吾輩はフェストゥムである。 (ミツバチ)
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はじまりである

 吾輩はフェストゥムである。(なまえ)はまだない。

 

 どこで生まれたかは見当がつかぬ。たぶん海の中ではない。よく晴れた青空の下、「あなたはそこにいますか?」と尋ねて回っていたことは記憶している。

 

 吾輩は地球(ここ)で初めて人間を見た。

 

 しかもあとで聞くところによると、それは人類軍という、人間の中でも殊更獰猛な種族であったそうだ。この人類軍という輩は我々を捕まえて煮て食うという話である。こわい。しかしこの当時、我々と吾輩はその見識を得ていなかったため、別段怖ろしいとは思わなかった。

 

 ただこの時、妙なものだと思ったのを今でも覚えている。

 

 実に奇怪なことに、その生き物の体躯は全て炭素で構築されていた。珪素ではなく炭素である。有機物質にしても、D型アミノ酸ではなくL型アミノ酸である。何故わざわざそのような頓狂な物質を使用して体組織を構築しているのか、てんで見当がつかぬ。更には何か、鉱物を加工したと思しきものに乗って空を飛んでいた。

 

 後部の穴からぼうぼうと煙を吹いている。どうにも咽せっぽくて実に弱った。これが人間の乗る戦闘機というものであることはこの頃ようやく知った。

 

 空中で静止したまま戦闘機を観察していたが、しばらくすると戦闘機は両翼から細長い物体を切り離した。それは非常に凄まじい速力でこちらに迫る。

 

 ―――何か、嫌な予感がした。

 

 一体何事であろうか――と思っていると、なんかどかんと音がして吾輩の(コア)が炸裂した。

 

 ……そこまでは記憶しているが、あとは何が起こったのかいくら考えても分からぬ。何故なら()()吾輩は、あの時点で既に消滅しているからだ。

 

 我々という存在に根差す吾輩は多数いるが、あの吾輩という存在はあくまでも単一である。故にあの吾輩が砕け飛び散った欠片バラバラバラになった様は、吾輩には知覚できぬし、する必要もあまりない。何故なら吾輩はここにいるからだ。

 

 吾輩がいなくなっても代わりはいるのである。

 

 吾輩という存在は、常に我々と共にある。吾輩はここにいる。故に吾輩は我々の意思の下、この星――延いてはこの宇宙全ての存在と同化しなければならない。何故ならそれこそが我々――ミールの意思であるからだ。

 

 よって、吾輩は質問者(スフィンクス)として問い掛ける。

 

《―――あなたはそこにいますか?》

 

 (YES)――と応えたならば同化を。

 

 (NO)――と応えたならば排除を。

 

 吾輩は我々の意思に従って、次々にこの星の存在を同化していく。すると戦闘機(※先程、吾輩を消滅させたのとは別の個体のようだ)が突撃してきた。

 

 あの妙な物体をぶつけられてはこの星全土との同化の進行が滞る。それはあまり望ましくない事態だ。よって事前に排除するのが妥当だろう。

 

 吾輩は指を触手状に変化させて操り、戦闘機を串刺しにした。

 

 ……どうやら同化する前にいなくなったらしい。人間の扱いは中々難しいようだ。吾輩は戦闘機を振り回し、他の戦闘機(※同化を拒否した個体)に叩き付けた。二つの戦闘機が指の隙間から抜け落ち、火を噴く鉱物の塊と化して落ちていく。

 

 さて――と思い直して、次の存在へ意識を向ける。

 

 今度は同じ失敗を繰り返さぬよう、細心の注意を払った。すると見事、存在を消さずに捕獲することが叶った。

 

 どうやらこの戦闘機という物体は、燃える物質を燃焼させその反作用で飛んでいるらしい。爆発したのは、その燃焼する物質を貯蔵した箱のようなものに直接着火してしまったことが原因のようだ。うむ、これで吾輩はまた一つ賢くなった。

 

 さて、それはともかく同化を―――……んん?

 

 サムライ?

 ハラキリ?

 カミカゼ?

 

 むぅ……吾輩には、なかなか理解し難い概念であるな。こわい。

 

 * * *

 

 吾輩は多数の生命と同化を行った。

 

 その過程で吾輩は地球の方々を幾星霜と巡り、結果として多くの見識を得るに至った。当然、それ等は全てミールという我々の総体へと還元され遍く伝達されている。吾輩が理解したのであれば、その時点で我々(ミール)もまた理解している。当然、その逆もまた然りだ。

 

 我々フェストゥムという存在は全が一であり、一が全である。故に人間のように個体間(※そもそも個のない我々に個体などという表現を使うのは不適切ではあるが)で意思の疎通を図る必要はないのだ。

 

 言葉を介さずとも情報の送受信を可能とするこの生態を指して、人間は読心能力と称する。

 

 そんな非常に便利な生態(※無論、我々と同様の情報伝達手段を持たない人間等別種族から見た場合を前提とした形容である)を持つ吾輩達フェストゥムであるが、極稀に、あえて読心能力を使わずに情報の伝達を試みようとする謎な存在が発生する事例があった。

 

 ―――たとえば、今吾輩の目の前にいる存在が正しくソレであった。

 

《ねえ、きみは空が綺麗だって思ったことある?》

 

 吾輩と同型の珪素生命体が、何故かそんなことを問い掛けてくる。こわい。

 

 空は空である。吾輩はそれ以外の形容を知らぬ。そもそも綺麗とはなんであろうか。いや、博識な吾輩は言葉としての意味と用法は無論知っている。知っているが、それは果たして吾輩達珪素生命体が同輩に対して使用するに相応しいものなのだろうか……?

 

 仮に適当であったとして―――その場合、「吾輩、死んでもいいわ」と応じるのがベストなのであろうか? 吾輩は苦悩した。

 

《いや、悪いけどおれは別段きみに好意を感じてはいないかな》

 

《………………………………………………………………………》

 

 ふむ、なるほど。今のは「月が綺麗ですね(あい・らぶ・ゆう)」とは別系統の表現であったらしい。ということは、先程の問いは額面通りに受け取れということであるか。

 

 であれば、吾輩の応答は確定している。

 

《……そっか。きみも分かってはくれないんだね。きみは他の仲間達と比べてもずいぶん変わってるみたいだから、理解してくれると思ったんだけど。……残念だなぁ》

 

 そう言って、目の前の同輩は肩を落とした。

 

 一見した限りでは人間並みに情緒が豊かであるように見えるが……こいつ、本当に吾輩と同じ珪素生命体なのであろうか? 吾輩は困惑した。

 

 去っていく同輩の背を観察する。

 

 あの存在は個を獲得した訳ではあるまい。一種の中毒めいた症状であるとみるべきか。推測するに、人間と同化した折、その人間が記録していた情報にあてられた状態にあるのだろう。端的に言うなら一時的に故障したようなものだ。

 

 ああいった存在が発生するのは稀だが、しかし前例がないという訳ではない。

 

 その中でも最たる例は真壁紅音という人間と同化した存在であろうか。アレは我々の中でも明らかに異色な存在へと変化(※あるいは進化、であろうか)しており、既に自我と呼ぶべきものを確立している。その原因は不明だ。何故、我々の中からああいった特異な存在が発生したのか、全くの謎である。こわい。

 

 ―――いや、原因は分かっている。

 

 人間との同化。彼等がその身に蓄えた情報を集積する度、我々ですら知り得ない我々(フェストゥム)の一部に、何らかの変化が生じているのだ。

 

 そうとしか、考えられない。

 でなければ説明がつかない。

 

 故に我々(ミール)は、吾輩によってこの『変化』を理解することを望む。

 人間と同化し、情報を蒐集し、その果てに他の同輩(フェストゥム)との間に生じる差を比較することで、この現象の正体を観測しようと試みる。

 

 故に、吾輩は問う。

 

《―――――あなたはそこにいますか?》

 

 問い掛ける。

 問い掛ける。

 問い掛ける。

 

 飽きることなく、何度でも問い掛ける。

 

 そうする内、やがて吾輩は人間を同化することを放棄した。我々の手段(※同化や読心能力)では正しく人間を理解することができぬと悟ったからだ。彼等を理解するためには、彼等と同じ言葉を駆使しなければならない。

 

 吾輩は、我々(ミール)との同期をも断った。

 

