すわのたわむれ (翔々)
しおりを挟む

ある少年と少女の別れ。あるいは始まり

 意外と少ないよね、東方とFGOのクロスオーバー。



(どうしようかなぁ)

 

 藤丸立香は悩んでいた。常にポジティブで細かいことは気にしない、クラス一のマイペースぶりで知られる少年にしては珍しく、丸一日も悩み抜いていた。

 

 くしゃくしゃになった紙一枚。そこに記された内容と連絡先が問題だった。それまでの人生で考えもしなかった選択肢が突然浮かび上がり、頭から離れないのだ。

 

 受けるべきか、断るべきか。

 

 うんうん唸っている内に、周囲からひとり、またひとりと消えていく。いつまで経っても答えが出せず、ああもうどうしたものか、と顔を上げたところで、

 

「あれ、藤丸君? まだ残ってたんですか?」

 

 クラスメイトの少女が、悩める少年へと声をかけたのだった。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 高校一年の夏。梅雨が明け、期末試験という一大イベントもクリアした同級生達は、40日間の長い休みをどう過ごすか、スケジュール作成に余念がない。立香もそのひとりだった。月のお小遣いと臨時のアルバイトからなる軍資金は頼りない事この上ないものだったが、自由に使えるのだと思えばホクホク顔にもなる。都会の気になるスポットと交通費を計算して何度も青ざめたりしながら、立香は楽しくスケジュールを組んでいった。

 

 そんなこんなで予定が完成した、夏休み前の最後の日曜。父親が東京へ出かける用事ができたという。前倒しで東京に行ける上に、行きと帰りの交通費がまるまる浮くのだから、この機を逃してはならない。渋る父親を拝み倒した甲斐もあって、無事に連れていってもらうことになった。

 

 地方の田舎町でのんびり暮らす学生にとって、都会は液晶の向こう側の世界である。ブラウン管が妙な英数字を売りにしたモニターになろうと、ガラケーがスマホになろうと、根本的には変わらない。ごちゃごちゃとした東京の街並みはそれだけでインパクトがあり、息苦しさと同じぐらいのエネルギーも伝わってくる。

 

 上野に浅草まではよかったが、渋谷にきたところで限界がきた。人酔いでふわふわした感覚のまま、ジューススタンドで300円のメロン味をすすりながら、絶え間なく行き交う人々を眺める。この街を埋め尽くすひとりひとりに別々の目的があるんだなぁ、と普段なら絶対に考えないような感想を抱きながら、視界の端に気をとられた。

 

 待ち合わせに使われる広場に、白いワゴン車が停まっていた。周囲には献血を呼びかける看板が幾つか立てられ、数人の男女が汗をかきながら呼び込みに励んでいる。どうやらかんばしくないようで、順番待ちの人影も見当たらなかった。

 

(たまにはいいか)

 

 これといって理由はない。めったに来れない東京に来ることができたので、何でもいいから世の中のためになることでお返しをしよう、とも思っていない。藤丸立香は根っからの善/中立である。帰りにポカリとかもらえたらいいな、ぐらいしか考えていなかった。

 

 たったそれだけの思いつきが、少年の人生はおろか、世界の運命すら変えることになると、誰が予想しただろうか。

 

 この時の立香はいっさい知らない。世界には魔術とされるものが本当にあることも、現代においてなお研究されていることも。そして、自分が魔術の世界に放り込まれ、数奇な旅に出ることも、何一つ知らなかった。

 

 空になった紙コップを捨てて、炎天下の屋外に向かって歩き出す。タオルで汗をふく係員に近寄って、すぐに出来ますか、とたずねる。喜色満面になった係員に誘導されて、必要事項を書類に記したら、ステップを登ってワゴンへと足を踏み入れる。

 

 妙にやさぐれた、左遷されたサラリーマンのような哀愁ただよう医者がそこにいて――――

 

 

   ◇◇◇

 

 

「それで紹介されたのが、夏いっぱいの海外派遣アルバイト、ですか。なるほど、なるほど」

 

 うんうん頷いていた少女がピタリと制止して、

 

「詐欺っぽい!」

「やっぱり?」

「だって怪しさ満々じゃないですか! 上京先で偶然受けた献血のワゴンで熱心に勧誘されるって、どこのアニメの展開なんです!? 私は好きですけど! ええ、そういうの大好きですけど!!」

 

 カエルのブローチを揺らしながら、立香の相談に乗っていた学級委員の東風谷早苗が楽しそうに笑った。一学期の終業式後、ホームルームも終わった教室には誰も残っていない。片付けを理由にひとり残った彼女に、ちょっと相談に乗ってくれないか、と持ち掛けたのが十分前。時間を割いてもらった分、楽しんでくれたならいいかと思う。

 

 ふたりとも、特別な関係ではない。都会とは縁のない田舎町で生まれて、同じ小学校と中学校で席を並べて育ち、これといった希望もなかったので公立に進学した。平凡なサラリーマン家庭の一人息子である藤丸立香と違って、東風谷早苗は先祖代々から続く神社の家系に生まれたお嬢様である。彼女本人が生まれをひけらかすような真似を好まないのもあって、クラスメイトとの付き合いは良好。悩み相談を頼まれるのもしばしばで、そのたびに嫌な顔ひとつ見せずに答える彼女の姿を、立香も何度か見たことがあった。

 

「家の方はどうなんです? お父さんが「人生は何事も経験だ」と賛成だけど、お母さんが心配して反対とか」

「正解。でも、紹介先に電話して詐欺じゃないって確かめたら、自分の好きにやってみなさいっていわれた。海外に行ける機会だからいいんじゃないかって」

 

 実際、悪い話ではなかった。派遣先は南極というこれっぽっちも馴染みのない極寒の地だが、世界でもまれなハイテクによって構築された施設内は人体に最適な環境を保ち、確かな技術の医師も揃っている。食料や娯楽も備蓄され、各種保険も問題ない。海外経験として履歴書にも書けるし、何なら卒業後に関係機関へ斡旋できるとも。ちょっとグッときた。

 

 断る理由も、詐欺の疑い以外はあってないようなものである。夏休みをフルに使うのがもったいない、せっかく組んだスケジュールが台無しになる、もっとぐうたらしていたい、友達と遊びたい、言葉や習慣の違いによる不安、etc……海外派遣、それも南極というとびっきりの異境で過ごす経験に比べたら些細なことだった。

 

 東京で遊ぶスケジュールは来年に回せばいい。のんびり過ごしたいなら、冬休みを寝正月で満喫しよう。言葉だってスマホの翻訳アプリがあるじゃないか。ダメならボディランゲージで乗り切ろう。南極は今しかないのだ。この機会を逃したら、海外経験なんていつ出来るかわからない。

 

「それ、もう答えが出てません? 行きたいっていってるようにしか聞こえませんよ」

「そうなんだけどね」

 

 何かがひっかかっている。

 

 反対する者はいない。自分の中の好奇心が抑えられない。パスポートも問題ないし、スーツケースへの詰め込みも終わらせた。親も自分が行くものだと思っている。後は相手に連絡するだけでいい。準備は整っていた。にも関わらず、自分は迷っている。

 

 何故?

 

「いいと思うなぁ、海外。素敵じゃないですか」

 

 目を細めながら、早苗が続ける。

 

「私はこの町から出たことがないから、絶対にそうだなんていえません。新しい環境に馴染むのって大変だと思います。でも、クラスのみんなや大人の人達の話を聞いていると、辛いとか苦しいだけじゃないんです。その中で良いこともあるし、頑張りが報われたって嬉しそうに話すんですよ。それは、町から出てみて、初めてわかることだと思うな」

 

 由緒ある神社の跡取りに生まれ育った少女は、どこか遠くを見つめるようだった。藤丸立香と向き合いながら、その向こうの誰かに訴えかけている。しかし、彼女の言葉はまぎれもなく立香の身を案じた言葉であり、後押しのためのものだった。

 

「私は応援しますよ、藤丸君。南極に行って、色々なことを見たり、聞いたりしてきてください。その全部を持ち帰って、みんなに伝えるんです。あんなことがあった、こんなことがあったって。それは、あなたにしか出来ないんですから。私でも先生でもない、他の誰でもない、あなただけが出来ることなんですよ」

 

 エメラルドグリーンに輝く瞳を見つめた瞬間、立香の胸に何かがすとんと落ちた。

 

(ああ、そうか)

 

 はっきりとはわからない。どうしてそう思ったのか、説明がつかない。それでも確信できた。たった一つの答えを得るために、自分は彼女に声をかけたのだと、少年はようやく理解した。

 

「東風谷さん」

「はい?」

「君も、どこかに行くの?」

 

 その瞬間を、藤丸立香は生涯忘れない。

 

