。誰彼ともなく、笑みがこぼれた。

 

 



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1-4 イオノシジウムと雪上の戦い

  

 吐く息が白い。

 

 世界花の恩恵もあって馬車の中にいたときは気づかなかったけど、こうして野外に身を置いてみると、あらためてこの北の雪国の冷感を思い知らされる。

 といっても、あたしにとっては、生まれた時からのよく知る土地。

 今でこそバナナオーシャンの所属だけど、気候の面ではむしろこっちの方が性に合っている。

 それに今は、寒さに負けないくらい、熱い想いが全身を駆けめぐっている。かたわらにいる同行者も、きっとそれは同じだろう。

 

 

「……イオノシジウムさん、あそこです!」

 

 

 サンダーソニアの指さす方角。たしかに大きな雪しぶきが上がっている。

 

 

「オーケー。なるほど……これは二人じゃ、ちょーっと荷が重そうね……」

 

 

 グリーンベルの見立てどおり、二人どころか五人全員でぶつかっても、かなり手こずりそうなことはあたしにも想像ができた。

 遠目から数えて、三十匹以上。複数の花騎士で相手をするべき中規模サイズのサソリ型害虫が中央に一匹と、その周囲を群れるように多数の仲間がとりまいている。

 

 

「あーあ。なんでもないように二人で倒して、みんなを驚かせよう、なんて思ったりもしてたんだけどなー」

 

「さ、さすがに無理ですよね……」

 

 

 ちょっと悔しい気もするけど、こういうとき、グリーンベルの慎重さは本当にありがたく思う。

 これがもし、彼女の代わりに隣にいたのがカタバミだったとしたら……うん、あんまり想像したくないわね。

 

 

「……ま、それじゃ作戦通りにいきますか。あたしたちは、援軍が来るまでの囮役ね。逃げきれれば勝ちよ」

 

 

 あたしはともかく、サンダーソニアにとって慣れない環境での戦いは、そのぶん彼女の戦闘能力を割引いて考えないといけない。でも、二人とも回避能力にはちょっとした自信がある。

 

 

「あたしが前面に出るから。サンダーソニア、あなたはフォローをお願いね」

 

 

 ここへ向かう途中で話し合った、行動プラン。それでいけば、しのぎきることができるはず。

 さて、いっちょやりますか。

 

 

 

 

 ――正直言って、だいぶ時間を稼いだと思う。

 

 注意を促し、適度に引きつけては街道と並行して続く森の木々の中へと身を隠す。

 途中で何度か危なくなりかけはしたものの、それでもなんとかこちらの思うように事態を進ませることに成功している。

 街道沿いの左右の木々をなぎ倒しながら、ほとんど一直線にこちらを追いかけてくる害虫たち。ほーんと、害虫ってば基本的にバカで単純なのよねー。

 同時にその数も、すでに何匹か減らしている。スキを見て、あたしとサンダーソニアで連携して倒したからだ。

 数が減っただけ、害虫側の戦力は確実に低下している……とはいえ、それで有利になったわけでもない。

 

 状況は一進一退。あたしたちも確実に体力を消耗しているし、害虫の親玉はいぜん健在なまま。

 相手の最大戦力がノーダメージな以上、このまま長引くほどこっちが追い込まれていきそうな気がする。

 

 

「サンダーソニア、まだ余裕たっぷり……って、さすがにそんなわけないと思うけど。大丈夫? まだいける?」

 

「は、はい! まだ、なんとか……」

 

 

 と、そこで。

 ちょうどタイミングよく害虫との距離が開いたのを確認して。あたしはアゴに手を当てて、ちょっと考えこむ仕草をとってみせる。

 

 

「……ソニアっち」

 

「……へ?」

 

「うん、それがいいわ。ずっと思ってたんだけどさ、今まで名前を直接呼ぶのって、なーんか他人行儀が強かったっていうか」

 

 

 同じバナナオーシャンに所属する花騎士どうし。彼女のことは、以前から気にはなってたのよね。

 でも、これまであまり接点がなかったのも事実。

 

 

「せっかくこうして、一緒に任務やってる仲間なんだしさ。……どう、迷惑だったりする?」

 

「……いえ。なんだかとても距離が近づいたみたいで、すっごく嬉しいです!」

 

 

 まあ、根がマジメそうだし、きっと彼女のほうからは今後も「イオノシジウムさん」とそのまま呼ばれるんだろうけど。でも、それはそれでいっか。

 ともあれ、こうやってたまには緊張をほぐしたりしないと。真剣に逃げ回ってばかりじゃ、そう遠くないうちに心身のどちらかがバテちゃいそうじゃない。

 

 

「……正面に大きな木があるわ。そこで一旦バラけるわよ。ソニアっちは左側、あたしは右側ね」

 

 

 そして、さらにその先に、巨大な岩山が見える。

 

 

「んでもって、あそこで合流。いいわね?」

 

 

 どちらともなく呼吸を合わせ、二手に分かれる。

 ただ猛進するばかりだった害虫の群れが、あたしとソニアっちのどちらに向かうべきかで戸惑い、あきらかに勢いを落とす。いくぶん詰まりかけた双方の距離が、これでまた開いた。

 ふふーん。こういうのはね、久しぶりに遊んだ雪合戦なんかで、子供の頃からすっかりお手の物なのよ。

 

 

「……ここをどこだと思ってるのよ。あたしの生まれ故郷、ウィンターローズなんだから!」

 

 

 だからこそ、害虫の好き勝手にはさせない。荒らさせはしない。

 どんな寒さに見舞われても、決して消えることのない――人々の暖かな笑顔の灯火を、絶やさせはしない。

 以前の聖夜祭では一人で突っ走ってしまったけど、そのときと同じだ。仲間がいる。ソニアっちと、そして頼れる仲間たちが。

 

 ……距離を取りつつ、続けざまに三矢を射放つ。そのうち一本は親玉の害虫の急所に命中し、動きを止めたように見えた。けれど確実に仕留めたのか、そこまで確認することはできない。

 よし、これで親玉のターゲットはあたしへと向いたはず。

 ひとまずはこのまま一気に岩山の裏へ駆けこんで、そこでなんとか呼吸を整えて。えーと、それから……。

 

 

「――その粘りやよし、イオノシジウム!」

 

 

 ……え?

 

 

「駆けつつ害虫を射るなど、なかなか小癪な真似をしおる。その戦いぶり、しかとわらわの目に焼き付いたぞよ!」

 

 

 はああああ!?

 

 

 

 

 ……近づいていく岩山の頂上に立つ、一人の花騎士。

 朗々と響き渡る、聞き覚えのあるその声に、あたしは思わず耳を疑った。

 

 

「な、なんで、あんたがここにいるのよ……ヒメシャラ!?」

 

 

 全速力で岩山の背後へと駆けこみ、ソニアっちと再合流を果たし、荒くなった息を整えながら。

 そこにはヒメシャラの他にも、見知った先客の姿があった。

 

 

「遅くなってごめんなさい、イオノシジウム、サンダーソニアさん。見たところ怪我もないようですし、よかったわ」

 

「……ひょっとして、なに。ヒメシャラが来るってこと、知ってたの……?」

 

 

 落ち着いた声であたしたちを迎えたグリーンベルが、問いに答えようとする直前。

「とうっ」という声とともに、岩山の最上部からあたしの隣へと、ヒメシャラがひらりと着地した。

 

 

「……これはわらわと、そこなベルゲニアとのみの間で決めた隠密行。グリーンベルはあずかり知らぬ話じゃ」

 

「でも……あんただって、自分の任務があったじゃない? そっちは片付いたんだろうけど、にしたって……」

 

「そなたには、前例というものがあるからな。こたびの任務はきわめて重大な案件ゆえ、急ぎ目付け役を買って出てやっただけのことじゃ」

 

「――あんなことをおっしゃってますけど。本当はヒメ様ご自身の任務を終えられた直後、ひと息入れる間もなく団長殿に直談判してこちらへと向かわれたんですよ」

 

 

 恥ずかしがってるのか、話の途中でぷいっと頭を反対側へと向けたヒメシャラのスキをついて。かたわらに控えるようにしていたベルゲニアが、あたしに素早く耳打ちしてきた。

 なるほど。いずれにしても、相当な強行軍のはずよね……。

 内心でうなずくあたしをよそに、ゴホンとわざとらしく咳払いをするヒメシャラ。それを受けて、すすす……とベルゲニアがあたしから距離をとった。

 いやー、それにしても。もちろん、ここは感謝すべきところなんだけども。えらい分かりやすいツンデレを目の当たりにしてるわ、今。

 

 

「ま、まあ、そなたは熱くなると、どうにも視野が狭くなるようでな。

 ……と思っておったのじゃが。なかなかどうして、見事にその任を果たしておるではないか」

 

「……そんなことないわ。事実、あたしは輸送隊のみんなや荷車がどうなったか知らないもの」

 

「それなら、もう大丈夫です。心配いりませんよ」

 

 

 あたしの懸念を、グリーンベルの説明が吹き飛ばしてくれた。

 なんでも現在は到着したウィンターローズの正式な花騎士たちによって、安全が確保されているという。

 

 

「……でも正直言って、もう何時間かはあたしとソニアっちとで粘らなきゃなー、とか思ってたんだけど?」

 

「開き直ったんですよ」

 

「……ん?」

 

「あなたたちが害虫に向かってから、さらに役割を二分したんです。荷車を曳きながらでは、どうしても馬を全力で駆けさせるというわけにはいきませんから」

 

 

 それまで御者を務めてくれていた見習い騎士の中から、体力と脚力に自信のある者を自薦あるいは他薦してもらう。

 そうして選抜した十名を、二人で一組といった形に組ませ、即席の急使としてウィンターローズの城下町へと一目散に駆けてもらったのだ……というグリーンベル。

 その一方でさらに戦力の低下した輸送本隊は、思いきって移動を完全に停止。現在あたしたちが潜んでいるのと同じような適度な大きさの岩場を見つけると、それを背にして残った全員で徹底的な時間稼ぎの態勢を整えることにしたのだそうだ。

 

 

「即席の急使を五つ作ったというのは、途中で害虫に襲われたりしても、どれか一組だけでもゴールにたどり着いてくれればいい、というわけね」

 

 

 グリーンベルらしい、用心深さだと思う。

 

 

「ええ。結局のところ彼女たちの誰一人として、また私たちにしても、別の害虫に襲われるといったことはなかったんですけどね。

 ……でも、それは結果論。前提として考えるものではありませんから」

 

 

 無理に移動を重ねて索敵を軽視し、横合いから襲撃を受けるよりも。最初から専守防衛に徹した方が損害を抑えられる可能性が高い、という計算も十分に現実的だ。

 

 

「……なるほどねー」

 

 

 さすがというか、よくそこまで考えたものよね。

  

 もし、荷馬車のもとに残ったのがあたしだったら。グリーンベルのような的確な措置が取れたかどうか。

 彼女だけじゃない。今回の任務にあたって、全員がよくやってくれた。

 そのことだけはバナナオーシャンに戻ったら、団長さんの前できちんと胸を張って報告しなくちゃな、と思う。

 

 

「そんなわけで、安心してください。害虫たちも、もはや袋の鼠も同然ですし」

 

 

 説明の締めくくりに、グリーンベルが指差した先。

 一直線にこの岩場へと向かってくる害虫たちのちょうど死角となる位置の木々のあいだに、見覚えのある姿があった。

 なるほど。あらためて見回してみれば、不意打ちするにはピッタリの場所よね。

 ……そう思うやいなや、一番効果的なタイミングを見計らって、害虫の群れに突撃していく仲間たち。

 

 

「さあさあさあ! 満を持して、花の勇者が爆誕したじょー! イエス雪国の喧嘩MATSURI! レッツゴーどぅわあああ!!」

 

「……頼もしい、って言うべきなのかしら。元気すぎるのも、程があるわよね」

 

「あ、イオノシジウムさーん! ランタナちゃん、いつもこんな感じで突っ込んでいきますからー! ランタナちゃんのことは、このペポに任せてくださいねー!」

 

「むむっ。これじゃせっかく応援にきたのに、私たちの遊ぶところがなくなっちゃうにゃ! 二人につづいてエノコログサ、駄目押しいくにゃー! そーいっ!!」

 

「同じく、ウィンターローズ所属、モケなのだぜ! 先陣だろうが二番槍だろうが、全力で行くのだぜ! 熱く魂を解き放て……だぜー!!」

 

「……雪国といえば、冷厳というか、もっと落ち着いたイメージがありましたが。ランタナさんと非常に気が合いそうな花騎士も、けっこう所属しているんですね」

 

「ま、まあ……人それぞれ、ってことで」

 

 

 ひとかたまりになったように害虫の群れへと突撃していく複数の姿に視線を向けつつ。感心するよりどこか呆れたようなグリーンベルに、さすがのあたしも返す言葉がなかった。

 

 

「……さて、我らはどうするのじゃ? 間もなく、さらに他の花騎士も駆けつけてくるという段取りなのであろう、グリーンベル?」

 

「ええ。みなさん、こちらへ急行してくださっているそうです」

 

「その好意、手柄として報いたくはあるが……。その前にいささかながら、我らバナナオーシャンの花騎士の印象もあの害虫どもに刻みつけておきたくあるな」

 

 

 そうヒメシャラが意気込むあいだにも、害虫の群れはすでにペポやランタナたちの急襲を受けて押されはじめていた。

  

 それ以上、ヒメシャラは口を開かない。彼女だけでなく、この場にいるみんなが――ただじっと何かを待つように、こちらを見つめるだけだ。

 隊長として、最後の断をあたしに委ねようとしてくれていた。

 

 

「……本当にありがとね、ヒメシャラ」

 

 

 彼女だけでない。任務を終えてバナナオーシャンへ帰ったら、あらためてまたみんなに礼を言おう。

 そう心に決めながら――

 

 ヒメシャラ、ソニアっち、グリーンベル、ベルゲニア。

 仲間の一人ひとりと視線を合わせ、にこりと笑みをかわす。

  

 

「さあ。それじゃみんな、あたしたちも行くわよ!」  

 

 

 

 

 

燎煙(りょうえん)雪語(ゆきがたり)」 ―了―

  



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第二章【緋果の朋録】(キンギョソウ)
2-1 出立前のキンギョソウ


  

世界花の大地(スプリングガーデン)の守り手』

 

 

 その使命と誇りを胸に、世界の各所に点在するといわれる騎士団に所属する、幾多の花騎士。

 いつ果てるとも知れぬ、長きにわたる害虫との攻防劇。それはいくつもの英雄譚を生む土台となり、また同時に大小数多くの騎士団が存続しつづける理由にもなっている。

  

 そのうちのひとつ、とある騎士団の拠点。

 そこは現在、慌ただしくも活気に満ちた空気に包まれていた。

  

 ――キンギョソウは、自分用にとあてがわれた居室のベッドに腰を下ろし、窓外の光景をぼーっと眺めていた。

 ちょうど今、部屋の外の廊下を誰かが駆けていく足音がした。その足取りは軽快で、いかにも心が弾んでいるといった感じだ。

 しばらくすると、窓のはるか先に見える営舎の正門のあたりに、何人かの見知った花騎士が小さく姿を現した。

 たった今、部屋の前を通り過ぎていった人物とは違う。多くの花騎士が居住するこの建物は決して小さくはないから、ここから玄関口となるエントランスまで、短時間で行くには少し無理がある。窓の向こうに見える花騎士にしたところで、姿格好から知り合いだと判断をつけるだけで精一杯なのだ。

 けれど。その表情がどのようなものであるかは、容易に想像がついた。

 

 彼女たちの様子は、まさにこれから出発しようとするところ。

 一度建物のほうへ振り返り――そして拠点から伸びる街道にくるりと身をひるがえすと、そのまま姿を消していく。

 

 いずれ、もう少ししたら。

 部屋の外を駆けていった少女も、きっと先刻の花騎士たちと同様に、門外にその姿を現すに違いなかった。

 

 

 

 ……ひとり、また一人と。

 仲間たち、花騎士たちが、騎士団の建物から離れてゆく。

 あるいは気心の知れた友人と連れ立って。あるいは我が身ひとつで。

 どちらにしても、その雰囲気はいたって明るい。

 

 いよいよ、今日から。

 キンギョソウが所属している騎士団が設けた、大型の休暇がはじまったのだ。

  

 休暇、といっても。当然、害虫への備えを怠るわけにはいかない。

 ゆえに、一時的にとはいえ騎士団を離れるのは、全体を3グループに分割しての交代制。

 そうして戦力の過半を維持しつつ、休暇のタイミングそのものも比較的害虫の行動がおとなしくなる時期を選んでいる。

 

 

「……でも、選ばれた最初のグループの子たちみんながいなくなると思ってたら。中には帰省するよりも騎士団に残っていたいと言い出す子がいたりして、団長さんも困ってたんだよね」

 

  

 そのときのメンバーたちと団長とのやりとりを思い出し、キンギョソウはくすりと笑った。

 彼女たちの気持ちは、キンギョソウも分からないではない。おそらく数日ほどの休日を楽しむよりも、団長のそばに少しでも長くいたいのだ。

 それもそれでひとつの過ごし方だと思うし、特に禁止されてもいない。

 

 あるいは……帰るべき場所や故郷がなく、もしくは会いたいと思う親しい人物や知人もひとりとして存在していないという花騎士も、中にはいるのだろうと思う。

 実のところ、キンギョソウ自身も、他人の目からすればその一員に加えられているかもしれない、と感じることがゼロではなかったりする。

 

 

「うぅ……。かわいいのになぁ、ドクログッズ……」

 

 

 でも、なかなか理解してもらえない。理解を得られるどころか、かえって奇妙な顔をされるのが定番のオチだった。

 孤立しているというほどでないにせよ、騎士団内でもひとりきりでいることが多い。何でも話し合うことができるという間柄の花騎士は、正直なところいない。

 

 そんな一方で、どうしても両親の顔を見に実家へ帰省したい、というわけでもなかった。両親との仲が悪いわけではないけれど、特別に仲が良いというわけでもない。

 ごく普通の関係であるがために、「別にどっちでもいいかなー」というのが、キンギョソウの本音だったりする。

 とはいえ。それでも――

 

  

「よいしょっと!」

 

  

 ベッドから立ち上がると、かたわらに置いていたバッグを手にとる。

 そんなに大きくはないけれど、意外と積みこめるので重宝しているやつだ。

 

 ここから彼女の郷里のブロッサムヒルまで、そう遠くはない。先に出立したみんなをこうして見送っているうちにずいぶん遅くなってしまったけれど、急ぐ必要はなかった。

 この休暇を利用してキンギョソウがどうしても行きたい場所は、たったのひとつだけなのだから。

 

 

 

 

 今回の休暇中にこの拠点から離れる者は、事前にその滞在先や日数、また目的などを団長に提出して認可を得ることが決まりとなっている。

 キンギョソウも、もちろん手続きはしっかり行った。

 

 彼女だけではない。他の多くの花騎士の申請書類にもひとつずつ丁寧に目を通して、ひとりひとりに激励や優しさがこもった言葉とともに承認してくれる。

 そんな団長のマメさや細やかな心配りが多くの花騎士たちの心をつかんでいるのは、キンギョソウもおおいに同感だし納得がいくところだ。

 おまけに、団長みずからを特別扱いすることもない。ただでさえ日頃から激務つづきなのに、花騎士たちが交代で休暇を取っている間も、実は本人は休暇を取るつもりのないことを、キンギョソウは知っている。

 それでいながら――こうして出立前の挨拶に訪れたキンギョソウを迎え入れ、しばし休憩にとティーカップを片手に彼女との時間を作ってくれようとしているのだから、恐れ入るほかにない。

 

 そんな団長だからこそ……信頼以上の気持ちが芽生えてしまうのも、きっと仕方のないことなのだ。

 

 興味本位でプライバシーに触れるといったことを、団長からされた経験は一度もない。それは花騎士たちの多くが年頃の年代であることに配慮した、団長の優しさのひとつだとキンギョソウは思っている。

 今回の休暇についての申請書類にしても、半分は形式として整えただけなのだろう。万が一の緊急時に所在先が分かりさえすれば他に問題はないと、そう思っているに違いなかった。

 カップに口をつけ、会話の主導権をキンギョソウに譲るように、ゆっくりとした動作で書類の内容を確認しながら――

 

 その団長の目が一瞬、ある一点で静止したのを、キンギョソウは見逃さなかった。

 

  

「……気になる、団長さん?」

 

  

 いたずらっぽい表情を作って、聞いてみる。

 でも、きっと団長のことだから。小さな苦笑いを浮かべながら、これ以上の詮索を控えるに決まっている。

 

  

「いいのいいの。私、この騎士団の中でも友達が少ないってこと、ちゃんと自分でも分かってるし」

 

 

 だけど。

 

 

「――だけど、そんな私が今回の休暇で外出する理由が、『友達に会いに行くため』なんて書いたら。そりゃ団長さんじゃなくたって、誰もが驚いちゃうよね」

 

  

 ちょっと自虐的すぎるかな、と思わなくもないけど。

 けれど、団長の前で見栄を張ったり自分を飾り立てるつもりには、とうていなれなかった。

 

 

「でもね、『友達に会いに行く』というのは本当だよ? あ、もちろん実家にも戻るけどね。けど、一番の目的は、やっぱり友達と会うことなんだよね」

 

 

 説明を団長から求められたわけではない。なのに、キンギョソウは自分から切り出してしまっていた。

 

 彼女は、自分の直感にはちょっとした自信を持っている。それを信頼するだけの経験や実績も、たっぷりとある。

 その直感が――今。団長にすべてを打ち明けておいた方がいいと、そう告げている気がしたのだ。

 

 

「友達というよりも、本当はね……」

 

 

 親友、なんだ。

 

 

「すごく真面目で、いつも前向きで。とってもとっても、いい子なんだよー」

 

 

 そして……尊敬するほどの、努力の人。

 

 団長さんにも、伝えておきたい。

 団長さんには、知っておいてもらいたい。

 キンギョソウの直感は、そうささやいている。

 そして、また。それだけではない気持ちが、彼女をさらに突き動かしていた。 

 

 

「――ねえ、団長さん。

 よかったら……これから少しだけ、私の話に付き合ってくれてもいいかな……?」

 

  

 それは――

 わずかな苦みと、それ以上に大きな温かさに包まれた思い出。

 

 私がはじめて、生涯の親友に恵まれたときのお話……。

  

  



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2-2 はじめての理解者。

  

 ――それは、キンギョソウが現在とは別の騎士団に所属していたころ。

 

 次代を担う花騎士を養成する騎士学校では、定期的に現役の花騎士を招聘し、臨時の教師として教導を依頼している。

 わずか数年ののちには彼らと並んで戦地に立たねばならない生徒たちにとって、実際の戦いに精通した現役花騎士の言葉や体験談、そして指導は、おおいに有効であると考えられているからだ。

 

 

「……そして、その教師にね。私が選ばれて、騎士学校へ派遣されることになったんだ」

 

  

 どのような経緯を経て自分がその役に抜擢されたのか、まったく分からなかった。いや、むしろひょっとしたら、これは(てい)のいい左遷ということなのかもしれない。

 でも、なんにせよ。キンギョソウ自身からすれば、実はそんなに悪い話でもなかった。

 

 出世欲や自己顕示欲といった欲求は、誰もが持つものだろう。キンギョソウとて例外ではない。

 そのためには騎士団に残って活躍するというのが、一番堅実であるに違いない。しかし、彼女の『ドクロ愛好家』な一面は誰からも共感を得られず、そのために避けられがちという面は見過ごせなかった。

 時によってはあからさまと感じるほどに敬遠され、このとき所属していた騎士団では肩身の狭い思いをしていたのも事実なのだ。

  

 趣味を除けば、キンギョソウはいたって普通の感性の持ち主だった。大きな望みがあるわけでもなく、ただ普通に認めてもらいたいし褒めてもらいたい。

 ……それならば。教師の役をみごとに勤め上げて、そちらで高い評価を得た方が、かえって花騎士として生きていくうえでプラスになるのではないだろうか。

 

 

「そうして、私はとある騎士学校に赴任して――」

 

 

 そこで……出会ったんだ、あの子に。

  

 はじめて会った、その瞬間から。

 彼女に対してのキンギョソウの感想は――好印象以外のなにものでもなかった。

 眼がキラキラと輝いている。こちらが臨時の教師でしかなくても素直に従い、話には真剣に耳を傾けてくる。

 これまで他人に何かを教えるという経験がなく、また問題児ばかりいるところだったらどうしよう、などと不安も抱いていたキンギョソウにとって、その生徒はまさに理想的といえる存在ですらあった。

 

  

「その子の名前はねー。……って、うん。やっぱりヒミツにしておくよ。

 だって言わないでいた方が、団長さんももっと気になるでしょ? それに、いつか……本人の口から、直接聞いてほしいと思うんだ」

 

  

 でも、それじゃ話をつづけることができないから。

 だから、そうだねー。仮に――『ツボミ』ちゃんということにして、話を進めるね。

 

 

 

 

 ツボミちゃんとは、自分でもびっくりするほど気が合って。

 教師と生徒というお互いの立場はあったけれど、そんなに年齢も違っていなかったし、意気投合するのは本当にあっという間だったんだ。

 なにより一番嬉しかったのが、私のドクログッズを見て、かわいいって言ってくれたこと。それまでそんなことを言ってくれた人はいなかったし、これが「同志を得る」ってことなのかなーって、じーんと感動したのを覚えてるよ。

 おまけにね、「わたしもこれから集めるようにしてみます!」なんて言われたら、もう舞い上がっちゃうよね。

 学生寮のツボミちゃんの部屋にもよくお邪魔しちゃったけど、私と出会ったばかりのころは、すごく殺風景だったんだよね。……けっきょく最後までモノがあまり増えることはなかったけど、でもいつか一緒にドクログッズを買いに行こうね、って約束をしたりもしたんだよ。

 

 ツボミちゃんとの仲がどんどんと深まっていく一方で――どこでも同じように、私の扱いは微妙になっていって。

 他の教師の人たちはね、ほら、みんな大人だから。私もそれなりにうまく距離を取って接していたけど。でも、はじめは珍しそうに私のところへちょくちょく質問に来てた生徒が、しだいに近づいてこなくなっちゃったのは……うーん、ショックだったなー。

 だけど、ツボミちゃんは違ってた。彼女だけは、ずっと私のことを慕ってくれて。

 臨時とはいえ教師として来てよかったって、ツボミちゃんが顔を出してくれるたびに、何度も思ったなぁ。

 

 これは、あとになってから知ったことなんだけど。

 ……ツボミちゃんも私と似たもの同士というか、仲の良い人がまわりにいなかったみたいなんだよね。

 うーんとね、「真面目で厳しい委員長キャラ」っていうのかな? 教室内ではそんなふうに振る舞ってたらしいから、なかなか他の生徒が近づいてくれなかったみたいなんだ。

 

 そうこうしているうちに、『実地訓練』の期間が始まって。

 団長さんなら知ってると思うけど、実地訓練というのは、郊外で実際に害虫と戦って、本物の戦闘を学び、経験すること。といってもあらかじめ出没エリアを厳密に調査して、生徒たちでも相手が務まる程度の弱い害虫が集まるところを選別しているわけだけど。

 現役の花騎士を臨時教師に招いているのは、この時のためと言われてもいるくらいで。私にとってもひとつの決算になるということで、すっごく張り切ってたんだ。

  

 ――でも。

 いよいよ、実地訓練の当日を迎えて。

  

 

 

 

「うーん……」

 

  

 その日の朝、私は「アレ」を感じていたんだ。

 そう。私にはときおり、未来をなんとなく感じ取れるようなことがあって。

 といっても精度というのかな、そういったのは機会ごとにさまざまで、ビジョンがはっきりと鮮明に浮かぶこともあれば、すごくぼんやりとしか見えてこないこともあるんだけど。

 この時の未来予知は、後者のほう。そうだねー……まるで見当はつかないんだけど、ただはっきりと「悪い予感」というのだけが働いてたんだ。

 

 

「……って、こらー。武器を身に帯びたままよそ見してたら危ないよー!」

 

 

 私のすぐ横を、今回の実地訓練に参加する生徒の何人かが走り抜けていった。

 今日は特別に教室内への持ち込みが許可されているけど、普段ならもう少し彼らが経験を積むまでは、武器を持たせるのは屋外での訓練時のみと決められてるんだよね。実際、見ていてまだまだ危なっかしいなーと思える時もあったし。

「はーい!」と、その生徒はくるりと振り返って、こちらに頭を下げてから駆け去っていったけど。私の言葉に態度を改めようという気はなさそうだった。

 このころになるとね。私の存在に慣れてきたってこともあるんだろうけど、同時に立ち位置もはっきりと分かってきたんだろうね。なにか注意をしても、素直に応じてもらえるということが、少なくなってきてたんだ。

 だから、今の私ならね。そのあたりの団長さんの苦労についてなら、かなり分かってあげられるんだよ。へへー。

 

 ……このときの私は、ひどく緊張してた。しっかりやらなくちゃという、プレッシャーもあった。

 実地訓練において参加者全員を束ねるのは、現役の花騎士。つまり私なんだよね。

 今回は私にとって最初ということで、規模は小さなものだったけど。複数のクラスでまとめて行うこともあって、そのときはさらに臨時に指導する現役花騎士も増員されるんだよね。

 でも、そんなときも、最終的な監督官であり責任者は、はじめに教師役として赴任していた花騎士になるわけで。

 

 そんな私にとって数少ない救いのひとつは、やっぱりツボミちゃんの存在。彼女もこの実地訓練には参加することになっていて、それが私の気持ちをいくらか軽くしてくれてたんだ。

 今回をファーストステップとして、成功すれば次回がある。つまり、それは私にとって、最前線で戦う以外の新しい道が開けるかもしれないということ。

 抱えていた悪い予感は、だから頑張らなくちゃって気持ちで押し込めていたんだ。

 

 たとえ、その予知の内容が悪いものではなく。明るくて、前向きなものであったとしても。

 こんな肝心なときに何もできない……できなかった予感なんて。はじめから、なかったらよかったのに。

 

 

 

  

「――けっきょく、最悪な実地訓練になっちゃった。

 ううん……それはもはや、訓練とすらも呼べなくて……」

 

  

 言い訳になっちゃうかもだけど、手を抜いたわけじゃない。

 私なりに全力で、充分に気をつけていたつもりだった。

 

  

「おかしな胸騒ぎがあったから、注意して生徒たちに接していたんだよ。

 決して先走りをしないよう、必ず誰かとペアになって行動するように、って厳しく言ったりして」

 

  

 最近は、たまに軽んじられることもあったけど。実戦という緊張感にも助けられて、いざ開始となると生徒たちは思ったよりも素直に従ってくれた。

 たったひとり、ツボミちゃんを除いては……。

 

 

「……私、ツボミちゃんに甘えてたんだ。

 彼女だったら、彼女ひとりだけは、いつでも私の指示に従ってくれる――そう思いこんでいたんだ……」

 

  

 だって、今までずっとそうだったから。私が認めるほど真面目で、とてもいい子だったから。

 でも……このときだけは、違っていた。

 他の生徒たちの指導を意識するあまり、ついツボミちゃんの姿を背にしてしまった刹那――

 

 

「たああああぁぁぁッ!!」

 

「……え? ちょ、ちょっと待って、ツボミちゃんっ!」

 

 

 これまで大人しかった彼女が、いきなり単身で害虫の群れに突っ込んでいったんだ。

 それは、まさに「豹変」としか言いようがなくて。まったくの別人かと思えるくらい……普段の大人しさも、冷静さも、どこかに置き忘れてきたかのように。

 武器さえも、ちゃんと扱えていない。振り回すどころか、むしろ逆に自分が振り回されている。

 

  

「あわてて私と他の先生たちが助けに入ったときは、もう状況は手が付けられないほどになっていて。

 害虫との混戦からツボミちゃんを救い出せはしたけど……すでに大怪我を負っちゃってたんだ……」

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

  

 責めるでも、非難するわけでもない。

 一言も口を挟むことなく、団長さんはただ黙って私の話に耳を傾けてくれている。

 誰だって、過去の失敗や汚点で、他人に触れられたくないものを持っていると思う。なのに、今、それを団長さんの前でさらけ出しちゃっている自分。

 そう考えると……本当、何やってるんだろうねー。

 

 でも。

 やっぱり、団長さんには聞いてほしいんだ。

 最後まで、全部を。

 

 

「――幸い、ツボミちゃんの怪我は、命を失うほどじゃなかった。だから私は、心底ほっとしたの」

 

 

 ほっとして、それから絶望した。

 

  

「……一命は取り留めたけど、片方の脚に大きな障害が残って。歩行はできても、俊敏な動作はもう無理、ってお医者さんに言われたんだ。

 それって……花騎士としては、もうダメってことなんだよね……」

 

  

 それから彼女は騎士学校から姿を消し、隣に併設されていた医療施設内の一室で日々を過ごすことになって――

 それとほぼ時を同じくして、私の元にも責任者として教師の任を解くという内容の辞令が届いたものの……そんなのは、もうどうでもよかった。

 

  

「……本当に心配するべきだったのは、他の生徒じゃなくて、ツボミちゃんだったんだ。

 だけど私は、それに気づけなかった。悪い予感は感じとっていたのに、それ以上に大切なことは、なんにも気づくことができなかったんだよ……」

 

  

 このときになってはじめて知ったことだけど、ツボミちゃんが花騎士を志した理由。

 それは、両親が害虫に殺されたことにあったんだ。

 

 花騎士の定期的な巡回が得られ、比較的安全といわれていた郊外の農地。収穫も安定し、平穏だった彼女の生活は――ある日突然、のちに異例中の異例と記録された害虫の局地的な大量出現によって、一気に過去のものとなってしまった。

 以来、害虫を前にすると復讐心にかられ、人が変わったようになってしまって……。

 普段の騎士学校では優等生そうに振る舞っていても、実は過去にも別の実地訓練で今回と同じような大失敗をしでかしたことがあるのだという。

 でも、そんなの。今になって知ったところで……なにもかも、手遅れじゃない。

 

 害虫に襲われて命を落とした両親が蓄えていたお金と、そして農地を全部手放したことで、これまでの騎士学校の学費と今後の療養生活はまかなうことができたけど。

 でも、あの日以来。ツボミちゃんは、私と会ってくれなくなってしまった。

 

 ……そりゃそうだよね。私みたいな注意力に欠けた相手を教師に仰いだおかげで、両親の仇となる害虫と戦うことができなくなっちゃったんだから。

 私が毎日面会の要望を診療担当の人に提出しても、返ってくるのは本人がかたくなに拒絶しているという答えだけ。

 ただ。私のことを恨んだり、憎んでいる、といった様子ではないらしい……というのも、毎回付け加えられていて。

 

 なんで? どうしてなの?

 私のせいで未来を奪われたと、恨まれたって仕方がない。失った希望を返してほしいとか、どんな言葉を浴びせられても言い返せない。そう、覚悟しているのに。

 ――教師を解任され、所属していた騎士団へ戻る前に。

 せめてその理由だけでも知りたい、と私は思ったんだ。

 

 ……そして。

 その日は、突然にやってきた。

  

  



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2-3 はじめての友達。そして親友。

  

 キンギョソウが騎士学校を出立する、その数日前。

 はじめて、彼女は医療施設内の一室に足を踏み入れることができた。

 

 騎士学校での自室と同じく、殺風景な病室。

 さして広くもない部屋で、半分ほどの面積を占めているベッド。上体を起こしてその端に腰を下ろし、ツボミはキンギョソウを迎えていた。

 

 

「先生……ごめんなさいっ!」

 

  

 おそるおそる近づくキンギョソウ。

 その彼女に向かって放たれた第一声は、意外なものだった。

 

  

「待って、ツボミちゃん。それじゃまるっきり……!」

 

「まるっきり反対、なんてことはないです。実際、先生の指示も聞かずに飛び出したのはわたし自身ですから」

 

  

 そうであったとしても。その代償を、すでに彼女は支払っている。あまりに大きな代償を。

 だから、もう充分なはずだ。そして次は、詫びを受ける立場であるべき……なのに。

 それは違うと、彼女は首を横に振る。

 

  

「……わたし、ずっと考えてました。これからのことを、そしてそれ以上に、これまでのことを……ずっと」

 

「……」

 

「わたしね。実は先生に、隠していることがあったんですよ」

 

  

 その表情は、とても穏やかで。

 それでいて、胸に決然と何かを秘めているようにも見えて。

 踏み込むべきなのかためらうキンギョソウに、淡く微笑みを投げかけながら――

 ゆっくりと、ツボミは語り始めた。

 

  

「――きっともう、先生も知ってますよね。わたしがやってしまったのは、今回が初めてじゃないってこと」

 

「……うん」

 

「だから本当は、落第生も同然だった、ってこと……」

 

「そんな、落第生なんて……」

 

「だからわたし、最初はね。先生の立場を利用してやろうと……そう思ってたんですよ」

 

  

 騎士団から来たばかりの、現役の花騎士。そんなキンギョソウに取り入り、気に入ってもらえたら、念願の花騎士になるために様々な便宜を図ってもらえるに違いない。

 害虫を前にすると、とたんに我を忘れてしまう。それは身体能力や技術の面においていかに素質に恵まれていようと、花騎士として第一に忌避すべきなのは明らかだ。

 だから実のところ、彼女には余裕がなかった。このままでは落第や留年はおろか、下手をすると不適格とされて退学、なんてことにもなってしまいかねない。

 そんな危機感を募らせていたツボミにとって、キンギョソウはいわばラストチャンスにも思えたのだった。

 

 

「……正直に言ってしまうと、ドクログッズだって、本当は興味なんてないんです。でも、先生の好きなものだから……」

 

「……そっか。そうだよね……」

 

「一日でも早く本物の花騎士になれば、一匹でも多くの害虫を倒すことができる。まだ見習いでしかないわたしだけど、ひょっとしたら先生が所属している騎士団に連れていってもらって、そこで他の方の力を借りながら害虫と戦う場面があるかもしれない……」

 

  

 戦う機会がなくったっていい。そのときは、騎士団内でさらに他の花騎士にも気に入られるように行動しよう。そうすれば、うまくすると他の生徒を飛び越えて、誰よりも早く正式な花騎士として加えてもらえるかも……。

 

 

「何もかも、すべて。ただひとつの目的が、これまでのわたしを支えてきました……」

 

  

 両親の無念に対する、復仇の念。

 あらためて、害虫に対する彼女の強い気持ちがそこには表れていた。

 

  

「……でも。それも、もう叶わないんですよね」

 

「それは、その……」

 

「いずれ時間とともに、筋力は取り戻すことができるとのお話でしたけど。だけど、ステップを踏むように軽快に動くことは、もう……」

 

「……ごめんね。こんなことになって、本当にごめんなさい……っ!」

 

 

 感情が、一気にあふれ出た。 

 堰が決壊したかのように、滂沱(ぼうだ)たる涙がキンギョソウの両頬を伝っていく。

 彼女の前に膝をつき、頭を垂れながら。ただ一心に、キンギョソウは自身の至らなさを詫びた。

 

  

「わたしこそ……わたしの方こそ、自分の勝手な打算に先生を巻き込んじゃってごめんなさい……っ!」

 

「そんなの、どうだっていいよ。気にすることなんてないよ……!」

 

  

 嗚咽が、病室内にふたつ重なった。キンギョソウと、そしてツボミと。

 いくら声を()らしながら悔いても、どうにかなるわけではない。それでも止まらなかった。次から次へと、足下に雫がしたたり落ちた。

 閉ざされた、ひとつの未来。どこまでも深い、後悔とやるせなさ。

 ひたすらに。ただ、ひたすらに。あふれる感情が涙へと変化するのを、抑えきれなかった。

 

 

 

 

 ――ひとしきり、互いに泣いて。

 嵐のように吹き荒れる情動からようやく落ち着きを取り戻したのは、キンギョソウがこの病室へ足を踏み入れてから、どれくらい時間が経ったころだろうか。

  

 思い返せばキンギョソウにも、この教師生活が自分にとっての転機になればいい、という期待があった。そしてそれは……まもなく、不本意な結末を迎えようとしている。

 しかし――得たものは、何もなかったのだろうか。

 彼女は、打算で自分に近づいたと言った。ドクログッズもそんなに好きではないと告白した。

 けれど、今。自分と一緒に、大粒の涙を見せた。キンギョソウを(だま)していたことを、何度も詫びていた。

 それさえも嘘だとは。絶対に、言えないはずだ。

 

 

「……ねえ、先生。最後にひとつだけ、お願いしてもいいですか?」

 

  

 それから、しばらく。

 思い思いに、余すところなくお互いの気持ちを語り合って。

 その最後に、ツボミはおずおずとそう切り出した。

 

  

「騎士団へ戻られる先生の代わりに……ドクログッズ、ひとつわたしがもらってもいいでしょうか……?」

 

「え? だってツボミちゃん、本当は……」

 

「……たしかにわたし、本当はそんなに好きじゃありませんでした」

 

  

 でも、とツボミは言葉をつづける。

 

  

「でも……先生と一緒に騎士学校で過ごした時間は、本当に楽しかった。それは、決して嘘ではないです」

 

  

 花騎士への道が絶たれて。これから、新しい人生を踏み出さなくてはならない。

 そのとき、自分の傍らにいてほしいのは……たとえわずかな間のこととはいえ、楽しかった思い出――

 みずからが信じるかぎり、それはいつでも力強く、勇気と励ましを与えてくれるはずだ。

 

  

「……それじゃ、私からも。お願い、させてもらっちゃおうかな?」

 

「で、でも。今のわたしに、できることなんて……」

 

 

 今の自分には何もない。そう告げるツボミに、キンギョソウはかぶりを振る。

 

  

「私はもう、ツボミちゃんの先生なんかじゃない。その資格を、私はもう私自身に決して持たせないようにしようと思う」

 

「そんな……。先生はわたしにとって、いつまでもずっと先生ですよ……!」

 

「ううん。決めたんだ……この気持ちだけは、絶対に曲げないようにしようって」

 

  

 肩書も、身分も。

 そんなものは、何の意味も持たない。必要ですらない。

 

 

「だからね。あらためて、ツボミちゃんにお願いしたいの」

 

  

 欲しいのは、たったのひとつだけ。

 だから、何度でも乞おう。

 

  

「これからは……私の『友達』に、なってくれませんか……?」

 

  

 この想いが色褪せることは、きっと一生ないだろうから。

 だから、いくらでも乞い願うのだ。

 

  

「……はい。喜んで……!」

 

  

 ただ純粋に、本音でぶつかり合うことができる。

 そんな相手に、お互いはじめて巡り会えたような気がしていた。

  

 ――それから。

 ほどなくして、キンギョソウは騎士学校をあとにした。

  

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 ごめんね。長話が過ぎちゃって。

 でも、もう少し。あとほんの少しだけ、聞いていてほしいんだ。

  

 

 ――それから、月日が経って。

 ツボミちゃんは、かつての両親と同じ道、農家としての人生を歩んでいくことに決めた。

 といっても両親が所有していた田畑は騎士学校での生活のために全部売ってしまっていたから、なんらかの事情で放棄されていた別の農地をあらたに買い取って。

 もちろん、私も協力を惜しまなかった。今の……この騎士団に転属する前の、当時の騎士団内を駆け回って、資金集めに苦しむツボミちゃんへの支援をお願いしたり。珍しい苗や種を見つけては活用できはしないかと、送ってみたりもした。

 そして休暇のたびに、彼女のもとへ足を運んだ。

  

 そんな、ある日のこと。

 ツボミちゃんが、今の生活を志すようになった転機のことを、語ってくれたんだ。

 

 

「――野菜の悲鳴って、聞いたことあります?」

 

「……え? 悲鳴を上げるの、野菜が?」

 

「うん。どんな植物も、ちゃんと生きてるんですから」

 

  

 ツボミちゃんは、私のことを先生とは呼ばなくなった。

 それでも口調は、あいかわらず丁寧なままだけど。でもときどき、少しはくだけてきたかな?

  

 ――後遺症を抱えつつもだいぶ怪我も癒え、なんとか屋外も歩き回れるようになってきたころ。

 誰にも伝えずひそかに郊外まで足を延ばし、害虫の出現はゼロに近いと認められている耕作放棄地に至ったところで、彼女はその声を聞いたのだという。

 

  

「ひょっとしたら別のどこかで、その農地を管理してる人が害虫に襲われたのかもしれません。だってそこは、作物が実ったまま放棄されてたから……」

 

「……」

 

「キャベツが、大きくなりすぎていたの。そうしたら……バリバリッて音を立てて、勝手に真っ二つに割れて……」

  

  

 たしかに耳にした、痛切すぎる叫び。

  

 人の手により育てられ、収穫を迎えることなくただ朽ちていく。その光景はあまりにも無残で、切なくて。

 その姿を、ツボミちゃんはただ茫然と眺めるしかできなかったという。

 そして、そのとき――

 

  

「……君にも聴こえたかい、彼らの声が」

 

 

 背後から不意に投げかけられた言葉に、彼女はびくりとして。そして、あわてて振り返った。

 そこには、ツボミちゃんの他にもうひとり。同じ光景を瞳に映して、旅装に身を包んだ人間が立っていた。

 聞けば、どこかの騎士団の団長だという。そんな相手に声をかけられ恐縮するツボミちゃんに、その騎士団長は微笑みかけながら、逆に突然声をかけた自分の非礼を詫びた。

 

  

「……ひょっとして。その団長って、私のところの……」

 

「ううん、違うみたい」

 

  

 このときのツボミちゃん。そうとう自信があったみたいで、すぐに別人だって断言したっけ。

 そして、私は。このときの会話からしばらく後になって、今のこの騎士団に移ったんだよね。

 

 

「……だってその人、まだ騎士団長になったばかりだって。だからこれから花騎士を集めるために、今はまず各地の騎士学校をめぐって、それぞれの様子や特徴を学んでいるんだって言ってたから」

 

  

 ――その人物の瞳からは、強い意志と知性を認めることができた。さすがは騎士団長になる人だって、ツボミちゃんはひそかに感じ入ったという。

 けれどまもなく、ツボミちゃんははっとした。その表情は暗く、眼前の光景にただ心を痛めるばかりのように見えたからだった。

  

 精強な騎士団を作り上げれば、強力な害虫も撃退できる。人々の生命や、そして大切な財産を守ることができる。

 それでも、無傷なままではいられなかった。人的にも物的にも、被害はどうしても避けられない。

 

  

「一度害虫に荒らされた土地が、何もしないまま、ただ自然に復興することはない。そしてまた、枯れた農地がふたたび息吹くには、騎士団や花騎士だけの力では、おそらく足りない。

 ……その力の及ばなさが、騎士団長として悔しいんだ」

 

  

 収穫の機会に恵まれなかった作物だけではない。荒れかけた農地に膝をつき、片手に土をすくい取りながら、その団長はただ小さく首を左右に振った。 

 人の手が入らなくなり、ゆっくりと活力を失っていく大地を前に、今の二人は無力だった。

 

  

「……わたし、決めました」

 

「……何を?」

 

「わたしの、新しい戦場を。武器を手に害虫と渡り合えなくなったわたしが、それでもまだ戦うことができる場所を」

 

  

 ひとりの少女にとっての、新しい世界。

 自らの手で切り拓いていく、これからの未来。

 

  

「害虫の影響で、荒れ果ててしまった農地。

 それを生き返らせることが、わたしの本当の戦いなんだと――そう思ったんです」

 

 

 ……それもまた、決して平坦な道ではないだろう。

 大地との格闘も、害虫と同じように。果ての見えない、長い長い月日をかけての難敵となるに違いない。

 

  

「……後悔しないと、誓えるかい?」

 

  

 覚悟を問う団長を前に、ツボミちゃんは力強くうなずいてみせた。

 

 

「今はまだ、分かりません。でも、きっと平気です。

 だって、わたしは……以前、あの『花騎士』を目指していたくらいなんですよ?」

  

 

 

 

   

 ――これで、私の話は、やっとおしまい。

 長かったけれど、話し終えた今は。団長さんに話せてよかったって、心の底から思ってる。

  

 団長さん。

 最後まで何も言わず、それでもちゃんと聞いてくれて、本当にありがとう。

 強い意志と、知性を深く宿したその瞳は……今はただ私のことを、ずっと見つめてくれている。

  

 だから、もうひとつ。

 本当に、本当にありがとう。

 私のかけがえのない親友に、道を示してくれて――

 

 

 

 

 

「緋果の朋録」 ―了―

 




 


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第三章【緑泉の風】(イフェイオン、モミジ、スズランノキ、ニシキギ)
3-1 イフェイオンからの苦言


  

「はああ……っ! 駆逐してやるっ!」

  

 

 頭上から惜しみなく注がれる陽光を受け、長大な刀身がまぶしいほどの輝きを周囲にふりまきつつ。

 まるで優雅に踊り咲く舞いを見せるかのように、戦場を駆ける。

 

 大剣を自在に操るは、ひとりの少女。

 左右の手でしっかりと柄を握り締め、全身にみなぎる闘気を送りこむように念じると、それに応えた刀身が紅蓮の炎に包まれた。

 自身の背の高さと同じほどもあろうかという、巨大な剣。にもかかわらず、軽々と扱っているそのさまは、重量など少しも感じていないかのようだ。

 普通では、とうてい考えられない事象。しかしそのことが、彼女が世界花の加護を受けた花騎士であることを、なによりも雄弁に物語っていた。

 

 紅く燃えたぎった大剣を一閃する。同時に、彼女の進路を阻んでいた数匹の害虫が一気に両断、あるいは炎に巻かれてゆく。

 小型の、いわゆるザコに相当する害虫ではあるけれども、一撃でこれだけの数をまとめて掃討してしまうのは、さすがという他に言葉がない。

 先陣を切る彼女の一撃で、前方にひしめいている害虫は数を大きく減らした。しかし運良くその攻撃をまぬがれた害虫が、まだ数匹ほど残っている。

  

 害虫の巣だった。

 強敵となりそうな大型の害虫の姿は見えないが、とにかく数が多い。

 一匹ごとの脅威は薄くても、これほどの多数がそのまま付近の町や村に押し寄せてくれば、被害は計り知れないものになるのは目に見えていた。

 

 

「まだまだ……。一番になるには、こんなくらいじゃ……」

  

 

 視線を向ける。

 森の奥。まだほんの一角を崩しただけで、そちらの方にはいくつもの小型害虫が群れをなしている。

 再び大剣を構えなおす。戦闘は始まったばかりで、身体は軽い。

  

 ――世界花。

 花騎士の源泉であるその恩恵が全身いっぱいに広がっていくのが、深く実感できた。

 

  

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

  

 ……どのように、自分は行動するのが最適なのだろう?

