ダイの大冒険異伝―竜の系譜― (シダレザクラ)
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第01話 書を破却する愚者

 

 

 歴史が俺の存在を許さないというのなら、あるべき標をぶち壊してさしあげよう。

 

 

 

 ――(ドラゴン)の騎士。

 

 太古、天上の神々は憂いた。地上の覇権を賭け、幾世代にも渡って骨肉の抗争を繰り広げる竜族と魔族と人族を疎ましく思ったのだ。そこで竜と魔族と人の神は地上の不毛な争いを終わらせるため、天地万物を司る神々の使いを生み出し、地上に降臨させた。

 額に竜を(かたど)った紋章を持つ、最強の名を冠した戦士。それこそが竜の騎士だ。竜の強靭な生命力と魔族の絶大な魔力、そして人の心を併せ持つ、三界の秩序を築く戦神が誕生したのである。

 

 竜の騎士は血を残すことをせず常に一代限りの生だったが、それで十分だった。神々に期待された通り太古の戦乱を終わらせると、以後は脆弱な人が住む地上の危機に颯爽と現れ、時代時代の苦難から人類を救い続けてきたのだから。

 竜の騎士は人に似た姿をしていても人ではない。世界に混乱が起こるたびに次代の騎士が再び聖母竜によって生み出され、そこで竜の騎士は使命を果たし、戦いに明け暮れた一生を終えて眠りにつく。それが神々の作り出した《システム》だった。竜の騎士の額に浮かび上がる力の源――《竜の紋章》が受け継がれていく事こそが、彼ら一族の生きた証なのかもしれない。

 

 ただし守られてきた人類は竜の騎士の活躍を知ることはなかった。あるいは忘れ去られたのか。現代において、竜の騎士とは各地の伝承や古文書の片隅にひっそりとその痕跡を残すのみの存在だからだ。

 自身の種族を忘恩の徒だとは思いたくないが、それでも竜の騎士の活躍が世に知られていないのは少しばかり哀れだとは思う。それは先代の竜の騎士の活躍がはるか昔だったからなのだろうか。

 

 たかだか数十年で老いては死んでいく人間だ。竜の騎士の軌跡を実体験の記憶として残せる竜族や魔族と違い、不十分な歴史の記述では数多ある風聞や伝説、御伽噺の類に埋もれ、竜の騎士の実像が風化してしまうのもわからないではなかった。加えて近年の魔王ハドラーの侵攻に際して、撃退した勇者が当代の竜の騎士バランではなく、生粋の人であった勇者アバンだったのだから、伝説は伝説と忘れ去られても致し方ない面はある。

 

 もっともその勇者アバンの勇名すら、原作時間軸ではアバンの仲間や直接の関係者、各国王族くらいしか知らない『知る人ぞ知る』レベルだったことを踏まえると、この世界はよほど情報伝達手段に難を抱えているのだろうか。あるいはアバンの意を汲んだ各国上層部が情報統制を図り、彼らを静かに暮らさせようとする狙いがあったのかとも思うが、正確な事情は俺の知るところではなかった。

 

 神々の思惑、人の思惑、竜の騎士の思惑。いずれにせよ竜の騎士は世界の秩序を乱す輩を排除するのが役目であり、その使命として地上の危機を幾度も救ってきた一方で、彼らの活躍は人知れず行われてきたものだったという事実には変わりあるまい。考えてみれば竜の騎士が歴史に埋もれていったのも当然といえば当然か。

 なぜならば、地上の危機といえばその筆頭は魔界からの魔族の侵攻である。それを未然に防いできたのが竜の騎士だったのならば、必然、戦いは魔界を舞台としたものとなるはずだ。

 

 ――戦略的にもそれは正しい。

 

 地上に侵攻されてからではどう戦ったところで被害は甚大なものとなるだろうし、竜の騎士という一個人が魔の軍勢を押し止めようとするのならば、敵の頭を潰して強大な軍勢を瓦解させるのが最も手っ取り早い手段となる。これは魔の軍勢が頂点に立つ魔王の強力無比な力と圧倒的なカリスマによってまとめあげる、リーダーシップに溢れた軍であるからこそ効果的な《斬首戦術》でもあった。

 

 そして当代の竜の騎士であるバランの戦いも地上ではなく魔界で行われていたのである。死闘を繰り広げた相手は最後の知恵ある竜――冥竜王ヴェルザー。魔界に座す竜の王であり、魔界勢力を大魔王バーンと二分していた恐るべき実力者である。数年前に地上を席巻した魔王ハドラーを弱いとは言わないが、闘争に満ちた魔界の大地を牛耳らんとする冥竜王ヴェルザーと比べれば、どうしたってその力や勢力に見劣りするのは否定できない。

 

 バランの腹心であるラーハルトは、ヴェルザーとハドラーを比較してハドラーを小物だとはっきり断言していた。確かにその通りだろう。竜の騎士である勇者ダイと雌雄を決するため、決死の覚悟で強大化した超魔生物ハドラーならばいざ知らず、バランがヴェルザーと戦っていた当時のハドラーでは、とても竜の騎士に追随できるようなレベルではなかった。

 

 ヴェルザーの眷属悉くを打ち破り、果てには魔界随一の竜の王と一騎打ちをした挙句に勝利してしまう。そんな竜の騎士という存在が規格外だというだけで、当時の魔王ハドラーが雑魚だったかと言えば、無論そんなことはありえないのだが。というか人類を恐怖に陥れた男なのだ、有象無象のはずがなかった。

 ハドラーの率いる軍勢に各国の抱える精強な騎士団では歯が立たず、最終的にアバン達勇者一行という少数精鋭でしか対抗できなかったのだから、ハドラーが地上制圧に王手寸前だったことは覆せない事実。そして個々の強さにしてもハドラーは肉弾戦も魔法戦も一級の魔王だ、間違っても相対したい相手ではなかった。

 

 しかし本題は魔王ハドラーに関することではない。やがて問題になるにしても、大魔王バーンに命を救われ、現在は力を蓄えている元魔王はさしあたって脅威となりはしなかった。焦眉の急はそんな地上魔界含めてトップクラスの実力者、まさに隔絶した戦闘能力保持者である竜の騎士バランが、事もあろうに脆弱な人の手で捕らえられ俺の目の前で処刑されかけていることだ。その血の気の引くような悪夢の現実こそどうにかせねばならなかった。

 

「あの男は魔王の手下らしいぞ」

「まあ、なんて恐ろしい……!」

 

 ちらほらと耳に伝え届く全てが穏やかなものではなく、中には火あぶりにしろと声高に叫ぶ人間すらいた。その憎悪の向く先は刑場の中央で磔にされた男――竜の騎士バランである。

 二十歳前後の風貌。癖のある黒髪と整えられた髭が成人を迎えて間もない青年に威厳を持たせ、戦を生業とする引き締まった肉体は偉丈夫と呼ぶに相応しい。処刑を目前にしながら微動だにせず、粛々と己が運命を受け入れようとする姿からは潔さと儚さを同時に感じさせられる。もっとも、ここにいる大半の人間はそんな感傷に満ちた思いは抱くまい。

 

 かつて生きた世界でこの世界を舞台とした読み物を見知っていたからこそ、俺は彼の人の正体を知っていた。その数奇な運命と壮絶な死に様を知っていたのだ。そんな俺だからこそ、こうして胸に込み上げるものがあるのだろう。

 今のバランは神の金属(オリハルコン)で鍛えられた竜の騎士の愛刀――すなわち真魔剛竜剣(しんまごうりゅうけん)も帯びず、市井に紛れて暮らしていた名残の如く、質素極まりない布の服にその身を包んでいた。常ならば絶対強者の無体な有様を目にすることで、これほどまでに哀愁の波に誘われる事になるとは思いもしなかった。

 

 暗澹とした面持ちで澱んだ空気の広場を眺めやり、自然と溜息が零れてしまう。

 ここはアルキード王国の城下に設えられた特設の処刑場だった。見れば生涯で何度お目にかかれるかわからないほどのお偉いさん達、つまり国家の中枢に位置する王族貴族が勢ぞろいしている。一体何事かと目を瞠る事態だ、現国王直々に足を運ぶとは異例中の異例だろう。それほど事は切迫していたという証左でもあろうが、正直気が重くなるばかりだった。

 しかしながら、この事態そのものは意外というわけではない。言うなれば歴史通りであり、バランの処刑は俺の知る物語における筋書き通りの出来事だった。唯一、俺という異分子を除いて。

 

 

 

 

 

 事の起こりは一年以上も前の話だ。

 竜の騎士バランはその身に背負った宿業に従い、地上支配を目論んだ冥竜王ヴェルザーを相手に単身決戦を挑んだ。その死闘を制し、命からがら地上に戻ったバランは、しかし既に瀕死の状態に陥っていたのだ。今にも命の灯火は消えようとしていたバランは、それでもどうにか重い身体を引きずり、アルキード王国北端に位置するアルゴ岬へと向かった。そこに竜の騎士がその身を癒すための《奇跡の泉》が存在するからである。

 しかしバランは後一歩というところで力尽きてしまう。バランが意識を手放す直前、彼を発見し、手を差し伸べたのが俺の住む国――アルキード王国の王女ソアラだった。どうやら竜の騎士ご用達の回復場所は、現代ではアルキード王族ご用達の遊興地か何かにでもなっていたらしい。

 

 ソアラはバランの傷ついた身体を癒すために王城へと迎え入れたのだろう。国王も当初はバランを城に逗留させるほど好意的だったらしいので、あるいはソアラがよほど強く父王に働きかけた結果なのかもしれない。

 そこから一体どんなやりとりがあったのかは俺にもわからない。しかしソアラとバランは互いに惹かれあい、やがて二人の間にひとりの子を儲けるほどに愛し合う関係になった。……言うまでもなく大問題である。

 

 婚姻すら交わしていない男との秘めた逢瀬だけでも騒動になるところを、一国の王女が何処の出とも知れぬ男の種を身篭ってしまったのだ。その事実に仰天するのは何も父王だけではないだろう、王族はもとより貴族とて晴天の霹靂に違いない。事は個人の問題で収まるはずはなく、国家を巻き込んだ一大騒動と化すに決まっている。――そう、本来ならばそうなるはずだった。

 

 ソアラが身篭った事実が発覚する前に、仲睦まじい様子の二人を危ぶんだ臣下一同がバランの排斥を画策したのだ。『バランは人間ではない、もしかすると魔王軍の生き残りかもしれない』と吹き込み、王の恐怖と危機感を煽った。

 これはラーハルト曰く次期国王の座をバランに奪われまいとした重臣の策謀だったらしいが、実のところ俺はその意見に些か懐疑的だった。ラーハルトが嘘をついていた、というわけではない。バランの視点でしか過去の悲劇を語っていない時点で、アルキード王国側にフェアではないと思うからだ。実際は純粋に王家の行く末を憂い、バラン追放を願った家臣もいたのではないだろうか? それくらい当時のバランの立場は弱いものだったはずだ。

 

 なにせ当時のバランは竜の騎士ではあっても地上における縁――生臭い表現をするならば、権力のバックボーンや社会的立場を保障する肩書きを何一つ持ちあわせていなかった。王族や貴族にしてみれば、バランは身元不明の怪しい男にしか映らなかっただろう。

 あるいはその装いからどこかの国を出奔した騎士くらいには考えているかもしれないが、それにしたって王族との婚姻など許されるはずがなかった。常識的に考えて他所の国から来たであろう流れ者を、積極的に次期国王の座に押し上げようとする譜代の臣がいるほうがおかしい。はっきり言えば王城に招いて逗留させていたことが既に破格の対応なのだ、国王を含めてアルキード側は十分バランに良心的だったと思う。

 

 二人がどの程度自身の立場を省み、王家を支える家臣達へと根回しや配慮をしていたのかはわからないが……結局バランは城を追放されてしまう結果に終わる。バランもソアラの幸福を願い素直に身を引こうとしていたため、そこで終われば数ある悲恋で終わっただろう。

 しかしこの時、既にソアラはバランの子を身篭っていたのだ。一代限りの竜の騎士が我が子を授かるなどありえぬこと、あるいはその奇跡をバランは天佑と見做した可能性もある。人ではなく、魔ではなく、竜でもない。この世界にただ一人の種族たる彼の初めて得た血のつながりと幸福を齎してくれた女性……。揺れに揺れる彼の心中は察するには余りあれど、最終的に二人は駆け落ちの覚悟を決めて国を出奔した。

 

 バラン達とて大変だったろうが、アルキード王国だって悲惨だった。ソアラの出奔が意味するのは玉座の正統後継者が喪失。つまりアルキード王国を守り導く次代の王位が突然空白にされてしまったのだ。

 さあ大変、と茶化す気になれないほど事態は深刻だった。王女の出奔などという異常事態に、王城は時ならぬ嵐の到来を迎えていたことは想像に難くない。俺がアルキード王国の国民でなければご愁傷様と心底哀れむ悲劇であり、喜劇だった。勘弁してくれ。

 

 駆け落ちの事実を知った父王はまず呆然とし、次に激怒したはずだ。道ならぬ恋を成就させようとした若者の前途を暖かく見守る、などとぬるい対応が出来る状況ではないし、国家を背負う為政者の立場とはそこまで軽くもない。王は迅速に二人を捜索するよう指示を出した。無論、ソアラを連れ戻し、二人の仲を引き裂くためである。

 当然の対応だった。ソアラは一平民ではなく王族、それも王位に最も近い直系の娘だ。そんな大事な一人娘をどこの馬の骨かもわからぬ無頼漢に委ねるはずもないし、なにより家臣たちの不満も爆発しかねない事態なのだ。それを思えば王は演技だろうと怒りを見せねばならなかっただろう。もっともアルキード王が亡き王妃の一粒種であるソアラ姫を溺愛していることは平民ですら知っているだけに、その怒りは真実怒髪天そのものに違いなかった。

 

 ただ、王の内心は複雑だったと思う。彼の怒りの半分以上は親の立場として娘を傷物にしたバランへと向いていただろうが、王族にあるまじき軽率な真似をしたソアラにも多少なり思うところはあったのではないかと思う。それくらい王族が国を捨て、出奔するというのはまずいのだ。なにせ王家を支える自国民に対する最大の裏切りになるのだから、責任ある立場の人間が安易に取って良い手段じゃない。それも国を捨てたのはただの王族じゃない、次期女王様である。

 ソアラ達にだって事情があるのはわかる。竜の騎士が人の世界に疎く、バランが人の世の理に縛られる必要がないことも、二人が心底愛し合っていたのだってわかるさ。でもな、アルキード国民の立場から言わせてもらえば、バラン夫妻に対してそりゃないだろうと嘆くくらいは許してほしいものだった。

 

 駆け落ちした二人はアルキード王国の北に位置する隣国ベンガーナを越え、大陸中央部の小国テラン王国まで逃げた。そして山間の小さな集落のさらに外れに慎ましい住居を構え、人の目を避ける隠遁した暮らしを始めたのだった。

 やがてソアラのお腹に宿っていた新たな命がこの世に生誕し、竜の騎士と人間の混血児となる男の子はディーノと名づけられた。およそ12年後、魔王軍に反旗を翻して地上の希望となる勇者ダイである。

 彼らは確かに幸福を噛み締めていたのだと思う。ソアラが王女でさえなければ、そのささやかな幸福も永らく続いていたことだろう。しかしそれは所詮仮定でしかなく、泡沫の夢にも似た淡く脆い幻想に過ぎなかった。

 

 王国の調査が二人の所在を突き止めるに当たって、バラン夫妻とその赤子ディーノの慎ましやかな生活は終わりとなる。ソアラは王城に連れ戻され、バランは王女を誘拐した罪で罪人の身分に落とされた。

 駆け落ちの事実は公表されなかった。次期女王と目される王女がどこの誰とも知らぬ男と結ばれ、挙句子供をつくって駆け落ちしたなどと、これ以上ない醜聞だと判断されたのだろう。気持ちはわかる、ただ緘口令の効果は甚だ疑問だった。ソアラは元々平民の目にも頻繁に姿を晒していた人気高い王女だ、その不在と数々の目撃証言が噂となることは避けられないことだった。第一国を挙げての大捜索だったのだ、人の口に戸を立てられるはずもない。

 

 二人の子であるディーノ――ダイは罪の象徴として命は取られなかったものの国外追放の身となった。バランの処刑が行われる前に船は出港した。今頃は海の上だろうけど、やはりその船は難破してしまうのだろうか? 現時点では誰も知らないことではあるが、近い将来ダイはデルムリン島に住むモンスターである鬼面導師ブラスに拾われる……はずだ。

 無事であって欲しいと心底思う。ダイが死んだら大魔王バーンに対抗することなど不可能だろう。バーンを止められなければ行きつく先は地上の消滅だ、誰も生き残れない。

 

 だが、俺個人の命に関して言えばすぐそこに危機が迫っていた。

 これまた誰も知らないことであるが、今日の処刑においてバランをかばったソアラが命を落とし、その死に激怒したバランがアルキード王国をその国土ごと灰燼に帰してしまうからだ。

 竜の騎士が放つ最大最強の秘技『竜闘気砲呪文(ドルオーラ)』。対人最強技が魔法剣『ギガブレイク』ならば、《ドルオーラ》は対軍最強技だった。というか、俺の感覚からしたら大陸の一部を消し飛ばすのは戦術がどうこうではなく、もはや戦略級の扱いであって然るべきである。

 かつて生きた科学万歳の世の中からすれば、頭の痛くなる不思議パワーの魔法が存在していることを差し引いたって異常だ。一個人がその身に秘めたエネルギーでそれだけの大災害を引き起こすとか、文字通りの意味で神話の世界だった。そんなものをぽんぽん撃ち合うダイとバーンの最終決戦とか、もう想像したくもない。

 

 明日の行方もわからないのに先のことなんて考えても仕方ないな。

 そんな幾度目かになる愚痴を内心で繰り返しながら、ぐるりと刑場を一望する。視界の先には磔にされたバラン。臨席する王族貴族に今にも飛び出さんとして兵士に取り押さえられているソアラ。そして処刑場を囲う野次馬の群れ。複数の処刑人はそのときを今か今かと待っていた。

 俺も彼らにならって深く静かに機を計る。そう、ここが俺の命の、ついでにアルキード王国の命脈を占う分水嶺だった。

 記憶通りに事が進んでしまえば待っているのはアルキード王国の消滅であり、俺もまたアルキード王国の一国民として諸共にバランの手で殺されてしまう。そんな未来はまっぴらごめんだ、俺はまだ死にたくなどない。

 

 生き残るための方策もある。

 ただしそこには気になる点、というより避けえぬ悩みも付随していた。今日の悲劇は放っておけば後のバランとダイの竜騎士対決につながり、やがては大魔王バーンに打ち勝つ重要なトリガーにさえなりえるわけで、あるいは人類存続という観点からすればこのまま静観することが正しい可能性だってある。少なくとも原作通りならばハッピーエンドとは言えずとも、地上消滅の危機は防がれるわけで。その道筋にいらんちょっかいをかけるとそれだけでバーンの野望が成就し、地上の終わりという頭の痛くなる結末を呼び寄せかねなかった。

 

 俺が死ねばいい。両親も友も何もかもを犠牲にして、やがてくる大魔王バーン撃退の礎となるのであれば、それは誰が知らずとも確かに崇高な志であり、世界にとって必要な犠牲なのだろうと思う。

 

 だがな、俺のいなくなった後の世界を願って何の意味がある? 自身の犠牲を是とする結果を受け入れられるほど、俺は聖人でもなければ博愛精神に溢れた善人でもなかった。時に小賢しく時には小ずるく立ち回る、どこにでもいる凡庸でそこそこ卑しい人間でしかないのだ。大儀のための殉教者になどなれはしない。

 

 だから変える。変えてやる。意地でも書に記された結末を否定してみせる。

 世界滅亡のリスク? それこそ俺のどうこうできる話じゃないだろう、その後のことはその時になって考えればいい。

 まずは生き延びることだ。あるいは大魔王のことなど竜の騎士親子と勇者アバン、そして彼の弟子たちに全て任せてしまえばいい。駄目なら駄目で仕方ないのだと割り切ってしまえ。世界の行く末など所詮は俺の見た夢、妄想の産物と扱ってしまって構わないだろうよ。ならばあるべき未来を壊した異端者の罪など、この世の誰にも裁けはしない。

 

 『撃て!』、と。

 

 甲高い叫びがあがり、魔法使いの火炎呪文がバラン目掛けて放たれた。

 誓って俺はその瞬間を待ちわびてなどいなかった。けれど己の命をチップに博打を打つ策しか思いつかなかった俺の身体は、挺身が半ば義務であるかのように不思議な心地を抱きながら動き出す。痛みと死への恐怖を至極あっさり振り切り、刑場へとこの身を投げ出せたのは何故だろう? ――その躊躇のない思い切りの良さを、少しだけ意外に思った。

 

 

 

 

 

 それは策の第一段階にして、恐らくは最大の難関だった。処刑魔法として放たれた火炎呪文に我が身を晒してバランの……バランを庇おうと飛び出したソアラの盾となる。そのダメージに耐えられるかどうかはもはや天に祈るしかなかった。神様の使いを助けるんだから御利益をくれないものか、と現実逃避気味な思考が過ぎる。

 

 目標に割り込むことは成功した。ソアラに先んじて盾の役割を担うこともできた。――そして、着弾。

 襲いくる衝撃と熱風、ついで身を切るような痛みに絶叫をあげた。この様じゃ俺に戦闘は無理だな、痛みへの耐性が低すぎる。これでは戦場に立てばすぐに取り乱して死んでしまいかねなかった。元よりそんな度胸も能力もないのだから考えるだけ無駄なのだが。

 ああ痛い、ってか痺れる、でもって熱い。いや、これは冷たい、かな? ……やばい、腕は焼け爛れて痛みと痺れを通り越し、傷口から伝わる感覚そのものが消えかかっているようだ。これはまずいと蒼白な顔を脂汗が伝う。もしやすると痛覚神経がやられてしまっているんじゃないかと不安になった。死ななかっただけ僥倖とも取れるけど、それを慰めとするのは嫌すぎる。

 

 魔法か、不思議な力だ。俺がくらったのは火炎呪文だが、それはただの炎でなく『質量を伴った火弾』としか表現しようのない奇妙な重さがあった。まさしく魔の法則だろう、俺の見聞きしてきた物理法則を返せファンタジー。

 魔法の使えない俺には実際にどの程度違いが出るのかわからないが、同じ魔法でも使い手が異なれば威力も変わるらしい。アルキード王国は勇者アバンの故郷であるカール王国や城塞王国として名高いリンガイア王国と比べて精強な騎士団を抱えているわけはなく、同時に強力な宮廷魔道士を抱えているわけではない。だからこそ処刑官の放つ魔法も凶悪無比な威力ではなかった、というのが救いといえば救いだろうか。

 

 それでもとある未来においてはソアラの命を奪ったのだし、バランにしても竜の騎士の力を振るわなければ、この程度の低級魔法でも死ぬことはできるだろうと判断を下していたため、一抹どころか盛大に不安はあった。

 服の下に着込んだ粗悪な皮製の装備を始め、火炎呪文対策に用意したいくつかの準備が無駄にならなかったことを神に感謝しよう。この場合の神はなんだっていいさ、それこそ竜でも魔でも人でも。皮肉を込めて魔界の神を自負するバーンにでも祈ってやろうか? お前の敗北する未来を壊してやったぞ、感謝しやがれってな。

 

 ほっと安堵と自嘲にこぼれそうになる笑みを押し殺して、ここから最も必要になる行動に移る。一種異様な沈黙に満たされた今しか出来ない、そしてそんな今だからこそできる暴挙だ。すうっと息を吸い込み、目を白黒させている雲上人――アルキード王国王女をひたと見据えて口を開く。押さえきれない怒気がほんの少しだけ顔を覗かせる、そんな塩梅で。

 

「畏れ多くも王女殿下に奏上仕ります」

 

 ……なるほど、美人だ。一瞬見蕩れそうになり、慌てて気を引き締める羽目になった。

 光沢のある黒絹の髪が豊かに背に流され、長い睫が目元を優しく化粧している。目鼻立ちも整い気品のある美を誇っているというのに、纏う気配は素朴で人を安心させるものだった。それが逆に恐ろしい。

 魂の輝きが違うとでも言おうか、この状況においてもこれだけの存在感を放つのだから、この人も一角の人物なのだろうと否応なく悟らされる。とはいえ、長々と鑑賞しているわけにもいかない。さっさと話を続けよう。

 

「御身が身命を賭していかがなさいますか!? 至尊の系たるあなた様が倒れれば国が混乱するは必至、ソアラ様は王位継承の第一位なのです。どうかご自愛ください、ソアラ王女殿下」

「でも、あのままでは夫が――」

 

 それでもです、と不敬ながら遮らせてもらった。ここは勢いで押し切ってしまったほうが良い。

 

「真実がどうあれ、バラン様は魔物に通じた魔王軍残党の疑いで処刑される罪人なのです。そんな罪人を王女殿下が危険を顧みず庇ってしまう。それがどれほどの不利益と混乱を国に与えるとお思いか!」

 

 少なくともバラン処刑の名分はそうなっている。たとえそれがソアラの醜聞を覆い隠す欺瞞だとしても、王が白と言えば白であり、黒といえば黒となる。大したことじゃない。王権国家とはそういうものだ。

 

「そうね、きっとあなたの言うとおりだわ。王女の位を持つ私が軽々に振舞うことを許されはしません。でも、ごめんなさい。それでも私は夫を見捨てることなど出来ないのです」

「……そうですか。そうでしょうね。あなた様ならそう仰る気はしていました」

「ええ、ごめんなさいね」

 

 実のところ、会話の内容にさしたる意味はない。問題の本質はそこではないのだ。

 今、ここでは一国の次期女王と名も知れぬ平民の問答が成立している、それこそが肝要なのである。これは今しか出来ない絶好にして唯一の機会なのだ。身分も伝もない俺が王族と直に、しかも真摯に会話を重ねるチャンスなど普通なら一生ない。未来を知る俺だからこそ作れた反則の時間。

 その一方でここで選択を誤れば待つのは俺自身の破滅だった。

 

 ここまではよし。ソアラは俺の言を平民の戯言として聞き流そうとはしていない。そして他の連中は事態についていけずに傍観の姿勢だ。

 俺の言葉に頷かないソアラも予定通り。まあそうだろう、バランを見捨てる選択を取れるくらいならばありえた未来の一つで不遇の運命に倒れてはいまい。そして俺は別に王女様に国家の重鎮としての自覚を促しにきたわけではないのだ、それこそ今更である。

 

 情に厚く夫に殉じる高潔な女性か。それでもいいさ、冷血無常の人でなしよりはよほど好感がもてる。

 そんな彼女の心根が今の俺には必要不可欠ですらあった。バランと人類の決定的な対立を未然に潰し、結果として俺が生き延びるためにはそうしたソアラの分け隔てない優しさをとことん利用する必要があるのだから是非もない。だからこれでいい、このまま続ける。材料は揃った、あとは詰めを誤らなければ全て上手くいく。

 

「では僭越ながら一つ助言を差し上げます。たった一言でいいんです、あなた様から夫君に言ってあげてください。『あなたが死ぬなら私も後を追います』と。それだけでバラン様は己に課した枷を外そうと決意してくださるでしょう」

「あら? ふふ、怖いくらいに情熱的な言葉ね」

「ええ、怖い女になってください。私はこの国が滅びるなんてごめんですし、罪人を庇った罪で連座するのも勘弁願います」

 

 公務を妨害した俺の罪が家族にまで累を及ばさないとどうして思えよう。それでなくとも白い目で見られるだろうし、今日まで育ててくれた両親にはひたすら申し訳なくなる。無論そうさせないように奮闘してるとはいえ、不安が消えてなくなるはずもない。

 

「夫と一緒にあなたも連れて逃げればいいのかしら?」

「新婚夫婦のお邪魔虫になるつもりはありませんよ」

 

 苦笑を浮かべようとしたところで灼熱に焼かれた腕の痛みが襲い掛かり、引きつった笑みにしかならなかったのが残念だ。格好がつかない。麻痺したままでよかった、下手に感覚が戻ったせいで痛みに悶絶して声が震えていた。

 しかし俺にはまだ笑う余裕がある。正確には笑えるだけの余裕が生まれてきた。

 

 さて、周りの連中はどうかな? 俺のように勝利を確信して笑える心境だろうか。俺の一挙手一投足に周囲が右往左往している、そう考えるとなんともおかしな気持ちが込み上げてくる。我ながら趣味の悪いことだと内心で笑い声をあげた。

 それでもまだ終わりじゃない。そう言い聞かせて気を引き締め、努めて無表情を装って周囲を見回した。誰も彼もが状況の変転についていけていないのがありありとわかる。そうだろうな、一体誰がこんな事態を予測できるというのか。

 

 王の掌中の珠である第一王女と恋仲にある男が魔物に通じた疑いにかけられ。異例の早さで罪科が確定されるやいなや処刑台に張り付けられた。いざ処刑の合図が出されるや放たれた魔法に王女が飛び込み、あわやというところで名も知らぬ平民が夫をかばった王女の身を救った。さらにその平民は身の程しらずに王女を諌める言葉を発し、さらには逃避行をけしかけるようなことまで言う。

 

 滅茶苦茶だ、どんな歌劇にだってこんな珍妙な場面は描かれまい。

 王を始めとした大臣から兵士、さらには見物人にいたるまでみな呆然とし、互いに顔色を伺ってざわめきあっていた。困惑と混乱、疑念と不安。誰も能動的に動けない空隙。

 今この時ならば、ただの一平民でしかない俺がこの場を支配できる。王でも賢者でも騎士でもない、肩書きも力も何もない小僧がこの場の全てを支配し、演出するのだ。未来を高い確度で予測する異界の知識。そんな神の託宣に匹敵する反則技がなければとても出来たものではない。

 

 全てが狙い通りだったとは言わない。

 実際対策を施してきたとはいえ、処刑用に放たれた火炎の矢は想像以上のダメージだった。下手をすれば死んでいた、というより現在進行形で死に掛かっている。別に魔王の放つメラでなくても俺など簡単に殺せるのだ。今ならスライムの一撃であの世に旅立つ自信もある。

 大魔王のメラ? はは、あんなもんメラじゃねえよ。人間最強クラスの魔法使いであるポップの放つ上級火炎呪文(メラゾーマ)を打ち破る初級火炎呪文(メラ)とか、出てくる作品間違えてるんじゃねえのか、バーンの奴。

 

 だが、俺は賭けに勝った!

