「彼」のおしごと! (ヒロテツ)
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第一局 始まり

俺は九頭竜八一、プロの将棋棋士だ。

しかも、ただのプロ棋士ではない。

史上四人目の中学生棋士であり、さらに将棋界の最高タイトル、竜王の座に史上最年少の十六歳でついているプロ棋士なのだ。

 

なのだが…

 

「これで竜王奪取後十一連敗かぁ…」

俺は千駄ヶ谷の将棋会館からほど近い公園のベンチに座りながらため息をついていた。

スマホから見るネットの掲示板では、「三割竜王」「最近つまらない将棋ばかりだ」「賞金が高い竜王戦にだけリソースを割くクズ」といった俺に対する批判の言葉が並んでいた。

 

その画面を逃げるように閉じて、将棋のニュースがまとまっているサイトを開く。

「神鍋歩夢六段、今期勝率一位達成!」「空銀子女流二冠また勝利!対女流棋士連勝記録はどこまで続くのか?」「攻める大天使、圧倒的攻めでタイトル防衛に王手」

などなど、俺の知り合いの活躍が大きく取り上げられている。それがより一層、俺の気分を沈ませていた。

 

そして…

「『名人』永世七冠へ向け好発進!」

そんな記事も目に入ってくる。「名人」とは、もちろん名人のタイトルを持つ人のことを指すのだが、今の名人はあまりにも在籍期間が長く、もはやこの人自身の代名詞になっていると言っても過言ではない。…全盛期には、不可能と言われていた七冠を達成し、多くの人に注目されている将棋界のレジェンドその人だ。

 

だが、それ以上に俺が一番注目したのは…

「史上五人目の中学生棋士、デビューから二十二連勝を達成!!飛ぶ鳥を落とす勢いの中学生は、最高記録二十八連勝に追い付くか?」

という記事だ。

この棋士はつい最近、俺の次の中学生棋士としてデビューしたのだが、いまや、全てのプロ棋士や将棋ファン…いや、日本全国で最も注目を集めていると言っても過言ではない存在だ。もはや連盟内では、「彼」と言うだけで誰の話なのか通じてしまう。

 

しかし、実は十連勝くらいまではそこまで注目されていた訳ではなかった。

中学生棋士の中で最年少だったことでデビュー時に報じられこそしたものの、続報はほとんどなかったし、連勝について知っているプロ棋士の中でも、あんまりという感じだった。

何故なら、デビューしたての新四段は、魔の三段リーグを抜けてきた精鋭であるうえ、棋戦で当たる相手も下位者ばかり。

そのため、デビュー直後の勝率が八割はあって当たり前とされているからだ。

 

だが六段の棋士相手に()()()()()()()二十連勝を達成した頃に空気は変わり、二十二連勝を達成した今、「彼」が一勝を挙げるごとにニュースで報じられるまでになった。

いよいよプロ棋士の中でも、今後当たる人を中心に、「彼」に対する研究対策をする者も現れ始めたほどだ。

さらに、「彼」は局後のインタビューの対応もしっかりしていて、その謙虚な性格や「僥倖」「望外」といった知的な言い回しで、将棋を知らない一般の人からも人気を集め始めている。

 

俺が「彼」に注目しているのは、その目覚ましいまでの活躍を、最近不甲斐ない俺と比べて意識してしまっているから。…だけではなく、今後、対局相手として対策を練らねばならないかもしれないからだ。

 

ただ、将棋はどれだけ強い人でも連勝し続けるのは難しい。勝てば勝つほど強い相手と当たるし、人間である以上、疲れや体調、勘違いや見落としなどの要素が絡んでくる。

恐らく、この連勝による騒ぎもせいぜいあと一・二回くらいだろう。もし続いたとしても、シードがほとんどの俺との対局がすぐ組まれるような状況にはない。

 

「まあ、いずれにせよデビューの勢いもあるんだし、実力を見るとしたらもう少し待たないとだな。…そんなに慌てる必要はないか。」

 

そう、この頃にはまだ、その程度にしか思っていなかったのだ…。

 




このような拙文をお読みいただきありがとうございました。
初投稿ですので、色々至らぬ点はあると思いますが(いきなり投稿設定を一日間違えるという…)、誤字脱字以外は大目に見ていただければと思います。

「りゅうおうのおしごと!」は全巻読破しております。本当に熱い作品で、素晴らしい先駆者の皆様もいる中、二次創作作品を自分なんかが書けるのか、とも思いますが、精進していきたいと思います。

さて、「彼」についてですが、基本、原作の「名人」とほぼ同じ扱いのオリキャラになります。その名前や容姿については明かさず、また八一や原作キャラからの視点からのみ「彼」を描いていきます。(そうでないと色々問題がありますゆえ…。)