 それが情報の収集・精査を行うために必要な措置であると、吾輩を含む我々(ミール)が判断したからだ。

 

 故に、吾輩はひとり――観察し、問いを重ねる。

 

 人間へ。

 人類という種へ。

 同化を拒み、我々と戦う(つわもの)へ。

 何の力も持たず、ただそこに在る無辜の民達へ。

 

 そして―――島に偽装した要塞艦、竜宮島に向けて。彼等に通じる言葉を使って、対話を持ちかける。我々は――否、吾輩は吾輩によって、その存在を理解する分岐を選択したが故に。

 

《―――――吾輩は、フェストゥムである》

 

 まずは自己紹介から。

 

 円滑な関係を構築するために発した吾輩の第一声が、蒼い空の隅々にまで朗々と響き渡った。



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人類の火である

 L計画が始まってから二週間が経過した、とある晴れた日に。

 

 俺達は―――“彼女”に出会った。

 

 * * *

 

 吾輩は■■した。

 

 彼の邪知暴虐の人類軍を■かねばならぬと■■した。

 

 核攻撃を受けて丸焦げになった体を引き摺って、吾輩は空へ飛び上がる。しかし本当に飛行できているのかどうかについては分からない。爆発時に発生した膨大な熱と煙によって、外界の認識能力が著しく低下しているからだ。

 

 兎にも角にも、吾輩は飛行能力を駆使して爆発圏から逃れる。

 

 やがて視界が明け、晴れた空――否、つい先程まで晴れていた筈の空が視えた。

 

《…………》

 

 今はまだ安全ではない。

 逸る気持ちを抑えつつ、吾輩は出来得る限り急速にその場から離脱する。

 

 しばらくして、もう安全だろうと判断した吾輩は地上へと降りた。そして包むようにして両手(※正確には人間の手を模して変化させた触手)で覆っていたものを恐る恐る外気に晒す。そして、静かに問い掛けた。

 

《……あなたは、そこにいますか?》

 

 答えはなかった。

 

 掌の中にあるソレは、ぴくりとも動かない。

 

 ソレは人間だった。

 

 正確には人間だったものだ。

 奇跡的なことに外傷はなかった。だが、息をしていない。死因は爆発時の衝撃か。無理もない。この娘は吾輩のすぐ傍――爆心地のただなかにいたのだから。

 

 吾輩は振り返る。

 

 向こうの方で、火の手が上がっていた。灰色の爆煙が、未だもくもくと渦巻いている。

 

 そこにあったのは人の街だ。

 

 吾輩の観察対象であった人類の居住区。人類軍から取り残され、そしてフェストゥムから同化を免れた稀有な群れであった。

 

 なぜ彼等が今日まで同化を免れたのか――それは、吾輩が同輩(フェストゥム)を遠ざけていたからだ。

 

 あの群れは、フェストゥムに追われ、そして人類軍から見捨てられた者達が集まってできたものだった。

 そういった者達が少しずつ集まり、身を寄せ合ってできた場所だった。

 吾輩はそんな彼等をずっと傍で観察していた。観察対象がいなくなってしまうのは問題であるため、定期的に現れては同化を要求する同輩(フェストゥム)の悉くを消し続けていた。

 

 ……しかし、その結果がこれであった。

 

 人類軍のフェストゥムに対する感情は、吾輩には到底測りえない域にまで達しているのだろう。フェストゥムは敵。敵に迎合するものも敵。敵は消す。それがたとえ同種であろうとも―――

 

 こわい、などとはいえぬ。

 最早、恐怖すら湧いてこなかった。

 

 ただただ、体が重い。この器はもう限界だ。新しく作り直す必要がある。

 

 吾輩は人間の死体を抱き、地面に蹲った。そして損傷した器を新生するため、己を中心にして大規模な同化現象を発生させる。瞬く間に吾輩の全身が碧い結晶によって覆い尽くされた。

 

 * * *

 

 新生した吾輩は海上を移動していた。

 

 特に理由はなく、気紛れである。……強いて言うならば、もう地上には他に目新しいものはないだろうと思ったからであるが。

 

 我々フェストゥムは海水が苦手である。代謝機能がないために海中に漂う結晶を片端から同化してしまい、動けなくなった末に自壊してしまうからだ。

 

 無論、その性質は吾輩も同様である。

 

 よって吾輩は海には近づかず大陸内部の人間を観察することに終始していた。だがそんな枠に留まっていては到底人間を理解することなど不可能だろう。少なくとも、もうあの大陸には観察すべきものはあるまい。仮にあったとしても、また人類軍の攻撃を受けるのが落ちだ。

 

 しかし、だからと言って――果たして、海上に観察対象がいるのかどうか。楽観はできまい。吾輩の前途は多難であった。

 

《―――む?》

 

 などと考えていた矢先に、吾輩の探知能力(レーダー)に反応有り。

 どうやらこの近海に数十人の人間がいるようだ。

 

 これ幸い、とばかりに吾輩はそちらへと向かうことにした。

 

 接近途中であまりよくない反応を感知。

 どうやら吾輩以外のフェストゥムがいるようであるな。数は壱――いや、伍? どちらにせよ、刻一刻と人が消えているのは間違いない。

 

 全滅させられては困る。まだ吾輩が観察していない。急がなければ。である。

 

 反応が近い。

 見えてきた。

 

 アレは人間の造った艦、であろうか。鉱物の塊が海の上に浮いている。

 同化した人間から収集した情報を検索。該当した項目は潜水艦と人工島。恐らくはその二つの用途で建造された被造物だろう。読み取った限り、内部に人がいるのは間違いない。

 

 しかし――アレはなんであろうか?

 

 甲板に二つ、紅い人型の巨人が屹立している。そしてフェストゥムと戦闘を行っていた。

 

 あの紅い巨人……目視するまではフェストゥムだと思っていたが、どうやら違うようである。反応は至極我々に近いが、しかし見るからに人の被造物であることは明白だった。

 

 紅い巨人とフェストゥム。二対一の戦いであるが、紅い巨人の側が劣勢であるように見える。スフィンクス型(※後にウーシア型へと名称を改められる)フェストゥムの巨体と外観を無視した変幻自在な攻撃に対処できないようだ。

 

 ……それに、紅い巨人の動きがどこかぎこちない感じがするのも原因かもしれない。

 

 兎も角、あの三体の戦いに巻き込まれて人間がいなくなってしまっては困る。見たところによると紅い巨人は人工島を護っているようであるし、ここはひとつ彼等に手を貸して同輩を消してしまうとしよう。

 

 臨機応変で柔軟な対応ができる吾輩、すごく賢いであるなぁ。

 

 そんなことを考えつつ、紅い巨人に圧し掛かっていたフェストゥムに渾身の体当たり。弾き飛ばしたところで指を触手状に伸ばし、槍に見立てて貫く。

 

 指先から相手の存在を感じると同時に――同化開始。

 

 同輩の体が隙間なく碧い結晶で覆われる。そして、砕け散った。

 

《ご馳走様でした。である》

 

 食後にはこの一言を添えるのがマナーであると吾輩は学んでいる。その情報に基づいての発言であった。他意はない。

 

 吾輩はその場で反転し、二体の紅い巨人に向き直る。

 

 彼等は突然の闖入者に戸惑っているようだった。

 

 ……ようだった、などと曖昧な表現しかできぬのは、なぜかこの者達の心が読めぬからなのだが。より正確にいうなら、雑音が酷すぎて読めないという方が正しいか。察するにこれは、読心能力を持つ我々フェストゥムに対抗するために人類が造り出した兵器といったところだろう。

 

 実に興味深いである。

 

 ……などと。ちらが悠長に観察している間に、二体の紅い巨人は手にした短剣状の武器を構え直してその切先をこちらに向けていた。このままでは攻撃されそうな感じであるな。読心能力が効かぬので気が付かなかった。うっかりである。

 

 兎にも角にも、こちらに敵対するつもりがないことを訴える必要がありそうだった。

 

《吾輩はフェストゥムである。(なまえ)はまだない。吾輩はお前達人類を理解すべく生じたものである。よって当方にお前達を同化する意思はないものである。繰り返す。吾がは―――》

 

 ―――勧告の途中で紅い巨人の片割れからビームを撃たれた。つらい。そしてこわい。アイサツ中にアンブッシュするだなんてそんな行為、吾輩、よくないと思うである!