 俺の命というチップに対して、少なくとも元手分は取り返せたはずだ。ソアラがバランを庇うために飛び出したことで王は刑の執行に躊躇し、身動きがとれなくなっている。そしてソアラの決死の覚悟を見た以上、バランも座して死を受け入れることはない。さらに言えばソアラの命の恩人である俺をバランが見捨てて逃げることはありえないだろう。

 先ほどのソアラとの会話じゃないが、バランとソアラの逃避行に連れ出してくれる程度の恩義は感じてもらえたはず。あとはどれだけリターンを大きくできるかにかかっている。これだけ危ない橋を渡ってやったんだ、最大限の取り分を確保してやるさ。

 

「国王陛下、卑小なるこの身に直答の慈悲を賜りたく思います。お許し願えますでしょうか?」

 

 慇懃無礼に聞こえぬよう、細心の注意を払ってアルキード王に懇願する。

 身体が重い。背を脂汗が流れ、体温が急激に下がっているようだ。暑いのか寒いのか、その程度の認識すら薄れている。

 震えそうな声を押し隠し、今にも崩れ落ちそうな身体に鞭打って臣下の礼を取った。宮廷作法なんぞ聞きかじりのものでしかなく、付け焼刃もいいところだったが、どうせ今回限りなのだ。形だけ繕えていればそれでいい。

 

「……許す。申してみるがいい」

「陛下!」

「良い」

 

 こんな近くで自国の王に拝謁するのは初めてだったが、それにしても歳の割に若々しい王様だと思った。笑うといかにも人の良さそうな顔になり、怒ると般若の形相になると市井で評判になっているらしい。処刑場ではずっと仏頂面だったしそれは今でも変わらないが、聞く耳持たずな暴君でなくて本当に良かった。

 王を諌めたのは傍らに控えていた大臣か。声高にバラン排斥を唱えた、いってみれば底なしの間抜けである。バラン自身に政治の世界で権勢を振るう意志なんぞこれっぽっちもなかった、大臣の権能を脅かすことなんぞなかっただろう。

 

 ヴェルザーを封じたことでバランは竜の騎士として今生の使命を果たしたと考えていた節がある。そこに妻を授かり、子を儲け、文字通りの眠れる竜になっていたのだから、放っておけばよかったのだ。国家消滅の災厄に比すれば国家指導者の後継を失ったとてまだやりようはある。王家の血筋なら傍系を探して引っ張り出せばそれで済むのだから。

 ……まあ難しいか。そもそもバランが一介の騎士崩れではなく、世界を滅ぼしかねない劇物だと予想できるほうがどうかしている。そういった意味では大臣らに同情してしまったくらいだ。

 今回のケースでは王国側もそこそこ常識的な対応ではあったとは思う。だが悲しいかな、一連の悲劇は『常識とは常に正解を引き当てるわけではない』ケースそのものだったのである。

 

 結局、辿るべき未来では家臣一同のバラン排斥が引き金となってソアラが死に、人の身勝手さに怒り狂ったバランが半島ごとアルキード王国を灰燼に帰した。最悪の結果を招いたわけだ。

 この大失策は大臣らがバランを竜の騎士だと知らなかったがために起きた悲劇だったわけだが、そんなことは言い訳にもならない。何故なら政治とは結果で評価されるべきものであり、『頑張りましたけど出来ませんでした』は通じない厳しい世界だからだ。ましてや陰謀に耽って国が文字通り消滅しました、なんて笑い話にもなりゃしない。……本当に笑い事ではないのだ、とばっちりで滅ぼされる側にしてみれば。

 大臣たちにとって幸いだったのは、国の全てが滅んだために自身の失策が後世に伝わることがなかったことだろうか。何も知らずに滅ぼされたその他大勢の民衆にとっては、そんなもの何の慰めにもなりやしないけど。

 

「臣は平民の子なれど、此度の仕儀、些か解せぬと存じます。三年前に魔王ハドラーは倒れ、世界に平和が戻りました。魔王軍残党の噂などとんと聞きませぬ。お触れに記されたバラン様が魔物に通じたとの疑い、いかな証拠あってのものでしょうか?」

「痴れ者め! 陛下の裁定を疑うか、平民の子供風情が調子に乗りおって」

 

 まさか王も『バランは人間ではない』という讒言まで受け入れているわけではあるまい。魔族と断じるにはバランの風貌は人間に近すぎるのだ。……実はその讒言や誹謗中傷こそが、竜の騎士という真実の一端に触れているのだから皮肉なものだが。

 魔王ハドラーの恐怖が色濃く残る今だからこそ、そんなあやふやな理由でさえ過剰に恐怖して追放なんて短絡的な判断を下してしまうのだ。自身の欲をひた隠し、人々の魔王軍への恐怖をうまく利用し、家臣団の総意として王に言上したのだろう。あるいは捏造の証拠くらいはあるのかもしれないが、俺にとってはどうでもいいことだ。切り札はこちらにある、連中に主導権は渡さない。

 

「王陛下の裁定、ごもっともでございます。魔王ハドラーの脅威が晴れたとはいえ、その爪痕未だ深く、民が心穏やかに暮らすには幾ばくかの時が必要となりましょう。その心に巣食う不安と恐怖を除くため、時に非情の決断も必要となりますれば、全ては魔物に震える民を安んじるがための慈悲深き沙汰。その尊き御心、僭越ながらお察しいたします」

 

 まずは脆い建前に皹を入れ、ついで渾身の一撃で処刑の空気を吹き飛ばす。

 

「臣の分を超えた物言いなれど、この場にて陛下に申し上げたき議がございます」

「申せ」

「はっ!」

 

 アルキード王にはこれぞ王族という落ち着いた威厳があった。この国で十年を過ごし、今日こうして言葉を交わしている限り、とてもこの王が凡愚な君主だとは思えない。敬するに十分、頭を垂れるのにも抵抗はなかった。

 

「まずバラン様が魔王軍に通じたとの疑いですが、それは決してありえぬことなのです。バラン様が人に刃を向けぬ理由は、私ではなくテラン王が証明してくださるでしょう」

「なんと、フォルケン王とな? そこな者はフォルケン殿と親交があるというのか?」

「いえ、バラン様とテランの王に知己はありませぬ。しかしテランの王がバラン様を知れば、バラン様が魔物に通じ人に仇なす存在ではないと証明して下さるでしょう。あるいはバラン様を三顧の礼でテランに迎え入れてもおかしくはありませぬ」

 

 ですが、と。

 そこでふっと表情を緩め、続けた。

 

「お優しい御方ですから、バラン様を奪おうとはしますまい。『貴国に留めおき、賓客として遇せ』。それくらいの助言をいただけるかもしれません」

「むぅ……俄かには信じられんな」

「承知しております。が、事実にてございます」

 

 バランを処罰するデメリットを示し、生かすための理由を差し出す。それは竜の騎士が人間に牙を剥かない、という条件付きでしかないけど。竜の騎士はあくまで竜の騎士の理で動く、人の守り手と同義ではない。人類が三界のバランスを脅かすようならば、おそらく竜の騎士は人類の敵に回るだろう。

 そんなことまでわざわざこの場で懇切丁寧に説明してやる気はない。

 

「馬鹿を言うな! そんなことがあるものか!」

「控えよ大臣!」

 

 雲行きが怪しくなってきたのがわかったのか、思わずといったように焦りをありありと浮かべた大臣が俺を黙らせようとするが、小なりとはいえ一国を統べる国家元首の名が出た以上、事は慎重にならざるを得ない。少なくともアルキードのトップはそう判断した。だからこそ不快気に声を荒げて大臣を止めたのだろう。

 大臣は黙らされ、次に矛先が向けられたのは俺だった。

 

「其の方、他国の尊名を出した以上、もはや戯れでは済まされぬぞ。もし偽りあればその首、即刻切り落とされると心得ておろうな」

「もとよりその覚悟でございますれば」

 

 しばし痛いほどの沈黙に満たされる。真偽を暴こうとする王の眼力を受けても怯まぬよう、気合を入れて耐え忍んだ。

 

「ふん。ならばよい」

 

 鼻を鳴らすアルキード王は面白くなさそうな表情をしていたが、同時にその目には決意の光も見え隠れしていたように思う。

 これでなんとかなった、かな? そんな俺の推測を裏付けるように王は身を翻し、聴衆に向かって高らかに宣言の声をあげた。

 

「――皆のもの! 本日の刑の執行は中止とする。罪人の罪状についても後ほど詮議し直すこととする。以上だ!」

「お待ちください陛下! その決定はあまりにも!」

「そなた、わしの命に従えぬと言うのか?」

「い、いえ、そのようなことは決して……」

 

 ここに大勢は決した。

 王が決断を下し、バラン排斥派のトップが押さえ込まれた以上、ひとまずの猶予は得たことになる。

 

「そこな子供よ、名は何と言う?」

「ルベアです、ルベア・フェルキノ。今年で十を数えます」

 

 うむ、とアルキード王が一つ頷く。

 こうやって俺の不審さを脇におく判断ぶりはいいね、優先順位がはっきりしている証左だ。まあ俺の身の上については後で追及されるに決まってる、どうにか言い逃れないと。

 

「ではルベアよ、もう一つ聞いておこうか。いかような名分でそこな罪人と一国の王を引き合わせようというのだ? 言っておくが未だ罪が晴れたわけではなく、バランは公的には囚人なのだ。まさか囚人を王に面通しさせるのに、何事もなくとは思っておるまい?」

「テラン王のお身体の具合が宜しいようなら、こちらまで御出でいただけると思いますよ」

「なんだと? それほどまでの男だというのか、そやつは?」

「ええ、『竜の騎士が現れた』、と。それだけ伝えていただければ、快くご招待に応じていただけると思います。ですが、礼を尽くす意味でもこちらから出向くべきでしょうね。此度彼の国を騒がせてしまった負い目もありましょうし……」

 

 苦笑気味に語尾を濁すと、さすがのアルキード王も罰が悪そうな顔になった。ソアラ捜索でアルキード軍を派手にテラン王国内へと展開させたのは幾らなんでも強引に過ぎたからだ。国家としてテランへの正式な侘びと謝礼も必要だろうし、どうせならこの機会に外交使節でも訪問させるのはどうかと言外に告げてみたのである。

 ともすれば嫌味に取られかねない発言だったが、反論もしなかったあたり事態は理解しているのだろう。いかにテランが弱小国とはいえ借りばかり作るのも宜しくない、捨て置ける問題ではないはずだ。それに……こういっては何だが戦後の復興目覚しく国力を順調に伸ばしている隣国ベンガーナを相手にするよりは、国力を弱め続けているテランのほうがはるかに楽な交渉に終始するだろう。深刻な問題にはつながらないはずだった。

 

「それはおいおい何とかするとしよう。だが、竜の騎士か……。初めて聞く名だが、それは一体――」

「待て小僧……! 貴様、なぜ私が竜の騎士だと知っている!」

 

 アルキード王の疑問を遮り、あふれんばかりの覇気がこもった怒号が雷鳴のごとく空気を振るわせる。怖気走ったように一瞬で俺の全身から血の気が引いた。真打ち登場ならぬ最後の不確定因子の登場である。

 竜の騎士バラン。天地に並ぶ者なしと謳われる騎士の騎士たる男が、ついにその牙を剥きかけていた。そこにあったのは怒りではない。おそらくは疑念と敵意の詰問ではあったが、それでもこの場にいる全ての人間の身を竦ませるには十分な一喝だ。

 

 恐る恐る振り向いてみれば、眼光鋭く竜の騎士様がこちらを睨んでいらっしゃいましたとさ。……本気で怖い。怖すぎて気絶も出来ないほどだ。バランに力ずくで場の全ての支配権を持っていかれてしまった。その一言だけで俺は動くことはおろか、声を出すことすら出来なくなってしまったのだ。

 バランはまだ律儀に磔にされてるんだから檻の中のライオンみたいなものなのになぜこんなに怖いのか。って、バランが本気になればあんな戒めぶちっとちぎれるんだった。こんな形でヘビに睨まれたカエルを実感してしまうとは。ああもう、やばいやばい、やばいったらやばい。早く言い訳弁解弁明説明解説しないとしなきゃしなければ……! というかバランのやつ王様の言葉遮りやがって流石竜の騎士だ怖いものなしの地上最強生物は伊達じゃない。

 

 ……俺、絶賛メダパニ中。

 

「あなた、子供に向かってそんな怖い顔をしてはいけないわ」

「しかしだな、ソアラ――」

「言い訳は聞きません。この子は私たちの恩人なのですから」

 

 ――ソアラ王女がバランを宥めてくれました。

 

 バランがソアラを太陽だと評しただけあって、バランに言うこと聞かせられる唯一の人だよ、この王女様。

 いや、よかった。本当に良かった。俺が子供の姿なのもプラスに働いたのかもしれない。まあ客観的に見れば十やそこらのガキを恫喝する二十歳前後の男という図だからな、外聞は良くない。この場でそんな常識がどれだけ意味を持つかはともかく。

 ほっと安堵の息をつく。ソアラのことを王女どころか女神だと冗談抜きで思えた。大魔王バーンは第三の目の魔力で弱者を瞳に閉じ込め封印していたけど、竜の騎士の眼光も一般人には十分毒だな。怖すぎる。

 

「むう、仕方ない。すまなかったな、小僧」

「……いえ、お気遣いなく」

 

 社交辞令だぞ、頼むから手加減しやがれ。そんな恐ろしくて口に出せないぼやきが浮かんだ時、俺と似たような吐息を漏らした人物がいた。目を向けると何とそこには額に汗を浮かべた我らが王陛下の姿があった。

 さてと、あとは仕上げだな。

 

「それではバラン様、もはやその戒めに御身を委ねている必要もないでしょう。せっかく王陛下も御臨席なのです、竜の騎士の力の一端をこの場に示していただけないでしょうか。……ああ、もちろん最大限手加減はしてくださいよ? 竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開になんてされたら、私はもとより王様や王女様も無事に済まないのですから」

「それぐらい心得ておるわ。この私がソアラに傷一つでもつけるわけがあるまい」

 

 流石に歴戦の竜の騎士。竜の力のコントロールも手馴れたものであり、本当に最低限の紋章の力を発動させただけだった。一瞬額に竜の紋章が輝いたと思ったらすぐに消えてなくなる。もちろんその間にバランを捕らえていた枷は粉々に吹き飛んでいた。

 その一幕だけで恐れが先に立つ。尋常ではないと一目でわかる闘気(オーラ)の奔流に、我が身をかき抱くほどに圧倒されてしまったのである。

 

 舌先三寸の小才子にどうにかなる相手じゃないと、魂の隅々まで痛感させられる思いである。そしてこの結果は俺にとっては予想通りでも王族二人にとってはそうではなかったらしい。王様は大口を開けて呆然の体で目を瞠り、ソアラも大きな目を見開いて驚きを露わにしていた。もっとも上品に両手で口元を隠していたあたり淑女である。

 

「馬鹿な……。あの拘束をこうも容易く破るとは」

「あなたって、とっても力持ちだったのね」

 

 愕然とした王様を尻目に、王女様は驚きなのか天然なのかよくわからない台詞を、なぜだか楽しそうに嬉しそうに弾んだ声音で口にしていた。うむ、大物だ。

 ともあれこれで締めだ。一度深呼吸をして呼気を整え、改めて跪いて礼を取る。

 

「国王陛下、此度の仕儀はバラン様の出自が明らかでなかったことにも因はあると愚考いたします。王家に忠を捧げる王城のお歴々も、アルキード王国の行く末を憂いた故の義挙にございましょう。彼らの不安を払拭するためにも、バラン様がいかような存在なのか、歴史に埋もれた竜の騎士とは何を意味するのか、テラン王より仔細をお聞きいただきたく、伏して御願い申し上げます」

「あいわかった。どうやら徒に娘の心を奪った無頼漢というわけでもないようだ。其の方の言、しかと聞き届けたぞ。大儀であった」

「はっ。王陛下の寛大な御心に触れる栄誉に与かり、無上の喜びに打ち震えております」

「うむ、苦しゅうない」

 

 ようやく胸を撫で下ろすことが出来た。ひとまずは首の皮一枚つながった、そんなところだな。

 ソアラは本人の意思はともかく、父娘の情と王家の後継者不足による政治的思惑も重なり、寛恕(かんじょ)に浴することで王籍に復帰する予定だったのだろうから問題ない。難しいのはバランの立場だった。

 

 バランとソアラの夫婦をこの国で一緒に暮らさせるためには、アルキード国外からやってきた流浪の騎士の立場を王配――すなわち未来の女王の婿に相応しいものへと引き上げねばならない。そうでなければ結局二人は国を捨て、追っ手に警戒し続けねばならないだろう。それはまずい。

 俺としてはバランに人類の敵に回って欲しくないし、来る魔王軍の来襲から俺の住むアルキード王国を守ってほしいのだ。そのためにもバランを穏便に王家に迎え入れてもらう必要がある。竜の騎士の力を最大限発揮するために、人間社会における確固とした地位を築いてくれるのが一番ありがたいのだ。

 

 今回は切り抜けたとはいえ彼らの前途は多難に満ちている。なにせバランはここから実績をあげ、ソアラの夫に相応しいのだと示さねばならない。ただし竜の騎士の希少価値を考えれば血筋という意味で障害もなくなるはずだから、あとはバランとソアラの頑張り次第といったところか。俺だってここまで骨折りしたんだ、頼むから二人とも今の立場を簡単に投げ出してくれるなよ。

 そんな秘めた願いを胸に改めてソアラと向かい合う。彼女の隣にはバランも堂々と並び立っていた。こうして見るとやはりこの二人は輝きが違う。特にバランには自然と畏怖や畏敬の念を覚えてしまうほどだ。然るべき衣装をまとえば宮廷に飾り立てる絵画のモデルにもなれそうだ。

 

「ソアラ王女殿下、我が身の分を超えた暴言の数々、誠に失礼致しました。何卒お慈悲を賜りたく。どうかお許し願えましょうか?」

「許します。私も夫もあなたに尽きせぬ感謝を送ることに躊躇いはありません。あなたには大変な苦労をかけてしまいました。至らぬ夫婦でごめんなさいね」

「勿体ないお言葉です」

 

 丁寧な礼を述べられて恐縮してしまい、ただただ頭を下げてやりすごす。

 そして――恐る恐るバランと視線を交差させた。彼の覇気に満ちた双眸は何はなくとも俺の心根に高揚と重圧をもたらし、不思議なことに王家の二人に畏まった以上の忠心を覚えてしまった。生物としての格の違い、問答無用の威風を纏う雄姿、深遠の奥深くを思わせる重厚な気配。これが後に陸戦騎ラーハルトほどの武人を生涯に渡って心服させた、竜騎将バランの持つカリスマなのだろうか?

 

「バラン様、疑念は数多ありましょう。しかし今は御身に寄せられた数多の疑心と罪科を晴らすことを何より優先していただきたく思います。テランは竜の神を奉じる信仰の国、現代に竜の騎士の伝承を伝える唯一の国家なれば、必ずあなた様に降り注いだ人の世の火の粉を払ってくださりましょう」

「既に瀕死の風体を省みるに決死の覚悟で飛び込んだのであろう。その勇気は賞賛されるものであり、礼を言うのも吝かではない――が、貴様が何者なのか、その問いを今は向けるなと言うのか?」

「あなた様に問われたならば、私はいつでもお答えする心積もりです。しかしそれは今ではない。残念ながらお互いに時間がないのですよ」

「時間? それはどういう……?」

「――すみません。もう限界なんです」

 

 無理に無理を重ねてようやく一息つけたんだ。緊張の糸が切れたっておかしくないだろう。というか竜の騎士とかアバンの使徒みたいな化け物連中と一緒にするな。こちとらちょっと不可思議な知識を持って生まれただけの、ただの小賢しいガキにすぎないんだ。物理的にも精神的にも、これだけぽんぽん命をチップにしてたら限界なんかすぐに来るに決まってるじゃないか。魔法だとか闘気だとかわけのわからない、この世界独自に発達した不思議パワーを欠片も操れないクラス《一般人》舐めんな究極生物(バラン)

 

 頭が重い。視界は霞んでいき、靄がかかったように目に映る全てがあやふやな形に変じていく。ああ、これ以上は無理だなと他人事のような気軽さで理解した。

 

 寝てる間だけでもこの火傷の痛みを忘れられるなら大歓迎だ。

 

 最後にそんなことを考え、俺の意識は深い眠りに落ちるように急速な勢いで暗転していった。

 

 

 

 こうしてあるべき未来は閉ざされ、アルキード王国はその歴史を変わらず紡いでいく運びとなった。

 王国と共に消え去るはずだった俺によって投げかけられた波紋は、この世界にとっていかなる意味を持つのか。そして標を失った世界が辿りつくのはいかなる先なのか。それは天上の神々にも、魔界に座す大魔王にさえも見えぬ事。

 この世の行く末を知る者は、もはや俺を含めて誰もいなくなったのだから――。

 




 作品区分を短編→長編に変更しました(2015/5/14)。


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第02話 託宣の御子

 

 

 目覚めは快適なものだった。

 清潔で手入れの行き届いた寝台から身を起こし、周囲を見渡せば高級そうな調度品の数々。枕や寝台も柔らかでとても寝心地が良い、職人による会心の一品であることをうかがわせる良品だった。気絶している間に着替えさせられたのか、服もいつもの質素な布の服ではなく、装飾こそ地味ではあるが材質はとても感触の良い寝間着だった。

 ぼんやりとした目元が力なく瞬きを繰り返し、大きな空間をのろのろと定まらぬ視線で緩慢に見渡していく。

 馴染みのない部屋。馴染みのない調度。少なくとも親子三人で質素に暮らすありふれた家屋などではない、俺の倒れた前後の状況を省みるに、おそらくは王城かそれに準ずる屋敷のはずだと当たりをつける。

 

「起きたようだな」

 

 怪我の後遺症かそれとも気絶していた時間が思いのほか長かったせいか、未だ頭はぼんやりと霧がかっていた。そんな俺を急激に覚醒させた契機はドアの開く音ではなく、無造作に向けられた覇気に満ちた眼光である。

 この圧倒的な存在感を前に見間違えをするはずもない、竜の騎士バランが両開きの扉の前に立っていた。

 

 バランは当代の竜の騎士にして、現時点において間違いなく地上随一の実力者である。一年と少し前、魔界の二大勢力の片割れだという冥竜王ヴェルザーを打倒せしめた男でもある。そして今はまだ訪れていない、もしかしたらこの世界では永久にやってこない未来において、魔王軍が誇る六大軍団長の任を務め、地上侵略の一角を担う《竜騎将》として数多の国を陥落せしめたほどの戦果をあげた。

 バランは個で戦って無双、竜の軍勢を率いて苦戦知らず、種族すらばらばらな竜騎衆という忠義に厚い士も揃っていた。実際、戦に関しては完全無欠なんじゃなかろうか、この男。さすがは数千年に渡って闘争に明け暮れ、代々の経験を紋章に受け継がせてきた竜の騎士といったところだろう。

 

 そして、若き日のバランがじっと俺を睥睨する、そんな嫌な現実に直面しているのが現在の俺である。古今無双の騎士が起きぬけに目に入るのは非常に心臓によろしくない。だが、ここで「おやすみなさい」と言って狸寝入りと洒落込む、そんな勇気は残念ながら俺にあるはずがなかった。

 緊張がいやまし、心臓が早鐘を打ち始めた。寝起きにバランの登場は予想外もいいところである。

 俺の予想としてはまず城勤めの官吏あたりに処刑場の一幕を尋問され、それから運が良ければ王族やバランへの釈明ならびに説明の場が与えられるものだと考えていた。いきなり牢に入れられることはないだろうが、まずは徹底的に俺の背景や身元の確認が行われるだろうと。その際、両親に多大な迷惑をかけることになるのは避けられないと思っていた。

 

 寝起きが冷たい牢屋でなく貴人の住居らしき豪奢な部屋だったことに安堵してはいても、俺のやったことを考えればベッドの寝心地に頬を緩めてばかりもいられない。今の状況を省みるに厚遇されていることは間違いなさそうだが……さて?

 しかしここでまさかのバラン登場か、あんた罪人の身分はどうしたよ? 監視もなしに自由に歩きまわれる身分なのか? そのあたりどうなっているのかわからない俺としては戸惑うばかりである。別に奥座敷に閉じ込められてろとは言わんけど、真っ先に俺と顔を合わせるのがあんたってのは色々と手順をすっ飛ばしてる気がしてならなかった。どうやら俺の予想以上に事態は動いているようだ。

 

 いやさ、どうしたものかね?

 まずは地べたに頭を擦り付けることからだろうか。しかしバランの立場って今どうなってるんだ? 嫌疑は晴れたのか? ソアラとの関係は? というか好き勝手に動き回れる身分なのか? ぐるぐるとそんなことが浮かんでは消えていく。

 内心で次から次へと思索を巡らせるも答えが出るはずもなく、バランはバランでそんな俺を無言で観察しているだけだった。お互い話を切り出すタイミングを失い、奇妙な膠着がそこに生じていた。

 

「あなた、いつまでそうしているつもりですか?」

 

 そこに救いの女神の声が。当然だがソアラの声である。

 心底ほっとした。何が助かるって、この人さえいればバランを抑えておけるという最大の安心感が何より有り難い。今はソアラのいない場所でバランと会いたくない。なにせ俺は『何故か』バランの正体を知っていて、これまた『何故か』いきなりバランの擁護を始めた、不審極まる人間以外の何者でもないことは自覚している。バランにしてみればさぞ気味悪く映っているだろう。

 

「ごめんなさいね、ルベア。夫がどうしてもあなたと話すことがあるというから、私は席を外していたのだけど」

「しかしだな、ソアラ。この小僧、どうも得体が知れん。私が竜の騎士であることを看破したことといい、そこらの子供が持ちえるはずのない情報を持っていることは疑いない。だというのに、天界や魔界に連なる気配は欠片も見せず、さりとて立ち居振る舞いはまるで素人のそれだ。今こうして向き合っていてもまるで威勢を感じさせん」

 

 そらまあ小突けばくたばる一般人代表ですからね。竜の騎士(あんた)に警戒されるような力を身に着けるなんて、今から百年修行しても無理だと断じてみせましょう。闘気は今日まで操れる予兆もなし、魔法に至っては発現以前に初歩魔法の儀式契約すら出来なかったからな、根本的に才能がないのだろう。

 

「率直に言ってアンバランスに過ぎるのだ、そのせいかどうにもつかめなくてな、私としてはお前に極力近づけたくないのが本心だよ」

「あなたは心配性ね」

 

 くすりと上品に笑みを零すソアラの意見に俺も全面的に同意する。天下の竜の騎士様に警戒されるとか勘弁してください、ほんと。

 

「この子が私達に害なすというなら、あのような危険な真似はしないでしょう。私達の恩人なのですからあなたもそう邪険にしないであげてくださいね」

「仕方ないな、お前がそういうのなら」

「心配してくれるのは嬉しいわ。あんなことがあったのだもの、あなたにとってこの城は居心地の良いものではないでしょう?」

「……慣れるよう努力はする」

「ありがとう、バラン。でも、どうか父や皆を責めないであげて。あなたにどう対して良いのかわからず、態度を決めかねているのよ」

 

 穏やかに、それでいて芯の通った声でバランを宥める王女様だった。バランも惚れた弱みなのか、多少唸るだけでそれ以上の反論はしなかった。バランの覇気に当てられていた俺としてはようやく一息つける形が有り難い……のだが、怪我人の前で惚気始めないでもらいたいものである。

 そんな微笑ましい光景を前にして苦笑が浮かび、そこに至ってようやく自分の立場を思い出す。そういえばソアラという一国の王女相手に、寝台に座っているままの俺の態度は甚だまずいのではなかろうか?

 

 和やかな空気に誤魔化されそうだが、二人の様子を見聞きする限り、ここは王城の一室で間違いないようだ。だとすれば、立場のわからないバランはともかく、ソアラ相手の不敬は流石に見過ごしてもらえないだろう。侍従の姿が見えないが礼は尽くすべきだ。そう考えて慌てて床に下り立とうと身体に力を入れ――全身に走った鋭い痛みによって顔を顰めることになった。

 両腕はもとより、身体の各所が痛覚を訴え、動きの一つ一つにひどく難儀する有様である。見た限り怪我が消えていたせいで油断した。回復呪文(ホイミ)とて万能の技術ではないことを遅まきながらに思い出す。外傷が消えていたせいで自身の身体を見誤っていたようだ。

 

「ソアラ様、バラン様。御前での無礼、まことに失礼しました」

「構いません。怪我を負った者に礼を強要する心積もりもありませんから、どうか顔をあげてくださいな。――ああ、それと今は公の場でなく、加えてここは私的な用向きの一室です。あなたの身柄も私預かりということで保護対象になっていますから、どうか気を楽にしてちょうだい」

「ありがとうございます」

「まだ怪我も完治していないのだし、今は養生に努めてね。と、言いたいところなのだけれど」

「何かありましたか?」

 

 そこでソアラの表情が曇り、どこか痛ましげな眼差しを向けられてしまった。その不吉な態度に嫌な予感を覚えつつも「気遣いは無用です」と先を促す。

 

「……不思議ね。あなたと話していると、まるで王城に勤める廷臣を相手にしているような気分になるわ。私の目の前にいるあなたは、とてもそんな年ではないのにね」

「勿体ないお言葉です」

「そういう如才ない物言いが年齢不相応なのよ。――そのアンバランスさも、あなたの秘密につながる一端なのかしら?」

 

 困ったように笑う事しか選べなかった王女様に、俺は返す言葉を持たなかった。己の異常性についてはもちろん自覚しているし、その不審さだって理解している。

 言葉の虚実を読もうとしているのか、ソアラの目には偽りを許さない光が宿っていた。優しげな風貌に穏やかな物腰、自然と相手の警戒を緩めるような暖かな雰囲気を保ちながら、なお威厳を失わない振る舞い。

 これほどの女性にさえ自身の出自を一時忘れさせたのだから、人の恋慕とは時に愚かしいほどに罪深いものへと変貌するのだと改めて実感した。俺はそこまでの情熱的な慕情は燃やせないだろうから、少し羨ましくもある。

 ソアラの口調は決して詰問している風ではなかったと思う。今この場で明らかにしなければならないことを、けれど踏み切れずにいるその優しさを俺は嫌いではない。

 

「はい。そう取っていただいて構いません」

「それはあなたが以前口にした、『竜の騎士』にまつわるお話、ということ?」

「御明察の通りでございます」

 

 そこで幾ばくかの沈黙が訪れた。一国の王女はその聡明な瞳を瞼の奥に閉ざし、何かに耐えるように唇を固く結んでいる。痛いほどの緊張感に喉の渇きを覚え、ふと台座に置かれた水差しに目が吸い寄せられていき――すぐに視線を引き戻されてしまう。

 

「それ以上は私ではなく、バランと話すべき事なのでしょうね」

 

 ちょっと歯がゆいけれど、とわずかの諦観を滲ませ、淡く笑う。その時、彼女の目には俺に対する申し訳なさと、それと同じくらいの強さを感じさせる、ある種の決意が同居しているように見えた。

 

「正直ね、迷っていたの。まだ万全じゃないあなたに、あまりに大きな負担を押し付けてしまうんじゃないかって」

 

 ……ああ、そういうことか。

 

「僭越ながら申し上げますと、それが王族の務めでございましょう。遠慮なくお申しつけください」

「ふふ、あなたはとても聡明ね。そして用心深くもある。……だからこそ不幸だと思うわ」

 

 その言葉通りにソアラのそれは憐憫の含まれた――憐れだと告げる眼差しだった。

 さて、この女性がどこまでバランの事情を聞いているのかわからないが、俺に関してはどうも誤解されているような気がする。……それはそれで構わないか。適度な罪悪感を持ってもらえるならやりやすくなるし、なにより次期女王様に気にかけてもらえれば、宮廷の連中にそうそう無体なこともされないだろう。

 

「あなたの目が覚め、過度の混乱もなく十分落ち着いている以上、我が身に預かっている通達を後回しにするわけにもいかないでしょう。――よく聞きなさい、ルベア・フェルキノ」

 

 本来は居住まいを正して畏まるべきなのだろうが、ここは好意に甘えさせてもらおうと首のわずかな動きで了解を伝える。

 

「此度わが父、アルキード王よりあなたに勅命が下りました。一週間後、私とバランはテランに赴きます。その際あなたは随行員の一人として同行し、私たちの補佐を務めるように、とのお言葉です」

「拝命致します」

 

 間髪入れず了承を返した俺に、やはり苦笑いを浮かべる王女様だった。バランは特に何を言うでもなく佇んだまま、静かに俺を観察している。

 

「驚かないのね」

「そんなことはありません、驚いていますよ。ですが……先日は少々やりすぎましたか?」

「そうね。先ほど言ったけれど、今の王城は混乱に満ちたままバランの去就を決めあぐねている状況なの。そして父は事態の可及的速やかな収束を望んでいる。……わかるでしょう? こんな有様でキーパーソンになりえる子を放り出すわけにはいかないの。私たちの未熟で苦労をかけます」

「過大評価も過ぎましょうが、概ね理解しました。つまり私は、畏れ多くもバラン様と一蓮托生の身の上になったわけですね」

「ご両親の元に返してあげられなくてごめんなさいね」

「お気になさらないでください」

 

 特に珍しいことでもない。事情に通じている人間はとりあえず囲い込んでおく、そんなところだろう。何故といって、俺が王宮側の人間だとしても同じことをするからだ。

 つまりソアラが気にする必要もないのである。加えてあんな大立ち回りをしておいて、即時身柄が開放されると考えられるほど、俺の頭はお花畑をしていなかった。そもそもの話、王命が下された時点で俺には首を縦に振る選択肢しか残されていないのだし。

 亡命紛いの駆け落ちをして求心力を落としたソアラが、現時点で王命に嘴を挟めるほどの強権を発揮できるはずがないことだって承知している。バランがこうして自由に城内を歩き回っていることや、ひどい火傷をしていた俺が手厚く看護されていた事実だけでも十分心強い材料だといえよう。悪くないどころか上々の成果だ。

 

「しかし一週間後にテランで会談ですか? たった一日でよくそこまで決まりましたね?」

「一日? ああ、ごめんなさい、最初に言っておくべきだったわね」

 

 瞬間移動呪文(ルーラ)があるとはいえ、二国間で調整せねばならないことがたった一日でまとまるのはいかにも早すぎる。そんな疑問で首を傾げた俺だったが、真相は意外な方向からもたらされた。どうも俺は根本的に勘違いしていたようで、今日はあの処刑の日から四日後だと説明を受けた。つまり俺は三日間昏睡していたらしい。……え、マジで?

 

「あなたが倒れた後、すぐに城に運び込んで宮廷医が回復魔法と薬草を併用した治療を開始したの。幸い傷は塞がったのだけど、火炎呪文を浴びたダメージと大火傷のショックが祟ったのか、あなたは高熱を発したまま長いこと苦しんでいたわ。バランが言うには相当危険だったらしいの」

「そこからは私が説明しよう。お前は刑場で瀕死のダメージを負ったまま傷を長く放置しすぎた。そのツケとして生命力が枯渇してしまい、身体が衰弱しきっていたのだ。回復呪文の体力回復効果は生命力の尽きかけた患者に対しては効き目が薄い。助かったのは幸運だと心得ておくのだな」

「昼も夜もなく苦しそうに(うな)されていてね、見かねたバランが定期的に睡眠呪文(ラリホー)をかけていたの。あなたの体感時間がずれてしまっているのはそのせいだと思うわ」

 

 立ち代わり説明してくれて非常にありがたいのだが……うん、全然覚えてない。もしかしなくても俺は死に掛けて、それから三日間ほとんど仮死状態だったみたいだな。実感がないのは良いことなのだろうか? 良いことなのだろうと無理やり納得しておく。自分が棺桶に片足突っ込んでいたとか愉快な想像じゃないしな。

 

「ところでバラン様。まさかとは思いますが、私に《竜の血》を?」

 

 ぴくりとバランの眉が持ち上がる。やばい、失言だったか?

