田中と鈴木と佐藤 (ベーカリーのべるん)
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僕の序奏

 

「佐藤ヒオです、よろしくお願いします。佐藤ヒオです、よろしくお願いします。佐藤ヒオです、よろしくお願いします……」

 

 

 

 卯月、季節は桜咲く春である。

 

 

 

 今年から入学する新しい高校の制服に袖を通し、鏡の前で身嗜みを整える。

 

 準備を済ませた僕は、これから待ち受ける"とある試練"に向けて練習を重ねていた。

 

 

 

 紹介が遅れてしまって申し訳ない。

 

 僕の名前は冒頭に書かれてある通り、佐藤ヒオ。日本全国に散らばる佐藤一族の一員である。

 体格は中肉中背、前髪は長く、お前ギャルゲの主人公みてえだなと言われそうな風貌である(彼女ナシ)

 両親は仕事の都合上あまり家にいないため、小さいころから一人暮らしを続けている。

 趣味は少しギターを齧っており、腕はよくないが弾いていると落ち着くためとても気に入っている。

 

 

 話の始まりでいきなり自分の名前を繰り返していたけど、もしかしてギターの他に自己紹介も趣味なの? と思われた方もいるだろうが、とても心外である。

 むしろ僕は、自己紹介が苦手なためにあのような特訓を続けていたのだ。

 

 実を言うと、僕はかなりの人見知りであり、初対面の人には緊張して必ず声が出ないほどのあがり症である。

 それが祟って、生まれてこの方15年友達は二人しかいない始末。うわっ……私のコミュ力、低すぎ?

 

 とにかく僕は人の目が苦手であり、これまでの学校生活でも人の目を避けてはクラスの片隅にいるよう心掛けていた。

 

 自己紹介の練習はそのためである。

 

 下手に自己紹介で噛んでしまったり、変なことを口走った日にはクラス中から悪い目を向けられかねない。

 

 自己紹介本番で躓かないように、僕は昨夜から鍛錬を続けていたのであった。

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「……ヨシ!(某現場にいる猫)そろそろお弁当作ろうかな」

 

 

 一日一万回、感謝の自己紹介を終えた僕は昼食のお弁当を作るため台所へと向かった。

 

 

「作るの久しぶりだなぁ。卵焼き焦がさないといいけど」

 

 

 台所へ来た僕はさっそく手を洗い、制服のシャツを汚さないようエプロンを着用した。

 

 お弁当のおかずとなる、昨夜作り置きしていたミートボール、にんじんのグラッセなどを冷蔵庫から取り出す。

 そしてお弁当には欠かせない卵焼きを丁寧に焼き上げるなどして、彩りのよいお弁当になるように料理を進めていった。

 

 ちなみに皆は卵焼きは甘め、しょっぱめ、どちらが好みだろうか。

 僕は断然甘めである。

 ”さとう”だけにね……(激ウマギャグ)

 

 

 

 

 

 ご飯を上段、おかずを下段に置いた二段のお弁当をお弁当袋に入れて、僕の分も含めた"三人分"のお弁当を完成させた。

 

 完成と同時に、ピンポーンと玄関からインターホンが鳴った。

 

 

「鍵なら開いてるよー」

 

 

 少し大きめの声で玄関のほうへ言うと、慌ただしいドタドタといった足音がこちらへ近づいてきた。

 

 

 

 「おっはよー!!!!!!

あっ、なんか良い匂いする! もしかして今お弁当作ってた!?」

 

 

 ━━━天使がいた。

 

 その天使は、全てを照らす太陽な笑顔とともに、玄関から全速力で突っ込んできた。

 

 

「おはようヒメ。ちょうど今作り終えたところだよ」

 

「おお~もうできてる! ヒオのお弁当食べるの中学校以来だね。高校でも食べられるのすっごくうれしいよ!」

 

「そう言ってもらえるとありがたいよ。そういえばヒメ、制服よく似合ってるね。とても可愛いよ」

 

「ほ、ほんと? エヘヘ~照れるな~♪」

 

 

 て、照れてるところも可愛いとか……なんて恐ろしいオンナなんだ……。

 

 パッチリ開いた大きな眼に、整った可愛らしい顔立ち。

 鮮やかな桜を連想させるようなピンク色の髪は、側頭部に二つのシニヨンを纏めたお団子ヘアーとツインテールを合わせた髪型となっており、彼女にとてもよく似合っている。

 

 百人中千人に美少女と言わせてしまう彼女は、その明るい性格と天真爛漫さから誰からも愛されるだろう。

 

 彼女の名前は田中ヒメ。僕の大切な幼馴染である。

 

 

 彼女とは幼い頃からの付き合いであり、家が隣のためよくお互いの家に遊びに行くほどの仲である。

 目に入れても痛くないほど彼女は可愛く癒されるため、彼女との会話は僕にとってのセーブポイントといっても過言ではない。

 

 ああ、こうして朝から彼女と話すことができるなんて、なんという幸福であろう。

 僕は前世で世界を救った、英雄レベルの徳の高い人物だったのかもしれない。

 彼女との会話で、僕の心は富士山頂で取れる清水のように澄み渡っていた。

 

 

「お弁当の準備もできたしそろそろ出発しようか」

 

「うん! 新しい学校楽しみだな~。目指せ、友達100人!」

 

 

 彼女のコミュ力なら、それが可能であるのが恐ろしいところである。

 陽キャの中の陽キャであるヒメは、いつもクラスの中心人物で、学校中の人気者だった。

 凄イナー、ボクトハ真逆ダナー(遠い目)

 

 改めて彼女の凄さに悲しく感心していると、玄関の方から本日二回目のインターホンが鳴った。

 

 

「あ、ヒナも来たみたい! ドア開いてるよー!!」

 

 

 僕の三倍はありそうな大きな声ででヒメは玄関の方へ叫んだ。

 

 彼女は、ヒメよりも幾分落ち着いた足音で僕たちのほうへやってきた。

 

 

 

「もう~ヒメ。うちにバッグ置きっぱなしだったよ」

 

「あ! そういえば忘れてた! 持ってきてくれてありがとうヒナ!」

 

「まったく~登校初日からヒメはおっちょこちょいだな~」

 

 

 ━━━天使がいた。

 

 陶器のように白い肌、ヒメ同様その整った小さい顔立ちは美しさを感じさせる。

 側頭部に跳ねのある、絹のように綺麗なロングのストレートの金髪は、何の抵抗もなく指が通りそうなほど艶やかである。

 

 凛としたその美しい佇まいには、誰もが目を奪われてしまうであろう。

 

 彼女の名前は、鈴木ヒナ。僕の大切な二人目の幼馴染である。

 

 

 彼女と僕の関係を説明すると、まんまヒメと同じである。

 

 詳しい境遇は分からないが、彼女はヒメと同じ家に住んでいる居候? のような存在であり、僕がヒメと会う前から二人は同居していたようだ。

 ヒメとは幼いころから寝食を共にしているため、まるで双子のように仲良しである。

 また、二人の会話はいつも息があっており、一種の完成された漫才のようになっている。

 

 ヒメと同様、ヒナとは幼い頃からの仲であり、僕たちは10年近く仲良し三人組で居続けている。

 

 

「ヒオもおはよ~。朝からお弁当作っててくれたんだ。本当にありがとうね」

 

「おはようヒナ、全然いいよ。ヒナも制服似合ってて可愛いね、朝から眼福だよ」

 

「相変わらず褒めるのがお上手ですなぁ~。ヒオはなかなか罪深い男だね」

 

 

 美人は三日で飽きるというが、彼女はその言葉にあてはまらない。なんだったら一億年と二千年くらい見続けていられそうだ。

 天使レベルで可愛い二人を前に僕は、フランダースの犬の最終回で死ぬネロ(唐突なネタバレ)みたいな感じで召されそうである。

 

 ヒナの言うとおり、こんなに可愛い二人と幼馴染だなんて、僕はなんと罪深い存在だろう。

 そのうち二十歳までに運を使い切り、不幸にも黒塗りの高級車に轢かれ亡くなっていそうである。やべえよやべえよ……。

 

 

 朝から二人の顔を見れてご満悦な僕は、二人と共に家を出発した。

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 桜並木が綺麗な河原の通りを歩いていた僕は、いつものように後ろから二人の会話を聞いていた。

 

 

「今朝は忘れ物しなくてよかったね。ホントにヒメは慌てんぼうなうえにおっちょこちょいなんだから」

 

「なにおー! ヒナだって明日登校日だっていうのに、夜遅くまでDVDなんか見て寝坊しかけてたじゃん! ヒメが起こさなかったら遅刻してたよ!」

 

「それは、仮〇ライダーが面白いのがいけないんだよ……ラストまで見ないと気が済まなくて………」

 

「ちゃんと夜は早く寝ないとダメだよ! ヒナの可愛い顔に隈ができちゃったらどうするの?」

 

「……私が悪かったよヒメ……ごめんね。……でも、ヒメみたいなカワイイ子に毎朝起こしてもらえるなら夜更かしも悪くないなぁ~」

 

「もう、そうやって直ぐ誤魔化すんだから……」

 

 

 褒められて満更でもなさそうなヒメは、怒りながらも明らかに上機嫌である。

 

 あぁ~てえてえなぁ~~^^

 ヒメヒナ、推せる…!!

 

 

 胸中に渦巻く抑えきれないてぇてぇと格闘していると、目的地である学校に到着した。

 

 校門を過ぎると、玄関の前では僕たちと同じたくさんの新入生がワイワイと騒いででいた。

 

 どうやらクラス分けの名簿が公表されているようである。

 二人と同じクラスだといいなぁと眺める。

 

 

「鈴木ヒナ……あ、見つけた! えーと、次はさとう、さとう、さとう……あ、ヒオもいる! やったあ!!」

 

「えーと、これで9年連続同じクラスだね。今年も三人一緒でよかったぁ~」

 

 

 うおおおおおおおおお!!!!!!!!

 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 うおおおおおおおおお!!!!!!!!

 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

 勝った、勝ち申した、やったぜ、優勝。

 心の中でバク転からスキップをして最後にムーンサルトを決めた僕は、この世のありとあらゆる物に感謝して大地を讃頌した。

 

 

「お、二人と一緒だ。新しい高校でもよろしくね」

 

「よろしく!」「よろしく~」

 

 

 平静を装っているが、嬉しすぎて前述の行動を今にも実行に移しそうである。

 

 

 

 少し不安だった高校生活は今、最高のスタートを切った。

 

 人見知りで陰キャな僕でも、きっと入学してよかったと言える高校生活を楽しめるのではないだろうか。

 

 僕はこれからの未来に向けて、仄かな期待とともに一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……フラグじゃないよね?




フラグです


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彼女の序章

 風が気持ちいい、朗らかな春の朝。

 

 毛布みたいに温かい朝日が窓から差し込み、私の体を温める。

 遠くに聞こえていた音が、次第に元気に鳴いている小鳥の声だと分かってくる。

 

 

 私は目を覚ます。

 

 

「……そろそろ起きなきゃ」

 

 

 ゆっくりと、夢から醒めるように体を起こした。

 起きたばかりで頭が回っていないのか、体はまだ気怠さを感じている。

 

 覚醒しきっていない意識の中、私はふらふらとした足取りで洗面台に向かった。

 

 蛇口をひねると、気持ちの良い冷たい水が流れ出す。

 冷たい水を何度か顔に当ててから、タオルで顔を拭いているとようやく目が冴えてきた。

 

 

 私の名前は田中ヒメ。

 

 今年の春から高校生になる、どこにでもいる普通の女の子だ。

 

 

 欠伸まじりに寝室に戻ると、ベッドの上でヒナがまだ幸せそうな顔をして寝ている。

 そういえば昨夜、遅くまで仮〇ライダーのDVDを見ていたような……。

 

 私が起こさなければ、そのままお昼まで寝てしまいそうなほどに彼女は眠りに徹していた。

 

 

「ヒナちゃ~ん。もう朝だよー起きてー」

 

「う~ん……消えないでアンク~……ムニャムニャ」

 

 

 どうやら眠りは深いらしい。

 夢の中で昨夜の続きを楽しんでいるようだ(アンク? キャラの名前かな)

 

 何度か肩を揺らして声をかけていると、ようやく彼女は目を覚ました。

 

 

「ふわぁ~。……あ、ヒメおはよ~」

 

「おはよう、ヒナ。遅刻しちゃう前に朝ごはん早く食べちゃお?」

 

「うん……」

 

 

 まだ半分寝ている状態で朝ご飯を食べるヒナを尻目に、私は新しい学校へのワクワクとした気持ちを抑えられずにいた。

 

 屋上で皆でお昼とか食べられたらいいなあ。文化祭もまだ行ったことないけど楽しそうだし、たくさん友達も作れたらいいなあ。

 初めての高校生活を前に、様々な思いが胸を駆け抜けた。

 

 

 朝ごはんは、ヒナとほぼ同時に食べ終えた。

 

 それから鏡の前でヒナに、私の髪のトレードマークであるお団子を作ってもらった。

 

 

「はい、できたよ」

 

「ありがとう!」

 

 

 髪をセットし終え、早速新しい学校の制服に身を包んだ。

 

 改めて私は高校生になったんだなと思い、なんだか感慨深い。

 今すぐ登校したいと心が高鳴った。

 

 待ちきれなくなった私は一先ず、私と同じ高校に入学した幼馴染に会いに行くことにした。

 

 

「ヒナー、先にヒオのお家に行ってるね!」

 

「はーい、後からヒナも行くねー」

 

「それじゃあいってきまーす!」

 

 

 勢いよく玄関を飛び出し、軽快な足取りで隣にある彼の家へ向かった。

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 私の幼馴染である佐藤ヒオは、ヒナと同じくらい大切で大好きな存在だ。

 

 気づけばもう十年以来の仲であり、ヒナを交えた三人でよく遊んでいた。

 

 

 彼はとてもやさしい。

 

 中学校から私とヒナのお弁当を作ってくれたり、休日にはおいしいお菓子を作ってよく持って来てくれる。

 勉強で分からないところがあればゆっくり分かりやすく教えてくれ、昨年度の受験ではとても助けられた。

 

 普段から彼は前髪で目元を隠しているが、その下はとても綺麗な顔をしている。

 ウィッグを被れば女の子に勘違いされるんじゃないかと思うほど中性的だ。

 以前ヒナがどこからか持ってきたコスプレの衣装を着させたときにはとても似合っており、美少女と言っても過言ではなくとても驚いた。

 

 またギターを弾くのが好きなようで、弾いている様はとても絵になる。

 

 

 彼はとても大人びていて、いつも私がヒナと喋っている横で優しそうに微笑んでいる。

 

 いつも一歩後ろに立ち、何かを眺めている彼にはどこか不思議な魅力を感じた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 ヒオのお家についた私は、早速インターホンを鳴らした。

 

 すぐにドアの向こうから返事があったので、そのままお邪魔させてもらう。

 

 

 彼の家はいつも綺麗だ。

 廊下の隅々まで掃除されており、一人暮らしでしっかりと家事と両立させているところは本当に尊敬している。

 

 

 音のする台所の方へ向かうと、三人分のお弁当を作り終えたヒオがいた。

 

 おはよう! と挨拶をすると、挨拶が返ってくるのと一緒に、いつものように私のことを褒められた。

 

 彼はとても褒め上手だ。

 無意識に言っているのか分からないが、不意に言う彼の言葉には、恥ずかしいくらいに照れてしまう。

 最近では変に意識してドキドキしてしまい、嬉しいがとても心臓に悪かった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 少しして、ヒナとも合流した私たちは新しい学校に向けて出発した。

 

 

 外は晴れ晴れとした天気で、絶好の登校日和だ。

 

 今朝の事や、新しい高校への期待。

 色んな話をしながら、これから何度も通ることになるであろう通学路を進む。

 

 基本的に私たちの会話は、私とヒナが中心にお喋りし、たまに聞いているヒオが突っ込む形だ。

 私はこの三人でいる時間がとても好きだった。

 

 

 ヒナと話している最中に、チラリとヒオの方を見てみる。

 やはりそこにはいつものように、私たちのことを優しい目で見る彼がいた。

 

 

 不満ではないのだが、時折ヒオは、何を考えているのかが分からないときがある。

 いつも変わらず笑みを浮かべる彼に、少し寂しさを感じるときがあった。

 

 昔から彼は大人びており、たまにどこか遠くを見ているような気もする。

 そんな彼の目をいつか私に釘付けにしてみたい、私を見て欲しい、そんな我が儘を考えるときもあった。

 

 

 歩き始めてからしばらく経ち、ようやく目的の学校が見えてきた。

 

 学校前の歩道には、私と同じ制服を着た新入生がたくさんいた。

 彼らの列に混ざるように歩いていく。

 

 校門を過ぎると、学校の玄関前に人だかりができていた。

 どうやら既にクラス割りの紙が貼ってあるらしい。

 

 私はドキドキしながら、たくさんの人の波を分けいって覗きこんだ。

 

 二人と一緒だといいなあ。

 

 

 クラス割りを注意深く眺めていると、同じクラスにヒナとヒオ、私の名前を発見することができた。

 思わず声が出てしまうくらいに、とても嬉しかった。

 

 よかったぁ。また一緒のクラスだ。

 

 二人の顔を見るとどちらとも喜んでおり、この嬉しさを分かち合えたような気がした。

 

 特にヒオはいつもの静かな顔が少し綻んでおり、とても嬉しかったことが伝わってきた。

 

 前髪を目で隠したヒオの表情は、端から見ればとても分かりづらいのかもしれない。

 だけど私は、そんな落ち着きを感じさせるヒオの顔が好きだった。

 嬉しいときに少しだけ綻ぶその顔を、もっともっと笑顔にしたい気持ちもあった。

 

 

 春風が暖かい、私にとって特別な春。

 

 私は色んな想いを巡らせて、新しい学校へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 新しい高校でやってみたいことはたくさんあるが、私は部活動を帰宅部にしようと思っている。

 

 ちなみに中学校の頃には体を動かすのが好きだったので、ヒナと一緒にダンス部に入っていた。

 

 新しい高校には中学校にはなかった部活動がたくさんあり、色んなものに目を引かれた。

 しかし私、いや私たち三人には、もっとやりたいことがあった。

 

 

 それは動画投稿だ。

 

 

 小さいころにヒナに教えられて、私は初めて”歌ってみた”と”踊ってみた”というものがあることを知った。

 

 動画のなかの人たちはとても個性的で、自分の好きなように歌い、好きなよう踊ってみせる彼らに心を奪われた。

 

 

 動画を見てすぐに「私もやってみたい!!」と考えた私は、一緒に見ていたヒナとヒオと作戦会議を開いた。

 

 どうやらヒナも前々から興味があったらしく乗り気であり、ヒオは「恥ずかしいので顔を出さなくてよければ」と了承してくれた。

 

 

 それから色んな準備をして、ようやく動画を作ることができた。

 

 ダンスの他に歌うことも大好きだった私は、その時に流行っていった曲をヒナと一緒に歌った。

 動画ではヒナが器用にハモリパートを歌い、ヒオは昔から弾いていたギターの腕を見せた。

 ヒオの落ち着いたアコースティックギターの音色に合わせて、私とヒナは精一杯心を込めて歌った。

 

 

 動画投稿後、ドキドキしながら評価されるのを待っていると、視聴回数と高評価が少しづつ増え始めた。

 

 初めて出した動画をたくさんの人に褒めてもらったときの嬉しさと感動は今でも忘れられない。

 私たちは大喜びしてお祭り騒ぎ。その日の夜はみんな寝られなかった。

 

 

 その後、動画投稿を黙ってしていたことがバレてしまい、家のひとから三人とも大目玉をくらってしまった。

 

 動画を初めて投稿したのは12歳のとき。

 確かに今考えればネットに対する理解も浅く、とても危ないことをしていたのかもしれない。

 

 それでも、自分たちで好きなことをやり、色んな人に見てもらう楽しさを知ってしまった私は、その熱い思いを冷ますことはできなかった。

 

 今度は黙ってこんなことしない。

 本当に、本当にやりたいことなんだ。

 そんな気持ちを何度も何度も伝えた結果。

 

 

「しょうがないですね……だけど、せめて高校生になってからやってみなさい。勉強もしっかり頑張らないと駄目ですよ」

 

 

 と、許しを得ることができた。

 

 また三人で動画を出せる。

 その事を知った私は跳ね上がるほど喜んだ。

 

 

 しかし高校生になるのは早くて15歳。

 三年間の我慢が必要だった。

 

 そこで、当時12歳だった私たちはこの三年間を上手く使おうと計画を立てた。

 

 私とヒナは"歌ってみた"と"踊ってみた"に向けて、歌とダンスの練習。

 ヒオは、更に色んな曲を弾きこなせるようになるためとギターの練習に熱を注いだ。

 

 そんな中学校三年間は目まぐるしいほどに時間が早く経っていき、気づけば三年生になっているほどには充実した三年間だった。

 

 

 

 そして今年、高校生になった私は、約束通り動画を投稿することを決めていた。

 

 三人とも同じ目標に向かって努力を重ねてきた。

 目標に向かって打ち込む練習はとても楽しく、早く披露してみたいという気持ちがどんどん強くなっていった。

 

 ドキドキが止まらない。

 

 早く、早く。

 大好きな歌とダンスで、私たちという存在をたくさんの人に見て欲しい。

 

 

 私たち三人の物語は、静かに動き出していた。



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僕の友達

 幸せは~歩いてこない♪

 だ~から歩いて行くんだね~♪

 

 どうも! 日本一のラッキーガイ、輝かしい未来を約束された男こと佐藤ヒオです!

 

 登校初日のクラス分け、わたくし佐藤ヒオは敬愛する二人と同じクラスを勝ち取ることに成功いたしました。やったぜ。

 

 ンッン~♪ 実にスガスガしい気分だな~♪

 二人のいる教室で一年を過ごせる、その事実が嬉しすぎて僕は分かりやすく浮かれていた。

 

 

 クラスの確認を終えた僕らは、振り分けられた教室に向かって早速足を進めた。

 

 窓から見える中庭の様子などを横目に進んでいけば、目的地である教室に着いた。

 

 黒板に張り出された席順を確認し、自分の席へ各々向かう。

 これから一年お世話になる自分の机に、ようやく座ることができた。

 

 

 鞄を机の上に置き、ふとクラスを一瞥してみる。

 

 ちょうど隣だった席同士で自己紹介を始めている者、他のクラスへ知り合いを探しに行った者など、皆それぞれ動き出していた。

 ヒメとヒナの方を見ると、既に教室にいた新しいクラスメイト数人と話して親睦を深めていた。早いッスね。

 

 

 二人の方を眺めていると、不意に肩をトントンと叩かれる。

 僕は隣の席へ振り向いた。

 

 

「随分熱心に見てたみたいだけどもう気になる女子でもいたか?」

 

「」

 

「俺の名前は小島淳。よろしくな」

 

「……っひ」

 

 

 はぁ、はぁ、人だ……! (ヤバいやつ)

 第一村人、いや第一クラスメイトにエンカウントした僕は、さっそく頭が真っ白しろすけになっていた。

 

 だ、大丈夫だ僕、落ち着いていけ! 今日の僕はツいてる!

 落ち着け! 素数を数えて落ち着くんだ。1、3、5、7、9、11……

 

 ってこんなことしてる暇ない! 早く返事をしなくちゃ!

 

 

「……ぼ、僕は佐藤ヒオ。よ、よりょ、よりょしく」

 

「お、おう。よろしくな。」

 

 

 オエー!!(吐)

 ついさっきまで浮かれていたのと打って変わり、僕はこの事態に混乱していた。

 

 あれ、おかしいなぁ。なんだか想定と違うぞぉ。

 ウッキウッキだった僕は、どうやら自分が人見知りでコミュ障だったことを失念していたらしい。そしてなんの心の準備もしていなかった。

 初日だもん。そりゃ話しかけられますわ。

 想定外の事態に慌てていた僕はなんとか平静を取り戻し、話を続けてくれる彼のために精一杯会話を繋げられるよう頑張った。

 

 

「俺は○○中学だったんだけど、佐藤はどこ中だったんだ?」

 

「ボ、ボクモ同ジ中学ダッタヨ……」

 

「あれ、そうだったのか」

 

「ウン、ソウダヨ……」

 

 

 小島淳くんから話しかけられるが、僕はあまりの緊張で上手く口が動かなかった。

 もぅマジ無理。リス化しよ……(どんぐりカリカリ)

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 悪戦苦闘の会話を続けること数分。

 話していくうちに、彼がとても良い人であることが分かってきた。

 

 こちらの話すことにしっかり相づちや反応を見せてくれたり、僕が話すことが苦手だと察してくれたのか、彼主導で話を続けてくれている。

 そのうえ話し上手であり、コミュ障の僕でもなんとか会話になっているほどの手腕だった。なにこのイケメン……抱いて!

 

 また、中学の頃には考えられないぐらいには初対面の人と会話が成り立っていることに、僕は心の中で涙を流し感動していた。

 

 入学初日から、僕はとても良い人と巡り合えたようだ。

 

 

 小島くんと話していると、学校の予鈴が鳴り始めた。

 散らばっていた教室の生徒は自分の席に戻り、教室は静かな雰囲気を作り始めた。

 

 すぐに教室の扉が開き、教員と思われる男性が入ってきた。

 

 しかし、その姿を一目見たとき、教室の空気はピンと張り詰め、皆固唾を飲んだ。

 

 その男性は高級そうなスーツを見にまとい、固められオールバックと眉間に寄ったシワ、黒いサングラスを掛けながら教壇の前に立った。

 なぜか木刀も所持している。修学旅行帰りかな?

 どこからどうみてもヤの名前の着く人だった。

 

 言い知れぬ雰囲気漂うその男はサングラスを外し、僕が直視されたらショック死間違いなしな眼光を光らせながら、ゆっくりとその口を開き始めた。

 

 

「今日からこのクラスの担任となる、極道屋久夫《ごくみちやくお》っちゅーもんや。趣味は自慢の庭で草(ハーブ)を育てたり、色々(苗)埋めたりすることや。

これから一年よろしく頼むでぇ。ニッコリ」

 

「ヤクザだ……」

 

「あ?」

 

「ナンデモナイデス」

 

 

 やっぱりヤクザじゃないですかやだー!

 隣にいた小島くんはつい心の声が出てしまったらしい。小島くん、そう怯えないでくれ、僕も同じこと考えてた。

 

 どうやら今年、僕らの先生はなかなか凄いのが来てしまったらしい。

 

 

「それじゃあ、次は入学式や。もう既に保護者の方々と在校生が体育館で待っとるやさかい、一列になってキビキビ動いてくれや。あと、私語は慎むんやで」

 

 

 イエス、サー。僕らは軍隊のようにキビキビと動き出した。

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 まさか、新入生代表の挨拶にヒナが選ばれていたとは……。

 なんて素晴らしい入学式なんだ……!

 

 どうやらヒメとヒナは僕を驚かすために、入学式当日までこのことを秘密にしていたようだ。

 実際ヒナの名前が呼ばれた際、僕は思わず椅子をガタリと揺らしてしまった。割りとデカイ音で。

 目立ってしまった僕は、帰りに首を吊るための朝縄を買おうかと計画したが、その可愛さと美しさで体育館中の生徒の目を引いていたヒナの姿を見ることができたため計画は中止とした。

 

 

「入学式お疲れさん。次は4月の予定についてのプリント配るから、後ろに回してくれや」

 

 

 教室に改めて戻ってきた僕たちは、これからの授業や連絡の説明を聞く。

 その成りに合わず、極道先生の説明は丁寧でスムーズであった。

 

「よし、説明はこんなもんや。時間が結構余ってんなぁ。自分ら、何かやりたいことあるか?」

 

 

 何かないかと先生が教室中を見回す。

 その視線に合わないよう多くの生徒が目線を下げるなか、一人の生徒が手を上げて高らかに言った。

 

 

「はーい! 先生! 私、皆で自己紹介やりたいです! あと、席替えとかもやりたいでーす!」

 

 

 声を挙げたのは、我らがエンジェル田中ヒメである。田中さんマジ鋼のメンタル。

 恐らくクラス1のムードメーカーであろう彼女の一言により、先生の眼光によって冷えきっていたクラスには温もりが戻り始めていた。

 

 

「おお、自己紹介か。別に構わへんで。ほな、名簿順に一つずつ、名前と趣味を言っていってもらおうか。同じ趣味持ってるやつ見つけられたら話しかけやすいやろ?」

 

「先生、それナイスアイデアです!」

 

「よし、じゃあ早速一番の安藤からいこか」

 

 

「はーい、○○○○です。趣味は○○で~……」

 

 

 僕の想定通り、クラスの皆の前での自己紹介は始まってしまった。

 

 

 昨夜の自己紹介の練習の成果を見せつけるときが来た。

 

 先ほど小島くんとの会話というスパークリング終えたため、コンディションはなかなか悪くない。

 噛まないように、ゆっくり、はっきり、よく聞こえる声で……。

 待ち受ける自分の番号に備え、僕は精神統一を図る。

 

 

 あ、そういえば自分の趣味どうしよう。

 

 予定になかった趣味の欄、すっかり考えるのを忘れていた。

 

 

 僕の趣味といえば、アニメ・漫画を読むことと、ギターを弾くことかなあ。

 

 適当に思い付く限りではこの程度である。

 さて、どちらの趣味をチョイスすべきか。

 

 今後の一年を決める重要なイベントだ。最悪の事態を予想しなければならない。

 それぞれの結果について考察してみよう。

 

 僕の頭はスーパーコンピューターに負けない演算力で、シミュレーションを開始した。

 

 

【趣味→アニメ・漫画の場合】

 

 

「へ~、佐藤君ってアニメと漫画が好きなんだ~」

 

「もしかしてオタクってやつ?笑笑」

 

「なるほどね~、実はオタク君だったんだ~」

 

「(見かけ通りの根暗なうえにオタクとか、ちょーウケる笑笑)」

 

「(ちょっとイジれそうなやついたって、友達に連絡しよ~笑笑)」

 

 

 これは不味い。危うくBadEndを選ぶところであったようだ。

 陰口が広がり、クラス中から陰キャオタクの烙印を押されたその日には、僕は生きていけないかもしれない。

 本当に危ないところだった。

 

 となると、趣味はギターの方がよいだろうか。

 念のためこちらもシミュレーションしておこう。

 

 

【趣味→ギターの場合】

 

 

「えー! 佐藤君ってギター引けるんだ~」

 

「え、すご。ちょっと今度弾いてみてよ~笑」

 

「弾いてるとこ見たい見たい! あ、中庭とかで演奏会とかしない?」

 

「それめっちゃ良いじゃ~ん笑笑」

 

「趣味ってことはギター持ってるでしょ? 今度友達誘うからみんなに見せてよね~笑笑」

 

「わたし○○の曲聞きた~い」

 

 

 控えめにいって処刑である。

 

 しかもさらに不味い。

 何が不味いのかというと、僕の選択権はシミュレーションの結果、もうゼロということである。

 

 ヤバい、どうしよう……!

 このままじゃ非常に不味い……!

 

 いっそのこと、趣味はナシと言うべきか?

 いや、それはあまり印象がよろしくない。せめて何か一言言うべきだ。

 いや、でも適当なこと言ってもそれはそれでまた……。

 

 

 グルグルと頭をフル回転させていると、僕の前の席の生徒が自己紹介を終えた。

 

 考えがまとまらない中、椅子を引いて立ち上がる。

 混乱した頭から、僕は何とか言葉を紡いだ。

 

 

「名前は、佐藤ヒオです。趣味は……特にないです」

 

 

 もういっそ、誰か僕を楽にしてくれ。

 

 あれだけ練習をした自己紹介に失敗した僕は、心の中で頭を抱えながら悲しみに打ちひしがれていた。

 もう嫌や、こんなんばっかりや……泣

 

 

 悲壮感に包まれながら他の生徒の自己紹介を聞いていると、我らが鈴木ヒナの番がきた。

 

 

「鈴木ヒナです。趣味は読者(漫画)と動画や映画鑑賞(主に特撮・アニメ)です。これから一年間よろしくね~」

 

 

 その手があったかァ~!!!

 

 周りの生徒たちは「読書が趣味なんて、見た目通り知的だなぁ」と感心している。

 恐らく僕とヒメ意外は、彼女の趣味の後ろに付いた()が見えていないだろう。

 

 実は鈴木ヒナ、重度のオタクである。

 知識量は僕を遥かに凌ぎ、好きなアニメについて語らせれば一夜を迎えてしまうほどの饒舌さを発揮する。

 ちなみに早口ヒナちゃんは凄く可愛い(大事)

 

 

 ヒナが自己紹介を終えたあと、周りの生徒からは「近くで見ても可愛い~」「入学式の挨拶カッコよかったよー」「綺麗……」「ヒナちゃんマジ天使」といった声があがった。全部同意。

 

 クラス中からの声が静まったあと、自己紹介はどんどんと続いていった。

 

 そしてとうとう、今回の自己紹介の企画者であるヒメの番が来た。

 

 

「田中ヒメです! 趣味はダンスと歌を歌うこと! 皆とたくさん楽しい思い出作りたいので、ぜひ仲良くしてくれると嬉しいです!」

 

 

 メンタルが鋼鉄……いや、鋼鉄越えてオリハルコンである。

 あそこまではっきりと自分の趣味・特技を言えるとは……ヒメは僕が一生懸けても辿り着けない境地にいるようだ。

 

 元気のよい自己紹介が終わったあと、周りの生徒からは「明るくて可愛いな~」「笑顔が眩しい……」「美少女が二人も、今年の俺らのクラス神か?」「ちくわ大明神」「誰だ今の」といった賛美の声がまたもやあがった。誰だ最後の。

 

 

「……よーし、それじゃあ自己紹介も終わったし、時間もないから席替えといこか。自分らの好きなところに行ってええで~。目ぇ悪いやつは前の方に来たほうがええかもな。」

 

 

「好きなところ!? やったー! どこに行こうかな~♪ ヒナはどの辺がいい?」

 

「ヒナは当然、ラノベ主人公席。窓際の一番後ろがいいな~」

 

「じゃあヒメもそこにするー! お隣にしようね!」

 

 

 よし、じゃあ僕は廊下側の席だな。

 

 

 え、なぜ二人から離れた席にするのかって?

 

 理由は簡単、目立ってしまうからである。

 ヒメとヒナは、その目立つ容姿や雰囲気、魅力から、兎に角人の視線を集めてしまう。

 もし僕が、その多くの視線上に入り込んでしまった場合、人見知りなうえに人の視線に敏感すぎる僕には、とてもじゃないが耐えられる自信がない。

 

 二人の姿を近くで見れないのは残念だが、流石に身体がもたない。精神的な意味で。

 陰から二人のてぇてぇを眺めているのが、一番僕にとってありがたいのである。

 

 

 そうと決まれば、早速行動に移そう。

 

 自分の鞄を持った僕は、幸運にも廊下側の後ろから二番目の席が空いていたのでそこに座ることにした。

 ここが安住の地である。

 

 満足気に席に座っていると、例の優しい小島くんが僕の席の方へ向かってきた。

 

 

「ここ、前の席いいか?」

 

「あ、うん。全然いいと思うよ」

 

「おっけい。折角話せたのに、席が離れたせいで疎遠になるのも勿体ないからな。改めて、これから一年間よろしくな」

 

 

 どこまでイイひとなんだ……。

 不肖、佐藤ヒオ、感涙であります。

 本当に、僕には勿体ないくらいの人と仲良くなれて良かった。

 

 

「ヒオー!」

 

 

 初対面初日の彼に全幅の信頼を置いていると、あの明るく、何度聞いても飽きない声が教室に響いた。

 

 ま、まさか……。

 

 

「おーい! ヒオもこっちおいでよー! 席まだ空いてるよー!」

 

「ヒオが来ればちょうどL字になるね」

 

 

 た、た、た、田中さん!?

 

 僕は震えながら目を合わせないように、明後日の方角を向いた。

 僕がヒメたちに目を合わせないようにしていると、前の席の小島くんからヒソヒソと声をかけられた。

 

 

「お、おい。ヒオってもしかしてお前のことじゃないのか……?」

 

「そ、そ、そうかなぁ?」

 

「だってお前。このクラスにヒオなんてやつ一人しか……」

 

「ほ、ほら。あそこに居る日野さんのことじゃないかなぁ。入学式前から田中さんと仲良さそうにしてたし……」

 

 

 この状況、小島くんからの疑いの目に、冷や汗が止まらない。

 死刑宣告をただ待つばかりの囚人のように小さくなっていると、今度はあの明るい声が、自分のすぐ近くから聞こえた。

 

 

「ほらヒオ~。ボーッとしてないで行くよー」

 

 

 そういって彼女は僕の手を掴み、ヒナの待つ窓際の席へと連れていかれた。

 

 

「ヒナ~、連れてきたよ~」

 

「うん、ご苦労様。じゃあヒオは、ヒナの前の席にしよっか」

 

「ヒオ、ヒナ、ヒメ。うん、イイ感じのL字になったね!」

 

 

 そういってヒメは、ヒナと一緒に満足そうに頷いた。

 

 あれ、僕はなんでココにいるんだ。

 さっきまで廊下側の席で小島くんとお話してたはずなのに。

 

 僕の頭は現実を受け入れることを拒んでいた。

 

 目の前を改めて確認すると、ヒメとヒナが嬉しそうに笑っている。

 うん、かわいい!

 ……いや、そうじゃない! 可愛いけど! たしかに可愛いけど!

 

 

 どうやら僕はヒメにエスコートされた結果、このような状況に陥っているらしい。

 

 え、それって不味くない?

 

 

 案の定、ボソボソとクラスのあちこちから声が聞こえた。

 

「いま、あの二人手繋いでなかったか?」「もしかしてそういう関係?」「あいつの名前佐藤だっけ? よし忘れねえわ」「野郎許せねえ……」「俺らの田中さんと手なんか繋ぎやがって……」「おい、なんだか鈴木さんとも親しそうじゃないか?」「たしかに……」「絶許」「ちょっと俺、帰りに手頃な鈍器買ってくるわ」「面白いやつだな気に入った。殺すのは最後にしてやる」

 

 

 ヒメとヒナはそんなコソコソ話も露知らず、お喋りを開始し二人の世界に入っていた。

 

 クラス中から疑いや嫉妬の眼差しを受けながら、僕は頭を深く自分の腕にうずめて、寝たふりを開始した。

 

 

 夢なら覚めて。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 時刻は12時を過ぎ、お昼休みとなった。

 

 お腹空かせていた者、授業に退屈だった者などが思い思いに動き始め、学校は活気溢れる喧騒に包まれていく。

 

 

 昼休みが始まると同時に、ヒメとヒナの元にクラスメイトの女子生徒が集まり始めた。

 女子生徒たちの顔は、如何にも何かを聞きたそうにワクワクしている。ヒメ、ヒナ……変なことは言わないでね……。

 

 

「それじゃあ、僕は別の場所で食べようかな~」

 

「え、なんで? 折角だしヒオも一緒に食べようよー」

 

 

 ヒメはどうやら僕の提案に不服である。

 

 

「いやぁ。流石に女子達の中で、男子一人っていうのは恥ずかしいというか「佐藤ー! 俺と一緒に屋上で食べようぜ」

 

 

 僕が断りの文句を述べていると、小島くんから声がかかった。

 ナイスタイミング! さすが小島くん! さすこじ!

 

 

「というわけで、僕らは男同士で食べてくるよ。中学が同じだったみたいで、積もる話もあるかもだし」

 

「田中さんも鈴木さんもすみません。ちょっと佐藤のやつ借りていきます」

 

 

 そうして、僕は逃げるように小島くんの方へ向かった。

 

 

「……ありがとう、助かったよ。早速どこでお昼食べる? 屋上とか?」

 

「ああ、屋上がいいな……お前には、聞きたいことが山ほどあるんでな……」

 

 

 僕は小島くんに半ば連行されるような形で屋上へたどり着いた。

 移動の最中、なぜか小島くんの目がすごく怖かった。

 

 既に屋上には、少数だがぽつぽつと生徒が見える。

 花壇には綺麗に花が咲いており、定期的に手入れされているのが分かる。景観もなかなか良さげだ。

 

 二人が座れる手頃なベンチを見つけて、お弁当片手にベンチへ腰かけた。

 

 

「さて、そろそろ聞かせてもらおうじゃないか。例の件について」

 

「れ、例の件?」

 

「しらばっくれても無駄だ。俺は、お前が田中さんに手を引かれたあと、鈴木さんを交えて楽しそうにしていたのを見たんだ。説明してもらおうじゃないか」

 

「せ、説明……? そ、そうだ小島くん、お弁当早く食べちゃおうよ、昼休み終わっちゃう前にさ、ね?」

 

 

 初対面のときのように優しかったあの小島くんはいなかった。

 神妙の面持ちでこちらを睨む、滅茶苦茶怖い小島くんがそこにはいた。

 

 

「話を反らしやがって……ならハッキリ言ってやる。お前と、田中さんと鈴木さんはどういう関係なんだ! 吐け、吐くんだ!」

 

 

 僕と、ヒメとヒナの関係・・・?

 

 

「ど、どうしてそんな事聞くの……?」

 

「……ふう。お前はどうやら理解してないようだな。あの二人がどういった存在なのかを」

 

「???」

 

 

 イマイチ理解ができず、頭にハテナマークを浮かべていると、彼は饒舌に語りだした。

 

 

「まず、あの二人には総勢500人を越える親衛隊がある。そのことを知っていたか?」

 

 

 ……うん?

 

 

「本人達は知らないが、田中さんと鈴木さんの親衛隊結成は二人が小学生のときから。二人の可愛さを我が物にしようと手を出そうとする輩はたくさんいた。誰が先に話しかけるか、誰が先に告白するか……取り決めを最初は皆が守っていたが、次第に取り決めは破られ、親衛隊は無秩序化していった。やがて、争いへと変わっていった」

 

 

 えぇ....(困惑)

 

 

「二人を巡る争いに親衛隊は明け暮れ、誰もが疲弊しきっていた……。しかしその時、親衛隊No.1である例のお方が、とある仲裁案を掲げた。……その仲裁案とは、ヒメヒナ不可侵条約」

 

 

 その条約、絶対本人達は知らないよね……?

 

 

「鶴の一声だった……。俺たちは、二人のことを見ているだけで良い。眺めているだけでいい。二人の変わりない幸せを静観することこそが、俺たち全員の望みであることに気づいたんだ」

 

 

 はぇ~、なんか壮大……。

 

 

「ヒメヒナ不可侵条約を立てた親衛隊は、極めて二人の静観に徹した。しかし、たまに抜け駆けして二人に近づこうとする馬鹿もいた。そいつらは親衛隊の名の下に闇の中へ葬られ、今では良い見せしめとなっている」

 

 

 それなんて黒の組織。

 

 

「この高校の入学の裏では、二人と同じクラスになれるよう教員を買収しようとする愚か者もいたな。まあ、俺の持つ情報網の下ではそんな陰謀筒抜けだったがな」

 

 

 ええと、つまり話をまとめるとぉ……。

 

 

「ちなみに俺は親衛隊No.4、情報屋のコジマとして活動している。前々から二人に近しい男がいることは知っていたが、なかなかその正体を掴めずにいた。だが、今日その正体が分かった。

 

 ……それは佐藤ヒオ、お前だ!!」

 

 

 殺気混じりに、彼は物凄い剣幕で僕に迫った。

 

 

 な、なるほど……。

 つまり僕の存在は、その二人の親衛隊? にとってよろしくないものであり、疑われているわけか。

 

 ……これは、返答に気をつけなければいけない。

 

 彼の聞いた話が本当ならば、幼馴染という立ち位置で毎日のようにヒメたちと会っている僕は……闇に葬られかねないだろう。

 

 しかも小島くんは情報屋? らしいので、ここで僕が不用意な発言をすれば、僕に関する情報は一気に広がっていくかもしれない。

 ヒメたちとの関係が他の生徒にバレるうえに、親衛隊の人たちからしばかれるとか……災難すぎる。

 さて、どう返答したものか……。

 

 

「さあ、答えろ。お前はあのお二人と、どういった関係なんだ」

 

「僕は……」

 

 

 場合によっては僕の高校生活が終わる質問。

 長い沈黙を経て、僕はゆっくりと口を開いた。

 

 

「……あの二人と中学校が同じだった。それだけだよ」

 

「……ほう?」

 

 

 頭をフル回転させて、彼を納得させられるような言い分を考えた。

 ここはあの二人の社交的な性格を利用しよう。

 

 

「中学校の頃から、田中さんはとてもフレンドリーでね。こんな暗い僕でも、田中さんは分け隔てなく話しかけてくれてたんだよ。まさか名前もちゃんと覚えていてくれたなんて、思いもしなかったなぁ……」

 

「確かに、田中さんは誰とでも分け隔てなく接する太陽のようなお方だ」

 

「うん、手を繋いだっていうのも……田中さんって、パーソナルスペースが狭いというか、人との距離が近いひとでさ。きっと僕の手を引いたのも、ただ見知った顔がいて嬉しかっただけなんじゃないかな」

 

「ふむ、なるほどな……」

 

「鈴木さんも、とても人当たりが良さそうな人だし、きっと僕に合わせて笑ってくれてたんだよ」

 

「つまり、お前と二人は……」

 

「言いすぎても、知人程度の関係かな。……名前と顔を覚えていてくれたのは嬉しかったね。田中さんたちに近づきたいとか、そんな邪な気持ちは一切ないよ」

 

 

 かなり強引な説明だったが、どうだ……?

 

 僕の話を聞くと、小島くんは深く考え込んでからしばらくして、ようやく口を開いた。

 

 

「……すまん、俺は誤解してたようだ。さっきはあんな風に詰め寄ってしまって、本当にすまない」

 

「別に、何かされたわけじゃないんだから、全然いいよ。誤解が解けたようで良かった」

 

「本当にすまない。……実は、俺も不安だったんだ。お前みたいな優しいやつを疑うことが……。だけど、お前の話を聞いてやっと安心したよ。お前が親衛隊にとって、悪い存在じゃないってことを知れてさ」

 

「小島くん……」

 

 

 やはり、彼は優しい人なのだろう。

 さきほどまでの尋問中は般若のような顔をしていたが、それは自分の中の背反する気持ちが起因していたらしい。

 親衛隊から目をつけられるかもしれない、そんな僕を心配してくれていたようだ。

 

 

「さっきの話は忘れて、お弁当食べようよ。もうお昼休みは半分切ってるみたい」

 

「……ああ、そうだな。俺はさっきも言った通り、裏では情報屋のコジマとして活動している。何かお前を助けられることがあったら、ぜひ頼ってくれ」

 

「う、うん、ありがとう」

 

 

 ……ふ~、すんごい疲れたンゴ。

 今日はまだお昼過ぎだっていうのに、なぜか精神的にとても疲れた。イテテ、後で胃薬飲まなきゃ。

 

 

 屋上から見る空は清々しいほどに晴れていて、よりお弁当が美味しく感じられる。胃が多少痛むが。

 

 何はともあれ、小島くんと和解できてよかった。

 根は良いひとのようだし、彼とは良好な友人関係を築いていきたい。

 幸先に難はあったが、初めてヒメとヒナ以外の友達ができたのでとても嬉しい。

 

 さて、それでは男仲良くお昼ごはんを食べることにしよ……テコン☆テコン☆

 

 ん?

 

 

 携帯を開くと、どうやらLIMEに2件のメッセージが届いたようだ。

 

 メールの内容を確認してみる。

 

 

『田中ヒメ:お弁当美味しかったよ♪ 今度は一緒に食べようね!』

 

『鈴木ヒナ:お弁当ご馳走さま。男同士の友情は育めたかい?』

 

 

 律儀にお弁当の感想を送ってくれたみたいだ。

 二人からの嬉しいお礼にクスリと笑う。

 

 二人へ『どういたしまして』のスタンプを押そうとしたとき、ふと横から視線を感じた。

 

 

「佐藤……。それって田中さんと鈴木さんからのLIMEか……?」

 

 

 

 それにしても良い天気だなあ。

 



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僕の夢景色

「……ただいま」

 

 

 玄関に寂しく、僕の声が響く。

 激動の学校生活一日目を終えた僕は、やっとの思いで我が家に帰還することができた。

 

 疲れで重たくなった体に鞭を打ち、自分の部屋がある二階へと足を進める。

 部屋に入り、制服の上着を脱いで、皺がつかないようにハンガーへ掛けた。

 

 まだ着慣れない制服から解放された僕は、なだれ込むようにベッドへと身を投げた。

 

 

「……知ってる天井だ」

 

 

 天井の丸い照明をぼんやりと眺めながら、今日自分の身に降りかかった災難を一つずつ思い出す。

 

 幼なじみの代表挨拶、小島くん、ヤの付きそうな担任の先生、強制連行によってかけられた大勢の目、小島くん……。

 なんじゃコレェ……?

 初日から僕、ハプニング特集すぎるでしょ……色々あったってレベルじゃねぇぞ……!

 

 

 件の昼休み、小島くんに二度目の尋問を受けた僕は、その場しのぎの嘘をつきながらも、なんとか彼を説得することができた。

 まだ少し彼の目には疑いの色が浮かんでいたが、ヒメとヒナ二人のファンである彼に二人のどんなところが良いのかを質問すると、嬉々としてその素晴らしさについて語りはじめたので、お茶を濁すことに成功した。

 また、同じヒメヒナ好きである僕は、彼のプレゼンにそれはそれは首を大きく振って肯定した。ヘッドバンキングばりに。

 

 窮地を乗り越えて、そのまま安堵とともに話を聞いていると、彼のプレゼンが昼休み終了のチャイムによって終わりを告げた。

 

 

「もうこんな時間か。いやー、二人の良さを語るのには全然足りなかったぜ」

 

 

 心なしか物足りなさ気である。

 確かに二人の良さを語りつくすのはとても容易なことではない。彼の態度に共感できた。

 

 お昼ご飯の片づけをしていると、彼はおもむろに携帯を取り出した。

 

 

「こんなに語り合えたのは久しぶりだぜ。ヒオとは良い酒が飲めそうだ。これ、俺のLIMEな」

 

 

 人生で初めて、同い年の男の子から連絡先の交換を申し込まれた。

 

 同じヒメヒナ好きを見つけられたことに加え、初めての同性の友達を作ることができた僕。

 生涯において友達のトータルスコアが2だった僕には歴史的快挙である。

 彼とはぜひ良好な関係を結んでいきたい。

 

 けれども、小島くんには悪いがヒメとヒナ、二人との関係を明かすわけにはいかないのだ。

 

 もし彼や他の生徒に秘密がバレてしまえば、すぐに噂は広がっていき、瞬く間にに僕の存在が明るみに出てしまうだろう。

 また、彼の言う二人の親衛隊に知られでもすれば、数日後僕の亡骸が太平洋に沈んでいそうである。

 陰キャな僕が平穏な学校生活を送るためにも、そうなることは避けなければいけない。

 ヒメとヒナと僕、三人の関係は、なんとしてでも隠し通していきたい。

 

 

 ━━それにしても、今日は本当に疲れたなぁ。

 

 災難は多々あったが、二人と同じクラスになることができ、新しい友達を作ることができたことを考えると、案外悪くない一日だったのかもしれない。

 

 

 物思いに耽ってると、いつの間にか部屋が暗くなりつつあることに気づいた。

 

 精神的な影響で少しだけ痛む胃を抱えながら、泥のように重くなった気怠い体を起こす。

 今日はあっさりしたものにしようかな。

 

 夕ご飯の献立を決めながら、僕は暗がりのかかる部屋を後にした。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 一人ぼっちの部屋に、弦の震える音が木霊する。

 

 夕食、入浴などのルーチンワークを終えた僕は、自室でゆっくりとくつろぎながら、アコースティックギターに触れていた。

 一通りチューニングを終えて、抑え慣れた弦に指をかける。

 

 よし、今日はこの前ヒナが見てたアニソンにしようかな。

 

 動画サイトで誰かが耳コピしてアップしてくれたコードを思い出しながら、少しづつ指を運ぶ。

 ちゃんと覚えられているようだ。

 弦の音、コードを一つ一つ重ねて、曲になるよう紡いでいく。

 

 閑静な住宅街、とある一軒家、二階。

 僕のワンマンライブが始まった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 ギターを始めたのは、物心つくかつかないかほど前のことである。

 

 歌うことが大好きなヒメとヒナに感化されて、自分も音楽を始めてみたいと思ったのが最初のきっかけだったはずだ。

 昔から人見知りで声を出すことが苦手だった僕にとって、もしかしたらギターは一つの自己表現なのかもしれない。

 

 

 親にギターをねだって買ってもらい、二人に披露するために僕は陰でたくさん練習をした。

 

 指が思うように動かなかったり、皮がめくれてしまったり、初めてのギターはとても難しく、大変だった。

 そうして、今思えば拙くボロボロの曲をなんとか仕上げ、二人に聴いてもらうことができた。

 

 

 ずっと隠しておいたギターを見せたとき、二人が目を丸くして驚いていたのを覚えている。

 

 二人を前にして弾くギターは、まるでステージに立っているかのように緊張した。

 深呼吸をして、僕はどうしようもなく震える指を動かし、演奏を始めた。

 

 演奏中、僕は周りを見る余裕なんてなかった。

 たくさん練習した苦手なフレーズ、指を運ぶ順番、練習の様々な思い出が頭を駆け巡った。

 自分がミスをしたかどうかなんて分からないほどに、精一杯弾いた。

 

 

 演奏を終えると、不思議と二人とも静かであった。

 

 失敗だっただろうか……?

 不安で胸が一杯になり、顔を伏せてしまった。

 

 

 しかし返ってきたのは、二人の精一杯の拍手と、喜びの声。そして温かいアンコールだった。

 

 

 自分を出すのが苦手で、怖くて、二人のようにすごくない僕が、

 「ここに居てよ」

 そんな風に言われた気がして、嬉しさのあまり涙をこぼしてしまった。

 

 

 それ以来、僕はギターを弾き続けている。

 二人の笑顔を見るために、僕がここにいるために。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 高校生になった僕たちは、ずっとやりたかったことがある。

 

 三人の力を合わせて、動画を投稿すること。

 

 ヒメもヒナも、僕のギターと同じように歌とダンスの練習を重ねている。

 二人とも素人目に分かるくらい、歌って踊ることが上手になっている。

 

 自分のやりたいことに向かって、彼女たちは流星のように真っすぐに突き進んでいる。

 僕なんかはすぐに、振り落とされてしまいそうなほどに。

 

 

 

 いつからか、同じような夢を見る。

 

 ヒメとヒナ、二人が大きなステージに立って色んな光を浴びている、そんな夢。

 

 ステージで輝く二人の笑顔は、どんなライトよりも眩しい。

 

 

 絶対に、二人にこの景色をみせてあげたい。

 

 

「……もっと、頑張らないと……」

 

 

 僕は今日もギターを弾く。



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僕たちの休日

 ピンポーン

 

 

 休日の朝。

 それは人によって様々な過ごし方が存在する。

 

 部活動の朝練習に向かうひと、平日の疲れがとれず寝、ているひと、明日は休日だからと夜更かしをしたせいでまだ寝ている者、朝アニメ(ニチアサ)を見るために起きるひと……。

 

 

 私、鈴木ヒナは幼なじみであるヒオのお家、その玄関の前に立っていた。

 

 もう一度インターホンを鳴らしてみる。

 

 

 ピンポーン

 

 

 目の前にある扉の奥から、小気味好いインターホンの音が響く。

 しばらく待ってみるが、何の反応も見られない。

 

 

「うーん……昨日の夜に連絡してみたけど、まだ既読ついてないなぁ」

 

 

 スマートフォンの画面をなぞりながら、隣にいるヒメが困ったように呟く。

 

 

「やっぱりまだ寝てるのかもね~」

 

「そうなのかなぁ。でも、ヒオが寝坊するなんて珍しいね」

 

「ヒナが寝るときに、まだヒオお家の明かりがついてたみたいだし、ギターの音も聞こえたからきっとそうかも」

 

 

 昨日の夜のことを思い出す。

 

 ヒメは昼間にはしゃぎ疲れてしまったのか、早々にベッドで爆睡。

 私もヒメと一緒にもう寝ようかなと部屋の明かりを消すと、ヒオのお家がまだ明るかったことに気づいた。

 窓を開けて耳を澄ませると、確かにギターの音が聞こえた。

 

 

「う~ん、どうやってヒオを起こそうかなぁ」

 

 

 ヒメは顎に指を添えて、恐らく寝ているであろうヒオの起こし方を考える。

 

 ヒメは悩み始めるのと同時に、私はあるものを預かっていたことを思い出した。

 鞄の中に手を入れて、ガサゴソと目的のものを探す。

 あ、あった!

 

 

「たらららったら~♪ 合鍵~♪」

 

 

 国民的青いタヌキみたいな効果音といっしょに、鍵をヒメに見せるように上にかざした。

 

 

「ふっふっふ。こんなこともあろうかと、ヒオのお家の合鍵を持ってきておいたよ」

 

「おー! さすがヒナ! 抜け目のないオンナだ!」

 

 

 さっそく持っていた鍵を鍵穴に差し、扉の鍵を開ける。

 解錠の音を聞いてから、扉の取っ手を引いた。

 

 扉をゆっくりと開けた私は、ヒメの方を見てニヤリと笑う。

 

 

「さあ、田中刑事。ここが犯人の棲み処だ! 慎重に侵入していこう~!」

 

「り、了解です! 鈴木刑事!」

 

 

 突入~!

 

 玄関に上がり靴を脱いで、ヒオがいるであろう二階の部屋へ気づかれないよう忍び足で向かう。

 階段も音を立てないよう静かに上り、颯爽と彼の部屋の前に到着した。

 

 

「ヒオ、起きてるかな……」

 

 

 ヒメが恐る恐る、彼の部屋の扉を開ける。

 

 部屋の中は以前来たときと変わらず、整理整頓がしっかりされている綺麗な部屋のままだ。

 本棚には私と布教をし合った漫画。

 部屋の隅には、ヒオがよく弾いているギターが立て掛けてある。

 

 ベッドを見ると、布団が少し盛り上がっている。

 ヒオを起こさないように、ヒメとひそひそ声で話し合う。

 

 

「やっぱり寝ていましたね、鈴木刑事」

 

「ふふふ、ターゲットの部屋に入るなんて造作もなかったぜ。肝心のセキュリティも、この大泥棒スズキ三世の前では意味がなかったようだな」

 

「そうですね鈴木刑……す、スズキ三世? さっきは刑事さんだったのに、立場逆転してない?」

 

 

 困惑するヒメを置いて、ヒオが寝ているベッドへと近づく。

 

 顔を覗いてみると、ヒオは目を閉じた人形のように静かに寝ていた。

 いつもは長い前髪で隠れているが、珍しく今日は目元まではっきり見える。

 

 ヒオの顔をしっかり見るのは久しぶりかもしれない。

 ヒオは人と目を合わせるのが苦手で恥ずかしいからと、前髪を自分の目元が見えない長さまで下ろしている。

 

 そんなヒオだが、顔立ちは男の子とは思えないほどの可愛いく整っており、たった今寝ている姿は誰がどう見ても美少女そのもの。

 せっかく素材の良い顔をしているのに、勿体ないことにヒオは頑なに顔を見せたがらない。いつか勿体ないお化けが出てきちゃいそう。

 

 そういえば以前、ヒオに女の子のコスプレを勧めてみたことがある。

 

 

『ヒオってさ、このアニメの○○ちゃんに似てるよねぇ……ねえヒオ、スカート履くのとかって興味ない?』

 

『えぇ……(困惑)』

 

 

 ヒオには微妙な表情で提案を断られてしまった。とても残念。

 私の推理ではヒオは男の娘の才能があると睨んでいる。

 

 ヒオの寝顔を見ながら、ヒメが小さな声で呟く。

 

 

「……ぐっすり寝てるね。だけど、そろそろ起きてもらわないと」

 

「うん。じゃあヒナが起こそうかな」

 

 

 当初の計画をすっかり忘れていた。

 

 ヒオを驚かせるためにはどんな起こし方が良いのだろう。

 イタズラみたいなことを考えながら、私は悪知恵を膨らませた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 遠くから、小鳥の鳴く声が聴こえる。

 もう朝だろうか。

 

 

 昨夜、遅くまで起きてしまった僕は現在進行形で二度寝を貪っていた。

 夢か現実か分からないほどに頭がふわふわしている。

 

 うーむ、そろそろ起きないと昼まで寝てしまいそうだ。

 米粒ほどの理性が寝坊をしないようにと働きかける。

 

 しかし、体が泥のように重い。

 今日は特に予定はないし、起きようか起きまいか悩み所である。

 

 

『天使:朝はしっかり起きなきゃダメだよ! ほら、早く起きて!』

『悪魔:起きるのは辛いだろ?お布団も気持ちいいし、このまま寝ていようぜ』

 

 頭のなかに天使と悪魔が急に現れ、僕に語りかけてきた(急展開)

 それならば、二人の意見を聞いてから起きるか寝るかを決めることにしよう。

 

『天使:朝日を浴びると気持ちいいし、早起きは三文の得なんだよ!』

『悪魔:実は三文って、100円ちょっとって意味なんだぜ。つまりジュース買っておしまいなのさ』

『天使:で、でも、寝坊するのは良くないよ!』

『悪魔:それってあなたの感想ですよね? 何かデータとかあるんですか?』

『天使:うぅ……』

 

 そこまで!

 この勝負、僕の頭のなかの悪魔の勝利!

 

 思っていたよりも一方的な勝負であった。

 

 

 そうと決まれば睡眠グー!

 

 僕は目覚めようと動く脳を放棄し、夢の世界へとまた戻っていった。

 

 

「……苦しいか?」

 

 

 !?

 

 

 眠ろうとした直後、僕の体に少女二人分ほどの重さが襲った。

 

 抵抗するように体を動かそうとするも、なかなか動くことができない。

 これはまさか……金縛り……!?

 

 

 突然の事態。

 あまりの怖さに目を強く瞑る。

 

 まさか朝っぱらから心霊体験をするとは思わなかった。

 何年も暮らしてきた我が家で生まれて初めてである。

 

 ど、どうしよう……。

 あまりの事態にヒオくんパニック、ヒオヒオパニックである。

 

 ここは一先ず、頭の中でお経でも唱えてみよう! 田中姫可愛鈴木雛可愛天使……

 

 

「……ねえヒナ、ヒオ本当に苦しそうにしてない?」

 

「うーん、たしかに。まるで呪われて苦しんでる人みたい」

 

 

 ドーマンセーマン☆ドーマンセーマン

 悪霊退散☆悪霊退散☆

 ……心なしか恐らく幽霊達のであろう声がはっきりと聞こえる。ずいぶん可愛らしい声の幽霊だなぁ。

 

 

「しょうがないけど普通に起こそっか。ヒオ~、もう朝だよ。起きて~!」

 

「起きてー!」

 

 

 被っていた布団が何者かによってぐわんぐわんと揺さぶられる。うわぁ。

 

 恐る恐る目を開けてみると、そこには僕の上にまたがっている二人の天使がいた。

 あれ、ここ天国? もしかして僕、幽霊に呪い殺された?