  

 

 提言という形で言葉に出して、白日のもとに(さら)してしまうべきか。それとも胸の奥にしまいこんで、そ知らぬ顔をよそおいながら推移をじっと見守るべきか。

 迷ったのは――しかし、少しの時間だけだった。

 

 

「……つまり、モミジの戦い方には本人の意識的な改善が必要、と。そういうことね?」

  

 

 念を押すように言われて、渋々ながらイフェイオンはうなずいた。

 軽率すぎたかと後悔の念が襲ってくるも、すでに口にしてしまったとあってはどうにもならない。

  

  

 

  

 今回の害虫討伐に参加した花騎士は、イフェイオンにモミジ、スズランノキ。

 そこに指揮官として彼女たちが所属する騎士団の団長が帯同して、つごう4名。

 そして今は、現地からの帰還の途中だった。

 

 ごく普通の人々が生活する安全圏に入ると部隊は二分され、他にも雑事を抱えているらしい団長は寄るべき場所があると、モミジのみを連れて行ってしまった。

 先に騎士団の拠点へ戻るように言われた、イフェイオンとスズランノキ。その途中で、イフェイオンは胸中に抱えたものを、つい表面に出してしまったのだった。

 

 

「独断と強行が過ぎる、ね。まあ、たしかにそこは否定できないところよね」

  

 

 横に並んで歩くスズランノキが、腕を組みながらイフェイオンの指摘に同意する。

  

 

「……さっきの戦い、明らかにモミジはひとりだけ突出しすぎていた。あれじゃ隊列も何もあったもんじゃないと思う」

  

 

 一度明らかにしてしまった以上、もう後には引けない。

 中途半端な指摘で濁すより、もはやしっかりと自分の意見を伝えるべきだろう。

  

 

「固まって戦う、のが必ずしもベストであるとは限らない。でも、あれだけ遠くに離れてしまうと、団長の指揮だって本人に届くかどうか分からなくなる」

 

「なるほど、ね……」

  

 

 団長――という言葉を口にした瞬間、かすかに苛立つのをイフェイオンは自覚した。

 そしてまた、彼女に同意の姿勢を示しながらも決定的な言葉をひとつも返してこないスズランノキの態度にも、さらに苛立ちがつのってくる。

 

 

(団長は……寄り道の同行者にモミジを選んで。自分を、どうして選んでくれなかったのだろう……)

 

 

 ――自分には足りないものが、まだまだたくさんある。

 ひょっとしたら、実力すらモミジに及ばないかもしれない。紅蓮とともに舞う彼女の戦いぶりを見れば、一部ではそれを認めざるを得ない。

 認めざるを得ない、けれど。……それでも。

 

 

「わたしはずっと団長のそばで戦っていた。だから見たの。倒しそこねた害虫が、何度か団長を狙ってこちらに寄ってきたのを」

  

 

 あのときは先陣をモミジ、中央をスズランノキが担い、そして後衛に団長とイフェイオンという隊列だった。

 

 とにかく、必死だった。

 団長の身に危害が及ぶようなことは、決してさせない。モミジの深入りを止めようとするスズランノキの声が耳に入っても、イフェイオンは何もできなかった。

 横合いから、死角から、隠れ潜んでいた害虫が襲いかかってきたらどうするのか。そんな不意の攻撃を警戒して、団長の周辺に注意力の大半を割かねばならなかったからだ。

 もっと別の戦い方があったのではないか、と思う。なにより団長の安全が軽視されたことが、彼女のなかで強い憤りになっている。

 

 団長の身を守る――その大前提は、イフェイオンがこの騎士団に配属されてから、変わることなく強く抱きつづけている決意だ。

 なぜ、そうするのか。理由は……昔と今と、まるで正反対なものへと大きな変化を遂げてしまっているけれど。

  

 

(わたし、どうしてこうなっちゃったんだろう……)

 

 

 本気で、団長を守りたいと思う。

 ずっと、いつまでも……今はただ、あの人を守り抜きたい。

 

 いつしか――イフェイオンは望むようになってしまった。あの人の温かさに、少しでも多く触れたい、と。

 だからこそ。そんな団長の身をないがしろにするようなモミジの猪突ぶりが、イフェイオンには不満なのだ。

 

 

「もし団長が倒しそこねた害虫に襲われて、怪我をしたら。害虫は倒せても団長の身になにかあったら、それは敗北と同じことだと思う」

 

「……さっきから団長団長って、えらく気にするねえ?」

  

 

 こちらを見、からかうように言うスズランノキ。それに反論するよりも先に、かあっと自分の顔が赤くなるのをイフェイオンは感じた。

 しかしスズランノキから、それ以上の追及はなく。かわりに返ってきたのは、打って変わって真面目な口調だ。

  

 

「そりゃ、私たち花騎士とは違う。だけど団長だって、ちゃんと大人なんだよ。それなりの戦闘訓練も受けてる」

 

「でも、だからといって害虫と対等に渡り合えるわけじゃない。団長に迫る危険を放置していい、なんてことはないはずだよ」

 

「まあ、そりゃそうなんだけどねえ……」

  

 

 それに――守らなければならない後方の相手は、なにも騎士団長だけとは限らない。害虫に抵抗する(すべ)を持たない人間は、ほかにも数多くいるのだ。

 そう。まさしく、イフェイオンの両親のように……。

  

 一足飛びの戦術を完全に否定するつもりはない。しかしながら堅実な作戦は常にそれに勝る、とイフェイオンは思っている。後方の安全を考慮しなければならないような状況にあるのなら、なおさらだ。

 一歩ずつ、駒を進めるように。そうした戦い方でも、いずれは敵の王将の足下までたどりつける。一気に玉座に飛びかかった結果、もし退路を遮断されたらどうするのか。

 

 

「イフェイオンの心配はさ、私だってまったく考えてないわけじゃないんだよ」

 

「だったら……」

 

「……分かった。私から、ちゃんとモミジに伝えて……」

 

「……待って。それだけじゃ駄目」

  

 

 小さな嘆息とともに、やがて根負けしたかのようにうなずくスズランノキ。

 けれどイフェイオンは、彼女の言葉を途中で制した。

  

 

「ここまでわたしが言って、それでリスクをひとつも負わないのは卑怯、だと思うから。スズランノキの考えじゃなくてわたしの意見だということも、ちゃんと伝えて」

 

 

 そして。

 さらにもうひとつ、付け加える。

  

 身内のアドバイスとは、はっきりと違う。

 赤の他人からの意見のほうが、きっとモミジの心にも響くだろうから――

  

  



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3-2 葛藤するイフェイオン

  

(この騎士団に来てから、ずっと調子を狂わされちゃってる、わたし……)

 

 

 これまで繰り返し、どれほどそう思っただろう。

 騎士学校にいたときとは、まるで別の人間のようだ。

 

 あのころの自分なら、もっと上手くやっているはず。

 何食わぬ顔で、穏やかに過ごしながら。波風を立てるタイミングは、どこからも相手に異を唱えさせないほど条件を整えてから。

 反論どころか議論する気すら封じて、こちらへの抵抗の芽を完全に摘みとって、それから自分の意に沿った結果へと導いてゆく。

 やればやるほど、自分の手は汚れていく。そう思いながらも、イフェイオンはたったひとつの目的のために、手段をあらためようとは考えなかった。

 

 

(それなのに……)

 

 

 思い通りの騎士団へと配属が決まって、いよいよ団長に近づける存在にまでなって。

 なのに――

 

 今の自分には、過去の面影はどこにもない。

 他の花騎士が戦場でどう行動しようと、自分は自分でうまくやりきれる。

 ところが、今。ことが後方で指揮を執る団長の身に関わってくるとなると、彼女は以前の彼女ではなくなってしまう。

 以前はその命さえ守りきればいくら怪我を負おうと気にすることはなかっただろうに、今ではほんのかすり傷でも団長に負ってほしくない。

 

 だから、モミジに対して異を唱えた。が、問題はそこではない。

 不満を示すにしても、なぜあんなに拙劣な方法を選択してしまったのだろう。思ったことをすぐにスズランノキに言ってしまうのではなく、別の方法を模索するべきだったのではないだろうか。

 

 変わらなければよかった。

 そう思いながら――でもその一方で、変わったことで今まで心のどこかに抱えていた重石のようなものが、知らないうちに取り除かれてしまったような感じもしている。

 かわりに最近はモヤモヤとしたものが胸の奥に生まれたような気もするけれど、でもそれは重石と比べて不快と感じたことは一度もない。

 とはいえ……たまにはこんなふうに、やっぱり軽々しく口にしなければよかったと、後悔ばかりしか襲ってこないときもあるのだった。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

  

(うう、気まずい……)

 

 

 騎士団の拠点の内部にある、花騎士たちが利用する食堂。

 自分のとった行動にさえ、いまだ心の整理がついていないのに。

  

 ……気がつけば。

 当のモミジの隣の席に座る自分が、なぜかいたりする。

  

  

  

 

 ――害虫による襲撃や被害は毎日起きるとは限らないし、また当然ながら時間も決まっているわけではない。だから昨日のように花騎士たちの大半がそれぞれに出払ってしまうときもあれば、その逆の場合も起こりえた。

 今日はどうやら、みんながそろいも揃って予定のない一日らしい。

 それはつまり世界がつかの間の平和ということであり、喜ぶべきものであるけれど……そんな日は、さして広くもない食堂の座席は多くの花騎士たちで満席になってしまうという、ささやかな弊害もあったりする。

 

 昨日のことであれこれと思い悩んでいるうちに、イフェイオンが気づいたときは、とっくに昼食の時刻となってしまっていた。

 

 

(……別に特定の場所とか、特定の時間に食べなくちゃいけない、なんて決まりはないけれど。団長だって自分の執務室で、好きなときに食べていることもあるし)

 

  

 とはいえひとつの建物のなかで団体行動をしている以上、決まった時刻に食堂で食事をするというのは、基本的な流れでもある。

 今日にかぎって、その時間に大きく出遅れてしまった。結果、イフェイオンが遭遇したものは――すでに席という席が埋まってしまっているという、珍しい状況だったのだ。

 日頃は、あまり見られない光景。それはつまり、それだけ普段から花騎士たちが多くの任務や訓練などに明け暮れているという証拠でもある。

 

 

(でも、いくら珍しくても。ちっとも嬉しくないときもあるよね……)

 

  

 少し待てば空きが出るだろうと思い直し、軽くため息をついてからイフェイオンは周囲を見回した。と、偶然にも、ひとりの花騎士がちょうど食事を終えて席を立ちあがるのが見えた。

 あそこにしようと、さっそく空いたばかりの席を埋めるべく、そそくさとイフェイオンは足を向け……ようとして。

 踏み出しかけた一歩が、不意に立ち止まった。

 あわててきょろきょろと、他の空き席を探す。そして、結局――観念したように、最初に見つけたスペースへと向かうイフェイオン。

 

 テーブルを挟んだ、空き席の向かい側。

 そこに座っていたスズランノキが、なぜだか妙に親しげにこちらへ手を振ってくるのを目にしてしまったからだ。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

  

「……」

 

「……」

 

 

 がやがやとした周囲の喧噪が、今はありがたい。

 もしも周囲が静寂のただなかにあったら……などと想像するだけで、胃が痛くなってくるような気がする。

 

 モミジと席を並べた自分の正面には、彼女と同じようにスズランノキとニシキギの2人が腰を落ち着け、なにやら会話の応酬を繰り広げている。が、やはり一番気になるのは、すぐ隣の席に座っている相手の存在だった。

 そんなモミジはといえば、こちらに特に関心を向ける様子もなく、ただ黙々と食事を口に運んでいる。

 

  

(そういえば、普段はあまり感情を表に出すのを見たことがないかも……)

 

  

 昨日の害虫討伐に関してイフェイオンが納得していないということは、スズランノキとの親密さを思えば、すでに彼女にも伝わっているはずだ。なのにそのイフェイオンが隣に座っても、動じた素振りなどまったく見せずに、涼しい顔をしながら食事をつづけている。

 となると、イフェイオンもなかなか会話の糸口を見つけられず、モミジと同じように黙ったままになってしまう。

 

 ……そのとき。

 ふと、スズランノキがこちらに視線を向けているのに気がついた。

 

  

「……なに、ニヤニヤしながらこっちを見て」

 

「い~や、別に?」

 

  

 ニシキギはいつのまに席を立ったのだろう。気がつけば、彼女がいたはずの場所は空席になっている。

 ようやく今さらにして、食事を終えて席を離れる花騎士の数がちらほらと増えてくるようになった。

 あと少しだけこの席を見つけるのが遅く、あるいはスズランノキがこちらを発見するのが遅かったら、今ごろは別の席で緊張感とは無縁のまま食事することができたのに……などと思ったりしたところで、もう後の祭りだ。

 

 

「やれやれ。やっと少しは落ち着けるかしらね。そんなに大きい食堂でもないけど、それでもこんなに狭く感じたのは久しぶりよ」

 

「……多くの日は任務があったりして、みんなバラバラだから。今日は偶然中の偶然だよ」

 

「そういうイフェイオン、あなたも今日は特に任務は入っていないの?」

 

 

 自分の食事を口へと運びながら、うなずくイフェイオン。

 こうしている間も、モミジが口を挟んでくることはない。まったくの平静というのが一番その思考をとらえづらく、イフェイオンにとっては非常に困る。

 

  

「モミジも今日は非番だったわね。それじゃ、今日は食後にのんびりとパフェでも食べる?」

 

「……うん、そうする」

 

(……モミジ、パフェとか好きなんだ……)

 

  

 常に最前線で勇猛果敢に害虫と渡り合う姿からは、ちょっと意外な組み合わせのような気がする。

 これを何かの材料に使えないか、と条件反射のように考えようとして、あわてて心の中でかぶりを振った。

 詐術とか脅迫とか、この騎士団に来て団長と出会ってからは、もう必要ないのだ。

 

 一見しただけでは、3人で仲良く打ち解けているふうに見えなくもない。

 けれど現実は、イフェイオンとモミジそれぞれが個々にスズランノキと会話を重ねるという、奇妙な形態がつづいている。

 相変わらずスズランノキとモミジとの会話には入りづらく、またモミジもこちらと顔を合わせることをためらっているように感じるのは、イフェイオンの思い過ごしだろうか。

 

 

(……そういえば、ニシキギはどこに行ったんだろう? 姿が見えなくなってから、だいぶ経ったように思うけど……)

 

  

 ふと、イフェイオンがそう思った矢先。

 

 

「は~い。みんな、食後のデザートお待たせしました~♪」

 

「おや、気が利くじゃないニシキギ。……って言ってあげたいところだけど、私はもう充分ってところ……」

 

「って、そんなことより見てスズランノキ、あのパフェ!」

  

 

 真っ先にそれを目にしたイフェイオンが、仰天しながらスズランノキを促す。

 それは、あまりに暴力的な物体。何人分に相当するのかもはや見当もつかないほどの、巨大なパフェが姿を現したのだ。

 

 

「見て見て、これ。このギリギリなボリューム! ニシキギちゃんが直々に頼んで作ってもらった、特製パフェですよっ!」

 

  

 それはそうだろう。誰が見ても特製なのは明らかだった。

 器からして、どこからか緊急に引っぱり出してきたと思われる。もはや器と呼ぶのもためらわれるような大筒的な容器に、なおもそこからはみ出さんばかりな生クリームのボリューム感がとにかくすごかった。

 その重量のせいだろう。広げた左右の手のひらの上にそれぞれ乗せてこちらにやってくるニシキギの表情は、その陽気なセリフとは釣り合わないほど緊迫感に満ちあふれている。

 

  

「……って、ととと。こ、このいつ大事故を起こすか分からない危険性がまたヤミツキになりそうで……」

 

「ちょっと、大丈夫なの!? モミジ、手伝ってあげて!」

 

「待ってスズランノキ。急に片側だけ手を出しても、下手したら全体のバランスが……」

 

「あ、ちょっと、手伝ってもらったらギリギリ感が抜けちゃう、スリルがなくなっちゃいます!」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないって。ほらニシキギ、そのまま動かないで!」

 

「モミジお姉ちゃん、私は大丈夫です。大丈夫ですからもうちょっと遊ばせ……わ、わわわわっ!」

 

 

 ……なんとなく、悪い予感はしていた。

 だから不意に足もとにつまづいて巨大パフェを宙空に放り出すニシキギの姿を見ても、パフェそのものを見た瞬間ほどの驚きはなかった。

 ニシキギには悪いけれど、このままであれば対岸の火事ということで済ませられる。せっかくこれほどの大作を作り上げた料理人もまったく報われないけれど、今日の騎士団の珍しい状態と同じように、あまりに不運な日というのも時にはやってくるのだろう。

 

 そう。極端に不運な日というのは、きっと誰にもあるものなのだ。

 それがまさか、滑空しながらイフェイオンとモミジに接近してくるまで、自分たちにも当てはまっていたのだということに気がつかないだけのことで。

  

  



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3-3 イフェイオンとモミジ、それぞれの想い

  

 モミジは、困惑していた。

 

 きのう騎士団の拠点に帰ってきたあと、イフェイオンの一件をスズランノキから聞かされた。

 冷静になって考えてみれば、もっともなこと――と、反発する気は少しも起きなかった。

 とはいえ、それはモミジが深く信頼するスズランノキの言葉だからであって、もしイフェイオン自身から直接口にされたなら、素直に受け入れられたかどうかは分からない。

 

 

(だから。まず、落ち着いて話をしよう……)

 

  

 幸いなことに、今日はお互いに時間に余裕があるようだ。

 とはいえ食堂では、真剣な話をする場としては適当でないように思える。食べ物を口にしながら気楽に話すような内容ではないからだ。

 けれど。そんなことを理由に言い出しかねているうちに、事態は勝手にどんどんと進んでいき――

  

 そして、気がつけば。

 なぜかイフェイオンと2人きりで、大浴場にいるのだった。

 

 

 

 イフェイオンにしても、他の花騎士たちと考えは変わらない。つまり、入浴するのは任務を終えてから、とするのがいつものパターンだ。

 それから思えば、こんな昼間から大浴場を利用するのは、本当に特別ということになる。が、特別でもなんでも、いっこうにかまわない。

 とにかく今は、身体じゅうが生クリームでベトベトになってしまったのを、早くなんとかしたかった。

 

 拠点内で過ごす花騎士が多いということは、今日にかぎって大浴場も早くからにぎわっているかもしれない。一刻も早く入浴したいという気持ちはあるものの、顔見知りの花騎士と出会っていちいち事情を説明する必要を考えると、わずらわしい気分にもなってしまう。

 ところが、イフェイオンの想像に反して――まだ日も高く昼食時間を終えたばかりの浴場は、閑散という表現そのままの姿で、あっけにとられる彼女とモミジを迎え入れていた。

 まるで、2人が本日の一番風呂の主であるかのように。

  

  

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

  

  

(これは……勝てないかも……)

 

 

 一目見た瞬間、イフェイオンは内心で白旗を上げざるをえないような気分に襲われていた。

 

 身体のあちこちに付着した生クリームを洗い流したあと、浴槽に浸かる直前、入念にかけ湯をするモミジ。

 彼女の全身に注がれ、そして弾かれる飛沫。

 昼の窓から差しこむ陽光を浴び、キラキラと黄金のように光輝を放ちながら。まるでモミジの身体を守護する妖精のように、その周囲で踊っている。

 あれほどの巨剣を軽々と扱いながら、硬くゴツゴツとした部分はわずかほども見られない。どこまでも均整のとれた、そして充分な色香をも感じさせるプロポーション。

 ほどよく実った2つの隆起を経て、湯が足下に向かってなめらかな肌を伝っていく。優美そのものといったその光景は、思わずはっと息を呑むくらいだった。

 

 

「……? どうしたんですか、イフェイオンさん?」

 

  

 イフェイオンの視線に気づいたモミジが、手を止めてこちらを見た。

 

  

「う、ううん。なんでもない」

 

  

 あわててイフェイオンも湯桶を手にすると、いささか乱暴にざぶんと湯を身体にかけて、いそいそと浴槽のなかに身を沈める。

 

 昼間の大浴場は、いつも以上に輝いているように見えた。

 湯水も清潔さがありありとうかがえて、どこまでも透き通っているようだった。

 

 

(こんなときくらい、ちょっと濁っててもいいのに……)

 

 

 魅力的な女性というのは、まさにモミジのような身体つきのことをいうのだろう。これではお互いの差があまりにも鮮明に浮かび上がってしまう。不公平のきわみだ。

 胸のボリュームに関してだけは、モミジにも負けてないと思う。けれど、身長についてはもっと伸びてほしかった。どこか子供っぽさが抜けきらない容貌も、総合的な色香を損なわせている一因となっているに違いない。

 

 

(……ようやく分かったよ。きのうの害虫討伐の帰り、団長がわたしじゃなくて、モミジを選んだ理由が……)

 

 

 完全に納得だ。

 どんな花騎士にも普段は分け隔てなく接している団長とはいえ、たまにはその双肩にのしかかった重責から解放されたくなるときもあるだろう。まして凱旋途中ともあれば、気持ちもいくらか緩むはずだ。

 もし自分が団長の立場であっても、モミジを選ぶに決まってる。自虐的に、イフェイオンは認めた。

 

 

「……さっきから様子がおかしいですよ、イフェイオンさん?」

 

「……別に」

 

  

 こちらをうかがうモミジに、わざと顔をそむけるイフェイオン。それと同時に、ぱしゃりと湯水が跳ねた。

 この行動も失敗だ。如才なくその場をやり過ごすのではなく、どうしてこんな明確に拒絶的な意思を示してしまったのだろう。

 

 

「でしたら……聞いてください」

 

  

 昨日からつづく、重ね重ねの失態。

 なのに、それでもなお。イフェイオンの背中に向かって、モミジは語りかけるのを止めようとはしなかった。

 

    

「昨日のこと、なのですが……」

 

 

 

  

 モミジは、思う――

  

 さっきの食堂では、とても切り出す気にはなれなかった。雑然としたあの空気の下では、せっかくの真剣さが伝わるかどうか非常に疑わしい。

 でも、この大浴場なら。幸いなことに、他の人間もいない。イフェイオンと2人きり、何を話そうが周囲を気にする必要はない。

 ニシキギは今ごろ、スズランノキからおおいに絞られているところだろうか。もともと悪気があったわけではなさそうだし、結果的にこの場を作ってくれた感謝をこめて、あとで何かしらフォローしてあげてもいいかもしれない。

 

 

「……ごめん、モミジ。それ、聞かないでいい、ということにはできないかな……」

 

  

 しかし。

 モミジとはまるで正反対に、大浴場に来てからのイフェイオンは、理由は不明ながら先刻にも増して自分の殻に閉じこもってしまったように見えた。

 

  

「……あなたとは、たまたまチームを組んだだけだし。それだけで団長と何があったかなんて、わたしが聞く必要はないよ」

 

「……え?」

 

 

 思わず、聞き返してしまった。

 何を言っているのだろうと、イフェイオンの意図がモミジには理解できなかった。

 

  

「団長と私に、何かおかしいところがあるんでしょうか?」

 

「だ、だって昨日、2人だけで……」

 

  

 なるほど。イフェイオンが言っているのは、帰還途中の出来事のことだろう。

 

  

「はい。団長についてくるよう、命令されたので」

 

「……そうだよね。あなただけ、特別にね」

 

「はあ。でも、いつものように護衛の任を果たしただけですよ?」

 

  

 ありのままに、昨日のことを正直に告げる。すると目の前で、イフェイオンがあきらかに戸惑いはじめた。

 とはいえ何が彼女をそうさせているのか、モミジにはまるで見当がつかない。

 どうもイフェイオンは、なにか大きな勘違いをしているのではないだろうか。そんな気がする。

 

 

「街のなかといっても、不測の事態というものはありえますし。それに最近、騎士団長ほどの身分の人のひとり歩きを懸念する声がどこかで上がった、なんて噂を聞いたような気もします」

 

  

 これは私の推測でしかないですが――もしかすると団長もその噂を耳にして、余計な波風を立てないようにしたのではないでしょうか。

 推測、などと前置きをしつつ。けれどほぼ間違いないだろう、とモミジは思っている。

 

  

「護衛役に私が選ばれた点は、おそらくですけど……」

 

「待って、わたしに言わせて」

 

  

 イフェイオンの声が、モミジの次の言葉を押し止める。

 

  

「たぶん、そう……護衛役ということを内外に示すには、わたしやスズランノキの武器より、モミジのような大剣が誰の目からも一番シンプルで分かりやすいから、とか……」

 

「はい、私も同じように思います」

 

  

 話が進むと同時にイフェイオンが少しずつ冷静さを取り戻していっているように見え、モミジは内心で安堵の吐息をついた。モミジの知るかぎり、こんなイフェイオンの姿を見るのははじめてだ。

 ただ、今度は一目でわかるくらい、彼女の顔がみるみる赤くなっていった。湯に当たったのかと一瞬思ったが、どうやらそれとは違うようだ。

 

   

(……かわいい……)

 

 

 モミジはふと、イフェイオンの姿にそんな思いを抱いた。

  

  

 

 

 ――もしも、自分が男性だったとしたら。

 自分の横にずっといてほしいと願うのは、イフェイオンのような愛らしい女性ではないだろうか。

 そんなふうに、モミジは思う。

 

 小柄なせいか丸みが強調されたように見える全身は、非常に女性的だ。それでいながら身長とはアンバランスに思えるほど胸のふくらみは充分に自己を主張していて、彼女の顔立ちのように美しく整ってもいる。

 

 

(団長の一番に……どんなことでも、私はなりたい)

 

 

 丸みを帯びているといっても、無駄な贅肉はどこにもない。イフェイオンが手足を大きく伸ばしたとき、驚くほどすらりとした手足が現れるからだ。

 

 

(でも、ひとりの女性としては……今のままでは、彼女にとても及ばない……)

 

 

 湯水を通して見ても、きめの細かそうな肌だということは一目にしてわかる。

 厳選された、甘い果実。そんな彼女の肢体が湯水の表面の動きに合わせて波のように揺れる姿は、思わず魅入ってしまいそうになるほどだった。

 

  

「はあ……」

 

  

 思わず漏れてしまう、感嘆のため息。

 

  

「一番になるには、あとどれくらいかかるんだろう……」

 

 

 ――そこで、はっと気がついた。

 ほとんど反射的に、周囲を見回してしまう。そこではっきりと、視線が交錯する。

 

  

「……も、もしかして、今。その……なにか口に出していましたか……?」

 

  

 ちょっとだけ申し訳なさそうな顔とともに、イフェイオンが小さくうなずく。今度はモミジが赤くなる番だった。

 そして、やっと。

 今ごろになって、先ほどイフェイオンが赤くなった理由がなんとなく理解できたような気になるモミジだった。

 

   

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

  

 ――それから、しばらく。

 いちど湯から上がり、身体を洗って。温まった身体を軽くクールダウンさせると同時に、心の平静を取り戻すようよう努めて。

 なんとなく、2人は壁面にもたれかかりながら、肩を並べるようにしてふたたび浴槽に身を沈めていた。

  

 ふたたびの、無言。イフェイオンの方からも、言葉はない。

 それでも。沈黙が破られるまで、思ったほどの時間はかからなかった。

 

 

「……イフェイオンさんの一番って、何ですか?」

 

「……どうして、そんなことを聞くの……?」

 

  

 そう返されつつも、この大浴場ではじめに言葉を交わしたときに比べて、明らかに硬さは感じられない。

 

 決して、譲れないもの――

 モミジの中で、きっとそれは終生変わることはないだろう。

 けれど、折り合いをつけることはできる。相手の気持ちに寄り添えると感じたなら、なおさらだ。

 

 

「……花騎士って、本当にいろんな人がいますよね」

 

  

 器用に話すことは、正直苦手だ。

 

  

「性格は様々ですし、境遇だってみんな違う……」

 

  

 だけど、とにかくぶつかってみるしかない。

 その結果、イフェイオンの理解が得られなかったとしても、それはそれで仕方のないことだと諦めればいい。モミジはそう決心した。

 

  

「それでも、私は。どんなことでも、一番になりたいんです……」

 

「……」

 

「……どう、ですか。おかしなことだと、イフェイオンさんは思いますか?」

 

「……一番になりたいというのは、あなたにとってすごく大事なことなんだよね……?」

 

「はい、とっても」

 

「……うん、分かった」

 

 

 人それぞれの、譲れない思い。

 花騎士であるかぎり、その思いはまばゆく輝いていて。そして、何にも増して強固なものに違いない。

 その大切さに気づいたからか。イフェイオンはそれ以上、踏み込んではこなかった。

 

 

「でも、昨日のような戦い方は……勇猛というなら聞こえはいいけど、見方を変えれば蛮勇というふうに受け取ることもできる」

 

「……否定できません……」

 

「指揮官の団長が倒されたら、元も子もない。だから、もう二度とやらないで……とは、言わない」

 

「……え?」

 

 

 満たされている湯が、小さく波打つ。

 あらたまったようにイフェイオンは浴槽の中で体勢を変えると、モミジと正面から向き直った。

 

  

「もう少しだけ、周囲を気にするようにして。そうすればわたしももう少し、うまくフォローできると思うから……」

 

「……分かりました。約束します」

 

「……なら、もうこの話はこれでおしまい。分かってくれさえすれば、それでいいもの」

 

 

 ふっと表情を緩めるイフェイオンを見て、彼女が今の言葉にどれだけの実感をこめていたのかを、モミジはあらためて思い知った。

 

   

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

  

 ――かつて、取り返しのつかないものを失った。

 大切な家族であり、追いかける目標として慕っていた姉。

 その背中をもう追うことはできない、と教えてくれたのは、団長だった。そしてそのとき、同時に団長が示してくれた姉の遺志が、モミジの心の支えとなった。

 

 しかし、そればかりではない。思い返してみれば、モミジの心に開いた空洞は、彼女がひとりで埋めたのではなかった。

 スズランノキが、ニシキギがいてくれたことで、空洞の奥底が奈落へとつながっていたかもしれないところを、寸前で引き揚げられたのだ。今の自分がいるのは、2人のおかげだった。

 それでも、空洞の存在を忘れたことはない。完全に埋まることはなく、いつまでも存在しつづけるに違いない。

 

 

「……一見すると、冷たそうに見えますけど。でも、イフェイオンさんって……」

 

  

 お互い、なにかに強く執着しつづけている。もはや得ることは叶わないと知っているにもかかわらず、だ。

 あるいは自分と彼女は、とても似た者同士なのかもしれない。

 

 

「……本当は、面倒見が良くて。アプローチの仕方はまるで違うけど、それでもスズランノキが2人いるみたい……なんて、そんな気がします」

 

  

 笑顔を見せている自分に、モミジは気がついた。

 

 いつかイフェイオンにも、姉のことを話せる日が来るに違いない。

 そしてそれは、思ったほど遠いことではない。そんな気が、モミジにはしていた。

 

 



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3-4 あるいは、歴代最強の――

  

「……どう思う、団長さん。この編成?」

  

 

 騎士団の中枢部である、団長の執務室。

 そこは今、部屋の主のほかに、ひとりの花騎士を迎えている。

 

 

「……ちょうどいい機会だし、これで隊長の座はモミジに譲るわ」

 

  

 それでいいのか、という団長の問いに――あの子なら充分に務まるはずよと、スズランノキは笑いながら答えた。

 

  

「そもそも私よりあの子のほうがリーダー向きだって、団長さんも分かってるはずでしょ。私はサポート役に徹するほうが性に合ってるもの」

 

   

  

  

 この場の話題の焦点。

 それは、これまでスズランノキが隊長を務めていた部隊の再編成に関して、というものだった。

  

 害虫との戦いは、日々衰えることがない。ゆえに部隊の拡充や見直し、検討といった物事は、騎士団にとって常に切り離すことのできない案件だ。

 今回は再編成を機にメンバーを増やして強化を目指すのはもちろん、場合に応じて騎士団の中核として他の部隊を率いるということも視野に入れている。

 

 

「モミジが隊長となって先陣をみずから切るようになれば、その姿を見た他の花騎士たちは大きく勇気づけられるわ。まあ、身内にとってはハラハラすることも多いだろうけどね」

 

 

 戦場でのモミジの果敢さは、スズランノキだけでなく団長もおおいに認めるところだ。

 とはいえ、一方で懸念がないわけではない。

 

 

「モミジと、それにニシキギ。普段の生活でだって、2人の面倒を見るのは大変なんだから。だから……彼女は、絶対に必要なメンバーよ」

 

  

 だからスズランノキは強硬にイフェイオンを推すのか、と、団長は納得した。

 

  

「あの子の観察力なら、本当に危険なところまでモミジが足を踏み込もうとすれば、それを止めることができる」

 

  

 ……そして逆に、イフェイオンがなにか屈託を抱えたときは。モミジの真っすぐな性格が、そこに光を当ててくれる。

 

 見解は、期せずして一致していた。

 モミジとイフェイオン。実のところ2人はなかなか相性がいいのではないだろうか――と、団長とスズランノキは思っているのだった。

 

 

「私はニシキギの相手だけで、手一杯かもしれないから」

 

  

 やれやれといったふうに肩をすくめてみせたスズランノキが、さらに言葉を重ねた。

 

  

「モミジの剣には、絆が深くこめられているもの。だから、簡単に折れはしない。

 そして、そこに広範な視野と冷静さが加わったとしたら、よ? ひょっとしたら……」

 

  

 ――歴代最強の組み合わせ(コンビ)、とまで(うた)われることになるかもしれないわよ?

 

  

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

  

 

  

 そして。

 2人の姿は、今日もまた害虫討伐のただなかにある。

 

   

 巨大な剣を高く掲げ、裂帛の気合いとともに振り下ろす。

 たったの一撃で、目の前の害虫が四散した。

 

  

「私は……一番になるっ!」

 

  

 その言葉を口にすると、身体の奥底からさらに力が湧きあがってくる。

 一息つくこともなく、そのままモミジは次の害虫の姿を探した。

 

 

「モミジ、いったん下がって!」

 

  

 イフェイオンの声が耳を打つ。瞬間、モミジは後方に大きく飛びすさった。

 それと同時に寸前まで彼女のいた場を、横合いから蜂型害虫が放った数本の針が突き抜けてゆく。そうする間にもモミジは態勢を整えなおすと大剣を一閃させ、死角からの攻撃を狙った害虫の一体を撃破した。

 ……もう一体の害虫が青白く光り輝く魔法の花の攻撃を浴び、消滅していくのを横目にしながら。

 

 

「ありがとう、イフェイオン。ちょっと危ないところだったかも」

 

「気にしないで。それよりも……見て」

 

  

 イフェイオンが指差した先。そこあるのは岩場だ。

 

  

「あの一番大きな岩の裏……あそこから横に伸びている影のひとつだけが、他よりもすごく大きい」

 

「ほええ、ほんとですー。ってことは、あそこでギリギリ身を隠してるやつが、きっと害虫のボスってことですよね、ね!」

 

  

 言うやいなやすぐにも駆けだそうとするニシキギを、スズランノキがあわてて止めた。

 

  

「……さ、どうする、隊長。それにイフェイオン?」

 

「……考慮するまでもない、スズランノキ」

  

 

 モミジは、かたわらを見やった。

 イフェイオンが軽く微笑んでいる。同意のうなずきとともに。

 

 

「一気に蹴散らしてやろう。スズランノキとニシキギは、周囲のザコをお願い。私とイフェイオンで、親玉を排除する」

 

「……あら。いいの、イフェイオン。その作戦だと、まるでいつかのときと同じようにならないかしら?」

 

「ううん、スズランノキ。あのときとは状況が違う。害虫の密度は明らかに前よりも薄いから、わたしとモミジは何も心配しないであなたたちに背中を預けられる。それに今回は団長もいないし」

 

  

 それ以上は、もう必要ない。ここにいるのは、最高の仲間たちだ。

  

 

  

  

 構えを取る。

 心気を澄ませ、再開される戦いに精神を集中させていく。

 

  

「私が、一番になる……」

 

「……違うよ、モミジ」

 

 

 肩を並べる、イフェイオン。

 そちらへ向かって、モミジは一度だけ大きく笑いかけた。

 

  

「……うん。言い直す」

  

  

  

 私たち全員で、一番になる!

  

  

  

  

   

「緑泉の風」 ―了―

  



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第四章【望遠の絆】(カルミア、サツキ、スノードロップ)
4-1 カルミアも一緒にやるデス♪


今回その名が登場する、ナイドホグルさん。
なにやら最近では『守護神蟲』なる単語も飛び出して、敵どころか「実は味方だった!」的な位置にシフトしつつあるようですが。
まだラスボス格としてバリバリ元気に(?)活躍しておられた、そんな時期に書かれたのがこのお話だったりします。
  


  

「ほわあぁぁ……」

  

 

 感嘆まじりの吐息が、思わず口をついて出た。

 

 想像していたより、はるかに広大な敷地。

 重厚な雰囲気のなかに瀟洒(しょうしゃ)な部分をも感じさせる、複数の建物群。

 心のうちに描いていた世界を、そこはまるきり超越していた。

  

 

「すごいデス! これはまさしく、まさしく……えれがんとデース!」

 

  

 はじめて訪れた、本物の騎士団。

 幾多の花騎士を擁する、その拠点。

 これからここで、新たな日々がはじまるんだ。

 そう思うと、あれもこれもと興味が次々に湧いてくる。

 

 憧れから現実となった、花騎士の世界。それは、カルミアの興奮度を一気に最高潮にまで押し上げてしまった。

 くるくると、軽やかに愛用の傘を回しながら。着任の挨拶に赴くこともすっかり忘れてしまったように……カルミアはただただ、騎士団の威容に圧倒されていた。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

  

   

 それから、新しい生活にすっかり慣れ親しんでしまうまで。

 カルミアを迎えたのは、多忙で濃密な毎日だった。

  

 最初に抱いた印象どおり、この騎士団の規模は、スプリングガーデンの各処に点在するうちでも、有数のものを誇っていた。

 ただそれだけに、所属する多数の花騎士の全員に挨拶回りするだけでも、簡単には終わらない。生まれ持った性格で初対面の相手ともすぐに打ち解けられるとはいえ、さすがにこれだけ立て続けにとなると、ちょっとした苦労なのだとはじめて知ることにもなった。

 騎士学校を卒業して、カルミアに示された配属先。学生として送った日々と実践の場での生活とはやっぱり違うことも多くて、最初は戸惑うことが自分の任務なのではないだろうかと、そんなふうに思うことすらあった。

  

 それでも、誰の上にも等しく。

 すべての花騎士に、時間はきわめて公平に流れていく――

 

 

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

  

  

「だんちゃーん! 今日も一緒に遊ぶデース♪」

 

  

 とたたたたっ。

  

 軽快そのものなリズムを刻んで、一直線に団長の執務室へと駆け寄ってくる足音。

 その声の正体を確認するいとますらなく、執務室の扉が外側から遠慮なく開かれる。

 

 

「……いないデス?」

 

 

 きょろきょろ。

  

 部屋の内部を見回して、確認。

 それから、カルミアは力が抜けたように肩を落とした。

 

  

「せっかく、今日はお休みの日なのに。がっかりデース……」

 

  

 着任時の自己紹介もそこそこに、ハグからはじまったカルミア式の挨拶にも、咎めることなく受け入れてくれた団長。

 優しくて、さらに頼もしくて、そしてカルミアの大好きな存在の姿が、今は見当たらない。

  

 部屋の主は、どうやら不在のようだ。

 とはいえ。完全に無人、というわけでもなく。

 

  

「カルミアさん? 団長さんに用事ですか?」

 

 

 団長とは違う声音を、カルミアの耳が捉える。明らかに女性のものだった。

 が、カルミアからの返答はない。何事もなかったかのごとく、すたすたと部屋の中央を突き進んでいく。

 そしてそのまま、まるで片付けられたように一番奥の壁ぎわに置かれていた団長の執務椅子の前に来ると。ぴょこんと飛び乗るように着座して、そこでようやく口を開いた。

 

  

「ここ、だんちゃんのお部屋。なのに、ひとりで何をやってるデス?」

 

  

 自分に投げかけられた質問に答えるより、逆にカルミアから問いかける。

 

  

「わたし、ですか? わたしは、団長さんが留守のあいだにと思って……」

 

  

 ――肩先で揃えられた栗色の髪が、ふわりと揺れた。

  

 可憐さと明るく健康的なイメージを完璧なまでに調和させた、ひとりの花騎士。

 そんなスノードロップは、カルミアの非礼にも怒ったそぶりはまるで見せない。 

 木漏れ日のような、温かみのある笑顔をのぞかせながら。穏やかに、彼女は説明をつづけた。

 

  

「こうやって、部屋のお掃除をしてあげてるんです。普段からお仕事が大変みたいですし、ほら、すぐに書類なんかも溜まっちゃって」

 

  

 話をしながらよいしょと、いくつかにまとめた書類の束のひとつを、本棚の前に積まれた別の山へと運んでいくスノードロップ。

 

  

「ふわあぁ……。本当にすごい量デース……」

 

  

 もとは一枚の紙片とはいえ、山となるほど積もった束を繰り返し運搬するのは、なかなかに骨が折れそうだった。

 よく見れば、部屋の側面にはホウキやバケツといった清掃用具が並んで置かれている。書類整理だけでなく、かなり徹底した掃除を行うつもりのようだ。

 

  

「スノーちゃん、これを全部ひとりでやりきろうだなんて、すごいデス! カルミア、驚きデース♪」

  

「す、スノーちゃん……?」

  

「……そう名前を呼ぶの、だめデス?」

  

「い、いえ! 急だったから、少し驚いただけで。

 えへへ、なんだか嬉しいです……」

 

  

 苦手な相手なんて、どこにもいない。

 誰とだって、いつでも仲良くなれるカルミア。

 そのうえこうして、すぐにニックネームをつけてしまうことで、ごく自然に互いの距離を縮めてしまうことができるのが、彼女の大きな長所のひとつだった。

 

  

「わたしも、今日は非番をいただいてるんです。でも、自分の部屋でひとりでいるのも、なんだかもったいない気がして……」

  

「それ、とってもよくわかるデス! カルミアもお休みの日は、ひとりよりもみんなで遊んだほうが楽しいと思うデス~♪」

 

「ふふ……そうですね」

 

 

 ストレートな驚きと賛辞、そして疑いようのない好意を寄せてくるカルミアに、少し照れたように話すスノードロップ。

 

 

「それに部屋の掃除とか、家事そのものがとっても好きなんですよ。部屋がキレイになっていくと達成感を得られるというか、楽しい気分になっちゃって」

 

  

 言われてみればたしかに、カルミアがこの部屋に入ってはじめて彼女の姿を見た時から、心ならずやっているといった雰囲気はまったくなかったように思う。

 小さいことにもよく気がついて、これまでにもカルミアに何度か声をかけてくれたことを覚えている。

 いつも笑顔を絶やさず、分け隔てなく優しくて。故郷を離れて多くの姉と気軽に会えなくなってしまったカルミアにとって、まるで新しい姉がこの騎士団でできたような気分だった。

 

  

「よーし。それならカルミアも、今日はスノーちゃんのお手伝いをするデース! 2人で力を合わせて、だんちゃんが帰ってきたら褒めてもらうデス~♪」

 

  

 勢いよく椅子から立ち上がり、ふんっと意気込んでみせるカルミア。

 スノードロップのように、家事がとりわけ好きというわけではないけれど。でも、姉のようにあたたかな相手と一緒なら、きっと楽しくできるはずだ。

 

  

「でも、その前に……スノーちゃんと、がんばろうのハグをしてからはじめるデース♪」

  

「ちょっ……カルミアさんっ!?」

 

  

 ぴょんっ。

  

 その場から一気にジャンプするように、スノードロップの胸元へと飛びこんでいくカルミア。

 対して不意打ちに驚く受け手のほうは、まるきり備えを取ってはいなかった。

 

  

「わっ、わわわっ!?」

 

  

 結果。2人はもんどりを打つようにして、そのまま床へと倒れこんでしまう。

 同時に、まだ整理しきれていなかった書類の何枚かが、ひらひらと宙を舞った。

 

  

「あいたたた……。カルミアさん、大丈夫?」

 

  

 2人ともケガがないようなのは、幸いといったところだろう。

 手早く互いの無事を確認して、ほっと安堵の息をつくスノードロップ。

  

 と、その時――

 ふと、カルミアの手にしているものに気がついた。

 

  

「あれ? カルミアさん、それって……」

  

「……ふにゅ?」

 

  

 飛びつかれて大きくバランスを崩したスノードロップに対して、無我夢中だったのだろう。いつの間にか何か掴んでいたことに、カルミアはまったく気がつかなかった。

 溺れる者はなんとやら。けれど、それが2人のまわりを舞っていた書類の一枚であったのでは、なんの助けにもなろうはずがない。

 これでは手伝うどころか、かえって邪魔となりかねない。と、今さらのごとく反省しつつ……その意欲にさらなる油を注いだカルミア、だったが。

 

 

「……スノーちゃん?」

 

 

 安堵した様子に変化はないものの。その一方でカルミアを受け止めたまま、今度は固まってしまったスノードロップ。

 衣服越しに伝わるぬくもりと優しく甘い香りを感じながら、カルミアは凝固したままの彼女の視線の先を追う。

 自身が手にした書類。そこに記されていた、ひとつの単語。

  

 期せずして。

 カルミアとスノードロップは、お互いの顔を見合わせていた。

 

  

「……ないど、ほぐる……?」

  

 

 

 

 ――凶々(まがまが)しい響き。

  

 古代の住人にして、人々の記憶に悪夢として留まりつづけている名称。

 しかし封印という過程を経た今となっては、それは伝説的存在として、多くの者にとって現実感を伴わぬものとなっているはずだった。

 

 ……これまでは。

  

 千の足を持ち、無数とも思われる眷属の上に君臨する、忌まわしき暴威。

 すべての生命にとっての、(くら)き厄災。

 

 

「これ、最近復活したって噂になってる……」

  

 

 

 

『ナイドホグル討伐における精鋭部隊の選抜概要』

 

 

 そう最上段に特記された文字からも、案件の重大さがうかがえる。

 

  

<――かかる未曽有の有事に際し、各地の騎士団は速やかに強力無比なる花騎士部隊を整備し、これに当たらしめよ。

 なお、参集すべき所定の地点、また日時については――>

 

  

 夢物語などではない。

 伝説が、現実のものとして世界を覆っている。そのことを、書類の内容は雄弁に証明していた。

 

  

「これは……。きっとすごい任務になるデス……」

 

  

 当然、この騎士団からも人員を出すことになるのだろう。

 おそらく、戦力として最高クラスのものを要求されるに違いない。規模に応じた役割を考えれば、そうでなければむしろ不自然だ。

 再び書類へと落とした視線は、もはやそこから逃れられなくなっていた。

  

 団長の口からは、いまだ何も告げられてはいない。

 深入りはよくない、ということはわかっている。けれど、一度湧きあがった好奇心を抑えこむのは困難だった。

 

  

「カルミアさん……?」

  

「ひょっとしたら……ううん、ひょっとしなくても。とってもとっても、びっぐなちゃんすなのデース♪」

 

  

 身体の内側が、何かもぞもぞするような気分だった。

 こうして真っ先に重要な情報と巡り会えたのも、間違いなく縁というもののおかげだろう。

 

   

 ――カルミアが大活躍し、そしてみんなが羨むような一大物語。

 それは、きっとここから始まるのだ。

  

  



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4-2 揺れるサツキとスノードロップの真心

  

 花騎士・サツキ。

  

 在籍期間は古株と呼ばれるに相応しく、拡充をつづけるこの騎士団において後輩たちをまとめるリーダー格のひとりだ。

 そんな彼女を「さっちゃん」と気安く呼びつつ、どこでも追いかけてくるような人間は……たったひとりしかいない。

  

 

「さっちゃんさっちゃん! さっちゃんはどう思うデース?」

  

「あのねぇ、カルミア……」

 

  

 正直なところ、サツキ本人はこの呼ばれ方があまり好きではない。

 だから、思いがけなく同じ騎士団に所属する先輩後輩としてカルミアと再会したとき、以前とまったく変わらない距離感で接してくる幼なじみの態度に、思わず天を仰いでしまったほどだ。

 

  

「? さっちゃん、どうかしたデス?」

  

「……ふう。もういいわ……」

 

  

 当のカルミアには、まったく邪気がない。それゆえ彼女の笑顔を見ると、抗議する気持ちもすっかり失せてしまう。

 

  

「……それで、何の話?」

  

「決まってるデース! あの《ナイドホグル》のこと、さっちゃんもカルミアと一緒に、だんちゃんから聞いてたデスー!」

 

  

 ああ、なるほど……。

 熱に浮かされたというか、興奮した気持ちをそのままにしてサツキの部屋に飛びこんできたカルミアの意図が、ようやく分かった。

 

  

「そうねぇ……」

 

  

 カルミアとスノードロップが誰よりも早くその情報に接した、同じ日の夕食後。

 そのときはナイドホグルという新たな脅威についての確認と概況説明が行われただけで、具体的なメンバーの選考や発表といった内容は日を改めて次回以降に、という話だった。

 

  

「選ばれるとしたら、やっぱり経験重視よね~。それに他の騎士団と協調することにもなるのだし、ある程度世慣れていることも求められるかもしれないわねぇ」

 

  

 団長の説明にもあったように、きわめて危険な相手だという。

 つまり、あらゆる――場合によっては悲劇的な事態まで、おそらく想定に入ってくるということだ。

 

  

「いいわね……。このいかにもピンチな感じ、たまらないわぁ……」

 

  

 サツキが求めてやまないもの。

 逆境や危機に身を置いてこそ、生きていることへの充足感が得られる――とするなら、今回の討伐任務は、まさしく理想的と呼べるだろう。きっと最高の刺激を味わえるに違いない。

  

 実績は着実に積み重ねてきている。後輩の花騎士からも信頼され、評価もそんなに悪くはないと思う。

 ただ、どうにも改めがたいのが……危険な状況を好み、あえて身を追いこみたいという願望を抑えきれず、自身のみならず他者にまで向けてしまう場面が往々にしてあるということが、サツキ本人も自覚している大きな欠点だった。

 

  

「選抜部隊! カルミアも加わるデス~♪」

  

「……あなたが?」

  

「カルミアならできるデス! いっぱいい~っぱい大活躍して、だんちゃんに褒めてもらってハグするデース♪」

  

「ちょ、ちょっと待って。まだ誰ひとりとして、決まっているわけじゃないのよ?」

 

  

 経験や実績、また場合によっては他の騎士団の花騎士を統率する可能性も考慮されるとすれば、日頃からリーダーを務めるサツキが選出される公算は高い。

 しかし、一方でカルミアとなると。まだ騎士団に配属されて日が浅いことは、やはり無視しえない判断材料のひとつといえる。

 高い意気込みは評価できるにしても、それだけで選ばれるほど今回の任務は甘くないはずだ。

 

  

「う~ん、決めるのは団長さんなのよねぇ……」

 

  

 そう言って、サツキは自身の考えを口に出すのを控えた。

 今、自分の下した判断をカルミアに告げたところで、それはサツキの思考が導いた結論でしかないからだ。

 

  

「……でも、何が起こるか分からないのよ~? ひょっとしたら、私たちの想像以上に手強い相手かも……」

 

  

 話しながら、同時に頬が緩んでくる。スリルは高ければ高いほど楽しいだろうし、歓迎したいところだ。

  

 

「大丈夫デ~ス! さっちゃんがいてくれるデス!」

  

「ちょっと、私がいるからって、それが……」

  

「カルミアに花騎士の才能があるって言ってくれたの、さっちゃんデス。そのさっちゃんと一緒なら、どんな害虫だってえれがんとに倒せるデス~♪」

 

  

 ぴょんこぴょんこ。

 腰かけているサツキのベッドの上で軽く飛び跳ねながら、疑うことなく真っすぐな瞳を向けてくるカルミア。

  

 

「だから……さっちゃんから、だんちゃんにお願いしてほしいデ~ス。カルミアなら選んでも大丈夫だって、そう言ってほしいデス」

 

  

 ――なるほど。

 つまりこれが、今回の来訪の一番の目的なのだ。

  

 カルミアとしては、討伐任務にぜひとも加わりたい。けれど新参の身では選抜メンバーに抜擢される可能性の低いことは、充分に理解しているのだ。

 そこで、自身で嘆願するより、サツキの推薦という形をとった方が、団長への説得力が増す。そう考えたに違いなかった。

 

  

「……そうね~。あなたがついてくるのも、アリかもしれないわねぇ……」

 

  

 ……それならば。

 逆境に追いこまれ、心身をすり減らしながらギリギリで乗り越えていく楽しみを知ったら、カルミアはどうなるだろう。

 その前に苦しさや痛々しさに耐えかねて、サツキを強く責めることになるかもしれない。

 どちらの結末を迎えるにせよ、どう転ぶか分からないというスリルが味わえそうな気がする。

  

 花騎士となった以上は、遅かれ早かれ、困難な状況に直面するはずだ。それに正対し、向き合うことは義務であり、逃げることは許されない。

 カルミアにとっては、ひょっとすると今回がその試練の場なのかもしれなかった。

  

 ……サツキは、ふたたび自分の頬が緩んでしまうのに気がついた。

  

 

「今のままでも、充分に強くなったと思うわ~。恐ろしくて強大な害虫と聞けばそれだけで怖気づいてしまう子もいるはずなのに、あなたは自ら進んで加わろうとしているんだもの……」

 

  

 甘えたがりなところは、今も昔も変わっていないけれど。

 まさかこんなになるなんて、昔は想像できなかったわねぇ――

  

 ともに過ごしたかつての時間を、脳裏に淡く再生しながら。

 

 ゆっくりと。

 サツキの思考は、ひとつの決断にたどり着いていた。

  

 

  

  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

  

  

「そんなことがあったんですか……」

  

 

 ――拠点の内部が、全体的にどこも慌ただしくなってきている。

 これまでに感じたことがないほどの緊張の糸が随所に張りめぐらされ、所属する花騎士の誰もがそれぞれの鍛錬や任務に普段以上の身を入れているように見えた。

 

 各騎士団は持てる戦力のうち、きわめて強力な精鋭部隊をナイドホグル討伐へと割かねばならぬ一方で、それぞれが受け持つ地域の平和や安定維持も怠ることはできない。

 状況は、あきらかに常とは異なっている。

 だからこそ、余計なことに心を(わずら)わせている場合ではない……はずなのに。

 

 

「……その後、2人で話をする機会は……?」

 

 

 拠点内の一角に設けられた、屋内訓練場。

 外窓が備えつけられた壁面に身を寄せつつ、それから彼女はぴたりと口を閉ざしてしまった。

 

 不承不承といった態度もあらわに経緯を語り終えるや、外の景色へと顔を向けたまま、こちらを振り返ろうともしないサツキ。

 そうした彼女の反応を見れば、自身が投じた質問の答えはスノードロップにも容易に推測することができた。

 

 

「でも……ちょっと意外かも」

 

「……」

 

「サツキさんだったら、その……逆に積極的に送り出しちゃうんじゃないかって、そんな気がしたから……」

 

 

 スノードロップも知っている。というより、公然の事実というほうが近い、サツキの癖。

 

 

 ――来たるナイドホグル討伐に関しての選抜人員が発表されてから、数日ほどが過ぎた。

 公表されたメンバー表のなかにサツキとスノードロップという、両者の名前を見ることはできる。

 しかし。カルミアという文字は、なかった。

 

 

「あのときのカルミアさんのすごく気落ちした顔、わたしも見ました。だから、わたしにできることがあれば、何かしてあげたいなって……」

 

 

 団長の執務室で思わず顔を見合わせた、あの瞬間から。非常に強い興味と意欲をカルミアが示していたことは、スノードロップもよくわかっている。

 だからこそ自分まで心が痛むし、消沈するカルミアをフォローすることができれば、と思わずにはいられなかった。

 

 

「……お節介よねぇ、あなたって」

 

 

 サツキが、ぽつりと漏らす。

 

 

「そうかもしれません。でも……それが、わたしだから」

 

 

 スノードロップの花言葉のひとつは、『慰め』。

 誰かが立ち直り、再び笑顔を作れるまで。いつだって、いつまでも、その力になれたらいいと思っている。

 

 

「……花騎士を目指すって言い出したときも、そうだったわ。真っすぐで、一直線なのよねぇ……」

 

 

 スノードロップは、ただ穏やかにうなずいた。

 カルミアとは幼なじみなのだという。だからきっと、自分が入りこめない何かが、2人の間にはあるに違いない。

 

 

「物怖じをしないというあの子の性格は、それはそれで悪いものではないんだけど……」

 

「それでも、他の騎士団からは実力と同時に、おそらく信用も求められると思います。そうなると……」

 

 

 カルミアが騎士団に所属して、まだ日が浅い。そんなことは隠しきれるものでもなく、つまり信用を得ることは難しいと判断するのはやはり妥当というべきだろう。

 

 

「私の欠点、あなたも知ってるでしょぉ? 危険と聞くとね、つい飛びこんでしまいたくなるのよ~。私自身もかわいい後輩ちゃんたちも、一緒にまとめてね」

 

「……はい」

 

「……だけどね~。本当に危ないところへは、飛びこむのは私ひとりで充分なのよ」

 

 

 え、と言葉に詰まるスノードロップ。

 いまだに窓の外へ向けた姿勢を崩さないサツキだが、きっと彼女の驚きには気づいたはずだ。

 

 

「本当に危険なら、ね。そんなところへ、他の誰かを導けるわけないじゃない」

 

 

 決してサツキに自殺願望があるわけではない。目指すところは、ピンチからの生還なのだ。

 逆境のなかに希望を見出す。スノードロップもサツキも、アプローチはまったく異なるものの、願うゴールは同じなのだ。

 

 

「……わかった気がします」

 

「……何が、かしらぁ?」

 

「サツキさんが、とても優しい花騎士なんだって。いつもみんなのことを気にかけているんだって、そうわかったんです」

 

 

 それでも、サツキはこちらを振り返ろうとはしない。振り返る必要もなかった。

 こんなにもお互いに、胸襟を開いて語り合っている。それだけで充分だった。

 

 

「……後悔することが、ふたつに増えたわ~。ひとつは、あなたに全部知られてしまったこと」

 

「わたしは嬉しいですよ? サツキさんと、こんなにも話すことができて」

 

 

 やれやれといったふうに、わずかに首を振るサツキ。

 まるで降参といっているようだ、とスノードロップは思った。

 

 

「ふたつめは~……あの子を納得させきれなかった自分、かしらね」

 

「……やっぱり優しいです、サツキさんは」

 

 

 ――かけがえのない、大切なもの。

 それを守りたいという気持ちは、誰もが有するものだ。

 

 

「カルミアの素質も、実力も。実績にしても、そんなものは関係ないの。ただ私は、あの子を危険な場所に投じたくはなかった、それだけなのよぉ……」

 

 

 最終的な判断に、本人がどのように望んでいようとも、カルミアの身の安全を拠り所としてしまう。そのことを、サツキ自身がはっきり気づいてしまったのだ。

 表面には決して現わさずとも、つまるところ優先したのは理よりも情。それが花騎士として正しい判断なのか、疑問に感じる内心の声もたしかに耳にしながら。

 

 ……サツキの一方的な思いは、しかしカルミアには伝わらなかった。伝わらなくて当然だ、とも思う。

 それからというもの、関係の修復には至っていない。気まずい思いを抱えたまま、お互いに顔を合わることすら避けてしまっているのだった。

 

 ――本当は理解しているのだ、とスノードロップは思う。ただ、理解していても素直に実行に移せないことは、どんな人物にだってある。

 本当の子ではないのに慈愛をこめて育ててくれた大切な人たちを、父母と素直に口にすることをためらっていた、かつての自分のように。

 

 

「……わたしが言うまでもないかもしれません。だから、言うのは一度きりにします」

 

「……」

 

「ちゃんと伝えれば、カルミアさんもサツキさんの気持ちに気づいてくれるって……わたしは信じます」

 

「……わかってるのよ、そんなことは……」

 

 

 このままでいいとは、もちろん思っていない。

 それでも、何かきっかけがほしい。そう、サツキは思うのだった。

  

  



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4-3 花騎士カルミアとして

  

「……カルミアのこと、さっちゃんはちっともわかってくれてないデス……」

 

 

 つぶやいた声は、重く淀んでいて。

 今のこの部屋にぴったり、なんて自嘲的に思ったりする。

  

 窓からの明かりが、ただひとつの光源。

 暗闇同然という表現がふさわしい部屋の片隅で、カルミアはぽつんとベットの上に膝を抱えながら丸くなっていた。

 

 

「さっちゃんはずるいデス……。カルミアもあんなにお願いしたのに、なのに自分だけ……」

 

 

 みんなの役に立ちたい。そして、いっぱい褒めてほしい。ハグもしてもらいたい。

 それなのに。

 役に立つどころではない。現実はまだ一人前の花騎士と認められているかすら覚束なくて、求められることさえなかった。

  

 ひとりきりで過ごす時間は、とても寂しくて。

 闇深き沼地の底へと、どこまでも引きずりこまれていくようで。

 

 

 …………。

 

 

 ……なーんて。

 

 

「――そこまで落ち込んじゃったと、カルミアのこと思ったデスかー?」

 

 

 くるくる、くるくる。

 

  

「ほら、傘も元気いっぱい!