今回はプロローグ的な話でしたが、今後は八一以外のキャラクターも登場していきます。失踪しないよう頑張りますので、応援していただけると嬉しいです。


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第二局 初対局

家に帰ったら知らないJSがいた。そんなことから始まった一連の騒動で、俺は雛鶴あいという少女を内弟子にすることになった。

言っておいて自分でもよく分からない経緯だが、実際なっているのだからしょうがない。

ちなみに内弟子とは、師匠と弟子が同じ家に住むということで、現在ではめっきり減っている形だ。

 

そうなって以来、何故か前にもまして冷たく暴力的になった姉弟子、空銀子女流二冠。

今日はVSの約束があり、こうして俺のアパートに訪れている。

あいと姉弟子の仲は良くないみたいなので、あいが研修会で将棋会館に行っている今日にVSを設定した。

 

中盤の山場を指しながら、話は将棋界の近況に移る。

「『彼』の連勝、止まったみたいね。」

「…ええ。プロ棋士最多連勝記録を更新する二十九連勝で。テレビでもかなり話題を呼びましたね。…まあ、姉弟子の連勝記録には届きませんが。」

「…私の連勝と『彼』の連勝の違いくらい分かっているでしょ?」

「それはそうですけど…。」

 

姉弟子も「彼」以上のデビュー以来の連勝をし続けているのだが、それはあくまで女流棋士の中での話。「棋士」と「女流棋士」は棋力に圧倒的な差がある。

現に女流棋士に無敗の姉弟子ですら、奨励会では三段リーグに入ることすらできていないのだ。

だから「彼」の連勝は、姉弟子のそれより大きな価値があることは、将棋界の常識なのである。

 

「それより、非公式戦で『彼』との対局決まったんでしょ?対策はしてるの?」

「いえ…。でも、公式戦の方が忙しいですし、この前歩夢に勝って以来調子は取り戻しているので問題ないかなと。」

そう、しばらく組まれないと思っていた「彼」との対局。それが、インターネットテレビ局の企画で案外すぐに訪れてしまったのだ。

内容は、「彼」とトップ棋士七人が対決するというもの。

対戦相手として選ばれたのは、神鍋六段、山刀伐八段、篠窪棋帝、生石玉将、俺、月光会長、そして「名人」。

正直無謀だと思う。全敗…よくて一勝。それが大方の棋士の予想だった。

 

「そう…。それならいいけど、簡単に負けないでよ。」

「肝に命じておきます。」

こんな話をしながら、俺たちは数時間将棋を指していった。

 

 

「負けました。」

「ありがとうございました。」

俺は、目の前の中学生に向かって頭を下げていた。

完敗だった。

ほとんど対策をしていなかったとか、三段リーグに近い持ち時間で、向こうの方が感覚を掴みやすかったとかの不利な理由はあるが、それでも勝てる相手だと思っていた。

自分も中学生棋士で、才能が同じくらいだろうから経験で勝てる、と。だがそれは甘かった。

口数の少ない「彼」と感想戦を軽く済ませながら、俺は後悔し続けていた。

 

「師匠、大丈夫ですか…?」

家に帰るとあいが出迎えてくれた。収録対局ではあるが、将棋関係者の間では結果はすぐに伝わってしまう。

「ああ、大丈夫。非公式戦で対策してなかったせいだからさ。次は勝つよ。」

「それなら良かったです!あ、ご飯用意してありますよ!お風呂もすぐに湧きます!」

あいは俺の返事を聞くと、子猫のような笑顔を浮かべてそう言った。

実際には複雑な思いがあるが、かわいい弟子に心配はかけたくない。あいの用意してくれたご飯とお風呂を済ませ、その日はすぐに寝た。

 

結果として、「彼」はこの七番勝負で六勝一敗。特別に対策していた篠窪棋帝以外の全員に勝利した。俺はもちろん、あの月光会長や「名人」にさえ勝ったのだ。

 

将棋界には大きな衝撃が走った。「彼」の連勝は下位棋士と当たっているからという理由ではない。非公式戦とはいえ、本当の実力をもっているのだと、はっきりと示されたのだ。

 

俺たちプロ棋士は、「彼」への対策を余儀なくされつつあった。

 




原作のイベントとできるだけ絡めたいのですが、女流棋士周りはどうしても難しいですね…。


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第三局 詰将棋

「性能の良いマシンと聞いて、車を想像してたらジェット機が出てきた気分や。」

とは、俺の師匠、清滝鋼介九段の言葉で、メディアにも広く取り上げられた。

公式戦二十九連勝という記録を残した後、さらにトップ棋士たちを次々と倒していった「彼」をメディアが放っておくはずはなく、俺たち棋士が「彼」に関する取材を受けることも増えてきている。

「彼」に敗北を喫した「名人」も早い段階から桂馬を利用した積極的な攻めの印象とともに、一際目立つ終盤力について語った。

 

終盤。実はここが強い棋士はあまり多くない。

何故なら現代将棋は、ソフトや研究会の研究によって序中盤に優位を作り、そのリードをもって終盤を押し切るというのが基本の考え方になっているからだ。

ゆえに、終盤の勉強とも言える詰将棋に対して意味がないと言い切る棋士もいる。

それでも、俺は詰将棋には意味があると思っている。「詰み」のパターンを体得し、相手より早く勝ちに向かえるようになるからだ。

 