 

 そんなわけがないので、愛しの幼なじみ二人に朝の挨拶をする。

 

 

「……おはよう。ヒメ、ヒナ」

 

「あ、ヒオ起きた! おはよー!!」

 

「おはよう~。もう鈴木モーニングだよ~」

 

「鈴木モーニングw ヒナちゃんまた新しい言葉作ってるね!」

 

 

 僕のお腹の上で、ヒナの言ったことにヒメが笑う。

 

 幼なじみがいたらしてほしいシチュエーション第一位『朝、起こしてくれる』、最高の目覚めである。

 

 朝から感動に浸っていると、僕はさっきから潰されているお腹が苦しいことを思い出した。

 

 

「二人とも、そろそろ僕のお腹が背中とくっつきそうだから……下りてもらってもいいかな?」

 

「あ、忘れてた」

 

 

 ヒメとヒナは思い出したように僕のベッドから下りる。

 おぅふ……ウエスト10センチ縮んだ……。

 

 そういえば、どうして二人が僕の部屋にいるのだろう。

 

 

「ヒオが起きないから直接起こしに来ちゃった。ヒオが寝坊助さんなの珍しいね~」

 

「一応LIMEもしたんだけど、なかなか反応がなくって」

 

 

 枕元にあった携帯を確認してみようとするが、ボタンを押しても画面が点かず、真っ暗なままである。

 どうやら充電するのを忘れてしまっていたようだ。

 

 

「ごめん、携帯の充電が切れてたみたい。全然気づかなかったよ」

 

「インターホンも鳴らしたんだけど、ヒオぐっすりだったし気づかなかったみたいだね」

 

「それでヒナが合鍵持っててくれたから、ヒオ寝てるのかなぁって入って来ちゃった。勝手にごめんね」

 

「全然いいよ、こっちも気づかなくてごめんね。鍵渡しておいて良かったよ」

 

 

 ふと壁の時計を見てみると、短い針は8時過ぎを指していた。

 昨夜の夜更かしがよくなかったらしい。

 

 それと、これから二人は出掛けるのだろうか。

 ヒメとヒナは、ファッションに疎い僕が「オシャレだなぁ~」と思うほどに着こなした私服姿で、肩に可愛らしいバッグを掛けている。うーん、可愛い!(定期)

 

 二人の私服に至福な気持ちになっていると、ヒメが元気よく口を開いた。

 

 

「ねえねえヒオ! これから一緒に遊びに行かない?」

 

「はぇ?」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 二人と出掛けるのはいつぶりだろう。

 

 インドア派の僕は、そもそも外出する機会が滅多にない。

 三人で遊ぶときもお互いの家で遊ぶことが多いため、三人で外出したことは数えるほどしかない。

 ヒメとヒナはフットワークが軽いため、家で遊ぶこともしばしば、休日は二人でよく遊びに出掛けている。

 

 

 寝間着を着替えて寝癖を治し、急ピッチで出掛ける準備を整える。

 服装はモノトーンのパーカーと黒いパンツの地味な格好にした。

 前髪はいつもと同じように目元が隠れるように梳かしてある。

 

 一通り準備を済ませ、一階の居間で待たせている二人のもとに向かう。

 

 

「二人ともおまたせ。一緒に出掛けられるのは嬉しいけど、どこに行く予定なの?」

 

 

 買っておいたパンをかじりながら二人に聞いてみる。

 

 

「せっかく三人でお出かけするし、色々遊べるところがいいなぁって!」

 

「あと、春服とかコスメも気になってて」

 

「そういうことで……色々揃ってるショッピングモールに行くことにしました!」

 

「モールっていうと……あぁ、あそこに新しくできた大きいやつだね」

 

「それそれ! 電車乗っていけばすぐ着くよ!」

 

 

 お出かけ先もしっかり決まっていたようだ。

 

 目覚めのコーヒーを飲んで、朝食もすぐに終えた。

 

 

 そんなとき、僕の頭の中に一筋の電光が走る。

 よくよく考えてみれば、これは普段見ることのできない二人のデート風景を見れる、絶好の機会ではないだろうか……?

 

 な、なんてことだ……。

 推しと推しのデート……楽しそうな二人……溢れ出るてぇてぇ……。

 なんてオタク冥利に尽きるイベントなんだ……!

 

 うおおおお! テンション上がってきた!

 

 

「じゃあ、そろそろ出掛けようか。」

 

 

 内心ウッキウキな僕は、待たせていた二人を呼び掛ける。

 

 

「はーい! じゃあ出発しよっか! ヒナは忘れ物ない?」

 

「うん、ないかな~」

 

「よーし! それでは出発……」

 

「あ、ちょっと待って!」

 

「んん? どしたのヒナちゃん?」

 

 

 勢いづいたヒメの号令を突如ヒナが制止する。

 

 

「ヒオ~、ちょっとこっち来て」

 

 

 なんだろう?

 ヒナに呼ばれた僕は素直にヒナに近寄る。

 

 

「ちょっとヒオ目瞑って? じっとしててね」

 

「う、うん」

 

 

 言われた通り目を閉じて、石像のように動きを止める。

 そのままじっとしていると、恐らくヒナのであろう冷たい手が、僕のおでこに触れる感触があった。

 な、何事!?

 

 驚いて動きそうになったが、なんとか踏みとどまる。

 距離が近いせいか、ヒナからする良い匂いに思わずドキドキとしてしまう。

 し、心臓に悪すぎる……。

 

 

「はい、もういいよ。手鏡あるから見てみて」

 

「うん……。あれ?」

 

 

 いつもより視界がクリアになった気がする。

 ヒナが差し出した手鏡を受け取り、自分の顔を見てみる。

 こ、これは……。

 

 

「ヒオっていっつも前髪長いから、顔がしっかり見えないでしょ? だからお家からヘアピン持ってきて留めてみたんだ」

 

 

 鏡には、前髪をピンで留め、いつも隠している目元が露になった僕が映っていた。

 

 

「おー! いいねヒナちゃん! それ凄い良い!」

 

「ねー。ヒオってやっぱり顔出してた方がいいし、綺麗な顔してるんだから勿体無いよね~」

 

 

 綺麗な顔って……。

 男子としては反応に困る言葉である。

 

 改めて手鏡を見ると、そこにはいつもと違う僕がいた。

 普段ある前髪がないせいかソワソワしてしまい、なかなか落ち着かない。

 

 

「せっかくで悪いんだけど、やっぱり前髪は下ろそうかな……」

 

「えー! このまま出掛けようよ! それともヒオ、お出かけするの嫌だった……?」

 

「こっちの可愛いカチューシャもあるけどヒオどっちがいい~?」

 

「このままでお願いします」

 

 

 悲しそうにするヒメと新たな提案を求めるヒナを前に、僕は無力であった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 電車を乗り継ぎ、モールのある最寄り駅へ移動する。

 目的の場所へ向かって歩いていると、見慣れない大きな建物が見えた。

 

 ヒメの言っていた通り、目的地であるショッピングモールへはすぐ着いた。

 店内へ入ってみると、家族連れや友達同士で買い物に来たお客さんがたくさんおり、賑わいを見せている。

 

 人混み苦手ェ……。

 適当に歩いていると、ヒメが僕とヒナの方を向いた。

 

 

「そういえば遊ぶのとお買い物、どっちから先にする?」

 

「ヒナは先に遊びたいなぁ~。先に遊んでからゆっくりお買い物したいかも」

 

「僕もヒナと同じかな。先に何か買っちゃうと、手が塞がって動き辛いしね」

 

「じゃあ先に遊ぼっか!」

 

 

 行き先が決まった僕たちはエレベーターに乗った。

 ゲームセンターなどの娯楽施設がある階層のボタンを押し、ワイワイと何をして遊ぼうか考える。

 

 目的の階へ着くと、遠くから賑やかな音が聞こえてくる。

 少し歩けば、音の元であるゲームセンターにたどり着いた。

 

 

「お~! ゲームセンター来るの久しぶりだね!」

 

「去年は受験勉強もあったし、なかなか遊べなかったもんね~」

 

「そうだね! まずどこから行こうかな~!」

 

 

 ゲームセンターの中を三人でブラブラと歩く。

 

 太鼓を叩くゲームの方を見ると、迫真の表情で太鼓を叩き続けるひとの周りに人だかりができており、一種のパフォーマンスのようになっている。なかなかカオスだ。

 

 四方から鳴る電子音の中を進んでいくと、UFOキャッチャーのコーナーでヒナが足を止めた。

 

 

「あ! あのぬい可愛い!」

 

 

 ヒナがはしゃぎながら、UFOキャッチャーの中にあるぬいぐるみを指さす。

 

 

「この前見てたアニメのやつだね。もう出てたんだ」

 

「ねえねえ! ちょっとやってかない?」

 

 

 一目でそのぬいぐるみを気に入ったのか、目の前のUFOキャッチャーに興味津々である。可愛い。

 

 始めに遊ぶものが決まった僕たちは、早速財布から硬貨を取り出し挿入口に入れた。

 

 ゲーム開始の音が鳴る。

 ヒナは手元のボタンを押しながら、慎重にアームを動かしていく。

 ゆらゆらと動くアームはぬいぐるみの真上で止まり、目的の物をめがけ一直線に降りていく。

 

 

「ふっふっふ、決まった。」

 

 

 勝ち誇った表情を浮かべるヒナ。

 アームは目的の物を掴み上げ、また上の方へ上がっていく。

 

 しかし、真上に着いた際に少し揺れてしまったため、掴み上げた人形をアームは落として しまった。

 失敗である。

 

 

「にゃんでえええええ!!!」

 

「今の惜しかったね。一発で取るのはやっぱり難しいし、もう一回やろう。意外と次取れたりして。」

 

「よし、もう一回!」

 

 

 そう言ってヒナはまた新たな硬貨を投入する。

 ぬいぐるみを取るためにヒナは燃え上がっていた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 数分後。

 

 UFOキャッチャーの中のアームは、ぬいぐるみを持ち上げることなくふらふらと上がっていく。

 今ので9回目の失敗である。

 

 あれから三人で交代交代に挑戦してみたが、なかなか取れずにいた。

 

 

「ガ、ガチャと同じ……推しが出るまで、実質無料……」

 

 

 そう言ってヒナは目をぐるぐるとさせながら、財布に手を伸ばす。

 

 す、鈴木ィ……!

 それ以上は戻れなくなるぞぉ!

 

 震えながらヒナは再び台に向き合う。

 その姿は推しが出るまでガチャを引く、覚悟を決めたオタクの姿だった。

 

 

「……ねえヒナ。今回は諦めてまた今度来よ? たぶん、今日は取れないんじゃないかな」

 

「うぅ……こんな目の前にいるのに……」

 

 

 ヒメからとうとうストップがかかる。

 ヒナは項垂れ、取ることが絶望的であると悟ったたのか、意気消沈する。

 

 

「あ、そうだ! 近くにカラオケもあるみたいだし、歌いに行こうよ!」

 

「そうそう! ヒナの歌聴きたいなぁ」

 

 

 重い空気を変えようと、僕とヒメで新しい遊びを提案する。

 

 

「はぁ……今回は諦めようかな。ぬい、また今度会おうね。」

 

 

 

 UFOキャッチャーの中で鎮座するぬいぐるみへ向かって、ヒナが名残惜しそうに手を振る。

 ゲームセンターの中でこんな悲しい別れを見るなんて、想像もしていなかった。

 ショーケースの奥にあるぬいぐるみも、どこか寂しそうであった。

 

 

 UFOキャッチャーとの戦いを終えた僕たちは、先ほどの提案通りにカラオケに来ていた。

 実は僕は、カラオケに来るのは初めてである。

 

 

「何時間くらいにしようかな。ヒナとヒオは希望ある?」

 

「お昼も近づいてきたし一時間くらいがいいかも。カラオケで食べてもいいけどカラオケのご飯ってちょっと割高気味じゃない?」

 

「そうだね。僕も歌い慣れてないし一時間くらいがいいかも」

 

 

 受付で手続きを済ませ、渡されたマイクとコップ片手に指定の部屋に向かう。

 

 

「よーし! さっき取れなかったぬいの分歌うぞー!」

 

「おー!」

 

 

 防音設備が備わった部屋についたヒナは、先ほどの悲しみを払拭するように、やる気に満ちた大きな声を出した。ヒメもそれに便乗する。

 

 

「じゃあヒナから歌っちゃおうかな~。もう今季のアニソンが入ってそうだし」

 

「いいねヒナちゃん! じゃあヒメもあれ入れちゃお!」

 

「あれデュエットの曲だったね。ヒメも一緒に歌ってくれる?」

 

「うんいいよー!」

 

 

 カラオケで歌い慣れているのか、二人は曲をどんどん予約していき、次々と予約欄が埋まっていく。

 僕はというとマラカスとタンバリンを装備し、これから聴く二人の歌に備えていた。

 

 ヒメとヒナのワンマンライブ……。

 しかも、観客は僕一人の貸し切りで見ることができるなんて……。

 こんなこと、あっていいのでしょうか。

 神様ありがとう、けどこれからそっちに行きそうです。

 

 鳴り始める曲のイントロとともに、僕は昇天しかけていた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 ……はっ!ここは誰?私はどこ?

 

 

「いや~歌った歌った。久しぶりにカラオケ来れて楽しかったなぁ」

 

「ね~♪ スッキリしたなぁ」

 

 

 いつの間にか一時間経っていたようである。

 

 記憶が朧気であるが、その一時間は言葉で言い表せないほどに素晴らしかった。

 最近聞けずにいた二人の歌唱力は、前聞いたときよりも上がっており、デュエットでのハモりは筆舌に尽くしがたかった。

 心のなかでスタンディングオベーション、拍手喝采を送る。

 

 途中で僕にもマイクが回ってきたため、観念して歌った結果はというと

『ジャーン "60点!"きみ、やる気あるの?』

 なぜか採点機器から罵倒を受けてしまった。

 誠に遺憾である。どうやら僕には歌の才能が皆無らしい。

 

 歌い終えた後の二人の慰めがとても心痛かったのを覚えている。

 べ、別にいいもん!人前で歌う機会なんてこれからきっとないだろうし!別にいいもん!

 例えどんなことがあっても歌うことを封印する、僕はそう心に決めた。

 

 

「もうお昼だね。カラオケでたくさん歌ったからお腹空いちゃったな。」

 

 

「さっきマップ見たけど下の階にフードコートがあったね。そこでお昼にする?」

 

「賛成~」

 

 

 カラオケでお腹をペコペコにした僕たちは、早速フードコートへと向かった。

 

 

 フードコートに到着する。

 見渡すと色んな飲食店が連なっており、中華やイタリアン、ラーメンなど様々である。

 どれにしようかと目移りしてしまう。

 

 三人で座れる席を見つけ、肩に下げていたバッグを座椅子に下ろす。

 

 

「僕はここで待ってるから、二人とも先に決めてきていいよ」

 

「うん! ヒオ席の番お願いね」

 

「それなら一緒に頼んでくるけど、ヒオ何か食べたいものある?」

 

「そうだなぁ……」

 

 

 その後二人に自分の注文を頼み、二人を見送る。

 

 テーブル席で水をチビチビと飲んでいると、二人はすぐに帰って来た。

 どうやら二人とも即決だったらしい。

 

 何を頼んできたのか、買い物はどうするかなど雑談していると、テーブルの上に置いておいたブザーが、出来上がりを知らせてくれた。

 

 

 食べ物を受け取って溢さないように慎重に席戻り、それぞれが注文した昼食を持ち寄る。

 僕は好物であるうどん、ヒメはスパゲッティにしたようである。

 

 ヒナは何にしたのだろうと、ヒナのトレーに乗った物を見てみる。

 

 そこには、地獄の釜のように、真っ赤なスープで満ちたナニカがあった。

 

 

「『日本一辛いラーメン』ってのぼりが出てたから気になってこれにしちゃった。美味しそう~」

 

 

 見ただけでは食べるのに躊躇しそうなほど辛そうなラーメンを前に、ヒナは嬉しそうである。

 そのラーメン、匂いがもう辛い。

 立ち昇る湯気を嗅いだだけで、少し鼻がヒリヒリした。

 

 

「いただきまーす。空腹は最高の調味料っていうし、更に美味しく感じられそうだなぁ~」

 

 

 たぶんそのラーメン、調味料の他にも嫌と言うほどスパイス入ってますよ。

 その死ぬほど辛そうな風貌を意に介せず、ヒナは美味しそうにラーメンをすすり始めた。

 鈴木ヒナ、恐ろしいオンナ……!

 

 ヒナの持ってきたラーメンに面食らいながらも、僕らは麺を食らった(劇ウマギャグ)

 

 

「ねえヒナちゃん?舌とか大丈夫?」

 

「うーん、そんなに辛くないかも。本当に日本一辛いのかな?」

 

「あ、そうなの?」

 

「試しにヒメも、一口スープ飲んでみる?」

 

「う~ん、けど辛そうだしなぁ」

 

「けっこう見かけ倒しだったから大丈夫だよ。ヒメって辛いの苦手だしちょっと挑戦してみない?」

 

「……じゃあ、一口だけ飲んでみようかな」

 

 

 そう言うとヒメはヒナの食べていたラーメンを受け取る。

 そうしてレンゲでスープを掬い、恐る恐る口に近づけた。

 

 

「あれ、意外と辛くないかも?」

 

 

ヒメは不思議そうに首を傾ける。

 

 

「ね、大丈夫だったでしょ。ヒメも苦手な辛いもの食べたのずっと前だし、舌がオトナになったんじゃない?」

 

「うん、そうかも。辛いものとうとう克服しちゃった! 日本一だなんて、このラーメンも威張って……いばっ……」

 

 

 苦手なものを克服できたと上機嫌だったヒメが突然静まり返る。

 何やら様子がおかしい。

 

 

「……っ!!!!!! なにごれ……すっごいから……ゲホッゴホッ」

 

 

 ヒメは口元を抑えながら、顔を真っ赤にして咳き込み始めた。

 あ、これガチで辛いやつだ。喋れなくなるタイプの。

 

 すぐにヒメはテーブルの上にあるコップを手に持ち、中の水を飲み干す。

 少し落ち着いたのか、ヒメは苦しそうに激辛ラーメンの感想を呟く。

 

 

「うぅ……ヒナ、これすっごい辛いよ……。口からかえんほうしゃ出そうだよ……」

 

「うーん、ヒナは何ともなかったんだけどなぁ」

 

「ヒナちゃんは辛いものに強すぎだよ……きっとほのおタイプだ……」

 

 

 涙目で顔を赤くしながら、ヒメは空になったコップにソーサーから水を注ぎ、また舌を冷やすようにチビチビと飲み初めた。

 せっかく克服できたかと思ったらこの仕打ち、ヒメは散々である。

 あ、そういえば。

 

 

「ヒメ、そのコップ僕の……」

 

「!?」

 

 

 ヒメは吹き出しそうになる水をなんとか耐え、持っていたコップと僕を交互に見る。

 

 ヒメはパニックだったのか、隣に座っていた僕のコップを間違えて飲んでいた。

 先ほどの辛さがまだ残っているのだろうか、顔がまた赤くなっている。

 

 

「……ごめんヒオ、気づかなかった」

 

「いや、全然気にしてないよ。緊急事態だったしね。それより舌、大丈夫?」

 

「うん……」

 

 

 そう言ってヒメはまた静かになってしまった。

 

 本当に大丈夫だろうかと心配になる。

 そうだ、出店の中にアイス屋さんもあったはずだ、後で買ってきてあげよう。

 甘くて冷たいものでも食べれば、多少は楽になるかもしれない。

 

 食後のデザートを考えながら、僕は伸びてしまわないようにうどんをすすり始めた。

 

 

 

 フードコートで昼食を済ませた僕たちは、次の目的であるショッピングコーナーに足を運んでいた。

 そこでは、ブティックや化粧品店などが並んでおり、僕が入るには些か敷居が高そうでお洒落なお店が軒を連ねている。

 

 

「ヒナ~、このワンピースどうかなぁ。ちょっとヒメには大人っぽすぎるかな」

 

「そう? ヒメにもよく似合うと思うけど」

 

 

「さすが大きいところはコスメ揃ってるなぁ~ かわいい~!」

 

「うーん、こっちのモードな感じのやつも気になるなぁ」

 

「……僕、お店の外で待ってるね。」

 

 

 その場の重圧に耐えられなかったため、僕は一旦店の外に離脱した。

 男、ましてや陰キャの僕にこの辺のお店はなかなか肩身が狭い。

 ヒメとヒナが満足するまで、大人しく待っていよう。

 

 やることもないので辺りをボーっと見渡してると、ふと壁に隣接した鏡に目が止まった。

 鏡の中には、前髪をピンで留めた自信の無さそうな少年が一人佇んでいる。

 

 そういえば、いつもより視界が鮮明なのは前髪がないからか。

 改めて考えると、出掛けるの前のように少し恥ずかしくなってきた。

 けど、ヒナがせっかく付けてくれたんだし、ちゃんと帰るまでこのままでいようかな。

そんな思いを巡らせながら時間を潰していると、一通り堪能したヒメとヒナがやって来た。

 

 僕は少し複雑な気持ちのまま、今度はアクセサリーの売っているお店に向かう二人の後ろに着いていった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 買い物を終え、後は帰るだけとなっていた僕らはなぜかまたゲームセンターのコーナーにいた。

 最後にまたあのぬいぐるみを見ておきたいというヒナの要望である。

 

 

「あ、見てみて! あれもうすぐ落ちそうじゃない!」

 

 

 先ほど取れなかったぬいぐるみが、もうほんの少し動かせば落とせそうな位置にある。

 

 そして本日最後の挑戦。

 ヒナがアームでぬいぐるみを上から押すと、ぬいぐるみは穴の方へ落ちていった。

 

 

「やったー!! ぬい、今夜は一緒に寝ようね~」

 

 

 お目当てのぬいぐるみを取れたようで、とても嬉しそうである。

 

 ヒナと一緒の布団とか……ぬいの野郎、許せねえ。

 嬉しがるヒナを尻目に僕は、ぬいぐるみに嫉妬のこもった感情を送っていた。

 

 

 もう思い残すこともないだろう。たくさん遊んだし、色んな店も回ることができた。

 モールを満足した僕らは出口に向かって歩き出していた。

 

 すると、出口の自動ドアを抜けてすぐ、ヒメが「あっ!」と声をあげた。

 どうしたのだろう。

 

 

「どうしよう。さっきのゲームセンターに忘れ物してきちゃった……」

 

「バッグはちゃんと持ってるみたいだけど、何を忘れてきたの?」

 

「えーと……大事なやつ!」

 

 

 時刻はすでに夕方に回っている。

 帰りが遅くなって暗くなる前に、早く取りに戻った方が良さそうだ。

 

 早速先ほどのゲームセンターにまた戻りにいく。

 あまり遅い時間にこういった所は彷徨かないほうがいいため、早目に事を済ませたい。

 

 

「僕はフロントの方に落とし物が届いてないか確認してくるから、二人は思い当たる場所に先に行ってて」

 

「うん、そっちはお願いね」

 

 

 ヒメとヒナ、僕と二手に別れて行動する。

 

 フロントに着いたので落とし物が届いていないか尋ねると、どうやら何も預かってはいないらしい。

 盗まれたりしていなければ、元の場所にまだある可能性しかない。

 

 別れた二人を探しに、ゲームセンターの奥へと進んでいく。

 先ほど遊んだUFOキャッチャーの近くに行くと、よく見慣れたピンクと金色の髪が見えた。

 二人の方は見つかっているだろうか。

 

 二人に近づいていくと、二人の他にももう一人、少し柄の悪そうな男がいることに気づく。

 ヒメとヒナもその男に話しかけられ、困っている様子だった。

 

 

「君たちかわいいね、高校生ぐらいかな。お兄さんとちょっと遊んでいかない?」

 

「ええと、私たち、すぐに帰らないといけないので……」

 

「そう言わずにさ、ね?」

 

「……ごめんなさい!お兄さんとは遊べません! ヒメ、早く帰ろ!」

 

「う、うん……」

 

「えー、お兄さん悲しいなぁ。もうちょっとお話していこうよ」

 

 

 ヒナはヒメを引っ張って帰ろうとするが、男は逃さないようすかさずヒナの腕を掴む。

 

 

「キャッ!」

 

「ねえ、どこ行くの? 勝手に帰れると思ってる?」

 

 

 それを見た瞬間、僕は二人の方へ走り出した。

 男と二人の間に割って入り込み、二人を守るように男を睨み付ける。

 

 

「おっとっと。って、なんだお前。」

 

「触るな! 二人から離れろ!」

 

 

 自分の口から出たとは思えないほど、怒りのこもった声が出た。

 

 

「……ヒオ!」

 

「……二人とも、目を離しちゃってごめんね。こいつから何もされてない?」

 

「うん、大丈夫……」

 

「あれ、もしかして二人のお友達?」

 

「近づかないでください。二人が怖がってます」

 

 

 一刻も早くこの男から逃げなければ。

 間に割って入ったため、二人を男から少し引き離すことができた。

 後は僕が男の相手をして、二人を逃がせればOKである。

 

 二人を後ろの方へ追いやりながら、僕は再び男をまた睨み付ける。

 その男はというと、顎に手をやりながら不思議と僕を見定めるような目でジロリと見ている。

 これから起こるかもしれない荒事を覚悟していると、男は突然訳の分からないことを言い出した。

 

 

「……ふーん、君もよく見たら可愛いね。ボーイッシュ系ってやつ?」

 

 

 はぇ?

 

 

「最初は気づかなかったけど髪が短めだったからかなあ。お友達の君も凄く可愛いね」

 

 

 この男は何を言っているのだろう。

 先ほどまで怒りと恐怖で一杯だった僕の頭の中は、今度ははてなマークがたくさん浮んでいた。

 

 

「それじゃあお兄さんもこれから友達呼ぶから、大人数でそこのカラオケでも行こうよ。すぐ呼ぶから待っててね~。」

 

 

 ま、まずい……。

 事態は飲み込めないが、まったく解決していないようである。

 混乱して頭が少し真っ白になりつつある。

 

 それでも二人を庇いながら男へ睨み付けていると、男の後ろから、なにやら見知った顔の男がやって来た。

 彼はポンポンと、男の肩を叩いた。

 

 

「お兄さん、ちょっといいかな」

 

「あ?なんだテメェ」

 

 

 男の肩を叩いた人物は、僕がこの前初めて学校でできた友達――小島くんであった。

 小島くんはなぜこんなところに……?

 

 

「悪い予感が当たったよ。案の定来てみて良かった」

 

「別に野郎はお呼びじゃないんだけど。痛い目合いたくなきゃさっさと帰ってもらえる? 俺はこれからこの子達と用事あるんで」

 

「そうはいかないですよ。そちらこそ、お兄さんが痛い目に合いたくなければその子達から離れてもらっていいですか?」

 

 

 男の恐喝に、小島くんは負けじと返す。

 男は先ほどのニヤニヤした表情とはうってかわって、小島くんのことを恐ろしい形相で睨み始めた。

 

 

「……舐めた態度してんじゃねえぞガキがよ。今ちょうどツレ呼ぶところだから囲ってリンチにすんぞ」

 

「そうでしたか、奇遇ですね。ツレならこっちは既に呼んでありますよ」

 

「あ……?」

 

 

 その直後、小島くんの後ろの方から大勢の人だかりが押し寄せてくるのが見えた。

 

 その大群は、昔テレビで見たアフリカの牛の大群のようである。

 群れをなす男達は、誰も彼も筋骨隆々でガタイの大きいものばかりであり、不良の男はというと目をパチクリさせながら呆然としていた。

 

 

「な、なんなんだテメェらは!」

 

 

 男はたまらず声をあげる。

 すると、たくさんの男達の先頭に立っていた人物が、小島くんの方に駆け寄ってきた。

 

「小島さん、お疲れっす! 親衛隊筋肉部隊、ただいま到着しました!」

 

「ああ、急な収集によく来てくれた」

 

「御安い御用っす! ところで小島さん、我らの愛する二人に近づく……不埒な輩はそいつですか?」

 

「そうだ。遠慮はいらない、存分にお前らで可愛がってやってくれ」

 

「了解しました! おいお前ら! このサンドバッグを一先ず運ぶぞぉ!」

 

「「「うおおおおお!!!!」」」

 

 

 雄叫びを挙げた男達は今度は一斉に、その筋肉で先ほどの男を囲う。

 

 

「ちょっ、痛っ!やめろお前ら!離せ!」

 

 

 筋肉の壁に囲まれながら男は必死に逃げようとするが、その圧倒的な物量になす術がないようである。

 

 その後、悲痛な声をあげながらヒメとヒナに絡んできた悪漢は、筋肉の波に呑まれながらどこかへと運ばれていった。

 

 

「……ふう、一件落着だな。三人とも怪我はないですか?」

 

 

 小島くんは先の大群を見送ったあと、こちらの方を向いて話かけてくれた。

 僕らは先ほどの出来事に呆然としていたが、ハッと正気を取り戻す。

 

 

「……ありがとう! さっきはどうなるかと思ったよ……! 同じクラスの小島くんだよね? 本当にありがとう!」

 

「ヒナたち、もう駄目かと思っちゃった……本当にありがとうございます」

 

「いや、全然お安いご用です。二人が何かされる前で良かったです」

 

 

 ヒメとヒナは、助けてくれた小島くんに精一杯感謝を伝える。

 小島くんは気にしないでほしいと、二人のお礼を畏まった態度で受け取っていた。

 僕からもお礼を言わなければ。

 

 

「小島くん、僕からもありがとう。僕たちだけじゃどうしようもできなかったよ」

 

「いえいえ、全然気にしないでください。当然のことをしたまでです」

 

 

 そう言って、小島くんはまた二人のときと同じように、丁寧な口調で返した。

 あれ?なんで僕のときも敬語なんだろう。

 

 

「それじゃあここらへんで俺は帰ります。帰り道も変な輩に絡まれないよう気をつけてください」

 

 

 そういえば、もう帰りの時間が遅くなっていたことを思い出す。

 このお礼はまた後日、学校でさせてもらおう。

 

 僕たちはまた小島くんに感謝を伝えながら、手を振ってさよならを告げた。

 

 

「本当に今日はありがとうねー!」

 

「また今度会ったらお礼させてね~。」

 

「小島くん、今日はありがとう。また学校で会おうね。」

 

 

 僕らは思い思いの言葉を小島くんに投げ掛ける。

 彼は優しい笑みを浮かべながら、にこやかにこちらへ手を振り返してくれた。

 

 

 久しぶりの三人でのお出かけは、楽しかったことや一波乱あったものの、こうして静かに幕を閉じたのであった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 帰るのはすっかり夜になってしまった。

点々と道にそびえる街灯が明かりを点け、僕らに帰路を教えるように明るく照らしてくれている。

 

 隣で歩く二人を見ると、遊び疲れたのか少し大人し気な様子である。

 

 

 ゲームセンターで取り戻すことができた忘れ物のことを思い返す。

 どうやら忘れ物は、今日の途中で立ち寄ったアクセサリー店で買ったものであるらしい。

 ヒメは道中にまた無くさないよう、お店のロゴが入った袋を大事そうに抱えていた。

買ったものは余程大切らしい。

 

 

 今日あったことを三人で話ながら、夜道を歩く。

 

 そうやって話していると、ようやく僕らは自分の家の前に着いた。

家がお隣のため、ここでお別れである。

 

 

「ヒメ、ヒナ。今日は誘ってくれてありがとう。久しぶりに三人で遊べて、とても楽しかったよ」

 

「ヒメも三人で遊べて楽しかったよ。また一緒に遊びに行こうね!」

 

「ヒオも、いきなり誘ったのに来てくれてありがとね。またお出かけするときはもっと早目に連絡するね」

 

「うん、ありがとう。あ、そういえばヒナ。貸しててくれたピン返すね。」

 

 

 僕は、今日一日前髪を留めていたピンを外す。

 初めて付けて落ち着かなかったが、二人のことをいつもよりよく見れたので案外良かったかもしれない。

 外したピンをヒナへと渡す。

 

 

「学校でもそのままで来ればいいのに~」

 

「ははっ、やっぱりこっちの方が落ち着くよ」

 

 

 そう言って僕はいつもの長い前髪を弄る。

 うん、こっちの方が僕らしい。

 

 

「それじゃあ、ヒメもヒナお疲れ様」

 

 

 二人にお別れを言い終えた僕は、自分の家へと一歩を踏み出した。

 そのとき、

 

 

「……ねえヒオ、渡したいものがあるんだけど。」

 

 

 ヒメから声をかけられたため、足を止める。

 

 僕を呼び止めたヒメは、先ほどまで大事そうに抱えていた袋の中から、包装されている小物を取り出した。

 少し不安そうな顔を浮かべながら、ヒメは僕にそれを差し出す。

 

 

「ヒナと二人で選んだんだ。見てみて」

 

 

 僕はそれを受け取り、慎重に包みを外す。

 

 渡されたものは、藍色の花が象ってあるヘアピンであった。

 とても可愛いらしく、綺麗なデザインである。

 

 

「ヒナとお店の中で見てるときに、外で待ってるヒオのこと思い出したんだ。それで、外の方にいるヒオの顔を見たら……なんていうか、いつも顔を隠してるのが勿体ないなぁって……」

 

 

 しどろもどろになりながらも、ヒメは僕に買った経緯を説明する。

 

 

「そしたらお店で、その綺麗なお花のヘアピンを見つけたんだ。ぜったいヒオに似合うと思って……」

 

 

 伝えたかったことを言い終えたのか、ヒメは僕の顔を真っ直ぐに見つめる。

 

 それを聞いた僕は、胸が熱くなるのを感じた。

 僕なんかのために、あんなに大事そうにしてくれてたのか……。

 泣いてしまいそうなほど嬉しい気持ちが、胸に込み上げてくる。

 

 

「ヒメ、ヒナ。僕のために選んでくれてありがとう。素敵な髪留めだね。……一生大切にするよ。」

 

 

 僕は、こんなに幸せでいいのだろうか。

 二人からもらったプレゼントを一生大切にすると心に誓った。

 

 

「……ほ、ほんと?」

 

「うん、ほんと。大切にする」

 

 

ヒメは僕の言葉を聞いて、いつもの調子に戻った。

 

 

「よかったあ~!気に入ってくれなかったらどうしようって不安だったよ」

 

「ヒメとヒナのセンスなら間違いないって散々言ったでしょ? ヒメは心配性だなぁ」

 

「もう~ヒナちゃんだってちょっと不安だったくせに!」

 

「はいはい、二人ともありがとうね。本当にびっくりしちゃったよ」

 

「やったあ! サプライズプレゼント、大成功だね!」

 

「ヒオが驚いて満足もしているようで、ヒナも甘味料だよ。」

 

「ヒナ、それって感無量のこと? ヒナお砂糖さんになっちゃうよw」

 

「はははっ、僕の苗字と一緒だね」

 

「ほんとだ~! 今日から佐藤ヒナになる~」

 

「アハハハハッ!」

 

 

 住宅街にはチラホラと、大小様々な明かりが着き始めた。

 その一つ一つの明かりの元には、きっと色んな人がいて、きっと色んな温かさがそこにはある。

 僕たちの心には、そんなたくさんある明かりたちに負けないほどに、まばゆく優しい熱が灯っていた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「これに懲りて二度とあんなことするなよ。分かったか?」

 

「は、はいぃぃ。すみませんでした……!」

 

 

 ボロボロの体で、例のナンパ男は逃げていく。

 逃げ足だけは早いようで、視界に映る男はもう小さくなっていた。

 

 

「それじゃあ小島さん、また何かあればお呼びください。いつでも駆けつけますので」

 

「ああ、ありがとう。また何かあれば力を借りるな。」

 

「御安い御用っす! よし、お前ら解散だ!」

 

「「「うおおおおお!!!!」」」

 

 

 今度は親衛隊の軍団を見送る。

 彼らもまた、その圧倒的な物量とともにどこかへと消えていった。

 

 

 それにしても、今日は二人に何事もなくて良かった。

 

 いざというときのために、親衛隊の仲間を読んでおいて正解だった。

 あの二人から感謝もされてしまったし、親衛隊としてとても鼻が高い。

 

 そういえばと、二人の他にもう一人いたあの女の子の事を思い出す。

 

 この辺りの学校の生徒の情報は網羅しているはずだが、あの女の子の顔を見たのは初め てである。

 どうやら自分の名前を知っていたようであったし、彼女については謎が深まるばかりであった。

 

 

『小島くん、今日はありがとう』

 

 

 あの笑顔を向けられたとき、少しだけ心がドキッとしてしまった。

 俺としたことが……親衛隊としてあの二人以外の女性に傾くことなどあってはならないのだ。

 

 邪念を追い払うように、頭を左右に振る。

 

 けれども、一向にお礼を言う彼女の笑顔が頭から離れることはなかった。

 

 

「はぁ……今度会えたら、あの子の名前聞いてみようかな」

 

 

 また、会えることができたらいいなと本心がこぼれる。

 彼は一人夜道で、物思いに耽っていった。

 



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僕たちの前夜

「……っていう夢だったんだ! ヒナなんてすごいセクシーな格好してたんだよ!」

 

「私とヒメがそんなコスプレしてたんだ。面白い夢だね~」

 

 

 平日の朝、道行く人は制服に身を包んだ学生ばかりである。

 

 僕たち三人は、学生の本分である学校へと歩いていた。ヒメとヒナが主になって話し、僕は二人の後ろで聞き役に徹する、いつものポジションである。

 

 

「ヒメがチャイナドレスで、私がおへその出た軍服を着てたのかぁ」

 

「そうそう!それで私とヒナが本に向かいながら、ウサギが人参を運ぶゲームをしてたんだ!」

 

「ヒメそれ自分で言ってて混乱しない?」

 

 

 今日はヒメが昨夜見た夢について語っているようである。話を聞く限りなかなかにカオスな展開のようだ。

 僕の脳内はいつでもウェルカムなので、ヒメの夢の中の衣装を着た二人を是非見てみたいものである。見れるのなら言い値で買おう。

 

 ラジオのように軽快に弾むトークを聴いていると、僕たちのクラスの教室に着いた。

教室にいたクラスメイトがヒメとヒナに気づき、こちらに挨拶をする。

 

 

「あっ、ヒメちゃんヒナちゃんおはようー」

 

「おはよう~」

 

「おはよー!!」

 

 

 挨拶をされたヒメは一直線にクラスメイトの方へと向かって行った。ヒナもヒメについていくようにクラスメイトの輪の中へ入っていく。

 

 ヒメもヒナも、もうたくさんお友達できたのね……ヒオママは嬉しいわ。

 二人を慈愛の籠った眼差しで見送る。

 僕はというと誰からも声をかけられないまま、流れるように自分の席へ向かった。

 

 ふと時計を見ると、予鈴が鳴るまで後5分。

 授業が始まるのを待っていると、僕の隣の席である小島くんがまだ来ていないことに気づく。寝坊か何かだろうか。

 先日の件について、朝にまた話そうかと思っていたのだが肝心の彼がいなくては駄目である。

 

 反対隣に座っているヒメとヒナの談笑を聞くこと数分後、教室の扉が開き小島くんがやって来た。どうやら彼の遅刻は免れたようである。

 彼が教室に入った直後、朝の挨拶とともに僕らの担任の先生も教室に現れる。

 

 

「お前らおはよう。出席取るから、はよ席に着こか?」

 

 

 先生はサングラスの下から僕らをギョロっと見渡す。先ほどまで賑わっていた教室がピタリと静になり、生徒達は各々の席へ俊敏に戻っていく。今日も僕らの担任である極道先生はその厳つさを遺憾なく発揮しているようである。

 先生がいつものように木刀片手に出席を取っている間、僕はこそこそと小島くんに話しかける。

 

 

「おはよう小島くん。もしかして少し眠い?」

 

「ふぁ~あ、おはようヒオ。昨夜考え事してたからちょっと寝不足でな」

 

 

 彼は欠伸を噛み殺しながらこちらに返事をする。あまり眠れていないことを証明するように、彼の目元には少し隈ができていた。

 

 

「考え事……。何かあったのなら僕でも相談なら乗れるよ」

 

「いや、相談するようなことでもないんだ。俺が今ヒオに頼めることは、もし俺が寝落ちしていたら起こしてほしいことくらいだな」

 

「了解。安心して落ちていいよ」

 

「……信頼してるぞ親友」

 

 

 先生のモーニングスピーチも終わり、教室の皆は一限目の授業の準備に取りかかっている。

 いつも通りの学校生活が回り始めていた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 静かだった校舎にチャイムが鳴り響く。

 

 午前授業終了のお知らせである。

 

 どんな学生もが待ち望む、お昼休みの時間がやって来た。

 授業で使った教科書とノートを仕舞い、代わりに鞄から朝に作ったお弁当を取り出す。隣の小島くんも同じようにお弁当を取り出していた。

 

 

「いやー今朝はしっかり食べれてなかったから空腹が辛いぜ。よしヒオ、また屋上で食べような」

 

「うん、座れる場所も確保しに行かないとね」

 

 

 早速屋上へ向かおうと席を立つ。

 すると、後ろからトントンと肩を叩かれる。振り向くと、ヒメとヒナもお弁当を手に持ちながらこちらを見ていた。

 

 

「ヒオ、小島くん。私たちも一緒にお昼食べていい?」

 

「この前のことも話したいし、四人で楽しく食べよ!」

 

「え、お、俺達が田中さんと鈴木さんと!? あ、はい! 全然大丈夫です!」

 

 

 突然に二人から声を掛けられた小島くんは、背筋を真剣のようにピンと伸ばしてハキハキと受け答えする。

 

 

「よーしそれじゃあ出発進行ー。ヒナ屋上行くの初めてなんだ~」

 

「ヒメもヒメも!どんな感じなんだろう」

 

 

 こうして僕らは、ヒメとヒナを合わせた四人でのお昼ご飯となった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「この前は本当にありがとね! ヒメ、あんな目に合うの初めてだったからすごい固まっちゃった」

 

「いえいえ、その件は本当に気にしないで下さい」

 

「あの時一緒にいたムキムキの人達は、小島くんの友達?」

 

「あ、はい。友達というか、仲間というか、そんな感じです……」

 

 

 屋上のベンチに座りながら、僕たちは先日の事について話していた。

 

 ヒメとヒナの感謝や質問に、二人のファンである小島くんは精一杯答えている。

 二人の後に続いて、僕も謝礼を述べる。

 

 

「僕たちだけじゃどうしようもなかったよ。ありがとうね小島くん」

 

「ん? ヒオ、お前もしかしてあの時あの場所に居たのか?」

 

「居たも何も、僕たち三人を助けてくれたのは小島くんじゃないか。一応僕とも直接話したはずだし、気づかなかったなんてことはないと思うんだけど」

 

「直接話した? いや、俺の記憶だとヒオはあそこに居なかったはずだが……」

 

 

 僕の言うことに小島くんは不思議そうに首を傾げる。

 あれれ、ちゃんと小島くんと話していたと思っていたのだが。

 ヒメとヒナも、僕らの会話が噛み合っていないことに気づき、不思議そうな表情を浮かべている。

 

 今度は僕が自分の記憶を疑い出していると、ヒナが思い出したように「あっ」と呟いた。

 

 

「そうだ!あの時のヒオ、髪留めてたんだ」

 

 

 ヒナは自分の前髪を二本の指で挟み、おでこを出すようなジェスチャーを取る。かわいい。

 

 ヒナの言う通り、あの時の僕はいつものように前髪を下ろしていたのではなく、二人の要望で前髪を留めていたのだ。うっかり失念していたようである。

 

 それならば、小島くんが僕に気づかなかったことにも多少納得がいく。しかし、いつもより目元を出してただけで彼が僕に気づかなかったことなんてあるのだろうか。

 

 

「さすがヒナちゃん冴えてる!」

 

「……え、ヒオ本当にいたのか?」

 

「う、うん。いつもと違って目を出してたけど、二人とちゃん居たよ」

 

「??? 確かにあの時田中さんと鈴木さんともう一人いたはずだが、もう一人はあの女の子だったような……?」

 

 

 ようやく疑問を解決できたと思ったが、小島くんは先ほどよりも深く考え込んでしまっていた。

 

 はてさて、小島くんは何を悩んでいるんだろうか。

 僕も彼と同じように顎に手を回す。

 

 あの時ゲームセンターにいたのは、ヒメとヒナと僕(気づかれなかったのは悲しい)、確かに僕たち三人一緒にいたはずなのだが……。

 

 

 あ。

 

 僕は以前、小島くんに屋上で詰められた(比喩ではない)ことを思い出した。

 

 かいつまんで話すと、小島くんは二人の熱烈なファンクラブの一員であり、二人に近づく不審な男に対して強烈な敵意を抱くことがあるのである。

 僕も例に漏れず、二人とはどんな関係なのかと彼から尋問を受けたことがあった。その時に僕は、二人とは特に仲良くもないただの元クラスメイトであると説明している。

 

 これは不味い、非常に不味い。

 二人と特に仲良くもない男が、休日に三人でゲームセンターに遊びにいくようなことがあるだろうか。

 

 答えはNOである。

 恐らく、小島くんは僕の説明したことその矛盾に対して疑問を抱いているのだ。

 

 僕が自分の犯してしまった失態に冷や汗を掻いてると、小島くんが二人に対して質問をし始める。

 

「えーと……、もし仮にヒオがお二人と一緒に居たのだとして、何で一緒に居たんですか?」

 

「う~ん、何でって言われても」

 

「ヒオとは小さい頃からずっと遊んでるもんね! 遊ぶときはいつも三人一緒だよ!」

「そうそう、私たちとヒオのお家がお隣で幼なじみなんだ。その縁で三人でよく遊んでるんだよ」

 

「」(事態が飲み込めず口が開いている小島くん)

 

「」(頭を抱える僕)

 

 

 もうダメだ、おしまいだぁ……。

 僕が小島くんに隠していた秘密。まさかその全てを二人の口から語られることになるとは誰が予想できたであろうか。

 神様、もし居るのだとしたらあなたを恨みます。明らかに僕の人生ハードモードです。

 

 もはや説得は不可能だろうと全てを悟った僕は絶望し、某ボクサーの如く真っ白に燃え尽きた。

 

 

 しかし、僕のなかに一つの罪悪感が芽生え始めた。

 

 こんな僕にも優しくしてくれ、悪漢から僕たちを助けてくれた小島くん。

 そんな彼に嘘を吐いてしまったことである。

 

 初めて仲良くなってからまだ一月も経っていないが、僕にとても良くしてくれていたことを思い出す。

 僕が今することは、この事態に絶望することではなく、彼に対して謝ることではないのだろうか。

 

 少しだけ頭が冷静になる。

 

 まずは、彼にさせてしまった誤解を解くべきだろう。

 この前二人からもらった大事に持っている髪留めを取り出して、目元を見せるように留める。

 そして、次に言うべきことは決まっている。

 

 

「ごめん、小島くん……。僕、君にずっと嘘を吐いていたんだ」

 

 

 彼の目をはっきりと見て、正面から話しかける。

 

 これ以上彼を騙すのは良心の呵責に耐えられない。

 覚悟を決めた僕に対して、彼は目をぱちくりとさせながらこちらを見ていた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 俺の名前は小島淳。田中さんと鈴木さんのファンクラブの一員であるどこにでもいるような普通の男子高校生だ。

 今日はこの前ゲームセンターで出会った女の子の顔がなぜか頭から離れなかったため、少し寝不足である。

 

 前述の女の子、田中さんと鈴木さんを野郎から助けたことをきっかけに顔を覚えてもらい、なんやかんやあってお昼を共にしていたのであった。

 

 ファンクラブの不可侵条約より、彼女達には不干渉を貫くことが鉄則であるが、お二人からお誘いを受けてしまった俺はついその場の流れで、友人のヒオと共に昼食を御一緒させて頂くことになった。

 

 お二人との会話に緊張しながら、通らない喉に無理やり昼ごはんを運んでいると、一緒食べていたヒオが訳の分からないことを言い出したのである。

 

 イマイチ理解ができなかった俺は失礼ながら鈴木さんに質問をすると、鈴木さんと田中さんはヒオとどのような関係であるかを語り出し、更に訳が分からなくなってしまっていた。

 

 

 頭が混乱してしまい茫然としていると、突然ヒオが胸元から何かを取り出し、前髪につけ始めた。

 

 

「ごめん、小島くん。僕、君にずっと嘘を吐いていたんだ」

 

 

 なぜか、あの時の女の子がそこにはいた。

 

 寝不足のせいなのか、情報量が多いためか、俺の頭は完全に停止していた。

 なんであの時の君が? いやヒオがさっきまでそこにいたはず?

 ????????

 

 

 その後の事はあまり覚えていない。

 

 ヒオだったはずのその子は俺に何やら申し訳なさそうに話し出す。

 頭が働かず、俺はセキセイインコのようにうん、うんとしきりに頭を振っていると、その子は何かが嬉しかったのか、またあの時の笑顔を浮かべて話を終えた。

 

 今日は早く帰って寝よう。そうしよう。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

「ヒオ、なんか嬉しそうだね。何か良いことでもあったのかい」

 

 

 そう言ってヒナは、顎を上げ体を背中側に反るようにこちらを見る。

 俗に言うシャフ度を完璧に使いこなしている。

 

 

「うん、ちょっとね」

 

 

 学校を終えた僕らは、まだまだ見新しい下校路を歩いていた。

 

 お昼休みでの一件。小島くんに関する問題を解決することができた僕は、肩の荷が降り安堵していた。

 僕の精一杯の言葉が通じてくれたのか、彼はウンともスンとも言わずにただ頷き、僕を許してくれた。

 彼のような友達を持てたことを僕は誇らしく思っている。

 これからもこの良縁を大事にしていきたい。

 

 

 僕が初めて感じる友情に浸っていると、自宅に通じる路地までもう来ていた。

 今日の夕御飯は何を作ろうかと考えながら歩いていると、普段この道ではあまり見慣れない物があるのが見える。

 

 ヒメとヒナの家の前に、1台の車が止まっている。

 近づいていくと、一人の男性が車から荷物を運んでいるようだ。

 

 その男性はこちらに気づき、手を振りながら額の汗を拭う。

 

 

「三人とも、丁度良いところに来てくれて良かったです。重いしたくさんあるしで大変でしたよ」

 

 

「中島ただいまー!」「ただいま~」「ただいまです中島さん」

 

「はい、皆さんおかえりなさい」

 

 

 僕たちを家の前で迎えてくれたのは、ヒメとヒナ二人の保護者、中島さんであった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 秘密は女を美しく飾ると言うが、彼女達はその美しさと相乗するように多くの謎に包まれている。

 

 まず、ヒメとヒナが住んでいる家、田中工務店というお店についてである。

 

『田中工務店』と大きく看板が貼られているそのお店の中では、従業員であろう中島さんが何かしらの機材を運んでいたり、奥の部屋でPCに向かっていたりするなどしている。

 お客さんが来ていることも見たことがなく、恐らく中島さんの知り合いであろう人がたまに訪問しに来るだけであり、どのようなお店なのかが全く持って謎なのである。

 

 

 次に、中島さんという男性である。

 

 ヒメとヒナ二人の保護者であり、僕が小さい頃から二人と同じ家(田中工務店)を共にし、三人暮らしで生活している。

 話口調はいつも丁寧で、とても優しい人柄の持ち主である。

 

 未だに僕も理由は定かではないが、三人とも姓が異なっている。

 何かしら複雑な事情がありそうである。

 

 しかし、そんな中島さんを二人は家族のように慕っている。

 僕も昔からお世話になっているため、僕にとっては第二の親と言っても過言ではないかもしれない。

 両親と会う機会が少ない僕にとって、田中工務店に暮らす三人は家族のように温かく感じられた。

 

 

「中島さん、これ一緒に持ってもらってもいいですか」

 

「ヒオ君ありがとうございます。ではいっせいのーででいきましょう」

 

「中島ー、ヒメはこれ持っていくね! わわっ、結構重い……ああっ!」

 

「ヒメは一人で持とうとしないで下さい! これ運んだら次に運びますから!」

 

「中島~、ヒナが頼んでたコーラ買ってきてくれた?」

 

「はい、コーラなら冷蔵庫にしまってあります……って、ヒナも運ぶのを手伝ってください!」

 

 

 車に積んであった段ボール箱や謎の黒いケースは、とても重い物や大きい物など様々である。

 中身が気になったので聞いてみると「それは、開けてからのお楽しみです」と、中島さんは答えを先送りにして先に運ぶよう促した。

 

 

 車に積んである荷物はもうない。

 ようやく全ての荷物を運び終えたようである。

 

 荷物は全て工務店の奥の部屋に運び込まれ、部屋のなかは謎の段ボール箱とケースで一杯である。

 先ほどの重労働で疲れたのか、中島さんは椅子に腰掛けている。

 

 

「三人ともお手伝いありがとうございます。それではさっそく開けてみてください」

 

「じゃあヒメ、これから開けてみたい!」

 

 

 中島さんから出たOKサインを聞いた僕たちは、まず縦長の箱を開け始めた。

 

 中身は傷がつかないよう丁寧に緩衝材に包まれている。

 包みを捲り、とうとうヒメとヒナが中の物を取り出した。

 

 

「すごーい!! マイクだ!!」

 

「しかもさヒメ、これちゃんとマイクスタンドまであるよ」

 

「おおー!!さっそくガッチンコしよ!」

 

 

 箱の中身は、マイクとマイクスタンドだったようだ。

 ヒメはマイクをスタンドに嵌め込み、部屋には1台のマイクスタンドセットが出来上がっていた。

 

 ヒメとヒナは目をキラキラとさせながらマイクの前に立つ。

 

 

「よーし!さっそくヒナ1曲歌いまーす」

 

「ヒメも歌うー!」

 

「「あ~~♪」」

 

 

 スピーカーに繋がっていないため、ただ二人の綺麗なユニゾンが聴こえるだけであった。

 

 二人はその後もめげずに新しいマイクで遊び始めていく。

 

 

「ショートコント『クリスマス』いや~田中さん。寒いとお夕飯を作るのが億劫ですなぁ」

 

「そうですねぇ鈴木さん。今日はクリスマスらしいけれど、何か作るのも一苦労ですわ」

 

「そうですわねぇ鈴木さん。いっそのこと前に冷凍してあった栗ご飯で済ませちゃおうかしら~」

 

「それはまた酷いわね田中さん。ん? 栗ご飯で済ます……栗で済ます……くりすます……」

 

「クリスマスー!」

 

「いぇーい!」

 

 

 どうやら今日もキレキレのようである。

 

 一通りマイクで遊び終わった僕たちは、当然の疑問である、この荷物達はどこからやって来たのかを中島さんに聞く。

 

 

「ええと、私の知り合いにミュージシャンがいましてね。この前惜しくも引退されてしまったそうでして、仕事で使っていた機材の置き場に困っていたそうなんです。そこで、私が無理を言ってお願いしたところ、その方の機材をお借りすることに成功したんですよ」

 

 

 そう言って中島さんは少し誇らしげに語った。

 

 他の箱にも、アンプ等の機材や防音グッズなど様々な音楽関連の道具が入っているらしい。

 

 

「ちょっとでも、三人のやりたいことを応援したいなと思いまして。三人とも、喜んでくれたでしょうか」

 

「勿論だよ! こんなにすごいの使って歌えるなんて、喜ばないわけないよ!」

 

「ありがとうね中島。私たちの音楽たっくさん聴かせてあげるね」

 

 

 ヒメとヒナに感謝され、中島さんは照れ臭そうに笑う。

 

 僕たち三人の夢は、中島さんの助力によって、思わぬ形で大きなスタートを切ることになりそうだ。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 時刻は夕方を過ぎ夜。

 

 すでに住宅街のあちらこちらで明かりが灯っており、その屋根の下では様々な夕御飯が並んでいることだろう。

 

 

 僕の提案で、今日は久しぶりに四人で食卓を囲むことになった。

 

 夕御飯は、ヒメとヒナに手伝ってもらいカレーを完成させた。

 最近は少しスパイスに凝っているためルーを使わずにカレーを作った。

 市販にはない僕たち特製のカレーとなっている。

 

 

「いただきま~す」

 

「いただきまーす。うぅ、辛そうな物を見るとこの前のトラウマが……」

 

「今回はそんなに辛く作ってないから、安心して食べて大丈夫だよ」

 

「カレーを食べるのも久しぶりですね。うん、とても美味しいです」

 

 

 その後、夕御飯を済ませ食器も協力して洗い終える。

 

 

 夕御飯の時間も終わって少し落ち着いた後、僕たちはテーブルを囲んでこれからどのように活動をしていくか作戦会議を開いていた。

 

 初めにヒメから話し始める。

 

「たくさんの人に見てほしいし、ドーンって盛り上がるようなスタートがいいなー」

 

「盛り上がるようなスタートかぁ……」

 

「無名な私たちが動画をいきなり上げて、見てくれるひとがいるかも難しいね」

 

「うーん、確かに」

 

 

 会議はなかなかに難航していた。

 どのように活動を始めればたくさんの人に見てもらえるのか、その案が出せずにいる。

 

 現代の動画投稿サイトには、多種多様な動画が溢れんばかりに今この瞬間も投稿されている。

 その中から無名の僕たちを見つけてもらうことはヒナの言う通り希望的観測ではないだろう。

 

 

 時間は刻々と過ぎていった。

 

 一度会議は中断するべきか、そう僕が言い出そうとした瞬間。

 先ほどまで机に突っ伏していたヒメが突然起き上がり、目を輝かせながら呟いた。

 

 

「路上ライブ、なんてどうかな?」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「路上ライブ、か」

 

「そうそう。小島くんはこの案どう思う?」

 

 

 新しい案が出た次の日。

 僕はいつもの屋上で小島くんと一緒にヒメの考えた案について話していた。

 

 

「あり、かもしれないな。最近だと、駅前でピアノを弾いたりパフォーマンスをして多くの人に撮影してもらい、SNSで共有、拡散してもらうことで有名になる例があるしな」

 

「なるほど、インターネットが普及してる現代だからこその作戦だね」

 

「それにしても、あのお二人が動画を上げたがってたなんて思いもしなかったな」

 

「小さい頃からの僕らの夢でね。高校生になってやっと実現できるようになったんだ」

 

「小さい頃から、ね……。本当に三人は幼なじみだったんだな」

 

「うん。……小島くん、まだ気にしてる?」

 

「あの二人とずっとお近づきになれてるお前が心底恨めしいが、まあヒオなら大丈夫だなって最近思ってたんだ。それに……」

 

「それに?」

 

「……いや、何でもない。それと、あんまり俺の前で顔を出すなよ。お前の顔はなんていうか……心臓に悪い」

 

「うえぇ……?」

 

 

 心臓に悪い、僕の顔はホラー映画か何かだろうか。

 やっぱり目元を隠す判断は間違っていないようである。

 

 

「路上ライブをするなら○○駅がいいだろうな。人の通りもそこそこ多いし、月に何回かパフォーマンスが行われてる。駅公認のライブ会場みたいになってるらしいな」

 

「○○駅だね。今度下見に行ってくるよ」

 

「それと、カメラマンはどうするつもりだ? 固定カメラでもいいが、色んな角度、観客の反応も見れた方が良いと思うぞ」

 

「そっか、撮影係も必要そうだね。どうしようかな……」

 

「……よければ俺がやろうか?撮影」

 

「……え、いいの?」

 

「お二人の勇姿と……まあヒオの頑張ってるところも撮りたいしな。カメラは任せてくれ、けっこう良いのを持ってるんだ」

 

「願ったり叶ったりだよ! ありがとう小島くん!」

 

「ああ、あの二人を撮るんだ。本気で取り組ませてもらうぜ」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 工務店内、防音室。

 

 

「おー!アンプからアコギの音出てる!」

 

「エレアコっていってね。大きな音が必要なライブにもってこいなんだ」

 

「ヒオのギター、見ないうちにどんどん上手くなっていくね」

 

「毎日やってるからね。多少は上達できてると嬉しいな」

 

「ギターOK、マイクOK、それじゃあ早速三人で通してみよ! こんな形で三人でやるの初めてだね!」

 

「それじゃあヒオ、前奏からお願~い」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

「ヒオ、例の駅でのライブの件だが、駅前のパフォーマンスはどうやら予約制で回ってるらしい。アポイントメントの取り付けは俺が仲介するから、三人で予定日を早めに決めておいてくれ」

 

「分かった、今夜中にはメールで伝えるよ。そういえば、親衛隊の人達は誘うの?」

 

「いや、内密にしておいた方が良いだろう。集まりすぎてもパニックになるだろうしな。それにあの二人なら道行くやつらを釘付けにして、すぐに観客で一杯になると思うぞ」

 

「百里ある」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「それじゃあユニット名は当初の計画通り『HIMEHINA』でいいね、二人とも」

 

「ヒオ名前に入らなくて本当にいいの?『HIMEHINAHIO』とかでもヒメは全然いいよ」

 

「語感が悪くなっちゃうし、僕なんかが名前に入るのも変だよ(二人の名前に並ぶなんてそんなおこがましい……)」

 

「う~ん、ヒオがそう言うなら……」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「○○駅、日曜、19:00決行...。早かったなぁ」

 

 

 ライブ前夜。

 自分の部屋で一人呟く。

 

 

 小島くんの協力も相まって準備はトントン拍子に進んでいき、ライブに向けて準備する日々は目まぐるしく過ぎていった。

 

 とうとう明日が決行日、ライブ本番である。

 

 

「路上ライブ、たくさん人いるよね……」

 

 

 本番のことを思う度、身体に染みるような緊張が襲う。

 息が詰まるような感覚とともに、お腹もキリリと痛む。

 

 緊張から逃げるように、僕はギターへ手を伸ばす。

 たくさんの人、二人の晴れ舞台、失敗は許されない、駆け巡る色んな思いが頭から離れないが、それでもギターを抱えた。

 

 

 ギターを弾こうとした瞬間。

 ベランダの窓からコンコンとこちらに呼びかけるような音がした。

 

 窓ガラスの奥にはヒメが立っており、開けてほしいとジェスチャーを必死にこちらへ送っていた。

 

 家が近くに隣接しているため、僕らはたまにベランダを行き来することがあるのだ。

 窓の鍵を開け、ヒメを部屋に迎え入れる。

 

 

「練習中だった? なんだかドキドキして眠れなくて、えへへ」

 

「僕と同じだね。緊張してたら自然とギターを手に持ってたよ」

 

「おお~ギタリストっぽい!」

 

 

 ヒメに不安を悟られないようにできるだけ明るく振舞う。

 

 二人でベッドに腰かけながら、彼女は明日のことについて楽しそうに話し、僕は相槌を打つ。

 彼女の楽しそうな顔を見ていると、先ほどの思いが更に重くのしかかってくるような気持ちになった。

 

 

「ねえヒオ、寝る前に何か一曲お願いしてもいい? ヒオのギター聞いてるとヒメ落ち着くんだ」

 

「……うん、いいよ。それじゃあ静か目な曲にしようか」

 

 

 さっそく弾こうと弦に触れようとする。

 

 けれども、僕の手は震えてしまい上手く指をかけられずにいた。

 

 

「……ヒオ?」

 

 

 ヒメが不思議そうにこちらを見つめる。

 

 なぜか、指が上手く動いてくれない。まるで自分の手じゃないようだ。

 必死に必死に動かそうとするが、僕の手はただ震えるだけだった。

 

 頼む、動いてくれ。どうして動いてくれないんだ。

 いくら言葉を重ねても、言葉にならない焦燥が頭の中でぎりぎりと軋み回る。僕は思い通りに動かない手をとても恨めしく思った。

 

 

 そんな時、僕の手を白く綺麗な手が包んだ。

 

 

「……ヒメ……?」

 

「ヒオの手、震えてる……」

 

 

 ヒメは僕の手を握りながら、吸い込まれそうな瞳でこちらを見据える。

 

 

「ねえヒオ、一人で悩まないで。こんな冷たくて、震えてる手をしたヒオなんて見たくないよ」

 

「違う、違うよ。本当に、ちょっと緊張してるだけだなんだ」

 

「……」

 

「……駄目だなぁ……僕の手は……。ちょっとの緊張で動かなくなるなんて、駄目駄目だ」

 

 

 なんで、僕はヒメのことをこんなに心配させてるんだろう。

 自虐的な言葉がポロポロと溢れていく。

 

 本当に僕はどうしようもない人間だ。

 あれだけ練習してきたくせに、いざというときに何もできない。

 ギターも録に弾けない僕の手なんか、何の価値もない。

 止めどない思いが濁流のように押し寄せ、僕の心を苛む。

 

 

 自己嫌悪に陥っていると、ヒメが僕の手を強く握った。

 

 

「ヒメは、ヒオの手好きだよ。すべすべして、所々少し硬くって、温かくて、安心する手」

 

 

 ヒメは優しい目をしながら、語り掛けるように話し始めた。

 

 

「今はこんなに冷たくなってるけど、大丈夫。ヒオの努力は緊張なんかに負けない。ヒメが絶対、絶対保証する。それでも自信が出なかったら、ヒメに任せて。こうやってギューッと握って、温めてあげるから」

 

 

 木漏れ日が差すように、少しずつ温かくなっていく僕の手。

 

 さっきまで震えていたとは思えないほど、僕の手は力強く熱を持っていた。

 

 

「……ヒメ」

 

「なあに……? ヒオ」

 

「……ありがとう」

 

「うん、どういたしまして」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 それから数分後。

 

 気持ちが落ち着いてからもヒメは僕の手をずっと握ったままだった。

 

 

「……ヒメ、もう大丈夫だから。そろそろ手を離してもいいよ」

 

「……あっ。そ、そうだね!」

 

 

思い出したように、少し赤面しながら僕の手をパッと放す。

 

それにしても、ヒメの手は白くほっそりしていて、この世の汚さに触れたことがないほどにきめ細かく綺麗だった。

 僕この手もう二度と洗いません。

 

 握手会後のオタクのような考えに至っていると、ヒメが先ほどやって来たベランダに誰かがいることに気づく。

 

 

「ヒメ~ヒオ~。何やってるの~?」

 

 

 そこには、こちらをニヤニヤしながら覗いていたヒナが立っていた。

 

 部屋に入って来たヒナに、焦るようにヒメが説明を始める。

 

 

「ヒナ!? え、えーとこれはね……そう、手相占いしてたんだ! ヒオの生命線がね、100歳くらいまで長生きできるってなってて……」

 

「そうだったの? じゃあヒナのも見てみて~」

 

「もちろん! ふむふむ、これはですねぇ……ヒナちゃんも100歳くらいまで長生きできるって感じだよ!」

 

「なんだか大雑把だな~」

 

「ははは……」

 

 二人のやりとりに思わず笑みが零れる。

 

 やっぱり、ヒメとヒナを見ていると元気がもらえるなぁ。

 

 

 脇に置いておいたギターを再び持ち、身体の前に構える。うん、今なら弾けそうだ。

 

 

「それじゃあ気を取り直して。落ち着く曲、聴いて行ってよ」

 

 

ギターを少し鳴らして、二人に呼びかける。

 

 

「待ってました! ヒメあれ聴きたい! この前ヒオが練習してたやつ、アニメのEDの……」

 

「あれいいよね~。ヒナはいつでもEDの脳内再生余裕だよ」

 

「ははは。任せて、しっかり練習してあるよ」

 

 

 僕の中に一本の芯が通った気がする。

 

 どんな硬いギターの弦よりも、強い一本の芯が。

 



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僕たちの始まり

 PM:18:59

 ○○駅前では、今日も多くのひとが行き交っている。

 

 待ち合わせであちこちに立っているひと。文庫本を読んだり、道行く人を眺めたり、待ち合わせの相手を発見して駆け寄ったりしている。

 

 

 いつも通りの喧騒を見せる駅前であるが、今日はどこか違った様子も見せている。

 

 ○○駅前に位置する広場では、数人ほどの人々が輪を作り少女達を囲んでいた。

 

 

「……それでは、聴いて下さい」

 

 

 少女達を中心に響いていく音は、やがて駅前を行き交う人々の足を少しずつ止めていった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「よーし、今日はライブ当日!気合い入れて頑張ろうー!!」

 

「「おー!!」」

 

 

 ヒメのかけ声に合わせ、僕とヒナも声を挙げる。

 

 

 今日は待ちに待ったライブ当日。

 

 天気は絶好のライブ日和。僕らの門出を祝うように、雲一つない空には燦々と太陽が照らしている。

 

 

 ライブ予定地への機材の運搬は、電車では大きな荷物が邪魔となってしまうため中島さんの運転する車でとなった。

 また、今回カメラマンを努めてくれる小島くんとは駅で合流する予定となっている。

 段取り等も完璧である。

 

 そして僕たちはこれから、実際に本番と同じ衣装を着た最後のリハを始めるところである。

 

 ライブということで、ヒメとヒナはいつもより気合を入れてオシャレをしてきている。

 ヒメはポップなパーカーにミニスカートでポップス、ヒナはシャツの上にジャケットを羽織りタイトなズボンで少しパンクな印象を与える衣装となっている。

 

 二人とも持ち前のセンスで、同い年とは思えないほどに衣装を着こなしていた。

 う~む、カッコいいし可愛いし二人は無敵なんだよなぁ(世界の理)いつも通り二人の素晴らしさに僕は舌を巻く。

 

 僕はというと服のセンスも良くなく脇役であるため、いつもと同じ地味な衣装でライブに臨もうとしていた。

 

 

「二人とも衣装良く似合ってるね。それじゃあさっそく最後のリハ、始めようか。二人とも準備はいい?」

 

「ヒメたちは大丈夫だけど……」

 

「ヒオにはもう少し準備が必要そうかな~?」

 

「え?」

 

 

 二人は僕を追い詰めるように、ジリジリとこちらへ近づいてきた。

 ふ、二人とも……?