 そんな風に内心慌てていると、バランが胡乱な眼差しを送りつけてきたのだった。

 

竜闘気(ドラゴニック・オーラ)を知っていた貴様だ、今更驚くに値せんか。他に竜の騎士の何を知っている?」

真魔剛竜剣(しんまごうりゅうけん)、魔法剣ギガブレイク、竜闘気砲呪文(ドルオーラ)。それから……竜魔人。まだ必要ですか?」

 

 竜魔人のくだりだけは声を潜め、ほとんど唇だけの動きでバランに伝える。ソアラの前で声高に喋ることでもないだろう。そんな俺の一応の気遣いを認めてくれたのか、若干だがバランの目元から険が薄れたように思う。

 ふう、と溜息を零されたあたり、単に諦めただけなのかもしれないけど。

 

「正直に語った心意気に免じて、先の質問に答えてやるとしよう。《竜の血》は心身共に鍛え上げ、強き意思を秘めた戦人にのみ作用する神通力だ。よってお前程度のレベルではどうあがいても蘇生できん。感謝するならソアラの手配した宮廷医にしておくことだな、放っておけば今頃は間違いなく棺桶の中だったのだから」

「承知しました。それでは安眠を助けてくれたバラン様に感謝を捧げさせていただきます。私のために骨折りしてくださり、ありがとうございました」

「……勝手にするがいい」

「はい、勝手にさせていただきます」

 

 バランの顔逸らしからの台詞は間違いなく照れ隠しだな。その証拠にソアラがくすくすと楽しそうに口元を綻ばせていた。……今は笑うな、我慢しろ俺。ソアラと一緒になってからかうとか、そんな命知らずの真似をするわけにはいかない。

 とはいえ、いつまでもそうされていては話が進まないし俺も居心地が悪い。機を見て発言を割り込ませてもらった。

 

「ソアラ様。一つお聞きしますが、私の父や母は無事――いえ、我が家に調査は入ったのでしょうか?」

「ええ。それからご迷惑かとも思ったのだけれど、今回のこと、これからのことで私がお礼とお詫びを直接ね」

「それは――光栄の至りです」

 

 顔が引きつるのを我慢するのが大変だった。ごめんなさい、お父様、お母様、と使い慣れない敬称を出してしまうくらいには申し訳ないことをしてしまったらしい。自国の王女様が訊ねてくるとか、絶対二人とも顔を青褪めさせていたのだろうなあ。

 しかしこの不安定な情勢の中、ソアラが直接城下に出向けたことに驚いた。駆け落ちに代表される一連の騒動があったというのに、ソアラは予想以上に行動の自由を許されているようだ。この分だと王様はバランを王室に受け入れようとしてるみたいだな。……父王の娘可愛さ込みだとしても嬉しい材料だ。

 

 ついでに俺への機嫌取りならぬ誠意も幾分かは含まれてるのかな? 俺はそこまで大層な人間じゃないのだが、家族に累が及ぶ心配がきれいさっぱり消えて安心した。あの二人には俺をここまで育ててくれた多大な恩があるからな。

 バランを取り巻くアルキード情勢も悪化していない。王の腹の内としては、今は調整に努めてテランでの会談を禊に一気に片をつけるってとこか? いずれにせよテランで下手を打たなければバランの地位はこのまま何とかなりそうだ。善哉善哉。

 

「私が直接出向いたのは、形だけでもあなたのテラン行きの許可をご両親からいただいておきたかった、という事情もあるのだけど」

「正直ですね」

 

 思わず苦笑が漏れてしまった。

 

「あなたにはこうしたほうが良いかと思って。身勝手な私たちを許してね」

「承りました。せいぜい暴虐なる権力者に翻弄される哀れな平民を楽しませてもらいますよ」

「あらひどい」

 

 ソアラがくすくすと楽しげに唇を綻ばせた。

 しかし上品に笑う人である。俺もそんな彼女に和み、幾分気持ちが軽くなったように思う。

 

「ですがソアラ様、その平民は少々強欲なようです。会談においてバラン様の補佐をせよと仰るのでしたら、叶う限りテランの情報を所望させていただきます。近年の人口推移、産業規模、現王の政策とその成果、アルキードを含めた周辺諸国との外交状況、殊にベンガーナとの関係は気になるところですね。開帳できる分だけでいいのでどうかよろしくお願いします」

「そうね……今のあなたの立場だとどうしても当たり障りのないことになってしまうけれど、それで構わないかしら?」

「十分です。何せほとんどが城下の噂話や商人の伝聞ばかりで、正確な数字も何もないので。無知を理由に他国の貴人へ失礼を働くわけにはいきません」

 

 どの程度まで期待されているのか、どこまで裁量権を与えられるのか、いずれにせよやれることはやれるだけやっておかないと。あとは、と考えていた俺を横目に、少し安心したわ、とソアラが笑う。その不思議な反応に首を傾げていると、すぐに続く言葉が彼女の口から紡がれた。

 

「あなたはこの世に知らないことなんてないように見えたから」

「冗談がお好きですね、ソアラ様」

「そうかしら?」

「ええ。パン屋の息子にあまり多くを期待されても困ります」

 

 小賢しさには多少の自負があるが、それだけである。

 それにしても、改めて肩書きだけ見るととんでもないことになってるな。パン屋の息子(ルベア)アルキード王族(ソアラ)竜の騎士(バラン)にくっついてテラン王国への使節一行に加わることになるわけだ。……カオスだな。明らかに異物である、俺が。

 

「そういえば、あなたのご実家で焼いてくれたパンは美味しかったわ。今度取り寄せてもらおうかしら」

「お城のお抱え職人に睨まれるので勘弁してください」

「そうね、ちょっと残念だわ」

 

 そんな穏やかに過ぎていく談笑は空気を軽くし、竜の騎士の眼光も幾分か緩める効果があったようだ。再度口を開いたバランの表情からも険が消えていた。正直助かる、この人の威圧は弱った身体には堪えるから。……ああ、いや、何時いかなる時もきついな、うん。

 

「さて、ルベアよ。以前にお前がはぐらかした問い――自身が何者であるかの答えは用意しているのか?」

「別にはぐらかしたわけでは――と、それはともかく、バラン様の問いに答える前にお聞かせください。あなた様は聖母竜マザードラゴンと接触することはできましょうか?」

「……いや、無理だな。次に私が聖母竜と相見えるとすれば、それは我が生涯を終えた時のみ。あれは竜の騎士といえど自由に交信ができる類の存在ではないのだ」

「然様ですか」

 

 よかった、それならどうにか言い包めることは出来そうだ。

 ほっとした内心を押し隠し、しれっと当然のような声音で口を開いた。ついでに神妙な顔つきで化粧して続ける。

 

「では、私の話を証明できるものは何もないことになりますね」

「どういうことだ?」

「現在過去未来、森羅万象に連なる数多の知見――便宜上私はそれを《竜の智慧(ちえ)》と名付けました。幼少の(みぎり)より私にもたらされた超常の夢、すなわち竜の騎士をとりまく様々な知識を私に与えたのは、マザードラゴン(クラス)の力を持つ何者かだと考えています。多分に天界の神々の悪戯……といいきれるほど私は天の事情に通じていませんので、あくまで推測でしか語れませんが」

「むぅ、それはつまり――」

「ええ、繰り返しますが、私にも正確なところはわからないのですよ」

 

 口から垂れ流しているのは適当な嘘八百でしかなかったが、実のところ三割くらいは正鵠を射ているのではないかと思っている。世界間を移動しうる手段やら魂の行方やら、そういった『いくら考えても答えの出ない』疑問はまとめて神様――形而上の何者かのせいにしている。そうせざるをえないのだ、わからないものはわからないのだから。

 

 俺は物心ついたころから『世界を俯瞰した異界の知識』を持ち合わせていた。そして困ったことに以前生きていた世界の最期を覚えていない。

 うーむ、健康に問題はなかったはずなのだが、激務が祟ったのかある日ぽっくり逝ってしまったのか? 官僚ってのはそこらのブラック企業など鼻で笑える激務を課せられるから急逝も十分ありえる、などと笑えない昔話はともかく。

 そのせいか俺はこの世界で物心がついても、前世の最期から今世への意識の連続性が確保できずに『ある日突然異世界で目覚めてしまった』感覚なのだ。どうにも気持ち悪いことこの上ない――俺にとっても、両親にとっても、この世界の誰にとっても。

 

「物心がついて幾ばくか経ったころ、私はその予知夢にも似た既知を自覚しました。それは子供心に暗く冷たい深遠を覗いてしまったような恐怖を味わい、何度も性質の悪い夢と言い聞かせて忘れようともしました。ですが、近年になってあまりに符号する事象が起こりすぎています。極めつけにバラン様――竜の騎士の実在まで確認してしまった。だからこそじっとしているには少々危機感が勝ってしまったのでしょう、気が付けばあなたの前に飛び出していました」

 

 自身のルーツなど、実のところ大したことはないのだ。

 

 『人は何処からきて何処にいくのか』。

 

 どんな世界にいようと、どんな境遇にあろうと、その命題に対する答えは誰だって人生をかけて探すことになる。俺は生きてここにいるのだから、精一杯生きれば良いだけなのである。俺自身の謎だのそんな大層な悩みは、暇があれば考えるくらいで丁度良い。そして毎度気にするだけ無駄だと笑い飛ばす、その程度のものだった。

 それにこの世界では魔法に限らず、メルルやナバラのように占いの範疇を全力で蹴っ飛ばす神秘に満ちた術の使い手だっているのだ。ここで俺が未来を知っているといっても、可哀想な子を見る目を向けられずに割かし普通に通じる気がする。単純に予知夢とでも嘯けばいけたかも、などなど思考の端で遊ばせておく。ファンタジー世界万歳。

 

「では、お前が私を救おうとしたのは神々の意思か?」

 

 おっと、今は真面目に、誠心誠意、真心を込めて適当な言い訳を並べなければ。

 

「いいえ、人の意思ですよ、バラン様。私は私のため、そしてアルキード王国のためにあなた様の助けになるべきだと考えました。もしや失望されましたか?」

「いや、そのようなことはない。だが竜の智慧か、確かに天界には私ですら全容を把握できぬ不思議な術を扱う種族もいるが」

「永久不滅の魂を持つ冥竜王をその神通力によって封じたように、ですね。そして私に起きた不可思議な啓示もまた、バラン様自身で確かめていただくほかはありません。残念ながら私には天の意志に関わる方策など思いつきませんから」

 

 ついでにいえば、そんなわけのわからない連中と係わり合いになりたいとも思わない。

 

「だからこそというのもおかしな話ですが、私に与えられた力も神が人に与えたもうた遺産の一つと割り切っています。甚だ器に見合わぬと嘆くばかりとはいえ、こればかりは致し方ありません」

「……そうか」

「そも我が身の矮小さを理由に零れ落ちた知恵のほうがはるかに大きいでしょう。ただ、それでも最後に残った警告をあなた様に伝えるために私はここにきたのだと思います」

「警告?」

 

 はい、と重々しく頷く。俺の言葉にただならぬ不吉を覚えたのか、バランの双眸が鋭利な光を宿し、獲物を貫く覇気を纏う。この時ばかりは冗談抜きで冷や汗が出た。同時にこのまま跪いてバランに頭を垂れたくなってしまう。

 バランの前にいると問答無用で平伏したくなってしまうのは、俺の小市民根性がなせる業なのだろうか? 我が身が情けなくなるので深くは考えまい。

 

「この地上に危機が迫りつつあります。天地魔界の枠組みを完膚なきまでに破壊し、魔界に太陽をもたらさんとする巨悪が、数千年の雌伏を経てついに動き出そうとしています。今はバラン様の存在が地上侵略を阻む抑止となっているでしょうし、今日明日の侵攻とはならぬでしょうが……いずれ冥竜王ヴェルザーを超える脅威となることは間違いありません」

 

 竜の騎士であるバランが人類側についている以上、バーンの大戦略にも当然変化は生じるだろう。竜の騎士を無視できるほどバーンが傲慢だとは思わない。加えて神々の遺産を自身の手に握る悪趣味な稚気に魅力も感じよう、まずは勧誘してくる可能性が高い。史実に沿うならば魔王軍襲来までの猶予はあと十年そこそこだが、その通りにタイムテーブルが運ぶ可能性はとてつもなく低かった。

 魔王軍との開戦が早まるのか、あるいは期日が伸びるのか、それは俺にもわからない。だが、あの男が地上侵攻を諦めることだけはあるまい。……いやだなあ、できれば俺の生きているうちは来ないでほしいなあ、という偽りなき本音が俺の中で絶賛首をもたげてきたりもするけれど。

 望み薄だろうな、どう考えても。

 

「その者の名は?」

「魔界の神を自負する男――大魔王バーン」

 

 バランが問い、俺が答える。

 その一語を口にする時、俺は言い知れぬ怖気に寒気と圧迫感を覚え、知らず生唾を飲み込んでいた。

 

 

 

 

 

 アルキード王国は中央大陸の南端を領土とする半島国家だ。

 世界地図において最大の陸地面積を誇る中央大陸は竜が翼を広げたかのような勇壮な形状をしているのだが、ちょうどその尾にあたる位置にアルキード王国はある。東西と南を海に囲われ、直接隣接している国家は北に陸続きのベンガーナ王国のみ。そのベンガーナのさらに北にテラン王国がある。バランとソアラが一時期潜伏ならぬ隠遁先として選んだ地だ。

 

 バランに大魔王バーンの警鐘を発してから一週間。宮廷魔道士の瞬間移動呪文(ルーラ)を初体験した俺は、驚きと感動もそこそこに予定通りテランの地を踏んだ。

 美しさと静寂に満ちた森と湖の景色は心に郷愁を呼び起こす。そんな澄んだ、それでいて物寂しい気配が、テランを訪れる人間を最初に歓迎する異国情緒なのだろうと思う。そんな土地柄と、国民皆が朝に夕にと信仰深く祈りを捧げる毎日を送ることから、人の口端に乗る際は『神秘の国』との枕詞がつくこともしばしば。殊に現国王が率先して自然を愛し神を敬う姿勢を見せているためか、近年はそうしたイメージに一層拍車がかかっている。

 

 そんなテランという国で、俺はまずバランやソアラについて竜の神の魂が眠る《聖域》と称される湖を見てから、程なくテランの王城を訪れた。アルキードの城に比べて小規模な、どちらかといえば砦や館に近い印象を抱かせる建物だった。

 会談の席に用意されたのは謁見の間であり、テラン王が玉座に座している。

 現テラン国王のフォルケン様は既に七十近い高齢であり、長く伸ばした髪も真っ白に染まり、その老体を些か不自由そうに揺らしていた。それは気分が優れないのではなく、純粋に身体が弱っているように見える。ふむ、やはりテラン王が健康に不安を抱えているのは間違いなさそうだ。元々病弱な半生を送ってきた人であり、身内に不幸が重ならなければ玉座に座るはずのなかった方だ、難儀といえば難儀な運命に翻弄されてきた王様である。

 

 失礼にならぬようにと注意しながら視線を走らせれば、王の補佐なのか壮年の男性が二人侍り、部屋の隅には王の世話係らしき女官の姿が見えた。水差しと薬らしきものを乗せた盆を持っている、つまり王の健康に不安があることを隠そうともしていない。普通国家元首の健康不安のような、いわゆる『国の弱体化』を示すような材料は、易々と他国に知られないようにそれとなく隠すものだが……。

 これはテランが文化レベルの低い弱小国家である、という自覚故なのかもしれないな。侵略価値のない国家――それもテランについてまわる風聞だった。

 

「一同、面をあげられよ」

 

 この場に跪いた全ての人間が改めて姿勢を糺す。

 こちら側からはソアラが先頭を務め、傍らにはバランが控えていた。俺も特例として彼らの影のようについていくことを許されているのだが、これ、いいのだろうか? 背中に寄せられる怨嗟と嫉妬混じりの視線が痛い。

 筆頭はバラン処刑の音頭を取った大臣だが、実はこの人、アルキードの外交全般を担ってきたらしい。で、目出度く今回の表敬訪問という名の謝罪と頼みごとの場に抜擢されてきた。さらに隣にはやや神経質そうな雰囲気で、厳しく眉をひそめるのが常態と化した男が一人。色々不本意なのかもしれない。

 

 この二人は主にソアラ王女とフォルケン王の会談を補佐し、見届ける役だ。これは後に王への報告に偽りをなせぬようにするための目付けとしての人選でもある。そのせいかここまでの道中、雰囲気がぎすぎすしてた事実はあまり思い出したいことではなかった。

 特に大臣殿は俺やバランと確執がある。加えて役目柄仕方ないのだけど、特に複雑怪奇な立場を持つ弱者な俺としては胃の痛くなる時間でしかなかった。……この理不尽さはなんとはなしに昔を思い出すぜ。ほろり。

 

「アルキード王が名代、ソアラでございます。危急を要する我が国の求めに応じ、かように迅速な対応を設けていただき感謝いたします。また、先の騒動で礼を失した我が国がこれほどの厚遇を賜りましたこと、重ねて貴国に御礼申し上げます」

「そう堅苦しくせんでくれ、この老骨がそなたらのような若者の助けになれるのなら労苦は惜しまんよ。代わり映えせぬ日々によき刺激だろうて」

 

 そんな会話を皮切りに、会談は恙無く進行していく。

 ソアラを連れ戻した時にアルキード軍が展開した国境侵犯にまつわる事情の説明。無理やり形にした事後報告への謝罪と礼の口上、誠意としてアルキードからテランへの贈答目録やらなにやらが目の前で次々と消化されていく。……しかしお人好しというか無欲な王様である。ここまでほとんどがアルキード側の言い分で通ってしまっている。元々国力の差があるし、テランの国民性からかアルキードの横暴を騒ぎたてなかったのもあるのだろうが、それで良いのかと心配になってしまったほどだ。――俺はアルキード国民だから、わざわざ異議申し立てなんてしないけど。

 

 淡々と過ぎていく時間。適度な緊張感とわずかな弛緩。

 ここまで俺は何もしていないわけだが、では何故一週間前俺がソアラにテランの情報を求めたのか。それは当然ながら殊更真面目ちゃんを装うことが目的だったわけではない。

 大前提として俺が《竜の智慧》と嘯いた知識はあくまで未来の出来事であるし、そこに時間軸を加味した現在の推測など甚だ心許なく拙いものだ。大体元の知識からして断片的なものであるし、この世界で得た知識とて城下で子供の聞ける噂程度に過ぎない。現在と未来の齟齬を埋めるには精度が低すぎるのだった。

 だからこそある程度信頼できる情報源が必要だった。その点、ソアラを通した『この世界の支配層』が持つ膨大な知識や記録は望み得る最上級のものだ。今の俺にしてみれば喉から手が出るほど欲しい宝の山といえよう。

 

 ではその得た知識で俺が何をするかといえば――答えは『何もしない』。そもそもこの会談において俺はアルキード側から『この場にいること』以上の役割は期待されていなかった。

 弁解するならばこれは俺の怠慢だとかめんどくさがり、あるいは俺やバランを疎ましく思う勢力の妨害などでもなく、先の通り俺が何かをする『必要がない』。加えていえば『立場が足りない』、という当たり前の問題もある。

 

 アルキードからテランへの表敬使節の随行とはいえ、俺はソアラとバランの金魚の糞にすぎない。その二人にしたって未だ不安定な立場にあるくらいなのだ、俺がここで好き勝手できるはずもなかった。しかも今の俺は国に正式に取り立てられた役人ではなく、嘱託みたいなものなのだからなおさらである、扱いはソアラとバランの個人スタッフ同然だ。

 今回俺がアルキード王に言い含められた案件を思えば確かにこのほうが都合が良いのだが、いかにも中途半端な身の上だと思う。

 

 そして王家の主催する『政治劇』に木っ端役人未満の俺が手を出す意味があるはずもないだろう。こういう形式ばった外交は普通段取りから何まで事前に協議、通達されているものだ。今回も例に漏れず会談は楚々として進むだけで問題は起きえず、俺はその様を特等席から見つめているだけだし、それで何の問題もなかった。

 そんな中、予定調和の会談の流れに変化が起きたのはフォルケン王が口にした次の言葉からだ。

 

「さて、ソアラ姫よ。此度貴国が会談を望んだ本題にそろそろ触れようと思うが?」

「よしなに」

 

 ソアラが美しい所作で一礼し、一歩下がる。それを受けてバランが立ち上がると、不遜とも思える堂々とした佇まいでテランの王と相対した。じっと二つの視線が交差する。行き詰る緊張が否応なく部屋を満たし、沈黙に比例して我が身にじわりと汗が滲み出した。テラン王が口を開いてくれた時は心底ほっとしたものだ。

 

「とても澄んだ、この世に類を見ぬほど力強い光を宿されておる。バラン様、と申されましたな。あなたがアルキードに現れたという、かの竜の騎士さまであらせられましょうか?」

「貴殿の指すそれと同一であるかは保障できぬ。が、当代の竜の騎士が私であるという点においては是と応えよう」

「まずは平にご無礼をお許しください。無論、貴殿の言葉を疑っているわけではありませぬ。しかしこの場で竜の証を見せていただきたく存じます」

「……この国の湖深くに竜の神を祭る聖域があると聞いた。また、湖の畔で伝承に伝えられし竜の紋章が彫刻された柱も見た。森深き国の王よ、そなたの望む証は額に浮かぶ《竜の紋章》のみで不足はあろうか?」

「十分でございます」

 

 沈黙を守る俺とソアラをよそにかすかなどよめきが起きた。しかし場に少なくない感情の揺らぎが走ったのも致し方あるまい。

 二人の会話はまるで立場が逆だった。王がバランを敬し、バランがそれを当然のように受け取る。――あるいは、竜の騎士はそうした扱いを当たり前にされてきたのだと告げるかのように、その態度は堂に入ったものだったように思う。単にバランが傍若無人なだけだとか突っ込んでみたい気分にもなるが、色々な意味でそんな空気の読めない発言をするわけにはいかなかった。

 

 では、とバランが軽く息を吸い込み――物理的な突風がバランを中心に吹き荒れた。幸い力の加減は出来ているようで被害らしい被害は出ていなかったが、この場の誰もが理解しただろう。人の身に見通せぬ力の器と、畏れずして相対叶わぬ絶対強者の片鱗を。

 しばしの時を竜の紋章が奏でる音叉が支配し、やがて力の嵐が収まる。こちら側からは見えないが、バランが頃合とみて竜の紋章を消したのだろう。

 

 誰ともなく安堵の息が漏れる。中には喘ぐように空気を求める人間もいた、俺とて平静は装っているが冷や汗ものだったくらいだ。しかし、ちらと横目でソアラを伺うと彼女は涼しげな顔でバランの背を見つめているだけだった。……日に日にこの人の深みを感じさせられるな。恐ろしい女性だと背筋を寒くするばかりである。

 バランが軽く一礼し、無言で数歩引いて俺たちの列に戻る。テランの王が再度口を開いたのは、バランが何食わぬ顔で膝を折って礼を示してからのことだった。

 

「この歳になって伝説を目の当たりにするとは……」

 

 ぽつり、と。

 そこには興奮でもなく、諦観でもなく、ただ全てを受け入れる諸行無常の響きがあった。そして、そのつぶやきは竜の騎士の実在を一国家のトップが証明したのと同義でもあった。

 神秘の国の王は語る。朗々と、訥々と。

 

「――古来、我が国は竜の神を讃え、崇め奉ってきた。そして額に竜を象る紋章を持った者を《竜の騎士》と呼んできたのだ。神の力を宿す、神の使いとして」

 

 俺たちを見ず、どこか遠く、天に語りかけているような口調だった。遠く、厳かで、けれど落ち着く不思議な老人の声。

 

「何を為すための使いなのでしょうか?」

 

 ソアラが静かに問いかける。

 

「さてな、伝承もそれ以上は語ってくれぬ。我々は人には量れぬ神々の意思と思うておるよ。天と地と海を味方にし、あらゆる呪文を操り、何者をも一太刀で切伏せる。其は天変地異を引き起こす力を備え、人の世の救世主とも破壊神ともなりえる、超常にして尊き御使い。それが竜の騎士さまなのだ、と」

 

 しん、と皆が押し黙る。各々明かされた真実をどのように消化すべきか迷っているのだろう。今なお平然としている人間は片手で数えられるほどしか残っていない。驚嘆と迷いがうずまき、消えぬさざめきとなって空気を張り詰めさせていく。

 

「何かお言葉はありましょうか、竜の騎士さま」

「……何もない。大層な伝わり方だとは思うが、概ね事実であろう。竜の騎士は古より三界の争いを制してきた故な」

 

 然様でございますか、とやはり低姿勢なテラン王の姿だった。

 

「ではアルキードの姫よ、そなたは私の話を聞いて――竜の騎士さまに何を思ったのか、この老体に聞かせてはもらえぬかな?」

 

 ソアラに逡巡はなかった。

 

「フォルケン様、私はバランの妻です。竜の騎士なる存在がいかに強大無比であろうと、敬を捧げ、力を讃える巫女にはなれません。なればこそ、今生の果てまで彼に殉じるのが我が道と心得ています」

 

 迷いのない真っ直ぐな眼差しで問答に挑むソアラに、テラン王もそれ以上は何も問わず深く瞑目し、納得したようだった。実際にこの女性はバランの為に一度命を投げ出している。輝かんばかりの清浄を宿す彼女の佇まいに、高潔さに彩られた魂はかくも美しく映えるものなのだろうかと圧倒される思いだった。……国家指導者としては困ったものなのだけどな、しかしこればっかりは変わることもないのだろう。そして、それで良いと苦笑混じりに肯定する程度には、俺もバランやソアラのことが好きになり始めているらしい。

 どうしたものやら、とそんな風に人知れず笑みを押し殺していると――。

 

「難しきものよな。……ならば最後にもう一人、この場で意見を聞かせてもらおう。ルベア・フェルキノ。そなたは竜の騎士さまといかに対峙するべきか、思うところを述べてみよ。――竜の託宣を受けし子よ」

 

 瞬間、目を見開いて驚きを露わにする。前触れなく、というには王の目は俺の後ろ、狼狽の中にある人々に向けられていたからそれを予兆とすることはできたのだろう。しかし俺にとっては突然に舞台へとあげられてしまった印象が強い。ついでに託宣云々も初耳である。

 ふむ、これは少しばかり段取りを無視してやいませんかね? 俺に要請されていた出番はまだ先のはずなのですが、と脳裏に幾ばくかの抗議が過ぎる。しかしこれ、どうも試されているような気がするな。なにを考えてるんだ、この爺さん?

 

 ともあれ王に尋ねられて無言を通すは不敬である。予定外だろうがなんだろうが口を開かなければと焦り気味に思考を巡らせ、整理する。何時の間に預言者みたいな通り名がついたのかとかの疑問は後回しにしておこう。たぶんというか絶対ソアラの仕業だろうけど。

 はっはっは、なかなかお茶目じゃないか王族の娘さん。嘘つき小僧の身としては文句も言いづらいぜ。……俺の立場を慮ってくれてるのだからなおさらだ。少しでも俺が動きやすいようにしてくれているのだろう。

 されば、脳内繰言で遊ぶのもここまで。どのみちここからは俺の戦場だ、気を引き締めてかからせてもらおう。

 

「畏れ多くも王の御前にて拙き進言を申し上げます。仮に《竜の騎士》が伝承に謳われる《審判者》の役割を帯びた超越せし者だというのならば、我らがすべき第一は《竜の騎士》を打倒しうる剣を持つことでございましょう。そう、刃を磨き、魔を探求し、戦の術を練ることによって」

 

 ざわり、と背中に伝わる再びの揺らぎにも反応せず、余裕綽々の風情で笑みを浮かべてみせる。

 

「……ほう。つまり、故あれば竜の騎士さまを討つ、と?」

「彼の者が人に仇なすならば討たねばなりますまい」

 

 場に立ち上る気色ばんだ気配を黙殺するように泰然と言い放った。アルキード王城内では俺はソアラに続くバランの擁護者という立場だからな、『バランを討て』との発言には驚きを隠せなかったようだ。

 その点バランとソアラはさすがである。打ち合わせなしに爆弾を落としたというのに些かの動揺もない。バランに睨まれなくてよかった、と内心胸を撫で下ろしつつ続ける。

 

「天上に侍り奉る神々には神々なりの意思があるように、地上に住まう我々にとて貫くべき都合があります。我ら人間が滅びに足る種族だと宣告されたとしても、それに抗うは人の業であり、等しく認められるべき権利でございましょう」

 

 決して目を逸らさず、声には確信を秘めて力強く。

 俺がテランの王とじっと目を合わせた時間はほんのわずかの間だけだった。先制はかましたことだしもういいだろう、そう思ってふっと目元を和らげ、口元にも無礼にならない程度に微笑を描く。

 

「そう難しく考える必要もないと思いますよ、つまるところ何も変わらないのですから。人が魔族と相争う長い歴史があるように、人がモンスターと生存権をかけて何時の時代も衝突を繰り返してきたように、戦うべきときに戦う以外の道はありえません。ここに加える一言があるならば、いかなる意味でも備えるが肝要かと」

「ふむ、そなたの物言いはまるで人の世の代弁よな。それは王の仕事だろうて?」

「申し訳ありません。些か差し出がましいことを申し上げました」

「よい」

 

 一礼し、緊張を解すように深く息を吐く。もう少し、もう少しだ。

 多少傲慢な物言いだろうと後ろの連中への配慮は必要だ。伝承に残された竜の騎士の実在が明らかにされた以上、アルキードに戻ってもバランが以前のようにソアラを理由に処刑される、ということはありえないだろう。もうそんな次元の話ではないのだ、バランという存在は一国どころか世界の軍事均衡(パワーバランス)すら左右する、極めて重大な案件になりえることが証明されたのだから。

 だからこそ――いずれは《竜の騎士(バラン)脅威論》が唱えられるようになる。玉座を巡る政治的事情からではなく、純粋な戦闘力を恐れた結果としての排斥だ。

 

 十数年の後、ダイが人から向けられた畏怖の目のように。その過ぎた力ゆえに受けた迫害のように。

 それはもうどうしようもないのだ。脅威への恐れは誰だって持つものだし、誰も彼もがソアラのように博愛や寛容で納得できるはずもない。魔王に匹敵する個人武勇を誇る戦士を無邪気に受け入れるのは難しかろう。

 一方で人類がバランに(おもね)るだけの間柄が正しいはずもなく、また竜の騎士という絶対存在に媚びへつらって守ってもらうだけの関係が長続きするはずもないと俺は思っている。ならばひとまずは皆の心の均衡を保つ意味でもこれくらいの過激さは必要なのだ――実際に竜の騎士を誅する戦力を用意できるかどうかはともかくとして。

 

「しかしながら、まずは友好的に接することを第一義とすべきだと思います。また、一個人としてそうでありたいと願ってもいます。竜の騎士様が伝承に謳われるほどの脅威を持つ、その前提に立った上で国家安寧を期するのならば、浅慮を理由に無用な敵を作ることもありますまい」

「竜の騎士さまといえど、人と大きく変わることはない。そなたはそう主張するのか?」

「もちろん違いはありましょう。常識、習慣、使命、価値観。なにより竜の騎士様にしかできぬこともあります。我らに比すれば目もくらむような強大な力を内包していることも事実。ですが――」

 

 意識して一拍置き、言葉の浸透を待つ。気を落ち着かせるように唇を湿らせ、ゆっくりと言を滑らせた。

 

「手を携えることは出来ると信じます。バラン様はソアラ様との間に御子を得ました。それは天に住まう神々が遣わせし竜の騎士が、この地上で人の娘と心を交わし、愛を育んだ証左――少なくともバラン様は私たち人間という種族に親愛を示しました。ならばどうして我らが理解しあえぬ道理がありましょうか?」

 

 詭弁である。

 親愛もなにも、竜の騎士が生殖を必要としない種族だったから今まで子を作った前例がないだけで、当代の騎士であるバランがイレギュラーな存在だったというだけだ。バランとソアラの駆け落ちをここまで美談に仕立てあげるあたり、俺も大概扇動を好む男だと内心で苦笑いを浮かべるばかりだった。

 そういえばマザードラゴンの力が封じられつつある中、次代を生み出せなくなった竜の騎士システムの限界という問題もあったな。これはバランでさえ知りえぬ事実なのだろうけど、折を見て善後策を話し合う必要はあるのかもしれない。

 

「これよりは過分に無礼な物言いになること、王のご寛容に縋り、どうかお許し願いたく。――フォルケン様。信仰とは、理解から最も遠い場所にあるのだと断じさせていただきます」

 

 幾分の危機感を呑みこみ、奮然と挑むようにテランの信仰、はてはテランの国是へと踏み込む。

 

「誓って貴国の信仰――竜の神を崇め奉る神聖な習わしに異を唱えるつもりはありません。しかし、今、目の前に座するバラン様に人の言葉を届ける努力を諦めてほしくないのです。敬し崇めて遠ざけるはバラン様の、ひいては歴代の竜の騎士様方の望むところではありません。《竜の騎士》とは元来竜の力と魔の真理、人の心を併せ持つ、まさに奇跡のバランスを体現する存在なのですから。この意味、どうかご留意くださるよう、重ねてお願い申し上げます」

「――ふむ。本心か、それとも虚心か、竜の託宣とは言いえて妙だの。ソアラ姫の申した通り、不思議な智慧と縁を持つ子よな。この老王を相手に王の理を説きながら人の道で諌めるか……。アルキードには面白い若者が育っているようだ、ソアラ姫も竜の騎士さまもよき臣を持った」

 

 穏やかに笑むフォルケン王の眼差しを受けてソアラが嬉しそうに、そしてバランも口元に小さく笑みを浮かべて目礼を返す。ちょっとばかりこそばゆいな。

 フォルケン王は穏やかな眼差しのまま、張りのある良く通る声で続けた。

 

「テラン王フォルケンの名において、アルキード王国に竜の騎士が降り立ったことを正式に宣言させてもらおう。……以後はバラン殿と、そうお呼びして構いませぬかな?」

「フォルケン殿の御厚意ありがたく頂戴致す。そして――我らの友誼が末永く続かんと、竜の神に願い奉る次第でございます」

「バラン殿の御心、確かに受け取らせていただいた。この数奇な出会いに感謝を」

 

 へぇ、バランも粋なことをするじゃないか。思わず感心してしまった。竜の神の使いとされる竜の騎士(バラン)が、テランの奉じる竜の神に祈ってみせるとは……見事だ。

 これはバランのファインプレーかもしれない。おそらくはこの一言でバランは他国の王と個人的な友誼を結ぶと共に、フォルケン様の信をも勝ち取ってみせた。

 

 ほうっと。

 彼らの神聖な儀式を見届け、ようやっと安堵の息をつくことができた。予定外ではあったが得るものも小さくなかったと、そう思う。バランが武辺一辺倒の粗野な男との評が立ち上る可能性も消えたし、このままバランが理性的な為人をしているのだとアルキード上層部、ひいては各国首脳にまで浸透させていけば、バランの未来もそう悪いものにはなるまい。彼の手綱をソアラが握っているのだと思わせられればなおよしだな。

 

 実のところ俺が本当に言い聞かせたかったのは後ろの連中であり、この機を利用してアルキードのバランへの姿勢を強制的に決定してしまおうと目論んだ。俺はアルキード内で軽率に竜の騎士という異端を排除に向かわせたくないし、バランを政の中枢から体よく遠ざけ利用するだけの浅慮も認めたくない。

 そのためなら小細工だって弄す。バランの地位を保障する手段は何も内部から働きかけるだけではない、こうして外堀から埋めてしまうのだって有効に機能する手練手管なのである。この会談結果はこれからのバランやソアラにとって極めて重要な財産になるはずだ。

 

 そして俺にとっても朗報である。テラン王にこれだけ言わせておいて、この先アルキード国内で率先して竜の騎士を迫害しました、とか笑い話にもならんだろう? この会談の内容が伝わればアルキード王国上層部で、《竜の騎士》への対応にあたっての基本的なコンセンサスが取れるはずだと信じたいところだ。

 ……ほんと自重してくれよ、アルキードが誇る重臣のお歴々? どうせなら『上手くすれば竜の騎士の血脈をアルキードで抱え込める!』くらいの強かさを見せてくれ。ここまで来てバランが魔王軍に走るとか絶対ナシだからな。

 

 疲れた――が、心地よい疲れだ。

 

 こうして相応の手応えを俺に感じさせながら、以後は穏やかに会談の時間は過ぎていくのだった。

 

 



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第03話 宣戦布告

 

 

 竜の騎士を証明した会談から数時間後。

 時の移ろいを挟み、太陽が沈んだ後に姿を現した天球は玲瓏と輝く満月。窓の隙間から垣間見える雲の化粧が、茫洋と陰りながらもふとした拍子に形を変えていることに気づく。王宮で饗される酒宴にしては質素な晩餐会を終え、あと幾ばくかで皆が寝静まろうとする夜半、俺たちは場所をテラン城の小部屋へと移し、フォルケン王を交えた私的な会合に臨んでいた。

 

 部屋の中央には円を描く無骨な木製の卓が置かれ、丁寧に磨かれた木目の上には、赤ワインの注がれた三つのワイングラスと一杯に満たされたミルク入りのカップが一つ用意されている。四つという数字から連想される通り、小さな卓を囲んだ出席者はまずテラン王フォルケン、次にアルキード王女ソアラ、竜の騎士バランと続き、最後に俺を加えた四人だけである。人払いも済ませ、いかにも密談めいた形式をしていた。

 

 いや、事実密談だったのかもしれない。この秘密めいた集まりは公式行事には予定されておらず、されど両国で合意された『非公式会談』だったのだから。そんな怪しげに整った席で、場違いにも同席していた俺は緊張にごくりと生唾を飲み込み、やがて抑揚のない声音に努め――この場を決定づける全てとなる一節を口にする。

 

「フォルケン様。そう遠くない未来、あなた様の国は確実に滅びるでしょう。早ければ二十年、多少楽観的に見ても三十年、それがテラン王国に残された命数だろうと思われます」

 

 それは俺に自殺志願の気でもあるのかと、そう悩むくらいには立場にあるまじき舐めた口を利いていたと思う。なにせ相手は一国の王だ、言葉遣いを丁寧にすればよいなどという問題ではない。

 先の一言を顔を青褪めずに口にできた自信はない。おそらく俺の顔は血の気が引いた愉快極まりないことになっているだろうし、それに比例してきりきりと胃も痛んでいる。国許に帰ったら、バラン処刑ならぬ俺の処刑が始まったりしないかと不安に慄くレベルで。

 

「どうかお聞かせください。このまま緩やかに朽ち行く王国の残骸を望むのが、国家元首たるあなた様の本意でございましょうか?」

 

 だが――。

 叶うならばすぐさま前言を翻し土下座したいくらいの悲惨な内心の俺を前に、テラン王は黙して思索に耽るだけだった。ほっと胸を撫で下ろした反面、もう後戻りはきかぬと半ばやけくそな心境で平静を取り繕ってやると決意。そうして座椅子に深く腰掛け、眉間に皺を寄せた思慮深き王の瞑目を無言で眺め続けた。

 

 『このまま国家と心中するのがあなたの存念か』。

 

 そんな無礼極まりない俺の問いかけは、言うまでもなくテランに、ひいてはフォルケン王に対する暴言であろう。しかし、しかしだ。これをテランの君主であるフォルケン王に告げることこそが、今回俺が拝命したテラン行き本来の目的だというのだから笑えない。いや、まあ、今現在絶賛笑うしかない心境なのだけれど。

 数刻前に開催されていた『竜の騎士降臨宣言』が俺にとって余興だったのはそういった意味だ。なにせあの場において俺は添え物であり、テラン王に水を向けられなければ俺に出番は予定されていなかったのだから。だからといってこんな秘密会談めいたものを開いてまで、俺の力量を超える仕事を割り振らないでくれ、と泣きを入れたくなるばかりである。

 

 今回の使節一行の中では俺とバラン、そしてソアラのみが知る秘事。それが俺のテラン随行の目的であり、アルキード王から受けた勅命だ。すなわち――。

 

 一つ、『フォルケン王が現在推し進めている《武器開発禁止》政策が、テラン王国を亡国の憂き目に引きずり込む悪法だと警鐘を鳴らすこと』。

 二つ、『可能ならばテラン王に件の政策変更を訴え、これを実現させること』。

 

 ここまでが俺に王命で下されたお仕事の全貌である。……あえて言おう、無茶振り以外の何者でもない。わが国の王様はこの俺を一体何だと思っているのであろうか? 願えば叶う打ち出の小槌なんてついぞ持ち合わせた覚えはなかった。

 心中で深く溜息を一つ。

 とりあえずテランへ警鐘だけ鳴らしてくれれば結果は問わない、とのありがたいお言葉だけがせめてもの救いだった。ここで碌な成果なしにアルキードへ帰ることになったとしても、その言葉通り怒らないでほしいと心の底から切望する次第。

 

 ――バランとソアラ担いでクーデターでも起こしてやろうか、あんちくしょう。

 

 せめてこの胸に黒々と渦巻く怨嗟を、脳内で繰り返し呪詛のごとく唱える程度の自由は許してもらいたいと切に思う。以前ソアラへと戯れに口にした、『暴虐なる権力者に翻弄される哀れな平民の図』が冗談ではなくなってしまったようだ。パワハラとは何時の時代も小憎たらしいものだと世の無情を思い、何とはなしに溜息をつきたくなる俺だった。……超過労働分の報酬を要求できないものだろうか?

