徒然なるインベントリア:シャンフロの小話 (イナロー)
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楽玲
赤いリンゴに唇よせて


同棲している大学生の楽郎と玲がリンゴを食べるお話。


「楽郎君、デザートにリンゴはいかがですか?」

「リンゴ?」

 

 それはとある日の夕食後。俺がリビングで大学のレポートと格闘していると、キッチンからぴょこりと顔を出した玲さんがそんなことを言ってきた。

 

「あれ?家にリンゴなんてあったっけ?」

 

 昨日近所のスーパーに二人で買い出しに行った時にはそんなものは買っていなかったと思うけれど。

 

「今日実家から送られてきた荷物に入っていたんです。弘前の知人から大量に届いたのでそのおすそ分けだとか」

「ああ、あの見覚えのない段ボール箱の中身はそれか…てっきりまたライオットブラッドが届いたのかと」

 

 この家には何故か定期的にガトリングドラム社からライオットブラッドが送られてくるので今回もそれかと思っていたのだが、どうやら玲さん宛の荷物だったらしい。

 

「アップルパイなんかに加工してもいいんですけど、せっかく新鮮なものを頂いたのでまずはそのまま頂こうかと思いまして」

 

 そう言って玲さんが両手で挟むようにして掲げるリンゴは真っ赤に熟れていて色艶も良くハリがある、これは確かにとても美味しそうだ。

 リンゴの瑞々しいシャリっとした味わいは好物の部類に入るのだが…俺はこの果実を見ると、未だに昔のとある出来事を思い出してしまう。

 

「リンゴかぁ…」

「ご、ごめんなさい!ひょっとしてリンゴはお嫌いでしたか…?」

「あっ、そうじゃないんだ!リンゴは好きだよ」

 

 そんなアンニュイな雰囲気が顔に出てしまっていたのだろう、俺がリンゴを嫌いだと勘違いをした玲さんがしょげた顔をして謝ってくる。

 それを慌てて訂正しつつも、やはり俺の脳裏には、あいつの姿が浮かんでいた。

 

「ただちょっとリンゴが大好きだったやつのことを思い出してね、なんだか懐かしくなっちゃったんだ」

「リンゴが好きなやつ…ですか?」

「うん、そいつはリンゴに目が無くてね、普段は全然こっちの言うことを聞かずにふらふらしてるくせにリンゴを出すとあっという間に帰ってきたものさ」

 

 そう、今でも目を閉じれば思い出す。

リンゴが大好物だったパワランオオヒラタクワガタのレオナルドのことを。

 

「あいつ、リンゴを食ってる時だけ大人しいから出来るならずっと食べさせ続けていたかったよ」

 

 母さんの飼育してきた虫の中でも屈指の脱走率を誇るレオナルドだが、何故かリンゴを用意すると必ず舞い戻ってきて、そのたびに以前より堅牢さの増した虫かごの中へと収監されていったものだ。

 

「ふふっ、随分やんちゃな子だったんですね」

「本当にやんちゃだったよ…俺も何度痛い目にあわされたことか」

「そう言いながらも嫌いでは無かったんですよね?その子の話をしてる楽郎君、なんだかとっても楽しそうです」

 

 ちょっと焼きもち焼いちゃいます、なんて冗談めかしてくすくすと笑う玲さんに釣られて俺の顔にも苦笑が浮かぶ。

 幼少期からの母の熱心な|布教≪せんのう≫の甲斐もあって確かに俺も虫そのものは嫌いでは無いのだが。

 

「まあ確かに可愛いところもあったけど寝込みを襲われた記憶が強烈過ぎて…」

「それは大変でしたね、そうですか寝込みを……………ネコミァ!??」

「れ、玲さん?」

「どどどどどど!どういうこととと!?」

 

 な、なんだ?何か変なフラグでも踏んだか!?

 突如バグった玲さんが目をぐるぐるさせながらあわあわと俺に詰め寄ってくる。

最近はこの状態になることもめっきり少なくなっていたのでこれはこれでちょっと懐かしさを感じる。

 

「はい落ち着いて、ひっひっふー」

「ひっひっふー…じゃなくてですね!寝込みを襲われたってどういうことですか!?相手はどこのどいつですか!!」

「ん?………あっ」

 

 事ここに至って玲さんが何をそんなに慌てているのかに気が付いた。うん、これは俺の言い方が悪かったかな。

 テンパる玲さんも可愛いけれど、まずはこのとんでもない誤解を解かなくては。シャツの襟元を掴んで揺さぶられてぐらぐらする視界の中、玲さんの両肩に手を置いて真っすぐ彼女の目を見て諭す。

 

「あのね玲さん、俺が襲われたって言うのは…」

「は、はい」

「鼻を思いっきり挟まれたんだ」

「わ、私は楽郎君がどんなにひどい目に合っていても……えっ、鼻?」

「そして犯人は母さんの飼っていたクワガタです」

「くわ…がた……ですか?」

 

 ようやく冷静に話が出来るようになった玲さんに、俺が話していた内容が全て「リンゴが大好物のクワガタ」のことであると説明する。

 そして自分の誤解を理解した玲さんは、その顔をリンゴにも負けないくらい真っ赤に染めてぷるぷると恥ずかし気に震えていた。

 

「こ、ころしてください…」

「いやいや、玲さんに死なれたら俺が困るよ。ほら俺が紛らわしい言い方をしたのも悪かったから」

「ううう…」

「ほら、それより早くそのリンゴを食べよう?俺、皮剥いてくるよ」

「あ、いえそれくらいは私が……あっ」

「ん?今度はどうし……割れてるね、綺麗に真っ二つに」

 

 手元に視線を落としてまたもや硬直した玲さんの様子に、次は何が起きたのかと視線の先を辿れば…なんということでしょう、そこには匠の手によってガシャポンを開けたかのように二つに分かたれたリンゴの姿が。

 どうやら驚いた拍子に手に持っていたリンゴを割ってしまったらしい。

 

「す、すみません私ったらなんてはしたないことを…新しいものと変えてきます」

「そんなもったいない、せっかくだしそれそのまま貰うよ」

 

 玲さんの手からリンゴの片割れをもぎ取って、そのまま豪快に齧りつく。

 

 ──シャクシャクとその甘酸っぱさを味わいながら、くれぐれも玲さんを本気で怒らせないようにしようと密かに心に誓うのだった。

 



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斎賀玲は祝いたい

楽郎君の誕生日を祝いたいヒロインちゃんのお話。


 最初は、ただ見ているだけだった。

 

「陽務、お前にはこのプリンをやろう」

「……数学の宿題は見せねーよ?」

「そんなこと言わずに頼む!出席番号的に今日あたりピンチ……って、別にこれ賄賂じゃねえよ!」

「じゃあなんだよ」

「いや、お前今日誕生日だろ」

「あっ」

「まさか自分の誕生日を忘れてたのか…?」

「え、陽務くん誕生日なの?じゃあ私もプリンあげるー」

「気持ちは嬉しいけど流石に二個も食えば十分なんで…」

「謙虚なやつだな。よーし、それじゃ俺はこのトマトをやろう」

「お前それ自分の嫌いな物押し付けてるだけだろ」

 

 クラスメイト達に囲まれて、給食のプリンやおかずをプレゼントされている陽務くんを眺める。

 プレゼントとまではいかずとも、せめて祝いの言葉の一つでも伝えられれば。

そう願えども、臆病な私には「おめでとう」のたった一言でさえ余りにも高いハードルで。

 結局その日も私は友人たちに祝われる陽務君を視界に収めるだけで、彼に声一つかけることは出来なかった。

 

 

 

 

 なかなか勇気は出せなくて。

 

「ひっ、陽務君!奇遇ですね!」

「ああ、斎賀さんも今帰り?今日は徒歩なんだ」

「ふぁっ、はい。ちょっとだけ散歩してから帰ろうかと」

 

 学校帰りに偶然を装って声をかける。

 最近になってようやく世間話くらいならば多少は落ち着いて出来るようになってきたけれど、未だ彼に話しかけるときは心臓が爆発しそうになってしまう。

 

「あ、あの!今日なんですが……」

「?今日がどうかした…」

「陽務君は、あの…その……おめ……えっと………シャンフロにログインする予定はありますか?」

「うーん、今日はシャンフロ…というかゲームそのものをしないかなぁ。ちょっと軍資金が手に入ったのでマシンのメモリを増設しようかと」

「あっ、そうでしたか……」

「ついでに一回しっかりメンテもしておきたいしね、ひょっとして何かシャンフロでイベントでもあった?」

「いっ、いえ!ただちょっと良かったら一緒に遊ばないかと!ほんとそれだけなので!」

 

 今年ことはと意気込んだものの、肝心なところでゲームの話に逃げてしまう。

 あわよくばゲーム内でなら……なんて日和った目論見も、いつも以上に楽しそうな彼の笑顔に打ち砕かれた

 そもそも、私が陽務君の誕生日を知っているのは彼から直接聞いた訳ではなく、岩巻さんからの情報だ。

 誕生日を伝えたはずのない相手から突然お祝いなんてされても迷惑では……それどころか、こそこそと人の個人情報を探る気持ち悪い奴だと思われてしまったら。そんな最悪な想像までもが脳裏を過る。

 結局私は鞄に潜ませたプレゼントを取り出すこともなく、最後まで他愛のない会話を交わすことしかできなかった。

 

 

 初めて彼を祝ったその日を、私は今も覚えている。

 

「楽郎君っ!あの、少しだけお時間よろしいでしょうか!」

「玲さん?なんだろう、俺は大丈夫だよ」

 

 昼休みの廊下で、友人らしき男子生徒達と学食に向かっていた楽郎君を呼び止める。

 思い返すと私が彼を呼んだ瞬間に辺りのざわめきが消え去っていたような気もするけれど、その時の私に周囲の状況まで気にかける余裕は無かった。

 

 緊張で今にも暗転してしまいそうになる意識を気合で繋ぎ止めながら、私は一歩前に踏み出すと、後ろ手に持っていた包みを彼に勢いよく差し出した。

 

「こここっ、これ!よかったら!」

「えーっと、俺に?」

「ひゃいっ!?そ、そうでう!その、おたんじょうび!ですので!!」

「そっか、わざわざありがとう。開けてもいい?」

「どっ、どうじょ!!」

「これは、マフラー……えっ、ひょっとして手編み?」

「はい、拙いものではございますが……」

「いやいや、既製品と見紛うレベルだって……ありがとう、大事に使わせてもらうよ」

「!!ふぁいっ、その、おそまつさまです!!ではまたあとで!!!」

 

 ちゃんと言葉でお祝いを伝えられたことが誇らしくて、プレゼントを受け取ってもらえたことが嬉しくて。

 溢れる歓喜の感情のままに叫ぶように彼に挨拶し、私はその場をあとにした。

 

 

「ヘイ陽務、俺らもお前の誕生日を祝ってやるよ」

「おっ、いいのか?」

「水臭いこと言うなよ、俺らの中じゃないか」

「そうそう、プレゼントのかつ丼をたっぷり堪能してくれ」

「取り調べが終わるまで帰れると思うなよ…?」

「フレに呼ばれたんで抜けますね^^」

「逃がすな!!!」

 

 

 

「お疲れ様です楽郎君、少し休憩しませんか?」

「ありがとう玲さん。そうだね、今夜はこのくらいにしておくよ」

 

 濃いめに淹れた玉露を手渡しながら、リビングのテーブルで大学のレポートを書いていた楽郎君に声をかける。

 楽郎君はにらめっこをしていた画面から目を離すと、ファイルを保存して端末の電源を落とした。

 ちなみに今彼がやっている課題を出した教授は出席のチェックが緩い代わりに課題の多さと厳しさで有名だ。

 講義内容そのものは分かりやすい上に興味深いものなのが幸いだけれど、私も去年この講義を受けた時は随分と苦労して……あっ。

 

「そういえば、私が去年書いたレポートとその資料がまだ残っていたような」

「玲さん、やっぱり君は俺の女神様だ」

「み゛っ……んんっ…そんな大袈裟な」

「いやいや、これは本当に助かるよ。お礼に何かできることがあればなんでも言って」

「なんでも…!?ま、まあとりあえずあとでデータ送っておきますね」

「ありがとう、さてそれじゃせっかくのお茶が冷めないうちに頂こうか」

「そうですね。あ、お茶請けもどうぞ」

「ありがとう…あれ?ケーキなんて珍しいね?」

「ふふっ、それはですね…」

 

 お皿に乘った苺のショートケーキを見た楽郎君がちょっとだけ目を丸くしている。

 確かに普段私が日本茶を好むこともあって、この家に用意しているお菓子は和菓子が多い。

 だけど別に洋菓子を嫌っているわけでは無いし、こんな日に食べるならやっぱりベタだけどクリームたっぷりのケーキがいい。

 意味深に微笑む私に疑問符を浮かべる楽郎君を他所に、部屋の片隅のデジタル時計の表示を確認する。

 あと3…2…1……

 

「お誕生日おめでとうございます、楽郎君」

「!そういうことか…ありがとう、玲さん」

 

 日付が11月21日に変わった瞬間に、もうすっかり日常の一部となった……だけど少しだけ特別なその一日をそっと言祝ぐ。

 来年もその先も、大好きな彼が生まれたこの時をずっと一緒に過ごせたら。

 そんな温かな幸せを願いながら、甘いケーキを二人で食べた。

 



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二人はこたつで丸くなる

同棲してる楽朗とヒロインちゃんがこたつでダラダラするお話二本立て。


◇温もりと、微睡みと

 

 

 人間、生きていればほんの些細なことで傷つくこともある。

 夢見が悪かった、いつもの電車に乗り過ごした、欲しかったゲームを買い逃した等々細かく理由を上げていけば枚挙にいとまがない。

 それは誰もが同情するような重大な事件から、他人から見れば「なんだそんなことか」と言われるようなことであっても当人にとっては大事、なんてことまで実に様々だ。

 

「あ、あの…!ら、らくっ!?ひやっ!!?」」

 

 長々と何が言いたいのかと言うと、俺は今ちょっとした不運が重なったことで深く傷つき、そして大いに嘆き悲しんでいた。

 

「ああああ、あの、らく、らくろうくん!?その、それとこの状態はいったい何のご関係が…⁉」

 

 黙って。俺は玲さんの言葉を遮ると、彼女のお腹に回した腕にぎゅっと力を籠める。

 こたつと俺に挟まれる形で拘束された玲さんはクソ回線でプレイ中のオンゲーのようにカクカクと身動ぎしていたが、俺が梃子でも動かないことを察すると脱力して俺にもたれ掛かってきた。高めの体温と柔らかな感触が心地よく、ささくれ立った心が癒えていくのを感じる。

 

「……その、怒ってます?」

 

 怒って無いよ。俺は本心からそう答えた。

 そう、別に怒ってなんかいない。

 三日間ぶっ続けで周回しても目当ての素材が手に入らなかったことも、玲さんが実家の用事で家を空けていて寂しかったことも、帰ってきた玲さんが一発でその素材を引き当てたことも、何も怒るような事ではない。

 ただそれはそれとしてもうしばらくこのままでお願いします。俺は彼女の肩に顎を乗せ、囁くようにそう告げた。

 

「ひゃいっ⁉あの、そのですね⁉嫌という訳では無いんですがせめて先にシャワーを…!」

 

 ますます体温を上昇させた玲さんが湯たんぽみたいに温かい。

シャンプーもリンスも同じものを使っている筈なのに、彼女からは不思議と安心する甘い香りが漂ってくる。

 わたわたと慌てる愛しい恋人の存在を腕の中に感じながら、三徹で疲れ果てた俺の意識は次第に闇へと沈んでいった。

 

 

 

 

◇やまなしおちなしよもやまばなし

 

「ふわぁ…これ、暖かいですね……」

 

 こたつの魔力に囚われた玲さんがふにゃふにゃに溶けていく。

 いや、便秘ではあるまいし現実で人体が溶けるなんて事態が起きるはずも無いのだが、そう表現するのが相応しい程に今の彼女はふやけきっていた。

外では意外とキリっとしている玲さんのそんな気の抜けた姿はとても愛らしくて、この光景を独占できる贅沢に、胸の裡からひっそりと独占欲めいた喜びの気持ちが湧き上がる。

 

「寝ちゃいそうになるよね。あ、玲さん蜜柑とって」

「て、手が……」

 

 俺はそんな内心は秘めたまま、努めて平然とした顔を意識して日常的な会話を交わしていく。

 玲さんの背後にある蜜柑箱を指してお願いするも、どうやらこちらからの目算よりも遠かったらしい。玲さんは目いっぱい手を伸ばして蜜柑を掴もうとしているものの、ぷるぷると震える指先はあと一歩のところで届かない。

 

「頑張らないでこたつから出ればいいのに」

「人間……っ成せばなるんです…!と、届きました」

 

 意地でもこたつから出ようとしない玲さんを姿を見かねての俺の言葉に、これからユニークモンスターに挑まんとするほどの気迫を滲ませながら玲さんが応える。

 いや、届いたと言ってもかろうじて人差し指と中指が引っかかったくらいでどうやって……って、えっ!?

 

「段ボールごと指先の力だけで引っぱって!?……こう言っちゃなんだけど、玲さん段々お行儀が悪くなってない?」

 

 玲さんがおしとやかな見た目に反して意外とパワフルガールなのは重々承知していた。だけどその力をこうも無駄遣いするような人では無かった筈だ。

 

「い、言わないでください……。実家にはこたつは無かったんですけど、とてもいいものですね」

 

 恥じらいながらも完全にこたつの住人と化した玲さんはその場から全く動く気配を見せない。こたつの一辺を終の棲家にしてしまいそうな様相だ。

 

「根っこが生えているかの如き見事な寛ぎっぷり……まあ、気持ちは分かる」

 

 とはいえそれは俺も同じこと。俺は玲さんが引っ張ってくれた段ボールから蜜柑を一つ取り出して、|文明の利器≪こたつの温もり≫に感謝の祈りを捧げながら蜜柑の皮を剥いた。うん、甘酸っぱくて美味しい。

 

「ルーズなのはいけないと思ってるんですけど」

「どうせここには俺しかいないんだし、たまにはだらけてもいいんじゃない?あ、玲さんも蜜柑食べる?」

「ルームシェアしてる相手には今更ですよね…………楽郎君の意地悪」

 

 会話の途中で不自然に数瞬の間を開けて玲さんが言葉を返す。

 ふふふ、残念ながら|それ≪・・≫も想定内だ。俺は新たに一つ蜜柑の皮を剥き、玲さんの口元に差し出しながら追撃を放つ。

 

「瑠美にも昔そう言われたなぁ……はい、皮剥いといといたからこれあげる」

「~~!ルール違反!ルール違反じゃないですかこれ!?」

 

 差し出された蜜柑をしっかり食べつつも、ついに限界がきた玲さんが抗議の声を上げる。

 ごめんね、勝負は非情な物なんだ。

 

「玲さん、ルールは予め決めておいた通りだよ。つまりこれは合法です」

「……ずるい!それでもやっぱり何かズルいです!」

「隙を見せた方が悪いんだよ。さて、こたつの温もりは惜しいけどそろそろ出ないとまずいかな」

 

 卑怯汚いは敗者の戯言……なんて言葉は喉の奥に飲み込んだ。カッツォやペンシルゴンと違ってまともな感性を有する彼女にそんな暴言を吐くのは流石の俺でも憚られる。

 こうして玲さんと他愛もない会話を交わすのは楽しいけれど、時計を見ると間もなくタイムアップだろう。

 俺の視線に釣られるように玲さんも壁に掛けた時計を確認して、驚きの声を上げた。

 

「なんでです、か…!?えっ、もうこんな時間!?」

 

 あっ。

 

「……………3、2、1、はい、玲さんアウトー!」

「……?ああっ!」

 

 驚きでつい今自分たちが何のゲームをしているかを忘れてしまったのだろう。

 とうとう『ん』で会話を終わらせてしまった玲さんが一拍遅れて自らの敗北を悟った。

 

「ふっふっふ、油断したね玲さん…さて、それじゃ約束通り、しりとりで負けた方が今日の夕飯の買い出しに行くってことで」

「ううう……『る』ばっかりはズルいですよぉ」

「これも戦略の内だよ……まあでも、随分暗くなってきことだしやっぱり俺も一緒に行くよ」

「!ふふっ、ありがとうございます。今夜は温かいお鍋にしましょうか」

 



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それぞれの速度で

楽郎とヒロインちゃんのある日の出来事。
多分付き合い始めて二か月くらいたった頃のお話。


「お前ら本当に付き合ってんの?」 

 

 ある日の昼休みの学食にて。

 カツ丼を奢るから着いてこいと言われて向かった先で、目の前に座った雑ピが開口一番にそう尋ねてきた。

 俺はその質問をひとまず無視し、約束通り提供されたカツ丼を一口頬張る。

 業務用の冷凍カツにこれまた業務用のつゆと卵でとじただけのシンプルなものだが、この手のどこかチープな味も嫌いではない。

 やや濃い目の味付けで乾いた喉をウォーターサーバーの水で潤しつつ、お新香に箸をのばし……

 

「いや長い長い!どんだけしっかり食うんだよ!?」

「なんだよ、カツ丼奢るって言ったのはお前らだろ」

「その前にこっちの話を聞けよ!?」

「そうだぞ陽務、被告人はまず質問に答えよ」

「誰が被告人だコラ」

 

 雑ピのみならず周囲の学友達からも抗議の声を上げられてしぶしぶ箸を置く。

 被告人扱いは業腹であるがカツ丼代分くらいは答えてやろう。

 しかし本当に付き合ってんのと言われても……

 

「念の為に確認するが、それは俺と玲さんのことでいいんだよな?」

「当たり前だろ」

「それ以外の誰のことだと……待て陽務、お前まさか二股かけてたりしないだろうな」

「は?そんなことあるわけ――」

 

 ゴシカァンッ!

 

「――そんなことあるわけ無いだろ!!!俺は玲さん一筋さ!!!」

 

 あらぬ疑いに反論しようとしたまさにその時、背後から聞こえた何かが派手に砕ける音に本能的な恐怖を感じ、周囲のざわめきに負けないようにスペクリ仕込みの大声を張り上げた。

 

「お、おう……変に疑って悪かったよ」

「なぁ、今なんか凄い音がしたよな?」

「学食の入り口の方から『ドアが割れた』とか『女子生徒が高熱を出した』とか話してるのが聞こえるんだが」

「HAHAHA、不思議なこともあるんだな……で、何で突然そんなこと聞いてきたんだよ」

 

 俺は何も見ていないし聞いていないし気付いていない。

 世の中には知らぬまま過ごした方が平和なことが幾つもあるんだと言外に示しながら、強引に話題を元に戻す。

 こいつらも今だ動揺冷めやらぬ様子ではあったものの、当初の目的を優先してか俺の話に乗ってきた。

 

「なんでってそりゃ……なぁ?」

「お前ら二人が余りにもいつも通り過ぎて恋人らしさが感じられないんだよ」

「そんなこと言われても実際付き合ってるんだからそれ以上でも以下でも無いぞ」

 

 付き合ってない時は散々付き合ってるのかと疑ってきた癖に、いざ付き合い始めたら今度は恋人かどうか疑うとは、なんて天の邪鬼なやつらだろう。

 

「恋人同士ってもっとイチャイチャしたりするもんじゃねえの?」

「イチャイチャて。それなら登下校は一緒にきしてるぞ」

 

 朝夕の通学路を毎日一緒に歩くのは十分恋人らしいのでは無いだろうか。

 

「でもお前ら付き合う前から二人で歩いてるのは目撃されてただろ、せめて腕を組むとか手を繋ぐとかさぁ」

「……付き合い始めて一週間くらいたった頃か、俺から玲さんの手を握ってみたことがあるんだよ」

 

 青春エピソードの気配を感じ、にわかにギャラリーがざわめき立つ。

 お前らは本当に恋話が好きだな……なんか人増えてない?

 

「気にするな、それより続きは!?」

「手を握ってどうなった?柔らかかったか!?」

「男子キモっ……」

「で、陽務くんご感想は?」

 

 いつの間にやら性別学年クラスを問わず増殖していた面々から口々に続きを促される。

 うん、手を握った感想ね……

 

「……加熱した万力に挟まれた時ってあんな感じなのかなぁ」

「………………あっ」

 

 俺の発言の意味が理解出来なかったようで、学食の一角に束の間の静寂が訪れる。

 やがて観衆の誰かが先のドア破壊事件を思い出したのを皮切りに、徐々に同情と憐れみの視線が俺に降り注いだ。

 うん、玲さんってああ見えてとても力強いんだ。

 俺ももう少し鍛えなきゃ……

 

「ま、まあでもそれだけ斎賀さんからの愛情が深いってことだな!この幸せもの」

「おう雑ピ、俺の目を見て言ってみろ」

 

 雑ピはそれに答えることなく、周囲の悪友達と共に苦い笑いを浮かべていた。他人事だと思ってこの野郎。

 それにしても恋人らしいこと、ねぇ……

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

「……と、いう訳なんですけど。俺、もっと恋人らしいことに挑戦した方が良いんですかね?」

「話は分かったわ、とっとと押し倒しなさい」

岩巻さん(乙女ゲーム脳)に相談した俺が馬鹿でした」

 

 現実の恋愛相談をゲーム攻略のノリで答えないで欲しい。

 

「それは聞き捨てならないわね、乙女ゲーはそんなに簡単な物じゃないの。そんな雑な選択肢を選べば好感度ダウンは免れないわよ」

「余計悪いじゃないすか!?」

 

 ゲームですら失敗する選択肢を悩める青少年に提示するのは心の底から止めていただきたい。

 

「いや、これは現実だからこそ効果的な手段というか……ごめん、ちょっと待ってね」

「突然目頭を押さえてどうしたんです?」

「……ふう、落ち着いたわ。あの脳にクソゲーカセットが刺さってる陽務君がそんなことを言い出すなんて思わなくて、ちょっと感動しちゃったの。今夜は秘蔵のシャブリを開けちゃうわ」

「人を何だと思ってるんですか……」

 

 確かに些か趣味に熱中するきらいはあるが、俺だって普通の男子高校生だ。人並みに色恋の悩みを抱いたりもする。

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、岩巻さんはニヤニヤと楽しげに……それでいて何処か微笑ましそうに俺を見つめながら語りかける。

 

「押し倒せっていうのもあながち冗談じゃ無かったんだけど」

「いやいや、そんなことしたら玲さんが今度こそ爆発しちゃいますって」

「否定しきれないのがなんとも……でもそうね、まずはこれを聞いておきたいわ」

「なんですか?」

「簡単なことよ。陽務君、あなたはどうしたい(・・・・・・・・・)の?」

 

 想定外のその問いに、俺は完全に虚をつかれてしまう。

 答えに窮する俺をよそに、岩巻さんは話し続ける。 

 

「玲ちゃんを気遣うことも勿論大事よ、だけど恋人関係っていうのはどちらかだけの意見を通しても意味が無いの。玲ちゃんの暴走癖はさておいて、陽務君自身は彼女とどうなりたいの?」

「俺自身が、どうなりたいか……」

 

 岩巻さんの言葉をおうむ返しに反芻しつつ、俺の望みを考える。

 俺のしたいこと、か……

 

「……やっぱり、押し倒すとかはまだ早いと思います」

「いやまあ、流石に君たちがいきなりそこまで行けるとは――」

「だけど、手を繋いだりキスしたり、そういうことへの憧れが無いと言ったらそれも嘘になっちゃいますかね」

 

 俺は何を口走っているのだろうか。

 頭をかきむしりたくなるような気恥ずかしさとは裏腹に、驚くほど素直に胸の裡をさらけ出してしまう。

 岩巻さんはそんな俺をからかうことなく、柔らかな慈愛のこもった視線で見つめている。

 そして彼女は店のバックヤードに向かって振り替えると……待ておいまさか。

 

「だ、そうよ玲ちゃん」

「玲さん!??あの、どこから話を聞いて……岩巻さんこれは一体!?」

「最初から居たわよ。荒療治だけどこういうのは当人同士のコミュニケーションが大事なの」

 

 慌てた俺の恨みがましい視線も何のその、岩巻さんはそんな事をさらりと言ってのけた。

 もっともらしいことを言ってるけどこっちの羞恥心にも配慮してくれませんかね!??

 

「却下。ようやくくっついたと思ったらそこからまた蝸牛の歩みの始まりなんですもの、焦れったいったらありゃしない」

「人には人のペースというものがあってですね?」

「そのペースが分からなくなったから私に相談に来たんでしょーが!店のシャッターは下ろしとくからここで存分に話し合いなさい」

 

 私は裏でゲームしてるからねー、と言い残し、岩巻さんはスタッフルームに消えていった。程なくして店のシャッターもガラガラ音を立てて閉まっていく。

 店内に他の客はない。これで正真正銘、俺と玲さんの二人きりだ。

 ……気まずい。

 

「「………………あのっ!」」

「…っごめん、玲さんからどうぞ」

「いっ、いえ!私は後で構いませんので!!楽郎くんから、その…お願いしましゅ!!」

「しましゅ?」

「いやそれは噛んでしまって……笑わないで下さい!!」

「……ははっ、ごめんごめん。玲さんが可愛かったからつい」

「かわっ!?」

 

 玲さんと話しているうちに段々緊張が解れてきた。

 うん、なんだか変に色々考えてしまったけど、やっぱり俺たちはこんな風に他愛もなく会話をしているのが一番楽しいや。

 

「変なことを言ってごめんね玲さん、さっき俺が岩巻さんと話してたことは忘れてもらえるとありがたいです」

「……いいえ、変なことなんかじゃありません」

「……玲さん?」

 

 何やら決意を秘めた眼差しで玲さんが俺をじっと見つめる。そんな真剣な雰囲気に、俺も居住まいを正して彼女に向き直った。

 

「わっ、私も!私も楽郎くんと、もっと恋人らしいことがしたいです!」

「!玲さん…!」

「……ですがその、押し倒すとかはまだ早いといいますかいえ決して嫌なわけでもないんですが心の準備というものが必要でしてでも楽郎くんに求められるのはやぶさかでもなくせめて先にシャワーを浴びさせていただきたく」

「玲さん!??」

 

 いかん、玲さんがまたバグった。

 

「…………はっ!」

「良かった、正気に戻ったんだね」

「…あのその、こ、殺してください……」

「それは俺が困るなぁ」

 

 今にも顔から湯気が出そうな玲さんを宥めつつ、一歩踏み出しそっと彼女に近づいていく。

 涙目で上目遣いに俺を見上げる玲さんの姿に悪戯心が沸き上がるのを理性で押さえ込みながら、静かに彼女に語りかける。

 

「お互い色々恥ずかしいことを暴露しちゃった気がするけど、それはひとまずおいておくとして……手、繋いでもいいかな?」

「……はいっ!よろしくお願いします!!」

 

 まるで決闘の宣誓のごとき勢いの玲さんに苦笑しながら、俺の右手を彼女の左手に重ね合わせる。

 

 

 ――そっと握った玲さんの手は、熱くて、力強くて……そしてとっても、柔らかかった。

 



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ある日の台所

楽郎が鮭を捌くのを眺めるヒロインちゃんのお話。
同棲してる大学生楽玲。


「あの親父殿は本当にもう……冷凍庫は既に魚で一杯だってのに」

 

 クール便で届いた横長の発泡スチロールの箱を前にして、楽郎くんが呆れとも愚痴ともつかない言葉を独りごちる。

 実家にいた頃はお祖父様が釣りに出かける度に食卓に並ぶ食材が魚ばかりになっていたので気持ちはとてもよく分かる。この分だと我が家の献立はしばらく魚続きだろう。

 今後の食生活を思い些かげんなりとしていた楽郎君だけれども、しぶしぶ箱を開けて中身を改めると様子が一転。彼は仄かに喜色を滲ませた声を上げて、ふわりと相好を崩した。

 あっ、かわいい。

 

「お、今回は時鮭か!」

 

 楽郎君の視線を追うようにして横合いから箱の中身を覗き込むと、そこにはピカピカに鱗を輝かせ透き通った目をした新鮮そのものな大ぶりの鮭が鎮座している。

 お義父様から薫陶を受けた彼と違いあまりお魚には明るくない私が見てもその味に期待が膨らんだ。

 

「すごく立派な鮭ですね、どちらで釣ってきたんでしょう?」

「発送場所が北海道になってるから多分その辺だと……あ、手紙が入ってる。何々……」

 

 楽郎君は濡れないようにビニールに包まれて同梱されていた便箋を取り出して、私にも見やすいように紙を広げてくれる。

 彼への手紙を私が読んでいいのかという疑問が頭を過ったけれど、何故かその便箋には私の名前も記されていた。

 一応何度か顔を合わせたことはあれど、今のところ楽郎君のお父様とはそこまで親しい訳では……はっ!まさか!?

 

「お義父様からのお手紙!?なななな、何か粗相でもしてしまったでしょうか!?」

「落ち着いて、父さんそんな深いこと考えてはいないと思うから。でもなんでわざわざ宛名に玲さんも……って、そういうことか」

 

 混乱する私を宥めた楽郎君は文面に目を落とすと、何やら得心がいったように頷いた。

 中には一体何が書かれて……?

 楽郎君に身を寄せるようにして恐る恐る手紙を読む。ふむふむ、そこに書かれていたことを要約すると――

 

『楽郎、元気にしてるか?俺は今北海道に釣りに来ています。船は我能さんが出してくれました。我能さんが孫娘が健勝かと心配していました。この時鮭は我能さんが釣ったものです、良ければ連絡してあげて下さい。父さんたちはこれから利尻に行ってホッケを狙います。魚が俺を待っている!』

 

 ………お祖父様!!??

 

「え、これお祖父様が釣ったんですか?というか二人で北海道に…?」

「父さんが玲さんのお爺さんと仲良いのは知ってたけど、まさか船まで出してもらってたとは……なんかうちの父がゴメンね?」

「いえ、そこはお祖父様も好きでやってることだと思うのでいいんですが……」

 

 なんならお爺様の方からお誘いした可能性もある。

 あの人は厳格に見えて結構な自由人だと、ここ数年で気付かされた。

 

「生食至上主義の父さんがお爺さんを巻き込んでホッケの刺身に挑戦していないことを祈るよ……」

「ホッケは開きしか食べたことが無いですね……お刺身では食べられないんですか?」

「一応鮮度が良ければ食べられないことも無いんだけど、生は寄生虫(アニサキス)が怖いんだよね」

「……お爺様が病院に運ばれたとは聞いていないですし、大丈夫だと思いますよ」

 

 やれやれと肩を竦める楽郎君と顔を見合わせ、互いの身内の趣味人ぶりに二人揃って苦笑する。

 世間一般で言う家族ぐるみのお付き合いとは、果たしてこういうものなのだろうか。絶対何か間違っている気がする。

 

「相変わらず釣りキチしてるあの二人のことはさておき……まずはこいつを捌いちゃおう」

「よろしくお願いします、隣で見ていてもいいですか?」

「もちろんそれは構わないけど、別に面白いものでも無いよ?」

 

 腕まくりをして鮭を台所に運びながら楽郎君が小首を傾げる。

 私はそんな彼にくすりと笑みを浮かべ、言葉は返さず背中を押してキッチンへと移動した。

 学生の二人暮らしにしては随分と広い部屋を借りていることもあり、大型の鮭もどうにかシンクに収まったようだ。

 楽郎君は終始頭に疑問符を浮かべていたけれど、私が何も言わないのを察すると「…玲さんが楽しそうならまあいいか」とぽつりと呟き出刃包丁を握りしめた。

 

「さて、とりあえず鱗を落として……おお、流石時鮭、随分脂が乗ってるなあ」

 

 汚れが周囲に飛び散らないように流水で軽く身を洗いながら、刃を滑らせて鱗とぬめりを取っていく。

 その作業が一通り終わると手ぬぐいで軽く水気を拭いて、お腹を手前にしてまな板の上にドンと乗せた。

 それから逆さ包丁を入れて腹を裂き、楽郎君は実に手際よくえらと内臓を取り出していく。

 

「胃袋はなます、心臓は塩焼きにするとして……玲さん、塩辛とかの珍味は苦手じゃない?」

「大丈夫です……鮭で塩辛を作るんですか?」

「うん、めふんっていう血合いの塩辛をね。癖はあるけど俺これ大好物なんだ、俺にとってはご飯のおかずだけど、父さんはよく酒の肴にしてたなぁ」

 

 にかっと笑ってそう語る楽郎君の笑顔が眩しい。

 その子供のような無邪気さと、豪快に魚を解体する男らしさのギャップで胸を撃ち抜かれてしまう。

 

「ミ゛ッ⁉」

「……玲さん?またバグった?」

「ダイジョウブデス、ワタシハセイジョウデス」

 

 うう、変な子だと思われたでしょうか……

 いつものことだと言わんばかりに慣れた対応をされてしまうのが物悲しい。

 

「頭は二つに割って塩焼きにしようか。汁物にしたり氷頭なますも捨てがたいけどせっかくの時鮭だし」

「ソ、ソウデ…そうですね!その辺はお任せします」

 

 どうにか平常心を保って再起動を果たす。

 その間にも楽郎君は作業を進めていて、三枚におろした鮭を食べやすく次々切り身にしていった。

 最後に残った中骨を出刃の重さで断ち切ると、あんなに大きかった鮭がどれも食べやすい大きさの食材に変貌を遂げていた。

 

「ふう、これでよし」

「お疲れ様です、相変わらず見事な手際でした」

「魚の扱いは父さんに散々仕込まれたからなぁ……さて、内臓系は俺が処理するから、残りの晩ごはんの支度は玲さんに任せていいかな?」

「任せてください!腕によりをかけますね」

 

 さて、楽郎君の格好いい姿にすっかり見とれていたけれど、このまま全てを頼っていては私の乙女が廃ってしまう。

 楽郎君とお揃いのエプロンを付けて二人並んで作ったご飯は、いつも以上に美味しかった。

 



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純情な感情は空回り

斎賀玲の日記、又の名を陽務楽郎観察記録
或いはストーカーの犯行手記


《7月○日 大雨》

 今日は不思議な男の子に出会った。

 いや、出会ったいうと少々語弊があるだろうか。今日の下校時に見かけた彼……陽務楽郎くんは、元々私のクラスメイトだったのだから。

 とはいえ私は今日に至るまで陽務君と私的な会話を交わした記憶は無く、彼の名前さえも家に帰ってクラス名簿を見るまでうろ覚えだった。

 これには我ながら少々他人に無関心過ぎたと反省したので、これからはもう少し他の同級生にも気を配ってみよう。

 それにしても、彼はあの土砂降りの雨の中、傘も持たずにどうしてあんなにも楽しそうに笑っていたのだろう?

 今日は気が付くと脳裏に彼の笑顔が浮かんできて、稽古にも課題にもどうにも身が入らなかった。おかげで学校で出された大量の課題もあまり進んでいない。

 明日は文机に向かい続けることになりそうで今から少し憂鬱だ。

 ……陽務君なら、こんな時も笑っているのだろうか?

 

 

《7月×日 晴れ》

 この日は台風一過で雲一つない晴天だった。

臨時休校も昨日で終わり、今日からまたいつも通りの日々が始まる。

 一見して何の変哲もない日常だけれど、ほんの少しだけ私の生活には変化があった。先日見かけた陽務君だ。

 朝、送迎の時間をいつもより30分早めてもらい、自席で本を読むふりをしつつ陽務君の登校を待ってみた。

 私が読むともなしに文庫本を流し見し始めてから15分程経ったころ、陽務君は大きなあくびをしながらやって来た。

 どうやら寝不足気味なのか、彼は教室に入って親しい友人と軽く挨拶を交わすと自席に着くなりすぐさま机に突っ伏した。背中が微かに上下しているからどうやら本当に眠ってしまったようだ。

 幸いなことに彼の席は私の席より前だったので、授業中でも不自然にならずに彼の様子を窺える。

 国語の授業中に居眠りする姿も、数学の応用問題を当てられ答えを間違う姿も、やけに流暢な発音で英文を読み上げる姿も、その全てが何故だか私の意識を捉えて離さなかった。

 明日は陽務君に話しかけてみようかな。

 

 

《7月◇日 曇り》

 結局私は大雨のあの日から今日に至るまで、一度も彼に話しかけることは叶ってない。

 幾度となく声をかけようと意気込んではみたものの、陽務君の前に出ようとするたび動悸が激しくなり、手は震え、まるで熱病にかかったかの様に顔が熱くなり、最後には足が竦んで動けなくなってしまう。

 もちろん、別に私が本当に風邪をひいたり体調を崩しているわけでは無い。むしろ最近は絶好調と言ってもいい程で、稽古の時も普段厳しい師範代から動きにキレが増したと褒められたくらいだ。

 お母様からも先日の夕食の際に「何かいいことでもあったのかしら?」と何処か楽し気に聴かれたけれど……これは果たして『いいこと』なのだろうか?

 全くの未知の感覚に理解が追い付かず、私は曖昧に笑ってその場を誤魔化した。

 

《7月△日 晴れ》

 やったやった、やりました!緊張で心臓が破裂するんじゃないかと思ったけれど、とうとう私は成し遂げた!。

 今日は一学期の最終日。つまり今日を逃せばこれから凡そ一か月半もの間、私は陽務君と話す機会を失ってしまうことになる。

 勇気が出なくてズルズルと行動を先延ばしにしていたけれど、もうこれ以上躊躇っている時間は無い。意を決した私は放課後ついに行動を起こした。

 友人たちに別れを告げ、一人昇降口に向かう陽務君の後を追う。

 いつもはこのまま彼を見送ってから迎えの車を待つだけだったが、今日の私は一足違う。邪魔が入らないように、迎えの人には徒歩で帰る旨を連絡済みだ。

 私は急いで靴を履き替えると、帰路に就く陽務君のあとを追って……彼の家を突き止めることにことに成功した!

 陽務君のあとをつけている間は気づかれてしまうのでは無いかとハラハラドキドキしていたけれど、付かず離れずの距離を保ち続けたおかげで無事彼が自宅に辿り着くまで私の追跡を気取られることは無かった。

 彼の家が私の家からもほど近かったのは幸いだ、これならば偶然を装って彼に声をかけることも不自然ではない。

 明日からの夏休み、なんだかとっても楽しみになってきた。

 

 

《8月○日 曇り》

 夏休みが始まって早二週間、学校で出された課題は全て終わらせて、ここ数日は自主学習と稽古を繰り返すだけの日々が続いている。

 「ちょっと散歩がしたいから」と言い訳して稽古への行き帰りには陽務君の家の近くを散策してみているが結果は芳しくなく、夏休みになってから未だ一度も彼に会うことは叶っていない。

 ご家族で旅行や帰省をしている可能性も考えたけれど、家の中に人の気配はあったし、郵便物が溜まっているようなことも無いので家にはいるみたいなのに……

 

《8月□日 晴れ》

 久しぶりに陽務君に会った。

 大学の夏休みで帰省していた姉におつかいを頼まれて、家からやや離れた場所にあるコンビニに足を運ぶと、店の窓越しに雑誌コーナーで立ち読みしている陽務君を見つけた。

 予想外の遭遇にその場で咄嗟に身を隠してしまい、陽務君と会話することは叶わなかったものの彼が普段使っているコンビニを知れたことは幸いだ。

 これからは彼の家からこのコンビニまでの道のりを散歩コースに加えよう。

 この幸運を運んでくれた姉に、頼まれていた限定カップ麺を渡しながら感謝の言葉を告げると、お使いしてきた側がお礼をすることになんとも不思議そうな表情を浮かべていた。

 

 

《8月×日 晴れ》

 散歩コースを変更した甲斐あって、あれ以降何度か陽務君を見つけることに成功した。

 夏休み中ということもあってか、どうやら彼はやや不規則気味の生活を送っているようだ。

 日の出て間もない早朝に菓子パンとコーヒー牛乳を買っていることもあれば、夕暮れ時にカップ麺と大量のエナジードリンクを買い込んでいたこともある。

 今日は遅くまで寝ていたようで、お昼過ぎに二階の自室の窓を開けて日光を浴びながら大きなあくびをしていて、なんだかちょっぴり可愛かった。

 

 

《9月△日 曇り》

 今日から新学期。久しぶりの学校には自分の足で歩いていきたいと嘯いて、送迎を断って幾分早めに家を出る。

 陽務君の通学路と私の通学路の合流地点にたどり着くと、手近な電柱の陰に隠れて彼の登校を待つ。

 それから10分ほどして現れた陽務君は、眠たそうにしながらもやはり楽しそうに笑っていて、見ているこちらまで自然と笑顔になる不思議な魅力を持っている人なのだろ改めて思った。

 今日こそは彼に声をかけてみようと思っていたのだけれど、1週間ぶりに見る陽務君の姿に私は胸がいっぱいで。結局彼と5メートルほどの距離を保ち続けたまま学校にたどり着いてしまい、自分のヘタレっぷりにがくりと肩を落とした。

 でもこれからは毎日学校で会えるんだから、きっと話をするチャンスはある筈…!

 

《9月×日 雨》

 今日は厄日だ。

 新学期も始まったことだからと担任の先生が席替えを言い出した。それはまだいい。

今の席は怪しまれずに陽務君の様子を窺うにはベストに近いポジションであるが、彼に話しかけるには些か遠いのも事実。

 ならばここで彼の隣、せめて前後になれればと期待を込めてくじを引き……結果は惨敗。

 私は中央最前列で陽務君は窓際の後ろから三番目。これでは彼と接触することはおろか、授業中にうとうとする姿や、朗々と教科書を読み上げる姿を見る事さえも叶わない。

 先生に当てられて板書する姿を間近で見られることはせめてもの救いだろうか。

 嗚呼、次の席替えはいつだろう。

 

 

《9月◇日 晴れ》

 陽務君が怪我をした。

 教室に戻ってくるのがやけに遅いなと思っていたら、体育の授業で盛大に転んで保健室に行っていたらしい。

 そのことを聞いた瞬間、全身からさあっと血の気が引く思いがしたけれど、怪我自体は軽い物だったと聞いてそっと安堵の息を吐いた。

 放課後、心配する私をよそに、彼は怪我していることなど微塵も感じさせない軽快な足取りで元気に教室を飛び出した。

 陽務はどうして……一体何に対して、あんなにも楽しそうな笑顔を浮かべているのだろうか。

 

 

《10月○日 晴れ》

 これが、この気持ちが──(字が崩れて判読できない)

 

 

《10月△日》

 昨日は気持ちの整理が付かなくて一睡もできなかった。

 こうして日記を書いている今も、頭の中にはあのゲームショップの店長さんに言われた言葉がリフレインし続けている。

 

「ははーん。君、陽務くんのこと好きでしょ」

 

 私が、陽務君に、恋をしている。

 文字にすると至って簡素なその一言は、天地がひっくり返るほどの驚愕と、唐突に自分の居場所を思い出したかのような、言葉にしがたい奇妙な納得を私に齎した。

 恋、恋、これが恋。

 斎賀家の女は恋愛とは縁遠いと言われている。

 仙姉さんはお見合い結婚だし、百姉さんからは欠片ほども男性の影を感じない。

 私自身も今まで異性と親しくした経験など皆無で、いつか時が経てばお見合いをして適当な相手を見つけるのかなぁ、なんて漠然とした未来予想図を描いていた。

 だけどこの、胸を焼き焦がすほどの熱情と息が詰まりそうなくらいの切なさが恋だというのなら、彼と共に歩む以外の未来など考えられない。

 明日から陽務君へのアプローチを頑張ろう!

 

 

《12月○日 晴れ》

 最近陽務君が眠たそうにしていることが増えた。

 ゲームの為に夜更かしするのは以前からあったけれど、先月当たりからその頻度が明らかに上がっている。基本的に授業は真面目に受けていたのに、最近では居眠りしてしまって先生に注意されることもしばしばある。

 気になって真奈さんに何か知らないか聞いてみたところ、どうも最近とあるゲームに熱中していて他のゲームには目もくれず、その延々とそのゲームを遊び続けているらしい。

 今までにない異様なまでの熱中ぶりに、真奈さんも少し心配そうにしていた。

 陽務君、大丈夫でしょうか…?

 

 

《2月13日 曇り》

 明日はバレンタイン。この日の為に方々に手を尽くして最高の材料と道具を用意した。

 陽務君はお昼に菓子パンを食べていたり、放課後にたい焼きを買い食いしていたりもするから甘い物は嫌いじゃなはず。

 数度の試作を経て満足のいくチョコレートは出来た。明日に備えて今日は早めに床に就こう。

 

 

《2月14日 雪》

 臆病な自分が恨めしい。結局、私は陽務君にチョコレートを渡すことが出来なかった。

 朝、誰よりも早く陽務君にチョコを渡そうと通学路のいつもの電柱で待っていた。しかし珍しく降った雪にはしゃぐ陽務君を見ている間に学校に着いてしまった。

 ならば学校でと思ったものの、友人の多い陽務君は一人になるようなこともなく中々タイミングを図れない。

 クラスの女子から陽務君がチョコを受け取る度に、そこに本命が含まれていたらどうしようという不安が胸を苛んだ。

 放課後、いつものように駆け足で家路に着く陽務君を追って彼の家の前まで行ってみたけれど、ついぞインターホンを鳴らす勇気が出せず、渡せなかったチョコを鞄にしまい込み、とぼとぼとその場をあとにした。

 明日は真奈さんのお店で反省会だ。

 

 

《3月14日 晴れ》

 今日はホワイトデー。

 とはいえ、楽郎君にチョコを渡せなかった私には当然お返しが返ってくることも無く、彼がチロルチョコを返して回る姿を指をくわえて見ていることしか出来なかった。

 来年こそは、私もきっと…!

 

 

《4月○日 晴れ》

 今日から三年生になった。私の中学生活もあと一年だ。

 私たちの中学校は三年生への進級時にはクラス替えが無いため、嬉し事に陽務君とは再びクラスメイトになれた。

 今年こそは彼とお話できたらいいな。

 

 

《6月×日 雨》

 学校で進路希望調査票が配られた。

 私たちも来年は高校生、受験に向けて真剣に考えなくてはいけない時期だ。

 前回の調査ではとりあえず百姉さんの通っていた高校を第一志望にしていたけれど、今回はどうしたものだろう。

 陽務君はどの高校に行くのかな?二年生の学年末テストではやや成績が下がっていたから、このままでは今の私と志望校が被ることはないだろう。

 我が家は学業について然程厳しくないとはいえ、個人的な感情だけで無理を通すのは少々気が引けてしまう。

 結局彼とは未だ一言も話せていないし、私の悩みは尽きない。

 

 

《7月△日 曇り》

 先日から楽郎君の元気がない。

 晴れの日も雨の日も、いつだって眩い笑顔を浮かべていた彼の姿は見る影もなく、どこか別の世界に魂を置き去りにしてきてしまったかのように生気を感じられない。

 あまりの変わりように居ても立っても居られなくなり、何があったのか尋ねてみたけど「……なんでもないよ、大丈夫だから気にしないで」とけんもほろろに返されてしまった。

 そうはいっても明らかに大丈夫とは思えなくて……陽務君、どうしてしまったんでしょう。

 

 

《7月×日 雨》

 学校帰りに真奈さんに相談してみたところ、陽務君の変調に心当たりがあるようだった。

 なんでも、彼が熱中していたゲームの運営に問題が発覚して、オンライン用のサーバーが閉鎖されってしまのだという。言われてみればそんなニュースを耳にしたような…?