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 様々な機材が積まれた車が音を立て揺れる。

 

 僕たちは今、中島さんの運転で現地へと向かっていた。僕は助手席に座りながら、後部座席で話す二人の会話を聞く。

 

 

「う~。なんかヒメ、凄い緊張してきちゃった。ヒナ~どうしよう~」

 

「もう、ヒメなら大丈夫だってさっきから言ってるでしょ」

 

「けど~、皆に見てもらえるか不安だよ……」

 

「ヒメは心配性だなぁ。安心して、今日のヒメ最高に可愛いよ。ヒナが保証してあげる」

 

「……ヒナー!」

 

 

 そう言うと、ヒメはヒナに向かって勢いよく抱きついた。

 

 ああ^~いいっすねぇ~

 僕はその光景をまるで犯罪者のようにルームミラーで観賞し、一人でてぇてぇに浸っていた。

 当然ながらお見せできないほど顔が緩んでいる。

 

 

 そうこうしている内に、車は小島くんとの合流地点である駅駐車場に到着した。

 

 車から降り、車の後部スペースに積んだ機材を下ろす。アンプなどの重い荷物は中島さんと僕が中心的に運ぶつもりだ。

 

 機材を慎重に下ろしていると、待ち人である小島くんが顔を見せた。

 カメラなどが入っているであろう、少し重そうなバッグを肩に提げている。

 

 気づいた中島さんが小島くんに話しかける。

 

 

「こんにちは。君が小島くんだね、中島と申します。ヒメ達から話は伺ってます。これまでも色々お世話になっているようですね。今日も三人をよろしくお願いします」

 

「いえいえ。こちらこそ三人に仲良くさせてもらっている身でして、ライブの方も、私が一番見たくて協力しているようなものですので……」

 

「本当に今日はよろしくお願いいたします」

 

「いえいえこちらこそ……」

 

 

 二人はお互いに頭を下げ合いながら話す。

 丁寧で腰の低い二人の会話はまるで社会人の交渉のようであった。

 

 中島さんと小島くんの挨拶が一段落したので、僕らも混ざるように小島くんに話しかける。

 ヒメとヒナと話すことにまだ慣れていないのか、ガチガチになりながら挨拶をこちらに返した。

 

 小島くんがふと、僕の方を見る。

 見てはいけないものを見たかのようにゆっくりと視線を反らし、ヒメとヒナに再び話しかけた。

 

 

「田中さんも鈴木さんもいつも見るのが制服なので、なんだか新鮮です。とても撮影し甲斐がありますね」

 

「ありがとう! ヒメたちのライブ期待しててね」

 

「今日はよろしくね~。そういえば小島くん、ヒオもオシャレしてきたんだけど、どう? どう?」

 

 

 そう言ってヒナは、僕を小島くんに見せるように誘導する。

 

 す、鈴木ィ……。

 せっかく小島くんが僕を見て見ぬふりをしていたのに……まさかのヒナ選手からキラーパスである。

 

 今日の僕は、片側オフショルダーのシャツと足が大胆に出たショートパンツという、おおよそ男子が着ていたら正気を疑うような恰好をしていた。

 長い前髪は横に流し、反サイドの髪は耳にかけ藍色の華が象ってあるヘアピンが留められている。ご丁寧に少しメイクもしている。

 

 小島くんは受け入れがたい現実に直面しているような面持ちで、ようやく僕に話しかけた。

 

 

「ヒオ……お前……その格好……」

 

 

 待ってほしい。これは誤解、誤解なんだ!

 これも全部、そこでなぜか誇らし気にしている田中と鈴木って奴らのせいなんだ!

 

 あ…ありのまま今日起こった事を話すぜ!

「おれは、二人の前でボーっとしていたら、いつのまにか女装していた」

 な…何を言っているのか分からねーと思うが 

 おれも何をされたのか分からなかった…

 

 嘘です。ただ楽しそうに僕をおもちゃにする二人に抵抗できず、甘んじて女装を受け入れました。

 頭がおかしいのはどう見ても僕です本当にありがとうございました。

 

 

「ヒオは華奢だし、素材も良いからメイクのし甲斐があったよ!」

 

「そうそう、つい気合い入っちゃった」

 

「いや、俺はまあその、似合ってると思うぞ(こいつ本当に男なのか……?)」

 

 

 ヴッ、小島くんの優しいフォローが痛い。

 

 ええい、この際四の五言ってられるか。

 今回のライブの主役はヒメとヒナなんだ。

 

 陰の薄さが売りの僕がこんな格好したところで、きっと目立つはずがない。

 僕は演奏の方に専念するだけである、格好なんて二の次だ。

 言い聞かせるように自分を説得し、なんとかメンタルを持ち直す。

 謎のダメージ負うこととなった小島くんとの合流を終え、機材を目的地である駅前の広場へ運ぶ。

 とてもではないが台車がないと運べない物ばかりなので、しっかりと準備をしてきていて良かったと安堵する。

 

 

 広場に到着し、早速機材の準備に取り掛かる。

 

 充電式のケーブルをアンプに繋ぎ、シールドを差し込んで音の調整等をし始める。

 少し二人の様子が気になったので目を向けると、ヒメとヒナはマイクの高さを調整し、軽く声出しまで始めていた。

 

 テキパキと準備を進めていると、アンプの響く音が気になったのか。

 既に少数の人々がこちらを期待するように見ていた。

 

 

 そしてようやく、ライブの準備が全て完了した。

 

 機材、楽器は問題なし。二人の調子も良し。

 昨日はあんなだった僕の手も、今なら何でも弾きこなせるかのようにウズウズしている。

 

 僕らはもう一度集まり、最後のミーティングを始める。まず始めにヒメが切り出した。

 

 

「……ヒナ、ヒオ、今日まで一緒にいてくれてありがとう。ヒメ、二人と頑張ってこれて良かったよ」

 

「ふふふ。ヒメのそれ、なんだか死亡フラグみたいだね」

 

「あーもうヒナちゃん! 今すごいマジメな雰囲気だったのに!」

 

「ごめんごめん。ちょっとは緊張がほぐれるかなって思って」

 

「ははは。二人はいつも通りだね、本当に心強いよ。ヒナの言うとおり、今日はいつも通りの僕らでいこう。きっとそれで上手くいくよ」

 

「うん、そうだね……!」

 

「いつも通りの、私たち……!」

 

 

 すっと、ヒメが僕らの方へ手を出す。

 

 

「えへへ、こういうのやってみたかったんだ」

 

「そういえばヒナも、円陣なんてスポーツアニメでしか見たことなかったなぁ」

 

 

 ヒメ、ヒナ、僕と手を重ねていく。

 

 少しだけ震える手の感覚が伝播していく。

 三人の鼓動が、一つになっていくようである。

 

 

「絶対、成功させようね」

 

「「「おー!!」」」

 

 

 円陣を終えると、僕はギターを構えて、ヒメとヒナはマイクの前に立つ。

 

 前を向くと、先ほどよりも観客が少しだけ増えているように感じた。

 

 大勢を前にして少し身じろぐ。しかし、観客の目は皆二人のほうに向いているようだった。

「あの子達、凄い可愛くない?」「アイドルのライブでもやるのかな」などといった二人への感想がちらほら聞こえてくる。

 

 よかった。二人のおかげで僕は目立たずに済みそうだ。

 

 

 僕の方に目が来ていない事実に安堵していると、先陣を切るようにヒメがマイクに向かって元気良くMCをし始める。

 

 

「皆さんこんばんはー!私たち、『HIMEHINA』です!」

 

「初めてのライブでちょっぴり緊張しますが、皆に楽しんでもらえるような音を届けたいと思います」

 

「それでは、聴いてください」

 

 

 二人の流れるような明るいMCで、観客側から盛り上がる声が上がる。掴みはバッチリのようだ。

 

 ヒメとヒナが僕に目配せをする。返すように僕もニヤリと笑い、それぞれがマイクと楽器に向かい合った。

 

 

 一曲目。

 練習通りにタイミングを合わせ、僕のギター、二人の声を重ねる。

 

 練習通り、調和の取れた美しい音が広がっていき、耳を心地よく揺らすような音色が通り抜けていく。

 

「すごい……」

 

 

 誰かの口から、ポツリと感嘆が溢れた。

 

 彼女達の歌声はその場にいた人々の心に深く染み込んでいき、忘れることのできない一夜になったのであった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 僕はどこにでもいるような普通のサラリーマン。

 今日は珍しく仕事が早く終わり、早く帰ろうと駅を歩いていた。

 

 ふと駅前の広場を見ると、数人の人だかりができていることが分かる。

 あまり僕は見たことがないが、この広場ではたまに素人のパフォーマンスが行われていたりするらしい。

 この広場から有名になったバンドがいるなんて噂も聞いたことがある。

 

 少しだけ気になり広場へ向かうと、三人の美少女がいるのがそこには立っていた。

 なるほど、新人アイドルのライブなのか。

 

 背丈からして恐らく高校生くらいだろうか。テレビで見かけるようなアイドルにひけをとらない容姿であり、芸能人かと思うようなオーラも感じた。

 これは楽しみだと観客に交じる。

 

 三人が円陣を組んでいるのを見て青春だなぁと感慨深くなっていると、ピンク色の髪の少女が元気良く挨拶を始めた。

 

 

「皆さん、こんばんはー!」

 

 

 その子の挨拶に合わせて、僕の周りの観客が声を上げる。

 観客は皆ノリが良く、男性客に限らず女性客も喜ぶようにレスポンスを返していた。

 

「それでは、聴いてください」

 

 

 さて、どんな曲なんだろう。

 先ほど通り彼女達が新人アイドルだと考えるとすれば、あまりアイドルの曲は知らないが明るくポップな曲なのであろう。

 

 ノリの良い観客に合わせるために鞄を置き、僕も手拍子の準備をする。

 

 

 しかし、先ほどまでの楽しそうな少女達の雰囲気がガラリと変わったように感じた。

 

 憂いを帯びたような表情を浮かべ、思わずドキッとする。

 さっきまでの楽しそうな二人とは別人のようである。

 

 静かなギターの音から曲は始まり、それに乗っかるように二人の歌声が重なっていく。

 

 彼女たちの三つの音は、すべてを掌握するように観客を飲み込んでいった。

 

 

 衝撃であった。

 

 まるで何かを訴えるかのように綺麗で透き通った歌声が僕の五感を揺さぶる。

 

 

「すごい……」

 

 

 思わず口から言葉が出てしまう。

 手拍子の準備をしていた僕の手は行き場を失っていた。

 

 気づけば、盛り上がっていた観客達は皆静かになり、ただ彼女たちの歌声に耳を傾けていた。

 

 

 たまたま立ち寄っただけのそのライブは、僕にとって忘れられない思い出になりそうだった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 ギターのアウトロが流れ、全ての曲が終わった。

 

 

 全部で3曲を演奏し、初めてで緊張したせいか三人とも肩で息をしていた。

 

 ギターの演奏に集中させていた意識がようやく戻ってくる。

 気づけば開始前よりも倍はありそうな数の観客が集まっていた。

 

 ヒメとヒナを見ると、全てを出し切ったように満ち満ちた顔をしている。

 

 それから三人ともお互いに顔を見合った後、ヒメとヒナは前を向き、マイクに向かい合う。

 

 

「「ありがとうございました」」

 

 

 誰かが手を叩き始め、それが広場中に広がっていき、割れるような拍手が僕らを襲った。

 

 その拍手の大きさを聴いて、ようやく僕らはライブを成功させたことに気づけた。

 

 感動に浸っていると、ヒメが思い出したように最後のMCを始める。

 

 

「改めて、私たち『HIMEHINA』って言います! 今日は私たちの歌を聴いてくれてありがとうございました!」

 

「今日は、私たちのことを皆に知ってほしくてここでライブをさせてもらいました!」

 

「ぜひ! 応援よろしくお願いします!」

 

 

 二人のお辞儀と共に、また溢れんばかりの拍手が鳴る。

 

 拍手が落ち着くと、次に観客達は携帯を取り出し、僕らの脇に置いてある大きなQRコードが書かれたフリップにカメラをかざしていく。

 そのフリップは今日のためにと小島くんが作ってきてくれたものであり、読み込むと僕らの動画投稿サイトや公式SNSのアカウントが表示される仕組みである。実はライブの始めから置いておいたのだ。

 

 集まってくれたお客さん達を一望していると、観客の中に交じる小島くんを発見する。

 彼は顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、しっかりとその手にカメラを持っていた。

 

 

 予定よりも長引いてしまったため、急いで楽器や機材を片付ける。

 

 全てを出しきったせいで少しヘロヘロだが、あまり大勢の人だかりができたままだと迷惑になってしまうため、小島くんの手伝いもあり速やかに後片付けを済ませた。

 その場から逃げるように、僕らは来たときと同じ駐車場に向かう。駐車場に着くと、中島さんがこちらに手を振りながら僕らを出迎えてくれた。打ち上げは帰ってからやりましょうと言われ、車に荷物を詰め込んでいく。

 

 荷物を全て積み終え一息つくと、小島くんが僕に話しかける。

 

 

「ヒオ、お疲れさま。良い演奏だった」

 

「そう言ってもらえて嬉しいよ。小島くんも今日までの準備たくさん手伝ってくれてありがとう」

 

「ヒオ達の助けになれたなら何よりだ。本当に三人とも凄かったと思うぞ。撮影した動画は後日そっちに送るから、編集の要望とかあればまた何か言ってくれ」

 

「へ、編集までできるんですか……?」

 

 

 僕の友達、何でも出来すぎじゃない?

 

 小島くんと別れの挨拶をした僕らは、中島さんの車で田中工務店へと帰った。

 帰りの車に揺られながら、僕らは言葉に出来ないほどの感動を噛み締めていた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 時計の針は刻々と回り、二本の針が重なり合う。

 

 ライブが終わった後、僕らは田中工務店で小さな打ち上げを開いた。

 

 お互いに今日のことを振り返り、たくさんの人が見てくれた喜びをジュースやコーラ片手に分かち合った。ライブの後も高揚した気持ちは抑えられず、打ち上げは夜中まで続いたが、さすがにこの時間帯には脱落者が現れた。

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

 

 ヒメは赤ん坊のように無邪気な顔で、小さな寝息を立てている。

 

 ソファーで横たわるヒメに、ヒナがそっと毛布をかける。

 打ち上げでも一番盛り上がっていたヒメは、糸が切れたように始めに眠っていた。

 

 中島さんも明日には仕事があるらしく、先ほど寝室に向かった。

 

 

 まだまだ起きている僕とヒナは、幸せそうに寝ている彼女をを起こさないようにそっと片づけを済ませ、綺麗になったテーブルについた。

 

 僕は砂糖を少し入れ温めたホットミルクを作り、ヒナに渡す。

 

 

「ありがとうヒオ」

 

「まだ少し熱いから、火傷しないようにね」

 

 

 再び、部屋に静かな時間が流れる。

 部屋に掛けられた時計の秒針が聞こえてきそうだ。

 

 ヒナはテーブルに置かれた温かいマグカップを両手に持ち、白い水面をうっすらと見つめている。

 

 

 何かを切り出すように、彼女はその口を開けた。

 

 

「今日のライブ、よかったね」

 

「うん、本当によかった」

 

「ヒメもヒオも、すごかった」

 

「もちろんヒナもね。とてもカッコよかったよ」

 

「……」

 

 

 ヒナは見つめていたマグカップをそっと口に運ぶ。

 

 一息ついてから、ヒナは再び口を開いた。

 

 

「けどね、私。けっこうミスしちゃってたんだ」

 

 

 そう言ってヒナはまた目線を下に落とす。

 うつむきながら、悲しさとも怒りとも取れない混ざったような顔を浮かべていた。

 

「あそこの歌詞、あそこのハモリ、音程……。ヒメもヒオも練習通り、ううん、練習以上にすごかったのに……ヒナは、練習通りにもできなかった……」

 

「ヒナ……」

 

 

 彼女は何かにすがるように、テーブルの上のマグカップを両手で握った。

 

 

 僕はそんなヒナを見て、少し考える。

 

 彼女の言ったことは、半分正解で半分間違いだ。

 たしかにヒナは少しミスをしていたかもしれないが、それは僕もヒメも同じである。

僕もたまにギターを走らせてしまっていたし、後ろから聞いていて、ヒメも多少のミスをしていた。

 

 言葉に芯を持たせるように、僕は彼女に言い聞かせる。

 

 

「ヒナだけじゃないよ。ヒメも僕も、今日のライブはみんな反省するところはたくさんあった」

 

「……」

 

「だから、今日のライブは忘れられないし、忘れちゃいけない。僕たちはまだまだ始まったばっかりだ。ここからまた、僕たちは頑張らなくちゃいけないんだ」

 

「けどヒナ、二人と一緒に頑張れるかな……。二人に置いてかれちゃったりしないかな……」

 

 

 自信なくヒナが答える。

 その姿は、どこか昨日の僕と重なって見えた。

 

 

「そんなの、関係ないよ」

 

「……!」

 

 

 僕はヒナの手に被せるように、自分の手をまわす。

 

 

「ヒナが自信なくたって、そんなの関係ない。僕とヒメが、どこまでだってヒナの手を引っ張っていくよ。僕たちは、いつだって三人一緒だ。絶対にヒナのことを置いて行ったりなんかしない」

 

「ヒオ……」

 

「それに、僕やヒメだってきっとこれから躓くことが何度もあると思う。そんな時はヒナが、僕らを引っ張っていってほしいんだ」

 

 

 昨夜ヒメに言われたことを思い出す。

 

 僕がダメなときに助けてくれると言ってくれたヒメ。彼女のおかげで、僕は人にたくさん見られるライブに挑戦することができた。

 だから僕は、僕を助けてくれる人たちが困っていたら助けてあげたい。

 そう、心に誓ったんだ。

 

 

 少し潤んだ彼女の瞳を真っすぐに見つめ、ヒナの手をさっきよりも強く握る。

 

 僕の言葉を聞いたヒナは、少しだけ口に弧を描き、返すようにこちらに目を合わせる。

 

 

「ありがとう、ヒオ」

 

 

 彼女は花が咲くように、思わず見とれてしまうほどの笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 時計の針は更に進み、深夜とも呼べる時間になった。

 

 ゆっくりと湯気を立ち昇らせていたミルクは、いつの間にか冷たくなっている。

 冷たくなったカップが、流れた時間の長さを教えていた。

 

 

「ミルク、冷めちゃったね」

 

「うん、ごめんね。せっかくヒオが入れてくれたのに……」

 

「ははは、大丈夫」

 

 

 僕は立ち上がり、ヒナの冷めたカップを持つ。

 

 

「僕がまた、温めてあげるから」

 

 

 冷めてしまったミルクを温めるため、僕はキッチンへと向かった。

 



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「HIMEHINAって知ってる?」

【新人】おすすめの歌い手紹介スレ318【歓迎】

 

 

 

73:名無しの民

≫70

歌上手いけど…って感じだったかなあ

 

74:名無しの民

最近よくいるタイプの歌い手だったかも

言っちゃ悪いけど没個性というか

 

75:名無しの民

まあ…そうそう持ち味もあって上手いやつなんていないっしょ

 

76:名無しの民

それもそうよね

ネットのおかげで歌い手の発掘される機会は増えたけど、上手い人が見つけやすくなったかは別問題だしね

 

77:名無しの民

仕事もあるし俺はもう寝ます

 

78:名無しの民

( ˘ω˘ )スヤァ…

 

79:名無しの民

( ˘ω˘)スヤァ...

 

80:名無しの民

おすすめしたい人がいるんだけど

HIMEHINAって知ってる? 

 

81:名無しの民

(。゚ω゚) ハッ!

 

82:名無しの民

(。゚ω゚) ハッ!

 

83:名無しの民

≫80

おっおすすめ来たな

URLあれば貼ってほしい

 

84:名無しの民

≫80

初めて聞く名前だね

新人枠?

 

:名無しの民

≫83

url貼り忘れててごめん↓

http://www○○△△…

≫84デビューしたのは一昨日らしい

SNSで回ってきたんだけど是非おすすめしたい

聞いたときはマジで鳥肌立った

 

85:名無しの民

読み方はヒメヒナ?

 

86:名無しの民

≫85「鳥肌立った」

ハードルを上げていくスタイルw

 

87:名無しの民

どこかで見たことある名前だと思ってたら少しバズってたやつね

歌い手の名前だったのか

 

88:名無しの民

≫87

詳しくは分からないんだけど、踊ってみたも上げるらしいから歌い手だけの活動ではないっぽい

 

89:名無しの民

歌って踊れる系目指してるのかな

とりま動画見てくるわ

 

 

・・・

 

 

92:名無しの民

 

 

93:名無しの民

 

 

94:名無しの民

 

 

95:名無しの民

やばいな

 

96:名無しの民

え すごくね?

 

97:名無しの民

鳥肌たった

 

98:名無しの民

これは"ガチ"

 

99:名無しの民

クオリティ高いなおい

 

100:名無しの民

一瞬意識飛んだわ

 

101:名無しの民

俺も語彙力飛んだ

 

102:名無しの民

( ゚д゚)ポカーン

 

103:名無しの民

うっま 生歌でこれはやるな

  

104:名無しの民

ハモりがくっそ綺麗

 

105:名無しの民

てかボーカル可愛くね?

カメラさんもっと近寄って

 

106:名無しの民

ほんそれ一瞬アイドルかと思った

 

107:名無しの民

その辺のアイドルより可愛くないか?w

 

108:名無しの民

野外なのによう声出てるわ

声量すごE

 

109:名無しの民

これが逸材ってやつか…

動画見てて感動した

 

110:名無しの民

やべえw鳥肌もんだわwww

 

111:名無しの民

可愛い。

 

112:名無しの民

美しい。

 

113:名無しの民

≫111、112

分かるマーン!

 

114:名無しの民

学生っぽいけど表現力あるな

あと何気にギターもしっかり上手い

 

115:名無しの民

見たけど確かにクオリティ高いな

ビジュアル、歌唱力も高レベル

画面越しだけど一気に引き込まれた

 

116:名無しの民

もう一回見てきます

 

117:名無しの民

スレ民べた褒めで草

確かに良い声で歌うわこの子達

 

118:名無しの民

こんなやつらがこの前まで無名だったのか…

 

119:名無しの民

才能ってやっぱり埋もれてるもんなんだな

 

120:名無しの民

これは現地で立ち見したかったなあ

 

121:名無しの民

現地民ノリ良いな 特に男

 

122:名無しの民

○○駅でライブやってたんか

一昨日通ったけどライブ見ればよかったンゴ…

 

123:名無しの民

≫122

涙拭けよ

 

124:名無しの民

(´・ω・`)ショボーン 

 

125:名無しの民

○○駅の広場っぽいな

ちくせう 俺も見に行ければ…

 

126:名無しの民

現地視聴ワイ、高みの見物。

 

127:名無しの民

≫126

処す

 

128:名無しの民

≫126

は?

 

129:名無しの民

≫126

お前は

存在してはいけない生き物だ

 

130:名無しの民

≫126

お前の住所にデリバリーでピザ10人前頼んどいたわ

着払いな

 

131:名無しの民

ほんのり住所特定怖すぎる

 

132:名無しの民

フルボッコだドン!

 

133:名無しの民

ギターの子も地味に上手いな

若いのに安定して弾けてるわ

 

134:名無しの民

こんな可愛い女の子にギター負けてワイ涙目ですよ…

 

135:名無しの民

ギターっ娘ボーイッシュな感じですこ

もろタイプです

 

136:名無しの民

ボーカルの二人もマジで可愛いな

俺はピンク髪の子好み

 

137:名無しの民

金髪の子いっぱいちゅき

色気しゅごい

 

138:名無しの民

どっちも好きです(鋼の意思)

 

139:名無しの民

歌も良い…

顔も良い…

無敵か?

 

140:名無しの民

早く次の動画見てみたいな

これからの活動に期待だわ

 

141:名無しの民

チャンネル登録してきました

 

142:名無しの民

SNSフォローしてきました

 

143:名無しの民

≫142

早くて草

俺もしてくる

 

144:名無しの民

自分ガチ恋いいすか?

 

145:名無しの民

マジで良い物見れた

今日はよく眠れそう

 

146:名無しの民

俺は興奮で眠れないや…

 

147:名無しの民

≫146

チュッ(おやすみのキス)

 

148:名無しの民

≫147

ファッ!?ウーン…(心停止)

 

149:名無しの民

≫148

し、死んでる…

 

150:名無しの民

「HIMEHINA」名前覚えたわ

これから応援していこうかな

 

151:名無しの民

今から推せば古参面もできるな

 

152:名無しの民

これから動画投稿していくみたいだし今後に期待だね

有名になるのも時間の問題だ

 

153:名無しの民

乗るしかない、このビッグウェーブに

 

154:名無しの民

初めて見たけどなんか元気もらえたわ

明日の仕事もがんばれそう

 

155:名無しの民

分かりみ深い

 

156:名無しの民

SNSで拡散してくるわ

こんな逸材が埋もれるのは勿体なさすぎる

 

157:名無しの民

HIMEHINA、流行れ流行れ…

 

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「ヴっ、また痛みが…」

 

 

 腹部に走る、引き絞られるような痛み。

 僕はそれをベッドの上で必死に耐える。

 

 今朝に比べれば痛みは治まってきたほうだが、とても楽とは言えない状態である。

 少なくとも、まだまだ安静にすべきようだ。

 

 痛みが引くことを祈るようにそっとお腹をさする。

 

 

 ヒメとヒナ、僕ら三人で行った路上ライブの翌日。

 

 僕は布団にくるまりながら腹痛に悩まされていた。

 

 件のライブは数十人のお客さんに見てもらうことができ、大成功と言っても良い結果となった。

 しかし、僕の身体は大勢の人間の前に立つという状況にかなりの負荷がかかっていたらしい。

 

 ライブの次の日の朝、ベッドから立ち上がると多少の眩暈と腹痛を感じた。

 昨日の疲れが残っているのかなと気怠い体に鞭を打ち、気にも留めずいつものようにお弁当を作っていると、先ほど感じていた不調がよりひどくなっていった。

 

 続いて吐き気も感じるようになってしまい、思わず床にへたり込んでしまう。

 視界もやたらとくらつく。お腹がキリキリと痛み、気づけば僕は立つことが難しいほどの絶不調に苛まれていた。

 

 しばらくして、床と熱いキスを交わしている僕をヒメとヒナが発見した。

 

 

「おっはよー! ……ってヒオ!? 大丈夫!?」

 

「ヒオ返事できそう? どこか痛いの?」

 

「うーん……ヒメ……ヒナ?」

 

「しっかりしてヒオ! ヒメ、中島呼んでくる!」

 

「分かった! ヒナはえーと、そうだ、AED取ってくる! そこで待ってて!」

 

「(ヒナ……それおはじきちゃう、電気ショックや。そして今使われたら僕は死ぬ……確実に……)」

 

 

 二人の発見により僕はそのまま病院に直行、一通り診てもらうこととなった。

 

 お医者さんからは、恐らくストレス性の胃腸炎だと聞かされた。

 診断後、心配をかけてしまった二人と中島さんにスライディング土下座を決め、僕はお家で安静を取る形となった。

 

 これが事の顛末である。

 

 改めて、僕の貧弱さが身に染みて理解してしまった。

 もしも僕が有名アーティストのように数百人の前に立とうものなら、その場でショック死してしまうのではないだろうか。うーんあり得る。

 

 いつものように自分の情けなさに辟易していると、コンコンと部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 

 返事をすると、ヒメとヒナが、続いて小島くんが顔を見せた。

 その手にはコンビニ袋が下がっている。

 

 

「お見舞いに来たよ~調子はどう?」

 

「今朝よりは、顔色も良くなったね。あ、起きないでそのまま寝てていいからね」

 

「ったくお前は心配かけやがって……。ゼリーとか軽く食べられそうなもの買ってきたけど腹は空いてるか?」

 

「み、みんなぁ……(感涙)」

 

 

 温かいみんなの優しさに思わず涙をグッと堪える。

 

 体調が楽になってきたことを伝え、フレンド・オブ・ザ・ハート(心の友)が持ってきてくれたお見舞いの品のお礼を言う。

 

 

 お見舞いの袋の中を見てみる。

 スポーツドリンクやゼリー、肉まんとコーラなど……一目で誰が選んだか分かるチョイスである。

 

 

「もしもお腹空いてるなら、ヒナがおかゆでも作ろうか?」

 

 

 端から見たら奇妙な品ぞろえの袋を覗いていると、ヒナからそんな提案を受けた。

 

 自分のお腹をさすると、朝から何も食べていなかったためか少し空腹感を感じる。

 

 ここはありがたく、ヒナの優しさに甘えるとしよう。

 推しの手料理、良い響きだ。

 

 

「それじゃあお言葉に甘えてお願いしようかな。ヒナ、作り方は大丈夫?」

 

「うん!たぶん大丈夫。ヒナに任せて」

 

 

 そう言うとヒナは自信ありげに鼻をふんすと鳴らした。かわいい。

 

 しかしながら少し不安に思う気持ちもある。

 

 得意料理は何かと聞かれたら真っ先に「カップラーメン!」と答えるのが鈴木ヒナという女である。

 僕やヒメのお手伝いをすることは何度もあったが、果たして自分一人でできるのだろうか。ヒオママは不安よ……。

 

 

「前に一回作ったことあるから大丈夫だよ~。その時はなぜか甘いおかゆになっちゃったけど……」

 

 

 ヒナ…それ塩ちゃう、砂糖や(デジャヴ)

 やっぱりちょっとだけ不安なので、ヒメに手伝ってもらうよう頼んだ。

 

 

 部屋から出ていく二人に手を振り、料理成功の健闘を祈った。

 

 パタンと扉は締まり、部屋には僕と小島くんの二人だけとなった。部屋に残った小島くんの方を見ると、なにやら小さい声で何かを呟いている様子である。

 

 

「田中さんと鈴木さんの手作り……羨ましけしからん……ゲフンゲフン」

 

 

 何を言っているかは聞き取れなかったが、なにやら複雑そうな面持ちだったので突っ込まないことにした。

 

 すると彼は何かを思い出したのか、自分のバッグからノートパソコンを取り出した。

 

 

「そうだったヒオ、これを見てくれ。この前のライブの動画だ」

 

 

 僕は体を起こし、彼が見せるパソコンの画面をのぞき込む。

 

 この前のライブの動画。内容は彼の高い編集技術によって見やすいものになっており、フリップや効果音などの工夫がされていた。

 こんなクオリティの高い動画に僕らが移っているなんて、少し不思議な気分である。

 

 改めて彼の出木杉君っぷりに驚かされる。

 彼は再生されている動画を見て、とてもご満悦そうである。

 

 

「ふぅ、画面越しでもあのお二人は美しいな。編集中に何度気絶しかけたことか……」

 

 

 同士小島よ……私も同感である。

 私も先ほどからこの動画の二人のここ好きポイントが止まらない。

 あ、今のヒメの顔良い。いや、いつも顔良かったわ。

 

 

「二人を見るのも良いがヒオ、再生数の方も見てくれ」

 

「再生数?」

 

 

 画面下の再生数を見ると、数字が並んでいるのが分かる。

 いち、じゅう、ひゃく、せん……あれ、おかしいな、数字がやけに大きいぞ。

 

 

「○○万再生まで来たな。しっかり発信した甲斐があったぜ」

 

 

 ○○万再生!?

 ワッツ!?ホワイジャパニーズピーポー!?

 

 

「コメント数、評価も伸びてるな。これはまだまだ伸びるぞ」

 

 

 彼はニヤリとしながら画面をスクロールし、動画についたコメントを映していく。

 

『SNSから来ました!』

『かわいい!』

『次回の投稿待ってます!』

 

 

「うんうん、まあ当然の評価だな」

 

 

 小島くんは腕を組み、誇らしげに頷く。

 

 あまりの事態に理解が追い付かないが、どうやら僕らは"バズり"にあってしまったようである。

 いや、嬉しい、嬉しいんだけどね。まさかここまでとは……。

 

 震える指を動かし、コメント欄を遡っていく。

 

『ヒメちゃんめっちゃ可愛い!』『ヒナちゃんは学生の出していい色気じゃない』『すこ』『顔が良い』

 

 おおー。

 二人が褒められるのは自分のことのように嬉しい。

 これは是非本人たちにお見せしなくては。

 

 コメントの一つ一つに共感し、グッドボタンを押していく。

 

 

 しかし、ある途中からとあるコメントが目に入り始める。

 

『ギターの子うつむいてて勿体ない』『もっと顔見せて』『ギターうm……

 

 ツーっと背中に冷や汗が通った気がした。

 

 あれ…僕けっこう目立ってた…?

 思っていた以上に僕への言及があり、さらに嫌な汗をかき始める。

 

 そ、そんな……! ライブのときにはお客さんは二人の方に釘付けだったはず! なんで……!?

 

 

「ははっ、ヒオの演奏もちゃんと高評価だな。かわいいって意見もあるな……」

 

「……きゅう」

 

「ヒオ!? ヒオがまた死んだ!?」

 

 

 嘘だ、こんなの……。

 あまりにも受け入れがたい現実。突きつけられた僕はそっと意識を手放し、ベッドへと倒れた。

 これからどうなっちゃうんだ…。

 

 

 予想もしなかった事態とともに、僕らの動画投稿は幕を開けた。

 

 

 

 その後ヒナのおかゆ食べて蘇生した。

 



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僕の災い

 やあみんな、ヒオお兄さんだよ。

 

 ところでみんなは、運動は好きかな?

 お兄さん?お兄さんはちょっと、いやだいぶ嫌いかな。

 

 じゃあ、みんなは運動は得意かな?

 お兄さん?お兄さんはちょっと苦手、いや、恐ろしく苦手。いや、全然できないです……。はい。

 

 僕の今までの運動歴を振り返る。

 体力測定では軒並み最低評価を叩きだす。マラソン大会では走行中の不調により途中棄権、または観客の温かい目を浴びながら拍手とともにゴール。体育のプールで溺れる。ヒメとヒナに腕相撲で負ける。

 恐らく僕がゲームキャラであれば、ステータスはオールG、種族値はコイキング以下だろう。どこぞのスペランカーもびっくりの貧弱っぷりである。

 そして本日。

 運動音痴、身体能力うんちである僕にとっては、災いとも呼べるイベントが待ち受けていた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

『がんばれー!』『ファイトー!』

 

 

 バン!と大きな音が響き、横一列に並んでいた男子達が一斉に走り出した。

 

 よく晴れたグラウンドには土煙が舞い、ランナーは必死な顔で僕の目の前を通りすぎていった。

 

 一番乗りにゴールテープを切った男子は、嬉しそうな顔で一着の待機場所へと向かっていった。

 

 

『続いて、短距離、女子の部』

 

 

 アナウンスの声がスピーカーから流れる。

 

 応援していた女子達はワイワイガヤガヤと騒ぎながら、グラウンドの中へと入っていった。

 

 

 

 本日は体育祭。

 いや、祭りとは呼べない。僕にとっては災い、体育災と呼ばせてもらおう。

 

 デイリーミッションであるタイトル回収を済ませつつ、何時ものように僕は大きな溜め息を吐いた。

 とうとうこの日が来てしまった。来ちゃったかぁと。

 

 体育祭「来ちゃった(はあと)」

 

 本当にやめてほしい。

 

 前述通り、僕は超がつくほどの運動音痴であり、体力、筋力、運動面においてあらゆる点が劣っている。

 

 当然のように今までの体育祭で短距離走は万年ビリ。または転んで保健委員に担架で運ばれる始末である。

 

 先ほどの男子短距離の部で走った際の結果は言わずもがな。

 誰一人として、僕を追い抜くことはできなかったとだけ言っておこう(最下位)。我が盟友小島くん曰く、その走りはまるで王が闊歩するようであったらしい。移動速度的に。

 いつも通りではあるが悲しい結果に心がブルーになるが、今回は転んだり肉離れを起こしたりしなかっただけ良しとしたい。

 

 

 そういえば、小学生の頃は運動会と呼んでいたのになぜ体育祭と呼ぶようになったのだろう。

 

 クラスメイトへの応援とは無縁な僕は、ボーッと虚空を見つめながら時間を潰す。

 

 

『次の走者は、◯◯さん、◯◯さん、鈴木ヒナさん』

 

 

 直ぐに目が冴え、グラウンドに焦点を合わせる。

 隣にいた小島くんも持ち前のカメラを取り出し、臨戦態勢に入った。

 

 

 学校行事から撤廃されないかなとしみじみと感じている体育祭ではあるが、僕の推しが頑張っている姿を拝める、この点については感謝の念を伝えたい。

 とうとうヒナが走る番がやってきた。

 

 待ってたぜェ…!!この瞬間をよぉ…!!

 待ち遠しかったヒナを見ると、足の屈伸をしたりするなど気合いが入った様子。目に炎を宿し、一着を取る気満々のようである。ウキウキなヒナは今日も可愛い。

 

 

 ヒナに向けて「ヒナあああああああ!!!!がんばれえええええええ!!!!うおおおおおおお!!!!」と、心の中で旗を振り回しながら応援をする。

 応援団長ヒオとなった僕がエールを送っていると、こちらに気づいたヒナはパッと笑顔になり、ニコニコと手を振ってくる。

 

 う"っ…(心臓を抑えるポーズ)

 お前…そういうことするの、反則。

 可愛いの鉛弾に胸撃たれ、少し意識が飛んでしまった。

 せっかく僕に気づいてくれたので、周りに気づかないようにひかえめに手を振り返そうした瞬間、僕の周りの男子達が突然嬉しそうな声をあげ始めた。

 

 

『今、鈴木さん!俺に手振った!俺に手振った!』『馬鹿野郎!俺に手振ってくれたんだよ!』『お前のわけねえだろォ!?』『戦争だ!戦争だ!』

 

 

 な、内乱!?体育祭で!?

 理由は定かではないが、なにやら僕の軍の男子達が揉め出したようだ。応援席がわちゃわちゃと混沌とし始める。

 

 体育祭当日、仲間割れという前代未聞のハプニングであった。

 後に、ヒナによって起きたこの戦は鈴木ヒナの乱として、後世語り継がれたのである。

 

 

 

 レースの結果はヒナの一着であった。

 

 そんなところで、今日のヒナの格好について今一度復習しておきたい。

 今日は長い髪を後ろでまとめてポニーテールにしており、半袖ハーフパンツの運動着姿はスポーティーな印象を与える。走り姿はとても美しく、名画として美術館に飾りたいくらいである。

 ヒナが駆けていく様子を応援席の僕ら男子達はボロボロになりながら目に焼き付けていた。

 

 

 続いてヒメもレーンに並んだ。

 

 先ほどのヒナと同じように心の中で応援を送る。

 するとヒメは僕に気づき、ヒナよりも少し大振りに手を振った。ヒメ、目立つからほどほどにね。

 

 

『いま田中さん!俺に手振った!』『は?俺に手を振ってくれたんだが?』『バカ野郎!俺に決まってんだろ!!』

 

 

 この戦は後に田中ヒメの乱として後世に語り継がれ……痛っ、ちょ、待っ。僕は巻き込まないで……。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 一波乱二波乱ありつつも、体育祭は続いていく。

 

 応援合戦では、ヒメとヒナの応援を浴びた男子達が闘志を漲らせ、軍の士気を高めるのに一役を買う。

 応援ではダンスの演目もあり、キレの良い二人がとても目立っていた。

 

 

 ヒメとヒナの短距離走を思わせるような二人三脚を見てからしばらく経つと、お昼休憩の時間になった。

 

 生徒達はそれぞれの家族の元へ、家族が用意してくれた昼食を食べに向かっていく。

 

 

 ヒメとヒナと合流する。

 中島さんが座っているのをを見つけ、彼の待っているシートへと向かった。

 

 中島さんはビデオカメラを片手に持っており、今日のヒメとヒナの頑張りをしっかりと記録しているようだった。

 

 四人で円になるように座り、持ってきたお弁当を中心に広げる。

 いつもはお弁当の用意は僕が担当していたが、今日は二人におかずの用意をしてもらったのである。

 

 ヒナがじゃーんとお弁当の蓋を開け、作ってきたおかず見せる。

 目のついたタコさんウインナー、焦げ目のない卵焼き。王道かつ、可愛い一手間が加えられたおかず達を前に目移りしてしまう。

 うーむ、素晴らしい出来映えである。

 

 

「可愛いお弁当だね。食べるのが勿体ないくらいだ」

 

「ふふ、いつもヒオに作ってもらってたから、今回はヒナと頑張ったんだ」

 

「料理上手、気配り上手、そして美人。ヒメは将来きっと良いお嫁さんになるね」

 

 

 えへへ、とヒメは少し恥ずかしそうにして笑った。

 

 するとヒナの補足するような説明が入った。

 

 

「最近ヒメ、卵綺麗に焼く練習してたもんね。その度にヒメと卵焼き食べたんだよ~。ヒナ達何個くらい食べたんだろう? パック単位……?」

 

「わわっ! ヒナそれナイショ!」

 

 

 顔を赤くしてヒナの口を塞ごうとするヒメ。

 

 ヒナが何と言っていたか聞き取れなかったが、二人のじゃれている様子を見て、うんうん今日もてぇてぇなあとてぇてぇに浸る。

 

 

 お腹が本格的に減ってきたので、そろそろ食べ始めたい頃である。

 

 いただきますと皆で言い、各々好きなものから手をつけ始めた。

 

 

「ヒメ~、それちょうだ~い」

 

「いいよ~。はいあ~ん」

 

 

 ヒメがヒナにあーんしている様子をおかずに、おにぎりを頬張る。

 もーうすぐそうやってイチャイチャする! いいぞもっとやれ!

 

 僕も食べようかなとおかずの方に箸を伸ばそうとすると、ヒナに呼び止められる。

 

 なんだろうと思い振り向くと、ヒナはウインナーを箸で掴みこちらに向ける。

 

 

「はい、ヒオも。あーん♪」

 

「!?」

 

 なん……だと……!?

 突然の事態に僕は硬直してしまい、数秒の沈黙が生まれた。

 

 あれ?とヒナは不思議そうにこちらを見ている。

 

 

「ヒオ~、口開けないと食べさせられないよ」

 

「あっごめん」

 

「もしかしてヒオ、あーんされるの嫌だった……?」

 

「ううん! 嫌じゃないよ! 全然嫌じゃない! あーん大好き!」

 

「よかった~。はいじゃあヒオ、あ~ん♪」

 

 

 パクっと吸い込まれるようにウインナーが僕の口に運ばれる。

 

 驚きのあまり変なことを口走ってしまった気もするが、それどころではない。

 

 オシ=ノ=アーン(1980~2080)

 和名:推しのあーんは、我々オタクにとってあまりにも現実的でない出来事である。

 生きてて、生きててよかった~!

 

 

 幸せという名の何かををゆっくりと噛みしめていると、ヒメからも声をかけられる。

 

 ヒメはどこかぎこちなく、彼女が作った卵焼きをこちらに差し出していた。

 

 

「ヒオ、あーん……」

 

「」

 

 

 う…うろたえるんじゃない!!ナチス軍人はうろたえないッ!(日本男児で)

 

 き、気持ちの整理は後だ……! ヒメを待たせてはいけない!

 先程から箸がプルプル震えて今にも卵焼きが自由落下しそうである。

 

 先ほどの反省を活かし、すぐにヒメの卵焼きを口で迎えにいくように食べる。

 

 

「……すごく、美味しいです……」

 

「ほんと……? よかったあ……」

 

 

 最後の晩餐ってこんな味がするのかな。

 地球最後の日に何を食べたいかと聞かれたら、僕は迷わず彼女の卵焼きと答えるだろう。

 

 ヒオくんは美味しそうに食べるなあと中島さんに笑われながら、僕らは昼食を終えた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 体育祭は午後の部も筒がなく続いていった。

 

 

 男子棒倒しの時は流石の僕もあばら骨の二、三本を覚悟したが、なんとか一命をとりとめた。

 

 保護者レースでは中島さんが張り切って走り、僕ら三人で応援をした。

 中島さん、あんまり無茶はしないでね。

 

 途中、学ランで皆を応援してみたいと言うヒメに持ってきていた制服を貸した。

 いそいそと学ランを着たヒメは、学ランの男らしさとヒメの隠しきれない女の子らしさが良いギャップとなっていた。

 「ヒオの匂いがする…」と呟くヒメに、恥ずかしいからあまり嗅がないでねと釘を差しておいた。

 

 

『続いての種目は、「障害物競争」です』

 

 

 次の種目は障害物競争のようだ。

 グラウンドのレーンには、下を通らなければいけないネットや平均台、跳び箱など様々な物が設置されている。

 

 障害物の最後には借り物競争があり、地面に伏せられたお題を見て、観客から借りにいくルールとなっている。

 観客に物を借りにいく、つまり初対面の人に話しかけにいかなければならないこの競技は、僕にとっての最後の関門であった。

 とても嬉しくない種目に肩を落としていると、障害物競争が始まった。

 

 

 借り物のお題は様々な物があり、「自分より背が高い人」といったお題では、女子生徒が観客席から背の高い男子生徒を連れて、手を繋ぎゴールするいかにも青春な光景があった。

 

 おのれリア充。

 僕は地元の猟友会にリア充、いやリア獣の討伐でも要請してやろうかと画策した。

 

 

 続いて、ヒメが走る番が回ってきた。

 

 ヒメは障害物を華麗に走破していく。

 昔は苦手であった跳び箱も華麗に跳び超えることに成功し、とうとう最後の借り物競争にたどり着いた。

 

 地面に伏せられたお題を見て、少し悩んでから僕たちの方へ向かってきた。どうやら人物系のお題だったらしい。

 

 ヒメは、最前列でハチマキを巻いて応援していたヒナを見つけると、ヒナの手を掴んだ。

 ヒナは少し驚いた様子だったが、持ち前の切り替えの良さでそのままヒメに手を引かれて走り出し、ヒメとヒナ二人でのゴールとなった。

 

 終わった後でお題の内容を聞いてみると、お題は「大切な人」だったらしい。

 おっふ(尊死)

 

 

 そしてとうとう、僕の番まで回ってきてしまった。

 

 神様、仏様、たなかみさま(田中ヒメ。つまり女神である)どうか私をお救い下さい。

 胸の前で印を切り、覚悟を決める。

 

 

 バァン!

 

 無慈悲にも開始のピストルが大きな音を放ち、僕の障害物レースの始まりを告げた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 ボロボロになりながらも、なんとか最後の借り物競争にたどり着いた。

 

 「こいつ、何で体育祭の競技でここまでボロボロになってるんだ…?」と観客からの目が痛いが、気にしてはいけない。

 ポケモンなら既にHPバーが赤になり、不穏なBGMが鳴りだしそうな僕は借り物のお題が書かれたボードをめくる。

 

 おねがい、変なのは来ないで……。

 

 

 『幼なじみ』

 

 

 噓でしょ……。

 

 あまりにもピンポイントすぎる。スナイパーかよ。

 というか幼なじみいないやつはこれどうするつもりだったの……?

 

 どうやら僕はとんでもないジョーカーを引いてしまったようである。

 

 

 周りの走者は既に観客席に向かっており、借り物、あるいは借り人を探しに回っていた。

 

 まずい。僕も早く行かなければ。

 また僕がビリを取ってしまえば、それはそれで目立ってしまう。

 

 意を決して観客席へ走り出す。

 向かう方向は当然、幼なじみであるヒメとヒナの方である。

 

 

「あ、ヒオこっちに来た」

 

 

 いち早くヒナがこちらに気づいた。

 ここはヒナに頼むべきか…?

 

 しかし、ヒナは両手に応援用のプラスチックのメガホンを持っており、手は塞がっていた。

 ならば、隣にいるヒメはどうだ…?

 

 確認すれば、ヒメはフリーハンドつまり何も持っていなかった。

 

 それならヒメだ…!!

 

 

「……ヒメ!」

 

「ど、どうしたのヒオ……?」

 

「……手を!」

 

「え、は、はい!」

 

 

 ヒメの手を掴み、ヒメを引くようにして走り出す。

 状況が理解できないのか、ヒメは困惑した顔で僕と並走する。

 

 ヒメとゴールに向かって走っていると、観客席、主に男子達から怒号が聞こえた。

 

 

『誰だ!田中さんと手を繋いでるあの野郎は!』『許せねえよなあ!』『処す?処す?』『ぶっ◯す』

 

 

 応援の代わりに、とても穏やかではない言葉が投げ掛けられる。

 ぶっ◯されるのは勘弁したいので、僕は特定されないようにできるだけ顔を伏せ、ヒメとゴールへと向かった。

 

 後ろを向くと、繋いでいる手を見てリンゴのように顔を真っ赤にしたヒメがいた。

 ごめんヒメ、こんな陰キャオタクと走らせてしまって。だけど今だけはどうか我慢してほしい。

 

 

 そして、僕たちは一番乗りにゴールテープを切ることができた。

 

 人生初の一着。

 少し嬉しかったが、まさかこんな形で取ることになろうとは夢にも思わなかった。

 

 ヒメの手を離し、いきなり連れてきてしまって申し訳ないと謝る。

 

 

 「ううん、全然嫌じゃないよ……凄いびっくりしたけど……。そういえば、ヒオのお題って何だったの? もしかして、大切な人とか……ってあれ? ヒオどこ行くの!?」

 

 

 逃げるんだよォ!

 

 ヒメをその場に置いて、僕は今度はグラウンドから離れた校舎のの方へと走り出した。

 今応援席に戻れば、僕の命は保証できない。袋叩き、悪ければぶっ◯されてしまう。

 

 

 散々な体育祭であったが、案外悪くないものではなかったかもしれない。

 

 ヒメとヒナ、二人と一緒ならきっと何をしても、どこへ行っても楽しいのだから。

 

 

 よし、良い感じにまとめたな!

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 その後、体育祭の閉会式までヒオ少年を見た者はいなかった。

 

 田中ヒメさんと手を繋いだ不埒者を探す運動が起こったが、その正体は誰も突き止めることはできず、その行方は神のみぞ知る、いや、たなかみさまのみぞ知ることとなる。

 

 現在もその足取りは不明である。

 



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僕の教室

 とある昼下がりの田中工務店。

 

 

 僕とヒナは居間でゆっくりと寛ぎ、ダラダラとした休日を満喫していた。

 

 ヒメはクラスメイトに遊びに誘われたらしく、今日はヒナと二人である。

 インドアな趣味が多いヒナとは、よくこうしてお家でまったりと過ごすことが多い。

 

 

 ヒナはソファーに寝転がりながら、スマホを横に持ってソシャゲを楽しんでいる。

 僕はパソコンを開き、僕らが動画を投稿しているチャンネルに寄せられたコメントを確認していた。

 

 

 忘れもしない初ライブ。

 

 あれ以来、僕らはほどほどの頻度で「歌ってみた」や「踊ってみた」の動画を投稿していた。

 

 歌ってみたは中島さんが用意してくれた機材を使わせてもらい、新しく工務店に防音対策の部屋ができたため、ヒメとヒナ二人の実力を遺憾なく発揮できる設備になっている。

 踊ってみたは近くの公園や広場などを借りて撮影を行っている。

 

 歌ってみたと踊ってみたを融合させたMVにもそろそろ挑戦してたいと考えており、その企画にはヒメとヒナもやる気を見せていた。

 

 

 動画にはたくさんの視聴数、コメントが付けられており『早く次のカバーを聴きたい!』『踊りは創作ですか?センスある!』『ぜひまた路上ライブやってください!』などといった嬉しい声や要望が多く寄せられていた。

 

 始めの頃は、コメントが一つ付く度に小躍りしていたヒメとヒナであったが、創造を遥かに超える勢いで動画の数字が伸びていったため、一時期工務店内が祭りと化していた。

 大変恐縮な話ではあるが、僕の演奏にも評価をしてくれる方がちらほら見つかり、その度にギターを抑える手に緊張が走っている。

 

 登録者数もコツコツと伸びており、僕らにとって視聴者からの応援が大きなモチベーションとなっていた。

 

 僕はパソコンに向かい合い、頂いた貴重なコメントに一つずついいねを付けていく。

 

 

 ふと横を見ると、先ほどまでソファーの上にいたヒナはいつの間にか僕の隣にいた。

 

 ソシャゲは終わったのか、ヒナのスマホの画面は僕が見ていたもの同じ動画のコメント欄が表示されていた。

 

 

「今回もたくさんの人が見てくれてるね。いや~、ヒナのエゴサが止まらないよ~」

 

 

 せっかく見てくれた人の感想を見逃したくないと、動画を投稿した翌日のヒナはずっとスマホに張り付いてエゴサをすることがある。

 

 ある時、僕がひっそりとしていたコメントを「これヒオのコメント?アイコンもヒオのっぽいし」と見事に的中させられたときには、ひぇっとなり、彼女のエゴサ力に感服させられた。

 

 

「ははは、エゴサもほどほどにね

 

 

 

 ところでヒナ、今度の期末テストだけど…」

 

 

 脱兎の如く、とはまさにこのことだろう。

 ヒナは僕の隣から姿を消し、一瞬で姿を眩ませた。

 

 部屋の中にポツンと、僕一人だけが残る。

 恐ろしく早い逃走、俺でも見逃しちゃうね。

 

 

 しょうがないなと、僕は自分の携帯を取り出し、ヒナの携帯に電話をかける。

 

 程なくして工務店の奥の方からヒナの着信音らしきアニソンが聞こえた。

 ついでにヒナの「しまった!」という声も聞こえた。

 

 

 音の鳴る方へ向かえば、奥の部屋で隠れるように座り込んでいたヒナを発見した。

 

 ヒナの側へ寄り、ガシッと彼女の手を掴む。

 

 

「ほら、期末テストもうすぐでしょ……!ちゃんと勉強しないと……!」

 

「や~だ~!」

 

「やだじゃないでしょ!」

 

「や~や~!」

 

 

 駄々っ子か!

 

 暴れるヒナを引っ張ろうと引く手に力を込めるが、ヒナは両手で僕の腕を掴み、逆に引きずりこむように僕を引っ張る。

 力強っ!

 

 その細腕のどこから力が出ているのか、ヒナとの綱引きは僕の劣勢であった。

 まずい……このままでは持ってかれる!

 

 あっ……!

 

 

 明らかにパワー不足であった僕は、そのままヒナに力負けしてしまう。

 

 そして、ヒナの方へとバランスを崩して倒れこんでしまった。

 

 

「きゃっ」

 

 

 ヒナに覆い被さるように倒れる。

 なんとか倒れる前に床に手をつき、ヒナにぶつかることは避けることができた。

 

 危なかった…と安心するのも束の間、目の前には、驚いて目を見開いたヒナの顔があった。

 

 

「ヒオ……」

 

 

 長いまつ毛と、紫がかった綺麗な瞳がこちらを覗く。

 

 至近距離のためかヒナのいい匂いが鼻をくすぐった。

 こうして見ると、改めてヒナはヒメの顔とそっくりだなあと感じた。このように間近で見れば、その見分けはつかないほどである。

 

 端から見れば、僕がヒナを押し倒すような姿勢となっており、二人の間に沈黙が生まれる。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……もう、ヒオったら。床ドンだなんて大胆♪」

 

「変なこと言ってないで、勉強」

 

「ぴえん」

 

 

 ようやくヒナを確保することに成功。

 

 諦めがついたのか、大人しくヒナは僕の言うことに従ってくれた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「ヒオ先生!分かりません!」

 

「鈴木くん、どこが分からないんだい?」

 

「分からないところが分かりません!」

 

「ウーン……」

 

 

 観念してお縄にかかったヒナは、テーブルに勉強道具を開いて勉強を始めた。

 ちなみに今は英語に取り組んでいる。

 

 机の隅にはヒナが持ってきた青縁の伊達メガネが置かれており、頭が良くなるかもと最初はつけていたが、邪魔だったのかすぐに外されていた。

 ちなみに眼鏡ヒナは可愛い(大事)

 

 

 ヒナに勉強を教えることは割りとよくある。

 

 受験勉強のときには自分の勉強と並行して、ヒナの勉強に付きっきりで取り組むこともあった。

 合格発表でヒナが合格したと分かったときには、喜びの余りヒナと抱き合い、周りの目も気にせず「「やったー!!」」と叫んでしまったほどだ。

 

 そして今回も、近づいてきた期末テストに向けていつものようにヒナとマンツーマンで勉強に取り組んでいる。

 

 

「むむむ」

 

 

 テーブルの上の課題と睨めっこしているヒナ。

 

 こうしてヒナが行き詰まったときには助け船を出し、勉強のペースが落ちないように気を付ける。

 他にも、復習に取り組む際には、ヒナのテストの結果から苦手な点を分析して要点をまとめ、ヒナに噛み砕いて伝えるのが僕の勉強の教え方であった。

 ヒオのパーフェクトさんすう教室はじまるよ~!

