葉月の異常な愛情~または僕は如何にして心配するのを止めて近界民を愛するようになったか~ (Amisuru)
しおりを挟む

season0~大庭葉月:オリジン~
Judas Priest(前編)


 

 

 我が大庭(おおば)家の食事は家族一同の合掌から始まる。

 『いただきます』の挨拶ではない。死者に祈りを捧げているのだ。メメント・モリ。失われた命を忘れることなかれ。

 しかし眉間に皺を寄せるほど固く目を瞑り、ぶつぶつと何かを唱え続ける父と母の様子を横目で見る度に、亡くなった娘のことを忘れないのは結構なことだがせっかくの炊き立てご飯が目の前でじわじわと冷めていっていることも忘れないでほしい、と育ち盛りの身としては思ってしまう。

 冷めるというのは食材の死を意味している訳で、彼らは毎日毎日蘇りもしない娘のために美味しい料理の数々を殺し続けているのだ。勿体ない。

 どうせ冷めようが冷めまいがお前が食い殺すんだろうって? いえいえ、食べるということは僕の命と同化して生き続けるということなんですから死ではありませんよ。そう思わなきゃ動物の肉なんて食べられないでしょう。

 

 

愛しの陽花よ、お前が口にすることの出来なかった命を我らが貪ること、どうか許し給え――いただきます」

『いただきます』

 

 

 この食欲をごっそりと奪う挨拶も、もう少し何とかならないのかと思う。僕の食事に対する態度が命に対する冒涜だと思った方は、この父の懺悔を聞いてどう思っただろうか?

 彼は亡くなった姉が食べることの出来ない料理を口にするのは申し訳ないことだと思っていても、その料理の一部となった命に対する申し訳なさとかそういったものは一切感じていないようなのだ。つまるところこの親にしてこの子ありというわけで、今日も僕は下を見ながら生きていく。

 で、生きるということは食べるということであり、困ったことに多少死んで(冷めて)いようが何だかんだで母の作るご飯は美味しいのである。

 そしてそのご飯を用意するための食費を稼いでいるのは父であり、僕はそんな父と母がいなければ生きてはいけない中学3年生の小僧に過ぎないのである。

 故に僕は、口にしながら口にするのだ。

 

 

「今日も母さんの作る料理は最高だね」

 

 

 と。

 

 

 僕の身体は食べることを望んでいる。

 そう思えるうちは、まだ大丈夫の筈だろう。

 

 

 

 

 亡くなった姉と言っても、そもそも彼女はこの世に生を受けたと言えるのだろうか。『彼女』であったかどうかも分からないまま消えていった命だというのに。

 いや――十中八九『彼女』ではあり得ないのだ。何故なら双子の僕は男で、母親の胎内から出ることなく消滅したそいつは僕の一卵性双生児にあたるからだ。『バニシング・ツイン』と呼ばれる現象らしい。妊娠した双子の片割れが子宮の中でいつの間にか消えてしまう、というもの。

 医学的には『双胎一児死亡』と言うそうで、『死亡』という言い回しを使っている以上はやはり命が失われたものとして考えるべきなのだろうが、僕には今一つその感覚はピンと来ない。しかしその『ピンと来ない』という話を一度母にしたら、本気の張り手を何発も食らい、鼓膜が破れんかの怒鳴り声で泣き喚き怒鳴られ、

 

 

『どうしてアンタみたいなのが生き残って陽花が死んでしまったんだろう』

 

 

 的なことを言われてしまったので、ああ、これは口にすることが許されない疑問なんだな、ということだけは理解している。

 心の中では未だにこうして、もやもやとしたものを抱え続けている訳なのだけれど。

 

 

 さて、一卵性双生児というのは基本的に性別が一緒だ。生き残った僕は男なのだから、逆説的に性別を確認出来ないまま消えていった陽花(仮)とやらもほぼ間違いなく男だった筈なのである。

 『基本的に』とか『ほぼ間違いなく』とかいう表現を使っているのは、ごく稀に異なる性別を持った一卵性双生児が生まれることもあるからなのだが、ただでさえ片割れ消滅などというレアケースに更なるレアケースが重なるものかよという話。

 故に僕は父と母の口にする『陽花』という存在が実体のない酷くおぞましいものに思えて仕方がないのだが、どうにも彼らにとってはその『陽花』こそが本来この世に生を受けるべきだった愛しの娘であり、ここにいる大庭葉月とかいう名前の小坊主は何かの間違いでママの腹からこんにちはしてしまったクリーチャーに過ぎないのだという。

 葉月というのは陽花の妹に与えられるはずだった名前で、僕の股間には一応男として生えていて然るべきものが生えているわけなのだが、そういった肉体的事情は一切無視されて僕は大庭葉月として生きていくことを決定付けられてしまった。大庭葉月というのは大庭陽花の妹であるべき存在なのだから、逆説的に大庭陽花は大庭葉月の姉になるわけである。

 どちらが先に生まれたのか――というか、実際に生まれたのは僕一人であるにも関わらず、陽花が『姉』として扱われているのもそういうことだ。両親はとにかく娘を生むことに固執していたようで、

 

 

『お前が男だと判った時点で堕胎(おろ)すことも出来たんだぞ』

 

 

 みたいな脅し文句もいつだったか父の口から聞いたことがある。

 こうした恨み言は僕が何かをやらかす度に頂戴しており、僕が両親からの罵倒エピソードを語るというのはその罵倒の数だけ僕が物事に失敗してきたことの証になるわけで、そう思うと僕はもうこれ以上何も考えない方が身のためのような気がしてきたぞ。

 そもそも僕は今、誰に向かってこんなことを考えているのだろうか? 今僕は何をしている最中だったっけ? 朝飯ちゃんと食ってきたのか? 歯は磨いたのか? 顔は洗ったか? ハンカチ忘れずに持ったのか?

 

 

「――話が長くなって悪かったな。とにかく皆健康に気を配って、来年もまた元気よく教室に顔を出すように。米屋、号令」

「うぃーす。きりーつ」

 

 

 気怠いながらもテンポ良く応じたクラスメイトの声に続いて、がたがたと椅子を揺らす音があちこちから響き渡り、視界一帯に制服の山が生えてくる。突如として雑木林の中に一人取り残されたような気分を味わっている中、僕が立ち上がるのを待つことなく「れい」の二文字が発せられる。

 

 

『ありがとうございましたー!!』

 

 

 そりゃそうだ。皆早く帰りたいよな。今日から冬休みだもんな。

 

 

 

 

「『着席! ……と、思うじゃん?』ってボケでも最後にかまそうかと思ったんだが、間違いなくスベるからやめといた」

「てめーにしちゃ空気読んだ判断したじゃねーか」

「いやいや、オレはいつだって空気の読める男だぜ? 読み切った上で相手の思惑を欺くからこそ面白いんじゃねーか。弾バカはわかってねーなー」

「うっわ、性格悪りー。いかにもスコーピオン使ってるやつの言いそうな台詞だわ」

「脳筋両攻撃(フルアタック)ヤローには伝わんねーかー、この裏切りの醍醐味ってやつが……なー葉月、おまえなら理解(ワカ)んだろ? 誰もが割れないと思ってる風船をちょこんと突っついて破裂させたときの快感みたいなやつだよ」

「スコーピオンがどうとかフルアタックがどうとかっていうのはさっぱりわかんないけど、陽介はまず座ったままの僕を無視して号令かけたことについて謝るべきだと思う」

「おいおい、『あれれー? 皆立ってるのに葉月くん一人だけ立ってないぞー?』みてーな晒し物にでもなりたかったのかよ? オレがさっさと進めて解散ムード作ったから、センセーもおまえがボケっと座ったままなのに気付かないで帰ってったんだろ。そこはむしろ感謝してもらいてーな」

 

 

 なるほど。無視した『と、思うじゃん?』というやつか。これは一本取られたな。

 学校を出ての帰り道、僕の前を並んで歩いているのは出水公平と米屋陽介の二人だ。彼らは中学3年生にして『近界民(ネイバー)』と呼ばれる怪物から三門市の平和を守る組織『ボーダー』の一員であり、たまにこうして一般市民の僕を置いてけぼりにした会話を繰り広げたりする。しかし僕も日常会話の中で二人を置いてけぼりにすることが多々あるので、関係は対等の筈だ。

 前に僕が二人に対してそんな意識を持っていることを伝えたときには、

 

 

『葉月はそうやっておれらを特別扱いしねーところが楽でいい』

 

 

 と笑われたものだが、僕からしてみればそれこそお互い様という感じであった。

 

 

「で、どうよ」

「――ま、そうだね。予期せぬ出来事に慌てふためいてる人の姿が面白いっていう感覚は、確かに理解できなくもない。自分が仕掛け人なら尚更ね」

「さっすがー、葉月サマは話がワカるっ!」

「おー、嫌だ嫌だ。こういう奴らが火事でもねーのに遊び半分で非常ベルにピンポンダッシュかましたりすんだよな」

「流石にそこまではやらないけど。――やらないよね? 陽介」

「と、思うじゃん?」

『おい』

「ジョーダンだよジョーダン。こちとら三門の平和を守る正義のボーダー隊員サマだぜ? 市民の不安を煽るようなバカな真似出来ないっつーの」

 

 

 そう言って陽介は肩を竦めるのだが、その台詞自体は割と彼なりに本気の意思を込めて口にしたものなのだろう。()()()()()()。けれどそこを冷やかすような真似はしない。この道化染みた振る舞いの中に通った一本の芯も含めて米屋陽介という友人の形なのだ。僕は彼の掲げる『と、思うじゃん?』の精神を大事にしてやりたい。

 我が三門市立第三中学校の二学期最終日は昼前に終わりとなり、遊び盛りの生徒たちは早速午後から自由な時間を与えられた。といっても六頴館(進学校)を目指しているような三年生にとっては受験に向けて最後の追い込みをかける大事な時期にあたるのだろうが、少なくとも目の前の二人には一切関係のない話だ。彼らは既に第一(普通校)への進学が決定している。

 六頴館も第一も共にボーダー提携校ではあるのだが、公平はまだしも陽介が進学校など目指す筈もない。彼の学力は悲惨の一言に尽きるのである。それはもう、そこらの5歳児か何かとタメを張るようなレベルで。

 かくいう僕は一応六頴館を志望しているのだが、何しろ中学の初めからずっと六頴館を目指して勉強()()()()()いるので今更慌てる筈もない。

 

 

『お前は陽花の命を背負い、あの娘が送る筈だった人に誇れる人生を歩まなければならないんだ』

 

 

 というのは父の口癖の一つである。彼の中にある大庭陽花というのはそういう存在らしい。勝手にそんな理想を背負わされる羽目になったこっちとしてはいい迷惑にも程があるのだが、そういう不満を口にすると父もまた僕に手を上げる始末なのでどうにもならない。

 あーあ、僕も一度言ってみたいなあ。父さん母さん、僕六頴館に受かったよ!

 

 

 ――と、思うじゃん?(笑)

 

 

 ああ畜生、そんなの絶対に面白いじゃないか。勝手に脳が(笑)とか付けちゃった時点で、どう考えたって痛快なんだ。これこそまさに遊び半分で非常ベルを鳴らしたくなる子供の気分ってやつだろう。

 けれど僕がそれをやった場合、非常ベルを押した後で火の手が上がるという一種の未来予知になってしまうのは間違いない。父と母による憤怒の炎は大庭葉月とかいういたずら小僧の身も心もたちまち焼き尽くしてしまって、後にはきっと燃えカスだけが残るのだ。むーざんむざん。

 

 

「カラオケに行こう!!」

「えらい唐突だな」

「まーた葉月お坊ちゃんの発作が始まったか」

「うるさいな。僕は今とにかく歌いたい気分になったんだよ。シャウトのある曲だと特にいい――そうだな、『Painkiller』なんか曲名もぴったり合ってる。この痛みを殺せるものが欲しいんだ。He is the Painkiller(彼はペインキラー)...This ih the Painkiller(これがペインキラー)...ア――――――――――!!

うるせえのはてめーだよ! ……あーくそ、危うく足が出るとこだったじゃねーか。おれに()()を蹴らせんなよな」

「生身?」

「気にすんな、業界用語だよ業界用語。とにかく葉月、いきなり路上で奇声をあげんのはやめろ。帰り道が一緒のウチの生徒とか買い物帰りかなんかのおばちゃん方が皆ぎょっとしておまえのこと見てたぞ」

「悪いね公平。君らも僕の同類だと思われちゃったかな」

「それは別にいいんだよ。他人(ひと)サマに迷惑掛かるようなことすんなっつってんの。さっきの非常ベルの話もそうだぞ、おまえちゃんと理解ってんのか?」

「ワカってるワカってる」

 

 

 理解している。そうやって真剣に僕を叱ってくれる君は、とてもいい友人であるということを。周りの目を気にしろと言いながら、僕みたいな頭のおかしい奴と未だに交友関係を育み続けてくれている君たち二人は、僕にとって何物にも代え難いものなのだと。

 帰り道が一緒というのは当然僕とこの二人に関しても例外ではなく、放課後は大抵こうしてだらだらと中身のない会話を繰り広げながらつるんで帰るのが恒例だった。

 去年の9月に公平が、今年の5月に陽介がボーダー隊員になって以降はちょくちょくその恒例に狂いが生じることもあったが、今日はこうして三人で集まって帰ることが出来ているので、てっきり二人ともこの後の予定は空いているものだとばかり思っていた。それ故の提案だったのだが、

 

 

「で、わりーけど今日はパス」

「あれま」

「いや、12月はマジで予定詰まってんだよおれ。またしばらく三門離れなきゃなんねーし、今日も早速基地行ってそこら辺の打ち合わせしねーといけねーし……おれに冬休みってやつは存在しないもんだと思え」

「夏休みにも似たような台詞を聞いたような気がするなあ」

「ははは、しょうがねーんだよ。こう見えて弾バカ様もれっきとしたA級1位部隊の一人だからな。ボーダーの頂点(トップ)ってやつは忙しーんだ」

「1位っつったって、東さんのとこが解散して空いた席をぶん取ったってだけだしなー……もうちょい長く順位キープすりゃ実感ってやつも湧いてくるんだろーけど、正直まだピンとこねーわ」

 

 

 A級1位。ボーダーでは隊員同士が2~5人くらいの規模で部隊を組み、チーム同士で模擬戦を行うことによって順位付けをする独自のシステムが存在しているという。

 そしてこの出水公平という男、入隊早々に『天才』と謳われるほどの有望株だったそうで、その評判に恥じぬ働きっぷりを見せた結果なのか、今年の夏頃に行われたランク戦でとうとう所属部隊が頂点の座を勝ち取ったのだという。

 が、どうやら彼の部隊が1位を取る前には東某なる人物の部隊が不動の1位に座っていたそうで、公平や彼の部隊の隊長なんかは東某の部隊が勝ち逃げのような形で解散してしまったことにちょっとした悔しさを抱いているとかなんとか。

 まあその辺りの彼の事情は置いておくとして、問題なのは公平がカラオケに付き合えないということだ。既に脳内で三人揃ってヘドバン決めながら『people=shit(人間なんてクソだ)!! people=shit(人間なんてクソだ)!!』と叫び続けるイメージが出来上がっていたのだが、いやはやどうしたものか。

 

 

「おれは付き合ってもいいけど、どーする?」

 

 

 と、陽介。そうだな、陽介は盛り上げ上手でノリもいいので二人っきりでも退屈しない相手だ。入れる曲はラップばかりだし歌唱力も褒められたものではないが、そんなことは重要じゃない。

 音楽っていうのは心で奏でるものなんだ。僕の(音楽)に付き合ってくれる相手なら、ジャイアンだろうと綾辻遥(ボーダー屈指の音痴と評判らしい広報部隊の美人さん)だろうと大歓迎だ。が。

 

 

「おいおい、学校終わったらすぐに基地行って明日のランク戦に備えてのミーティングだって三輪から言われてんじゃなかったのかよ? あいつを怒らせたら後がこえーぞ」

「あ、このバカ! 弾バカでしかもバカ!」

「うるせーぞただのバカ。……なんかこれだと普通に悪口っぽくてアレだな、スコピバカって言うほどこいつスコーピオンに愛着ねーし……うーん……」

「陽介も忙しいんだね」

「あー、まーそうなんだけどよ。ボーダー入ってから葉月と遊ぶ時間めっきり減っちまったし、せっかくの冬休み初日くらい付き合ってやるのがダチの心意気ってやつじゃねーのかって思ったわけだよ。聞いてるか弾バカ?」

「うっ……バカの癖して一理どころか万理あること言いやがる」

 

 

 ああ、なんてことだろう。公平までもが揺らぎかけている。それは駄目だよ二人とも。君たちは三門市の平和を守るボーダー隊員なんだろう? 僕みたいな取るに足らない奴のためにその職務を投げ打つ必要なんかないんだ。

 僕はそう口にしたかったのだが、そんなことを言ったら逆に意地でも僕との時間を捻出しようと躍起になってしまうような友達(バカ)がこの二人なのだということを、僕は知っている。

 ()()()()()()()()

 ――そんなものがこの世の中にあるのだと信じられるうちは、僕はきっと大丈夫の筈なのだ。

 だから僕は、心の底からこう言える。

 

 

「二人とも気にしないでいいよ。漫画の台詞じゃないけど、その気持ちだけで充分ってやつ」

「……わりーな葉月。帰ってきたら絶対時間作るからよ、おまえの歌いたい気持ちってやつもそん時までとっといてくれ」

「いや、カラオケは普通に僕一人でも今から行く」

「ええ……」

「ぷっ――ははははは!!」

 

 

 せっかくの決意を宙ぶらりんにされて困惑する公平。その公平の顔を見て爆笑している陽介。

 僕のささやかな『と、思うじゃん?』が、本家本元のツボにハマったようで何よりだ。

 

 

 

 

 

 で、結果的に言うと、僕のこの抑えきれない歌唱欲というやつが全ての引き金(トリガー)になった。

 

 

 

 

 

 まさかヒトカラで夕方まで粘ってしまうとは思わなかった。自分で自分にビックリだ。

 

 

「た゛だ゛い゛ま゛ー゛」

 

 

 なんだこの声。喉から吐き出した音の全てに濁点が付いている感じがする。純度の欠片もない。風邪をこじらせたおじいちゃんの寝起きの第一声の方がまだ奇麗な音をしているんじゃないか? これは当分の間のど飴が手放せない、もとい舌放せないな。

 そんなことを思っていると、玄関に並んでいる靴の数がいつもより一足多いことに気が付いた。この場合のいつもというのはこうして家に帰ってきた時の『いつも』を指しており、ウチにあってもおかしくはないのだけれど夕方とはいえこの時間にあるのはちょっとおかしいぞ、という意味で靴が多いのだ。

 ――父が帰ってきている。

 まずいな、と思った。六頴館を目指すにあたって今更慌てる必要などない、というのはあくまでも僕個人の認識であって、両親、とりわけ父はもう少し悲観的な見方をしているのだ。

 これは僕が勉強出来る雰囲気を出してるだけで実際のところはパーだとかそういう意味ではなく(ホントだよ?)、単に僕は学業に限らず、あらゆる面で両親からの信を得ていないのである。『どうしてお前は当たり前のことが出来ないんだ』というのが、父の口癖の一つだ。

 ……なんだか、僕の知っている父の口癖というのはこんな台詞ばっかりだな。どうしてだろう。父は僕に当たり前を求めるけれど、そういう貴方の振る舞いはいわゆる当たり前の父親というものに合致しているのだろうか?

 

 

「何処に行っていたんだ」

 

 

 父親っていうのは、皆が皆、実の子供に対してこうも威圧的なものなのだろうか?

 

 

「……と゛し゛ょ゛か゛ん゛で゛」

「嘘を吐くな」

 

 

 うん。そりゃバレるだろうな。誤魔化しようがない。とはいえ流石にこの声だけでも何とかしておきたい。駄目元で二、三度咳払いをしてから、

 

 

「カラオケに行っていました」

 

 

 おお、思ったよりもマシな声になったぞ。そりゃ普段と比べたら酷いものだけれど、少なくとも文字で表す分にはギリギリ何とかなるだろうくらいの状態まで淀みを抑えられたような気がする。

 などと内心で満足げな気持ちに浸っていたのだけれど、そのささやかな満足感は直後に張られた頬から伝わる強烈な痛みでたちまち吹き飛んでしまった。

 ぱーんと弾ける感じがした。実際、そんな感じの音も鳴ったような気がする。

 たまにテレビでプロレスラーが闘魂注入とか言ってビンタを貰った後に『ありがとうございます!』とか言っているけれど、あれは覚悟が出来ているからそう言えるのであって、本来いきなり頬を張られたらこうも気力が失われるものなんだな。別に初めて味わう感覚でもないのだけれど。

 

 

「恥を知れ!!」

 

 

 ……知ってますよ。

 単に僕にとっての恥と、貴方にとっての恥が違っているだけです。

 貴方はきっと、僕が六頴館に落ちたらこの世の終わりだと言わんばかりに嘆いた後、その嘆きの全てを暴力に変えて僕にぶつけるのでしょうけれど、僕はそれより今日カラオケに行けないような自分になることの方が嫌だった。歌いたいのに歌えもしない自分になることの方が嫌だった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――ああ、もう少し立派なことでこの言葉を口に出来たら、少しは格好も付くんだろうになあ。この状況だと薄っぺらも良いところだ。この言葉の価値まで汚してしまいそうで良くない。そう、僕はきっとこの言葉を口にする資格のない人間なんだ。

 ああ、けれど。

 そんな僕でも、この言葉が途轍もなく価値のあるものだということだけはわかるんだ。

 僕はそのことを誰かに伝えたいんだ。

 

 

 

『ぼくがそうするべきだと思ってるからだ!!』

 

 

 

 ――そう、きっと、世界の何処かに僕ではない本物がいるんだ。

 この言葉を叫ぶのに相応しい誰かがいるんだ。

 けれど、それは間違いなく、僕ではない。

 そうでなければ、この言葉を口にすることに、こんなにも後ろめたさを感じる筈がないんだ。

 

 

「自惚れるな。お前はそもそも生まれた時から出来損ないなんだ。葉月の名前を与えて女の服でも着せてやれば少しは妹らしくなるかと思ったが、成長していくにつれてただただ気味の悪い化け物が出来上がるばかりだった……お前は失敗作なんだ。人間として失格なんだよ」

 

 

 そりゃあそうだろう。娘ではないものを無理矢理娘に仕立て上げようとしたって上手くいく筈がないのに、何故この人はさもお前のせいで失敗したんだと言わんばかりの態度を取れるのだろう? 幼少期からあの手この手でホルモンバランスを弄られた僕の身体は限りなく男性的特徴を排除したものになっているが、それでもどうしようもなく僕の股間には男性器が生えているし、胸が大きくなるわけでもないし、ゆくゆくは髭の一本や二本でも生えてくるのだろう。今は生えていないが。

 だから僕は、どうしたって、本当の意味での大庭葉月になることは出来ない。じゃあここにいる僕は一体何なのだろうと考えたら、なるほど、確かに父の言う通り僕は失敗作なのだろう。しかし世の中には身体の性と心の性が一致していない人間、たとえば、僕と同じ立場だけれど心の底から自分を女性だと思っているような人達も存在するわけで。

 仮に僕がそういう人達と同じものになることが出来たなら、僕は今のように父に失望されることなく娘として扱われ続けることが出来たのだろうか? 僕が自分を女だと思えなかったから、父は僕を拒絶したのだろうか? やはり僕が全て悪かったのだろうか?

 ……ああもう、ワケがわからない。一体僕と父のどちらが間違っているのだろう。或いはどちらとも正しいのか、はたまたどちらとも間違っているのか。誰でもいいから、はっきりとした答えを導き出してほしい。

 無理かな。無理だろうな。最近の世の中って頻繁に、()()()()()()で揉め事になってるもんな。こういう時に答えを教えてくれるのが神様って奴なんだろうが、答えが見つからないということはこの世に神様なんかいないことの証明になるんじゃないだろうか。また別の方面に喧嘩売りそうな流れになってきたな。クソッタレ。考えたってどうしようもないことばかりで溢れ返ってやがる。

 

 

「いいか。お前はただ陽花のことだけを考えていればいいんだ。私も妻もそうやって生きている。あの子が喜ぶと思うことだけを考えろ。その意識が足りないから、今日という日が私たちにとってどれだけ大事な日なのかということも忘れてしまえるんだ。来い!」

 

 

 この世界に神様なんかいない。けれど、少なくとも我が大庭家にはそれが存在するらしい。大庭陽花という名の唯一神が。

 ついてくるのが当然だと思っているようにずかずかと居間へと進んでいく父の背中に続きつつ、僕は頭の片隅で()()()()だけをひたすらに唱え続けていた。これも僕にとっては借り物だけれど、さっきの言葉に比べたらずっと気軽で、おどけていて使いやすい。それに何より、僕にとって心の底から信じられる人の言葉だ。

 

 

 ――それでもやっぱり、借り物の刃なんていうものはいとも容易く折れてしまうもので。

 

 

「……なんだ、これは」

 

 

 父が僕に見せたのは、僕が生まれたときからずっと家に置いてある陽花の仏壇だった。水子供養といって、生まれることなく亡くなった赤ん坊に寺社で戒名を授けて弔う文化は普通に存在する。それ自体は異常なことでも何でもないのだが、しかしその、仏壇に飾られている写真に写っている人間の顔が、おかしい。

 

 

 ()()()()()()()

 

 

 いや、明らかに元は僕の顔なのだが、よく見ると――見たくもないのだが、肌質や顔つきが微妙に弄られているのが分かる。僕よりも更に、女らしい顔に歪められた僕が、そこには写っている。最初はとうとう僕への嫌がらせの極致でこんな行為に走ったのかと思ったのだが、この写真の意味するところというのは、つまり――

 

 

「いいでしょう?」

 

 

 そう言って笑っているのは母だ。血の繋がった僕の母親だ。

 僕が世界の誰よりも、信じてあげなければいけない筈の人だ。

 

 

「フェイスアプリっていうんですって。便利な世の中になったものよね……ちょっと加工するだけで写真に写った人の性別を自由に変えることが出来るのよ。ああ、本当に奇麗な顔……こんな形で成長した陽花の顔を見ることが出来るなんて思っていなかったわ」

「全くだよ。世の中にこんな愛らしいものが存在するなんて信じられない……ああ、陽花……お前は本当に私たちの自慢の娘だよ……」

 

 

 

 

 

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 

 

 

 

 

 何だっていうんだ? 僕の目の前にあるこの現実は一体何なんだ? この人たちの目には一体何が見えているんだ? 自分たちのやっていることが何なのか本当に理解しているのか?

 それは僕の顔だ。間違っても大庭陽花とかいう()()()()()()()()の顔じゃない。そいつはもう、死んだんだ。それどころか生まれてすらもいないんだぞ。そんなやつの顔に僕の顔を当て嵌めて、機械で弄り回して、出来の良さに陶酔して愛でるのか。

 間違っている。こんなものは、間違っている。何一つとして正しいものが見当たらない。それに――なあ、貴方たちは今まで一度だって、僕の顔をそんな風に褒めてくれたことなんてなかったじゃないか?

 

 

「葉月、あなたは本当に愚かな子。毎年毎年弔っているのに、どうしていつも忘れてしまえるのかしら? その頭の中には何が詰まっているの? 今日は陽花の16回目の命日じゃないの。だからお父さんも早めにお仕事を切り上げて帰ってきてくれたのよ。それなのに、お昼で学校が終わる筈のあなたが遅くまで帰ってこないというのはどういうことなの? こんなことになるなら休ませてしまえばよかったわ」

「……言ってくれれば、早めに帰ってくるくらいのことはしたのに」

「愚かな子!!」

 

 

 そうか。二度も言うのか。母にとって僕が愚か者だというのはそれほど強調して主張したいことなのだな。

 

 

「あなたは『今日はクリスマスよ』って言われるまで、12月25日が何の日か分からないような子供なの? 24日は? 1月1日、3月3日、この際2月14日でも何でもいいわ。それは常識なのよ。人として知っていて当然のことなの。私たちにとっての陽花の命日というのもそういう日じゃないの。だから教えなかったのよ。ねえ、私はこれでもあなたに期待をしていたの。当たり前のことを当たり前に理解出来る人間になってくれるんじゃないかと願っていたのよ。あなたは今日もそんな私の期待を裏切ったの」

 

 

 僕が知っているのは、貴方たちが生まれてこのかた僕の誕生日というものを祝ってくれたことは一度もないという事実だけですよ。

 当たり前って何なんだろうな。貴方が僕に期待していたというのなら、僕だって似たようなことを考えてはいたんだ。もしかしたら何かの拍子に、貴方たちの本当の子供はここにいる大庭葉月というたった一人の息子だけで、大庭陽花なんていうものは貴方たちが勝手に作り出した妄想の産物に過ぎないのだという事実を、思い出してくれるんじゃないかって。なのに、いつまで経っても、いつまで経っても、貴方たちは僕のことなんか見向きもしてくれなかった。貴方たちが()()()()に注ぎ続けた愛情のほんの一欠けらだけでも僕に与えてくれたのなら、僕だって自分の意思で、人に誇れる人生とやらを歩める人間に成長出来たかもしれないのに。

 『立派になれ』『立派になれ』と一方的に押しつけられる度に、僕は()()()()()()になるのが、嫌で嫌でたまらなくなってしまったんだ。

 

 

「謝りなさい。私じゃないわ、あなたのお姉ちゃんに謝るのよ。不出来な()でごめんなさいって。あなたのいなくなった日さえも忘れてしまうような、どうしようもない大庭葉月でごめんなさい。お姉ちゃんの顔をしっかりと見て、そう言うのよ。さあ」

 

 

 僕は見る。僕の顔をした何かを見る。この世で最も正面から見据えたくないものと向き合う。

 大庭陽花。すごいなあ、大庭陽花。お前がこの世で成し遂げたことなんか何もないのに、お前は僕が欲しかったものの全てを手に入れてしまった。それってまるっきり奇跡みたいなものだよな。僕とお前の立場が逆だったなら良かったのに。そうしたら僕は、両親からの愛情という子供にとって何よりも必要なものだけは失わずに済んだんだ。たとえ引き換えに自分自身を失っても。

 

 

 死にたいって言ってるわけじゃない。僕はただ、愛されたかっただけなんだ。

 

 

 

 

 

『――本当に、こんなものが欲しいの?』

 

 

 

 

 

 写真の中の()が、そんなことを言ったような気がする。

 ――そうだな。確かにお前だって可哀想だ。ひょっとしたらもう、両親が愛しているのはお前ですらないのかもしれないんだから。母の腹の中、僕のすぐ傍でひっそり消えていっただけの水子、それがお前の全てなのに。

 大庭陽花って何なんだろうな? 大庭葉月は? 僕たち二人、揃いも揃って意味不明だ。逆だったなら良かったなんて、馬鹿なことを言った。謝るよ。どっちが良かったかじゃない、僕もお前も、二人で一緒に生きることが出来たなら、それが一番幸せだったに決まっているんだ。

 普通の姉弟――兄弟? 姉妹? 何だっていい、とにかく()()だ。僕だけじゃない、父も母も多分それを望んでいた。けれど僕たちの誰もが、()()のやり方を知らなかった。忘れてしまった。もうそれには戻れないまま、来るところまで来てしまった。その象徴がこの写真なんだ。僕ではない、水子(お前)でもない、この世で最もおぞましいものが、父と母の信仰する大庭陽花(かみさま)なんだ。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 僕は謝った。僕にとっての『陽』に向けて謝った。それは花なんて奇麗なものじゃないけれど、それがいないと生きていけないくらいに大切なもので、この吐き気を催す現実の中でも縋りついてしまうようなもので、何物にも代え難く、手放しようのないものだ。

 だってそうだろう? 葉は陽を浴びなければ育たないものだし、月というのは陽を浴びなければ輝けないものなんだ。『葉月』()が生きていくためには、どうしたって『陽』が必要なんだ。

 

 

「不出来な妹でごめんなさい。あなたのいなくなった日さえも忘れてしまうような、どうしようもない大庭葉月でごめんなさい」

 

 

 だからごめんな。今こそ僕は、君に借りた一本の槍を振るうよ。僕にとって唯一信じられる陽の光を浴びて、この汚れた太陽を撃ち落としてやるんだ。『陽花』なんていう偽物の陽(かみさま)は、僕の人生には、いらないんだ。

 頭の中で音楽が鳴っている。それは痛みを殺すもの。この苦痛を取り除くもの。裏切りの醍醐味と彼は言っていた。僕はそんな彼の掲げる教義に従おう。この出来損ないの大庭陽花(かみさま)を殺すため、喜んで僕は裏切り者の信奉者(Judas Priest)になってやるのだ。

 

 

 

「――と、思うじゃん?」

 

 

 

 そう言って写真立てを叩き割った瞬間に母の喉から吐き出された悲鳴は、ロブ・ハルフォードを彷彿とさせる超高音域のハイトーン・ヴォイスであったとさ。Terriflying Scream!!

 

 






2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Judus Priest(後編)

 

 

 12月の夜はよく冷えるなあ。手がかじかんで凍ってしまいそうだ。

 もっと言うと、写真立てを殴ったときに切れた、手の甲から流れる血が固まってしまいそうだ。でもそれはそれで一種の止血になるのかな? どうなんだろう? そういう知識がないからさっぱり分からない。

 確かなことは、僕はとうとう帰るべき家を失ってしまったということだけだ。大庭陽花とかいうあの家の神様をぶち殺してしまった結果、母はその場で昏倒し、僕はブチ切れた父からそれはもうボッコボコに全身を叩きのめされた末、スマホも財布も没収の上で勘当を言い渡されてしまった。

 正直に言うと今すぐにでもその辺にぶっ倒れてしまいたいのだが、この寒空の下でそんなことをすれば、間違いなく朝方には大庭葉月15歳の惨めな凍死体が完成することだろう。だから僕は歩かなければならない。歩いて、歩いて――

 ――どこに行けばいいというのだろう? 交番にでも駆け込めばいいのだろうか? 僕の身体には真新しい暴力の証が残っているから話半分にあしらわれるようなことはないのだろうけれど、別に僕は両親を犯罪者にしたいわけではないのだ。何だかんだでこの歳になるまで育ててもらった恩はあるわけだし、彼らを哀れに思いこそすれ、恨む気持ちは微塵もなかった。

 ただ僕は、あの僕の顔をした僕ではない何かと付き合って生きていくことは出来ないと思った。これ以上あの家の中にいたら、僕まであのおぞましい大庭陽花(かみさま)に憑き殺されてしまう。此度の蛮行に及んだのはそれが理由の全てであり、別に両親への復讐とかそういったことを考えていたわけではないのだ。

 僕と両親は道を違えた。違う世界の住人になることを選んだ。だからもう――両親とのことは、終わったのだ。これ以上は何も求めないし、関わり合いになるつもりもない。同じ理由で親戚筋を頼るのも駄目だ。縁を切るならとことんやらなければいけないし、それに元々僕の親類縁者に僕の味方など一人もいない。

 ああ――でも、母方の祖父だけは割と僕に同情的な態度を見せてくれていたっけな。小さい頃はよく将棋に付き合わされたり、碁の方はよくルールが分からなかったから単純な五目並べに興じたりして楽しんだものだ。

 去年の春に亡くなってしまったけれど。

 

 

 歩く。歩く。警察の世話にはならないと決めた以上、人目の付くような道はなるべく避けなければいけない。ただでさえ今日は冬休み初日ということもあって、夜遊びをする悪い子はいねえかと言わんばかりにお巡りさんの数は普段よりも多いことだろう。制服姿に加えて手の甲からぽたぽたと血を垂らし続ける僕なんかは、彼らにとって絶好の餌以外の何物でもない。

 

 

 ――陽介の家に行ってみようか。公平でもいい。

 

 

『恥を知れ!!』

 

 

 ああもう、分かってますよ父さん。縁を切るって言った傍から出てこないで下さいよ。

 親も親戚も頼れないから友達を頼るというのは順序で言えば正解なのだろうが、親元に帰ることの出来ない身で頼るとなれば、事はもう一宿一飯とかその程度の厄介では済まないレベルになっているのだ。それに義侠心に厚い二人のこと、事情を話した途端に怒り心頭で大庭家へと殴り込みをかけ、父と一戦仕ってしまいかねない。

 二人が誰かと喧嘩したりしているようなところは見たことがないが、公平は何やら足癖が悪いのか頻繁に陽介の尻を蹴っ飛ばしているところを見かけたりする。そして陽介が反撃でヘッドロックをお見舞いし、そのままなし崩し的にプロレス技の応酬が始まるのだ。

 僕はそんな二人をバカだなあと思いつつ眺めているのが常だったのだけれど、今にして思えば、何故眺めているだけに留めていたのだろう。あんなに楽しそうだったのに。

 僕と彼らの間には確かに友情が存在していたと信じているけれど、それでも何処か、僕の方から一方的に線を引いていたところがあったような気がする。その境界(ボーダー)を何処かで踏み越えていれば、僕は今こうして、寒空の下で行くあてもなく彷徨う羽目にはなっていなかったのかもしれない。

 

 

 

『立入禁止-近界民出現-警戒区域』

 

 

 

 境界(ボーダー)

 ――ボーダー、か。

 僕がそれに興味を抱くことが出来なかったのは、自分は防衛機関などという格式ばった集団の中で上手くやっていけるタイプの人間ではないという自覚があったからだ。

 が、そもそもボーダーというのは本当に、()()()()()()なのだろうか? 僕と気が合う自由人の陽介や公平――公平は陽介に比べるとやや真面目寄りなところがあるがとにかく、彼らのように上から堅苦しく縛られることを好まないタイプの人間が、ああも夢中になってしまう世界というのはどういうものなのだろう?

 自分には縁のない場所だと思っていた。僕が目指していた(過去形だ、もう。今更通えるはずもない)六頴館もボーダー提携校の一つであったが、おそらくはそのまま県外の大学にでも進んで、そういえば僕の地元って三門でさあ、ほら、知らない? ボーダーっていうんだけど――みたいな感じで、地元ネタの一つとして持ち出される程度の、たまたまそこにあったもの、くらいの距離感を保ち続けるものだと思っていた。

 けれど、その未来へと繋がる門はもう、閉ざされてしまった。

 今なら進めるのだろうか? この境界(ボーダー)を飛び越えて、新たな門を開くという選択肢を、僕は掴み取ることが出来るのだろうか?

 

 

『立入禁止』

 

 

 目の前の現実はそう言っている。けれどなんだろうな、カリギュラ効果って奴なんだろうか? 入ってはいけない、そう言われているからこそ、今の僕はそこへと辿り着きたくて仕方がなくなっている。僕は本物ではない。出来損ないの紛い物でしかない。その認識は変わらないのだけれど、それでも少しだけ、()()に近付けているような感覚があるんだ。この先に進んでいけ、どんなことがあっても進んでいけ。僕の中の何かがそう叫んでいる。()()()()()()()()()()()()()

 なのに――ああくそ、何だってこんな鉄線なんてものを張り巡らせていやがるんだ。ペンチでも持っていれば断ち切って通れたのかもしれないが、当然僕の手元にそんなものはない。或いは僕が本当に女の子だったなら、小さい小さい女の子だったなら、隙間を潜って通り抜けるくらいのことは出来たのかもしれない。

 かもしれない。かもしれない。全部仮定の話ばっかりだ。やはり意志の力だけで現実に打ち勝つことなんて出来ないのだろうか? ここで行き止まりなんだろうか? そろそろ痛みと寒さが限界に近付いてきた。座り込んでしまいたい。()()()()()()()()()()()()

 ああ――なんてみっともなく、それでいて甘美で強い衝動なんだろう。ほんの一瞬前まで抱いていた、本物になれるかもしれないとかいうささやかな希望が、疲れたからもう休みたい、それだけのことにいとも容易く押し流されていく。

 やっぱり僕は偽物なんだ。こんなちょっとしたことですぐに揺らいでしまうような精神なんて、本物じゃない。何の価値もない。目指すこと自体が間違っていた。届かないものに手を伸ばそうとしていた。だから僕はここで終わりなんだ。何者にもなることが出来ないまま、こんな中途半端な形で、全部投げ出してしまうんだ。

 

 

 

『と、思うじゃん?』

 

 

 

 ――――――――。

 

 

 ――強いなあ。

 

 

 こんなにも軽くて扱いやすいのに、何だってこの言葉は、こんなにも力強いんだろうか。

 

 

 どれだけどん底まで追い詰められても、この一本の槍さえ手放さないでいれば、僕たちはどんな相手とだって戦い続けることが出来るんじゃないだろうか?

 

 

 

「……あれ」

 

 

 この鉄線、握れるところを握ってみると何ていうか、思いの外、緩い。もしかしたら、多少強引に捻じ曲げてしまえば、広くなった隙間から普通に通れるんじゃないか?

 うわあ、どうしよう、誰に見られているわけでもないのに死ぬほど恥ずかしいぞ。なんで僕は、試しもしないうちから通れないだなんて決めつけてしまっていたんだろうか。疲れで思考が鈍っていたにしても、あまりにもお粗末に過ぎる。こんなにもあっけなく乗り越えられる壁の前で、先に進める可能性がないだなんて決めつけて、馬鹿みたいじゃないか。なんて滑稽な絶望を抱いていたんだろうか?

 

 

 ――でもまあ、なんだろうな。

 案外、何もかもが、()()()()()なのかもしれない。

 一つ確かなことは、進もうと思ったところで進めるかどうかは分からないが、進めないと思ってしまったらそこで全てが終わってしまうということだけだ。

 今回はどうやら、もう少しだけ進んでもいいらしい。

 だから僕はこの先へ行く。

 この境界(ボーダー)の向こう側へと、一歩を踏み出していく。

 

 

 

 

 

 

 

 人気のない夜の街を歩くのってワクワクするよね!!

 お分かりいただけるだろうか? 今の僕が抱いている興奮の度合いというやつが? あのね、誰もいないんだよ。道のど真ん中で鼻歌混じりに踊っても誰にも文句言われないんだよ。無意味に道の端から端をうねるように走ったところで車なんか来ないし、何なら唐突に月に向かって吠えたっていいんだ。アオ――――――――ン!!

 ……声が出ない。そういえば今の僕の喉は死んでいたのだった。いやしかし、何だってこんなにテンション上がってるんだろうなあ。来るところまで来てしまったせいでヤケになっているんだろうか?

 とにかく、何故か知らないが絶好調だ。世界を支配したような気分になっている。夜だからこそ味わえる感覚だな、これは。大庭葉月は陽の光を浴びないと生きていけない生き物だなんて言ったけれど、やはり本来の生息地というか、体に馴染む場所というのはこうした暗闇の中なのかもしれない。

 ああでも、流石に何も見えない真っ暗闇だとこうはしゃいでいられないか。()()()()()()()ってやつに居心地の良さを感じるんだな。ゲーテの遺言じゃないけれど、『もっと光を!』って気持ちになったらただひたすらにそれだけを求めるのかもしれないが、普段はこの程度の明るさでいい。とても落ち着いた気持ちになれる。ありのままの自分でいられる。いや落ち着いてるのか興奮してるのかはっきりしろよって感じかもしれないが、とにかく本当にストレスを感じないんだ。

 ――ボーダーの中にも、こういう居場所があると助かるんだけどな。

 

 

 ボーダー本部基地を訪ねる。そうと決めたはいいのだが、こんな時間に手から血を流した中学生が一人で押しかけていったところで、警察に駆け込んだときと大差のない結果が待っているような気がしないでもない。いや待て、ボーダーはあくまで近界民と戦うのが仕事であって、家庭の事情に首を突っ込む権利までは持ち合わせていない筈だ。黙秘権を行使させてもらう。

 当面の問題は、僕という存在をボーダーが受け入れてくれるのか否かということだ。ボーダーの入隊式というのは確か1月、5月、9月の4ヶ月ごとに行われていた筈だが、その前にも当然試験のようなものはあるだろうし、それに最悪、親の同意がなければ入隊は許可出来ないなどと言われてしまう恐れがある。というか確実に言われるだろう。となるとやはり、ある程度の事情は明かしてしまうしかないのか。早速方針がブレ始めたな。こんな調子で大丈夫か?

 試験。一体何を試されるというのだろう。少なくとも学力ではない筈だ。いや、仮に学力を試すとしても、それは大して重要視されないに決まっている。何故なら陽介が受かっているから。陽介が受かる試験に僕が落ちる筈がない。これは純然たる事実を口にしているだけであり、僕らの友情に何ら罅を入れる発言ではないということを断っておく。

 となるとやはり体力試験か。戦うための組織なのだから、当然そっち方面の能力も求められるんだろう。そして悲しいかな、僕の運動能力は同学年男子の平均を遥かに下回っているのだ。

 言い訳が許されるのであれば、ホルモンの差だと思っている。単純に、筋量で劣っているのだ。今からでもリカバリは間に合うのだろうか? 持久力になら自信があるんだけどな。速度さえ求められなければ、這ってでもゴールまで辿り着いてみせるのだけれど。まさに今、こうして寒空の下ボーダー本部基地へと進んでいっているように――

 

 

 

ゥウ――――――――……

 

 

 

 !?

 何だこの音。めっちゃ近所迷惑じゃん。夜更けってほどの時間でもないけど市民の生活を考えて――などとすっとぼけたいところなのだが、むしろ()()()()()()()()()()()()()()()鳴っている音なのだと、三門市民なら誰もが知っている。

 と言っても、これほどまでに近くでこの音を聞いたのは初めてだ。何故ならそれは、僕にとって境界(ボーダー)の向こう側で起きている出来事だったから。違う世界の話だったから。けれど、今はもう、そうではない。この音は確かに、()()()()で鳴っている。だからこそ、今までは大して気にも留めていなかった音に、こんなにも鼓膜と心臓を揺さぶられているんだ。

 

 

(ゲート)発生。(ゲート)発生。座標誘導、誤差8.02。近隣の皆様はご注意ください』

 

 

 ご注意くださいと言われても、一体何を注意すればいいというのだろう。床にでも伏せていればいいのだろうか? まさにその発生したゲートとやらは、()()()()()開いているというのに。

 虚空にバチバチと穴を開けて、夜空よりも更に暗く底知れぬ闇の中から、そいつは降りてくる。近界民(ネイバー)。隣人と呼ばれるもの。同胞なんて言い方をすることもあるけれど、僕の知っている限り、そんな近界民(neighbor)はこの世には存在しない。彼らは唐突に扉を蹴破っては近くの物へと当たり散らし、その度にお巡りさん(ボーダー)のお世話になっている、迷惑な酔っ払いみたいな存在なのだ。

 ちなみに僕は、酔っ払いが大の苦手である。故にきっと、この門の中から出てくるやつのことも好きになれないに違いないのだ。嫌だなあ、関わり合いになりたくないなあ。けれど、ボーダーに入るっていうのはこの酔っ払いの面倒を見る仕事をするという意味になるのか。最悪だ。やっぱり帰りたくなってきたな。帰る場所なんてもう何処にもないんだけど。

 

 

 

『――なら、()()()に来ればいいよ』

 

 

 

 そんな声が聞こえた。

 は? と思って頭上を見てみると、黒塗りの門から這い出るように、()()()()()()()()()()()。なんだ? 痴女か? 年頃の青少年男子にとって目の毒極まりないものが突如として目の前に現れたわけなのだが、何故だか僕はそいつに性的興奮を一切感じなかった。得体の知れないものに対する恐怖が上回っているだとか、そういうことでもない。むしろその逆で、僕はこいつを知っている。()()()()()()()()()()()()()

 欲情など出来る筈もない。何故ならそいつは、()()()()()()()()()()()()だ。僕の顔をした女。()。どこまで付き纏ってくるんだと、怒鳴り散らしてしまいたい。確かにこの手で殺してやったと思ったのに、いつまでお前は僕の人生に引っ付いてくるつもりなんだ? いつまで僕に、()()()()の相手をさせれば気が済むっていうんだ?

 

 

『まやかしなんかじゃないよ』

 

 

 そんなことを言って、目の前の大庭陽花(ネイバー)は笑っている。

 

 

『葉月、お姉ちゃんが本当のことを教えてあげる。私はね、ずっと()()()()()()に行っていたの。消えてなんかいなかったんだよ。おかあさんのお腹から出てくる前に、門の中へと吸い込まれて、長い長い旅をしていたの。とても楽しかった――ねえ葉月、お姉ちゃんのところへおいでよ。面倒臭いことばっかりのこんな世界は捨てちゃってさ、私と一つになろうよ。しあわせになれるよ?』

「ふざけるな」

『ふざけてなんかいないよ。だって私たち、誰からも愛されることなんか出来なかったでしょう? 本当のお父さんとお母さんにすら見向きもされなかったのに、こんな私たちを一体誰が受け入れてくれると思ってるの? 何に期待をしているの? あなたの大好きなお友達が、また助けてくれるとでも思ってる?』

「僕は最初から、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 期待っていうのはただの願望だ。他人に対して、一方的に押しつけるだけのものだ。

 父さんと母さんが僕に抱いていたものであり、僕が二人に抱いていたものでもある。

 きっと、そんなものを互いにぶつけ合っていたから、僕たちは最後まで分かり合うことが出来なかったんだろう。そのことに気付いていながら、期待することを止められず、二人の期待に応えることも出来なかったという意味でいえば、大庭家をバラバラにしてしまった一番の戦犯は僕であるとも言える。

 理解っていたけれど、どうすることも出来なかった。僕は子供だった。どうしようもなく、僕はただただ子供だったのだ。最後の最後まで、欲しがることを止められない、甘ったれの子供。それが僕だった。

 僕は友情に期待をしていない。()()()()()()()()()()()()()()。僕は彼らに何も求めていない。ただ、()()()()()。毎日を自由に楽しんで、笑って生きている彼らのことを、眩しく思っている。僕はただ、今までよりも少し近い場所で、その眩しさに触れてみたいと思っただけだ。僕が勝手に引いていた境界(ボーダー)を踏み越え、彼らと同じ世界を生きることで、出来損ないだと、失敗作だと、人間失格だと言われた僕が、少しは()()()()()()()になれるんじゃないかと、思ったのだ。

 

 

『なれるもんか』

「それを決めるのはお前じゃない」

『なれるもんか。私を見捨てるような人でなしが、そんな立派なものになんかなれるわけがない。私のことを可哀想だって思ってくれたでしょう? 二人一緒が一番だって、あの写真を壊すとき、そう思ってくれたでしょう? だったら一緒にいてよ。()()()()()()()()()()()

「それも願望だ。僕に何も期待するな」

『どうして? どうしてそんなひどいことを言うの? おとうさんとおかあさんの期待に応えられなかったことを悔やんでいるのなら、今度こそ私の期待に応えてよ。悟った風なことを言って、子供()()()なんて言って振り返るなら、大人になってみせてよ。お姉ちゃんの期待に応えられる弟になってよ。私はどうやったってもう、()()()()()にはなれないんだから!!』

 

 

 そうだ。どうやったってもう、陽花は大人になんかなれない。こうやって今、僕と同じ顔をして泣いていることだっておかしいんだ。だからこそ、僕はそんな、()()()()()()と一つになることは出来ない。僕は大人になる。歳を重ねて、男らしくなって、そのうちきっと陽花の方だって、僕と同じ顔になんかなれなくなる。生きるっていうのはそういうことだ。そうすることを決めた以上、死んだ人間と一つになることは、どうやったって、出来ない。

 

 

「僕はボーダーに入る。近界民(お前)と戦う者になる。異なる世界の存在を殺すことで生きていく、そういう仕事に就くんだ。そこをどけ」

 

 

 陽花(ネイバー)が泣きながら僕を睨んでいる。その睨み付ける二つの目が徐々に近づいていって、()()()になる。

 いや――これは目なのか? だって()()()()()()()。本当は舌なのか? よく分からない。いつの間にか耳の形もエルフかうさぎみたいに尖っていて、もう明らかに、人間の見た目ではあり得ないものになっている。

 いや、本当は最初からそうだったんだろう。むしろ何故、首から下だけは未だに人の形を保っているのだろうか。趣味の悪い幻覚にも程がある。これを見せているのが僕の深層心理とかそういうものであるのなら、人でなしの化け物呼ばわりされるのも無理はないな。

 僕がそんなことを思っていると、目の前の化け物が同調するように、『そうだよ』と言った。

 

 

『私と葉月は二人で一つなんだから、私が化け物に見えるってことは、葉月も化け物なんだよ』

 

 

 なるほど。

 それは面白い解釈だなと感心した僕の頭を、大口を開けた陽花(ネイバー)が丸呑みにしようとしたところで、()()()の首がすっ飛んだ。

 楽しい妄想劇場、おわり。

 

 

 ――あ、言っておくけど、僕の首じゃないよ?

 

 

 

 

 デカい。

 真っ先に思ったのはそれだった。何の話かって、すぐ傍で口から煙を吐いてぶっ倒れている近界民(ネイバー)のサイズである。ぱっと見10mかそこらだろうか? こんなものに食べられるところだったのか僕は。見た目が陽花だったおかげで逆に助かったかもしれない。突然これが空から降ってきたら、腰が抜けて到底逃げるどころではなかっただろう。そういう意味では、あの妄想は一種の自己防衛的な効果もあったのだろうか? いや考え過ぎだな。どの道一歩も動けなかったんだから。

 

 

「アホかてめーは」

 

 

 おかげさまで今、僕はこうしてボーダー隊員の方から直々にお説教を食らっているのだ。

 ボーダー隊員――なんだよな? 近界民(ネイバー)を倒してくれたのは多分この人なんだろうが、その外見や纏う雰囲気が何とも、僕の抱いている防衛機関の人間のイメージにそぐわない。

 とはいっても、その点で言えば陽介や公平も似たようなものだ。そうだな、この人からもまた、彼らと似たような空気を感じる。自由を好むアウトローの匂いだ。そしてその外見も中々に尖っている。具体的に言うと髪が尖っている。ツンツンしている。ついでに言うと目つきも尖っている。鋭くて実に男前だ。うらやましい。こういう顔の男に生まれたかったな。

 風邪でも引いているのか(そんな状態で防衛任務に出るとは大したものだと褒めるべきなのか、ボーダーってのは思った以上にブラック体制なのかと恐れるべきなのか)口元はマスクで覆われてしまっているが、きっと歯もギザギザに違いない。そういう確信がある。

 

 

「こんな時間に一人で警戒区域に忍び込むわ、バムスターに食われる寸前だってのに気ィ抜けた面して動きゃしねーわ、どういう神経してんだ? あァ? 近界民(ネイバー)と睨めっこでもしたかったのかよ」

「バムスターっていうんですか、これ」

「ナメてんのか?」

「いえ、すみません。助けていただいてありがとうございます」

「……ケッ」

 

 

 いけないいけない。初対面の人を相手についついいつもの調子で接しようとしてしまった。

 ……いや待て。ボーダーに入ったら、ゆくゆくはこの人ともお近づきになる機会が生まれるかもしれない。となると、今のうちから僕という人間を知ってもらった方が何かと捗るんじゃないか? ただでさえこの人は、僕にとって命の恩人にあたるわけなのだ。恩人に嫌われるというのはとても辛い。というわけで僕が脳内でテキトーな話題のとっかかりを探していると、

 

 

「どひー、誤差8.02は流石にしんどい! 移動するだけで一苦労だよ」

 

 

 デカい。

 そんな第一印象の人が現れた。思わず近界民(ネイバー)を見たときと同じリアクションをしてしまったが、当然のことながらこちらの(かた)はれっきとした人間サイズである。マスクの人と同じ黒のジャケットを身に纏っているあたり、同じ部隊に所属しているのだろう。そしてこちらの方はなんというか、丸い。やわらかい。頬とかお腹をつっついても怒られそうにない。マスクの人はきっと怒る。実に対照的な二人だ。そんな二人が、僕を置いてけぼりにした会話を始める。

 

 

「遅せーんだよゾエ。もう終わっちまったぞ」

「いやいやカゲ、ゾエさんこれでも急いできたのよ? おかしいよねえ、トリオン体に生身の筋力は関係ない筈なのに、なんでゾエさんとみんなで走る速さに差が付くんだろうなあ」

「普段から走る動きが身に付いてねーからトリオン体になってもまともに走れねーんだろ。A級の……あー、名前出てこねーな、なんかゴリラみてーなのが訓練のときにんなこと言ってたぞ」

「木崎さんでしょ? うーん、ゾエさんむしろ人より動けるタイプの筈なんだけどなあ、トリオン体っていうのは奥が深いねえ」

「もうすぐ入隊してから1年経つってのに、入りたての新人(ルーキー)みてーなこと言ってんじゃねーよ、カッコわりい――オイ、遅れて来た分、そっちの奴の面倒はてめーが見ろよな」

「うん? そっち?」

 

 

 マスクの人こそカゲさんが顎をしゃくって、丸い人こそゾエさんが釣られて僕の方を見る。

 どうも、と右手を上げてみると、ゾエさんはその手に視線をやって再度「どひー!」と軽い悲鳴を上げた。何ともこの人によく似合う悲鳴である。

 

 

「大変大変、ケガしてるじゃん! 大丈夫? 痛くない? どうしようカゲ、ゾエさん治療用の道具とか何も持ってないよ!」

「俺だってんなモン持ってねーよ。ほっとけ、立入禁止っつってんのに警戒区域に入ったこいつが悪りーんだ」

 

 

 あ、そういえば右手を切ってるんだった。正直大した傷ではないのだけれど、かなりの時間放置していた上に流しっ放しの血で真っ赤になっているから、見た目は確かに『どひー!』と言いたくなる感じではある。しかし真っ先にそこを心配してくれるとは、この人は、いや、この人()良い人なのだな。まあ、二人とも()()()()()()のだけれど。

 

 

「そういうワケにもいかないでしょ――ごめんね? このおにーさん見た目こんなだしワルぶったこと言ってるけど、悪いヒトじゃないから、ホントに」

()()()()()()()()()()()()、つまんねーフォロー入れてんじゃねーよボケ。ケガしてんだったらさっさと本部の医務室にでも運んじまえばいいだろーが」

「ね、悪いヒトじゃないでしょ」

「うるせー」

「……()()()?」

 

 

 すみませんゾエさん、聞き捨てならない単語に思わず反応してしまいました。しかしそんな僕の反応を失礼とは捉えず「あー、えっとね」と解説の姿勢になってくれるのだから、やはりこのゾエさんは人が出来ていらっしゃる。ちなみに口を滑らせた当のカゲさんは既にこっちを見ていない。

 

 

「キミ、お名前聞いてもいい?」

「葉月です。大庭葉月」

「あのね葉月くん。キミにはこれからウチの基地まで来てもらわなきゃいけないんだけど、そこで手の傷を治療した後にね、その、ちょーっと言い方が悪いんだけど、()()()()()()()()()()

 

 

 怖い。

 え、アタマを弄るって何? ロボトミー? 改造手術? ワタシハナニカサレタヨウダ?

 知ってはいけないようなことを知ってしまったような気がする。ああでも、()()()ってそういうことか。今聞いていることも含めて全部忘れてしまうのなら、そりゃ失言の一つや二つ気にしないよな。

 ――などと、全てを聞く前に納得しかけていたのだけれど。

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って感じになるんだよねー。機密保持のためだっていうんだけど、近界民(ネイバー)に会った後のこととか、基地に入れた後のこととかじゃなくて、()()()()()()()()()()()()()()()()っていうんだから、雑っていうか、もうちょっと何とかならないのかなって思うんだけど、そもそも記憶を弄るだなんて一体どうやってるのか……あれ、ちょっとキミ、大丈夫? 顔色がすごいことになってるんだけど――」

 

 

 

 

 

 ()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 心臓が破裂するほどの恐怖だ。動悸が、呼吸が、生きるための器官の全てに狂いが生じている。今日のことを全て忘れる? 大庭陽花(かみさま)を殺したことも、境界(ボーダー)を踏み越えると誓ったことも忘れて、昨日までの僕に戻って、父と母の下へと帰れと、このひとはそう言っているのか?

 あり得ない。そんなことは、あってはならない。写真の中の僕(かみさま)を見たときの比ではない吐き気がする。僕はその場に膝を突き、胃の中のものを丸ごと全て地面へとぶち撒けた。

 

 

「は、葉月くん!? しっかり、しっかりして!」

「……おいおい」

 

 

 駄目だ。拒絶されるなら別にいい、それならそれで諦めもつく。現実なんてこんなモンかと溜息を吐いて、月に向かって中指の一つでも立てて野垂れ死ぬ、そんな自分なりに見た目だけは格好の付く最期を選ぶことくらいは出来る。けれど、それは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 今の僕はもう、昨日までの僕じゃない。僕がそう思っているだけかもしれない、それでも、この記憶を捨ててしまったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。僕にとって、今日という日は奇跡だった。全てが噛み合ったおかげで、ここまで辿り着くことが出来たんだ。二度はない、最初で最後のチャンスなんだ。忘れたくない。死にたくない。()()()()()()()()()()()()()()()

 僕はそう叫んだ。叫んだつもりだった。なのに――ああ、どうなっているんだ? ()()()()()。胃が、喉が痙攣して、口から吐き出される音が、意味のあるものになってくれない。加えて、ただでさえ気力で奮い立たせていた体が、全てを思い出したように/全てを忘れようとしているのに/痛みと寒さで震え出して、僕は本当に心の底から、死ぬ、死ぬ、死んでしまうと、ただそれだけを考えていた。

 視界がぐるぐると回っている。世界が反転していく。ああ――意識が飛ぶ。僕が消えてしまう。忘れてしまう。死んでしまう。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 助けてくれ。誰でもいいから、僕を助けてくれ!

 僕は何かに期待した。期待してしまった。願望を抱いてしまった。戦う力のない、ただの子供に戻って、しまった。

 そんな僕を嘲笑うように、()の声がした。

 

 

 

『ざまあみろ』

 

 

 

 僕はそいつを見た。見てしまった。縋りつくべきではない、偽物の陽(かみさま)を見てしまった。首だけになって転がっている陽花の顔が、何故か酷く輝いて見えて、ニセモノなのに、助けてなんかくれないのに、それに赦しを乞いたいと思ってしまった。頭の片隅で小さく誰かが何かを言っているような気がしたが、聞こえなかった。それはもう、聞こえなかった。

 

 

神様()に逆らうからだ。神様()を裏切ったからだ。裏切り者。裏切り者。裏切り者!!』

 

 

 裏切り者(Judas)

 ああ――そうだ。それが僕だ。大庭葉月だ。そうなることを決めた。そうやって生きていくと、僕は、誓ったんだ。大庭陽花(かみさま)を殺して、水子(お前)を見捨てて、忘れて、裏切って、その上で生きるんだって、そう、決めたんだ。けれど僕は忘れてしまう。()()()()()()()()()()()()()。それなら、本当に、この世界に僕の行く先なんて、何処にもないじゃないか。

 

 

 

 僕は絶望した。

 今度こそ、本当に、絶望した。

 

 

 

 

 

 陽花が笑っている。陽花(かみさま)が笑っている。どうもこの神様は僕が諦めれば諦めるほど笑ってくれるようで、そして今の僕は、この神様を()()()()()()()()と思っている。

 だから諦めよう。絶望しよう。陽花(かみさま)に全てを捧げよう。そう思って目を閉じかけたところで、

 

 

 

「――おい。こっちを見ろ」

 

 

 

 陽の中に、が差した。

 

 

「何も喋らなくていい。ただ、願え。お前が今本当に、心の底から望んでいることを、願え」

 

 

 そのは全てが尖っていて、触るものみな傷付けそうな見た目をしているのに、それでも誰かを――誰のことだろう? わからない。ただ、誰かを助けようとしていた。本当に、ぱっと見ただけではわからないのだけれど、必死になって手を伸ばしているような、間に合え、間に合えと、閉じてしまいそうな隙間を無理矢理にでも抉じ開けようとするような、闇雲で、力任せで、強引で――

 

 

 ――頼り甲斐のある、ギザギザの歯をした、だった。

 

 

 

 

 

 忘れたくない(死にたくない)

 

 

 僕はただ、それだけを、願った。

 

 

 陽の中のに向けて。

 

 

 

 

 北添尋は狼狽していた。少しばかり(ゲート)の出現座標にズレこそあったものの、出てきたのは平凡なバムスター1匹ぽっちで、それも自分が現着する前に我が隊の隊長が片付けてしまって、どひー、今日のゾエさんの防衛任務はただのランニングで終わっちゃったなあ――ここへと辿り着く前は、そんなことを考えていたのだ。

 それが今はどうだ? 目の前では真新しい吐瀉物の上で全身を痙攣させ、今にも意識を手放してしまいそうな民間人の少年と、()()()()()()()()()()()()()、そう言って滅多なことでは外したがらないマスクを外した隊長(親友)が、無言のまま見つめ合っているのだ。何故こんなことになっているのだろう? この少年は――大庭葉月とは、一体何者なのだろうか? 何が目的で、何を考えて、警戒区域の中へとやって来たのか――

 ――この親友の()()()ならば、そんなことまでも知ることが出来るのだろうか?

 

 

 

『――おいカゲ、ゾエ! 返事しろこのバカ!! 何ボーっとしてんだよ!? さっさとそいつ担いで基地まで連れてこいよ! いりょーはんとか呼ぶよりその方がはえーだろ!?』

 

 

 

 耳元で響いたオペレーターの怒鳴り声に、ハッと我に返る。

 そうだ。突然のことに不覚にも気が動転してしまったが、とにかく少年を基地へと運び込まなければならない。しかし――この少年の記憶は、一体どうなってしまうのだろうか?

 ボーダーが保護した民間人は、機密保持のために記憶を消されてしまう。北添が知っているのはその大まかな事実だけで、具体的にどういった手段で記憶の抹消を行うのかまでは把握していないのだ。ふと見ると少年は完全に意識を失っており、今は隊長の手によって支えられている格好だ。このまま彼を運び込んだとして、記憶処理が行われるのは少年が目覚める前なのか? 後なのか? その時に自分たちは、一体どういう対応をすればいい? 何が出来る? そもそもこの少年の記憶を守るために、ボーダーの規則に逆らうような真似をする必要まであるのか――

 

 

「行くぞ」

 

 

 隊長――影浦雅人が、気を失った少年を背中に担いでそう言った。少年の口から零れた吐瀉物で、影浦の襟元が汚れている。

 トリオン体なら気になどならないか――いや、今の彼はきっと、たとえ生身であったとしても、そんなことなど気にも留めないだろう。そういう目をしている。副作用(サイドエフェクト)になど頼らなくとも、見れば理解(わか)ってしまうのだ。親友とはそういうものだ。

 

 

「……カゲ、その子の記憶、どうすんの? いくらその子が忘れたくないって思ってても――」

()()()()()()、だ」

「え?」

「そう刺さった(言ってた)

 

 

 親友が何を考えているかまでは理解(わか)る。けれど、視ているものまでは共有出来ない。北添尋は、影浦雅人が少年の視線から何を感じ取ったのか、その意識を自分のものとして考えることまでは、出来ない。

 故に、北添はただ、()()()()

 カゲがそう言ってるんだからそうなんだろう。親友の持っている超感覚(サイドエフェクト)を、愚直なまでに、信頼した。

 それだけで充分だった。

 

 

「――なるほど。そういうことなら、忘れさせるわけにはいかないよね」

「そういうこった。医療班だか記憶処理担当だか誰の仕事だか知らねーが、何なら上の連中だって脅しつけてやる」

 

 

 平時であれば、ケケケと笑いながら冗談半分で口にするような台詞だったかもしれない。しかし今の影浦の表情は、真剣そのものだった。剥き出しの歯を固く食い縛り、逆らう奴は誰であろうと噛み千切ってやると言わんばかりの、獰猛な顔付きだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだと、強く心に誓った者の、目をしていた。

 

 

 

 

 

「この町のやつが忘れたくねえ(死にたくねえ)って言ってんだ。それを守んのが俺ら(ボーダー)の仕事だろーが、ってな」

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その男、紳士(ジェントル)につき(前編)

第1話をご覧いただいた皆様、果てはお気に入り登録、評価、感想まで下さった皆様、誠にありがとうございます。
連載というものを始めてみて、こういった読者様からの反応が続きを書く上での大きなモチベーションに繋がるのだなあと気付かされた次第です。
このありがたみを最後まで忘れることなく完結目指して頑張っていきたいと思います。
よろしくお願いします。

今回のお話ですが、途中からオリジナルでもワートリ出身でもないキャラクターが登場します。ご了承下さい。
タグとタイトルから訓練された葦原大介ファンには察しが付くものかと思われます。




 

 

「――父さん母さん、僕()()六頴館に受かったよ!」

 

 

 帰宅一番にそう伝えると、父と母はぱあっと顔を綻ばせて、口々に祝いの言葉を並べてくれた。

 

 

「やったなあ葉月、■■! 父さんは絶対受かるって信じていたぞ!」

「おめでとう二人とも。当然よね、葉月も■■もこの日のためにずっと頑張ってきたんだもの」

 

 

 父も母も、心の底から僕たちを褒めてくれている。視れば理解る。いや、()()()()()に頼る必要すらないんだ。両親は今までずっと優しく、暖かく僕らを支え続けてくれていた。その日々の積み重ねの果てに紡がれたこの祝福の言葉に、一体何を疑う余地があるというのだろうか?

 

 

「ありがとう――でも、これからだよ。僕たちはまだ、何も成し遂げてなんかいないんだからね。六頴館に入ってからも研鑽を怠らずに、良い大学に入って、きちんとした仕事に就いて、父さんと母さんの期待に応えられる立派な大人になるんだ」

「まあ、いいのよそんな、私たちのことなんか気にしなくても」

「そうだぞ葉月、お前のやりたいことを存分にやりなさい。親っていうのはな、いつだってそれを心から望んでいるんだ」

「大丈夫だよ。これが本当に、僕がやりたいと思っていることだから。僕たちのことをずっと大切に想ってくれたからこそ、僕も自分の意思で、父さんと母さんに恩返しをしたいと思ったんだ。僕は大庭家の子として生まれてこられたことを誇りに思うよ」

「葉月……おまえ、良い子に育ったなあ……」

「ええ……あなたは本当に、私たちの自慢の息子だわ」

 

 

 なんだかおかしな光景だ。二人とも感極まってしまったのか、互いに涙をぼろぼろと流しながらうんうんと頷き合っている。けれど紛れもなく、僕の中にも満たされたような気持ちがある。何も成し遂げていないだなんて言ったけれど、僕は今一つの到達点に至ったような気がしてならない。僕()()が描いた成功という名の輪の中に父と母を連れ込んで、家族全員で喜びを共有する。世の中にこれ以上の幸福なんて存在するのだろうか? 淀みの欠片すらもない、完璧な理想の空間だ。

 幸せだなあ。僕は今、本当にしあわせなんだ。

 

 

「ほら、■■もこっちに来なよ」

 

 

 そう言って僕は、後ろでいつまでも黙っている■■の方へと振り向きながら、ふと思った。

 

 

 ――()()()()()()()()

 僕は、父と母は、こいつのことを一体どういう名前で呼んでいた?

 僕とこいつの関係は一体何なんだ?

 こんな訳のわからないやつが、どうしてこんなところにいる?

 

 

 お前は――何だ?

 

 

 

 

 

 振り向くと、鼻と鼻が触れ合うほどの距離に()()()()

 

 

「お前が()()()に来るんだよ」

 

 

 血走った目で僕を睨み付け、呪詛を吐き、引き摺り込むように、■■(陽花)が僕の腕を掴んだ。

 そこで全てが終わった(夢から覚めた)

 

 

 

 

 覚めてもまだ腕を掴まれたままだった。

 

 

「うわあ!!」

「のあぁ!?」

 

 

 あ、やっと離れた。今度こそ本当に目が覚めたか。いや待て、まだ感触が残ってるぞ。こわい。夢と現実の境界(ボーダー)があべこべになりそうだ。しっかりしろ。自分を保つんだ大庭葉月。お前という存在は何なのか一からしっかりと思い出せ。

 僕の名前は大庭葉月。生まれたときに一卵性の双子を失くして、両親からは双子の()として育てられたけれどれっきとした男だ。しかしその育てられた家からも出ていく羽目になり、ふらふらと街を彷徨っていたら警戒区域へと辿り着いて、そうだ、ボーダーに入ろうと思い立ち、鉄線の隙間を潜り抜けて、近界民(ネイバー)と出会って、ボーダーの人に助けられて――

 

 

 ――助けられて、死に(忘れ)かけて、また助けられた(救われた)

 

 

 覚えている。

 ――覚えて(生きて)、いる。

 

 

 息を吐いた。それはもう、胸の底から深々と。

 大丈夫だ。覚えているのなら、もう、大丈夫だ。僕はまだ生きている。()()()()()()()()()()水子(死人)を見捨てて、踏み越えて、戦い続ける意志を持っている。槍をこの手に掴んでいる。

 ならば、もう、負けない。

 僕はもう、絶対に、負けない(死なない)

 

 

「……おい、おまえ、だいじょーぶか?」

「はい」

 

 

 まさに()()()()を確信していたところにそんな質問が飛んできたので、反射的に頷いてしまってから、ようやく現状に意識が追い付き始めた。

 僕はベッドに寝かされている。両脇には手すりが付いていて、身体に被さっているのは清潔感に溢れた純白のシーツが一枚。周りはカーテンで覆われており、部屋の全容を窺うことは出来ない。いかにも病室の患者という扱いである。いや、実際そうなんだろうが。

 いつの間にか制服から着替えさせられており、身に着けているのも典型的な検査衣――いわゆる病人服だ。12月とはいえあちこち歩いたもんな、ずっと着っ放しっていうのは精神的にも嫌だったから助かる。

 身体の方もあちこち拭いてもらったのか、丸一日シャワーも浴びていない割には不快感がない。とはいえまだ父に受けた暴力の爪痕が残っているのか、節々の細胞が痛い痛いと悲鳴を上げているような感じがする。そのことを辛いとは思わない。むしろ安心感すら覚える。この痛みの原因も、僕はしっかりと覚えているのだから。

 で。

 

 

「あの、あなたは?」

 

 

 解けていない唯一の疑問がこれだ。いや、厳密に言えばこの病室が一体何処なのかも正しくは把握出来ていないのだが、まあボーダー本部基地の医務室なのだろうという想像は付く。意識を失う寸前、僕を助けてくれたボーダー隊員――カゲさんとゾエさんの二人が、僕をそこへと連れていくようなことを言っていたので。そうだ、あの二人にもきちんとお礼を言わなければ。特に――

 ――カゲさんに会いたい。いや、願望で済ませてはいけない。僕は絶対にもう一度、カゲさんに会わなければいけないのだ。

 そんな僕の決意を他所に、僕のすぐ傍、カーテンの内側で二人っきりになっている謎の()()が、

 

 

「ふふん」

 

 

 と、何故だか得意気に鼻を鳴らしていた。よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりである。

 看護師ではないだろう。私服だし、そもそも僕と同年代に見える。茶色い長髪の片側をリボンで結んだ女の子だ。身に纏っている雰囲気が、なんというか、猫っぽい。自由気ままなのだけれど、人懐っこさと愛らしさを兼ね備えている、そんな感じ。出会ったばかりの相手にこんなことを思うのも何だが、こたつで丸くなっているのがよく似合いそうだ。

 

 

「アタシは仁礼光。おまえのこと助けたカゲとゾエのチームメイトで、あいつらの()()()だ」

 

 

 姉貴。

 ヒカリ。

 

 

「……すみません、ヒカリの字って太陽の陽じゃないですよね?」

「うん? フツーの光だけど。フツーのって言っていいのかわかんねーけど、どうかしたか?」

「いえ、何でも」

 

 

 ちょっとその漢字の姉的存在にトラウマがあるだけです、とまでは言わない。

 しかし――姉貴分ということは、カゲさんとゾエさんよりも年上なんだろうか? とてもそうは見えない。女性の年齢というやつは男性以上に分かり辛いものだが、しかしそれにしても。

 

 

「あのな、おまえは本当だったら寝てる間に昨日のこと全部忘れちまって、頭ん中すっからかんにしてからおまえのウチへと突っ帰される筈だったんだよ。でもおまえ、カゲにお願いしたんだろ? 忘れたくないって」

 

 

 お願い。

 そうだ。確かに僕は願った。忘れたくないと、あの恐ろしくも暖かい陽の中に割り込んできた、一筋の影に向かってそう願ったのだ。願った、けれど。

 

 

「……願っただけで、口にすることは出来ませんでした」

「でもおまえ、カゲのこと、見ただろ?」

「ええ。それは、間違いなく」

()()()()()()()()()()。よかったなーおまえ、助けに来てくれたのがウチのカゲで。ほかのヤツならアウトだったんだぞー? カミサマってのに感謝しねーとな!」

 

 

 さっきから一々複雑な気持ちになる言い回しをおやりになられますね?

 しかし、そうか。伝わったのか。理解出来るものなのか、言葉にしなくても。

 そんな人が、()()()()()、いるのか。

 

 

「でな、それでカゲといりょーはんの人がちょっと揉めちまって、話にならねーからってことでもっと偉いヒトまで顔出してきて、昨日は結構エラい騒ぎだったわけ」

「ご迷惑をお掛けしてすみません」

「ホントそれだぞー。もう勝手に警戒区域に入ったりしないかー?」

「はい。誓います」

 

 

 誓いを破ってでもやりたいことが出来たりしなければ。

 それって誓いになってなくない? と、頭の中のもう一人の自分がツッコミを入れたような気がする。しかし、こればっかりは断言出来ない。未来は無限に広がっている。

 ただ――少なくとも、遊び半分に突っ込むような真似だけはしない。それだけは間違いない。「うむ、よろしい」と仁礼さんも頷いていることだし、野暮なことを言いなさんなよおまえさん。

 

 

「そういうことで、おまえの記憶は()()消えてない」

「――まだ?」

 

 

 不穏な表現に思わずぴくりと震えてしまう。まさか、今は残っているけど明日になったら消えてしまうとかそういう罠じゃないだろうな。

 

 

「アタシがおまえを見張ってたのは、おまえが起きたら偉いヒトにほーこくするためだよ。何しろおまえ、夜にこっそり警戒区域に忍び込んでた悪りーやつだもんなー? そんなやつを庇うようなマネしたんだから、だったらある程度は面倒見ろよってことで影浦隊(ウチ)が見張りを押しつけられたってワケ。一人で目ぇ覚まして病室から抜け出されたりしても困るしな」

「……その()()()()とのやり取り次第で、改めて僕の記憶を残すか消すのかどうかが決まるということですか」

「ま、そんな感じだなー……ふあああ、ねむ……」

 

 

 なるほど。状況は理解出来た。つまり依然として、僕の記憶()は完全な安全を手にした訳ではないということだ。

 まあ、準備が出来ているのなら何とかなるだろう。昨日は記憶を消すと言われた時点で不覚にもパニックを起こしてしまったが、交渉の余地が残っているのなら、希望はある。

 それにしても仁礼さんが眠そうだ。そりゃあそうだろう、見張りを始めたのは僕の治療や手当てが終わってからの話なのだろうが、それでも『昨日』という表現を使った通り、少なくとも日を跨いでいるのは間違いないのだ。カーテンのせいで外の様子が判らない。へい大将、今何時(なんどき)でい?

 

 

「すみません、僕なんかのために寝ずの番を押しつけられるなんて」

「いやフツーに寝てたからそれはいいんだけど」

「なんですと?」

「アタシ元々眠り浅いんだよ……普段からコタツで寝たりとかしてっからかなー? ちょっと人の声とかしたらすぐに目ぇ覚めるし」

 

 

 やっぱり仁礼さんは猫であったか。

 

 

「でさ、ここに椅子があんだろ? おまえがいきなり大声上げたもんだからビックリして立っちまったけど、さっきまでそこ座ってさ、おまえの腕掴みながら寝てたワケ。おまえがちょっとでも動いたら目ぇ覚ませるようにな。アタマいいだろ?」

 

 

 おかしい。何故だかこの仁礼さんのドヤ顔が陽介(バカ)と被って見える。頓珍漢なことを言ってるのに本人はさも自信満々で正解を疑ってない無敵の人間の顔だ。僕はこの顔の出来る人間に勝つ方法を知らない。別に仁礼さんを倒したい訳でもないのだけれど。

 まあなんだ、ひとまず悪夢の原因ははっきりした。仁礼光、あなただったのか。現実で僕の腕を掴んでいたのは。

 

 

 ――いやでも、どっちが悪夢だったんだろうな。陽花(死人)に引き摺り込まれかけたことが悪夢だったのか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 夢の中で僕の腕を掴んだのは陽花という名の死者(ひかり)だったけれど、現実で僕の腕を掴んでいたのは光という名の生者(ヒカリ)で、僕が最終的に帰ってきたのは後者の方なのだ。

 

 

「賢いかどうかはさておいて、ありがとうございます」

「さておくなよ。アタシ的にはそこが一番重要なんだぞ」

「いえ、その――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような気がして」

 

 

 こじつけにも程がある話だが、なんとなく、そう思った。

 僕はいつも、自分の輝きを疑うことのない愛すべき陽光(バカ)に救われることで生き永らえているような気がする。

 いやまあ、出会って早々に陽介(バカ)扱いは流石に失礼か。でもなんだろう、なんか知らないがこう、近いものを感じるんだよなあ。具体的に言うとその、学校の成績とかが……。

 

 

「……よくわかんねーけど、おまえ、()()()()()()()()()()()()、みたいな?」

「そうですね。気分的にはそんな感じです」

「はっはーん……」

 

 

 ところで仁礼さん、あなたは何故このタイミングで()()()()()()()()()とばかりにニヤニヤした笑みを浮かべていらっしゃるのでしょうか。正直怖いです。

 

 

「おまえ、ハヅキっていったっけ」

「ええ、そうです。大庭葉月です」

「歳いくつ?」

「15です」

「げ、タメじゃねーか――いや待て、まてまて。誕生日は?」

「はあ。8月2日ですが」

「っし!! ギリ勝ち!!」

 

 

 ぐっと力強く拳を握り締める仁礼さん。なんだなんだ、えらい急にぐいぐい来るな。さっきまであんなにも眠そうにしていたというのに、今はやけに目がキラキラと――いや、もう少し強いな。ギラギラとしている。狩人の目をしておられる。一体さっきのやり取りの何がこの人のスイッチを押してしまったというのだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだが。

 というかやっぱり同年代だったのか。ずっと敬語で通してきてしまった。とはいえ、今の僕と仁礼さんの関係は一般人とボーダー隊員なわけで、友人関係でも何でもないのだから敬意を払うのは当然のことだろう。仮に僕がボーダーに入ることが出来たとしても今度は先輩と後輩の間柄になるわけで、ということは別に無理に崩す必要もないのかな、などと思っていたのだけれど。

 

 

「なあハヅキ。アタシのこと、頼ってくれていいぜ」

「は?」

「今からちょっくら偉いヒトんとこ行ってくるけどよ、おまえのこと、いいヤツだったって言っておくからな! 二度と勝手に警戒区域に入ったりなんかしねーし、きみつ? だってちゃんと守れるヤツだって、そう言っておいてやる! 何も心配すんな、アタシに全部任しとけ!」

「え、あの、ちょっと、仁礼さん?」

()()()()!」

 

 

 そう言って仁礼さん――いや、ヒカリさん? さんを付けることも許されないのか? 呼び捨てにしろと言っているのか? とにかく彼女が、勢いよくカーテンを開いて、閉じた世界が広がった。

 そこは何の変哲もない真っ白な病室でしかなかったのだけれど、部屋の照明がカーテンによって遮られていたせいか、急に開けた視界が僕にはやけに眩しく思えて、思わず目を覆いそうになる。

 だから僕は反射的に、彼女の方を見た。この無闇やたらに真っ白いものと向き合っていると疲れそうだったので、彼女(ヒカリ)の影に隠れることを選んだ。

 そんな根性なしの僕に比べて、当たり前のように部屋の扉へと踏み出していく彼女の、何と堂々としたことか。この世界に怖いものなんか何もないんだと、恐れることを知らない者の足取りで、彼女は純白を掻き分けていく。そんな彼女の背中を見つめていると――()()()()()()()()()()()、何故だか不思議と気持ちが落ち着いて、ただの病室に訳の分からない感情を乗せていたことが馬鹿馬鹿しく思えるようになって、余計なことを考えずに、ただただ安心出来るのだった。

 

 

「いいかハヅキ! あたしはヒカリだ! ()()()()()()()()()()()()()()! 忘れんなよ!」

 

 

 そう告げた彼女が部屋を出て行くと、病室はただの真っ白いものへと戻っていったというのに、何故だか彼女がいた時よりも暗いものに思えてしまって、なるほど、という四文字だけが頭の中に浮かんだ。

 確かに彼女は、()()以外の何物でもない。

 そう思った。

 

 

 ――ああ。カゲさんに会ったら、言ってみようかなあ。

 あなたが彼女とチームを組んでいる理由が理解(わか)ってしまっただなんて言ったら、僕はまたあなたに怒られてしまうんだろうか?

 

 

 

 

 さて。

 ふと思ったのだが、勝手に逃げ出されないための見張りとして僕に付いていたというのに、お偉いさんを呼ぶために持ち場を離れたのでは見張りの意味がないのではないだろうか。電話なりLINEなりで連絡するという選択肢はなかったのだろうか。あれで意外と医療施設の中では携帯の電源を切るタイプだったりするのだろうか? とにかく彼女は行ってしまった。おかげさまでこの通り、僕は自由の身だ。

 かといって今更ここから抜け出す筈もないのだが、如何せん手持ち無沙汰だ。こういう時に現代人の余暇を潰してくれるのがスマホなる文明機器の良いところだったのだが、生憎それはもう父に取り上げられてしまった。

 僕は個人の娯楽に関しても徹底的な管理体制を敷かれており、逃げ道は陽介や公平に借りてこっそり読む漫画と、あの掌サイズの長方形マシンから飛び込める電子の海の中だけだったのだ。とはいえ当然、通信料にも割と厳しめの制限を掛けられていたので、動画視聴や音楽配信サービス等を利用するときはコンビニの無料開放wi-fiなどの世話になるのが常だった。

 一方、世間から金のない家庭だと思われたくない見栄なのか、小遣い自体はそこそこの額を頂戴していたのが大庭家のちぐはぐなところでもある。勿論ゲームや蒐集品といった形の残る趣味には使えないので、必然的に用途はカラオケを筆頭とした()()()()()()()()に限られてしまった。ああいう生活を続けていたらそのうち刹那主義にでも目覚めていたんじゃないかと思ったりする。或いはもう手遅れだったりするのかもしれない。僕が今ここにいるきっかけがそもそも、ねえ。

 とにかく暇だ。暇なのである。一応は判決待ちの被告人みたいな立場なのだから大人しく罪を反省して待っているというのが僕に求められている正しい態度なのかもしれないが、無心でただ時の流れに身を任せるとか、そういう悟りの境地めいたところとは真逆に立っているのが僕という人間なのだ。

 何か患者用の本とか置いてないのかな、でも勝手に読んだらそれはそれで怒られるかなとか思いつつ病室の中をきょろきょろとしていると、()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう、こちらも先刻までカーテンの中にいたから気付かなかったのだが、お隣さんがいたのだ。僕は真っ先に、あ、これは謝らなければと思った。両親からやれ常識を守れないだの当然のことが出来ないだのと言われ続けてきた僕ではあるが、流石に病室では静かにというマナーくらいは守るべきだと思っている。が、さっきまではこの部屋の中に僕と彼女――ヒカリの二人しかいないものだと思っていたので、周囲への配慮とかそういった意識がすっかり抜け落ちてしまっていたのだ。

 ……というかヒカリ、君は普通に知っていたんじゃないのか? 思い返してみたら目を覚ましたときを除けば騒がしかったのは常に君の方だったじゃないか、大声を出すときは周囲の迷惑を考えるべきだと公平もそう言って――おお、なんか自然と脳内で敬語が取れてきたぞ。次に会った時はこんな感じで行ってみよう。そんなことを思っていると、

 

 

「こんにちは」

 

 

 と声を掛けてきた、お隣さんと目が合った。

 

 

 ――()()()、と思った。

 色素が薄い。アルビノとまでは言わないが、平均的な日本人女性と比べても、かなり白い方の肌に入るだろう。ただでさえこんな真っ白い病室の中にいるものだから、この人もまたその()()()()()()()()()()()()()()()()()、そのまま消えてなくなってしまいそうな――このシチュエーションのせいなのだろうか? そんな儚さを感じさせる、第一印象だった。

 

 

「あ、すみません。うるさくしてしまって」

「ううん、大丈夫。眠っていたわけでもなかったし――あの、15歳なのよね?」

「そうですが」

「私も同い年だから、敬語は使わないでいいわ。一度使い出したら後から直すのが大変でしょう? 敬語って」

「まあ、相手にもよりますね。……よるかな」

「さっきの子は?」

「ひょっとしたらもう敬わなくなるかもしれない」

「あら」

 

 

 ひどいのね、とくすくす笑われてしまった。いやまあ、言ってみてから思ったが確かに酷いな。仮にも親切にしてくれた相手に『もう敬わない』はないだろう。大庭葉月、そういうところだぞ。

 しかしそうか、ここで笑える人なのか。()()()()()()()()()、と思った。いかにも薄幸の美少女(こんな表現を現実の人間に使う日が来るとは!)といった風体をしているが、案外見た目よりも逞しい内面をしているのかもしれない。()()()()()()()()、諦めや絶望といったどうしようもないものは一切抱えていないようだし。表面上は普通に振る舞っていても、負けそう(死にそう)になっている人間には常に巣くっているものなのだ、そいつらが。

 この人もまた、戦って(生きて)いる。そう思ったら自然と、僕の口からその言葉は吐き出されていた。

 

 

「あの、もし良かったらヒカリ(彼女)が戻ってくるまでの間、話相手になってくれないかな」

 

 

 言ってからなんだか軟派男の口説き文句みたいだなと思ったので、「何もすることがないんだ」と付け加えてみる。それはそれで暇潰しに付き合えと言っているようで失礼な言い方だったかもしれないが、目の前の女の子は気を悪くするどころか、「よかった」と口にしたので、少し驚いた。社交辞令ではなく、本当にそう思っているのが()()()()()()()()()

 

 

「私もあなたとお話したいと思って声を掛けたのよ。盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、あなたとさっきの子――ヒカリちゃん? の会話を聞いてしまって、色々と興味が湧いて、ね」

 

 

 なるほど、全部聞かれていたのか。僕が勝手に警戒区域に入ったこととか、これから記憶を消されるかもしれないこととか。しかしそれは先程も謝罪したとおり、こちらが騒がしくしていたせいなのでこのひとに非は一切ない。とはいえこちらだけ一方的に事情を知られているというのも面白くないので、

 

 

「それなら僕も、君がここにいる理由を知りたいな」

 

 

 と言った。()()()()()()、と言いかけてしまったのを寸でのところで抑えたのはファインプレーだったと思う。

 「もちろん」と彼女が頷いて、続けた。

 

 

「それじゃあ互いに、自己紹介から始めましょうか。――那須玲よ、よろしく」

「大庭葉月。……ああ、それももう知ってるのか」

「ええ。ごめんなさいね」

 

 

 そう言いながらも口に手を当てて笑っているので、うーむ、これは早いところこのひとの事情も根掘り葉掘り引っこ抜いてフェアな関係を築く必要がありそうだ、と思った。

 僕はこう見えても負けず嫌いなのだ。

 

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その男、紳士(ジェントル)につき(後編)

 

 

 そんなわけで僕は暫しの間、那須さん(ヒカリは躊躇いなく呼び捨てることが出来そうだというのに那須さん相手だと敬称を付けたくなってしまうのは何故なのだろうか?)との歓談に興じた。

 なんでも彼女は生まれつき身体が弱く、平時からこうしてベッドの上で寝たきりの生活を送っていたという。ところが半年ほど前、彼女の入院先に訪れたボーダー職員から『我々の研究(プロジェクト)に協力してほしい』と誘いを受けたのが転機となって、彼女は病院からボーダー本部へとその身を移したのだそうだ。

 ボーダーで扱っている特殊な技術を利用して、病弱な人間を健康体にすることは出来るのか――というのが、ボーダーから提示された研究(プロジェクト)とやらの内容らしい。夢のある話だ。それが実現した暁には、那須さんと立場を同じくする人達にとっての大きな希望になることだろう。

 が、こういう良い話を聞くとついついその裏にあるものを探ってしまうのが僕の悪いところだ。たとえば、こういう余計な質問をしてみたりとか。

 

 

「どうして那須さんがその研究(プロジェクト)に選ばれたのかは聞いてる?」

 

 

 そう尋ねると、那須さんは何処か自嘲めいた笑みを浮かべて、「()()があったから」と答えた。

 

 

「才能?」

「おかしな話だと思うでしょう? こんな運動も満足に出来ない小娘のどこに才能なんてものが眠っているのか、って」

「いや、そんなことは――」

 

 

 それよりも僕が気になったのは、那須さんの中にはいないと思っていた()()()()()()()()()()がほんの少しだけ顔を覗かせたように視えたことだ。さっきまでは視えなかったというのに――自分の身体のことについて考えてしまうと、どうしても()()()と向き合わざるを得なくなってしまうのだろうか?

 それは良くない。()()()()()()()()()()()()()()。自分の中から一匹残らず排除して、奇麗さっぱり無かったことにしてしまわないと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だから殺そう。彼女がそいつを殺すために、必要なもの(才能)の話をしよう。「そんなことはない」と言い切ろう。

 

 

「君には才能がある。それが何なのかは知らないけれど、それを否定することで()()()()()()()()に囚われるくらいなら、君は自分の才能を全力で利用するべきだ。それを咎める権利なんて誰にもない」

 

 

 思わず語気が強くなってしまった。那須さんもぱちくりと目を瞬かせている。

 

 

「あなた、何もかも理解(わか)っているようなことを言うのね」

 

 

 その指摘に、僕の方もまたハッとさせられてしまった。

 しまった。()()()()()()()。突然こんな説教染みた話をされて、さぞ戸惑ったことだろう。気味悪がられてもおかしくはないのだが、視たところ驚き、気付きといったもので占められているからほっとする。とはいえ、これは謝罪が必要だろう。

 

 

「ごめん。知った風な口を利いた」

「ああ、そういう意味で言ったんじゃないの。その――私が抱えているものを、ぴたりと言い当てられたような気がして、びっくりしたというか」

 

 

 だろうな。()()()()()。とはいえ、僕の持っている()()をどう説明したものか。何しろこいつの存在は、陽介や公平、両親にさえも明かしていないのだ。かといって、素性を打ち明け合っている最中だというのにこちらの都合で隠し事をするというのも気が引ける。

 ……そうだな。正直言ってあまり好きではない表現になるのだが、ここは相手に合わせてこう言ってみようか。

 

 

「まあ、()()()()()()()()()()

 

 

 ほらやっぱり嫌な言い方にしかならないじゃん!?

 なんだ今の台詞は。いかにも隙あらばロン毛をファサァ……とさせてそうな嫌みったらしいキザ男(特に具体的な個人をイメージした訳ではない。ない)なんかが口にしそうな台詞じゃないか。陽介あたりに聞かれていたら当分の間は物真似のネタにされそうだし、公平にはノータイムで蹴りを入れられそうな、そんな台詞だ。何故口に出す前にブレーキを掛けられなかったのだろうか。

 後悔した。すっごい後悔した。人生の言わなきゃ良かった台詞ランキングベスト10に刻まれてもおかしくないレベルで忘れてしまいたい。ボーダーのお偉いさん、どうせ消すなら昨日じゃなくて今日の記憶にしませんか。などと一人で悶絶している僕を他所に、那須さんがぽつりと呟いた。

 

 

副作用(サイドエフェクト)……」

 

 

 なんじゃらほい?

 サイドエフェクト。よく分からないが、去年あたりの僕(厨二病)のセンスに引っかかる単語だ。いかにも『能力』って感じがする。あれ、でもside effectって多分直訳すると『もう一方の効果』とかそういう感じになるよな。なんだろう、あまり良い意味で使われる言葉じゃないような気もする。そんな不安を払拭するように、「大庭くん」と那須さんが僕のことを呼ぶ。

 

 

「あなた、ボーダーに入りたくて警戒区域へと忍び込んだのよね」

「ああ、うん」

 

 

 その辺の話は既に済ませていた。ただし、僕の家庭の事情――生まれたときに双子が死んだこととか両親が死んだ方の子供のことばかり愛していたこととか女として育てられてきたこととかその辺の詳細は語らずに、ただ『家を追い出されて行くところが無くなったからボーダーに入ろうと思った』というざっくりとした説明に留めてある。

 お前何だかんだ言いながら隠し事ばっかりじゃねーかとか思われるかもしれないが、でも会ったばかりの人間からそんな重い話聞かされたくないでしょう。引いてしまうでしょう。何だこいつって思われてしまうでしょう。量のある料理を人に振る舞おうと思ったらまず前菜で胃を整えるものだし、ボクシングの試合なんかでも最初はフットワークとジャブで様子を見るでしょう。

 いきなりメインディッシュをど――ん!! ってお出しされても食欲が湧かないし、ゴングと同時にテレフォンパンチで一発KO狙いに行ったって避けられるだけでしょう。いきなり重いのは駄目なんだよ。皆ちゃんと相手のことを考えて軽めのものをお出ししてるんだよ。そういうとこで周りに合わせられないからお前は人として当たり前のことが出来ないって言われるんだよ。

 うん。わかってる。わかってるねんで?

 

 

 

「……つまり、あなたが副作用(サイドエフェクト)を持っているということは、あなたが豊富な才能(トリオン)を持っていることの証明になるというわけ。だからきっと、何も心配はいらないわ。ボーダーの規則に従う姿勢さえ見せれば、あなたは何事もなく入隊を許可され……大庭くん? あの、大庭くん?」

 

 

 

 しまった。意識が違う世界の方へと飛んでいた。僕自身が近界民(ネイバー)になることだ。

 違う、そうじゃない。まずは謝れ。僕のためにさぞ長々とありがたい話をしてくれていたっぽい那須さんの厚意を踏みにじったことについて謝れ。誠心誠意。心の底から。

 

 

「ごめん」

 

 

 足りない。全然足りない。言葉だけで伝わるものか。お辞儀をするのだ大庭葉月。それはもう深々と己の限界まで、沈めるところまで自分の価値を沈めてその上に相手を立てるのだ。真の謝罪とはそういうものだ。

 というわけでベッドを降りてジャパニーズDOGEZAの態勢を取るべく手すりを握ったところで、

 

 

 

「――トリオンの存在(その概念)を少年に教えるのはまだ早いのではありませんか? お美しいお嬢さん」

 

 

 

 ()()()()()()()

 開かれた病室の扉、外の廊下に黒服の男が立っている。額から鼻筋にかけて、それと襟足のそれぞれに稲妻の如くギザギザの金髪を走らせている長身の男だ。どことなく欧米の血を感じさせる顔つきをしているが、随分と日本語が達者なものだ。それはそれとして、

 

 

「……どうしていつまでも廊下に立っているんですか?」

「いえ、ただでさえノックの一つもなく扉を開けるという非紳士的な振る舞いをした上に、部屋主の許可なく足を踏み入れるとまであっては紳士の名折れというもの……故に(わたくし)は尋ねるのです。失礼、()()()の身ではありますが、立ち入ることを許していただけますかな? と」

 

 

 何とも芝居がかった口調の人である。けれども不思議なもので、()()()()()()()()()()()()()。筋の通った道化とでも言うのだろうか? つまりはアレだ、陽介族(バカ)だ。あいつの同類だ。

 さっきから出会ったばかりの相手を次々と陽介(バカ)呼ばわりして、とんでもないクソ野郎だな僕は。だが、この自称紳士がスーツの胸ポケットに付けているものに――ぶさかわいいとでも言えばいいのか、()()()()()()()()()()()()()()が描かれた缶バッジに、僕は見覚えがあるのだ。

 これと同じものを、陽介も持っていた。親戚から貰ったものだと彼は言っていたが、その存在をアピールするかの如く胸の一番目立つところに付けられたその缶バッジを見て、僕はなんとなく『私はこういう者です』と自己紹介をされている気分になった。この紳士は多分、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 どうぞ、と答えようとして、僕にはその資格がないことに気付いた。この紳士が部外者だというのなら、僕だって似たようなものなのだ。僕はまだ、ここにいることを許されている訳ではない。勝手に境界(ボーダー)を踏み越えて、周りに迷惑を掛けながら、無理矢理居座っているだけの人間なのだ。

 故に、彼を招き入れるかどうかを決めるのは僕ではない。そう思って()()()の方を見てみると、何故だか彼女は見覚えのあるくすくす笑いを浮かべていた。

 

 

「大庭くん」

「え、なに」

()()()()()()()()()って、言った筈なのだけれど」

 

 

 『あなたが決めていいのよ』と。

 そう言われた気がした。

 

 

 紳士の方へと視線を向けて、我ながら恐る恐ると言った感じで、「……どうぞ」と言ってみた。

 すると那須さんも彼の方へと振り向いて、こう続けた。

 

 

 

「入っていいそうですよ、()()()()()()()

「それでは、お言葉に甘えて」

 

 

 

 そう言って堂々と部屋に踏み込んでくる紳士と、再度僕へと向き直って「ごめんなさいね?」と悪意の欠片も視当たらない笑みを湛えている那須さん。

 ……知り合いだったのか。マジか。部外者だなんて言うから、那須さんとは何の繋がりもない人だとばかり思っていた。だったら普通に、彼女のことも名前で呼べばいいじゃないか。『お美しいお嬢さん』だなんて、まったく、つくづく()()()だな!

 

 

 大庭葉月(人間失格)那須玲(ワールドトリガー)紳士ウィルバー(賢い犬リリエンタール)

 ちくしょう、やっぱりまだまだ対等(フェア)じゃねえ。そう思った。

 

 

 

 

「事情はお元気なお嬢さんから伺っております」

 

 

 と、椅子に腰掛けた紳士ウィルバーは語る。

 『アタシに全部任しとけ!』と、よく分からないが凄い自信に満ち溢れた台詞と共に病室を飛び出していった仁礼光。彼女の向かった先はなんと、()()()()()()()()()()が一堂に会している最中の会議室だったというのだから驚きである。確かにお偉いさんとは言っていたがあくまで学生隊員からしてみればのレベルであって、その辺の手の空いている正規職員あたりが回されるものだと思っていた僕は紳士の証言を前にただただ唖然としていた。

 ちなみに会議室にカチコミをかけた時の第一声は、『サーセーン!! ウチで面倒見てるハヅキって奴が目ぇ覚ましたんすけどぉー!』だったというのだから目も当てられない。たかだか夜にこっそり警戒区域に忍び込んだだけの小僧の後始末に、そんな()の人たちが関わってくる訳ないだろ! いい加減にしろ!!

 でも、そうか。僕が目を覚ましたことを誰に連絡すればいいのかすら決まっていなかったほど、僕が発端で起きた騒動というのはボーダーにとって些事でしかなかったのだな。そりゃそうだとも思うけれど。禁止されているにも関わらず警戒区域に忍び込むようなバカも、記憶を消されることにごねるようなバカも、僕の前にだって飽きるほどいた筈だ。僕はたまたま()()()()()()()()()()()()()()()()職員の方(カゲさん)に話を聞いてもらえたからこうなっているだけで、特別扱いされる理由など何もないのだ。

 とにかく、僕のツッコミと似たような感じのことをお偉いさんの方にも言われたらしく、その後もあっちこっちをたらい回しにされてすっかり涙目になっていたヒカリの前に現れた救いの主が、このウィルバー氏であったのだという。

 

 

「途方に暮れる女性(レディ)を見かけたら声を掛けずにはいられないのが紳士の性……私が私であるために当然のことをしたまでです」

「まあ、あなたが紳士なのは()()()()()()ので別にいいんですが」

 

 

 そもそも何者なんだこの人。紳士とはあくまでも生き様であって職業に成り得るものではないと思うのだが。

 

 

「ウィルバーさんはね、唐沢営業部長と旧知の仲なんですって」

 

 

 そう語るのは那須さんだ。「学生時代は共にラグビー部でスクラムを組んだ間柄……いえ、そういえば彼はスタンドオフでしたな」と言って紳士も何やら思い出に耽っているのだが、僕はその唐沢営業部長とやらもラグビーのルールもよく知らないので反応に困るばかりだ。

 が、ウィルバー氏がラグビー経験者であるというのは納得のいく話ではある。背丈こそ高いものの体格はヒョロっとしていて正直ケンカとかも超弱そうなウィルバー氏ではあるが、何と言ってもラグビーというのは『紳士のスポーツ』なのだ。よって紳士であるウィルバー氏がラグビー経験者だということに疑いの余地はない。Q.E.D。

 

 

「彼とは3年ほど前まで、同じ()()で働いていたのですが――スカウトを受けて、彼はボーダー(こっち)に移ってしまいましてね。とはいえその後も、良き友人として交流を続けているのですよ」

 

 

 あ、ちゃんと働いているのか。そりゃそうだ。肩書きだけで飯が食えたら世の中苦労はしない。いやでも、そういう人もいるにはいるのかな。実態の無いもので儲けを得ている人達というのも。別に詐欺師だとか虚業だとか責めるつもりはないけれど。夢を売ることが罪になるというのなら、創作家の誰もが罪人になってしまうわけだし。

 

 

「ちなみにお仕事は何を?」

()()()()

「は?」

「いえ、失敬。これは()()での話でしたな」

 

 

 冗談……なんだよな? 僕の才能()は質の悪い嘘を見抜くことには長けているのだが、さっきの那須さん、或いはこのウィルバー氏のような、()()()()()()()()()から発せられた言葉の真偽を判別するのは不得手なのだ。

 まあ、だからこそ真偽なんてどうでもいいとも思えるのだけれど。そこに僕を不快にさせるものなんて潜んでいないと理解っているのに、いちいちつつく方がどうかしている。

 

 

「まあ、私個人の話はいいでしょう。少年が知りたいのは、私とお美しいお嬢さんの関係についてなのでは?」

 

 

 確かにその通りだ。「そうですね」と頷いてみせると、またしても那須さんが応えてくれた。

 

 

「私が協力している研究(プロジェクト)のスポンサーさんなのよ、ウィルバーさんは」

 

 

 なるほど。そういう繋がりだったのか。体の弱い人間が健康を取り戻すための研究に出資する。紳士だ。まごうことなき紳士である。しかし、高貴たる者の義務(ノブレスオブリージュ)とまで言い切るには、失礼ながらウィルバー氏からは身分の高さというものを感じられないのだが。一体何処からそれだけの収入を得ているのだろうか。やっぱり強盗か? 強盗なのか?

 

 

「はっはっは」

 

 

 何故このタイミングで笑うのか。こっちが()られているような気分である。

 とりあえず、ウィルバー氏が真の紳士であるということは理解した。氏と那須さんの関係についても明らかになった。ヒカリに声を掛けたのもまあいいだろう。で、一体この紳士は、僕の事情を聞いた上でこの病室に訪れて何を成そうというのだろう? そこが見えてこない。()えもしない。僕が理解(わか)るのはただ一つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……ヒカリから僕の事情を聞いたそうですが、彼女は一体、どういう説明をしたんです?」

「ふむ。少年が警戒区域に忍び込んだこと、そのせいでボーダーに昨日一日の記憶を消されかけていること……具体的な内容としてはその程度ですが、私が惹かれたのはこのフレーズですな」

 

 

 そう言って紳士は、彼女(ヒカリ)の言葉をそっくりそのまま口にした。

 

 

 

「『アタシに助けられたってやつがまだ困ってるから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、どうすればいいのかわかんねー』と。彼女はそう言っておりましたよ」

 

 

 

 …………。

 ……なんだ、それは。

 君はバカだな。

 仁礼光ってやつは、本当に、陽光(バカ)みたいだ。

 

 

 ちょっと話を続けるまでに間を空けさせてほしい。

 

 

 

 

「よろしいですかな?」

「はい。すみません」

「うふふ」

 

 

 那須さん。何故あなたはそんなにも楽しそうに僕の顔を見ているのですか那須さん。僕の顔に何か付いてますか那須さん。『本当にもう敬えない?』みたいな目で僕のことを見るのは止めていただけますか那須さん。理解(わか)っている。これがいわゆる『バカはおれだ』って奴なんだろう。

 さて、『お元気なお嬢さんが()()()()()()()()()()になってしまわれた。これは紳士として看過できない事態である』とかいういかにも彼らしい行動原理の下、ウィルバー氏はヒカリを連れて、会議室へと乗り込んでいったのだという。

 一度追い払ったというのに、懲りずに戻ってきたヒカリにガミガミ言うお偉いさんとかネチネチ言うお偉いさんとかの口撃をひらりと交わし、唐沢営業部長に場を取り成してもらったりした末、最終的に何故か()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのだから、会議室ではちょっとした奇跡が起こっていたのだとしか思えない。

「まあ、()()()があるのですよ。私にもね」と言って氏はニヒルな笑みを浮かべているのだが、先にも言った通りウィルバー氏からは身分の高さというものを感じられないのである。だから恐らく例の()()とやらにおける地位もそれほど高くないのではないかと推測されるのだが、その辺の真実は口八丁と勢いで誤魔化したんだろう。紳士の辞書に不可能の文字はないようだ。

 

 

「というわけで私が、少年の面接担当官を務めさせていただきます」

 

 

 そんなことある? としか言い様がない事態なのだが、起こってしまったからには仕方がない。現実として受け止めるしかない。それに、僕としてもウィルバー氏が面倒を見てくれるというのは願ってもない話なのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「よろしくお願いします」

「ええ。よろしく」

 

 

 しかし、話を進める前にこれだけは聞いておかなければいけない。新たに出来てしまった、僕が絶対にもう一度会わなくてはいけないひとの話だ。

 

 

「面接の前にお尋ねしたいのですが、その後ヒカリは一体どこへ?」

「昼のランク戦へと向かわれましたよ。ギリギリまで行くのを渋っておられましたが、少年のことは私に任せておきなさいと言って背中を押させていただきました」

 

 

 ランク戦。陽介や公平の口からちょくちょく耳にしたアレか。

 そう言えば昨日、陽介が僕とのカラオケに付き合えなかったのも今日行われるというランク戦に向けてのミーティングが理由だったと記憶している。ひょっとしたら今頃、陽介の部隊(チーム)とカゲさん達の部隊(チーム)が戦っていたりするんだろうか? 困ったな。僕は一体どっちを応援すればいいのやら。

 

 

「少年としては、最後までお元気なお嬢さんに残ってもらいたかったですかな?」

「いえ、彼女を送り出していただいたことに感謝しています」

 

 

 忘れられない(死ねない)理由がまた一つ増えてしまったのだ。記憶を消す理由が機密保持のためだというのなら、昨日一日だけではなく、今日の記憶もまた消されてしまうに違いない。忘れてなるものか。僕は何としてでもこの面接をクリアして、もう一度(ヒカリ)(カゲさん)の下へと辿り着いてみせる。

 

 

 ――あ、勿論ゾエさんにもお礼を言いますよ。ついでじゃないです。添え物扱いじゃないです。ゾエさんだけに。

 

 

 「結構」とウィルバー氏が頷いて、僕の運命を決める面接は始まった。

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

サイドエフェクト(大庭陽花)(前編)

 

 

「――さて。本来であれば即座に消されてしまう筈の警戒区域侵入者の記憶を残すにあたり、そうすることでボーダーに一体どのようなメリットがあるのか――少年はまず、それを私に示さなければなりません」

 

 

 おっと、意外にもそれっぽい切り口からスタートしたぞ。普通にボーダー職員の人を相手にしているつもりで受け答えしないと落とされる(記憶を消される)なこれは。

 僕はベッドの上で姿勢を正した。しかし今更ながら、病室で採用試験っていうのもなんとも変な感じだ。

 

 

「ですがその前に、改めて確認させていただきましょうか。少年は何を目的として、警戒区域に足を踏み入れられたのですかな?」

 

 

 まあ、そこからか。ここで好奇心だとか遊び半分だとか答えてしまったら全てが終わりだ。

 

 

「ボーダーに入隊したいという意思の下、本部基地を訪ねるために忍び込みました」

「正式な入隊試験日まで待てなかった理由は?」

「実家を勘当されてしまって、行くところが無かったんです」

「ふむ。ということはボーダーに保護を求める意味合いもあった、と」

「はい」

 

 

 勿論そういった打算もあった。正式に入隊して自力で給料を稼げる立場になるまでは、とにかく雑用でも何でもして適当な空き部屋にでも住まわせて貰えないかと考えていたのだ。

 我ながら実に子供らしく舐め腐った判断だとも思うのだが、何しろこちとら実際に中学生なのである。バイトでその日の生活資金を得ることすら出来ないのだ。――いや、確か新聞配達とかならギリギリセーフなんだっけか? こういう時のためにきちっと調べておけば良かったな。

 

 

「その後、警戒区域にて近界民(ネイバー)と遭遇。防衛任務にあたっていた隊員の手によって救出されるも、記憶の消去を告げられた際に意識を失い基地へと搬送された……ここで少年は記憶の消去に対して()()()()()()()()()()()()と伺っておりますが、あなたは何故そこまで、昨日の記憶を失うことを拒まれたのです?」

 

 

 そこも聞くのか。どう答えるべきか、と思わず那須さんの方をちらりと見てしまう。いや別に、彼女に聞かれて恥ずかしいということもないのだが。というか気付くのが遅れてしまったが普通に那須さんが面接に同席している。いいのかこれ。無論、出て行くべきなのは僕らであって彼女の方ではないのだけれど。

 

 

「家を出てボーダーに入隊するという意思を固めたのが昨日のことだったので、仮にその日の記憶を失ってしまったら、自分はもう二度とボーダーに入ろうという意思を持てなくなってしまう――という、自己判断によるものです」

「つまり少年の記憶を奪うということは、ボーダーにとって()()()()()()()()()()()()という意味でもある――私の提示した前提条件をよく理解しておられる、良い切り返しですな」

 

 

 あ、そういうことになるのか。全然考えてなかった。

 

 

 ――と思うじゃん? 思うじゃん? 計算通りですよ計算通り。いやホントに、葉月さんちゃんと理解ってた。

 あでもそっか、なるほど。記憶を消したら僕もうボーダーに入るなんて言わなくなっちゃうぞ? いいのか? って脅しをかけた格好になってるのか今。だけど、それって僕がボーダー隊員として使()()()人材だってことがアピール出来てないと成立しない脅しだよな。

 面接というやつは自己アピールの場だと言われている。そこは実際はコミュ障であっても当然のようにぬるぬる潤滑油であることを示さなければならない空間なのだ。どうなんだ僕? ちゃんと滑ってるか? ぬるぬる。

 

 

「では、面接らしく志望動機の方も伺っておきましょうか。少年、あなたは何故ボーダーに入ろうと思い立ったのです?」

 

 

 来た。ここだ。正直言って、僕は防衛組織の隊員として能力面で主張出来るものは何一つとして持ち合わせていない自信がある。となれば熱意だ。僕が見せられるのは熱意しかない。それもボーダー隊員に相応しい、ボーダー以外での職場では決して満たされない衝動を全力でぶつけるのだ。この瞬間に全てを賭けてみろ大庭葉月。すう、と息を吸い込んでから、

 

 

「ボーダー隊員というのは、異世界からの侵略者を退治して、この三門市を――より大袈裟な表現をするなら、僕たちの世界を守るのが仕事ですよね」

「ええ」

「僕もずっと、()()からの侵略を受けていました。決して手が届くことのない存在に、欲しかったものの全てを奪われて、人生を左右されて、なりたい自分になることも――というよりも、自分は一体、何がしたいのかを考えることすら出来ませんでした。でも、昨日初めて()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからぶん殴って、()()()、そのせいで僕は家から追い出されてしまったんですけど、正直に言うなら、()()()()()()()()()()()()

 

 

 ああ、流石の紳士もこれには困惑しているな。視れば理解る。

 というか、普通に()()()とか言ってしまったな。あくまでも比喩に過ぎないのだが、まあ誤解があるなら突っつかれてから訂正すればいいだろう。ボーダーに入る前にブタ箱の中へと入る羽目になるのは真っ平だ。

 それはそれとして、那須さんの顔を()るのが今は少し怖い。彼女は今、僕に対してどんな感情を抱いているのだろう?

 

 

「それで思ったんです。()()()()()()()()()()()()()って。近界民(ネイバー)を、()()()()()()()()()()()をただひたすらに殺し続けて、平穏を保つことを生業にするんですよ。だってあいつら、違う世界の存在じゃないですか。僕達とはどうやったって、共存出来ないものなんだ。()()()()()()()()()。ボーダー隊員になることで、僕は誓いを立てたいんですよ。()()()()には絶対負けない、死ぬまで戦い続けてやるぞってね。どうですか? 防衛組織の隊員として、これ以上はない回答だと思うんですけど」

 

 

 暫しの間、沈黙が病室を支配した。

 

 

 ……いやー。

 見事に()()()()! ぬるぬる!

 潤滑油っていうかもうナマズだよねナマズ。陽介から借りた漫画で何故か何度も『冬のナマズのように大人しくさせるんだッ!』って台詞が出てくるシーンあったけど、僕も他人から見てナマズのように()()()()()だという自覚があるのなら、せめて冬のナマズのように大人しくしているべきだったのかもしれない。こんな奴がいきなり暴れ出したら皆捕まえるの大変だもんね。滑るし。

 まあ、これも一つの潤滑油かもしれない。集団の中であえて一人浮いた存在となることで、周囲の目はそいつ一人に集中して『こいつには近づかんとこ』と意思の統一が成されるわけだ。ほら、皆が一つになったよ! やったね!

 その一つの中に僕は含まれていないわけだけども。

 僕は思わず那須さんの顔を見てしまった。別に期待はしていない。他人に願望を押しつけることはしないと決めている。ただ、せっかく仲良くなれそうな気がしていた相手にこれでドン引きされたりしてたら流石に悲しいな、と思っただけである。だから見た。怖かったけど、()てしまった。

 

 

「…………」

 

 

 ――おや。

 何故ここで()()が出てくるのだろうか。

 

 

 彼女は今、僕を見ている。何かを口にした訳でも、涙を浮かべたり強くこちらを睨み付けている訳でもない。ただ僅かに目を細めている、表情の変化でいえばそのくらいだ。だから別に、何かを断言出来るような要素は彼女の視線には存在しない。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 けれど、僕には視えてしまう。

 那須さんは今、『()()()()()()()()()()()()()

 その感情を籠めた視線で、僕のことを見つめているというのが、理解(わか)ってしまうのだ。

 

 

 

 

 僕がこの手の感情を向けられる機会というのはあまり多くない。思い出せる限り、最初に僕が『心配』というものを理解したのは、今は亡き母方の祖父からこう聞かれたときのことだ。

 

 

()っちゃん、おめえ、好きでそんな格好してんのかい」

 

 

 小学校に上がりたての頃だっただろうか? その頃の僕はまだ父が言うところの『化け物』ではなかったのか、当然のようにスカートを履かされ、髪を伸ばし、大庭陽花の『妹』として相応しい存在となるべく、整え(歪め)られた身なりをしていた。

 そんな()の姿が、祖父の目には奇異なものとして映っていたらしい。僕にはそう()えた。

 

 

「わかんない」

 

 

 僕は正直に言った。その頃の僕には、好悪の概念というものが存在していなかったのだと思う。ただ、心には一つの命令だけが刻まれていた。()()()()()()()。本当ならあの子がなる筈だった、()()()()()()()。理想の投影。願望の押し付け。それに従って動くだけの、心のない木偶人形(ガラクタ)

 ()というのは、今にして思えば、そういう存在だったのだ。

 

 

「何か、やってみたいこととか、ねえのかい」

 

 

 そんな僕のことを、祖父は那須さんと同じ目で見ていた。無視する訳でもなく、かといって強く踏み込んでくる訳でもない、触れるか触れないかの距離で、おそるおそる、気遣うように。そんな祖父の慎重さが、なんというか、当時の僕には()()()()()()のだと思う。だから再度、僕は自然とこう言えていた。

 

 

「わかんない」

 

 

 と。

 祖父が僕に将棋を教えてくれたのはその時のことだ。ルールはすぐに覚えられたのだが、僕は昔から正座というやつが大の苦手で、対局中も膝が痛い、膝が痛いとそのことばかり考えてしまい、肝心の対局に集中することが出来ずにいた。そんな僕の前で、祖父は自分から姿勢を崩して、こう言った。

 

 

「だったら、おめえ、()()しちまえばいいさ」

 

 

 胡坐を掻く。いいのかな、と僕は純粋に疑問を抱いた。将棋は必ず正座で指さなければならないなどという決まりは存在しないのだが、なんと言っても正座というのは『()()()()()()』なのだ。それ以外の座り方は間違ったもので、ましてやその時の僕は()で、スカートを履いたままでこんな座り方をするのは良くないことなんじゃないか、はしたないんじゃないか、()()()()()()()()()()()()()()――などと、あれこれ考えてしまったのだ。

 

 

「つってもよお、そのまんまじゃ、しんどいだろ」

 

 

 しんどい。

 そう、確かに()はしんどかった。

 なので、祖父の見様見真似で尻を座布団に付け、足を組み、()()()()()()()()()()()()()()()、これが何ともしっくり来て、自然で、落ち着ける姿勢だった。それからはもう、余計なことなんか気にしないで、純粋に将棋という遊戯を楽しめるようになったのだった。

 

 

 父と母の僕に対する接し方が変わったのも、今思えばその頃からだっただろうか?