 

 

 

 

 

 事の起こりはハドラー戦役よりもずっと前、フォルケンがテランの王位に即位した頃にまで遡る。

 フォルケン王は元々身体が丈夫ではなかったが、だからといって出来の悪い王子だったかといえばそんなことはなかった。幼い頃から書物に親しむ学者肌の片鱗を見せる王子だったらしい。嫡男ではあったが長男ではなく、先代王も彼に王としての器量よりも学識を伸ばすを良しとしていた節がある。そんな彼が王として立ったのは兄の戦没と先代王の逝去だった。兄はモンスター討伐の指揮を執る中で無念の戦死、父は心労が祟ったのか病死。この立て続けの不幸に陰謀はない、純粋に不運が重なった結果だった。

 

 とにもかくにもフォルケンは後継者不在のなかで消去法的に王座へと足を進めた。テランが小国だったことが幸いしたのだろう、王位継承そのものは滞りなく、また大きな混乱もなく収まった。望まずに王になったのが現在のテラン王の実態だったのだろうが、だからといってフォルケンは真面目で誠実な人柄をしていたから国政を停滞させることなく、ある意味で無難に国家運営に着手してきたようだ。ほぼ全て先代王以来の踏襲路線で無難に収めてきた、と言い換えても良い。

 

 そんなテラン王国の舵取りがおかしくなったのは、フォルケン王が唯一自身の理想を叶えようとした一つの政策からだった。

 『争いにつながる武器開発の禁止』。

 言葉にすればそれだけのこと。だが、それが結果的にテラン王の唯一にして致命的な失策となった。

 

「貴国から流れ込む移民が増加し続けています。試算ですが移民の半分はベンガーナ王国へ、残りの半分がわが国を含めた周辺諸国に流れていると思われます。……何とかこの状況に歯止めをかけることは叶いませんでしょうか? 父もこの件を憂慮しています」

 

 ソアラが言いづらそうに苦言を呈した。

 

「父君は何と?」

「朋友たる八王家の一角が崩れるは忍びない、と。なんとか打開策はないものかと頭を悩ませております」

「……そうか、アルキード王にも迷惑をかけるな」

 

 力なく目を伏せたフォルケン王は年齢以上に老け込んでみえた。それを痛ましくも思うが、この王とて同情を寄せられることなど望んではいないだろう。そう考えて俺は無表情で卓に用意されたカップを持ち上げ、喉を湿らせるに留めるのだった。

 ソアラはフォルケン王の手前言葉を濁しているものの、事態はとてつもなく深刻だった。テランはもとより、アルキードにとっても座視できる問題ではないのだ。

 

 ここで何が問題になっているかを軽くおさらいしておこう。

 事態の焦点は今なお続くテラン王国からの人口流出とそこから波及する諸問題。始まりはフォルケン王がテラン国内における武器開発を禁じたことだった。

 フォルケン王は国民から武器を奪うことで平和を実現しようとした。

 それ自体は良いのだ、武器を奪おうとした対象はあくまで民間に限定し、国軍まで解体するほどフォルケン王の視野は狭まっていなかった。実際今から十数年後、ダイやポップの世代が訪れた王城には兵士が詰めていたし、武器とてしっかり残っていたはずだ。あくまで『国家鎮護を担うは国軍の兵士』とし、いわば『徹底した兵農分離』に通じる政策だったのだと思う。

 

 歴史上――今回の場合は俺がかつて生きた日本史を指すが――民衆の武装解除は過去幾度も行われてきた政策だ。有名なのは豊臣秀吉の刀狩であるが、実際ははるか昔から行われてきたし、第二次世界大戦の敗戦を経てマッカーサー体制の下で完成を見る――と、それは余談か。

 秀吉の刀狩は民衆の武器を奪うことを本義にしたのではなく、支配階級と被支配階級の身分を確定することで下克上の世を終わらせようとしたわけだが、これに対しフォルケン王はさらに先鋭化した政策へ踏み込んでいたといえる。武の象徴のみを奪うのではなく完全な武装解除を推し進めたからだ。俺に言わせれば、フォルケン王の政策は完全な『王権による支配体制の確立ないし強化』につながるものだった。

 

 ……ただ、本人にそういった意図はなかったのだろうけど。ってか、絶対になかった。この人、本気で国民から武器を取り上げれば平和が実現できると考えていた節があるからなあ……。

 テランの先代王がフォルケンを指して『王の器ではない』と評したらしいが、俺もその評価は正しいと思う。フォルケン王の本質は『為政者』ではなく『思想家』だ。

 この人の不幸は病弱であること以上に王家に生まれおちたことだろう。市井で学者をやるか、あるいは教会なりの公共性の高い組織に奉じて、そこそこの役儀に収まるのが天職だったのではないだろうか?

 

 で、この『国民から武器を奪う』政策の何が問題かと言えば、この世界では『人類に明確に敵対する種族』が多数存在することだろう。そんな状況下で国民それぞれが身を守る最後の盾となる武装を解除されてはたまらない。当然不安は高まったろうし、当時は反発も相当なものがあったのではないだろうか?

 それでも政策発表以降の治世下においてはそこそこ上手くいっていた。強大な魔族は基本魔界にいるものだし、モンスターの闘争本能を高める魔王が出現しない限りにおいて――すなわち太平の世であれば地上のモンスターも大人しく、襲撃も散発的なものだったからだ。国家直属の騎士団で十分撃退できるし、実際に撃退してきた。フォルケン王が武器の所持と開発を禁じて以降も、数年前まではテラン王国は静謐を保ってきたのである。

 

 ――その砂上の楼閣が崩れたのは、魔王ハドラーの出現を契機とした戦乱の発生だった。

 

 世界各国に戦火を齎した大戦はテラン王国の軍事力の低下を浮き彫りにした。それは同時にテラン国民に深刻な自国への不信を刻み込んでしまったことを意味する。

 『この国では安心して生活が出来ない』。

 国民の多くがそう考えてしまっても致し方ないことだったのだろう、テラン王国の凋落はそこから始まった。……いや、正確にいえば『目に見える形で』国の崩落が始まったのがその時期からだったと言うべきか。それまでも国家は貧しくなる一方だった。それが他国の民草にさえ明らかになるほど加速したのが近年だというだけの話だ。

 

 何故といって、一口に『武器開発の禁止』といってもその影響力は甚大だからである。一例をあげるなら、武器の製造を禁じればそれまで武器を作ることで収入を得ていたものは稼ぎが消える。武器職人から武具を入荷して売りさばいていた商人とて品不足で事業が滞る。稼ぎ先を失った貧困者が増えれば金銭の流れが滞り、経済は停滞する。失業者が増えれば治安は乱れ、深刻な社会不安が発生する。そうして行き着いた先が国民の国外への流出――現在テランが患っている内政問題だった。

 

 アルキードが他人事でいられないのはまさにその点だった。移民発生の初期はまだマシだ、この手の問題はまず富裕層、あるいは手に職を持てる有能な人材や他国に伝のある人間から国外に脱出するためである。ここまでならば、彼らを受け入れる側にとってメリットにもなりえる。問題はその先だ。

 このままいけば、やがて生活苦から大勢の人間が難民と化す。つまり国として保護せねばならない対象がこぞって押し寄せてくるわけだ、アルキード王国としては悪夢である。彼らを流民化させれば犯罪者が増えるし、治安を守るためには職を与えて生活を安定させねばならない。そのためには雨露を凌ぐための家だって多数必要になる。

 そのための資金、資材、人材――数年前の大戦からようやく立ち直りつつあるアルキード王国にとって、それは賄いきれぬ負担以外の何者でもなかった。ぶっちゃけてしまえばそんな余裕はないのである。

 

 その一方、ベンガーナ王国はマンパワーの増加を上手く国力伸張に結び付けていた。主だった点では軍拡と貿易人口の増強を図ることにより、どうにかテランからの移民を吸収し続けているようだ。それを可能にしたのが現ベンガーナ王が取った借金政策――商人から資金を借り入れ、船を増やし、馬車を増やし、兵を増やす、すなわち公共事業を拡大することでひとまず当座を凌ぎ、マンパワーを活用しきることで将来の安定につなげようとする判断だった。

 非常に銭勘定に秀でた思い切りの良い王だといえよう。ベンガーナ王は些か性急に事を運ぶ癖があるとも聞くが、それは逆にいえば決断力に優れている証左でもあるのだ。

 

 このあたりは何事にも保守的なアルキード王と、国王の代替わり直後で早期に実績を示したいベンガーナ王の思惑の違いもあったのだろうと思う。付け加えるならばテランに最も地理的に近い国のため、人の流入著しく決断を迫られていた事情もある。彼は家臣の反対を押し切ることで現在の辣腕を奮っていると聞いた。

 国家主導で販路拡大に努めた貿易事業も最近になって成果もあがり軌道に乗ってきているため、ベンガーナはこの先ますます強国としての立場を堅持することになるだろう。さすがの政治手腕だと感心するほかない。いや、ほんとに。ベンガーナ王はよくこの難局を成功に導いたものだと思う。ベンガーナは一歩間違えれば国家財政が傾き苦境に陥っていたのだから。

 平時よりも有事向きの性格をした為政者であり、多少危なっかしくはあるが魅力的な指導者。それが俺のベンガーナ王に対する評価だった。

 

 このベンガーナ王国の状況もアルキード王国にとっては頭痛の種だった。テラン発の厄介事を半ば以上引き受けてくれているのは助かるのだが、だからといって国境を接する隣国の軍事力が年々伸びている事実は無視できない。アルキード首脳陣にとっては隣国の脅威の増大は苦々しいばかりだったろう。

 それでも数年前までは魔王軍の攻勢を防ぐことに精一杯だったため脅威も顕在化しなかった。だが戦乱も過ぎ去った以上、アルキード王国にとっての仮想敵国はベンガーナ王国になるのだ。間違っても能天気に笑っていられる状況ではない。

 

 アルキード、テラン、ベンガーナの国内事情を省みれば、テランが弱腰外交なのもこうした背景が如実に影を落としているだと思わざるをえない。アルキード王が頭を抱えるのももっともな話だった。これに加えてバランとソアラの駆け落ち騒動、はては伝説の竜の騎士ときたのだから、アルキード王も大変だと同情するに吝かではなかった――俺に無茶振りをしてこない限りにおいては。

 俺がフォルケン王に告げたテラン王国の命数、その分析結果はアルキード上層部の共通見解だ。二十年から三十年。それがアルキードの首脳陣が結論付けたテラン王国の寿命なのである。

 

 ――概ね正しいと、そう思う。

 

 この歴史では――と枕詞につけるのもおかしな気がするが、俺の知る物語ではアルキード王国は消滅していた。では、その消滅の余波はいかばかりだったのか? 最大の陸地面積を誇る大陸で、そこそこ大きな領土を誇る国家が一夜にして消えうせた影響が、近隣諸国であるテラン王国に出なかったとどうして言えよう?

 テランだけではない、大陸を同じくするベンガーナ、カール、リンガイア。それどころか海を挟んだロモスやパプニカ、オーザムとて激震が走ったはずだ。それこそ深刻という言葉も生ぬるいほどの、恐慌に等しい混乱に陥っただろう。それはそうだろう、一国家が一夜にして影も形もなくなり、国土も消えうせ生存者もゼロとか一体どんなホラーだって話である。

 

 それから十数年の後、ダイ一行が訪れたテランは人口五十人あまりの末期国家に落ちぶれている。

 アルキード王国消滅――その世界規模の大災害が結果的にテランに住まう民衆の離散を止めようがないレベルで加速させた。つまりバランがアルキード王国を消し飛ばした一幕こそが、テラン王国崩壊をもたらす最後の引き金の役を担っていた。

 それが王室で開帳された資料と、俺自身の知識をつき合わせて導き出した結論である。時期的に見てバーン率いる魔王軍襲来は誤差の範囲だろう。 

 

 しかし既に歴史は俺の知るものとは違う歩みを始めている。アルキード王国が存続している現在、テランの人口流出のペースから試算すると俺に託された二十年から三十年という分析は現実的な数値だろうと思う。……まあ次の魔王軍襲来が重なればそのスパンが五年は早まると思うけど。バーンの大望が成就してしまえば、テランの国家崩壊どころか地上が消えるわけだから大差ないな。どのみち終わりだ。

 

 アルキード王国上層部の見解と俺自身の見解、その二つを引っ提げて俺はこの場に座っている。そうして問いかけたのだ、この心優しくも過ちに沈みこんだ王に、『このまま国と心中する気なのか』、『先祖代々でつないできた王家が緩やかに死に行くことを許容できるのか』と。

 身分を弁えない厚顔無恥な振る舞いによって今にも死んでしまいそうな俺の心情はともかく、フォルケン王にとっては酷な問いかけだったことだろう。俺の言葉を受けたテランの王は長い沈黙の後、憔悴を表情に浮かべながら溜息をついてみせた。……これはポーズじゃないな、本心からの疲労だ。

 

「国のため、民のため、よかれと思って武器を奪った。だが……ワシに力がなかった故かの、上手くいかぬものだ。御子殿もすまぬな、貧乏くじを押し付ける」

 

 俺が遣わされた理由を察してくれるくらいなら、そもそもこんなややこしい事態を招かないでほしい。そんな諦念混じりの文句が脳裏を過ぎる。……なにせ現時点で半ば詰んでるんだよ、テランは。既に国外逃亡した連中を責めることもできない、俺自身同じ立場なら逃げ出していただろうから。相次ぐ国民の離散に長年の不況が祟ってテランはもうぼろぼろだ、ここから立て直すのは容易なことじゃない。

 とはいえ――。

 この人にはバランの後ろ盾になってもらった恩もあるし、このまま『テランはもうお手上げです、諦めてください』と素直に表明する気になれないのも事実。なんだか最近は心労ばかりたまっていくなあ……。昔を思い出すぜ、しくしく。

 

「その大仰な呼び名は勘弁してください。ルベアで結構です」

「ではルベアと呼ぼうかの」

「ありがとうございます。……王族が他国へ不用意に口を出すは内政干渉の謗りを受けるとはいえ、こんな場を設けてまで私を矢面に立たせるのもどうかと思いますけどね。アルキード王も些か小細工が過ぎましょう」

 

 宙ぶらりんな俺の立場も、アルキード王国に帰国後ようやく正式に取り立てる予定を組んでいるあたり徹底している。政に携わる暗黙の了解に触れぬよう、また、俺自身の今後に尾を引かぬようアルキード王なりに気を遣ってくれているわけだ。しかし慣習ってのはどんな世界でも厄介だね、ほんと。

 

「そなたもなかなか言うものよ、ソアラ姫の前だが構わんのか?」

「ご心配には及びません。うちの王族様方は懐の深い寛容さを持ち併せておりますので、この程度の愚痴は笑って許してくださります」

「だ、そうだが?」

 

 楽しそうに水を向けるフォルケンの姿に苦笑を浮かべるばかりのソアラである。しかしそんなソアラも俺の冗談に無言のうちに肯定を返してから、改めて表情を引き締めると、フォルケン王を強く見据え、口を開く。

 

「父はルベアに『民の声』を届けてくるようにと申し付けました。――それで止まらぬようであれば是非もなし、と」

「耳が痛いな。いや、よく見ておられる。そう答えるべきなのやもしれぬが……」

 

 ソアラも若いな、言葉が些か直裁に過ぎる。受け取り方によってはアルキードがテランを『見切った』とも解釈できる言い回しだ。もちろん移民問題は両国でこれまで幾度も水面下で話し合いはもたれてきたのだろうし、アルキード側の本音が表れていると見るべきなのかもしれないが……。いや、ソアラ、ひいてはアルキード王の言葉は、敢えて自国の苛立ちと焦りをテランに伝えるのが目的という線もあるか。

 

「フォルケン様、これよりはルベアにわが国の存念を託します故、どうかお耳を傾けてくださるようお願い申し上げます」

「承った。彼の者の言葉を無碍にはせぬとこの身に言い聞かせる故、恐れずして申すがよい」

「ご厚意ありがたく頂戴致します」

 

 感謝の言葉と共に一礼する。最後の確認としてまずソアラを見て、次いでバランを見た。ここで制止が入るはずもなく、俺は二人から頷きを貰い、一度深呼吸をすることで気を落ち着ける。

 ただ、もちろん俺はやれるだけのことはやるつもりだが……同時にいかにも厳しい、と臍を噛む思いだった。ここでフォルケン王の非を鳴らし、彼の推し進めてきた政策を改めさせたとしてそれが何になるというのだろう?

 

 国家の礎とは結局のところ国を支える人間の数、すなわちマンパワーに帰結する。だというのにテランは、数年前の大戦時に匹敵する速度で国を支える手を失い続けていた。止まらない人材流出を前に、テラン王国は既に亡国への道を半ばまで踏み込んでしまっている。

 困ったことにその歩みを止める――単純に『武器開発禁止』政策を改めたところで、テランの国力が早期に回復する見込みはないのである。精々十年滅亡を先延ばしするだけに終わるだろう。今のままでは緩やかな枯死という結末は変えられない。

 ここから国家滅亡を覆し、テランの国力を盛り返すビジョンがいかほど残っているのか? 正直なところテラン存続を考える誰もが絶望に暮れるばかりだ、それくらいテランが衰弱死する未来はすぐそこまで迫っていた。

 

 ……本当に詰んでやがるな、この国。

 

 目の前に広がる光明の射さない暗闇に溜息しか出ない有様だった。

 

「僭越ながら申し上げますと、フォルケン様の為した政の全てが間違っていたとは思いません。民から武器を遠ざけることは一つの秩序を構築しますから、長期的に見れば少なからぬ利をもたらしたと愚考します」

「では、何が足りなかったと思う?」

「そうですね……。民が武器を持つことを禁ずる法を定めるならば、国が圧倒的な武威を示さねばなりませんでした。つまり軍事力の増強です」

「だが、それは――」

 

 不敬を承知で遮り、言葉を被せる。

 

「ええ、おそらくですが、フォルケン様は武威に訴えることを厭ったのでしょう? 国が率先して武器を捨てることで平和の精神を醸成する、それ故の軍縮だったのだろうと思います」

 

 ですが、と。

 

「当時のテランにこそ軍拡は必須でした。民の自衛を奪う以上、国が民の生命と財産を守る意思があることを広く知らしめねばならなかったからです。事実、自身の生まれ故郷を見限る人間が年々増加し続けているのが現実でございましょう。フォルケン様、あなたは彼らに『安心』を約束できなかったのです」

「……安心、か」

 

 背凭れに深く身体を沈めた王は消沈したようにうなだれ、憂いに歪められた眉も力なく伏せられていた。

 

「一つ、お尋ねさせていただきます。民が王に望むものは何だとお考えになりますか?」

 

 その問いにフォルケン王は『平和と公平さ』だと答えた。俺はそれに正否を返さず、じっと老王の目を見つめながら続ける。

 

「この十年を一介の民草として過ごしてきた私が答えるならば、『今日と変わらぬ明日』と口にします。争いがなければ良い、豊かであればなお良いでしょう。けれど民衆が最初に望むのはいつの世も『安全に暮らせること』です」

 

 だからこそ平和は手段でしかない。そんな俺の乾いた物言いにフォルケン王は虚をつかれたように目を見開き、それから苦しそうに喘ぐと、唇をきつく引き結んで沈黙した。

 

「あなた様がなさったことは国の平和を実現するために民から安心を奪うことでした。そして彼らの胸に広がった不安に対して些か無頓着だった。王としての失策があるとすれば、おそらくはその一点だったのでしょうね」

 

 俺が思うに、政策の方向性は間違っていないのだ。確かに将来的な武器の発展まで阻害することは議論の余地があろうが、民から武器を奪うことに関しては俺も条件付で賛成したい。

 俺とて平和は尊いものだと考えているし、国民それぞれが武器を振るう備えがある世界なんて危なっかしくて仕方ないからだ。端的に言って怖い――魔法や闘気といった無手の超人化があるのに何を今更、とも思うが。

 平穏を願ったテラン王の目指す先が今は遠い故郷――時に平和呆けとも揶揄された小さな島国の在り方に似ていることも承知している。俺にとって過ごしやすい国――。

 

 けれどそれは遠すぎる理想であり、あえていうなら時期尚早なのだ。少なくとも魔族を主体とする魔界からの脅威、さらに同じ地上で矛を交えるモンスターへの対策を無視してまで叶えようとして良い類のものではない。

 それは危険すぎて現実的ではないのだと言い切らせてもらおう。遠くを見すぎて足元に目が向いていない、それがフォルケン王の性質を『為政者』ではなく『思想家』だと俺が断じた所以である。

 

 とはいえ、ちょっと舌鋒鋭く踏み込み過ぎたかもしれない。その意気消沈ぶりといい、苦渋に寄せられた皺が語る哀れな老人の顔といい、どうにもフォルケン王の落胆ぶりは俺の心臓を罪悪感で圧迫しまくっていた。この王様ちょっと素直すぎるだろう、と。

 いや、これでも敬老精神はそこそこ持ち併せているんですよ、俺?

 

 腹芸ばかりなのも疲れるけど、こうも善性で対されるのも困り者だ。もう少しふてぶてしさというか、俺の罪悪感を刺激しない程度に諸々を呑みこんでくれないかなあ、と内心で冷や汗だらだら。この時、俺は何故だかバランの覇気が無性に懐かしくなった……。いかん、疲れてるのか、俺?

 あー、うー、そろそろ限界かも。仕方ない、ここで畳み掛ければいけるか?

 

「正直に申し上げます。私はアルキード王より勅命を頂き、テラン王国に『変化』を齎すよう尽力するつもりはありますが、テランの王であるあなた様の心変わりまでは望んでいません。……いえ、正確にいえば、フォルケン様には今のままでいてもらわねば困ります。そう申すべきでしょうか?」

「どういうことだ?」

 

 フォルケン王の目が訝しげに細められる。言葉通りです、と揶揄するように返す度胸は俺にはなかったため、微笑を浮かべてやり過ごすに留めさせてもらった。

 なに、簡単なことだ。どういうこともなにもアルキード王が望んだような対処療法だけでは、今のテラン王国はどうにもならないと俺が判断しているに過ぎない。それに俺の雇い主様がどこまでを期待したのかは知らないが――アルキード王国のメッセンジャーに徹するには俺はまだ若すぎた。

 だからまあ、俺の望みのために少しだけ好き勝手させてもらおうと腹を括ったのである。……『跳ねっ返りの小僧』と笑われるだけで済めば良いけど。

 

「ここまでは民としての私の存念をお伝えしました。これ以降は私の希望――今日まで我が胸にのみ秘してきた献策を奉じたいと考えております。お許し願えましょうか?」

「ワシは構わぬが……よろしいのか、ソアラ姫?」

「――ふふ、私は既に申し上げましたよ? ルベアの言を我が意思と思し召されますように、と」

 

 ぞくり、と背筋に震えが走った。

 フォルケン王の『独断専行を許すのか』との問いに、応じるソアラは微塵も動揺を見せず、それどころか艶やかに薫る微笑みを返すほどの余裕を見せ付けていた。……まいったな、信頼が重い。というかこの人マジで怖いぞ。これでも俺は猜疑心の強い人間だと自負しているのだが、そんな俺の心をここまで容易く掠め取るかよ。化け物だな。

 

 いつかソアラが玉座に座った暁には、畏敬を込めて女帝陛下とでもお呼びするべきなのかもしれない。さすがは竜の騎士の妻に不足ない器量持ちとでもいうのか、普段は良妻賢母の顔しか見せないくせに、ふとした瞬間王者の風格を醸し出すから卑怯だと思う。これが千代に八千代に渡り王国を統治してきた、生まれながらに人の上に立つ一族の凄みなのかもしれない。敵に回したくないと心底思った。

 最近活動することが増えた保身回路がじくじくと疼いているのを自覚しながら、ともあれ許しは貰えたと判断を下し、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「フォルケン様、テラン王国は既に出血過多に陥り、これ以上のダメージには到底耐え切れません。あなた様が荒廃した国土と伽藍の風景を望まないとすれば、人口流出に歯止めをかけつつも他国に散った元国民を呼び戻す、あるいはテランに移住する新たな人間を多数確保するという極めて困難な舵取りが要求されます」

 

 アルキード王国としてはテランがベンガーナに半ば吸収される未来は出来れば回避したい。それは俺も同意見だし、そのためにはテランが盛り返してくれるのが一番収まりが良いのだ。道のりの困難さに舌打ちして投げ出したくなるけどな!

 

「小手先の手管ではテラン王国の体力のほうが先に尽きてしまう現状、抜本的な見直しが必要でしょう」

「それはわかるが……」

 

 歯切れの悪いフォルケン王だったが、それも致し方あるまい。言うは易し、行うは難し。それが出来ないからこそ現在のテランの苦境があるのだし。

 

「まずは短期的な将来への希望を、そして長期的にはテランの民に誇りを取り戻させねばなりません。『テラン王国に生まれて良かった』と心から思える矜持を持てるなら、多少の貧しさや不自由さなど笑い飛ばせますから」

「理屈はわかる。――実に容易く言ってくれると困り果てる程度にはな」

 

 同感だ、俺自身言葉の軽さを自覚している。そう簡単に事が運べば苦労しない。

 

「そう皮肉ってくださいますな。黄金の牢獄に繋がれた貴種が挑むに相応しい大事業でございましょう? ――もっとも、私はそんな艱難辛苦まっぴらごめんですけど」

 

 ひょいと肩を竦めてみせる俺に、フォルケン王は低く喉を震わせた。零れる笑い声からは陰鬱な気配を感じない。

 

「いや、すまぬな。そなたは正直でよいと感心しておったのだ。……長く王などと呼ばれているが、まこと生まれを選べぬ悲哀を嘆くばかりの日々よ。こうして弱音を零すことすら難しいのだから割に合わぬ」

「こうして美味しいミルクをご馳走していただけるなら愚痴くらいにはお付き合いしますけど、王の重責にはしばらく耐えてもらうほかはないですね。残念ながら、私はあなたに夢を見てほしいと願っていますので」

「ほう? 興味深いな、御子殿はこの国に夢を見たか」

「ええ、こうみえて私は子供染みた御伽噺が大好きなのですよ。だからいつだって妄に耽りますし――『世界平和』という甘く綺麗な夢想を嗜むのです」

 

 にこやかに告げた俺に返答はなかった。……ん? こう見えても何も、今の俺は十歳そこそこのガキなんだし分相応なのか? とふと疑問に思った。心底どうでもいいと脇に放置しておくだけだが。

 しん、と虚をつかれたように、場には沈黙の空間が広がるばかり。各々が思いに耽る時間は短くなく、やがて年老いた王が小さく息をつく。

 

「なるほどの、白痴の夢に相違ないきらびやかさよ」

「まったくです。それは過去何者も為しえず、未来永劫実現するはずのない御伽噺なのですから。されど今一度繰り返させていただきましょう。――私は他ならぬあなただからこそ、痴人の妄に耽ってほしいと願います」

 

 笑みを消して、目には力を込めて、真剣な面持ちでただただ老王を見つめる。フォルケン王の表情にはまず逡巡があり、その目には猜疑と諦観が宿っており、唇は苦みばしったようにきつく結ばれている。しかし最後にその固く閉ざされた口から発せられた言葉は、疑いの余地なく決断だった。

 

「改めて聞かせてもらおう。そなたの目はこの国の未来に何を映している? ――王として命ずる、忌憚なくその腹の内を見せてみよ。のう、託宣の御子よ」

「御厚情を感謝します。ではフォルケン様にお尋ねしますが、破邪呪文(マホカトール)なる伝説の大呪文をご存知でしょうか?」

「ふむ? 古文書に曰く、邪を払い魔を退ける光の魔法陣を描く呪文だと記憶にあるが……」

 

 わずかの思索ですぐに引っ張り出してきたあたり、さすがに博識だなこの爺さん。話が早くて助かる。

 

「その通りです。光の魔法陣を敷いた結界内では、魔王に支配されたモンスターの闘争本能を鎮め、正しき心を取り戻させる効果があると聞きます。――ならばこの破邪の恩恵を世界規模で展開できるなら、たとえ魔王が現れようとも魔の軍隊の脅威を半減させることができると思いませんか?」

 

 はっとその場の全員が目を見開く。王族二人の脳裏に浮かぶのは先の大戦がもたらした悲劇の数々だろうか?