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交渉である

 ……さて、どうしたものか。

 

 紅い巨人の攻撃を躱しつつ思考する。剣状の武器を振り回し、時に内部に仕込まれた火器を使ってプラズマ系のエネルギー弾を吾輩に撃ち込もうとしてくる。こわい。今のところ、初撃以外はどうにか回避しているであるが……読心能力が通用しないこともあって、ちょっとピンチである。

 

 ただし、それほど悲観的な状況でもない。

 

 執拗に吾輩を攻撃してきているのは二体の内の一体のみ。未だに戸惑っているのか、それとも先程の吾輩の言葉を信用しているのか。残るもう一方に攻撃の意思は見られなかった。

 

 ならばこちらを攻撃してくる方を力づくで制圧するか……否、それはあまりうまくない。

 

 こちらが攻勢に移れば、もう一方の巨人も静観をやめて攻撃に転じるかもしれない。むしろその可能性の方が高いだろう。ともすれば、一切手を出すことなく、どうにかしてこのいきり立った紅い巨人を鎮静化させる必要がある訳であるが……―――

 

 ―――閃いたである。

 

 吾輩は赤い巨人の攻撃を避けてそのまま飛び、二体の巨人から距離を取った位置に着地する。そして見せつけるように片腕を上げて、右手を差し出した。

 そして掌にフィールドを発生させる。

 二次元的な平面状のフィールドが掌上にできあがる。それを確認してから、吾輩は自らのコアの一部を分化。フィールドを通して実体化させ、人の姿をした器を構成した。

 

 ヒトの形をしているが――無論、人そのものではない。

 同化能力を持たないスレイブ型のフェストゥムである。

 

 主成分は炭素ではなく珪素。しかし外観は完全に人間。それもただの人型ではない。吾輩が持ちうる知識の中から選りすぐった、もっとも人間から愛される形を探求して造り上げたもの。

 

 即ち――ぼいんぼいんのないすばでーなちゃんねーの姿である!

 

 フフフ……この器を特使とすれば攻撃もされまい。やはり吾輩はとても賢いであるなぁ。

 吾輩(※スレイブ型)は大きく息を吸い込む。肺が膨らみ、豊かな胸の脂肪がぐっと押し上げられた。

 

「吾輩はフェストゥムである。当方に攻撃の意思はない。ただお前達との対話を望むものである。繰り返す。吾輩にはお前達を同化しようという意思は全くない」

 

 声を張り上げて勧告する。

 やはり吾輩の狙い通り、追撃はなかった。今度はどちらも呆然と突っ立っている……ように見えるである。

 

 兎も角、手応えはあった。

 

 そしてそれを裏付けるように。艦のスピーカーから、こちらの呼びかけに応答する声が響いた。

 

 作戦、大成功である。

 

 人型の器を造って人と接触するのは今回が初めてのことであるが……もしかしたら、けっこう有効なのかもしれぬな。うむ、これで吾輩はまた一つ賢くなったである。

 

 * * *

 

 早乙女(さおとめ)柄鎖(つかさ)は困惑していた。

 

 今この瞬間――彼の頭の中から、自分がL計画の責任者であるという自覚や責務だとか、そういった諸々が完全に吹き飛んでしまっていた。

 

 その原因は彼の目の前にある。

 

 齢は十代の半ばくらいだろうか。

 

 傍目には可憐な少女にしか見えない容姿。しかし彼女が有する金色の髪と同色の瞳は、見る者に“敵”を想起させる。そしてそれだけでなく白磁の肌すらもが光の反射具合によっては黄金や虹色に煌めいて見えるものだから、目の前の少女が人外であると否応もなく意識させられた。

 

 彼女は自らをフェストゥムと名乗った。

 

 そして、人間に危害を加える意思はないとも言った。

 

 だが、これは―――

 

「―――して、お前がこの艦の責任者で間違いないのであるか?」

 

「…………ああ、そうだが……」

 

「で、あるか。態々ご足労いただき感謝の極みである。……それで、話とはなんであるか? こちらの要求は既に伝えた通りであるが」

 

 かくりと首を傾けて少女は尋ねた。

 

 その表情に変化はない。

 精々が口が動いているくらいで、まるで人形か何かが喋っているようにも見える。そう認識した瞬間、早乙女は氷のように凍てつき硬直していた頭が即座に解凍されていくのを感じた。

 

 理解できない現実に直面して戸惑う男から、現場指揮者としての早乙女柄鎖へと切り替わる。

 

 ―――手短に状況を整理する。

 

 目の前に人型のフェストゥムが一体。

 そしてその後方に本体と思しきスフィンクス型が一体。

 

 対して早乙女は護衛もおらず銃すら所持していない。

 だがそれも仕方のないことだった。そもそもこのLボートにはスフィンクス型及びシーモータル型フェストゥムとの戦闘を想定した最低限の物資しか用意されていないのだ。携行火器の持ち込みなど望むべくもない。

 

 しかし早乙女に恐怖心はあまりなかった。

 何故なら――彼の両脇には、この世で最も頼りになる護衛がついているからだ。

 

 対フェストゥム専用思考制御・体感操縦式有人兵器『ファフナー』。

 選ばれた者にしか動かせない人類の切り札。傍らに控える二体の紅い巨人(ティターン)は、開発途中のノートゥング・モデルを除けば、現状において事実上の最新にして最強の機体(モデル)である。

 

 しかしそのファフナーも稼働時間に制限がある。

 十五分毎に搭乗者が交替しなければならないのだ。

 

 先の戦闘から既に十分が経過している。

 読心能力を持つ相手を眼前にして、パイロット交代の隙を晒すのはあまりにもうまくない。制限時間が訪れるまでの極短時間の内に、早乙女はL計画責任者として一つの決断を下す必要があった。

 

「……改めて、私の口から率直に問いたい。お前は我々人類の敵か?」

 

「誰彼構わず同化しようとするものを敵と定義するのであれば、否である。吾輩の目的は言葉による対話によって人類という存在を理解することにある。よって同化は行わない。ただ話すことを望むものである」

 

 淡々と語られたその主張に対し真面目に取り合える人間が、この地上に何人いることだろう。

 少なくとも早乙女個人としては、彼女の言葉を一笑に付して退けたいというのが嘘偽りのない本心であった。それどころか「化け物の言うことなど信用できるものか」と突っぱねてしまいたい衝動に駆られる。

 

 しかし、状況がそれを許さない。

 

 襲来する敵。その敵を倒すどころか、牽制するための弾薬すら足りない。最強の武器であるファフナーは四機全て健在ではあるが、しかしそれを動かすパイロットは八人中二人が既に()()()()の状態だ。

 掴めるものなら藁をも掴みたい。死にたくはないのだから。

 

(指揮者は厳格でなければならない。しかし、時には柔軟な対応も必要か……)

 

 冷静に考えつつも、しかし早乙女の口端は自嘲によって僅かに吊り上がっていた。

 

 そんなものは建前でしかない。

 

 死にたくない。死にたくなんてないのだ。

 

 L計画に参加した以上、死ぬ覚悟はできている。命を賭して戦うパイロット達にもそう宣言したばかりだ。しかし――それでも本心では、死ぬことなど決して望んではいない。

 

「…………」

 

 ふと、早乙女は目の前の少女から視線を切って紅い巨人を見上げた。

 

 二体のファフナーにはそれぞれ将陵僚と生駒祐未が搭乗している。

 

 

 ―――祐未の父さんは自分も参加する気でした。生きて帰るつもりだったと思います。

 

 

 僚の言葉を思い出す。

 脱出方法など最初から用意されていないのではないかと疑っていた早乙女だったが――今では、正しいのは彼の方だったと思っている。いや、信仰している、といった方が正しいか。

 

(流石に()()は想定外だっただろうがな)

 

 L計画立案者であった生駒正幸。そして――かつての戦友の顔が脳裏に蘇る。

 

 真壁紅音。

 

 フェストゥムと戦いつつも、彼等との共存の道を模索していた彼女。その彼女亡き後にこんな存在と遭遇することになるとは。早乙女はある種の天啓めいたものを感じていた。

 