 世界から音が消えた。聞こえていたはずのセミ達の鳴き声がピタリと止み、廊下を歩く生徒や教師の存在が遮断される。無音。確かにあったはずの環境音が活動を停止すれば、世界は驚くほどの静寂に包まれた。一学期を過ごした教室の中では過去と未来の一切が消失し、ただ今だけが存在を許される。

 

 東風谷早苗。

 

 彼女は、ただひとり、そこにあった。

 

「どうしてそう思うんです?」

「否定しないんだね」

「答えてください」

 

 少女は笑っている。いつもと変わらずに。ただ、その笑顔にはおよそ人間味というものが消失していた。彼女が巫女であるなら、彼女の信仰する神が降りたのかもしれない。先ほどの問いかけは、神の機嫌を損ねるような内容だったのだろうか。あるいは別の、何らかの。

 

 答えなくてはならない。動揺している頭でも、それだけはわかる。彼女の気が変わるまでに正しく答えないと、何かよくないことが起こるかもしれない。普段はまったく働かない直感が全力で訴えかけている。

 

「さっきさ。向こうで見聞きしたことを“みんな”に伝えろっていったじゃない」

「はい。確かにそういいました」

「いつもの東風谷さんなら“私に”っていうと思ったから。ああ、自分だけじゃないんだって。東風谷さんもどこか遠くに行くんだろうなって、何となく思ったんだ。それだけ」

 

 嘘ではない。本当にそう思い、納得できた答えだった。彼女が否定してもおかしくない。勝手な詮索をするなと怒られても仕方がない。もしそうなったら謝ろう。謝って済むかどうかはわからないが。

 

 立香の答えを聞いても、早苗は制止したままだった。真偽を問いただすように、緑色の瞳を一心に向けて見つめてくる。無言の問いかけも緊張するが、視線をそらせばどうなるかも不安なので、立香も黙って応酬する。

 

 誰も入ってくることのない、たったふたりで残った教室の中。突然始まったふたりの無言のやり取りは、いつ終わるかもわからないほど続く。

 

 五分。

 十分。

 三十分。

 

(どうしよう)

 

 さすがに困ってきた立香が視線を外そうとしたところで、ケロ、と小さな鳴き声が聞こえた。ふたり以外の音が消えたはずの空間で、久しぶりに聞いた第三者の声。カエルだと思ったが、すぐに違うと気づいた。あれは子供の声真似だ。

 

 目の前の少女がびくん、と硬直した。超然とした顔つきがみるみるうちに人間味を取り戻し、あたふたと挙動不審になって両手をぶんぶん振り回す。まるで誰かにからかわれたのを取り繕っているかのような、小学校時代に何度か見かけた東風谷早苗の仕草だった。

 

「違います! 諏訪子様、違うんです! 絶対バレちゃいけないと思って、でも本当にバレてたら私の存在ごと忘れさせなくちゃダメかなーって思ったから、ちゃんと見極めるつもりで睨んでたんです! 『早苗に放課後ふたりっきりで過ごす相手が出来るなんて』ってどういう意味ですか! 相手は幼馴染ですよ!?」

「もしもし、東風谷さん?」

「あ、まずっ……いやそうじゃなくて! ごめんなさいひとりで勝手に騒がしくしちゃって! ええと、落ち着いて、息を吸って……ああもう、諏訪子様は黙っててください! わかってます、もう隠しても無駄ですから」

 

 二度三度と深呼吸してから、早苗が表情を一変させる。その顔にはうっすらと赤みが残っていたものの、伝えたいことがあるのだと訴えてくるものがあった。こちらも居ずまいを正して向かい合う。

 

「本当は、誰にもいわないつもりだったんです。大騒ぎになるから。みんな、良い人達だから。内緒のまま、黙って行こうと思ったんです」

「そこは遠いの?」

「はい。私も、初めて行くところです。ここではない、遠く。藤丸君が南極に行くのと同じか、もしかしたら、それよりも遠いところに。飛行機も、電車も繋がっていません。船でも行けません。インターネットもありませんから、メールも届かないんです。どこまでも遠いところに、私は行きます。何よりも大切な二柱のために」

 

 早苗の両手が宙に静止した。包み込むように開かれた掌が、はっきりとナニカを抑えている。もしそこに子供がいたら、ちょうど両肩にあたる位置だった。

 

「藤丸君には見えないでしょう? でも、確かに存在するんです。この地を守ってきた洩矢諏訪子という神様がここにいる。そしてもう一柱、八坂神奈子という神様が私の家にいるの。二柱とも、私以外の誰の目にも映らなくなってしまったけれど」

 

 早苗の言う通り、藤丸立香には何も見えない。小中高の十年間を通して、早苗がたまに見せる奇行から『ああ、何かがそこにいるんだな』と知るのが当たり前になった。何もいないぞ、と否定する気にはなれなかった。彼女と同じものが見えないのが、同じ世界を共有できないのが、幼馴染として申し訳なかったのだ。

 

「科学の発展にともなって、幻想は消えた。神秘は廃れた。もはや人は神に頼ることなく、人の力でもって文明を発展させることができる。そこに二柱の生きる場所はない。誰にも頼られなくなった神は、信仰を失い、ただ消えゆくだけの存在になる」

 

 でも、と彼女は続ける。

 

「私はいや。ふたりに消えて欲しくない。赤ん坊の頃から私を慈しんでくれたおふたりに、力を取り戻してほしい。ここでダメなら、それが叶うところに行く。だから探したんです。何年も何年も。どんどん薄れていくふたりの姿に怯えながら」

「そうして見つけたんだね」

「はい。もう準備も整ってます。もっと早くに行けたんですが、真面目に学校生活を送ってからにしろとおふたりがいうので、今日になりました。いつ消えてしまうかもわからないのに、過保護だと思いません? お気持ちは嬉しかったですけど……親の心子知らず? 知ってますー! むしろ私が心配してるんですからね!」

 

 仲良さそうに口論を始める早苗を、立香は微笑ましさ半分、寂しさ半分で眺めるしかなかった。十年間も過ごしてきた幼馴染であっても、彼女にとっては別れを告げる以上の存在ではない。彼氏彼女のような関係を望んだことが無いとはいえないが、たとえそうなったとしても、彼女は二柱を選んだのではないか。

 

 もう一生会えないんだろうな、と立香は察した。彼女達の向かう先がどこなのかは見当もつかないが、きっと途方もない距離を隔てた別世界なのだろう。この世で存在することができなくなった神々が生きる世界。そこにはマンガやアニメでしか見られない妖怪や悪魔もいるのだろうか。そこに暮らす人々は、どんな生活をしているのだろうか。

 

(南極とも違うんだろうな)

 

 立香は何気なく窓の向こうを見やった。夏の夕暮れはとっくに過ぎ、月まで浮かんでいる。きゃあきゃあとナニカを追いかける幼馴染に、もう夜だよ、と声をかける。ぎょっとなった彼女が慌てた様子で学生鞄を抱えて、帰りましょうか、と返事をくれた。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 夏休み明けは説教だから覚悟しとけよ、と担任のありがたい言葉を頂いて、立香と早苗は校舎を後にした。ところどころ切れた電灯の照らす夜道は、地元民でも油断をすると事故になりかねない。一学期で通い慣れた道をふたり、肩を並べて歩き続ける。

 

 会話は尽きなかった。思い出はいくらでも浮かび上がる。帰り道で通りがかるスポットについて話し合ったり、シャッターの降りたままの店が並ぶ商店街の未来に顔を曇らせ、行き交った人々に挨拶しながら、生まれた町の営みを目に焼き付ける。それが旅立つ彼女の思い出になるのだと、立香は信じた。

 

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 

 気がつけば、早苗の足が止まっていた。

 

「東風谷さん?」

 

 数メートル先で振り返った立香の前で、早苗は鞄の中から小さな長方形のふくらみを取り出して、ぎゅう、と握り締めた。小走りに近づいてくるやいなや、

 

「はい、どうぞ!」

 

 と突き出してくる。いわれた通りに受け取ってみると、彼女の神社で販売しているお守りだった。匂い袋も兼ねているのか、上品な香りがする。何が書かれているのだろうと裏返してみても、これといった文字が見当たらない。立香としては“祈願成就”とか“厄除守”かと思ったのだが、いったい何なのだろう。

 

「私がたっぷり力を込めた、特注のお守りです。そんじょそこらのお守りとは違いますよ。なにしろ私、神様が保証するぐらいの力の持ち主ですから。きっと藤丸君のピンチを救ってくれます!」

「南極で遭難しても助かるかなぁ」

「大丈夫です! 諏訪子様もそうだそうだといっています!」

 

 ぽすん、と腹を叩かれたのは気のせいだろうか。早苗が目を丸くしている様子からして、諏訪子という神様が景気づけでもしてくれたのかもしれない。視ることもできない小僧に優しいな、と立香は感謝したくなった。