俺の弟子、あいも終盤の天才だ。あの将棋図巧を小三にして全部解いてしまうほどである。ちなみに「彼」も図巧・無双を小四で解き終えたという。プロでも解けない人がいるのに、驚異的としか言いようがない。

 

今日も、俺とあいは朝から詰将棋を解く競争をしていた。

最後の複雑な問題で見事打ち歩詰めを回避したあいは、ご満悦といった笑みを浮かべている。

「こういうの見ると、自分でも詰将棋を作ってみたくなります!」

「分かる分かる。でも、将棋の修行中に詰将棋創作はオススメしないな。」

「どうしてです?」

「作り始めると時間がどれだけあっても足りなくなるからだよ。『彼』ですら、詰将棋創作を控えているくらいなんだから。」

 

実は、元々「彼」は指し将棋よりも詰将棋の方で名を馳せていたのだ。あいと同じ九歳で詰将棋を投稿し、月光賞を受賞している。

九歳としてはあり得ないレベルの作品であり、その頃から一部では注目されていた。

その後も何作か制作していたが、月光聖一会長が「彼」の師匠を通じ、「詰将棋創作は控えた方がいい」と異例の助言をしたのだ。

詰将棋作りには独特の魅力があって、そちらにハマってしまうと指し将棋がおろそかになってしまう。自身も詰将棋作家として有名な月光会長の助言だけに、大きな意味合いを持つものだった。

 

「それに、実戦で詰将棋みたいな綺麗な詰み筋が発生した事あるか?」

「えーと…『彼』の将棋で、歩の合駒請求含みで駒一つも余らない綺麗な逆転詰みがあった気が…」

 

どうやら「彼」は将棋界のあらゆる常識を破壊するつもりのようだ。弟子の教育に支障があるのでできればやめていただきたい。

 

「…その一局以外であるか?」

「…ないです。」

「ま、まあ、つまり多少の例外はあれど、ほとんどのケースで綺麗な詰みは発生しないから、そこばかりを突き詰めてもしょうがないんだ。指し将棋と詰将棋のバランスが大事になってくるわけだな。」

「なるほど!分かりました!」

 

それにしても、詰将棋は一人でも解けるからいいとして、指し将棋にあいのちょうどいい相手がいないのが気にかかるな。俺では指導になってしまうし、あいの友人であるJS研のメンバーでは弱すぎる。どうにかならないものだろうか。

 

…月光会長からの呼び出しを受けたのは、その数日後のことだった。




一挙放送途中に投稿していくという…。


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第四局 ライバルと師弟とパートナー

リアルが忙しく、大変お待たせいたしました…。


「弟子を取っていただきたいのです。」

呼び出しを受け将棋会館に向かった俺に対して、月光会長は唐突にこんなことを言い放った。

「九歳の女の子です。竜王ならお好きなのではないでしょうか。」

「いやいや、ちょ、ちょっと待ってください!どうして俺…いや私なんですか!?もっと経験豊富な人か、同じような年齢なら『彼』のようなしっかりしてる人の方が…。」

「先方の希望です。『弟子入りするなら現役A級棋士かタイトル保持者でないとイヤだ』と。『彼』は今のところ条件を満たしていません。」

「そんな無茶苦茶な話が…。」

「確かにあまり類を見ない条件ではありますが、先方は長く将棋界に援助をくださっている実業家の孫娘です。無下にするわけにはいきません。」

「…それなら、生石玉将とかはどうですか?」

「玉将や『名人』も考えてはみましたが、あの人たちは弟子を取らない主義ですから。それに、竜王は最近同じくらいの小学生の弟子をお取りになったのでしょう?」

「いや、だからこそ余裕がないというか…。」

「週に一度か二度、二時間程度教えるだけで良いのです。あまり難しく考えないでください。とりあえず、一度だけ先方に伺ってみてからお考えいただくのはどうでしょうか。」

 

そんな会話をきっかけに、俺はもう一人の弟子…夜叉神天衣を迎え入れることになった。最初は、会長が師匠になる方が相応しいと思って会長に弟子入りさせたのだが、師匠が俺を会長の弟子にしようとした話を聞いたり、あいとの対戦の様子を見たりした結果、どうしても弟子にしたくなったので、会長との対局に勝利して彼女を取り戻したのだ。

それ以来、あいと天衣は、同世代かつ同程度の棋力のライバルとして、お互い切磋琢磨し続けている。

「天ちゃんには負けたくないんです!」

「あいつには負けたくないわね。」

そんな言葉を漏らしながら勉強する弟子を見る度、やっぱり天衣を弟子に取って正解だったと実感する。

 

 