 カルミアは立派な花騎士なのデス。いつまでもくよくよしてるような、そんな子供じゃないのデース♪」

 

 

 えっへん。

 

  

 そう、カルミアはえれがんとな花騎士なのだ。

 いじけた上にいつまでも我を張るよりも、次のステップに向けて堂々と胸を張ろう。

 

 

「……よーし。いざ、勝負するデス!」

 

 

 愛用の傘を構えなおして。近づいてくる数匹の小型害虫と、正面から向かい合う。

 

 

 ――定期的に騎士団が巡回する、林間をつらぬく一本の小径。

 

 周囲を林に囲まれて見通しが悪いうえに、道幅も狭い。すれ違うことすらギリギリになるかといったふうな、間道のような道だ。

 そんな道でも、利用する者はいる。いくつかの村や集落を目指すには最短ルートということもあって、急ぎの旅路においては重宝されることもあるのだという。

 

 幸いなことに普段は害虫の出現頻度は高くなく、したがって警戒区域内における重要性は低い。

 今回の害虫の出現についても小さな規模と推測されており、少人数の花騎士で充分に制圧が可能――と考えられていた。

 

 

「蝶のように舞い、次から次へと害虫を倒すデス! そして、だんちゃんに褒めてもらうデス~♪」

 

 

 カルミアの望みどおり褒めてもらえたら、お返しにめいっぱいハグしてあげるのだ。そうすれば、きっとカルミアも団長も幸せな気分になれる。

 

 

「まだまだデス! 今度は蜂のように……どんどん先へと突き進んでいくデース!」

 

  

 ――嘘だ。

 もうすっかり気にしていないなんて、そんなことはない。

 

 おそらくこれが、対ナイドホグル選抜隊が出発する前の、最後の討伐任務。

 スノードロップが隊長を務めるこの部隊に、サツキの姿はない。おそらく別の任務が与えられているのだとは思うが、それを知ろうともしなかった。

 いつもならべったりとくっついていたいのに、今は別々に離れていたい。

 ひょっとしたら団長は何かを察して、2人を引き離したのだろうか。それならそれでありがたいし、今は別行動でいるほうが気が楽だった。

  

 ……とっくに元気になっているのなら、今のこの気持ちはなんなのだろう。

 

 

「さっちゃんがいなくたって、ひとりで……カルミアはたったひとりで戦えるデース!」

 

 

 目の前の害虫を難なく片付けると、さらに林の奥へと小走りに分け入っていく。誰かが制するような声を耳にしたような気もしたものの、頭の中にまでは入ってこなかった。

 

  

「もっともっと……みんながカルミアのことを頼ってくれるまで、もっといっぱい害虫を倒すデス!」

 

  

 そうだ。実績が足りないというなら、作ればいいのだ。

 出てくる害虫のどれもが、カルミアもよく知るタイプばかりだった。いわゆる小型に分類されていて、さほどの脅威と認められてもいない。

 ただ、数だけは意外と多い。完全に想定外だった。

  

 左右に立ち並ぶ木々に遮られて、手にした傘を縦横無尽に振り回すことができない。

 自然の厄介さに気を取られ、いつもと勝手が違う慣れない動作の連続は、世界花の加護を受けているとはいえど、考えていた以上の体力を着実に奪っていく。

 

  

「これじゃ、いくら倒しても……いつまでも、さっちゃんと一緒に任務なんてさせてもらえないデース……」

 

  

 だいぶ呼吸が上がってきている。

 いつも肌身離さず持ち慣れているはずの傘ですら、その重みがじわりと感じられるようになってきた。

 どれくらい奥へと踏みこんでしまったのだろうか。周囲に他の花騎士の姿がないことに、やっと気がついた。

 頭をもたげてくる弱気の虫。さっきまで軽快に動いていた両脚が、ためらうようにその動きを弱めた。

 

 しかし、まだ望みはある。

 

 小さな群れとはいえ、その数は一つや二つ程度ではなかった。それはつまり、どこかにこの集団を率いるボス格の親玉が潜んでいるということではないだろうか。

 そしてそれをカルミアが単独で倒したとなれば、これはもう、誰もが彼女の実力を認めざるを得ない大金星となるだろう。

 

  

「カルミア、これまでさっちゃんにずっと甘えっぱなしだったけど。やっと花騎士になれて……今度はカルミアが、さっちゃんの支えになってあげるのデース!」

 

  

 だから、ここでやめるわけにはいかない。

 

  

「まだまだへっちゃら! こんなところで音を上げるなんて、カルミアはちっとも……」

 

  

 ――足が、ようやく止まった。

 そして。今度は逆に、先の一歩を踏み出すことができなくなった。

 

  

「や、やっと、ボスのお出ましなのデス……」

 

  

 ズシン、ズシンと。

  

 こちらへゆっくりと、確実に近づいてくる振動。

 明らかにこれまで相手にしてきた害虫とは一線を画する、地響きとともにカルミアの身を威圧感が包んだ。

 周囲の木々がメリメリと音を立てながら薙ぎ倒され――そして、視界を覆わんばかりの禍々しいフォルムがあらわとなってくる。

  

 カルミアの身長の数倍はあろうかという、巨大な害虫。

 騎士学校にいたころ散々に覚えさせられた、複数の花騎士で渡り合うのが定石とされている相手だった。

  

 比較的安全とされている場所に、なぜこんな大型害虫が。そうした疑問を、カルミアはあわてて打ち消した。

 今はそれについて考えている時ではない。ひとりきりで目前に迫る脅威への対処を終えてから、考えればいいことだ。

 

  

「カルミアが、あの大きな害虫を、やっつける……。そして、みんなから、いっぱい褒めてもらう……」

 

  

 心臓が早鐘を打っている。

 傘の柄を握る手が、みるみる汗ばんでいくような気がする。

 

  

「褒められるだけじゃなくて……ハグだって、たっぷりしてもらえるはずデス。うっかり窒息しちゃうかもしれないデス……」

 

  

 騎士学校の座学で何度も教わりはしたものの、実際に目にするのは初めてな大型害虫。

 とはいえ、案外ひょっとしたら拍子抜けで、実際は弱いかもしれない。見かけ倒し、という言葉もあることだし。

  

 なのに、左右の脚が震える。

 渾身の力を、カルミアは全身にこめた。

 

  

「い、いくデス。えれがんとに突撃する、デース……」

 

  

 その気になれば、できないことなんて何もない。

 死力を尽くせば、前途は開ける。

 そしてやっと、果敢で一人前の花騎士なんだと認めてもらって……。

  

 ――いや、違う。

 

  

「本当は……ひとりで戦おうとしちゃ、だめデス。みんなに伝えて、大きな害虫は花騎士全員の力で倒すんだって、そう教わったデス……」

 

  

 だが。そんなことをすれば、きっとこの大型害虫に致命的な一撃を与えるポジションは、他の経験豊富な先輩花騎士のものとなるだろう。

 カルミアに求められる役割は支援的なものにとどまり、順当に色あせてしまうことは目に見えている。ここまできて、それは嫌だった。

 

  

「でも、カルミアは……。それでもカルミアは……花騎士なのデース!!」

 

  

 自分に言い聞かせるように、カルミアは叫んだ。

 おかげで、ずいぶんと吹っ切れた。

 

 ……これから行わねばならないこと。

 それは、蛮勇を誇示してみせることでは、決してない。

  

 本当の花騎士が、果たさねばならないこと。

 もう一人前なのだと、誰もに認めてもらいたいのなら。今こそ、それをしっかりと示そう。

  

 もう迷わない。

 あとはただ、実行に移すのみ。

 

  

「害虫にはハグしてあげないから、敵同士っ! そしてカルミアを追いかけてきて……みんなで力を合わせて、やっつけるデース!」

 

  

 前進ではなく、後退。

 大型害虫が自分の小さな姿を発見したと認めた直後、カルミアはくるりと半身をひるがえして駆けはじめた。

  

 ……どれくらい走れば、味方のもとへたどり着けるだろう。

 頭上に広がる雲の流れる方向や、わずかに差し込む太陽光の角度からだいたいの方角はなんとか見当がつく。しかし、やみくもに深入りしたせいで、距離についてはまったく把握できていなかった。

 

  

「でも一度決めたからには、絶対にみんなのところへ誘導してみせるデース!」

 

  

 薙ぎ倒されるばかりの進路上の木々にはかわいそうだけど、自然の回復力に期待するしかない。

 

  

「鬼の害虫さーんはー、傘の鳴る方へついてくるデース!」

 

  

 ぱしぱしぱし。

 ときおり振り返りつつ、手にした傘を叩いたりかざしたりして、相手を挑発することも忘れない。

 本当に効果があるのかはわからないけど、それでも注意を引きつけていられるのなら有効と考えていいと思う。

  

 ……ゴールまで、あとどれくらいだろう。

 まだ遠いかもしれない。ひょっとしたら、すぐそこかもしれない。

  

 仲間の花騎士と合流して害虫を倒したら、まずみんなとハグしよう。それで元気いっぱいに回復して、だんちゃんにも褒めてもらって。ええと、それから……。

 そうだ。さっちゃんに、頑張ったことを伝えよう。あと、ワガママを言ってしまったことを謝ろう。

 そして、カルミアを置いて出立する姿を、笑顔で見送ってあげるのだ。

 

 

  

 ――不意に。

  

 風に舞う、大きな花びらが現れたように思えた。

 花弁は大きくその身を広げると、中央から一条の光線を放つ。それはカルミアの脇を通り抜け、まっすぐに大型害虫へと命中した。

  

 ……ようやくにして、最初から害虫を狙っての一撃だったということにカルミアは気がついた。

 

  

「カルミアさん! 大丈夫ですかっ!?」

  

「スノーちゃん……?」

  

「他のみんなもすぐに来ますよ。もう、ひとりでどこか行っちゃったって、心配したんだから……」

  

「えへへー。……ごめんなさいデース……」

 

  

 安心した。その途端、思い出したように疲労感が全身を駆けめぐった。

 油断すると今にも両膝が折れてしまいそうになるのを、カルミアはなんとかこらえる。そんな彼女に、スノードロップは優しく微笑んだ。

 

  

「ううん。無事なら、それでいいんです。

 ……それよりも、よく頑張ったね。途中で諦めたりもしないで、こんな大きな害虫を、たったひとりでここまで導いてきてくれたんですから」

 

  

 思わぬ一撃を受け、咆哮をあげる大型害虫。

 わずかに後退すると態勢を整え、眼前の小さな花騎士たちを怒りに燃える眼で睥睨(へいげい)する。

  

 しかし、それがなんだというのだろう。

 ひとりじゃない。2人いれば、それだけで力が湧いてくる。

 

  

「カルミアさんが繋いでくれた希望、わたしたちで……いえ、みんなで無駄にはしませんっ!」

 

  

 カルミアの身をかばうように、彼女と大型害虫の間に割って入るスノードロップ。

 同時に、左右の木々の葉が大きく揺れる。その中から複数の人影が現れるのが見えた。

 

 ……花騎士として、やるべきことをちゃんとやれたのだ。

 カルミアは、そう思った。

 

  

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

  

  

 あれからさらに、数日ほどの時間が経ち。

 いよいよ、ナイドホグル討伐の選抜部隊が拠点をあとにする日がやってきた。

  

 出立するまでの、わずかな時間。サツキの部屋には、複数の人影がある。

 部屋の主たる自分のほかに、もうひとり。招じ入れた人物と飾ることのない、いつもと変わらぬ時間を過ごしていた。

  

 お互いに、時間をかけて話をした。

 なんのことはない。2人の絆の前では、ただそれだけで充分だったのだ。

 

  

「……それじゃ、あとのことは頼むわねぇ」

  

「はーい! カルミアにお任せデース!」

  

「……いい? 私たちが留守にしている間も、騎士団としての務めは何も変わらないのよ~?」

  

「わかってるデース。さっちゃんは安心して、大船に乗ってどんぶらこするといいのデス♪」

 

  

 気負うことなくあっさりと請け負うカルミアに悟られぬよう、サツキは小さく肩をすくめながら苦笑する。

 まったく、こういうところは昔から変わっていない。

 

  

「でも……安心できるわぁ。今のあなたなら」

 

  

 数瞬前のサツキの苦笑が、微笑みへと取って替わる。

 どうしても選抜部隊に入って活躍したい、と駄々をこねていたカルミアの姿は、もうない。 

 

  

「あなたのこと、見直したわ~。……ううん、ひょっとしたら……」

 

  

 カルミアを見る自分の眼が曇っていただけなのかもしれない。複雑な気分とともに、サツキは心中でひとり嘆じた。

 

  

「ひょっとしたら……何デス?」

  

「何でもないわ。ただ、そうね……」

 

  

 かぶりを振り、カルミアの頭をそっと撫でる。

 

  

「あなたはもう、私たちと肩を並べられる、充分に一人前の花騎士よぉ」

  

「さっちゃん……」

 

  

 ――害虫と対峙しながら、ふと隣を見る。

 そこには、カルミアの姿がある。むこうもサツキに気がついて、迷いのひとつもない笑顔をサツキに向けてくる。

 いつまでも「さっちゃん」と呼んでくることだけは改めてほしい点だけども……さして遠くないうちに訪れるであろう、そのような未来の光景も、案外悪くはないかもしれない。

 

  

「さっちゃんがカルミアをそんなに褒めてくれるなんて、素質を認めてくれた稽古のとき以来デス! とってもとっても、大感激!」

  

「ちょ、ちょっと……!?」

  

「お礼と、それといってらっしゃいの気持ちをこめて、とびっきりのハグをするデース! ハグハグ~♪」

 

  

 思いきり甘えるように、ベッドに腰をかけたサツキに向かって、カルミアは一直線に全身でダイブする。

 勢いを受け止めきれず、そのままベッドに転がる2人。溢れんばかりの笑顔をカルミアから向けられて、ついサツキも笑ってしまっていた。

 

  

「……サツキさーん。そろそろ出発の時刻で……って、そ、その……ごめんなさいっ!」

  

「ちょ、ちょっと! これは違うわよぉ~!」

 

  

 一瞬にして。部屋のドアを少しだけ開けて姿をのぞかせたスノードロップが、ベッドの上で繰り広げられている光景を見た瞬間、即座に撤退をはじめた。

 そんな彼女の背中にサツキの慌てた声が届く。すんでのところで衝撃のスクープは、どうにか誤解ということで終わりを迎えることができた。

 

  

「あ、スノーちゃん! スノーちゃんにもいってらっしゃいのハグをするデース♪」

 

  

 なかばサツキに押しのけられるようにして身を起こしたカルミアが、懲りずに今度はスノードロップへと駆け寄っていく。

 わ、わ、と戸惑いながらも、ぽふんと飛びこんできたカルミアを受け止めるスノードロップ。今度は転ぶことなく、大胆な少女をかろうじて全身で迎えることができた。

  

 けれど。

 出立の挨拶は、これだけでは終わらなかったのだ。

 

  

「えーっと……いってらっしゃい、はカルミアさんもですよ? なるべく早く、準備を整えてくださいね」

  

「……ほえ?」

  

「わたしたち3人、みんなで一緒に行きましょう」

 

  

 そんなはずはない、と首をかしげるカルミア。それとサツキ。

 そんな2人の眼前に、スノードロップは手にした一枚の書状を広げてみせた。

 

  

「カルミアさんに補助任務、そして選抜部隊の補充要員として同行してもらう、という団長さんの命令書です。

 ……ちょっと差し出がましかったかもしれないけど、わたしが団長さんに推薦してみまして……」

  

「え……ええええ~~っ!?」

 

  

 ――3人がナイドホグル討伐へと出発するまで。

 もう少しだけ、賑やかな時間が騎士団内に流れそうだ。

  

  

  

  

「望遠の絆」 ―了―

  

  



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第五章【軍師ふたり】(ムラサキハナナ、ワレモコウ)
5-1 悩める軍師と嘱望する軍師


  

 どうして。

 どうして自分は、こんなところに立っているのだろう。

 

 そんな疑問が、心の中に浮かび上がり。消え――

 そして再び、現れる。

  

 まただ。また、自身の未熟さに囚われかけている。

 いつも顔を出してくる、弱気の虫。

 花騎士になったのだ。であるならば、害虫討伐の最前線にいるのは当然のことではないか。

  

 ――気持ちを入れ替えなくちゃ。

 誰にも気づかれぬよう、小さく頭を振って。ムラサキハナナは、悪い癖を振り払おうと試みた。

 

 

 正面。

 目の前には、10人を超える花騎士たちが、ずらりと肩を並べている。

 みんなムラサキハナナよりも豊かな戦歴を誇り、騎士団の在籍年数も長い。普段はとても優しく、いざというときは頼りになる先輩たちだ。

 そんな先輩たちにとって。実際のところ、自分という存在は迷惑になっていないだろうか。

 

 ムラサキハナナの横には、もうひとり、同じ役割を受け持った花騎士がいる。

 これから行われる討伐任務。その作戦の内容を今まさに、集まった全員に説明しているワレモコウだ。

 そのワレモコウもまた、ムラサキハナナにとっては先輩のひとりになる。それどころか、この騎士団では最古参のメンバーでもあった。

 彼女が構築する作戦はいつも緻密で、それでいて整然としていて。基本的な法則たる戦理に従って無理を強いることもなく、ムラサキハナナからすると良きお手本そのものだった。

 

 ――そのワレモコウが話す作戦内容も、しかし今は頭に入ってこない。

 

 団長を中央に挟み、左右にいるのはワレモコウと、そして自分。

 向かい合うようにして居並んでいる先輩たちからすれば、そんなムラサキハナナの立ち位置は、生意気そのものと映ってはいないだろうか。鼻持ちならない後輩と思われていないだろうか。

  

 

「――は……です……。……ナナ?」

  

「……え!? は、はいっ!」

  

「……ここまでで、ムラサキハナナから補足するようなことはあるです?」

 

 

 いつの間にか、意見を求められていたようだ。

  

 

「えっと……。何も、ありません……」

 

 

 それなのに。

 心の奥底に根を生やしたような葛藤を制圧するのは、とても難しくて――

 

 何事もなかったかのように、ワレモコウの作戦説明が再開される。 

 ムラサキハナナを追及するような声も、落胆めいた反応が返ってくることもない。

  

 ただ、それでも。

 期待に応えられなかったという後悔の念が胸の中に広がっていくのは、どうしようもなかった。

 

 

 

   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 無事、討伐任務が終わった。

 

 損害らしい損害はなく、こちらの予測を上回るような動きも、害虫側にまるで見られなかった。

 数だけは多く人手を要したものの、計算された動きと連携をもって常に圧倒し、時間もわずかで済んでいる。意外なほどに脆かった、という印象を抱いた花騎士までいるかもしれない。

  

 まさに完勝というべき結果に導いたのは、戦いの主導権を確実にこちらへと引き寄せ、一度たりと害虫側に手放すことのなかったワレモコウの作戦があったからこそだ。

 彼女の知略の恩恵がなければ、数名の怪我人くらいは出ていたかもしれない。

 

 当のワレモコウ本人はというと。功績を誇る様子など、どこにも見られない。

 いつもと変わらない彼女独特のペースで、帰路のあいだもずっと飄々(ひょうひょう)とふるまっていた――ように、ムラサキハナナには思えた。

 

 

(それにひきかえ、わたしといえば……)

 

 

 今回の討伐任務で、まるで役に立たなかった。

 貢献できたものはひとつすらないと、苦々しい気持ちが湧きあがってくる。

 

 ……結局、いつもの自分のままだ。

 

  

 害虫の脅威から無力な人々を守る花騎士の数は、実に多い。

 そのなかでムラサキハナナは特に体格や肉体的頑健さに優れているわけではなく、あるいは群を抜く魔力に恵まれているわけでもない。

 そして、何よりも――まわりの花騎士たちは、誰もが年長者ばかりだった。

 騎士団内でほぼ最年少といえるほどの、自身の年齢。いくら努力したところで埋めることなどできないその事実が、もともと臆病な性格の彼女を余計に引っこみ思案なものとさせていた。

 

 

「うう……。このままじゃいけない、と分かってはいるんですが……」

 

 

 害虫の大群と真っ向からぶつかるのは自信がなくても、一方で作戦立案能力には自信がある。

 はるかに実戦経験の深い先輩のワレモコウの戦術案にいつも感心したり学ばせられたりしながら、自分ならさらにそこに上積みすることができる、という自負もあった。

 

 けれど。言いたくても、言い出すことができない。

 

 

(……ワレモコウさんの作戦はいつだって間違いがないし、それなのに余計なことを言って年下なのに生意気とか思われたら……)

 

 

 作戦を考えるのは好きだし、自分なりの理論もきちんと構築している。

 参謀タイプの花騎士と認められ、比較的小規模だったり目立たない場面の戦闘においては、鋭い戦術案を披露することもあった。

 しかし、一転して多くの者たちの命運を左右するような場になると、積極性が影を潜めてしまう。先輩花騎士に対する遠慮が、あと一歩踏み出す勇気を大きな迷いへと変えてしまうのだ。

 

 

「……こんなわたしじゃ、明日からみなさんに合わせる顔がないです……」

 

 

 ぽふっ、とベッドの枕で顔を覆いながら、行き場のない後悔にもだえるムラサキハナナ。

 拠点に帰還してからずっと、自室にこもったままだ。

 夕食を告げる合図に応じることもなく。ずっとひとり、ベッドの上で煩悶を繰りかえしている。

 

 いっそこのまま、気づかぬうちに眠ってしまって。そして翌朝には自分もみんなも、今日の記憶を失ってしまっていたらいいのに……。

 両手いっぱいに抱えた枕に顔面を押し当てたまま、ムラサキハナナはベッドの左右をゴロゴロと転がりつづけた。

  

 ――そんなときだった。部屋のドアがノックされたのは。

 

 

「……ひゃっ、ひゃいっ!?」

 

 

 文字どおり飛び上がらんばかりに驚き、同時に転げ回ったおかげで服が大きく乱れてしまっていることにはじめて気がついて、思わず顔が真っ赤になる。

 それから少し冷静になって、ここが自分の部屋で誰に見られたわけでもないことを確認して。そこでようやく、注意を壁ぎわへと向けることができた。

 

 そろそろと扉へと向かい、おずおずと押し開ける。

 

 

「あれ……ワレモコウ、さん……?」

 

 

 その先に立っていたのは、彼女の敬愛する先輩花騎士の姿だった。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「多事多端なのは、モコウたちだけ? 今日の害虫の群れ、断じて壊滅には至ってないです……?」

 

 

 特徴的な言い回しでそう切り出したワレモコウは、作戦会議と称してムラサキハナナを部屋の外に連れ出すことに成功すると、今度はそのまま自分の部屋に招き入れてしまった。

 昼間の出来事を引きずったままのムラサキハナナとしては、できれば今はそっと、殻のなかに閉じこもっていたい。

 とはいえ、『作戦会議』なのだ。

 ワレモコウと騎士団内に2人しかいない作戦参謀役を与えられている花騎士としては、その言葉を持ち出されると、参加せざるをえなくなってしまう。

 

 

「……ムラサキハナナも、知っているです?」

 

 

 差しだされた椅子にちょこんと座るやいなや。

 自分と向かい合うように腰を下ろしたワレモコウが、いくつかの資料を机の上に広げた。

 

 

「あの周辺は、かねてからの調査の対象地域? その結果が、さっきご主人のもとに届いたです?」

 

 

 ワレモコウの言う『ご主人』とは、団長のこと。それが本人としては一番自然な呼び方なのだという。

 今では誤解することはないものの、最初にムラサキハナナが耳にしたときは、思わず団長との関係をあれこれと疑ってしまったものだ。

 

 

「モコウたちの予測通り、巣を発見……。放っておくには、あまりに危険です?」

 

 

 やっぱり、という言葉をムラサキハナナは飲みこんだ。

 そのあたりに害虫の巣が存在しているであろうことは、ワレモコウと一致する見解だったのだ。

 

 巣があるということは、一帯が害虫にとって住みやすい環境にあるということになる。

 今日の討伐を思い返しても、数だけは多かった。となれば、巣の周囲にかぎって今回よりもその密度は薄い、などとは考えられないだろう。

 調査報告によれば、害虫個々の脅威度そのものは、今日のそれと大差なさそうだという。それなら、現有戦力で充分に対処が可能だ。

 放っておけば、他の害虫までもが集まってくるかもしれない。居住性に優れた場所が急速に発展するというのは、害虫だけでなく人間の世界でもそう変わらない。

 結果、巣の規模が巨大化すれば、いかに歴戦の花騎士とて手を焼くことになりかねなかった。

 

 

「そ、それじゃ、迅速な討伐が必要なのでは……?」

 

 

 遠慮がちに口にするムラサキハナナに、ワレモコウは大きくうなずいてみせる。

 

 

「……でも、花騎士が休養する時間も、断じて不可欠です?」

 

「……はい?」

 

「一日や二日、ゆっくり英気を養うくらい、害虫も待ってくれるはず?」

 

 

 きょとんとなるムラサキハナナ。

 緊急性を確認したばかりだというのに、奇妙なほどのんびりとした、あまりにも落ち着き払った返答だ。

 しかし、そんなムラサキハナナの反応など気にも留めぬように。ワレモコウは姿勢を大きく崩すと、椅子の横に置いてあったバッグの中をごそごそと漁りはじめた。

 

 

「腹が減っては任務遂行も危ぶまれる……。体調管理に健康維持、それもまた花騎士の立派な仕事です?」

 

 

 言いながら取り出したのは、携帯用にとラッピングされた複数のサンドイッチだった。

 それらの包みをひとつひとつ解くと、その半分をすっと向かい側へと押しやるワレモコウ。そのときはじめて、ムラサキハナナは自分が夕食を食べていないことに気がついた。

 

 

「モコウが夕食の時間に間に合わなかったのは、ご主人の執務室で調査報告を聞いていたから? 断じて一生の不覚です?」

 

「……ありがとうございます、ワレモコウさん……」

 

 

 一人分の量としては、明らかに多い。

 ムラサキハナナは頭を下げるとともに、その半分を受け取った。

 

 

 

  

 ――目の前の少女がこの騎士団に配属されて、どれくらい経つだろうか。

 

 考えてみるとそう長い日数ではない、と振り返りながらワレモコウは思った。

 少なくとも古参と呼ばれる自分の在籍期間とは、まるで比較にすらならない。

 

 そんな彼女に一目置くようになったのは、とある話を団長から聞いてからだった。

 ムラサキハナナもまた、浅いなりに実戦経験を積んできている。その中で……かつて一度、団長の身を狙おうとした害虫を見事な作戦で倒したのだという。

 

 

(大将を囮にするというのは、断じてためらいが生まれるもの? 即座に判断したムラサキハナナは、見上げるべき……?)

 

 

 簡単にできるようなことではない。

 仮にワレモコウがその立場にいたとして、果たしてムラサキハナナと同じ決断が下せるかどうか。自分でも分からない。

 それゆえに――ワレモコウは彼女を認め、その意見を求めるようになったのだった。

 

 ……だからこそ。惜しい、とも思う。

 

 

(たしかに軍師は、少し臆病なくらいでちょうど釣り合いがとれる、です……?)

 

 

 でもそれは、程度にもよるだろう。

 甘言を頼りにし、拙速を重んじ長考を軽んずる者に、軍師の資格はない。同様に驕慢(きょうまん)な精神もまた、もっとも忌避されるもののひとつだ。 

 後者において、ムラサキハナナの傾向は逆の方向に強すぎる。そう思えてならない。

 控えめな性格は好ましい。しかし彼女の場合、それが過度に作用して才能そのものすら殺しかねないという、そんな危惧を抱かせてしまうのだ。

 

 目の前でもくもくとサンドイッチを口に運ぶ少女を、あらためて見やる。

 その姿が小さく感じるのは、彼女が気にしている年齢ということもあるだろう。ただ、それだけではないような気もする。

 

 

「……そういえば、さっきの情報にひとつ加えることがあるです?」

 

 

 もっと多くの実戦の機会を与えるべきだ。

 そうして蓄えられた経験はやがて自信へと転化し、自らの(かせ)を取り外すきっかけとなるであろうから。

 

 

「発見した害虫の巣は、2つ。それに合わせてこちらも討伐部隊を分割しても、戦力は充分です?」

 

 

 ワレモコウの説明に、こくこくとうなずいて同意を示すムラサキハナナ。

 

 

「部隊が2つできるのなら、作戦参謀もそれぞれにつくべき……?」

 

「……ふえ?」

 

「ムラサキハナナには、断じて一方の部隊の作戦指導を任せるです?」

 

 

 こともなげに、そう宣告する。告げられた少女の顔が、驚きへと変化するのを見つめながら。

 

 

「……部隊を二分すると言った時点で、ムラサキハナナなら予測したと思ったです……?」

 

「そ、それは……そうなんですけど……」

 

「討伐先で作戦を示すことは、はじめてではないはず……? 今になってためらうのは、少し不可解です……?」

 

「以前はその、もっと少人数の部隊でしたし……。分割したといってもこれほどの規模になると、いろいろな花騎士さんに指示をしなければいけなくなりますし……」

 

 

 ムラサキハナナが戸惑うであろうことは、最初から分かっている。彼女らしくはあるが、同時にもどかしいという思いもあった。

 けれど、害虫はこちらの事情に合わせてはくれない。

 戦いに勝ち、害虫の脅威を少しでもなくすためには、常に相手を上回らなければならない。

 そのために今、自分がなすべきこと――

 

 だから。ワレモコウは、次の一手を投じることにした。

 

 

「……ちょっと、モコウについてくるです……?」

 

 

 気がつけば、2人ともいつのまにかサンドイッチを食べ終えている。

 今が、ちょうどいい時期なのかもしれない。

  

  

 ムラサキハナナが説明を求めるような表情を見せたが、完全に無視する。

 それ以上は何も告げず、ただ黙って立ちあがって――

 

 そのまま後ろを振り返らずに、ワレモコウはまっすぐ入口のドアへと向かった。

  

  



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5-2 puticuli [※挿絵あり]

  

「ここは、いったい……?」

 

 

 その空間に満ちている侵しがたい空気に、ムラサキハナナの足は射すくめられたようにぴたりと止まった。

 はじめて訪れる場所だった。騎士団に配属されて間もないころ、「未使用の倉庫」という説明を受けて、それでずっと納得してしまっていた。

 

 拠点の正門からは、ほぼ正反対の位置にあたる。団長の執務室や訓練場、また自分たちの居室がある建物からもそれなりに離れていて、普段からあまり気に留めもしなかった。

 石造りの重厚な雰囲気を感じさせる外観は、教会の小さな礼拝堂のように思えなくもない。

 穏やかな空気と、どこか近寄りがたい神聖さのようなものに包まれ、喧騒とは無縁といった印象を周囲に与えている。

 わざわざこんな場所を訪れる花騎士はいないのだろう。日当たりもよく、さらに周辺も荒れたような気配はまるでない。

 しかし――放置されているように見えて、実は定期的に人の手が入っているのかもしれない。なんとなく、ムラサキハナナはそう感じた。

 

 

「えっと、ワレモコウさん……?」

 

「入口の扉を閉じて、もっとこっちへ来るべき……。断じて、ムラサキハナナにはその資格がある……?」

 

 

 ワレモコウの言葉に従って、両開きの扉をゆっくりと元に戻す。そしてそのまま、そろそろと建物の内部へと歩を進めた。

 頑丈に造られているのだろう。中央は柱の一本もなく、がらんとした空間のみが広がっていた。

 左右の壁沿いに、いくつかの明かり取り用の窓がある。奥には扉がひとつ備えつけられているものの、目立つものはその程度だろうか。窓も扉も装飾はなく、質素な作りだ。

 ひどく殺風景で、何もない部屋だった。――ただひとつだけを除いては。

 

 

 

 岩。

 いや、巨大な石板だった。

 

 部屋の一番奥。簡素な扉の横に、それはあった。

 長身の成人男性が背を伸ばしたほどだろうか。ワレモコウやムラサキハナナなどは軽く見上げねばならないくらいの高さだ。

 横幅は同様に両腕を広げて、いくらか足りない。これほどの表面をなめらかに磨き上げる労力は大変だっただろう、と思わせるに十分な大きさだった。

  

 ただ平たく、熱を感じることのない、無機的なかたまり。

 

 華美とはまるで無縁な部屋の内装と同じく、石板を飾り立てるようなものは何もない。たったひとつの目的のためだけにあるような、シンプルそのものな作りだ。

 古そうには見えない。むしろ真新しいとさえ感じるほど。

 それでいながら、不思議なほどに荘厳な雰囲気を放っている。

 

 

「……これ、見るといいです?」

 

 

 ひょっとしたらワレモコウの身体を借りた、別の何者かに導かれているのではないだろうか。

 そんな気分にすら陥りながら、彼女と並んでムラサキハナナは石板の正面に立った。

 

 

「『勇魂碑』――ですか……?」

 

 

 ゆうこんひ。

 声には出さず、繰り返してみる。

  

 ただそれだけが、最上部に彫られていた。それほど時が経っているようにも見えない。

 何もない。他は空白のまま、傷ひとつすらない。

 なのに。こちらを圧倒するほどの存在感を、そこから感じるような気がする。

  

 ……騎士団にこんなものがあるなんて、想像すらしていなかった。

 

 誰に気にかけられることもなく。ただ静かに。

 ムラサキハナナたちが訪れるこの日を。この場所で、じっと待っていたのだろうか。

 

 

「……これは、何かの顕彰碑(けんしょうひ)です?」

 

「いえ……。おそらくですけど、違うと思います……」

 

 

 ワレモコウの問いに、否定で答えるムラサキハナナ。

 

 数多くの花騎士が居住している拠点を飾る物品となれば、彼らを称えるようなものがあってもおかしな話ではないだろう。

 たとえば、花騎士たちの功績を賞賛するような記念碑。

 たとえば、その苦労に報いるような礼状や感謝状といった品々。

 そういったものがいくつ飾られていても、不思議ではないはずだ。

 

 けれど、とムラサキハナナは考える。

 この石碑は、それとは完全に違う。

 何かを称えた顕彰碑というよりは、むしろ――

 

 

「……きっと、これはお墓だと思います……」

 

 

 胸の前で手を組みながら、祈るようにムラサキハナナは答えた。

 ゆうこんひ、と今度はつぶやくように、口にしてみる。

 

 

 ……立ちはだかる困難に、勇敢に、背を向けることなく。

 繰りかえされる害虫との戦いの場に、見送る者へ笑顔を残しながら赴いて。

 そして、命を落とした――

 

 そんな花騎士たちに手向けられた、墓碑なのだろう。

 ワレモコウの表情は動かない。しかし、間違いないと確信した。

 

 

「でも、石碑の表面にも裏面にも、碑銘以外には何も刻まれていない……。断じて、これはどう考えるべき……?」

 

「……ということは、まだ誰も、その……亡くなってはいない、ということではないでしょうか……?」

 

 

 お互いに石碑の裏側へと回り、何も彫られていないことを確認する。

 ムラサキハナナの推測に対する返答はない。というより、返答など必要ではなかった。

 

 

「まだ何も……誰の名もない。けれど……」

 

「……」

 

「けれどいつの日にか、きっとここに文字が刻まれる日が、断じてやってくる……?」

 

「……はい……」

 

 

 果てのない戦いの末に(たお)れた花騎士。その魂が、静かに眠る部屋。

 ひょっとしたらこの建物そのものが、はじめから墓所として建てられたのかもしれない。

  

 人は、しばしば忘却の彼方に放りこんでしまう。命を懸けて戦うということは、どういうことであるのかを。

 勇ましい武勇譚に酔いしれ、栄光の輝きに目を奪われて、その傍らに暗い影の存在があることを忘れてしまう。

 

 今は打ち捨てられたようなこの場所も、いつかは定期的に来訪者を迎えるようになるのだろうか――

 その未来は、まだずっと遠い物語なのかもしれないし、反対に思いがけなく近い話かもしれない。

 

 

「数多くの花騎士たちでも、この墓碑を知っている者はごくわずか……」

 

 

 まだ誰の魂を鎮めることもなく、ただ静かに眠りつづけている石碑の表面を指でなぞりながら。

 つぶやくように、ワレモコウは言葉を重ねる。

 

 

「……モコウがこの騎士団に配属されてしばらくして、ご主人と2人でひそかに建てたです……? これもまた、断じてご主人とモコウの務め……?」

 

「……分かるような気がします……」

 

 

 その日の到来を一日でも先延ばしするべく全力を尽くしながら、同時にその日のために準備しておかねばならなかったもの。

 とすれば、この石碑に親しかった仲間の名を刻まねばならぬのも、また自分や団長の責務だとワレモコウは考えているのだろう。

 たとえ、それがどんなに辛い作業であったとしても。

 

 

「……ムラサキハナナは、どう見るです?」

 

「……」

 

「いずれ来たる住人を思っての、悲しみ? それとも責務をまっとうした誇らしさ? 心の隙間から漏れる感情は、断じて様々です……?」

 

「……わたしは……」

 

 

 味方の犠牲を極限まで減らし、害虫側に甚大な被害を与えるべく考案する、作戦。

 しかしそれは、ときに供物を要求する。多くのものを救うのだから、ごく少数の犠牲者くらいは捧げよと、天使にも似た声で悪魔のような提案を耳元にささやく。

 作戦成功のまばゆい輝きの背後では、そうして見捨てられた者たちの怨嗟(えんさ)のうめきが渦巻いているかもしれないのだ。

 

 

「それでも……また次の作戦を考えないといけません。害虫との戦いが終わらないかぎり、ずっと……」

 

「……モコウたちは、まだ幸せです? 先人が遺した記録には、目をそむけたくなるような厳しい戦いが何度もあった……?」

 

 

 度重なる激戦のさなか、囮となって倒れた者。味方の撤退を支援するため、その場に踏みとどまって散った者。

 自らは望まずとも、より良き結果のために少数の犠牲を黙認してしまった者。

 唇を強く噛み締めながら、かつての知恵者たちも、作戦の名のもとに酷薄な決断を強いられてきたのだろう。

 

 

「……ワレモコウさん。わたし、思うんです……」

 

 

 しばらくの静寂のあと。ムラサキハナナは、ゆっくりと口を開いた。

 返事はない。ただ冷たい石碑の表面を、何度も繰りかえし撫でているワレモコウ。

 

 

「たとえ、こうしてお墓があっても……身体は、戦場に打ち捨てられたままになってしまうかもしれません」

 

 

 力尽きてなお、故郷へ帰ることが叶わない。誰も訪れることのない場所で、永遠に眠りつづけねばならぬという――悲しい末路。

 そんな未来が自身に降りかかるかもしれないのに、花騎士になれてよかったと笑顔をみせる者がいる。

 わずかな余暇を他人のために費やして、つねに無力な者たちの力になろうと志す花騎士がいる。

 それぞれの想いを胸に抱えて……彼女たちは、今を生きている。

 

 だからこそ。

 

 

「……だからこそ、わたしやワレモコウさんはきっと、そういった人たちのことを忘れてはいけないんです。生きているかぎり、ずっと……」

 

 

 自分の作戦が、決断が、多くの者の運命を決める。

 ずしりと肩にのしかかる、幾十、幾百にもおよぶその重みに対する贖罪(しょくざい)として、せめてそれくらいのことをしないでどうするのか。

 

 

「……戦いを重ねれば重ねるほど、記憶は積み重なる……。断じて、軍師を務める者の夜は長いです……?」

 

「……でも。それでも……」

 

 

 胸の奥に宿る光。それを認めたなら、顔を上げよう。

 たとえ小さくとも輝くかぎり諦めないのが、花騎士という存在なのだろうから。

 

 

「これからも、作戦を考えていきたいです。小さくて力も弱いわたしでも、みなさんのお役に立てると胸を張れるのは、やっぱりここだと思うから……」

 

 

 ひとつひとつの命。

 その重さを、しっかりと心に刻みつけながら。

 

 

「そして……お願いがあります」

 

 

 大切なひとたちを、この場所で見送る。

 その日が、ついに訪れてしまったなら。そのときは。

 ささやかな遺品を添え、墓石に名を刻む役目を自分も負おう。ワレモコウと一緒に――

  

 終わりの瞬間まで花騎士でありつづけた、勇気ある魂に手向けられた、鎮魂の(いしぶみ)

 最後にもう一度だけ。ムラサキハナナはその石碑の名をつぶやいた。

  

 

 

   ◇   ◇   ◇   ◇

 

 

 

「こ、今回、この分隊の作戦指導を担当することになりました、ムラサキハナナです。よろしくお願いしますっ」

 

 

 いよいよ、その日がやってきた。

 

 かねてよりの懸案だった、害虫の巣への直接攻撃計画。それが、ついに実行へと移されたのだ。

 街道を外れ、巣があるとされる岩山の付近にまで迫ったところで。ともに任務を遂行する花騎士たちに向かって、ムラサキハナナはあらためて頭を下げた。

 どの花騎士も、みんな頼もしい精鋭ぞろいだ。実戦の場数も、これまで倒してきた害虫の数も、彼女たちにはとうてい及ばない。

 加えて、ワレモコウの姿がなかった。本隊付きの軍師として途中で別れたのは、もうかなり前のことになる。

 

 花騎士として、命を懸けた戦い。そこに赴いている以上、それぞれに自負心はあるはずだ。

 そんな彼女たち全員を納得させられるほどの作戦案を、自分は示せるだろうか――

 

 

「これから、作戦をみなさんにお話しします。聞いてください」

 

 

 ムラサキハナナは、ここで弱気になることを心の奥底に封じた。

 生意気と思われてしまうかもしれない。出しゃばりだと苦々しく思われるかもしれない。

 

 ……どうか、わたしに。

 

 それでも構わない、と思い定めることができる芯の強さを。

 大好きで、心から信頼できる先輩花騎士たちと全員で生還するために、最後までベストな方法を示すことができる確固たる意志を。

 ――わたしに、勇気をください。

 

 そのかわり。

 作戦が失敗したときは、責任を一身に背負いこめばいい。

 どんなに強い非難や罵倒も、すべて引き受ける。そう覚悟を決めればいいのだ。

 

 

「今回の最大の目的は、巣を叩き、2度とこの場所を害虫の拠点とさせないように無力化させることに尽きます。……ですが、一気に殲滅するまでのことはしません」

 

 

 遠距離からの攻撃を得意とする花騎士でまず牽制したのに、タイミングを見計らって近接攻撃が得意な花騎士が一気に切り込む。

 いかに数が多かろうが、害虫側に前回の戦闘と同程度の戦力しかないのなら、それできっと大混乱を起こすはずだ。

 

 

「害虫の行動はバラバラになると思います。向かってくるものと、逃げていくものとに。こうなれば相手は数の多さを生かすこともできず、わたしたちは有利になります」

 

 

 そこで、さらに逃げやすくするために。意図的に、害虫に使わせる退路をひとつ用意することにします――

 

 ムラサキハナナの説明に、周囲がざわついた。

 当然だろう。それでは場所を移してまた同じことが繰り返されるだけだ、という抗議めいた声すらあがる。

 

 ……逃げない。

 声がした方へしっかりと顔を向け、ムラサキハナナは大きくうなずいた。

 

 

「もちろん、最終的に殲滅はします。ただ巣のまわりは害虫のテリトリーですし、地の利は明らかにあちら側にあります。不案内な場所での戦いは、なるべく早く切り上げるべきだと思うんです」

 

 

 いつか、誰かを永遠に見送らねばならなくなったとき。後悔はしたくない。

 だから、今、全力を尽くす。

 課せられた責務の重みを忘れないよう、心に留めながら。最良の一手を模索しつづけるのだ。

  

  

  

  

 ――討伐に赴く直前。

 ワレモコウの部屋に、ふたたびムラサキハナナの姿があった。

 

 

「……用意はいいです……?」

 

「……はい、ワレモコウさん」

 

 

 石碑の眠る区画を、2人が訪れたのち――

  

 2人は、お互いに最良と思える作戦を、個々に立案することにした。相手を頼らず、それぞれに智を絞って。

 ムラサキハナナの手元には、幾重にも折りたたまれた一枚の紙がある。懸命に考えた、最良と思える作戦を端的な文字で記した、小さな紙片。

 

 

「駆逐すべき害虫の巣は、2つです……?」

 

「岩山の裏に隠れていますが、双方の距離はさほど離れていません。だから、連携も可能だと思います……」

 

「敵陣に切りこんだ駒は、足を止めればすぐ狙われるです……? 初手の勢いをどのように活かすかが、断じて肝要?」

 

「とはいえ追い詰められた害虫たちも、どんな底力を持っているか分かりません。そこで攻勢の構えのまま、あえて逃げ道を見せかけることで、徹底抗戦の意欲を削いだほうが安全だと思うんです」

 

「……では、お互いに手にしている紙を開いてみるです……?」

 

 

 ワレモコウの合図とともに、たたんでいた紙を広げる。

 それぞれが考え出した作戦案は、そこに凝縮されているはずだ。

 

  

 並べられた、2つの紙。

 まるで符牒のように、ぴたりと一致した文字に目をやり。それから2人は互いの顔へと視線を移し、軽く微笑み合った。

 

 

「【挟】。つまり、断じて……」

 

「はい。挟撃、ということです」

  

 

 

  

「――害虫たちに退路を示すことで、巣から引き出します。そしてそれは、彼らから地の利を奪うことになります」

 

 

 時を同じくして、同様の説明がワレモコウのいる本隊でも行われているはずだ。

 

 

「そうして……もうひとつの巣の害虫たちと同じ場所へ少しずつ追い詰め、最後に左右から一気に叩いて殲滅します」

 

 

 つまり挟み撃ちです、と一気にここまで説明を終えると、ムラサキハナナはいったん言葉を止めた。

  

 すでに一度戦った経験を踏まえつつ、調査結果による巣の規模からも害虫の戦力は読めている。

 同時に双方の巣からほど近い場所に開けた平地を発見できたのも、この作戦を後押しする大きな理由のひとつだ。

 結果。巣から引き出した害虫の群れを、見通しのきく開けた空間で包囲殲滅することは充分に可能だというのは、2人の出した共通の結論だった。

 

 

「……もちろんタイムラグが生じたり、誘導策にうまく乗ってこない、という事態が起きるかもしれません」

 

 

 そうした展開についての対処も、ワレモコウとたっぷり話し合った。

 固執することはない。状況次第でせっかくの作戦が無駄になってしまうのは惜しいけれど、ワレモコウもムラサキハナナも次の策をすでに考えてある。

 

 ……そして。

 ムラサキハナナの作戦を否定する声は、どこからも聞かれなかった。

 全員が納得してくれた、と単純に喜ぶ気にはなれない。またそう決めつけるのも早計だとムラサキハナナは思う。

 それでも、自分の作戦案に命を懸けることを了承してくれたのだ。

  

 充分だと思えた。それだけで。

  

 

 

 だから、最後に。

 自信に満ちた声で、明るく仲間を送り出そう。

 それもまた、軍師の務めだと信じて――

  

 

「それではみなさん、よろしくお願いします。

 さあ……行きましょう!」

   

 

 

 

 

「軍師ふたり」 ―了―

 

 

【挿絵表示】

 

(※過去に「フィンドホーンガーデン#3」として頒布いたしました、氷鰐さんに描いていただいた表紙絵の線画です)

 

 




お読みいただき、ありがとうございました。
以下、ちょっとした補足説明といいますか余談といいますか、あとがき的なアレです。

・『puticuli』
サブタイトルとしてつけたこちら、「プティクリ」と読みます。
紀元前1世紀ころ、ローマ市街の東に位置するエスクイリヌスという丘に造られた大穴の名前です。魔女の集会所として知られたほかに、犯罪者や貧困のあまり葬儀すら行われなかった者の遺骸がこの大穴に投棄されていたとか…。
もう10年以上も昔に別の作品でもこの語を副題に使用しましたが、そちらは現在のコロナ禍の状況と作中の内容とでえらく似ている部分があったりして、自分でもびっくり。今はお蔵入りとしています。
今回、副題だけ復活再登場させてみました。

・『紙に書いた文字を見せ合いっこするやつ』
これはもう、ご存じな方はすぐにピーンと来られちゃったかもしれません。「三国志」のアレですね。
赤壁の戦い前夜、押し寄せる曹操率いる大軍をいかなる作戦で撃破すべきか、劉備陣営の諸葛亮・孫権陣営の周瑜の2大軍師が協議するわけですが。作戦の内容を手のひらに書いていっせーのせで見せ合いっこしたら「火」とどちらにも書いてあって(火攻めの意味)、両者ともに「ふっふっふ…」と含み笑いするやつ。
実現することは多くないですけど、こういった歴史的エピソードなどをうまく作中に取りこんでいけたらというのは、実はひそかな野望のひとつだったりします。
あ、とはいえ上述のお話、「三国志演義」という物語上の創作なんですよね。史実ではございませんのです(よく考えたらそりゃそうだ)。誤って理解されている方がいらっしゃるようなので、蛇足までに。
  
  
・さて、次回の第六章ですが。そちらではこれまでの第一章~第五章に登場したキャラ(の一部)が再登場し、いわばオールスターといった雰囲気のお話を予定しています(新しい花騎士も登場します)。これまでの物語の総決算的な、そんな感じです。
で、そんなこともあって。これまでにない長編になっちゃいそうなんですよね。また同時に、これまでのように過去に同人誌にて頒布した作品でなく、正真正銘こちらでの公開が初となります。

ただそうなると、メインタイトルにある「短編集」ではなくなってしまう気が…。
だとすれば「看板に偽りあり!」となっちゃいますので、第六章の公開とタイミングを合わせて、メインタイトルを変更することも考えています。
たぶんだけど、9月の半ばを過ぎたあたりからスタートすることができ…たらいいな。
いろいろとややこしく、大変恐縮ではありますが、どうか最後までお付き合いいただければ幸いです。
  
  


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第六章【 Bonds of Eternity ~あなたとともに~】(プルモナリア、アンゼリカ、他)
6-1 プルモナリアとアンゼリカ、屋敷を訪れる


作者初の長編花騎士SS、いよいよスタートです!
初登場のプルモナリアとアンゼリカの2人をメインとしつつ、これまでの各章をつないだ総まとめ的なお話として、一部の花騎士たちを再活躍させてあげる予定です。

どうぞ最後までお付き合いいただけると幸いです。


「はいどーも! 今日も今日とてナイスなバディに誰もが振り返る美少女オーラ。心洗われる清純ぶりとチャーミングな仕草が同居する天使・アンゼリカちゃんでーっす♪」

 

「……どうも。実家が葬儀屋を営んでるプルモナリアです」

  

「ちょっとちょっと、プルモナリアさん。テンション低いですよーそれじゃ。

 つかみって知ってます? とっても大事なの知ってます? もっとテンションアゲアゲでいきましょーよー!」

  

「でも、これがいつもの私だし」

  

「まー、それじゃいいです、そのまんまで。陰キャが相方のコンビってことで人気を独り占めさせてもらっちゃいますから。

 それで、えーっと。私たちは現在、とあるお宅の前に来てまーす。っていうか、立派なお屋敷じゃないですかこれ!?」

  

「うん、大きな洋館だよね。こんな家に住みたいとか、うらやましく思う人もいるんじゃないかな」

  

「おまけに庭付きですよ! すごい、ステキ!

 ちょっとちょっとー。ここの持ち主は権力者さん? それともお金持ち? なんとかお近づきになれる方法ってありませんかねー?」

  

「さあ? あったとしても、お近づきになんてなれないと思うけど」

  

「ほほう? いいでしょう。なぜそんな断言がプルモナリアさんにできるのか、このアンゼリカ、ひとつ華麗に予想して当ててみせましょう!」

  

「だってこのお宅、完全に無人状態だし」

  

「まだ何も答えてないじゃないですかー! 回答時間プリーズっ!

 ……って、いやいや、それはともかくですね。いま、聞き捨てならないこと言いませんでした? 無人? 空き家? つまり、ちょっとお邪魔しても怒られない的な?」

  

「……普通に怒られると思うけど。でも、誰も住んでないのは間違いないよ」

  

「うーわー、もったいないー。もったいなさすぎですよー!」

  

「こんなに立派な建物なのにね。それが今はただ朽ちていくのを待つだけの、廃屋同然なんだからさ」

  

「ほんとにもー、なんですかそれ。このアンゼリカさんに言わせたら、ありえない的な?