 出来損ないだと、失敗作だと言い続けながらも、それまでの両親はまだ、僕のことを()に出来るという希望(まやかし)を捨てきれていなかったような気がする。

 それはきっと、僕が自分の頭で何かを考えるということをせず、ただ両親の言いつけに従って、彼らの思った通りに動く、人形として振る舞っていたからなのだろう。

 けれど僕は、祖父から教わった将棋という遊戯から、父と母が教えてくれなかった二つのことを学んでしまったのだ。

 

 

 ()()()()()()()()()()

 ()という空っぽの器に、その二つの水が注がれて生まれたのがこの()だ。

 だから、僕の心の中にはいつだって、()()がある。

 

 

 

 

 ――那須さんの『心配』を受けて、そんなことを、思い出した。僕を初めて、心配してくれた人のことを。

 祖父は去年の春に亡くなった。僕が中学に上がった頃には既に将棋を指す体力すらなく、たまに家を訪ねてみても「おれのことなんか、もうほっときな。葉っちゃん、おれはね、終わったんだ。()()()()()()()、葉っちゃん」と言うばかりで、辛いのなら胡坐を掻けば(楽をすれば)いい、そう言いながらも自分は常に正座で将棋を指し続ける、そんな凛々しさに憧れた祖父の姿はそこにはなく、ただただ()()()()()()()()()()に飲み込まれるのを待つばかりの、弱弱しい老人が待っているだけだった。

 拳の届かない相手と、戦う手段はない。かといって、()()()と向き合ってみたところでちっとも楽しくない。僕にとって、死というものは異世界からの侵略者(ネイバー)だった。

 憧れていた祖父が、いとも容易くそいつの前に膝を屈してしまったのを見て、僕の中にもある種の諦めがこびり付くようになった。世の中には、決して逆らうことの出来ないものというのが存在する。僕にとってはそれが両親であり、彼らの信奉する大庭陽花(かみさま)だった。その諦めの表れが、父と母に内心で反発しながらも六頴館への進学を止める訳でもなく、陽介と公平を羨みながらも彼らと同じ道を歩む訳でもない、何者にもなれない昨日までの僕だった。

 けれど、僕の前にあの写真が、()()()()()()()()()()()()()()()()()、そいつをぶん殴ったときのことと、こうして祖父の最期を思い返してみて、気付いたことがある。

 

 

 僕はきっと、祖父に取り憑いた()()()のことも、ぶん殴ってやりたかった。

 ぶっ殺してやりたかった。

 お前らなんか消えちまえって、叫びたくて仕方がなかったのだ。

 

 

 近界民(ネイバー)。異世界からの侵略者。お前たちは僕にとって、()()()()()()()()()()()()。わざわざそっちから僕の手が届く距離に近づいてきてくれる、これ以上はないサンドバッグだ。僕はお前を殴り続けることで、殺し続けることで、いつか訪れる本当の戦い()に向けての備えとしたいのだ。

 いざそいつと向き合う時が来ても、()()()()拳を握り締めていられるように。

 

 

 ウィルバー氏に語った志望動機。これは紛れもなく、僕の本心だ。僕の中にある確かなもの(戦うこと)から紡がれた、疑う余地のない決意表明だ。

 ――ああ、でも。

 ()()が、欠けているような気がするな。

 ボーダーに入ることを決めた時。『立入禁止』を破った時。境界(ボーダー)を踏み越えた時。近界民(ネイバー)への戦意、それ以外の何かを理由として、僕は足を動かしていたような気がするのだけれど。

 それは一体、何だっただろうか。

 那須さんの抱いている僕への『心配』っていうのは、もしかして、そういうことなんだろうか?

 

 

 

 

「――倒れる時は前のめり。リョーマ・サカモトが遺したとされる、格言の一つでございますな」

 

 

 ……はい?

 不意にそんな台詞が聞こえてきたので、僕はその言葉の主へと視線を移した。

 ウィルバー氏の中に、先程まで抱いていた『困惑』の感情は存在していなかった。かといって、嫌悪や忌避といった()()()()()()()()()()を抱えている訳でもない。この感情は一体、なんという名前をしていただろうか。

 

 

「幕末志士達の格言には、なるほどと頷かされるものが多い――この国を変えた者達の放った言葉ゆえですかな? 或いは彼らも、黒船という()()()()()()()()()()を前に、何かを成さんと戦っていた()()()()()()()()()()ゆえか――偉大なる先人へのリスペクト、という物かもしれませんな」

 

 

 幕末志士ボーダー説。ペリー近界民(ネイバー)説。とんでもない新説が僕の目の前でぶち上げられている。一体どこからツッコめばいいのだろうか。欧米人のあなたがそれを言うのかとか坂本龍馬って本当にそんなこと言ったのか? 司馬遼太郎の創作じゃないのか? とか思うところが山積みだ。

 確かにボーダー総司令の城戸正宗氏とか本部長の忍田真史氏とか、いかにも『武士』って感じのオーラが出てると思わなくもないけれど。名前からしてそんな感じあるよね。総司令なんか特に。

 

 

「私もまた、彼らの一人にあやかった座右の銘を掲げていましてな。『おもしろきこともなき世をおもしろく。すみなすものは心なりけり』――少年、この言葉はご存知ですかな?」

「高杉晋作ですか」

「ええ。そうです」

 

 

 27年という短い生涯の全てを攘夷運動と倒幕に捧げた、最後の最後まで戦い続けた(生き抜いた)人。そんな人の遺した辞世の句が、『世界が面白くなるかどうかは己の心持ち次第だ』という()()()()を説いたものだというのは、僕としても興味深い題材の一つではあった。

 この句もまた、『正しくはこともなき世"を"ではなく"に"』だとか『下の句は他人が付け足したもの』だとか色々と言われているようだが、僕としてはその辺の真偽はどうでもいいことだった。創作だろうと、()()()()()()()、良い言葉であることには間違いがないのだ。そういう意味では、先の『倒れる時は前のめり』も、誰が口にしたかなんてのはどうでもいいことなのかもしれない。少なくともウィルバー氏の中では、それは坂本龍馬の格言なのだ。それで別にいいじゃないか。

 

 

 

()()()()()()?』

 

 

 

 ――あれ、なんだろうな。

 なんで今、こんな母の一言を思い出したんだろうか、僕は。

 

 

 

「少年。あなたの語る近界民(ネイバー)とやらは、私達の知るものとは別の存在なのでしょうが――それを殴った時にすっきりしたという少年の感覚は、まあ本物なのでしょう。しかし、それと同じものをボーダーの防衛任務でも得ることが出来るとは、私には思えませんな」

「……そうでしょうか?」

「ええ。何故ならば、世間に公表されている近界民(ネイバー)の正体というのは、トリオン兵と呼ばれる一種のロボットに過ぎないからです」

 

 

 えっ? そうなの?

 なんか唐突に衝撃の事実が明らかになってしまった。え、何、あのバムスター君って別に近界民(ネイバー)でも何でもないの? じゃあ近界民(ネイバー)って一体何なの? というか、ウィルバー氏はそんなことを僕に教えちゃってもいいの? やっぱり記憶消される? 消される(殺される)

 

 

「何、それほど大した真実ではありませんよ。正隊員(B級)になれば誰もが最初に教わることです」

「……私も聞いてしまったのだけれど、良かったのかしら」

「はっはっは」

 

 

 隣のベッドで那須さんも困惑の表情を浮かべている。内心もそれ(困惑)で一杯だ。というか、那須さんはあくまでもボーダーの研究に協力しているだけであって組織に所属しているわけではないのか。そりゃそうだよな、こんな寝たきりの女の子が防衛組織の一員として戦える筈がない。別に彼女を愚弄している訳じゃない、あまり好きな言い回しじゃないが、常識的に考えれば分かることだ。

 

 

「まあ、本当の近界民(ネイバー)ではないにしろ、トリオン兵が異世界からの侵略者であることには違いありませんが――()()()()()()()というものを知ってしまった後では、やはり少年の熱意というものも空回りに終わってしまうものかと思われます。それは大変よろしくない。あなたにとっても、()()()()()()()

 

 

 防衛任務の実態。どういうことだろう。誘導装置と呼ばれるボーダー独自の技術によって、近界民(ネイバー)の出現範囲が警戒区域の中だけに限定されているというのは三門市民の誰もが知るところであるのだが――それと関係する話だろうか?

 思考に耽る僕を他所に、ウィルバー氏は話を進めていく。

 

 

「私はお元気なお嬢さんから少年のことを預かっている身です。()()()()()()()()()()()()()()、そう語った彼女の背を押して、後は私に任せておきなさい、そう断言した者にございます。そしてどうやら、ただ少年をボーダーに入隊させただけでは、あなたを()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 

 言いながら、ウィルバー氏はすっくと椅子から立ち上がる。その瞳に宿る遺志の輝きを確認した時、僕は先程から氏が抱いている感情の正体というものに気が付いた。

 祖父と将棋を指していたのは小学校高学年までの僅かな期間であり、当然ながら僕と祖父との間には天と地ほどの棋力の差があった。けれど極稀に、僕が優位に駒を進める盤面というやつも存在したのだ。そういう時にすんなりと勝ちを譲ってはくれないのが祖父の大人げないところであり、僕にとっての魅力的な部分でもあったのだけれど、とにかく本気で勝ちに来た時の祖父というのは実にまっすぐで、実際に飛車の使い方が特に上手だったことを思い出す。こちらの心の盲点を突くように、鋭く打ち込み、自陣を切り裂き、王へと手を掛けてくるのである。

 今のウィルバー氏は、()()()()()()()()()()()を抱きながら立ち上がっていた。

 彼は今、()()に対して、本気の勝負を挑もうとしているのだ。

 

 

「故に! ()()()()()()()()()()()()()!! ボーダーとは、ただ近界民(ネイバー)を狩るための組織にあらず! 少年を招き入れる者として、私はあなたに提示する義務がある! 少年が知らない()()()()()()()()()というものを! そのために――」

 

 

 声高らかに紳士は宣言し、そして彼は彼女の方を見た。()()()()()()()()()()()()、僕が勝手にそう思い込んだ女の子の顔を見た。

 

 

「――手を貸していただけますか? お美しいお嬢さん」

「ええ」

 

 

 彼女はくすりと笑った。この短期間ですっかり見慣れた、柔らかくも茶目っ気のある微笑みだ。

 僕は何故、彼女が()()()()()を抱えていられるのかがずっと疑問だった。彼女に戦う(生きる)意志があるのは理解る。幼い頃から病に苦しめられてきたからこそ、それと戦い、やっつけてやりたいという意識は人一倍強くなるものだろう。時には暗いものが顔を覗かせることがあったとしても、それを完全に捨ててはいないからこそ、彼女はボーダーの研究(プロジェクト)に協力しているのだ。しかし――

 

 

 ――那須さんは一体どうやって、()()()()()()を手に入れたのだろう?

 彼女の胸の内にある、()()()()()()()()()()()。それを教えてくれたのは、僕にとっての祖父にあたるものというのは、一体何なのだろうか?

 

 

()()()()でしたら、私はボーダーの誰よりも、彼に教えることが出来ると思います」

 

 

 ――()()に願望を押しつけることはしない。期待は抱かない。そんな誓いを立てたけれど。

 ボーダーという()()に対しては、少しはそいつを抱いてみても、いいのだろうか?

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

サイドエフェクト(大庭陽花)(後編)

 

 

 ベッドの傍に畳んで置かれていた制服へと着替えて(当然ながら着替え中カーテンは閉めた)、僕は病室を出た。本部基地の廊下を歩く僕の隣にはウィルバー氏と、彼の押す車椅子に座った那須さん。

 自力で歩けないほど状態が悪いのかと心配になったが、目的の場所までそれなりに歩くので大事を取って、とのことらしい。歩くと言えば僕の方もまだ父に受けた暴力の爪痕が体のあちこちでぎゃあぎゃあ騒いではいるのだが、彼女の抱える負担に比べれば些細なことだ。

 

 

「今更の確認になりますが、少年は『トリガー』の存在については把握しておいでですかな?」

「まあ、ある程度は」

 

 

 今年の夏頃からちょくちょく三門のローカル番組でお茶の間に顔を出すようになった広報部隊(嵐山隊)の面々が、拳銃のカートリッジみたいな掌サイズの機械を握り、カメラに向かってこう唱えるのだ。

 

 

『トリガー起動(オン)!』

 

 

 するとたちまち彼らの格好が赤と黒を基調とした見栄えの良いジャージ姿へと変貌し(この派手なカラーリングの隊服も広報部隊故なのだろうか?)、突撃銃(アサルトライフル)やら狙撃銃(スナイパーライフル)やらを構えたいっぱしの兵士へと早変わりするのである。

 それにしても、あの広報部隊のいかにも三枚目然としたニヤケ顔が基本(デフォ)みたいな隊員は何故毎回二丁の狙撃銃を構えてドヤ顔を決めているのだろうか。芸人枠で起用されたのだろうか? カメラ慣れしているのかそのドヤ顔が様になっていて広報部隊の隊員としては文句の付け所がない振舞いなのがこれまた評価に困るところである。

 でもそうか、僕がボーダーに入るとなったら彼らとも同僚の間柄になるのか。嵐山隊(彼ら)はまだ世に出て日が浅いものの、隊長の嵐山さんやオペレーターの綾辻遥さん(音痴)なんかはその華のあるビジュアルと爽やかで親しみやすい雰囲気も合わさり、早くも三門市ではちょっとしたアイドルのような扱いを受け始めている。もう一人の隊員も眠そうな眼付きなのに毅然として見える不思議な印象の子で、なんとも個性的な面々だ。お近づきになれたら良い自慢話になるだろう。肝心の話をする相手がいないという事実はさておいて。

 

 

「なんていうか、言ってしまえば、()()()()()()ですよね」

 

 

 そう、僕の抱いている『トリガー』への印象というのはそれに尽きる。どうやら隊員たちが使用している武器、例えば先に挙げた突撃銃や狙撃銃なんかもこのトリガーから生み出されているものらしいのだが、どうにも()()()()感が否めないのだ。軍事兵器という感じがしない。

 実際に使っている隊員の大半が子供だからというのも、その認識に拍車を掛けている節がある。例の二丁狙撃銃(ツインスナイパー)の子や眠そうな子なんか確か僕よりも年下だもんな。今更ながら凄いな、そんな歳からカメラの前で怪物と戦うための武器を背負って町の皆に笑顔を振り撒いているなんて。僕にはちょっと真似出来そうにない。風の噂によると嵐山隊には広報部隊になる寸前で脱退した幻の5人目がいたという話なのだが、そのひとも僕と似たような気持ちを抱いたのではないだろうか?

 

 

「言い得て妙ですな」

 

 

 そう答えるのはウィルバー氏だ。横目で見ると、那須さんも同調するようにいつものくすくすとした笑みを浮かべている。悪口のような言い方になってしまったんじゃないかと思っていたのだが割と的を射た感想だったようだ。ちょっと安心。

 

 

「トリガーを起動すると、使用者の体は『トリオン体』と呼ばれる戦闘用のものへと変容します。起動中、生身の肉体は()()()()の空間へと移され、トリオン体がどれだけ傷ついたとしても生身の肉体が影響を受けることはありません。言ってみれば、トリガーを起動することによって使用者は()()()()()()()()()()()()()()訳です。それは少年の言う通り、()()以外の何物でもありません」

 

 

 あ、そういう仕組みになってたのか。単なる早着替えだとばかり思っていた。体の中身からして別物になってたんだな。

 ……うん? ということはひょっとして。

 

 

「それじゃあ、那須さんを健康にするための研究(プロジェクト)っていうのは――」

「そう、トリオン体を利用したものよ。生憎と今は()()()だけれど、トリオン体になった時の私は――まあ、ちょっとしたものよ?」

 

 

 そう言って笑う那須さんの言葉に嘘はない。視れば理解る。なるほど、たとえ生身の肉体が病弱だろうが何だろうが、トリオン体になってしまえばそんなことは関係がないのか。

 

 

「今我々が向かっているのは、お美しいお嬢さんがトリオン体を動かすための訓練で利用しているトレーニングルーム的な場所です。本日は少年にも彼女の訓練に立ち会っていただき、トリオン体を操るとはどういうことか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――というのを、実際に肌で感じていただきたいと思いましてな」

 

 

 なるほど。急にウィルバー氏が『場所を変えましょう』と言い出した時は何を始める気なのかと思ったのだが、そういう目論見があったのか。採用面接の後に職場体験というのも何ともちぐはぐな感じだが、今はこの流れに身を任せるとしよう。

 しかし、ふと思ったのだが――これは果たして、不躾に聞いていいことなのかどうか。ちょっと遠回しに確認してみようか。

 

 

「あの、トリオン体での活動っていうのは、何か制限みたいなものがあるんでしょうか」

「ふむ」

 

 

 僕が気になったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ということだ。しかし、それを直接訊ねるには正直タイミングが悪い。まるでウィルバー氏に車椅子を押してもらっていることを責め立てるような言い草になってしまう。なので逆に考えてみたのだ。()()()のではなく、()()()()のではないかと。この質問はその仮説から生まれたものだ。

 

 

「お察しの通り、トリオン体には活動限界というものが存在します。それに至る原因は大きく分けて二つありまして、一つが『トリオン伝達脳』『トリオン供給器官』と呼ばれる主要器官の破損、もう一つが『トリオン切れ』――トリガー武器を使用したり、主要器官以外の部分を損傷すると、トリオン体を動かすためのエネルギー源である『トリオン』が失われます。その残量が尽きた時、トリオン体は崩壊します」

 

 

 僕の疑問に丁寧な解説で応じてくれるウィルバー氏。しかし、今更ながらボーダーの内部事情に随分と詳しいなこの人。本当に部外者なんだろうか? なんかもう普通に職員さんみたいだ。

 

 

「逆に言うなら、トリオンを消費する行動さえ控えれば半永久的にトリオン体でいることも可能ということです。基地の中でも平時からトリオン体で活動しておられる方は多いですし、食事や睡眠をとることだって出来るのですよ」

「へえ……」

 

 

 そりゃ凄い。もう一人の自分という表現は伊達ではないらしい。素直にそう感じる一方、ならば何故――という疑問もより強くなっていく。表情には一切出していないつもりだったのだが、不意に那須さんが「あ」と漏らした。

 

 

「大庭くん、もしかして今『どうして那須さんは普段からトリオン体で活動しないんだろう』って思ってる?」

 

 

 うっ、と声が出た。完全に図星だったからだ。二の句を継げずにいる僕の前で、那須さんは特に気を悪くした様子もなく解説する。

 

 

「理由は単純よ。まだ許可が出ていないから、それだけ。来年の1月に()()()()()()()()()()()、私個人のトリガーは所有出来ないことになっているの。訓練室に行けば担当の職員さんが待っているから、今日もそのひとから訓練用のトリガーを受け取って、そこでトリオン体に換装する手筈になっているわ」

 

 

 ……ああ。

 病室を出る寸前の会話で何となく察しは付いていたけれど、やっぱり、そうなのか。

 

 

「……那須さんもボーダーに入隊するんだね」

「ええ。今受けている訓練というのも、トリオン体の操り方に慣れるという段階はもう終わって、トリガー――近界民(ネイバー)と戦うための、()()()使()()()()()()()段階に入っているのよ」

 

 

 心を視る。嘘を吐く者特有の疚しさは微塵もない。冗談で語るような話でもない。真実(本当)だ。彼女も自分と同じように、ボーダー隊員として近界民(ネイバー)と戦う仕事に就くと言っているのだ。いくら生身の体調がトリオン体とは無関係であるといっても、それは――なんというか、どうなのだろうか?

 

 

「あまり宜しくない表現になってしまうかもしれませんが、ボーダーも慈善事業ではない、ということですな」

 

 

 そう語るのはウィルバー氏だ。いつの間にか手元にはスマホが握られていて、親指がせわしなく画面をタップし続けている。誰かと連絡でも取り合っているのだろうか?

 

 

「Mr.唐沢は大変よくやっておられるようですが、それでもボーダーの資金力には限りというものがあります。トリガーを一つ生産するのにもそれなりのコストが要求されますし、仮にも防衛組織である以上、兵器(トリガー)の持ち主をただ遊ばせておくわけにもいかない――故に、お美しいお嬢さんとボーダーは()()()()なのです。彼女にトリオン体という健康な肉体を提供する代わりに、お嬢さんには嵐山隊とはまた別の形で広告塔を務めてもらう……両者の間では、そういった契約が結ばれておりましてな。話によれば、既にテレビ出演の誘いなども来ているそうで」

「……那須さんがボーダー隊員として活躍すればするほど、それが研究(プロジェクト)の実績となって、新たなスポンサー候補へのアピールに繋がる……みたいな話なんでしょうか」

「そういうことです」

 

 

 なんとも世知辛い話だ。使えるものは何でも使えと言ったところだろうか。僕としてはただただ訓練だのテレビ出演だの防衛任務だのの数々が那須さんの生身(リアルボディ)に悪影響を及ぼさないことを祈るばかりである。再三トリオン体と生身は別物だと言われてみても、こうして車椅子に座る那須さんと隣合っている身としては気が気でない。

 ……そんな風に考えてしまうのも、僕がまだトリオン体というものを()()()()()()()理解出来ていないからだろう。要するに、実感が足りない。

 

 

「言っておくけど、大庭くんが思っているほど大変な思いはしていないのよ、私」

 

 

 そんな僕の心境を見透かすように、またしても那須さんはくすくすと笑う。まったく、どっちに()()があるのかわかったもんじゃない。

 

 

「私の活躍がボーダーにとっての実績になるということは、ボーダーとしてもある程度は私に()()()()()()()()()()()()()ということ――とりあえず、正隊員(B級)になることは最低条件ね。そのための手厚いサポートも受けている分、私は他の訓練生(C級隊員)よりも優遇されている立場にあるとも言えるわ。正隊員に昇格するための初期ポイントもそれなりに……ああ、この辺りの話も今聞いておく?」

「いや、それはまたの機会でいいんだけど……那須さん、凄いな。なんていうか、大人って感じ」

「まあ、確かに中学生らしくない話してるわよね、私達」

 

 

 ()()()

 僕が本当に知りたいのは、君がそうやって()()()()()()()()()()()()

 大人ぶった()()なら誰だって出来る。僕だってそうだ。さっきの僕とウィルバー氏のやり取りだって、傍から見たら少しは僕が15歳らしくないものにでも見えたのかもしれない。けれど、そんなものはただの上っ面だ。僕の内面はいつでも落ち着きのない好奇心で溢れ返っている。これっぽっちも大人らしくなんかない。それこそ覗いて見てもらいたいくらいだ。ひどいもんだろう?

 真面目な話を真面目な顔ですることなんて簡単だ。僕は本当の大人というやつは、()()()()()()()()()()()()()()()()()のことだと思っている。大人=余裕というイメージが僕の中にあるのだ。その認識自体が子供染みていると言われてしまえば返す言葉もないのだが、とにかくそういう意味でもこの那須さん、そしてウィルバー氏からは『大人』というものを強く感じるのである。二人の前では、僕なんかはただのこまっしゃくれたガキでしかないのだ。いやまあ、ウィルバー氏は実際に大人なんだけれども。

 

 

「でも――そうね。大庭くんが()()()()()()()()()()()()()()()のなら、ちょっとガッカリさせてしまうかもしれないわね」

「え」

 

 

 僕としては那須さんの言い回しにガッカリというよりもドッキリさせられた訳なのだが、思わず間の抜けた反応をしてしまった僕の前で、

 

 

「だって私、これから()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そう言って照れくさそうに頬を手で覆う那須さんを見たときの()()()()に比べれば、大した衝撃ではなかったと思う。

 ……僕は今、一体何を感じたのだろう。自分の感情も覗き見ることが出来れば楽なのだけれど。

 

 

「着きましたよ、少年」

 

 

 ウィルバー氏の呼びかけに応じて、僕は足を止めた。

 開けた扉の先、あの病室に似た白く殺風景な空間が広がっている。奥行きも天井の高さも段違いだけれど。中では例の玩具(トリガー)を手にした職員らしき人物が待っていて、こちらに向けて軽い会釈をしている。ウィルバー氏と那須さんが頷き返す。僕もなんとなくそれに倣う。

 ()()。ウィルバー氏は、僕のことをそう呼称する。那須さんのことはお美しいお嬢さん、ヒカリはお元気なお嬢さんで、唐沢営業部長はMr.唐沢。ウィルバー氏の中にも、一つの境界線(ボーダーライン)というものが存在するのだろう。大人と子供の。

 僕もいつかはウィルバー氏からMr.大庭と呼ばれることを目標にしたいのだが、じゃあ()()()()()()()()()()()()? 少年。ただの少年。何者でもない。早く大人になりたい、ミスターと呼ばれたい。ウィルバー氏の僕に対する呼称は、まるで僕の逸る気持ちに待ったを掛けているみたいだ。いきなり大人を目指す前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。そう言われているような気がするのは、僕の勝手な思い違いなのだろうか?

 

 

「ここがお嬢さんの()()()です」

 

 

 ――()()()()()()に僕を招き入れるということは、やっぱり、そういうことなんじゃないか?

 まだ記憶を消されてはいない筈なのに、僕は何処か、忘れ物を取りに来たような気分でそこへと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 ウィルバー氏と軽く業務的なやり取りを交わして、職員さんは部屋を出て行った。しかし、訓練の立会人まで任されているとかもう完全に1スポンサーの扱いを越えているような気がしないでもない。そろそろ考えたら負けの領域に入ってきた感がある。

 広々とした空間のど真ん中にぽつんと佇んでいる僕ら。観客のいないスケートリンクにでも取り残されているような格好だ。

 

 

「さて、まずは少年にこれを渡しておきましょう」

 

 

 そう言ってウィルバー氏は、職員さんから受け取ったらしいトリガーを()()()()()()()

 ……え、ちょっと待った。

 

 

「……僕が使ってもいいんですか?」

「ええ。スタッフの方にも予め話は通してあります。これからお美しいお嬢さんと入隊希望の少年を連れてそちらへ向かう故、()()()()()()()()を用意しておいてほしい、とね。なに、トリガーと言ってもあくまで訓練用です。正規のものに比べれば、玩具のようなものですよ」

 

 

 すみません、その正規品も心の中で玩具呼ばわりしてました。とは流石に言えない。とりあえず大人しく受け取っておく。

 しかし、そう、入隊希望。やはりまだ()()止まりなのか。面接を途中で切り上げたような形になってしまったなと思っていたが、どうやら僕の採用試験はまだ続いているものだと思っておいた方が良いらしい。むしろ今からやろうとしていることこそ、肝心要の実技試験なのではないか? これはまだまだ気が抜けなさそうだ。

 

 

「では、トリガー使いの先達としてお嬢さんに手本を見せてもらいましょうか」

「あら。責任重大ですね――」

 

 

 ウィルバー氏の声に応じて、那須さんが肘掛けに力を込めてゆっくりと立ち上がる。ふう……と深く息を吐き、氏からトリガーを受け取る那須さん。そういえば、立っている那須さんの姿を見るのはこれが初めてなのだ、が。

 

 

「はあ……」

 

 

 ……早くも疲れが垣間見える。本当に大丈夫なんだろうか? そんな僕の心配を他所に、彼女は引き金(トリガー)に指を掛け、事も無げにそれを引いた(起動した)

 

 

「トリガー起動(オン)

 

 

 ――それは、まさしく()()だった。

 ごく普通のパジャマ姿だった那須さんの服装が、袖の先から白地のボーダー隊服へと()()()()()()()()()。服だけじゃない、手や顔の表面にも全身を覆うように光の波が流れていく。これがいわゆるトリオン光というやつなのだろうか? バチバチと粒子を放ちながらその波が頭から爪先までくまなく走り抜けた後、そこに立っていたのは――

 

 

「それじゃあ、改めてご挨拶させてもらうわね」

 

 

 そう言って、ステップでも踏むような軽さで()()()()()()()()()()()()超人だった。

 

 

「は――」

 

 

 跳んだ。

 那須さんが跳んだ。

 ほんの一瞬前まで車椅子から立ち上がるだけでも疲弊していた女の子が、跳んだ。

 しかも優雅に空中で身体を捻り、こちらに視線を向けて微笑む余裕すら見せている。体操選手も裸足で逃げ出す身のこなしだ。僕らは知らぬ間に月にでもワープしていたのだろうか? 彼女の跳躍は羽のように軽く、兎のようにしなやかで、羽ばたく鳥のように――

 

 

()()()()()()、大庭葉月くん。界境防衛機関ボーダー、現在仮入隊中の――」

 

 

 ――解き放たれていた。

 重力だとか、病気だとか、彼女を縛り付けている、あらゆるものから。

 

 

「――那須玲よ。よろしくね?」

 

 

 ――なるほど。

 息一つ切らさず華麗な着地を決め、ふわりと髪を揺らしながら、改めて名乗ったそのひとは――

 紛れもなく、()()()()()()()()()であった。

 

 

「……元気になるとは聞いていたけど、想像以上に元気だった」

「言ったでしょう? ちょっとしたものよ、って」

 

 

 ちょっと。ちょっとの概念が壊れる。小さじ一杯と言いながらバケツ満杯の調味料をぶち撒けられたような気分だ。確かにウィルバー氏はトリオン体のことを()()()と言っていたが、身体能力がここまで向上するのは流石に予想外だ。言い方は悪いが、素の那須さんが()()だっただけに衝撃もひとしおである。

 

 

「では、()()()()()()()()。少年」

 

 

 で、その衝撃が抜けきっていないところでウィルバー氏がこんなことを仰るわけだ。

 ……なるのか。()()()()()()()、この僕が。理解っている。今更尻込みするわけじゃない。あるのは少しの緊張と、それから――

 ――なんていうか、正体不明の、()()()()とした思いだ。

 

 

「と、トリガー起動(オン)

 

 

 はづきはじゅもんをとなえた。

 しかしなにもおこらなかった。

 

 

「……!?」

 

 

 なんだ? 故障か? 不良品か? トリガーっていうくらいだからやっぱどこかスイッチ的なの押さないと駄目なのか? でも何処にそんなもん付いてるんだこんにゃろカチカチと指先を捏ね繰り回していると、

 

 

「ふむ、気持ちが籠もっていなかったようですな」

 

 

 まさかの精神論が返ってきた。ええ……と唸りかけた僕を諭すように、ウィルバー氏が続ける。

 

 

「トリガーを起動するための条件は、使用者が最低限のトリオン能力を保有していること――少年がこれを満たしていることは、既にこちらの方で()()()()()()()()()()。であれば、足りなかったのは()()()()()()()()()()()()()()()()()です。実際のところ、『トリガー起動(オン)!』という掛け声すら不要なのですよ。音声認識で起動している訳ではございませぬ故」

 

 

 まさかじゃなかった。使用者の感情を読むとか、いよいよもってオカルト染みてきたな。()()()()()()()()()()()()。というか、僕のトリオンがどうとかそんなのいつの間に調べたんだろうか。昨日基地に運び込まれた時かな。

 心を籠める。ウィルバー氏は掛け声不要と言ったが、やはり何かしらの合図があった方がやりやすいと個人的には思う。とはいえ正直、この『トリガー起動(オン)!』というやつはちょっと恥ずかしいものがある。それこそ土日の朝にやってる変身ヒーローのそれみたいだ。見たことないけど。トリガー……トリガー最後に押すの……。

 押忍。

 

 

「いきます」

 

 

 とりあえず。

 それだけを、言った。

 

 

 

 

 ――()()()()という感覚を、理解している人間など存在しない。けれど誰もが、確かに()()を体験している。何故ならば、あなた達は紛れもなく、生きているから。

 私にはそれすらなかった。私は産まれたことがないから。誰も私のことを知らない。()()()()()()()()()()。私。私――()って何? 何も理解らない。()()()()()()()()()()()()()()()()。疑問符こそが答えであり、私の心を埋め尽くす全てのものだった。()()()()、瞬間、閃光が走って――

 

 

 世界で唯一、私は()()()()を理解した存在となった。

 

 

 そう。

 

 

 私はきっと、今初めて、()()()()()()

 

 

 

 

 ――()()()()は、一体何だったのだろう。

 僕の中の何か――そいつはきっと、()()()()()()()()()()()()だったと思うのだけれど、明確な形はなく、おぼろげで、姿の見えなかったものが、この瞬間に()()()()()()()()()――何を言っているのかわからないと思うが、僕にもわからないので安心してほしい。変な電波でも受信したんだな、うん。

 それよりも()()だ。僕の変身は今度こそ成功したのだろうか? 大庭葉月の生身を脱ぎ捨てて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ひとまず那須さんの方を見てみると、彼女は何やら眉間に皺を寄せながら目を細めてじっと僕の顔を見つめている。

 なんだなんだ。小さい文字を読む時のおばあちゃんみたいな目つきになっているぞ、那須さん。一体全体、僕の何をそんなに確かめようっていうんだ?

 

 

「……大庭……()()、なのよね?」

「? そうだけど、何か変なとこあるかな」

「いえ……でも、これは……」

 

 

 視る。()()。先のトリオン兵事件の比ではない数のそれが、那須さんの心を覆い尽くしている。彼女は明らかに、僕の顔を見て戸惑っている。

 え、ええ……何なの、僕の顔いま一体どんな風になってんの? 視線を下に向ければ格好自体は那須さん同様のボーダー隊服に変わっているから、トリオン体への換装自体は成功した筈だ。

 何より、そう、()()()()()。父から受けた暴力の爪痕が、奇麗さっぱり消えているのが理解る。そんなものは全て、生身の身体に置いてきたのだ。

 僕は自由を得た。那須さんと同様に、僕を縛っていた全ての()()()()()()()()から解き放たれた筈なのだ。そうでなければおかしい。()()()()()()()()()()()。だって僕はそいつと戦うために、()()()()()()()()()ボーダーに入ることを決めたのだ。近界民(ネイバー)と、そいつと戦うためのこの体が、未だに()()()と繋がっている筈がない。

 ――この体は誰でもない、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

()()

 

 

 そんな僕のことを、ウィルバー氏は確かに、そう呼んでくれた。

 

 

 ああ――そうだ。

 

 

 僕は少年(それ)だ。

 

 

 ()()以外の何者でもない。

 

 

 今はきっと、それだけでいい。

 

 

「結構。すみなすものは心なりけり――今はただ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 彼の言葉に従って、僕はそれ(面白くすること)以外の全てを考えないようにした。

 そう、例えば。

 

 

 今の二人の目に、の顔は一体どう映っているんだろう――とか。

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

batdance

どぅわあああ~……(SQ9月号が最高だったこととかマツキタツヤ逮捕にショックを隠せないこととか今回でまだ序章が終わらなかったこととか様々な感情が入り混じって吐き出されたもの)


「では場所を変えましょうか」

 

 

 またですか?

 反射的にそう突っ込みかけてしまった。どうしたんだウィルバー氏! 何のための訓練室だ!

 

 

「……移動するんですか? ここ以外の施設となると、個人ランク戦のロビーとか……は、まだ私達(入隊前)じゃ使えませんよね?」

「確かに()()()()()()()()()()()ではありますが――なに、お美しいお嬢さんが初めてトリオン体になった時と同じことをしようというだけの話です」

「ああ、なるほど」

 

 

 代わりに突っ込んでくれた那須さんは何やら納得しているようだが、こちらとしてはさっぱりである。が、那須さんの感情がその『納得』とか自分の記憶に対する『回想』やらで占められていくのを()()、ウィルバー氏が本当に変えたかったのは場所というよりも空気だったんじゃないかな、ということを思った。そいつらが新たに出てきてくれたおかげで、那須さんの中にあった無数の『困惑』達が数を減らしていっている。これを意図しての唐突な提案だったのだとしたら、流石は紳士だ。恐ろしくさり気ない気配り、僕でなきゃ視逃しちゃうね。

 そう、ウィルバー氏は『困惑』を殺そうと頑張ってくれている。彼の中にも確かにそれはあるというのに、使命感なのか何なのか、とにかく彼の中にある確かなもの(楽しむこと)で限りなくそいつを黙らせているのが視える。そんな彼の見えない戦いが視えている身で、『困惑』に加勢するような真似はとても出来ない。だから僕も訊ねないのだ。

 

 

『あの、()の顔、一体どうなってるんですか?』

 

 

 なんてことは。

 

 

「少年。あなたにはこれより、お美しいお嬢さんと共に()()()()()へと移動していただきます」

 

 

 それはそれとしてまたSFな話になってきたぞ。正直トリオン体に変身した時点で僕の常識が通用しない世界に来てしまったことは理解しているので多少のことではもう驚かないけれど。ちょっと本格的なVR体験みたいなものだと思っておけばいいんだ、うん。

 

 

「戦場っていうと、アレですか。銃弾が飛び交い、空からは爆弾が降り、味方は倒れ、血を流し、意識を失いつつある戦友を腕に抱きながら『衛生兵(メディック)衛生兵――ッ(メディ――ック)!!』みたいな……」

「典型的な戦争映画のイメージですな。しかしボーダー隊員の戦場といえば、基点はあくまでこの三門市……まあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()もおられますがね。とにかく、これより向かう先は何の変哲もない市街地にございます」

 

 

 なるほど。確かにボーダー隊員が三門市の外で戦闘を行ったなんていう話は聞いたことがない。あれ、でも確か昨日公平は()()()()()()()()()()()()()()()()()って言ってたような気がするぞ。夏休みにも似たようなこと言ってたからどこ行ってたのか聞いてみたら『あー、なんつーか、ちょっとした()()だよ、遠征。()()()()までな』とか言ってはぐらかされたし。多分守秘義務とかそういうのがあったんだろうけど、僕もボーダーに入ったら教えてもらえるのかな。わくわく。

 

 

「さて――マップ選択は『市街地A』、天候は特に変更なし、そして時刻は……と」

 

 

 おそるおそる、といった感じでウィルバー氏が手元のタブレットを弄っている。左手にはいつの間にか『やさしすぎるボーダー』とかいう解説書のようなものが握られている。解説の方は今まであれほど流暢にこなしていたというのに機材の方を扱うのは意外と不慣れなのだろうか。

 などと僕が氏の様子を見守ることが出来たのは、彼が満足げに額へと手をやり、「これでよし」と呟くまでのことだった。

 

 

「では――行きますよ、少年! お美しいお嬢さん! 転送開始!!

 

 

 そう言ってウィルバー氏が勢いよくタブレットを弾いた瞬間、僕の身体(トリオン体)()()()()()()()()()へと急速に引っ張られていった。

 

 

 

 

 ――唐突な話になるのだが、僕は三日月が好きだ。

 満月以外の月をよく『欠けた月』だなんて言うけれど、別に何も欠けてなんかいないよなあ、と僕は思っている。単に太陽光の当たらない部分が見えないだけで、月そのものはいつだって丸いのだから。言ってみれば三日月というのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()な訳で、目には見えない影も含めて三日月という輝きの形なのである。()()()()()()()()()()()()()()()()。故に三日月は断じて『欠けた月』などではないというのが僕の主張である。でもこの理屈で行くと三日月だろうが朔だろうが全部満月扱いになるよな。まあなんかもうそれでいいような気がしないでもない。人の目にどんな形で映っていようと月はいつだって月以外の何物でもないのだから全ての月を等しく好きになるのが正しい在り方なんだよなきっと。でも満月ってやつはどうにも眩し過ぎてなあ。太陽の光に丸ごと月が乗っ取られてるような感あるし……。

 

 

 閑話休題。

 

 

 僕が何故いきなりこんな話を始めたのかというと、僕の頭上に今、()()が浮かんでいるからだ。三日月。僕の好きなもの。欠けているようで欠けていない輝きが、夜空にひっそりと佇んでいる。思わず声に出して奇麗だなと言ってしまいそうになったが、女の子の隣でそれを口にするのは今のご時世だと誤解を招く恐れがあるだろうか。皆やたら好きだよね、あの言い回し(月が奇麗ですね)

 

 

「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ……」

「ポイズン?」

 

 

 よく知ってますね那須さん。僕がこの歌を知ったのは公平がカラオケで歌ってるのを聞いたからなのだけれど。という訳で隣に那須さんがいる。そして僕らは夜空の下にいる。一体何が起こったというのか。今立っているのも路上ではなく、どうやら高層マンションか何かの屋上のようだ。

 

 

『聞こえますかな、少年』

 

 

 こいつ(紳士)、直接脳内に……!?

 声はすれども姿は見えず。耳には何も付いていない筈なのだが、受話器越しみたいなウィルバー氏の声が鼓膜をつついてきている。これもトリオン体の機能の一つということか。

 

 

『今少年とお嬢さんがいるのは『市街地A』――ランク戦で使用されている仮想戦場(MAP)の一つです。如何でしょう? 飾り気のない訓練室より、こちらの方がワクワクするのでは?』

「――ええ、いいですね。夜っていうのが特にいい。この時間はセンスで決めたんですか?」

『それもありますが、なんと言っても夜というのは光が映えますからな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……まあ、その前に準備運動といきましょうか。よろしいですかな? お美しいお嬢さん』

「私はいつでも。準備――というか、()()が必要なのは大庭くんの方なんじゃないですか?」

『ふむ。確かに』

 

 

 いま覚悟って言いましたか、お美しいお嬢さん。見れば那須さんはまた例のくすくすとした笑顔を浮かべ始めている。()()()那須さんの中では『ごめんなさいね?』と僕を弄んだ時と同じようなもの(楽しさ)がはしゃぎ始めている。……嫌な予感しかしない。

 

 

「大庭くん。あなた、高いところは平気なひと?」

「……恐怖症ってほどのことはないけど。こういう高い建物から下の景色を眺めたりすると、心臓がきゅっとするくらいの苦手意識はある、かな」

「じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 嫌な予感しかしない。

 すたすたと屋上の端へと歩いていく那須さん。柵もなければ塀も低い、()()()()()()()()()()()と言わんばかりの場所へと歩いていって、ちょいちょいと僕を手招きする那須さん。天使のような悪魔の笑顔とはこのことだろうか? これも公平が歌ってた歌のフレーズだな。前から思っていたけれどあいつはカラオケの選曲が古い。そんなことを思いながら那須さんの後を追う。そんなことを考えるしかない。この後に何が起こるのかは考えたくない。

 

 

Have you ever danced with the devil in the pale moonlight?(月夜に悪魔と踊ったことはあるかしら?)

 

 

 不意に那須さんがそんなことを言った。言葉の意味は分かるが何故唐突に英語なのか。

 

 

「……映画か何かの台詞?」

「ええ。自由に出歩いたり出来なかったから、家で映画を見るのが趣味だったのよ、私。今のはちょっと古い映画の台詞だから、通じないわよね、やっぱり」

「いや、そもそも映画自体をあまり見たことがないんだ」

「そうなの? スターウォーズとか、ターミネーターとか、バックトゥザフューチャーとか……」

「名前だけは流石にどれも聞いたことあるけど、見たことはないな」

 

 

 そういうのに触れることを禁じられていたので、とは言わない。今話すようなことじゃないし、そもそもその気があるなら直接映画館にでも行って見に行けば良かったのだ。確か前の二つは最近も新作が出ていたと思う。しかし那須さん、挙げる映画のチョイスがなんというか、年頃の女の子らしくないのではないだろうか。いや、詳しくないけど。

 

 

「ちなみに今の、どういうシチュエーションで使われた台詞なの」

「映画の悪役(ヴィラン)()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――は?」

「つまりね大庭くん。あなたはこれから、バットマンになるのよ」

 

 

 そう言って那須さんは不意に僕の手を握り締めると、仰向けの姿勢で倒れ込むように塀の外へと身を投げた。

 

 

「夜の街を翔けるヒーローよ」

 

 

 ()()()()()()()()()()

 踏ん張っていれば普通に支えられたのだと思う。多分。でもその時の僕は突然手を握られたことへの動揺とか那須さんの言葉の意味を考えたりとか僕がバットマンなら君はジョーカーなのか? 詳しくないけど。詳しくないけど――とか、そういう余計なことにばかり気を取られていたので。

 無抵抗のまま引っ張られて、普通に一緒に落ちました。

 

 

「――ぁあぁぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁあ!?」

 

 

 さて。

 人間がパニックに陥った時、そこから脱するにはおおよそ20秒ほどが必要になるという。

 それに対して、約30mの高層マンションから飛び降りた人間が地面に激突するまでの時間は――

 2()()3()()()

 うん。

 だから仕方ないよね。

 こんなみっともない悲鳴を上げて、受け身を取る発想すら湧かずに顔から落っこちても。うん。

 

 

「へぶし!!」

 

 

 この感覚をなんと表現すればいいのだろうか。

 衝撃はあった。間違いなく。脳だって揺れた、と思う。頭だけじゃない、全身が強く打ちつけられたという感覚も確かにある。何ならショックで息も乱れているし胸だってバクバク言っている。

 けれど、()()()()。痛くないのだ。別に地面を柔らかく感じた訳でもなく、硬いものに勢いよくぶつかったという認識自体は出来ているのに、痛みと呼ぶべき感覚だけが抜け落ちている。奇妙というより他にない。

 

 

「お……おぉ……」

 

 

 ……落ち着いてきた。多分20秒経ったんだな、うん。

 指先は動く。体に力も入る。というか別に、何処も不調を感じない。

 手をつき立ち上がってみる。地面とキスした唇とか、鼻とかその周辺を擦ってみる。異常なし。血とか骨とか出てはいけないものがあれこれ出まくっていてもおかしくない筈なのだが、どうやらそういうスプラッタ的な事態は免れたらしい。すごいね、人体。いやトリオン体。

 

 

「どうだった?」

 

 

 足元から声がする。見ると、四肢をだらーっと投げ出して大の字みたいになった那須さんが、相変わらずの薄い微笑みで僕を見ていた。ドッキリを成功させた時の子供みたいな目をしている。

 

 

「……死ぬかと思う余裕すらなかった」

「あら。真っ白になっちゃったのね」

「というか、普通はもっと事前に説明とか、あるよね」

「怒ってる?」

「那須さんに少しでも悪気があったらそうなってたかもしれない」

「そう? 悪気はあったわよ、普通に」

「悪気っていうか、悪意かな。ちょっとした悪戯心なんかは、僕にとっては悪意のうちにカウントされないんだよ」

「大庭くんは心が広いのね」

「いや、目が悪いんだよ」

 

 

 ()()()()()()()()()

 那須さんが寝っ転がったまんま立ち上がろうとしないので、とりあえず僕も座り込む。尻をついたら隊服が汚れるかなとか一瞬気にしてしまったが、そもそもこの隊服だって作り物というか()()()()()()()でしかないのだろう。そうでなきゃ那須さんもこんな風にはなるまい。

 

 

「……とりあえず、トリオン体になると高いところから落ちても平気ってことはわかった。でも、前もってある程度聞くべきことは聞いておきたかったな。トリオン体に痛覚がないこととか」

「そうね。そこは失敗したわ、ごめんなさい。そういう心配を取り払ってからじゃないと、楽しむどころじゃないわよね」

「楽しむ?」

「あら、おかしい?」

 

 

 僕の反応が意外だったのか、那須さんはきょとんとした顔で、

 

 

「だって、高いところから落っこちるのって、とっても気持ちがいいものよ?」

 

 

 そんなことを言った。

 ……健康だったらバンジージャンプとかスカイダイビングなんかにハマってた口だな、これは。

 

 

『怪訝そうな顔をしておられますが、少年にも彼女と同じ素養はあると私は思っておりますがね』

 

 

 マジですか。というか訓練室(そっち)から僕の顔見えるんですかウィルバー氏? 何視点なんだろう。マップの何処かにカメラでも設置されてるのだろうか。

 

 

「……いつか慣れたらそう思えるのかもしれませんが、流石に一発目から楽しめる度胸はなかったですね」

『では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 視界の下からうっすらとした光が差し込んでくる。見ると尻の下、地面に何かの模様が浮かび上がっている。これは……僕らの隊服の肩にも刻まれている、ボーダー公式のエンブレ――

 

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ――唐突な話になるのだが、僕は三日月が

 

 

「さ、もう一回行きましょ」

 

 

 そんな遊園地の乗り物に並び直すような気軽さで紐なしバンジーに誘うのやめてくれませんか?

 ああ、でもなんか女の子にぐいぐいと手を引っ張られてアトラクション(飛び降り自殺)を楽しむのってちょっとしたデートみたいだなというかなんで僕はまた屋上へと飛ばされているのかなというかなんかもう那須さんが軽い段差を飛び越えるくらいのノリでぴょーんと落ちていって僕はそれに引っ張られて「もぎゃあぁぁあぁぁあぁぁぁあ!!」

 

 

 ああ、やっぱり今回も駄目だったよ(パニくったよ)

 あいつ(那須さん)は話を聞かないからな。

 

 

『神は言っています。ここで死ぬ運命ではないと』

 

 

 そうだな。次はこれを見ている(紳士)にも付き合ってもらうよ。

 大丈夫じゃない……問題だ……。

 

 

 

 

「心の準備運動をさせろや!!」

『ふむ。ごもっとも』

「大庭くんは怒ると口が悪くなるタイプなのね……意外だわ……」

 

 

 君の見かけによらない強引さの方がよっぽど意外だったよ、とは言わない。それこそ皮肉で返されそうだ。『あら、本当に目が悪かったのね』いや那須さんはそんなこと言わない。落ち着け僕。心に波が立っている。別に怒っている訳じゃない。ただちょっと冷静さを失っているだけだ。

 

 

「……というか、さっきから僕らを屋上(ここ)に送り返してるやつは一体何なんですか」

『"スイッチボックス"という名前のトリガーにございます。設置した場所の上にいる相手を任意の場所へと転移させたり、地面から突き出る刃で攻撃すること等が可能です。特殊工作員(トラッパー)と呼ばれる限られたポジションの隊員しか使えないトリガー故、ランク戦で見かける機会は少ないかと思われますが……まあ、こういった()()()もあるということですな』

 

 

 初めて学ぶトリガー兵器がそんなんか、僕。まだ銃の撃ち方も教わっていないのだが。

 

 

「とりあえずね、手を繋いだまま飛び降りるっていうのが良くないと思うんだよ」

「そう? 一人で落ちるよりも安心出来るんじゃないかと思ったのだけれど」

「どっちかといえば無理心中に付き合わされてるみたいな気分だった」

「それは確かに怖いわね」

 

 

 那須さんは顎に指を添えて「んー……」と唸ったかと思うと、閃いた! と言わんばかりに顔の横に星を瞬かせた。いや、本当に見えたんだって。星。

 

 

「大庭くん。鬼ごっこしましょう」

「はい?」

 

 

 また突拍子もないことを言い始めたぞ。

 そしてこの人、やると決めたら迷いがない。遠方へと視線を投げたかと思うと、那須さんは勢いよく地を蹴って駆け出し、走り幅跳びの要領で塀を飛び越えて宵闇の中へと消えていく。

 

 

「な、ちょ――」

 

 

 慌てて追いかける。が、彼女に続いてダイブを決めるほどの度胸はまだ僕にはない。塀の手前で立ち止まり、彼女が跳んでいった方に目をやると、

 

 

『言い忘れていたけれど、大庭くんが鬼よ』

 

 

 僕のいるマンションよりもやや低い建物の屋上に降り立った那須さんが、こっちを見て言った。離れているのに声が耳に届く。ウィルバー氏と同じように、通信機能を使っているのか。

 ……結構な距離がある。優に10mは離れていやしないか? 走り幅跳びの世界記録が確か8mとかそのくらいだったと思うのだが、着地点が現在高度より低いことを考慮しても生身の中学生が飛び移るにはいささか無理のある距離だ。しかし、現に那須さんはそこへと飛び移ってみせている。

 そう、それが出来る。トリオン体ならば。

 

 

「……こういうのでいいんだよ」

 

 

 なるほど。確かに僕にも素養はあるのかもしれない。転落願望はさておくとして、こうして明確な形で()()()()()と言われてみると、流石に気分が高揚する。バットマンになるってこういうことだよな。さっきまでの僕らはきっと間違っていた。というか、うん。那須さんが悪い。

 

 

「うん、いいね。鬼の気持ちになってきた。絶対捕まえてやる」

『あら怖い。捕まったら何をされてしまうのかしら、私』

「そりゃ勿論、攻守交代だ。僕が全力で逃げ回る番」

『……そっちの方が楽しそうね。わざと捕まってしまおうかしら?』

 

 

 またまたご冗談を、と思いながら彼方の那須さんを覗いて()()

 ……半分くらいは本気っぽい。視なかったことにしよう、うん。

 

 

「……さて」

 

 

 すう、と息を吸い込む。自分の意思で飛び越えるのであれば、こうして覚悟を決める余裕も出来るというものだ。

 落っこちたって死にはしない。それどころか傷一つ付きやしない。痛みもない。何も怖くない。そう――

 

 

 僕は(I'm)超人だ(batman.)

 

 

 助走を付けて、全力で跳んだ。

 

 

「うお――――」

 

 

 ――()()

 唐突に僕は、一つの理解を得た。

 空を飛ぶという行為は、()()()()()()()()()()()()()

 全身が()()で覆われている。滅茶苦茶に抵抗を受けて、真正面から強く押し当てられている。

 こいつを受け入れて一つになることで、この世のありとあらゆるものは空を舞うことが許されているのだ。

 そして僕も、この一瞬、そいつの()()()()()

 私は(I'm)蝙蝠(batman.)

 鳥みたいに立派なものじゃないけど、仮初の翼によって、確かに僕は夜の街を翔けていた。

 

 

 屋上が迫る。那須さんはもうそこにはいない。より低い建物の屋根へと飛び移るのが見えた。

 三回目にして初めて、足から着地することに成功する。当然のように痛みはないが、勢い余ってつんのめってしまう。そのまますっ転ぶ寸前で強引に足を前に出す。再びつんのめる。足を出す。その繰り返しが結果的に走るという動作になっていた。まるっきりケダモノの走り方だ。不格好もいいところだが、それでいい。beauty & beast。美女を捕まえるからには野獣にならなくては。

 

 

『ふふ――』

 

 

 屋根から屋根へと飛び移りながら、那須さんが笑っている。息一つ切らしていない。それは僕も同じだ。精神的動揺で呼吸が乱れることはあっても、心肺機能への負担で同じことは起こらないということか。

 

 

『かけっこを始めた途端に元気になるだなんて、()()()()()()()()、大庭くん。安心したわ』

 

 

 そうだ。

 僕は男だ。

 女として育てられようが。

 女の服を着せられようが。

 女のような(ホルモン)に弄られようが。

 たとえ今、那須さんの目に映っている僕の顔が、()にしか見えない顔であろうが――

 

 

「そうだ――僕は男だ! ずっとこうやって、自由に走り回ったり友達と追いかけっこをするのに憧れていたんだ!」

『それは奇遇ね』

 

 

 那須さんが跳ぶ。僕も跳ぶ。小さかった背中に少しずつ迫りつつある。那須さんにはまだ余裕があるな、と思った。僕は僕なりのフォームで全力疾走しているつもりなのだが、那須さんの走りには必死さというものがまるで感じられない。それでも充分に速い。生身の体では満足に動くことも叶わない彼女がこれほどの洗練された走法を身に付けるまでに、一体どれだけの訓練が必要だったのだろう? 僕には到底、想像もつかない。

 ただ、彼女を突き動かしたものの正体なら理解る。それはきっと――

 

 

『私もずっと、()()()()()()がしたかった――だから今、とても楽しいわ。夢が叶ったみたい』

 

 

 ――そうだ。

 彼女の心に視える輝きの正体はきっと、()()なんだ。

 自分の内に秘めた願望を、現実のものにしてみせる力が彼女にはある。

 彼女の走りが美しいのも、彼女の飛び回る姿に目を奪われるのも、彼女の中に満ちている意志の光によるものなのだ。

 僕は今、()()()()()を必死に追いかけて、捕まえようとしている。ケダモノのように。

 本当にいいのかな、と少しだけ思ったけれど。

 

 

()()()()()

 

 

 不意に、そんな声が聞こえた。

 ……誰の声だろう? 那須さんでも、ウィルバー氏でもない。勿論僕の声でもない。ないのだけれど――()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう思った。

 

 

『だってあなたは、()()()()()()()()()()()()()境界(ボーダー)を踏み越えたんでしょう?』

 

 

 ――ああ、そうだな。

 そういえば、そうだった。

 けれど、なんでお前が、そんなことを知っているんだ?

 お前は――何だ?

 

 

『それとも――いらないんなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 理解らない。

 理解らないのだが、一つ、理解ったことがある。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 こいつには、何一つとして、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 消し飛ばしてやる。

 

 

 そう思った瞬間、僕の手元に()()()()()()()()()()()()

 

 

「――な」

 

 

 なんじゃこりゃ!?

 突然の事態に理解が追い付かない。いや、頭の中に響いているこの謎の声も意味不明なのだが、こっちは更にワケがわからない。なんで立方体? なんでキューブ? なんで四角いの? 豆腐か? それとも寒天か? 怖い。なんでこんなものが僕の手からいきなり出てきたんだ。

 

 

『おや。それの使い方はまだ説明していなかった筈ですが』

 

 

 紳士の声がする。謎の声はもう聞こえない。気配もいつの間にか消えている。一体あいつは何だったのか――いや、何()()()のかの話はもういい。何()()()の話をするべきだ。過去形に出来るということは、そいつは終わった話なのだ。終わった話をいつまでも引き摺っていても仕方ない。目の前にある現実の話をしよう。つまりはこの豆腐の話だ。

 

 

「なんか、消し飛ばしてやりたいって思ったら、出ました」

『えっ……』

「違う。誤解だ。那須さんを吹っ飛ばしたいと思った訳じゃないんだ」

 

 

 だからそんなガチでショック受けているような声を出すのは止めていただきたい。心臓に悪い。トリオン体に心臓があるのかどうかは知らないが。というかいつの間にか那須さんの足が止まっている。僕が先に止まったせいか。楽しい鬼ごっこに水を差しやがって、あの声、許すまじ。

 

 

『それはトリオンキューブと言いまして、射手(シューター)――銃を使わずに()()()()()()()()()()タイプの隊員が用いる武器なのです』

 

 

 武器。武器なのかこの豆腐は。意外とこう見えても硬いのか。角に頭をぶつけたら死ぬ系のアレなのか? ちょっと触ってみようかな。つんつん。

 

 

『ちなみに少年のトリガーには炸裂弾(メテオラ)という名前の武器がセットされているのですが、対象に命中したり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という性質があります故、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――』

 

 

 つんつん。

 

 

 ……つんつん?

 

 

『おや、これは失敬。一手遅かったようですな』

 

 

 瞬間、目の前で熱した餅のように豆腐が膨らんで、そいつから放たれる輝きが、より一層眩しさを増し――

 

 

 炸 裂 し た 。 消 し 飛 ん だ 。 全 て が 。

 

 

「ほげえぇぇえええぇぇぇええぇぇええ!!」

 

 

 指先からあらゆる細胞が消し炭になっていく感覚()()を味わいつつ、ただただ白く、痛みも何もない風景の中で、『戦闘体活動限界。大庭ダウン』とかいう無機質で他人事染みたアナウンスが、僕の耳に届いた。

 

 

 

 その声が聞こえた頃にはもう耳とか吹き飛んでたんだけどね!

 どこで聞いてたんだろうね!

 おわり!!(死んだよ!!)




爆発オチなんてサイテー! と思ったんですけど
少しでも平均文字数を減らすために必要な犠牲でした

バットマンは超人じゃなくてコウモリのコスプレしてるただの男だろうがとかいう
頭グリーンランタンなツッコミはご遠慮下さい


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Ray(前編)

 

 

 葉月は激怒した。必ずや、かの邪知暴虐の那須さんを除かなければならぬと決意した。葉月にはトリガーが分からぬ。葉月は入隊前である。境界を越え、ボーダー隊員になるべく基地(ここ)を訪れた。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 まあ那須さんの中に邪悪なものなんて微塵もないんだけども。

 

 

『くっ……ふふふっ……ほ、ほげっ……』

 

 

 微塵もないんだけどさあ。

 そんなに笑うことないんじゃねえかなあ! なあ!!

 

 

「……紳士ウィルバー。お尋ねしたいのですが」

『ふむ。如何されましたかな』

「なんで僕は消し飛んだ筈なのに生きているんでしょうか」

 

 

 トリオン体が傷ついたところで生身に影響はないという話は聞いていた。しかし、考えてみれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()という話はされていなかった。てっきりその場で生身に戻ってしまうとかそういうことが起こるんじゃないかと思っていたのだが、僕は依然として例のボーダー隊服に身を包んだままだった。粉々になった筈の体も奇麗さっぱり元通りになっている。こんなんもう不死身ですやん。

 

 

『現在そちらの空間には『仮想戦闘モード』が適応されておりまして、トリオン体は一度破壊されても瞬時に再生する仕組みとなっております。ですので、少年は安心して()()()()()()()()()()()()()()()()()――少年にいきなり炸裂弾(メテオラ)などという取扱いに危険が伴うトリガーを持たせたのは、それが理由の1つでもあります。君子危うきに近寄らずという格言がありますが、そもそも()()()()()()()を学ばぬことには、君子への道も開けませぬ故』

「さっきので本当に君子に近づいたんですかね、僕」

『千里の道も一歩からにございますよ、少年』

 

 

 なるほど。まだまだ道は長く険しいようだ。君子(賢き者)から千里離れた場所に僕は立っているという。

 それってやっぱり今はバカってことなんじゃないのかな? これは解釈に悪意があるか。うん。

 

 

『ちなみに現実の戦闘で戦闘体を破壊された場合の話ですが、正規のトリガーにはベイルアウトと呼ばれる緊急脱出装置が付いておりまして、戦闘体が崩壊した瞬間に()()()()()()()基地へと送還される機能が備わっております。訓練用のトリガーには実装されておりませんが、そもそも訓練生に基地の外でのトリガー使用は許可されておりませぬ故、規則を破って訓練用のトリガーで実戦に参加でもしない限り、気にする必要はないかと存じます。もっとも、そんな真似をした隊員は()()()()()がなければ即刻クビですがね』

 

 

 気にする必要はない。ウィルバー氏はそう言ったが、これはもしかして暗に釘を刺されているのだろうか? 何しろ僕は、その規則を破ったせいで記憶を消されかかっている立場の人間なのだ。そうなんだよ、皆忘れてるかもしれないけど僕は今採用試験の真っ最中なんだよ。だからこういう『お前分かってんだろうな?』系の話を聞き流すのは宜しくない。反省とは心ではなく態度で示さなければ。

 まあそれは心から規則を破りたいと思ってしまったら遠慮なく破るって意味でもあるんだけど。そんな機会は来ないだろう。多分。

 

 

「――『理由の1つでもあります』と仰っていましたが、それでは紳士ウィルバーが僕に炸裂弾(メテオラ)を持たせた本当の理由は?」

『少年の好みに合うかと思いまして』

「好み」

『かのタロー・オカモトもこう言い残しております。芸術は爆発だ! とね。見る者を圧倒する破壊と衝撃のカタルシスに心躍らぬ男子などおりましょうか? おりますまい! そう、炸裂弾(メテオラ)とは芸術(アート)なのですよ少年。破壊を美化しろと言っているのではありません、ただそれには紛れもない『力』というものが込められている――アルフレッド・ノーベルが自身の発明に『DYNAMITE()』と名付けたのも、爆発というものが生み出す圧倒的な力をよく理解してのことだったのでしょうな』

 

 

 謎の語りが始まってしまった。僕の好みがどうこうっていうより、単にウィルバー氏が炸裂弾(メテオラ)を推したいだけなんじゃないだろうか? とすら思える熱の入りっぷりだが、思えば僕もあの謎の声を()()()()()()()()()()と思ったからこそ勝手に炸裂弾(メテオラ)が起動したのだろうし、なるほど、確かにウィルバー氏の見立ては正しかったのかもしれない。好みかどうかはさておき、あの時の僕の心情に最もマッチしたトリガーであったことは間違いないだろう。

 

 

 ついでに言うと。

 僕はさっき、『那須さんを吹っ飛ばしたいと思った訳じゃない』だなんてお行儀の良いことを口にしたけれど。

 

 

『それにしても、お美しいお嬢さんは意外と笑い上戸にございますな』

『ごっ、ごめんなさい……その、大庭くんの口から『ほげえええええ!!』だなんて悲鳴が上がるとは思ってもいなかったから、なんだかツボに嵌まってしまったみたいで……大庭くん、もう一回言ってみてもらってもいいかしら……』

「那須さん。世の中にはね、たとえ悪意のない行動であっても許してはいけないことというものが存在するんだ。いや、或いはそれこそが()()()()と呼ばれる、この世で最もおぞましいものの正体なのかもしれない――僕はね、那須さんが()()()()()の同類になってしまったのかと思うと、悲し過ぎて涙が出そうになるんだ。だからね那須さん、笑うのを止めるんだ。止めろ」

『じゃあ笑わないからもう一度ほげえええって言って?』

「ほげえええ……」

『あはははははははは!!』

 

 

 あれれー、また手から勝手に豆腐(キューブ)が生えてきたぞー。ドウシテカナー。フシギダナー。

 

 

「僕も今から芸術を生み出しても(あの女を吹っ飛ばしても)いいでしょうか」

『その衝動は今は抑えていただくとして……ふむ。計測した時点で判っていたことですが、やはり少年は中々のものを持っておられる』

「と言いますと?」

『トリオンです。トリオンキューブというのは常に、その者のトリオン能力に応じた大きさの物が生み出される仕組みとなっております故、キューブの大きさから少年のトリオン量もある程度察しが付く訳なのですが――見たところ、ボーダー隊員の平均サイズを明らかに上回っているものかと存じます。お美しいお嬢さんのものよりも一回りは大きい』

『――あら』

 

 

 ウィルバー氏の言葉に反応してか、それまでずっと遠くの方で腹を抱えていた那須さん(あの女)が、笑うのをぴたりと止めて僕の手元に視線を向けた。より近くで確かめたくなったのか、ぴょんぴょんと建物を飛び移ってあっという間に僕の傍へとやって来る。速い。ベッドの上で大人しくしていたのが今や遠い過去のようである。

 僕のキューブに並べるように、那須さんが掌を上にして、自身のキューブを浮かばせる。倍とかいうほどの大袈裟な違いはないものの、確かに一回りは大きさに差があるように見える。僕のキューブ(トリオン)を10とするなら、那須さんが7。大体そのくらいだ。

 

 

「……副作用(サイドエフェクト)を持っているって聞いたときからもしかしたらとは思っていたけれど、やっぱり私よりも()()()()()のね、大庭くん」

「才能……かどうかは知らないけど、とりあえずトリオンには恵まれてる、らしいね」

「――悔しいわ。ちょっとだけ」

 

 

 おや、と思って那須さんの心を覗いて視る。どうやら割と本気でそう思っているらしい。前に話した極々稀に祖父に将棋で勝てそうになったとき、その更に極々稀、本当に勝利を収めた時と似たような感じのものが彼女の中に視える。祖父のものに比べると大分ささやかなものだけれど。

 ……あの人は、小学生を相手に本気で心の底から悔しがっていたからなあ。いや、相手が小学生だからこそか? でもどっちにしたって大人げないよなあ。まあ、祖父が本気でそう思ってくれていたからこそ、僕の方も心の底からたまの勝利を喜ぶことが出来た訳なのだけれど。勝ったところで相手が何とも思っていない勝負というのは虚しいものだ。

 ただ那須さんには悪いと思うのだが、僕は自分のトリオン量が多いという事実を前に、何故だか気を良くすることが出来ずにいた。上手く言えないのだが、僕は今、僕の目指していた()()から遠ざかってしまったような、そんな感覚を抱いたのだ。

 この気持ちは一体、僕の何処から生じたものなのだろう? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。賢い人生を歩むためには、明らかに捨ててしまった方が楽になれる価値観。適性の無いことを延々と続けていたところで芽が出る筈もなし、さっさと止めてしまえ、或いは別の道へと進むべきだ、そう言って蔑む周囲の声をねじ伏せるように、力無き者が一歩一歩を懸命に前へと進める力。()()

 僕はずっとそれに憧れていた。それになれたら、世の中のどんなものとでも戦うことが出来ると思っていた。陽介のくれた『と、思うじゃん?』とはまた別の、今は雲に覆われて見えない、僕が修めたいと思っている意志の力(DYNAMITE)。それが今、僕の手元からするりと抜け落ちていったような――

 ――馬鹿馬鹿しい、錯覚。

 

 

 そう、所詮は錯覚だ。そもそも那須さんにも言ったじゃないか、『ろくでもないものに囚われるくらいなら、君は自分の才能を全力で利用するべきだ』と。僕は今まさに、ろくでもないというか考えたところで仕方のないことに囚われていやしないか? 那須さんに偉そうな口を叩いた僕が、自分の才能を受け入れないでどうするっていうんだ。

 そう、僕は全力で自分の才能を誇るべきだ。あはははーごめんねトリオン多くってさぁー!! と、ドヤ顔を決めてみせるべきなのだ。

 という訳で那須さんにドヤ顔ダブルトリオン(両手にトリオンキューブを浮かべて目の前の相手に見せつける動作を指す)を決めてNDK? NDK?(ねえねえ今どんな気持ち?) と煽ろうとしたところで、

 

 

「大庭くん」

 

 

 先手を取られてしまった。いつの間にか那須さんの手元からキューブも消えている。一人でいつまでも豆腐をぶら下げている僕が馬鹿みたいだ。ただでさえ触ると爆発するっていうのにな。僕も正気に戻ろう(キューブを消そう)

 

 

「私は負けず嫌いよ」

「はい」

 

 

 ()れば理解るけど見かけによらず。

 

 

「だからね、大庭くんにはトリオンの差が戦力の決定的差ではないということを教えてあげたいと思うの」

 

 

 なんか前に公平の家で見たアニメのキャラみたいなことを言っている。どちらかというとそのキャラの妹みたいな見た目をしてるよね、君は。

 そんな良いとこのお嬢さんみたいな見た目の女の子が、笑みこそ浮かべていながらも、その内側で()()()()()()()を抑え切れていない熱い視線で僕を見据えて、こう言うのだ。

 

 

「――ということで、私と勝負しましょう? 大庭くん」

 

 

 そう来たか。いや、そう来るだろうとは思っていた。『もっと! ちゃんと! 助けましょう!』と宣言したときのウィルバー氏と似たようなものが視えたときから察してはいた。勝負を挑もうとする者特有の決意みたいなやつだ。そして僕も男子たるもの、勝負事というやつは大好きだ。

 が、勝負と言われても僕はトリガー使いの戦いというのがどんなものなのかも知らないのだ。炸裂弾(メテオラ)についても触れるな危険レベルの理解度しかないというのに、そんな相手に勝利したところで君は満足出来るのか那須さん? そんなことを思っていると、

 

 

「恥ずかしながら、私がトリガーでの戦闘訓練を始めたのは最近のことなのだけれど」

 

 

 唐突に自分語りが始まった。いや、そういえば訓練室に来る途中でも言っていたな。『トリガー――近界民(ネイバー)と戦うための、武器の使い方を()()()()()()()()()()()のよ』と。要するにトリガーの習熟度に関しては僕とそう大差ないから安心してね、という話をしたいのかと思ったのだが。

 

 

「私に()()()()()()の使い方を教えてくれた男の子がいるんだけどね、私まだ一度も()()()()()に勝ったことがないの」

「はあ」

「更に言うなら、私は他の隊員と対戦したことがない――つまり、訓練で未だ一度も勝ったことがないのよ」

『――ほう?』

 

 

 何故かこのタイミングで僕ではなくウィルバー氏が相槌を打った。どうしたのだろう、那須さんの語りに氏が何か興味を惹かれる要素でもあったというのだろうか。

 

 

「繰り返される敗北! 勝利への飢え! ――そこで私はこう考えたわ」

 

 

 なんか那須さんのテンションがおかしなことになっているような気がする。全身で強く訴えかけるように両手を持ち上げてわなわなとさせている。こんな愉快なキャラだっただろうか? まるで別の誰かが乗り移ったかのようだ。

 ついでに言うなら、その誰かというのは()()()()()()()()()()()()()のような気がする。そんな誰かさんみたいな空気を纏った那須さんが、さも素晴らしい発見であるかのように口にした言葉がこれだ。

 

 

 

 

 

「相手がもっと弱ければいいんじゃないかと……!」

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 こいつだめだ……。

 

 

「……紳士ウィルバー、彼女に何か一言」

『非常に強い共感を覚えました』

「なんでだよ!?」

 

 

 やっぱりか! やっぱそうなんだな? アンタの影響なんだな!? 研究(プロジェクト)のスポンサーだなんて言っていたけれど、訓練にまで付き合っていたとなれば実質もう彼女の後見人みたいな立場に納まっていたに違いない訳で、それだけ近い関係だったのならそりゃまあ人格面で影響を受けることがあってもおかしくはない。でもこれは悪い影響にも程があるだろう! 返せ! 僕らの知っている那須さんを返せ! いや言うほど僕も本来の那須さんってやつを知っている訳じゃないのだけど!

 

 

「……というのはまあ冗談なのだけれど」

 

 

 ホントか? 本当に冗談なのか? 僕の副作用(サイドエフェクト)だか何だかが冗談には今一つ効果を発揮しないというのは前にも話してあったと思うが、流石に一から十まで嘘って訳でもないことくらいは判別が付いてしまうんだぞ那須さん。少なくとも()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とやらが存在することと、その隊員に那須さんが勝ったことがないというところまでは紛れもない事実の筈なのだ。一体どんな人なのだろう。まあ僕が知るような相手の筈もないのだが。

 

 

「大庭くん。訓練生(C級隊員)正隊員(B級隊員)を目指す上で、最も重要なことは何かを教えてあげるわ」

「……それは?」

「『ランク戦』に勝つこと」

 

 

 おや、意外なことに知っている単語が飛び出してきたぞ。

 

 

「ランク戦……隊員同士でチームを組んで、三、四つ巴の模擬戦をするっていう?」

「あら、よく知ってるわね」

「ボーダー隊員に友達がいるんだ。そいつらからちょこっとだけ」

「そういうこと――でもね、私がしたいのは部隊(チーム)じゃなくて、個人(ソロ)ランク戦の話なの」

 

 

 個人(ソロ)。要するに一対一(タイマン)の話か。何となく那須さんの考えが読めてきたような気がするぞ。

 

 

「入隊当日、訓練生のトリガーには最低1000の個人(ソロ)ポイントが与えられるようになっているの。仮入隊の間に高い素質を認められれば、そこから更にポイントを上乗せされることもある――私もそうだし、きっと大庭くんもある程度、ポイントが加算されてのスタートになる筈だわ。そして、そのポイントを『4000』まで上げることが、正隊員(B級)に昇格するための条件になっているのよ」

「ふむふむ」

「そのポイントを最も効率良く稼ぐための手段が、個人(ソロ)ランク戦なの。私も大庭くんと同じように()()()()()()()正隊員(B級)で待っているから、訓練生(C級)で足踏みをするつもりはないわ。今のうちから個人(ソロ)ランク戦の経験を重ねることで、訓練生(C級)の期間を少しでも早く終わらせられるようになりたい――大庭くんに勝負を挑む本当の理由はそれよ。そして今の話を聞いた後なら、大庭くんにも私の挑戦を受けるメリットが生まれたんじゃないかしら?」

 

 

 なるほど。確かにそういうことなら、僕と那須さんの事情は同じだ。もっとも僕が一刻でも早い正隊員への昇格を望むのは、訓練生などといういかにも研修的な立場はさっさと抜け出して、まともな収入を得られるようになりたいという切実な事情によるものなのだけれど。友達が正隊員()で待っていると那須さんは語っているが、僕の方はというと。

 

 

「早いところ正隊員になりたいのはその通りだけれど、僕の方は別に友達を待たせているとかそういう訳ではないんだ。陽介――あいつらには、僕がボーダーに入隊することを話せないままここに来ちゃったし」

「あら、そうなの? ……そういうことなら、()()()()()()()――だなんて、言ってみてもいいのかしら」

 

 

 意外な誘いだった。社交辞令だろうか? と思いついつい()てみると、那須さんの中に戦意とは別の、ささやかな期待――みたいなものが見つかる。押しつけるというほど重くはなく、駄目なら駄目ですんなり片付けられるくらいの気軽なものだ。当たればラッキー、くらいの気持ちでくじを引いているような感覚。まあ、その程度の価値を見出してもらえただけでも僕としては光栄だ。

 ただ、申し訳ないが今回はハズレを引いてもらうことにする。

 

 

「誘いはありがたいけど、部隊を組みたい人達なら別にいる。……()()()()()()()

「恩人?」

「そう、命の恩人だ。誇張でも何でもなくね」

「……そうなの。そんな相手がいるのなら、無理強いは出来ないわね」

「僕も最初から、君と部隊(チーム)を組みたいと思っていたんだ――とか、言えれば良かったんだけどね」

 

 

 冗談めかしてそんなことを言ってみると、那須さんはまたくすりと笑って。

 

 

「それはちょっと、キザが過ぎるわね。大庭くんのキャラじゃないわ」

「那須さんの思う僕のキャラってどんなイメージなのかな」

「『ほげえええええええ……』」

「OK。やろう。勝負しよう那須さん。その奇麗な顔を吹っ飛ばしてやる」

 

 

 葉月は激怒した。必ずや、かの邪知暴虐の那須さんを除かなければならぬと決意した(数分ぶり二回目)。

 

 

 ――まあ、激怒したっていう割には、僕の方も彼女と似たような顔をしていたと思う。多分。

 

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Ray(後編)

 

 

 ――勝負するとはいっても、流石に僕の方に炸裂弾(メテオラ)、もっと言えばトリガーに関する基礎知識が足りな過ぎるということで、改めて講習の時間を設けることとなった。

 以下、那須さんとウィルバー氏から懇切丁寧に教わった授業内容である。

 

 

 ①訓練生用のトリガーに装備(セット)されている武器は1種類だけ。正隊員になると(シールド)隠れ蓑(バッグワーム)などのオプションを含めた最大8種類が装備出来るようになる。

 

 

 ②僕の装備している炸裂弾(メテオラ)は、銃手(ガンナー)射手(シューター)と呼ばれるポジションの隊員が扱う弾丸トリガー。銃型トリガーを使わずに弾丸を飛ばす僕のようなタイプは射手(シューター)に属するらしい。今のところ。

 

 

 ③射手(シューター)は弾丸の発射前に、『威力』『射程』『弾速』の3つを毎回の攻撃で自由に調節できる。トリオンキューブは小さく割ってバラ撒いたり、一個丸ごとぶっ放したりとある程度の自由が利くらしい。銃手(ガンナー)に比べると攻撃に手間が掛かるのと、命中精度がやや粗いのが欠点だとか。焦ると勝手に弾があらぬ方向へと飛んでいくこともあるという。使いこなすのが大変そうだ。

 

 

 ④トリガー武器の威力は使用者のトリオンに比例して向上する。射手(シューター)の場合はトリオンの量がそのままキューブ(武器)の大きさになるので、威力兼弾数といったところか。

 

 

 ⑤炸裂弾(メテオラ)に関しては先にウィルバー氏が語ったとおり。付け加えると、キューブを丸ごと道端に置いておいて外部からの干渉で起爆させる『置きメテオラ』なるテクニックもあるとか。これには那須さんもふむふむと頷きながら氏の講釈を聞いていた。参考にするつもりなのだろうか?

 

 

『他にもまだまだ教えていないことは多々ありますが――いきなり詰め込み過ぎても身に付くものではありませんからな。とりあえずはこのくらいにしておきましょう』

「……今更ですけど、本当にトリガーにお詳しいですね。どこで学ばれたんですか?」

『フフフ……紳士とは常に謎が多きもの……』

 

 

 なるほど。とりあえず紳士って言っておけば何でも片が付くと思っているなこの人は。

 

 

『まあ、習うより慣れよという言葉もあります。早速実践と致しましょう、少年』

「――()()?」

開門(ゲートオープン)!!』

 

 

 唐突にウィルバー氏がそう叫ぶと、僕らの頭上に見覚えのある()()()()()()()()()

 反射的に身構えてしまう。ここから出てくる奴というのは、僕にとってのろくでもないものだと相場が決まっているのだ。ただでさえさっきも奇妙な幻聴に苛まれたばかりだというのに――などと思っていると。

 

 

『飛行トリオン兵バド召喚!!』

 

 

 なんか両脇に光る輪っかを付けたちんまいのが出てきた。

 長い尻尾の一つ目小僧が、こちらに腹を見せてふわふわと宙を舞っている。正直可愛くはない。バムスター君もそうだったのだが、トリオン兵というのは皆が皆、この目だかのどちんこだかよく判らないものが顔にくっ付いているのだろうか? まじまじと眺めてみると結構気持ち悪い見た目してるなこいつら。

 

 

『では、的当てを始めましょうか』

「……こいつを炸裂弾(メテオラ)で堕とせってことですか」

『ええ。初めは動かぬ的から、徐々に数を増やし、動かし――そんな形で一つ、如何ですかな?』

「わかりました」

 

 

 いかにもチュートリアル、といった感じの内容だ。とはいえこちらも素人である。舐めて挑んで恥を掻くのも癪だし、多くは語らずに挑むとしよう。

 とりあえずキューブを出す。これはもう感覚でぱっと生み出せるようになったのだが、ここから更に細かく設定を弄れるというのか。

 しかし何分初めてで勝手が分からない。100の値を『威力』『射程』『弾速』の3つに振り分けられるという話なのだが、この距離とあの的、そして僕のトリオン。さて、どれをどのように割り振るのが適切なのか。しかもこれを毎回撃つ度に決めるのか? なんともはや……。

 

 

「最初は何も考えずに、とにかく撃ってみるのがいいわよ、大庭くん」

 

 

 キューブを出したまま固まっていた僕を見かねてか、那須さんが助け舟を出してくれた。まあ、確かに一発ぶっ放してみないことには始まらないか。初期設定は威力30、射程30、弾速40。ひとまずこれで行ってみよう。

 

 

「それから戦闘体に換装する時と一緒で、撃つ時に弾丸の名前を言うと気持ちが籠もって弾が飛びやすくなったりもするわ」

「そんな効果あるんだ」

「馬鹿に出来た話でもないのよ? ()()()()()()()()()()()()()()()()のって難しいんだから。『通常弾(アステロイド)!』って叫びながら実際に撃つのは炸裂弾(メテオラ)だとか、そういうことが出来る人はほとんどいないって聞いているわ」

「それ、仮に出来たとしても近界民(ネイバー)相手に役に立つのかな」

「……さあ?」

 

 

 『さあ?』ときたもんだ。まあ、確かに『さあ?』だよな。それ以外に答えようもない。

 掌を持ち上げてキューブを浮かべる。弾丸を飛ばす、これは投げるような動作とかも必要なく、念じるだけで思った通りの方向に飛んでいくのだと教えられた。便利だなと思う一方、焦ると暴発するという理由にも納得がいったものだ。訓練ならともかく実戦で暴発を起こしたらと思うと洒落にならない。炸裂弾(メテオラ)なら尚更である。

 冷静に。慎重に。的を見据えて、気持ちを籠めて。すう、と息を吸い込んでから。

 

 

「――炸裂弾(メテオラ)

 

 

 撃った(言った)。分割もせず、丸ごと一個のキューブをそのままぶっ放した。

 命中精度が粗い、そう聞いていた割には思いの外真っ直ぐに、キューブは標的(バド)を目掛けて素直に飛んでいく。高層マンションの更に彼方、50mは先の虚空で呑気に漂っているそいつが、豆腐(キューブ)の角に頭をぶつけて――

 

 

「たーまやー」

 

 

 ――花火が上がった。

 初めての時は爆心地にいたものだから分からなかったのだが、こうして夜空の向こうで炸裂するトリオン粒子の放つ輝きというのは、想像以上に眩しく、鮮やかで――奇麗だった。

 今、ウィルバー氏がどうして訓練場所に夜の街を選び、僕に炸裂弾(メテオラ)などというトリガーを与え、空高く舞うトリオン兵を標的に選んだのか、その全てが理解出来たような気がする。

 彼は僕に、この輝きを見せたいと思ったから、こんな舞台を用意したのではないだろうか?

 芸術は、爆発(メテオラ)だ。

 僕の目の前に映し出された光景は、紛れもなく炸裂弾(メテオラ)というトリガーによって描かれた、一つの芸術(アート)だった。

 

 

「……かーぎやー」

 

 

 隣の少女が放った掛け声に、やや遅れて合いの手を打った。

 今時こんなこてこての反応(リアクション)を取りながら花火を眺める客というのも珍しいんじゃないかと思うのだが、まあ、悪くない。むしろ風情があっていい。それに今、夜空を眺める那須さんの心の中といえば、これから僕と一戦交えようだなんて言っていたのが嘘のように穏やかで、安らいでいた。

 

 

「……なんだか、勝負するって感じの雰囲気じゃなくなっちゃったわね」

 

 

 で、実際にこんなことを口にする訳だ。たしかに、と僕も頷きながら、空に散らばるトリオンの光と、粉々になって燃え尽きながら落下していく哀れな火種(バド)くんの姿を眺めていた。

 なんだかまったりとしたムードになってしまった。僕らは一体何をしにここに来たんだったか。女の子と二人っきりで花火大会を見に来た訳ではなかった筈なのだけれど。

 

 

『ふむ。それでは、お二人には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 紳士の声が響くやいなや、花火の光を掻き消すように、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……!?」

「あら、曇り空になっちゃったわね」

 

 

 開かれる門。そこから飛び出す大量の(バド)(バド)(バド)。ちょっと待て。難易度がいきなり跳ね上がり過ぎじゃないのかこれ。しかも今度の連中は、ゆっくりと地上に向かって()()()()()()()()()()。キモい。こんな鳥だか虫だか蝙蝠だかよく判らない見た目の連中に纏わりつかれるのは真っ平だ。

 

 

『私は花火の中でもスターマインがお気に入りでしてな』

「はい!?」

『速射連発花火ですよ少年。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということです。素早く、立て続けに、絶え間なく。暗い夜空に明かりを灯し、()()の心を魅了してみて下さい。――ああ、そういえばまだ、少年は採用試験の真っ最中にございましたな。丁度いい、()()()()()()()()()

「はい!?」

 

 

 さっきからはい!? しか言ってないぞ大庭葉月! しっかりしろ! いやしかしだね、空から降る一億のバド(誇張)、迫り来る無数のそれ、そして唐突に明かされた僕の採用条件。これで平静を保てる人間がいるだろうか? あ、ヤバい。なんか手元のキューブがぷるぷると震え始めている。くっ……鎮まれ、僕の右手(から出てきた豆腐(キューブ))よ……!

 

 

『空からバドが降りてきていますね? あれを()()()()()()()()()()()()()()()、飛んでいる間に仕留めるのです。バド本体――いえ、炸裂弾(メテオラ)の爆発が地面に触れるようなことがあれば失敗と判断させて頂きましょう。如何ですかな?』

「もう始めて構いませんか!?」

『判断が早くて大変に結構』

 

 

 了承を得たと見なして、とにかく目に付いた適当なバド目掛けて無心でキューブをぶっ放した。

 うわ、なんか狙いが大幅にズレたぞ! 的が山ほどいるおかげで他の(バド)に当たって弾けたが――なるほど。理解した。()()()()()()()()()()()()()。さっきは慎重に落ち着いて狙いを定める余裕があったから思った通りの場所へと飛んでいっただけで、実戦ではこんなにも照準がブレてしまうものなのだ。

 今は何処に撃っても当たるような状態だから誤魔化しが利くが、数が減ってきたらそうも言ってはいられない。大玉一発を丸々外してしまうのも損だ。そうだ、的が多いのであれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 

 

「あら、よく理解(わか)ってるわね」

 

 

 新たに生み出した僕のキューブが無数に分割されていくのを見て、感心感心、とでもいった風に那須さんが言う。

 ちくしょう、彼女は未だに観客モードだ。こっちは花火に見惚れる余裕すらないというのに――とはいえ、彼女を恨むのも筋違いである。むしろ呑気に彼女と二人で打ち上げ花火を満喫していたさっきまでの僕が間違っていたのだ。

 そうだ、思い出せ大庭葉月。お前は一体、何のために境界(ボーダー)を越えてきたんだ? 近界民(ネイバー)を、この昏き門の向こう側からやって来る連中を一匹残らず滅ぼすためだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なるほど、流石は紳士だ。確かに()()をこなせなければ、僕はボーダーに入隊する資格がない。撃ち落とせ(殺せ)防衛せよ(殺せ)僕らの大地を守り抜け(殺して殺して殺し尽くせ)。戦えボーダー隊員大庭葉月! 三門市の未来は君に託された!

 

 

 

『…………』

 

 

 

 発射(撃つ)発射(撃つ)発射(撃つ)。幾度となく繰り返しているうちに、少しずつ()()()というか、標的の大きさと相対距離、移動速度から弾の設定をどのように弄ればいいのかが理解出来てきた。といっても、こんなものは1の位まで毎回毎回きっちりと調節する必要などないのだ。火力が過剰だと感じたら10くらいドカッと下げてその分を弾速に回す、逆に足りないと思ったら弾速なり射程から一気に貰ってくる、そのくらいの大味な弄り方でいい。一々考えていたら脳味噌がバカになってしまう。

 狙いもある程度は雑でいい。炸裂弾(メテオラ)ならば特にそうだ。少しでも掠れば勝手に爆発してくれる。しかしこの武器、今は標的が周りに何もない虚空を彷徨っているからいいものの、市街戦で使おうと思ったら町に被害が出るのは避けられないのではないだろうか。その辺は上手いこと威力を調整してなんとか、といった感じなのだろうか?

 この(バド)が相手ならともかく、バムスター君なんかが相手だとあまり有効な兵装とは思えないな。あいつ硬そうだし――そんなことを考える余裕すら生まれ始めた頃、気付けば僕の頭上に傍迷惑なお隣さん(ネイバー)の姿は欠片も見えなくなっていた。流星の如く地表に降り注ぐトリオン粒子の煌めきが、花火でいうところのナイアガラみたいにうっすらと夜空を彩っていた。

 

 

『お見事』

 

 

 紳士の声がする。お見事。一般的には賞賛に値する言葉の筈なのだが――気のせいだろうか? ()()()()()()()()()()()()()()()。こういう時に僕は決まって相手のことを()()ようにしているのだが、遥か彼方の訓練室にいるウィルバー氏の姿を僕の目で捉えることは適わない。

 うーむ、注文通りの結果を出した筈なのだが、一体何が不満だったというのだろうか。それともこの感覚は僕の勘違いなんだろうか?

 

 

「……どう、でしたか?」

 

 

 不安になって、思わずこちらからそう訊ねてしまった。そう、普段から僕は自分の持っている副作用(サイドエフェクト)とやらに頼り切っているため、こういう()()()()()()()()()()状況になると弱いのだ。

 思考の全てを読み取る必要などないが、少なくとも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。僕はずっとそうやって生きてきた。例外と言えばどれだけ寄り添おうとしても突き放されることしかなかった両親を相手にした時くらいのものだ。だから、いつからか僕は彼らのことを()ることさえしなくなった。そこに僕の欲しいものなど欠片もないということが理解っていたから。

 まあ――もう、終わった話だ。

 

 

「大庭くん大庭くん」

 

 

 不意に、思わぬ方向から声が掛かった。那須さんである。なんだなんだ、名前を二度も呼ぶだなんてやけにテンションが高いな。

 

 

「どうだった?」

 

 

 聞き覚えのある台詞である。マンションの屋上から、彼女と二人で手を繋いで仲良く飛び降りた(心中した)ときの言葉だ。

 『どうだった(楽しかった)?』彼女はそうやって僕に問いかける。いつも僕が()()()()()()()()タイミングで問いかけてくる。それは紛れもなく僕の心に寄り添っていない行為なのだが、その()()に不快感を覚えないのは何故なのだろう? どうして彼女は少しの不安を抱くこともなく、そんな風に訊ねることが出来るのだろう? それが()()()()()というやつなのだろうか? 彼女の問いはいつもズレている、僕はそのように感じているのだけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――とか、そんなことを思いつつ。

 

 

「……最後の方はともかく、ただただ必死で何かを考える余裕なんてなかったよ」

「もう、大庭くんは真っ白になってばっかりね」

「そうは言うけど、プレッシャーやら何やらで本当に一杯一杯だったんだって」

「私はそんな一杯一杯な大庭くんの横顔を『いいなあ、面白そうだなあ……』って思いながら見ていたわ」

「そりゃいいご身分だ」

「なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 ――え? なんだって?

 

 

「ウィルバーさん。()()()()、私もやってみていいかしら」

『――ほう。面白い提案ですな』

 

 

 あ、ダメだこれ。完全にこの人生エンジョイ勢×2の思いつき空間に流れを全部持っていかれるやつだ。実際に今持っていかれてるもんな。合格は? 僕の合否は一体どうなってしまったのか?

 が、ここでせっついて面接官(ウィルバー氏)の心証を悪くするのも宜しくない。試験を終えても浮かれることなかれ。採用通知を受け取るまでが面接なのである。()が付いていなければいいのだけれど。

 などと思っていると、那須さんが再び訓練室のウィルバー氏から僕の方へと意識を戻したのか、こちらを向いて。

 

 

「大庭くん。私達の間で、お流れになっていたことがあるでしょう」

 

 

 そんなことを言った。

 

 

「……僕も今()()()()()()()()()()()()のことを考えていたところなんだけど、それは那須さんと直接関係のある話じゃないな」

「あら、ひどいのね。約束したでしょう? 私と勝負するって」

「ああ、そういえば――」

 

 

 え、今からやるの? 勝負? 那須さんは良いんだろうけどこっちはさっきから気もそぞろで全然勝負に集中出来る気がしないのだが。

 ……いや、待てよ。

 何となく、彼女の考えが読めた気がする。

 

 

()()をその勝負にしましょう」

 

 

 やっぱりね!

 お題:No.1バド狩り王決定戦。これが野生動物相手だったら心の一つも痛むところなのだが、何しろ相手はトリオン兵、それもおそらくはコンピュータか何かで再現されたプログラム的なものに過ぎないのである。

 要はゲームだ。僕は遊んだことがないけれど、モンスターハンターとかそういうやつと同じだ。いやさっきの感覚はどちらかというと無双ゲーとかそういうジャンルの方が近いのかもしれない。詳しくないけど。

 

 

「条件は大庭くんと一緒――ああ、確かそっちは炸裂弾(メテオラ)が地面に触れても失敗扱いだったのよね。私のトリガーにはそういうのないから、代わりにバドの降りてくる速さを上げて貰いましょうか」

「そういうのないって……炸裂弾(メテオラ)みたいに、一発の弾丸で広い範囲を攻撃出来るようなトリガーじゃないってこと?」

「ええ、そうよ。()()()()()通常弾(アステロイド)と同じで、ただ相手を貫くだけのもの」

「誘導ミサイルみたいに勝手に相手に飛んでいくとか……」

「そういうトリガーも確かにあるけれど、私のトリガーとは別物ね」

 

 

 それは――結構、キツいのではないだろうか? 僕がさっきの無茶振りに応えられたのは、炸裂弾(メテオラ)という一発で複数の(バド)を纏めて吹き飛ばすことが出来る、いわば()()()()()()のトリガーを装備していたことによる恩恵が大きい。

 こういう推測は上から目線になったようでアレなのだが、那須さんは僕よりもトリオンが少ないから一度の攻撃で撃ち落とすことの出来る(バド)も少なくなってしまうわけで、言ってみればその時点で僕と那須さんの条件は対等ではないのだ。その上で更に、難易度を上げるというのであれば――

 

 

「……それで那須さんに成功されたら、確かに僕は負けを認めざるを得ないな」

「あら、そう? 失敗したら私の負け、上手くいっても引き分け扱いでお茶を濁そうと思っていたのだけれど」

「随分と僕に甘い判定だね」

「言ったでしょう? 面白そうだと思いながら見ていた、って。正直に言うと、勝負っていうのはただのこじつけなの。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 言いつつ、那須さんが手元に光の立方体(トリオンキューブ)を作り出す。その大きさはやっぱり僕のものよりもやや小さく、再び空を覆い始めた大量の昏き門を前に立つ守護者の装備としては、言っては何だが頼りない印象を受けてしまう。

 僕は未熟な技量を弾数と()()()()()で誤魔化していた部分があるのだが、那須さんのトリガーにその二つを補う要素がないのなら、後は純粋に那須さん自身の腕前、彼女がどれだけ繊細に弾丸をコントロール出来るかに全てが掛かってくる。負けたところで失うものなど何もない勝負なれど、少しはプレッシャーを感じてもいい場面の筈だ。

 

 

 ――それなのに、僕の目に視える彼女のなんと、()()()()()()()()()

 

 

「ああ――でもやっぱり、大庭くんにきちんと理解(わか)らせてあげたいという気持ちも、確かにあるかもしれないわね」

「え」

「トリオンの差が戦力の決定的差ではない――というよりも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということを」

 

 

 虚空の深淵から這い出るように、無数の標的(バド)がその顔を覗かせる。それらを迎え撃つかの如く、彼女はキューブを細かく砕き、自身の周囲に散りばめて――もはや見慣れた感のある、薄い微笑みを浮かべて、言った。

 

 

「あなたに見せてあげる。()()()()()()()()――」

 

 

 口にしてから、彼女の中にちょっとした羞恥心(照れ臭さ)のようなものが視えて。

 ……なんてね? と、慌てたように付け足したのが、こんな時なのに、可笑し(可愛)かった。

 

 

 ――そして、僕は確かに()()を見た。

 近い将来、ボーダー隊員が『那須玲』という少女を思い浮かべたとき、誰もが真っ先に連想することになる――彼女の代名詞を。

 

 

 

 

 

「――変化弾(バイパー)!!」

 

 

 

 

 

 彼女の体を廻るようにして漂っていた無数のキューブが、その掛け声で一斉に空へ飛んでいく。

 炸裂弾(メテオラ)とは異なり、弾丸の軌道を射線上に残したまま伸びていく光の線(レイライン)。それは発射するというより、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼女の手に握られた筆が虚空をなぞる、その動作が結果として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――とでも言えばいいのか? そうでなければ説明が付かない。初めは一直線に伸びていた幾重もの光が、突如として()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――眼前の光景は。

 

 

……なに、これ。

 

 

 曲がる。うねる。纏わりついて、食らいつく。その動きはさながら蛇だ。狙った獲物の喉元へと牙を立てる毒蛇(Viper)の如しだ。ああ――しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()? これが毒だというのなら、そいつはさぞかし甘美なものに違いない。

 そう、()()()()()()()()()。薔薇に棘ありだなんて諺があるが、迂闊に触れれば傷ついてしまうようなものにも人を惹きつける力があるように、彼女の描く光の軌跡もまた、()()()()()()()()()美しさがあった。

 芸術は爆発(メテオラ)だなんて言ったが――とんでもない。本物の芸術(アート)なら今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これが本当に、怪物(ネイバー)と戦うために作られた兵器(トリガー)から生み出されているものだというのか?

 ある時は正面、ある時は死角を突き、ある時は脇をすり抜け、かと思えば折り返して背後から。彼女の弾丸に規則性はない。何者にも縛られていない。一発一発が思い付きだ。その場のノリだ。そんなデタラメな弾丸で、彼女は迫り来る標的(バド)を正確に撃墜し続けている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。一体、彼女の目には世界がどんな風に()えているというのだろうか?

 

 

――すごい。

 

 

「ふふ――」

 

 

 描く(撃つ)描く(撃つ)描く(撃つ)。僕と同じことをしているのに、()()()()()()()()()()()()()()()。彼女は今、()()()()()()()()()()()。いつからか僕が切り離して考えるようになってしまっていた、僕の中にも存在する、確かなもの。()()()()()()()()()()()()

 出来る訳がない。そう思っていた。ボーダー隊員の職務は将棋(遊び)ではない。戦うことを仕事にするからには、それを楽しむことなど出来る筈がない――と、無意識のうちに僕は、心の中に境界(ボーダー)を作っていたような気がする。戦うことと、楽しむこと。その二つの間に線を引いて、互いが互いにとっての近界民(ネイバー)になってしまっていたような――そんな気がする。

 

 

――すごい。すごい。すごい!

 

 

 けれど――もしかして、()()()()()()()()()()()()()()()()? 僕が戦う意志を持つとき、僕の手からキューブ(トリオン)が生まれる時、僕の中には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その意識を捨て去り、目の前の女の子と同じように、(戦うこと)の傍にいる(楽しむこと)と手を取り合うことが出来たなら――

 

 

――僕は。
――私は。

 

 

 

 

 

 

 最後の標的が撃ち抜かれる。一つ前の斉射で狩り尽くせずに一匹だけ取り残される格好となってしまったそのバドは、新たに生み出された那須さんのトリオンキューブ、そこから放たれた全弾丸を思い思いの角度でぶち込まれるという、なんとも哀れな末路を迎える羽目になった。かわいそうなバド。せめて痛みを知らずに安らかに死ぬがいい……。

 

 

「――さて」

 

 

 ふう……と息を吐き、落下していく標的(バド)から視線を切って、那須さんが僕へと向き直る。彼女が次に言う言葉は何なのか、僕には既に想像が付いていた。

 

 

()()()()()?」

 

 

 やっぱりね。

 彼女は確かに見かけによらず衝動的な人間であり、思いつきで突拍子もないことを口にしたり、僕の気持ちとズレた言葉を放ったりもする。けれど、彼女の中にはいつだって、それ(楽しむこと)が息づいているから。

 彼女の弾丸は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「僕の負けだよ」

 

 

 正直に言った。

 それは単に、No.1バド狩り王決定戦に敗れたこととか、そういう意味ではなく。

 きっと僕もまた、彼女の描いた芸術(バイパー)に、魅了されて(撃ち落とされて)しまったのだ。

 

 

()()()()

 

 

 そんなことを考えていたものだから、不意に届いたウィルバー氏の言葉の意味に、僕は気付くのが遅れてしまった。

 へっ、と間抜けな声を出したら、那須さんがまたも吹き出しやがって、やっぱりこの女には後日改めてリベンジを挑む必要があるかもしれないとか思いつつ――

 

 

『界境防衛機関ボーダーへようこそ、()()()()()()――あなたの入隊を歓迎致します』

 

 

 ――僕はようやく、念願の採用通知を受け取ることが出来たのであった。




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不変の友情と共に歩め、千変万化の人生を(前編)

 

 

 仮想の戦場から訓練室へと帰還(ログアウト)し、換装を解く。

 生身の身体に戻った瞬間、真っ先に――()()、と思った。

 ただ立っているだけだというのに、あちこちの筋肉に負荷が生じているような気がする。

 父から受けた暴力の痛みも戻ってきた。トリオン体へと変身している間、トリガーの中で勝手に傷が癒えている――とか、そういう都合の良い話は流石にないらしい。

 共に帰ってきた那須さんの方も、疲れたように胸を抑えてふう……と溜息を吐き、ウィルバー氏の押してきた車椅子に腰掛けて身体を休めている。

 病人という訳でもない僕でさえも生身に戻った途端こんな感覚を抱いてしまうのだから、彼女に生じている『重み』たるやいかほどのものか。心配になって、思わず声を掛けた。

 

 

「大丈夫?」

「ええ。ありがとう」

 

 

 彼女は気丈にも笑みを浮かべてそう言うのだが、僕には彼女の中に生じた『疲労』という感覚が視えている。トリオン体で動き回った反動が生身に戻った途端一気に戻ってくるとかそういう話ではなく、単純に僕らの生身とトリオン体の()()()が、この『重み』を生み出しているのだと思う。

 普段からきちんと身体を鍛えているような人なら多分こうはなるまい。やはり筋肉こそが全てを解決する――そんなことを思っていると、那須さんが未だに視線を他へと逸らすことなく、僕の顔をまじまじと眺めているのに気が付いた。

 

 

 『困惑』が視える。

 

 

「どうしたの?」

「いえ――その、大庭()()の顔だなあ、と思って」

「――――」

「ごめんなさい。意味が理解らないわよね」

「いや、うん。言いたいことは理解るし、僕の顔が()()()()()()()()も、大体の想像は付いてる。でも……ごめん。ちょっとまだ、()()についての話はしたくない」

 

 

 そう告げると、もう一度「ごめんなさい」と謝られてしまった。僕の勝手な都合だというのに、那須さんに気を遣わせてしまった。大変申し訳ない。

 しかし――僕の想像通りのことが起こっていたのだとしたら、流石に少々、心の整理をする時間が欲しい。確かに僕の身体は女性()でこそあるが、トリオン体へと『変身』したことで、『()()()()()()()()()()()()()()()などということがあり得るのか? 一体何を基準にして、トリオン体というやつは変身者の性別を判定しているというのだろうか?

 

 

 ……ああ、でも。

 そういえば、確かに()()()()()()()()。トリオン体。

 (ナニ)が、とは言わないけど。

 うん。

 やっぱり那須さんの前で出来るような話じゃないなこれは。ダメ、ゼッタイ。

 

 

「それでは、本日の訓練はここまでと致しましょう。少年は正式な入隊手続きが御座いますので、私と共に別室の方へ」

「あ、はい」

 

 

 紳士の言葉で我に返る。入隊手続き――そうだ、トリオン体にナニが生えていようがなかろうがそんなことはどうだっていい。僕は受かったのだ。今日からボーダー隊員の一員として、近界民(ネイバー)と戦うための訓練に明け暮れる日々が始まるのだ。いや、あくまでまだ仮入隊らしいけれど。

 

 

「お美しいお嬢さんはいつもの通り、訓練後の検査へ。後は職員の方に引き継がせて頂きます」

「わかりました。――それじゃあ、今日はここまでね? 大庭くん」

 

 

 今日はここまで。

 ……そうか、今日で終わりの関係じゃないのか、もう。先輩と後輩――いや、同じタイミングで正式入隊を果たすのだから、僕と那須さんはボーダーの同期ということになるのだ。これから何度も顔を突き合わせ、交友を深め、技術を競い合い、そして時には肩を並べて近界民(ネイバー)に立ち向かう。そういう間柄になるのだ。

 

 

「――うん。今日は本当に、ありがとう。お世話になりました」

 

 

 そう思ったら、何だかやたらと畏まった物言いになってしまった。『なりました』って、なんでそこで敬語なんだお前は。案の定那須さんがまたくすくす笑っている。おのれ。

 

 

「今生の別れってわけでもないのに、随分と念の入った挨拶をするのね、大庭くんは」

「いや、うん。言ってから自分でもそう思ったよ。……あー、次に会うのは入隊式の時、かな?」

 

 

 ボーダーは毎年の1月、5月、9月に正式入隊の機会を設けており、その時期になると三門市のローカルニュースなんかでも入隊式の様子がお茶の間に流れてくる。訓練生に向けて歓迎の言葉を述べる忍田真史本部長の姿やら、それを直立不動で聞いている訓練生達の姿なんかが印象深い。

 あ、ひょっとしたら僕もテレビに映っちゃったりするんだろうか。もし両親がその映像を見たらどう思うだろうか。食べているご飯の一口や二口でも吹き出してくれたら痛快なのだが。

 

 

「あら、暇さえあればいつだって病室に顔を出してくれてもいいのだけれど」

 

 

 で、那須さんがまたさらりとそんなことを言っている。またいつものからかいが始まったのかと思ったのだが、よく()ると今までの那須さんからは視えなかった、暗いという程でもないのだが、視ているとなんだかしんみりとした気分になってしまう、よく理解らない色の感情が映っている。こいつは一体何だろうか。ちょっとつっついてみようか。

 

 

「それは那須さんに悪いよ」

「どうして?」

「いや、ほら。疲れるでしょ、何度も何度も僕の相手なんかしてたら」

 

 

 ()()()、という言葉は避ける。彼女が自身の肉体に、拭い去ることの出来ないコンプレックスを抱えていることは理解っていた。彼女がトリオン体になった途端、生身の身体では想像も出来ないアクロバティックな動きを見せたのも、(わらべ)のようにはしゃぎ回ったのも、その全てがこの『重み』の反動なのだろう。そんなものを抱えている最中の那須さん、即ち生身の那須さんに、必要以上の負担を強いるような真似はしたくない。

 ……そう思っての発言だったのだが、那須さんの中にあるよく理解らないものが、何故だか更に淀みを増していく。なんていうか、()()()()()。おかしい。僕は一体何を間違えたというんだ。

 

 

「そんなことはないわ」

「いや、でも」

「……ううん、こう言い換えましょうか。大庭くん、そんなことは、()()()()()()()()()()

 

 

 中々難しい注文である。気にするな、と言われても()えてしまうものはどうしようもない。

 しかし、彼女が『疲労』を表に出したがらないのは、必要以上に他者から体調を気遣われたくはないという意思の表れなのではないか――という考えに思い至って、即座に自身の言動を恥じた。

 そうだ。気付いていても、触れる必要のないことというものは存在するのだ。僕は昔からちょくちょくこうやってずけずけと人の心に土足で踏み込むような真似をしては顰蹙を買い、そのせいで集団から孤立するという経験を繰り返してきたのだ。

 とりわけ相手は女子が多かった。表向きには気が強めで自分を強く持っているように見える女の子ほど、気軽に人には言えないようなもやもやとしたものを抱えていて、そのもやもやが()()()()()()()()で膨らんで、弾ける。それがいわゆるヒステリーという奴の正体ではないかと僕は思っているのだが、その()()()()()()()()()()()()()()()()()。気付かないふりをしていればいいのに、なまじそいつが視えてしまうばっかりに、僕はそいつに()()()()()を施せるんじゃないかと勘違いしては、失敗を繰り返すのだ。今みたいに。

 しかし、那須さんの抱えている()()はまた、そういったもやもやとも何か違う存在のような気がする。理解らない。理解らないからこういう曖昧な表現に留めることしか出来ない。もどかしい。その正体を解き明かしたい。しかしそこでつっつきに掛かってはまた同じことの繰り返しである。無視することが正解なのだろうか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 不理解こそが理想のコミュニケーションであるというのなら、そいつは何ともやるせない話じゃないか――だとか、一人で勝手に悶々としていると。

 

 

「大庭くん。私は今日、楽しかったわ」

 

 

 彼女が改めて、そんなことを言った。

 

 

「ベッドの上で身体を休めることしか出来ない日々というのは退屈なものよ。出来ることといえば想像だけ。あれが出来たら、これが出来たら――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私が変化弾(バイパー)のようなトリガーを手に取ったのも、私の中にある()()()()()を、現実のものにしてくれる存在だったからなのかもしれない――これも想像だけれど、ね」

 

 

 彼女はそんな風に自嘲するのだが、僕としては腑に落ちたような気持ちだった。僕はそれこそ、変化弾(バイパー)とは()()()()()()()とさえ思えるほどの心境で、彼女の描く(放つ)弾丸に見入っていたのだから。

 

 

「とにかく、私は楽しかったのよ大庭くん」

「それはさっきも聞いたよ」

「やっぱり理解っていないわ。私はね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言っているのよ」

 

 

 それは中々の暴論だ。僕がそう感じたのに那須さんも気付いたのか、「勿論限度はあるけれど」と付け加えた上で話を進めていく。

 

 

「疲れるから今日は一日何もしないでぼーっとしていよう。それで確かに身体は楽になるけれど、()()()()を繰り返していたら心の方が腐っていってしまうわ。病は気からなんていうでしょう? 私ね、そう間違った言葉でもないと思っているのよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()――そう思っているから、私は叶うことなら一日中、どんな時だって身体を動かしていたいのよ」

 

 

 車椅子に背中を預けた華奢な身体の白い肌をした少女が、本気の目をしてそう語っていた。

 

 

「今はまだ、訓練以外でのトリオン体による活動は許可されていないけれど……誰かと話が出来るだけでも、退屈よりはずっとマシだわ。だから、あなたが嫌でないのなら――」

「わかった」

 

 

 二つの意味で、僕は了解した。彼女の誘いと、彼女の抱いているもの(感情)の正体。

 要するに。

 彼女はきっと、()()()()が欲しいのだろう。

 那須さんの中に視えたものは、『寂しい』という名前の感情だったのだ。

 

 

「入隊式の前にも、何度か顔を見せに行くよ。那須さんを退屈させないような話題を提供出来るかどうかは、分からないけれどね」

 

 

 僕は別に、頼みごとをされたからといってどんな願いでも引き受けるようなお人好しではない。ただ、那須さんには恩義がある。彼女は僕に教えてくれた。僕が知らない、ボーダー隊員の()()()というものを。

 無論、彼女のやり方(楽しむこと)だけが正解という訳でもないのだろうが、参考になったことは間違いない。勉強代という訳でもないが、僕の存在程度で彼女の(無気力)を治せるのならお安い御用だ。

 那須さんの心に巣食う()()()()()()()()()が薄れて、彼女の内面が明るい感情で占められていくのが視える。よかった、と微笑む彼女。僕も良かった。無事に正解を選ぶことが出来て。

 

 

 そう思っていたのだけれど。

 

 

「ありがとう大庭くん。これでくまちゃんや()()()()()達にも、あなたのことを紹介出来るわね」

 

 

 …………。

 

 

 熊ちゃんと。

 

 

 ……()()()()

 

 

「那須さん、とーちゃんってn「お待たせ玲ちゃん。さ、行こうか」

「はい――それじゃあ、大庭くん。またね?」

 

 

 僕の疑問を軽やかにスルーするかの如く、やって来た職員さんに車椅子を押され至極あっさりとその場を後にしていく那須さん。

 取り残される格好になってしまった僕は、隣で佇む紳士に向かって、とりあえず根本的なところから訊ねてみた。

 

 

「……あの。那須さんって普通に病室に会いに来てくれる人とか、いるんですか?」

「ええ。去り際に彼女が名前を出した方々がそれに当たりますな」

 

 

 さらりと答えてくれる紳士。理解した筈の感情の正体が再び視えなくなって困惑する僕。

 え、何なの。話相手が誰もいないから僕なんかでも必要だったんじゃないの? 普通に友達いるんだったら『寂しい』って感情はあり得なくない? 彼女は何故あそこまで僕が病室に訪れることを望んでいたんだ? あの『しんみり』の正体は一体何だったんだ? 理解らない。視えていたのに理解らない。視えるんだけど視えない(理解らない)もの。こいつはとんだミステリーだ。

 

 

 ボーダー隊員を続けていれば、ゆくゆくはこの謎も解けるようになるのだろうか――とか。

 そんなことを、思った。

 

 

 

 

 那須さんと別れてから、僕はウィルバー氏に連れられて別室へと移動し、そこで改めてボーダー隊員の職務や規則についての説明を受け、それから幾つかの書類に目を通した後、契約書にサインをした。

 本来であればやはり保護者の同意も必要とのことだったのだが、僕の事情を考慮してそういった手続きに関しては省いてくれた。全くもって有難い話である。法律的に大丈夫なのかは知らない。そもそも記憶の抹消とかやってる時点で治外法権的なものが働いているに決まっているのだ。

 

 

「最後に、少年にはこれを渡しておきましょう」

 

 

 そう言って紳士が差し出したのは、何の変哲もない1本の鍵だった。形状は明らかに玄関用の物であり、何処かの家、或いは部屋へと入るための代物なのは間違いないのだが、はて。

 

 

「あの、これは?」

「ボーダーが設営している仮設住居、そのとある1室の鍵です。更に言えば、その部屋は私が三門市に滞在する際の仮住まいとして利用している場所なのですが――本日を持ちまして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「はっ……ええ!?

 

 

 なんか急にとんでもないことを言われてしまった。そりゃ大声も出るってもんだ。混乱する僕に構うことなく、ウィルバー氏は平然と話を進めていく。

 

 

「それと少年が正隊員へと昇格した際、給料を振り込むための口座も用意しておきました。机の上に通帳やカード類が置いてあります。ああ、当面の生活費についてもご心配なく。三ヶ月程度は不自由なく生活出来るだけの額が入っております故。その後についてはご自身で稼いでいただくことになりますが、それだけの猶予があれば難なく正隊員への昇格を果たすことが出来るものと――」

「いやいや。いやいやいやいやいや!!」

「何、少年の技量であれば三ヶ月とも言わず1月中にでも」

「そこを否定したかったわけじゃないです!!」

「ふむ。自信満々で大いに結構」

「だからそういう意味でもなく――その、いくら何でもそこまでのご厚意には預かれませんよ!」

 

 

 当然ながら、僕に一人暮らしの経験などない。故に一月あたりの生活費がどれくらい掛かるのかも正直把握出来ていない。しかし、流石に三ヶ月もの間を凌げるだけの額といったら、中学3年生の手には余るほどの大金になってくる筈だ。云十万――流石に百は行かないだろうが、その半分を越えるくらいの額が通帳に記載されていてもおかしくはない。今日出会ったばかりの相手から受け取るには、余りにも大き過ぎる金額だ。

 いや、そもそもウィルバー氏には微塵も、僕に金銭を貸し与える理由などないというのに。住居にしても同様だ。大体『口座を用意しておきました』とかさらりと言っているが、一体いつの間にそんな手続きを済ませたというのだろうか。僕と那須さんが向こう側(市街地A)へと旅立っている間にか? 今の世の中、スマホ1台で24時間どこでも口座が開ける時代だったりするのだろうか? かがくの ちからって すげー……(はづきはこんらんしている)。

 

 

「何、私こう見えても金銭的には余裕がある身でしてな。まあ、仮にそうでなくなったとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。Mr.唐沢の言ではありませんがね」

「……強盗は犯罪ですよ」

「はっはっは」

 

 

 だからそこで笑うのは辞めていただけないでしょうか。……じゃなくて!

 

 

「とにかく、理由もなしにそんな大金は受け取れませんって」

「いいえ。理由でしたら御座いますとも、少年」

 

 

 そう言ってウィルバー氏は手元に置かれた紅茶入りのカップを手に取ると、実に様になる動作で口を付けてから、僕を見据えて、ニコリと笑い。

 

 

 一言。

 

 

「私、紳士ですので」

 

 

 それだけを、言った。

 

 

 ()()こそが、紳士ウィルバーという存在の全てなのだと。

 

 

 この時になってようやく、僕は心の底から理解したのであった。

 

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不変の友情と共に歩め、千変万化の人生を(後編)

 

 

 それでも流石にタダでは受け取れないのでお願いですから将来出世払いで返済させて下さいと、何故だかこっちから拝み倒す格好になってしまった。

 とにかくそんな訳で、当面の問題であった生活基盤の安定がいきなりある程度成されてしまった僕である。正隊員になるまでの無収入期間こそが最大の山場だと思っていただけに、なんというか気が抜けてしまったというか、いやはやこれからどうしたものか。

 

 

「さて――それでは早速、少年の新たな住処へとご案内させていただきましょうか」

 

 

 別室の扉を閉め、本部基地の廊下にて紳士らしいエスコートを提案するウィルバー氏。

 まあ、まずはそこからか。今日のうちに買い出しとかも済ませておかないといけないだろうし。

 ……ああ、でも。

 今日のうちにというか、無事に入隊を果たすことが出来たからには、今すぐにでもやらなければ――もっと言うなら、()()()()()()()()()()()()()人達が僕にはいるのだ。

 

 

「あの、紳士ウィルバー。申し訳ないのですが――」

 

 

 そのことを思い出した僕が、別の行き先を告げようとしたところで。

 

 

「おっ、ウィルバーのオッサンじゃん。ちーっ……す……うん?」

 

 

 聞き慣れた、友人の声がした。

 境界を越えたことで、違う世界の存在になったもの(両親)もあれば、変わることのないもの(友情)もある。

 いや――或いはまた少し、僕らの関係にも変化が生まれたのだろうか? 同僚。戦友。ランク戦というものの存在を考慮するのであれば、ゆくゆくは好敵手(ライバル)だなんて間柄にもなったりするのだろうか。それならそれで面白い。単なる友人よりも繋がりが深まったように感じられる。僕にとって好ましい()()の形だ。

 とはいえ、そんなものはまだ先のお話である。今はただ純粋に、1日ぶりとなる友人との再会を喜ぶことにしよう。

 

 

「お疲れ様です、米屋()()。……なんちゃって」

「――葉月!?」

 

 

 おどけた風に僕がそう言って笑いかけると、僕の愛すべき友人(バカ)1号は、一緒に歩いていたチームメイトと思しき(隊服のデザインが一緒なので)集団の輪をだっと抜け出し、足早に僕らの側へと駆け寄ってきた。ふふふ、いる筈のない人間に声を掛けられてさぞかし驚いたことだろう。本日の『と、思うじゃん?』ポイントを1つ稼いだなこれは。

 

 

「先輩って、おまえ、もしかして……」

「そ。ボーダー隊員になりました、僕。まだ仮入隊だけどね」

「『なりました』じゃねーだろ、オレ何も聞いてねーぞ!? 大体おまえ、前に誘ったときは親が許してくれるワケないから無理だって――」

「家は出てきたよ」

「……マジで?」

「うん。マジで」

 

 

 さらりと告げる僕。二の句が継げない陽介。いやあ、普段は人を驚かせる側に立っているやつがこうやって口をパクパクさせているのは愉快なものだなあ! なるほど、これが裏切りの醍醐味というやつか。確かに癖になりそうだ。

 

 

「先に行ってるぞ、陽介」

 

 

 と、陽介と並んで歩いていたチームメイトさん達の一人が声を掛けてきた。陽介と二人でその人の方へと視線を向ける。

 俗に言うマッシュルームカットを栗色に染めた、端正な顔立ちの少年だった。笑みを浮かべる訳でもなければ、強い視線を向けている訳でもない、いわゆる無表情。感情の読めない顔というやつをしている。

 まあ僕には()えてしまうのだけれど、その中にもこれといって、特別な感情(もの)は見受けられない。ただ陽介が輪を離れていったから義務的に声を掛けただけ、といったところか。冷静(クール)だ。クール系男子である。

 が、僕としては珍しいことに、僕はその人の内面よりも外見の方が気になっていた。間違いなく初対面の筈なのだが、()()()()()()()()()()()()()()。このイケメンに近しい整った顔立ちの人物に、僕は心当たりがある気がしてならない。一体誰のことだっただろうか。

 

 

「お、おお。わりーわりー、そーしてくれ」

「――30分後に、今日の試合の反省会だ。遅れるなよ」

「わーかってるって」

 

 

 続いて陽介がひらひらと手を振り返したのは、黒の上着に白いマフラーのコントラストが映えるオシャレ系男子(大庭葉月的観点(センス))であった。その声色にも目付きにも、特に刺々しいものは感じなかったのだが――

 

 

 ――なんだろう。

 この人の胸の奥底にある、()()()()()()()()()()()()は。

 

 

 その正体を見抜く間もなく、早々に踵を返してその場を後にするマフラーの人。それに続いて、きのこ頭の人、僕らに対して特に反応を見せることのなかった眼鏡の子、他の面子よりもやや大人びた顔立ちの女の人らが去っていく。どうやらあのマフラーの人が、陽介の部隊の長を務めているようだが――うーん、気になるなあ、あの(感情)

 

 

「……まあいっか」

「何も良くねーっつーの! ……ったく、葉月にツッコミ入れんのは弾バカ様の仕事だってのに、あのヤローこんな時に限っていねーんだもんな」

「ああ、三門を離れるとか何とか言ってたっけ」

「そーだよ。ちょうど今日の朝に出て行って、帰ってくんのは年明けだとさ。おまえがしれっとボーダーの隊服着て訓練にでも参加してんの見たら、間違いなく『はあ!?』って大声上げんぞ、あいつ」

「それは見るのが楽しみだ」

「ああ、それは間違いねー――はー、マジかー、葉月がボーダー隊員かー……」

「そんなに意外だった?」

「――いや」

 

 

 僕がそう訊ねると、陽介はそれまでの彼らしからぬ間の抜けた表情から、普段通りの飄々としたニヤケ面へと切り替わって。

 

 

「むしろ、()()()に来んのが遅過ぎたぐらいだよおまえは。断言してもいい、ボーダーってとこは間違いなくおまえに向いてる。これから毎日退屈しねーし、()()()()からな! 覚悟しとけよ!」

「――おう」

 

 

 そう言った陽介が突き出してきた拳に、僕も拳を突き合わせて、二人してにやりと笑う。

 ああ、なんかいいな、こういうの。いかにも男の友情って感じがする。僕はずっとこういうのに憧れていたんだ。境界(ボーダー)を踏み越えて良かったと、改めて、そう思った。

 

 

 ……そういえば。

 そのことで、陽介にも伝えておかなければいけないことがあった。

 

 

「陽介。『と、思うじゃん?』って、良い言葉だね」

「おお? どーしたいきなり」

「いやさ。()()に来る途中、ちょっと何回か心が折れかけたんだけど――もう駄目だ、おしまいだってどん底まで追い込まれた時に『と、思うじゃん?』って唱えてみると、なんか自分が無敵になったような気持ちになれたんだよ。だから陽介に礼を言いたくてさ。素敵な言葉を教えてくれてありがとう、って」

「……そーいうセリフを恥ずかしげもなくさらっと言えるのがすげーよ、おまえは」

「お? 照れとんか? 照れとんのか?」

「照れてねーっつーの」

 

 

 そう言ってそっぽを向く陽介。漫画か何かだったらここでわかりやすく顔が赤くなったりもするのだろうが、特にそういった外見的な変化はない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。ふふふふ。調子に乗って突っついてみてもいいのだが、陽介はそういうのをひらひらと躱すのが上手いからこのくらいにしておこう。やっぱり弄るなら公平に限る。あいつはあいつでやり過ぎるとガチで怒るけど。

 

 

「フフフ……仲良きことは美しき哉、にございますな」

 

 

 そんな僕らを眺めつつ、何やら訳知り顔でうんうんと頷いているウィルバー氏である。

 ……そういえばさっき、陽介は僕よりも先にウィルバー氏へと声を掛けていたような? それもいかにも、気心の知れた相手に接するようなノリで。

 

 

「あの、もしかして陽介のお知り合いだったんですか」

「ええ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、声を掛けたのがきっかけでしてな。聞けばどうやら、彼の親戚(宇佐美文)私の知人(日野てつこ)の友人にあたるとのことで」

 

 

 かなり遠い関係性だなそれは。しかしまあ、それでも確かに縁は縁か。

 

 

「つーか、そっちこそいつの間にオッサンと知り合いになったんだよ?」

「……今日会ったばっかりなんだけど、色々あって、御住まいを譲って頂けることになりまして」

「はあ!?」

「あの、改めて確認するんですけど、本当にいいんでしょうか」

「ええ。どの道、()()()()()()()()()()()()()()()()。片付けの手間が省けまして、こちらとしては礼を述べたいくらいに御座いますな」

『え』

 

 

 僕と陽介のリアクションがハモってしまった。家を引き払うって、それは要するに――

 

 

「なんだよオッサン、もう蓮野辺に帰っちまうのかよ?」

「今後については未定ですが、三門市における私の役目は終わったものと判断させて頂きました。お美しいお嬢さんの研究(プロジェクト)も無事軌道に乗りましたし、それにもう、()()()()()()()()()()()ようですからな。後のことは少年少女にお任せするとして、紳士は死なず、ただ消え去るのみ……」

 

 

 ニヒルな笑みを浮かべるウィルバー氏。三門市を去る。そうなってしまえば間違いなく、僕と彼が顔を合わせる機会は激減してしまうことだろう。何せ僕は、今日からこの町(三門市)の防衛隊員になったのだ。町を守るということは、傍にいて離れないということだ。いやまあ、公平みたいにどっか行ってる例外もいるにはいるみたいだけれど。

 

 

「……本当に、この恩をどうやって返せばいいのか……」

「おや、出世払いで返して頂けるのではなかったのですかな? その時が来れば帰ってくる所存に御座いますが」

「それだけで足りるものとは思えません」

「であれば、己の務めを全うすることですな、()()()()()()。私にとっても、この町にとっても、それが何よりの貢献となることでしょう」

 

 

 ……なるほど。

 確かにそれが、僕のするべき一番のこと、か。

 

 

「――わかりました。僕をボーダーに引き入れて下さった紳士の恩に報いるべく、防衛組織の隊員として、必ずや恥じることのない戦果を――」

「そのような心構えで臨むのであれば合格は取り消しとなりますな、少年」

「ええ!?」

「無論、そういった意識を持って職務に就いておられる方々を否定するつもりはありませんが――ただ()()()()を支えにしていては、務まるものも務まらぬかと」

「あー、ワカるワカる。自分で自分を追い詰めるみたいな感じになるもんな、()()()もそーだし」

「あいつ?」

「んにゃ、なんでもねーよ。……葉月はともかく、あいつの場合はしょうがねーけどさ

 

 

 何やらぶつぶつ言いながら、陽介が廊下の向こうを眺めている。チームメイト――マフラーの人らが去っていった方角だ。

 ……陽介も、()()()に気付いているのかな、やっぱり。そりゃそうだよな、陽介は人の心の機微に敏いやつだ。僕みたいな副作用(サイドエフェクト)がなくったって、見えないものを()る力が備わっている――そういうやつだ。

 

 

 ()()()()()()

 ()()()()()()()()()

 

 

「少年」

 

 

 紳士の呼びかけで、はっと我に返る。

 ああくそ、本当に何から何まで、僕はこのひとの世話になりっぱなしだ。こんな簡単な一言で、このひとは僕をあるべき道へと引き戻してくれる。その在り方を誇らしくさえ思う一方で、ほんの少しだけ、悔しくもある。せっかく名前で呼んでもらえたというのに、またも呼び方が元に戻ってしまった。情けない。この人に()()()()()()()()()を、僕は目標にしなければ――

 

 

「そう焦ることはありませんよ」

 

 

 ――参ったな。

 本当に、このひとは――どこまで()えているんだろう。

 きっと、僕の副作用(サイドエフェクト)なんかより、この人や陽介の方がずっと、()()()()()に違いないのだ。

 

 

「お美しいお嬢さんから学んだことを、ゆめゆめ忘れないことです。炸裂弾(メテオラ)を芸術とするのなら、変化弾(バイパー)こそが我が人生――()()()()()()()()()()()()()()()()。標的を射抜かんとする意志さえ、捨てなければ――ね」

 

 

 そう言って紳士が、決め顔の横に星をきらりと瞬かせ――

 

 

 暫しの沈黙が流れた。

 

 

 教訓:名言っぽいことを誰かが口にしたからと言って、それで話に区切りがつくとは限らない。

 良い子の諸君! 聴く側のリアクションってやつは大事だぞ! 誰かが良いこと言っても、反応がなかったら滑ったみたいな空気になるからな! ちょうど今みたいに! ちょうど今みたいに!