 しかし感傷に浸る時間はない。

 思考を打ち切り、視線を目の前の少女――人の姿をしたフェストゥムに向けて、早乙女は口を開く。

 

「いいだろう。お前の申し出を受け入れる。我々を好きに観察し、対話するといい。ただし、そのためには三つ条件がある。艦内部への立ち入りの禁止。そして敵の迎撃と殲滅だ」

 

「うむ。お前達が同輩に同化されては吾輩の目的は達成しえぬからな。道理である。吾輩はお前達を護ろう。艦に立ち入りを禁ずるのは吾輩から内部の情報が漏洩することを危惧しているからであるな。理解した。以上、二つの条件を受諾するである。―――で。三つ目の条件とは?」

 

 首を傾げ、少女が尋ねる。

 早乙女は咳払いを一つ零してから、露骨に目を逸らして言い放った。

 

「―――服を着たまえ」

 

 全裸の少女は実に不思議そうに、先程とは反対側に首を傾げた。



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頑張ったである

THE BEYONDの続き楽しみですね!
第九話…第二次L計画…どうせみんないn…うっ、頭が。


 人間には服を着る文化と習慣がある。

 

 当然、吾輩もそれくらいは知っている。にも拘わらずスレイブ型の吾輩を実体化させるにあたって服を用意しなかったのは、いくら人を模しているとはいえ、フェストゥムである身には不要なものだろうと判断したからだ。

 

 この器はあくまでも人を模したものに過ぎない。

 

 染色体を持たず、生殖器官も存在しない。故に裸体でも問題ないと思ったのであるが……どうやらそういう訳でもないらしい。やはり人間というのは複雑怪奇である。

 

 吾輩は用意された服を着て、甲板の隅に座り込んでいた。

 

 人間と対話する上ではスフィンクス型の器よりも人型の器の方が都合がいいので、主観はこちらのスレイブ型の方に切り替えて思考している。それでも本体というべきものはあくまでスフィンクス型の方であるのだが……まあ、そんなことはどうでもよいであろう。

 

 重要、というよりも問題なのは―――

 

「やることが……ないであるな……」

 

 青空と鏡写しに蒼く色づいた海を眺める。

 潮風が頬を撫で、髪を遊ばせる。肌に触れ、視界を隠すのが思いの他邪魔であった。

 

 甲板は無人である。

 幾度となくフェストゥムとの戦闘を行ったのだろう。辺りには、球形にくり抜かれた傷跡と、紅い巨人の足跡などの損傷が至る所に刻み込まれていた。

 

 この場にあるのは――ただ、戦いの記憶のみである。

 

 かつてそこにあったもの。あらゆる情報は、傷跡のように深くその場に残留する。理論上、復元できぬ記録媒体は存在せず、跡形もなく消えていたとしても必ず再生が可能なのだ。吾輩達フェストゥムは、そういった場に残された記憶を読み込むことができるのである。

 

 ここで八人消えている。

 

 同輩(フェストゥム)が発生させたワームスフィア現象に飲まれたようだ。悲鳴と悔恨の念がこびりついている。そして――その倍以上の数の同輩が消えているようであった。

 

 同輩達はあの紅い巨人に葬られた。

 

 人類軍の兵器でできる芸当ではない。対フェストゥム戦に特化した、吾輩の知らぬ兵器であることは間違いないようだ。戦績そのものは極めて優秀である。……先の初戦闘時に吾輩が消されなかったのは幸運という他ないであるな。

 

 と――まあ、それはさておき。

 

「……誰も来ないであるな」

 

 ぽつりと呟く。当然、答える声はなく、耳に届くのは潮風と細波の音ばかりであった。

 まあそれ自体は別段珍しいことではない。今までにも幾つもの人の群れを観察してきたが、そのいずれにおいても最初から好意的に吾輩に接してくる人間は皆無だった。彼等の前で何度も外敵を消し続け、そして時に傷病者へ祝福を与えた場合に限り、少しずつ味方として意識され始める。

 けれどそこまでやってようやくスタートラインだ。自然体の彼等と言葉を交わすには、もっと努力が必要であるのだと吾輩は経験測によって理解している。

 

 吾輩は艦の内部へと意識を向ける。

 

 残存する三十二名の乗組員は、その全てが吾輩に対して猜疑と戸惑いの感情を向けているようだった。

 

 彼等と対話を行うためには、吾輩が本当に彼等の味方であると認識させる必要がある。

 

「……長丁場になりそうであるなぁ」

 

 ほぅと溜息を零し、空を見上げる。

 青い空。白い雲。果てることのない蒼穹。それを見上げて、吾輩は思うのだ。

 

 やはり――吾輩には、まだ、空が綺麗だと。そんな風には思えぬである。

 

「…………」

 

 意味もなく空を眺め続ける。

 

 やがて日が落ち、空はその色彩を変化させた。青から橙色へ。橙色から紫へ。紫から藍色へ。藍色から白へ。空は再び青く色付き、また暗く沈んでいく。

 

 そんな風に日が落ちては登るのを繰り返した頃――同輩(フェストゥム)が襲来した。

 

 遠方にて重力震反応を感知。それと同時に、吾輩は己の主観をスレイブ型からスフィンクス型へと移行させる。そしてゆっくりと体を浮き上がらせた。

 

 まずは一戦目。

 千里の道も一歩から。この艦の人間達からの信頼を得るため、吾輩、張り切って頑張るである。

 

 * * *

 

 L計画。

 

 切り離されたアルヴィス左翼側要塞艦――Lボートを竜宮島であると敵に誤認させ攻撃を誘導し、島の平和を護るためのプラン。期間は二か月。その間、俺達は自分達の力だけで生き残らなければならない。

 

 計画開始から経過した時間は二週間。

 

 四十人中、既に八人の乗組員がいなくなっていた。

 

 そして八人いた俺達パイロットの内、二人が同化現象によって倒れた。一人は昏倒したまま意識が戻らず、もう一人は意識こそあるものの視力を喪失しその上自力では立つこともできないほど身心が消耗している。本人はまだファフナーに乗れると言ってはいるが……。

 

 ……敵よりも。

 俺達の身を護る武器である筈のファフナーが、怖かった。

 

 乗れば乗るほどに体を蝕まれる。俺達パイロットは皆で責任者である早乙女司令にファフナーの搭乗時間を十五分から十分に短縮するよう訴えたが、逆に時間を延ばす必要があると、そう言われた。襲来する敵を牽制するための弾薬が足りないからだった。

 

 だが計画は始まってからまだ二週間しか経っていない。そんなに早くに駄目になってしまうような計画を立てるほど、祐未の父さんは馬鹿じゃない筈だ。

 

「病で余命幾許もなかった病人が、生還するつもりだったと?」

 

 早乙女司令の言葉に、俺は自然に頷くことができた。

 

 ……生きて帰れなくていいと思っていたのは、俺の方だ。いなくなろうとしていた。俺を育て、居場所をくれた島に恩返しがしたいという想いは紛れもなく本物だ。ただ俺に残された時間は長くない。だからせめて、人の役に立つ形でいなくなりたいと、そう思っていた。

 でも今欲しいのは生きる場所だ。死に場所なんかじゃない。俺は祐未の父さんを――その想いを信じてる。必ず生きて島に帰るのだという願いを。

 

 戦わなければならなかった。

 

 島に帰りたいのだから。その為に俺達はファフナーに乗り、戦った。

 

 その日も。

 

 襲来した二体のスフィンクス型フェストゥム。俺と祐未でツインドッグのフォーメーションを組み、敵を一体倒した。しかし一瞬の隙を突かれ――俺の乗る機体はフェストゥムの攻撃を受けた。

 

 傾ぐ機体に黄金の巨体が圧し掛かり、押し倒される。

 

《―――あなたはそこにいますか?》

 

 敵の同化現象。体の――機体の制御が思うようにいかなくなる。動けない。心の中に、得体の知れない何かが入ってくる。

 

 以前、俺を庇って死んだ乗組員がいた。

 

 ワームスフィア現象に飲まれる寸前に、俺を突き飛ばしてくれた人だ。名前は分からない。だけど、断末魔の声と悲痛に歪んだ顔だけははっきりと覚えている。

 

 俺は彼――消えた八人達と同じところにいくのだと。そう、思った。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 (ファフナー)を押さえつけていた敵が、突然弾き飛ばされる。祐未が助けてくれたのかと思ったが、そうじゃなかった。