 でも、まー……場所が場所ですからねー。これもやむなしといいますか、仕方がないのかも?」

  

  

 ……自分のテンションとはだいぶ異なるアンゼリカからのボールを、適当に打ち返しながら。

 あらためてプルモナリアは、周囲をぐるりと見回してみた。

 

 見事なほど、なにもない。

 畑や田んぼ、そして手入れのされていない草地が延々と広がり。はるか遠くの地平線上には、背の高い木々と細長く伸びる山脈の姿を望むことができる。

 そのなかに、一本だけ道が見えた。それはこちらへ近づくほどどんどんと太さを増し、やがて重要な街道として街の城門へとつながっていることに気づくだろう。

 城壁を越えた街の外ならば、こんな光景もおかしくはない。時間の流れが減退しているかのような錯覚さえ抱かせる、のどかな風景があるばかりだ。

  

  

 ――城壁という、堅固な鎧で護られた街。

 その外側に家を建て、さらに定住するというケースは、数少ないものの決してゼロではなかった。

  

 街の人口が増え、同時に居住区域が拡張されていく。

 それは街が発展しているという証拠であり、悪い話ではない。

 しかし、豊かになればなるほど、街全体で消費する物資の量もまた増大することになる。

 その結果、生産エリアもまた拡大を必須とし、早急の整備が求められるのは当然の成り行きだろう。街の安定と維持のためには不足のない物資の供給が不可欠だからだ。

  

 害虫の脅威にさらされながらも、街は長い年月をかけて少しずつ成長していく。

 成長の裏に花騎士たちの活躍があることは、疑いようがない。彼らの努力によって街の周辺の治安が確保されるようになれば、生産の基礎たる農地として活用できる土地が一気に広がるからだ。

 農業にはどうしても、まとまった土地が必要になる。

 そのため城壁の外側に広がる未開拓の土地は非常に魅力的に映ったし、花騎士の活動に合わせて実際に開墾も行われるようになっていった。

  

 そうして、一歩ずつ。打ちつける水が、やがて岩をも削り取るように。

 街を囲む城壁の一部は外縁部のさらに外側へと拡幅を繰りかえし、同時に農業エリアも中心地からより離れた場所へと移されていく。それまでの田や畑には新興住宅が建設され、あるいは新しい工房が並ぶ区域へと生まれ変わらせるために。

 

 だが、ここで――

 大きな環境の変化に直面したのは、農業で生活を営む人々だった。

 それまで何代にもわたって街の中心部で長く暮らしてきたのが、だんだんと彼らの仕事場である農地が遠い場所に離れてしまったのだ。

 農具をかつぎ、来る日も来る日も城の外の農地まで、時間をかけて行き来せねばならない。

 こうして……少しずつ住居を郊外へと移す者が増え。さらにはリスクを承知のうえで、あえて危険を冒して農地にほど近い城壁の外側で暮らすことを選択する人さえ現れはじめた、というわけだった。

 

 

「それでですね、ものは相談なんですが……。

 なんならこのアンゼリカさんがお屋敷をそっくり引き取る、というのはどーでしょーかねー?」

  

  

 とはいえ、城壁の外側で自由に家を建てられるわけではない。

 安全が保証された場所はどこにも存在しないにしろ、比較的それに近い場所のみに限定されているのは当然のことだろう。

 基本的に普段から往来のある主要街道に沿った場所か、あるいは花騎士の定期的な巡回が得られて比較的平和が保たれている場所。そうしたところが候補地だ。

  

 今回訪れることになった屋敷も、その点はきちんと守られている。

 害虫の襲撃に見舞われたことは過去に何度かあったらしいものの、近くの城門から街の中へ機敏に逃げこむことで、うまくかわしつづけてきたらしい。

 そのうえ、ここ最近はなんとか平穏に過ごしていたらしいということを、事前に得た情報で知っているプルモナリアだった。

   

  

「休日は郊外の別荘でバカンス! う~ん、いいヒ・ビ・キ♪ ボロいところは修繕とかリフォームとかしてですね。あ、みなさんで力を合わせて費用はゼロに、これ大事ですからね!」

  

  

 今回、団長から託された任務。

 こちらから説明を受けるようにと言われているのか、相方(アンゼリカ)の様子を見ていると、どうやら何も知らされてはいないようだ。

 任務内容について一部は正しく洞察しているものの、別の部分で大きく誤解しているような気がしてならない。彼女の言葉を聞いていると、そんな思いがどんどん膨らんでしまう。

 団長の指名を受けて、はじめて組むことになったパートナーに感づかれぬよう。プルモナリアはそっと、ひそかにため息をついた。

 

 

「……空き家だけど、誰もいないわけじゃない。今回はその人たちに、ご挨拶と少し話をさせてもらおうと思って来たわけだし」

  

「え、どゆことです? って、あー……」

 

 

 そこまで言って、ピンときたように納得するアンゼリカ。

 

 

「アンゼリカさんもおばけが見えるんでしょ? 偉い人から聞いたよ。だから選ばれたってわけ」

  

「いやまー、そりゃ普通に見えるっちゃ見えますけど。って、プルモナリアさんもですか!?」

  

「うん」

  

 

 こともなげにうなずくプルモナリア。

 するとアンゼリカは「またかー」と、額に手を当てて軽く天を仰いだ。

  

 

「正直困るんですよねそういうの。珍しい能力のように見えて実は幽霊見える花騎士けっこういるんです、とか。アレですよ、営業妨害的な? キャラ被り多すぎじゃないですかねー」

  

「キャラ被り、とか言われても」

  

「アンゼリカさんはですね、美貌も特殊能力も唯一無二の究極生命体であるはずなんですよ。

 想像してみてください。世の中美少女だらけになったらお金持ちを一本釣りするにもライバル多すぎて困りますよね、主に私が。それに世の男性だってありがたみが感じられなく……あれ、っていうかそっちは少しも困らない?」

  

 

 たしかに似たような能力を持つものの、性格的にはむしろ正反対というほかないだろう。

 アンゼリカの望みなどプルモナリアにはしょうもない話としか思えないし、ひとつひとつのリアクションが大きいアンゼリカに対して、プルモナリアは表情すらあまり変わることがない。

 

 

「葬儀屋の娘だからね。おばけなんて普通に見えるし会話もできるよ。……それに」

  

「……それに?」

  

「あっちの世界が見えたり聞こえたりするといっても、やっぱり個人差があるから。わたしはしょっちゅう接してるから自信あるけど、アンゼリカさんはそうでもないでしょ?」

  

「ん~、そうなんですかね~? まーそこらへん、あまり深く考えたことがない的なカンジではありますけど……」

  

「……たとえば、ほら。そこ、アンゼリカさんのすぐ横にだって、3人のおばけが立ってるし。じっとこっちを見てるけど?」

  

「ひっ! って、私見えてないのにー!? どゆことどゆこと、誰か盾になってー!」

  

「……冗談だよ?」

 

 

 なるほど、こうやって(ぎょ)していけばいいのか。

 油断するとトラブルメーカーになりかねないアンゼリカの扱いをちょっとわかった気がするプルモナリアだった。

  

  

 

   

 いわゆる、幽霊屋敷というやつだ。

  

 本来誰もいないはずなのに、妙な気配を感じることがある――

 そうした話は、ひとつきりでなかった。調べてみると近くの街道を通りがかった農民や商人のうち、複数の口から同じような言葉が飛び出したのだ。

 

 噂の発生時期は、実はそれほど古くはない。それになにより、それまではちゃんと住人が存在していたことは、周辺の巡回任務にあたったことのある花騎士なら誰もが知っている。

 

 建物のいくつかの部分に補修された跡が見えた。元の住人は、きっとこの屋敷を大切に扱ってきたのだろう。

 かつてはきちんと手入れがされていたと思わせる庭の草も、しかし今は自由とばかりにあちこちで背を伸ばしはじめている。

 まだ廃屋と呼ぶには少し早いかもしれない。けれどこのままでは遠からずそう呼ばれるようになるのは、誰の目から見ても明らかだった。

  

  

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

  

  

  

「おじゃましまーす……」  

  

 

 屋敷の扉を開け、建物の内側へと足を踏み入れる。

 さすがにこのときばかりは2人とも注意深く、また面持ちも神妙なものになっている。

  

 静寂に満ちた屋敷の内部は、昼間であるにもかかわらず薄暗かった。

 プルモナリアとアンゼリカのかすかな息遣い以外に、音らしい音もない。

  

 

「うー、ちょっとカビくさいですかねー」

  

 

 プルモナリアのやや後方に陣取ったアンゼリカが、顔をしかめながらパタパタと手を左右に振る。

 薄暗くはあるものの、気をつけながら歩を進めれば移動はさして困難ではない。ただ空気は重く淀んでいて、噂はどうやら本当のようだとプルモナリアは判断した。

  

 

「屋内なら外よりもマシかな~、と思ってたんですけど。これはやっぱりアレですかねー。一度みなさんの手で、しっかり掃除をやってもらった方がいい的な」

  

「そうだね。でも、みんなにやってもらうとして、そうしたらアンゼリカさんの仕事は?」

  

「やだなーもー。ほら、現場監督という大事なポジションがあるじゃないですかー。あ、ちゃんとプルモナリアさんにも現場副監督という立場を用意しますからね、ご心配なく!」

  

「……アンゼリカさんって、害虫討伐に失敗して部隊が全滅しても、なぜかひとりだけ生還しそうだよね」

  

「あ、わかります? わかっちゃいます? やっぱりこう、他の人とは違うなにかを持ってますよね~、私ってば♪ いやー、ハイパー美少女すぎてつれーわー」

  

 

 ……あるいは仲間たちに見放され、真っ先に犠牲者となってしまうタイプ。

 ぽそりとプルモナリアはつぶやいたものの、当のアンゼリカの耳には入らなかったようだ。

  

 

「それはともかく。……あれ、見える……?」

  

 

 屋敷全体の構造は、おそらく一般的なそれと大差はなさそうだ。

 

 たっぷりとした広さを誇る玄関ホールと、左右には直線的に両翼へと延びる廊下が姿をのぞかせている。

 そして、中央部の奥。優美な曲線を描いた手すりが扇状に広がりながら二階に至る踊り場へとつづく、大階段。

 その一角を指差しながら……プルモナリアは、アンゼリカの反応を待った。

  

 

「……あー、いますねいますねー。めっちゃ見られてるし、明らかに気づかれてますよね。まー当然といっちゃ当然でしょうけど」

  

「話し合いとか交渉は、こっちに任せて。ただおばけが見えるだけで、安易に深く関わろうとすると……いろいろあるから」

  

「いろいろ、ですか? たとえば?」

  

 

 アンゼリカの問いに、プルモナリアはかるく首をかしげつつ。

 

 

「本当にいろいろだけど……やっぱり定番は魂を持ってかれちゃう、ってのだよね。まあ、アンゼリカさんがあっちの世界で人気者になりたいっていうなら、わたしは止めないけど」

  

「いやいやいや、そんなわけありませんって。ゴージャスな生活もまだ経験してないですし、この世のお金持ちさんを悲しませちゃうじゃないですか。こ~んなにピュアで清純さMAX的な乙女がいなくなったら、そりゃーもー」

  

「……身も心も煩悩に極振りしてるくせに」

  

「なにか言いました、プルモナリアさん?」

  

「ううん、なにも。いずれにしても、深い理由もなくただ見えるってのはさ、本質的におばけに好かれてるんだよね。……だったらさ」

  

「だったら……?」

  

「生きてる人と違わない。好きな相手とは、ずっと一緒に暮らしたいよね。この世でなくても、地獄でだって……」

  

「そそそ、そんなのイヤですってー! でもプルモナリアさん、そっち系じゃガチなわけだし。あれ、それじゃ私的にヤバいっぽい? ほんとこれ、触れちゃいけない案件とかじゃないですよねー!?」

  

「冗談だよ?」

  

 

 ちょっと面白い。

 

 出来心でやってしまったけれど、プルモナリアが差し出す手玉にあっさり乗っかってくるアンゼリカ。

 大きめなリアクションとともに周辺のホコリを吸いこんでゴホゴホと咳きこむ彼女の背中を軽く叩いてやりながら、プルモナリアはついそんなふうに思ってしまった。

  

 ともあれ、自ら進んで関わろうとしなければ、災いが降りかかってくることはそうないはずだ。

 ……しかし、今回はこちらから関係を持たねばならない。

 

 やがて、同じことを繰り返さないよう念を入れつつ肩で息をするアンゼリカを尻目にしながら。

 余計な刺激を与えぬべく意識的にゆっくりとした動作で、プルモナリアはそれ――屋敷の住人とおぼしき幽霊、のそばへと歩を進めた。

  

 

「……こんにちは。はじめまして。花騎士のプルモナリアといいます」

 

 

 臆することなく目の前に立つと、深く一礼する。

  

 霊の数は、二体。

 両者の体格はかなり異なっており、ひとりは初老の男性、もうひとりはまだ幼い男の子といった感じだ。

  

 おや、とプルモナリアは内心で首をかしげた。

 老いた男性の霊は、噂となっている――先日亡くなったというその本人と見て間違いないだろう。

 けれども子供の霊がいるというのは、まったく聞いていない。完全に想定外だ。

  

 

「急にお邪魔してしまって、すみません。このお屋敷の住人……いえ、もと住人の方たちですよね?」

 

 

 ともあれ、語りかけぬことには何も始まらない。

 生きている人間が相手のときと、まったく違いはない。相手が幽霊であっても、涼しい顔で話を進めるプルモナリア。

 2人の幽霊はというと、最初、突然現れた侵入者たちに、戸惑いと警戒感をあらわにしていたように思う。しかし花騎士と名乗ったとたん、それらの雰囲気は嘘のように霧散してしまっていた。

  

 

「今回こちらにお伺いしたのは、聞いてほしいお願いがあったからなんです」

  

 

 害意は認められないものの、幽霊たちが何を思っているかまではわからない。

 それでも迷うことなく、プルモナリアは一気に核心を告げた。

  

 

「この場所と、そしてこの建物。その2つを、わたしたちの騎士団に譲っていただけませんでしょうか……?」

  

  




まずは今回初登場となる2人からスタートです。
お話のきっかけは、プレイしていてふと思った疑問からでした。ウィークリー特別任務をはじめマップをよく眺めると、街を囲む城壁の外側に住居らしき建物があったりするんですよね。
カトレアのような花騎士なら人里離れたお屋敷に住んでてもおかしくはないけれど、「なんでこんなとこに普通に人が住んでるんやろ?」と気になり、あれやこれやと秋桜を重ねるうちに、今回のお話にたどり着きました。

まだまだ始まったばかり。現在の構想としては、おそらく6-10プラス1つか2つ、そのくらいの長さになりそうです。
年内にはなんとか完結させるべく頑張っていきますので、どうか最後までよろしくお願いいたします。


―追記―
アンゼリカの特徴といえる語尾(たまに出てくる)ですが。「~てきな(ログボ等)」と「~的な(イベントテキスト)」と、ひらがなだったり漢字だったりと、どちらかに統一はされていないようです。
かといって本作でも同じことをすると読みづらくなりかねないと考えた結果、「~的な」で統一することにしています。ひらがなよりも漢字のほうが読みやすいんじゃないかな的な?
  


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6-2 花騎士いろいろ、幽霊もいろいろ

 その戦力も。また戦歴も。スプリングガーデンでも有数のもの、というのは間違いないだろう。

 まだ若いにもかからわず明敏な判断力と指揮能力は高く評価され、民衆からの信望も厚い団長が率いる騎士団。

 その核心部……本営は、もはや街というより都市と呼ぶにふさわしい市街の中心地にある。

  

  

 ――どれほど騎士団の規模が巨大化し、戦力が充実しても。

 いかなる精鋭を揃えたところで、悩みが完全に尽きることはないのだろう。

 どんな組織にもままならぬことは多かれ少なかれあると思うが……実のところそのひとつは、かつての農民が抱えていた不満とあまり変わらなかったりする。

    

 街中の警備任務については、当面のところ何の問題もない。

 問題は、街の外で起きる事件や害虫の襲撃だ。現状、ことあるたびに本営のある街の中心部から出撃することになる。

 しかしそれでは、緊急の通報を受けて城外へ急行する場面になると、いかにももどかしい。街の規模が大きいぶん、外縁部の城門まで距離があるためだ。

 任務が人々の生命に直結する以上、即応性は重要といえる。場合によっては本拠から城外へと向かうその時間が致命的なタイムロスとなりかねない。

  

 だからこそ。

 外縁部の城門に近く、危急のさいに時間を空費せず現場に駆けつけることが可能な――

 そうした中継所あるいは詰所といった施設を城外に保有したいというのは、以前からずっと考えていることだった。

  

 

 そして、今。

  

 まさにうってつけというべき土地と建物がその主を失い、あらたな所有者を求めている。

 しかもいわゆる「いわくつき物件」として、城外という立地とも重なりとんでもなく安い。

 騎士団の所有地として運用するなら上層部と掛け合って認可を得る必要があるものの、今の身分ならこれまでのささやかな蓄えと数年ほどの負債で、個人的にも手に入れることができそうなほどだ。

  

  

「……ふうん。で、今後の騎士団の活動のために、どうしてもほしいんだ、偉い人?」

  

 

 執務室を訪れたプルモナリアに事情を説明しつつ、揃えた資料のいくつかを彼女の前に差し出す。

  

 多少の無理をすれば、個人として所有することも不可能ではない。けれどその場合、騎士団として運用したとなるとあとあと面倒そうだ。

 なので、土地と建物を購入したい旨の理由とそのための予算を要求する、申請書。さらに問題の土地に関する情報をまとめたもの。

 そうした書類の束を突きつけて、上層部に認めてもらうのがやはり一番だと思う。

  

 

「うん……悪くはないんじゃないかな。ただその場合、建物は少し改修とか、場合によっては建て替えることになるかもしれないよね」

  

 

 もちろん、その可能性は十分にある。

 害虫との戦いに備えた出撃拠点としての役割、あるいは花騎士の休息所としての機能。

 他にもまた、害虫に襲われて傷ついた人間を収容し早急の処置を施す野戦病院として活用する場面が訪れるかもしれない。

 あれこれと用途が広がれば広がるほど、普通の人間が穏やかに暮らしていた建物の構造のままでは不都合もいろいろと出てくるだろう。

  

 

「そうなると、まとまった予算が必要になるな。まあ、団長のことだから、勝算あってのことだと思うけど……」

 

 

 だからこそ、その土地に目をつけたのだ。

 そう言いながら、その驚くほどの安さと、「いわくつき」の具体的詳細が書かれた紙片をプルモナリアに見せた。

  

 

「……なるほどね。それじゃあ、そんな話をわたしにしたってことは……」

  

 

 どうやら、プルモナリアも察してくれたみたいだ。

 感情をあまり表面に出すことがないものの、頭の回転は速い子だ。話が早くて助かる。

  

 ――もともとの屋敷の持ち主は、騎士団の関係者だったんだ。

 と、彼女に伝える。

  

 

「それは、こっちの資料にも書いてあるね。そっか、とっくの昔に引退して、それからは騎士団と関わることもなく、その屋敷で余生を過ごしてたんだ」

  

 

 騎士団の拠点の中だけでも関わる人間といえば、騎士団長や花騎士のほかにも様々だ。

 国との連絡役を務める文官はしょっちゅう出入りしているし、上層部の人間が視察に来ることもある。施設の保守に外部の専門業者を頼るときもあれば、食堂の運営などはそれこそ丸ごと委託している。

 そのような関係者のひとりとして、屋敷の持ち主はかなり昔に、事務方として従事していたことがあったらしい。

 とはいえあまりに過去のことになるため、自分も含め、面識のある人間はおそらくこの騎士団内にはいないだろうと思われる。

  

 

「それじゃあ、ひょっとして。お亡くなりになった原因は、害虫に関係してだったり……」

  

 

 いや、そうではないみたいだ。

 かぶりを振りながら、とある書類の一点を指し示す。

 

 

「病死、って書いてあるね」

  

 

 その最後が幸福に包まれていたか不幸にあったものかはわからないが、少なくともベッドの上で迎えられた死であったように思う。

 プルモナリアが言ったように、害虫に襲われて命を落とす人間も多い。比較的穏やかに最後の時間を送ることができたというのは、ある意味幸運に恵まれたともいえる。

  

 ただ――それだけに。

 どうしても引っかかってしまうのだ。

  

 

「……そうだよね。それなら、どうして『ワケあり物件』になんかなってるんだろう……?」

  

 

 幽霊が出るという、まことしやかな噂。それが破格の安値の最大の理由だ。

 

 小首をかしげて、プルモナリアが疑問を口にする。

 体格が小柄なこともあって、その仕草はどこか可愛らしい。

  

 

「山とか森の奥で、害虫に襲われて……というなら、その後おばけになるのは珍しいことじゃないけど。でも、ここに書いてあるのを見ると、それとはぜんぜん違うわけだよね?」

  

 

 こちらを見つめてくるプルモナリアに、はっきりとうなずく。

  

 

「普通に暮らして、死因も普通の病死なんだよね。なのに、どうして幽霊になんかなっちゃったんだろ……?」

  

 

 そこがポイントであり、引っかかっている問題なのだ。

 害虫との生命のやり取りを日常とするだけに、幽霊とはいえ必要以上に恐れるつもりはないし、怯えているわけでもない。

 だがやはり、問題や支障はないに越したことはない。なんらかの未練や心残りがあるとすれば、解決してもやりたいところだ。

 

 とはいえ、普通の人間に幽霊が見えるわけがない。

 ましてや会話や交渉など、とうてい不可能だ。

  

 

「……わかった。つまり偉い人は、そのおばけにちゃんと棺桶に入ってほしい、と。わたしにそう交渉してきてほしいんだよね?」

  

 

 まあ、そういうことになるかな。

  

 

「うん、いい判断。その次に棺桶に入るのは、偉い人かもしれないしさ。わたしみたいな葬儀屋とその前にしっかり繋がりを作っておくのは無駄じゃないよね。

 ……冗談だよ?」

  

 

 彼女特有の声音もあって、あいかわらず冗談が冗談のように聞こえない。

  

 幽霊と接触できる花騎士は他にも何人かいたが、あいにくそれぞれがなんらかの任務を抱えていた。

 ただ、その中で偶然、手の空いている者がひとりだけいる。その花騎士をサポートにつけよう、とプルモナリアに約束した。

  

 

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

  

  

 

「――おーい、プルモナリアさーん。心ここにあらずってカンジですけど、大丈夫ですかー?」

 

 

 今回のパートナーとして同行しているアンゼリカの声を耳朶(じだ)が捉え、プルモナリアの意識は急速に水面へと浮かび上がった。

 時間にして、それほどは経っていないはず。しかしそれでも、しばし亡我の時間を過ごしてしまっていたようだ。

  

 気がつくとアンゼリカもまた、屋敷の主の幽霊のもとに歩み寄っている。

 ……のみならず、何かしらの話を持ちかけているようだった。

  

 

「あー、話の腰折っちゃってすみませーん。それでですねー、このお屋敷を譲ってもらうついでに、秘匿していた隠し財産とか秘宝的なアレとかの場所もですね、私にだけこっそり教えていただけるとー」

  

「って、ストップストップ! なに聞き出そうとしてるのアンゼリカさんー!」

  

「やだなーもー。ちょっとしたジョークですよジョーク。ポップでフランクな、軽い挨拶みたいなものじゃないですか」

  

「かるい…あいさつ…?」

  

 

 むしろ軽くめまいがした。

  

 本人がよく口にするように、アンゼリカの外見は同性の自分から見てもたしかにかわいらしい。

 けれど真面目な交渉において彼女の存在は役に立つのか、プルモナリアはもはや完全に懐疑的になっていた。

  

 

「……すみません。話を戻します。

 最終的には先ほどにもお話ししましたように、この屋敷を譲っていただきたいんですけど……その前に、どうして亡くなってからもこの場所にとどまっているのか、よければ理由を教えてほしいんです」

  

 

 丁寧な口調を意識して、プルモナリアは霊に語りかける。

  

 幽霊になってまで成仏を拒んでいるということは、相応の理由があるのだろう。

 可能ならその心残りをなんとかしてあげたい、という思いは団長と同じだった。

  

 

「わたし、実家が葬儀屋なんです。なのでアフターサービスについても、まあ、いくらか慣れてるというか……」

  

 

 事前の情報では、幽霊はひとり。初老の人物のそれだけという想定だったのだ。

 それが実際にはもうひとり、小さな子供の霊までもがいる。

  

 

「こちらのお子さんは、お亡くなりになってからどれくらい経つのかわかりませんけど……。ずっと一緒にお2人がここにいる理由、それを教えていただけませんか……?」

  

  

  

  

 ――交渉は、思いのほか順調に進んだ。

 昔のこととはいえ、騎士団に関わっていたという館主。その経歴が、プルモナリアたちに対して友好的に働いていることは明らかだった。

  

 成仏を拒んでいる理由を明かす前に、どうやら見せたいものがあるらしい。

 そして2人の霊はむしろ歓迎するかのように……今を生きる花騎士たちに、屋敷の中を案内してまわった。

  

 

 

 

「うわー。なかなかステキなお部屋じゃないですかー」

  

 

 アンゼリカの声が、明るく弾んだものになった。

  

 プルモナリアたちがいくつめかに案内されたのは、とある一室だった。

 貴族の部屋ほどではないにしても、一般庶民の自室にしてはいくらか広め。ちょっとばかり裕福な家の部屋、といったところだろうか。

 華美というにはいささか物足りず、それがかえって雰囲気を嫌味のないものにしている。調度品のセンスも悪くない。

 全体的に赤やピンクといった明るい色彩で整えられていることから、この部屋の主は女性だったのだろうか。

  

 片側にはデスクと鏡台が並べられ、その反対側にベッドが置かれている。

 かつては清潔だったに違いない……が、今は無人のまま放置された時間の長さを示すものがうっすらと積もっていた。

  

 

「す、素敵な部屋ではあるんですけど……やっぱりホコリが気になりますね~」

  

「待って、アンゼリカさん」

  

「このベッドなんか、叩いたらとんでもなくヤバい的な? って、どうしました?」

  

「……あれを見て」

  

 

 枕元の壁ぎわ。

 そこに、スタンド状の小さな額縁に収まった、一枚の絵が置かれていた。

  

 ――立派な絵画だとは、お世辞にも言いがたい。

 正直に言ってしまえば、ただの落書きとしか思えないほどだ。

 けれど、日々の終わりを迎えるベッドで、すぐ手に取れる位置に置かれているということは……ありし日の部屋の主にとって、この絵が非常に大切なものであったということがわかる。

  

 

「ええと、これは……天使の絵、ですか……?」

  

 

 最大限の好意的な表現を用いて言ってみたものの、自信はない。

 もっとちゃんと見てみようとプルモナリアが絵に手を伸ばしかけたところで――唐突にその動きが止まった。

 この部屋に案内してからこちらを見守るようにしていた2人のうち子供の霊が、彼女の裾をつかんで引き留めるような動きを見せたからだ。

  

 

「……あ、すみません。これは簡単に触れちゃいけないものなんですね」

  

 

 子供の霊の反応から、プルモナリアは機敏に腕を引く。そしてすぐさま謝罪した。

  

 故人となり持ち主を失ったからとて、その遺品にみだりに触れたり雑に扱ってはならない。葬儀屋として当然の心得だ。

 プルモナリアの謝罪を受け入れたように、子供の霊はすっと彼女から離れていく。

 老人の霊も気分を害したようには見えない。もっとも感情がどれほど存在しているかわからない幽霊を相手に、その様子からプルモナリアがなんとなく察しただけだが。

 

 ただ、契機になったことは確かなようだ。

 これまでいくつかの部屋を回ったものの、さらに前に進む材料を見つけられずにいたというのが現状だ。

 それが、いよいよ。閉ざされていた箱が、ゆっくりと開いていくように――

 そう感じたのは、訥々(とつとつ)と、老人の霊がプルモナリアとアンゼリカの2人に語りはじめたからだ。

  

  

  

 

 この部屋に住んでいたのは、子供の霊の姉。

 つまり、2人に話しかけている館主の娘だったという。

 そしてその娘は、プルモナリアが団長との会話の中で得た情報によれば――

  

 

「花騎士、なんですよね……?」

  

 

 家族の仲は悪いわけでないらしい。

 それでも彼女が帰省する機会が限られているのは、花騎士という職務の過酷さゆえのことだろう。そのことは、この場にいる全員が理解している。

 結局。死のまぎわに、父は娘と会えなかったという。

  

 自分たちが亡くなったことを、いつか帰省してきた娘に直接伝えたい。

 それが可能なのかはともかく、だから自分たちはその日が来るまでこの屋敷に留まっているのだ。

 

 そう、老人の霊はプルモナリアたちに告げた。

  

 

「あー。えっと……そのこと、なんですが……」

  

  

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

  

  

  

「……そっか。そんなことが……」

 

 

 ぽつりと漏らしたプルモナリアの言葉が、すべてを語り終えると同時に沈黙が舞い降りた執務室の中に、意外なほど大きく響いた。

  

 

「それじゃあ、いつまでも待ちつづけて……いくら待っていたところで、娘さんが帰ってくることはないんだね……」

  

 

 そう。

 幽霊になってまで老人と子供の2人が望んでいた願いは、永遠に果たされることはない。

  

 ――花騎士の娘もまた、少し前に亡くなっていた。

  

  

  

  

 土地購入のための申請書類をいったん脇に押しやり。

 かわって上層部から届いた資料に、あらためて目をやる。

 

 それによれば。こことは別の騎士団に所属していた彼女は、さる害虫との戦いにおいて戦死した……ということになっていた。

 資料をプルモナリアのほうへと押しやり、しばし瞑目する。

 新設されたばかりらしく、まだごく小さな騎士団だったようだが、彼女を率いていた騎士団長までもが同じ戦いで戦死しているところを見ると、かなりの激戦だったのかもしれない。

  

 だが――

  

 

「……あー。これはよくないね……」

  

 

 そうなのだ。

 資料を読みすすめるプルモナリアの表情が険しくなるのも無理はない。

  

 

「命令違反、あるいは敵前逃亡の嫌疑あり、か。これじゃ偉い人のさらに偉い人たちには悪く思われてるに違いないよね……」

  

 

 ため息をつくにも似たプルモナリアの言葉に、重々しくうなずく。

  

 他の資料をあわせて読むと、いくつかの小さな騎士団が共同して討伐にあたった戦闘での出来事だったらしい。これらの資料そのものが、その戦いで運よく生き残った花騎士たちが作成したものだ。

 となると、この資料に記述された内容が、上層部が判断する最有力の根拠ということになる。

 仮に命令違反なり敵前逃亡なりが誤解だったとしても、真っ先にその疑いを晴らしたいだろう当事者たちが戦死してしまっているのでは、第三者が(くつがえ)そうにも容易なことではないだろう。

  

 どんな理由があったにせよ、騎士団にとっては不名誉きわまりない記録ということになる。

 死亡したのなら、当然遺族にその旨をすぐに伝えるはずだ。資料を読むかぎりでは、館主が亡くなるよりも花騎士の娘が戦死した日付のほうが数日ばかり早い。

 大切な家族を失ったのだ。にもかかわらず、老人が息を引き取る前にその情報がもたらされなかったのは、上層部が判断に時間を要したためなのか、あるいは……。

  

  

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

  

  

  

(……でも、そんなこと、簡単には言えないよね……)

  

 

 こうして幽霊になってまで、娘の帰りを待っている父。

 そして同様に、姉の帰りを待っている弟。

  

 

(……あなたたちが待ちわびる人は、もう帰ってくることはありません、なんて。たとえ帰ってきたにしても、きっとそれは胸を張ってではなくて……)

  

 

 今回、プルモナリアがこの洋館を訪れた理由。それは彼らに真実を伝えることではない。

 まずは様子見。噂のとおり本当に幽霊がいるのかどうか。そして自分たちの騎士団が土地と建物の所有を検討していること。

 それを確認し、また伝えることができれば、ひとまず十分だった。そして、しっかりと果すことができた。ミッションコンプリートだ。

  

 

(……アンゼリカさん、どうしよう?)

  

(んー、そうですねぇ……。どうせいつかは伝えなくちゃいけないんだし、ここは真実を一気にズバっと!的な?)

  

(…………)

  

(……って、まー、いきなりそうするのも考えものですかね。ヘタに恨まれてこの屋敷を渡さない、とか言われたら困りますし)

 

  

 噂の幽霊とのファーストコンタクトを取ったあとの行動については、プルモナリアに一任されている。

 葬儀屋の娘という経歴と経験が買われていることは確かだろうけど、また同じくらいプルモナリア個人に対する団長の信頼もうかがえ、単純に嬉しかった。

  

 

「……わたしたちも花騎士ですから。娘さんについての情報を手に入れるのは、難しくないと思います」

 

 

 決めた。

 事実を隠し、請け負ったふりをして、やはりいったん引き下がろう。

 

 

「もう少しだけ待っていてください。次に来たとき、きっと彼女の近況をお伝えしますから」

 

 

 次の一手をどうするか、もう一度じっくりと考えるべきだ。

 チャンスが消滅したわけではない。一歩ずつ進みながら、次の機会を待てばいいのだ。

 生きてさえいれば、それができる。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 2人の花騎士を噂の幽霊と接触させてから、数日後。

 大きな支障もなく任務を果たしてくれたプルモナリアを、ふたたび執務室に呼んだ。

 

 

「ちょうどわたしからも、次の対応をどうするのか団長に聞こうと思ってたところ。なにか名案でも浮かんだ?」

 

 

 そう聞いてくるプルモナリアに、にやりと笑ってみせる。

 執務机の上には、今日も紙の束がどんと置かれている。当たり前といえば当たり前だが、前回とは内容の異なる資料や書類の山だ。

 その中の必要なものを抜き取り、彼女に手渡す。

 

 

「……偉い人も、ずいぶん思いきったことをしたね……」

 

  

 こくこくと小さくうなずきながら読みすすめていくプルモナリア。

 こちらの行動に感心してくれているのはたしかだろうけど、それ以上のものは口数の少ない彼女の表情だけではなかなか読み取れない。

 

 

「でもこれで、堂々と騎士団があの土地と屋敷を買い取ることができるね。予算も十分だ」

 

 

 そのとおり。

 さらには、ひょっとしたら……家族の帰りを待ちわびる2人の幽霊にも、いくらかは良い報告ができるかもしれない。

  

 

「偉い人がその気なら、わたしも協力するよ。わたしたちがいま知っているだけを話してさようならじゃ、おおいに寂しいもんな……」

  

 

 ――先日、貴騎士団より要求された土地の購入とそれに充てる資金の給与について、これをすべて認める。

 そのかわり自らが提示した案を遺漏(いろう)なく実行し、当該地域に残存したままになっている害虫の勢力を、騎士団から戦力を派遣して完全に撃破覆滅(ふくめつ)すること。それが唯一の条件となる――

 

 

 幽霊となった2人の家族である花騎士が戦死した先では、害虫側に新しい動きがないことを幸いに戦力の立て直しに努める一方で、ふたたび討伐を行える余裕がないらしい。

 

 それならば。我が騎士団の花騎士が、彼らに代わって討伐任務を引き受けたい。たとえ自分たちが受け持っている領域の範囲外であっても、害虫を野放しにはしておけないからだ。

 わざわざ遠くの地域にまで遠征してもらうことになる花騎士に対する手当は、当騎士団の貯蓄および騎士団長の収入から支給する。

 上層部にはただ、先日上申した外部拠点用の資金供与と保有の認可の2点のみを、早急に行ってもらいたい。

  

 

 ……プルモナリアの言うとおり、我ながら思いきったことをしたものだと思う。

 ただ、交換条件という形での提案に上層部が乗ってきたことで、一気に話は進んだ。これまで臨時予算を出し惜しみされてきたものの、これ以上気を揉む心配は完全になくなったわけだ。

 

 幽霊になってまで家族の帰郷を待ちわび、そしておそらくその身を案じてもいる。

 知ってしまったのも、きっと何かの縁だろう。こちらにとっても有益な結果に結びつくのなら、多少の骨折りはやむなしだ。

 それに問題となっている害虫を撃破することがまず第一の目的だが、実際に現地で情報を集めることで、なにか新しい発見があるかもしれない。

 

 

「あのおばけたちにまた説明することになるんだし、それなら私も参加することになるよね。これから忙しくなるな……」

 

 

 プルモナリアにしても、2人の霊のことはやはり気がかりなのだろう。やれやれといった口調ながら、雰囲気は決して乗り気でないようには見えない。

 

 幽霊屋敷そのものについて、当然ながらそれを知る花騎士は多い。

 しかしプルモナリアとアンゼリカの2人が得てきた幽霊の正体まで知る者はまずいないだろうし、ましてやその屋敷を買い取ろうと考えていることはまだ公表もしていない。

 それがようやく公表するタイミングを得た、ということだろう。

 

 

 

 ひとりの花騎士と、そして騎士団長の戦死。

 それは自分たちにとっても、決して他人事ではない。いつかの未来、我が身に降りかかってくるかもしれないのだ。

 ならばこそ。関わる機会ができたのなら、目を閉じたままにしてはおけない。

 

 

 近々開くことになる作戦発表の場で、最後はこう言って締めくくることにしよう。

 

 

 命令違反、あるいは敵前逃亡の嫌疑あり。

 その真相を、我が騎士団の手で確かめてみないか――?

  




第六章を”起承転結”で分けるとすると、「起」の部分はこれでおしまいになります。
いまだに登場している花騎士はプルモナリアとアンゼリカの2人だけですけど、いよいよ次回から少しずつ他のキャラが再登場してきますよー。

それにしても、このコンビ。いざ書きはじめてみると勝手にどんどん動いてくれて、終始楽しく書くことができました。ありがたやありがたや。
  


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6-3 出撃前夜1(イオノシジウムの憂鬱)

前回で序盤は終了。ここから中盤に入っていきます(でも今回はちょい短め)。


「ふーん。なるほどねぇ」

  

 

 ぱりぽり。

 自室のベッドの上でうつぶせになり、秘蔵のお菓子を口に運ぶ。

 さらにはふんふんふ~んと鼻歌をまじえながら、お気に入りの本のページをめくっていくイオノシジウム。

 その姿は、誰が見ても行儀がよいとは言わないだろう。

  

 気分はすっかりくつろぎモード。完全に、見事に、これ以上ないほどのだらけっぷりだ。

 ときおり、意味もなく両足をバタバタさせてみる。

  

 

「……下着、見えますよ?」

  

「なーに、グリーンベルったら。あたしのパンツに興味あるわけ?」

 

 

 グリーンベルが肩をすくめ、やれやれと首を振る。

 彼女の言うとおり、動きにつられて膝丈ほどのスカートが大きくめくれあがっているのは自分でもわかっている。

 でも、まったく気にならない。だって自分の部屋だもの。

  

 

「というかさー。あたし今日はオフなんですけどー? 任務だとか鍛錬だとか、そーゆーのを堂々とサボれる貴重な時間なんですけどー?」

  

 

 働かざること山のごとし。働いたらそこで休日終了ですよ。

 

 数少ない安息日。待ちわびていた一日だ。

 イオノシジウムでなくとも、休息のために用意された時間だからこそ、自由気ままに過ごしたいと思うものだろう。

 何をしてたって、今日ばかりはどこからも文句を言われる筋合いはないはず。そんな日のはずだ。

  

 

「出立は明後日。ということだから、なるべく早く伝えたほうがいい……そう思ったんだけど?」

  

「まー、そりゃそうだけどさー……」

  

「私だってせっかくのオフの日にこんな話をしたら、あなたがどんな顔をするかくらい簡単に想像できるわよ。短い付き合いじゃないもの」

  

 

 イオノシジウムに課せられた、新しい任務。

 それは、団長みずからが赴く遠征任務に、彼女も戦力として同行することだった。

  

 

「……で。あんたはそのあいだ何をするの、グリーンベル?」

  

「私は留守番よ。他の副団長格の何人かの花騎士と一緒にね」

  

「はあ……。そっちのほうが、いくらか楽かしら。貧乏くじを引かされちゃったかも」

  

「……いざというときは、残留メンバーを指揮しなくてはなりませんけどね。団長様やあなたが不在にしている間も、日々の活動が変わることはないのだし」

  

「そりゃ、あたしたちがいないからって、こっちの害虫までいなくなるってことはないもんね」

  

「あなたには言う必要もないことだけど、責任重大よ? おまけに団長様の裁可を仰ぐまでもない書類の整理と処理。なんなら入れ替わるよう、これから団長様に相談してみる?」

  

「……ごめん。やっぱ大人しく遠征任務に行くわ、あたし……」

  

 

 グリーンベルの反論を受けて、イオノシジウムはあっさりと白旗を揚げた。

 

 イオノシジウムたちをはじめ、多くの精鋭クラスの花騎士を擁する騎士団。

 日々の害虫との攻防では常に目覚ましい戦果を挙げ、鉄壁のごとく盤石な体制は多少のことでは揺るぎそうにない。

 

 今回の遠征および討伐任務は、その騎士団を率いる団長からの発案なのだという。

 たしかにここしばらくは出現する害虫の規模や被害も小さなものにとどまり、比較的平穏な日々がつづいている。

 おまけにその状況が短時日のうちに変化するような兆しも、特に見られない。

 だからこそ――

 所属する花騎士を分割して、管轄外の場所にまで数日ほど赴く余裕も生まれているわけだ。

  

 

「んー。でも、ちょっとだけ不思議なのよね」

  

「……何がですか?」

  

「人選が、よ。もちろん害虫討伐ってことなんだし、あたしが選ばれたっておかしくはないわよ? でも今回は、それだけじゃないんでしょ。他にも目的があるって話じゃない?」

  

 

 騎士団があらたな拠点候補地として目をつけた、城外の屋敷。その元住人。

 すでに命を失っているはずの彼らが現世に執着する、そのわだかまりについて少し調査をしたい、というのも大きな目的のひとつになっている。

 

 

「そっち方面はさー、ほんっとお手上げなのよね。あたしじゃどうすることもできないし」

 

 

 幽霊などといった不確実な存在がかかわるならば、助手なり調査員なりと期待されても困る。

 あえて言ってしまえば……自分でなくても、他にもっと適任な者がいるはずだ。

 たとえば。とある任務で先日ウィンターローズへの旅路をともにした彼女など、イオノシジウムから見ても信頼できるし最適なメンバーのひとりだろう。

 太鼓判が必要というなら、いくらでも押したっていい。押しまくって、晴れて自分はお役御免だ。

 

 しかし。イオノシジウムの表情からその考えを的確に察したグリーンベルは、小さくかぶりを振った。

  

 

「ペポさんと、それにランタナさん。あの2人なら、別の任務が入ってるわ。そちらも外せない案件みたい」

  

「あら、残念。……それにしても、なに? あんたの頭の中には、花騎士全員のスケジュールまで詰まってるわけ、グリーンベル?」

  

「そんなこともないけど……。でも、せめて一度組んだことのある人の予定くらいはね」

  

「はー、やっぱすごいわ。あたしじゃとても真似なんかできないわー」

  

 

 几帳面すぎるというかなんというか、あいかわらずよね。

 感心が半分、呆れが残りの半分。心のうちでそう思うものの、とはいえそんなグリーンベルの堅実さに、自分の管理さえおぼつかないイオノシジウムは何度も助けられていたりする。

  

 

「……ま、あれこれ考えても仕方ないわよね。とにかく、団長さんがあたしを選んでくれたのは間違いないんだし……」

  

 

 もぞもぞと、ベッドに埋もれっぱなしだった身体が少しずつ動きはじめる。

 しばらくそんなことを繰りかえしながら――ゆっくりと、イオノシジウムの身体が起き上がった。

 

 

「概要はまあ、わかったわ。昨日団長さんからの簡単な説明もあったしね。……で、具体的な作戦会議はいつ開かれるの?」

 

「今夜よ。参加する花騎士全員を集めて、食堂で開かれることになっているわ」

 

「うーわー、なによそれ。ということはなに、あたしの休みは丸一日もないってわけ?」

 

「安心して。あなただけじゃないけど、参加メンバーは全員、作戦開始まで自由行動になるそうよ。つまり明日も好きに過ごせるわけで、よかったじゃない」

 

「それ本当!? ふふーん、さすがは団長さんよね。わかってるじゃない♪」

 

 

 団長さんってば、アメとムチを使い分けるのがうまいんだからー。

 明日ものんびり過ごしてオーケーということなら、今晩の作戦会議くらいはまあ目をつぶろうじゃないの。

 

 そして……となれば、次はこちらの番だ。

 自分がすべきことといえば、言うまでもない。団長から寄せられる信頼と期待に全力で応えること。

 つまりは花騎士として、恥じることのない戦いをすることだ。

 

 

「……ずっとこうしたままってのも、ちょうど飽きてきたところなのよね」

 

 

 ベッドから降りると、スカートのしわを伸ばすように軽く叩く。

 名残り惜しいけれど、お菓子袋の封もぎゅっと紐で結んだ。

 いつまでものんびりできる無限休日編も最高には違いない。けれどもまた、少しくらい気分転換するのも悪くない。

 要はメリハリだ。だらけ方改革だ。

 

  

「いいんですか? せっかくの休日なのに」

 

「って、あんたが焚きつけたんでしょーが。ま、ちょっと訓練場で身体を動かしてくるだけだし」

 

 

 素直ではないものの、やる気を見せたイオノシジウム。そんな彼女に、しかしグリーンベルは珍しいなどとは口にしない。

 親しい友人として、普段の言動はどうあれ、ちゃんと人並みに彼女が鍛錬を重ねていることを知っているからだ。

 

 実のところ、促すまでもないのだ。

 やるべきことはしっかりと終えている。グリーンベルすら、そうと気づかぬうちに。

 それがイオノシジウムという花騎士なのだから。

 

 

「準備運動くらいはやっとかないとね。そうでしょ、グリーンベル?」

 

「ふふ、そうね。せっかくだもの、団長様にもいいところを見せないとね」

 

「な、なに言ってんの!?」

 

 

 ……思わず、声が大きくなる。

 

 まるで狙いすましたカウンターのような、グリーンベルの一言。あまりに不意打ちすぎて、つい過剰に反応してしまった。

 こんなときに見せる付き合いの長い親友(グリーンベル)の表情はきっと、イオノシジウムとカタバミ以外に知る者はいないに違いない。

 

 

「そんなの、あたしが気にするわけが……まあ、ないって言ったら嘘だっての、どーせあんたにはバレちゃうんだろうけど」

 

 

 けれど、こういう真面目一辺倒ではない彼女の性格だからこそ、イオノシジウムも心を許すことができるのだとわかっている。

 

 

「でもね。あたしが気に入ってるのは団長さんだけじゃなくて、この騎士団そのものが、なの。そこんとこ重要だからね?」

 

「ふふ、同感です。居心地のよさを感じているのは私も一緒よ、イオノシジウム。であればこそ、留守居役をしっかりと務めるつもりですし」

 

「……ま、それじゃ干されて居場所を失ったりでもしないよう、せいぜいお互いに頑張りますか」

 

「ええ。……この騎士団が、これからもずっと私たちの帰る場所であるために、ね」

 

 

 そう言って微笑むグリーンベルの肩を、イオノシジウムは軽く叩いた。

 

 この気の合う友なら、後方守備という大役を見事に果たしきってくれることだろう。

 そしてまた遠征任務は、自分が加わる以上かならず成功させてみせる。幽霊の件についても団長の人選に任せていれば問題ないだろう。

 

 憂うことは、何ひとつない。

 

 

「あたしたちの知らないとこで威張ってるらしいけど、そんな害虫たちに知ってもらわないとね」

 

「ええ。頼んだわよ、イオノシジウム」

 

 

 ともに部屋を出て、グリーンベルとは別の方向へ歩き出す。

 背中越しに届いた彼女の声に、イオノシジウムは片手を軽くあげて応えた。

 

 

「任せて。『せいぜいお山の大将にすぎない』ってこと、きっちり教えてくるわ」

  




この6-3から6-6までの4話ほどは、"出撃前夜編"といった感じでしょうか。
第一章~第五章で活躍した花騎士が再登場し、それぞれ遠征任務に旅立つ直前の様子が描かれていきます。
いよいよとなる遠征開始は6-7からの予定。どうぞ、しばしお付き合いいただければ嬉しく思います。

次回の登場花騎士はヒメシャラ。ベルゲニアもちょろっと出てきます。

また前回、はじめて設置しましたアンケート。
そちらにお答えくださった皆様、ご協力ありがとうございました(深謝)。


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6-4 出撃前夜2(アンゼリカとヒメシャラ、月夜に語る)

  

「そこな木の後ろに隠れておる者、何奴(なにやつ)じゃ!」

 

「ひいっ!?」

 

 

 驚いた。あまりに驚きすぎて、つい声まで出てしまった。

 

 別に隠れていたつもりじゃなかったんですけどね。先客がいるとは知らず、ただぶらぶら散歩しようかと思っただけなんですけどー。

 

 とはいえ沈黙に徹したところで、お互いに得になることはひとつもなさそうだ。

 かくなるわけで――

 あっさりと降参を認め、アンゼリカはおとなしく2人の前に姿を現した。

  

  

「……なんじゃ、そなたか」

  

「なんじゃって、そりゃちょっと失礼じゃないですかねー、ヒメシャラさん?」

 

「ほほほ……。すまぬ、他意あってのことではない。許せ」

  

 

 アンゼリカが頬をふくらませると、ヒメシャラは口元に手を当てつつ素直に詫びた。

 悪意を感じるどころか、そんな動作すら逆に優雅にさえ見えてしまう。それはもはや、ヒメシャラという人物がもつ天性のものなのだろう。

 

 彼女のかたわらには、ベルゲニアが黙然と控えている。

 こう言うのもなんだが、まるでワンセットのようだ。日頃から2人でいるところをよく見かけるし、仲間たちもその光景にすっかり馴染んでしまっている。

 ヒメシャラを太陽とするなら、ベルゲニアは月。あるいはそのように言えるかもしれない。ふと、アンゼリカはそんなことを思ってしまった。

  

  

「食堂におらんでもよいのか。プルモナリアらはまだ残っているのであろう?」

 

「そう言うヒメシャラさんたちだって、こっちに抜け出してきてるくせにー」

 

 

 幽霊屋敷と噂される物件を手に入れ、騎士団の拠点のひとつとして活用したい。ついては上層部と交渉の結果、交換条件として当騎士団の管轄範囲外での害虫討伐を請け負うことになった。

 作戦の開始は、明後日からとなる――

  

 夕食の時間が終わると、食堂では予定される遠征任務について参加メンバー全員が集められ、その目的や意義についての最終説明が行われた。

 さらにこれから、作戦行動についての具体的な討議がはじまる。ただ、その前にひと休憩入れてから話し合いに移ろう、というところだった。

  

 食堂や団長の執務室、また花騎士の自室などがある建物の中央部に設けられた、ほどほどの広さの中庭。

 すでに夜闇があたりを支配する刻限ということで、すっかり人の気配は消え失せているものの――今。

 その一角にある(あずまや)に、アンゼリカたち3人の姿はあった。

  

 

「わらわたちは……のう。イオノシジウムに万事任せたでな。あやつがむこうにおれば、何も心配なぞ要らぬわ」

 

「はあ、イオノジジウムさんですか。っていうか、え~と……」

 

「だらけるのが得意で、真面目に打ちこむ姿をまるで見ない。そう言いたいのだろう?」

 

「お、おおお思ってませんってそんなこと! べ、別にイオノシジウムさんと深い付き合いがあるわけじゃないですしっ!」

 

「ふふ……人の本質など、えてして常とは異なろう。複雑怪奇、ゆえに面白いとは思わぬか?」

 

 

 言いながら、愉快そうに笑うヒメシャラ。

 彼女の言葉の意味はわからないでもない。つまりは金運と縁がなさそうに見える人物が、ギャンブルでは意外な強運を発揮して周囲を驚嘆させる場合もありえる、という話だろう。

 となると。ヒメシャラもイオノシジウムも普段の仲はいざ知らず、花騎士としてはお互いに理解しあっている、ということなのだろうか。

 

 そんな関係が、ほんの少しだけ――

 

 

「いやいや、別にうらやましくなんてこれっぽっちもないですよ! 友情じゃ1マニーも稼げないですし、お腹だってふくれないですしね!」

 

「……何をひとりで勝手に盛り上がっておる?」

  

「あー……いやいや。っていうか、そんなことよりもですよ! ヒメシャラさんたちこそ、こんなところで何やってるんです?」

  

「見てわからぬか? 茶を飲み、ベルとともに月を眺めておる。それだけのことじゃ」 

 

 

 あっさりとそう言ってのけるヒメシャラの前のテーブルには、たしかに茶会にふさわしい食器の数々が並べられている。

 全部ではないにしても、食器の上に盛りつけられた菓子類のラインナップもなかなか豪勢だ。なかにはこれまで見たことのないものまであったりする。

 食後のデザートにしてはゼイタクすぎやしません?と、余計なお世話だとは承知しつつも、つい言葉が飛び出してしまいそうになる。それをギリギリ寸前で、どうにかアンゼリカはこらえた。

 とはいえこれだけ堂々とされていると、ひとたびストップをかけたところで、やはりどうしても口調が皮肉っぽくなってしまう。

  

 

「月見ですか。はあ、そうですかー」

  

「……何か面妖なことでもあるか?」

 

「いやー。別におかしいとか、そういうつもりはないんですけどね。でも、他にやることがあるんじゃないかなー、的な?」

 

「ほう。そなたは月を愛でるのが無駄なことじゃと、そう申すのだな?」

 

「まー、ぶっちゃけそうですね。心が豊かになるなんていいますけど、それよりも懐を豊かにするべきですよ。月を眺めてお金稼げます? 大富豪さんと友達になれます?」

 

 

 大金持ちにしてくれるというなら、穴が開くまで眺めよう。月でもなんでも、もう許してと泣きながら降参するまでいくらでも眺めつづけよう。

 けれど対価が得られないのなら、その行為になんの意味があるのだろうとアンゼリカは思う。

 何かをいただくからこそ、何かを差し出す。そういうものだろう。骨折り損のくたびれ儲けはノーサンキューだ。断じてダメそれ絶対。

 

 

「……まあよかろう、出撃前夜じゃ。互いの嗜好を論争など、それこそ月を前に無粋であろうしな」

 

 

 いくらかの間をおいて、肩の力を抜くような声音でヒメシャラが言った。

 彼女と同じように何か言いかけようとしたベルゲニアも、それを見て思いとどまったように口をつぐむ。息の合ったその動きは、さすがというほかない。

 

 

「して、月見でないのなら。そなたは何用があって、このようなところを彷徨して(うろついて)おるのじゃ、アンゼリカ?」

 

「私ですか? あー……えっと、それはですねー……」

 

 

 ここで人差し指を頬に当て、にこっとスマイル。

 

 

「いやー。またとないチャンス到来、といいますか。やっぱアレですね、地道に生きてれば、機会ってちゃんとめぐってくるものなんですね~」

  

「ふむ……?」

 

「まさか団長さんが、あの幽霊屋敷を買い取ろうとしてたなんて! これってやっぱり、別宅じゃないですか別宅!」

 

「なにを言っておる。騎士団の拠点として用いるという話だったではないか。となるといずれ、それに合わせて改築も……」

 

 

 ノンノン。まるで砂糖水に一ヶ月漬けたマニュのように甘いですねーヒメシャラさんってば。

 

 

「たとえ改築して『あれれ? 普通に住むには逆に不便だなー』とかになっても、最後にまた新しく建て替えればいいんです。まずは老後……いやいや引退後に備えて、ブツをゲットすることから。その第一歩がまさにこれ、的な?」

  

 

 正直に言って団長のことを見くびっていた。おおいに反省しないといけない。

 まさかもう、さして無理もなく物件を買えるほどのリッチメンにおなりあそばしていたとは。騎士団長の年収はんぱねー。

 この調子なら現役を退くころともなれば、どれほどの財をなしているのだろうか。震えが止まらない。

 その後の余生がガチで安泰なのは、もはや確定的に明らかだ。とすればもう、これは人生の大波といっても過言ではない。待望のビッグウェーブだ。

 

 

「まー、別荘に関してはですね。今すぐじゃなくていいんです。私、待てる女っすから!」

 

 

 ただ、みすみす見逃すという手だけはありえない。

 おいしいチャンスには積極的に乗っかる。これがアンゼリカ流だ。

 

 

「つまりぃ、今のうちにしっかりと団長さんを私の魅力で……んふっふっふー♪」

  

 

 夢を叶えるのは坂道を上ることと同じ、などと誰かが言ったらしい。

 とすれば夢が大きくジャンボなほど、その傾斜はきっと険しく厳しいものに設定されているはず。そう考えるべきだ。

 恐縮して縮こまっていては、とてもそんな坂道を上りきることなどできやしない。だからこそ、アンゼリカは堂々と胸を張った。

  

 

「もしも、もしもですよー。団長さんと私が結婚しちゃったらですね……。

 なーんと! この拠点の女主人になれるばかりでなく、別荘予定地まで持てちゃうことになるっぽいじゃないですかー♪」

 

 

 そして2人で寿引退してがっぽりと退職金をもらって、そのお金で別荘を豪邸に大改装。

 家事など面倒なことは雇い入れたメイドさんにすべて任せて、自身は念願の優雅でセレブな毎日を……。

 

 ――なーんて考えてたら、ワクワクが止まらなくなってきちゃってですね。興奮を少し冷やそうと、こうして宵の散歩に……的な?

  

 

「……あいかわらず下衆(ゲス)いことを考えておるの」

 

「な、なんですとー!?」

 

 

 心外だ。アイデンティティの侵害だ。

 さんざん命を懸けてきた花騎士人生なのだ。退役するときは、もらえるものをもらって当然だろう。

 そのうえでゴージャスな余生を望んで何が悪いというのだろうか。

 

 団長は、この上ない打ち出の小槌(はくばのおうじさま)であることは疑いようがない。

 だがしかし、世はすでに花騎士戦国時代。数えきれないほどの同僚(ライバル)たちが団長の隣というポジションを虎視眈々と狙っているのだ。うかうかしてなどいられない。

 

 

「ていうか、ヒメシャラさんは興味ないんですか、団長さんのこと。もったいないな~。まー、私にとっては競争相手が減るわけですし、そっちのほうが好都合なんですけどね」

 

「ふ、ふん。わらわのこの美貌になびかぬ殿方などおらぬわ。いかな団長とて、いずれは……」

 

「ほうほうほう。ヒメシャラさんだって、ばっちり乙女じゃないですかー。秘めた恋心、的な?」

 

 

 ……あれ。でもこれ、単純に喜んでいい話でもないんじゃ……?

 首をかしげて、ちょっと思考する。ぶるり。なぜだか急に背中に悪寒が走った。

 

 

「……しかし、戦いの前に夢を語る、か。ずいぶんと余裕のある話じゃ」

 

「それはのんびりお茶飲んでるヒメシャラさんだって、お互い様ですしねぇ。

 ま、でも、案外なんとかなるんじゃないですかー?」

 

 

 けろりとした顔で、まるで他人事のように語るアンゼリカ。たしかにそこからは、緊張感といったものを読み取ることはできない。

 そんな彼女を眺め、ふふふと不敵な笑みを返すヒメシャラ。こちらもまた、アンゼリカに勝るとも劣らないほどのリラックスぶりだ。

 

 

「そなたの言うとおりじゃ。もとより慢心しておるつもりもないが、戦いを前に怖じ気づくなど、わらわらしくもないしの」

  

 

 アンゼリカの記憶にあるかぎり、弱気になったヒメシャラの姿など一度も見たことがない。

 ときに不遜にすら思えるほど、確固たる自信が全身に満ちている。それが彼女という存在だろう。

 

 そんなヒメシャラは――今。月を眺めながら、何を思っていたのだろう。

 かたわらのベルゲニアもまた、ずっと沈黙したまま一言もしゃべらない。

 

 

「……そーいやベルゲニアさん、遠征メンバーに入ってませんよね? もー、団長さんったらうっかりさんなんだからー」

 

「団長殿の判断であれば、やむをえません。それにヒメ様も私も、すでに納得していますから」

 

「……一緒じゃなくても、お2人はいいんです?」

 

「……変わらぬな」

 

「はい……?」

 

「月はいつ見ても、変わらぬ。ずっとあるがままじゃ」

 

「えっと、それ本気で言ってます、ヒメシャラさん? むっちゃ変化するじゃないですか、月って」

 

 

 何が楽しいのか、周期的に同じことを繰り返しているのが月という存在だ。

 それでマニーを稼いでるわけでもないのに、律儀なことだとアンゼリカは思う。ボランティア的なものなのだろうか。

 

 

「そなたが言っておるのは満ち欠けの話であろう? そうではない、もっと深い……本質的なところじゃ」

 

「本質的、ですかあ? うーん……」

 

 

 ちょっとヒメシャラさんが何言ってるかわからない。

 

 肩をすくめ、アンゼリカは大きく首を左右に振った。だが、ヒメシャラはそんな様子をまるで気にするふうでもなく。

 ただ月を見上げながら、まるですっかり感じ入ったような表情とともに、彼女は言葉をつづけた。

 

 

「欠け、満ち。そしてまた欠け、再び満ちる。繰りかえしじゃ。そのサイクルはいつまでも変わらぬ」

 

「はあ。そーですねぇ……」

 

「わらわはまたここに戻ってくる。そなたもじゃ、アンゼリカ。

 さすればの、わらわとベルの日々ももとに戻る。なにも変わらぬよ」

 

「おっしゃる通りです、ヒメ様」

 

 

 なるほど。ヒメシャラの言っていることが、ようやくわかった気がする。

 情緒的、とでもいうのだろうか。アンゼリカにはなかなかできない考え方だ。

 

 

「そうですかあ?」

 

「……なに?」

 

 

 そんな彼女の考えを、まるごと否定する気はない。ただ、それでも――

 

 

「……いやまー、変わらないことも大事っちゃ大事かもしれないですけど。でもそれだけじゃ、ちょっと……ねえ?」

  

 

 うなずけるようで、どこかうなずけない。

 

 皆それぞれ、何かのきっかけなり転機なりがあったからこそ花騎士となって。

 守るべきものを見つけて。新しい友情をはぐくんで。そして、誰かを好きになったり愛するようになって。

 同じように見えていても、実は繰り返しではない。学習や体験、経験は時間とともに積み重なり、それを糧として本人すら気づかぬうちに変化していく。心や感情といったものも、また同様だ。

 むしろ、だからこそ。変化していくことを定められたのが人間という存在であるからこそ、反対にいつまでも変わらないものに何らかの意味を見出そうとするのかもしれない。

 ヒメシャラにしても、過去と今とできっと、同じ月見でも胸のうちに抱く想いは異なっているはずだ。それはひょっとしたら、団長との出会いが彼女をそうさせたのかもしれず……。

 

 そう。

 変わらないものは、なにひとつない。

 そして、変わっていくからこそ――延々と続いている害虫との戦いも、少しずつ明るい光が見えはじめているのではないだろうか。

 

 

「ふむ……」

 

「月のことは置いといてですね。私から見たら、ちゃーんと。ヒメシャラさんも変化してると思うんですけどねー。あ、もちろんベルゲニアさんもですけど」

 

 

 迷わずにそう言いきって。そこでようやく、アンゼリカはひと呼吸を置いた。

 こんなことを誰かに語るなんて、今までにあっただろうか。仮にはじめてではなかったにしても、えらく珍しいことをしてしまったという気分だ。

 

 

「って、えーと……そうそう! アンゼリカご意見箱の投書にですね、あったんですよそういうのが!」

 

「そうかそうか。ご意見箱に、のう」

 

 

 ……なんだか柄にもなく真面目ぶったことが、急に恥ずかしくなってきたー!