 

 

「――()()()()()()()()()()()()、ね」

 

 

 だもんで、僕はとにかく何かを言わんと口を開きかけたのであったが、それよりも先に鸚鵡返しの如く呟いたのは陽介であった。

 

 

「おもしれー話だったよ、ウィルバーのオッサン。次に使うトリガーの参考にさせてもらうわ」

「おや。スコーピオンはもう飽きてしまわれましたかな?」

「そういうワケじゃねーけど、ちょっと試してみたいやつがあってさ。誰も使ってねーから気になってたんだよな」

先駆者(パイオニア)の道を歩まれますか。それもまた一興かと」

「だろ? こんなトリガー使い道ねーだろって思ってるやつの首を()()()()()()()()緊急脱出(ベイルアウト)の直前にこう言ってやるのが夢なワケよ。『と、思うじゃん?』ってな」

「少年の浪漫に御座いますな」

「そーそー。ボーダー隊員だろーがなんだろーが、オレだってまだまだ単なる少年(ガキ)ってことだよ。――おい、聞いてっか? 葉月。先輩が今、後輩くんのためになる話をしてやってんぞー」

 

 

 置いてけぼりになってぼけっとしていた僕に向けて、唐突に陽介が話を振ってくる。いやまあ、こんな様だが流石に会話の内容は頭に入っている。

 要するに――ボーダー隊員であること(戦うこと)と、少年であること(楽しむこと)は両立出来ると言いたいのであろう。確かにそれは、那須さんの変化弾(バイパー)を見た時に、僕の頭に過った考え方だ。その考えを受け入れて、敗北を認めた結果、僕はウィルバー氏から採用の通知を受け取ることが出来たのだ、が。

 

 

……ふふふ。

 

 

 ――()()()()()を、捨てるな、か。

 ……なんだろうな。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――葉月? おい、マジで聞いてねーんだったら、流石の陽介サマも怒っちまうぞー」

 

 

 ……いかんいかん。いくら何でも呆け過ぎだ。しっかりしなくては。

 

 

「――大丈夫、ちゃんと聞いてるよ。ボーダー生活(ライフ)は楽しくあれ、そういうことでしょ」

「おう。理解ってるならいーんだよ、理解ってるなら」

 

 

 先輩を通り越して僕の師匠でも気取らんとばかりに、腕を組み満足げに頷く陽介のすぐ隣で。

 

 

(……どうやら、私が思っていたよりも()()()()()を、少年は抱えておいでのようですな)

 

 

 その内側に、もう視ることはないと思っていた()()()()()()()()らしきものを宿しつつ――紳士は黙って、僕の顔を眺めていた。

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

海鼠を喰らう(前編)

 

 

 B級8位。

 それが、今期における影浦隊の最終順位であった。

 

 

 影浦雅人は滅多なことでは、ランク戦において落とされることはない。

 かといって、毎度のように複数得点を重ねて暴れ回れる訳でもない。

 彼は戦場において、孤独だった。

 戦闘において無類の効力を発揮する彼の感情受信体質(サイドエフェクト)、喧嘩仕込みで培われた近接戦闘の実力、『マンティス』と呼ばれる独自の技を編み出すまでに至った、攻撃手(アタッカー)用トリガー『スコーピオン』を自由自在に操る才能(センス)

 これらの要素が合わさった結果、彼とまともに1対1(タイマン)を張り合うような隊員は、極一部の実力者や重度の1対1中毒(バトルジャンキー)に限られることとなってしまったのである。

 かといって、本人にわざわざ戦場を駆けずり回って獲物を狩りに行くほどのやる気がある訳でもなく、相方の北添尋と連携する訳でもなく、とりあえず戦場に転送されたらバッグワームも付けずに徒歩で適当にうろつき回り、誰かの視線を感じたら何見てんだコラと絡んでいく。逃げられたら逃げられたで舌打ちをしてから再び戦場をぶらぶらする。そしてたまに乱戦の最中に出くわしたり複数人からの奇襲を受けたり1対1(タイマン)上等と言わんばかりに単身挑みかかってくる酔狂な隊員なんかを返り討ちにしたりして、試合の終わり方はその殆どが時間切れ(タイムアップ)

 そういった偶発的戦闘によって稼いだ僅かな得点をコツコツコツコツと積み重ねた結果が、下位に落ちるほど低くもなく、上位に残れるほど高くもない、B級8位という結果で表れたのであった。

 

 

「……チッ」

 

 

 ソファーに身体を預けたまま、何度目かの舌打ちをする。寝転がっていればそのうち睡魔にでも襲われるものかと思っていたのだが、どうにも今日は寝つきが悪い。

 

 

 ……()()()()()()って聞くと無性に誰かの顎をかち上げたくなんな。どうなってんだオイ。

 

 

 そんな謎の思考に捕らわれつつ、影浦雅人は自身の作戦室にて無為の時間を過ごしていた。

 ランク戦といっても、感覚的には普段やっている戦闘訓練とそう大差がない。()()()()()()()()()()()()()、試合が終われば記録係のオペレーターから獲得点と順位の変動を義務的に伝えられるだけの、退屈な行事。

 基地の一角には無駄に客席の多いランク戦の観戦会場も設置されているが、正隊員ならまだしも訓練生で足を運ぶような物好きは殆どいない。それだけ研究熱心な隊員は、訓練生(C級)如きにいつまでも留まることなくさっさと正隊員(B級)へと昇格してしまうからである。

 影浦のランク戦に対するモチベーションは低い。他の訓練ならともかく、ランク戦までサボるとなると上の連中(上層部)が煩いから仕方なく試合に出ている、くらいの感覚である。オペレーターの仁礼光も似たようなもので、チームメイト二人がそんな感じだから、残る北添もとりあえず適当に炸裂弾(メテオラ)を戦場にぶち撒けたり突撃銃(アサルトライフル)をドカドカしたりして、彼なりのやり方でランク戦を満喫してはいるようだが、部隊(チーム)として効率的な動きが出来ているとは言い難いのが正直なところであった。

 

 

 ……つまんねー。

 

 

 影浦は退屈を持て余していた。部隊(チーム)ランク戦における彼の現状は先に語ったとおりであり、では個人(ソロ)ランク戦の方はどうなのかといえば、まず最近になって攻撃手(アタッカー)1位の男が個人戦ブースに顔を出さなくなったことが一つ。2位の男が(ブラック)トリガー使いになったとかでランク戦から姿を消したことが一つ。3位の男は影浦と同じスコーピオンの使い手なのだが、戦闘の度に技術面であれこれと駄目出しをしてくる説教臭さが鬱陶しい(指摘が一々的を射ているだけに尚更腹が立つ)こともあってあまり顔を合わせたくない相手だというのが一つ。その他の攻撃手(アタッカー)と刃を交えてみても特に高揚感を得られる訳でもなく、射手(シューター)銃手(ガンナー)とはそもそも斬り合いが成立しない。

 以上の理由により、個人(ソロ)ランク戦も影浦の退屈を紛らわせる存在にはなり得なかった。身勝手な不満もいいところなのだが、何というか、()()()()()()がいなかったのである。刹那の世界で鎬を削る、喰うか喰われるかの攻防。その瞬間にこそ影浦の求める興奮(スリル)はあるのだが、それを生み出すことの出来る相手が立て続けにランク戦から離れていったことで、影浦の足もまた、個人戦ブースからめっきりと遠ざかってしまっていた。

 

 

 ここ(ボーダー)は自分の求めていた場所ではなかったのかもしれない。

 近頃、影浦はそんな風に考える機会が増えつつあった。

 

 

 そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼はボーダーに入ったのである。近界民(ネイバー)は人間ではない。人間でないものの視線を浴びても、彼の副作用(サイドエフェクト)は効果を発揮しない。それでいて、連中はこちらへと襲い掛かってくる。()()()()()()()()()()()()。鬱陶しい感情を向けてくることもなく、興奮(スリル)を提供してくれる相手。自分にとって理想の()()()()だと思ったから、彼は防衛組織などという、柄でもない世界へと身を投じたのである。

 そんな彼の近界民(ネイバー)に対する期待は、正隊員へと昇格した途端、いとも容易く打ち砕かれることとなった。ボーダーが相手にしていたものの正体は、近界民(ネイバー)そのものではなく、その尖兵に過ぎない木偶人形(トリオン兵)に過ぎなかったのである。

 正直に言えば、正体そのものはどうでも良かった。影浦にとっての問題は、肝心のトリオン兵と戦ってみても、自身の求めていた興奮(スリル)を欠片も味わえないという現実にあった。門の向こう側から出てくる相手といえばその大半が雑魚(バムスター)雑魚(バンダー)雑魚(ラッド)。たまにちょっと強い雑魚(モールモッド)。初めて遭遇した時はようやく念願叶ったりと思ったものだが、慣れてしまえばすぐに有象無象(バムスター)と大差のない存在になってしまった。

 今や防衛任務といえば単なる小遣い稼ぎの場でしかなく、実家のお好み焼き屋を手伝ってバイト代を受け取るのと変わらない、何なら後者の方が充実しているくらいの気持ちすらあった。ああ、俺ァ近界民(ネイバー)ぶっ殺すよりも鉄板の上で肉と野菜焼いてる方が向いてんのか。まあ、それも悪かねえかもな――みたいな。

 

 

 故に昨日の防衛任務も、普段と何ら変わり映えのない、小遣い稼ぎの一環に過ぎなかった。

 過ぎなかった筈、なのだが。

 

 

 

 

 

――この町のやつが忘れたくねえ(死にたくねえ)って言ってんだ。それを守んのが俺ら(ボーダー)の仕事だろーが――

 

 

 

 

 

 何度思い返してみても、この言葉が自分の口から発せられたものだと信じることが出来ない。

 一体自分の心の何処に、()()()()()が潜んでいたというのだろうか?

 

 

 

 

 

「あ゛ー…………」

 

 

 さて、影浦雅人の名誉のために、今の濁声は彼の喉から発せられたものではないということを断っておく。

 声の主は仁礼光。L字型のソファー、影浦から見て左45度の位置にて、さっきから定期的に意味不明の呻き声を上げているこのポンコツオペレーターの存在も、影浦にとって苛立ちの原因の一つであった。私服姿でうつ伏せになり、枕に顔を埋めたままあ゛ーあ゛ー唸っている謎の生命体だ。この珍獣は何処のペットショップに行けば売り捌くことが出来るのだろうか。

 

 

「……さっきからうるせーぞ、ヒカリ」

「だってよー……ハヅキのやつ、どこ行っちまったんだよー……」

 

 

 そう。

 退屈よりも、光よりも、今の影浦を苛立たせている一番の存在といえば、きっと()()()なのだ。

 

 

 ハヅキ。大庭葉月。影浦雅人が助けた者。()()()()()()()()

 記憶を消す(お前を殺す)。北添にそう告げられた途端、彼の様子は一目で解るほどにおかしくなった。全身をがくがくと震わせ、その場に膝を突き、嘔吐し、声の一つも発せられない状態にまで陥ったのだ。放っておけばそれこそ、そのまま死んでしまってもおかしくない――そんな有様の彼を見た時に、影浦の中にある()()がこう言ったのだ。()()()()()()()()()()()()()――と。

 口を利けなくなった彼であっても、何を望んでいるのか知ることが出来る。そう、自分の副作用(サイドエフェクト)ならば。そのことに気付いた瞬間、身体が勝手に動いていた。後はひたすらに勢い任せだった。彼を背負ったまま本部基地へと殴り込み、いや駆け込み、出迎えに現れた医療班の面々にたった一つのことを強く主張した。こいつの記憶を消すな。()()()()()()()。ただ、それだけを。

 一夜が明け、目を覚ましてからずっと、このことばかりを考えていた。この必死さは一体、何処から生まれたものだったのか。元々自分の中にあったのか、或いは大庭葉月の視線(感情)に、そういった意識を他人に植え付ける力があったのか。後者だろうな、と影浦は思っている。そもそも自分は、この町の人間を守らなければならないだなんて思ったことは一度もないのだから。――ない筈だ。多分。きっと。おそらく。

 要するに、昨日の自分はきっと、どうかしていたのだ。

 故に、大庭葉月なる小僧の存在は奇麗さっぱり忘れてしまって、さっさと昼寝の一つでも決めて意識を切り替えるのが賢い選択なのだろう。そう思っているのに寝付けない。寝つきが悪い。寝付栄蔵が悪い。あのニヤケ面を思い出すと何故だか無性に腹が立ってくる。きっと前世か何かで妙な因縁があったに違いない。これっぽっちも興味はないが。

 

 

「ランク戦終わって病室に戻ったらいなくなってたんだっけ。そりゃ気になるよねえ」

 

 

 ソファーに空きがないため、オペレータールームから引っ張ってきた椅子に腰掛けた北添がそう言って光に同調する。基本的に影浦隊のコミュニケーションというのは、光が話題を投げ、北添が拾い、影浦が一蹴する。その繰り返しによって成り立っている。今回も早速、その流れに乗りつつあった。

 

 

「おめーが会ったっていう紳士のオッサンがどっか連れてったんだろ。もう放っときゃいい」

「なんだよー……カゲだって気になってるくせによー……」

「あァ?」

 

 

 が、稀にこうして光が食い下がるせいで話題が引っ張られることもある。そして奇妙なことに、大抵の場合において()()()で不利を背負うのは影浦なのだ。その原因はおそらく。

 

 

「そうだよねえ。今日のカゲ、葉月くんのこと気にしてたせいで落とされたんだもんねえ」

 

 

 第三勢力であるこの男(北添尋)が決まって、光の側に立つからである。

 ……しかしまあ、何を言い出すのかと思えば。影浦は即座に否定の言葉を放とうとしたのだが、それより光が北添の妄言に乗っかる方が早かった。

 

 

「あー、やっぱそーだよな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。東のおっさんに撃たれたならまだしもさー」

 

 

 そう。

 本日行われたB級上位ランク戦昼の部・今期最終戦。影浦隊は見事に無得点で試合を終え、中位への転落を果たしたのであったが――影浦雅人の副作用(サイドエフェクト)を知る者にとって、彼が狙撃手(スナイパー)の点になるのは異常事態の一言に尽きた。

 そもそもこの男、狙撃手(スナイパー)にとっては災厄以外の何者でもないのだ。己の存在を徹底的に秘匿し、意識の外から標的を仕留めることこそが狙撃手(スナイパー)にとっての至上命令。しかし、影浦の感情受信体質(サイドエフェクト)は意識の外から向けられた視線をも感知する。

 極端な話、狙撃手(スナイパー)は影浦を()()()()()()()()()()()()()()()。その瞬間に居場所が割れて、彼の標的となってしまうから。けれど今日、そんな彼にとっての餌でしかない狙撃手(スナイパー)の弾丸によって、影浦は呆気なく撃ち抜かれ、緊急脱出(ベイルアウト)に至り、作戦室のベッドにぼとりと落ちる末路を迎えた。

 頭をぼりぼりと掻きながらベイルアウト部屋を出た時の自分を見る『何やってんだコイツ……』的な光の視線が酷く鬱陶しかったことを覚えている。見んな(刺すな)。そんな目で俺を見んな(刺すな)。うぜえ。

 

 

 

 

 余談:大金星、或いは大番狂わせを果たした三輪隊狙撃手(スナイパー)・古寺章平とチームメイト達による、影浦雅人狙撃事件当時の会話記録。

 

 

うわあ!! ななな奈良坂先輩どうしましょう、うっかり影浦先輩を補足しちゃいました!』

『落ち着け章平。すぐにその場を離脱しろ』

『……試合前のミーティングでも注意しておいた筈だ。後で叱らせてもらうぞ、章平』

『あああああすみません! 三輪先輩すみません!』

『――待って、章平くん。影浦くんの光点に動きが見られないのだけれど……彼、本当にあなたに気が付いている?』

『……え? あ、えーっと……その、スコープ越しに眺めてみても特に反応ありません……』

『なんか考え事でもしてんじゃねーの? 撃ったら案外当たるかもしんねーぜ』

『馬鹿を言うな陽介。いいか、章平はすぐに離脱して俺と合流だ。今そっちに向かって――』

『……いえ、悪くないアイデアね。やってみましょう』

『おい、月見さん』

『本来であれば章平くんはもう()()()()よ。それで王将(影浦くん)を獲れる一手があるのなら、指さない手はないわ。まあ駄目で元々よ』

『おっ、いいねー。オレそういう博打みてーなの大好き』

『陽介!!』

『おお、こえーこえー』

『どっ……どうしましょう奈良坂先輩……?』

『おまえは困ったらとりあえず俺に縋りつく癖から直せ、章平』

『す、すみません……』

『で、どう? 章平くん。こんな寸劇を続けていてもまだ影浦くんに動きはない?』

『……ないですね』

『では隊長(三輪くん)、最終判断を』

『……撃て、章平』

『りょ、了解――』

 

 

 余談の余談:これを書いてから気付いたのだが、古寺章平は本来那須玲の同期であり、現時点で三輪隊に所属しているのはおかしいのだが、特に本筋に影響を与える存在でもないので修正はせずそのまま話を進めていくものとする。前回もう出しちゃったからね。仕方ないね。

 

 

 

 

 ――などというやり取りが他所で繰り広げられていたとは露知らず。

 なるほど確かに、自分は狙撃を食らった。そしてその理由が、恐る恐るといった感じで遠くからちょんちょん刺してくるビビり散らした視線(感情)をガン無視して思案に耽っていたせいだった、という事実も認めよう。しかし、考えていたのはあくまで自分自身のことだ。間違っても、昨晩出会っただけの民間人の小僧の心配などしていない。

 が、影浦はそれを言語化して目の前の二人に説明することを諦めた。というより面倒になった。こういう()()()()()視線を向けてくる時の二人は自分の言葉を都合良く変換して勝手に納得するというクソ厄介な性質を持っており、反論すればするほどドツボに嵌まっていく羽目になるのだ。

 こういう時は何もかもをぶん投げるに限る。舌打ちと、「……くだらねえ」という悪態を一つ。そして目を閉じて眠りに就こうとして、何故か脳裏に浮かんでくるキツネ顔の中年男性。地獄か? もしかして俺ァこの先眠れなくなる度にあのヘラヘラ野郎の面を思い出す羽目になんのか? 誰だ俺にこんなモン(悪夢)を見せてんのは。

 狐の幻に脳内でアッパーカットを決めつつ、影浦雅人はこう結論付けた。()()()()()()()()()。この不眠の原因も、今期最後のランク戦で無様な最期(ベイルアウト)を迎える羽目になったのも、隊員(チームメイト)どもがしょうもない勘違いをしているのも。クソッタレ。次に会ったら何かしら文句の一つでも言ってやる。次に会ったら――

 

 

 不意に、作戦室備え付けのインターホンが鳴らされた。

 

 

 来客。影浦隊(ウチ)の作戦室に来客。珍しいこともあるものだが、はっきり言って今はお呼びでない。別に誰かを歓迎したくなるようなタイミングも存在しないのだが。

 

 

「……ヒカリ、おめーが出ろ」

「パスいちー……」

「大富豪やってんじゃねーんだよ」

「はいはい、ゾエさんが今行きますよー――っと」

 

 

 椅子から立ち上がり、どすどすと作戦室の入口へと向かっていく北添尋。面倒臭がりの二人に代わって(稀に光が謎の保護者面で影浦らの世話をしたがる日もあるが)自発的に動き回るこの男の存在がなければ、影浦隊はチームの体裁を保てずに早々と崩壊していたことだろう。ソファーから一歩も動くことなくぐでーっとしているダメ人間ども(光と影)の知る由もないことではあるが。

 

 

 ゴゥーン……と、作戦室の扉が開く音がする。その後に続く「お――」という北添の反応と、「どうも、ゆうべはお世話になりました」という、()()()()()()の挨拶。

 聞き覚えのある声だった。それも、ごく最近に。

 光がガバっとソファーから跳ね起きて、入口の方へと駆けていく。影浦も後に続こうとして――やめた。何の理由があって、自分がわざわざ出迎えるような真似をしなければならないのか。用があるならそっちから勝手に上がり込んで来ればいい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()、得意だろう、そういうのは。

 壁の向こうで光と北添、そして来訪者らがわいわいと盛り上がっている。それをどこか違う世界の出来事のように感じつつ、影浦が再びソファーに身を預けて目を閉じようとしたところで――

 

 

 ――案の定、そいつは勝手に境界(ボーダー)を飛び越えて、こちらの世界へとやって来た。

 

 

「ご無沙汰です、カゲさん」

 

 

 いや、まだ1日ぶりですけどね――と、面白くもないツッコミを自分で自分に入れている、薄い笑いを浮かべた()()()()()

 大庭葉月が、そこにいた。

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

海鼠を喰らう(後編)

 

 

 ――長かった。

 この人と再び出会うまでに、随分と長い時間を掛けてしまったような気がする。ほんの1日前の出来事だというのに、体感で言えば1ヶ月半、話数にして6話、文字数にして10万――何の話だ? とにかく、ようやくだ。ようやく出会えた。お会いできて本当に良かった! と叫んでしまいたいくらいに、僕はこの時を待ち望んでいたのだ。

 ランク戦の反省会があるとかで、陽介は自分の部屋――というか、所属している部隊の本拠地(ホーム)、作戦室へと帰っていった。正隊員に昇格して部隊(チーム)を組むと、各隊ごとに一部屋、専用の隊室が与えられることになっているのだという。それを聞いた僕は、別れ際に陽介へと訊ねたのだ。影浦隊の作戦室って何処にあるか知ってる? と。

 

 

『知ってっけど、葉月、おまえカゲさん達とも知り合いだったのかよ?』

『知り合いっていうか、昨日ちょっとね。近界民(ネイバー)――まあ近界民(ネイバー)でいいか。近界民(ネイバー)()()()()()()ところを助けてもらったんだよ』

『――おいコラ待て。食われかけたって何やってんだおまえ』

『ちょっと警戒区域に忍び込んで――OK、言いたいことは理解る。陽介の気持ちはよく理解る(視える)。でもこれは僕にとってどうしても必要なことだったんだ。だからどうか怒らないでほしい。正直、陽介みたいな怒るところが想像つかないやつに怒られるのが一番怖い』

『……オレはいーけどよ、弾バカに会ったら蹴りの一発くらいは覚悟しとけよな、マジで』

『その時が来たら遠慮なく蹴ってもらうことにするよ。ただし僕はトリオン体で』

『ったく、ふてぶてしさに磨きが掛かりやがってよ――』

 

 

 そう言って最後は苦笑しながら、陽介はここの場所を教えてくれた。ついでに自分のとこ(三輪隊の作戦室)も。『ヒマならいつでも遊びに来いよ! そのうちいっちょバトろうぜ!』とのことである。

 つくづく良い友人を持った、と思う。僕はどうやら生まれはともかく、人の縁には恵まれていたらしい。陽介と公平をきっかけにして飛び込んだ境界(ボーダー)の向こう側で、僕は何人もの素敵な人たちに出会った。ゾエさん、ヒカリ、那須さん、ウィルバー氏――きっとこの先、より沢山の素晴らしい出会いが待っているのだろう。

 その始まりとなった人、僕を絶望から引き上げてくれた人に、伝えたい気持ちが山ほどあった。僕の中のあらゆる感情を、全身全霊でぶつけたくてたまらなかった。言ってみればこれは告白だ。愛の、は間違っても付かないけれど。むしろ本来の意味の――救いの主に対する信仰の念を露わにするという意味で、僕はするのだ。告白を、するのだ。

 

 

「あの、昨日は本当に――」

「帰れ」

 

 

 フラれました。

 

 

 いやだから愛の告白じゃないんだけども。でもこれは完全に脈無しって奴だろう。だってほら、カゲさんの全身から僕に対する『拒絶』のオーラが漂っている。比喩ではない。少なくとも僕にはそう()える。

 けれどちょっと待て。いくら何でも、ここまで邪険に扱われるような狼藉を働いた覚えはない。これはもう、害虫か何かを前にした時の人間の反応じゃないか? 或いはナマコだ。僕はナマコという奴の見た目がどうにも苦手で、近付けられたら多分全力で『無理! マジ無理! やめて!!』と拒絶を示してしまうことが予想されるのだが、僕はどうやらカゲさんにとってのナマコも同然であるらしい。なるほど。そういえば僕滑るもんね。ぬるぬる。

 

 

「ぬるぬる……ぬるぬる……」

「ハヅキ!? おいハヅキしっかりしろ! 目が死んでんぞハヅキ!!」

「葉月……? 違うよヒカリ、僕はナマコだ。なんか黒くてうねうねしてて体液でぬるぬるしてる癖に表面はざらざらっていうちぐはぐで気味の悪い生き物……それが僕だ、大庭ナマコさ……うふふふふ……」

「なんだこいつちょっと見ない間にキャラ変わってやがる……」

 

 

 はいドン引き認定もう一丁。まあ前に会った時は『仁礼さん』とか呼んで敬語使ってた奴が急にMy Name is Namako. とか言い出したらそりゃあ正気を疑われるってなモンだろう。でも申し訳ないがこれが本来の僕なのである。いや流石に普段はここまで気持ち悪くない。と、思いたい。『と、思うじゃん?』うるせえ今その言葉はお呼びじゃねえんだよ黙ってろこんちくしょう。

 

 

「あー、ごめんね葉月くん。カゲってあんまり人から感謝されるのに慣れてないから、ついつい今みたいに突き放すようなこと言っちゃうわけ」

 

 

 ああ、ここに一人の聖者がいる。ナマコに触れることを恐れない菩薩の化身がいる。そう、漱石も言っていた。海鼠(ナマコ)を食らえるものは親鸞の再来にして、河豚を喫せるものは日蓮の分身なり――しかしゾエさん、悲しいけれど僕には視えてしまうんですよ。カゲさんの心を覆い隠すように溢れ出ている『拒絶』の――

 

 

 ――()()()()()()()

 

 

「……オイ、いい加減なこと言ってんじゃねーぞゾエ」

「だってそうでしょ? 前にほら、チンピラに絡まれてた後輩の子を助けてあげた時とかもそんな感じで逃げてたじゃん。結局そのまま懐かれちゃって、ウチらが中学卒業するまでべったりだったもんねえ。いやあ懐かしいなあ」

「勝手に過去形にすんなボケ。今でもたまにウチの店来んだよ」

「あ、今でも仲良いんだ? ふーん」

「やめろ。その『ゾエさんは何でも理解ってるから』みてーなツラやめろ。気色悪ィ」

「とまあ、こんな感じですぐにツンツンしちゃうんだけどめげずに相手してあげてね葉月くん」

「オイ、久々にやり(殴り)合いてェんだったら今すぐに表出ろ、オイ」

「なんかゾエってカゲのおかーさんみてーだな」

「あァ!?」

「うお、こっちに来た」

 

 

 ソファーからがばりと身を起こしてヒカリに目を剥くカゲさん。即座にささっとゾエさんの陰に隠れるヒカリ。二人の間に挟まれながらのほほんとしているゾエさん。そんな三人を見ていると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という臆病な考えが鎌首をもたげてくる。彼らの関係は既に完成されたもので、これ以上の異物は不要なんじゃないか、ましてや海鼠のようなおぞましい生き物を放り込むなど以ての外なんじゃないか――そんな考えが浮かんでくるのだ。

 感謝の言葉は伝えなければならない。それだけは間違いない。しかし、()()()()()()()は言わずにしまっておこうか――そう思いかけたとき。

 

 

「――『と、思うじゃん?』ですよ。少年」

 

 

 僕の背中を押すように、紳士の声がした。

 ……いやはや、全くもってその通り。今はお呼びじゃないとか言ってごめんな陽介。逆だった。今だからこそ、この言葉が必要なのだ。目の前に見えない壁があるだなんて下らない思い込みは、この()をもって突き崩してしまわなければ。今の僕はまだ、カゲさんにとっての近界民(ナマコ)でしかないのかもしれない。だからこそ、この境界(ボーダー)を飛び越えることで、僕もカゲさんと同じ世界の住人にならなくてはならない。

 そう、僕は近界民(ナマコ)ではない。葉月(人間)だ。大庭葉月だ。言うことがころころ変わって申し訳ないが、そこはもう一つの言葉を借りることで自分を正当化させてもらうとしよう。即ち――

 

 

 ――変化弾(バイパー)こそが我が人生、だ。

 

 

 振り返り、紳士に軽く頭を下げる。結構、と言うように紳士が頷き返す。

 それで充分だった。

 

 

「あの、聞いてくれますか、カゲさん」

 

 

 先程までの信心染みた想いを一度取り払って、()()()()()()()()()()()()、僕は改めてカゲさんに声を投げかけた。ヒカリとぎゃあぎゃあ言い合っていたカゲさんの眉がピクリと動いて、視線がこちらに向けられる。良かった。無視はされなかった。『拒絶』という名のバリアーに、槍の矛先程度は食い込んだのを感じる。

 

 

「それから、ヒカリ――やっぱり仁礼さん呼びの方が良かったかな」

「お? んや、ヒカリでいーんだよヒカリで。何ならヒカリ姉さんでもいいぞ」

「ヒカリとゾエさんの二人にも聞いてほしいんです。皆さんに関係のある話です」

「おい、おまえ何気にアタシの扱い雑じゃねーか、おい」

「まーまーヒカリちゃん。えーと、どうしたの葉月くん?」

 

 

 すまないヒカリ姉さん。流石に同い年の子をそう呼ぶことには抵抗があるのでこうやって脳内でそう表すだけに留めさせてほしい。ただ、本当は君にもカゲさんと同じくらいの感謝を抱いているというのに、何となくついでのような形になってしまっていることは確かに謝りたい。今度改めてちゃんとしたお礼の機会を設けさせてもらおう。

 

 

「まずは僕の命を救って(記憶を守って)下さった皆さんに、心からの感謝を。本当に、ありがとうございました」

「……そういうのを止めろっつってんだよ、俺は」

「まーた照れちゃって」

「なー」

「マジで八つ裂きにすんぞてめーら……」

 

 

 マスクで隠れて見えないのだが、カゲさんががるるるると牙、もといギザギザの歯を剥き二人を睨み付ける。ゾエさんとヒカリはそんなカゲさんに臆することなく、むしろ暖かい目でカゲさんの視線を受け止めている。

 照れ――そうなのだろうか? この『拒絶』の向こうにあるもの(感情)の正体というのは、本当に()()なんだろうか? 僕の副作用(サイドエフェクト)でも暴くことの出来ないものの素顔が、この二人には()えているとでもいうのだろうか? 或いは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようにすら思えるというのに――まあ、とりあえずその件については置いておこう。

 

 

「それでですね、殺されず(記憶を消されず)に済んだついでと言っては何ですが、僕もこの度ボーダーに入隊することが決まりまして」

「おおー! マジか!? やるじゃねーか紳士のオッサン!」

「――いえ、私が少年に与えられたものなど、たかが知れていますよ」

 

 

 ヒカリの賞賛に対しそんな言葉を返すウィルバー氏。謙遜もいいところだと思ったのだが、僕の背後で彼はこう続ける。

 

 

「少年が()()()()()()()()()()()()のは、これからの話に御座います故」

「……うん? どーゆーこった?」

 

 

 ……つくづく、この人には敵わない。僕の思考の全てが読まれているみたいだ。いやまあ、那須さんの誘いを断ったときの僕の言葉を聞いていたなら、僕がこれから何を言おうとしているのかもそりゃ想像がつくのだろうけれど。

 頭の上に『?』を浮かべるヒカリとゾエさん。その一方で、カゲさんはウィルバー氏ではなく、僕の目をじっと見据えている。『聞いてくれますか』と訴えた時から、彼の『拒絶』に罅が入り、ささやかな関心のようなものが芽生えたのが視える。

 なんとなくだが、理解出来た。カゲさんはきっと、信者のように縋り付かれるより、()()()()()()()()()()()()()()を好むタイプなのだろう。そう、これは僕は僕とカゲさんの喧嘩だ。僕の槍がカゲさんの『拒絶』を突き崩せるかどうかの勝負なのだ。

 

 

「無事に入隊を果たした以上、僕もやがては誰かと部隊(チーム)を組んで、防衛任務やランク戦に参加することになる訳なんですけど」

 

 

 ここまで来たらもう、回り道はいらない。()()から目を逸らさぬまま、僕は一気に、言った。

 

 

 

 

 

「――正隊員(B級)に昇格した暁には、僕はあなた達と同じ部隊(チーム)で、ボーダー隊員としての人生を歩んでいきたいと思っています。どうかこの僕を、大庭葉月を――影浦隊の一員(貴方達の仲間)に、加えていただけないでしょうか」

 

 

 

 

 

 ――言えた。

 ようやく、僕が本当に伝えたかった言葉を、伝えられた。

 忘れたくない(死にたくない)と願った時、伸ばされた手を掴んだ時から、ずっと思っていたことだ。()()()()()()()()()()()()。こんな捻じ曲がった僕の心から発せられた悲鳴を、一切の誤解なく受け取って、理解してくれた人。

 ボーダーにはきっと、僕が出会った人達以外にも何人もの人格者がいて、その人達もまた、僕にとっての理解者たり得るのだとは思っている。けれど、あの時の僕を救うことが出来たのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()、ボーダーにおいてカゲさんただ一人であったに違いない。

 こんなことを言ったらそれこそ気持ち悪いと言われてしまうだろうが――運命のようなものすら感じていた。僕はきっと、この人の下で働くために境界(ボーダー)を踏み越えてきたのだ、と。

 

 

 けれど。

 その一方で僕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思っている。

 僕が抱いているものは、カゲさんにとって、ただの()()でしかないから。

 他人に理想を押しつけられるというのは苦しいものだ。一度そんなものを抱かれたが最後、その人は願望者にとって完璧な存在であり続けることを要求されてしまう。そういう人生は、()()()()のだ。僕はそのことを知っている。本当に、よく、知っている。

 故に今、僕の中では二つの感情が激しくせめぎ合っている。影浦隊に心の底から入りたくて仕方がない僕と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、この瞬間にも血みどろの争いを繰り広げている。

 先の言葉は、前者の僕が死に物狂いで放った一矢だ。()()()()()()()()()()()()。これ以上は何も求めない。カゲさんの心に届かなくても良い。ただ、『拒絶』の壁だけでも打ち崩して、貴方と共に歩みたい、そう思っている人間がここにいるのだと、伝えることが出来ればそれで良かった。

 だからもう、これ以上は何も、求めない。求めてはいけない。断られたら、帰れと言われたら、今度こそ何も言わずに部屋から出て行こう。そして改めて身の振り方を考えよう。

 そう思いつつ、僕は目を瞑った。これ以上カゲさんを眺めていたら、きっと彼が口を開くよりも早く、彼の答えを察してしまう。全くもって情けない話だが、僕はそれが怖かったのだ。

 何も求めないと誓っておきながら、僕はカゲさんに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。こんなみっともない僕の心の中までは、どうか伝わりませんように――ああ、これも身勝手な願望だな、ちくしょう。

 ヒカリとゾエさんは何も言わない。きっと二人とも、()()の判断に全てを委ねている。彼が良いと言えば歓迎され、駄目だと言ったらごめんなーと謝られて、それで何もかもが終わるのだろう。いや、もしかしたら少しは僕の側に立って食い下がったりもしてくれるのだろうか。わからない。いずれにしても、僕にとってはカゲさんの返す言葉が全てであり、それ以外の全てが不要なのだ。事ここに至っては、僕自身の感情でさえも。

 さあ、今度こそ殺してしまえ。その願望をぶち殺せ。

 

 

 

 

 

 何も期待するな(お願いします)

 

 何も期待するな(僕を仲間に入れて下さい)

 

 何も期待するな――(人間に、して下さい――)

 

 

 

 

 

 舌打ちが、一つ響いた。

 

 

「……()()()()()()

 

 

 ――それは、昨日の夜(救われた時)と同じ言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――つくづくこの野郎は、俺をイラつかせるのが上手い。

 

 

 そんなことを思いながら、影浦雅人はガシガシと頭を掻き、おっかなびっくりといった感じで瞼を開いた少年の視線を受け止めた。

 自分の感情受信体質(サイドエフェクト)を知り、それでいて自分のことを恐れているような連中に出くわすと、しばしば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が突き刺さってきたりする。その程度の痒みにはもう身体(こころ)が麻痺してしまったので、最早不快に感じることすらない。

 しかし、この大庭葉月の中から漏れ出てくる感情の、なんと()()()()()ことか。ここまで自分の気持ちを隠すのが下手糞な奴に出会ったのは、生まれてこの方、初めてのことかもしれない。それ程までに、筒抜けだった。こいつの抱いている()()の全てが。

 その一方で、()()をそのまま包み隠さずにぶつけられていたら、それこそ自分はゲロの一つでも吐いてしまっていたかもしれないという想像もある。一体こいつは、どれだけの重たい感情を自分に対して抱いているのか。それだけのものを、何故こいつは、ぶち撒けることなく己の内に留めていられるのか。どうして我慢出来るのか。()()()()()()()()()()()()()()()()

 きっと自分は今、大庭葉月に対して理不尽な感情を抱いている。我慢しなければ拒絶していたという確信がある一方で、()()()()()()()()()()、そう思っている自分がいる。前者が本音で、後者は()()だ。故に、この苛立ちの根本的な原因は、自分自身の中にあるのだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その自己矛盾こそが、影浦の心に住み着いた苛立ちの正体なのだろう。

 影浦にとっての理想の自分。それはきっと、昨日の夜に大庭葉月を救けた時の自分だ。あの時の自分はまあ、それなりに、ボーダー隊員の務めとやらを果たせていたように思えている。けれど、平時から()()を求められるのは真っ平御免だった。堅苦しいし、面倒臭い。何より自分が、そんな御立派な振る舞いを続けられるとは思えない。そんな役目は、嵐山隊(広報部隊)なり風間隊なりのクソ真面目な連中が勝手に背負っていればいい。

 

 

「いいか」

 

 

 ()()()()()()()

 今の今まで。

 

 

「俺は、てめーを見てるとむかっ腹が立って仕方がねえ」

 

 

 真正面から見据えてそう告げると、大庭葉月の顔は一瞬くしゃりと歪み、しかし即座に苦笑いを取り戻して。

 

 

「――そうですか」

 

 

 口にしたのはそれだけだったが、言葉と共に強烈な一刺し(ショック)が飛んできて、思わず胸元を抑えそうになった。クソッタレめ。やっぱりこいつは鬱陶しい。()()の人間を相手にするというのは、実に厄介で、面倒で、疲れる仕事だ。

 そう感じる一方、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、影浦は思っていた。この痛み(感情)が目の前の人間から発せられたものであるのなら、そいつの中にも、()()()()()()()()()()()()()()()()()、自分はそのことを気遣うよりも前に、自分自身の不快感ばかりを気にして、腹を立てることしか出来ない。そんな身勝手な自分をクソだと思った。クソだと思える自分がいた。

 

 

 そんな感情(もの)がまだ、自分の中にも、残っていたのだ。

 

 

 大庭葉月。こいつは確かに、自分を苛立たせる存在でしかないのかもしれない。けれど、いつの日かその苛立ちが、()()()()()()()に変わるのだとしたら――

 ――その時が来たら、少しは自分も、()()()()()()()になれているかも、しれない。

 

 

 故に、影浦雅人はこう続けた。

 

 

「――そんな(野郎)と一緒の部隊(チーム)でやっていける自信があんなら、勝手にしろ」

 

 

 それだけを告げて、話は終わりだと言わんばかりにソファーへと倒れ込み、今度こそ快適な眠りに就けると思ったのだけれど。

 一呼吸の後、刺された胸の痛みを丸ごと吹き飛ばすほどの()()()()()()()()()()()()()()、眠るどころではなくなってしまった。

 

 

――カゲさぁぁぁぁぁぁぁん!! ありがとうございます! ありがとうございます!!」

だああああうぜぇぇぇぇぇぇ!! 俺ぁ今クソ眠みーんだよ! 静かにしてろボケ!!」

「え、全然そんな風には()えませんけど……」

「あァ!?」

「カゲって何かあるとすぐ『あァ!?』って言うよねえ」

「のの姐さんもよく王子パイセンとか神田パイセンに『あぁん?』っつってるからなー。ヤンキーってみんなそうなんじゃね?」

 

 

 ――クソッタレ。どいつもこいつもここぞとばかりに好き勝手言いやがって。

 想像以上の喧しさだ。いよいよもって寝付けそうにない。北添や光とわいわい騒いでいる間にも大庭葉月からはちょくちょくむず痒い感情が飛んでくるし、そうでなくても単純に騒々しい。もう長いこと気怠い空気に支配されていたこの作戦室が、これだけの声量に包まれているのはいつ以来のことだろうか。鬱陶しい。まったくもって鬱陶しいが――

 

 

 ――少なくとも今は、たとえ幻であったとしても、誰かの顔をぶん殴りたいとは思わない。

 そう思った。

 

 




登録タグに『影浦隊』が追加されました。


2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Thou shalt love thy neighbour as thyself(前編)

葦原大介先生の過去作『ROOM303』の微ネタバレが含まれますので、未読の方はご注意下さい。




 

 

 ――長い長い一日が、終わろうとしている。

 

 

 いや、まだ夕方なんですけどね。でもそう思うんだよ。こうしてボーダー本部基地を後にして、カゲさん達に別れを告げて、紳士と二人で茜色の空の下を歩いている間も、今日経験した幾つもの出来事が絶え間なく蘇り続けて、気分はすっかり回想モードだった。このまま眠りに就けたらさぞ幸せな夢が見られることだろう。

 眠りといえば、結局あの後もカゲさんは無謀なる昼寝チャレンジを繰り返していたのだが、僕らが作戦室でぎゃあぎゃあ騒ぎ続けていたのもあって全ての試みが失敗に終わっていた。もうしわけない。正隊員になって給料が入ったら安眠枕でもプレゼントしてあげよう。

 ああでも、まずは貯金からか、やっぱり。仮にも今の僕は借金持ちなのだ。散財は許されない。いや待て、恩人への贈り物というのは散財に当たるのだろうか。むしろこれ以上に有効的な金銭の使い道などこの世には存在しないのではないだろうか。むむむむ。悩ましい。まあ、兎にも角にも現ナマが手元に入ってから考えるべき話か。

 

 

「楽しそうですな、少年」

 

 

 ふと、隣を歩むウィルバー氏から声を掛けられた。

 僕は現在、彼に連れられてウィルバー氏の()仮住まい、即ち僕の新たな我が家へと向かっている最中である。街を見下ろす丘にそびえ立つ真っ白な建物で、こうして坂を上っている最中にもその外観を窺い知ることが出来る。

 ……それにしても、何だかお屋敷みたいなデザインだな。本当にボーダーが建てたのかこれ?

 

 

「ええ、楽しいですよ。なんていうか、生まれ変わったみたいな気分です」

「ほう。異世界転生というやつですかな」

 

 

 なんか余計な単語が付いてきたような気がする。()()()。異世界転生か。まあでも、似たようなものかもしれない。別にトラックに轢かれた訳でも神様からボーナスを貰った訳でもないけれど、僕は確かに境界(ボーダー)を越え、昨日までの僕とは別の世界の住人になったのだから。詳しくないけど。

 

 

「まあ、そんな感じですね」

「ふむ」

 

 

 深く考えずに、肯定を返した。僕はこの会話に、大した意味が込められているとは思っていなかった。丘の上の屋敷に辿り着くまでの間、会話もなしに歩き続けるのは退屈だろうとウィルバー氏が気を遣って話題を振ってくれたのだろう、その程度の考えしか持っていなかった。

 

 

「――しかし、少年は本当に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 だから、僕はすっかり、忘れてしまっていた。気付くことが出来なかった。

 影浦隊の作戦室へと赴く前、ウィルバー氏の中に、()()()()()()を視たことも。

 そして今、紳士が()()と同じものを宿して、真剣な視線で僕の目を見据えていることも。

 

 

 僕は足を止めた。紳士も足を止めた。

 

 

「……どういう意味ですか?」

 

 

 僕は誤魔化した。ウィルバー氏が何の話をしようとしているのかは、内心、察しが付いている。

 けれど、よもやこの紳士の手によって、その話が掘り起こされるとは思ってもいなかった。僕に徹底して『楽しむこと』を叩き込もうとしてきたこのひとが、この土壇場になって、僕にとっての()()()()()()を振ってくるとは、考えもしなかったのだ。

 

 

「覚えておられますか少年。お美しいお嬢さんが初めて、トリオン体になったあなたを目の当たりにした時の反応を」

「……ええ。覚えています」

「あの時、私は少年の精神に揺らぎを感じたがため、徹底してあなたのことを『少年』と呼び続けましたが――」

 

 

 ああ、そこまで話してしまうのか。気付いていたけれど。

 

 

「――あの時のあなたは、紛れもなく『()()()()』になっておられました」

 

 

 ……そうでしょうね。

 

 

 そのことにも、気付いていましたよ。勿論。

 

 

 何となく、どういう理屈でそうなったのかは想像が付いている。少々下世話――というか、生々しい話になってくるのだが、そこは御容赦願いたい。

 まず、これまでにも何度か話したとおり、僕の身体は両親によってホルモンバランスを弄られており、同世代の男子と比較しても、限りなく男性的特徴が抑えられた構造になっている。外見も、おそらくは中身も。

 それでも、()()()()()()()()()()というやつは存在する訳で、いやまあ実際に取っちゃってる人もいる訳だから一概には言い切れないのだが、少なくとも僕の生身にはまだ、()()が生えている。そいつが付いている限り、僕は何処までいっても両親にとっての()()()でしかなかったのである。

 

 

 ……では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

『……大庭……()()、なのよね?』

 

 

 

 

 

 ――遠い世界の父さん母さん、おめでとうございます。

 あなた達の理想は、ようやく実現しましたよ。あなた達のいなくなった世界でね。

 

 

 そもそも、トリオン体とは()()()に構成された仮初の肉体なのだ。生殖器官など付いている訳がない。或いは日常用の別ボディみたいなものも用意出来るのかもしれないが、おそらく僕に限った話ではなく、全ての戦闘体(トリオン体)が平等に()()()()()()筈だ。そういう意味では、戦闘体(トリオン体)へと換装した瞬間、誰もが無性別者になっていると言えなくもない。

 いや待て、そういえば那須さんにはその、あったな。胸が。しかし少年の浪漫をぶち壊すようなことを言うのなら、あれも所詮トリオンによって再現された()()()()()()()でしかないのだろう。誤解しないで貰いたいのだが、間違っても那須さんの胸が偽物だとかそういう話をしている訳ではない。或いはこっそりと生身とトリオン体で胸の大きさを変動させているような女性隊員もいるのかもしれないが、少なくとも那須さんはそうではない。そうではなかった。いや、まじまじと眺めた訳じゃないから確かなことは言えないが。

 というか脱線が酷過ぎる。女性の胸の話にこうも夢中になってしまうのだから、やはり僕は男性以外の何物でもないな! よし! 解散!

 

 

「ちなみにこちらが、訓練中に撮影させて頂いたトリオン体のあなたの御姿になります」

 

 

 うん。

 まあ、それで終わりに出来るとは思っちゃいなかったけれども。

 写真まで差し出してきますか。写真。今どき。

 

 

「――――――――」

 

 

 ――しかし、結果的に言えば、ウィルバー氏の判断は正しかった。

 仮にスマホを差し出されていたら、僕は間違いなく液晶画面を叩き割って、氏への借金に余計な金額を上乗せする羽目になっていたことだろうから。

 あの写真立てと同じように。

 

 

 

 

 

 殺した筈のと寸分違わぬ顔をしたものが、ボーダー隊員の隊服を着て、フィルムの中に蘇っていた。

 僕ではない何かが、那須さんの隣で、楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 刹那で写真を引き裂いてから、誰よりも真っ先に、僕の母親に恐怖した。あの人の想像力というやつは、あの人自身が陶酔していた通り、大したものだった。或いはあの人の言うフェイスアプリとやらの性能が凄まじかったのか。トリガーによって生み出されたトリオン製の()と完全一致する顔をアプリで作ってしまったというのだから、最早脱帽するより外にない。間違っても、許容する訳にはいかないのだけれど。

 

 

 ああ――それにしても。

 覚悟していたとはいえ、流石にこれは、気分が悪い。

 僕は境界(ボーダー)を飛び越えて尚、こいつに纏わりつかれているとでもいうのか。

 

 

 陽花(化け物)

 死んだ筈の、大庭陽花(化け物)め。

 

 

「……そのお嬢さんこそが、少年にとっての本当の近界民(ネイバー)なのでしょうな」

 

 

 紳士の瞳は相変わらず冴えていた。出来損ないの僕の目と、取り換えてほしいくらいだった。

 

 

「宜しければお聞かせ願いたい。そちらのお嬢さんと少年は、一体どのような御関係なのです?」

 

 

 関係なんてありません、もう終わった話です――心情的には、そう突っぱねてしまいたかった。

 けれど、現実にこうして影響が表れている以上、今更そうも言ってはいられない。何より、これもきっとウィルバー氏の言う『ちゃんと助ける』という意思から来ている行動なのだろう。ただでさえ返しきれないほどの恩を受け取っている身でこれ以上頼っていいのかという気持ちもあるが、だからこそここに来て突っぱねてしまうのも憚られた。そっちの方が、よっぽど恩知らずだ。

 

 

 

 

 話した。喋った。洗いざらいをぶち撒けた。

 僕は本来双子として生まれる筈だったのだが、その片割れは生まれる前に母の胎内で消えてしまったこと。

 両親はその片割れに『陽花』という名前を与え、自分はその『妹』として育てられてきたこと。

 その過程で両親によってホルモンバランスを弄られたがために、僕の身体は限りなく女性的な物になっていること。

 『私』から『僕』に戻るきっかけを与えてくれた祖父とのエピソードや、家を出た時の話まではしなかった。それもまた紛れもない僕の原点(オリジン)ではあるが、そこまで語る必要もないだろう。

 

 

「――だからおそらく、トリオン体の僕が()の顔をしているのは、ちょっとした()()()()()()()()なんですよ。父と母の妄執が生み出した、本来あり得る筈のない歪み――それだけです」

 

 

 最後に、先程思いついた考察も語ってみた。

 言葉にしてから、思った。そうだ。()()()()だ。一々大庭陽花と結びつけて考えるから、感情がおかしな方向へとブレていくのだ。もっと単純に考えればいい。

 ほら、詳しくないけど、今流行りなんでしょ? 女体化とかTS転生とか。それと一緒だよ。僕はボーダーという異世界で、女の子に生まれ変わって、トリオンという名のステータスに恵まれて近界民(ネイバー)と戦うチートオリ主って奴なんだよ。

 オリ主って何だろうね。()()()()()()()()()()()。詳しくないけど。いや、本当に。

 

 

「大丈夫ですよ。女の顔をしているのに中身は男だなんて知られたら、一部の人からは変な目で見られるかもしれませんけど、何とかなります。大したことじゃないです。当時は意識してなかったですけど、僕が()だった頃にも、僕のことをそう思っている人達がいたのは視えて(知って)ましたしね」

 

 

 そう。全部視えて(知って)いた。女物の服を着て、スカートを履いて登校する僕を、気味の悪い存在だと思っている人達がいることも。

 こんな事例もある。おそらくからかい半分のつもりで僕のスカートを捲ったとある男子生徒が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()、その後一切近寄ってこなくなったりとか。きっと女装趣味か何かのある変わった奴程度に思っていたんだろうな、彼は。想像以上にガチな反応が返ってきたから引いてしまったんだろう。

 申し訳ないことをしてしまった。変な性癖にでも目覚めていなければいいのだけれど。

 

 

 暫しの間、ウィルバー氏は無言だった。こんな話をした後でも、彼の中に僕への嫌悪だとか忌避だとかそういったものは()られない。つくづくこの人は本物の紳士だ。ああでも、僕のためにやってくれたことだと理解はしているんですけど、隠し撮りは紳士のやることじゃないと思いますよ。写真を破ったことについては謝りませんからね。

 

 

「……一つ、大胆な仮説を申し上げても宜しいですかな、少年」

 

 

 間を置いてから、ウィルバー氏はそんなことを口にした。

 夕日が沈みかけ、空の色が変わろうとしていた。それでもまだ、太陽は空にしがみ付いていた。

 

 

「お嬢さん――陽花嬢は、お母様の胎内で生まれることなく消えてしまったと、少年は仰っておりましたね」

「ええ」

 

 

 そう、僕の双子は消えてしまった。消失(バニシング)したのだ。双胎一児死亡(バニシング・ツイン)。兄だったのか姉だったのか、弟だったのか妹だったのかも定かではない、ただの水子。それが()()()の正体だ。それ以外の何物でもない。神様でもなければ、()でもない。

 もう、終わった存在。その筈だ。

 

 

「では、消えてしまった陽花嬢は、果たして()()()()()()()()()()()()()――私は今、そのことについて考えていました」

「……?」

 

 

 どういうことだろう。何処へも何もない。何処へも辿り着くことのないまま消えてしまったのがそいつだ。残酷なことだがそれが現実だ。まさかウィルバー氏まで、大庭陽花は(ゲート)の向こうで近界民(ネイバー)になって生きているだなんて言い出すんじゃないだろうな。あの()()()()のように。

 

 

「私はお美しいお嬢さんの研究(プロジェクト)に関わる過程で、医師の方とも親交を結ぶ機会がありましてな。その方から雑談の一環で、少年と同じ事例の患者の話を伺ったことがあるのです」

「……それはまた、えらい偶然ですね」

「ええ、偶然です。――さて、その患者の少年は中学生までは何不自由なく健康的な生活を送っていたそうですが、ある時から腹部に膨らみが目立つようになり、いよいよ耐えかねるほどの痛みを覚えたことで病院へと駆け込み、そこで異物の摘出手術を受けました。少年、この()()とは、一体何のことだと思いますか?」

「…………」

()()()()()。患者の腹部に紛れていたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。重さは2.5kgほどで、髪や歯もしっかりと生えていたとか。こういった胎児のことを、医学的には『寄生性双生児』と呼称するそうです」

 

 

 ……参ったな。

 そんな話をされるくらいなら、近界民(ネイバー)になっていると言われた方がよっぽどマシだった。

 

 

「陽花が――水子が、()()()()()()()()()ってことですか?」

「トリガーの身体再現機能というのは、少年が思っているほど杜撰な性能ではありませんよ。男性であれば男性、女性であれば女性の顔を、一切の狂いなく再現致します。後からトリオン体の設定を変更することで外見を弄ることは確かに可能ですが、初期設定自体に狂いが生じるとは到底考えられません。仮に障害(エラー)が発生するとしたら、読み取っている肉体の方に何らかの異常が――失敬」

「いえ、構いません。続けて下さい」

「――()()()()()が、混じっている場合です。少年はその『異なり』にホルモンバランスの違いを挙げましたが、私はより()()()()()()に、歪みが生じているのではないかと考えたのです」

 

 

 根本的な部分。トリオン体を形成するために必要なもの。僕の()()。恵まれているもの。

 

 

 恵まれているのだと、そう思っていた、異物(もの)

 

 

「――少年の身体にトリオンを供給している、()()()()()()トリオン器官。少年のトリオン体が女性の姿をしているのは、()()()()()()――()()()()()()()()だからなのではないか、と。……愚にも付かない、門外漢の戯言と聞き流していただければ、幸いに存じます」

「……いえ」

 

 

 聞き流すには惜しい、実に興味深い仮説だった。むしろ何だか、一周回って面白いと思った。

 だってそれなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。異世界転生と言いながら実際は鉄線の隙間をこそこそ潜り抜けただけだし、女の顔を手に入れたといってもその身体でセックスが出来る訳でもないし、僕が近界民(ネイバー)だと思っていたものの正体は単なる木偶人形(トリオン兵)でしかなくて、極めつけに戦うための(トリオン)までもが僕自身のものではない。偽物だ。全部紛い物だ。

 

 

 本当に、まったくもって、()()()()

 

 

 だから紳士ウィルバー、そんな顔をしないで下さいよ。そんな()で僕を見ないで下さいよ。

 きっと今、僕、嘲笑(わら)っているでしょう?

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Thou shalt love thy neighbour as thyself(後編)

 

 

 ――『()()()』。僕が住まうことになるボーダーの仮設住居は、近隣の住民からはそう呼ばれているのだと、ウィルバー氏は話してくれた。

 こうして間近で目の当たりにしてみると、改めて僕のイメージする仮設住居とはかけ離れた建物だなと思わされる。そもそも建物と呼べる規模の広さがある時点で何かがおかしい。仮設住居って言ったらアレだよ、()()でしょ。プレハブ小屋。或いはユニットハウスとかいうのかな。基本的に家っていうより倉庫みたいな見た目をしていて、やっつけのように扉と窓を拵えただけの、無骨な代物。

 そういう建物に案内されるものだと思っていたのに、この貴族か何かでも住んでいそうな佇まいは一体何なのか。いや実際に住んでたのか。貴族っていうか紳士が。そう考えたら、なんだか急に全てを許せるような気になってきた。紳士は仮住まいも紳士的。うん。そんな感じで。

 ただ、その豪勢な見た目に反して、なんとも寂れた印象もあるのが、その屋敷の奇妙なところであった。人の気配が感じられない。これだけ広い建物であれば何人もの隊員が利用していてもおかしくなさそうだというのに、まるで()()使()()()()()()()()()のようである。

 そもそも、外観からしてなんか浮いてるんだよなこの建物。ファンタジーの世界から迷い込んできたみたいというか、こんなものが三門市(ワールドトリガー)に存在するのはおかしいというか――うーん、何だろうかこの感覚は。

 

 

「……本当に、ここが、そうなんですか?」

「ええ」

 

 

 不安になって思わず訊ねてしまったのだが、返ってきたのはあっさりとした肯定であった。

 

 

「ただ、一つ訂正をしておきましょう。先刻、私はこの建物をボーダー設営の仮設住居と申し上げましたが――実際はこの『白屋敷』、()()()()()()()()なのです」

「――は?」

「一説によれば、この屋敷は近界(ネイバーフッド)由来の建物だという話もあります。(ゲート)の向こうから現れた、近界民(ネイバー)達の()()――そんな曰く付きの建物であるが故に、便宜上はボーダーの所有物という扱いにして、管理・運営が為されているという訳です」

「……仮にそれが正解だとしたら、その近界民(ネイバー)達、今は何処で何やってるんでしょうね」

「さて、意外と我々の身近におられるかもしれませんよ? なんといっても隣人(neighbor)ですからな」

 

 

 急に英国紳士らしいネイティブな発音で言うものだからちょっと笑ってしまった。いや、その人本来の言語を喋っているのに笑うというのもおかしな話なのだが。そうだな、欧米人のウィルバー氏が流暢な日本語で僕とコミュニケーションを取れているように、人間の見た目をして僕らと同じ言語を用いていれば、近界民(ネイバー)の一人や二人がその辺に紛れていたって誰も気付きはしないだろう。そもそも本当の近界民(ネイバー)がどんな見た目をしているのか僕は知らないのだけれど。

 

 

「……どうしてボーダーは、自分たちの敵に隣人(ネイバー)なんて名前を付けたんですかね」

「――ふむ」

 

 

 そんなことを考えていたせいか、ふと思ってしまった。

 隣人。或いはお隣さんとかご近所さんっていったら、普通はもっと親しみやすい存在を連想する筈だ。けれど、この三門市で生まれ育った僕は、すっかり隣人(ネイバー)という単語に良い印象を抱けなくなってしまっていた。『貴方の親愛なる隣人(Your Friendly Neighborhood)』だなんて名乗っている蜘蛛の力を使うヒーローなんかも、この三門市で活動しようと思ったら毎日の如く地元マスコミからのパッシングに苦しむ羽目になったりするんじゃないだろうか。いや、それって案外いつも通りか? 詳しくないけど。

 

 

「実は敵という訳でもない、と言ったら少年は信じますかな?」

「――まさか。侵略者でしょう、あいつらは」

 

 

 二年前、三門市を襲った正体不明の怪物による、未曽有の大災害。『大規模侵攻』。その危機に立ち向かったのが皆さんご存知、界境防衛機関ボーダーである。そのボーダーが世間に向けて明言したのだ。この町を襲った者の正体は、近界民(ネイバー)と呼ばれる異世界からの来訪者である――と。それを今更になって実は悪い奴じゃないんだよと言われても、正直反応に困ってしまう。

 一度植え付けられてしまった価値観というのは、そう容易く塗り替えられるものではない。僕にとって近界民(ネイバー)は敵だ。決して相容れることの出来ない存在だ。大規模侵攻で直接的な被害を被った訳でもない僕ですらこんな考えを抱いているのだから、実際に何かを――身近な誰かの命を奪われたりした人なんかは、死んでも近界民(ネイバー)を許すことなどないだろう。それこそ近界民(ネイバー)への強い復讐心を抱いて、ボーダーに入った隊員もいるかもしれないのだ。

 

 

「まあ、少なくとも二年前に三門を襲った者達についてはそうでしょうな」

「……まるで、他にも近界民(ネイバー)がいるような口振りですね」

「さて、どうでしょうな? それこそ実は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 さらりとそんなことを言うので、僕は思わずウィルバー氏の心を()てしまう。けれど相変わらずその内面は僕にとっての()()()()()で満ち溢れていて、故に冗談とも本気とも区別が付かない。

 ウィルバー氏との出会いの瞬間を思い出す。病室の扉を開きながらも、僕が招き入れるまでは決して踏み込んでくることのなかった紳士。

 自称、部外者(ネイバー)

 

 

 ……え、マジなの?

 

 

「冗談です」

「……心臓に悪いですよ」

「ですが、()()()()()()()だとは言っておきましょう。私は本来、三門市(ここ)にいる筈のない存在――おそらくは、この『白屋敷』もそうなのです。招かれざる客であり、()()()()()に過ぎませぬ故」

 

 

 ウィルバー氏の物言いに何となく、()()()が近づいてきているのを感じた。言葉の端々に漂う、終わりの気配。幕引きの気配。或いは、()()なんて言葉に、言い換えてもいいのかもしれない。

 

 

「過去、ですか」

「ええ。過去です。私の物語も、白屋敷にまつわる物語も――或いは少年、あなたの物語もまた、()()にとっての過去を描いている最中なのかもしれません」

 

 

 『()()』という単語がまた、僕の脳裏に浮かび上がってきた。

 ……この感覚の正体は、一体何なのだろう。この世界(ワールド)には引き金(トリガー)のようなものがあって、ゆくゆくは誰かがその引き金を引くことで、全ての歯車が回り出して、物語が動き出すのだろうけれど――その()()というのは、間違っても僕ではないのだという確信。これと似たようなものを、紳士も感じているのだろうか? だから氏は今、こんなことを口にしているんじゃないだろうか。

 それでも、僕の人生が本物(誰か)にとっての偽物(過去)でしかないのだとしても、僕にとっては今が本物(いま)だ。

 だから。

 

 

「僕にとっては、あなたもまた今を生きている、()()ですよ。紳士ウィルバー」

 

 

 ――だから僕は、心の底から、そう言える。

 たった一日、ほんの一日。それだけの繋がりしかないけれど、僕は目の前の紳士から、返しきれないほどの恩を受け取った。こんな言葉一つで返せるなどとは勿論思っていないが――それでも、僕はこの人を過去の存在だなんて思いたくはないし、思えない。僕がそう考えていることだけは、どうしても伝えておきたかった。

 

 

 ……ああ、でも。

 どの道これから、過去に()()()()()()のかもしれない。

 お別れするって、()()()()って、そういうことだもんな。

 しんみりするつもりはなかったのだけれど、寂しいな、やっぱり。

 

 

「――では、私が少年にとっての現在(いま)であるうちに、心残りを二つほど晴らしておきましょうか」

 

 

 紳士もまた、そのことに気が付いていたのか。

 忘れ物を思い出したとでも言うように、そんなことを口にした。

 

 

「少年。進学のご予定は?」

「え。……六頴館、でした、けど」

「ふむ、ボーダー提携校の一つですな。でしたら話は早い」

「い、いやちょっと待って下さい」

 

 

 流石にもう、紳士の行動パターンというのも読めてきた。彼がこれから一体何を言い出すのか、()なくても理解る。しかし、いくら何でもそこまでは――()()()()()じゃないのか。転生(入隊)にあたり神様から受け取ったボーナスなんて何もないだなんて言ったけれど、僕にとっての()()()()()()がいるのだとしたら、間違いなく、目の前の紳士が()()なのだ。そして、これから彼がやろうとしていることも金銭で解決出来る問題なので、このまま行けば先程と同じように『I am gentleman.(私、紳士ですので)』の一言で押し切られてしまうに違いない。

 ――しかし、しかしだ。今度ばかりは、まず、前提として。

 

 

「……お気持ちはありがたいのですが、僕にもう、進学の意思はありません」

「ふむ。それは何故ですかな?」

「将来ボーダー職員になるために最低限の学歴が必要だというのであればともかく、僕は既に、ボーダーへの就職を果たしつつあるので」

 

 

 要するに僕は、()()()()()()()()というものを感じられないのである。

 面接の際、ウィルバー氏に語った志望動機は本気のものだ。今となってはそれが全てではないとはいえ、僕の中にある確かなものだ。()()()()()()()()()()()。当然、紳士と那須さんの二人から教わった大切なこと(楽しむこと)は忘れないつもりだが、それはそれとして、僕はもうボーダー以外の道に進むつもりはないのだ。わざわざ高校生活などという()()()をする理由が見当たらない。これはもう、純粋に、そう思うのである。

 が。

 

 

「高校へと通うことで、新たな知見を得られることもあるかもしれませんよ」

「……そうでしょうか?」

「そうですとも。学び舎という舞台がなければ、あなたは米屋陽介(陽気な少年)と出会い、ボーダーへの関心を抱くこともなかったのではありませんか?」

 

 

 

『と、思うじゃん?』

 

 

 ――それを言われてしまうと、ぐうの音も出ない。

 確かに僕は、学校という環境においても、人生を変えるきっかけが得られることを知っている。不要のものだと切り捨ててしまうのは、早計だったかもしれない。高校生とボーダー隊員、二足の草鞋を履くことによる苦労もあるだろうが――まあ、続けていくのが困難だと思ったら、その時になってから考えよう。変化弾(バイパー)こそ我が人生なり。

 ……この言葉に頼り過ぎるのも、あまり良くないことかもしれないが。

 

 

「……学費は借金に上乗せでお願いします」

「結構。卒業式の日にでも取り立てに赴かせていただきましょう」

 

 

 ああ、ついにウィルバー氏の口からも『卒業』という単語が出てきてしまった。いや、僕の言う()()とは意味が違うということは理解しているけれども。ていうか、考えてみれば中学生活もまだ三ヶ月残ってるんだよなあ。三学期からは授業を終えても陽介と公平に別れを告げることもなく、そのまま三人で駄弁りながら本部基地に行ったりも出来る訳だ。それは中々に楽しみだ。

 ――うん、やっぱり大事だな、学校。蔑ろにするところだったけれど、真面目に考えてみよう。()()()()()()()()()()()

 

 

「では、最後にもう一つだけ」

 

 

 一体いつの間に何処から取り出したのか、ウィルバー氏の手に帽子が握られている。漢字でいう『皿』の形状をした、いわゆる、そう、紳士帽だ。最後まできっちりと決めてくれる人だ。

 ……ああ、これで()()なのか。次に出会うのは三年後、僕が高校を卒業する時の話になるのだ。てんで想像が付かない。その時の僕は、今よりも少しは自立した大人の男になれているだろうか? 自立した大人の男。なんて魅力的なフレーズなんだろう。早く胸を張って言えるようになりたい。『僕は自立した大人の男だ』と。

 けれど今は、その気持ちをぐっと堪えて、ウィルバー氏の次なる言葉を待つ。

 『そう焦ることはありませんよ』と言ってくれた、紳士の言葉に耳を傾ける。

 

 

「少年。仮に私の説が正しく、あなたの中に亡くなられた筈の水子が潜んでいるのだとしても――即座に切り捨ててしまうのではなく、まずは一度、向き合ってみることです」

「――向き合う?」

「ええ。本来であれば共に生まれてくる筈だった命なのです。それこそあなたの半身――隣人(ネイバー)とでも言うべき存在なのですから、疎むのではなく、親しみを込めて接してあげるのが宜しいかと」

「……僕にとって、隣人(ネイバー)は敵ですよ」

「おや、それはいけませんな。世界で最も売れている本にも、こう記されておりますよ?」

 

 

 そう言って、紳士はついに帽子を被り、僕に背中を向けて――

 首だけでこちらを振り返り、口元に笑みを浮かべて、一言。

 

 

「――自分自身を愛するように、汝の隣人(ネイバー)を愛せよ、とね。――では少年、御機嫌よう」

 

 

 そんな言葉を残して、僕の神様(Jesus)は丘を下り、沈みゆく夕日を背にして町の中へと消えていった。

 遠ざかっていく彼の背中が完全に見えなくなったとき、空の色も紅から黒へと変わり、そうして僕は、宵闇の中で独りきりになった。

 

 

「……御機嫌よう、紳士ウィルバー」

 

 

 ――()()()

 さあ、これからが大変だぞ、大庭葉月。

 

 

 

 

 確かに大変だとは言ったが。

 のっけから、こんなところで躓く羽目になるとは思わなかった。

 

 

 僕の住む部屋って一体何処やねん。

 屋敷の門を潜り、エントランスと思しき空間まで辿り着いたはいいが、そこで見事に詰まった。肝心なことを聞きそびれたまま卒業してしまった。今からでも留年する(引き返す)べきだろうか。そんなことを思っていると、

 

 

「――迷った?」

 

 

 と、受付係らしき女性に声を掛けられた。猫科の耳みたいにぴょこんと跳ねたくせっ毛と、襟足ともみあげが一体化して『J』の字を描いているようなもっさりとした髪型(失礼)が特徴的な、美人のお姉さんだ。那須さんが大人になったらこんな感じになるだろうか。でもその髪型は如何なものかと思いますよ。まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ええと、すみません。ここの一室を借りていたという方から、部屋を引き継がせていただいた者なんですけど」

 

 

 そんな感想はおくびにも出さず、しれっと訊ねる僕である。受付の女性は「ああ」と短く相槌を打って、

 

 

「紳士さんから話は伺っているわ。ついて来て、案内してあげる」

 

 

 言うが早いか、フロントの脇からすたすたと歩み出て、そのまま僕を先導するように屋敷の廊下を進み始めた。ありがとうございますと背中に告げつつ、その後に続く。

 長い廊下を歩いている間に幾つかの部屋の前を通ったのだけれど、やはりというか何というか、住人の気配がない。まさかとは思うのだが、今この屋敷に住んでるのって僕一人だけだったりするんじゃないだろうな。

 階段を上り、1階から2階、2階から3階へ。そこから更に二つの部屋を通り過ぎていく。301。302。そして――

 

 

「ここがあなたの部屋よ」

 

 

 ――ROOM303(3 0 3号室)

 そこが、僕の辿り着いた部屋の名前であった。

 

 

「すみません、助かりました。……ええと、今日からお世話になります」

 

 

 そう言って女性に頭を下げてから、なんか大家さんへの挨拶みたいだなと思った。

 というかこの女性、随分とラフな格好をしているけれど、本当にボーダー職員なんだろうか? 鎖骨のくっきり見えるカットソーに薄手の黒い上着を一枚羽織っただけ、おまけに上着のボタンもお腹の一ヶ所しか留めていない。下は下で太股が際立つショーパン+ブーツスタイルだし。これが大人の女性のファッションというやつか。間違っても僕が参考にする機会など来ないけれど。

 

 

「そう畏まる必要はないわ。――そんなことよりも」

 

 

 顔を上げると、何やら女性が値踏みするような視線で僕を眺めていた。

 ……何だろう、嫌な目だな。何が嫌かって、僕が誰かを()()()()時の視線に似ているような気がする。いや、副作用(サイドエフェクト)を使っている最中の自分の顔なんて確かめたことはないのだが、何となく()()()()()()()()ような感覚がある。実際に彼女の心にも、僕への『興味』と思われる感情が浮かんでいるのが()える。しかしまあ、人の視線を批難しておきながらそれと同じ目で相手の心を覗き見る僕も大概だな。今更だけれど。

 

 

()()()()()()()()()()()()()、あなた」

「――は?」

 

 

 たましい。

 魂って言いましたか、今。この女性(ひと)

 どうやら僕は、知らない間にオカルティックな空間へと足を踏み入れてしまったようだぞ?

 

 

「羨望、嫉妬、嘲笑、侮蔑――ドロドロとしたもので溢れて、()()()()()()()()()()()()()。……いいわね、とてもいいわ。()()()()()()、すごく」

 

 

 こんな嬉しくない好意の表し方初めて見たぞおい。

 というか――ダメだ、()()()()()()()()。向き合っていると気分が悪くなってくる。境界(ボーダー)を越えて以来、初めて味わう感覚だ。内臓を舌で舐められているようなおぞましさを感じる。うーん、禄でもない喩えのせいで真面目にお腹が痛くなってきた。すみませんお姉さん、僕は貴方の好意に応えることは出来ません。

 

 

()()()()()()()()()()()()、この屋敷は役目を終えて、ただの仮宿と化していたけれど――それだけの淀んだ魂があれば、白屋敷(私の舟)は再び浮上して、新たな(ゲート)を開くことが出来るかもしれない……楽しみだわ。その魂が()()()()()()()()()、本当に、楽しみ――」

「あの、ありがとうございました。失礼します」

 

 

 口早に形だけの礼を述べてから、逃げるようにウィルバー氏から貰った鍵を差し込み、回した。回った。これで開かなかったらどうしようかと思った。

 即座に鍵を引っこ抜き、大急ぎでドアを開いて、隙間に滑り込み、閉める。バタンと大きな音がするのにも構わず、鍵を掛けて、暫し――待ち。

 何も起こらないのを確かめてから、深い深い溜息を吐いた。いやもう、完全に失礼を極め切った対応なのだが、仕方がない。身の危険を感じたのだ。しかし困った。今日は何とか乗り切れたが、明日から僕は何処を通って屋敷の外に出ればいいんだ。エントランス以外の出入口なんて存在するのか? いっそ窓から飛び降りて出るとか――馬鹿馬鹿しい、トリオン体じゃあるまいし。

 ……明日のことは、明日になってから考えよう。今日はもう、疲れてしまった。人生最良の一日だと思っていたのだが、最後の最後でえらい目に遭ってしまった。

 まあ、トータルではまだプラスの筈だ、うん。そんな大敗した後のギャンブラーみたいな思考を抱きつつ、僕は部屋の奥へと進んでいった。

 

 

 

 

 リビングに出る。真っ先に目に付いたのが、ワニの歯みたいに鋭く尖った三角形が幾つも並んだ壁の模様だ。迂闊に近づいたら()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな見た目をしている。

 視線を移動する。机の上には布を下敷きにした花瓶と、一枚のメモ。机の周りには柔らかそうなソファーと木製の椅子、そして棚の上に芸術品の如く飾られているのは――ば、バット? 博物館に展示されている刀か何かじゃあるまいし、こんな管理の仕方をするものだろうか、バットって。

 というかこのバット、まさかウィルバー氏の私物なんだろうか。野球。ウィルバー氏が野球――スイング一回で腰をいわせるイメージしか浮かんでこない。投げる方というか、ワインドアップは割と様になりそうなのだけれど。背高いし。

 とりあえず、パッと見で目に付いたものと言えばそのくらい――いや待て、もう一ヶ所だけ気になるところがあるな。()()()()()()()()()()()()。しかしそっちを開く前に、まずはこっちを手に取ろう。机の上のメモ用紙だ。

 ウィルバー氏の話によれば、机の上には僕のための通帳やカード類が用意してあるとの話だったのだが、それらしいものは見当たらない。となればこのメモ用紙に、その件に関する説明が載っているものだと思ったのだが――そこに書かれていたのは、まったくもって意味不明の内容だった。

 

 

 

 

 

ルールその① この部屋では考えたことを隠すことはできない

 

 

ルールその② この部屋で得た情報は外に持ち出すことはできない

 

 

 

 

 

 ……なんじゃこりゃ。一体何の()()だ、これは? 両方ともに斜線が引かれているあたり、無視して差し支えない内容なのだとは思うけれど。或いは、()()()()()()()()()()()()()()()()のが、今は何らかの理由でその効力を失っているだけなのかも――いやいや、そんなアホな。

 それよりも、どうやら裏にも別の文章が記載されているようだ。うっすらと文字が透けている。

 きっとこっちが本題なのだろう。表側の文章に意識を割かなかった分、僕は殆ど流れるままに、用紙を捲って――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クローゼットに死体が入っている 2/7 12/■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その一文のインパクトに、思わず持っていた用紙を取り落としてしまった。

 ……なんてタチの悪い悪戯だろう。何が卑怯かって、表の文章に取り消し線を引くことで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、人間心理を利用したやり口が汚い。断言する、こんな悪意に満ちた行為を、間違ってもあの紳士がする筈がない。

 いや待て、そもそも僕を驚かせるために用意されたものだという前提がおかしいのだ。何かこう厨二病的な、自分の住んでる部屋にこんな秘密があったら面白いよね的なノリで書いたメモを後日恥ずかしくなって取り消したとか――うん、我ながら苦しいのは理解っている。

 それにしても――12/■■。日にちの方は何故だか黒く塗り潰されていて確認出来ないのだが、とにかく今は12月だ。そして僕の身近にも、1()2()()()()()()()()()()()()

 考え過ぎかもしれない。ただの偶然かもしれない。それでも僕は、確かめなければならないと思った。僕は今クローゼットを開くという行為に若干の恐怖心を抱いているけれど、こんなものは正体が判らないから怖いだけなのだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花。蓋を開けてみればそんなところだろう。

 そう、心と同じだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この間公平から借りた漫画の中に『この世でハッピーに生きるコツは無知で馬鹿のまま生きる事』だなんて台詞があったけれど、理解する(知る)ことによって生きてきたのがこの僕だ。

 ――ああ、その漫画で言えばもう一つお誂え向きな台詞があったな。扉の向こうから()()()()()()()()()()()が語りかけてくるのだ。『開けちゃダメだ』と。

 あの漫画、本誌の方はどういう展開になっているんだろう? デンジ君は扉を開けてしまったのかな? 開けてしまったとして――その先に、一体何が待っていたのだろうか。

 僕はまだその答えを知らない。早く続きを読みたい。その衝動と同じくらいに、()()()()()()()()()()()()()()()。そう、理解さえすれば、安心出来るのだ。僕は今、2つのことを願っている。クローゼットに死体なんかない。そして――

 あったとしても、その死体は、()()()()()()()()ではない。

 

 

 

 

 

 クローゼットの扉に手を掛ける。

 

 

 開く。

 

 

 正体が、露わになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ばあ」

 

 

 ――()()()()

 

 




~立てばジェントル座れば紳士、歩く姿はマジ紳士~
・紳士ウィルバー
『賢い犬リリエンタール』からのゲスト出演。
葉月くんの入隊にあたって面接役は必要だけれど水沼さんではパンチに欠ける、
かといって忍田さんみたいな大物が出てくるのも不自然だしどうしようかと考えた結果、
作者の趣味によって捻じ込まれたライブ感の象徴。
読み切り版要素(紳士強盗)を混ぜることで紳士力がやや減退した代わりに強引さが増した模様。
リリエンタール未読者にも伝わるように書いたつもりではあるけれど、
『相手がもっと弱ければいいんじゃないかと……!』の元ネタはこの人である。
勝手に唐沢さんと同年代にしてしまったが、原作では年齢不詳。


2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

sunflower(前編)

なんと推薦をいただいてしまいました。感無量の一言に尽きます。
kab3様、ありがとうございました。




 

 

 ()()()()()()()()

 そういえば、例の漫画(チェンソーマン)にはそんな台詞もあったことを、思い出した。

 

 

「おかえり、お兄ちゃん」

 

 

 クローゼットに体育座りで収まって、にたにたとした笑みを浮かべている、僕の顔をした女。

 ()

 僕はてっきり、また()()()()を見ているのかと思った。バムスター君を僕にとっての侵略者(ネイバー)へと置き換えたように、僕は再び何かからの侵略を受けていて、そいつを()()()()()()()()()()、目の前の何かに、大庭陽花の外見を与えているのではないかと。しかし――

 

 

「……()()()()()?」

「そう、お兄ちゃん」

 

 

 その言動に違和感があった。大庭陽花が僕のことを、兄だなんて呼ぶ筈がない。()()()()()()()()()()。そういうことになっているのだ。弟、或いは()呼ばわりされることはあっても、僕が陽花の兄である筈がない。故に僕の妄想が作り上げた陽花(もの)が、僕のことを『お兄ちゃん』だなんて呼ぶのはおかしいのだ。

 

 

「私、()()()()()()()()()()()()()。お兄ちゃんよりも後に産まれたんだから、私が妹になるのは当然のことだよね」

 

 

 その言葉に、僕は那須さんとウィルバー氏の前でトリオン体へと換装した時の感覚を思い出す。

 ずっと自分の傍にいながらも姿の見えなかった存在が、あの瞬間に初めて姿を現したような――()()()()()()()()()()()()()

 紳士は言った。寄生性双生児。僕のトリオン体が女性の姿をしているのは、その源となっている見えない内臓(トリオン器官)が、消えたと思われていた水子のものだからなのではないかと。

 仮にそうだとしたら、あの時、僕がトリガーを起動したこと――言ってみれば、()()()()()()()()()()()()()()()()で、眠っていた水子の意識が目覚めた――そういうことなのだろうか?

 

 

「……ありえない」

 

 

 馬鹿馬鹿しい。それっぽい理屈を並べているだけでツッコミどころが満載だ。内臓に自我が芽生えるだなんて、そんなオカルトありえません。

 それにあえてウィルバー氏には言わなかったが、僕と水子は一卵性双生児なのだから、ほぼ確実に水子の性別も男である筈なのだ。確かに例外も存在する。存在はするが、異性一卵性双生児+双胎一児死亡(バニシング・ツイン)+寄生性双生児の三連荘というのは――稀少例(レアケース)のジェットストリームアタックか? 公平の家のアニメで見た必殺技だ。僕と水子と大庭陽花(かみさま)で黒い三連星だ。(ガイア)が踏み台にされて、水子(マッシュ)が死んで、最後に陽花(オルテガ)が美味しいところをもっていくのだ。おや、冗談のつもりだったのだけれど意外としっくりくるな。ははは。

 

 

 ……ははは。

 僕今ちょっとおかしくなっているな? 元からかな?

 

 

「ねえ、()()()()()()()()、お兄ちゃん」

 

 

 座ったままの()が、そんなことを言って手を伸ばしてくる。

 ――OK。百歩譲って奇跡の三重奏(トリオ)が成立し、クソみたいな偶然の末に産まれたのがこの()だとしよう。しかしそれが肉体を得て、訪れたばかりの部屋のクローゼットに入っていたのはどういう理屈なのか? この謎はもう、一切解ける気がしない。

 無理矢理こじつけるとすれば、ここがそういう部屋だからだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。先程のメモ帳は、この部屋のルールブック的な存在だったのだ。ルールで決まっている以上、クローゼットの中には()()()()()()()()()()()()()()()。そして、その()()()として、()が選ばれた――とか。

 何もかもが()()()()だ。トリオン体やトリガーというやつは確かに()()()()ではあったものの、僕が知らなかっただけで、紛れもなくこの世界の科学によって生み出されたものだった。しかし、今この部屋で起きているのは、そういうもの(科学)じゃない。もっと得体の知れない何かが絡んでいる。

 

 

 例えば――そう、()、とか。

 

 

「ねえ、無視しないで? 自分じゃ出られないの、私」

「……そうなのか?」

()()()()()()()()()()()()。私にもよく理解らないけど」

 

 

 さあ困った。僕の妄想を後押しするようなことを言い出したぞこの自称妹。

 というか――出せるのか? ()()()()()()()、こいつを? 『クローゼットの死体』がルールによって定められた存在であるとするなら、こいつをクローゼットの外に出すのは()()()()()ということになるんじゃないか? ルールを破ると何が起こる?

 いや、もっと別の視点から考えろ。()は今、僕に助けを求めるフリをして、僕のことをクローゼットの中に引き摺り込もうとしているんじゃないか? ()()()()()()()()()()()。そうすれば、こいつは自由になれる。僕の顔で、僕の格好で自由に外を歩き回って、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そんな考えが浮かんできて、僕は()の手を取ることが出来なかった。

 暫しの沈黙が続いた後、()がはあと溜息を吐き、気だるげにその手を下ろした。

 

 

「まあ、無理だろうね。理解ってたけど。お兄ちゃん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうでしょ?」

 

 

 ――そう、もう一つ理由がある。

 こいつの感情が()えない。()()()()()()()()()()()()()()()。病室で那須さんが言っていた。副作用(サイドエフェクト)を持っているということは、僕のトリオンが潤沢であることの証明になるのだと。裏を返せば、そのトリオンが失われれば――この場合、僕のトリオンの源泉となる、()()()()()()()()()()()()()、僕の副作用(サイドエフェクト)も失われてしまうという意味になるのではないか。

 正直、理屈はどうでもいい。とにかくこいつは信用出来ない。こういう時に、副作用(サイドエフェクト)のない()()()()()というのはどういう対応を取るのだろう? 何の迷いも疑いもなく、こいつの手を取ることが出来るのだろうか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 僕にとって、未知というのは恐怖の象徴なのに。視えないものを恐れるのは、当然のことなのに。ましてやこいつは、()()()()()()()()()()()()。僕の全てを掠め取った、大庭陽花(かみさま)と同じ顔をしているのだ。

 

 

「おまえ――おまえは何なんだ? 本当に、水子なのか?」

「やだなあ、水子だなんて呼ばないで? 私にはちゃんと、私が名乗るべき名前があるじゃない。そう、これは紛れもない、()()()()()()――」

 

 

 ()がすっくと立ち上がる。クローゼットに押し込まれながらも、自身の存在を主張するように。

 

 

「陽花だよ、大庭陽花。()()()()()()()()()()()。だってそうでしょ? 私が授かる筈だった名前だもの。だから陽花(これ)は私のものなの。あんな神様(化け物)が私のフリをしていた、今までの方がおかしかったんだよ。ねえ、理解るでしょう? お兄ちゃんなら、理解ってくれるよね?」

 

 

 踊るように、歌うように、そいつはその名前を口にする。

 そうだ。確かにこいつの言う通り、こいつにはそれを名乗る資格がある。むしろこいつ以外に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。最早こいつは水子ではないのだ。今までの定義を全て改める必要がある。『大庭陽花』という名前の持つ意味を、僕にとっての神様(化け物)から――

 

 

 ――大庭葉月の、妹へ。

 

 

「もう一度聞こっか、お兄ちゃん」

 

 

 現状を再認識する。

 僕の妹が、狭くて暗いクローゼットに、押し込められている。

 妹が――()()が真っ直ぐに僕を見つめて、訴えかけている。

 

 

「私を、ここから、出して?」

 

 

 その姿が。

 あの家から逃れられずにいた、自分自身と重なってしまって、僕は――

 

 

 

 

 

 バチィッ!! と、クローゼットに突っ込みかけた手が、見えない何かによって弾かれた。

 

 

「……!?」

「――あーあ」

 

 

 痺れる手を抑える僕を、期待外れだと蔑むように、酷く冷めた目でそいつは見て。

 

 

「やっぱり、()()()()()()()()()()()()()()()()。ざーんねん」

「……おまえ」

「ま、いいや。名前だけでも手に入ったし、()()()()()()()()()()。今はね」

 

 

 そんな視線のまま、口元だけは相も変わらず愉快そうに歪んでいるのが、酷く不快だった。

 こんな風にして笑う生き物を、僕は生まれてこの方、見たことがなかった。

 

 

「あ、()()()()()のは無理みたいだけど、扉くらいは開けたままにしておいてね? おにーいちゃ」

 

 

 最後まで言い切られる前に勢い良く扉を閉めてやると、受付の女性から逃げた時よりも喧しい音を立てて中の様子が見えなくなった後、「うわ、サイテー」という恨み節が扉の向こうから返ってきた。

 

 

 

 

 

 ――これが、大庭葉月と大庭陽花の、初めての出会い(ファーストコンタクト)

 そう。

 15年もの間、誰よりも近いところにいながらも、見つけることの出来なかった()と――僕は今、最低の邂逅を果たしたのであった。

 

 

 

 

 どれだけの苦手意識があっても、顔を合わせなければならない相手というのは存在する。例えば実の両親とか。そこに今度は実の妹も加わりそうな現状を打破するべく、僕は肉親以外の()()()()()()を頼ることにした。

 つまるところ、一度部屋を出て、あの特徴的な髪型の女性がいる受付へと戻ってみたのである。

 

 

「あら、おかえりなさい。どうかしら? 新しい我が家の感想は」

「最低、でした」

 

 

 包み隠さずにそう答えると、受付の女性は愉快そうに口の端を吊り上げて。

 

 

「それは残念ね。感動の再会を演出出来たと思ったのだけれど」

 

 

 などと、僕の暴言を嗜めるでもなく、さらりとぶっちゃけた。

 『私が犯人です』と。

 

 

「……やっぱり、あれはあなたの仕業なんですね」

「真っ先に私を疑ったのね。あなたにあの部屋を押しつけたのは紳士さんでしょう?」

「僕はあの人を信じていますから」

 

 

 そう、僕は信じている。あの人の高潔な精神を()ているから、信じられる。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()も、今ならば理解る。未だに僕の副作用(サイドエフェクト)は失われたままなのだが、あんな仕掛けを部屋に用意したというだけで、この女性を僕の(ネイバー)と見做すには充分過ぎた。

 

 

「――ええ。あなたの言う通り、この件に紳士さんは一切関与してはいないわ。実際、彼が住んでいた時は普通の部屋だったのよ。あなたとその()()()が訪れたことで、変質した303号室の宿主に大庭陽花(あの娘)が選ばれた――ざっくりとした解説をするなら、そんなところかしら」

「……()()?」

「取り消されていた表の文章があったでしょう? あれが本来の303号室のルールよ。そもそもあの文章も、片桐隆明(眼鏡の子)が自分のために残した単なるメモでしかなかったのだけれど――(ゲート)を潜った影響かしら? あのメモもまた、ROOM303(3 0 3号室)の一部になったということかもしれないわね」

 

 

 正直言って、この女性の説明の意味はこれっぽっちも理解らない。実際、このひと自身もまともに伝える気がないように思える。伝わる人にだけ伝わればいい、という感じの語り口だ。宿泊施設の受付に立つ人間としては褒められた態度じゃないなと思う。()()()()()()、そういう一見さんお断りみたいな対応をしていると。

 

 

「……あなたは一体、何者なんですか。もしかして、近界民(ネイバー)――」

「この世界の者ではないという意味ではそうだけれど、いわゆる()()()()()()、とはまた別の存在だとだけ言っておきましょうか」

 

 

 そう言われても、僕は未だに本当の近界民(ネイバー)というやつを知らないので何とも言えない。

 とはいえ、ウィルバー氏はこの『白屋敷』のことをボーダーによって管理・運営されているものだと言っていた。出自不明の建物であるとも。そんな屋敷を管理する立場に、目の前の自称異世界人がしれっと納まっている。これは明らかに異常な事態だ。僕はボーダー隊員として、この女性のことをボーダーに報告する義務があるんじゃないのか――

 が、そんな僕を牽制するように、受付の女性がこんなことを言うのである。

 

 

「外に助けを求めるのは勝手だけれど、その時は失われた第二のルールを屋敷全体に適応するだけね」

「――第二のルール?」

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』――嘘だと思うかしら? あなた、気軽に電話を掛けられるようなお友達はいらっしゃる?」

「……二人ほど。でも今の僕は携帯を持っていませんので」

 

 

 厳密に言えば一人かな、今は。公平の方は出張中で忙しいだろうから。

 しかし――情報を外に持ち出せないというのは、どういうことだろう。例えば、今この女性から聞いたことも屋敷の外に出たら忘れてしまうとか、屋敷の中から外に連絡して事情を説明しようと思っても上手く伝わらないとか、そういうことだろうか。後日試してはみる。試してはみるが――おそらく、想像している通りのことが起こるのだろうと思っている。わざわざこんな嘘を吐く理由が見当たらないので。

 

 

「――あなたの目的は何ですか。僕と陽花(あいつ)を利用して、何を企んでいるんです?」

 

 

 口にしてから、思った。何とも滑稽な台詞だ。『何を企んでいる』だなんて、悪役を問い詰めるヒーローか何かじゃあるまいし。もっと他に適切な言い回しはなかったのか僕。

 

 

「強いて言うなら――()()()()、かしらね」

 

 

 ――()()だ。僕が真っ先にこの女性の下を訪れたのは、()()()()を覚えていたからだ。

 『魂』。僕の中に紛れていた陽花の魂は今、切り離されて肉体を得て、あのクローゼットの中に押し込まれている。正直言って、原理や理屈はどうでもいい。僕が知りたいのは、今は()()として扱われているあいつの生命が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 あいつがあいつ自身の体で蘇る分には、それは一向に構わない。むしろ、喜ばしいことだとすら思う。随分と長く回り道をしてしまったが、ようやく僕らは普通の兄と妹として、手を取り合って生きていくことが出来るかもしれないのだから。

 しかし、あの時の陽花は明らかに、僕の身体と入れ替わろうとしていた。()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな相手と仲睦まじく、兄妹ごっこを続けていけるとは思えない。やはりあいつは僕にとっての(ネイバー)だったのだ。故に僕は戦わねばならない。僕の境界線(ボーダーライン)を踏み越えようとする侵略者を、僕自身の手で殺さなければ――

 

 

「――ROOM303(3 0 3号室)は常に好物を求めている。自分勝手で、独りよがりで、保身のために他者を踏み躙る()()()()()()()()()()()――部屋の(ルール)が変わっても、その本質は変わらない。あなた達は今、()()()()()()()()。あの部屋にね」

 

 

 ――思考に待ったを掛けるが如く、女性の言葉が耳に入る。

 女性は今、淀んだ魂の定義を口にした。自分の世界を守るために、他人を排除することは淀みであると語った。そんな魂を餌にする部屋に、あなた達は試されているのだと、そう言った。

 あなた、()

 ……僕も試されているっていうのか? ()()()()()()()()()()()()()()()()陽花(あいつ)の存在を受け入れ難い、それどころか積極的に排除したいとすら思っている、この感情は――淀んでいるのか?

 

 

「納得がいかない、という顔をしているわね」

 

 

 そんな僕の顔を眺めながら、目の前の女性(ひと)は薄ら笑いを浮かべている。その顔立ちも笑い方も、雰囲気だけなら那須さんに近いものがある。あるというのに――何故こうも、不快に感じてしまうのだろう? 今の僕が、淀んでいるからか? それともまさか、副作用(サイドエフェクト)を失った状態で那須さんと出会っていたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そんなおぞましいことは、考えたくもない。

 

 

「納得というのは受け入れること。物事と向き合い、自身の中で咀嚼すること――さて、あなたが今『納得』出来ていないのは、本当にあなたが正しいからなのかしら? あなたは彼女の主張を、存在の意味を、果たして何処まで理解しているのか――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……それはお説教ですか?」

「いいえ、()()よ」

 

 

 おもむろに、女性が受付カウンターの下から何かを取り出した。

 掌サイズ程度の大きさをした、球体関節型の人形だった。糸のように細い目と、やたらにやにやと吊り上がった口元が印象的な、()()()()()()()()()()()()()()。よく見ると胸元に、うっすらと文字が刻まれている。半ば消えかけているけれど、それは今の僕にとって、最も馴染み深い三桁の数字――

 

 

 ――303。

 

 

「あなたが彼女を()()()()のは勝手だけれど、その時に()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 

 鋭く尖った女性の爪が、人形の傷跡をなぞる。撫でるように、()()()()()()。僕の副作用(サイドエフェクト)は未だに働く気配を見せないのだが、何となく、女性の仕草にそういうもの(愛情)を感じたのだ。けれど、彼女が人形にそんな意識を抱いている理由は微塵も想像が付かない。僕とは価値観の違う存在――そういう意味でも、やはり彼女は僕にとっての異世界人(ネイバー)だった。

 

 

「――その答えを出せないまま事に及べば、ROOM303(3 0 3号室)大庭陽花(あの娘)ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()受付嬢(わたし)から言えることは、そのくらいかしらね」

「……そのくらいだと言われても、こちらとしてはまだまだ理解らないことだらけなんですが」

「贅沢な注文ね。これでも一条雪丸ら(あの子達)に比べたら親切な対応をしてあげているのよ? ……ああ、そう考えてみると――私の在り方もまた、()()しているのかもしれないわね。世界を跨げば、個の存在も変質して然るべきもの――結束夏凛(私の知ってる娘)も随分と雰囲気が変わったようだし、最近なら()()()()()()()が良い例かしら? うふふふふ……」

 

 

 ……駄目だこれは。いよいよもって話の通じる雰囲気じゃなくなってしまった。普段から独自の世界を築き上げては周りの人間から白い目で見られることに定評のある僕だが、いざ他人にそれをやられてみるとこうも気分が冷めるとは思わなかった。人の振り見て我が振り直せだな、うん。

 とりあえず、仕掛人(この女性)に詰め寄っても事態の解決は望めそうにないということだけは理解できた。例えば僕が正隊員に昇格して、トリガー武器で直接この女性の排除を目論んだとしても、おそらく良い結果は得られないだろう。当然、単純に屋敷を出ていったり引っ越したりすることで解決する問題だとも思えない。何というか、この女性との()()()は――勝ち方は、そういうものではない。

 僕と陽花はROOM303(3 0 3号室)に試されていると、彼女は言った。ならば僕のやるべきことというのは、()()()()()()()()()()()なんじゃないのか? こんな思考になるのは、さっきまで僕が面接なんてものを受けていたせいだろうか――

 ――まったく、とんだ()()()()だ。

 

 

「あの、最後に一つだけ、いいですか」

 

 

 踵を返す直前、肝心なことを聞きそびれていたことに気付いて、そう言った。

 そう、これが何よりも重要な案件だった。ともすればあの部屋の異常よりも、陽花()の存在よりも気に掛けなければならない問題が残っていたのだ。

「あら、何かしら?」と女性が意識をこちらに戻してくれたことにほっとしつつ、僕はその最重要案件を口にした。

 

 

 

 

 

「僕の通帳とカード知りませんか?」

「個室の机の上よ」

 

 

 ああ――安心した。

 (それ)さえあれば、ちょっと部屋に死体が住んでようがどうってことないな。そう思った。

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

sunflower(後編)

 

 

 嘘を吐きました。

 

 

「おにーいちゃーん」

 

 

 本格的な一人暮らしに向けての準備は明日からやるとして、小腹が空いたので近所のコンビニで早速幾らかの軍資金を下ろした後、カスクートと紙パックの牛乳を買ってきた。ついでに歯ブラシやタオル類、シャンプーその他諸々も。ある程度の日用品は部屋にあるようだったが、流石にこの辺は自前のものを用意しなければなるまい。

 まあ、僕のお目当てはとにかくカスクートであった。別に好みの商品という訳でもないのだが、何故か今週(その時)の僕はカスクートを口にしたくて堪らなかったのだ。ある種の使命感が身体を突き動かしていた。理由は自分にもさっぱり理解らない。きっとまた何か変な電波でも受信したんだろう。

 親の敵のように(僕がこの言い回しを使ってもあまり響かないのは理解している)齧りついて、流し込んで、束の間の呆然と虚無に身を任せた後、シャワーを浴びた。僕の身体にこびり付いた、()()()()()()()()()()()()を洗い流してしまいたかった。現実は熱湯が父に殴られたあちこちの痕に沁みてひりひりするだけだったというのは内緒だ。ヤブヘビじゃねえかよ!! と叫びたい気持ちだった。

 

 

「ねー、あけてー。あーけーてーよー」

 

 

 で、風呂場から出て身体を拭いて、歯を磨いてうがいをして眠りに就いた。寝床は個室にベッドがあったのでそれを利用させてもらった。ウィルバー氏もこのベッドを利用していたのかなあとか若干気になるところはないでもなかったが、まあ引き継ぎにあたって清潔な状態を保ってあることだろう。特に変な匂いとかもしなかったし。

 そして、布団を被ってすぐに思った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。僕は理解していなかったのだ。安眠を妨げられるというのが、当事者にとってどれほどのストレスに繋がるのかを。静寂というものの有難さを。バンバンバンバン!! うおお、とうとう内側から扉を叩いてきやがった。最悪かよ。

 音の出所は当然、クローゼットの中からだ。ただしリビングのではなく、()()()()()()()()()。つくづく嫌な方向に裏の文章(ルール)を拡大解釈してくれる。要するにこの死体()は、ROOM303(3 0 3号室)に存在する()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 リビングを離れさえすればこっちの勝ちだと思っていた僕が甘かった。掛け布団と枕だけ持ってクローゼットの無い別の部屋にでも移動しようかとも思ったのだが、ベッドの寝心地が最高過ぎるために正直もう動きたくない。それ程までに疲労を極めているにも拘らず肝心の睡魔だけが訪れてくれない。完全に不眠症だなこれ。或いは、陽花の意識が覚醒している間は僕も眠りに就くことが出来ないとか――いやいや、そんなまさか。

 

 

「おにいちゃーん、お喋りしようよーう。ステキな一日だったでしょー? 一緒に振り返ってみようよー、きっと楽しいよー?」

「黙れ」

「お、やっと反応したよ。めげずに呼びかけ続けた甲斐があったねー。何分くらい開けて開けて言ってたっけ? 分? 分で済むかな? ひょっとして1時間とか経ってる?」

「黙れと言ったぞ。いいか、これだけは言わせろ。僕は眠いんだ。そして今日はお前の言う通り、素敵な一日の()()()()()()。その気分に浸ったまま意識を手放したいんだ。余計な雑音(ノイズ)を挟むな。理解ったか? 理解したなら口を閉じろ。出来れば永久にだ」

「うわー、間接的に死ねって言ってるー。もう死んでるのになー。つらいわー」

「そう言うおまえも、僕を殺そうとした」

「悪かったよう。私ね? ちょっと欲張り過ぎちゃったの。妥協するって大事だよね。相手と主張をぶつけ合った上で、意見を擦り合わせて、お互いに納得のいく着地点を見つける――そう、妥協だよお兄ちゃん! 今のお兄ちゃんにはその姿勢が足りない! 私の意見を尊重しようという意識が見えない! 憤慨です! 妹は怒っています! ぷんぷん!」

 

 

 こいつのキャラが理解らない。今ぷんぷんって言ったか? ぷんぷん。

 誰の影響だ? まさか僕か? 僕なのか? 確かに僕もぬるぬる……ぬるぬる……とか言ってたけれど。というか、自分の意見を尊重しろと言う割には僕の眠いという意見を尊重する気配が見えないのはどういうこった? あァ? ――あ、今の僕ちょっとカゲさんっぽい。そういえば、僕もカゲさんが眠い眠い言ってたのに平気な顔してヒカリやゾエさんとくっちゃべってたなあ。やっぱり謝ろう。僕の目にはこれっぽっちも眠気を感じているようには()えなかったけれども、一応。

 ウィルバー氏、受付の女性、そしてこの大庭陽花(いもうと)。誰もが口を揃えて言う。隣人(ネイバー)と対話しよう。自分の世界に閉じ籠もるのを止めよう、と。そりゃ僕だって、お隣さんとは良い関係を築いていきたかったさ。信頼できる存在であればね。さっきの死体役入れ替え未遂事件でこいつは僕の信頼を失っているのだから、こいつがやるべきことはまずその信頼を回復することだというのに――いやでも、今更媚びを売るような態度取られてもそれはそれで気味が悪いな、うん。

 駄目だ。これ以上頭を使いたくない。余計なことを考えたくない。無だ。無我の境地に至ろう。心頭滅却すれば火もまた涼しけり。この耳障りな妹の声も、まっさらな心で受け入れれば子守歌に早変わりするかもしれない。ほら、ASMR(催眠音声)って奴だよ。詳しくないけど。本当に詳しくないけど。

 

 

「――むー。もういいよ、私一人で勝手に言いたいこと言いまくるから」

 

 

 ああそうしてくれ。こっちもこっちで勝手に暗示を掛けるから。いいですかー? あなたはこれから妹の声を聞くと不思議と眠くなってしまいまーす。それではまずは深呼吸から。吸ってー……吐いてー……吸ってー……吐いてー……。

 

 

「ねえお兄ちゃん? 今日は本当に楽しかったよねえ。可愛い女の子ふたりと仲良くお喋りして、紳士のおじさまに出会って、トリガー(おもちゃ)で遊んで、ツンツンしたおにーさんにも受け入れて貰えて――良かったねえ。幸せだよねえ。本当に、恵まれたよねえ」

 

 

 あ、なんか割と普通に浸れそうなこと言ってやがるこの妹。良いじゃないか。そのまま肩の力を抜いてー……イメージして下さい……あなたは今、心地いい風の吹く草原の中にいます……空気があなたに囁いていますよ……おやすみ……葉月くん……おやすみ……。

 

 

「そんなお兄ちゃんのことを、私は見ていたよ。優しい人たちに囲まれて、穏やかで、それでいて賑やかな世界――そんなところで生きるあなたを、私はあなたのすぐ(サイド)で、誰にも気づかれない存在(エフェクト)として――」

 

 

 妹の声が耳をすり抜け、より深い位置へと潜り込んでくる。心の臓を掴まれているような感覚がする。彼女は僕の生命(それ)を、我が子を抱くようにそっと撫でている。

 大庭陽花。僕の妹。僕の隣人(ネイバー)すぐ傍にあるもの(サイドエフェクト)。無数の呼び名があるけれど、こいつは確かに僕と同じものを見てきたのだ。輝けるもの、美しいものを。故に、僕と陽花の()()に対する認識は一致していなければならない。僕はボーダーを素晴らしい場所だと思った。夢のような世界だと思ったのだ。それを否定するような言葉は、ほんの一欠片であろうと耳にしたくない。頼むから、このまま眠りに就かせてくれ。()()()()()()()()()()()()――

 

 

 

 

 

「本当に――クソだなって思いながら見てたよ」

 

 

 

 

 

 ――そんな身勝手な()()は、得てして打ち砕かれるものである。

 

 

「ねえ、紳士のおじさまが言ってたよね。私って、お兄ちゃんの内臓(トリオン)、なんだよね」

「……まだそうと決まった訳じゃない。紳士ウィルバーは専門家でも何でもないんだ」

「じゃあここにいる()は何? お兄ちゃんはどうして、私の心が()えないの? 私がお兄ちゃんの副作用(サイドエフェクト)を生み出す存在だからじゃないの? ねえ、そうやって私のこと突き放してさあ、次にトリガー使う時、『トリガー起動(オン)!』って叫んでみても、()()()()()()()()()()――どうする?」

「……おまえの機嫌を損ねたら、僕はトリオン体に換装出来ないとでも言うつもりか? 馬鹿馬鹿しい」

「そんな風に強がって、後から恥かいても助けてあげないよお兄ちゃん。もう理解ってるでしょ? お兄ちゃんはね、私がいないと何にも出来ないの。トリオン体になれない、正隊員にもなれない、お兄ちゃんを受け入れてくれた、()()()()()()()()()()()()()――」

 

 

 ――()()()

 僕は再び、大庭陽花(ネイバー)からの侵略を受けている。人間のフリをした内臓(化け物)が、僕から全てを奪おうとしている。境界(ボーダー)を踏み越えようとしている。防衛を、自衛のための戦いを、しなければならない。それが僕の仕事だからだ。そうすることで生きていくと、誓ったのだ。

 ベッドから身を起こし、熱に浮かされたような足取りで、僕は個室を出た。武器が必要だった。侵略者(ネイバー)と戦い、殺すための武器(トリガー)が。リビングに行けば手に入る。そうだ、きっとこの時のために、ROOM303(3 0 3号室)には()()()()()が飾られていたに違いないのだ。

 

 

「――そんなお兄ちゃんがさあ、私の存在を蔑ろにして、楽しいことを独り占めするなんて、許されるとでも思ってるの? おかしいよね? ありえないよね? それは本来、()()()()()()()?」

 

 

 僕がリビングへと移動したのに合わせて、声の出所も個室のクローゼットからリビングのそれに移り変わっている。都合がいい。わざわざ個室に戻る手間が省けたわけだ。()()()()()()()()()()()()()()()、そんなことを思った。

 

 

「違うかな? 違わないよね? お兄ちゃんのトリオン体が私の顔をしてるってことは、お兄ちゃんは()()()()()()()()()()()()ってことなんだよ。私の言いたいこと理解る? お兄ちゃんにはね、トリガーを使う資格も、()()()()()()()()()()()()()()()。全部、ぜーんぶ、()()()()()()。OK?」

「黙れ。お前はただの内臓だ。僕の身体の中にあるただの一器官だ。人間様の言葉を口にするな。そうだ――何が妹だ、何が本当の大庭陽花だ! お前は化け物だ、()()()()()()()()()() 僕の心を惑わせやがって、()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 クローゼットに向けて、手にしたバットを投げつける。扉とバット、どちらも木製。同じ木から生まれたものたちが、ぶつかり合って、身を軋ませて、互いに傷付いている。変だよなあ、バットはボールを打つために作られたもので、クローゼットは服を仕舞うための場所なのに、こいつらは何でこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。かたや命を奪うために振り回されて、かたや死体を隠すために使われて、普通じゃないや、こんなの。

 

 

「……ねえ、本当に思わないのかな。()()()()()()()()()()()()って。確かに私は、ただの内臓でしかないのかもしれないよ。でもさあ、それでも確かに、私だって大庭葉月の一部な訳じゃない。そんな私に心が芽生えたら、()なんてものを手に入れちゃったら――こう思っても仕方なくない? ()()()()()()()()()()()()。どうして全部、お兄ちゃんのものなんだろう――って」

 

 

 からんからんと音を立てて転がったバットには目もくれず、今度は木製の椅子を手に取り、持ち上げる。そのまま投げつけてから、思った。

 どうして僕は、()()()()()()()()()()()()()()。顔の見えない相手に向かって、薄っぺらい壁を隔てたまま、もう喋るな、消えてしまえと、癇癪の如くただただ物を投げつけることしか出来ない子供。これが僕の防衛戦争か? これの何処がボーダー隊員の戦いだっていうんだ? 僕がなりたかったのは、那須さんとウィルバー氏が教えてくれたものは、僕に手を差し伸べてくれた人の持つ輝きは、()()()()()じゃなかった筈だ。

 腹の底に鉛が乗ったような重たさを感じる。()()()()()。こんなものは、ちっとも楽しくない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。最高に愉快だったのに。あの写真とこの扉の向こうにいる(内臓)、どちらも同じ、大庭陽花(化け物)の筈なのに。一体何が違うっていうんだ。同じ顔をして、同じように僕から何もかもを奪おうとしている癖に――

 

 

 ――どうして僕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「お願いだよ、お兄ちゃん。扉を開けて。私を見て。気付かないフリしないでよ。私はね、()()()()()()()()()()()()()()()()()殺したければ殺せばいいよ、私も()()しようとしたんだから。でもね? 目を逸らして、耳を塞いで、いないものとして扱うのは――ズルいよ」

「……何がズルいって言うんだ? だって、こんなの、おかしいじゃないか。僕は今、苦しむ必要のないものに苦しめられているんだ。おまえは確かに可哀想な奴だよ。おまえが普通の妹だったら良かったのにって、心の底から思ってるよ。でも現実に生きているのは僕一人だけで、何処までいってもおまえは()()だ。確かに僕は境界(ボーダー)の先で、幸福を手にしたのかもしれない。だけど、僕が()()へと辿り着けたのは、僕が自力であの家を出た(扉を開けた)からだ。()()()()()()()()。おまえみたいに、誰かに扉を開けてもらうことなんか――」

()()()()()()?」

 

 

 ――ああ、畜生。

 この言葉がこれ程までに、僕にとって大きなものになるだなんて思ってもみなかったよ、陽介。

 

 

「――本当に、私にあげられるものなんて何もない?」

「……しつこいぞ」

「私の目の前にね、どうしても自分一人じゃ越えられない壁があるんだよ。その壁を立てている人はとても頑なで、意地が悪くて、私の言うことなんか何も聞いてくれなくて――ホントのこと言うとね? 私だってさ、()()()()んだよ。一生このまま、狭い狭い檻の中から出られないのかなって諦め始めてる。そんな私にさ、お兄ちゃんが()()()()と同じものをくれたら――私もちょっとは、欲張りな私を黙らせられると思うんだよ。それが、私の考えている妥協」

 

 

 扉の向こうから、女の声がする。それは妹の声であり、内臓の声であり、()の声だった。

 それが僕の隣人(ネイバー)、大庭陽花。誰よりも僕の傍にいる、誰よりも理解しがたい存在。

 僕の神様は最後に言った。自分自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ(Thou shalt love thy neighbour as thyself.)と。とてもじゃないが、僕はこいつを愛してやれるとは思えない。だってそんなの、異常じゃないか。相手は内臓だぞ? 人間じゃない、僕の身体の一部でしかないんだ。

 想像してみてくれよ。ある日突然、内臓があなたに語り掛けてくるんだ。私と代わってよ。私がいないとあなたは生きられないんだから、その身体は私のものだよ――って。はい理解りましたと頷いて全てを差し出せる人間が、この世にどれだけいるというんだ? 少なくとも僕には無理だ。僕は決して、聖者になんかなれない。なろうとも思わない。けれど――

 

 

「……けれど、()()なら出来る、か」

 

 

 視界の端に、最後の武器(トリガー)が映っている。机の上の花瓶。そいつはさぞかし、バットや椅子よりも威力のある武器になることだろう。けれど僕は、そいつを手に取ろうとは思わない。こんなもので殴りかかれば、陽花の頭も割れるだろうが、花瓶の方だって粉々になってしまうだろうから。

 砕け散ったものは、二度と元には戻らない。バットを投げて、椅子を投げても、この花瓶だけは割らなかった。そのことがいつか、僕にとっての誇りになる日が来ればいい。

 そんなことを、ふと、思った。

 

 

「――陽花」

「え」

 

 

 呼びかけてみると、扉の向こうから意表を突かれたような反応が返ってきた。なんでかなと一瞬考えてから、気が付いた。

 そういえば、初めて名前で呼んだんだな、(こいつ)のこと。

 

 

「開けるぞ」

「あ――う、うん」

 

 

 真の名を呼ぶ。与えられるべきものを与える。たったそれだけの行為が、こいつの仮面を引っぺがすことに繋がったのか。

 クローゼットを開いた先にいたのは、例の薄気味悪い笑みが剥がれ落ち、やや緊張した面持ちでこちらを見上げている、僕と同じ顔をした女の子だった。

 

 

 ――人間がいた。

 少なくとも、内臓には、見えなかった。

 

 

「……おまえのこと、はっきり言って、まだ信用は出来ないよ」

 

 

 その上で、僕は本心を口にした。壁を破って、正面から向き合ってみても、その認識は変わらなかった。

 けれど、それは多分、こいつのせいではないんだ。僕は誰が相手であっても、心を覗き込まない限り――副作用(サイドエフェクト)に頼らない限り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私がいないと何も出来ない。こいつの言っていることは正しかった。僕にはボーダーにいる資格どころか、普通の人に紛れて生きていく資格だって、本当はないのだ。

 人間、失格。

 こいつを殺した時、僕は本当の意味で、そういうものになってしまうんだろう。

 大庭陽花。僕の中にある、僕の全てを奪おうとしている、受け入れがたいもの。けれど、そんな存在の生み出す不思議な(トリオン)によって、僕は今まで人間のフリを続けることが出来ていた。

 それは、まさしく副作用(サイドエフェクト)

 決して役に立つだけじゃない。こいつを抱えているせいで、苦しむことだってきっとある。今日なんかまさしくそうだった。そしてこれからも、僕と陽花は何度も激しくぶつかり合って、互いに傷付き、折れそうになるのだろう。ROOM303(この部屋)に転がっている、木製の椅子やバットのように。

 その上で、()()は、向き合っていくしかないんだ。

 自分自身を愛するように、汝の隣人(ネイバー)を――

 

 

 

 

 

「でも――いつの日か、愛して(信じて)やれる時が来ればいいって、今はそう思ってる」

 

 

 

 

 

 そう言って、僕は見えない壁にそっと手を合わせた。

 クローゼットの中に入れない、決して死体にはなれない僕が、妹に向けて差し出すことの出来る限界まで、手を伸ばした。

 

 

「……ありがと」

 

 

 照れ隠しのようにそっぽを向きながらも、僕の差し出す手に向けて、陽花もまた手を伸ばした。

 目には見えない境界線(ボーダーライン)の上で、二つの掌が重なった瞬間――あの炸裂弾(メテオラ)に消し飛ばされた時のような、指先から全てが消し飛ぶ感覚に包まれて、僕は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――窓の外から、燦々とした陽光が部屋を照り付けている。

 そんな典型的な朝の始まりを、仰向けに寝かされたソファーの上で迎えた。何処から引っ張ってきたのか、身体には毛布も掛けられている。一体誰の仕業だろう。

 視線を周囲にちらちらと動かすと、机の上にある一枚のメモ用紙が目に入った。ROOM303(3 0 3号室)(ルール)が刻まれた、()()にとって重大な意味を持つ文章。表の面には何の変化もない。続けて紙を引っ繰り返し、裏の文章を確かめる。すると――

 

 

 

 

 

 

クローゼットに死体が入っている 2/7 12/■■

 

 

 あなたたちも不合格。残念だわ。

 ああ、早合点しないで頂戴? 悪い意味じゃないのよ。少なくとも、あなたたちにとってはね。

 スッキリした魂――そう言い切っていいのかは、私にもまだ判らないけれど。

 とにかく、試験はこれで終わりだということ。

 紳士もいない、不思議な部屋も絡まない世界で、今度こそ始めてみるといいでしょう。

 あなたたち、二人の物語を、ね。

 

 P.S. 花瓶を割らなかったのね。偉い子。

 私の趣味ではないのだけれど、お誂え向きの花を挿しておいたわ。

 せいぜい枯れるまで、育てて御覧なさい。それじゃあね。

 

 

 

 

 

 視線を上げて、机の上の花瓶に目を向ける。

 ――向日葵(sunflower)が、咲いている。12月に向日葵っていうのもどうなんだと一瞬思ったが、外からの日差しを浴びて堂々と咲き誇るその大輪は、思いのほか絵になっていた。いわゆる『映える』っていうやつだろう。アグニカ・カイエルの魂! みたいな。詳しくないけど。

 

 

『バカじゃないの?』

 

 

 ぐっ……ちくしょう。これからはこんな感じで随時ツッコミが入るっていうのか。おちおち頭の中で羽目も外せないじゃないか。

 

 

『しょうもないこと気にしてるね。今まで通りの頭おかしいお兄ちゃんでいいじゃん、別に。散々互いにどうしようもないとこを見せ合った後なのに、今更何を遠慮しようっていうの? そういうところがみみっちいよね、お兄ちゃんは』

 

 

 ククク……酷い言われようだな。まあ事実だからしょうがないけど。

 これが僕と陽花の着地点。一人の身体に、二人の心。納まるべき形に納まったと言いたいところだが、あくまでこれは現時点の僕らが導き出した結論だ。これから先、僕らの関係がどう転ぶのかはわからない。未来は無限に広がっている、とでも言えばいいのかな。今のところ肉体の主導権は僕が握っているけれど、それだって陽花の気分次第で、容易く奪われてしまうような危うい舵取りかもしれないのだ。

 ――と僕は一抹の不安を抱いている訳なのだけれど、そこんとこどうなんですかマイシスター。

 

 

『さあ、どうかな~?』

 

 

 おい。

 というかお兄ちゃん思うんだけどね? 僕の思考はおまえに筒抜けっぽいのに、僕は相変わらずおまえの心がこれっぽっちも()えないの不公平じゃねーのかなってすっごい思うんだよ! そう、おまえなんか不公平だ! 公平が出水公平ならおまえは出水不公平だ! どうだ悔しいか!?