 かつての大戦では人類は常に劣勢であり、乾坤一擲の最終決戦で勇者アバンが魔王ハドラーを下したことで戦乱は終結を迎えた。その結果が意味するものは、人類と魔王軍の戦力差は基本的に魔王軍が圧倒的していたということ。その最大の原因は、なにより『数の利』を魔王軍が忠実に守っているからにほかならない。

 

 意外なことに、というのは彼らに失礼かもしれないが、魔王軍の軍事活動は何時だって合理的で基本に忠実なのである。すなわち数を揃え、徒党を組み、自身よりも弱いものを優先的に狙うことで確実に敵戦力の低減を狙う。そんな実戦主義を突き詰めた戦法を使うのだ。

 性質が悪いのはそこに魔王の洗脳紛いの統率が加わり、極めて合理的かつ実力以上の力を発揮して人間を襲うようになることだろう。モンスターの脅威は魔王の在位と不在によって天と地ほどの差がある。そして――その絶対的な主従関係に楔を打つのがマホカトールだ。

 

「魔王ハドラーの恐ろしさは身に染みておられましょうが、彼ら――いわゆる『魔王』という存在の最も厄介な点は、その強靭な肉体でもなければ強大無比な魔法力でもありません。真に恐るべきは地上のモンスター全てを悪鬼に変える恐るべき魔の瘴気でございましょう。無論、いかにマホカトールといえども高レベルの魔物には破邪の力は及びません。ですが有事に際して世界中のモンスターから魔王の邪気を払えるならば、散発的に暴れまわるモンスターを封じ、犠牲者を大幅に減らせるはずです」

 

 実際、この世界の『平和』とは大抵の場合、魔王が存在せずモンスターが大人しくしている期間を指す。魔王が復活しても大半のモンスターを大人しくさせておけるなら戦争の仕方は確実に変わるだろう。治安も守られる。

 とはいえ、そうなったらそうなったで魔族の側が何かしらの手を打つだろうけど。人間よりもスペックが上の彼らがこちらの思惑に易々と嵌ってくれるとも思えないしな。

 優れた魔法力に叡智を重ねた優良種族、それが魔族だ。……厄介な連中だなあ。

 

「古の秘儀を紐解くはテランの得意とするところでございましょう? 破邪の効果を最大限高めるには光の五芒星が鍵となるそうです。恒常的な効果を見越すならば、術者に頼らぬよう魔法具を含めた大規模術式の解析と開発は避けて通れませぬ故、代々テランの王室が受け継いできた膨大な古文書に頼れるかと。もしやするとマホカトールよりもさらに強力な呪文が見つかるかもしれません」

 

 むぅ、と唸るような声がフォルケオン王の口から漏れた。

 

「つまり、そなたはわが国が主体となって破邪の力を研究し、以って平和への一助とせよ。そう申すわけか」

「ほかの誰でもない、長きに渡り争いを厭った政を執り続けたあなただからこそ、世界の行く末を憂う旗振りの主に相応しいと愚考しております」

 

 テランは弱い国だ。そして武器を捨て、平和を愛した王だからこそ世界は彼を信じる。真実平和のために破邪を用いる気概を疑われることはないだろう。そうなれば各国からも助力を得やすい。

 世界中を破邪の力で覆うのは荒唐無稽だと思われても、『王都のような重要拠点に限定すればあるいは』と思わせることは出来るだろう。なにせ実際に存在する呪文なのだし、アバンはデルムリン島をほぼ全域に渡って少なくとも三ヶ月間は結界を維持してみせた。習得の難易度に目を瞑れば、コストパフォーマンスは非常に優秀の一言に尽きる。

 

 それだけではない。

 この試みはいずれ他国に協力を要請することで世界を巻き込んだ一大事業になるだろう。賢者を育てるノウハウを持っているパプニカ王国、破邪の洞窟を抱えるカール王国は是非とも引き込みたい。思い切ってテランの王室で抱えた古文書を一部開放し、テラン国内に学術都市の機能を持たせても面白いな。

 破邪の研究を足がかりに人材の交流を促し、付随する話題性や元々優れた景観を生かして観光地としての魅力で人を呼び込めればテランは変わる。人が増えれば物は集まるし、金の流れだって活性化するだろう。そうなればテランにも息を吹き返す未来が見えてくる。

 

「……見事なものよな。それほどの成果があがれば魔王軍にとってはさぞ目障りな国になろう。わが国は高い確率で狙われるようになる。それもそなたの目論見のうちか?」

「ご慧眼、痛み入ります。故に私が願い出るまでもなく、聡明であらせられる彼の国の王には、平和を維持するための『暴力機関』を育てていただけると信じております」

「言いおるわ」

 

 それは相対的にアルキード王国が安全になることも意味する。やがてバーンの軍勢が押し寄せてくる頃、奴らの侵略目標が分散していたほうが好ましいのだ。ただでさえバーンにとって最大の脅威となるであろう竜の騎士を抱えているのだ、全軍をアルキードに向けられてはたまらない。

 全てを明かすはずもなく、しかし互いの思惑の一部を暗黙のうちに交わしあい、楽しげに笑み崩れるフォルケン王に対して不敵な面構えで臨む俺だった。

 

『汝、その志は真なりや?』。

 

「破邪の研究は十年では形になりますまい。しかし三十年あれば実現が見えてくるかもしれません。そして百年後、テランは平和の担い手としての地位を確固たるものにしているやもしれませぬ。――私がテラン王国に見出した可能性は、私が提示した痴人の夢は、はたしてあなた様の御眼鏡に適いましたでしょうか?」

「今日という一日は、自身の不甲斐なさを突きつけられる巡りあわせよな。……溺れるに足る夢だと、心から思うよ。この老骨の胸を躍動に跳ねさせるほどのな」

 

 その端的な一言には万感の思いが込められていた。恐縮でございます、と一礼した後、ほっと安堵の息をつく。

 

「今更ではあるが、そなたはほんに不思議な子よな。ワシのような者とは発想のスケールが違う。一体何処からそんな奇想天外な構想を生み出したのやら」

「そういわれましても、閃きとしか答えようがありませんので。申し訳ありません、フォルケン様」

「すまぬな、責めているわけではないのだが……」

 

 感心したような、それでいて呆れてもいるような複雑な面持ちのフォルケン王だった。そらまあ大本は俺の考えではなく、どこぞの大魔王が目指した傍迷惑な『地上破滅計画』の産物ですからねぇ、などと口に出せるはずもないので黙っておくが吉である。

 大魔王バーンはその計画の最終段階で、《黒の核晶(コア)》と呼ばれる超爆弾を用意し、さらに《悪の大六芒星》を描いて魔力増幅効果を加え、この地上を一瞬の内に消し飛ばそうとした。俺が語った『世界を破邪結界で囲ってしまえ計画』はその応用に過ぎないのである。

 

 ほんと、魔界の神を名乗るだけあってバーンは真実恐ろしい叡智を持った化け物だと思う。ポップが言った『スケールの違い過ぎる男』という評価は正しいよ。村や街が全ての民草ではなく、一国を見渡す為政者でもなく、世界の成り立ちそのものを睥睨する神が如き視点でものを見る不世出の器。それが大魔王バーンの真の恐ろしさなのだから。

 たとえ竜の騎士が味方してくれようと、あんなのを相手にしなきゃいけないとかやってられん。是非是非病気か何かでぽっくりいってくれたまえ。見た目華奢な老人なんだから、それくらいの可愛げを見せてくれてもいいじゃないか。

 

「しかし百年の先か。いずれにせよ実現に至る道程は遠いな。まずは破邪呪文を契約するための魔法陣を探すことから始めねばなるまい。うまく見つかれば良いが……」

「ああ、そのことですが、書よりも人を探したほうが早いかもしれません」

「ほう、遺失呪文の使い手が残っているというのか? 破邪の術法を扱えるは賢者のみ、ならば有力なのはパプニカ王国だが?」

「賢者を育てるノウハウが必要ならばパプニカとも協力を考えてください。ただ、おそらくパプニカ傘下の賢者にも破邪呪文の使い手はおりますまい。私が破邪の使い手として風聞で聞き及んでいるのは、元カール王国の騎士であり、現在は諸国見聞の旅にでているという『ジニュアール家』の末裔ですね」

 

 フォルケン王の眉がぴくりと上がる。

 

「……待て、その家名は確か」

「ええ、ご推察の通りです。アバン・デ・ジニュアールⅢ世。数年前、魔王ハドラーを討ち果たした勇者の名です。おそらくは今この地上で最も破邪の秘奥に精通している御仁かと」

「いずれは、か」

「ええ、いずれは、です」

 

 現時点で想定される破邪結界にまつわる問題は、黒魔晶に代わる魔法効果増幅装置と大魔王に追随する強大な魔力の当てだ。とはいえ、そのどちらも突破口はある。未来でアバンが破邪の洞窟奥深くに潜って身に着けたという『破邪の秘法』である。そのノウハウを生かすことで解決の糸口は見えてくる……はずだ。多分。きっと。おそらく。

 付け焼刃の知識しかない俺にこれ以上は無理だな。専門家の知見がほしい、できれば専属で研究開発に従事してくれる逸材なら言うことなしだ。その役目に最も相応しい人類最高峰の頭脳を持った勇者様は、今頃何処をほっつき歩いているのかね?

 

 脳裏に万能の大勇者の姿を思い描いてからしばらく、思索に耽っては首を振り、あるいは納得したように頷きを繰り返すテラン王が、やがて顔をあげるとじっと俺の目を覗き込んでくる。その奥深くに宿る温和な光がまさに彼の半生そのものだと思った。

 

「……まさに実り多き夜になったものだ。ルベアよ、老人の心臓はもう少し労わるものぞ?」

 

 ふっと笑うその表情には血色の良さを示すように仄かに赤みが差し、軽快な語り口は彼自身の言葉に反して老いを忘れさせるものだった。

 

「程よい刺激は長寿の薬と聞きますれば」

「まったく何という一日か。昼にはバラン殿の威風に中てられ、夜はそなたの遠慮呵責ない舌鋒に翻弄される。この老骨には些か酷な刺激だろうて。次は手加減してもらわねば困るぞ?」

 

 柔和な笑みで苦言を零すフォルケン王の朴訥な姿に応えるように、ソアラやバランの密やかな笑い声が広がった。俺もほっとした思いを表情に滲ませながら彼らに追従する。どうにか俺の言葉は届いたと判断して良いだろう。この布石が少しでも良い方向に転がってくれればいいんだけど……。

 さてこの先どうなることか。テランは? ベンガーナは? アルキードは? バランは? ソアラは? そして俺は?

 そんな風にぼんやりした頭でふわふわと定まらない思考を遊ばせることしばし。一息つこうと卓に手を伸ばし、ミルクで喉を潤す。ああ美味しい。そんな風に一人和んでいると――。

 

「ソアラ姫、一つ頼みごとがあるのだが」

「あら、何でしょう?」

「その少年、ルベアをテランに貰えぬかな? 是非ワシの力になってもらいたい」

 

 ――危うくミルクを吹き零すところだった。って、いかん、気道に嵌った……!

 

「いきなりですね、フォルケン様」

「難しいかの?」

「些か。この子を必要としているのは私やバランも同じですから」

 

 げほげほと涙目で咳き込む俺を尻目に、王族二人の間で俺の移籍交渉が行われようとしていた。うわーい、なにやら知らぬ間にモテ期に突入していたぜ。……これっぽっちも嬉しくねえ。

 慌てて周囲に目を走らせると、ソアラは困ったように微笑んでいるのだが妙な圧迫感を発しているような気がする。対するフォルケン王は重圧を何一つ感じていないような菩薩の笑みだ。ふと、亀の功より年の功などという言葉が浮かび上がった。そしてバランは相変わらず無言である。あんたはワイングラスを傾ける仕草が様になりすぎてるんだよ、二十歳前のくせに貫禄ありすぎ。

 

 火花散る視線の応酬。

 内心あわあわと目を回して二人の静かなる攻防を見守っていると、そんな俺に気づいたのか不意に相好を崩す王族方。……ふと違和感。あれま、これってもしかしてそういうこと?

 

「あのー、王族流のタチの悪いブラックジョークとか止めてもらえません? 心臓に悪いです」

「すまぬな。ささやかな意趣返し故、許すが良い」

「うふふ、ごめんなさいね、ルベア」

 

 つまり俺はからかわれていたというわけだ。溜息を一つ。あまり玩具にしてほしくないんですけどね。

 バランが動じてなかったのは無関心だったからではなく、単に裏を見切っていたからだろう。人を読むことにかけて俺はまだまだ未熟だと痛感するな。いきなりのヘッドハンティングに一瞬肝が冷えたけど、まあ可愛い悪戯とでも思って流しておくべきなのだろう。実際意趣返しされても仕方ないくらいには俺も無茶をしているのだし。

 

「とはいえ、全てが冗談というわけでもないのだがな。そなたがバラン殿の従者でさえなければ、本気で我が国に招聘(しょうへい)しているところだ」

「過分なお言葉、身に余る光栄です。ですが私はアルキードに生まれ、この十年を健やかに過ごしました。私なりに祖国に愛着を持っております」

 

 なにより、と淡い痛みと暖かな追憶に浸りながら微笑を浮かべる。

 

「先の大戦で祖父は一兵卒として戦い、武運拙くお国の土に還りました。最後まで故郷を愛した祖父を、父も母も誇りに思っています。私も両親の思いに殉じたいのですよ」

 

 だからこそバラン処刑の日、俺は一人国外に逃げ出すわけにはいかなかった。だからこそあの日、祖父の遺品である皮の防具が俺を火炎呪文から守った。

 パンを焼くのも嫌じゃなかったし、祖母の代から続く家業を継ぐつもりだったんだけどなあ。俺の明日は一体何処を向いているのやら。

 

「お誘いは本当に嬉しいです。ですが、どうかその儀は謹んで辞退させていただきたく思います。申し訳ありません」

「そうか、残念だの。ではルベアよ、毎日とは言わぬ。しかし偶にはこの老人の退屈な茶飲み話に付き合ってもらえぬかの? それ以上は望まぬでな」

「承りました。もっとも私以外にも茶飲み仲間に加わってくれそうな人はいますけどね。そうではありませんか、ソアラ様、バラン様?」

「そうね。平和を尊び、秩序を築き維持するは王家の責務。父もこの件では前向きに考えていただけるかと。国許に帰り次第相談してみましょう」

「ふむ、竜の騎士として軽挙妄動は厳に戒めるつもりではあるが、その線を越えぬ限りにおいて最大限の助力を約束しよう。お心安らかに臨まれよ、フォルケン殿」

「かたじけない。感謝するぞ、ソアラ姫、バラン殿」

 

 深く頭を下げられ、ソアラと俺が恐縮する。バランは苦笑を浮かべて頭をあげるよう促していた。

 この場の全員が一段落ついたと実感を得たところで消えることのなかった緊張が完全に弛緩する。心地の良いまったりとした空気が流れ、この静けさを全員がゆっくりと楽しむ風情すら漂っていた。……この雰囲気だとお酒が欲しいなあ、などとカップに残るミルクに視線を落として軽く笑う。

 

「どれ、もう一本ワインを開けて改めて乾杯でも――」

 

 俺にも一舐めくださいと思わず口走りかけた。そんな俺の葛藤など露知らず、フォルケン王がリラックスした顔で立ち上がろうとした瞬間、にわかに扉の向こうが騒がしくなったことに気づく。

 なんだ? と耳を澄ませた。詳細は聞き取れないが、なにやら怒鳴りあっているようだ。

 

「すまぬな、人払いは済ませていたはずなのだが」

 

 申し訳なさと困惑を浮かべるこの城の主だったが、外の喧騒には似つかわしくない控えめなノックが数度続けられたところで「入れ」と命じた。扉を開けて入ってきた男には見覚えがある。番兵として警護についていた男だ。問題はその後ろ、番兵に続いて部屋に足を踏み入れた魔法使い特有のローブを纏った細身の男のほうである。

 注意深く観察するまでもなく、一目でその魔法使いの顔が青褪めきっているのがわかる。緊張に強張った表情は険しく皺が寄せられ、瞳は沈痛に翳っている。

 

 ……どう考えても愉快な出来事じゃない。彼らの登場で部屋の空気が一変したのがわかるし、同時にまずいと直感もした。

 なぜなら後から入室してきた魔道士はテラン王国の人間ではなく、アルキード王国に所属する兵士――それも貴重なルーラ使いの魔法使いだ。このレベルの高位魔道士はいかに一国の王家とて容易に動かせる人材じゃない。そんな人間が予定外の来訪をしてきたのだ、否応なく不安感が膨れ上がるというものである。

 

「ご歓談中の無礼、平にご容赦くださいませ。只今アルキード王国より使者が到着し、至急ソアラ王女に面会を希望するとの事でしたので……その、まことに申し訳ありません」

 

 テランの兵士が不要領気味な顔でしきりに謝罪を口にする。この様子を見る限り詳しいことは知らされてないな、だというのに人払いが通達されていたこの部屋に乱入してきた。それほど使者の剣幕が尋常ではなかったのか、それとも……彼の立場では従うしかないレベルでの脅し文句をくらった可能性もある。たとえば――『アルキード王直々の言付けを預けられている。至急ソアラ様にお目通りを』あたりかな?

 

「よい、下がっておれ」

「はっ」

「使者殿も面をあげよ。……ソアラ姫、ワシは席を外させてもらおうと思うが?」

「いえ、そのお心遣いはご無用に願います。重ね重ねの非礼に汗顔の至りにて、これ以上のご厚意をいただくわけにはいきません。……もし、使者の方。遠慮はいりません。この場にてあなたの職務を全うし、事の次第を詳らかに語りなさい」

「……仰せのままに、ソアラ王女殿下」

 

 王族の間で交わされる駆け引き……というほど湿った意図は含まれてはいないな。強いて言うなら譲歩することで信を見せたってとこだろう。

 まあ外交の絡むこまごまとした場に同道することも多い宮廷魔道士が、こうも手順をすっ飛ばして急報を持ってきたくらいだ。この報告に秘匿性を重視する意味もないとの判断があったのだろうが、相変わらずソアラは思い切りが良い。つくづく外見からは見えない性格である。

 対照的に使者の顔は土気色に染まり、今にも死んでしまいそうだった。声にも若干の震えがある。

 

「どうか、どうかお心強くお受け止めくださるようお願い申し上げます」

 

 跪き、報告の体を取ってはいるが、悲壮感に包まれた彼の姿はとても小さなもので、まるで懺悔でもしているかのように弱弱しい。貧乏くじだな、と少しだけ憐れに思った。

 

「先刻の事です、本国の王陛下の元へと急報が届きました。その報告によれば、ラインリバー大陸の西海岸を目指し航海していた我が国の船が大嵐に遭い、船員の奮闘空しく沈没の不幸に見舞われたとのことです。残念ながらソアラ様のご子息――ディーノ王子もまた行方知れず。すなわち生死不明だと……!」

 

 その瞬間、確かに時が凍った。

 バランも、ソアラも、そして事態の重さを悟ったフォルケンも、皆が目を見開いて絶句していた。おそらくは、一人冷たい思惑を胸に抱えた俺こそが、きっと一番冷静にその悲報を耳にしていたのだろうと思う。

 硬質なガラス細工が儚く砕ける音が響き、ついで椅子を蹴飛ばすように荒々しく立ち上がる偉丈夫。何も言わず部屋を出ていこうとする竜の騎士の腕を慌てて掴んで制止した。

 

「バラン様、何処へ行かれるおつもりです」

「知れたこと、ディーノを探しにいく以外に何がある」

「落ち着いてください、ディーノ様のお乗り遊ばされていた船が沈んだのは何日前だと思っているのです? 赤子が大海原に投げ出されては一刻とてもちませぬ。加えてもう夜も更けました、飛翔呪文(トベルーラ)で当てもなく彷徨ってどれだけの成果を見込めるとお考えなのです」

「だからといって……!」

 

 射殺さんばかりに睨みつけられ、身が竦み上がる。顔は青褪め、手足は震え、そんな俺はひどく情けない姿を晒していたのだろう。

 それでもここで勝手をさせるわけにはいかない。ソアラとの結婚を正式に発表された後でなければ、彼の力は鎖のない独断で振るうには大きすぎる。動くならせめてアルキード王に下知を貰ってからだ、一歩間違えれば今日までの全ての努力が無に帰しかねない。

 今にも紋章の力を解放しそうな強者を前にして、動悸の激しくなる心臓を押さえつけるように掴み、小刻みに痙攣する唇から無理やり叫びを搾り出す。

 

「落ち着けと言っています! 陛下とて孫君の行方に心を痛めておいででしょう、本国でもすぐに捜索隊が組まれるはずです。それにディーノ様の里親につけられた者が役儀を放り出していなければ、まだご存命の可能性は残っているはず。……お願いです、今はどうかご自重ください」

 

 そこでバランを阻んでいた腕を戻し、ほうっと一度息を整えた。

 

「お心を鎮め、ご帰国を先に済ませますようお願い申し上げます。嵐の規模、歪められた航路に沈没した位置、この季節の海流の流れ、生存者からの聞き取りや地元漁師からの話。それら全ての情報がすぐに王宮に集められるはずです。あなた様が動くのはそれを確かめてからでも遅くはありません」

「……憎らしいほどに冷静だな、お前は」

「それが務めと心得ていますから。……バラン様、あなたはディーノ様のお父上なのですよ。親が子の生存を信じてやれずにどうしますか。それにあなた様が支えねばならぬお方が、ここにはもう一人いらっしゃるでしょう?」

 

 俺は人の親になったことがない、だからバランの痛みもソアラの絶望も実感できない。

 親だからこそ取り乱している竜の騎士。そんなバランに最も効く魔法の言葉をかけると、すぐにバランははっとした表情になって己が妻を振り返る。ソアラの表情は血の気の引けた蒼白さをありありと伺わせていたが、それでも気丈な様子でバランを見つめ返した。一時、部屋から喧騒が遠のく。

 

「使者殿、王陛下から我らへのご指示は出ておりましょうか?」

「至急帰国せよ、と」

「承知しました。――ソアラ様」

「……ええ。フォルケン様、大変慌しくなってしまいましたが、いずれ正式な使者を立てて仔細をお届けします故、今は私たちの無作法をお許しください」

「皆まで言うな、ご子息の無事を願っているぞ。そなたらに竜の加護のあらんことを」

「ありがとうございます」

 

 深く礼を述べるソアラが顔をあげるのを見計らい、テランの老王へと口を開く。

 

「フォルケン様、あるいは占い師ナバラ殿の御力を借りることになるやもしれません。お口添えをお願いします」

「なるほど、それがよいやもしれぬな。話は通しておこう」

「助かります」

 

 俺達のやりとりを見守っていたバラン達に苦笑を零す。

 

「道すがら説明しますよ。さあ参りましょうか?」

 

 そうして彼らは頷きあい、皆が不安に瞳を揺らしながらも行動に移し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 それから一ヶ月。アルキード王国の必死の調査やバランの鬼気迫る捜索も効を奏さず、依然としてダイの行方は掴めていない。

 結局俺は《託宣の御子》とやらの務めを果たそうとはしなかった。それはダイがデルムリン島に流れ着いた可能性を、俺が能動的にバラン達へ明らかにするつもりがないからだ。――少なくとも三年、最長で五年の間は。

 俺の望みを成就させるためにはダイの生存が不可欠だ。それは裏を返せば彼が生きていてくれさえすれば、アルキード王国で王子として過ごそうが、怪物島で孤児として過ごそうが、どちらにしても俺にとってはデメリットになりえないということ。より正確に評すのなら、どちらに転ぼうとも俺には利があり、同じだけ不利があるわけだ。ならば最低限生き延びてくれさえすれば良い。

 

 実際的な話をするならば。

 ダイの乗る大海原に浮かぶ船にルーラで辿り着けるはずもなく、座標もあいまいな航海中の船に辿り着けるとすれば、それは飛翔呪文(トベルーラ)の使い手であり体力と魔力が無尽蔵なバランくらいである。

 しかし処刑の日からテランの会談までバランとソアラは政治的に雁字搦めの状態にあった。テランの後ろ盾を得た今ならば《竜の騎士》の肩書きである種の『治外法権』を発揮できるかもしれないが、それは国家においては横車に外ならないものだ。そんな力押しを続ければいずれ排除される。まして当時の状況では何をいわんや、だな。

 

 船の上のダイにはどうあっても手出しできなかったのだから、生き延びてくれることを願う以上の選択肢もなかった。

 だったらどう転んでもいいように善後策を考えておくだけだ。ダイをアルキード王国に連れ戻した先のシミュレーション、現時点での国内における竜の騎士の扱いと将来他国を含めてどうなっていくかの懸念、バランの地位を確立させるための手段、いずれくる魔王軍への対抗策。デルムリン島にダイを残すメリットとデメリット、神の涙の行方、ブラス老やモンスターとダイが育む暖かな関係。

 考えねばならないことなど多岐に渡りすぎている。しかもそのどれもが流動的というおまけつきだ。

 

 一方で最悪はダイがそのまま死んでしまうことだった。無論そうなった時が一番きつい。というか対魔王軍を想定した戦略が瓦解しかねない。

 まずった、と苦々しい思いで昔を振り返る。バラン処刑の執行に飛び込み乾坤一擲の大博打を打つまで、正直ここまでソアラ達に厚遇してもらえるとは思いもしなかった。ましてあの時点ではダイの生存は二の次で、アルキード王国消滅対策に思考のリソースを傾注し過ぎたことも事実。

 ……神ならぬ人の手だ、多少の杜撰さは納得しているし、この期に及んで過去を悔やんでもどうしようもないのはわかっているのだが、歯痒い。

 

 ダイが生きているならば――。

 ダイが死んでいるならば――。

 竜の騎士という規格外をアルキード国内で定着させ、完全に受け入れさせるのに俺の試算では三年。それまではダイがバランの急所になりかねない――。

 ダイをすぐに連れ戻すとおそらく十年近く国内から動かせなくなる、その影響は――。

 

 いくつかの懸念をつらつらと思い巡らせたところで溜息が出た。人類が勝つため、俺が生き延びるためとはいえ、策を練れば練るほどに際限なく卑しくなる自分を実感する。

 問題はほかにもあった。なまじ中途半端な知識があり、不確定なはずの『先』が見えてしまうせいで思考にノイズが混じりやすくなっているのだ。そのせいで傲慢さが勝ってリスク管理が甘くなり、楽観が先に出てリスクを織り込みきれていない。今回のケースなどまさに典型だろう。

 何も知らぬほうが判断に迷いが生まれないのだとひどく痛感する。嵐の中で赤子を乗せた小船が海を漂流し、運よく陸地に辿り着く? それは一体どんな天文学的確率を乗り越えた先の奇跡だ? そんなものに俺が期待するだと? ……なんだってんだ、俺らしくもない。

 

 頭が痛かった。こんな何の保障もない奇跡に縋っていればいつか絶対に破綻するという恐怖と、無力さと保身と諦観を盾とした自分自身の損得勘定に半ば辟易としながら、それでも息子の悲報に顔を青くするバランとソアラの二人を欺こうとする俺は、絶対に天国にはいけないのだろうと思う。未だ自身の足で立つことすら叶わぬ赤子まで謀の贄にしようとしているのだ、そんな綺麗な場所にいけるはずがない。

 

 ふっと重い溜息をこぼす。まあいいさ、現世利益至上主義だとでも考えておけばいい。どうせ昔から冠婚葬祭以外には宗教の類には触れようとしない無神論者だったわけだし、今更だ。

 あえて皮肉めいた思いで弱気を霧消させる。本当に今更なのだ。悪意がなくとも人は人を不幸にできる。ならばせめて善意で地獄への道を舗装せぬように努めるしかないと言い聞かせてきた。俺が姦計を張り巡らせるのは今回が初めてではないのだから。

 

 小さく頼りない自分自身の華奢な身体を見下ろす。開いた右手に視線を落とし、やがてゆっくりと握り締めた。思い出すのはテランに赴く前、ディーノ帰還の令を出すことを伝えられ、ようやく息子との再会が叶うと笑いあっていた夫婦の姿。そして俺はそんな二人の思いを知りながら裏切ろうとしている。

 

 よかった、と一匙の安堵を得た。

 ダイを含めたバラン達の絆をこうも悪辣な形で弄ぼうとしながら、なお彼らに襲い来る苦難を他人事と片付けるほど俺の羞恥心(しゅうちしん)は麻痺していなかったらしい。おそらくそれが(はかりごと)(たしな)む人間の、せめてもの矜持(きょうじ)なのだろう。

 

 きっと俺は、いつか竜の騎士父子のために死ぬことになる。

 

 不意にそんな根拠のない予感に襲われ、その突拍子のない想像に思わず目が点となる。あるいはそれは俺の罪悪感が見せた白昼夢なのかもしれない。だが、妙にリアルな幻でもあった。

 ちと疲れてるのかね?

 縁起でもないと嘆息を漏らし、これ以上迷っていてもしかたないと雑念を振り払うため、軽く首を振って気を張り直す。方針を決めたのならもう迷うな。

 

 ダイが生きてデルムリン島に辿り着いていることを前提に今後の布石を打つ。

 大魔王に地上を消滅させないために。竜の騎士が地上を去らぬ可能性を見出すために。人間がモンスターを隣人と迎え入れるか細い糸を手繰り寄せるために。……未来のアルキード王子が、人前であってもモンスターをもう一人の祖父だと胸を張って紹介できるように。

 それは数多ある平和の可能性として俺が描き出す、未だ構想に過ぎぬ荒唐無稽。だからこそ『デルムリン島をアルキード王国がかすめ()る』手段さえ視野に入れる。もちろん今すぐの話じゃないし、構想の鍵を握るのは俺ではなくダイだ。

 

 十年の先を見据えて備え、百年の先を仰ぎ見て理想を追う。

 ならば戦おう、その道に立ちはだかる最大の障害と。

 剣を持てず、魔の素養も乏しく、持てる手札はこの小賢しい頭脳だけ。それでも、いや、それだからこそ、あの恐るべき男に本気で抗う覚悟を、他人(ダイ)の運命を弄んだ瞬間に決めた。

 

 

 

 ――さあ、戦争を始めようか、大魔王バーン?

 

 



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第04話 大戦略

 

 

 俺が大魔王に勝る点があるとすればただ一つ。

 

 『俺は大魔王バーンの目的と為人をそれなりに知っているが、奴は俺にそれを知られていることを知らない』。

 

 これは大きなアドバンテージだ。……逆に言えば、それしか突破口がないという悲しい事実に突き当たるわけだが。

 そして奴と戦争を始めるに当たって最初に立ちはだかるのは、『開戦がいつになるのか』という問題である。この時点で俺は、というか人類は劣勢に立たされていた。

 

 それは『こちらから攻め込む選択肢』がないからだ。勝算のあるなしはともかく、攻め込まれるのを待つしかないということは常に相手に主導権を握られていることになる。

 つまり極論を言えば、現時点でも大魔王は地上に攻めてくる可能性が存在する。いや、極論でもないのかもしれない。なにせ空中要塞《大魔宮(バーンパレス)》と地上殲滅の要となる六つの《黒の核晶》の用意が出来てさえいれば、彼の計画を遂行するための最低条件はクリアしていることになる。そもそもバーンが何千年も雌伏し、竜の騎士に警戒すらされていなかったのは、黒のコアに魔法力を注ぎ込むための長い長い時間を必要としたからだろう。

 バーンの計画のために必要とするキーアイテムはおそらくもう揃っている。ここにミストバーンとキルバーン、さらに魔界のモンスターが加われば戦力だって十分だ。――が、俺は二つの理由で大魔王は開戦に踏み切らないと考えていた。

 

 一つはあの大魔王がそんな遊びのない計画を立てることはない、という確信からである。ゆとりや余裕と言い換えても良い。

 地上消滅計画などという大それた事業に限った話でもない。どんなプロジェクトを起こすにしろ、一から十まで事細かく練られた計画は破綻しやすいものだ。それは実際に遂行に移した時、どこか一つの歯車が狂えば全体を巻き添えに崩壊してしまうからである。

 それゆえ普通はある程度の想定外にも耐えられるよう遊びを残した計画を立てる。ゴールに辿り着く幾筋もの道を用意しておくのだ。

 その上で最終目的を達成するために噴出してくる種々様々な問題をリアルタイムで適宜修正していくことになるのだが、その遊びの大きさはケースによりけりとなる。人員の規模や動かせる資金、資材、許容できる年数といった多数の要因に左右されるわけだ。

 

 その点大魔王は恵まれていた。

 魔界を二分するほどの広大な領地と強大なバックアップ体制を確立させ、自身もほぼ不老といって良い身体と天地魔界随一の叡智を持つことに加え、最悪失敗してもやり直せるだけの柔軟性と強固な意思すら持ちあわせている。……実に反則である。地上に住まう人間としては遺憾だと顔を顰めたくなるばかり。くたばれ大魔王。

 

 対して俺たちはといえば、時間もなければ余裕もないのが現状である。しかも大魔王襲来の危機感すら共有出来ていない地上の迎撃体制を思えば、甚だ心許ない限りだった。何かしら手を打つ必要があるだろう。

 ここではっきりさせておくべきことがある。バーンの思惑だ。

 バーンの地上消滅計画における大戦略とは、すなわち『人類戦力の漸減(ぜんげん)』に他ならない。計画の最終段階――黒の核晶を世界各地に配置し、一斉に起爆させる大魔術儀式――を阻害できる人類の守り手を可能な限り減らし、万一の可能性すら排除しようとしたのがバーンだ。

 

 ハドラー率いる魔王軍はそのための布石であり、駒だった。地上支配、すなわち既存国家を落として版図とすることが目的ではなく、その過程で『敵対勢力に属する実力者を可能な限り捕殺する』のがバーンの狙いだった。

 悪辣としかいいようがないな。誰も読めないって、こんな途方もない絵図。まさしく『見ている世界が違う』としか言いようのないスケールだ、常識の置き所が明らかに違っている。

 

 ったく、確かにバーンにとって魔王軍の地上侵略なんてものは、組織の興りから実行までその全てが遊びの賜物だったんだろうよ。

 ただしそれは遊びは遊びでも、《大戦略に沿った》遊びだった。バーンにとっては自軍の損害など度外視――部下である地上のモンスターなど端から消滅対象なのだからいくら磨り潰そうが痛くも痒くもない――して良いものなのであり、その前提の下で最終目的を叶えるために『人類戦力を削る実益』を抜け目なく確保していたことになる。

 

 ふざけろ。

 

 これを悪辣と言わずに何という? 誰も彼をも盤上の駒とし、世界をテーブルに例えてチェスに興じるがごとき壮大さ、不遜さ、非情さをかね揃えた怪物。いと小さき人の目で仰ぎ見ることのできる限界からすれば、神の眼で俯瞰する景色など害悪でしかない。

 俺にとって唾棄すべきバーンの遥か高みから見下ろす視点。ならばあいつはどうだったんだろう? 大魔王直属の大幹部ミストバーンは、大魔王と同じものを見ることが出来ていたのか?

 

 奴はハドラー率いる魔王軍の存在そのものを『バーン様の遊びだ』と口にした。はたしてミストバーンは忠義を向ける主人が思い描く大戦略をどこまで理解していたのだろう。

 もしもミストバーンが魔王軍の存在意義を言葉通りの意味で口にしていたのなら、所詮奴は一介の駒であり、バーンと同じ景色を見るだけの眼を持ち合わせていなかったということになるが、さて?