 

 ちなみにヒナは文系科目、国語と英語が苦手な傾向にあり、特に漢字の読みは、間違えて覚えたものをそのまま覚えてしまっていることが多く、たまに奇天烈な読みが飛び出すこともある。

 もしもヒナのパーフェクト国語教室があるとするならば、それは新たな言語学習と言っても過言ではない。その認識で大丈夫だろう。

 

 

「ここの英文は文節ごとにスラッシュをひいて少しずつ訳していこう。それと、文章の主語が誰なのかを確認しながら読んでいくと文章が理解しやすいよ」

 

「ふむふむ…」

 

 

 勉強を始めるまでは、駄々をこねていたヒナだが、いざ勉強を始めればしっかりと集中して取り組み、僕の助言をすぐに参考して活用するなど真面目であり、教える側としてはとてもやり易い。

 先ほど悩んでいた問題ももう解き終え、すぐに次の問題にとりかかっていた。

 

 

 僕も自分の勉強道具とノートを広げ、ヒナと向かい合うように座り勉強を始める。

 

 頑張っているヒナの姿に感化されるように、僕も自分の勉強に真剣に取り組んだ。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「……よし。そろそろ休憩にしようか、ヒナ」

 

「つ、疲れた~。鈴木ヒナ活動停止まで、さん、にー、いち、きゅ~」

 

 

 セルフカウントダウンとともに、ヒナはなだれ込むように後ろに寝転んだ。

 お疲れ様ヒナ。

 

 

「はぁ~、どうしてヒナは日本人なのに英語の勉強しなきゃいけないんだろ。ハリウッドとかにはちょっと行ってみたいけど、通訳はヒオに任せればいいし。国の偉い人にresistance(抗議)しようかなぁ」

 

 

 英語の勉強したばかりか、ヒナがルー大柴のようになっている(ルー鈴木?)

 

 

「勉強は努力の指標みたいなものだよ。このひとが物事にどれくらい頑張れるかを測る、一つのテストのようなものじゃないかな」

 

「う~ん。そうだったら何でわざわざ勉強にしたんだろう。ヒナが総理大臣になったら、まずはそこから変えていこうかな」

 

「総理大臣になるためには一杯勉強が必要だけどね」

 

 

 「じゃあヒナは自分の国を作る~」とだいぶ規模の大きい提案をして、ヒナは勉強で疲れた頭を休ませていた。

 建国の際にはぜひとも協力したい。

 

 

 頑張ったヒナへのご褒美として、僕は自分のカバンから缶の箱を取り出した。

 

 

「それじゃあ一区切りついたし、おやつの時間にしようか」

 

「する!」

 

 

 がばっと上体を起こし、キラキラした目でこちらを期待するヒナ。

 

 僕は期待に応えるよう、テーブルの上に箱を置き、カパッと蓋を開ける。

 

 

 今回持ってきたのはクッキーである。

 

 昨夜焼いたものを一晩置いて、缶の箱にクッキングシートを敷いてから詰め込み、手作りのクッキー缶風にしてみた。

 味はシンプルにバニラとチョコの二種類である。

 

 

「わ~!かわいい~」

 

「ふふ、ありがとう。お茶請けだけだと何だし、紅茶も淹れてくるね」

 

「は~い!いただきま~す!」

 

 

 そう言うと、ヒナは我先にクッキーへ手を伸ばしておいしそうに頬張った。

 僕はキッチンへ向かい紅茶用のお湯を沸かしに行く。

 

 淹れ終えた紅茶の入ったカップとソーサーをヒナの前へ置き、「ありがとう~」とヒナからのお礼を受け取る。

 一応試食はしたのだが、ヒナの舌に合っていただろうか。クッキーの感想をヒナに聞いてみる。

 

 

「ヒオのクッキーって、ちゃんとしっとりしてるやつで美味しいよね~。ヒナは手作りだとぼそぼそになっちゃうからすごいな~」

 

 

 そう言いながらヒナはまたクッキーに手を伸ばし、美味しそうに頬張る。

 作った側としては、ヒナが美味しそうに食べてくれるだけで感無量である。

 

 推しが美味しそうに何かを食べてる瞬間は永遠に見ていられる。

 とある学説によると、推しの食事シーンからしか摂れない栄養素があるらしい。同意である。

 特にヒナは幸せそうに食事をするので、ヒナの食べている様子は僕にとっての完全栄養食である。

 

 

「材料とかは普通だけどちょっとだけ工夫が必要かもね。今度一緒に作ってみる?」

 

 

 紅茶を飲みながら、ヒナは肯定の意味のグーサインを出す。

 

 ちょっとしたアフターヌーンティーを楽しんでから、引き続き僕らは勉強を再開した。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 期末テストが終了した後日、テストの返却が行われた。

 

 後ろの席のヒナに、結果はどうだったかとこっそり聞いてみる。

 

 ヒナはふふふと意味ありげに笑った後、じゃーんと僕に答案用紙を見せつけた。

 ほとんどの教科が平均点を超えており、苦手科目もヒナとしては上々の点数であった。ヒナの頑張りが反映された結果である。

 

 合格発表のときと同じように「やったー!」とヒナと抱き合いそうになったが、すぐに担任の先生からの鋭い眼光が僕らを射抜き、中途半端に「イェーイ」と喜んで大人しくなる。

 

 僕は小声でヒナに労をねぎらった。

 

 

「……おめでとうヒナ、ヒナならできるって信じてたよ」

 

「えへへ~。やった~」

 

 

 よほど嬉しかったのか答案用紙で口元を隠し、笑みがこぼれないように喜んでいるヒナ。

 そのあまりの可愛さに、静かに僕は息を引き取った。



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僕たちの傘

 平日の朝。

 

 今日も今日とて、僕は三人分のお弁当の用意と、学校の準備をして忙しい朝を送っていた。

 

 

 なんだか今日はいつもより部屋が暗く感じられる。

 ちらりと窓の外を覗くと、空には灰色の曇が立ち込めており、今にも降りだしそうな天気であった。

 

 これは傘が必要そうだなあ。

 

 

 僕の今日の持ち物リストに傘が追加された。

 

 そうだ、ヒメとヒナが濡れたときのために、タオルも持っていこう。二人が風邪でも引いたら大変である。

 念のためタオルも鞄に詰め込み、身支度を整える。

 よし、準備OK。

 

 玄関でしっかり傘を持つ。ヨシ!(指差し確認)

 

 いってきますと小さく呟いて家を出た。

 

 

 空を見上げると、家の中から見た通り空一面のどんよりした雲り空である。

 雲の薄暗い灰色が人を不安にさせるような天気であった。

 

 

「あ、ヒオおはようー!」

 

「おはよ~」

 

 

 声のする方を向くとヒメとヒナがおり、こちらに挨拶をしてくれていた。

 

 ヒメは朝からとても元気である。

 曇り空と相まって、まるで小さな太陽がいるように感じられた。今日もヒメは可愛いなあ(世界の理)

 

 ヒメ持ち前の明るさは彼女の素晴らしい長所、魅力であり、出会うひとに元気を与えてくれる。

 なんなら僕はヒメの笑顔を浴びることで、体内で光合成を行い丸三日くらいなら生きていける自信がある。

 

 

「おはよう、二人とも。今日は天気が悪いね」

 

「ねー、すごい曇り空だよね。そういえばここのところ雨ばっかりじゃない?外にお出掛けできないし、ヒメは雨嫌いだなー」

 

 

 外で遊ぶのが好きなヒメは、しょぼーんと肩を落とす。

 

 

「ヒナは嫌いでもないかな。お家でアニメとか見るから困らないし、雨の音も落ち着くしね」

 

 

 インドア派のヒナの意見に僕も同意である。

 

 家で楽しめる趣味が多い者にとっては、外の天気は割りとどうでも良かったりする。

 僕の場合は、洗濯物が外で干せなかったり、一人暮らしのため買い出しに出かけなければいけないときに困ったりはするが、さほど気にはしない。

 

 各々の雨観を語りながら、僕らは学校に向かって歩きだした。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「夕方から雨がごっつ降るらしいから、おどれら、あんま寄り道せず帰れよ。今日の当番の鈴木と◯◯は、ちょっと放課後先生の手伝いを頼むわ。ほな、解散!」

 

 

 担任の先生のHRが終わり、ようやく帰りの時間となった。

 

 学校から解放されたクラスメイトたちは、ワイワイと騒ぎながら帰りの準備をし始める。

 

 どうやらヒナは放課後学校で手伝いをしなくてはいけないらしい。

 ヒナが頼まれ事が終わるまで、ヒメと学校で待っていようかとヒナに聞くが、ヒナのことは気にせず先に帰ってていいよと帰宅を促された。

 

 ちゃんと傘も持ってきていたし、ヒナ一人だけでも大丈夫かと判断する。

 僕とヒメは玄関へ向かった。

 

 

 玄関から外を見ると、心なしか玄関前の地面が少し濡れているのが分かる。

 目では確認できないほどの小雨が降っているらしい。

 

 傘を差す必要がないほどの雨なので、一瞬自分の持ってきていた傘の存在を忘れかけたが、しっかりと傘立てから自分の傘を探す。

 

 しかし、僕が持ってきていた傘は一向に見つからない。

 待っていたヒメがどうしたの?と声をかけてきた。

 

 

「やっぱり傘ないかも。盗られちゃったかな」

 

「えっ、盗られた?」

 

「ビニール傘だったし、そうかもしれない。うーん、やられたなあ」

 

 

 やはり、何度探してみても見当たらない。

 

 どうやら僕の傘は帰らぬ人となってしまったようである。

 自分の名前を書いておくなど、対策をしておけばよかったと後悔する。

 

 傘がないのならば、ヒメと一緒に帰ることは難しそうである。

 

 先生が言うには夕方から雨が強くなるらしいので、雨がほとんど降っていない今の内に帰らなくては。

 あまり悠長にはしていられない。

 

 

「雨が降る前に、僕は先に走って帰るよ。ヒメは帰り気をつけてね」

 

 

 帰宅部の意地、見せたるで!

 

 そんな全力で帰る気満々だった僕をヒメが制止した。

 どうしました田中さん。

 

 

「ヒメが傘持ってるから、急いで帰らなくても大丈夫だよ」

 

「え、見たところヒメは傘一本しかないけど……折り畳み傘でもあるの?」

 

「いや、一本だけだけど…」

 

「?」

 

「ヒメの傘に、入れば大丈夫じゃない?」

 

 

 な、ナンダッテー!?

 もしかして、あいしあいあい相合い傘ですか!?(謎の用語)

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 様々な葛藤もあったが、僕はヒメの提案をありがたく承諾した。

 ヒメのおかげで走って帰らずに済むことができたのはとてもありがたい限りである。

 

 下校道で、ヒメと夕方から雨が強くなるという話を思い出す。

 

 

「ヒナ、帰り大丈夫かな?もしも台風みたいに雨が強くなったらどうしよう」

 

「そうなったら、中島さんに車の迎えを頼むしかないね。ヒナが風で吹きとばされたら大変だし」

 

「そうだよね。中島、その時は頼りにしてるよ」

 

 

 我らが頼れる中島さんなら、ヒナの迎えも大丈夫だろう。

 中島ァ!頼んだぞ!とヒメが息巻く。

 

 

「それにしても、最近ずっと雨続きじゃない?ヒナとてるてる坊主でも作ろうかなー」

 

「いいね。僕は運動会の前の日のよく作って吊るしてたよ。逆さにして」

 

「ヒオらしいなあ。ヒメは雨よりもずっと晴れがいいよ。雨だとあんまり良いこともないし」

 

「そうかな。雨だって運が良ければ、晴れた後に虹が見れるかもしれないよ」

 

「ふふっ、レインの後にレインボーが見れるわけだね!佐藤さん、ヒメに座布団一枚お願いします」

 

「うーん、今のは一枚没収かな」

 

「なんで!?」

 

 

 ヒメは、頭の回転が良いのか親父臭いのか、ダジャレをよく言う。

 僕がダジャレをよく考えてしまうのも、実はヒメの影響だったりする。

 

 

 歩いていると、道の隅に見慣れない段ボール箱が置いてあった。

 

 気になったので、何だろうと近づき、上から箱を覗いてみる。

 

 そこには、一匹の猫がいた。

 生まれたばかりなのかまだ小さく、くりっとした目でこちらを見ており、とても愛らしい。

 

 

「……か、かわいい~!!」

 

 

 ヒメは猫がいたことでテンションが上昇。

 その場にしゃがみこみ、猫を近くで見始めた。

 

 猫は可愛らしい声でニャーと鳴き始める。

 猫が鳴くのと一緒に、ヒメもニャ~と猫なで声をあげる。猫と対話を試み始めたようだ。

 

「かわいいね~。きみ、にゃんさい? ヒメはね~」

 

 

 ヴッ!(止まる心臓)

 ヒメの猫語、僕には刺激が強すぎる!

 

 

「可愛い猫だね。しかも人懐っこいし」

 

「分かる~。にゃ~、うふふ。猫ってなんでこんなにかわいいんだろう~」

 

 

 おまかわ。

 

 

 たにゃかヒメを堪能しつつ、僕はこの猫について考える。

 

 猫の入っている箱には拾って下さいと紙が入っており、明らかに捨てられてしまった猫だということが分かる。

 学生がよく通る下校道に捨てたのも、少しでも人の目に入って拾って欲しかったのだろうか。

 そんな元飼い主の考えが予想できる。

 

 しかし、捨てる日が良くない。

 今日はこれから雨が強くなるはずである。

 

 

「ヒオ~。この猫ちゃんどうしよう」

 

「ウチは一人暮らしだし、僕らで飼うわけにもいかないかもなあ。心苦しいけれど、拾ってあげることはできないかな」

 

 

 飼いたい気持ちも分かるが、生き物を飼うには責任が伴う。

 一時の感情で飼うことはあまり良くない。

 しかも、僕ら子どもの一存ではとても決められることはではないだろう。

 

 後ろ足を引かれているヒメをなだめ、僕らでは飼えないことを説明する。

 

 

「そっか、そうだよね…。ごめんね猫ちゃん。元気でね」

 

 

 こんなことしかできないけど…とヒメは猫が雨で濡れないように、自分の持っていた傘を開き、そっと段ボールの上に被せる。

 僕は自分の鞄からタオルを一枚取り出し、猫を覆うように被せた。

 寒くなるといけないし、少しは防寒の足しになってくれるだろう。

 

 早く飼い主が見つかるといいねと話し、僕らは少し重い足取りで家へと歩きだした。

 

 

 ぴちょんと、僕の鼻に冷たいものが当たる。

 鼻を撫でると、触れた指先が濡れている。大きな雨粒が落ちてきたようである。

 

 次の瞬間、大きな音を立てて雨が降りだした。

 雨が地面を打ち付ける轟音が辺り一面に響く。

 

 

「わわっ、すごい雨だ!」

 

 

 直ぐに帰らなければ。

 ヒメと一斉に走り出す。

 

 

 しかし、家までの道のりは少し残っている。

 この雨のことだ。すぐに水溜まりができて、ヒメが足を滑らせる可能性もある。

 

 このままヒメと走るのは危険だと判断し、どこかに雨宿りができる場所はないかと辺りを見渡した。

 

 

 すると、丁度良いところに神社を発見した。

 

 一先ず神社で雨宿りをしようとヒメに言い、逃げこむようにヒメと屋根の下まで走った。

 

 

 安住の地を見つけた僕たちは、走って乱れてしまった息を落ち着ける。

 

 少し息が整ったので、僕たちの状態を確認する。

 

 上着は雨のせいででびしょびしょになってしまい、水は靴のなかにまで侵入していた。

 

 

「うげ~。さいあく~」

 

 

 ヒメが濡れた感触に苦言を呈す。

 僕もぐしょぐしょとした感覚が少し気持ち悪いと思った。

 

 水を吸った上着をずっと着ているわけにはいかないので、僕とヒメは制服の上着を脱ぐ。

 

 僕はワイシャツ、ヒメはブラウスだけとなった。

 どうやら一枚下のワイシャツまでも濡れており、先程の雨の強さがどれほどの物だったかを思い知らされた。

 ヒメもブラウスまで濡れており、もう~と雨に文句を言っている。

 

 

 あることに気づいてしまった僕は、鞄からもう一枚あったタオルを取り出し、ヒメに押し付ける。

 僕は目を明後日の方向に向ける。

 

 ぎこちない態度の僕に、ヒメは頭にはてなを浮かべながらタオルを受け取った。

 

 すると、ヒメは「あっ…!」と声を漏らし、胸元をタオルで隠した。

 顔を真っ赤にして、伏し目がちにこちらをジロリと見る。

 

 

「……見た?」

 

「見てないです」

 

「ほんと?」

 

「はい」

 

「神に誓って?」

 

「はい」

 

 

 ちょうど神社にいたので言葉の重みを感じる。

 ヒメは頑なに否定する僕にため息を吐く。

 

 

「でも、見たからそんな風になってるんでしょ。まあ、ヒオならいいけど……タオルありがと」

 

 

 そう言うと、ヒメはいつもの明るさは何処やら。

 態度が大人しくなり、静かになってしまった。

 

 場には沈黙と雨が地面を打つ音だけが残り、居心地悪い空気が流れ始める。

 き、気まずい……。

 

 

 無言の中、ヒメはタオルで髪を拭き、髪が痛むのを防いでいた。

 僕は髪のことはあまり気にしないし、タオルももうないためそのままでいた。

 

 

 濡れた服が冷えてきたせいか、少し肌寒く感じる。

 

 ビクッと肌に寒気が走り、思わずくしゅんとくしゃみをしてしまった。

 この状況でのくしゃみはいつもより音が大きく感じられ、居たたまれない気持ちになる。

 

 くしゃみをした僕に反応し、ヒメの肩が揺れた。

 そして沈黙を破るように、ヒメが口を開く。

 

 

「もしかしてヒオ寒いの?大丈夫?」

 

「ちょっとだけ寒くなってきたかも。けどこれくらい大丈夫」

 

 

 これくらいの寒さ、へっちゃらである。

 ちゃら~へっちゃら~(引っかかるJASRAC)

 

 

「もう、ヒオは体弱いんだしそのままじゃ風邪引いちゃうよ。もう一枚タオル持ってないの?」

 

「元々はヒメとヒナ、二人分しか持ってきてなかったから僕の分はないかな。朝持ってきていて正解だったよ。ヒメの役に立てて良かった」

 

 

 朝の僕ナイスである。

 

 

「またそうやって自分のことは心配しないで……。ヒオに何かあったら悲しいのはヒメ達もなんだからね」

 

「ごめんなさい……」

 

 

 ヒメのあまりにごもっともな指摘が、僕の胸に深々と突き刺さった。

 

 二人しかいないはずの神社だが、僕の肩身がさらに狭く感じる。

 

 

 ヒメにお叱りを受けたので下を向いて背を縮こませていると、肩に温かい何かが当たる感触がした。

 

 突然のことにビクッと震えてしまう。

 

 隣を見ると、ヒメが僕の近く、もはやゼロ距離で肩を密着させていた。

 ヒ、ヒメさん!?

 

 

「ヒメ!? ど、どうしたの……」

 

「ヒオ、寒いんでしょ。ヒメ体温高いから、ちょっとは温かいかなぁって」

 

「でも、僕は濡れてるし。ヒメが濡れちゃうよ」

 

「肩が濡れたぐらいどうってことないよ。ヒオの方が大事だもん……!」

 

「ヒメ……」

 

 

 ヒメは強気の姿勢で一歩も引かず、僕から離れようとしない。

 そっぽを向いて、梃子でも動かない様子である。

 

 体が冷たくなっていたせいか、はたまたヒメの体温が高いのか、肩から感じられる温もりはとても温かい。

 これがほんとのたなカイロ、ってね。

 余計に寒くなった気がする。

 

 

 自分の心臓の音が聞こえるくらい、肩から感じる感触にドキドキとしてしまう。

 

 これは……さっきよりも、もっと気まずい……!

 何か話になる話題はないだろうか…

 会話の糸口を探すべく、何かないかとキョロキョロ辺りを見渡す。

 

 すると、境内の中に色とりどりの紫陽花が咲いているのを見つけた。

 こ、これだ!

 

 

「……ヒメ」

 

「な、なにヒオ?」

 

「あそこに、紫陽花があるの見える?」

 

「あじさい?」

 

「うん、ほらあそこ。紫とか白とか、たくさん咲いてる」

 

「ほんとだ……。色んな花が咲いてて、とっても綺麗だね」

 

「うん、綺麗だ……」

 

 

 ナイス僕!コミュ障にしてはよくやった!

 

 何とか話題を見つけた僕は、会話が途切れないよう必死に話を繋ぐ。

 

 

 話しているうちに、段々と僕らはいつもの調子に戻っていった。

 

 

「紫陽花は、あづさヰ(あづさい)って言葉が変化したものでね。「あづ」は小さいものが集まっている様子、「さヰ」は藍色の花のことを指すんだ。元々日本にあったのが、藍色の小さな花が集まっているのが特徴の紫陽花だったから、あじさいって名前になったんだ」

 

「へ~、そうだったんだ」

 

 

 コミュ障改善のために会得した雑学が、まさかこんな形で活かされるとは思わなかった。

 ヒメは僕の説明にうんうんと頭を振る。

 

 

「漢字の由来も、昔の詩人が書いた詩集の一節が由来で、陽光に映える紫色の花と書かれたことが由来だったかな。少しうろ覚えだけど」

 

「そっか、藍色の花…。藍の華、か」

 

 

 …藍の華?

 

 ヒメはぼそっと呟いて、綺麗に咲いている紫陽花を眺める。

 その横顔はどこか感傷的というか、いつも元気なヒメとは違い、少し憂いを感じさせるようであった。

 

 ヒメが呟いた藍の華という言葉が、なぜか胸に引っかかった。

 思い出そうとするが、頭に靄がかかって上手く思い出せない。

 何かのタイトルだっただろうか。

 

 

「雨に濡れて、紫陽花がもっと綺麗に見えるね」

 

「そうだね。これは雨じゃないと見れない姿だ」

 

「こんなが神社あるのも、こんな綺麗な紫陽花があったのも気づかなかったなあ。ちょっとだけ、雨も悪くないって思ったかも」

 

「うん。僕もそう思う」

 

 

 ヒメと僕はくすっと小さく笑う。

 二人とも、今日ここに来れた偶然を嬉しく感じていた。

 

 

「それじゃあヒメ、そろそろ離れてもらってもいいかな?さっきよりかは寒く感じなくなってきたし」

 

「ヒメは全然気にしないからいいのに…。そんなにヒメと近いの嫌?」

 

「いや、嫌とかではなくて」

 

「嫌とかではなくて?」

 

「その、ヒメがいるとドキドキしちゃって…」

 

 

 言葉に困りながら、正直に内心を打ち明ける。

 ヒメはそれを聞くと、上擦った声で反応した。

 

 

「へ、へえー。ヒオも、ドキドキしてたんだ…」

 

「そりゃ、こんな美少女が近くにいたらね。誰だってドキドキするよ」

 

「そ、そっか…」

 

 

 どんどんとヒメの声が小さくなっていく。

 状況はいつしか、最初の気まずい沈黙が流れていた頃に戻ってきてしまっていた。

 

 明らかにさっきの空気と変わり、僕らは無言になってしまう。

 しまった…。変な話をするべきでなかったか。

 ばかばかと心の中で自分の頭をポカポカ叩く。

 

 様子を伺うため、チラッとヒメの方を見る。

 なぜかヒメは両の頬に手を当て、嬉しそうに目元を緩ませていた。

 

 にゃ、にゃんで?

 

 てっきり先程の会話でヒメを怒らせてしまい、また静かになってしまったのかと思っていたのだが。

 思わず僕も猫語が出てしまった。

 

 うーむ、女の子はよく分からないものである。

 十年来の幼なじみであっても、どうやら分からないことはあるらしい。

 

 

 それにしても、このまま雨が止まなかったどうしようか。

 もしかしたら僕らが中島さんを呼ぶことになるかもしれない。

 何か良い案はないかと頭を捻る。

 

 

 

 

「……ララララララ~♪ ララララ~♪」

 

 

 どこからか、雨の音に混じって少女の歌声が聞こえた気がする。

 しかもよく聞き慣れた物が。

 

 

「今の傘の下、飛び出して叫ぼう♪ 心晴れるまで、騒げ~♪」

 

 

 歌が聞こえた方を見る。

 そこには、雨の中傘を揺らしながら、ルンルン気分で歌を歌うヒナが歩いていた。

 

 ヒナに気づいた僕らは、こちらに気づいてもらえるように大きな声をあげる。

 僕らの声に気づいたのか、ヒナは辺りをきょろきょろと見渡している。

 

 

「……あれ?ヒメとヒオの声が聞こえる。何でだろう」

 

「ヒナー!こっち!こっちだよー!」

 

「あれ~やっぱり聞こえる! けど、二人はもう帰ってるはずだしなぁ。もしかしてヒナ、何かの能力に目覚めちゃった?」

 

「ヒナちゃーん!神社の方見てー!」

 

「ん、神社の方?」

 

 

 ヒナはようやくこちらに気づいてくれたのか、僕らの方を向く。

 

 

「あ、ヒメとヒオがいる。何してるのー!お参りー?」

 

 

 ヒナは陽気そうにこちらに歩いてくると、びしょびしょになった僕らの姿を見て驚く。

 

 こちらに来たヒナに、なぜ神社で雨宿りをしていたかの事情を説明した。

 

 

 するとヒナは何かを閃いたのか。

 ぽんと自分の手を叩き、僕らに一つの提案をした。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 僕たちは雨宿りをさせてもらった神社に、お礼代わりにお賽銭をして出発した。

 

 ヒナの案によって、僕たちは雨に打たれることなく歩くことはできていた。

 

 

「あはは~。やっぱりぎゅうぎゅうだったね~」

 

「ヒナちゃん、流石に三人は無理があるよー!」

 

「ヒメもヒナも、ちゃんと入れてる?肩とか濡れてない?」

 

「ヒオこそちゃんと入りきれてる~?ほらほらもっと詰めてつめて~」

 

「おっとっと!ヒナ、そんな押すと転んじゃうから!」

 

 

 ヒナの案、それは三人で一つの傘に入り、家に帰るという方法であった。

 

 傘の下はおしくらまんじゅう状態。

 誰かが動く度に誰かにぶつかり、たまに転びそうになる。

 これが美少女押しくら饅頭か…!(邪魔な男一人)と僕は恐れおののいた。

 

 ヒナはこの状況が面白いのか、ニコニコと笑っている。

 それに釣られて、僕とヒメも可笑しくなって笑い出してしまった。

 

 

 ザアザアと降る雨の中で、三輪の花が雨に負けないくらいの笑顔を咲かせていた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 後日、例の猫をまた発見した。

 

 この前見たときにはなかった首輪がついており、誰か飼い主に拾われたことが分かった。

 ヒメも飼い主が見つかって安心し、下校のときにたまに猫とじゃれている。

 

 

 そしてヒメの言うとおり、僕はまたもや風邪を引いてしまった。

 ヒメは、だから風邪を引くから自分の心配もしなさいとお小言を言いながら、僕に手厚い看病をしてくれた。

 

 ヒメの看病を受けられるなら、風邪も悪くないと冗談を言うと、ヒメから照れながらのチョップを頭に食らった。

 ごめんなさい(ありがとうございます)

 

 

 



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僕の宝石

 目の前に広がるどこまでも青い海。

 

 

 サンダルを脱ぎ、白い砂浜に足を踏み入れる。

 太陽が照りついた砂浜はとても温かく、足の裏がぽかぽかとした。

 心地良い砂を踏みしめて海の方へ歩く。

 

 波は満ち引きを繰り返し、まるでこちらを誘っているようだ。

 冷たい水が足に当たり、涼しげな潮風も吹く。

 

 

 温かい砂浜、冷たい海、気持ちの良い潮風。

 澄んだ海、にょきにょきと伸びた入道雲。

 

 

 体の全部の感覚を通じて、ああ。僕は海に来たんだなと思っ……

 

 

「隙ありぃ~!」

 

「え?」

 

「どーん!」

 

 

 ヒナらしき声が後ろから聞こえた瞬間。

 振り向く間もなく、僕の背中に何かがぶつかる衝撃を感じた。

 

 恐らくヒナに背中から飛び込まれたのだろう。

 非力な僕はその場で耐える力もなく、ざぶーんと一緒に海に倒れこんだ。

 僕は正面から海に突っ込み、肩どころか全身まで海に浸かった。

 

 

「ぷはぁ!ヒオ、油断大敵だよ~!」

 

 

 ヒナの無邪気そうな声が聞こえた。

 こやつめ、ハハハ。

 

 突然のことで、驚き桃の木山椒の木鈴木だったが、こんなことは僕とヒナの間では日常茶飯事だ。

 常日頃ヒナから受けている悪戯で、彼女のわんぱくさはとても身に染みている。

 

 むしろ推しからのイタズラ、ご褒美である。

 

 

 まったく、やれやれだぜ…。

 やれやれ系主人公よろしく、やれやれといった感じで海から起き上がろうとした瞬間。

 今度は「ヒオオオオオオ!ヒナアアアアア!」という大きな声が聞こえた。

 

 第二波に備えろォ!

 

 またもや背中に思いっきり飛びつかれるような衝撃。

 虚しくもヒメの斥力に押し負け、僕はヒナも巻き込んで三人一緒に海に倒れこんだ。

 先ほどよりも大きく水が跳ね上がる。

 

 二度目の水没。

 すぐにヒメの大きな笑い声が聞こえた。

 

 

「あはははは!二人ともびっくりした?」

 

「やったなヒメ~!とりゃあ!」

 

「きゃ!」

 

 

 ヒナは押し倒されたお返しにヒメに水をかける。

 ヒメは冷たい水に可愛い声を出し、負けじと水をかけ返した。

 いつの間にかばしゃばしゃと水のかけあいが始まり、きゃっきゃと二人は楽しそうに遊び始める。

 

 僕はというと浅瀬にぶくぶくと沈みながら、今日も二人は元気だなあと後方保護者面に耽る。

 

 いきなり全身ずぶ濡れだが、すぐにこの夏の熱さが乾かしてくれるだろう。

 

 海を全身で感じながら(物理的)、ああ。夏が来たんだなと、改めて僕は思いを馳せた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 夏の長期休暇、夏休みを利用して、僕たちは海にバカンスに来ていた。

 

 

 なぜ海にバカンス来れたのかというと。

 

 中島さんの知り合いに、海の近くの別荘を持っている方がいるらしい。

 しかし、今年は仕事の都合で別荘に来れなくなってしまったらしく、定期的な清掃等の維持が必要な別荘をどうしようかと悩んでいた。

 そこで、中島さんは自分たちが別荘の中の掃除を請け負う代わりに、別荘を貸してもらえないかという提案をした。

 その提案にオーナーさんは快く承諾。

 条件付きで別荘をお借りすることに成功した。

 

 別荘、しかも海の近くの物を借りることが決まった僕たちは大喜び。

 

 ヒメはさっそく新しい水着を買おうかなとヒナと話したり、ヒナはそそくさと工務店の奥から浮き輪を取り出したと思えば、頬を膨らませて浮き輪に空気を入れていた。

 あっちに着く頃には萎んでるかな…。

 

 

 だがしかし、今回のバカンスは遊ぶことだけではない。

 

 

 僕たちが投稿している歌と踊りの動画だが、とうとうミュージックビデオを出すことが決まった。

 

 曲のテーマは夏。

 撮影場所をどうしようかと悩んでいたところに別荘の話が転がりこんで来たため、僕はこれはチャンスだと感じた。

 

 海という絶好の撮影場所を活かし、夏をふんだんに盛り込んだ最高のMVを作る。

 これが僕たち三人の計画であった。

 

 撮影に使うカメラは、我が盟友こと小島くんからカメラを貸してもらった。

 見るからに高そうなカメラに持つ手が震えたが、小島くんから「お二人の水着、頼んだぜ…」と気合のこもったサムズアップを受けたため、僕も応じるように了解させてもらった。

 

 

 

 僕はそんなこれまでの経緯を思い出しながら、別荘行きの中島さんが運転する車に揺られる。

 

 いつも通り僕の位置は助手席で、二人が後部座席ではしゃぐのをBGMに聞きながら、普段見ることのできない車窓の景色を楽しむ。

 久しぶりの旅行に、ヒメとヒナもテンションが高い様子だ。

 

 目的地までは数時間ほどかかるため、しりとりをしたり、歌を歌ったり、道中にあるサービスエリアに寄って軽い休憩をとるなどした。

 旅の楽しみは道中にあると言うが、少し納得である。

 

 別荘までの道のりはいくつかの山があり、大きくて長いトンネルをいくつも通った。

 

 

 次々に過ぎていく、トンネルの中の灯りをぼーっと眺めていると、トンネルの出口を抜けた。

 

 瞬きしてしまうほどの明るさが一気に押し寄せる。

 

 

「「海だー!!」」

 

 

 窓の外を見ると、そこには澄み渡るように大きく青い海が見えた。

 ヒメとヒナも海の方へ目をきらきらと輝かせ、喜びと感嘆の声をあげる。

 

 助手席の窓を少し開けてみる。

 開けた途端すぐに気持ちの良い風が吹き付け、海特有の潮っぽい匂いもした。

 

 二人ほど大きいリアクションはしなかったが、初めて来る海にとても心が高鳴る。

 

 

 新天地にワクワクしながら喜ぶ様子の僕たちを尻目に、中島さんは車のアクセルを踏んだ。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 目的地に着いた僕たちは積み荷を降ろし、別荘の中へとお邪魔した。

 

 別荘の中はとても天井が高く、ホテルでしか見ないようなプロペラが付いていた。

 思っていたよりも数倍凄そうな場所だったので、目をパチクリとさせる。

 

 二人も内装が気になったらしく、三人で別荘の中の探検を始めた。

 

 屋外にはプールも併設してあり、海に行かなくても水遊びができるようになっていた。

 二階のベランダから見えるオーシャンビューは壮観で、綺麗な海を視界一杯に一望できた。

 

 お金とか払わなくてもいいのかなと思うほどに、とても素敵な別荘をお借りしたようである。

 

 

 

 僕たちは別荘の中をひとしきり楽しんだ後、早速海へ行くことにした。

 

 水着に着替えるためヒメとヒナと部屋を別にし、持ってきていた水着に着替えた。

 

 僕は男子だが少し肌が弱いため、日焼け止めクリームを塗るの忘れない。

 さらに上にパーカーを着て、僕に当たる日の光を完全にシャットアウトする。

 日焼けしてピリピリと痛む肌でお風呂に入り、悲鳴をあげてしまったのは良い思い出である。

 

 

 

 二人よりも身支度が早かった僕は、一番乗りに海の方へと向かった。

 

 ビーチパラソルやレジャーシート、クーラーボックスなどを抱えて浜辺に到着する。

 

 パラソルやシートを設置して二人を待っていると、とうとう可愛い水着に身を包んだ二人が登場した。

 こ、これはまずい…。

 

 

「目が、目がぁ~!」

 

 

 某ラピュタ王のように悶えながら、とっさに目を抑える僕。

 

 二人の水着姿は、あまりにも眩しかった。

 まさに直射日光。常人では二人を直に見ることすら難しいだろう。

 

 たまたま持っていたサングラスをかけ、失明するのを防ぐ。

 突然サングラスをかけ出した僕に二人は困惑していたが、なんでもないよと変な誤解を解く。

 

 

 やっとこさ視力が回復してきたので、改めて二人の水着姿を確認する。

 

 ヒメはイメージカラーと同じピンクや赤を基調としたフリルのオフショルダービキニと白のショートパンツ。彼女の明るい可愛らしさと女の子らしさをとても感じさせ魅力的である。

 ヒナは青を基調としたバンドゥビキニと腰にパレオを巻き、いつもは下ろしているブロンドヘアをサイドにまとめている。いつもの無邪気さと朗らかさのイメージを一転させるような彼女のスタイルの良さがとても印象的である。

 

 ゆ、優勝ォ…!(惜しみない拍手)

 

 二人の輝きに耐えらなかったのか、サングラスがパリンと音を立てて割れる。

 

 これはもはや太陽ではない。神の御威光である。

 ありがとうございます…と僕は手を合わせ、二人の方へと深々と拝んだ。

 こいついつも感謝してんな。

 

 

 海で遊ぶ準備が整ったので、さっそくヒナが持ってきたビーチボールで遊ぶことにした。

 ヒメもスイカ割り用の目隠しと棒を持ってきており、真っ二つに割ってやらんと気合いが入っている。

 

 

「それ! ボール、ヒナの方いったよー!」

 

「レシーブ! ヒオの方いったよ~」

 

「よし来た。おーらい、おーら……ぐえっ! ヒメの方いったよー」

 

「いま顔面でトスしてなかった?」

 

 ビーチバレーを楽しんだり。

 

 

「ヒメ~もう少し右だよ~。そのまま真っすぐ~」

 

「右で、真っ直ぐ……。よし、ここだなー!」

 

「ヒメ! 左! 左! 下がって! 下がって! その方向は僕がいるから!?」

 

「とりゃ!」

 

「ひぇっ……!」

 

 スイカ割りを楽しんだり。

 

 

「ヒナ~! 待て~!」

 

「うふふ、捕まえられるかなあ~」

 

「てぇてぇなあ……」

 

 ヒメとヒナの浜辺の追いかけっこを見たり。

 

 

「(あれ、いつの間にか寝てたか……う、動けない…!?)」

 

「ふっふっふ。ヒオくん、目覚めの気分はどうだい」

 

「…なんで僕のお腹の上に、お城ができてるんだろうね」

 

 日陰で休んでいたらヒナに砂で埋められたり(ついでに砂のお城も建設されたり)

 

 

 海でしかできないレジャーを目一杯楽しんだ。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「今日はMVの撮影をします。二人とも準備はいい?」

 

「「はーい!」」

 

 

 二日目はMVの撮影を行った。

 

 ヒメとヒナは衣装の白いワンピースに着替え、やる気も十分。

 僕も小島くんからお借りしたカメラを抱えて、その姿はまさにカメラマン。

 絶対に良い画を撮るんだぞと意気込む。

 

 

 曲のテーマは前述の通り「夏」

 明るい曲調ながら、一夏の寂しさを感じさせるような曲になっている。

 

 ちなみに曲の作成はどうしいるのかというと、ヒメとヒナが作詞、僕が作曲担当となっている。

 

 二人は作詞の才能があるのか、新しい曲の歌詞をポンポンと思い付く。

 これ進研ゼミでやったところだ!と言わんばかりに、思い出すように歌詞をスラスラと思い付いていく様子には流石に驚いた。

 ヒメとヒナ、おそろしい子…!

 

 僕は二人が完成させた歌詞を見てから作曲に取り掛かる。

 音楽作成ソフトくんを用いての作業になる。

 

 作曲は様々な楽器の知識が必要なため、始めは苦難の連続であった。

 

 ギターの演奏やコード進行については知識があったが、他のドラムやベースなどの楽器はまったくの無知。作曲のさの字も知らなかったため、何から手を付ければよいか分からず頭を抱えた。

 そこで、知識を身に着けるよりも実際に触れた方が自分に合っているのではないかと考えた僕は、ギターの他の楽器の購入を決意。

 楽器店で悩みに悩み、選びに選んだ結果、ベースとキーボードが我が家にやって来た。ドラムは一式揃えるに出費がかさむため仕方なく断念した。

 実際に楽器に触るようになってからは作曲も上手くいき、買って良かったと感じている。

 基本的にギター一筋のため日常生活では演奏しないが、作曲を行う時や気が向いたときにちょこちょこ弾いたりしている。

 本筋を疎かにして器用貧乏になることだけは気をつけたい。

 

 

 MVの撮影は主に砂浜で行った。

 

 真っ白な砂浜はゴミ一つなく、近くにはいかにも海にありそうな木が生えていた。

 まさに絶好の撮影場所である。

 

 場所良し、被写体良しなので、お待ちかねの撮影を開始した。

 

 

 二人が砂浜で歩いたり、遊んでいる様子を次々とカメラのフィルムに収めていく。

 

 綺麗な海と、二人の着た白のワンピースが夏の瑞々しさを思わせる。

 映し出された少女たちは美しく、可憐で、映像のどこを切り取っても絵になるようであった。

 

 途中、ヒナのウインク+投げキッスで昇天しかけたが、なんとか持ちこたえカメラマンとしての意地を見せた。

 

 

 夕日をバックにしたシーン。

 二人の憂いな表情、大きく砂浜に伸びた影がどこかエモーショナルを感じさせる。

 今回のMVの曲と、その情景はとてもマッチするだろう。

 

 帰ってからの撮り直しができないため、カメラの動きや角度などを工夫して何パターンも撮影した。

 

 

 撮影は二日にかけて行われ、僕たちが納得のいくまで何度も何度も取り直した。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 試行錯誤を繰り返し、MVの撮影はなんとか終了した。

 撮影が上手くできていたかは分からないが、僕たちにとっての最善を出し尽くせたと思う。

 

 初めてのMVの撮影は、被写体の二人には特に頑張ってもらった。

 

 僕もずっとカメラを構えていたためか、腕が筋肉痛になり、撮影後は小鹿のようにプルプルと震えていた。

 残念だが、僕の腕にはギターを持つだけの筋肉しかないのである。

 悲しき哉。

 

 

 

 MVを撮り終えた日の夜。

 

 撮影の疲れを癒そうと、僕は別荘の大きなお風呂に浸かっていた。

 大きなお風呂にはジャグジーの機能まで完備してあり、まさに致せり尽くせりである。

 噴き出る泡に当たり「あぁ^~気持ちいいんじゃあ~」とだらしなく破顔する。

 

 

「今日は頑張ったね。お疲れ様、ヒメ」

 

 

 僕と向かい合うように湯船に浸かるヒメに労いの言葉をかける。

 

 撮影後、僕とヒメはシャワーで水着についた砂を落としてから、水着のままお風呂に浸かっていた。

 

 

 ヒメもとても疲れているのだろう。

 声をかけてから数秒してこちらに反応した。

 

 

「ヒオもお疲れさまー。今日はほんとに頑張ったねー」

 

「うん。これ以上ないくらいに頑張ったと思うよ」

 

「これだけ頑張ったし、たくさんのひとに見てもらえたらいいなあ~」

 

「きっと見てもらえるよ。頑張った分のクオリティに、きっと皆喜んでくれるさ」

 

 

 ヒメは浴室の天井を見上げながら、そうだといいな~と呟く。

 

 MVの残す作業は、動画の編集だけである。

 録画した映像の編集は僕と小島くんの担当であるため、最高のMVになるように尽力していきたい。

 

 

「ヒメたちお風呂入ってるのー? ヒナも入るー!」

 

 

 これからの予定を頭の中で組み立てていると、浴室の外からヒナの声がした。

 

 そういえば、ヒナにヒメとお風呂に入ることを伝えわすれていた気がする。

 疲労のせいもあるが、ヒナを仲間外れにしていたことは少しバツが悪い。

 

 疲れてあまり働かない頭で、入ってるよー!と返事をする。

 

 少ししてから、ガラガラと浴室の扉が開く音がする。

 僕は入り口に対して背を向けるようににお風呂に入っていたため、ヒナの姿は見えないが恐らく入ってきたのだろう。

 

 

「あ~、あわあわ出てる!」

 

 

 後方からヒナのはしゃぐ声が聞こえた。

 大きいお風呂のジャグジーに興味津々のようである。

 

 すると、目の前で気持ちよさそうにしていたヒメがヒナの方を見たと思うと、ハッと表情を変えた。

 なにやら凄い驚いている様子である。

 

 ヒナのぺたぺたとタイルを歩く音が聞こえる。

 

 ヒナにもお疲れさまと労うため、後ろを振り向こうとする。

 すると、目の前にいたヒメがいきなりこちらに近づき、僕の目を塞いだ。

 突然視界が真っ暗になったのでビックリである。

 

 

「田中さんや、いきなりどうしましたか」

 

「ヒオ! いま後ろ向いちゃダメ! 絶対にダメだよ!」

 

「アッハイ」

 

 

 後ろを向いてはいけないらしい。

 ヒメの手というアイマスクで視界を封じられているので状況は分からないが、とりあえずうんうんと頷いておく。

 

 二人のやんややんやと騒ぐ声が、僕を挟んで飛び交い始めた。

 

 

「……ヒナ、そのバスタオルの下に何か着てる?」

 

「ううん、何も」

 

「何も!? 水着はどうしたの!?」

 

「お風呂入るんだよ? 水着はいらなくない?」

 

「ヒオもいるんだから要るでしょうが!」

 

 

 ヒメの抑える手は徐々に力が入り、めりめりと僕の目を圧迫する。

 うおお、眼球が脳の奥の方に行きそうだ……。

 なんだか今回のバカンスは、僕の目に対するダメージが多い気がする。

 

 

「昔は一緒にお風呂入ってたんだし大丈夫ダイジョーブ。おじゃましま~す♪」

 

「お邪魔しちゃダメだってー!!」

 

 

 ヒナの言う通り、昔はよく三人でお風呂に入ったものである。

 工務店のお風呂に三人でぎゅうぎゅうに入ったときは湯船のお湯が流れてしまい、中島さんに怒られたも懐かしい記憶だ。

 

 思い出に耽る僕、お風呂に入ろうとするヒナ、それを止めようするヒメの三つ巴。

 久しぶりの三人でのお風呂はとても賑やかで楽しかった。

 

 

 その後、最終日の夜にはBBQも行い、順風満帆なバカンスとなった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 バカンスから帰る日の朝。

 

 

 僕はぼんやりとした意識のなかで目が覚めた。

 欠伸をして、猫のように体を伸ばす。

 全身に酸素と血液が回るようにゆっくりと動き始める。

 

 

 最後に海でも見に行こうかな。

 

 ヒメたちを起こさないように、忍び足で別荘を出た。

 

 

 早朝の海と浜辺は、鳥や虫の鳴く声も聞こえない。

 

 ただ、波が押し寄せたり引いたりを繰り返す音が聞こえるだけである。

 なんというか、とても静かであった。

 

 

 砂の上に座り込む。

 

 ちょうど朝日が見える時間だったらしい。

 水平線の向こうから、橙色の太陽が今にも顔を出しそうである。

 

 僕はその様子をゆっくりと見ながら、サラサラとした砂を手で握ったり、広げるように触ったりした。

 

 

 ちょっとしたノスタルジーに浸っていると、隣に誰かが座った。

 

 

「相変わらず早起きだね~」

 

 

 欠伸を噛み殺し、寝ぼけ眼の彼女。

 寝癖が相まってか、いつもより髪のフカヒレも大きく見える。

 

 

「おはよう、ヒナ」

 

「うん、おはよ」

 

 

 軽くおはようを言い合い、浜辺で隣り合うように座る。

 

 二人の間にゆっくりとした時間が流れた。

 

 

 思えば春から、たくさんの出来事あった。

 

 友達ができて、色んなところに遊びに行って、新しいチャレンジもして。

 指折りするように数えた思い出は、とても両手では足りなかった。

 

 砂浜に、指で過去と書いてみる。

 

 

 楽しかったことは、道中で見たあのトンネルのライトのように、後ろへと後ろへと過ぎ去っていく。

 時間は有限で、一本通行で、あの頃に戻ったりはできない。

 そう考えると、心に寂しいという思いが生まれた。

 

 

 砂に書いた過去の文字を見て、僕は体の方に少し膝を寄せた。

 

 

「なんだか、寂しいなあ」

 

 

 ふいに口から言葉が溢れた。

 ヒナはそれを聞いて、明るく反応する。

 

 

「ふふっ。ちょっとセンチメンタル?」

 

 

 頬杖をついて、優しい顔をしながら僕の方を見る。

 

 その顔に安心感を覚えたせいか、少しだけ心の中を吐露した。

 

 

「楽しかった思い出って、過ぎ去っていく物だなあって。そしたら、いつか楽しんだことも忘れちゃうのかなって考えてね」

 

 

 ヒナは黙って僕の話を聞くと、少しだけ悩む素振りを見せた。

 そして、僕が砂で書いた過去という文字に気づき、ふーんといった感じでボソリと呟く。

 

 

「過去……過ぎ去るかあ……」

 

 

 何か思い付いたのか、ヒナは砂の上に書かれた過去の字を消した。

 その上に新しい文字を書き始める。

 

 

「……これなら、寂しくない?」

 

 

 ヒナは砂の上に、駆来という文字を書いた。

 初めて見る字だったので、何と読むのか聞いてみる。

 

 

「これも"かこ"だよ。過ぎ去るじゃなくて、駆けて来るで駆来」

 

 

 ヒナは話を続ける。

 

 

「思い出はどこかに行っちゃうんじゃなくて、あっちから来てくれたり、ずっと近くに居てくれる。ヒナたちに懐かしさだったり、楽しさを持ってきてくれる。そう考えたら、ちっとも寂しくないよね」

 

 

 そう言うとヒナは少し笑ってから、前の方を向いた。

 

 

「きっと思い出って宝石みたいなものなんだよ。いつまでも変わらずにずっと輝いてる、綺麗な宝石……」

 

 

 ヒナは立ち上がり、まっすぐ前を見つめる。

 昇っていく朝日の方を見ながら、ゆっくりと深呼吸をした。

 

 

「ほら、ヒオも立って立って」

 

 

 言われた通りに立ち上がり、ヒナに倣うように深く息を吸う。

 

 朝の空気はとても気持ちよく、肩が軽くなるように感じた。

 目の前で照らす朝日が、ぽかぽかと身体を温めていく。

 

 

 ヒナのおかげで元気が沸いてきた僕は、少しずつ言葉を紡いだ。

 

 

「……そうだね、ヒナの言うとおりだよ。過去なんてちっとも寂しくなくて、ずっと綺麗な物なんだね」

 

「そうそう! それに、これからもどんどん楽しいことがやって来るよ。その度にたくさん写真を撮って、アルバムもいっぱい作って、三人で分かち合おう?」

 

 

 風が少し吹き、ヒナは髪に手を回して抑える。

 その仕草は朝日と相まって、とても美しく、僕の瞳に焼き付いた。

 

 

 二人との思い出も、ヒナたち自身も、きっと僕にとって大切な宝石である。

 だから僕は、その宝石をもっともっと輝かせるようにしていきたい。

 

 

 昇っていく朝日をヒナと二人でずっと見続けた。

 瞳のカメラで写真を撮り、心のアルバムに仕舞えるように。

 



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僕たちの顔見世

 とある休日の田中工務店。

 

 僕たちはいつものように工務店の居間に集まり、これからの活動についての作戦会議を行っていた。

 

 

 三人で丸いテーブルを囲んで話し合う。

 

 ヒナは某ネルフの最高司令官のように机に両肘を立てて寄りかかり、両手で口元を隠している。

 ヒメもヒナに真似するように同じポーズを取っている。

 二人とも威圧感はゼロ。むしろ可愛さが勝っている。

 

 

 丸いテーブルの上には少し古ぼけたノートが広げてある。

 このノートは、昔僕たちが将来どんな動画を投稿してみたいかなどをまとめた物である。

 作戦会議の際にはこのノートを参考にしたりもする。

 

 

 作戦会議は二人の意見を主体に進んでいく。

 僕はまとめ役として、今後の動画で歌ってみたい、踊ってみたい曲などをノートにまとめていった。

 

 

 途中で小腹が空いたので僕の持ってきたお菓子をテーブルの上に出し、三人で摘まみながら話し合った。

 本日のおやつはジャム入りクッキー、ヒオおばさんのクッキーである。たーんとお食べ。

 

 

 会議が煮詰まってきたところで、二人に新しく何かやりたいことはないかと質問してみる。

 すると、二人から生放送をやってみたいという意見が出た。

 

 

「生放送?」

 

 

 予想していなかった提案に思わず聞き返してしまう。

 オウム返しをした僕に、ヒメの方からなぜ生放送をやってみたいのかを話し始めた。

 

 

「そう、生放送! 動画のコメントを色々と見てたんだけどね、生放送をやってほしいって声がたくさんあったんだ!」

 

 

 机に手をつき、肩を揺らしながら話すヒメ。

 全身を使った説明に生放送に対する熱意を感じられる。

 

 それに補足するようにヒナも話し出した。

 

 

「ヒナもたまにエゴサしてるとね、『二人の歌を配信で聴きたい!』『声の良い二人のトークを聞いてみたい!』ってツイート見つけるんだ。いや~声が良いだなんて照れちゃうな~」

 

 

「その通り! ヒナは良い声してるしコメントに分かるマーンだよ!」

 

「そんなこと言うヒメだって、声優さんみたいに良い声してるよ。もしヒナがプロデューサーだったら直ぐにスカウトしちゃうな~」

 

「えへへ~そうかな~」

 

 

 ヴッ!(心臓破裂)

 

 二人のてぇてぇをもう少し需要したいところではあるが、今は置いておこう。

 

 

 二人からの生放送という提案に少し頭を捻る。

 

 配信の経験は当然僕にはないので、どんな準備が必要なのかが分からない。

 しかし、現代の動画投稿サイトでは生放送がとても普及しており、割りと一般的になっているように感じられる。

 やり方のレクチャーなども、調べれてみれば何かしら分かりそうである。

 

 少々楽観的かもしれないが、二人がここまでやる気を見せているのだ。僕は喜んで協力したいと思う。

 

 

「……いいね。やろう、生放送」

 

「よーし!ヒオの同意も得られたし、生放送やるぞー!」

 

「お~!」

 

 

 ヒメの掛け声にヒナが小さく腕を上げ反応する。

 

 今までは動画投稿がメインであった僕たちだが、ついに配信という形での活動も始めることとなる。

 この前のMVに続いての新しい取り組み。

 

 生放送も成功できるようにと、僕もヒナに合わせて「おー!」と遅れて手を上げた。

 

 

 そうと決まれば、すぐに行動に移ろう。

 

 まずはこういうことに詳しそうな小島くんに聞いてみるのが良いだろう。

 配信はPCでやるイメージがあるし、機械類全般に強そうでメカニックな彼なら相談に乗ってくれそうだ。

 

 まあ準備には数週間はかかるだろうなあと思いながら、僕たちは作戦会議を終えた。

 

 

 

 

 

「生放送?できるぞ。明日でもいいか?」

 

「HAHAHA、ご冗談を」

 

 

 お昼休みの学校の屋上。

 夏の暑さはだいぶ落ち着き、外でも過ごしやすい季節となった。

 屋上の花壇に咲いていたひまわりも下の方を向き、そろそろ枯れてしまいそうである。

 

 僕は小島くんとベンチに腰かけて、昼食を食べながら、昨日のヒメ達の提案について話を持ちかけていた。

 

 えっ、明日?明日できるんですか?

 HAHAHA、とんだジョークだぜ小島くん。

 ……え、マジですか?

 

 

「生放送・配信なんて今はスマホ一つでもできる時代だからな。本格的な配信になると、カメラやマイク等の機材、配信ソフトウェアとPCが必要だったりするが」

 

「な、なるほど……」

 

「幸いヒオ達はある程度の機材が揃っているし、俺も配信ソフトは結構弄ったりしてるからな。直ぐにでも始められるぞ」

 

 

 僕の友人が有能すぎる件について。

 てっきり準備には何週間もかかるものだと思っていたが、こんなにも早くできるものだとは。

 配信が簡単なのか、はたまた小島くんが凄いのか分からなくなってきた。

 

 

「配信中のBGMの変更やテロップの操作は任せてくれ。お二人とヒオの晴れ舞台、喜んで協力するぞ」

 

 

 僕の友人が優しすぎる件について。

 

 ここまで協力的な小島くんになんだか申し訳ない気持ちが沸いてきた。

 今度お礼の差し入れでもしなければ。

 小島くんってどんなお菓子が好きなのかなあと、配信よりも小島くんへのお礼について僕は頭を回し始める。

 

 

「ある程度どんな配信にしたいかとかは決まってるのか?」

 

「えーと、内容は雑談と歌の二本で考えてるよ。最初に視聴者と交流してから、歌で喜んでもらえたらいいかなって……」

 

「分かった。こっちから聞きたいことは追って連絡するから、そっちは詳細についてまとまったらメールで頼む。やる気のあるうちに準備を進めよう」

 

 

 鉄は熱いうちに叩け、とも言うしなと締めくくり、彼は自分の昼食を食べ始める。

 

 か、カッコいい……!