 

「ありがとうございます」

 

 ぺこり、と会釈する。

 

 全身をペタペタと触られる感覚が一気に襲いかかった。特に脇腹が凄い。そこそこ鍛えている筋をつるりと撫でさすられ、変な声が出そうになるのを必死にこらえる。幼馴染の少女の前で出してはならない声だった。別れる前にこんな思い出は勘弁してもらいたい。

 

「諏訪子様、ストップ! ダメです、そこはダメです! 秘孔を突いてます! こんなところで目覚めたらどうするんですか! 嬉しかったから? いや気持ちはわかりますけど、TPO的にいけません! 藤丸君、こらえて! 意識をしっかり保って!!」

 

 秘孔ってなんだ、とか。目覚めたら自分も神様が視えるようになるんだろうか、とか。ますます激しくなるボディタッチに堪えながら、立香は早苗の救けを待つ羽目になった。

 

 数分後。

 

「気絶するかと思った」

「ごめんなさい、諏訪子様に悪気はないんです。数十年ぶりに触れられる人と会えたから、嬉しくてついやっちゃったと謝ってます。たぶん、私のお守りを持った影響だと思うんですが」

 

 どうにか耐えきった立香がぜいぜいと息を荒くする背中をさすりながら、申し訳なさそうに早苗が説明する。お守りひとつでオカルトにまったく縁のない立香が知覚できるのだから、早苗の霊力は本物である。元々疑ってはいなかったが、立香もいよいよ信じるつもりになった。

 

 おかげで気付くこともある。

 

「数十年っていうのは、そのままの意味?」

「はい。さっきの説明は、全部本当ですから」

 

 先ほどのボディタッチの激しさから、諏訪子という神様はずいぶんと人慣れしているというか、コミュニケーションを取りたがる神様なのが伝わってくる。容赦のないくすぐりと急所を巧みに突いてくる怖さこそあっても、敵意や命の危険はいっさい感じなかった。神でありながら人と同じ目線に降りて共に過ごす、子供のような遊び心が多分に含まれていた。

 

 それほど人に馴染み深い神様が、何十年もの長い月日の中で、早苗以外の誰にも存在を知られずに過ごしてきたという。

 

 同じ町にいながら、誰の目にもとまらず、声も届かない。掌をあてても、相手は触れられていることにすら気づかない。自分はこの町にまぎれもなく存在しているのに、町の人々は自分の存在を知らず、昔からある神社にまつられた神の名前としか認識しない。それ以上にも以下にもなれず、かげろうのようにうっすらと消えていく。

 

 それは、どれほど怖いことだろう?

 

 立香には想像もつかない。平凡な田舎町に暮らす、どこにでもいる学生でしかない少年には、神たる存在の苦悩も、それを信じる巫女の思いも、すべてを共有するにはあまりにも経験が足りなかった。

 

 どこまでも善良な彼にできることは少ない。おそらくは早苗の隣に立っているであろう、子供の背丈ほどの神様と視線を合わせるように膝をついて、思ったことを正直に伝えるだけだ。

 

「神様も寂しかったんですね」

 

 顔面からものすごいタックルをくらった。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 満月が照らす夜道を歩くうちに、いつしかふたりは無言になった。話すことはいくらでもある。それでも無意識に感じていた。話せば話すほど別れが辛くなる。名残惜しくなってしまう。もしかしたら、それは少年ひとりの苦痛でしかなく、少女がおもんばかっているだけかもしれない。巫女の心はいつだって二柱に向けられているのだから。

 

 早苗の暮らす神社の山道にたどり着いたところで、ふたりの足は止まった。

 

「ここでいいですよ」

「すぐに行くの?」

「はい。これから向こうに行くための儀式をするんです。藤丸君は来ちゃダメですよ? 力の無い人が巻き込まれたら、どこに飛んじゃうかわかりません。もしそうなっても、誰も助けられないんですから」

 

 昨日までなら疑いもしただろう。だが、今となっては立香もその言葉を信じられる。目の前の幼馴染は、心底少年を案じてくれている。彼女とその保護者達の出発を、そばで見送ることもできないらしい。

 

 いまの自分にできることは、何もない。

 

「じゃあ、」

「はい、さようなら」

 

 また明日、と言いそうになった自分に被せるように、早苗が離別を告げた。髪留めのブローチと同じ色彩の髪をふわりとなびかせて、深々とお辞儀をされる。これ以上の深入りは許さないといいたげな、明確な拒絶。

 

 どこまでも無力だった。

 

 彼女にならうようにして、立香も頭を下げる。再び顔を上げた時、早苗は同じ姿勢のままだった。何の言葉もかけられずに、ためらいながらきびすを返して、来た道を戻っていく。

 

 振り返ることができない。

 

 満月の光を背に受けながら、ついさっきまで少女と歩いた道をひとりで歩く。昨日までの日常から、ひとりの存在がぽっかりと抜け落ちて、明日からの日常が続くのだろう。彼女の蒸発は町を騒然とさせるに違いない。最後に会っていた自分にも、警察から質問されるかもしれない。今日中にそのことを担当者に伝えておこう。国連機関が日本の警察に影響を持っているのかは知らないが、何もしないよりはマシだろうと自分を納得させる。

 

(好きだったのかな)

 

 立香にはわからない。誰にでも優しく接する早苗の存在は、そこにいるだけで場を明るいものにしてくれた。綺麗な、よどみのない、母親にも似た優しさで満たされた空間は、神とともにある巫女としての力によるものだったのだろう。あるいは洩矢諏訪子と名乗るいたずら好きな神様の力かもしれない。はたまた、自分は名前しか知らない、八坂神奈子という神様のおかげか。

 

 もう少し自分から歩み寄っていたら、ふたりの関係は違ったのだろうか。

 

(わからないや)

 

 彼女達は今日、この夜の内に消える。神がなけなしの力をもって存在した町は、とうとう人間だけになる。完全に信仰の消えた町が衰退するのか、発展するのかは、平凡な学生でしかない立香には予想もできない。ただ、そこに幼馴染の姿はなく、初めて触れ合った神ともう一柱も消失しているのは確かだった。

 

(寂しくなるな)

 

 お腹のあたりに、ぺた、とナニカが触れる気がした。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 少年の背中を最後まで見送ってから、少女は神社へと続く階段を登っていった。ヒュウ、と風が吹くとともに、ひとりの女が宙に浮かび上がる。その横には女の半分ほどの背丈しかない童女も並んでいた。

 

「本当に良かったのかい、早苗?」

「そうだよ。もうひとりぐらい、連れていくこともできたのに」

「良いんです。だって、あの人は普通の人なんですから」

 

 藤丸立香にはごく僅かではあったが、それでも才能があった。西洋では魔術回路と呼ばれる魔力の源泉が少年の体内にあるのを、神たる八坂神奈子と洩矢諏訪子、そして現人神に至った東風谷早苗ははっきりと感知したのである。

 

 魔術回路は常人が望んで得られるものではなく、代々魔術師の家系であっても、ただの一本も持たずに生まれることも珍しくはない。早苗の一族もそうだった。何代にも渡って魔力が薄まっていく中で、突然変異かあるいは先祖返りのような奇跡でもって早苗が生まれたのだ。

 

 小学校で出会った時から、早苗は立香の才能を感知し、二柱に相談した。もしかしたら、ふたりが視えるようになるかもしれない子がいる。驚いた諏訪子が何度かちょっかいをかけてみると、立香の反応はまちまちだった。気付く時もあるが、まったく気付かない時の方が多い。早苗のような飛びぬけた天才ではないにせよ、たまにでも気付く時点でスタートラインに立てている。鍛えれば成人する頃には視えるだろう、と諏訪子は見定めた。

 

 育てよう、と二柱は提案する。たとえ一人でも、神代の頃とは比べるべくもない脆弱な才能であっても、現代では稀な存在である。才能を伸ばして、自分達を信仰させるべきだ。そうすることで二柱は延命できるし、早苗にも同じ力を持った仲間ができる。いいことづくめではないか。

 

 盛り上がる二柱を前に、幼い早苗は初めて抵抗した。いけません、と。あの少年は、私達とは違うから。平凡な、どこにでもいる、普通の人生を送れるんだから。私達の領域にさらうのは間違ってます。

 

 何でもはい、はい、と聞き分けの良かった少女が頑固に反対する姿に、二柱の方が慌てふためき、ついには折れてしまう。惜しいとは思ったが、可愛い子孫のいうことならと立香の育成を諦め、保護者として成長を見守ることにした。

 

 その結果、見事に情が移ってしまったのだが。

 