 

 警戒すべき魔王軍の頭脳をバーンただ一人と断じて良いのか否かの判断は後回しにするとして、バーンはすぐに地上に攻め寄せてこないと俺が想定した二つ目の理由は、奴自身が魔族だということだ。

 魔族。人に比べて圧倒的なまでに強靭な肉体と魔力を備えた長命種にして優良種。

 しかしロン・ベルクが語ったように、魔族の大半が長すぎる生に飽いて腐っていくのならば、それは『飢餓にも似た達成感を渇望する』裏返しでもある。つまり高齢になるほど結果に至る過程を長く楽しもうとする、普遍的な種族的特性を持っているのだろう。

 だからこそバーンは数千年の雌伏という悠久にも勝る忍耐を可能としたし、いざダイ一行との戦いにおいても効率主義に走らず、時に迂遠、時に余裕、時に油断とも取れる言動に終始した。

 

 断っておくが、その余裕は傲慢であっても欠点足りえることはない。余裕とはつまり手札の豊富さに起因すること大だからである。

 バーンの初期戦略の目標を人類戦力の枯渇に求めるならば、ハドラーの失敗に対する寛容さも頷けよう。正確には彼に埋め込んだ黒の核晶に求められるのだろうが、バーン自身が保険と称したようにその用途はとても広いのだ。

 

 おそらくあの超爆弾で吹き飛ばす初期目標はバランだった。地上に進出する計画で最もバーンが警戒したのは、神々の尖兵たる竜の騎士以外には考えづらい。次点で勇者アバンなのだろうが、それは今は置いておく。ハドラーに仕掛けたコアは自身の大望に立ち塞がるであろうバランを、確実に抹殺するための保険でもあったはずなのだ。

 だがソアラの死がバランに人類を見限らせ、結果バーンの勧誘に乗る形で魔王軍入りした。この時点で黒の核晶の用途は真実保険以外の何者でもなくなった。まさに万が一のための仕込みとしかいえなくなったわけだ。

 

 ここで重要なことがある。魔王ハドラーが勇者アバンに倒されてから復活までに要した時間だ。確かハドラーは地獄の門番バルトスに『復活のために十三年の眠りにつく』と語っていた。……何故十三年も必要だった?

 後にハドラーはヒュンケルに一度殺されるが、その時はバーンの魔力で数日のうちに蘇生していた。アバンにやられた時は瀕死で助かったにも関わらず長期間の潜伏を余儀なくされたというのに、である。

 いくらその当時バーンの魔力に適合した身体でなかったとしても、これは些か不自然に過ぎないだろうか? その疑問への答えとして、俺は『ハドラーが傷を癒し、力を蓄えるために』十三年という長い時間を必要としたのではなく、『バーンがハドラーに黒の核晶を埋め込み、魔力を十分吸わせるために』時を必要としたのだと考えている。

 

 ここから魔王軍の襲来時期をある程度見定めることが出来る。

 つまり魔王軍の襲来が史実より早まるとすれば最大で二年、ただし魔王軍の再編やハドラーが部下を掌握するまでの都合半年から一年を見る猶予はあるだろうから、おそらくダイが十一歳の頃、つまり史実より一年早く攻めてくる計算になる。

 逆にバーンがバランを警戒して侵略を遅らせる可能性も当然想定しておかねばならない。その場合は自軍の戦力増強やバランの引き抜き、ないしバランを標的とした姦計――たとえば人間の手でバランを排除に向かわせるような――が考えられるが、十年二十年のスパンで遅れる可能性は低い。

 

 あくまでハドラーを魔軍司令の立場に置くのなら、バーンは彼の望みも叶えようとするだろう。それは『勇者アバンへの雪辱戦』だ。そしてアバンの老化を待っての決着を是とするほどハドラーは自尊心を捨ててはいまい。

 それだけではない。師殺しに執念を燃やすヒュンケルとて魔王軍に参加しているのだから、バーンが折角の手駒(お気に入り)を有効利用せずに放置する理由はあるまい。だからこそアバンが最盛期の力を振るえる年齢であるうちに攻め寄せてくる可能性が高い。

 となれば長くても許容できるのは魔王ハドラーが没してから十八年そこそこの期間、アバンがぎりぎり最盛期を維持できる三十五才前後までだろう。それ以上はハドラーやヒュンケルが待てなくなる。

 この時、ダイは十六、七あたりか。叶うならここまで引っ張ってほしいものだ、史実における勇者ダイの十二歳という年齢は明らかに若すぎる。

 

 俺にとっての一縷の望み。すなわちバーンがバランを警戒して地上侵略を諦める逆転ホームランの可能性は、現時点で思考のテーブルにあげる必要がなかった。

 それは大魔王バーンは竜の騎士を警戒していても、負けるとは微塵も考えていないからである。最悪自分が出張ればどうにでもなるという自信が彼の計画を後押しするため、強気の姿勢を崩すことはあるまい。多少の誤差はあっても地上侵略は規定路線となる。

 となれば開戦までの目安は現在を基点にするとあと十年から十七年。俺はその時間的なゆらぎを前提に、魔王軍との戦いに挑むことになるだろう。

 そのためにもまずは国内の問題だ、足元を固めねば俺もバランも動きようがない。アルキード国内におけるバランの覇権を確立することが焦眉の急であり、何を置いても優先すべき課題だと一年前の俺は見定めた。

 

 ――三年。

 

 それが俺の想定した足場固めに費やすための時間である。

 まあ覇権といってもクーデターだとかそんな大それたものじゃない。殊更暴君というわけでもない現国王を排除してまで事を進める気は俺にはなかったし、あくまでバランとソアラが強権を振るえる体制を構築することが目的だった。そう、そのつもりだったのだが――計算違いはいつだって起きるものである。

 

 バランが騎士団を掌握するのに費やした時間――わずか三ヶ月。それから十ヶ月余りが経過した現在、バランが直々に出向いた練成の成果が徐々にかつての弱兵を現在の強兵の姿へと変え始めている。今となっては軍においてバランの実力を疑う命知らずはいない。

 国内の安定と将来の戦争のためにまずは実働部隊を押さえるようバランに進言したのは俺だ。とはいえ、ちょっとバランの手練手管を甘く見すぎていたのかもしれないと反省している。やはり餅は餅屋だということだろう。

 事務畑ならともかく、荒事集団の現場における機微を掴むには能力、経験が俺には不足していた。そもそも軍編成や戦争基礎論が俺の知る異世界常識と重ならない部分も多いため、ある程度は仕方ないと割り切ってもいるが。

 

 小才子の限界、案ずるより生むが易しってことだったんだろう。

 とある未来において超竜軍団を指揮し、幾つもの国を滅ぼした猛将バランだ。人と竜、統率を取るのに勝手は違うのだろうが、それでもここまでの信望を短期間で勝ち取るあたり、闘神のポテンシャルには驚かされるばかりだった。

 

「三分組み手、手加減なし。ただし急所は避けよ。では――練武始めぃ!」

「おおッ!」

 

 耳に鮮烈なバランの激が飛びこんでくる。兵のあげる鬨の声が圧力すら伴って空気に熱を伝導させていく。敷き詰められた石畳を力強く踏みしめる震脚の音色が幾重にも木霊し、必殺の気迫があちらこちらで発せられていた。

 そんな最中俺は天を仰ぎ、過去を振り返るように遠い眼差しを浮かべて彼方に意識を飛ばす。

 ああ、今日も青空が眩しい。気持ち良い風が優しく頬を撫でていき、燦燦と輝く太陽は未だ中天には差し掛かっていないせいか過ごしやすい。昼餉もいましばらく先だと暢気に微笑を浮かべる俺は――致命的なまでに場の空気から浮いていた。

 

「あと一分! 最後まで気を抜くな! 戦場では心を切った者から屍を晒すと知れ!」

 

 ヒトヒトフタマル。快晴。今日も元気に兵士の練成が進む。

 演武場に満ちる熱狂の渦のなか、士気旺盛に訓練に励む兵士の姿が幾重にも重なっている。宣言通り手加減など一切ないと言わんばかりの鬼気迫る訓練風景は、見ているこちらにある種の畏怖を抱かせ、その分だけ頼もしさも比例して高まっていくようだった。

 拳がぶつかり、足刀乱れ飛ぶ擬似戦場。真剣勝負もかくやの迫力で盛り上がる訓練場で、なお鍛え抜かれた身体を磨き上げる大勢の兵の姿を目に映し、一体誰が今の彼らを弱兵と侮る気になるだろうか? 少なくとも俺には無理だ。

 

 順風満帆。まさにそんな風情だった。

 バランが順調にことを運べた要因は幾つかある。一つは言うまでもなく王族の配偶者というブランド力だ。竜の騎士の身分が明らかになってからしばらく、正式にバランはソアラの夫として国内外に発表された。これにより王家に忠誠を誓う騎士団はバランを主と仰ぐことが決まったのである。

 無論、これだけではただの成り上がりだと陰で蔑まれることもあろうが、バランはそれらの不満を自身の器量でねじ伏せた。剛剣と称すに相応しい剣技と圧倒的な魔法力、数多の死闘を繰り広げてきた経験を持つ騎士は兵として、将として優秀だった。ともすれば優秀すぎるとも取れる圧倒的な武威とカリスマで、瞬く間に兵から全幅の信頼を取り付けたのである。

 

 軍が脳筋集団と揶揄される一面を見た気がする。彼らは勿論権威に従うし法をみだりに破るような無頼漢ではないが、それでも武官の根底には常に『強いやつが偉い』という意識が刷り込まれている。強者とはそれだけで信頼され、憧憬の対象となるに十分な説得力を持つのだろう。まして個人の武力が天井知らずな世界だ。そのせいか指揮官が先頭に立って戦うことが推奨されてすらいるんだよ、ありえねえ。

 そんなこんなで俺は自身の常識との食い違いを早々に是正するため、ソアラに頼んでこっちの世界の兵法書を改めて学びなおしているところだった。もちろん現場の運用についてはバランから教えを請うているが、日々是勉強である。

 

 騎士団掌握の過程で圧巻だったのは、初訓練の場でバランを侮った若手騎士への制裁……もとい指導だった。

 王族のお遊びで訓練場に入ると怪我をするぞ、と野次を飛ばした相手にバランは無言で近づき、とんと胸に手を置いたのだ。そして一拍二拍の沈黙を挟み周囲に困惑が広がったころ、バランは呼気一閃、音もなく若者を吹き飛ばした。

 その一幕を見守っていた誰もを青褪めさせたのは、優に五メートルは吹き飛ばされて尻餅をついた若者が、『傷一つ負わず痛みもまるで感じていなかった』という驚嘆すべき事実だった。あの一幕は今でもバランの底知れぬ実力を彩る語り草になっている。

 

 俺も兵士達同様、言葉を失ったまま戦慄する一人にすぎなかった。一体どんな武の真髄を極めれば、そんな物理法則に喧嘩を売る真似が出来るのだろうか?

 初訓練終了後、気になってバランに理屈を尋ねてみたのだが、正確無比な身体運用と闘気の微細な制御、さらに相手が無防備な姿勢で自然と攻撃を受け流す状態を『仕掛ける側が作り出す』だけの力量があれば可能だ、との懇切丁寧な返答を貰った。申し訳程度に付け加えられた『油断しきった弱兵にしか使えぬ芸当でしかない』と語る白々しさといったらなかったぜ。

 たとえ技術の無駄遣いであっても、その深奥には否応なく武技の極致を匂わせる凄みが存在するのだ、規格外の戦士としかいいようがない。そういえばアバン流の極意にも似たような理屈の技があったような気がするな。確か受け流しの技術を突き詰めたカウンターの極みで……《無刀陣》とかいったっけ?

 

「それまで!」

 

 その一声でぴたりと一斉に拳打を取りやめ、皆が荒い息を必死に整えながら互いに礼をかわす。俺があの場に立っていたら疲労やら安堵やらですぐに倒れこんでしまいそうなものだが、良い感じの一撃を貰って失神している幾人かのほかは、残心といわんばかりに精悍な顔つきを保っていた。すごいな、こいつら。

 と、そんな感想を抱くくらいには精強ぶりを発揮していると思うのだが、バランに言わせれば『ようやく基礎が出来てきた』段階らしい。白打の訓練時間が優先して取られるようになったのもバランが指導するようになってからのことだ。

 曰く、『体術は全ての技術の基礎。体術を磨かずして高みには昇れん』だそうで。

 

 兵士達の前ではとても口にできないが、あれで十分配慮と手加減を行き届かせた訓練内容らしい。しかしこれでぬるすぎる訓練とかいわれても、俺には地獄と紙一重のスパルタぶりとしか思えないんですがね?

 ……まあ、確かにバランの自己鍛錬の凶悪さを知っている身としては納得せにゃならんのだろう。どうにも他人以上に自分に厳しいんだよ、バランの奴。だからこそソアラを失った世界ではあんな不器用な生き様しか示せなかったのだと思うと、すこしばかり切なくなったりもしたのだが。

 

 とはいえ――。

 将来を思いダイに黙祷を捧げてしまう程度にはバランのストイックぶりに戦々恐々している俺である。うむ、頑張れ未来の勇者。お前には父親にしごき倒されるであろう、ほぼ確定した未来が待っているっぽい。今のうちにブラスじいさんに甘え倒しておけよー?

 

「最後は選抜者を募った連携訓練を行う。仮想敵を私と想定し、四人がかりでかかってくるがいい。一撃でも当てることが出来たなら喜んで特別休暇を出してやる」

 

 薄い笑みを浮かべてそんな下手な冗談を口にするバランに、この場の総意として全員の苦笑が集まる。誰もが理解しているのだ、たとえかすり傷だろうと目の前の男に手を届かせるのは容易なことではないのだと。

 

「選抜者は通達しておいた通りだ。では前に出て武器を構えろ。ほかの者は見取り稽古とする、集中を散らすことなく己が血肉とせよ。いいな!」

「はっ!」

 

 ほうっと憧憬混じりの嘆息を零す。やっぱ格好良いね、こういうやりとり。これぞ『武士(もののふ)』って感じで胸を熱くさせてくれる。

 ふん、ガキっぽくても男なら誰でも『最強』を追い求めるものなんだよ、などと誰に知られずとも内心で言い訳を並べていると、練兵場の隅に佇んでいた俺の元に、三人組の兵士が歩み寄ってくるのが見えた。先頭の優男ことカルキンが気軽に手をあげ、にやりと挨拶代わりに笑う。

 

「ようルー坊、バラン様の迎えか?」

「ええ。でもいいんですか、こんなところまで油を売りにきて? 後で怒られますよ」

「バラン様の言いつけはきっちり守るさ。これでも目は良いんだ」

 

 ここからでも見取り稽古は十分と豪語する。それでいいのかと連れの二人に目をやると、彼らも肩を竦めて諦め半分面白半分な様子だった。俺が咎めを受けるわけじゃないからいいけどさ。

 

「あなたも懲りないと嘆くべきか、それとも肝が座ってると褒めるべきか。昔、バラン様に野次を飛ばしてへこまされた反省は何処にいきました?」

「諦めなよルー坊。このお調子者が一度や二度の失敗でいつまでも落ち込んでいるもんか」

「はっはっは、不屈の男と呼んでくれ」

 

 やや気弱げな小柄の少年が困ったように笑えば、無駄に爽やかな顔で冗句を飛ばす優男。

 

「ルー坊にもへこまされたのに当の本人に好んでからむ物好きだからな。もうこいつの病気は治らないだろう」

「なにを馬鹿な。騎士たるもの、一度や二度の敗北で膝を屈してなるものか。俺は未だにリベンジを諦めていないのだぞ」

「そんなこんなでルー坊に九連敗、おおよそ一ヶ月に一つ黒星をもらってる計算だな。そろそろ十の大台に乗るじゃないか、よかったな」

 

 頭痛をこらえるような仕草で溜息をつくのは体格の良い長身の男だった。三者三様、似ても似つかぬ容姿と性格の三人組だが、これで将来を期待された騎士見習いだったりする。バランも見込みはあると太鼓判を押していたから、案外大成するかも。歳は確か三人とも十六歳だったか、俺より五つ上だ。

 

「戦績はチェスで五敗、カードで四敗。次はどっちで挑むべきだ? いや、それとも何か別の勝負を……」

 

 なにやらぶつぶつと算段を練る微笑ましい姿に、処置なしと俺と連れの二人の見解が一致する。

 子供相手にそうムキにならんでもと思わんでもないが、発端が発端だけに引っ込みがつかなくなっているのかもしれない。最初に俺にちょっかいかけてきたときに、あまりに煩かったので挑発返しをくらわせて遊戯勝負に持ち込んだあげく、ぐうの音もでないほどコテンパンに伸してやったのである。……ちとやりすぎたかもしれん。

 

 幸いチェスはあちらの世界と同じルールだったし、カードもそれぞれ剣、杖、杯、金貨の四種各十三枚に道化師二枚を加えたワンデッキを用いる遊戯のため、俺にとって馴染みやすいものだった。要はトランプだ。もっともトランプの呼び名自体日本独自のものだから、西洋風の呼び名には最初違和感を覚えたものだが。

 この真剣勝負という名の交流遊戯は大抵三本勝負の形式で行われるのだが、彼らの言う通り今のところ俺の全勝という結果に終わっている。この先も譲る気はないとだけいっておこう。

 

 ちなみに幾度かバランとも手合わせしたことがあるのだが、危うく負けそうになったのは秘密だ。ダイがその手の頭脳遊戯を苦手そうにしていたから油断した、バランの奴かなりの打ち手だ。というか学習速度が異常なんだよ、初めて見るはずの定石に難なく対応してくるとか勝負勘が半端ない。

 

 と、まあそんな余談はともかく――。

 眼前の三人は全員が貴族子弟だ。というか騎士団の幹部は基本的に貴族の男が務めるのが慣例だけに、その候補生も当然貴族の肩書きを持つ。

 この世界は土地の利権の多くを王族が握っているため、貴族は主に王族の輔弼(ほひつ)としての役割と行政機構の担い手としての顔を持ち合わせていた。つまり貴族は政の中枢に関わることはあっても、土地を持ち軍事力を独自に備える封建貴族制のもと暮らしているわけではない。

 

 だが、それは同時に国家の血肉であり、血液を正常に循環させるために不可欠の役割も担っていることを意味する。いわば行政を支える官僚的な顔を持ち、実務を請け負う重要性に見合った自負もそれなりに持ち合わせているわけだ。そんな彼らの聖域に土足で踏み入った平民、つまり俺に対する風当たりは考えるまでもなく強かった。

 まあ当然である。端から見れば俺は絶賛シンデレラストーリーを展開している筋金入りの成り上がりであり、バランとソアラに取り入って好き勝手する慮外者だ。こんな経歴を持つ人間を歓迎してくれるほうがおかしい。

 

 だからこそ俺が王宮で生き抜くためには、バラン夫妻の存在をお守りにしつつ俺自身の価値を認めさせ、彼ら貴族社会に俺という異端を受け入れさせねばならなかった。その成果はといえば……とりあえず最悪は脱したとだけいっておこう。一年にも満たない間の変化と考えれば悪くないはずだ、俺にバランのような飛びぬけたカリスマ性を要求されても困る。

 隣でわいわい楽しげに軽口を叩き合う三人組も事情は似たようなものだった。当初は俺に隔意を持っていたし、彼らが侮っていたバランに格の違いを見せ付けられた腹いせもあったのだろう、蓄積した鬱憤が俺に向かうのは必然だった。

 

 もっともこの通り彼らの中心格はトラブルメイカーにしてムードメイカーだし、かつては随所に見受けられた陰湿な影はバランに叩きのめされ、俺に追い討ちをかけられたことできれいさっぱり消えてしまった。今となっては単なる気の良いお調子者である。……今は仲良くやっているってことでいいのかね、これは?

 

「つっても俺にしろお前にしろ早々暇はとれないか。……なあルー坊、ベンガーナ方面でキナ臭いことになってんだろ?」

「まだ公にはなってないはずなんですけど、何処から聞きつけました?」

「なに、ちと親父たちがな。よそで話すような浅慮な真似はしてないから安心しろい」

「当たり前です」

 

 再度溜息。

 こんなふうにただの馬鹿じゃないことをたまに見せるからなかなかどうして面白い。バランの人を見る目が確かだという証左なのだろう。

 

「で、上はどう考えてるんだ?」

「そう言われても何も答えられませんよ、決定までお待ちください。ただ、私個人としては武官の方々の手を煩わせないよう尽力するつもりですけど」

「なんだ、つまらん。折角武勲のチャンスかと気合入れてたってのに」

「戦意旺盛は結構なことですが自重をお願いします。刃を交えぬように努力するのが文官の(さが)なのですから、どうかご理解の程を。あと本当にこれ以上吹聴しないでくださいね」

「わかったわかった、俺を信じろって。それよりバラン様たちの演武が始まるぜ?」

 

 にゃろう、露骨に矛先を逸らしやがったな。

 そんな文句を内心で口にし、頭を痛めながら件の訓練風景へと向き直る。無駄話をしていたせいですっかり悪目立ちしてしまったため、開き直ってバランたちへ幾分近づくことにした。

 ギャラリーに囲まれた中心にはバランが無手で佇み、屈強な体格を誇る四人の男がそれぞれ武器を構えて包囲している。二人が長剣、二人が槍だ。多分刃は潰してあるのだろうけど、実践さながらに振るえば骨の一本や二本は簡単に折れる。とはいえ四人の厳しい眼差しを見る限り、手加減云々なんて考える余地もないのだろう。

 

「せいッ!」

 

 開始の掛け声もなしに槍が勢いよく突き出される。バランの背後に陣取っていた男の不意打ちは、しかし不発に終わった。

 背中に目でもついているかのように軽やかな回避運動を見せつけ、相手の男も、いや、槍すらも見ずにバランが長柄を掴み取り、ぐいと引っ張ることでたたらを踏ませたのだ。しかも時間差で真正面と左右から仕掛けられた三つの攻撃を、最初に捌いた槍使いの男と位置を入れ替え盾にすることでやり過ごした。四人の驚愕に塗れた声とぎょっとした顔が印象的だった。

 

 バランは止まらない。完全に陣形が崩れた敵を冷静に見据え、回し蹴りで一人を吹き飛ばしたかと思えば、さらに独楽のように円運動のステップを描くことで回避と反撃を同時にこなして瞬く間に二人目を撃破。混乱した三人目の懐に素早く潜り込むと、鳩尾に掌底を打ち込むことで速やかに沈めてしまう。そこからはもう最後に残った剣士が哀れだった。

 

 後がないと悟った男は緊張と畏れをありありと伺わせる強張った表情をしていた。けれど身体に染み付いた反復訓練の賜物だったのか、気合の雄たけびをあげながら弾丸のように疾駆し、突進から斬撃を敢行する。

 力強く石畳を蹴り込んだエネルギーを全て集約させた袈裟懸けの一刀。なるほど騎士団の幹部を務めるだけの力量はあると納得させられる迫力だった。

 

 だが――相手が悪い。

 

 未だ紋章を輝かせず本気になっていないとはいえ、相対するは竜の騎士。数千年の時を闘争に費やし、片時も休まず武を洗練させてきた戦神の系譜を継ぐ者だ。騎士団所属のエリート戦士がいくら人間の枠組みとして高水準にまとまった力を持っていようが、その程度ではバランにとって有象無象に過ぎないのである。

 男の袈裟懸けの一閃が振り下ろされた時、バランは既に刃の軌跡上にはいなかった。俺の目にはバランの残像だけが映っているのだが、次の瞬間には男がバランスを崩して仰向けに倒れこんでいた。その時になってようやく俺はバランが足払いをかけていたのだと理解する。勝負あり、だな。

 

「……参りました」

 

 地面に倒れこみ、目の前に拳を寸止めされたところで降参を示した。一分にも満たない攻防のなかでどれだけの技術の応酬があったのか、それは俺よりも武に富んだ彼ら騎士とその候補たちのほうが如実に感じ取っていることだろう。誰知らず生唾を飲み込む気配を捉え、毎度のことだと苦笑を浮かべる俺だった。

 

「よし、午前の訓練はここまで。それぞれクールダウンした後、解散するように。午後は各団の上位者に従い訓練に励め」

「仰せのままに」

 

 憧憬と畏怖。

 概ねそれがバランに対する兵士一同の持つ感情だった。身分がどうとかを口にする前に、この圧倒的な強さとバランが戦時に纏う覇気に誰もが敬服してしまうのだ。非才の我が身にしてみればバランのそれはちと羨ましい。

 

 これは余談になるが、バランのカリスマは男女問わず惹きつける魅力に溢れているようだった。普段は寡黙で静かな迫力を発している一方、時に理知的な眼差しで書を嗜む姿がご婦人方にも大人気だったりするのだ。さすがに次期女王の配偶者に本気で懸想する女性は今のところ見ていないが、既婚者でなければ毎日恋文を受け取るくらいはしていたのではないだろうか?

 うん、いくら俺がバランのお付きとはいえ、さすがにそっち方面の補佐とか処理をするのはご勘弁願いたい。ソアラにはしっかり手綱を握っていてもらわねば。

 

「かー、痺れるねえ。あの鬼強え先輩達でもここまであしらわれるのかよ。俺なんて一対一でもあの人らに一度も勝ててないってのに」

「右に同じ。次元が違うね」

 

 呆けたような声でかわされる模擬戦の感想に、あれでバランは実力の半分も出しちゃいないと告げたら、一体どんな反応が返ってくるのかとふと気になった。現時点で人間の限界ともいえるレベルなだけに、これ以上となるとさすがに反応が怖い。

 長きにわたって継承され、蓄積され続けた基礎技術の粋。今生においても幾たびの死闘を乗り越えた類まれなる経験。地上随一の肉体スペック。これらだけでもとんでもないというのに、ここから竜の紋章の力が上乗せされると攻防万能の竜闘気(ドラゴニック・オーラ)を纏い出す。

 そこに鬼に金棒とでも言いたげな最強の武具たる真魔剛竜剣を振るい、竜の騎士のみに許された魔法剣で敵を粉砕するのだ。極めつけは全てのレベルを人外の果てまで引き上げる竜魔人化ときた。およそ手がつけられない規格外っぷりである。

 

 よくもまあこんな神話の世界に君臨してそうな怪物にダイたちが勝てたもんだとしみじみ感心してしまう。

 親子の情、かつての仲間への手加減があり油断があった。連戦につぐ連戦で体力魔法力を疲弊し、ダイの飽くなき勇者としての意思やポップの見せた人間としての強さといった、迷いを生ませる土壌に終始バランが翻弄されていた。それでもなお、アバンの使徒の勝利は奇跡としかいいようがないと思う。

 もっとも、そんなバランがいてもなお苦戦必至、むしろ絶望的な戦局を予感せざるをえない大魔王の底力とか本当何なのだろう? 魔界に引きこもっててくれよ、マジで。

 

「ああそうそう、バラン様の意図するところは『一人では勝てない高レベルモンスターを相手どる訓練』になります。ですからあなた方はこの先、模擬戦や演習を通して徹底的に『軍隊としての』陣形と連携を叩き込まれることになりますね。バラン様曰く、ようやく基礎ができて次の段階に進める頃合になった、だそうですよ」

 

 頑張ってくださいね、と良い顔で告げた。そんな俺に文句を言う気力もないのか、うげ、と来たる地獄の時間を想像して蛙が潰れたようなひどい顔になる三人組。彼らにご愁傷様と同情の眼差しを送りつけ、そのまま背に置き去りにして歩き出した。

 いい加減時間も押してきている。訓練に熱が入るのは結構なことだが、バランの務めはそれだけではないのだから切り替えてもらわなくては。まずはバランに汗を流してもらってから会議用の礼服を用意だな、と適当に脳裏で予定を組み上げながら心なし足を速めて合流を急ぐのだった。

 

 

 

 

 

「先日はお伺いできませんでしたけど、ソアラ様のご様子はいかがでしたか? 二度目のご懐妊とはいえ、身重の身体では色々とご不便やご不安を抱えていらっしゃるのでは?」

「予定日はまだ先だからだろう、落ち着いたものだった。どちらかといえば、あれがなにかするたび私のほうが気が気でなかったように思う。以前も感じたことだが、こういったことは女性のほうがずっと肝が据わっているな。お前にもいつかわかる時がこよう」

「まだまだ先の話ですけどね」

 

 午後の会議に備え、事前のすり合わせがてらバランと昼食を共にする。もっともそれらはほとんど前日のうちに済ませていたので、もっぱら話題は世間話に終始していた。

 今、ソアラは王城にはいない。出産を心健やかに迎えるため、バランとソアラの出会いの場でもあった奇跡の泉、その畔に建つ別荘に居を移している。そこで供回りの者や産婆を引き連れてダイに続く第二子の誕生を間近に控えているのだ。それは父であるアルキード王、夫のバラン、そして俺を含む家臣一同皆が心待ちにしている慶事でもあった。

 

「正直に申し上げますと、ソアラ様は再びお子様を得ることに積極的にはなれないだろうと考えていました。いかに王家を背負うお世継ぎが望まれるとはいえ、ソアラ様、そしてバラン様も未だ行方知れずのディーノ様へ(はばか)りがあるのでは、と」

 

 ダイの行方が知れぬまま一年が経つ。ソアラだってその事実を前に何事もなく割り切るのは難しかろう。だからこそこうも早く二人目を宿したことが心底意外だった。

 

「確かにそういった気持ちがなかったとはいわん。だが、義父殿に頭を下げられてしまってはな……。私の処刑に始まり、ソアラからディーノを奪ってしまったことを涙ながらに悔やんでおられた。そのうえでソアラを慰めてやってくれと頼まれたのだ。ああも娘を心配する父親の顔をされては何もいえん」

「なるほど、世継ぎの孫を望んだのではなく、ソアラ(愛娘)の安寧を願ったわけですか。父親として愛情深くもあり、業が深くもあり、ですね。難しいものです」

 

 ややもすると僭越になりかねない俺の疑問に、バランは大したことではないと示すように微笑を浮かべ、簡単に背景事情を語ってくれたのだった。

 王族とて人間だ。

 思わずそんな感想を抱いてしまうくらいには情実のからんだ経緯(いきさつ)だった。ソアラが王族として冷徹になれず、非情に徹しきれないのは案外父親の影響が大なのかもしれない。だからこそ俺のような人間には仕え甲斐のある君主だと映るのだろう。同じ匂いのする相手が対象ではこうも素直に敬服することはできなかったはずだ。

 

「……ふむ。あるいはディーノが『生きている』と保障されなければ、お前の言う通り別の選択肢もあったのかもしれぬな」

「保障といわれますと、ナバラ殿の占いのことですか? そうですね、信じて良いと思いますよ。あの方は今の地上で最も優秀な占術師ですから」

 

 ダイの行方不明から一ヶ月経った頃、諸国漫遊の旅からテランに帰国した占い師ナバラが、フォルケンの紹介で訪ねてきた。小柄な体躯をすっぽり覆う魔女さながらの衣装と、どこか達観した厭世的な雰囲気をまとわせる老婆は、なるほど胡散臭い婆さんだと心から思ったことは内緒だ。そんな失礼な感想を口に出すわけにもいかず、顔にも出さずにやりすごした記憶が脳裏をよぎった。

 その時にダイの行方を生死も含めて占ってもらったのだ。その結果は『ディーノ王子はこの地上の何処かで生きている』が『具体的な所在まではわからない』というもの。

 バラン達にすれば嬉しさ半分落胆半分、俺にとってはダイがデルムリン島に辿り着けた裏付けともなり、ほっと一息つけるありがたい占いだった。ホントすごいよな、よくそんなことまでわかるもんだ。

 

 ちなみにダイがナバラの占いによって順当に見つかったならそれはそれで構わなかった。ダイの物心がつく前にブラスの元から引き取れたなら、そのときはブラスとデルムリン島を俺の構想からまとめて切り捨てれば済む話だからだ。いくら幾つかのプランを思い描いているとはいえ、俺の中で戦後の構想が魔王軍撃退に勝る優先順位を得ることはない。できれば人類とモンスターが、個人単位ではなく種族単位で共生する未来を見てみたいとは思うけどな。

 ただ、ナバラにいわせれば占いの結果が出たこと自体とんでもない話らしかった。普通は縁もゆかりもない赤子の行方なんてものは占えるものではないとのこと。

 

 ナバラのような占術を生業とする者は、基本的に因果律――運命に規定された事象を垣間見ることで結果を導き出す……らしい。で、この因果にあたる糸の大きさは一概にこれだといえるものではないのだが、たとえば重い宿命を負って生まれてくる、偉業をなして世界中に名の知れた傑物、あるいはもっと単純に強大なエネルギーをその身に内包している、等々があげられるそうだ。

 今回はバランという巨星から因果の糸を辿ったのだろうが、さすがにナバラが見知ったことのない人間が対象で、かつ生命エネルギーに乏しい赤子では限界もあったということだろう。

 そもそも俺の感覚では占いなんて気休めに耳にするものでしかないため、常識破りの数々に色々と複雑な思いなのだが。

 

 それとナバラの十八番である水晶玉で千里を見渡す術には距離の制約がつきまとうとのこと。それに加え、失せ者探し物としては感知に不向きな赤子が対象ということで、とても今回は使えるものではなかったらしい。あの術、ものすごく便利だし俺も覚えられるなら覚えたいと口にしたら、「けっ」と馬鹿を見るような目を向けられた一幕もあったり。

 

 その時、『五十年修行すれば隣の部屋くらいなら映せるようになるかもね』とばりばりの塩対応をもらい、偏屈ばばあの面目躍如だと感心してしまったくらいだ。しかし俺に占術師の才能がこれっぽっちもないことはともかく、ナバラはやはり窮屈な立場は苦手そうだった。宮廷に招くとかは無理そうだな。……それが出来るくらいなら既にフォルケンが召抱えてるのだろうけど。

 というかだな、うちの王宮勤めの連中、露骨に胡散臭そうな目で客人を見るなよ。そんなだからナバラの心証を悪くするんだ。せめて俺のように内心だけにとどめて誤魔化すくらいはしやがれっての。

 

「占い師ナバラか。些か角の立つ物言いをする御婦人だったが、腹に一物抱えてばかりの宮廷雀に比べれば可愛いものだろうよ」

「おや、それは私への当てつけでしょうか? 反論の余地がないことがものすごく悔しいところですが」

「そこは言い返しておけ。少なくとも私は人品も含めてお前を買っているのだぞ?」

「光栄です」

 

 不敵に笑うバランに苦笑を返す。可愛げか、俺がそれを捨てたのっていつごろだったかなあ、などと遠い過去を思い出しながら。

 しかし《竜の託宣》だの何だのでっちあげた身ではあるが、俺なんかよりよっぽどナバラやメルルのほうがこの世界の森羅万象、神秘の奥深くに身を浸しているだろう。彼女たちの力は俺には理解不能な世界に突入しているわけだが、案外ナバラや彼女の孫娘であるメルルの祖先にはバランのいう天界の住人、つまり人間以外の種族が名を連ねているのではないかと考えている。

 

 竜の騎士ですら混血の子供をつくることができたのだ、ならばほかの種族がそれをできなかったとは思えない。あちらの世界の民話ならともかく、この世界に伝わっている『天女と結ばれる美しくも切ない恋愛譚』や『精霊の加護を得た剣士の大冒険』に代表される無数の逸話の何割かは、絶対作り話ではなく実話が含まれているはずだ。

 おそらく彼ら彼女らが大昔、地上で人間との子をなしていた。そしてその血は現代にも脈々と息づいているのではないだろうか?