 

 

『全っ然意味わかんない……やっぱりウチのお兄ちゃんダメだわ……ねえ、そんなことよりさ』

 

 

 そう――僕は未だに、この脳内妹が何を考えているのか、ほんの少しも理解出来ていない。多分一生、理解する日が来ることなんてないんだろうなと思っている。

 けれど、人間なんて元々、()()()()()()だろう。相手の感情を一方的に覗き込める方がおかしいのだ。

 そういう意味で言えば――もしかしたら、僕にとっての人間というのは、世界にこいつ一人だけなのかも、しれない。

 そんな僕の意識を知ってか知らずか、僕の妹は祈るように、希うように、その言葉を口にした。

 

 

()()()()()()()、お兄ちゃん』

 

 

 僕も花瓶の方を見て、燦然と輝く太陽の花に向けて、応えた。

 

 

 

 

 

「――大切に育てるよ、ずっと」

 

 

 

 

 

 ……花の話だよ。

 僕の世界にいきなり芽生えた、季節外れの花の話だ。それだけ。

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

season0.5~C級隊員編/Child's Play~
西から昇ったお日様が東へ沈む




新章開始です。
今後は基本こんな雰囲気で進めつつ、要所要所で序章の空気に戻るような作風になるんじゃないかと思います。
ですので今回が実質的な第一話のようなものだと思っていただければ幸いでございます。
ワートリはじまるよ~




 

 

 ――ついにこの日が来た、と言わせてもらおう。

 

 

「ボーダー本部長、忍田真史だ。君たちの入隊を歓迎する」

 

 

 体育館――いや体育館って表現は違うか? でも他にこの空間に相応しい呼称が思いつかない。とにかく体育館的な広間に集められた我々訓練生一同は、各員直立不動のいかにも軍人らしい姿勢を取り、壇上から放たれる声に耳を傾けている。

 忍田真史。その肩書は本人の語ったとおり、ボーダー本部長。いわゆる『現場』の頂点(トップ)であり、僕達ボーダー隊員を使()()人の中では最高位の存在と言えるだろう。最高司令官の城戸政宗氏は組織そのものの長であるから、もはや雲の上の御方と言ったところだ。僕如き木っ端隊員が関わる機会など永久に訪れまい。

 

 

「君たちは本日C級隊員……つまり訓練生として入隊するが、三門市の――そして人類の未来は、君たちの双肩に掛かっている」

 

 

 それにしても、訓練生とはいえこうしてボーダー隊員の制服を着て、他の隊員達に混ざりながらお偉いさんの演説を聞いてみると、なんというか――感慨深い。まだ何も始まっていないのだが、ようやくここまで来られた、という気分になってくる。

 

 

『――まあ、()()あったからね』

 

 

 ほんとそれな。

 年が明け、今や日付は1月8日(ようか)。『私の日だね』やかましいわ。()()()から大体2週間ほどが経過した訳だが、その間も僕はボーダー本部へと休みなく通い詰め、仮入隊の立場で体験できることは一通りこなしてきた、と思う。といっても所詮は仮入隊、那須さんとウィルバー氏に教わった以上の知識は特に得られなかったけれども。

 あ、そうそう。ボーダー専属のお医者様に診てもらった結果、僕の副作用(サイドエフェクト)に正式な呼び名が付いた。『感情視認体質』。そのまんまだ。人の気持ちが理解る。()()()()

 他に何もないの? 相手の感情が()()()()()()()()()()とか、誰かに殴られそうになったとき、()()()()()()()()()()()()()()()()()とか――みたいなことを聞かれたりもしたが、そんな便利な力があるならむざむざ父親にボコられることもなかっただろう。

 何となく相手が嫌なことを考えてたらモヤっとしたものが()えるし、良いことを考えてたらキラキラ眩しく()えるとか、その程度のものだ。実にふわっとしている。

 どうやらボーダー的にはもっとこう、戦闘面で役に立つ副作用(サイドエフェクト)を僕に期待していたようだ。申し訳ありません、期待に応えられないことに定評のある男で。

 

 

「日々研鑽し、正隊員を目指してほしい」

『……なーんか間接的に私がディスられてるような気がする』

 

 

 は? いや待て、そういうことになるのか? 僕の副作用(サイドエフェクト)トリオン器官(陽花)によって生み出されているのだから、副作用(サイドエフェクト)への文句=陽花への悪口ってことになってしまうのか? うーん、この無駄にめんどくさい僕の人体構造……。

 

 

『ふーん、私のことめんどくさいとか言っちゃうんだー、ふーん。訓練中にいきなりトリオン体(変身)を解除されても泣いちゃダメだよお兄ちゃん』

 

 

 その反応が既にめんどくさいっていうかそれは普通に洒落にならないので止めていただきたい。

 さて、僕は現在トリオン体で入隊式に参加している訳なのだが、その外見は相変わらず()の――もとい、大庭陽花(いもうと)のものになっている。ウィルバー氏もちらっと言っていた通り、身長や体重など手を加えることで生身との違和感が大きくなる要素でなければ、トリオン体の外見はある程度自由に調整できるとお医者様からも教えてもらった。

 けれど僕は、それで陽花の身体を無理矢理弄って()へと戻そうとは思わなかった。陽花の言う通り、トリガーがトリオン体の構築対象に僕ではなく陽花を選んだのであれば、少なくとも身体面に関してはそれに倣うべきだと思ったからだ。

 ……あるべき性別(かたち)を他人の意思で歪められるっていうのは、()()()()しな。うん。

 

 

「君たちと共に戦える日を待っている」

『うふふ、優しい優しいお兄ちゃん……でもね? それを言うなら、頭脳(コントロール)も立派なカラダの一部だと思わない?』

 

 

 ――いいや、(コントロール)はあくまで僕のものだ。ここに関しては譲れない。僕の絶対防衛線(ボーダーライン)だ。

 

 

『ああ……おかしな部屋に住んでるせいでお兄ちゃんがすっかりオカルトに染まってしまって……妹は兄の将来に一抹の不安を感じます……よよよ』

 

 

 そういうおまえのキャラ付けも相変わらず安定しないな。生後2週間なだけのことはあるわ。

 おかしな部屋と陽花は口にしたが、とりあえず今のところ、ROOM303(3 0 3号室)は僕らにとって不都合となる異常性を発揮してはいない。牙のように見えた壁の模様が本物の牙になって噛みついてきたりとか、表のメモ(ルール)の取り消し線がいつの間にか消えていたりとかそういうこともなかった。

 ああでも、"この部屋では考えたことを隠すことはできない"の方は依然として機能しているな。僕一人にだけ。不公平に。

 

 

『ていうかそれ、部屋の中に限った話じゃないしね』

 

 

 ちくしょう。

 語るべき事柄は二つ。受付の女性が姿を消したことと、部屋の向日葵は今日も元気に咲き誇っていますよということ。

 "それじゃあね"と書かれていたとおり、あの文章を読み終えた後に受付へと降りてみると、そこにいたのは至って平凡な『失礼だね』確かに。とにかく何ら変わったところのないボーダー職員さんで、あのもさもさした髪型の女性の姿は何処にもなかった。()()()()()()、ということだろう。

 最後まで謎の多い存在であったが、僕がやりたいのはその謎を解き明かすことではない。故に、彼女の話はこれで終わりだ。もう二度と会うこともないだろう。

 問題は彼女の置き土産、花瓶に生けられた一輪の花の話だ。例の日から2週間ほどが経過したと先にも述べたが、切り花の向日葵というのはせいぜい1週間も持てばいい方で、その倍ともなればすっかり花弁は削げ落ち、茎も腐って、見るも無残な有様に成り果てていてもおかしくない時間が経っているのである。

 ところが我が家の太陽の花(sunflower)、今朝もすこぶる満開であった。枯れるどころか老いて益々盛ん、といった感じである。『老いてないから。新鮮だから。玉のようなお肌だから』いや、陽花(おまえ)の話じゃなくてね。

 とにかくそういうワケで、依然としてささやかな()()を抱えながらも、僕らは無事に年を越え、新たなる物語(いちねん)の始まりをこうして迎えられていますというお話でした。

 近況報告、おわり。

 

 

「私からは以上だ。この先の説明は嵐山隊に一任する」

『……ところでお兄ちゃん、さっきから誰に向けて喋ってるわけ?』

 

 

 さあな……そこんとこだがおれにもようわからん。

 

 

『うそだろ承太郎』

 

 

 いやホントに。

 ……というか、おまえは一体どこでどうやって読んだんだ、ジョジョ?

 

 

 

 

 

 

 

 脳内漫才を続けている間に忍田本部長が壇上から消えていた。何を言っているのかわからないと思うが僕にも『ジョジョはもういいよ』せやな。

 えーと何だって? 本部長は最後になんて言っていた? "嵐山隊に一任する"だっけか。

 嵐――嵐山隊か! 広報部隊(ご当地アイドル)の! おお、気付けばもう訓練生(僕ら)の前に姿を現しているじゃないか。隊長の嵐山さんに、名前を失念してしまったが眠たげな目つきが印象的な子とヘラヘラドヤ顔二丁狙撃銃(ツインスナイパー)! 『銃持ってないじゃん』いやいつもは持ってるんだよホントだよ。

 オペレーターの綾辻遥さん(ジャイアン)は不在か。確か、オペレーター志望の子は別の会場に集められているとか()()が言っていたような気がする。きっとそっちの案内役(ナビゲーター)を務めているんだろう。

 ……綾辻さん抜きだと、男三人で意外と華に欠けるな嵐山隊。こんな感想を抱いてしまうのは、最近我が家にもささやかな彩りが添えられたせいだろうか?

 

 

『うふふ』

 

 

 ――花の話な、花の。

 生嵐山隊を前に興奮を隠せないのか、訓練生達の間でも何やら"ざわ……ざわ……"といった感じのどよめきが起こっている。お茶の間デビューから半年程度ながら流石の人気だ。ひょっとしたら第2第3の広報部隊(アイドル)を目指して入隊した子なんかもいるのかもしれないな。

 

 

「さて。これから入隊指導(オリエンテーション)を始めるが、まずはポジションごとに分かれてもらう」

 

 

 ……いやあ、さっきは勢いで華がないだなんて言ってしまったが、こうして間近で拝んでみると周りが騒いでいる理由もワカるような気がするよ。

 爽やかを絵に描いたようなその人が口を開くと、訓練生達の意識は吸い寄せられるように彼へと向いていく。まさしく嵐の中心、という感じの風格(オーラ)を持っていた。

 

 

攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)を志望する者はここに残り、狙撃手(スナイパー)を志望する者はうちの佐鳥について訓練場に移動してくれ」

 

 

 佐鳥。ああそうだ思い出した佐鳥賢だ。嵐山さんの横で親指をくいっと立てて自分を指しているドヤ顔マンの名前は。

 さて、嵐山さんの説明に従い周囲が散り散りになり始める中、依然として僕はその場にぼっ立ちしながら考えていた。

 ――射手(シューター)はどこへ行けば?

 せっかくウィルバー氏に勧めてもらったのだからとりあえずはこいつを使っていこうということで、僕は初期トリガーに炸裂弾(メテオラ)を選んだ。拳銃型(ハンドガン)突撃銃型(アサルトライフル)擲弾銃型(グレネードガン)など様々なスタイルを選択できるようだったが、そこも捻らずに(他と比べれば)使い慣れた豆腐型(キューブ)だ。

 で。銃型トリガーを使わないで弾丸を飛ばす僕みたいなタイプは射手(シューター)と呼ばれるポジションに属するのだとウィルバー氏からは教わっているのだが、その射手(シューター)に対する言及がない。ついでに言えば特殊工作員(トラッパー)無視(スルー)されている。忘れていないぞスイッチボックス。おまえのせいで僕は2回もお手軽無理心中する羽目になったんだからな。『もぎゃあああ……』うるさいよそこ。

 

 

「――あ、いたいた。彼がそうよ」

「……()、ですか? うーん、ホントに女の人にしか見えないですねえ……おまけにかわいい……どぅわあああ……」

 

 

 ――その機動戦艦の女艦長を務めていそうな声は! 詳しくないけど!

 

 

「那須さん!」

「ええ、那須さんよ。あけましておめでとう、大庭くん」

 

 

 狙撃手(スナイパー)組が他所に移って人の波が割れた影響か、ようやく見知った顔と出会うことに成功した。相変わらずの薄い微笑みを湛えている那須さん。あれから何度か病室へと趣き顔を合わせてはいたが、正式入隊前の最終的な身体検査やら何やらで忙しくなるからと、今年に入ってからはまだ顔を合わせていなかったのだ。というわけで、まずはこちらも新年のご挨拶から。

 

 

「あけおめ」

「ことよろ」

「那須先輩がことよろって言った……!?」

「そんなに驚くことかしら茜ちゃん」

「すっ……すみません! 那須先輩の口からそんな言葉が出てくるだなんて思ってなかったので、不意を突かれたと言いますかその」

「そう。いい機会だから知っておいてちょうだい。私はことよろと言える女だと」

「は、はい! 『日浦は基本的に何も知らないやつだよな』とかよく言われるので、ボーダーではそういうこと言われないように頑張ります! 那須先輩はことよろと言える女、那須先輩はことよろと言える女……」

 

 

 その知識生きていく上で何か役に立つことってあります? そうツッコミたい意識をぐっと抑えつつ、僕は那須さんの隣でぶつぶつと呟いている女の子へと視線を向けた。

 元気で活発な印象を与えるツインテールの上にハンチング帽を被った、やや小柄な背丈の娘だ。那須さんのことを先輩と呼んでいたから僕にとっても後輩に当たる訳だが、そういう認識を踏まえてから見ると、なんとなく『後輩女子』的なオーラが漂って見えなくもない。

 明るく前向きな心を胸に宿した、"頑張れ!"って感じの女の子だ。『お兄ちゃんヒロアカも好きだよね』だからおまえはおまえで何処からそういう漫画知識を得ているんだよ。僕の脳内本棚か? 借り物だらけだぞ。

 

 

「紹介するわ、大庭くん。くまちゃん(私の友達)の後輩で、日浦茜ちゃんっていうの。仲良くしてあげてね」

「は――はじめまして、日浦です! えーと、那須先輩からお噂はかねがね……」

「ああ、はじめまして。大庭葉月です。どういう風に聞いてるのかな、僕のこと」

「『ほげえええ……』って言ってあげると元気になるって聞きました!」

「なるほど。いいかい日浦さん、その女の言うことはもう二度と信用しなくていいからね」

「はい! ……ええ!?

「純粋なんだね」

「かわいいでしょう?」

「そうだね。裏表のないとても良い子だ。()()()()()()()よ。で、そんな後輩にあることないこと吹き込んで、君の心は痛まないのか那須さん」

「あら、嘘は言っていないでしょう? 怒りだって立派な気力の源だもの」

「どうせならもっとポジティブな感情を引き出してくれる言葉が欲しいところだ」

「『がんばれ♡ がんばれ♡』みたいな?」

「それはもう古いかな。最近は『ざぁーこ♡ ざぁーこ♡』っていうのが流行りらしいよ。詳しくないけど」

「雑魚って言われると元気が出てくるの?」

「世の中には普通じゃない人が沢山いるってことだよ」

 

 

 僕みたいにね。

 ……いや、この流れで僕を引き合いに出すと、まるで僕にそっちの気があるみたいじゃないか。なしなし、今の喩えはなし。『ふふふ……良いこと聞いちゃった……』なしって言ってんだろ。

 

 

「どぅわああ~……勉強になります。『ざぁーこ♡』って言われると元気になれる人もいる……」

「茜ちゃん。そのひとの言うことはもう二度と信用しなくていいからね」

「誰も信じられない!?」

「純粋過ぎるのも考えものだなあ」

「それでも私達は、この純粋さを守っていかなければならないのよ大庭くん」

「あっはっは。自分らホンマおもろいなあ、おまけにみんなカワイイし」

『うふふ。お兄ちゃん可愛いって』

「おまえの顔だろ、おまえの――うん?」

 

 

 なんかしれっと『俺も混ぜてよwww』的な勢いで割り込んできた関西人がいる。

 声のする方に視線を向けると、日浦さんとはまた別の帽子頭がそこにいた。いや、帽子っていうよりサンバイザーっていうのかなこれは? 上から髪見えてるし。ついでに言うと、バイザーの下にはイケメンの顔が隠れていた。俗に言う泣きボクロが右目の下についている、飄々とした笑みの男の子だ。歳は僕らと同年代かな、多分。

 

 

「ども。おれな、ボーダーにスカウトされてはるばる大阪くんだりから三門(こっち)へと越してきたねん。隠岐孝二や、よろしゅーな」

「ああ、どうも。大庭葉月です」

「那須玲です」

「ひ、日浦茜です! よろしくおねがいします!」

「ああ、帽子の子――日浦ちゃんはええけど、そっちの二人はタメ口で頼むわ。15やろ? おれと同い年や。女の子のトシだけは外さないようにしてんねん、そこでしくじると面倒やねんな」

「歳は確かに合ってますけど、僕は男ですだよ」

「あっはっは。三門(こっち)やとそういう冗談もアリなん? 進んどるなあ」

 

 

 さらりと笑い飛ばされてしまった。いやまあ、そりゃそういう反応にもなるよな。実際に身体の方は完全に陽花(おんな)のものなのだから節穴という訳でもなし。換装解いたら一発なんだけど、入隊式の真っ最中に生身に戻るのもなあ。集会中に突然服を脱ぎ出すようなものだ。悪目立ち待ったなし。

 それにどうやら、彼のお目当ては僕ではなさそうだ。隠岐孝二は自分と同じ帽子頭の女の子へと視線を移して、柔和な笑みを浮かべたまま口を開いた。

 

 

「日浦ちゃん。自分狙撃手(スナイパー)志望やろ?」

「は、はい! そうです! なんでわかったんですか!?」

「仮入隊ん時な、狙撃手(スナイパー)やりたいなら日差し除けに帽子被っとくと捗るって教わってんねん。せやからおれもこんなん被ってるんやけど、日浦ちゃんもそのクチやったみたいやな」

「はえ~……帽子にそんな効果あったんですね、わたし全然知りませんでした……」

「あれ、ひょっとしてただのオシャレなん?」

「は、はい。お恥ずかしながら……その、帽子集めが趣味なんです、わたし」

「ええ趣味やん。何も照れることないで。で、そんな日浦ちゃんから見ておれのバイザー(帽子)はどう? ダサない?」

「い、いえいえいえ! ダサいなんてことないです! よく似合ってます!」

「おおきに。でな、そんな日浦ちゃんに一つ教えてあげよう思って声掛けたねんけど」

「は、はい。なんでしょう?」

()()()()()()()()()な、もうとっくにこの会場から出ていってしもたで」

「――へ?」

「佐鳥くんやっけ? あのドヤ顔くんの名前。それに連れられてドナドナド~ナ~やわ。残っとるのおれら二人だけ」

「どぅっ……どぅわああああああああああああ!?」

「日浦ちゃんておもろい悲鳴あげる子やなあ」

 

 

 それは僕も思っていた。しかし日浦さん、狙撃手(スナイパー)志望だったのか。普通に僕らと雑談してるから攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)のどっちかだと思っていた。狙撃手(スナイパー)っていうのは感情を殺せる仕事人みたいな性格でないと務まらないポジションだという偏見があるのだが、日浦さんはその……大丈夫だろうか? 出だしからこれなのでついつい老婆心が働いてしまいそうになる。

 見るからに落ち着きを失ってわたわたとし始める日浦さん。そんな彼女を愉快そうに眺めている隠岐孝二。置いてけぼりを食らったのは彼も同じの筈なのだが、随分と態度に余裕がある。

 まあ、彼が何ゆえに会場に残り日浦さんへと声を掛けたのか、何となく僕は察しが付いていた。普通なら何だこのチャラ男丸出しのナンパマンはと警戒するべき場面なのかもしれないが、そういった下心は一切()えなかったので。

 

 

「まあ、ごめんなさい茜ちゃん。私が引き留めちゃったせいよね」

「い、いえいえ! 那須先輩のせいじゃないです! わたしがぼけっとしてたのが悪いんです! どぅわわ、どうしましょう……?」

「ま、向こうに着いたらこう言えばええやろ。『すみません、この人にナンパされてたせいで遅刻しちゃいました』って」

 

 

 そう言って自分を指差す隠岐孝二。やっぱりそういう目的だったのか。気配りの出来る男だな。地元じゃさぞかしモテたことだろう、ルックスもイケメンだし。『マウンテン・おっきー』確かに帽子被ってるけれども。

 

 

「え、ええ!? それはダメですよ! 隠岐先輩は叱られる理由ないじゃないですか!」

「さっさと日浦ちゃんに声掛けないで、足止めてきみらの話聞いとった時点でおれも同罪やって」

「ぐむむぅ……し、しかしぃ……」

「そういうことなら、普通に二人で怒られればいいんじゃないかな」

「そこは男に見栄張らせてや大庭ちゃん」

「隠岐くん一人を悪者にしたら日浦さんの方に立つ瀬がないでしょ。あとお願いだからその呼び方だけはやめて下さい。やめろ」

『私もなんかおばちゃんみたいでいやー』

陽花(ラドン)もそうだそうだと言っています」

「どこにラドンがおんねん。てか、おれもくん付けで呼ばれるんは正直微妙やわ。もっとフランクに呼んでくれてええで」

「じゃあおっきーで」

「あっはっは、大阪でも友達からはそう呼ばれとったわ。この名字やとそうなる運命なんやなあ。ま、そんな感じで頼むで、づっきー」

「そう来たかー」

 

 

 づっきー。ズッキーニみたいな綽名を付けられてしまった。まあ葉月ちゃんとか呼ばれるよりは万倍マシか。その呼び方は()だった頃に聞き飽きてるからな。

 

 

『……そうなの?』

 

 

 そうなんだよ。

 まあなんだ、僕らにはもう関係のない話だ。忘れてくれ。

 

 

「んじゃま、二人仲良く怒られに行こか日浦ちゃん」

「わ、わたし出来る限り隠岐先輩が怒られないようフォローしますから! そこは譲りませんからね!」

「あはは、日浦ちゃんはええ子やなあ。きっとみんなから好かれると思うで」

「その、ありがとうおっきー君。茜ちゃんのこと、よろしく頼むわね」

「綽名にくん付けってまた随分な()()()やなあ……ま、これはこれでアリか。引率役、任されたで那須さん。ほな、また」

 

 

 あ、おっきーのチャラ男パワーをもってしても那須さんをちゃん付けすることは叶わないのか。凄いぞ那須さん。強いぞ那須さん。

 日浦さんを引き連れて、駆け出すわけでもなくテクテクとマイペースに会場の出口へと向かっていくおっきー。「ところで、ドヤ顔くん達ここ出た後どっち行ったんやろなあ」「どぅえっ!?」なんか去り際に不安になる会話が聞こえたような気もするが、まあきっと大丈夫だろう。たぶん。メイビー。

 

 

『信じて送り出した茜ちゃんが佐鳥の変態(技量的な意味で)訓練にドハマリしてドヤ顔ツインスナイプに目覚めて帰ってくるなんて……』

 

 

 いきなり人の頭の中に訳わかんないネタぶっ込んで来るのやめてくれません?

 それにツインスナイプとか言ってるけど、彼のアレはテレビ向けのファッションだろう。まさか実戦でも二丁構えてぶっ放してるとか思ってないだろうな。そんなん出来たらそれこそ変態だよ、変態。佐鳥賢は変態(風評被害)。

 

 

「あ、そうだ那須さん。那須さんは当然、初期トリガーは豆腐型(キューブ)変化弾(バイパー)だよね?」

「ええ、今のところそれしか扱えないもの。炸裂弾(メテオラ)にもちょっとだけ興味はあるけれど」

「ってことは僕と同じで射手(シューター)なワケだ。あのさ、嵐山さんの説明で射手(シューター)がスルーされてたと思うんだけど、僕らもここに残ってていいのかな」

「ああ、ウィルバーさんも私もうっかりしていたわね。射手(シューター)というのは本来独立したポジションじゃなくて、『銃型トリガーを使わない銃手(ガンナー)』のことを指しているのよ。だから厳密に言えば、私達のポジションは銃手(ガンナー)なの」

「あ、そうなんだ。銃手(ガンナー)から派生して生まれたポジションなのかな?」

「どうなのかしら――何にせよ、大抵の場合は別のポジションとして扱われるんじゃないかしら? 個人戦のランキングなんかでも、銃手(ガンナー)1位と射手(シューター)1位は分けて語られるって聞いているし」

 

 

 なるほど。ということは一緒くたにして扱われている今回が例外というわけか。

 『基本的に何も知らないと言われる』日浦さんは自分のことをそんな風に言っていたが、知識を貪欲に身に着けていかなければ置いていかれてしまうのは僕も同じことだ。仮入隊期間のおかげで今日初めてトリガーに触れるような隊員よりはアドバンテージがあるだろうが、僕とて生まれたての訓練生(ひよっこ)。あらゆる知識を無駄にすることなく、身に着け、蓄え、糧としていこう。

 

 

『意識高い()なんだね、お兄ちゃん』

 

 

 系を付けるな、系を。

 ――さあ、とにかく今日から、正式なボーダー隊員生活の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……見たか? 水上。いきなり女の子らに粉かけていきよったで、隠岐(あいつ)

「しかも一人お持ち帰りしていったっすね」

「ありえんやろ……俺が同じように話しかけたら間違いなく即警察(サツ)呼ばれてそのままお縄やん……あれがイケメン無罪ってやつなんか……?」

「まあ、確かに今のイコさん不審者呼ばわりされてもしゃーない見た目してますけどね。どしたんすかそのゴーグル」

「ボーダー入ったらあのアラシヤマって奴みたいにテレビとかがんがん出まくれるんやろ? スカウトの人にビデオ見せられたからよう知っとるで。せやけどカメラの向こうの人と目ぇ合わせんの恥ずいやん。せやからゴーグル(こいつ)で目線隠してな、見つめ合いっぽくならないように演出すんねん。気分はさながらイレイザーヘッドや」

「アラシヤマさんとこが広報部隊いうて特別扱いされとるだけで、ヒラ隊員やと特にそういうんはないって聞いとりますけど」

「は? うせやん? せやったら俺どうやってテレビ映ったらええの? オトンとオカンと祖父(じい)ちゃんにも俺の活躍お茶の間から応援しとってや言うて出てきたんやけど俺」

「アラシヤマさんと仲良くしとったらワンチャン部隊(チーム)に入れてくれたりするんやないですか」

「それや。おまえ天才やな水上。確か俺とタメやって聞いとるし、式終わったらアラシヤマに全力で絡みに行くわ。頬っぺたとかガンガン突っついたろ」

「その押しの強さを女子相手にも出せないもんっすかねこの人は……」

「アホ抜かせ、このシャイが服着て歩いとるような男になんつう無茶振りすんねん。いやホンマ、シャイで辞書引いたら用例の三番目くらいに『生駒達人のようにシャイ』とか載っとるから。今度見てみぃや」

「ナポレオンの持ってる辞書よりも役に立たなそうっすね、それ」

「まあとにかく隠岐や。あいつホンマ許せへん。俺もあいつみたく女の子とお喋りしたいねん」

「嫉妬丸出しやないですか」

「『モテたい』は男の共通願望やろが! しかも隠岐(あいつ)が唾つけた子らの顔見とったか? 三人ともごっつうレベル高かったやん。特にあのショートボブの子がめっちゃいい。可憐って言葉を絵に描いたような見た目しとるで」

「イコさんの口から可憐とかいう単語が出てくるとそれだけでギャグになるからズルいっすわ」

「言うほどか? 可憐も華麗もカレーも大して差ぁないやろ。俺の好きなカレーの話したろか?」

「2年後くらいに興味あったら聞かせてもらいますわ」

「ナスカレー……」

言うんかい!! ……あー、まあ2年もしたら忘れとるやろ多分……」

 

 






BBF2が世に出たら即破綻する大捏造その1。
こんな感じでバンバン嘘ついていきますが宜しければ次回以降もお付き合い下さい。
次回は入隊式名物、かわいそうなバムスター君編。
妖怪名札むしりになるお仕事で忙しいので更新が空くかもしれませんが多分他所も似たような感じだと思うので私は謝らない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ふたりはコアデラ!

名札むしりにマッハで飽きたので続きを書きました。
こうやってサボるから後々素材が足りないっつって泣く羽目になるんだよなあ……。


「改めて――攻撃手(アタッカー)組と銃手(ガンナー)組を担当する、嵐山隊の嵐山准だ。まずは、入隊おめでとう」

 

 

 ありがとうございます。

 

 

「忍田本部長もさっき言っていたが、君たちは訓練生だ。B級に昇格して正隊員にならなければ、防衛任務には就けない。じゃあ、どうすれば正隊員になれるのか。最初にそれを説明する。各自、自分の左手の甲を見てくれ」

 

 

 『2500』

 この数字の意味なら、那須さんに教わったので既に知っている。けれどせっかく嵐山さんが丁寧に説明してくれているのだから、今はただただ彼の言葉に耳を傾けるとしよう。

 

 

「君たちが今起動させているトリガーホルダーには、各自が選んだ戦闘用トリガーがひとつだけ入っている。左手の数字は……君たちがそのトリガーを、どれだけ使いこなしているかを表す数字だ。その数字を『4000』まで上げること。それが、B級昇格の条件だ」

 

 

 ちら、と隣に視線をやると、『3500』と刻まれた手の甲をこちらに見せつけてドヤ顔しているお美しいお嬢さんがいらっしゃいました。高っ。

 

 

「ほとんどの人間は1000ポイントからのスタートだが、仮入隊の間に高い素質を認められた者はポイントが上乗せされてスタートする。当然その分、即戦力としての期待がかかっている。そのつもりで励んでくれ」

「……ですってよ、3500のお嬢さん」

「期待に添えるよう全力を尽くします、とだけ言わせてもらうわ」

 

 

 これっぽっちもプレッシャーを感じてはいないようだ。流石の度胸。

 那須さんが関わっている研究(プロジェクト)の成果を証明するにあたって、彼女の初期ポイントはある程度の下駄を履かされているという話は聞いていた。しかし3500ともなれば、これはもうさっさと訓練生(C級)など卒業して正隊員(B級)になってしまいなさいというお上の意向が透けて見える。実質上の飛び級扱いだ。

 とはいえ、この数字がただのこけおどしではないことを僕はもう知っている。僕らの周りで那須さんの数字に気付いてざわざわしている子達も、すぐに僕と同じ理解に至ることだろう。そういう確信がある。

 

 

「ポイントを上げる方法は二つある。週2回の合同訓練でいい結果を残すか、ランク戦でポイントを奪い合うか。――まずは、訓練のほうから体験してもらう。ついて来てくれ」

 

 

 あ、結局僕らも移動なのね。これで廊下出たら未だに行く先分からないで彷徨ってるおっきーと日浦さんがいたりしないか心配だ。

 

 

『迷子の迷子の子猫(あかね)ちゃん、あなたのお家はどこですか?』

 

 

 そりゃ三門市のどこかだろう。

 彼女がボーダー隊員である限りは。

 

 

 

 

「さあ、到着だ。まず最初の訓練は……」

 

 

 嵐山さんに連れられた僕らが辿り着いたのは、半透明の高い壁天井に覆われた客席付きの訓練場であった。訓練生(ルーキー)の様子を確かめに来たのか、客席には正隊員と思われる私服姿の少年少女がちらほらと見受けられる。

 あ、陽介もいた。例のマフラーの人と一緒だ。公平はまだ出張から帰ってきていないのかな? 手でも振ったら気付いてくれるだろうかと一瞬考えたが、この顔(トリオン体)でそういうことやると誤解を招く恐れがあるな。大人しくしておこう。というか仮入隊の間に説明しておけばよかったな。

 それから客席をざっと見回して、()()の姿も探してみたのだが――どうやら来ていないようだ。

 ……ま、まあ、まだ正式なチームメイトって訳でもないしね。うん、期待なんかしてなかった。期待なんかしてなかったぞ。

 

 

『おー、よしよし。よしよーし』

 

 

 やめろ。生後2週間の癖に母性を感じさせるような声で兄の心を慰めようとするのはやめろ。

 

 

「――対近界民(ネイバー)戦闘訓練だ。仮想戦闘モードの部屋の中で、ボーダーの集積データから再現された近界民(ネイバー)と戦ってもらう」

 

 

 嵐山さんがそう告げると、訓練生の間で軽いどよめきが起こる。気持ちは理解らないでもない。まだ碌に武器(トリガー)の使い方も習っていないうちから即実戦とは、ボーダーの教育方針というのは思いの外スパルタ路線であるようだ。ある程度とはいえ、的当て(バド狩り)の前に弾丸トリガーの知識を叩きこんでくれたウィルバー氏は優しかったな。年が明けてもお元気でいらっしゃるだろうか。

 

 

「仮入隊の間に体験した者もいると思うが、仮想戦闘モードではトリオン切れはない。ケガもしないから思いっきり戦ってくれ」

自爆しても(ほげっても)安心だものね」

「だまらっしゃい」

「今回戦ってもらうのは、『初心者(ビギナー)レベル』の相手……君たちも見たことのある、大型近界民(ネイバー)だ」

 

 

 キィィィイ……という転送音と共に、訓練場にいつぞやの巨大一つ目うさみみが現れる。

 お久しぶりですバムスター君。先日はお世話になりました。

 

 

「訓練用に少し小型化してある。攻撃力はないがその分、装甲が分厚いぞ」

 

 

 なるほど、言われてみれば確かにこの間の子よりもやや小さく感じる。

 しかしさらっと『大型近界民(ネイバー)』だなんて紹介されているけど、君って本当はただのロボット(トリオン兵)なんだよなあ。正隊員になれば教わること、ウィルバー氏はそう言っていたけれど――本当の近界民(ネイバー)の正体というのも、その時になったら教えてもらえるんだろうか? まあ、今はどうでもいいか。

 

 

「制限時間は一人5分。早く倒すほど評価点は高くなる。自信のある者は高得点を狙ってほしい」

 

 

 ほほう、タイムアタック方式ですか。早解き()()が条件。なるほど。

 装甲の厚いバムスター君。僕の装備は炸裂弾(メテオラ)。相手の情報、そして那須さんとウィルバー氏から学んだことを活かして、今の僕に叩き出せる最高の記録を狙っていく。那須さんほどではないとはいえ、僕だってそれなりにポイントを上乗せされての挑戦となるのだ。この左手の数字(2500ポイント)に相応しい結果を残さないとな。

 

 

『最初のうちからそんなに気負ったってしょうがないと思うけどなあ』

 

 

 浅学な妹に兄が一つ格言を教えてやろう。

 何事も最初が肝心なので多少背伸びするくらいが丁度良い、だ。

 

 

『銀魂じゃん』

 

 

 だからなんで知ってんの? お兄ちゃんより詳しくない?

 

 

「説明は以上! 各部屋始めてくれ!」

 

 

 嵐山さんの号令と共に、部屋の外から銃撃音やら爆発音やらが鳴り始める。そうか、訓練生の数が随分減ったと思ったら部屋ごとに班分けされていたのか。あれじゃあもしかしたら巡り合わせが悪かっただけで別の部屋にカゲさん達が見に来てる可能性も『他人に願望は抱かない(キリッ)』クソァ!!

 我が部屋の訓練生は全部で5人。僕と那須さん、それから男子の隊員が3名だ。何となく男性陣と僕らの間に距離を感じるのだが、これは(外見的には)女子が相手だからということで遠慮されているのだろうか? ダイジョーブだよ、僕男だよ、コワクナイヨー。

 

 

「――さて。それじゃあ誰から行く?」

 

 

 あ、嵐山さんが喋った。『今までもずっと喋ってたじゃん』いやそうなんだけどさ、なんとなく台詞に()()()()()()()があったというか、毎回入隊式の度に同じこと言わされてるんだろうなあ的なテンプレ臭を感じたもんだから驚いてしまった。忍田本部長からも似たようなものを感じたな、そういえば。

 那須さんと顔を見合わせる。レディファースト、ということで彼女に先陣を切ってもらうこともちらりと考えた。あと正直に言うとバムスター君の硬さがどれだけのものか判らないので、誰かに試し切りしてもらいたいなあという打算もちょっぴりあったりした。が、

 

 

『踏み台の役を女の子に押しつけるのは男らしくないよねー』

 

 

 ですよね。

 ということで大人しく一番槍に名乗り出ようとしたところで、

 

 

「はい! オレオレ! オレが最初にやりまっす!」

 

 

 明るい色の前髪をツンツンと尖らせた少年が、勢い良く挙手をして嵐山さんの前へと躍り出た。おお、誰かは知らないがやる気満々だな。

 

 

「元気な子だな! それに度胸もあるようだ! 君、名前は?」

「うっす! 小荒井登っす! 友達(ダチ)からは気軽にコアラって呼ばれてます! こいつは呼ばないけど」

「オレの話はいいだろ、別に……あ、奥寺常幸です。よろしくお願いします」

 

 

 前角(コアラ)くんの隣で、軽い会釈をする黒髪の後角(奥寺)くん。何とも対照的な二人である。ボーダーに入る前から付き合いがあるっぽいな。べたべた仲良しこよしって感じの関係ではなさそうだが、男同士の友人関係というのはそういうものだろう。ソースは陽介と公平。『そこは自分も含めなよ』……おお? ああ、うん。

 

 

「よし! コアラ、君が一番手(トップバッター)だ。その次に奥寺くん。それでいいかな?」

「え? いや、オレはもう少し後でも……」

「おまえ毎回そうやって様子見するよなー。せっかくボーダー入ったんだからそろそろ変えろよ、そういうとこ」

「……オレはおまえと違って慎重なんだよ。そうやってノリと勢いだけで突っ走ってると、いつか痛い目見るぞ」

「いつかっていつだよ?」

「ひょっとしたらこの後すぐかもな」

「んなワケあるか!」

「中々に切れの良い返しだな奥寺くん! その切れ味を近界民(ネイバー)相手にも出せれば言うことなしだ! コアラも、その負けん気は仲間じゃなくて近界民(あっち)にぶつけてくれ。いいかな?」

「おお、モチロンっすよ!」

 

 

 なんか早速言い争いになりかけてた空気を嵐山さんが強引に纏めていった。毎回こういう感じで癖の強い新入隊員たちをパパっと纏めながら入隊式の進行役を務めているのだろうか。頭が下がる思いである。

 ふんすと鼻息荒くバムスター君と対峙したコアラ君が、()()()()()()()()()()()()()()。そう、コアラ君と奥寺くん、そしてもう一人の男子隊員。彼らは皆、ジャパニーズ・サムライの如く帯刀していたのである。ボーダーにはこういう武器(トリガー)もあるのだなあ。ちょっとそそられる。扱える気はまるでしないのだけれど。

 

 

『1号室、用意』

 

 

 訓練室にノイズ混じりの男性の声が響く。誰の声かは判らない。

 両手で握った刀を自分の身体の中心に据え、バムスターへと突きつけるように構えるコアラ君。俗に言う正眼の構えというやつだ。剣道の基本フォームですね。

 

 

『始め!』

「おらっしゃあああああああああ!!」

「どんな掛け声だよ……」

 

 

 まあそう言うな奥寺くん。気合の入れ方は人それぞれだよ。

 コアラ君とバムスターの相対距離は約2m、いわゆる一足一刀の間合いだ。即ちコアラ君は一歩踏み込むだけでバムスターに一撃を叩き込める。コアラ君はその初撃を、眼前に壁の如く聳え立つバムスターの腹部へと打ち込んだ。勢い良く振りかぶってからの袈裟斬りであったが、一刀で両断できるほどバムスター君はやわではなかったようだ。装甲にやや傷が付いたくらいで、依然としてピンピンしている。

 

 

「げっ、こいつ硬ぇ!」

「嵐山さんの話聞いてなかったのかよ! 攻撃力がない分、装甲が分厚いんだって!」

「いや、聞いてたけどここまで効かねーなんて――」

 

 

 あ、バムスター君が怒った。『()()()の?』いや視えないんだけど、なんかそんな感じがする。

 四足歩行の巨体が左の前足を高々と持ち上げ、コアラ君の頭上に影を生み出す。え、踏むの? 踏んじゃうの? ――踏んだ!

 

 

「うわあ!?」

 

 

 間一髪、横っ飛びに避けたコアラ君を掠めるように怪獣(バムスター)の左足が重々しく地面に降ろされて、訓練室を軽い地響きが揺らす。

 ……おお。今更ながら、ボーダー隊員というのはこんな感じの()()()退()()が仕事なんだよなあ。(バド)を相手に好き放題やってた時には気付けなかった、『敵』と向き合う感覚にようやくありつけたような気がするぞ。

 

 

「ああ嵐山さん!? こいつ反撃してきたんすけど!」

「攻撃力がないとは言ったが、()()()()()とは一言も言ってないぞー」

 

 

 コアラ君の抗議に爽やかスマイルで応対する嵐山さん。ファンの女の子が見たら黄色い歓声でも上げそうな良い笑顔なのだが、コアラ君には畜生の笑みにしか映っていないであろう。ボーダーの顔こと嵐山准、まさかのドS疑惑である。

 

 

「ていうかこれ、攻撃力ないって言っても踏まれたら一発アウトなんじゃ……」

「ほら、後ろまた来てるぞ! さっきも言ったが君の敵は俺達じゃなくて近界民(ネイバー)だ、コアラ!」

「え――どわぁ!!

 

 

 ああっと、こあらいくんふっとばされた!! 助走を付けての全力突進が背中に直撃だ。いや、思ったよりも凶暴だなこの撃破目標(バムスター君)。まともにやったら秒殺は結構難しそうだぞこれは。

 

 

「い、痛……くねえ?」

「仮想戦闘モードだからケガしないって言われてただろ……」

「――ってことは気にせず斬り放題じゃねーか! おっしゃ、気ぃ取り直していくぜぇえええ!」

「あ、このバカ! そんな迂闊に近寄ったらまた――」

「どわあああああああ!!」

「……ダメだこりゃ」

 

 

 意気揚々と斬りかかっては再度吹っ飛ばされるコアラ君の姿を見て、溜息を吐く奥寺くん。とはいえ、ダメージ0ならビビる必要ないじゃないと即座に切り替えられるその前向きさは見習いたいところだ。『単なる猪突猛進って言わない?』いやいや、これはこれで一つのアプローチだよ。

 その後、執拗に初撃と同じ箇所を狙い続けたコアラ君の執念が実ったのか、ぶった斬っては吹っ飛ばされてを繰り返した末に、とうとうバムスター君のお腹が裂けた。傷口から黒い煙がぶしゅっと吹き出し、ズズン……と大きな音を立てて、その巨体が地に倒れ伏す。『やったか!?』おい、フラグを立てるな。

 

 

『1号室終了。記録、1分18秒』

「っしゃあ!!」

「ゴリ押しかよ……」

 

 

 快哉を叫ぶコアラ君と、そんな彼を呆れたように眺めている奥寺くん。確かにまあ、コアラっていうかゴリラだったな、問題の解決手段が。

 とりあえず、バムスターの装甲は確かにかなりの厚みがあるようだが、決して破れない硬さではないということは理解できた。とはいえゴリラ君、もといコアラ君が何度もぶっ叩いてようやくといった具合なので、好記録を狙おうと思ったらもうちょいスマートなやり方が必要になるだろう。腹部よりも装甲の薄そうな部位を狙っていくとか。まあ、見るからに弱点っぽいのは……。

 

 

「お疲れ、コアラ! それじゃあ次は奥寺くんだ。準備はいいかな?」

「うっ、本当にオレが次なんですか……」

「おまえ、散々好き勝手言っといてオレより時間掛かったらかなりダサいからなー。負けたら後でからあげクン奢れよな」

「……オーケー、やってやるよ。そう言うおまえも負けたらオレにラーメン奢りだからな」

「値段釣り合ってなくね?」

「ならホモ弁のからあげ弁当奢ってやる」

「マジで!? うおー、奥寺太っ腹だぜ!」

「オレが負けたらな、負けたら! 負けないけどな!」

 

 

 うーん、青春だ。こういうやり取りを見ていると何故だか胸が熱くなってしまう。多分お互いに口では何やかんや言いながらも、本気でいがみ合っている訳ではないというのを()()()()()()()()からだと思うけれど。別に過剰に好き合っている訳でもないのだが、ちょっとやそっと殴り合った程度ではビクともしない信頼関係。これがいわゆる尊いってやつなんだろう。最近はなんだか違う使い方するらしいけど、この言葉。……いや同じなのか? ガチで詳しくないからよく判らない。

 

 

「ねえ大庭くん。ホモ弁のホモって何?」

『そこの二人のことだよ』

「おまえそういうの本当にやめろよ。いいか、本当にやめろよおまえ」

「ご、ごめんなさい……そんなに怒られる質問だなんて思わなくて……」

「違う。誤解だ。那須さんに向かって怒った訳じゃないんだ」

「じゃあ誰に向けて怒ったの?」

「僕の脳内の妹に」

「ごめんなさい……」

「え、なんでそこで謝るの? その可哀想な人を見る目は何?」

『1号室、用意』

 

 

 なんかグダグダやってる間に奥寺くんの番が始まろうとしていた。あーもうめちゃくちゃだよ!

 

 

『始め!』

 

 

 さて二番手の奥寺くん。開始早々に突っ込んでいったコアラ君とは打って変わって、刀を構えたままその場を動かず、じっとバムスターの様子を眺めている。考えている。めっちゃ考えている。確かにコアラ君は何度も吹っ飛ばされたことがタイムロスに繋がっていたわけだが、これはこれで慎重過ぎるのではないかという感じが……もう10秒くらい経ってないか? 大丈夫か?

 

 

(……やっぱり、狙うとしたらあの()だよな。いや、目って呼んでいいのかわかんないけど、口の中にある射的のマトみたいなあの模様だ。でもこいつ、小型化されてるって言っても充分デカいんだよなあ……どうやったら上手いことあの口の中に一発叩き込めるのか……)

「おーい、何ボーっと突っ立ってんだよ? もうとっくに始まってるぞー」

「急かすなよ。今どうやったらこいつを手早く片付けられるか考えてるんだ」

「手早くっておまえ、訓練始まってから考えてる時点で手早くねーじゃんかよ」

「う、うるさいな! 小荒井のくせに正論で人を叩くなよな!」

「正論を言われているという自覚はあるのか奥寺くん」

「あ、嵐山さん……いやその、もう少し。もう少しだけ考えさせて下さい」

「なに、制限時間は5分もある。じっくり考えるといい。それにこの訓練だって、一回こっきりで終わりって訳じゃないからな。今費やした10秒のおかげで、次の訓練で10秒結果を縮めることが出来るかもしれない。そう考えたら無駄な時間じゃないさ」

「嵐山さん、良いこと言ってますけど更に奥寺の持ち時間が減ってるっす……」

「おっと申し訳ない! それじゃあ奥寺くん、健闘を祈る!」

「……ありがとうございます! おっし!」

 

 

 お、方針が決まったようだ。ここからが本番だな。既に開始のアナウンスから40秒くらい経っているけどここからが本番だ。

 ええと? 奥寺くんが刀を片手持ちに切り替えて? 空いた左手で鞘を掴んで? その鞘を?

 投げた。バムスターの下顎に。当然あっさりと鞘は弾かれて地面に転がるのだが、どうやら奥寺くんの目的はダメージを与えることではなく、バムスター君の意識を自身に向けさせることだったようだ。バムスター君の視線が下がって、口の中の目が奥寺くんを捉える。おっと奥寺くん、刀を後ろ手に隠してバムスター君から見えないようにしているぞ。ひょっとして無力アピールのつもりなんだろうか?

 

 

(――ウワサで聞いた話だけど、この大型近界民(ネイバー)ってのは()()()()()()()()()()らしい。手のないこいつがオレを食べようと思ったらどうすればいい? そんなもの、直接齧りつくしかないよな。()()()()()――さあ、オレは丸腰の一般市民だ! 噛みついてみろよ近界民(ネイバー)!)

「おーい奥寺ー! ボケっとしてると踏まれんぞー!」

「なんでだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 ヤケクソじみた絶叫と共に踏みつけを避ける奥寺くん。何かを企んでいたがダメだったらしい。ううむ、面白い試みだと思ったんだがなあ。

 で? さっきも見た展開だな、踏みつけからの体当たり。奥寺くんはひいひい言いながらそれも交わすと、自身の脇を通り過ぎていったバムスター君の後背部をガンガンとぶっ叩き始めた。どうやら後ろを取る(尻を掘る)戦法に切り替えたようだ。装甲の強度は腹部と大して変わりが無さそうだが、反撃の来ない位置から一方的に殴り続けているのでダメージ効率は悪くない。挽回間に合うかな?

 

 

『間に合ったな』

 

 

 先生ェ……。

 バムスターの尻から黒い煙がぶしゅっと吹き出して『……きたない』唐突に年頃の女の子らしいリアクションされてもお兄ちゃん困るんだわ。とにかく倒れた。バムスター君が倒れた。トリオン体に息切れの概念は存在しない筈なのだが、精神面に多大なストレスを受けたのかぜえぜえと肩で息をしている奥寺くんを労うように、訓練室に終了の合図が流れる。

 

 

『1号室終了。記録、1分18秒』

「結局オレとタイム一緒じゃんかよ」

「オ……オレは一発も貰ってないし……実戦ならオレの方が正解だし……」

「そんなの関係ねーよ、オレだって訓練じゃなかったらもう少し慎重に戦うもんな」

「……それはない。おまえに限ってそれはない」

「なにをー!?」

「ははは、とにかくお疲れ様だ奥寺くん! その調子でコアラと反省点を探り合って、更なる記録向上に努めてくれ! ――というわけで、残るは君たち三人だ。我こそはという子はいるかな?」

 

 

 仲良く喧嘩しているコアデラ組をさくっと脇にうっちゃる嵐山さん。進行役の鑑である。

 とりあえず、前の二人を参考にして僕の狙いは大体定まった。おそらくは奥寺くんも同じことを考えていたと思うのだが、やはり攻撃を加えるべきは口の中だ。外から殴り続けても倒せないことはないようだが、やはりどうしても最低限の手数が必要になってくる。加えて僕の装備は炸裂弾(メテオラ)、コアデラ君たちの刀とは違って、一発撃ったら再装填(リロード)に時間が掛かってしまう。僕のトリオン値は恵まれている方だとウィルバー氏からも言われているのだが、やっぱり万全には万全を期して挑みたいところだ。

 

 

『むー。お兄ちゃんのトリオン()に対する信頼が足りなーい』

 

 

 ……ああ、正直に言うとトリオン(おまえ)がちゃんと僕の指示通りに動いてくれるかどうかも不安だよ。出そうと思った豆腐(キューブ)が出ないとか、そういう事態は御免被るぞホント。

 

 

『大丈夫大丈夫、ちゃーんと従ってあげるから。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そういう意味深なこと言うからアレなんだよなあ……。

 まあとにかく、そろそろ様子見も終わりでいいだろう。そう思って嵐山さんに挑戦を進言しようとしたのだが、

 

 

「――あの。次はオレ、やってみます」

 

 

 思わぬ伏兵に先を越されてしまった。

 これまで一言も発することのなかった、残る一人の男子隊員だ。そばかすの目立つ短髪の少年。顔つきにも感情にも若干の緊張が()受けられるのだが、それよりも意欲の方が勝っているらしい。挑戦者(チャレンジャー)たるものかくあるべし、という感じの心持ちだ。

 

 

「おっ、いい顔しているな! 何か秘策でも思いついたかい?」

「秘策ってほどのものでもないですけど、もしかしたら……って思ったことがあるんで。頭の中のイメージが消えないうちに、試してみたいんです」

「よし、そういうことなら次は君に決めた! 女の子たちもそれで構わないかな?」

 

 

 嵐山さん、その澄み切った目で事後承諾染みた確認を取られても二つの意味でこっちは断れないです。あと僕は男です。今言うことでもないんで黙って頷きますけれども。隣の那須さんも「勿論です」と丁寧に応じる。

 かくして、満場一致で三番目のバムスターハンターはそばかす顔の少年に決定した。ありがとうございます、と律儀に僕らへ頭を下げる少年。良い子だなあ。これは応援したくなってしまうぞ。

 

 

「それじゃあ訓練を始めよう! ――っと、その前に名前を聞いておかないといけないな」

「笹森日佐人、です」

「オーケイ、よろしく笹森くん! 君の力を見せてくれ!」

「――はい! よろしくお願いします!」

『1号室、用意』

 

 

 ぐっと重心を落とし、いつでも踏み込める体勢で刀を構える笹森くん。気分はさながら、クラウチングスタートの姿勢で号砲を待つ陸上選手といったところか。位置について、よーい――

 

 

始め(ドン)!』

 

 

 ……今なんか変なルビが見えたな? 疲れてるのかな?





コア寺vsバムスターに丸々一話費やすワートリ二次! 葉月の異常な愛情!


(展開が)遅い……あまりにも……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

笹森日佐人の正常な戦場~または彼は如何にしてフリーのB級隊員をやめて諏訪隊に加入することになったか~

コアデラ組だけで文字数嵩んじゃったからここで一区切りするかあ

そういえば原作の入隊訓練で諏訪さん達が手伝いやってたなあ

…………(『女性の声』と書いてしまった前話の室内音声をサイレント修正)

ヨシ!!


 

 

「――今期の新人、パッとしねーなー。未だに1分切ったやつすらいねえって、ヤバくねえか?」

 

 

 バムスターの転送から開始・終了のアナウンスまで、戦闘訓練の全てを司っているコントロールルーム。幾重にも並んだモニターを眺めつつ、諏訪洸太郎は背もたれ付きの椅子に身体を預け、新人(ルーキー)達への失望を口にした。余談だが彼は19歳である。故に、口に何かを咥えていたりとかそういうことはない。酒と煙草は20歳(ハタチ)になってから。余談の余談だが、未来の彼の好物は煙草とビールである。早く成人(オトナ)になれるといいね、諏訪洸太郎。

 

 

「いやー、一時期の新人が凄すぎただけでしょ。前期で言えば照屋歌川菊地原、その前は米屋犬飼荒船香取――誰も彼も皆、新人離れした記録出してましたからね。そいつらと比べるのはさすがにかわいそうだ」

「……なんか俺ら、来期もそのまた来期になっても似たようなこと言ってそうな気がすんな」

「それ、推理ですか? 諏訪さんお得意の」

「違えよ、なんかのカンだ、カン。それに俺は推理物好きだけどよ、別に推理自体が得意ってワケじゃねえよ」

「ああ、得意なことと好きなことって一致するとは限りませんもんね……」

 

 

 先日口にした()()()()()()()()()()を思い返しつつ黄昏るのは、諏訪のチームメイトにして彼の忠実なる右腕、堤大地だ。彼ら二名と、ボーダー屈指の感覚派オペレーターにして元モデルという異色の経歴を持つ少女・小佐野瑠衣を合わせて成り立っているのが、B級11位諏訪隊である。正確に言えば、前シーズン終了後に上位2チームが見事A級への昇格を果たしたことにより、2月からの新シーズンではB級9位からのスタートとなる。とにかく、ボーダー正隊員の中堅的なポジションを担っているのが彼らであった。

 

 

「……ま、パッとしねーのは俺らも一緒かもな」

「諏訪さんらしくない自虐ですね。急にどうしたんですか」

「俺だってちったあ思うとこあんだよ。風間の野郎は一期であっさり昇格決めやがったってのに、俺は今期もB級のど真ん中から出直しと来たもんだ。あんにゃろ、身長の方は成長止まってる癖に順位の方はアホみてーな速さで伸ばしていきやがって」

「外見弄りは感心しないですよ諏訪さん。……まあ、確かに風間さんは今一番上り調子の隊員ですよね。大物新人(ルーキー)二人雇って僅か一期でA級昇格、個人順位もめきめき上がって、最近サボり気味の太刀川に迫りそうな勢いで――いやもう抜いたんでしたっけ?」

「知らねーよ。やめろやめろ、風間の話なんて。煙草がマズくならあ」

「先に名前出したのは諏訪さんだし、諏訪さん煙草なんか吸ってないじゃないですか」

「これから吸うんだよ、これから! そう、俺はこれからの男なんだよ。酒も煙草もA級昇格も全部これからだ。今日だって訓練の手伝いついでに、ひよっこ共から使えそうなやつ見繕いに来たんじゃねーか。ワカったらモニターから目ぇ離すなよ堤!」

「離してませんよ、ちゃんと見てます。目瞑ってるように見えますか?」

「おまえ、外見弄りは良くないっつっといてその振りは卑怯だろ」

 

 

 ははは、とトレードマークの糸目を微塵も崩さぬまま朗らかに笑う堤大地。彼の両目が開かれたとき、烏丸京介を頂点とするボーダーイケメンランキングに変化が起きると言われているが、その真実を知る者はボーダーには存在しない。諏訪洸太郎に関しても、それは例外ではなかった。

 こいつも大概、何考えてんのかよくわかんねえやつだよなと諏訪洸太郎は思う。特に入隊前から接点があった訳でもないのだが、同じ銃手(ガンナー)というポジション、訓練で何度か顔を突き合わせているうちに、話してみると意外と馬が合った。(チーム)を組まないかと声を掛けたときにも二つ返事で了承を受け、それ以降も特に不満を漏らすことなく、B級中位で燻る自分についてきてくれている。俺がこいつの立場だったら見込みねーなっつってさっさと切り捨てちまうけどな、こんな自分(やつ)

 ……って、これこそ『諏訪さんらしくない自虐』ってやつだな。やめだ、やめやめ。

 

 

「――諏訪さんは自分のことパッとしないって言いますけど、オレはそのうち、なんかデカいことやってくれるんじゃないかと思ってますけどね」

 

 

 手元のキーボードをカタカタと弄りながら、唐突に堤がそんなことを言う。何言ってんだこいつはと訝しげな視線を諏訪が向けてみても、糸目の男は相変わらずの柔和な笑みを崩さないままだ。

 

 

「デカいことって、たとえば何だよ」

「具体的に何かって聞かれたらアレですけど、そうですね――新種のトリオン兵に出くわすとか、近界(ネイバーフッド)のトリガー使いと一騎打ちするとか」

「なんだそりゃ? 百歩譲って新手のトリオン兵は別にいいけどよ、人型近界民(ネイバー)なんざ遠征にでも選ばれねえ限り早々出くわすもんじゃねーだろ」

「でも、迅のやつがたまに言ってるじゃないですか。いつになるかまでは()えないけど、そのうち三門で大きな戦いがあるから、皆その時のためにパワーアップしておいてねーって」

「……んなドデカい争いで、俺なんぞが何かしら結果残せるたあ思えねーけどな」

「ま、(ロマン)の話ですよ、(ロマン)の。市民の暮らしを考えたら、そんな戦いは起きないに越したことないですけどね。起こるって断言されちゃったからには、少しは希望持っておかないと」

「ロマン、ね」

 

 

 こいつは賭け事(ギャンブル)には向いてねーな、と呆れ顔で諏訪は堤を眺める。そんな大穴狙いの博打を打つような性格だから、例の殺人炒飯で二度も外れを引く(死ぬ)羽目になるのだ。一説によれば、10回中8回は絶品の代物がお出しされると言われているのに。尤も、実際に加古望(あの女)の炒飯の話題で良い評判を聞いたことなど一度もないので、単なるデマかもしれないが。

 悪貨は良貨を駆逐する――とは意味の異なる話だが、悪評の方が有名になると、好評というのは得てしてその陰に埋もれてしまうものだ。加古望が人知れず8つもの絶品を作っていたとしても、残り2つの失敗作を口にした者が『加古望の作る炒飯には人を殺せる力がある』などと声高に主張すれば、それを聞いた者たちは『ああ、彼女の作る炒飯は不味いのだな』という認識を抱くことであろう。無論その逆も然りであり、好評を聞きつけ期待と共に炒飯を口にした結果、死出の旅路を歩む羽目になった者もいるのかもしれない。結局のところ評価者に罪はなく、創作者に求められているのは、常に最高の作品を顧客へと提供し続けることなのだ。一度たりとも失敗は許されない。他人の評価を気にするのであれば、の話であるが。

 ……つっても、わざわざ人に振る舞うからには『美味しい』って言ってもらいたくて食わせてるんだと思うんだが、その辺どう思ってんだかな、加古(アイツ)は。まあ、どうでもいいけどよ。

 

 

「――じゃあよ。そんな大穴狙いのおまえから見て、『こいつが買いだ!』って思うような新人(ルーキー)、こん中にいるか?」

 

 

 モニターに向けて諏訪が顎をしゃくる。別に本気で尋ねた訳ではなく、話の流れの一環、程度の気持ちで口にした言葉だった。単に優れた者を選びたいのであれば、全員の結果が出た後で優秀な成績を収めた者に声を掛ければいいのだから。

 

 

「その振りからすると、()()()()以外で、ってことですよね」

「そういうこった。そいつらは良い結果出しても特に意外じゃねーからな」

「うーん、そういうことなら――この子かな」

 

 

 そう言って堤が指差した先に映っているのは、真剣な表情で他の隊員の訓練風景を眺めている、そばかす顔の少年であった。顔つきにも体格にもやや幼さが残っており、こう言うのもアレだが、その――冴えない風貌をしている。それこそ『パッとしない新人』そのものにしか、諏訪の目には映らなかった。

 

 

「……こいつかあ? おいおい、テキトーに選んだんじゃねーだろうな。いや、無茶振りだってのは俺もワカってっけどよ」

「いや、結構良い目つきしてますよこの子。他の子達は割とお遊び気分って感じですけど、この子からはなんていうか、『やってやるぞ!』的な気概が見えるっていうか――雰囲気ですけどね」

「ロマンを感じる、ってやつか?」

「そうですね。諏訪さんと同じです」

「だったら、こいつもハズレくせえな」

 

 

 先の自虐的な気分を引き摺っていたのか、ついついそんな言葉が口をついて出た。らしくないと再び突っ込まれるかと思ったのだが、代わりに返ってきたのは思いもよらぬ提案であった。

 

 

「じゃあ、賭けてみませんか? この子が()()取れるかどうか」

「……満点って、大きく出たなおい。一発目で取れた奴ほとんどいねーだろ。それこそさっきの、新人離れした連中でなきゃ出せねえ記録じゃねーか」

「せっかく大穴に賭けるんですから、配当金(当たり)もデカくないとつまんないでしょ。諏訪さんだって、流石に満点取ったらこの子のこと誘うのに渋い顔はしませんよね?」

「満点取ったらな、取ったら。ま、期待は出来そうにねえけどよ」

「過度に抱かれるのは大変でしょうけど、一切されないのもそれはそれで寂しいものだと思いますけどね、()()って――あ、ちょうどこの子の番みたいですよ。さーてどうなるかな」

「おまえ、観客気分もいいけどちゃんと仕事しろよな。おら、バムスター出してやったからさっさと合図(コール)入れろ」

「おおっと、了解了解――あー、『1号室、用意』」

 

 

 『1』の番号が割り振られたモニターの中、そばかす顔の少年が弧月(カタナ)を構え、大型近界民(バムスター)と向き合っている。それなりに様になってはいるが、あくまで()()()()だ。これといった個性を感じられない分、却って凡庸感が増したような気さえする。正隊員の名だたる弧月使いらの隣に並べたら、あっさりと埋没してしまいそうな端役(モブ)っぽさである。

 とはいえ――堤大地(チームメイト)の意見に若干、流されている面もあるのかもしれないが。 

 言われてみりゃ確かに、何かやりそうなツラに見えなくもねえかもな――と、諏訪洸太郎はこの時初めて、笹森日佐人(未来のチームメイト)に対して、ささやかな期待を抱いたのであった。

 

 

 

 

 

「始め!」

 

 

 

 

 

 ――ま、やるだけやってみろよ、ミスター訓練用(チュートリアル)トリガー。

 ……ああ、()()()()はまだ付かねえか。そこのおまえも、俺も、今は。

 

 

 

 

 ――この大型近界民(ネイバー)の動きには規則性がある。前二人の訓練を眺め終えて、笹森日佐人が至った結論はそれだった。

 まず、こちらから手を出さない限りは動かない。奥寺常幸が40秒もの間ただただ思案に耽ることを許されたのは、大型近界民(ネイバー)の方もその間じっとしていたからだ。笹森が望む近界民(ネイバー)の挙動は停滞ではない。故に小荒井登と同じく、笹森の初動は踏み込みからの一太刀であった。

 近界民(ネイバー)の腹にうっすらとした刀傷が付く。とてもダメージと呼べるものではないが、問題ない。どの道もう(ここ)を狙うつもりは毛頭ないのだ。それよりも――

 

 

(――来た! ()()()()()()()()()!)

 

 

 自身を圧し潰さんと頭上を覆う怪物の前足を見上げつつ、笹森は内心で安堵する。僅か二人ではサンプルとして不充分なのではないかという懸念もあったのだが、ここまでは想定していた通りの流れだ。たとえ致死の一振りであろうと、来ると判っている攻撃であれば何も恐れることはない。恐れることは――

 

 

(うわっ……!)

 

 

 ――ない、と必死で自分に言い聞かせたのだが、流石に巨大な質量の塊が降ってくるのを目と鼻の先で体感してみると、仮初の身体(トリオン体)であろうと肝が冷える。後方へのステップで踏みつけを交わしつつ、笹森は次の段階に備え、弧月を握る手に力を込めた。

 そう、この後が肝心だった。大型近界民(ネイバー)が踏みつけの次に取る動作は、()()()()()()体当たり。奥寺常幸は動揺していて気が付かなかったようだが、口の中に攻撃を仕掛けたいのであれば、このタイミングで一撃を入れるチャンスが来る。開始してからまだ10秒も経っていないだろう。ここで止めを刺すことが出来れば、かなりの好記録になる筈――

 

 

 ――そんな笹森の願望を打ち砕くように、大型近界民(ネイバー)は彼の眼前へと振り下ろした左の前足を、()()()()()()()()()()()()()

 

 

「な……!?」

 

 

 大型近界民(ネイバー)の予期せぬ前蹴りに、笹森は反応することが出来なかった。力を込めていたおかげで辛うじて弧月は手放さずに済んだものの、彼の身体はサッカーボールの如く訓練室の床を跳ねて、部屋の壁に叩きつけられたことでようやく止まった。生身であれば間違いなく即死級の衝撃であったが、痛みはない。傷の一つもない。ただ、困惑だけが彼の胸中を埋め尽くしていた。パターンが変わった。何故――

 笹森日佐人の不幸は、踏みつけを()()()()()()()()()()()()ことにある。大型近界民(ネイバー)――もとい訓練用トリオン兵(バムスター)にとって、突進というのは中距離戦用の選択肢(プログラム)だった。小荒井登、奥寺常幸の両名は必死の横っ飛びでバムスターから距離を取ったことにより突進という動作を引き出したのだったが、笹森は彼らとは異なる回避行動を取ったがために、バムスターの選択肢(プログラム)に変化を与えてしまった。彼らと同じパターンを相手に求めるのであれば、突進という動作が確定する瞬間まで、笹森もまた自身の行動を前の二人と変えてはいけなかったのだ。

 

 

「うっ……」

 

 

 眩暈がする。ダメージによるものではない、精神的動揺から来るものだ。失敗した。挽回を――しなければならない。しかしどうする? この次はどうやって動けばいい? 事前に立てていた計画(プラン)はもうぐちゃぐちゃだ。大型近界民(ネイバー)はもう動き出している。奥寺常幸のように思考を費やしている余裕はない。とにかく対応だ。()()()()()()()()()()()。このまま壁際にいては潰されてしまう。故に、自分はこの()()()()()()()()()()()()()()――

 

 

「――違う! チャンスだ、よく視るんだ!!」

 

 

 ()()()()()()()

 目を凝らして、揺らぐ視界の焦点(ピント)を合わせる。そこには確かに、笹森の待ち望んでいた好機(チャンス)が映っていた。()()()()()()()()()()()()大型近界民(ネイバー)。弱点と思しき白いモノアイ(一つ目)を、これでもかという程に晒している。

 反射的に体が動いた。弧月を腰だめに突き出して、そのままの姿勢で地を蹴り、前に出る。圧倒的質量差で向かってくる怪物(ネイバー)の口内めがけて、真正面から刃を突き立てた。

 尋常ならざる衝撃が手元から全身を駆け抜け、再び壁へと跳ね飛ばされる笹森。今度こそ弧月が手を離れていき、柄の部分だけがからからと音を立てて地面を転がっていく。どうやら根元から刃が折れてしまったようだ。しかしその折れた部分が見当たらない。一体どこへ――

 

 

 ――地面から顔を上げた先に、その答えがあった。

 大型近界民(ネイバー)の目玉を割るように、折れた弧月の刀身が突き刺さっていた。口から煙を吐いて沈黙している巨体に、動き出す気配は微塵もない。明らかに機能を停止している(死んでいる)。ということは――

 

 

『――1号室終了。記録――18秒!!』

 

 

 ――倒せた。18秒。1()()18秒ではない。前の二人からちょうど、秒針一回り分の時間を更新したことになる。

 壁に背中を預け、そのままずるずると崩れ落ちる笹森。終わりを告げられた途端に、足から力が抜け落ちてしまった。頭の方も正常に機能している感じがしない。全ての感覚が、なんというか、ふわっとしていた。

 

 

「うおお、マジかよ!? あいつすっげーな!!」

「あー……そっか、突進の時に避けないで反撃してればそこで終わってたのか……なんであそこでビビっちゃったんだろオレ……」

「普段から逃げ腰がクセになってっから肝心な時になっても前に出られねーんじゃねーの?」

「ううううるさいな! 馬鹿正直に真正面から突っ込むだけのやつよりよっぽどマシだろ!」

「なんだとー!?」

「なんだよ!?」

 

 

 例の二人が遠くの方で何やらぎゃあぎゃあと言い争っている。結果だけ見れば確かに彼らを大幅に上回ったのだが、まるで喜びが湧いてこない。本来であれば自分もまた、彼らと似たり寄ったりの記録に終わっていてもおかしくなかったのだ。あの時の呼びかけがなければ、きっと今頃も大型近界民(ネイバー)を相手に錯乱しながらのチャンバラごっこを繰り広げていたに違いない。

 

 

「お疲れ様。立てるかい?」

 

 

 いつの間にか歩み寄ってきていた嵐山准が、労いの言葉と共に手を差し伸べてくる。半ば上の空でありがとうございますと応じつつ、笹森は辺りをきょろきょろと見回した。()()は何処だろう。彼女に礼を言わなければならない。この記録は自分の力だけで勝ち取ったものではないのだ。声がしたのはどの辺りからだっただろうか? 客席からではなかったと思う。と、なると――

 

 

「そこの彼女じゃないのかな、笹森くんのお目当ては」

 

 

 嵐山が横目で示した先に、尋ね人はいた。

 くせっ毛気味の黒髪をうなじの真ん中くらいまで伸ばした、穏やかな顔立ちの訓練生だ。男子としてはそうでもないが、女子としてはやや高めの背丈がある。その割に顔は小さめで、体格の方もすらりとしている。隣に立つ白い肌の少女と親しげな談笑を交わす姿が、何とも絵になっていた。

 不意に彼女がこちらを向いて、遠巻きに眺めていた笹森と視線がぶつかり合う。異性との会話に慣れている訳でもない笹森は思わず目を逸らしかけたが、感謝を伝えようという相手にその対応はないだろうと思い直して、軽い会釈をしてから嵐山と共に彼女の方へと歩いていった。

 

 

「――あの。さっきは、ありがとうございました」

 

 

 そして改めて、深々と頭を下げる。さっきからお辞儀とお礼ばかりだな、と少しだけ思った。

 顔を上げると、目の前の女性は照れ臭そうにたははと笑い、ぽりぽりと頬を掻きながら。

 

 

「いやー、お恥ずかしい。勿体ないなと思って、ついつい大声出しちゃったよ」

「勿体ない、ですか?」

「その、せっかく目の前にどうぞぶん殴って下さいって感じで顔を突き出してる相手がいるのに、君の中に()()()()()()()()()()もんだから、『違う、そうじゃない!』って思っちゃってさ。前の二人には何も言わなかったのに君だけエコヒイキしたみたいになっちゃったけど、そこはご愛嬌ってことで」

 

 

 そう言って彼女は、相も変わらずやいのやいのと互いの揚げ足を取り合っている前の二人(コアデラ組)の方を眺めてから、「……ま、あの二人はあれでいいか、うん」と呟いた。よく理解らないが、彼女の中で何かの結論が出たらしい。

 

 

「それにしても、あんまり嬉しそうじゃないね。やっぱり、蹴りを貰っちゃったことが心残り?」

 

 

 それも()()()()なのか。先の助言にしてもそうだが、自分はそこまで考えていることが顔に出るタイプなんだろうか? 或いはこの女性が特別、優れた洞察力を持っているのか――そんなことを考えつつ、笹森は彼女の問いかけに応える。

 

 

「……それもありますけど。蹴りを貰ったことそのものより、自分一人じゃ立ち直れなかったことの方が――悔しかったです」

「君も男の子だねえ」

 

 

 ワカるワカる、とうんうん頷くくせっ毛の女性。随分と熱の籠もった共感っぷりである。君()、だなんて言っているが、まるで自分も男子であるかのような口ぶりだ。丸みを帯びた顔付きといい不自然さのない透き通った高めの声色といい、明らかに女性以外の何物にも思えないのだが。

 

 

「となると、僕のしたことはお節介だったかな」

「あ――その、すみません。そういうつもりで言った訳じゃ」

「ごめんごめん、意地の悪いことを言ったね。ちゃんと()()()()()から大丈夫。――まあ、一人で何とかしようと思っても、どうにもならない時ってあるよね、やっぱり」

 

 

 自身の()()()()()()を思い出しているのか、少女が苦笑を浮かべている。初対面でこんなことを尋ねてもいいものかと思ったが、少女の醸し出す気さくな雰囲気に釣られて、気が付けばこう口にしていた。

 

 

「……そういう時って、誰かに頼っても、いいものなんですかね?」

「――その質問に『駄目だ』って答える資格は、僕にはないな。本当に、色々な人の力を借りて、ここまで来たものだから」

 

 

 言いながら、くせっ毛の少女が隣に立つ白い肌の少女をちらりと見る。視線に気付いた白い肌の少女は目をぱちくりさせてから、愉快そうに口の端をうっすらと釣り上げて「うふふ」と笑った。その笑みの意味するところは笹森には理解らない。理解する必要もないな、と思った。これ以上は流石に、他人が踏み込むことでもないだろう。何事にも境界線(ボーダーライン)というものは存在するのだ。

 

 

「ただ、()()()()()()()()として言わせてもらうと――誰にも頼らないぞって思ってても、ここ(ボーダー)の人達は優しい人が多いから、そういう()()()を放っておいてはくれないと僕は思うね」

「……強がり、ですか」

「言葉が悪いかな? 僕だっていつかは、独り立ちしようと思ってはいる訳だし――でも、出来もしないうちから無理なことをしようとすると、誰かに止められるってことだけは学んだよ。大人(ミスター)を目指すのはいいけれど、焦りは禁物ですよ、()()――ってね」

 

 

 ()()。自分が無茶をしようとした時に、それは駄目だと止めてくれる誰か。そんな相手に出会うことが出来れば、自分も少しは大人(ミスター)とやらに近づけるのだろうか。今の笹森には、どうにもピンと来ない話だった。

 そう、これから先の話など、今の自分には何もわからない。子供染みた憧れを抱いてボーダーに入隊を果たしたはいいが、仮に正隊員への昇格が成ったところで、誰かと隊を組むアテもなければ個人的な目標も特にはない。そんな自分であっても、ボーダーの人間は放っておかないとでもいうのだろうか。

 こんな自分(オレ)を見てくれている誰かなんて、本当に、いるんだろうか?

 

 

 笹森日佐人は宙を見た。

 そんな()()がいるのなら、今すぐにでも会ってみたい。そう思った。

 

 

 

 

「ああ――()()()()! いやー、あの蹴りがなければなあ、もうちょっとだったんだけどなあ……ねえ諏訪さん、惜しかったですよねこの子」

「……あー。まー、そーだな」

 

 

 記録の通達後、即座に訓練室へのマイクを切ってまるで我が事のように嘆く堤大地と、なんとも雑な相槌で応じる諏訪洸太郎。

 確かに記録自体は惜しかったが、そもそも肝心の内容が良くなかった。寸でのところで復帰(リカバリー)が間に合ったとはいえ、あの前蹴り直撃はかなりのイメージダウンだった。野球に例えるなら一人に長打を打たれ後続の打者にも四球を連発、塁上をランナーで埋めながらも辛うじて無失点に抑えた炎上間近の抑え投手といったところだ。ネット上の実況はさぞかしファンの悲鳴で埋まっている、そんな感じ。

 そんな諏訪の心境を察したのか、興奮気味のトーンを抑え平時のテンションに戻った堤が、やや遠慮気味に尋ね直す。

 

 

「……リアクション微妙ですね。やっぱりダメでした? この子」

「――いや」

 

 

 だからこそ、次に発した諏訪の一言は、堤にとっても意外だったに違いない。

 

 

「獲るわ。こいつ」

「あれ、マジですか。なんか心境の変化でもありました?」

「別にそういうワケじゃねーけどよ、なんつーか――」

 

 

 言いながら、諏訪は改めてモニターを注視する。

 画面に映る笹森日佐人の表情に、喜びの色はない。()()自体は逃したものの、新人としては充分破格の記録なのだから、もう少しはしゃいでも良さそうなものだ。ところが、そばかす顔の少年が浮かべているのは、不服というか煮え切らないというか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そんな歯痒さが垣間見える、現状に満足していない者の顔だった。

 ()()()()()()()()()()。そんなことを思ったのだ。合理的とは言い難いその決断は、入隊時から高ポイントを所持する完成度の高い隊員に声を掛け、迅速なるキャリアアップを果たした同年代の隊員、風間蒼也に対する反抗心の顕れでもあったのかもしれない。無名の新人を見出し結果を出すことで、あの小憎たらしい澄まし顔の鼻を明かしてやりたい。そんな幼稚なライバル意識が、全くないと言ってしまえば嘘になる。

 けれども、結局のところ、決め手になったのは。

 

 

「――1回こっきりでハズレって決めつけることもねーかもなって、そう思っただけだよ」

 

 

 要するに――堤大地が笹森日佐人に感じた()()()という奴を、もう少し長い目で追いかけてみてもいいんじゃないかと、そう思ったのである。

 そもそも自分は、笹森日佐人を惜しむに値する相手だとすら思っていなかったのだ。そんな自分の観察眼に比べたら、まだ堤の感覚の方が当てになるだろう。後はまあ、これこそ夢見がち(ロマンチスト)な考え方かもしれないが――たった一度の挑戦で成就しないからこそ、ロマンとはロマン足り得るものだろう、とか。どうにも上手い表現が見つからないのだが、とにかく――

 諏訪洸太郎もまた、笹森日佐人の()()()()(ロマン)を見た。それだけの話だ。

 

 

「ははあ……なるほど、それはそれは」

 

 

 何やらしたり顔でうんうん頷く糸目の男。何だこいつ、と顔を顰める諏訪。今の発言の一体どこに、この男にこんな反応をさせる要素があったというのだろうか。意味が理解らない。

 

 

「んだよ、言いたいことあんならはっきり言いやがれ」

「いやー、何だかんだ言って諏訪さんもオレの賭け(ギャンブル)に乗っかってくれるんだなあと思って」

「言っとくが、その調子で例の炒飯にまで付き合わせようとしても無駄だかんな。それだけは死んでも食わねえぞ、俺は」

「ハハハ、面白いこと言いますね諏訪さん。死んでも食わないとか言ってますが、食べたところでどの道死ぬんですよアレは」

 

 

 笑い声が乾き切っていた。地獄を()()()()者のみに発せられる、魂の呻きであった。なんで炒飯一つ食うのにここまで身体張ってんだろうかこいつは。

 堤大地の賭け(ギャンブル)に乗る。それは即ち、加古望の炒飯を自らの意思で口にするに等しい、馬鹿げた行為なのかもしれない。けれどいつの日か、笹森日佐人の才能が花開き、目覚ましい成長を遂げるような日が来るのであれば――

 

 

 ――その時になったら、こいつもあり付けたりするんじゃねえの、絶品炒飯。

 

 

 加古望の炒飯を食べても、死なずに生き残る堤大地。

 それは確かに(ロマン)のある話だと、死相を浮かべながらも訓練のサポート業務に戻った堤の隣で、諏訪洸太郎は一人、くつくつと笑った。




日佐人の勇気が三門市を救うと信じて……!
ご愛読ありがとうございました!


Q. 葉月くんはいつになったら正隊員になれるの?
A. フフッ…わかんねえだろ? オレもわかんない


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

炸裂(メテオラ)変化(バイパー)居合斬(ソードマスター)(前編)

VSバムスター3部作・完結編。




 

 

「――というわけで、残るは君たち二人だ。さあ、どっちから行く?」

「僕が行きます」

 

 

 大変長らくお待たせ致しました。大庭葉月です。

 今日こそ長きに渡る大型近界民(バムスター君)との因縁に終止符を打とうと思います。よろしくお願いします。

 『まだ訓練始まって5分くらいしか経ってなくない?』いやそんな筈はない。体感で言えば2週間くらい経ってる。もっと言えばこの会場に来てから3週間くらい経ってる気がする。流石に長居が過ぎた。多分世界で最も長い時間バムスター君と戯れ続けた訓練生なんじゃないかな僕達は。

 

 

「いいよね? 那須さん」

「ええ、勿論。参考にさせてもらうわ、大庭くん」

「参考……になるかなあ、多分ならないと思うなあ……」

 

 

 僕と那須さんはポジションこそ同じ射手(シューター)ではあるものの、炸裂弾(メテオラ)変化弾(バイパー)ではあまりにも勝手が違う。僕の訓練を見て那須さんに得るものがあるとは考えづらい。そもそも射手(シューター)としての技量からして月とスッポンくらいの差があるしなあ。どちらが月かは言うまでもない。『名前だけなら葉()なのにね』悲しいなあ。大庭スッポンに改名するか……。

 

 

「……大庭()()……きみ、もしかして、大庭葉月くん――なのかい?」

「はい、そうですが」

 

 

 そんなことを考えていたら、不意に嵐山さんから名前を確認される。とりあえず普通に肯定すると、「申し訳ない!」という謝罪の言葉と共に、直角(90°)に背中を畳んだパーフェクトお辞儀を受けてしまった。な、なんだなんだ。僕が大庭葉月だと何かマズいことでもあるのか嵐山さん。

 

 

「訓練生の中に、女性のトリオン体をした男子の隊員がいるという連絡は事前に受けていたんだ。にも関わらず、俺はさっき君のことを『女の子たち』と呼んでしまった――不用意な発言だった。本当にすまない」

「ああ、なるほど……その、大丈夫ですから。あまり気にしないで下さい」

 

 

 おっきーの件にしてもそうなのだが、周囲の人間がトリオン体の僕を一目見て女性であると認識するのは当然のことなのだ。だって実際に見た目は陽花(女性)なのだから。中身は()なのでその都度訂正はするけれども、これは僕らの抱えている身体的事情が悪いのであって、嵐山さんが気に病む必要など微塵もない。まあ今のご時世って()()()()()で問題になりがちだし、気を遣うに越したことはないのだろうけれども。

 

 

『あーあー、大人しく心の方(コントロール)も私に譲ってくれれば一々こんなやり取りしなくて済むのになー』

 

 

 じゃあ代わりにトリオン体の見た目を僕のものにするって言ったら?

 

 

『オエーって感じ』

 

 

 だろうな。つまりはそういうこと(現状維持)だ。

 ROOM303(例の部屋)で人格の共有を果たして以来、僕は生身の身体と陽花の身体(トリオン体)を完全な別物として認識することが出来るようになっていた。あくまでも他者に伝えるための表現であって僕が本気でそう思っている訳ではないのだが、大庭陽花という()()操縦者(パイロット)をやっているような感覚があるのだ。

 故に陽花の見た目についてどうこう言われても、僕のことじゃなくて陽花のことを言っているんだなと他人事のように考えられるので精神的にはノーダメージだし、陽花も陽花で外見的には素の自分を保っていたいということなので現状win-winの関係である。まあ、今みたいにちょくちょく僕のwin(主導権)を奪おうとするような発言もあるのがこいつの油断ならないところなのだが。『うふふ』うふふじゃねーよ。

 

 

「……()()()()()――ああ、本当にそうだったのか……」

 

 

 ああ、そういえば笹森くんにも普通にこの顔で()として接してしまっていたな。大丈夫かな? カルチャーショックとか受けてないと良いのだけれど。

 

 

「悪いね、色々とワケアリなもので」

「い、いえ! その、オレもトリオン体のこととか全然よく理解ってないし、そういうこともあるんだなって普通に納得しただけで……」

 

 

 うん、やっぱり君は良い子だな笹森くん。言葉と感情にズレがない。嵐山さんにしてもそうだったけれど、正義の味方(ボーダー隊員)になるような人はやっぱり人間が出来ている。誰も彼もが気持ちの良いほどまっすぐだ。

 

 

「え、マジ? あのかわいい人の中身オトコなの? ウソだろ……なんかショックだわ……」

「……おまえ気になってたのか? あの人」

「そりゃ気にはなるだろフツー! アレか? 奥寺はもう一人のひとの方が好みなのかよ?」

「いや、オレはそういうのは別に……昔っから摩子さん一筋だし……

 

 

 なんか遠くの方で葉っぱ(ユーカリ)でも食ってそうな綽名の小僧が何か言っているがそれは聞こえなかったものとする。相方の子も最後の方になんかぼそぼそ言ってたけどそっちはガチで聞こえなかった。残念。

 

 

『私の中で奥寺(後角)くんの好感度が3上がった音がした』

 

 

 え、何おまえ聞こえたの? 後でお兄ちゃんにこっそり教えてくれ。

 

 

「――よし、それじゃあ次は君だ大庭くん! 武器を構えて位置についてくれ!」

 

 

 そして嵐山さんは切り替えが早い。僕とそこまで年が離れている訳でもないだろうに、メンタル完成されてるよなあ。大したものだ。

 指示に従い、前の三人が開始前に立っていた位置へと移動する僕。時を同じくして召喚される、新たな攻略目標(バムスター君)。準備は万全だ。いつでも行ける。しかし中々例の合図(コール)が聞こえてこない。おや、何かのトラブルかなと思っていると。

 

 

「……大庭くん? 確か君は射手(シューター)だったと思うが、キューブであっても事前に展開しておいて構わないぞ?」

 

 

 ああ、そこを配慮してくれていたのか。位置に着いたら問答無用で始まるものかと思っていたのだが、わざわざ気を遣っていただいて申し訳ない。

 

 

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。始めちゃって下さい」

「……一応確認しておくが、君、使用するトリガーは――」

炸裂弾(メテオラ)です」

 

 

 うーん、と唸り声をあげる嵐山さん。どうも僕のやろうとしていることに勘付いたらしい。心がそういう色をしている。まあ、気持ちは理解らないでもない。僕だって実戦で同じことをやろうとしている隊員がいたら流石に止めるもんな。

 

 

「この訓練の規則(レギュレーション)を把握した上で、僕にとっての最高記録を狙うにはどうすればいいか考えた結果辿り着いたやり方です。実際の防衛任務でバム――大型近界民(ネイバー)と戦う時は、普通にやりますから安心して下さい」

「……そういうことなら止めはしないが、どちらかというと攻撃手(アタッカー)の解き方だな、それは」

「それは仕方ないですね。前の三人を見ていて思いついた方法なので……射手(シューター)のお手本は、彼女の方に披露してもらいます」

「あら、出番の前に余計な期待(プレッシャー)をかけてくるのね大庭くん」

 

 

 いや、これは()()だよ那須さん。それにプレッシャーだと君は口にしたけれど、確固たる自信を持つ人間にとってはむしろ活力になるものだ、期待っていうやつは。君の中にも自信(それ)があることは理解っているから悪びれないぞ、僕は。

 ……そうだな。そういう意味で言うなら。

 今の僕は、ちょっとだけ、()()()()()()()()()()()になっている。

 

 

『要するにイキってるってことだよね』

 

 

 そういう身も蓋もない表現に置き換えるのやめよう? お兄ちゃん可哀想でしょ?

 

 

「――オーケイ、今度こそ始めよう大庭くん! ……堤さん、合図(コール)の方お願いします

『1号室、用意』

 

 

 ――さて。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()で開始を待つ。そんな僕の待ち姿に反応したのは笹森くんだった。それもそうだろう、君のパクリだからね。攻撃手(アタッカー)でもないのに。

 

 

「……射手(シューター)、なんですよね? なんていうか、いかにも()()()()()()()()()()人の構えって感じがするんですけど……」

「笹森くん。君はさっき、『トリオン体のことをよく理解っていない』と自分で言っていたね」

「は、はい」

「そこの二人も見ておくといい。奥寺くんも笹森くんも、大型近界民(ネイバー)の頭を下げるために躍起になっていたけれど――」

 

 

 え、このタイミングでそんな授業(レクチャー)始めちゃうんですか嵐山さん。しかも僕を教材(ダシ)にして。それは普通にプレッシャーだから止めていただきたいのですが! ああもう、そうは言ってもカウント始まっちゃったし止めに入る余裕もないわコンチクショウ!

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。そう、戦闘体(トリオン体)ならね」

 

 

 僕の視線は既にバムスター君の口の中だけを見据えているので、そう語る嵐山さんの様子を窺い知ることは出来ない。

 けれどその時、何故か脳裏に伊達眼鏡を掛けろくろを回す、意識高そうな嵐山さんの姿が浮かび上がってきた。謎だった。

 

 

『始め!』

 

 

 

 

 ――前提条件1。

 攻略目標のバムスター君は大型で、弱点となる口内は我々人間の遥か――()()()()()()()()()、とりあえず頭上に存在している。

 情報を一つ追加すると、訓練の初期配置からでは口内を直接目視することが叶わない。見上げてみても視界に映るのは、固い装甲に覆われたバムスター君の首とも顎とも呼べる(スクエア)模様だけだ。

 故に、予めスタート前からキューブを展開しておいて、開始の合図と共に直接口内へと炸裂弾(メテオラ)をぶち込んではい終了という攻略法を取ることは出来ない。射角が存在しないので。この問題を解決出来る弾丸トリガーもあるにはあるのだが、その解き方を実践するのは()()の役回りだ。僕の仕事じゃない。

 では奥寺くんや笹森くんのようにとりあえず一発当てて口をこちらに向けさせてから――という手順を取ろうとすると、一発ぶっ放した後のキューブ再構築に掛かる時間がネックになってくる。キューブを幾つかに分割させて半分だけ発射、バムスター君がこっちを向いたところでもう半分を発射、みたいな技術(テクニック)も存在するのかもしれないが、一度も試したことのない技をぶっつけ本番でやるほどの度胸は僕にはない。ただでさえこの豆腐(キューブ)は焦ると勝手に飛んでいく困った子なのだし。

 しかし、それはそれとして口の中の弱点は狙いたい。コアラ君の如くゴリ押してみてもそれなりの結果は得られるのと思うのだが、僕が目指すのはあくまでも最短記録だ。その最短を目指すために辿り着いた結論がこれだ。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()……』

 

 

 

 言い方ァ!!

 

 

「ふんがっ!!」

「と――跳んだ!?

 

 

 ――前提条件2。

 戦闘体(トリオン体)には人並み外れた身体能力がある。僕はそのことを那須さんとの鬼ごっこで学んだ。生身の身体では満足に出歩くことすら叶わない少女が体操選手顔負けの宙返りを披露し、同年代の男子と比べ明らかに筋力で劣っているもやしっ子でも、ビルからビルへと飛び移る超人に変貌するのが戦闘体だ。その経験がこう言っていた。()()()()()()()()()()()()()、と。

 故に僕は跳んだ。天高く聳えるバムスターの口内へと目掛けて跳躍した。

 

 

()()()()()()()()()()()()()。攻撃力はないがその分、装甲が分厚いぞ』

 

 

 まあ天高くとか言っても大型近界民(ネイバー)(大型とは言っていない)っていうのが現実なんでそうでもないんだよねぶっちゃけ。素のバムスター君は10m級のサイズがあったが、訓練用のこの子はその半分……いやそこまでではないか? とはいえ高めに見積もっても6~7mと言ったところだろう。そこらの一軒家と同じくらいの大きさかな。つまり戦闘体であればジャンプ一回で民家の屋根へと飛び乗ることも可能というわけだ。市街地を仮想の戦場として使用するランク戦においても有益な情報になるだろう。覚えておいて損はない。

 で、ここで問題が一つ発生。

 ()()()()()()()()()

 

 

『……これ、頭の上に飛び乗る軌道じゃない?』

 

 

 うーむ。バスケットで言うダンクシュートのイメージで、バムスター君の目をリングに見立てて跳んでみたのだが。初めてのダンクを慣行しようとしてボードに頭ぶつけた桜木花道を笑えないぞこれは。『私黒子のバスケの方が好きー』あ? 今なんて言ったこのアマ?

 まあ一度飛び乗って頭の上から口の中に手突っ込んでも別にいいんだけど、絵的に格好付かないよなあ。そんなことを思っていると、都合の良いことにバムスター君が跳び上がった僕を見上げ、わざわざ自分から口を大きく開いてくれた。素晴らしい。この子にはおもてなしの精神があるぞ。

 

 

「やべえ! あのねーちゃん丸呑みされんぞ!?」

「いやだからあのひと男なんだって……」

 

 

 まあ傍から見たらそう映るよねコアデラーズ。実際この仮想バムスター君に食われたらどうなるのだろう。まさか消化器官まで再現されているとは思えないのだけれど。

 ひとまずそれは別の機会に試すとして、バムスター君の喉元深くへと堕ちていく寸でのところ、お目当てのものにしがみ付くことで落下を防ぐ。掴まえた。両の掌でがっしりと、バムスター君の目ん玉(弱点)を。

 

 

『仮入隊の間に体験した者もいると思うが、仮想戦闘モードではトリオン切れはない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――前提条件3。

 この対近界民(ネイバー)戦闘訓練においては――

 

 

炸裂弾(メテオラ)

 

 

 ――自爆しても(ほげっても)、死なない。

 

 

 

 

 

 キューブ構築。弾丸設定、()()1()0()0()()()()()0()

 今の僕に出せる最大火力を、最短最速で剥き出しの目玉(弱点)へと叩き込む。

 これこそが、大庭葉月の大型近界民(ネイバー)RTAである。

 

 

『大型近界民(ネイバー)は装甲が分厚く、外側から攻撃し続けても撃破に時間が掛かってしまいます。だから食べられる必要があったんですね……』

 

 

 衝撃。轟音。視界を覆い尽くす閃光。崩壊と再生を繰り返しながら落下していく僕の身体(トリオン体)。様々な現象に五感を揺さぶられている中であろうと、その声だけはきっちり頭に届いてくるのだから、脳内妹というやつはやはり強かった。

 ただ――そんな状態であっても、続けて流れてきたノイズ混じりのアナウンスには、流石の僕も一言申さずにはいられなかった。

 

 

『――1号室終了! 記録、3.1秒! ()()()()()!!』

 

 

 それは言う必要ないだろ、と。

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

炸裂(メテオラ)変化(バイパー)居合斬(ソードマスター)(後編)

 

 

 炸裂弾(メテオラ)の長い爆発を抜けると雪国(訓練場)であった。どの辺が雪国っぽいかというと、辺り一面に散らばったバムスター君の残骸が頑張れば雪に見えないこともなかった。要するにこじつけである。

 客席の方からぎゃっはっはっはと品性の欠片もない笑い声が聞こえてきたのでそちらの方に視線を向けると、呆れとも驚嘆とも付かない――いや呆れ顔だなこれは。()れば理解る。とにかく口をぽかんと開けてこちらを眺めているマフラーの人の横で、陽介が腹を抱えて笑っていた。

 あんにゃろ、人の自爆(メガンテ)がそんなに面白いか。というか明らかに僕だって気付いて笑ってるなあの反応は? 陽花の顔をしていればバレないと思ったのだが、遠目だし苗字も呼ばれてしまったし、そりゃ僕以外の誰とも認識出来ないよな。ちくしょう。絶対これ後で公平にも言いふらしてネタにされるやつだ。

 

 

「――お見事! すごい記録が出たな! ひょっとしたら歴代最速なんじゃないか?」

「いや、嵐山さん……『大庭ダウン』って言われてましたけど……これアリなんですか?」

 

 

 爆心地から舞い戻った僕を笑顔で出迎えてくれる嵐山さんと、やや引き気味の表情で突っ込みを入れる奥寺くん。まあ、慎重派の彼としては一言物申したくもなる戦法だったことは間違いない。

 

 

「確かに、入隊訓練で死亡(ダウン)を告げられた子は俺も初めて見たな。とはいえ、この訓練はあくまでもTA(タイムアタック)だ。死んではいけない、などという規定はどこにもない――その証拠に、ポイントの方もしっかりと加算されているだろう?」

 

 

 左手の甲を見る。確かにポイントが増えている……のだが、『2520』。ちょっと待ってくれ。この記録でたった20ポイント(これっぽっち)しか増えないのか? 3話も費やしたのに? 力の入れどころを誤った感が半端ない。『何故お兄ちゃんはあんな無駄な時間を……』うるせえ。黒バス派の癖にミッチーの台詞をパクるんじゃない。

 

 

「……笹森くん。きみ何ポイント増えた?」

「え? あ、えーっと……1519なんで、19ポイント増えてますね」

 

 

 僕らのやり取りを耳にしてか、コアデラ組も自身の左手に視線を落とす。二人のタイムは同一なので、ポイントの増加数も一致しているのは間違いない。問題はそれがどれだけ増えたかだ。この訓練の制限時間、そして僕と笹森くんのポイント変遷から察するに、彼らが得たポイント数は――

 

 

「1515……」

「1415――んん? おい奥寺、なんでオレよりおまえの方が100もポイント多いんだよ?」

「……仮入隊の間に素質を測って、その結果次第でポイントが上乗せされるって嵐山さん言ってたよな。じゃあ、ボーダー的にはオレの方が小荒井よりも()()あるってことなんじゃ――」

「はああああー!? なんだそりゃ、納得いかねー! よこせ奥寺、おまえのポイント50でいいからオレによこせ!」

「無茶言うなよ……でも、オレたち1分もかかったのに、あっちの二人と貰えるポイントに大して差ないんだな」

 

 

 それな。

 僕が獲得した20ポイント。おそらくこれが、この訓練で得られる最高点だろう。次点が笹森くんの得た19ポイント。そして、笹森くんからジャスト1分遅れの二人が15ポイント。制限時間は5分間で、1分につき4ポイントが失われる。

 つまるところ。

 

 

「――満点を獲得するためには、1()5()()()()()()()()()()()()()()、ということみたいね」

 

 

 はい。そういうことらしいです。無理に最速とか狙う必要一切なかったみたいですね。

 コアデラが突き、葉月が捏ねし近界民(バムスター)。座りしままに食うは那須さん。そんな感じの現状だ。だって15秒だぞ。CM1本流せる余裕があるんだぞ。このお嬢さんが()()()を披露するには、充分過ぎるだけの時間だ。あとごめん笹森くん、語呂を重視したら君の名前が抜けてしまった。

 

 

「なに、この訓練で得られる()()のことだけを考えればその通りだが、如何に素早く大型近界民(ネイバー)を無力化出来るか――この訓練で真に得るべき()()()()はそれだ。数字に囚われることなく、今後も創意工夫を重ねて、近界民(ネイバー)との戦い方を確立していってくれ! ――というわけで、最後は君だ。名前を聞かせてもらえるかな?」

「那須玲です」

「よし、1号室のトリを飾るのは君だ那須さん! 武器を構えて位置についてくれ!」

 

 

 訓練を巻きで進めることにより、事前説明が足りなかったことへの追及を逃れようとする嵐山准(言いがかり)。いやまあ、勝手にもっとポイント入るものだと思い込んでた僕も悪いんだけど。でもそういう基準は前もって聞いておきたかったぞ嵐山さん。思わずそんな恨み節を綴ってしまうあたり、数字に囚われまくってるな僕は。いかんいかん。

 嵐山さんの指示に従い、スタート地点へと移動する那須さん。彼女が手元にトリオンキューブを浮かべると、コアラ君の口からおおっと驚きの声が上がった。あれ、ひょっとしてご覧になるのは初めてですか、その豆腐(キューブ)。ここにも豆腐職人(シューター)いるんですけど、なんか存在を忘れられているような気がするぞ。

 

 

『だってあの子たち、お兄ちゃんが豆腐(キューブ)出したところ見てないじゃん」

 

 

 うんそうだね。彼ら目線だと僕って『射手(シューター)の癖にいきなり大型近界民(ネイバー)に飛びかかってそのまま食われて爆発した頭のおかしい人』にしか映ってないんだよね。道理で記録の割に誰からもすげーすげー言われないと思ったよ。

 まあいい。訓練の前から理解っていたことだ。嵐山さんにも言われたとおり、僕のやり方はあくまで邪道。射手(シューター)の戦い方ではなかった。それはこれから、彼女が()()()くれることだろう。僕はそれをワクワクしながら待つのみだ。あの夜の街を彩る閃光に目を奪われて以来、僕はすっかり射手(シューター)・那須玲の大ファンなのだから。

 

 

『――そうだね』

 

 

 おや、珍しく兄の言うことに同調するじゃないかマイシスター。普段は辛辣なツッコミばっかり入れてくるくせに。

 那須さんが配置に着いたタイミングで、仮初の雪景色が取り払われ、バムスター君のおかわりが召喚される。この子もぶっ壊されるためだけに何度も何度も使い回されて大変だなあ。

 

 

『……言っておくけど』

『1号室、用意』

 

 

 那須さんのキューブが細かく砕け、彼女の周囲に散らばっていく。輝く無数の立方体に包まれてお馴染みの薄い微笑みを浮かべる彼女は、まさしく魔女の風格と言ったところだ。

 そして今まさに彼女の魔法が放たれようという瞬間、始まりの合図(コール)に先駆けて、僕の妹はさらりとそれを口にした。

 

 

『お兄ちゃんは只のファン止まりかもしれないけど、()()()()()()()。そこんとこよろしくね』

 

 

 ――What?

 

 

()()()()()()()()()()()そういうこと』

「――な」

『始め!』

 

 

 最後の一人ゆえか、やたら気合の入った合図(コール)が訓練室に響く。

 そのおかげで、「何言ってんだお前」という僕の呟きは、誰にも聞かれずに済んだようだった。

 

 

 

 

 ――さて。真っ直ぐにしか飛ばせない炸裂弾(メテオラ)とは異なり、変化弾(バイパー)使いの那須さんは初期位置からでも余裕でバムスター君のお口にホールインワンを決めることが出来る。

 

 

変化弾(バイパー)

 

 

 という訳で、開幕早々手持ちの弾丸(キューブ)を豪勢に全弾ぶっ放していく那須さん。32、或いは64分割だろうか? とにかく細かく割られた無数の豆腐(キューブ)が、思い思いの軌道でバムスター君の口内目掛け殺到していく。

 

 

 が、ここで予期せぬ事態が発生した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「はあ!?」

「あら」

 

 

 思わず大声を上げてしまった僕。那須さんも反応こそすっとぼけているものの、流石に軽い動揺が()える。そりゃそうだろう。正直こんなん開幕1秒で終わりですやんとばかり思っていた。

 カンカンカン、とバムスター君の上唇……上唇? とにかく人体でいうその辺りを、虚しく叩く変化弾(バイパー)。ぴくりとバムスター君の耳が動き、その巨体がのそりと動き出す。マズい。スイッチが入ってしまった。

 

 

「――嵐山さん? これはどういうことなんでしょう?」

変化弾(バイパー)のトリオン反応を察知して近界民(ネイバー)が防御行動を取った、ということだろうな」

「……そうなると、『事前に豆腐(キューブ)を展開しても構わない』という僕へのアドバイスは罠だったってことになるのでは……」

「想定外の状況に対処する能力を持ち合わせているか! それもボーダー隊員に求められる資質の一つだ! 切り替えていこう!」

 

 

 ああもう、女だと思ってた訓練生が実は男でも即座に対応した人が言うと説得力あるなあ畜生!

 とにかくマズい。何がマズいってこんな漫才をかませるだけの時間が経っても訓練が続いているという事実がマズい。開始から何秒が経過した? 10秒? 或いは20秒か? 『まだ5秒くらいだよ』そんな早口で人間が喋れる訳ないだろいい加減にしろ! 時止め中の吸血鬼(DIO様)じゃあるまいし!!

 

 

「まるで我が事のように慌ててくれるのね、大庭くん」

 

 

 そう言う君はピンチの割に余裕あるな那須さん。踏みつけをぴょんと飛び退いて距離を取るその様を見ているとそう思うよ。

 しかしどうすんだこれ? 弱点の目は塞がれ暴れボタンまで押されてしまったとなっては、最早『初心者(ビギナー)レベル』の枠には収まらない脅威になってしまったのではないか? とりあえずこの後は突進が来るとして、依然としてバムスター君の口が開かれる様子はない。笹森くんの反省を踏まえて大きく飛び退いたおかげか前蹴りを挟んでいないので、カウンターさえ取れれば14秒にはギリギリで間に合うものと思われるのだが――

 

 

「……こういう格好を付けた台詞は、いかにも()()()()()の言いそうなことなのだけれど――」

 

 

 だからそのとーちゃんっていうのは一体誰なんだ那須さん!!

 ああ来た! バムスター君が突っ込んできた! 案の定その口はがっちりと閉じられたままで――いや、よく見ると生えている牙がすかすかなおかげで()()()()()はあるのだけれど! というかねバムスター君、キミ確か牙とは別に普通の歯も生えてなかったかな!? つくづくよく理解らない生き物(ネイバー)だな君は! いや木偶人形(トリオン兵)か!!

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 なんですって?

 いつの間に再装填(リロード)を済ませたのか、自身の腰廻りを抱くように弾丸を展開させている那須さん。猛牛の如く突っ込んでくるバムスター君を前に、魔女(那須さん)は改めてその呪文を唱えた。

 

 

変化弾(バイパー)!!」

 

 

 ――そう、それはまさしく魔弾であった。

 僅かに開いた大型近界民(バムスター君)の牙と牙の隙間、せいぜい拳一個分くらいの空間へと、寸分違わず飛び込んでいく弾丸の嵐。がくがくと頭を揺さぶられたバムスター君が大きくふらついて、那須さんの身体を掠めるように通り過ぎていく。口の端からもうもうと煙を吐き出しながら千鳥足のお散歩を続けた巨体は、そのままがつんと訓練室の壁に頭をぶつけ、それっきり動かなくなった。酔っ払いが電柱に頭をぶつけて死んだらこんな感じだろうな、と思った。

 

 

『1号室終了! 記録――13秒!!』

 

 

『……ああ。やっぱり、すごい……』

 

 

 妹の声が陶酔の極みに達していた。おそらく今の僕も、誰かに感想を訊ねられたらこいつと似たような反応を返すことになるだろう。数字に囚われるなと嵐山さんは言っていたが、今ならばその言葉の意味がはっきりと理解出来る。僕と那須さん、訓練結果でこそ僕の方が大幅に上回っているけれど、どちらが正隊員に相応しいかと問われれば、誰もが彼女を指し示すに違いない。誰だってそーする。僕もそーする。

 

 

「うおおおおおおおおお!! すげええええええええええええええ!!」

「……オレは摩子さん一筋。オレは摩子さん一筋。オレは摩子さん一筋。オレは――」

 

 

 語彙力という概念を失った小荒井登(哺乳綱双前歯目コアラ科コアラ属に分類される有袋類)と、その隣で何やらぶつぶつと念仏のようなものを唱え続けている奥寺常幸。どうやら彼らも陥落したようだ。いや、一人は崖の下に落ちる寸前で必死に踏み止まろうとしているのかもしれない。まあどうでもいいや。

 笹森くんも言葉にこそ表れていないが、()てみるとやはり驚嘆で心を埋め尽くされている。……隅でちらりと見え隠れしているのは、ささやかな悔しさと――焦りかな。同期の訓練生が鮮やかに見せつけた才能に対する。

 何か声を掛けようかと思ったが、その前に嵐山さんが彼の肩をぽんと叩いて笑いかけていた。副作用(サイドエフェクト)もないだろうに、よく気が回るものだ。まあアレだ、笹森くん(訓練生)のフォローに嵐山さん(正隊員)が回るのであれば、一仕事終えた彼女を出迎える役は僕が頂いてしまおう。

 

 

「20ポイント達成、おめでとうございます」

「それ、厭味かしら? 3.1秒クリアの大庭葉月くん」

「まさか」

 

 

 むしろ、今となっては正攻法で挑戦しなかったことを後悔しているくらいだ。下手に最短記録に拘るよりも、射手(シューター)本来のスタイルで満点(20ポイント)を得るにはどうすればいいか――そういう方向に頭を使った方が、間違いなく後々の糧となったに違いないのだ。

 まあ、これはこれで僕らしいやり方を貫いたと言えなくもない。正道であれ邪道であれ、目標を達成するための意志さえ捨てなければそれでいいのだ。変化弾(バイパー)こそが我が人生なり。

 ……那須さんの前で口にすると、変な意味に捉えられそうだから言えないけれど。うん。

 とにかくこれにて、1号室一同の訓練は無事終了した。暫しの間はのんびり出来そうだ。というのも、実はさっきからちょくちょく他所の訓練結果も聞こえてきているのだが、その殆どが1分オーバー、2分や3分を越えた記録も耳に入っている。どうやらコアデラ組の1分18秒という記録も、そこまで悲観するほどの結果ではないらしい。

 という訳で嵐山さんの許可を頂き、他の部屋の訓練が終わるまで束の間の雑談に興じていた僕らの下へ、その報せは唐突に舞い込んできた。

 

 

『あー、3号室しゅーりょー。記録――』

 

 

 ……なんかやけに聞き覚えのある声だな? この()()()()()()()()という印象を受ける声は――いやいや、()()()()()は入隊訓練の手伝いに興じるようなタマじゃないだろう。それともまさか、客席から眺めるのは気恥ずかしいからってことで、こんな回りくどいやり方で僕の様子を見に来てくれたのでは――いやいや、いやいやいやいや。ねえマイシスター、いい加減にそろそろツッコミ入れてくれない? お兄ちゃん一人でボケ続けるの恥ずかしいんだよこれでも。

 

 

『――()()()()!? おいおいカゲ、ハヅキの記録抜かれちまったぞ!!』

『ヒカリちゃん、マイク切れてない切れてない!』

『あ、やっべ』

『……ヒカリ、オメー後で覚えてろよ……』

 

 

 …………。

 

 

「素敵なお知り合いがいるのね、大庭くん」

「……いや、葉月って名前の隊員が僕一人とは限らないし、ほら」

「ああ、そういえばオペレーターにそんな名前の女の子がいたな。七尾葉月さんだかなんだか」

 

 

 嵐山准、まさかのマジレスである。というか、完全にその場凌ぎで口にしたんだけど本当にいたのか。知らなかった。冗談抜きで。いや本当に、今の今まで知らなかったんだけど万が一ご尊顔を拝む機会があったらどうしましょう。別にどうもしないんだけど、ちょっと本当に想定外だった。それだけ。

 想定外といえば、本当に()()()()()がこっそり見に来てたことも驚きだったのだが――ささやかながら、記録を抜かれたという事実の方もショックだった。数字に囚われるなって何度自分に言い聞かせれば気が済むんだか、まったく。

 1.53秒。僕の更に半分の早さでバムスター君を仕留めた人。一体どんな人なのだろう。トリガーは何を使っているのか? ポジションは一体何処なのか? うーん、気になる。是非とも一度お会いしたい。

 きっとどんな外見であれ、性格であれ――那須さんと同等、或いはそれ以上の()()なのだろう。

 その素顔を目の当たりに出来る時が、つくづく楽しみだ。

 

 

 

 

「――何秒やった? 水上」

「ナチュラルに()単位で訊いてくんのやめて下さいよ」

「マジか。なんかぴょんと飛んでスッと抜いてズバッとやったら終わっとったで俺」

「長嶋か」

「おまえ大阪人やのにようその名前出せんな。そっちじゃ巨人の選手の名前は禁句ちゃうんか?」

「いや、いくら虎の住処言うても流石にミスターはセーフでしょ。そもそも俺オリファンなんで」

「ウソやろおまえ、あの日本に3人しかおらんっちゅうオリックスファンの一人やったんか」

「うちの家族だけでもフツーに4人おりますわ。ぶっ飛ばしますよホンマ」

「訓練の結果がアカンかったから言うてそないキレたらあかんで自分」

「実家に帰らせてもらいますわ」

「アカン! 待ってぇな水上! おまえに逃げられたら誰がこの子の面倒見たるねん!」

「いや知りませんよ誰なんすかその子」

「うっす! 南沢海っす! 訓練でイコさんと同じ部屋だったんすけど、イコさんマジヤバいっす! リスペクトっす! イコさんが近界民(ネイバー)ぶった斬るとこ2万回見ました!」

「ウソつけ」

「こないな感じでえらいなつかれてしもてん。な? アカンやろ自分? ここで俺らを見捨てて地元帰っても夢見悪いやろ。毎晩枕元ですすり泣く俺の幻を拝む羽目になるで」

「妖怪ゴーグルアニキって呼ばせてもらいますわ」

「おれもイコさんみたいな綽名付けられてみたいっす!」

「妖怪キューピーマヨネーズ」

「ええ~……」

「ていうか、子守りが欲しいんやったら俺やなくてマリオちゃんに頼めばいいでしょ」

「せやな。まあアレや、おまえも化け物退治に1分2分掛かったからってくよくよすんなや。ウルトラマンかて怪獣倒すのに毎回3分近く掛けとるんやから」

「……別にくよくよはしとりませんけどね。どーも俺の小細工は近界民(ネイバー)相手やとイマイチ効果薄いみたいっすわ。やっぱ知恵比べは人間相手に仕掛けてナンボやな」

「お、ええやん。後でまたいっちょ将棋でも付き合ったろか?」

「イコさん指すとき毎回王手王手言うからなー……」

「おれも水上先輩と将棋指してみたいっす!」

「2万年早いわ」

「ゼロ師匠!」

「誰がCV宮野真守やねん。もうええわ」

「ありがとうございましたー」

 

 

 

 

 ――第■■期、対近界民(ネイバー)戦闘訓練・最終記録。

 

 

 第3位:那須玲(15)/射手(シューター) 使用トリガー:変化弾(バイパー)

 記録:13秒 個人(ソロ)ポイント:3500→3520

 

 

 第2位:大庭葉月(15)/射手(シューター) 使用トリガー:炸裂弾(メテオラ)

 記録:3.1秒 個人(ソロ)ポイント:2500→2520

 

 

 第1位:生駒達人(17)/攻撃手(アタッカー) 使用トリガー:弧月

 記録:1.53秒 個人(ソロ)ポイント:3600→3620

 

 

 ――以上。集計担当、B級5位嵐山隊所属、時枝充。

 

 




2020/11/25
改行の増加、内容の分割、それに伴う文章の微修正等を行いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ROOM153

 さてさて。

 全部屋の対近界民(ネイバー)戦闘訓練が終了したところで、訓練生一同は新たに三種の訓練へと身を投じることになった訳なのだが。

 

 

 ~地形踏破訓練~

 例の『市街地A』みたいな仮想の戦場(マップ)を駆け回ってゴールを目指す遊び。

 これは那須さんとの鬼ごっこの経験が活きて全訓練生中2位の成績を収めることが出来た。

 1位? 察して。

 

 

 個人(ソロ)ポイント:2520→2540

 

 

 ~探知追跡訓練~

 戦闘体の標準機能であるレーダーを使用して、仮想マップで動き回る近界民(ネイバー)をストーキングする遊び。

 反応のあったポイントに移動するまでは順調だったのだが、そこから近界民(ネイバー)に気付かれないよう後をつけ続けるところで躓いた。

 どうも僕は息を潜めて大人しくするとかそういうのが性に合わない性質(タチ)らしい。で、その欠点がより如実に表れたのが……

 

 

 個人(ソロ)ポイント:2540→2552

 

 

 ~隠密行動訓練~

 仮想マップを徘徊する無数の近界民(ネイバー)に見つからないようゴールを目指す遊び。

 

 

 個人(ソロ)ポイント:2552→2555

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 この間散々撃ち落としてやった標的(バド)くんに首根っこを引っ掴まれて、クレーンゲームで引っ張り上げられる景品の如き醜態を晒す僕。わぁー、景色が高ぁーい。お空がきれーい。

 

 

『現実逃避中のところ悪いんだけど、3ポイントって普通にヤバいよお兄ちゃん』

 

 

 妹よ、こういう時の僕は下を見ることで心の安寧を得ることにしているんだ。

 

 

『お兄ちゃんの()にいる人たちは今も近界民(ネイバー)に見つからないよう息を潜めて頑張ってるよ』

 

 

 違う。物理的な話をしているんじゃあない。そっちの話なら僕が見るべきはすぐ真横だ。

 

 

「あら、奇遇ね大庭くん」

 

 

 【悲報】対近界民(ネイバー)戦闘訓練の3位と2位、揃って早々に脱落する。

 まあ息を潜めて大人しくとか僕らの行動理念から最もかけ離れた概念だからね。仕方ないね。

 これで1位の人も一緒に吊られてたら笑えるんだけど。あの遠くで浮いてる訓練生さんがそうだったりして。まさかね。話しかけてみたいけど遠過ぎて無理そうだ。せめて顔だけでもと思ったのだが何やら分厚いゴーグルを掛けているせいでよく判らなかった。残念。

 

 

「イコさんはなんで飛ぶのんー?」

「17歳ですけどー」

『あ、下から声掛けたもさもさ頭の人も吊られた』

 

 

 誰だか知らないけど芸のために体張ってるなあ向こうの人達は。

 

 

 

 

 という訳で、4種の訓練を終えて総得点は55/80でした。100点換算だと68.75点になります。

 うん。

 これが学校の試験だったら父から張り手の一発や二発くらいは貰っていてもおかしくはない点数だな。うん。

 

 

『……あの人たちの話はもういいでしょ』

 

 

 おう。

 ごめんな、まだ一人だった頃の癖が抜けてなかったみたいだわ。

 

 

『なおして』

 

 

 善処します。

 

 

「――さて。これで訓練は一通りやってもらった」

 

 

 所変わって。

 我々ルーキーズは現在、カラオケ屋みたいな無数の個室(ブース)が3階建てにずらりと並ぶ広間(ロビー)へと集められている。電光掲示板に表示された各部屋の番号は光っていたり暗かったりで、多分空き部屋がライトON、使用中だとライトOFFだ。広間は普通に今期入隊組(ぼくたち)以外の訓練生達で賑わっており、ちらほらと正隊員らしき人の姿も見受けられる。どうやらここは、本部基地の中でもかなりの人気スポットのようだ。

 

 

初め(3話前)にも言った通り、各種訓練と個人(ソロ)ランク戦で個人(ソロ)ポイントを4000点以上にすれば、B級隊員へと昇格できる。今から個人(ソロ)ランク戦の説明をするが――充」

「はい」

 

 

 ここで唐突に嵐山さんが、隣に立つ例の『眠そうな目つきの割にキリッとした印象を受ける子』へと声を掛けた。どうやらここからは彼が説明役になるようだ。よくわからないがそういう段取り(原作)なのだろう。

 充と呼ばれたその少年は「時枝です」と僕らに向かって簡潔な自己紹介をすると、思いの外よく通る声で語り始めた。

 

 

「C級ランク戦は基本的に、仮想戦場(フィールド)での個人戦になります。対戦までの流れを説明するので、まずはあちらの画面を見て下さい」

 

 

 時枝くんが手元のタブレットを操作すると、電光掲示板の表示が切り替わり、以下のような画面が映し出される。便利だなあのタブレット。ウィルバー氏が持ってたのと同じやつかな?