 気分転換に別のゲームをオススメしたからその内元に戻るだろうと真奈さんは言っていたけれど……

 

 

《8月○日 晴れ》

 今日はコンビニで陽務君を見かけた。

 夏休みに入ってから一度も外で姿を見かけることがなく、部屋の窓も閉めきっていて心配していたけれど、一ヶ月ぶりに出会った彼は先日の落ち込みようが嘘のようにキラキラと目を輝かせていた。

 それはあの雨の日に見た、私が憧れたあの笑顔で。

 陽務君が元気になってくれたことが嬉しくて、喜びのままにロックロールに駆け込むと、真奈さんが微笑ましげに目を細めて「良かったね、玲ちゃん」と優しい言葉をかけてくれた。

 うん、本当に良かったです。

 

 

《9月○日 晴れ》

 新学期が始まり、再び進路希望調査用紙を配られた。

 陽務君に気配を消して近づいて、彼の友人達との会話に耳をそばだててみたところ、どうやら真檜高校を受験するつもりらしい。

 真檜高校は最難関というわけではないが、それなりの進学校なので夏前までの陽務君では合格は難しいだろう。

 だけど去年までの彼の成績と、何よりもあのワクワクとした笑顔を見れば、きっと大丈夫だと確信できた。

 ならば私の取るべき選択肢は一つ。

 目の前の用紙の第一志望欄に「私立真檜高等学校」の文字を記して担任の先生に提出した。

 

 

《11月◇日 雨》

 試験本番まであと三か月を切り、校内は完全に受験ムードだ。

 当初の志望校よりは余裕があるとはいえ私もまだまだ油断は禁物。護身術の稽古も頻度を減らし、放課後のロックロールへの寄り道も近頃は控えている。

 陽務君も今頃勉強してるかな。先日の模試では順調に成績を上げていたから、きっと頑張っているんだろう。

 勉強会とか開いて楽郎君から頼られたりして…なんて想像に胸を高鳴らせながら、いつか来るかもしれないその日を夢見て、私ももっと頑張ろうと決意を新たにした。

 

 

《3月○日 晴れ》

 今日はとうとう真檜高校の合格発表。

 合否はオンラインで確認することも出来たけれど、陽務君が高校前まで確認に行くと話しているのを耳にしたので私もそれに倣うことにした。

 校門前にたどり着いたのは受験番号が張り出される十分前。同じように現地で合否を確かめようと考えた人は少なくないようで、それなりの数の受験生やその親御さんが固唾を吞んで審判の時を待っていた。

 陽務君もそんな人々の中、私服姿にコートを羽織って一人静かに佇んでいた。

 やがて高校の先生が今どき珍しいアナログのホワイトボードに合格者一覧を張り出すと、集まっていた人々は祈るようにして自分の番号を探し始める。

 合格した人の喝采や落ちてしまった人の慟哭が入り混じる中、私は無言のままに湧き上がる喜びを嚙みしめていた。

 そう、ちゃんと合格していたのだ……陽務君が!

 夏休みが開けて以来、目が覚めたように真剣に授業に打ち込んでいた。

放課後にロックロールへ寄り道する頻度も減り、真っすぐ家に帰って今までの遅れを取り戻そうと必死で毎日頑張ってきた。

 そんな陽務君の努力が報われたことが嬉しくて、今にも叫び出してしまいそうだ。

私も合格していたので、これからまた三年間同じ学び舎に通うことが出来るということも、その喜びを加速させる。

 家族や真奈さんも私の合格を喜んでくれて、後日改めてお祝いしてくれることになった。

 ああ、今日はなんていい日だろう。

 

 

《4月□日 晴れ》

 今日はとうとう真檜高校の入学式。

 登校した私は最初に自分のクラスを確かめて、心の底から幸運の神に感謝した。

 夢じゃないのかと頬をつねって、見間違いじゃないかと何度も何度も見返した。

 それでもやっぱり「陽務楽郎」と「斎賀玲」が同じクラスになっているのは紛れもない現実で、思わずその場で小さくガッツポーズをしてしまった。

 教室に行くと既に楽郎君は登校していた。

 真新しい制服に身を包んだ彼の姿はとても新鮮で、その姿を写真に収めたい衝動と戦うのに必死だった。

 また一年、楽しい日々になりそうだ。

 

 

《5月△日 曇り》

 緊急事態が発生した。

 お昼休みにクラスメイトの女の子たちとお話していると、気になる男の子の話になった。

 それだけならよくあるガールズトークだったのだけど、そこで女子の一人が「陽務君結構良くない!?」と言い出したのだ。

 その気持ちは痛いほどに分かる。陽務君は格好いいし朝ジョギングをしたりして体もそれなりに鍛えている。普段はちょっと子供っぽいところもあるけど不意に見せる真剣な表情や、郷愁を覚えているかのような切なげな顔のギャップも堪らない。何よりも全身全霊でゲームを楽しんでいることが伝わってくる笑顔は素敵すぎてあの姿を一目見れば誰だって陽務君の魅力に取りつかれてしまうことは想像に難くない。

 だけど、私は今まで自分が陽務君に近づくことに必死で、他の誰かも同じように彼に惹かれる可能性について深く考えずに来た。

 これは由々しき事態である。どうにかして対抗策を考えなくては…!

 

 

《6月○日 晴れ》

 今日は真奈さんからオススメされた「シャングリラ・フロンティア」というゲームを始めてみた。

 今まで挑戦したゲームは私には難し過ぎてどれも途中で断念してしまったけれど、今度こそちゃんとプレイしたい。

 とりあえずキャラクター作成とチュートリアルを終えて──

 

 

 

「玲さーん、荷物整理終わったー?」

「ぅわひゃいっ!!?」

 

 唐突に後ろから聞こえた声に、慌てて目の前の日記帳を閉じる。

 振り返ると、ジャージ姿に軍手をした楽郎君が目を丸くして私を見ていた。

 

「ご、ごめん。驚かせちゃった?」

「いっ、いえ!私の方こそすみません!ちょっと懐かしい物を見つけてしまって……」

「懐かしい物…って、もしかしてそれ、玲さんの日記?」

「はい、ついつい読みふけってしまって……」

「あるある、大掃除の時に昔のアルバム見ちゃったりね」

「ごめんなさい、引っ越しの準備の途中なのに」

「気にしないで、あっちは粗方終わったから今度はこっちを手伝うよ」

 

 大学生活に向けて荷物を纏めるはずが、日記を見ていたせいで予定の半分ほどしか作業が進んでいない。

 それを謝る私に対し、楽郎君はひらひらと手を振って笑っていた。

 

「ありがとうございます、それではお言葉に甘えますね」

「よしきた、ところで玲さんの日記とやらがちょっとばかし気になるんだけど……」

「これはダメです!!楽郎君といえど、これだけは絶対見せられません!!」

「見るなと言われると余計に気になる…もしかして俺のことを書いてあったり?」

「!!?も、黙秘権を行使します!!」

 

 

 乙女の秘密を死守するための戦いがどうなったのかは────また、別のお話。

 



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気の合う二人に危機感募り

楽郎と意気投合する百さんにモヤモヤするヒロインちゃんのお話。


 楽郎君が、笑っている。

 

「お、そのカップ麺は確か先週出た新作の……」

「ほう、そこに気が付くか!いかにも、ここのメーカーは外れが無いので毎回欠かさずチェックしてるんだ」

「確かに美味いですよね、家の戸棚にも常に幾つかはストックしてます」

 

 私は楽郎君の笑顔が好きだ。

 新しいゲームを買った時の、溌溂とした少年らしい笑顔が好きだ。

 クラスの友達とふざけ合う、悪戯気な子供のような笑顔が好きだ。

 夕暮れの帰り道で手を繋ぎ、少し大人びた雰囲気の笑顔が好きだ。

 妖艶な笑みと共に睦言を囁かれた時には心臓が止まるかと思った。

 私は、楽郎君が笑ってくれるのならその全てを愛せるのだと思っていた。

 

「中々話が分かるじゃないか。私もそれなり(・・・・)の数のカップ麺を食べてきたが、これの定番ラーメンの味は何処かホッとする」

「元々が地元のラーメンですし、やっぱり舌に馴染みがあるんですかね?」

「確かにそれもあるだろうな。加えて言えばこの会社はそれ以外にも全国のご当地ラーメンを再現したりと冒険心を忘れていない点も評価したい」

「あぁ、冒険といえばここの激辛ラーメンに何度か挑戦しては毎度痛い目見てるんですよね……」

「あれか……辛いだけでなく確かな旨味もあるせいで妙に癖になるんだ、私にも覚えがある」

「辛さと痛さで眠気が吹っ飛ぶんで、エナドリ飲みながら食べるとゲームは捗って助かってます」

「その活用法は予想外だな……」

 

 だけど今、目の前で姉と──私以外の女性と親し気に談笑する彼を見て私の胸に去来する思いは、紛れもない悲しみだった。

 楽郎君と百姉さんに他意は無いことは分かっている。

そもそも、今日二人が出会ったのだって仙姉さんから頼まれたお使いと楽郎君からの不意の放課後デートのお誘いを天秤にかけられなかった私がきっかけだ。

「家族ぐるみのお付き合い」というシチュエーションに憧れて楽郎君を百姉さんの住む部屋まで連れてきてしまったものの、まさかこの二人がこんなに意気投合するなんて。

 実の姉に対してこんなにも醜い感情を抱いてしまう自分が情けない。

こんなことなら用事があるからと楽郎君の誘いは断り、デートは後日に回す……のは、やっぱり無理ぃ…!

 

「陽務君、だったか。大したもてなしも出来ないが良ければゆっくりしていってくれ」

「こちらこそすみません、なんか急にお邪魔しちゃって」

「気にするな、私の方こそこんなラフな姿ですまないな」

「いえいえ、俺も普段はもっぱらジャージですから」

「なんだ君もか。私も部屋着やコンビニに行くくらいなら気にしないんだが、姉さんや永遠の奴がうるさくてな」

「そういえばペンシルゴンとはリアルで友達なんでしたっけ。うちにもファッションに煩い邪教徒(いもうと)が居るんで気持ちは分かります」

「奴とはただの腐れ縁だよ。お互い身内の小言には苦労するな」

 

 それにしても楽郎君も楽郎君です!

 いくら相手が私の姉とはいえ、か…か、彼女である私を差し置いてそんなに姉さんとばかり話さなくてもいいじゃないですかぁ……

 複雑な私の心境など知る由もない二人の会話は無情にも続いていき──

 

「それで斎賀さんは……」

「百でいい」

「え?」

「斎賀だと玲や他の家族と紛らわしいだろう?だから私のことは百と呼んでくれて構わない」

「ええっと……分かりました、百さん」

「うむ、それでいい──楽郎(・・)

 

 その一言を聞いた瞬間。

 ぷつり、と自分の中で何かが切れる音がした。

 

「………るいです」

「……玲さん?」

「…姉さんは、ズルいです」

「どうした玲、突然何を言って…」

 

 湧き上がる激情とは裏腹に零れ落ちる声音は氷のように冷たくて、これが自分の声なのかと頭の中の冷静な部分が他人事のように驚いていた。

 突然の私の豹変に楽郎君と百姉さんが戸惑っているのは伝わるけれど、我慢の限界を迎えた私の言葉は止まらない。

 

「二人とも、初対面の筈なのになんでそんなに親しいんですか!!」

「いや、初対面と言ってもゲーム内ではそれなりに話してたし」

「最近ではリュカオーンのユニークシナリオ関連で共同戦線を張っていたし、玲も同席していただろう」

「それにしたって順序というものがあります!会ってすぐに名前で呼ぶなんて…!わ、私がそこにたどり着くまでどれだけの時間が……」

 

 声が震えて尻すぼみになる。気が付けば、楽郎君が眉根を寄せて悲し気な表情を浮かべていた。

 嗚呼、そんな顔をさせたい訳じゃ無かったのに。

 

「……ごめんね玲さん、俺が無神経だった」

「いいえ、私の方こそ急に変なことを言ってごめんなさい」

「これは、随分と珍しいものを見たな」

 

 楽郎君にそっと目元を拭われて、そこで初めて自分が泣いていることに気が付いた。

 気づかわし気な楽郎君と、驚きに目を見張った姉さんの視線に今更ながら羞恥心に襲われる。

 我ながらなんて面倒くさい……これで、もしも楽郎君に嫌われてしまったら。

 そんな不吉な未来予想図にさぁっと顔が青くなる。

 

「変なんかじゃないよ、というかむしろ光栄と言いますか……」

 

 しかし、深刻な私の想像に反して楽郎君は何故か少し嬉しそうに、そして何処か恥ずかしそうにはにかんでいる。

 ……光栄?

 

「だって、俺ってそんなに長いこと玲さんに思われてたんだなーって」

「そうぇあ!??」

「私も驚いたぞ、玲は昔からあまりわがままを言わない子だったんだが……恋とはここまで人を変えるものか」

「ねねね、姉さん!?」

 

 どうやら嫌われてはいないみたいだけれど、これはとてもよくない気がする!

 楽郎君の笑みが、クラスメイトのポエムを読み上げている時のそれと被る。

 姉さんは姉さんで何やら視線が生温い。そんなしみじみと恋だなんて!いえ、確かにその通りではあるんですが!

 

「楽郎、改めて妹をよろしく頼む」

「勿論です、こんなに愛されてそれに報いなきゃ彼氏失格ですから」

「ふふふ、これは頼もしい。玲、良い男を捕まえたじゃないか」

「うぅ……そろそろ勘弁してください……」

 

 とても嬉しい言葉を聞かされて天にも昇る心地だけれど、それはそれとして恥ずかしさで死んでしまいそうだ。

 それなのに姉さんは容赦なく私に追撃の言葉を放つ。

 

「立派な義弟が出来て私も嬉しいよ」

「おと…!?かぞ……にゅうせっ!??」

 

 私はその後、37.8℃の熱を出した。

 



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楽永
#天音永遠様生誕祭2021


ペンシルゴンこと天音永遠の誕生日記念ss
一応楽永√の世界線のお話です。


「ただいまー。あ、お兄ちゃん丁度いい所に。これ冷蔵庫に仕舞っておいて」

「おー、おかえり。何だこれ?」

 

 飲み物を取りに台所に向かっていると、丁度バイトを終え家に帰ってきた瑠美と遭遇した。今日も今日とてお洒落に余念がない我が妹だがネイルをしていないところをみると今日はどこか飲食店での仕事だったのだろうか。

 帰宅の挨拶もそこそこにして手渡されたのは何やら横に大きな紙袋。中を覗けば保冷剤と共に何らかのロゴのシールが張られた箱が入っている。

 

「何って見れば分かるでしょ、ケーキよケーキ。丁寧に扱ってよね、傾けたらコロスから」

「今冷蔵庫の中スルメイカでいっぱいなんだよな…」

 

 昨日親父様が大量のイカを釣って来たのでしばらく我が家の食卓はイカ尽くしだろう。刺身や塩辛もいいが親父が釣ったその場で作ってきた沖漬けを白米に載せて掻っ込むと日本人に生まれてよかったとしみじみ思う。

 

 

「しかしお前がこんな大きなケーキ買ってくるなんて珍しいな。何かあったのか?」

「はあ?ちょっとお兄ちゃん、まさか今日が何の日か知らないの?」

 

 日頃スタイルの維持のために節制を心掛けている瑠美がホールケーキと言う名のカロリーの塊を自ら買ってくるのは珍しい。そう思って尋ねると瑠美は何やら信じられないものをみるような目で俺を見てきた。

 

「今日!6月13日は永遠様のご生誕祭なの。神がこの世にあの方を与えてくれたことに感謝の祈りを捧げるのは人として当然でしょ」

「お、おう…」

 

 その熱の入った宣言に思わずちょっとあとずさる。確かに邪神の落とし子のような奴ではあるが。

 

「つまり天音永遠への誕生日プレゼントってことか。まあ喜んでくれるんじゃないか」

「は?」

 

 ごく当たり前のフォローをしたつもりなのに何故か俺は瑠美に侮蔑の籠った視線で睨みつけられる。

 

「これはあくまで私が個人的に永遠様の生誕をお祝いするの。そりゃお兄ちゃん経由で連絡先は交換させていただいてるし、恐れ多くもお祝いのメッセージは送らせていただいたけど、直接物を送るような真似をするわけないでしょ」

「そうなのか?」

「そりゃそうでしょ。大体ファンからの贈り物と言えば聞こえはいいけど、結局のところ見ず知らずの他人から送られてきた荷物よ?それを仕分けする永遠様の労を想えば自己満足の為に勝手なプレゼントを送るような真似は出来ないわ」

「…お前、偉いな」

 

 最初はその邪教徒っぷりに引いてしまっただ想像以上にしっかりとしたその考えに俺は今素直に感心している。

 そしてそれは俺達兄弟の会話を階段の上で立ち聞きしていたそいつも同様なようで…

 

「ありがとうね瑠美ちゃん、そんなに想ってくれるファンを持って私は幸せだよ」

「!!??!?」

 

 突然の天音永遠ご本人の登場に瑠美は声にならない叫びを上げてその場ですとんとしりもちをついた。永遠の奴は何食わぬ顔で瑠美に近づきそっと手を差し出し立ち上がるのを助ける。

 瑠美はと言えば余りの衝撃に今も現実を理解できないようで、永遠の顔と永遠にに捕まれた手の平を交互に何度も見返している。

 

「え、えええっ!?ちょ、お兄ちゃん何で永遠様がここに!?」

「お前がケーキを買ってきた理由と同じだよ」

「ふふっ、君のお兄さんが私の誕生日を祝ってくれるって言うからね。あ、瑠美ちゃんもお祝いのメールありがとう」

「いいいいえそんなとんでもない!あの、お誕生日おめでとうございます!」

 

 その後、未だ混乱と興奮の冷めやらぬ瑠美も交え、盛大に永遠の誕生日を祝ったのだった。



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君は私のモノだから

独占欲を発揮したペンシルゴンのお話
硬梨菜先生のTwitterでの「ラク君」呼びネタから


「サンラクさん今日時間あります?ちょっと検証に付き合って欲しいんですけど…」

「あの!今日はエムルちゃん連れてないんですか?是非またモフ…は無理でも、せめて一緒にスクショを…!」

「あー、ゴメン今日は俺この後親友(マブダチ)のところに行かないと…」

「「そこをなんとか!」」

 

 うーむ、面倒臭い。

 そろそろ鉱石系素材の補充をしようとエイドルトを訪れた俺は、偶然出くわしたライブラリとSF-zooのプレイヤー達に捕まっていた。

 完全に見ず知らずの人間であれば無視して走り去ってもいいのだが、今回話しかけてきた二人は顔とネームが一致する程度には付き合いのあるプレイヤーであったこともあり、あまり無下にするのも憚られた。

 ちなみに例によって死に戻り前提の予定なので今日はエムル達NPCとは別行動だ。

 女キャラ二人が男キャラを挟んで詰め寄る姿は見ようによっては痴情の縺れのようにも見えるのか、周囲からは「二股?」「おいあれツチノコさんじゃ…」「何で半裸なの?変態?」などといったひそひそ話と共に好奇心の籠った視線が向けられているのを感じる。今変態って言った奴、顔覚えたからな。

 

(さてどうするか……げっ)

 

 如何にしてこの場を切りぬけようかと頭を悩ませていると、野次馬たちの中に物凄く(・・・)見知った顔を見つけて内心で呻き声を上げる。

 そいつは颯爽と俺と二人のプレイヤー達の間に割り込むと、わざとらしい程に朗らかな声で俺に声をかけた。

 

「ラク君おまたせー!遅れちゃってごめんね?いやークエストが長引いちゃって…」

 

 ライブラリとSF-zooの二人は突然の天音永遠…の姿をしたペンシルゴンの乱入に目を白黒させている。

 俺としても特に待ち合わせなどをした覚えも無く、不可解なペンシルゴンの台詞に疑問と困惑が湧いてくる。

 

「お前今度は何を企ん……」

(しーっ!いいから君は黙って話を合わせて!)

 

 黙ればいいのか話せばいいのかどっちなんだ、という無言の講義も本業としてのスキルをいかんなく発揮した業務用の笑顔で黙殺された。

 今度は一体どんな悪事を企んでいるのかと戦々恐々とする俺に構わず、ペンシルゴンは目の前の二人とのトークを続ける。

 

「何かラク君に用事かな?でもゴメンね、今日は私が先約だからサ?」

「あ、さっき言ってた親友ってペンシルゴンさんだったんですね」

「まあそんな感じ!んー、でも親友かぁ…」

 

 ライブラリのプレイヤーの言葉を受けたペンシルゴンが、曖昧に肯定の意を返しながら俺にアイコンタクトを向けてくる

 どうやら俺がこの場を抜け出すのを助けてくれる腹積もりらしい。引き換えに何を要求されるのかは少々怖いがここは有難く話に乗っておくべきか。

 しかし、こいつ今日は妙に語気が強いような…というか何か怒ってる?

 そんな疑問も束の間、ペンシルゴンはおもむろに俺の手を取り、互いの指を絡めていって……

 

「まあ、今はそういうことにしておいてあげるようか……ラ・ク・君?」

 

 繋いだ手と手を見せつけながら、そんなことを宣いやがった。

 

「えっ、あのお二人ってもしかして…?」

「そういうことでしたか!お邪魔しちゃってごめんなさい、デートの時はいつでもエムルちゃん預かりますからね!」

「ふふっ、それじゃ私たちはこれで。一応これはここだけの話にしておいてね?」

 

 さっきまでとは別の理由で騒がしくなった二人をあしらいながら、俺の手を引きペンシルゴンが歩き出す。

 形だけの口止めをしたペンシルゴンであるが、「ここだけの話」がどれほどの速度で拡散されるかなど、今更語るまでもないだろう。

 俺もこいつもシャンフロ内で何かと有名なこともあり、今のやり取りは公然の秘密となったも同然だ。

 まあ、俺としては今更噂の一つ二つ増えたところでどうということは無いのだが…

 

「おい、あんなに大っぴらにしてよかったのか?」

「いやあ、私も悩んだけどね?君の所有権が誰の物なのか、そろそろハッキリさせておきたいかなーって」

「誰が所有物だコラ」

「まあまあ、そんなことよりせっかく人が助けてあげたんだから、今日はお礼にこのままデートだよ!しっかりエスコートしてね?楽君?」

 

 俺は繋がれた手を握り返しつつ、相も変わらず自爆上等な我が恋人に呆れながらもその横暴に付き合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さーて、それじゃあどこに行こうか?いくら何でも半裸でデートってのも締まらないし、服屋でも冷やかす?」

三分間限定(インスタント)なお洒落しても仕方ねーだろ、お前の装備を見るって言うなら付き合うが」

「おっ、天音永遠のファッションショーをお望みかい?後で瑠美ちゃんに自慢していいよ」

「それは俺が追及で死ぬやつ!」

「はっはっは、世界が羨むこの美貌を独り占めできるんだからそのくらいは必要経費でしょ」

「それを自分で言うか」

「事実だからね……って、流れでそのまま来ちゃったけど、さっき友達がどうとか言ってたのはいいの?」

「ああ、そっちは別に気にしなくて大丈夫。別に約束があるわけじゃなくて、俺が勝手に会いに行きたかっただけだから」

「あ、そうなんだ……でも、君がわざわざ会いに行くなんて随分と仲がいいんだね…」

「ああ、自慢じゃないがこのゲームで俺程あいつらと親しいプレイヤーは居ないだろうな」

「ほ、ほうほう。そこまで言うんだ………」

「おう、こないだ遊びに行った時も(俺をボールにして)熱烈に歓迎してくれたからな」

「ふうん……ねえ、ちょっっと私もその親友とやらに会ってみたいなー、なんて」

「それは……あ、(インベントリアのある)お前なら大丈夫か。今日は二人でカチコミといこうぜ」

「よーし、それじゃラク君の親友に気合入れてご挨拶を……カチコミ?」

 

この後滅茶苦茶死に戻りした。

 



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これが私の御主人様

メイドの日に書いた突発ss。
楽郎と永遠と瑠美ちゃんのお話。


「お帰りなさいませご主人様!」

「【速報】カリスマモデル天音永遠の意外な素顔!エプロンドレスの着こなしや如何に?…っと」

「ちょいちょいちょーい!?ちょっと待とうかラク君!まずはその端末のカメラを下ろそうか!」

 

 学校から帰った俺を謎のメイドが出迎える。

 状況を理解するよりも先に反射的に撮影の構えに入った俺に対し、何故か全身をクラシカルなメイド服で着飾った永遠が慌てて吠え立てた。

 ……よし、画像データはロック付の隠しフォルダに保存完了だ。

 

「ねえ今撮影音がしたよね?君ほんとに撮っ…」

「ちょっとお兄ちゃん何考えてるの!?そんなもので永遠様を撮るなんて!」

「おっ、いいぞ瑠美ちゃんもっと言ってやって!」

「そんなしょぼくれたレンズじゃ永遠様の美しさが捉えきれないでしょ!こっちのちゃんとしたカメラを使って!」

「瑠美ちゃん!??」

 

 そう言って何故かこちらもメイド服姿の瑠美が武骨な一眼レフを俺に差し出してくる。これ母さんが昆虫撮影に使ってるガチのやつじゃねーか!勝手に持ち出したら後が怖いぞ……

 

「ったく、怒られても知らないからな……ハイ、チーズ」

 

 全ての責任は首謀者たる妹にあるのだと声高に主張しつつ、永遠の着ている物とは異なり些かスカート丈が短く装飾過多なメイド服に身を包んだ瑠美をフレームに収める。

 ふむ。

 

「ちょっと露出が足りないか、よしもう一枚」

「残念でした、お兄ちゃんも共犯ですー!ちゃんと可愛く撮ってよね」

「おーい、お姉さんも話に入れてー…っていうか何?ラク君はカメラも使えるの?」

 

 俺と瑠美のやり取りに取り残された永遠が寂しげな声を上げる。

 いかん、すっかり存在を忘れていた。

 

「まあ最低限の扱いくらいならな」

「最低限って言ってもそれ、撮影現場でカメラマンさんが使ってるのと遜色無さそうなんだけど……カメラを使うクソゲーでもやったの?」

「別に俺クソゲー以外から学習しない種族って訳じゃないからな?家庭の事情で色々あるんだよ」

 

 主に母さんのフィールドワークに連れ出されてカメラの使い方を仕込まれたり、瑠美のプライベートなファッションショーのカメラマンを務めたり。

 ちなみにカメラを使うクソゲーも噂には聞いているのだが、残念なことに未だプレイすることは叶っていない。

 なんでも荒廃した世界を写真に収めながら旅し、世界の滅んだ謎を解き明かしていくというコンセプトのRPGだったらしい。

 伝え聞く限りではストーリーは良好、目立ったバグも無くゲームバランスも悪くないと事前の評判も上々であったのだが……その「荒廃した世界」を表現するために実在の心霊スポットの映像をそのまま流用したのが不味かった。

 ベータテストの時点で設定した覚えの無い半透明だったり部位欠損していたりするNPCの出現報告が多数、全年齢向けのゲームとしてはゴア表現がエグすぎるという悲鳴混じりの苦情も続出したという。

 最終的にどうにかリリースには漕ぎ着けたものの、発売日には既に諸々の開発エピソードがネットの海に流れており、一部のオカルトマニアとクソゲーマー以外に手を出すものもなく制作会社は倒産。今では微かな数の中古品が稀に市場に流れるのみという……

 

「はいストッープ!何で突然ホラー!?」

「何でって、お前がカメラを使うクソゲーの話を振ったからだろ」

「クソゲーの話題からまさかそんな笑えないエピソードが出てくるとは思わないじゃん!??」

「お兄ちゃん!絶対その呪いのゲーム我が家に持ち込まないでよ!!」

 

 散々な言われようであるがこの件に関しては実は俺も同意見である。

 あの武田氏をして「サンラク氏、誠に残念なことながら世の中には触れるべきでは無いゲームというものも存在するのでござるよ」と言わしめた曰く付きのゲームだからな……

 

「まあゲームの話題は置いておくとして、お前らなんでメイド服?」

「んふふ、ようやくそこに触れる気になったね。どう?永遠おねーさんのこの格好を見てのご感想は?」 

「シャンフロでエリュシオン氏が着てたメイド服に似てるな」

「死んじゃえバーカ!!!」

「ミゾオぶっ!?」

「…………最っ低」

 

 率直な俺の感想への返事はノータイムでの膝蹴りでした。

 み、鳩尾に入った……

 瑠美よ、死にかけの兄に慈悲は無いのか…?

 

「デリカシーの無い男に人権は無いわ」

 

 無慈悲!

 

「で、永遠様のお姿を拝謁したご感想は?」

「トテモオキレイナオメシモノデスネ……」

「は?」

「……ええい!綺麗で可愛くてドキドキしたよ!これで満足かコンチクショウ!!」

 

 当たり障りの無い答えなど許さぬと、凡そ女子高生の物とは思えない眼力で俺を睨めつける瑠美の圧に屈してぽろりと本音が零れ落ちた。

 

「……へー、そっかそっか、ラク君はメイド服に興奮しちゃう変態さんなんだ?」

「ぐっ…絶対調子に乗るから言いたくなかったのに」

 

 先ほどまでの怒りの形相は何処へやら、実に腹立たしいにやけ面を無駄に様になる顔面に張り付けて永遠が笑う。

 

「ちなみにこの服は私のバイト先の新制服、店長に無理言って借りてきちゃった」

「お前今度はメイド喫茶でバイト始めるの…?」

「時給もいいし、何より制服が可愛いのはポイント高いよね」

「うんうん、お陰様で可愛い服を着れた上にラク君の隠された性癖も暴けたし、おねーさんはこんな可愛い義妹(いもうと)を持てて鼻が高いよ」

「そんな…!私こそ永遠様のお美しい着こなしを間近で見られて幸せです!」

「んふふー、やだなぁそんな他人行儀な。もっと気軽にお姉ちゃんって呼んでくれていいんだよ?」

「永遠お姉様…!!」

 

 遊び終わった玩具に興味は無いとばかりに俺を捨て置き教祖(モデル)信者(ファン)の交流会が催されている。

 俺、もう部屋に帰ってもいいかな?

 

「あ、ご主人様喉渇いたから紅茶淹れてくれる?」

「永遠様から頂いたケーキもあるからそっちも準備よろしくね、ご主人様」

「お前らメイドって職業の中身を辞典で調べてこい!」

 



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たのしいおふかいだいさんじ/体重のあとしまつ

外道組三人の飲み会とその後日譚


「ごめん遅くなった!」

 

 約束の時間から遅れることおよそ30分。

 急な呼び出しをしてくれやがったスポンサー様に脳内で罵詈雑言を飛ばしながら、予約していた居酒屋の個室の襖を開く。

 開口一番に謝罪の言葉を口にすると、見慣れた面々が飲みかけのジョッキを掲げながら口々に俺を出迎えた。

 

「おー、お疲れカッツォくん」

「遅いから先に始めてたぞ」

「悪い悪い、オフの筈なのに急に仕事が入ってさ」

「あー…あの爺さん当日になっていきなり呼び出すのマジで勘弁して欲しいよな」

 

 遅れた理由を聞いた楽郎がやけに実感の籠った声でしみじみと俺に同意する。

 正体不明のプロゲーマーでもお上の意向に逆らえないのがこの世界の辛いところだ。

 

「そういやお前もこないだ急なインタビュー入ってたな」

「あ、もしかしてラクくんが瑠美ちゃんの荷物持ちすっぽかしたのってそれが原因?」

「……その通りだけど、お前はなんでそれを知ってるんだよ。俺、永遠にその話してないよな?」

「んふふ、私と瑠美ちゃんはとーっても仲良しだからネ?」

「こえーよ!」

「お前ら相変わらず仲がいいなぁ……あ、すみませんビールお願いします」

 

 二人の痴話喧嘩?を他所に、通りかかった店員を捕まえて自分の分のビールを頼む。

 全員の飲み物が揃った所で改めてペンシルゴンが乾杯の音頭をとった。

 

「さて、それではカリスマモデル天音永遠の輝かしい栄光を祝って……かんぱーい!」

「待て待て、今回集まった名目は一応俺達(・・)爆薬分隊の日本リーグ優勝を祝う会だろ」

「諦めろカッツォ。永遠はこういう人間だ」

 

 反射的に突っ込みを入れた俺を、悟った眼をした楽郎が宥める。お、お前も苦労してるんだな……

 思わぬ所でチームメイトの日頃の労を察した俺は、哀悼の意を込めてコツンとジョッキを合わせた。今日のビールはやけに苦いぜ。

 

「何はともあれカッツォも飯食えよ、腹減ってるだろ?」

「そうさせてもらうよ、半端な時間に呼ばれたせいで実は昼飯も食いそびれてさ」

「それじゃもう少し料理追加で頼もっか。おねーさんももっとガッツリした物が食べたいし」

「太るぞカリスマモデルさんよ」

「ちゃんと運動もしてるから大丈夫ですーぅ!そんな失礼な事をいう口はこれかー?」

「ふぉいひゃめろ」

 

 笑顔のまま怒ったペンシルゴンは、皿に三切れ残っていただし巻き玉子を次々と楽郎の口に突っ込んだ。容量オーバーで楽郎の頬がリスのように膨らんでいる。

 それにしても今日はペンシルゴンのテンションがいつにも増して高い。頬も若干赤らんでいるが、俺が来るまでに一体どれだけ飲んだのだろう。

 些細な疑問を抱く俺を他所に、当の本人は今の一幕をまるで気にせず部屋に備え付けの注文用端末を眺めていた。

 端末には和紙製の折り畳み式カバーがついていて、ペンシルゴンがそれを持つと酒の肴を吟味する姿さえも古書を嗜む知的な女性に見える。カリスマモデルの才能の無駄遣いも甚だしい。

 

「うーん、秋刀魚の塩焼きに土瓶蒸し……茄子と舞茸の天ぷらもいいねぇ」

「肉食いたいから唐揚げも頼む……お、戻りカツオのタタキもある。カッツォは共食い大丈夫か?」

「誰が魚類だコラ、それを言うならサンラクだって鶏肉食えんのか?」

「おっと、喧嘩するならお酒とつまみが揃ってからにしてくれるかなー?料理適当に頼んじゃうよー」

「お前なぁ……」

「……まあいいや、俺達も飲もう」

 

 俺たちの諍いをつまみにする気満々なペンシルゴンが端末を操作しながら軽い口調でそう告げる。 

 その様子に毒気を抜かれ、俺と楽郎は若干ぬるくなったビールを喉に流し込んだ。

 

「ペンシルゴン、ついでにドリンクのお代わりも頼んでよ。俺レモンサワー」

「俺ウイスキーのエナドリ割で」

「んふふー、一人だけ素面でいよう(レジストしよう)たってそうは問屋が卸さないよ?ラクくんのドリンクは私と一緒に日本酒でーす」

「お前ら飲むのはいいけど程々にしとけよー」

 

 無駄だろうなぁと思いつつも一応の忠告をしつつ、酒が来るまでの繋ぎにテーブルに残っていた料理を摘まむ。

 

「揚げ銀杏うめえ……酒飲んでるとこういう地味な食べ物が美味しく感じるよな」

「カッツォ君ジジくさーい」

「うるせえ」

「……カッツォ、皿空けたいからこれも食っちまってくれ」

「ん、了解……ってわざわざ食べさせなくても…むぐっ」

 

 ペンシルゴン(酔っぱらい)を適当にあしらっていると楽郎がエリンギの姿焼きを箸で持って俺の口元に突き付けてきた。

 酔いどれ共を一々窘めるのも面倒になった俺は大人しくそれを咥えこむ。

 炭火で焼かれたとおぼしきそれは、シャキシャキとした瑞々しい歯ごたえと香ばしい香りが同居していて中々美味しい。スダチの果汁がかけられていて後味も爽やかだ。

 一口で食べるには些か大きいエリンギに苦戦しつつも平らげると、その様子を端末のカメラで撮影していたペンシルゴンが満足げに頷いた。

 ……ちょっと待て。

 

「お前今何撮った!?」

「んー、カッツォ君がラク君の差し出した太いものを美味しそうに頬張るす・が・た」

「うぉいっ!?それをどうする気だ!?今すぐ消せ!!」

「もーしょうがないなぁ……はい、削除っと」

 

 そう言ってペンシルゴンが見せた端末の画面には確かに《画像を消去しました》の文字が。

 あれ?随分あっさりと……

 

「既にラク君の端末に送信済みなんだけどネ?」

「『ケイと優勝祝いなう』…よし、OK」

「おいちょっと待て!?楽郎、お前まさか!!?」

 

 脳裏を過る不吉過ぎる予想に、慌てて顔隠しのSNSアカウントを確認する。

 案の定そこには今楽郎が口にした言葉と一言一句違わぬ文章と共に、俺がエリンギを食べる様子が全世界へ向けて公開されていた。

 

「お、お前ただでさえ最近俺とお前の組み合わせが増えてるっていうのに……正気か?」

「カッツォ君、自分がダメージ受けるの分かっててわざわざ魔境を覗きにいくのやめたら?」

「お前と違って俺は素性バレしてる訳じゃないからこのくらいコラテラルダメージだっつの」

「……楽郎、ペンシルゴンの自爆癖がうつってないか?」

 

 現在進行形で伸び続ける閲覧数に最早これまでと諦めの境地に至る。

 

 ──後日、この投稿を見て「どうして私も誘ってくれなかったの」と憤る、何も知らない純真なメグだけが俺の癒しだった。

 

 

◇体重のあとしまつ

 

 例年以上に暑さ厳しい今年の夏もようやく過ぎ去り、穏やかな日差しと秋風が心地よい、そんなある日の早朝のこと。

 木々が仄かに紅く色づき始めた遊歩道を、最近流行りのスポーツウェアで身を包んだ永遠と俺は走っていた。

 住宅街からやや離れたこの道は元々人通りが少ないことに加え、未だ日が昇って間もない時間帯ということもあり周囲に他の人影は見当たらない。

 そんな静かな道のりをやや早めのペースでジョギングすること暫し。ベンチのある広場に辿りついたところで永遠が足を止めたのに倣い、俺も一休みしてそっと息を整えた。

 

「ふぅ、やっぱり走るなら今くらいの季節が丁度いいね!暑すぎず寒すぎず、まさに絶好の運動日和!」

「……それには同意するけど、お前やけに張り切ってないか?」

 

 永遠の運動に付き合うことはこれまでにも何度かあったが、今日の彼女は妙に気合が入っているように見える。

 なんかこう、若干鬼気迫るオーラを感じるというか……

 

「……ほら、せっかく恋人と二人きりなんだからちょっといいとこ見せちゃおっかなーみたいな?」

「なるほど。で、本音は?」

「可愛い彼女の健気なアピールを軽く流すのはやめてくれないかなぁ!?服だって新調したんだよ?」

「本当に健気な奴は自分を健気とは言わないんだよ、服は確かに似合ってるけども」

 

 タオルで汗を拭う動作すらも絵になって見えるのは流石といったところだが、やはりどこか違和感がある。

 なんだろう、嬉々として悪だくみをしている時の永遠とも何か違う。これは何か本気で隠したいことがある時の反応のような………もしや。

 

「んふふ、でしょー?ってどうしたのラク君、そんなにおねーさんの顔をまじまじと見つめちゃって」

「……うーん、これは。でも確証がなぁ」

「いやあの、ちょっと近いって言うか今ほら結構汗かいちゃってるから匂いとか気になるというか……ねえ聞いてる!?」

「聞いてる聞いてる……なあ、永遠」

「あの、ラク君?人気が無いからってこんな屋外でなんて…!んんっ」

 

 ごちゃごちゃとした弁明を聞き流しつつ、徐々に距離を詰めていく。

 永遠は慌てて俺から距離を取ろうと後ずさるが、背中に木の幹が当たったところで観念したように足を止めて目を瞑った。

 俺はそんな永遠の頬へとそっと手を伸ばし……

 

「ひょっと、はにふふのは」

 

 頬をむにっと掴んだ。

 永遠が俺の想定外の行動に不満気な視線を向けてくるが、俺はそれに構わず頬の感触を確かめる。

 

「うん、やっぱりそうだ。お前、少し太った……ぐぶえっ!??」

「……遺言は、それだけカナ?」

 

 いかん、つい本音が漏れた。

 

「いやゴメン!今のは俺が悪かった!疑問が解けたもんだからつい!」

「信じらんない!デリカシー皆無だとは思ってたけどここまで!?」

「っつーかそこまで気にするほどか?確かに若干肉好きが良くなったけど触んなきゃわかんないって!」

「モデルの体形維持に妥協は許されないの!今のうちに元の身体に戻しておかないと…!」

 

 ガチ目の殺意を垂れ流し始めた永遠に平身低頭して謝罪する。

 言い訳半分本音半分の俺の感想は、カリスマモデルとしての矜持を前にしては毛ほどの慰めにもならないらしい。

 

「それにしても、かろうじてとは言え俺に気が付かれるレベルで永遠がふと……いや、なんでもない」

「……はあ、もういいよ」

「なんかすまん……その、お前がここまで焦るのも珍しいよな、そんなに不摂生してたか?」

 

 最近はチートデイと称したモツとビールの宴を開いた覚えも無く、ケーキなどの間食も制限したカロリーの範囲で抑えられていたと思ったのだが。

 

「ほら、こないだ久しぶりにカッツォ君と三人で飲んだでしょ?」

「あー、そういやあの時は後先考えずに結構飲み食いしたもんな」

「というかラク君だって私に負けず劣らず食べてたじゃん、ここらで運動しとかないとまずいんじゃない、の…?」

 

 死んだ目をした永遠が貴様も道連れだと言わんばかりに指をワキワキとうごめかせて俺の腹をつまもうとする。

 しかしその指は余計な肉をつまむことは無く、ウェア越しに俺の腹筋を撫でるだけの結果に終わった。

 

「…………え?」

「いや、俺は特に体型変わったりはしてないし」

 

 そもそも俺も永遠には及ばないもののプロゲーマーの端くれとして最低限の運動はしている。ちょっとやそっとの宴会でそうそう困ることはない。

 わなわなと震える永遠にそう告げると、彼女は裏切者を見るような怨念の籠った目で俺を睨みつけた。

 

「え、ラク君ついに現実の身体もバグったの?」

「便秘じゃあるまいし、至って正常だよ」

「バグじゃなきゃそれはもうチートだよ!!現実とはなんと不公平な……っ!」

「ゲームで散々不公平を強いてきた側の人間が言う台詞じゃないな」

「ええい、うるさい!今日はもうとことん付き合ってもらうから覚悟しといてよね!」

「はいはい、せいぜい頑張ってカロリー消費しようぜ」

 



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楽紅
紅音√詰め合わせ


楽紅短編七本立て

・告白RTA
雪降る夜の紅音の告白。

・Be My Valentino!
高校生の二人のバレンタイン。

・一番のプレゼント
隠岐紅音の誕生日。

・ある日の昼食
紅音と瑠美の昼食風景。

・ある日のお泊まり会
陽務家に泊まりで遊びに来た紅音のお話。

・ある日の試合後
大学生になった紅音の大会後のお話。

・ある日のシャンフロ
サンラクと秋津茜のとある会話。


◆告白RTA

 

「どうしましょう! サンラクさん! どうやら、私はサンラクさんの事が好きみたいです!!」

 

 あまりにも現実味の無い展開と台詞に、俺は今夢を見ているかVRの世界に居るのではないかと錯覚する。

 しかしながら体に伝わる彼女の温もりと重みが、これは紛れもない現実であるのだということを俺に容赦なく突き付ける。

 待て、落ち着いて状況を整理しよう。

 俺は今日、ゲーム友達と公園で会う約束をしていた。うん、それはいい。

 その友達の名前はドラゴンフライ、或いは秋津茜。便秘の貴重な新米プレイヤーにして、シャンフロで偶然再会を果たしたクランメンバーだ。

 彼女とゲーム内で知り合ってからおよそ一年。時には新たなバグを検証し、時には共にユニークモンスターに立ち向かった。

 茜は後輩気質とでも言うのか、それぞれのゲームの先達であった俺のことを先輩なんて読んで慕ってくれていたし、俺は俺でそんな彼女のことを憎からず思っていた。

 互いにそんな良好な関係を築いていけばゲーム内の友人とはいえ時折リアルの話題が出るのも必然で。

 

 ――後に思い返せば、そこが契機だったのだろう。

 

 リアルでは中学の陸上部に所属しているという彼女のことを応援したり、時には人と競うことが怖いという相談に乗ったりもした。

 そして、話をするうちに意外とお互いの居住地が近いということに気がついて。

 更には――

 

「私、サンラクさんが瑠美ちゃんのお兄さんだって分かったとき、本当に本当に嬉しかったんです。あのサンラクさんがこんなに近くに居たって分かって、まるで運命みたいだなって柄にもなく浮かれたりして」

 

 現実逃避気味に過去を旅していた俺の思考を耳朶を打つ彼女の声が引き戻す。

 初対面の女子にしては近すぎるその距離に身動ぎするものの、思いの外力強いその抱擁には意味が無い。

 自然と上昇する体温を降りしきる雪が冷ましていくのが心地好い。

 

(……ん?)

 

 雪で物理的に頭が冷えたことにより、俺は茜の体が小刻みに震えていることに気がついた。

 考えてみれば無理も無い。この地方にしては珍しく雪降る夜にも関わらず、彼女は随分と薄着に見える。瑠美に強制的に詰め込まれたファッションの知識を借りるなら、お洒落と引き換えに防寒性能を犠牲にした服と言うべきか。

 なんにせよ寒さに震える茜の姿に見かねた俺は無意識のうちに彼女を少しでも暖めるように、そっと抱き締め返していた。

 

「優しいんですねサンラクさん、流石瑠美ちゃんのお兄さんです」

 

 ……それは瑠美が優しいということだろうか。

 なんて場違いなツッコミを脳裏に浮かべつつ、俺は自分の行動に焦りを覚える。

 いかん、告白された相手にこんなことをしては要らぬ期待を抱かせてしまいかねない。好感度が適正値を示していない時に告白イベントを進ませるとピザ留学が……

 混乱の極致に至っている俺に対し、対面早々ハグ&告白を決めるという行動力の塊のような茜は意外にも冷静な言葉を紡ぐ。

 

「突然こんなことを言ってしまってごめんなさい、サンラクさんが私を只の友達としか思ってないのは分かっています」

「あ、ああ……その、気持ちは嬉しいけど俺たちはまだリアルじゃ初対面だし、茜のそれも何かの勘違いかも…」

「でも!!!」

 

 穏便に話が終わりそうなことに安堵したのも束の間。名残惜しそうに抱擁を解いた茜は、強い意思を籠めた瞳で俺を真っ直ぐ見つめて告げる。

 

「私、絶対諦めませんから!きっとサンラクさんを…楽郎さんを、私に振り向かせてみせますから!」

 

 

◆Be My Valentino!