 

 天空人、妖精族、精霊族。その手の『不思議な術を行使する者』の末裔がナバラであり、いずれ強力な占術を揮うようになるメルルへとつながっている、というのが手慰みに構築した仮説の一つだった。確かめる術は今のところないし、知ってどうなるものでもないけどな。

 ただそう考えればメルルが祖母をはるかに超える神秘を若年で身に着けたことも頷ける。彼女が先祖返りを起こしていたのならば、大魔王をして驚愕するだけの事象を引き起こしたのもある程度納得できる話だった。

 

「それともう一つ。ソアラに最後の一押しをしたのはルベア、お前だぞ」

「私がですか? それは意外ですね。どういうことでしょう?」

「いつだったかソアラが『世継ぎを産むべきか』と尋ねたことがあっただろう。その時お前は何と答えたか覚えているか?」

 

 また随分懐かしい話を持ち出すじゃないか。ともすれば日常の雑事に埋没してしまいそうな記憶を手繰り寄せ、どうにか思い出すことに成功する。

 

「『ディーノ様がお戻りになられた時、歳の近い男子では王位継承権に差し障りが出ますから、出来れば女の子を希望します』。確かそのような主旨の提言を申しあげた記憶がありますね」

「ソアラがおかしそうに笑っていたぞ。お前らしい答えだと」

 

 そう言って楽しげに口元を緩めるバランだった。俺は二人が決心してから子を仕込むまでの時間にびっくりしましたけどね。一発必中……かどうかはわからないが、見事に子種をヒットさせるのだから大したものだ。竜の騎士って実は生殖能力も強力なのか、としょうもない疑問を本気で考察してしまうくらいには驚いたものである。

 そういえば元いた世界じゃ『竜は多淫』ってのが常識だったなあ。もちろん竜なんてものは想像上の産物でしかなかったわけだが、こうも符合すると面白くもある。

 

「私らしいかどうかはともかく、それがどうしてソアラ様のご決心につながったのです?」

「お前はディーノが生きていること、この国に帰ってくることを前提とした未来を築き上げようとしている。それが理由だ」

「……信じるには些か理由が弱い気がしますが」

「不確定だからこそ信じる意味がある。ましてお前の今日までの献身を考えれば、気休めとは一線を画す信頼を呼び起こすものだと自覚しておけ」

 

 そんなものですか、と実感のない当たり障りのない返答を口にする俺を眺めると、バランはそれまで浮かべていた笑みを消してどことなく咎めるような眼差しになった。何か気になることでもあったのかと戸惑っていると、今度はこれみよがしの溜息をつく。

 ……むぅ、失礼な。バランが相手でなければ苦言の一つも呈しているところだぞ。いや、バランが相手だからこそ嗜めておくべきなのか? 結局、俺が迷っている間にバランが再度口を開いてしまったので完全に機を逸してしまったのだが。

 

「お前が自分自身の立場を築こうとしていることには文句を言わん。そもそもお前を王城に連れ込んだ私やソアラにそれを口にする資格はないのだろう。だがな、もう少し身体は労われ。ソアラも心配していたぞ」

「それは困りましたね、ご出産を間近に控えるソアラ様にご心労をかけるとは不忠の極みです。肝に銘じておきましょう」

 

 肩を竦め、冗談っぽく振舞うことで煙にまこうと画策したのだが、残念ながらバランは逃がしてくれなかった。

 

「ここ最近、お前の発する気が弱まっている。また無茶をしているのだろう?」

「しれっととんでもないことをさも当然のようにいわないでもらえますか? 確か生命感知――闘気の認識術の一種でしたか。改めてすごいものだと感心します、私にはさっぱりですから」

「戦闘方面の才能に乏しいお前には望むべくもないのだろうが、人間でも鍛えあげれば開眼できる力のはずだ。少なくとも騎士団の隊長クラスにはこの程度は身に着けてもらわねばなるまい。先は長いな」

 

 また無茶を言うね、この最強の騎士様は。それってダイがフレイザード戦で身に着けた心の眼と同じものだろう? つまりアバン流でいえば空の技につながる高等技能だ。そんなものをほいほい身に着けられる実力者がどれだけこの国にいると思っているのやら。

 もっとも武の才を見抜くことにかけて、バランは俺など比較すべくもない高みにいるのだから気を揉むだけ無駄なのだろうけど。騎士団の連中も災難だな、きっとこの先地獄を見る。……手加減だけは忘れないよう、口煩く忠告を繰り返す羽目になる気がしてきた。

 

「それで、どうなのだ? 繰り返すまでもなく、私に下手な誤魔化しは通用せんぞ」

「ご心配なく。最近抱えていた案件については一応の目処はつきましたし、仮眠も含めれば四、五時間は毎日睡眠時間を確保しています。多少疲れが残っているのは否定しませんけど、倒れるほど疲れをためこんではいませんよ」

 

 三時間睡眠のサイクルで二徹はさすがに堪えたらしい、一度熱を出して倒れて以降は健康管理にだって気を遣っている。さすがに子供の身体で負荷をかけすぎたと反省した、まだ昔ほど無理をできる身体じゃないことを失念していた苦い過去だ。まったく、貧弱な身体で辟易するぜ。

 

「ただ、ここのところちょっと立て込んでましたから、それなりに忙しかったのはお目こぼしください。なにせベンガーナ王国との国境線が騒がしくなってますからね。そこに国境警備の長期任務に詰めていた兵団の交代時期が重なったのもよくありませんでした。物資の手当てや人員の入れ替えで関係部署はてんやわんやの大騒ぎだったのですよ」

 

 猫の手も借りたい忙しさとはまさにこのことだろう。だからこそ俺まで駆り出されて右に左に走り回っていたわけだが。

 

「相変わらず便利に使われているようだな。この前は薬草農園の管理責任者の真似事をしていたのではなかったか?」

「真似事というか、半分は見学みたいなものでしたけどね。ただあの仕事は楽しかったです。今でもたまに顔を出してますよ」

「本当に大丈夫なのだろうな? 嫌がらせの度が過ぎるようなら手を貸すぞ」

「それこそ不要な心遣いですよ。この程度自力で切り抜けられずして、どうしてあなた様の従者を名乗れますか。それに私、仕事のできない奴だと侮られるのは嫌いなんです」

「……そうか」

 

 ただし妥協のできない敵が相手なら話は別である。幾らでも侮ってくれ。最大限油断して侮ってもらってるところを、後ろからぐさりと刺すのが俺の流儀なのだから。卑怯? それは食べられるものなのか?

 勝てば官軍。

 実に良い言葉である。なにせ俺は戦うことが好きなわけじゃないのだ。……なんだか今日はフレイザードをよく思い出す日だな。やるからには勝つのが俺の信条である、それが出来ないのならそもそも戦うべきじゃない。

 

「ご心配をおかけして申し訳なくは思っています。ですがバラン様やソアラ様の傘に隠れているだけではこの先立ち行きません」

 

 そこでにこりと不敵に微笑。

 

「大丈夫ですよ。皆さん、私の後ろにはバラン様とソアラ様が控えていることを存じ上げていますから、正規の仕事量を増やす以上の露骨ないじめはありません。あとはまあ、私が持ち込まれる仕事を卒なくこなしてしまうせいで意固地になられている方がいるのでしょう。じき収まります」

 

 卒なくといっても失敗をしないわけじゃないけど。慣れない仕事だけに戸惑うことも多いし、子供だからと軽く見られることも多い。業務を滞らせてしまったことだって幾度かある。

 だが、それとて最初のうちだけだ。全体の業務の流れや関連部署との実務的なつながりが見えてくれば、人並み以上に書類仕事をこなせるだけの自信はあった。その部署のキーマン――優秀な人材を見極める目と取り入る処世術くらいは心得ているし。

 

 とはいえ、圧倒的に時間が足りないのも確かだ。元々俺は正規の手段で登用されたわけではないせいか、今は適正を見るためにあちこちたらい回しにされている。それに加えてバランの従者としてスケジュール管理やその他の雑事をこなすことを疎かにするわけにはいかない。さらに個人的な優先事項としてソアラの好意で開帳してもらった王室の資料――とりわけ王国の歴史と魔王軍の攻め寄せた過去の大戦の記録を、夜な夜な整理分析することも必要だ。忙しいったらありゃしない、身体があと三つは欲しいぞ。

 

 頭が痛くなるのは魔王ハドラー戦役以前の戦争に関してはもう歴史の彼方、百年以上も昔のことで資料そのものが散逸しかけていることだろう。そのため成果ははかばかしくなかった。さらに過去の大戦に遡るともう事実と風聞、伝説とほら話が入り乱れてとても真偽を確認できるものではなかったのだからどうしようもない。

 前途多難である、これだけ次の戦争へのサイクルが長ければそりゃ平和呆けもするわな。この先十年そこそこで次の大戦が待っているとか、魔界の事情に通じるバラン以外は誰も実感できないって。

 救いはソアラやアルキード王も理解者になってくれていることだが、それだけじゃ世界を動かすには足りない。どこかで梃入れをしないと奇襲に対応できずに後手に回ってしまう、それでは俺がこうして骨折りしている意味がない。

 

「嫌がらせの些事が問題というより、私に体力がないのが目下の悩み事なんです。もう少し年齢を重ねれば身体もできてくるでしょうから多少マシになりますけど、今はいかんともしがたいですね。どうか長い目で見守ってくださいと、ソアラ様に言付けをお願いします」

「今はそれで納得しておくしかないか。だが、これ以上の無茶となれば私も容認できんぞ。強制的にでも眠らせるゆえ、そのつもりで励むといい」

「それ、絶対睡眠呪文(ラリホー)の使いどころを間違ってますよね」

 

 なんだかおかしくなって軽やかに笑ってしまった。ラリホーに耐性とかついたら面白いのにな。ウイルスと抗ウイルス剤の関係みたいに、常用していると効果が確認しづらくなるみたいな前例はないのだろうか?

 それにしても、これでも同年代の中では体力あるほうだったんだけどな。あれでパンを焼くってのは結構な重労働だったし。十二歳そこらで大人顔負けどころか、群を抜いて強靭な身体と精神を持ち合わせたダイを本気でリスペクトしたい気分だ。何事も身体が資本であることはどこの世界でも変わらないとしみじみ実感する次第だった。

 とりあえず今回の件が片付けばもう少し時間に余裕も持てるだろうし、部屋に平積みされた資料を精査する時間も取れるだろう。俺の健康増進プランはその片手間にでも考えるとしよう。

 

「ではバラン様、そろそろ会議室に向かいましょうか。新参者は先に到着して皆様にご挨拶する大事なお仕事がありますので、バラン様にもお付き合い願いますよ」

「うむ、承ろう」

 

 はちみつを垂らしたホットミルクを美味しく飲み終え、ことりとカップを卓に置く。いたずらっぽく片目を瞑って誘いの言葉をかけると、ありがたいことにバランも不満なく頷き、俺と共に会議室入りしてくれるようだ。助かる。

 バランはアルキード王と合わせて最後に入室でも許されるのだけど、今日は文武の重臣との語らいを優先してもらうことにしよう。ソアラがいないだけに普段より彼らの本音を垣間見るチャンスだ。もっとも今の状況で俺はともかくバランを好んで敵に回すような浅慮な人間がいるとは考えにくいが、もしそんな相手を見つけたら……さてどうしましょうかね、っと。

 

 

 

 

 

「……貴様か、元気そうで結構だな小僧。実に残念だ、別に欠席してくれても一向に構わんのだぞ。そうしてくれたほうが皆が上手い空気を吸えることだろう」

「最近は風通しも良くなってきていますね、おかげさまでやりがいのある充実した毎日を過ごさせてもらっていますよ。私も皆様のお目汚しになるのは心苦しい限りなのですが、この場はいま少しのご寛容をいただけたらと思います」

 

 王城内に存在する幾つかの会議室。今日は王も臨席するということで、普段俺が使うものよりも幾分グレードがアップした調度品の数々と給仕つきの室内で歓談に耽ることしばし。王が近習を引き連れて現れたのは、俺が非好意的な視線と嫌味の幾つかをもらい、それらに何度か笑顔で対応している頃のことだった。

 つまりは平常運転、いつもと変わらないやりとりということだ。ま、そんなもんだよな。もう少しウィットの効いた罵詈雑言なら楽しくなりそうなのだが、と些か歪んだ感想を抱きながら会議の開催を迎えたのだった。

 

「皆、聞き及んでいるだろうが、今日はベンガーナ王国への対応についてだ。かの国が展開している軍事行動に対するわが国の返礼を皆に考えてもらいたい」

 

 厳しい眼差しで会議出席者を見渡すアルキード王の姿に会議室に漂う空気もぴんと張り詰める。前置きもなしに本題に入ったあたり危急の案件と捉えているのだろうか。いや、王の怒気を省みるによほど腹に据えていると見たほうが正解なのかもしれない。

 確かにベンガーナは国境線付近で軍事演習を繰り返すなどと舐めた真似をしてくれているからな、あからさまな挑発行為である。そっと周囲を伺えば、出席者の中にも王と似たような反応をしているものもいた。武官に多いのは当事者意識が強いからだろう。

 

「畏れながら陛下、以前の会議で彼らは放置すると決めたのではなかったのですか? かの国から申し送られた演習場所は陛下ご自身が許可を出したと記憶しております」

 

 文官の一人が恐る恐る口にすると、間髪入れずぎょろりと睨みつけられて縮み上がってしまう。その男は事実を述べているだけで間違ったことを言ってないだけに、この威圧っぷりはちと可哀想だった。不機嫌そうだな、陛下。

 

「確かに許可は出した。だがな、あやつらは規定されていた場所を南下し、我が国の領土を侵しながら演習を繰り返しているのだ! しかもその件についての釈明は何一つ届いておらん!」

「なんと!」

 

 憤懣やるかたない様子だったが、それ以上に陛下の口にした内容に皆が絶句した。俺も眉を潜めて思索に沈む……ふりをする。うちと戦争でもしたいのかと疑うくらいにはベンガーナのやり口は穏当からかけ離れているだけに、皆の反応も当然のものだった。

 

「こちらも兵を出しましょう! これは明らかな侵略行為だ!」

「いや、待て! まずは事実確認からだ。使者を用意して改めてベンガーナ王に面会を――」

「ぬるいわ! ここまで舐められて易々と引き下がれるものか」

 

 途端に喧々諤々の熱気が会議室を包み込んだ。強硬論を唱えるのが武官、慎重論を唱えるのが文官ときれいに分かれたな。恐慌に揺れる出席者も多い中、バランは腕を組んで鷹揚な態度を維持している。こういう人間が隣に座っていると安心感が半端ないな、実に頼もしい。

 

「今は国境警備隊が兵を出して監視に努めておる。幸い人里まで降りてくる様子はなく、あくまで演習の体を崩してはいないらしい。もっとも、それが何だという事態にまで発展しているのは覆せぬが」

「やはりここは直接ベンガーナ王に事の次第をはっきりしていただくのが上策かと」

「だからそれでは手遅れになりかねんと言っているだろうが!」

 

 会議は踊り、されど進むことはなく。そんな感じだな。

 熱心なのはいいが少しばかり冷静さを欠いている。有体にいって皆が浮き足立っているのだ、これではいつまでたっても収集がつかない。だが事態が切迫していることも事実。ここは多少強引でも陛下の下知がほしいところだが、さて?

 

「バランよ」

 

 一同を見渡して難しい顔で唸ったあと、アルキードを統べる最高権力者が娘婿であるところのバランに呼びかける。するとそれまでの白熱ぶりが嘘のようにぴたりと議論が止んだ。良い感じに畏怖を勝ち取ってるな、バランの奴。

 

「お主はどう思う? いや、そなたを軽々に動かすわけにはいかないことは承知しておる。それを踏まえたうえで存念を聞いておきたいのだ」

「それならば私よりもルベアに尋ねたほうがよろしいでしょう。昨日、私とルベアは此度の件について既に話し合いを持っております。ベンガーナの動きがやや性急ではありますが、現時点では国境をわずかに越え、挑発に勤しむ程度に留まっているとのこと。ならば我らの想定に致命的な齟齬は生じておりませぬ」

「うむ、婿殿は頼もしい限りだな」

「勿体ないお言葉です。……ではルベア、義父とこの場に集った諸兄に説明してさしあげろ。私よりもお前のほうが適任だろう」

 

 そうやって面倒事を俺に放り投げるなよ、と胡乱な目つきで抗議したいところだったが、バランの言う通りこの件については俺のほうが適任だろう。ちょっとばかし繊細な問題も孕むから、バランが直接提案するよりも俺が口にしたほうが角が立たないはずだ。

 そこで一度陛下に目配せすると、いつもの穏やかな顔つきで頷かれた。

 

「――許す、進めよ」

「かしこまりました。それでは皆様のお時間を少しだけ拝借させていただきます」

 

 俺たちのやりとりを見守る連中から、興味深そうに耳を傾けようとする者、面白くなさそうに険を宿す者等々、様々な思惑を乗せた視線が集まる。そんな中でゆっくりと立ち上がり、軽く唇を湿らせてから口を開いた。

 

「現在起きている喫緊の課題は、国境を侵しておきながらそ知らぬふりで剣戟の遊戯に耽るならず者たちを我らがいかに処置すべきか、という点です。そこでまず此度の発端を整理しておきましょう。つまりベンガーナ王国がここまで強硬な姿勢を示した因についてです。……私見を述べる前に、皆様から何かご意見はありますか?」

「現場の暴走という可能性は?」

 

 真っ先に口を開いたのは武官の一人だった。確か騎士団の副団長を務めている男だったか。厳しい顔つきがまさに歴戦の勇士といった雰囲気である一方、石頭とも揶揄されている杓子定規な人物だったはずだ。

 

「ありえないとはいいきれませんが、それならば国境を越えた後、さらに南下して人里に近づくなり挑発行動をエスカレートさせるのではないでしょうか? 少々いやらしい言い方になりますが、私には彼らが『事が起きた後の逃げ道を用意している』ように見えます。現状は『訓練に熱が入りすぎた』とでも釈明すれば、納得できなくもない中途半端さでございましょう?」

「ふん、面白くないな。まるでどこぞの小賢しい小僧のようだ」

「さて、私にはあなた様が仰る小僧に心当たりはありませんが、とにかくも本国では回答を引き延ばしている様子。状況を省みるに、ベンガーナ上層部が白か黒かでいえば黒に近い灰色だと愚考致します」

 

 つーかこの挑発は十中八九予定通りの凶行だろう。

 バランがソアラの元を訪ねた時、ついでに国境付近までひとっとびしてもらい、偵察を頼んでおいた。それによると彼らは整然と行軍を行っていて、間違いなく統率の取れた集団だったらしい。兵士の顔にも確信と自信の色があり、現場のはねっかえりが命令を曲解しているような不自然さは感じ取れなかったとはバランの弁だ。

 しかし竜の騎士を使いぱしりにするなんて恵まれてるなあ、俺。ただ、今回はそれでよいとしても、いずれはこの手の隠密行動ができる草が欲しいな。理想をいえば軍の哨戒として動かす人員ではなく、俺が直接指示を出して動かせる部隊なら最高なんだけど。……高望みか。

 

「では今回の蛮行は挑発以外の意図が存在すると考えるべきか? 我らは先年発表されたテランの破邪研究に対する意義申し立て――というよりあからさまな後ろ盾である我が国への意趣返しだと分析していた。テラン王国から流出する人材の流れが止まり、予定されていた事業の幾つかが滞ったとも伝え聞くからな。これはそなたが発端といえなくもないが、どう思うかな?」

 

 今度は年かさの文官が発言した。ひげもじゃのおっさんだが、絶対似合ってない。やっぱりバランの貫禄っぷりを身近で見ているせいか、俺の審美眼はちと厳し目になっているようだと一人納得する。おっと、今は集中集中。

 

「テランの人口減少にストップがかかった影響も多少なり出ているでしょうが、それで傾くほど杜撰(ずさん)な管理はしておりますまい」

 

 そもそもテランから逃げ出した富裕層だとか有能な人間は既に吸収し終わった後だろう。量より質と考えれば割り切れる程度でしかない。

 流民対策として将来を見越して用意していた箱物は別の使い道を考えねばならないかもしれないが、その程度のリスクは飲み込んでしかるべきだ。ベンガーナは現在好景気に沸いているという話だし、多少の損失に耐え切るだけの地力も十二分に確保しているはずだった。

 

「ベンガーナ王の風聞を聞き及ぶ限り、利のないことには積極的になれぬようですから、なにも意趣返しだけでここまで大それた行いはしないでしょう。そこまで踏み切れるほどあの方は愚かにはなれないはずです」

「ほう、意趣返しであることを否定はしないのだな」

「ええ、一割か二割程度は理由に含まれているでしょうから」

 

 皮肉気に口角を吊り上げる男にしれっと返し、他に意見はないか促す。とりあえず成り行きを見るつもりなのか、何も意見があがってくることはなかった。

 

「陛下、先の会議ではベンガーナの意図を『肥大した軍兵の錬度確認』と『新兵器――火薬を使った大砲の実演威力証明と諸国への売り込み』にあると仰られました。ベンガーナ軍の精強さを見せつけた上で、交易を得手とするベンガーナの本分を果たそうとしているのだろう、と」

 

 近年ベンガーナ王国は元テラン国民を受け入れるに当たり、仕事の振り分け先として二つの道を用意し、優遇した。まずは船や馬車を行き来させる貿易従事者。そしてもう一つ門戸を広く開いたのが軍だ。しかしどちらも単純に人数を増やせば利益ないし成果があがるものではない。元々整備の整っていた貿易事業はともかく、軍拡は特に難航していたようだ。

 

 そこでベンガーナは軍制において近隣諸国とは別の道を模索し始めた。剣と魔法を主軸にした屈強な騎士団をモデルにするのではなく、人海戦術と火薬を駆使する『個々人の才能に依存しない』軍隊モデルの形成を目指し始めたのだ。ぶっちゃけ兵の数と兵器の質で勝負を決する新機軸運用法である。何より金の力を必要とするそれは、金満国家ベンガーナ王国らしい試みだったといえよう。

 俺の常識でいえば『近代軍制への改革』といったところだろうか? まあ魔法の存在やら人間の基礎能力の差とか色々と前提が違うため、単純に近代風の軍隊が強いとも言えないんだが。技術革新を考慮に入れることのできる数百年後の未来ならともかく、現時点ではカール王国やリンガイア王国のほうが軍事力はよっぽど上だろう。

 

 そもそもベンガーナにとって軍拡は主目的ではない。軍に働き口を用意したのは失業者対策の一環にすぎないからだ、ベンガーナ王とて本気で《世界最強の軍隊》なんて夢を見てるわけじゃないだろうさ。

 だからこそうちの上層部は今回の事態を、『近年急速に膨れ上がった軍の新兵達を場慣れさせ、新兵器のお披露目と付随する輸出増加の目論みがベンガーナ王の腹の内』だと分析したわけだけど。

 

「うむ、確かに前回の集まりではそう申し送った。だが現状は少々懐疑的になってきておるな。あの男の腹を読み違えたと思うか?」

「いえ、そんなことはないでしょう。ベンガーナの基本的な狙いはその二つで間違っていないと思います。そして先ほど我らへの意趣返しという意見が出ましたが、ベンガーナの度重なる挑発はまさしく余禄狙いであり、この場の皆様が読み解いた本懐達成のついでだと考えています」

「その『ついで』をお前はどう考える?」

 

 そこで俺はあからさまに視線をバランへと向けた。つられるように皆の目が一点に注がれる。注目を集めた本人は腕組みをしたまま泰然と受け止めるのみだ、小憎らしいほど絵になる姿だった。

 

「一見矛盾した事実の羅列をつなぎあわせる最後のピースは、おそらくバラン様、すなわち竜の騎士の存在に求められると思います。フォルケン様の声明と合わせ、我が国からは『竜の騎士を侵略戦争に用いない』と通達を出しましたが、これを諸外国が素直に受け入れているとお思いになりますか?」

 

 あ、っとその場の幾人かが虚をつかれたような顔になる。

 最近はバランという規格外に慣れたせいで、知らず知らずの内に他人の思考と自身の思考を重ね合わせていたのだと思う。アルキードやテランならともかく、他国では未だ竜の騎士は謎に包まれた存在なのだ。とりわけその力は未知数であり、どの程度警戒すべきなのか、あるいは伝説と手を携え、誼を結ぶべきなのかの判断もつかない。

 それゆえベンガーナ王はこれ幸いと、一石で幾つもの鳥を落とすことを画策したのだろう。

 

「我らはバラン様の力の一端をこの目で確認しております。ですが他の国の首脳陣にとってはその限りではありません。ですからアルキード王国の有事における軍部の動きを見ることで、《竜の騎士》の脅威の度合いを測ろうとしているのだと思いますよ。バラン様が出向けばそれだけで噂の半分は真実だと看破しましょう。その先でさらに探りを入れてくるのかはあちら様次第ですが、場合によっては一当てするくらいは考えているやもしれませんね」

「では、国境線に正規の部隊を追加派兵すればどうなる?」

「素直に軍を引くでしょう。そしてアルキード並びにテランが発表した《竜の騎士》は嘘っぱちだったとでも喧伝するのではないでしょうか。立場を逆にすれば、皆様とてぽっとでの伝説やらわけのわからない風聞に振り回されるのはごめんだと考えましょう」

「……なるほど、ありえぬことではないな」

 

 あるいはアルキードとテランで共謀した可能性を疑い、化けの皮を剥がそうとでも考えたか。ベンガーナ王は能力はあっても気位の高さを隠さないところがある。意趣返しというのも案外正鵠を射ている可能性が高い。

 

「ではルベアよ、お前はどうするべきだと考えている?」

「そうですね、我が国が舐められていることに変わりはありません。この際挑発に乗ってさしあげたらいかがでしょうか?」

 

 朝食のメニューを口にするような気軽さで言い放つ俺に、文官からは「小僧、血迷ったか!」と悲鳴が飛び、武官からは「よくいった! 開戦だ!」と興奮した檄が飛ぶ。煩い考えなしに騒ぐな阿呆、と口走りたくなる気持ちをぐっと堪えてにこにこ笑う。

 残念ながら騎士団をフルに活躍させて手柄を立ててもらう気など俺には欠片もなかった。第一アルキード、ベンガーナ両国共に戦争は望んでいないのだ、それが出来ない国内事情を抱えている。この場にもそのあたり理解していない者がそこそこいそうだけど、そこまで俺が面倒見てやる義理はないわな。つーか素直に聞き入れるとも思えん。

 

 そもそもの話ベンガーナがここまで強気に出れたのだって、多少の火種を振りまこうがどうあっても小競り合いに終始すると見切っているからだろうよ。……嫌な信頼だよなあ。うちの王様もベンガーナの王様も、お互い相手が理性的な君主だと認めることで成立する駆け引きをしてるんだから。面倒くさい近所付き合いだこと。

 もっとも、そいつを都合よく利用しようとする俺も大概だとは思うけどさ。

 なあベンガーナ王、俺はあんたのことを嫌いじゃないし尊敬もしている。国家の舵取りをするなら、自身の不満と国家の利益を結びつけて同時に達成するくらいの強かは持っていて然るべきだ。――ただし今回はバランの力を見誤った授業料を払ってもらおうか。高くつくかどうかはあんた次第だ。

 

「皆の者、静まれ。……ルベア、お前とバランには腹案があるのだったな。まずはそれを示してみよ」

「バラン様の御親征の許可と陛下のご助力をいただくことが前提となります。詳細はこれに」

 

 周囲の喧騒を収めると、俺と陛下の間でさくさくと話が進む。椅子から立ち上がり、会議用に作成した二つの草案文書を取りだして恭しく差し出した。

 一つはベンガーナ王に宛てる親書の起草文、もう一つは実際に戦場に赴くバランの行動計画表だ。前者は修辞的な盛り付けや単語選びの修正が必要なやっつけ仕事の賜物だが、とりあえず大まかな形だけ示せれば良いと考えて用意しておいた。正式にゴーサインが出れば、細かい部分は俺が考えずとも王直属の書記官が勝手に味付けしてくれるだろう。

 

 今回のいざこざはバランに収めさせる。それが一番俺にとって都合が良い。

 しかし上に立つ者は手柄をたてる場所を用意するものであって、自分の手で手柄をあげようとしてはいけない。今回の場合、バランがあまりに前面に出るのは好ましくないのである。あくまで俺の上奏をバランが受け入れた、という形にしておいたほうが収まりが良い。でなければバランが折角集めた部下の信望に陰りが出てしまう。

 

 ただ俺に対する視線が一層厳しくなりそうなのが問題といえば問題か。バランを利用して好き勝手やりやがって、という妬み辛みは絶対に出てくる。

 まさに俺は虎の威を借る狐、いや、この場合は竜の威を借る狸かな? 狐は女狐という言葉に代表されるように女性的なイメージがあるし、やっぱり狸のほうが合ってるだろう。

 この手の苦労はソアラがいれば考えなくて済むんだけど、と嘆息。ああもう、やめやめ、ないものねだりには違いないんだから。

 

「ふ……フハハハハ! なかなかディテールに凝った振り付けをするではないか。お前はどこぞで劇作家でもしているほうが天職なのではないか? いや、これは愉快愉快」

 

 そして――俺の提供した怪文書の効果は覿面(てきめん)だったらしい。最初は訝しげに書面へと目を落としていたアルキード王だったが、やがて低い声で唸り出し、最後は盛大に声をあげて笑い出してしまったほどだ。

 

「お褒めに預かり恐悦至極でございます。では、この件についてはバラン様にご一任いただけましょうか?」

「うむ、いいだろう」

「陛下!?」

 

 とんとん拍子で決まってしまった重大決定事項にあちらこちらから悲鳴があがるが、にこにこと機嫌の良さそうな最高意思決定者はこれを一顧だにしなかった。それどころか「お前たちも眼を通しておけ。なかなか痛快だぞ」と回し読みを勧めるお茶目ぶりを発揮している。……ちょっと緊張、字が汚いとか言われたらへこみそうだ。

 

「むぅ、これは……」

「いや、しかし可能なのか?」

「確かにバラン様なら……」

 

 戸惑いをありありと覗かせ、声を潜める家臣一同の姿がそこにはあった。

 心配するな、うまくいかせるよ。あんたたちが考えている以上に《竜の騎士》ってのは人知を超えた存在なんだからな。……ともすれば全力で人類社会から排除を進言したくなる程度には。

 

「納得は出来たか。なに、この二人ならば悪いようにはせぬよ。当然お主らにも協力してもらうことになろうが、この件はバランとルベアに一任する。これは王意である。皆の者、異存ないな?」

「――はっ!」

 

 ほっと内心で安堵。なんとかなったか。

 

「バラン、吉報を待っているぞ」

「全力を尽くしましょう」

 

 いや、あんたが全力でやるとオーバーキルになるから。手加減はしてもらわなくちゃ困るぞ?