「藤丸君は、普通の男の子なんです」

「そうだね」

「海外に行って、ここにはないものを見て、聞いて、経験して。そうして、いつかこの町からも出て行って、結婚して、子供を育てるんです。それは藤丸君だけの人生で、普通じゃない私が邪魔をしたら、いけないんです。そんなことをしたら、私はきっと、自分が許せない。もし彼がこちら側に来てしまったら、誰がそんなひどいことをしたんだって怒って、荒ぶる祟り神に堕ちてしまう。私は、藤丸君に、そうなった自分を見られたくない。だから、いいんです。私達は、どこまでいっても、住む世界が違うから」

 

 諦めたように微笑む少女を見るたびに、二柱はどうしようもない悲しみに襲われるのだ。

 

 自分達に力があれば、少女の願いは叶っただろう。世界から信仰が薄れることなく、神代からの習慣が根付いていれば、藤丸立香は神使として育てられ、巫女である東風谷早苗とともにあることを許されたに違いない。

 

 いっそ自分達が消えていたら、早苗は巻き込まれずに済んだかもしれない。滅びゆく神社のしきたりも伝えられず、不思議な力を隠して、ひとりの人間としてこの世を生きる。藤丸立香なら彼女を受け入れたはずだった。どこまでも善良で、懐が広く、好奇心の塊のような少年がそばにいれば、少女は周囲に拒絶される心配もなく平穏に生きていけたのだ。

 

 生まれる時代が違えば、叶ったかもしれない。

 何の力も持たなければ、成就したかもしれない。

 

 現実は違った。ひとりの少女の本心は秘され、少年の心に傷を残す形で、別離が訪れた。

 

(ああ、なんて――――むくわれない話だろう)

 

 境内を進む少女の背中を見送ってから、洩矢諏訪子はゆっくりと振り返った。満月がこうこうと照らす小山の頂にあって、神の双眸は眼下の町を隅々まで見渡す。やがてひとりの少年が家にたどり着き、心配そうにこちらを見上げる様を、はっきりと見た。

 

 

 ああ、わらべよ。いとしきこよ。

 なんじ、しにたもうことなかれ。

 

 

 神の祝福(のろい)がつむがれたことに、気付く者はない。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 その後を綴ろう。

 

 東風谷早苗は儀式をつつがなく終えて、敬愛する二柱とともに、この世から姿を消した。町の観光スポットと化していた神社と湖まで持っていくという前代未聞の神隠しは日本全土のオカルト界隈を騒がせたが、突発的な山崩れによる遭難という体でもって打ち切られ、いつしか名前を挙げられることもなくなった。

 

 藤丸立香は日付が変わる前に担当者へ連絡を入れたのが功を奏して、騒ぎになる前の早朝から手配された車に乗ることができた。飛行機ではビジネスクラスのゆったりとしたスペースに案内され、自分を勧誘したやさぐれドクターが上機嫌にすすめるままに飲み食いするという快適な時間を過ごしながら、日本から14,000km離れた南極の地へと出発する。

 

 人理焼却。

 

 人理漂白。

 

 東風谷早苗が去った後に世界を襲った幾つもの大事件において、藤丸立香という少年の活躍はけして公表されない。魔術という世界の裏側におけるカテゴリーでも、その名前を知る者は限られている。それは実力者達による世論操作の産物であり、善性に満ちた人格者達が少年の身を案じて動いた結果である。

 

 彼がどう生きたのか。

 どう戦ったのか。

 何を為したのか。

 

 

 

 か た わ ら に い た の は 何 だ っ た の か 。

 

 

 

 少年と少女が再び巡り合った時、答えが語られるかもしれない。

 




〇藤丸立香
 (悪)神に愛されがちな善/中立の少年。善でありながら悪を憎まず、悪にさいなまれてなお善であろうとする。その在り方は、人の生活に寄り添ってきた神にとっては何よりも眩しい宝物に映る。具体的には「私が守護らねばならぬ」と決意させるくらい。

 原作の三割増しで反英霊に好かれやすくなった。邪ンヌは呆れ果てて守ろうとするし、巌窟王はフル稼働で戦う羽目になり、ロボはこいつ本当に人間かと疑い、ゴルゴーンはさもありなんと諦め顔。鬼達ならマイルームで毎晩酒盛りしてるよ。

※感想での指摘をいただき、原作の藤丸立香は派遣先が南極であると知らなかったことが発覚しました。つまりここの立香は、高校一年の夏休みを南極で過ごすことを承知の上で参加した天然です。もっとヤバい奴だこれ。


〇東風谷早苗
 恋を恋と自覚する前に蓋をしてしまった少女。あと一年早く打ち明けていたら立香を巻き込んでいた。そうなった場合は藤丸立香(ぐだ子)が世界を救う。原作からして神社と湖ごと転移するという超人パワーを発揮しているため、現代人でありながらサーヴァント相手でも戦闘が可能と思われる。

 幻想郷でパワフルに活動中。外の世界から入ってくる情報に一喜一憂している姿が人里で見られる。その時の彼女は年相応の可愛らしさだとか。


〇八坂神奈子
 二柱のかたわれ。信仰としての顔役担当。力を失ってからは神社に籠もり、幻想郷へ移るための準備を進めていた。早苗寄りのポジションのため、立香に対しては客観的な視点から見る。なお、転移にあたって「全部持っていっちゃいましょう!」と提案された際は「えっ」と声が漏れた。

 信仰パワーをもりもり獲得中。諏訪子がなにか企んでいるのを察しているが、いっても聞かないので見逃している。困ったときは頼ってくるでしょ、と笑う姿はまぎれもなく家長ポジション。結構な苦労人タイプ。


〇洩矢諏訪子
 二柱のかたわれ。信仰としての実権担当。神奈子と違ってしょっちゅう外をほっつき回る。早苗と立香の仲にやきもきしていたが、十年かけてもくっつかなかったので「逃がさん……お前だけは……!」とばかりに自ら縁を結んだ。早苗も大事だし立香も大事。なんならイベントだって起こしてみせらぁ。ケツァルコアトルやゴルゴーン、お竜さん等とはシンパシーを感じる。パライソちゃんは泣いていい。

 実は立香へのタックル時に分霊体をくっつけている。補強されればサーヴァントになるだろう。クラスは鉄の輪と呪いを投げつけるからアーチャー。アヴェンジャー? ああ、そろそろ地上を恐怖のどん底に陥れてもいいかもね、マスター。ダメ? そんなー。


〇八雲紫
 未登場。早苗達が転移した幻想郷を管理するスキマ妖怪であり、策謀と冬眠が大好き。式神である金毛九尾・八雲藍の計算能力をもって外界の情勢を把握する。人理焼却とかなんてことしてくれちゃってるの、と頭を抱えているとかいないとか。

 幻想郷の実力者達の協力を得て、結界を最大限に強化中。おかげで眠れない。オモイカネこと八意永琳から薬を処方してもらおうか悩んでいる。結界の内側から外に繋げるとかやめろよ! フリじゃないぞ絶対だぞ! あかん、候補者が多すぎる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神の祝福/呪いが実るとき

 予想外の反響に驚きと喜びがたまりません。やっぱりみんな、こういうのを求めてたんやなって……! 私も読みたいんでみんなもっとFGOと東方のクロスを書くべきそうすべき。そしてごめんなさい、さすがにこれだけ感想返すのはしんどいので、全てに目を通すのでどうか返信はお許しください。続きを書いたから許して諏訪子様。

 ※質問等が多かったので、前回の人物設定にて藤丸立香の南極行きのくだりと八雲紫の状況について触れました。ゆかりんはともかく、ぐだ男がもっとアカンことになっている……!



 瘴気と煙に包まれた町を駆ける。かつては栄えていただろう都市に人の気配はなく、建ち並ぶコンクリートの建物はいたるところが破壊され、骨だけで形成された怪物が―――スケルトンとでもいうのか―――抜け道を塞ぐように群れを成している。それらの手には武骨な剣や槍が握られ、中には弓まで構えた個体までいた。

 

(マシュ達と合流するまで、逃げ続けるしかない!)