 

 助けてくれたのは――敵である筈の、フェストゥムだった。

 

 そのフェストゥムはあっという間に敵を倒した。しかもそれだけでなく、驚くべきことに俺達に向けて対話を呼びかけたのだ。人の姿で。人の言葉で。

 

 ………まあ、それは祐未に一蹴されてしまったんだけど。

 しかし早乙女艦長のとりなしによって戦闘は回避された。

 

 もちろん、本当に友好を結ぶのが目的じゃない。早乙女司令があのフェストゥムに対話のために提示した条件は二つ。艦内への侵入の禁止と敵勢力の迎撃。つまり表向きは要求を飲んだように見せかけておいて、敵を撃破するための戦力として飼うつもりなんだろう。

 

 それが上手くいくかどうか――意見は人によって様々だった。

 

 早乙女司令のように使えるものは何でも使うべきだという者。存在そのものが危険であるとして、今すぐ排除すべきだと訴える者。そして――本当に対話してみたいと考える者。

 

 俺の場合は最後者だ。

 

 彼女――といっていいのかは分からないけど。俺は彼女と話してみたかった。俺達は敵が一方的に攻撃してくるから戦っている。だから――戦う意思がないという彼女となら、話ができるんじゃないかと、そう思った。

 

 何を話せばいいのかは分からないけど。まあ、それは実際に会ってみてから考えればいい。

 

 しかし、彼女と話すことは許されなかった。本当に味方かどうかまだ判断できないからと、祐未と早乙女司令に止められた。

 

 それから二日間。

 

 俺達は、甲板に佇む彼女の姿をカメラの映像越しに監視し続けた。その間に艦内の閉鎖されていた区画が解放され補給を得ることが叶い、生きる望みが――島へ帰ることができるのだという希望が、現実味を帯びた。

 一定期間毎に補給が行われ、最後には脱出手段が解放される。

 祐未の父さんは、やはり生きて帰るつもりだったんだ。

 

 皆が希望を抱いた日。程なくして、敵が襲来した。

 

 そして――俺達は第二の希望の姿を目にすることになる。

 

 敵がこの艦に近付くよりも前に。俺達がファフナーに乗って出撃するよりも前に。敵は――実に呆気なく殲滅された。言うまでもなく、“彼女”の手によって。

 

 放たれた多数の小規模のワームスフィアがシーモータル型の群れの一体一体を寸分の違いもなく全て消滅させ、残るスフィンクス型を腕を変形させた剣――ガンドレイクを模したものだろうか――で貫き、同化してその存在を()()()

 

「……すごい」

 

 呟きは誰のものだったか。

 

 敵と同じ姿をした存在。彼女は厳かで美しく、神々しい。その様に救いの神様なんてものを幻視してしまうほどに。

 

 驚嘆は歓声を呼んだ。疑心の半分は興奮で埋め尽くされた。

 味方だ。俺達の、唯一の味方だ。

 勢いに任せてそんな風に言う者もいた。けれど俺自身の彼女に対する印象は変わらない。

 

 甲板にひとりで座り込んだ背中が、なんだか寂しそうに見えたから。

 

 ただ、話をしてみたい。

 

 そしてできれば――あいつと、友達になりたいって、そう思うんだ。

 

 だから俺は、彼女に声を掛ける。

 

「初めまして。隣、座ってもいいか?」

 

 いつものように。俺が人と接するのと同じ態度で話しかけてみる。すると彼女はこちらを見上げて、「好きにすればいいである」と頷いた。




全然話が進まない…。
一話あたりの文章量を増やすべきか…。


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名付けて貰ったである

沢山の評価とお気に入りをありがとうございます!
週に一度くらいののんびりした更新になりますが、今後ともよろしくお願いします。


 後ろにいる金色の巨体にはできるだけ意識を向けないようにしつつ、“彼女”の隣に腰を下ろす。

 

 ここは甲板の端。海と空を一望できる場所だ。俺も少し前までは非戦闘時によくここにきて、景色を眺めていたりしてたっけ。

 

 そんなことを考えていると、隣の“彼女”がおもむろに口を開いた。

 

「お前は、吾輩との対話を望むのであるか?」

 

「ん? そうだけど……なんだよ、俺達と話したいって言ったのはお前の方じゃないか」

 

「うむ。こちらの目的に変化はない。……ただ、お前のような存在が吾輩の前に現れるのはもう少し先のことだと思っていたであるからな。少々、意外であっただけだ。他意はないである」

 

 その言葉を聞いて納得する。“彼女”は、俺達がどういう意図で自分を傍に置いているのか理解しているらしい。都合のいい戦力として飼われているのは承知の上ということか。

 

 少し、後ろめたい。

 

「……そっか。ごめんな。本当はもう少し早くお前と話したかったんだけど、周りに止められてて。来るのが遅くなった」

 

「謝る必要はない。吾輩、未だ人間のことを十分に理解できてはいないが、精神活動の大まかな働きくらいは把握している。恐怖という概念を我々フェストゥムは持たないが、それが人間にもたらす心理的作用は理解できるのだ。お前達が吾輩を恐れ、接触を避けるのは道理である。おかしなことはなにもないであろう」

 

 淡々と“彼女”は言った。

 

 彼女の顔の造りは彫刻みたいに端整で、その美貌は明らかに人間離れしている。玲瓏ながら表情を造らず、理知的な物言いをする姿は――なるほど、確かに人のものではないのだと、納得するしかなかった。

 

 ……あと、頭頂部の辺りから生えているぴんと跳ねた髪の毛が、他の髪とは違って虫の触角みたいに自立して動いているのも人外の特徴といえなくもない。

 

 ともかく、“彼女”は今の自分の処遇に納得しているようだ。

 

「……ありがとな」

 

 気づいた時には、俺はそんなことを言っていた。

 

 不意のことだったが意図は伝わったようで、“彼女”は表情を変えずこちらを一顧だにしないまま、しかし「気にするな」とでもいうように頭の触角を振った。

 

「お前達を観察し理解することが吾輩の目的だ。目的を達成できぬままお前達にいなくなられては、吾輩が困るであるからな」

 

 その物言い。言っているのが人間だったら「素直じゃないなぁ」とかそんな風に思うところだが。“彼女”の場合は、それが嘘偽りのない本心なのだろう。しかし俺は――なにか、それ以外の何かが、彼女の言葉の裏に隠れているような気がしていた。

 

 彼女自身すら気付いていないような、何かが―――

 

「ところで。お前の名はなんというのであるか」

 

「―――ん? ああ、ごめん。そういえばまだ自己紹介してなかったっけ」

 

 思わぬ形で思考を切られ、間の抜けた対応をしてしまう。

 

 学生の時分は初対面の相手には自分から自己紹介をするのが当たり前だったのだが。竜宮島を離れた今は、その習慣がすっかり抜け落ちてしまったようだ。

 

 これはいけないと自戒しつつ、俺は“彼女”に笑みを向ける。

 

「俺は将陵僚。字は……あっ、そういえば漢字は分かるか? 日本語は話せるみたいだけど」

 

「うむ。吾輩は漢字を理解している。マサオカ・リョウ――(となり)(ねむ)(せんゆう)、か。良い名であるな」

 

 響きを確かめるように口にして“彼女”は言った。

 

 そんな風に言われたのは初めてだったので、少し照れ臭い。

 

「ありがとう。それで、お前のことはなんて呼べばいい?」

 

「吾輩はフェストゥムである。個はなく、従って名前もない。好きに呼べ」

 

「好きにって言われてもな……」

 

 思わず困惑してしまう。

 いい加減“彼女”と呼ぶのもややこしいとは思ってる。だけどそのまま彼女をフェストゥムと呼ぶのは何か違う気がした。なら適切な渾名か呼び名をつけるのが妥当だとは思うけど……。

 

「それならさ、少しお前のことを教えてくれないか? 話すのには名前が必要だけど、名前を付けるには相手のことを知らなきゃできないからさ」

 

「吾輩に名前を……?」

 

 そこで初めて、彼女は表情らしきものを見せた。

 無表情のままなのは変わらず。その一方で、困ったような訝しむような気配。

 

 ―――なんだ。個がない、なんて。そんなことないんじゃないか。

 