 僕が女の子だったら惚れてますね間違いない。

 

 小島くんは将来仕事のできるタイプだろうなあと思い、僕も忘れかけていたお弁当を食べ始める。

 

 

 その後、昼食を食べつつも話はトントン拍子に進んでいき、大まかな計画を立てたところで昼休み終了の予鈴が鳴った。

 

 

 準備期間にドキドキする暇もなく、僕たちは生放送に臨むこととなった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 生放送当日。

 配信は工務店の防音室での決行となった。

 

 ヒメとヒナは既に撮影のカメラが映す前方にスタンバイしており、カメラの死角では僕と小島くんが配信の準備をしている。

 PCは二台用意されており、ヒメとヒナがコメントを見る用と、小島くんが操作する用で分かれている。

 なんだかとても本格的である。

 

 小島くんの方のPCを覗くと、配信の待機画面に現在の視聴者数が表示されていた。

 既にコメントも流れているようで、一時間前から待っている人や滑り込みで見にきた人、また視聴者同士での会話なども見られた。

 

 

『生放送やったー!』『待ってた!』『俺らの願いが届いたんだ!』『生きてて良かった』『神に感謝』『休日にやってくれるの助かる』『今日は平日だゾ』『あっ(察し)』『ニート兄貴は強く生きて』

 

 

 コメント欄から、今か今かと放送を待ち望んでいる様子が伝わってくる。

 ニート兄貴は本当に強く生きてね。

 

 ヒメとヒナは始めの挨拶の練習をしたり、コメントが流れているのを見て嬉しそうにしていたりと、初めての配信に対して緊張は感じていないようである。

 相変わらず鋼のメンタルだなあ。

 

 柔らかさで言えば豆腐メンタルの僕は、カメラを向けられているわけでもないのにかなり緊張している。

 具体的にはさっきからずっと胃がキリキリと鳴っている。

 胃薬飲もうかな……あ、さっき飲んでたや。

 

 

 今回の僕の役割は、二人の歌に合わせたギターの演奏である。

 配信に出るのは色々と僕の体がもたないので、完全に裏方に徹するようにしてもらった。

 直接出るわけではないので、そこだけは安心である。

 

 

 開始予定の時間まで、もう残り一分を切った。

 

 

「それじゃあ田中さん、鈴木さん。俺が合図を出したらマイクとカメラをオンにするので、それから始めの挨拶をお願いします。後は頑張ってください、健闘を祈ります」

 

 

 そして時間は定刻となり、小島くんが二人に合図を送った。

 予定通りマイクとカメラがオンになり、こちらの様子が配信画面に映し出される。

 

 

 ヒメとヒナはお互いに目配せをして、頷き、カメラに向けて精一杯の笑顔を見せた。

 

 

「「こんばんわー!! ヒメヒナでーす!!」」

 

 

 二人の元気が出るような明るい挨拶とともに、僕たちの生放送はスタートした。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「「こんばんわー!! ヒメヒナでーす!!」」

 

『来た!』『キタ━(゚∀゚)━!』『こんばんわー!』『初見です!』『待ってた』『きちゃ!』『こんばんわ!』

 

 

 可愛いらしい挨拶と共に画面に映し出された二人。

 二人の登場を境に、コメントが少しずつ加速し始める。

 

 進行通り、ヒメの方から視聴者に向けて自己紹介を始める。

 

 

「改めて自己紹介するね! 田中ヒメです!」

 

「鈴木ヒナです!」

 

「「二人合わせて、ヒメヒナでーす!!」」

 

『かわいい』『かわいい』『可愛いが過ぎる』『あいさつ息ピッタリ!』『開幕尊死』『守りたいこの笑顔』『かわいい』『持病に効く』『いずれ癌に効く』

 

 

 掴みは上々。開幕から良い滑り出しである。

 コメントは滝のように流れていき、コメントの内容も普段の僕みたいなのがたくさん見られる。

 二人の登場を心待ちにしていてくれたのが伝わってきた。

 

 

「今日は皆の要望に応えて生放送をやってみたんだ! どう皆? しっかり見えてるー?」

 

「音量とか大丈夫? 大きかったら言ってね~」

 

『見えてるー!』『ばっちり!』『音もちょうどいいよ!』『適量』『配慮助かる』『優しい』『画面と音量に配慮できる配信者の鑑』

 

「ありがとう! 初めての配信だからちょっと緊張してるかもだけど、今日は皆よろしくねー!」

 

「よろしく~」

 

 

 視聴者とのコミュニケーションも上手くいっているようである。

 コミュ力お化けの二人の為せる技だろう。

 

 挨拶も終わり、配信の話題はこの前投稿したMVの話題へと移っていった。

 

 

「MV、皆見てくれたかな? ヒナ達で頑張って撮ってみたんだ~」

 

『めっちゃよかった!』『可愛さ爆発してた』『水着可愛かったよ!』『美しすぎた』『毎日見てます』『毎秒見てます』

 

「ほんと!? 良かった~! いやー撮影大変だったよねヒナ。丸二日かけて朝から晩まで!」

 

「本当に大変だったね~。でも、その分すっごく良いMVが撮れたよね」

 

「うん! ヒメ達の力作だよ!」

 

『撮影場所凄い綺麗だったね』『歌も良かったよ!』『夕焼けがエモかった』『スクショがもはや宗教画』『砂浜歩くところよかった』

 

「砂浜のところいいよね~。そのシーン、確かヒメがカメラに意識しすぎちゃってコケちゃったんだ~。その後コケたの誤魔化そうと変な踊りし始めたの面白かったな~」

 

「ちょっとヒナ! それは内緒にしておいてよ~」

 

『バラされてて草』『変な踊りって何だw』『ヒナちゃん無慈悲で笑った』『田中、さてはポンか?』『ヒメちゃんはギャグキャラだったか』『ヒメヒナのボケ担当』

 

 

 無慈悲にもヒナに撮影の裏側も話されたヒメが、お返しとばかりにヒナのエピソードも暴露し始める。

 

「ヒナだって、いつも歌詞の漢字と英語のところ凄い読み間違えるから、今回は全部ひらがなの歌詞カードもらってたじゃん!」

 

「ええ!あの歌てっきり全部ひらがなだと思ってた!」

 

「えぇ……」

 

『どっちもポンじゃないか!』『お笑いアイドルユニット』『その名はヒメヒナ』『ボケとボケだったかぁ』『歌と踊りのときはあんなにカッコいいのに』『これがギャップ萌えかぁ』『草』

 

 

 普段の動画といつも通りの二人のギャップに、見ているひとはとても驚いているようである。

 さっきのような二人のエピソードは掘れば掘るほど出てくるので、視聴者の皆にはこれからもそのギャップを楽しんでほしいものである。

 

 

 二人の軽快なトークで場は温まってきたところで、次に質問コーナーの時間となった。

 

 見ているひとは歌と踊りをする二人しか知らないため、二人について知ってもらうことでより親近感を持ってもらおうというコーナーである。

 

 

 ヒメが質問を募集すると、たくさんの質問がコメントに流れはじめた。

 二人は答えやすそうな質問から一つ一つ答えていく。

 

 

『二人は何歳ですか?』

 

「ヒメとヒナは15歳だよ! 高校生です! ピッチピチだぜ~」

 

「いぇ~い」

 

『女子高生はそんなこと言わんのよw』『なるほどJKか』『閃いた』『通報した』『捕まえた』『こんな可愛い子のいるクラスが存在するのか』『羨ま死』『転校したい』

 

 

『好きな食べ物は何ですか?』

 

「え~と、ヒナはコーラが好きで~す。あのシュワシュワには抗えない。ヒメは確か肉まんが好きだよね」

 

「うん! 肉まん大好き!」

 

『大好き助かる』『俺が肉まんだ!』『俺がコーラだ!』『俺が大好きだ!』『俺が大好きって何だよ』『質問は食べ物なのに回答が飲み物』『可愛いからOK』『可愛いは正義』『ヒナちゃんは正義』

 

 

『投稿を始めたきっかけは?』

 

「投稿したい! って思ったのはヒメ達が小学生の頃かな。色んな歌ってみたと踊ってみたの動画を見て、ヒメ達もやってみたい! ってなったんだ」

 

「そうそう。それから直ぐに初めての動画も投稿したんだよね。懐かしいなあ~」

 

「けど、小学生なのにまだ早い! って怒られちゃったよね~。でも、高校生になったらやってもいいよって約束になって、やっと動画投稿ができるようになったんだ」

 

「それから高校生になるまでに、歌と踊りの練習もたくさんしたよね。今も皆に見てもらえるように、練習は継続中だよ」

 

『良いエピソード』『熱い展開すぎる』『二人は小さい頃からの仲なのね』『幼なじみってやつか』『昔から頑張ってきたからこそのクオリティだよな』『歌もダンスも通りで上手いわけだ』『努力の結果やね』

 

 

『ヒメちゃんのお団子はどうやって作ってるんですか? 凄くかわいいです!』

 

「ありがとう! お団子はヒナに作ってもらってるんだ~。かわいいでしょ!」

 

「まずはヒメを起こすところから始めるんだよ。お団子職人の朝は早い」

 

「いつもありがとうねヒナ」

 

「えへへ、どういたしまして」

 

『てぇてぇ』『尊い』『尊死』『てぇてぇ』『最高かよ』『ここにキマシタワーを建設しよう』『てぇてぇ』

 

 

『アニメは見ますか?』

 

「アニメ見るよ~。今季は◯◯が面白いよね。」

 

「ヒメも見るよ! よくヒナと一緒に見ながら実況してるよ」

 

『アニオタ俺歓喜』『◯◯面白いよね』『ヒナちゃん深夜アニメ見るのか』『すごい親近感沸いた』『ちなみにヒナちゃんの好きなアニメは?』

 

「好きなアニメはね~。凪のあすからと輪るピンクドラム、steins;gate、ソードアートオンライン、コードギアス、魔法少女まどか☆マギカ、東のエデン、マギ、みなみけ、みつどもえ、ゆるゆり、けいおん……」

 

「ヒナ! ストップ! ストップ!」

 

『止まってヒナちゃんw』『止まれぇ!鈴木ィ!』『ガチのオタクだ』『呪文かな?』『JKが◯◯なんて知ってるのか』『信頼できるラインナップ』『◯◯好きは信頼できるオタク』

 

 

 二人の個性的なキャラが受けたようで、質問コーナーは大盛り上がり。

 視聴者数も伸び始め、配信は徐々に熱を帯びていった。

 

 初めての配信で不安に思うところもあったが、二人のおかげで順調に進んでいるようだ。

 放送の途中でまだまだ緊張は解いてはいけないが、マイクに入らないようにそっと溜め息をつく。

 

 

 少しだけ安心していると、ヒナがとある質問を拾った。

 

 

『路上ライブのときにいたギターの子は誰ですか?』

 

『ギターの子?』『路上ライブの動画のあの子かな』『あのギター上手かった子か!』『あの子も可愛いかったよな』『美少女ギタリスト』『あの動画以来ぜんぜん見ないな』『また見たい』『もう一度出て(懇願)』

 

 

「路上ライブね! あの時ギターを弾いてくれたのは、ヒオっていうヒメ達の友達だよ!」

 

『ヒオちゃん?』『お名前発覚』『ヒオちゃんか』『ヒオちゃんすこ』『レアキャラ』『また見たい』『ヒオちゃん見てるー?』

 

「ちょうどヒオならそこで見てるよ。お~いヒオ~」

 

 

 ヒナが曇りない笑顔でこちらに手を振ってきた。

 

 なんだか不味い気配がして生唾を飲み込む。

 この流れはもしや……。

 

 

『マジで!?』『ヒオちゃんいるのか!』『もう一回出てほしいです!』『また見たいです!』『声だけでもお願いします!』

 

 

 ヒナの一言で、視聴者の興味の矢印が僕の方に向き始めた。

 その瞬間、ブワっと嫌な汗が吹き出る。

 

 これってもしかして、僕が出る流れ……?

 

 

 どうしたらいいのか分からない僕は、助けを求めるように二人の方を見る。

 ヒナは「がんばれ~」とこちらにエールを送り、ヒメも「ファイト~」と僕に応援をしている。

 

 ムリムリムリムリかたつむり!

 

 ヒメ達の方に向け手でバッテンを作り、高速で横に首を振る。

 

 全力で断りの意志表示をしていると、横にいた小島くんにポンポンと背中を叩かれた。

 彼の方を見るとにこやかな笑顔で「行ってこい」と口パクをしていた。

 

 僕に味方はいないんですか!

 

 

 あ"ん"ま"り"だぁ"~と心のなかで号泣し、少し冷静になる。

 このまま僕が出ずにいれば、その分だけ配信は滞ってしまうのではないだろうか。

 

 せっかく二人が盛り上げた空気。

 それを僕の躊躇で、配信の流れを悪くしてしまうのはあまりにも忍びない。

 今この瞬間も、コメントは僕の登場を今か今かと待っている。

 

 

 ……ええい、ままよ!

 腹を括れ僕!二人のために頑張るって決めただろ!

 

 

 僕はヒメ達からもらった、いつも胸元に仕舞っているヘアピンを取り出す。

 そのまま前髪をピンで留め、いつも隠している目元を露出させた。

 

 小島くんに正体を明かしたあの時のように。

 

 

 なけなしの勇気を振り絞り、僕はカメラの前に姿を表した。

 

 

「どどどどどどうも、佐藤ヒオでしゅ」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"

 

 

 出だしからやらしてしまい頭を抱える僕。

 

 正直もうお家に帰ってベッドの中でジタバタ暴れまわりたい気分である。

 

 はぁはぁはぁ……。

 なんだよ、結構当たんじゃねぇか……(悪い予感)

 俺はヒメヒナ応援団団長(非公認)、サトウ・ヒオだぞ……

 こんくれぇ、なんてこたぁねぇ……(大嘘)

 

 止まるんじゃねぇぞ……と自分をなんとか鼓舞し、恐る恐るコメントを見てみる。

 

 

『ヒオちゃんキター!』『きちゃ!』『かわいい!』『三人目の美少女』『初っぱな噛んじゃうのかわいい』『芸術的な噛み方だった』『緊張がこっちにも伝わってくる』『発表のときの俺かな?』『ヒオちゃんは可愛いから許されてるんだゾ。お前はアウト』『辛辣で草』

 

 「あっ……あっ……」

 

 

 流れていくコメントに対応しようとするが、僕の口はパクパクと開閉するだけで何の言葉も出てこない。

 「あっあっ」と頭が真っ白になっている僕に、ヒメが助け船を出す。

 

 

「落ち着いてヒオ! 大丈夫だから!」

 

「ほら一緒に深呼吸しよ? 吸って~吐いて~吐いて~吐いて~」

 

「……ゲホッ! ゲホッ! そこは吸わせて!?」

 

 

 危うくヒナに酸欠で殺されかけた。

 

 ヒナの悪戯によりまたもや僕の痴態が顕になる。

 失敗のフルコースをかました僕にコメント欄が大量の草を流し始めた。

 

 

 ぐぬぬ、おのれ鈴木。この恨み晴らさずべからず……。

 今度作るおやつの量、ちょっとだけ減らしちゃうからな……。ちょっとだけ。

 ヒナへのささやかな復讐を決意する。

 

 

 しかしヒナのおかげか、先程よりも緊張の糸は解れた気がした。

 一度大きく失敗してしまったせいか、これ以上はもうドジることはないだろうと考えることができる。

 

 配信の空気も悪くなっていないようなので、なんだかんだヒナに救われた形になる。

 ありがとうヒナ、今度おやつの量増やすね(手のひらドリル)

 

 

 ヒナからのナイスフォローを受け、配信は僕を交えた三人での質問コーナーとなった。

 よーし、質問に答えられるよう頑張るぞ。

 

 頑張るゾイ!と改めて僕は気合いを入れた。

 

 

『三人はどういう関係なの?』

 

「ヒメ達は幼なじみだよ! もう10年くらいの付き合いになるかなー」

 

「うん、昔から遊ぶときはいつも三人一緒だったよね~」

 

「……あっ、えと、はい、そうなんです」

 

『幼なじみ全員美少女なんてことある?』『奇跡の三人』『画面に美少女しかいない』『目の保養すぎる』『なんだこの幸せ空間』

 

 

『ギター滅茶苦茶上手いです! いつ頃から始めたんですか?』

 

「あっ、はい! ええと……割りと昔から、小さい頃からやってます。たぶんもう10年くらい……やってます、はい」

 

「実は歌ってみたの動画も、ギターはヒオが弾いてるんだよ!」

 

「ヒオは曲も作れちゃうんだよ。この前のMVとかのオリジナル曲も、全部ヒオが作曲してるんだ~。すごいでしょ?」

 

『マジで?』『やべーなオイ』『すっご』『概要欄の作曲ヒオはこの子だったのか』『作詞もヒメヒナだぞ』『チートか?』『実は人生二週目だろ』『才能の塊』『三人とも天才じゃったか』

 

「……あう、あっ、えっと、ありがとう……ございます」

 

 

 壊滅的である。僕のコミュ力。

 まだ人間社会に馴染めない強面だけど優しい森の生き物とかの方が円滑にコミュニケーションが図れそうである。僕は人間として向いてないらしい。

 

 それとずっと謎であるが、なぜか僕も「ヒオちゃん」とちゃん付けされている。

 どゆこと?ヒオ・チャンってこと?僕中国人っぽいかな。

 そういう配信の文化でもあるのだろうか。配信には疎いためよく分からないままである。

 

 

 配信は二人のトークをメインに盛り上がり、刻々と時間が過ぎていった。

 

 ここで裏方の小島くんがカンペを出し、次のコーナーの時間が迫っていることを教えてくれた。

 配信開始から既に何十分も経っていたようである。

 

 

 ヒメがカンペに気づき進行を執る。

 

 

「みんなたくさん質問ありがとー! 答えきれなかった質問は今度また答えるねー!」

 

「閉店がらがら~またのご来店を~」

 

 

 質問コーナーを締め、一呼吸置いてから次のコーナーの説明を始める。

 

 

 

「それでは配信の最後に! ヒメ達で歌を歌いたいと思いまーす! イェーイ!!」

 

「いぇ~い!」

 

「イェーイ」

 

『な、なんだってー!』『来たぜ、この時が』『待ってた』『ありがとうありがとう』『やったぜ』『よっしゃあ!』『うおおおおお!!!!』『キタ━(゚∀゚)━!』『(゚∀゚ 三 ゚∀゚)』『神に感謝』

 

「準備するからちょっと待っててね!」

 

「待っててね~」

 

 

 配信画面を一時的に待機画面に固定する。

 二人はマイク、僕はギターをいそいそと準備する。

 

 画面越しだが、大勢の前での演奏はこれで二回目。

 失敗の効かない本番はとても緊張するが、反応の優しい視聴者や落ち着いた二人の安心感が少しだけ緊張を解してくれる。

 

 自然とギターを握る手に力が入る。

 二人も飲み物で喉を潤し、「あー」と声だしをしている。

 

 

 チューニングを終え、三人とも準備は完了した。

 

 

「皆お待たせ!それじゃあ早速、一曲目いきます!」

 

 

 ヒメの元気な掛け声から、数拍置いてギターのイントロが流れ出す。

 

 

 三人とも歌と音楽の世界に入り、静かに集中する。

 今はただ二人の歌声と僕のギターの音しか聴こえない。

 

 

 一曲目、二曲目と終わるのはあっという間だった。

 

 たくさんの賛美のコメントとともに、僕たちの初配信は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 何のトラブルもなく、配信は無事終了した。

 

 総視聴数は、予想よりも桁数が多くてビックリした。

 既に動画に寄せられたコメントやツイスタでの呟きもたくさんあり、反響は中々といった形になった。

 今回の配信を通じて二人の魅力を存分に知ってもらえたと感じている。

 

 僕は配信終了と同時に緊張の糸が切れ、膝から崩れ落ちた。

 僕がドサァと床に倒れこみそうになったとき、ヒメとヒナから支えてもらった。

 僕を支えた瞬間ヒメが軽っ!っと驚いていた。

 ちょっとショックである。

 

 

 小島くんに配信のお手伝いをしてくれたお礼を言ってから、夜遅くに解散した。

 彼の協力無くしてはここまでの成功もなかっただろう。本当に彼には感謝感激雨A・RA・SHI(国民的アイドル)である。

 

 ヒメとヒナも流石に疲れた様子で、二人して工務店のソファーに項垂れていた。

 ヒナは頭をヒメの膝の上に倒し膝枕の態勢になり、ヒメは乗っかってきたヒナの頭を撫でている。

 労働後のてぇてぇはたまらねえぜ!

 

 二人から一方的に元気もらい、おやすみの言葉を掛けてから僕はよろよろと帰宅した。

 

 

 

 翌日。

 

「あ、ヒメ。ヒオからLINE来てる。えーと、『体調崩したので学校休みます』だって」

 

「ありゃ、また不調? ヒオ大丈夫かなあ」

 

「路上ライブのときも次の日ダウンしてたよね。実はいつもの不調の原因は緊張だったりして」

 

「いくらヒオが目立つの苦手だからって、そんな倒れるほどにはならないでしょw」

 

「あはは、流石にそうだよね~」

 

「一応、学校行く前にヒオのお家寄ってこっか」

 

「うん!」

 

 

 その後リビングで倒れてる僕をヒメが発見。

 またもやお医者さんのお世話になり、ストレス性の何かが原因だと診断された。

 

 自宅のベッドの上で、このまま僕の胃に穴が空くのも時間の問題だなあと考える。

 まあ、二人のためなら体に風穴が空いても大丈夫かなとポジティブに考え、僕は安らかな眠りに着いた。

 

 



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僕の競走

 夏の暑さも過ぎ去った今日この頃。

 

 半袖でいるには少し肌寒く、紅葉が色付くにはまだ早い。夏と秋の中間くらいの季節となった。

 それでも衣替えした長袖の制服に袖を通すと、少しずつ秋に近づいていることを感じられる。

 

 

「もうそろそろ秋だね」

 

「だね~」

 

 

 ヒメとヒナが感慨深そうに呟く。

 

 二人とも長袖の制服に身を包み、すっかり秋仕様だ。

 夏にお世話になったブラウスはクローゼットの中で眠りに着き、また来年の夏まで活躍することはないだろう。

 夏服の二人も良かったが、長袖制服の二人も実に捨てがたい。四季折々の二人を見ることができる日本に生まれて本当に良かった。

 

 

「もう少し寒くなったら、肉まんが美味しい季節だねヒナ」

 

「ヒメの秋は食欲の秋だね。ヒナは読書の秋かな~」

 

「おー知的だ」

 

 

 読書は読書でも、たぶんラノベのことだろう。

 純文学を読むヒナ……。想像がつかない。内容と漢字の難しさですぐに夢の世界へ旅立ちそうである。

 

 

「ヒオ、ラノベは文学だよ」

 

 

 アッハイ。

 ヒナに心を読まれてしまった。読書ではなく読心の秋だったようである。

 

 ◯◯の秋と名が付くように、秋にはたくさんの風物詩がある。

 食欲、読書、はたまた僕の苦手な運動だったり。また秋の名を冠する楽しみは、人の趣味によって十人十色だ。

 

 ちなみに僕ならスイーツの秋である。栗やかぼちゃ、さつまいもなどが採れる秋はスイーツ作りの創作意欲が掻き立てられる。

 

 旬の味覚をたくさん感じることができるのも秋の魅力の一つだろう。

 

 

 秋について思いを深めていると、ヒナがとある質問をした。

 

 

「食欲の秋と言えばヒメ、昨日のお風呂上りにさ」

 

「お風呂上がり?」

 

「体重計に乗ってたけど」

 

「ん"ん"っ!?」

 

 

 虚を突かれたような声を出すヒメ。

 恐らく良くない話なのだろう。どこか顔色も悪い。

 

 

「体重計に乗ったとき、なんでちょっとショックそうな顔してたの?」

 

「えーと、それはですねえ鈴木さん……」

 

「それは?」

 

「あはは……」

 

 

 ぎこちなく苦笑いを浮かべるヒメ。

 

 ヒナはただ疑問に思ったことを訊いているだけなのだろうが、まるで警察の取り調べのようだった。容疑者ヒメは言葉を濁すばかりである。

 

 するとヒナは何かに気づき、例の疑問を発してしまった。

 

 

「ヒメ、もしかして太っ……」

 

「あー!! あー!! あー!!」

 

 

 僕に聞こえないように大声を出すヒメ。ヒナの暴露を物理的に掻き消そうとする彼女の努力が窺えた。

 

 すかさず僕は耳を塞ぎ、ヒメの尊厳を守るために聞こえていない振りを努めた。

 

 ヒメは後ろを歩いていた僕の方へ振り向く。すぐに慌ただしく問い質してきた。

 

 

「ヒオ!何も聞いてないよね!?」

 

「ハイ」

 

「本当に?」

 

「何モ聞イテナイヨ」

 

「……本当はどこまで聞いたの?」

 

 

「……えっと、ヒナの「太っ」の辺りまで」

 

「それもう9割じゃん!!」

 

 

 思わず白状してしまった。推しからの問い詰めには抗えなかったよ……。

 真実を知ってしまったヒメは「うわーん!」とその場で塞ぎ混んだ。ごめんねヒメ……。

 

 ヒメの慌てようが面白かったのか、ヒナはそれを見てカラカラと笑っていた。その笑顔は天使というよりもはや小悪魔である。

 

 

「うう……。ヒメの機密情報が……」

 

「まあまあ、そんな日もあるよ」

 

「そんな日ばっかりだよ!? もう! ヒナのお喋り! スパイ! 田中工務店の諜報員!」

 

「それちょっとカッコいいかも」

 

「カッコよくない!」

 

 

 ひとしきりヒナに怒ったあと肩を落として落ち込むヒメ。

 田中工務店の内情は鈴木諜報員の手によって筒抜けである。ヒメのプライバシーはボロボロよ……。

 

 そんな落ち込むヒメの無防備な脇腹に、小悪魔の魔の手が迫った。

 

 

「どれどれ……」

 

「きゃっ!」

 

 

 突然の感覚に思わず声を出してしまうヒメ。

 

 その元凶のヒナは後ろからお腹に手を回し、探るようにヒメの腹部を触っていた。

 ヒメは身を捩りくすぐったそうにしている。

 

 

「ちょっとヒナ……くすぐったいよ……」

 

「う~ん?」

 

「だから、ダメだって……」

 

 

 艶っぽい声を出すヒメ。何だか見てはいけない物を見ているような気分がする。

 捜査は終了したのか、ヒナがお腹からぱっと手を離す。

 

 

「やっぱり全然太ってなくない?ヒメの気にしすぎだよ」

 

「そ、そうかな……?」

 

「ヒナの触診だと、ヒメのお腹はむしろスッキリ判定だったよ」

 

「でも、体重が……」

 

「ヒナの言うことだけじゃ信用できない?」

 

「そうじゃないけど……」

 

「あ、そうだ。ヒオも触ってみる?ヒメのお腹」

 

「……ちょっとヒナ! ヒメのお腹は触り放題の銅像じゃないからね!? ご利益とかないからね!?」

 

 

 先ほどの落ち込みから一転、ツッコミで元気を取り戻すヒメ。とんだ荒治療である。

 ヒナからの提案にはありがたく断らせてもらった。

 

 しかし、田中ヒメという美少女は国の重要有形文化財としていつ登録されてもおかしくなく、ご利益は確かにありそうである。一応拝んでおこう。

 

 

 ヒナの言う通り、太っ……お腹周りが成長したのはヒメの気のせいだと思う。

 夏の水着を着ていた時にはむしろ瘦せ型、スレンダー体型だったと記憶しているし、普段からダンスの練習やランニングをしている二人が体型を崩すとはなかなか考えられない。

 そもそも僕たちは成長期なので体重が増えているのは正常。健康的に成長している証だろう。

 

 ヒメに充分スタイルが良いこと、なんならもっと食べた方が良いことを伝える。

 

 

「そ、そうかなあ……。まあヒオがそう言うなら……」

 

 

 少しでも納得してくれたのか、ヒメは渋々といった様子で受け入れる。

 

 うーむ、美意識が高いというか自分に厳しいというか……。

 ヒメの努力家だったりストイックなところは尊敬しているが、客観的に見て自分を肯定する視点も持ち合わせてほしいとも思う。長所と短所は表裏一体なのかもしれない。

 ヒメの性格について少しだけ考えを巡らせた。

 

 

「もしかして、ヒオが持ってきてくれる美味しいお菓子が原因なのでは……? ヒナは訝しんだ」

 

 

 満更否定できないのが痛い。

 確かに僕は事あるごとにお菓子を作っては二人のところへ持って行く。それこそ週一のペースで。糖質のお届け便みたいなものである。

 

 しかし二人が美味しそうに食べてくれるのだ。作る側としてはぜひまた食べてほしいと思ってしまう。そしてまた作ってしまう。無限ループって怖くね?

 

 

「逆に、ヒナはなんであんなに食べてるのに太らないの……? カロリーはどこに……?」

 

「ヒオのお菓子は出来立てだからね。カロリーは時間の経過とともに溜まっていくから、ヒオのお菓子はカロリーゼロだよ」

 

 カロリーゼロ理論、実在したのか……。

 

 質量保存の法則もビックリの理論はさておき、ヒナはあれだけ摂取したエネルギーをどう消費しているのだろうか。

 ヒナは人一倍間食の多いが、ヒメに負けず劣らずのスタイルの良さ、プロポーションを保っている。

 もはやカロリーのイリュージョン、世界七不思議の一つ。鈴木ヒナというオンナの謎はますます深まっていくばかりだ。

 

 

「運動の秋と言えば、マラソン大会も近くなってきたね!」

 

「お~マラソン大会。そろそろだね~」

 

 

 マラソン大会、か。

 

 

「…………はあああああ」

 

「すっごいため息だねヒオ」

 

 

 ヒメのマラソン大会という言葉に、今度は僕が肩を落とす。

 ため息も漏れてしまうというものだ。

 

 そう言えばそんな行事あったなあ。忌々しい行事すぎて頭の中から忘却してしまっていた。

 

 

 マラソン。

 陸上競技のうちの一つ。長距離走を指す言葉であり、脇腹への痛みや喉の渇き、更に転倒の恐れがあるなど人体への影響が甚大な超ヤバい競技である(個人の主張)

 

 マラソン大会にはまるで良い思い出がない。

 

 嫌すぎて、爆破予告でも仕掛けて全面中止にしてやろうかなと危険思想に走りかけたことがあるくらいだ。本当に嫌な思い出しかない。

 心から嬉しくないイベントを思い出したせいか僕の顔は一気に老け込み、しわしわピカチュウのような顔でとぼとぼ歩く。

 

 

「うわっ、ヒオしわしわピカチュウみたいな顔になってるよ。大丈夫?」

 

「大丈夫ダイジョーブ。元からこんな顔だから」

 

 

 ヒナから心配されたので謎に強がっておく。

 

 そうしていつも通りヒオヒオ(ヒオが落ち込んでいる様子。週6で見られる)していると、またヒナから声を掛けられた。

 

 

「ねえヒオ」

 

「……うん?どうしたの」

 

「今年はさ、マラソン大会に向けてちょっと頑張ってみない?」

 

「頑張る……?」

 

「うん。ヒナがトレーナーになって、ヒオをトレーニングしてあげるよ」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 家から歩いて10分ほどの場所。

 僕とヒナは近くの河川敷にやって来た。

 

 河川敷の面積はとても広く、見渡せばスポーツのできそうなグラウンドや手入れの届いた芝生が目に入る。ボール遊びや水きりで遊ぶ元気な子どもたちの姿も見られた。

 

 

 僕とヒナはそんな河川敷の一角で向かい合うように立っていた。二人とも運動用のジャージを着ている。

 ヒナは腕を前に組み仁王立ち、首にホイッスルを下げている。あとなぜか隣に大きなタイヤが横たわっていた。

 

 いまいち何をするのか飲み込めない僕はヒナに質問をする。

 

 

「ところでヒナ。トレーニングって一体何をするの?」

 

「ごほん、鈴木トレーナーと呼びなさい」

 

「鈴木トレーナー。僕はこれから一体何をするんですか?」

 

「うむ。それではこれからトレーニングの説明をしよう」

 

 

 トレーナーというよりも謎の教官キャラになっているヒナがトレーニングについて説明を始めた。

 

 

 鈴木トレーナー曰く、トレーニングで鍛えることは、スピード、スタミナ、パワー、根性、賢さの五つに分けられるらしい。

 パワーを鍛えれば中盤以降の追い上げが上手くなり、賢さを鍛えればスキルの発動率が上がるんだとか。賢さ……?スキル……?

 

 

 今日は根性を鍛えるトレーニングをするそうだ。

 トレーニング内容は、タイヤにつながれたロープをお腹に巻いて引っ張り、根性を鍛えるらしい。

 昭和のスポ根漫画のようなトレーニングだが、果たして非力な僕が引っ張ることなんてできるだろうか。

 

 

「さあヒオ、頑張って~」

 

 

 ヒナがパンパンと手を叩きトレーニングは開始した。 

 

 ヒナの応援を受けて、僕はタイヤを引っ張り始める。地面を一歩一歩踏みしめながら、じりじりと前に進んでいく。

 推しからの応援というブーストをかけることで、僕は火事場の馬鹿力を発揮することに成功。トレーニングを可能にしていた。

 

 ヒナの言われるがままにタイヤを引っ張っていると、突然タイヤが重くなった。

 

 不思議に思い後ろを見ると、タイヤに腰かけて僕を応援するヒナの姿があった。

 女子一人分重くなったタイヤは先ほどのように動いてはくれない。うんともすんとも言わず微動だにしなかった。

 

 

「あはは、流石にこれは無理そうかなヒナ……」

 

「……ヒナ、重い?」

 

「全然重くないよ! むしろさっきより軽いよ! うおおおおおお!!!!!」

 

 体をくの字型に曲げて必死になってタイヤを引っ張る。端から見るととても珍妙な光景だと思う。

 それから数分間に渡ってタイヤを引き続け、根性のトレーニングは終了した。ちかれた……。

 

 

 初日から体はバキバキ、関節がブレイクしかけたが、ヒナからストレッチの手伝いとマッサージをしてもらい、驚異的な回復力でトレーニング続行を可能とした。

 

 こうして、マラソン大会に向けた僕とヒナのトレーニング生活は幕を開けた。

 

 

 スピードのトレーニングでは、走るタイプのトレーニング器具が田中工務店にあったためそれを使用した。中島さんの私物だろう。

 たまに物凄いスピードで走らされ、足元のキャタピラから飛び出し、後ろへ身を投げた。

 何度も失敗していくに連れて受け身が上手くなり、最終的には五点接地ができるになるまで到達した。スピードよりも護身術が身に付いた気がする。

 

 スタミナのトレーニングは室内プールでの水泳だった。市内に温水のプールで泳げる施設があったため、そこに鈴木トレーナーと共に足を運んだ。

 カナヅチのため、泳ぐときにはラッコのようにビート板を抱えて泳いだ。少しだけ恥ずかしい。

 途中、プールの監視員さんに「君、何をしてるんだ!? ちゃんと上を着なさい!」と怒られた。理由は分からなかった。

 

 パワーのトレーニングでは瓦割りをした。

 瓦割りと走ることに何の関係が……? と疑ったが、楽しそうに瓦を積む鈴木トレーナーを見ると何も言えなかった。

 結局一枚も割ることはできなかったし、僕の拳が粉砕骨折しかけた。危うく右手が軟体動物になるところだった。

 ヒナは五枚ほど割っていた。ひぇっ……。

 

 賢さのトレーニングでは将棋を指した。

 もう僕は何もつっこまないことにした。

 ヒナが将棋のルールを知らなかったため、代わりに将棋崩しをした。

 ヒナのくしゃみで山は倒壊し、初めて僕は勝利を治めた。これから寒くなる時期なので、ヒナに温かくするよう注意した。

 

 たまにトレーニングにヒメが駆り出され、鈴木トレーナーが「これが友情トレーニングだよ! 基礎能力ポイントがたくさん貰えるんだよ!」と言っていた。

 聞き覚えのある単語だった。

 

 トレーニングをしている最中に、ウマとか娘とかプリティーとかダービーとかの単語が脳裏をよぎった。

 何も考えないように、僕は黙々と特訓を続けた。

 

 読者に人気がないと定評の修行パートはそんな感じだった。

 

 

 トレーニングの日々はめくりめくり過ぎていき、とうとうマラソン大会当日となった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「ヒオくん。これまでよくトレーニングを頑張った」

 

「はい鈴木トレーナー! 恐縮です!」

 

「もう私にできることは何もない。本当に、君はよく頑張ったと思う」

 

「勿体ないお言葉です鈴木トレーナー! それと、今までありがとうございました。必ずや一着のゴールテープを切ってきてみせます!」

 

「それは素晴らしいことだが、結果が全てではないよ。君がこれまで築き上げてきた努力、それこそ何物にも代えがたい価値がある。そしてその価値は、私が一番よく知っているつもりだよ。ヒオくん」

 

「鈴木トレーナー……!」

 

 

 鈴木トレーナーからの熱い言葉に、とめどない思いが溢れる。

 お互いに気持ちが高ぶり、熱い抱擁を交わした。

 

 僕、頑張ります……!

 そしていつか必ず、強くてかっこいい三冠ウ○娘になりま……

 

 

「……おーいヒオ、それと鈴木さんも。そろそろこっちの世界に戻ってきてくれ」

 

「……はっ!?」

 

 

 小島くんに呼ばれたことをきっかけに正気を取り戻す。

 僕は今まで一体何を……?

 危うく三冠ウマ◯を目指し人間も辞めかけていた気もするが、寸でのところで帰ってこれたようだ。

 

 なぜかヒナと抱き合っていたのでそっと離れた。

 はて、スタンド攻撃でも受けていたのだろうか。記憶が本当にない。

 

 

「それじゃあ俺は運営に戻るぞ。お二人は頑張ってください、ヒオはマラソン中に転んで死なないようにな」

 

 

 そう言って運営係の小島くんはどこかに行ってしまった。運営のお仕事も大変そうである。

 

 

 正気を取り戻した僕とヒナ、ヒメの三人で軽い準備運動をしていると、とある男子生徒がヒナに声をかけてきた。

 

 男子生徒は初めて見た顔である。ヒナの知り合いだろうか。

 二人の方を見ると、誰だっけ?といった表情をしていた。ヒメどころかヒナも初対面らしい。

 

 三人で頭にはてなを浮かべていると、緊張した様子の男子生徒が行動に出た。

 

 

「鈴木さん!僕が今日一位を取れたら、付き合ってください!お願いします!」

 

 

 そう言うと男子生徒は勢いよく頭を下げた。

 

 僕とヒメは「キャ~!」と女子のように声をあげた。ヒナも「お~」と少し驚いている様子だ。

 よもや、現代でこんな大胆な告白を見れるとは思わなかった。よもやよもやだな。

 

 男子生徒がヒナからの反応を待っていると、とうとうヒナが返事を返す。なぜか僕の肩を叩きながら。

 

 

「そうだなあ。ここにいるヒオよりも早くゴールできたら、お付き合いのこと考えてみようかな。ヒナ、君のこと全然知らないし。お友達からならいいよ」

 

 

 男子生徒は「分かりました!」と元気に返事をして、僕の方へライバル意識を燃やし始めた。とても目がギラギラしている。

 

 

 ????????????????(宇宙猫)

 

 ヒナからの提案に唖然とする。

 固まる僕に、ヒナが「がんばってね~」と笑った。そんなことある……?

 

 どうやら今年のマラソン大会も、僕にとって大変なことになりそうだった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 小島くんによると、この高校のマラソン大会は平地、上り坂、下り坂の三つのポイントで構成されているらしい。

 坂道ゾーンでは山の中を抜けるらしく、森の美味しい空気を吸いながら走れるランニングスポットとしてランニングする人も多いんだとか。

 

 上り坂でヘトヘトになって、下り坂で転ばないように注意しろと小島くんからアドバイスを受けた。

 ありがたい情報である。僕なら絶対に転がっていた。

 

 

 情報屋の小島くんは、先ほどヒナに告白した男子生徒の情報も持っていた。

 

 きっと一位を取る自信があるのだろう。陸上部の長距離選手辺りかなと予想していたが、砲丸投げの選手らしい。えぇ……。

 しかし、今日に向けて練習する男子生徒を見た人が何人かおり、河川敷でタイヤを引っ張る姿もあったとか。あれやる人いたんだ……。

 何はともあれ、マラソン大会への気合いがかなり入っている様子だそうだ。油断は禁物である。

 

 

 それと、さっきから小島くんの様子が少しおかしいのも気になっている。具体的には目が血走っていた。

 時折、「鈴木さんに告白……許せねえ……」と呟いている。普通に怖い。

 ちょっと前には凄い筋肉と体格の集団に、告白した男子生徒の情報を教え、ヒナに近づこうとした瞬間取り押さえろと指示していた。

 そういえは彼は二人の親衛隊だったなあと思い出した。初期設定すぎて忘れていた。

 

 

 そうと決まれば、このマラソン大会で僕が頑張る理由が二つできた。

 

 ヒナと頑張った練習の成果を出すこと。

 そして僕がその男子生徒よりも早くゴールし、彼の身を守ること。件の親衛隊に何をされるか僕も不安である。

 

 

 マラソンのスタート場所にはたくさんの男子生徒が集まり、走る準備をしていた。

 僕も今日は頑張るつもりなので、いつもより前の方で走る準備をする。

 

 そしてとうとうスターターの大きな音が鳴り、マラソン大会男子の部が始まった。

 僕は二つの頑張る理由を胸に、転んで怪我をすることにも気をつけて走り始めた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「はあ……はあ……」

 

 緩急のないスピードを意識しながら走る。

 ペースのアップダウンは良くないと鈴木トレーナーに教えられたことを守りながら、一定のリズムで走っていく。

 

 僕は男子集団の前の方で走っており、暫定順位もそこそこである。

 

 

 男子の集団は平地のゾーンを抜け、上り坂の手前まで来た。

 

 上り坂へ入った瞬間、嘘のように足が重く感じた。

 一定のリズムで走っているつもりが、全然前に進まない。

 同じように男子生徒達も上り坂に苦労しているようで、体力に限界がきたのか歩き始める人も現れた。

 

 

 僕の横を例の告白少年が抜けていった。

 彼は苦しい顔をしながらも、ヒナへの告白を薪に足を回していた。

 

 まずい!このままでは彼が危ない!

 

 そこで僕は、マラソン開始前に小島くんから渡された物を思い出した。

 渡されたのはワイヤレスイヤホン。困ったときに使ってくれとヒナから預かったものらしい。

 このイヤホンが何の役に立つのか分からないが、とりあえず耳にはめてみた。ロッキーのテーマでも流れるのだろうか。

 

 イヤホンに耳を澄ませると、二人の女の子の声がした。

 

 

『ヒオ~♡がんばれがんばれ~♡』

 

『がんばれヒオ! ファイトだよ!』

 

 

 これは、応援ASMR……!!

 音楽ではなく、ヒメとヒナ二人の応援がイヤホンから聴こえた。

 

 これは、元気が出る……!!

 二人の応援で頑張れない人が居るだろうか。いや居ないだろう。

 自然と体に力がみなぎっていく。

 

 聴く仙豆、二人の応援ASMRを聴きながら、僕は上り坂の頂上めがけて全力で走った。

 

 

 

 上り坂を登りきり、下り坂ゾーンに着いた。

 

 ここからの下り坂は、疲れた足をもたつかせ転ばないよう注意しなくてはいけない。

 例の告白少年は僕の少し前を走っており、もうすぐで追い抜けそうである。彼の身のためにも、ここはなんとか追い抜きたい。

 

 イヤホンからはエンドレスで二人の応援が聴こえ、僕の力の源となっている。

 イヤホンに耳を澄ませていると、突然ヒナの声が聴こえなくなった。

 次の瞬間。

 

 

『くしゅん!!!!』

 

『あ、ヒナがくしゃみした』

 

 

 耳に響く爆音。

 

 元々二人の音量が小さかったため、音量を最大まで上げていたのが良くなかった。

 ヒナのくしゃみが僕の耳をつんざく。耳鳴りがキーンとした。

 

 

 予想外のことに頭がクラっとし、右足が左の足に突っ掛かった。

 

 あ。

 

 

 下り坂で転けてしまった僕は、己の死を悟った。

 

 

 ぐるんぐるんと視界が目まぐるしく変わっていく。

 

 僕は坂道を横になって転がっていた。

 

 

 

 うわああああああああああああああ!!!!!

 ナニコレェェェェェ!?

 凄いぐるんぐるんするぅぅううううう!!!!

 

 

 パニックになりながらも、必死に頭を働かせる。

 

 頭をしっかりガードして転がっているため致命傷は避けているが、このまま下り坂の先で激突してしまえば大怪我では済まない。挽き肉になってしまう。

 なんとか受け身を取らなくては。

 

 

 走馬灯のように、ヒナとのトレーニングの日々が脳を駆け巡る。

 ハッ! そうだ、あれを使おう!

 

 

 下り坂の終わりをなんとか確認する。

 

 タイミングに合わせて、僕は自分にできる限り最高の受け身を繰り出した。

 スピードのトレーニングで何度も鍛えた、あの受け身を。

 

 

「はあ……はあ……はあ……。助かった……」

 

 

 ジャージはボロボロ。手足は痛いし体もダルい。

 しかし僕は練習の成果、完璧な受け身を取ることに成功した。

 

 あのまま転がっていたらタダでは済まなかっただろう。自分の命が助かったことにホッとし、すぐに起き上がる。

 ゴールはもうすぐ。早く行かなければ。

 

 

 重い体に鞭を打ち、僕はゴールに向かって走り出した。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 その後、僕は無事にゴールにたどり着いた。

 体は無事とは言いがたかったが。

 

 着順はなんと一桁であり、まさかの好成績だった。

 下り坂で転がり大幅にタイムを縮められたのが良かったのだろう。本当に死ぬかと思ったが。

 ここまで良い成績出せたのは初めてである。改めてヒナ、いや鈴木トレーナーにお礼を言った。

 

 

 例の告白少年よりも先にゴールすることができたため、彼の身の安全も確保できた。

 小島くんの話によると、告白少年も二人の親衛隊に入隊したらしく、二人の静観を貫くと決めたそうだ。

 自分でも何を言ってるか分からないがそうなったらしい。

 

 

 包帯でぐるぐるに巻かれてベッドで寝る僕。

 というか最近の僕ベッドオチ多くない?厄年すぎない?

 もう運動はしたくないと心に決めて、寝っころがりながら育成ゲームに精を出す。育成はゲームの中だけで充分だと痛感した。

 

 こうして一波乱ありつつも、僕のマラソン大会は幕を閉じた。

 来年は仮病を使うのが賢そうである。




2022/2/5 次話の繋ぎのためエピローグ修正


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僕の困窮

 本日は文化祭。

 

 様々なクラスが、思い思いに企画した出し物が軒を連ねて、生徒たちがエンジョイしたり、ワッショイしたりキャッキャッしたりして盛り上がるあのイベントである。

 

 学校の至るところにポスターが貼られ、風船や横断幕が校内を飾っており、浮き足立った生徒達があちらこちらに見かけられた。

 まさにお祭りといった様子である。

 

 

 すみっこぐらし(教室)の陰キャな僕にとって、文化祭はあまり縁のないイベントだ。

 

 体育祭もそうであったが、人見知りとコミュ障のハイブリッド陰キャな僕は、こういったイベント事に滅法弱い。

 盛り上がるクラスの雰囲気になかなか馴染むことができず、イベント特有のクラス一丸ムーヴに感化されたクラスメイト達に、ついつい物怖じしてしまう。

 

 イベントをきっかけに、クラスメイトから話しかけられることはとてもありがたい。

 自分から話しかけることができないRPGの村人な僕にとっては、大変恐縮で幸甚に存ずるのだが、いかんせん僕の社交力ではまとも対応ができずに、結果的に変な空気で会話を終わらせてしまうことが多々あった。

 

 特に、僕のクラスは社交的な生徒が多いので、例年通り肩身の狭い思いだ。

 イベントの度にギュウギュウと狭い思いをする僕の肩身も、そろそろ肩身の狭さが限界を越えてペラペラになりそうである。推しの部屋の壁紙になりたいタイプのオタクにとっては幸せな末路かもしれない。

 

 悲しい話は一旦終わりにしよう。

 

 

 

 

 現在、僕はヒメとヒナの三人で、お化け屋敷に遊びに来ていた。

 

 

「キャーーーーーー!」

 

 暗闇の中、少女の叫び声が響く。

 そのよく響く叫び声はとても聞き馴染みのあるものだ。相変わらず凄い声量だなぁと感嘆する。

 

 声の主は田中ヒメ。

 いつも明るく笑顔一杯の美少女フェイスが、今日は驚きと怯えに満ちた顔。目から溢れるほどの涙を散らしている。

 

「ヒオ助けてー!!」

 

 ヒメは悲鳴をあげながら、逃げ込むように僕の背中へと隠れた。

 肩の後ろでピンク色の頭がプルプルと震え、それに合わせてツインテールもゆらゆらと揺れている。

 

 辺りを見渡せば、おどろおどろしい火の玉、人体模型、恐ろしい表情のお面、卒塔婆、吊るされたコンニャク、ニンジンなどが飾ってある。なかなかバラエティーに富んだお化け屋敷だ。

 白いシーツを被ったタイプのお化け、白装束と黒髪ロングのタイプの幽霊なども先ほど見かけられ、呻き声を出しながら近づいてはどこかに去っていく。

 ヒメには悪いが、なかなか面白いお化け屋敷である。

 

 

「あはは! おもしろ~い!」

 

 逆に我らが金髪少女、鈴木ヒナはお化け屋敷をお楽しみであった。

 飛び出す仕掛けやお化け達に目をキラキラと光らせ、宝石だらけの洞窟に紛れ込んだトレジャーハンターのようである。

 

「あ! あれ何だろー!」

 

 ヒナはまた何か見つけたのだろう。

 ⊂( ^ω^)⊃ブーン(イメージ図)と両手を広げて子どものように駆けていった。

 ヒナが楽しそうで何よりである。

 

 

「うぅ……ヒオ、ヒナぁ……もう少しゆっくり進もうよぉ……」

 

 ヒナのペースに合わせて進もうとしたが、ヒメには厳しいようだ。

 

「二人とも! 早く早く!」

 

「お"い"でがな"い"でビナ"ぁ"……!」

 

 ヒメは泣きじゃくりながら、ヒナを制止しようと努めている。

 

 パニック状態のヒメも心配だが、暗いなか一人で進むヒナも心配である。

 暗闇で足元がはっきりしない場所だ。ヒナが転んで怪我でもしたらと思うと気が気でない。

 

 どうするべきかと悩んでいると、ヒナが何かを発見して指を指した。

 

「あ! あれ見てヒメ!」

 

「え、なに……?」

 

「生首だー!」

 

「うわああああ!!」

 

 再び暗闇にヒメの叫び声が響いた。

 

 怖がるヒメ、先走るヒナ。

 そしてヒメをあやしながらヒナにストップをかける僕。

 僕たち三人はわちゃわちゃと騒ぎながら、闇の中へと進んでいった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「◯組の教室でお化け屋敷やってるって! ヒナいきた~い!」

 

 お化け屋敷は、ヒナが行きたいと言い出したのがきっかけだった。

 

 ヒナは『◯組でお化け屋敷開催中!底知れぬ恐怖があなたを包む……!(可愛いオバケのイラスト付き)』と書かれたチラシを片手にヒメに詰め寄ってきた。

 

 

 ヒナのお化けという単語を聞いた瞬間、ヒメの顔が真っ青になる。

 

「お、お化け屋敷……」

 

「うん! ヒメも一緒に行こ!」 

 

 ヒメは見るからに行きたくなさそうである。

 基本的にヒナからの誘いを断らないヒメにしては、珍しい反応だ。

 

「いやぁヒメはちょっと遠慮しようかな……イタタタタ! あれ、なんだかお腹の調子が! うーん、もしかして今朝食べたカレーのせいかなぁ! これじゃあお化け屋敷行けないなー! 残念だなー! 行けたら行くのになー!」

 

 突然不調を訴えはじめるヒメ。

 目を泳がせながら、身振り手振りを使って自分のお腹の痛さを説明し出した。

 朝カレーどころか朝カツカレーも難なく食べれそうな、ヒメの元気な胃腸にしては怪しい。というか明らかに不自然なので、誰が見ても仮病だと分かる。

 

 「そういえば朝に、テレビの占いでお化け屋敷は良くないですって言ってたかも~」と話すヒメ。

 そんなヒメの手をヒナが掴んだ。

 

「……!」

 

「さあ出発~!」

 

「え!? やだ! やだ! 行きたくない! 逝きたくない!」

 

 ちなみにヒメはホラーが大の苦手である。

 

 ヒメは頑なにヒナの誘いを断りその場に留まろうしたが、ヒナはお構い無しにヒメを引きずってお化け屋敷へ向かおうとしていた。

 

 ドナドナされていくヒメが、助けを求めるような目でこちらを見ていたので、見かねた僕は二人と共にお化け屋敷に行くことにした。

 

 

 

 

 そして今に至る。

 

 首謀者のヒナは、お化け屋敷の演出とそれに驚くヒメを見てニコニコとしている誰よりもお化け屋敷を満喫しているようだ。こ、こいつ……この状況を楽しんでやがる……!

 元々お化け屋敷といったアトラクションも好きなヒナだが、お化けに戦々恐々とするヒメの反応も面白いらしい。恐ろしい子である。

 

 

「キャッ!」

 

 ヒメの可愛らしい悲鳴が木霊した。

 ヒメの悲鳴……ふふっ(3点)

 

 

「な、なんか今変な音した……!」

 

 きょろきょろと怯えながら辺りを見回すヒメ。

 音のした方を見ると、ヒナがお腹をさすっていた。

 

「ごめんヒナかも~お腹鳴っちゃった」

 

 ヒナのお腹の音だったようだ。

 自分のスマホを取り出して時間を確認すると、時刻は11:30を指していた。

 

「な、な~んだヒナか~」

 

「いやー失敬失敬」

 

「確かにもうお昼近いもんね……って紛らわしいよヒナ! いまヒメガラスのハートだから! 心がすっごく弱いから!!」

 

「あ、血の手形ある」

 

 すぐ横の壁を見ると、血の手形がべったりと付いていた。

 たまらずヒメがまた声をあげる。

 

「ひゃっ!!」

 

 ヒメの日頃からのボイストレーニングによって鍛えぬかれた声量と高音が響き、至近距離の僕の鼓膜にダメージを与える。

 ヒメの洗練された高音……嬉しい痛みである(よく調教されたファン)

 

 

 段ボールやカーテンを工夫して作られた道を進んでいく。

 こういった手作り感は、文化祭ならではだなぁと感じられる。

 

 

 少し明るい場所にたどり着いた。

 どうやらここが中間地点のようだ。

 

 中間地点には、小さなライトに照られされた机が置いてあった。その机の上には、謎の巻物が敷かれている。

 受付の係員さんの説明を思い出す。

 説明によると、この巻物に書かれたワードを覚えてゴールの係員さんに話すと、景品が貰えるようだ。

 

 

 さっそくヒナが巻物に近づき、を確認する。

 

「えーと、『死の執念』だって! よーし、ワードも分かったし、後はゴールに向けて全速前進だね!」

 

 お化け屋敷っぽい、おっかない単語である。

 

 

 ヒナが「景品貰うぞー!」と気合いを入れていると、天井から謎の紐が垂れていることに気づいた。

 

 

「あれ、これ何だろ?」

 

 上から垂れた紐……くす玉か何かだろうか? だとしたら、お化け屋敷には似つかわしくない代物である。

 

 そしてヒナは何の躊躇いもなく、「えい!」紐を引っ張った。

 

 

 紐を引っ張ると、天井から小さなナニカが落ちてきた。

 そのナニカは自由落下をしながら、巻物の上にポトリと落ちた。

 

 落ちてきた物を確認する。

 少し暗いため分かりにくいが、段々とその正体が分かってきた。

 それは、黒くてテカテカした例のあれ━━『G』であった。

 

 

 Gを識別した瞬間。

 僕はすぐさま臨戦態勢に入り、Gを潰そうと手身近にあったパンフレットを丸めた。

 殺らなきゃ(殺意の波動)

 

 一人暮らしをして早数年だが、どれだけ掃除をしてもコイツら……Gは出てくる。本当に厄介である。

 しかしながら、もう僕にとっては慣れたものだ。始めの内は驚きこそしていたが、今となってはただの排除すべき敵。粛正対象である。

 

 G絶対殺すマンと化した僕は、素早く叩き潰そうと腕を動かそうとした。その刹那、僕はあることに気づいた。

 

 どうやらそのGは、ただのおもちゃであった。

 

 よく見ると作りがゴムっぽく、ガチャガチャのストラップみたいな質感をしている。

 近づいて見れば一目瞭然。本当にただのおもちゃだ。

 冷静に考えれば、お化け屋敷でガチのGを用意するわけなかった。そんなお化け屋敷あったら炎上不可避である。

 

 最高頂だったGへの殺意ゲージがゆるゆると下に下がっていく。

 危うく、お化け屋敷の大切な備品を破壊するところであった。あぶないあぶない。

 

 丸めたパンフレットを元に直し、僕はそっと胸を撫で下ろした。

 

 

「……」

 

 隣にいるヒナを見ると、G(おもちゃ)を見て硬直していた。

 今まで楽しそうにしていた表情が、スイッチを切り替えたようにフッと消えている。

 あ、そういえばヒナは……

 

 

「……」

 

「ヒナ、大丈夫……?

 

「きゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 この日のお化け屋敷で一番大きな叫び声だったかもしれない。

 ヒナは絶叫しながらこちらに突っ込んできた。

 

 

「きゃああああ!!きゃああああ!!」

 

「ぐふぅ!!」

 

 僕の鳩尾にヒナのタックルが刺さる。

 内臓やら背骨やらがお釈迦になりかけたが、なんとか耐えることができた。長男だから耐えられた(一人っ子)

 

 

「うっ……うっ……ひっぐ……うぇぇん……」

 

 ヒナは僕の腰に捕まったまま泣き出してしまった。

 ヒナが尻餅を着きながらホールドしているため、僕は身動きがとれなくなる。

 

 

 状況の通り、ヒナはゴキブリが大の苦手であった。

 以前僕たちがゴキブリに遭遇したときも、怖いもの知らずのヒナが涙目で逃げ出したことがあった。

 僕の並々ならぬゴキブリへの殺意も、ヒナの嫌がる相手をこの世から排除しようといきり立つ意思から生まれたものだった。

 

 

「ほら、よしよし……怖かったねヒナ。もう大丈夫だよ」

 

「ひぐっ……ひぐ……」

 

 お腹の辺りで泣くヒナの頭を優しく撫でる。

 

 野郎(模型)……許さねぇ……許せねえ……無機物の分際で……殺す(殺す)

 先ほど降下した殺意ゲージがグンッとMAXまで高まった。忙しいゲージだ。

 

 

 いや、やっぱりゴキブリはどうでもいい。それよりも今はヒナの方が大事である。

 

 時々ヒナをあやしながら、どうしたものかと頭を悩ませていると……あれ? ヒメがいないことに気づいた。

 

 おかしいなぁと不思議に思っていると、誰かに服の裾を引っ張られる。

 見下ろすと、ヒメが僕の裾を掴んでいた。ヒメが引っ張っていたようである。

 

 何だろうと思ったのも束の間。

 なぜかヒメも女の子座りでぺたりと床に座り込んでいた。少し脚が震えている。

 

 

「ヒ、ヒオ……どうしよ……今のヒナの声で……腰抜けちゃった……」

 

 Oh……

 どうやらヒナの叫び声に驚いて腰を抜かしてしまったらしい。

 立てそうかどうか訊いてみるが、足に力が入らないらしく、立てないそうだ。マ、マジンガー?

 

 

「ぐすん、すんっ……」

 

「ど、ど、どうしよヒオ……」

 

 

 

 僕のお腹から離れないヒナ、服の裾を掴んで助けを求めるヒメ。パーティーは壊滅的である。

 まさかGの襲来で、二人も動けなくなる人が出るとは思わなかった。

 

 僕はどうしたものかと更に頭を悩ませた。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 それから少しずつ時間をかけて、ヒナを泣き止ませ、ヒメの介助をすることに成功した。

 

 ヒナは泣いた跡が少し残っているが、僕の献身的な慰めによりいつもの調子を取り戻した。

 ヒメにも松岡修造ばりの心のこもった応援をかけ続け、自分で立てるほどまでに復活した。ヒメが立った!(アルプス少女感)

 

 

 結果的に、三人で手を繋いで歩くことにした。

 横からヒメ、ヒナ、僕の順番である。

これならヒナはどこかに行ったりしないしヒメの誘導もできるだろう。我ながら妙案だ。

 

 流石にヒナも先ほどの一見から、おおそれと単独行動はしないと考えたが、何分立ち直りの早いオンナである。もう元気になっていた。

 流石ヒナちゃん!今日もえらかわいい!

 

 

 横一列で歩いているとヒナが話し出した。

 

「なんだか三人家族みたいだね~。お父さん、子ども、お母さんみたいで。ヒメが子どもで、ヒオがお母さんかな~」

 

 言わんとしていることは分かるが、家族のチョイスが割りと謎である。

 いつも無邪気にはしゃぐ、子どもらしいヒナが子どもポジションにいないことに少し首を傾げた。

 

「あ~~。確かにお母さんはヒオかもね。女子力っていうか……主婦力? 主婦力53万くらいあるよね」

 

「ねー。ヒオはバブ味があるよね」

 

 僕がお母さんらしい。

 僕的には……ヒナが子ども、僕がお父さん。となると残りのヒメがお母さんかな?

 

 うーむ、いつかヒメも、誰か幸せな人を見つけて結婚するのだろうか。『二人とも!この人が私の彼氏ね!』とか僕とヒナに紹介したりしちゃうのだろうか。

 将来あり得るかもしれない可能性に妄想を膨らませる。

 しっかり者のヒメのことだから変な輩は連れてこないと思うけど……駄目だ! ウチのヒメはやらん! やらんぞ! ウチのヒメに指一本触れるな!(後方保護者面厄介オタク)

 

 以上の考えから、僕がお父さん、二人が子どもということで良いと思う。Q.E.D。

 シングルファザーになっちゃったか……

 二人のために、お父さん頑張るからね……!

 しかしヒメ達の言い分では、僕はお母さんが適任らしい。……ならば善し!僕がママになるんだよ!(やけくそ)

 

 その後もお化け屋敷を順調に楽しみ、筒がなくゴール到着となった。

 

 

「こ、怖かったぁ……。ヒメ、本当に死んじゃうかと思ったよ……。ヒオもヒナも、手繋いでくれてありがとね」

 

「あはは、ヒナは楽しかったけどね~。ヒオもそうだよね?」

 

「うん、ヒメもヒナもお疲れ様。特にヒメはよく頑張った……ね……?」

 

 

「どうしたのヒオ?」

 

「……ううん、何でもない。それじゃあ、お昼ご飯食べに行こうか」

 

 ……ヒメは気づいていない様子だ。

 世の中には、知らなくても良いことがある。僕は、そんな真実をこのお化け屋敷で知ってしまった。

 

 

 お昼ご飯は、三人で飲食店が出し物のクラスを回った。

 縁日の屋台のように並んだ食べ物屋さんでは、お好み焼きや焼きそばなどの定番メニューに舌鼓を打った。

 他にも、ヨーヨー釣りや射的といった遊びを楽しみ、フットワークの軽い二人に連れられて色んなお店を回った。

 

 

 

 

 

・・・・

 

 

 

 

 

「オムライス一つ、リンゴジュース一つ注文入りましたー!」

 

「「「はーい!!」」」

 

「……はい……」

 

 ウェイトレスさんから入ったオーダーに、裏方のクラスメイトが元気よく反応する。

 それに合わせ、僕も頑張って返事をした。

 

 僕たちのクラスの出し物は喫茶店。

 今回僕はその裏方として、お店でお出しする飲食物の準備をする役割を担わせてもらっている。

 僕たちのクラスは喫茶店なので、ウェイターや裏方、呼び込みなどの仕事に別れる。

 ウェイターは接客業、つまり人見知りな僕にはとても務まらない。

 呼び込みもとてもじゃないが難しいため、僕が裏方になるのは必然的だった。

 

 ということで、オーダーに入ったオムライスを作ろう。HIO'Sキッチン開始である(オリーブオイルは使わないよ)

 僕はフライパンに解いた卵を流し、焦げ目がつかないように慎重に焼いていく。一時期オムライス作りに凝っていたことがあったので、焼き加減などはバッチリである。

 オムレツができたら、お皿の上のライスにふわりと乗せる。これで、切って広げるふわとろオムライスの出来上がりだ。完成までの時間も割りと短く作れた気がする。

 

「すごーい!佐藤くん上手~!」

 

 パチパチと同じ裏方のクラスメイトから拍手を受けた。とても気恥ずかしい。

 

「お家でも料理したりするの?」

 

「あっ……はい……ひ、一人暮らしなので……ほどほどには……」

 

「えー! スゴいじゃーん! てか一人暮らしなの!? マジ!?」

 

「ま、まじです……」

 

 こ、これは……! 僕にしては、割りと話せてる方じゃないだろうか……! 

 来た……! 僕の時代……来た……! 自分のコミュニケーション能力の向上に驚きを隠せない。

 やはり、ライブ経験や配信活動を通じて、人の目が集まる場所に立ったことが大きかったのではないだろうか。よかった! 翌日ストレスで死にかけたのは無駄じゃなかったんだ!

 現在、僕の友達は片手に治まるほどの数しかいない(妖怪人間ベムの手)

 この調子で頑張れば、きっといつかは友達5人……いや、7人くらい作れるかもしれない(遥かなる低み)

 希望が見えてきた気がする。

 

 

「あっ佐藤くんまたオーダー入ったみたい! もう一個おねがーい!」

 

「えっ、あっ、あっ、は、はい……」

 

 ……やっぱり気長に頑張ろう。

 

 

 

 裏方のお仕事をしながら、過去のことを思い出す。

 僕たちのクラスでの出し物、その内容をどうするかという議論はとても白熱した。

 飲食物や物品の販売、先のお化け屋敷やプラネタリウムといった空間演出、演劇や音楽などの芸術発表、様々な意見が募りを上げた。

 議論は次第にヒートアップ。途中からは、男子と女子の二大政党が火花を散らした。

 意見はメイド喫茶と執事喫茶の真っ二つに別れ、メイド服の田中さんが見たいという男子生徒の意見、タキシードのヒナちゃんが見たいという女子生徒の意見が飛び交い、なんかもう色々しっちゃかめっちゃかになっていた。ちなみに当の本人達は教室の隅で折り紙を折っていた。ヒメの友人が怪我をして入院したとのことで千羽鶴を作っているらしい。これには有識者佐藤ヒオ氏も涙。

 

 最終的にはヒナから「どっちもやったらいいんじゃない?」という鶴の一声が放たれ、コスプレ喫茶という双方の意見を取り入れた形に収まった。

 

 出し物が決まると、後はスムーズに企画が進行していった。

 タキシードやメイド服などの衣装は、主に女子生徒達が意識的に取り組んでいた。服飾に得意な子がいたらしく、とても完成度の高い衣装が出来上がっていた。

 中にはアニメや漫画キャラのコスプレをする人もいるらしく、ヒナが息を荒げて喜んでいた。

 

 

 

 これまでの文化祭の準備について思いを馳せつつ、食器洗いに専念していると、ザワザワとホールの方から喧騒が聞こえる。ふむ、何かあったのだろうか。

 10分ほどの休憩をちょうどもらったので見に行ってみる。

 

 ホールの方に顔を出すと、男子生徒たちが集まりざわざわと騒いでいた。

 僕よりも身長の高い男子生徒たちが集まって壁を作っており、向こうで何が起きているのかが分からない。べ、別に、僕が小さいわけじゃないんだからね……!(160以下)

 

『やべえよやべえよ……』『犯罪級だ……』『ここ天国?俺死んだっぽい』『あっ(急逝)』

 

 一体何が行われているんだ……?ギャラリーの言葉を聞く限り、何やらヤバい何かが行われているらしい。

 いい加減騒ぎの渦中が気になるので、自分の小さい体を活かしてスルリと人だかりを抜ける。

 よし、抜けた! ……小さくないし。

 

 さて、何が起きているのか……

 

 

「おかえりなさいませ、ご主人様!」

 

 

 そこには、メイド服姿のヒメがいた。

 

 白いレースのカチューシャを被り、ツインテールの結び目はいつもより高めの位置にある。可愛らしいフリルのスカートと、白のストッキングを留めるガーターがヒメによく似合っている。

 ヒメの動きに合わせて、ピンクのツインテとスカートがふわりと揺れる。動きの一つ一つがとても目に留まり、あらゆる人を釘付けにしてしまうような、彼女の魅力が見てとれた。

 

 ひでぶっ!!(吐血)

 "可愛い"が、拳となって殴ってきた……!