 

 藤丸立香は最悪の状況に追い込まれつつあった。彼には戦うための手段がない。つい先日まで平穏な日常を送っていた現代日本の高校生である少年には、命をかけて殺し合う覚悟もなければ技術もなかった。そんな彼を守るために大盾を手にした少女マシュ・キリエライトとは戦闘中に分断され、ろくに土地勘もない町を必死の思いで駆けている。

 

 スケルトン達のいない道を探しては逃げ込むこと、七回。

 

(罠だ)

 

 荒事の経験のない立香にも理解できた。あの怪物達は計算づくで配置されている。戦うすべを持たない自分に対して、ここまで周到に罠を張る必要はない。マシュや所長から完全に切り離すためのトラップなのだ。自分を町のいたるところに置かれた人型のオブジェ、苦悶を浮かべて石化した人々の一員に作り替えるために。

 

 敵の狙いがわかっていても、他に取れる選択肢がない。引き返そうにも、背後からは道を塞いでいたスケルトン達が密集して迫ってくる。やはり偶然ではないのだ。連中は、明確な意図でもって動いている。おそらくは、あの鎌を持った女のもとに。

 

 終わりはあっけなく訪れた。ぐるぐると走らされた終点は、ビル群の中心に作られた広場。何の遮蔽物もない、隠れるスペースを潰された空間に、とうとう獲物が追い込まれたのだ。酸素を求めて息を吐きながら、それでもと周囲を見回す少年の頭上から、ゾッとするほどに冷たい女の声が響く。

 

「自分がまだ死なないとでも思っているのですか」

 

 地面から幾条もの鎖が生える。足元に意識が向いたと同時に、二階の窓からも鎖が飛来した。逃げる時間も与えられずに四肢を拘束され、宙に拘束される。万力に締め付けられたような激痛が全身に襲いかかり、たまらず声を洩らした。

 

「うあっ……!」

「助けを求めても無駄ですよ。あなたの盾には、圧倒的に経験が足りない。そばにいた銀髪の少女も、人間にしては上出来ですが、現状を打破するには到底及びません。故に、あなたは私の糧になる他ない」

 

 斬りつけた傷が治らない呪いの付与された鎌、ハルペーの切っ先を首筋に当てられる。生身の人間がそんな代物に皮膚一枚でも斬られればどうなってしまうのか、立香にも想像できた。思わず硬直した少年の顔を、蛇の這うような音とともに女の手が掴み上げる。

 

 縦に裂けた両瞳が妖しい光を放った。

 

 太陽を直視したような眩しさが全身に襲いかかる。強烈なショックで一瞬、全身がピクリと硬直した。

 

 だが、それだけだった。

 

「……レジストされた? なぜ? ただの人間が、石化の魔眼から逃れるすべはないのに」

 

 驚きよりも困惑に近い表情を浮かべた女が、立香の顔から手を離した。宙吊りにされた全身の頭から爪先までくまなく凝視する。やがてその目が懐に留まり、面白いものを見つけたとばかりに細められた。

 

 女の腕が真一文字に奔る。上着の布地とともに、立香の所持品が奪われ、眼前に突き付けられた。

 

「それはっ……!」

「アミュレットですか。あなたのような子供が持つにしては、似つかわしくないほどの力が込もっている。なるほど、これだけの霊力なら二、三度は無効化できるでしょう」

 

 もう二度と会えない幼馴染からの贈り物が、自分を石化から守ってくれたという。喜びよりも先に、怒りが上回った。

 

「返せ! それを、返してくれ!!」

 

 激昂する獲物の変化に嗜虐心をそそられた女が、口元をひきつらせてせせら笑う。

 

「そんなに大切なものを、どうして簡単に奪われるのです? 大事にしまっておけばよかったのに。だからこうなるのです」

「やめろ―――――!」

 

 宙に投げられた守り袋めがけて、鎌剣ハルペーが一閃される。ぱちん、と何かが弾け飛ぶ音とともに袋が四散し、中に納まっていた和紙がひらひらと風にそよいで地面に墜ちた。少年の絶望をより深く、大きなものにしてやるとばかりに踏みにじられる。

 

「次はもう、防げませんね?」

 

 恐るべき鎌の切っ先を再び突きつけながら、女が笑った。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 めわらべのさえずるうたがきこえる。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ――――かみのこをはらむには ちよのたからのほしさよ

 

 

 

 風が止んだ。台風の目が訪れたように、どの方角からも風が吹くことはない。周囲の建物から立ち上っていた黒煙は、広場を避けるように姿を消した。

 

 わずかに警戒をみせた女の眉がひくりと寄せられる。

 

 

 

 ――――かみのこをはらむには かみのたからのほしさよ

 

 

 

 ハルペーを握る女の腕が、肩口から吹き飛んだ。外側から斬られたのではない。内側から切り離されたような無造作で、柄を握ったままの腕が音を立てて落下した。

 

 鎌の転がっていく様を、女は無表情に見つめていた。自分に何が起こったのか理解できない。いつ、どこから攻撃されたのかもわからない。何の前兆も無かった。このエリア一帯に侵入した新手もない。なら、この破損の原因は何か?

 

 

 

 ――――かみのこ  を はらむ に は 

 

 

 

 聞こえる。

 声が聞こえる。

 神代より連綿と続けられてきた、神にささげる詞の断片が聞こえる。

 

 それが己の胎から響く呪いだと、歪み切った霊核に浸食された瞬間に女は理解した。

 

「ありえない! この戦場に、私の魂を喰らえるものなんて、いるはずが――――!」

 

 

 

 サーヴァント・ランサーとして召喚されたギリシャ神話のメドゥーサには、致命的な誤算と不運があった。

 

 己が獲物とした少年には、戦うための手段がない。マシュ・キリエライトと分断した上で非力なマスターを捕食する作戦自体は正しかった。より深い絶望を味わわせることで加虐を愉しむなどという遊びに走りさえしなければ、拘束した時点で首を落としてさえいれば、彼女は間違いなく勝利していた。

 

 誤算はふたつ。これまでの人生で少年が結んだ縁は、レイシフトで移った先においてなお、少年を見守っていたこと。もう一つは、メドゥーサとの相性であり、最大の不運をもたらすきっかけであった。

 

 ギリシャ神話におけるメドゥーサは、女神アテナの加護を受ける勇者ペルセウスに退治された()()『ゴルゴーン』の側面を持っている。英雄や勇者といった英霊ではなく、彼らに退治される側の()()()に近い存在である。また、己の肉体からペガサスを始めとする多くの怪物を産み落としたことから、()()()としての面も有していた。

 

 それらすべての要素が重なることで、神秘の“同期”を可能にする。

 

 

 

(誰だ!? 誰が私を喰らっている!? 神秘などとうに薄れ切った現代で、私を取り込めるような存在などいるはずがない!! ましてや極東の島国に―――!!)

『これは驚いた。まさか、異国の同輩と会えるなんてね』

 

 霊核を半ばまで奪われたところで、メドゥーサの脳内に少女の声が届いた。存在を知覚すると同時に、声の持ち主の情報が怒涛のように襲いかかる。もはや一体化する寸前まで同化したという証明だった。

 

 現実のものではない、心象に映し出された原風景。獣の皮をまとった狩人達が三十の鹿の首をささげ、麻布に袖を通した村人達が感謝の念をもって祈り、あるいは踊り狂う中を、大陸伝来の絹装束に穢れひとつまとわせずに清めた神官達が荘厳なる祝詞をうたいあげる。

 

 純粋無垢な信仰を一身に受ける存在は、彼らの誰よりも小さな身でありながら、あらゆる者をひれ伏させる覇気に満ちていた。

 

『ええと、希臘(ギリシャ)の人? 私より古いとは思うけど、召喚されてからは短いよね? つまりは現役の私の方が先輩にあたるわけだ』

(神霊……! 馬鹿な、文明にまみれた中で、何故とどまっていられる!?)

『間に合ったのさ、紙一重だったけどね。おかげでせっかくの神使候補を守ることができる』

 

 変わっていく。分子構成が最適化され、その過程ではじき出された不純な要素が血煙とともに排出される。骨が、内臓が、肉が、あらゆるパーツが内側に巣食った存在の求めに引きずられていく。全身が癌細胞に侵されたような激痛。

 

 だが、不思議と澄んでいく感覚もあった。

 

(――――祟り神の加護、か)

 

 冬木の地に召喚され、いつしか自身の肉体を蝕んでいた毒。魔素のすべてを犯し尽くしていたはずの成分が、血とともに浄化されていく。常人なら発狂しかねない痛みと引き換えではあったが、意識が鮮明になっていくのをメドゥーサは実感した。

 

 その痛みも消えた頃、かわりにやってきたのは、久しく感じていなかったまどろみの誘惑だった。

 

『せめて安らかに眠るといい、異国の輩よ。次に会った時は、この子をよろしくね』

(……勝手なことをいいますね、あなた)

 

 肉体どころか魂レベルまで奪っておきながらの申し出に、メドゥーサは呆れ果ててしまう。だが、悪い話ではなかった。自分に追われながらも最後まであきらめずに活路を探す少年は、経験不足であることを差し引いても、マスターとして申し分ない。プライドの高い未熟者だの、悪の権化のような存在だのに使いつぶされるよりかは上等だろう。

 

 もはや指一本も動かない。光の失せた瞳を閉じる前、メドゥーサの脳裏に浮かんだのは、いたずらな笑顔を浮かべるふたりの姉の姿だった。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 鎖が消失した。