  

 普段の言動からは読みとれない一面を見せたかと思えば、まるで一瞬の気の迷いだったかのようにあたふたと慌てはじめるアンゼリカ。そんな彼女を、ヒメシャラはからかうような表情とともに見つめた。

 ただ同時に、その瞳の奥には軽い驚きと称賛の念がある。

 

 

「紅茶を飲んでいけ。ベルに用意させるゆえにな」

 

「……はい?」

 

「もう少しそなたと話したくなった。付きおうてくれるだろう?」

 

「どうぞ、アンゼリカさん。ヒメ様の向かいの席へ」

 

「え、ええと……?」

 

 

 ベルゲニアの誘導にしたがい椅子に腰を落ち着けたあとも、しばらくアンゼリカはぽかんと面食らったままだった。

 

 そのまま、夜空を見上げる。

 ――月が綺麗だった。

 

 

「そなたもあとで、イオノシジウムから話し合いの内容を聞くがいい。ふふ……いまだ誰も迎えに来ないところを見ると、団長たちもわかっておるのだろう」

 

「会議に出たうえに、なんで説明まで……とか、イオノシジウムさんにむちゃくちゃ嫌がられるようにしか思えないんですけど?」

 

「そうじゃのう。わらわもそれには同意じゃ」

 

 

 そう言って、ヒメシャラは愉快そうに笑った。

 ベルゲニアもまた、口元を軽くほころばせている。

 

 ――たまにはこういう夜も、悪くないかもしれない。

 

 

 

 

「……まー。それじゃさっそく、このアンゼリカさんみずから、自分の言葉を証明してみせちゃいましょうかねー」

 

「……ほう?」

 

「お月見も、まーたまには風流でいいんじゃないかな的な? そう意見を変えてみようかと。なんてったって『乙、気味』ですしね!」

 

「…………」

 

「うわーん、やっぱりポーチュラカさんのマネなんてするんじゃなかったー!」

  




アンゼリカは(その気になれば)できる子! すっごくできる子(その気になりさえすれば)!
通常verのデートイベでの彼女が、もうとんでもなくかわいいんですよ……!

それはさておき。
今回登場したヒメシャラとベルゲニアを含め、再登場を果たした花騎士はこれで4名(グリーンベルとベルゲニアは遠征任務には同行しませんが)となりました。
出撃前夜編は4つのお話で構成しているのですが、はたしてこのペースで予定している再登場キャラ全員を出すことができるのか……!

というわけで、次回は一気にどどーん!と、たくさんの花騎士が登場するお話になります。
その数4名。なんだか4という数字が続いてますが、単なる偶然です。4+4で、つごう8名となるわけですね。
最終的には再登場キャラは10名を予定しています。
  


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6-5 出撃前夜3(交流―キンギョソウ、プルモナリア、イフェイオン、スノードロップ、カルミア)

 ドクロはかわいい。

 ただかわいいだけじゃない。そのうえかっこいい。

 かっこかわいい。つまりは最強のタッグ。これ以上のものがこの世にあるはずない。

  

 そう固く信じて疑わないキンギョソウにとっては、まさしく。

 この瞬間こそが、千載一遇のチャンス――のように思えた。

 

 

「ねえねえ、プルモナリアさん」

 

 

 いま必要なのは、勇気。怖れずに前に踏み出す、一歩めの勇気だ。

 

 来たる討伐任務にむけての説明とミーティングが終わり、そのまま食堂を出ようとしていたプルモナリアを呼び止めたキンギョソウ。

 すると彼女は無言のまま、ただこちらを振り返った。

 

 

「プルモナリアさんってさ、実家が葬儀屋さんなんでしょ?」

 

「……うん、そう」

  

 

 こくり。

  

 一度だけ首を縦に振ると、あとはキンギョソウをじっと見つめてくる。

 なんというか、質問する前もその後も、驚くほどの落ち着きっぷりだ。

 

 

「……ごめんね。ひょっとして、あまり触れてほしくなかったりする?」

 

「ううん。そんなことない……」

 

 

 よかった。

 話の途中にもかかわらず、急に態度を変えられてしまうのはもはや慣れっこ。それでも、第一声からマイナスイメージを持たれてしまうのはさすがに避けたい。

 

 ともに討伐任務にあたるのは、実は今回が初めてのことだったりする。

 とはいえキンギョソウにとって、プルモナリアは以前からひそかに関心を寄せていた花騎士のひとりだった。勝手だとわかってはいるものの、なんとなく彼女にはシンパシーというか、親近感のようなものを抱かずにはいられないのだ。

 それとなく聞き出してみたつもりだが、家業についても不本意めいた印象はあまり持っていないように感じる。

 

 これは……今度こそ、いける!

 仲を深めるには、またとない絶好の機会だろう。

 

 

「じゃあさじゃあさ、ドクロってどう思う?」

 

「……?」

 

「すっごくかわいくない? かわいいよね、ね?」

 

「別に、かわいいと思ったことはないけど……」

 

「……ですよねー」

 

 

 ちーん。

 

 終わった……。

 

 

 葬儀屋という家業から察するところ、そういったものに触れる機会は自然と多いはず。

 ゆえに彼女なりに愛着のような感情があったらいいな、いやいやあるんじゃないだろうか、いやいやいやいやあるはずに違いない!と、そう大きく期待したものの。

 どうやらキンギョソウの勝手な思いこみで、他の花騎士たちの反応とさほど変わるところはないようだった。

 

  

 しかし――

 

 

(だからといって、今日の私はひとあじ違うよ。だってチャンスであることは変わりないんだし、うん!)

 

 

 やっぱりどう考えても、葬儀屋が家業というのはドクロマニアたらんとするには大きなアドバンテージとしか思えない。

 なにしろ好きになるきっかけはいくらでも、そこらじゅうに転がっているのだ。実家の仕事がイヤでたまらないというのなら諦めもつくけれど、そうでないなら可能性はゼロじゃない。

 ここで引き下がっては、またいつもの繰り返しだ。どんなに待っても、同好の士はついに現れないまま終わってしまうだろう。

 

 

「聞いたことがあるんだ。こんなときの私に送る、励ましの言葉。なせば大抵なんとかなる!……って」

 

「……?」

 

「あ、ごめんね。つい心の声が漏れちゃったみたい。んでね……」

 

「……わたしも聞いたことがあるよ。キンギョソウさんって、ドクログッズをたくさん集めてるんでしょ?」

 

「う、うん……?」

 

 

 あれ?

  

 こちらからではなく、プルモナリアのほうから話をつなげてきたことに、思わず面食らってしまったキンギョソウ。

 なんだろう。これまでとは違う、はじめての展開だ。

 当のプルモナリアはといえば、そんなキンギョソウの戸惑いに気づいたのか、それとも気づいてないのか。淡々とした調子はあいかわらずのまま、話をつづけてくる。

 

 

「あまりそういうのに詳しくはないけど……この前、街のお店で売ってるのを見たよ」

 

「え、本当っ!? どんなやつだった? かわいかった? 新商品の札とかついてた!?」

 

「ちょ、キンギョソウさん落ち着いて……!」

 

 

 ぐいぐいぐい。

 ドクロ話に食いついてもらおうとするつもりが、逆に自分が食いついてしまった。

 これ以上ないほどがっつりと。もはや完全に一本釣り(釣られ)状態だ。

 でもこればっかりは大目に見てほしい。餌が魅力的すぎるのがいけないのだ。

 

 

「明後日から任務開始だよね。だったらさっそく、明日行ってみなくちゃ! プルモナリアさん、そのお店の場所を教えて……」

 

「それなら、一緒に行く?」

 

「……え、いいの?」

 

「うん。さっき偉い人が任務前だから明日はみんな休みって言ってたよね。わたしも特にやることはないし」

 

「うわ~、ありがとう~! 私ね、いつか誰かと一緒にドクログッズ買いに行きたいって、ずっとずーっと思ってたんだ~!」

 

「別に大したことじゃないよ。キンギョソウさんだって、いつかは棺桶に入ることになるんだし。顧客とのつながりは葬儀屋にとっても大事なものだからね。

 ……冗談だよ?」

 

 

 ――だが、今回は様子が違った。

 いつもならすかさず眉をひそめられるような、プルモナリアの冗談にも。まるでなんでもない話であるかのように、キンギョソウの満面の笑みは少しも崩れない。

 

 

「……ごめん。悪く思わなかった……?」

 

「ふぇ、何が……?」

 

 

 念のために確認してみるも、本当にキンギョソウはまったく気にしていないようにしか見えない。

 それどころか――さすがにこの返答は、プルモナリアにとっても意外だった。

 

 

「そりゃ、私だって自分が死んじゃうのはイヤだよ? 嫌だけど……やっぱりお葬式ってドクロと近いところがあるよね? だから、こう、ワクワクもしてくるっていうか……!」

 

「……やっぱり、キンギョソウさんって変わってるよね」

 

「え~、そうかな~? 別にそんなにおかしくはないと思うんだけど……」

 

「大丈夫。変わってるのはキンギョソウさんだけじゃないから。……ふふふ、変わり者同士だ♪」

 

 

 ちょっぴり不服そうに、首をかしげるキンギョソウ。

 そんな彼女に、プルモナリアは普段あまり見せることのない笑顔をむけた。

 

 気が合うのか、それともただの気のせいなのか。

 どこか不思議で、そしてどこか納得なコンビが爆誕(?)した瞬間……なのかもしれない。ひょっとしたら。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「はあ……」

 

 

 完全に予定外の外出から、やっと拠点へと戻ってきた。よろよろとした足取りで、そのまま自分の部屋へと向かう。

 まるで慣れない仕事に神経をすり減らしたあとのように。途中の廊下を歩きながら、イフェイオンは盛大なため息をひとつ吐き出した。

 

 ――まったく、さんざんな目に遭った。

 

 昼食の時間がそろそろ終わろうとしている。

 訓練場へと足早に向かおうとしている花騎士を見かけたし、反対にこれといった予定がないのか、のんびりとくつろぐ花騎士の姿も見つけることができた。

 

 翌日には遠征任務が控えているという理由で、参加メンバーのひとりであるイフェイオンも今日は特に任務を与えられていない。せいぜい自主的に鍛錬に励むくらいだ。

 なのにせっかくの休日にも、心は少しも晴れなかった。今もまた、ようやく半日が終わった、という気分でしかない。

 没頭するような趣味や有意義な時間の潰しかたを、これまで知らないまま生きてきた。だからこそ、何をすべきかわからないまま持て余してしまうのだ。

 団長から任務や命令を与えられれば、ただそのことのみを考え、全力で集中すればいい。そうしていたほうが、かえって気が楽だ。

 

 

「スノーちゃん、発見したデス!」

 

「あ、ほんとだ。おーい、イフェイオンさーん!」

 

 

 その声に、イフェイオンの足が止まった。

 

 振り返ると、2人の花騎士がこちらへと駆け寄ってくるのが見えた。

 カルミアとスノードロップ。明日からの遠征任務で行動をともにする相手だ。

 

 最近、この2人が一緒にいるところをちょくちょく見かけるようになった気がする。

 そういえば少し前に、とある任務で同じチームになったようだ。ひょっとしたらそのとき、親睦を深めたのかもしれない。

 

 

「ごめんなさい、急に呼び止めて。いま、時間あります?」

 

「大丈夫だよ、特にすることもなかったから。……それで、何?」

 

 

 軽く息を整えながら話しかけてくるスノードロップに、やや素っ気ない口ぶりでイフェイオンは訊ねる。

 が、我先にとばかり声を上げたのは、返答を期待した相手ではなく。その隣にいるカルミアだった。

 

 

「……それ、なんデス?」

 

 

 カルミアが指差す先。

 彼女につづいてそれを発見したスノードロップも、同じように興味深げな表情になった。

 

 

「……ああ、これ……」

 

 

 まるで珍しいものを見た、とでもいった気分なのだろう。2人のリアクションも無理はない。

 皮肉ぎみにそう思いながら、イフェイオンはそのブローチを軽く指でつまんだ。

 胸元にピンで留める、さほど目立たない小さなブローチだ。

 

 

「……さっき、キンギョソウさんとプルモナリアさんがどこかへ行こうとしているところに、たまたま通りがかって――」

 

 

 プルモナリアはともかく、明らかにテンションのおかしかったキンギョソウ。

 そして、ご機嫌なキンギョソウからは引きずられるように、プルモナリアからは引きこまれるように。

 2人よりは3人でとか、これも仲良くなるチャンスだからなどと、あれやこれやと強引に詰め寄られて。手持ち無沙汰のイフェイオンまでも、キンギョソウのショッピングに付き合わされたのだった。

 

 

「で、それを買ったデス?」

 

「せ、せっかく一緒に出かけたんだし。何も買わないのもキンギョソウさんに悪いかと思って……」

 

 

 ブローチの表面の下半分に、小さくドクロが描かれている。

 キンギョソウがこよなく愛するドクログッズに興味が湧くことはなかったけれど。まあ、このブローチ程度ならつけていても気にならないだろう。

 

 

「……ふふ」

 

「……なんですか、スノードロップさん?」

 

「あ、いえ。なんだか、その、嬉しくなっちゃって……」

 

 

 今の会話にスノードロップが嬉しがるような要素などあっただろうか。

 内心で首をひねって思案するも、イフェイオンには思いつかない。

 

 

「わたしも、うまく言えないんですけど……みんなが仲良くしているのって、やっぱりいいなあって」

 

「カルミアもそれ、わかるデス! みーんなとたくさんハグして、いっぱいいっぱいハグするほど嬉しくなっちゃうデス♪」

 

 

 にこやかに話すスノードロップに、その場でぴょこぴょこと跳ねて同意を示すカルミア。

 無邪気というか、素直すぎるというか。ほとんどお子様と変わらない。

 

 昔の自分のままだったら、スノードロップもカルミアもおそらく――人生で深く交わることなど決してなかったであろう性格の相手、のように思う。

 それが今、イフェイオンが身に着けた装飾品をきっかけに、ごく普通に会話している。そんなことを考えると、ふと、どこかくすぐったいような感覚が襲ってくる。

 不思議と悪い気分ではない。

 

 

「ごめんなさい。勝手なことを言って」

 

「ううん、それはぜんぜん構わない。けど……」

 

「……けど?」

 

「その……わたし、あんまりこういうの、慣れてないから……」

 

 

 ただひとりの人物を除いて、以前ならば他人のことなど、まったく興味も関心も示すことがなかったイフェイオン。

 それが利用すべき相手ならば、本心を隠していくらでも調査し、情報を仕入れながら付き合うことはできる。しかし逆に関わりがなければ、こちらから介入したり歩み寄るなど無駄という以外に意味を見出すことができない。

 

 イフェイオンが体験した過去の悲劇的な出来事を知る花騎士は、おそらくまだ少ない。

 けれど彼女がこの騎士団へやって来てからどのように過ごしたかは、今では多くの花騎士が知るところだろう。

 それなのに、誰ひとりとして、自分に対する見方が変わったと感じられる者はいなかった。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 幽霊――

  

 スノードロップも、いくつかの怪談話を知っている。書物で知ったものもあり、同僚(なかま)の花騎士から聞いた話でもあったり。

 中にはその手の話題を苦手として避けようとする花騎士もいるものの、存在そのものを否定するような者はおそらくいないのではないだろうか。そんなように思う。

 害虫との戦いは、死と隣り合わせだ。今日の死者は明日の我が身であるかもしれないからこそ、幽霊という存在は花騎士個々で温度差があるものの、比較的身近にありふれたものとして認められているのかもしれない。

  

 

(花騎士になった娘を持ち、その帰りを待ちわびるお父さん……)

 

 

 普段とは毛色の異なる、遠征という形での新しい任務の詳細説明を受けたのち。他のメンバーたちが次々と食堂を後にしてからもスノードロップはしばらくそこに留まり、思案を重ねていた。

 彼女にも、思い当たる節があった。他ならぬ自分自身だ。

 

 スノードロップの両親は、本当の親ではない。産みの母親とは死別し、さらには捨て子となった彼女を、代わりに幼少時からずっと育ててくれたのだ。

 だからスノードロップにとっては、血のつながった親については、これといった思い入れがなかった。今どうしているのかも、知る手がかりさえない。

 深い慈愛をもってここまで養育してくれた現在の両親こそ、本物の親だと心から感謝している。花騎士としてそのもとから巣立った今もなお、彼らはスノードロップのことを心配し、気にかけてくれているはずだ。

 

 どんな思いで、幽霊になった父は花騎士として旅立つ娘を見送ったのだろう。

 そしてまた、どんな思いで娘の帰りを待っているのだろう。

  

 また、手紙を書こう。お父さん、お母さんと、そのように書くのはやっぱり少し気恥ずかしいけど、前にそうしたときはすごく喜んでくれたという。

 だったら、いつか。

 ……いつの日にか、勇気を出して。直接、2人をそう呼んであげよう。

 

 

「……ちゃん」

 

「…………」

 

「スノーちゃん……?」

 

「……わわっ!?」

 

 

 遠くから。そして次はすぐそばで。自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 

 物思いに沈んでいたスノードロップの意識が、闇の中で光を見つけたかのように覚醒する。

 最初は霞みがかった視界で、ただぼんやりと。それが次第に形を整え、焦点が合った瞬間に彼女の目の前にあったのは……鼻先が触れ合うほどの距離でこちらを覗きこんでいた、カルミアの不安げな顔だった。

 いきなりだったので、つい驚いて声が出てしまった。

 

 ここ最近、カルミアとはずいぶん打ち解けるようになったと思う。

 故郷に何人もいるという姉に対するように素直に甘えてくるカルミアに、スノードロップもつい自分がお姉さんになったような気分になってしまう。もし妹がいたらこんな感じなのだろうか。

 

 

「……ごめんね。ちょっとぼーっとしちゃってたみたい」

 

「なんでもないなら、カルミアも安心♪ でもスノーちゃんが気になることがあれば、カルミアになんでも話してほしいデス……」

  

 

 うん、何かあったらそうするねと、カルミアの不安を打ち消すように笑顔を作ってみせる。実際、カルミアが不安がるようなことは何もないのだ。

 彼女がスノードロップのことを「スノーちゃん」と呼ぶのも、もうすっかり慣れた。こちらからは特にあだ名で呼ぶことはないものの、「カルミアさん」から「カルミアちゃん」へと進化し、ぐっと距離は縮まっている。

 

 ミーティングが終了しても席を立とうとしないスノードロップに気づき、自分もそのまま待っていてくれたのだろう。

 つい先ほどまでの気配がまだ残っているから、それほど長く待たせてはいないはずだ。そう確認したあと、スノードロップは軽く息をついた。

 

 

「んへへー……♪」

 

「……なに、どうしたの?」

 

「カルミア、だんちゃんに頭を撫でてもらったデス。そしてお願いされたのデス! スノーちゃんのこと、よろしく頼むって」

 

「え……!?」

 

「だからカルミア、こうして待ってたデス。だんちゃんの頼みなら、いくらでも待てるデース♪」

 

 

 かわいらしいドヤ顔とともに、えへんと胸を張るカルミア。それに対して、スノードロップは自分の耳がかあっと熱くなるのを感じた。

 

 

(見られちゃった、よね……?)

 

 

 物思いにふける自分の姿を見て、団長さんにどう思われただろうか。

 つい油断して、恥ずかしい姿を見せたりなんかしていなかっただろうか。

 

 

(べ、別におかしなことを考えていたわけじゃないし、大丈夫だよね!? うん、きっと大丈夫、大丈夫……)

 

 

 自分に言い聞かせて、なんとか心を落ち着けるべく深呼吸をする。

 とはいえ団長さんのことだから、そんな無防備な姿もかわいかったよとか、なんでもない表情でさらりと言ってきそうな――

 そんなことを想像すると、ふたたび顔の表面温度が上昇していくような気がするスノードロップだった。

 

 ……しばらくの間、乙女心と羞恥心、さらにはいくらかの自己嫌悪の三つ巴の争いが胸中で繰り広げられたものの。やがて三者が生み出す動揺の波が少しずつ収まっていくと、かわって現れたのは団長の深い心配りに対する感謝の念だった。

 おそらく団長はスノードロップが自身の両親と、亡くなったあとまで娘を想う幽霊の親とを重ね合わせてしまったことに気づいたのだろう。そして、そんな彼女の気持ちを声をかけることで破ってしまうのは無粋だと、そう考えてカルミアに任せたに違いなかった。

 花騎士の一人ひとりに、団長が惜しみなく注ぐ愛情。それが感じられるからこそ害虫との果てのない戦いの日々にも耐え、なおかつ騎士団が我が家のような心地よさにいつも包まれているのだと思う。

 

 できることなら。スノードロップはそんな団長を手伝い、力になりたい。

 少しでも、春の木漏れ日のような居心地を騎士団のみんなが感じられるように。たとえ困難や辛苦に見舞われようとも、常に光を見出すことができるように。

 

 

「……そうだ!」

 

「ふゅ? スノーちゃん、何か楽しいことを思いついたデス?」

 

「えへへ……うん、そうだね。とっても楽しいことだと思うよ♪」

 

 

 実は、スノードロップにはひとり、気になっている花騎士がいる。

 その彼女にはもう、両親はいない。害虫によって殺されてしまったのだ。

 それから彼女は両親の死の原因となった騎士団長を探し求め、それまで仇と思い定めていた人間が真の相手とは別人ということを知り。自らに対する罰とばかりに、周囲から与えられるぬくもりを受け取りかねている。

 

 けれど、スノードロップはこれだけは知っている。

 真心がこめられた人のあたたかさは、必ず。いつか必ず、どんなに冷えきった心にも届くということを。

 ひとりぼっちだった自分を、そして今は他の誰かを、必ず救ってくれるということを。

 

 

「だからね。カルミアちゃんにも協力してほしいな、と思うんだけど……」

 

「よくわからないけど、カルミアにお任せ! スノーちゃんがやりたいことなら、お手伝いするデース!」

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「……決起集会?」

 

 

 はい、そうですと、目の前のスノードロップがにこやかにうなずく。

 

 

「遠征しての討伐任務なんて、そうあることじゃないですし。その前にみなさんと、ええと……無事に帰ってこられるよう、前祝いでもしておきたいなー、って」

 

「…………」

 

 

 もともと人見知りとは縁がなく、誰とでも公平かつ穏やかに接している……というのが、スノードロップに対してイフェイオンが抱いている印象だ。自分のようにひねくれもせず、同じ花騎士でもそのまっすぐな性格には、ときに眩しくて直視できなくなるくらいだ。

 とはいえ、それにしても。前祝いの集会など、少し楽観的すぎてはいないだろうか。

 いささか彼女らしくない、という気がした。このような発想をするとしたら、スノードロップの提案というよりも、むしろ……。

 

 

「夕方から食堂で開くデス! カルミア、今から楽しみ~♪」

 

 

 むしろ、彼女の隣にいるカルミアのほうが思いつきそうではある。が、それもまたちょっと違うような気がしなくもない。

 

 

「お菓子の用意と、あとちょっとだけお料理も作ったんですよ。カルミアちゃんにも手伝ってもらって」

 

「スノーちゃんのお料理、絶品! お腹がペコちゃんじゃなくても、いくらでも食べられるのデス!」

 

「急にはじめたので、そんなに大したことはできませんけど。イフェイオンさんも、ぜひ参加してくださいね」

 

「……えっと、その……」

 

 

 発案者の思惑と参加者候補の思惑とは、いつも一致するとはかぎらない。

 即答するには誘いの内容がいきなりすぎて、イフェイオンはとっさの反応に窮してしまった。

 

 ――本当に今日は、どういう日だろう。

 

 ついさっきまで、キンギョソウとプルモナリアの2人に付き合ってきたばかりなのに。今はまた、今度はスノードロップとカルミアの2人だ。

 催しだとか行事だとか、そういった人々の陽気な営みには、どこか馴染みきれない自分がいる。

 目的のために必要だと判断すれば、参加することに否やはない。そうやって、これまでにもそつなくこなしてきた。

 しかし今は……目的というものが、そもそもなくなってしまっているのだ。

 となると、自分でもどうしたいのか、よくわからなくなってしまう。

 

 

「もちろんモミジさんも参加してくれますよ。今回の遠征メンバーにはいませんけど、スズランノキさんやニシキギさんも来てくれるそうです」

 

 

 なんでそこでみんなの名前が、と言おうとして、イフェイオンはやめた。

 団長の判断とスズランノキの要望で、近ごろモミジたちとチームをよく組むようになっている。そしてたしかに、そんな彼らとは最近になってよく話をするようになってきてもいた。

 それでも、かつての自分がどのような意図のもとで団長に近づこうとしていたのか、モミジ本人たちにまだ直接話したことはない。すでに誰からも感づかれていることだとわかっているのに、自分から切り出せないままでいる。

 ただ一途に団長のことを信じる彼女たちに対する、負い目のような感情。それがイフェイオンにとって乗り越えられない壁であったし、また乗り越えてよいのかどうかさえわからない。

 

 

「その、わたしは……」

 

 

 もう、いいんじゃないだろうか。

 

 さっき、キンギョソウとプルモナリアに誘ってもらえた。連れていかれた場所がドクログッズ売り場というのには困惑させられたものの、2人がイフェイオンを対等の仲間だと思ってくれていることは十分に伝わってきた。

 モミジたちにしても同じだ。信頼できるチームメンバーとして、何も疑うことなく背中を預けてくれている。

 

 

「えっと……ごめんなさい。すごく残念だけど……」

 

 

 だから、もういい。もうこれ以上は。

 

 真相を知らずに過去の自分が団長に向けていた害意は、間違いなく本物だ。

 周りの花騎士たちが忘れようとしてくれても、自分は忘れられない。忘れてはならない。

 だから……優しくしてくれるたび、忘れてしまいそうになるから。もうこれ以上、優しくしてくれなくても……。

 

 

 ――ぎゅっ。

 

 

「……え!?」

 

 

 何かに密着された。

 違う。カルミアが、まるでしがみつくように、こちらを力一杯抱きしめてきたのだ。

 

 

「スノーちゃん、とっても心配してたデス! だからこうやってカルミアとハグして、もうお友達♪ それで次にスノーちゃんともお友達になってほしいデース!」

 

 

 ぎゅーーっ。

 

 

「って、ちょっ……カルミアさん!?」

 

 

 どこからどう見ても裏表のない、カルミアの正直なハグ。

 条件反射的に距離を取ろうとするのを見越したような、たっぷりと力のこめられたものでありながら――それは不思議なほど心地よく、心のどこかが軽くなっていくような気がした。

 

 とっさに助けを求めるように、イフェイオンはスノードロップへと視線をむける。と、それに気づいたかのように、ハグの力も弱まった。

 ……正面から、スノードロップと視線が合う。

 

 

「イフェイオンさんも参加してくれないと困ります。だって、こういうのは一人でも仲間はずれにしちゃダメだって、わたしは思いますから」

 

 

 ……まったく。呆れるくらい、お節介者ぞろいだ。

 視線を重ね合わせて、はっきりとわかった。「前祝いの集まり」などという、こじつけめいた名目に、うっかり思い違いをするところだった。

 この唐突で強引な企画の発案者は、他ならぬスノードロップだったのだ。

 

 ようやくにして、見えてくるものがあった。

 どれほどイフェイオンが戸惑い、受け入れかね、歩み寄ることをためらおうとも。彼らは何度でも、イフェイオンの内奥に存在する氷壁を溶かすことを諦めようとはしない。

 過去の彼女の行いを知りながら、それでも未来の苦楽をともにする仲間として迎え入れようとしてくれているのだ。

 

 不意にこみあげてくる何かを感じ、イフェイオンは上を向いた。

 

 

「次はスノーちゃんの番! カルミアみたく、スノーちゃんもぎゅってハグするデース。それでみんなみんな、とっても仲良し♪」

 

「わ、わたしが……というか、わたしもするんですか!?」

 

 

 そう言って面食らうスノードロップをよそに。カルミアはイフェイオンへのハグを解くと、そのまままるで子供がせがむように、「早く早く♪」とスノードロップを促した。

 

 

 ――たまには。

 

 受け入れることが彼らの喜びにつながるのなら。そのまま身を委ねることが、あるいは過去の贖罪(しょくざい)となるかもしれない。

 (ゆる)すことはできない。どんな言葉を与えられようと、自分が自分を赦すことはない。

 ただ、彼らのぬくもりに、正面から向き合っていけば。自分でも気づかぬうちに、ひょっとしたら……なにかが、変わっていくことになるかもしれない。

 

 

「え、えっと。それじゃ、イフェイオンさんが嫌でなければ……」

 

 

 おずおずとスノードロップが両腕を広げ、恥ずかしそうにしながらじりじりと近寄ってくる。

 

 誰かの胸に飛び込むなど、いつ以来だろう。

 もはや過去の記憶に残っているかどうかすら自分でもわからないそれを、今、やってみるのもいいかもしれない。

 

 

 彼女が、今。

 これまで見せたことがないような笑顔を、仲間たちに向けていることに――

 

 気づいていないのは、イフェイオン本人だけだ。

  



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6-6 出撃前夜4(モミジとムラサキハナナ、二人の夜)

  

「あれ、モミジさん……?」

 

 

 最初は、そのままの姿勢で眠ってしまっているのか、と思ったほどだ。

 机に広げた本に視線を向け、まるで彫像のようにじっと動かずにいるムラサキハナナ。

 それがようやく顔を上げたのは、モミジと彼女との距離がだいぶ縮まってからだった。

 

 起こしてしまわぬよう。そして読書に集中しているのだと察してからは驚かせてしまわぬよう、そっと近づいたつもりだ。

 はじめは気づかれぬように、気配を完璧なまでに殺して。そしてある程度の距離になってからは、反対に自然と気がつくように。

 

 

「……何をしているんですか、こんな時間に?」

 

 

 そう言ったものの、ムラサキハナナからの返答を待つまでもない。

 目の前の光景が、すべてを雄弁に物語っている。いくらモミジでも、そこから何も想像できないわけはなかった。

 

 

「えへへ……。その、明日からのために、少し確認をしておこうと思って……」

 

 

 机の上には何冊もの本や地図のたぐいが積み重ねられ、いくつかの山を作っている。角度によっては小柄なムラサキハナナの姿が埋もれてしまうくらいだ。

 

 夜更けの作戦室。

 就寝前の軽い鍛錬をすませたモミジがその部屋の明かりに気づいたのは、浴室で汗を流し終え、自室へと戻ろうとしていたときだった。

 

 食堂や書庫ほどの広さでないにせよ、ひとりきりでいるとぽつんとした寂しさを覚えてしまう。そんな部屋だ。

 しかし今のムラサキハナナの雰囲気からは、彼女が寂寥感から怯えていたようには見えない。それだけ全神経を集中させ、没入しきっていたということだろう。

 

 

「すごい本の数……。これ、全部読もうとしてるんですか?」

 

「いえ。どの本や地図も、前に一度読んだり見たことがあるんですけど……」

 

「え、全部? こんなにたくさんあるのに……」

 

 

 思わず聞き返してしまうと、今度は恥ずかしそうに小さくうなずくムラサキハナナ。

 それだけでも驚きだ。同じことを自分がしようものなら、半分もいかぬうちに音をあげてしまうのは間違いない。

 だが……モミジの衝撃は、それだけに終わらなかった。

 

 

「内容も、全部覚えているんです。わたし、記憶力には自信があって……」

 

 

 すさまじい。それ以外に、まったく言葉が見つからない。

 

 

「全部覚えてるって、すごいじゃないですか! 記憶力に自信があるなんて言葉で片付けられるほど、簡単な話じゃないですよ」

 

「い、いえ! 力も弱いですし、わたしの取り柄なんてこれくらいで……」

 

 

 才能というより、もはや異能というべきかもしれない。十分誉められてしかるべきものだろう。

 なのに、モミジが感嘆すればするほど、かえってムラサキハナナは恐縮してしまうようだった。

 

 控えめな性格で、ぐいぐいと自分から迫っていくタイプではないのだろう。

 力が弱いと本人が言っているように、たしかに華奢に見える体格からは最前線で次々と害虫を薙ぎ払っていけるようにも見えない。

 

 

「……あれ? でも、本の中身を覚えてるというなら、わざわざ読み返す必要はないのでは……?」

 

「えっと、それは……」

 

 

 モミジの疑問に、なぜかしゅんとなるムラサキハナナ。

 

 ――これまでにモミジが知る、彼女の性格。

 さらには自身が花騎士となってから得てきた経験や観察眼。

 

 それらを複合させて……なんとなく思い当たった。

 

 

「……なるほど、わかりました」

 

「……」

 

「明日からの遠征任務、やはり不安はありますよね。効果は期待できなくとも、何かせずにはいられない……そう考えてしまうくらいに」

 

「……はい」

 

 

 モミジの推察を素直に認め、まるで悪いことをしたかのように頭を垂れるムラサキハナナ。

 会話を始めてから、彼女にはずっと驚かされっぱなしだった。が、ようやくこちらが余裕を見せつけられそうだ。

 

 事前にどれほどの鍛錬や準備を重ねていようと、前夜ともなれば、どこからか不安とか緊張といったものが忍び寄ってくる。

 どれだけ場数や体験を積めば、そのような心の波と縁を切れるのか。そもそも完全に断ち切れるようなものなのか。モミジにすら、明確に答えることができない。

 今回行われるのは普段あまり経験することのない、遠征したうえでの害虫討伐だ。いつもとは異なる力を肩先にこめ、余計な感情に振り回されてしまうのは無理もないことのように思える。

 ムラサキハナナが豊かな実戦経験を持っているとは、さすがに思えない。それを考えれば、彼女の行動が理解できないモミジではなかった。

 

 

「……私も不安はありますよ。ムラサキハナナさんだけじゃありません」

 

「え、モミジさんも……ですか!?」

 

 

 モミジの言葉があまりに意外だったのか、ムラサキハナナが弾かれたように顔をあげた。

 

 

「はい。だから今もこうして、鍛錬を行ってきたばかりですし」

 

 

 軍師や作戦家を志しているとはいえ、根はきっと真っすぐで正直なのだろう。

 驚きの表情をまるで隠そうとしないムラサキハナナにどこか安心感のようなものを覚えながら、にこりと微笑んでみせる。

 

 ――明日もまた、一番の戦果を挙げるのは自分だ。

 そう信じているし、またそれを実現すべく日々の訓練にも人一倍身を入れているつもりだ。

 しかし、仲間でありライバルでもある他の花騎士も、才能を次々に開花させ、実力を伸ばしてきている。うかうかしていれば彼女たちにやがて追い越され、一番の座にまったく手が届かなくなってしまうかもしれない。

 それを不安と呼ぶなら……モミジとて、常に無縁ではいられなかった。

 

 

「……わたしの立てた作戦で、余計にみなさんを危険な目に追いこんでしまったら……。だから一度読んだ本でも、見落としたところはないかと不安になっちゃって……」

 

 

 これまでに何回かムラサキハナナと任務をともにしたとき。彼女が提案した作戦で大きく失敗したことは、一度もなかったはずだ。

 その年齢に見合わぬ秀抜な作戦だといつも感心しているし、また他の花騎士からも悪い評判は聞いたことがないように思う。

 それでも、これまでも軽い気持ちで作戦を立案してきたわけでないということが、よくわかった。そしてまた軍師という役割が担う責務は、その小さな肩にはとても重たいものなのだろう。

 

 だからこそ、身を削ってでも、何かをせずにはいられない。

 気の弱そうなムラサキハナナを思えば、深夜の濃密な闇が漂う中を、この部屋まで来るだけでも勇気を必要としたかもしれない。

 それから机に資料を広げ、読みあさっていた時間。きわめて高い集中力を見せていたのもまた、闇夜の重苦しさを精一杯振り払おうとしていたがゆえだったのかもしれない。

 最初に彼女の姿を見つけたとき、悪戯心に驚かそうなどとしたりしなくてよかった。今になってモミジは、心から思った。

 明らかに、ムラサキハナナは無理をしている。こうでもしないと押し潰されてしまいそうな重荷と戦いながら。

 

 

「あ……」

 

 

 ――気がつけば彼女の明るい薄紫色の頭を、ぽんと軽く撫でていた。

 

 

「……大丈夫ですよ、ムラサキハナナさん」

 

「モミジさん……」

 

 

 気持ちが伝わったのだろうか。わずかなりとも安心してくれただろうか。

 どことなく、ムラサキハナナの表情が柔らかくなったような気がした。

 

 

「頑張りましょう、明日。みんなで、全員で力を合わせて」

 

「……留守部隊にも軍師は必要だから、ワレモコウさんにも相談できなくなっちゃいますし。だから、わたし……」

 

「大丈夫ですから。ワレモコウさんだけでなく、みんな頼れる人たちばかりだから」

 

「……はい」

 

「いつでも相談してください。私にも、そして他の誰にでも」

 

 

 作戦を構築するよりも遂行するほうが性に合っていると思うモミジには、さして力になれないかもしれない。けれどそんな自分を頼ってくれたなら光栄に思うだろうし、全力で応えたいとも思う。

 

 知識も、そしておそらくは経験も。普通の同い年の少女と比較すれば、ムラサキハナナのほうが深いものを持っているに違いない。

 先輩花騎士として、自分は彼女にどれくらいアドバンテージがあるのだろう。モミジ自身にも、それはわからない。あるいは思った以上にその差は大きくないのかもしれない。

 ただそれでも、先輩なのだ。

 

 

「もっともっと。ムラサキハナナさんは先輩たちに頼っていいんだと思います」

 

 

 戦場に立つ彼女とはまるで別人のような声で、モミジはムラサキハナナに優しく微笑んだ。

 遠慮なんかしなくていい。仲間なのだから。

 それにムラサキハナナのようなかわいい後輩に頼られたら、悪い気はしないはずだ。おそらくほとんどの先輩たちは嫌と断らないだろう。

 

 もう一度、彼女の頭に手を伸ばして撫でてやる。

 今度は驚いた様子もなく、かわりに目を細めながら嬉しそうな表情で受け入れるムラサキハナナ。

 

 

「えへへ……。モミジさん、まるでお姉ちゃんみたいです……」

 

 

 そうか。

 ひょっとしたら――

 

 

(お姉ちゃんも、いつもこんな気分になっていたのかも……)

 

 

 カエデという名の本当の姉が、かつてモミジにもいた。

 けれど、今はもういない。モミジを残して害虫討伐に赴き、帰らぬ人となってしまったのだ。

 立派な花騎士として活躍する姉を、モミジは妹として尊敬していた。そんな姉のように自分もなりたいと独自に考えた鍛練を日課とし、騎士学校に入学もして。

 ……けれど、今になって思えば。姉と一緒にいるときは甘えている時間こそが一番長く、そして一番楽しかったような気がする。

 

 ついに正式な花騎士となり、姉と最後に交わした「一番になる」という約束を果たすべく、害虫との戦いをがむしゃらにこなすようになった。そんな彼女を叱咤し、また支えてくれたのが、スズランノキとニシキギという2人だった。

 今のモミジにとってはスズランノキはいなくなった姉のような存在であり、またニシキギには妹に対するような感覚で接している。

 

 

(ふふ……。ちょっと不思議な気分……)

 

 

 ニシキギは、ちょっと手のかかる妹といったところだろうか。

 スリルを求めてブレーキが利かなくなる場面があるのが彼女の癖で、モミジもまれにお説教したりする。

 ある意味、行動力という点において過去のモミジ自身にも似ているような気がしなくもない。そう思うとせっかくのお説教も苦笑いに変わってしまいそうになり、あらためて表情を作り直したりしたものだ。

 

 妹のように感じるにしても、相手によってずいぶんと違う。

 ニシキギに比べると、ムラサキハナナは驚くほどしっかりとしている。ニシキギと同じ理由でお説教する機会など彼女には絶対に起こらないと、そう言い切れそうなくらいだ。

 けれど今度は反対に、やや消極的な姿勢をたしなめる場面が訪れるかもしれない。本当にニシキギとはまったくの逆方向だ。

 

 恵まれすぎているかもしれない。ふと、モミジは思った。

 自分の姉のように、積極性がときに裏目に出てしまう妹をもった気分と。思慮深く、内面に沈みがちな妹を見守りつつ、ときに手を差しのべる立場と。

 その双方の、姉という役割を味わえるかもしれない。

 贅沢な話だと自分でも思う。けれど望まれるのなら、喜んで引き受けよう。いや、引き受けたい。

 

 

「……それじゃあ。お姉ちゃんとして、はじめに思ったことを言っておきますね」

 

「……はい」

 

「もっと自分に自信をもってください、ムラサキハナナさん。さっきみんなを頼っていいと言いましたが、みんなもあなたのことを頼りにしてるのですから」

 

「で、でも……!」

 

「姉の言うことが信じられませんか?」

 

「うう……。モミジさん、ちょっぴりずるいです……」

 

 

 さっそく痛いところを突かれて頬をふくらませるムラサキハナナに、そうかもしれませんね、とにこやかに微笑むモミジ。

 素直に不満をぶつけられるというのも、それだけ相手を信用しているという証だろう。だからこそ少しも嫌な気分にはならない。

 

 ――やがて、ぱたんという音が静かに響いた。

 ムラサキハナナが広げていた書物をそっと閉じたのだ。

 

 

「……もう、大丈夫ですか?」

 

「……はい。ありがとうございます、モミジさん」

 

 

 大したことはしていない、とモミジは首を横に振る。むしろ自分の方こそ、こうしてムラサキハナナとゆっくり話すことができて嬉しかった。

 明日からもまた、全力で任務に当たろう。姉との約束を果たすため、団長のため、そして妹の笑顔のために。

 

 遠くないうちに、彼女のことをスズランノキやニシキギ、そしてまたイフェイオンにも紹介する時がくるだろう。

 案外どの花騎士ともすんなりと、思うより早く打ち解けていけるのではないだろうか。そんな気がする。

 

 

「あの、それで……。さっそくなんですけど……お姉ちゃんに、頼っちゃってもいいですか……?」

 

「いいですよ。なんでも言ってください」

 

 

 自分から切り出したものの、どこか恥ずかしげに、言いづらそうにするムラサキハナナ。

 それを急かすことなく、モミジはじっと彼女の次の言葉を待った。

 

 

「そ、それじゃ。へ、部屋に戻るまで、一緒に……来てください……」

 

「……はい。もちろん」

 

 

 いつか、遠い未来――本物の姉(カエデ)と再会できたとき。

 一番になること以外に、もうひとつ。胸を張ることができたように思う。

 

 自分には、2人の妹のような存在がいたということ。

 そのどちらもが自慢の妹たちなのだと、誇らしく報告することがきっとできるだろう。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 かくして、明朝より。

 イオノシジウム、ヒメシャラ、アンゼリカ、キンギョソウ、プルモナリア、イフェイオン、スノードロップ、カルミア。そしてモミジ、ムラサキハナナ。

 

 ……以上10名の花騎士とともに、あらたな任務がはじまる。

  




おなじ属名や種目がモチーフの花騎士って、血縁関係だったり仲が良かったりと何かしら関連づけられることが多いですよね。
では、同じ絵師(デザイナー)さんという場合はどうなんだろう。そんな回でした。

と、そんなこんなで出撃前夜編はこれにて終了!
ようやくといいますか、次回からはいよいよ遠征任務のスタートです。
  


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6-7 First attack(上)

遠征任務開始!
ここから物語は一気に佳境へと突入していきます。


 人生において、もっとも長い時間を過ごす場所――

 もし、そんな問いが自分に投げかけられれば。騎士団長という身分が与えられているかぎりは、執務室がその答えということになるだろうか。

  

 騎士団の拠点で次々にもたらされる書類と格闘するのは、もはや日課のようなものだ。

 とはいえその一方で、屋外に出ることも少なくない。花騎士たちの討伐任務に同行することもあるし、旅をするのもすっかり慣れた。

 だが、よくよく考えてみれば。ごく普通に庶民生活を送るだけなら、旅などという行為はそれほど縁のあるものではないように思う。

 害虫はどこにでも現れる。が、やはり人間が密集していない場所、人里から離れるほど巣を作り、害虫なりのコミュニティを形成している傾向が強い。

 とすれば街の周辺といった近場程度ならともかく、遠方への往来が前提となる場合、それが可能となる人間や職種は限定されてくるのは自明の理だ。

 害虫と戦うことを使命とするからこそ、世界を縦横に旅することができる。そのことを、我々は忘れてはならない。

 

 

 

 ――ごく普通の、ありふれた中規模クラスの村。

 背の高い建物の姿を見ることはなく、これといって目新しさや興味を惹かれるようなものは何もない。

 城壁に相当するものといえば、村の周囲をぐるりと囲った柵しかない。このくらいの村なら、さして珍しい光景でもないだろう。

 それでも、過去に大きな悲劇に見舞われたといった記録はないという。そのためか、先日騎士団が害虫と交戦し大打撃を受けたにもかかわらず、村人たちの雰囲気はどこか穏やかなままで、あまり深刻に受け止めている様子は見られなかった。

 

 

「遠路のお越し、お待ち申しておりました。お力添え、感謝いたします!」

 

 

 目的の村に到着するまで、道中これといった問題もなく。

 村に駐屯している数名ほどの花騎士や騎士団長の迎えを受け、総指揮官として彼らを束ねていたと思われる団長のひとりと挨拶を交わす。

 

 ……ほとんど一瞬、といっていい。

 たったのそれだけで。先日の戦いで彼らが敗れた原因のひとつが、早くもわかったような気がした。

  

 どの者たちも疑いようのないほど、新米(ルーキー)そのものだったのだ。

 

 ――新米といっても、正式に花騎士や騎士団長と認められた者たちだ。何も知らない素人とはあきらかに違う。

 わずかとはいえ、実戦も踏んでいるのだろう。騎士学校や専門の養成機関を卒業するまでに、何度か経験してきているはずだ。

 だが、場数の決定的な不足ばかりはどうしようもない。

 

 なるほど。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()とは、こういうことだったのか。

  

 どの騎士団も、設立されてまだ日の浅いものばかりのようだ。それぞれの騎士団長が率いる花騎士の数もほんの数人ばかり、という規模でしかない。

 だからこそ、この村に配置することを上層部は考えたのだろう。比較的討伐しやすい害虫の相手をさせ、じっくりと経験を積ませるためにだ。

 同時に新しい花騎士を加え、徐々に騎士団としての陣容を整えていき。しかるのちに、本格的な害虫との交戦地域へと送り出す――

 悪い案ではない、と思う。うまく機能すれば、新人たちのよい育成の場になるだろう。

  

 ただ、今回は……その目論見が大きく外れてしまった。

 まだ経験の浅い彼らがぶつかったのは、おそらく他の地域から流れてきたと思える強力な害虫だったのだろう。いくつかの情報を統合すると、どうもそんな感じがする。

 

 

 

 村の入口からさして歩かぬうちに、駐在する騎士団が使用しているという営舎に着いた。

 そのまま基本的な施設を2つ3つほど案内されたあと、いくつかの部屋を自分や花騎士たちの居室用にと提供してもらう。同じ騎士団長でもこちらが格上ということで彼らが使っていた執務室まであてがわれそうになったが、それは丁重に断った。

 あくまで自分たちは一時的に滞在するにすぎない。任務を終えて引き上げたのちはまた彼らが共同して村を守っていくことになるのだし、それなら執務室も今までどおり彼らが使うべきだろう。

 執務が必要になれば、会議室や作戦を議論するのに使われている部屋を借りればいい。自分用の居室がひとつと、あとは連れてきた花騎士たちが休息できる部屋がいくつかあれば十分だ。

 

 まずは各自それぞれに旅装を解き、小休止を挟んだあとで。

 ふたたび集合するとチームを2つに分け、さっそく行動を開始させた。

 ひとつはムラサキハナナ、ヒメシャラ、アンゼリカ、イオノシジウム、モミジ、イフェイオンによる、村の内々を視察し、また外周部周辺の様子を観察するチーム。

 もうひとつはスノードロップ、カルミア、キンギョソウ、プルモナリアからなる、村の騎士団の面々から情報を集めたり、前回の敗戦による心のケアに当たるチームだ。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「団長さんの予想どおりでした。やっぱり、自信をなくしちゃった子が何人かいるみたいで……」

 

 

 カルミアとともに報告に現れたスノードロップの言葉を聞きながら、軽くため息をつく。

 無理もない。勝利に酔いしれる前に、仲間を失うような敗北を経験してしまったのだ。

 結果、花騎士として認められたとはいえ、力量不足や無力感といった心理的ダメージを抱えこんでしまった者が現れても不思議ではない。

 

 

「……でも、大丈夫です。短期間でどれだけのことができるかわからないですけど、みんなに希望を取り戻してあげたいですから」

 

 

 この村に着いて彼らの姿を見るまで、正直そこまで頭が回らなかった。

 傷ついた心の内側に優しく触れ、癒すことを得意とするような花騎士は何人か思い当たるものの、今回はスノードロップしか連れてきていない。

 だが、そんなスノードロップの隣で、任せてくれとばかりに胸を叩く少女がいた。

 

 

「そんなときこそ、ハグするデス! ハグしてしょんぼり半分、そしてかわりに元気を注入してあげるデース!」

 

「心配ないですよ、団長さん。カルミアちゃんのハグはみんなを勇気づけてくれますし、キンギョソウさんプルモナリアさんも相手の話を親身に聞いてあげてるみたいです。その点、わたしのほうが見習わなきゃなーって思うくらいですし」

 

 

 ……そうか。それなら安心かな。

 カルミアのハグなら何度も受けたことがある。折れかかった心を支える力があるかと問われれば、間違いなく深くうなずくだろう。それだけのものが、あのハグにはあるように思う。

 彼女たちに任せておけば、たぶん大丈夫だ。

 

 頼もしげな表情でカルミアの横顔を眺めていたスノードロップが、視線をこちらへと転じる。そして心配ないとばかりに、柔らかく微笑んだ。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 翌日。

 

 日々の巡回や村内部の治安維持といった活動は駐在の騎士団や花騎士たちに任せ。

 さっそく、率いてきたメンバーとともに出撃した。

 

 どの花騎士たちも、自慢の者たちばかりだ。それぞれに個性や得意とする領分は異なりつつも、半数以上は他の騎士団でも問題なくリーダーを務められるほどの力量があるだろう。

 遠征前に取り寄せた資料と、村に駐在する花騎士たちの実際の体験談から、害虫たちの戦力も把握ずみだ。

 

 相手側のボスは、大型のムカデ型害虫。

 群れの頂点に君臨しているだけあって知恵があるのか、確実に獲物を捕獲するために、待ちに徹しつつ罠を張ってくる可能性が考えられるという。

 前の討伐戦では、そこを見事にやられた。そのうえ複数の騎士団による寄せ集めだったために、混戦となるや全体の指揮をする者がいなくなってしまったらしい。

 下り坂を転がり落ちるように、まもなく戦局は劣勢に陥る。一角の足並みが乱れたことで、あっけないほど簡単に全員が混乱する事態にまで広がってしまったのだ。

 その点でもまた、彼らの経験の浅さが大きく裏目に出てしまったといえるだろう。

 

 今さらであるが、功績に(はや)り、猪突することは固く戒めてある。一方で練度や士気の高さは言うに及ばない。

 小知恵が回る相手というなら、まずは小手試しだ。一気に勝負を決める必要はない。

 連携を怠り、個々の勇に誇って猛進したあげく各個撃破の愚さえ犯さなければ、この戦力なら――

 

 

「はい。制圧することは難しくない、と思います」 

 

 

 隣に従っているムラサキハナナが、こちらの思考を読んだかのように声をかけてきた。

 心配することはないと、笑顔で彼女は語っている。

 ……だが、惜しい。

 残念ながら、その笑顔には硬さが隠しきれていない。80点といったところだろうか。

 

 

「え、えっと……その、団長さま!?」

 

 

 あまり目立たぬようにしながら。さりげなく、ムラサキハナナの頭を軽く撫でてやる。

 作戦を立てることと、その作戦を遂行するための勇気と信頼感を周囲に与えること。両者は似ているようで、まったく異なる。

 これまで前者に偏る傾向が見られたムラサキハナナだが、軍師はときに一流の俳優としての仕事も要求されることに気づいたのだろうか。

 それは好ましい成長と変化の証であり、いずれそう遠くないうちに彼女の笑顔は自分のみならず味方全体を鼓舞し、大きな力へと変えてくれることになるだろう。そう思えた。

 

 

 

 

 ――村を出てまもなく、はじめて特徴らしい光景が目の前に現れた。

 

 いくつも、まるで折り重なる絨毯のように、視界一面に広がる丘。

 北側の平坦な地形とうって変わって、村を挟んだ反対側は凸凹とした複数の隆起が、あたかも海面の波のような姿を見せている丘陵地だった。

  

 これらの丘という天然の防壁を武器に、過去には害虫の襲撃を撃退したことがあったという。たしかに丘の上からの攻撃は少人数でも行え、戦術的に有効だろう。

 その丘のむこうには森林地帯が広がり、少しずつ緑が濃くなるとともに害虫の活動領域(テリトリー)との境界が曖昧になっていく。おそらくさらに奥には彼らの()()があるのだろう。

 先の戦いでは森の中にまで進軍し、そこで敗北したという。ただ相手の害虫側もそこまで踏みこまれたことに警戒でもしているのか、幸いそれから森の外に出てきてはいないらしい。

 しかし、いつまでもおとなしくしているという保証はない。彼らの中核を撃破していない以上、そう遠くないうちにふたたび森の外に出てくるのは必至といえる。

 

 

 

 森に達するいくらか手前、いくつかの丘を越えたところで、いったん全員の足が止まった。

 目の前にはひときわ広く、なだらかな丘がある。最も先行していたモミジとイフェイオン、そしてプルモナリアとアンゼリカの4人がその入口に立ち止まり、やがて後続のこちらが追いつくという形で合流した。

 周辺に害虫の気配は感じられない。それでも寸分も警戒を怠らないまま、やや緊張した面持ちでモミジが報告してくる。

 

 

「団長。やっぱり……いるみたいです……」

 

 

 そうか、とうなずきながらプルモナリアへ視線をやり、そのままアンゼリカへと移す。と、2人ともはっきりと首を縦に振った。

 

 

「……2人。間違いなく例の花騎士と、彼女を率いていた団長だと思う……」

 

「ですねー。まー、一番最初に見つけたのは、きのう周辺の状況視察をしぶしぶ……じゃなくて誠心誠意がんばった、このアンゼリカさんの功績なんですけどねー」

 

 

 丘のいただき。そこに、戦死をとげた花騎士と騎士団長の幽霊がいるのだという。

 もちろん、プルモナリアたちのような能力を持たない自分には、彼らの姿などまったく見ることはできない。なんの気配もなさそうな無人の丘が、ただそこにあるだけだ。

 

 

「聞いてますー? ちゃんと耳に届いてますー? っていうか、シリアス的なとこに私だけコメディ入っちゃってませんかねこれ?」

 

 

 村に駐在する花騎士たちもまた、霊視ができる者はひとりもいないらしい。

 つまりプルモナリアやアンゼリカといった存在がなければ、彼らはただ――場合によっては永遠に、ずっと人知れず留まりつづけるだけだったかもしれない。

 

 命令違反にしろ敵前逃亡にしろ、きっと彼らなりの言い分があるに違いない。

 しかし、それを受け入れてもらうどころか、伝えることさえ叶わない。その無念は察するに余りある。

 

 

「……話しかけてみる、団長?」

 

 

 もとより、はじめからそうするつもりだ。

 イフェイオンの問いかけに力強くうなずき返す。すると彼女はすっと自分の横に並び、ボディガードのように身を寄せてきた。

 

 

「だったら、わたしも一緒に行く。わたしは相手が見えないから……何かあったら、盾にでも使って」

 

「もちろん、私も同じくです。プルモナリアさんにアンゼリカさん、少しでも異変があればすぐに知らせてください」

 

 

 イフェイオンにつづき、モミジも同行を申し出てくる。どちらの表情も真剣で、こちらの身を案じ、何があっても守ろうとする決意がひしひしと伝わってくる。

 2人につづいてさらに続々と他のメンバーたちも名乗りを上げかけたが、途中で手を振って押しとどめた。

 あまり大人数で近づいても、かえって身構えさせてしまうかもしれない。イフェイオンとモミジ、そして通訳を頼むプルモナリアとアンゼリカの4人でひとまず十分だろう。

 害虫の襲撃もゼロとは言いきれない。他の者はしばらく周囲の警戒にあたっていてもらいたい。

 そう告げて、プルモナリアが指差す方向へと足を向けた。

 

 

 

 

 ――それは、とても小さな。

 騎士団と名乗るのさえ気恥ずかしくなるような、2人だけの騎士団だった。

 

 村に駐在する騎士団でも、もっとも新参。新しく創設されたばかりの、生まれたての雛のようなものだった。

 団長と、花騎士は彼女のひとりのみ。当然ながら、実績はゼロ。

 つまりは最初の……初任務で、2人ともに命を落とした。そういうことになる。

 

 

「……でも、出会ったのはずっと前から、だったんだって」

 

 

 ときに相づちを打ち、手振りを交えながら、プルモナリアが幽霊の語る話をこちらに伝えてくる。

 何も知らなければただ虚空に向かってひとりで問答を繰り返しているようにしか見えないが、その先には間違いなく幽霊となった2人がいるのだろう。

 会話をはじめる前までは構ってほしそうな様子を見せていたアンゼリカも、自分から役割をプルモナリアに譲り、今はおとなしく聞き役に回っている。

 

 

「……そっか。2人とも、お互いのことが好きだったんだね……」

 

 

 やるせないといったような、小さな嘆息をプルモナリアがこぼす。

 騎士団長と花騎士との恋愛。そのこと自体はよくある話だ。

 

 それにしても……なるほど。

 以前、幽霊になった者は生きている者よりも正直だ、とプルモナリアが教えてくれたことがある。

 まさしく、彼女の言うとおりだ。

 

 恋そのものは順調だったようだ。

 出会いは、花騎士の娘が騎士学校で暮らしていた時代からという。そしてお互いに自由な時間ができればデートを重ね、少しずつ愛を育んできたのだそうだ。

 やがて、2人とも巣立ちのときがやって来た。一方はゼロから新しい騎士団を創設することになり、もう一方は自ら志願してその騎士団に所属する花騎士の第一号となり。

 そして――

 

 

「……最初の討伐任務ということで、気負いすぎていたのかもしれませんね。でも……それ以上、言葉が見つかりません……」

 

 

 沈痛な表情とともに、つぶやくように言葉を漏らすモミジ。

 これが2人の運命というなら、なんと残酷なのだろう。

 ここにいる全員が、きっとモミジと同じような思いを抱いているに違いなかった。

 

 

「……2人が想い合っていたということは、よくわかるよ。でも、だからといって……」

 

 

 束の間の沈黙を破ったのは、イフェイオンの声だった。しかしそれも最後まで言葉を紡ぐことができず、途中で口を閉ざしてしまう。

 

 ――2人の境遇には、同情して余りある。

 だが、花騎士と騎士団長でもあった。その地位には相応の役割と責務があるのだ。

 イフェイオンの言葉の先にあるものについては、自分もまったく同感だった。同情はするものの、それが命令違反なり戦場離脱にどう結びついていくのかは、より深く話を聞いてみないと評価することはできない。

 

 

「……問い質してみる、偉い人?」

 

 

 気が進まないだろうが頼む、とプルモナリアに返す。

 

 もしかすると、これから行う害虫との戦いのヒントが見つかるかもしれない。

 そうでなくとも、ここまで関わってしまったのだ。やはり可能ならば、彼らを弁護する材料のひとつでも見つけてやりたかった。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 人々が安全に生活を営むエリアの外縁部に達した。

 この先は、いよいよ危険と隣り合わせの森の中だ。が、当然ながら、ここで引き返すという選択肢はない。

 害虫の姿はまだ見られない。しかし遭遇するのも時間の問題でしかない。そう考えるべきだろう。

 

 鬱蒼(うっそう)とした森だった。

 いくつもの広葉樹が不規則に立ち並び、縦横に広がった葉が日傘のように日光を覆いつくしている。

 まるで迷路のようだ。害虫と戦うほかに遭難にも気をつけないといけない。

 長時間戦いつづけるには、あきらかに適していない。長引くほど思わぬ危険が待ち受けている場所といえるだろう。

 

 フォーメーションも、ほんの少し手を加えた。

 護衛としてムラサキハナナひとりが自分の脇を固めていたのだが、今ではカルミアとスノードロップの2人も加わって――

 ……ん?