「……今まで、人間は吾輩のことをフェストゥムと我々全体の名で称するものがほとんどであった。だが無論、例外もあったである。吾輩が接触を持ち観察した、人間の群れだ」

 

 ぽつぽつと語られた彼女の言葉に、思わず驚く。

 

「お前は、俺達以外の人間とも話そうとしたことがあるのか」

 

「うむ。お前達にそうしたように、吾輩は新国連人類軍の庇護から外れた幾つかの人間の群れと対話を試みたのである。その際に彼等は、同輩(フェストゥム)を退け、傷病者を祝福する吾輩を神やその使い、或いは化身と称して崇めることがままあった。……吾輩からすれば不可解な行動であったが。まあ、拒絶されるよりはマシであるので受け入れていたのである」

 

 ……竜宮島の外の情勢は、俺も少しは知っている。

 

 L計画のマニュアルにも書かれていることだ。日本が既に滅んでいること。それをやったのはフェストゥムと人類軍であること。もしもL計画の最中に人類軍と遭遇した場合、必ず無抵抗で投降すること。

 

 平和なのは島の中だけ。

 そう思っていたが――そっか。そうやって、安全に生きられた人達もいたのか。

 

 金色のフェストゥムを崇拝し、神とその信徒のように共存する者達。まるで宗教画のような光景が脳裏に浮かぶ。でもそんな厳かなものじゃなくて、もっと身近で親しみ易い関係だったのではないかと俺は思った。だって、今こうして実際に話せているんだから。

 

「その人達は、今どうしてるんだ?」

 

「………………皆、今はもういない」

 

 それは、半ば予想していた返答だった。

 彼女は今ここにいるのだ。だから、そういうことなのだろうと感じてはいた。しかし実際にその言葉を聞くと、胸の奥に重たいものが圧し掛かる。

 

 俺は重くなった空気を払うように、話題を変えた。

 

「……人と過ごしていた時、お前はなんて呼ばれてた?」

 

「色々だ。(ロゴス)、天使、ロキ、ベガ、ブリード、ヘルメス、プロメテウス――神、それも智慧に関連したものが多かったように思う。である」

 

「なんだ、ちゃんと名前をつけられてるんじゃないか」

 

「いいや。それらは全てお前達の神の名だ。吾輩の名前ではない」

 

 言いながら彼女は否定的に頭を振った。

 

 ……よし。なんとなくこいつの言いたいことは分かった。あとはどんな名前を付けるかだ。

 

 さっき、こいつが挙げていた名前を思い出す。

 

 そしてフェストゥム。意味はラテン語で祝祭。先程こいつも祝福という言葉を使っていたから、これも外せないだろう。

 

 祝祭。智慧の神。それから――ロゴス。

 

 それは昔、広く人類の間で信仰されていた神様であり、神の子の名だ。

 そして言葉や真理、教義、普遍などの多くの意味を持つ言葉でもある。

 

 

 ―――はじめに言葉(ロゴス)があった。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。

 

 

 知識でしか知らない言葉をなぞる。

 それは確かに、彼女の存在を呼び表すのにぴったりな気がした。

 

「―――慧」

 

「む?」

 

言祝(ことほぎ)(けい)っていうのは、どうだ? お前の名前」

 

 我ながら良いネーミングセンスだと思いつつ告げてみる。すると彼女は少し狼狽えたように、触角を彷徨わせた。

 

「それは……人間の名前、なのではないか?」

 

「ああ。俺達の故郷の、人間の名前。もちろん俺が今考えた、お前だけの名前だよ。……あれ。もしかして気に入らなかったか?」

 

 不安になり、首を竦める。

 そんな俺の心配を否定して、“彼女”はぷるぷると首を振った。

 

「そんなことはない、である。コトホギ・ケイ……言祝、慧。うむ。わかった。気に入ったである。ありがとう、リョウ。お前達と共にいる間、吾輩はこの名を名乗るである」

 

「―――――」

 

 その時。

 確かに――“彼女”は、笑った。

 

 ほんの少しだけ口角が動いただけのとても淡いものだったけれど。それは確かに微笑みだった。

 

 呆然と彼女の――慧を眺める。

 

 アルヴィスの制服に身を包んだ少女。その見た目は人間と変わらず、年の頃は俺と同じか一つ下くらいに見える。酷く怜悧で怖いくらいに可憐な容姿は人間離れしているが、それでも今の彼女は決して人間と大差のない存在なのだと――俺は、そう思った。

 

「……ところで」

 

「ん? なんだ、慧。気になることがあるのか?」

 

「うむ。あそこから我々を観察しているのは誰であるか?」

 

 そう言って、慧は俺の後方――甲板から艦内へ通じる施設に目を向けた。

 

 俺は振り返ってそちらへと目を向ける。すると、見慣れた少女の姿が少しだけ見えた。どうやら出入り口に身を隠して、こっちの様子を窺っているらしい。……半眼で睨まれているのはきっと気のせいじゃないよな、あれ。

 

「ああ。あいつは生駒祐未。俺の幼馴染だよ。おーい、祐未! お前もこっちに―――」

 

 言いかけた所で、言葉ではなく苦悶が喉から漏れた。

 

 腹の右上の辺り――肝臓が痛む。慣れた苦痛に思わず顔をしかめ、体を傾けた。

 

「リョウ? ……お前、体を病んでいるのであるか。肝臓が正常に働いていない」

 

「見ただけでわかるのか。すごいな」

 

 苦笑しつつ肯定する。

 遠目からでもこっちの異常を悟ったのか、祐未が驚いた顔で入り口から顔を出すのが視界の端で見えた。

 祐未がこっちへ来ようとしている。

 その少しだけれど決して短くはない時間の最中に、不意に慧は言った。

 

「……リョウ。もしも吾輩が、お前を祝福することでその病魔を退けることができると言ったら、どうするであるか」

 

「なん、だって? それって、この病気を治せるってことか!?」

 

 目を見開いて問い返す。驚きから自然と語気が荒くなったが、慧に気にした様子はなかった。

 

「吾輩は人間の群れを観察していた。その間、観察対象である人間がいなくなることがないよう、祝福によって病や傷を消した。それを人間は神の奇跡と称したが……まあ、それはどうでもよいであるな」

 

 一旦、言葉を区切る。

 それと同時に理解した。確かに、そんなことができるのなら神様だって崇拝されてもおかしくない。本当の奇跡だ。

 

 しかし―――

 

「ただし、それは治療ではない。祝福なのだ。吾輩が同化することで、該当箇所を正しい機能を持った存在へと新生させる。不可逆の傷を不可逆の再生で以って上書きするのだ。概念としては、機械の義手や内臓を取り付けるのと概ね同義である。……自分の体に異物を埋め込むことを拒む者は多い。よって吾輩はお前に選択肢を提示するだけに留める。押し付けることはしない」

 

 ―――あくまで、選ぶのはお前だ。

 

 そう告げて、慧は黙り込んだ。ただ無言で俺の目を見据えている。

 

 この病気が、治る。

 

 遺伝性の、産まれ付いての病。一生俺について回り、ろくに家の外へ出ることすら叶わなかった原因。そして近い内に俺の命を奪うであろうもの。遠見先生は完全に症状が改善する可能性があると言ってくれたけれど――この二か月。L計画終了までに俺の命があるかどうかは、とても危うい。その自覚があった。

 

 ファフナーの同化現象。

 もしもそれに耐え切ることができたのだとしても、俺はそう遠くない内にいなくなる。

 

 ……死にたくない。死にたくなんて、ない。

 

 生きられるのなら生きたい。求めていたのは死に場所ではなく生きる場所だ。そう気が付いた今なら、L計画が終わって島に帰って――その先もずっと生きていたい。

 それがたとえ体に異物を埋め込むようなものだとしても――縋りたいと、そう思う。

 

 だけど―――

 

 だけど、本当にそれでいいのか?