 

 宙吊りになっていた肉体が、重力によって落下する。驚きと疲労に包まれた身体は、反応する間もなく尻餅をついてしまう。いまの自分はおそらく、ぽかんと口を開けてるんだろうな、と立香は思った。

 

 鎌剣の女はどこにもいない。目の前にいるのは、似ても似つかない少女。どことなく蛙を想起させる帽子から金色の髪をなびかせた、女童のように小柄な肢体の持ち主が、精一杯に胸を張って立香のそばにやって来る。

 

「ね、ご利益があったでしょ?」

「君は……もしかして、東風谷さんの」

「大正解!」

 

 嬉しそうに笑いながら、少女が立香へと手を差し伸べる。少年がその手を取ったとき、腹にぺたり、と何かが触れる気がした。

 

「洩矢諏訪子、アーチャーのサーヴァントだよ。あの子の願いをかなえるために、君の力になってあげる。

 ――――祟られないように、注意してね?」

 

 神の祝福(のろい)は、ここに成された。

 




「相手がメドゥーサさんだからできた。相性ゲーって怖いね」(談:諏訪子様)

セイバー・オルタ:龍核がチート過ぎて浸食できずに燃え尽きる
アーチャー・エミヤ:警戒心が強すぎて浸食の隙がない
ランサー・弁慶:宝具で消滅する可能性あり
ライダー・ダレイオス三世:話が通じない。物量で潰される
キャスター・兄貴:敵だったとしてもプロトの獣特攻が刺さって勝てない
アサシン・ハサン:そもそも近づいてこない
バーサーカー・ヘラクレス:三世以上に話が通じない。一撃で潰される



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マイルーム&セリフ集 洩矢諏訪子

召喚時

「我が名は洩矢諏訪子。

 諏訪を治めし神の一柱にして、まつろわぬもの達の王である。

 祟り神を呼ぶなどという愚か者は、誰ぞ?

 

 ……なーんちゃって! 驚いてくれたかな、ケケッ!」

 

 

 

会話1

「構ってくれるのは嬉しいけど、ちゃんと稽古してる?

 毎日のおつとめが大切なんだからね。

 早苗も目を離すとサボるんだよ、誰に似たんだろう」

 

 

 

会話2

「よしよし、今日も頑張って生き延びたね。

 疲れた体に特製のガマ油を塗ってあげよう。

 ほら、脱いで脱いで……恥ずかしい?」

 

 

 

会話3

「なんで私がアーチャーなのかって?

 それはもちろん、君の負担が少ないから。

 力だけなら呪術師とか、復讐者? でタタリパワー全開なんだけどねー。

 ……君に見せたくないっていうか……加減が難しいっていうか」

 

 

 

会話4 鈴鹿御前

「あー、やっぱり引きずってるんだねぇ……

 彼にはうちの子もお世話になったんだよ。

 おかげで中央とも繋がったし、動きやすくなったのさ」

 

※延暦20年(西暦801年)、坂上田村麻呂が蝦夷討伐に出向いた際、諏訪から有員(ありかず)という少年が加わって武功を挙げた。彼は無数の神通力をもって戦い、後に桓武天皇から“大祝(おおはふり)”の神職と“神”の姓を賜ったといわれる。

 

 

 

会話5 アサシン・パライソ

「ケツァルコアトルやゴルゴーンとのお茶会に誘ってるんだけど、いっつも断られるんだよ。

 そんなに怯えなくてもいいと思わない? 仲良くしたいのになぁ」

 

※アサシン・パライソの宝具には大蛇が関連しており、その由来は諏訪にも関わっている。無意識の内に諏訪子から同じものを感じて恐怖している……のではなく、ただ怖いだけ。

 

 

 

会話6 長尾景虎

「うちも軍神なんだから信仰してくれても良かったのにー。

 武田がいるじゃないかって? ……ノーコメント」

 

※武田晴信は勢力拡大のために諏訪信仰を取り入れたが、父・信虎の娘が嫁いだ大祝の諏訪頼重を戦の後に切腹させた上に、その娘を側室にして産ませた勝頼を諏訪氏に戻すことはなかった。これにはすわかなも激おこぷんぷん丸。

 

 なお、結果的には武田家の庇護下にあって諏訪大社は勢力を伸ばし、天文22年(西暦1553年)には大祝の諏訪頼真が正三位にまで叙せられたという。どんだけ献金したんだ、と神様もドン引き。

 

 

 

会話7 坂本龍馬

「私も長いこと残ってるけど、あなたも相当な古株だったのね。

 気の遠くなる年月を封じられても、想い人に出逢えたなら水に流せる。

 それはとても残酷で、素晴らしいことだわ。

 …………だからぁ、私の前で蛙を食べるな! ナメクジぶつけるよ!?」

 

 

 

会話8 ジャック・ザ・リッパー

「ここで子供らしく遊ぶことが、何よりの供養になるのかもね。

 というわけで、今から遊ぶわよあなた達! マシュも来なさい!

 なにボーッとしてるの、君も一緒だからね、マスター!」

 

 

 

好きなもの

「蛙! 信仰! のろ、違った何でもない!」

 

 

 

嫌いなもの

「そーだねー、神様だし、いっぱい生きてるからなー。

 だいたいのことは寛容だし、裏切ったら許さないけど。

 あえていったら―――――忘れられること、かな」

 

 

 

聖杯について

「何でも願いがかなうって、そういうのは違くない?

 人の器には限度があるんだから。

 身のたけを超えた望みはナチュラルじゃないよ。後に何も残らない」

 

 

 

イベント期間中

「お祭りが始まったよ! 準備はいい?

 いつまでも あると思うな 景品所!

 財布をすられないように注意してね!」

 

 

 

絆レベル1

「こう見えて神様だからさー。

 あんまりポンポン頭を撫でないでほしいなー。

 あー、呪いたくなっちゃうなー」

 

 

 

絆レベル2

「あーうー……わかったよ、呪わないからさ。

 その、泣きそうな目でこっちを見るのやめない?

 けっこう傷つくんだよ?」

 

 

 

絆レベル3

「そうやってのんびりしてる君を見ると、早苗といた頃を思い出すなぁ。

 視えなかっただろうけど、私もそばにいたんだよ。

 覚えてる? 町の駄菓子屋で買ったお饅頭、ひとつ無くなったの。

 あれ、私が食べちゃったんだっていったら……怒る?」

 

 

 

絆レベル4

「んー……どうしようかなぁ。ちょっと揺らいじゃってるや。

 最初の計画だと、ふたりをもう一度会わせれば良かったのに。

 おかしいな、どうしたんだろう……変になっちゃった」

 

 

 

絆レベル5

「うん。私もいろいろ考えました。

 なるようになったら、そうしよう!

 覚悟だけは決まったから、君も受け止めてね、マスター。

 ……神の愛は重たいよ? ケケッ」

 

 

 

第二部突入後

「戦士になら、力を与えて勇者にできる。

 勇者になら、武器を与えて英雄にできる。

 戦うすべを持たない人間には、何もできない。

 

 それでもあなたは行くのね、マスター?

 

 ああ、なら、私は――――」

 

 

 

レベルアップ時

「もっともっと! 信仰の力が湧いてくるわ!」

「強くなるたびに背が伸びないかな?」

「癖になっちゃいそう……」

 

 

 

通常再臨 蛙帽子に白と紺の装束。普段はこれ。

 素手格闘と光弾を飛ばすだけ。心もとない。

 

 

 

第一再臨 両手に鉄の輪を持つ。伸縮自在。

 チャクラム主体の戦闘スタイル。

 

「これこれ! やっぱりこの武器じゃないと、弓兵っぽくないよね!」

 

 

 

第二再臨 変わらず。

 

「衣装は同じなの? つまんなーい」

 

 

 

第三再臨 神としてのオーラを放つ。

 光弾が蛙や蛇の姿をとって襲いかかり、チャクラムで動きを封じたところへ岩崩れを引き起こす。

 

「うん……あの頃の力が戻ってきた。

 これなら君を守れるよ。

 期待してね、マスター」

 

 

 

最終再臨 人々と動物を従えた諏訪子が侵略者と戦っている

 

「まさか、分け身の私がここまでの力になれるとは思わなかったよ。

 君の信仰が……ううん、信頼のおかげだね。

 ありがとう、マスター。

 君の旅が終わるまで、私が君を守ってあげる。

 

 だから、どうか――――祟りに染まらないで」

 

 


 

 

プロフィール1・キャラクター詳細

 

 諏訪信仰の根幹に関わる神の一柱。

 

 土着神、風神、水神、狩猟神、祟り神と、幅広い側面を持つ。御左口神様(ミシャグジさま)と呼ばれる精霊を従え、鉄製武器をもたらした。そのルーツは縄文時代にまでさかのぼり、国津神の一柱・八坂神奈子に敗れてからは彼女と共に諏訪信仰を築き上げた。