 

 

「スノーちゃん、なんだか嬉しそうデス!」

 

「え? そ、そうかな……?」

 

 

 どうやらカルミアも、同じことを感じ取ったようだ。

 なので自分も同感だと、スノードロップにむかって深くうなずく。

 

 

「ごめんなさい。いつ、どこから害虫が襲ってくるかわからないのに……」

 

 

 気にするな、とかぶりを振る。

 すっかり気を抜ききっていたわけでもないだろう。幸いにしてまだ害虫に遭遇してはいないし、それならずっと緊張感を維持するよりも多少は肩の力を抜いていたほうが、いざというときに全力を発揮できるかもしれない。

 そう言うとスノードロップはほっとした表情を見せつつ、あらためて気を入れ直したようだった。

 

 

「……あの2人、敵前逃亡なんて、完全に誤解だったんですよね?」

 

 

 ああ、そうだな。

 言葉とともにうなずいたあと、彼女から視線を外して別の方向を見やる。

 彼女との会話にかまけて自分が注意を怠っていたのでは話にならない。騎士団長がそんなことでは、花騎士たちに示しがつかないだろう。

 

 

「命令違反だって……そんなつもりは、はじめから2人にはなかったんですよね? そうですよね、団長さん」

 

 

 ああ。多分そうだと……。

 軽く相づちを打つ。同時になんとなく彼女の様子が気になって、そちらを振り返ってみた。

 ……ところで、密着すれすれにまで迫っていたスノードロップと、あわやそのままぶつかりそうになった。

 ちょ、顔近い近い!

 

 

「ご、ごめんなさいっ!!」

 

 

 まるで身を乗り出すような形で至近距離まで近づいていたスノードロップが、次の瞬間はっと気づいて顔を赤らめながら離れていく。

 と、同時に。彼女の後ろ髪が風に揺れ、甘やかな芳香がふわりと鼻先に届いた。

 

 しばらくお互いに口を閉ざし、いくらか冷静になったところで。先ほどのスノードロップの声音を脳裏で反芻(はんすう)してみる。

 そこには、どこか懇願するような響きが混じっていたかもしれない。

 

 ……よくよく考えれば、敵前逃亡したはずの2人がそろって戦死したというのも、いささかおかしな話だ。

 敗北に直面した戦場で、余裕を保ったままでいられる者などいないだろう。まして、経験豊富な者は誰ひとりとして存在していなかったのだ。

 それがゆえの誤認、というのが、真相ということになるのではないだろうか。

 

 

「……本当に、疑念が解けてよかったです。誤解だったんだって、ちゃんと知ることができて……」

 

「スノードロップさん。でも……」

 

「……うん。亡くなってしまったことは、変わりませんよね。だけど……それでも、やっぱり嬉しくなってしまうんです」

 

 

 ちょっとした出来事があったものの、どうやらスノードロップも落ち着きを取り戻したのだろう。

 ムラサキハナナに語りかける彼女の表情には、戦闘前にもかかわらず、どこか穏やかな気配をうかがうことができた。

 

 次代の花騎士と団長として村に配属された2人が迎えた末路を思えば、誰もが悲痛の念を禁じえない。

 しかし、ただ痛ましく思うばかりではない。スノードロップが感じている、明るい材料といったようなものも、たしかに得ることができたのだ。

 

 

「あの2人だって、きっとすごく頑張ったんです。たしかに結果は悲しいけれど……だからといって誤解を受けたまま、生き残ったみんなから()け者にされる理由なんて、ひとつもないんです」

 

「……はい」

 

「だから……わたしも頑張らないと、ムラサキハナナさん。みんなの、団長さんの、そして……あの2人のためにも」

 

「……そうですね。あの人たちの死を無駄にしないためにも、必ず害虫を撃破して。そして、ちゃんと報告してあげないといけませんよね……」

 

 

 彼女たちのやりとりを耳に入れながら、あらためて思う。

 

 他人の身の上でなく、まるでスノードロップ本人に直接起きた物事であるかのように。

 相手の肩を抱き寄せてともに悲しみ、憂い、そして本心からの笑顔を見せて。当たり前のことだと言わんばかりに、他者に寄り添っていくことができる。

 そう簡単に真似などできないだろう。しばし緊迫した状況であることを忘れ、そんなスノードロップならではの深い愛情に感じ入らずにはいられなかった。

 

 

 

 だが――

 どうやら、お喋りはここまでのようだ。

  




団長に就任した直後に誰もが必ず通る道。当然ながら、「戦力はゼロ」なわけです。
そこでまず無料10連で運試しをしたり、あるいは豪気にも有料ガチャを回したりして、かたちだけの戦力を整えて。といって素材の備蓄もないので、いきなり強化するわけにもいかず。
そんな騎士団が、うっかり最初から難易度ハードを選択してしまったら……。と、そんなイメージをもとに、今回のお話を書いてみました。

――が。思った以上に長くなってしまいました。これはもはや分割するしかない!
(下)となる次回、ついに害虫との戦闘に突入していきます。
  


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6-8 First attack(下)

 村を出発してから、それなりに時間が経過している。

 日が沈むまでにはまだ余裕があるものの、それほど悠長に構えてもいられないだろう。

 

 とある丘の頂上で、騎士団長と花騎士の霊に接触し、彼らの想いに耳を傾けたのち。

 いよいよ害虫の出現区域である森へと突き進み、少しずつその奥地へと足を踏みこみつつあった。

 

 

 

 

 ――先陣を任せているモミジとイフェイオンの2人が、周囲を警戒しながら後退してきているのが見えた。

 もはや目を凝らすまでもない。彼女たちの姿のむこうの木々が、不自然な動きで左右に揺れている。ときおり、その隙間から忌まわしい害虫の姿も次第に見え隠れするようになった。

 

 森の中での遭遇戦。

 視界が木々に遮られ、見通しが利かないだけに。正確な相手の戦力が把握しづらい。

 ここは味方の陣地(ホーム)ではなく敵の領域(アウェイ)だ。バラバラに散開したままで戦えば、それぞれに包囲され餌食となるおそれがある。

 

 

「はあああっ! 蹴散らしてやるっ!」

 

 

 モミジの裂帛の気合が周囲の音を圧した。適度に味方同士の距離を詰めたところで、害虫と交戦状態に入ったようだ。

 出し惜しみのない、モミジの全力の闘気が伝わってくる。むしろ心地よく、こちらの戦意までも高揚させてくれるような気がするほどだ。

 彼女のそばにはイフェイオンがいる。モミジがつい熱くなりすぎてしまったとしても、きっとイフェイオンがうまく誘導してくれるはずだ。

 

 

「わらわの前に立ちふさがるなど、小癪な奴め!」

 

 

 つづいて、左右に配置した花騎士のうち、ヒメシャラが声を発したようだ。

 右翼を形成する彼女と組んでいるのはアンゼリカだ。2人もまたぞろぞろと姿を現しはじめた小型害虫の群れに、こちらとの連携を念頭に置きつつ果敢に攻撃を始めている。

 

 一匹一匹の能力はともかく、数のほうは思った以上かもしれない。

 モミジとイフェイオン、そしてヒメシャラとアンゼリカの二方面からほぼ同時に現れたとなると、反対側もまたおそらく――

 

 

「よ~し。つっぶれろー!!」

 

 

 予想は外れなかった。

 キンギョソウとプルモナリアがコンビを組む左翼にもまた、害虫の群れが襲いかかっていた。

 

 個々の害虫は撃破するのに容易い、いわば雑魚でしかないこと。しかしながら数だけは多いということ。この2点については、事前に得ていた情報からわかっていた。

 事実、相手はその数的優位をもって、こちらを包囲するような形で迫ってきている。

 しかし……それはこちらの狙いどおりだ。

 

 たしかに一匹の脅威はさしたるものでないにせよ、それがぐるりと全方位から一気に襲いかかってこられたのでは危険な圧力となるだろう。さすがの花騎士でも対処しきれずに不覚を取ることにもなりかねない。

 しかし、左右に部隊を分け。さらに危急となれば中央の花騎士がすぐに駆けつけられる態勢でいれば、まずそう簡単に包囲されることはない。

 森の中ということで完全というほどでないにせよ、ちょうど矢印と同じ形。兵書でいうところの「鋒矢の陣」といった感じの隊形だろうか。

 ただ、こちらの人数が少ないこともあり、前述の陣形が得意とするところの突破を目的とはしていない。あくまで攻防のバランスを考えた上での選択だ。

 

 後方を振り返る。

 と、こちらの姿を認めたイオノシジウムが、大きく手を振るのが見えた。

 

 

「こっちはいつでもオッケーよ、団長さんー!」

 

 

 退路の安全は確保できているという合図だ。

 仮に害虫の圧力が想像以上に強ければ、傘を閉じるような動きでまず左右の圧力をかわす。そして包囲される前に、一気にするりと後退して抜け出せばいい。

 その威力や精度だけでなく、イオノシジウムの弓術は複数を一度に相手にできる技が大きな魅力だ。後方からの連射であたかも周囲に他の仲間が隠れているような錯覚を相手に思わせ、追撃の足をひるませることが期待できる。

 

 前衛部隊にもまた、木々を背にして戦うよう、戦術に工夫を施してある。それでいくらかは背後の危険を顧みることなく、正面の敵に集中することができるだろう。

 相手が数の力を活かしきれないのなら、俄然(がぜん)こちらのほうが有利だ。

 

 これまでも、さまざまな害虫と死闘を繰り広げてきた。

 当然、その中には困難な戦いもあった。あるいは神のごとき圧倒的な力を有する、強大そのものな世界の脅威と対峙し、そしてそれを打ち破ることにも成功してきた。

 はっきり言ってしまえば……そのときほどの恐怖を感じない。プレッシャーも危機感も、眼前の戦いは過去に経験したものにはるかに及ばない。

 害虫の数こそ多いが、ただそれだけのことだ。

 

 

 

 

 ――どの方面も、戦況は優勢に進んでいる。

 

 

「……団長さま、イフェイオンさんから合図です。まだ余力あり……さすがモミジさんとイフェイオンさんです」

 

 

 ムラサキハナナからの報告を聞き、そしてさらに彼女の意見に同意する。

 

 モミジやヒメシャラ、キンギョソウといった花騎士が次々と害虫を両断し、あるいは消滅させ。

 イフェイオン、アンゼリカ、プルモナリアの面々がそれぞれ巧みにフォローに回り、また自らも害虫を仕留めていく。

 害虫にとっては、さながら三ヶ所で同時発生した嵐のようなものかもしれない。

 

 中にはまるで難を逃れたかのごとく、嵐の中心から抜け出した一部の害虫がこちらを見つけ、あらたな獲物とばかり迫ってくる。

 だがしかし、それは彼ら自身が消滅する場所を数メートルほど移動しただけにすぎない。

 

 

「……逃がさないっ!」

 

 

 スノードロップの一撃が数条の光の帯と化し、こちらに近づこうとする害虫の多くを撃ち落とした。

 それでもまだ、きわめて幸運の持ち主だけがかろうじて生き残っている。が、これもムラサキハナナとカルミアの鉄壁の防衛陣の前に、ついに全滅を余儀なくされていく。

 

 さらにまた、一方では何匹ほどか、後方に回った害虫もいるようだった。

 しかしそれとて、害虫にとってすでにチェック・メイトであることは変わらない。

 

 

「ふふ~ん。楽勝楽勝~♪」

 

 

 後衛を任されているイオノシジウムの弓術を前に、そちらの末路もまた例外のない全滅だ。

 まれにせめてもの一撃とばかりにハチ型害虫が口中に隠した鋭い針を飛ばしてくるものの、イオノシジウムの涼しい顔は揺るがない。ひらりと難なくかわしてみせたあと、反撃の一矢で害虫を仕留めていく。

 

 あるときは樹を背にして完全包囲を避け、ここしかないというタイミングで一気に飛び出す。たったそれだけの一瞬の間にも、害虫の数匹は撃破されている。

 数の差をものともせずに善戦している三方向の花騎士たちを見ていると、あらためて驚嘆の思いが浮かび上がってくる。頼もしいという以外に、もはや言葉が思いつかないくらいだ。

 経験と力量。ともに騎士学校を卒業したばかりの花騎士とは圧倒的なまでに懸絶(けんぜつ)している。前回の戦いと同じつもりで襲いかかってきた害虫たちにとっては、まさしく計算違いか悪夢といったところだろう。

 

 ……さして時間もかからずに、戦いの趨勢(すうせい)は定まった。

 すっかり数を減らした害虫は、もはやほとんど攻撃力らしい攻撃力はない。それよりも今は生き延びることに手一杯といった様子で、森のさらに奥へと逃げはじめるようになった。

 

 

「だんちゃん、まだ何匹も残ってるデス!」

 

 

 もちろん追撃するとカルミアに答えて、ムラサキハナナに合図を促す。前衛の6人に同様の指示を伝えるためだ。

 

 

「わかりました、団長さま。でも……」

 

 

 懸念するムラサキハナナに、もちろん承知していると微笑む。

 逃げる害虫を追い討つとはいえ、このままで終わるとはかぎらない。これからさらに森の奥へ進むほど、何があるかわからない。油断は禁物だ。

 あらためて気を引き締めるよう、ムラサキハナナに重ねて合図を頼んだ。

 

 

 

 

 ――どれくらい叩いただろうか。

 自分たちが相手にしたのが害虫の全戦力だとするなら、壊滅状態といっていいだろう。

 あとは本拠地となっている巣を叩き潰し、それから数回ほど掃討作戦を行って残存勢力を駆逐すれば、まず当分は周辺地域に平和が戻るはずだ。

 

 知らず知らずのうちに、かなり森の奥まで進んできていたようだ。

 突如、左右の視界が一気にクリアに広がった。密集するように立ち並んでいた木々が、不意に途切れたのだ。

 正面に崖が立ちふさがる、広々とした空間。森の奥地にこんなに開けた場所があったとは、まさに驚きというほかない。

 

 ……このあたりが切り上げ時か。

 最前線で戦ってくれた花騎士たちをはじめ、みんなそろそろ疲労を覚えてきた頃合いだろう。

 害虫の数が数だけに、もとよりただ一度の戦いですべてが片付くとは思っていない。巣の捜索および破壊と、完全なる掃討。全部が終わるには、まだもう少し時間がかかるはずだ。

 いずれにせよ、無理を重ねるべきではない。まずはこのあたりで体勢を整え直し、あらためて害虫の残存具合や反撃能力などを探るべきだろう。

 

 

「……わたしも団長さまと同じことを考えてました。それでいいと思います」

 

 

 ムラサキハナナが同意を示し、軍扇を高く掲げて合図を出した。さっそくとばかり、キンギョソウとプルモナリアがこちらに駆け戻ってくるのが見える。

 

 

「団長さん団長さん!」

 

 

 ……が、少し様子がおかしい。

 息せき切って、そばに来るなり必死な顔でキンギョソウが訴えてくる。

 

 

「一度引き返そう! なんかね、すっごくイヤな予感がするんだ……!」

 

 

 呼吸を弾ませながら早口で説明する彼女の声を聞いた瞬間、ぞくりと背中に冷たいものが走った。

 キンギョソウの直感は信用できる。過去に何度も助けられたことで、それは証明ずみだ。

 まだ終わっていない。彼女がそう言う以上、何かがあるのは間違いない。

 とにかく、闇雲に追撃を重ねるのは中止だ。このまま全員を集合させ、冷静になって様子を見極めてから、次の行動を考えていけば……。

 

 

 刹那。

 巨大な雲が上空を横切ったのか、視界が急に(かげ)った。

 

 

「団長さんっ!」

 

 

 キンギョソウが叫ぶ。

 上。黒い何か。

 

 頭上から、巨大な害虫が降ってきていた。

 明らかにこれまでの雑魚とは違う、その数倍はあろうかという巨体だ。

 どこからやって来たのか。崖。そうか。目の前の崖から飛び降りたのか。

 散開を命じるまでもない。とっさに皆、ひらりと跳躍して害虫の着地点から逃れるように――

 

 いや、間に合わなかった。

 そもそもの位置が悪かったこともあって、自分だけが回避しきれない。

 

 あっという間に、いや、ゆっくりと害虫の巨躯が眼前に迫ってくる。自分ひとりだけが違う空間にいるかのように、時間の進み方が正確に認識できない。

 ムカデ型害虫のようだ。しかしこれほどのサイズのものはそうそう見ることがないのではないだろうか……などと、今この瞬間においては意味のないことだけがぼんやりと頭の中を駆け巡った。

 スノードロップが武器を構えるも、こちらを巻き込みかねないことに気づいて戸惑っている。モミジやヒメシャラたちが駆け寄ろうとしているのが見えたが、距離がありすぎた。

 

 

 ガイン!と。

 何かがぶつかり合い、大きな衝突音を発するのが聞こえた。

 

 

「ぐ……ぬぬぬぬ……ぅぅっ!!」

 

「カルミアさんっ!」

 

「お、重い……デスっ!!」

 

 

 悲鳴にも似たムラサキハナナの声の先。自分のすぐ横に、カルミアの姿があった。

 彼女独自の武器であり、愛用している傘。左右の腕でそれを頭上に掲げ、害虫の巨体を防いでいたのだ。

 

 

「団長、こっち!」

 

 

 すかさずプルモナリアに腕を引かれ、転がるようにしながらようやく害虫の着地地点から離脱する。

 ミシミシと、その間にもカルミアの傘が悲鳴を上げるのが聞こえた。

 

 

「だんちゃん……脱出できたデス? 次はカルミアも……」

 

「カルミアちゃん!!」

 

 

 次の瞬間。カルミアの姿が害虫の巨体に押し潰された。

 ……ように見えたところを、スノードロップがかろうじて救い出していた。

 

 

「いたたた……。カルミア、えれがんとにだんちゃんを助けられたデス……?」

 

 

 脱出するさいに大型害虫の攻撃を受けたのか、手傷を負っているようだ。とはいえ命に関わるといった程度ではなさそうな様子を見て、ほっと安堵する。

 

 圧殺という罠とともに待ち伏せていた大型害虫がこちらを見――にやりと(わら)ったような気がした。

 もちろん、本当にそのような意図があるのかなど、知りようもない。

 しかし今回ばかりは……獲物はお前だ、とはっきり語りかけてきている。そんな、確信めいた思いがあった。

  

 目玉ひとつで、人間の頭ほどの大きさ。

 かつて文字通り死闘をくり広げた『千の足』の超巨大害虫ほどではないにしても、おそらく下位の極限指定害虫といったあたりだろうか。なるほど、村に駐在する未熟な花騎士たちでは手に負えなかったのも無理はない。

 

 そんな大型害虫が放つ、まるで肌を突き刺してくるような明確な殺意に。

 真っ向から受け止めながら、ふんと鼻で笑って一蹴する。

 

 

「舐めるなよ……」

 

 

 プルモナリアの手を借りて脱出したさい、口の中を軽く切った。たいしたことはない。

 赤いものの混じった唾を吐き捨てて、再度言い放つ。

 

 

「もう一度言う。なめるなよ、本物の花騎士を。自慢の部下たちの力を」

 

 

 言葉が終わるのを合図としたかのように、巨大なムカデ型害虫が頭部を高く持ち上げ、いくつもの体節から長く伸びた数本の脚を振り上げる。

 さすがは多足動物、といったところか。それぞれが鞭のように自在に動く野太い脚のすべてを振り下ろすだけで、連続して襲いかかる多段攻撃になる。はじめの攻撃をかわしても、逃れた先で次々と攻撃が襲いかかってくることになるわけだ。

 

 だが――

 それも、すべての脚を攻撃に使うことができれば、だ。

 

 

「思惑通りには……させないっ!!」

 

 

 こちらを狙おうとした害虫の脚が本体から切り離され、高々と宙を舞った。

 モミジが駆け寄るや目の覚めるような(はや)さで大剣を振るい、脚の一本を斬り飛ばしたのだ。

 いや、一本だけではない。ヒメシャラが、プルモナリアが、ムラサキハナナがそれぞれの攻撃で同様に他の脚に斬りかかり、またキンギョソウ、イフェイオン、アンゼリカがそれぞれの攻撃を叩きこむ。

 息の合った同時攻撃に、さしものムカデ型害虫も苦痛の叫びをあげ、その巨体を大きくよじった。

 

 

「皆の者、このまま一気に……!」

 

「待ってください、ヒメシャラさん!」

 

 

 頭部を天高く掲げた体勢だけに、巨大害虫の腹部が剥き出しのように露わになっている。そこを狙うべく害虫に近接しようとするヒメシャラを、ムラサキハナナが鋭い声で制した。

 ムラサキハナナの声で、誰もが機敏に察したようだ。とっさに全員が距離を取った瞬間、まるで頭上から巨大な岩が落下してきたかのように、ムカデ型害虫が自分の頭部を大地に叩きつけた。

 もしもあのまま害虫の腹を狙って正面に飛び出していたなら、回避は非常に困難だっただろう。巨躯を有効に利用したその一撃は、獲物を圧殺するに十分すぎるほどのスピードとパワーを有していた。

 

 何本かの脚を切り落としたことで攻撃力をかなり削いだと思ったが、実際は害虫にとって大したダメージになっていないのかもしれない。

 となれば、まずはなんらかの方法でその動きを封じたい。本格的な攻撃を加えるのはそれからだ。

 

 

「偉い人、大丈夫?」

 

 

 こちらを案じるプルモナリアに、問題ないと返す。カルミアが身を挺してかばってくれたおかげで、ほんの軽い擦過傷程度ですんでいる。

 そのカルミアのそばにはスノードロップが寄り添い、態勢を立て直している。ちらりと後方に目をやればイオノシジウムが早くもこちらの意図を正確に察して、退路をしっかりと確保してくれているようだ。

 

 

 よし、撤退だ。

 ……と思った瞬間、まるで示し合わせたかのように、巨大害虫も身を退いて逃走に移った。

 

 

「……っ! このまま逃がすかっ!」

 

「待って、モミジ! 逃げてた他の害虫が集まりだしてる!」

 

 

 イフェイオンの言葉に視線をむけると、たしかにそれまで散り散りに逃げるだけだったザコ害虫たちがこちらに反転する姿勢を見せ、同時に巨大害虫を迎え入れようとしていた。

 

 やはり、いったんここで仕切り直しとするべきだろう。

 次こそが、まさしく殲滅戦となる。そのときは、なるべくならこのムカデ型害虫とは、接近戦の前に遠距離攻撃である程度の動きを鈍らせておきたい。

 何本かの脚を失いはしたものの、機敏さはほとんど損なわれているようには見えない。

 またカルミアの負傷も気になる。ムカデ型の攻撃に遅効性の毒が含まれていたりでもしたら、一刻でも早い手当てが必要だろう。

 親玉は生きているとはいえ、もはや奇襲をかけるためにザコ害虫たちにこちらの意識を集中させるだけの戦力は残っていない。次回は最初から親玉自身が直接ぶつかってくることになるはずだ。

 

 親玉害虫と合流すると、まるで潮が引くように森の奥へと害虫たちは姿を消していった。

 完全勝利とまではいかなかったものの、こちらの優勢はもはや揺るぎない。今回はそれで良しとすべきだ。

 ただ、危ない場面もあった。迂闊な我が身を反省すると同時に、文字どおり命がけで救ってくれたカルミアには感謝しないといけない。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「……団長さん、ちょっといいー?」

 

 

 ――警戒をつづけながらも、ひとまず各自に呼吸を整え。落ち着きを取り戻させる。

 と、同時にムカデ型巨大害虫がいたあたりを調べていたキンギョソウが、気になることでもあったのか、こちらの名を呼んだ。

 

 

「これ、なんだろ? というより、どう見ても指輪だよね……?」

 

「……本当ですね。ひょっとして、あの害虫が身に着けていた……?」

 

 

 身に着けていたというよりは、どこかで拾って体内に隠し持っていた、といったところではないだろうか。

 ムラサキハナナに自分の見解を話しながら、キンギョソウからそれを受け取った。

 

 誰がどう見たところで、指輪そのものだ。

 もちろん、害虫用とかそういう話ではない。人間界で使用され、まっとうな価値が与えられているものだ。

 光り物に興味を示す害虫はわりと多い。なのでたまたま拾ったムカデ型害虫が気に入り、肌身離さぬように持っていたのだろうか……。

 

 指輪といっても多くの種類があるだろうが、見たところそれなりに値が張るような品物だという気がする。少なくともひと目でわかるような安っぽさはない。

 環状の金属部分は害虫が手荒に扱っていたためか傷がついたり曲がったりしているものの、肝心の宝石は奇跡的に無事なようだ。

 宝石の素材はクリスタルだろうか。害虫のもとにあった期間はわからないが、その光沢に衰えはないように見える。

 

 しばらく裏返しにしたりまた表に返したりしているうちに――それに気がついた。

 

 ひしゃげた輪の裏に刻まれているもの。読みづらくなっているが、文字だ。

 万が一、読み間違いということがあるかもしれない。なのでムラサキハナナに手渡し、彼女にも見てもらった。

 

 

「……はい、間違いないと思います。これ……この名前は……」

 

 

 なにか重大なものを見つけたとでもいったふうに、戦いが終わっていくらか緩みかけていたその表情が、ふたたび厳しいものへと変わる。

 

 帰りを待つ父と弟を残したまま、戦死した花騎士の名前が、そこに記されていた――

 



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6-9 ノクターン・コンチェルト

  

「えーーーっ!?」

 

 

 ――まあ、そういう反応が返ってくるよな。

 

 害虫との緒戦を終え。完全撃破には至らなかったものの、一名も欠けることなく村へと帰還したのち。

 集団のボスであるムカデ型巨大害虫の奇襲を受け、こちらの身をかばって負傷したカルミアの手当てがすむと、彼女に戦列から離れ後方待機するように命じた。

 

 

「こんな傷くらい、へっちゃら! だんちゃんとスノーちゃんが力いっぱいぎゅーってハグしたって、どこも痛くもなんともないデース!」

 

 

 食ってかかるほどの勢いで、自身の健在ぶりを必死にアピールしてくるカルミア。

 こんなふうに簡単に受け入れてもらえないことは、だいたい予想がついていたが……。

 

 巨大な害虫が、その全身を余すところなく使ってのしかかるという圧力。そんな途方もないパワーを小さな身体で受け止めて、全力で抵抗したのだ。

 いかに花騎士、また花の蜜を飲んでだいぶ回復したとはいえ、身体の内側にダメージが残っていないだろうか。そうした気がかりを、綺麗さっぱりと拭い去ることはできない。

 

 自分のすぐ隣には、スノードロップがいる。

 村に帰還するまでの間も、さらに医務室で治療を行っているときも、カルミアを心配してずっと付き添っていたのが彼女だ。

 そのスノードロップを制し、ちゃんとこちらから説明すると話したのは、他ならぬ自分自身だ。

 この身を守ってくれての負傷。だからこそ、なおさら他人に説明を任せるわけにはいかない。そう思ったのだ。

 

 

「……だんちゃんはカルミアのこと使えない子だって、嫌いになっちゃったデス……?」

 

 

 そんなことはない。あるはずがない。

 その点ばかりは強く否定しつつ、決して彼女を遠ざけようとして言っているのではないということを、あらためて伝える。

 必死に頑張ったのに次回から戦列を離れろと言われれば、誰だって不満に思わないわけがない。簡単には割り切れないというカルミアの気持ちはもっともだと思うし、十分に理解できる。

 しょんぼりとうなだれるカルミアの頭を優しく撫でながら、なんとか納得してもらうべく説得をはじめた。

 

 害虫との戦いでの負傷など、日常茶飯事だ。

 すでに外傷はほとんど消えかかっている。これなら少なくとも表面上は今後に影響が残ることはないだろうという見立てを受けており、ひと安心している。

 だがやはり、できることなら完全に癒えたかわからない状態で、連戦となる次の戦いに臨んでほしくはない。万が一ということがある。

  

 今日の戦闘で害虫側が受けたダメージは甚大なはず。

 この様子なら、こちらの戦力がひとり欠けたところで大勢に影響はないだろうというのは、他の花騎士たちとも共通の見解だ。

 ましてカルミアはこちらの身を守って自身が傷を受けてしまったのだ。恥じることは何ひとつないし、むしろ堂々と療養に努めてほしい。

 

 

「うー……」

 

 

 いまだに不満の声を漏らしてはいるものの、こちらの説明を聞いているうちに少しずつ気持ちが軟化してきているのは間違いないようだ。

 そう。決して邪魔者扱いするのではない。この点に関してだけは、何度も重ねて言うべきだろう。

 そして……必要不可欠な戦力だからこそ、彼女には特別な任務を引き受けてほしいのだ。

 

 

「とくべつな任務、デス……?」

 

 

 ああ、そうだ。

 名目は後方待機だが、ただのんびりと過ごしてもらうわけじゃない。さらにまた、負傷して戦線から離れたという形は、むしろかえって好都合なのだ。

 

 

「……スノーちゃん……」

 

「……うん。何、カルミアちゃん?」

 

「カルミアのこと、いっぱいいっぱいハグしてほしいデス。そしたら……だんちゃんのこと、任せられるデス……」

 

「……もちろん!」

 

 

 そう答えながらカルミアの前に歩み寄り、優しく抱きしめるスノードロップ。

 とたんにカルミアの全身から刺々(とげとげ)しさが消えていき、「ほわぁ~♪」と満足げな表情に変わった。

 

 

「安心して、カルミアちゃん。みんながいて、ひとつのチームなんだから。誰もいなくなったり置いていかれたりしないで、全員で帰ろうね」

 

 

 まるで小さな子をあやすかのごとく、深い情愛のこもった声で語りかけるスノードロップ。

 そばで聞いているこちらまでが一緒に心が温かくなってくるような、そんな優しさだ。

 

 

「……わかったデス。カルミア、だんちゃんの言うとくべつな任務をがんばる! でも、その前に……」

 

 

 じーっ……。

 

 この場合、カルミアの要求はいつもシンプルだ。

 少しだけ肩をすくめたあと、わかったという言葉とともに彼女に歩み寄る。

 ハグの体勢を解いたスノードロップがこちらを軽く見上げ、嬉しそうに微笑みながら場所を譲ってくれた。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 次の日を迎えた。

 日が改まったとはいえ、最終的な目的はなんら変わらない。連日の行動になるが、太陽が頂点に届くよりも早い時間に村をあとにした。

 昨日、なんとか説得を受け入れてくれたカルミアは、この場に姿はない。別の任務を遂行するため、村に残っている。

 

 ――今日の目的は、害虫と戦いを決することではない。

 

 その前に、ひとつ。どうしてもやっておきたいことがあった。

 明らかな寄り道、といわれても仕方がないと思う。余計な感傷を引きずっているという指摘にもまた、きっと苦笑しながら首肯することだろう。

 だが、それでも。どんな言葉を投げられようとも、やらねばこちらの気が収まらないのだ。

 

 向かった先は、森ではなく。

 命を散らした若き騎士団長の花騎士の霊がいる、あの丘だった。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「……団長。えっと……」

 

 

 ――昨日の夜。

 彼女の来訪を受けたのは、だいぶ遅い、深更といっていい時間だった。

 

 それが日常とはいえ、昼間には害虫との激戦を繰り広げたあとだ。すでに多くの花騎士たちは夢の国の住人になっているであろう。そんな頃合いだ。

 部屋の扉の前にぽつんとたたずむ彼女もまた花騎士のひとりであり、若い女の子でもある。廊下の薄明りの中に浮かび上がる少女の姿は、ひどく頼りなげに見えた。

 事前になにかしらの示唆や打診を受けた覚えはない。まるきり突然の訪問だった。

 正直、これで何も意識するなというのは、さすがに無理な話だ。

 

 そのまま部屋の前に立たせっぱなしでいるというわけにもいかない。

 なので、少女――イフェイオンに、部屋の中に入るかと声をかけてみる。

 

 武器を携行せずその身ひとつという姿は、不思議とそれだけで新鮮に見える。ごく普通の、どこにでもいる女の子とさして変わらない。

 ただその一方で、美の女神の寵愛を受けたと思わせるその容姿はどこか憂いを帯び、時として危うさを秘めた工芸品のように感じなくもない。

 

 

「団長の部屋……。こんな時間だし、それにわたし、こんな姿だよ? それでも入っていいの……?」

 

 

 こんな姿とは、丸腰だということを言いたいのだろうか。それでいてイフェイオンから拒絶の意思は欠片ほども感じられない。

 彼女の肩を抱くようにしながら、扉を閉める。瞬間、ふわりと、心がくすぐられるような香りを鼻孔がとらえた。

 

 ふと、昼間のスノードロップの香りを思い出した。

 こんなふうに言うと誤解を受けるかもしれないが、彼女たちそれぞれで微妙に違う。

 どちらが良い香りだとか優れているだとか、簡単に決められるようなものではない。ただ、どちらもが異性を()きつけるに十分な魅力を持っていることだけは確かだ。

 

 帰るなら今のうちだぞ、と冗談まじりに告げる。

 こんな時間に、しかも無防備そのものといった格好で異性の部屋に訪れてきて、その意味が理解できないイフェイオンではないはずだ。

 

 

「……い、いいよ。団長がそうしたいなら、いつだって……」

 

 

 こちらから顔をそむけ、うつむき加減に視線を部屋の床へと落としながら。

 (つぶや)くように、イフェイオンは覚悟を口にする。

 

 

「団長にだけ、何かをしてもらうのはズルいから。だから先に、わたしにしたいことを全部して……」

 

 

 単なる言葉。なのにそのイフェイオンの言葉は蠱惑的な魔力を帯びて、あたかも耳もとで(ささや)かれたような甘さを放っていた。

 窓の外は都市部にはない濃墨の闇が広がり、ランタンの光源のみが部屋をほんのりと照らしている。これから夜のひとときを過ごすには十分で、絶妙な明るさだ。

 

 

「団長になら、何をされたって構わない。わたしは絶対、あなたを拒んだりなんかしないから……」

 

 

 みずからが宣言したとおり、イフェイオンはすっかり受け身の体勢でいる。

 このまま何をしても、たとえそこに愛があろうとなかろうと――間違いなく彼女は受け入れてくれる。それはもはや確信そのものだった。

 

 ちょっとばかり顔を上げ、こちらの顔色をうかがってくるイフェイオン。

 その瞳には、どこか期待するような光も感じられる。だがそれ以上に、何か思いつめたような表情が気になった。

 

 

「おっぱい、触る? 服の上からでも、直接ぎゅって握ったりしてもいいんだよ」

 

 

 言葉を投げかけながら、わざとイフェイオンは胸の下で腕を組んでみせた。

 美しく整ったイフェイオンの双丘が、この年代の女の子特有の甘酸っぱい色香とともに強調される。服の上からでも容易にわかるほど、その恵まれた豊かな実りは思わず息を飲むほどだ。

 

 

「それよりも、最初からもっとすごいことされちゃうのかな、わたし。朝までずっと、何時間も団長のおもちゃにされちゃって……」

 

 

 言葉を重ねるたびに 後戻りすることができなくなっていく。

 歯止めを失ったまま昂りがどんどんエスカレートし、このまま理性の壁を突き破った先に身を委ねたい欲求が感情を一色に染めあげていく。

 

 

「んっ……。団長……」

 

 

 そのままイフェイオンに近寄り、彼女をベッドの縁に腰かけさせる。やはり抵抗する素振りはまったく見せない。

 そして、自分は……部屋の反対側にある机の椅子に、彼女と向かい合うような形で座った。

 

 

「……だん、ちょう……?」

 

 

 ……話したいことがあって来たんだろう?

 

 自制心をフル動員させ、可能なかぎりの穏やかさをこめて、彼女に言った。

 

 

「……わたし、また団長の優しさに甘えることになっちゃう。ごめんなさい……」

 

 

 謝ることはない。

 イフェイオンは文句なく、十分に魅力的な女性だ。そのことは、すでによく知っている。

 ただ、今夜はそんなことをする夜ではなかった。それだけのことだ。

 

 互いの気持ちを落ち着かせるための、しばらくの沈黙。

 惜しいことをしたという気持ちと、これでよかったという気持ち。いまだふらふらと揺れ動く天秤の重石を、努力して後者の皿の上に積んでいく。

 

 

「その……昼間のこと、なんだけど……」

 

 

 

 ――さっきイフェイオンは、自分のことを優しい、と言ってくれた。

 そして、それに甘えることになる、と。

 

 だが。自分に言わせるなら、それは違う。

 彼女の内奥にある心根のほうこそ、何倍も純粋だし、他の誰にも負けず劣らず優しい。

 このような提案を持ちかけてくる。代償に自分の身を捧げてでも。

 そのこと自体が、すでに何よりもの証拠ではないか。

 

 イフェイオン自身はおそらく気づいていないだろうし、その性格上、口にしたところで素直に受け止めてくれるかどうかわからない。

 だから今は、心の中でだけふたたび言葉にしよう。

 

 彼女は自分より、よっぽど優しい女の子なのだ、と。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 目的の丘の上へと、やってきた。

 

 広いだけで、小さな木立がいくつか点在する以外は何もない場所だ。ただその分だけ遮るものがなく、自分たちが滞在する村の姿を眼下に収めることができる。

 周辺に害虫の存在がないことを確認したあと、今回は花騎士全員とともに登ってきた。

 こちらからは見えないが、当然その様子は霊の2人にはずっとわかっていただろう。

 

 あいかわらず、プルモナリアとアンゼリカ以外は、その姿を認めることも声を聞くこともできない。

 彼女たちの案内ですぐそこにいるという場所まで来ると、2人の霊がたたずんでいるとおぼしき方向にむけて今日の来訪の目的を告げる。

 そして率いてきた花騎士の一同を横に整列させると、彼女たちとともに深く一礼して哀悼の意を捧げた。

 

 無念の死をとげた御霊(みたま)に、爾後(じご)せめて安寧なる時を過ごされんことを――

 

 しばらく、そうしたのち。

 こちらをうかがうように眼差しを向けてくるイフェイオンに、大きくうなずいた。

 昨夜の彼女との語らいはついに最後まで甘い話には発展しなかったが、まあ、それもやむなしだろう。

 

 

「……せめてもの、わたしたちの気持ちです。その、ずいぶんと遅くなっちゃいましたが……」

 

「わらわたちの我儘(わがまま)かもしれぬ。が、何もないよりは、な……」 

 

 

 霊となった2人のために、墓を作ってあげたい。それがイフェイオンの願いだった。

 そして今朝、あらためて彼女の口から仲間たちへ提案がなされたとき、スノードロップもヒメシャラも、そして他の花騎士たちも一も二もなくすぐに同意の声をあげた。

 不名誉な戦死と記録され、遺族に満足な情報すら提供されていないとすれば、墓などおそらくないだろうと想像するのが自然だろう。実際この丘や周辺にもそれらしきものは目にしていない。

 今さら慰めになるかどうかはわからない。が、死者に対する礼は尽くすべきだし、それに早いも遅いもないだろうと思う。

 

 騎士団の本拠地に戻れば、勇魂碑(ゆうこんひ)という名の鎮魂の石碑を、多くの花騎士に知らせぬまま用意している。

 まだ誰の名を刻むことに至ってはいない。が、こうして関わりをもった騎士団長と花騎士ということで、そちらに記すことを検討してもいいかもしれない。

 その件については昨夜、夜更け前にムラサキハナナと話し合った。もしそうなれば、名を刻む役はおそらく自分とムラサキハナナが負うことになるだろう。

 

 

 

 ――ただ、それらとはまた別に。いまひとつ判然としないことが、他にも残っている。

 しかし、今。その疑問も、ようやくにして氷解した。

 

 

「……なるほど、つまりあの子は弟さんなんですね。そしてあなたは、害虫にその弟さんが襲われたのを転機にして騎士学校に入った、と……」

 

 

 報告にあった、発端となった屋敷で見かけたという、小さな子供の霊。

 戦死した2人のための墓標を設ける作業のかたわらで、プルモナリアを介して聞き出したところによると。花騎士の霊の弟であるその子は、まだ幼いにもかかわらず害虫に襲われて命を失ってしまったらしい。

  

 館主である父がかつて騎士団に関係していただけあって、2人の子たちも花騎士や騎士団長といった存在に強い興味と憧れを持っていたという。

 そして、姉は弟の死を契機として本格的に花騎士を志し、騎士学校に入学したというわけだ。

 

 

「そっか……。普通、生きてる人たちには弟さんのおばけは見えないからね。あの館主さんも自分もおばけになったことで、はじめて再会できたというわけだ」

 

 

 プルモナリアの話になるほど、と相づちを打つ。

 その様子は彼女やアンゼリカだけしか感じ取ることはできないが、子供の霊について話題に出したとき、驚くと同時に嬉しそうな雰囲気を花騎士の霊から感じたのだという。

 それを聞いて、こちらもどこか少し温かい気分になった。きっと、とても仲の良い姉弟(きょうだい)だったのだろう。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「……それでは団長様、行ってきますね」

 

 

 ああ、とうなずき。十分気をつけるようにと念を押して、ムラサキハナナたち数名の花騎士を送り出す。

 2人の霊のためにささやかな墓を作ったあと。いくらかの休憩時間を挟み、行動を次へと移した。

 

 あらためて周辺の地形を調べ、そしてそれをよりしっかりと把握すること。

 昨日も行ってはいるものの、今回は本腰を入れての再調査だ。

 

 いくつもの丘が折り重なっているこの場所は、身を潜ませながら敵を迎え撃つのに有利な地形といえる。

 村そのものの防衛力は低くとも大きな被害の経験が少ないという事実は、この地形による恩恵が関係しているのは間違いない。

 ただそれも、場合によっては正反対に作用しかねない。隠れて行動するのに都合がよいということは、そのまま害虫側にも当てはまるのだ。

 ひょっとしたらすでに、害虫の隠れ場所などといったものがあるかもしれない。そちらに対しての調査も不可欠だ。

 地形を掌握することは、その地形を100%活用するのに必須のことといえる。ムラサキハナナはそのことをよく知っているし、安心して一任することができる。

 

 

「任せてよ、団長さん。なんかね、今日の私はいつもと違う気がするんだ!」

 

 

 自信にあふれた表情でそう請け負うのは、キンギョソウだ。

 

 

「こう……キュピーン!とね。いつもより、勘が冴えてるっていうか」

 

 

 元気よく意気ごむ彼女の頭を軽く撫でながら、頼む、と言葉を添える。

 キンギョソウの直感は、おおいに頼りになる。実際に昨日の戦闘でも、彼女の直感による警告が、巨大害虫の奇襲を完全に成功させることを阻んだ要因のひとつになったのは間違いないし、その後の深入りの愚を避けることにもつながったのだ。

 害虫が隠れ潜んでいることはおそらくないだろうが、油断はできない。そんなキンギョソウの直感は、ムラサキハナナの調査の助けになってくれるだろう。

 

 先行する花騎士たちと、彼女たちが戻ったあとに再調査する後発組と。

 今回もチームを2つに分け、それぞれに時間を置いて行動に当たらせることにした。

 

 そして、もうひとり――

 

 姿勢を正し、墓の前で丁寧に両手を合わせる、スノードロップ。

 そんな彼女の後ろ姿を黙然と眺めていると。やがて彼女が自分の髪の両側に手をやり、つづいてぱちんと髪留めを外す音が聞こえた。

 

 

「こんなものしかなくて、ごめんなさい。……いつかこの場所が、お2人の好きな花の色で彩られますように……」

 

 

 花騎士たちが持参したささやかな花が供えられた墓石に、一輪の花を模したスノードロップの赤い髪留めが添えられる。

  

 こちらの視線に気がついた彼女が振り向きざま、はにかみながら微笑んだ。

 瞬間。まるで戒めを解かれたかのように、スノードロップの豊かな後ろ髪が風に乗ってたなびく。

 何か言葉を返さねばと思いつつも、とっさに思い浮かんでこない。髪留めがなくなっただけで、大きく雰囲気が変わった気がする。慈愛に満ちた少女さながら、今まで見たことのないスノードロップがそこにいた。

 

 

「あの……団長さん……?」

 

 

 その声でようやく我に返る。すまないと返事をし、小さくかぶりを振る。

 ついうっかり、髪を下ろしたスノードロップに見とれてしまった。

 常に几帳面に身だしなみを整え、さらに恥ずかしがりでなかなか隙を見せない彼女のこと。

 たかが髪留めひとつとはいえ、こうした姿を見られるのは実に貴重であることは間違いない。

 

 

「あー! 何してるんですかー!」

 

 

 と。

 こちらの様子に気づいたアンゼリカの声に、思わず心臓が飛び跳ねた。

 

 いや、別にやましいことをしているわけじゃないのだが。

 

 

「ダメですよNGですよーそういうのは。フライングで団長さんを誘惑するのはですね、ちゃんとこちらを通してからにしてもらわないと的なー」

 

「ちち、違いますっ。団長さんを誘惑だなんて、そんな……!」

 

 

 豊かに広がった髪に隠れて見えないが、おそらく耳元まで真っ赤に染まりながら必死に抗弁するスノードロップ。

 それまでの空気が一気に吹き飛び、まるで台無しになってしまった。どうしてくれるんだこれ。

 

 というわけで。

 アンゼリカ、と静かに彼女の名を呼ぶ。

 

 

「どうしました、団長さん? もしかして幽霊の2人と、なにかまだ話したいことが思い浮かびました? 先発組のプルモナリアさんに替わって、意思疎通はこのアンゼリカにお任せあれですよ! それはもう、フィクションとノンフィクションとを織り交ぜこねくり回して……」

 

 

 お前、減給三か月な。

 

 

「団長さんの愛が過酷すぎるー!?」

 

 

 通訳にフィクション入れるな。こねくり回すな。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 ――納得できないか?

 

 さりげなく近づき、そう声をかけながら。

 ムラサキハナナたちの姿が丘から消えたのち。残った仲間の輪から外れ、木の根元にひとり座りこんでいるイオノシジウムの隣に、並んで腰を下ろす。

 

 

「……そういうわけでもないけど……」

 

 

 しばらくの間を置いて、反応が返ってくる。

 一応は、こちらの問いを否定した形になっている。とはいえ、ひどく曖昧だ。

 

 

「……ううん。誤魔化しても意味ないわよね」

 

 

 それまでうつむき加減だったイオノシジウムの頭が持ち上がると同時に、小さく嘆息する音が聞こえた。

 ……彼女の不満は、理解できないわけではない。

 

 

「間違った評価は、ちゃんと正すべきよ。このままでいいなんて、絶対おかしいわ」

 

 

 命令違反、あるいは敵前逃亡。生き残った花騎士たちからそのような嫌疑がかけられているとは、2人の霊は想像すらしていなかったようだ。

 そのことを告げた瞬間、ひどく驚いていた……というのは、プルモナリアから昨日聞いた彼らの様子だ。

 

 最初から、彼らにはそんな意思など毛頭なかったのだ。

 そのとき、騎士団長はすでに自身で歩行が行える状態でなかった。ゆえに敵前逃亡など、仮にしたくともできなかったといえる。

 命令違反についても、情状酌量の余地は十分にある。少なくとも決めつけて一方的に断じるのは、いささか乱暴にすぎた。

 

 スノードロップにも話したことだが、当時の2人が置かれた状況を考えれば、もう少し他の結論を出すべきだったと思う。

 ……が、それはこうして直接に会話を交え、詳細な情報が得られたからこそなのだ。誤解や食い違いがあったところで、それを責めるのもまた行き過ぎといえるのではないだろうか。

 結局のところ、仲間たちが混乱状態に陥っていたこと、また彼らが冷静に分析できるほど経験豊かでなかったことも不幸に拍車をかけたように思う。

 

 

「死人に口なし、とはいうけど。でも、今はそうじゃないわよ。あたしたちがいるんだもん。頼まれれば、彼らに代わってあたしがガツンと言ってやるわよ、ガツンと」

 

 

 周囲が勝手につけた虚像が独り歩きし、本当の自分が歪められてしまう。

 そんな悩みに付きまとわれてきたイオノシジウムだからこそ、彼らが受けた誤解というものに対してナイーブな姿勢をみせているのだろう。

 その一言には重みがあり、彼女の純粋で真っすぐな思いが詰まっていた。

 

 

「……でも。彼らは望んでないんでしょ、そんなこと。せっかく疑いを晴らすチャンスだってのに……」

 

 

 戦死した2人が霊になって現世にとどまっている理由。それは、失われた名誉を取り戻したいためではなかった。

 もっと大切な……彼らにとっては無二ともいえる大事なことの前には、もはや名誉などわずかほどの価値もないのだ、と彼らの意を汲んだプルモナリアは言っていた。

 たしかに花騎士の父親をはじめ、武勲や功績を第一に願っていたという様子は当事者たちからあまり感じられない。そのうえ先祖の功績なり不名誉なりを後世に伝えていく親類も他にいないようだ。

 だが、騎士団長の遺族についてはどうなのだろう。そちらについては明らかでないものの、2人の霊の意見が同じだったことを考えると、おそらく似たり寄ったりなのではないだろうか。

 

 残念だとは自分も思う。が、2人が誤解を解くことに執着する意思がないのなら、それでも強引に関わるのはこちらの独善でしかない。

 噛んで含めるようにそう告げると、しばらくしてから「そうね……」とイオノシジウムは不承不承といった様子ながらうなずいた。

 

 名誉よりも大切なもの。

 彼らが現世を去ることができなかった、貴重な品物――それをポケットから取り出す。

 

 

「指輪、か……」

 

 

 イオノシジウムがそう呟くのが聞こえた。

 

 こちらが用意した木箱に納められた指輪。花騎士の娘の名が刻まれ、そして生前の彼女が所持していたものだ。

 この世に残した未練。命を失い、害虫に奪われたままのそれを取り戻したくて、幽霊になってまで執着しつづけていたのだ。

 その後ふたたび手元に戻ってきたあとは、本人の許可を得て、こうして一時的に預かっている。

 

 

「見せてもらってもいい……?」

 

 

 ああ、とうなずき、彼女に手渡す。丁寧にそれを受け取ったイオノシジウムが、真面目な顔を崩さないまましげしげと眺めた。

 

 

「……ま、わかるような気もするわ。乙女心ってやつよね」

 

 

 指輪はこうして取り戻すことができた。ということであれば、2人の霊は未練を満足へと昇華させ、いつ成仏してもおかしくないということになる。

 が、そこをプルモナリアを通してこちらの希望を伝え、もうひとつの目的を果たすまで見届けてほしいと頼みこんであった。

 2人の絆があの巨大害虫を打ち倒す瞬間を、どうか最後に見届けてほしい。逝くのはそれからでも遅くはあるまい。

 きっとそれも、まもなく果たせる。おそらく数日のうちには片付けることができるだろう。

 あまり引きずらず、可能なかぎり早急に彼らの魂を解放させたいとは思う。

 

 ……ん?