 

 俺の戦いは、まだ終わっていないのに。

 

「……慧。お前の提案は嬉しいよ。押し付けずに、選択肢を与えてくれたこともさ。だけど、もう少し甘えてもいいか?」

 

「…………」

 

「俺達は故郷を護るために戦ってる。それが終わって、帰る時――もしもその時まで俺の命があったら、俺、お前の祝福を受けるよ」

 

「わかったである。ならば吾輩は、その時までお前達を護り続けよう。……観察対象であるお前達にいなくなられては、困るであるからな」

 

 本当に素直じゃないなぁ、こいつ。

 今度は自然にそう思えた。そのことがちょっとだけおかしくて、俺は思わず笑ってしまう。

 

 その時、祐未が駆けつけてきた。

 

「ちょっと、僚! 大丈夫!?」

 

「ああ、大丈夫だよ。ちょっと痛かったけど、今はそうでもないから」

 

「なら、いいけど……」

 

 祐未は安堵する一方で、俺の隣に佇む慧と――そしてその後ろにいる金色の巨体を交互に見やった。まあ、無視するのは無理だよな。ふつう。

 

「吾輩はフェストゥムである。名前はコトホギ・ケイ。先程、リョウに名付けて貰ったである。よろしくである、ユミ」

 

「あ、えっと、その……よろしく。って、あれ? どうして私の名前を……」

 

「ああ、俺が教えた」

 

「ちょっと、勝手なことしないでよ、もう!」

 

 祐未の怒声が甲板に響く。俺はそれに笑みを返して、空を見上げた。

 

 

 ―――人類は戦っていた。

 どこか遠い宇宙(そら)から来た敵――フェストゥムと。

 

 

 滅ぼすか滅ぼされるか。互いに歩み寄る余地など、まだどこにもなかった。

 

 誰かが生き延びるために、誰かが犠牲になるしかなかった。そう思っていた。けれどもしかしたら、俺達の目の前には今――まだ誰も知らない道が続いているのかもしれない。

 

 平和へと続く道。

 ここにフェストゥムと人間の共存する未来への道があるのだと――この時、俺は心の底からそう願っていた。



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戦いである

 Lボートは戦火の只中にあった。

 

 此度、襲来したフェストゥムはスフィンクス型――後にウーシア型と名称を改められる種である――が五体。そしてその五体のスフィンクス型フェストゥムが生み出したシーモータル型フェストゥムの大群が、Lボートを取り囲むように素早く旋回している。

 

 甲板には四機のファフナー。

 

 Lボートに備えられた火器と合わせて、腕部のバルカンと試作型ガンドレイクを駆使して次々にシーモータル型フェストゥムを打ち落としていく。

 

 今のシーモータル型にワームスフィア現象を発生させる力はない。彼等の()()手段は、触手による刺突と同化現象のみだ。更にその体躯は戦闘機程と小柄で、ファフナーであれば対処は易く、通常兵器での撃滅も十二分に可能である。

 

 鉛弾とプラズマ火球の直撃を受けてコアを喪失し、自らワームスフィア現象に呑まれて消える黄金の珪素生命体達。

 

 その総数は減少傾向にあるものの、とても人類側が優勢であるといえる状況ではなかった。

 

 シーモータル型フェストゥムを生み出す親玉が、未だ健在であるが故に。

 

《……慧》

 

 ファフナー・ティターン・モデル――その三番機に搭乗した将陵僚が、一瞬だけ空を見上げた。

 

 少し前まで、天空には六体のスフィンクス型フェストゥムがいた。

 

 今は四体にまで減っている。

 

 三体の敵と、言祝慧のスフィンクス体だった。

 

 ファフナー出撃から五分と経過していないにも関わらず、慧は恐るべきスピードで敵を屠っている。しかしそれは対フェストゥム戦の経験がほとんどなかった竜宮島勢力から見た戦況だ。

 

 慧は、自己の経験に基づいた情報から、客観的に状況を分析する。

 

(……想定していたよりも当方が劣勢。同輩の個体防壁が堅く、同化耐性も高いである。ミールが今の吾輩の能力を理解し始めているのか。厄介であるな)

 

 慧はスフィンクス型フェストゥムの亜種だ。

 

 配下の群れを生み出す能力を喪失した代わりに、思考防壁と探知・同化能力が極限まで高まっている。ミールとの同期を断ち、その上で敵フェストゥムのコアを食らい同化することを繰り返した結果だった。単独で自らのコアに情報を集積し続けたことにより、誰にも予測のつかない変化が“彼女”に生じている。

 

 慧は剣状に変化させた右腕を、敵フェストゥムの胸部に目掛けて突き立てた。

 

 しかし剣先は届かない。半ば可視光で形成された防壁が、剣の接触を阻んでいる。

 

《おおぉぉぉおおおおおおおおッ!》

 

 裂帛と同時に、右腕の剣が防壁を砕いた。

 実体非実体を問わず、あらゆるものは振動している。音波、電磁波、重力波と様々な名が存在しているが、場と大気など伝導を媒介するものが違うというだけで結局のところ同じ振動なのだ。ともすれば至近距離の被同化状態で波長を合わせ共振させれば、如何に超次元現象によってフェストゥムが生み出した防壁といえども破ることは可能なのである。

 

 鋭い剣先が黄金の体に突き刺さる。

 

 普段の慧ならば一次接触が叶った時点で同化を試みるのだが、敵スフィンクス型は高い同化耐性を有している。このままコアを破壊する必要があった。

 

 慧は変形させた右腕の剣を()()()()

 

 剣が峰に沿って縦に割れ、敵フェストゥムの体を抉り開いた。それと同時に開いた剣の根元にワームスフィアを発生させて敵のコアに直接撃ち込む。

 

 ファフナー・ティターン・モデルが使用するガンドレイクを模倣した攻撃。

 

 ワームスフィアを弾に見立てて砲撃する技――ワームショットである。

 

 コアをゼロ次元へ捩じ切られたことで敵フェストゥムは自壊。自らの体をワームスフィア現象によって覆い、無へと還る。

 

 残る敵は二体。

 

 二体の敵は、Lボートに向かって降下している。

 

《させるものか――吾輩はここにいるぞ、同輩よ!》

 

 自らの存在を告げ、慧は敵の後を追い急降下。一体の背に剣を突き込み、残る一体を左腕から伸ばした触手で絡め捕ろうとする。しかしやや遠方だったこともあり、触手は全て回避された。一体はその場に留めることが叶ったが、二体目の敵フェストゥムはそのままLボートと接触する。

 

 敵フェストゥムの背部が暗黒に輝く。それを引鉄に生じる無数のワームスフィア。突如として出現した黒球によって、Lボートと四機のファフナーの各所が球形に捩じ切られる。

 

 その攻撃を背部に受けて、一機のファフナーが転倒。機能停止に陥った。

 

 背中を刳り貫かれる激痛を味わい、搭乗者が気絶したのだ。

 

 間を置かず、複数の人間が甲板上に現れる。停止したファフナーの交代要員とその補助を務める乗組員達だ。

 

 そんな彼等に、敵であるスフィンクス型フェストゥムが問い掛ける。

 

《あなたはそこにいますか?》

 

「―――――!」

 

 気が付けば、黄金の巨体が目と鼻の先にまで迫っていた。

 

 身を護る術はない。ファフナーを当てにしたいところだが、残る三機は態勢を立て直している最中か、あるいはシーモータル型に気を取られていて他人を気遣う暇はなさそうだ。

 

 その場にいた誰よりも早く――立木(たちぎ)(じゅん)は己の死を悟った。

 

 フェストゥムはそんな彼に祝福を与える。無の祝福――ワームスフィア現象が、惇達三人の体をすっぽりと覆い尽くした。

 

 やがて黒球はゼロ次元へと捩じ切れるように消失する。

 

 しかし、惇達は変わらずそこにいた。いなくなってはいなかった。代わりに、一人の少女が彼等を護るようにフェストゥムの前に立ち塞がっている。

 

 言祝慧のスレイブ体だ。彼女が展開した防壁によって、惇達は命を拾ったのだ。

 

「お前、俺達を護ってくれたのか……?」

 

「うむ。お前達は吾輩の重要な観察対象である。今ここでいなくなられては困るのだ。概ねの状況は把握している。手短に用事を済ませろ。それまでは吾輩がお前達を護るである」

 

「分かった。……ありがとう」

 

 淡々と答える慧に礼を告げ、惇達は走り出した。

 

 敵フェストゥムは更にワームスフィアを発生させようとするが、しかし僚と祐未の搭乗する三番機と四番機の攻撃によって阻止された。敵フェストゥムはシーモータル型を盾にしつつ、二機のファフナーを翻弄するように動き回る。