 

 時代とともに人々が神への信仰を忘れるのと同じくして消滅するはずであったが、子孫の東風谷早苗によって幻想郷と呼ばれる世界に転移。失われた信仰を取り戻しつつある。

 

 カルデアにいるのは、その分け身である。

 

 

 

パラメーター

 筋力:D  耐久:C

 敏捷:A  魔力:C

 幸運:C  宝具:B

 

「そこ、弱いとかいわないの!」

 

 

 

プロフィール2

 

身長/体重:

 とても低い・すごく軽い

 

出典:東方Projectなど

属性:中立・悪    性別:女

 

「経産婦? さー知らないなー」

 

 

 

プロフィール3

 

 外見と同じく、子供のようにとらえどころのない性格。マスターを母親のように慈しみながらも頭脳を働かせ、時には相談もなしに動く。それがきっかけに特異点を生み出すこともあり、カルデア問題児組のひとりに数えられる。

 

 その計算高さは、古代から幕末に至るまで常に時の権力者との繋がりを密に保ちながら、日本全土に諏訪信仰を広げた手腕から証明済み。

 

 彼女が最も力を発揮するのは、呪術師としての特性を活かせるキャスターか、祟り神の暴威を振るうアヴェンジャーである。だが、それではマスターを守るどころか巻き添えにしかねないとの不安から、単独行動とオールマイティに優れたアーチャーを選んだ。カルデアの戦力が充実した時には、別側面の彼女が現れるかもしれない。

 

 

 

プロフィール4

 

〇赤錆びた鉄輪

 自身の攻撃力を20%上昇(3ターン)+通常攻撃に呪い状態を付与(3回・1,500)

 

 諏訪大戦の際、神奈子の巻きつかせた植物によって腐食した金属が呪いを獲得したもの。諏訪子の手は汚れない。

 

 

〇名存実亡の神様

 自身の体力を回復(3,000回復)+弱体解除+スター獲得(20個)

 

 数千年を生きる神の知恵。蛙は転んでもただでは起きない。

 

 

〇祟り

 敵単体の強化解除+呪い状態を付与(1,500)+呪厄状態を付与(5ターン・100%)

 

 祟り神の力を限定的に使用。アーチャーのクラスではここまで。

 

 

 

プロフィール5

 

□土着神・御射軍神さま(ミシャグジさま)

 

ランク:B    種別:対人宝具  カード:アーツ

レンジ:1~10  最大捕捉:1人

 

敵単体のアーツ耐性を20%減少(3ターン)

+敵単体に超強力な攻撃

+自身のNP獲得量を50%アップ(3ターン)

 

 軍神・諏訪大明神の荒ぶる力を宿す。蛇として召喚した数体のミシャグジさまに痛めつけさせながら追い込んだ先を毒沼に変えて拘束し、両の鉄輪を投げつける。戦場を自分に最適な環境に整えるための儀式であり、使えば使うほど洗練されていく。

 

「神の力の片鱗を見せてあげる――――祟りからは誰も逃げられない!

 ミシャグジ様の恐怖を知るがいい!

 

 うん、調子出てきた! ここからが本番!」

 

 

 

プロフィール6(幕間・イベントクリア)

 

 彼女はオリジナルではなく、藤丸立香と東風谷早苗の別離の際に分けられた分霊である。当初の思惑では、夏季休暇を南極で過ごす立香が無事に帰国するまで見届けてから消失するはずだったが、人理焼却による冬木でのレイシフトによってサーヴァント化してしまう。これは彼女もオリジナルもまったく想定していなかった。

 

 幼い頃から見守ってきた立香ともコミュニケーションが取れるようになったことを喜んでいたが、カルデアの旅路が進むにつれて自身のアイデンティティが揺らいで/確立していき、何のためにマスターを守るのかが自身でも曖昧になっていく。それはやがて恐怖に近い感情を彼女に呼び起こし、オリジナルとの邂逅を願うまでに至る。

 

 自分が何を願うのか。少年に求めるものは何か。

 

 旅路の中で、彼女は答えを得るだろう。

 

 




参考文献:『諏訪の神さまが気になるの』 北沢房子 信濃毎日新聞社

もうストックもネタも尽き申した……後は頼む


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女が人に戻るとき

 

 九字を切る。

 榊を振るう。

 心を込める。

 

 幻想郷に移住してからというもの、幼い頃より二柱直々に仕込まれた作法のひとつひとつに明確な意味があるのだと、少女は日々実感させられる。神のバックアップを受けた儀式は、自身の何倍もの力を上乗せしてくれる。やみくもに振るうのではなく、正しい所作でなければ加護は得られない。日常の全てが修行に繋がるのだ。

 

 驚くほどに澄んだ大気を一呼吸するだけで、無限の魔力が沸き上がるような万能感をもたらしてくれる。神秘の薄まった現世では味わうことのできない感覚だった。このおかげで弾幕も張ることができる。同じことを元の世界でやろうとすれば、あっという間に魔力が枯渇するに違いない。幻想郷だからこそスペルカードルールが成立したのだな、と少女の腑にすとんと落ちた。

 

 受け入れてしまえば、後はたやすい。

 

 実戦として用意された山の妖怪を、完膚なきまでに叩きのめすこと七度。しょせんは人間の小娘と侮っていた大天狗の顔が険しくなり、関係が悪化することを恐れた神奈子の待ったがかかったところで、少女は慢心の絶頂にあった。

 

 やはり自分は現人神なのだ、幻想郷にあってもそれは変わらない――――と。

 

 有頂天そのものになってしまった少女を責めるのは酷だろう。生まれてから十五年、自分だけが持つ奇跡の力を使えなかった環境が、知らず知らずのうちに少女のストレスを飽和させていたのである。もはや隠す必要もなく、全力で見せつけてやれと命じられた瞬間、彼女を縛ってきた紐がプツンと切れた。

 

 それからの行動は、後になって本人が赤面して関係者一同に謝ってまわるほどの中二病、もとい周囲からの生暖かい笑顔をともなった「お気になさらず」のお返しが山よりも高く積もるほどだったのだが。

 

 彼女は今、初めての報いを受けていた。

 

 

 

「……掛けまくも畏き、諏訪の御湖に神留まります建御名方神――――!」

 

 境内一帯に張り巡らされた結界の中心。自身の力を十全に発揮できる環境を整えた上で、ありったけの神具と札を用意した。妖怪の山の滝行によって神気を養い、気息を整え、体内で合一させる。最善かつ最良のコンディションでもって臨んだ一戦は、理不尽とすら感じるほどに一方的なものだった。

 

 必死に祝詞を紡ぐ。法則にのっとることで魔力量を何倍にも膨れ上がらせ、弾幕と呼ばれるほどに密集させた気弾で場を支配する。スペルカードのルールには慣れたが、まだもどかしさを感じる。経験の無さが問題なのか。違う、そうではない。もっと根本的なところに原因がある。

 

 当たらない。

 届かない。

 落とせない。

 

 奥歯を強く噛み締める。眼前で紅白の巫女が舞っている。ふわり、ふわり、と暴風の中をかろやかに、涼しい顔でそよいでいる。自分が心血を注いで作り上げたテリトリーを突破されるというのは、これほど苛立たしいものなのか。ましてや、自分と同い年であろう少女に攻略されるとは。

 

 ゆらいだ腕から飛んだ符が腹部を貫く。

 

「ぐっ!?」

 

 蛙が潰されたような声をあげて落下した。もう何度目かもわからない撃墜。視界が明滅する。無尽蔵に湧いていたはずの魔力が底を尽きかけている。配分を間違えたのか。これも経験が足りないせいか。いや、いや、いや。そんなことを考える暇はない。

 

 一度目はまぐれだと思った。

 二度目は不調を疑った。

 三度目になって、認めざるを得なくなった。

 

 壁だ。とてつもなく高い壁が、目の前にそびえ立っている。

 

 自分が井の中の蛙だったことを、少女は身をもって知らされた。神秘の薄れ切った現世の現人神が、ここでは誰にもはばかることなく振る舞えるのだと、何もかもが己の意のままだと慢心し切っていた。そんなことはなかったのだと、今はっきりと理解させられている。人を超えた存在としてのプライドをへし折られようとしている。

 

 神であろうと勝てない存在がいるのだと、暴力でもって諭されている。

 

「も、もろもろの禍事罪穢あらんをば、祓え給い、清め給えとしらすことを―――ぐ、あっ!」

 

 まただ。また落とされた。顔面にあてられた気弾が消えるよりも先に、地面にどうと倒れかかる。視界が土埃と血でにじんでいた。魔力を使い過ぎて毛細血管が切れたらしい。急速に力が抜けつつある。いけない。これではいけない。なけなしの力を振り絞って浮き上がる。