そんなある日、俺が関西将棋会館の棋士室で、対局の検討をしている時だった。ふいに、横から話しかけられた。

「九頭竜先生、こんにちは。」

「ああ、こんにちは。お疲れ様です。」

「ご一緒させてもらってもよろしいですかね?」

「ええ、構いませんよ。」

話かけてきたのは「彼」の師匠だった。棋士同士が棋士室で会話や検討を行うのは別に珍しいことではないが、それは一門や研究パートナーなどで固まっていることが多いので、余り関わりのない「彼」の師匠から話しかけられるのは少し意外だった。

対局の検討をしながら、将棋界の最近の話題を話す。タイトル戦の予選の勝敗や、順位戦の進行状況などが主だ。そんな中で、その話は切り出された。

「そういえば、竜王は弟子をお二人も取られたとか。」

「ええ、そうですが…。いや、別に変な趣味があるとかいう訳では…。」

「いやいや、そういう話をしたいのではないんですよ。むしろ、その噂を払拭できる話かもしれません。」

「…というと?」

「うちの弟子の師匠になる気はありませんか?」

 

…息を飲んだ。

 

「…どうして急にそんなことを?」

「あの立派な弟子は、近い将来タイトル戦に出るようになるでしょう。その時、自分より、若くしてタイトルを獲得された九頭竜先生の方がそれをサポートするのにふさわしいのではないかと…。」

これは、俺の師匠から聞いた俺の話と全く同じだった。…だから、俺はそれを否定する。

「いいえ、『彼』はあなたに弟子入りしたんです。他の人を師匠にするという選択もできたのにそれを選んだ。それ以上に師匠としてふさわしい人物なんているはずがありませんよ。…自分も自分の師匠が清滝鋼介九段だからここまでこれたんだと思います。」

それを聞いた「彼」の師匠はハッとした顔をすると、「失礼しました。今日はこれで帰らせて頂きます。」と言って棋士室を去った。

 

 

「へえ、そんなことがあったの。」

数日後、姉弟子とのVS中に、「彼」の師匠との会話の話になった。

「ええ、なんというか、『彼』の師匠もそんなことを考えるんだなぁって思いましたよ。…うちの師匠も『彼』の師匠も、決して自信がなくて内気なわけでも、将棋が弱いわけでもないのに、どうしてそんなことを思うんでしょうかね…。」

何気なく出た問いだった。でも、姉弟子はそれに、まるで中盤の難所の検討をしているかのような真剣な声で答えてきた。

「…圧倒的な才能は時に周りの人間を狂わせるの。その才能に対峙したとき、人は様々な反応をする。才能の差を感じて絶望する人、憧れを抱く人、利用しようとする人、挑もうとする人…好きになる人

最後はよく聞こえなかったが、姉弟子はどうやら俺のせいなんだと言いたいらしい。

「俺がそんなに他の人に影響するなんて思いませんけどね…。」

「そう、自覚はないのね。」

「え、えぇ…。だって、俺が周りの人に影響するなら、姉弟子だってもっと変わってるはずじゃないですか…。冷たくて暴力的な性格も、将棋が強いのも、体つきまで何一つ変わってな…」

「死ね!クズ!頓死しろ!」

「ちょ、ちょっと、姉弟子!盤外のVSはお断りですって!」

この日の姉弟子とのVSはこれでお開きとなった。

 

 

「それは、麗しき白雪姫の心を傷つけてしまったのだ、悪しきドラゲキンよ!」

「はいはい、まあいつものことだし、俺から謝ることにするよ。」

「それが良いだろう。」

姉弟子とのVSから更に一週間後、俺は神鍋歩夢六段と研究会を開いていた。歩夢とは小さい時から将棋を指しているライバルでもありながら、同時に研究パートナーでもあるという関係だ。

将棋界の棋士達は本来敵同士。と言っても、将棋を一人で考えるのは行き詰まってしまうので、一門などの仲の良い棋士とは一緒に研究をする。現代将棋は、研究に乗り遅れると、一気に負けるしかなくなる恐ろしい世界になっているのだ。