 

 こ、こんな恐ろしいものが存在していいのか……マジで死人が出るぞ(恐らく僕が一人目)

 

 それにしても、よくに似合ってるなぁ。

 まるで、二次元の美少女が飛び出してきたような……いや、それ以上。異次元の可愛さだ。

 

 当人のヒメも、ノリノリで接客を行っており、お客さんへのファンサ(ウインクやスマイル)も徹底している。

 ヒメの可愛い一挙一動に、男子生徒たちが『うおー!』と声をあげていた。

 

 ヒメの殺人的な可愛さに戦慄していると、今度は女子生徒達の黄色い悲鳴が聞こえた。

 

 

 

『キャー!』『ヒナ様ー!』『こっち向いてー!』『ウインクしてー!』『顔が良い……』

 

「おかえりなさいませ、お嬢様」

 

 

 ───執事服姿の鈴木ヒナ。

 いつも下ろしているブロンドヘアは後ろでポニーテールに纏められている。燕尾服を中心に構成された服装は胸に青のリボンが付いており、白の手袋をしていた。

 ドレスコードを着こなすそのフォーマルな立ち振舞いは、普段の朗らかな彼女からは想像もできないほどスマートである。顔が良い。あと顔が良い。

 こんなの、男でも惚れてまうやろ……アカン、これじゃあ僕が死ぬ。先ほどから心臓の爆弾タイマーが鳴り止まない。『死因:鈴木ヒナ』かぁ……割りとアリ。個人的に良い最期だと思う。

 

 ヒメ同様、ヒナもサービス精神旺盛というか、お客さんへの対応も力が入っている。ヒナはお客さんの手を引いて席へとエスコートし、一人、また一人と女子生徒たちを虜にしていった。あぁ~夢女子になる~^^

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 ふぅー。良いもの見れたなぁ……謝謝茄子。

 休憩時間が終わったので、とても名残惜しいが持ち場に戻ることにする。他の裏方の人に迷惑をかけるわけにはいかない。

 

 意気揚々と裏方に戻ろうとすると、ガシリと誰かに手を掴まれた。

 振り替えると、そこには女子生徒がいた。

 

「君が佐藤くんだよね?☆」

 

 しかもただの女子生徒ではない。

 彼女は、圧倒的な陽のオーラを放ちながら僕に話しかけてきた。なんていうか、もうオーラだけで僕が消し飛ばされそうなくらいの。

 属性的にはギャルと思しき風貌で、見て分かるくらいのメイクをしている。とにかくパリピ感が凄そうな感じだった(語彙力)

 一瞬ほんとに僕に話しかけてるのかを思案したが、がっつりと腕を掴んでいるし、名前も呼ばれてしまった。

 

「ちょっち来てもらえる? 悪いようにはしないからさ☆」

 

(あわわわわわわわわわ)

 

 

 よ、よ、よ、陽キャだ……! 見て分かる……マジもんの陽キャだ……! なんか語尾に☆とか付いてるし……! ど、ど、どうしよう……

 せ、説明しよう! さ、佐藤ヒオ(いんきゃ)は、よ、陽キャに話しかけられられられられると固まってしまうのだだだだ!(乱れる文章)

 

 

 その女子生徒は、後方に構えていた数人(こちらも陽キャ)を呼び、固まった僕をどこかへと運んでいく。なすがまま、なされるがままに。

 一体僕はどうなってしまうんだ……。To Be Continued……




死の執念 死→4、執念→周年

ヒメヒナ4周年おめでとう!


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僕の露呈

 前回のあらすじ

 

 やめて! 陽キャギャルに突然話しかけられて光属性のオーラを間近で浴びたら、陰属性のヒオの精神が燃え尽きちゃう!

 お願い、死なないでヒオ! あんたが今ここで倒れたら、ヒメやヒナのご飯はどうなっちゃうの? ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、陽キャに勝てるんだから!

 

 次回、「ヒオ死す」。デュエルスタンバイ!

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「とうちゃ~く☆ ふー、疲れた。てか佐藤くんめっちゃ軽くない? ちゃんと食べてる?」

 

「……」

 

「よーし、ちょっち準備するから、ここに座ってて待っててね~☆」

 

「……」

 

 

 ……ハッ!

 

 気がつけば、なぜか僕は椅子の上に座らされていた。

 どうやら気を失っていたようだ。

 場所は……え、ここどこ? ここは誰? わたしはどこ?

 

 

 周りをグルっと見た感じ、ここはどこかの空き教室のようだ。耳をすませば、遠くから文化祭で盛り上がる人達の声が聞こえる。

 

 気絶していたため詳しい状況は分からないが、恐らく僕に何かしらの要件があってここに連れてきたのだろう。 

 

 僕を連れてきた女子生徒(ギャルっぽいので以下ギャル子さん)と、彼女の友人とおぼしき数人が、座る僕を囲っているのが確認できた。

 彼女らは自分の鞄の中からコスメケース、ヘアアイロンなどの道具を取り出し、いそいそと何かの準備をし始めている。

 えっ、僕これから何されちゃうの?

 背筋に冷や汗がつーっと垂れた。

 

 椅子に座らされたこの状況━━拉致、誘拐、身代金、尋問、拷問……穏やかじゃないワードが頭の中に浮かぶ。

 冷静に考えて、まあ、僕に人質としての価値はないだろう。それに、いつも教室の片隅でひっそり暮らす僕と彼女らとは一切関わりがないはずだ。逆恨みという線もないだろう。

 もし仮に僕を痛めつける目的だとしたら……ちょうど今、コンセントに繋がれたヘアアイロンでジューッと焼かれそうである。たぶん恐ろしく熱いので、それは困る展開だ。

 

 

「前髪留めるよー☆」

 

 ひぇっ!

 

 いきなり前髪をクリップで留められる。

 視界が開け、前髪を下ろしたいつもよりも鮮明に視野が広がった。

 

「おおー! ヒメちゃんとヒナちゃんが言ってた通り、すっごいカワイイじゃん☆ こりゃ気合い入れてやらないとねー☆」

 

 

 やるって何を? え、殺るとかそういう感じ? 暗殺されちゃうの僕?

 アサシンギャルとか……一定層の需要はありそうだけど、僕はノーセンキューだなぁ。素直に生きたいです。

 

 というか今、聞き逃せない名前があったな……ヒメちゃんヒナちゃん? うーん、思い当たる節がバッチリある。

 ヒメとヒナの名前を聞いて思い出したが、僕を囲っているこの方々……どこかで見たことがある。確か、よくヒメ達と教室で一緒に居たような……

 

 

「佐藤くん目閉じて~☆」

 

 あっはい、閉じます、すぐ閉じます。

 陽キャには逆らえないのだ。僕は大人しく目を閉じた。

 

 

 暗い瞼の裏で先ほどの推理を続ける。

 ヒメとヒナの名前を知るギャル子さん。そして顔に覚えのある、僕を囲う人達……あっ(察し)

 

 つまり、ヒメとヒナ絡みって……コト!?(ガバガバ推理)そんなバナナ!

 全くもって無茶苦茶な推測であったが、あの二人が僕に何かを仕込んだと考えるのが、悲しいことに一番納得できた。

 トラブル発生率に関しては、二人にこと信頼を置いている。

 

 

「佐藤くん、ヒナちゃん達から話聞いてるよね? ウチらがヒナちゃんに、『文化祭でヒオを可愛くして!』って頼まれたこととか」

 

 

 一切聞いてないです。

 というか僕の推理はビンゴ。やっぱりヒメ達の仕業だった。とても嬉しくない的中である。

 

 そっか、またあの二人かぁ。いつものあれですか(経験者の顔)馴れって怖いものですね。

 

 ……ん? ていうかヒナ!

 『ヒオを可愛くして!』って……何てこと頼んでるの!? 正気!? 僕にも一応拒否権とか、基本的人権とかそういうのないの!?

 

 あとギャル子さん達も断ってよ! 初対面の男子にここまでできるの凄いな!? はぇ~さすが陽キャだなぁ……僕とはコミュ力とか色々桁違いだ(脱帽)

 

 色々ツッコミたい所はあるが、まずはこの状況を止めなくては!

 

 

「……あっ、あの」

 

「あっ今動かないで。アイラインずれるから」

 

 

 すみませんでした……(完全降伏)

 すっごい怖かった。集中してるから目がすっごい怖かった。

 

 てかさっきから何か顔がくすぐったいと思ったら……がっつりメイクしてるじゃん!?

 アイライン要らないから! 僕みたいな冴えない男の顔にメイクしたって、バケモノみたいにしかならないから!?

 

 しかし空しいかな。陽キャに太刀打ちする気概も度胸もない僕は、もうされるがままである。なんという辱しめだ……くっ、殺せ!

 

 ちなみに今回のような経験は初めてではない。

 中学時代、ヒメとヒナの誕生日に、訳あって『なんでもする券』をプレゼントしたときの話だ。

 そこまで凄い要求はされないだろうとタカをくくっていた僕は、容赦のない二人の着せ替え人形(ビスクドール)に……悲しい事件だったね……

 この話はいつか機会があれば話そう。いや、やはり封印しよう。墓場までこの話は封印するべきだ……。

 

 

 その後もギャル子さん達によるK計画(カワイイのK)は続行した。

 諦めた僕は全てを受け入れ、ただ、全てが終わるのを待つのであった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「はーい終わったよ~☆」

 

 

 ギャル子さんの一声で、ようやく僕は解放された。

 

「えー!めっちゃ可愛くなーい?!」「やば!」「写真撮っていい!? 写真!」「男子……?」

 

 

 目を開けると、先ほどの女子生徒達が盛り上がっていた。

 興味津々にこちらを見るような目、呆然とする目と様々な視線が感じられる。

 一人の女子がスマホのカメラをこちらに向けており……あっ、どうか写真だけはご勘弁を……パシャ……あぅ……。

 

 

「ほら! 佐藤くんこんな感じだよ!☆」

 

 

 たった今撮られた写真を見せられる。

 スマホを覗きこむと、画面にはメイドの格好をした少女がいた。

 ……一応確認するけど、この写真に映っているのは僕じゃなくて、どこかのメイドさんだったりしない? えっマジで僕? 

 メ、メイクの力って凄いなぁ……まるで別人みたいだ。変装というより変身って感じだ。

 

 それと、いつの間にか僕の服装がメイド服になってる件について。

 ヒメのミニスカと違って、僕のはロングスカートになっていた。ミニじゃないところに優しさを感じる。

 いや、ロングだろうと恥ずかしいんだけれども。

 というか最近、僕の女装に対する抵抗が薄れてきている気がする。

 決してそんな趣味はないのだが、これも慣れという物なのだろうか。慣れと呼ぶか麻痺と呼ぶかは……あなた次第です。

 

 

 

 それにしても、普段ヒメ達はギャル子さん達に、一体どんなことを吹聴しているんだ……。

 

 僕とヒメ、ヒナ。三人の関係は、僕が静かな高校生活を送るために秘匿すべき重要事項である。

 あんな歩くエレクトリカルパレードみたいな目立つ二人と関係者であることがバレてしまえば、僕にも好奇の目が向けられてしまう可能性があるのだ。

 それだけは避けなくてはいけない。

 

 

「あ、あの……」

 

「ん? どしたん?」

 

「ふ、二人から僕のことを……どんな風に聞いてますか?」

 

「うーん?☆ どんな風って?」

 

「えとえと……例えば、僕と二人の関係とか……」

 

「関係?」

 

 

 勇気を振り絞り、気になることを質問した。

 この情報の把握だけは必ずせねば。

 二人が僕についての情報を喋っていないことを切に願った。

 

 

「あー! そういうことね☆ ヒメちゃんヒナちゃんと佐藤くんって、幼なじみなんでしょ? いや~あんな可愛い二人と幼なじみとか……マジ羨ましいんですけど! ヤバくない?w」

 

「」

 

「それとそれと~。佐藤くん料理上手なんだって? ヒナちゃんが自慢してたよ~☆ 今度お弁当見せてね☆」

 

「」

 

「あとー、ギターしてるんだって? マジ凄くね? ウチ佐藤くんのギター聞いてみた~い☆」

 

「」

 

「あと……あ、これ言っていいのかな……でもヒメちゃん意外と押し弱いしなぁ……ウチらもヒメちゃんのこと応援したいし、佐藤くん結構鈍感だってヒナちゃん言ってたしなぁ……かるーく教えちゃおうかな……」

 

「……あの、すみません……もう大丈夫です……」

 

「いや~どうしようかな~! よし、ここはウチらが一肌脱いで……って、えっ! もういいの? ホントに?」

 

「……はい」

 

「マジ?」

 

「……はい、マジです」

 

「え~もっと気にならないのぉ? ほら、あの二人にどう思われてるのとかさぁ、二人の好きなタイプとかさぁ☆」

 

「いえ……ほんとにもう大丈夫です……ありがとうございました……」

 

 

 もういい……もう、いいんだ……。

 あまりの衝撃に、膝から崩れ落ちる。そして、目の前の現実から目を背けるように、僕は自分の顔を手で覆った。

 

 

 滅茶苦茶バレてる……すっごいバレてる……僕の個人情報……滅茶苦茶バレテーラしてる……僕のウィキペディア作れそうなくらいバレてる……

 ヒメ……ヒナ……なんてことを……

 

 ……いや、これは二人にしっかりと釘を差さなかった僕の責任だ。

 僕が、もっと二人に注意しておけば良かったのだ……もっと注意をしておけば……こんな事態には……

 

 

「……佐藤くんダイジョブ?」

 

 

 困ったなぁ……明日からどう生活していこうかな……。

 辛い現実に打ち拉がれながら、これからの高校生活について悩み始める。

 

 陽キャのギャル子さん達のことだ、噂は瞬く間に風に乗って拡散され、僕は白昼の下に晒されるだろう。

 二人との関係が明るみになれば、当然僕への周囲からの追及は避けられない。

 

 しかも、二人にはファンクラブ(非公式)があるらしい、けっこう過激なやつが。

 そのファンクラブからも追及……いや、迫害を受けるに違いない。

 ファンクラブから解き放たれたスパイ達に暗殺されて山に埋められた後、野良犬が僕の死体を掘り起こし翌日のニュースに載る辺りまで未来が見えた。これが未解決事件かぁ。怖いなぁ。

 

 

「……くん! 佐藤くん!」

 

「……アッハイ!」

 

「あ、やっと返事した」

 

 

 自分の世界に入っていたせいで、ギャル子さんに話しかけられていたことに気づかなかった。

 帰ったら遺書の準備でもしようかなぁと就活よりも先に終活を考えていた僕。

 

 顔を上げると、ギャル子さんは不思議そうに僕を見ていた。ひぇっ、財布出します……。

 

 

「あはは! そんなビビんなくていいから☆」

 

「あっ、はいっ、すみません……」

 

「敬語もいーいー」

 

 

 ギャル子さんに話しかけられ、蛇に睨まれた蛙状態の僕。

 だって怖いもん。ヒエラルキーの違いが凄いもん。

 

 緊張で微振動していると、ギャル子さんが思わぬことを話し始めた。

 

 

「さっき言ったこと、あーえーと……佐藤くんと、ヒメちゃんヒナちゃんが幼なじみだってことは、誰にも話してないよ!☆」

 

「えっ……」

 

 い、今なんて……

 

 

「ヒナちゃんからね、佐藤くんは目立つのが苦手だから、他の人には言わないでほしいって言われてるんだ! だから、その辺りのことは安心していいよ☆」

 

 

 ……ヒ、ヒナぁ……(感涙)

 よかった……僕の高校生活は……人生は無事なんだ……。

 肩の荷が降り、体中の力がふっと抜ける。

 

 それにしても、まさかヒナがそんな配慮をしていたとは、とても驚きだ。

 

 ヒメの不調にいち早く気づいたり、僕が落ち込んでいると直ぐに声を掛けてくれるなど、ヒナはマイペースに見えて実は周りの事をよく見ている。

 今回も、そんなヒナの気配り上手なところが僕を救ったのだろう。これはヒナしか勝たん。

 

 

「ヒメちゃんとかめっちゃ元気だし、確かに佐藤くんの事とか話したら目立っちゃいそうだよね~☆ あとあの二人めっちゃ可愛いし☆」

 

「だから、ちゃんとウチら黙っておくからさ!☆ ヒナちゃんとの約束破るとか絶対あり得ないしね~☆ ……でも、佐藤くんこんな可愛い顔してんのに、目立つの嫌とか勿体ないなぁ~……てか女子より可愛くない? マジで?」

 

 

 心の底から安堵していたため、ギャル子さんの話は後半耳に入らなかった。

 というかギャル子さん、凄いお喋り上手なんだなぁ。会話に☆がたくさんあって星空みたいになってる。

 

 床に腰を落とし安心しきっていると、ギャル子さんに肩を掴まれる。ひっ、命だけは!

 

 そして、そのまま勢いで立たされてしまった。

 

 

「でも、そんな佐藤くんに、ウチらとヒナちゃんからお願い! その格好で、お店出てくんないかな?」

 

「はぇ……?」

 

「おねがい~!☆」

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 その日、一年○組のコスプレ喫茶店は大繁盛となった。

 

 その学校で有名な美少女二人組と、突如彗星のように現れた謎の美少女一人が加わり、美少女三人組が看板を務める喫茶店があると話題を呼んだ。

 

 

 文化祭の翌日。一人の少年が病欠となり一日を床に伏して過ごすこととなったのは、また別の話。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「そういえばヒナ、僕が……人目が苦手って知ってたの?」

 

「う~ん、なんとなくね。なんか、ヒオがそういうの苦手そうだな~って」

 

「そっか……」

 

「うん」

 

「じゃあ……配信で僕のこと呼んだり、メイドの格好させてお店に立たせたのは……?」

 

「だってヒオ可愛いもん! もっと皆にヒオのこと見てほしいし! ……嫌だった?」

 

「嫌じゃないよ! むしろウェルカム! ヒナのお願いだったら何でもOKだよ!」

 

「ヤッター!」

 



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僕たちの冬

 ある日の田中工務店。

 

 僕はテーブルに広げたテキストに向かい合い、黙々と勉強に取り組んでいた。

 一人きりの部屋にはカリカリとペンを動かす音と暖房器具の稼働音だけが聞こえ、落ち着いた空気が流れている。

 

 

「……」

 

 

 しばらく時間が経ってから、解答集と赤のボールペンを取り出した。

 解答集を横目に、次々と赤い丸を付けていく。

 

 そしてテキストの最終ページ、その最後の解答欄に赤い丸を付け終えた。

 

 

「……ふぅ……終わった」

 

 

 ペンを置いて、両手を上に伸びをする。長時間同じ姿勢だったせいか背中から気持ちの良い音が鳴った。

 ある程度の柔軟を行えば、凝り固まった肩や背筋がだいぶ楽になった。

 

 

 

 

 

 ━━冬休みに入った。

 

 高校生になって初めての冬休み。

 小学生、中学生、高校生と学年を重ねる毎に休みの日数がどんどん短くなっていき寂しさを覚えるが、やはり何度迎えても長期休暇とは良いものである。

 絵日記や自由研究に精を出していたあの頃が懐かしい。

 宿題がどこか味気なくなった長期休暇に思うところはありつつも、宿題は早めに終わらせるタイプの僕にとっては課題オンリーとなった今年は割りとありがたい。

 

 そして先ほど冬休みの宿題を全て終わらせたところである(冬休み二日目)

 くぅ~疲れましたw これにて完結です!

 宿題を終わらせた僕の脳内にマリオがゴールした時のBGMが流れる(花火付き)

 

 今年の冬休みは積みアニメや漫画の消化、ギターなどの楽器の練習、動画投稿の編集のお手伝い、後期の授業の復習などエトセトラ……。

 予定マシマシチョモランマの盛りだくさんである。

 

 したがって宿題を全て終わらせておくことで、それらの予定に気掛かりなく取り組むことができるのだ。だから宿題を全て終わらせておく必要があったんですね。

 

 宿題を計画的にやることも大事なのだろうが、まあ早めにやって悪いことではないし自主学習もやるから大丈夫だろう。

 また、勉強の分野ではヒメとヒナに力になれるので分かりやすく教えられるようにしっかり理解しておきたい。

 

 

 

 ちらりと窓の外を覗き見る。

 

 いつもは見えている壁のコンクリートの灰色が今日は真っ白な雪の下に隠れている。

 秋にはまだ少しの葉を残していた木には一枚の葉もなく、ただ枝に少しの雪を乗せて寂しそうに佇んでいた。

 うっすらと曇りがかった窓の外には、そんな閑散とした冬の風景が映し出されている。

 うーん、寒そう。戸締りしとこ。

 

 

 そんな凍えそうな外の景色とは対照的に、僕の居る部屋はとてもぽかぽかだ。

 

 部屋には、ヤカンの乗ったガスストーブと大きな炬燵が中央に置かれている。

 僕がぬくぬくと半身を埋めている炬燵には、先ほど片を付けた課題集と蜜柑の入ったかごが鎮座している。

 炬燵と蜜柑の冬らしいコンビに、冬の訪れをしみじみ感じた。

 

 

 コンビと言えば、ヒメとヒナはまだ外で遊んでいるのだろうか。

 

 いつも一緒の仲良し美少女幼なじみコンビのことを思い出す。こう書いてみるとだいぶ属性過多だ。

 

 二人は外に積もった雪を見るや否やすぐさま雪遊びをしようと外に向かった。

 そんな光景を「元気ねウフフ」と温かく見送ろうとしたのも束の間。なんとはしゃぐ二人は部屋着、しかも薄着のままであった。おい待てぃ(江戸っ子)

 

 後先考えずに飛び出そうとする二人を止めるのは少し骨が折れた。アバラ2、3本くらい。

 風邪を引いたりするのが怖いので、ありったけの防寒具を着せてありったけのホッカイロ持たせた。

 それからいってらっしゃいの一言をかけて、犬のように元気に飛び出す二人を見送った僕はいそいそと炬燵に戻った。ヒオは炬燵で丸くなる~♪

 

 そろそろお昼になるのでお腹も空いて帰ってくる頃だろう。

 お昼ご飯は何にしようかな。体の温まるようなあんかけうどん、いやパスタがあったしクリームパスタにしようか。

 

 そんな具合でお昼のメニューに頭を悩ませながら、戸棚から自分用の湯呑を取り出す。ストーブに乗せて温めていたヤカンから、中の温かいお茶を注いだ。

 こういう時ガスストーブは便利だなぁとつくづく思う。

 間違ってもストーブの上で目玉焼きを作ろうとしたり、焼き肉パーティーをしたりしてはいけない。

 してはいけないんだよ、ヒナ(蘇る思い出)

 

 

 

 ゆっくりとお茶を啜っていると、勢いよく玄関が開く音。

 それから二人分の足音がドタドタと聞こえてきた。

 

 

「「ただいまー!!」」

 

「二人ともおかえり」

 

 

 ヒメとヒナが帰ってきた。

 

 寒かったせいか鼻の先が赤くなっており、二人のビロードのように白い頬も真っ赤に火照っていた。

 ところどころコートに白い跡が残っているが雪合戦でもしたのだろうか。ヒメなんかは髪が少し濡れていた。

 

 炬燵から立ち上がり、二人からマフラーやコートを受け取ってハンガーに掛ける。

 暖かいこの部屋なら乾きもいいだろう。

 

 

「部屋あったか~い。あぁ~解凍される~」

 

「雪すっごい積もってたよ! ヒオも来ればよかったのに!」

 

 

 二人の雪遊びの土産話を話半分に聞きつつ、戸棚から二人のマグカップを用意する。

 冬場の運動は意外と喉の渇きを忘れがちなので、脱水症状にならないよう水分補給をすることが大切だ。

 

 

「寒かったでしょ。あったかいお茶あるよ」

 

 

 赤と青の線がそれぞれ入っている二つのマグカップにお茶を淹れる。

 カップから湯気がゆらゆらと立ち昇った。

 

 

「ありがとうヒオ! いただきま~す!」

 

 

 一番始めにヒメがお茶を受け取った。

 温かい飲み物が恋しかったのか、熱いお茶をすぐに飲もうとした。

 

 

「……あちっ!」

 

「まだ熱いから、ちゃんとふーふーしてね」

 

「うぅ……ひはは(舌が)……」

 

 

 もっと早く注意するべきだったようだ。

 ヒメはカップから口を離して熱そうに真っ赤な舌を出した。

 慌ただしいヒメと異なり、ヒナはカップを両手で持ってちびちびとお茶を啜っていた。ヒナの方が一枚賢かったらしい。

 

 僕はそんな微笑ましい二人の光景に苦笑しつつ、二人の体が温まるようなご飯を作りにキッチンへ向かうのだった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 お昼ご飯を済ませた僕たち三人は、先ほどの僕のように炬燵でくつろいでいた。

 

 炬燵は三人がすっぽり収まるほど大きな物なので、悠々と足を伸ばすことができている。

 

 ヒナはスマホ両手に寝転んでソシャゲに精を出しており、ヒメはテレビの動物映像の特集を見て可愛い猫に顔を緩ませている。

 ちなみに僕は漫画を読んでいる(念能力とかハンターが出てくるやつ)富樫先生は早く続きを書いてほしい。

 

 やっていることは三人ともバラバラだが、同じ部屋で一人の時間を過ごすというのも仲の良い証拠だと思う。

 

 

「……んっ」

 

「あっごめん。今のヒナ」

 

 

 僕の足に何かが当たった。

 すぐに当事者が名乗りを挙げたので僕は大丈夫だと返事をする。

 

 こういうのも炬燵あるあるである。

 特にヒナは足が長くすらっとしているのでこんなこともあるだろう。存分に蹴ってもらってOKである。

 たまに推しに蹴られたり踏まれたりして喜ぶ一部アブノーマルなオタクもいるが、僕はノーマル性癖なので専門外だ。しかし前にヒナとロメロ・スペシャルで遊んだ時は、宙に浮く恐怖感を感じつつも謎の高揚感が……真理の扉が開きかけそうなので考えるのは止そう。

 

 

「……キャッ」

 

 

 変な空想を繰り広げていると誰かの声がした。

 

 この声はヒメの声に違いない。

 恐らく僕と同じように足が当たったのだろうが、足が当たったにしては随分可愛いらしい反応である。

 ヒメの変わった反応を僕は不思議に感じた。

 

 

「……今のだれ?」

 

 

 ヒメがおずおずと、誰が足を当てたのかを聞いてきた。

 僕は誰にも足を当てていないし、消去法で当ててしまったのはヒナだろう。

 

 鈴木容疑者が自白するのを待っていると、ヒナがどこかわざとらしく話し出した。

 

 

「え~ヒナ当ててないよ~。当てたのヒオじゃな~い?」

 

 

 ヒナは自分は当てていないと主張した。

 あれれぇ~おかしいぞぉ~?(米花町の死神)

 

 それを聞いたヒメは僕の方を向き、じーっとジト目を送ってきた。

 

 

「ヒオ、そうなの……? んぁっ! ……ねえ!」

 

 

 またしてもヒメが反応した。

 

 僕は誓って足を当てた覚えはない。これは事実である。

 しかしこの時点でヒメに足を当てた該当者は居なくなったので矛盾をしてしまっている。

 

 炬燵の中に現れる幽霊でも居たのだろうか。

 それならまあ辻褄は合うが、非科学的だしヒメがショック失神しそうである。布団の中という安住の聖域を犯した某呪怨を思い出す。

 

 

「また当たったんだけど! えっ、これ本当にヒオ? ヒナじゃなくてヒオなの? キャッ! ちょ、ちょっと! いい加減ヒメのお尻突っつくのやめてよ! ねぇ!」

 

 

 ヒメは慌ただしくどよめきバッと炬燵から体を起こし、丁度はす向かいに居た僕を恥ずしげに怒る。

 僕は当ててない! 信じてくれよぉ~!(藤原竜也)

 

 何かを予感した僕はヒメからの刺々しい視線を受けつつ、そっとヒナの方を見てみる。

 

 すると、怪しんだ矛先であるヒナはなぜか笑顔、しかもいつものイタズラをするときのような顔をしており、クスクスと笑っていた。

 

 

「ひひひ……騙されてる騙されてる……」

 

 

 ほーら見たことか! まーた鈴木さんじゃないですか! まーた鈴木さん! まったく困った子だなぁ~もう~!(親馬鹿)

 デイリーミッションと化したヒナのイタズラに肩をすくめる。やれやれ、とんだ困ったちゃんだぜ。

 

 しかし真相究明をしたのは良いものの、僕はヒメに疑われたままである。

 さっきから僕の横でヒメがぷんすか怒りボルテージを上げている。

 

 

「ちょっと! いくらヒオでもいきなりお尻触るはダメでしょ! これじゃあ犯罪だよ犯罪! 痴漢だよ! 痴漢でゴートゥー塀の中なんだよ! 田中刑事が連れてっちゃうよ! それに触るときはもうちょっとこう、段階を踏んでからとか、ムードとか……と、とにかく、ちゃんとヒメに謝って!」

 

 

 ごめんなさい!(条件反射)いや、僕やってないから! 無実無実! ノーカンノーカン!

 そっかぁ、冤罪ってこうやってなるんだなぁ。皆は気をつけてね。

 

 お尻をつつかれたヒメの怒りはもっともだが、犯人は僕ではないのでどうか落ち着いてほしいものである。

 

 問題の元凶であるヒナをもう一度見ると、イタズラ成功にニヤニヤとほくそ笑んでいた。うーん可愛い。許せる。

 

 しかしそろそろ誤解を解かなければ田中刑事に連行されてそのままお縄に着きそうなので、僕はヒメに自分が無罪であることを主張した。

 

 

「ヒメ、聞いてほしい。それは誤解なんだ」

 

「五階? ここは一階だけど? 誤魔化さないでよ!」

 

「お、落ち着いて」

 

「餅ついて!? お正月はまだ先だけど!?」

 

「田中刑事、耳が……」

 

 

 ヒメはヒートアップし始め、僕の言葉を誤って聞きとっている。今更だけど刑事に痴漢の字面凄いな。

 

 どうしたものかと頭を悩ませていると、ヒナが何かをボソリと呟いた。

 

 

「やりすぎちゃったかなぁ……そろそろ止めないと……」

 

 

 そう言うとはヒナ炬燵に深く入り込んだ。

 

 

「ほらヒオ! さっさと罪を認めなさい! えーと、そう! 認知してよ認知! ちゃんと責任取って……ってイタタタタタタタタタタタタタタ!! ギブギブギブギブギブギブギブ!!」

 

 

 いきなりヒメが痛がり、床をバンバンとタップアウトし始めた。

 

 ヒナが何かしたのだろうか。

 

 炬燵をはぐって中を見てみると、ヒナの足がヒメの足に絡みついている。

 俗に言う関節技をかけていた。

 

 

「あだだだだだだ!!」

 

「ヒメ、落ち着いた?」

 

「落ち着いた落ち着いた! だからこれ止めてぇ! ヒメの足もげちゃう!!」

 

「あと、さっきヒメのお尻つついてたのヒナなんだ。ごめんね」

 

「あっ、そうだったの? そっかヒオじゃなくてヒナだったんだぁ~。いやー騙されたなぁ~……イダダダダダダダ!!」

 

 

 

 それからヒナがイタズラをバラしたことで僕の疑いは晴れた。

 

 ヒナはやり過ぎたてしまったと僕たちに謝り、ヒメはマリアナ海溝より深い器の広さで謝罪を受け入れた。

 ヒナのやり過ぎたは恐らくイタズラのことだろうが、ヒメへの寝技も明らかにやり過ぎていたように感じる。ヒメの足がもげなくてよかった。

 

 その後ヒメがイタズラの仕返しだとヒナの脇腹をくすぐり、キャッキャウフフの展開になって事態は収束した。あぁ~^^

 

 

 一悶着あったが僕たちはまた炬燵に入り直し、さっきと同じようにダラダラとした時間に戻った。

 

 そんなこんなで時間はゆるゆると過ぎていった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 夕御飯どうしようかなぁ。

 

 自分の家と田中工務店の家計簿を付けながら、夕御飯をどうしようかと考える。

 

 ご飯のメニューに悩むのはよくあることで、たまにクックパ◯ドなどのネットを頼りにしているが、イマイチピンと来ないこともある。

 きっと世の中の主婦も同じような悩みを抱えていることだろう。

 

 今日は中島さんがお仕事のため不在で、僕たち三人だけである。

 県外への出張のようで、仕事のついでにスノーボードをしてくると言っていた。

 いつかのように骨折するのではないかと不安ながらに見送ったが、無事に帰って来てほしいものである。

 

 そんな中島さんが居ないときに三人で良い物を食べるのも可哀想なので、凝らずに普通のご飯にするべきかと苦慮する。

 さて、どうしたものか……。

 

 

 悩んだ僕は、対戦型のテレビゲームに夢中になっているヒメとヒナに意見を募ってみた。

 

「ヒメはお鍋がいいなぁ……今日も寒かったし、お鍋が美味しい季節だしね……! ふふっヒナ、着地が甘いよ!」

 

「ヒナもお鍋がいいと思う……! ヒメもなかなかやるね……! あ! ヒナあれやってみたい! 闇鍋!」

 

「闇鍋面白そう! ヒメもそれに一票で! よーし、ここでコンボ繋いで……やったー! ヒナ倒したー!」

 

「にゃんでえええええ!!! 今ボタン押したのにぃ!!」

 

「ふっふっふ。練習を積んだ今のヒメに死角はない」

 

 

 闇鍋かぁ……。

 

 二人から出た闇鍋という言葉を反芻する。

 

 闇鍋の経験がない僕はとりあえずネットで闇鍋について調べてみる。

 食材は他の参加者にバレないように持ち寄る、明かりを落として順番に具材を入れる等々の暗黙のルールがあるようだ。

 中島さんも居ないしたまにはこんな趣向を凝らした物も面白そうである。

 

 闇鍋をすると決まれば具材を買いに出かけなければいけない。

 夕方に差し掛かっている冬の空はすぐに暗くなってしまうので、暗くなる前に出掛けるべきだろう。

 

 ヒメとヒナも闇鍋に乗り気のようで、すぐにゲームを中断して出掛ける準備を始めた。

 

 

 

 暖かい部屋に干してしっかりと乾いたコートやマフラーを身に纏い、玄関の扉を開ける。

 

 おぉ。寒っ。

 寒すぎてサムスになりそう(メトロイド)

 

 外に出ると冷たい空気が顔を撫で、口から白い息も出た。

 灰色と橙色の混じった夕焼け空を見上げると、ちょっとだけノスタルジーな気分に陥る。これがアフターグロウというやつだろうか。

 

 

 家を出ると、工務店の玄関から道路にかけてたくさんの雪だるまが並んでいた。王様が歩くときに並ぶ兵隊のようである。

 ヒメとヒナの雪遊びの名残りに微笑みながら道路に出ると、なんと雪だるまが道の脇にもびっしりと並んでいた。ひぇっ。

 さっきから妙に工務店の周りだけ雪が少ないなと思っていたが、ヒメとヒナが近辺の雪をかき集めて全て雪だるまにしていたらしい。

 なんともシュールな光景である。

 

 

 しんしんと冷える冬の夜道に足を滑らせないように、僕たちは雪の中スーパーに向かって足を運んだ。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「それじゃあ蓋開けるよ」

 

「待ってましたー!」

 

「いぇーい!」

 

 

 二人の声援を受けながら、ぐつぐつと煮える音のする鍋を開ける。

 

 開けた瞬間に湯気が立ち込める。

 湯気が去ると、とうとう鍋がその姿を表した。

 

 

「「おお~!!」」

 

 

 完成した闇鍋の全貌に二人が揃えて声を挙げた。

 僕は恐る恐る鍋の中を覗き混む。

 

 鍋の色は━━━━━━━━━━━茶色だった。

 

 

「……ええと、鍋が茶色なんだけど……だれ?」

 

 

 その謎の茶色スープにはとろみが付いており、香ばしいスパイスの香りもする。

 その匂いは誰もが嗅いだことのあるような、もしくはお袋の味のような親しみを感じた。

 

 これは間違いなく……カレーだ。

 

 

「はいはーい! ヒメが"カレー粉"入れましたー!」

 

 

 僕が鍋(カレー?)を見て固まっていると、ヒメが意気揚々と手を上げた。

 どうやらヒメがカレー粉を入れたらしい。

 

 鍋が煮える間ずっと「カレーの匂いするなぁ」「誰かカレー系の食べ物入れたんだなぁ」と考えていたがヒメはがっつりカレー粉を入れていたようだ。

 

 この時点で僕は「もうそれ闇鍋じゃなくて闇カレーじゃない? 企画倒れしてない?」と訝しんだが、突っ込んだら負けな気がしたので無視をした。

 

 ヒメのカレー粉によって具材の味付けが全てカレー味になった事実に目を瞑りながら僕はお玉を手に取った。

 

 お鍋を掬うと、カレーに包まれた謎の物体が現れた。

 カレーにコーティングされてどんな物か判別がつきにくいが掬った先からドロドロと溢れていく。えぇ……ナニコレェ……。

 

 箸でつつくと何の抵抗もなく崩れていった。

 だいぶ脆い物のようである。

 

 

「はーい。それはヒナの"ウエハース"でーす! 何枚もあるのを固めて入れましたー!」

 

 

 ウエハース? もしかしてお菓子のやつ? え、あのウエハースを鍋にインしたの?

 僕の脳内検索エンジンで何度も『ウエハース』を検索したが、出てくるのはあの薄いチョコ味のお菓子である。

 

 目の前のもはや原型を留めていないウエハースの塊を改めて見る。あ、よく見ればちょっとウエハースの片鱗残ってるなぁ。

 

 そういえば前にヒナが大量のカード付きウエハースを購入していたのを思い出した。

 カードのコンプリートと共に莫大なウエハースを手にしたヒナがあのウエハース達をどう処分したのか気になっていたが……こんな形で出てくるとは思わなかった。

 

 

 気を取り直して、鍋の底にある具材を掬い上げてみる。

 

 今度のは大物らしい。

 持ち上げたお玉にすっぽりと収まった楕円形のナニカ。その物体はカレーのコーティングでまたしても謎に包まれているが、得も言われぬ謎の存在感を主張している。

 

 お椀によそって箸で中身を割ってみる。

 すると挽き肉や玉ねぎなどの見慣れた具材が出てきた。ジャンボ水餃子か何かだろうか。

 

 

「おお~ヒオさんお目が高い。それはヒメが入れた"肉まん"だね!」

 

 

 これまでの闇具材に比べれば幾分か温情な具材かもしれない。

 試しに一口食べてみればカレーと挽き肉が混ざってジェネリックキーマカレーみたいになっていた。

 まあまあ美味しい範疇に入っているのでヒメのファインプレーである。

 

 それとカレー好きの僕が気になったのはカレーの味が初めて食べるような味だったことだ。

 この隠し味は……何か甘い物だろうか? 後でヒメに聞いてみよう。

 

 

 今回の田中工務店主催の闇鍋は、持ち寄る具材は二種類というルールの元で行われた。

 

 僕が入れた食材(うどん、白菜)は見つかったのだが、もう一つ残ったヒナの食材だけが見つからない。

 お鍋の底の方にあるのかなとお玉でかき分けながら探しているが一向に見つかることはなかった。

 

 そこで僕はヒナの隣に置いてある赤いキャップの空のペットボトルに気が付いた。

 ……まさかね。

 

 

 そうして僕たちの闇鍋は恙なく終了した。

 

 闇鍋完食後、僕が闇鍋とは別に用意しておいた普通のお鍋を三人で美味しく食べた。

 闇鍋の方を小さい鍋にしておいた自分の判断に心から安堵するのだった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「ヒオ、今日は泊まってく?」

 

 

 夕御飯も終わって時刻は夜の八時を過ぎた頃。

 ヒメからお泊まりの誘いを受けた。

 

 田中工務店にお泊まりすることは月に一回程度ある。

 お隣さんなので寝間着や下着をすぐに持ってくることができるし、歯ブラシなどのアメニティは自分用の物を置かせてもらっているので、割りとその場の気分で泊まるかを決めることができた。

 逆もしかりで、ヒメとヒナが我が家に泊まりに来ることもある。

 

 ご近所の距離感としてはとても親密に思えるが、僕にとって工務店は第二の我が家のようなものである。

 ヒメ達のような温かいお隣さんに出会えたことに本当に感謝している。

 

 

「うん、泊まらせてもらおうかな。それじゃあ、一旦家に帰るね」

 

「おけまる~」

 

 

 今回もヒメの提案にありがたく乗っかった。

 

 

 早速家に戻り、諸々の荷物を準備する。

 

 せっかくお風呂もいただくことだし入浴剤でも持っていこうか。ヒメ達が喜んでくれるといいな。

 それと……コレも持っていこう。コレも僕なんかに使うよりはきっと良い筈だ。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「はぁ~良いお湯だったぁ~。入浴剤ありがとねヒオ! なんだかお肌すべすべになったかも~」

 

 

 お風呂からヒメが帰って来た。

 

 ヒメはいつもは結んでいる髪を下ろして可愛らしいパジャマを着ており、優しい花の香りもした。

 入浴剤も気に入って貰えたようで良かった。

 

 

「あ~ヒメから良い匂いする~! いいなぁ~!」

 

「えへへ~良い匂いだよね! ヒナもお風呂冷める前に行っておいで!」

 

「は~い! いってきま~す!」

 

 

 僕はヒナとのカードゲームを中断する。代わりばんこでヒナがお風呂に向かった。

 ちなみに僕は先にお風呂を頂いたので、すでに寝間着(中学時代のジャージ。重宝してる)に着替えている。

 

 

「ヒメ、髪乾かそうか?」

 

「ありがとう! じゃあお願いしちゃおうかな~」

 

 

 ヒメに髪を乾かそうか聞く。

 お風呂をいただいて更には泊まらせてもらうので、せめてものお礼である。

 

 そして僕は持ってきた荷物から、もうひとつのサプライズを手に取った。

 

 

「あとヒメ、これ使ってみる?」

 

「それって……ヘアオイル?」

 

 

 僕がもうひとつ持ってきたのはヘアオイルである。

 これは僕が購入したものではなく母親から送られてきたものだ。

 

 僕の両親は海外で仕事をしており、ありがたいことに一人暮らしの僕の身を案じて度々仕送りを送ってくれている。

 仕送りの中には変わった瓶詰めや食品、調味料といった面白い物が入っているのだが、なぜか母からは化粧品や女の子っぽい服など、些か僕には適当でない物が送られてくる。

 

 このヘアオイルもその一つである。

 海外のブランドで一応文字は読めるが雰囲気が高そうである。

 そこまで美意識の高くない僕が使うには恐れ多いので、ぜひヒメ達に使ってもらおうと持ってきたのだった。

 

 

「そんな良さそうなの使っちゃっていいの……?」

 

「いいのいいの。どうせ僕が持っていても宝の持ち腐れだし……あ、髪に合わなかったらごめんね」

 

「むむむ……入浴剤もだけどヒオには貰ってばかりだなぁ。絶対に今度お返しするからね」

 

「気にしなくていいよ。ヒメ達が喜んでくれるのが僕は一番嬉しいからね」

 

 

 ヒメにドレッサーに座ってもらった。

 

 しっかりタオルドライしてから、僕は適量のヘアオイルを手に取る。

 それから髪の中間から毛先に向けて手のひらで優しく握るように髪に馴染ませていく。

 時間を置いてしっかり浸透させてから、手を拭いてドライヤーのスイッチを入れた。

 

 ドライヤーが大きな音を立てて熱風を出す。

 ヒメの綺麗な髪が痛まないように、ドライヤーを振りながら時間をかけて風を当てていく。

 途中でブラシを使いながらブローをし、綺麗に仕上がるように乾かしていった。

 

 

 

 ドライヤーのスイッチを切り、変な癖がついていないか確認する。うん、大丈夫そうだ。

 

 髪を乾かし終えた僕は櫛を使ってヒメの髪を梳かしていく。

 ヒメの綺麗な髪を見ていると、思わず口から声が漏れてしまった。

 

 

「……綺麗だね」

 

「……っ!」

 

 

 改めて、綺麗な髪だなぁ思う。

 指の間をサラサラとこぼれて逃げていき絹糸のように艶やか。珍しいピンクの地毛は桜の淡い美しさを思わせるようである。

 もう何て言うか髪の毛から生き物としての次元が違う。触り心地が高級ホテルみたいである(謎の表現)

 

 

「耳元で言うのは……ズルいよ」

 

「何か言った?」

 

「う、ううん、何にも言ってない……」

 

 

 お風呂上がりで体が温まっているのか鏡の奥のヒメは顔が赤くなっていた。

 

 それからお風呂から帰って来たヒナにも同じように髪を乾かさせてもらった。

 ヒナの髪にも久しぶりに触ったのだが、感触がふわふわサラサラの完璧ブロンドヘアでまたまた感嘆の息が漏れてしまった。ふつくしい……。

 

 

 

 ヒナの髪を乾かし終えたので後は寝るだけである。

 

 工務店二階にある二人の部屋に行き、押し入れから布団の用意をする。

 布団を川の字に敷いて寝る準備が完了した。

 

 時刻は夜の10時を過ぎていた。

 目覚まし時計をセットして部屋の照明を消すことにした。

 

 

「明かり消すよー」

 

「はーい」

 

「おやすみー」

 

「「おやすみ~」」

 

 

 おやすみを言ってから照明を消した。

 

 フッと部屋が暗くなり静かな空間となる。

 

 僕はどこかにぶつけないようゆっくりと自分の布団に向かい、静かに布団に入った。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……ヒメ、ヒオ。クラスに好きなひといる?」

 

「いやそれ修学旅行でやるやつ~」

 

「そのネタ毎回やるね。ふふっ」

 

 

 真っ暗の中、ヒナがボケてヒメがツッコミを入れた。

 二人の定例漫才に笑うと、僕の笑い声から連鎖をして三人の笑う声がクスクスと木霊した。

 

 ひとしきり笑ったところでヒメが話を切り出した。

 

 

「久しぶりのお泊り会なのに、こんな早く寝ちゃうの勿体なくない?」

 

「ヒナもそれ思ってたー。どうせ明日もお休みなんだし、ちょっとくらい夜更かししても大丈夫だよね。夜更かししちゃお~!」

 

「しちゃおしちゃお~!」

 

 

 ヒメとヒナが夜更かし決行を決めたようだ。

 僕も夜更かしは構わないし、まだ起きていたい気持ちもあるので便乗しよう。

 

 僕は布団から起き上がり、窓にかけられたカーテンを開けた。

 

 

「真っ暗なのも話辛いしカーテン開けるね。月明かりくらいの明るさなら話すのに丁度いいでしょ?」

 

「ヒオナイス!」

 

「おぉ~ロマンチック。月明かりだけでも結構見えるね~」

 

 

 こうしてお泊まり会の鉄板、寝る前雑談がスタートした。

 

 僕たちは他愛のない話だったり、恋バナだったり、今年の楽しかったことを振り返ったりした。

 

 

「へぇ~、ヒメはそんな感じの人がタイプなんだ~」

 

「そ、そうだよ……ヒメが言ったんだからヒナもちゃんと言ってよね!」

 

「う~ん……ヒナはやっぱり趣味の合う人がいいかなぁ~。もしくは理解のある人? とかかな」

 

「なるほどね~。……ヒオはどんな人がタイプ?」

 

「僕は……僕のことを好きになってくれる人がいれば、それだけで嬉しいかな」

 

「ヒオはほんと謙虚だよね~。草食系超えて断食系男子だね」

 

「ふふっ、別に女の子に興味がないわけじゃないんだよ。きっと、日頃からヒメやヒナを見てるせいで目が肥えちゃったのかな。タイプとは話が変わるけど、僕的に一番可愛いのはヒメたちだしね」

 

「ほほほ~佐藤さんお上手ですな~。これにはヒナもニッコリ」

 

「ヒオってさらっとそういう事言えるよね……」

 

 

 

「ヒナは夏のバカンスが楽しかったな~。BBQも美味しかったし!」

 

「またどこか旅行いきたいねー! ヒメは海外、ヨーロッパとか言ってみたいな~」

 

「いいね。そのうち海外でライブして、成功してヒメたちがもっと人気になったら……とても嬉しいね」

 

「でも英語とか喋れないとだよね~。ヒナは英語てんでダメだから無理そうだなぁ」

 

「ヒナ、ウチには優秀な翻訳者がいるからモーマンタイだよ。ヒオは、えーと……バイリング? ポンデリングだっけ? 英語が分かるからね!」

 

「分かるといっても日常会話程度だけどね。もしその時が来たら頑張るよ」

 

 

 時間も忘れて色んな話に花を咲かせる。

 暗くて時計が見えないのも丁度よかった。

 

 次第に二人はウトウトし始め、口数も少なくなっていった。

 

 

「来年……やりたいことかぁ……」

 

「ヒメは……もっと歌もダンスも上手くなって……たくさん動画もあげて……三人でもっと色んな場所に遊びに行きたいなぁ……。ちょっと多かったかな……?」

 

「ううん、ヒメらしいと思う……ヒナも……来年は三人でたくさん思い出作りたいな……アルバムがパンパンになるぐらい、色んなことしたいな……」

 

「ヒナも良い抱負だねぇ……ふあぁ。ヒメ、眠くなってきたや……」

 

「……ヒナも……そろそろ眠いかも」

 

「ヒナ……ヒオ……おやすみ……」

 

「おやすみ。ヒメ、ヒナ」

 

 

 二人からスヤスヤと寝息が聞こえ始める。

 

 しばらくして僕もうつらうつらと船を漕ぎ、夢の世界へと旅立っていった。

 

 

 夜は刻々と更けていき、月の光は鳴りを潜めた。

 そして代わり代わり、今度は寝起きの陽が姿を表して、三人の眠る少女たちを光で包むのだった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 翌日、起きたのは太陽が登り切ったお昼前だった。

 

 目を覚ますとヒメが腕に掴まっていたのでゆっくりと引き離し、二人を起こさないよう静かに布団を抜け出した。

 

 

 キッチンでお湯を沸かして、外の雪を見ながらインスタントのコーヒーを啜る。

 雪の白さに反射した日光がとても眩しかった。

 

 

 その日飲んだコーヒーは別世界の味がした。



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僕の変化

 新学期の登校初日。

 

 ぬくぬくと暖かい陽気と柔らかい日差しにペールトーンの青い空、優しく肌をなでる春風。この時期は、何もかもが緩く穏やかで心地よく感じられる。

 桜並木の通学路には桜の花びらが舞い散り、桜のカーペットが出来上がっていた。

 

 

「えへへ。また同じクラスだったね」

 

 

 春らしいうららかな日和を感じる朝の通学路で、ヒメは今にもスキップしそうなほど上機嫌だった。

 あまりにも可愛いかったので桜の妖精さんかと思った。カラーリングもバッチリである。

 

 ヒメの手には学校から配られたクラス表のプリント、紙面には新二年生の新しいクラス割りが載っている。

 新しいクラスには僕たち三人の名前が載っており、ヒメはそれを見るたびに笑顔をこぼしていた。

 

 隣に居るヒナが指で「ひーふーみー」と数えながら返事を返す。

 

 

「えーとこれで……10年連続同じクラスだ。運がいいね~」

 

「えー!? 10年も一緒のクラスだったんだ! 凄くない!? これギネス獲れるよギネス! きっと世界初だよ! 認定されちゃったらどうしよう~!」

 

「運命的だねぇ……スタンド使いはスタンド使いにひかれあう……」

 

 

 スタンド使いじゃないけどね。

 

 二人の言うとおり、今年も僕たちは同じクラスになった。やったぜ。

 るんるん気分のヒメと異なって僕はおくびにも出さず淡々としているが、内心では嬉しい気持ちがマグマのように込み上げている。

 あ〜、ものすごくうれしすぎて叫びたい気分です! ヴァァァァアァァアァァ!!(パルキア)

 気分は志望大学に合格した受験生だ。

 

 

「ヒメたちももう二年生だね! ということは、後輩ができてヒメたちが先輩になるのかー。ヒメ先輩とか言われちゃったりするのかな~!」

 

「ヒメせんぱ~い」

 

「おお~なんか良い響き!」

 

「ヒメせんぱいは、なんで年上なのに同じ学年なんですか?」

 

「まさかの留年設定!?」

 

 

 ヒメがもし先輩だったら……きっと後輩からの信頼が厚い良い先輩になるだろうなぁ。ヒナもきっと愛され系の先輩になるに違いない。

 年上ヒメヒナ、良い……! いずれ癌に効く。というかこの小説進級の概念とかあったんだ。

 

 一人で妄想を膨らませていると、二人の話題は昨日見たアニメの話になった。

 

 

「自己紹介のところ面白かったよねー! 『ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者が居たら私の所に来なさい。以上!』ってやつ! ヒメ元ネタ見るの初めてだったよ!」

 

「今のけっこう似てたね~。そっかぁ、涼宮ハ○ヒももう15年前かぁ。時の流れって早いなぁ……しみじみ」

 

「いや、ヒナもヒメもまだ赤ちゃんだったでしょその頃! たぶん見てたアニメはアンパ○マンとかだから!」

 

「そおう? ヒナはなんとなく見てた記憶があるんだけどなぁ……寝る前の読み聞かせもラノベだった気がする」

 

「オタクの英才教育……」

 

 

 ずいぶん懐かしいアニメを見たらしい。

 ネットでエンドレスエイトに苦しめられた当時のオタクの書き込みを見るたびに「昔のアニメすげぇな……」と思う。

 昔のアニメは過激な描写のシーンも普通に夕方放送されていたり、自由度というかコンプライアンスの緩さが如実に感じられる。小さい頃にエヴァとか見たらトラウマになりそうだ。

 

 「今度は『あの花』見ようねー」と二人は次に見るアニメの予定を立てていた。

 良いチョイスである。名作なので楽しんでね。

 

 

 聞き流していたが、僕はヒメの話していた『自己紹介』という単語が頭に引っ掛かっていた。

 

 新学期に新しいクラスと来れば、当然初日にクラスでの自己紹介があるだろう。

 あのクラスメイトの前で趣味とか特技とかを話す、数十人による圧迫面接みたいなあれである。

 

 去年は緊張の余りとてもではないが印象の良くない自己紹介をして泣く泣く敗走したが、今年こそは成功させたいと考えている。

 

 僕は二人とのライブ活動を通じて、大勢に見られる場所での場数を踏むたびに心が強くなっていくのを感じている。

 最近では胃薬を飲む回数も減ってきており着実に精神が強くなっていることが分かる。

 本当に去年は色々ありすぎた。思い出すだけで胃薬に手が伸びそう……あれこれ中毒になってない?

 

 更に新しいクラスには親友の小島くん、拉致女装事件以来そこそこ親交を深めているギャル子さんも居るのでぼっちが免れるのも確定している。勝ったなガハハ、風呂食ってくる。

 

 

 とどのつまり今年の僕は一味違う。

 自己紹介もヒメとヒナのように完璧に立ち回り、新しいクラスでも友達ゲットだぜする算段である。

 

 ちゃんと趣味とか聞かれたらギターを弾くことですと答えられるように頑張ろう。

 趣味暴露は恥ずかしいが踏み出す覚悟がなければきっと友達は作れないのだ。古事記にもそう書いてある。

 よーし頑張るぞー! えい、えい、むん!

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 ホームルームの時間となった。

 予想通り、新学期で一新したクラスメイト達の親交を深める名目で自己紹介が行われた。

 

 

 自己紹介は名簿順に次々と行われていき、順序通り僕の番が死神の足音のように忍び寄って来ている。

 だ、誰か助けてぇ……しぬぅ……。

 

 朝に啖呵を切っていた威勢はどこへ行ったのか。

 僕は手に大粒の汗を握ってガクガク震えながら緊張していた。

 

 ヒメとヒナは僕がどんな自己紹介をするのか少し期待した目でこちらを見ており、事情を知っている小島くんとギャル子さんは不安そうにこちらを見ていた。

 小島くんは応援するようなガッツポーズ、ギャル子さんは両手を祈るように合わせていた。

 

 

『ヒオ、あのお二人と何度もライブをして人前に出れたんだ……! お前ならできるぞ……!』

 

『佐藤くんがんばって……!☆ 佐藤くんなら大丈夫だから……!☆』

 

 

 子どもの発表会を見守る親のような目線を受ける。

 二人ともごめん……僕は情けない男です……。

 

 

 気づけば前の席の人が自己紹介を終えて拍手を受けており、とうとう僕の番が回ってきた。お助けぇ!

 

 緊急のせいで椅子を引いて立ち上がる動作ですらぎこちない動きをしてしまう。

 前を向いて、僕は乾ききった口を開いた。

 

 

「さ、佐藤ヒオです」

 

 

 心臓を鷲掴みにされているような気分で自分の名前を口に出した。

 

 

「趣味は……」

 

 

 生徒の視線を感じて、顔が強張って蒼ざめる。

 耳の穴がシィーンと鳴るほど緊張して、喉に重い物が詰まったように息苦しい。苦しいか?(自問自答)

 

 時間にして数秒ほどの沈黙が、僕には一生のように感じられた。

 

 現実から目を背けるように俯いて頭が真っ白になっていると、胸ポケットの中の髪留めが目に入った。

 ヒメとヒナから貰い、ライブ活動で演奏する際に着けていた思い出深い品である。

 

 その髪留めを見た瞬間、ヒメとヒナの顔が浮かんだ。

 

 

「僕の趣味は……!」

 

 

 二人のことを思い出した。

 ヒメとヒナは僕の拙いギターをいつも褒めてくれ、もっと聞きたいとアンコールをくれる。

 僕なんかよりも凄いあの二人がだ。

 つい自信がなくて謙遜してしまっていたが、それは僕のギターを好いていてくれる二人に対して失礼だった。

 

 僕はもっと自信を持つべきだったのだ。

 二人が偽りない気持ちで褒めてくれた自分の趣味に。

 

 清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、僕は自己紹介を続けた。

 

 

「僕の趣味は、ギターを弾くことです。……それと、料理も好きで、お菓子作りも好きです。あと、漫画とかも読むのも好きです……よろしくお願いします」

 

 

 言えることを全て言い、ペコリとお辞儀をする。

 今になって色々と喋りすぎてしまったことに後悔はあるものの未練はない。

 僕はやりきったのだ。

 

 そして他の生徒同様に拍手を受けて(約二名クソデカ拍手)、僕は静かに着席した。

 

 

 づ、づがれ"だ~~~~~~!!

 

 席に座り込んだ僕は肩の荷がおりたようにホッとした。生きてるゥー!

 精神力を使い切り、体が砂のように消えながらスゥーと薄くなっていくのを感じる。お前……消えるのか?

 

 

 何はともあれ━━やったぁ! 自己紹介乗り越えたぞ!