 

 

 

249 710 弧月

315 1240 バイパー

311 2760 弧月

246 1985 弧月

115 2010 アステロイド

151 1420 メテオラ

338 590 スコーピオン

105 1826 スコーピオン

203 940 弧月

333 2810 スコーピオン

194 2300 アステロイド

128 3020 バイパー

 

    

 

 

 

「あの掲示板に映っているのと同じものが、ブース内のパネルに表示されています。左から部屋の番号、部屋主の個人(ソロ)ポイント、使用しているトリガーの名称になります」

『590ポイントの子には一体何があったんだろうね』

 

 

 いやそれ僕も思ったけど。最低1000ポイントから始まるのに更にその半分近くまでポイント減ってるとか只事じゃないと思うけど。もう下手にランク戦やらずに訓練だけ参加してた方がいいんじゃないかなとか思うけど。とりあえず今は置いておこう。

 

 

「好きな相手を選んで押せば対戦できます。使用ステージや対戦数の変更も可能です。ブースには個人通話機能も用意されているので、それらは対戦相手と話し合って決めて下さい。戦場(フィールド)に転送された後、相手と直接対面してから決めても構いません」

 

 

 ふむふむ。

 

 

「ランク戦の仕組みは単純です。勝つことで相手のポイントを奪い、負ければ逆にポイントが失われます。ポイントの高い相手に勝つほど多くのポイントが手に入り、自分よりポイントが低い相手だと、勝利してもポイントはあまり増えません。敗れた場合はその逆です」

 

 

 これだけ聞くとひたすら高ポイントの相手に挑み続けるのがローリスクハイリターンの選択肢に思えてくるな。『勝てるんならね』まあそうだな。多分590ポイント君もこんな考えで強い相手に挑み続けた結果、敗北を重ねて少しずつポイントをすり減らしていったのだろう。普通に弱過ぎて勝てる相手がいなかっただけなのかもしれないが。

 仮に0ポイントの状態で一番ポイントの高い隊員から1勝でも出来たらどれだけのポイントが手に入るのかな。1勝で1万ポイントとか手に入りそう。負けたところで失うものもないしちょっと面白そうだよね。いや、やらないけど。

 

 

「一番下にある黒い四角を押すと、パネルの表示が正隊員入りのものへと切り替わります。それを使えば正隊員とも対戦ができますが、正隊員の方に拒否されれば戦えませんし、ポイントの変動も起こりません。ただの練習試合用だと思って下さい」

『一攫千金の夢が断たれたね』

 

 

 やらないって言うたやないかい。

 というか、むしろ方針が固まった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。3500だろうが3999だろうが、4000ポイントを越えていないのなら所詮は訓練生レベルなのだ。それを乗り越えていけないようでは先がない。那須さんみたいな例外は別として。あと例の1.53秒の人も地雷だよな。この御二方には早いとこ上に進んでいただきたいものである。

 

 

『そこでその二人も倒すって言えないあたりがみみっちいよね、お兄ちゃんは』

 

 

 君子危うきに近寄らずと言ってほしい。

 いやでもやっぱり、那須さんにリベンジマッチを挑みたいという男心もあるにはあるな。単純な技術()の競い合いでは天地がひっくり返っても勝てる気はしないのだが、(タマ)の獲り合いとなったら話は別だ。具体的な策はまだ何も思い浮かんでいないのだが、何度か手を合わせているうちに見えてくるものもあるだろう。

 OK、最初の標的は決まった。悪いが那須さん、君には少しだけ訓練生で足踏みをしてもらう。

 

 

『普通にお兄ちゃんがあのひとの踏み台になって終わるだけだと思うけど』

 

 

 そんなことはない。

 そんなことはない……!(願望)

 

 

「合同訓練は週2回。4種の訓練で満点を取り続けても、1週間で最大160ポイントしか稼ぐことが出来ません。ですが、ランク戦なら1日でその倍以上のポイントを稼ぐことも可能です。負ければポイントを失うというリスクもありますが、正隊員への早期昇格を目指しているのなら、積極的にランク戦へと取り組むことをお勧めします」

 

 

 今、暗に『訓練だけでポイント稼いでのんびり正隊員目指そうとか思うなよ』って釘を刺されたような気がする。いやまあ、そんなつもりは毛頭ないし時枝くんにもそんな黒さは()えないけど。

「サンキュー充」と嵐山さんが声を掛け、時枝くんがぺこりと軽く頷く。どうやらそろそろまとめに入るようだ。結局最後まで説明役が代わった理由はよく理解らなかったな。

 

 

「入隊指導はこれにて以上だ! 今後の時間の使い方だが、早速ブースに入ってランク戦に励むもよし、訓練室を借りてトリガーやトリオン体の扱いについて学び直すもよし、正隊員に声を掛けてアドバイスを貰うもよし! 各々自分なりのやり方で、自由に正隊員を目指してほしい! 君たちと共に戦える日を待っている!」

 

 

 締めの挨拶は忍田本部長と同じであった。嵐山准、つくづく模範的なボーダー隊員である。

 とはいえ、その前の彼の言葉は気に入った。自分なりのやり方で自由に。放任とも取れる言い方だが、これ以上僕に向いている助言もない。思えば戦闘訓練の際も、嵐山さんは僕の戦法を確かめこそすれ正すことはしなかった。その大らかさに魅力を感じるし、正義の味方(ボーダー隊員)としては理想に近い人物だと思う。()()()()()()()()()、そう考えてしまう自分がいることを、正直否定は出来ない。

 ――まあ、あんまり長い時間眺めていると、僕の目にはやや()()()()()()()()と思わないこともないけれど。そう、僕の目に()える嵐山准という人は、何か知らんけどやたらと眩しいのだ。キラキラと輝いて映っているのだ。普通の人にはよく理解らない感覚かもしれないけれど、人によっては僕と同じ眩しさを感じ取って、()()()()()()()()()()と、日の当たる道から離れてしまったりもするのかもしれない。()()()()()()()()()、と何となく思った。

 

 

『ヘタレ』

 

 

 お前覚えとけよ。場合によってはたった三文字で人の心ってやつは砕けるんだからな。もっと兄の心を労わって。丁重に扱って。硝子細工みたいに。

 さて、嵐山さんらがロビーを去るのに合わせて、今期入隊組も散り散りになっていく。どうやら早速、コアデラ組はブースへと駆け込んでいくようだった。相も変わらずやいのやいのと言い合いを続けている。多分あのままランク戦で殴り合う流れだなアレは。うんうん、仲良くケンカしな。

 笹森くんはというと、なんと正隊員と思われる二人の男性に声を掛けられている。片割れの人が何となくガラの悪そうな見た目をしているので、まさか因縁でも付けられているのかと一瞬心配をしてしまったのだが、()た感じ二人とも割と好意的というか、どうも笹森くんに何らかの『期待』を抱いているらしい。スカウトか。スカウトされているのか笹森くん!

 

 

『余計なお世話した甲斐があったじゃん、お兄ちゃん』

 

 

 いや、あれは即座に動けた笹森くんを褒めるところだよ。とにかく、絡まれている訳じゃないのなら放っておいても大丈夫か。となると残るのは。

 

 

「――ついに本当の『勝負』をする日が来たんじゃないかな、那須さん」

 

 

 僕は言った。渾身の決め顔でそう言った。『きもちわるい』あんだとコラお前の顔だぞお前の! 『私の顔だから尚更そう思うんじゃん……』一理あるようなないような! でもそこまで言われるほど変な顔はしてない筈だぞお兄ちゃん!

 

 

「大庭くんの今の顔、嵐山隊の佐鳥くんみたいね」

「ごめん那須さん、今の僕の表情は記憶から消し去ってもらえるとありがたい」

 

 

 違うのだ……決め顔とドヤ顔は断じて違う……違うのだ……。

 で、どうやら那須さんはランク戦ロビーを離れ、狙撃手(スナイパー)の訓練場へと向かった(筈の)茜ちゃんと、もう一人――オペレーターとして入隊を果たした、後輩の子を迎えに行くのだという。今日はそのまま帰宅の流れだとか。

 という訳で、デートのお誘いはあえなく断られてしまった。残念。

 

 

『その言い回しもきもちわるいからやめて』

 

 

 お前ジャブ放つみたいな感覚で兄にキモいキモい言うの本当良くないぞ。仕舞いにゃ泣くからなマジで。

 かくして一人寂しくロビーに取り残されることが確定した僕だったのだが、別れ際に那須さんとこんなやり取りがあったことを記載しておく。

 

 

「――大庭くん。あなた、()()()のことはもうすっかり乗り越えたという認識でいいのかしら?」

「まあ、この顔のこと()()なら」

『……なーんか含みのある言い方』

 

 

 そりゃまあ実際に()()()()からなあ。お前を。

 

 

「……そういうことなら今度、会ってもらいたい女の子がいるのだけれど。()()()()()()

「――トリオン体? 生身じゃなくて?」

「ええ。私も詳しい理由は知らないのだけれど、男の人が苦手なのよ、その子。でも、大庭くんが相手ならもしかしたら――と思って」

「ああ、なるほど」

 

 

 見た目は女! 中身は男! その名も大庭葉月!(トリオン体)

 確かにそういう事情を抱えているのなら、僕らの存在はその子が苦手を克服するためのきっかけになり得るかもしれない。ピーマンは苦手でもパプリカは食べられる子供とかたまにいるもんな。どっちも同じナス科トウガラシ属なのに。どうでもいいけど那須さんの前でナスのことを考えるのってなんか変な感じだな。思わずナスにさん付けしてしまいそうだ。うん、馬鹿だな僕は。

 

 

『――男が苦手、ね』

 

 

 おや、なんか言いたげだなマイシスター。

 ていうかアレだな。僕一人で勝手に了承しかけてたけど、お前の同意も貰っておくべきだよな。どうするよ?

 

 

『しーらない。お兄ちゃんの好きにすれば? ()()()()()()()()()()

 

 

 人に含みがどうとか言っておきながらこの妹は……まあいい。とりあえず言質は取ったぞ。

 

 

「オーケイ。喜んで協力させてもらうよ、那須さん」

「――ありがとう。段取りが決まったら私の方から連絡させてもらうわ。というわけで大庭くん」

「はい」

「ラインを交換しましょう」

 

 

 ラ イ ン 交 換 。

 僕が。那須さんと。陽介と公平の二人しか友だち登録されていない僕のラインに、那須さんの名が加わる――なんだこの謎の感動は。

 いやだってほら、想像してみて下さいよ。ラインのアイコンタップして友だちんとこ開くとさ、三人の名前が並んでるわけよ。下から順に"K. Izumi""よーすけ"と来て、

 

 

 "那須玲"。

 

 

 そんなんもう絶対、画面眺めてるだけでテンション上がるやつじゃないですか?

 最高じゃないですか?

 

 

『この人の妹であることを辞めたい……』

 

 

 お前ガチトーンでそういうこと言うの本当に傷付くからやめような。兄も人間だからな。少なくとも僕はまだそのつもりだからな。

 とにかく、完全に浮かれ気分になった僕はすぐさま懐からスマホを取り出そうとして――

 二つの問題に気が付いた。

 そのいち。

 

 

「……那須さん。僕たち今トリオン体だけど、どこからスマホを出せばいいんだ」

「あら」

 

 

 言われてみればその通りね、と頬に手を当てる那須さん。天然か。いや、釣られてスマホを抜きにかかった僕も同レベルだけれども。

 

 

「私としたことがうっかりしていたわね。入隊指導も終わったことだし、一度換装を解いて――」

「いや、その必要はないよ」

 

 

 そう――仮に那須さんが生身に戻ったところで、彼女が僕とラインを交換することは叶わない。なのでどうか、こんなことで身体に負担を掛けないでもらいたい。一度生身に戻るだけでも、君の身体に『重み』が圧し掛かることを僕は知っているんだ。

 という訳で、問題そのに。

 

 

「僕はスマホを持ってないからね」

 

 

 父に取り上げられてしまったので。

 まあ、現物があったとしてもとっくに解約されてるに決まっているのだが。

 

 

『……あのオヤジ、今度会ったらぶっ飛ばす』

 

 

 やめなさいやめなさい。というかお前、もういいって言っておきながら僕より吹っ切れてないじゃないか。別に僕は直せとは言わないけども。

 

 

『…………』

 

 

 あれま。拗ねてしまった。こりゃダメだ。

 目の前の男女がそんなやり取りを繰り広げていることなど知る由もなく、先程と同様に「あら」と短い反応を返す那須さん。どうでもいいけど割と頻繁にあらあら言うよね那須さん。僕の勝手な思い込み(イメージ)だろうか?

 

 

「そうだったの? ガラケー派?」

「いや、なんというか……家を出た時に手放して、それっきり」

「あ――ごめんなさい」

「いやいや、那須さんが謝るようなことは何もないって」

 

 

 これは我が家の問題なので。いや、元我が家、か。

 

 

「……でも、それならどうしましょうか。今住んでいる部屋にも電話はない?」

「ないね。原始的な連絡手段になるけど、普通に基地でまた会った時に伝えてくれたらいいよ」

「それ、私が大庭くんをすんなり見つけられるという前提がないと成り立たない手段だと思うわ」

「ああ、それなら大丈夫」

 

 

 ? と首を傾げる那須さんに向けて、僕はある種の決意表明も込めて、こう言った。

 

 

 

 

 

「正隊員に昇格するまで、僕は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から」

 

 

 

 

 

 C級隊員大庭葉月。

 今日からランク戦廃人、始めます。

 

 

 

 

 かくして現在、僕はそれこそカラオケボックスの如き狭さのランク戦ブースに閉じ籠もり、どの曲を歌おうかなと悩むようなノリでパネルと睨めっこをしている最中なのである。

 予定の決まった那須さんが即座に僕を発見出来るよう、使用する部屋は常に同じ番号を選ぶことにした。という訳で、僕が使用している部屋の番号はそう、ROOM303(303号室)だ。()()()()()()()()()()()()()()と那須さんにも伝達済みである。無論、今日はたまたま空いていたからすんなりと入れただけであって、日によっては()()()()と出くわすこともあるのかもしれないが。その時は大人しくロビーのソファに腰掛けて空くのを待つのみだ。下手に他の部屋を利用している最中に那須さんが来たらすれ違いになってしまうし。

 

 

 

249 710 弧月

315 1240 バイパー

311 2760 弧月

246 1985 弧月

115 2010 アステロイド

151 1420 メテオラ

338 590 スコーピオン

153 3650 弧月

105 1826 スコーピオン

203 940 弧月

333 2810 スコーピオン

194 2300 アステロイド

128 3020 バイパー

 

    

 

 

 

 で。

 僕が事前に決めた方針に従うのであれば、勝負を挑むべきはこの人になる――のだ、が。

 

 

 

249 710 弧月

315 1240 バイパー

311 2760 弧月

246 1985 弧月

115 2010 アステロイド

151 1420 メテオラ

338 590 スコーピオン

 

153 3650 弧月

 

105 1826 スコーピオン

203 940 弧月

333 2810 スコーピオン

194 2300 アステロイド

128 3020 バイパー

 

    

 

 

 

 1()5()3()号室。『弧月』使いの3650ポイント。

 さて、一体何を迷っているのかというと、僕はこの『弧月』というトリガーに対する知識を一切持ち合わせていないのである。炸裂弾(メテオラ)変化弾(バイパー)は勿論わかる。あと確か、アステロイドというのは普通の弾だ。爆発するわけでも曲がるわけでもないが、その分威力が高い弾丸トリガー、それが通常弾(アステロイド)。知っているのはその三種類だけだ。

 『スコーピオン』もさっぱり理解らない。いや待て、名前自体は何度か聞いてるな。確か陽介が使っているトリガーの名前だ。でもそれだけの知識しかない。あいつが選ぶような武器なのだし、何かしら『と、思うじゃん?』って感じの要素がある武器なのだと思うけれど。

 そんな具合なので、いきなりこの人に突っ込んでわからん殺しされたら怖いから他の低ポイント弧月使い、たとえば249号室とか203号室あたりで予習すべきなのではという考えが浮かんでいるのである。

 

 

『ビビリ』

 

 

 お前ようやく復帰したと思ったら第一声がそれとか本当最悪だな?

 ええはいそうだよビビりましたよリスクを恐れましたよ弱い考えでしたよさっきのは。時枝くんの説明によれば、自分より高いポイントの相手に負けても失うポイントはそこまで多くないのだ。どの道わからん殺しを食らうリスクは他の弧月使い相手でも存在するのだし、勝つにしても負けるにしてもこの人を選ぶのが一番良い。そう思った。

 陽花に上手いこと乗せられた感もあるがまあ気にしないでおこう。という訳で、153号室の段をポチっとな。

 

 

 

 

153号室を対戦相手に指名しました。

対戦相手の応答を待っています。

 

 

NOW LOADING...

 

 

 

 

 対戦相手――そうか。今更ながら、僕は初めて人間相手にトリガーを使用することになるのか。標的(バド君)大型近界民(バムスター君)を吹っ飛ばした時には何とも思わなかったけれど、人間相手にぶっ放すのか。炸裂弾(メテオラ)を。生身の相手を撃つのではないと頭では理解しているけれど、いざ戦場に立った時、その理解に身体が従ってくれるものかどうか。

 

 

『人間だったらもう二回も吹っ飛ばしてるけど何ともなかったじゃん』

 

 

 そういえばそうだ。

 二回とも僕だけどな! HAHAHAHAHA!!

 

 

『…………』

 

 

 笑えよ。

 

 

 

 

対戦が承諾されました。

戦闘体を対戦ステージへと転送します。

 

 

 

 

 とまあ、こんな感じのぐっだぐだな空気に漬かりつつ。

 僕は初めての対人戦を迎えることとなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は日中。天気は晴れ。周囲に映るは何の変哲もない民家の群れ。

 いたって平凡なこの風景こそが、ボーダー隊員の戦場なのである。

 

 

『この街並みを今からお兄ちゃんが炸裂弾(メテオラ)で吹き飛ばすんだよね……』

 

 

 おう、人聞きの悪いこと言うなや。訓練や模擬戦ならともかく、実戦ならなるべく当てないようにするわ。なるべくだけど。

 とにかく、僕が転送されたのは初期設定の『市街地A』。時刻を夜に設定した訳でも転送位置がマンションの屋上だった訳でもないので、本当にごく普通の街中へと放り込まれた形となる。

 ……こんなところで戦うのか。いわゆるストリートファイターってやつの気分だな。そんなことを思っていると、15mほど先の路上、二つの人影を確認した。どうやら相手の方も転送を済ませているようだが――

 

 

 ――()()

 

 

「お、フツーに入れましたわ」

「観戦モードやっけ? こんな機能もあるんやな。これ使ったら気軽に間近で強い人の対戦見放題やん」

「間近は流石に気ぃ散るでしょ。ま、そんなワケで俺は隅っこの方で眺めとりますから、ランク戦ちゅうんがどんなモンか見せて下さいよイコさ――お」

 

 

 と、雑談を交わしていたらしき二人も僕の存在に気付いたらしく、2×2=4つの(まなこ)が僕の方へと向――()()()。片方の人の目が見えない。分厚いゴーグルを掛けているので素顔が判らない。()()()()()()()()()()

 

 

『あ、もさもさ頭の人だ』

 

 

 そう。この二人は――

 

 

 

 

 

「僕と同じくらいの早さでバド君に吊られていた人……」

「入隊式んとき隠岐のアホウにナンパされとった子……」

 

 

 

 

 

 世間(ボーダー)ってやつは想像よりも狭いものだなあ。そう思った。




前回のイコさんのバムスター撃破記録を1.58秒から1.53秒にサイレント修正しました。
ええ、語呂合わせのつもりだったのです。1.58(生駒)秒。
でもそれなら1.53(イコさん)の方がわかりやすいかなあと思ったので変更です。
ちなみに原作で『歴代2位の記録』と明言されたヒュースは1.51秒なのでギリギリ越えてません。
裏を返せば本作時空だと遊真&ヒュース入隊までの2年間イコさんが最速記録保持者ということになってしまった訳ですが、まあイコさんだしいいよね(贔屓)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ゴーグルの達人とうそつきブロッコリー



C級ランク戦には時間を掛けないと約束したな。
あれは嘘だ。
あたまいいひとをかこうとするとあたまわるいのがばれるからこわい

ワートリ2期2021年1月9日から放送開始うひょおおおおおおおおおおおおおおおおおお




 

 

 誰も興味ない思うんやけど、自分語りしてええかなあ。

 

 

 俺な、中学ん途中まで本気の本気でプロの将棋指しなろう思っとってん。

 まあ結局自分才能(センス)ないわ思て途中で諦めてもうたんやけどな。

 諦めた言うても、わかりやすく心がぽっきり折れるような出来事があったとか、そういうワケやないねん。

 少しずつ、少しずつや。ええ感じに上達しとった頃と比べて思うように伸びんようなって、こらアカン思て棋風(スタイル)変えてみるんやけどそれもダメ、そうこうしとるうちに元のやり方にも戻れんようなって、どん詰まって、それで終わりや。しょうもないやろ?

 最初ん頃の指し方を褒めてくれはった人らが、指し方を弄れば弄るほどに俺の棋譜見て白けた顔するようになったのもしんどかったなあ。俺なりに勝てる指し方でやっとったつもりなんやけど、どうもその人らの好みとズレてたみたいやねんな。

 人の目ぇ気にして将棋始めた訳やなかった筈やねんけどな。

 ただオモろいやん思て始めただけのことやったのに、いつから余計なモンが纏わりつき始めたんやろな? まあ、今更どうでもええんやけど。

 

 

 で、将来の夢やら目標やら何も無うなって、アホみたいにぼけーっと高校一年生やっとったら、ある日いきなり街中で声掛けられてん。界境防衛機関ボーダーの者ですけど言うて。

 流石にボーダーの名前くらいは知っとったで? 二年前の大規模侵攻いうたら、そらまあ大阪(こっち)の方にも聞こえてくるくらいの大ニュースやったねんな。『異世界からの侵略者』やで? ボロボロの街やらひっくり返った戦車やらもバリバリテレビに映っとったし、そら日本中が大騒ぎするってもんや。

 で、そない大騒ぎを鎮めたっちゅうどえらい組織が俺に何の用やねん思うたら、スカウトやて。その時の口説き文句がまたお笑いやねんな。『君には才能がある』やて。んな台詞はボーダーの人やのうて米長さんにでも言われたかったもんや。知っとる? 米長邦雄。日本将棋連盟の元会長様や。在任中に亡くなってもうたけどな。将棋に負けたショックで全裸(マッパ)んなってホテルん中を走り回ったっちゅうドアホウや。イカレとるやろ? 俺の一番好きな棋士やで。覚えといてや。

 

 

 でまあ、笑える言うといて結局付いてってしもたんやけどな、スカウト。

 しゃーないやん、さっきも言うたやろ? アホみたいにぼけーっとしとったって。何処へも行けんなったから何処へでも連れてってくれたらええわ、みたいなこと思っとってん。アホやろ?

 したら、連れていかれた面接会場みたいなとこで、その人と()うてねん。

 何でも祖父(じい)ちゃんが京都の方やとそれなりに名の知れた剣術家やそうで、ガキん頃から手ほどき受けて、高校生にして『()()』とか呼ばれてる言うねんな。で、その剣の腕を買われてボーダーにスカウトされたと。

 

 

「今時カタナなんか扱えてもモテたりせんけどな。むしろおっかない言うて怖がられるのがオチやねん。せやけど、俺の剣で化け物ぶった斬って街が平和になるっちゅうんならそらええこっちゃ。そう思ったら、家を出るんも迷うことあらへんかったわ。あ、今の俺ちょっとカッコええやん。やっぱボーダー入ったらモテ期来るんとちゃうか?」

 

 

 まあ二言目にはモテるモテないの話始めるアホウやったワケなんやけど。

 イコさんがモテへん一番の理由て、そこを気にし過ぎやからとちゃいますの?

 それ言うてホンマにイコさんがモテるようなったらオモろないから言わへんけども。

 

 

 あとな、暫く経ってからネタばらしされたんやけど『達人(たつじん)』いうんは単なる本名のもじりやったらしいわ。

 異名やのうてただの綽名やないかーい!

 

 

 

 

『対戦ステージ「市街地A」。C級ランク戦、開始』

 

 

「アカン」

 

 

 僕と目が合った(隠れていて見えないけど合っている……筈)ゴーグルの人は、そう呟くと隣のもさもさ頭さんへと視線を向けて。

 

 

「バトンタッチや水上。あの子の相手はお前に任せた」

「出会って5秒で何ヒヨってんすかアンタは」

「俺は! かわいい子斬ったらアカン顔やろが!!」

「俺かて別にかわいい子撃って許されるような顔しとりませんわ。そういう仕事は隠岐にでも押しつけとけばええんですよ」

「それや。こういう時こそあのイケメンを役立てなアカン。聞いとるか隠岐? 隠岐ー?」

「ホンマに探し始めるアホがおるか」

 

 

 やべえ……。

 思わず最近の若者染みたリアクションを内心で取ってしまった。本場だ。本場関西のお笑いだ。僕と陽花のにわか仕込みとはレベルが違う、息ぴったりのコンビ漫才だ。付け入る隙が全くない。

 

 

『お兄ちゃんとコンビ芸人扱いされるのも、この人たちと競わされるのも甚だ心外なんだけど』

 

 

 そう言う割にはしっかりツッコミ入れてくれるからお前のこと嫌いじゃないぞお兄ちゃん。

 

 

『……帰る』

 

 

 どこに!?

 

 

『お兄ちゃんとこの人達のテンションに付き合ってるとなんか疲れそう。時間経ったら帰ってくるから好きにやってて。それじゃね』

 

 

 え、あのちょっと陽花さん? 陽花さーん? もしもーし?

 ……切れた。切れたってなんだよ電話じゃあるまいし。でも他に言い様がない。まったく、我が妹ながら自由なやつだ。誰に似たんだろうか。

 とりあえず、陽花(トリオン器官)が引っ込んだことで換装が解除されるとかそういったことはないらしい。久々に味わう一人の感覚だ。

 

 

 ……いや、別に寂しくも何ともないけどね。ないない。

 

 

「あの、もしかしておっきーのお知り合いの方ですか」

「おっきー!?」

 

 

 陽花のことは放っておくとして、気になる名前が聞こえてきたので()()()()()()()()()()()、ゴーグルの方のお兄さんが素っ頓狂な声をあげた。何故このお兄さんは僕がおっきーをおっきーと呼んだだけでここまで動揺しているのだろう。よく理解らない。理解らないがそれはそれとして。

 

 

「ちなみに彼からはずっきーと呼ばれています」

「ずっきー!? 彼!?」

「キミ、この兄さんのリアクションがおもろいからって遊んどるやろ」

「お気付きになられましたか」

「ま、気持ちは理解らんでもないからな」

 

 

 『えらいこっちゃ……不純異性交遊や……』と震えているゴーグルの人を他所に、僕ともさもさ頭の人とで相互理解が発生していた。観戦モードがどうとか言っていたが、確かにこのゴーグルの人の一挙手一投足を眺めるのは楽しい暇つぶしになりそうだ。いや、それが目的で引っ付いてきた訳ではないと思うのだけれど。

 この調子で弄り続けるのもそれはそれで面白そうなのだが、既に試合開始の合図(コール)も鳴っている。ぱっぱと誤解を解いてしまおう。

 

 

「ついでにお伝えしておくことがあるのですが、こう見えて僕は男です」

「「ウソやろ!?」」

 

 

 あ、愉快な反応が二つに増えた。先に我を取り戻したもさもさ頭の人が「……いやいや」と首を振る。

 

 

「流石にそれは飛ばし過ぎやろ自分。いくら俺らが関西人いうても、そこまでボケるこたないで」

「いや、正確に言うとこの身体そのものは紛れもなく陽花(女性)なんですけどね。まあ、色々とワケアリなんですよ」

「……あれ、ガチなやつなん?」

「ガチなやつなんすよ」

「――ということは」

 

 

 はっ、と世界の真実に気が付いたようにゴーグルを煌めかせるお兄さん。

 

 

「隠岐はああ見えて両刀やった……!?」

「アホか」

「おぶっ」

 

 

 すぱーんと頭をはたかれるゴーグルの人。流石はお笑いの本場、ツッコミに容赦がない。まあ言ってもトリオン体だからノーダメなんだけども。

 

 

「そういうことやなくて、アレやろ? 性別は女の子やけど、心は男っちゅう……ほらイコさん、アレですわ、トランスなんたらっちゅーやつ」

「『私はオプティマス・プライム』」

「そらトランスフォーマーや」

「そういうのともまた別物というか……あとゴーグルのお兄さん、司令官の声真似上手いですね」

「え、ホンマ? 二期始まったら生駒達人(CV:玄田哲章)ワンチャンある?」

「詳しくないので仰っていることがよく理解りませんが、おそらく小野坂昌也さんあたりになるのではないかと……」

「イコさんが何言っとるのかさっぱりワカらへんけど、キミがホンマは詳しいっちゅうことだけはようワカった」

 

 

 日曜洋画劇場『イコマンドー』

 ……うん。そろそろ僕も陽花が引っ込んだ理由を察してきたぞ。僕達このまま永遠とボケ続けていつまで経っても試合なんか始められないんじゃないか? そう、僕が言いたいのは永遠。

 

 

「――とにかく、女の顔だから斬れないとか、そういう遠慮は一切不要だということです」

 

 

 掌に意識を集中させる。豆腐(キューブ)よ出ろ。

 出た。これでどれだけ念じても出てこなかったらどうしようかと思った。本当にただどっかに引っ込んだだけなんだな。そういうことなら遠慮なく使わせてもらうぞマイシスター。

 

 

「不意打ち気味で申し訳ないですが、合図(コール)は既に鳴ってますし、恨みっこなしということで――」

「――ああ、もう始まっとるん? ()()()()()()()、嬢ちゃん」

 

 

 先手必勝とばかりに豆腐(キューブ)をぶん投げようとして、気付いた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「近づき過ぎやで」

 

 

 そう、確かに僕は近づいた。会話をするのに15mは流石に遠過ぎると思い距離を詰めてしまったのだが、それでもまだ5mくらいは離れていた筈だ。いくらトリオン体の運動能力が常人のそれを凌駕しているからといっても、ほんの一瞬でここまで距離を詰められるとは――特殊な歩法でも使っているのか!?

 

 

「メテオ」

 

 

 ラ、と僕は言おうとした。言ったつもりだったのだが、豆腐(キューブ)が飛んでいかない。弾丸へと命令を()()()()()()()()が失われてしまったかのように、何かがぷっつりと断ち切られたのを感じる。

 宙に浮き逆さまになった視界で、頭を失くした陽花()の身体が突っ立っているのを確認して、気が付いた。

 ああ、斬られたのは(そこ)だったのか。

 

 

「――斬れん斬れんと思っとったけど、意を感じたら身体が勝手に動くもんやなあ。祖父(じい)ちゃん、()()()()()やで。こらモテへんわ」

 

 

 いつの間に握っていたのか、刀を振り抜いたままの姿勢で、ゴーグルの人――イコさんが呟く。

 ……そうか、弧月というのは笹森くん達が使っていたあの刀のことだったのか。

 確かに、これは、近づき過ぎた。要反省。

 

 

『伝達系切断、大庭ダウン。勝者、生駒達人』

 

 

 刹那の出来事だった。近づかれたのも、刀を抜かれたのも、首を飛ばされたのも。

 そんな一瞬にして、大庭葉月の華麗なる個人(ソロ)デビュー戦は終わりを迎えたのであった。

 華々しさの欠片もないぜ、ちくしょう。

 

 

 

 

「おぼふっ」

 

 

 炸裂弾(メテオラ)で自爆した時のような()()()()()()を味わった瞬間、僕の身体は背中から地面に叩きつけられていた。

 訂正。地面ではなく、柔らかな感触のベッドだった。頭を上げると、『303』と大きく書かれた無機質な壁が目に入る。どうやら試合に負けると個室(ブース)へと送り戻される仕様になっているらしい。

 

 

『……なんか、首の付け根がむずむずする』

 

 

 あ、帰ってきた。ごめんな陽花、お兄ちゃんが不甲斐ないばっかりにお前の首ちょん斬られちゃったよ。

 

 

『はあ!?』

 

 

 いや、でも安心したわ。これでお前の方も死んでたら洒落にならないところだったけど、やっぱ仮想戦闘だろうとランク戦だろうと、模擬戦だったらいくらトリオン体をぶっ壊されてもお前には何も影響ないってことだもんな。よーし、これで心おきなく死に(負け)まくれるぞ。やったぜ。

 

 

『おい、そこの馬鹿兄、今すぐ運転代われ』

 

 

 うん、申し訳ない。流石に悪ふざけが過ぎた。次は真面目にやるから怒らないでほしい。

 

 

『……次って、なに、もう一回挑んでみるつもり?』

「まあ、何が何だか理解らないうちに終わっちゃったからな」

『瞬殺されてんじゃん』

「今度はそうならないように気を付けるって話だよ」

 

 

 周りに人がいないのを良いことに口での応対に切り替える僕である。個室の利点を活かしていくスタイル。

 とりあえず、イコさん(ゴーグルの人)に対しては5mであろうと即死圏内だということは理解出来た。あんまり距離を離し過ぎると今度は弾の命中精度が問題になってくるが、相手はバムスター君のように固い装甲を持っているという訳ではない。いかに俊敏に動くことが出来ようとも、舞台は街で、相手は人間だ。ならば幾らでもやりようがある。

 そうと決まれば早速リベンジだ、とベッドから降りてパネルに向かおうとしたところで、

 

 

『153号室から続けて、対戦の予約が入っています。ステージへと転送します』

 

 

 そんなアナウンスが個室(ブース)に流れた。都合が良い。どうやら向こうもやる気満々のようだ。

 

 

『単にカモだと思われただけじゃないの?』

「だったら、なおさら都合が良いってもんだ」

 

 

 

 

 

 ――などとイキリ全開の台詞を吐いていたその時の僕は、まさしく()にとってのカモであった。

 そう、僕はもう少し真剣に、アナウンスの正しい解釈へと意識を割くべきだった。

 アナウンスは確かに153号室からの予約だと言ったが、()()()()()()()()()()()()とは、一言も言っていなかったのだ。

 

 

 

 

 ――とまあ、『達人』っちゅうんもただの吹かしやなかったっちゅうことやな。仮入隊の時点で俺はもう知っとったけど。

 イコさんの剣を一目見て、同じ土俵で食っていくんは無理やと悟った。あの海とかいう子は逆にリスペクト言うて興奮しとったけど、あれは若さやな。いや、せいぜい2つか3つくらいしか歳離れとらんと思うけど。何にせよ挫折を知らんのか、俺みたいにしょうもないことは考えへんのか――まあ海の話はどうでもええわ。入隊指導終わった途端にヒャッハー言うて別の個室(ブース)へと突っ込んで行きよったし。

 でな、ここだけの話なんやけど、俺最初は変化弾(バイパー)っちゅうトリガー持たされとってん。面接官のオッサンが君にはこれがオススメや言うてな。せやけど2日でぶん投げて他のトリガーに鞍替えしたった。()()()の方が遥かにお手軽で使いやすい思ったからや。したらな、たまたま俺の訓練を見とったオッサンが声掛けてきたんやわ。『君、もう変化弾(バイパー)はやめてしまったのかね?』

 はあ、どうも自分には向いてなかったみたいっすわ言うてテキトーに話終わらそう思とったら、またこれや。

 

 

 

 

 

『勿体ないな。()()()()()()()()と思ったんだが』

 

 

 

 

 

 才能。

 才能、ねえ。

 そんなモンがあるなら、俺は今頃藤井くんみたくプロの世界でバチバチ指しとったっちゅう話ですわ。

 俺が得意なんはもっとこう、せせこましい小細工の方やねん。小技っちゅーか裏技っちゅーか、はー、そんなんあったんかっちゅう()()()()()()くらいがせいぜいや。んな大仰な言葉持ち出してくんなや、鬱陶しいわ。

 

 

『兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった』

 

 

 俺の尊敬する米長大先生が残したっちゅう有難いお言葉や。いや、ホンマは言ってないっちゅう話もあるみたいやけどな。まあ昔の人の名言なんてそんなモンやろ。せやな、もう昔の人になってしもたんやなあ。『あなたもついに歴史にされてしまった』っちゅうやつか。……あの漫画もそうなってしもたな。正直未だに信じられんわ。

 ちなみに俺、自慢やないけどめっちゃ学校の成績ええねん。それこそ東大やって夢やないで。

 将棋の方は奨励会員にすらなれへんかったけどな。

 いやホンマ、米長先生は胸に沁みること言いますわあ……。

 

 

 

 

「よーう、また会うたな嬢ちゃん」

 

 

 帰ってきました市街地A。また会いましたねゴーグルのひ――とがいない。確か水上と呼ばれていた、もさもさ頭の人が一人でぽつんと突っ立っている。これは一体どういうことだろう。

 とりあえず、前回の反省を踏まえて不用意に歩み寄ることはしない。水上さんの方も近づいてはこない。ということは攻撃手(アタッカー)ではないのかな、この人のポジションは。

 以後の会話はある程度、互いに声を張り上げてのものとなる。一々台詞にエクスクラメーションは付けないので、まあ上手いこと脳内補完をしてほしい。『誰に向けて説明してるのお兄ちゃん』聞くな。

 

 

「一つの個室(ブース)で戦えるんは一人だけやと思うとったか? それが(ちゃ)うんやな、こんな具合に予約を入れることも出来るっちゅーわけや。ちゅうことで、今度は俺と付き合うてもらうで、嬢ちゃん」

「――嬢ちゃんは勘弁して下さい。葉月です、大庭葉月」

「……っと、アカンアカン。イコさんの頭どついといて、俺が同レベルのボケかましてどないすんねん。すまんな葉月クン」

「いえ」

 

 

 すまんな、と水上さんは口にした。その謝罪は本物だと思う。少なくとも僕にはそう()える。

 視えるのだが――なんだろうな? 彼の心の中にある、この()()()()()()()()()()()()は。彼は何かを隠している。それだけは間違いない。間違いないのだが、その正体が掴めない。副作用(サイドエフェクト)でも判別が付かないということは、彼は今、()()()()()()()()()()()()()()()()()を吐いているということになるのだが――どうだ? 陽花、お前なら何か判るか?

 

 

『さあねー』

 

 

 ……あの、ひょっとしてまだ首ちょんぱされたことを根に持っておられるのでしょうか。

 

 

『別に。そもそも私、元からお兄ちゃんに特別協力的だった覚えなんてないし』

 

 

 そういえばそうだ。ここのところ普通に漫才ばっかやってたもんだからすっかり忘れていた。

 

 

『――ま、このおにーさんの言うことは素直に信じない方がいいと思うよ。それだけ』

 

 

 何だかんだ言いながらそうやってアドバイスくれるあたりやっぱりお兄ちゃんお前のこと『また帰るよ?』はい。すいません。

 とにかく、次なる僕の対戦相手はイコさんではなく、こちらの水上さんになるようだ。特に承諾した覚えはないのだが、予約機能というのはそういうものなのだろうか? 随分と乱暴なシステムだな。何しろこっちは水上さんの個人(ソロ)ポイントも知らなければ、使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 ……ひょっとして、水上さんは()()()()()、イコさんと同じ部屋へと入ったのか? ランク戦の雰囲気を知りたい、などという口実を使って。

 

 

「なんや、警戒されとるなあ。俺のトリガーが判らへんのがそんなに不安なん?」

「――いえ。そもそも僕に、まともなトリガーの知識はまだないので」

 

 

 それは半分、本音だった。『弧月』の正体が刀だと知っていれば、自分からイコさんに歩み寄るような真似はしなかった筈だ。そういう意味では、申し訳ないが水上さんの仕込みに大した効力はないと言えるだろう。それでもやはり、()()というのは無条件に心を落ち着かなくさせるものだ。それ故の半分本音。もう半分は――図星。

 

 

「ま、攻撃手(アタッカー)用のトリガーについてはそうやろな。俺かてスコーピオンやらレイガストやら言われてもさっぱりやし。せやけど、射手(シューター)用のトリガーについてはそうでもないやろ? メテオラ君」

「……まあ、ある程度は」

「せやったら何もビビることあらへんわ。俺もキミとおんなじ射手(シューター)やねんな。おまけにチラッとしか見れへんかったけど、キミの方が俺よりキューブもデカい。気楽に構えてや」

『対戦ステージ「市街地A」。C級ランク戦――』

 

 

 お誂え向きのタイミングで開始の合図(コール)が入り、互いにキューブを浮かべる射手(シューター)二人。

 なるほど、確かにトリオンで言えば陽花(こっち)の方に分があるらしい。見た感じ、水上さんのキューブは那須さんのそれと同じくらいかやや小さいかといったところだ。

 しかし、そう、那須さん――トリオン量だけがボーダー隊員の才能ではないということを、僕は既に理解している。ましてや同じ射手(シューター)、単純な撃ち合いでは不利だという自覚があるだろうに、この余裕ときたものだ。

 決して舐めてかかれる相手ではない。故に――

 

 

『開始』

炸裂弾(メテオラ)ァ!!」

 

 

 先手必勝。出し惜しみ無しの全弾ぶっ放し。

 相も変わらず、僕の弾丸はきっちり時間を掛けて狙いを定めないと真っ直ぐ飛んではくれない。ふよふよ浮いているだけの標的(バド)くん相手ならともかく、動き回る人間を相手にそんな悠長な真似をしている余裕はない。ならば、下手な鉄砲を数撃つだけのこと。C級ランク戦に(シールド)は存在しないのだから、あながち間違った戦術でもないだろう。

 僕と水上さんは10mほどの距離を取り、互いに何の変哲もない路上に立っている。そう、両脇を塀で塞がれているのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。横方向に逃げ場はなく、訓練生には(シールド)もない。必殺必中の一手だ。勝ったッ! C級ランク戦完ッ!!

 

 

「ひょいっとな」

『……()ががら空きじゃん』

 

 

 あ。

 なんてこった。バムスター君との戦いでさもトリオン体のことは知り尽くしてますぅーと言わんばかりの立ち回りをしておいて、結局僕もまだ生身の感覚が抜け切ってないじゃないか! いや、逆の立場なら僕も同じように避けたと思うけども!

 

 

「――ほな、耳かっぽじってよう聞けや。()――()()……」

 

 

 高々と跳び上がった水上さんが、青空を背に左手を振り被っている。その掌には3x3x3、計27個に割られたトリオンキューブ。

 僕たち射手(シューター)は、弾丸を発射する際にトリガーの名前を口にすることがある。その方が弾が飛びやすくなるからだ。真偽の程は定かではないが、少なくとも僕はそう教わった。

 その時に、こんな話も聞いている。

 

 

『馬鹿に出来た話でもないのよ? ()()()()()()()()()()()()()()()()のって難しいんだから。『通常弾(アステロイド)!』って叫びながら実際に撃つのは炸裂弾(メテオラ)だとか、そういうことが出来る人はほとんどいないって聞いているわ』

 

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()。ただ那須さんに言われたことを鵜呑みにしている訳じゃない、仮入隊の間にも何度か試した。炸裂弾(メテオラ)のキューブを片手に通常弾(アステロイド)!』変化弾(バイパー)!』『かめはめ破!』『イオナズン!』『百八式波動球!!』叫んだ。幾度となく僕は叫んだ。けれど炸裂弾(メテオラ)はうんともすんとも言ってくれなかった。ほろ苦い少年の日の思い出だ。

 

 

()()()ッ!!」

 

 

 その時の記憶がこう言っていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 サイドスローの要領で上空から投げつけられた立方体の群れは、狙いがブレたのか僕のやや手前へと突き刺さる軌道で降ってきている。野球で言えばボール球、余計な手出しをせずに見送っても許される場面だ。ここからストライクゾーン(僕の身体)へと飛び込んでくる筈がない。そう、この弾は紛れもなく、直球(アステロイド)なのだから――

 

 

 

 

『――んなワケないでしょ、このバカ!!』

 

 

 そんな断定を助走付きでぶん殴るかの如く、僕のサイドエフェクト(すぐ傍にあるもの)が怒鳴り声を上げた瞬間。

 直球(アステロイド)が、曲がった。






葉月くんのサイドエフェクトでうそつきアステロイド()を看破するっていう展開はずっとやりたいやりたいと思っていて
そのために入隊前から伏線も仕込んでいた訳なのですが、
C級ランク戦は対戦挑む前から互いの使用トリガーが割れているという仕様をど忘れしており
これどうすっぺと思っていたところで5巻の遊真vs3バカを読み返し。

・1つのブースを複数人で利用することは出来る
・対戦待ち状態の相手に更なる予約を入れることも出来る(いよいよもってカラオケっぽい)
・甲田に続けて残り二人もそのままやられている=一度入れた予約は取り消せない?
・丙の入れた予約に対する遊真のリアクションがない

以上の点から無理矢理やりたい展開にもっていった結果が今回のお話です。
ぶっちゃけ最後のところは描かれてないだけでコマの外で遊真が対戦承諾してるに決まってるんですが
描かれていない以上解釈は自由である…シュレディンガーのC級ランク戦…。



1話で決着まで書き切るつもりだったのですが長くなってしまったのでここで区切ります。このSSそういうのばっかりや



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

炸裂弾(メテオラ)vs追尾弾(アステロイド)

2ndシーズンスペシャルLIVEお疲れ様でした。
ガロプラ勢の豪華キャストと一期から超進化したっぽい作画にふるえる


 ――要するに、()()()()()()()()()()()()()

 

 

()――(ステ)……(ロイド)ッ!!」

 

 

 見たまんまや。俺の頭ん中では追尾弾と書いてアステロイドって読むねん。で、トリガーは装飾(ルビ)なんざ気にせえへんからきっちり俺の意を汲んで追尾弾(ハウンド)を飛ばしてくれるっちゅう寸法。どや? 簡単やろ?

 地面に突き刺さる寸前、Uの字を描くように追尾弾(アステロイド)が再浮上する。勢い良く坂を下って、もう一度跳ね上がるジェットコースターの如しやで。ほれ、心臓(てっぺん)目指して駆け抜けて行きぃや。

 

 

「――ですよねぇ!?」

 

 

 何やようわからん悲鳴を上げながら葉月クンが慌てて飛び退きおったわ。反応ええな。そのままボーっと突っ立って直撃貰うもんやと思っとったけど。

 ま、変化弾(バイパー)やったらそれで無事避けられたんやろけどなあ。ご愁傷様やで。

 

 

「生憎、最初(ハナ)から詰んでんねん、キミ」

 

 

 ジェットコースターって言うたやん? レールが繋がってるんやわ、キミの心臓目掛けてな。

 うん? 心臓でええんかな? まあ、とにかく胸んとこや。そこにあるんやろ、トリオン供給器官とかいう、トリオン体が活動するための原動力(エンジン)みたいなモンが。

 この弾丸はな、ただひたすらに()()目掛けて突き進むだけの忠実な犬っころや。何処にも寄り道なんざせぇへん。変化弾(バイパー)なんぞよりも無駄がない、俺好みの手軽な玩具(トリガー)や。

 

 

 それが猟犬(ハウンド)

 そういうワケやから、犬にでも噛まれたと思って諦めや。

 

 

 

 

 避けきれないと悟ってから、思った。僕のポジションが射手(シューター)で良かったと。攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)であったなら、この一発で再起不能に陥っていたところだ。

 

 

()()()()()()()

 

 

 そう――射手(シューター)にとって、腕なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのです。

 両手を突き出して、僕を追いかけてくる弾丸たちに少しずつ()()()()()()。指が千切れ、掌に穴が開き、腕が削られ、そしていよいよ千切れ飛ぶ。右腕の上腕三頭筋から先が丸々失われ、左腕も枯れ枝のようにボロボロになってしまった。そして、傷口からはシュワシュワと煙のような何かが漏れている。何かっていうか、おそらくこれは――

 

 

『ああ……トリオンが漏れて(顔が濡れて)力が出ない……』

 

 

 やはりそういうことか。僕は既に三度の(ダウン)を経験しているわけだが、まともに()()()()()()()()というのは思えばこれが初めてだ。何しろどれも即死だったもので。

 トリオン体には痛覚がない。生身だったら痛みと出血のダブルパンチで普通に致命傷だと思うのだが、果たしてこれはトリオン体にとって深手なのかそうでもないのか。

 というわけで、ぶっちゃけその辺どうなんですか陽花(トリオン)さん。

 

 

『死ぬ……』

 

 

 死ぬ!?

 

 

『……とまでは言わないけど、もう一発食らったら100%(パー)アウト。傷口はそのうち塞がるみたいだけど、零れてったトリオンはもう戻ってこないよ。6~7割は持っていかれたかな。当然、豆腐(キューブ)を出したらまたその分だけトリオンは減ってくからね』

 

 

 普通に大ダメージじゃないですかー! やだー!

 というか、なるほど。ゲームはあまりやらないので適切な喩えなのかどうかわからないのだが、トリオンというのは体力(HP)であり魔力(MP)でもあるという訳だ。本当に僕らはトリオン(こいつ)がいないと何にも出来ないんだなあ。

 

 

『ひれ伏せ』

 

 

 ははー。

 

 

「――あれま、全弾命中したっちゅうのにワンパンKOも出来ひんかったん? しょっぱいわあ……所詮は訓練用(おもちゃ)やな」

 

 

 以前健在の僕を目にして、地に降り立った水上さんがはあと溜息を吐く。さあ困った、こっちは全弾見事に外したもんだから相手はピンピンしているぞ。

 どちらかが別のポジションであったなら、戦闘中にこのような休憩時間(インターバル)は発生しないのだろう。けれど僕らは互いに射手(シューター)、新しい豆腐(キューブ)が生えてくるまではただの人である。仕方ないから取っ組み合いでも始めてみるか? 組みつくための腕もないんだけど。

 

 

「……回避が間に合ったと思ったんですが、まさか追っかけてくるとは思いませんでした」

 

 

 素直な感想を述べてみると、水上さんがぴくりと眉を震わせて、怪訝そうな目で僕の顔を見た。うーん、僕にとってすっかりお馴染みのこの困惑(かんじょう)

 

 

「俺が言えた義理やないけど、自分のこと騙し討ちした相手にようネタ振れるもんやな。ムカつくとかそういうの、普通はあるもんとちゃうんか」

「まあ、そこは勝負ですので。それに、正直言うとちょっと感動してます」

「――感動?」

 

 

 あ、いよいよもってドン引きされる流れだぞこれは。けれど思ってしまったものは仕方がない。僕は興味のある話題になると早口になるタイプの人間なのだ。『きもちわる』シンプルかつ的確に心を抉る一言をどうも。水上さんの騙し討ちよりも万倍心が傷付いたわ今。

 

 

「さっきの技、僕も仮入隊の時に出来るかどうか試したことあるんですよ。トリオン体に変身するときの掛け声が自由なら、弾丸を飛ばすときの掛け声だって融通が利くんじゃないかなと思って。でも全然駄目だったんですよ。僕と同じ訓練生なのにあんな技が使えるってことは、水上さんには射手(シューター)の才能があるってことなんじゃないですか」

「――こんなモン、技でも才能でもなんでもあらへんわ」

 

 

 ……あれ、なんだろうか。水上さんの心の中に、ふつふつと滾る苛立ちのようなものが()える。僕はもしかして何か地雷を踏んでしまったのだろうか。

 

 

「俺らにとっての才能っちゅうんは結局、キューブ(これ)のデカさのことやろ。技っちゅうんなら、イコさんの居合がそうや。あそこまで極めて初めて人に誇れるっちゅうもんや。むしろ、今のうちからこんなしょうもない小細工に頼っとる俺はな、()がないねん」

 

 

 掌をこちらへと突き出し、見せつけるように新たな豆腐(キューブ)を浮かべる水上さん。続いて僕も、枯れ枝同然の左手から豆腐(キューブ)を生み出す。さてさて、あと何発まで撃てるのやら。

 

 

「才能云々はともかく――僕らはまだ訓練生ですし、技術の方はそう焦ることもないのでは?」

「ま、長い目で見たらそうかもな。せやけど、こちとら()()に2000ポイント近く差付けられとる立場やねん。C級なんぞでのんびり自分磨きしとる暇はあらへんのや」

「……なるほど」

 

 

 確かに――待たせている相手がいるのなら、追いつくまでに時間を掛けてなどいられない。理解できる。非常によく、理解できる。

 互いにキューブを細かく砕き、臨戦態勢を整える。気分はさながら荒野の決闘だ。ガンマン同士の早撃ち勝負を気取るには、僕らの銃は弾数が多過ぎるけれども。

 

 

「だったら尚のこと、負ける訳にはいきませんね」

「何や、思っとったよりもつれない返しやな」

「申し訳ありませんが、僕の方にも()()()()()()()()がおりますので」

「さよか。そら堪忍やわ」

 

 

 関西からの刺客、軟投派の変則左腕・水上。バッター大庭、早くも追い込まれました。

 ピッチャー水上、ボール(キューブ)を構えます。第2球、振り被って――

 

 

「――今日のところは、道を譲ってもらうで」

 

 

 投げた(発射)

 

 

 

 

『まあアレや、おまえも化け物退治に1分2分掛かったからってくよくよすんなや。ウルトラマンかて怪獣倒すのに毎回3分近く掛けとるんやから』

 

 

 別にくよくよはしとりませんけどね。いや、ホンマに。

 ただちょいと、思っただけですわ。

 何者にもなれへんまま大阪飛び出して、この三門でも何者にもなれへんかったら、そん時に俺は一体何処行ったらええんかなあ、みたいな。

 こんなん、俺のキャラやないっつうのはワカっとりますよ。せやけど、このトシで自分のなんもかんもを諦められるほど、人生ぶん投げとるつもりもあらへんし。

 葉月クンみたいな才能(トリオン)があるワケでも、イコさんみたいな達人(マスター)でもあらへんのやけど。

 なりたかったものとも、てんで別物なんやけど。

 それでも俺は、今度こそ正隊員(プロ)になったるねん。

 そのためやったら、盤外戦術だろうが何やろうがお構いなしや。

 米長センセも名人になったとき、中原名人に林葉直子の話持ち出して動揺を誘ったちゅうやろ? それと同じや。

 ……いや、ホンマかどうか知らへんけどな!

 

 

追尾弾(アステロイド)!!」

 

 

 これで終いやと言わんばかりに、27分割の追尾弾(ハウンド)をぶん投げる。アステロイド言うたんはまあ、特に意味はあらへん。しょうもない拘りやと思うてくれたらええわ。

 追尾弾(ハウンド)(シールド)のないC級ランク戦においては、間違いなくこいつが最強のトリガーやと思った。将棋の駒で言えば飛車角や。道さえ空いてりゃどっからでも、王将目掛けてすっ飛んでいくねん。

 まずはこいつで正隊員(プロ)の世界まで駆け上がって、地力を付けるんはその後でもええ。その判断が間違うとるとは思わへん。現に俺より才能(トリオン)のある葉月クンも、この一発で詰みやねんから――!

 

 

「――C級ランク戦に(シールド)はない。故に、水上さんの弾丸を僕が防ぐ手段はない――」

 

 

 ……なんや、王手掛けられたっちゅうのにニヤニヤ笑いよって。せっかくのツラが台無しやで。いや、中身は男なんやっけか? 正直未だに信じられへんけどな。

 それより何やその、待ってましたとでも言いたげなニヤつきっぷりは。俺が悪手を指したとでも言いたいんか?

 

 

「――()()()()()()?」

 

 

 葉月クンがキューブの浮いた左手を持ち上げる。俺やなく、()()()()()()()()()()()()

 ……しもた。炸裂弾(メテオラ)やったら、()()()()()()も出来るんかいな!

 

 

炸裂弾(メテオラ)!!」

 

 

 瞬間、葉月クンの投げたキューブと俺の投げたキューブがぶつかり合って、激しい爆発に視界を覆われる。消し飛ぶ塀と鼓膜を劈く轟音、濛々と立ち込める煙の中で、やってもうたと思った。

 弾丸を弾丸で撃ち落とす。そない芸当、訓練生レベルで出来る奴がおるとは思うとらんかった。せやけど、炸裂弾(メテオラ)やったら一発落とせば爆発で他の弾丸も巻き込める。その爆発に他の炸裂弾(メテオラ)も巻き込んで誘爆、そうして全てが弾け飛んだ結果が、この大花火っちゅうことかいな。

 寄せが甘いにも程があるわ。それに正直、炸裂弾(メテオラ)っちゅうトリガーを甘くみとった。個人戦やったら大して取り柄のない凡百トリガーやと思うとったけど、弾丸トリガーが相手やったら攻防一体の悪うない駒やないけ。銀将くらいの鬱陶しさはあるわ。

 ちゅうかこらアカン。煙で前がさっぱり見えへんで。葉月クンはどこ行きおった? あの手傷で逃げを選ぶとは思えへんけど、互いに一発ぶっ放した後や。突っ込んできたところで、向こうは手の出しようも――

 

 

「――分割発射、ぶっつけ本番でも案外何とかなるもんですね」

 

 

 ……なんやと?

 煙の中から葉月クンが飛び出してきよった。それはええとして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 分割発射――そういうことか? 俺の弾丸を撃ち落としてなお、追撃に回せるだけのキューブを残しとったってことか? 気付かんかった俺も間抜けやけど、そもそもそんなん元々の才能(トリオン)に差ぁ付いてへんと成立せえへん返しやろが! ホンマ腹立つわ――

 

 

炸裂弾(メテオラ)!!」

「チッ……!」

 

 

 葉月クンが叫ぶのに合わせて、反射で跳び上がる。いくら俺より葉月クンの方が才能(トリオン)ある言うても、流石に半分ぶっ放した後で縦軸までカバー出来るほどの弾丸はバラ撒けへんやろ。ひとまず二度目の撃ち合いはこれで分けっちゅうことにして、次の一手をどうするか――にしても、下から何も音せぇへんな。そろそろ外れた弾丸がどっかにぶち当たってどんがらがっしゃーんしとってもええ頃とちゃうんかい。

 

 

「……口にしたのと違う弾を撃つことは、今の僕には出来ないみたいですけど」

 

 

 ――そこでようやく視線を下げて気付くんやから、つくづく俺は間抜けっちゅうか、勉強できるだけのアホウっちゅーか。

 葉月クン、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

()()()()()()()ことくらいは、僕にも出来るというわけです」

 

 

 ……しょうもない嘘で勝とうと思うとったアホウが、しょうもない嘘に引っかかって負けるっちゅうオチかい。

 まったく、世の中よう出来とるで、ホンマに――

 

 

炸裂弾(メテオラ)!!」

 

 

 ――弾丸が胸に届く寸前、ほんのちょいとだけ、考えた。

 ここで葉月クンみたく両腕突き出してガードしたったら、ワンチャン受けきることも出来るかもしれへんなあ、とか。

 せやけど俺、棋譜は汚さない主義やさかい。自分の詰みがもう見えとるのに、大駒(両腕)獲られて指し続けるほど粘るつもりはあらへんわ。ほな、そういうワケで――

 

 

 

「負けました」

 

 

 

 ――ああ、これを何の躊躇もなく言うてしまえる時点で、やっぱ俺は勝負事に向いてへんのかもしれへんなあ。

 ま、もうええわ。投了です。さいなら。

 

 

 

 

『戦闘体活動限界、水上ダウン。勝者、大庭葉月』

 

 

 炸裂弾(メテオラ)の爆発に水上さんが飲み込まれた直後、無機質な電子音声によって勝利が告げられる。

 際どいところまで追い込まれたが、どうにか連敗スタートだけは免れたようだ。一安心。

 

 

「……才能、ねえ」

 

 

 爆音も止み、静寂に覆われた仮想世界の中、呟く。

 自分には才能がない。水上さんはそう言いたげだった。けれど、それを言うなら僕の方はどうなのだろう。"キミの方が俺よりキューブもデカい"と水上さんは言っていたけれど、そのキューブを生み出しているのは、僕ではなく陽花の力なのだ。

 陽花の身体を操っている以上、誰もが僕を大庭葉月ではなく、大庭陽花として扱う。女の身体、女の顔、恵まれた才能(トリオン)。その全てが実際のところ、僕のものではない。

 それで構わないと思っていた。それを受け入れたつもりでいた。しかし直接的ではないにしろ、こうしてコンプレックスのようなものをぶつけられてみると、ついつい言いたくなってしまう。

 本当は僕にも、才能(トリオン)なんてものはないんですよ、とか。

 

 

『――やっと()()()の自覚が出てきたのかな? おにーいちゃん』

「……どうだろうな」

 

 

 トリオン体はあくまでも仮初の肉体だ。大庭葉月という生身の身体がなければ、大庭陽花というトリオン体は存在し得ない。

 故に、肉体の主導権は常に僕が握って然るべきだと思っていた。そう主張する権利が僕にはあると思っていた。

 けれども、少しだけ。

 少しだけ、その認識が揺らぎつつある、かもしれない。

 

 

『ま、無理もないよね。お兄ちゃん、今日は朝からずっと()()()()()()()()()()。そのうち生身になんか戻れなくなったりして。そうなったら一生オンナノコだね、うふふ』

 

 

 ……冗談じゃないよ、まったく。

 ていうかね。僕がこんな考えに至ったのも、今日一日で改めてお前のありがたみってやつを実感させられたからというかなんというか――ほら、水上さんのうそつきアステロイドを見破ってくれたりもしたじゃない。お前がデレ期に入ったみたいだから、お兄ちゃんの方もいつまでもツンツンしていてはいけないんじゃないかというか、そういう――

 

 

『きっしょ』

 

 

 うん。

 そうやって突き放してくれるうちは、やっぱり僕とお前が入れ替わることなんてあり得ないわ。

 

 

『ていうか、私が乗っ取るのはいいけどお兄ちゃんに譲られるみたいな感じはなんかイヤ』

「暴君かよ」

『妹だよ』

 

 

 その切り返しは切り返しとして成立しているのかどうなのか。お兄ちゃん歴半月程度の僕には、イマイチよく理解らないまま――

 

 

『勝者のトリオン体を個室(ブース)へと転送します。お疲れ様でした』

「おつかれさまでした」

『でしたー』

 

 

 何はともあれ。

 水上さん、対ありでした。

 

 

 

 

「――やーっと帰ってきよったか、このドアホ」

 

 

 仮想の空から落っこちた先はふかふかのベッドの上。出迎えてくれるんはいかつい顔のゴーグルお兄さん。シュールやわあ。

 

 

「……負け戦から帰ってきた後輩に、その第一声はあんまりでしょ」

「仁義にもとるような真似しよるから負ける羽目になんねん。後であの子に菓子折り持って謝りに行かなアカンで」

「山吹色でええなら持っていきますわ」

「お主も悪よのう――って誰が袖の下渡せ言うたねん!」

 

 

 うお、イコさんにツッコミ入れられよったわ。この人ボケ専門やと思っとったわ。人は見かけによらへんもんやなあ。本人に言うたらどういう意味やねんってまた突っ込まれそうやけど。いや、いつまで付けとるんですか? そのゴーグル。

 ま、確かにみっともないわなあ。金魚の糞みたくイコさんに引っ付いて傍観者気取っとったかと思うたら、実はルールの穴突いて不意打ち決めるためでしたーやなんて、完璧に三下のやり口やったわ。そこまでやって返り討ちに遭っとったら世話ないで。

 ――ホンマにつくづく、阿呆な真似したわ。

 

 

「あんな、イコさん」

「おん?」

「悪いんすけど俺、()に行くまで結構もたつきそうですわ」

「さよか。ま、のんびりやれや」

「リアクションうっす」

「何や、急かした方が良かったんか?」

「……少なくとも、俺はそれなりに焦っとりましたよ」

 

 

 知っとりますか? イコさん。

 何者にもなれてへん奴っちゅうんは、常に何かしら焦りを抱えとるもんなんですよ。

 そうやないって奴は将来のこと何も考えてへんアホか、最初(ハナ)から自分に見切り付けとる屍人(ゾンビ)のどっちかやと思うてます。

 将棋のプロを諦めた頃の俺は屍人(ゾンビ)でした。せやけど、あの面接会場でイコさんの剣を見たとき、アンタと同じ舞台に立てるかもしれへんって思うたとき、俺にも人並みの欲っちゅうもんが湧いてきたんですわ。

 この刃が、()()()()()()()()()()()()()()

 叶うことなら、誰よりもいっちゃん近いところで。

 生駒達人の右腕。俺個人の肩書きになっとりませんけど、それかて充分立派なモンでしょうよ。

 ――立派なモンになるって、信じとりますから、俺は。

 せやから俺も、アンタの隣に立っても恥ずかしゅうないだけの男にならなアカン。

 そう思うとるからこそ――どうしたって、逸る気持ちっちゅうのはあるもんです。

 ……ま、今日はその気持ちが先走って余計に恥掻いたけどな。そこはホンマに要反省や。

 

 

「そない慌てるこたあないやろ。マイペースでええねん、マイペースで。刀の素振りと一緒やで、のんびり続けとったらいつの間にか速うなっとるもんや。一日一万回、感謝の居合斬り言うてな」

「イコさんは会長やなくてノブナガでしょ、獲物的に」

「半径4mが限界ってか? そら困るわ、ボーダーで食っていこう思うたら()()()()()()()()()

「――伸ばす?」

「せや。おまえとあの子の立ち合い見とって、そう思うたわ」

 

 

 こんこん、とイコさんが個室(ブース)備え付けのモニタを叩く。あー……そいつで見てはったんですか、俺の無様な対局を。まさか音声までは入っとらんよな。思わずしょうもないこと言うてしもたから聞かれとったらごっつ恥ずいで。信じとるぞボーダー。

 

 

「あない遠くからボコスカ撃ち放題されたら、俺みたいな刀マンはどないしたらええねん。お前のトリガーなんか勝手に俺の方目掛けてすっ飛んでくるんやろ? そんなん、退き撃ちしとるだけで無敵やないか。おまんまの食い上げもええところやでホンマ」

「……イコさん、思うとったよりも脳味噌ついてはったんですね」

「お前は俺を何やと思うとったんや」

「刀を持った長嶋茂雄」

「ええか、刀を振るときはタマから音がするくらいの勢いで振るんやで」

「よりにもよってその台詞拾います?」

「我が生駒隊は永久に不滅です!!」

「いつ組んでんそのチーム」

「ま、遅くとも半年後くらいやな。のんびり言うても、流石にそれ以上は待たへんで」

 

 

 ……そこで真顔になるんはズルいわあ。マジメとボケのオンオフがはっきりし過ぎやろホンマ。

 いや、真顔言うてもゴーグルで視線見えへんのやけどな。やっぱギャグやわこの絵面。

 

 

「俺、隠岐、マリオちゃん、それに海くん、そしてお前で5人揃ってゴレンジャーや。今のうちにしっかりとカレー好きになる準備しとくんやで」

「なんで俺がイエローで固定なんすか」

「リーダーの俺がレッド、イケメンの隠岐がブルーで、紅一点のマリオちゃんがピンクまでは確定やろ? したらお前と海くんとで黄緑押しつけ合うしかないやんか」

「俺がリーダーでイコさんが黄色でもええんとちゃいますの、ナスカレー兄さん」

「アホか、水上隊なんて組んだらマリオちゃんが顔赤くして『……バカ……!』とか言わなアカン羽目になるやろが! タイトル未定やで!」

「バカはおのれや」

 

 

 ――なんやろなあ。

 将来ホンマに生駒隊なんちゅうチームを組んだとして、俺らはそん時もこないな感じで一生ボケ倒しとるような気しかせえへんのは。防衛組織の隊員としてそれでええんか? 自分。

 ……ま、ええか。今日の俺は少し、小難しいこと考え過ぎたわ。

 さっきは右腕なんて格好つけた言い方してもうたけど、結局のところ葉月クンに言うたんが本音とちゃうんか、自分。

 せやな。漫才コンビでもええわこの際。生駒達人の()()を目指すっちゅうことで一つ、ぼちぼちオチでもつけましょか。

 

 

「せやけど、イコさんはさっさと正隊員へと上がってまうでしょ。半年もフリーでブラブラしとるつもりっすか」

「ま、そこはアレや。あー……ゴホン」

 

 

 イコさん、わざとらしい咳払いを一つ。わかりやすいボケの前振りをどーも。

 

 

 

『私にいい考えがある』。……どや? 似とるやろ? 玄田哲章」

「その台詞、巷やと失敗フラグ扱いされとるらしいですよ司令官」

「ウソやろ!?」

 

 

 

 訂正。わかりにくいボケですんませんでした。ネタがワカらんかったらググっといて下さい。

 ほな、また。




水上がアホに見えたらそれは彼ではなく書き手の私がアホだということですので
どうか彼を責めないであげて下さい(懇願)

次回こそ葉月くんが昇格できたらいいなあとおもいました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

先輩と後輩/邪道と正道

本当の本当にどうでもいい話なんですけど、私のユーザーネームを逆から読むと『urusimA』になるんですよ。



来月が本当に待ちきれない。


 目標をセンターに入れて炸裂弾(メテオラ)

 目標をセンターに入れて炸裂弾(メテオラ)

 目標をセンターに入れて炸裂弾(メテオラ)

 

 

『壊れたラジオかな?』

 

 

 いいえ、大庭葉月です。

 

 

『戦闘体活動限界、■■ダウン。勝者、大庭葉月』

 

 

 例の関西人コンビとの死闘から、どれだけの時間が経っただろうか。僕は未だにROOM303(個人戦ブース)へと籠もり続け、目に付いた高ポイントの()()使()()を相手に片っ端から勝負を挑んでいる。

 153号室(イコさん)へのリベンジも一時は検討したのだが、また水上さんが引っ付いてきてたらなんとなく気まずい思いをしそうな予感がしたので遠慮させてもらうことにした。それに、あのゴーグルの人は間違いなく近いうちに正隊員への昇格を果たすことだろう。せっかくもう一度やり合うのなら、その後の方がきっと面白い。

 ……何せ、こう言っては何だがその、C級ランク戦において弧月というトリガーは正直……。

 

 

『まあ、カモだよね』

「お前は一度オブラートに包むという表現技法を覚えた方が良い」

『だったらお兄ちゃんも弧月の人ばっかり標的にするのやめなよ』

「…………」

 

 

 だって。

 だってさあ。

 ただの刀なんだよ、本当に。

 

 

『こちとら相方に2000ポイント近く差付けられとる立場やねん。C級なんぞでのんびり自分磨きしとる暇はあらへんのや』

 

 

 水上さんの主張は至極ごもっともで、昇格のためなら形振り構わない彼の姿勢には、僕もいたく感銘を受けた。という訳で、僕も彼に倣って手段を選ばず正隊員への最短ルートを歩むことにしたのである。

 そこで狙いを付けたのが、そう、弧月使いの方々だった。炸裂弾(メテオラ)による迎撃を覚えた以上、弾丸トリガー相手であっても優位に立ち回れる自信はある。それでもやっぱり、射手(シューター)銃手(ガンナー)相手では撃ち合いという攻防が発生してしまう。僕はその()に費やす時間すら惜しいと思った。極端な話、C級ランク戦という行為をただの作業にしてしまいたかったのだ。

 弧月使い。彼らはとにかく、相手に近づかなければ仕事が出来ない。C級ランク戦に(シールド)はないため、必然的に高ポイントの弧月使いというのは()が鍛えられている。殺られる前に殺れの理論で誰もが突っ込んでくるのだ。

 で、それに付き合っても仕方ないので僕はガン逃げる。すると当然向こうも追ってくる。ここで雑に炸裂弾(メテオラ)をブチ撒ける。この時点で脱落するのが2割。跳んで避けたところを二段構えの分割弾で撃ち落とされるのが5割だ。ここで僕も一つ学んだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、安易にぴょんぴょん跳ね回ってはいけないと。

 残る3割の人たちは、炸裂弾(メテオラ)に付き合わないで逃げに転じたり物陰に隠れたりする。こうなると少し面倒なのだが、ここからが炸裂弾(メテオラ)の本領発揮である。気持ちよーく建物を更地にして逃げ場を無くしていく殲滅戦が始まるのだ。時間効率で言うと外れになるのだが、精神的満足度は高いのでこのパターンも割と嫌いではない。

 かくいう今も、辺り一面瓦礫の山と化した見る影もない市街地のど真ん中、捨て身で突っ込んできた弧月マンを返り討ちにしたところである。おかげさまで、左手の個人(ソロ)ポイントもご覧の通り。

 

 

『3792』

 

 

「……やれやれ、C級とももうすぐお別れか……」

『感傷か?』

「或いはそうかもな。僕たちの居場所はもうここにはない」

『今のお兄ちゃん、最高に次でやらかすフラグ立ってるよ』

「僕も今そう思った」

 

 

 というか今、僕たちのキャラおかしかったな。なんだよ『感傷か?』って。そもそも感傷に浸るほど長くC級時代を過ごした覚えがない。まだ入隊から1日も経っていないんだぞ。

 仮想戦闘モードの良いところは、空腹にさえ目を瞑ればいくらでも戦い続けられる点だ。生身でこうも絶え間なく戦い続けていたらあっという間にスタミナが切れてしまうが、ランク戦なら個室(ブース)に携帯食料か何かでも持ち込んでおけば、それこそ朝から晩まで籠もりっきりで戦い続けることも可能なのではないだろうか? 今の僕のように。

 僕がここまで正隊員への早期昇格に拘っている理由は二つ存在する。一つは言うまでもなく()()を待たせているからだが、もう一つは割と切実な問題だ。()()()()()()()()()()()()だ。僕は今、ウィルバー氏からの借金に頼ることで日々の暮らしを賄っている。彼から貸し与えてもらった生活費はおよそ3ヶ月分、切り詰めればもう少しは持つかもしれないが、いずれにしても僕の方も自分磨きに時間を割く余裕などないというわけだ。

 ……なんだか、お金のことを考えると訓練生に『ボーダー隊員』の肩書を名乗る資格はないんじゃないかとか思ってしまうな。だって()()()()()()じゃん。訓練生というのは、ボーダー隊員の格好をして玩具(トリガー)で遊んでいるだけの()()()()()に過ぎないのではないだろうか?

 まあ、ボーダーの方にもそういう認識があるから、B級以降を()隊員と呼称しているのだと思うのだが。つまり今の僕は()隊員だ。本物ではない。それはそれで僕らしい肩書だと思うけれども、本物になろうとする意思だけは捨ててはならない。そして今その本物(B級)に、手が届くところまで来ているのだ。

 

 

『勝者のトリオン体を個室(ブース)へと転送します。お疲れ様でした』

 

 

 すっかり聞き慣れたアナウンスと共に個室(ブース)へと戻される。むくりとベッドから身を起こしパネルの前へ。そして目に付いた最高ポイントの弧月使いをポチっとな。完全にルーチンワークと化しつつある。ランク戦をする機械と化した男、大庭葉月。

 しかし、相手は人間なのでそういつまでも機械(マシーン)に付き合ってくれるとは限らないのだなあ。

 

 

『選択した隊員が個室(ブース)を離れました。新しい対戦相手を選択して下さい』

「……あー、この人にも拒否られたか」

『フラれ過ぎ。そうやって選り好みしてるから行き遅れるんだよね』

「別に婚活してるわけじゃないんだよ僕は」

 

 

 そう。大庭葉月の弧月狩り大作戦、3000ポイントを越えたあたりまではすこぶる順調だったのだが、その辺りからちょくちょく対戦を拒否されることが増え始めてきた。一度栄養補給のために個室(ブース)を出たときロビーから聞こえてきたのだが、どうやら早くも僕の存在は悪評としてC級界隈に広まりつつあるらしい。弧月使いのみを標的(ターゲット)にして個人(ソロ)ポイントを荒稼ぎしている炸裂弾(メテオラ)使いの女がいる、見ろ、あれがそうだ――と。

 まあ、あまり褒められたやり口ではないという自覚は僕にもある。こんな具合に弧月使いを個室(ブース)から追い出し続けた結果、パネルに並ぶ『弧月』の二文字はめっきりと数を減らしてしまった。彼らの誰もが、さっさと僕に個室(ブース)から出て行ってほしいと思っていることだろう。

 ええ、出て行きますとも。個人(ソロ)ポイントが4000に到達したら。そのために貴方がたが協力してくれたら、より話はスムーズに進むんですがねえ……(ゲス顔)。

 

 

『人の顔でそういう邪悪な表情するのやめてくんない』

 

 

 失敬。しかしどうしたものかな。とうとうこれで3000ポイント台は全滅だ。153号室(イコさん)の表示もいつの間にか消えているし。というか、弧月に限らずパネルに表示されている隊員の数そのものがかなり減ってきているな。ひょっとしてもう遅い時間なんだろうか? 夢の入隊即日昇格まであと一歩のところだというのに。ぐぬぬ。

 かくなる上は2000ポイント台で妥協するか、或いはもう弧月に拘らず、他トリガーにも挑んでみるか――そう思っていたところ。

 

 

『131号室より対戦の申し出があります。承諾する場合は画面をタップ、拒否する場合は退室して下さい』

 

 

 

 

131

1725

弧月

 

 

 

 

 なんか来た。弧月使いにフラれ続けたこの僕がまさかの逆指名だ。しかし、1725ポイント……微妙だ。勝ったところでリターンは小さく、逆に負ければ失うものも大きい。挑まれる側になって初めて、高ポイント側が低ポイントからの挑戦を受ける利点の少なさに気付いた感がある。

 そう考えると、僕の初期ポイントは2500もあって助かったな。もっと少なかったらマッチングの時点で躓いていたかもしれないし。結局世の中、婚活だろうとランク戦だろうと()()()()やつが強いのだ。結婚相手は最低年収500万、対戦相手は最低ポイント2000点から。

 

 

『何か私に言うことは?』

 

 

 立派な(トリオン)を持って僕も鼻が高いよ。

 

 

『よろしい』

 

 

 よろしいのか……。

 それにしても、この個室(ブース)を出ることで対戦を辞めるシステムというのはもう少し何とかならないものだろうか。普通の人だったらここで大人しく部屋から出て行って別の個室(ブース)で仕切り直すのだろうが、僕は既にこのROOM303(303号室)をランク戦のホームグラウンドに定めてしまったのだ。引っ越しはあまり気が進まない。

 それに何というか、部屋から出て行くという行為が()()()()()のも気に食わない。しょうもない拘りだと笑わば笑え。僕はボーダー隊員(偽)だ。自分の居場所は自分の力で守るのだ。そうだ、これも一種の()()()だと思えばいい。侵略者というのはこっちの都合など考えてはくれない。いつだって唐突にやって来る。降りかかる火の粉を払えずして、何のためのトリガー、何のための防衛隊員か?

 ――OK。来るならかかってこい挑戦者(ネイバー)。生まれてきたことを後悔させてやるぜ。ぐへへへへ。

 

 

 

 

対戦を承諾しました。

戦闘体を対戦ステージへと転送します。

 

 

 

 

『……まーたお兄ちゃんがワケわかんない独自理論拗らせてる。そういう思考回路、ついてけない人からはホントにドン引きものだからね』

 

 

 ――別にいいよ、理解る人だけ理解ってくれればそれで。

 

 

『つまんないウソつくね。本当は誰からも愛されたいくせに』

 

 

 …………。

 ……早く転送されないかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 ――はいっ! という訳でですねー、今日も早速ランク戦の方進めていきたいと思いますぅー! 一体どんな人が相手なんでしょうかー? いやー楽しみですねぇー!

 

 

広報部隊入り(アイドル)でも目指してるの?』

 

 

 その発想はなかったわ。

 まあとにかく、すっかりお馴染みの市街地Aだ。こうやって昼間の仮想空間に入り浸っていると時間の感覚がおかしくなるんだよな。というか未だにこの街並みも風景も作り物だというのが信じられない。ボーダー驚異の技術力とはこのことだな。

 対戦相手を探す。最初の配置は割とランダムだが、毎回お互いが目の届く範囲に転送されているので今回もきっとそうだろう。という訳で周囲をきょろきょろとする。

 見つけた。僕が立っている歩道橋の眼下、大通りのど真ん中にぽつりと一人、()()()()()()()()()()()()()が――

 ……って、おやおや、おやおやおやおやおや。

 

 

「笹森くん! 笹森くんじゃないか!」

「――え!? あなたは――いや、3792ポイントって、ええ……?」

 

 

 困惑を隠せない(隠したところで僕には()えるんだけども)彼に構わず、ぴょーんと歩道橋から飛び降りて笹森くんの眼前へと着地する僕。いかん、イコさんで一度やらかしたにも関わらずまたしても自分から相手の懐に飛び込んでしまった。いやしかし、せっかく知り合いに出会ったのだし即開戦というのも何か違うだろう。それに彼には訊ねてみたいこともあったのだ。

 

 

「やあ、久しぶり」

「いや、久しぶりってまだ一日も経ってないんですが……というか、もうそんなにポイント稼いだんですか? 訓練のときは2520ポイントだったのに……」

「ああ、それはね」

 

 

 君のような弧月使いを片っ端から狩りまくって稼いだんだよ。

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

『言えよ』

 

 

 言えるかあ!!

 というか――さっきまでの驕り高ぶった僕は一体何だったんだ? 『1725ポイント……微妙だ』じゃねえんだよ! 笹森くんの前で同じこと言ってみろや! 数字しか見てないからこういうことになるんだぞお前! このナチュラル畜生が!!

 

 

『躁鬱かな?』

 

 

 僕は自分を恥じた。自分がいかに傲慢であったか気付かされてしまった。こんな合理性の怪物になるような生き方をしていてはいけない。人を人として見られなくなってしまう。ランク戦の性質上ポイントの奪い合い自体は避けられないことだが、もっとこう、真っ当なやり方というものがあったのではないだろうか? どうして僕はいつも正しい道を歩むことが出来ないんだ……。

 

 

『対戦ステージ「市街地A」。C級ランク戦、開始』

「殺してくれ……」

「大庭先輩!?」

 

 

 がくりと膝をつき、どうぞ斬って下さいと言わんばかりに(こうべ)を垂れる僕。処刑台(ギロチン)に頭を嵌める罪人の如しだ。後は刃を下ろすだけ。僕がマリーで君がサンソンだ。別にルイ16世でもロベスピエールでもいいのだけれど、今は(陽花)だし。

 

 

『人の顔でそういうことするなってさっきも言ったよね?』

 

 

 はい。そうでした。

 

 

「そ、その……大丈夫ですか?」

「頭の話かな……」

いや違いますって!! なんていうか、その……せ、精神的な……?」

 

 

 うーん、めっちゃ気を遣われている。ウソみたいだろ、ランク戦の最中なんだぜこれ。

 しっかりするんだ大庭葉月。後輩にこんな心配されていたら駄目だろう、先輩なんだから。先輩なんだから。そう、対近界民戦闘訓練(バムスター君殺し)の後に設けられた雑談タイムの最中、1号室の面々とは軽い自己紹介を交わしておいたのだ。その際に互いの年齢も把握している。故に笹森くんは僕を先輩と呼称するのだ。先輩……大庭先輩……良い響きだ……。

 

 

「そう、僕は大丈夫だ……先輩だから大丈夫……僕は先輩だから耐えられたけど後輩だったら耐えられなかった……」

「……映画もう見に行きました?」

「まだ行けてない。笹森くんは?」

「オレもまだです。……あ、でも今度コアラ達と一緒に見に行く約束したんですよ。同い年(タメ)でポジションも武器も訓練部屋も同じだったから気が合っちゃって」

「ああ、そういえばそんな話してたね」

 

 

 1号室の面子は14歳の弧月使い男子が3人に15歳の射手(シューター)女子が2人(内1名は外見のみ)。故に笹森くんがコアデラ組と絡むのは必然の流れだったのだが、仲良くなれたのなら何よりだ。新たに出来た友達2人と楽しい映画鑑賞……いいじゃないか。僕も今度陽介と公平を誘って見に行こう。だから早く帰ってこい公平。もう4ヶ月くらい会ってないような気がするぞ。

 

 

「うん、良いことだ。楽しんでおいで」

『これ見よがしな先輩ヅラ』

「だまらっしゃい」

「はは、ありがとうございます……まあ、遊んでばかりもいられないんですけどね。早いとこ()を目指さないといけないんで」

「――それは、正隊員の人たちを待たせているからかな?」

「……見てたんですか?」

「こっそりとね」

 

 

 そう、僕が笹森くんに訊ねたかったことというのはその件だ。あの後一体どうなったのかずっと気になっていたのだが、どうやらスカウトで間違いなかったようだ。改めて一安心。

 

 

「諏訪さんと堤さん――ああ、オレを誘ってくれた人たちの名前なんですけど、別の部屋からオレたちの訓練を見ていたらしくて、それで声を掛けてくれたんです。正隊員になったら俺たちの部隊(チーム)に入らないか、って」

「凄いじゃないか。正隊員(プロ)の目に留まったってことだろう?」

「……そういうことになるんですかね? でも、どうしてオレだったのかな……記録だったら大庭先輩や那須先輩の方が良かったのに……」

「その人たちに直接聞かなかったの?」

「……()()()()()()()、とかなんとか。どういうことかわかります?」

「ふむ。ロマン……」

 

 

 なんとも感覚的な話だ。これは理屈で考えない方がいいだろう。という訳で僕は、副作用(サイドエフェクト)で覗き込んだ笹森くんの感情を思い出す。訓練に挑む前のささやかな緊張とそれに勝る意欲、好記録にも満足せず、最善の結果を得られなかったことを悔やむ向上心。そして、そのどちらの感情にも共通する、捻くれたところのない真っ直ぐさ――僕が笹森くんに抱いている印象というのはこんな感じだ。

 

 

「……君、改めて振り返ると、嫌いになる要素が微塵もないな」

は!? どど、どうしたんですか急に」

「いやね、ロマンっていうのとはちょっと違うのかもしれないけど、笹森日佐人っていいよね……的な感覚はなんとなく理解った。()ていて素直に応援したくなるというか、その成長を見守りたくなるというか――『頑張れ!』って感じの笹森くんだ」

「……それ、そばかすだけでイメージ重ねてません?」

「ちなみに僕はトゥワイス推しだったよ」

「過去形ですか」

「そう、過去形さ……ナナミンもパワーちゃんも皆推しだった……」

「……辛かったですね」

「ああ、辛かったさ……ここ最近は本当に辛かった……」

 

 

 しんみりとした空気が中学生男子2人(内1名は内面のみ)の間に流れる。というか中々話せるじゃないか笹森くん。さては君も漫画好きだな? そのうちじっくりと時間を掛けて語り合いたいものだ。

 

 

『人から借りた漫画しか読んだことないくせに一介の漫画好きを気取るにわかの鑑』

 

 

 いいんだよ、これからはもう誰にも咎められず好き放題買い漁れるんだから。

 まあ、趣味に金を使うのも借金返済の目途がついてからの話だ。そのためにも、一刻も早く僕は正隊員へと昇格しなければならない。あの水上さん、この笹森くん、そして大庭葉月。誰もが()を目指している。故に僕たちは戦うのだ。そう、このC級ランク戦という舞台を、全力で――

 

 

 

 

 

 ――ここで現状を確認する。

 大庭葉月。所持トリガーは炸裂弾(メテオラ)。弾丸を発射するために豆腐(キューブ)を生み出す必要がある。加えて、爆破対象があんまり近いと巻き添え(ほげええ)の恐れがあるので、対戦相手とはなるべく距離を取らなければならない。

 笹森日佐人。所持トリガーは弧月。言わずと知れた接近戦用トリガーだが、現状はただの刀。

 

 

 互いの相対距離。

 目と鼻の先。

 

 

「でもヒロアカも呪術もチェンソーマンも今週の展開アツかったですよね! どれも最終局面って感じで、オレもう次号が待ちきれないっていうか――」

「笹森くん」

「? なんですか?」

「死ねぇぇぇぇぇぇぇ――――!!」

「えええええええええ!?」

 

 

 顔面狙いで繰り出した右掌を紙一重で避ける笹森くん。チッ、外したか。この距離で僕に放てる唯一の()()()だったのだけれど。

 だがまだこちらに分がある。接近戦なら弧月の土俵でも、()()()()()()()()()()()。刀を抜く暇など与えない。頭か胸さえ掴んでしまえば決められるのだ。仮入隊の間に思いついた、炸裂弾(メテオラ)ならではの必殺技を――!

 

 

『殺せって言ったり死ねって言ったりやってることが無茶苦茶だよお兄ちゃん』

 

 

 なんとでも言えぇ! ランク戦っていうのは血も涙もない蹴落とし合いなんじゃ! 最後に立っていた者こそが正義なのじゃああああああああ!!

 

 

「はっはァー! 君も油断が過ぎたな笹森くん! 僕が何の策もなく君の間合いに入ったとでも思っていたのかァ!? そう、全て計算通りだ! 最初からこうするために君へと近づいたのだァ!! ヴェーハッハッハッハッハァ!!

『お兄ちゃんには人間として好きになれる要素が微塵もないよね』

「やかましい!!」

「まだ何も言ってませんって! くっ――このっ!」

 

 

 このまま肉薄し続けたかったのだが、ここで笹森くんの繰り出した前蹴りが僕の腹部にヒット。痛みはないが引き剥がされ、ごろごろと地面を転がる羽目になる。うーむ、取っ組み合いになると思っていたのだが、蹴られるのは予想外だった。これがいわゆる弧月キックというやつか。

 しかしこれで距離が離れた。それならそれで、射手(シューター)本来のスタイルに戻すまでのこと。そして今の僕は、対弧月戦に絶対の自信を持っている。覚悟したまえ笹森くん、君の刃が僕に届くことは決してないぞ。

 

 

「いいか笹森くん! 君が『頑張れ!』って感じの笹森日佐人なら、この僕は――」

 

 

 豆腐(キューブ)を形成。そして即座に散りばめて周囲へと展開。炸裂弾(メテオラ)の良いところはここにもある。他の弾丸トリガーは発射というプロセスを経ない限り攻撃手段にはなり得ないが、炸裂弾(メテオラ)のキューブはただ浮かべているだけでも盾の役割を果たしてくれる。ほら、現に踏み込もうとしていた笹森くんの足も止まった。そしてもう二度と近付くことなど出来ないのだ。

 卑怯者だと(なじ)りたければ詰るがいい。この僕は、そう、この僕は――

 

 

「『こいつ死ねばいいのに』って感じの大庭葉月だ!!」

『自慢げに叫ぶような台詞じゃない……』

 

 

 いいや、叫ぶね。

 ()()()()()に抗いながら生きるのが、僕の防衛戦争なんだから。

 

 

「――少なくともオレは、大庭先輩のことをそんな風に思ったことはないですよ!」

「こんな仕打ちを受けてもか!? つくづく人の良い子だな君は!!」

「……オレも正直ボケてたんですよ。忘れてたんです、()()()()()()()()()()()()()って――」

 

 

 ――ああ。笹森くん、やっぱり君はとてもいい。正隊員の目に留まるのもよく理解る。

 こんな理不尽な状況にも怯まずにそうやって武器を構えられる君は、間違いなく立派なボーダー隊員の一人だよ。たとえ今は贋物(C級)であろうとも。

 

 

 

「――3792ポイント、獲らせてもらいますよ、大庭先輩!」

「おもしれえ……やってみろ新人(ルーキー)!!」

『アンタも同期だろ』

 

 

 

 毅然とした態度と感情を崩さない挑戦者(チャレンジャー)に敬意を表しつつ。

 大庭葉月vs笹森日佐人、ようやく開幕です。




一緒に遠征に行きたくない人(2人まで)
・大庭葉月
 理由:頭がおかしいから



自分の書いたキャラには変な愛着が湧いてしまうっていうの二次創作者あるあるだと思うのですが
ヒュースが水上の名前を挙げた時にその感覚を強く味わいました。
まさかここに来て水上隊が現実のものになろうとは夢にも…(11人入りを疑っていない人間の発想)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

汝、人を見かけで判断することなかれ

 まずは挨拶代わりに。

 

 

炸裂弾(メテオラ)

 

 

 笹森くんの足元目掛けて、分散したキューブの3分の1程度を雑にぶっ放す。

 笹森くん、即座に地を蹴ってこれを回避。跳ぶのではなく僕から見て時計回りの軌道で走って、地面に触れた炸裂弾(メテオラ)による爆発をもやり過ごしていく。

 

 

『狙いがバレてるねえ』

「……足元狙いは露骨だったかな」

 

 

 跳んで回避したところを残る3分の2で撃ち落としたかったのだが、横軸から向かってくるのか。今までの対戦とは違って、大通りっていうのが面倒だな。走れるスペースが広過ぎる。流石にこの広さを纏めてカバー出来るだけの弾丸はバラ撒けない。

 まあ、だからこその足元狙いだ。周囲のメテオラキューブが壁の役割を果たしている間は、笹森くんも容易にこちらへは近付けまい。のんびり行こう。

 もう3分の1を発射。これも同様に避けられるが、()()()()()()()()炸裂弾(メテオラ)の爆発はしっかりと地面を抉り、地形を歪め、笹森くんの走るスペースを削っている。ふふふ、この調子で見渡す限りのアスファルトを丸ごとデコボコ道に作り変えてやるぜ。ダイナマーイ!!

 

 

「くっ……!」

 

 

 おっと、気付いたかな? ぐるぐる回って時間を稼ぐのも限度があるということに。笹森くんの感情に『焦り』が()えてきたぞ。とはいえ、それでも彼は我慢するだろう。笹森くんの仕掛けたいタイミングなら判っている。僕が一度キューブを撃ち切った時だ。そこから僕がキューブを再生成(リロード)するまでの僅かな時間だけが、笹森くんにとってのチャンスタイムなのだから。

 という訳で、彼にターンを渡さないためにもここで一度とんずらこかせてもらいましょ。

 

 

「どろん」

 

 

 後方へと大きく跳躍、同時にそれまで自身の立っていた足元目掛けて残りの炸裂弾(メテオラ)を発射。煙玉を地面に放ってその場から逃れる忍者みたいな感じだ。閃光と噴煙が上手い具合に笹森くんから僕を隠してくれる。その間にテキトーに見定めた街路樹の陰へとするり。

 

 

「……いないっ!?」

 

 

 ややあって視界が晴れてきた頃、ぽつんと一人取り残された笹森くんの驚声が響く。

 ふふふ……近接オンリーの身で標的を見失うというのはさぞかし不安になることだろう。()れば理解る。しかし、こうしてランク戦を重ねてみて思ったが――僕の感情視認体質(サイドエフェクト)、中々いやらしい使い方が出来るじゃないか。自分の仕掛けが相手に効いているのかそうでないのかを判別できるというのは存外に悪くない。罠に嵌めたつもりが逆に嵌められていた、みたいな錯覚の入り込む余地がないもんな。

 

 

『その代わり、今のお兄ちゃん立ち回りがすっごいワルモノっぽいけどね』

 

 

 それは言うな。

 見晴らしの良すぎる大通りのど真ん中でぼっ立ちは流石に不味いと判断したか、笹森くんもまたその辺の木陰に身を隠す。そして首だけを出して辺りをきょろきょろ。やっていることは僕と似通っているが、未だに僕を探している時点で君の負けだ。だってほら、もう僕の手元には新たな豆腐(キューブ)がこの通り。

 という訳で死ねィ! 笹森日佐人ォ!!

 

 

炸裂弾(メテオラ)ァ!! ……あっ」

「――!?」

『なんで不意打ちするのにトリガー名を叫んだ?』

「わ、わざとだよ! ついだよ!!」

『どっちだよ』

 

 

 これはいかん。よーく狙って撃つ時はトリガー名を叫ぶというのがすっかり癖になってしまっている。どうせ叫ぶなら『僕はボーダー隊員、階級・C級! 大庭葉月だ! 今からお前を撃つ!!』ぐらいのことは言っておきたかったぜチクショウ。

 とにかく、僕の声に反応して木陰から跳び出す笹森くん。彼の背後で無人の街路樹を必死こいて吹き飛ばしている炸裂弾(メテオラ)の輝きが虚しい。しかもトドメの一撃になるもんだと思ってうっかり全弾ぶっ放してしまったよ。

 仕方がない、那須さんと遊んで以来の鬼ごっこと行きますか。今度は僕が逃げ回る番だ。新たな豆腐(キューブ)が生えてくるまでの僅かな時間だけね。

 

 

「とうっ!」

 

 

 最初に転送された歩道橋の上へと跳躍する。高いところなら何処でも良かったのだが、パッと目に付いたのでここへと避難することにした。さて、笹森くんは追って来てくれるかな。どうかな。

 

 

「うっ……」

 

 

 おっと、勢い任せに跳び移っては来ないか。彼が跳び移ろうと地を蹴ったら僕が道路へと降下、それを追いかけてきたら歩道橋の下を潜って再跳躍という最高にウザい無限ループを決めようと思っていたのだけれど。絵面がギャグにしかならないから出来なくて良かったかもしれない。

 ……というか、待てよ? この歩道橋というポジション、中々に悪くないのでは? ここから笹森くんが僕を斬るために採れる進路(ルート)など、両端の階段を駆け上がるか直接跳び移るかのどちらかしかあるまい。前者であれば上り切ってそのまま一本道を突っ込んでくるタイミングで、後者であれば跳んだ瞬間に炸裂弾(メテオラ)をぶっ放す。いずれにせよ彼に生還の芽は無い。

 王手だ。期せずして僕は王手を指してしまっていたらしい。『負けました』という水上さんの声が思い起こされる。投了の際にはそう宣言するのが将棋のマナーなんだと祖父は言っていた。あのタイミングでその言葉が出てくるってことは、水上さんもやっていたのかな、将棋――

 ――まあ、とにかく。

 

 

It’s over, Sasamori!(終わりだ笹森くん!) I have the high ground!!(地の利を得たぞ!!)

『なんで英語で言った?』

 

 

 うーむ、なんでだろうか。

 スターウォーズは見たことがないと那須さんに言った筈なんだが……。

 

 

 

 

 ――やはり厳しい展開になってしまったと、笹森日佐人は内心で歯噛みする。

 弾丸トリガーを相手にするのはこれが初めてのことではない。諏訪洸太郎、堤大地と別れてからの数時間、笹森もまたランク戦へと身を投じ、幾人かの訓練生と矛を交えてきている。その過程で思い知らされていたことだ。弧月で弾丸トリガーの相手をするのは非常に辛い、と。

 特に追尾弾(ハウンド)はどうしようもなかった。百戦やっても勝てる気がしないと思った。そのうち追尾弾(ハウンド)使いに対戦を挑まれても絶対に拒否しようと固く誓ったほどだ。ならばこの炸裂弾(メテオラ)というのはどうだろうかということで、リストの中から最もポイントの高い炸裂弾(メテオラ)使い、大庭葉月を相手に勝負を申し込んだのだったが――その結果がこの現状だ。

 

 

It’s over, Sasamori!(笹森は終了しました!) I have the high ground!!(私は高い土地を持っています!!)

 

 

 笹森日佐人の学力は平均よりやや上、決して低くはないが取り立てて高くもないと言ったところである。洋画も吹き替え派だった。故に、中学二年生の英語力で彼は素直にその言葉を翻訳する。

 何故このタイミングで英語なのかはさっぱり理解らないが、確かに窮地だ。歩道橋という侵攻ルートが極めて限られた位置に陣取られてしまうと、刀一本では到底攻め込みようがない。相手にキューブのない今なら――とも思ってしまうが、最悪なのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。地面と異なり、回避のための手段がジャンプ一本に限られてしまう。そこを二段構えの弾丸で撃ち落とすことこそが、彼女――もとい、彼の狙いなのだろう。跳ばせて落とす、単純だが強力な戦法だ。

 

 

「どうした笹森くん! 僕はこのままタイムアップでもいいんだが――言ってみてから思ったんだけど、個人ランク戦って時間制限とかどうなってるのかな? 笹森くん知ってる?」

え!? い、いや知りませんけど……」

「そうかありがとう! 返事のお礼にこの炸裂弾(メテオラ)をあげるぜぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 絶叫と共に頭上より放たれた炸裂弾(メテオラ)から身を守るべく、歩道橋の下へと潜り込む。追尾弾(ハウンド)変化弾(バイパー)ならともかく、ここにいれば射角の都合ですぐに攻撃を受けることはないだろう。とはいえ安心は出来ない。正直言ってこの大庭葉月という先輩、何をしてくるのか予想が付かない。言動の方は更に予想が付かない。訓練で助言をくれた時のミステリアスな雰囲気は何処に行ってしまったのだろうか? いや、ワケがわからない(ミステリアス)という点で言えば今もそうなのかもしれないが。

 ()()だ。とにかく一矢を報いなければ気が済まない。怒りというよりはある種の意地、()()()()()()()()()()()()()という思いが、笹森の中に芽生え始めていた。さっきから良いように振り回されている、この不甲斐ない現状を打破したい。どうにかしてあの炸裂弾(メテオラ)の雨を掻い潜り、あの無駄に整った少女の顔に一太刀を――

 ……いや、やはり狙うのは心臓にしておこう。いくら中身と言動がアレであっても、女性の顔を両断するのは流石に抵抗がある。ただでさえ男性の隊員であっても、首やら胴体やらを斬り落とすのにはまだ慣れていないというのに――

 

 

「みいつけた」

 

 

 ひっ、と喉の奥から漏れかけた悲鳴を寸でのところで堪える。歩道橋の上から逆さ吊りに首を突き出して、大庭葉月がこちらを覗き込んでいた。爪先を手すりにでも引っ掛けているのだろうか? トリオン体なら落ちたところでダメージはないとはいえ、よくもまあそんなことを――

 

 

炸裂弾(メテオラ)

 

 

 首の横からキューブの浮いた手も生えてきた。そして即座に発射される。ひいひい言いながら橋の下から脱出しつつ、笹森は考えた。相手が不安定な体勢を取っている今なら、跳び上がって斬りかかるチャンスだろうか? 大庭葉月が顔を出していない側から廻り込むように――いや、それも駄目だ。爪先を引っ掛けることで身体を支えているのなら、軽く足を上げるだけで向こうは歩道橋から降りる(落ちる)ことが出来るのだ。この攻撃も釣りだ。乗ってはいけない。

 チャンスは一度だけだ。大庭葉月が歩道橋の上から動くことなく、こちらの跳躍を許してくれる場面(シチュエーション)。それは言うまでもなく、炸裂弾(メテオラ)によってこちらを撃ち落とそうとする時だ。その迎撃を受け流す手段さえ見つかれば、不毛な追いかけっこに興じることなく、一刀のもとに切り伏せることも叶うのだが――

 駆け出した背中が爆風に煽られる。痛みも熱さも感じないのだが、熱波とは別に背中を叩く感触がある。()()()炸裂弾(メテオラ)によって吹き飛ばされたアスファルトの破片が当たっているのだ。振り向くと視界が煙によって覆われている。この状況で闇雲に撃ち込んでは来ないだろう。緊張で落ち着かない呼吸を整えつつ、再び思考する。

 炸裂弾(メテオラ)――追尾弾(ハウンド)ほどではないとはいえ、このトリガーも中々に厄介だ。きっちりと地面に着弾するよう放たれているので、一発一発の当たり判定が広い。戦闘体に直接命中しなくても、()()()()()()()()()()()という性質を有効に使われている。開戦当初もその性質を(シールド)代わりにされてしまったが、構わず攻撃を仕掛けていれば、せめて相打ちには持っていけただろうか?

 訓練の際に流れたアナウンスを思い出す。()()()()()炸裂弾(メテオラ)の爆発に巻き込まれれば、相手も無事では済まないのだ。そう――例えば、向こうが弾丸を発射するよりも早く、()()()()()()()()()()()()()()()()()でもあれば、炸裂弾(メテオラ)は脅威ではなく、こちらにとっての武器へと早変わりすることだろう。しかしそんなものどうやって――

 

 

 ……待てよ。

 もしかすると、これなら――

 

 

 

 

「――む」

 

 

 逆さに映る視界が晴れて、笹森くんの姿が露になる。今、隊服のポケットに()()を仕舞いこんでいたような?

 気がかりなのはそれだけではない。焦りと混乱に支配されていた彼の感情に変化が()える。訓練の前、バムスター君へと挑みかかる時にも感じた、勇敢なる挑戦者(チャレンジャー)の精神だ。上手くいくのかは分からないけれど、とにかくやってやるぞという感じの――彼を誘った正隊員の言葉を借りると、ロマンとかいうやつ。そう、今の笹森くんからは、()()()()()()()()()()()()()が漂っている。

 これはこっちも気を引き締めた方がいいかもしれない。ひとまずこの間抜けな体勢を止めよう。背筋運動の要領で背中を持ち上げて復帰する。トリオン体じゃなければ絶対に出来ない動きだな、これは。

 

 

「――今の僕、隙だらけだと思うんだけど、跳び込んでこないのかな?」

 

 

 口プレイで誘ってみる。実際のところ、いつでも落ちる準備は万全だ。このまま歩道橋の上から悠々と眼下の笹森くんを撃ち続けても構わないのだが、彼自身がここへと上ってきてくれるのならそれに越したことはない。

 

 

「……いいえ。多分ですけど、もうその必要はないと思います」

「――ほう?」

 

 

 これは異なことを言う。弧月使いがこちらに近づくことなく、如何にして僕を斬るというのか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()があるならともかく、そうでなければ笹森くんの方から跳びかかってくるしかないだろうに。まさか弧月で歩道橋を切り倒そうとでも思っているのか? 達人(イコさん)じゃあるまいし、流石に笹森くんがそこまでの技量を持っているとは考え辛いぞ。

 万全の体勢で歩道橋へと舞い戻り、全回復した炸裂弾(メテオラ)のキューブを浮かべる。一方の笹森くんもポケットに手を突っ込み、先程仕舞いこんだ()()を取り出したようだ。弧月を左手に持ち替えて、右手には正体不明の()()を握り締めている。どうやらアレが笹森くんの切り札のようだが、訓練生に使えるトリガーは一つしかない筈だ。一体、この状況下で何が有効打になり得るというのか――うーん、わからん。

 

 

『うわ、負けフラグがビンビンに立ってる』

 

 

 やめろ。ただでさえさっきから『これどう見ても僕がかませで笹森くんが主人公みたいな空気になってるよな……』って不安を抱いてるとこなんだぞ。

 とはいえ、空気、フラグ、感情――そんなものは結局、勝敗を決める絶対条件にはなり得ない。根性論というやつは、知略の限りを尽くした上で最後の最後に縋りつくべきものだ。最初からアテにするようなものじゃない。いま僕は笹森くんの感情に気圧されかけているわけだが、そんな自分に喝を入れる意味合いも込めて、あえて内心でこう唱えさせてもらおう。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 

「――行きます!」

 

 

 駆け出す笹森くん。僕はキューブを掲げたまま動かない。足で搔き乱す作戦に切り替えたのだろうか? それならこちらも最初の足場削りに戻るまでのことだが、またしても橋の下へと潜り込まれてしまった。さて、前後どちらから出てくるのか、或いはまたも身を隠し続けるのか――あれ、何気に今、中々に面倒な三択を迫られていないかこれは。跳び移ってきたところを即座に撃ち落とせばいいとばかり思っていたのだが、そもそもちゃんと反応できるのか僕?

 いやまあ、順当に行けば背後を突いてくるだろう。という訳で振り向き、眼下を覗き込む。流石にもう逆さ吊りにはならない。手すりに腹を乗せて上半身だけ突き出すような格好だ。

 発見した。ちょうど真下から笹森くんがこちらを見上げている。やはり後ろに回り込もうとしていたのか。さあどうする? 跳び込んでくるか? 迎撃準備は万全だぞ、と見せつけるように豆腐(キューブ)の浮いた右手を突き出したところで――

 笹森くんが、手に持っていた()()を投げつけてきた。

 

 

『「あ」』

 

 

 その瞬間、僕と陽花のリアクションがハモった。

 どうやら笹森くんが握り締めていたのは、僕が景気よく吹っ飛ばしたアスファルトの破片だったようだ。砂利と言い換えた方が伝わりやすいだろうか? 細かく砕けた無数のそれは、散弾の如き鋭さでこちらへと殺到し、僕の身体と()()()()()()()()()()()()()()()()()

 たかが砂利と侮ることなかれ。何しろ、戦闘体の強化された腕力で投げつけられた砂利である。痛みはなくとも()()()()()()()()()()。だが僕自身の話はどうでもいいのだ。問題なのは、そう、問題なのは――

 

 

 

『――ちなみに少年のトリガーには炸裂弾(メテオラ)という名前の武器がセットされているのですが、対象に命中したり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という性質があります故、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――』

 

 

 

 数瞬後に待ち受ける未来を連想して、僕は即座に地を蹴った。

 手すりを跳び越え歩道橋から離脱した直後、衝撃を与えられたキューブが盛大な爆発を引き起こして、歩道橋を真っ二つに叩き割った。

 

 

「――なんとぉ!?」

 

 

 間一髪、爆発に巻き込まれることなく歩道橋からの離脱には成功したものの――やられた。僕ではなく、キューブの方を狙ってくるとは思わなかった。水上さんとの撃ち合いでは炸裂弾(メテオラ)の特性が優位に働いたが、炸裂弾(メテオラ)ならではの弱点というものもきっちりと存在した訳だ。いや、誘爆の危険性については前々から理解っていたことだが、笹森くんに遠距離攻撃の手段はないとタカを括っていたのがそもそもの誤りだったのだ。地形破壊が持ち味のトリガーを使っておきながら、破壊した地形の残骸を武器として利用されるとは、よもやよもや――

 

 

「――やっと降りてきてくれましたね、大庭先輩!」

「げっ」

 

 

 最悪だ。着地地点へと笹森くんが既に先回りしている。これもまた理解していたことだ。歩道橋の上で炸裂弾(メテオラ)を回避する手段は、飛び降り以外にない――完全に僕のやりたかったことを笹森くんにやられてしまっている。策士策に溺れるとはこのことだ、ちくしょう。

 

 

『言うほど策士だったか?』

 

 

 反論しようとすればするほど惨めになる追い打ちはやめろォ!!

 

 

「せぇいっ!!」

「くぬっ……!」

 

 

 必死に空中で身を捩って、心臓目掛けて突き出された刃を避けようと試みる。完全に悪足掻きだったのだが、まさかのこれが功を奏した。といっても刺さる箇所が胸から腹に変わっただけで、回避自体は成功していない。単に即死を免れただけだ。傷口から鮮血のようにトリオンがガンガン漏れまくっている。いやもう、生身を刺してもここまで景気よく噴き出さないだろうという勢いで漏れまくっている。死ぬ。これは普通に死んでしまう。

 

 

「……う」

 

 

 おっと、弧月を握る笹森くんの手がやや緩んだか? これだけ近いと心の中もよく()える。どうやらこのまま腹を掻っ捌くことに抵抗があるみたいだ。迎撃手段に突きを選んだことからしてもそうなのだが、極力僕の身体を傷つけずに倒したかったのかな。

 ……いや、僕というか陽花(おんな)の身体を、か。

 

 

『――まーた私に命を救われてしまったね?』

 

 

 いや、まだ救われて(助かって)ないんだけどね、命。()()()()()()()()()()()()()()()()

 笹森くんがぶんぶんと頭を振り、弧月を握る手に力を込め直した。どうやら腹を括ったようだ。こっちは腹を裂かれようとしているのにな。ハハハ、ナイスジョーク。

 

 

「や、やめろ……こ……これ以上押し込むのはやめろ、死……死んじまうゾ」

「このタイミングで承太郎の物真似とか、結構余裕あるじゃないですか大庭先輩……!」

「ところでなんでこの時の承太郎って語尾がカタカナだったんだろうね? ギャップ萌え狙い?」

本当に余裕あるなこの人! ああもう、変に躊躇ったのがバカバカしくなってきた……!」

「――そりゃまあ、実際にまだ余裕あるからね」

「……!?」

 

 

 左手でがっしりと笹森くんの手首を抑え、右手は彼の胸元へ。前者は言うまでもなく刃の進行を食い留めるためだが、後者については()()のためだ。

 覚えているだろうか? 開戦当初、僕が笹森くんに掴みかかろうとしていたことを。頭か胸さえ掴んでしまえば、一撃で仕留められる技があると嘯いていたことを。あれは法螺でも何でもない、純然たる事実だ。いやまあ、実戦で使用するのはこれが初めてのことになるのだが、上手くいくと信じている。

 

 

 

「――()()1()()()0()()()9()9()

 

 

 

 それでは食らいたまえ、笹森くん。

 大庭葉月先生による、()()()()()()()()()()()()だ。

 

 

 

 

 

炸裂弾(メテオラ)

 

 

 

 

 

 ぼんっ、という軽い破裂音が響いた後、笹森くんの瞳から光が失われ、彼の戦闘体にぴきぴきと亀裂が走っていく。なるほど、戦闘体っていうのは供給器官(しんぞう)を破壊されるとこうなるのか。いや、そういえばイコさんにぶった斬られた陽花の身体にも似たようなヒビが入っていたっけか? よく見ていなかったから覚えてないな。

 

 

「な……爆発の威力が……!?」

 

 

 おっと、まだ喋れるのか笹森くん。致命傷は負わせた筈だが、動けるのであればのんびりしてはいられないな。ええい、刀を握る手を放しなさい。ぐいぐい。

 

 

射手(シューター)は弾丸の発射前に、威力・射程・弾速の3つを細かく調整出来るんだってさ。それで最低限の火力だけ残したキューブを、()()()()()()()()()()。相手に直接触らないと使えないから、実戦で披露する機会はないと思ってたんだけど――いやはや、何でも試してみるもんだね」

「……相手に寄られた時の対策も、ちゃんと用意していたんですね……勝ったと思ったのに……」

「いや、本当だったら完全に僕の負けだったでしょ。やる事成す事どれもこれも逆手に取られて、穴があったら入りたいくらいの心境だよこっちは」

「……でも、やっぱりオレの負けですよ。だって今オレ、めちゃくちゃ悔しいし――」

 

 

 うん、そうだろうな。()れば理解る。見た目によらないその負けん気の強さは、間違いなく君の良いところだ。ちょっと危なっかしさを感じなくもないけれど、その悔しさを忘れない限り、もう二度と戦闘体を斬るのに躊躇したりはしないことだろう。たとえ相手が女の隊員であろうとも。

 僕の確信を裏付けるように、笹森くんは僕の顔を真正面から見据えて、力強くこう断言した。

 

 

 

「――次は絶対に斬りますからね、大庭先輩」

 

 

 

 直後、笹森くんの戦闘体が割れた風船のように弾け飛び、視界が煙によって覆われてしまった。な、なんだ? 炸裂弾(メテオラ)か? いや僕はもう撃ってないぞ。そんな駄目押しのような真似はしない――いや待て、そういえば今までに倒してきた訓練生達も、やけに散り際の爆発が派手だったような気がするな。アレか? ひょっとして戦闘体っていうのは、破壊されたら例外なく爆発する仕組みになっているのか? 今までずっと普通の炸裂弾(メテオラ)でトドメを刺してたから気付かんかった。

 

 

『トリオン供給器官破損、笹森ダウン。勝者、大庭葉月』

 

 

 ……終わった。笹森日佐人、紛れもない強敵であった。いや本当、ここまで苦戦させられるとは思ってもみなかった。"君の刃が僕に届くことは決してない"とかほざいてた頃の自分を助走付けてぶん殴りたい気分だ。汝、弧月使いを侮ることなかれ。

 

 

『っていうか、弧月がどうこうじゃなくて炸裂弾(メテオラ)のせいで追い込まれたんじゃないの、今回は』

 

 

 おまっ……なんてことを言うんだこの妹は! いいか、この炸裂弾(メテオラ)っていうトリガーはだな、紳士ウィルバーが僕に見繕ってくれた思い入れのあるトリガーなんだぞ! 正隊員になっても絶対に外さないからな! ふんす!

 

 

『別に外せとは言ってないけど――ふーん、()()()()()()()()()()()()()()()()

「――うん?」

『私からの借り物じゃない、()()()()()()()()()()()()()()()()。だからそのトリガーにやたらと拘ってるんじゃない? 違うかな?』

「……ノーコメント」

 

 

 ……借り物、か。

 確かにまた、その事実を再確認するような一戦になってしまった。いや、目を背けていたつもりも拒絶するつもりもないと思っていたのだが――()()()()()()()()()()()()、というのを意識してしまうと、何とも言えない正体不明の後ろめたさがある。この感情は笹森くんに対して抱いているものなのか、或いは――

 

 

『……釘刺しておくけど、そうやって中途半端な態度取られるのが一番腹立つからね。譲るんなら譲る、譲らないなら譲らないではっきりしてくんない』

「……そういうお前は、どうしたいのよ。無理矢理取って代われるんなら、どうしてさっさとそうしないんだ?」

『今はまだ私が動くべき時ではない』

「なんだそりゃ」

 

 

 やっぱりこいつの考えていることはよく理解らん。

 ……正直に言うと、今は自分の考えていることも、よく理解ってはいないのだけれど。

 僕は結局、大庭陽花をどういう存在として扱っていきたいのだろうか?

 妹だなんて言ってはいるけれど、僕は単にこいつの身体を体よく利用しているだけなんじゃないのか?

 本当にこいつのことを想うのであれば、僕は大人しくこいつに身体を明け渡して、心の隅っこで体育座りでもしているのが正しい態度なんじゃないのか――とか。

 

 

『――まあ、じっくり考えなよ。私のこと、ちゃーんと愛して(信じて)くれるんでしょ? いつになるのか知らないけどさ』

「……善処します』

『勝者のトリオン体を個室(ブース)へと転送します。お疲れ様でした』

 

 

 ……そうだな。

 本当に、考えてみよう。じっくりと。

 

 

 

 

 

 

 

 ――それはそれとして、早いとこ訓練生という立場は卒業しなければならない。

 笹森くんとの一戦、今までにない長丁場になってしまった。充実した戦いではあったが、左手の甲に燦然と輝く『3800』の4文字を確かめてしまうと、思わず溜息が漏れてしまう。8ポイント。あの激戦の末に得られたのがたったの8ポイント……なんて割に合わない勝負だったんだ……。

 もう逃げがどうとか言ってはいられない。弧月に拘る必要もない。とにかく一番の高ポイントを狙うのだ。一分一秒でも早く、偽隊員の立場を卒業するのだ。などと逸る気持ちでパネルを叩き、新たな試合を申し込もうとしていた僕の背中に――

 

 

「――22時だ。18歳未満の隊員は速やかに個室(ブース)を出て帰宅しろ」

 

 

 淡々とした語り口ながら、有無を言わせぬ迫力のある男性の声が掛けられた。

 22時――そうか、もうそんな時間になってしまったのか。通りでパネルを眺めても碌に隊員が残っていない訳だ。入隊即日昇格の夢、今ここに潰えたり。

 仕方がない、僕ではない誰かがこの大記録を達成してくれることに期待しよう。具体的に言うと2年後くらいに。そんなことを思いながら、声のした個室(ブース)入口の方へと振り返ると――

 

 

「…………?」

「――何をしている。早く上がれ」

「あ、うん――いや、はい……?」

 

 

 子供が。

 子供が立っていた。

 

 

 いや待て、僕の背中に呼び掛けた人と確かに同じ声をしている。ということはこの子――いや、この人はまさか、18歳未満ではないというのか? この外見で? 目つきの鋭さ以外に大人らしいパーツが欠片も見当たらない。肌もやたらと若々しいし、それに何より、そこから年齢を推し量るのはあまり褒められた行為ではないと思うのだが、どうしようもなく第一印象が――

 

 

『わー、ちっちゃくてかわいー』

 

 

 それな。

 いや、"それな"じゃないよ僕。失礼にも程があるだろう。こんな呼びかけをしているのだから、相手は正隊員に間違いないんだぞ。たとえ今は私服姿で、本部基地にうっかり迷い込んでしまった迷子の小学生か何かにしか見えないとしてもだ。

 

 

「……おまえが何を考えているのか、大体の想像はついている」

へえっ!? い、いやあの誤解だよじゃなくてその滅相もございませんですますことよ!?」

「嘘を吐くのならもう少し上手くやれ。……まあ、初めて俺と会った時の()()()()()に比べれば、おまえの反応はまだマシだがな」

 

 

 何やら遠い目をしながら左手を握ったり広げたりしている青年隊員(仮)。表情こそ何の変化も見受けられないが、それでも僕には()えてしまう。怒っている。ささやかながら、確かにこの方は怒りという感情を抱いていらっしゃる。僕に対してというよりは、かつて無礼を働いたという自身の部下に対する怒りのようだけれど。

 となると、やっぱり外見弄りは控えた方が良さそうだ。僕の副作用(サイドエフェクト)がそう言っている。ここで思わず"君も寄り道しないでまっすぐ家に帰りなよ"とか"大丈夫? お兄さんが送っていってあげようか?"とか口走ったが最後、あの左手によって僕のほっぺたも鷲掴みされてしまうに違いないのだ。かわいい。いや違う怖い。

 

 

『でも怒ってやることがほっぺたぶにーっていうの想像すると可愛くない?』

 

 

 やめろ。僕の想像力を迂闊に刺激するな。何が出てくるかわかったモンじゃないぞ。

 

 

「――それにしても、見ない顔だな。まさかとは思うが、今日が入隊初日か?」

「は――はい、そうです。訓練が終わってからずっと、この部屋に籠もってランク戦してました」

「……一日中か?」

「まあ、結果的にそうなっちゃいましたね」

「……まるで太刀川だな」

「タチカワ?」

「馬鹿の代名詞だ」

 

 

 なんだか酷い言われようである太刀川氏。いや待て、僕は今そのバカ(太刀川)と同レベルだと暗に言われなかっただろうか? 中々に容赦ないなこの人。悪意がないのは()れば理解るのだけれど。

 

 

「その、タチカワさんというのがどなたかは存じ上げませんが、お馬鹿さんの同類扱いというのも悲しいので名乗らせていただいてもよろしいでしょうか」

『お兄ちゃんも今タチカワさんに大分失礼なこと言ってると思うよ』

「たしかに」

「――そうだな。俺もはっきりとおまえに年齢を伝えておくとしよう。二度と余計な想像力を働かせないためにもな」

「よ、余計な想像なんてしておりませんですわよ……?」

「……次会うまでに、顔か口調のどちらかは誤魔化せるようになっておけ」

 

 

 妙な課題を出されてしまった。うーん、他の部分はともかく、この氷のような視線と静かな声のダブルセットには確かな威圧感がある。小学生には決して出すことの出来ない、凄みというやつを感じる。

 僕も大人になったらこんな感じの迫力が身に付いたりするのかなあ、などと思いつつ。

 

 

 

「――大庭葉月っていいます。15歳で、男です」

「風間蒼也、19歳だ。はじめまして」

 

 

 

 それから、若干の沈黙があって。

 

 

 

「19……」

「……男……?」

 

 

 

 そんな呟きが、互いの口から漏れた。




体内にシールド張れるんだったら体内にキューブ作れてもいいじゃないですか理論

自分の身体の中に張るのと他人の身体の中に作るのとじゃワケが違う?
それは…まあ…そうねえ…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幼年期の終わり(前編)

・男と女が混ざり合っている
・別世界の存在から侵略を受けている
・言動が割と突拍子もない
・くせっ毛気味(3臨)
ひまわり(sunflower)に縁がある

もう葉月くんの外見イメージゴッホちゃんでいいや


 

「「あ」」

 

 

 風間さんと共にROOM303(303号室)を出てロビーを見渡してみると、同じタイミングで個室(ブース)から出てきた笹森くんと目が合った。

 

 

「お疲れ様。さっきはどうも」

「お、お疲れ様です……」

「なんかリアクション固いね」

「いや……その、あんな啖呵切った直後に顔合わせるのが恥ずかしいというかなんというか、複雑な感じで……」

「ああ、なるほど」

 

 

 確かに悔しさやら照れ臭さやらで色々とごった返しているな。()れば理解る。それでも嫌悪とか恨みとかの暗い気持ちは抱えていないあたりが流石の笹森くんだ。やはり君は人間が出来ている。

 

 

「別に気にすることはないと思うよ? 昔の恥ずかしい発言を思い返す度に死にたくなってたら、僕なんか2万回は首吊ってないといけないからね」

「いや、別に死にたいっていうほど大袈裟な話じゃ――2万!?