まあ、中にはコンピューターと研究をして対人での研究はしないという棋士もいるが、それは少数派だ。

「…ドラゲキン、山刀伐八段に負けが込んでいるそうだな。」

「ああ、そうなんだ…。」

山刀伐尽八段は、今俺が一度も勝てたことのない相手だ。居飛車、振り飛車、角換わり…ありとあらゆる戦形を指しこなすオールラウンダーで、あの「名人」の研究パートナー。

俺がプロ入りしてから初の対局の相手で、大敗して将棋会館から海まで走るというエピソードを作らされた因縁の相手でもある。

…それにしてもこのエピソード、プロ入り初対局で、引退直前の初の中学生プロ棋士を相手に見事勝利し、そこから二十九連勝を達成した「彼」とは雲泥の差の話だよな…。

「奴は名人の研究パートナーにしてオールラウンダーだ。生半可なことをすれば討ち取られるぞ、ドラゲキンよ。」

「ああ、だからこうして歩夢と対策を練ろうとしているんじゃないか。…やっぱり研究パートナーがいるってのは大事だな、いつもありがとう歩夢。」

「いや、こちらこそ…。」

歩夢は中二病風な振る舞いをしているが、妙なところで素直だ。少し照れているのがはっきりと分かる。

「そ、そういえばドラゲキン。『彼』と篠窪棋帝が研究会を頻繁に行っているという話は聞いたか?」

照れ隠しのつもりで出した何気ない話題だったんだろう。でも、それを聞いて俺は驚いてしまった。

「え、そうなのか!?それ、いつからなんだよ。」

「確か例の七番勝負の後からだ。恐らく、唯一勝った篠窪棋帝は『彼』の興味を惹いたのだろう。」

「マジか…初耳だぜ…。」

「それ以来『彼』はもちろんのこと、篠窪棋帝もかなり調子を上げられている。果たして『名人』との棋帝戦がどうなることか…。」

「確かに篠窪さんが最近調子良いのは知ってたけど、そんな事情があったなんてなぁ…。」

「うむ。我らもうかうかとしてはいられないのだ、ドラゲキン。」

「だな。本格的な検討に入ろうぜ、歩夢。…さっきの6五歩はやっぱり駄目だったな。」

「その通りだ!あのタイミングでの突き捨ては敵陣より自陣の方が傷になってしまった。もっと早く突くかむしろもう数手進んだ局面の方が効果的だ。」

「だよなぁ…やっぱり手順前後か。あと、ここの4八馬が…」

…こうして、歩夢との研究会は進んでいく。

この日は、特に深くまで対策を練ることができた。

 

ライバル、師弟、そしてパートナー。

―将棋界の三つの関係は、強くなる上で欠かせないものなのだ。




ちょっと詰め込み過ぎてまとめきれていない気がしなくもない…。あと、歩夢の口調が難しかったです。


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番外編 ▲4一銀

書かずにはいられませんでした。
第五局も現在鋭意執筆中ですので、今しばらくお待ちください。


3月23日。その日、歩夢と「彼」との竜王戦ランキング戦が組まれていた。

俺は特に用事もなかったので、棋士室で他の棋士とその対局の検討をすることにした。

 

棋士室に行くと、見知った顔がいた。

「あ、生石さん、どうも。」

「よう竜王、久しぶりだな。」

生石玉将、生粋の振り飛車党で、玉将のタイトルホルダーだ。「ゴキゲンの湯」という銭湯も開いていて、大人のハードボイルドな男性でもある。

生石さんと会話をしていると、午前10時になり、対局が始まった。

振り駒の結果、先手は「彼」、後手は歩夢に決まった。

しばらく進むと、戦型は歩夢が得意とし、「彼」が苦手と言われている横歩取りになった。

内心面白い対局になりそうだと思う。

 

その後は歩夢の以前の対局の前例をなぞって推移していく。途中、「彼」は金取りになるよう、▲2五歩と歩を打った。

その瞬間、歩夢の空気が変わる。

金を避けずに、△3六歩とついて桂取りにした。

 

「こりゃ研究局面か?」

生石玉将が聞いてくる。

「ええ、そのようです。前例では歩夢は負けてますし、恐らく研究は相当してきたと思いますよ。」

「だろうな、気迫を感じるぜ。」

この局面で、「彼」は長考に沈んだ。金を逃げる筋を本線にしていたようだ。

数手も進めば、俺にとっては後手有利と思える局面が仕上がっていた。

棋士室ではインターネットテレビ局の配信も同時に放映していたが、やはり解説もAIも後手有利を言っていた。

「こりゃあ天下の『彼』も今回ばかりはきつそうだな。」

「そうでしょうね。とは言え、まだ難しい局面ではありますが…。」

…だが、そこから俺たちは恐ろしいものを見ることになることを、この時は予想すらしなかった。

 

歩夢の主張が通り、歩夢は△2八歩と打った。これを▲同飛とすると、△3六桂が飛車銀両取りになる。

「▲3九飛だろうな。」

「いや、それも△3七歩が中々厳しいですね…。かと言って別の手もないし…。」

だが、「彼」は▲同飛と取った。

「なるほど、△3六桂には▲2五飛として、諸々の手順のあと、▲3六飛で銀を外すのが狙いか。」

「かなり難解ですね…。」

この後は棋士室や解説、そしてAIの予想通りに、歩夢が△4四角と飛車取りに打った所まで進む。ここではさっきの通り、▲3六飛と銀を外す手順が予想されていた。

 