 

 高校三年生の二月ともなれば、授業などあって無いようなものだ。

 既に受験を終えた者は残りわずかな高校生活を謳歌せんとし、未だ二次試験の残る面々は最後の追い込みをかけている。

 

 我が校ではこの時期は特定の日程以外は自由登校となっている為、共通テスト以降の三年生のフロアは些か閑散としてしまっているのが常だった。

 なのでこの日、二次試験の自己採点がてら学校に顔を出した俺も、友人達に会える期待は然程抱いて居なかったのだが……

 

「お前ら暇なの?」

「受験生に向かってなんて事を言うんだ陽務よ、お前にはこいつが延々と英単語を諳じる姿が見えないのか」

「こいつなら国語の記述だけで受かるんじゃないか?」

 

 そう言って目の前の友人が指し示す先にはひたすら単語帳とにらめっこしている雑ピの姿が。

 共テで理数系が壊滅的だったのを挽回するために二次試験対策に必死らしいが、こいつの文才であれば最悪全ての大学に落ちても新進気鋭の詩人として食っていくことは出来るだろう。

 

「で、受験勉強に余念が無い雑ピはともかく、お前はなんで居るんだよ。確か推薦で合格決まってたろ」

 

 早々に進路を確定させて受験勉強に勤しむ俺達を高みの見物していたことは忘れない。

 教室の中を見回せば、目の前のこいつに限らず既に登校する必要の無い者たちの姿が妙に多い。

 その事に首を傾げていると、いつの間にか単語帳から顔を上げていた雑ピが寝不足で据わった目をして俺を見ていた。

 

「陽務、今日は何月何日だ?」

「ん?そりゃ2月14日……あぁ、そういうことか」

 

 なるほど、学校にあわよくばチョコレートを貰えるんじゃないかという下心故のこの登校率か。

 

「クソっ!俺は気にしてません~的な態度がムカつくぜ」

「余裕見せつけやがってよ……!」 

「そんな血涙を流さんばかりの顔で睨まれても…」

 

 独り身達の怨嗟の声をBGMに焼きそばパンに齧りつく。

 ……こんなくだらない日常のやり取りも、あと一月足らずで終わってしまうと思うと寂しいものだ。

 間近に迫った卒業までの日々を内心で密かに惜しんでいると、そんな馬鹿騒ぎをしている俺達の元に呆れた顔の女子たちがやってきた。

 

「あんたら、毎年毎年飽きもせずよく騒ぐわね~」

「うるせえ、俺達にとっては輝かしい青春の最後の一ページが薔薇色になるかどうかの瀬戸際なんだよ」

「しょうもなー」

「仕方ない、優しい優しい私たちが憐れなモノクロの青春を送る男共に施しを与えてやろう」

 

 そう言うとクラスの女子たちは、チロルチョコの詰め合わせや徳用サイズの一口チョコを差し出した。

 

「おお…!神よ……!」

「感謝っ…!圧倒的感謝っ……!」

「現金なやつらねぇ」

「ありがとう、おかげで俺の青春はグレースケールくらいに彩られたよ」

「それ結局白黒じゃない?」

 

 やいのやいのと騒ぎ合うクラスメイトたちを横目に昼食のパンを食べ終えた俺はテーブルの上に置かれたチョコの箱に手を伸ばす。

 なんだかんだでこれも毎年の恒例行事だったな~と過去二年のバレンタインを振り返りながらチロルチョコを取ろうとして…

 

「おっと、今年は陽務の分は無しよ」

 

 サッとチョコレートを遠ざけられた。

 驚いて顔を上げると、他の女子たちも同様に俺にチョコを渡すまいとチョコの置いてある机をガードしている。

 別にバレンタインチョコに執着がある訳ではないが、仲間外れにされたようでちょっと悲しい。

 

「えっ、俺何かお前らを怒らせるようなことしたっけ?」

「いや別に意地悪で渡さない訳じゃなくて」

「おい、陽務お前マジか」

「もげろ」

「爆発してしまえ」

 

 しかしどうやら知らぬ内に女子の不興を買っていたということでも無いようで、一向に状況がつかめず首をかしげる俺を、クラスメイト達は何処か生温かな目で見つめていた。

 

「なあ陽務よ」

「なんだ雑ピ」

 

 いつの間にか単語帳を閉じてチョコを囲む輪に加わっていた雑ピが、やけに真剣な顔をして俺に語りかける。

 

「お前が貰うべきチョコは、こんなものじゃないだろう?」

「いや、さっきからお前らは何を言って……あっ」

 

 言いながら雑ピが教室後ろのドアを指し示す。

 釣られるようにそちらに視線を向けると、そこに居た人物を見て俺はようやくこいつらの言いたいことを理解した。

 俺と目が合い、嬉しそうにはにかむ彼女――隠岐紅音にそっと手招きすれば、紅音はぱあっと顔を輝かせて教室の中に入ってくる。

 完全に観覧モードに入った学友共の視線を気恥ずかしさを感じつつ、席を立ってそんな紅音を出迎えて――

 

「楽郎先輩!チョコレートをお届けに参りました!」

 

 

◆一番のプレゼント

 

 隠岐紅音は人気者である。

 誰に対しても分け隔てなく明るく接する優しさに、見ているだけで元気を貰えるような輝く笑顔。どんな困難にも恐れず立ち向かうチャレンジ精神に折れない心も持っている。

 勉学面ではやや不安があるものの、それを補うだけの努力をする姿を一目見ればそれさえもチャームポイントの一つになってしまう……というのは流石に惚れた弱みだろうか。

 高校受験から直近の学年末テストに至るまで彼女に勉強を教えていた身としては、決して誇張などでは無いのだが。

 テストの点数が上がる度に声を弾ませて報告してくる紅音の頭を撫でて労をねぎらうのは毎回密かな楽しみとなっていた。

 

 閑話休題。

 そんな可愛い紅音であるから、先に述べたように老若男女問わず彼女を慕う人間は多い。

 学校で姿を見かける時は大勢の友達に囲まれていることが常であったし、学校近辺でデートした際に知り合いに声をかけられることもしばしばだ。

 さて、ではそんな人気者な紅音がめでたく誕生日を迎えた時、一体何が起こるでしょう?

 その答えは目の前に。

 

「紅音!誕生日おめでとー!」

「隠岐先輩、おめでとうございます!いつも応援してます!」

「紅音ちゃん、おめでとう!」

「お、隠岐さん!お誕生日おめでとうございます!あの、良かったら映画のチケットプレゼントするので僕と一緒に……」

「はいはい、抜け駆けは禁止ねー」

「というか隠岐先輩確か彼氏いるんじゃ…?」

「なんだこの人だかりは…あ、隠岐の誕生日なのか。あとでジュースを奢ってやろう」

「あ、せんせーズルい!私も先月誕生日だったのに!」

 

 有り体に言って|混沌≪カオス≫である。

 陸上部の練習を終えた紅音の元に部活仲間の同級生やチームメイト、出待ちしていた様子の陸上部以外のユニフォームに身を包んだ生徒達。果ては顧問の教師までもが集まってきたものだから校庭の一角が何かのイベント会場のようになっている。紅音をデートに誘おうとした奴は顔覚えたからな。止めた友達よGJだ。

 

「……どうしよう、落ち着くまで少し待つか」

 

 首から下げた入稿許可証(OB用)を手持ち無沙汰に弄びながらひとりごちる。

 俺も紅音の誕生日を祝いに来た一人なのだが、押しくら饅頭寸前までに人口密度の高まった空間に入っていく勇気はちょっと起きない。

 これで紅音が困っているようであれば、ラブクロック仕込みの早業で差し込んでいく所なのだが当の本人は実に嬉しそうに笑っている。俺の出る幕ではないだろう。

騒ぎを聞きつけた人間が一緒になって祝いの言葉を告げにきたり、プレゼント代わりのジュースを求めて自販機にちょっとした列が出来たりと、怒涛のお祝いラッシュはまだまだ収まる気配を見せない。

 久しぶりの我が母校を散策でもしながら時間を潰してこよう。

そんな風に考えて、踵を返して後者に向かおうとした、その瞬間。

 

「楽郎先輩!来てくれたんですね!」

 

 元気いっぱいに名前を呼ばれ、驚きと共に振り返れば、喜色満面の笑顔の紅音がぶんぶんと手を振っている。

 彼女は俺の顔を見るやいなや、スタンディングスタートで勢いよくこちらに向かって駆け出した。

 紅音の腰にぶんぶんと揺れる大型犬の尻尾を幻視しながら両手を開いて待ち構えると、数瞬の後に柔らかな衝撃と共にぎゅうっと彼女に抱き着かれる。

 大量のギャラリー達からの熱い視線を一身に受けて内心ちょっとビビりつつ、俺は腕の中の紅音に、今日の一番の目的を伝える。

 

「紅音、お誕生日おめでとう!」

 

 

◆ある日の昼食

 

「ねー紅音、これ食べるの手伝ってくれない?」

 

 クリームパン、あんパン、メロンパン、焼きそばパン、etc.……

 昼休みの教室にて、机と机をくっつけて確保した広めのスペースに様々なパンを並べていく。

 いつものように自分のお弁当を広げようとしていた紅音は、その光景を見てキラキラと瞳を輝かせた。

 

「わぁ、パンがいっぱい!ありがとう瑠美ちゃん!でも、こんなにどうしたの?」

「バイト先の店長が試作で作りすぎちゃったから持ってけって……こんなには要らないって言ったんだけどね」

 

 女子高生一人分の昼食には明らかに過剰なパンの山を前に、改めて呆れ交じりの声が漏れる。

 ここのパンはとても美味しくて昼食代が浮くのも助かるけれど、モデルの端くれとして日々の節制に気を使っている身では素直に全てを平らげる訳にもいかない。

 

「と、いう訳だから遠慮せずどんどん食べちゃって」

「そうなんだ!それじゃお腹も減ってたのでありがたく……いただきます!」

 

 行儀よく両手を合わせていただきますを言うやいなや、紅音は口を大きく開けて焼きそばパンを食べ始めた。

 年頃の乙女が大口を開けてパンを頬張る姿は些かはしたない気がしないでもないが、満面の笑みを浮かべて実に美味しそうに食べている紅音をみていると、途端にそれもチャームポイントのように思えてくるからこの子はズルい。

 

「わ、おっきい口。にしても紅音って結構たくさん食べるわよね」

「成長期だから!」

「それにしたってそれだけ食べてそのスタイルは羨ましい限りだわ」

「運動してるから!それに、瑠美ちゃんもすっごく綺麗だよ?」

「……ありがと。あ、このフランスパン店長がイチオシだって言ってたわ。ほら、あーん」

 

 ……本当にこの子はズルい。

 日頃から裏表の無い紅音の言葉は、それ故に心の底から彼女がそう思っているのだと伝わってくる。

 照れ隠しに手近なところにあったフランスパンを丸ごと差し出せば、紅音はギラリと犬歯をむき出しにして躊躇無くそれにかぶりついた。

 

「あーん……もぐもぐもぐもぐ」

「いや、冗談のつもりだったんだけど……」

 

 呆気にとられた私の様子に、リスのように頬を膨らませた紅音がこてんと首を傾げる。可愛い。

 と、その時。

 

「なんだ紅音、リスみたいで可愛いな」

「!もぐもぐもぐもぐもぐ……ごくん。楽郎先輩!!」

 

 いつの間に教室に入っていたのか、私の兄であり現在は二個上の高校の先輩でもある陽務楽郎が、紅音に背後から話しかけてきた。

 紅音を見ての感想が完全に私と一致してる辺り、やっぱり兄妹って似るものなのかしら。

 

「楽郎先輩、一年生の教室に何か御用ですか?」

「おう、パンを食べるのを手伝えって瑠美に呼び出されてな」

「流石の紅音でもこの量を食べるのは無理でしょ?だから助っ人にと思って」

「わあ!じゃあ先輩もお昼一緒に食べましょう!」

「いや、三年生の俺がここにいたら他の生徒が落ち着かな……」

「………駄目、ですか?」

「よし!今から教室に戻ってたら遅くなるし一緒に食べるか!」

「わあ!ありがとうございます!」

 

 最初は気まずそうにしていたお兄ちゃんは、紅音に捨てられた子犬のような目で見つめられて2秒で陥落した。我が兄ながらチョロすぎやしないだろうか。

 

「……なんだよその目は」

「べっつにー?相変わらず二人はラブラブだなって思っただけだよー」

「ぐっ、あんまり揶揄うなよ……で、俺の昼飯はどれだ」

「はい、どーぞ」

「いやフランスパンをそのまま渡されても……もごもご」

 

 無自覚に惚気る兄の口を手に持ったままだったフランスパンで塞ぐ。何やらもの言いたげなお兄ちゃんだけど、やがて観念したように口に当てられたフランスパンに嚙みついて………あっ。

 

「……ごくん。今度はどうした?」

「瑠美ちゃん、私と楽郎先輩の顔に何か付いてる?」

「ついてるというか私がくっつけちゃったと言うか……これ、間接キスよね」

「「!!??」」

 

◆ある日のお泊り会

 

「……紅音?寝るならこんなところじゃなくて私の部屋に行くわよ」

 

 紅音の部活の休みと瑠美のバイトの休みが重なった、ある週末の夜のこと。

 泊りがけでとことん遊び倒すのだと意気込んでいた紅音だが、今はリビングのソファですっかり船を漕いでいた。

 

「むにゃ……あと五分……」

「ダメね、全く起きる気配が無いわ」

「もう夜中の一時だしなぁ、はしゃぎすぎて疲れたんだろ」

 

 肩を揺すって声をかけても一向に目を覚ます気配の無い紅音に、瑠美はやれやれち肩を竦める。

 俺の言葉を聞いた瑠美は壁掛け時計をちらりと一瞥すると、大きなあくびを一つしてから得心がいったように頷いた。

 

「ふわぁ……それもそうね。それじゃ私は一旦シャワー浴びてくるから、お兄ちゃんは紅音のことよろしくね」

「おう」

 

風呂場へと消えた瑠美を見送り、改めてすっかり夢の世界へと旅立った紅音に向き直る。とはいえ一体どうしたものか。ひとまずタオルケットでも持って来て……

 

「うぅ……もう食べられない……あれ?はんばーぐとおむらいすはどこに…?」

 

 そんな風に考えていると、ソファの上の紅音が身じろぎしながら起き上がった。

 しかしまた随分とベタな夢を……

 

「お、起きたか紅音。どうする?もう瑠美の部屋に行って寝るか?」

「……む、ううん……もっと遊びたい…」

 

 おや?何やら紅音の言葉に違和感が……あ、これもしかして。

 

「そうか?それなら眠気覚ましにライオット・ブラッド……は効き過ぎるからダメだな、ココアでいいか?」

「うん…それでいいよ……」

「了解、ちょっと待ってて」

 

 どうやら紅音はまだ随分と寝ぼけているようで、口調からいつもの敬語が抜けてしまっている。幾分かの幼さを感じさせるその姿がなんだかとても新鮮で、俺は敢えてそれをスルーした。

 そうしてキッチンで飲み物の準備を進める事しばし、ガバッっと音がしそうなくらいの勢いで紅音が飛び上がるようにして跳ね起きた。

 

「はぁい………………はっ!?わ!私は今何を!?」

「はい、ココア……おっ、その様子だと今度こそ目が覚めたか」

「すすすすすみません楽郎先輩!!私ったら楽郎先輩に失礼な態度を!!?」

「いやいや、そんなに気にしないで……珍しい姿が見られて可愛かったよ」

「~~~~!!??」

 

◆ある日の試合後

 

「紅音!優勝おめでとう!」

 

 陸上競技大会の決勝戦を終え、選手用の通用口から出てきた私をこの世で一番大好きな人が出迎えてくれる。

 一足先に社会人として忙しい日々を送っている彼が平日ど真ん中の今日まさか来ているとは夢にも思わず、一瞬思考が停止する。

 

「……!楽郎さん!来てくれてたの!?」

「そりゃあ可愛い恋人の晴れ舞台だからな、ばっちり見てたさ」

 

 事もなげにそんなことを言う楽郎さんに、私は居ても経ってもいられなくなって、体当たりをするかのような勢いで抱き着いた。

 

「ありがとう!私、頑張ったよ!」

「おう、本当によく頑張ったな……お疲れ様、紅音」

「えへへ……」

 

 急な私の突撃を慣れた様子で受け止めて、そのまま手櫛で髪を梳くように撫でてくれる楽郎さんに、愛しくて幸せな気持ちがどんどんあふれてくる。

 

「大学生になっても頭を撫でられるのが好きなのは昔のままだなぁ」

「だって安心するんだもん……はっ!いやでもちょっと待って!私今汗かいてて!?」

「そんなの今更だろ、俺は別に気にしないぞ?」

「私が気にするの!!もー!楽郎さんのノーデリカシー!」

 

◆ある日のシャンフロ

「なあ茜」

「なんですか?サンラクさん」

 

 秋津茜とたまたま互いにラビッツで遭遇し、そのまま二人で気の向くままに新大陸を探索していたある日のこと。

 何処そこでクエストを見つけた、あのモンスターはあれが弱点だ、景色のいいフィールドを見つけたから今度一緒に行こう……等とリアルとはまた違った雑談を楽しんでいる最中、俺はかねてより気になっていたことを彼女に尋ねた。

 

「茜の話し方のことなんだけど」

「私の話し方ですか?何かおかしかったでしょうか?」

「いやおかしいというか……ほら、リアルだと結構前からお互いタメ口になったけど、ゲーム内だと未だに敬語だろ?こっちでもいつも通りの喋り方でいいんだぞ?」

 

 秋津茜のアバターが出会った当初の紅音の姿をしているので何となくスルーしてきたが、リアルでは彼女もとうに成人しており、互いにもっと気安くなって久しい。

 だからゲームでも普段と同じようにしても…

 しかしそんな俺の何気無い提案は、茜にはきっぱりと断られた。

 

「うーん、タメ口………いえ!このままでお願いします!」

「え、別にそれは構わないけど、そりゃまた何で…?」

「えへへ、それはですね……」

 

 頭に疑問符を浮かべた俺に、茜は昔から変わらない、輝くような笑顔で宣言する。

 

「だってサンラクさんは、いつまでも尊敬すべき私の先輩ですから!」

 



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私の「夏」

夏祭りに思いを馳せる隠岐紅音のお話。


 蝉時雨を耳にすると、あの真っ白な病室を思い出す。

 

 締めきった窓の外から微かに聞こえる蝉の声、病院の中庭で嗅いだ夕立の匂い、空調の効いた部屋で食べるスイカを模した氷菓子の冷たさだけが、当時の私に与えられた「夏」の全てだった。

 あの頃の私は今よりずっと病弱で、空気が良いと評判の町に引っ越したあとも度々体調を崩しては入退院を繰り返していた。

 そんな体では日本の夏の暑さは厳し過ぎたから、小学校低学年のころの夏休みはそのほとんどを病院や自室のベッドの上で過ごしたものだ。

 

(そっか、今日はお祭りだっけ)

 

 代わり映えのない日常の中、すっかり顔なじみになった看護師さんとの会話で初めてその日近くの公園でお祭りがあったことに気が付いた。

 と言っても実際に行ったことの無い私にとってのお祭りとは、テレビやネットで伝え聞いたものでしか無かったけれど。

 

(…行ってみたいなあ)

 

 遠く聴こえる祭囃子と子供たちの笑い声に憧れて、焦がれるように手を伸ばす。

 だけど虚しく宙を彷徨う手のひらに、心はすぅっと冷たくなった。

 両親に余計な心配を駆けたくないという一心で普段は努めて平気なふりをしていたけれど、同級生たちの元気な姿を羨んで一人枕を濡らしたことも一度や二度ではない。

 野原で全力で追いかけっこをすることも、プールでぱしゃぱしゃと水飛沫を上げることも、浴衣を着て誰かと一緒に花火を見上げる事さえも、あの日の私にはその全てが遠い遠い夢だった。

 

 

 夕暮れに染まる街の中、ひぐらしの鳴き声に引きずられるようにして昔のことを思い出してなんとなくしんみりしてしまう。

 とはいえそれも過ぎ去ったこと、これからせっかく楽しいこと(・・・・・)が待っているのにしょぼくれていてはいけないと、重い気持ちを切り替えるように顔を上げる。

 すると、交差点の向かい側の雑踏の中に私の待ち望んだ人物の姿があった。

 どうやら向こうもこちらに気が付いたようで、片手で浴衣の袖がずり落ちないよう押さえつつ、ぶんぶんと手を振りながら駆け足気味に横断歩道を渡ってくる。

 浴衣など現代社会で着慣れているようなものでもないはずなのに、一つ一つの動作までもが不思議と絵になっているのは流石の読者モデルといったところだろうか。

 

「紅音!遅くなってごめん!」

「わわっ!?気にしないで瑠美ちゃん!それよりその浴衣とっても可愛いね!」

「ううう…紅音がいい子過ぎる…ありがと、紅音も浴衣姿似合ってるわよ」

「えへへ、そうかな?」

 

 出会い頭でパンッ!と乾いた音を立てて両手を合わせたかと思えば綺麗に直角に腰を折り曲げて謝る瑠美ちゃんを慌てて制する。

 お気に入りの赤とんぼの絵柄の浴衣が褒めてもらえたのが嬉しくて、見様見真似でモデルさんのようにくるりとその場で身を翻してみると、何故か瑠美ちゃんは片手で目元を覆いながら天を仰いだ。

 

「嗚呼、本当に可愛いわ…こんな子が何でうちの馬鹿兄を…」

「瑠美ちゃん?」

「ほら!女の子が着飾ってるんだからちゃんと感想を伝える!大体おにいちゃんがジャージで家を出ようとなんてしたから着替えで遅くなったんだからね」

「それは悪かったって…」

 

 これまで瑠美ちゃんの後ろで私達のやり取りを見守っていた彼が、右手で頭をかきながら一歩前に出る。

 「着替えてきた」という瑠美ちゃんの言葉の通り、彼はいつも見慣れたジャージ姿ではなく男物のシンプルな浴衣を羽織っていた。

 

「あー、その、なんだ…浴衣姿も可愛いと思う」

「ありがとうございます!楽郎さんもとっても恰好いいです!」

「お、おう…ありがとう…」

 

 照れ臭そうに、だけどはっきりと彼の口から「可愛い」と言ってもらえた喜びで緩む頬もそのままに素直な言葉を彼に告げる。

 ちらちらと互いに視線を向け合う私たちを見て、瑠美ちゃんはわざとらしく咳ばらいをした。

 

「オホン…あのー、お二人さん?私もいるって忘れてない?」

「HAHAHA、可愛い妹を忘れるなんてそんなまさか」

「おにーちゃん?」

「二人は仲良しさんですね!」

「…瑠美が楽しそうならまあいっか」

「そうだな…っと、そろそろ移動しようぜ。花火が始まると一段と混み始めるし」

「はい!わかりました!」

 

 今日は近所の神社のお祭りの日。

 私はいちご飴や綿菓子の甘さに想いを馳せながら、カランコロンと下駄を鳴らして歩き出した。

 

(早く行きたいなぁ)

 

 遠く聴こえる祭囃子と子供たちの笑い声に憧れて、焦がれるように手を伸ばす。

 そしてしっかりと繋がれた手のひらに、心はかぁっと温かくなった。

 

「ほら、はぐれるといけないからな」

「あ、おにいちゃんずるい!私反対側もーらいっと」

「わぁ!これがいわゆる両手に華って奴ですね!」

「なんかちょっと違わないか…?」

「端から見たらおにいちゃんが両手に華よね」

 

 大好きな友達と大好きな恋人に囲まれる幸せを噛みしめて、茜色に染まる夕空を見上げる。

 

 ──私の夏は、まだ始まったばかりだ

 



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よろしくお願いします、先輩!

秋津茜誕生日記念SS


 春休みは良いものだ。

 

 日数こそ夏休みには遠く及ばないものの、代わりに大量の課題を出されることが無いというメリットはやはり大きい。

 残念ながら来年には受験という一世一代のボス戦を控えた身の上である故、完全に気を抜くという訳にはいかないが、それでも最低限の自習や運動を済ませてしまえば一日の大半をクソゲー攻略の為に割くことも可能……!

 嗚呼、素晴らしき哉モラトリアム。

 

 時は3月25日、春休み初日。俺は早速悠々自適なクソゲーライフを────

 

「おはようございます楽郎さん!お待たせしてしまってすみません!」

「おはよう紅音。大丈夫、俺も今来たところだよ」

 

 ────送っては、いなかった。

 

 公園のベンチに腰掛ける俺を見つけた紅音が元気に大きく手を振りながら、全速力で駆け寄ってくる。

 一つ結びにした髪を揺らすその姿は人懐っこい大型犬を彷彿とさせる。

 いつも通りの動きやすそうな服装ながらも端々にお洒落への拘りを感じさせるのは、恐らく瑠美の手によるものだろう。

 かく言う俺も今日の服装は妹様監修のセレクトだ。

 

「というか紅音もずいぶん早いな、俺も流石に早すぎたかと思ったんだけど」

 

 昼前と呼ぶにもまだ早く、さりとて朝と呼ぶには些か遅いこの時間。

 改めて端末で現在時刻を確認すれば、当初の待ち合わせ時間までまだ30分以上もある。

 

「えへへ、その……今日が楽しみでいても経っても居られなくって」

「そ、そっか……」

 

 照れ臭そうにはにかむ紅音の余りの眩しさを直視できず、明後日の方向を向きながらそう返した。なんだこの可愛い生き物は。

 

「それじゃその期待に応えないとな、荷物持ちでも何でも言ってくれ」

「いえそんな!私は楽郎さんと一緒にお出かけ出来るだけで嬉しいです!」

「いいからいいから、今日は紅音が主役なんだから……誕生日おめでとう」

「……はい!ありがとうございます!」

 

 時は3月25日、隠岐紅音15歳の誕生日。俺は可愛い恋人をエスコートすべく、そっと右手を差し出した。

 

 

 

 

「ところで今日は何を買うんだ?」

 

 公園を出て買い物に向かう道すがら、繋いだ手を楽し気に揺らしている紅音に尋ねた。

 今までも一緒にゲーセンに行ったり買い食いをしたりはしていたのだが、思い返すと紅音が買い物をしたいと言い出したのは中々に珍しい気がする。

 

「文房具とかトレーニング用品を新調しようと思ってます!」

「紅音ももうすぐ高校生だもんな……改めて、合格おめでとう」

「ありがとうございます!これも楽郎さんと瑠美ちゃんのおかげです!」

「俺はちょっと手伝っただけで、合格したのは二人が頑張ったからだよ」

 

 実際俺のしたことと言えば多少の勉強の補助くらいで、D判定だった成績から一年で無事合格を勝ち取ったのはひとえに紅音達自身の努力の結果だろう。

 紛れもない本心からの言葉だったのだが、紅音はぶんぶんと首を左右に振ってそれを否定した。

 

「いえ!私たちだけではきっと躓いていたと思います。お恥ずかしながらあまり勉強は得意では無くて…」

「……まあ、そう言って貰えるなら慣れない家庭教師をした甲斐があったよ」

「楽郎さんには本当にお世話になりました!……あの、もしよかったらこれからも時々勉強を見て頂けると……」

「勿論、人に教えるのもいい勉強になるしな」

「ありがとうございます!」

 

 明るく笑う紅音に釣られ、自然と俺の顔も綻ぶ。面倒な受験勉強も紅音と一緒ならば頑張る意欲も無限に湧くというものだ。

 そんな話をしながら歩いていると、本日の目的地であるショッピングモールへと辿りついた。

 

 

 

 

「さて、大体めぼしい所は見終わったかな…?」

「そうですね!あれと、それと、これも買ったし……」

 

 両手にぶら下げた購入品を眺めつつ、脳内に館内のショップリストを思い浮かべる。

 文房具店ではノートやペンを、スポーツショップでは紅音の使うサポーター等とついでにお揃いのリストバンド。昼にファミレスで食事をした後で書店で紙書籍の参考書等も買った。

 他に何か見たい物はあるかと視線で問うと、指折り数えながら買ったものを確認していた紅音が何かを思い出したような声を上げた。

 

「あっ」

「ん、何かまだあったか?」

「はい!あの、服屋さんに寄ってもいいですか?」

「……ああ!何時間でも付き合うよ!」

 

 瑠美の荷物持ちとして連行された時のエンドレスショッピングの記憶が脳裏を過り、一拍の間を開けて覚悟を決める。ええい、彼女の買い物ひとつ楽しめず何が彼氏か。

 

「いえ、こないだ採寸と注文を済ませているのであとは受け取るだけなので!」

 

 しかし、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 そして紅音の案内で辿り着いた店を見て、俺は彼女が何の服を取りに行くのかの察しがついた。

 若者やファミリー向けのお洒落な店舗ではなく、モールの片隅にひっそりと佇むそこには二年前の俺も世話になった。

 

「ああ、そうかここも来ないとだよな」

「はい!すみませーん!」

「はいはい、いらっしゃいませ」

 

 紅音の声を聞いて、店の奥からうっすらと見覚えのある年配の女性が現れた。

 その人にうっすらと見覚えがあることから察するに、店だけでは無く店員も俺の時と同じ人だろう。

 

「先日採寸してもらった隠岐です!注文してた服を取りに来ました」

「隠岐さんですね、ええっと確かこの辺に……ああ、これですね」

 

 その人は注文内容を確認すると、部屋の隅に積まれた段ボール箱から数着の服を紅音に手渡した。

 

「良かったら、ここで試着していかれますか」

「よろしくお願いします!すみません楽郎さん、もう少しだけ待って下さいね」

 

 そう言うと紅音は受け取った服を手に試着室へと入っていく。

 慣れない服で戸惑っているのか、中から衣擦れの音と共に「えっと」や「んしょ」といった声が漏れ聞こえてくる。

 そのまま待つこと暫し、試着室から出てきた紅音を見た俺は思わず息を呑んだ。

 

「ど、どうでしょう。どこか変じゃないですか……?」

「…………大丈夫、すごく似合ってる」

「えへへ、良かったです」

 

 想像以上の破壊力にフリーズしかけつつ、どうにか率直な感想を口にする。

 紅音とももう長い付き合いだ。彼女の中学の制服を見たこともあればランニングするときの運動着や今日のような私服、瑠美に着せ替え人形にされている姿なども見たことはある。

 

 だがしかし、()()()()()()()()()()姿()というものは、高揚とも感動ともつかない不思議な感慨深さがあった。

 

 俺の感想を聞いた紅音は輝くような笑みをいっそう深めると、スカートの裾をはためかせながらその場でくるりと一回転して俺に告げる。

 

 

 

「これからよろしくお願いしますね、楽郎先輩!」

「…よろしく、後輩」

 

 

 

 

 

おまけ

 

「お兄ちゃんおかえりー、紅音とのデートどうだった?」

「ただいま、最高に充実した一日だったぜ」

「うわキモ」

「おい」

「ゴメンつい本音が……で、どう?今日の紅音はまた一段と可愛かったでしょ」

「やっぱりあれお前のコーデか……GJと言わざるを得ない」

「そうでしょうそうでしょう、お兄ちゃんは私にもっと感謝してよね」

「いや本当にありがとう、今度お前の買い物に行くときは荷物持ち付き合うよ」

「うむ、くるしゅうない。ところで今日どこに行ったの?」

「駅前のモール」

「え、それ先に言ってよー、私の制服受け取って貰ってきたのに」

「そうか、お前もあそこに注文したんだっけ」

「そうそう、着てみて改めて思ったけどお兄ちゃんの学校の制服、結構デザインいいよね」

「おう、紅音の制服姿も可愛かったぞ」

「あ、もう見たんだ」

「今日一緒に行ったときにな……しかし、まさかお前らが同じ高校に来るとはなぁ」

「ふっふっふ、宿題とかテストの山の情報とかあてにしてるねー、せ・ん・ぱ・い?」

「うちの教師達は割とクセが強いから頑張れよ、後輩」

 



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メイドは走るよどこまでも

硬梨菜先生が某所で投下していたネタを元にしたモブ視点の小話。
学園祭でメイド喫茶をしている紅音のお話。


 走る、走る、走る。

 エプロンドレスをはためかせ、少女はリノリウムのトラックを駆け抜ける。

 お化けの仮装をした同級生の脇を抜け、教師の叱責の声も何のその。他校の生徒や来場のの保護者達からの視線が集中するのも意にも介さず、その少女――隠岐紅音は、ただ一点を愚直に見つめて春風のようにひた走る。

 そうして目標の人物へと距離を詰めると、彼女はキュッと上履きが擦れる音を鳴らしながら急制動をかけた。

 

「?なんかやけに騒がしいような…って何事!?」

「ご主人様!お忘れ物をお届けに参りました!」

「ああ!俺の財布!」

 

 隠岐に追われていた他校の学ランに身を包んだ少年は、背後から迫る軽快な足音と周囲のざわめきで異変を感じて振り返り、全速力で自分に迫るメイド服の少女の姿に目を丸くする。

 事態が飲み込めず混乱していた彼は隠岐の言葉と差し出された財布を見て、そこでようやく自分が先程立ち寄った模擬店で忘れ物をしていたことに気が付いた。

 

「わざわざありがとう、助かったよ」

「いえ!間に合って良かったです!では、またお越しくださいご主人様っ!!」

 

 全力疾走の疲れなど微塵も感じさせることなく朗らかに少女は微笑む。

 そして彼女はロングスカートの裾をちょこんと軽く持ち上げて、膝を折り曲げ優雅な一礼を披露してからその場を走り去っていった。

 

 

 

 ――それが、今からおよそ一時間ほど前の事。

 

「お客様、申し訳ありませんがメイドの指定はできません!」

「隠岐さんはお昼休憩中です!」

 

 教室後方に用意された衝立の向こう側からクラスの女子たちの絶叫に近い声が聞こえる。

 学園祭に訪れる多くの人々の中で繰り広げられたメイド姿の隠岐による追走劇は我がクラスのメイド喫茶の何よりの宣伝になったようで、お昼時を過ぎた今でも来客が途切れることが無い。

 おかげで接客担当のメイド達はもちろん、軽食やドリンクの準備をする俺たち裏方の仕事も大忙しだ。

 

「あの!やっぱり私も手伝った方が…!」

「いやいや、隠岐さんはもう十分働いてくれたから!」

「むしろ本来ならもうとっくに休憩の時間だったんだし、ここは俺たちに任せて気にせずゆっくり休んでて!」

「追加オーダー入ったぞ!オレンジジュース二つとコーラ一つ、コーヒー二つにクッキー全部で三皿!」

「了解!すぐ準備する!」

 

 全力疾走のあとも休みなしで働き続けていた隠岐が再びホールに出ようとするのを同じく裏方の男子達が口々に引き留める。

 その言葉には好きな子の前で恰好をつけたいという下心が半分、残りの半分には隠岐が前に出ると更に収拾がつかなくなるという切実な想いが込められていた。

 ここが頑張りどころだと奇妙な連帯感を持って皆で気合いを入れていると、スタッフ用にしている教室のドアが開き、救世主が現れた。

 

「そっちの様子はどう?ヤバそうだから早めに戻ったわ!」

「あっ!おかえりなさい、瑠美ちゃん!」

「ただいま紅音。聞いたわよ、何でも大活躍だったんだって?」

「あはは、忘れ物を届けただけなんだけど……」

「あちこちで噂になってたわよ?さて、ここは私が受け持つから、紅音は休憩入っちゃって!」

 

 本来のシフトより幾分早く戻ってきてくれた陽務は、言うが早いか入っていたオーダーを確認すると目にも止まらぬスピードで次々とドリンクや軽食の準備を終わらせてホールへ向かう。

 数多のバイトで鍛えた彼女の働きは、俺達男子三人分にも勝るとも劣らないだろう。

 

「よし!とりあえず今入ってた分の料理とドリンクは全部OKよ!」

「おお、凄い手際だな……」

「慣れよ慣れ、今のうちにゴミとか纏めておきましょう」

 

 貯まっていた注文を瞬く間に捌き切った陽務がバックヤードに戻ってきた。

 俺たちは彼女の指示のもと、空いたプラカップや紙皿を分別してゴミ袋に捨てていく。

 

「という訳でこっちはもう大丈夫、紅音もご飯でも食べてきたら?」

「ありがとう!実はお腹がペコペコで……出店行ってくるね!」

 

 その様子をみてようやく安心した隠岐が、たははと笑いながら空腹を打ち明ける。

 忙しさもひと段落して場がほのぼのとした雰囲気に包まれていったが、それを聞いた一人の男子が発した言葉に漂う空気が一変した。

 

「…………なあ、これだけ話題になってる中で隠岐さんが一人で出歩いて大丈夫かな?誰か一緒について行った方がいいんじゃ…?」

「「「……!!」」」

 

 瞬間、男たちの間に緊張が走る。

 

 そう、彼の言う通り今隠岐が校内を歩き回ろうものなら物見遊山の野次馬や下心を持った輩が次々声をかけてくるのは想像に難くない。確かに誰かしら一緒に回る人間が必要だろう。

 隠岐と一緒に学園祭。出店の料理をシェアしたり、お化け屋敷で手を繋いだりしちゃったり……うん、とてもいい。

 幸いなことにもう少しすれば陽務以外の交代要員もやって来るため俺たちも自由の身だ。

 あとは誰がその座を勝ち取るか…!

 目と目で互いにけん制し合う俺たちだったが、そんな緊張は次に陽務が告げた言葉で霧消した。

 

「ああ、それなら大丈夫。もうすぐボディーガードが来るから」

「ボディーガード……って、ひょっとして!」

「紅音の想像通りよ、さっき端末に連絡入れたら今向かってるって返事が来てたわ」

「わあ!ありがとう瑠美ちゃん!」

 

 ……よく分からないが、どうやら隠岐と共に回る人物は既に手配済みだったようだ。

 梯子を外され気落ちする男子たちを気にすることなく、隠岐と陽務は楽し気に雑談に興じている。

 

「にしても紅音、この格好でよく早く走れるわね。丈も長いし走りにくくない?」

「歩幅をいつもより小さくしたりとか、ちょっとしたコツがあるんだ!」

「へぇー、流石陸上部。部活でそういうことも教わるの?」

「ううん、メイド服での走り方は楽郎さんに教えてもらったんだ!」

「アレはなんでそんなアドバイスが出来るのよ……」

 

(!?……ラクロウ、さん?)

 

 聞き捨てならない言葉が聴こえた気がして、目を見開いて隠岐たちの方を見る。

 名前の響きと彼女が敬称を付けていることから察するに、恐らくそれは年上の男の名前。

 隠岐に突然男の影が見えたことで、俺含めこの場に居る男子たちがあからさまに動揺する。

 いや落ち着け、外部の陸上コーチとかの可能性だってある。慌てるのにはまだ早い。

 脳裏に浮かんだ最悪の可能性を必死に否定していると、教室のドアが開いて見知らぬ男性が顔を出した。

 

「お邪魔しまーす……瑠美と紅音のクラスってここで合って――」

「楽郎さん!来てくれたんですね!!」

 

 ……隠岐が、今まで見たことが無いくらい明るい笑顔でその男性に駆け寄っていく。

 それは友人や先輩に対する親愛などよりも遥かに深い愛情を感じさせる姿で。

 ま、まだだ。まだ隠岐の親戚のお兄さんとかかもしれな……

 

「お兄ちゃん、遅い!もっと早く来てよね」

「悪い悪い、人が多くて移動に時間かかっちゃってさ」

「って陽務のお兄さん!?」

 

 まさかの情報に思わず叫ぶ。

 言われてみると確かにどことなく陽務と雰囲気が似ているような…?

 

「陽務さん、お兄さん居たんだ」

「どうも初めまして、瑠美の兄の楽郎です」

「え、瑠美のお兄さん!?おお、結構かっこいい」

 

 俺たちのざわめきを聞きつけてか、交代要員の男子や手の空いた女子もバックヤードに集まって陽務(兄)を取り囲む。

 俺はその様子をニコニコしながら見つめていた隠岐に一歩近づくと、覚悟を決めて彼女に話しかける。

 

「……陽務ってお兄さんいたんだな、隠岐はあの人と仲良いの?」

「うん!楽郎さんとは仲良しだよ!」

「へ、へえ……そっか。あのさ、もしかしてなんだけど付き合ってたりとか……?」

 

 緊張で喉がカラカラに乾く。

 断頭台で処刑を待つ罪人のような心地で隠岐の返答を待つ俺だったが、予想に反して絶望の刃が振り下ろされることは無かった。

 

「……いいえ!お付き合いは、してないよ」

「!!そっか、いや変なこと聞いてゴメン。随分親しそうに見えたからてっきり……隠岐は陽務と仲良いもんな、それでお兄さんとも仲が良くって……」

「でもね」

 

 早とちりした気恥ずかしさと安堵で早口になる俺の言葉を、隠岐がぽつりと零した呟きが遮った。

 クラスメイトと談笑する陽務兄を見る彼女の視線は何処か熱っぽくて、切なげで、愛おしそうで。

 

「いつかは、恋人になれたらいいなって思ってるんだ!」

 

 ――今まで見たことの無い大人びた隠岐のその微笑みに、俺は自らの恋の終わりを知った。

 



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茜さす陽は照らせれど/ぬばたまの恋

楽郎と紅音の海デート小話。

……と、それを目撃した紅音の同級生モブのお話。


《茜さす陽は照らせれど》

 

 

 燦燦と照り付ける太陽の下、持参したシャベルで砂浜に深めの穴を掘ってビーチパラソルを突き立てる。今日も30度越えの真夏日であるが、直射日光を遮ってしまえば幾分暑さも和らいだ。

 学生は夏休みに突入したこともあり、平日の昼間にも関わらず人の出はそれなりに多い。周囲を軽く見回すと、場所取りのパラソルとビニールシートで海岸がカラフルに彩られていた。

 

(紅音は……もう少しかかりそうかな) 

 

 海の家の更衣室に着替えに行った紅音は未だ姿を見せない。

 横着して最初から海パンを着込んできた俺と違い、女の子の身だしなみとは時間がかかるものだ。

 長年瑠美に付き合わされてそのことを重々承知していた俺は、特に不満に思うことも無く、スポーツドリンクで喉を潤しながら彼女の訪れを気長に待つ。

 寄せては返す波の様子を見るともなしに眺めていると、頭には自然と紅音のことが浮かんでくる。

 

(……そういえば、紅音とはプールや海にはまだ来たこと無かったっけ)

 

 あの雪の日の衝撃的過ぎる初対面から短くない時間を彼女と過ごしてきたが、去年の夏は紅音と瑠美の受験勉強に集中していたこともあり、本格的なレジャーとは無縁だった。

 特に紅音は受験対策のみならず、中学最後の大会に向けての合宿などもあったため夏休みなど有って無いようなもので、体育の授業以外では久方ぶりの海水浴らしい。

 色々とサイズが合わなくなったこともあり、瑠美と共に先日水着を新調しに行っていた。

 瑠美曰く、『んふふー、我ながら渾身のコーディネート!期待していいよ、お兄ちゃん……あ!ちゃんと紅音に感想伝えなきゃダメだからね!!』とのことだ。

 カリスマモデル譲りの邪教徒(我が妹)のセンスは今更疑うべくもない。いやが上にも期待は高まる。

 可愛い恋人のまだ見ぬ水着に想いを馳せながらビーチに佇んでいると、待ち望んでいた快活な声が俺の耳に届いた。

 

「お待たせしました楽郎先輩!遅くなってすみません!」

「お、来たか紅音。それほど待ってないから気にすんな……って、あれ…?」

 

 邪な期待を内に秘め、努めて平静を装いながらその呼びかけに振り返る。

 お約束のようなやり取りに内心むず痒さを覚えたものの、予想と少々違った紅音の姿に思わず疑問の声が漏れる。

 紅音の水着がお洒落や可愛さというものより機能性を優先したような、ハーフスパッツタイプの競泳水着だったからだ。

 別にそれが彼女に似合っていないということは無い。寧ろそれは溌溂としたな紅音のイメージにぴったりで、小麦色に日焼けした肌とも相まって、実に健康的な魅力に溢れていた。

 しかし、瑠美があれほど自信たっぷりに豪語していた割には些かお洒落度が薄い気が……?

 

「あ、あの……どこか変でしょうか?」

「ああいや、そんなことは無いよ。スポーティな感じで元気な紅音に良く似合ってる」

「……えへへ、ありがとうございます」

 

 俺の反応が芳しくなかったせいか、紅音が不安気な上目遣いで尋ねてくる。

 それに慌てて首を横に振り素直な感想を告げてやると、ほっと安心したように紅音がはにかんだ。

 ……なんだろう?今、一瞬変な間があったような……?

 彼女の反応に若干の違和感を覚えたものの、次の瞬間にはいつも通りの紅音がそこにいた。俺の気のせいだろうか。

 

「さて、それじゃ軽く準備運動したら早速泳ぐか!」

「あっ!ちょっと待ってください!私日焼け止め塗らなくちゃ!」

「了解…っと、そういや俺もまだ塗ってないな。危うく瑠美に怒られるところだった」

「あはは、瑠美ちゃん美容に関しては厳しいですからね。私も今日はちゃんと忘れず塗るようにって、口を酸っぱくして言われちゃいました」

 

 苦笑しながら紅音が防水使用のハンドバッグから取り出した日焼け止めには見覚えがある。というか俺が瑠美から押し付けられたものと同じだ。

 別にちょっとくらい焼けてもいいって言ってるのに、男も日焼けを甘く見るなってうるさいからなぁ……

 面倒臭さはあるが妹様に逆らうと後が怖い。自分の日焼け止めを取り出そうとしたところで、俺の手首を紅音の手がそっと掴んだ。

 

「紅音、どうかしたか?」

「あの!その、ちょっとお願いがあるといいますか……」

「なんだ?俺に出来る事なら何でも言ってくれ」

「その、ですね……自分だと背中側がうまく塗れなくて。だから先輩!私に日焼け止め、塗ってもらえませんか……?」

 

 頬を赤らめ恥じらいながらそう告げる紅音に、俺は一瞬で胸を撃ち抜かれた。

 なんだこの可愛い生き物!?

 

「……………分かった、俺でよければ」

「楽郎先輩、なんかものすごく眉間に皺が寄ってますけど、嫌なら無理にとは」

「嫌じゃない、嫌ではないんだ……!だけどゴメン、ちょっとだけ心の準備をさせて欲しい」

 

 ……ええい、消え去れ脳内ディープスローター!恨むぞナッツクラッカー!

 かつて暗記してしまう程に繰り返し聞かされたAVタイトルの数々のせいで、本編を見たことが無いにも関わらず現在のシチュエーションから始まるあれこれを想起してしまい、ナニがとは言わないが非常によろしくない。

 瞬く間に煩悩に溢れかえった俺の脳をリセットすべく、雄大な海を見つめて深呼吸をして昂る精神を落ち着かせる。

 不思議なものを見る目をした純粋な紅音の視線が胸に痛かった。

 

「……よし、もう大丈夫だ。塗るからそこに横になってくれ」

「はい!よろしくお願いします!」

 

 パラソルの下に敷いたレジャーシートを指差すと、紅音は素直にそこにうつ伏せに寝転んだ。

 俺は紅音の傍に膝をつき、手のひらに日焼け止めを出す。ひんやりとしたジェルの感触が夏の熱気で火照った体に心地よい。

 軽く手の上で日焼け止めを伸ばし、やや広めに素肌が露出している背中部分から塗り始める。

 

「ひゃっ!?」

「悪い、くすぐったかったか?」

 

「い、いえ……大丈夫です!」

「そうか?紅音がそう言うなら…」

「はい、続きをお願いします……んっ、………ふぁっ」

「………………」

 

 吐息に混じって聞こえる声を必死で意識から外しつつ、彼女に日焼け止めを塗っていく。

 背中から肩、肩から首と上半身を一通り塗り終わると、次は脚だ。

 正直この辺は自分で塗れるのではと思わないでもないが、切なげな声で「駄目…ですか?」などと言われては俺に断る選択肢など存在しなかった。

 よく鍛えられたふくらはぎは張りのある弾力で俺の指を押し返しつつもすべすべとした滑らかな感触を伝えてきて、余計なことを考えないように必死だ。

 理性と精神をゴリゴリと削りながら日焼け止めを塗り終わると、ぐーっと体を伸ばしながら紅音が起き上がった。

 

「ありがとうございました!……楽郎先輩、なんだか日焼け止め塗るの手慣れてませんか?」

「まあ、瑠美に散々やらされてきたからな」

 

 両親の趣味の関係上、陽務家では野外に連れ出されることが非常に多い。

 そんな中で日焼けを気にする瑠美のスキンケアに俺が付き合わされるようになるのは半ば必然だろう。

 

「むぅ、瑠美ちゃんがちょっと羨ましいです…」

「妹に嫉妬されても……」

「妹でもなんでも羨ましいものは羨ましいんです!」

「そういうもんか」

「そういうもんです」

 

 可愛らしくも理不尽な嫉妬で紅音がぷんすことむくれている。

 口では呆れたように話す俺だが、内心ちょっと嬉しいのは内緒だ。

 

「でも、今日は私が楽郎先輩を独り占めですからね!」

「お手柔らかに……それじゃ、気を取り直して海に入るか!」

「はい!」

 

 不満気な表情から一転、輝く笑顔を咲かせた紅音が声高らかに宣言する。

 それに微笑ましい気持ちになりながら、俺は紅音と手を繋いで海に向かって駆けだした。

 

 

 それからはビーチボールでラリーをしたり、

 

「とうっ!」

「なんのっ!」

「おりゃーっ!」

「うおおおっ!……くそっ、届かなかったか」

「えへへ、私の勝ちです!」

「流石陸上部期待のエース、砂浜でよくそこまで走れるなぁ」

 

 沖まで二人で競争したり、

 

「よしっ、今度は俺の勝ち!」

「ううう……負けました…」

「ふっふっふ、泳ぎに関しては一日の長があるからな!……ヒラマサに釣られて鍛えられたり」

「わあ!楽郎先輩すごいです!」

「いや、ツッコミ待ちだったんだけど……ありがとな」

 

 海の家腹ごしらえをしたりしつつ、夏を全力で満喫した。

 

「いただきます!らーめん、美味しいです!」

「海の家の食い物って安っぽいのになんか妙に旨いよな」

「はい!それに今日は楽郎先輩といっしょだから、いつもよりもっと美味しいです!」

「お、おう……俺のカレーちょっと食う?」

「いただきます!あー…」

「あ、これ俺が食べさせる流れ?……はい、あーん」

「もぐもぐもぐ……ごちそうさまです!」

 

 

 楽しい時間は瞬く間に過ぎていくもので、青かった海と空も既に茜色に染まり始めていた。

 周りの人々も徐々に撤収を始めていて、昼の賑やかさから一転して物静かな雰囲気が辺りに漂っている。

 

(あー、久々に思いっきり遊んだなぁ。最近受験勉強で忙しかったし、いい気分転換になった)

 

 受験生とはいえやはり息抜きは大事だ。模試の判定も内申点も悪くないのだし、もう少しくらい最後の高校生の夏休みを謳歌してもバチは当たらないのではなかろうか。勿論油断は禁物だが。

 そんな気の抜けたことを考えながら、一足先に着替えるため海の家の更衣室に行った紅音を待つ。

 

「すみません!お待たせしました!!」

「おかえり紅音……あれ、水着から着替えに行ったんじゃ?」

 

 穏やかな潮騒に耳を澄ませながら佇むこと暫し、着替えて戻ってきた紅音を出迎えた俺は紅音の服装を見て頭に疑問符を浮かべる。

 彼女は上からパーカーこそ羽織っているものの、すらりと伸びた生足からしてその下は水着のままのようだ。

 ……いや、さっきと水着が違う?