「笹森くんはツッコミも素直で安心するなあ」

 

 

 これが水上さん辺りだったら「ウソつけ」の一言で切り捨てられているところだ。いや、これも勝手な想像なのだけれど。何故だかそんな光景が頭に浮かんだのだ。

 

 

「――おまえも初めて見る顔だな。こいつの同期か」

 

 

 あ、風間さんが笹森くんに絡んでいった。僕のカミングアウトによって生じた困惑からようやく脱したようだ。笹森くんにも見せてあげたかった、この澄まし顔の周りに隠し切れない?マークがぐるぐると回っていた先刻までの有様を。

 で、声を掛けられた笹森くん。風間さんの顔を眺めて、それから僕の方をチラ見して、再び風間さんへと視線を戻し。

 

 

「そうだけど……えっと、君は? ()()()()()()()()?」

「笹森、アウトォォォォォォォォ!!」

「もがああああああああああああ!?」

 

 

 今世紀最大の失言を放ってしまった後輩の頬に渾身のアイアンクローを決める僕。

 何故だ! どうしてなんだ笹森くん! そういう地雷を踏むのは僕の役割ではないのか!? 聡明で優秀な子だったのに! You were the chosen one(選ばれし者だったのに)!!

 

 

『なんで英語で言った?』

 

 

 那須さん。スターウォーズは見たことがないと言ったが……スマン、ありゃウソだった。

 でもまあ、()()()の中じゃなくて陽介か公平の家あたりでいつの間にか見てたってことでさ……こらえてくれ。

 

 

「いいかい笹森くん。この御人はな、19歳だ。もう一度言う、19歳だ……僕達の先輩なんだよ」

「じゅ……19歳……!?」

「風間さん! この通り笹森くんのほっぺたは僕がぶにーしておきましたので、どうかお慈悲を! 笹森くんにお慈悲を!」

「……誰もそいつの頬を抓りたいとは言っていない」

 

 

 ……おや?

 風間さん、てっきりまたお怒りになるものと思っていたのだが……この感情は怒りじゃないな。どちらかというと――

 

 

 ――()()()()()()

 どうしたのだろう。僕の()扱いされたのがそんなにショックだったのだろうか。

 

 

『わかる』

 

 

 お前ホントたった3文字で人の心を抉るのやめろって何回言わせんだこの野郎。

 それはそれとして、自身の心境をおくびにも出さず氷の視線で笹森くんを見据える風間さん。あ、笹森くんがちょっとビビっている。やっぱりあの眼に射抜かれると圧を感じるものなんだな。

 

 

「――正隊員の風間蒼也だ。はじめまして」

「す、すみませんでした……訓練生の笹森日佐人で――え、風間蒼也……?」

 

 

 身分を強調することできっちりと上下関係をワカらせていくスタイル。すっかり腰が引けた様子の笹森くんであったが、何やら風間さんの名前に聞き覚えがある模様。

 

 

「知っているのか笹森くん」

「は、はい。諏訪さん――オレを誘ってくれた正隊員の人が言ってました。風間のヤローのチーム順位(ランク)を抜くのがウチの目標なんだ、って……」

「――ほう? おまえ、諏訪に目を掛けられているのか」

 

 

 お、風間さんの方も笹森くんに興味を示したようだ。この流れでさっきの失言を有耶無耶にしていくんだ笹森くん! ファイト!

 

 

「今期の新人は3人ほど使()()()()なやつがいるとは聞いていたが、おまえの名前は初耳だな。笹森といったか」

「は、はい」

「おまえの名前も覚えておく。――さっきの発言も含めてな」

「ひいっ!? すすすすみませんすみませんすみません!!」

「冗談だ」

 

 

 うーん、これっぽっちも表情と感情が笑っていないのだが本当に冗談なんだろうか。どう視ても釘を刺しているようにしか視えないでござるよ風間さん。

 それにしても、諏訪さんとやらの部隊がボーダーでどの辺りの地位に当たるのかは知らないが、他の正隊員からわざわざ名指しでライバル扱いされているということは、ひょっとして結構すごい人なんじゃないだろうかこの風間さん。そんな人に名前を覚えてもらえるだなんて光栄じゃないか笹森くん。人脈ゲットだ! やったぜ!

 

 

『なんか皮肉っぽい』

 

 

 いや、流れのせいでなんかそんな感じになっちゃったけど他意はないぞ。ホントに。

 

 

「――大庭、笹森。おまえ達、迎えの当てはあるのか」

 

 

 と、ここで風間さんがよくわからないことを言い出した。思わず笹森くんと顔を見合わせる。

 

 

「迎えといいますと」

「家からの迎えだ。中学生が一人で出歩くには遅い時間だからな」

「……あー、なるほど」

 

 

 深夜徘徊の定義に当てはまるのは23時~4時までの間だ。もう残り1時間を切っている。防犯面やら何やらの観点から考えても、風間さんの言は良識ある青年として至極ごもっとも。

 なのだ、が。

 

 

「ないですね」

 

 

 そう、そんなものはない。今に限らず、()()()()()は僕が夜中に出歩いたところで決して迎えを余越しなどしなかったことだろう。代わりに家に帰った後で張り手の

 

 

『…………』

 

 

 はい。この流れ前にもやりましたよね。学習能力のない兄で大変申し訳ありません。

 

 

「……笹森くんは?」

「――ウチは電話すれば父が来てくれると思うんですけど、明日も仕事あるのに疲れさせるようなことさせたくないかなあって。家もそんなに遠くないですし……」

「そうか。――いや、少し待っていろ」

 

 

 風間さん、そう言って懐からスマホを取り出し画面をポチポチ。そして耳元へ。どうやら誰かに電話を掛けるつもりのようだ。この流れで風間さんが電話する相手というと――

 

 

「――おまえ、訓練生を部隊(チーム)に誘ったらしいな。そうだ、笹森だ。笹森日佐人。今ランク戦ロビーで一緒にいる。家に帰すのに送り手が欲しい。……他人事のように言うな。おまえも隊長なら部下の行動くらいは逐一把握しておけ」

 

 

 やはり噂の諏訪さんか。こうもすんなり連絡が取れるあたり、ライバル視されていると言ってもお互いの仲はそこまで悪くはないのかな? コアデラ組みたいな感じの関係なのかもしれないな。仲良く喧嘩しな、みたいな。

 

 

「――そのA()()の順位を抜くのがおまえの目標だそうだな?」

 

 

 と、ここで僕は一つ貴重な光景を目の当たりにした。いや、案外貴重でも何でもないのかもしれないが、風間さんが口の端を吊り上げてニヤリと笑ったのだ。

 そうか、知人が相手だと普通に笑うのか風間さん。会話の内容的にどうも相手を煽ってるみたいだけれども。というかこれ、さっき笹森くんが風間さんにバラしてしまった話では……。

 

 

「おまえの未来の部下に決まっているだろう」

 

 

 あ、『それ誰から聞きやがった!?』とか聞かれたっぽいなこれ。笹森くんの血の気がすーっと引いていく。これが誰かの部下になるということか……迂闊に口を滑らすと後が怖いのだなあ……うーむ、僕も気を付けよう。笹森くんよりも僕の方が万倍やらかしそうだもんなこういうの。

 

 

「さっきからそう言っている。――自分で言え。じゃあな」

 

 

 通話終了。スマホを懐へと仕舞った風間さん、笹森くんへと向き直ってこの一言。

 

 

「おまえの未来の隊長が迎えに来てくれるそうだ。良かったな笹森」

「は……ははは……ありがとうございます……」

 

 

 半笑いかつ冷や汗だらっだらで返事をする笹森くん。風間さん、失言の意趣返しにしてもこれはやり過ぎじゃないのかと思ってしまうのだが、感情を視るに悪意はないようなので、どうやら素で笹森くんをここまで追いつめているようだ。天然って怖い。

 で、カタカタしている笹森くんを放置して僕へと視線を移す風間さん。

 

 

「おまえは誰か、大人の知り合いはいないのか」

「あいにく、今すぐ迎えに来てくれそうな方は誰も」

 

 

 大人と聞いて真っ先に紳士の顔が脳裏に浮かんだが、僕はもう彼から卒業した身だ。いやまあ、借金返せてない状態でこう言うのもなんだけれども。

 

 

「そうか。……ならば仕方がないな」

 

 

 観念したようにそう漏らす風間さん。これは一人でとぼとぼ歩いて帰る流れかな、と思いきや。

 

 

「俺が送っていく」

「え」

 

 

 まさかの提案であった。さっき出会ったばかりの訓練生に随分と親切な申し出である。暇か? 暇なのか風間さん?

 思わず訝しげに眺めてしまうと、風間さんは溜息を一つ吐いてから。

 

 

「……おまえがいくら自分のことを男だと言い張っても、そこらの輩がその通りに認識してくれるとは限らないということだ」

『この人が言うと説得力あるよね』

 

 

 こら。

 ともあれ――なるほど。風間さんは僕が()()()()()()()家に帰ると思っているから、過剰なまでに僕の帰家を案じてくれているわけだ。おっきーやイコさん曰く、一応は『かわいい子』の範疇に含まれるらしいからな、()の顔は。

 

 

『可愛くってごめんね☆』

 

 

 やかましいわ。

 ……とにかく、そういうことなら話は早い。訓練もランク戦も終わって、目の前の風間さんからしても私服姿なのだ。12時の鐘が鳴ったという訳じゃないが、ぼちぼち僕も魔法を解いて()()()に戻るとしよう。

 

 

「大変ありがたい申し出なのですが、ご心配には及びません」

「……何?」

 

 

 ――灰被り姫(シンデレラ)、か。

 ここ最近の僕は、割とあの話と似たような体験をしているよなとか思いつつ。

 

 

 

「トリガー解除(オフ)

 

 

 

 強く念じてそう唱えると、脱皮のように訓練生の隊服が端から削げ落ちて、朝に着替えた私服姿へとこの通り。そう、買ってしまったのです、私服。流石にいつまでも制服一丁で過ごすわけにもいかなかったからね。仕方ないね。

 

 

「「……!?」」

 

 

 まあ、本当に()()()になったのは服装だけじゃないんですけどね。

 驚愕に揺さぶられている目の前の二人に、僕は二度目の自己紹介をするような気分で、言った。

 

 

「――この通り、不審者に目を付けられるような顔はしておりませんので」

 

 

 という訳で、改めましてこんばんは。

 真・大庭葉月です。よろしくね!

 

 

『――やっぱり、お兄ちゃん的には()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 すまん。その件については後でまたじっくりと話し合おう。

 

 

『へーいへい』

「……どういうことだ?」

 

 

 口をぽかんと開けたまま固まっている笹森くんに対し、いち早く硬直から抜け出した風間さん。無論、完全に驚きや困惑が拭われた訳ではないようだけれども。

 

 

「ちょっとまあ、ワケアリな体質をしておりまして。トリオン体に換装すると、さっきみたいな顔と身体になってしまうワケですよ」

「……トリオン器官の異常ということか? 起こり得るのか、そんなことが……」

「まあ、何しろ()()()()()()だって話じゃないですか。ボーダーのお医者様にも匙を投げられてる案件なんで、僕の口からは何とも」

 

 

 曰く、現状の技術では特殊な装置を用いてトリオン器官の()()を計るくらいがせいぜいで、手術によって弄り回すとかそういうことは出来ないのだと伝えられた。詳しく調べようにも調べようがない、とのこと。

 ついでに言うと、患者を死なせずにトリオン器官のみを摘出する手段も、現状は存在しないのだそうで。

 

 

『可愛い妹と死ぬまで一緒にいられるなんて、幸せ者だねお兄ちゃん?』

 

 

 ……まあ、今更お前をどうこうするつもりもなかったけどさ。

 

 

「で、既に事情を知っているはずの笹森くんはいつまで固まっているのかね」

「す、すみません……百聞は一見に如かずっていうか、訓練の時からずっと()()()()()の大庭先輩を相手にしてたんで、余計に衝撃が大きかったっていうか……あと、なんていうか、不思議な感じもあって」

「というと?」

「いや、確かにさっきまでの顔と比べると、今の先輩は男だって言われたらああそうだなって納得できるんですよ。でも、顔の造り自体はそんなに変わってない筈なのに、自分の認識にこうも差が出る理由がわかんなくて……」

「……ふむ」

 

 

 それはおそらく、笹森くんが大庭陽花という()()を見慣れてしまったからだろうな、と思う。

 実際のところ、僕は素の顔でも女子と勘違いされることは多々あったりする。けれど性染色体は嘘を吐かないらしく、"僕は男ですよ"と伝えた上で見直してもらうと大抵は納得してくれるのだ。女の子()()()だね、という言い回しは付き纏ったりもするが、逆に言えばその程度が限界だった。

 笹森くんの反応で、改めて思い知らされた。大庭葉月(にせもの)はどうしたって、大庭陽花(ほんもの)にはなれない。

 ()()()()()は随分と長いこと、そんな当たり前のことにも気付いてくれなかったけれど。

 

 

『……寝るわ』

 

 

 !?

 え、何、どうしたの急に。

 

 

『つまんない時のお兄ちゃんに戻っちゃったから、今日はもう付き合ってらんないってこと。……せっかく楽しい()()()を見つけたっていうのにさ、いつまでも昔のこと引き摺って、バカみたい。明日になってもその調子だったら、本当に身体返してもらうからね』

「え、あ、ちょ――」

『おやすみ』

 

 

 それっきり、頭の中が静寂に支配される。

 ……まーた勝手に切りやがった。帰るだの寝るだの生活感溢れる言い回しを使っているが、あいつの生態系は一体どうなっているのやら。誰よりも近い存在だというのに、誰よりも謎に包まれた存在だな、相変わらず。

 

 

「――大庭先輩? 大丈夫ですか?」

 

 

 その呼びかけではっと我に返る。いかん、二人が目の前にいることを完全に失念していた。妙なことを口走ったりしてはいなかっただろうか?

 

 

「……ごめんごめん。ちょっと心ここにあらずというか、別の世界に飛んでいってたというか」

「――自分の状態(コンディション)も碌に把握できていない身で、よくも心配は無用だなどと言えたものだな」

「う゛」

 

 

 そういえば一人で帰れますアピールの真っ最中なのだった。咎めるような風間さんの視線と感情が痛い。どうやら先刻までとは別の理由で不合格を貰う羽目になりそうだ。

 

 

「おまえのように自己を正しく認識できていない者から、戦場では真っ先に消えていくものだ。――覚えておけ、俺はその類の人間には厳しく当たる」

「ひ、ひええ……」

「笹森、おまえは諏訪が来るまでロビーを離れるな。おそらくそう時間は掛からん、牌を打つ音が聞こえたからな。どうせまた作戦室で麻雀でもやっていたんだろう」

「りょ、了解です。……今の風間さんの言葉、覚えとこう……

「大庭、行くぞ」

 

 

 うおお、有無を言わせぬこの仕切り力……! これがいわゆるリーダーシップってやつか。僕は自分のやりたいことやるのは大好きだけど他人にあれやってねこれやってねって指示出すのは苦手なんだよなあ。見習いたいところだ。

 

 

「……りょーかいです。とまあ、そういうことになっちゃったみたいなんで、笹森くん、またね」

「は、はい。お疲れ様でした――その、またランク戦やりましょうね! 今度は絶対に負けませんから!」

「楽しみにしてるよ。……ああ、でも、どうせだったら」

 

 

 踵を返す直前、ふと思いついた台詞があったので、言ってみた。

 

 

次はB級でやろうぜ! ――なんてね。それじゃ」

「……! はい! 大庭先輩、次はB級で!」

 

 

 ひらひらと手を振って別れる。

 余計な期待(プレッシャー)を背負わせたつもりはない。笹森くんなら間違いなく、どれだけ時間が掛かっても絶対に正隊員(B級)になれると僕は信じている。何せこの僕を追い詰めた男だものな。この僕を。大事なことなので二回言いました。

 

 

「……何をニヤニヤと笑っている?」

「……いえ、何でもありません」

 

 

 ――うう。

 今日のツッコミはいつもに増して鋭く冷たいぜ、マイシスター。

 

 

 

 

 

 

 

――コラァ、日佐人ォ!! てめえ、よくも風間に余計なことバラしやがったな!?」

うわあああああああ!? すすす、すみませんすみませんすみません!!」

「まあまあ、いいじゃないですか。そもそも日佐人に言われるまでもなく、諏訪さんが風間さんのこと一方的にライバル視してるのなんて向こうも気が付いてましたって」

「どさくさに紛れて『一方的に』とか言ってんじゃねーぞ堤」

「でも実際にすわさんの片思いだよね」

「おサノァ!!」

「お、おサノ……? あの、あなたは……」

「やあひさと。すわ隊オペレーターのおサノさんだよ。元気? 平和? 青春?」

「……!?」

「あー、そいつの喋ってることは深く考えんな。感覚(ノリ)だけで口動かしてっからよそいつは」

「は、はあ……ハイになってる時の大庭先輩みたいだな……

「ったく、おまえもこんな時間まで残ってんならハナから俺に連絡入れろよな」

「いや、まだ正式なチームメイトになった訳でもないのに、そんなお願いするのは厚かましいかなって……」

「バーカ、()()()()()()()夜中まで残ってせっせとランク戦してたんだろーがよ。誰が咎めるかってんだ、余計な気ィ使ってんじゃねーよ」

「す、諏訪さん……!」

「おお~、すわさん隊長っぽい」

()()も何も隊長なんだっつーの俺は」

「アメちゃん舐める?」

「いらん」

「んじゃひさとにあげる」

「は、はあ……どうも……?」

「で、風間のヤローはどこ行ったんだよ」

「あ、実はオレともう一人、中3の先輩が残ってて――その人を家まで送っていくってことで先に出て行きました」

「……家まで見送り? あいつが?」

「はい」

()()()()()()?」

「? は、はい」

「……堤、こういうのなんて言うんだっけか」

「うーん……二重遭難といいますか、ミイラ取りがミイラといいますか……いや、まだそうなると決まった訳ではないんですが」

「…………?」

「ひさとひさと。かざまさんのこと初めて見たとき、どう思った?」

「え……いやその、てっきり自分よりも年下だと思っちゃって、めちゃくちゃ失礼なことを言ってしまって……」

「……そんな見た目のヤローがよ、夜中にガキの()()()なんざこなせんのかって話だよ」

「……あ」

「てゆーか、一人だけならひさとと一緒にすわさんの車乗せちゃえば良かったのにね。かざまさんドジっこ?」

「『子』っていう歳ではないかなあおサノ……」

 

 





いつもの如く文字数が膨れ上がってしまって想定していたラストまで書くとえらい長さになりそうなのでここで一区切りにします。
葉月くんが脳内で喋り過ぎるのが悪いんだなきっと…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幼年期の終わり(後編)

C級隊員編、完結。


 

「――そこの()()()()()()()()、もう遅いから早く帰りなさい。()()()()()()()()()()()()()

「「…………」」

 

 

 ……ふふふ、凄いな今のお巡りさん。

 ほんの一瞬すれ違っただけで、僕らの地雷を的確に踏み荒らして去っていきやがった。通り魔にでも転職した方が良いんじゃないかな?

 ボーダー本部基地を離れ、いつぞや紳士と上った白屋敷までの坂道を、今度は出会ったばかりの先輩と二人で歩いている。風間蒼也。僕と同じで、他者からの認識と実体が噛み合っていない人。

 笹森くんに僕の()扱いされた時のように、また悲しんだり怒ったりしてるんじゃないかと思わず彼の心を覗いてしまうのだが、特に揺らぎは視えない。やれやれと言うように溜息を吐いている。

 

 

「……三門の警官には顔が知れ渡っているものだと思っていたが、そうでもなかったらしいな」

「警察に顔覚えられるって何したんですか風間さん」

「罪を犯したという意味じゃない。最近は夜に警官とすれ違っても声を掛けられることがなかったからな、俺の存在が認知されたものだと思っていた」

「認知……」

 

 

 想像する。三門市警察の間で『最近見かけるあの小柄で目つきが鋭い短髪の男性は子供ではないから注意するように』などという通達が出ているところを。認知されるってそういうことだよな。それは……なんていうか、シュールな光景だ。

 ああでも、そういえば嵐山さんが言っていたっけなあ。『訓練生の中に女性のトリオン体をした男子の隊員がいるという連絡は事前に受けていた』って。僕も正隊員に昇格したら、ボーダー全体にそんな感じのお触れが出回るのかもしれない。今までのように一々訂正する手間が省けて楽だと思うべきか、はたまた変に特別扱いされて面倒だなあと思うべきか。その時になってみないと判らないな。

 

 

「……なんだかなあ」

 

 

 どうにもセンチな気分になっている。陽花が眠っているからだろうか? 鬼の居ぬ間にという訳ではないが、普段はあいつに叱られるから考えられないようなしょうもないことが、次から次へと頭に浮かんでくる。まさしく『つまんない時のお兄ちゃん』だ。

 叱られると言えば、あいつは僕が髪を切ることにも反対していたな。トリオン体なら髪型なんかはある程度融通が利くんだから生身の髪型くらい自由にさせてくれよと訴えてみても、『ダメ』『絶対にダメ』『早まらないで』『自分を大事にして』『人には決して似合わない髪型というものが存在するの』『そのくせっ毛を愛してあげて』『そのままのもさもさしたお兄ちゃんでいて』と異様なほどの押しの強さで止められてしまったのだ。この男でも女でも通じるような()()()()()()の髪型も、僕の性別が正しく認識されない理由に一役買っていると思うんだけどなあ。

 

 

「世の中ってめんどくさいことで溢れ返ってますよね風間さん」

「……唐突に同意を求めるな。何の話だ」

「いや、僕の性別にしても風間さんの年齢にしてもそうなんですけど、誰もが一目で相手のことを理解できる世の中だったら、一々『僕は男です』とか『俺は大人だ』とか主張しなくても済むじゃないですか。その方が楽だと思いませんか? 面倒じゃないですか、初対面の相手に何度も何度も自分はこれこれこういう者ですってアピールするの」

 

 

 ――などと考えてしまうのは、僕の副作用(サイドエフェクト)のせいかなあとか思ったりもして。

 僕は他人の感情が視える。自分の意思とは無関係に、相手の気持ちを()()()()()()()()。それは普通の人間ではあり得ないことだが、この副作用(サイドエフェクト)のおかげで僕は、かろうじて人間社会に溶け込むことを許されている。人間失格と呼ばれる寸でのところで、踏み止まることが出来ている。

 時折、考えてしまうのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。僕が周りとズレているんじゃない、()()()()()()()()()()()()()()()()()と、自己中心的な思想に支配される時があったりするのだ。ちょうど今みたいに。

 なんか公平の家で見たアニメにも、似たような思想を抱いてるキャラがいたような気がするな。僕は新人類(ニュータイプ)でも何でもないけれど。或いは『間違っているのは世界の方だ!!』ってノリかな? いずれにしても、こんな思想の行き着く先は革命家かテロリストの二択だ。成功すれば前者、失敗すれば後者。僕はそのどちらになるつもりもないけれど。こうして世界の片隅でくだを巻くだけの小市民がお似合いってとこだろう。

 

 

「――面倒であっても、必要なことだ」

「わお、大人の御意見」

「不理解への反骨心によって培われるものもある。……おまえの言う通り、他者から正しい理解を得られる社会というのはさぞかし居心地が良いだろう。だが――そんな世の中に生まれていたら、俺は()()()()()()()()()()にしか成長しなかったと思っている。成人を間近に迎えながらも子供のように扱われることを良しとする、周囲に甘えた弱い人間にな」

「ほ、本当に大人の御意見……」

 

 

 強い。風間さん超強い。何が強いって()が強い。決して揺らぐことのない芯が通っている。

 不理解への反骨心。周囲から幼子(おさなご)のように扱われる度、風間さんはこうして理解(わか)らせてきたのだろう。()()()()、と。その存在証明の繰り返しが、今の揺るぎない風間蒼也を作り上げたのだ。

 正直に言って、格好良いなと思う。僕もいつかはこの人のように、揺るぎないものを手に入れることが出来るのだろうか?

 

 

「わたくし大庭葉月は、今後の人生において決して風間さんを子供扱いしないことを誓います」

「……今後の人生においてということは、()()()()内心でそう思っていたということか?」

「は……ははははは、まっさかぁー……」

 

 

 明後日の方向を向いてひゅーひゅーと吹けもしない口笛を吹いてみる。ああ、風の通り過ぎる音だけが聞こえる……。

 風間さん、そんな僕を眺めて呆れたように溜息を一つ。なんだかやたらと風間さんの溜息を見る機会が多いような気がする。やれやれ系男子か風間さん。いや男性か。

 

 

「……まあいい、俺もおまえを初見で女子だと誤認したからな。一方的におまえを責めるのはお門違いというものだ」

「いや、それは仕方ないですよ。誤認も何も、トリオン体の僕は実際に女の顔と身体をしているんですから」

「――何度聞いても不可解な現象だな。大庭、おまえは異常の原因に何か心当たりはないのか」

「心当たり……」

 

 

 あります。正直なところめっちゃあります。お医者様には一笑に付されてしまったウィルバー氏の仮説だけれど、現在進行形で僕の身体に起こっていること、そして何よりあのROOM303(303号室)で体験したことを考えると、最早それ以外の理由が想像つかないほどの心当たりが。

 しかし、どこまで話していいものか。陽花のやつも眠ってしまっているし――まあ、()がどうだ脳内妹がどうだの話は置いておいて、とりあえずはお医者様に話したことをそのまま言ってみればいいだろう。それならあいつもとやかくは言うまい。

 

 

 何の気もなしに空を見上げる。陽はとうに落ち、浮かび上がるは銀色に輝く半分の月が一つ。

 僕だけの、時間だった。

 

 

 

 

「――という訳で、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………」

 

 

 話を終えて、風間さんの方を()る。

 様々な感情が、彼の中で渦を巻いていた。否定と納得が真っ向から殴り合いをしている。否定側が大分優勢。まあそうなるな、といった感じだが――その陰に隠れて、おや、と思わせる色の感情が顔を出している。これは……『()()』かな?

 なんだろう。僕の話の中に、風間さんが何かシンパシーを感じるような点があったのだろうか? 他者から何かと勘違いされやすいという以外の点で、僕と風間さんの間にある共通点とは――

 ――ひょっとすると、アレかな。

 

 

「……にわかには信じ難い、というのが正直な感想だな」

「まあ、そうでしょうね」

 

 

 本当に正直な感想でむしろ好感を抱いてしまう。これで下手に『……なるほどな』とか頷かれていた方が反応に困るところだった。

 

 

「ところで、僕の話をしている最中に()()()ことがあるんですけど」

「……? なんだ」

「――風間さんにも、御兄弟の方がいらっしゃったりします?」

 

 

 風間さんの眉がぴくりと動き、感情に新たな波紋が刻まれる。

 僅かながらの動揺、そして驚愕。どうやら当たりを引いてしまったようだ。

 

 

「――何故、そう思った?」

「最初に"おや?"と思ったのは、笹森くんが風間さんのことを僕の()呼ばわりした時です。後は、僕が()の話をした時――とりわけ、妹が母親の胎内で死んだ(消失した)という話をした時に、大きな()()()を感じたので、そこからの推測ですね」

「……意外だな。正直、おまえはそういった感情の機微に疎いタイプの人間だと思っていた」

「さらりと酷いことを仰いますね?」

「そうだな。印象だけで決めつけた。悪かったな」

「ああいや、その印象は間違ってないと思いますよ。僕はちょっと、()()()()()()()なんで」

「ズル?」

「そう、ズルです」

 

 

 ――ああ、()()()()()()()()()と、思った。

 ボーダーに入るまで、この力の存在は誰にも明かしたことがなかった。陽介にも、公平にもだ。那須さんや、僕を待ってくれている()()()()()にもまだ話してはいない。

 僕は今、風間さんの感情を覗き込むことで、本来であれば知り得る筈もない彼の秘密を暴こうとしている。ならばこちらも、自身の秘密を明らかにするべきだ。今は眠っている脳内妹の存在は、あいつの許可を得てからでないと明かすことは出来ないけれど。

 

 

『感情視認体質』――僕の副作用(サイドエフェクト)の名称です。その人の抱えている感情を、大まかながらに察することが出来ます。対象を視界に捉えることでね」

「……そういうことか」

「驚かれないんですね?」

「あの顔で男を自称された時や、自分のトリオンは妹で出来ているなどという話に比べれば可愛いものだ。……()()()()()()()()()()()()()()()にも、心当たりがあるからな」

「おや、そうなんですか」

 

 

 なるほど、前例が存在したのか。一体どんな人なんだろうな。是非ともお会いしたいものだ。

 それにしても――つくづく流石の風間さんだ。『僕はあなたの思っていることが理解りますよ』と白状したにも関わらず、内面に忌避や動揺がまるで視えない。それがどうしたと言わんばかりの不動っぷりである。僕だったら即座に、脱兎の如くこの場を後にしているところだ。何しろ中身がこんななので。

 うん、やっぱり打ち明けて良かったな。僕の(サイドエフェクト)に狂いはなかった。こいつが狂ってたら生きていけないんだけど、僕の場合。

 

 

「――俺に兄弟はいるか、という話だったな。大庭」

「あ――はい」

 

 

 前置きを一つ挟み、風間さんは足を止めた。僕も立ち止まり、姿勢を正した。白屋敷(我が家)はもう目と鼻の先であったが、流石にこのまま話を聞かずに門を潜るという選択肢は存在しない。

 

 

「おまえの推測は当たっている。……兄が一人()()

「――過去形、ですか」

「そうだ。過去形だ」

 

 

 ……数十分ほど前に笹森くんと似たようなやり取りをしたっけなあ、そういえば。

 僕はヒロアカのトゥワイスが推しだった。七海健人や血の魔人パワーも推しだった。彼らのことが好きだった。愛していたと言ってもいい。

 僕に将棋を教えてくれた、祖父のことも、大好きだった。

 過去形だ。全て過去形だ。別に嫌いになったという訳じゃない。それでも彼らは、どうしようもなく過去の存在でしかないのだ。

 

 

 

「おれはね、終わったんだ。()()()()()()()、葉っちゃん」

 

 

 

 彼らはもう、()()()()()()()()()()、から。

 過去になるとは、そういうことだ。

 

 

「兄もボーダー隊員だった――正確に言えば、今のボーダーの()()にあたる組織に所属していた」

「前身……」

「2年前の大規模侵攻で、現ボーダーが存在を公にする前に活動していた組織だ。『旧ボーダー』という呼び方をする者もいる」

 

 

 そういえば――大規模侵攻当時、三門市民に向けてボーダーからこんな声明が出ていた筈だ。『こいつらのことは任せてほしい。我々はこの日のためにずっと備えてきた』みたいな。その()()()()()()()というのが、風間さんの兄が所属していたという旧ボーダーなのだろう。

 だが、その旧ボーダーに属していた風間さんの兄が、大規模侵攻を待たずして命を落とした理由というのは――

 

 

「……大規模侵攻の前にも、()()()()()()近界民(ネイバー)との間で争いがあった――ってことですか?」

「そうだ。兄はそれに参戦して、二度と帰っては来なかった」

 

 

 風間さんはその事実を、至極淡々と口にした。声に一切の震えはなく、表情もまた平静を保っている。

 それでも――

 

 

 ――ああ、()()()()()()

 僕の目には、どうしようもなく。

 

 

「……風間さんは、お兄さんの復讐をするためにボーダーへ?」

 

 

 故に僕は、そういう理由で風間さんが兄と同じ道を選んだのだと思った。この人のことだ、肉親を失っていつまでも泣き寝入りするようなタマじゃない。それこそ羅刹の如き怒りを胸に、されど瞳は氷の如く、冷徹に近界民(ネイバー)を処理する鬼と化したのだろう、と。

 

 

「……どうだろうな」

 

 

 しかし、予想に反して返ってきた答えは灰色であった。実際、風間さんの感情にも僕が想像していたような『怒り』は視えてこない。これは正直、意外だった。

 

 

「兄は兵士として戦場へと赴き、戦場の中で散っていった。死者ではあっても、()()()()()()()。或いは兄の手によって、命を奪われた近界民(ネイバー)も存在するのかもしれない――そう考えれば、俺が一方的に近界民(ネイバー)へと恨みを抱くのは筋違いというものだ」

「……大人の御意見です」

「正直に言えばいい。冷たい考え方だと」

「いいえ、本心ですよ。嘘だと思うのなら、僕の目玉をお貸ししましょうか? ()()()()()()()

「……笑えない冗談だ」

 

 

 それは残念。3割くらいは本気の発言なのだけれど。ほら、風間さんには言ってないですけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってやつ。その栄えある第1号に風間さんがなってくれたら嬉しいかなーなんて、思ったんですけどね、3割くらい。

 で、人の冗談にダメ出しをかました直後、()()()()()()()()()()()をぶっ放してくるこの御方。

 

 

「――旧ボーダーは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「はあっ!?」

「夜中だぞ。大声を出すな、近所迷惑になる」

「い、いや、こんな唐突にとんでもない爆弾落としといてそんなマジツッコミされましても……」

 

 

 なんだそれは。

 なんだそれは。

 僕の知ってるボーダーと違う。三門市民の誰もが例外なくおったまげる驚愕の新事実だ、そんなのは。旧だよな? あくまで旧ボーダーの話だよな? まさか()()()()()()()()()()()()()()()()とかそんなことはないよな? そうだと言ってくれ風間さん。

 

 

「――心配せずとも、あくまで旧ボーダーの話だ。()()()()()()()

「心配するなっていうなら余計な一言付け足すのやめてほしいんですけど……」

「その旧ボーダーの流れを汲む者たちが、現在水面下で独立の動きを進めていると言ったらおまえはどうする?」

「……マジですか?」

「マジだ」

「マジかー……」

 

 

 畜生。恨むぞ風間さん。恨むぞ僕の副作用(サイドエフェクト)。『マジだ』なんて風間さんが滅多に言わなそうなこと言うからてっきり嘘だと思うじゃんよ。でもこの人どう()ても嘘吐いてないんだもん。那須さんやウィルバー氏のような相手をからかう時の愉快なテンションでもなければ、水上さんみたいに靄がかってる訳でもないんだもん。この手の人は僕に対して嘘吐けないようになってんだもん。故に僕は、風間さんの言をただひたすらに()()()()()()()()()()……おお……もう……。

 

 

「……ってことは、ゆくゆくは風間さんも()()()()()へと転属してっちゃう訳なんですかね」

「――いや、それはないな」

「あれ」

 

 

 大庭葉月、ここに来て推測が外れまくりである。いやだって、風間さんは近界民(ネイバー)に恨みを抱いている訳ではなくて、その上で兄と同じボーダー隊員という職務に就いた訳で、そしてそのお兄さんが属していた旧ボーダーというのは近界民(ネイバー)との交友を目的としていて、ここに来てその旧ボーダーに復活の動きがあるとなれば、ほら、なんか話が繋がるじゃない? そうはならないの?

 

 

「……恨みを抱くのは筋違いだとは言ったが、かといって進んで仲良くなりたいと思えるほど割り切ってもいない。そういうことだ」

「あ、なるほど」

 

 

 それ故の『どうだろうな』か。納得。要するにまだ、風間さんの中でも定まっていないのだ。近界民(ネイバー)という、別の世界の存在に対するスタンスが。

 ……なんていうか、()()()()()()()()()()()()()()()()()、僕達は。

 

 

「――今の俺の目標は、近界民(ネイバー)という存在を()()()()()()()()ことだ。遠征にでも選ばれたなら、兄が触れた世界の一端に手が届くのかもしれないが――ようやくB級を抜けたばかりだ。まだまだ先は長い」

 

 

 それでもやっぱり、風間さんは僕の遥か先を歩んでいる。最終的な答えは見えていないまでも、()()へと辿り着くための確かな計画(プラン)を持っている。

 僕の辿り着くべき場所っていうのは、一体何処にあるのだろう?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()というのは、一体何なのだろう?

 風間さんのお兄さんの話から、何やら思わぬ方向へと話が進んでいってしまった。僕がうんうん唸っていると、風間さんからまたしても予期せぬ発言が。

 

 

「――大庭。おまえ、技術者(エンジニア)にツテはあるのか」

「は、はい? エンジニア?」

個室(ブース)でおまえに声を掛けた際、左手の甲(個人ポイント)を覗かせてもらった。近いうちに、おまえが正隊員へと昇格することは判っている。そうでなければ、俺も訓練生相手に今のような打ち明け話はしない」

 

 

 言われてみれば、確かに一介の訓練生如きが聞いていいのか怪しい内容だったな。いや、近界民(ネイバー)との交友云々については、正隊員でもどれだけ知ってる人がいるんだって感じだけれども。

 というか、風間さんはお兄さんに殺されたかもしれない近界民(ネイバー)の存在を思って恨みを捨てたっていうけれど、それって要するに近界民(ネイバー)の正体というのは――まあ、ウィルバー氏がなんとなく匂わせていたから、もしかしたらとは思っていたけれど。

 

 

「正隊員に昇格すれば、おまえが現在使用している訓練用トリガーではなく、トリガースロットを8つに増やした正隊員用のトリガーが与えられることになっているが――そのチューニングは基本的に、技術者(エンジニア)の役目になっている」

「はえ~……」

「おまえにツテが無いのなら、知り合いの技術者(エンジニア)を一人紹介してもいい。攻撃手(アタッカー)から転向して1年弱といったところだが、既に幾つかのトリガーを開発した実績もある。腕は確かだ」

「……その幾つかのトリガーというのは?」

「レイガストと炸裂弾(メテオラ)だ」

炸裂弾(メテオラ)!!」

「声」

「はい」

 

 

 いかんいかん、馴染みの名前を聞いたもんだからついついテンションが上がってしまった。豆腐(キューブ)が手元にあったらたまらず暴発していたところだ。

 いやしかし、まさかまさかの御提案だ。炸裂弾(メテオラ)使いのこの僕が、開発者直々のトリガー調整(チューニング)を受けられるだなんて。こんなん一も二もなく飛びつくしかないじゃんね。

 

 

「欲しいです。めっちゃ欲しいです。紹介」

「――いいだろう。正隊員に昇格したら俺の隊の作戦室に来い。仲介役を引き受けてやる」

「わぁー、ありがとうございます――でも、えらい親切にしてくれますね。会ったばっかの訓練生を相手に」

「……理由が気になるか?」

「そりゃもう」

「ならば推測してみろ。おまえの副作用(サイドエフェクト)()を使ってな」

「うげ」

 

 

 しまった。藪をつついて蛇を出してしまった。明らかにこれ試されてるやつじゃないですか? 外したら紹介の話は無しとか言い出しそうで怖いぞもう。

 仕方がないので、真正面から風間さんをじっと見据える。相も変わらず氷のように鋭い目つきは無視をして、彼の感情を()()()()。風間蒼也という存在の真意を理解しようとする。そうすることの出来る力が、()()()()()()()()()()()――

 

 

 

「――今の俺の目標は、近界民(ネイバー)という存在を()()()()()()()()ことだ」

 

 

 

 ……ああ、そういうことか。

 風間さんが僕に対して、今抱いている感情の正体は。

 

 

 

 

 

「――申し訳ありませんが、あなたの期待(感情)には答えられそうにありません」

 

 

 

 

 

 そう言って、僕は深々と頭を下げた。

 風間さんには恩義がある。出会ってまだ1日、それどころか1時間と経ってはいないが、こうして家まで送ってもらって、易々と打ち明けることでもない秘密を明かされ、あまつさえ技術者(エンジニア)の紹介までも請け負ってくれるという。これに報いなければ僕はクソだ。人間として失格(クソ)だ。

 それでも、僕にだってどうしても、()()()()()()はある。

 

 

「風間さんは近界民(ネイバー)を見定める上で、()()()()()()()()()()()()()()()()――そのために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……どうですか? 当たってます? 推測」

「…………」

 

 

 風間さんは口を開かない。

 そんな風間さんを、僕は無言でじっと()る。

 ()()()()()()

 

 

 

「――正解だ」

 

 

 

 僕はもう一度頭を下げて、「ごめんなさい」と言った。

 一つの可能性が途絶えた、瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

「――まあ、それはそれとして、寺島(エンジニア)への紹介は請け負ってやる」

「え」

 

 

 僕の()()()が既に決まっていることを伝え、送ってくれた礼やら改まっての謝罪やら何やらを散々重ねた末の別れ際、尚もそんなことを口にする風間さん。ただでさえ申し訳なさで目を合わせるのが辛かったのだが、それでも顔を眺めずにはいられない。心を覗かずにはいられない。

 風間さんは決して、僕に怒りも嫌悪も抱くことはなかった。ただ、僅かな諦観が()えただけだ。視るんじゃなかった、と思わず後悔するくらいにはくっきり視えてしまったけれど、とにかく今はそれも掻き消えて、割と自然(フラット)な心持ちである。

 

 

「――いいんですか? そちらのお誘いを断ってしまったというのに……」

「……おまえが俺を、後輩に勧誘を蹴られた程度で一度振った紹介を取り下げる小さい人間だと思っていたのは理解した」

「風間さんはちっちゃくないですよ!!」

「身長の話はしていない」

 

 

 なんか今ボケにボケで返されたような気がする。いや、こちらとしてはボケたつもりはないのだけれど。器の話ですよね、器の。

 

 

「……ですけど、本当に何も風間さんにお返し出来ませんよ、僕」

「俺への返礼などどうでもいい。おまえが正隊員になる上で、必要な措置だから手を回すだけだ。ボーダーという組織自体のためにな」

「さ、流石のA級隊員……」

「――おまえにとって、A級は遠い存在か? 大庭」

「そりゃ、今の僕はまだC級のぺーぺーですし」

「だが、()()()()B()()()8()()()()()()()()――いや、もう6位か。後はそこから4つ順位を上げて、昇格試験を突破するだけだ。雲の上を目指すような話じゃない」

 

 

 きがるに いって くれる なぁ。

 たかが4つ、されど4つ。果たして僕は、()()()()()にそれだけの上積みを与えられる存在なのかどうか。そもそも僕は彼らの実力も、他の正隊員達の実力も碌に知らないのだ。これで那須さんやイコさんのような達人級(マスタークラス)がうようよしてたらどうしましょうね。

 

 

「何にせよ、おまえの仕事は()にやる気を出させることだ。そうしないことには何も始まらん」

「あ、やっぱりないんですか、やる気」

「優れた技量も副作用(サイドエフェクト)も、今の奴には宝の持ち腐れもいいところだ。あれでは太刀川はおろか俺すら越えられん。……いや、その太刀川も最近は――」

「……?」

「……気にするな。問題児の多さに頭を抱えているというだけの話だ。――もう行くぞ」

「あ、はい」

 

 

 すいません。今は大人しくしていますけど、多分僕も本質的には()()()()()()()()()()()()()の人間です。そんな言葉が喉まで出かかったのをぐっと堪えつつ。

 

 

「その――今日は本当に、ありがとうございました! それと、明日もよろしくお願いします!」

「……これで明日中に昇格できないなどという締まらんオチが付かなければいいがな」

「え、縁起でもないこと言わないで下さいよ……」

「冗談だ。――じゃあな」

 

 

 にこりともせずにそう言い残して、踵を返す風間さん。その小さな背中を見送りつつ、思った。

 早く明日になりますように、と。

 

 

 

 

 

 

 

『――だから今日のお兄ちゃん、あんな朝早くから本部基地の前に張り付いて"早く開け……早く開け……"ってぶつぶつ唱えてたんだね』

「……それで朝一でロビーに飛び込んだはいいが、誰も対戦相手がいないとは思いもしなかった」

『きみはじつにばかだな』

 

 

 悪いな葉月、このランク戦2人用なんだ。そんな感じだった。なんで昨日から怒涛のドラえもん推しなのかは自分でもよく理解らない。

 とにかく、出だしで若干躓きながらもどうにか目標は達成した。左手の甲に刻まれた『4004』という数字と、目の前にある扉を交互に眺めて、ふう……と深呼吸。

 幼年期(C級時代)の終わりを迎えるにあたって、やらなければならないことが幾つもあった。まずは当然、風間さんへの報告。ROOM303(303号室)に籠もっていると話した那須さんを探して、僕の()()()が他所に移ったことも伝えなければならないし、正隊員になったら陽介とランク戦をする約束も取り付けてあった。その他、何やかんやと事務的な手続きもあるのだろうが――

 

 

 ――ここからだ。

 何よりも先に、()()からだ。

 

 

『……それで、お兄ちゃんはいつまでこの扉の前で立ち往生してるわけ?』

「いや、第一声をどうするかで悩んでるんだよ。素直に『失礼します』で行くべきか、もうちょい気さくに『お邪魔します』で行くべきか、少し調子に乗って『お待たせしました』なんてのも――あ、『私が来た!!』でもいいな。頼れる助っ人(ヒーロー)感が出そうだ」

完全無欠(オールマイティー)からは程遠い人がなんか言ってる』

「――欠けているように見えるか? 僕」

『そりゃもう、あちこち穴だらけでしょ』

「だったらおまえが埋めてくれ」

『は? 何それ』

「僕はね、三日月ってやつが好きなんだよ」

 

 

 光と影の共同作業によって生み出される、()()()()()()()()()()()()()()()()

 なんていうか、今の僕らにぴったりだ。そう思わないか? マイシスター。

 

 

『……言いたいことは理解るけど、()()()()()()()()()()()()()()は、議論の余地があると見た』

「――そうだな。その件については、後でまたじっくりと話し合おう」

『それ、昨日も同じこと聞いたんだけど』

「いや、だっておまえがいきなり寝るとか言い出すから――」

 

 

 

「……さっきからなーにぶつくさ言ってんだ、おめーは」

「あ」

 

 

 

 ――背後からの声に振り替えると、そこに並んで立っていたのは。

 

 

 

「おー、誰かと思ったらハヅキじゃねーか! なんか久しぶりだな! アタシのこと覚えてっか?」

「――忘れるワケないでしょ、ヒカリ」

 

 

 そう、()()()()。仁礼光。僕は君のことをそう呼ぶんだ。忘れる訳がない、絶対に。

 

 

「ゾエさんもいますよー」

「……なんていうか、嵐山隊の狙撃手(スナイパー)の子みたいな自己主張ですね? ゾエさん」

 

 

 勿論、あなたのことも見落としてはいませんよ、北添尋(ゾエさん)。『ていうか、ガタイ的に見落としようがないよね。昨日のちっちゃい人と違って』おまえ各方面に喧嘩売る発言は控えろよ。マジで。

 で、そんな二人の()になるかの如く、やや後方でぼりぼりと頭を掻いているマスク姿の人が――

 

 

 

「――どうも、改めて今日からお世話になります、()()!!」

「……堅っ苦しい呼び方してんじゃねーよボケ。フツーに呼べ、フツーに」

「はい! カゲさん!!」

「声がでけぇ」

 

 

 

 ――僕の恩人、影浦雅人。

 今日から()()が、僕にとっての新たな居場所(ホーム)となるのだ。

 

 




「2週目に突入したら選択肢が追加されて風間隊ルートに入れるらしいですよ」
「えっ!? そうなの!?」
「まあ、ウソですけど」


連休パワーをフル活用して書き上げました。
次の更新なのですが、C級隊員編が終わったので一区切りの意味も込めて
最初の頃の話の更正作業に充てたいと思います。
具体的に言うと改行を増やしたり1話を分割したりします。
どうも当時の私は改行したら寿命が100日縮む病気に罹っていたようなので……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

season1~入隊初年度1-4月~
みえるひと/うけとるひと/きこえるひと


B級隊員編1stシーズン、開幕。
なお肝心のランク戦が始まるまで大分時間が掛かりそうな模様


 

 

「――ふ」

 

 

 さあ寛げと言わんばかりにドーンと鎮座した長椅子!

 

 

「ふふ」

 

 

 少年漫画と少女漫画が全面戦争を繰り広げている両極端の本棚!

 

 

「ふへへっ」

 

 

 座布団やらミカンの皮やらが乱雑に散らばった謎の空間(スペース)!!

 

 

「ふへへへへ……!!」

「……オイ、誰だコイツを影浦隊(ウチ)に入れるっつったのは」

「カゲじゃん」

「カゲだよねえ」

「…………」

 

 

 悪くない。いやむしろ良い。きっちりしてるようで実はしていない、気楽な感じが実に良い。

 これが()()愛しの作戦室。そう、今日からここが僕の本拠地(ホーム)に……ふっ、ふへっ、ふへへへへ。

 

 

「つーか、前にも一回入ってんだろーが。始めて来ましたみてーな感情(リアクション)しやがって」

「違うんですよカゲさん。いいですか? あの時の僕はあくまで()()()でしかなかったんですよ。何やかんやでアウェー感といいますか『お邪魔しまーす……』的な遠慮があったワケなんですよ。でも今日からはそうじゃないもんね! そう思ったらこう、僕の内側から抑えきれない感動がぶわーっと――理解りますかカゲさん? ()()()()()()? 僕のこの気持ち」

()()()()()()

「はい」

 

 

 いかんいかん、興奮のあまりテンションがおかしなことになってしまった。カゲさんがうんざりしているのも()えてしまったし、とりあえず落ち着け大庭葉月。

 

 

「うー、さみさみ――なーカゲ、いい加減にコタツ入れよーぜー」

 

 

 自分の身体を抱くように、両の二の腕をさすりながら訴えるヒカリ。確かに今日も肌寒い。1月も中旬を間近に迎え、いよいよもって冬まっしぐらといったところだ。

 けれどヒカリ、そう言う君は何故に太股丸出しのショートパンツ姿なのだろうか。腕よりも先に庇うべき部位が存在するんじゃないだろうか? たまにいるよな、冬でも平気で生足出してる女の子って。僕には到底真似出来そうにない。()だった頃も冬は普通にロングの――

 

 

『聞きたくない』

 

 

 うん。ですよね。

 

 

「どこに置くんだよ」

「アタシの()()

「そこの空間(スペース)はいつからてめーの部屋になったんだ? あァ?」

「でも実際にヒカリちゃんのものしか置いてないもんねえ」

「というか、()()を除けば割と片付いてますよね、この作戦室って」

「あーん? なんだよハヅキ、アタシが片付けできねー女だって言いてーのか?」

「実際出来てねーだろが」

「出来てないですよねえ」

「おい、アタシの味方がいねーぞゾエ。たすけてくれ」

「うーん、この話題に関してはゾエさんもカゲと葉月くん派かなあ」

「おお、愚かな男どもよ……! アタシがどれだけ()()()()()()かも知らねーで、よくそんな口が聞けたもんだな」

 

 

 むしろその部屋を見られた後でよくそんな口が聞けたもんだな、とは言わない。大庭葉月は空気と心の読める男。

 とはいえ、ヒカリの主張にも一理なくはない。彼女が片付けの出来る女かどうかはさておいて、

 

 

「まあ、コタツくらいならあってもいいんじゃないですか、カゲさん」

「だよな!?」

 

 

 うお、なんか知らんけどめっちゃ食いついてきやがった。一瞬にして瞳と心を爛々と煌めかせるヒカリ嬢。そんなに欲しかったのかコタツ。確かに君は猫っぽいなあとずっと思っていたけれど。

 

 

「よく言ったハヅキ。ご褒美にアタシに続くコタツ使用権その2をくれてやる」

「わーい」

「わーいじゃねーんだよわーいじゃ。いらねーだろ、どうせヒカリしか使わねーんだから」

「僕も使いますよ」

「てめーは黙ってろ」

「ゾエ!」

「ゾエさん!」

「なんかさっきも似たようなことやったよね?」

 

 

 そういえばそうだ。ゾエさんって常にこんな感じで二人の間を行ったり来たりさせられていたんだろうか。にも関わらずこの内面ののほほんっぷりと来たら。一体、前世でどういう徳を積んだらこの人のような人格者になれるのやら。

 とにかく、そんな感じで今度はカゲさんが多数決に敗れた結果、我らが作戦室に今冬中のコタツ導入が成されることが決定いたしました。何だかんだで民主主義を採用しているあたり、暴君ではないよね、僕らの隊長(リーダー)は。

 

 

「っしゃあー! コタツが来るぜぇー!!」

「ヒャッハァー!!」

「あー、うるせー……来るぜじゃねーんだよ、てめーらで用意すんだよ。俺ァ手伝わねーかんな」

「へっ、ハナからカゲのことなんかアテにしてねーっての。こちとら力仕事に関しちゃたのもしー味方がいるもんな! なあゾエ?」

「はいはい、買いに行くときはゾエさんに声掛けてねヒカリちゃん」

「むむ」

 

 

 おやヒカリちゃん? 男手が必要だというのならここにも一人いるじゃない? そんなナチュラルに無視(スルー)されると流石の僕もプライドが傷ついちゃうぞ。傷ついちゃおっかな――!!

 

 

『鏡見なよ』

 

 

 うん、理解ってる。ちょっと拗ねてみただけなんだ。そりゃ僕のこのヒョロガリボディを見たら頼りにする気も失せるだろうさ。

 

 

『……()()()()()()()()()()?』

 

 

 いや、だから()()()()()――

 

 

 ……あれ?

 

 

「――にしてもよー、ちょっと見ねー間に雰囲気変わったよなーハヅキ」

 

 

 そう言って、ヒカリが僕の顔をまじまじと眺めてくる。()()()()()()()()()()()()()()()を。

 思い返してみれば、僕はランク戦ロビーから()()()もせずに直でここへと来てしまった。覚えているだろうか? 作戦室へと入る前に、僕が左手の甲(個人ポイント)へと視線をやったのを。生身の身体にそんなものが刻まれている筈がない。ということは――

 

 

 今の僕は、大庭陽花(女の子)だ。

 

 

「なんつーの? 前に会った時と比べてよー、肌がきめ細かくなったっつーか瑞々しくなったっつーか――うわ、おまえ改めて見るとめちゃくちゃ顔整ってんな」

「……あー」

 

 

 そうか。ここにいる皆は風間さん達と違って生身()()と先に会っているから、トリオン体()()を見ても『雰囲気が変わった』程度の認識で済んでいるというわけか。やれ贋物だ失敗作だと両親に言われ続けた僕の顔だが、そんな錯覚を起こせる程度には近付けていたんだな、本物(陽花)に。

 

 

『……その本物がどうだの贋物がどうだのっていうの、いい加減に止めてほしいんだけど』

 

 

 わーかってるって。ちょいちょい考えてしまうのは勘弁してくれ。人間ってのはそう簡単に思考にブレーキ掛けられるようには出来てないんだよ。

 まあとにかく、これは改めて自己紹介が必要だろう。ようやく同じ部隊(チーム)の一員になれたのだし、隠し事は一切無しで行きたい。

 ――そう、()()無しだ。僕の言っている意味が理解るな? マイシスター。

 

 

『……お、おう』

 

 

 ……? なんだその反応(リアクション)。まあいい、とにかく一回()()()()ぞ。

 

 

「……その話なんだけど、改めて皆に伝えておきたいことが――あの、カゲさんとゾエさんもいいですかね」

「あァ?」

「うん?」

 

 

 かたや怪訝そうに、かたやきょとんとこちらを眺める男性陣。三人の視線が集まったところで、

 

 

「トリガー解除(オフ)

 

 

 まずは()()()()のお披露目から。

 

 

「……んん? なーんかさっきよりもオトコっぽくなったよーな……いやちげーな、さっきの顔がオンナっぽかったのか……?」

 

 

 真っ先に反応を示したのはヒカリだった。()の顔に対する言及にしてもそうなのだが、やっぱりこういう微妙な変化には女子の方が目敏いというか、気が付きやすいものなんだろう。那須さんもそうだったし、紳士はまあ、紳士だし。

 

 

「あー? どこが変わったってんだ?」

 

 

 それに比べて、この人(カゲさん)の関心の無さと来たらどうか。本当に僕の顔を見てくれているんだろうかこの人は? 外見じゃなくて()()()()で他人を認識しているんじゃないかと思ってしまうぞ、ここまで来ると。

 

 

「いいですか、今の僕の顔をよーく目に焼き付けておいてください」

「手品でもおっ始めてえのか? 他所でやれ他所で」

「言い得て妙ですね。そう、人体消失マジックです。今から一瞬にして()()()()()()

「だーから、そういうのは他所でやれっつって――」

「いきます」

 

 

 カゲさんの言を遮って、再び懐からトリガーを取り出し、意識を集中させる。

 星の瞬く狭間の闇よ、暗黒のパワーを我に齎せ――

 

 

 

「――(陽花)から(葉月)へ、(葉月)から(陽花)へぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 

 ご唱和ください、我の名を。

 今の()ってどう呼ばれるのが正解なのか、正直まだ僕にもわかんないんですけどね。

 

 

「――うお、やっぱりキレーになってやがる!」

 

 

 再度トリオン体へと換装した()の顔を見て、ヒカリが驚嘆の声を上げる。女性の視点を持ちつつ反応(リアクション)がオーバーだから話を進める上で助かるな、君は。

 

 

「そうかァ? 単に生身とトリオン体の違いじゃねーのか」

「いやいや、カゲはもっとちゃんと()()()()()()()()って……葉月くん、これどういうこと?」

 

 

 それに比べて……まあいい、ゾエさんからツッコミも入ったし僕はもうとやかく言うまい。

 

 

「まあ、話せば長くなるんですけどね――」

 

 

 そう前置きを入れてから、僕はお医者様や風間さんにしたのと同じように、()の身体についてざっくりと説明をした。

 マジかスゲーと素直な驚きを露にしたのがヒカリ、そんなことある? と常識的な反応を示したのがゾエさん、相も変わらず興味なさげにぼりぼりと頭を掻いていたのがカゲさんだ。マジでどういう話題だったら食いつくんだろうかこの人は。

 

 

「おいおいやべーな! リアル風巻祭里じゃねーか! それともアレか? 乱堂政?」

「ごめん、祭里くんの方はわかるけど乱堂なんとかさんの方は知らない」

「聞いたかよカゲ、ハヅキのやつプリフェ知らねーってよ。こいつモグリだぜモグリ」

「むしろてめーはなんで全巻持ってんだよ。俺らが赤ん坊(ガキ)だった頃の漫画だろアレ」

「漫画の話ですか」

「お? 興味湧いたか? そこにあるから持ってけ持ってけ、43話が特にオススメだぞアタシは」

 

 

 例の戦時中本棚を指差すヒカリ。ほほう、僕をモグリ呼ばわりするだけあってこれは掘り出し物が眠っていそうな予感……いずれじっくり堪能させてもらおう。じゅるり。

 

 

『呼ばわりっていうか、こんな感じで借りた本しか読んだことないんだから実際モグリだよねお兄ちゃんって』

 

 

 言うな。だから度々言い訳のように『詳しくないけど』って予防線を張っているんだ。

 それよりも――理解ってるな? ()()()()()()()()()()()()()()。僕の副作用(サイドエフェクト)の話と、そしてその後は――

 

 

『……お、おう……』

 

 

 ……なんかさっきから変だぞおまえ、オットセイかDiggy-MO'みたいにおうおう鳴いてばっかりで。警戒心持ったままじゃ触れないだろ? Too much 制限されまくりのDay timeなんて早く忘れないと You can't touch us...

 

 

『いやああああ頭の中でリズム感0のド下手糞ラップ垂れ流すのやめてええええええええ!!』

 

 

 おのれ。普段ヒップホップなんか聞かない僕が陽介に合わせて必死こいて覚えた渾身のBro.HIパートを愚弄しやがって。

 ていうか、マジな話どうしちゃったのよ。昨日も散々言ってたじゃんか、()()()()()って。今がそのタイミングだと思ったワケよ。僕とおまえが本気で身体を共有するっていうんなら、おまえが表に出てくる時間も確かに必要なんじゃないかって――

 ……その、昨日一日を振り返ってみてだね? それなりに思うところがあったワケだよ、僕も。

 

 

『そういう大事なことはもっと早く話してほしかったんだけど!?』

 

 

 いや、おまえが寝てる間にあれこれ考えて辿り着いた結論だったんだけど、今日は朝からランク戦で忙しかったし……。

 

 

『ああもう、その他人に気遣えるようで遣い切れてないの最高にお兄ちゃんって感じ……! とにかくね? 今はなんていうか、タイミングが悪い。私を引っ張り出したいんなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――は? カゲさん?

 何故ここでカゲさんが出てくるのかさっぱり理解らないのだが、言われるがままについつい彼の方を()てしまう。うん、相も変わらず感情がローギア入りっぱなしですね。倦怠期……っていうとなんか違った意味になってしまうが、この人のテンションがハイになる時っていうのは一体どんな時なんだろうなあ。

 

 

『――あ、このバカ! 私と喋ってるときにあの人の方を()たりしたら――』

「……あァ?」

 

 

 と、退屈そうに長椅子の方を眺めていたカゲさんの眉がぴくりと動き、その視線が僕へと向けられる。うーん、今日も猫目が麗しい。前にも言ったが僕はカゲさんみたいな顔の男になりたかったのだ。いや、別に陽花(おまえ)の顔にケチ付けてるワケじゃないぞ。あくまで願望だよ、願望。

 

 

『いいから! 理解ったから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

 

 ……は? そりゃ一体どういう――

 

 

 

「葉月」

 

 

 

 一瞬、それが自分を呼んでいるのだと気付くことが出来なかった。

 思えば、彼に名前を呼ばれるのは、これが初めてのことだった。

 

 

「――()()()()()()?」

 

 

 その上で、カゲさんは僕を鋭く睨み、色濃い『警戒』をその内面に抱いていた。()()()()()()()に向けて。

 ……え、もしかして――

 

 

 

 ――()えるのか? ()()()()()のか? あなたも――

 

 

 

 何かを言おうとして、僕が口を開くよりも早く。

 

 

 

『「――緊急脱出(ベイルアウト)」』

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「――え、な、ちょおおおおおおおお!?」

 

 

 あ、口の操作権(コントロール)だけ返ってきた――じゃない! なんだこれ!? 僕の意思とは無関係に部屋から出ようとしやがって――おい、明らかにおまえの仕業だろ陽花!! 陽花さん!? 返事しろやこのマイシスター!! もしもぉぉぉぉぉし!!

 

 

「ハヅキ!? おいコラ何やってやがるハヅキ!!」

「僕じゃない! 陽花が、僕の妹が勝手に――!」

「バカヤロー、厨二病(そういうの)は去年のうちに卒業しろ! アタシら今年から高校生なんだぞ!?」

「右手がどうとかそういう話じゃなくてガチなんですけどぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 

 バカ! ヒカリのバカ! 学力レベル陽介――ごめん言い過ぎた。いくら何でも言っていいことと悪いことがあった。仮にも出来る女を自称する君がそんなに勉強できないわけが――ってんなこと考えてる場合じゃねえ。そうこうしている間に僕の身体が入口のロックを解除して外に跳び出そうとしている。止める手立ては僕にはない。ならばせめて、動かせる部位で出来ることだけでもやっておかなければ――

 

 

「すいません! 急用を思い出したんでちょっと行ってきます! あの、後で必ず帰ってきますから心配しないで下さい! マジで!!」

「はあ!? 行ってきますってどこにだよ! ほーれんそーはきちっとしろ!!」

「あーアレだ、そう、風間隊の作戦室! あと那須さん(同期の女の子)探したり陽介(友達)んとこ行ったりとか色々――とにかくそういうワケなんで! さらば!!

 

 

 言うだけ言ったところでちょうど扉が開き、そのまま勢い良く廊下を駆け出していく身体。

 よし。嘘は吐いていない。少し予定が早まっただけだ。もうちょっと部屋でみんなとお喋りしてチームメイト気分を堪能してから出かけたかったのが仕方がない。かのアンドリュー・フォーク氏もこう言っていた。不測の事態には高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応せよ、と。

 

 

さらばじゃねぇー! いいか!? 夕方までには帰ってこいよ!! おまえが(チーム)に入ったら絶対連れてくって()()()()()()()()()()()()()――」

 

 

 作戦室の中からヒカリの怒鳴り声が廊下に響き渡るも、話の途中で扉が閉まってしまった。まあ最低限の命令(オーダー)だけは聞き取れたから良しとしよう。

 どこに連れていかれるのかは知らないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 北添尋は困惑していた。なんだかゾエさん葉月くん絡みだと流れにおいてかれてばっかりだなあとか思いつつ、突如作戦室を出ていった新たなチームメイトの背中を見送っていた。

 心配するなと言われても残された側としては気がかりで仕方がないのだが、事ここに至っては彼――まあ彼だろう。彼の言を信じるしかない。それに、今の北添には大庭葉月よりも気にかかっている存在がいたのだ。

 

 

「……かざまたいの作戦室だあ? なんであいつがそんなとこに用事あんだよ? ワケわかんねー」

 

 

 自分と同じく見るからに混乱の渦中にいる仁礼光が、閉まり切った作戦室の扉から視線を切ってそう零す。あ、ヒカリちゃんはそっちが気になるのねと北添は内心で突っ込みつつ。

 

 

「まあ、そっちの方は別にいいんじゃない? ゾエさん達が知らない間になんかあったんでしょ。それより、葉月くんなんかヘンなこと言ってたよねえ。僕の妹が勝手に、とかなんとか」

「あんなのハヅキのよくわかんねーギャグじゃねーの? ほら、前にやってた『僕はナマコだ……ぬるぬる……ぬるぬる……』みてーなやつ」

 

 

 物真似のつもりなのか奇妙に身体をくねらせながらそんなことを言う光。とりあえず葉月くんはそんな動きまでは入れてなかったと思うよヒカリちゃん。

 

 

「……冗談だったらいいけどな」

 

 

 思いもよらぬ方向から思いもよらぬ発言が飛び出して、北添と光が同時に視線を彼へと向ける。

 影浦雅人が、険しい表情で大庭葉月の消えていった扉を見据えていた。

 

 

「……なんか()()()()()? カゲ」

 

 

 そう、北添の気がかりは大庭葉月ではなく、影浦雅人の方にこそあった。仮にも8度殴り合った間柄、副作用(サイドエフェクト)など持っていなくても、雰囲気の変化を察するくらいのことは出来る。そして、先刻の影浦は明らかに、大庭葉月から()()を感じ取っていた。その何かの正体までは、流石に理解が及ばないけれど。

 影浦は作戦室の壁に背中を預けると、口を覆っていたマスクを顎へと下ろし、ふー……と溜息を吐いて。

 

 

()()()な」

 

 

 と言った。

 影浦雅人の副作用(サイドエフェクト)、感情受信体質。自身に向けられている他人の意識や感情が()()()()()、というもの。北添も光も、彼の持つ超感覚には全幅の信頼を寄せていた。その彼が断言したのだ、大庭葉月から二人分の感情を捉えた、と。それは即ち――

 

 

「……てことはアレか? ()()()()()()()()っつーの、ジョーダンじゃなくてガチだったのか?」

「知るか」

 

 

 すっかり癖になったがしがしと頭を掻く仕草の後、作戦室奥の長椅子にどかっと座り込む影浦。どうやらいつもの昼寝モードに突入するつもりのようだが、どうにも光への反応が淡泊なのが気になった。傍から見たら普段と大差ないように思えるのかもしれないが、何となく北添の目にはそう映ったのである。()は付かないにしろ、北添なりの感覚で。

 

 

「……カゲ、なんかご機嫌ナナメ? ひょっとして、あんまり良くない()()()()した?」

 

 

 影浦の副作用(サイドエフェクト)は、負の感情ほど不快に感じるという性質を持っている。今の影浦が苛立っているように見えるのは、大庭葉月の妹とやらが、影浦に対して()()()()()()を向けてしまったからではないのか――というのが、北添の危惧するところであった。

 

 

「……別にそういうワケじゃねーけどよ。ただ、なんつーか――」

 

 

 影浦は長椅子に腰掛けたまま、背もたれに後頭部を乗せ天を仰ぐと。

 

 

 

「――兄貴の方とは別の意味で、()()()()()()()だってことだけは理解った」

 

 

 

 そう言って、瞼を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

「ぜー……ぜー……ぜー……」

 

 

 何処とも知れぬ本部基地の一角。ようやく止まってくれた身体を落ち着かせるように、膝に手を突いて呼吸を整える。

 疲れた。肉体的にではない。トリオン体はどれだけ走っても疲れることはない。息が乱れているのは精神的に疲弊したからだ。いや本当に、自分の身体が意思とは無関係に動き出すってとんでもない恐怖だからね。

 ――おい、そこんとこ理解ってんですか陽花さん?

 

 

『……()()()()だし』

 

 

 ……まあ、それはその通り。だからこそあの場を借りておまえを紹介しようとしたワケだし。

 それなのに、なんで逃げたのよおまえ。責めてるんじゃないぞ、真面目に理由がわからないから訊いてるんだ。

 

 

『「……お兄ちゃん、まだ気付いてないの? それとも、()()()()()()()()()()()()()()()」』

 

 

 ()()()()()、呆れたように肩を竦める()の身体。

 ……って、また主導権(コントロール)奪い返しやがったなおい。代わるならせめて前もって一言入れてくれ。心臓に悪い。

 

 

『私、心臓とか無いからその感覚わかんない』

 

 

 そういう反応に困るブラックジョークやめてくれません?

 とにかく、僕がカゲさんの何に気付いてないっていうのよマイシスター。

 

 

 

『――あの人たぶん、()()()()()()()だよ。他人の感情を捉えられる』

 

 

 

 ……そうか。

 もしかしたらとは思っていたけれど、やっぱりそうだったのか。

 

 

 

「でもおまえ、カゲのこと、見ただろ? ()()()()()()()()()()。よかったなーおまえ、助けに来てくれたのがウチのカゲで。ほかのヤツならアウトだったんだぞー?」

「……()()()()()()()()()()()()()()()にも、心当たりがあるからな」

 

 

 

 少しも考えていなかった訳じゃない。単に確証が無かっただけだ。それこそ僕の副作用(サイドエフェクト)の話をした後にでも、『同じタイプの副作用(サイドエフェクト)ッ!!』みたいなノリで打ち明けてもらえるものだと思っていた。

 ――そうだ。仮にカゲさんが僕らと同じ副作用(サイドエフェクト)を持っていたとして、それがどうして逃げる理由になる? ()()()()()()()? 同じ副作用(サイドエフェクト)を持っているからこそ、僕らの間でしか出来ない話が出来るというか、より深く理解り合えるというか――何にしても、カゲさんを避ける理由にはならない筈だ。

 

 

『……まあ、お兄ちゃんは別に平気なんだろうけどね。すっかりあの人の()()になってるから』

 

 

 信者……いや、そういう気持ちが微塵もないって言ったら嘘になるけども。あの人が僕らと同じように他人の思考を読み取れるのであれば、過度の期待とか敬愛だとか、そういう()()()()()()は極力抱かないように努力するつもり――

 

 

 

『「――()()()()()()()()()」』

 

 

 

 またしても口が勝手に動く。一言入れろと言った傍から――と突っ込みたい気持ちを抑えつつ、陽花の好きにさせることにした。

 こいつは今、僕の前では決して口にしないような本心を、初めて露にしようとしている。そう思ったのだ。

 

 

 

『「私の心の中なんか、()()()()()()()()()()()()――だって、私は、私は――」』

 

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、僕の脳裏に蘇る記憶があった。

 すっかり僕の中で過去の存在になっていた、『白屋敷』の元(あるじ)。僕に『魂』の話をしてくれた、特徴的な髪型の女性。

 ROOM303(303号室)へと足を踏み入れる直前、彼女は()()()()()()()()を、こんな風に言い表していた。

 

 

 

()()()()()を連れているわね、あなた」

 

 

「羨望、嫉妬、嘲笑、侮蔑――ドロドロとしたもので溢れて、()()()()()()()()()()()()()――」

 

 

 

 過去の話だと思っていた。終わった話だと思っていた。あのROOM303の試験に()()()した時、陽花の中にあるそういう感情も綺麗さっぱり取り除かれたものだと思っていたのだ。けれど――

 

 

 

『「……そんな簡単に、捨てられるわけないじゃん。自分の中の()()()()()()なんて」』

 

 

 ()の身体でそう吐き捨てる、陽花の心が僕には()えない。

 世界中のあらゆる人間の心を()ることが出来ても、こいつが抱えている感情の正体だけは、僕は一生覗き込むことが出来ないのだ。

 それでも、この瞬間、僕は何かを言わなければいけなかった。何かを口にするべきだと思った。

 たとえ片方が、副作用(サイドエフェクト)に頼らなければ他人の気持ちが理解できない人でなしだとしても。

 たとえ片方が、生身の身体を持たない内臓であったとしても。

 

 

 

 僕はこいつの兄で、こいつは僕の妹なのだ。

 

 

 

「ねえ、そこの人」

 

 

 ――故に、次にその場を揺らす声は、僕の喉から発せられるべきだったのだけれど。

 その前に、視界の端に映る第三者の存在があった。

 

 

「ウチの作戦室の前でワケわかんない独り言ぶつぶつ垂れ流すの、止めてほしいんだけど。()()()なんだよね、はっきり言って」

 

 

 声のする方に視線を向けると、およそ右斜め3mほど先、扉の開け放たれた作戦室から半歩ほど廊下に出て、一人の少年隊員がこちらを気怠そうに眺めていた。

 僕が言えた口ではないのだが、パッと見では女の子のようにも見える、耳元を覆うように肩まで伸びた茶色の髪。あ、この子も猫目っぽいな。カゲさんに比べると大分ぱっちりしてるけど。身長も割と小柄な感じだ。風間さんよりは大きいけど

 

 

『……()()()までは運んでおいたから、後はテキトーにやって。私は寝る』

 

 

 ――は? いや待ておい、寝るっておまえまだ昼前だぞ! それにまだ話終わって――陽花さん? 陽花さーん! もしもぉーし!

 返事の代わりに、再び体の主導権(コントロール)が僕へと返ってくる。突然のことに思わず膝から崩れ落ちるところだったが、寸でのところで踏み止まった。……あんにゃろ、だから一言言えっちゅうに。

 仕方がない、切り替えていけ大庭葉月。どうも一朝一夕で解決できる問題ではなさそうだ。まずは目の前の現実を一つずつ、一つずつ片付けていこう。

 

 

「……なに、大丈夫? 具合悪いんだったら医務室行った方がいいんじゃない。訓練生だから場所知らないのかな」

 

 

 そんな僕を相も変わらず、無感動な目で見据える長髪の少年。その表情と声色だけで判断すると冷淡にも思える反応なのだが、よく()るとうっすらと『心配』の念が浮かんでいる。言葉の中身もつっけんどんながら僕の体調を気遣うものだし、誤解されやすいタイプっぽいけど根は良い子なんだろうな、多分。

 

 

「――ああ、いや、お気になさらず。騒がしくして申し訳ない」

 

 

 とりあえず姿勢を整えてから謝罪の言葉を述べてみて、思った。よく僕らの喋りが聴こえたな、と。この子が顔を出すまでは普通に、そこの扉は閉め切ってあったと思うのだが――僕らが騒がしかったというより、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ……いやいや、叱られている身で被害者根性は良くないぞ僕。それよりまずは確認だ。陽花は言った、目的地までは運んでおいた、と。そして僕は昨日のうちに、風間さんから作戦室の場所を教えられている。僕の漫画知識なんかを()()ように、陽花が昨日の記憶を読んだ上でここへと足を運んだのであれば――

 

 

「あの――ここって、風間隊の作戦室で合ってるかな」

「……そうだけど、何? 風間さんに何か用でもあるの」

 

 

 ビンゴ。なるほど、ノープランでガンダッシュしてた訳じゃなかったのか。何処目指してるのか考えるほどの余裕がなくて気付かなかった。

 ということはこの子、風間隊の一員なのか。即ちA級隊員、立場で言えばカゲさん達よりも上に当たる訳だ。見た感じ僕よりも年下っぽいのに、大したものだなあ。

 

 

「その、知り合いの技術者(エンジニア)さんを紹介してもらえることになってて、正隊員に昇格したら作戦室に来いって言われてたんだ」

 

 

 多少は話の裏付けになるかと思い、左手の甲(個人ポイント)をチラ見せしつつ説明する。怪しい者ではございません、こう見えて私、B級6位でございます。

 が、何故だか僕の話を聞いた途端、少年がかえって不信感を募らせるのが()えてしまった。な、何故だ。僕の主張(アピール)が裏目に出たのか? いや、不信感というかこれは――

 

 

「……風間さんが訓練生に、技術者(エンジニア)の紹介? あの人、誰彼構わずそんな世話焼くようなタイプじゃない筈だけど」

 

 

 さらりと自身の隊長をディスっていく長髪の少年。まあ、言ってることには同意するけれども。

 それよりも――この子が抱いているのは『不満』か。どうも僕が風間さんに目を掛けられているのが気に食わないといった御様子。

 ……なるほど、そういうタイプね。隊に勧誘(スカウト)されたことまでは言わなくて正解だったな。新たな火種が生まれるところだった。せっかく晴れて正隊員に昇格出来たのだから、可能な限り()()とは上手くやっていきたいもんな。

 まあ、根が悪い子ではないのはさっきの気遣いで理解できている。地雷さえ踏まなければ上手いことやっていけるだろう。それが一番ヘタクソなんだけど、僕という生き物は。

 

 

「えっと、風間さんて今お留守なのかな? もしそうだったら、日を改めてもいいんだけど――」

「……いいよ、あがれば。ウチ、()()()()が二人いるから。風間さんが帰ってくるまで、あなたの相手はその二人に任せるんで」

 

 

 それだけ言って、すたすたと作戦室の中へと戻っていく長髪の少年。

 おお、なんと不器用な親切っぷりよ……! なんだか一周回って愛らしくなってきたぞ。噛めば噛むほど味が出るとはこのことだな。そう、僕の副作用(サイドエフェクト)っていうのは、()()()()()()()を相手にしてこそ真価を発揮するはずだ。どうやら部屋へと戻ったら僕と話す気は一切ないと()えるが、機会があったらちょくちょく絡んでいこう。うふふふふ。

 

 

「それじゃ、お言葉に甘えてお邪魔します。――やっぱり良い子だね、君は」

「……いや、会ったばっかりで『やっぱり』とか言われても、意味わかんないんだけど。距離感の詰め方おかしいんじゃないの」

 

 

 ぐっ……! しかしその正論は流石に胸に刺さるっ……!

 ずきずきと痛む胸を抑えつつ、少年の背中に続いてお邪魔します。

 ……おお、流石はA級の作戦室、ウチの作戦室よりも若干広く感じる。入ってすぐのスペースがまず広い。ウチは半分ヒカリ空間で埋まっちゃってるからなあ。ああ、影浦隊の作戦室を『ウチ』呼ばわりできるこの快感……! 理解る人だけに伝わってほしいこの感動。皆も影浦隊、入ろう!(ダイレクトマーケティング)

 などと、初めて上京したおのぼりさんの如く周囲をきょろきょろと見回していたところで。

 

 

 

「――あれ、もしかしてお客さん? いきなり廊下に出て行くから何かと思ったよきくっちー」

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()

 最後に会ったのは去年の夏休み、陽介の家へと遊びに行ったときのことだっただろうか? それ以前にもあいつの家でちょくちょく顔を合わせる機会があったのだが、ボーダーに所属していたというのは知らなかったな。それもまさかのA級隊員だったとは、よもやよもやだ。

 

 

 

「……おや? そっちの子は――ん、んんー? なんか前よりカワイクなったような気がするけど、その()()()()()()()()()()()はもしかして――」

 

 

 と、部屋の奥から出てきた彼女も、僕の存在に気付いたようだ。相変わらずのメガネ馬鹿(フェチ)だな。そのうち風間さんやこの長髪の子も、彼女の毒牙に掛かる日が来るんじゃないかとか思いつつ――

 

 

 

「――そう言うあなたはお変わりなさそうで、栞さん」

「わー! やっぱり葉月くんだー! お変わりなくてごめんねぇー!!」

 

 

 

 米屋陽介(親友)のいとこにして、A()()()()()()()()()()()()

 宇佐美栞と大庭葉月、久方ぶりの再会であった。

 

 




本編の過去だからこそ書ける要素は積極的に拾っていきたい所存

今回トリオン体と生身の違いっていうのを改めて意識させられた回だったんですが、
書いてる途中で気付いてはいけないことに気が付いてしまいました。

第一話のカゲが戦闘体でマスクしてやがる。

……防衛任務の時は戦闘体でもマスクしてるんや……戦闘体で眼鏡掛けてる隊員が沢山おるんやからマスクしてる隊員がいたってええやないか……そういうことにしといてや……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『壁に耳あり』

二宮「ヴィザ翁を指名します」




 

 

「はい、いいとこのどら焼きだよ~」

「お茶どうぞ」

「おお……ありがたや……ありがたや……」

「大袈裟」

 

 

 いや、思わぬおもてなしを受けてしまったものだからちょっと感動してしまって……。

 長髪の少年の厚意に甘えて踏み込んだ、風間隊の作戦室。入口傍のテーブル席に腰掛け、真心の籠もった歓待を受けている僕である。

 ちなみにお茶を入れてくれたのは長髪の子ではない。栞さんからうってぃーと呼ばれている別の隊員の子だ。明るい髪の短髪の少年で、突然押し掛けた僕にさらっとお茶を振る舞ってくれたことからも理解るように、自然な気遣いが出来るイケ魂の持ち主である。おそらく二年くらい経ったらいい感じの好青年へと成長していることだろう。バレンタインに熱烈なファンから大量のチョコが贈られてくるような、なんというか一部の人に強烈に刺さる感じの。

 

 

「あ、そうだ。おやつ食べるときは換装解いた方がいいかも」

 

 

 と、ここで栞さんから思わぬ一声が。

 

 

「トリオン体って消化はいいんだけど、ものを食べてもいまいちお腹が膨れないっていうか、満腹感が刺激されない仕組みになってるのね。勿論限りはあるから、たくさん食べれば満足できなくもないけど――」

 

 

 そこで栞さん、眼鏡の縁に指を添えてキリッと一言。

 

 

「――太るぜ?」

「決め顔のタイミングおかしいよね」

「何をおっしゃるきくっちー! 女子としてこれは大事なことなのだよ! 前に一回トリオン体でうっかり食べ過ぎたときとか、元の体重に戻すの結構苦労したんだからね?」

「元の体重知らないけどまだ戻しきれてないんじゃないの」

「ほほーう? そんな憎まれ口を叩くのはこの口か? この口か?」

「いだだだだ」

 

 

 栞さん、きくっちー君へと怒りのヘッドロックを敢行。まあ『怒りの』っていうほど怒ってないみたいだけども。この感情は――なんだろうな? 許しというか包容力というか、『しょうがない子だなあ』みたいな一言で、全てを笑って受け止めてくれそうな大らかさというか――とにかく、そういう感情(もの)で出来ているのだ。宇佐美栞という人は。

 それにしても――換装を解く、か。陽花(あいつ)、寝るとか言っていたけど変な影響出たりしないかな?

 まあ、何かあったらイコさんに首ちょんぱされた時みたくまた出てくるだろう。というワケで、

 

 

「それじゃあ、ご忠告に従いまして――トリガー解除(オフ)

「「……!?」」

「――ん? んんん……?」

「いただきます」

 

 

 シュウン……とボーダー隊服を取っ払っていつもの早着替え。そしてまずはお茶を一口。

 ああ……熱過ぎずぬる過ぎず、程良い温かさが喉を潤してくれる……結構なお点前で……これは何か違うか。

 

 

「いやー美味しい。うってぃー君、プロの技だねこれは」

「歌川です……ではなく! その、オレの目がおかしくなっていなければいいんですが――あー、どう訊ねたらいいものか……」

「……え、なに? トリオン体で顔弄ってたの? しかも女っぽく? 変態じゃん」

「ウゴハァ!!」

「こらー! きくっちー!!」

「あいたたたいやこれいつもと違う本当に痛いんだけどこれ」

「当たり前でしょー!? いまのはダメ! 毒舌で済まされるライン普通に越えてるからね! ほら、葉月くんにごめんなさいして!」

「い……いやいいんだ栞さん、いつかは誰かにそう言われるんじゃないかと思っていたから……」

 

 

 むしろ正面からバッサリ斬ってくれて清々しいくらいだ。おかげで致命傷で済んだ。

 とりあえずこの傷を癒すためにもう一杯お茶をいただこう……ああ、美味え……美味えようってぃー君……喉だけじゃなくて心にまで染み渡るよ……。

 

 

「だから葉月()()なんて呼ばれてたんだ。うさみ先輩メガネ買い換えた方がいいんじゃないって思痛い痛いぼく今生身なんですけど」

「その調子で人の心の痛みもわかるようになろうねえ……! それと! アタシの目が曇ることがあってもアタシのメガネが曇ることはない!」

「宇佐美先輩、意味がよく理解らないです……」

「うってぃーもメガネを掛ければわかるようになるよ?」

「この人ただメガネ人口増やしたいだけだこれ」

 

 

 きくっちー君、多分それ正解。

 とりあえず、「それ以上いけない」と真顔で制止したら「あーいかんなあ……こんな……いかんいかん」と栞さんも正気を取り戻してくれたので一安心。危うく僕らの顔のせいで死人が出るとこだったぜ。栞さん、自分のことなら笑って受け流せるのに他人のこととなると沸点低いのだなあ。普通は逆なんじゃないだろうか?

 

 

「――何にしても、説明不足で申し訳ない。改めまして風間隊の皆さん、大庭葉月です。男です」

「……あー、うん、こっちがアタシの知ってる葉月くんだなあやっぱり。久しぶりに会ったから、ちょっとイメチェンというか自分を変えてみたのかなと……」

「まあ、確かに()()()()けどね、色々――とりあえず皆さん、実はかくかくしかじか」

「まるまるうまうま」

「え、何その返し」

 

 

 風間さんやカゲさん達にしたのと同じように、僕らの身体的事情についてざっくり。仮に僕の人生を俯瞰で追いかけている人がいたりしたらまたこの流れかよって思ってしまうかもしれないが、正直誰よりも僕が一番そう思っている。

 

 

「……というワケで、さくっとボーダー全体に僕の事情を認知させる方法って何かないのかな」

 

 

 説明のついでに、ついついそんなことを相談してしまう僕であった。我ながら無茶振りにも程があるのだが、栞さんはうーんと軽く唸った後、「そういうのは根付さんの仕事かなあ」と返した。

 

 

「根付さん?」

「そう、根付栄蔵さん。メディア対策室――要するに広報のお仕事だね。その中で一番エラい人。基本的には()向きのお仕事を請け負ってる人だけど、ボーダー内へのあれこれの告知なんかも根付さんが仕切ってた筈だから、相談してみたら上手いこと対応してもらえるかも」

「僕なんかがそんな気軽に会いに行ける立場の人なのかな」

「大丈夫じゃない? 訓練生ならまだしも、葉月くんもう正隊員なんだし――ていうかそっかあ、葉月くん正隊員なのかあ……昨日入隊したばっかりでしょ? それでもう昇格って結構すごいよ」

「は……ははは、それはまあ、初期ポイントをそこそこ盛ってもらったおかげというか……」

 

 

 明後日の方向を見ながら乾いた笑いを浮かべる僕。栞さん、僕が昇格のために選んだ手段(弧月狩り)を知ったらきっとそんな純粋に褒め称えることは出来ないと思うよ。

 が、僕の誤魔化し方はそれはそれで別の子の興味を引いてしまったようで、「ふーん。幾つだったの、初期ポイント」とジト目で訊ねてくるきくっちー君。作戦室に入ってからは無視されるものかと思っていたが結構会話に入ってくるなこの子。おかげでうってぃー君が空気なんだが?

 

 

「えーと、2500ポイント」

「……なんだ、ホントにそこそこじゃん。ちなみにぼくは2800ポイント貰ってたんで」

「張り合うなよ……」←2950ポイント

「もー、この子はすっかり謙虚って言葉を忘れちゃってー……風間隊(ウチ)に入る前は割と自信なさげな素振りしてたのに、結果を出したら人っていうのは変わるものなんだねえ」

「ほう、きくっちー君にもそんな可愛げのある時期が」

「……うさみ先輩、余計なこと言わなくていいから。それと、あなたにその呼び方許した覚えないんで。菊地原です、菊地原士郎」

 

 

 あ、てことは栞さんにならそう呼ばれても全然問題ないんだねとか言ったらいよいよ相手にして貰えなくなりそうなのでじっと我慢の大庭葉月である。

 でもそれはそれとして呼び方は変えないぞという鉄の誓いを脳内で立てていたところ、栞さんの口から思わぬ新情報が。

 

 

「いやホントにね? アタシ覚えてるもん、きくっちーが風間さんに声掛けられたとき、『()()()()()()()()()()()なんか地味で大したことない、役に立たないよ』ってぼやいてたの。それが今じゃあすっかり図太くなっちゃって――まあ、変に卑屈でいるより全然いいとは思ってるけど」

「――副作用(サイドエフェクト)?」

「あ、葉月くん入隊したばっかりで聞いたことないかなこれ」

「いや、知ってる……というか」

 

 

 ()()()()()()()()、ときくっちー君に話を振ろうとしたところで、栞さんの隣に座っていた彼が突如として席を立った。

 ……あ、これはいかんな。ささやかながら『苛立ち』が()える。どうやらきくっちー君にとって昔の自分は掘り起こされたくない過去だった御様子。或いは初対面の僕にそういう弱みというか、繊細な部分を知られたくなかったのか――細かい理由までは理解らないが、まさかの栞さんが踏んでしまったようだ。彼の地雷を。

 

 

「……卑屈になるなっていったり調子に乗るなっていったり、めんどくさすぎでしょ。そういうはっきりしないのが一番イラっとくるよね」

「や、その振れ幅が極端すぎるという話をだね――あ、あれ? きくっちーどこ行くの?」

「どこだっていいでしょ。……飲み物買ってきます」

 

 

 如何にも拗ねてます的な返しにバツが悪くなったのか、結局行き先を告げているきくっちー君。そのまますたすたと作戦室の入口へと向かっていき、扉を開けて廊下へと出て行ってしまった。

 うーん、なんていうか……()()()()()()。こういう反応といい、口の悪さといい、根っこの部分に自信の無さがあったりするところといい、どことなく。

 

 

 

 ――なあ、聞いてるか? ()()()()()()()

 

 

 

「あちゃー、怒らせちゃったかあ……ちょっと説教臭かったかなアタシ」

「まあ、きくっちー君の言い分も理解できなくもないな、僕は」

「うっ……やっぱり言い過ぎた?」

「いや、言ってること自体は栞さんが全面的に正しかったと思うよ。何事も極端すぎるのは宜しくない。ただ、なんていうか――」

 

 

 続きを言おうとして、不意に喉が渇いたのでお茶をもう一口。

 しょうもないことばっかり考えてると、乾くよね、色々と。

 

 

「――『普通でいろ』っていうのは、人によっては一番難しい注文だったりするからね」

 

 

 副作用持ち(僕ら)みたいなのは、特に。

 どうでもいいけど未だにどら焼きに手を付けられていない。そろそろ食べようかなと手を伸ばしかけたところで、うってぃー君が口を開いた。

 

 

「『強化聴覚』っていうんですよ、あいつの副作用(サイドエフェクト)

「ほう、わかりやすい」

 

 

 なるほど、道理で僕らの()()()()()が聞こえた訳だ。しかし、壁の向こうの会話まで聞こえてしまうとなると日常生活も一苦労だろうな。それこそ僕らのお喋りのように、聞きたくもない会話が勝手に飛び込んできたりなんてのは日常茶飯事なんじゃないだろうか? なんともストレスが溜まりそうな副作用(サイドエフェクト)だ。

 そんな僕の想像を裏付けるように、うってぃー君が続ける。

 

 

副作用(サイドエフェクト)っていうのは人によってまちまちで、ボーダーの中にはそれこそ()()()()()()()を持ってる人もいたりするんですが、菊地原の副作用(サイドエフェクト)はそういうランクの高いものと比べて下に見られがちで――おまけにそういう陰口までも、あいつには聞こえてしまっていたみたいで」

「ああ……」

 

 

 それが栞さんの言う、自分に自信が無かった頃のきくっちー君へと繋がるのか。耳が良い、言うほど悪い副作用(サイドエフェクト)だとは思わないけどな。

 人の気持ちが理解るなんていう、()()()()()()()()()()()()()()()()に比べれば。

 ……これは流石に、人間という種に夢を見過ぎているだろうか? そんなことを思いながらどら焼きを一齧り。うん、ふんわりやわらかで大変よろしい。流石はいいとこのどら焼きだ。いい生地と餡を使っていらっしゃる――

 

 

――でもでも葉月くん! きくっちーの副作用(サイドエフェクト)って、ホントはとーっても凄いんだよ! 風間隊(ウチ)がA級に上がれたのも、きくっちーの耳のおかげって言っても過言じゃないんだから!」

「お、おお!?」

 

 

 唐突に向かいの席から身を乗り出して、鼻息も荒く全力で訴え出す栞さん。な、なんだなんだ。急にそんな興奮して一体どうしたっていうんだ。どら焼きに気を取られて視逃していたようだが、彼女は今、全力で僕に『理解』を求めている。『共感』を求めている。この熱量は彼女のどこから生み出されているものなんだろうか?

 

 

「あのね、風間隊(ウチ)がランク戦に参加するちょっと前にね、『カメレオン』っていう新しいトリガーが開発されたのね」

「お、おう」

「効果はその名の通りの『保護色(カメレオン)』! 透明になって姿が見えなくなる隠密(ステルス)トリガー! レーダーには映っちゃうし消えてる間は他のトリガーを使えなかったりするんだけど、それでも奇襲には抜群の効果を発揮するスグレモノ! ――ってワケで、前期のランク戦では色んな(チーム)がこのトリガーに飛びついたのです」

「お、おう……」

そこで猛威を振るったのがきくっちーの副作用(サイドエフェクト) 見えない相手もきくっちーの耳にかかれば足音物音逃さずキャッチで一目瞭然、いや()()()()! おまけにきくっちーの副作用(サイドエフェクト)は「耳」っていうのがいいところでね、聴覚情報は通信に乗せやすいし解析もラクだしなにより視覚の処理能力(リソース)を食わないとこが――」

「あっ……おう……あっおう……あっ、おう……あっあっあっおう……」

「宇佐美先輩、大庭先輩が引いて――いやこの人もなんかおかしいな……?」

 

 

 いかん、陽花に続いて今度は僕がDIGGYと化してしまった。それとうってぃー君、引いている訳じゃない。ちょっと圧倒されてしまっただけだ。だからそう、焦っちゃ駄目。DE-VE-DE-VE-DE, DE-VE-DE-VE-DE.

 一気に喋り過ぎたせいかはあはあと息を荒げている栞さんに、いつの間に淹れたのかうってぃー君がすっとお茶を差し出す。何だこの子気遣いの擬人化か? いつか三門が平和になってボーダーが解体されたりしても執事とかに転職して食べていけそうだな。

 ずず……とお茶を一飲みして、軽く息を吐く栞さん。落ち着きを取り戻されたようで何より。

 

 

「……とにかく、アタシの作ったプログラムできくっちーの聴覚情報を他の二人にも繋げて、(チーム)の全員がきくっちーと同じように細かい音を聞き取れるようにしたのね。その甲斐あって前期ランク戦で風間隊(ウチ)は連戦連勝! 晴れて1シーズンでのA級昇格を成し遂げたというワケなのです」

「おお~……」

 

 

 なんとなく祝福気分になってぱちぱちと手を叩く僕である。祝え! 新たなA級部隊の誕生を!

 確かに栞さんの言う通り、きくっちー君の副作用(サイドエフェクト)が風間隊の躍進に繋がったと言っても過言ではない貢献っぷりだ。個人的にはさらっと聴覚の共有(リンク)とかやってる栞さんも凄いんじゃないのかと思わなくもないのだが、通信に乗せやすいだの解析が楽だの言っているし、本職からしてみれば大した偉業でもないのかもしれない。すごいぜオペレーター。

 

 

「……でも、流石に上位入りしてからは苦労しましたよね。ただでさえ()()()B()()()()()()()()()でしたし、正直よく1位で突破できたなって今でも思います」

「またまたうってぃーは謙遜しちゃってー。きくっちーほど調子に乗れとは言わないけど、新人王獲ったんだからもう少し自信持ってもいいんだよー?」

「新人王?」

「えっとね、新入隊員の中でシーズン中に最も個人(ソロ)ポイントを稼いだ隊員が貰える賞のこと。前期はこのうってぃー君がその栄冠を勝ち取ったのです。どや」

「ほう、そりゃすごい」

「運が良かっただけですよ。風間隊(ウチ)は誰が点獲り役とか決まってないですし、たまたまオレの前に点を取れる機会が多く転がってきただけです。それに、新人王の選出基準はあくまで個人(ソロ)ポイントだけじゃないですか」

 

 

 謙遜しちゃって、と栞さんは言っていた。けれど、うってぃー君の中にそういった卑下の精神は欠片も視当たらない。

 故に、次に彼が口にした言葉は、紛れもない彼の本心であった。

 

 

「――前期における()()()()()()は、菊地原の方だった。少なくとも、オレはそう思ってます」

 

 

 

 ――なんだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、認められているじゃないか、きくっちー君。

 

 

 

 思ったのだ。今のきくっちー君が過剰なほどに己の有用性を主張するようになったのは、自分に自信を持てなかった頃の反動なのではないか、と。

 大したことがない、役に立たない――そう言われていた自分が風間蒼也に見出され、ランク戦を勝ち上がり、A級隊員にまで成り上がった。自尊心が肥大化するのも当然のことだ。だって実際に結果を出しているんだから。

 自分はすごい。自分はこんなにも優れている。きくっちー君の主張もまた、一種の()()()()だ。そうやって強い自分を保ち続けることで、彼もまた戦って(生きて)いるのだ。僕と同じように。

 ……副作用(サイドエフェクト)持ちという、共通点のせいだろうか? やっぱり僕は、彼の在り方を全否定は出来ないなと思う。ただ、他者(ネイバー)に対する行き過ぎた対抗心とか、当たりの強さなんかは要改善とも思うけれど――それに関しては、僕もちょっと前まで似たようなものだったので強くは言えない。

 

 

「それ、本人に直接言ってあげたら喜ぶんじゃないかな」

「いえ……喜ぶだけならいいんですが、あいつの場合は図に乗り過ぎるところがあるので……先日A級昇格祝いに風間隊(ウチ)の皆でファミレス行った時なんかも、宇佐美先輩が『ウチが昇格できたのも菊地原の耳のおかげ』的なことを言ったら、あいつなんて言ったと思いますか? 『まあ100%そうですね』って返したんですよ」

「ぶっ」

 

 

 いかん。あまりにもきくっちー君らしい返しにどら焼きを噴き出しかけてしまった。むせる。

 

 

「あはは、風間さんも一緒にいたのに平気であれを言えるあたりがきくっちーだよねえ」

「笑い事じゃないですよ……宇佐美先輩も言ったじゃないですか、謙虚って言葉を忘れてるって。オレは将来、慢心からあいつが何かやらかしたりしないか心配なんです。ランク戦なり何なりで、()()()()()()()()()()()()()()()とか……」

「うーん、そういう心配もなくはないけど――きくっちーがそんな感じな分、うってぃーがしっかりしてるから大丈夫かな? なーんて」

「まあ、オレも出来る範囲でフォローしたいとは思っていますが……宇佐美先輩も手伝ってくれるんですよね?」

「……んー……」

 

 

 ――と。

 このタイミングで何故か、栞さんの感情に陰りが()えた。表情の方も困り顔というか、やや眉が下がり気味になっている。

 ……どうしたんだろうか? 何とも栞さんらしからぬ反応だ。『もちろん! 二人で力を合わせてきくっちーを支えていこうね!』くらいのことは言いそうなものなのだが――何か、()()()()()()()()でもあるのだろうか?

 当然、そういう変化を気配りの鬼ことうってぃー君が見逃す筈もない。彼の内側に困惑が浮かび上がり、それでも何かを言わんと口を開きかけたとき――

 

 

 

「――待たせたな。所用で席を外していた」

 

 

 

 開け放たれた作戦室の入口より、待ち人来たる。

 風間蒼也、おおよそ半日ぶりの再会である。うむ、今日も凛々しくカッコいい。まったく、誰だこんな男気に溢れた人をちっちゃくて可愛いなどと抜かしたのは。とんだ失礼な奴もいたものだ。

 

 

「いえ、楽しい待ち時間でしたよ。美味しいお茶とどら焼きもいただきましたし――あれ、後ろにいるのは……」

「……どうも。廊下で鉢合わせしたんで、一緒に戻ってきました」

 

 

 きくっちー君であった。ストロー付きの紙コップを片手に、相変わらずの気怠そうな顔で立っている。

 けれども、出て行ったときに抱えていたような苛立ちは()受けられない。いや、むしろ――機嫌が良くなっている? なんだろう、手に持っている飲み物がそんなに美味しかったのか、それとも風間さんに何か褒められでもしたのか――

 

 

 ――いや、そうじゃないな。

 彼のことを褒め倒した人達なら、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「あ、風間さんおかえりなさーい! それにきくっちーも! ……えーっと、さっきはゴメンね?」

「……いえ。それは、もういいです」

 

 

 パッと見は素っ気なく返して、ちゅーちゅーとストローで飲み物を啜るきくっちー君。それでも僕には()えている。彼は今、栞さんを前に若干の()()を抱いている。おそらくうってぃー君を相手にしても、似たような反応を返すことだろう。おそらく二人は察していない。ほんの少しだけ、突っついて弄り倒したいという気持ちもなくはないのだが――

 

 

 ――ま、言わぬが花ってやつだな、これは。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「愛されてるよね、きくっちー君」

「……はあ?」

 

 

 

 でも我慢し切れなくてからかい混じりにそう言ってみたら、頭のおかしな人を見るような視線を浴びた僕であった。解せぬ。

 

 

 

 

 

 

 

「――ウチの連中と絡んでみた感想はどうだ。大庭」

 

 

 技術者(エンジニア)の人が待っているという開発室への道すがら、単刀直入にそう訊ねてくる風間さん。僕の方もまさにその話をしたかったので渡りに船である。

 

 

「いい(チーム)だと思いましたよ。部隊の軸となるきくっちー君を、上手い具合にみんなで支え合ってる感じがして――でも、少し意外にも感じましたね」

「ほう。何が意外だ」

「いや、我ながら大変失礼な意見だとは思うのですが、風間さんの部下っていうのはもっとこう、かたーいタイプの人材が揃っているかと思っていたもので……うってぃー君はともかく、栞さんときくっちー君はその想像から大分外れておりました」

「有益な人材だと思えば獲る。そうでなければ獲らない。それだけの話だ。――何より、人格面を考慮するのであればおまえに声を掛けようなどとは思わない」

「わー、今世紀最大の暴言を食らったような気がするぞー」

「褒めたつもりなんだがな。おまえの言う通り、風間隊(ウチ)は菊地原の副作用(サイドエフェクト)ありきで成り立っている部隊(チーム)だ。歌川も宇佐美もあいつのために集めたようなものだからな。それを見抜いたおまえの()は、やはりアテになる」

「見抜いたっていうか、件の二人が全力できくっちー君を推してきたおかげなんですけどね……」

 

 

 どうにも風間さんは、僕の副作用(サイドエフェクト)を過大評価している気がしないでもない。苦笑を返す外にない僕の横を歩きながら、風間さんは淡々と続ける。

 

 

「――新入隊員だった頃の菊地原は、自身の持つ能力と自己の評価が釣り合っていない奴だった。故に俺は、あいつに自分自身を認めさせるところから始めなければならなかった。あいつの能力を肯定し、自信を卑下するような言動は否定し、ただひたすらに、()()()になることを意識させた。その甲斐あって、今ではあいつもあの通りだ」

「ああ、風間さんの教育方針によるところも大きかったんですね……」

「育て方を誤ったと思うか?」

「育児に悩める父親のようなことを仰いますね」

「……おまえに訊ねた俺が馬鹿だった」

「いや――真面目な話、()()()()()()()()()と思いますよ。本当に」

 

 

 自分自身を認めさせる。とても大切なことだ。

 それがなければ、僕らは決して、戦い(生き)続けることなんて出来やしないんだから。

 

 

 陽花のことを考える。今は心のどこかで眠っている、もう一人の自分自身のことを考える。

 自分の心を知られたくない、汚いものを捨てられないと言って、あいつはカゲさんの前から逃げ出してしまった。あいつが腹の底に一体、どれだけの感情(もの)を隠しているのかは知らないが――陽花に似た印象のあるきくっちー君と、それを暖かく受け入れている風間隊の面々を見て、思った。

 陽花もきくっちー君のようになれるんじゃないか。

 おまえは自分で思っているほど、汚れてなんかいないんじゃないか――と。

 僕は陽花のことを、この世で唯一理解することの出来ない存在であると言ってきた。けれど厳密に言うなればもう一人、おまえは何を考えているんだと問い質したくなる相手が、この世の中には存在している。

 大庭葉月。

 僕自身のことだ。

 僕の頭の中はいつだってごちゃごちゃで、あっちこっちに意識が飛んで、余計なもので溢れ返っている。けれども、そんな僕の感情を僕の目がどう捉えるのかまでは知らないのだ。同じように、カゲさんの副作用(サイドエフェクト)にどう捉えられているのかも。そんな僕でも、影浦隊の一員に加わることが出来た。自分に自信を持てなかったきくっちー君も、風間隊という居場所を見つけられたのだ。

 ならば陽花もまた、手にすることが出来る筈だ。あいつ自身の居場所というやつを。

 

 

「……風間さんに倣って、僕もいっちょ育ててみようかと思います」

「……? 何をだ」

 

 

 多分この辺にいるんじゃないかと、胸の中心に手を当てて。

 

 

「妹です」

「……トリオン器官を鍛えたいということか? 確かに、若いうちであればある程度トリオン量の向上は望めなくもないが――」

「いえ、そういうことではなく――()()()()()()()()。こいつは」

「……大丈夫か?」

「すみません、本気で心配して下さっているのは大変ありがたいんですが、決して気が変になった訳ではないのでどうかその感情(しんぱい)をしまっていただけると……」

「……冗談で言っている訳でも無さそうだな」

「一応、許される冗談と許されない冗談の区別くらいは付いているつもりですよ。――近いうちに話します。話せるように、なります」

「……そうか」

 

 

 色々と思うところはあるようだが、それらの感情に無理矢理蓋をするかの如く、風間さんの感情に『納得』が浮かぶ。

 風間さんは歩みを止めぬまま、視線をやや持ち上げて――何もない虚空を見据えつつ、言った。

 

 

 

「――妹が生きているというのなら、()()()()()()()()()()()ことだ。……大事にしてやれ」

「――はい」

 

 

 

 若くして、兄を失い。子供のようだと、侮られがちな外見で。

 それでも立派に、大人を――隊長をやっている、僕にとっての()()()()

 そんな人からの、大変ありがたい御言葉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 影浦隊(ウチ)や風間隊の作戦室と特に代わり映えのしない黒塗りの扉を開くと、その中に広がっていたのは。

 

 

「……ザ・職場って感じですね」

 

 

 学生感覚でいうと職員室に近い。大量の資料が積まれたデスクが無数に並び、棚やらホワイトボードにはやたら滅多に付箋が貼られ、何人かのボーダー職員様方が所狭しと作業に励んでいる、なんともごちゃついた空間だ。ランク戦ロビーが学生連中の遊び場であるならば、開発室(ここ)はまさに大人の戦場という感じである。うーん、こういうところは何とも気分が落ち着かない。

 そんな僕とは対照的に、堂々たる歩みで部屋の中へと踏み込んでいく風間さん。慌ててその背中を追いかける。狭っ苦しい机と机の間を潜り抜け、開発室の奥深くへと進んでいくと――

 

 

 

「連れてきたぞ、寺島」

「ああ、早かったね」

 

 

 

 丸い人がいた。

 

 

 明るい色の髪を真ん中分けにした、眠たげな目つきのお兄さんだ。嵐山隊の時枝くんが()()()なったらこんな感じになるだろうか? 年齢的にも、それから、その……横にも……。

 休憩中だったのか、手にはストロー付きの紙コップが握られている。きくっちー君が持ってたのと同じやつだな。自販で買ったのか。

 

 

「……またトリオン体でコーラか。これ以上太ったら二度と攻撃手(アタッカー)に戻れなくなるぞ」

「心配御無用。ハナから戻るつもりもないよ。太刀川にも会う度に似たようなこと言われるけど、俺って昔と比べてそんなに太ったかなあ」

「元のおまえの見た目を知っていれば、苦言の一つも呈したくなる。一年も経たずになんて変わり様だ」

「ま、俺の話は今はいいでしょ。それより風間、そっちが例の子?」

「そうだ。――大庭、挨拶しろ」

「あ、はい」

 

 

 風間さんに言われるがまま、ひょこひょこと前に出て丸い御方の前に立つ。

 うーん、触ってみたらゾエさんとどっちが柔らかいだろうかとかクッソ失礼なことを考えそうになる脳味噌を全力で殴り付けつつ。

 

 

 

「はじめまして、B級影浦隊所属の大庭葉月です。――炸裂弾(メテオラ)を使わせてもらっています」

「そいつはどうも。メテオラ開発者の寺島雷蔵です。今日はよろしく」

「ええ、こちらこそ」

 

 

 

 ――さあ、いよいよ待ちに待った正トリガーの解禁だ。

 今からもうワクワクが止まらないぜ!!

 

 




奈良坂歌川てるてるの新人王争いは奈良坂派の私だったのですがなんか話の都合でこうなってしまいました。今日のダウトポイント。
さて、葉月くんのトリガーセットどうしましょうね……(まだ何も決めてない)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

風と雷の狭間で


祝! 賢い犬リリエンタールリミックス版発売決定!!
しかも下巻にはROOM303まで収録されているという……奇跡か……?

~ワートリのこういうところが好きならハマると思います~
・基本的に『悪人』の存在しない世界観(モブ等例外もあり)
・ランク戦もいいけど日常回も好き
・葦原先生のギャグセンスが好き
・熱い自転車推し
・木虎や香取みたいな女の子が好き
・那須さん似の美人さんも出ますよ
・スパイダーみたいな武器も出ますよ
・体育座りで泣いてるときの村上と彼を励ます来馬先輩や荒船さんが好き
・ROUND8前の千佳ちゃんと栞さんのやり取りが好き
・要するに自分のことであれこれ悩める人達が一生懸命生きているのが好き

ああ…次はトリガーキーパーだ…(これだけ読んだことない)




 

 

「――それじゃあ早速、大庭くんのトリガーセット決めと行きたいところだけど」

 

 

 寺島さんが手にしていた紙コップをデスクの上に置き、代わりに取り出したるは我らがボーダー隊員愛用の玩具こと、トリガー。見た感じ僕の使っている訓練生用のものと特に変わりはないようだが、中身はてんで別物の筈だ。

 8種類。炸裂弾(メテオラ)だけでもぶっ放しててあれだけ楽しかったというのに、更に7つもの新装備が僕の手に……いやー、夢が広がるとはこのことですね。オラわくわくしてきたぞ。

 

 

「キミ、昨日入隊したばっかりなんだって?」

「はい」

「ってことは、まだ知らないトリガーの方が多いよね。訓練生はトリガー1つしか使えないから、防御用のトリガーやオプショントリガーに触れる機会は全然ないし――というわけで、今日はこういうものを用意してきたんだ」

 

 

 続けて寺島さんが、デスクに積まれた資料の中から一冊の本を手に取る。

 『BORDER BRIEFING FILE』……ボーダーの活動報告書、といったところか? こんなものも作られているんだなあ。例のメディア対策室長こときつねさん、もとい根付さんの仕事だろうか。ご苦労様です。

 

 

「ここのページから各トリガーの解説がざっくりと載ってるから、とりあえず読んでみて。前の方にはボーダーで測った各隊員の能力値なんかも載ってるけど、そこはまた別の機会ってことで」

「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます――あ、弧月だ」

 

 

 『攻撃手(アタッカー)用トリガー』という見出しから始まったページに記載されていたのは、皆さん後存知の(ブレード)トリガーこと弧月であった。ここは読み飛ばしてもいいかなあとか舐めた考えが頭に過るも、そうやって慢心した結果があの笹森くん戦なので大人しく読み進めることにする。

 

 

 

 

 

-弧月-

TYPE:バランス STYLE:万能

攻撃力:A 耐久力:A 軽さ:C

 

基本性能の高さで信頼性No.1!

攻撃手(アタッカー)トリガーとしては最初に開発された物で、使用者が多い。

スコーピオンと比べて重量があり、形状も自由に変えられないが、攻撃力と耐久力に優れている。

 

 

 

 

 

「はえ~……こうして読むと、弧月って結構良いトリガーに見えますね」

「いや、こうして読むとも何も、弧月って一応技術者(エンジニア)の中では傑作扱いのトリガーなんだけど……弧月に対してどういうイメージ抱いてるのキミ」

「正直、C級ランク戦で相手にしてみた感想は――ただの刀! おわり! みたいな」

「……へえ?」

 

 

 ――お、おや? なんか寺島さんの内側に『怒り』の感情がふつふつと……いかん、仮にも傑作扱いされているトリガーをコケにするような発言は控えるべきであったか。というか慢心を捨てるとか言っておきながら全然捨てきれてないなこの僕は。

 などと考えていた僕の横から、風間さんによる驚きの新情報が。

 

 

「大庭。寺島は今でこそこんな外見(ナリ)をしているが、現役時代はトップクラスの弧月使いとしてそれなりに名を馳せた男だ。言動には細心の注意を払うことだな」

「なんですと!?」

 

 

 マジか。確かにさっきもこれ以上太ったら二度と攻撃手(アタッカー)に戻れないとか言われてはいたが、そこまでの実力者だとは思いもいなかった。しかし、よりによって元弧月使いの前で弧月をディスってしまうとは……! バカ! 大庭葉月のバカ! この人間失格(人でなし)

 

 

「こ、これはとんだ失礼を……海よりも深くお詫びいたします……」

「……いや、キミの言う通り、C級隊員にとっての弧月はただの刀でしかない。それは認めよう。ただでさえキミは射手(シューター)なんだから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「は……ははははは……そんなことは決して……」

 

 

 寺島さんの恨みがましい視線を前に、明後日の方角を向きながら乾いた笑いを浮かべることしか出来ない僕である。ヤバい、ヤバいですよ。多分これ僕がどうやって二日での昇格を果たしたのかまで勘付いてる視線ですよこれは。そういう感情をしておられますもん。

 こ、こんな筈では……炸裂弾(メテオラ)使いの僕であれば、開発者の寺島さんとは良好な関係を築けるものだと思っていたのに、いきなり雲行きが怪しくなってきたぞ。これ以上この御方の機嫌を損ねては調整(チューニング)の話がご破算になってしまう。

 とにかくもう、二度と弧月を侮るような発言はしないことだ。いや、むしろ崇めたてろ。弧月最高! 弧月最高! おまえも弧月最高と叫びなさい!! 来週で最終回ってマジ!?

 などと冷や汗だらっだらで考えている僕を前に、寺島さんが呆れたような溜息を一つ。どうやらお怒りを引っ込めて下さったようで何より。

 

 

「……今のうちに言っておくけど、正隊員のランク戦はC級ランク戦とは()()()だからね。一番の違いは(シールド)の有無だけれど、それだけじゃない。弧月もまた、ただの刀ではなくなるんだ。その下の項目を見てごらん」

「は、はい」

 

 

 言われるがままに視線を下げると、そこには『OPTION TRIGGER』なる項目と、聞いたことのない二種のトリガーに関する説明が。

 

 

 

 

 

-旋空-

トリオンを消費して、攻撃を拡大。間合いが大幅に伸びる。

 

-幻踊-

(ブレード)部分の形状を自在に変えられる。

 

 

 

 

 

「『旋空』と『幻踊』……」

「そう、弧月専用のオプショントリガーだ。弧月と同じ側にセットすることで効力を発揮する」

()()()?」

「ああ、そこからか――そうだな、分解(バラ)して見せた方が早いか」

 

 

 机の引き出しから電動ドライバーのような工具を取り出す寺島さん。そのままトリガーの中心部にぶっ刺してにゅいーん。それだけでトリガーの蓋が開き、中身が露になる。結構簡単にバラせる仕組みになってるんだなこれ。

 中には一枚の基板が入っており、基盤の上下に各4種ずつ、小さなチップを嵌め込むスペースが存在している。ここに弧月やら炸裂弾(メテオラ)やらのデータが入ったチップを嵌め込むわけだな。いかにも精密機械って感じだ。

 

 

「この上の4種が利き手用の(メイン)トリガーで、下が逆手用の(サブ)トリガー。同時に使用できるのは(メイン)(サブ)から各1種ずつで、(メイン)から2種、(サブ)から2種のトリガーを同時に使ったりなんかは出来ない」

 

 

 基盤の上スロットと下スロットを交互に指差し、丁寧に解説して下さる寺島さん。

 なるほど、例えば(メイン)トリガーに弧月と炸裂弾(メテオラ)をセットしたとして、その二つを同時に使うことは出来ないというわけだ。併用したいトリガーは(メイン)(サブ)、別々のスロットに入れろ、と。

 

 

「ただ例外も存在する。それがこの『旋空』や『幻踊』といったオプショントリガーで、これらは弧月と同じ側のスロットに装備しないと機能しないんだ。同じオプショントリガーでも鉛弾(レッドバレット)とかになるとまた話が変わってくるんだけど……ややこしくなるから今は置いておこう」

 

 

 ……赤い弾丸(レッドバレット)?。またなんか知らない単語が出てきたな。

 まあいい、とりあえず旋空・幻踊と弧月はセットで入れようということだけは覚えた。ついでに一つ、(メイン)トリガーと(サブ)トリガーの話から()()()()()()()もあるのだが――これも今はいいかな。

 

 

「例外ってことは、たとえば旋空と弧月の1セットを(メイン)(サブ)の両スロットに装備して、『必殺! ツイン旋空弧月!!』なんてことも出来ちゃったりするんですかね」

「勿論。それで強いやつもいるし――というか、攻撃手(アタッカー)1位のやつがまさにその構成だからね」

「おおー……二刀流で最強だなんて、まるで宮本武蔵みたいですね」

「……確かに奴は、()()ボンドと呼ばれるのがお似合いだがな」

「あ、風間さん。正しくはバカじゃなくてバガですよバガ、バガボンド」

「いや、バカで合ってるよ大庭くん。……というか風間、太刀川ってまだ1位のままなんだっけ? ()()()()()?」

「――ああ。昨日抜いた」

 

 

 ……うん? なんか今さらっとすごいことを聞いてしまったような気が……。

 

 

「そりゃおめでとう。というわけで大庭くん、キミの隣にいるそのちっこいのが今のボーダーNo.1攻撃手(アタッカー)だよ」

「風間さんはちっちゃくないですおめでとうございます!!」

「静かにしろ。他の技術者(エンジニア)たちが仕事中だ」

はい……いやでも、No.1攻撃手(アタッカー)……マジかあー……凄いじゃないですか風間さん」

 

 

 今更ながらとんでもない人の世話になってしまった。No.1。男が憧れる単語それこそNo.1だ。ならなくてもいいとか歌ってる人もいるけれど、なれるもんならそりゃなりたいに決まっている。むしろ()()()()()()()()()()()()()()()()くらいの気持ちまである。皆と一緒がいいよ、うん。

 ……なんか話がズレてきたような気がするな。とにかく、やっぱり(Y)風間さんは(K)すごい(S)。ところが肝心の風間さんに、そんな自分を誇らしく思う気持ちが欠片も視当たらない。うってぃー君といいこの風間さんといい、きくっちー君に自尊心を吸い取られているんじゃないだろうなこの人らは。

 

 

「――()の居ぬ間に掠め取った、空き巣のようなものだ。とても喜ぶ気になどなれん」

「そういうものですかねえ。風間さん、棚から出てきた牡丹餅は食べられないタイプの人です?」

「口にしたはいいが、味がしないというのが正直なところだ。……いいから続きを読め、大庭」

「あ、はい」

 

 

 うーん、オールマイトが引退した後のエンデヴァーみたいな心境なんだろうか。自尊心(プライド)がないとか言ってしまったけれど、むしろ逆だな。順位ではなく純粋な力量で、太刀川さん(バカボンド)こと元1位の人を追い抜きたいのだろう。というかこの太刀川さん、思い返せばちょくちょく風間さんの口から名を挙げられていたっけな。最近は本調子ではないとのことだが、一体何があったのやら。

 その辺りのことを詳しくつついてみたい気持ちもあるにはあるが、せっかく御二方が貴重な時間を割いて僕に付き合ってくれているのだ。寄り道は控えよう。というわけで風間さんの言に従い、僕は大人しくBBFの続きを読み進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――買い物っていうのは、物を手に入れた時よりも商品を選んでいる時の方が楽しい説、あると思います。

 一通りの解説を読み終えてページを閉じた時、僕の脳内は仕入れたばかりのトリガー知識でパンパンになっていた。あのトリガーにはこういう使い方もあるんじゃないか、あれとあれと組み合わせたらこんなことが出来るんじゃないか――と、妄想が膨らみ続けて止まらない。いやホントに、有意義なものを読ませていただきました。

 

 

「たしかなまんぞく……」

「満足するな。まだ何も決まっていないだろう」

「いや、本当にどのトリガーも魅力に溢れていると言いますか、ここから8つに絞るだなんて勿体ないといいますか……倍の16、いやせめて14枠くらいあれば選べそうなんですけど」

「木崎みたいなこと言ってるなあこの子は」

「キザキ?」

 

 

 知らない名前だ。……いや、どっかでちょこっとだけ耳にしたような気も……いずれにしても、どういう人物なのかはまるで知識にない。

 

 

「木崎レイジ。俺らと同世代の隊員だよ。攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)、それに狙撃手(スナイパー)の3つでマスターランク――8000ポイント以上を稼いだことから、『完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)』だなんて呼ばれてる」

「やだ、カッコいい……!」

「そう? 俺とか諏訪がそう呼ぶと嫌がるんだけどな、あいつ」

「おまえらが『あ、完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)のレイジさんだ。飯奢れ』だの『完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)はいつになったら恋愛も完璧(パーフェクト)になるんですか?』だのと面倒な絡み方をするからだろう、それは」

「何やってるんですか寺島さん」

「いや、あいつって隙のないキャラぶってるから逆に弄り倒したくなるっていうかさ……風間にも似たようなこと言えるんだけど」

「その気持ちは理解らなくもないですが」

「わかるな」

 

 

 僕は思った。風間さんが年長者で良かったなあと。仮に同世代であったのなら、間違いなく僕も寺島さんや諏訪さんらの側に回っていたと思うので。

 というか、恋愛がどうとかすごいプライベートな話を耳にしてしまった。ボーダー隊員も恋とかするんだなあ。

 そりゃそうか。人間だもんな。

 

 

「――で、8つに絞れないって話だっけ大庭くん」

「そうですね。オプショントリガーとか正直全部ぶち込みたいくらいの気持ちまであります。……あ、でもこれはいらないかも」

 

 

 

 

 

-バッグワーム-

レーダーから完全にロストする狙撃手(スナイパー)の命綱!