 

 倒れたまま動かないティターン・モデル二番機からパイロットの柳瀬(やなせ)(とおる)を助け出し、入れ替わりに立木惇がコクピットに座った。

 

 展開したコクピットとファフナーの胸部装甲が閉ざされるまでの間、惇は気絶した徹を連れ乗組員達がLボート内へ避難していく様子を見る。彼等を誘導し、時に敵の攻撃から護る慧の姿まではっきりと。

 

 完全にコクピット・ブロックが格納されたのを確認してから、惇は操縦桿であるボックス状のユニットにそれぞれ両手を差し込み――ニーベルング・システムに接続する。

 

 それと同時に機体と同化。瞳が赤色化し、苦痛に呻く。

 

 視界が明ける。人間よりも広い視覚を受け入れる。ファフナーの目は己の目。この紅い巨人の体は自分の肉体。立木惇はその事実を受け入れてファフナーと一体となり、TSX-002――ティターン・モデル二番機を起動させた。

 

《惇君、機体は動かせそう?》

 

 脳の視聴覚野に直接届く声と姿。それは一番機のパイロットである鏑木早苗のものだった。

 ティターン・モデルに搭載されたジークフリード・システムとのクロッシングによって、一番機と二番機、それから三番機と四番機のパイロットは敵の読心能力を防ぐため思考を共有している。そのため、機械的な通信装置を用いずに会話することが可能だった。

 

《ああ、機体の損傷は大丈夫だ。一番機はそのままシーモータル型の相手を頼む! こいつは俺と、三番機と四番機で叩く!》

 

 三番機と四番機――僚と祐未にハンドサインで合図を送り、惇は駆けた。

 

 即席のトリプルドッグ。惇が囮となって牽制し、敵の注意が逸れた瞬間を狙って両脇から二機のファフナーが突貫する。

 

 二振りのガンドレイクが防壁に阻まれる。しかし僚と祐未は互いに異なる波長で攻撃を行い、敵の防壁を無効化した。

 

 振るわれたガンドレイクの切先が、敵フェストゥムを切り裂く。

 

 そこに止めを刺すべく、惇が右手のガンドレイクを敵フェストゥムの胸に突き立てた。深々と貫いた後、刃を展開してプラズマ火球を直接コアに撃ち込む。

 

 三機のファフナーは迅速に退避。敵スフィンクス型フェストゥムがワームスフィア現象に呑まれる様を確と見届ける。

 

 そして――彼等は空を見上げた。

 

 奇しくも丁度、慧のスフィンクス体が敵スフィンクス型フェストゥムを討ったところだった。

 

 慧のスフィンクス体は勝利の余韻を欠片も見せず、そのままシーモータル型の掃討に移行する。探知能力によって三十体以上いるシーモータル型の存在を捕捉。彼女は片腕を奮い、多数のワームスフィアを発生させて全ての敵を消し去った。

 

 * * *

 

「―――女神だよ女神! 慧は俺達の女神様だ!」

 

 戦いの後、目覚めた徹はそんな風に調子よくうそぶいていた。

 

 言いたいことは分からないでもない。俺も惇も祐未も――このLボートの乗組員は皆、彼女に助けられたようなものだ。危険が多い敵とのファースト・エンゲージを引き受けただけでなく、主戦力であるスフィンクス型を五体中四体も倒してくれたのだから讃えたくもなるだろう。

 

 特に戦闘中に敵の攻撃で気を失い、パイロット交替からLボート内への退避までの間ずっと人間の姿の方の慧にも助けられた徹は完全に彼女のことを信用しているようだった。

 

 ……そのこと自体には問題はないと思う。

 

 現に彼女を迎えたあの日から――誰もいなくなっていない。

 

 慧は俺達の味方だ。それは間違いない。だけど女神だなんて、そんな言い草は胸が悪くなる。調子がいいとか大袈裟過ぎるとかではなく――もっと別の所で、何かが引っかかる気がした。

 

「どうだか。フェストゥムはフェストゥムだろ」

 

 ……まあ、剛史の言いようも、思うところがない訳ではないけど。言いたいことは分かるし、むやみやたらに否定していい立場でもないので、特に反論することはしなかった。

 

 事ここに至って、俺達L計画参加者の中で慧に対する見方は完全に割れていた。

 

 徹のように信頼するもの。

 剛史のようにあくまで敵であるとして線を引くもの。

 

 勢力としては前者の方が多い。言うまでもなく、俺も前者だ。しかし徹達のように崇め奉るような姿勢を取りたくはない、というのが個人的な気持ちだ。俺は慧とは友達でありたい。たとえ冗談でも女神だとか守護神だとか、そんな風に呼ぶのは嫌だった。

 

「……まあ、徹は暫く休んでろよ。俺はちょっと潮風に当たってくる」

 

「足繁く通ってるなぁ僚は。こりゃ、誰かさんもピンチかもしれないな」

 

「なんで私の方を見ながら言うのよ、惇」

 

 祐未が惇を睨む。すると惇はおどけた仕草で両手を上げて肩を竦めた。

 

 医療室を後にしようとしたところで、追いかけてくる足音が一つ。

 

「待って僚、私も一緒に行くわ」

 

「了解。あいつも人が多い方が喜ぶし。他にも誰か行かないか?」

 

 医療室にいる面々に声を掛ける。

 

 ファフナーでの戦闘後はパイロットのメディカルチェックが必須であるため、必然的にここは俺達の溜まり場になり易い。今ここにいるのも全員がパイロットだった。

 

 剛史は当然のように無視。

 

 徹は手を挙げたが、あいつはまだ安静にしていなければならないのでこっちでスルーする。

 

「ん、じゃあ俺も行こうかな。さっき助けて貰ったお礼も言いたいし」

 

 頷いたのは惇だ。

 

 なら三人で甲板に行くか、と話がまとまりかけた時。

 

「―――あの。私もついて行っていいかな。……迷惑じゃなければ、だけど」

 

 ベッドに横たわった少女――同化現象によって倒れた二人目のパイロット・鏑木早苗が、おずおずと手を挙げた。




名前だけ言われても分からないよ、という人のためにROLの登場人物をまとめてみました。作品の理解に繋がれば幸いです。

早乙女(さおとめ)柄鎖(つかさ)
 L計画作戦司令官。情に流されない冷静沈着な性格の人物。計画終了までの二か月間を生き延び脱出艇に乗るも、海中でフェストゥムの襲撃を受け死亡。

立木(たちぎ)(じゅん)
 L計画に参加したパイロットの一人。計画終了までの二か月間を生き延び脱出艇に乗るも、海中でフェストゥムの襲撃を受け死亡。
 ROL冒頭の二度目の卒業式の後、僚に「お前も自分の気持ちにケリつけとけよ。好きな相手に告白するとか、何でもいいさ。……心残りってのは最悪だ。きっと」と告げた。恐らくこの台詞からラストの僚の告白に繋がったと思われる。

船橋(ふなばし)幸弘(ゆきひろ)
 L計画に参加したパイロットの一人。戦闘後ファフナーのコクピットで意識を失い、僚に救出されるも、同化現象の末期症状により最初にいなくなった。

柴田(しばた)小百合(さゆり)
 L計画に参加したパイロットの一人。ファフナーの同化現象によって最初に倒れ、その後いなくなった。

鏑木(かぶらぎ)早苗(さなえ)
 L計画に参加したパイロットの一人。ファフナーの同化現象によって二番目に倒れ、その後いなくなった。
 鏑木彗の姉。L計画参加に際して三つ編みにしていた長髪を切っており、家に置いていった。結果的にこの髪が形見となってしまう。EXODUSにおいては彗のSDPによって彼女の御守りだけが島に帰還した。

柳瀬(やなせ)(とおる)
 L計画に参加したパイロットの一人。ファフナーの同化現象によって三番目に倒れ、その後いなくなった。
 ROLではLボートの補給物資が解放された際、甲板にいた僚と祐未を呼びに現れた。

村上(むらかみ)剛史(たけし)
 L計画に参加したパイロットの一人。激戦の末、搭乗していたファフナーは大破。剛史自身も死亡する。
 恐怖と絶望から「どうせみんないなくなる」と壁に書き殴った。
「馬鹿野郎! なんであんなこと書いた! 言え! なんでだ!!」


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