 

「……その、実は今日のために瑠美ちゃんに水着を選んで貰ってたんです」

「ああ、瑠美から聞いてるよ。あいつにしては無難なチョイスだけど、あれも紅音によく似あってて…」

「いえ、違うんです!瑠美ちゃんに選んで貰ったのは、こっちの水着なんです!」

 

 俺の疑問に答えるように、話しながらおずおずと紅音が上着を脱ぎ捨てる。

 彼女は先程までの競泳水着では無く、膝下丈のパレオの付いた橙色のビキニに身を包んでいた。

 

「あの、この水着だと陸上の日焼け跡が見えてしまって恥ずかしくて……」

 

 照れ臭そうに紅音がもじもじと身をよじる。その顔は夕陽にも負けないくらい真っ赤に染まっていて。

 

「でもやっぱり、せっかくなので楽郎先輩に見て欲しくって……」

 

 恥ずかしがっている紅音には申し訳ないが、胸元と太ももの日焼け跡が真っ白な肌と小麦色のコントラストがいたく艶めかしい。

 俺の視線はもはや完全に紅音に釘付けに……否、魅了されていた。

 

「それで、その……どう、でしょうか……?」

「可愛い……うん、すごく可愛いと思う」

 

 あまりの衝撃で、茫然としたままに素直な感想が零れる。

 月並みな言葉を吐くことしかできない役立たずなが口が恨めしい。

 ……だけど、紅音にはそんな一言で十分だったようで。

 この日一番の笑顔を浮かべた彼女が俺の胸に飛び込んでくるのを受け止めて、どちらからともなくそっと唇を重ね合わせた。

 

 

 

△ △ △

 

 

《ぬばたまの恋》

 

 青い空に白い雲、見渡す限りの大海原は太陽の光を受けてキラキラと水面を輝かせている。

 7月某日。高校生になって最初の夏休みの真っ只中のこの日、僕は幾人かのクラスメイトと共に海水浴へとやってきていた。

 

「よっしゃー!最っ高の海水浴日和だな!!」

「うん!今日は晴れてよかったね」

 

 先程駅で合流した友人が、今にも海に突撃しそうな勢いで叫びだす。

 かくいう僕も最高のロケーションに自然と心が浮き立ってしまう。

 宿題や陸上部の練習などでそれなりに忙しい夏休みだけれど、今日は思いっきり羽を伸ばそう。

 惜しむらくは、クラスの違う彼女(・・)はここに居ないことか。

 そんな考えが顔に出ていたのだろうか。隣の友人が面白い玩具を見つけたガキ大将のようなニヤニヤとした笑みを浮かべて僕の顔を覗き込んできた。

 

「……お前、今女の子のこと考えてただろ」

「うぇぇっ!?ななな、何のこと!?」

「隠すな隠すな、俺とお前の仲じゃねーか!……で、誰狙いだ?今日来る連中の誰かか?」

「いや、今日は居なくて残念だなーって……っ!?」 

 

 うっかり口を滑らせたことに気が付き慌てて口を噤んだものの時すでに遅し。

 色恋の気配を察知した彼は実に楽しそうに僕をからかい始めた。

 

「そりゃ残念だったなー、せっかく好きな子の水着姿を拝めるチャンスだったのに」

「みずっ!?べ、別にそんなこと考えて無いよ!」

「ほー?それじゃお前はその子の水着を見たくないと?本当に?」

「…………見たいか見たくないかで言えばそりゃ見たいよ」

「とうとう正直になったな、このムッツリめ」

「この話はもういいでしょ!?ほら、みんな待ってるから早く行こう」

「へいへい、後でまた話聞かせろよな」

「話すことなんて無いよ!そろそろ待ち合わせの時間だし、ほんとにいい加減移動しない…と……」

 

 これ以上からかわれるのは御免だと、話を強引に切り上げようとした矢先。僕は視界の先にとある人物を見つけ、驚きと喜びで言葉を失った。

 どうして彼女が……紅音ちゃんがここに!?

 

「ん?突然立ち止まってどうし……そういうことか、俺は先に行ってるな!」

「えっ、ちょっと待っ…!」

「あれ?その声は……」

 

 足を止めた僕を怪訝そうに見ていた彼は、僕の視線の先に水着姿の少女がいることに気が付くと訳知り顔で頷いてから砂浜に向かって駆け出した。

 そんな彼を引き留めようと声を上げたところで、僕の声に気が付いた紅音ちゃんがこちらに振り向いた。

 僕は夏の日差しにも負けないくらい眩しい彼女の笑顔を直視できず、つい視線を明後日の方角へ反らしてしまう。

 

「こんにちは!こんなところで奇遇だね!」

「こ、こんにちは。紅音ちゃんも海水浴?」 

「うん!今日は思いっきり泳ぐんだ!」

 

 どもりながらも何とか平静を装い必死に会話を繋いでいく。

 小学生の頃は同じクラスだったこともあってもう少し普通に話せていたはずだけど、中学高校でクラスが離れて交流が減った弊害か、今の僕は彼女との些細な会話一つですっかり舞い上がってしまう。

 ましてや今の紅音ちゃんは学校の制服でも、陸上部のユニフォームでもなくその魅惑的な肉体をぴっちりとした競泳水着で覆っていて、思春期真っ盛りの男子高校生にはあまりにも刺激的だった。

 夏の暑さとは別の理由で体温が急上昇していくのを感じながら、僕はふと気になったことを彼女に尋ねる。

 

「そういえば、紅音ちゃんは今日は誰かと一緒に来たの?……その、もし良かったら」

 

 流石に一人で海水浴と言うのは考えにくいし、家族か友達と約束しているのだろうか。

 親御さんと一緒なら難しいけれど、もし同世代の友達と来ているのならばあわよくば僕らと一緒に……

 

「あっ!ごめんなさい!私、人を待たせてるからもう行かなくちゃ!」

「そ、そっか……それじゃまたね」

「うん!また部活で!」

 

 しかし、そんな淡い期待は残念ながら叶わなかった。

 手を振りながら元気に駆け出す彼女を名残惜し気に見送って、先に行った友人のあとを追う。

 

(紅音ちゃん、可愛かったなぁ)

 

 それでも僕は、想い人と偶然出会えた幸福に自然と頬が緩んでいく。

 今度部活で会った時は、今日のことを話題にして彼女に話しかけてみよう。

 一年で早速レギュラー入りを果たした彼女と違い未だ補欠止まりな僕だけど、何時かはお互い選手として彼女に追いつきたい。

 そうしたら、小学生のころからずっと抱いているこの気持ちを彼女に……

 そんな未来を妄想して締まりのない顔をしたままクラスメイト達の元へたどり着いた僕は、先程の友人を筆頭にクラスの皆から散々からかわれることになるのだった。

 

 

(ふぅ、楽しかったけど流石に疲れたなあ……)

 

 日中の熱が残る砂浜をざくざくとビーチサンダルで踏みしめながら、海岸線を一人歩く。

 クラスのみんなはこれから花火をすると言っていたけれど、僕は疲れてしまったからと断りを入れて一足先に帰路についていた。

 もっとも、この理由は半分嘘なのだけど。

 

(紅音ちゃん、まだ海にいるかな…?)

 

 昼間のうちは他の海水浴客も多くて彼女を見つけることは叶わなかったが、日も傾き始めて人もまばらな今ならば、ひょっとしたらまた会えるかもしれない。

 そう考えて昼間に紅音ちゃんと出会った辺りをうろついてみる。

 

(うーん、もう帰っちゃったのかなぁ……)

 

 しかし、それらしき人影は中々見当たらない。

 海パン姿で追いかけっこをする中学生、ビーチパラソルの下で何やら一人きょろきょろしている高校生らしき男子、疲れて眠った幼子を背負う父親とそれに寄り添う母親……

 一向に彼女の姿が見つからず、諦めて本当に帰ってしまおうかと思ってくたりと項垂れた、その時。

 

「すみません!お待たせしました!!」

 

 聞き覚えのある声が耳に届き、慌ててガバッと顔を上げる。

 声のした方を見れば、水着の上からパーカーを羽織った紅音ちゃんが大きく手を振りながらこちらに向かって走ってきた。

 僕は再び会えた喜びで胸を躍らせて、彼女に手を振り返そうとして……

 

 ――紅音ちゃんは目の前に居た僕を一瞥すらせず、海辺に居た男の元へと駆けて行った。

 

「……………………え?」

 

 脳が現実を処理できず、フリーズした端末のように体が硬直する。

 ギギギと首を動かして恐る恐る彼女の様子を窺えば、僕の知らない隠岐紅音という少女がそこに居た。

 

「あの、実はこの水着だと陸上の日焼け跡が見えてしまって恥ずかしくて……」

 

 僕は、あんな恥じらいの表情を浮かべる彼女を知らない。

 

「でもやっぱり、せっかくなので楽郎先輩に見て欲しくって……」

 

 僕は、あんな艶やかに微笑む彼女を知らない。

 

「それで、その……どう、でしょうか……?」

 

 僕は、夕焼けよりも紅く色づいた彼女を知らない。

 

「可愛い……うん、すごく可愛いと思う」

 

 それは、まるで恋する乙女のようで。

 僕がずっとずっと、夢見ていた姿で。

 だけどその顔を向ける先に居るのは、僕じゃない知らない誰かで。

 

「……っ!!?」

 

 西日が逆光となり、二人の姿が影となる。

 そしてその二つの影が一つに重なるその瞬間。僕は堪らず踵を返してその場から逃げ出した。

 

「……っなんで!なんでなんでなんで!!」

 

 初めて会ったその日から、ずっと彼女が好きだった。

 なのにどうして、彼女の隣に僕は居ない。

 悪夢のような現実を振り払うように、僕は無我夢中で日の落ちた道を駆けていく。

 彼女に少しでも近づきたくて鍛えた脚で、彼女に背を向け全力で遠ざかっていく今の自分がどうしようもなく無様で、惨めで、情けなかった。



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◎祝いと門出の誕生日

隠岐紅音、高一春の誕生日


「楽郎先輩!今日は本当にありがとうございました!」

 

 太陽が地平線の彼方に沈み、夕闇が辺りを包む頃。

 俺の数歩先を軽やかな足取りで進む紅音はこちらを振り返ると、快活な声でお礼の言葉を告げた。

 

「どういたしまして。紅音は楽しかったか?」

「はい、とっても!私、今日がずっと終わらないで欲しいです!」

「そいつは何より、俺も同じ気持ちだよ……改めて、誕生日おめでとう、紅音」

「えへへ、ありがとうございます!」

 

 こんなにも喜んで貰えるのなら、瑠美やペンシルゴンに頭を下げて必死にデートプランを練った甲斐があるというものだ。

 散々ダメ出しされた上に今後二人から揶揄われる未来が待っているのは些かならず気が重いが、邪神と邪教徒の知恵をは確かだったらしい。

 カッツォやクラスメイトの連中?……うん、まあ、あいつらも悪い奴らでは無いのだが、女心の理解度と言う点においては悲しいことに戦力外通告を出さざるをえないので……

 

「ここのところ忙しくてあんまり出掛けたり出来なかったし、今日はそのお詫びも兼ねてってことで」

「お詫びなんてとんでもない!……でも、今日は久しぶりに楽郎先輩を独り占めできて嬉しかったです!」

「……そ、そっか」

 

 明け透けに伝えられる彼女からの好意には、いつまで経っても慣れる気がしない。

 喜ばしくも気恥ずかしい複雑な俺の心に構うことなく、紅音は尚も楽し気に言い募る。

 

「はい!瑠美ちゃんやみんなと一緒に遊ぶのも大好きですけど、やっぱり楽郎さんと二人で居るときが私は一番幸せですから!」

「おいおい、流石にそこまで言われると照れ…………紅音?」

 

 ふと、違和感を覚えて立ち止まる。

 今の台詞だけを抜き出せばそれはそれは熱烈な愛の言葉だ。

 けれど微かに震えた彼女の声が、固く握りしめた手のひらが、俺に背を向け表情を隠すその仕草が、どうしようも無く心配と不安を掻き立てる。

 紅音が嘘を吐いているとは思わない。

 寧ろ彼女の声音からは、どうしようもなく抑えきれない心からの願いを籠めたような、痛切な響きを感じさせた。

 

「…………なんですか?」

「いや、その、何というか……大丈夫か?」

「……何がですか?私は元気いっぱいですよ?」

「本当に?なんだか無理してるように見え──」

「あっ!楽郎先輩見てください!桜がもう満開ですよ!」

 

 口下手な俺の追及は、いつも通りの笑顔を張り付けた紅音に一蹴される。

 尚も問い質そうとする俺の声を遮るように、紅音は道の先の公園を指差した。

 

「あ、ああ。もうそんな季節なんだな……それより紅──」

「先輩、せっかくですからここでお花見していきましょう!」

「いや、流石に今日はもう遅いから……って早っ!?」

 

 陸上部エースの脚力を遺憾なく発揮した紅音は、俺が静止する間もなく一瞬で桜の木の下へ駆け出してしまう。

 仕方なしにあとを追って公園に向かうと、満月に照らされた桜を見上げて紅音が寂し気に佇んでいた。

 

「……もう、すっかり春ですね」

「そうだなぁ、時が経つのはあっという間だ」

 

 紅音と初めて会ってから……あの冬の日の衝撃的な告白から、幾つの季節を巡っただろうか。

 濃密な日々は瞬く間に過ぎ去っていって、あの日中学生だった紅音はもうすぐ高二、俺に至っては来月からとうとう大学生だ。

 

「…………楽郎先輩」

「……なんだ、紅音」

「っ……もうすぐ、行っちゃうんです、よね」

 

 今この公園に居るのは俺と紅音の二人きりで、他に人影は見当たらない。

 夜の静寂に包まれた世界の中、俺たちの会話と、地面を踏みしめる足音と……紅音のすすり泣く声だけが静かに耳朶を打つ。

 

「そうだな、荷造りもあらかた終わったし、明後日の昼のリニアで出発するよ。」

 

 改めてそれを口にすることで、間近に迫った旅立ちを実感する。

 第一志望である来鷹大学に晴れて合格した俺は、慣れ親しんだこの地を離れ一人暮らしをすることが決まっていた。

 既にアパートの契約や大きな家具の準備も終え、あとは身一つで現地に移動するのみだ。

 

「……私、今日がずっと終わらないで欲しいです」

「……そっか」

 

 それは先程も聞いた言葉。

 だけどそこに籠められた想いは先程の比では無く、俺は事ここに至ってようやく、彼女が何を訴えたいのかを真に悟った。

 

「……私、先輩と離れるのが寂しいです」

「そうだな、俺もだよ」

 

 俯き震える紅音に近づいて、手櫛を通すようにそっと頭を撫でつける。

 紅音は俺にされるがまま、涙声で言の葉を紡いでいく。

 

「わっ、私!先輩ともっとお話したい、です…!」

「……毎日だって電話するし、ゲームの中ならいつでも会えるさ」

 

 ぽたりぽたりと空知らぬ雨が地面を濡らす。

 いよいよ耐え切れなくなったのか、紅音は幼子が親に縋るかのように俺の胴へと腕を回して縋り付いてくる。

 

「らくろ゛う、ぜんっ…ぱい…行っちゃ、やです……!」

「ほら、休みにはちょくちょく帰ってくるから……」

「嫌、でずぅー…!」

 

 ……恋人がこんなにも嘆き悲しんでいるというのに、ちょっと嬉しくなってしまった俺は悪い男だろうか?

 いや、俺としても紅音と離れ離れになってしまうのは勿論寂しいのだが、ここまで別れを惜しんでもらえると彼氏冥利に尽きるというもので。

 宥めるように紅音を強く抱きしめ返しながら、俺は表情が緩むのを抑えきれずにいた。

 

 

「ご、ごめんなさい楽郎先輩。ご迷惑をおかけしました」

 

 それから二人で抱き合うこと暫し。俺のシャツの胸元が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった頃、我に返った紅音が恥ずかしそうに謝罪した。

 

「迷惑でもなんでもないよ、それだけ俺が愛されてるってことだし」

「そっ、それは!そう…ですけど……」

 

 今頃になって羞恥心が襲ってきたのか、夜闇の中でもはっきり分かるほどに紅音が赤面した。

 そんな彼女の様子にほっこりしつつ、俺は少しでも元気が出るよう努めて明るく声をかける。

 

「ほら、さっきも言ったけどゲーム内ならいつでも会えるし、リアルでも長期休暇の時にはちゃんと帰ってくるからさ」

「約束ですよ?ちゃんと帰ってきてくださいね?」

「約束するよ。それに、たまには紅音が遊びに来てくれてもいいんだぞ?」

「!!……私が、楽郎先輩のおうちにですか?」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、紅音がきょとんと首を傾げる。

 どうやら俺が言ってしまう方ばかりに気が行って自分が俺のところに来るという選択肢が思い浮かんでいなかったらしい。

 

「おう、離れるといってもリニアに乗れば一時間程度の距離だし、紅音の部活さえ休みなら連休利用すれば来られるだろ」

 

 或いは、俺が免許を取った後なら車で迎えに行ってもいい。

 そう付け足すと、先程までの悲し気な顔とは打って変わってキラキラと瞳を輝かせ始めた。

 うん、やっぱり紅音は笑ってる姿が一番似合う。

 

「本当にお邪魔してもいいんですか?」

「もちろん、紅音が遊びに来てくれたら俺も嬉しい」

「楽郎先輩のおうちに、お泊り…!」

「あ、外泊は一応親御さんに許可を貰ってから……あの、紅音さん?」

「楽郎先輩とお泊まりデート、私とっても楽しみです!瑠美ちゃんに服と下着を相談しないと……!」

「よし、ちょっと落ち着こうか!色々口走っちゃってるから!」

 

 泣いた烏がもう笑った。切り替えの早い紅音の様子についつい苦笑が漏れてしまう。

 ……あ、そうだ。

 

「紅音、ちょっと手を出してくれるか?」

「はい!これでいいですか?」

 

 人懐っこい子犬がお手をするように差し出された手のひらに、ポケットから取り出したあるものを乗せる。

 本当は出発直前に渡すつもりだったのだけれど、話の流れ的にも丁度いい。

 

「これは……鍵、ですか?」

「うん、もう一つの誕生日プレゼントってことで……俺の新居の合鍵」

「わぁ!ありがとうございます!私、絶対遊びに行きますね!」

 

 ──サプライズで俺の部屋に早朝忍び込んだ紅音に起こされ仰天するのは、GW初日のことだった。

 



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楽京
京極√詰め合わせ


楽京短編三本立て


◆だって今日は寒いから

 

「うー、寒っ……」

 

 身を切るような風の冷たさに、早朝の通学路で一人肩を震わせる。

 なんでもこの冬一番の寒気が近づいているようで、場所によっては既に雪も降っているらしい。

 普段ならばもう少し布団の熱に身を委ねていられるのだが、こんな日に限って日直で早めに登校しなくては行けないのだから我ながら運が無い。やはり乱数は悪だよ悪。

 学校に着いたらカフェインの摂取がてら自販機で温かい缶コーヒーでも…なんてことを考えていると、突然背中に軽い衝撃が走った。

 

「おはよう楽郎!君がこんな時間に歩いてるなんて珍しいね?」

「おっと…京極か、今日は日直だったんでな」

 

 振り返るとそこには俺を見つけてわざわざ駆け寄ってきたのか、軽く息を切らせた京極が竹刀袋を背負い直しているところだった。彼女が深呼吸をする度に白い息が吐き出され、朝の空気に溶けて消える。

 俺は京極が息を整え終わるのを見計らい、先ほどまでより心持ち歩幅を小さくしながら学校へと向かって再び歩き出す。

 

「そういうお前は剣道部の朝練か?」

「まあね、別に家で鍛練してもいいんだけど後輩に指導を頼まれちゃってさ」

「ほー、人気者も大変だなぁ」

「なあに、どんな世界でも門戸を叩く者を導くのは先達の務めだよ……それに、今日はその後輩に感謝かな」

 

 そう言って京極は悪戯な笑みを浮かべる。

 最後の方は声が小さくて聞き取れなかったが、この様子から察するに彼女は彼女なりに後輩への指導も楽しんでいるようだ。

 しばらくそんな他愛の無い話をしながら歩いていると、鼻先に何やら冷たいものが当たるのを感じた。

 何気なく空を見上げてみればそこには…

 

「げ、とうとう雪まで降ってきやがった…」

「ああ、これは冷え込む訳だ。この調子だと少しは積もるかな?」

「どうだろうなー…ってか京極、お前その格好で寒くないのか?」

 

 今気がついたが京極は上にコートこそ着ているものの、マフラーや手袋といった防寒具は一切身につけていない上にスカートの下は素足という有り様だ。見ているこっちが寒くなる。

 

「鍛えてるからね、このくらいはへっちゃらさ」

「そういう問題なのか…?」

「一応お母様からはあんまり体を冷やすなって言われてこんな物も渡されたけど…よかったら君が使うかい?」

 

 そう言って差し出されたのは手のひら程の大きさの使い捨てカイロだ。

 正直に言えば手袋越しでさえ指先がかじかみ始めた今、喉から手が出るほどに有難いアイテムなのだがここまで寒そうな格好をした京極から一方的にそれを貰うのも気が引ける……よし、こうするか。

 

「サンキュー、それじゃ俺は代わりにこれを進呈しよう」

「…って、手袋を片方だけ渡されてどうしろと?」

「いいからいいから、早くそれつけろよ」

「まあ着けろっていうならそうするけど、これ二人とも寒くなるだけじゃ…」

 

 ぶつくさと言いながらも京極は右手に俺の手袋をはめた。男物なので少しサイズが大きいのはご愛敬だ。

 その間に俺はカイロの封を切って上着の右ポケットに入れる。そして素手のままになっている京極の左手を握り…

 

「……あ」

「ほら、こうすれば寒くないだろ」

 

 カイロを入れたポケットの中にその手を招き入れる。

 そこは二人分の体温とカイロの熱で少し暑いくらいで、氷のように冷たくなっていた京極の手もうっすらと汗ばんできたのを感じる。

 

「…楽郎、何だか顔が赤いよ?」

「今日は寒いからな…しもやけだよ」

「…そっか、寒いなら仕方ないね」

「そういうお前は寒くないのか」

「だから僕は平気だって……いや、やっぱり寒いかな」

 

 人のことを言えないくらいに頬を赤くした京極が横に半歩ほど近づいてくると、ポケットの中を手を解いて指と指とを絡めるように繋ぎ直した。

 京極のファンに見つかるとまた面倒なことになりそうだが、この時間であれば登校している生徒はそう多くない。運が良ければ余計なトラブルを招くことなく学校に着けるだろう。

 そんな束の間の平穏を、乱数の女神に祈った。

 

 ──クラスメイトにこの姿を目撃された俺が尋問される羽目になるのは、この日の昼休みのことだった。

 

 

 

 

◆サンタが幕末(まち)にやってくる

 

 ガキン、ガキンと鈍い金属音を響かせながら、レイドボスさんの錆光とトナカイの角が火花を散らす。

 子供の胴体程の太さがあり悪魔の角のように曲がりくねったそれは、先ほどから数多のプレイヤーの攻撃に晒されながらも未だ罅一つ入る気配もない。

 少なくとも錆光という武器の特性上レイドボスさんの攻撃のダメージは通っている筈なのだが。

 

 北鏖聖伐飛将軍サンタクロース。

 毎年クリスマスになると幕末に現れるこのエネミーはサンタクロース本体は勿論のこと、その愛馬たるトナカイの戦闘力も尋常ではない。

 京ティメットと紅蓮寧土の尊い犠牲と引き換えに長屋一帯諸共爆破しどうにかサンタとトナカイを引き離したのは良いものの、俺達は未だ攻略の糸口を掴めずにいた。

 あいつ(くいっ)やデュラハンがサンタの方を請け負っているがそれもいつまで持ったものか。

 申し訳程度にクリスマスカラーにデコレーションされた赤兎馬のごときトナカイの様子をうかがっていると、奴はリアルならば鼓膜が破れてしまいそうな程の大音量で嘶いた。

 

「Booooooooo!!」

 

そしてそれから四肢を曲げて重心を下げ、踏み込みを確かめるように左後ろ足で地面を二回蹴る。この予備動作は不味い…!

 

「突撃が来るぞ!避けろ!」

 

 叫ぶよりも早く予測進路上から飛び退くようにして待避する。

 その一瞬の後。今まで俺がいた道を奴の巨体が駆け抜ける。その巨体は最早トナカイではなくヘラジカの突然変異か何かと言われた方が納得がいく。

 逃げ損なったプレイヤーが何人かミンチになったようだがそちらに構っている暇はない。

 奴は既に二度目の突撃に移るべく地面の踏み鳴らしている…!

 と、その時向かいの屋根の上から何か棒状の物が放たれたのが見えた。あれは団子の串か!

 

「Gaaaaaah!!??」

 

「左目は貰ったぜ!」

「よくやった針千本!」

 

 千載一遇の好機に志士達がこぞってトナカイに群がっていく。

 俺もそこに続こうとしたのだが、直感システムに反応が。殺気!

 

「天誅!」

「うおっと!京ティメット!?リスポンしたのか!」

 

 大上段から振り下ろされる刀を寸でのところでかわす。

 繰り返し遅い来る斬撃をいなしながら一応の説得を試みるも、憤懣やる方無しといった様子の京ティメットは聞く耳を持ってくれない。

 

「あとで相手してやるから今はあのトナカイを…」

「うるさい!うるさい!せっかくのクリスマスだってのに楽郎は…!」

「痴話喧嘩はあとに取っときな!奴さんおいでなすったぜ!」

 

 つばぜり合いをしながら京極と言い争っていると突然俺達の勇者が駆け込んできた。

 その言葉に促されるように勇者の視線の先を見て俺は事態を理解した。

 

 トナカイを囲んでいたプレイヤー達がいつの間にか全滅している。

 代わりにその傍らに立つのは真っ赤な服に白い髭を蓄えた、誰もが知ってるあんちくしょう。

 

 

 ──サンタクロースが、やって来た。

 

 

 

◆出会いは何を齎すか

 

 三が日も明け、世間が正月ムードから徐々に日常へと戻り始めたある日の事。

 そうは言っても高校は未だ冬休み。俺は残る休みを有意義に過ごすべく、年末年始のゲーム断ちと引き換えに手に入れた軍資金(お年玉)を握りしめ、新春セール中のロックロールを訪れていた。

 

「あけましておめでとうございます。今年も良さげなクソゲー期待してます」

 

「はいはい、あけおめ……全く、君は今年も相変わらずねえ」

 

 岩巻さんと新年のあいさつを交わす。新年早々クソゲーを求めてやって来た俺を呆れたような目で見ているが、俺からすれば積んでいた乙女ゲー攻略の為にクリスマスの翌日から昨日まで店を閉めていたこの人も大概である。

 

「それでですね、今年も例の物を…」

「安心なさい、ちゃんと用意してるわよ…はいこれ、一万円ポッキリね」

「ありがとうございます!」

 

 そう言って岩巻さんはレジの裏から中が見えないよう口を閉じた朱色の紙袋を持ってきた。

 俺は熨斗袋から折り目一つついていない完全美品の諭吉の肖像画を取り出してその袋と交換する。

 

「まいどありー。毎年のこととはいえこんな在庫処分みたいな物でお金を取るのはちょっとだけ気が咎めるのよね……せっかくのお年玉、もう少し使い方を考えなくていいの?」

 

「これ以上ないくらい有意義に使ってますよ。ここまで偏ったものは他じゃ中々お目にかかれないですからね」

 

 そう言って俺は受け取った紙袋——クソゲーだけを厳選した福袋——を掲げる。

 普通ならば良ゲーと凡ゲーとクソゲーがバランスよく配合されてしかるべきそれを、俺は毎年岩巻さんの厚意によって純度100%のクソゲー詰め合わせとして売ってもらっていた。

 ちなみにお年玉を渡される際に付随しがちな「無駄遣いしないように」という決まり文句だが、うちの家系に限ってはまず聞くことは無い。

 何しろ親族一同ほぼ全員が己の欲望に忠実過ぎる趣味人の集まりだ。子供の金遣いを諫めるどころか率先して自分の趣味に引きずり込もうとする有り様である。

 

 そんな陽務一族ののどかな正月風景を岩巻さんに解説していると、ロックロールの扉が開いて一人の少女が入ってきた。

 恐らく俺と同い年くらいだろう、肩程で切りそろえられたショートカットの髪型のその女子は物珍し気にきょろきょろと店内を見回しながらカウンターでこちらへと向かってくる。

 

「いらっしゃいませー、あなたこの辺じゃ見ない顔ね?」

 

「ああ、うん。家は京都なんだけど親戚の集まりでこっちに来てて、従妹がこのお店の事を教えてくれてね…」

 

 商売の邪魔をしても悪いと思いカウンター前のスペースを彼女に譲って店の端で戦利品を確認する。

 おっ、これちょっと気になってたんだよな。ほうほう、こっちはあの噂の……うーむ、かゆいところに手が届く流石のラインナップだ。

 

「…ラク。ねえサンラクってば!」

 

「うおっ!?な、なんだ!?」

 

 突然耳元で名前を大声で叫ばれる。それによってこれからの楽しいクソゲーライフに思いを馳せていた俺の意識が現世に引き戻された。

 というか反射的に返事をしてしまったがサンラク?なんでゲームの名前で俺を…?

 振り返ると先ほどまで岩巻さんと話していた少女がいつのまにか俺の後ろに立っていた。

 別に隠しているわけではないのだが、リアルではその名を呼ばれることは滅多にない。そんな名前で俺を呼ぶ彼女の正体はなんなのかと考えて…一人、思い当たる人物がいた。

 

 髪型が違う、顔も違う。しかしその声とその表情に、俺は確かに覚えがあった。

 

「お前…まさか京ティメットか!?」

 

「正解!いやあ玲から君がここによく来るとは聞いていたけど、まさか本当に会えるなんてね」

 

 驚きに固まる俺に向かって京ティメットが快活に笑う。幕末で見る殺意に彩られたそれとは違う無邪気な笑顔はとても綺麗で、不覚にも少しだけときめいてしまう。

 

「大人たちの付き合いに連れ回されて飽き飽きしてたんだ。これも何かの縁ってことで、僕をどこか面白い所に案内してよ、サンラク」

 

 

 この日の出会いが俺——陽務楽郎と、京ティメット——龍宮院京極のゲームを超えた長い長い付き合いの始まりだった。

 



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ゆうべはおたのしみでしたね

Twitterに硬梨菜先生が投稿した楽京ifの翌朝妄想ss


「~~♪」

 

 麗らかな朝の日差しの照らす台所で、鼻歌混じりに味噌汁用のネギを刻んでいく。魚焼きグリルに入れた塩鮭もそろそろ焼き上がる。

 僕と入れ替わりでシャワーを浴びに行った楽郎はまだ戻っていないけれど、あいつはいつも烏の行水で済ませるのでそう長い時間はかからないだろう。

 冷蔵庫から作り置きの煮物とお浸しを取り出して小鉢に盛り付ける。その間に味噌汁が沸きそうになっていたのでいったんコンロの火を止めておいた。今日の味噌汁はあさりと赤だしだ。

 

 そうして朝食の準備をしていると、ガタリと背後のドアが開く音がした。それに対して僕は振り返ることなく作業を続けながら声をかける。

 

「ああ、お帰り。また随分と早かった……」

「ただいまマイシスター!お兄様が居なくて寂しくなかったかい?」

 

 予想とは違う人物の登場に思わず顔が引き攣ってしまう。よりにもよって何で兄さんがここに!?

 

「に、兄さん!?予定では帰ってくるのは今日の夕方の筈じゃ…?」

「可愛い妹を一人残していくのが心配でね。大急ぎで用事を片付けて来たのさ!」

「そ、そう……」

 

 失敗した!!

 この兄のシスコンぶりは身をもって知っていた筈なのに考えが甘かった。これは不味い…!

 予定を半日も前倒しにしたのだからそれなりに疲れているだろうに、兄さんはそんな素振りは一切見せずに上機嫌に台所へと踏み入ってくる。

 しかし、そこで僕が準備していた二人分の食器を見るとそれまでの満面の笑みをスッと消して、怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「京極?僕の記憶が間違いじゃなければ今日はみんな出払っていてこの家には君一人の筈だと思ったけど……これは、誰の分だい?」

「えっと、これはその……」

 

 最後の一言と共に室温が5℃くらい下がった気がした。

 質問の体を取ってはいるものの、兄さんの頭の中では既に特定の人物が浮かんでいるのだろう。そしてそれは恐らく正解だ。

 細められた目に静かな殺意を漲らせた兄さんをどう宥めた物かと思案するけれど、台所の戸が最悪のタイミングで再び開かれるのを見て僕は全てを諦めた。

 

「なあ京極、今日は急だったから替えのシャツ持って来てなくてさ。何か代わりに羽織るもの……でも…………」

「やあ、おはよう陽務君。こんなところで奇遇だね」

「オ、オハヨウゴザイマスオニイサマ」

「君にお兄様と呼ばれる謂れは無いよ」

 

 よりにもよって上半身裸のままで現れた楽郎に、兄さんが表面上は和やかに朝の挨拶をする。しかしその内心は燃え滾る怒りで噴火寸前であろうことは、強く握りこみ過ぎて鮮血を滲ませた拳を見るまでもなく明らかだ。

 

「一応聞いておこうか……君は何故こんな時間にそんな姿で我が家に?見れば朝食までご馳走になろうとしていたみたいじゃないか。僕だって京極の手料理が食べたいのに!!!」

「いやこれはその……そう、稽古!ちょっと京極に朝稽古をつけてもらってて、それで汗をかいたから風呂場を借りてただけなんです!」

「稽古、ねえ……?じゃあその首元の痣も稽古の時についたってわけだ」

「えっ、痣…?」

 

 兄さんの言葉に釣られるように楽郎の首元に目を向ければそこには鬱血したような痕が幾つか残っている。それは紛れもなく昨夜の僕がつけたもので……

 

「…………よし、それじゃ僕も稽古をつけてあげよう。君とはいずれ一対一で向き合うべきだと思っていたんだ」

「いや稽古ってそれどう見ても真剣でよね!?あの、おにい…國綱さん!??おい京極!この人止めるの手伝って…京極ぅぅ!!」

「うう……念願叶ったとはいえ私はなんて大胆なことを……」

 

 体中の血液が瞬間湯沸かし器にかけられたかのように熱くなる。赤く染まった僕の顔を見た兄さんは、持っていた鞘袋から静かに刀を取り出しながら楽郎にそっと死刑宣告をつきつけた。

 慌てた楽郎が何か言っているようだけど、僕はと言えば昨夜のことを思い出して今更ながらに羞恥心に襲われそれどころではない。

 

 ──引きずるようにして道場に連行される楽郎を見送ってしばし。兄さんの「天誅―!!!」という血を吐くような叫び声が、ご近所中に響き渡った

 



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罪は酔夢に覆われて※

以前硬梨菜先生がTwitterで呟いていたネタを元にしたお話。
※嘔吐描写注意。苦手な方はブラウザバック推奨です。


「ん、ううん……あたま、痛ぁ…」

 

 目覚めと共に襲ってきた猛烈な頭痛に顔をしかめる。

 脳内で銅鑼を打ち鳴らされているかのようなその痛みに耐えながら体を起こすと、いつの間にか掛けられていた毛布がパサリと床に落ちた。

 

「あれ、ここは…?」

 

 と、そこで初めてここが住み慣れたいつものワンルームで無いことに気が付いた。まあ、ここも半分我が家のようなものではあるのだけれど。

 状況から察するに僕はどうやら酔い潰れてここで朝を迎えてしまったらしい。二日酔いでふらふらする体をどうにか気合で動かして近くのソファに腰を下ろす。

 一人暮らしにしては立派に過ぎるそのリビングに無造作に飾られたトロフィーや賞状、そしてクソゲーのパッケージ等を見るとはなしに眺めていると、ガチャリと音を立ててリビングから洗面所へと続く扉が開かれた。

 

「!…京極、起きてたのか」

「やあ、おはよう楽郎。ちょうど今起きたところ…って、その頭どうしたの!?」

 

 この家の本来の住人であるはずの楽郎は、何故かドアノブを握った姿勢のまま固まっている。僕が目を覚ましているのがそんなに意外だったのだろうか?

 僕はそんな恋人の様子に首を傾げつつも朗らかに朝の挨拶を交わそうとしたけれど、楽郎の頭に真新しい包帯が巻かれていることに気が付いて慌てて彼に詰め寄った。

 

「ええっと、これは…ちょっと足滑らせてぶつけちゃってさ」

「ぶつけたって…それ大丈夫?病院行く?」

「…少し頭の皮膚を切っただけだよ。見た目ほど大した怪我じゃないから気にすんな」

 

 そう言って笑い飛ばす楽郎だが、頭の怪我は万一の場合があるのでどうしたって心配になる。

 これは楽郎と付き合うようになってから気が付いたことなのだけど、彼は自分が傷つくことや痛みを感じるようなことに対する忌避感が妙に薄い。

 

「そういう京極の方こそ、その…大丈夫か?」

「僕かい?確かにちょっと飲み過ぎたのか頭は痛くて胸焼けも酷いけど、このくらい大したことじゃないよ」

 

 今だって怪我をしているのは自分の方だというにも関わらず、何故か僕の方を心配している有り様だ。

 昨夜は確か、仕事でちょっと嫌なことがあったのでスーパーで酒をしこたま買い込んでからそのまま楽郎の家に押しかけて……駄目だ、そこから先の記憶が曖昧だ。

 もしや昨日の僕はそんなに不安になるような酔い方をしていたのだろうか?

 正直に何も覚えていないことを伝えてみれば、彼は一瞬酷く安堵したような表情を見せてからカラカラと明るく笑って答えた。

 

「はっはっは!いやあ近年稀にみる飲みっぷりだったからお前の肝臓がお陀仏になってないかと気になってな」

「…それが分かってるなら大声を出すのはやめてくれないかな。実をいうと今も頭がガンガン痛むんだよ」

「悪い悪い、今コーヒーでも淹れるからその間に顔でも洗って来いよ」

「お言葉に甘えさせてもらうよ。それと僕は緑茶がいい」

「ん、了解」

 

 促されるままに洗面所を借りて冷たい水で顔を洗えば、幾分か気分はさっぱりとして目も冴えてくる。勝手知ったるなんとやらでタオルや洗顔料の場所はとっくの昔に把握済みだ。

 二つ並んだお揃いの歯ブラシの片方を手に取って乱雑に歯を磨いていると、洗面所の片隅に空き缶や空き瓶でいっぱいになったビニール袋が置かれているのが鏡越しに目についた。

 何気なく中身を確認してみれば、そこには大量のエナドリの空き缶にそれに勝るとも劣らないだけの数のチューハイの缶、ビール瓶などが詰め込まれている。

 楽郎は普段一人では酒を飲まないのでこれは僕らが昨日空けたものだろう。別に下戸ではないつもりだったけれど、これだけ飲めば流石に潰れもするか。

 

「我ながら随分飲んだなぁ…あれ、この瓶何か汚れてる…?」

 

 よく見るとその中に一つだけ黒い汚れが付着したビール瓶が入っている。醤油でも溢したのかと思ったけれど、それにしてはこびりつき方がおかしいような。

 何故だかそれが無性に気になって仕方がない。胸のざわめきの命ずるままに袋から瓶を取り出して指でその汚れをなぞってみると、渇いてかさかさになった黒い塊が崩れるようにはがれ落ちた。

 微かな生臭さと鉄のような匂いのするこれは、血の、痕——っ!?

 

「っ、うぶっ…おえっ…」

 

 その汚れの正体に気が付いた瞬間。僕は全てを思い出し…こみ上げてくる吐き気に耐え切れず胃の中の物を洗面台にぶちまけた。

 

 僕は、なんてことを…!

 

 

『京極?連絡も無しに突然どうしたんだ?』

『やあ、せっかくの週末なんだしちょっと一杯付き合ってよ』

『別に飲むのは構わんが…その酒の量、一杯じゃなくて【いっぱい】の間違いでは?」

 

 事前にメールの一つもしないでいきなり押しかけた僕の事を、楽郎は呆れたような目で見ながらも追い返すことなく受け入れてくれた。まあ僕はここの合鍵を貰っているのでダメと言われても居座るつもりではあったのだけど。

 

『それであのクソ上司がさぁ…!らくろー!聞いてる!?』

『はいはい聞いてるよ、いつも仕事お疲れ様』

 

 粗探しと嫌味だけが取り柄のクソ爺やお高く留まってろくに仕事をしないお局様など。酒の力も手伝って日頃の不満は次から次へと沸いてきた。

 楽郎はそんな僕の頭を乱暴な手つきでくしゃくしゃと撫でまわしながら労いの声をかけてくれた。

 

『楽郎はいいよねー、大好きなゲームをお仕事にしちゃってさ』

『これでもトレーニングとか結構大変なんだぜ?神ゲーは突然分身したりパンチを飛ばしたりして意表を突くことも出来ないし』

『このクソゲーマーめ……でも、やっぱり君が羨ましいよ』

 

 思えばこの辺りから雲行きが怪しくなってきていた。

 実家の力は借りたくないと意地を張って大学卒業と共に上京したはいいものの、無情な現実は自分がいかに胃の中の蛙であったのかを突き付けてくる。

 そして、特に大きくも小さくもない会社でしがない平社員でしかない僕と違って楽郎はプロゲーマー期待の星として華々しい活躍を重ねていた。

 だからだろうか、そんな彼に醜い嫉妬を向けてしまったのは。いや、そんなのは言い訳にもならない。

 

『おい、京極。もうその辺にしとけって!』

『うるさいうるさい!楽郎なんかには私の気持ちは分からないよ!!』

『ちょっ、危なっ!?』

 

 暴れる僕を宥めようとした彼に向かって僕は傍に転がっていた空き瓶で…

 

 

「…う極!おい京極、大丈夫か?」

「っあ…ら、くろう…?っ…うぷっ」

「ほら、一回全部吐いちまえ……これに懲りたら酒は程々にしておけよ?」

 

 いつの間にかやって来ていた楽郎がそう言って背中をさする。どうやら二日酔いで体調を崩していると思っているらしい。

 

 違うんだ、僕は君に謝らないと。

 

 そんな思考とは裏腹に僕の口は意味のある言葉を発することなく汚い嗚咽を漏らし続けている。

 楽郎を傷つけてしまった罪悪感と、彼に嫌われてしまったのではないかという恐怖で吐き気が止まらない。

 一体どれくらいそうしていたのか、食べたものも飲んだものも、胃液さえをも全て吐き尽くした僕はそこでようやく楽郎の方へ向き直った。

 

「ったくひでー顔してるぞ。とりあえず口をすすいで…シャワー浴びる元気はあるか?」

 

 楽郎は不思議なくらいにいつも通りだ。一瞬あれは悪酔いした僕が見た夢だったんじゃないか、なんて儚い希望にすがりたくなるけれど、彼の頭に巻かれた包帯がそんな愚かな逃避を許さない。

 

「シャワーはやめとこうかな…その、シンクを汚しちゃってごめん」

「このくらい気にすんな。カッツォの奴なんて前に人の背中にゲロぶちまけやがったからな…」

 

 そうじゃないだろう龍宮院京極。謝るべきことは決まっているのに、いざ彼に向き合うと自分の口が思うように動かない。

 いっそ思いっきり罵ってくれればいいのに、僕が昨日の事を忘れたままだと思っている楽郎は僕に何も告げる気は無いらしい。

 

「あっ、あの!楽ろ…」

「二日酔いにはライオットブラッドだ!本当は酒飲むときにこれで割ってレジストした方が効くんだが…っと、なんだ?」

「…ううん、何でもない」

 

 ──嗚呼、私はこんなにも浅ましい女だったのか。

 

 何も知らないフリをして、楽郎の優しさに甘えてしまえと私の中の悪魔が囁く。

 嫌われなくて良かったと、これも彼からの愛の証なのだと僕の中の天使が嘯く。

 

 彼の瞳に映る私は、歪な笑みを浮かべていた。

 



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ハッピーバースデー天誅 / 君が褒めてくれたから

京極誕生日記念ss二本立て

・ハッピーバースデー天誅
 まだ付き合ってない二人のお話。

・君が褒めてくれたから
 付き合ってる二人のお話。
 硬梨菜先生がTwitterに投下した存在しない記憶からネタを拝借しました。


「天誅!」

「天誅!」

「てんちゅ…もるぁっ!?」

「肉盾貫通型天誅!」

「ああもう、しつっこい!!」

 

 次から次へと迫りくる志士達を切り捨てながら京極が吼える。

 ひとたびログインしたのならリスポンから再び死ぬまで一瞬たりとて気を抜けないのが幕末の世界だ。

 ついでに京極はその絶妙なイキリっぷりや天誅させた時の恨みがましい視線がイイとの評判なども相まって何かと狙われることが多いらしい。

 そしてさらに、今夜は()()()()()によって彼女を狙うプレイヤーはとどまることを知らず、先程からひっきりなしに怒涛の天誅ラッシュが押し寄せている。

 

 かつてのイベントで大量の亡者を引き連れていた時に勝るとも劣らない勢いの襲撃を、時に真っ向から、時には同士討ちを誘発して、手に負えない時には悔しさに歯噛みしつつも撤退を選んで生き延びていく。

 その手際はこのゲームでは先達にあたる俺をして見事と言わしめるだけのものであったが、そう易々とはいかないのがこのゲームのクソであり最高な所だ。

 

「おっ、京極ちゃん見っけ!」

「今日の天気は団子の串時々青龍偃月刀ってなぁ!」

「次から次へと…!今日は本当になんなんだ!」

 

 長屋の立ち並ぶ中を駆けていた京極に屋根の上から針千本と刀雨の遠距離攻撃が迫る。

 団子の串の雨を道中で拾った鍋の蓋で弾いて安堵したのも束の間。その脳天をかち割るべく、幕末の物理エンジンに従って位置エネルギーを運動エネルギーへと変換した長大な刃が迫る。

 それに対して京極は強引に自らの足を引っかけてわざと転んで寸でのところで回避した。ほう、あいつも自前転倒を使えるようになったか。

 

 致命の一撃を回避した京極だが、反撃をするにも彼我の距離に加えて屋根の上という高所を確保されているのでは分が悪い。

 ここは遮蔽物を駆使して戦局を変えるか、あわよくば野生のランカーをかち合わせられれば御の字であるが、さあてあいつはどう出るのか…!

 

「というかサンラクはさっきから物陰で何をぶつぶつと…!君だけ何故か狙われてないし、絶対何かしただろう…!」

「ナンノコトカワカラナイ」

「お前ええ…!!あとで絶対覚えてろよ…!」

「その時までお前が生きてたらなー!」

 

 怨嗟の籠った視線を一心に浴びながら京極に背を向けて走り出す。

 このまま右往左往する京極を見ていたいのはやまやまだが、俺は俺でそろそろ目的の地点へと向かわねばならぬ。

 

「細工は流々、あとは仕上げを御覧じろってな」

 

 溜め込んでいたイベ限武器を放出しての交渉の甲斐あって、さほど時間をかけることなく(それでも何度かの戦闘はあったが)城下町の中心部へと到達する。

 そこで待つこと数分、轟車に追い立てられるようにして京極が現れた。

 

「サァァンラクぅぅぅぅ!」

「うおっと!そう易々とはやられないぜ?」

 

 上段からの渾身の振り下ろしを刀で受けて至近距離で鍔迫り合う。

 そのあまりの勢いに押し負けそうになってしまったその時、俺の背後でドンッと盛大に火薬の爆ぜる音がした。

 その音を聞きすわ紅蓮寧土の攻撃かと京極が身構えた、次の瞬間──

 

「「「「「京極ちゃん、誕生日おめでとうー!」」」」」

 

「………………えっ?」

 

 辺りに潜んでいたプレイヤー達が一斉に顔を出して祝福の言葉を告げる。空では花火が本来の使い方を思い出したかのように鮮やかな花を咲かせていた。

 そんな幕末らしからぬほのぼのとした光景を目の当たりにした京極は、周囲を警戒することも忘れて呆然と立ちすくんでいる。

 

「いやー、祭囃子が突然『協力して欲しいことがある』なんて言い出した時は何かと思ったけど」

「わざわざ自前の刀を手放してまで誕生日を祝いたいなんてあいつもいい所があるもんだ」

「うむ、たまにはこんな心温まるユーザーイベントも悪くないな」

「というかあの子また強くなってない?俺五人がかりでも普通に突破されたんだけど」

 

 周囲の会話を聞いておおよその事態を察したようで、先程までの怒りもどこへやら、気恥ずかしそうにぽりぽりと指で頬をかきながら京極がこちらに歩み寄ってくる。

 

「一体何を企んでいるのかと思えば…」

「ふっふっふ、サプライズは大成功だな」

「驚かされっぱなしなのは悔しい限りだけど…まあ、その…ありがとう」

 

 そう言ってはにかむように笑う京極に、こちらも歯をむき出しにした笑みを浮かべて応える。

 

「どういたしまして。それじゃ改めて…ハッピーバースデー天誅!」

 

 

・おまけ

 

「まったく、こんな滅茶苦茶な誕生日は生まれて初めてだったよ」

「ははは、でもこんなのも悪くないだろ?」

「…はぁ、まあ楽しかったのは確かだけどさ」

「ほら、ちゃんとしたプレゼントはリアルの方で改めてってことで」

 

「…えっ」

 

「どうした、初めて『便秘』のバグ技を食らったカッツォみたいな顔をしてるぞ」

「それどんな顔さ…いやだって、まさか君がそんな殊勝なことを言ってくれるなんて」

「ゲーム上だけの知り合いならともかく、お前ぐらい仲良い奴なら誕生日くらい普通に祝うわ。学校だとお前のファンが凄そうだし、放課後でいいか?」

「うん……あ、ねえそれじゃせっかくだしもう一つだけお願いしてもいいかな?」

「なんだ?今日はお前が主役なんだ、俺に出来る事なら特別に聞いてやるよ」

 

「……(後ずさって刀に手をかける)」

 

「何故そこで臨戦態勢」

「いや、そうやって僕に隙を作らせて天誅する気なのかと」

「お前は俺をなんだと思ってるんだ」

「十分前に君が僕に何をしたか忘れたとは言わせないよ」

「いやまあそれは悪かったって。で、そのお願いって何だ?」

「君はほんとに…まあいいや。実は僕の誕生日って毎年家族が盛大に祝ってくれるんだ」

「お前のところはそうだろうな…」

「それで、いつもなら夕食は身内だけでちょっとしたパーティーみたいなことをするんだけど…君もそこに来てくれないか?」

「ん、なんだそんなことか。むしろ俺がお邪魔しちゃっていいのか?」

「こっちから誘ってるんだから遠慮は無用さ。母上もきっと喜んでくれるよ」

「OK、それじゃ今日は学校が終わったら一度帰ってからお前の家に向かうな」

「ありがとう…ああ、そうそう。兄さんや父上は君に物凄くプレッシャーをかけるかもしれないけど気にしなくていいからね」

「すまん、やっぱり今日はちょっと風邪をひく予定が…」

「おおっと逃がさないよ!君が逃げたら僕は悲しみのあまり『楽郎にハメられて大勢に囲まれたところで襲われた』って口走ってしまうかもしれないなあ!」

「お前…!その仕返しは卑怯だろう…!」

「あー!あー!聞こえなーい!」

 

 

□君が褒めてくれたから

 

「…よし、襖の外に不審者(兄さん)の気配は無し、と」

 

 一日の稽古や勉強を終え、食事やお風呂も済ませてあとはもう寝るだけというある日の夜更け。

 僕は部屋の傍で聞き耳を立てている不届き物が居ないことを念入りに確認すると、僕は布団の上に座って枕をぎゅっと抱きしめながら端末を操作してとある相手に電話をかける。

 数回のコール音の後、もうすっかり聴きなれた…だけど全く聞き飽きることの無い声が端末越しに聞こえてきた。

 

『もしもし、京極か?』

「やあ楽郎。今日はちゃんと約束を覚えていてくれたようで安心したよ」

『先週のことはもう許してくれよ…』

「ふふっ、それはこれからの君の態度次第かなぁ?」

 

 先日、クソゲーに熱中するあまり僕との通話の約束をすっぽかした楽郎が気まずげな声を漏らす。

 本気で今も怒っているわけではないけれど、楽郎は僕が一日の終わりのこの時間をどれほど心待ちにしているかをもっと理解するべきだと思う。

 それから暫しの間は他愛ない会話を楽しんでいた僕たちだが、話が以前から約束していたデートのことになった時、楽郎は信じられないようなことを言いだした。

 

『なあ、今度の土曜のデートなんだけどさ、一旦中止にしないか?』

「……は?」

 

 自分でも驚くほどドスの利いた声が出た。

 だけどそれも仕方がないだろう。部活や稽古で忙しい中どうにか都合をつけて一月も前から計画していたお出かけだったのに、それをいきなり取り止めようとは一体どういう了見だ。

 ことと次第によってはリアル天誅も辞さない覚悟で楽郎に問い詰める僕だったが、続く楽郎の説明は一応の納得のいくものだった。

 

『…最近、クラスの女子が噂してるんだよ』

「噂って?」

『「最近あの龍宮院さんが誰かと付き合ってる」だってよ』

「あー…バレた?」

 

 僕と楽郎が付き合っていることは、一応まだ二人だけの秘密ということになっている。

 僕としては別に公表してもいいと思っているのだけれど、僕のファンや何より兄さんに知られてしまうと色々と面倒なのも事実だからだ。

 とはいえ必要以上にコソコソするのも僕たちの性には合わず、放課後や休日などは割とおおっぴらに二人で出かけたりもしていたのだがどうやらそこを見られていたらしい。

 楽郎が聞いたという噂の内容によると、未だ確証を得るまでには至っていないらしいのがせめてもの救いか。

 

「そういえば最近はファンの皆が前よりちょっとしつこかったような」

『大抵の奴らは興味本位で話のタネにしてるくらいだったけど、一部ガチっぽいやつらもいたからな…』

 

 なんでも中にはストーキングの計画じみた話まで漏れ聞こえてきたようで、そこで流石に僕が心配になってデートの中止を申し出てきたとのことだ。

 僕の身を心底案じていることが通話越しでさえも伝わってくる楽郎のその声になんともむず痒い気分にさせられる。だけど、私をそう甘く見ないで欲しいな。

 

「事情は分かったよ。でも大丈夫、土曜日は予定通りにデートしよう」

『何か策でもあるのか?』

「ふふん、まぁ見てなよ。楽郎は余計なことは気にしないで楽しいデートプランでも考えていればいいのさ」

『…京極が自信満々な時って大体何か失敗するフラグだからなぁ』

「なにおう!!」

 

◆ ◆ ◆

 

 そしてデート当日。

 僕は周囲の男性たちから集まる視線を努めてスルーしながら、楽郎との待ち合わせ場所に向かっていた。

 幾度ものナンパを適当にあしらいながら目的地にたどり着くと、約束の15分前だというのに楽郎はもう到着していた。

 こうしてデートを繰り返すうちに知ったのだが、普段はもっぱら学校の制服かジャージで過ごしているくせにあいつの服のセンスは意外と悪くない。

 手近な柱に背を預けつつ端末に視線を落とす姿は何気に様になっていて、それを見た私の胸は自然と高鳴ってしまう。

 

「おーい、らくろ…」

(いや、待てよ…?)