…しかし、「彼」は違った。▲3四飛と上がったのだ。

「な、銀を外さないだと!?」

「そんな手が…!?」

そして、ここで不思議なことが起きた。

ここまでAIは44:56で歩夢が有利としていたのだが、▲3四飛に対する()()()()()()()突如AIの数値が64:36で「彼」の有利へと跳ね上がったのだ。

「お、おい何だよこれ…。夢でも見てるのか?」

生石玉将が驚くのも無理はない。AIの数値が難しい局面で変動することはあるが、それは大体()()()()()()()傾くものだ。

歩夢も何かに気づいたようで、苦悶の表情を浮かべて長考に入る。

「ここまでの手順は、俺たちの検討はもちろん、AIでも最善にしているものだったはずだろ?」

「え、ええ。歩夢は△2八歩以降、ずっとAIの最善手を指していました。」

「ならどうしてこうなったんだ、どうしてだ…?」

…俺は、何も答えることができなかった。

 

そこから歩夢は夕食休憩を挟んで考え続け、何とか攻め合いの手順を選んだ。

しかし、「彼」は間違えない。着実に歩夢は追い詰められていった。

そして、その時は訪れた。後手の角が成り込む代わりに、先手は後手の飛車をただで取れる局面が現れたのだ。

「ここは▲8四飛と飛車を取る一手だな。」

「ええ、ただでさえ先手は駒損ですし、変な手を指せば逆に飛車を取られてはっきり負けですから。」

しかし、目の前の放送のAIには驚くべき手が表示されていた。

「▲4一銀だって!?」

「はは、そんな馬鹿な。先手は駒損ですよ?確かに壁形は作れますが、銀をただで渡して攻めきれる保証はありません。」

「まあしかし、確かに▲8四飛はその先難解だ。▲4一銀で決まってるなら話は早いが…。」

「人間の実戦で選べる手ではないでしょうね。流石に▲8四飛でしょう。」

「だが、ここの局面で考えこんでいるのは不気味だな。」

 

そして、約一時間の考慮後…「彼」の手は駒台に伸びた。

▲4一銀

それが指された瞬間、棋士室は一瞬静まり返り、そして驚愕に包まれた。

「こいつは本当に人間なのか?」

生石玉将が火の消えた煙草を咥えながら呆然と漏らしたその言葉は、やけに耳に残っている。

 

その後、「彼」はそのまま歩夢を押し切って勝利した。

メディアや将棋ファンはこぞって▲4一銀を話題にした。神の一手として。

確かに▲4一銀はすごかった。俺には指せなかった手であることは事実だ。

でも、俺はそれ以上に、A()I()()()()()()()()後手有利とした局面から後手がA()I()()()()()()()()()()()()、「彼」に形勢が傾いていったのを、何よりも恐ろしく感じた。

 

どうやったら今後「彼」に勝てるのか。その問題が全棋士に突きつけられ、さらにその解決の糸口が見えなくなった一日だった。



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第五局 将棋星人

大変お待たせいたしました。
この作品の更新が滞りがちな理由に関しては以前より説明している通りですのでご容赦ください。
ただ、りゅうおうのおしごと15巻が発売されることも含め、今日という日に投稿できたことは良かったです。


ゴキゲンの湯。タイトルホルダーである振り飛車党、生石玉将が開いている銭湯だ。そこで俺はこう切り出した。

「…生石さん!」

「ん?」

「お願いがあります。…俺に振り飛車を教えてくださいッ!!」

「ええ!?師匠、振り飛車党になっちゃうんですか!?」

一緒に連れてきたあいが驚くのも無理はない。俺は師匠の影響もあって生粋の居飛車党で、公式戦はおろか、子供の頃から居飛車ばかりを指してきたからだ。

 

ちなみに、同じ中学生棋士である「彼」も居飛車党。プロデビューしてからの対局では公式非公式を問わず居飛車しか指したことがない。後手番の時の二手目は必ず飛車先の歩を突く8四歩だ。

8四歩は「王者の手」とも言われる、「そちらの戦法何でも受けます」という意味合いを持つ手で、不利とされる後手番率が不思議と高い「彼」は、それでなお勝ち続けているのがまた恐ろしいポイントなのである。

 

「まあ、必ずしも振り飛車党になるということじゃない。色々な局面を経験することで、どんな局面にも対応できるオールラウンダーになりたいんだ。」

「…なるほど。」

「あと、あいが研修会で勝つにも必要なことなんだぞ?」

「そうなんですか?」

「ああ、研修会で上手を持つようになると、香車を落とすことになるんだ。その時に飛車で端をカバーしてくる必要が出てくるからな。」

「なるほど!」

 

そういった意味では、「彼」も振り飛車を指したこと自体はあるはずだ。もしかしたら、「彼」と同じ名字の棋士が編み出した「システム」も使ったことがあるのかもしれない。

とはいえ、あくまで研修会や奨励会の話だから、俺自身も含め、それだけで振り飛車のセンスも持っているとは言い難い。

 