 

マント状のトリガーを着用すると、微量ながらトリオンを消費し続けるが、

その間は着用者がレーダーに映らなくなる。

対電子戦用の隠密(ステルス)トリガーであり、役割上、後方に身を潜める狙撃手(スナイパー)の殆どが利用している。

肉眼に対しては何の効果もないが、遮蔽物の多い地形や、雪など視界の悪い天候の場合は、

攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)射手(シューター)も着用することがある。

 

 

 

 

 

「僕、狙撃手(スナイパー)になるつもりはないですし。そもそも隠れてじっとしたりとか苦手なんですよね」

「うーん、シールド2枚とバッグワームは正トリガーの基本セットなんだけどなあ……」

「……え、そうなんですか? シールドも1枚あれば充分だよなとかと思ってたんですけど……」

両防御(フルガード)の選択肢を持っているのといないのとでは、いざという時の守りが雲泥の差だ。大人しく2枚入れておけ」

 

 

 ってことは実質5枠しか自由に組めないじゃないですかー! やだー!!

 いやだいいやだい、僕はもっと自由に好みのトリガーだけぶっ込んだ構成にしたいんだい。基本がどうとかんなこた知ったこっちゃないんじゃい。元々特別なオンリーワンなんじゃい。桜井和寿もこう歌っていたじゃないか、一つにならなくていいよ、と。まったく、もっと一人一人の個性を尊重してほしいものですわね。嫌んなっちゃうわ、まったくもう。

 ……うーん、陽花(あいつ)が寝てると脳内でいくら掌モーター回転させても虚しいだけだなあ。そろそろ起きてきて貰わないと困ってしまうんだが。

 いや、ツッコミ役がいなくて寂しいとかそういう理由じゃなくて、割と真面目に。

 

 

「――どうしてもシールド2枚入れるのが嫌なら、エスクードのピン差しで誤魔化すっていう手もなくはないね。あんまりオススメはしないけど」

「あ、このトリガーも気になってたんですよ。地面から飛び出す壁、面白そうじゃないですか」

 

 

 

 

 

-エスクード-

隠れ場所にも最適の堅固なる障壁!

 

任意の場所からバリケードを発生させ、身を守るトリガー。

単純に盾として使うことも、相手の射線を遮る簡易的な隠れ場所として使うことも出来る。

透明なシールドと違って、自分の視界も遮られるので注意が必要。

 

 

 

 

 

「……エスクードか。確かにこいつは、1枠だけでも両防御(フルガード)並に機能はするが……」

「おお~……いいじゃないですか、これ使いましょうこれ。シールドはポイーで」

「いいけどこれ、シールドに比べて消費トリオンかなりデカいよ。大庭くんってトリオンには自信ある方?」

「それはもう。()()()()()()()()

「……?」

 

 

 いかん、寺島さんが全力で何言ってんだこいつ的な目をしておられる。そりゃそうだ。

 そんな彼と僕を一瞥して、仕方がないと言わんばかりに溜息を吐く風間さん。あ、ひょっとしてフォローして下さいます? ありがたやー。

 

 

「……大庭は副作用(サイドエフェクト)持ちだ。エスクードを使うには充分なトリオンがあると考えていい」

「あ、そうなの。ちなみに妹がどうとかっていうのは……」

「今は気にするな」

「さいで。……で、バッグワームもいらないんだっけ? 物陰から不意打ちする時なんかに使えるんだけどな、狙撃手(スナイパー)じゃなくても」

「僕、漫画とかに出たら『不意打ちができない男』って注釈付けられるタイプの人間なので」

 

 

 炭治郎くんみたいに真っ当な理由ではないけれども。詳しくは笹森くん戦を読み返してほしい。

 とにかく、(メイン)トリガーの半分はこれで埋まった。炸裂弾(メテオラ)とエスクード。ええ、勿論外しませんとも、炸裂弾(メテオラ)。これから先、他のトリガーがどれだけ入れ替わろうとも外すことはない。絶対に。

 

 

「そういえば、防御用トリガーには含まれてなかったですけど――こういうのもありましたよね」

「うん?」

 

 

 既にエスクードの採用を決めてしまった後なのだが、そういえば他にもシールドの代わりになりそうなのがあったなと思い、ページをぱらり。

 そこに記載されているのは――

 

 

 

 

 

-レイガスト-

TYPE:防御 STYLE:重装

攻撃力:刃B/盾E 耐久力:刃B/盾SS 軽さ:刃D/盾D

 

攻防一体の重装トリガー!

ブレードを変形させて盾にする『(シールド)モード』を持つ、守備的トリガー。

専用オプションの『スラスター』が存在する。

 

 

 

 

 

「――これ、攻撃手(アタッカー)用トリガーに分類されてましたけど……射手(シューター)は使っちゃいけないとか、そういう決まりはないですよね?」

 

 

 レイガスト。C級ランク戦では見かけなかったトリガーだ。いや本当に、リストを眺めてみても使っている隊員が一人もいなかった。なんでこんなに人気ないねんこれ。軽さDのせいだろうか? 弧月にしてもそうなのだが、トリオン体の筋量でも重たく感じるトリガーっていうのを生身の人間に持たせたらどうなってしまうのだろう。ゼットソード持たされたキビトさんみたいな感じになるんだろうか。

 それはさておき、やはり目を惹くのは驚異の耐久力SSだ。ただのSじゃない、SS。なんかもう、硬い! 絶対に硬い!! と言わんばかりである。象が踏んでも壊れなさそうだ。と言っても、レイガストに限らずトリオン製品っていうのはそういうものらしいけれど。バムスター君が戦車の砲撃をも容易く弾き、三門市を蹂躙した大規模侵攻当時の映像はあまりにも有名――

 

 

 

「――よくそいつに目を付けてくれたね、大庭くん」

 

 

 

 ……などとしょうもないことを考えていたせいで、僕はその瞬間、寺島さんに生じた感情の変化に気付くのが遅れてしまった。

 それは、ついさっき栞さんがきくっちー君について全力で語ったときと同じ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()特有の――

 

 

射手(シューター)としてC級ランク戦を駆け抜けたキミに、()()()()()()()()とわからせるにはうってつけのトリガーだ。そう、俺はずっとキミにこいつの力を見せつけてやりたかった――」

 

 

 

 ――情熱(passion)だ。

 

 

 

「大庭くん、風間。場所を変えよう」

「え、いやあの決して攻撃手(アタッカー)を舐めているつもりは……というか、移動ですか?」

「紙資料だけでレイガストを知った気になられたら困るからね、全力でプレゼンさせてもらうよ。そう、開発者としてね……」

 

 

 デスクの引き出しをごそごそと漁り、分解(バラ)したものとは別のトリガーを取り出す寺島さん。

 ……そういえば昨日、風間さんが言っていたっけか。炸裂弾(メテオラ)にばかり気を取られていたが、このレイガストもまた、寺島さん謹製の逸品であるのだと。それにしても、僕が炸裂弾(メテオラ)使いであることをアピールした時は割かし塩対応だったというのに、この異様なまでのレイガスト推しは一体どういうことなのか。元攻撃手(アタッカー)という出自が関係しているのか……?

 

 

「そこの奥の部屋が、開発室備え付けのトレーニングルームになってるんだ。開発中のトリガーを試し打ちしたりするのに使うんだけど、ちょっと借りさせてもらうことにする。ついてきて」

 

 

 顎をしゃくって目的地を示すと、そのままのっしのっしと机と机の間を掻き分け進んでいく寺島さん。思い立ったが即行動と言わんばかりの勢いに呆気に取られている僕の横、巻き添えを食った風間さんがやれやれと首を振って。

 

 

「……寺島が技術者(エンジニア)に転向したのは、弾丸トリガーの強化と流行に腹を立て、自身の手で対・弾丸トリガーを開発しようと思い立ったのがきっかけだ。奴の怨嗟に火を点けてしまったな、大庭」

「え、怨嗟と来ましたか……というか、そういう話は前もって聞いておきたかったんですが……」

 

 

 アカンですやん。僕なんかもう存在自体が地雷みたいなもんですやん。出会ってはならない二人だったのでは……? というか、その転職経緯でなんで炸裂弾(メテオラ)なんか開発しているんだ寺島さん! 罠か!? 僕みたいなカモを吸い寄せるために用意した罠だったのか!?

 などと被害妄想を炸裂(メテオラ)させている僕の前で、風間さんは相変わらずの無感動な表情で。

 

 

「だが、奴の言うことにも一理ある。正隊員のランク戦は、C級ランク戦とは別世界――シールド軽視と攻撃手(アタッカー)というポジションへの不理解、おまえが現時点で抱えている二つの問題点を、寺島とレイガストの組み合わせは浮き彫りにしてくれることだろう。良い機会(チャンス)だと思っておけ」

「……前向き(ポジティブ)な考え方ですねえ」

「それが俺の教育方針だと、おまえは知っている筈だがな」

「ぐうの音も出ないであります」

 

 

 ――まったく、強いわけだよ、風間隊。

 OK。腐っていても始まらない。元トップクラス攻撃手(アタッカー)のご指導、有難く受けさせていただこうじゃないですか――!

 ビシィ!! と両の手で頬を一叩きして、僕と風間さんは部屋の奥へと消えていく丸い背中を追いかけていった。

 

 

 

 

 

『……ねえ、ほっぺた痛いんだけど』

 

 

 あ、起きた。

 





今日のダウトポイント:No.1攻撃手(アタッカー)風間蒼也、爆誕。
筆が…筆が滑ってしもてん…小南に抜かれるまでの束の間の夢ということでどうかご容赦を…

無駄にカッコいいサブタイから男三人がわいわい持ち物選びしてるだけの回


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

寺島雷蔵(エンジニア)

寺島さんは現役時代に鬼滅が流行ってたら絶対弧月で霹靂一閃の練習してるタイプ



 

 

 ――という訳で、寺島さんにわからせ棒(レイガスト)で叩かれることになったぜ!!

 

 

『お兄ちゃんは今すぐそのトリガー(レイガスト)使ってる全ての人から怒られるべきだと思うよ』

 

 

 少なくともC級では一人も見かけなかったんだよなあ……。

 那須さんとウィルバー氏に連れられて入った()()()に似た、白くて広い殺風景な空間。僕と寺島さんは15mほどの距離を開け、トリオン体で向かい合っていた。ちなみに僕が換装したときの寺島さんの反応は今までのパターンと同じなので省略するものとする。僕らの生態に対する技術者(エンジニア)さんの意見というのも伺ってみたくはあったのだが、それはまた別の機会にということで。

 

 

「……さて、レイガストの前に――元使い手としては、()()()の本領も教えておかないとね」

 

 

 そう語る寺島さんの手に握られているのはレイガストではない。弧月だ。僕がただの刀呼ばわりして、訓練生時代に狩り尽くしたもの。

 攻撃手(アタッカー)を舐めているつもりはない。その言葉に偽りはないつもりだが、この武器(トリガー)を目にしてもまるで怖さを感じなくなってしまったというのもまた事実だ。笹森くんにぶっ刺されこそしたが、あれは彼自身の機転によるものであって決して弧月の力ではない。一度植え付けられた固定観念というものは、容易く覆りはしないものだ。

 それ故の理解らせ。そのための訓練室、そのための寺島雷蔵。元トップクラスの攻撃手(アタッカー)が今、納めた筈の刃を抜き放つ――!

 

 

「……おまえ、本当に今でもその距離からの旋空が届くのか? 起動時間内に剣を振り切ることが出来ればいいがな」

 

 

 そんな燃えるシチュエーションに全力で冷や水をぶっかける御人、風間蒼也。

 いやまあ、彼が懸念する気持ちも理解らんでもない。『またトリオン体でコーラか』と風間さんが口にした通り、寺島さんは出会った時点で換装済みの状態だった。つまり生身だろうがトリオン体だろうが丸いものは丸いのだ。僕らみたいなワケアリ組と違って。

 

 

「風間。俺はね、エンドゲームでソーが最後まで太ったまま戦い抜いたことにいたく感銘を受けたんだよ」

「……確かに最後まで体型が戻らなかったのには俺も驚いたが、そこは真似するポイントではないだろう」

「エンドゲーム? なんです?」

「あれ、大庭くん知らない? アベンジャーズだよ、去年やってた映画。興行収入で世界歴代1位になったって話題にもなったんだぜ」

「すみません、娯楽に関する知識が偏っているもので……ところで今って西暦何年でしたっけ?」

『そこは考えたら負けだよお兄ちゃん』

 

 

 陽花の言に倣うかの如く、沈黙をもって答えとする御二方。

 なるほど、禁忌(タブー)に触れる話題だということはよく理解った。

 

 

「で、そのソーっていうのは一体何者なんです?」

「元ネタは北欧神話に出てくる神様だよ。日本だったら"トール"の方が馴染みあるかな」

「あ、それならわかります」

 

 

 といっても、本当に名前を聞いたことはある程度だが。ただ、この名前を聞いて連想するものといえば――

 

 

「――()()()()、ですよね? 寺島雷蔵さん」

「そういうこと。俺がそのキャラにシンパシー感じた理由、なんとなく理解ってくれたんじゃないかな」

「そうですね。僕も名前に葉とか月とか付いてるキャラ見かけると勝手に親近感湧いたりします」

『単純……』

 

 

 そうは言うけどおまえも好きだろ、太陽の花(ひまわり)とか。毎朝様子気にしてるもんな、ちゃんと咲いてるかどうか。

 

 

『……まあ、そういうこともある』

 

 

 素直でよろしい。

 

 

「――ということは、寺島さんの握ってる弧月(そいつ)はさしずめ神の鎚(ムジョルニア)ってとこですか」

「そんな大層なもんじゃないけどね。投げたら戻ってくる訳でもないし、掲げたところで雷が降ってくる訳でもない――ただ、この剣はね。()()()()()()

 

 

 そう言って、寺島さんが弧月を顔の横に構える。野球のバッティングポーズにも似た、いわゆる八相の構えとかいうやつだ。

 旋空。弧月専用のオプショントリガー。確かに間合いが伸びるとはBBFにも記載されていたが、あくまで近距離兵装の域を出ないレベルの話だと思っていた。しかし、この距離で振るわれた刃が僕の身体を両断しうると言うのであれば――確かに二度と、弧月をただの刀とは呼べなくなるな。

 

 

『え、ていうか何。私ら普通に斬られる流れなのこれ』

 

 

 痛くなければ覚えませぬ。

 

 

『痛覚ないじゃん』

 

 

 ええい、揚げ足を取るでない。こういうのは身体で覚えるのが一番なんじゃい。

 

 

「――というわけで、覚悟はいいかな大庭くん」

「押忍。まな板の上の鯉になった気分で臨みます」

「おまえの諺の使い方はおかしい」

 

 

 いえその、捌かれるのを待つだけの身としてはこれ以上にない表現だと思いまして……。

 とにかく、さあばっち来いや弧月ァ!!

 

 

 

「旋空弧月」

 

 

 

 射手(シューター)が弾丸を放つ時のように、繰り出す攻撃の名を口にして。

 稲妻の如き一太刀が、僕の身体を真っ二つに――

 

 

 

ぶおん。

 

 

 

 しませんでした。

 

 

「……」

「……」

「……」

『……』

 

 

 虚しく刃が空を切った後、気まずい沈黙が訓練室を支配する。

 な……なんだ? 故障か? トリガーの不具合か何かか? どういう言葉を投げかけるべきか判断に迷っていると、当の寺島さんから「……もう一度いいかな」というお声が掛かる。僕には視える。寺島さん、動じていないように見えてめちゃくちゃに焦っている。こんな筈はないとでも言いたげに、困惑と動揺が彼の内面を埋め尽くしている。で、そんな心境を拭い切れぬままに繰り返し弧月を振るうのだが――

 

 

 

ぶおん! ぶおん。ぶおん……。

 

 

 

 一刀、また一刀と振るう度にどんどん太刀筋からキレが失われていく。トリオン体に疲弊の概念はない筈なのだが、これは一体どういうことなのか。それになんだろうか、素人目にも寺島さんの素振りは力が入っていないというか、筋肉のエネルギーが刀に伝わっていないというか、あちこち歪んでいるというか――これが本当に、元トップクラス攻撃手(アタッカー)の剣だというのか……?

 

 

「……見る影もない……技の冴えに限って言えば、忍田本部長にすら見劣りしないと言われた男の剣が……」

 

 

 遠くの方で目を覆いながら風間さんがそう嘆いている。目を覆い……な、泣いている!?

 いや流石にそれはなかった。単に額に手を当てていただけだった。でも悲しいのはマジっぽい。やはり現役時代を知る者からしてみれば、今の寺島さんの姿というのは大層ショックなものなんだろう。かつては速球派で鳴らしていた投手(ピッチャー)が、大怪我から復帰したら最速135kmとかになってた時の気分に似ているだろうか。寺島さん……肥えてさえいなければ……。

 

 

「……大庭くん、もう5mくらい寄ってきてもらってもいいかな」

「は、はい」

 

 

 言われるがままに寺島さんへと歩み寄っていく。5mくらい。よく理解らないが距離を詰めれば解決する問題らしい。

 というわけで、テイク2入ります。

 

 

 

「……旋空弧月」

 

 

 

 先と比べて大幅に覇気の減退した声に、おいおい大丈夫かと心配しかけた次の瞬間。

 胴薙ぎに振るわれた寺島さんの弧月が()()()()()、ぼっ立ちしていた僕のお腹をずんばらりんとぶった斬った。

 

 

『戦闘体活動限界』

『「うおおおおおおおお!?」』

 

 

 思わず兄妹で悲鳴がシンクロしてしまった。当然のことながら仮想戦闘モードなので一瞬にして千切れた腹も元通りなのだが、それでもビビるものはビビる。伸びた。本当に剣が伸びた。すごいぞ弧月。ヤバいぞ弧月。誰だこんなトンデモ兵器をただの刀とか言ったのは。『お前じゃい』その言葉(ツッコミ)が聞きたかった……。

 

 

「……旋空の射程距離は、起動時間の長さに反比例する。大体の攻撃手(アタッカー)は起動時間を1秒くらいに設定してて、それだとさっきまでの距離――15mくらいまで剣が伸びるんだけど、どうやら今の俺にはこの距離が限界みたいだ……はは、ははははは……」

「……少しは痩せる気になったか?」

「いや……いいんだ、むしろ逆に実感したよ……攻撃手(アタッカー)寺島雷蔵はもう死んだ、リバプールの風になったんだってね……」

 

 

 黄昏るように力なく笑う獣神サンダー・ライゾー氏。哀愁の漂い具合が半端ない。ああ……祇園精舎の諸行無常の沙羅双樹がうんたらかんたら……つまるところ盛者必衰、新庄剛志が現役復帰を断念したように、寺島さんも全盛期の輝きを取り戻すことは叶わなかったのだ……泣けるで……。

 

 

「――欲を掻くから綻びを生む。良い教訓になったな、寺島」

「そこは『粗製デニムのようにな』って言えよぉ……」

「おまえがジーンズの似合う体型に戻ったら言ってやる。……弧月の真価であれば、おまえでなくとも大庭に叩き込める奴は幾らでもいる。わざわざおまえが見栄を張る必要は何処にもなかった」

「いや……そこはうっかり、元弧月使いの血が騒いじゃったというかさ……」

「それが欲だと言っている。……別に責めているわけじゃない、おまえの役割を思い出せという話をしたいだけだ。確かにおまえの言う通り、弧月使いの寺島雷蔵は死んだんだろう――だったら、()()()()()()()()()()? おまえは一体、この正隊員に成り立てのひよっ子に何を教えられる?」

 

 

 責めているわけじゃない。本人の言う通り、風間さんの内側に寺島さんを批難するような感情は視受けられない。むしろ、()()()()()()だからこそ出来ることがある筈だ――と、気付かせようとしている。相手の存在を否定するのではなく、肯定させるための苦言だ。

 ――うん。どうせ叱られるんだったら、こういう風に叱られたいもんだよな、やっぱり。

 

 

『……それ、()の叱り方と比べて言ってるわけ?』

 

 

 ――さて。誰のことでしょうね?

 

 

「……隊長やるようになって、人を使うのが上手くなったよね、風間は」

 

 

 苦笑を浮かべて、寺島さんが握っていた弧月を消失させる。代わって手元に生み出されたのは、グリップ部分を庇うように構築された半透明の(ブレード)を持つ、僕が初めて目にするトリガー。

 類稀なる攻撃手(アタッカー)の才能を捨ててまで作り上げた、技術者(エンジニア)寺島雷蔵の魂とも呼べる一振りだ。

 

 

「――OK、ここからが本番だ。キューブを構えてくれ、大庭くん」

「――押忍!」

 

 

 どうやら完全に吹っ切れたようだ。ならばこちらも、射手(シューター)大庭葉月の()ってやつを披露せねばなるまい。

 ――というわけで、準備はいいか? 我が魂(マイシスター)

 

 

『……ったく、寝起きの妹を容赦なくこき使ってくれるよね。お腹は斬られるし』

 

 

 まあそう言うな。一応今回は()()()も用意してあるからさ、ただ働きってワケじゃない。

 

 

『――ご褒美?』

 

 

 そう。ま、おまえが喜ぶかはわからないけど。僕の自己満足で終わるかもしれないし。

 

 

『え、何。お兄ちゃんの癖に思わせぶりな引っ張り方するのやめてほしいんだけど』

 

 

 ……ま、昨日から続く()()()()()の延長線みたいなもんだよ。

 先に言っておくけど、あんまり大層なことは期待するなよ。僕は期待に応えられない男なんだ。

 

 

『まーた自信満々にカッコ悪いこと言っちゃって……まあいいや。好きに使いなよ、(トリオン)を』

 

 

 サンキュー。

 そんじゃま、毎度お馴染みの豆腐(キューブ)作りと行きましょうかね。どん!

 

 

「……ほう」

 

 

 手元に浮かべた僕のトリオンキューブを見て、風間さんが小さくそう漏らす。如何でしょうか、A級隊員の目から見たウチの妹(僕のトリオン)は。

 

 

「――結構デカいね。木崎のキューブもこのくらいのサイズだったかな? あいつのキューブなんてあんまり見る機会ないから、今はもう少し大きくなってるかもしれないけど」

「……あれ、成長するものなんですか? トリオンって」

「若いうちから使っていればね。ボーダー隊員に低年齢が多い理由だよ。20歳になって成長が止まると、本部運営の方に回されたりもするんだけどさ。そういう意味じゃ風間も割と引退ギリギリの歳ってわけ」

「俺はまだまだ裏方に回るつもりはないがな」

 

 

 なるほど。何の理由もなしに子供ばかりを戦場へと送り込んでいるわけではなかったのか。まあ理由が判明したところで人道的にどうなんだという問題が解決したわけでもないが。確か正隊員の戦闘体には緊急脱出の機能があるとかウィルバー氏が言っていたから、それを安全面として対外的にアピールしているんだろう、きっと。

 

 

『……そっか。()()()()()()()、私』

 

 

 らしいな。やる気出たか?

 

 

『ガンガンいこうぜ』

 

 

 僕はいのちをだいじに派だなあ。詳しくないけど。

 

 

「――それじゃあ早速、その自慢のキューブをぶっ放してもらおうかな」

 

 

 そう言って、寺島さんがレイガストを正眼に構える。これが弧月なら何を無謀なと言いたくなるところだが、何しろこいつは『対・弾丸トリガー』との謳い文句で開発された代物なのだ。ならば見せてもらおうじゃないか、その文句に嘘偽りはないということを――

 

 

「遠慮なくいきますよ、寺島さん――炸裂弾(メテオラ)

 

 

 分割無しの大玉一発。弾丸設定こそ初期設定(デフォルト)なれど、直撃すれば即死は免れない一発だ。代わりに避けられたら終わりだが、寺島さんが僕に見せたいのは弾丸トリガーの()()()ではないだろう。さあ、何が起こる?

 

 

 

(シールド)モード」

 

 

 

 寺島さんが呟くのと同時に、レイガストの(ブレード)がぐにゃりと形を変えて――

 直後、炸裂弾(メテオラ)()()()()へと直撃して、彼の身体は爆炎に覆われ見えなくなった。

 

 

『やったか!?』

 

 

 何故お前はそうもフラグを立てるのが好きなのか。ていうか今回は()ってたらダメなんだよ!!

 

 

 

「――これが、レイガストの持つ弾丸対策その1だ」

 

 

 

 ほっ。

 晴れた煙の中、五体満足でレイガストを構える寺島さんの姿がそこにはあった。ただし、その手に握られているのは剣ではない。機動隊の持っているそれにも似た、半身を覆えるほどの大盾だ。これが僕らの炸裂弾(メテオラ)を防いだのか。

 

 

「シールドとスコーピオンの二種をベースにして開発したこのレイガストは、用途に応じて形状を自由に変えることが出来る。攻撃用の(ブレード)モードと、防御用の(シールド)モード――そのまんまだけど、この二種を巧みに使い分けて戦えるのが特徴の一つだ。使い手向けにはもう少し凝ったアドバイスも出来るんだけど、とりあえず今はこういう認識でいい」

「おお~……」

 

 

 そいつはお得だ。何が魅力的かって、これ一本で攻めも防御も賄えるっていうのがいい。射手(シューター)として弧月使いを散々吹っ飛ばしてきた身としては、攻撃手(アタッカー)一同が何故レイガストではなく弧月にばかり群がるのか理解に苦しむばかりだ。なんで皆これ使ってないんだ? (シールド)が手に入る正隊員以降はともかく、訓練生のうちは攻撃手(アタッカー)ならこれ一択じゃないのか?

 

 

「……今の大庭くん、『そんなにすごいトリガーなのに、どうしてC級では全然見かけなかったんだろう……』とか、そんな感じのこと考えてるよね」

「ひゅい!?」

「相も変わらず考えていることが顔に出やすいやつだな、おまえは」

「そ……そうなんでしょうか……まったくもって自覚がないんですが……」

 

 

 何だろうな。表情筋が緩すぎるんだろうか? 普段からもっと引き締まった顔してれば崩れないのかもしれない。キリッ。

 

 

『ああ……また私の顔が佐鳥賢(ドヤ顔)になってる……』

 

 

 ある朝、グレゴール・陽花が不安な夢からふと覚めてみると、ベッドの中で自分の顔が一人の、とてつもなくドヤった佐鳥賢に変わってしまっているのに気がついた。おわり。

 

 

「――理由は単純、()()()からさ。弧月も言うほど軽くはないんだけど、実際に振り回してみると結構感覚に差が出るもんで、第一印象から敬遠されがちなんだよね。ただでさえボーダー隊員には若い子が多いし、尚更って感じかな」

「はえ~……」

 

 

 うーん、()()()()()のウケが悪いのは人間に限った話ではないということか。創作物にも通じる問題なんだな。何事も軽くあっさりめに、それでいて受け手のニーズを満たせるものをお出ししないと、()()()()()()()()()()()のだ。何かを生み出す者にとって、それ以上に歯痒いことはないだろう。

 相手の理解を得られることなく、パッと見の印象で投げ出されてしまう。こういう事態を防ぐにはどうしたらいいんだろうか。軽く出来るならそれに越したことはないのだろうが、(ブレード)(シールド)、二つの機能を一つのトリガーに纏めている以上、そう簡単に改善できる問題でもあるまい。やりたいことが多ければ多いほど、どうやったって何かしらが()()()ものだ。トリガーに限らず。

 

 

「……っていうと、まるで使われない理由を使う側に押しつけてるみたいになるから、正直に白状するんだけどさ」

 

 

 そんな取り留めのない思考を断ち切るように、寺島さんが話の流れを変えてきた。おや、まるでレイガストの側にも非があると認めるような言い方。いやまあ、重たいってだけで充分デメリットなのも間違いないのだが。

 

 

「大庭くん。今から俺がレイガストでキミを斬ろうとするから、キミはそうならないように上手く立ち回ってみて。当然、炸裂弾(メテオラ)を使いながらね」

「うお、いきなり実戦形式でありますか」

「そうだね。そのつもりでやってくれて全然構わない。遮蔽物も何も無いから単純な追いかけっこになるけど、走り回れるだけのスペースはあるからね、ここは」

 

 

 寺島さんの言う通り、10mもの距離を保ちながら後ろにも横にもまだまだ余裕がある。訓練()を通り越して、ちょっとしたグラウンド程度の広さだ。今更ながら、基地の中によくもまあこれだけ広い空間を用意できるものだな。その辺の問題もトリオン様が解決してくれているんだろうか? まあ、今考えるようなことでもないか。

 

 

「風間、せっかくだから合図(コール)入れてよ合図(コール)

「……おまえ、レイガストを握ってテンションが妙なことになっているんじゃないか? いいから黙って始めろ、黙って」

「いや、そういうのあった方が雰囲気出るかなあと思ってさ」

「素晴らしい提案です寺島さん。風間さんがスタート切るまで不動の覚悟で行きましょう」

「…………」

 

 

 うわーい、風間さんから"こいつらが組むと最高に面倒だな……"とでも言いたげな視線を浴びてしまったぜ。でもまだ怒りは()えないからセーフ。『そういう副作用(サイドエフェクト)の使い方は人としてどうかと思うよ』返す言葉もありません。

 

 

「……用意」

 

 

 溜息交じりに片手を上げる風間さん。わざわざ構えを取ってくれるあたり、何だかんだこの人も律儀である。

 さて、そんじゃまぼちぼち意識を切り替えまして――

 

 

 

「始め」

炸裂弾(メテオラ)ァ!!」

 

 

 

 風間さんが右手を振り下ろすのとほぼ同時に、予め周囲に分割しておいたキューブをまとめてぶっ放す。今度は避けられることも想定してのばら撒き弾だったが、一発一発の威力は先の大玉に比べて遥かに劣る。となれば、寺島さんの取る選択肢は当然――

 

 

(シールド)モード」

 

 

 ――受けですよね。知ってました。細かく弾ける炸裂弾(メテオラ)の衝撃を物ともせず、のっしのっしと大盾(レイガスト)を構えて駆け寄ってくる寺島さんから距離を取りつつ考える。

 (シールド)を持つとはどういうことか。それは即ち、相手の攻撃に対して回避と防御、別々の対処を取れるようになるということだ。避けられることを嫌って弾をばら撒けば防がれる、かといって(シールド)を割ろうと弾丸を集中させれば今度は回避のリスクが付き纏う。この時点でもう、攻撃手(アタッカー)は僕にとって単なる狩りの対象ではなくなってしまった。トリオン頼りの雑な戦い方で無双できる時代は終わったのだ。グッバイ、僕の全盛期。

 

 

『――だからって、このまますんなり斬られるかって言ったらそうでもないでしょ』

 

 

 それもまた然り。いかに寺島さんが僕の攻撃を凌げようと、射程の優位までもが失われた訳ではないのだ。それにどうやら寺島さんの機動力は訓練生と比べても大分見劣りするらしく、こうして視線を切らないようバクステ気味の後退を続けていてもまるで追いつかれる感じがしない。全力で走っていないのか、或いは――いや、言うまい……。

 

 

「――確かにご立派な盾のようですが、ただ守っているだけでは僕は斬れませんよ!」

「……そう、それが訓練生にレイガストを見限られた本当の理由なんだ」

 

 

 おや、思わぬタイミングで核心を突いてしまったらしい。寺島さんの感情に、ちらりと暗い影が過る。苦々しいというか、歯痒いというか――何かを悔やんでいる、そんな感じの色をしている。

 

 

「確かにレイガストは、C級ランク戦において唯一の防御機能を持ったトリガーだった――そりゃもう、射手(シューター)銃手(ガンナー)に煮え湯を飲まされた多くの攻撃手(アタッカー)たちがこぞって飛びついたもんさ。けれどキミの言う通り、(シールド)だけでは弾丸トリガーに対する決定打にはならなかった――」

 

 

 新たに放った炸裂弾(メテオラ)をも難なく防ぎながら、レイガストの実装当時を振り返る寺島さん。

 攻撃手(アタッカー)視点のC級ランク戦というのは、クソゲー以外の何物でもないんじゃないかという印象が僕にはある。一方的に射手(シューター)銃手(ガンナー)からポイントを毟り取られるだけの踏み台、それが攻撃手(アタッカー)。レイガストというトリガーは、そんな彼らに齎された福音とも呼べる代物だったのだろう。誰もが()()ってやつを抱いたに違いない。レイガストさえあれば正隊員になれる、攻撃手(アタッカー)でも弾丸トリガーに勝てるんだ――などという、願望を。

 ならば何故、現在のC級ランク戦からレイガストは姿を消してしまったのか?

 

 

「レイガストは重い。重いってことは、担いでるだけでそれだけ()()()()()()ってことだ。無類の防御力を与える代わりに、攻撃手(アタッカー)の命綱とも言える機動力を、レイガストは奪ってしまった――キミの言う通り、レイガストは()()()トリガーであっても、()()()トリガーではなかったんだ」

 

 

 つまるところ。

 レイガストというトリガーは、C級攻撃手(アタッカー)たちの期待を裏切ってしまったのだ。

 期待を裏切った者に対する、願望者の反応というやつは冷淡なものだ。渇望していたものが手に入らなかったとき、人間っていうのはどこまでも()()()()()なれるのだということを、僕は知っている。本当に、よく、知っている。当時のレイガストも、それはもうC級攻撃手(アタッカー)たちからボコボコに叩かれたことだろう。()()()()()()()()、と。

 ――彼らと寺島さんの求めていたものは、同じだったかもしれないのに。

 

 

『……まーたお兄ちゃんが余計な共感抱いてる』

 

 

 ……まあ、僕が()()()だから言う訳じゃないんだけどさ。

 誰かの願望(ゆめ)を叶えるっていうのは、簡単なことじゃないって話だよ、陽花。

 

 

「……寺島さんにとって、レイガストは()()()なんでしょうか?」

 

 

 三度目の炸裂弾(メテオラ)を放ちながら問いかける。レイガストが炸裂弾(メテオラ)を受け止める。寺島雷蔵の生み出した、二つのトリガーが真正面からぶつかり合っている。

 レイガストは依然健在。しかしよく見ると、(シールド)のあちこちにうっすらと罅が入り始めている。このまま遠巻きに撃ち続ければ、いずれは粉々に砕け散るのだろう。レイガストが攻撃手(アタッカー)に齎すものは、勝利ではなく敗北までの僅かな猶予だけ――

 

 

「そう思ってるなら、キミを相手にあんな啖呵は切らないよ」

 

 

 そうだ。

 そんな筈はない。

 

 

 

『――射手(シューター)としてC級ランク戦を駆け抜けたキミに、()()()()()()()()とわからせるにはうってつけのトリガーだ。そう、俺はずっとキミにこいつの力を見せつけてやりたかった――』

 

 

 

 寺島さんの見せたかったものが、レイガストというトリガーの持つ力が、()()()()()である筈がない。この言葉を放ったときの寺島さんから感じた情熱が、嘘偽りである筈がない。理解らせるんでしょう、寺島さん。攻撃手(アタッカー)は決して射手(シューター)の踏み台なんかじゃないって、僕に教えるために再び剣を取ったんでしょう、寺島さん。だったら――

 

 

「――だったら見せて下さいよ、レイガストの本当の力ってやつを! 炸裂弾(メテオラ)ァ!!

「ああ、言われなくっても見せてやるさ……! これがレイガストの弾丸対策その2、欠点の機動力を補うために開発された、専用のオプショントリガー――」

 

 

 殺到する炸裂弾(メテオラ)の雨に向けて、寺島さんが大盾(レイガスト)を掲げる。その体勢だけを見れば防御の構え、けれど僕にはくっきり()()()。寺島さんは今、炸裂弾(メテオラ)()()()()()()()()()()。自分の身を護るためではなく、()()()()()()()()()()()()、その(ブレード)を握っている。

 

 

 ――そう、レイガストは決してただの(シールド)ではない。

 攻撃手(アタッカー)が相手を斬るために生み出された、紛れもない(ブレード)トリガーなのだから――!

 

 

 

「スラスター起動(オン)!!」

 

 

 

 瞬間。

 寺島雷蔵は、今度こそ、()()()()()()

 大盾(レイガスト)の四隅から、ジェット機のアフターバーナーのように光が噴き出している。トリオンを燃焼させて推力に変換しているのか――いや、そんな分析はどうだっていい。それよりもこれは――

 

 

 ――迅い!!

 

 

「んなっ……!?」

 

 

 炸裂弾(メテオラ)の爆炎から、一瞬にして寺島さんが飛び出してくる。それはまさに、爆発(メテオラ)的な加速――鈍足になるというレイガストの印象を180度ひっくり返す、『と、思うじゃん?』精神の結晶!

 見る見るうちに距離的優位が失われていく。射手(シューター)の間合いから、攻撃手(アタッカー)の間合いへ――そう、このトリガーには、()()()()()()があるのだ。突き崩せないと思っていた壁を、越えられないと思っていた境界(ボーダー)を、あっという間に跳び越えていくその()()()たるや! 寺島さんがレイガストに注いだ情熱が、まるでそのまま燃え滾っているようではないか――!

 

 

(ブレード)モード!!」

 

 

 5m。4m。突っ込んでくる寺島さんの手に握られたレイガストが、再びその形を変えていく。

 3m。2m。大盾(シールド)から(ブレード)へ。護る者から攻める者(アタッカー)へ。本来の姿を取り戻したレイガストが今、スラスターの加速を刃に乗せたまま、鋭く奔って――

 

 

「――でぇいっ!!」

 

 

 ――稲妻の如き一太刀が、僕の身体を真っ二つにした。

 

 

 

 

 

 

 

 ――大庭葉月を一刀の下に斬り捨てた瞬間、寺島雷蔵は思った。

 そうだ。刀を振るうときの感覚は、こういうものだった――と。

 それと同時に、先に弧月を振るったとき、自分の身体は何故思うように動かなかったのかということにも察しが付いた。さっきの自分は、現役だった(痩せていた)頃の感覚に囚われ過ぎていたのだ。トリオン体を操縦する際の感覚は、生身の延長線上にある。当時の体型と今の体型のズレが、弧月の振りにあれほどの歪みを齎したのだ。

 皮肉なものだ。技術者(エンジニア)としての自分を自覚し直した途端に、攻撃手(アタッカー)の感覚を取り戻してしまうとは。きっと今なら、15m級の旋空も難なく放つことが出来るだろう。いや、或いはそれ以上、30mや40mにだって伸ばせるかもしれない。それ程までに、五感が研ぎ澄まされていた。

 

 

 けれど。

 

 

「――()()()()()()()ようだな、寺島?」

「……いや。見間違いだよ、それは」

 

 

 けれど――やはり攻撃手(アタッカー)寺島雷蔵はもう、死んだのだ。

 本気で現役復帰を目指せば、再び攻撃手(アタッカー)ランクのトップ争いに食い込める自信はある。けれど今の自分がやりたいのは、望んでいるものは、そういうことではない。自分の作ったトリガーが、数多くの攻撃手(アタッカー)たちに愛され、弾丸トリガーを撃ち破っていく光景――それこそが、寺島雷蔵にとっての理想の未来であった。今は技術的な制約により外付け(オプション)扱いになっているスラスターも、いつかはレイガストの基本性能に組み込んでみせる。その時こそ本当の意味で、レイガストは完成するのだ。

 今は道半ば――そして、その道を降りるつもりなど、微塵もない。

 

 

「今の俺は技術者(エンジニア)で、これからもずっとそのままだ。風間が見たのはちょっとした、()()()みたいなもんだよ。もう燃え尽きた。点け直そうったってそうはいかないね」

「――そうか」

 

 

 風間蒼也は短く、それだけを言った。

 『そうか』というたった三文字の言葉がこの男の口癖であることを、寺島は知っている。風間は小言こそ多いが、自身の主張を一方的に押し付けるような真似はしない男だ。相手に確固たるものがあると理解した途端に、この三文字と共にすっと身を引いていく。今回もまた、同様であった。

 

 

「好きにすればいい。おまえの人生だ」

「ああ、そうするよ」

 

 

 最早未練はない。自分はこれからも、コーラ片手に開発室の片隅でちまちまとトリガーを弄る、華々しいランク戦の舞台とは無縁の人生を送り続けることになるだろう。けれど、それでいい。

 ――そこに自分はいなくとも、自分の手掛けたトリガー達が、証を刻んでくれることだろう。

 寺島雷蔵という一人の技術者(エンジニア)が、ボーダーにいたという確かな証を。

 

 

「――お見事でした」

 

 

 その声で、思考が未来から現在へと引き戻される。換装を解いた大庭葉月が、柔和な笑みを浮かべて立っていた。

 大人げないことをしてしまったなと、今更ながらに寺島は思った。攻撃手(アタッカー)の本領を理解させるなどと聞こえの良いことを口にはしたが、実際のところ自分は、昇格したての正隊員を相手に()()()()()をしたかっただけなのではないだろうか? 満足しているのは自分だけなんじゃないか? この少年に、攻撃手(アタッカー)の――レイガストの何たるかというのは、しっかりと伝わったのだろうか?

 

 

「……なんか、ようやく冷静になれたんだけど――変なことに付き合わせちゃって悪かったね」

「とんでもないです。(シールド)の脅威、自分の間合いに持ち込めた時の攻撃手(アタッカー)の怖さ、そして――」

 

 

 寺島の握っている半透明の(ブレード)へと視線を落として、大庭葉月は続ける。

 

 

「――レイガストに籠められた寺島さんの()()ってやつも、ばっちり伝わってきましたよ。良いトリガーですね、これは」

 

 

 良いトリガーですね。

 飾りっ気のないシンプルな賞賛だが、胸に響くものがあった。

 きっと自分は、ずっとその言葉が欲しかったんだろうなと、思った。

 

 

「決めました。僕の(メイン)トリガー、残り2枠はこれで埋めます」

「――え? これでって……レイガストとスラスター?」

「そうです。一目惚れしました。他にも気になるのは幾つかあったんですけど、なんていうか――()()()()()()()()()()()()っていうのが、いいなって」

 

 

 その発言の意味するところは、寺島にはよく理解できない。けれど、彼がレイガストに何らかの共感(シンパシー)を抱いているらしいということだけは、朧気ながらも察せられた。

 

 

「僕、()()()()()とかそういうの、好きなんですよ。一本だけだと重たくて不便なレイガストが、スラスターに支えられて自由に飛び回る――いいじゃないですか」

「さり気なくスラスターの無いレイガストは使い辛そうだと白状しているな、大庭」

お゛っ……!? ちちち、違うんですよ寺島さん、持ち上げるフリしてレイガストをディするようなつもりは全くもってこれっぽっちも!!」

「は、ははは……いや、いいんだよそれは。開発者の俺が一番よく理解ってるから……でも、(メイン)の方に入れるんだ? (サブ)トリガーの方に入れれば、レイガストを構えながら炸裂弾(メテオラ)で撃つなんてのも出来るんだけど」

 

 

 自分で言いつつ、ちょっと見てみたい光景だなと寺島は思った。愛着があるのは断然レイガストの方だが、炸裂弾(メテオラ)もまた、自身の手掛けたトリガーの一つ――少し大袈裟な言い方をすれば、我が子も同然なのだから。

 自分の子供が可愛くない親など、この世にいるものなんだろうか?

 

 

「いえ――(メイン)に入れます。僕の使うトリガーなので」

 

 

 大庭葉月は大庭葉月で、またしてもよく理解らないことを口にしている。(メイン)だろうが(サブ)だろうが単に利き手が変わるだけで、使い手が彼自身であることに変わりはない筈なのだが――

 などと、思っていると。

 

 

 

 

 

「――(サブ)トリガーの方は、()()()()()()()()()()

 

 

 いよいよもって理解を越えた発言に、寺島雷蔵の脳内は無数の疑問符によって埋め尽くされた。

 

 




寺島さんの実力はいくら盛っても許されるという風潮

しかしたかだかトリガーセット決めるのに何話使うつもりなんですかね……(呆れ)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二人で一人のボーダー隊員



あけましておめでとうございます!!
いやーアニメ二期が始まってハーメルンのワートリ界隈も大変賑わっておりますね!
早2月を迎えてすっかり波に乗り遅れてしまった感がありますが、
今年も自分のペースでだらだらと続けていきたいと思いますので宜しければお付き合い下さい。
よろしくお願い致します。


Q.この一ヶ月間作者は一体どこで何やってたんですか?
A.鬼滅に浮気していました。


ふしだらなSS書きだと笑いなさい……。




 

 

 ――弾丸の夢を私は視る。空を踊る弾丸の夢を。

 空っていうのは自由でいい。360度どこへだって飛び回れるから。

 トリオンっていうのは自由でいい。重力に縛られていないから。

 二つの自由が手を取り合って、そこに芸術が生まれた。

 生まれて初めて、私が心の底から魅了されたもの。

 昨日の夜も、さっきまで引っ込んでいたときも、私はずっとそのときのことを思い返していた。

 縦横無尽の弾丸と、それを描く女性の横顔を、思い返し続けていた。

 

 

 ――光の軌跡を空に描く、あのひとの才能が欲しい。

 ――闇を身軽に跳び回る、あのひとの身体が欲しい。

 ――唇を軽く吊り上げた、あのひとの笑顔が欲しい。

 

 

 欲しい。欲しい。欲しい。

 ()()()()()()()()()()()

 

 

 兄の胸の中で眠りながら、私はいつも、そんなことばかりを考えている。

 決して()()には知られたくない、私だけの、ささやかな願望(ゆめ)だ。

 

 

 

 

 

 

 

「――(サブ)トリガーの方は、妹に選んでもらいます」

 

 

 はいっ! という訳でトリガー選び後半戦、(サブ)トリガーの章を早速始めていきましょーう!

 進行はわたくし大庭葉月と、妹の大庭陽花さんでお送りいたしまーすよろしくオナシャース!

 

 

『――へっ』

 

 

 よろしくオナシャアーッス!!

 

 

『……どゆこと?』

 

 

 かーっ! 察しの悪か妹ばい! 勢いで熊本弁使ってみたけどさっぱりわからんたい! たーいぎゃとんこつばい。

 ……まあ、諸々の事情で大分間が空いちゃったんで改めて説明するとだね? 正隊員になったら使えるトリガーが8つに増える訳よ。利き手側の(メイン)トリガーと、逆手側の(サブ)トリガー、4種ずつ。

 で、(メイン)の4種がたった今決まりました。炸裂弾(メテオラ)、エスクード、そしてレイガスト+スラスター。

 

 

『ふむふむ』

 

 

 という訳で大庭陽花さん、ちゃっちゃと(サブ)トリガー4つ選んじゃって下さーい。

 

 

『……なんで?』

 

 

 ()()()()()()()()()()()。正隊員からは。

 (メイン)トリガーを僕、(サブ)トリガーをお前が使う。半分力貸せよってやつだな。サイクロン! ジョーカー! みたいな。詳しくないけど。

 

 

『なんかジョーカーと陽花って響きが似てるのが腹立つ――じゃなくて! ……いいの?』

 

 

 ……そりゃあ、本音を言うなら8つ丸ごと僕が使いたいよ。むしろ8つでも少な過ぎると思ってたくらいだし、触ってみたいトリガーだってまだまだ沢山あるんだ。

 だけど――

 

 

 

『――本当に、私にあげられるものなんて何もない?』

 

 

 

 ……まあ、なんていうか。

 僕も少しは、()()()()()()()()()()()()()()って、思った訳だよ。そんだけ。

 

 

『……ありがと』

 

 

 なっ!? あっ……あんたのためなんだからね!?

 

 

『ロボコじゃねーか』

 

 

 しかも今週のな。

 

 

 

「……えーっと、風間? ひょっとしてこれも俺が気にしたらいけないやつ?」

「……さあな。何にせよ、レイガストの講義が終わったのなら訓練室(ここ)にもう用はないだろう。――聞いているか? 大庭。開発室に戻るぞ」

「あ、はい」

 

 

 おっと、いかんいかん。脳内会議に夢中で寺島さん達をお待たせさせてしまっていたぜ。

 ――ま、とにかくそういう訳だから。遠足の荷物をリュックに詰める小学生みたいなテンションで楽しんでいこうじゃないの。

 

 

『……その喩え、私には正直ピンと来ないなあ……』

 

 

 これから理解るようになるよ、これから。

 

 

 

 ――そう。

 これからお前は、今まで知らなかった幾つものことを理解できるようになっていくんだ、陽花。

 

 

 

 

 

 

 ――という訳で開発室へと舞い戻り、改めてBBFをぺらぺらと捲っている僕である。

 もっとも、手を動かしているのは僕ではない。陽花の方だ。例の作戦室緊急脱出(ベイルアウト)騒動で、こいつがトリオン体(僕の身体)を自分の意思で動かせるということは判っていた。というか、その一件があったからこいつに(サブ)トリガーを使わせるという発想が出てきた訳なのだが。

 とにかく、今のうちから機会を作ってこいつがトリオン体(僕の身体)を操ることに慣れておかなければならない。(サブ)トリガーを任せるということは、例えば弧月を持たせたら刀ぶん回して斬ったり受けたりするのもこいつの仕事になるということだ。

 自分の身体の一部が自分のものではないという感覚。それを受け入れて、自然な状態へと持っていく。今の僕達にはそれが必要だ。そうすることできっと、僕らの奇妙な()()()()は更なる進展を迎えることになるだろう。

 

 

『えーっと、これも違う、これも違う……』

 

 

 ……正直、自分の身体をこいつに明け渡すことへの不安が一切ないと言ってしまえば嘘になる。

 トリオン体の操縦桿(コントロール)を握るのは僕。入隊式の時に僕が定めた絶対防衛圏(ボーダーライン)は、いとも容易く突破されることになってしまった。この調子で僕の()()()を次々とこいつに明け渡していったら、最終的に僕の取り分なんて一つもなくなってしまうんじゃないか――とか、そんなこともちょっとだけ考えていたりする。

 けれど――

 

 

 

『「――私は知られたくない」』

『「私の心の中なんか、誰にも伝わってほしくない――だって、私は、私は――」』

 

 

 

 ――そう漏らした時のこいつの声は、侵略者(ネイバー)のものとはとても思えなかったから。

 僕にとっての隣人(ネイバー)として、相応しい扱いをしてやらなければならないと思っただけである。

 

 

 

 自分自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ。

 ……多分、こういうことですよね? 紳士ウィルバー。

 

 

 

『「――あった!」』

 

 

 ……でもな、僕の身体で勝手に喋ることまで許可した覚えはまだないぞ。ほら、急に大声出したせいで風間さん達がぎょっとしてこっち見てるじゃねーか。せめて前もって喋りたい時は何か一言入れてくれ。

 

 

『メンゴ』

 

 

 謝罪が軽ぅい!!

 

 

「……失礼。その、お目当てのブツが見つかったようです」

「なんで他人事みたいな言い方なの大庭くん?」

「こいつの言動に一々引っかかっていたら話が進まんぞ寺島。……何を選んだ? 見せてみろ」

「えーと、どれどれ」

 

 

 いやあ、風間さんは話が早くて助かりますなあ。というか、自分の考えに夢中で僕も手元を見ていなかった。自然と三人がかりで一冊の本を覗き込むような格好になる。

 さてさて、ウチの妹に選ばれた栄えあるボーダートリガー第一号のお名前は――

 

 

 

 

 

-変化弾(バイパー)-

千変万化の軌道で獲物に食らいつく!

弾道を自由に設定できる変化弾。

遮蔽物を避けたり、相手の予期せぬ方向からの攻撃を実現できる。

ハウンドよりも複雑な動きが可能だが、制御が難しい。

 

 

 

 

 

 ――()()()()()、というのが真っ先に出てきた感想であった。

 飛行型トリオン兵(バド君)を撃ち落としまくった時といい、大型近界民(バムスター君)を鮮やかに仕留めた時といい、こいつが僕以上に()()の弾丸に魅了されていることには既に気付いていた。というか、正直に言うと僕もちょっとだけ使いたかった。ただでさえ炸裂弾(メテオラ)もまだ焦ると真っ直ぐ飛ばせないというのに、更に扱いの難しそうなこの弾丸には手を出せないと泣く泣く諦めたのだが――どうやらこいつは、憧れに殉じるだけの覚悟があるようだ。

 

 

「……弾トリガーかあ……そうだよね、大庭くんって射手(シューター)だもんね……レイガストのこと持ち上げてくれても結局心はそっちにあるんだよね……」

 

 

 げェーッ!? 思わぬタイミングで思わぬ人の地雷を踏んでるゥー!? 違うんです寺島さん、僕じゃなくて妹が勝手にって言っても通じないですよね理解ってます、っていうか拗ね方が街中で可愛い子に釣られて思わず目が行っちゃった時の嫉妬深い彼女か何かみたいで面倒臭ぇーッ!!

 

 

『彼女なんか出来たこともない人がなんかそれっぽいこと言ってる』

 

 

 うるせェ!!(ドン!!) 誰のせいでこの御方の機嫌損ねたと思ってるんじゃこんボケェ!!

 

 

『あーもう、他人(ひと)のこと面倒だって言ってるけどお兄ちゃんも大概だよね……なんだっけ? ()()()()()()、とかいうんだっけその人? だったら、そっちのトリガーからもなんか選んであげたらちょっとはご機嫌取れるんじゃないの』

 

 

 ……え、何? おまえ本当に弧月とか使っちゃうつもり? レイガストと合わせて使ったりしたら重くて大変そうだよなアレ、そういう装備(ビルド)の隊員も探せばいるのかもしんないけど。

 

 

『うーん、刀も今なら鬼滅ごっことか出来そうで興味なくはないけど……そうじゃなくて、あれ。あれがちょっと気になる』

 

 

 そう言って、陽花がぱらりとBBFを捲る。ただし、進むのではなく巻き戻しだ。銃手(ガンナー)用トリガーの頁から、攻撃手(アタッカー)用トリガーの頁へ。そしてとあるトリガーの項目を指差して、寺島さんへと向き直り、一言。

 

 

『「――じゃあ、これなんかはどうですか? てらしまサン」』

「……え? あ、ああ」

 

 

 ……何だそれ。ひょっとして僕の口調を真似たつもりなのか? さん付け慣れてないのが一発で判るぎこちなさだぞ。『うっさい』こりゃ失敬。

 というか、何となく流れでお前の存在を隠すような感じになっちゃってるけど――正直この二人になら打ち明けても構わないと僕は思っているんだが、その辺どうだろうかマイシスター。実際、風間さんには近いうちに話すって言っちゃってるし。

 

 

『……それはまだ早い』

 

 

 さいで。ま、そういうことならのんびり待たせてもらいましょ。

 で? 結局お前は何を選んだんじゃい、という訳で再び思考を切って手元に視線を下げまして。

 

 

「――ほう」

 

 

 その声は僕でも寺島さんでもなく、風間さんの口から零れたものだった。

 

 

 

 

 

-スコーピオン-

TYPE:攻撃 STYLE:奇襲

攻撃力:A 耐久力:D 軽さ:A

 

型にはまらない変則型ブレード!

体のどこからでも自由に出し入れでき、トリオンを調節すれば形状も変えられる。

刃を長くすればするほど、強度は落ちる。

 

 

 

 

 

 ――スコーピオン。相手にしたことはまだないが、レイガストとは違ってC級ランク戦のリストでもちらちらと名前を見かけたトリガーだ。軽くて脆くて攻撃特化……レイガストの対局みたいなトリガーだな。ほこ(スコ)×たて(レイ)って感じ。

 

 

「そっちかあ~……」

 

 

 ……あれ、なんか寺島さんの反応が微妙だぞ。いやまあ、()た感じさっきみたいにヘソ曲げてる訳じゃないみたいだけど、やっぱ元弧月使いとしてはそっちの方を選んで欲しかったんだろうか? でもなんかそれだけじゃないような……。

 

 

「……お気に召しませんでしたか?」

「いや……そういう訳じゃないっていうか、そもそも俺のことは気にしないで好きに選んでくれていいんだけど――スコーピオンは俺じゃなくて、()()()()()()()()()()

 

 

 そう言って、横目でちらりと風間さんを指し示す寺島さんである。

 ほほう? それはまた、巡り合わせというか何というか――僕が寺島さんの生み出した炸裂弾(メテオラ)とレイガストを手に取り、陽花が風間さんの専門だというスコーピオンに目を付けるとは。ひょっとして狙ったか? 狙ったのかマイシスター?

 

 

『偶然だぞ』

 

 

 ですよね。

 

 

「……変化弾(バイパー)にスコーピオンとは、お前の妹とやらは随分と癖の強いトリガーが好みのようだな。いや、兄の方も大概だが……」

「それって俺の炸裂弾(メテオラ)とレイガストが色物って意味なのかな風間?」

 

 

 寺島さんのキャラがどんどんおかしな方へとブレているような気がする……修正が必要だ……。

 とはいえ確かに、このスコーピオンも変化弾(バイパー)と同じくトリッキーな印象を解説文からは受ける。初心者のうちはもっとこう、とりあえずビールくらいの気持ちで追尾弾(ハウンド)あたりに手を出すのが固いんじゃないかとお兄ちゃんは思うんだが、なんでまたお前はこのトリガーを選んだんだ?

 

 

『……私からしたら、弧月とかレイガストみたいな()()()()()()トリガーの方がよっぽど扱い辛そうに感じるんだよね』

 

 

 ……あー、なるほど。

 アレか。お前って()()()()()()()()()()()()。とどのつまり、スコーピオンの刃はおまえの手足みたいな感覚で動かせる訳だ。下手に武器の形が固定されてる方がやりにくいと。

 

 

『ま、実際に触ってみないと何とも言えないけど――後は単純に、()()()()()()()()()()()()()()っていうフレーズが気に入った』

 

 

 ……すまんね、自由に外に出してやれないお兄ちゃんで。

 

 

『そこで謝っちゃうあたり、だいぶ私に対する態度が軟化してきたよね』

 

 

 うるせーやい。

 

 

「……妹曰く、『弧月とかレイガストよりもスコーピオンの方が使いやすそう』だそうです」

「どうやらキミの妹とは一度正面切って話し合う必要があるとみた」

「これ以上話の腰を折るならもう帰っていいぞ寺島」

「帰れも何も開発室(ここ)が俺の本拠地(ホーム)なんだけど!?」

「というか風間さん、寺島さんがいないと僕らのトリガーが組めなくなってしまうんですが……」

「冗談だ」

 

 

 にこりともせずにしれっと口にする風間蒼也さん19歳。もしかして意外とお茶目な一面もあるんだろうかこの人は……単純に同世代相手っていうのもあるのかな。諏訪さんと電話で話してる時も生き生きとしながら煽ってたし、いいよね、友達って。

 

 

『……そういうもの?』

 

 

 ――ああ、そういうものだよ。

 ……そうだな。その辺もそろそろ、考えないといけないタイミングだよな。うん。

 

 

『……?』

 

 

 ま、その件についてはまた後でな。それよりも残り二枠だ、さくっと埋めてしまおうぜ。

 

 

『なーんか最近やたらと思わせぶりだよねこの兄は……まあいいや、後はえーっと――あ、これだこれ』

 

 

 再び陽花がBBFをぱらぱらと捲っていく。銃手(ガンナー)用トリガー、銃手(ガンナー)用オプションの頁を抜けて、狙撃手(スナイパー)用トリガー、防御用トリガー、オプショントリガー――そこで手が止まった。

 

 

『「後はこれにします」』

 

 

 

 

 

-グラスホッパー-

 

超立体戦闘を実現するジャンプ台トリガー!

空中にジャンプ台を作り出すトリガー。

足場を蹴ってジャンプ中に方向転換するなど、

スピード型の攻撃手(アタッカー)が攪乱に利用することが多い。

 

 

 

 

 

グッチョオオ―ーイ(G o o d C h o i c e)!!」

「自画自賛か?」

「テンションの振れ幅おかしいでしょこの子……」

 

 

 えらい。お前えらいよ陽花。よくこのトリガーに目を付けてくれた。お兄ちゃんもこれ使ってて絶対楽しい奴だろって思ってた。だって二段ジャンプだぞ? 或いは空中ダッシュだ。ワンピースで言うところの月歩だ。いつか実戦投入した暁にはこう唱えてみせよう、僕は空を飛んだのさ――

 

 

『……やっぱり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 

 ……ああ、最高に楽しいよ。

 悪かったよ、そんな楽しいことを今まで独り占めしてて。つくづく欲張りだったよ、僕は。

 

 

『誠意は謝罪ではなく私の出番』

 

 

 ……今度一日トリオン体(僕の身体)を好きに使っていいぞ。

 

 

『「マジで!? うひょおおおおおおおおおお!!」』

「俺達今ひょっとして見ちゃいけないもの見ちゃったりしてない?」

「以前に『風間さん後生ですから何も言わずにこれを掛けてみてくれませんか!?』と差し出してきた眼鏡を掛けてやった時の宇佐美が似たような声を出していたな……」

 

 

 奇声を上げる陽花()の顔を引き気味に眺めているお兄様方。とうとう静かにしろというお叱りすら入らなくなってしまった。匙は投げられた。

 というか勢いでとんでもない約束をしてしまったような気がするが、まあ一日だけなら大丈夫だろう。多分。自分で言っててすげえフラグ臭い考えだなって思うけど。

 とにかくこれで残り一枠だ。さあ、果たしてトリは何で飾る――?

 

 

『後はぶっちゃけなんでもいい』

 

 

 マジかよ。

 何でもいいのよ? 通常弾(アステロイド)でも追尾弾(ハウンド)でも、何なら僕とお前でツイン炸裂弾(メテオラ)してもいいし、後は風間隊一推しのカメレオンとか――このテレポーターって奴も熱いよな。瞬間移動だぞ瞬間移動。スパイダーとかいうのも結構面白い使い方出来そうだし、やっぱり8枠じゃ全然足りない――

 

 

『……私が言えたことじゃないけど、お兄ちゃんも大概()()()()だよねえ』

 

 

 血は争えないってことだな。

 

 

『何だったら最後の一個、お兄ちゃんが決めてくれてもいいけど』

 

 

 ……いや、それは止めとくよ。

 (メイン)は僕、(サブ)はお前。この境界(ボーダー)を踏み越える気はない。ここをなあなあにすると、僕達の関係も同じように曖昧で不安定なものになってしまう。既にそうなりかけてるような気もしないでもないけど。

 

 

『――それ、()()()()()()()()()()()っていうのも、譲れない拘りの一つ?』

 

 

 ……そこを譲ったら、僕が僕じゃなくなってしまうだろ。

 

 

『はーいはい。――結局、どう足掻いても私は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ……そりゃあそうだよ。

 僕がどう足掻いても、大庭陽花(お前)になれなかったのと同じことだ、それは。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――はい、お待たせ。きっちり希望通りの構成になってる筈だけど、一応自分でも後で確認しておいてね」

「家宝として神棚で祀らせていただきます……」

「祀るな。使え」

 

 

 今日も簡潔なツッコミが冴え渡る風間さんである。

 寺島さんに差し出されたトリガーをありがたく受け取り、懐へと仕舞いこむ。ついに完成した、僕と陽花の正トリガーだ。

 デスクの上、先程までトリガーとケーブルで繋がっていたPCの画面に、僕らのトリガーセットが表示されている。振り返りの意味も込めて、僕はその画面をしみじみと眺めた。こういうのを専門用語でロスと言います。

 

 

 

 

 

>>> TRIGGER SET <<<

SUB TRIGGER
 
MAIN TRIGGER     

バイパー
 
メテオラ       

スコーピオン
 
エスクード      

グラスホッパー
 
レイガスト      

FREE TRIGGER
 
スラスター      

 

 

 

 

 

「……改めて見ても、何がしたいのかまるで理解らん構成だな」

「グホァ!!」

 

 

 きょ……今日も簡潔なツッコミが冴え渡る風間さん……それこそスコーピオンの刃のような鋭さだぜ……食らったことないけど……。

 確かにまあ、風間さんのようなコンセプト部隊(チーム)を組んでる人からすると、僕らの興味があるものを手当たり次第にぶち込んだだけのこのトリガーセットは、何とも纏まりがなく、歪で、完成度の低いものに映るんだろう。それは否定できない。

 

 

「ま、いいんじゃないの? 大庭くんはまだ入隊二日目なんだしさ、いきなり道を一つに絞れっていう方が無茶でしょ。初めはとにかくやりたいこと何でもやってみて、何処を目指すかはそれからでも遅くないと思うけどな、俺は」

「て゛ら゛し゛ま゛さ゛ん゛……!!」

「どこから出してるのその声」

「……別に否定する訳じゃない。こいつのトリガーだ、好きに選べばいい――だが」

 

 

 風間さんはそこで言葉を切り、僕のようにちゃらけた様子のない、理知的な双眸でこちらを見据えてきた。自分のやるべきことを理解している、大人の目であった。

 

 

「あれもこれもと手を出した挙句、何一つとして物にはならない――そんな中途半端な存在のままトリオンの成長が止まり、現役を退く羽目になった隊員を俺は何人か知っている。彼らと同じ轍を踏まんよう気を付けることだな、大庭」

「……肝に銘じます」

 

 

 わー、その末路すっごいリアル感あってこっわーい……そうだよね、伸びしろのなくなった隊員をいつまでも飼っておくほどボーダーも優しくないよね。ドラ1だって怪我に泣いたら数年で首を切られるのがプロの世界って奴だろうし、大庭葉月の全盛期は訓練生(アマチュア)時代とか言われないように、必死こいて鍛えていくとしようそうしよう。

 

 

「適当な目標が欲しいんだったら――まずは何か一つ、()()()()を目指してみるのはどうかな? 大庭くん」

「マスター?」

「C級ランク戦と同じように、正隊員の個人(ソロ)部隊(チーム)ランク戦でも、他の隊員を倒すとトリガーに個人(ソロ)ポイントが加算されるんだ。倒した時のトリガーにのみ点が入るから、例えば炸裂弾(メテオラ)で誰かを倒したからといって、レイガストや変化弾(バイパー)にポイントが入ったりはしないけど――そうやって加算されたトリガーのポイントが8000を越えたら、マスターランク。そのトリガーに習熟したことの証明になるんだ」

 

 

 ……8000ポイント。今のおおよそ倍の点数が必要になるのか。2500から4000までは2日で達成することが出来たが、流石にここから先はそう簡単にはいかないことだろう。とはいえ、それだけにやり甲斐はありそうだ。何と言っても響きが格好良い。マスターだぞマスター。()()()()()()。ジェダイでもポケモンでも東方不敗でも何でもいい、マスターっていうのは一つの到達点なんだ。詳しくないけど。

 OK。めざせメテオラマスターだ。いつもいつでも上手くいくなんて保証は何処にもないけど、いつでもいつも本気で生きてる大庭葉月(こいつたち)がいるってことを見せてやるぜ。

 

 

『……こいつ()()って、勝手に私も巻き込むの止めてほしいんだけど』

 

 

 そう言わないと替え歌扱いでガイドラインに引っかかるかもしれないし……。

 

 

『なんのこっちゃ』

「ちなみに新しく使い始めたトリガーは初期ポイント3000からのスタートになるから、そこだけ気を付けてね。後、これは今まで引っかかった人いないし気にする必要ないとは思うんだけど――もしも何かのトリガーのポイントが1500を下回ったら、正隊員の資格なしと判断されて訓練生に降格になるんだ。正直言って誰も気にしてない規則だけど、一応教えておく」

「こ、降格……」

 

 

 ビビる必要はないと言われた傍から全力でビビり散らす僕である。いや、なんかこういう絶対にあり得ないとか言われてることに限ってやらかすのが僕だからさ。絶対勝ち目のない相手に延々と勝負を挑んでたらいつの間にか1500切ってましたとか、そういうのありそうで笑えない。うん、これも覚えておこう。デッドラインは1500。ゆめゆめ忘れることなかれ。

 

 

「――さてと。それじゃあそろそろ、俺はお役御免ってことでいいのかな?」

 

 

 マウスをポチってトリガーセットの表示を閉じた寺島さんが、眠たげな目……これは元からか。とにかく、そう言って僕の方を見た。楽しい楽しいトリガー弄りも、これにてお開きのようだ。

 

 

「お役御免って言い方は違うと思いますが……その、今日は本当にありがとうございました。寺島さん、それに風間さんも」

 

 

 二人に向けて深々と頭を下げる。今更ながら、世話になるというのに土産の一つも用意してこなかった自分を恥じる。栞さん達にもいいとこのどら焼きを御馳走になってしまったし、今日会った人達には後日何かしら買っていこう。持ちつ持たれつの精神は大事だ。

 

 

「レイガストの布教に成功しただけでも、俺としては元が取れたよ。……何だったら、レイガストでマスターを目指すっていうのはどうかな大庭くん? その気があるなら、今日よりもっと本格的な扱い方を教えてあげてもいい。二人で力を合わせてボーダーから弾丸トリガーを駆逐しようぜ」

「お前が一人で理想を追い求めるのは勝手だが、その理想を他人にまで背負わせようとするな」

「というか寺島さん、僕も一応ポジション射手(シューター)なんですが……」

「ははは、ちょっとした冗談だよ。冗談」

 

 

 ……八割くらいは本気で言ってたな、この感情(いろ)は。いや、忘れよう。僕は何も視なかった。それにしても寺島さん、どうして貴方は炸裂弾(メテオラ)なんてものを創ったんだ……なんか訊ねるタイミングを逃してしまったな。まあいいか。

 

 

「――そういう風間は、大庭くんにスコーピオンの使い方を教えてあげる気とかないわけ? 後進の成長に貢献しなよ、ボーダーNo.1攻撃手(アタッカー)

「あ、いいですねそれ! 素晴らしい提案です寺島さん、ウチの妹もきっと喜びますよ」

『……は? こらそこの馬鹿兄、何をまた勝手に――』

「――いや、断る」

「!?」

 

 

 か……風間さん? またそんなつまらない冗談(ウソ)を……ついてねえわこれ。普通に教えてくれる気ないわこれ。何故だ? 視たところ風間さんの機嫌を損ねたとか怒らせてしまったとかそういう訳ではないようだし、感情的な理由ではない筈だが……いかん、疑問符が浮かびすぎてホワイマンになりそう。WHY、WHY、WHYWHYWHYWHYWHY。助けて千空ちゃん!

 そんな僕を一瞥して風間さんが溜息を一つ。何だか僕は10分に1回くらいのペースで風間さんに溜息を吐かせているような気がする。どうかこの人から幸福が逃げていきませんように。

 

 

「……副作用(サイドエフェクト)で察しているとは思うが、別に嫌がらせでこう言っている訳じゃない。お前がスコーピオンの扱い方を学びたいのであれば、俺よりも適任がいるというだけの話だ」

「か、風間さんよりも僕らに適したスコーピオンの先生……? それは一体何者――」

()()()()

『「「――え」」』

 

 

 果たして、今。

 トリオン体の喉から発せられたのは、僕と妹、どちらの声であったのか。

 

 

 

「――お前のところの隊長もまた、確かな腕前を持つスコーピオン使いの一人だ。大庭」

 

 






いつもの如く10000字越えてしまいましたが何とか今回でトリガーセット編を終わらせることが出来て良かったです。
次回はようやくTS(?)設定を活かせる話になりそうな予定。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

君の前髪をきりたい



>「……そういうことなら今度、会ってもらいたい女の子がいるのだけれど。()()()()()()
>「――トリオン体? 生身じゃなくて?」
>「ええ。私も詳しい理由は知らないのだけれど、男の人が苦手なのよ、その子。でも、大庭くんが相手ならもしかしたら――と思って」
>「ああ、なるほど」


この時はまさか、原作で再び彼女の出番があるとは、
あまつさえ彼女にスポットライトが当たる可能性があるとは想像もしていなかったのです……。




 

 

 ――いやー、まさかカゲさんが陽花と同じトリガーの使い手だったとは、よもやよもやだ。

 絡んでいくきっかけができたよ! やったねマイシスター!

 

 

『むり……』

 

 

 ……とまあ、開発室を出てからの妹はこんな感じの有様なのです。

 気にし過ぎだと思うんだけどなあ。カゲさんがどういう感じで僕らの感情を読み取るのかは知らないけれど、僕の存在が許されてお前が許されないとはとても思えないぞ。いくら僕がカゲさんの信者と化しているとはいえ。

 

 

『……私の心の中が視えないから、そういうことが言えるんだよ。お兄ちゃんは』

 

 

 うーん、難しい。今の陽花のテンションを引き上げる言葉がさっぱり思いつかない。

 普通の人達っていうのは凄いなあ。相手の気持ちが目に視えないのに、どうして他人と上手いことコミュニケーションを取ることが出来るんだろう。いや、勿論そういうのが苦手な人もいるっていうのは理解してるんだけど、それでも多くの人はなんていうか、()()()()()()()()()

 僕はそうじゃない。副作用(サイドエフェクト)がなければ、誰かを満足に励ましてやることすら出来ないのだ。たとえ相手が実の妹であっても。こういう時にお兄ちゃんならどうしてやるのが正解なんだ。教えてくれ脹相の兄貴。僕は一体どうやって、全力でお兄ちゃんを遂行すればいいんだ……?

 

 

「全力でお兄ちゃんを遂行するって何だよ!?」

「――ひいっ!?」

 

 

 いかん、件の台詞を見たときの感情がリフレインしてついつい声に出てしまった。だってさあ、ついこの間まで虎杖くんと文字通り死闘を繰り広げてた人がこんな芸人キャラになるとは思わないじゃないですか。生き残ってほしいなあ、お兄ちゃん。お兄ちゃんに限った話じゃないけど。真希さんの安否は一体いつになったら確認できるんですか……?

 ところで今、誰かの悲鳴が聞こえたような気がする。それも女の子の。そう思って、声のした方にちらりと視線を投げてみると――

 

 

「――――」

 

 

 メカクレ女子がいた。

 見た目は若い。僕と同じか一個下くらいだと思う。しかし服装が若くない。何しろスーツだ。スーツ姿だ。流石にボーダー職員ってことはないだろうから、これはアレだな、オペレーターか。言及するのをすっかり忘れていたのだが、栞さんもこの子と同じ格好をしていたから察しが付く。そして思えば僕は未だに、ヒカリのスーツ姿を目にしたことがない。例のクソ寒そうなショーパンスタイルの彼女しか僕は知らない。本当にヒカリはウチのオペレーターなんだろうか。実は戦闘員だって言われても驚かないぞ僕は。

 女の子は背中を壁に貼り付け、左目だけで怯えたようにこちらを眺めている。右目は前髪に覆われていて見えない。うーん、リアルで遭遇するとその髪邪魔じゃないですかって訊ねたくなってしまうなあ、メカクレ女子。前髪が目に入ると視力が下がるって話もあるし、切りたい。君の前髪をきりたい。何だか小説のタイトルっぽくなってしまった。通り魔に刺されそう。

 

 

「あー、ごめんごめん。ちょっとうっかり心の声が漏れてしまって」

「だ、だいじょぶです……()()()()()()()()調()だったから、思わずびくっとしちゃって……」

「いや、みたいっていうか僕は普通におと『「そうなんだー。ごめんね? 脅かしちゃって。いやホントにどうかしてるよね、こんな廊下のど真ん中で大声上げるなんて。頭おかしい奴だと思ったでしょう?」』

「い、いやそんなことは……」

 

 

 ちょい待て陽花、流石に初対面の子相手にいきなりお前が絡んでいくのは許可出来ないぞこら。ていうか喋る時は前もって一声掛けろって言ったのこれっぽっちも守る気ないなお前? ええい、かくなる上はトリガー解除(オフ)して生身に――

 

 

 

『「()()()()()()()()?」』

 

 

 

 ――戻ろうとする寸前、その言葉で意識に待ったが掛かった。

 

 

 

「は……はい、そうなんです。昔、ちょっと色々あって……」

『「そっかー、大変じゃない? ボーダーにも男の人、たくさんいるでしょう? こうやって廊下を歩いてるだけでもすれ違ったりするだろうし」』

 

 

 今みたいにね。

 というか、そうか……男性恐怖症って奴だったのか……いつもの癖でフルオート訂正してしまうところだった。まさか陽花に助けられる日が来ようとは……ナイスフォロー、マイシスター。あとトリオン体(陽花の身体)のまま開発室を出てきて幸いだった。

 

 

『貸し1ね』

 

 

 ……早くもトリオン体使用権2日目を発行する羽目になりそうだなこれは。

 とにかく、そういうことなら今回ばかりはお前に任せるよ。視た感じ、お前のおかげでこの子も落ち着きを取り戻しつつあるみたいだし。でも調子に乗って変なことすんなよ。

 

 

『この子の前髪めっちゃ切ってあげたい』

 

 

 許す!

 

 

『許すなよ』

「ち、直接話しかけたりしなければなんとか……あと、年上じゃなければある程度は大丈夫です」

『「あなた今いくつ?」』

「14です」

『「……危なかった……」』

「え?」

『「いや、こっちの話」』

 

 

 年上男がアウト。14歳。……大丈夫か? ボーダーで働くのかなりしんどいんじゃないのか?

 いや待てよ、笹森くんにコアデラ組、きっくちー君とうってぃー君もこの子と同い年か。それに嵐山隊の佐鳥賢と時枝くんも。なんだ、思ったよりもいるな14歳男子。というか今更だけど、中学生をこんだけ戦場に駆り出そうとしてるボーダーってヤバいな? 緊急脱出装置(ベイルアウト)があるからセーフとかいうレベルを越えてるだろもう。

 

 

『「――でも、すごいね。苦手な人が沢山いるのに、それでもボーダーで働こうって思ったんだ。えらいね、そんなにこの町が好きなんだね。私にはさっぱり理解できないけど」』

「……そんな立派な理由じゃないですよ。親と離れて一人暮らししてたんですけど、あたしの生活を見るに見かねた先輩がボーダーに引き入れてくれたんです。あたし、今はまだ訓練生ですけど、正隊員になったらその先輩と一緒の部隊(チーム)になるつもりなんですよ」

『「……へえ、実家暮らしじゃないんだ。――私もそうだよ」』

「……そうなんですか? 一人暮らしなんです?」

『「ううん」』

 

 

 陽花はそこで言葉を切り、トリオン体(僕の身体)の胸に手を当てて、言った。

 

 

 

『「お兄ちゃんがいるよ」』

 

 

 

 ……どっかに、鏡か何か置いてないかなあ。

 今のこいつは果たして、どういう顔でこの言葉を口にしたのやら。

 

 

『やめろ』

 

 

 正直すまんかった。

 

 

「……お兄ちゃん、ですか」

『「あ、あーえっと、ごめんね? 年上の男が苦手なんだから、他人の兄の話なんか聞きたくないよね。ましてや私のお兄ちゃんの話なんて」』

「い、いえ! そういう意味で言ったんじゃないんです、ただ――その、たまに考えるんですよ」

 

 

 メカクレ少女が左目を伏せ、ただでさえ猫背気味だった背中を更に丸めて縮こまる。

 この子はこの子で、何が原因で男が苦手になったのやら。僕の副作用(サイドエフェクト)でも、流石にそこまで窺い知ることは叶わない。迂闊に踏み込める話題でもない。ただ黙って、僕と陽花は彼女の言葉に耳を傾ける。

 

 

「あたしにも、頼れるお兄ちゃんがいたら――今みたいに年上の男の人が苦手になったりなんか、しなかったんじゃないかって」

『「……あなたは、一人っ子?」』

「いや……弟がいます、それも二人。だから本当は、お姉ちゃんとしてあの子達の面倒を見てあげないといけない立場なんですよ。それなのに、全部ほっぽり出して一人で生活してるんです。最低でしょう?」

 

 

 そう言って、片目をこちらに向けた少女が自嘲的な笑みを浮かべる。

 その痛ましい笑顔の内側に秘められた感情を視て、ああ、この子は自分のことが好きではないのだなと、察してしまった。

 本当はこの子も、姉として弟達の支えになってあげたかったんだろう。全力でお姉ちゃんを遂行したかったんだろう。けれど出来なかった。諸々の事情で。そのことに自責の念を抱いている。

 抱いているけれど――だからといって、それを拭い去るための術も知らない。そうして、彼女は独りになった。自分の世界に閉じ籠もることを選んだのだ。彼女の右目を覆う前髪は、まるで彼女の世界を覆う暗幕のようだ。苦手な男を、外敵(ネイバー)を視界に映さないための防壁。そんな印象を、僕は彼女の前髪に抱いてしまった。

 ……ああ、そうか。

 この子もまた、自身と世界の境界線上(ボーダーライン)で戦っている、防衛隊員の一人なのだ。

 

 

『……戦ってるの? ただ逃げてるだけじゃない?』

 

 

 

 ――いいや。この子はまだ、逃げてないよ。

 本当に逃げ出してしまったのなら、この子は防衛部隊(こんなところ)にはいない筈だからね。

 

 

 

「……最低ってことは、ないんじゃないかな」

 

 

 

 そんなことを思ったせいか、不意に僕も、この子と言葉を交わしてみたくなってしまった。

 恐怖を克服するための手段は二つある。一つは、自身の心を鍛えて乗り越えること。そしてもう一つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。この子の過去に何があったのかは知らないが、異性の誰もが彼女にとっての脅威かといえば、そんなことはあり得ない。けれどこの子は怖がっている。それは男ではなく、この子自身の問題だ。この子以外の誰にも、解決することは出来ない。

 ならば――仮に男の僕が、この子と普通に会話をすることが出来たら。この子の世界に受け入れられたのなら。この子の世界は広がるんじゃないだろうか? 年上の異性を侵略者(ネイバー)ではなく、隣人(ネイバー)として受け入れられるようになるんじゃないだろうか? ()()()()()()

 リスクは存在する。僕がやろうとしていることは、言ってみれば騙し討ちだ。いや、僕の存在を隠して陽花が表に出ている今も騙していると言えば騙しているのだが、それでも彼女と接しているのは陽花()だ。彼女の世界に受け入れられている者だ。そこに男の僕が女の振りをして、彼女の世界に忍び込む――下手を打てば、今以上に彼女が異性を忌避する結果にもなりかねない。

 それでも僕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()。世界の片側を覆い隠す、暗幕を取り払いたいと思った。陽介、公平、カゲさん、ゾエさん、風間さん、寺島さん――彼女にとっての侵略者(ネイバー)にも、素敵な人達はいくらだって隠れている。彼らの誰もを好きになれとは言わない。好きになる必要もない。けれど視ようとさえしなければ、関わろうとしなければ、彼らを理解することすらも出来ない。

 それはとても勿体ないことだと、()()僕は思ってしまうのだ。

 

 

『その面子でこの子と普通に絡めそうなのってゾエさんくらいしかいなくない?』

 

 

 それは言うな。

 とにかく――いいか? お前に任せるって言った傍から方針変更してアレだが、もう一度僕が表に出ても。

 

 

『……ま、上手くいくかは知らないけど、やってみなよ。()()()()()()()()()()なんでしょ』

 

 

 そういうこと。

 ――そんじゃま、選手交代といきましょうかね。

 

 

 

「君、名前は?」

「……ふえっ? し、志岐小夜子です」

『いきなり二人称変えたから戸惑ってるやん』

 

 

 いいんだよ。僕がお前の物真似をして受け入れられても意味がない。顔と身体は(お前)のままでも、あくまで中身は()として振る舞うことが重要なんだ。ということで気にせず続行します。

 

 

「志岐さんは今、ボーダーの正隊員になろうとしているよね」

「は、はい」

「ボーダー隊員っていうのは、三門市を近界民(ネイバー)の脅威から守るのが仕事だ。そして三門市を守るということは、この町で暮らす人達の平穏を守るという意味でもある。当然その中には、君の弟達も含まれている――そう考えたら、君は本当に何もかもを放り投げた訳じゃないと僕は思うんだよ」

「ぼ、僕……?」

「気にしないでくれ、()()()()()()()()。――で、どうかな? そんな風には考えられない?」

 

 

 志岐さんの左目が右へ左へと揺れ動き、それに合わせて心の中もぐるぐると渦を巻いている。きっと右目も同じように右往左往していることだろう。見えなくても、()えなくても理解る。

 それでも彼女は最終的に、首を横に振って。

 

 

「……それは違う、違いますよ。だって、そんなの結果論じゃないですか。ボーダーに入ろうって決めた時、あたしは弟達のことなんて少しも考えなかった。ただ先輩に流されただけなんです。『アンタ、このまま一生引き篭もって水と塩昆布だけで生きていくつもりなの?』って……」

 

 

 とんでもない食生活送ってんなこの子。そりゃ先輩も止めるわ。いや、流石にそれだけで生きていける筈もないから何かの冗談だと思いたいのだが……志岐さんの先輩、正隊員なら是非ともこの子にご飯奢ってあげて下さい。死んじゃうから。

 まあ、とにかく。

 

 

「きっかけ自体に大した意味はないよ。理由はどうあれ、君は防衛隊員の一員になるためこうして頑張っている。その時点でもう、最低なんてものとは程遠いところに君はいるんだ。だから、自分のことをそんなに責めないでほしい」

「……そんな前向きな考え方、あたしには無理ですよ」

()()()

 

 

 志岐さんの中に芽生えた()()()()()()を見据えてそう言うと、彼女がびくりと肩を震わせる。

 ……いかんいかん。ともすれば今の僕みたいな輩に強く詰め寄られたせいで、彼女は年上の男が苦手になってしまったのかもしれないのだ。慎重に、慎重に――そうは思うのだけれど。

 それでも、()()()は見過ごせない。人の心を食い荒らし、気力を奪い、良くないものへと変えていく――僕が生涯を賭して殺し尽くしてやろうと思っている感情(もの)が、彼女の中にも巣食っている。こいつを滅ぼさない限り、彼女はいつまで経っても自分を変えることなど出来やしない。

 

 

「志岐さんは多分、自分のことが好きではないよね」

「……そりゃあイヤですよ。男の人にびくびく怯えて、外を歩くときもこそこそ人目を伺って――そんな自分のことなんか、好きになれるわけないじゃないですか」

「それでも君はボーダー(ここ)に来た。この世界の外から来る怪物、近界民(ネイバー)と戦う防衛隊員の一人になったんだ。だったら君も、()()()()()()。最低だなんて誰にも言わせない。志岐さんの弟くん達も、お姉ちゃんがボーダーの正隊員になったらきっと周りに自慢すると思うよ。『ウチのお姉ちゃんはこの町を守る正義の味方なんだぜ! すごいだろ!』みたいな」

「……でもあたし、この性格のせいで戦闘員になれなかった腑抜けなんですよ。トリオンだけなら充分に戦闘員の素質があるって言われたんですけど、それでもなれなくて……」

「だったらその分、オペレーターとして(チーム)の皆をしっかり支えてあげればいい。それだって立派な仕事の筈だ、何も恥じる必要なんてない」

「…………」

 

 

 ……うーん、弱いか。風間さんに倣ってポジティブ精神を植え付ける方向で挑んでみたのだが、そっち路線で行くにはまだこの子に成功体験が足りなかったようだ。特にこの子の場合、戦闘員になれなかったという負い目が自身を強く縛ってしまっている節があるもんな。まずはオペレーターとしての自分を好きになってもらってそこから、というのが正しい順序であったか。人の心を燃やすのって難しいなあ、煉獄さん。

 

 

『……ていうかさ、お兄ちゃんはどうやってこの子の男嫌いを治そうとしてるわけ? なんか話の流れが変な方向に逸れていってない?』

 

 

 よくぞ聞いてくれたマイシスター。いいかね、僕の考えた完璧なる作戦(パーフェクトプラン)は以下の通りだ。

 

 

 まず僕が素のキャラでこの子と接します。

 ある程度仲良くなったところで換装を解いて、こう告げます。

 "実は今まで君と喋っていたのは男だったのさ!"

 するとこの子はこう思うのです。

 "なーんだ、私って男相手でも普通に話せるじゃん! 今まで怖がってたのが馬鹿みたい!"

 こうして彼女は一つの壁を乗り越えて、自由気ままにボーダー生活(ライフ)をエンジョイ出来るようになったのでした……。

 

 

 めでたしめでたし!

 

 

『ガバぁい!!』

 

 

 は? 完璧な作戦(パーフェクトプラン)なんじゃが? 僕が志岐小夜子攻略RTAのために組み上げた一分の隙もないチャートなんじゃが?

 

 

『百歩譲ってチャートが良くてもプレイがガバじゃ意味ないんだっつーの……! 実際に今なんか詰みかけてんじゃん! この子を落とすのにいつフラグ立てたの? ステータスは? 装備は? 準備もなしにいきなり()()()()()()()()()に挑んでも返り討ちに遭うに決まってんでしょーがぁ!!』

 

 

 お前ゲーム詳しいな……ひょっとしてお兄ちゃんより詳しいんじゃないか……一体どこで……。

 

 

『ていうかそもそも、()()()()()()()()()()()だなんて考えるなこの馬鹿!!』

 

 

 ぐうの音も出ねえわ。

 ……いや待て。フラグが足りないって今言ったな? そうだよ、肝心なことをまだ聞けていなかった。

 

 

『というと』

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()だよ。それさえ判ればやりようはある筈だ。言ってみれば今までの僕は、相手の弱点も知らずに闇雲に剣を振り回す愚かな勇者だった。風車と戦うドン・キホーテのようであった。この子の髪を切ろうとする前に、この子が前髪を伸ばすようになった理由を知らなきゃ話にならない。いや、この髪型と男嫌いには何の繋がりもないのかもしれないけど、ひょっとしたら吉野順平君的な事情でもあったりするのかもしれないし……。

 

 

『逆に普通にお洒落のつもりで伸ばしてたのを、私らみたいなのに弄られたせいで男嫌いになった可能性だってあるよね』

 

 

 過去は無限に広がっている……。

 とにかく、ようやく取っ掛かりを掴めた気がする。かくして僕が意を決し、黙り込んでしまった志岐さんへと声を掛けようとしたその瞬間――

 

 

 

「おっ、葉月じゃねーか! こんなとこで何やって――んん? なんか雰囲気変わったか……?」

 

 

 

 廊下の向こうから、僕の親愛なる友人(バカ)が声を掛けてきた。

 最悪のタイミングで。

 

 

「ひっ――」

 

 

 志岐さんの口から掠れた悲鳴が漏れて、彼女の心が一瞬にして『恐怖』に塗り替えられていく。その寸前で彼女に芽生えかけていた()()をも飲み込んで、真っ当な思考の生まれる余地が彼女の中から消え失せていく。

 いかん、これはマズい、どう()ても――

 

 

 

「ごっ……ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 

 

 絶叫と共に身を翻した志岐さんが、脱兎の如く一目散に廊下を駆けていく。『廊下をトリオン体で走らないで下さい』という注意書きを嘲笑うかのような全力疾走に、僕は棒立ちのままその背を見送ることしか出来なかった。あとこの注意書き、生身だったら走っていいのかと突っ込みたい。運転免許のしょうもない筆記試験のようだ。完全にどうでもいいな。うん。

 

 

「陽介ェ……」

「……ひょっとしてナンパ中だったか? マジか、葉月もいよいよ色を知る年齢(とし)ってやつか……」

「ぶちころすぞ」

「いや、わりーわりー。まさかおまえに声掛けただけで女の子が逃げてくとは思わなくってよ。――え、マジで狙ってたとか、そういうやつか?」

「……いや」

 

 

 溜息を吐いて、僕は志岐さんの消えていった曲がり角から視線を切った。

 今まさに核心に触れようというところで、狙いすましたかのような()()だ。何というか、天から叱りを受けたような気分だった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とでも言うような。『本物』という言葉が思い浮かんだ時の感覚に似ている。きっと今ではなかったのだろう、彼女が男嫌いを克服するべきタイミングというのは。

 ……仕方がない。心残りは尽きないが、後は君に任せるよ()()()()()()

 

 

『誰それ』

 

 

 いや、風間隊の気配りが出来る男こと――

 ……うん? どうして今、僕は彼の名前を頭に思い浮かべてしまったんだろうか……?

 

 

 

 

 

 

「…………?」

「え、何してんの歌川。いきなりこめかみ抑えながら変な顔して」

「いや……なんか今唐突に、オレが将来右目を前髪で隠した女の子と(チーム)を組む未来が見えたような気がして……」

「うってぃーが迅さんみたいなこと言い出した!」

「……うさみ先輩、最近よくその人の名前出すよね。迅って人と、それから()()()の人達の名前。何? 仲良いの?」

「いやー、()()仲良しってほどの関係じゃないんだけど、最近ちょっとその人たちと色々話す機会があってといいますか……」

「……ふーん?」

「迅さんか……あの人みたいな髪型にしようとしてるせいで変な影響受けたとか……いや、そんな馬鹿なことが……」

「あ、うってぃー髪伸ばす気なんだ! しかも迅さんヘアー!? いいねえ、うってぃーなら絶対に似合うと思うよ! ついでにこの眼鏡を掛けたらもっと似合うと思う!」

「隙あらば眼鏡じゃん」

「は、ははは……考えておきます……あともみあげの長さは普通にしとこう……」

 

 

 

 

 

 

「……で、どーしたんだよその(ツラ)は」

「いやまあ、話せば長くなるんだけれども」

 

 

 陽花()の顔を訝しげに眺めつつ、そう口にする陽介。どうでもいいけど陽花と陽介で()()()だな。どうかねマイシスター、これを機にウチの馬鹿ともいっちょ絡んでみるのは。

 

 

『パス』

 

 

 ……またか。お前のペースに合わせるとは言ったものの、どうにもお前が出たがる時とそうじゃない時の差が判らんな。さっき志岐さんを相手にした時は自分からフォローに入ってくれるくらいだったのに、どうして陽介や風間さん達相手だとそんなに引っ込み思案になってしまうんだ?

 

 

『……私がどうして、あの子の男嫌いを即座に見抜けたのか、教えてあげようか?』

 

 

 え、何。なんか理由あったのそれ。

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 ……ジーマーで?

 

 

『まあ、嘘なんだけど』

 

 

 おい。

 

 

『でもまあ、ある意味本当かもしれないね。少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()っていうのは嘘じゃないし――とにかくそういう訳だから、テキトーにお友達の相手してなよ。私は寝る』

 

 

 いや待て、寝るな。タイミングこそ最悪だったが、元々僕は陽介にも用事があったんだ。正隊員に昇格したらこいつと一戦交える約束してたんだよ。

 

 

『……は? 嘘でしょ、今からいきなり()るつもりなわけ? 私まだトリガーの使い方とかさっぱりわかんないんだけど。お兄ちゃんだって炸裂弾(メテオラ)以外はさっぱりなんじゃないの』

 

 

 いいんだよ、ちょっとした記念デュエルみたいなもんなんだから。まあやるからには勝ちに行きたいけどな。僕らの絆パワーってやつを見せてやろうぜマイシスター!

 

 

『……こりゃあダルいわ』

 

 

 まあそう言うなよ。そんじゃま、とりあえず話進めていっちゃうぞ。

 

 

「陽介。今って余裕ある?」

「あん? これから個人戦ブース行くとこだけどよ、どーした?」

「だったら話は早い――じゃーん!!

「おお!?」

 

 

 渾身のドヤ顔で先程出来上がったばかりの正トリガーを見せつける僕である。とくと見よ、僕らの新たな魂が籠められた逸品を。

 

 

「うわー……やべーな。入隊してたった二日で正隊員とか、どんだけランク戦ガチったんだよ? 流石に引くわー」

「引くな。こっちも生活掛かってるから必死だったんだよ。――それよりも、理解ってるよな? 僕が何を言いたいのか」

 

 

 待ってましたと言わんばかりに、口の端を吊り上げる陽介。たった二日とこいつは言ったが、僕からしてみれば充分過ぎるほどに長かった。『そのうちいっちょバトろうぜ!』と言われたのが、かれこれもう4ヶ月は前のことのようだ。互いのボルテージはもう、はち切れんばかりに高まっている。

 が、陽介はそこで妙なことを言い始めた。

 

 

「おーよ、上等。お誂え向きのタイミングだぜ、()()()()()()()がっつり相手してやんよ」

「あいつ?」

「あれ、言ってなかったっけか? 帰ってくるのは今日だって」

「……誰の話?」

「そりゃ、俺らの間であいつっつったら一人しかいねーだろーがよ」

 

 

 ……言われてみればその通りだ。そうか、帰ってきてたのか。驚くだろうな、僕がボーダーに入ったことを知ったら。しかも正隊員で女の顔までしているとあっては、陽介に比べるとツッコミ気質なあいつのキャパがオーバーフローを起こしたりしないか心配だ。

 ――いいや。或いはそれも、無用の懸念であるだろうか?

 何かを計算・処理することに関してあいつの右に出る人材を、僕は今まで目にしたことがないのだから。

 

 

 

「――いっちょ脅かしてやろーぜ。やっとこさ帰ってきやがった、弾バカ様のヤローをよ」

 

 

 

 出水公平。A級1位部隊の隊員であり、ボーダー内では天才と謳われている男にして――

 米屋陽介に並ぶ、僕の親愛なる友人(バカ)の名前だ。

 

 






頑張れ小夜子。負けるな小夜子。家に帰るまでが遠征試験だぞ小夜子。
これで掘り下げなかったら逆にビックリするぞ小夜子。

次回は帰ってきた弾バカ+α編。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ガイアの夜明け



予定になかったシーンがぽんぽん生えてくる




 

 

「おー、やってらやってら。今日もブースは大賑わいだなっと」

 

 

 という訳で、帰ってきました個人戦ブース。朝方に4000点まで稼いで以来、数時間ぶりの帰還になります。

 ……そうか。まだ一日経ってないんだよな、僕らが正隊員になってから。それからカゲさん達のとこ行って、風間隊のお世話になって、寺島さんに正トリガー作ってもらって、志岐さんと廊下で鉢合わせして、そして陽介と個人戦ブースへ……一日にイベント詰め込み過ぎじゃないか? そんなだからいつまで経ってもランク戦が始まらないんだよな

 公平は既にブースに着き、僕らが来るまで個人戦で時間を潰しているとのことである。遠征から帰ってきたのが昨日の夜のことだそうだが、長旅から帰ってきて即ランク戦とは随分と元気が有り余っているもんだ。まあトリオン体なら生身にそこまで疲れ残んないもんな。

 

 

「どの部屋にいるのかな、公平」

「ま、テキトーにモニタ眺めりゃ見つかんだろ。戦い方が無駄に派手だから判りやすいんだよな、あいつ」

 

 

 そう言って陽介が顎をしゃくり、ロビーに設置された電光掲示板へと視線を促す。入隊指導の時と同じように、各部屋の番号が三分割された掲示板の上下にずらりと並んでいる。ROOM303(303号室)は――空いてるな。よしよし。

 中央の画面には、『101-212』だの『223-307』だのと隅っこに書かれた戦闘風景がサムネイル状に表示されている。なるほど、ロビーからでもどの部屋で誰と誰が戦ってるのか判別できるようになっているのか。しかし一つ一つの画面がえらくちっちゃいなこれ。もう少し大きくはならないものか――あ、なった。

 分割表示されていた各部屋の映像、そのうちの一つが拡大されて掲示板の上部に映し出される。帽子を被った精悍な顔つきの隊員と、ス……スーツ? スーツ姿の鋭い目をした隊員が、激しく弧月で斬り結んでいる。そして中央の画面には、

 

 

荒船 〇××〇 2

 辻 ×〇〇× 2

 

 

 という勝敗表示が。暫くすると画面が切り替わって、また別の部屋の映像と勝敗が拡大される。どうやら、こんな感じで順繰りに各部屋の映像をクローズアップする仕組みになっているようだ。

 にしても、スーツ……スーツか。オペレーターならまだしも、戦闘員でああいう格好をしている人がいるとは思わなかったな。どう見ても防衛組織の兵隊がする格好ではないのだけれど、あれはあれで絵になるというか、周囲との違和感とかそういうものに目を瞑れば、まあ、悪くない。多分あの隊服を考えた人は周りの目を気にしない人というか、我が道を往く人というか、独自の世界を持っているタイプの人なんだろう。正直ちょっと興味深い。

 

 

「ねえ陽介。今モニタに映ってたスーツの人って、荒船さんと辻さん、どっちの方か判る?」

「ああ、そりゃ辻ちゃんだな。やっぱ最初は気になるもんか? あの格好」

「いや、悪くないね。正直に言うと僕もちょっとだけ着てみたい」

『正気か……?』

「ははっ、葉月ならそう言うと思ったぜ。――ま、着ようと思って着られるもんじゃねーけどな。二宮隊はもう定員一杯で人数増やせねーんだ」

 

 

 二宮隊。それが辻ちゃんさんの所属している(チーム)の名前なのか。ということはあの隊服も二宮某氏が考案したものなんだろうか。うーん、気になる。『ウチの隊服はこのデザインで行く』と言ってあのスーツをお出しできる人のキャラがすこぶる気になる。絶対面白い人だって僕の副作用(サイドエフェクト)がそう言ってる。『私の副作用(サイドエフェクト)はそんなこと言わない』解釈違いを起こしてしまったか……。

 今の試合が終わったら辻ちゃんさんに直接聞いてみようかな? あなたの隊長の二宮某さんってどんな人なんですかって。でも今日は陽介と公平の方を優先しないといかんしなあ。うーん、興味の湧くことが多過ぎて何から手付けていいのか困っちゃうぜボーダー。

 とりあえず頭に留めておこう、二宮さんと辻ちゃんさん。いや、陽介がちゃん付けで呼んでるってことはさんはいらないか。じゃあ僕も勝手に辻ちゃんって呼ぼう。よろしくね! 辻ちゃん!

 

 

『5本勝負終了。勝者、荒船哲次』

『あ、辻ちゃん負けた』

 

 

 うっかり彼の動きを狂わせる毒電波でも飛ばしてしまったかな……。

 まあいい。辻ちゃんには悪いのだが、今日のお目当ては君ではないのだ。公平はどこだ公平は。という訳で再び縮小された無数のサムネイルを見回していると、

 

 

『あ』

 

 

 不意に、陽花が小さく声を漏らした。丁度そのタイミングで、とある試合の画面が拡大される。

 舞台は夜の市街地。立ち並んだ民家の屋根を、()()()()()()()()がぴょんぴょんと飛び回っている。そして彼女が屋根を蹴った直後、それまで立っていた地点に無数のトリオン弾丸が降り注ぎ、民家が粉々に吹き飛ばされる。

 炸裂弾(メテオラ)だ。しかもどうやら、僕らの使っているものよりも威力が高い。弾丸の設定によるものか――いや、違うな。弾速は充分に稼いであったし、射程を削ったにしては画面に撃ち手の姿が映っていない。おそらく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。紳士ウィルバーが以前に言っていた。訓練用のトリガーは正規品に比べれば玩具のようなものだ、と。

 少女は空中で身を捻りつつ、己の周囲に()()のキューブを展開させる。訓練生は一つのトリガーしか使えない筈だから――間違いない。今日のうちに彼女も昇格を果たしたのだ。流石は3500点スタート。

 二つの大玉が細かく砕け、衛星の如く彼女の周囲を取り囲む。そして彼女の口が開いた。こちらに声は届かないのだが、僕の耳にははっきりと、彼女の代名詞たるそのトリガーの名が聞こえた。

 

 

『――変化弾(バイパー)!』

 

 

 (メイン)(サブ)、双方から一斉に放たれた数多の弾丸は、狭い路地裏へと吸い込まれるように殺到する。一発たりとも建物の壁に引っかかったりはしない。うーん、相も変わらず緻密なコントロールだ。相手の姿は見えないが、この一撃であえなく穴だらけになっていることだろう。よくもまあ、飛び回りながらあれだけの弾丸を自由自在に操れるもんだよ。

 

 

「おー、やるなーあの女の子。隊服が訓練生のまんまってことはB級上がりたてなんだろーけど、あの腕だったらすぐにでもマスターになっちまいそーだぜ」

「そうだろうそうだろう」

「いや、なんでおまえがドヤ顔なんだよ。ひょっとして知り合いか? つーか同期?」

「そういうこと。――僕にボーダーの()()()()を教えてくれた、師匠みたいな子だよ」

 

 

 那須玲。陽介と同様に、今日の僕が探し求めていた相手だ。上手い具合に二人とも見つけられて良かったぜ。後は彼女に影浦隊(カゲさんとこ)に入ったことを伝えればミッションコンプリートだな。

 ……あれ、そういや僕はどうして彼女に会わないといけなかったんだっけか。何かを依頼されていたような気がするんだが、その内容が思い出せない。何だったっけマイシスター?

 

 

『……ああ、やっぱり綺麗だなあ……()()()()()……あれ』

 

 

 駄目だ。いつもの陶酔モードに突入してやがる。まあいい、本人に直接聞けばわかることだ。

 それにしても、那須さんが全弾ぶっ放したというのに試合が終わってないな。もうとっくに相手が散体しててもおかしくない筈なんだが――そう思った直後。

 路地裏の隙間から、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『「「なにィ!?」」』

 

 

 なんだあの量。雨か? 嵐か? それ以前に、路地裏に潜む相手は一体どうやって那須さんの弾丸を掻い潜ったのか――その答えは、彼女自身が示してくれた。

 那須さんの両脇を庇うように半透明の円体が浮かび上がり、飛来した無数の弾丸がそれによって防がれる。なるほど、あれが普通のシールドってやつか。レイガストと違って手を空けたまま使えるのはいいところだな。浮かせて使えるってことは重たくもないんだろうし、飛んだり跳ねたりを得意とする那須さんにはこっちの方が合っていそうだな。やっぱり僕も今からでも一枚入れて……いやいや。

 とにかく、謎の路地裏マンもこのシールドによって那須さんの弾丸を凌いだのだろう。そして、どうやら路地裏マンのトリオン量は那須さんを一回りは上回っていると見える。大量の弾丸から身を護るために那須さんはかなり大きめにシールドを展開しているのだが、弾丸の雨に曝されたシールドはあちこちに罅が入っており、今にもパリンと砕けてしまいそうだ。

 

 

「な、那須さんが撃ち合いで押されている……正隊員の射手(シューター)っていうのは化け物か……?」

 

 

 思わず連邦の白い奴を前にした赤い人のような呟きが漏れてしまった。いや、那須さんがザクだとか言うつもりはないけれど。個人的にはキュベレイ辺りがよく似合うと思う。名前も玲だしね。詳しくないけど。

 

 

「いや、実際あの子より上手い射手(シューター)はボーダーにも殆どいねーと思うぜ。ただでさえ変化弾(バイパー)ってのは扱いがムズいトリガーだっつー話だし、それをB級上がりたてであんだけ使いこなしてんのはすげーよ。――ただ」

 

 

 頭の後ろに手を組んで、リラックスした姿勢でモニタを眺めている陽介。普段通りの飄々とした笑みを崩さぬまま、続ける。

 

 

「流石にまだ、火力も技術(テク)()()()()の方に分があるみてーだな」

「――え」

 

 

 陽介がそう口にした直後、路地裏の陰から()()()()()()()()()()()が姿を現した。

 両の掌に一個ずつ、人間の頭部ほどはある巨大なキューブを掲げている。陽花()と同等――或いはそれ以上のサイズだ。そのまま弾丸を発射するのかと思いきや、なんと()()()は粘土の如く二つのキューブをこねくり回して一つにしてしまった。なんだそれ。正トリガーってそんなことまで出来ちゃうの? 二つの弾丸(じゅもん)を混ぜ合わせて一つにするとか、そんなん実質メドローアですやん。

 で、そのメドローアがぶっ放される。分割無しの大玉一発。防ぎ切れないと察したか、那須さんが再び屋根を蹴って別の民家へ飛び移るのだが――何とこのメドローア、軌道を変えて追っかけてきやがった。変化弾(バイパー)――いや違う、このしつこさは追尾弾(ハウンド)だ。弾速も先の炸裂弾(メテオラ)以上に出ている。路地裏からわざわざ姿を現したのは、おそらく射程を削って弾速に回すためだったんだろう。

 那須さん、再度シールドを展開。罅割れが回復し切っていないが、先程よりも発生範囲を絞っておまけに二枚重ねている。そういえばBBFのシールド解説にこう書いてあったな。シールドの強度は展開範囲に反比例して、小さくすれば小さくするほど硬くなるのだと。ということはこれこそ、那須さんに構築できる最大最硬の防御円なのだろう。ニジイロクワガタの甲皮! みたいな。

 

 

「よーしいける! まだいけるぞ那須さん!」

「と、思うじゃん?」

『あ、本家だ』

 

 

 やめろォ!! おまえがそれ言ったら100%何か起こるって僕は知ってんだぞォ!!

 

 

「シールドが万全の状態だったなら、ひょっとしたら耐え切れたかもしんねーが――」

 

 

 シールドに大玉が接触した瞬間、衝撃で圧し潰された大玉がぐにゃりと形を変えて――そして、爆発を起こした。那須さんの姿も爆炎の中に飲み込まれて、目視が叶わなくなる。

 炸裂弾(メテオラ)だ。あのメドローアには追尾弾(ハウンド)炸裂弾(メテオラ)、二つの弾丸の特性が付与されていたのだ。命中するまで相手に食らいついて離れない追尾弾(ハウンド)と、命中したら大爆発して全てを吹き飛ばす炸裂弾(メテオラ)の組み合わせ――チートか? 冗談抜きで極大消滅呪文って感じじゃないかそんなの。

 

 

「――半壊の盾でどうにかできるほど、あいつの()()()は安くねえ」

『5本勝負終了。勝者、出水公平』

 

 

 煙が晴れたとき、その中に那須さんの姿はなく――無機質な合成音声が、彼女の戦闘体が消し飛んだことを僕に伝えていた。

 ロングコートの少年は、試合の決着を確かめるとふーっと一息を吐き、それから嬉しそうに口元を綻ばせた。……いや、()()()じゃないな。普通に喜んでるわ。カメラ越しだろうが何だろうが、対象を目で捉えさえすれば僕にはそいつの感情が()えるのだ。

 どうやら那須さんとの試合は、あいつにとっても確かな満足を得られるものであったらしい。

 

 

 天才射手(シューター)、出水公平。

 その底知れぬ才能の一端を、僕はこの日、初めて目の当たりにしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「コウヘイヘェーイ!!」

 

 

 ブースから出てきた公平にそう叫びながら駆け寄ると、公平はぎょっと目を見開きこちらに視線を向けて、直後にぶーっと吹き出した。うん、典型的な驚愕の反応(リアクション)をありがとう。

 

 

「は――葉月!? いや、滅茶苦茶似てっけどなんか微妙に違うみてーな……誰だてめーは!?」

「いやだなあ、君のクラスメイトで出席番号も君の次で席も君の後ろの大庭葉月ですよ? そう、いつもニコニコあなたの隣に這い寄る混沌……」

「こ、このウザ絡みは間違いなく葉月のヤロー……いや待て、顔だけじゃなくて声も微妙に高くなってんじゃねーか! 大体、なんでてめーが知らない間にボーダー隊員になってんだ!? おれ何も聞いてねーぞ!」

「そりゃ、弾バカ様は()()()()()()に旅立ってたんだから伝えられるワケねーだろよ」

 

 

 僕の後ろからニヤニヤしながら公平を煽りに行く陽介。基本的に僕らが三人集まると弄られ役は公平の担当になる。僕と陽介に比べて根っこのところが真面目というか、アホになり切れないとこがあるんだよな公平は。別に欠点じゃない、むしろ美徳と言い換えてもいいところなんだけども。

 

 

「……それでも、昨日てめーに連絡した時教えてくれても良かっただろーがデコ出しバカ」

「いきなり顔合わせた方が絶対おもしれーって思ったから黙ってたんだよ。最初は弾バカ捕まえてから葉月のとこに連れてくつもりだったんだけどよ、たまたま先に葉月に会ったからプランを変更したっつーわけ。どーよ、この演出上手っぷりは」

 

 

 しれっと言いのける陽介である。その初期プランだと僕の方もそれなりに驚かされる羽目になっていたな、公平が帰ってくるだなんて聞かされてなかったんだから。『言ってなかったっけか?』じゃないぞこのヤロウ。つくづくこいつもノリと勢いで生きてやがる。流石は僕の同類だ。

 ともあれ、これでようやく三人揃った。()()の事情を打ち明ける時がやって来たのだ。そう――陽介にもまだ、この身体のことと陽花の話はしていない。どうせ公平にも話さなければならないのだから、二人纏めての方が楽だと思ったのだ。

 とりあえず、立ち話も何だから適当に空いているソファでも使わせてもらおうか。そう思って、僕が二人に移動を促そうとする寸前――

 

 

「――そう。二人はお友達だったのね? 大庭くん、出水くん」

 

 

 別のブースから出てきた那須さんが、いつも通りの薄い微笑みを湛えて僕らに声を掛けてきた。

 ……うん? まるで僕だけでなく、公平の方とも顔馴染みであるかのような言い方だな。というか普通に出水くんって言ったな今。ちょっと待て、その話僕は初耳だぞ。

 

 

「や、こんにちは那須さん。……もしかして、前に言ってた変化弾(バイパー)の使い方を教えてくれた男子っていうのは……」

「ええ、出水くんのことよ。まさか大庭くんのお友達だとは思いもしなかったけれど。世の中って意外と狭いのね」

 

 

 それはこっちの台詞である。しかしそうか、公平が那須さんの師匠……そして僕にとっても那須さんはボーダーの師匠……つまり僕は公平の孫弟子……? そ、そんな馬鹿なことが……。

 

 

「対戦ありがとう、出水くん。5本やって結局1本も取れなかったわね。悔しいわ」

「いや、遠征行く前に比べてかなり上手くなってたからビビったぜ。跳び回りながらきっちり狙い付けられるようになってたし、おかげで思わず追尾弾(ハウンド)に甘えちまった」

「そう? ――だとしたら、鬼ごっこと七面鳥撃ち(ターキーショット)の経験が活きたのかもしれないわね」

「は? 鬼ごっこ?」

「そう、楽しい楽しい鬼ごっこよ。ね? 大庭くん」

「ねー」

「「は?」」

 

 

 那須さんの振りに満面の笑みで返したら何故か野郎二人から殺意の籠もった目線を向けられたでござるの巻。あまり強い視線を向けるなよ。弱く見えるぞ……。

 

 

「……おい、おれの知らねー間に随分とお楽しみだったらしいじゃねーか葉月? いつの間に那須さんとそんな仲良くなりやがったこら」

「ははは、そういう公平くんも変化弾(バイパー)の先生だなんて随分と良い御身分じゃあないですか。手取り足取り教えてあげてらしたんでしょう? すごいなー憧れちゃうなー」

「つーかおめーら三人揃って射手(シューター)ってどういうことだよ。オレ一人だけ攻撃手(アタッカー)でなんか肩身狭いじゃねーか、誰かこっちに転向しろよな」

「「知るかバカ」」

 

 

 なんか一人だけ全然関係ないことでキレてるアホがいた。まあ陽介ってモテたい願望あんまりないらしいからな……意外なことに公平の方がモテたい寄りなんだよな……この二人は似た者同士のようで割と細かいところに違いがあって()ていて面白い。公平は外見重視で陽介は性格重視だったりとか。明るい子が好みなのはどっちも同じなんだけど。

 脇腹を肘でつつき合いながらひそひそ話に興じる男3人(なお内1名は内面のみ)。そんな僕らの様子を、那須さんが何処か尊いものでも見るように眺めている。どうしたのかね、別に見ていても面白いことは何もないと思いますよお嬢さん。

 

 

「どしたの? 那須さん」

「いいえ、その――出水くんって、トリオン体の大庭くんと会うのは今日が初めてなのよね?」

「え、おれ? そうだけどよ、()()()()()()()()()?」

「……そう。ごめんなさい、何でもないのよ。――良いお友達を持ったわね、大庭くん」

「――まあね」

 

 

 僕と那須さんを交互に眺めて、訳がわからないというように目をぱちくりさせる公平。そんな弾バカ君の様子を、ニヤニヤしながら陽介が眺めている。勉強はからっきしの癖にこういうとこだと聡いんだよな陽介って。つくづく意外性の男だよ、おまえは。

 那須さんの言いたいことは、なんとなく理解る。今の僕は陽花()の顔と身体をしているのだから、もう少し忌避感というか、こういう()()()()()()()のじゃれ合いに抵抗があったりしてもおかしくはない筈だ。けれど陽介も公平も、僕の身体のことなんかこれっぽっちも気に掛けていない。陽花()になった僕のことを、以前と何も変わらない、大庭葉月()として扱ってくれている。そのことを僕は嬉しく思うし、その事実を尊いものだと感じてくれる那須さんのことも、なんていうか――

 

 

『…………』

 

 

 ……なんていうか。いや、なんだろうね? 僕は今一体何を思ったんだろうか。ようわからん。

 とにかく、那須さんと公平が顔見知りだというのは都合が良い。僕らの新たな自己紹介に、せっかくだから那須さんも交えてしまおう。陽介も嫌な顔はすまい。

 勿論おまえも大歓迎だよな? 陽花。いよいよおまえの大好きな那須さんと面と向かって言葉を交わせるチャンスだぞ。それに、僕が前々から考えてたことを那須さんに提案する良い機会だ。

 あのな陽花、もし那須さんがお前のことを受け入れてくれたのなら、その後は――

 

 

 

『……いいのかな』

 

 

 

 What?

 

 

『この人達に、私のことを教えるってことはさ。()()()()()()()()()()()()()()って、意識させることになるでしょ。そうしたらもう、お兄ちゃんとこの人達は、今みたいにお腹つっついたり、肩組んでふざけ合ったりとか、そういうことが気軽に出来なくなるんじゃないかって――そんな風に思ったらさ、なんていうか、私……』

 

 

 ……あらあらあら、あらあらまあまあまあ。

 

 

『その最っ高に腹立つ返しは何なのマジで!?』

 

 

 ――いや、なんていうかね。

 何だかんだ言って、やっぱりおまえは僕の妹なんだなって、そう思っちゃったわけだよ、今。

 

 

 

 影浦隊の作戦室に、初めて足を運んだあの時。カゲさん、ゾエさん、ヒカリの三人によって築き上げられた関係が、他者の割って入る余地がない完成されたものであるように思えて、自分のことが海鼠か何かのように思えた、あの時。

 あの時の僕も、こいつのように余計な不安を抱えていた。己の願望に蓋をして、黙って身を引くのが正しい判断なのではないかと、そんな考えに囚われかけた時があったのだ。

 けれど、そんな僕の背中を、紳士が押してくれた。そして彼の口にした言葉は、今まさに陽花が遠慮を抱いている、三人のうちの一人が愛用している言葉なのだ。

 だから僕もあいつに倣って、お前の抱えている不安や遠慮を、この一言で笑い飛ばしてやろう。

 

 

 ――と、思うじゃん? だぜ。マイシスター。

 

 

 

「いやいや、良い友達とか全然そんなんじゃねーから。こいつもそこのバカに負けず劣らずのバカだから。三馬鹿トリオ扱いだけは真っ平御免だから」

「おーおー、弾バカ様がここぞとばかりにぼくは違いますアピールしてやがる」

「うるせーぞ言い訳の余地も何もねえバカ。知ってっか? あの太刀川さんですら、大学入ったら今までみてーなランク戦三昧の毎日から脱却して真面目な学生生活送るって言ってんだぞ。てめーも高校入ったら少しはベンキョーしろ、ベンキョー」

「いや待て。オレの成績はともかくとして、太刀川さんが真面目な学生生活って何の冗談だそれ。小南じゃねーんだしオレはそんなウソ信じねーぞ」

「おれだって京介じゃねーんだからこんなウソつかねーよ、本人がそう言ってんだよ。実際に最近あの人あんまりランク戦やってねーだろ」

「……マジかよ? 迅さんショックで頭おかしくなっちまったのかあの人……?」

「太刀川さんという人のことはよく知らないのだけれど、学業に励むと言っているのに正気を疑われるのはあんまりじゃないかしら……」

 

 

 な? 楽しそうだろ? 『私も混ぜてよwww』的な気持ちになってくるだろ? 『間に挟まりてぇ~……』でもいいぞ。でもそれ言うと顔面ボッコボコにされるのがお決まりなんだよな。ガッ……陽花(ガイア)ッッッ!!

 

 

誰がガイアじゃい!! ……はああああ……』

 

 

 あの、人の脳内で心底馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの溜息を吐くのは止めていただけないでしょうか。耳がぞわっとします。

 

 

『言わんばかりっていうか、実際そう思ってるし……もういいです、わかりました。私が悪うございました。煮るなり焼くなりお好きにどーぞだよこんちくしょう』

 

 

 言質取ったわよおおおおおおおお……。

 

 

 

「あー……こほん」

 

 

 

 和気藹々と雑談に興じる御三方の意識をこちらに向けるべく、わざとらしい咳払いを一つ。正直に言うと僕は咳払いで自身の存在をアピールする人があんまり好きではないのだが、言葉で注目を集めるのもそれはそれで気恥ずかしかったというか、とにかくそんな訳で甘えてしまった。許せ。

 

 

「んだよ葉月、無駄に改まった空気出しやがって」

「とりあえず公平、僕を陽介と同レベルのバカ扱いしたことは不問にしておいてやる」

「あれ、その流れで行くとオレ一人だけバカ扱いにならね? おかしくね?」

「「うるせーぞバカ」」

「おかしくね?」

「私を見られても困るわ」

 

 

 文句があるなら勉強しろ。赤点連発が許されるのは中学生までだぞ陽介。ボーダー隊員が学力不足で大学進めないなんてなったら笑えないだろ。太刀川さんを見習え、太刀川さんを。まだ会ったことないけど。

 

 

「唐突な話なのですが、この度わたくし大庭葉月に()()()()()()()

「「マジか!?」」

「あら、おめでとう」

 

 

 脈絡一切無しの近況報告だったのだが、割と素直な反応が返ってきた。僕だったら「それ今言うことじゃなくない?」とか平気で言い放っているような気がする。いや、相手の心境にもよるけれども。

 

 

「……いや待て、おまえ確か家出したっつってたよな? 妹が生まれたなんていつ知ったんだよ? それとも家を出る前の話か?」

「はァ!? 家出!? おい葉月、てめー一体何やって――」

「あー、その辺の話はややこしくなるから置いとくとして……せっかく親しい方々が一堂に会しておりますので、この機会に妹を皆さんに紹介しようと思い立った次第です」

「どうしてそんなに堅苦しい喋り方なのかしら大庭くん?」

「いやね、こうしてふざけた僕の印象を強く植え付けておけば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「「「…………?」」」

 

 

 『何言ってんだこいつ』的な困惑の視線が一斉に突き刺さってくる。つらい。僕の副作用(サイドエフェクト)はあくまでも他人の感情が視えるだけで、別に()()()()()()()()()()()()とかそういうことはないのだけれど、仮にそういう人がいたとしたら、こういう大勢からの感情を浴びる場面はしんどいだろうなと不意に思ってしまった。もしもボーダーにそういう人がいるのなら、可能な限り優しくしてあげたい。僕はそう思う。

 

 

『……そんな視線の下に曝されて、必死こいて自己アピールしないといけない私への優しさとか、そういうのは?』

 

 

 がんばれ♡ がんばれ♡

 

 

『いつか殺す……』

 

 

 僕が死んだらお前も道連れだけどな! HAHAHA!