 

 早足気味に彼に近づき声をかける直前。僕は腰まで伸びるウィッグをした今の自分の恰好を思い出し、ちょっとした悪戯を考え付いた。

 熱狂的なファンの子たちの目を欺くための変装だけど、この姿ならば楽郎だってすぐには僕と分からない筈だ。

 

「んんっ…こほん」

 

 軽く咳払いをして喉の調子を確かめる。いつもより気持ち高めな声色を作ると、改めて今も僕を待っている楽郎に話しかけた。

 ふふふ、さーて君はいつ僕だと気が付くかな?

 

「あの…お兄さん、今お暇ですか?」

「ん?あー、ごめん。俺今人を待ってて……って、何やってんだ京極」

「あれっ?」

 

 ところがそんな期待に反して楽郎の反応はあっさりとしたもので、一瞬余所行きの態度をとっていたものの僕の姿を視界に入れた途端にその正体を看破されてしまった。

 

「え、楽郎。なんで僕だってわかったの?見た目だけじゃなくって声とか立ち居振る舞いも一応変えてみたんだけど」

「なんでって…そりゃ散々幕末とかシャンフロで見慣れてるし」

「あ」

 

 言われてみればその通りで、リアルでこそ長髪姿は珍しいもののゲームの世界ではその限りではない。

 向こうの世界での私のことも良く知っている楽郎ならば見分けることもわけないだろう。

 

「なんだつまんない」

「…ああ、でもそうだな」

「?」

「長髪姿も似合ってる……その、綺麗だと思うぞ」

「!!?」

「ええい、いいから行くぞ!」

 

 楽郎は言いたいことだけ言ってから私の右手を強引に掴んでぐいぐい引っ張り歩き出す。

 私はと言えば思いもよらぬ殺し文句に頭は完全にパンクして、何一つ言葉を返すことができずにいた。

 繋いだ手が熱い。心臓が今にも破裂しそうだ。

緊張と喜びで未だ纏まらない思考回路の中、私は一つの決意を固めていた。

 

 ──髪、伸ばしてみようかな。

 



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ペンシルゴン先生によるDK恋愛教室

京極と付き合っている楽郎がペンシルゴンに恋愛相談をするお話。


「最近、京極に避けられている気がするんだ」

 

 「内密の話がある」と言って私に相談を持ち掛けてきたサンラク君が、未だかつてないほどに真剣な声音でそう切り出した。

 

「え、サンラク君付き合いだして一か月でもうフラれたの?ご愁傷様…今日は祝杯だね!」

「フラれてねーわ!当たり前のような顔でワインの準備をすんな!」

 

 邸宅付きのメイドに命じて伯爵秘蔵という設定のワインを持って来させた私に向かって革命騎士サンラクが吼える。

 ひどいなあ、せっかく人が傷心の痛みを慰めてあげようとしているのに。

 グラスに真紅の液体が注がれるのを見つめながら、よよよとわざとらしく嘆いてみせる。

 

 最近のメインであるシャンフロではなくわざわざ『円卓』のファランクス邸を指定してくるほどの念の入れように一体どんな爆弾を落とされるのかと不安一割期待九割で赴いてみれば、その中身は青臭い恋愛相談と来たものだ。

 この私に自分からそんな弱みを見せるなんて、からかわれないわけが無いと分かっていただろうに。

 或いはそんなことが些事に思えるくらい、彼にとって京極ちゃんとの関係は大切な物なのだろうか。

 

「まあフラれたってのは冗談にしても、君は一体何をやらかしたのさ」

「それが分からないから恥を忍んでお前に相談してるんだよ…」

 

 そう言って頭を抱えるサンラク君はどうやら本気で困っているようで、返す言葉にも覇気がない。

 頭にクソゲーカセットが刺さってるんじゃないかと密かに疑っていた彼が、こんな真っ当な青少年らしい悩みを抱えている姿を見る日が来るとは思いもよらなかった。

 

「よーし、女心ならこの永遠様に任せなさい…と言いたいところだけど、何で私?京極ちゃんとは阿修羅会時代からの付き合いではあるけど、別にあの子のリアルにまでは詳しくないよ?」

 

 それこそ二人のクラスメイト辺りに相談すればいいのではないだろうか。

或いは年頃の女の子のことなら彼の妹の瑠美ちゃんを頼るという手だってある。あの子はうちの愚弟のように思春期と反抗期を拗らせては居ないのできっとそれなりに力になってくれるはずだ。

 率直にそう尋ねると、サンラク君は肩を竦めて疲れたようにぼやいた。

 

「……京極は女子からの人気が絶大でな。ただでさえやっかみが多い所に火種になりそうな話をぶっこみたくない」

「あー…女の子の結束って面倒臭いんだよねぇ…」

「あと瑠美にはまだあいつと付き合ってることは話して無いんだよ。俺に彼女が出来たなんて知ったら絶対に根掘り葉掘り事情を聞いてくるに決まってるからな…」

「遅かれ早かれバレる事なんだし早くゲロっちゃえばいいのに」

 

 隠せば隠すほどバレた時が大変なのは世の常だ。

 特に思春期の女の子にとっては身近な人物の恋バナなんて垂涎の的だろう。

 骨の髄までしゃぶり尽くされる前に自分からまな板に上る潔さも時には必要なんじゃないかなあ。

 

「まあ私に白羽の矢が立った理由は分かったよ。それで、避けられてるって具体的にはどんな風に?」

「文字通り物理的に逃げられる。話しかけようとしたら急にそっぽを向いて走りだしたり…」

「念の為確認するけど別に喧嘩した訳では無いんだよね?」

「無い……幕末で騙し討ちしてブチ切れられたりはしたけど、それはまあいつもの事だし」

「普通ならそれでも十分喧嘩の原因になるんだけど君たちだしねえ……」

 

 あのゲームに適応できる人間にまっとうな倫理観など適用できるはずもない。

 しかしそうなると他に思い当たることは…

 

「ちなみに君の誕生日とかなんかの記念日が近かったりとかは」

「俺の誕生日はまだ三か月以上先だ。その辺のギャルゲーのお約束的な展開は大体考えたけど、特にサプライズされそうな心当たりもない」

 

 クソゲーがメインであってもそこは腐ってもゲーマーか、お約束の展開は予想済みだったらしい。

 その調子で女の子の心理も少しは学んでいてくれればと思わなくも無いが、そこはクソゲーの限界か。

 

「ちなみに避けられるようになったのはいつから?」

「ここ一週間くらいだな。最初は何か用事でもあるのかと思ってたんだが…」

「その長さで偶然ってことは無いだろうね…って、あれ?でも君たちシャンフロでは普通に話してたよね?」

 

 二人共ゲームとリアルを区別して考える性質ではあるけれど、それにしたってリアルで何かあったにしてはそのやり取りは普段通り過ぎた。

 

「いや、それが四六時中避けられるわけでもないんだよ。たまにまるで尻尾を踏まれた猫みたいに飛びあがるようにして逃げ出すんだけど」

「ふむ?……ちょっともう一日の流れを最初から話してくれない?」

 

 サンラク君の話だけだとどうにも要領を得ない。彼は別に特別鈍いという訳ではないのだけれど、いかんせん人として軸がぶれているので主観的な感想があてにならない。

 サンラク君自身が全く意識していないところで虎の尾を踏んでいる可能性も無きにしも非ずだし、これはもう多少効率が悪くても一から彼の生活を追っていった方が速そうだ。

 

「それじゃ今朝の事でも…俺、京極の朝練が無い日はいつも一緒に登校してるんだよ」

「ひゅーっ!青春してるねえ」

「一々揶揄うなよ…それが、今朝はルスト達とネフホロで対戦してたら待ち合わせのことを忘れちゃって」

「はいイエローカード」

 

 ゲームとはいえ別の女の子と遊んで約束をすっぽかしたなんてひっぱたかれても文句は言えない。

 これ、やっぱりサンラク君が無自覚に京極ちゃんを怒らせてるだけじゃ…?

 

「うぐっ、悪かったとは思ってるよ…そしたら京極に物理的に強制ログアウトさせられて」

「それで済んだならあの子も随分と君に甘い………って、あれ?」

「おっ、何か分かったのか?」

「分かったというか気になることが増えたというか……サンラク君、確か今一人暮らしだったよね?なんで京極ちゃんがゲームに夢中な君のお部屋にいるのかなー?」

「あっ」

「なになに?まさか親御さんの監視の目が無いのをいいことに彼女を連れ込んでしっぽりしけこんでるとか?」

「その下品な指を止めろ!これは、俺と入れ違いになった時に面倒だから合鍵を寄こせってあいつが言うから仕方なくだな…」

 

 あくまでも仕方なくといった風を装っているが、そこで言われるがままに鍵を渡してしまうあたりサンラク君も満更では無いのだろう。

 その辺りの機微を弄り倒したい衝動に駆られるけれど、それをするとますます話が進まなくなるので涙を呑んで我慢する。

 

「はいはいご馳走様。それでそれから?」

「もう朝飯食ってる時間も無かったし二人して駆け足で学校に行ったよ」

「その時はまだ避けられてなかったと」

「ああ、学校についてからも午前中は普通だったんだけど…」

「『午前中は』ということは…?」

「昼休みに一緒に飯食おうと思って声かけたら弁当だけ押し付けてダッシュで教室から出ていった…」

「当然のようにあの子がお弁当を作ってるのは置いとくとして…でも確かにその様子だと君が何かして怒らせた可能性は薄いかな?」

 

 悩みを聞かされてるのか惚気を聞かされているのかそろそろ怪しくなってきた。

 顔も見たくないほど怒っているときにわざわざ弁当を手渡しはしないだろうし、これは別の方向から考えてみるべきか。

 

「ちなみに午前中に何か変わったことは?」

「特に何も。そもそも今はあんまり席も近くないし、四限目に至っては男女別の体育だったから話すらしてねーよ」

「うーん一体何が…ってあれ?体育があったの?」

「ああ、昼食前の運動は流石に腹が減ったぜ」

「…ちなみに女子はなんの競技を?」

「女子は水泳。こっちは炎天下での長距離走だってのにいいよなー」

 

 おっと、これかな?

 ここに来てようやく有力な新情報が現れた。

 能天気にプールの冷たさを羨ましがっているクソゲーマーは放置して、私は半月ほど前の京極ちゃんとの会話を思い出す。

 

 

『あ、あのさ…ペンシルゴンって一応モデルなんだよね』

『今をときめくカリスマモデル様を捕まえて『一応』とは言ってくれるじゃないのさ。れっきとしたモデルさんでーす』

『ご、ごめん!…あのさ、折り入ってお願いがあるんだけど…化粧の仕方、教えてくれないかな?』

『!?口紅代わりに返り血で唇を赤く染めてそうな京極ちゃんがお化粧を…?君は絶対モモちゃんの同類だと思ってたのに!』

『いくら僕でもあそこまで女を捨ててはいないよ!…いやまあ、最近までずっと化粧なんて気にしたこともなかったんだけどさ…』

『ははーん、サンラク君と付き合うようになったからには少しでも綺麗になりたいと』

『べっ!別にそんなことは……ある、けど…』

『おーおー、すっかり乙女になっちゃって。仕方ない、そういうことならこの私に任せなさい!』

 

 

 以上、回想終わり。

 うん、やっぱりこれっぽい。

 

「ねえサンラク君。ひょっとして君、部活の後とか道場での稽古の前後にも逃げられてるんじゃない?」

「!!ああ、確かにその通りだけど…何で分かったんだ?」

 

 どうやら私の想像は当たっていたようで、サンラク君はアバター越しにも分かるくらいに驚きをあらわにする。

 

「なるほどなるほど、いやぁ京極ちゃんもすっかり恋する女の子をしててお姉さんなんだか嬉しいよ」

「どういうことだ?その反応、理由が分かったってことでいいんだよな」

「まあ分かったかなー、とりあえず君はイエローカード二枚目ね」

「は?…いや、すまん説明を頼む」

 

 ここまでの自らの行動を振り返ってもサンラク君は全く原因に思い至っていないようで、私がこれみよがしに肩を竦めて「貴方には呆れました」というアピールをする。

 一瞬イラっとしたような声が漏れ聞こえたが、彼は自分が相談している身であることを思い出したようで、悔しそうにしつつも矛を収めて殊勝に頭を下げてきた。

 そんなサンラク君の態度に満足した私はここぞとばかりにドヤ顔をかましながら解説する。

 

「プールに部活や稽古のあと…さてここで問題です。京極ちゃんが君を避けたこれらの状況の共通点は何でしょう?」

「えっとどれも運動のあとだよな…運動…そうか、汗臭い!」

「はいレッドカード。お帰りはあちらでーす」

「いや違うのかよ!?」

 

 たとえそれが正解だったとしても、女の子相手に汗臭いなんて言う男は滅びればいいんじゃいかな。

 

「サンラク君、今の発言を京極ちゃんに聞かれようものなら本当に愛想つかされるよ」

「いやだって、つまりみんな運動したあとってことだろ?それで思いつく共通点と言えば…」

「運動後って着眼点は悪くないけど、プールの後は塩素くさいだけで汗は臭わないでしょ」

「あ」

「はあ…多分だけど、京極ちゃんは君にすっぴんになった顔を見られるのが恥ずかしかったんじゃないかな」

「へっ?」

 

「それだけのことで?」とでも言いたげな顔をしているサンラク君はやはりまだまだ女心と言うものが分かっていないと見える。

 女の子はいつだって好きな人の前では素敵な自分でいたいと願うものなのだ。

 

「いやだって京極のすっぴん姿なんて今までにも散々…そもそもあいつ最近までは化粧自体を全然して無かったのに」

「おっ、でも最近お化粧始めたことには気づいてたんだ、関心関心」

「妹がその辺こだわるから一応は分かるようになったんだよ。実家に居た頃は新作コスメを試した時とか感想言わないとうるさかったし」

「なるほど、瑠美ちゃんの薫陶の賜物かぁ」

 

 いい妹を持ったようで何よりである。うちの愚弟に彼女の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

 そこまで気が付いてるのにどうして京極ちゃんのいじらしい乙女心が分からないのかなあ。

 

「なんにせよ私に言えるのはここまで、どうしても不安ならサンラク君が直接京極ちゃんと話してみなよ」

「…そうだな、ありがとうペンシルゴン。おかげで少し気が楽になったよ」

 

 また改めて礼をすると最後に付け加え、サンラク君はログアウトした。

そわそわとした雰囲気から察するに、きっと今頃は京極ちゃんに電話でもしているのだろう。

 グラスに残っていたワインをぐいっと一気に飲み干せば心なしかさっきよりも甘くなっているような気がして、砂糖を吐くような気分とはこのことかと一人苦笑する。

 

「悩め若人たち、おねーさんはこっそり応援しているよ」

 

 あーあ、私も恋がしたいなぁー!

 



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あいつは顔が良い

付き合ってない大学生楽京のお話。
多分悪友√アフターの世界線。


「陽務君って結構良くない!?」

「………………はい?」

 

 それは大学の同期の女性陣による飲み会……所謂“女子会”というものの最中、目の前の学友が発した言葉の意味を理解できず、思考が一瞬停止する。

 

 ヒヅトメクンッテケッコウヨクナイ?

 

 はて、僕の記憶する限りではヒヅトメクンとやらに該当する人物は高校時代からの付き合いであるクソゲー馬鹿の陽務楽郎ただ一人であるのだが、彼が良いとは一体どういうことであろうか。

 幕末やシャンフロに於いての僕の扱いを見るに、あいつが実にイイ性格をしていることについては異論はない。しかし彼女の口ぶりからしてそういう意味の言葉では無いのだろうことは容易に察せられた。

 唐突な発言に困惑する私をよそに、女子会に居合わせた他の面々はその言葉を皮切りに口々にその陽務何某への評価を述べていく。

 

 曰く、レポートで困っている時に助けてくれた。

 曰く、留学生たちと原語で流暢に会話していた。

 曰く、明るく社交的な性格で交友関係が広い。

 曰く、無邪気に笑う姿が可愛い。

 曰く、顔が良い。

 etc.…

 

「えっと……それはまさか楽郎のことじゃ、ない……よね?」

「何言ってるのさ龍宮院さん!その陽務楽郎君のことに決まってるじゃん!」

「そういえば龍宮院さんってよく陽務君と一緒に居るよね?もしかして実はもう付き合ってたり…?」

「いやいや、同じ高校出身のよしみでなんとなく連んでるだけだよ」

 

 驚くほどの高評価の連続に、もしやこの大学には僕の知らないヒヅトメクンとやらが在籍しているのではないかと思い確認するも、やはり話題の陽務君とやらはあの楽郎のことで相違ないらしい。

 しかも何やら話の雲行きが怪しくなってきた。この手の勘違いは高校時代からしばしばあったけれど、僕と楽郎はあくまで気の合う友人同士に過ぎないのだが。

 

「ほんとかな~?」

「ほんとほんと、僕からすれば皆があいつのどこがそんなに良く見えるのか不思議なくらいだよ」

 

 レポートを手伝ってくれる?

 なるほど、確かに僕も課題やテストで困ったときには楽朗に泣きついているさ。既に提出済みの余裕を見せつけながら煽られるのを承知の上でね!

 

 外国語が堪能?

 多種多様な言語でスラングを飛ばす姿は見てきたけれど。

 

 社交的で交友関係が広い?

 おかげで前回のイベントでは談合されて志士達からの集中砲火で散々だよ!!覚えてなよサンラクぅ……!

 

 無邪気で可愛いだって?

 あの邪悪な笑顔の何処に可愛げがあるって言うのさ!!!

 

 顔が良い?

 それは……

 

 

 

 

「……俺の顔に何か付いてるか?」

「目と耳が二つと口と鼻が一つずつ」

「それは良かった。目が四つになると視界がダブって大変なんだ」

「えっ、なにそれ気持ち悪い」

 

 昼休みの学食で日替わり焼き魚定食(ホッケ)に舌鼓を打ちながら、目の前で醬油ラーメンを啜る京極とそんな他愛もない会話を交わす。

 眼球増殖はこないだ便秘で新たに見つかったバクなのだが、現時点では有効な利用法は見つけられずにいる。使いようによっては中々悪さが出来そうなのだけれど……

 

 閑話休題。

 

 さて、俺の顔に|異常≪バグ≫が無いのであれば、京極は一体どうしてそんなに俺の顔をじっと見つめているのであろうか。

 正面から突き刺さる視線に言いようのない座りの悪さを感じていると、トッピングの煮卵を箸で割りながら京極がポツリと呟いた。

 

「……顔は良いんだよなぁ」

「何言ってんのお前」

 

京極らしからぬ突然のお褒めの言葉にたまらずツッコミを入れる。

いきなり何を言い出すんだこいつは。

 

「や、こないだ同期の面々で女子会してたら楽郎の話題になってさ」

「えっ、俺お前らになんか噂されてんの?」

「別に悪口って訳じゃないから安心しなよ、むしろ女の子たちの間では随分評判がいいみたいだよ?」

「ええ……それはそれで心当たりが無くて怖いんだけど」

「……ふふっ、まあ君はそういう奴だよね。安心しなよ、楽郎はそんないい男じゃないって説明しておいてあげたから」

「おい待て、お前は一体何を言った」

 

 小学生の悪ガキのような嗜虐心に溢れた笑みを浮かべる京極に一抹の不安が浮かぶ。

 知らぬところで過度に美化された噂をされるのも怖いけれど、かといって悪し様に言われたい訳でもない。

 そう言って事の次第を尋ねる俺を見て、京極はけらけらと楽しそうに笑いながら先日の女子会でのエピソードを語った。

 

「俺そんな風に見られてんの!?」

「まあ、僕からすれば偶像崇拝もいいところなんだけど……こうして改めて楽郎の顔を見てみたら、確かに顔はいいよねって思ってさ」

「ああ、それで人の顔をやけにじっと見てたのか」

 

 これでようやく京極から向けられる熱い視線への合点がいった。

 しかしそうか。顔が良い、ねぇ……

 

「……顔が良いのはどっちだよ」

「へっ?………………へ~え?」

「………………………今の無し」

 

 つい口をついて出てしまった言葉を拾った京極がニヤニヤと勝ち誇ったような笑みを浮かべている。

 ぐっ、俺としたことが……!

 

「へー、ほー、どっちだよ、かー!」

「くっそミスった…!」

 

 

 腹立つ顔もやっぱり良いなコンチクショウ!



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同じ釜の麺を食う

大学生の楽郎と京極が一緒に鍋をつつくお話。


「うー寒っ、今夜は随分冷えるな……」

 

 春を迎えたとはいえ夜はまだまだ肌寒い。

 吹きすさぶ風に身を震わせながら家路を急いでいると、遠目に見えるアパートの自室の窓から何故か明かりが漏れていることに気が付いた。

 

「消し忘れ…ってことはないよな」

 

今日は朝から大学の講義があったのでそもそも電気を付けてすらいない。

 ならば恐らく今俺の部屋には誰かがいるということで。

 

「端末に連絡も無いってことは母さんや瑠美がひょっこり遊びに来た線も消えた、と」

 

 となると一人暮らしの我が家への訪問者の可能性として残る選択肢は空き巣か、或いは……などと考えながら足を進めていると、件の我が家の目の前に辿り着いた。

 間抜けな泥棒の可能性も無いことはないが、恐らくまた彼女(あいつ)が遊びに来たのだろう。

 この部屋の合鍵の持ち主の姿を脳裏に浮かべながら、俺は案の定鍵の開いていたドアノブを回した。

 

「ただいまーっと、やっぱりお前か」

「お帰り楽郎。丁度良かった、もうすぐご飯ができるところだよ」

 

 1DKの台所で何やら調理をしていた京極が、ガスの火を止めて振り返りながら出迎える。その瞬間、料理の邪魔にならないよう高めの位置で纏められた髪がふわりとたなびいた。

 

「ありがとう、いつも作って貰って悪いな」

「ふふん、愛情たっぷりの僕の料理を食べられる幸福に存分に感謝するがいいよ」

「いやマジで感謝してる。今日の弁当も滅茶苦茶美味かったし、毎日京極の飯が何よりの楽しみだ」

「~~!真面目くさった顔で何言ってんのさ!?ほら、もう食べられるから早く手を洗ってきて!」

 

 瞬く間に顔を紅潮させた京極にぐいぐいと背中を押され、手洗い場へと追いやられる。

 そんな可愛らしい反応を微笑ましく思いながら手を洗い、ついでにバシャバシャと顔を濡らして鏡で自分の顔面を確認する。

 ……よし、もう赤くないな。

 慣れない本音を伝えたせいか、はたまた京極の照れが移ってしまったのか。彼女と同様に熱を持ってしまった顔が元に戻ったことを確かめると、京極の待つキッチンへと戻った。

 

「何か手伝うことはあるか?」

「それじゃ取り皿とお箸出しといてもらえる?今日は寒いからお鍋にしたよ」

 

 先ほどから鼻孔を擽る出汁と醤油のいい匂いの正体はそれか。

 コンロの上で沸々と煮える鍋を意識すると、今にも腹の虫が鳴き出しそうだ。

 

「冷凍庫のお魚勝手に使っちゃったけど大丈夫かな?」

「大丈夫……というかむしろ使ってくれて助かる。いかんせん量が多くてな」

 

 一人暮らし用でさほど容量の大きくない我が家の冷凍庫の大部分は父さんから送られてきた魚が常に占拠している。

 食費が浮くのは大変助かるのだが一人で食べるにはあまりにも多く、こうして料理してもらえると本当に有難い。

 

「お鍋煮えたよー」

「了解、俺が運ぶから京極は先座っててくれ」

「ありがと。あー、僕もお腹へっちゃった」

「ええっと、鍋掴みどこ置いたっけ…」

「ミトンなら調味料棚横のバスケットにしまってあるよ」

「ああ、あった。よし、鍋行くぞー」

 

 熱々の鍋を食卓の中央の鍋敷きに乗せる。蓋を開けると、食欲をそそる香りと共に白い湯気が勢いよく広がった。

 醤油ベースの出汁で薄く茶色に染まった白菜と長ネギに、しめじやマイタケなどのキノコ類。タラ、メヌケにアサリやホタテなどの魚介類もたっぷり入ったその鍋は、見ているだけで今にも涎が垂れてきそうだ。

 そんな俺の反応を見た京極はくすりと笑うと、鍋の具材をバランスよく大盛で取り分けてくれる。

 次に京極が自分の分もよそい、二人揃っていただきますの声を上げた。

 

「あー、超美味い……」

「お口にあったなら何より、お鍋はやっぱりあったまるねぇ」

「引っ越しのときに土鍋買っといたのは大正解だったな」

「僕の言うことを聞いといてよかったでしょ、というか楽郎ってばほっといたら本当に必要最低限のものしか買わないんだもん」

「男の一人暮らしでそんなに色々いらないだろ……」

「それにしたって鍋一つとフライパン一つは少なすぎ、楽郎だって料理出来ないわけじゃないでしょ。魚捌くのなんて僕より上手いじゃん」

「出来るとやるかは別問題なんだよ、最悪カップ麺とエナドリがあれば……」

「……本気でやめてよ、そんな百さんみたいな食生活」

「でも京極も毎日のようにラーメン食ってるじゃん」

「毎日じゃないよ人聞きの悪い……せいぜい週三くらいだから」

「……ふーん、ちなみに今日の鍋の〆は?」

「…………ラーメンだけど」



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滑り込みBirthday

大学三年生の京極の誕生日。


 兄さん

 大学の友人

 道場の門下生

 お母様

 兄さん

 高校時代の友人、

 道場の師範代

 大学の友人

 大学の先輩

 兄さん

 道場の門下生

 高校時代の後輩

 ………

 

「今日来たメッセージはやっぱりこれで全部、か……」

 

 時刻は夜の10時を回り、一日の疲れをシャワーで流してあとはもう寝るばかりとなった頃。

 本日五度目となる端末へのメールやSNSのメッセージ欄の確認をした僕は、老若男女問わず送られてきた多種多様な祝いの言葉達の中に僕がもっとも望む相手からのものが無いことを改めて確かめてひどく気落ちしていた。

 一応の礼儀としてそれらのメッセージに一通り返事を送ってから端末の画面をオフにして、僕は濡れた髪もそのままに楽郎の(・・・)ベッドへぼふりと身を投げた。

 

「……楽郎の馬鹿、せめてお祝いの言葉のひとつでもくれたっていいじゃないか」

 

 家主不在の部屋の中、恋人の誕生日にプレゼントはおろか連絡さえも寄越さない薄情者へと不満を零す。

 枕に顔を埋めると楽郎の匂いが微かに鼻孔を擽って、それがより一層寂しさを募らせた。

 思い返せば楽郎と知り合ってからはどこかに遊びに行ったり家で過ごしたり、或いはゲームの中でだったりの違いはあれど、互いの誕生日には毎年直接祝っていたのでこうして一人で過ごす誕生日は初めてだ。

 

「……もう試合は終わったかな。はぁ、何でよりにもよって今日…」

 

 イギリスのプロチームが来日するということで急遽組まれたエキシビションマッチ。その試合に楽郎が“顔隠し”として召集されたのが一週間前のこと。そして六月二十五日の今日がその試合の当日だった。

 大学生活も後半に差し掛かり、本格的に爆薬分隊からのスカウトを受け入れることを視野に入れた楽郎からすれば簡単に断れるものでは無いということを頭では理解している。事前の調整等のスケジュールの問題もあり、気軽に電話やメールが出来ないのもわかる。

 だけど理屈で感情を制御できれば人間苦労はしないもので。

 僕の口からはやり場のない憤りがとめどなく溢れ出してくる。

 

「……ばか、あほ、とうへんぼく。今度絶対天誅してやる」

 

 これだけ僕に寂しい思いをさせたんだから、ちょっとやそっとの埋め合わせなんかじゃ絶対満足してやらない。

 他のゲームに浮気させずに一日中幕末で斬り合って、それから楽郎の奢りで気になってたラーメン屋巡りに連れてってもらって、たまには新しい服を買いに行ったりもして……

 

「……会いたいなぁ」

 

 そんな僕の呟きが、誰にも届かず宙に消える――はずだった。

 

「おう、俺も会いたかったぞ」

「だったら早く帰ってきて、よ………!?」

 

 聞こえる筈の無い声が聞こえたことに理解が追い付かず、一拍遅れて跳ね起きる。

 部屋の入り口を見れば、ケーキ屋さんの紙袋を片手に持った楽郎がそこに立っていた。

 

「え、どうして?帰りは明日の予定じゃ…?」

「俺の試合が終わった瞬間に即効で抜け出してきた。幸い今回は勝ち抜き戦じゃないから一ゲームで終わりだったしな、レオノーラ・ロジャーが相手ならもうちょい長引いたかもしれないけどそっちはカッツォが受け持ってくれたし」

 

 きっちり勝ってきたぜ、と得意気に語る楽郎の言葉が右から左へ抜けていく。

 僕は驚愕冷めやらぬままにフラフラと立ち上がると、楽郎の目の前に移動して彼の頬を強くつねった。

 

「……きょうほく、いはい」

「痛いってことは、夢じゃない……?」

「それは自分の頬っぺで確めてくれないか?」

「うん、痛い」

「本当に確めんでも……おっと」

 

 改めて自分の頬をつねった僕を見て楽郎が苦笑する。

 ようやくこれが夢や妄想の類ではなく現実なのだと理解した瞬間、僕は堪らず楽郎に抱きついた。

 

「今日は一緒にいれなくてごめんな」

「本当だよバカ、帰って来るなら来るで連絡してよバカ」

「いやあ、サプライズで驚かそうかと」

「大体、私が出掛けてたりしたらどうするつもりだったのさ。勝手に入った私が言うのもなんだけど、そもそもここ楽郎の家だし」

「そこは京極なら俺の家に来てるかなーって何となく……勘?」

「……ほんとバカ」

「いや、そんなにバカバカ言わなくても……」

「……うるさいばーか」

 

 恋人を寂しがらせる大馬鹿野郎の抗議の声を聞き流し、無言で抱き締める力を強くする。

 やれやれと呆れたような気配を感じるものの、楽郎から抱き返す力が強まったことで不問に付した。

 

「……なあ、京極」

「…………なに、楽郎?」

 

 手櫛で髪を梳くように頭を撫でながら楽郎が私に囁きかける。

 低く響く声が耳朶を打つのが心地好い。

 

「誕生日おめでとう、これからもよろしくな」

 

 愛する人の温もりに包まれながら告げられたその言葉が、私には何よりの贈り物だった。



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それはいつかのRainy day

或る雨の日の楽郎と京極のお話。


「……まいったなぁ、全然止みそうもない」

 

 高校と自宅の丁度中間地点に位置する公園の屋根付きベンチにて。

ますます雨足を強めた空を見上げた京極の口から途方に暮れた呟きが漏れた。

 部活を終えて学校を出た時、鈍色に染まる空に嫌な予感は覚えていたのだが、残念なことにその予感は見事的中してしまったようだ。

 小雨が降りだした時点で急いでここに避難したため然程濡れずに済んだものの、一向に収まる気配の無い雨に、京極は立ち往生を余儀なくされていた。

 天気予報の降水確率30%を甘く見て折り畳み傘すら持ってこなかった今朝の自分を誅してやりたい。以前楽郎が言っていた「3割は実質10割」とはこういう状況の事を言うのだろうか。

 愚者(アルカナム)のデメリットを引き当て続けて半ギレだったサンラクの姿を思い出し、くすりと小さな笑いが零れる。

 どうにも彼は運を天に任せると裏目に出ることが多い。

 

(僕にも楽郎の運の悪さがうつったのかなぁ……さて、これからどうしたものか)

 

 悪天候で若干欝々としていた心が幾分上向いたところで、気を取り直してこれからの行動を考える。

 端末で天気を確認すると、どうやらこの辺りに雨雲が集中してしまっているらしく夜半までこの雨は続きそうだ。

 何気なく辺りを見回せば、子供が遊ぶには些か遅い時間なことに加えてこの荒天公園内に他に人影は見えず、篠突く雨が遊具や地面を打つ音だけが静かな世界に響いていた。

 

(うーん、兄さんなら呼べばすぐさま駆けつけてくれそうだけど、今日は県外での仕合で家に居ないしなぁ。仕方ない、大仰であんまり好きじゃないけど迎えの車を頼んで……)

 

 家柄を誇示するようになるのが嫌で送迎の類は普段は忌避しているものの、背に腹は代えられない。

 濡れ鼠になるよりマシだと割り切って家の者へと連絡を入れようとした、その時。

 

(おや、誰かこっちに近づいてきてる……って、あの姿は!?)

 

 雨音に紛れてタッタッタッと人の駆ける足音が聞こえ、京極は手元の端末を操作する指を止めて音の方向へと視線を向ける。

 そして、そこに毎日見慣れた顔が現れたことに思わず驚きの声を上げた。

 

「楽郎!?こんな時間にどうしたのさ?」

「あれ、京極も雨宿り中か。俺は前々から気になってたクソゲーが入荷したって聞いたから隣町の中古ショップまで遠征にな。お前は部活帰りか?」

「まあね、というか楽郎びしょ濡れじゃないか、そんなんじゃ風邪ひくよ?」

「いやー、朝は晴れてたから大丈夫だと思ったんだけどなぁ」

 

 ギリギリで雨宿りに間に合った京極と違い、楽郎はここにたどり着くまでに随分雨に打たれたようで、髪先や学ランの裾からは今もぽたぽたと雫が滴っている。

 見かねた京極は部活用のバッグからタオルを取り出すと、ずぶ濡れの野良猫を世話するように楽郎の頭を乱雑に拭う。

 完全に水気を取るには至らないが、それでも何もしないよりはいいだろう。

 

「ほら、これで少しはマシになったでしょ」

「ありがとう京極、助かったよ」

「……!ど、どういたしまして」

 

 普段は外ハネ気味の楽郎の髪が多量の水分を含んだことによりしっとりと全体的に垂れ下がり、表情がどことなく大人びて見える。

 不意のギャップに京極の胸が微かに高鳴ったものの、そんな内心を露ほども知らない楽郎は持っていた鞄の口を開け、暢気にその中身を改めていた。

 

「表面はぐっちょりいっちゃってるけど、ゲームと教科書の方は……っと、よし!なんとかみたいだ」

「ふふっ、それは何より……で、楽郎はこれからどうする?この雨はしばらく止まないと思うよ?」

 

 クソゲーの無事を無邪気に喜ぶ楽郎は、一瞬前の姿が嘘のように子供っぽい。

 そんな彼を少し微笑ましく思いながら、僕は先程迎えの車を呼び出そうとしていたことなどおくびにも出さず、楽郎に今後の行動を尋ねる。

 彼の家も近所なのだから、本当は楽郎も一緒に車に乗せてあげるべきなのだろうけど、気心の知れた友人(・・)と二人きりでの雨宿りがなんだかとても名残惜しい。

 我ながらズルい奴だと呆れつつ、降って湧いたこのひと時の幸福に京極の心は仄かに浮き立っていた。

 しかしそんな思惑に反し、楽郎の返答は実にあっさりとしたものだった。

 

「え、そりゃ帰るよ。返って今日買ったクソゲーやらないと」

 

 何をそんな当たり前のことをとでも言わんばかりの楽郎の態度に「天誅」の二文字が脳裏を過った。

 もう少し私と話していてもいいじゃないかという理不尽な思い(殺意)を天に責任転嫁しつつ、どうにか彼を引き留めるべくそれらしい理屈を考える。

 

「……さっきも言ったけど、濡れたら風邪ひくよ?」

「いや、これだけびしょ濡れなら今更変わらねーよ、むしろ濡れたままここに居た方が寒くて風邪ひくわ」

「うぐっ、確かに……」

 

 身も蓋もない正論にぐうの音も出ない。

 タオルで拭いたおかげで雫こそ滴ってはいないが未だ楽郎の服はしとどに濡れている。このまま夜になれば気温も下がり、彼の言うように風邪をひいてしまうかもしれない。

 理性ではそう結論を出しつつも、口からはズルズルと未練がましい言葉が零れる。

 

「えっと、ほら!この雨だとせっかく買ったゲームが濡れて壊れちゃうかも!」

「心配ご無用、実を言うと俺もそれが不安だったんだけどな、今鞄の中からいざという時の為のビニール袋を発掘した。こいつで鞄を包んでやれば荷物はなんとかなるだろ」

 

 そう言って得意気に大型サイズのビニール袋を見せつける楽郎に、京極はこれ以上彼を引き留めることは無理だと判断する。

 彼女は小さなため息を一つ吐くと、ベンチに置いていた自分の荷物を手にとった。

 

「……はぁ、それじゃ僕も一緒に帰るよ、どうせ方向は一緒だしね」

「いや、京極は服が濡れた訳でも無し、無理して急いで帰らなくてもいいんじゃ…?」

「いいの!雨が止むのを待ってたらいつになるのか分かったもんじゃないし、」

「にしたってこんな土砂降りの最中に帰るのか…?」

「その土砂降りに今から突撃しようとしてる楽郎がそれを言うの?というか、楽郎はこんな薄暗い公園にか弱い女の子を一人で置いてく気なんだ?」

「か弱い…?」

()がどれほどか弱いか、今から存分に分からせてあげようか」

「ゴメン俺が悪かった!だからその竹刀は袋に仕舞ってくれ!!」

 

 頭に疑問符を浮かべる楽郎に対し、京極がおもむろに竹刀を突き付ける。

 京極から漂う本気の殺気を察知した楽郎が慌てて謝ると、その様子に溜飲を下げた京極は静かに怒りの矛を収めた。

 

「全く、楽郎は女心ってやつが本当に分かって無いよね」

「秋の空や危牧の天気と同じくらい変わりやすいってことだけはよく知ってるよ……あ、そうだ、ほら」

「……僕にこの学ランをどうしろと?」

「気休め程度だけどこれ羽織っとけ。生地が厚いおかげで内側はまだ濡れてないし、京極の体格なら雨合羽変わりにはなるだろ」

 

 唐突に学ランの上着を差し出されて困惑する僕に、楽郎は何でも無いことのようにそう告げる。

 ……ずるいなぁ。

 

「あ、ありがとう」

「と言っても多少は濡れちゃうだろうし、急いで帰ろうぜ」

「……うん」

 

 いつもは子供っぽいくせに、時折さらっと気遣ってくれる楽郎は本当にずるい。

 さっきよりも大きな胸の高鳴りと共に頬が熱くなるのを感じる。

 楽郎に今の自分の顔を見られたくなくて、京極は手渡された学ランを頭に被るようにして羽織った。

 

「端末や財布も鞄に入れた、そんで鞄の梱包も良し……それじゃ行くぞ!家まで競争な!」

「……えっ?こら待て楽郎ー!不意打ちは卑怯だよ!!」

「はっはっはー!勝てばよかろうなのさぁー!!」

 

 フライング気味に駆け出した楽郎の後を、鬨の声を上げながら京極が追う。

 ざあざあと降りしきる雨の中、二人の楽し気な笑い声が雨音の中に紛れて消えた。

 

 

 

「──なんてこともあったよねぇ」

「あー……言われてみればそんなやり取りが有ったような無かったような……ってか突然どうした」

 

 唐突に思い出話を始めた私に対し、隣を歩く楽郎が怪訝そうな表情を浮かべる。

 まあ、先ほどまで大学の課題の多さについて愚痴っていた人間が突然昔話を始めたのだから、彼が面食らうのも無理からぬことではあるのだが。

 

「んー、こうやって雨の中を歩いてたらふと思い出してさ」

「あの時とは違ってちゃんと傘は差してるけどな」

「私が迎えに来てあげたおかげでね!楽郎ってば相変わらず天気予報見ないんだもん」

「それには感謝してる……けど、どうせなら傘二本持って来てくれても良くないか?」

「いいじゃん、細かいことは気にしないの!ほら、濡れちゃうからもっとこっち寄りなよ」

 

 楽郎の肩が濡れているのを見咎めて、傘を持つ彼の腕にするりと自分の腕を回して半ば抱き着くように距離を詰める。

 雨と秋風で冷えた体に少し高めな楽郎の体温が心地よい。

 

「だんだん寒くなってきたし、今夜は久しぶりにお鍋にしようか」

「おっ、いいな。それじゃ途中でスーパーに寄ってくか」

「決まりだね、何か食べたい具材はある?」

「肉が食いたい……と言いたいところだが、父さんが送ってきた鮭が大量にあるんでそれ使ってくれ」

「了解!鮭なら味噌味の方がいいかな……〆はやっぱりラーメンで、バターを足しても美味しそう」

「相変わらずのラーメン狂め」

「何さ、楽郎だって好きでしょ?」

「そりゃ好きだけど」

 

 他愛もない会話を交わしながら、スーパーへの道をのんびり歩く。

 そんな些細な日常の一コマが、なんだかとっても楽しかった。

 



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龍宮院京極は祝いたい

楽郎の誕生日プレゼントに悩む京極のお話。


『恋人 誕生日 プレゼント』

『高校生 男子 喜ぶもの』

『アクセサリー メンズ』

『財布 男性用』

『マフラー 編み方』

etc.……

 

「ああああ……今年のプレゼント、どうしよう…!」

 

 時は深夜二時。僕以外の家族はとうに床に就き、静寂に包まれた部屋の中。今の思考をそのまま映し出したかのような検索履歴の並んだ端末の画面を前にして、苦悩の声が口から零れる。

 楽郎の誕生日まで残すところあと一週間。買うにしろ作るにしろ、猶予はギリギリと言っていい時期だ。例年ならばこの頃には既にプレゼントを購入済みであるか、そうでなくても何を贈るかくらいは目星をつけ終えていた

 ……しかしながら、今年の僕は未だプレゼントの候補すら決めきれずにいた。

 

「キーホルダーは中学生の頃にプレゼントしたし、手拭は刺繍を入れて去年の誕生日に贈ってる。剣鍔も去年のクリスマスで渡しちゃったしなぁ……」

 

 プレゼントを決められない理由は幾つかある。

 僕が楽郎と出会ってから早数年。今までにも互いの誕生日やクリスマス等で既に何度もプレゼントを贈り合っていて、それらと内容が被ってしまうことが一つ。

 

「そもそもあいつ、ゲームとエナドリ以外に物欲あるのかな……アクセサリー類を渡してもあんまりつけてくれなかったらちょっと嫌だし」

 

 楽郎の興味関心がクソゲーに一点集中し過ぎていて他に欲しいものが思いつかないのが一つ。

 いくら楽だからって普段着が九割方ジャージなのはどうかと思う。うちの高校は服装に関してはまあまあ厳しく、学校で装飾品を付ける訳にもいかない。ネックレスやブレスレットの類はそもそも身に着ける機会がほぼ訪れないだろう。

 指輪は……どうせなら楽郎から貰いたいしね。

 

「となると無難に財布やパスケースなんかの実用品か……それもちょっと味気ないような」

 

 そして何よりも私の頭を悩ませていることは──

 

「……恋人になって初めての誕生日なんだから、思い出に残るものにしたいよね」

 

 そう、今まではあくまでも仲のいい友人相手のプレゼントだったので気軽に選ぶことができた。

 だけど晴れて彼と付き合うことになった今、『恋人』という新たな関係性が私の決断を大いに鈍らせていた。

 

「やっぱりここはマフラーか手袋辺りを編んで…!でも、あんまり自信無いんだよね……」

 

 道着の補修などで針仕事は慣れているけれど、編み物に関しては正直得意とは言い難い。

 最後に編み棒を持ったのは小学生の頃、お母様に教わってお爺様へ手袋をプレゼントしたのが最初で最後。

 当時は最高傑作のつもりだったそれは、今にして思えば編み目はゆるゆる、左右でサイズもずれていて大層不格好だったことだろう。手袋としてまともに機能していたかも怪しいものだ。

 流石に今ならもう少しまともな形に出来るとは思うものの、せっかくの誕生日に不格好な物を贈るのは些か気おくれしてしまう。

 これから寒さの増す季節、防寒具を贈るというアイデア自体は悪く無い。ならば無難に百貨店で既製品を見繕ってこようか。

 悩みに悩んだ結果、僕はそんな日和った考えに至りかけ……ふと、在りし日のお爺様の姿が脳裏を過る。

 

(……ああ、でもあの時のお爺様、すごく嬉しそうにしてくれてたっけ)

 

 お爺様に手編みの手袋をプレゼントしたあの日。

 凪いだ海原や不動の大樹を思わせるほど常日頃から泰然自若とした姿を崩さない富嶽お爺様が、幼い僕の目から見てわかるくらいに相好を崩して喜んでくれていた。

 『ありがとう、京極』という簡素なお礼の言葉と共に、手袋をはめたその手で僕の頭をわしわしと撫でられた暖かな感触は今でもはっきり覚えている。

 

 ──楽郎も、あのくらい喜んでくれるかな。

 

 思い出の中のお爺様の笑顔に、萎みかけたやる気が急速に蘇ってくるのを感じる。

うん、多少不格好でも大事なのは真心だよね。大体恋人がわざわざプレゼントを手作りしてあげるんだから、彼氏としては感涙にむせんで喜ぶべきでしょ。喜ばなかったら天誅してやる。

 深夜テンション交じりの頭でそんなことを考えながら、今年のプレゼント内容が決定した。

 明日は早速毛糸を買いに行かなくちゃ。

 

 

「なんだかんだで楽郎も結構人気者だよね」

 

 そして迎えた誕生日当日の放課後。

 部活が休みだった僕は楽郎と肩を並べて帰路につきながら、そんな言葉をしみじみと呟いた。

 

「え、そうか?」

「そうだよ、今日はことあるごとに誕生日祝って貰ってたじゃん」

「と言ってもせいぜいジュース奢られたり文房具渡されたくらいだぞ」

「それだってある程度好ましく思ってる相手じゃなかったらわざわざプレゼント渡さないでしょ、全く羨ましい限りだよ」

「いや、それを言ったら京極の誕生日なんて両手に紙袋引っ提げて帰るレベルで貰ってただろ」

「……ああ、貰ったともさ。あとで念入りに中身の精査が必要なプレゼントの山をね」

「あっ」

「…………本当に楽郎が羨ましいよ」

「……人気者も大変だな」

 

手作りケーキやミサンガ等に仕込まれていたあれやこれやを思い出して遠い目をする僕を、楽郎がいたたまれないものを見るような視線で見つめてきた。

うん、この話はもうやめよっか。

 

「まあ、僕のことはもういいんだよ。それより楽郎、僕に隠れて女の子からプレゼント貰ってたりなんて……しないよね?」

「貰ってねーから殺気を向けるな!つーか俺、それを言うなら肝心の相手からのプレゼントを貰えてないなーなんて」

 

 よし、万が一浮気の気配を感じたなら即座に天誅するところだったけれど、どうやら楽郎の言葉に嘘の気配は無い。

 それどころか物欲しそうにこちらにチラチラと視線を向けてプレゼントの催促をしてくる始末だ。

……しょうがないなぁ楽郎は!