 そんなことを考えていると、イオノシジウムがじっとこちらの顔を見つめているのに気がついた。

 

 

「……なーんでもないっ! どっかの団長さんも少しは見習ってくれたらなー、って思っただけよ」

 

 

 どうした?という問いにイオノシジウムから返ってきた答えが、これだ。

 苦笑を交えながら、善処する、と返事をする。

 口ではそう返したものの、彼女たちが寄せてくれる好意に対し、最終的にどう応えていくのか。それは自分でもまだわからない。

 

 言いたいことを言うと、こちらに指輪の入った箱を返してくるイオノシジウム。

 

 

「まったく、そういうとこよ。……あの子みたいに、あたしはいつでもオッケーなんだけどねー」

 

 

 その場ですっくと立ちあがった彼女が、若き花騎士と団長の墓標に視線を送る。

 しばらくそうしてから振り返ると 今度はいたずらっぽい光をたたえた瞳をこちらに向けてきた。

 

 

「いい? 期待させたぶん、いつかしっかりと責任を取ってもらうわよ?」

 

 

 

 

 

 ――入れ替わりの時間がやってきた。

 

 ムラサキハナナ、キンギョソウ、スノードロップ、プルモナリアといった面々が帰還し、交替でイオノシジウムをはじめとした残りのメンバーを送り出す。

 ただ、行動を開始する前に。こちらが言い出すまでもなく、彼女たちは姿の見えぬ同僚に祈りを捧げるため、墓標の前に手を合わせた。

 

 

「……もしできたら、わたしのお父さんとお母さんに伝えて。いろいろあったけど……今のわたし、きっと幸せだよ、って」

 

「……私も、姉と会ったら伝えてください。これからも、どんな結果になろうと、それでもずっと一番を目指しつづける、と……」

 

 

 イフェイオンとモミジには、また自分たちとは違う強い思い入れがあるのかもしれない。

 どちらもかけがえのない大切な人物を、害虫のせいで失っている。

 

 死者に対する想いは、一人ひとり様々に異なっていていい。そうあるべきだと思う。

 

 

 

 それぞれが、思い思いの言葉を2人の霊に投げかけていく。

 誰ひとり、それを笑う者はいなかった。

 

 



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6-10 追憶

今回は回想編。
幽霊となった花騎士の、過去のお話になります。
その形式上、いつも以上に地の文が多くなっています。どうぞご了承くださいませ。


 大切な家族が害虫に襲われ、命を落としてしまう――

 ありふれた話、というと聞こえは悪いけれど。私たちの住む世界(スプリングガーデン)にとっては、そうした出来事はさして珍しいことではない。

 

 けれど。

 いくら同じことがくり返されようとも。当事者の悲しみや無念が軽くなったり、近しい者たちが何も感じなくなるなんてことはない。

 そうなっては絶対にいけない、とも思う。

 

 我が家があるのは、街の城壁の外側。

 不便なことも多いけど同じような暮らしをしている人は他にもいるし、人口が密集する場所にはないスローライフぶりが気に入っているという人も少なくない。

 毎日のように花騎士が巡回してくれているので、害虫にさえ気をつければ治安も意外と悪くない。すぐ近くに街道が通ってもいるから、いざとなれば人を呼ぶことだってそんなに難しい話じゃない。

 

 それでもやっぱり……あとから悔やんでも悔やみきれない悲劇は、私たちの気づかぬうちに背後に忍び寄っていて。

 私や父が目を離したおりに、少し離れた森へ探検に行った弟。幼い好奇心の代償は、害虫に襲われたことで大きくついてしまった。

 そのまま命を落とし、唐突に私や父の前からいなくなってしまったのだ。

 

 

 

 ――父から聞かされてきた、花騎士たちの武勇譚。あるときは華々しく活躍し、またあるときは苦難の果てに人々を救う。

 尽きることを知らぬかのように存在する、あまたの物語たち。

 だから私も弟も、花騎士という存在に自然と憧れるようになっていた。

 

 でも、花騎士になれるのは女性だけ。騎士団長なら、男の子でもなれるかもしれないけど。

 

 

「すっごく残念だけど……男の子はね、花騎士にはなれないんだよ」

 

 

 ある日そう言ったら、弟は何を思ったのかしばらくして花騎士を描いたという絵を私にプレゼントしてくれた。とてもとても……ものすごく嬉しかった。

 小さな子供が描いた絵。だけど、一生懸命さはひしひしと伝わってきた。

 これが弟がイメージしている花騎士の姿なんだろう。身体の内側から生えているのは、翼のような白い羽根かな?

 ふふ。これじゃ花騎士というよりも、まるでお話の中で彼女たちと一緒に出てくる天使みたい。

 

 ……だから、そんな弟の命を奪った害虫を、私は許せなかった。本気で花騎士になろうと決意したのは、まさしくこのときだったと思う。

 母は弟が生まれてすぐに亡くなってしまったので、弟がいなくなってからは父と二人暮らしだった。そんな父をこの家にひとりで残していくことは大きな気がかりだったけど、私の決意を聞くと力強くうなずいて応援してくれた。

 

 そして、私は家を出て。

 騎士学校への入学が認められ、新しい生活をスタートさせて。

 

 そこで……あの人と出会った。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 害虫と戦うことを志した時期は、偶然にも、私も彼もほとんど同じだった。

 

 むこうは未来の騎士団長の候補生として。

 そして私は騎士学校の見習い花騎士として。

 はじめて出会ったのは、将来を嘱望される候補生たちが私たちの騎士学校を見学に訪れたときのこと。

 振り返ってみればあの日からずっと、私は彼に()かれていたのだと思う。

 ああ、世の中って広いな。こんな恋愛もあるんだ。

 

 学ぶ場所も住む場所も違っていたけれど、その後も何度か見学会が催され。そのたびに顔を合わせ、私たちはまず友達になって。

 それからは密かに連絡を取りあい、貴重な休暇の日には2人きりの時間を過ごして、少しずつ距離を縮めていった。

 

 ――そして、ある日。

 私の騎士学校卒業が、目前に迫ってきた。

 

 

「こっちも、いよいよ正式に団長として認められることになりそうだよ」

 

 

 2人のお気に入りのカフェで、テーブルを挟みながら彼はそう言うと少しはにかみながら微笑んだ。

 これまでの候補生とか見習いといった肩書きが外れ、危なっかしい新人ながらも一人前として歩きはじめていく。そのタイミングまでお互い一緒ということになったのだ。

 おめでとう、と先日彼から私に向けられたのと同じ言葉を、そっくり返す。まるで自分のことのように、すごく嬉しい。

 けれど瞬間的にこみあげた喜びを彼に伝えた直後、入れ替わるように心の奥で冷たい穴が口を開けるのもまた、自覚せざるをえなかった。

 

 いよいよ騎士学校を卒業すれば、どこかの騎士団に所属することになる。花騎士として私を求めてくれるところがあれば、どんなに遠くても赴任しなければならない。

 その一方で彼も騎士団長となれば、実績を積み重ねていくうちに、何人もの多くの花騎士を指揮下に置いていくことになるだろう。

 私の花騎士人生のスタート地点には彼の姿があった。けれど、ここからは違う道をそれぞれに歩いていくことになる。

 そうして、いずれ彼の前に、ひとりの女性が現れることになるのだろう。私じゃない、他の誰かが。

 

 ……喜ぶべきことなのに。冷静になればなるほど、相反する悲しみへと姿を変えていく。

 こんなはずじゃなかった。もっともっと、心からの笑顔を贈ってあげたかったのに。

 

 彼の目に、私はどんなふうに映っているんだろう。

 今すぐにも感情を爆発させかねない私に、そんな姿など見たくないのだろう。私が何か言葉を発する前に、彼のほうから先手を打つように口を開いた。

 

 

「だから……ついては、君に来てほしい。その、我が騎士団の最初の花騎士として……」

 

 

 テーブルの上に置いたまま、ぎゅっと握りしめている私の手。その上に、そっと彼の手が重ねられる。

 あたたかい。そして、ちょっと震えているようにも感じた。

 

 そっか。

 なぐさめとか、ましてや冗談のつもりなんかじゃない。彼、本気で言ってくれてるんだ。

 

 

「……君の剣技を見た瞬間から、ずっと思っていたんだ。踊り舞うような、美しい剣技だと。そして君となら、どんな害虫も必ず討ち果たせると」

 

「……私は。私は……」

 

 

 驚きと嬉しさとが一気に弾けて、言葉が形をなしてくれない。

 そんな私の表情を見て、重ねた手のひらの温かみを感じて。彼は優しげな笑みをたたえたまま、辛抱強く私の返事を待ってくれている。

 私の気持ちなんて。返事なんて。とっくの前から、決まっている。

 はじめて彼と出会ったあの日から、ずっと。

  

 

 

 

 ――そして。

 晴れて私と彼はそれぞれの学び舎を卒業し、騎士団長と花騎士の末席に連なることになった。

 

 

 

 

 念願の花騎士になった姿を彼のほかに真っ先に披露した相手は、故郷の父だった。

 それまでにも騎士学校で長めの休暇があるときは、必ずといっていいほど帰省していた。

 会うたびに少しずつやつれていくような、心なしか小さくなっていくように感じる父の姿。

 けれど案じる私に笑いながら手を振り、「気にするな」と毎度のように言う。

 

 見た目はそう思えないにしても、性格的に父はとても豪快な人だ。

 だって、街の外に我が家を建て、ずっとそこで暮らしてるんだもの。

 どんなに年老いても、気に入ったこの場所から離れたくないのだそうだ。

 害虫に襲われそうならすぐに逃げ、街の騎士団が討伐してくれるのを待てばいいと言う。そう断言する様子は、騎士団や花騎士を深く信頼していることがうかがえた。

 

 そんな父が花騎士の私を見て。ことのほか喜ばないわけがない。

 そして私もそんな父の姿を見て、花騎士になってよかったとあらためて思った。

 

 

「……それで、所属する騎士団はもう決まっているのか?」

 

 

 母亡きあと、ひとり厨房に立つ父の姿は、私にとっては子供のころからずっと見慣れた光景だ。

 そんな父が久しぶりに腕を振るってくれた2人きりの食事の席で。私はすでに所属先は決まっていることを、そしてそれが同期ともいうべき騎士団長のもとで唯一であり最初の花騎士となることを、包み隠さずに話した。

 たったひとつ、その騎士団長に恋心を抱いていることを除いて。

 

 ……それなのに。

 私の話をすべて聞き終えた父は、何度もうなずきながら。

 ちょっと寂しそうな、そしてそれ以上にどこか嬉しくもあるような、複雑すぎて私には真意がつかみ取れない笑顔を作った。

 え、なに……。なんか納得されてる……?

 

 

「……そうか。だとしたら私も、思いのほか早く孫の顔が見られるかもしれんな」

 

 

 ちょ、ちょちょちょ!

 なんでそんな展開になるのー!?

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 生まれ育った屋敷で父と過ごす、配属前のささやかな日々が終わりを迎えると。さっそく私は、上層部より命じられた任地へと赴いた。

 不安がないわけではない。けれど、騎士団長として私の上司になる彼も一緒だ。

 2人でなら、どんな困難だってきっと乗り越えていける。

 

 目的の村に到着すると、すぐに彼が満面の笑みとともに迎えてくれた。嬉しかったけど、ちょっと恥ずかしくもあったり。

 さっそくとばかりに、他の花騎士の面々と引き合わされ。また彼女たちを率いている何人かの騎士団長にも着任の挨拶を行う。

 驚いたことにその陣容は、いくつかのごく小さな騎士団の寄せ集めのようだった。

 花騎士にしたところで、私も含めて十名に満たない。さらにはその全員が新人ばかりで、熟達した経験者はひとりもいないという。

 知らなかった。こういうケースもあるのね……。

 聞くところによると、この地域で強力な害虫が暴れまわったという過去の事例はほとんどないらしい。

 見られるのは、せいぜい小型の害虫。騎士学校で行う研修や実地訓練で相手にするのとさほど変わらないような、たまに田畑を荒らして困らせるのを退治する程度という、恵まれた環境にあるのだそうだ。

 なるほど。それなら、この程度の駐留戦力で妥当だと判断されるのも無理はないという気がする。

 

 実際、数か月ほど平穏な日々が過ぎた。

 日々の巡回や個人ごとの鍛錬に明け暮れたりはするけど、それ以外はほとんど仕事らしい仕事はない。

 なんというか、こんなに平和な毎日で、お給料だけもらっているのが申し訳なく思えてくるくらい。

 

 

 

 

 そんな、ある日。

 

 

「どうしたの? こんなところで、あらたまって話なんて……」

 

 

 ――私は上司でもあり、ここまでずっと歩みをともにしてきた彼から、村の外へと連れ出されて。

 気晴らしのちょっとした散歩、という名目に付き合い、とある丘の上まで2人でやってきた。

 

 天気のいい日だった。

 

 一望というほどではないにせよ、小高い丘の上からは、それなりに村の姿を見渡すことができた。

 こうやって見下ろしてみるとあらためて、のんびりした村だなとしみじみ思う。そのぶん余計な争いといったものからも縁遠くて、大きな街に比べたら不便なこともあるけれど、この数か月のうちに私なりに愛着を感じるようにもなっている。

 他の地域では、まさしく世界の運命を左右するような大きな戦いが最近もあったと聞いている。

 けれど、私の任地はこの地域しかない。いずれ話に聞くような大きな戦いに参加しなくてはいけなくなるかもだけど、今は目の前にある村の人々をしっかりと守っていきたい。

 

 そうだ。彼のほうは、この村にどんな感想を抱いているのかな。今度聞いてみよう。

 ……そんなことを考えながら、私は彼の次の行動をじっと待っている。

 

 

「あー……えっと。その、なんていうか……」

 

 

 村の中を歩いているときから、彼の様子はどこかおかしかった。

 それが緊張のせいだということを、たとえ他の人が見抜くことができなくても、私には通用しない。

 そんなことがひと目でわかるくらい、長い付き合いだもの。

 だから――気づかれぬよう隠しつづけているものの、私の胸の鼓動も自然と早くなっていた。

 

 踏み出そうとしているのに踏み出せない。そんな彼のためらいぶりが、私にはもどかしく思うどころか、むしろ愛おしく見えた。

 だって、こういう人なんだもの。

 こういう人だからこそ、私が支えて。ときには逆に彼に支えてもらって、騎士団長と花騎士として一緒に過ごしていきたいと思ったんだもの。

 

 

「……つまり、あれだよ。今までありがとう。そして……」

 

 

 ついに彼は意を決して、ひと息にそう言った。

 そしてその勢いで、服のどこかに隠し持っていたであろうそれを、私の前に差し出したのだ。

 

 

「そして、これからも共にいてほしい。……人生の伴侶として、ずっと自分の隣に……」

 

 

 え、え?

 

 これって、指輪?

 ということは、まさか……。

 

 

 頭の中が真っ白になった。

 こういうことだろうとは、なんとなく予想していた。けれど、これは予想以上だ。

 私と彼との仲はすでに他の花騎士たちにも感づかれてしまっている。でも、まだちゃんとした恋人同士という関係でもなくて、それが少しだけ物足りなく感じていた。

 なのにこれは、どう考えても単なる恋人というだけとは違う。きっとそれ以上の関係を、彼は求めてきてくれている。

 階段を一気に駆け上がるようにプロポーズまでされるとは思っていなくて、私はまるで氷漬けにされた害虫のように固まってしまった。

 そんな私の反応に、不安げな表情を浮かべながら見つめてくる彼。

 

 

「……どうかな。駄目か?」

 

「ダメ……なわけ、ないじゃない……」

 

 

 あの日と同じ。

 最初の花騎士として、彼の騎士団に求めてくれた、あの日と。

 だから、答えも一緒だ。

 あの日から。いや、はじめて出会った日から、ずっと。

 

 恋人であり、そしてそれ以上の関係であることを示す、大切な指輪。

 どんなことが起きようと、私たちが歩いていく道はひとつ。そう、誓いを心に刻んで……私はそれを受け取った。

 瞬間、私の身体は彼に抱きしめられ、唇を熱いものが塞いできた。

 これからも、ずっと。私の想いは、彼のそばから離れない。この指輪とともに。

 いつまでも、あなたと一緒よ。

 

 

 

 ――その日の夜。

 

 

 私と彼は、はじめて結ばれた。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 彼のプロポーズを受けてから、二か月。

 村は引きつづき、平穏そのものといった日々を送っていた。

 ただその間も、人数の変化はあって。新人の花騎士を加えて一応の形をそろえた騎士団がひとつ、独立した格好で別の任地へと赴任したりした。

 けれど彼の騎士団は、いまだに所属する花騎士は私ひとりきりだ。

 

 人数の増減が激しいため営舎はかなり大きく、部屋の数には余裕があった。

 とはいえ私と彼は、あの夜の次の日から、ともに同じ部屋で過ごすようになっていた。

 

 私たちの関係が新しい一歩を踏み出したことは、もうみんなも周知の事実だ。

 最初は冷やかされたりもしたけれど、まったく隠そうとしない彼の私への愛情ぶりに、そんな態度も降参したかのようにすっかり消滅して。今では温かく見守ってくれたりしている。

 彼がそばにいてくれるだけで、私の一日は今までの人生の中で一番充実したものになっている。

 朝の弱い彼を起こすのは、私だけの役目。昼間はお互いに職務があるから少し寂しいけれど、昼食は必ず時間を合わせるようにしている。たまたま手の空いた時間に、あまり経験のなかった料理にチャレンジしてみるのも楽しい。

 そして、夜は。部屋に2つあるベッドのうち、ひとつは使われたことがない。

 自分でも知らなかった私自身が、彼の手で毎夜のように花開かされていく。それが怖くもあり、また恥ずかしいけれど嬉しくもあった。

 バカップルとか言われたって、気にならない。事実そうだと自分でも思うくらいだもの。

 

 

 一度、数日の休暇がもらえたときに、実家の父のもとへ帰った。彼が同行しようかと言ってくれたけど、さすがに父に報告するのはまだ少し恥ずかしくて断った。

 騎士学校の見習い騎士だった時代から手紙のやりとりはしているものの、久しぶりに見た父の顔は、何かはっとさせるようなものがあった。

 なのにあれこれと養生するよう言っても、「わかった、気をつける」と答えるばかりで、むしろ娘に余計な心配をさせまいとする気遣いがありありと見て取れた。

 ……次こそは。次の休暇で帰省するときは、いよいよ彼のことを父に紹介しよう。

 そして彼がいてくれたから今の自分があるのだと、私たちの将来を父に認めてもらおう。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 それは、かなり急な出来事だった。

 

 村のはずれ、丘のむこうの森に近い耕作地が、ここ数日ひどい荒らされ方をしているのだという。

 森といえば、害虫がよく住み着くといわれている場所だ。人間の出入りがほとんどないところだから、どうしても害虫の発見が遅れがちになってしまう。

 一匹や二匹といったごく少数で現れる害虫となら、この村に配属されてから何度か戦った。そして、それで村の平和を守り抜いたつもりになっていた。

 ……しかしひょっとしたら、群れからはぐれたものだったり、あるいは偵察のような役割を果たしていた害虫を相手にしただけだったのではないだろうか。

 そのような話が持ち上がり、にわかに害虫の群れという存在が現実味を帯びるようになった。

 

 これまでとは規模が異なる可能性がおおいにある。

 駐在する騎士団長が合議して、全員で出撃することになった。私や彼、そして他の花騎士たちの何人かにとっては、はじめての本格的な討伐作戦になる。

 不安はあった。けれど彼に抱きしめられているとその不安もあたたかな安心へと変わり、やがて小さな勇気が芽生えてくる。

 どんな戦いになるかわからないのだから体力を残しておかないと、と自分で言っておきながら。この夜も彼の愛を受け止め、精根尽き果てたように朝が来てもずっと眠りこむその顔を、先に目覚めて自分のお腹をさすりながら私は眺めるのが好きだった。

 

 

 

 支度を整えると、私は彼とともに自室を出て。

 そのまま他の花騎士たちや騎士団長と一堂に会し、害虫が潜む領域へと進撃を開始した。

 まるでピクニックに行くとでもいったふうに陽気にはしゃぐ花騎士もいれば、緊張感をあらわに隠そうともしない花騎士もいる。

 他の人から見れば、私はどんな感じに映ってるんだろう。子供っぽくはしゃぐというのも恥ずかしいし、自信に満ちあふれているわけでもない。

 ただ、隣には頼もしい騎士団長がいる。だから緊張感で顔を青白くさせるよりも、笑顔を周囲に振りまくことができていたように思う。

 

 

 

 ――やがて害虫の姿を発見すると、たちまち交戦状態に入った。

 まだ昼間だというのに薄暗い森に足を踏み入れてから、しばらく経ったあたりだった。「湧く」という言葉がこれほど適切なことはないと思えるほど、それは急に姿を現し、次から次へと数を増殖させていった。

 思えば、周囲の警戒が甘かったかもしれない。急いで隣のほうを見ると、彼もまた同じような表情で少なからず悔いているようだった。

 ただそれでも、しばらくは持ちこたえられる。私たちだって花騎士だ。一気に何匹もの害虫に囲まれなければ、そう簡単に負けはしない。

 

 やればできる。そう思った。あとから考えてみれば、そう思わされてしまった。

 まだ戦闘が開始してからそれほど時間が経ったわけではないけれど、みんなよく戦っている。私も何匹か倒すことができた。

 地の利は完全に害虫側にある。いつの間にかぐるりと包囲されつつあるものの、複数人の花騎士の力を合わせて一点に集中すれば、そこから脱出することもできそうな気がする。

 騎士団長たちも、おそらくそれに気がついているはず。あとは彼らが、私の騎士団長が、タイミングをいつ合わせるかだ。

 

 と。不意に害虫の包囲の一角が、雪崩を起こしたかのように乱れた。

 意外に頑強な花騎士たちの抗戦に音をあげたのか、包囲網の一部に大きな穴が開いたのだ。

 すかさず何人かの花騎士が解放された空間を占拠すべくそちらへと駆けていく。

 

 

「……待って!」

 

 

 その部分だけ、なぜか害虫たちは退いていく。その動きにどこか不自然さを感じて、私はとっさに声をあげた。

 が、彼らの耳に届かない。ここをチャンスと見たのか、後退していく一部の害虫を夢中になって追いかけていく。

 これでは戦列が大きく広がるだけでなく、やがて部隊そのものが二分されてしまう。いや、もうしかかっている。

 私と彼は、あわてて勝利への期待に(はや)った仲間を追った。

 

 先行する花騎士に合流させまいと、何匹かの害虫が近づいてくる。隣で走る彼の身をかばいながら、私は一匹一匹それらと渡り合い、なんとか撃破していった。

 だから――気がつくのが、一番遅れてしまった。

 

 追いかけていた花騎士たちの背中が見える。なぜか足を止め、それ以上先へ進もうとはしていない。

 何匹めかの害虫に斬撃を浴びせながら、ちらりと彼らの向かう先に目をやる。何か黒い壁のようなものが見えた。

 違う。壁なんかじゃない。メリメリと、周囲の木が一瞬にしてなぎ倒されていくような音が聞こえた。

 目の前に現れたのは巨大な害虫の腹部、いや尻尾だろうか。とすると胴体は、その頭部は。

 

 

「危ないっ!!」

 

 

 どん、と何かに突き飛ばされ、私は大地に倒れ伏す……より早く、転がりながら態勢を整えていた。

 そして、次に見たものは。頭上からまるで大きな岩塊のように振り下ろされた巨大害虫の頭部に、私を突き飛ばしながら巻き込まれていく彼の姿だった。

 

 先行していた花騎士たちは、巨大害虫の一撃をなんとかかわすことができたようだ。

 彼だけが……違う。私ひとりが、他の害虫に気を取られて巨大害虫が待ち構えていたことに気づけなかった。彼はそんな私をとっさに突き飛ばし、身代わりになったのだ。

 

 

 

 ――たしかにあれからしばらくの間、私は理性をほとんど手放していた。けれど不思議と、そのときの記憶は鮮明に残っていたりする。

 巨大害虫の一撃で、先行していた花騎士たちもたちまち我に返ったようだ。私と肩を並べるところまで下がると、後方の本隊と合流するタイミングを合わせはじめた。

 ただ、私は違った。自分が囮になるからと彼らに告げ、後方に下がるどころか前に出たのだ。

 

 もう、仲間の花騎士の声は私には届かなかった。害虫がふたたび頭を上げると同時に私はそのふところに飛び込み、彼のもとに駆け寄った。

 左腕と左足。無残なほどに潰れ、あらぬ方向に折れ曲がっている。

 そんな彼を背中に担ぎ、ごめんなさいと口にしながら、私は仲間たちと違う方向へ一目散に駆けだした。

 やっぱりそうだ。攻撃を受ける瞬間、うっすらと感じた感覚。この巨大害虫は、どうも私を狙っている気がする。

 ムカデ型害虫の半身がこちらへとねじ曲がるのを背後に察して、私はさらに足を速めた。仲間の花騎士たちが何か叫ぶような声が聞こえたけれど、それもやがて聞こえなくなった。

 ただ、巨大害虫は確実にこちらを標的にして追いかけてきている。それどころか、なんとなく他の害虫までもが自分たちに狙いを絞ったような気配すら感じられるようになった。

 

 荒かった彼の息が、どんどん細くなっていく。ごめんなさい。私は何度もその言葉を繰り返した。

 やがて、彼が小さく首を振る気配がした。そして同時に「降ろしてくれ」と、私の背中でかすかに息が漏れるのを感じた。

 前面。害虫の姿が何匹か見えた。戦いながら突破するしかない。けれど、重傷を負った彼を背中に負ったまま戦って、彼は無事でいられるだろうか。

 迷ってはいられない。背後からも、ゆっくりと巨大害虫が迫ってきているのは間違いない。

 もう一度、彼が降ろしてくれ、と口にした。さっきよりも小さく、かすれるような声で。

 ……一本の巨木を見つけ、私はそこに彼の身を横たえさせた。

 

 

 

 ごめんなさい。

 私はまた、その言葉を繰り返した。涙があふれ、それは私の頬を伝って彼の団長服に小さな染みを作った。

 そんな私に、彼はこれ以上ないほど微笑んでみせてくれた――ような気がする。

  

 

「……もう、一度……」

 

 

 切れ切れの声で、ささやくように言う。

 

 

「……こんな……場所じゃなく。……太陽の光に、照らされた……もとで……」

 

 

 震えながら、それでもゆっくりと彼の右手が延びてきて。

 そっと、涙に濡れる私の頬に触れた。

 

 

「……君の……世界で一番……美しい顔を……見た……かったな……」

  

 

 力を失った腕が、大地と重なる。それが最後だった。

 

 そっと、彼の頭を抱き寄せる。彼の抵抗はない。彼が動くことはもうない。

 彼の唇と私の唇とが重なり合う。

 害虫が少しずつ近づいてくる。包囲の輪がさらに縮まっていく。それでも私は、ずっとそのままでいた。

 

 やがて唇を離し、のろのろと立ち上がった。

 騎士学校に入学したときから、ずっと一緒だった剣。

 最後の戦いの前に、それを手にする。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 また、口にした。けれど今回は、彼に向けてでの言葉ではなかった。

 害虫の姿。次から次へと集まってきている。

 

 お腹に手をやった。

 そこに、彼との間の結晶の気配を感じたのは、いつだったろうか。そんなに前のことではなかったように思う。

 ごめんなさい。ちゃんと産んであげられなくて。あなたのママになってあげられなくて、本当にごめんなさい。

 

 ただ、どうしても。彼をこのまま見捨てることはできない。

 彼の身を置いて、私だけ逃げることは絶対にできない。

 

 

 巨大害虫の唸り声が聞こえた。

 

 

 もしも。

 もしも誰かが、私と彼の戦いを最後まで知ることがあったとしたら。

 父が私に何度も語り聞かせ、弟が夢みたような物語の花騎士のように――たとえ一瞬でも、なることができたかな。

 

 

 

 

「……あなたと、ともに」

 

 

 この世界でも。そして、これから向かう世界でも。

 あなたと私は、ずっと一緒。

 この指輪を受け取ったとき、そう誓ったのだから。

 

 いつまでも。

 変わることなく、永遠に――

 

 世界で一番素敵な騎士団長と。たったひとりきりの部下で、あなたの妻になった花騎士だよ。

 




長きにわたった物語も、ついにここまで来ました。
次回、いよいよクライマックスです!


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6-11 決戦

 動きが格段によくなった。

 短い間の傾向だけで決めてかかるのは早計であるものの、村に駐在する花騎士たちの表情は明るくなり、溌溂(はつらつ)さが増したように思う。

 これも自分が連れてきた、スノードロップやカルミアをはじめとした花騎士たちとの交流の成果だ。

 村の花騎士にとっては、彼女たちは尊敬すべき先輩のように見えているだろう。そんな先輩たちが限られた期間とはいえ身近で生活をともにし、また気軽に接してくれるのだ。

 

 戦死した騎士団長と花騎士の墓を作ってから、3日ほど。

 いくつかの確認や準備をしているうちに、そこそこ時間が過ぎてしまった。

 

 今もまた、みずから志願してきた者を数個のグループに分け、害虫エリアとなる森の入口付近まで偵察に行ってもらっている。

 経験に乏しいだけで、彼らもまた立派な騎士団長であり、花騎士なのだ。足りないところは先輩である我らがそれとなく導き、手助けしてやればいい。

 そうした変化が見られていく一方で、彼らはまた、前回の敗戦の経過に一部誤認があったかもしれないと素直に認めるようにもなっていた。我々が戦死した霊と会い、そしてはじめて明らかになった2人の事情を受け入れたからだ。

 ……まだまだ新米といって差し支えない彼らだけに、その発言力は非常に低いことは容易に想像できる。ふたたび報告書を上げ、再検討を求めたとしても、上層部がどう応じるかはわからない。

 が、なんにしても。どのような結果になるにせよ、まだこれから先の話だ。

 

 おそらく下位の極限指定害虫だと思われる、あのムカデ型巨大害虫について。

 未来の話をする前に、今はやるべきことをしておかねばならない。

 

 

 

 

 

「……うむ。やはり感じるな……」

 

 

 まず、注意深く四方から眺め。それからようやく手に取ると、ふたたび食い入るようにじっと見つめる。

 たっぷりと時間をかけ、真剣な表情とともに目を細めていたヒメシャラが、何度も確認をくり返しながらそう断言した。

 

 

「たしかに、魔力がこめられておる。常人には感じ取れぬであろうが、経験を積んだ花騎士ならば誰しもが多かれ少なかれ感じるはずじゃ」

 

 

 やはりそうか。

 

 戦死した騎士団長から、花騎士の娘に贈られた指輪。

 幽霊となってまで害虫から取り戻したいという願いが果たされたのち、ゆえあって現在は2人の許可を得たうえで自分が預かっている。

 もしまた害虫に奪われたり、また失くしたりなどしたら、2人の霊はきっと許してはくれないだろう。想像しただけでも恐ろしい。注意して扱わねば。

 

 未来多き男女を結ぶ、その象徴たる品。

 そこにクリスタルが用いられるというケースは、はたして多いのだろうか少ないのだろうか。

 パワーストーンなどといえば聞こえはいい。が、いずれにしても、宝飾品に加工される前に十分な検討が必要な素材であることは間違いない。

 

 

「さすがは団長、このような目利き(しらべ)をわらわに任せるとは。よき人選じゃ」

 

 

 満足げにひとつうなずくと、あらためてヒメシャラは太鼓判を押した。

 彼女と同様の意見は、指輪に触れたムラサキハナナやキンギョソウからも指摘されていた。そこにヒメシャラの見解が加わったことで、確定的になったと考えてよさそうだ。

 

 

「この十倍は高価なものも、逆に子供騙しにしか思えぬようなものも。わらわの歓心を買うべく、幾多もの男どもが様々な指輪を贈ってきたものじゃ。もちろん、そのすべてを突き返してきたがな」

 

 

 あんな経験なぞ不要のものと思っていたが、そのときに(つちか)った目がまさか役に立つとはな。

 最初は皮肉っぽく過去を振り返っていたものの、今では得意そうに話すヒメシャラ。

 

 

「……ただ、わらわは鑑定士などではない。ゆえにこれ以上については、すまぬが団長の意に沿えぬぞ?」

 

 

 申し訳なく思う必要なんてない。十分に役に立ってくれた。

 宝石がいまだに魔力を失わずにいる、と確信できたところで満点だ。

 

 しかし、まだ気になる部分は残っている。

 問題はその魔力が、どのような作用を周囲に及ぼすか、というところなのだ。

 

 

「ふむ……?」

 

 

 軽く首をかしげるヒメシャラに、こちらの見解を伝える。

 

 ムラサキハナナやキンギョソウに話を聞くまで、最初のうちは、すでに力を失っているものだと思いこんでいた。

 クリスタル……といえば。我が騎士団にとってもある意味、その因縁は深い。

 真っ先に思い当たったのは、我々にとって不可欠というべきもの。すなわち、クジラ艇に搭載されているクリスタルの存在だった。

 そちらには害虫に対する浄化作用が確認されている。実際、何度もそれで危機を救われてきた。

 

 となると。

 害虫になんらかの影響を及ぼす魔力が秘められていると仮定すれば。

 ひょっとしたらこの指輪には、害虫を引き寄せるような効力があるのではないだろうか。

 

 戦死した花騎士の娘はみずから囮になり、害虫に包囲されて力尽きたという。いわゆる四面楚歌というやつだ。

 その一方で他の仲間たちは、ひとりの犠牲者も出さずに撤退することに成功している。

 囮とはいえ、瀕死の騎士団長を抱えながら自身も逃げていたようだ。そして結果として、見事なまでに害虫を釣りあげた。

 本人はついに逃げ切ることが叶わなかったにしても、かの娘の行動がもたらした成果は完璧だった。冷酷かもしれないが、彼女がみずからに課した役割と結果だけを見ればそうなる。

 その要因を考えてみる。すると、指輪に宿る魔力の影響があった、というふうには思えないだろうか。ひとつの要素、因果として、考えてみてもいいのではないだろうか。

 

 

「なるほどのう……。しかし、結論から言うとじゃな。それはあるとも言えるし、ないとも言える」

 

 

 答えにしては明確さを欠き、はっきりとしていない。どういうことだろうか。

 するとヒメシャラは、おそらくじゃがと前置きした上で。

 

 

「指輪にこめられた魔力とは、そもそも祝福の力にもなるし、逆に災いを呼び寄せる力にもなる。つまりは表裏一体、持ち主次第だとわらわは思う」

 

 

 ……なるほど。

 たしかに手に入れるよりもずっと以前から害虫を引き寄せる魔力があったとするならば、それは明らかに呪いの指輪と呼べるものだろう。

 そんなものを、わざわざ愛する相手に贈る者などいるだろうか。

 戦死した騎士団長は花騎士の娘を心から愛していた。それだけは間違いなく、疑いようがない。

 

 

「かの者は、クリスタルという宝石が珍しきゆえに買ったのかもしれぬな。さらには必ず幸運をもたらすなどという尾鰭(おひれ)が、客の興味を引くようについていたのかもしれぬ。相手を心から想うからこそ、たやすくそれに乗っかったのであろう」

 

 

 まったく同感だ。

 あの騎士団長はおそらく純粋に贈る相手の笑顔と幸福ばかりを願って、この指輪を買い求めたのだろう。

 

 

「魔力とは、それを行使する者に力を与え、あるいは心に描いたものを具象化させるもの。とするならば、じゃ……」

 

 

 そういうことか……。

 2人の霊は互いに愛しあっていると同時に、騎士団長と花騎士でもあった。

 その使命は当然、人々に平穏な世界を与えるべく励むこと。すなわち、害虫と戦ってそれを駆逐することに他ならない。

 ならば。任務であろうとなかろうと、もし害虫が近くにいれば、呼び寄せてでも撃破していけばいい。結果的に、平穏な世界で幸せに暮らすという彼らの望みとも合致することになる。

 つまりは、おそらく――花騎士という、世界花の祝福を受けた娘が手にしたことによって、後天的に発動するようになった魔力、といったところだろうか。

 

 その効力がどれほどのものなのか、それははっきりとしない。

 個人的な見解を言うならば、おそらくは思ったほど強い魔力ではないのではないだろうか。そんな気がする。

 魔力を感知できる害虫は一部に限る。とはいえ群れのリーダー格であるそれの興味を向けさせ、引きつけるだけの力があるというのは確実なようだ。

 甘い芳香を周囲に放ち、必要とする相手を求める。多くの生物が自然と有しているその力を、いま手にしている指輪に埋めこまれたクリスタルもまた発揮しているのだ――とまあ、そんなところだろうか。

 

 ならば。それを利用して、次の作戦を立ててやろう。

 戦死した騎士団長と花騎士の娘が(のこ)した指輪と、そしてその想い。それは、我らの騎士団が受け継ごう。 

 今度は攻守を逆転させる。こちらが彼らの領地に足を踏みこむのではなく、害虫たちにやって来てもらうのだ。

 

 

「……さて。どうじゃ、団長。わらわの貢献ぶりは、しかと団長の心を捉えることができたかの?」

 

 

 お、おう。

 おかげで次の作戦に、たしかな自信をもって臨むことができる、が……。

 

 

「ならば……のう? 指輪(これ)を有していた者たちも、すでに踏み越えたのじゃ。わらわたちも、その……次の一歩を進んでもよき頃かと思うのじゃが。より深くそなたに貢献できるよう、わらわも覚悟を決めたでな……」

 

 

 ヒメシャラといえば、勝ち気な性格という印象が強い。

 そんな彼女がまるで(ささや)きかけるように、恥じらいをあらわにしながら身体をこちらへと寄せてくる。

 

 

「ささやかな代物でよい。驚くほど安価でも、粗末なものとて、わらわは文句は言わぬ。団長からもらえる指輪なら、それだけで無上の価値を持つのじゃ」

 

 

 彼女の息がかかる距離。

 珍しく羞恥心で頬を染めあげて、ヒメシャラがゆっくりと顔を近づけてくる。

 

 ……不意に、その動きがぴたりと止まった。

 そして今度は、反対にこちらから離れてゆく。

 

 

「……すべての花騎士に等分に愛を与える、か。まったく、いつになったらその仮面を外し、荒々しき本性を見せてくれるのかのう……」

 

 

 最後のラインを超える寸前で、彼女の額をちょんと指先でつつく。そう思っていたこちらを先読みしたかのように、結局は機敏に察したヒメシャラのほうから距離を取ることになった。

 愛想を尽かされただろうか。そんなことを考えながら、背中にひとすじの冷たいものが伝わっていくのを感じた。

 が、少し恨めしそうな顔をこちらへと寄越したものの。まもなくそんなヒメシャラの表情は苦笑へと変わった。

 

 

「……まあ、こうして焦らされるのも、そなたの立場を考えればやむを得ぬかもしれぬな。良人(だんちょう)の伴侶となるには、寛容さも身につけようぞ」

 

 

 自分は部下に恵まれている。

 このようなとき、いつもいつも思い知らされることだ。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 花騎士どもが、今日もまた森の入口をちょろちょろと歩き回っている。

 あるときは大胆に森の中に入りこみ、しかし危険を察知するとすぐに退いていく。この前の戦いから動きが徹底されており、目障りなことこの上ない。

 すっかり数の減った支配下の手下(がいちゅう)のうち何匹かを使い、花騎士どもを釣ってみた。

 が、以前は面白いほど乗ってきたのに、今度は動じる様子が全くない。かといってそのまま一部が森の外へ出ようとすると、これがあの無様(ぶざま)な花騎士連中かと思えるほど、巧妙な連携で反撃してくるのだ。

 

 この前の戦いで受けた傷痕が、連中の血を欲してしきりに(うず)く。

 忌々しい。しばらくは傷を癒やすことに専念していたが、そろそろ限界だ。

 

 先日戦ったのは新手の花騎士だろう。今後さらに数が増えることはない、という保証はどこにもない。

 時間が経てば経つほど、多くの手下を失ったこちらが不利になるのは明白だ。

 連携して対処してくる花騎士ども。ならば、その連携ができなくなるくらいに大量の手下を一気にぶつければいい。

 しかし、もう駒がない。一匹残らず手下全部を動員して、一度きりの戦いで花騎士どもを打ち倒すしかない。

 まだそれは可能なはずだ。そして村もろとも焼き尽くし、灰燼に帰した光景を肴に勝利の祝宴を(たの)しもう。

 

 

 ――森の最奥にある巣から残存する全ての害虫を引き連れ、森の外を目指して行動を開始した。

 身を隠すのに好都合だった木々は、邪魔な花騎士さえ全員殺してしまえばもう必要ない。なぎ倒していくのに、何の躊躇も未練もない。

 当然というように、森の入口で花騎士どもに捕捉された。構わない。もとよりそのつもりだ。

 手下どもを全部ぶつける。すべて死んだところでどうということはない。

 こいつらの撃破に花騎士どもが力を尽くしている間に、自分がその一人一人を潰していけばいい。

 

 気配を感じる。

 以前、(たお)した花騎士が指にはめていたもの。いや、それに付いていた石。

 鈍い手下どもは何も感じないようだ。だからそれを奪うときも、形勢不利と見て退却するほかの花騎士どもへの追撃を最小限にして、石の持ち主である花騎士を囲むようわざわざ指示しなくてはならなかった。

 まあいい。どうせ手下どもには過ぎた品だ。その魔力を感じ取れるのが自分だけだからこそ、群れの頂点に君臨できるのだ。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

「準備はいいですか、2人とも?」

 

 

 丘の陰に身を隠したモミジが、かたわらのイフェイオンとムラサキハナナへと振り返りながら言った。

 

 

「うん、大丈夫。いつでも合図して、モミジ」

 

「……わ、わたしもです。害虫の動きも予測内ですし、問題ありません」

 

 

 イフェイオンとムラサキハナナそれぞれの返事にうなずいたあと、丘の上を見上げる。

 ここから見える絶好の位置で自分たちと同様に潜んでいるイオノシジウムが、自身を見つめるモミジに気づいて軽く手を振ってきた。

 

 すべては入念に周辺の地形を調査しておいた賜物だ。

 モミジはこれから行動をともにする2人に、優しい笑みを向けた。イフェイオンもムラサキハナナも、どちらも信頼できる仲間だ。

 ただそれでも……イフェイオンと比較すれば、ムラサキハナナとは一緒に動いた経験はまだ数少ない。

 

 

「……イフェイオンさん」

 

 

 なにかを語りかけるように、モミジがイフェイオンに顔を向けながら目配せをする。

 すると明敏に彼女の意図を察したイフェイオンが小さくうなずき、無言のまま軽く微笑んだ。

 

 

「……あの、お2人とも……?」

 

「ムラサキハナナさん」

 

「はい……?」

 

「攻撃開始の合図。私でなく、ムラサキハナナさんが出してみませんか?」

 

「……え? わ、わたしがですか!?」

 

 

 それほど状況に余裕があるわけではない。

 突然の話に面食らうムラサキハナナに、畳みかけるようにしてモミジはつづけた。

 

 

「ごめんなさい、少し間違えました。私の代わりに出してください、ムラサキハナナさん」

 

「で、でもっ! わたしなんて……」

 

 

 大きく戸惑いつつ、助けを求めて隣のイフェイオンに顔を向けるムラサキハナナ。しかしそのイフェイオンの表情も、ムラサキハナナが期待するものとはまるで違っていた。

 

 

「大丈夫。わたしもモミジも、ちゃんと従うから。落ち着いてきちんとタイミングを見れば大丈夫」

 

「ううぅ……」

 

「……迷ってる暇はないですよ。ほら、もう害虫が迫ってきてます」

 

 

 これもまた経験のひとつだと、モミジは思う。経験を積み重ね、彼女なりに自信をつけていってほしい。

 案の定、気弱なところがあるムラサキハナナは戸惑いをみせている。しかしもう一押しだ。

 

 

「……お姉ちゃんの言うことが、聞けませんか?」

 

 

 我ながら、これはずるい物言いだ。けれど同時に、おそらくこれが姉というものだとも思う。

 妹のような――大切な仲間の成長を信じているからこそ、時にはこういう言い方もしてしまうのだ。今になって、それが深く理解できた。

 お姉ちゃん?と怪訝な表情を浮かべるイフェイオンに肩をすくめてみせる。戦いが終わったら、彼女にもムラサキハナナとの間にあった出来事をちゃんと説明しよう。

 

 

 

 

 ……少しずつ、あの石が放つ気配が強まってきている。

 他の手下どもがそれに気づく様子は、あいかわらずない。つくづく鈍い奴らだ。

 石を奪い取ったときもこちらが命令しなければ、目の前の別の花騎士どもとの戦いに熱中し、持ち主である花騎士を取り逃がしてしまっていたかもしれない。

 こいつらはただ単に、本能的に強い者に従っているだけだ。

 こんな手下どもを気にかける必要などまったくない。花騎士に襲いかかり、返り討ちにされるような弱い奴はそのまま死んでゆけ。

 

 不意に、側面を突かれた。

 石の魔力に吸い寄せられるかのように、ちょうど谷間のようになっている一本の道をただ前進することだけしか考えていなかった。

 左側の、背の高い丘。その陰に巧妙に隠れていた花騎士どもが攻撃をかけてきたのだ。

 咆哮を上げる。しかしそのときには、すでに手下の何匹かを失っていた。

 

 

 

 

「今度こそ終わらせる! 跡形もなく、消え失せろっ!」

 

 

 ――ひとりは、紅蓮のごとき(ほのお)をまとった大剣を軽々と扱う花騎士。

 彼女の闘気を具現化したような真紅をベースにした鎧に身を包み、モミジは一撃で複数の害虫を(ほふ)ってゆく。

 

 

 

「命乞いは許さない。倒す、害虫の魂までも、全部」

 

 

 ――ひとりは、先端に魔力をこめた長杖を自在に操る花騎士。

 その動きにはまるで無駄がなく、驚くほど的確に攻撃を害虫に叩きこんでいく。

 そして、決して突出はしない。害虫を消滅させるやすぐにバックステップし、イフェイオンは冷静に左右の仲間の状況を確認する。

 

 

 

「チャンスは逃がしませんっ! 必ず、勝利につなげてみせます!」

 

 

 ――ひとりは、手にした軍扇を振り下ろし、同時に自身の周辺に舞う魔力の刃で敵を斬り刻む花騎士。

 華奢な体つきながらしっかりと制御された魔力で斬撃を繰り出し、害虫を両断していく。

 ムラサキハナナのその効率的な動きは、すでにベテランの花騎士の領域と遜色はない。

 

 

 

 金属同士がこすれ合うような、けたたましい叫び声で巨大害虫が周囲を威圧する。と同時に、モミジを狙って全身を使った一撃を繰り出す。が、命中には至らない。

 ごく短時間のうちに、手下の小型害虫たちは目に見えてその数を減らしていた。

 もともと一対一ではモミジたち花騎士のほうに分があったのだ。そこに奇襲という形が加われば、もはや圧倒的な優勢といえよう。

 ようやくにして態勢を整え直した害虫たちが、いっせいにモミジたちと相対する構えをとる。

 と、その瞬間飛来した矢に貫かれて、また一匹の害虫が消滅した。

 

 

 

「ほらほら、盛り上がるのはこれからよ。あたしの矢をかわせるかどうか、自身に賭けてみなさい。ま、2度目の賭けはないと思うけどね!」

 

 

 ――頭上から、驚くほどの精妙さで害虫を次々と射抜いていく花騎士。

 丘の上に伏せた弓兵部隊さながらに、何人もの人間で行われるような斉射を、たった一人きりで実現してみせるイオノシジウム。

 最初の一撃を見舞ったあとは、主に空中を飛ぶハチ型害虫に目標を定め、狙い撃ちにしている。

 

 最初のぶつかり合いにしては、害虫側にとって明らかな大ダメージだ。依然として健在なムカデ型巨大害虫をのぞけば、ほとんど戦力が半減したに近い。

 それでも、モミジたちが身を退くタイミングは実に鮮やかだった。イフェイオンもムラサキハナナも余力を残しながらさっと害虫から距離を取り、イオノシジウムも害虫の飛行戦力を撃墜し終えると丘の頂上の物陰に身を隠した。

 それを見た残る害虫たちも、追いかけ始めようとしたところで――

 

 親玉のムカデ型巨大害虫がくぐもった唸り声を発したかと思うと、次の瞬間、今度は反対に聞く者の鼓膜を突き破るように甲高く咆哮()えた。

 まさしく威圧されたかのごとく、他の害虫たちの動きが止まる。そして……くるりと向きを変えると、導かれるように直進する巨大害虫に従って、丘の狭間の道を進みはじめた。

 指輪の魔力に引き寄せられていることは、もはや明らかだった。

 森から出てきた直後の戦力から半数といっていいほどの割合が、すでに潰えている。小型害虫たちを巨大害虫を守る壁とするなら、その様子は明確に崩壊の兆候を示しているといった状態だ。

 

 

 

 そんな壁の一角が、大きく崩れた。

 モミジたちが現れた反対側。右手の丘の奥から、別の花騎士たちが奇襲をかけたのだ。

 

 

 

「この身の程知らずが! 己の所業を悔い、来世での生き様を考えながら散るがよい!」

 

 

 ――強靭なる魔力でいかなる存在をも斬り裂く鉄扇を振るい、流麗なるさまで見る者の心を奪う花騎士。

 臆することなく群れに突っ込み、害虫たちが囲もうと動きを見せたときには、ヒメシャラの姿はもうそこにはない。

 果敢な性格と優れた戦いのセンスが彼女の敏捷ぶりを支え、たおやかな姿からは想像できないほどの戦果を叩き出していく。

 

 

 

「私の直感がキミたちの敗北を告げている……。どっか~んといくよー!」

 

 

 ――その愛らしい外見から繰り出される鉄槌は正確無比に害虫を捉え、一撃のもと打ち砕いていく花騎士。

 華奢な少女の身体で巨大なハンマーを自在に振り回すその姿は、キンギョソウこそ世界花の恩恵をもっとも強く受けているとすら思いかねないほどだ。

 うっかり勢い余った体勢を整えなおそうとする彼女の背後に、別の害虫が回った。それを察したキンギョソウがハンマーごとくるりと身軽に全身を回転させ、相手の動きを牽制する。

 と、次の瞬間、彼女を狙った害虫がなにかに斬り刻まれるようにしながら消滅した。

 

 

 

「死神が通りますよ~。注意……するまでもないか。もう死んじゃったし」

 

 

 ――断罪人のごとき大鎌で敵を刻み、自ら冥界への門にいざなう花騎士。

 キンギョソウの背後を襲った害虫を涼しい顔で葬り去り、息もつかずにプルモナリアは次の相手に現世との別れを強制していく。

 

 

 

 まるで一気に外皮が引きはがされるように、みるみるうちに親玉を取り巻く害虫たちが消滅していく。その速度はモミジやイフェイオン、ムラサキハナナ、イオノシジウムの4名の花騎士が攻撃したときと変わらない。

 またも巨大害虫が金切り声を上げると、それを合図として残りの害虫のすべてが一斉にヒメシャラの周辺に殺到していく。

 また同時に自身も頭を高く上げ、攻撃の体勢を取る。狙いはひとつ。仲間の害虫を巻き込んででも、確実にヒメシャラを屠ろうとする動きだ。

 

 

 

「いきます! みんなの笑顔のために、これ以上誰も傷つかないために!」

 

 

 ――頭の上。害虫たちを見下ろす場所に、真っ白な花びらが舞った。

 いくつもの白き花弁を操るは、ひとりの花騎士。イオノシジウムのちょうど反対側の丘の上に身を潜めていたスノードロップが、宙空に浮遊する花々に魔力をこめる。

 まもなく花々から放たれた光のシャワーが害虫たちの視界を純白に染め、まるで浄化させるかのように穢れたその身を分け隔てなく消滅へと導いてゆく。

 スノードロップの攻撃が終了した瞬間、大きく後方に飛びすさるヒメシャラ。直後、巨大害虫の一撃が彼女のいた地面を大きく穿ち、大地に亀裂を走らせた。

 

 息の合った連携を前に、取り巻きの害虫はごくわずかをのぞいて跡形もなく姿を消した。

 ボス害虫を無視し、ついに小型害虫たちが逃走に移った。しかしそれもふたたび駆けつけてきたモミジやイフェイオンによって両断され、むなしく塵へと形を変えていく。

 

 2度にわたって必殺の攻撃をかわされた巨大害虫が、怒りの咆哮を上げる。

 その瞳が闇の業火を灯し、潰されるべき相手だったヒメシャラを睨みつけた。

 

 

「ふん、醜怪よの。痴れ者ゆえに、同じ攻撃()が何度も通用すると思うておる。笑止千万じゃ」

 

 

 巨大害虫を正面に見据えながら、開いた鉄扇を口元に当てて優雅に構えるヒメシャラ。

 そのさまは、大胆であり不敵そのもの。たとえ敵がどれほど強大だろうと、常に不変でありつづけることがヒメシャラの矜持だ。

 

 

「忘れてもらっては困る。花騎士はわらわだけではないぞ? そして、そなたを覆う鎧はもはや砕け散っておることをな」

 

「そろそろこの巨大ムカデの棺桶の用意をしないとね。あ、もちろんヒメシャラさんにも用意するから、ほしくなったら言って。……冗談だよ?」

 

 

 巨大害虫の死角にいつの間にか回りこんでいたプルモナリアが、鎌を振りかざして呼吸を整える。

 彼女だけではなかった。その隣にもうひとり、キンギョソウもいる。

 

 

「……準備はいい、プルモナリアさん?」

 

「地獄の扉はもう開いてる。いつでもどーぞー」

 

「よーし。それじゃ…………ぶっとんじゃええぇぇっ!」

 

 

 キンギョソウが自分のハンマーにありったけの魔力を注ぎ、何倍もの大きさへと変形させる。まるで巨大な鉄塊だ。

 

 

「私とプルモナリアさんとの合体技! 名前は、ええっと……スカルコンビネーションっ!!」

 

 

 キンギョソウの声と膨張したハンマーに目を奪われている間に至近距離まで迫っていたプルモナリアが大鎌を振るう。

 一撃、二撃、三撃。まるで複数の鎌が乱舞するかのように、死神の刻印が無数に巨大害虫の身体に刻みつけられてゆく。

 そしてそこに、ロケットのように射出されたキンギョソウの鉄塊が直撃した。その一撃はプルモナリアによって切り裂かれていた害虫の厚い外皮を突き破り、周辺の構造物を破壊するには充分すぎるほどの威力だ。

 

 

 

 

 ――また、巨大害虫の声が聞こえた。

 しかし今度は、これまでとは違う。明らかに苦悶の叫びといった感じだ。

 

 モミジやヒメシャラといった攻撃部隊が周囲の小型害虫を蹴散らし、ついに親玉の巨大害虫を丸裸にしたのが見えた。

 ただそれでも、まだ屈しない。巨大なだけあってムカデ型害虫は想像以上にタフなようだ。花騎士たちの攻撃を受け、たまに反撃をしながら、それでもなおこちらに近づいてきている。

 大きな傷を負わせたとはいえ、やはりまだ正面に立ちつづけるのは危険だ。

 仮に正面で巨大害虫の気を引くにしても十分な対策があること、基本的にはヒット&アウェイで挑むようモミジたちには命じてある。

 

 

 ――狙いを変えたか。

 残りの力を振り絞って、巨大害虫のスピードが増したように感じた。こちらに向かってくる。いよいよその姿がはっきりと見えるようになってきている。

 懐から取り出していた箱の蓋を開け、中に眠る指輪を取り出して高く掲げた。

 

 お前の狙いはこれだろう?