結局、俺とあいはゴキゲンの湯の手伝いをすることを条件に、生石玉将から振り飛車の手ほどきを受けることになった。

そんなある日、ふとしたことから、脳内将棋盤の話になった。

「生石玉将の脳内将棋盤はどんな感じなんです?」

「俺のは現実の盤とほぼ同じで、背景まで映るな。ただ、ところどころぼやけて全体は見えない。お前はどうだ?」

「同じくカラーですね。ただ、駒は黒い文字だけで、全体図と部分図を行き来する形です。あいはどうだ?」

「んーっと、詰将棋の図面と同じです。白黒で、小さいですけど全体が見えます。」

「脳内将棋盤といや、『彼』は脳内将棋盤持ってないらしいって話は聞いたか?」

「「えっ!?」」

脳内将棋盤は、棋士であれば誰でも持っているというのが通説である。詰将棋選手権を連覇し続けている『彼』なら、なおさら持っていそうなものだが…。

「じゃ、じゃあ…『彼』はどうやって読みをいれているんですか…?」

あいがおずおずと生石玉将に質問をする。

「インタビュー記事によれば、『対局中にどうやって思考しているかはよく分からない、詰将棋は読みだけだから盤は必要ない』とのことだ。」

「余計分からなくなっちゃいました…。」

「恐ろしい…としか言えませんね。『よく分からない』思考で勝率8割を達成しているといううことなんですか…。」

「まあ、正直どこまで本気で捉えていいのかはよくわからん。言語化しにくいことも世の中たくさんあるからな。『彼』の語彙力で言語化できないってのはなかなかだろうが。」

「ただ、少なくとも脳内将棋盤がないのが確かである可能性は高い…と。」

「そういうことだ。」

「「「…………。」」」

場に重たい空気が流れる。この後、あいの脳内将棋盤が6面あることが判明し、また驚愕することになるとは、この時の俺たちは想像もしていなかった。

 

時を同じくして、銀子と桂香も脳内将棋盤について話していた。

「桂香さんは脳内将棋盤、どういう風に見える?」

「…ぼんやりとは見えるわ。ただ、一手進めるごとにぼやけていっちゃうけど。」

「私もそんなところ。…脳内将棋盤の鮮明度は、自分が今どれだけ正確に読めるかのベンチマークになるの。つまり、将棋の才能の指標の一つと言える。」

「…。」

「…男性と女性だと、同じくらいの棋力でも感覚が違うと感じることがある。女流棋士やアマチュアは、駒の位置を見て、そこから読んで動きを確かめる。でも、若い男のプロや奨励会高段者は、読まなくても動きを掴むことができる。――感覚として駒の利きが見えている。」

「銀子ちゃん、それは一体どういう――」

「あいつらは将棋星人なの。」

「???」

「私たちは地球人。目で見て考えるしかない。でも、あいつらは目で見る以外の情報を盤面から得ている。だから、読みの速度と局面探索の深さが全く違う…というより、そもそも読んでいない。見るだけで分かるんだから。これを『極限まで』突き詰めるとどうなると思う?」

「……。」

桂香は、あまりのことに声を発することができない。

「…八一だって脳内将棋盤を使っている。それは昔聞いた。もちろん、それが私たちのものよりよっぽど鮮明であることは確かだけど。…悔しいことに、あの小童もね。でも、その感覚を極限まで突き詰めれば……『脳内将棋盤なんてものは必要なくなる』」

「…っ!」

「だってそうでしょう?駒の利きを感覚で捉えて読みを入れられるなら、むしろ脳内将棋盤をわざわざ描き出すのは脳のリソースの無駄遣いでしかない。」

「そ、そんな人が現実に存在しうるの…?」

「あるインタビューで、読みだけなら脳内将棋盤を使わないと公言した人物がいる。誰だと思う?」

「…『彼』?」

「正解。…感覚で読むことができる人を将棋星人と呼ぶなら、それを極めつくした人は何て呼べばいいんだと思う?」

銀子の問いかけは、窓から見える星空の中に消えていった。



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第六局 棋帝戦

お待たせしました。


棋帝戦「五」番勝負第「七」局。

そのネット中継解説に、俺は出演していた。

「皆様おはようございます。本日は、東京将棋会館で行われております棋帝戦第七局の模様を、終局まで完全生中継でお送りします。聞き手を務めさせていただきます女流棋士の鹿路庭珠代です。」

今回聞き手を務めてくれるのは、鹿路庭珠代女流二段だ。関東所属の二十歳で、華の女子大生。姉弟子の次に人気のある女流棋士といっても過言ではない人だ。

ただし、その異名は”研究会クラッシャー”。鹿路庭さんが参加した研究会は、なぜかどれも長続きしないのだという。

「本日の解説者をご紹介します。九頭竜八一竜王です。先生、どうぞよろしくお願いします。」

「よろしくお願いします。」

「早速ですが、対局者のプロフィールをご紹介させていただきます。本局では後手番となりました篠窪大志棋帝は現在二十三歳。昨年この棋帝戦で初タイトルを獲得し、関東若手棋士の中で一躍トップに躍り出ました。九頭竜先生はどのような印象をお持ちですか?」