 

「えーっ、誰のことかなぁ?楽郎はそんなにその子からのプレゼントが欲しいんだ?」

「うわウザッ」

「待って今なんつった?」

「おっといけない、つい本音が……まあ、そりゃ彼女からのプレゼントが欲しくない彼氏なんていないだろ」

「……そ、そっか」

 

 一瞬本気でドスの効いた声を出してしまったが、続く楽郎の言葉を聞いてなんだか段々照れ臭くなってきた。

 うん、そうか。私、楽郎の彼女だもんね……うん、それならしょうがない。

 

「もう、わかったよ。それじゃあそんな寂しがりな彼氏さんに……誕生日おめでとう、楽郎」

「ありがとう、開けてもいいか?」

「好きにしなよ……言っとくけど返品は受け付けないから」

「そんな事しねーよ…っと、これは手袋……ひょっとして手編み?」

「……うん、その…あんまり上手じゃなくて申し訳ないんだけど」

「そんなことないって!すっげー嬉しい!」

「…そっか、よかった」

 

 言葉の通り満面の笑みを浮かべて喜ぶ楽郎を見て、ほっと安堵の息をつく。

我ながら随分と緊張していたようで、知らず知らずのうちに握りしめていた手から力が抜けた。

 慣れない編み物はちょっと大変だったけれど、まるで大作クソゲーをクリアしたかのように笑う楽郎を見ていると、頑張った甲斐があるというものだ。

 と、そこで早速手袋をはめてニヤニヤしていた楽郎が、ふと何かに気が付いたような顔をして僕に尋ねる。

 

「!お前が最近授業中にやけに居眠りが多かったのって、まさかこの為か?」

「えっ、見てたの!?……恥ずかしいなぁもう。まあその、せっかくなら少しでも良い物をって思ってたら、ついつい夜更かししちゃってさ」

「ありがとな京極、絶対大事にする」

「もー、大袈裟だなあ……でも、ありがとう」

 

 

 

おまけ

 

「やあ陽務君、誕生日おめでとう」

「ありがとうございます國綱さん。急用を思い出したのでこれで失礼しますね」

「はっはっは、道場に来るなりいきなり帰ることは無いだろう?せっかくの誕生日、プレゼント代わりと言ってはなんだが今日は僕が付きっきりで稽古をつけてあげようじゃないか」

「いやいや、お気持ちだけで十分ですから俺なんかより他の門下生を優先してあげてください」

「そう遠慮するな、君には丁度聞きたいこともあったからね」

「な、なんでしょうか…?」

「いやなに、新しい手袋の履き心地などを少々…ね?」

「あはははは……とっても暖かかったです」

「そうかそうか、それは何より……やはり京極が夜なべして編んでいたのは君の為か……僕だって京極の手作りのプレゼントが欲しいのに!!」

「ついに本音が出ましたね!?ってかそれは俺じゃなくて京極に言って下さいよ!!」

「言ったさ!だけど京極は『今それどころじゃない』とけんもほろろでっ…!勝負だ楽郎!

僕が勝てばその手ぶくろは僕の物だ!!」

「あげませんよ!??何があろうとこればかりは死守させてもらいますからね──お義兄さん!」

「貴っ様ァァァァァ!!」

 

 

 

 



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重い想いのバレンタイン

 時は2月14日、即ち聖バレンタインデー。

 世間一般では恋人や親しい相手にチョコレートを渡す日であり、ゲーマーにとっては各種バレンタインイベントに駆け回る頃。

 俺も例年であればこの時期はもっぱら幕末でチョコレート刀を振るっていたのだが……

 

「次はこいつか…見た目は至って普通だけど、っと」

 

 うず高く積まれたプレゼントの山から高級感溢れる紙箱を一つ取り出す。俺が普段クラスメイトの女子たちから貰うチロルチョコなどとはゼロの数が二、三個くらい違いそうな代物だ。

 その中に宝石のように詰め込まれたショコラを一つ手に取って、そっとペティナイフを突き立てる。

 二つに分かたれたそれを崩れないよう丁寧に持ち上げ、まじまじと中身を確認すれば、表面のチョコよりもやや薄い茶色のプラリネが詰まっていた。

 

「この白っぽいのはナッツか何かか?変に黒ずんでたり糸くずみたいなものが混ざっている様子も無し」

 

 これまでに引き当てた外れの特徴と照らし合わせるも、該当する異物は見当たらない。

 目視での観察を終えたそのチョコに鼻を近づけ、今度は匂いを確かめる。気分はまるで警察犬だ。

 

「血生臭さは無い。チョコとアーモンドと…洋酒の香りが少しするくらいか……うん、これは大丈夫じゃないか?」

「……本当の本当に大丈夫?」

 

 持っていたチョコを箱に戻して顔を上げ、俺が検分する様子を固唾を吞んで見守っていた京極に安心させるように結果を告げる。

 しかし彼女はそれでも未だ半信半疑なようで、恐怖と猜疑が綯い交ぜになった眼差しを俺の手元に向け続けていた。

 俺は罠を警戒する小動物のようなその姿に苦笑を漏らしつつ、二つに割ったチョコの片割れを京極の鼻先へと差し出した。

 

「だと思うぞ……ほれ」

「すんすん……うん、確かに問題無さそうだね。あむ」

「っ!?……お前も苦労してるなぁ。ん、美味い」

 

 自分の目と鼻で改めて確認したことでようやく警戒を解いたのか、京極は俺の手からぱくりとチョコを啄んだ。

 その際指先に彼女の唇が触れ、ぷるりと柔らかな感触に内心動揺が走ったが、どうにか悟られることなく平常を装って俺も片割れのチョコを口に含んだ。

 幸い入念なチェックに漏れは無く、心地良いカカオのほろ苦さとミルクの甘味が舌を楽しませてくれる。

 その後も時折つまみ食いをしつつ検品作業を続けること凡そ一時間。どうにか俺たちは京極に贈られた全てのチョコレートのチェックを終えた。

 

「お、終わった……!」

「おつかれー……ありがとう楽郎、おかげで助かったよ」

「まあ、あんなに途方に暮れた顔をしてたらな……」

 

 放課後、腕一杯にチョコを抱えて茫然自失の体で佇む京極からは揶揄いの言葉も出ないほどの哀愁が漂っていた。

 京極が淹れてくれた玉露を飲んで一休みしつつ、俺たちは今日の苦労をねぎらい合った。

 

「ふぅ…しかし、こんなに厳戒態勢で一つ一つ確認しなきゃいけないくらいなら手作りは最初から断った方がいいんじゃないか?」

「ははは、正直な所ちょっと後悔してるよ。ここまでアレなプレゼントが多いとは……」

 

 顔面に乾いた笑みを張り付けた京極が、どこか遠くを見るような目をしてため息を吐く。

 満杯の紙袋三つ分にも及ぶチョコレート全ての中身を検めた結果、両の手で数えきれないだけの数の物から異物混入の形跡が見られたのだから無理もない。

 一部の女子から信仰にも似た熱狂的な好意を寄せられているのは知っていたが、こうして目に見える形で狂気の度合いを示されると空恐ろしい物がある。

 

「まあ、バレンタインがこんなホラーじみた展開になるなんて普通は思わんよなぁ」

 

 実を言えばカッツォやペンシルゴンからは似たような事例の愚痴を聞かされたことはあったのだが、まさかこんな身近にも被害者がいたとは……

 こんな事態になるのなら予め警告してやるべきだったか、そんな後悔と反省の気持ちは次の京極の一言で吹っ飛んだ。

 

「うん、こんなにチョコに怯えたのは中一のバレンタイン以来だよ」

「って、過去にも経験あるのかよ!?」

 

 だったら断れよそこは!!

 俺の魂の叫びを聞いて、京極はバツの悪そうな表情を浮かべてふよふよと視線を泳がせた。

 

「いや…まあ、それはそうなんだけどさ……」

「何か事情があるのか?断ると後が怖いとか」

 

 たかがチョコだと侮るなかれ。チェックを終えて廃棄用の箱に積まれたそれらは、チョコレートという食品そのものにトラウマを植え付けるに十分過ぎる。

 あれほどの劇物を産み出す人間への対応ならば、慎重にならざるを得ないのも当然だろう……と、そんな予測を立ててみたのだが、

 

「ううん、別にその辺の対応はもう慣れてるし別にどうってことはないよ」

「えっ」

 

 どうやら俺の勘違いだったようで、当の京極の口からあっけらかんと否定されてしまう。

 

「そもそも、去年までは手作りのプレゼントは事前にお断りしてたしね」

「あれ?言われてみると確かに……」

 

 思い返せば去年までのバレンタインではこのように大掛かりな検品作業を行った記憶はない。

 食べても食べても一向に無くなる気配を見せないチョコの山は、あれはあれで胃袋と精神に多大な負荷を強いられたものの、その時食べたチョコは全て既製品だった筈だ。

 

「だけど、それなら何で今年はいきなり手作りの受け入れを解禁したんだ?」

「う゛っ!?……それは、その…」

 

 俺が当然の疑問を浮かべると、京極は酷く狼狽して呻き声を上げた。

 先ほどからやけに歯切れが悪いが、何をそんなに隠しているのだろう。よく見ると頬が少し紅いような……?

 

「…………言わなきゃダメ?」

「別に無理にとは言わないが、なんだってわざわざ苦難の道を突き進んでるのかは正直気になる」

「あー…うん、そりゃそうだよね……笑わないでよ」

「保証はしかねる」

「そこは『笑わない』って断言するところじゃない!?」

「はいはい笑わない笑わない。いいから早く教えてくれよ、勿体ぶるから余計気になってきた」

「ううう……」

 

 あーとかうーとか呻きつつ暫し葛藤していた京極だが、俺に引く様子が無いと分かるとようやく観念して重い口を開いた。

 

「その、ちょっと今年は思うところがあったというか……彼女たちの気持ちも少しわかるなぁって」

「おい待て、まさかお前も料理に何か……!?」

 

 京極の突然のカミングアウトに俺の顔面からさぁっと血の気が引いていく。

 ……昨日の弁当は大丈夫だったよな?こないだ家で夕飯作ってくれた時は俺も隣で手伝ったけど妙な物を入れた様子は無かった。

 あとは……

 

「違うから!私は変な物なんて入れて無いから!!」

 

 最近食べた手料理を必死に思い返す俺の様子に京極が慌てて弁明する。

 いや、別に本気で疑っている訳では無いのだが、この話の流れはつまりそういうことでは……?

 

「そうじゃなくて!真っ当な手作りのものまで無下にするのが心苦しかっただけなの!!」

「ああ、そういうことか」

 

 良かった、偏執的な愛に目覚めた京極は居なかったんだ。

 

「まったく、変な誤解はやめてよね。もうお弁当作ってあげないよ?」

「ごめん俺が悪かった!謝るからそれは許してくれ!」

「……もう、しょうがないなぁ」

「で、わざわざ手作りに言及したってことは、つまり…?」

「ふふん、お察しの通りだよ」

 

 ここまでの話の流れで次の展開が読めないほど俺は鈍くはない。

 期待に満ちた俺の視線を受け、京極は満更でもなさそうに胸を張る。

 そして背中側に隠してあった、手製のラッピングを施された小箱を俺に差し出して──

 

「はい、私からのバレンタイン……本命なんだから、ちゃんと大事に食べてよね」

 

 

 

・おまけ

 

「で、ご感想は?」

「滅茶苦茶美味い。しかし、京極ってお菓子作り出来たんだな」

「ちょっと、あんまり甘く見ないでよね。大体私の手料理の腕はお弁当を食べてる楽郎はよく知ってるでしょ」

「いつもありがたく頂いております……いや、てっきり京極は和食専門なのかと」

「家だと和食中心なだけで別に洋食が作れない訳じゃないよ。まあ、手作りチョコは初挑戦だったから何度か練習したけどさ」

「…………」

「なんでそこで黙るのさ」

「……はっ!?京極が俺の為に頑張ってくれた現実を受け止めて感極まってた」

「……ばか、でも苦労したのは事実だからもっと感謝してくれてもいいんだよ。試作中に一度國綱兄さんにバレかけて大変だったんだから」

「神様仏様京極さ……まて、京極から手作りチョコを受け取ったって知られた俺は國綱さんに殺されるんじゃないか?」

「『柾宗兄さんに渡す用』って言って誤魔化したから大丈夫じゃない?……多分」

「お前何してくれてんの!?」

「ちなみに柾宗兄さんは『え?まさか兄さん京極からチョコ貰えないの?まあこれも日頃の行いってやつかな…』ってノリノリで國綱兄さんを煽ってたよ」

「柾宗さんは柾宗さんで何やってんだ」

「私たちの関係を薄々察して國綱兄さんの気を逸らすのに協力してくれたんだと思うよ、三割くらいは」

「半分以上愉快犯じゃねーか!」

 



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楽百
(ダメな)大人の夏休み


付き合ってる楽百のとある夏の日のお話


 近年の気温の上昇は留まることを知らず、外では灼熱の太陽が容赦なく大地に照り付けている、そんなある日の昼下がり。

 

 百さんと共にマンションの一室でクーラーという文明の利器の恩恵を存分に享受しながら昼食のカップ麵を啜っていると、突如部屋の中にオートロックのチャイムが鳴り響いた。

 特に来客や荷物が届く予定もなく、セールスか何かかと思ながらカメラの映像を確認する。そこに居たのは…

 

「……………何の用だ、永遠」

『やあ百ちゃん、君の親友が遊びに来てあげたよ!とりあえず暑いから早く開けて—』

「わかったわかった、今開けるからエントランスで騒ぐんじゃない」

 

 頭痛を堪えるように頭を振りながら百さんが入り口のロックを解除する。俺たちの束の間の平穏が終わりを告げた瞬間だった。

 

「まったくあいつは…せめて事前に連絡を寄こせ。」

「ペンシルゴンのやつ何しにきたんですかね」

「経験上、この手の急な来襲のときは大体がしょうもない理由だよ。重要な用件があるときは事前の根回しを怠らない奴だからな」

「ああ…それはなんとなくわかります」

 

 そんな会話を交わしながら食べかけの昼食を平らげていると、程なくして部屋のインターホンが鳴った。

 それを聞いた百さんは渋々ながらも立ち上がって玄関の鍵とドアチェーンを外し、望まぬ来客を受け入れた。

 

「いやあ今日も暑いねえ、クーラーの効いた室内は天国のようだよ」

「天国か…お前には縁遠い場所だから今のうちに疑似体験できてよかったな」

 

 なみなみと麦茶を注いだコップを渡してやれば、外を歩いて失われた水分を取り戻すように一気に呷っておっさんのごとき声を上げた。

 

「ぷはーっ!生き返るぅ…ふっふっふ、清く正しく生きている私のような人間の元にはパトラッシュとネロのように天使たちが直々にお迎えに来てくれるよ」

「寝言はルーベンスの絵の前で言え」

 

 財布を拾った瞬間に躊躇いなく豪華なディナーの算段をつけそうな奴が何を世迷い事を。

 

「遠回しに死ねと申すか…ってちょっと待って」

「なんだよ」

「いや、何で君が当たり前のような顔して百ちゃんの家で寛いでるのさ」

「…別に、付き合ってるんだから家に遊びに来るくらいするだろ」

「それにしたってTシャツに短パン姿は砕け過ぎじゃない?百ちゃんも相変わらずの学生時代のジャージだし、これもう家デートを通り越して家族みたいな……え、ひょっとして君たち同棲して」

「同棲ではない」

 

 何やら俺達の現状を邪推し始めたペンシルゴンの言葉を百さんが食い気味に一刀両断する。

 しかしそれであっさり「はいそうですか」と納得してくれないのが天音永遠という人間だ。彼女は素早く室内に目を走らせると、持ち前の洞察力で余計な物を見つけ出した。

 

「ええー?それじゃあベランダに干してある大量の男物の服はどういうことかなぁ?」

「ぐっ、目ざとい奴め」

「百ちゃんは不審者避けにわざわざトランクスを用意するようなタイプじゃないし、一日二日のお泊まり程度にしては数が多すぎるよねえ…ほらほら、私たちの間に今更隠し事なんて水臭いよ?」

 

 う、うざい…

 こいつが鬱陶しいのはいつものことだが、今回はそれに女子の恋バナへの熱意がプラスされて余計にしつこい。これはある程度の事情を話さない限りは追及の手が止むことはなさそうだ。

 百さんも同じことを考えたのか、俺と一瞬のアイコンタクトを交わした後に諦めたようにため息を一つついてから頷いた。

 その意を汲んで、俺は嫌々ながらも重たい口を開く。

 

「本当にまだ同棲って訳じゃなくてだな、俺の大学が夏休みに入ったからちょっと長めに滞在させて貰ってたんだよ」

「世間ではそれを同棲って言うんじゃないのー?しかしあのお堅い百ちゃんが若い燕を囲い込むなんてねぇ」

「おい、人聞きの悪い言い方をするんじゃない」

「だってサンラク君の学校が休みなのはまあいいとして、なんで百ちゃんまで仕事を休んでるのさ」

 

 会社に遊びに行ったら受付の人に『百ちゃんはしばらくお休みです』なんて言われたからびっくりしたよ。

 そう続けるペンシルゴンの顔は本当に驚いた表情をしていた。聞けば今まではゲーム内での大規模イベントや時限式のユニークが絡まない限り、まとまった休暇をとることはほとんどなかったらしい。

 

「私は法律と社則で定められた正当な権利を以て休暇を取得しているだけだ、後ろ暗いことなど何もない」

 

 きっぱりとそう言い切る百さんの姿に、ペンシルゴンは呆れと関心を綯い交ぜにした視線を向ける。

 実のところ未だ成人していない身で恋人の家に入り浸っているというのは些か外聞が悪い気がしないでもないが、百さんとの交際に関しては既に互いの家族からも公認された身である。

 長期休暇に際して俺が彼女の家に半ば住み込む形になっていることについても、彼女の祖父と釣り仲間になっていた我が父を経由して暗にだが了承を得ていた。

 

「まあ私としても二人の関係にとやかく言う気は無いけどさぁ、それにしたってせめてもう少し健康的な食生活を送ろうよ…」

「む、別に食事を抜いたりはしていないぞ、三食きちんと摂っている」

「三食全部カップ麺が体に悪いって言ってるの!!あのプラ容器の山はなんなのさ!」

 

 そう言ってペンシルゴンが指差した先にはゴミ箱から伸びる白い巨塔。

 カップ麺の容器がうず高く積み重なって出来たそれは、ここ数日の自分たちの食生活を何よりも雄弁に物語っていた。

 

「というかサンラク君も一緒に生活してるなら百ちゃんのことを止めてよ…君エナドリ中毒なことを除けば舌は割とまともだったでしょ」

「中毒とはなんだ、ライオットブラッドは合法だぞ」

「うん、もう手遅れなんだということがよく分かったよ……いや、インスタント&エナドリ漬けはちょっと本気で君たちの健康が心配なんだけど」

「待て永遠、確かに今は少々食事が偏っているが、普段楽郎は私の為にちゃんとした料理もしてくれていたんだ」

「えっ」

「得意って訳じゃないけど俺だって最低限の料理くらいは出来るわ」

 

 だからUMAが火を使う場面を目撃したような顔をしてんじゃねーよ!

 ついでに言えば親父が釣った魚をおすそ分けとして大量に持ってくるので献立は魚料理が多めである。

 

「家に帰るとエプロン姿の楽郎が出迎えてくれて、食卓には豚汁や焼き魚、それに炊き立ての温かなご飯が並んでいる…誰かが自分の帰りを待っている幸せというものをつくづく実感したよ」

「おっと、それは未だ独り身な私への当てつけかな?」

「お前もいい人を見つければいいだろう」

「私に釣り合う人間はそう簡単に見つからないんですぅー!」

 

 よかった、あの悪魔に捕まった哀れな犠牲者はいなかったんだ。

 醜い嫉妬を晒したカリスマモデル様は、しかしそんな醜態など無かったかのように気を取り直して話を続ける。

 

「はぁ…で、それがどうしてこの有り様に?サンラク君が家事ほっぽり出してゲームばっかりするようになったとか?」

「おい」

「違う、私から頼んだんだ」

「へ?逆なら分かるけどそりゃまたどうして」

「私も仕事がある日は大変ありがたく楽郎の厚意を受け取っていたんだがな…こうして私も有給を取って一日中家に居るようになって気が付いたんだ、これでは勿体ないと」

「勿体ない?」

「ああ、私達は社会人と学生という立場の違いもあって普段は中々一緒に過ごせない。それがせっかくこうして24時間行動を共に出来る貴重な機会を家事などに割いてしまうのは時間が惜しくてな」

 

 それならば多少不摂生でも三食カップ麺に甘んじるさ、と実にキリっとした表情で百さんが告げる。

 ……うん、これ連休初日に言われたときは感動したけど改めて聞くとただのダメ人間だな。

 百さん、今夜は俺が飯作りますから。

 

 内心自らの不摂生を反省している俺だったが、最初に苦言を呈したはずのペンシルゴンはワクワクとした下世話な興味を隠そうともせず瞳を爛々と輝かせていた。

 

「おやおやぁー?百ちゃんってば『ゲームが恋人です』とでも言いだしそうな顔してからに、意外と情熱的だねえ」

「…?私の恋人は楽郎だ、お前だって知っているだろう」

「ブフォァ!?」

「おおっと、ここまで男前な返しは予想外。愛されてるねえ、ら・く・ろ・う君?」

「…うるせえ」

 

 にやついた笑みがひっじょーーっに腹立たしいが、今はこの顔の熱を引かせるのに精一杯で反論に割くだけのキャパが無い。百さん、不意打ちはズルいっす…

 

「かーっ!この部屋クーラー効いてないんじゃないの?ああ暑い暑い」

「知ってるか、失血死するときって震えるほどに涼しいんだぜ」

 

 おお怖い、なんてわざとらしく身震いをするペンシルゴンを見ているとここがゲームの中では無いことがつくづく悔やまれる。

 やり場のない殺意を持て余した俺を他所に、話の矛先を百さんへと向けて詰問は続く。

 

「ひょっとして昨夜もお楽しみだったとか?」

「まあな、実は楽郎に一本貰ってライオットブラッドなるものも飲んでみたんだが…あれは凄いな、つい年甲斐も無く徹夜してしまったよ」

 

 おかげですっかり寝不足さ、なんてさらりと告げる百さんにペンシルゴンは大盛り上がりだ。今にもテーブルに身を乗り出しそうな勢いで百さんに話の続きを促している。

 

「ほうほう、後学の為にももうちょっと詳しくお話をだね…」

「お前さっき当てつけがどうとか言ってなかったか?」

「それはそれ、これはこれ。ほらそんなことより百ちゃん、昨夜はどんな熱いプレイをしたのか微に入り細を穿つ説明を頼むよ」

「いや、そこまで詳しく話す気は無いんだが…まあいい。昨日はリュカオーンとの決戦に備えてスクロール等の消耗品の素材を回収していたんだが…思わぬ所でイベントフラグを踏んだようでな。二人でそのユニークにまつわるクエストを攻略しているうちに…」

「はいストップ」

「む、なんだ。ユニークシナリオの詳細は流石にただでは話さないぞ」

「そっちも気になるけどそうじゃなくって!え、改めて確認するけどこれ昨夜のお話だよね?」

「さっきからそう言っているだろう」

「…………え、まさか百ちゃんが徹夜した理由って夜通しゲームをしていたから?」

「最初からそう言っているだろう。いやはや、普段はクランの違いもあってあまり行動を共にすることもなかったんだが彼は凄いな。次から次へと新しいフラグを立てていく姿は嫉妬を通り越して最早感動してしまったよ」

「~~百ちゃんのゲーム馬鹿!リュカオーンと結婚しちゃえ!」

 

 自らの勘違いを恥じるやら筋金入りのゲーマーと化した親友に呆れるやらで、ペンシルゴンが顔を赤くしてプルプルと震えている。

 そんな愉快な光景に耐え切れず、俺は思わず噴き出した。

 

「…ぷっ、くくっ……」

「あーっ!サンラク君さては最初から分かってたな!?」

「いやあ何のことやら、百さん昨夜のゲームも楽しかったですね!で、天音永遠さんはいったいナニを想像してたのかなぁ?」

「ぐぬぬ…」

 

 …実のところ、若い恋人同士が一つ屋根の下で過ごしていれば何も起こらぬわけもなく、ペンシルゴンが想像したこともあながち間違いでは無いのだが、それをわざわざ教えてやる義理はない。俺にはどこかの誰かさんみたいにわざわざ自爆する趣味もないのでね。

 

 余計な情報を与えぬように気を付けつつも煽っていた俺だったが、ペンシルゴンが何やら底意地の悪さの滲み出た笑みを浮かべるのを見て口を噤む。

 

 こいつ、今度は何を考えてやがる。

 

「あーあー、せっかくこの私が良い物を持って来てあげたのになー!仲良くマンションに籠ってゲームに興じる二人には余計なお世話だったかなー?」

「「良い物?」」

 

 ペンシルゴンはなんともわざとらしい明るい声を出したかと思えば、ポシェットから思い硬質なリストバンドのようなものを二つ取り出した。

 俺にはそれが何なのかは皆目見当もつかないが百さんの方はどうやら見覚えがあったらしく、関心したようにまじまじとそれを見つめている。

 

「それは…AR内蔵型リストバンドか?まだ一般に出回るような代物では無かったと記憶しているが」

「スワローズネスト社が自社技術を総動員して作ったとっておきの新製品だよ。来月オープンする大型レジャー施設でお披露目予定」

 

 ヤシロバードのところの製品か。

 ペンシルゴンの言うレジャー施設は俺もCMで見た覚えがある。確か水中対応のARを駆使して屋内型プールでありながら世界中の海へダイブ出来るという触れ込みで、事前予約分のチケットは即日完売だったと聞いた。

 

「で、これはそこのプレオープンの招待状と入場券を兼ねています」

「あー、JGEの優待チケットみたいなもんか」

「そうそう、実は私ここの広報でお仕事しててその伝手でね。お友達も誘って是非って言われたから百ちゃんのところに突撃したってわけ」

「「……」」

 

 予想外のその言葉に俺と百さんは無言で顔を見合わせる。

 どうやらこいつにしては本当に珍しいことに、なんの裏も無い純粋な厚意でわざわざチケットを私に来てくれたらしい。

 

「永遠…お前はやるときはやる人間だと信じていたよ」

「えーっと、その、なんだ……ペンシルゴン、そこはかとなくいいと思うぜ!」

「ヘイヘイ君たちもっと語彙力絞り出して!もっとこの私を崇め奉って!」

「ってか本当に貰っちゃっていいのか?これ貴重なものなんじゃ」

 

 改宗を迫る邪心の戯言は無視するが、実際これは一般人がおいそれと手に出来るものではあるまい。

 一応の遠慮を見せる俺に、ペンシルゴンはそんなことは気にするなとカラカラ笑う。

 

「どうせただで貰ったものだからいーのいーの」

「そんじゃまあ有難く頂くよ」

「プールか…新しい水着を買いに行かなくてはな」

「おお…あの百ちゃんが自分からお洒落を…!」

「いや、単純に胸の所がキツくて今までの水着が入らないんだ」

「……」

 

 今もジャージのファスナーが閉まらない原因となっている百さんの胸を、ペンシルゴンが殺意さえ込められているかのような凍てついた視線で睨みつける。

 持つ者と持たざる者の格差とはいつだって残酷だ。

 

「まあ理由は何であれ水着買うなら私も一緒に行くよ」

「私としては別に一人で買いに行ってもいいんだが…」

「百ちゃんに任せとくと着やすさをとか動きやすさを重視して見た目が二の次になりそうだからダメですー」

「む、そんなことは…」

「言い淀んだってことは自覚あるんでしょ!せっかく荷物持ち(サンラク君)がいるんだからこの機会にお洒落のいろはを叩きこんであげよう」

 

 やいのやいのと言いながら楽し気に買い物の予定を立てる二人の姿を眺めていると、俺も段々とワクワクしてきた。

 いつの間にか俺も二人の買い物に連行されることが決定事項として話が進んでいるのは気になるが、チケット分くらいは働いてやろう。

 俺も瑠美に流行りの水着でも聞いておくかな、なんてことを考えながらまだ見ぬプールに思いを馳せる。

 

 今年もまた、楽しい夏休みになりそうだ

 

 

 

 

 

 

「そういえばこの招待状全部で四つあるんだけど、あと一人誰か誘う?」

「カッツォ辺りに声かけてみるか?」

「私はそれで構わないが」

「それじゃメールしとくね…おっ、サンラク君ハーレムじゃん」

「チケットありがとよハーレム要因その3」

「カッツォ君より序列が下なのはなんか腹立つなぁー!」

 



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すぐおいしい、すごくおいしい/フレグランスは税込398円

(一応)付き合ってる楽郎と百さんの日常


◇すぐおいしい、すごくおいしい

 

 

 電気ケトルで沸かした湯を丼の中に注ぎ込む。麺の窪みに入れておいた生卵の白身が熱で白く固まっていくのを見ながらラップで蓋をして、三分後にタイマーをセットする。

あとはただ待てばいいのだからインスタントラーメンと言うものは実に便利だ。

 

(さて、これを食べたらシャンフロに戻って…レベリングも兼ねて素材集めでもするか)

 

 戸棚から割り箸を取り出しながら、これからのタスクに思索を巡らせる。

 今夜はクランメンバーのログイン率があまり高くない。まだ見ぬエリアの開拓に乗り出すには些か心もとない布陣故、ここは無理せず無難に周回でいいだろう。

 

 pipipipipi——

 

 大まかな見通しが立ったところでタイマーのアラームが夕食の完成を告げる。

 満を持してラップを剥がせば鶏ガラスープの香りがふわりと漂い、それまで意識していなかった空腹中枢がくぅ、っと刺激される。

 VRシステムの安全機構(セーフティ)に引っかからないための最低限の食事として食べるようになったインスタントラーメンだが、今ではこれはこれでちょっとした日々の楽しみとなっていた。

 仕上げにフリーズドライのネギを散らし、さあ食べようと箸を持って手を合わせる。

 

「よし、いただきます」

「よし、じゃないですよ」

 

 …む?

 

「なんだ、楽郎来ていたのか」

「来てたんですよ、百さんがラーメン丼とにらめっこしてる最中に」

 

 一応メールも送ったんですが、という楽郎の言葉にバッグの中から端末を取り出して確認すれば、こちらに向かう旨のメッセージが何通か届いていた。

 待てど暮らせど既読すらつかないので私がシャンフロに熱中しすぎてまた食事を疎かにしているのではないかと不安になり、以前渡した合鍵で入って来たらしい。これは余計な手間をかけさせてしまったな。

 

 「連絡を返さなかったのはすまなかった。だが心配するな、確かについ先ほどまでシャンフロにインしていたが、私はこうしてきちんと夕食を摂っている」

「…百さん、インスタントを食べるなとは言いませんけど、それだけじゃ栄養偏っちゃいますよ。せめて副菜にサラダをつけるとか…」

「楽郎が煩いから最近は少しは気を使っているぞ。ほら、ちゃんと卵とネギがあるだろう」

「くそっ、それだけのことに感心してしまう自分がいる…!」

 

 慣れって怖い…!などと呟きながら何やら謎の葛藤をしている楽郎を眺めつつラーメンを啜る。

 一人暮らしにもすっかり慣れた私だが、それでもやはり誰かと顔を突き合わせながら食べる食事というのはいいものだ。

 

「楽郎は夕飯は何か食べたのか?ラーメンの買い置きならまだあるから好きなのを食べるといい」

「あーじゃあ、百さんと同じやつ貰いますね…と、これも良かったら食べてください」

 

 そう言って楽郎は鞄から幾つかのタッパーを取り出してテーブルに並べていく。

 見ればそこにはさんまの生姜煮や鮭のホイル焼き、りんご入りのポテトサラダなどのお惣菜が詰め込まれていた。

 

「いつもありがとう…うん、美味しい」

「良かった、親父が釣ってきた大量の魚がうちの冷蔵庫を占拠してるんで、食べてもらえると助かります」

 

 隣に座った楽郎が、以前彼用に買い足した丼に自分の分のラーメンを入れながら無邪気に笑う。

 そういえば玲から聞いた話だと先日お爺様も友人(・・)と鮭釣りに行ってきたらしい。釣りには全く明るくないが、恐らくは今が丁度シーズンなのだろう。

 それから私たちは互いの日常の話をしながら箸を進めていった。といっても私たちの日常など半ば以上がゲームで占められており、話題も自然とそちらに偏る。

 

「最近あまりシャンフロに顔を出していないようだが、また何か別のゲームをしているのか?」

「今ちょっと幕末の方が盛り上がってまして、昨日は京極の奴がランカーの一人を天誅する大金星を挙げたんですよ…まあそのあとドヤ顔で勝鬨を上げてる最中に速攻で天誅されたんすけど」

「ふふっ、あいつもまだまだ甘いな…」

「百さんの方はどうです?なんか大きなイベントとかありました?」

「今はひとまず小康状態といったところか、いつかリュカオーンと相見えた時に備えてこちらも日々牙を研いでいるよ」

「いつもの事ながら凄い熱意ですね…」

「私はそのためにシャンフロをしていると言っても過言では無いからな。だから、楽郎ももし何かリュカオーンに関する情報を得た時には…!」

「近い近い近い!お、俺に出来る範囲であれば協力しますから!」

「っ…と、すまない。だが本当に頼んだぞ、その時には礼は惜しまない」

 

 思わず身を乗り出して迫る私に、頬をほんのりと朱に染めた楽郎が仰け反りながら答える。

 まるで楽郎を押し倒すような姿勢になっていることに私も多少の気恥ずかしさを覚えたが、そんな内心は努めて隠して改めて彼から言質を取った。

 

「よし、それでは早速私たちの周回に付き合ってもらおうか。実をいうと今夜は少々DPSが心許なくてな」

「早速っすね…まあ今は急ぎのクエストとかも抱えてないんでいいですけど」

 

 仕方ないなと言いたげな口ぶりの楽郎だが、そんな態度とは裏腹に内心意外と乗り気なのだと察せられる程度には私も彼を知っている。

 そうと決まれば善は急げだ。残っていたラーメンスープを勢いよく飲み干して、私達は共に電脳の世界(シャングリラ・フロンティア)へと旅立った。

 

 

◇フレグランスは税込398円

 

 

 それは連日のカップ麺生活に危機感を覚え、数日ぶりに台所に立ったある日の事。

 使い終わった鍋や食器を食器洗い器に放り込んでいると、つい先ほど風呂に入ったはずの百さんが後ろから声をかけてきた。

 

「楽郎、上がったぞ」

「え、百さんもう出てきたんですか?数日ぶりの風呂なんですし、もう少しゆっくり入ってても良かったのに」

 

 ペンシルゴン辺りが聞けば絶叫&説教間違い無しなことであるが、実を言うと俺達はここ何日か風呂にも入っていなかったりする。

 人の事を言えた義理では無いが、百さんの風呂は男の俺と比べても尚早く、烏の行水もかくやといったところだ。

 

「ずっと冷房の効いた家でゲームをしていただけだからな、さほど汗もかいて居ないし問題ない」

「にしたっていくら何でも早すぎでは、風呂に入ってからまだ十分も……ああほら、ちょっとそこに座ってください」

 

 振り返りざまに目に映った光景に、食器を洗う手を止めてベッド脇に置かれたクッションを指し示す。

 この人は全く…

 

「?どうした?それより楽郎も早く風呂に入ってこい、今夜は素材集めの続きをだな…」

「はいはい、あとでいくらでも付き合いますからまずはこっちを終わらせましょう…百さん、また髪ちゃんと乾かさないで出てきたでしょう」

 

 乱雑に拭っただけと思しき百さんの髪はまだしっとりとした重たい質感を残していて、毛先からは時折ぽたりと小さな雫が落ちている。

 俺の指摘に「そのとおりだが?」と一切の躊躇いもなく頷く彼女は相も変わらず格好いいが、流石にこれはどうなのだろう。

 ドライヤーの音も全く聞こえなかったし、どうやら本当に自然乾燥に任せるつもりらしい。

 

「ペンシルゴンとかうちの妹ほどにお洒落しろとは言いませんけど、もう少しお手入れしてあげましょうよ…」

「別に見苦しくない程度に整えておけばそれでいいだろう…」

 

 渋々ながらも百さんがクッションに座ってくれたところで、俺は彼女の首にかかっていたタオルを抜き取って後ろからそっと頭に被せる。

 タオルで髪を挟み込み、ぽんぽんと軽く叩くようにして水気を取っていくと、百さんはむず痒そうに首を竦めた。

 …なんだか、濡れ鼠になった大きな猫を乾かしている気分だ。

 

「まあ俺も概ね同意見ではあるんですが、百さんせっかく綺麗な髪してるんだからもったいないですよ」

「……………そうか」

 

 大体の水気が取れたところで、俺は役得とばかりに百さんの髪を整えながら手櫛で軽く梳いていく。

 日頃乱雑な扱いを受けているにも関わらず百さんの髪はサラサラで、髪質故の癖はあれども全く引っかかることが無い。

 俺と同じ安物のリンスインシャンプーを使っている筈なのに、俺とは全く違うこの甘やかな香りはなんなのだろうか。

 

「…はい、これでよしっと。終わりましたよ」

 

 名残惜しく思いつつも百さんに髪を乾かし終えたことを告げる俺だったが、そこで彼女は思いもよらない行動に出た。

 

「なんだ、もう終わってしまったのか……ていっ」

「も、百さん!?」

 

 ぽすりと俺に背を預けるようにしてもたれ掛かってきた百さんを慌てて受け止めると、自然と彼女を後ろから抱きしめるような姿勢になった。

 肩越しに見える悪戯気な笑みは、まるで俺の内心などお見通しだと言われているかのようでなんだかとても照れ臭い。

 せめてもの抵抗とばかりに百さんの腰に回した腕に力を込めれば、彼女はますます脱力してすっかり俺に身を預けてくる。

 

「夜は長いんだ、もう少しくらいこうしていてもバチはあたるまいよ」

「は、はい…」

 

 早鐘を打つ心臓がやかましい。夏の気温とは別の理由で体中が熱くなる。

 石鹸とシャンプーの甘い匂いに包まれて、俺たちの夜は更けていった。

 



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ゆく年くる年どんな年

楽郎と百ちゃんの年越し風景


「えーっと割り箸は……あった」

 

 湯沸し器から聞こえるこぽこぽという音をBGMに、キッチンの戸棚から割り箸を探し当てる。

 冬のキッチンの寒さに身震いしながら二つのカップ蕎麦にお湯を注ぐと、湯気で少しだけ乾燥と寒さが和らいだ気がした。

 きっちり三分にセットしたタイマーがなると同時に蓋を開け、あと入れのかき揚げを乗せれば完成だ。

 つゆを溢さないように気を付けながリビングに運ぶと、こたつに入って寛いでいた百さんが腕だけを伸ばしてカップ蕎麦を受け取った。

 

「お待たせしました、年越し蕎麦が出来ましたよ」

「ありがとう、楽郎」

 

 いつもと変わらぬジャージ姿の彼女には、いつも外で見せるバリバリのキャリアウーマンとしての姿は見る影も無い。

 だけどそれだけ自分に気を許してくれているのだと思えば悪い気はしなかった。

 百さんはそばに二振り程の七味をかけると、待ちきれないとばかりにすぐさまパチンと箸を割った。

 

「よし、では早速頂こう」

「そうですね、それじゃ俺も…頂きます」

 

 百さんに倣って俺も軽く七味を振りかけて伸びる前にとそばをたぐる。そばつゆを吸って少し柔らかくなったかき揚げも美味い。

 

「……………ずっ…」

「……ずずっ………」

 

 暫しお互いのそばを啜る音だけが部屋にこだまする。

 実家だと年越しは自家製身欠きにしんを使ったニシンそばや、父さんが釣ってきた魚やイカで作った天ぷらそばを食べることが多かったのだが、中々どうしてインスタントも悪くない。

 

「今年ももう終わりだな…」

「あっという間でしたねぇ」

 

 百さんのしみじみとした呟きに、心の底からの同意を以て頷きを返す。

 光陰矢の如しとはよく言ったもので、過ぎ去っていったあれこれがまるで昨日のことのようだ。

 今年は本当に色々なことがあった。

 一世一代の大勝負に、その後のてんやわんやの大騒ぎ、関係各所への挨拶周りに……

 

 あ、そういえば。

 

 俺は瞬く間にそばを食べ終え、名残惜し気に残りのつゆを飲む百さんの姿を見ながら、ふと気になったことを尋ねる。

 

「ところで百さん、実家の方には本当に顔出さなくて良かったんですか?」

「問題ない、頃合いを見計らって正月中に一度くらいは顔を出すさ」

「そんなもんですか」

「そんなもんだ、親戚連中への挨拶は主にお爺様と仙姉さん達が受け持ってくれているからな」

「それならいいんですが、俺も親戚連中と顔を合わせるのは年越してからですし」

「……楽郎は、私と二人で過ごすのは不満か?」

「ごほっ!?そ、その聞き方はズルいですよ……」

 

 百さんらしからぬ台詞に思わずむせる。そばを口に含んでいなかったのは幸いだった。

 しかしどうしたことだろう、彼女の口からこんないじらしい台詞を聞ける日が来るなんて……

 

「ならば良し……おかげで今年は面倒な雑事にかかずらうこともなく、思う存分ゲームが出来る」

「それが本音ですか」

 

 純情な俺のときめきを返して欲しい。

 

「そうは言うがな楽郎。盆と正月に帰る度にイベントNPCのごとくワンパターンな言葉で見合いを勧められ続けていたんだ。それから解放されたなら好きなことをして過ごしたいと思うのが人情だろう」

「あー、うちだとその辺の悩みは無縁でしたからね」

 

 我が一族は自分の趣味語りに全力過ぎてその手のやり取りを差し込むだけの余地は無い。

 中には俺より年上で未だ独り身の人もザラに居るが、彼ら彼女らも周囲に何かを言われることも無く順風満帆なシングルライフを謳歌している。

 

「何度聞いても羨ましい限りだな……」

「あれはあれで各々の拘りが強いのでギスりがちですけどね」

 

 平時はそうでもないんだが、正月は集まる人数が多い上に酒も入るので毎年どうしてもカオスになる。

 

「でも百さん、それなら今年は帰ってもよかったんじゃありませんか?だってほら——」

 

言いながら俺は自分の左手を百さんの目の前に翳す。

すると電灯の明りを受けて、薬指の根元でシルバーのリングが煌めいた。

今はこたつの中に入っていて見えないが、百さんの左手薬指にもこれと同じデザインのものが嵌められている。

 

「これからはもう、結婚をせっつかれることも無いでしょう?」

「……まあな」

 

 今年は本当に色々なことがあった。

 シルヴィア・ゴールドバーグをついに撃破した俺はその場でテレビ越しにプロポーズ。

 面白がった友人達と親類一同の後押しも受け、あれよあれよという間に入籍&挙式も執り行われた。

 おかげで今は夫婦として百さんと二人で新婚生活を楽しんでいる。

と言っても俺が大学生の頃からずっと共に生活していたので、それほど新鮮味があるという訳ではないけれど。

 

「おや、もうこんな時間か」

「紅白いつの間にか終わってましたね」

 

そんな他愛もない話をしているうちに、テレビでは除夜の鐘の映像が流れ始めた。

 俺と百さんは一つ一つ鐘の鳴る音を聞きながら、互いに居ずまいを正して年越しの瞬間を待つ。

 そして最後の鐘が鳴り……

 

「明けましておめでとうございます百さん。今年も一年よろしくお願い致します」

「明けましておめでとう楽郎。こちらこそ、末永くよろしくお願いします」

 



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眼鏡な彼女

眼鏡姿の百さんのお話。
Twitterで仕事中は眼鏡姿との情報があったので。


 大き目の片手鍋で湯を沸かしつつ、トントンと具材を刻んでいく。

キャベツは一口大のざく切りにしてにんじんは薄い輪切り、長ネギを斜め薄切りにしてまな板の端に寄せ、中途半端に残っていたもやしはざるにあけて軽く水洗いする。

 

「あとは何かタンパク質が欲しいな、冷凍庫に確か……あったあった」

 

 冷凍室から先日朝食に使った残りのベーコンを発掘し、凍ったまま短冊切りにする。

 そうしているうちに湯が沸いた。油をひいたフライパンでベーコンと野菜を炒めつつ、袋ラーメンの麺を二玉投入。

 麺が茹で上がる一分前に鍋に炒めた具材を追加する。程よく火が通ったところで付属のスープの素を加えれば、インスタントながらもそれなりに栄養のある具沢山ラーメンの完成だ。

 

 「百さんは…まだ仕事中かな」

 

 時刻は17時を少し過ぎたところ。百さんの自室の様子を窺うが、未だリビングに現れる気配は無い。

 残業を嫌い、リモートワークの日には定時と共に部屋から出てくるのが常である彼女にしては珍しいこともあるものだ。

 少し待っていようかとも思ったけれど、さりとてこのままではラーメンが伸びてしまう。

 

 やや控えめに百さんの部屋のドアをノックすると、一瞬の間の後に戸が開き百さんがひ顔を出した。

 今日はweb会議等は無かったのか、これまで仕事をしていた筈の彼女はいつも通りのラフなジャージ姿で……おや?

 

「どうした楽郎、何か用事か?」

「……あっ、その、晩ごはんが出来たんで呼びに来ました」

「む、もうそんな時間か。ありがとう、仕事はもう終わったから私も……私の顔に何かついているか?」

 

 ぽかんとしたまま百さんの顔を凝視する俺にそんな言葉を投げかけられる。

 その問いに答える代わりに、俺は思ったままの疑問を口にした。

 

「百さん、目悪いんでしたっけ?」

「いや、生まれてこの方視力がA以下になったことはないが……ああ、そうかこれ(・・)のことか」

 

 そう言って百さんは目にかけていた眼鏡の蔓に手を当て、クイッと上下に動かした。

 俺が大学生になって百さんとルームシェアをするようになり数か月、高校時代に百さんの部屋にお邪魔していた期間も含めると二年近く彼女の身の回りのお世話をしてきたが、百さんが眼鏡をかけている姿を見るのはこれが初めてだ。

 

「仕事中だけはかけているんだ。といっても視力矯正の為ではなくARグラスだがな」

「なるほど、道理で見たことが無いと思いました」

 

 思い返すと仕事で使うものに関してはノータッチだった上に、最近まで百さんはオフィス通勤だったので仕事中の姿というのは見たことが無かった。

 納得と共に改めて百さんの顔を見る。

 元々キリっとした顔立ちの彼女の顔に細めの眼鏡が加わると、着古したジャージ姿であるにも関わらずいつもより数段凛々しく見えた。

 

「百さん、眼鏡似合ますね」

「そうか?」

「ええ、まさにデキる社会人って感じです」

「……おだてても何も出ないぞ」

 

 ぷいとそっぽを向く百さんは、表情にこそ出さないものの珍しく少し照れているようだった。

 百さんはそんな照れ臭さを誤魔化すように、コホンと軽く咳ばらいをして話題を元に戻す。

 

「と、それより夕飯が出来たんじゃなかったか」

「そうでした、ラーメン伸びちゃうので早く食べましょう」

「ラーメンだと!?何故それを早く言わない!」

「と言ってもインスタントですけど…ってもう行っちゃった」

 

 急かされるままに足早にリビングに移動する。

 こんなに喜んでくれるのならもう少しラーメンの頻度を増やそうかという気持ちと、ラーメンばかりは体に悪いという理性がせめぎ合う。

 そんな俺の内心など知る由もない百さんは「いただきます」と言い終えるや否や、待ちきれないとばかりにラーメンを啜ってい……あっ。

 

「………前が見えん」

「ぶふっ」

「おい、楽郎」

「…くっ……ふふっ…なんですか百さ……あ痛っ!?」

 

 うっかり眼鏡をかけたままラーメンを食べ始めた百さんが、レンズを白く曇らせている。

 その姿に思わず噴き出した俺は、まるで銃弾で撃ち抜かれたかと錯覚するほどの手痛いデコピンを食らうのだった。

 ……これ、おでこ割れて無いよな?

 

 

 

・おまけ

 

「にしても最近のARグラスは凄いですね、傍から見たら完全にただの眼鏡ですよ」

「ユートピア社開発の最近型のスマートグラスだからな、外から内部に写っている映像を覗かれる心配もない優れモノだよ」

「へえ、やっぱり仕事の機密情報とか取り扱うならその辺のセキュリティも大事なんですね」

「それも勿論だが……ここだけの話、仕事中にシャンフロの情報収集をするのにも役に立っている」

「何やってんすか百さん」

「自分で文章や資料を作成しているときはともかく、会議中なんかは意外と暇でな…」

「いやちゃんと仕事しましょうよ……あ、でもつまんない講義の時とか良さそう」

「以前私が使っていたものでよければ使うか?型落ち品になるがこちらもユートピア社製で使用に問題は無いはずだ」

「良いんですか?」

「ああ、引き出しの肥やしにするのも勿体ないからな。今持ってくる」

「ありがとうございます!……来鷹大の教授、趣味に走りすぎて何言ってるか分かんない人多いんだよなあ」

「待たせたな、壊れてはいないと思うが一応ちょっと試してみてくれ」

「はい、どれどれ……おっ、大丈夫そうです。ばっちり見えます」

「そうか、それはよかった……ふむ」

「?どうかしましたか?」

「…いや、なんでもない」

 

(———お揃い、だな)

 

 

 



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サプライズを貴女に

百さんの誕生日にTwitterに投稿したお話。
大学生楽郎×社会人百。


「百さん。来週の火曜日なんですけど、晩ごはんに何か食べたいものはありますか?」

「ふむ、実は毎年この時期はチョコレートマシマシスウィートカレーヌードルが限定発売していてな」

「…………」

「最初は怖い物見たさで買ってみたんだが、中々どうして悪くない味なんだ。年々改良を重ねてマイナーチェンジを繰り返すその姿からは企業の並々ならぬ努力が感じられて――」

「………………」

「……冗談だからそんな途方に暮れた顔をするな」

 

 楽郎からの問いかけに即座に返事を投げ返せば、処理落ちしたゲームのように彼の身体が固まった。

 その姿に悪戯心が湧いてついつい冗談を長引かせてしまったものの、楽郎から迷子の子犬のような哀愁が漂い始めている。惜しいがここらが潮時だろう。

 

「……安心しました。このままだとせっかくの恋人の誕生日をカップ麺とコンビニケーキで祝う羽目になるところでしたよ」

「流石の私とてそこまで空気が読めない人間ではないぞ」

「いやあ、百さんなら本気で言い出しても不思議じゃないので」

「まあ、独り身だった時分であれば当日に食べていた可能性を否定しないが……なに、カップ麺ならば買い置きしておいて後日改めて食せばいいだけの話だ」

「あっ、その珍妙な謎ヌードルを食べること自体は既定路線なんですね」

「?何を当たり前のことを……そうだ、せっかくだし楽郎も一度食べてみるといい」

「ぐっ、純然たる厚意で言っているのが分かるだけに断り辛い…っ」

 

 未知の味への恐怖と関心が綯い交ぜになった表情で楽郎が葛藤する。

 せっかくの期間限定カップ麺。一人でじっくり味わうのも悪くはないが、せっかく感想を共有できそうな相手が出来たのであれば話は別だ。

 

 ふふふ、私から逃げられると思うなよ?