 一代イベントを乗り越え、僕は格別の満足感を得ていた。うれしすぎて叫びたい気分です! ぱるぱるぅ!(原作準拠)

 

 地獄の自己紹介を終えてはぐれメタル10匹分くらいの経験値をもらった僕は、これからの学校生活に少し期待を寄せるのだった。

 

 

 

 それから何事もなく時間は進み、お昼休みの時間となった。

 

 

 僕はトイレを済ませて、小島くんの待っている屋上へ向かうため廊下を歩いている。

 

 廊下には春ということで新入部員の募集をかける部活動のポスターがあちらこちらに貼られている。

 

 また、学校紹介のポスターやパンフレットには、よく知る幼なじみ二人の姿が載っていた。学校側からのオファーがあったらしい。

 うーん、相変わらず容姿端麗だなぁ。

 こんなポスター見たら入学不可避、満員御礼、倍率インフレ間違いなしだろう。

 

 

 ヒメとヒナの美貌によりファッション誌と化した学校パンフレットを尻目に廊下を歩いていると、誰かから声を掛けられた。

 

 また新キャラとかだったら怖いなぁと思って振り向くと、いつもの二人であるヒメとヒナ、そして知らない女子生徒の姿があった。

 

 ヒメは少し真剣な面持ちで僕に話しかけてきた。

 

 

「……おねがいヒオ、力を貸して」

 

「うんいいよ」

 

 

 「即答!?」と驚くヒメ。

 ヒメのお願いを無下にするつもりなんて毛頭ない僕は、さっそく依頼の内容を聞くのだった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「ギターの代役?」

 

 

 廊下で立ち話をするのも疲れるだろうと、僕たちは別棟にある軽音楽部の部室に来ていた。

 部室には防音が施された水玉模様の壁と楽器用のアンプやシールド(ケーブルみたいなやつ)など音楽関連の道具がところ狭しと置かれている。楽器も置いてあるようだ。

 

 屋上に待たせている小島くんに事情を連絡すると『今屋上に来るな。逃げろ』と警告する返信が返ってきた。

 ゾンビにでも襲われているのだろうか。『了解。かゆうま』と返信を打って返しておく。

 

 僕たち四人は年季の入った椅子に座り、その軽音楽部の部員である女子生徒の話を聞く姿勢をとった。

 ヒメが中心となって女子生徒の話を聞きはじめる。

 

 

「それで、どうしてギターの代役が必要になったの?」

 

「えっとね、私のバンドでギターを担当してる人が居るんだけど、明日ある新入生歓迎会でやる予定の軽音楽部の演奏に、急遽出れなくなっちゃって……」

 

「何かあったの?」

 

「うん。パフォーマンスの一環でステージを爆発させたら面白いんじゃないかなぁと思って、リハーサルをしたんだけど火薬の量をミスっちゃって……ギターの子が巻き込まれちゃったの……。あ、軽い怪我で済んでたよ」

 

 

 えぇ……思っていたよりもファンキーな理由だった。

 どうやらこの方はなかなかロックな生き方をしているようである。

 

 

「でも利き手を負傷しちゃったみたいで、ドクターストップもかけられちゃって……」

 

「そして、今日の自己紹介でギターが趣味だって言うヒオを見つけたんだね」

 

「うん。ヒメちゃん達と仲が良いって聞いたから、ヒメちゃんを仲介に頼めたらなぁって」

 

 

 なるほど、そういうことだったのか。

 割りとクレイジーな理由だったがおおよそ把握できた。

 

 バンドメンバーの欠員、しかもそれがライブ直前ともなれば深刻な問題だ。

 恐らく他の軽音楽部のギタリストには断られてしまい、初対面の見知らぬクラスメイトに頼むほど切迫していたのだろう。

 欠員の理由を聞けば断る理由が分かる気もする。

 

 

「そうだったんだね……ねえヒオ、どう?」

 

 

 ヒメから話を振られる。

 真剣な目をしたヒメから女子生徒の力になってあげたい気持ちが伝わってきた。

 昔からヒメは困っている人を放っておけず、こうやって相談に乗ったり協力してあげたりすることがあった。

 友達の多い彼女の人望はこういった一つ一つの積み重ねによるものなのだろう。ぐう聖すぎる。

 

 僕としては火薬とかの危険物を扱わなければ構わないのだが、そもそもどんな曲をやる予定なのだろう。

 

 演奏する曲を知りたいので、その女子生徒さんに聞いてみる。

 

 

「えーと……譜面を見せてもらってもいいですか? もしも弾いたことのある曲なら、直ぐにできるかもしれないので」

 

「あ、うん!」

 

 

 女子生徒は鞄から譜面を取り出して、僕に両手で渡した。

 譜面は練習の跡でよれよれになっており、今回の演奏に対する気持ちが見て取れた。

 ベースの五線譜に印を付けているのを見ると、彼女はベース担当らしい。

 

 譜面をパラパラとめくり、ギターがどんな曲なのか見ていく。

 ふむふむ……。

 

 

「……初めてやる曲だけど、できると思います」

 

「えっ、ほんと?」

 

 

 パラっと見た感じ、難しいフレーズは特になさそうだ。

 

 

「はい。そこに掛けてあるギター、お借りしてもいいですか?」

 

「あっうん、どうぞ!」

 

 

 部室に置かれていたギターを手に取る。

 自分の鞄からチューナーとピックを出し、素早く準備を終わらせて試奏する。

 

 女子生徒に見られて緊張するが、時間も少ないので早く弾こう。

 頭にインプットしたフレーズを思い出しながら、一つ一つコードを弾いていった。

 あーなるほどね完全に理解した。

 

 覚えたフレーズを一通り弾き、一曲通して演奏してみる。

 うん。完成度はともかく弾くことはできそうだ。

 

 

「クオリティーは突貫工場ですが、あと何回か練習してリハもやれば弾くことはできます」

 

「ほんと!?」

 

「はい、本当に拙いですが」

 

「そ、それじゃあ私たちにギターとして力を貸してください! 本番では火薬も使わないし猛獣も出さないし、金属の溶接もマグロの解体もナシにするので! どうかお願いします!」

 

「ははは……分かりました……」

 

 

 なにそれ怖い。

 この子のバンドのコンセプトが分からないよぉ……。

 

 しかし戸惑いながらも二つ返事で了承した。ヒメの友達ならば断る理由もない。

 

 

「!! ありがとうございます! 助かります!」

 

 

 女子生徒が頭をブンブンと下げてお礼し出した。往復の速度が早くてヘッドバンキングみたいになっている。

 そんなにしなくて大丈夫です……抑えて抑えて……。

 

 女子生徒の頭の上下運動を止めようとしていると、彼女の持っているスマホが鳴り出した。

 

 

「あ、ごめんなさい、ちょっと電話出ますね! もしもし? ○子? 何かあったの? ……えっ!? ○美が綱渡り失敗した!? 何してんの!? だからあれほど命綱は付けとけって言ったじゃん! 何やらかしてんのアイツ!? ……なに? 軽傷だったけど医者に止められてる? それじゃあボーカルは誰がやるのよ! ただでさえベースの私とドラムのアンタしか居なかったってのに! 歌える人がいなかったらバンド成り立たないでしょうが!」

 

 

 なにやらまたハプニングが起きたらしい。

 

 その女の子は勢いよく携帯を切り、今度はヒメとヒナに頭を思いっきり下げた。

 

 

「ごめん! ヒメちゃんヒナちゃん! 私たちに力を貸して!!」

 

「「いいよ」」

 

「即答!?」

 

「ヒメたちだって力になりたいもん」

 

「そうそう。ヒナたちにも協力させて? ね?」

 

「うぅ……ヒメちゃんヒナちゃんありがとう!」

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 放課後の廊下を一人歩く。

 

 夕焼けの差し込む廊下には人っ子一人おらず、窓の外からは運動部の頑張る声、遠くから吹奏楽部の練習する音が聞こえた。

 担任の先生から任された当番の仕事を終えて、ヒメとヒナの待つ教室へと向かう。

 

 僕たちが頼まれたライブは明日。

 結局三人ともやることになったので、この後あのロックの人と練習を行うこととなっている。

 

 了承したはいいが、学校の生徒に演奏する姿を見られるのはとてもハードである。

 いつものように髪留めをしてカモフラージュはするが一抹の不安が残っている。

 

 

 次の瞬間、いきなり視界が見えなくなった。

 何者かに背後から目隠しをされたらしい。

 

 手首を縛られて、宙に浮く感覚とともに体を持ち上げられて運ばれる。

 またこの展開かぁ……。

 

 悲しくも慣れてしまった拉致される状況に愚痴りつつ、勘弁してくださいよぉと思いながらどこかへ運ばれていくのだった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

『これより、第八十回ヒメヒナ親衛隊弾劾裁判を行う』

 

 

 連れてこられたのはどこかの空き教室。

 

 僕は椅子にぐるぐる巻きに拘束され座らされていた。

 僕を取り囲うように複数の男子生徒がおり、誰も彼もが鬼のような形相を浮かべている。ひぇっ。

 

 ヒメヒナ親衛隊って……ああ、あれか。

 友人の小島くんが入っている、二人に近づく輩を追い払うのが理念の非公式な組織だったはずだ。

 実在したのかあれ……。

 

 つまりこのモンスターハウスはヒメヒナ親衛隊の集まりで、僕はそこに呼び出された状況だということが分かる。

 ……えっ、不味くない?

 

 

『佐藤ヒオ、16歳、田中さん鈴木さんと同じクラス。同じクラスを考慮しても接触回数は極めて多く、登下校でも接触している姿を複数確認……』

 

『あの野郎!』『許せねぇ……』『さっさとヤっちまおうぜ!』『俺が裁く!』『ろこす』『ぶっ○! ぶっ○!』

 

 

 裁判官らしき人が僕の素性についてつらつらと述べていく。

 それに合わせて周りで聞いている親衛隊の人達からブーイングの嵐が飛んだ。おっかない。

 

 接触回数が多いって、ヒメとヒナと学校で話すことは確かにあったがそんなに多かっただろうか。

 隣の席のため多少の雑談はしていたが、人の目につかないよう配慮はしていたつもりだったのに……。

 それと登下校の間は二人とあまり話さないので油断していたがしっかりと監視の目があったらしい。やらかしたぁ。

 

 

『以上をもって、罪人の判決を言い渡す』

 

『打ち首じゃー!』『処せー!』『裁け裁け!』『捌け捌け!』『三枚おろしにしてやるぜ!』『ジャッジメントですの!』『シベリア送りだー!』

 

 

 もう僕裁かれるの? 早くなぁい? 

 あまりにスピーディーな判決に突っ込んでしまう。せめて弁護させて……。

 

 それとさっきから観客のブーイングが全然穏やかじゃない。すごい怖い。

 

 

 裁判とは名ばかりの魔女狩りと化したこの裁判で、僕に言い渡された判決は……。

 

 

『判決━━━━━━━━━━━死刑。』

 

『『『うおおおおおおおおおお!!!』』』

 

 

 重すぎィ!

 えっ、いきなり極刑? 死? 死ぬの僕?

 

 裁判官らしき人が判決を告げると、傍聴していた親衛隊の人達が大きな怒号をあげた。

 理不尽だぁ! それでも僕はやってない!

 

 

 そうこうしていると人混みの中から、逞しい筋肉の鎧を着た屈強な男達が現れた。

 

 僕はその人達に椅子ごと持ち上げられた。

 

 嫌じゃ嫌じゃ! 妾まだ死にとうない!

 注射を受ける前のネコのようにジタバタと必死に抵抗するも、屈強な男達による筋肉神輿はびくともしない。

 為す術なく僕は運ばれていく。

 

 そんなぁ……まだ死ぬ前にやり残したことたくさんあるのにぃ……。

 こんな風に死ぬのは嫌だー!

 せめて死ぬ前に、ヒメが美味しい物食べて幸せそうにしてる姿見て、ヒナとアニメ鑑賞会して、ヒメと朝までだらだらゲームして、膝の上に頭を乗せてきたヒナよしよしして、褒められて照れてる可愛いヒメ見て、ヒナにイタズラされて、二人にご飯作ったりお菓子作ったりして、二人の歌聞いて、二人のダンス見て、ヒナよしよしして、二人のてぇてぇが見たかったよ~~~!!!

 うわああああああん!!

 

 

 僕が諦めかけたその時。

 

 教室の戸がピシャッと開かれ、一人の人物が入ってきた。

 

 

「ちょっと待った!!」

 

「この声は━━━小島くん!?」

 

「はぁ……はぁ……なんとか間に合ったぜ」

 

 

 止めに入ったのは、僕のベストフレンズ小島くんだった。

 絶望的な状況で現れた彼が白馬の王子様に見える。

 

 

『あの人は確か……』『誰だアイツは!』『馬鹿お前! あれはナンバー2の小島さんだ!』『ナンバー2!? あの情報屋の!?』『情報屋の小島さんがなぜここに!?』

 

「お前ら、一旦そいつを下ろしてくれ」

 

 

 小島くんの一言に従うように、屈強な男達は僕を床に下ろした。怖かったぁ……地面が恋しい。

 どうやら彼は親衛隊でかなり強い発言力を持っているらしい。

 

 小島くんは裁判官らしき人を押し退け、教卓に手をついた。

 

 

「この場は俺が仕切らせてもらう。異論のあるやつはいるか?」

 

『……』『……』『……』

 

 

 小島くんの鶴の一声で、先ほどまで暴動のように騒いでいた男達はピタリと静かになった。

 

 小島くんはぐるりと辺りを一瞥してから、ゆっくりと僕の隣に立った。

 

 

「まずは皆これを見てくれ。ヒオ、ちょっと髪留め借りるぞ」

 

「う、うん」

 

 

 そう言うと彼は僕の胸ポケットに手を入れた。

 そのままポケットの中から、僕がいつも大事に持ち歩いている髪留めを取り出した。

 

 なぜか僕の前髪を弄りはじめ、慣れない手つきで髪を留める。

 僕はいつもライブをするときの格好になった。

 

 なぜ今こんなことを? と不思議に思ったが、前を見ると、親衛隊の人達はポカーンとした顔になっていた。

 

 次第に、辺りからザワザワとどよめき声を聞こえ出す。

 

 

『ヒ、ヒオちゃん!?』『なんでヒオちゃんがここに!?』『ほ、本物だ……』『アイエエエエ! ヒオチャン!? ヒオチャンナンデ!?』

 

 

 先ほどまでと呼び方が変わり、なぜかちゃん付けで呼ばれはじめた。

 どういうことなの……?

 

 僕が豆鉄砲を食らった鳩になっていると、小島くんがよく通る声で話し出した。

 

 

「そう。一年前、あのお二人の側に彗星のように現れた美少女ヒオちゃん……その正体は……」

 

『ざわざわ……』『ざわざわ……』

 

「ここに居る━━━佐藤ヒオだ」

 

『なん……だと……』『嘘だろ……』『わけわかめ……』『そんなバナナ……』

 

 

 彼の一言で教室中が騒然とした。

 慌てふためく人や気が動転する人、膝を着いて呆然とする人など教室がカオスな空間になる。

 

 彼の話に戸惑いを隠せない親衛隊の人達。

 それから小島くんに向けて滝のように怒涛の質問が押し寄せた。

 

 

『し、質問です! 本当にその子は……あのヒオちゃんなんでしょうか!?』

 

「そうだ、ヒオちゃん本人だ」

 

『質問です! えーとつまり、佐藤ヒオは女の子だったんですか……?』

 

「いや、逆だ。こいつは男だ」

 

『ヒオちゃんが……お、男……そんな……』

 

「受け入れろ」

 

『し、質問願います! なぜ男子なのにそんな可愛いんですか!?』

 

「それはマジで俺が知りたい」

 

 

 ワイワイガヤガヤと、親衛隊と小島くんの質疑応答が熱を帯びはじめる。

 その熱狂ぶりは歴史の教科書で見た自由民権運動のあの絵を思い出す。

 

 そんな時一つの質問が投げ掛けられた。

 

 

『しかし男子なのであれば、あのお二人に近づく輩ですということになりますので……粛清対象なのでは……?』

 

『確かに……』『信じがたいが男だしな……』『ヒオちゃんには悪いけど……あの二人とは離れてもらうべきか……?』『そんな酷いことできるか? あのヒオちゃんだぞ』『俺もう男でもいいや』

 

「……言いたいことはもっともだが、この写真を見てくれ」

 

 

 そう言うと小島くんは懐から何枚もの写真を取り出し、宙に放り投げた。

 写真はひらひらと舞い親衛隊の人達全員に配られる。

 

 何の写真か気になったので、僕も見せてもらうと身を捩って床に落ちている写真を見る。

 

 その写真は━━━僕とヒメとヒナ、三人の集合写真であった。

 

 

『こ、これは……!』

 

「見てくれ、その田中さんと鈴木さんの顔を」

 

『なんて、幸せそうなんだ……!』

 

 

 写真の中の二人は、笑顔であった。

 写真は色々で、初ライブの時や海に行った時の写真などがあった。ヒメもヒナも写真映りいいなぁ。額に入れて飾りたい。

 どの写真でも二人は綺麗な笑顔を見せて楽しそうに笑っていた。可愛い。

 

 

「ここにいる佐藤ヒオはお二人の幼なじみだ。小さい頃からずっと一緒で、三人は深い絆で結ばれている。そしてあのお二人にとって佐藤ヒオは、お二人をこんな素敵な笑顔にさせる、かけがえのない大事な存在なんだ。その写真を見れば一目瞭然だろう」

 

『確かに配信でそんなこと言っていた……』『田中さんが言ってたな、10年の付き合いだって』『三人仲良しだってな』『そうだったのか……』

 

「佐藤ヒオがお二人から愛されているのが、この写真から分かるはずだ」

 

 

 なにこれすっごい恥ずかしい。

 

 小島くんの演説によって教室はシーンと静まりかえる。

 

 それからしばらくして、すすり泣くような声が教室中に響きはじめた。

 

 

『うっ……うっ……』『ぐすん……』『てぇてぇ……』『守りたい……この笑顔……』『俺が守護らねばならぬ……』『てぇてぇ……』『三人とも推せる……』

 

 

 親衛隊の人達が一斉に泣き出した。

 

 先ほどまで僕に殺意を向けていた人達が一転して、僕に慈愛のこもった目線を送ってくる。

 どういうことなの……。

 

 場の雰囲気に置いてけぼりになっていると、小島くんが大きな声をあげた。

 親衛隊の人達が気合いの入った返事をする。

 

 

「お前らぁ!」

 

『『『はい!!!』』』

 

「ヒオちゃんこと佐藤ヒオが嫌いなやつ居る? いねえよなぁ!?」

 

『『『……』』』

 

「三人とも推すゾ!!」

 

『『『うおおおおおおおおおおおお!!!』』』

 

 

 

 教室に響く凄まじい大声。

 

 彼らが何を言っていたのか1から10まで理解ができなかったが許されたらしい。

 

 親衛隊の人達は涙を流しながら、思い思いの言葉を口にしていた。

 

 

『ヒオちゃーん!』『俺はヒオちゃんも推すぞー!』『三人とも大好きだー!』『推しが増えて幸せー!』『田中さん鈴木さんヒオちゃん! 生まれてきてくれてありがとうー!』『うおおおお!!』

 

 

 ……時たま僕の名前が聞こえるが聞こえなかったことにしたい。

 

 夢ならばどれほど良かったでしょう。ウェッ。

 椅子に縛られながら彼らの歓声を浴び、僕は皮のまま齧ったレモンのように苦い思いをするのだった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 翌日。

 結論から言うとライブは成功した。

 

 

 学校の中庭にできた特設ステージでライブは行われ、新入生に限らずたくさんの在校生が見に来てくれた。

 中にはペンライトや二人の名前が書かれたうちわを持っている生徒もおり、歓迎会としては大盛り上がりを見せた。いつの間に用意したのだろう。

 例の親衛隊の人たちも来ており、皆一様に涙を流していた。

 

 ヒメとヒナも生徒の前で歌うのは初めてだったが、頼まれた曲をなんなく歌いこなしファンサもしていた。ヒメヒナマジ化け物。

 件の女子生徒、ロックの人からは深々とお礼を言われて、今度僕が困ったときはぜひ力になるとLINEを交換した。

 先ほどのライブで『蝋人形にしてやろうかァー!』と言っていた人物とはとても思えなかった。怖かった。

 一人分増えた連絡先を見て嬉しい気持ちを噛み締める。やっぱり人助けはするものである。

 

 ロックの人に打ち上げに誘われたが、もしも火薬を使う方の打ち上げだったら洒落にならないので、身の危険を感じお断りしてそのまま解散となった。

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

『あれがヒオちゃんか……』『男子の制服着てる……』『いつもは前髪で隠してるのか……』『お顔を見たい……』

 

 

 ぼ、僕の方見てる……? なにゆえ……?

 

 

『やべ、見てるのバレたか!』『逃げろ!』

 

 

 あっ、どこか行っちゃった……。

 

 

「佐藤くんおはようー」「おはよー」

 

「お、おはようございます……」

 

「佐藤くんおっはよ~☆」

 

「ギャル子さん、おはようございます。今日もお元気ですね」

 

 

 二年生になってからだが、クラスメイトの男子生徒からちらちらと視線を感じたり、初対面の女子生徒から話しかけられたりするなど、不思議と人とエンカする回数が増えた気がする。

 

 ヒメとヒナ、同じクラスの小島くんギャル子さん、ロックの人、親衛隊の人達の誰の仕業か分からないが、明らかにどこからか僕の名前が出回っているようだ。

 

 交遊関係が増えるのは嬉しいが、コミュ障の僕は人と接するとかなりの体力を持っていかれるので僕の心労がどんどんと貯まっていく。

 最近減っていたはずの胃薬の量も気づけば増えつつある。おかしいなぁ……。

 

 自分の知らないところで自分の存在が認知されていく恐怖に、僕はまたしても胃を痛めるのであった。

 



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僕たちの逢着

 

 季節は春と夏の中間くらいだろうか。

 あれほど見頃を迎えていた薄紅色の桜はどこかへ散ってしまい、木には新緑の葉っぱが生き生きと生い茂っている。

 気持ちの良い向夏の風が木々を揺らし、ゆらゆらと葉擦れの音がどこか心を落ち着かせる。

 

 ある日の放課後の事である。

 

 今日も今日とて学校を終えた僕たちは、いつも通り学校に背中を向けて下校していた。

 しかし今日はいつもの帰路ではない。ぞろぞろと自宅へ帰っていく学生達の波を外れて、ひと気の少ない方へと寄り道している。

 

 

「こっちの道から行けるよー」

 

 

 そう言って僕たちを先導する少女、鈴木ヒナは意気揚々と細い裏道へ入っていった。

 見ればその裏道は家の塀と塀の間に挟まれている細路、一人分のスペースを確保するのにやっとの抜け道だった。

 

 僕たち三人は列になってその道を歩いていく。

 二人に万が一クモの巣がかかってしまうのが嫌なので、僕が先頭になるようにヒオファーストしたかったが、二人はそんなことに臆した様子もなくどんどんと進んでいった。最近のJKは逞しい。

 

 

「ここに隠しルートがあってね、ショトカできるんだよ」

 

 

 ヒナが再び裏道へと入っていく。

 うす暗い影に包まれた裏道は、枝々を漏れる光から網目のような影を落としてうっすらと木漏れ日を作っており、劇場のスポットライトを思わせるようだった。

 

 前方を歩くピンク髪の少女、田中ヒメは初めて来る新天地に、面白い物を探すように辺りを見渡している。

 

 

「へぇ~こんな道あったんだ。よく知ってたねヒナ」

 

「うん! たまにこうやってぶら~っと散歩して、色んなところ探検してるんだ~。知る人ぞ知ってそうな喫茶店とか、懐かしい感じの駄菓子屋さんがあったり、とにかく面白そうな物がたくさん見つかってすごく楽しいんだよ」

 

 

 猫のようにマイペースなことでお馴染みのヒナは、知らぬ間にどこかへふらっと消えるときがある。

 てっきりモンスターを捕まえに現実世界をゴーする例のアプリだと思っていたが、散歩道の開拓にゴーしていたらしい。

 異名『エターナルインドア』、別名『ニート』の僕からすれば散歩という趣味は全く縁がないが、日光を浴びて足を動かすというのは健康的でとても良い趣味だと思う。

 

 

「それで今向かってるのはどこなの?」

 

「それはねー、行ってからのお楽しみー」

 

「むむむ、まだまだ教えてくれないのかぁ。別に変な場所とかじゃないんだよね?」

 

「……ふっふっふ」

 

「ヒナ?」

 

「生きて帰れるといいね……」

 

「なんで怖がらせようとするの!?」

 

 

 行き先を問いかけたヒメはヒナからのお預けを食らい、ヒナの不敵な笑みに怪訝そうな目線を返した。

 ヒナの様子から察するに、墓地や霊園といったヒメの苦手とするような場所ではないだろうから、ヒメは安心して歩いてほしい。

 

 そのままヒナの後をついていくと、途中で見晴らしの良い町並み目に入った。

 僕たちの住む街は登り坂や下り坂がたくさんあり、街の上の方から見下ろす景色は壮観だと噂に聞く。

 ヒナの先導する道にはそんな眺めの良い景色が幾つかあり、自分の住む街の魅力に少し気づけた気がした。

 

 

「歩こう~♪ 歩こう~♪」

 

 

 歌を歌いながらヒナは軽快な足取りで進んでいく。

 

 そもそも今回寄り道をしている理由は、ヒナがぜひ見せたい物があると誘ったのが発端だ。

 目的地を聞かされず、あたかもミステリーツアーのようになった今散歩であるが、ヒナ曰くお楽しみらしいので期待しておこう。

 

 しかしながら、こうして裏路地を歩いているとまるで猫になって探検している気分だった。

 

 更にジグザグとあみだくじのように入り組んだ道を進んでいけば、薄暗い裏路地から一転。ようやく光の差す開けた場所に出た。

 

 

「ここだよ!」

 

 

 どうやら到着したらしい。

 ヒナは新しいおもちゃを見せる子どものように手を広げた。

 

 

「じゃ~ん! 正解は公園でした~!」

 

 

 到着した場所は公園だった。

 

 公園には、すべり台やブランコといったいくつかの遊具が置いてあり、敷地は特に広くもなく、こじんまりという言葉が似合う様相だ。

 昼間だと言うのにひと気や子どもの姿はなく、ウサギの形をした乗り物型の遊具が寂しそうに佇んでいる。

 

 

「この前探検してたら見つけたんだ~。隠れた穴場みたいでワクワクしない?」

 

 

 ヒナは、彼女のシンボルマークである頭のフカヒレをぴょこぴょこと揺らしながら楽しそうに話した。かわいい。触りたい。

 

 上機嫌なヒナを尻目に、僕は公園を改めて一望する。

 

 歩いてきた方角的には、我が家からそう遠くない場所にありそうだが、僕はこの公園を存在すら知らなかった。

 よく見れば、建物に囲まれて公園がポツンとあるような立地になっているため、近隣の住民からも気づかれにくいのかもしれない。

 家の近くにこんな公園があったことに少し驚いた。

 

 

「どうどう? ビックリした?」

 

「うん、ビックリしたよ。まさか公園があるだなんて知らなかったなぁ。本当に驚かされたよ」

 

「ほんと!? やったー!」

 

「流石はヒナだね。事サプライズに関しては他の追随を許さない素晴らしさだよ」

 

「そうかなぁ~? えへへ~」

 

「こんな素敵なスポットを教えてくれてありがとうね」

 

「えへへ~どや~」

 

 

 可愛かったので僕はこれでもかと誉めちぎる。

 称賛を浴びたヒナは鼻をふんすと鳴らして、誇らしげに胸を張った。

 誇らしげヒナちゃんSSRの排出に成功。よっしゃ人権キャラ来たこれ!

 

 

「ふふーん。まあヒナぐらいになるとねー、こんな公園見つけるのなんて昼飯前……あれ、昼? 朝だっけ? 夜だっけ? ……まあいいや! おやつ前だからね!」

 

 

 またしても、ぴょこぴょこと嬉しそうにフカヒレを揺らすヒナ。かわいい、触りたい、触ろう(三段論法)

 試しに手を伸ばせば快く触らせてくれたので、心ゆくままに堪能する。おぉ、魅惑の手触り……。

 

 

「……」

 

 

 そんな具合でヒナと遊んでいると、うっすらとヒメからの視線を感じた。

 視線に敏感な僕はヒメの視線などまるっとお見通しである。貴様! 見ているな!

 

 

「ヒメ、どうかした?」

 

「……ううん、なんでもないよ」

 

「そう? ならいいんだけど……」

 

 

 僕の気のせいだったようだ。

 自意識過剰でしたすみません。

 

 

「……もう覚えてないか……」

 

 

 どこかぎこちない様子のヒメを連れて、僕たちはさっそく公園に入っていった。

 

 ヒナが「わーい」と遊具の方に走っていき、ヒメがそれを追いかけるようについていく。

 ヒナを追いかけるヒメはいつもの表情に戻っており、先ほどのヒメは僕の杞憂だったことが分かる。

 そんな微笑ましい二人の姿を見ながら、僕はブランコに腰掛けた。

 

 やることもなく、ぼーっと青い空を眺め呆ける。

 

 良い天気だなぁ。平和だなぁ。

 お茶とお煎餅がほちい。あと縁側も。

 

 視界の隅では、二人がジャングルジムを使ってアスレチックみたいな動きをしているのが見えた。あの足場の不安定さであれだけ動けているのは、ダンスによって鍛えられた二人のバランス感覚に依るものだろう。

 しかしすごいダイナミックに動いてるせいか、スカートが見えてしまわないか心配だった。特にヒメは、昔ドロワーズを履いていた影響なのかガードが緩い時があるので気をつけてほしい。

 

 一人でのほほんと黄昏ていると、先ほど鉄棒の上で倒立したり国体選手みたいなことをしていたヒメがこっちに来た。お化けが嫌いなのにフィジカルお化けである。

 

 久しぶりに遊ぶ公園に満足したのか、ほくほく顔で僕の隣のブランコに座る。

 

 

「いやー遊んだ遊んだ!」

 

 

 ヒメは地面を軽く蹴り、慣性に任せてブランコをゆっくりと漕ぎ始めた。

 ブランコの軋り音がぎいぎいと歯ぎしりのように鳴り出す。

 

 

 隣でブランコを漕ぐヒメを見ていると、頭の中に朧気な記憶が蘇ってきた。

 ピンク色の髪をした少女がブランコを漕ぐ記憶である。

 

 あれ、この光景どこかで……?

 頭の中に一人の少女が浮かび上がった。

 

 それから時間とともに、記憶の中に浮かぶ少女とヒメの姿が重なっていく。

 

 段々と、記憶があぶり出したように滲み出てくる。瓶の詮を抜いたかの如く、思い出せなかった記憶が流れ出て来た。

 

 

『わたしのなまえはね……』

 

 

 今さっき、そこにあったかのようにはっきりと記憶が浮かび上がった。

 それは昨今流行りの存在しない記憶の類いではない。確かな記憶だった。

 

 

「……そっか、ここは……」

 

 

 なぜ忘れていたのだろう。

 

 この公園は━━━僕とヒメが初めて出会った場所だった。

 

 

 

 

 

 あっ、ここから回想入ります(読者への配慮)

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

『……には才能がある……! 俺は、あいつためを思って……!』

 

『……の辛そうな顔が分からないの……!? 無理強いはよくないわ……!』

 

 

 リビングから、怒気のこもった声が飛び交うのが聞こえる。

 

 隣の部屋で僕は、ピアノ椅子に項垂れるように座りながら、両親の喧嘩が収まるのを恐々待っていた。

 

 この前読んだ本に、夫婦喧嘩は犬も喰わぬということわざが載っていた。

 夫婦喧嘩はすぐに和解するので他人の仲裁は必要ないという意味らしいが、僕の両親は和解の傾向が一向に見られない。

 おまけにその喧嘩の種が自分だというのだから尚さら居心地が悪い。

 

 リビングの隣の廊下をそっと忍び足で渡り、玄関の方へ行く。

 

 靴を履いて、玄関の扉を開けて外に出る。

 後ろから聞こえる二人の喧嘩声に蓋するように扉を閉めた。

 

 

「……いってきます」

 

 

 僕は逃げるように家を出た。

 

 

 

 

 

 

 気分が優れない。

 

 外の空気を吸えば、多少なりとも気分転換になると思ったがあまり変わらなかった。

 

 あてもなくぶらぶらと歩き回り、家から離れるように足を動かす。

 

 

 

 両親の間に亀裂が入ったは、僕がピアノを弾き出したのが元凶だった。

 

 物心ついて、幼い僕が自由に歩けるまでに成長した頃。

 僕は自分の家のとある一室に、初めて足を踏み入れた。

 

 部屋の中央にはピアノが鎮座しており、近くの棚には母がピアノを弾いている写真が置いてあった。

 写真に写る母の姿はとても綺麗で、忘れられないくらい鮮烈だった。

 

 それからそんな母の姿に感化されたのか、両親に自分もピアノを弾いてみたいと無茶を言った。

 僕の無理なお願いに、二人とも快く賛成してくれた。

 父がとても喜んでいたのを覚えている。

 

 

 そんな父は昔、とある楽団の指揮者だった。

 その時楽団でピアノを務めていた母と出逢ったのが両親の馴れ初めだ。

 

 運命的な出会いだったらしい。

 程なくして両親は交際、流れるように結婚へと向かった。

 

 新婚旅行はドイツに行ったようで、旅の写真を幾つか見せられたことがある。

 写真に写る両親の顔は、どれも幸せそうだった。

 

 

 その後、母が事故に遭った。

 

 居眠り運転による自動車事故に巻き込まれてしまった。

 奇跡的に命は助かったが、母は手の神経を痛めてしまったようだ。

 リハビリを重ねて、日常生活に支障のない程度には手を動かせるようになったが、事故の影響で、母はピアノを弾くことができなくなってしまった。

 

 そんな思い出話を、母は自分の手を撫でながら懐かしむように、父は涙混じりに語っていたのを覚えている。

 

 

 話を戻そう。

 

 両親にピアノを弾きたいと言い出した僕は、家に置かれていたピアノを使わせてもらった。

 

 母から少しずつ教わりながらピアノを弾き始め、優しく教えてくれる母と、応援してくれる父の笑顔は今でも覚えている。

 両親は、僕には才能があると強く背中を押してくれた。

 

 それから初めてのコンクールに出場し、たくさん頑張った甲斐もあって入賞することができた。

 ステージに立ち、拍手を浴びたことがとても印象に残ったようで、今の僕では考えられないが、直ぐに次のステージに立ちたいと親にねだったらしい。

 

 それから僕のピアノの練習は本格的となった。

 

 プロとしての経験、ノウハウがあった母からの指導は厳しくもとても分かりやすく、僕のペースと歩調を合わせるように教えてくれた。

 父からの応援も精力的になり、母以外の講師もつけるように協力してくれた。

 

 何もかもが順調だった。

 

 

「♪~」

 

 

 ついさっき練習していた曲のフレーズを口ずさむ。

 鼻歌は一人ぼっちの路地に寂しく消えていった。

 

 

 

 ピアノを始めてから一年ほどの頃に、或るコンクールでミスをしてしまった。

 

 なんとか入選はされたが、流石に賞を取ることはできなかった。

 

 母からは『こんなこと必ずある、失敗も活かせば良い経験になる』と温かく励まされた。

 

 しかし父の方はそうではなかった。

 

 

「♪~♪~」

 

 

 今まで明るく応援をしていた父からは、想像もできないほど厳しい叱咤を受け、より練習に励むよう折檻された。

 

 母は、そんな激昂する父を戒めんとばかりに反論した。二人の言い合いは口論にまで発展し、治まるまでが大変だった。

 初めて見る両親の喧嘩だった。

 

 

 父は忙しい仕事の合間を縫ってコンクールに足を運んだ。

 

 父は僕のどんなに小さなミスを見逃すことはなく、演奏会のあとでよく怒られた。

 怒る父の顔がとても恐ろしく、ステージに立つたび緊張感が体を覆った。

 

 いつからか、父の居ないはずの観客席にも、あの怒る父の顔が見えるようになった。

 観客席を見るのが、大勢に見られるのが恐ろしくなっていった。

 

 それから段々と視線に敏感になり、人に見られるのが怖いと感じるようになってしまった。

 

 

「♪、♪、♪~」

 

 

 ━━きっと父は重ねているのだ。

 僕と、あの頃の母を。

 

 美しくピアノを弾き、写真の中でいつまでも綺麗なあの頃の母を取り返すように━━僕にピアノを求めているのだ。

 

 僕がピアノを弾きたいなんて言い出してしまったせいで、鳴りを潜めていた父のトラウマを掘り起こし、家族の心は離れていってしまったのだ。

 

 

「♪~……」

 

 

 見上げた空には雲一つなく、晴れ晴れとした青が一面に広がっている。

 

 嫌になるくらい気持ちの良い空だった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 気づけば、どこかも分からない公園に着いていた。

 

 公園に来たのは、まだ記憶が朧気な小さい頃に、家族で訪れた以来だ。

 

 休日だけでなく一年中通してピアノの練習に打ち込んでいた僕には、学校で友達を作る暇もなくどんどん教室で孤立していった。

 一緒に公園で遊ぶような友達はいなかった。

 

 

 なんだか自分はこの場所に似つかわしくない気がして、踵を返し何処かへ行こうとした瞬間。

 

 ━━女の子の泣く声が聞こえた。

 

 声のする方を向くと、一人の女の子がブランコに座っていた。

 顔は下に俯いており、目を引くようなピンク色の髪に、手の込んだお団子が見える。

 

 

 心の中で胸騒ぎがした。

 知らぬうちに、僕の足はその子の方へと進んでいた。

 

 泣いている女の子を一人にしておくことに罪悪感があったとか、彼女と話して時間を潰したかったとか、そういった気持ちはなかった。

 何かに突き動かされるように、自然と僕は彼女の方へと向かっていた。

 

 

「……ねえキミ、大丈夫」

 

「……っ!」

 

 

 声をかけた女の子はビクリと体を震わせ、ゆっくりとこちらを見上げた。

 驚かせないように優しく声をかけたつもりだったが失敗だったようだ。

 

 その女の子は、幼さを持ちつつもとても整った顔立ちをしており、目には溢れない程度の涙が溜まっていた。

 

 

 そして彼女の顔を見た瞬間、僕は電撃に打たれたような衝撃を受けた。

 まるで何年にも渡って探し求めていた大切な物を見つけたかのように、その少女の形貌は鮮烈だった。

 

 

「だ、だぁれ……?」

 

 

 恐る恐る女の子が返事をする。

 彼女の声に反応して、ほんの少しだけ呆けてしまった頭を切り替える。

 

 ブランコに座る彼女と目線を合わせるように屈み、笑顔を作って語りかける。

 

 

「驚かせてごめんね。僕の名前は、佐藤ヒオだよ」

 

「さとう、ひお……」

 

「うん。君の名前も、聞いてもいいかな?」

 

 

 生まれてこの方同年代の子と話したことがない僕は、初対面ってこんな話し方でいいのかなと不安になりながらも、ぶっきらぼうにならないように努めて優しく問いかける。

 

 

「わたしのなまえは……ヒメ。田中ヒメだよ」

 

「田中ヒメ……良い名前だね。ヒメちゃんって呼んでもいいかな?」

 

「うん……いいよ」

 

「ありがとう、ヒメちゃん。隣に座ってもいい?」

 

「うん……」

 

 

 初めてやるファーストコミュニケーションに緊張と不安でいっぱいだったが、なんとか会話を繋ぐことができた。

 

 了承を得たので、彼女の隣のブランコに座る。

 ブランコに座ると少しだけ足が浮いた。

 

 彼女の力になりたいという思いから、事情を聞き出そうといざ話しかける。

 しかし僕が話しかけるよりも早く、今度は彼女の方から話かけてもらえた。

 

 

「わたしも……」

 

「?」

 

「ヒオちゃんって、呼んでいい?」

 

「……ヒオちゃん? ……うん、いいよ」

 

 

 僕もちゃん付けなのか……(困惑)

 こういった場合、普通はくん付けとかになるのではと聞き返したかったが、繰り返すように同年代の子と話す経験のなかった僕は、なるほどそういうものなのかと受け入れた。不服だが。

 

 

「ここの公園に来たら、ヒメちゃんが泣いてるのが見えてね。どうしたのかなって、気になって話しかけたんだ。……もしかして、何かあったのかな?」

 

「……うん。あのね……」

 

 

 直接見つめてしまっては話し辛いと思い、自分の目線は彼女から斜めの方へ。

 しばらく経ってから、彼女はポツポツと話し出した。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 聞いた話を要約すると、どうやらヒナという女の子と喧嘩をしてしまったようだ。

 

 喧嘩のきっかけは些細なことだったらしい。

 小さなことから言い合いになってしまい、その喧嘩の最中に、ヒナという子に心にも無いことを言ってしまったようだ。

 

 ハッと冷静になったがもう遅かった。

 ヒナという子は目に涙を浮かべて泣いており、泣きながら「ヒメのことなんか嫌い!」と拒絶し、ヒメちゃんから逃げるようにどこかへ行ってしまった。

 

 「嫌い」という言葉にショックを受けたヒメちゃんは呆然として、言葉が出ず、離れていく彼女の背中をただ眺めることしかできなかった。

 

 その子に嫌われてしまったという事実に、どうしたら良いのか分からず茫然自失となったヒメちゃんは、気づけばこの公園に来ていたようだ。

 

 

「ヒナは、ぜんぜんわるくないのに……ヒメが、ひどいことを言っちゃって……」

 

「そっか、そうだったんだね」

 

「うん……ぐすっ」

 

 

 彼女は時折涙を溢しながら、流れた涙を擦りながら全てを話してくれた。

 

 

「ヒナにきらわれちゃった……どうしよう……どうしよう……」

 

 

 悲しみに打ち拉がれるヒメちゃんを見て、居ても立ってもいられず、僕はブランコから立ち上がった。

 

 

「うぅ……ごめん……ヒナぁ……」

 

「……ヒメちゃん、謝りにいこう」

 

「ふえっ……?」

 

 

 彼女の正面に立ち、手を掴んだ。

 

 

「さあ、立って」

 

「っ!」

 

 

 少々強引だったが、こちらに寄せるように彼女の手を引いて、ヒメちゃんを立ち上がらせた。

 驚いた彼女は困惑した目で僕を見る。

 

 

「ヒオ……ちゃん……?」

 

「その女の子……ヒナちゃんは今、どこにいるの?」

 

「えっとヒナはいま……たぶん、おうちにいるとおもう……」

 

「それじゃあ案内して。これから行こう」

 

 

 僕は彼女の手を引いて、公園の出口へと向かった。

 その途中でヒメちゃんから待ったを掛けられる。

 

 

「まって、ヒオちゃん……! まだヒメ、ヒナにあえないよ……!」

 

「……ヒメちゃんはさ、ヒナちゃんのことが大好きなんだよね?」

 

「う、うん、そうだよ……。ヒナはだいじなしんゆうで、かぞくみたいで……」

 

「うん、それで?」

 

「でも、そんなだいじなヒナに、ヒメはひどいことをいっちゃって……ヒメは……」

 

 

 そこで僕は振り返り、今度は両の手で彼女の手を握り、真っ直ぐ目を見据えた。

 

 

「ダメだよ。悲しいときに、自分を傷つけるようなこと言ったらダメだ」

 

「……」

 

 ヒメちゃんと顔を合わせてはっきりと否定した。

 繋いだ彼女の手を強く握る。

 

 

「でも、ヒナをきずつけちゃったのも……ぜんぶぜんぶ、ヒメがわるくて……」

 

「違うよ」

 

「……!」

 

「……喧嘩をしてる時ってね、本当に心から思ってないことでも、相手に届いてしまうことがあるんだ」

 

 

 僕は彼女へ熱く語りかけた。

 そしてなぜか頭に浮かぶのは、両親の顔だった。

 

 

「辛くて、悲しい空気に呑まれて、つい冷静じゃなくなって。人は、思ってもないことを言ってしまうんだ」

 

「……」

 

「本当は、その人のことが大好きなのに、愛してるのに……」

 

 

 僕の口から溢れ出た言葉は、誰へ向けられた言葉だったのか定かではないが、それは心からの本心だった。

 

 

「ヒメちゃんはまだ、ヒナちゃんのことで怒ってる? 許せない?」

 

「ううん……ちがう……!」

 

「ヒナちゃんのことが、嫌い……?」

 

「ちがう……! ヒメはヒナのことが……だいすきだよ……!だいじなだいじな、しんゆうだもん……!」

 

「それなら伝えにいこう、今の気持ちを。喧嘩別れしたままのヒナちゃんはきっと今、ヒメちゃんの気持ちを誤解したままだ」

 

 

 伝えてあげてほしい。

 

 大好きな人に、大好きを。

 愛してるいる人に、愛してるを。

 

 喧嘩して心が離れてしまっても、言葉を通して心を届ければ、きっとまた歩み寄ることができると。

 仲直りができると、僕は信じているから。

 

 

「ヒナちゃんだって、きっとヒメちゃんのことを待っているはずだ。だってこんなにヒメちゃんは、ヒナちゃんのことを大好きなんだから」

 

「……」

 

「行こう、ヒナちゃんに会いに」

 

「……うん!」

 

 

 彼女はもう、僕の引く手はいらなかった。

 自分の足で一歩一歩を踏みしめ、大好きな親友のところへと向かった。

 

 そんな彼女の背を押すように、僕たちは一緒に公園を飛び出した。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 懐かしい思い出を振り返り、僕は感慨深く一息吐いた。

 

 あのあと二人でヒナのところに行き、ヒメとヒナは見事仲直りして、晴れてめでたしめでたしとなった。

 我ながら、なぜそんな重要な思い出を忘れていたのか甚だ疑問だが、幼少期からの二人の可愛い思い出に脳の容量が圧迫してきたのかもしれない。なんせ毎秒可愛いんだもの。

 

 外付け脳ミソとか売ってないかなぁと考えていると、ポケットの中の携帯が揺れた。

 

 携帯画面の電源を入れると、両親からのメールが来たようだ。

 メールを開いてみれば、両親が仲睦まじくしているツーショットしている様子の写真が送られていた。

 後ろに謎のオブジェがあるのを見ると、またどこか旅行にでも行ったのだろうか。

 

 身内のバカップルの写真を見ていると、隣に居るヒメがこちらの携帯を覗き込んできた。

 

 

「あ、ヒオのお父さんとお母さんだ! 相変わらず仲いいね~」

 

「息子としてはちょっと恥ずかしいけどね。もう少しくらい、落ち着きがあってもいいと思うんだけど」

 

「ふふっ、素敵な夫婦だと思うけどね。ヒメはすごい憧れるな~」

 

 

 数年前に仲違いしていた僕の両親は、とっくの昔に仲を取り戻しており、以来、夫婦仲はずっと良好である。

 昔と比べれば断然良いのだが、両親には少し年相応の落ち着きというものを覚えてほしいものである。

 そんな僕の思いも露知らず、白い歯を見せて笑っている二人の写真に、思わず笑みが溢れてしまった。

 

 

「二人とも~、もう帰ろう~」

 

 

 公園の遊具を遊び尽くしたのか、ヒナは鞄を肩にかけてこちらに手を振っていた。

 

 ずいぶん長居してしまったようだ。

 公園の時計は夕刻を示しており、既に夕焼けの橙色が公園中を包んでいた。遊具の影が長く伸びている。

 

 僕はヒナに手を振り返した。

 

 

「はーい、それじゃあヒナ、帰り道の案内もよろしくね~」

 

「まかせて~!」

 

 

 ブランコから立ち上がって、既に公園の出口に向かっているヒナの後を追う。

 出発しようとしたところで、ヒメがまだブランコに座っているのに気づいた。

 ヒメの視線は西の太陽の方に向けられており、どうやら夕暮れを眺めていたようだ。確かに絶景である。

 

 そうだ……!

 ピコーンと頭に擬音が付きそうな、とあることを思い付いた僕は、こそこそとヒメの側へ近寄った。

 

 夕焼けに見とれているせいで、僕の存在に気づいていないヒメ。

 そんな彼女の耳元に、そっと顔を近づけた。

 

 

「そろそろ行くよ━━━ヒメちゃん」

 

「!!?」

 

 

 そうやって昔の呼び方を囁けば、ヒメはガタリと音を立てて、跳ねるようにその場に立ち上がった。

 思いの外びっくりしたのか、ぱっちりした目を見開いてこちらを見ている。

 

 

「い、今の……! もしかして、覚えて……!」

 

 

 ヒメは口をわなわなと震わせながら、リンゴのように頬を紅潮させた。

 とても驚いてくれたようだ。ドッキリ大成功である。

 

 そんなおっかなびっくり状態のヒメに背中を向けて、僕は一人で公園の出口へと向かった。

 

 

「ほらヒメ、行くよ。ヒナに置いてかれたら僕たち迷子だからね。急いで追いかけよう」

 

「……ヒ、ヒオ~~!!」

 

 

 僕の悪戯に腹を立てたのか、ヒメは先程よりも顔を真っ赤にしてこちらに駆け寄ってきた。

 その勢いで、ぼすんっと僕の背中に抱きつき、肩上から手をまわしてきた。昔ドラマで見たあすなろ抱きみたいな体勢だ。

 耳元にかかるヒメの吐息が少しくすぐったい。先ほどの意趣返しだろうか。

 

 

「もう、ヒオのいじわるぅ……」

 

「はははっ、ごめんごめん」

 

「……ちゃんとあの時のこと、覚えててくれたんだね」

 

「思い出すのに時間がかかっちゃったけどね。でも、ヒメと初めて会ったときの大事な思い出だから、ちゃーんと細かく思い出せたよ」

 

「そっか……ありがと」

 

「ふふふ、ヒメちゃん呼びも懐かしいね。久しぶりに呼んでみたら驚くかなと思ったけど……まさかあんなに驚くとはね」

 

「ふ、ふーんだ。そんなこと言ったらヒメだって、今度からヒオのことを『ヒオちゃーん』って呼んじゃうよ?」

 

「あはは、それはどうかご勘弁。……でも、夕陽に見とれるヒメ……ヒメちゃんが可愛かったからさ、つい……ね?」

 

「~~~っっ!!」

 

 

 悪戯が過ぎたのか、僕の背中でわちゃわちゃと暴れ出すヒメ。うわあ、首が揺れるぅ。

 僕はそれを笑いながら鎮めて、やり過ぎてしまったと少しだけ反省した。

 

 そのまま重りとなったヒメを抱えてよろよろ歩きながら、背中のヒメに話しかける。

 

 

「……あの時から、ずっと僕と友達で居てくれてありがとう、ヒメ。また、遊びに来ようね」

 

「……うん」

 

 

 公園の外れでは、ヒナが「遅いよ~!」と僕たちが来るのを待っている。

 

 日が傾き出し、夕陽によって大きく伸びた僕たちの影が見える。

 ヒメが重なっているせいか、地面に写る僕の影が四本足でのそのそと歩いており、どこか可笑しかった。

 

 オレンジに沈んでいく街並みは蛍光色に色めいて、西へ流れていく雲は太陽の温もりが溶け出している。

 雲の向こうには、一番星と月がひっそりと浮かび、僕たちの帰りを見守っているようだった。



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僕の溺没

 

 眩しい空を見上げれば、絵の具を落としたようにどこまでも青い空と、掴めそうなほど大きな入道雲。

 辺り一面から鳴り響いて、熱い生命力を感じさせる蝉のオーケストラ。

 コンクリートを焦がす過酷な太陽が、草野を容赦なく照らしている。林の真青な葉が、真夏の光にヒラヒラと輝いている。

 

 

 ━━━夏がやって来た。

 高校生になって二回目の夏だ。

 

 

 

 立ち尽くすだけで汗を流してしまう炎天下。

 ヒメとヒナと僕の三人は、とある理由で学校のプールにいた。

 

 

「ふぅ……こんなもんかな? ヒナー、あと掃除するところあるー?」

 

「ううん。落ち葉も枝も全部拾ったし、砂も全部流したし、大丈夫だとおもうよ~」

 

「りょうかーい! ヒオー! そっちはどうー?」

 

 

 ヒメに大きな声で呼ばれた。

 プールサイドで落ち葉を拾っていた僕は、プールの底で頑張っているヒメたちに返事をした。

 

 

「こっちも粗方綺麗になったよー。ヒメたちの方も……わあ、凄い綺麗になったね」

 

 

 ヒメとヒナによってよく掃除されたプールの底は、水色のタイルが太陽を反射してキラキラと光っている。

 掃除をする前の枝葉が散乱していたプールとは一目瞭然だった。

 

 

 蒸し暑い晴天の午後、僕たちは学校のプール掃除をしていた。

 

 

「うん! これなら皆が安心して泳げるよ!」

 

 

 綺麗になったプールへの感想を言うと、それを聞いたヒメは、向日葵のようにパァッと明るい笑顔を見せた。

 額にかいた汗が彼女の桜色の前髪をじんわりと滲ませている。まるで彼女の頑張りを象徴しているようだった。

 

 ヒメの隣で頑張っていたヒナも、ブラウスの胸元をパタパタとさせながら額の汗を煩わしそうに拭っている。

 

 

「あちち~。あ~、早くプールで泳ぎたいな~。ヒナ待ちきれないよ~」

 

「ヒナも手伝ってくれてありがとね! 早くヒメも綺麗になったプールで泳ぎたいよ!」

 

 

 二人は昔から変わらず、プールで泳ぐことが好きだった。

 特にヒナは幼少期、夏になると市民プールに一日中入り浸り、泳ぎに来た人達に顔を覚えられ、一時期は市民プールの名物と化していた。

 そのせいか、ヒメと僕が塗った日焼け止めは水に流されて全く意味をなさず、夏はずっと小麦色の肌だった。日焼けヒナはいいぞ。

 

 そんな遠い夏の日を振り返っていると、ちょうど思い出の当人であるヒナが暑そうに愚痴を溢していた。

 

 

「うぇ~……暑いぃ……。暑すぎて厚焼き玉子になりそうぅ……帰ったらアイス食べたいなぁ~」

 

「昨日ヒナのためにアイス買ってきたから、帰ったら食べていいよ!」

 

「ほんと!?」

 

「うん! ヒナの好きなシロクマ買ってきたからね!」

 

「やった~! ヒメ大好き~!」

 

「えへへ~、帰ったら一緒に食べようね!」

 

 

 これにはヒメヒナてぇてぇ有識者、佐藤ヒオ氏もニッコリ。

 

 

「……それにしても暑いなぁ。ヒメ~、一枚脱いでもいい~?」

 

「はい駄目でーす。それは駄目でーす」

 

「そんなぁ~」 

 

 

 二つ目の要望は通らなかったようだ。

 しかしヒナの言う通り、僕も今すぐこの汗ばんだワイシャツを脱ぎ捨てたい気分だった。

 早く家に帰ってシャツを洗濯機にぶちこみ、冷たいシャワーを浴びたい衝動に駆られる。

 

 

「ヒメ~、足にお水かけて~」

 

「いいよー! 食らえ、ハイドロポンプ~!」

 

 

 ヒメは砂を洗い流すときに使っていたホースの水をかけた。

 冷たそうな水がヒナの足を濡らしていく。

 

 

「あぁ~気持ちいい~」

 

「滑って転ばないようにね、ヒナ」

 

「はーい。なんだか足湯みたいだね~。冷たい足湯……逆足湯?」

 

 

 逆足湯は、足以外をお湯に沈めたシンクロナイズドスイミング体勢になるのでは……? 犬神家かな。

 

 

「あっ! そういえば足拭くタオルとか持ってきてなかった! 帰るときどうしよう……?」

 

「タオルなら僕が予備を持ってきてるから、それを使っていいよ」

 

「流石ヒオ! 用意周到!」

 

「さすヒオ~」

 

 

 二人はプールの底で掃除をしていたため、制服に素足の状態。裸足の分、プールサイドにいる僕よりも少しだけ涼しそうである。

 二人の蝋のように白く透き通った細長い足がとても眩しい。改めてスタイルいいなぁって思う。

 

 最近気づいたことだが、二人の目線の位置や背丈が僕よりも高いように感じる。

 中学までは同じくらいの身長だったはずだが、いつの間に越されたのだろう。

 この前ヒメとヒナの身体測定の結果を見せてもらったが、二人とも身長はしっかりと成長の一途を辿っている。

 しかし僕の身長グラフは相変わらず平行線を刻んでおり、事切れた心電図みたいになっていた。おっかしいなぁ。

 まったく、僕の成長期はいつ来るのだろう。流石にそろそろ来てもらわないと困るのだが。

 

 とうとう二人に身長で負けてしまった事実を思い知り、僕は男としての敗北感を味わうのだった。……伸びしろですねぇ!(強がり)

 

 

 掃除を終えて休んでいると、プールサイドに大きな人影が入ってきた。

 

 

「おう、お前ら。お疲れさ~ん」

 

 

 オールバックにサングラス、顔に謎の傷、手にはなぜか木刀。

 ただならぬ風貌をしたその人は、僕たちの担任の先生━━極道先生だった。

 

 

「おお、ごっつ綺麗になっとるやんけ! 端から端までピッカピカやん!」

 

 

 極道先生の関西弁? 混じりの嬉しそうな声に、ヒメたちは「えへへ~」と得意気に笑った。

 

 『まーた新キャラですかぁ。こっちは名前覚えるだけで精一杯なんすよぉ』という読者の方々のために断っておくが、彼は新キャラではない。

 極道先生は第三話『僕の友達』で登場。

 既出キャラであって決して新キャラではないので、どうかご安心して読み進めてほしい。

 そして是非とも過去に遡って、どんなキャラだったかを確認してきてほしい(ステルスUA稼ぎ)

 

 

「せや、これお礼な」

 

 

 先生は木刀と逆の手に持っていた三本のペットボトルを渡してきた。

 どうやら掃除のお礼のお駄賃のようである。

 内一本はコーラだったようで、ヒナは嬉しそうに頭のフカヒレをパタパタと動かした。

 

 

「やったぁコーラだー! わぁ~、キンキンに冷えてやがる~! 先生ありがとう!」

 

「先生ありがとー!」

 

「ありがとうございます」

 

 二人に続いて僕もお礼を言う。

 ちなみにヒメはポカリスエ◯ト、僕はアクエリ◯スだった。王道である。

 

 

「今日はほんま、手伝ってもろてありがとな。ほんとは生徒に飲食物はあげたらアカンのやけど……まあ、この際ええやろ。バレないように飲んでな」

 

「はーい!」

 

 

 コーラを貰ったことに心から喜ぶ様子のヒナに、先生は厳つい顔を綻ばせた。

 

 

 ちなみになぜプールを掃除していたのか。

 それは今朝のホームルームにまで遡る。

 

 

 先日、この辺りを大きな台風が通りすぎた。

 

 台風の影響によって、学校のプールやプールサイドに落ち葉や枝、ビニール袋、砂などが飛んできてしまい、ゴミが散乱した状況になってしまったらしい。

 そして学校側はプール開き直前だったため、直ぐに掃除を行う必要があった。

 

 

「……というわけで、誰か放課後にプールの掃除を手伝ってくれるやつは居らんか? 三人ぐらい人手が欲しいんやが」

 

 

 担任の先生の提案に生徒達は静かとなる。

 シーンとした空気が場を支配した。

 

 これは致し方ないことだろう。一般的に高校生にとって放課後とは、学校という檻から解放された一種のシャバなのだ。

 ある人は早く部活に打ち込みたい、ある人は早く家に帰ってゴロゴロしたい、ある人は早くスタバでキャラメル濃いやつ頼みたい、などなど。皆一様にやりたいことがある。

 ましてや掃除、奉仕活動ともなると、好んで参加したい生徒がいないのもしょうがないだろう。

 難色を示す生徒達に、先生が悲しげに肩を落とした。

 

 そんな重たい沈黙が募る教室の中。

 静寂を突き破るように、二人の女子生徒が名乗りを挙げた。

 

 

「はいはーい! 先生! ヒメ手伝いまーす!」

 

「じゃあヒナもやりま~す! プール1番乗り~!」

 

 

 名乗りを挙げたのは我らがパーフェクト美少女こと、田中ヒメと鈴木ヒナだった。

 困っている人がいれば見捨てられない性格のヒメ、とりあえずプールに入りたいヒナが便乗するように手を挙げてみせた。

 二人の勇姿に、僕は心の中でスタンディングオベーションを送る。僕の推し、良い子すぎる……!

 ちなみにプール掃除なのでプールに入れるわけではないのだが、ヒナが嬉しそうなのでそっとしておこう。

 

 聖人二名の登場に、先生はニコリと口端を歪めた。

 

 

「田中ァ……鈴木ィ……。先生、泣きそうやでほんまぁ……ありがとなぁ」

 

 

 サングラスを掛けているため見えないが、そのグラス越しには目頭を熱くしているに違いない。

 感動したように、先生は口から感謝の念を漏らしていた。

 

 無事二名の参加者が決まったところで、先生が仕切り直すように話し出した。

 

 

「それじゃあ、残りの一人は……

 

『先生! 俺やります!』『俺もやりたいです先生!』『俺も俺も!』『やらせてください先生!』『頼みます先生! やらせてください!』『ここで働かせてください!』『田中さんと鈴木さんと一緒になるチャンス……見逃せるかよ……!』『何でもしますから!』『ん?』『西中の掃除屋と呼ばれたこの俺の出番か……』『ちくわ大明神』『掃"除"ざぜでぐれ"よ"ォォ!!』

 

 ……な、なんやねんお前らいきなり!?」

 

 

 ヒメとヒナの参加を皮切りに、今まで沈黙を貫いていま生徒たちが続々と名乗りを挙げ始めた。

 挙手はどんどんヒートアップしていき、教室中が熱気に包まれていった。朝市のマグロ競りかと思った。

 

 その後なんやかんやあって、クラス全員による抽選会が開始。

 抽選の結果、なんの因果か見事当選した僕が三人目となり、結局いつもの三人になったのが事の顛末だ。

 落選したクラスメイトからの視線が痛かったが、僕としては二人のお手伝いをできることが決まり嬉しかった。

 

 

 

 そして現在に至る。

 

 あまりに暑かったので、早速僕は先生から頂いた飲み物のキャップを開けた。

 口をつければ、冷たい感触が喉を通り抜けていき、火照った体が冷えていく。ヒナの言った通りキン冷えだった。

 生まれてこの方ほぼ毎年熱中症を経験している僕の意見だが、暑さで体調を崩したときに飲むスポドリの美味しさは異常である。

 OS◯とか普段飲んでもあまり美味しくない(ネガキャン)のに、熱中症のときに飲むとやたら美味しいのはなぜなんだろう。真夏の不思議である。

 

 

「あぁ~、疲れた体にコーラが染みるぅ~! しあわせ~!」

 

「おいちおいち……」

 

 

 二人も先ほど貰った飲み物を美味しそうに飲んでいた。

 スポーツドリンクのCMに抜擢されそうな良い飲みっぷりで、企業からオファーが来るのも時間の問題かもしれない。

 

 

 

 改めて先生からお礼を言われて、僕たちのプール掃除は解散となった。

 

 帰り道は日向を避けて、できるだけ日陰を進みながら歩いた。

 

 体力のない僕は先ほどの掃除でスタミナを使い果たしヘロヘロだが、ヒメとヒナは未だに元気だった。

 

 

「ねぇねぇヒナ、また良いギャグ思い付いた!」

 

「なになに~?」

 

「ゴホンゴホン。それではいきます……」

 

「わくわく……!」

 

「……おつかれ、summer~」

 

「……?」

 

 

 満を持して放たれたヒメのギャグ。

 ヒナはイマイチ理解できなかったようだ。

 

 

「どういう意味なの?」

 

「このギャグはね、おつかれ『さま』と『summer』をかけたギャグでね!」

 

「『summer』ってどういう意味なの?」

 

「『summer』は『夏』って意味だよ! つまりおつかれsummerは、ちょうど今の季節感をふんだんに取り込んだ高度なギャグなのだー!」

 

「ほんとだー! ヒメすごーい!」

 

 

 自分のギャグの解説をするというコメディアンからしたら切腹物の行動を取った田中ヒメ。

 しかしギャグを聞いていたのは鈴木ヒナ。ヒメの解説を聞いて素直に感心し、ヒメを手放しに褒めていた。平和な世界である。

 

 ヒナはヒメのギャグが気に入ったのか、口ずさむように「お疲れsummer~」と言っている。

 気に入ったのはいいが、ヒナには今年の夏休みの勉強、特に英語はしっかり教えたいと思う。『summer』は分かってほしかったよ……。

 

 

 夏休みの二人の勉強計画を頭で立てながら、ポケットからヘアゴムを取り出す。

 

 

「暑いなぁ……」

 

 

 ちょっとは太陽くんも手加減してほしいものである。

 いつもは下げている前髪も今日は鬱陶しいので、全て後ろの髪に纏めて高めの位置で結ぶ。

 

 暑すぎたのでポニーテールにしてみた。

 若干涼しくなったように感じる。

 

 

「あ~、ヒオもポニテにしてる~! ヒナたちとお揃いだ~!」

 

 

 お揃いが嬉しかったのか、ヒナは僕のポニテに興味津々。

 ちなみに、今日のヒメとヒナは二人ともポニーテールである。ポニテが三人……来るぞ遊馬!