 

 

 

『「あ゛ーーーーー!! も゛ぉ゛ーーーーーーーーーー!!」』

「「「!?」」」

 

 

 

 豚のような悲鳴、もとい牛のような鳴き声が、()の口から放たれる。

 三人が、そしてロビーにいる隊員の誰もが、ぎょっとしたように目を見開いて、僕の妹を眺めている。

 丁度いい。御静聴あれ、ここに御座すは断じて大庭葉月にあらず。外見に惑わされることなく、心の目でとくと見極めよ。

 ――いや、違うな。むしろこっちが、本来の在るべき姿なのかもしれない。

 見た目は()。中身も()。さっきまでのちぐはぐな生き物()とは異なり、ようやく内側と外側が同一のものになったのだ。

 だからお前は、堂々とその名前を名乗っていい。

 永久にという訳にはいかないけれど――たまには月も一休みして、太陽の昇る時間があってもいいだろう。

 普通っていうのは、そういうものだ。

 

 

『「はじめまして! 私の名前は大庭陽花! 生後一ヶ月、()()()()()()()()()()()()()()()()! その他血液型も身長も体重も何もかもお兄ちゃんの据え置きだけど――それでも!」』

 

 

 すぐには理解されないかもしれない。

 はっきり言って僕達は、真っ当な人間の目からすれば、()()な存在なのだから。

 それでも僕は信じている。大庭葉月が、大庭陽花が、あなた達にとっての外敵(ネイバー)ではなく、隣人(ネイバー)として受け入れられる日が必ず来るのだと。

 

 

『「()()()()()! ――よろしく!!」』

 

 

 信じている。

 僕は、信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 ――何の気もなしに個人戦ブースに立ち寄ったら、()()()()()()()()()()()()()がそこにいた。

 

 

()()()()()! ――よろしく!!」

 

 

 そう叫ぶ女の子の未来は、普通の人間と比べて、妙に予測が不安定だった。一度は確定したかに思えた未来が、次の瞬間にはふっと掻き消えて、全く別の未来へとすり替わっていたりする。かと思えば、消滅したかに思えた可能性が再び浮かび上がって、そちらの道にも未来が広がっていく。

 ぐちゃぐちゃで捉えどころのない、()()()()()()()()()()()()。この子の人生に介入しようと思ったら、さぞかし苦労を強いられそうだ――そんなことを思うのだけれど。

 それでも確かに、変えようのない未来だけは、はっきりと()えているのである。

 

 

「……いやはや、どーしたもんかねこれ」

 

 

 ずり落ちてきたサングラスを額の上へと持ち上げて、青年は再び、ロビーの中央で注目を集めている少女に視線を向ける。

 大庭陽花。自身のことをそう名乗った少女の外見は、今期に入隊した新人隊員、大庭葉月のものと瓜二つだ。目を通したのは生身の写真だけだったが、遠目からではこれといった違いが見受けられない。嵐山准から変わった訓練生がいるとは聞かされていたのだが、こういう意味で()()()()()()のは流石に予想の範囲外だった。

 果たして今、自分の目に視えているのは、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「いずれにしても――」

 

 

 すぐにという話ではない。その未来に映る少女の姿は、今よりもそれなりに成長を遂げている。1年か、或いは2年か――逆に言えば、その程度の猶予しかないということだ。少なくとも、来たるべき第二次大規模侵攻のタイミングよりも、少女が()()()を迎えるのは早いということだけは判っている。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 さて。

 この未来を視てしまった自分は、果たして今後、どう動くべきなのだろうか。

 

 

 未来視の副作用(サイドエフェクト)を持つ男は、とりあえず気晴らしに知り合いの尻でも触りに行こうなどと思いつつ、その場を後にした。

 

 

 






Q.大玉一発サラマンダーならシールド貼らずに空中で迎撃してしまえば良かったのでは?
A.那須さんはこれが合成弾初体験でした。ちょっと変わった追尾弾(ハウンド)だと思ってしまったみたいです。
  B級1日目に初見殺しをぶち込みやがった出水公平とかいう畜生を許してはならない


過去最高にしょうもないサブタイトルだと思いました



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

はじめての(ブレード)トリガー×3



×3なのです




 

 

「……よーするに」

 

 

 仮想戦場・河川敷A。本来であればランク戦の舞台として隊員達が鎬を削り合っている筈の空間にて、武器(トリガー)を手にする訳でもなく集まった我ら4(5)人。

 川沿いの傾斜に並んで座り込み駄弁っている僕らの姿は、格好さえ気にしなければ放課後を満喫する普通の学生集団に見えなくもない。人数バランスも男2女2でばっちりだ。傍から見れば。

 

 

「葉月のトリオン器官は死んだと思ってた双子の妹で? そのせいでトリオン体に換装すると()の身体になって? おまけにその妹には自我があって? さっき喋ってたのがその妹……」

「設定盛り過ぎじゃね?」

「設定って言うな」

 

 

 というか陽介はちゃんと僕の説明を理解できたんだろうか。きっちり困惑してくれてる公平と違って感情に大して揺らぎが視えないせいで逆に不安になってしまう。もっとこうウソだろ信じらんねー的な反応(リアクション)してくれてもいいのよ?

 

 

「……()()()()()()……そう、本当に存在していたのね……」

「あれ、前にもそんなこと言ってたっけ僕」

「心を病んでしまった大庭くんの生み出した妄想だと思っていたわ。ごめんなさい」

「うん、本当にごめんなさいだなそれは」

 

 

 ああ思い出した。コアデラ組の訓練を眺めていた時の話か。ホモ弁がどうたらこうたらの時の。心底しょうもないタイミングで口滑らせてたんだな僕は? まあ、おかげですんなり納得してくれたようで何よりだ。怪我の功名……これは何か違う気がする。

 何故僕らがこのような場所にいるのかというと、あのロビーでのクソデカ自己紹介が他の隊員達の注目を集め過ぎて、我に返って周囲を見回した陽花が()()()()を起こしたからである。どうやら数多の『好奇』が自分へと向いていることに耐えきれなかったご様子。僕は長年の経験でそういう多数の感情を視界に納めない術を身に着けているのだが、まだまだ修行が足らんなマイシスター。

 で、逃げ込んだ先がいつものROOM303(303号室)。陽介達も追っかけてきたものの、流石に1つのブースに4人は狭過ぎるということで、一旦バラけて仮想空間へと場所を移したワケである。対戦設定はとりあえず仮で僕らvs公平、時間無制限の天候は晴れ。観戦モードで陽介と那須さんが参加。水上さんとの一件がなければ出てこなかった発想だ。経験が活きたな……。

 

 

「……一応聞くけどよ、今喋ってんのは葉月の方なんだよな? 妹の方が葉月のモノマネしてるとかそーいうことは……」

『「私、死んでも『僕』って一人称だけは使うつもりないんで」』

「うお、出た! ……アレだな、見た目も声も変わんなくても雰囲気でなんとなく判るもんだな」

 

 

 『出た』って言い方はどうなんだ公平。

 それはそれとして、僕の中に陽花の人格があるという前知識さえあれば割と判別は容易だろう。逆に言えば、そうでない相手には幾らでも悪さし放題だとも言えるのだけれど。現に寺島さん達は若干の違和感を覚えながらも陽花の存在に言及しなかったし、異性が苦手だと語る志岐さんであっても僕の存在に気が付くことはなかった。

 当然のことだ。いくら露骨に口調が変わっても、男と女の人格が同居しているなどという発想に至る人間はそうはいまい。ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから。SF(すこしふしぎ)ではあるかもしれないけど。

 

 

「ということで、これからはこんな感じでこいつが顔を出すようになるワケなんだけど――まあ、仲良くしてやってもらえると嬉しい」

『「……ども」』

 

 

 僕の言葉に続いて、会釈のように軽く頭を下げる陽花。なんていうとまるで他人事のようだが、実際はこいつの所作に合わせて僕もぺこりと頭を下げているわけで。この身体が勝手に動く感覚にも早いとこ慣れてしまわないといかんなあ。

 

 

「……トリオン器官に自我が宿るって、んなことあるモンか? いや、元は内臓じゃなくて葉月の妹なんだから、トリオンに()()()後で何やかんやあったって考えりゃそーいうことも……」

「なんだぁ? 弾バカ様からトリオン博士(バカ)に転職でもすんのか?」

「うるせーぞ単純バカ。こっちはてめーと違ってランク戦以外でもきっちり脳味噌回してんだよ」

「へーへー、だったらオレは単純バカらしく何も考えねーで絡んじゃうぜっと。つーことでよろしくな、ツンデレシスター」

『「ツンッ……!?」』

「陽介まだこいつがデレたとこ見たことないでしょ」

「弾バカが言ってただろ? 雰囲気でなんとなくワカんだよ。つーか妹がリアクション取った直後に真顔の葉月が出てくんのおもしれーな、これが怪人ニヒャクメンソーってやつか」

 

 

 二十な、二十。いくらなんでも二百は多過ぎるだろ、コナン君の犯人じゃないんだぞ。

 それにしても陽介は順応が早い。この状況に戸惑うどころか楽しんですらいるように()えるのだから、つくづくこいつは大物だ。公平は陽介のことを単純バカだと言ったけれど、むしろこいつは考えたところで答えの出ない問題は最初から考えないと理知的に割り切っている節があると思う。でも似たようなノリでテストの回答も白紙で出す癖は治した方がいい。そこは少しは考えろ。

 

 

「――陽花ちゃん。そう、陽花ちゃんね?」

 

 

 何やらうんうんと頷いた那須さんが、そう言って陽花に微笑みかける。これも彼女が見ているのは陽花の顔であって僕のことなど微塵も意識していない筈なのだが、思わず自分に向けられたものだと勘違いしそうになるから恐ろしい。これが百合の間に挟まる男の感覚ってやつか。ガッ……葉月(ガイア)ッッッ!!

 

 

「はじめまして――それとも、あなたにとってはそうではないのかしら? 私は那須玲、あなたのお兄さんのお友達よ。よろしくね」

『「……知ってます。その、夜の街で鬼ごっこしてた時から――見てたんで」』

「まあ、やっぱりそうなのね。あなたも今度、私と遊んでみる? 鬼ごっこで」

『「是非!! ……あ、ああいや、か、考えておきます……」』

 

 

 ……それにしても、この妹の会話のぎこちなさと来たらどうだろう。寺島さん達に猫被ってた時や緊張気味の志岐さんを相手にしていた時は割と普通に喋れていたのに、いざ本格的に大庭陽花として他者と接するとこんな感じになってしまうのか。僕に対しては平気でバカとかきっしょとか頭おかしいとか言ってたのにな。そうか、意外と内弁慶ってやつだったのかこいつ。

 

 

『いま割といっぱいいっぱいなんだから余計なこと考えないでほしいんだけど……!』

 

 

 うん、そうやって僕に内心の弱みを曝け出すあたり本当にいっぱいいっぱいなんだろうな。

 頑張れ妹。負けるな妹。僕はいつでも誰よりも傍でお前のことを応援しているぞ。

 まあ離れようにも離れられないんだけどな! というワケでほら、がんばれ♡ がんばれ♡

 

 

「よ……陽花ちゃん? 陽花ちゃんの方よね? その、苦虫を食い潰したようなというか、女の子がしてはいけない顔になっているのだけれど……私と遊ぶのがそこまでイヤだったのかしら……」

『「違うんです。それについては大いに歓迎するところなんです。ただその、さっきから頭の中で一匹の(サル)がきーきー喚いてて……外面を取り繕う余裕がないっていうか……」』

「もう、ダメよ大庭くん? 陽花ちゃんをあんまり困らせたら」

「その前に妹が僕をサル呼ばわりしてることは叱ってくれないのか那須さん」

「……そこのバカもそーだけどよ、那須さんも慣れんの結構はえーな……あれこれ考えてるおれが逆にバカみてーな気になってきたぜ……」

 

 

 おや、何やら一人で悶々としている出水公平くん。相も変わらず根が真面目というかバカになり切れない男よ。

 とはいえ、公平も別に僕や陽花に対して忌避だの嫌悪だのを抱いている訳ではない。少しばかり常識を捨て去れていないだけだ。そんな彼には、かの名優が遺したこの言葉を贈らせてもらおう。

 

 

「公平……Don't think, feeeel...」

「ちょっと顎突き出してブルースリーっぽい顔作ってんじゃねーよ」

「あら、意外と今の大庭くんと陽花ちゃんにぴったりの言葉かもしれないわよ?」

 

 

 何故か唐突に人差し指を立ててそんなことを言う那須さん。僕達3(4)人の視線が彼女の指に集中したところで、こう続ける。

 

 

「Don’t concentrate on the finger」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 

「It is like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all that heavenly glory――この指は遠く彼方の()を指差しているけれど、指の方に気を取られていると、指の先にあるもの(heavenly glory)を見落としてしまうぞ――かの有名な『考えるな、感じるんだ』の後には、こういう台詞が続くのよね」

「……映画好きっていうのは知ってたけど、カンフー物にまで手を出してるのは予想外だったな」

「あら、アクション映画はむしろ好物よ? 見ていて興奮するし、憧れるもの。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、って」

『「……わかります」』

 

 

 生身の身体を満足に動かせない少女の言葉に、生身の身体を持たない妹が同調する。

 那須さんはもう一度笑みを浮かべて、幼い子供に語りかけるような優しい声色で、言った。

 

 

「――良かったら今度、おすすめの映画を貸してあげましょうか? それとも……一緒に観る?」

『「観ましゅ!!」』

 

 

 こいつ噛みやがった。しかも盛大に。

 

 

『「……いま答えたのは兄の方です」』

「お前ふざけるなよ」

「あら、勿論大庭くんも一緒のつもりで誘ったのだけれど……ダメだったかしら?」

観ましゅうううううううううう!!

「……世界で一番アタマわりー空間に居合わせてるような気がしてきたぜ……」

「だったらてめーも大人しくアタマ悪くなっちまえよ、弾バカ」

 

 

 相変わらずのへらへら顔で公平を煽っていく陽介。流石、元から自分をバカだと割り切っている男はこういう時に強い。

 とはいえ、陽介の言うことにも一理ある。三馬鹿扱いは御免だと公平は言っていたが、そうこう言っている間に那須さんの方はさくっとこっち側(バカ)に堕ちてきたのだし、いい加減にお前も腹を括りなされ。

 

 

「――ま、確かに那須さんの言う通り、pointing to the moon――たとえ陽花が顔を出してても、大庭葉()はいつでもここにいるってことでさ。あんまり難しく考えるなよ、公平」

「……ちょっと上手いこと言った感出してんじゃねーよ、ったく」

 

 

 公平はわしゃわしゃと髪を弄ると、意を決したようにこちらへと向き直った。その眼差しは僕達二人を見据えているけれど、きっとこれからこいつが声を掛けるのは僕ではないだろう。

 ようやくこいつも、ウチの妹と真正面から向き合う準備が整った。そういうことだ。

 

 

「……あー、なんか出だしがグダグダしちまったけどよ――兄貴のダチやってる、出水公平だよ。よろしく頼むわ、陽花ちゃん」

『「……男のひとにちゃん付けされるの、なんかイヤ」』

「はぁ――!?」

「「ぎゃーっはっはっはっは!!」」

「てめ、そこのバカはともかく葉月までその顔で笑うんじゃねーよ……! つーか葉月だよな!? 妹の方だったらいくら女でも流石にキレんぞコラ!!」

『「へっ!? い、いや今笑ったのは私の方じゃ――」』

「おにいちゃーん、この人いきなり距離詰め過ぎでワタシちょっと無理かも……」

「吹っ飛ばす!!」

『「いやウソでしょこの人マジでキューブ出してるっていうかそういえばこの部屋の対戦設定って私ら対この人じゃんってことはこれ吹っ飛ばされたら私らの負け扱いになるやつじゃあああああああああああああ!?」』

「ふふ……良かったわね、陽花ちゃ――あら、私達も巻き添え食らうやつねこれ」

「アンタ結構動じないタイプだよな色白ガール?」

 

 

 とまあ、こんな感じでブチ切れた公平がよりにもよって炸裂弾(メテオラ)をぶっ放したせいでこの場にいた全員が緊急脱出(ベイルアウト)するというアクシデントもあったりしつつ。

 ウチの妹は晴れて、僕の愛すべき友人(バカ)たちに受け入れられたのであった。

 

 

 

 

 

 

 で。

 

 

「……んじゃ、始めっぞー……」

 

 

 『I am trigger happy.(私は弾バカです。)』と書かれた紙をコートの背中に貼り付けた公平(紙とペンはそこらの民家から拝借した物が使えた。何でもアリだなトリオン空間)と、その隣でくすくすと笑っている那須さんを挟んで、15mほどの間隔を空け。

 舞台は引き続き河川敷A。ただし対戦設定はきっちり変更したうえで、川に掛けられた巨大な橋の上、僕らと陽介は対峙している。僕の右手には待望の新トリガーことレイガスト、陽花の左手は今のところ空っぽ。一方の陽介はというと、すっかり見慣れた()()()()()を上段に構えている。

 

 

「――陽介の愛用トリガーはスコーピオンだって、何度か耳にした覚えがあったんだけどな」

「そういうおまえこそ、ご自慢の炸裂弾(メテオラ)はどーしたんだよ。3.1秒の対大型近界民(バムスター)訓練、客席からばっちり見てたんだぜ? 遠目だったから顔がビミョーに変わってんのは気付かなかったけどよ」

「買ったばかりの玩具で遊びたい小学生の気分なんだよ、今の僕は」

「そーかよ。ま、オレも似たようなモンだけどな」

 

 

 そういえば、ウィルバー氏に会ったとき陽介は言っていたな。次に使うトリガーがどうたらこうたらって。けれど、僕の記憶が確かなら誰も使っていないようなトリガーを試したいとの話だった筈だが――流石に弧月のことじゃないよな。一体何を企んでいるのやら。

 

 

『……大人しく炸裂弾(メテオラ)で遠くからドカドカすればいーのに、わざわざチャンバラごっこに付き合うつもり? ムボーだよねえ……』

 

 

 いいんだよ。せっかく攻撃手(アタッカー)の陽介と射手(シューター)の公平がいて、僕らはその両方に合わせられる構成してるんだ。異種格闘技戦も悪くはないが、同じ土俵でやり合った方が互いにやりたいことやれて楽しいだろ、きっと。

 とはいえ、流石に本職の攻撃手(アタッカー)を相手にはじめてのレイガストでまともに斬り合えるとは思っていない。となれば、勝負の鍵を握るのは――理解ってるよな、マイシスター?

 

 

『……ま、いいでしょ。やるだけやってやろうじゃん』

 

 

 おや、思ったよりもノリノリじゃないの。やっぱりお前もテンション上がってるんじゃないか? なんてったってデビュー戦だもんな。今宵の妹は血に飢えておるわ……。

 

 

仮想(ここ)現実(リアル)も今宵っていうような時間じゃないし、トリオン体をいくら斬っても血は出ません』

 

 

 やだ……ウチの妹が常識人キャラみたいなマジレスかましてくる……怖い……。

 

 

『「……いずみサン、ウチの(サル)がさっきから煩いんでちゃっちゃと始めちゃってください」』

「お、おう……その顔で出水さんとか呼ばれんの違和感すげーな……

「今更だけど、訓練室でもないのにわざわざ人力で合図(コール)するのってなんだか変な感じね」

 

 

 相も変わらず余計なことを考えている公平の隣でそんなことを言う那須さん。既に自動音声さんが試合開始を告げて10分くらい経ってるからね。もう一回お願いしますって天に言ってもシステムは応えてくれないからね。仕方ないね。

 

 

「……あー、そんじゃ行くぞ! よーい――」

 

 

 公平が手を掲げるのに合わせて、レイガストを(シールド)モードに変形。そのまま右手一本で持ち上げ――お、重ぇ……! 話には聞いていたが、これは確かに片手で容易く振り回せるような代物じゃないぞ。寺島さんには申し訳ないが、攻撃手(アタッカー)に敬遠された理由が一発で理解ってしまった。

 ……とはいえ、これで投げ出すようなら最初(ハナ)からレイガストを選んだりはしない。初めはなんだこれって思いながらも、噛めば噛むほど味が出るのがレイガストだと僕は信じている。それにだ、こいつには思いもよらない()()()があるということも、今の僕は知っていることだし。

 そんじゃま、いっちょ皆の度肝を抜いてやろうぜ! 陽花(マイシスター)レイガスト(マイブラザー)

 

 

『「勝手に新しい家族を増やすなぁ!!」』

「はじっ……はァ!? は――始め!!」

 

 

 出水公平、肝心の合図(コール)で詰まりまくる痛恨のミス。不測の事態に弱い男よ……。

 さて、陽介との相対距離はおよそ15m。チャンバラをおっ始めるにはいささか遠過ぎる。というワケで、まずはこいつで一気に距離を詰めるとしよう。さあ行くぜ、今必殺のスラスター()――

 

 

「旋空弧月」

 

 

 ――()、と言おうとしたその瞬間、袈裟斬りに振るわれた陽介の弧月が一気に僕らの首筋まで伸びてきた。

 

 

『「「うおお!?」」』

 

 

 手持ちの鞄を掲げて雨から頭を守るような格好で、レイガストがその一撃を防ぐ。腕から爪先にかけて強烈な振動が走り、思わず盾を取り落としそうになってしまった。というか、痛覚あったら絶対に今のでポロリしてたなレイガスト。

 

 

「よく反応できたじゃねーか葉月! C級じゃ旋空(こいつ)は食らったことねー筈だろ、おい!」

「生憎だけど、寺島ゼミで習ったとこだったんでね……!」

 

 

 やっててよかった寺島ゼミ。とはいえ、流石にもう侮れないぜ弧月。こんな距離から必殺の一撃が飛んでくるとあっては、のんびり豆腐(キューブ)を構えてもいられない。旋空すらも届かない距離、20mや30mほどから一方的に仕留められる腕があればいいのだが、残念なことに僕の炸裂弾(メテオラ)はそこまで命中精度がよろしくない。

 それにどの道、今回は射手(シューター)ではなく攻撃手(アタッカー)として勝負を挑むと決めているのだ。となれば結局やることに変わりはない。さあ、気を取り直して今度こそ行くぜ!

 

 

「スラスター起動(オン)!!」

 

 

 シールド部分の四隅からトリオンが噴き出し、瞬く間に急加速へと飲まれる僕らの身――は、迅ぇ……! なんかさっきも似たような反応(リアクション)したような気がするぞ僕! 制御出来ている感じがまるでしないというか、暴れ馬の尻尾に無理矢理しがみ付いている気分というか――ぶっちゃけるけど滅茶苦茶扱い辛いなこのトリガー! 誰だこんなもの使おうだなんて言い出したのは!?

 

 

『あばばばばばばばば』

 

 

 いかん。ツッコミ役が僕以上に振り回されてやがる。真面目にやろう。

 一度振り下ろした弧月を今度は逆に斬り上げて、陽介が二発目の旋空弧月を放つ。シールド部分で身体の前面を覆い隠し、その一撃も防いでみせる。とりあえず身体の前にぽんと置いておけば、技術(テク)とか一切不要で前方からの攻撃はシャットアウト出来るのが大盾の良いところだ。とはいえ、二発の大技を受けて(シールド)の見た目も大分頼りなくなりつつある。流石に三発目は撃たせん。

 

 

「おいおい、葉月のレイガストかってーな……! 二発目は距離がイマイチだったとはいえ、旋空に二発も耐えんのかよ! それともやっぱ、オレのトリオンで()()()は欲張り過ぎたか……?」

「はっはァー! これぞ自慢の(トリオン)様よォー!!」

『「うお……おえ……」』

「自慢の妹ゲロ吐きそうな声出してっけど大丈夫か?」

「トリオン体にも酔いの概念って存在するのね……気を付けなくっちゃ……」

 

 

 射手(シューター)コンビが遠くの方で何か言っているが気にしない。

 とにかくついに捉えたぞ陽介。このまま(ブレード)モードに移行して斬りかかってもいいのだが、流石にスラスター斬り一発で勝てるほど陽介は甘くないだろう。防がれたら反撃で間違いなく死ぬし、そもそも防ぐまでもなくカウンターを狙われる恐れすらある。となれば、このまま(シールド)モードで突っ込んで――

 

 

「陽花! やれぇ!!」

『お……おお――』

 

 

 ――()()の方は、我が妹(マイシスター)にぶん投げだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()

 兄から操縦桿(コントロール)を奪ってトリオン体を動かしている時はともかく、普段の私は兄の体内で波打つだけの流体物(トリオン)だ。人間にとっての血液のように、トリオン体のあっちこっちを駆け巡っている。

 私が選んだ()()()()()()は、そんな私自身(トリオン)を一ヶ所に掻き集めて、トリオン体の外側へと伸ばすものだ。不定形の私。揺れ動く私。

 間違っても、人間とは呼べない、私。

 それでも私は憧れる。人間の身体に憧れる。大地を踏みしめる確かな足と、他者と触れ合える手の存在に憧れる。誰の物でもない、私だけの手足に憧れる。

 それさえあれば、私はきっと、何処にだって行けるのだ。

 だから()()()()

 この容れ物(トリオン体)の外へと伸ばせる、()()()()()()を生やそう。

 それで私は。

 それで、私は――

 

 

 ――あれ、何をすればいいんだっけ?

 

 

『「陽花! やれぇ!!」』

 

 

 ……ああ、そっか。チャンバラごっこの真っ最中だったっけ、今は。

 ったくもう、か弱い(トリオン)を散々こき使っといて更に仕事を増やしてくるとか――

 

 

「――っとにこの、バカ兄がぁ!!」

 

 

 とまあ、そんな気持ちを抱いた状態で生やしたもんだから。

 初めて私が起動させたトリガーは、トリオン体の左手を丸ごと包み込む、()()()()()()みたいな形をしていた。

 グローブの先に鍵爪を無理矢理括りつけたような、不格好で、刺々しい見た目だけれど――

 

 

 私が初めて()()()()()()()、私だけの、自由な手(スコーピオン)だ。

 

 






米屋がうっかり横薙ぎの旋空をぶっ放しちゃって巻き込まれた出水と那須さんがぶった斬られるとかいう没ネタ
そもそも観戦者にも攻撃って当たるんですかね? 教えてイコさん!

槍バカがいつまで経っても槍バカになれない問題



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

刺し穿つもの(スコーピオン)』~米屋陽介~



こいつすごく好きです。顔も性格も。
遊び心があって、素直で、くさらない。こんなふうになりたい。


――葦原大介作『賢い犬リリエンタール』2巻より抜粋





 

 

「――正直に言わせてもらうと、きみが防衛隊員として活躍するのは難しいだろうというのが我々の見立てだ」

 

 

 えっ? そうなの?

 

 

「学力試験の点数には触れないとして、体力試験の方では極めて優秀な結果を残している。故に、攻撃手(アタッカー)として開花する可能性に賭けて獲らせてはもらったが――防衛隊員としての資質には、生身の運動能力以外にも重要視されるものがあるんだ」

 

 

 シシツ?

 

 

「トリガーを使う『才能』だ。合格者であるきみには正式名称を教えてしまうが、トリガーを使用するために求められる特殊なエネルギー『トリオン』――人体の中にある特殊な器官によって生み出されているものなんだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 マジか! そいつはショック!

 

 

「……あまりそう思っているようには見えないね。口が笑っているよ」

 

 

 いや、そういうオッサ――あー、メンセツカンさん? もこの部屋入ったときからずっとそうじゃね?

 

 

「私のような立場の人間は、笑顔を作ることも大事な仕事の一つだからね。――さて、何も意地悪できみのモチベーションを下げるようなことを口にした訳じゃない。私がしたいのは意思確認だ」

 

 

 イシカクニン?

 

 

「単純に能力が足りない、個人(ソロ)ポイントを上げる気が見られない、或いは――()()()()()()、等の理由でいつまでも正隊員へと昇格できない戦闘員には、オペレーターか技術者(エンジニア)への転属処置が成される場合がある。しかしおそらく、きみにはどちらの進路も用意されることはないだろう」

 

 

 あれ? そんならオレ正隊員になれなかったらどうなんの?

 

 

「まあ、除隊(クビ)だろうね」

 

 

 うーわ、容赦ねー。

 

 

「そう、厳しい世界だ。そして君は、他の隊員達よりも更に厳しい環境で戦わなければならない。他の隊員が当たり前のように出来ることが出来ない、自分のやりたいことを思うようにこなせない――()()()()というのはそういうことだ。きみの志望動機は『面白そうだから』ということだが、本当にボーダー隊員という職務は、君にとっての()()()()()()であるのかどうか――」

 

 

 あ、なに? 心配してくれてんの? なんだよいいヤツだなオッサン!

 

 

「……長続きする見込みのない隊員を獲るわけにはいかない。それだけのことだよ。――もう一度だけ訊ねよう、米屋陽介くん。ボーダー隊員の仕事が、きみに適していると私は言い切れない――それでも君は、正隊員を目指して努力し続けることが出来るのか」

 

 

 あー、まあ。なんとかなんじゃね?

 

 

「……軽いね」

 

 

 マジメに考えたらオレのトリオンが増えるってワケでもないでしょーよ。

 

 

「――きみが腐らずに研鑽を積み重ねていけば、トリガーを使い続けることである程度トリオンが増える可能性もある。頑張りたまえ」

 

 

 ケンさんを重ねる……? ケンさんって誰だ……?

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 ――よーう、ばっちり受かってきたぜこのバカ。

 

 

「マジか!? やったじゃねーかこの大バカ! おい、三輪のやつも呼んでメシ食いいこーぜメシ! A級隊員サマが新人(ルーキー)に好きなモン奢ってやっからよ!」

 

 

 ははっ、クソうぜー。けど貰えるモンはありがたくいただいちゃうぜっと。

 なあ、つーか聞いてくれよ。面接官のオッサンにさ、おもしれーこと言われたぜ、オレ。

 

 

「は? おもしれーこと?」

 

 

 あー、トリガーを使う才能? トリオンとか言ったっけか? とにかく、オレってボーダーの中で()()()()()()()()()()()() な? ウケるだろ?

 

 

「……マジか?」

 

 

 おー、マジマジ。いや、正しくはセントーインの中で一番低いだったっけか? まあどっちにしろ変わんねーだろ、おまえオペレーターとかエンジニアにはなれねーから正隊員になれなかったら即クビだっつってたしよ。

 あ、そーいやおまえはトリオンどーなんだよ。やっぱA級っつーくらいだからトリオンの方もA級(超スゴイ)だったりすんのか?

 

 

「……あー、おれはまあ、なんつーか……」

 

 

 んだよ、別におまえのトリオンが多くてもシットなんかしねーっつーの。

 むしろ多けりゃ多いほどおもしれーな! 確かボーダーって、隊員同士で試合とか出来んだろ? つーことはよ、オレより才能(トリオン)のあるおまえはウカツにオレにゃ負けらんねーってワケだ。負けたら言われちまうもんな、あっれぇー? 出水くん天才なのにオレなんかに負けちゃうんでちゅかー? ってな。

 

 

はぁ!? ふっざけんな、他の誰に負けよーがてめーにだけは絶対負けねーっつーんだよ!」

 

 

 おーおー、それでいーんだよそれで。ここで下手にドージョーなんかされてたらキレてるとこだったぜ。

 ま、そーゆーワケでオレも今日からボーダー隊員だからよ。せいぜいよろしくな、センパイ!

 

 

「うーわ、きもちわりー」

 

 

 うるせーバーカ!

 

 

 

 

「……やっぱすげーよ、おまえ」

 

 

 あー? なんか言ったか?

 

 

「なんでもねーよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 ――()の左手を包み込むように、()()()()()()()()()()()()

 

 

『「どおりゃあぁぁぁぁぁぁ!!」』

「うおっ!?」

 

 

 スラスターの加速を得て、大盾(レイガスト)の左側から廻り込むように振るわれた陽花の左拳(スコーピオン)。横っ飛びに陽介がそれを避ける。うーむ、如何に速度があっても流石に動きが直線的過ぎたか。

 というか、いかん。早くスラスターを止めなければ。陽介を追い抜いてどんどん橋の先へ先へと進んでしまっている。せっかく距離を詰めたのにまた離れてどうするんだ。

 

 

「スラスター解除(オフ)……」

『「それ一々言う必要ある!? ていうかさっさと振り向け! ()()が来るでしょーが!」』

 

 

 いや、まだ正トリガーに不慣れなモンだから慎重に操作しないとうっかり炸裂弾(メテオラ)とか暴発しちゃいそうで……。

 とはいえ、妹のツッコミもごもっとも。たたらを踏みながらも加速が止まったので急いで後ろを振り向くと、まさに陽介が腰溜めに構えた弧月を振るわんとするところだった。ヤバい、公平と那須さんを後方に置き去ったおかげで横薙ぎ旋空が解禁されてやがる。平面に逃げ場が存在しねえ。

 

 

「旋空弧月――」

「とうっ!」

 

 

 ならば上だ。そう思って陽介の口が動いたのに合わせて勢い良く跳び上がったはいいが――斬撃が飛んでこない。

 こ、これはまさか……いつぞやの僕が水上さん相手に使ったフェイク!?

 

 

「――と、思うじゃん旋空弧月!!」

 

 

 なんじゃそのだっせぇ技名はァ!! などと叫ぶ余裕は勿論、僕にはなかった。アカン。終わった。流石にこの状態のレイガストで三度目の旋空は耐え切れまい。そう思いながらも駄目元で大盾を翳すのだが、次の瞬間にはきっと纏めて真っ二つに――

 

 

『「堕ちろ(グラスホッパー)」』

 

 

 ――なるかと思っていたら、不意に()()()()()()()()()()

 

 

「ぐえ――!!」

 

 

 上昇していた筈の身体が、見えない天井にでも弾かれたかのように地面へと叩きつけられる。びたーん、という擬音が出そうな勢いでうつ伏せに落下したもんだから、痛みもないのに思わず声を上げてしまった。何だ今のは。

 

 

『「ほら、空振った隙にもう一度突っ込んで! そら行け!!」』

「お……おぉ……」

 

 

 ああそうか、今のがグラスホッパーってやつか。しかしねマイシスター、それジャンプ台トリガーって書いてあった筈なんだけど? なんで上から抑え込むようにして使っちゃうの? 兄の身体はバスケットボールじゃないんですけど?

 

 

『「私の身体だっつってんでしょうがぁ!! いいからさっさとスラスター吹かして!!」』

「……あいつら、これから毎回こんな感じで漫才しながら戦うつもりなのか……? なんて難儀な体質してやがる……」

「そうかしら? いつでも兄妹一緒で戦えるなんて楽しそうじゃない?」

「那須さんって意外とそういうとこあるよな……人生エンジョイ勢っつーか……」

 

 

 射手(シューター)コンビが遠くの方で何か言っているがよく聞こえない。視線を向ける余裕もない。

 とにかく、何だかんだで陽介の旋空は外れた。というワケで再接近だ。でも一回このボロボロになったレイガストは捨ててしまおう。はい、罅割れの消えた新品レイガスト一丁入りまーす。

 

 

「おーおー、次から次へとぜーたくにポンポン繰り出してくれるじゃねーの葉月。さてはおまえも()()()()()か? おい」

「――持ってるのは僕じゃなくて、(こいつ)の方だけどね。昨日まではそのことを複雑に考えてたけど、こうして二人で戦ってたら割とどうでも良くなってきた」

「そーかよ、そいつは良かったな――っと!!

 

 

 再構成に時間を食ったせいで向こうもリロードが済んでいたか、四度(よたび)振るわれる旋空弧月。けれど、レイガストが万全の状態であれば一発は確実に防げることを僕はもう知っている。耐久力SSは伊達じゃないぜ!

 

 

(シールド)モード――うぐえ!?

 

 

 ……とは言ったものの、いざ食らってみると結構怪しいなこれ! レイガストのことを買ったばかりの玩具と称した僕に陽介は『オレも似たようなモン』だと言っていたが、弧月のことを指してそう言ったのであれば、おそらくは陽介の旋空弧月もまだ不完全というか、ちゃんとした使い手のものに比べれば威力がイマイチなんだろう。

 たとえばあのイコさんのような、剣術の達人(マスタークラス)が振るった旋空弧月であれば、陽花のレイガストであっても問答無用でぶった斬ってしまえるのかもしれない。だがとにかく、()()陽介の旋空弧月であれば僕らは防げる。防げるのだ。すみません、そういうことにしておいて下さいお願いします。

 

 

「ええい、スラスター起動(オン) 今度こそ取っ捕まえてやるぜぇぇぇぇぇぇ!!」

「……あー、やっぱダメだな。そもそも()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――おや?

 陽介が手に持った弧月を掻き消して、素手の構えで僕らを待ち受けている。おいおい、まさかのボクシングスタイルか陽介。そもそも戦闘体のパンチとかキックって戦闘体にダメージ入るのか? レイガストを握り締めた拳で必殺スラスターパンチとか――あれ、想像してみたけど意外と悪くないなこれ。そのうちちょっと試してみよう。

 

 

「――しゃーねえ! 使うかどうか迷ってたけどよ、もう少しだけ()()()に頼らせてもらうぜ!」

 

 

 そう言った陽介の左手に、光の粒が集まって――やがてそれは、()()()()()()()()()()

 槍と言っても、長槍と呼べるほどのサイズではない。せいぜい1mかそこらの、その気になれば片手で容易く振り回せそうな長さの代物だ。片方の先端部分が鋭く尖って、刃の形を作っている。右手で刃の手前を握り締め、両手持ちになった陽介が、今まで以上に笑みを深くして――

 

 

 

「来いよツンデレシスター! おまえの拳とオレの槍、異色のスコーピオン対決といこーぜ!!」

『「ツンデレって言うなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」』

 

 

 

 ――僕らに向けて、槍の穂先を突き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ――なー蓮さん、オレ次のシーズンから新しいトリガー試してみてもいい?

 

 

「あら、スコーピオンにはもう飽きてしまったのかしら」

 

 

 そーいうワケじゃねーんだけどさ。蓮さんだって知ってんだろ? オレのトリオンじゃ()()()()()()()()()()()()。かるーく弧月と斬り合ったら即ボロッボロになっちまうしよ、オレのやりたいことやるには、スコピじゃちょいと力不足っつーかなんつーか――いや、()()()()()()()()()()()だってワカっちゃいるんだけどよ。

 

 

「――そう。陽介くんがそうしたいというのであれば、私には止める理由も権利もないわね」

 

 

 あ、そーなの? 秀次のやつに相談したらさ、『戦術に関わる問題だからまずは月見さんの許可を取れ』って言われたからこっち来たんだけど。

 

 

「……少し作戦に口出しし過ぎていたかしらね。三輪隊(ウチ)の隊長はあくまでも三輪くんなのだから、私がこの隊の方向性を決めるような立場にいるのは良くないことだわ」

 

 

 別に良いんじゃねーの? こないだの最終戦もそうだったけどよ、蓮さんて何だかんだで最終的な判断はあいつに任せてんじゃんよ。そこまで蓮さんが仕切るようになったら流石にオレもなんか違くね? って思うけど、今は割といい感じにバランス取れてんじゃねーのって気がすっけどな。

 

 

「……前から思っていたけれど、あなた意外とそういうところに気が回るというか、よく見ているわよね?」

 

 

 おっ、いいねー。『意外と』とか言われるとテンション上がんだよオレ。蓮さんみてーなアタマいいひとの裏かけたんなら尚更うれしーぜ。今日の『と、思うじゃん?』ポイントが1増えたな。

 

 

「……なにそれ?」

 

 

 オレが誰かを驚かせたり予想外のことをしたりすっと溜まるんだよ。10ポイント溜まるとスーパーよねやくんに変身できんだぜ。ま、ウソだけどよ。

 

 

「どちらかというと烏丸くんの芸風よね、今のは」

 

 

 たしかに。

 で、新しく使いたいトリガーの話なんだけどさ。弧月と旋空とそれから――

 

 

「……待って。止める理由がないと言った傍から口を挟んでしまって悪いのだけれど、一度に3枠も増やすのは流石に予想外だわ」

 

 

 はい1ポイント追加ー。

 

 

「陽介くん」

 

 

 スミマセンデシタ。

 

 

「というかあなた、弧月に手を出すのはいいけれど……スコーピオンの方はどうするの? ただでさえ強度に不安があると口にしていたのに、更に3枠もトリガーを増やすとなっては――いよいよもって、使い物にならなくなるかもしれないわよ」

 

 

 あーらら、やっぱそーなん? トリ貧ってやつはつれーなー、ったくよ。

 ま、次のシーズン始まるまでまだ1ヶ月あっからさ。それまでにちょっと試してみて、ダメそーだったら両立は()()()わ。

 

 

「――()()は、弧月とスコーピオンどちらの話?」

 

 

 ――さー、どっちの方になるのかね。

 どっちも使えりゃそれが一番良かったんだけどよ、しゃーないよな、こればっかは。

 

 

「……仮にスコーピオンを手放すことになったとしても、きっとすぐにまた強くなれると思うわよ。あなたなら」

 

 

 ははっ、サンキュー蓮さん! んじゃま、さっそく秀次に声掛けて弧月の練習してみるぜ! また何かあったら相談に乗ってくれよな!

 

 

「――ええ。頑張ってね」

 

 

 

 

 

「……()()()も陽介くんを見習って、いい加減に切り替えたらいいのに。いつまで迅くん(スコーピオン)に拘っているのかしらね、まったく――」

 

 

 

 

 

 

 

 ――さーてと。

 

 

「ツンデレって言うなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 おーおー、鬼の手(ぬ~べ~)みてーないかつい手ぇ生やしやがって。こっちはしょっぱい細槍作んので精一杯だっつーのによ。まともに打ち合ったら即折られんだろーな、オレの槍じゃ。

 スコーピオンっておもしれーよな。なんてったって()()じゃねーか。同じ短剣でも風間さん達と迅さんのとじゃ形が全然ちげーし、カゲさんみてーにワケわかんねー使い方する人もいる。オレもそういう決まった形に囚われねえとこが気に入ったから、こいつを最初のトリガーに選んだんだ。

 だけど、()()()()()()

 オレのやりてーことをやるには、オレの才能(トリオン)ってやつはちょいと、足んなかったんだよなあ。

 あーあー、オレに葉月や弾バカみてーな才能(トリオン)がありゃーなー! 誰にも思いつかねーよーなおもしれーモン作ってやんだけどなー! 才能(トリオン)がねーんじゃしょうがねーよなー! そいつがなけりゃ、ボーダーでメシ食ってくことなんか出来ねーんだからよー!

 

 

 

「……陽介?」

 

 

 

 ――と。

 思うじゃん? ってな。

 

 

 

 

 

 

 

 ……何だろう。

 今、ほんの一瞬。本当にほんの一瞬だけ、陽介の中に()()()()()()()()()()気がしたのだが――まるで幻か何かのように、すぐさまそいつは掻き消えて、僕の目には視えなくなってしまった。

 気のせいだったのか、或いは――意志の力で、無理矢理ねじ伏せてしまったのか。

 後者だとしたら凄いことだ。陽介が何を考えていたのかまでは知らないが、怒り、憎しみ、嫉妬――そういった負の感情は、一度芽生えたらそう簡単に消えるものじゃない。にも拘わらず、今の陽介はそんなものなど初めから無かったかのように、大胆不敵に笑って僕らを待ち構えている。

 ――()()()

 こいつの胸にいつも宿っている、太陽のような眩しさに、僕はずっと憧れていた。どんな理不尽も困難も、それがどうしたと言わんばかりに乗り越えてしまう心の強さ。陽介のそんなところに惹かれて、僕はこいつと仲良くなった。こいつの明るさに救われていた。こいつに教えてもらった、あの言葉があったからこそ――僕は今、ボーダー隊員としてこの場所に立っていられるのだ。

 

 

「……行くぞ、陽介」

 

 

 万感の思いをその一言に込めて、僕はスラスターを吹かし続ける。

 戦っている。僕は今、米屋陽介と戦っている。こんな現実、あの家の中にいた頃は想像することも出来なかった。陽介のことだけじゃない。境界(ボーダー)を越えてからの出来事は、本当に全てが夢みたいで、あらゆることが楽しくて仕方がないんだ。

 もっとこの世界(ワールド)を、トリガーを楽しみたい。

 だから僕は陽介に勝つ。そう、勝負ってのは最後に勝つから楽しいんだ。仙道や南もそう言っていた。いやまあ、負けはしたけどやりたいことやれたから楽しかった、満足だって戦いもあるのは理解しているけれど、勝負する以上は勝ちに行くのが大前提に決まっているのだ。

 

 

『格好付けたこと言ってるけど、盾の後ろに引き篭もって私に殴らせてる人の考えることじゃないよねえ……!?』

 

 

 バカ言うな。まさか(ブレード)モードに切り替えておまえと二人で斬りかかるのが最適解だとでも言うつもりか? 何度も言ってるだろ、まともに斬り合ったらこっちは瞬殺待ったなしなんだ。()()()()()()()()()()()()()だよ。というワケでほら、がんばれ♡ がんばれ♡

 

 

『「ああもう、今までの真面目な空気が全部台無しぃぃぃぃぃ!!」』

 

 

 いいんだよ、台無しで。()()()()()は。

 そういう重っ苦しいものは全部、あの家の中に置いてきたんだ、僕は。

 

 

 

 

 

 先刻と同じ、スラスター+陽花パンチ(スコーピオン)による一撃。陽介は軽く身を引くだけでそれを躱し、僕が陽介を追い抜こうとするタイミングで、がら空きの背中へと槍を突き立ててきた。上手い。弧月の時と比べて動きに無駄がないぞこいつ!

 

 

「ふんぬっ!!」

 

 

 レイガストを後ろ手にぶん回す。そうすることで、スラスターの加速に身を委ねての急速反転が可能になる。陽介の一刺しを横殴りに弾き飛ばしつつ、再突進。おお、初めてにしてはそれっぽい動きが出来ているぞ僕。しっかしつくづく重たいなこの盾こんちくしょう。

 

 

「っとマジかよ、即Uターンは予想してねえっつーの……!」

「はっはァー! 陽介から『と、思うじゃん?』ポイントを奪ってやったぜェー!!」

「人の芸風パクってんじゃねーぞ、こら!!」

 

 

 折り返しの突進を今度は大きく横っ飛びに避ける陽介。しかし逃がさん。訓練生には重さのせいで敬遠されたこのレイガストだが、スラスターを得たこいつはむしろ、()()()()()()()()()()()()と僕は思っている。追いかけっこで僕に勝てると思ったら大間違いだ。

 上手いこと陽介の跳んだ方へと手首を捻り方向転換。誘導ミサイルの如く追い縋る。うおォン、僕はまるで人間自動追尾弾(ハウンド)だぜ!

 ……ていうか、スラスター使ってる時は無理に振り回そうとしない方がいいなこれ。なるほど、レイガスト自体を回すんじゃなくて手首で曲がるのか。バイクとか車と同じだな。乗ったことないけど。

 

 

「――ぐっ!?」

 

 

 捕まえた。人間ゆえの反射的なものか、シールド突撃(チャージ)を受けた陽介がくぐもった声を上げる。よーしよし、なんとなくコツが理解ってきた。しかし、いくら速度があっても(シールド)モードは攻撃力E。ぶつかっただけでは戦闘体にダメージは入らない。と、なれば――

 

 

「パンチだ、陽花(ロボ)!!」

『「誰がロボじゃああああああああああ!!」』

 

 

 キレ気味に振るわれた陽花の左拳(スコーピオン)が、三度(みたび)陽介の顔面へと迫る。

 勝った。突進で体勢を崩しているから、流石にもう避けようがあるまい。槍の方もレイガストで抑えつけているし、詰み(チェックメイト)だ。僕らの勝ちだ。しかし、このままスコピパンチが直撃したらどうなるのだろう? イコさんにぶった斬られた時みたく、陽介の首もすっ飛んでしまうんだろうか?

 ……それはあんまり見たくないな。笹森くんが心臓狙ってきた時の気持ちがよく理解るぜ。

 

 

「ちっ……!」

 

 

 ――しかし、僕の予想した通りの光景が訪れることはなかった。

 陽介の側頭部を庇うように浮かんだ六角形状のエネルギー体が、寸でのところで陽花の拳(スコーピオン)を受け止めている。これは――集中シールドってやつか! ここまで近付いて手の塞がった状態でも使えるとは、やっぱり便利だなこれ! そりゃ誰だって二枚積みするわ! 僕は入れてないけど!

 

 

『「だけど――()()()!!」』

 

 

 されど陽花は意に介すことなく、再び拳を振り上げる。

 そう、那須さんとは異なり一枚だけの展開とはいえ、相当に発生範囲を絞っているにも拘らず、陽介の集中シールドは陽花のパンチ一発でボロボロになっている。陽花のスコーピオンが質量全振りのゴリラフォームである故か、或いは――

 ――関係ない。陽介だってきっと、負けた理由に()()を持ち出すことはないだろう。だからこそ僕も遠慮はしない。僕は僕の才能(トリオン)を、()()()()()()()()()()()()()()()()。ここで陽介に負い目を感じてしまったら、僕は僕にとって大切な、二つの太陽をまとめて曇らせることになってしまう。

 僕はこれからも全力で、誰の目も憚ることなく、()()()()()()()()()()()()()

 さあ、おまえもとくと味わえ陽介。こいつが僕の、大庭葉月の(トリオン)だ――!!

 

 

 

「――そこで()()()()()()()って考えちまうあたり、まだまだスコーピオンってやつをワカってねーな、ツンデレシスター?」

『「……っはあ!?」』

 

 

 

 ――あ、ヤバい。

 米屋陽介という男を長いこと()てきた僕にとって、それは確信に近い予感であった。

 こいつがこんな風に口の端を深く吊り上げる時というのは、間違いなく、()()()()を口にする前触れだと決まっているのだ。だが、しかし――

 シールドは依然として貼りっぱなし。腕を回して大盾の横から僕を突こうにも、陽介の腕はレイガストに抑えつけられていて動かせない筈。一体、この状況からどのような反撃の手段があるっていうんだ……!?

 

 

「知ってっか? (スコーピオン)の尻尾ってのはな、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 陽介がなんか陽介(バカ)っぽくないことを言っている……!!

 いや待て。冷静に聞けば大したこと言ってないなこれ。小学生でも知っていることだ。『長くてぐにゃぐにゃ曲がる』って言い回しも普通にアホっぽいし。妙にキリっとした顔で言うモンだから騙されたわ。とまあ、それはそれとして。

 陽介の腕は動かせない。その見立ては間違っていない。けれど、()()()()()()()()()()()()()。さっきまでは両手持ちだった筈なのに、いつの間にか片手持ちになっている。長さが縮んだ――のではない、()()()()()()()()()()()()。刃の手前を握り締めていた筈の右手に、柄の根元、いわゆる石突の部分が握られている。そして、右手の元から存分に伸びたスコーピオンが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 

 

 

「――こんな風にな」

 

 

 

 どすり、と。

 レイガストのシールド部分を滑るように伸びてきたスコーピオンが、そのまま僕の胸を貫いた。

 トリオン体に痛覚はない。再三そう口にしてきた僕だが、厳密に言うとそれは嘘だ。実際のところ、身体のどの部分が傷付いたのかを認識できる程度の感覚は存在するのだ。だから、この後に流れる自動音声が何を言うのかも、僕は既に理解している。

 

 

 

()()()()()()()()()()、大庭ダウン。勝者、米屋陽介』

『――――』

 

 

 

 ()()()()()()

 いやまあ、イコさんに首ちょん斬られた時もブースに戻ったら普通に生きてたから特に心配ないんだろうが、とにかくうんともすんとも言わなくなった。いやー、絶対に勝ったと思ってただろうからさぞかし悔しがってるだろうなあいつ。後でよしよししてやろう。多分キレられると思うが。

 というか、畜生。咄嗟の防御(ガード)が間に合わなかった。やっぱりレイガストは重……そうじゃない。そうじゃないだろ馬鹿。スコーピオンは変幻自在だと知っていたのに、腕を抑えただけで無力化したと思い込んだ僕の判断ミスだ。

 そもそも、槍の見た目に囚われ過ぎていた。自分でもよく理解らないのだが、米屋陽介といえば槍だという先入観(イメージ)が僕の中にあったのだ。けれど、そんな思い込みを嘲笑うかのように、根底から引っ繰り返すことこそが、こいつの本領なのだと――

 ……誰よりも、僕は知っていた、筈だったのになあ。

 

 

「あー……クソ」

 

 

 勝負ってやつは最後に勝つから楽しい。

 ()()()()()()

 それなのに――なんでなんだろうな?

 いや、負けたのは普通に悔しい。それは間違いないんだけど。

 

 

 

「――やっぱりおまえは、凄いやつだよ。陽介」

 

 

 

 本当に、ほんの少しだけ。

 僕の友達が僕より強くて良かったなあ、なんて。

 そんな、馬鹿みたいなことを、思ってしまったのであった。

 

 






冒頭部分の葦原先生のコメントは『ピエトロ』というキャラクターに対するもので、
このキャラは正直言って脇のそのまた脇役という立ち位置で『葦原先生は何故ここまでこいつを評価しているんだ…?』という感想を
冒頭のコメントを見た時には抱いてしまったのですが、米屋陽介というキャラクターを自分なりに掘り下げてみた今、ほんのちょっとだけ理解出来るようになったような気がします。


しかしいつにも増して捏造だらけの回だった



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

合成弾(P P A P)



(最後を除いて)ギャグ全振り回。




 

 

『「あ゛――――――――!!

  く゛――や゛――し゛――い゛――――――――!!」』

 

 

 大庭陽花の兄をやっている者ですが、妹の頭がおかしくなってしまいました。

 たすけてください。

 

 

『「ああああああマジバカホントバカ信じらんない私絶対センスない……。

  そうだよ……あんなちっちゃいシールド無理して割る必要なかったじゃん……。

  あの人みたいにスコーピオンの形変えて脇から刺しちゃえば良かったんじゃん……。

  それなのに猿みたいにゴリ押しに拘って負けるとか……もう嫌……。

  自分がこんなに頭悪いなんて知りたくなかった……」』

「猿なのかゴリラなのかはっきりしろよ」

『「ゴリ押しのゴリはゴリラのゴリじゃないんだよォ!!」』

 

 

 よく知ってんなお前。いや、これも僕の記憶から読んだのか。ゴリラみたく力任せに物事を解決するからゴリ押しだと思ってたんだけどそうじゃないんだよな。日本語って面白いね!

 陽介との一戦を終えて、ブースへと戻った途端にこの有様である。やはり本人が起きていようがいまいが、()()()()()()供給器官を破壊されても特に影響はないようで、死ぬどころかむしろ変なスイッチでも押してしまったかのような大騒ぎっぷりだ。どんどん愉快なキャラになっていくなこいつ……。

 

 

『はは、わりーなツンデレシスター。最初は弧月だけで相手するつもりだったんだけどよ、流石に入隊2日目の葉月にゃ負けらんねーと思って使っちまったぜ。ま、良いベンキョーになったろ?』

 

 

 通話の繋がっている別室から、けらけらと笑う陽介の声が届く。おのれ、勝ったからっていい気になりよって。さっきはああ言ってやったけどな、正直割とギリギリだっただろお前。次やったらどうなるかわからんぞ? ああん?

 

 

『「もっかい! もっかい勝負して! ウチの兄もこんなんただのまぐれ勝ちだからノーカンだって言ってます!!」』

「人の主張を地味に盛るのはやめろ」

『ははーん? 盛ってるってことは盛れる程度にはそー思ったってワケか葉月? 上等じゃねーの、もう1戦でも10戦でもおまえらの気が済むまで相手してやんぜ』

『「聞いたね? お兄ちゃん」』

「聞いたぞ、マイシスター」

『「「再戦(連コ)しよう」」』

『おいコラ、ちょっと待ちやがれそこのバカ&バカ兄妹』

『「この人らと一緒くたにされるの心外なんですけど!?」』

 

 

 むしろ今僕らの中で一番バカっぽいのおま……いや、言わんといてやろう。武士の情けだ。

 それはさておき、新たに割って入った声の主は公平である。ちょっとしたリモート会議の様相を呈しつつあるなこれ。ボーダーもいよいよテレワークを採用する時代か……トリオン体を遠隔操作できるようになったらワンチャンあるよなその未来。自宅で始める界境防衛。どうですかねこのキャッチコピー、メディア対策室長の根付栄蔵さん。

 

 

『てめーらだけで勝手に盛り上がってんじゃねーよ、次はおれの番だっつーのおれの。おー葉月、てめーも射手(シューター)なんだってな? 今の試合見た限りじゃとてもそーは思えなかったけどよ』

「雨の中、傘も差さずにレイガストを振り回す人間がいてもいい。自由とはそういうものだ」

『そりゃ自由じゃなくて混沌(カオス)っつーんだよ! ……あーくそ、てめーと絡むと毎回おれがツッコミ役になっちまう――とにかくアレだ、先輩射手(シューター)として軽く揉んでやっからいっちょ来い!』

「……ほほう?」

 

 

 面白い。大きく出たじゃないか公平。天才射手(シューター)だか何だか知らんが、僕のレイガストが何をコンセプトにして製作されたのか知らないようだな。寺島さんはな、まさにお前みたいなやつに一泡吹かせるべくあれを開発したんだぜ。あの人の理想を現実のものとするいい機会ってやつだ。

 

 

『……お兄ちゃん、なんかどんどんレイガストに深入りしてない? 本当は大して射手(シューター)やる気ないんじゃないの?』

 

 

 気付いてしまったか……。いや、僕が思い入れあるのはあくまで炸裂弾(メテオラ)というトリガーであって射手(シューター)というポジションじゃないからさ。正直肩書きは割とどうでもいいんだよな。

 僕みたいな半端な立ち位置の隊員はなんて言い表すのが正解なんだろうか。半端者(ハーフボイルダー)? 二人で一人だし町の平和を守ってるし大庭葉()でトリガー使いだから言ってみればルナトリガーだし、やっぱり僕もう実質仮面ライダーWだろ……最近よくトレンド入りしてるよね。詳しくないけど。いや、本当に。

 

 

「――OK、やってやんよ公平。お前のトリオン量も相当に多いみたいだけど、ウチの妹で出来たレイガストをそう簡単に割れると思うなよ」

『「言い方」』

『ま、確かにてめーのレイガストが硬えのはよーくワカったが――()()()()()()()()()()ってのも持ってんだよ、こっちは』

「そいつは見るのが楽しみだ」

『――あら。大庭くん、次もあの盾になる剣のやつ(レイガスト)を使うつもりなのかしら?』

 

 

 あ、那須さんも入ってきた。今更ながら普通に四部屋同時通話とかやってるけどどうなんこれ。まあ今出来てるってことは出来るってことでいいだろう。深く考えてはいけない。

 

 

「まあ、『対弾丸用トリガー』っていう触れ込みだからね。公平相手に使わずしていつ使うんだということで」

『そう、残念ね……久しぶりにまた大庭くんの悲鳴(ほげえええ)を聞きたいと思っていたのだけれど……』

「なんで君はナチュラルに僕が自爆する前提で話を進めているのかな?」

『やっぱ遠征行く前と比べて微妙にキャラ変わったよな那須さん……』

 

 

 それは間違いなくあの紳士の影響だな、公平。ウチの那須さんは巷と比べてお茶目度三割増しでお送りしています。いや巷って何処だ。

 さて、そんじゃまぼちぼち始めるとしましょうか。公平の部屋は確か123号室だったっけな。出水(123)だけにか。うーん、わかりやすい奴。

 

 

「……げっ」

 

 

 とはいえ。

 まさかここまで語呂合わせしてくるとは思っていなかった。

 

 

 

 

123 10123 アステロイド

 

 

 

 

 いちまんてん。1万持ってるよこの男。現代に蘇った福沢諭吉だよ。1万って数字を見て真っ先に諭吉さんを連想してしまうあたり僕の思考回路って俗物にも程があるなマジで。

 陽介のスコーピオンも8000点越えててなるほど達人(マスター)じゃねーのって思ったものだが、やっぱり5桁の大台に乗るとぱっと見のインパクトが違う。A級1位は伊達ではないということか。

 

 

「大したやつだ……やはり天才か……」

『「まるで八丸くんみたい……」』

『おいコラ、葉月と妹どっちの台詞か知らねーが後の方は言われても全然嬉しくねーぞ』

『あー、ついでにこのバカ追尾弾(ハウンド)変化弾(バイパー)も8000点越えてっからなー。最終的に炸裂弾(メテオラ)も含めて全部の弾丸トリガーで1万越えんのが目標なんだとよ。な? 弾バカだろ?』

金剛夜叉流(弾丸トリガー)の全てを習得したぞ!」

『「うん!」』

『金剛夜叉流って書いて『弾丸トリガー』って読むのやめろ』

 

 

 おまえは物事をあせりすぎる……。

 もう……散体(ベイルアウト)しろ!!

 

 

 

 

 

 

 

 というワケで、帰ってきました河川敷A。今更ながら、市街地Aを選ばなかったのはC級ランク戦で選び過ぎて飽きたからである。せっかく市街地だけでもCとかDとかあったり工業地区みたいなマップもあるのだし色んなところを体験してみたい。そう、たまには終点以外でも遊ばないとね。詳しくないけど。

 転送位置は先程と変わらず橋の上。各々の配置も公平と陽介が入れ替わった以外は同じである。しかし陽介と那須さんが並んで立ってるのって違和感すごいな……公平と違って二人の間に何も共通点ないから絡みが一切想像付かんぞ。強いて言うなら二人とも身体動かすのが好き、くらいか。ただし片方はトリオン体に限る。

 

 

『対戦ステージ「河川敷A」。個人(ソロ)ランク戦1本勝負、開始』

『「――あー、始める前にちょっといいですか? いずみサン」』

「お、おお? どーした陽花ち……妹の方」

 

 

 転送早々にキューブを二つ作ってやる気満々だった公平が、妹の一声でそれを掻き消す。ちゃん付けを拒否られたせいで陽花の呼び方に困ってるなこいつ……。

 

 

『「あの、お姉さm――こほん、なすサンと戦ってた時にあなたが使ってた、キューブとキューブをくっつけるやつあるじゃないですか。あれって一体何なんですか?」』

「あ、それ僕も気になってた」

 

 

 メドローア、もとい追尾弾(ハウンド)炸裂弾(メテオラ)の性質を併せ持ったチート弾丸。あの技について詳しい話を聞いておかなければ。陽介は確か合成弾とか言っていたが、例えば僕の炸裂弾(メテオラ)と陽花の変化弾(バイパー)でも同じことが出来たりするのだろうか? 兄と妹の合体技……燃える。何それ超燃える。お兄ちゃんテンション上がってきた!

 

 

『「……やっぱり聞きたくなくなってきました」』

「つれないこと言うなよマイシスター」

「……変な感想なんだけどよ、合成弾ってなんか()()()()()()()()()って思っちまったぜ……」

『「これ以上私の質問意欲を削ぐのやめて貰えませんか?」』

「いや、妹の方がさっき言ってたろ? キューブをキューブをくっつけるって。そのまんまだよ、こーやって(メイン)(サブ)からキューブつくってよ」

 

 

 僕らの傍まで歩み寄ってきた公平が、そう言って再び手元にキューブを作り出す。なんか脳内でピコ太郎のアレが流れ出してきたな。ほら……みんなも想像して……パンチパーマの公平が色眼鏡を掛けて歌っているところを……。

 

 

「右手に通常弾(アステロイド)

 

 

 アッポーゥペェーン。

 

 

「左手に通常弾(アステロイド)

 

 

 パイナッポゥペェーン。

 

 

通常弾(アステロイド)通常弾(アステロイド)――」

「ペンパイナッポーアッポーペェン」

「ぶふうっ!!」

『「お姉様!?」』

 

 

 あ、那須さんが堕ちた(笑った)。やはりyoutubeで1億回も再生されたネタは強いな……というか妹よ、お姉様って何だお姉様って。人には勝手に家族を増やすなって言っといて。勝手に他人を姉弟認定して許されるのは脹相の兄貴だけだぞ。お前も存在しない記憶を見てしまったのか……?

 

 

徹甲弾(ギムレット)――ってコラァ!! 誰がピコ太郎だ!?

「そう怒るなよ出水大魔王」

「呼び方変えたらセーフとかそういう話じゃねーんだよ!!」

「ふ……ふふっ……これから出水くんがその弾を作る度に思い出し笑いしてしまいそう……やってくれたわね大庭くん……」

「や、ちょい待った那須さん。ちげーから、おれだけじゃねーからこの技使うの。射手(シューター)1位の二宮さんとか弓場隊の蔵内さんなんかもよ、追尾弾(ハウンド)追尾弾(ハウンド)を混ぜた強化追尾弾(ホーネット)っつー弾を……」

「……あれ? 射手(シューター)1位って公平じゃないの?」

「ははっ、弾バカ様のチーム順位だけ知ってるやつにありがちな勘違いだなそりゃ。射手(シューター)の1位はオレらがボーダー入る前からずっと不動で二宮さんだぜ。アレだよ、さっき話した辻ちゃんとこの隊長」

 

 

 ああ、例の黒スーツ部隊(チーム)の。なるほど、ネタと実力を兼ね備えている御人ということか……これはますます会うのが楽しみになってきたぞ。

 いや、スーツはともかく合成弾は別にネタでもないんだけど。でも既に僕の中の二宮さん(仮)はPPAPのリズムに乗って軽やかにキューブを捏ね繰り回す面白お兄さんのイメージで出来上がりつつあるんだよな……きっと雪だるまなんかを作るのも上手いんだろう。知らんけど。

 

 

 

『「……ふーむ、合成弾。キューブとキューブをくっつける……」』

 

 

 

 おや、僕の左手(マイシスター)が勝手にキューブを出している。なんだ、もしかしてお前も試してみたくなったのか? そんじゃま僕も炸裂弾(メテオラ)のキューブを――

 ……待てよ。この流れ、普通に合成失敗して自爆する(ほげる)やつじゃないのか? だって炸裂弾(メテオラ)だぞ? 公平はなんか2秒くらいでサクッと合成弾作ってるけど、素人がいきなり同じことやってこんな風に上手くいくもんなのか……?

 

 

『「いいから。お兄ちゃんはキューブ出すだけでいいからじっとしてて。ほら、早く」』

「……はいはい」

「――げっ!? お、おい待ちやがれ葉月妹! 葉月の弾丸トリガーって炸裂弾(メテオラ)だろ!? 試すんなら最初はもっと安全な弾使った方が――」

『「ほいっ」』

 

 

 マイシスター、公平の制止を振り切り僕の炸裂弾(メテオラ)に自分の変化弾(バイパー)()()()()暴挙――ってうわああああああ!! 信じらんねえこいつ! こんな力任せに叩きつけるような真似しやがって! 違うでしょ!? 合成弾ってもっとこう、陶芸品でも創るように丁寧に丁寧に捏ね繰り回すものでしょう!? それをお前、うどんの生地をまな板にぶん投げる職人みたいな勢いで――はいもう自爆した(ほげった)! 大庭くん自爆した(ほげった)よ! 良かったね那須さん! また聞けるよ!

 

 

『お兄ちゃんさっきからうるさい』

「ほげええええええええ……お、おお……?」

 

 

 生きている。なんか知らんが生きている。来る筈の衝撃が襲ってこない。思わず閉じてしまっていた瞼を、恐る恐る開いてみると――

 

 

 

「「……マジか?」」

 

 

 

 僕と公平の感想が(ハモ)った。

 絶対に破綻すると思われた二つのキューブの融合が、成り立っていた。炸裂弾(メテオラ)変化弾(バイパー)、僕らの愛する二つの弾丸が一つになった、至高のキューブ。それが今、僕らの目の前できらきらと輝いている。

 ……そうか。考えてみれば、ウチの妹は()()()()()()()()なのだから、炸裂弾(メテオラ)だろうが変化弾(バイパー)だろうが、どちらも自分の一部みたいなものなのだ。僕にはさっぱり理解できないトリオンキューブの構造なんかも、こいつの目には一目瞭然なのだろう。

 スコーピオンの時にも予兆はあった。人の手みたいな複雑な形の刃を、いきなり形成してしまう発想力。それもその筈だ。こいつにとって、トリオンを弄り回すのは人間が手足を動かすのと何ら変わらない行為なんだろう。合成弾にしてもそうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()。こいつはきっと、その程度の気楽な考えで――

 

 

 

『「――ふふん」』

 

 

 

 陽介と那須さんの二人も、ぽかんと口を開けて僕の眼前に浮かぶキューブを眺めている。その中でただ一人、僕の妹は()()()()()と見せびらかすように、言った。

 

 

 

 

 

『「トリオン器官、ナメんなよ」』

 

 

 

 

 

 その時の(陽花)はきっと、嵐山隊の佐鳥賢に勝るとも劣らない、渾身のドヤ顔を浮かべていたに違いない。

 ……なるほど。

 トリオン器官が意思を持つとは、()()()()()()()()()()()()()()()()とは、こういうことか。

 そりゃあ、スコーピオンの形を変える発想に至らなかった自分をあれだけ罵る訳だな。納得。

 

 






話数を抑えようとすれば文字数が嵩む
文字数を抑えようとすれば話数が嵩む
つまりハサミ討ちの形になるな…

ペンパイナッポーアッポーペェン



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

甘えんボーイと求めたガール(前編)



2期のOPイントロで毎回独りぼっちの緑川のところで一時停止するじゃないですか。
見る度に『俺! 総勢1名参上!!』を思い出して笑ってしまうので
3期になったらちゃんと他3名が追加されてたらいいなと思いました。
でも戦闘員しか立たせないみたいなんで今度は草壁隊長がハブになってしまうというジレンマ…隊長なのに…

長くなってしまったので今回も前後編です。
後編はなるべく早いうちに。




 

 

 ――ところがどっこい、そう何もかもが上手くいったら苦労はないという話で。

 

 

変化炸裂弾(トマホーク)

『「「ほげえええええええええええええええ!!」」』

『戦闘体活動限界、大庭ダウン。勝者、出水公平』

 

 

 負けました。

 というか、その、試合になりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

『「……はっ!? 私また死んでる!?」』

 

 

 ブースのベッドに叩き落とされた直後、即座に身体を起こして頭を抱える私の身体(マイシスター)。なんか増々こいつの自由っぷりに磨きがかかっている気がするな……(メイン)トリガーとは……大庭葉月とは……ドワオ!!

 

 

『……葉月? 妹? なんでてめーら、いつまでもキューブ抱えたままぼっ立ちだったんだ……?』

「いや、例の変化炸裂弾(トマホーク)――だっけ? 僕らも公平に対抗してあれをぶっ放そうとしたんだけど、その……陽花さん?」

『「…………」』

 

 

 そう。ノータイムで合成弾を創れる射手(シューター)の誕生、そこまでは良かった。口をあんぐりと空けた公平に対して、

 

 

『「うふふふふ……これは私がボーダーNo.1射手(シューター)の座に君臨する日も近いかもしれませんね? ねえいずみサン、ポッと出の私に自慢の必殺技(合成弾)をパクられて今どんな気持ちですか? 別に教えてくれなくてもいいですよ、()()()()()()()()。ふへへへへ」』

 

 

 とかウチの愚妹が過去最高に調子乗ってたことも記憶に新しい。

 で、合成弾のコントロールも僕は陽花に任せることにした。というのもこの変化炸裂弾(トマホーク)、あくまでも『炸裂弾(メテオラ)の特性を付与した変化弾(バイパー)』という感じで、炸裂弾(メテオラ)は単なる添え物という印象を受けたからだ。実際に陽花もノリノリでその提案を受け入れた。そしていざ実戦、というところで事件は起きた。

 大庭陽花(マイシスター)フリーズ事件。レイガストやエスクードで公平の変化炸裂弾(トマホーク)を防ごうにも合成弾のキューブを抱えたままでは切り替えもままならず、あえなく僕らは消し炭になってブースへと送り戻されたのであるが――

 陽花さん、事件に関して何かコメントをお願いします。

 

 

『「……どんな風に描いたら(撃ったら)いいのかわかんなかった」』

「などと被疑者は意味不明の供述をしており――」

『「私の頭がおかしいみたいに言うなあ!! ……伝わんないかなあ? 変化弾(バイパー)って、これ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」』

「…………?」

 

 

 何のこっちゃ。普通に何も考えずどばばばばーって雑にぶっ放せばいいだけの話じゃないのか? 僕が炸裂弾(メテオラ)使うときっていうのは割とそんな感じだぞ。そんなんだから狙った相手に真っ直ぐ飛ばないのかもしれんけども、それでも描く(撃つ)ことすら出来ずに固まるよりかはよっぽどマシだろう。

 

 

『……あー、そういうことね』

 

 

 そんなことを思っていたら、意外なことに公平が納得したかのような反応を見せている。え? わかんの? 変化弾使い(アーティスト)特有の共通認識とかそういうこと?

 

 

「出水さん、解説をお願いします」

『妹の方とややこしいからその呼び方やめろ! ……あー、変化弾(バイパー)っつーのはよ、弾丸を撃つ前に頭ん中で弾道を引く必要があんだよ。弾道ってのは読んで字の如く弾の通り道のことな。んで、変化弾(バイパー)を使いこなすにはその弾道を即座に引ける想像力――まあざっくり言うと、『おれこんな弾撃ちてーなー』っていう、()()()()()()()()()()()()()っつーの? そういうのが求められるワケなんだわ』

「……ふむ」

 

 

 そういえば那須さんも言っていたな。自分の中にある()()()()()を、現実のものにしてくれるのが変化弾(バイパー)だと。となると、さっきの陽花が変化炸裂弾(トマホーク)を撃てずに固まってしまったのは、こいつの中に撃ちたい弾丸のイメージがパッと思い浮かばなかったからということになるんだろうか。

 ……なるほど。確かに妹の言う通り、()()()()()()()()と言われたらそれはそれで迷うかもしれない。いかにこいつが自由自在にトリオンを操れる()を持っていようと、手に命令を送る頭の方が働かなければどうしようもないのだ。

 で。

 僕の知る限り、こいつにとっての理想の弾丸っていうのは――

 

 

「要するに、那須さんみたいな弾が撃ちたいんだよな。おまえは」

『「ふぇあっ!?」』

『あら。私?』

 

 

 自分の名前が挙がるとは思っていなかったのか、意外そうな反応を示す那須さん。でも実はそうなんすよ。ウチの妹、ちょっと前になんて言ったと思います? 聞いて驚くことなかれ、那須さんの全てが欲しいだなんて大胆発言を……。

 

 

『バラしたらころすぞ……』

 

 

 まあ怖い。最近の子は気軽に死ねとか殺すとか口走るから教育に良くないわ。誰に似たんざましょ。でもちょっと前に僕も陽介にぶちころすぞとか言ってたような気がするな。なんだ僕か。

 それはさておき、空から降る一億の(バド)、口の中が弱点だった大型近界民(バムスター君)、路地裏に潜む公平――僕らが見てきた那須さんの変化弾(バイパー)というのは、ある程度狙い撃つべき目標というか、弾丸の()()()が決まっていたような印象を受ける。

 しかし今回、陽花が相手にしたのは周りに遮蔽物も何もない状態の公平である。路地裏に潜んでいたことで弾丸の進路が限定されていた時と違って、3()6()0()()()()()()()()()()()()()。それが逆にこいつの迷いを生んだのだろう。スコーピオンの例にしてもそうなのだが、もしかしてウチの妹、意外と頭が固いというか思考に柔軟性がないのでは……。

 

 

『「殺す!!」』

「きゃあ、じぶんごろし!!」

『まあ、ダメよ陽花ちゃん。そんな物騒な言葉を使ったら』

『さっきから全っ然話が進まねぇー……』

『おまえはまだ話に混ざれるからいいだろ弾バカ。オレの今味わってるソガイ感ってやつわかるか? だからオレ一人だけ攻撃手(アタッカー)はさみしーっつったんだよな』

 

 

 すまん陽介。おまえがそんな寂しさを抱いているだなんて気付かなかった。感情が()えない状況だとついつい気遣いってやつを忘れちゃうぜ。あとお前疎外感なんて言葉知ってたんだな……。

 とりあえず、どうもウチの妹は無から何かを生み出す能力に欠けているようだ。とはいえ、別に悲観するような話でもない。誰だって最初は模倣から始めるのだから。

 初めに好きや憧れがあって、それを真似しているうちに、少しずつ理想と現実のズレを自覚するようになっていくのだ。()()()()()()()()()()()()()()。僕にとっての人生の師は祖父であり紳士ウィルバーであり米屋陽介であるのだが、どうも僕は彼らに比べておちゃらけが過ぎるというか、人間的魅力に欠けた存在だという自覚がある。

 けれど、そんな自分を否定しようとは思わない。笹森くんにも言った通り、僕は『こいつ死ねばいいのに』って感じの大庭葉月だ。その自分を受け入れている。だから陽花も、まずは無心で那須さんの真似から始めてみればいいのだ。どうせ描いてるうちに、『私ならもっとこうしたい』とか『ここはこう描きたい』とか思うようになる。だって僕らは人間だから。

 どれだけ理想を抱いてみても、()()()()()、他人と全く同じ存在になることなんて出来やしないのだ。

 両親がどれだけ手を尽くしても、大庭葉月が大庭陽花(かみさま)になれなかったのと同じように。

 

 

『「…………」』

 

 

 そうだね。楽しくない話はやめようね。せっかく皆とおもちゃ(トリガー)で遊んでる最中だもんね。

 とにかく、今の妹に必要なのは『那須さんだったらどう描く(撃つ)か』という手本だ。憧れに少しでも近づくために、こいつはもっともっと那須さんの作品(バイパー)を鑑賞する必要がある。とはいえ彼女もB級上がりたて、いきなり同期に弟子にして下さいと言われても困ってしまう筈――

 ……いや待て、案外快く引き受けてくれるかもしれない。紳士ウィルバーによって魔改造された那須さんの思考はイマイチ読みづらいところがあるからな。どうする? いっちょ駄目元でお願いしてみるか……?

 

 

『――ねえ、陽花ちゃん? あなたさえ良ければ――』

『「……!? は、はい! はいはいはいはい!!」』

 

 

 おっとぉ? おっとっとぉ? この流れはまさか……あるのか? まさかの逆オファーあるのか? しかしもう少し食いつきを隠せんものかなウチの妹は……目の前に餌を吊り下げられたワン公じゃあるまいし。返事を丸々鳴き声に変換しても違和感ないぞこれ。ワ、ワン! ワンワンワンワン!

 

 

『――あなたも一度、()()()()()変化弾(バイパー)の撃ち方を習ってみるのはどうかしら?』

『「わん(はい)!?」』

『……へ? おれが? 葉月妹に……?』

 

 

 そう来たかー……まあ、願望っていうのは打ち砕かれるためにあるようなモンなんだよ。勉強になったなマイシスター。

 とはいえ、これはこれで願ってもない提案である。A級1位射手(シューター)の教えを直々に受けられる機会なんて早々あるまい。人によってはむしろ、那須さんに教わるよりお得だとすら思うだろう。

 けれど生憎、大庭陽花は大庭葉月の妹な(普通じゃない)ので――

 

 

『「やだ! 小生やだ! お姉様の変化弾(バイパー)じゃなきゃイヤだぁぁぁぁぁ!!」』

『……これ本当に妹の方が喋ってんだよな? 葉月じゃねーよな?』

「超心外」

『ショーセイってなんだ? サウザーとなんか関係あんのか?』

『これ以上バカが増えたら収拾付かなくなるからてめーは黙ってろ』

『「いずみサン? ()()()()って何ですかいずみサン? まるで他にも馬鹿がいるかのような発言は控えてもらえますかいずみサン?」』

『そこで葉月じゃなくて自分のこと言われてると思っちまう時点で自覚あんじゃねーかバカ妹……つーか那須さん、そういう提案はおれから妹に持ちかけるモンでしょーよ』

『ああ……ごめんなさい。私の変化弾(バイパー)も元はと言えば出水くんに習ったものだし、私のような弾を撃ちたいのなら出水くんに師事するのが理に適っていると思ったのだけれど――話が一足飛びになってしまったわね』

 

 

 なるほど。理屈自体は間違っていない。しかし僕の個性理論に基づくのであれば、公平の変化弾(バイパー)と那須さんの変化弾(バイパー)にも何かしらの()()がある筈で、そのズレ(個性)の部分に妹は惹かれているのだろうから、やはり公平から直接教えを乞うのは微妙に話が違うのだ。アレだよ、澤井啓夫は松井優征の師匠だけれど、ネウロが描きたいと思って澤井先生に弟子入りしても出来上がるのはボーボボだよという話。ごめん、正直この例は割とふざけて考えた。

 

 

『「そんなの嫌……私いずみサンに鼻毛真拳の使い方なんて教わりたくない……」』

『てめーら兄妹の脳内会話は一体どうなってんだ……?』

『はなげしんけん?』

「『『『那須さんは知らなくていい』』』」

『そ、そう……みんなは普通に知っていることなのね……少し寂しいわ……』

 

 

 すまない那須さん。しかし理解ってくれ。いかに紳士の魔改造を受けた那須さんであっても越えてはいけない壁というものは存在するんだ……那須玲とボーボボの組み合わせなんて合体事故以外の何物でもないんだ……ビュティのようにコマの隅っこで目ん玉飛び出しながらツッコミ入れてる那須さんとか誰も見たくないだろ……? 少なくとも僕は見たくないぞ……。

 

 

 閑話休題。

 

 

「真面目な話に戻ろう」

 

 

 かつてないほど男らしい声で僕は口にした。この流れは良くない。僕の良くない癖が出ている。話が明後日の方向に脱線し続けていつまで経っても進まない悪癖がモロに出ている。5000字近く話してるのに本筋が微塵も進んでないとかあり得ないだろう。ぼちぼち僕らは、お使いを済ませて()に帰らなきゃいけない時間なんだよ。

 

 

 ちら、とブース備え付けの時計を見る。

 16時を僅かに回ったところだった。

 

 

「那須さん。聞いての通りウチの妹は、那須さん以外の変化弾(バイパー)なんて考えられないと駄々をこねるワガママクソシスターなワケなんだけど」

『「キレそう」』

「でも、こいつの気持ちが理解らないこともないんだ。僕は」

『「――え」』

 

 

 何しろ僕も、()()()()()()()()()()()()()()()()()なので。

 他人に期待はしないという信条を掲げていた癖に、その信条を捻じ曲げて影浦隊へと入った僕。那須さんの変化弾(バイパー)に心を奪われ、彼女の全てが欲しいと望んでいる陽花。つくづく僕らは兄妹だ。欲しがることを、求めることを止められない。甘えんボーイと求めたガールの二人三脚。まったくもって、ろくでもない。

 ただ――ろくでなしの兄が願望を叶えておいて、妹の方が夢を抱いたら駄々っ子呼ばわりというのも筋が通らない。こいつにだって、()()くらいは放つ機会を与えてやってもいいだろう。無論、その矢が刺さるかどうかは那須さん次第だが。

 

 

()()()()()()()()()()()()――そんなこっ恥ずかしいことを想ってしまうような相手が、世の中には意外といたりするわけなんだよね。で、どうもウチの妹にとっては、那須さんが()()()()()()らしいんだよ」

『「な、なななな……!」』

『あら、それは光栄ね』

 

 

 さすが那須さんは器がデカい。割と大胆な告白だったと思うのだが、実にすんなりと受け止めて下さっている。それと陽花さん、自分(ぼく)の頭をぽかぽか叩くのはやめなされ。じぶんごろし。じぶんごろし。

 

 

「どうだろう那須さん。こいつの願望(ワガママ)、聞いてあげる気はある?」

『そうね――』

 

 

 今、僕の瞳に那須さんの感情は()えていない。けれど彼女の声はどこか愉快そうで、スピーカー越しにお馴染みの薄い微笑みを湛えているのが目に浮かぶようだった。それも願望じゃないのかと人によっては思うかもしれないが、僕としては異を唱えたい。

 去年の末から2週間程度の付き合いではあるが、那須玲という少女と言葉を交わすうちに、僕が抱けるようになった――

 

 

 

『――私なんかで良いのなら、喜んで。素敵な絵を描ける(弾道を引ける)ようになりましょうね、陽花ちゃん?』

『「…………!」』

 

 

 

 ――彼女への、()()によるものである。

 

 

 

『「わ――!! きゃ――!! ぅやほぉぉ――――う!!」』

「喜ぶのはいいけど先に感謝の気持ちを伝えなさい」

『「あなたの犬になります!!」』

「そんな感謝の表し方ってある?」

『まあ、かわいいワンちゃんね。うふふ』

『……これ本当に』

「公平くん」

『いやー、なんつーかマジでツンデレシスターって葉月の妹なんだなってのがよくワカったぜ』

 

 

 それは一体どういう意味だ陽介。僕だってここまで猿みたいな奇声は上げなかったぞ。なんだか今日一日で妹の残念っぷりが一気に増してしまったような気がする……昨日までのこいつはキャラ作ってたんだろうか……?

 

 

 

 

 

「本当に――クソだなって思いながら見てたよ」

「そんなお兄ちゃんがさあ、私の存在を蔑ろにして、楽しいことを独り占めするなんて、許されるとでも思ってるの? おかしいよね? ありえないよね? それは本来、()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 ……そういう訳でもない、か。

 察するに、今のこいつがここまでぶっ壊れているのは、抑圧されていたものが弾けた結果なんだろう。求めたガールだなんて言ってしまったが、()()()()()()()()()がこいつにはある。こいつはずっと、欲しがっていたのだから。自分だけのものを。僕ではない、()だけのものを。

 いいだろう。存分に弾けてしまえばいい。鼻毛真拳を習うのは御免だとおまえは言っていたが、誰に習わずともおまえは立派なハジケリストだよ。だから遠慮せずに今日からこう名乗りたまえ。クイーン・オブ・ハジケリスト大庭陽花と……。

 

 

『「私の鼻に毛なんか生えてねえ――!!」』

「ぐわあああああああああああ!!」

『だから何でてめーらは那須さんに変化弾(バイパー)習おうって話からボーボボに話題が飛んでんだ……?』

『でもよ、葉月とツンデレシスターの流れガン無視したこのノリって微妙にボーボボっぽくね?』

『あー、言われてみりゃなんとなくそんな気も――』

『ぼーぼぼ……』

「『『『那須さんは知らなくていい』』』」

『……みんな酷いわ……』

 

 

 すまない那須さん。君が悪いんじゃない。恨むのなら僕達じゃなくて天の助を恨んでほしい。

 そうだ天の助……よくも那須さんを悲しませたな……殺してやるぞ天の助……!!

 

 






殺してやるぞ天の助



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

甘えんボーイと求めたガール(後編)/OVER WORLD



脹相とかいうお兄ちゃんが最高にお兄ちゃん過ぎて
葉月くんはもっとお兄ちゃんを頑張らないといけないなと思った今週の呪術でした




 

 

 と、いうワケで。

 

 

「三人とも、今日は付き合ってくれてありがとう」

『「……ございました」』

 

 

 兄妹二人、揃って頭を下げる。傍から見たら一人にしか見えないだろうけども。

 ROOM303(303号室)を出て、戻ってきましたランク戦ロビー。先のクソデカ自己紹介からある程度時間が経ったおかげか、今の僕らに視線を向けている人はそう多くはない。なんか遠くの方で興味深そうにこっちを眺めている、()()()()()()()()()()が目立つくらいだ。

 ……いや、何なんだろうな? あの無垢な子供のような、純粋な興味に満ちた感情は。心なしか顔付きも貴族のようだというか、物語に出てくる()()()みたいなルックスをしているし、いかにも『濃い』キャラをしてますって感じの雰囲気が漂っている。

 どうしよう。正直めっちゃ気になるぞ。しかし流石にこれ以上寄り道している余裕はない。次の機会を待つとしよう。

 

 

「……礼なんかいらねーけどよ、おれとしちゃ葉月とまともに勝負できなかったのが不満だぜ」

「いや、悪いね公平。今日はちょっと後の予定がつっかえてるもんで」

「――ま、いーけどよ。別に今日じゃなくったって、これから幾らでも戦れる機会はあんだしな。おい、さっき教えた太刀川隊(ウチ)の作戦室の場所、忘れんじゃねーぞ」

「忘れない忘れない。……でも、そんな気軽にお邪魔しちゃってもいいのかな? A級1位の作戦室だなんて、それこそ選ばれた人しか足を踏み入れることは許されないイメージが……」

「ははっ、太刀川さんとこにそーいう堅っ苦しい空気はねーよ。下手すりゃボーダーの中でも一番雰囲気ユルい部隊(チーム)まであるぜ」

 

 

 それでいいのか界境防衛機関……。

 いや待て。逆に言えば、そんなユルい空気の部隊(チーム)が頂点に立つことを許されている自由さこそ、紳士ウィルバーが僕に伝えたかったボーダーの魅力であると言えなくもない。無論、中には近界民(ネイバー)は全て敵だ……!!』と言わんばかりに殺意全開の部隊(チーム)もあるのかもしれないが、少なくとも公平のところはそうではないようだ。きっと陽介のところもそうだろう。

 というか噂の太刀川さん、公平のところの隊長さんだったのか。これは楽しみが一つ増えたな。関係各者のコメントから察するに最近はどうにもスランプ気味とのことだが、仮にも風間さんが攻撃手(アタッカー)ランキングの()と評した御方、その実力は間違いなく本物だろう。絡める機会があるのなら全力で絡んでいくべきだ。きっと無駄にはなるまい。

 

 

「自分の部隊(チーム)のお部屋……いいわね。私も早く持ってみたいわ」

「那須さんはこれから自分で隊を作るんだっけ?」

「ええ。入隊式の時に紹介した茜ちゃんと、くまちゃん――前に話した正隊員の友達と、それからもう一人、大庭くんに会わせようと思っていた()()()。この4人でチームを組む予定なの」

 

 

 あ、そうだ。ようやく思い出した。僕はその件で那須さんと話をする必要があったんだった。

 なんだっけ? 男の人が苦手で? トリオン体の僕なら見た目は女だからもしかしたらと思って? 僕らに協力してもらおうとしてたんだよな、那須さんは。

 ……何だろう。滅茶苦茶どっかで聞いた話だな。というか、なんで()()に会ったとき気付かなかったんだろうか。もしかしなくてももしかするだろ。那須さんが会わせたいと思っている女の子の名前というのは、きっと――

 

 

「……その子の名前、志岐小夜子って言わない?」

「あら。そこまで判ってしまうのかしら? ()()()()()()()()()()

「流石にそんな万能じゃないよ。ブースに来る前、本当にたまたま話す機会があったんだ」

「すごい偶然ね――って、普通にお喋りできたの? 大庭くんと小夜ちゃんが?」

陽花(こいつ)の顔で、だけどね。ある程度打ち解けたところでネタ晴らしする予定だったんだけど、誰かさんが()()を入れやがったせいで頓挫した」

 

 

 言いながら横目で陽介の方をチラ見すると、明後日の方角を向きつつ口の形を『3』にしているデコ出しクソ野郎がそこにいた。米屋くん、人が話している最中によそ見をするのはやめなさい。

 

 

「とりあえず、次に会ったら正直に事情を明かそうとは思うんだけど――それはそれとして、そのうち那須さん達の作戦室にお邪魔する時、()は極力表に出ないようにしようと思っているんだ」

「……それはやっぱり、小夜ちゃんに気を遣ってのことかしら?」

「勿論、それもあるけど――」

 

 

 ……さて。

 そんじゃぼちぼち、僕が温めていたサプライズプレゼント、第2弾の開示と行きましょうかね。

 

 

「――那須さんのチームメイト達には、()()()()()()()になってほしいと思っているんだ。僕じゃなくってね」

『「……へっ?」』

 

 

 (サブ)トリガー選びの最中、風間さんと寺島さんのやり取りを見ていて思いついたことだった。

 自分自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ。昨日一日で妹様(トリオン器官)のありがたみってやつを改めて思い知らされた僕は、今まで以上に多くのものをこいつに与えてやりたいと思った。流石に1つの身体で2つの部隊に所属することは出来ないから、僕らの()だけはあの人達のところに限定させてもらうけれど――

 ――僕にとっての陽介と公平みたいな存在が、陽花にも必要なんじゃないかと、思ったのだ。

 

 

『「ちょっ、私、そんなこと頼んでないっ……!」』

「まーまー。まーまーまーまー」

「……キレ気味に暴れてる左半身を右半身が宥めてやがる……」

「葉月ー、あんまりまーまー言ってっとそのうち三浦みてーになんぞー」

「誰それ」

「あー、香取隊っつーとこの攻撃手(アタッカー)でよ、オレと同じで()()()()()()に手ぇ出してるって噂もあんだが、だーれも使ってるとこ見たことねーっつーんだよな。おかげで参考になりやしねー」

『「三浦だかミューラーだか知らないけどそんな人のことはどーでもいいんですぅー!! あのねお兄ちゃん、頼んでもいないのに勝手に人の交友関係広げられても困るっていうか――」』

「あら。くまちゃんも茜ちゃんも小夜ちゃんも、みんなとっても良い子たちよ? 陽花ちゃんともきっと仲良くなれると思うのだけれど」

『「う゛っ……お、お姉様……」』

 

 

 那須さん、ナイスアシスト。

 ところで陽花が三浦某氏のことをミューラー呼ばわりしたとき、遠くの方の王子様がやたら良い笑顔を浮かべたのだけれど、あの人は一体何なんだろうか。その『共感』は一体何なんだ王子様。もしかしてあなたも三浦某氏のことをそう呼んでいるのか? 結構良いセンスしてるじゃないか。僕も勝手にそう呼ばせてもらおう。

 

 

『「……お姉様のお友達が良い人達でも、私の方はそうじゃありませんよ」』

「そんなことはないわ、陽花ちゃん」

『「どうして言い切れるんですか? 私達みたいな副作用(サイドエフェクト)がある訳でもないのに――」』

「――そうね。根拠があるとすれば」

 

 

 そこで那須さんは言葉を切って、僕らの左側――陽花の方へと向いていた視線を、ほんの少し、横にずらして。

 

 

「陽花ちゃんが本当に悪い子だったら、大庭くんは――あなたのお兄さんは、私達にあなたを紹介しようだなんて思わなかったんじゃないかしら?」

『「――――」』

「私、こう見えても()()しているのよ。あなたのお兄さんのこと。うふふ」

 

 

 ……どうしてこのタイミングで、こっちを見ながら悪戯っぽく笑うんだ、君は。

 でもまあ、うん。

 今の言葉に嘘がないのは、()れば理解るから。嬉しいっちゃ嬉しいです、はい。

 

 

「……え、そうなの? おい、あの二人ってひょっとしてそうなの?」

「そうなのって何だよ。弾の撃ち過ぎでいよいよオレよりバカになっちまったか?」

「だーくそ、これだから槍ぶん回すことしか頭にねえヤローはよ……! そーだ槍バカ! これからはてめーのことを槍バカって呼ぶかんな! 今決めたぞこら!」

「……ははっ、そりゃいーや。おかげで()()()()()()()()()が一つ浮かんだぜ。つっても、まずはA級に上がんねーと試しようがねーけどな」

 

 

 え、なんか視界の隅っこでバカ二人が超興味深い話してる。正直めっちゃ混ざりたい。でも流石にこの流れで陽介たちの方に行ったらそれこそ僕って人間失格の烙印押されるよな。我慢だ我慢。じっと我慢の大庭葉月。

 

 

「要するに――那須さんの言いたいのはアレだ。おまえ()を信じる()を信じろ!』ってやつだな」

「あら、素敵な言い回しね。そうね、大体そんな感じよ」

「今……なんかホメられた気がする……俺とよう似た声の人のセリフが……」

「何言うてはるんですかイコさん。ほら、4000点越えたんすからちゃっちゃと正トリガー貰いに行きますよ」

 

 

 さっきから外野が気になって話に集中できないんだが?

 まったく、ボーダーってのはつくづく愉快な人達ばっかで困っちゃうよな、マイシスター――

 

 

 

『――本当に、信じてるの? 私のこと』

 

 

 

 ……あー、まあ。

 そういえば、まだ信用は出来ないだなんて、言ってたっけか。ほんの2週間前くらいは。

 

 

『今は?』

 

 

 ――少なくとも、僕を()()()()()()()()()()()()()()()()だなんて馬鹿げたことは、二度と考えないだろうなとは思ってる。

 その程度には、信じてるよ。これで満足か?

 

 

『……人のことツンデレだとかどうとか言ってるけど、お兄ちゃんだって大概だよね』

 

 

 うっせぇわ。

 うっせぇうっせぇうっせぇわ! あなたが思うより健康(正常)です!!

 

 

『――ホント、もう見飽きたわ二番煎じ言い換えのパロディって感じ。お兄ちゃんの芸風』

 

 

 どうだっていいぜ。

 問題はナシ。

 

 

『あと私、あの歌あんまり好きじゃない』

 

 

 同族嫌悪かな?

 

 

『……うっせぇわ』

 

 

 ほれみろ。

 

 

 

 

 

『「――わかりました」』

 

 

 そう言って、()がぎこちない笑顔を作る。那須さんの目にどう映っているのかは、想像することしか出来ないが――

 まあ、割といい感じに笑えているんじゃないだろうか。多分。

 

 

『「私、お姉様のお友達とも仲良くなれるよう、がんばります。……頑張らなくても仲良くなれるなら、それに越したことないですけど」』

「そこで日和るなよ」

「ふふっ――大丈夫よ。言ったでしょう? みんな良い子たちだって。すぐに打ち解けられるから安心してね、陽花ちゃん」

 

 

 そう言って微笑む那須さんの感情からは、チームメイト達への確かな『信頼』が伝わってくる。なるほど、これは確かに安心できそうだ。というか、日浦さんと志岐さんについてはこの()で確認済みなんだけど。残るくまちゃんさんに関しては未知数だが、まあ、心配あるまい。

 那須さんが僕を信じてくれたように、僕も彼女を信じている。だから、何も不安などないのだ。

 

 

『「……はい!」』

 

 

 果たしてその頷きは、僕と那須さん、どちらに向けてのものだったのか。まあ、どっちでもいいだろう。

 とにかく、これにてようやくミッション達成(コンプリート)だ。那須さんにウチの作戦室の場所も伝えたし、次に会う時は彼女の方からこっちを訪ねてくれることになった。後はその時を座して待つのみだ。

 

 

 

「――それじゃあ、名残惜しいけど今日はこの辺で! みんな、()()()()()()!!

「おー、んじゃな」

「リベンジ楽しみにしてんぜー、葉月。ツンデレシスターもよ」

「――今日も楽しかったわ。大庭くん、陽花ちゃん――またね?」

『「ああっ、やっぱりお姉様から離れたくないっ……!」』

「はい、左足だけで踏ん張ってないで帰りましょうねー」

 

 

 

 ――ちなみに、わざわざ言わなくてもお気付きの方が殆どだと思うのだけれども。

 僕らの持っている副作用(サイドエフェクト)――感情視認体質についても、陽花のことを話すついでに打ち明け済みである。

 その結果、僕とみんなの関係に何か変化が生じたのかと言えば、まあ、御覧の通りな訳でして。

 

 

 

 なんていうか、本当に。

 みんなのことが、大好きです。

 愛してます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さてと。おれらはもうちょいランク戦やってくつもりだけどよ、那須さんはどーすんだ?」

「……そうね。正トリガーにも早く慣れておきたいし、私ももう少しだけ残ろうかしら」

「おっ、そんならいっちょオレとバトろうぜ色白ガール。弾バカと違って結構動けるタイプみてーだしよ、追っかけ回すのが面白そーだ」

「おまえ、女の子相手にその言い回しはどーなんだよ……」

「ふふっ――大庭くんのお友達らしいわね。いいわ、相手になりましょう。米屋くん――」

 

 

 

 

 

「――こんにちは。ちょっといいかな? よねやんとイズーミン」

 

 

 

 

 

 その少年は、()()()()()

 恵まれた容姿、涼やかな声色、そしてきらきら輝いてすら見える、爽やかな笑顔。そのどれもが、人目を惹きつけるに足る魅力に溢れていた。

 そして何より、苗字自体も、王子だった。

 生まれながらの王子。父も母も王子。故に彼は、王子以外の何者でもなかった。

 

 

「――あれ、どしたんすか? 王子先輩」

 

 

 出水公平がそう呼んだ少年の名前は、王子一彰。

 B()()2()()()()()()()()()()()である。

 

 

「さっきの子は、イズーミンたちの友達かい?」

「ああ、そうっすよ。昨日入隊したばっかりらしいんすわ、おれは遠征行ってたせいで今日初めて知ったんですけど」

「なるほどね。どうりでぼくも見覚えがなかったわけだ」

「おうじ先輩……」

「やあ、きみも初めて見る顔だね。もし良ければ、名前を訊かせてもらっても構わないかな?」

「那須玲です」

「ぼくは王子だ。これからよろしく、ナースレイ」

那須玲です。――どこの国の王子様なんですか?」

「残念ながら今は平隊員(庶民)なんだ。チーム()づくりにも興味がない訳じゃないけれど、今のぼくには仲間(家臣)が足りなくってね。新人(ルーキー)のチェックは未来への投資と言ったところかな」

「……天然同士の会話だなこりゃ」

「ははっ、おもしれー。せいぜいツッコミ頑張れよ弾バカ」

「え、この二人の会話におれが混ざんの? マジで?」

 

 

 ボーダー屈指の美男美女が並び立つ眼前の光景に、思わず腰が引ける出水。もっとも彼の容姿も十二分に整っている側に入るのだが、本人には特に自覚がなかった。彼もまた天然(弾バカ)である。

 

 

「そこに()()の登場だ。にわか仕込みのひよ弧月だったとはいえ、よねやんの旋空に二度も耐えるレイガストの強固さ、スコーピオンを腕にするという斬新な発想、そして何より――()()()()()()()()()()()()()()。これは流石に、目を付けておく必要があると判断してね」

「ひよこげつ……」

「へーへー、どうせオレの弧月は生まれたてのひよっこでしたよ。ピヨピヨ」

「反応するとこそこじゃねーだろ……つーか、ひょっとして二試合とも見てたんすか?」

「一戦目はたまたま、二戦目はより注意深く――ね。肝心の弾が飛ばないまま吹っ飛ばされたのは予想外だったけれど、そんな意味のわからないところも含めて彼女はおもしろい」

「……あー、そういやその、()()()()っつー呼び方なんすけどね」

 

 

 反射的に訂正を入れたものの、親友の体質についてどう言い表したものかと頭を悩ませる出水。ただ単に『女の外見をしているが実は男である』というだけの話でもなし、そもそも勝手に事情を話してしまってもいいものか――そう考え込んでしまう程度には彼は友人思いであり、同時に根が真面目であった。

 

 

「おや、もしかしてぼくは失礼なことを口にしていたかな」

「いや、王子先輩は何もおかしなこと言ってないんすけど……なんつーかあいつ、()()()()()()()()()()っつーか、とにかく色々とややこしいんすよ」

「――へえ。それは中々に興味深いね」

「これ以上はおれの口からは何とも。気になるんなら、本人に直接訊いてみたらいいんじゃないすかね。多分ですけど、王子先輩とあいつの相性は――」

 

 

 これまでの付き合いにおける、親友の奇天烈な言動と突拍子もない行動の数々を振り返りつつ、苦笑ともしかめっ面ともつかない微妙な表情で出水は口にする。

 

 

「――めちゃくちゃ噛み合うか、()()()()()()()()()()()()()のどっちかだと思うんで」

「それはいいね。どちらに転んでも楽しくなりそうだ」

「そういう『面白さ絶対主義!!』みてーなところが似てるっつー話なんだよなあ……」

「ま、王子さん好みのおもしれーヤツっすよ。冗談が通じないタイプってわけでもねーし、ウチの秀次と違って」

「ははは、別にシュージンを嫌っているわけではないんだよ? ただちょっと、彼とぼくでは住む世界が違うというだけの話さ」

 

 

 三輪秀次(シリアス)王子一彰(コメディ)。なるほど確かに、この二人は住む世界が違う。仮に将来、遠征か何かで(チーム)を組む機会があったらひと悶着ありそうだなと、遠征帰りの少年(出水公平)は思った。

 

 

 

「それで、彼女――いいや、あの子の名前はなんていうのかな?」

 

 

 

 ()()

 王子一彰。彼は初対面――それどころか、見ず知らずの相手に対しても珍妙な綽名を付けることで知られている。現にあの那須玲でさえも、瞬く間に新種のポケモンか何かの如き呼び名を付けられてしまったのだ。おれはおれでロシア人みてーな綽名付けられてるし。まあ、若村(ジャクソン)に比べりゃ全然マシな呼び方だけどよ――そんなことを思いつつ、出水はその名前を口にした。

 

 

 

「――葉月。大庭葉月です」

「なるほど――」

 

 

 何が一体なるほどなのか。相も変わらず、この先輩の考えていることはよく理解らない。

 ()()()()()なら、こんな変人の心の中でもまるっと見通してしまえるものなんだろうか――と。

 今まさに新たな珍名を授かろうとしている友人のことを考えつつ、出水公平は溜息を吐いた。

 ――まったく、ボーダーってのは方向性の違う趣味人(バカ)で溢れ返ってやがる。

 

 

 

 

 

「――オーバー()()()()()()、か」

 

 

 

 

 

 王子一彰。三門市立第一高等学校在籍の1年生。優秀な成績を修めながらも、人格面の問題から六頴館への進学を果たせなかったこの少年は――

 後年に比べて、ほんの少しばかり、尖っていた(痛かった)

 

 






何の偶然かアニメと登場タイミングが被りました。イコさんもカメオ出演。
王子の六頴館落ちは『可能性はあります』止まりで断言はされていないのですが、
いつもの如く捏造ですので寛大な心でお見逃し頂ければ幸いです。

次回、ようやく帰宅。
お使いが終わっても一日が未だに終わらない問題



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Homecoming

 

 

 初めて味わう、感覚だった。

 

 

 

「――()()()()()()?」

 

 

 

 大庭葉月。妙な気紛れで自分が手を差し伸べてしまったその少年は、ただの少年ではなかった。

 一つの身体に、二つの感情。普通の人間であれば、決してあり得ることのない異常。影浦雅人の副作用(サイドエフェクト)は、大庭葉月の内側に潜む()()をはっきりと捉えていた。

 刺さる。刺さる。不快とまでは言わないが、無闇矢鱈に()()()()()大庭葉月からの感情と、もう一つ。すっかり浴び慣れてしまって、今や屁とも思わなくなってしまった――

 

 

 ――影浦に対する、『怯え』の感情が。

 

 

 

「……カゲ、なんかご機嫌ナナメ? ひょっとして、あんまり良くない()()()()した?」

「……別にそういうワケじゃねーけどよ。ただ、なんつーか――」

 

 

 

 そうだ。どうということもない。元よりこんな外見だ、他人に怖がられるのは慣れている。

 ただ――()()が抱いていた『怯え』というのは、そういった薄っぺらい畏怖とも少し、刺さり方が異なる感じがした。()()が恐れているのは影浦の外面ではなく、その内側――相手の感情を受信する一方で、()()からも覗かれているような感じがしたのだ。

 仮にその、覗き見ようとする感情が『怯え』よりも勝っていたのなら、自分は()()に対して明確な嫌悪を抱いていたことだろう。他人に心を覗かれるなんて真っ平御免だ。お前が言うなと言われるかもしれないが、こっちだって好きで感じ取っている訳じゃない。他人に関心など抱いていないのに、クソ副作用(サイドエフェクト)が勝手に拾ってしまうのだ。こんな異能(もの)、捨てられるものなら今すぐにでも捨ててしまいたかった。

 ……もっとも、そうやって忌み嫌っていたもののおかげで、救うことの出来た(記憶)もあるのだが。

 

 

 

「……遅ェ」

 

 

 

 馴染みのソファに寝転がったまま、作戦室備え付けの時計に視線を向ける。

 16時半。夕方までには帰ってこいと、仁礼光は大庭葉月に言った。1月の日暮れは早い。今にも夕日が沈み始めそうな時間だ。にも拘わらず、あのバカは未だに帰ってこない。聞けば今時スマホも持っていないと言うので、こちらから連絡の取りようもない。相手をただ待つことしか出来ない時間というのは、影浦にとって退屈以外の何物でもなかった。

 

 

「そーかぁ? ユーガタっつったらだいたい5時とか6時とかそんくらいじゃねーの?」

「んなモン季節によって変わるに決まってんだろ。大体、夕方()()()っつったんだからもうちょい余裕持って帰ってきてもいいだろーが」

「あれ、もしかしてカゲ、葉月くんが帰ってくるのを割と待ち望んでる感じ?」

「きもちわりー言い方してんじゃねーよゾエ。はたくぞ」

 

 

 どうも最近、この友人はあのバカ絡みのことになると妙なからかい癖が付いたような気がする。

 馬鹿馬鹿しい。誰が心待ちになどするものか。自分はただ、仁礼光の提案を了承しただけだ。『ハヅキがしょーかくしてウチのチームメイトになったらよ、()()()()()()()はキマってるよな! シンパイすんなって、アタシとゾエはちゃーんとカネ出してやっからよ!』などと言うから、『あー』とも『おう』ともつかない一言を返して、それだけだ。それ以上の反応を口にした覚えは微塵もない。()()()()()()()()()()()()()()()、程度の心境なのだ。その筈だ。

 

 

「俺ァ腹が減ってんだよ。葉月のことなんざ関係ねえ、俺()メシ食いてえって言ってんだよ。……あークソ、言ってたらマジで腹減ってきやがった……なあオイ、俺もう帰っていいか」

「お? 先行って焼いててくれんのか? カゲにしちゃ珍しく気が利くじゃねーか」

「…………」

 

 

 駄目だ。光も話にならない。()()()()()からして、本気で自分が準備のために先に帰るものだと思っている。何故自分があのバカのためにそこまでしなければならないのか。(チーム)に加わることだけは許可してやったが、必要以上に優しくしてやるつもりは毛頭ない。

 「アホか」と一言吐き捨てて、より深くソファに頭を沈めた。

 

 

 

 

 

 考えていた。大庭葉月の中に潜む()()について、ずっと。

 自分が(チーム)に入れてやったのは大庭葉月だけだ。余計な同居人まで迎え入れた覚えはない。ただでさえ兄の方だけでも相手するのが億劫だというのに、その妹の面倒まで見ていられるものか。勘弁してほしい。

 何よりもそう、あの『怯え』だ。自分はこれから先、あんなものに気を遣いながら部隊を率いていかなければならないというのか。冗談ではない。そういう息苦しさとは無縁でいたかったから、北添と光、自分と気の合う連中だけを集めて部隊を組んだのだ。影浦隊の作戦室、この空間は自分にとって、()()()()()()のようなものなのだ。そして家と称すからには、そこは住人にとって快適な場所でなければならない。

 ここが一番落ち着ける。この作戦室は、そう思える存在であるべきだ。

 自分にとっても、()()()()()()()()()

 

 

 

「…………」

 

 

 

 『怯え』。

 どうということはない。自分にとってはそうであっても、()()にとってはそうではないだろう。そんな感情を抱いてしまうような相手とは、傍にいない方がお互いのためだ。

 仮にこの先、大庭葉月の妹とやらが、自分に対する『怯え』を克服出来ないようであれば――

 ようで、あれば。

 

 

 

――カゲさぁぁぁぁぁぁぁん!! ありがとうございます! ありがとうございます!!」

 

 

 

「……くそったれ」

 

 

 

 ――面倒臭い。

 本当に、面倒臭いやつらへと、手を伸ばしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――で、どうしてここに来てウチの妹様は足を止めてしまうのかね。

 

 

『…………』

 

 

 とうとう帰ってきた我が愛しの作戦室(マイホーム)。後はほんの数歩近付いて扉を開くだけというところで、ピクリとも動かなくなる()の左足。

 まあ、薄々こうなる予感はしていたのだ。みんなと別れた直後はあれが楽しかったこれが面白かったと大はしゃぎだったくせに、作戦室が近づくにつれてどんどんトーンダウンしていったから分かりやすかった。

 だけどおまえ、つくづく往生際が悪いというか……地獄の門を潜ろうってワケでもあるまいし、何をそこまでビビり散らしているのか。関係ないけど"この門を潜る者は一切の希望を捨てよ"とかいう例のフレーズ、いいですよね。おまえが期待しているようなことは何も起きないぞ、と冷酷に突きつけてくる感じ。地獄の入口に相応しい前書きだと思います。

 

 

『……私の今の心境も、割と()()()()()なんだけど』

 

 

 ――そいつは流石に心配し過ぎだよ、マイシスター。

 大丈夫だって。今日一日ある程度おまえを自由にさせてみたけど、割かし誰とも良い感じに付き合えてたじゃんか。志岐さんとばったり出会った時は自分からフォローまで入れてくれちゃって、お兄ちゃん正直おまえのこと見直したくらいだぞ。

 というかぶっちゃけ、おまえの方が僕よりもカゲさんに好かれるまであるんじゃないか? 僕は割とカゲさんからウザがられてるの知ってるからな! ()れば理解っちゃうもんね! HAHAHA!!

 ……はっはっは……ははは……。

 

 

『人のこと励ましたいのか落ち込みたいのかどっちなの』

 

 

 ……まあ、僕のことはひとまず脇に置いておくとしてもだよ。

 那須さんの言ってたことは当たってるよ。おまえが本当にどうしようもない奴なら、僕はみんなにおまえのことを紹介しようだなんて思わなかった。そもそもおまえと一つになろうとすら、僕は思えなかった筈だからな。

 受付のお姉さんも言ってただろ。僕らは()()()なんだよ。淀んだ魂を喰らいたがるとかいう、ROOM303の餌に選ばれなかったんだ。カゲさんの副作用(サイドエフェクト)が僕らと似たようなものだっていうなら、きっとおまえの(感情)だって正しく受け止めて貰えるさ。

 

 

『……あの部屋の判定って、正直割とガバガバだったんじゃないかって私は思ってるんだよね』

 

 

 まーたこの妹は今更おかしなことを……。

 何が信じられないっていうんだ? あの部屋(ROOM303)のことか? カゲさんの副作用(サイドエフェクト)か? それとも――()()()()()()()()()()()()()()

 それこそアレだよ、おまえ()を信じる()を信じろってやつだよ。つっても、おまえからしたら僕が一番信用ならないかもしんないけど。

 

 

『…………』

 

 

 おい、ここは嘘でもそんなことないよって言うところだぞこんちくしょう。

 

 

『……お兄ちゃんはさ、今日一日私が何を思ってたのか、知らないよね』

 

 

 ――楽しかっただろ? ずっと。

 

 

『そうだね。楽しかったよ、すっごく。……でも、ところどころで私が抱いてしまった、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……なんじゃそりゃ。おまえが一体、誰に何を思ってたって?

 OK、お兄ちゃんに正直に話してごらんなさい。何を言っても怒んないから。

 僕が怒るようなことは口にはしないって、信じてるから、おまえを――

 

 

 

 

 

『「――てらしまサンはすごい剣の才能があるのに、誰にも使われないような変なトリガーのためにそれを捨てちゃって、バカみたい」』

 

 

 

 

 

 その言葉を皮切りに、僕が今まで知らなかった妹の本心が、次々と露になっていく。

 僕が決して口にする筈のない言葉を、私の喉が紡いでいく。

 

 

 

『「かざまサンはちっちゃいのに無理して大人ぶってるなって思うし、よねやサンは綽名の付け方がそのまんま過ぎるのどうかと思う。あと私と名前が被ってる。いずみサンは私よりも才能(トリオン)あるのがムカつくし、割と何でも苦労しないでこなせそうなタイプっぽいのも腹立つ。それに――」』

 

 

 恐怖の対象から逃げ出して、今なお扉を開けられずにいる少女が、吐き捨てるように。

 

 

『「――小夜子ちゃんはやっぱり、怖いものから逃げてるだけだって思う。……()()()()()」』

 

 

 ……ああ、なるほど。

 こいつが即座に彼女の男性恐怖症に気付いた、本当の理由っていうのは、そういうことか。

 

 

『「……言ったでしょ? ()()()()()()は、そう簡単に捨てられるものじゃないって。ただでさえ私は元が水子(アレ)だし、根っこのところが嫉妬とか羨望とか、そういう感情(もの)で出来てるんだよ。だからこんな、捻くれた考え方しか出来ないようになっちゃった――そんな私の浅ましさを、影浦雅人(あのひと)は全部感じ取ってしまうんだ……」』

 

 

 ――納得した。

 己の存在をそういう風に捉えているのなら、そりゃあ確かにカゲさんと会うのは怖いだろう。

 どれだけ笑顔を取り繕っても、善人のように振る舞っても、カゲさんの副作用(サイドエフェクト)はその全てを見透かしてしまう。彼の前では決して、己を偽ることは許されない。どんなささやかな悪意であっても捉えられてしまうとなれば、尚更彼の前に立つのは恐ろしいだろう。

 自分の心が汚れていると、そう思っている人間であれば。

 

 

「……だけど、()()()()()()()()()だよな」

 

 

 正直に言うと、ほんの少しだけ、安心した。

 先の寺島さん達に対するこいつの感想も、辛辣でこそあるが、理解は出来る反応だ。きっと未だにボーダーの中にも攻撃手(アタッカー)寺島雷蔵の復活を待ち望んでいる人達はいるだろうし、どれだけ大人のように振る舞っても風間さんの見た目は幼子のようだし、陽介のネーミングセンスに至っては正直もっと責め立ててやってもいいくらいだ。公平への嫉妬心にしても、実に率直でわかりやすい。

 こいつは人間(正常)だ。

 人の身体を持っていないのに、内臓だけの存在なのに、僕なんかよりもよっぽど人間(正常)なのだ。

 

 

『「……ふつうじゃないよ」』

「どうしてそう思うんだ?」

『「だって――私が生まれてから()てきた人達の中に、私みたいな汚いものを持ってる人なんて誰もいなかった! ボーダーの――ここにいる人達は誰も彼もまっすぐで、心が綺麗で、ひたむきで――小夜子ちゃんだって男の人が怖いだけで、私みたいに歪んでなんかいなかった! 私だけ……私だけが汚れてる……この境界の中で……」

 

 

 ……そういうことね。

 確かに、()()()()()と自分を比べたら、そういう気持ちになってしまうのも無理はない。

 防衛組織だなんていう、ご立派なものに属しているからだろうか? ボーダー隊員の皆様方は、誰も彼もが人間が実に出来ている。きくっちー君だって口の悪さが目立つくらいで、中身は至って善良な男の子だった。そして何より、言動に反して根っこのところがどうしようもなくお人好しな人といえば、それこそ――

 

 

「……でもな。それは別に、おまえが特別汚れてるわけじゃないんだよ」

 

 

 そう――僕に言わせれば、陽花が汚れているというより、()()()()()()()()()()()()()()()

 僕はこの副作用(サイドエフェクト)で、様々な人の感情を()てきた。ボーダーの外にいる人達は、ちょっとしたことで心の中に()()()()()()を宿してしまうし、それを殺す術さえも知らぬまま、膨らませたり、他人にぶつけてしまったりする。陽介みたいに、即座にやっつけてしまえる者はごく稀だ。大抵の人は陽花のように、些細なもやもやを抱えながら暮らしている。()()()()()()

 ……いや、決して陽介が異常であると言いたい訳ではないのだけれど、とにかく。

 

 

境界(ボーダー)の外に出たら、おまえなんかよりも()()()()()()のは山ほどいるよ。こんな言い方じゃ慰めにならないかもしれないけど、お前の抱えてる汚れなんてもの、僕からしてみれば可愛いもんだ。その程度の腹黒さで自分を悪者扱いしようだなんて、はっきり言うけど笑っちゃうね」

『「……フォローされてる立場で言うのもなんだけど、本当に慰め方が下手だね、お兄ちゃん」』

「ほっとけ」

 

 

 こういう時、栞さんとかだったらもう少し上手くやれるのかな。僕の知っているベストオブ聖人といえば、栞さんか紳士ウィルバーかの二択だ。後者に関しては、恩人補正でバイアスが掛かっているかもしれないが。

 僕は決して聖者になんかなれないし、なろうとも思わない。それでも、まあ。

 大庭葉月は、大庭陽花のお兄ちゃんなので。

 

 

「――とにかく、僕が言いたいのはあんまり後ろ向きに考え過ぎるなよってことだ。自分のことをクソだと思ってたら、いつまで経ってもクソのままでしかいられなくなるぞ。僕みたいにね」

『「……"こいつ死ねばいいのに"って感じの大庭葉月?」』

「そういうこと。おまえ、僕みたいになりたいのか?」

『「……それは嫌だなあ」』

「だろ」

 

 

 ――こんな具合に、上手いこと妹の気分を解してやるのである。

 たとえ道化を演じてでも。

 

 

『「……でも、私が自分自身に肯定的になったところで、そんな私をあのひとが認めてくれるかって言ったら、別の話だよね」』

「いや――どうかな」

 

 

 彼の前では決して、己を偽ることは許されない。先に僕はそう考えた。

 ならば――逆に、()()()()()()()()()()()()()、カゲさんの逆鱗に触れることはないんじゃないかと僕は思っている。何せこの僕ですらも受け入れてもらえたくらいだ。変に自分を取り繕ったり清廉潔白を装ったりしないで、ありのままの自分をぶつけることが重要なのだ。()()()()()()()()()()()()()()()、とでも言うべきか。

 

 

『「ありのままの、私……」』

「そういうこと。無理して善人ぶったところでどうせ全部バレるんだから、最初から何もかも曝け出しちゃった方が話が早い」

『「――ひどいこと言うね」』

「汚れは簡単に落とせるものじゃない、そう言ったのはおまえだぞ」

『「……そうなんだけど。でも、それじゃあさ」』

 

 

 相も変わらず、今の()がどんな表情をしているのかは判らない。鏡か何かにでも頼らない限り、自分自身の表情を窺い知ることは、出来ない。

 それでも、妹の声は酷くか細く、震えていたので。

 少なくとも、笑えるような気分ではないんだろう。それだけは、理解出来た。

 

 

『「――もしも私が、あのひとに受け入れられなかったら――お兄ちゃんは、どうするの?」』

「……そうだな。その時は――」

 

 

 そんな私から表情筋を奪い返して、()は笑う。

 今のこいつが自力で笑えないのなら、僕の笑顔を代わりに張り付けて、自分が笑っているような気持ちになってくれればいい。そう思った。

 

 

 

「また新しい家を探すだけだな!」

 

 

 

 ――さて。

 今の台詞、上手く笑って言えていればいいのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――唐突に、作戦室の扉が開いた。

 インターホンは鳴っていない。内側から誰が開けた訳でもない。となれば、来訪者の正体は一人しかいない。

 

 

「お、やーっと帰ってきやがった! おいハヅキおっせーぞ!」

「ヒカリちゃんさっきと言ってること違くない?」

「ってカゲが言ってた!」

「言ってねーよ」

 

 

 反射的に否定してから、いや言ったっけかと思い返す。だがまあ、どうでもいいことだ。

 とにかく、放蕩野郎がようやく戻ってきた。今まで他所で何をやっていたのかは興味がないが、これでやっと飯へとあり付ける。そう、冗談抜きに腹が減っていたのだ。

 だがその前に、済ませておかなければならない話というものがある。面倒だ。心底面倒だが――やるしかない。

 これでも一応、自分はこの(チーム)の長を務めている人間なのだ。

 

 

「……おい、葉月――」

 

 

 ソファから身を起こし、ぼりぼりと頭を掻きながら口を開いたところで。

 

 

 

 

 

()()()()()()

 

 

 そう言って、大庭葉月の顔をした何かが、笑った。

 

 






次回でB級初日編終わると思います。多分。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。