 

「何事も経験だ、多少のチャレンジ精神は人生を豊かにするスパイスだぞ」

「格言っぽく言ってますけど限定カップ麺の話ですよね?」

「そうだが」

「いや、そんな堂々と言い切られましても」

「楽郎だってお気に入りのクソゲーメーカーが新作を出すと聞いたら心惹かれるだろう?」

「そう言われるとちょっと同意してしまうような……はぁ、わかりましたよ。俺もそのチョコマシマシヌードルとやらに挑戦してやりますよ」

「そうか!よし、言質は取ったからな?これが買える近隣の店舗は後ほど端末に送っておく。私も見つけ次第買うようにするが、何分限定な上にそこまで入荷量も多くない。楽郎の方でも買い物の際には気にかけておいてほしい。とはいえ買い占めのような行為は厳禁だ。可能であれば複数回味わいたいところではあるが、そのために他の顧客の購入機会を奪うようなことはあってはならない。この手の商品はより広く、より多くの人々からの需要があってこそ次の製品開発に繋がって――」

「わ、分かりました!分かりましたから!」

 

 おっといけない。

 いつの間にか身を乗り出すようにして諸々の注意事項を話す私の権幕に楽郎がすっかりたじろいでしまっている。

 私としたことが柄にもなく興奮してしまったようだ。

 

「済まない。私としたことが少々熱くなりすぎた」

「いえ、カップ麺とリュカオーンが絡んだ時の百さんはいつも大体こんな感じなので構わないんですが……結局、百さんの誕生日当日の食事はどうしましょう?」

「ああ、元はそういう話だったな」

 

 誕生日の食事か。食にはそれほどこだわりのある性質ではないが、せっかくこう言ってくれるのならば少しくらい豪勢にいくことも考えるか。

 しかしこれは少々意外だな。

 

「なんだ、今年は随分とストレートに聞いてくるじゃないか」

「一応サプライズも考えたんですけど、百さん意外と鋭いから毎年すぐ気づいちゃうじゃないですか」

「意外と、は余計だ。それに気が付いても黙って乗ってやる程度の度量はあるつもりだが?」

「男としては微笑ましい物を見るような目で見られながらバレバレのサプライズを進行するのはちょっと悔しいものが……」

「ふふっ、それなら精々もっといい男になることだな」

「精進します……あと、最近百さん仕事の方が忙しそうなので予定を合わせる為にも事前に話を通しておいた方がいいかなって」

「ああ、その気遣いは正直助かる。実を言うと14日も外せない会議が入ってしまっているんだ」

 

 これが個人で任された仕事ならばどうとでもなるのだが、他の人間が複数関わっている予定となるとそうもいかないのが辛いところだ。

 

「え、それなら日程ずらしましょうか?」

「いや、当日で構わない。とはいえいつもよりは確実に遅くなってしまうから、私の仕事が終わり次第適当なレストランで待ち合わせということでどうだろう?」

「了解です、ではそれで」

「ふふふ、楽しみにしているよ。今日は泊まっていくか?」

「大変魅力的なお誘いなんですけど、明日はちょっと朝一で大学の方に顔を出さなくてはいけなくて」

「そうか、残念だがその分来週に期待させてもらおう」

「わあ、プレッシャー。それじゃ百さん、今日はお暇させていただきますね」

「もう暗いから帰り道に気を付けてな。おやすみ楽郎」

「はい、おやすみなさい百さん」

 

◆ ◆ ◆

 

 ――そんな約束をしたのが、今から一週間ほど前のこと。

 

 そして約束の当日である今日、本来ならば今頃は楽郎と幸せな一夜を過ごしている筈だったのだが……

 

「くそっ!よりによって何故この日に限って…!」

 

 今日は朝から運が悪かった。

 通勤電車は事故で一時間遅れ。ようやく会社にたどり着いた私を、妙に空席の目立つオフィスが待ち受けていた。

 只でさえ出社が遅れてタスクが詰まっているというのに、上司の急な出張や後輩の体調不良による休みなどが重なりフォローしなくてはいけない仕事も激増。部署全体がてんてこ舞いで、どうにか全ての仕事を片付けた時にはデスクの時計は既に23時を過ぎを示していた。

 こんな有り様では当然ながら呑気に自分の誕生日を祝っているような余裕がある筈もなく、定時を過ぎた時点で楽郎には断りのメッセージを送ってある。

 

(今年の誕生日はこれで終わり、か…)

 

 私ももう二十代も後半だ。今更自分の誕生日に特別な意味を見出すような歳でもない。

 現に数年前までは書類に書く数字が一つ増えるだけの、なんてことの無い一日だった。

 だから今年もいつもと何も変わらない。

 ただ、それだけのことなのに。

 

 「……寂しいなぁ」

 

 職場の同僚や部下……或いはシャンフロ内での左程親しくない知人などからは、まるで冷徹な完璧超人であるのように思われている節がある私だが、れっきとした一人の人間だ。人並みに寂寥感を覚えることだってある。

 それに何より、そんな私を心から祝ってくれようとする楽郎の厚意を無下にしてしまったことが悔しくて堪らなかった。

 

「楽朗には後日改めて詫びを入れなくてはならんな」

「別にお詫びなんていいですよ、お仕事だったんですし仕方ないでしょう」

「それでは私の気が済まない。大体、仕事なんぞ昨日までに片付けて今日は溜まりに溜まった有休を使ってしまえばよかったんだ」

「いやいや、そんな無茶したら幾ら百さんでも死んじゃいますって。それに今日は会議があるって言ってたじゃないですか」

「ふん、狸親父共が無駄話をしているだけの会議なぞ知らん」

 

 今日だってさっさと決めることを決めてしまえばいい物を無駄に会議を躍らせおって…!

 思い出したらだんだん腹が立ってきた。イレギュラーの多い一日だったとはいえ、あれさえ無ければ今頃は楽郎と……

 

「…………ん?」

「百さん?どうかしましたか?」

 

 独り言に何故か相槌が返ってくる現状に疑問を覚え、深夜の路上でふと立ち止まる。

 声のする方に振り向けば、そこには今まさに私が会いたいと願って止まない相手が立っていた。

 

「楽郎!?何故ここに…今日の予定はキャンセルだろ伝えた筈だろう」

 

 何か行き違いがあったかと思い端末を確認してみるが、そこには確かに数時間前の私の簡素な謝罪の言葉とそれに対する楽郎からの諾のメッセージが残っていた。

 

「いやあ、最初は素直に帰ろうかとも思ったんですが、やっぱりこういうのは当日のうちに伝えたいじゃないですか」

「お前は一体何を言って……」

 

 予期せぬ遭遇に戸惑う私に、楽郎は悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを湛えて告げる。

 

 ――お誕生日おめでとうございます、百さん。

 

 



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サンラクとディープスローター
『Tchaikovsky Op.71,Act2:No12』


ディプスロさんとサンラクさんのバレンタインのお話。
本来彼女的には地雷な日とのことですので何でも許せる人向けです。


 二月某日。

 

 この日、ヴァッシュからちょっとしたお使いクエストを受けた俺は、単身キャッツェリアの城を訪れていた。

 忌々しい刻傷の効果により相変わらず一般市民の皆様には遠巻きにされてしまうものの、この国では既に俺の顔は知れ渡っているので以前ほどのパニックが起きることは無い。

 

 特にトラブルに見舞われることもなく王城にたどり着いたのだが、ここで俺はまたしても客室で長いこと待ちぼうけを食らう羽目になってしまった。リアルを追求するのはいいがこういったタイムロスはもう少しどうにかならないものか……

 

 そうして30分以上経過しても未だ目的のNPCが現れず、いい加減こちらから何らかのアクションを起こそうとしたその時。

 

「ん?この音は……ピアノか?」

 

どこからともなく聞こえてきたどこか聞き覚えのあるその旋律に引き寄せられるようにして、俺は客室を抜け出した。

近くにいたケット・シーのメイドに尋ねてみたところ、城の端に今は使われていないピアノの置いてある部屋があるらしい。

如何にもゲームのフラグらしいその出来事に、長時間待たされた不満も忘れてそっと廊下の奥のその部屋の戸を開けたのだが……

 

 

「あれ?サンラクくぅん、こんな所でどうしたのぉ?」

「お前かよ!!!」

 

そこに居たのは謎を秘めたやんごとなき御方なNPCでも、この世に未練を残す霊体型モンスターでもなく、ネチャっとした笑みを浮かべた一体の変態(ディープスローター)だった。

クソッ、新しいユニークを期待して損した!

 

「なんだってお前はゲームの中でピアノなんて弾いてるんだよ」

「これぇ?別に深い意味は無いんだけど、用事を済ませるまで時間が空いちゃってねぇ、あんまり退屈だからお城の中を散策してたのさ」

「……お前と同じような思考をしてしまった自分を今すぐ全力でぶん殴りたい」

「まさに以心伝心だねぇ!心だけじゃなくて体もひとつにぃ!!」

「おっと手が滑ったぁ!」

 

 これ以上不快な言葉を吐き出させないため、うっかり躓いた勢いのままその口を強制的に閉じさせる。

 

「ってかお前ピアノなんて弾けたのかよ」

「ほんの慰み程度だけどねぇ、君も慰めてあげようか?」

 

何時もの戯言はスルーしつつもその内容には素直にちょっと感心する。

以前こいつの大まかなスキル構成を聞いたことがあったがその中には特に楽器の演奏に関わるようなものは無かった筈だ。

 つまり今こうして楽譜も見ずにスラスラと流麗な音色を奏でているのはこいつ自身のリアルの技能ということになる。

 

「へー、お前にも声真似以外の特技があったんだな」

「惚れ直した?サンラク君が望むのなら、もぉっと凄いことだってしてあげるよぉ?」

「ん、それじゃせっかくだし他の曲も何か聴かせてくれよ」

 

 そんな風に思っていたからだろうか、らしくもなくそんなことを言ってしまったのは。

 俺の言葉を聞いたディプスロは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。

 

「……えっ」

「どうした?」

「いやあ、まさか君からそんな素直なおねだりが聞けるなんて思わなかったから驚いちゃって……サンラク君も欲しがりさんだねぇ」

「ちょっと別のユニーク思い出したから俺行くわ」

「わー!!ごめんごめん!せっかくだから一曲くらい聞いて行って!!」

 

ウザ絡みにイラっと来たので踵を返して去ろうとするとディプスロが慌てて俺の腰に縋り付いてきた。

半ば本気で帰ってやろうかとも思ったが、元はと言えば俺が勝手に部屋に入ったのが発端だ。それに、さっきのこいつの演奏は不覚ながらも少々聞き入ってしまう程度には上手かった。

 

「わかったよ、それじゃ一曲頼むわ」

「う、うん!何かリクエストはあるかなぁ?」

「あー、俺音楽は全然わかんないからお前に任せる」

 

 手近なところにあった椅子に腰を下ろすと、ディプスロはそんな俺をちらちら見ながらピアノの前に戻る。

 

「えーっと何がいいかなぁ……嗚呼、そういえば今日って…」

 

 人差し指をあごに当てながら暫し悩んでいたディプスロだったが、ふと何かに思い至ったかのような顔を見せると軽く鍵盤を叩きながら音の調子を確かめ始める。

 今日って何かあったっけ?

 

「ふふふ、あんなの只の忌々しいだけのイベントかと思ってたけど……たまにはこういうのも悪くないよねぇ」

 

 ぼそりと何かをひとりごちたかと思えば、一拍置いてディプスロは弾むようで楽し気な旋律を奏で始めた。

 俺もこいつも余計な口を挟むことなく暫しその音色に耳を傾ける。

やがてその演奏が終わると俺は無意識のうちにパチパチという軽い拍手をもってその演奏を称えていた。

 

「お前ほんとにすごいな…いいもの聴かせてもらったよ」

「そんなに素直に褒められると照れちゃうなぁ!お礼は体でいいよぉ?」

「………………具体的には?」

 

 反射的にアラドヴァルを抜きそうになるものの、良い演奏を聴かせて貰ったのは事実。仕方なしにその衝動をグッと堪えた。

 また下ネタで返して来るのならば容赦なく根性焼きの刑に処そう。そう心に決めたはいいが、次の瞬間こいつの口から放たれたものはそんな俺の予想に反し、実に平凡でなんてことのないものだった。

 

「今日から丁度一か月後、その日は私と一緒に遊んでくれる?」

「……そんなことでいいのか?」

「うん、ああでももう一つだけわがままを言っていいのなら——」

 

 そして最後にディープスローターはここではないどこかで見たような、どこか腹立たしくも懐かしい、心の底から楽しそうな笑みを浮かべて俺に告げる。

 

「——久しぶりに、君の熱唱(デスボイス)が聴きたいなぁ」

 



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在りし日のユメ

Happy Birthday 紗音ちゃん!


ディープスローターこと彬茅紗音ちゃんの誕生日ss。


 ──ユメを、見ていた。

 

 ひらひらの服にふわふわとしたぬいぐるみ、目を覆いたくなるほどのパステルカラーで彩られた部屋の中、ビスクドールのような豪奢なドレスを纏った少女が無邪気な笑みを浮かべている。

 傍らには少女に比べると幾分か簡素な——それでも相当に仕立ての良い服に身を包んだ夫婦が、柔らかな慈愛の籠った眼差しではしゃぐ少女を見つめていた。

 

 現実(ユメ)は嫌いだ。それは理不尽で、残酷で、唐突で、何時だって私を苛立たせる。

 

「紗…、お誕……おめ…とう」

「…なたが…に育っ……れて嬉……」

 

 そんな最高にクソッタレな悪夢だけれど、こいつらの言葉が途切れ途切れの雑音と化しているのは不幸中の幸いか。

 しかしそれでも、ごてごてとした装飾を施された苺のケーキや大きなリボンのついた袋などを見せられれば、この光景が一体何時の記憶なのかをまざまざと突き付けられてしまう。

 これがフルダイブVRシステムの見せる幻覚であったなら、過剰なストレスが齎すバイタルの変化によって間違いなく安全機構(セーフティ)が作動していただろうに。

 だけどこの過去(ユメ)は外部からの電気信号に依らず、自らの脳髄が産み出したもので。

 それ故に無情にも今すぐ目覚める(ログアウトする)ことはなく、絶えず私の心を苛み続ける。

 

「美味……で…、お母…ま、…父さ…!」

 

 目を逸らすことさえもままならない視界の中、吐き気がするほど甘ったるいケーキを頬張り少女は笑う。

 自分自身が砂糖とスパイスと素敵な物で出来ていると信じて疑わないような、まるで「幸せ」というものを具現化したかのようなその姿は実に浅はかで、愚かで、滑稽で。

 

(…………最悪の気分、なんだって今更こんなものを)

 

 何とも不自由で不愉快なこの明晰夢(ユメ)が終わること、それだけをただ只管に願い続ける。

 と、その時。

 先程まで胸糞悪い家族ごっこを続けていた筈の少女(わたし)が、そのガラス玉のような瞳で真っすぐ自分(わたし)を見つめていた。

 何故?と疑問に思うよりも早く、とてとてと覚束ない足取りでこちらに駆け寄ってきた少女はどこからともなく取り出した便箋をそっと私に差し出してきた。

 こんなもの、今すぐ破り捨ててこの忌まわしい世界ごと焼き払ってしまいたい。

 だけど、そんな衝動を嘲笑うように、私の指はまるで別の生き物であるかのように二つ折りになっていたそれを開いてしまう。

 嫌に見覚えのあるその便箋に、胸の奥へと沈めたナニカが見るな見るなと警告を発っしている。

 

 如何にも幼い子供らしい拙い文字で綴られた、その言葉は──

 

 

 

『おとなになったわたしへ

 

  おひめさまには、なれましたか?

 

        あきがや しゃのん』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと見つけたぞ、ディープスローター」

「んー…あれ?サンラクくん、こんなところで奇遇だねえ」

「奇遇だね、じゃねえよ!お前なんだってこんな辺鄙な所に…」

 

 臨界速(プラディオン)で新大陸を往復することおよそ三回。

 着地に失敗しもみじおろしになること五回。

 出会い頭にモンスターに衝突すること二回。

 合計二時間超に及ぶ捜索の果て、新大陸北部にある無人の里で俺はようやくディープスローターを見つけ出した。

 普段なら呼んでも居ないのに飛んでくるくせに、どうしてこちらに用のあるときに限って捕まらないのか。

 

「あれぇ、ひょっとして私を探してたのかなぁ?」

「探してた…っていうかその様子だと送った手紙(メール)も見てないな?」

「メール?……ああ、ごめんねぇ。間違って破棄しちゃったみたいだよぉ」

「破棄ってお前なぁ………ディプスロ、なんか調子悪い?」

「いやいや、私は何時でも絶好調だぜぇ」

 

 散々無駄足を運ばされたことに対する愚痴の一つでも溢そうかと思ったが、どうもこいつの様子がおかしい。

 いつものディプスロならばこれを口実に「ああっ!ごめんよぉ、お詫びになぁんでもしてあげる。精一杯ご奉仕するねぇ」くらいは間違いなく言ってくるだろうし、何ならもっとどぎつい下ネタを振ってくるはずだ。

 普段の癖で構えていたアラドヴァルをインベントリに仕舞いながら様子を窺うと、口では平気なふりをしつつもやはりその言葉には覇気も邪気も欠けていた。

 

「本当に大丈夫か?今日のお前はおかしい……いや普段からおかしいんだけどおかしくないのがおかしいというか」

「ふふふっ、ナ・イ・ショ。女の子には秘密がいーっぱいあるんだよぉ?」

「………まあ、無理に話せとは言わねえよ」

 

 冗談めかしてはいるものの、その瞳の奥に本気の拒絶の意思を感じた俺はそれ以上の追及はせずに引き下がる。

 なんだろう。今日のこいつと話しているとディープスローターともナッツクラッカーとも違う、今までに見たことのない誰かと向き合っているような心地がして妙に落ち着かない。元よりキャラの定まらない奴ではあるのだけれど。

 

「…………ごめんねぇ」

「本当に調子狂うな…まあいいや、それじゃ手短に用件だけ済ませちまおう」

「嗚呼、そういえば私に手紙をくれていたんだっけ。なんだろう、君の頼みならなんだって聞いてあげたいんだけど……」

「今回は別に頼みたいことがあった訳じゃねーよ…ほれ」

 

 ぎこちない軽口を叩きつつ、インベントリから取り出したアイテムをディプスロに向かって放り投げる。

 意図的に所有権を放棄したそれは、ディプスロが反射的に受け取ったことによってシステム上の譲渡が成立した。

 

「わわっ、と。これは……首輪?」

「首輪っつーかチョーカーな。アクセサリー枠で装備できる」

「へえ、これがどうしたの?ひょっとして私へのプレゼントかなぁ?」

「そうだよ」

「なぁんちゃって……………………え?」

「それ、お前にやるよ───誕生日だろ?」

 

 しげしげと投げ渡されたアイテムを眺めていたディプスロが、どこか既視感のある挙動でフリーズした。玲さんも時々ああなるが、何か隠された意味があるのだろうか。

 

「え、サンラクくん、なんで…知って…」

「何でも何も、前にお前が言ってたんじゃねーか、9月16日生まれだから自分はクリスマスベイビーだとかなんとか」

 

 覚えたくもないこいつの誕生日を覚えてしまっていたのはその余計な情報のせいだ。

 そのインパクトで俺が日付を覚えることまで見越していたのならとんでもない策士だと畏怖していたところだが、当人のこの驚きようを見るに別に深い意味はないただの戯言だったらしい。

 VRシステムの不調を疑うレベルでフリーズしていたディプスロはそれを聞いて再起動を果たしたが、未だ混乱冷めやらぬようで手元のチョーカーと俺の間で視線を彷徨わせている。

 

「まあ、スペクリでは最後まで敵だったけどシャンフロじゃ不本意ながら何かと世話になったからな。その礼ってことで」

 

 ラピステリア星晶体をベースに魔力と親和性の高い希少鉱物を使用したそれは魔法職ならば間違いなく有用であろう幾つもの機能を備えた逸品だ。

 現在の装備との兼ね合いもあるとはいえ、純魔としてキャラビルドをしたディープスローターならばきっと無駄にはなるまい。

 こいつが暇ならばそのまま試運転がてら狩りに付き合うことも考えていたのだが、今日はあまり本調子ではなさそうだしまたの機会にするとしよう。

 

「それじゃあまたな、調子悪いなら無理すんなよ」

「……あ…うん、その…ありがとう、サンラク君」

 

 こいつに素直に礼を言われると何だか変に恥ずかしい。

 鳥頭で表情が隠れていることに密かに感謝しつつ、俺は来た時と同じように臨界速(プラディオン)を起動して一歩踏み出し……

 

「あ、これ言うの忘れてた───誕生日おめでとう、ディープスローター」

 

 



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Happy Halloween!

ハロウィンのサンラクとディープスローターのお話


「サンラクくぅん…TRICK OR TREATぉ!今日はたあっぷりと悪戯しちゃ」

「TRICKだオラァ!」

「あ゛あ゛っ!熱烈ぅ!」

 

 叫ぶや否や、悪霊退散とばかりに目の前の魔物(へんたい)にアラドヴァルを突き立てる。

 猫耳の生えた魔女の帽子とかぼちゃを模したアクセサリー、それに先の台詞を鑑みるに今日のこいつはハロウィン仕様らしい。

ハロウィンとは本来魔除けの為のイベントの筈だが、逆に魔物(ディプスロ)が活発になる口実を与えてしまっている気がしてならない。

 

 こんなことなら京極の誘いに乘って幕末のハロウィンイベの方に顔を出せばよかったか。

 今回はいつかのイベントの用に一度死ぬと亡者としてリスポンするのだが、以前と違い亡者になった後も生存プレイヤーとの物理的接触が可能らしい。

一応建前としては死者と生者が力を合わせて南蛮からやってきた蕪の化生を倒すため…ということになっているがそこは幕末。間違いなく悪辣な罠が仕掛けられていることだろう。

 

 今からでもログアウトしてあっちに…と現実逃避気味に考える俺の視界では顔面に刃物を生やしたディプスロがのそりと起き上がった。

 

「おっ、さっきより本格的になったじゃないか、中々迫真のゾンビだな」

「ふふふふふ…私の想いはゾンビよりも不滅なのさ。今も君の愛が私を激しく燃やしているよぉ」

「クソッ、皮肉が効かねえ…!」

「さぁて、君からの愛も嬉しいけれどそろそろイタズラの時間だよぉ…!」

 

 迫るディプスロにホラー的な物とは別種の恐怖を感じる。

 どうにかこの場を切り抜ける方法を考えるものの、今日のこいつはどこに逃げても追いつかれてしまいそうなオーラがあった。

 

「隙ありぃっ!」

「しまっ……くっ、放せ!」

 

 これ見よがしにぬるぬる動かす指の動きに気を取られた隙をつかれ、奴の三本目の腕が俺の左手を拘束する。

 これはもうPKもやむなしかと、カルマ値と引き換えにアバターの貞操を守る覚悟を決めかけた、その時。

 

(そうだ!確かさっき買ったあれが!)

 

 武器を取り出すためにメニュー画面を操作しながら、俺は今更ながらこの場における切り札を持っていることに気が付いた。

 インベントリ内に保存されていた為に未だ温かいそれを、さながら桜の印籠のように突き付ける。

 

「ストップだディプスロ!お前にはこいつをやろう!」

「えっ、これは…アップルパイ?」

「そうだ、ハロウィンで悪戯されるのはあくまでお菓子を渡せない時…!これならお前は俺に手出しできまい!」

 

 たまたま蛇の林檎でアップルパイをホールで買った一時間前の自分を褒め称えたい…!

 気勢を削がれたディプスロはあからさまに残念そうにしながらもそれ以上のこちらに手出しをしてくる様子はない。

 正直お菓子程度でこの変態を止められるのかは不安だったのだが、一応こいつもこの手のお約束を守るつもりはあるらしい。

 

「ざぁんねん、だけどありがとうサンラク君。これを君だと思ってじぃっくり味わっていただくよぉ」

「……もう好きにしろよ」

 

 一々無駄に如何わしい言い方が気になるが、そこに突っ込んでもきっとこいつを喜ばせるだけだろう。

 しかしげんなりしながらもディープスローターの表情を窺うと、そこにいつものニタニタとした笑みはなく、まるで普通の少女のように微かに綻んだ顔で手の上のケーキを見つめていた。

 

「あー…よかったら一緒に食うか?」

「!?い、いいの!?」

 

 それに毒気を抜かれたからか、俺はらしくもなくそんな誘いの言葉をかけた。

 

「おう、というか元々それ俺のなんだから半分寄こせよ」

「いやあまさか君がお菓子をくれるなんて思ってなかったからねぇ…

そうだ、お礼に私はとっておきの紅茶をご馳走するよ」

 

 かくして、今年の俺のハロウィンイベは電脳世界の片隅でのお茶会と相成った。

 切った張ったのイベントもいいが、たまにはこうしてのんびりするのも悪くはない。

 ディープスローターが慣れた手つきで淹れた秘蔵のルートで手に入れたというそのお茶は、悔しいことに美味しかった。

 



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その他短編
狼たちの談笑


シャンフロコミカライズ記念に書いたチャット風ss



 それは、とある日の旅狼のチャットでの一幕

 

【旅狼】

 

京極:たまには幕末に顔を出しなよサンラクぅ……!

 

京極:前回のイベントの借りをたぁっぷりと返してあげるからさぁ……!

 

オイカッツォ:サンラクは今度は何をやらかしたの?

 

サンラク:袋叩き天誅されると見せかけてランカー同士の一騎打ちに割り込んだだけだよ

 

サンラク:ドヤ顔で刀振りかぶったところを団子の串で滅多刺しにされながら

     流れ作業のように首を落とされてく姿は正直クソ面白かった

 

鉛筆騎士王:ちょっとサンラク君!それスクショ撮って無いの?

 

サンラク:流石にあの混戦の中でそこまでする余裕は無かった……京ティメットの見事な散り様を記録に残せなかったことが心底悔やまれる

 

京極:お前えええ……!!! 

 

秋津茜:あの!ちょっとお聞きしたいことがあるのですが!

 

サイガ-0:楽しそう、ですね……

 

モルド:このやり取りを見て最初の感想がそれ……?

 

ルスト:秋津茜、どうしたの?

 

秋津茜:えっとですね

 

秋津茜:『シャングリラ・フロンティア』って漫画になってたりはしないんでしょうか?

 

京極:シャンフロの漫画?

 

秋津茜:はい!実は最近読んだ漫画がゲームを元にしたお話だったんですけど、シャンフロにもそういうのがあるのかなって!

 

サンラク:人気ゲームが漫画やアニメになるのはよくある話だけど……

 

鉛筆騎士王:クソゲー畑の人間には縁の遠い話だったかな?

 

サンラク:おっと、あまりクソゲーを舐めるなよ。世の中にはストーリーだけはまともだったからって何故かアニメ化してしまったクソゲーだってあるんだぞ

 

オイカッツォ:その手の作品ってアニメに釣られた新規ユーザーが泣きを見るまでがワンセットなんだよなぁ……

 

オイカッツォ:と、話が逸れたね。その辺は一応あらかたチェックしてるけど、公式でシャンフロのコミカライズって話は聞いたことはないかな

 

秋津茜:そうなんですね!こんなに人気があるのにちょっと意外です

 

ルスト:ゲームとしての評価が必ずしも別媒体での評価と結びつくとは限らない

 

鉛筆騎士王:サンラク君が言ってたのとは逆のパターンで、ゲームとしては面白いけどストーリーは……って作品も少なくないからねぇ

 

京極:確かに、幕末みたいなゲームにストーリー性を求められても困るね

 

オイカッツォ:あれを面白いゲームと言っていいのかはともかく、まあそういうこと

 

オイカッツォ:シャンフロの場合はまだ明かされてない部分が多すぎるだけな気もするから、シナリオが進んでいけばその内そういう話も出てくるかもね

 

秋津茜:なるほど!ありがとうございます!

 

サンラク:でもシャンフロはこれだけ内容が濃いと逆に話を纏めるのが大変そうだよな

 

鉛筆騎士王:ワールドストーリーだけでもかなりの量だし、それにユニークなんかも合わせるととんでもない大長編間違いなしだよね

 

ルスト:主人公を決めるだけでもきっと一苦労

 

サンラク:案外実在のプレイヤーをモデルにしたりしてな

 

モルド:秋津茜さんは主人公適正物凄く高そう

 

秋津茜:いえいえっ!そんな、私が主人公なんて恐れ多いです!

 

鉛筆騎士王:それなら勇者武器の所持者にしてユニークモンスターの討伐経験もある鉛筆おねーさんにも可能性はあるんじゃないかな?

 

オイカッツォ:どう考えても勇者に討伐される側なんだよなぁ……

 

鉛筆騎士王:チッチッチ、甘いねカッツォ君。最近はヴィランが主役の作品だって人気だったりするんだぜ?

 

京極:ヴィランは否定しないんだ…

 

オイカッツォ:まあ、覆面半裸の変態に比べたら悪役主人公の方がまだありえそうだよね

 

サンラク:それでもユニーク自発できないどっかの誰かさんよりは可能性あるかもな

 

オイカッツォ:は?

 

サンラク:お、やるか?

 

オイカッツォ:よし、お前このあと便秘な

 

サンラク:上等だコラ。プロゲーマー様にクソゲーマーの力をもう一度教えてやるよ

 

モルド:極自然な流れで決闘の約束がなされていく……

 

サイガ-0:サンラクさんが主人公の漫画、ですか……

 

鉛筆騎士王:待って、全編通して主人公が鳥頭とか絵面を想像するだけで笑えるんだけど

 

ルスト:モルドが隣でお腹を抱えて崩れ落ちた

 

サンラク:お前らそんなにバトルロワイアルがお望みか?

 

京極:鏡見なよ。サンラクみたいな色物は良くて準レギュラーのネタキャラくらいが精々でしょ 

 

鉛筆騎士王:もしもそんな面白主人公の漫画があったら次にテレビに出演するときふりっふりのドレスを着てきてあげるよ。カッツォ君が

 

サンラク:その言葉忘れるなよ。全国ネットで魔境の住民たちに極上の素材(エサ)を提供してやるよ

 

オイカッツォ:さらっとこっちに特大の燃料ぶち撒けるのはやめろぉ!?

 

鉛筆騎士王:まあまあカッツォ君。別に本当にそんな主人公なんているわけないデショ?こんなの只の与太話だよ

 

オイカッツォ:……まあそれもそうか

 

オイカッツォ:よし、それじゃあ万が一そんなサンラクみたいな変態主人公が人気になった日にはドレスに加えて全力でメイクした姿を御披露目してやるよ!

 

サイガ-0:あの、それって……

 

秋津茜:私知ってます!こう言うのを『フラグ』って言うんですよね!

 

 

魚臣慧の明日はどっちだ!

 



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テセウスの蛇

Twitterでの硬梨菜先生の性癖暴露に触発されて書いたお話。
もしもの世界のウィンプとサンラク。


 グジュリ、と湿った生々しい音を響かせながらそれ(・・)が私に繋がっていく様を、私は努めて平静を装いながら眺めていた。

 他ならぬ私自身の生存の為にはそうするべきだと分かってはいるものの、私ではない()に体が作り変えられるような心地がしてこの作業は何度やっても好きになれない。

 数瞬もすれば先ほどまで何も無かった私の左足首の先もすっかり元通りだ。よく見ると少しだけ肌の色が違っているし、肌に残る傷跡がちぐはぐな印象を与えるものの動く分には問題無い。

 

「…何度見ても見事なもんだな。どうだウィンプ、今までと比べて違和感は無いか?」

 

 隣では半裸の鳥頭(ふしんしゃ)がその様子を見守っていた。

 見守ると言ってもそこに込められた感情は心配や気遣いといった慈愛を含んだものではなく、まるで整備した道具に不具合がないかと確認する職人のような、どこか無機質さを孕んだ物だったけれど。

 確認を受けた私は足首の先をくるくる回してみたり、その場でぴょんぴょんと軽く跳ねて調子を確かめながら答えていく。

 

「…もんだいないわ。これならいつおそわれてもにげられるわよ」

「それは何より。だがお前は自分で動こうとするとすぐ死にかけるんだから変に無理をしないでいざという時はサミーちゃんさんを頼れ」

「ぐっ…こ、これはちょっとゆだんしてただけよ!」

 

 失礼な物言いに反論したいところだけれど、不運にも遭遇してしまった「傷だらけ」に左の足首から先を食いちぎられてしまった私には返す言葉もなく、悔し紛れに声を張り上げることしかできない。

 こいつはそんな私の心情を知ってか知らずか、まるで駄々をこねる幼子に語り掛けるような声色で話しかけてくる。

 

「そうか、なら今後はくれぐれも樹海で油断は禁物だ。今回はスペア(・・・)にあてがあったから良かったけど、お前の部位欠損を直すのは簡単じゃないんだからな」

「…わ、わかってるわよ」

 

 簡単じゃないと言いながら、私の体が欠ける度にどこかから別の()の体を持ってくるこいつは一体何なんだろう。

 

 ———サンラク。その身に黒狼の傷を刻まれた、何故かいつも素顔を隠したままの開拓者。

 

『初めましてだゴルドゥニーネ、なんとも素敵な姿だが姉妹喧嘩でもしてきたか?』

 

 初めてこいつに遭った時、その身に纏う強者の気配を感じた私は思わず生を諦めかけた。

 サミーちゃんがついているとはいえ()との戦いの中で右腕を失っていた私にこいつと戦って生き残るビジョンは全く見えてこなかったし、イチかバチかで試みた支配も忌々しい狼の傷によってあっさりと弾かれてしまった。

 最早ここまでかと思った私だったけれど、何故だかこいつは私を倒そうとはせず、それどころか共闘の誘いを持ち掛けてきた。

 それが死にかけの私を憐れんでのものだったのか、それともこいつなりに何か目的あっての事だったのかは未だによく分かっていない。

 ただその時、初めてサミーちゃん以外に自分の身を預けられる存在ができたことに思った以上に安堵したことはよく覚えている。

 

「ところで本当に右腕は良かったのか?今回のゴルドゥニーネはお前と随分体格も近かったし、せっかくならそっちも持ってきたんだぞ」

「…べつにこれももうなれたからいいのよ。そもそもわたしのうではまだちゃんとついてるんだけど?」

「そこはほら、まずは一思いに傑剣への憧刃でスパッといってだな…」

「ぜったいにいやよ!?わたしのからだをなんだとおもってるの!?」

 

 …本当にこいつに身を預けていいのかは時々不安になるけれど。

 人形の手足を取り換えるような気軽さで人の腕を切り落とそうとしないで欲しい。開拓者というのは命の扱いが軽いとは聞くけれど、その中でもきっとこいつは別格だ。

 咄嗟に左手で右腕を抱くようにして庇いながら目の前の狂人から一歩距離を取る。その際、腕の付け根に刻まれた歪な文様が目に入った。私の背中にもそれによく似た、それでいて決して同一ではないものが刻まれている。

 これは彼の狼の傷のように強者を呼び寄せることもなければ、その身に降りかかる呪いを弾く訳でもない。それは、ただ私が私であることを証明するためだけにそれぞれの私が己が身を傷つけて印していく。

 私の今の右腕は共闘関係を結んですぐの頃、()に襲われたときにそれを返り討ちにして奪い取ったものだ。その()は私よりも少しだけ体が大きくて、おかげで左右の手の長さの違いに慣れるまではちょっとだけ苦労した。

 そしてそれは、私が同族に負けるということの意味を初めて真に理解した瞬間でもあった。

 

 もし、私が()に殺されてしまったら。

 私は「ウィンプ」でもなにものでもない、ただのゴルドゥニーネになってしまうのだろうか。

 私たちが今まで倒してきた、他の()と同じように。

 

「それは、なんだかさみしいわ…」

「ん?ウィンプ、何か言ったか?」

 

 私の呟きがよく聞こえなかったのか、こいつは私の名を呼びながらその鳥頭を傾げている。

 その姿がなんだか可笑しくて、私はくすりと小さく笑みを零した。

 

「…なんでもないの、やっぱりしぬのはいやだなあっておもっただけよ」

 

 だから私は、今日もこうして生きるのだ。

 鬼畜で頭がおかしくて、だけどとっても愉快な彼と一緒に。

 



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彼はゲーマーであるが故に

そういうゲームであるのなら、きっと躊躇わないんだろうなあっていうお話。


「テセウスの蛇」の続きというか、サンラクさん視点での外道トリオでの会話です。


「おっと皆さんもうお揃いで」

「随分と重役出勤じゃないかサンラク。時間になっても君が来ないからとうとう頭の中まで鳥頭になって約束の事を忘れたんじゃないかと心配していたところだよ」

「いやあ申し訳ない、何分抱えているユニークが多いものでね。あっ、悪い。ユニークに縁のないお前にはこの苦労は伝わらないか!」

「よーし、壁と床のどっちの染みになるかくらいは選ばせてやるよ」

「はいはい、二人ともじゃれ合いは程々にね」

 

 約束の時間から三十分ほど遅れて格納鍵内に現れた俺を外道二人が出迎える。

 開口一番に飛んできた皮肉に挨拶代わりに煽り返してやれば、ユニーク自発出来ないマン(オイカッツォ)の堪忍袋の緒は古びた輪ゴムよりもあっさり千切れ飛んでいった。

 そんな俺達を制しつつ、ペンシルゴンは早速とばかりに本題に入っていく。

 

「さて、君も最近すっかり雲隠れが板についてきたみたいだけど、いい加減少しは状況を説明してくれてもいいんじゃないかな?」

「んー、状況と言っても何から話せばいいものか…」

「それじゃ単刀直入に聞くけど…アレは何?」

 

 そう言ってペンシルゴンが指し示す先では、多種多様なアイテムと共に何体ものゴルドゥニーネの体が宙に浮かんでいた。

 それらのゴルドゥニーネたちはそれぞれの体格や体に刻まれたタトゥーの位置などの違いはあるが、既にHPを失い再び目を開けることはないことと、体のどこかを欠損しているということだけは全ての個体に共通している。

 

「今メインでやってるユニークの対戦相手兼戦利品」

「え、このゲームそんな物騒なユニークまであるんだ。ちょっとそれ私も参加出来ないの?」

「エネミーとはいえ人型の死体を収集するシナリオに即決で参戦希望したよこの女」

「複数人参加型のユニークだから不可能ではないだろうけど、これ発生条件というかキーになるキャラとの遭遇条件が未だに謎なんだよな…」

 

 俺がウィンプと鉢合わせたのも完全に偶然だった上に、今までに出会った他のゴルドゥニーネとそのパートナー達の関係からして共闘する条件も各々で異なっているようだった。

 ライブラリ辺りに考察を頼めばもう少し詳細な予測が立てられるのかもしれないが、諸々の都合上あまり情報を広めるのはよろしくなさそうなのが悩みどころだ。

 

「それは残念、じゃあせめてそれがどんな目的のシナリオなのかくらいは教えてくれない?」

「そうそう、中途半端に自慢するくらいならこの際全部ゲロっちゃえよサンラク」

「…まあ、お前らにならいいか。でもこれ本当に他言無用で頼むぞ」

 

 どこまで話したものかと一瞬思案したが、こうしてインベントリアにゴルドゥニーネの体を保管している以上は情報の秘匿にも限界がある。

 この二人ならば裏で暗躍することこそあれど、無意味に情報を拡散することもないだろうと判断の元、最低限の情報は伝えることにした。

 ヘタレなゴルドゥニーネとの遭遇、ユニークモンスター「無尽のゴルドゥニーネ」、ユニークシナリオEX「果て無き我が闘争」、そしてゴルドゥニーネ達の特異な部位回復手段…

 

「またもやEXシナリオを発生させてることに関してはサンラク君のことだからもう驚かないとして…」

「同族での喰い合いが前提って…またエグい仕様だなぁ」

 

 俺が特大のネタを引き当てるのはもう慣れたのか、ユニークモンスター絡みのシナリオであることくらいでは既に大したリアクションを得られなくなっていたものの、他のゴルドゥニーネの体を繋ぐことで部位欠損を修復するというゲームを間違えているんじゃないかと言いたくなるこの仕組みには流石の二人も表情を変えていた。

 実際にウィンプの回復の為に何度か他のゴルドゥニーネの体を切り取っている俺からしても正直この仕様はどうかと思う。

 最初からグロテスクな世界観のゲームならばともかく初見では王道ファンタジーの世界観、それも全年齢向けのゲームでこれはクソゲー一歩手前だろう。

 

「ふーむ、つまりこれ同族限定とはいえ別のモンスターの体を継ぎ接ぎできるってことだよね?それって元の体の持ち主のスキルとかを引き継げたりはしないの?魔法特化型の個体に物理職のスキルを持った腕を繋げたり、四肢をそれぞれ別属性の魔法が使えるの物に取り換えたりとか」

「発想が完全に主人公に滅ぼされるマッドサイエンティストのそれ」

「倫理観なんて気にせず探求心の命じるままに突き進む科学者って私好きだよ。最後は研究所ごと爆発するまでがお約束だよねえ」

「絶対にこいつにそのシナリオを発生させちゃダメだ…!」

 

 ペンシルゴンの発言にカッツォが戦慄しているが、似たようなことは俺も考えており、そのあたりのシステムもある程度は確認済だ。

 あと俺は生命を弄ぶタイプの悪役は自分で作り上げた生き物に反旗を翻される展開が好みだ。

 

「いや、あくまでも欠けた肉体を補う以上のことは出来ないらしい。ウィンプに聞いてみたけど特に何か新しいスキルや魔法をしたりはしていないと言っていた。」

「なんだ残念。それじゃこれはそのウィンプって子の体の予備?」

「それもあるけど、主な用途はゴルドゥニーネとパーティ組んでる他のプレイヤーとの交渉用」

 

 いくらあいつが弱いとはいえ部位欠損クラスのダメージなどそうそう食らうものではない。

 にも関わらずこいつらに今までに倒したゴルドゥニーネの体を保管しているのは、戦利品はとりあえず集めておくゲーマーの性というのもあるが他プレイヤーとの取引の為の側面が強い。

 

「なんでわざわざ交渉を?そんな血みどろなバトルロイヤルをしてるなら背中刺されるリスク抱えるよりサクッといっちゃった方がよくない?」

「チッチッチ、30点だよカッツォ君」

「俺の話をちゃんと聞いていたか?そんなんだからお前はユニーク自発出来ないマンなんだよ」

 

 俺達の煽りにカッツォは握りこぶしをプルプルと震わせているもののとりあえず話を聞く気はあるのか、自分の中の衝動と戦いながらも殴り掛かっては来ない。

 そんなカッツォに見る者全てがイラっとするような渾身のドヤ顔を披露しつつペンシルゴンが答える。

 

「確かにこれは『さあ争ってください』と言わんばかりの仕組みだよ…でもね」

 

 奴はそこで一度言葉を区切ると、意味深な笑みこちらにを浮かべながら先程の話の内容を確かめる様に語り掛けてくる。

 

「サンラク君。念のためにもう一度聞くけれど、別のゴルドゥニーネの体を繋げたからといって別に強くなれたりはしないんだよね」

「ああ、俺も気になって色々試してみたが欠損した体を補う以上の効果はない。それどころか繋ぐパーツと本体のサイズが合わないと慣れるまでは前より弱くなるくらいだ」

 

 そこまで話せばカッツォも俺達と同じ答えにたどり着いたのか、苦虫を数十匹ミキサーにかけて一気飲みしたような顔をして口を開く。

 

「つまりあくまでも同族との戦いはマイナスをゼロに戻すのが精々で、何かがプラスになるわけでは無いと?」

「そういうことだな。極論全てのゴルドゥニーネが五体満足でいるのなら少なくともプレイヤーである俺達には争う合理的な理由は何もない」

 

 とはいえ実際はゴルドゥニーネ達が基本敵対関係にある上に、その争いの中で体を失った個体が複数存在する現状ではそれも絵空事だ。だが俺はこれらの事実から一つの懸念を抱いている。それは…

 

「ユニークモンスター『無尽のゴルドゥニーネ』は複数のゴルドゥニーネ達での共闘が必須の可能性がある」

 

ククク…さも同士討ちが前提であるかのような設定を持ち出しておいて、いざボス戦となった時自分が切り捨ててきたものこそが勝利の鍵だったと思い知らされる。

 なんともクソゲー染みた展開であるがこのゲームならばそのくらいはやりかねない。天地律、やはり奴こそはクソゲーの伝道師…!

 

「なるほどね、それで敵を全滅させずに協力する余地を残しているわけだ」

「そういうことだ。まああくまでも念のためだけどな」

 

 最終目標は無尽のゴルドゥニーネを倒すことであって、俺としては他のゴルドゥニーネとは必要に迫られない限りは積極的に戦うつもりは無い。

 あのゴルドゥニーネにはラビッツでの借りとついでにウィンプの右腕を取られた借りがある。お返しに今度戦う時はあいつの両腕を捥ぎ取ってやろう。

 

 いつか来る決戦の日を想い改めて戦意を高めつつ、その鍵となるウィンプの元へと帰るべく俺はインベントリアを後にした。



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愛好者は祝う※

Are you (レディ)

魚臣慧誕生日記念ss
※魔境回につき下ネタ多いです



415:名無しは左側を探索します

慧きゅんの誕生日まであと一時間…お前ら準備はいいな?

 

416:名無しは左側を探索します

任せろ、とっくに服は脱いでるぜ

 

417:名無しは左側を探索します

>>416靴下は履いとけ

 

418:名無しは左側を探索します

>>416パーティ帽子を忘れるなよ?

 

419:名無しは左側を探索します

今年の誕生日は慧きゅんメディアへの出演予定は無いんだっけ

 

420:名無しは左側を探索します

>>416ネクタイ…はまあいいか、今夜は無礼講だ

 

421:名無しは左側を探索します

こないだSNSで予定聞かれて答えてたけど明日は丸一日オフにするってさ

 

422:名無しは左側を探索します

サンクス、それじゃ今年は公共の電波で皆に祝われて赤面する慧きゅんはお預けか…

 

423:名無しは左側を探索します

何年か前にバラエティ番組の中でモデルの天音永遠が誕生日プレゼントと称して慧きゅんにフリフリのドレス着せてたのは最高だった

 

424:名無しは左側を探索します

あの時はスレの速度やばかったな…

 

425:名無しは左側を探索します

元々慧きゅんバースデーで界隈の人間が注目してるところにあんな特大の爆弾落とされちゃそりゃもう大惨事よ

 

426:名無しは左側を探索します

あれは間違いなく神回だった

その後しばらくサプライズを警戒してテレビに映る度にそわそわしてる慧きゅんでご飯三杯はいけた

 

427:名無しは左側を探索します

ところで誕生日にオフって慧きゅん何して過ごすんだろう

 

428:名無しは左側を探索します

そりゃもうナニでしょ

 

429:名無しは左側を探索します

例年だと試合終わりに爆薬分隊のメンバーで打ち上げ兼ねてお祝いしてたりが多かったかな

 

430:名無しは左側を探索します

シルヴィア・ゴールドバーグが電撃来日してエンドレスマッチ組んでたこともあったな

 

431:名無しは左側を探索します

最初は意気揚々と挑戦を受けてた慧きゅんが最後には「お願い…少し休ませて…」って息切れしてたのいいよね…

 

432:名無しは左側を探索します

爆薬分隊のメンバーといえばやっぱり顔隠し×慧きゅんでしょ

 

433:名無しは左側を探索します

顔隠しがチーム入りしてから慧きゅん明らかに可愛さが増したよね

 

434:名無しは左側を探索します

分かる、ふとした瞬間にガチ恋笑顔を見せる慧きゅんが眩し過ぎて

 

 

 

 

489:名無しは左側を探索します

慧きゅん誕生日おめでとー!

 

490:名無しは左側を探索します

Happy Birthday 慧きゅん!

 

491:名無しは左側を探索します

また一年素敵な慧きゅんが見られますように

 

492:名無しは左側を探索します

今年もお祝いイラストが豊作ですなあ

 

493:名無しは左側を探索します

バースデーキャンドル×慧きゅんの人、ちゃんと毎年蠟燭が一本ずつ増えてるの好き

 

494:名無しは左側を探索します

ノーウェイ・スノー・SNS!!

 

495:名無しは左側を探索します

誕生日という共通のテーマがあるからこそ各々の性癖への拘りが垣間見えるよね

 

496:名無しは左側を探索します

>>494なんて?

 

497:名無しは左側を探索します

思考入力でバグったんだろ

 

498:名無しは左側を探索します

ノーウェイ・スノー…ノーフェイス……顔隠しのSNS?

 

499:名無しは左側を探索します

まってこれはやばい

 

500:名無しは左側を探索します

【画像フォルダ】

えっ

 

…………………えっ?

 

501:名無しは左側を探索します

慧きゅんAVデビューしたの???

 

502:名無しは左側を探索します

端末の調子悪くて画像見られないんだけど>>500は何?

 

503:名無しは左側を探索します

>>502

今しがた顔隠しのSNSにアップされた写真

大量の白いブツが慧きゅんの顔にぶちまけられてる

 

504:名無しは左側を探索します

>>503は!!!????

 

505:名無しは左側を探索します

>>503言い方ァ!

いや確かに大変エッッな絵面ではあるんだけどこれ多分生クリーム

 

506:名無しは左側を探索します

生クリームでデコレーションした慧きゅん…王道だね!

 

507:名無しは左側を探索します

つまり顔隠しが慧きゅんの生クリームを食べて、慧きゅんは顔隠しの生クリーム(意味深)を頂くんですね??

 

508:名無しは左側を探索します

本気でこれどういう状況なんだ

 

509:名無しは左側を探索します

ナツメグのSNSに答えがあったぞ

顔隠し含む友人連中で日付変更と同時にサプライズでパイ投げしたらしい

 

510:名無しは左側を探索します

なあ、夏目氏が上げた写真に写ってる金髪ってこれシルヴィア・ゴールドバーグじゃ…

 

511:名無しは左側を探索します

また来日してたのか

 

512:名無しは左側を探索します

永遠様のSNSも更新してるわ

家に突入した瞬間の動画付きで

 

513:名無しは左側を探索します

訳の分からないまま白く染め上げられる慧きゅん…

 

514:名無しは左側を探索します

ねえこれ大丈夫?生クリームを舐める慧きゅんセンシティブ過ぎて垢BANされない?