 

 

「……ヒオってうなじ綺麗なんだね。へぇ~」

 

 

 ヒメは僕のうなじに注目するなど独特の着眼点をしていた。褒め言葉? として受け取っておく。

 

 実は二人の希望で去年から髪を伸ばしており、現在僕の髪はミディアムショートくらいの長さになっている(ググったらそんな名前だった)

 髪を伸ばすのは初めての試みだったが、いかんせん自分の髪の長さにビビることがあり、定期的に鏡を見ては「うおっ、何奴っ!?」ってなってる。

 そして未だに校則に触れて指導を受けていないのを見ると、我が校は髪型には緩いようだ。助かり申す。

 ヒメたちのメイクも注意されたこともないし、校則自体がだいぶカジュアルなのかもしれない。

 

 そんなことを考えながらハンカチで首筋の汗を拭く。

 先ほどからヒメの視線をちらちらと感じるが気のせいだろう。

 

 

「……最近ヒメ、ヒオのこといやらしい目で見てない?」

 

「な、なに言ってるのヒナ! そそそ、そんな風にヒオのこと見たことないから!」

 

「ほんとぉ~? 今もヒオのうなじガン見してたし、この前もヒオが薄着のとき……」

 

「気のせい! 気のせいだから!」

 

 

 元気にはしゃぐ二人の会話を話半分に聞きながら、僕は疲れた体に再度鞭を打つ。

 炎天下にひぃひぃ言わされながら、僕はゾンビのようによろよろと家に帰った。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 天気は快晴。雲一つない晴れ晴れとした青空。

 絶好のプール日和と呼べるお天気だ。

 

 

「プール♪ プール♪ プール♪」

 

 

 水着やタオルの入ったバッグをぶんぶんと振り回し、今にもスキップしそうな足取りのヒナ。

 朝からテンションは最高潮のようだ。

 

 そんな気分上々なヒナとは正反対に、僕はプールが苦手である。

 水が嫌いというより水に嫌われているタイプの人間なので、あまりプールは嬉しくない。

 足の着くようなプールでもビート板は手放せないし、そもそも顔を水に着けるレベルから苦手だ(たぶん前世は火属性のモンスター)

 

 

「プールに入るのなんて二年ぶりだね~。一年生の頃はプールなんてなかったし」

 

「うん! 選択科目に水泳があって良かった~!」

 

 

 僕たちの高校は、二年生から体育の科目が選択制となっている。

 水泳の他にも、球技や柔道などが選べる学生には嬉しいシステムだ。

 『じゃあ泳げないのになんで水泳にしたの?』という質問に答えると、プールで楽しむ推しが見たかったからという私欲まみれの考えをここに白状させてもらう。

 オタクとは身を削って推していく生き物である。例え溺死するとしても、最後に見た光景が推しの水着姿なら喜んで成仏できるだろう。

 

 オタクの悲しい性について考えていると、ヒナが立ち止まってヒメの方を向いた。

 

 

「ででん! 田中さん! ここでクイズです!」

 

「ううぇっ?! いきなりだね鈴木さん……」

 

 

 本日のヒナちゃんクイズのお時間だ(初回)

 

 

「今日のヒナはいつもと違うところがあります。さて、それは何でしょう~?」

 

「いつもと違うところ……?」

 

 

 白昼堂々天下の往来で、ヒナから突然のクエスチョンが飛んできた。

 問題を出されたヒメは自分の顎に手を添えて、某死神少年名探偵のように悩むポーズをとる(旅行先で会ったらすぐ逃げよう)

 

 

「う~ん。昨日はヒナとずっとお家に居たから、髪を切ったわけではないし、メイクの雰囲気も、ネイルもいつもと同じ色だし……」

 

「分かるかなぁ~? 3分間待ってやる~」

 

「むむむ、何だろう……」

 

 

 僕が見る分には、昨日までのヒナとは特に変化がないように見える。いつも通りの賢い可愛いヒナちゃんだ。

 

 

「……分かんない! ヒント!」

 

「ヒントはねぇ……プール、かな」

 

「プール……?」

 

「プール」

 

 

 外見に変化はない、ヒントはプール……。

 

 ……ああ、なるほど。

 この時点で僕は答えが分かったが、ヒメが分かるまで静観しておく。

 

 

「ぐぬぬ、何だろう……?」

 

「ふっふっふっ~、何でしょう~?」

 

 

 ヒメはなかなか答えが分からないようだ。

 爪先から頭のテッペンまで、ヒナを注意深く観察している。

 見られているヒナは途中からゆっくり回り出しライザップみたいな動きをしていた。結局コミットはどういう意味だったんだろうアレ。

 

 

「ぶっふー! ここで時間切れで~す」

 

「えぇー! まだ3分経ってないよ~!」

 

「はいお仕舞いで~す。40秒で支度しな~」

 

 

 しかしここでヒナから無慈悲なタイムアップ。世の中そんなに甘くなかったようだ。

 こう見るとラピュタはドーラよりもムスカの方が温情なのかもしれない。

 

 

「正解は……ドゥルルルル……」

 

 

 正解発表のため、ヒナは口からぎこちないドラムロールを奏で出した。

 そしてヒナはスカートの縁を掴むと、徐々にスカートを捲し上げていった。

 スカートの縁を掴んだ時点で答えを確信したので、垂れ幕のように上がっていくスカートを僕は黙って見ていた。

 

 

「ドゥルルルルルル……」

 

「えっ、ちょっ、鈴木さん……?」

 

「ドゥルルルルルル……」

 

「流石にそれは……! こ、こんな講習の面前で、そんな……!」

 

「ドゥルルルルルル……」

 

「あわわわわわ……」

 

 

 あわあわと挙動不審な動きを取り始めるヒメ。

 まるで見てはいけないものを前にしたように、手で顔を覆った。

 ……いや、よく見れば指と指の隙間が空いてる。なぜ自分の目を手で隠したのか理由は分からないが、がっつりとヒナを見ていた。

 

 そうして長いドラムロールを終えて、とうとうヒナはスカートを捲し上げた。

 

 

「ででーん! 正解は水着を着てきました~!」

 

 

 スカートの下には、よく水を弾きそうな紺色の布地。

 僕の予想通り、ヒナは制服の下にスクール水着を着ていた。

 

 正解を知ったヒメは、ホッと安堵の声を漏らした。

 

 

「な、なんだぁ水着かぁ……ビックリしたぁ……」

 

「うふふ、驚いた? 早く入りたいから下に着てきちゃった~」

 

「紛らわしいからひらひらさせちゃダメ! 周りに人居たらどうすんの!」

 

 

 ヒナはちらちらとスカートを捲りながら、下の水着を主張する。

 ちなみに今日はひとけの少ない道を通っているのでヒメの心配は問題ない。

 

 ヒメはなんとかヒナを制止させて、「ふーっ」とため息を吐いた。

 

 

「……てっきりヒメは、ヒナがいきなり露出するような、ハレンチなオンナになっちゃったのかと思ったよ……」

 

「あははっ、ハレンチな女って~、流石にそんなことしないよ~」

 

「はぁ、下着じゃなくてよかった……」

 

「……あれ、下着持ってきたっけ?」

 

「……鈴木さん?」

 

「……あ、思い出した! 大丈夫! ちゃんと持ってきてるよ! だいじょーぶ!」

 

「心臓に悪い……」

 

 

 そんなやり取りをしながら僕たちは登校する。

 朝から汗をかかせてくる太陽に少しウンザリするが、明るく元気なヒナを見たおかげで元気を貰えた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「みんな気持ちよさそうだねぇー」

 

「そうだねぇ」

 

 

 楽しそうにプールに浸かるクラスメイト。

 彼らを目前に、僕とヒメはプールサイドで体育座りになって見学していた。

 

 水泳の授業は初回ということもあって、授業の後半が自由時間となっている。

 プールでは、水を掛け合ったり、ビート板を投げ合ったり、ビート板を沈めようとしていたり、潜水して犬神家ごっこをしたりして遊んでいる生徒が見られる。ビート板虐、流行ってるのかな。あと逆足湯も。

 

 

「ぷはっ! いぇーい! ヒナの勝ちー!」

 

 

 奥のレーンでは、ヒナが水泳部のクラスメイトに混じって泳いでいた。

 気づいたらプールの端から端にいるのを見ると、恐ろしい速さで泳いでいるようだ。

 泳いでいる最中に水面からフカヒレがひょこひょこと顔を出しサメみたいだった(補食希望)

 ヒナは水泳部の面々と対決し、今のところ全戦全勝である。

 

 

『また負けたぁ……』『ヒナちゃん早すぎぃ……』『ヒナちゃん水泳部入らない?』

 

 

 よくよく考えてみれば、本職である水泳部の方々に勝っているのは滅茶苦茶凄いと思う。いやマジで。

 とんでもねえ奴と同じ時代にうまれちまったもんである。

 

 

 そんな楽しげな水泳の授業の様子を僕はゴーグル越しに眺めている。

 

 泳いでいないのにゴーグルを付けている理由は、小島くんの要請に依るものだ。

 授業が始まる前に更衣室で着替えていると、小島くんからせめてゴーグルを付けて顔を見せないようにと強く念を押された。

 なぜかゴーグルを強制する理由を教えてくれないうえ、「お前、本当に男だったんだな……」などと失礼極まりない発言をされたのを未だに覚えている。

 逆に今まで何だと思っていたのだろう。小さいし弱いので虫辺りに思われていたのだろうか。だとしたら泣く。

 

 

「……ヒナ、楽しそうだなぁ……」

 

 

 寂しそうに、隣に座るヒメが呟いた。

 

 授業の前半、久しぶりのプールではしゃぎすぎてしまったのかヒメは足をつってしまい、泣く泣く僕と同じ見学組になっていた。

 ちなみに僕は普通に溺れるので見学組だ。前半は死ぬかと思った。

 

 ヒメは顎を膝につけて、退屈そうにプールの方を見ている。

 ここはヒメの気を少しでも紛らわせるために、何か話題を提供しよう。

 

 

「……ねえ、ヒメ」

 

「……うん? なあに、ヒオ?」

 

「突然だけどヒメ。今日の僕、何か違うところがあると思わない?」

 

「違うところ?」

 

「うん。今日というか、いつもというか」

 

「えーなんだろうー?」

 

 

 あまりに話題が思いつかなかったので、今朝のヒナと同じ質問をしてみた。

 ヒメは上から下まで僕を観察する。

 

 すると暫くしてヒメの目が僕の手に止まった。

 何かに気づいたようである。

 

 

「わかった、ネイルだ! 今日のヒオの爪いつもよりピカピカしてる!」

 

 

 ヒメの言うとおり、今日の僕の爪はいつもよりツヤが目立つ。

 しかしそれは僕の用意しておいた答えとは違ったので、解説混じりに否定する。

 

 

「これはギター弾くためのネイルケアだから、ヒメたちのとはちょっと違うかな。確かにいつもよりツヤがあるやつだけど、普段からしてるものだからハズレで」

 

「えーそれなら正解でもいいじゃ~ん! ブーブー!」

 

「ふふふ、さあどこでしょう」

 

 

 頬を膨らませてブーイングを飛ばすヒメに、クスクスと笑みが溢れた。ふっくらほっぺが可愛いです。

 

 僕としてはすぐに気づかれるかと思ったが、ヒメはなかなか答えが分からない様子。しょうがないがここは正解を言おう。

 

 タイムアップを宣告して、僕は正解を言った。

 

 

「正解は……去年よりも筋肉がついたことです」

 

「……え?」

 

 

 ヒメから『お前は何を言っているんだ(例の外国人の画像)』みたいな目を向けられる。

 

 ……え、筋肉だよ筋肉?

 あの「パワー!」とか「ヤー!」とかのあの筋肉だよ?

 

 僕は自分の腕を曲げて、見せつけるようにマッスルポーズもどきをした。ヤー!

 しかし今もなおヒメは、不思議そうな目で僕を見ている。

 

 数秒の沈黙とともに、ヒメが口を開いた。

 

 

「え、筋肉なくない?」

 

 

 ぐはぁ!

 ヒメのナイフのように鋭利な指摘が心臓に突き刺さった。君が僕に突き立てたナイフだあああ!

 毎日頑張っていたつもりだったのだが、ヒメには分かってもらえなかったようた。

 

 去年のマラソン大会、謎の美少女鈴木トレーナーから指導を受けた僕は、大会の後も家でコツコツと筋トレを続けていた。

 その甲斐あってか、最近は腕やお腹に筋肉がつき始めたように感じ、より男らしくなってきたと思っていたのだが……。

 

 ヒメの否定に負けじと反論する。

 

 

「……いや、あるよ。ちょっとはあるから。ほら、たぶん触ってみないと分からないから」

 

 

 ……そう、インナーマッスル! インナーマッスルだから! 表面上には見えない隠された筋肉だから!(言い訳)

 

 

「ほら、触って確めてみていいよ」

 

「え"っ、触っていいの……?」

 

「勿論。それで疑いが晴れるなら」

 

 

 こうなったら直接触って確めてもらうしかない。

 僕はヒメに腕を突き出し、触診による筋肉の判定を提案した。おらぁ! 筋肉裁判開廷じゃあ!

 

 ヒメは差し出された腕に恐る恐る手を伸ばし、両手でぷにぷにと触った。数秒に渡って僕の腕をぷにぷにし続けた。

 けれども、その表情は一向に納得していない様子だ。

 

 

「じゃあ次は、腹筋を……!」

 

 

 今度はヒメにお腹を触るよう提案した。

 腹筋は腕に比べて自信があるぞ! 鉄塊!

 

 それから同じように、ヒメは僕のお腹をぷにぷにと触った。少し擽ったかったがしばらくの我慢だ。

 

 僕の腕とお腹を触って一考するヒメ。

 そしてヒメは自然と口から漏れたように、僕の筋肉の感想を呟いた。

 

 

「……ヒオの体って、女の子みたいだね」

 

 

 ひでぶっ!!

 僕のプライドが秘孔を突かれて弾け飛ぶように散っていった。僕はもう……死んでいる。

 

 ヒメのパンチの効いた返答に何も返せなかった僕は、体育座りでできる胸の前の空間に頭を埋めて、亀のように閉じ籠った。

 

 

「……ああ! ごめんねヒオ! その、悪気はなかったの! いや、男の子にしてはシミとかムダ毛とかないし、すごい綺麗だなって!」

 

「……」

 

「ええっと……筋肉あるよ! うん、全然ある! 全然あるから! 固定資産税かかりそうなくらい凄い筋肉ついてるから!」

 

 

 ボディビルの掛け声のようなワードチョイスで慰めてくるヒメ。

 だが僕の脳にはヒメが言った女の子みたいという発言が焼き印のように刻まれており、ヒメの慰めも虚しく、僕は落ち込んだままだった。

 

 

「……えっと、確かに鍛えてる人よりはあるわけじゃないけど、普通の女の子よりは全然あると思うよ」

 

「……本当?」

 

「うん! ちゃんと男の子みたいだったよ! だから……」

 

「じゃあそれなら……ヒメのを触って確認してみてもいい?」

 

 ヒメは僕が女の子よりも筋肉があると言った。

 果たしてそれは本当なのか、ヒメの口からの出任せなのか、真実は女の子であるヒメの筋肉を確認すれば分かる話だった。

 

 

「っ! そ、それは……」

 

「ヒメは女の子でしょ? 僕は女の子よりも全然筋肉あるんだよね?」

 

「う、うぅぅ……」

 

 

 ヒメに再度、真実を明らかにするため触ってもよいか問い質す。

 夏の暑さのせいなのか、ヒメは顔を茹でタコのように赤くしていた。

 

 

「……うん、触っても、いいよ……」

 

 

 そう言ってヒメは恐る恐る、僕の方に体を寄せてきた。

 

 

「ど、どうぞ……?」

 

 

 渋々といった様子で了承を得た。なぜかヒメは恥ずかしそうである。

 さっそく僕の物と比較するために、彼女の二の腕を触った。

 ヒメに筋肉はあるのか、ないのか……どっちなんだい! パワー!

 

 

「……んっ」

 

 

 ヒメから小さな声が漏れた。

 彼女の真っ白で綺麗な二の腕を触った瞬間、僕は真実に気づいてしまった。

 

 

「……」

 

「……ど、どうだった?」

 

「……硬い」

 

「……え?」

 

「硬いよ、ヒメ……。硬かったよ……」

 

 

 触ってすぐに分かった。

 ヒメの腕には、僕なんかのサラダチキンみたいな貧弱な筋肉ではなく、ちゃんとした筋肉がついていた。

 そう、僕なんかのホルモンみたいな噛みきりにくいふにゃふにゃ筋肉ではなく、ちゃんとした筋肉が……。

 

 

「ヒメの腕、ちゃんと硬かったよ……」

 

 

 ガーンとショックを受けたような顔をするヒメ。

 ヒメはすぐに自分の腕の筋肉について、弁解するように説明し出した。

 

 

「こ、これは……ダンスとかしてたら自然と付いちゃったやつで……全然硬くないから!

 

 

 今思えば女性の腕に対して硬いとか言うのは失礼だったかもしれない。反省します。

 

 

「ヒオみたいに筋トレとか全然してないし……!」

 

「き、筋トレせずにそんな筋肉を……」

 

「……あ、ごめん! 今のナシ! ごめんヒオぉ!」

 

 

 ヒメの言い分は思わぬ変化球となって僕にデッドボールした。そんな、僕の一年の苦労は何処に……。

 ヒメは秘密道具を探しているときのドラえもんみたいにあたふたとしている。

 

 

「ほら! まだ腹筋が残ってるよヒオ! 腹筋! きっとヒメの腹筋、ヒオのよりも柔らかいから! ほら!」

 

 

 そう言うとヒメは自分のお腹を指差して、僕に触るよう促した。

 確かにヒメはスクール水着を着ているため、腹筋の有無は触らないと分からない。

 

 僕は最後の希望を賭けて、ヒメのお腹に手を伸ばした。

 触れた瞬間に、ヒメがビクリと揺れる。

 

 

「うぅ……どうしよう……。これ、さっきよりも恥ずかしいよぉ……」

 

 

 ヒメが何か言っているが、精神的に限界だった僕は聞こえかなった。

 

 

 そしてそんな筋肉裁判をしている僕たちに、死角から冷たい水が襲った。

 

 

「きゃっ!」

 

 

 突然の冷たい感触に、ヒメが可愛らしい悲鳴をあげた。

 水のかかってきた方を見れば、ヒナがプールからこちらに笑顔で手を振っていた。

 

 

「二人とも~! イチャイチャしてないで、一緒に遊ぼうよ~!」

 

「い、イチャイチャなんてしてないよ! これは……ただのスキンシップだから! 普通のことだから!」

 

「そう~? さっきベタベタ触りっ子してなかった?」

 

「し、してないよ! もう~、ヒナ~! こうなったら仕返ししてやる~!」

 

 

 そう言うとヒメは立ち上がって、プールのほうに駆け出す。

 先ほどヒナに掛けられた水のお返しに行くようだ。

 僕はいつもの微笑ましい二人を見て、てぇてぇなぁと喜びに浸る。寿命がちょい伸びた。

 

 ……ちなみに、ヒメの腹筋はカチカチでした。はい、僕はもう何も言うことはありません。泣きます。

 

 

 目から汗を流しながらヒメを見送っていると、ヒメの歩き方に違和感を感じた。

 それは、体に一本線が通っているようないつもの綺麗な歩き方ではなく、片方に重心が傾いたような歪な歩き方で……。

 

 

「こら~、ヒナ~! ……っ!」

 

「ヒメ!」

 

 

 態勢を崩したヒメと、ヒナの叫ぶ声。

 大きな音と水飛沫が上がる。

 

 ヒメは足を縺れさせて、プールに転ぶように落ちてしまった。

 

 

「ヒメ……っ!」

 

 

 不味い、忘れていた。

 元々ヒメは足をつって休んでいたのだった。

 

 ヒメを助けるため、形振り構わず急いでプールに飛び込む。

 飛び込んだせいで白い泡が目の前に広がった。

 

 

 水の中でもがきながら、僕は必死にヒメに手を伸ばした。

 ━━━ヒメ……っ!

 

 

「……ぷはっ! あはは、転んじゃった~!」

 

「もう~、ヒメはドジだな~」

 

 

 沈んでいく水中。

 僕はゴーグルを着けた目でしっかりと、プールの底に片足で立つヒメを見た。

 そっか、普通の人は溺れないんだった……。

 

 

「ゴボボボボボ……」

 

「あれ!? ヒオが溺れてる!?」

 

 

 薄れゆく意識の中。

 僕はヒメが無事だったことに安心しながら、自分の軽率さに反省するのだった。ゴボボボボボ……。

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 背中にザラザラとした固い感触。

 それはこれまで足で感じていた、プールサイドに貼られたタイルの感触と似ていた。

 どうやら僕はプールサイドに横たわっているようだ。

 

 視界が不明瞭で、意識がぼーっとする。

 あ、そういえば僕溺れたんだった(爆速理解)

 

 ぼんやりとした頭で記憶を辿る。

 確かヒメが転んでプールに落ちて、それを見て僕は助けようとプールに飛び込んで、でもヒメはなんら問題はなくて……僕だけ沈んだ、と。

 

 はぁ……(クソデカため息)

 カナヅチっていうか、もう水に入ってから意識を持ってかれてるレベルだったぞ。

 授業の前半で体力が尽きていたのだろうか。いや、だとしても弱すぎる……俺YOEEEEEとか、今日日流行らないだろ。

 

 ずっと横になっているのも背中が痛むし、そろそろ起き上がろう。

 溺れた僕を助けてくれた人にお礼を言わなくては。

 

 頭を起こした直後、僕の脳天に何かが直撃した。

 

 

「あだっ!」

 

「いてっ!」

 

 

 視界にお星さまが光ったのが見えた。

 僕ともう一人、聞き馴染みのある少女の声が聞こえた。

 誰かと頭をぶつけてしまったようである。

 

 

「いてて~……」

 

「ヒナ、大丈夫……!?」

 

「……うん、ヒオとごっつんこしちゃった」

 

 

 もう一度頭を起こせば、痛そうにおでこ擦るヒナと、それを心配するヒメが見えた。

 ヒナと頭をぶつけてしまったらしい。

 

 それから僕を囲むようにクラスメイトが周りに居ることに気づき、僕は「ぴえっ!」と声を出しながら固まった。さながらまな板の上の鯉である。

 硬直していると、こちらに気づいたヒメが声をかけてきた。

 

 

「ヒオ……。よかったぁ……。意識がなかったから、もうどうなることかと……」

 

「……心配させてごめんね、ヒメ」

 

 

 そう言って胸を撫で下ろすヒメ。

 本当に申し訳ない。

 

 頭を下げてヒメに謝ると、先ほど頭突きしてしまったヒナが口を開いた。

 

 

「無事でよかったね、ヒメ。ヒナの出番はいらなかったみたい」

 

「……そういえばヒナ、人工呼吸のやり方なんてよく知ってたね!」

 

「昔、市民プールのお姉さんが講義してくれたんだ! いざという時に覚えておいて損はない、って」

 

「へぇ~、そうだったんだ!」

 

 

 なるほど。先ほどヒナとぶつかってしまったのは、これから人工呼吸をするためだったらしい。

 幸い僕の意識が戻ったため未然で済んだが、尽力してしくれたヒナにも感謝と謝罪が必要そうである。

 

 

「ありがとう、ヒナ。それと心配かけてごめ……」

 

 

 お礼を言いかけた直後、またもやプールサイドに大きな人影が、凄い勢いで入ってきた。

 

 

「佐藤ォォォ! 大丈夫かぁぁぁ!」

 

「あ、先生だ」

 

 

 極道先生が血相を変えて走ってきた。怖い。

 僕を囲んでいた生徒達は威圧されたように道を開けて、先生が切り込むように走り込んできた。

 

 

「死ぬなよ佐藤ォ! 先生がこれから人工呼吸したるさかいなぁ!」

 

「あの、先生……」

 

「うお!? 佐藤ォ、意識戻っとるやん! 大丈夫かぁ!?」

 

「はい、もう大丈夫ですので、先生落ち着いて……」

 

「落ち着けもヘチマもあるかぁ! 安静にしとれぇ!」

 

「わわっ」

 

「保健室行くぞぉ!」

 

 

 先生は僕をお姫様抱っこしてまた走り出した。

 駄目だ、全然話を聞いてもらえない。

 クラスメイトにお姫様抱っこされるのを見られて、ヒメとヒナはそんな僕を見て笑っている。

 恥ずかしくて死にそうである。恥ずか死。

 

 

「佐藤ォォォ!」

 

 

 先生に抱えられながら空を見上げる。

 雲一つない青空に、先生の雄叫びが響く。

 

 

 その後、保健室で寝ている僕のもとを二人が訪れ、開口一番に「おつかれsummer」と労ったのだった。おつかれsummer。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「ねえ、ヒナ」

 

「なあに、ヒメ?」

 

「人工呼吸のやり方、ヒメにも教えてくれる?」

 

「いいけど、いきなりどうしたの?」

 

「……今度ヒオが溺れたときの、口実ができるかなって……」

 

「ん? ヒメ今なんて?」

 

「……あっ! ほら、ヒナも言ってた、いざという時のために覚えておいて損はないかなって!」

 

「なるほど! 確かに覚えておいて損はないよね!」

 

「うん!」

 

「じゃあ帰ったら教えるね!」

 

「うん!」

 

 

 ━完━



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僕の所懐

 八月某日、田中工務店。

 

 風通しを良くするために、家中の窓が開けられた工務店は開放感があり、屋外にいる蝉の鳴き声もダイレクトに聞こえてくる。

 とは言っても自然風だけでは当然物足りず、今日も一台の扇風機がせっせと羽を回して、涼しい風を吹かせている。

 

 暑さ対策において、世間では涼しいクーラーを効かせるなどして避暑するのが一般的だろう。

 しかしここ田中工務店では、電気代を節約するために滅多にエアコンを使うことがない。

 隣人なのになぜか家計を把握している僕だから分かるが、田中工務店は火の車までとは言わずとも決して裕福とは言えない世帯だ。

 世帯主である中島さんにどれほどの稼ぎがあるか謎であるが、世帯構成的に田中工務店は娘二人の父子世帯のようなものなので、子ども二人を高校に通わせながらの扶養は容易ではないだろう。

 

 そのため、夏場の工務店の住人は基本的に薄着である。

 来客である僕も同様、僕とヒメたちはTシャツに半ズボンのラフな格好でいることが主だ。

 まだまだ八月の酷暑が押し寄せる今日だが、暑さ寒さも彼岸までと言うし我慢の時季でもあるだろう。

 窓に下げられた風鈴が、ちりん、と心地よい音色を鳴らしたのを聞いて、少しばかり暑さが和らぐのを感じた。

 

 

 そして今、そんな一目で夏らしさを感じられる田中工務店の居間に僕たちは居る。

 もはや親の顔よりも見慣れた一室には、二つのキャリーケースが大きく広げられている。

 

 キャリーケースの前には荷造りする二人の少女がおり、それは僕がよく知る幼なじみ、田中ヒメと鈴木ヒナだ。

 僕はそんな二人の様子を見ながら、縁側に座るお婆ちゃんのように湯飲みで冷たいお茶を飲んでいる。

 

 

「ハンカチとティッシュと、バスタオルと、着替えと……」

 

「トランプと、オセロと、ニンテンドースイ○チと、漫画と……」

 

 

 忘れ物がないようにと、一つ一つ持ち物の名前を口に出して確認するヒメとヒナ。

 そんな微笑ましい光景を肴に、僕はお茶を啜る。ふぅ……幸せってこういうことなんだなぁ。

 

 

「楽しみだな~、林間学校」

 

 

 期待を弾ませた声でヒメが呟く。

 

 ヒメの言った通り、明日は林間学校である。

 森に囲まれた山間部の宿泊施設に泊まり、自然と触れ合いながらの野外炊飯やウォークラリー、夜には勉強会や肝試しなど様々なイベントが用意されているらしい。

 

 ちなみに二人を傍観している僕は、既に荷物の準備は完了済みである。

 準備の際、毎日練習しているギターを持っていくべきかどうかを一人検討したが、林間学校にギターケースを背負っていくと流石に目立ちそうなので断念した。

 ただでさえ最近は教室で視線を感じるので、精神的負担は極力減らしたい。ストレスフリーな林間学校にしていきたいのである(切実)

 

 

「じゃあヘアアイロンはヒメが持っていくね」

 

「は~い、ヒナは化粧水とか持っていくね~」

 

 

 幸運にも二人は相部屋だったらしく、持ち物を共用することで荷物のかさ張りを減らすようだ。かしこい。

 

 

「お菓子は~、330円分~……♪」

 

 

 ヒナが鼻歌混じりにお菓子を詰めている。そのプラス30円は何なんだろう……消費税?

 詰めているお菓子のラインナップは、定番のポッキーやお財布に優しい駄菓子などが散見できる。一人で駄菓子屋さん開けちゃいそうなバリエーションだ。

 

 ここで世間知らずな恥ずかしい僕の小話だが、僕が駄菓子の安さに気づいたのはつい最近のことである。

 友達と近所の駄菓子屋に行くという経験がなかった(理由はご察しの通り)僕は、ヒナに連れられて駄菓子屋に初めて行った時に驚愕した。「10円単位!? うせやろ?」みたいな具合で。

 その後、ヒナと駄菓子屋のベンチに座ってチューペットアイスを半分こしたのは良い思い出である。

 

 

「虫除けと、日焼け止めと、コームと……」

 

「お気に入りの枕と、枕投げ用の枕と……」

 

「……ねえヒナ、それ本当に必要なやつ? 枕を持っていくのは百歩譲って分かるけど投げる用ってなに……?」

 

「マッチと、懐中電灯と、サバイバルナイフと……」

 

「絶対要らないでしょそれ!? 明日行くの林間学校だからね? 無人島サバイバルとかじゃないからね!?」

 

 

 ヒメの畳み掛けるような鋭いツッコミが光る。今年はR-1グランプリ出場を視野に入れてもいいかもしれない。

 そんなツッコミ担当のヒメ(ボケもいける)は、しおりに沿いつつ最低限必要そうな物を詰めているのが分かる。

 キャリーケースの詰め方も綺麗に整頓されている。流石の一言だ。

 

 一方でヒナは、用途の分からない荷物ばかりがちらほら確認できる。一部銃刀法に引っ掛かりそうな物まで詰め込まれていた。

 おまけに謎の荷物が多いせいで明らかに重量オーバー。キャリーケースに収めるには質量保存の法則をねじ曲げる必要がありそうだ。

 

 

「というか全部入るのそれ……?」

 

「ちゃんと押し込むから大丈夫……ふぬぬ……!」

 

 

 ヒナが不自然に中央が膨らんだキャリーケースと、そのファスナーからはみ出す荷物たちをぐいぐい押し込んでいる。なんていうかもう力業だ。

 

 

「ヒナ、それ以上はキャリーケースが可哀想だよ。さっきからヒメ、キャリーケースの悲鳴が聞こえるもん」

 

「ぐぬぬ……駄目かぁ……」

 

 

 ヒナがパンパンになったキャリーケースを開けると、中から荷物がびっくり箱みたいに飛び出した。やはり容量は限界を越えていたらしい。

 全てを持っていけないことを悟ったヒナは、しょぼーん顔(´・ω・)で大人しく持ち物の厳選をし出す。ポケモンも旅支度も厳選の大変さは変わらないのかもしれない。

 

 

 その後、無理をしたせいでヒナの詰めていたお菓子が粉々になっていたなど色々あったが、二人の旅支度は筒がなく終わった。

 最後に僕は中島さん用のご飯を作り置きして、チンして食べて下さいというメモと一緒に工務店の冷蔵庫にしまった。

 

 これで三人とも準備完了。

 あとは早寝早起きをして、林間学校を待つだけである。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 まだ少し暗い、早朝の学校前。

 朝の冷涼な空気が流れる学校は静けさもあり、昼間とは別の顔を見せていた。

 

 

 林間学校までは、マイクロバスでの移動となっている。

 点呼を取ってから、生徒たちが一人一人バスに乗り込んでいった。

 

 座席はありがたいことに自由席。

 生徒たちは、仲の良い友達同士でペアを作るなどして、休み時間の教室のように友達と固まって座り始めた。

 

 

「ヒナー! バスの席どこにするー?」

 

「後ろ行こう後ろ! ヒナ窓際がいいな!」

 

 

 ヒメとヒナがバタバタと最後列に向かったのを見て、僕はそこから離れた席に座ろうと動いた。

 他者からの視線を集めることこの上ない二人との相席は、目立つのが苦手な僕にとって色々不味いのだ。

 

 しかしそんな僕の胸中はお見通しだったのか。

 離れた席に座ろうとする僕の元にヒメがやって来ると、有無を言わさず、僕を最後列まで引っ張っていった。

 振りほどくつもりもなければ、ヒメの牽引に対抗するパワーの欠片もないので、僕は諦めて二人と相席することにした。無念である。

 

 その後、なぜか僕のような陰の者と仲良く接してくれるギャル子さん(本名は渡辺さん)、春の部活動勧誘会から親交を深めている軽音楽部のロックさん(本名高橋さん)も、ヒメとヒナに呼ばれてやって来た。

 そんなこんなで、僕を追い詰めるように陽キャの方々が最後列に集まってしまった(四面楚歌)

 

 

『━━出発します。シートベルトのご確認を……』

 

 

 低く響くようなエンジンの音とともにバスがゆっくりと動き出す。

 時間となり、バスは予定通り出発した。

 

 

 バスの中が賑やかな話し声で溢れる。

 生徒たちは、雑談する人やゲームをする人、お菓子を食べる人などそれぞれの楽しみ方に興じていた。

 

 

「ヒメ~、ポッキーいる?」

 

「うん! ちょうだーい!」

 

 

 隣でヒメとヒナの菓子パが始まった。

 ヒナがポッキーを1本手に取り、ヒメの口にそっと運ぶ。

 

 

「はい、あ~ん」

 

「あ~ん♡」

 

 

 ヒナから食べさせてもらうという付加価値を帯びたポッキーを、ヒメは顔をでれでれさせながら美味しそうに食べていた。

 てぇてぇなぁ……。

 こういうのでいいんだよ、こういうので。

 

 

「ヒオも食べる~?」

 

「うん、ありがとう」

 

 

 今度は僕の方にヒナからポッキーを差し出された。ありがたく口でお迎えする。

 

 ……うん、美味しい! ヒナからあーんされたら金属類も美味しく頂けちゃう自信ある!

 今までトッポ信者だったが僕だったが、バフ(鈴木ヒナ)がかかったポッキーの美味しさが鮮烈すぎてポッキー派閥に寝返るかもしれない。

 ポッキーなんて表面だけチョコたっぷりの敗北者だと思っていた自分の認識を改める必要がありそうだ。

 

 ポッキーをサクサク咀嚼していると、お隣のギャル子さんさんに声をかけられた。

 ギャル子さんの手には、クッキーとチョコで形成された一口サイズのお菓子。里じゃなくて山、たけのこじゃなくてきのこの方が摘ままれていた。

 

 

「佐藤くんもきのこの山食べる~?☆」

 

「ありがとうございます。いただきます」

 

「はい、あ~ん☆」

 

「……」

 

「ありゃ?☆ きのこの山、苦手だった?」

 

「い、いえ……」

 

 

 なんて距離感……これが陽キャ……!

 まさかギャル子さんからあーんされるとは思わなかった。

 一瞬戸惑ったが、僕は少しの硬直のあとにそれを受け入れた。

 

 

「もぐもぐ……美味しいです……」

 

「いぇい! やっぱりタケノコよりきのこだよね~☆」

 

「そ、そうですよねー。やっぱりきのこの山ですよねー、あはは……」

 

 

 【悲報】タケノコ派僕、静かに涙を流す。

 

 ギャル子さんと話していると、隣のヒメが意味ありげな顔でこちらを見ているのに気づく。

 同じくヒメに気づいたギャル子さんが、今度は僕を挟んでヒメ達の方に話しかけた。

 

 

「ヒメちゃん達もきのこの山いる~?☆」

 

「やったー! ナベちゃんありがとー!」

 

「わーい!」

 

「はい、あ~ん☆」

 

 

 ナベちゃん(渡辺さん)が手を伸ばして、二人の口にきのこの山を入れた。

 二人が口を開けて待っている様子は、どこか親鳥の雛の餌やりを感じさせる。ヒナだけにね……(爆笑ギャグ)

 

 ちなみに最後列の並び順は左から田中、鈴木、佐藤、渡辺さん、高橋さんとなっている。

 日本の名字ランキング総なめである。

 

 

「お返しにポッキーあげる~」

 

「ありがとうヒナちゃん~♡」

 

 

 お返しにと、ヒナがギャル子さんにポッキーをあーんした。これがお菓子貿易かぁ、尊い。

 ギャル子さんは顔をでれでれさせながらヒナのポッキーを食べていた。これさっきも見た気がする。

 

 頂いてばかりなのも申し訳ないので、ここは僕もお菓子のシェアハピに参加するべきだろう。此方も抜かなければ無作法というもの……。

 僕は鞄から小さいバスケットを取り出し、膝の上に乗せて蓋を開けた。ごまだれ~♪(ゼルダ)

 

 

「ギャル子さん、ロックさん。粗品ですが……どうぞ」

 

「お、これがヒナちゃんが言ってた佐藤くんの手作りお菓子か~☆ クオリティたか~☆」

 

「わぁ、可愛い……! 写真撮ってもいい?」

 

 

 今回は作ったのは、編み込みハートの絞りだしクッキーチョコ味。味だけでなくビジュアルにも気を遣い、"映え"を狙ってみました。

 ヒメ共々、普段からお世話になっているギャル子さんとロックさんに感謝の意を込めて作ってきた物である。

 

 

「美味しい~☆ ヒナちゃん達いつもこんなの食べてるんだ~、いいな~☆」

 

「凄い! お店の物みたいだね!」

 

「ありがとうございます。お粗末様です」

 

 

 ヒメやヒナ以外に手作りのお菓子を食べてもらう経験がなかったので不安だったが、お口に合ったようで良かった。

 

 

「ヒオ~、ヒナにもちょっとちょうだ~い」

 

「はいはい、あんまりないからたくさん食べないでね」

 

「は~い」

 

 

 それからクッキーを食べ終えると、ロックさんが目を輝かせて僕に話しかけてきた。

 

 

「そういえば佐藤くん、この前おすすめした曲聴いた? 最高にロックだったよね!」

 

「カッコよかったですよね。特に最後の転調からの展開が……」

 

「分かる! ロックだよね~!」

 

 

 ちなみにロックさんは、僕の交友関係で唯一音楽の話をできる人だ。

 曲について専門的に踏みいった話は普段できないので、ロックさんとの話はとても貴重で有意義である。語彙力がロックだけど。

 

 音楽の話で盛り上がっていると、ヒメが身を乗り出してロックさんに話しかけた。

 

 

「高橋ちゃーん! 最近バンドの調子どう?」

 

「ヒメちゃん! そりゃもうばっちり絶好調だよ! 部員もたくさん増えたし、本当にあの時はありがとね!」

 

「よかった~! あと、お礼はもうたくさん貰ったから気にしなくて大丈夫だよ」

 

「いやいや、本当に今でもヒメちゃんには頭が上がらないよ……それとヒメちゃん、ぜひお宅の佐藤くんを軽音部にお招きしたいんですが……」

 

「おお~、佐藤くんがヘッドハンティングされてる~☆」

 

 

 振り返ってみれば、ギャル子さんはヒナ経由、ロックさんはヒメ経由からできた友達だ。

 二人とも、ヒメとヒナの紹介がなければ何の接点もなかった方達である。

 良い友達に巡り会えたきっかけを作ってくれた二人には本当に感謝しかない。出会い方は置いといて(望まぬ拉致、包囲、女装)

 

 

 お菓子を食べながら、移動中の雑談は盛り上がっていく。

 

 

「ヒメちゃん達は日焼け止めしてきたー?☆」

 

「うん! 家出るときにしてきたよ!」「してきたー!」

 

「あっ、私持ってくるの忘れちゃった……」

 

「高橋さんは後でウチの貸すよー☆」

 

「いいの? それはありがたい!」

 

「いーよいーよ☆」

 

 

 ……それにしても、肩身が狭い。

 女子間のコミュニケーションに挟まっているこの状況が気まずいこともあるが……。

 ヒメとヒナは言わずもがな顔が良いし、ギャル子さんとロックさんの二人もとても整った顔をしていらっしゃる。

 バスの最後列のメンバーをきみまろさん風に言えば、別嬪さん別嬪さん、一つ飛ばして別嬪さん別嬪さんの並びだ。

 つまり、僕以外の顔面偏差値が軒並み高いので非常にこの場に居辛いし、僕の存在で顔面平均値を下げてるこの状況が居たたまれないのだ。

 

 そんなクラスカースト上位四名がいるせいだろうか。

 耳を澄ませば、辺りからクラスメイトのひそひそ声が聞こえてくる。

 

『なあ、後ろヤバくねえか?』『ほんとだ……』『最後列ヤバすぎだろ!』『おいおい全員可愛いんだが?』『ヒオちゃんのお顔が見れないのがお辛い……』『脳内補完余裕なんだよなぁ』『美少女が五人……』『美少女戦隊……』『これが神ファイブかぁ』『宗教画かな』

 

 

 前髪の下から辺りを窺えば、こちらをじろじろと見るような視線が突き刺さるのが分かる。

 うぅ、なんだアイツとか思われてるのかな……僕の心労がマッハである。

 

 そんな視線の中で唯一、僕の心中を察してくれているであろう親友の小島くん。

 彼を見つけると、離れた席からなにやら僕を可哀想な目で見ていた。助けてほしいンゴ。

 スマホがバイブしたので画面を見てみると、小島くんから『ヒオ、強く生きろよ』というメールが来ていた。助けてクレメンス。

 

 左右からの陽圧(陽キャの圧。陰キャは死ぬ)にぺしゃんこになりながら、僕たちの乗るバスは順調に進んでいった。

 

 

 出発してから四半刻。バスは、林に包まれた山の中へと入っていった。

 

 

 気分転換に外の景色でも見ようかな。

 

 身を乗り出せば、ちょうどバスが橋の上を通っているのが分かった。

 真ん中席に加えて、背丈が普通の男子よりも低い僕は車窓を見るのも一苦労。

 しかし水がきらきらと光る綺麗な川原は、涼しそうな沢と新緑の緑色がとても壮観である。

 

 

「わぁ~綺麗~!」

 

 

 隣から聞こえるヒメの声。

 ヒメも橋の上からの絶景に気づき楽しんでいるようだ。

 

 

「ヒナ、見てみて! こっちの景色すっごい綺麗だよ!」

 

「ほんと!? 見たーい!」

 

「わわっ!? ちょっとヒナ……!」

 

 

 川原が見えるのは、ヒナと反対側の窓だった。

 景色を見ようと身を乗り出したヒナはヒメを押し倒し、その影響で僕の方にヒメがもたれ掛かってきた。むぎゅぅ……。

 体幹のたの字もない僕は、そのまま情けなくギャル子さんの方に倒れる。

 

 

「へぶっ!」

 

「おっとっと、佐藤くん大丈夫……?☆」

 

「す、すみません……」

 

「ウチは大丈夫だよ、佐藤くん軽いし☆」

 

 

 故意ではないがギャル子さんに身を預けるように倒れてしまった。

 しかも身長差のせいで渡辺さんの胸元に頭をぶつけてしまったので、深く深く謝罪した。

 

 

「本当にすみません……」

 

「だから気にしなくていいって☆ ていうか佐藤くん、いつも良い匂いするけどどこの香水使って……」

 

『━━大きく右にカーブします。ご注意下さい』

 

 

 バスのアナウンスが流れると、今度は反対方向にバスが傾いた。

 

 

「ぅわぁあぁあぁあぁ」

 

 

 体を引っ張る容赦ない引力に、思わず情けない声が出てしまう。なんだその声。

 

 バスの最後列が、今度はドミノ倒しの逆再生みたいに反対に傾いていく。

 当然反対方向に傾いたので、今度は僕がヒメに倒れる形となってしまった。逆だったかもしれねぇ……。

 

 

「わっ! ヒオ、顔近っ……!」

 

「ご、ごめんねヒメ……」

 

 

 更にそこに、僕よりも背丈のあるギャル子さんが倒れてきた。

 当然ながら僕は為す術もなく、雪崩れ込むようにヒメにもたれ掛かってしまう。

 鼻先数センチ、ヒメの小さくて可愛い顔(大事)が眼前に迫った。

 

 

「あわわわわわわわわわわわわわわわわ!!」

 

 

 ヒメは目をぐるぐるさせながらパニック状態みたいに慌てている。押し潰されて苦しいのか顔も赤い。

 ていうかヒメ、顔が良いな……(冷静な判断)

 待ち受けにしたい……あ、もうしてたわ(ヒナのツーショット)

 

 それからデ○ズニーのアトラクションを思わせるようなカーブが何度かありつつも、ようやくバスの動きが落ち着いた。山道って怖いですね。

 

 平常運転に戻ったようなので普通の姿勢に座り直すと、隣のヒメが顔から湯気を出しながら息を荒くしていた。

 

 

「はぁ、はぁ……。キスするかと思った……キスするかと思った……」

 

 

 胸に手を当てて、何かをボソボソと呟やいているようだ。

 

 

「ヒメ、大丈夫?」

 

「っ! うん、大丈夫! ヒメダイジョーブ!」

 

「ほんとに?」

 

「大丈夫! ダイジョーブ博士だよ!」

 

 

 ダイジョーブ博士は大丈夫じゃないんだよなぁ……(疑惑の成功確率)

 明らかに大丈夫そうに見えないが、頑なにヒメは大丈夫だと言い張っている。ほんとかなぁ?(ゴロリ)

 

 

「……」

 

「ヒ、ヒオ……?」

 

 

 やっぱり不安なので、僕は黙ってヒメの顔を注視する。

 体調不良に関して経験豊富な僕は、ある程度の知識は持ち合わせている。

 顔の血色が悪くなってないか、目の焦点は合っているか、外的特徴からヒメを視診することにした。

 

 じっと見ていると、またもやヒメが恥ずかしそうに顔が赤くした。

 

 

「そ、そんなにヒメのこと見ても何も出ないよ~、あはは~……」

 

 

 診てみたが特に不調というわけではなさそうだ。

 年中絶好調でお馴染みのヒメはやはり健在である。

 しかしながら、うーむ……僕には疑念が残る。

 

 最近というかここ一年、ヒメの様子がおかしい気がする。

 顔が赤くなったり、テンパって変な行動をしたり、変なダンスを踊っていたり……最後のはいつもか。突発的で原因不明な言動が多いのだ。

 悩みがあるのならば相談に乗りたいが……どしたん? 話きこうか?(心からの心配)

 

 ヒメのことを一人物案じしていると、隣のギャル子さんが「ヒメちゃんも大変だねぇ……☆」となにか同情するような声を漏らしていた。なんのこっちゃ?

 

 

 

 しおりの予定時間と現在の時間を確認する。

 どうやら目的地の林間学校までは、まだまだ時間があるようだ。

 

 僕を挟んで行われるガールズトークに耐えていると、折角だし何かゲームでもしようという話になった。

 ちょうどヒナがトランプを持っていたので、トランプでババ抜きでもしようかという意見が出る。

 

 しかしそこに、ギャル子さんが待ったをかけた。

 

 

「トランプもいいけど……王様ゲームとかやってみない?☆」

 

「「王様ゲーム?」」

 

「お、ヒメヒナちゃんは知らない感じ?」

 

 

 王様ゲーム……。その単語を聞いた僕は、自分の記憶の中から昔ネットで調べた知識を掘り起こす。

 確か、飲み会などで行われる定番のレクリエーションゲームの一種だったと記憶している。

 割りばしなどの棒に数字と王様のマークを割り振って、マークが見えないようにくじ引きをしたら、王様を引いた人が名指しではなく数字で命令を行う……だったかな?(ヒオペディア)僕も未経験なのであまり存じない。

 

 

「王様ゲームはね、王様とその命令を聞く人に別れて~☆」

 

 

 王様ゲームを初めてやる僕たちのために、ギャル子さんが優しく解説してくれる。

 しかし解説の最中、なぜか渡辺さんは意味ありげに、ちらちらと僕とヒメの方を見ていた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 私の名前は渡辺星子。華の高校二年生。

 今年の春からヒメヒナちゃんや佐藤くんと友達になった、どこにでもいる普通の女子高生だ。

 

 私はこの林間学校で、とあることを企んでいた。

 

 

「王様だ~れだ!☆」

 

 

 怪しまれないように、いつも通りの振る舞いでゲーム開始の合図をする。

 

 

 私の企み。

 それは、この林間学校というチャンスを使って、ヒメちゃんの恋路を応援することだ。

 

 本人は隠しているつもりのようだけど、ヒメちゃんの好きピが佐藤くんだというのはバレバレである。

 週に9回くらいの頻度で「そういえばヒオがね~」と佐藤くんの話をするし、私が佐藤くんと話しているとジェラシーな目でこっちを見ていたりするし、消しゴムに佐藤くんの名前書いてあったし、スマホのロックのパスワードが佐藤くんの誕生日らしいし(ヒナちゃん談)、なんなら待ち受けが佐藤くんの寝顔だったし……これはもうそういうことに違いないっ!☆

 

 そうと分かれば、私にできることはただ一つ。

 奥手なヒメちゃんと無自覚な佐藤くん、二人がくっつくために私が恋のキューピッドになることだ。

 大好きなヒメちゃんに彼ピができるのは、ヒメヒナちゃん推しの私としてはちょっち寂しいけど……推しの幸せを願うのが真のオタクであり、親友の幸せを願うのが真の親友だとおもう!☆

 

 そこで私は王様ゲームという手段を使って、ヒメちゃんと佐藤くんの距離を縮めることを計画したのだ。

 ヒメちゃん。わたし、応援するからね……!☆

 

 

「あ、ヒナ王様だー!」

 

「ヒナかぁ。とんでもない命令じゃないといいけど」

 

 

 一回目の王様はヒナちゃんとなった。

 ヒナちゃんが王様だと分かり、佐藤くんが不安げな声を漏らす。

 

 当選したヒナちゃんは指を顎にちょんと添えて「どんな命令にしようかな~♪」と考えている。

 あ~~、仕草ひとつひとつがマジ可愛い! ヒナちゃんはなにしても可愛いなぁ~~!☆

 

 ……ハッ! ヒナちゃんが可愛すぎて我を忘れてた!

 作戦を遂行させるためにもここは冷静にならなくっちゃ!

 

 

「まだ一回目だし無難なお願いもありだよ! 例えば、○番が○番に思ってることを言う、とか!☆」

 

 

 王様ゲームについて知っているのは私と高橋ちゃんだけのようだし、見たところ高橋ちゃんはそんなに経験はない様子。

 そこで私は経験者というアドバンテージを活かして、ヒナちゃんに命令の内容をさりげなく誘導する。

 

 私の助言を聞いたヒナちゃんは一瞬目を細めて、一呼吸置いてから口を開いた。

 

 

「うーん、それじゃあ……1番さんは2番さんの良いところを褒めてあげる、とか?」

 

「うんうん、ヒナちゃんらしくていいと思う。ちなみに1番と2番は?☆」

 

「1番は僕です」

 

「2番はヒメでーす!」

 

 

 1番が佐藤くん、2番はヒメちゃんだった。

 やった!☆ キタコレ!☆

 思わず私はガッツポーズ。隣の高橋ちゃんに変な目で見られたが気にしない。

 

 

「それじゃあ佐藤くん、ヒメちゃんの良いところ言っちゃってー!☆」

 

「あ、はい……」

 

 

 しめしめ……☆

 これは、佐藤くんがヒメちゃんのことをどう思っているのか、ちゃんと異性として意識しているのか分かる大チャンスだ。

 

 私に促されて、佐藤くんはちらりとヒメちゃんの方を見てから、「えーと」と軽い前置きをして話し出した。

 

 

「ヒメの良いところは……まず、凄い可愛いところだね」

 

「マジ同意ー!☆ ぷりちーなお顔とかマジお人形さんみたいだよね☆」

 

「たしか今年の軽音部の新入生、ヒメヒナちゃん目当ての子がたくさんいたなぁ。やっぱりヒメちゃん可愛いよね~」

 

「て、照れるなぁ……」

 

 

 私たちに褒められてヒメちゃんは恥ずかしそうに頬を掻く。ヴっ、がわ"い"い"。

 それに今の高橋ちゃんの話によると、ヒメヒナちゃんの可愛さが新入生に知れ渡っているみたいだ。流石ヒメヒナちゃん!☆

 

 私と高橋ちゃんが同調して、ヒメちゃんが照れる。

 そんな周囲の反応を伺ってから、佐藤くんは優しく微笑んだ。

 そして佐藤くんは早口ではなく、ゆっくりと耳に馴染むような声でヒメちゃんの良いところ語り出した。

 

 

「うん、やっぱりヒメは可愛いよね。渡辺さんが言ったけどヒメは小顔で肌が透き通ってて顔のパーツが造り物みたいに整っててお人形さんみたいだし、目尻の赤いアイメイクも可愛いし……あ、そういえばヒメチーク変えたんだね、似合ってるよ。白くて紅葉みたいに小さい手と綺麗な指も赤いネイルと相まって美しくて……もちろん容姿が可愛いのもあるけど、性格もとっても可愛いんだ。明るくて前向きなところにはいつも元気をもらってるし、裏表がなくて素直なところは一緒に居ると気が置けなくて癒されるし、しっかり者だけどたまに抜けているところはギャップがあって可愛いし、喜怒哀楽がはっきりしているところは見ていて飽きないし、友達思いで優しいところは……」

 

 

 うん……?☆

 

 始めの方は心の中で「わかる~~!」と激しく同意していたけど、話が始まってから数分経っても……佐藤くんは止まらなかった。マジで止まらなかった。

 隣の高橋ちゃんは「ラップ……?」と混乱してるし、なぜかヒナちゃんはいつものことのように見慣れた感じで聞いてるし、ヒメちゃんも「えへへ~」と照れながら聞き入っている。なにこのカオス空間……。

 

 

「きっと性格の良さが表れているんだろうね、ヒメの笑顔はとっても素敵で太陽みたいに眩しくて……見ているだけでこっちも笑顔になって……」

 

「佐藤くん、ストップ! ストップ! もう大丈夫、大丈夫だから!☆」

 

 

 ヤバイ、このままじゃ佐藤くんの朗読会で王様ゲームが終わる……!

 これは不味いと思った私は、佐藤くんを止めようと何度も声をかけたが、佐藤くんは全然止まらない。

 

 困った私はヒナちゃんを頼った。

 

 

「ヒナちゃん! 佐藤くんを止めて!」

 

「うん、いいよ~……デュクシ!」

 

「ぅぐはあ!」

 

 

 ヒナちゃんが小学生みたいな擬音とともに、佐藤くんの脇腹をつついた。

 たまらず佐藤くんはマシンガントークを止める。ようやくこちらの世界に戻ってきた。

 ふ~、一件落着☆

 

 見かけによらず、佐藤くんもなかなかにヤバいオタクだったようだ。

 今度から二人の話題を出すときは気をつけないと。

 

 

 佐藤くんの無限語り編が停止したので一息ついていると、思わぬところで高橋ちゃんが爆弾を落とした。

 

 

「いや~、凄かったね! ヒメちゃんはデレデレしてたし、佐藤くんはすっごい惚気てたし……もしかして、ヒメちゃんと佐藤くんって付き合ってるの?」

 

 

 ど真ん中ストレートいった~~!!

 高橋ちゃんの発言で、場の空気が一瞬止まる。

 

 あまりにストレートすぎて、私は驚きと同時に一抹の不安を覚えたが、今日の私は冴えていた。

 ……これは高橋ちゃん、ナイスなのでは?  

 だって、これでもし佐藤くんが恥ずかしがったり照れてたりしていたら、少なくともヒメちゃんのことを異性として見ていることになるのでは……? つまり、脈ありになるのでは……?☆

 高橋ちゃんの切り込みに希望の光を見た。

 

 そうと決まれば話は早い。

 私は期待を込めて、佐藤くんの様子を窺った。

 どうだ……!?

 

 

「……あはは、僕なんかがヒメと? それはないよ笑」

 

 

 苦笑交じりで、何事もなかったかのように佐藤くんは軽く否定した。

 Oh……☆

 

 

「……ふんっ!」

 

「ぅぐはあ! なんでぇ!?」

 

 

 佐藤くんの物言いが気に障ったようで、頬っぺたを膨らませたヒメちゃんは佐藤くんの脇腹に肘を刺した。

 うーん、今のは佐藤くんフォローできないかな……。

 佐藤くんって、女子力はあるのに女心は分かってないっぽい。朴念仁っぷりはなかなか手ごわそうだ。

 

 

 一回目からひと悶着あった王様ゲームだが、気を取り直して二回目もやっていく。

 

 

「王様だ~れだ☆ ……ってウチだ!」

 

「おぉ~、ナベちゃんだ!」

 

 

 今回の王様は私だった。きちゃ!☆

 

 王様になったので、どんな命令にしようかと頭を巡らせる。。

 むむむ、正攻法で二人をくっつけるのはさっきの結果から考えて難しそうだし、ここは一気に距離をつめて佐藤くんに気づいてもらうのがベターかなぁ……。

 

 ちらりと二人の方を見る。

 二人とも男女で隣の席だというのに、まるでそれが当然かとばかりに自然体だ。

 だとすれば、ここはシチュエーションで空気を変えていくべきだろか。

 二人の数字が分からないため決め打ちになるが、せっかくのチャンスなので背に腹変えられない!

 

 

「じゃあ……1番が3番に壁ドンする、でいこう!☆」

 

「か、壁ドン……!」

 

 

 私の命令を聞いて真っ先にヒメちゃんが反応した。やった、ビンゴ!

 もう一人は誰だ……?

 

 

「ヒメが3番だけど……」

 

「はーい、1番がヒナで~す!」

 

 

 惜しい。ニアピンだったようだ。

 まだまだこれからチャンスはあるし、その機会を狙っていこう。

 ……ん? ヒメちゃんとヒナちゃんの壁ドン?(騒ぐオタクの勘)

 

 

「それじゃあいくよ~」

 

「わわっ、ヒナってば大胆だなぁ……」

 

 

 そう言うと、ヒナちゃんはヒメちゃんの背もたれにドサッと手を置き、目の前のヒメちゃんを真っすぐに見据えた。

 壁ドンされたヒメちゃんはヒナちゃんを茶化しながらも、少し恥ずかしそうにしている。

 

 と、尊い……!!!!!

 えっ、無料で見れていいのこれ? お金とかいらないの???

 あっ(尊死)

 

 

「壁ドンって言えば、こんなのもあるよね」

 

「ちょっ、ヒナ……!」

 

 

 そしてヒナちゃんは指先でヒメちゃんの顎を引き上げ、艶やかな目でヒメちゃんを見た。

 それから伸ばしていた肘を曲げて壁に付けて、一層距離を縮める。

 顎クイ! 推しの顎クイ! ヤバい! 私死ぬ! 死にます! あっ。

 

 まさかのヒナちゃんからのサービス顎クイに、私は声にならない悲鳴を上げる。佐藤くんに至ってはにこやかな笑顔で拍手していた。

 高橋ちゃんは「百合ってやつ……?」とちょっと頬を赤らめていた。百合はいいぞ高橋ちゃん。

 

 顎クイされたヒメちゃんはほんの少し照れながらも、ヒナちゃんの目を見て言葉を返す。

 

 

「ヒナ、いつの間にこんなの覚えたの?」

 

「……BL?」

 

 

 そっちだったかぁ……。

 

 

 そうして二回目の王様ゲームは終わった。

 当初の計画通りにはいかなかったが、とてもとても眼福なものが見れたので私は大満足☆

 

 続いて三回目。

 

 

「王様だ~れだ!☆」

 

「あ、ヒメだ!」

 

 

 三回目の王様はヒメちゃんだった。

 

 

「よーし、さっきは恥ずかしい目に合ったし、今度はみんなにも恥ずかしいことさせちゃうぞー!」 

 

 

 そういえばヒメちゃんは一回目、二回目と連続ヒットである。

 果たしてどんな命令だろう?

 

 

「命令は~、三番さんは四番さんに膝枕~!」

 

「三番は僕だよ」

 

「四番は……ウチだ」

 

 

 ヒメちゃんの命令は膝枕、そして該当者は佐藤くんと私だった。

 

 あちゃ~、とうとう私も当たっちゃったか~☆

 まあ他の男子なら抵抗あるけど、膝枕するのは女の子みたいに可愛い佐藤くんだし、私的にはむしろ役得? ってか全然OK?☆

 

 私は背が高いので、佐藤くんの膝(膝枕ってなんで太ももなのに膝なんだろ)に頭を合わせられるように高橋ちゃんに少しスペースを空けてもらう。

 

 そういえば佐藤くんも男の子だし、ヒメちゃんには照れなかったけど(謎)私とか普通の女の子にはドキドキするのかな?

 佐藤くんの方を見ると、彼はいつもの優しい笑顔で私を見て、ぽんぽんと自分の太ももを撫でた。

 

 

「ギャル子さん、どうぞ」

 

「あ、はい……」

 

 

 なぜか一瞬佐藤くんが聖母に見えた。

 佐藤くんの包み込むような優しい雰囲気に呑まれて、私はなぜか敬語が出てしまう。

 ぎこちなくなった私は言われるがままに、佐藤くんの太ももの上に頭を乗せた。あっ、柔らかい……。

 頭の上から佐藤くんの落ち着いた声が聞こえる。

 

 

「ふふっ。ヒナにいつもしてるからか、他の人にやるのは新鮮だなぁ」

 

 

 そう言うと佐藤くんは私の頭を撫でた。

 えっ、そういうオプション付き!? 無料で!?

 セットが崩れないように繊細な手つきで頭を撫でられ、気恥ずかしさがありつつもどこか気持ちいい。

 

 やばい……! 佐藤くん、バブみが強い……!

 

 目線を前から上に向ければ、下から覗いた佐藤くんの顔が見えた。

 佐藤くんが俯いているおかげで、いつもは前髪で隠している目元がばっちりと見える。見ていると吸い込まれそうなくらいに綺麗だった。

 うわっ、まつげ長っ! 肌きめ細かっ! ヤバっ……!

 

 佐藤くんの顔にぼーっと見惚れていると、彼のぷるぷるのピンク色の唇がそっと開いた。

 

 

「ギャル子さん。いつも仲良くしてくれて、ありがとう」

 

 

 そう言って佐藤くんは、花が咲いたみたいに笑った。

 

 ~~~~~~~っっ!!!!!

 兵器……! これはもう、笑顔で人を殺すタイプの兵器だ……!

 

 私が一人悶えていると、ヒメちゃんたちの声が聞こえた。

 

 

「あ~、ナベちゃん照れてる~」

 

「顔真っ赤だね~」

 

 

 ヒメヒナちゃん二人が私を覗き込み、私の視界に佐藤くんを含めた三人の顔が写った。

 視界一杯の美少女……!! ここがエデン……!!

 

 脳内の画像フォルダに焼き付くまで、私は心の中でその光景を何度も連写した。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 林間学校の到着までもう直ぐだというアナウンスが流れ、僕たちは王様ゲームをやめた。

 

 途中、膝枕でギャル子さんが気絶するハプニングが起こったが、その後何事もなかったかのように復活して口元の涎を拭いていたので安心した。いきなり寝るなんて疲れてたのかな。

 初めてやる王様ゲームだったが、ヒメとヒナはとても楽しんでいたし、僕も楽しかったのでギャル子さんには感謝である。

 

 

 アナウンス通り、バスはすぐに林間学校に到着した。

 

 バスを降りると、森の中で感じるあの独特な木の香りがした。

 森の緑色や木陰の涼しさとも相まって、なんともいえない清々しさも感じられる。

 山の空気が美味しいので、ヒナが両手を広げて深呼吸している。

 

 

「すぅ~、はぁ~。空気が美味しいね、ヒメ」

 

「うん! 森林浴ってリラックスできるね~」

 

 

 ヒメの言う通り、こうして穏やかな自然に触れ合うのはとてもリフレッシュできそうだ。

 

 この林間学校で、僕も日々の精神的な疲れを癒せたらいいなと思う(フラグ)



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