 来い。お前の命が尽きる前にここまで到達できるか、勝負だ。

 

 まだ距離があるものの、巨大害虫の視線がこちらをはっきりと捉えた気がした。

 前回の戦いのときもそうだった。数日ぶりに、ふたたびお互いの視線が交錯するのを感じた。

 大将同士、先に潰えたほうが負けだ。ここで決着をつけようではないか。

 

 

「だんちゃんは、カルミアが守るデス! ううん、ここにいるみんなで守るデース!」

 

 

 近づいてくる。

 隣にいたカルミアが、周囲に声をかけるのが聞こえた。彼女の声と同時に、自分の左右に複数の人間の気配や息遣いを感じることができる。

 

 ずらりと、花騎士や騎士団長が肩を並べていた。村に駐在する、まだ経験の浅い者たちだ。

 自分からは何も指示することはない。前回の戦いののち別行動をとっていたカルミアが彼らとの信頼関係を築きあげ、今はみごとなほどに束ねている。

 本陣の戦力は彼らが頼りだ。それだけしかいない。いや、彼らだけで充分だ。

 

 

「迎撃準備! えれがんとに待ち受けるデス! 終わったら、みんなで勝利のハグをするデース♪」

 

 

 カルミアとて、まだまだ戦歴豊富とは言いがたい。しかし周りの花騎士や団長たちはカルミア以上に不足している。

 それでも先輩花騎士の指揮を受け、彼らの姿には自信と闘気とをうかがうことができた。

 ある者は剣を構え、ある者は槍の穂先を向け。カルミアの号令のもと、巨大害虫にそれぞれの武器を突きつけ、堂々と対峙する。

 

 

 

 

「団長のもとへは行かせない。必ず、ここで仕留める」

 

「よき決意じゃ、イフェイオン。しかし、()()()()を忘れてはならぬぞ」

 

「もちろん。ヒメシャラさんこそ、一緒に巻きこまれたりしないようにね」

 

 

 巨大害虫の攻撃をかいくぐり、2人の花騎士がそれぞれに斬撃を浴びせる。

 それでもなお、相手は容易に倒れない。継続してダメージを与えつづけているとはいえ、油断すれば反撃の餌食となりかねない。

 何倍もの体格差からくる一撃は、わずか一発とはいえ花騎士を致命傷に至らしめるにはなお十分だ。

 

 

「まだ息があるか……。それなら、息の根が止まるまで叩き斬るまで!」

 

「至近距離で立ち止まるわけにはいきませんし、攻撃が軽くなるのは仕方ありません。でも……見てください、モミジさん」

 

 

 その攻撃力もさることながら、耐久力も驚異的だった。

 いまだに前進を止めず、団長のいる本陣へと向かいつづけている巨大害虫。しかしそのスピードは明らかに落ち、余裕はなくなってきているはずだ、とムラサキハナナは見た。

 あとひと押しだ。そして戦局は、まさに最後のひと押しの地点へたどり着こうとしている。

 

 ごくりと、ムラサキハナナは自分の喉が鳴る音を聞いた。

 軍扇を掲げる。これを振り下ろせば、いよいよ最後のトラップが発動することになる。

 不安な気持ち。自分程度が大それたことをしているという気持ちを、心の底に押しこめる。

 仮に失敗しても、ほかの先輩花騎士たちがフォローしてくれる。あえて楽観的な考えをめぐらせ、一度空気を深く肺の奥へと送りこんだ。

 

 

「私の直感に賭けてみる? えへへ、それで失敗したなら私の責任ってことにしちゃえばいいからさ」

 

「……いえ、大丈夫です。ありがとうございます、キンギョソウさん」

 

 

 キンギョソウとモミジが顔を見合わせ、互いにうなずいた。

 ムラサキハナナはそんな2人のことなど見ていない。キンギョソウたちとは反対の方向から「味方の棺桶を用意する必要はなさそうだね……」と(つぶや)く声が聞こえたような気がしたが、それもすぐに意識の外へと押しやった。

 

 集中。

 高く上げた腕は、まだそのままでいる。

 視線の先にあるのは、巨大害虫。ほかは何も見えていない。今この瞬間は、ほかに必要なものは何もない。

 ただじっと、巨大害虫の動きだけを凝視する。

 

 ――ムラサキハナナの腕が一気に振り下ろされた。

 

 

 

 

 ムカデ型害虫がひときわ耳に響く金切り声を放ちながら、その巨体を大きくくねらせた。

 片方の目に、一本の矢が突き立っている。同時に、苦痛に全身を歪ませる巨大害虫の周囲にいくつもの白い花が咲く。

 瞬間。魔力の束が数条の光の軌跡を描いて、目標物を突き刺した。

 

 

「今ですっ、アンゼリカさん!」

 

「あたしたちからの、とっておきのプレゼントよ。受け取りなさい!」

 

 

 ついに前進を止めた巨大害虫に、スノードロップとイオノシジウムの声が重なる。

 丘の上に立つ2人。彼女たちよりさらに高い上空に、ひとりの花騎士が待ち受けていた。

 

 

「わ、わかってたことだけど、重いんですけどこれ! っていうか、落としちゃっていいんですよね。ね!?」

 

 

 巨大害虫が目標地点に到達する少し前に思いきり飛び立ったはずなのに、もうかなり高度が下がっている。もともとそんなに高く飛べるわけでもないのだから当然ではあるが。

 世界花の加護を受け浮遊することができる花騎士は彼女だけでないとはいえ、アンゼリカの能力のひとつであることは間違いない。

 手にした物体の重みでふらふらと安定感に欠けながらも、巨大害虫の真上の位置をなんとか確保する。

 

 

「それじゃあ、いきますよー! ……どっせぇぇぇぇいっっ!!!」

 

 

 アンゼリカでさえ必死なのだから、一緒に運搬する彼女のお供である天使と悪魔はよりいっそうどちらも必死だ。

 そんな1人と2匹が全力を振り絞って、いっせいにムカデ型害虫めがけて投擲した。

 

 

 それは――目標物の全身をすっかり覆ってしまえるほどの、大きな投網だった。

 

 

 

「うっわ、軽い! あんな重いのを投げたあとの私の身体めっちゃ軽い! これが錯覚ってやつですか? 今なら私、どこまでも飛べちゃう的なー!?」

 

 

 本陣の新米花騎士たちが歓声をあげるのが聞こえたような気がした。

 落下とともに円を描くように網裾が開き、巨大害虫の周囲に広がる。頭から網をかぶることになった巨大害虫が振りほどこうとするが、当然ながら魔力によって耐久性を強化ずみだ。

 抵抗すればするほど、もがけばもがくほど、網はいっそう複雑に身体に巻きついていく。

 

 簡単に破られたり、引きちぎられたりはしないはずだ。

 そう計算してはいるが……その巨体に見合うほどのパワーがある相手だ。網が持ちこたえていられるのも、想定しているほど長くないかもしれない。

 だが、歴戦の花騎士たちがこの害虫を仕留めきるのには、十分すぎる時間だろう。

 

 

 

 ついに、この瞬間がやって来た。

 

 終わりだ、害虫。

  




かくしてボス害虫との決着がつきました。
明るい場面、悲しいシーン。どんな場面を書くにも苦労があるのと同じくらいに楽しさもありますが、同様に今回の戦闘シーンも頭を悩ませながら終始楽しみつつ書くことができました。
いよいよ次回、大団円です!


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6-12 最終話:福音に包まれて

 戦いは終結した。

 

 アンゼリカの放った投網により身動きを封じられたあと、花騎士たちの攻撃を浴びて地に倒れ伏し。

 その巨体でほしいままに暴れまくったボス害虫も、ついにクリスタルと似た輝きを周囲に振りまきながら消滅していった。

 

 

 モミジ、イフェイオン、ムラサキハナナ、イオノシジウム。

 そしてヒメシャラ、キンギョソウ、プルモナリア、スノードロップ。

 さらにはカルミアもアンゼリカも、みんなよくやってくれた。

 今回もまた彼女たちは持てる力を存分に発揮し、多大な戦果を挙げてくれた。

 

 一方で、村に駐在する団長や花騎士たちも、よく頑張ってくれた。

 なかには戦いが終わると同時に極度の緊張からか目の前で地面にへたりこんでしまっている者も何名かいるが、大きな怪我をしている者はひとりもいないのは幸いだ。

 彼らの表情はみな一様に明るい。主戦級の活躍ではなくとも自分たちもいくらかは勝利に貢献できたのだという思いが、その表情をよいものにさせているのだろう。

 今回の戦いは彼らのなかできっと、貴重な経験になるに違いない。

 丘の上を見上げながら、そう思う。犠牲になった者たちのためにも、心から願わずにはいられなかった。

 

 

 そんなことを考えていると、団長のひとりがこちらに近づいてきた。

 と、他の花騎士や団長たちも、いつの間にか顔をこちらへと向けている。

 

 勝利の酔いは早くも消え去り、その団長の瞳には誠実な輝きがあった。

 彼だけではない。他の誰もが同じように真剣な表情をしている。

 やがて彼は自分の目の前にまで来ると、深々と頭を下げた。そして、まるで全員を意思を代表するように、ひとつの頼みごとを口にする。

 ――それを断るつもりなど、はじめから頭にはなかった。

 

 

 

 誰が最初だったかはわからない。

 それまで統一されていたかのように整っていた、全員の歩調。それが誰かの一歩によって乱れ、瞬時にして他の者がつづき、一気に弾けたようにバラバラに崩れ去った。

 丘の頂き。彼らが守るべき村の姿が見渡せる場所に、ぽつんと立つ墓。

 そこに向かって、若き花騎士や団長たちがそれぞれに駆けていく。

 

 制止しようなどという気は、まるで起こらない。

 日数でなら、自分たちよりも彼らのほうがずっと長い付き合いなのだ。

 だから。戦死した2人の霊がいる丘に自分たちを案内してほしいと頼まれたとき、拒む気持ちはわずかほども湧いてこなかった。

 

 

 ごめんね。

 ごめんね、本当に――

 

 

 謝罪。悔悟。告げることができなかった気持ち。

 ある者はあふれる涙とともに、またある者は叫ぶように。さまざまな想いを、花騎士としての第一歩をともに過ごした仲間の墓にぶつけていく。

 ついさっきまでの、害虫討伐直後の疲れきった彼らの姿はそこにない。今はただ、一緒に成長していくはずだった戦友に対する純粋な気持ちが、疲労をどこかに押しやっているのだろう。

 

 後ろを振り返ると、自慢の部下たちがそんな彼らの後ろ姿を見守っていた。

 スノードロップが自分の目元に手をやっている。イフェイオンもまた泣き笑いのような表情を浮かべている。

 モミジやヒメシャラ、イオノシジウムやキンギョソウといった面々も、穏やかな表情でただ見つめている。

 ふと、あることに気がついて、プルモナリアのほうを見やった。

 彼女が向けている視線の先に2人の霊はいる。そう思ったのだ。

 

 ようやくにして、やっと。今度こそ本当に、彼らに指輪を返さなくてはならない。

 なおも思い思いに語りつづけている新人花騎士たちと同じく、自分も霊の姿は見えない。けれど、せめて感謝の意くらいは、あらためて彼らと向き合いながらしっかりと伝えたい。

 プルモナリアの視線の先。そっちか。たしかにいる。

 

 

 花騎士の娘。

 幻かと思い、目をしばたたかせてみる。いる。自分にも見える。

 まるで透きとおるような銀色の長い髪の、落ち着いた印象を受ける女性だった。

 少し大人びた感じすらあるのは、たとえ短い時間であったにせよ心から愛した伴侶との日々のゆえだろうか。

 彼女が微笑んだように見えた。すると整った顔立ちのなかに愛嬌らしさがにじみ、それが彼女の魅力をさらに引き出しているように思えた。

 花騎士の娘の隣には、彼女の騎士団長も立っていることがなんとなく感じられた。が、指輪を託した本人でないためか、あまりはっきりと認識できない。

 まもなく花騎士の娘も彼と同じように、また見えなくなってしまうだろう。彼らの願いは全うされ、こちらの任務ももうじき完全に終わるのだ。

 

 プルモナリアが、すっと自分の隣に進み出た。

 花騎士の娘がこちらに一礼し、彼女に向かって何か語りかける。

 幽霊の姿が見える、そのことがまず奇跡だ。さすがに声を聞き取ることまではできない。だが、不満に思うことはない。必要ならあとでプルモナリアが教えてくれるはずだ。

 指輪の入った箱を取り出す。プルモナリアに語り終えた花騎士の娘がそれを見て、こちらに満足したような笑みをむけた。

 彼女の口が開く。今度ははっきりと、彼女の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 その姿が、霧のなかに紛れ込むように。徐々に、ゆっくりと霞んでいく。

 

 消え失せてしまうのではない。新しい道を、彼女は歩きはじめたのだ。

 騎士団長の彼とともに、永遠に分かたれることのない誓いの道を。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 あれから数日が過ぎ、全員が無事に騎士団の拠点へと帰還することができた。

 

 ムカデ型巨大害虫を撃破したのち、彼らの巣を発見して掃討するのは容易だった。

 まるで打ち捨てられた家のように、害虫の一匹すらいなかった。つまりそれは、前日の戦いで文字どおり全戦力をもって我々に戦いを挑んだということで間違いないだろう。

 そのまま巣を破壊し、周辺の浄化を行いながら逃げ延びた害虫がいないことをはっきりと確認する。

 こうして、ついに。この地で果たすべき役割は完全に終了した。

 

 

 

 

「だんちゃーん! カルミア、きちんとりすとあっぷしたデース!」

 

 

 いつものように執務室のドアが元気よく開け放たれると、同じくいつものように軽快な足取りでカルミアが入ってくる。

 そしてそのまま机の真横まで歩み寄ると、その上に何枚かの紙片を置いた。

 よくやってくれた。そう言いながら軽く頭を撫でてやると、「えへへ~」と幸せそうな顔をするカルミア。

 

 遠征任務中は自分の身をかばって負傷し、前線から退いた彼女。

 それを理由に――特別任務としてカルミアには、村に駐在する花騎士たちとよりいっそうの仲を築いてもらっていたのだ。

 どんな相手にも物怖じせず、ごく当然であるかのように相手の懐に飛び込んでいける彼女の性格は、期待した以上の成果をみせてくれた。

 もともとこちらに好意的ではあった。が、実際に最前線で活躍しているカルミアが積極的に交流をもってくれたことで、新人花騎士たちがさらに素直に命令に従ってくれたのは疑う余地がない。

 そればかりか最後の戦いにも参加し、カルミアの指揮のもとで本陣の守りを担ってくれたのは、ほかならぬ彼らからの申し出だったのだ。

 彼らに不足しているのは経験であって、決して意欲や素質などではない。成長のチャンスがきちんと与えられれば、やがて頼もしい戦力に育ってくれるはずだ。

 

 そんなことを考えながら、カルミアから差し出された何枚かの書類を手に取り。期待できそうな人物はいたか、と彼女に聞きながらぱらぱらとめくってみる。

 

 

「どの花騎士たちも、みーんないい子! だからカルミア、本当はだんちゃんに全員を推薦したかったデス。でも仕方なく数人に絞ったデース……」

 

 

 さすがに全員というわけにはいかない、と苦笑しながら書類の中身に目をやった。

 そこには、新人花騎士たちの中からカルミアがピックアップした数人のデータが書かれているはずだ。

 彼女たちの中から将来有望そうな、そして本人の希望とこちらの花騎士たちともうまくやっていけそうだという判断があれば、何人か受け入れてもいい――

 そう考えて、それとなくカルミアに探ってもらっていたのだった。

 

 現時点では、まだなんとも言えない。カルミアの書類に目を通すのはこれからだし、最終的に彼女たちの転属を申し出るなり認めるなり、決めていくのは先の話だ。

 ただ、あるいは。彼女たちのうちから我が騎士団の最精鋭(エース)と肩を並べる者が現れる……そんな日が、ひょっとしたら訪れることになるかもしれない。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 今回の遠征任務の功績が上層部に認められたことは、単純に嬉しい。しかし、意外なほどの早さでこちらの要求が履行されたのには少し驚いた。

 ともあれこれで完全に、城外の幽霊屋敷と噂される建物と土地を我が騎士団の所有物とすることができた。まずは上々、といったところだろう。

 

 そうしたなか、花騎士たちとともに、屋敷へと赴いた。

 理由は言わずもがなだろう。屋敷のもともとの所有者であり、花騎士となった娘の帰りを待つ館主とその子供の男の子、2人の霊に会うためだ。

 先日、天に昇っていく花騎士の娘の姿を見ることができたのは、本当に奇跡としか言いようがない。普通ならそんなことはあり得ない。

 だから今回も、プルモナリアとアンゼリカの2人が頼りだ。

 

 遠征討伐から帰還して資金が滞りなく下り、屋敷購入のための手続きを終えるまで数日。

 それまでずっと、何もせずに放置していたわけではない。一度だけプルモナリアとアンゼリカを送り、あらためて騎士団が所有する意向を2人の霊に伝え、そして生きている人間がなんとか滞在できるくらいの最低限の清掃を行っている。

 ただ――最大の関心事である花騎士の娘については、何も話していない。

 近々騎士団長が訪れ、正式に通達するまで待ってほしい、と伝えただけだ。

 ……もっとも、我々にとって人生の先輩でもある館主だ。それだけで何か察してしまうかもしれないが。

 

 

 

 2人の花騎士に案内されて、屋敷の扉をくぐった。

 気にしなければ何ともないが、まだうっすらと埃っぽい感じが残っている。プルモナリアたちが事前に整えてくれたとはいえ、人が住まなくなるとこんなふうになってしまうのか、と少し驚かされる。

 屋敷の中へ足を踏み入れてすぐ。玄関ホールから廊下へとつづくその入口に、2人の霊は並んでこちらを待っていた。

 

 

「……長くお待たせして、すみません。こちらの方がわたしたちの騎士団長になります」

 

 

 自分には幽霊の姿は見えない。が、プルモナリアの紹介を受けて、彼女が声をかけたほうに向かって深く一礼する。

 今回は遠征任務に同行したメンバー全員とともに、ここへ来ている。そんなプルモナリアとアンゼリカをのぞいた彼女たちにわずかに緊張の色が走るのが、背中越しになんとなく伝わってきた。

 長らく花騎士の娘の動向を知ることができなかったこと、この屋敷が騎士団の手に渡ってしまうこと。それらについて実は不満を隠し持っている2人の霊がこちらに襲いかかってきはしないかと、そうした懸念もゼロとはいいきれなかったのだ。

 頭を上げ、プルモナリアとアンゼリカを交互に見る。だが、それについてはやはり、こちらの杞憂だったようだ。2人とも平然とした顔をしている。

 

 

「ここにいる他の仲間たちも、みんな事情をよく知る者たちです。安心してください」

 

 

 いつ聞いても相変わらず、幽霊に対するプルモナリアの態度は真面目で誠実だ。彼ら相手にはたまに飛び出す冗談も口にしない。

 場所を譲るようにプルモナリがすっと身を退く。かわりに一歩前に踏み出し、こほんと軽く咳ばらいをしてから、口を開いた。

 目の前に立っているであろう2人の霊にむかって告げる。

 ありのままに、告げる。

 

 残念なことに、花騎士となって旅立った屋敷の娘は戦死してしまったこと。

 生前、彼女と上司である騎士団長との間には、深い愛情という絆が結ばれていたこと。

 過程にはいろいろあったものの、最終的には彼女の仲間全員がその死を(いた)んでくれたこと。

 

 花騎士としては、短い生涯だったかもしれない。

 けれどきっと、団長と仲間たちに恵まれた、素晴らしい時間を送ったに違いないこと――

 

 

 

 

「……やっぱり、バレてしまってましたか……」

 

 

 そう口にするプルモナリアの声がした。誰に向けた言葉なのか、そしてその意味も、なんとなく察することができる。

 あるいは我々の行動から、館主は娘が自分たちと同じようにこの世の存在でなくなっていると、すでに感づいていたのかもしれない。

 目には見えないけれど、なにかしらそう思わせるリアクションがあったのだろう。

 

 その一方で。ひととおり語り終えたあと、後ろに並んでいた2人の花騎士に声をかけ、それぞれ自分の左右に立たせる。

 どちらもが害虫によって家族を奪われた経験をもつ、イフェイオンとモミジだ。

 数日前の出来事を思い出す。亡くなった娘と団長のために墓を作りたい、と真っ先に申し出たのがイフェイオンだった。

 その彼女が大事そうに手にしていた箱の蓋を開け、腕を伸ばして前方にいる2人の霊に中身が見えるよう差し出した。

 

 

「……ともに戦死された騎士団長から、娘さんに贈られた指輪……です」

 

 

 胸中にいろいろな想いが浮かんだのだろう。ほんの少しだけ声を揺らしながらイフェイオンがそう言葉にすると、あとの説明をかわりに引き継いだ。

 

 ……今後、この指輪は騎士団が丁重に保管していくことになるということ。

 持ち主の娘が消える直前、自分に託されたものがこの指輪だったということ。

 

 後ろを振り返り、ムラサキハナナと視線が合うと、彼女がうなずく。

 戦死した2人の霊の名を勇魂碑(ゆうこんひ)に刻んで。外に魔力が漏れぬよう指輪に細工を施したのち、責任をもって預かる。

 それが今回の件についての最後の仕事となるだろう。

 

 

 

 

「……さってと! どうでしょうかねー。納得していただけましたかねー?」

 

 

 やがて、アンゼリカがひときわ明るい声をあげた。

 気がついてみればたしかに、重苦しいムードが漂いはじめていたかもしれない。そうと気づいたアンゼリカが場を和ませようとしたのなら、悪くない判断といっていいだろう。

 

 

「……あ。それでは、最後に」

 

 

 そう言って、すすすと前に進み出るプルモナリア。

 どんな空気が流れていようとも、まるで悪びれるといったことがなさそうに見える。しかしこの場で今、もっとも感情に流されてはいけない立場にあるのは彼女だろう。

 司会を務める者として、プルモナリアはそのことをよくわかっているのだ。

 

 

「お亡くなりになった娘さんから、お2人に言伝(ことづて)を預かってます」

 

 

 ちょっと驚いたが、よく考えてみれば最後に何かを託す相手は自分ひとりきりでなくてもいいはずだった。

 思えば、プルモナリアも最後に何か言葉を交わしていたように見えた。あるいはそのとき、両者の間でやりとりがあったのかもしれない。

 

 

「まずは弟さんへ。……近くにいてくれたこと、ずっと気づかずにいてごめんね。お姉ちゃん、花騎士になったんだよ――」

 

 

 そんな言葉からはじまったメッセージを、この場にいる他の誰もが言葉を発することなく、耳を澄ませるようにしながらじっと聞く。

 プルモナリアの口調はよどみなく、すらすらと言葉を並べていく。かなりの長さだ。

 それでも不思議と、一言一句にいたるまで正確にきちんと復唱しているのだという、確信にも似た思いがあった。

 

 

「……最後にあらためて、お父さんへ。こんな私を育て、支えてくれてありがとう。先に天国で待っています。そして――」

 

 

 私の素敵な彼のこと、ちゃんと紹介するね。

 それと、おじいちゃんになったんだよ。その子とも会えるかな。ううん、きっと会えるよね。

 

 

 

 ……やがて、「以上です」という言葉とともに、すべてを伝え終えたプルモナリアが口をつぐんだ。

 

 ただ黙然と、しばらくその場に立っていた。

 何も言葉が思い浮かんでこない。他の者たちもどうやら同じようだ。

 館主と子供の、2人の霊は納得してくれただろうか。満足してくれただろうか。

 真実を語り、亡くなった娘の言葉と想いを伝えることが、ささやかな慰霊となってくれただろうか。

 

 

「あー……」

 

 

 ――そんな思念は、まもなくアンゼリカの声によって破られた。

 つづいて、プルモナリアがくるりと身をこちらへと回転させ、そして深く頭を下げた。

 

 

「……みんなお疲れ様。おばけたち、ちゃんと成仏してくれたよ。ということで、あとは糖分補給の時間にしよう」

 

 

 糖分補給はともかく、そうかという一言とともにうなずき、軽く息を吐いた。

 最後はいくらかあっけないような気もするが、こんなものだろう。

 娘のときとは違って、今回は相手の姿が見えずじまいだった。それが少し残念といえば残念だろうか。

 

 

「館主さん、最後にお礼を言ってたよ。娘の最期をしっかり伝えてくれてありがとう、だって。そしてこの屋敷と土地は騎士団に託す、って」

 

 

 指輪につづいて、託されたものがまたひとつ増えた。

 そして受け取った以上、責務をきちんと果たしていこう。そう心に誓った。

 

 幽霊となって現世にとどまっていた者たちは、これで全員が無念を晴らして旅立つことができた。

 きっと皆、ほどなくしてむこうの世界で再会することができるだろう。そう願ってやまない。

 

 家族の絆。恋人の絆。

 当たり前のようなことを、今回あらためて学んだような気がする。

 幸い、自分たちはまだ生きている。であるならば、それぞれの絆についてもう一度見つめ直してみるのもいいかもしれない。

 

 ……この世で命果てたのちも、ずっと。

 人の営みがあるかぎり、絆は大地に芽吹きつづける。

 

 

 

 

 

 

 

「あのー……団長さん?」

 

 

 不意に。

 アンゼリカが、おずおずと声をかけてきた。

 その声も表情も、今のこの場の空気にまるで合っていない。誰が見てもはっきりとわかるほど、困惑した表情を浮かべている。

 彼女が指先を虚空に向けた。当然のことながら、そこには何もない。あるとすれば、彼女が指差す方向に廊下がつづいていることくらいだろうか。

 

 

「いるんですけど……。まだ、そこに」

 

 

 ……は? 

 

 自分には何も見えない。けれど彼女が嘘をついているようにも見えない。

 というより、アンゼリカが嘘をついて得をするようなメリットがあるとも思えなかった。

 慌ててプルモナリアのほうを振り返る。すると普段は大きく表情に出すことのない彼女も、信じられないといった様子をあらわにしていた。

 どういうことだ? 幽霊たちは成仏したんじゃなかったのか?

 

 

「えっと……。館主のおばけが成仏したのは間違いない。けれど……」

 

「プルモナリアさんの言うとおりですよ。いやー、私もてっきり2人とも消えたと思ったんですがー」

 

 

 

 

 小さな男の子。

 館主の子供であり、戦死した花騎士の娘の弟の幽霊だけが、ひとりだけそこに残っていたのだった。

 




ようやく片がつき、終わりました。……たったひとつをのぞいては。

サブタイに最終話とか銘打っておきながら、完全なるおしまいではなかったりします。もうちっとだけ続くんじゃ、的な?
本編としては今回で事件解決=終了のつもりでいます。ただ、エピローグといった感じで残り1話だけ。最後にひとつだけ残された案件を片付けて、それで本当におしまいとなります。
最後の最後に、いよいよとある人物の大きな見せ場がやってきます! どうぞいま少し、最後までお付き合いをよろしくお願いいたします。


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6-13 エピローグ:ひとりじゃないよ

「だまされた……」

 

 

 なんということだ。

 このアンゼリカさんが、かくも簡単に罠にかかってしまうとは。

 もしかすると、などと疑うまでもない。冷静になって考えれば考えるほど、これは都合よく押しつけられたというやつに間違いないと思えてくる。

 

 

「ええそうですよ! 好きに過ごしていいって言われましたよ! なので私の好きにしちゃいますよ! フリーダム万歳的な、ですよ!」

 

 

 膨張した不満が一気に破裂したかのごとく。憤然とした勢いで、アンゼリカはそう叫んだ。

 いくら大声を出そうが、遠慮なんかする必要はない。好きにすると決めたのだ。

 どうせ耳を傾けてくれる人はいない。というか彼女以外に誰もいない。

 

 

「わ・た・しがMVP、じゃないんですかー! めっちゃ重い投網をちゃんと害虫に命中させて、大活躍したのはこのアンゼリカさんですよー?」

 

 

 頑張った。巨大害虫を倒す場面では、むちゃくちゃ頑張った。

 というわけで、差し出した労働力に対して報酬はちゃんと支払われるべきだし、受け取りを拒否するつもりもない。

 そして期待どおり、ご褒美をもらえた……はずだ。

 

 その結果が――

 正式に騎士団が所有することになった、城外にある屋敷。その滞留権(無期限)。

 簡単にいえば、つまり騎士団が本格的に運用を開始する前の管理を任された、というわけだった。

 

 

「でもなんですかこれ! なんで私を置いてみんな帰っちゃうんですかー!」

 

 

 現実は厳しい。たいへん厳しい。

 アンゼリカへの委任を見届けると、仲間たちはさっさと本拠地へと帰ってしまった。

 誰かひとりくらい残ってくれる人がいてもいいじゃん、と心のなかで愚痴をこぼしつつ……いつもの調子でこの屋敷を報酬にと、さながら欲望丸出しといった感じで要求してしまった自分の姿を思い出す。

 そのうえ、ならばと団長から役目を言い渡されると、後先考えずに自信満々かつノリノリで引き受けてしまったのも否定できない。完全に自業自得だった。

 

 不本意な部分はあるものの、いずれにせよ念願の大きな屋敷は手に入れた。騎士団のものだけど。

 だが、ひとりきりではさすがに手に余りまくる。ぼっちで過ごすには広すぎるのだ。

 いろいろと面倒をみてくれるはずのメイドさんや使用人もいない。

 そろそろ自力で食事の用意をしないと。叫んだぶんだけお腹が空いてきた。

 

 

「……今ここで餓死とかしたら、まるでこの屋敷が棺桶みたいだよね。大きくて立派な棺桶。なかなか入れるもんじゃない。……冗談だよ?」

 

「うおうっ!? プルモナリアさん、いたんですか?」

 

「……わたしだけじゃないよ。もうひとり、すぐ横にいるじゃん」

 

「うー……。そりゃまあ、そうなんですけどー」

 

 

 プルモナリアの言うことは正しい。

 とはいえ、人数にカウントすべきなのだろうか。非常に悩ましい。

 

 子供の幽霊。

 館の元所有者の息子であり、戦死した花騎士の弟でもある、まだ小さな男の子だ。

 彼だけがなぜか成仏せず現世に残ってしまった。……どころか、他の仲間たちが屋敷から引き払ってしまってからは、不思議とアンゼリカの隣から離れようとしなくなっていた。

 

 

「……アンゼリカさんって、子供に好かれるタイプなんだね。意外すぎるけど」

 

「意外すぎるって、ひとこと余計ですよねー。……いやいや、っていうか私だってはじめての経験ですよ! いつもなら親御さんのほうから近寄っちゃいけませんとか言われるのに!」

 

「それ、自分から言ったらダメだと思う……」

 

 

 アンゼリカのどこが気に入ったのか、その様子はべったりと付きまとうというような、明らかな粘着ぶりだった。

 幽霊になったからか、感情の起伏はほとんど見られない。子供らしく笑うこともなく、表情もまったく変わらない。

 ただ短い会話はできるし、そこから無感情なりに喜んでいるのか不満があるのかなど、かすかな変化を推し量ることはできた。

 

 

「うう……。庭付きの大きなお屋敷! そしてVIP待遇! ……そう思ってたのに~!」

 

 

 ところがどっこい。自分がお世話してもらうどころか、子供(の幽霊)の世話までしなければならないとは。

 しかも、いつまで続くのか見当がつかない。成仏してもらおうにも、心残りとなっている理由がさっぱり不明なのだ。

 

 

「……仕方ない、とりあえず夕食の準備でもしようか。アンゼリカさんはどうする、自分で作る?」

 

「あ。作っていただけるんでしたら、よろしくお願いしやっす、プルモナリア先輩!」

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

〇月×日

 

 救助要請のあった村に到着した。

 とても小さな村で、害虫の襲撃で村人のほとんどが逃げてしまい、残った者はわずかしかいない。逃げた、といっても害虫から無事に逃げることができたのだろうか。

 一軒だけ村の景観から明らかに浮いた、大きな屋敷に滞在することになった。もとは村の長の一家が住んでいて、害虫の襲撃で真っ先に全員逃げ出してしまったらしい。

 

 

 

〇月△日

 

 何日か滞在してみたが、救助要請があったわりには不思議と害虫の襲撃はない。

 しかし、それどころではなかった。村人のうちの数人が、忽然と姿を消してしまったというのだ。

 害虫の姿は影すら見ることができないから、その線という可能性は非常に低い、というのが我々の結論だ。とすると我々が救援に来たところで心穏やかになれず、彼らも村を捨ててどこかに逃げてしまったのだろうか。

 そのうえ奇妙なことは、村全体の様子だ。人がいなくなったというのに、あまりに関心が薄いように感じる。騒いでいたのは我々ばかりだ。

 

 

 

〇月□日

 

 依然として害虫の襲撃はない。そしてまた村人が消えた。

 しかも今度は全員だ。全村人が、一夜明けると我々の前からふっと姿を消してしまったのだ。

 どういうことだ。何が起きているのだろう。

 まるで村に取り残されてしまった我々数名は、本格的に調査を開始した。

 

 

 

〇月■日

 

 なんということだ。我々のメンバーからも、ついに調査に出かけたきり帰らぬ者が現れてしまった。

 

 

 

×月%日

 

 今日もまた行方不明者が出た。残りわずかとなった、我々の大事な仲間のひとりだ。

 日に日に、暗雲が我々の頭上に重く広がるようになっている。村を見捨て、撤退しようという意見も真剣に検討されているほどだ。

 ただ今日は、この絶望的な状況に比べればわずかなほどでしかないが、光明もあった。村の近くを流れる川。そこから異常が検知されたというのだ。

 ただ惜しいことに、それを発見したメンバーは先ほど急死してしまった。

 彼の死と川の水の異常とは関係があるのだろうか? 村で普通に生活用水として使われていた水だ。

 

 

 

×月×日

 

 今日、激しい戦闘があった。害虫との戦いではない。我々人間同士の戦いだった。

 村人たちが帰ってきた。そして、行方知れずとなっていた我々の仲間も。

 ただ、彼らを……仲間だと、そして同じ人間だと、そう呼ぶことはできない。

 彼らには生命の気配をまったく感じなかった。動きはするが生きてはいない、そんな感じだった。

 

 

 

×月▽日

 

 昨日の日記を書いたあたりから、体調が優れない。

 一晩眠れば回復する。そう信じていたものの、今ははっきりと間違っていたことがわかる。自分の中に、自分とは違うなにかがいる。

 この日記も明日からは文字で埋まることはなく、ずっと空白が続くことになりそうだ。これが最後になるだろウ。

 今日もまた、村は襲われている。害虫でハなく、かつての村人たちにだ。

 昨日も書いたが、彼らはすでに彼らデはない。人間のようでいて、別のなニか。

 まだ戦えるほんの数名の仲間が防戦ニ出ていったガ、無ダな抵抗だ。ホら、今も悲鳴が上がっタ。

 

 みンな、すまナい。こコまでガ限界のよウだ。

 自分デあっテ、自分でハナイ。それガ、ワかルようにナってキた。

 ジンるイのテキは、ガいちューではナイ。真のテキは――

 

 

 

 あああああ……ぞんび……

 

 

 

 

 

「……はっ!? ごく普通の花騎士の物語のはずが、いつの間にかめっちゃホラーストーリーにっ!?」

 

 

 ふと我に返るなり、アンゼリカは愕然となった。

 すらすらとネタが湧いてきた自分の才能が恐ろしい。ただし内容はというと、どうしてこうなったのか。

 

 

「……おーい。アンゼリカさん作の渾身のお話、聞いてますー? っていうか寝てるしー!」

 

 

 かつてリビングとして使われていたという部屋。

 夕食をすませ、きちんと食器類を片付けたのち。特にすることもないので、ずっと子供の霊の相手をしていたのだ。

 けっきょく一日中、こんな調子だった。トイレや入浴といったプライベート以外はずっとアンゼリカにつきまとい、ぴったりとくっついたように離れようとしない。

 あまりに露骨に彼女を慕う子供の霊の態度に、プルモナリアはちょっと傷ついたようだ。今夜はもうすべてをアンゼリカに任せると言い残し、用意しておいた自分の部屋へと引っ込んで早々に就寝してしまっている。

 

 

「……にしても、本当に花騎士の話が好きなんですねーこの子。っていうか、それ以外の話にはほとんど興味を示さないし……」

 

 

 かつて生きていたときも、姉と一緒に父である館の主から花騎士の物語を好んで聞いていたという。

 今もまた、アンゼリカにせがんできたのはその手の話ばかりだった。そしてネタが尽きたアンゼリカが苦しまぎれに即興話を語りはじめると、いつのまにか勝手に寝てしまっていたというわけだ。

 

 

「興味……かあ。なんでこの子、プルモナリアさんじゃなくて私に興味あるのかなー?」

 

 

 リビングテーブルにこてんと頭を預け、すっかり眠ってしまったように見える子供の霊。

 幽霊にも睡眠が必要なのかどうかはわからないが、こうして眺めると本当にただの小さな子にしか見えない。

 

 

「まー。それもこれも、にじみ出る人徳の差ってやつですかねー。やー、生まれついての大物な私! でもってまだ小さいのにそれを見抜いちゃうこの子もすごくないですかね実は!?」

 

 

 幽霊だろうとなんだろうと、寝顔はあどけない。

 ちょっとした悪戯心に導かれて、その小さな頬を指先でつついてみる。

 

 

「むー……」

 

 

 幽霊であることをすっかり忘れていた。

 ぷにぷにとした反応が返ってくるかと思いきや、すかすかと手応えがなかった。ろくに触れることすらできない。

 

 ――そもそも、この子はどうしてここにいるのだろう。どうして、父親の霊と一緒に成仏しなかったのだろう。

 いまだに理由はまるで思い当たらない。しかし、なんらかの未練を抱えたままでいることは疑いようがなかった。

 

 

「そうですねー……。まー、この子の相手をするのもイヤじゃないですけどね。成仏しない理由がわかるまで、しばらくこのままでもいいんじゃないかな―的な?」

 

 

 幼い寝顔を見ているうちに、ふとそんなことをアンゼリカは思う。

 

 どのみち、時間は必要だろう。

 今日一日だけでない。おそらくしばらくの間は、この屋敷に滞在することになるのは間違いないだろう。

 騎士団が運用していくにあたって手を加えていくにしても、子供の幽霊を放ったままにはしておけない。そちらが無事に解決するまでの管理は、おそらくアンゼリカが中心となるはずだ。

 ただ、ひとりきりで過ごすのはやっぱり寂しい。プルモナリアがいるにはいるけれど……明るく賑やかに過ごす相手としてふさわしいかというと、本人には悪いけれど期待するのは無理だ。

 ならばいっそ、ここは逆転の発想をしてみるのはどうだろう。あえて少数精鋭というメリットが、何かないだろうか。

 

 

「……あれ? というかよく考えたら、むしろこれはとんでもなくチャンスなのでは!?」

 

 

 屋敷のどこかに眠る、隠し財産。その秘密なり手がかりなりを知る、いまや唯一となった元住人。

 アンゼリカになついているのは幸いだ、さらに仲を深めて信頼を重ね、そしてゆっくりとその()()のヒントなどを聞き出すことができれば……。

 

 

「ふふふ……、アンゼリカさんってば優しいですからね。隠し財産を見つけたら、どーんとみんなにお裾分けしちゃいますよー。でもって財力と同時に人気も急上昇! ヤバイですね☆」

 

 

 ……それにしてもお裾分けって、一般的にはどれくらいなんだろう? 3割? さすがにそれはないか。それだと第一発見者の取り分が少なすぎる。

 となれば、2割だけ分けてあげるのはどうだろう。いや、それでも多すぎる気がする。苦労しただけ功労者には大きなメリットが与えられなければ。とすればやはり1割が妥当……いや0.5割、つまりは5分。このくらいか。いやいやもうひと声で0.3割、それならむしろここまできたら0.1割でいっそ……。

 

 

 …………

 

 ……

 

 

 

「……はっ!?」

 

 

 目覚めた。

 なんということだろう。正しく公平なる分配のために緻密きわまる計算をしているうちに、いつのまにか寝てしまっていたようだ。

 窓の外を見れば、まだ明け方にはなっていないように見える。

 不覚にもぐっすりと眠りこんでしまった……というわけではないらしい。数時間ほどの眠りだったと考えれば、おそらく真夜中といった頃合いだろうか。

 

 

「ええっと、あの子は……?」

 

 

 そう言いながら視線をさまよわせる……こともなく、すぐそばに子供の霊はいた。

 どうやらむこうのほうが一足先に眠りから覚めたらしく、じっと隣でアンゼリカを見つめている。

 

 

「こーら、ダメですよー。乙女の寝顔をそんなにまじまじと見つめちゃ。セクハラで訴えられちゃう的な? 罰金としてマニーをたくさんむしり取られちゃいますよー?」

 

 

 軽くお説教するも、きょとんとしている子供の霊。

 やれやれと内心で首を振り、アンゼリカは軽くため息をついた。

 

 これ以上厳しく責めて、隠し財産の情報が得られなくなってしまっては元も子もない。

 というより、邪心のまったくない小さな子供の顔を見つめたとたん、怒る気持ちなど急速にしぼんでしまった。

 

 

「んんんー……?」

 

 

 ふと。なにかを感じた。

 

 

 ――あるかなきかの、ちょっとした違和感。

 子供の幽霊の相手をするようになって、まだ半日ほど。それほど深く理解したわけでないし、そうなるには明らかに時間が足りない。

 それでも、なにかが違った。

 

 唐突に。子供の霊が、アンゼリカにむかって指を突きつけた。

 いや、彼女の背後にある窓の外を指差したのだ。

 

 

「なになに……? あー……」

 

 

 違和感のような感覚の、正体がわかった。

 漆黒の闇が広がる屋外の一角に、なにか(うごめ)くような物体があったのだ。

 

 

「……これって、このあたりじゃわりとよくあることとか?」

 

 

 ふるふる。

 

 子供の霊が首を横に振る。ということは、どうやら珍しいケースらしい。

 そりゃそうか、と思う。それだからこそ、城外でありながら普通の暮らしをつづけていられるのだ。

 

 

「んー……。こっちにむかってるという感じではなさそうですねー。群れからはぐれたというか……それより、ただふらふら酔っ払い歩きしてる的な?」

 

 

 闇に目が慣れてくると、それが一匹の害虫だということがぼんやりと判別できるようになってきた。

 ただ、小さい。アンゼリカひとりでも楽に相手ができる、そんな程度の害虫だ。

 そのうえ明確な目的はないようで、まるで深夜の散歩とでもいった雰囲気でうろうろと徘徊しているだけのようだった。

 

 

「……無視しときましょー。めんどくさ……いやいやこんな時間だし、近所迷惑にならないように、ね?」

 

 

 放っておいても害はなさそうだ。どこかの民家に押し入ってくるようなら見過ごせないが、そんなことも起こらないような気がする。

 

 実害がないなら、そのままにしておいて問題ないだろう。

 明日、明るくなってから他の花騎士たちに説明して討伐してもらえばいい。自分とプルモナリアをそのままにして引き上げてしまったぶん、それくらいはやってもらわないと。

 

 そんな言い訳をしながら、アンゼリカはひとつ欠伸をした。

 害虫などよりも、自分の健康と美容のためにこれからちゃんと寝直さないと。

 

 

 …………

 

 ……

 

 

「……あのですねー。世の中には業務時間というものがあるんですよ。その時間を1分1秒でも過ぎたらはいお仕事おしまい! それ以上働かせたいなら追加のマニーをいただくという、それが大人の社会のシステムなんですよー」

 

 

 こちらを見上げただけで、語りかけてくることはない子供の霊。

 しかしずっと片手が上がっている。窓の外の害虫を指差したまま。

 

 

「いや、だから。『あれやっつけて?』みたいに言われても動きませんからね?」

 

 

 ………………

 

 

「……お父さんかお姉さーん! というか誰でもいいから、この子に労働と対価の関係についてレクチャーしてあげてー!?」

 

 

 ほぼ一日、ずっと面倒をみてあげた。十分に合格点をもらっていいはずだ。

 いくらつきまとわれても邪険にしたことは一度もなかったと思うし、花騎士の物語が聞きたいというから、いくつも語って聞かせてあげた(オリジナルストーリー含めて)。

 我ながらよくやった。アンゼリカさん頑張った。だからもうこれ以上は勘弁してください。

 泣きたい気分に襲われながらどう納得してもらおうかと思案するアンゼリカに対して、子供の霊はずっと微動だにしない。

 

 かと思いきや。それが急に、新しい動きをみせた。

 

 

「……え? ついてきて、ですか?」

 

 

 きょとんと首をかしげるアンゼリカ。

 とはいえ、こんな夜更けに害虫と戦うことに比べたら、あまりにも大きな落差だ。これで子供の霊の気が少しでも晴れてくれるのなら、むしろお安い御用といってもいい。

 ここはおとなしく連行されよう。そうアンゼリカは思った。

 

 

 

 

 ――そして、見覚えのある部屋に連れてこられた。

 

 

「ここは……? って、お姉さんの部屋じゃないですかー!」

 

 

 かつて花騎士を志して旅立つ前に使っていたという、子供の霊の姉の部屋。

 家具や調度品はそのままだが一度清掃を行ったので、だいぶ過ごしやすくなったはずだ。

 この部屋が今後どのように使われていくのか、まだ決まってはいない。しかし決して手荒に扱うことがないようにしよう、とアンゼリカは不意にそんな気持ちが湧いてくるのを感じた。

 

 と。

 わずかの迷いすらないといったふうに、子供の霊が一直線にベッドに近づくと。

 そこではじめて立ち止まり、枕元のある場所を指差した。

 

 

「あー、はいはい。置いてありますねー、絵が。あなたが描いたんでしたっけ、これ?」

 

 

 こくり。子供の霊がうなずく。

 

 たしか物語で聞く花騎士の姿を想像し、この子供なりに精一杯に表現した絵だったはずだ。

 そしてそれをプレゼントされた姉は、こうしていつでも手の届く距離に飾っておいたのだ。

 と考えれば、この一枚には姉と弟の双方の特別な想いがこめられているというのは、想像に難くない。

 

 そうだ。

 はじめて屋敷を訪れた日、プルモナリアがこの絵に手を伸ばしかけた瞬間。

 忘れもしない。あのとき珍しく、はっきりとした意思を示してはいなかったか。

 

 

「……あれ?」

 

 

 どう見ても稚拙な、花騎士というよりは天使を描いたような絵。

 だが、見た目の良し悪しなど、それがなんだというのだろう。

 ここに描かれた姿こそが、作者にとっては憧れの花騎士そのものの姿なのだ。

 

 ……そういえば。

 戦死した花騎士の姉と、似ているような気がする。

 

 生真面目な天使というよりは、まるで家族に微笑んでいるような。よくよく見てみれば、どことなくやわらかさのようなものが伝わってくる。

 銀色の長い髪など、まさに姉とそっくりだ。

 絵のモチーフとなる人物が、周囲に姉しかいなかったからかもしれない。しかし……なんとなく、それは間違っているように思えた。

 姉しかいなかったから、ではない。最初から、花騎士となった姉の姿を描いた絵だったのではないだろうか。

 

 

「って……。これってつまり、ひょっとして……?」

 

 

 そこで。

 ようやくアンゼリカは気がついた。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 

「……止まりなさい、害虫!」

 

 

 押し包んでくるような夜闇を払いのけるように、凛呼とした声が響いた。

 びくりと小型害虫の身体が一瞬だけ震えると、声のしたほうへと向きなおる。

 

 

「たとえ夜中だろうと駆り出され、年中無休が恨めしいこの稼業! 人々の安寧を脅かす狼藉(ろうぜき)、花騎士として見過ごせませんっ!」

 

 

 地上に降り注ぐ月光を背に、ひとりの花騎士が害虫の前に立ちふさがった。

 色素の薄い銀色の髪が、まるで月の雫のように微細な光の粒子を周囲に振りまく。

 

 

「時間外勤務過重労働ダメ絶対! だけど小さな子に実は優しかったアンゼリカさん! ここまできたら、もうなんでもかかってこいやー!」

 

 

 

 

 

(あーも-あーもー! どーして私がこんなことしなくちゃいけないんですかー!)

 

 

 心の内側であらゆる方向に文句の言葉を投げまくりつつ、子供の霊とともに玄関ホールへと急ぐアンゼリカ。

 まったく、とんだ二次被害だ。子供の相手という面倒を押しつけられたのを手始めに、とばっちり以外の何物でもない。

 

 

(そもそも私、そういうキャラじゃないんですけどねー! 1マニーにもならないことをやったって、まるで意味ないじゃないですかー!)

 

 

 けれど、気づいてしまったのだ。

 子供の霊が異様なまでに自分のことを慕っていた、その理由が。

 

 

(まーたしかに、この子が私を天使のように思うのも無理はないですけど。なんたって、このアンゼリカさんですからねー)

 

 

 プルモナリアとともにアンゼリカには見えていた、子供の姉の霊。

 いま思えば髪の色などは、自分と非常に似通っていたと認めざるをえない。

 加えて自身や2匹のお供の容姿など、絵のなかの人物との共通点を思わせるポイントはたしかにあった。

 

 つまり……子供の霊はアンゼリカを重ね合わせていたのだ。

 天使のように美しく、憧れの花騎士そのものとして活躍する姉の姿と。

 

 

「まったく……。いいですか、今回だけですからね? 一度だけの特別サービスですからね?」

 

 

 こくこく、と小さく何度も首を振る子供の霊。

 一度だけ首を振るこれまでとは、明らかに反応が違う。感情に乏しいと思っていたのはこちらの誤りで、彼の望むものをちゃんと理解しきれていなかっただけかもしれない。

 

 きっと、姉のことが大好きだったのだろう。

 そんな姉が、本物の花騎士になった。そのときすでに霊体になっていたこの子もまた、自分のことを見つけてもらえない寂しさを抱えながらも、館主と姉の隣で一緒に喜んでいたに違いない。

 しかし、それだけだった。

 大好きな姉が、これまで聞いてきた数々の物語に登場する花騎士のように、華々しく戦うところは一度も見ていない。

 

 見たいのだ、きっと。

 自分が空想し、絵に描いたような。天使そのものとなった姉が大活躍する、その光景を。

 

 

「まー、乗りかかった船ですからね? 毒を食らわば皿までといいますか……ここまで付き合ったら、もう最後までとことんやらないと、的な?」

 

 

 誰に対して言い訳しているのか、自分でもわからない。

 これからほんの少しの間だけ、いつもの自分ではなくなる。そのための、一種の前置きのようなものだった。

 

 

「……それじゃ、いきますよー! 一世一代のお姉ちゃんの戦いぶり、見せてあげますっ!」

 

 

 

 

 

 勝敗はあっけないほど簡単に決まった。

 もともと最初から、アンゼリカの敵ではなかったのだ。まとまった数で襲いかかられたのならともかく、単体が相手ならアンゼリカが負ける要素はどこにもない。

 

 

「さって、一件落着ですかね。……もうやりませんからね? どんなにアンコールされたって、絶対にもうやりませんからねっ!」

 

 

 ゆっくりと消滅していく害虫にむかってそう口にしたあと、くるりと後ろを振り返る。ちゃんと子供の霊は見ていただろうか。

 その心配は必要なさそうだった。屋敷の入口のところで、じっとこちらを見つめる姿があるのを確認できたからだ。

 しばらくアンゼリカはその場で立ち尽くすと、どう声をかけようかと思案する。そして、ゆっくりと子供の霊のもとへ歩み寄った。

 

 

「……見ましたか。お姉ちゃんの、花騎士の戦いぶりを……?」

 

 

 こくりと、子供の霊が大きくうなずいた。

 それだけ。一回だけのうなずき。ただ、それまでの一回きりのうなずきとは、はっきりと違うように思えた。

 

 

「……ごめんね。本当は、本物のお姉ちゃんが活躍するところを見たかったですよね。アンゼリカさん、じゃなくて」

 

 

 子供の霊が戸惑う。ほんの少し前よりも、なぜだかその気持ちひとつひとつが深く伝わってくるような気がする。

 姉がすでにこの世の人ではないということは、彼ももう理解しているのだ。

 しかし同時に、そんな姉に代わって目の前で戦ってくれたアンゼリカに感謝してもいるのだろう。そんな彼女に謝られて、どうすればいいかわからないといった感じだ。

 

 子供の霊にむかって、アンゼリカは微笑んだ。

 そして膝を折って目線を同じ高さに合わせると、優しく語りかける。

 

 

「……私もね、会いましたよ、あなたのお姉さんに。いやー、たしかに雰囲気が少し似ているといえば似てるかもしれませんねー」

 

 

 団長にも見えたという、戦死した花騎士の娘の姿。

 しかし、プルモナリアや団長だけの専売特許ではない。アンゼリカの脳裏にも、その姿ははっきりと焼き付いている。

 

 

「さっきの戦い、見ましたよね? あなたのお姉ちゃんも、きっと同じように戦ったんだと思います。嘘なんかじゃないですよ。だって私、ちゃんと会ったんですから」

 

 

 ――そういえば。

 プルモナリアと団長にそれぞれ話しかけるのに気を取られてしまったが、ひょっとしたら自分にも、なにか伝えられたものがあったかもしれない。

 そしてそれは、もしかしたら目の前にたたずんでいる、彼女の弟に関係することだったのではないだろうか。

 

 

 

「さあ――」

 

 

 役目は果たせた。自分だけの役目を。そう思う。

 

 

「そろそろ逢いに行きましょうか。本物の、大好きなお姉ちゃんに」

 

 

 ……子供の霊の姿が、少しずつ。

 まるで周囲の闇に溶けこむように、徐々に霞がかってゆく。

 

 微笑んだ表情を崩さないまま、アンゼリカはそれをずっと見つめた。

 館主や花騎士の姉とは違い、この子を見送るのは自分ひとりしかいない。

 それでも、満足して成仏しようとしている。新たな世界へ旅立とうとしている。

 しっかりと見守ろう。姉の代わりを最後まで演じきって――いや。今だけは、第二の姉として。

 

 

「……ん?」

 

 

 最後のひとしずく。

 完全に消え去る直前、子供の霊がアンゼリカの耳元に顔を寄せ、なにかを言葉にした。

 

 そして……そのまま、消えた。

 

 

「そっか……。うん、いいこと聞けたなー……」

 

 

 ゆっくりと立ち上がると、アンゼリカは月を見上げた。噛みしめるように、ぽつりとつぶやく。

 隠し財産が眠る部屋についてではない。代々伝わる秘宝の在り処でもなかった。

 ただ、それでもいい。自分でも不思議なほど、すっきりとした気持ちが今のアンゼリカにはあった。

 

 

「……まー、今回はこれでよし、ということにしましょうかね。報酬、ちゃんといただきましたよ」

 

 

 今まであまり気にもしなかった、子供の名前。それと姉の名前。

 記録として残る文書や文字などからではなく。

 本人たちから直接打ち明けられた最後の人間が、アンゼリカということになる。

 

 

「……たとえ月明かりがなくったって、すぐに再会できますよ。家族思いのお姉さんみたいだから、きっと迎えに来てくれているはずです……」 

 

 

 視線を落とし、もう一度子供の霊がいた場所を見る。

 そこはもう、黒々とした空間が広がるばかりで何もなかった。

 

 

 

 ――彼女はまったく気づいていない。

 屋敷の中から、アンゼリカと子供の霊をずっと見守っていたひとりの花騎士の姿があったことを。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 翌日。

 

 ふたたび屋敷へ赴くと、軽い驚きが待っていた。

 子供の霊が、無事に父や姉のあとを追って成仏したというのだ。

 彼らの無念を完全に晴らしたと思ったのに消滅しなかっただけに、正直かなり難航するものと想像していた。時間をかけてじっくりと向き合わねばならないだろう、そう思ってすらいたのだ。

 だから本人には悪いが、はじめはなかなか信じがたかった。

 こちらには霊が見えない以上、本人たちの報告を信じるしかない。それは承知しているが……。

 

 

「心配いらない。本当に、ちゃんと成仏させてあげたよ。わたしじゃなく、アンゼリカさんがね」

 

 

 はっきりとそう断言するのは、プルモナリアだ。

 

 

「……意外と葬儀屋にも合ってるのかもしれないな、アンゼリカさん。ううん、それよりもベビーシッターに、かな」

 

 

 いずれゆっくりと、この場所は形を変えていくことだろう。所有者が替わり、騎士団のものへと移った以上、避けることはできない。

 だが、それでも。思ったより多く、そのまま残されるものが出てくるのではないだろうか。なんとなくそんな気がする。

 安易にあれこれと捨て去ったり早急に変えようとするならば、彼女はきっと誰もが意外と思うくらいに反対の声をあげてくるだろう。

 

 

 大広間の奥のテーブルの上に広げた図面を眺めながら、他の花騎士たちの改装計画に何度も首を横に振るアンゼリカ。

 その姿を、プルモナリアは目を細めながら見つめる。

 

 

 

「さすが偉い人。いい目を持ってるね。これ以上ないってくらい、最高の人選だったよ」

 

 

 ……冗談? ううん、本当だよ。

   

 

 

 

 

「Bonds of Eternity ~あなたとともに~」 ―了―

 




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

全13回、アニメにするとちょうど1クール。
文字数を数えると約11万字。ちょうど文庫本1冊くらい。
全体として見ると、非常にいい感じのボリュームに収まったような気がします。
登場人物の誰もが納得したうえでのハッピーエンド。作者としてはそんなふうに、そうあってほしいと思っています。

これにて第六章は本当に完結となります。
もしも気に入っていただけましたら、評価やブクマなどをいただけるとめちゃくちゃ喜びます。


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