 

515:名無しは左側を探索します

「んっ、甘い…」じゃないよ!!!

 

516:名無しは左側を探索します

そこでんべって舌を出す慧きゅんがあざとすぎてはいほんとうありがとうございます

 

517:名無しは左側を探索します

文句を言ながらも嬉しさを隠せてない慧きゅんマジ天使

 

518:名無しは左側を探索します

今夜はこのまま皆でパーティかな

 

519:名無しは左側を探索します

乱〇パーティ!??

 

520:名無しは左側を探索します

慧きゅんの穴は三つしかないんですよ!

 

521:名無しは左側を探索します

>>520手とか使える場所は他にもあるでしょ

 

522:名無しは左側を探索します

>>520一対一を順番に代わるがわるっていうのもいいわね

 

523:名無しは左側を探索します

誰か穴の数にツッコんであげて

 

524:名無しは左側を探索します

>>523慧きゅんの穴に突っ込む!?

 



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愛好者達の驚愕※

GGC実況中の魔境掲示板。
※相変わらず下ネタ多め


101:名無しは左側を探索します

シルヴィアここでダウン!?

 

102:名無しは左側を探索します

このままカスプリ押しきれるか!!?

 

103:名無しは左側を探索します

まだだ!ミーティアスから反撃入る!!

 

104:名無しは左側を探索します

クロスカウンター決まった!どっちが勝った!?

 

105:名無しは左側を探索します

カスプリK.O.!

 

106:名無しは左側を探索します

シルヴィアK.O.!

 

107:名無しは左側を探索します

えっ、これどうなるの??

 

108:名無しは左側を探索します

ダブルノックアウト!?

 

109:名無しは左側を探索します

まさか引き分け?

 

110:名無しは左側を探索します

ん?一旦ログアウトしたな

 

111:名無しは左側を探索します

ふぅ、ようやく落ち着いてスレが見られる…

 

112:名無しは左側を探索します

観戦してるこっちまで息切れしそうな怒涛の展開だったもんね

 

113:名無しは左側を探索します

画面の前で叫びすぎて喉が痛い

 

114:名無しは左側を探索します

こちら現地勢、会場の熱狂と絶叫で耳も痛い

 

115:名無しは左側を探索します

途中から完全にただの実況スレと化してたな…

 

116:名無しは左側を探索します

だって肝心の慧きゅんが居ないんだもん

 

117:名無しは左側を探索します

>>115

これを生で観戦できたのは羨ましすぎる

是が非でも有給もぎ取るべきだった……

 

118:名無しは左側を探索します

トイレにしては長過ぎない?

やっぱり何かあったんじゃ…

 

119:名無しは左側を探索します

トイレでナニがあったんです!?

 

120:名無しは左側を探索します

それはちょっと今口にするのは憚られるというか…

 

121:名無しは左側を探索します

その話は23時になってから詳しく

 

122:名無しは左側を探索します

まって話してる間に慧きゅん来てる!

 

123:名無しは左側を探索します

慧きゅんキターッ!

 

124:名無しは左側を探索します

慧きゅんキターッ!

 

125:名無しは左側を探索します

良かった、本格的にまずいトラブルって訳では無さそ…!??

 

126:名無しは左側を探索します

お待ちになって!!??

 

127:名無しは左側を探索します

ゑ?

 

128:名無しは左側を探索します

今私幻覚見えた???

 

130:名無しは左側を探索します

録画速攻で確認した、これは紛れもない現実

 

131:名無しは左側を探索します

慧きゅんが顔隠しの肩をガッと掴んで…ほっぺたすりすりって…

 

132:名無しは左側を探索します

まって無理限界尊い

えっ、なにあの分からせて下さいと言わんばかりの悪ガキフェイス

 

133:名無しは左側を探索します

試合もその他の配信もSNSも全部追ってる自負があるけどこんな慧きゅん見たことないよ

本邦初公開だよ

 

134:名無しは左側を探索します

これ現地ネキ大丈夫?

衝撃で心臓止まってない?

 

135:名無しは左側を探索します

>>134

一気照るYO!

 

136:名無しは左側を探索します

>>135

思考入力さんちょっと落ち着いてもろて

 

137:名無しは左側を探索します

顔隠しの正体誰??

やっぱりプロの誰かとか?

 

138:名無しは左側を探索します

表の実況も覗いて来たけど心当たりある人いないみたい

プロの誰かだとしても戦い方に見覚えが無さすぎるとかで

 

139:名無しは左側を探索します

まさか慧きゅんの本命彼氏とか…?

 

140:名無しは左側を探索します

顔掴みあって喧嘩してる姿が完全にイチャイチャにしか見えないというか…

あの、お二人とも距離近くないですか?

 

141:名無しは左側を探索します

おっ、休憩中に顔隠しにインタビューか

 

142:名無しは左側を探索します

……何でエナドリのダイマ?

 

143:名無しは左側を探索します

ここでライオットブラッドとは分かってるな

 

144:名無しは左側を探索します

「お尻も無事なようで何よりです!」

 

145:名無しは左側を探索します

よかった、トイレで菊の花を散らす慧きゅんは居なかったんだね…………残念

 



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おいしくなぁーれ、萌え萌えキュンっ!

サバさんの性癖を破壊したかった。

元ネタは硬梨菜先生のTwitterから


「おいしくなぁーれ、もえもえきゅんっ!……こ、これでいいのよね?」

 

 テーブル席へとオムライスを持って行ったウィンプが恒例の呪文を唱えている。

 メイド服を着て戸惑いがちに指でハートを作る姿は到底ユニークモンスターとは思えない有り様だ。

 周囲では着せ替え隊の面々が絶え間なくスクショを取りながら野太い歓声を上げていた。

 

「ありがとうウィンプちゃん!あっ、あのお小遣い上げるからふーふーとあーんも……」

「おっとそれ以上は協定違反だ、そのオムライスを無駄にしたくなければ大人しく自分で食うんだな」

 

 更なるサービスを求めてマーニの入った袋をウィンプに握らせようとしたプレイヤーだが、周囲の面々に見咎められ泣く泣く自らの手でスプーンを握ったようだ。

 カウンターに頬杖を突きながら見るとは無しにそんな馬鹿騒ぎを眺めていると、コトリと小さく音を立てて俺の目の前にもホカホカのオムライスの乗った皿が差し出された。

 注文した覚えのないそれに首を傾げつつ視線を上げれば、これまた何故かメイド服を着ているサイナがスプーンを手渡してきた。

 

提供(どうぞ):賄いで頂いたものですが、当機(わたし)は食事を摂りませんので」

「そういうことか、そんじゃ有難く頂くよ」

「少々お待ちを、まだ最後の仕上げが残っています」

「仕上げ?もうケチャップもかかって…」

「おいしくなぁーれ、萌え萌えキュンっ……以上です、どうぞお召し上がりください、契約者(マスター)

「……………お、おう」

 

 なんだろう何故か気恥ずかしい!

 いや、別にメイドキャラなんてクソゲー神ゲー問わずありふれているし、なんなら自分自身がメイドになったこともあるのだが、蛇の林檎(ここ)があまりゲーム感の無いオーソドックスな喫茶店の内装をしている故か、変なコスプレ感がある。

 

「サイナちゃんが自分から…!」

「流石はツチノコさんだ」

 

 さっきまでウィンプのメイド姿に熱狂していたはずの着せ替え隊の面々までもがいつの間にかこちらに注目している。

 その視線を努めて無視してオムライスを食べていると、店のドアが開き見知った顔が入ってきた。

 

「よおサンラク、鳥がオムライス食っていいのか?」

「サバイバアルか…俺達が今更共食い(・・・)を気にするようなタマかよ」

「はっ、違いねえ」

 

 話しながらも匙を動かし「美味かった」という一言を添えて空になった皿をサイナに返す…と、その時。

 サイナの着ているメイド服と隣に座るロリコンを見て、ちょっとした悪戯心が湧いてきた。

 

「サバイバアル、お前飯は?」

「あーそうだな、空腹度的にはなんか食っといたほうがいいか」

「よし、それじゃ今日は俺が奢ってやるよ」

「おいおい、どういう風の吹き回しだ?」

「なあに、ちょっとしたサービスだよ」

 

 突然の俺の申し出に怪訝な顔を浮かべるサバイバアルだが、俺はそれに構わずマスターに声をかけ厨房内に入れてもらう。

 客席から見られていないことを確認すると、聖杯を使って女体化し……

 

 

「お待たせしましたぁー」

「おう、オメー一体何をたく…らん……で…?」

 

 後ろから声をかけられたサバイバアルが振り返る。

 何やら俺の腹の底を探ろうとしてきたものの、俺の姿を見るなりその言葉は尻すぼみに消えていく。

 テーブルの上に焼き立てのマルゲリータを置くと、先程のウィンプのように手でハートを作り、甘ったるい声音でその言葉を唱えた。

 

 

「おいしくなぁーれ、萌え萌えキュンっ!」

 

 

 

 

 

・オマケ

 

 

「我ら一同代表しまして不肖サバイバアルがぁ!美味の(まじな)いを執り行いたく思います!!」

 

 昼下がりの蛇の林檎に野太い叫びが響き渡る。

 声の元を見れば、いつものスク水を脱ぎ捨てエリュシオン謹製と思しきメイド服に身を包んだサバイバアルが、今まさにオムライスを食べようとしているティーアス先生に向かって謎の宣誓をしているところだった。

 肩幅ほどに足を開き、後ろ手を組み声を張り上げるその威容はメイドというよりも応援団とかツッパリ系のそれを彷彿とさせる。黒曜纏の石外套(アムルシディウス・ユニフォーム)とかめっちゃ似合いそう。

 奴の後ろでは着せ替え隊の面々が軍隊もかくやという整然とした列を作って…いや、肩の震えを抑えきれてない奴もちらほらいるな。何だあれ罰ゲーム?

 事情はさっぱり分からないが、とりあえずあの愉快な絵面を記録に残すべく、録画用アイテムを起動しながら成り行きを見守る。

 サバイバアルは一歩前へと踏み出すと、深く息を吸い込み腰を落としてテーブルの上のオムライスに手のひらを向け——

 

「美味しくなぁれッッッ!!!萌え゛萌え゛ぇぇぇぇぇぇぇ………………………………キ゛ュ゛ン゛゛゛ッッッッッッッ!!!!!」

 

「ぶっふぉぁ!!」

 

 余りにも似合わないその台詞に堪えきれずに吹き出した。

 後ろで見ていた着せ替え隊の面々はおろか、いつもクールなマスターさえもが肩を震わせる店内で、スプーンを握るティーアス先生だけがマイペースにそのオムライスを平らげていた。

 

 



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沼に落ちる音がした

※孤島組アイドルパロ。
京極がアイドルをやってる楽郎のライブに行くお話。


「……そこをどいてよ、兄さん」

「それは無理な相談だ。月並みな言葉だが敢えて言おう……ここを通りたくば、兄を倒してからにしてもらおうか、京極(我が妹)よ」

 

 命を懸けた果し合いに赴かんばかりに戦意を滾らせた兄さんが僕の行く手を阻む。

 その手に握った獲物は流石に真剣では無く竹刀だけれど、本気モードの兄を前にしてはそんなことは何の慰めにもならない。

 心の底から悔しいが、今の僕では未だ目の前の兄を突破することは叶わないだろう。

 

「なんで、そんなに僕の邪魔をするのさ」

 

 負け惜しみと分かっていながらも、思わず怨嗟の声が零れ落ちる。

 兄さんはそんな僕を見て、臨戦態勢は解かないままで困ったように眉根を寄せた。

 

「僕だって何も京極が憎くてこんなことをしている訳じゃない。だけど、愛する家族が間違った道を進もうとしているのなら、力ずくでも止めてやるのが家族の……兄の務めだ」

「このっ…分からずや……!」

 

 やはり説得は不可能か。

 こうなってしまっては仕方がない。

 僕は一つため息を吐くと、一歩後ずさってから余所行き用の靴を脱いだ。

 その様子を見た兄さんが今日初めて相好を崩した。

 

「京極…!僕の気持ちが分かってくれたのかい!」

「うん、兄さんに引く気が無いってことはよく分かったよ」

「そうかそうか!いや、無粋な真似をして済まなかったね。お詫びと言っては何だけど代わりにこれから僕と一緒に抹茶でも飲みに……」

「だから僕は裏口から行くね、ちなみにお母様に足止めを頼んであるから追ってきても無駄だよ」

「待ってくれマイシスター!?」

 

 家の玄関の前で仁王立ちしている兄さんを放置して、脱いだ靴を持って家の裏手の通用口に向かう。

 ご近所迷惑だから外であまり大声を出さないで欲しい。

 

「待たない!兄さんのせいで待ち合わせの時間がギリギリになっちゃったんだから!」

「そんな待ち合わせキャンセルすればいいじゃないか!チャラチャラした男に会いに行くなんてお兄さん許しませんよ!!」

「ライブに行くだけで人聞きの悪い言い方しないでよ!友達に強引に誘われたから付き合いで行くだけだってば!」

 

 付け加えて言うとその友人は女の子である。

 最近一押しのアイドルグループのチケットが二枚手に入れたという彼女の誘いでたまたま僕に白羽の矢が立ったというだけで、正直なところ僕自身はアイドルなんてものに興味はない。

 

「……信じていいのかい、妹よ」

「信じるも何も、兄さんは僕がアイドルなんて浮ついたものに現を抜かすと思うの?」

 

 心外だと言うように呆れ交じりに問いかけてみれば、兄さんはぶんぶんと勢いよく首を左右に振って否定した。

 

「思わない!思わないとも!!」

「納得した?いい加減僕は行くからね」

「いってらっしゃいマイシスター!くれぐれも事故やナンパ男には気をつけて、もし何かあればいつでも僕を呼んでくれていいからね?いやいっそ僕が会場までエスコートし――」

「いってきまーす」

 

 また話が長くなりそうだったので兄さんをスルーして今度こそ僕は家を出た。

 はぁ、出発前から無駄に疲れた……

 

 

「京極ちゃん!もうすぐ始まるよ!」

「はいはい、にしても凄い熱気だね……」

 

 なんとか約束の時間通りに友人と合流した僕は、人生初のライブ会場入りを果たしていた。

 今回のライブを開いたアイドルグループは結構な人気のようで、辺りを見ればペンライトやうちわを持って楽し気に開演を待つ人々でごった返していた。

 男性アイドルのライブなのだから若い女子が多いのかと思いきや意外と男性の参加者も少なくなく、老若男女問わず愛されているグループであることが伺えた。

 

 確かグループ名が……

「『Survivors』だっけ?たまに名前は耳にするけど、ここまで人気だとは知らなかったな」

「一度聴いたら絶対ハマるよ!京極ちゃんは誰推しになるかなー?学校だとカザヤとかも人気だけど、私はなんといってもますみん推し!」

「いや、推しとか無いから」

 

 どうやらメンバーの愛称らしい『ますみん』とやらの魅力を熱く語り始めた友人に苦笑する。僕自身は全く興味の無い世界の話でも、ここまでの熱量を持って何かを好きになるその姿には好感を抱いた。

 

「!ほら、始まるよ!!」

 

 やがて会場にイントロが流れ始め、観客達のボルテージが急上昇する。

 勢いに押されるままに友人に押し付けられたうちわを振りつつステージへ目を向けると、音楽と共に三人の男性が姿を現した。

 

「あれが『Survivors』か……確かにちょっと格好いいかも」

 

 舞台の上で鮮やかに踊りながら歌声を響かせる三人を見て、少しだけアイドルと言う存在への認識を改める。

 事前に写真は見せられていたが、実際に生で歌って踊る姿を見ると一段と違う印象を受けた。

 すらっとした細見の『カザヤ』は、一見すると頼りなさそうにも見えたけれど、その実無駄のない体捌きと、激しい動きに関わらずブレない声は一本芯の通った大人の男としてのスマートさを感じさせる。

 友人の推しだという『ますみん』は、アイドルではなく格闘家の間違いじゃないかと言いたくなるほどに体格が良い。というか剣の道を志す者として言うが、あれは絶対に戦いを知っている者の目だ。本当に一体どうしてアイドルなどやっているのだろうか。

 しかし野生の獣を思わせるその風貌にも関わらず、彼の歌声は低く落ち着いた響きを以て美しいハーモニーを奏でていた。

 そして誰よりも僕の目を惹いたのは、背中合わせの彼らに挟まれるようにしてセンターから会場を見渡すグループ最年少の少年……『楽』だった。

 彼は他の二人と比べて特別体格がいい訳でもなければ声が良いという訳でもない。

 だけど彼の笑顔は何故か目を離せなくなるような、そんな不思議な魅力を湛えている。

 気が付けば僕は全力で音楽に乗っていて、一曲目が終わる頃には軽く息を弾ませているほどだった。

 興奮冷めやらぬままにステージを見上げると、楽が額に爽やかな汗を滲ませて感慨深げに観客席を見渡している。

 と、その顔がこちらを向いた、その瞬間。

 

「え!楽くん今こっち…というか京極ちゃん見たよね!?」

「え、いや……うん、多分目が合った」

「きゃー!!ファンサいいなー!私ますみんからファンサ欲しい!」

 

 僕を射抜くように真っすぐ見据えて右手を差し出す仕草に、心臓を鷲掴みにされたかのような錯覚に陥る。

 一瞬気のせいかとも思ったけれど、幕末の直感システムにも似た背筋にビビッとくる理屈を超えた感覚が、彼が僕を見ての行動だったという確信を抱かせた。

 端から端まで会場に視線を向けた後、ステージの上の三人がおもむろに話し始める。

 

『みんなー!今日は来てくれてありがとう!』

『ありがとよ!』

『ありがとー!』

 

 口々に告げられる感謝の声に観客が大歓声で答える。

 一拍遅れてその歓声の中に自分の声が混ざっていることに気が付いて、僕はらしくない自分の行動に戸惑ってしまう。

 いや、これはあくまでこの場の空気に当てられただけで、お祭りごとではしゃぐのは至るって普通のことであって。

 誰に言うでもなく内心で謎の弁明を繰り広げる()を他所にステージの上のトークは続く。

 

『ライブって、クソゲーのエンディングみたいだよな!』

『クソゲーのし過ぎで狂ったか?』

『エナドリの飲みすぎじゃない?だからカフェインは程々にしろとあれほど……』

 

 頓珍漢な発言に左右の二人から容赦無いツッコミが入る。

観客はせっかくのライブをクソゲー扱いされて怒ることもなく、彼らのそんな一挙手一投足に黄色い歓声を上げていた。

 『楽』は歓声が少し落ち着くのを待つと、幼子が家族に大切な秘密を打ち明けるような無邪気で得意げな笑みを浮かべながら語り始める。

 

『クソゲーってほんとクソなことだらけでさ、理不尽なバグに襲われるわ無茶苦茶な強さの敵が出てくるわ、ほんとVRマシンを外しながら「こんなクソゲー二度とやらねえ」って一体何度叫んだことか』

 

 普段なら何を馬鹿なことをと切って捨てるような戯言なのに、幕末をしているときの自分と重ね合わせて彼とのおかしな共通点に胸が熱くなる。おかしい、僕は一体どうしてしまったんだ。

 

『そんで、こうやってライブを開くまでもクソゲーに負けず劣らず大変なことが一杯なんだ。レッスンは疲れるし、大人の事情も色々あるから自分の思い通りにならないことなんてしょっちゅうで、何度も挫けそうになったよ』

 

 疲れを滲ませる物憂げな表情に母性本能が擽られる。彼を癒してあげられたらいいのに。

 

『でも、どんなに過程が苦しくてもどんだけ酷いクソゲーでも、最後の最後のエンディング……たった三分間だけの報酬があれば、それだけで俺は報われる、頑張れるんだ』

 

 辛そうな顔から一転、瞳をキラキラと輝かせて笑う彼の姿に胸の高鳴りを抑えきれない。

 

『俺にとってはこうやってみんなの顔を見て、一緒に笑えるライブが何よりの報酬でさ、だからその……なんか上手く言えないけど、みんな今日は本当にありがとう!!』

『言いたいことは分かった……でも始まって早々勝手にエンドを迎えるんじゃねーよ!』

 

 ますみんのツッコミで会場が笑いに包まれる。そんな他愛ないやり取りをする楽がどうしようもなく愛おしくて……認めよう、僕は欠片も興味を抱いていなかったアイドルと言う存在に、すっかり惹きつけられてしまったらしい。

続いてカザヤが一歩前に出ると、ちらりと二人を一瞥してから観客たちに向き直った。

 

『そうそう、僕らのライブはまだ始まったばかりだよ?ということで、二曲目行こうか……【Sweet poizon】』

 

 再び歌い始めた彼らへと、僕は今度こそ自分の意思で盛大な歓声を送り全力でライブを楽しんだ。

 

 

「ただいまー」

「おかえりマイシスター!夕飯もいらないなんていうから心配したよ、どこぞの馬の骨に絡まれなかったかい?」

「友達とご飯食べてきただけだってば……ちょっと今夜は観たい動画があるから部屋に誰も入らないでね」

「妹が冷たい……おや?その『μ』の字の入ったリストバンドはどうしたんだい?それに随分と沢山買い物をしてるような……」

「ちょっと色々欲しいものが出来て…………楽、かっこよかったなぁ」

「!?ちょっと待つんだ京極!楽って誰だい?男!?男なのか!!??」

「な、なんでもない!私はもう部屋に行くから!」

「話はまだ終わってな……おぉぉのぉぉぉれぇぇぇ!!可愛い妹をたぶらかしたのは何処のどいつだああああ!!!」

 




・以下読まなくてもいい設定
◆グループ名
【Survivors】
 津羽目風矢、美澄真澄、陽務楽郎の三人組アイドルユニット。
 ひょんなことから出会った鯖癌出身の三人が孤島出身者に向けて「俺達はここに居るぞ」と示すためにスワローズネスト社を筆頭スポンサーにして活動中。
 警察のお偉いさんにファンが居て広報ポスターに採用されたり、デスゲーム物に定評のある漫画家が何故かグッズのイラストを手掛けたりしている。

◆メンバー
・津羽目風矢
 ファンからの愛称は「カザヤ」
スポンサー社長の息子にしてこのユニットの立役者。本編におけるスクラップガンマンのノリで何故かアイドル始めました。
 関連グッズには「γ」の文字が記されている。

・美澄真澄
 ファンからの愛称は「みすみん、ますみん」
 鯖癌閉鎖でやさぐれてたら偶然風矢と遭遇して成り行きでアイドルに。
 幼女好きは健在で、トーク番組でうっかり女児アニメについて熱く語って以来ネット上では「ただの俺ら」扱いされている。ユニット内の男性人気No.1。
 関連グッズには「φ」の文字が記されている。

・陽務楽郎
 ファンからの愛称は「楽」
 コンビで活動していたアトバードとバイバアルをネット上で偶然見つけ、話しかけたらアイドルの道に引きずり込まれた。
 ライブ中のMCやSNS上の発言で悪気無くクソゲーを一般人に布教しては犠牲者を増やす。
 厄介ファンが多いのだが本人はあまり気にしていない。だから余計変なのホイホイするんだぞ。本当に危険なファンは風矢と真澄を筆頭に周囲の人間がガードしている。
 関連グッズには「μ」の文字


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ショートショート詰め合わせ

掌編ssの詰め合わせ。
Twitterでのss作者当てゲームに参加した時のものです。


◇鬼が生まれた日

 

 鬼に金棒、という言葉がある。

 

 『鬼系のNPCやモンスターは概してSTRとVITを高めに設定されがちなので装備の重量制限などを気にせず高攻撃力の金棒を装備させれば強いよね』という極めてシンプルな脳筋の理論である。

 

 一見すると単純ながら尤もらく聞こえる実現可能な(ロマンのある)理屈であるが、実際の所そう上手くいく訳では無い。

 というのもその手のテンプレートなイメージによるステ振りをされた鬼……というか高火力高耐久のモンスターは、DEXやAGIに難のある場合が多いからだ。

 

 どれほど強力な攻撃と強靭な体力を備えていても、鈍重なエネミーは案山子にされるのがゲーム世界の常である。

 そんな常識が通用しないのがクソゲーの楽しくも恐ろしい所だが、幸いなことに幕末においては先に挙げた例に漏れなかったようで、今回の節分イベント『鬼々怪々』で現れた鬼も幕末に汚染された志士達の手によって瞬く間に天誅の憂き目に遭うこととなった……の、だけれども……

 

「さてここで問題です。鈍いとはいえプレイヤーを一撃でぺちゃんこに出来るくらいSTRガン振りのボスモンスターと真っ向から切り結べて、尚且つその他のステータスも満遍なく化け物じみた人が金棒を持つとどうなるでしょう」

「はぁ?突然何を言い出すのさサンラク。辞世の句なら聞いてあげるから大人しく天誅されな…ぷぺっ」

 

 俺を壁際に追い詰めたと思い油断していた京極が、ゴシャアッというド派手な音を立てて爆発四散する。

 

 京極だったポリゴンと土煙が晴れると、そこには噂の金棒を持ち、にっこりとアルカイックスマイルを浮かべたレイドボスさんが佇んでいて。

 

「うおおおお!鬼はてんちゅ…ごぱっ!」

 

 ――その日、幕末に鬼神が降臨した。

 

 

◇私は貴方のお雛様

 

 そうそう、この年のひな祭りは、瑠美が突然「お雛様になりたい!!」なんて言い出してねぇ。せっかく女の子を授かったことだし、最初は立派なひな人形を買ってあげるつもりだったんだけど……その一言でピンと来たの。この子が求めてるのは()()じゃないって。

 やっぱり血筋なのかしらね。私と仙次さんの子供なだけあって、楽郎も瑠美もこれと決めたものには本当に一直線なのよ。

 それで結局ひな人形は小さめの物にして、代わりに子供用の着物を仕立ててあげようってことになってね…せっかくだから楽郎にもお内裏様を努めて貰ったの。

 

「で、これがその時の写真よ」

「わぁ…!楽郎がちっちゃくて可愛い…」

「二人とも部屋の隅っこで何をして……何見てんの!?」

 

 リビングの片隅で古びたアルバムを開いていた京極と母さんから慌てて写真を奪い取る。

 親というのはどうしてこう人の幼少期を晒したがるのか。

 

「ちょっと、いきなり何するのさ。僕のちび郎を返してよ」

「誰がちび郎だコラ、しかしまた随分懐かしいものを」

「君にもこんないたいけな頃があったんだね、瑠美ちゃんもお人形みたいで可愛いなあ」

「お前も和服は結構着てるだろ」

「僕の持ってる服はよく言えば落ち着いた、悪く言うと地味なのが多いんだよね。お雛様みたいに華やかな服を着たのは七五三の時くらいかな」

「へぇ、勿体無い。お前ならそういうのも似合いそうなのにな」

「…ありがと。まぁこういう色鮮やかなのもいいけど、今は白い和服に憧れてるんだ」

「白?」

「うん、白……ねえ楽郎、いつか私に綺麗な白無垢を着させてね」

 

 ――楽しみにしてるからね?私のお内裏様。

 

 

◇はじめてのVR入門

 

 立って歩く、箸を持つ、剣を振る……その他様々な動作を、人間は日頃特にその仕組みを意識することなく行っています。そしてそれは、突き詰めてしまえば脳の発する電気信号を受けて体の各所の筋肉が反応しているわけです。

 細かい原理までは流石に専門外なので省略しますが、VR機器は機械を装着した人間の脳の信号を読み取り、利用することで動いています。

 例えば右手を動かそうとします。本来ならば現実の身体の右手が動いてしまうところですが、機械により一時的に肉体への信号を遮断。代わりにデジタルの世界の身体に『右手を動かせ』という指令を送ることで、現実の身体と同じようにゲームの中で動き回ることが出来る……

 

「と、いう訳なんですけど、今のところ何かご不明な点などは……?」

 

 長々とした説明を一度区切り、目の前に座る仙さんの様子を窺う。

 以前のふんわりとした解説よりも三段階くらい踏み込んだ内容になっているが、果たして彼女の理解は如何ほどか。

 

「なるほど、おおよその仕組みは分かりました」

 

 ……よし!第一関門は突破!

 

 緊張と長尺の台詞で渇いた喉をやや冷めた玉露で潤しつつ、とりあえずの掴みは悪くないことにそっと胸を撫でおろした。

 気付けば仙さんもお茶を手に取り小休止の構えを見せていた。普段はおっとりとしつつもどこか冷ややかな緊張感を漂わせている彼女だけれど、こうしてまったりしている姿は玲さんとよく似た柔らかな空気を感じさせる。

 

「それにしてもなぜ急にVRの話を聞きたいと?失礼ながら、仙さんはあまりこの手のものに興味は無いものだとばかり」

「ええ、確かに私自身は機械を得手ではありません。ですが、私としても妹たちと…将来の義弟が熱中している物の事はもっと学びたいと思いまして」

 

 

◇似た者兄妹

 

 

「永遠様、撮影お疲れ様です!今日も最高でした!」

「ありがとう、瑠美ちゃんもバッチリ決まってたよ」

 

 本当にいい子だなぁ。

 

 ティーンズ向けファッション誌の撮影を終えた私は、差し出されたミネラルウォーターを受け取りながらそんな素朴な感想を抱く。

 あのサンラク君の妹なのだからさぞかし破天荒な少女なのかと思いきやそんなことは一切なく、至って常識的で…そして可愛い女の子だった。

 

 連絡先を交換した時の反応やその後の交流から察するに、瑠美ちゃんが随分と熱心な(天音永遠)のファンであることは疑いようもない。

 そんな彼女が私と個人的な交友を持つに至ったのだから、私は正直この子がそれを他人に自慢したり、距離感を勘違いして馴れ馴れしく接してくる可能性も考えていた。

 だけど蓋を開けてみればそんなことは一切なく、私に対する尊敬と崇拝の意思はそのままに、つかず離れずの距離感でもって接する彼女のいじらしい態度は、年上としての庇護欲を擽った。

 また、モデル活動においても日頃からスタイルの維持に努めるのは勿論、服飾費を捻出するために自らバイトに精を出しているというのも好印象だ。

 

 小難しい理屈を並べたが要するに私は――陽務瑠美という少女のことを、殊の外気に入っていた。

 

「はっ、はひ!永遠様にそう言っていただけて光栄です」

「んふふ、こんなに固くならなくていいのに。私と瑠美ちゃんの仲デショ?」

「そそそそそんな畏れ多い!」

 

 うーん、実にからかい甲斐のある反応。

 

「本当に瑠美ちゃんは素直で可愛いねぇ、これがあの万年ジャージクソゲーマーの妹なのはこの世の不思議だよ」

「そこは私も不満に思ってます」

「実はやっぱり血が繋がってないなんてオチだったりしない?」

「な、何で知ってるんですか?、兄から聞いたんでしょうか?」

「なーんて冗だ……えっ?」

 

 想定外の瑠美ちゃんの反応に言葉を失う。思い出すのはGGCの打ち上げの時のサンラク君の言葉。

 サンラク君はあの時嘘だと言っていたけど、まさか彼らは本当に血が…?

 

「…っぷ。ごめんなさい永遠様、エイプリルフールの冗談です」

 

 ……前言撤回。

 やっぱりこの子はサンラク君の妹だ。

 

 

◇練習風景

 力一杯投げつけられたスーパーボールのように軽快に宙を跳ね飛びながら、シルバージャンパーがケイオースキューブへと肉迫する。

 

(よし、振り切った!これならもう追いつかれることは……しまった!?)

 

 今度こそ勝てる。そんな希望的観測は、視界の端でティンクルピクシーがウルトクリスタルを殴り砕く姿を見た瞬間に露と消えた。

 右手をキューブに向けて目一杯伸ばすものの、既に四度の空中ジャンプを使い果たした身ではそれ以上の加速は叶わない。

 あと数フレームで勝利を掴めた筈のその掌がティンクル☆パウダーの効果で指一つ動かせなくなったのを忸怩たる思いで見つめたまま、シルバージャンパーはそのHPゲージを0にした。

 

「あーもう!上手く出し抜いたと思ったのに!」

GG(グッドゲーム)メグ、今のは俺もヒヤッとしたよ」

 

 チーム練習用のVRマシンから起き上がるなり、シルバージャンパーのプレイヤー――夏目恵が悔し気に叫ぶ。

 魚臣慧はそんな彼女の健闘を称えるものの、彼女の表情は優れない。

 

「……でも、結局ケイの勝ち越しじゃない」

「いやいや、あそこでクリスタルが出現しなければ俺の負けだったよ」

「運も実力の内、ランダム要素への対策を怠った私のミスだわ」

「相変わらず真面目だなぁ……もう三時間くらいぶっ続けだし、ちょっと休憩する?」

「……いえ、もう1セットだけ相手をお願いしてもいいかしら」

「了解。メグのそういう負けず嫌いで努力家な所、俺は好きだよ」

「んなぁっ!?」

 



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ショートショート詰め合わせ その2

Twitterに投稿した掌編ss詰め合わせpart2。

・潤いを君にお裾分け(楽京)
ある冬の日の放課後の一幕。

・甘いご褒美(楽紅)
陽務家で受験勉強に励む紅音と瑠美。

・勝利の女神はリモートで微笑む(楽玲)
プロゲーマーになった楽郎を応援する玲のお話。

・今日も誅して誅されて
きょうあるてぃめっとっちゃんのばくまつにっし。

・篠突く雨、遥か遠くの水槽の鮫
ある日の幕末でのレイドボスさんと俺たちの勇者の邂逅。



◇潤いを君にお裾分け

 

 木枯らしの吹きすさぶ冬の日の放課後。

 俺は寒さに身を震わせながら、京極と二人肩を並べて帰路につく。

 

「うぅ、今日は一段と冷えるな……」

「予報だと明日は雪が降るかもだってさ」

「げ、マジか…よりによって道場で朝稽古のある日に……」

 

 今でさえ凍えそうだというのに、冷え切った道場の板の間はすり足で動く俺たちから容赦なく体温を奪っていくのだ。

 氷の様に冷たくなった床を想像すると今から少々気が滅入る。

 

「軟弱なことを言わないでよ、そんなんじゃいつになってもレイドボスさんに勝てないよ?」

「そこはせめて國綱さんとかにしてくれよ……いや、それでもまだ勝てる気はしないけどさ」

 

 レイドボスさんも國綱さんも今の俺にからすればどちらも途方も無く高い壁ではあるが、國綱さんは辛うじて現実の人間の範疇にとどまっていてくれる分だけまだマシだ。

 

「ふふふ、でもこないだの試合稽古は結構いい線いってたよ?」

「それでも結局一本も取れなかったからなぁ、先は長いぜ……痛っ」

「え、どうしたの楽郎?どこか怪我?」

 

 話の途中で突如口元に鋭い痛みが走り、思わず小さな声が漏れる。

 それを聞いた京極が心配そうに俺の様子を窺って……そこまで不安そうにしなくて大丈夫だって。

 

「いや、実は最近唇がガサガサで……口の端が切れたみたいだ」

「あー、冬は乾燥してるからね。リップとか塗って無いの?良かったら僕のやつ貸してあげようか?」

「サンキュー、でもいいや。気持ちだけ受け取っとくよ」

「え、何で……あっ、もしかして…!」

 

 片手を上げて差し出されたリップを断ると、京極はきょとんと不思議そうな顔をした。

 かと思いきや今度は何かに気付いたような声を上げ、何やら妙に底意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 ……なんか変なこと考えてんなこいつ。

 

「ははぁん、さては間接キスを気にしてるとか?楽郎も可愛いところがあるじゃないか」

「何を言い出すのかと思いきや……今更お前相手にそんなこと気にする訳ねーだろ……マジで違うからニヤニヤすんな」

 

 ここが幕末であれば即座に天誅していたくらい鬱陶しい。

 間接ではないものも、それ以上のことだって経験済みだというのにこいつは何を言っているのか。

 

「俺、リップ苦手なんだよ。なんかベタベタするし、口に入ったら苦いし」

「そんなこと言ってたら冬の間辛くない?最近のはそこまでべたつきも気にならないし、味もそんなにしないよ?」

「んー、やっぱいいや。こんなん舐めときゃどうにかなるだろ」

 

 尚も俺にリップを押し付けようとする京極をやんわりと制する。

 実際のとこと唇がかさかさするくらい然程気にしてな……って、なんで京極は突然自分の唇にリップを塗り始めて……!?

 

「んんっ!?」

「んっ……ぷはっ」

「京極!?こんな往来でいきなり何を…!?」

 

 突如大胆過ぎる行動に出た京極を引きはがし、慌てて辺りを確認する。

 万が一國綱さんに今の光景を見られていようものなら、俺に待ち受けているのは紛れもなく、死──

 生命の危機に瀕している俺を見て、京極は実に楽し気にクスクスと笑う。

 ……その頬が赤く染まっているのは、寒さや夕陽のせいだけではないのだろう。

 

「もうすっかり日も暮れたし、誰も見て無いからいいじゃないか。強情な楽郎にリップクリームのお裾分け……ご感想は?」

「………甘かった」

 

 

◇甘いご褒美

 

 外は真夏の太陽が燦々と大地を照りつけて、蝉ですらも堪らず活動を停止する。そんな暑さ厳しい夏休みのある日のこと。

 焦熱地獄と化した外界とは打って変わってクーラーの効いた快適な陽務家のリビングでは、カリカリとシャーペンを走らせる音と時折ノートをめくる音だけが響き渡る。

 俺は目の前で必死に真檜高校の過去問を解いている二人を微笑ましい気持ちで見守りながら、横目で壁の時計を確認する……あと十分くらいか。

 雨と鞭というほど大仰なものではないが、頑張った二人にはちょっとしたご褒美があってもいいだろう。

 答案用紙とにらめっこして解答の見直しをしている瑠美と、計算が合わなかったのか、アワアワと筆算を繰り返す紅音の二人に気付かれないようにそっとソファから立ち上がって台所に移動する。

 紅茶用のお湯を沸かしつつ、冷蔵庫から昨日のうちに買っておいた最近人気と話題のプリンを取り出した。

 天音永遠(ペンシルゴン)がSNSでオススメしていた物なので、卵系の甘い物が好きな紅音はもちろん、我が妹(邪教徒)にもきっとご満足頂けるだろう。

 紅茶とプリンをお盆に乗せてリビングに戻ると丁度時間になったようで、端末にセットしていたアラームが試験(仮)の終わりを告げていた。

 

「終わったー!紅音、どうだった?」

「うう…最後の問題が終わらなかった……瑠美ちゃんは?」

「一応見直しもしたから大丈夫だと思いたいけどね…」

「二人ともお疲れさん、ちょっとテーブル空けてくれ。採点は俺がしとくから」

 

 解放感と脳のガス欠で、ぐでーっと机に突っ伏す瑠美と紅音に苦笑しながら労いの声をかける。

 のろのろと緩慢な動作で俺を見上げた二人は、俺の手の中にデザートがあることに気がつくとたちまち瞳を輝かせた。

 

「ああ、もう今日は漢字も数字もローマ字も見たくな……お兄ちゃん!そこに乗ってるのはまさか!?」

「わぁ!プリンだ!!」

「これ永遠様イチオシのケーキ屋さんの限定のやつ!!」

「お、やっぱり瑠美は知ってたか。受験勉強を頑張る二人に俺からのご褒美ってことで」

「楽郎さんありがとうございます!楽郎さんのそういう優しいところ、私大好きです!」

「……あ、ありがとな」

 

 紅音から明け透けな好意をぶつけられるのはいつになっても慣れる気がしない。

 不意打ちをくらい赤面する俺を見ながら、瑠美がぽつりと呟いた。

 

「……お兄ちゃん、紅茶に砂糖入れすぎじゃない?」

「無糖だよ!!」

 

 

◇勝利の女神はリモートで微笑む

 

「……そろそろでしょうか」

 

 日付が変わって幾ばくかの時が過ぎ、夜の帳に町がすっかり包まれた頃。

 普段であればとうに寝間着姿で床についている時間帯であるのだけれど、今日の私は化粧をしたまま外出用の衣服を身に纏い、一人リビングのソファに座っていた。

ビデオ通話用の大型モニターとウェブカメラに端末を繋いで現在時刻を確認すれば、現地時間(・・・・)は間もなく16時。

17時からの試合前に連絡すると言っていたから、予定に変更が無ければそろそろの筈だ。

 約束の時を今か今かと待っていると、静まり返った部屋に彼専用に設定した着信音が鳴り響いた。

 待ち望んでいたその音色に、すぐさま『通話』の文字をタップする。

 

『──もしもし、玲さん?』

 

 一瞬画面がブレて、その後に愛しい夫の姿が映る。

 その顔は三日前に連絡した時と何ら変わらず……否、どうやら髭剃りをさぼっていたようで、あごひげが少々伸びていた。

 

『っと、画面ちゃんと映ってる?』

「お疲れ様です、楽郎君。はい、きちんと映ってますよ…あなたが無精していたところまではっきりと」

『いやぁ、試合前の練習やらミーティングで忙しくて』

「もう、社会人として身だしなみはきちんとしないとダメですよ」

『まあまあ、どうせ俺はカボチャ頭での出場だから多めに見てよ』

「まったく、仕方のないひとですね」

 

 爆薬分隊の一員として国際試合に出るという大役を任されているにも関わらず、一向に緊張した気配を見せない彼に苦笑する。

 きっと楽郎君にとってはいつものゲームもこの試合も、等しく全力で取り組むべきものなのだろう。

 出会った時から一貫して揺るがない彼のその姿勢が、私はとても好きだった。

 

『それより、そっちはもう深夜でしょ?こんな時間にゴメンね』

 

「いえ、私も楽郎君とお話したかったので気にしないでください」

『ありがとう、そう言って貰えて嬉しいよ』

 

 ロンドンから連絡している楽郎君が時差を気にして面目なさげな顔をする。

 とはいえ私としては彼以上に優先するべき事情など存在しないので問題ない。このあとの試合だってリアルタイムで中継を見て応援する所存である。

 

「窓の外の様子だとそちらはまだ随分と明るいんですね」

『こっちは緯度が高いからね、おかげでちょっと生活リズムが狂いそうで参るよ』

「……それは元々じゃないですか?」

『おっと手厳しい、これでもチームで動く時は早寝早起きを心掛けてるんだよ?』

「普段からそうしてくれると私も安心なんですが……」

『ははは……善処します』

「体調は大丈夫ですか?ご飯や水が合わなかったりしていませんか?」

『体はばっちり!……だけど食事はそろそろ日本食が恋しいよ。味噌汁と白米はジャスティスだね』

「ふふっ、それじゃああなたが帰ってくるときは腕を振るってご馳走を準備して待ってますね」

『やった、これはますます負けられないな。勝って堂々と凱旋帰国を果たしてみせるよ』

「ご武運を、あなたの勝利を信じています」

「ありがとう。やっぱり君は、俺の勝利の女神様だ」

 

 

◇今日も誅して誅されて

 

 いつもの布団(ログイン地点)で目を覚ました僕は、気負うことなく初心者のような無防備な足取りでスタスタと襖に近づいていく。

 

 このゲームでそんなことをすれば、当然リスキル狙いの志士達が哀れな経験値(犠牲者)を求めてやってくる。

 

 襖から漏れる光と僕の足音に釣られて複数のプレイヤーが集まる気配を感じつつ、私はそれに構うことなく大胆に襖を開いて死地への一歩を踏み出した。

 

「ログイン天ちゅ…」

「ログボ天誅!」

「隙あり!余韻天誅っ!」

「甘いね、諸共天誅もーらいっ!」

「ぐっ、後ろの俺ごと…だと…」

 

 襖の影から飛び出してきたプレイヤーが刀を振り下ろすより早く、抜刀と共に振り抜いた私の刃が相手の首と胴を泣き別れにする。

 天誅後の隙を狙った背後からの襲撃はその場で屈むことによって回避。

 振り向きざまの反撃に敢えて斬撃ではなく刺突を選択することで、肉盾貫通式天誅を狙っていた志士諸共串刺しにして返り討ちにする。

 事ここに至って私がただのカモでは無いと悟ったようで、生き残った最後の襲撃者は慌てて後退って刀の間合いから逃れた。

 

「なんだこいつ!?初心者の癖に強……って、よく見たら京極ちゃんじゃん!」

「ふふん、まんまと引っかかってくれてありがとう……辞世の句、詠む?」

「……この恨み、いつか晴らさでおくべきか!姑息な手には、二度とかからぬ‼」

「ご丁寧な負け惜しみどうも!はい天誅、っと」

 

 維新軍所属らしき彼はどうやら僕を知っていたらしい。そういえば前回のイベントで天誅した面子の中に居たような…?

 後ろに飛びずさりながらもしっかり火縄銃を構える姿は流石は幕末志士というべきか。

 しかしこの距離では火縄銃の導線が弾を放つよりも私の刀が相手の胴を断ち切る方が早い。

 向こうもそれが分かったようで、悔しさ全開な表情で辞世の句を詠み自ら腹をかっさばいた。

 ログイン地点に居た襲撃者を軒並み返り討ちにした私はそこでようやく残心を解いて刀を一旦鞘へと納めた。

 

「……うん、やっぱり今日の僕は絶好調だね!」

 

 いつも以上に冴え渡る自分の剣さばきに確かな手応えを感じる。今ならランカーとだって互角に渡り合えそうだ。

 今日はなんだか朝からとても調子が良かった。

 朝稽古での楽郎との立ち合いでは1本も取られることなく全戦全勝、最近ちょっと勝率が上がって来たからと慢心していたあいつにはいい薬になっただろう。

 後に続いた兄さんとの稽古では流石に勝つことは出来なかったものの、それでも常以上に伯仲した試合が出来たと自負している。

 そして放課後の今、幕末にログインした僕はその好調の波が今だ途切れず続いていることを実感した。槍が降ろうが青龍偃月刀が降ろうが今の僕は止められない。

 新たな獲物を探して意気揚々と城下町へと繰り出した、けれど……

 

「……うーん、こういう時に限って誰にも会えない」

 

 普段ならば往来を歩いていれば呼ばずとも誰かしらに襲われるというのに、今日は妙に平和である。

 どれほど殺る気が漲っていてもターゲットとなるプレイヤーが居ないのでは仕方ない。とりあえずお茶でも飲んで一息つこう。

 そう考えた僕は近場の茶屋へと足を踏み入れようとして、

 

「お邪魔するよ。店主、緑茶と大福を一つ……」

「やあ、こんにちは」

「!??こ、こんにちは!?」

 

 ──レイドボスさんと遭遇した。

 

 突然のボスキャラの登場に一瞬思考が停止するも、なんとか間を空けず言葉を返す。

 まだ二秒経ってないよね!?

 

(先に仕掛ける?いや、微妙に位置取りが悪い。ここは会話を続けつつ慌てず期を見計らうべきだ)

 

 今のところレイドボスさんが構える様子は無い。

 柄頭に手を添えていつでも刀を抜けるように姿勢を整えて……背後から飛来した団子の串に首を貫かれ、僕のHPはゼロになる。

 

「しまった!?くそっ、覚えてろよ…!!」

 

 ポリゴンとなって消えゆく最中、針千本がレイドボスさんに首を落とされる姿を視界におさめて僕は初期地点へとリスポーンした。

 

 

◇篠突く雨、遥か遠くの水槽の鮫

 

 ──雨が、降っている。

 

 この場合の雨とは脇差や斬馬刀でも無ければプレイヤー達の血の雨でもなく、至って常識的な気象現象としての雨である。

 別に、この世界で雨が降るのは然程珍しいことではない。

 幕末は基本的に晴れの設定が多いが時に曇りや雨の日もあり、冬には雪が積もり一面の銀世界を作り出すくらいだ。

 もっとも、その銀世界が瞬く間に真紅に染まるのもまた幕末の風物詩なのだが。

 プレイヤーキラーが跳梁跋扈する蠱毒を管理するこの運営は人の心が無いように見えて風流を解する感性は持ち合わせているようで、有志による検証によればきちんと現実の季節に即した気候を設定しているというのだから大したものだ。

 まあそんな訳なので突如激しい雨に見舞われて、長屋の軒下で雨宿りをすることも長くこのゲームをプレイしていればよくあることなのだが……

 

「止まないね、雨」

「……やまねえなぁ」

 

 レイドボスことユラ君と肩を並べて、となると流石の俺も想定外だ。

 

「当千は、雨は好き?」

「俺ぁ濡れるのはあんまり好きじゃねえなぁ、カラッと晴れてる方が気分が良いや」

 

 今のところはこいつは刀に手をかける気配は無い。

 とはいえ当然油断は禁物。幕末に於いて誰よりも付き合いが長いと自負する俺ですらこいつのスイッチがどこで切り替わるのかは未だ把握できていない。

 

「ふうん」

 

 奴が微かに口の端を上げて笑みを浮かべる。

 すわ開戦かと腰の太刀に手が伸びかけるも、どうやらただ楽し気にしているだけだと気が付いてかろうじて踏みとどまる。

 

「当千らしいね」

「そうか?そういうユラ君は雨は好きなのかい?」

 

 刀を抜くタイミングを図りながら会話を続けて間を保つ。

 突くような激しい雨の音が邪魔をして、近くにいるはずのユラ君の声がやけに遠く感じられる。

 

「うーん……嫌いじゃ、ない?」

「へえ、そりゃまたどうして」

 

 昂る戦意と緊迫感に包まれた俺と違い、こいつはいつだって自然体だ。

 それが俺と奴との彼我の差の現れのようで、どうしようも無い悔しさに襲われる。

 レイドボスの名は伊達じゃなく、その頂はあまりにも遠い。

 だが──

 

「今日は遣らずの雨、だから」

「よくわからんが、雨宿りにもそろそろ飽きてきたところだ……行くぜ」

 

 だが、それがどうした!

 ここは幕末で俺は志士。だったらやることは一つだけ!!

 悔しさも憤りも全てを殺意に変換し、天に責任転嫁する。

 

「やるの?」

「当たり前だろ?俺とお前が出会ったなら答えは決まってらあ!」

 

 太刀を上段に振りかぶり鬨の声を上げる。

 ……以前、俺たち幕末プレイヤーを指して金魚鉢の鮫と称したのは祭囃子の奴だっただろうか。実に言い得て妙なたとえだ。

 魚は水槽から出たら生きられない、鮫は止まれば死んでしまう。

 だから今日も俺たちは、この金魚鉢の中を精一杯に泳ぎ回るのさ。

 

「ユラ君覚悟!天……誅っ!」

「……楽しい」

 



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