 

「たいした根性ね」

 

 心底呆れた、という声で紅白の巫女がため息をつく。息ひとつ切れてはいない。ほんの少しほつれた装束の糸を忌々しげに裏地へ押し込んで、新しい符を手に取った。

 

「さっさと倒れた方が楽でしょうに」

 

 声が出せない。悪態をついてやりたいのに、呼吸が少しも整わない。肺の奥からひゅうひゅうと音がする。眼前の巫女を睨みつけているのに、その輪郭がおぼろげに揺れ動いている。これでは弾幕が絞れない。戦えない。二柱の望みが叶えられない。

 

 勝てない。

 

「こんなところで時間をくってられないのよ。あんただけじゃないんでしょ? 奥にいるなんとかって神も倒さないと、この騒動は終わらないんだから」

 

 揺れている。真夏の太陽に照らされたアスファルトが見せる陽炎のように、ゆらゆらと影が動いている。目の前にあるはずの少女の輪郭が姿を変え、男にも女にも見える。あれはいったい誰だろう? 酸素の届かなくなった脳が答えを出そうともがいている。ズキズキと頭が悲鳴を訴えている。このまま死んだように眠ってしまいたいのに、痛みが眠らせてくれない。

 

 影が笑ったように見えた。

 

「――――嘘」

 

 違う。これは幻覚だ。ここは幻想郷だ。現世ではない。私が置いてきた世界にしかないもの。もはや触れることのかなわないもの。ここにあるのは神秘だ。現世にあることを拒絶されたものの集合体だ。こんなものがあるわけない。

 

 だって、私は捨ててしまったじゃないか。慣れ親しんだ景色も、生温い生活も、大事な二柱の神様には替えられないからと、すべて犠牲にしたんだから。

 

 なのに。ああ、それなのに。

 

 

 

 どうしてあなたがそこにいるの。

 

 

 

「じゃあね。しばらく眠ってなさい」

 

 五色の気弾が少女から放たれる。力量差を知らしめるためか、幻想郷の住人として、先達から新人への訓戒のためか。紅白の巫女が選んだのは、情け容赦のない一撃だった。

 

 絶望的な力の込められた弾幕が少女を覆い尽くす。逃げ場はない。回避する気力すら残っていない。否、しようとも思わない。彼女の視界には、今にも襲いかかろうとする大玉はおろか、対峙する巫女すら映ってはいなかった。

 

 もはや奇跡の力は残っていない。二柱への信仰も、現人神としてのプライドも、すべて使い切った。榊は折れ、符は尽きて、神気のかけらもありはしない。文字通り空っぽだった。神としての少女を構成する、一切合切が零に成り果てた。

 

 自分の中の何もかもが消え失せて、最後に残ったものを目にした瞬間、傷だらけの掌を空へと伸ばす。ほんの一瞬だけ、何かが掴めた気がした。

 

「――――藤丸、くん」

 

 東風谷早苗は、久しぶりに笑うことができた。

 

 

 

「おっと!」

 

 吹き飛ばされてきた博麗霊夢をキャッチした霧雨魔理沙は、危うく転落しかけた箒にまたがるや、戦場となっていた境内へと着地した。東風谷早苗と名乗る緑の巫女のスペルカードは風に由来するものが多かったため、掃き清められていた境内が悲惨な有様となっている。すっかり裏返ってしまった石畳は誰が直すのだろうか。

 

 抱きかかえた紅白の巫女を降ろしてやる。ぼすん、とお尻から落ちたショックで目が覚めたか、パチリと開いた目が数回またたく。ようやく焦点の合ったらしい視界が自分の胸に向けられたとき、うぇっ、と年頃とは思えない悲鳴が響いた。

 

「あーもう、やられた!」

「あらら、破れてら」

 

 巫女装束の左胸、心臓にあたる位置の生地がぽっかりと破れていた。わずかな起伏を潰すサラシが露わになってしまい、これでは隠し様がない。さすがに恥ずかしいのか、片手で胸を覆う友人の姿に、めったに見れないものを見たと魔理沙は思った。

 

「珍しいな、お前が被弾するなんて。それも急所に当たるとか」

「動きは全部わかってたのよ。いつもどおり避けてたのに、最後の最後で見えなかった」

 

 その言葉に嘘はない。根っからの感覚派かつ天才型である博麗霊夢は、敵の繰り出す弾幕や攻撃のすべてを、己の勘だけで攻略してしまう。相手が大妖怪だろうと吸血鬼だろうとそれは変わらない。そんな彼女が悔しそうに顔を歪ませるなど、いったい何年ぶりだろうか。

 

 一対一の約束で繰り広げられた勝負は、終始霊夢のペースで進んでいた。霧雨魔理沙の目から見ても力量差は歴然としていた。スペルカードルールは奥が深く、たとえ神であっても人間に敗北することが珍しくない。魔理沙自身も下馬評を覆して勝利をもぎ取った経験が何度もある。場数と研鑽が求められる世界なのだ。

 

 神の奇跡を用いる東風谷早苗にとって、博麗霊夢は天敵に等しい存在である。ただでさえ実戦経験に乏しい上に、相手は神への対処法を十二分に知り尽くしたエキスパートなのだ。現人神だろうと何だろうと、神の力に依るのなら博麗霊夢には通用しない。八雲紫の秘蔵っ子であり、幻想郷が産み落とした調停者たる所以だろう。

 

 そんな友人が目の前でドジを踏んだというのだから、魔理沙には何とも信じられなかった。明日は槍でも降るんじゃないか。神様のいる山なので否定できないのが恐ろしい。終日家に籠もっていようか。

 

 気だるげに起き上がった霊夢がパタパタと装束の汚れを落とした。土埃に混ざって、燃えカスになった紙の切れ端を見つけた魔理沙が拾い上げる。何の絵柄も浮かばない、無色のカードに込められた想いを読み取ろうとして、すぐに止めた。

 

「ハート・トゥ・ハート」

「何よそれ?」

「あるいは恋の歌、かな。部外者が知るのは止した方がよさそうだ。こいつの宝物みたいだしな」

「知りたがりのあんたらしくないわね」

「女の子にはそういう時もあるんだよ」

 

 お前にあるかどうか知らんが、と言わないのが魔理沙の優しさであり、優越感でもあった。

 

 このカードの存在を少女が自覚していたのか。おそらく知らなかったに違いない。本人にも使えないジョーカーだからこそ、博麗霊夢に通用したのだ。それは赤い霧の吸血鬼にも、冥界に座する女主人にも、月の姫たる存在にも為せなかった、彼女だけの偉業である。

 

 “恋”を知る霧雨魔理沙だけが、そのことを理解できたのだ。

 

 ふたり並んで境内を進む。ボロ雑巾よりも酷い姿になった少女が仰向けに倒れているのに近づいて、魔理沙はその豊かな懐深くにカードの切れ端をしまってやった。

 

「見なさいよ。なんで負けたのに幸せそうな顔して寝てるんだろう、こいつ」

「ぐーすかぴーって感じだな」

「勝ったこっちの方が負けた気分なんだけど」

 

 一切のしがらみから解放されたような、安心し切った少女の寝顔になんだかとても腹が立って、

 

「こんにゃろ」

「むぎゅっ」

 

 霊夢がおちょぼ口に摘まんでやった。友人には似つかわしくない、年相応のかわいらしい悪戯に、魔理沙はいよいよ明日の天気の心配をする羽目になった。

 

 






霊夢「ノーミスクリア寸前にピチュッた。絶許」
:油断も無ければ慢心もしない。恋の一撃だけが想定外だった。このワンミスをきっかけに交流が増えた模様。


魔理沙「まだ成長するし。余裕だし」
:対神奈子戦は魔理沙が交代でこなした。なんとなく同じ匂いを感じたので早苗と仲良くなる。その胸は平坦であった。将来性は大いにある、と気に入った神様のフォローあり。


神奈子「次はもっと上手くやるさ」
:未登場。妖怪の山にて勢力を拡大するものの、幻想郷のパワーバランスを把握する前にテリトリーが肥大化し過ぎた(早苗がやり過ぎた)ことで統率が取れずに瓦解。もう少し穏便かつ堅実にやろう、と方針転換した。八雲紫とは年頃の女の子を抱えたおっかさん同盟として飲み友達になる。


諏訪子「分け身と連絡が取れなくなった件について」
:未登場。霊夢・魔理沙と一戦交えたことで下界に興味を持ち、幻想郷中をほっつき回る神様が誕生した。早苗が勝てるとは思っていなかったが、予想以上に善戦したのでケロちゃんもにっこり笑顔。翌日のしごきが倍になった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。