鹿路庭さんの手慣れた進行はすごくやりやすいので助かる…なんてことを考えながら質問に答える。

「そうですね。ルックスもよくて将棋も強いという…まあ非の打ちどころがないですね。研究もしっかりとしている印象があります。」

「そうですね。例の七番勝負でも唯一『彼』に勝利したのが記憶に残っています。」

やはり、どうしても将棋界の話をするときに『彼』の話をしないというのは難しいようだ。

俺も前に歩夢から聞いた情報を話す。

「それ以来、『彼』と研究会もかなりの回数しているということで、最近メキメキと実力をあげていられますね。今回も、一回の千日手と二回の持将棋で、下馬評では篠窪棋帝のストレート負けだろうとも見られていたこの五番勝負を、第七局までもつれ込ませています。」

「恐らく初めての事態ですよね…?」

「そうですね、同じタイトル戦で持将棋二回というのはちょっと聞いたことがないので…」

「あの名人を相手にフルセットというだけでも最近は無かったと思うので…」

「本当に凄いことだと思います。両者の実力が拮抗しているからこそですね。」

「はい。ではここで今話に出ました、挑戦者の紹介ですが…」

ついに名人の紹介だ。

「まあ、説明不要でしょう。名人です。」

「はい。現在、『名人』『玉座』『盤王』の三冠を保持、棋帝も奪取となると、八大タイトルの半分、四冠を手中に収めることになります。」

「大きな勝負となりましたね。本局には注目です。」

「また持将棋でもう一局なんてことも…?」

「いやあ、流石にそれは勘弁してもらいたいですね(笑)」

 

そして午前十時、いよいよ対局は始まった。戦型は横歩取りに進む。

「九頭竜先生、こちらの戦型は予想していましたか?」

「そうですね、後手の篠窪棋帝の得意戦法ですので予想はしていました。名人は基本的に相手の得意を避けませんから。」

「鹿路庭さんは横歩取りは?」

「私は振り飛車党ですので勉強不足で…でも最近流行っていましたね。」

「そうですね。『彼』が苦手にしているんじゃないかということで対策として一時期流行ったんですが、最近は『彼』も克服気味なのでなんとも。」

「よってたかって皆がぶつけるので経験値が上がってしまったという…。」

「そうなんです。棋士は皆『彼』に全力をぶつけますからね。でも、『彼』はむしろそれを利用して指数関数的に成長しているんじゃないかと最近思います。」

その場にいない棋士の話をし続けるのもまずいと思ったのか、鹿路庭さんが方向転換をした。

「少し話がそれましたね。現局面はいかかでしょう?現地の検討では4六銀や7七金が調べられているようですが…。」

「7七角だと思います。」

「え、7七角ですか?金上がりなら取られない歩を取られてしまいますが…。」

「先手はもともと一歩得です。なので、歩を取られてでも角を働かせて行く方が名人らしい手の組み立てだと思います。壁形も解消して玉を囲いにいけますし、それに、歩を取るためには飛車を7筋に持っていくことになりますから、安定した位置まで戻すには手数がかかる。ならばそのうちにということで、角を活用した速攻も見せているんですね。」

「なるほど…あ、今指されましたね。7七角と上がりました!九頭竜先生のおっしゃる通りでしたね!」

「当たってホッとしましたよ。まあこれで歩を取りに行きつつ角を狙うというのがまあ一目あるんですけれども、明らか研究手順がありそうですし、飛車角交換の激しい将棋になってしまう…まあ、横歩はそうなりがちでもあるんですが、流石にタイトル戦のフルセット局なので、お互いもう少し間合いを測ると思います。」

このような感じで解説をしていき、途中あい達がスタジオに乱入してくるというハプニングもあったものの、対局は終盤に入っていった。

現状は名人が優勢。しかし、名人の寄せ方には違和感があった。

それをあいに解説をさせる。

「あい。最善の寄せを言ってみなさい。」

「▲9一銀に代えて▲9三銀△同玉▲7一銀です。以下後手が7一同金でも6九銀でも詰み筋です。」

ここで天衣も口を出してきた。

「というか、そもそも107手目に▲4六同歩で明快だったのに、わざわざ端に味付けなんかするからめんどくさいことになるのよ。こんなんじゃ、名人もそのうち『彼』にタイトル取られちゃうわよ?」

流石の物言いに鹿路庭さんも絶句しているようだ。

――そして、ここで篠窪棋帝が投了する。

第七局までもつれ込んだ五番勝負も、今ここで決着した。

これで名人は四冠を手にし、タイトル獲得九十九期を達成。奇しくもこの日は名人の師匠(故人)の誕生日であったという。

インタビューでは、「意識はしていませんでしたが、いいプレゼントにできたのではと思います。」と無難に回答していた。

 

日本中が沸くなか、俺は名人からタイトルを守らなければならなくなる可能に震えていた。

名人は竜王戦の挑戦者決定戦まで駒を進めていたからだ。果たして、篠窪さんほどの熱戦にできるだろうか。名人相手に高度な感想戦を繰り広げる篠窪さんの姿を見ながら、俺は嫌な汗が伝うのを感じていた。



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