 

「ルベアよ、早急に決めておかねばならぬことはこの場で要請しておくがいい」

「ではお言葉に甘えまして。まずは国境付近で演習に勤しんでいるあちらの部隊の代表者と交渉できる文官を一名、さらにバラン様の見届け役を武官から一名、それぞれ選出してください。バラン様の護衛は必要ありませんが、交渉に当たる方の身の安全と世話周りに数名が必要でしょう。それからベンガーナ王への使者は前例に倣った規模を用意していただき――」

 

 と、そこまで口にしたところでアルキード王が不思議そうに眼を瞬かせていることに気づく。

 

「陛下、どうされました?」

「いや、その口ぶりから察するにお主は行軍に加わらぬつもりか?」

「はい。アルキード国内やフォルケン様の治めるテラン王国でもなければ竜の威光は通じませんし、こんな子供が代表者の顔をしていれば先方も不愉快に思われましょう。私は行軍に不要かと存じます」

 

 俺がベンガーナの代表者なら子供が交渉相手とかキレる自信があるぞ? テランではあくまでフォルケンの好意と人柄、アルキードではバランとソアラの後ろ盾があって初めて機能するのが俺という存在なのだし。それに問題もないだろう、俺がいなくてもバランが上手くやるさ。

 しかし。

 諸々を計算して献策だけに留める予定でいたのだが、生憎とそんな怠け心は許されなかったらしい。俺の前でふっと笑って道理を蹴っ飛ばす王様がいたからだ。

 

「なに、構うものか。そなたをバランの従者につけたのはこの私なのだぞ? それに文句をつけるようならそれこそ器が知れようぞ。矢面に立って折衝をしてこいとは言わぬ、だが職務を全うすることに気後れするでない。……ルベア・フェルキノ、婿殿のことを頼んで良いな?」

「――御意。王陛下の御心のままに」

「うむ」

 

 気後れというか、怖いから戦場にはあまりついていきたくないのも結構切実な理由だったりするのだけど、こうまで言われては拒否するわけにもいかないか。手柄を立ててこいとの折角の好意なのだ、神妙な顔で頭を垂れて了解を口にした。

 ん? なんだか王の慈悲深さに感動して打ち震えてる連中がちらほらいるんだけど、そいつら揃って俺に当たりがきつかった連中だ。……おやおや、この分だと嫌がらせ、もしかしたら減ったりするかもしれん。

 

 ただまあ、この程度で収まるなら最初から俺を目の敵にするなよと言いたいところだが。それだけこの世界では王の権威が強いことの表れでもあると納得しておくべきなのだろう。どうせ俺にとっては彼らがきちんと仕事さえこなしてくれるなら、プライベートでいくら俺を嫌ってくれても構わないのだし。その程度の分別がなければこの場に長いこと席を確保することはできやしない、殊更気を揉むような案件じゃなかった。

 それよりこれから忙しくなるぞ、お仕事お仕事っと。膨大な作業になる連絡文書の通達やら外交文書の作成などなど、この後の予定を幾つか組み替えながら脳裏では別の思惑を走らせる。

 

 ベンガーナ王には悪いが、俺の描く対魔王軍を想定した大戦略のために、ありがたく踏み台――もとい礎になってもらわねば。

 

 そんな至極真っ当に真っ黒な企みを押し隠し、元気よく仕事に励もうと固く決意する俺だった。

 

 



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第05話 必然の対立

 

 

 実際のところ、ベンガーナ軍を引かせるだけならば話は早いのだ。こちらが折れてバランを国王名代にでもする。で、一言抗議を届けにいけばいい、それだけで今回の騒動は終わりだ。

 仮にそこまでアルキード側が礼を尽くしてなおベンガーナ側が聞き入れぬなら、そのときはもう一戦交えねば収まりがつかなくなるだろうが、それだって総力戦になりやしない。……まあ多少の血が流れるのは覚悟しなくちゃならないけど。

 

 とはいえここまでの状況の推移を思えばベンガーナも無茶はしない公算が高い。それだけに抗議の一つで手打ちにしてはもったいない、なにせ定例通りに終わらせてはお互い得るものが少ないままなのだ。

 うちは無駄にストレスと敵愾心を高めるだけに終わるし、ベンガーナも目論見半ばの消化不十分で引き上げとなる。これでは骨折り損のくたびれもうけだった。そんなこんなで一工夫してみようかと画策したのが俺である。

 

「貴国からわが国への合同演習の申し込み、ですか? これはまたなんとも……」

「まあまあ、まずはお聞きくだされ。先年わが国の王女であらせられるソアラ姫が、めでたく夫婦(めおと)の儀を結んだことはご存知でございましょう?」

 

 軍服に鎧を着込んだ壮年の男が困惑を隠さず語尾を濁すと、わが国の使者である初老の文官が愛想笑いを浮かべて宥めてみせる。

 

「はあ、勿論存じ上げておりますが、それが何か?」

「いえいえ、王女殿下の夫君であるバラン様はことのほか武に関心をお持ちの、それはもう質実剛健な為人をお持ち遊ばされていましてな。此度貴国の新兵器が試されるという噂を聞きつけ、是非とも一瞥の機会を、と仰ったのですよ。それゆえ不躾ではありますがこうして軍馬の労を取った次第」

「……これを口にするは大変心苦しいのですが、貴殿がいかなご無体を仰られているのか、自覚はありますかな?」

「無論存じ上げております。ですが貴国の訓練も少々熱が入りすぎているご様子。ここは一度ご休息を挟むのも指揮官の務めではありませんかな?」

「む、それは……」

 

 そもそも最初に喧嘩売ってきたのはベンガーナ(てめえら)のほうだろうが、文句言える立場だと思ってんのかこの野郎、と申しあげております。

 ふむ、この狐と狸の馬鹿試合ならぬ化かしあいはなかなか見応えがある。実に心癒されるね、間違っても足を踏み入れたくない世界だ。……いや、まあ、そんな阿呆なこといってる場合じゃないんだけどさ。

 

「しかし合同演習と仰られますが、そちらは十名にも満たぬ小勢ではありませんか。これではとても形になりますまい。それとも貴国はわが国の軍事機密を盗み見しにきたのですかな?」

「これは異なことを。私は『バラン様が興味を示している』と申し上げましたよ。ことにバラン様は謙虚なお方でして、ご自分のわがままに家臣を付き合わせるは忍びないと口にされましてな。それゆえ人を選抜してきた経緯があるのですが……そういえばその折、『あの程度ならば私一人で十分に制圧できる』とも漏らしていたような。――おっと失礼、これは口が滑り申した」

「な――っ!」

 

 うわーい、実にお見事。これぞ慇懃無礼の見本例として教科書に載せても良いくらいだ。さすがに弁舌を生業にしてるだけあって的確に相手の臓をえぐっていく。あまりにあまりな言い草に相手さんのこめかみに血管が浮き出そうだ。

 つまりだ。うちの代表者様が何を言っているかというと、

 

『ベンガーナの茶番に付き合ってやろうじゃないか。喜べよ、正面から叩き潰しに来てやったぜ』

 

 ということになる。

 ベンガーナが展開した部隊は、俺達を確認した後は国境線のベンガーナ側に移動したわけだが、そこから動くことなく俺達を迎え入れた。この時点で挑発の目的がバランの見聞だとほぼ断定できたことになる。無論、本気でアルキード王国(うち)と事を構えるというのなら話は別なのだが、その可能性はほぼ消えた。

 第一ベンガーナ軍は人員を一気に補強した関係で錬度に心許ない事情を抱えているし、そもそも大砲を主軸に据えた軍編成の割り振りも終わっていない。こんな状況で自国の足元を見ずに開戦へ踏み切るような愚王ならば、いっそこちらからベンガーナを呑み込んでしまうのも一興だろうよ。ま、現実はそんなことにはなるまいが。

 

「ご使者殿、少々言葉が過ぎましょうぞ。誇り高きベンガーナ軍を侮るが如き発言は控えていただきたい」

「これは失礼。そのような心積もりはなかったのですが」

 

 白々しく惚けて一礼する様は本当に挑発の代名詞だった。ああ恐ろしい。くわばらくわばら。俺のような心優しい一般人には到底真似できない煽りっぷりに、見ているだけでくすくすと笑みがこぼれてしまいそうだった。……あれ?

 

「それで、どうなさいますかな? まだお返事をいただいておりませぬゆえ、是か非、いずれかをお答えくださるようお願い申し上げます」

「……よろしい、お受けいたしましょう。ですが貴国の兵士が無傷で済むかどうかは保障しかねますゆえ、その点深くご理解いただきたいものですな」

「残念ながら誤解があるようです。わが国から参加するのはバラン様のみ。ほかの者は手出し無用と固く言い含められておりますゆえ。――ああ、仮に最悪の事態になったとしても事故で済ます準備は整っておりますので、貴国の力を存分に見せ付けるがよろしいでしょう。その全てが徒労に終わることまで我々は確信しておりますので、どうぞご随意に」

「後悔なさいますぞ?」

「是非ともそうさせてもらいたいものですな。では、詳細を詰めに参りましょうか?」

 

 とりあえず交渉終了、これであちらさんも受諾、と。ここまで俺の出番なし、何もしなくていいなんて至れり尽くせりである。もっと楽をさせてくれ。

 まあ交渉だなんだといっても、実際のところこうなる以外にはないんだけど。なにせあちらさんが意固地になって引かなきゃ、こっちとしても最後通牒を突きつけるしかない。その程度はお互い承知していることだった。というか承知してもらっていなければ困る。

 

 今回の件、本気でベンガーナ軍が暴走してるというなら、それこそバランに頼んで情け容赦なく制圧してもらわにゃならなくなるし。なにせ市井に被害を出すわけにもいかない。とはいえ、竜の騎士の全力で有無を言わせず制圧、なんてとこまでいくとさすがにやりすぎになってしまうし、それでは俺の予定も狂ってしまう。出来れば避けたい展開だった。

 つまるところ目の前の結果はアルキードとベンガーナの事情を勘案し、落とし込む場所に落とし込んだだけである。正確にはお互いにいま少しの間その按配を探る段階でもあるわけだが、ここまでのやりとりでベンガーナ側も腹の内に何かしら思惑を抱えていることは間違いないと知れている。となれば行き着くところまで特急列車でゴー、なんてことだけにはならないだろう。ほっと一安心だ。

 

 ここからが本番だと人知れず気合を入れながら、その一方で俺の口元には苦笑が刻まれていた。彼らの会話は予定調和にすぎないはずなのに、どうしてこんなにも回りくどくなるのやら。

 これも儀礼の内かと小さな呆れを胸の内に抱えながらバランの様子を伺うと、恐らくは俺と同じような心境だったのだろう。幾らか辟易としている表情を見せていた。そんなバランと二人で顔を見合わせ、無言で軽く肩を竦めあい密かな同意を確かめ合う俺達なのであった。

 

 さてさて、それじゃベンガーナご自慢の大砲をこの目で拝ませてもらいましょうかね、っと。

 

 

 

 

 

 ベンガーナ軍が陣取っているのは国境線付近の森林を抜け、乾燥した地面が目立ち始める開けた平地だった。大砲の運用に山間や森林地帯が向かないことを考えれば妥当な選定ではあるのだが、当然普段から演習場所として利用しているわけではないのだからよく言えば自然の景観そのまま、悪くいえば何の手入れもされていない野営陣地だった。

 

「落ち着かぬようだな」

「少し昔を思い出していただけです。私とて子供の時分にハドラー戦役を経験していますから。アルキード王国の騎士団では目にすることもない兵器が物珍しくて、ついつい視線が泳いでしまっただけですよ」

「そうか。だが、私は時折お前が子供だということを忘れるよ」

「奇遇ですね、私もお仕事中は忘れることにしてるんです。一々気にしていたら何も出来なくなってしまいますから」

 

 己の分を知ることは大事だが、だからといって卑屈になってはいけない。いつだって自信たっぷり、出来て当然という顔をしていなくては仕事仲間だってこいつで大丈夫かと不安になろう。自信とは能率化の大事なファクターたりえるものだった。

 そんないつもより幾分力を込めた気概でもって幾つもの簡易テントが立ち並び、その合間から寄せられる好奇に満ちた数多の視線を気にすることなく歩いていたわけだが、その途中、数は少ないとはいえ車輪つきの箱物がどんと視界に入り込んできた時は思わず吹き出しかけた。

 

 いやさ、そりゃ十年ちょい先では鬼岩城相手に大回転してたし、時期を考えればあってもおかしくないんだろうけど……。大砲だけじゃなく戦車まで持ってくるとか、本当ベンガーナ王は出し惜しみしない人だ。うん、羽振りがよくて実に羨ましい。

 加えて技術士官っぽい雰囲気の兵士も張り付いていたから、実践投入前の最終調整も見越してのものなのかもしれない。それが済めば後は戦車の扱いに長けた熟練兵を育てていくってところだろう。

 うーむ、人は無理でも砲は欲しい……。と、そんな風に指を咥えて眺めているだけの俺であった。

 

 指揮官用の大きなテントの中で演習内容を詰めている間、脳のリソースを一部割いてつらつらと考えに沈む。さすがにそこまで取引できる権限はないし、実際に導入するとなると予算だけの問題に収まってはくれない。騎士団の編成見直しから教練の再マニュアル化、白兵部隊と魔法使い部隊の連携にどう組み込むかなどなど、付随する問題が大きすぎてとても俺の一存で決められるものではなかった。

 

 とはいえ、いずれベンガーナ軍と共同戦線を張るような機会が訪れるなら今のうちから戦術を練っておくのも無駄にはならないだろう。今回の結果如何ではアルキードの、というよりバランの指摘する戦術考察をベンガーナ王に届けられるようになるかもしれないし。

 今はまだ構想に過ぎぬあれこれを妄想しているうちに話は進んでいく。太陽が天頂に輝く以前に始まり、ベンガーナ軍の好意によって用意された昼食を摂り終わった頃、演習の段取りが全て決まった。

 

「ここまで進めておいて今更なのですが、本当に大丈夫なのですか? いかにバラン様が歴戦の勇士だとしても、我が軍の一斉砲火を浴びせかけられればただでは済みませんぞ」

「カヌゥ殿のご厚情はありがたくいただいておきますが、ご心配には及びませぬよ。……ルベア、これよりはお前がご説明さしあげろ」

 

 場所をテントから野外に移し、突然決まった演習の変更を前に慌しく準備に追われている兵士たちの様子を横目に、じっと開始の合図を待っているのが今の俺たちの状況だった。片一方の主役であるバランは既にこの場から姿を消している。

 そんな中、俺はのんびりと会話を交わす二人の傍に控えていたのだが、どういうわけだか突然指名されて目を白黒とさせてしまう。今回は全部大臣殿にお任せすると話はついていたはずなのだが、なんだって急に心変わりしたかのように俺を引っ張り出した? そもそも俺に好き勝手させないために、わざわざあんたほどの大物がくっついてきたのだろうに。

 

「……よろしいのですか?」

「陛下よりお言葉を賜っていたはずだ。務めを果たせ」

「承知しました」

 

 いろいろと疑問はあったが、他国の人間がいる前でぐだぐだと渋ることほど馬鹿馬鹿しいこともない。逡巡もそこそこに諾と返す。大臣殿はそれでよいと鷹揚に頷くと、再度ベンガーナの武官殿に向き直り、愛想の良い顔で笑いかけるのだった。

 

「すみませぬな、カヌゥ殿。ワシは少々戦の空気に酔ってしまったようです。いや、歳は取りたくないものですな」

「これは気づきませんで。我らのような無骨者はとんと気がきかぬものだと痛感してしまいますな。ところで、不躾ながらそこな少年の素性をお聞かせ願えますか? どうも十把一絡げの小間使いとも思えぬ振る舞いにて、疑問が膨れ上がるばかりゆえ」

「そこな子供はルベアと申します。仔細は申し上げかねますがその者は陛下の信任厚く、平時よりバラン様の従者としての職を賜っております。また若年ながら政にも通じておるゆえ、今回も陛下より同道を許されました」

「ほう、歳若いながらも立派なものですな」

「ただいまご紹介預かりました、バラン様の従者を務めているルベアと申します。こちらこそベンガーナ軍にその人ありと謳われるカヌゥ殿にお目見えできたこと、実に幸運な出会いと理解しております」

 

 カヌゥの顔に浮かぶのは驚きと感心の入り混じったもので、その素直さにこちらのほうがびっくりしたくらいだ。

 あるいはアルキード王の信任を得てこの場にいるという部分に反応したのかもしれないが、それにしても大した感情制御だった。こうして対等の立場で向かい合っても侮りや不信は一切読み取らせてくれない。文武に優れた重臣という評も偽りなしだろう。

 

「……ふむ、困りましたな。こうも正面から口に出されるとこそばゆいものです。昔は若気の至りだったのか武勇伝を嘯くことに羞恥も覚えなかったのですが、最近はどうも勝手が違ってきていましてな。はは、私も歳を取った証拠ですかな?」

 

 いやいやまだお若いでしょう、とよいしょする大臣殿の言葉に三人共に笑い合う。よいしょというか事実なのだが。

 下手な冗談を飛ばしているカヌゥはまだ四十そこそこの年齢のはずだし、鍛えこんだ身体はいかにも健康的な男という雰囲気を醸し出していて、一目見ただけでは三十代で十分通じる男だった。

 

「カヌゥ殿のご子息ですか。やはり軍人になられるのですか?」

「おそらくはそうなりましょう。アキーム――ああ、愚息の名前ですが、あれはどうも石頭のきらいがありましてな。幼い頃より陛下の恩に報いるのだと、周囲に何一つ憚ることなく口にする慮外者です。今年で十三になるのですが、いま少し余裕をもってくれれば、と」

「ご子息殿はとても真っ直ぐなご気性をお持ちのようですね。いずれはお父上の跡を継いで忠に厚い廷臣が生まれましょう。カヌゥ殿も鼻が高いのではありませんか?」

「恐縮です」

 

 再び謙遜するカヌゥだったが、その言葉の節々に息子への愛情が感じ取れた。

 それにしても、アキームってやっぱり『あの』アキームだよな? 今から十年と少し後、パプニカで開催されたサミット。そこで戦車隊の隊長としてベンガーナ王に随伴していたのがアキームという名の男だった。

 

 二十四という若さで王の身辺を任され、一軍を預かる地位を築き上げていた傑物。さすがに実力だけではそこまで異例の出世は出来なかったはずだ。アキームの厚遇ぶりは親子二代、あるいはそれ以上に渡って結ばれてきた強固な君臣関係あってのものだったのだろう。それに親が高名な軍人であったのなら、アキームのあの武人としてのこだわりや信念もわかる。偉大な親の背を見て真っ直ぐに育った結果なのだろう、妙に納得できてしまった。

 

 ……親子、か。今回の件が片付けば時間も取れるだろうし、久しぶりに実家に帰省してみようか?

 前回の休暇は本に埋もれて溺死する勢いで消化してしまったし、次の機会はそうはならないように気をつけなければなるまい。たまには父さん母さんに顔を見せて安心させてあげないと。週に一日は無理でも、月に二日か三日くらいは帰れるように調整しなければ……。

 そんな少しばかり気の抜けた予定を組んでいると、ぴんと背筋を伸ばした一人の兵士が近づいてきた。俺たちに無用な警戒を与えないよう考慮してくれているのか、随分ゆったりとした歩き方だった。兵士らしくない、といってしまうのは失礼だろうか?

 

「隊長、こちらの準備は終わりました」

「ご苦労。号令は私がかける。お前は所定の位置に戻れ」

「はっ!」

 

 軍人らしく必要最低限の応答で済ませて伝令兵が去っていくのを見届けると、カヌゥはそれまでの柔和な雰囲気を一変させる。改めて俺たちに目を向けた時には、既に戦場に立つ指揮官の顔つきをしていた。こういう軍人の切り替えの早さってのは尊敬できるよ、格好良い。

 

「よろしいですな?」

 

 最後の確認に首肯で応じる。この先はバラン次第、俺は高みの見物と洒落込むだけだ。……頼むからやりすぎたりはしてくれるなよ? バランのことだから上手くやってくれるとは思うけど、ちょっと心配だ。慣れない王宮生活にストレス溜め込んでるし、ダイの行方に頭を悩ませてもいる。なにより身重のソアラを心配もしているだろう。

 ああ、バランが今回の件に乗り気だったのってソアラに余計な憂いを抱かせないよう、さっさと騒動の種を刈り取っておきたかったってのもあるか。愛妻家で結構なことだ。

 

「総員戦闘配置! 想定する状況は破壊工作を企む工作員一人の拿捕! こちらの勝利条件は身柄を取り押さえ、敵勢力の無力化を達成すること! 敗北条件は本陣に建てられたフラッグを奪われることだ!」

 

 本来のフラッグ戦は敵味方双方の旗を取り合うゲームだが、今回は彼我の人数に差がありすぎるため変則的なフラッグ戦となった。

 

「手加減は無用! 貴様ら、栄えあるベンガーナ陸軍の誇りを示せ! 一個小隊にも満たぬ小勢に敗れるは恥と思い定めて全力を尽くせ! いいな!」

「はっ!」

「演習――開始!」

 

 空砲と共に開戦を告げる狼煙があがる。どちらも遠く離れたバランに状況が開始されたことを示す合図だ。それは同時にベンガーナ軍に本気を促す発破でもあった。にわかに演習場から戦意がうねりあがり、それは熱気となって擬似的な戦場を作り出す。猛々しい兵の気配がそこかしこで移動を繰り返していた。

 

「歩兵は隊列を組んだまま待機! 砲兵は照準を確かめつつ索敵を開始せよ。斥候班、貴様らの戦場だ、存分に働くといい。敵は小回りのきく最少人数だ、貴様らが鼠を捕らえることのできる優秀な狩り手であることを証明してみせよ」

 

 矢継ぎ早に出る指示に一糸乱れぬ動きで了解を返すベンガーナ軍。ここまでは想定内だけに急造の部隊とはいえ粗は目立っていない。いや、今回の部隊は実験の要素が強いだけに国内でも選りすぐりの兵を連れてきた可能性もあるな。

 そもそも国境のいざこざなんて繊細な問題を任せられる指揮官をきっちり選んでいる時点で、ベンガーナ王の思惑も知れるというものだろう。こちらとしても文句はないが、しかし随分と壮大な茶番を打ってくれたものだ。

 

「カ、カヌゥ様!」

「どうした? 敵を発見したのなら速やかに、そして明瞭に報告せよ。新兵のようにうろたえるでないわ」

「い、いえ、ですが……」

「なんだ?」

「敵――呼称『アルファ』発見致しました!」

 

 その歳若い兵士は最初まごついたように不明瞭な物言いに終始していたが、じろりと睨みつけられたことで意を決したのか、破れかぶれになったように大声で報告をあげた。

 

「うむ、それで何処から攻めて来た? やはり背後の茂みか?」

 

 アルキード側の参加者は一人。しかもその情報すらベンガーナ軍に渡っている状況では伏兵すら用意できない。圧倒的戦力差を覆してフラッグを奪い取るのならば、当然隠密奇襲が常套手段となる――と、カヌゥが想定するのも無理はない。それは極めて正しく常識的で、そしてどこまでも間違っていた。

 

「違います! 距離七百! 方角は南! 木々に身を潜めてもいなければ、電撃戦を目論んで走破してくるでもありません。剣を抜くこともなく歩を進めているのです! 『アルファ』は……『彼』は我々に対し、正面から悠然と歩み寄ってきているだけなのです!」

「なんだとぉッ!」

 

 その叫びは想定外の驚愕だったのか、それとも精強と自負する自軍を舐められたがゆえの憤怒だったのか。おそらくはその両方だ。

 

「それは確かなのだな!?」

「間違いありません!」

「この戦力差で正面突破だと? 正気か、バラン公……ッ!」

 

 戸惑いながらこぼされたその言葉に、俺の口からはくすっと意図せず笑みが漏れた。それにしてもひどい言い草だな、カヌゥ指揮官。問われるまでもなく俺たちは正気だよ。

 俺もバランも、何処までも冷徹に彼我の戦力差を見つめている。そのうえで結論付けた結果が力技による正面突破だ。第一、在り来たりの常識を示すためだけに、わざわざ国境組んだりまでしてベンガーナの誘いに乗るわけがないだろう?

 

「どうなさいます、歩兵で囲みますか?」

「むぅ……」

 

 判断を尋ねる兵にカヌゥはすぐに答えず、俺たち、いや、俺を強烈な視線で射抜くように一瞥した。しかしその物問いたげな表情も一瞬のことで、すぐに己の職責を思い出したかのように険しい顔つきに戻る。いくら演習とはいえ、ここまでコケにされてはベンガーナ軍とて引くに引けないだろう。そんな俺の予想を裏付けるかのようにカヌゥの怒号が響き渡った。

 

「致し方あるまい……砲撃戦用意! 砲兵隊は速やかに目標へ照準を合わせろ! 十分に引き付け、飽和爆撃によるキルゾーンを作り上げる。遠慮は無用、ベンガーナ陸軍の武威を見せ付けるのだ!」

「了解!」

 

 それから程なくバランの姿が肉眼で確認された。背に提げた真魔剛竜剣に手もつけず、散歩に出ているような気軽さで一歩、また一歩と地面を踏みしめる。

 

「――砲撃開始ッ!」

 

 俺の目にはバランが豆粒ほどにしか見えない距離で、やがて砲火の爆音が戦場を震わせる。ついに砲撃が開始されたのだ。

 旧式の大砲に弾を詰め、火薬に点火する兵士。新式の戦車を操り、砲身が焼け焦げるほど連続で砲弾を吐き出す戦車兵。半包囲網を築いた殺し間に幾度も爆撃の花が咲き、耳を劈く轟音が木霊した。

 その砲撃の全てがバランという一個人へと向いているのだ、遠慮は無用と申し付けておいたにしても驚くほど遠慮呵責ない攻撃だった。一応わが国の王族なんですけどね、その人。ちと挑発が過ぎたかね?

 

 ただ、これがこの世界の常識でもある。かつての世界基準で例えたとして、人間一人を粉砕して原型がなくなるくらいの砲撃の嵐でも、こちらの世界の戦士ならば普通に凌いでしまう。国を代表するような実力者ならば、砲火の嵐の中でも多少の怪我で済ませてしまうのだから恐ろしい世界だった。

 断っておくがこの世界の火力が劣っているわけではない。むしろ俺の知る近代軍隊が火力を集中した威力に迫る練度をベンガーナ軍は見せ付けていた。砲の材質や火薬の質が地球文明とは隔絶した差があるせいだろう。普通に作物の出来も違うし、さすがは《神の祝福を得た大地》なだけはある。

 

 それでもベンガーナの軍事力よりもカールやリンガイアのほうが上なのは、単純にこの世界の人間の耐久力が尋常ではないというのが一点、そしてもう一つが魔法や闘気の運用が兵器に勝る戦力になるということ。

 数を揃えれば砲火の集中によって中級爆裂呪文(イオラ)級の破壊力になるだろう、とはバランの弁だった。これによりベンガーナ王国は大砲や戦車部隊によって地上における大抵のモンスターを下すことのできる圧倒的な火力を得た。だが真に恐るべきは、このベンガーナ王国の誇る砲兵器ですら、魔法換算でいえば初級爆裂呪文(イオ)に等しいそれだということだ。

 

 勿論魔法使いのレベルによって同じ呪文でも威力は異なるため、兵器の火力と魔法の火力を比して一概に言い切れるものでもないのだが、平均的な魔法使いを想定すると凡そその程度の力関係に収まるとのことだった。……そりゃ中級閃熱呪文(ベギラマ)使えれば人類最強クラスだと言われるわけだ。極大呪文なんてそれこそ伝説級の扱いで、行使できれば一人でそこらの軍隊を敵に回して殲滅できるだけの火力を確保できる凶悪さである。

 そう考えるとマトリフとかよく王宮から放逐されるだけで済んだな、どこまで魔法使いとしての才能を評価されていたのかはわからないが、下手をしなくても暗殺者の一ダースを送られても不思議じゃない人間災害っぷりだぞ。知る者はほとんどいなかったとはいえ、極大消滅呪文(メドローア)とか本来は絶対に後世へ伝えちゃいけない呪文の代表格だしな。

 

 ――もっともそんな人間災害すら霞む、神代に語られるべき超越存在も同じ地上、同じ時代にいたりするのだが。

 

 ま、同情はするさ。

 カヌゥは戦士としても指揮官としても優秀だが、それゆえに『一個をもって万理を覆す』常識外を思考の内に置くことができなかった。当たり前といえば当たり前で、その油断ともいえない思考の檻は本来責められるようなものじゃない。

 何故といって、魔王ハドラーの脅威を知っていてなお『次元が違う』と、そう言わしめるだけの化け物をあんたは相手にしている。いってしまえばそれだけのことでしかないのだから。

 

「馬鹿な……ッ!」

「……ワシは夢でも見ているのか?」

 

 隣であがる呟きをよそに、視界の向こうでバランは歩みを続けていた。

 あたかも無人の野を行くがごとく、砲火の嵐を歯牙にもかけず、涼しげな顔で、足取りをただの一度も乱すことはなく、ただただ歩み寄ってくる理不尽の塊となって――。

 

 個々の白兵戦において戦闘技術の研鑽は確かに大事だ。しかし、『技』とはそもそも同じ土俵に立てねば使う機会すら与えられない。圧倒的なパワーとスピードの前には、並大抵の攻撃など全て児戯に等しい小手先のそれへと堕してしまう。

 目の前の光景はその良い見本だった。それほどまでに竜の騎士が含有するエネルギーは桁違いのものだった。

 

 眼前では竜の騎士を最強足らしめる秘密が開帳されている。全開にした竜闘気はあらゆる攻撃を弾いてしまうのだ。……なるほど、こうして実際に目にすると、ポップがバランを足止めするために重圧魔法(ベタン)を仕掛けた時の気持ちがよくわかるな。これは敵対するものにとって絶望しか呼び起こさない理不尽そのものだ。

 

「くっ! 砲撃止め! 歩兵部隊前へ! 囲んで押しつぶせ!」

 

 わずかの自失からすぐに立ち直るあたりやはりカヌゥは非凡な指揮官だったのだろう。しかし全ては遅きに失した。

 

「はッ!」

 

 突風が吹き荒れ、兵士の足を止める。バランの放出した闘気がある種の結界を作り出していたのだろう、皆が皆、怖気づいたように身動きができなくなった。それも仕方あるまい、絶対の自信を持った自国の兵器を向けて、毛一筋の傷すら負うことのなかった怪物を前にしているのだから。そうそう挫けた士気を回復できるはずもなかった。

 

 バランは足を止めない。遠巻きに囲む兵士の群れを一瞥したかと思えば、すぐに視線を真っ直ぐ正面に戻してしまう。

 竜の紋章を輝かせ、竜闘気を纏ったバランは神々しくすらあった。無粋な砂煙に遮られてなお漂わせる絶対王者の貫禄は、誰が見てもこの戦場の主役が彼だということを決定づけていただろう。

 ここに勝敗は決した。バランが目的地へと辿り付き、悠々と風になびく旗を手にした瞬間、ベンガーナ軍にとっての悪夢となったであろう壮大な遊びは終了したのだった。

 

 さて、俺も務めを果たすことにしようか。

 演習が無事終了し、バランが合流するのを確認してカヌゥへと近づく。

 

「カヌゥ殿。我らが国王陛下より貴殿らに感謝のお言葉を預かっております。どうぞお納めください」

「感謝? それはいかなる仕儀によるものでしょう?」

「では僭越ながら私が陛下のお言葉を代弁させていただきます。『国境を越えし魔物の一群を討伐せしめるはまこと見事なり。そなたらの勇壮を称え、ここに感謝の意を示し、もって誉れとせよ』」

「それは一体……?」

「こういうことですよ。バラン様、お願いします」

「心得た」

 

 今しがたベンガーナ軍をたった一人で沈黙させた男が再び前に出る。すると空気を裂く紋章の鳴動が耳に鋭く鳴り響き、呼応するように天が動き出した。

 意思をもってうねる風が吹き荒れ、黒雲を纏う稲光が心に影をつくり、とめどない不安を呼び起こそうとしている。張り詰めた空間を畏怖で支配するそれは、つまるところ人の形をした竜が巻き起こす嵐だった。

 人が天を操るその一幕は、きっと神話の再現だ。

 あるいは誰もが幼少の砌に読み聞かせられた英雄譚――伝説の勇者を記述する一説を思い起こすものもいたかもしれない。いずれにせよそれは尋常を超え、人知を覆し、常識を置き去りにする彼方の光景そのものだった。

 

 ――天意招来。迅雷疾駆。轟音爆砕。

 

 世界を引き裂く一撃。

 天を迸り、地を貫いた一閃の光が、この場に観衆として存在する有象無象全ての視界と意識を真っ白に染め上げた。その天災は勇者のみに操ることを許された正義の雷。現世に伝わる呪文名を極大雷撃呪文(ギガデイン)

 

 やがて痛いほどの沈黙が訪れる。

 膨大な熱量は地を焼き、石を溶かした。爆発の衝撃と高温の余波が人々から声を奪っている。災禍を撒き散らせた雷鳴が去った後は、ただただ人の子の驚愕と静寂が残されるのみだったのである。

 

 何というか……すさまじいの一言しか出てこない。まさに神様でさえ殺してしまいそうな一撃だった。

 これはちょっとやりすぎたかと、ある程度心構えのできていた俺ですら不安に思うほどの圧倒的な『力』の顕現。うん、雷撃呪文(ライデイン)で十分だと進言しておくべきだったのかもしれない。とはいえこれはこれで有効なカード足りえるのだから、俺の懸念など贅沢な悩みでしかないのだろうけど。

 

「カヌゥ殿」

「――は! ……な、何でございましょう?」

 

 呆然とした顔で、それでもどうにか現世に帰ってきた指揮官殿に同情を寄せこそすれ、手加減はしない。畳み掛けるように舌鋒を浴びせかける男がここにいた。ルベアとかいうガキのフリをした畜生らしい。

 

「ご報告申し上げます。ここにベンガーナ王国からアルキード王国に流れ込んだモンスターの一団は消滅しました。貴国の大砲と我が国の将によって幾重にも抉られたこの巨大なクレーターが証拠です。『これをもって此度貴国がもたらした国境線を越える一連の不義を不問とする。疾く兵を引くが良い』。以上でございます」

「む……」

「まだ説明が足りませぬか? 花はそちらが手にして結構ということですよ」

 

 そこでようやく得心がいったのか、それとも抗弁は無意味だと悟ったのか、ベンガーナ陸軍を束ねる男は諦めたように深く溜息をついた。

 

「なるほど、これは手厳しいことですな。随分と高価な花束を用意していただいたものです」

 

 アルキード王国はベンガーナ王国に対し、穏便に兵を引くだけの理由を示し、併せて礼も尽くす。もちろんそれは慈善事業なんかじゃない。

 『花はくれてやる、その代わり実を寄越せ』。こちらの言い分としてはそんなところである、譲歩には譲歩を返せと迫っているわけだ。いやはや、恐喝外交に踏み切る余地があるってのは実に健全なことだね。

 

「国元に持ち帰る名分としては十分でございましょう? わが国としてもこれ以上は看過できません。ご納得いただけなければ、次は花ではなく雷を贈答することになりますね」

「それは切に遠慮したいものですな」

「お互いに賢明でありたいものです」

 

 そこで懐から封書を取り出し、恭しく差し出す。

 

「では最後にわが国の陛下から貴国の王様へ宛てた親書をお受け取りください。それとこれは老婆心からご忠告申し上げますが、中身を検めることはお勧めできません。古い友人としての挨拶を認めたと仰っていましたから、少々格式の足りぬ文面になっているやもしれませんので」

 

 神妙な顔で申し訳なさそうに口にしながら、その実『好きに文句を書き綴って良いですよ』と陛下に勧めたのは俺だったりするのだけど。最近ベンガーナ王国の威勢に押され気味だった反動なのか、痛快だと機嫌よさげに大笑いしてたもんなあ、陛下。あれ、絶対アルキード王国の武威を示すことに喝采をあげていたわけじゃなくて、陛下個人の鬱憤晴らしが根っこにあったと思う。別にいいけどさ、その程度の可愛げ。

 

「軍人など堅物なものだと相場が決まっているのですが、友人同士の語らいを覗き見るほど無粋な男にはなりたくないものです。なに、私はこれで昔からものぐさなところがありましてな。この場はご忠告ありがたく受け取っておく、とお答えしておきましょう」

「感謝致します」

「いえ、竜の騎士の伝説、確かにこの目で確認させていただきました。陛下にはありのままを報告いたしましょう。改めて貴国のご厚意に深く御礼申し上げる次第です」

 

 お互いに礼を口にし、握手をして儀式の完成とする。両国ともに得るものはあった。そういえるだけの結果を出したことで、今度こそ国境線のいざこざはひとまずの節目を見たのだった。

 

 

 

 

 

 少しの休息を挟み、ようやく帰れると撤収準備を始めた矢先、今回の一行の文官トップ、つまり大臣が俺が一人になった瞬間を見計らって尋ねてきた。バランを交えぬ密やかな会合を強制的に持たされたわけだ。当然、それは俺が意図したものではなかった。

 

「此度はご助力感謝します。おかげで遅滞なく事が運べました」

「勘違いするでないぞ、ワシはお前が嫌いだ。だが、先も申した通り陛下のありがたいお言葉も忘れてはおらん。最後まで貴様に何もさせずではワシの器量が疑われよう」

「ご好意ありがたく受け取らせていただきます」

 

 しかし俺の礼を受け取ることなく、眼前の男は表情に険を宿す。小言かとも思ったのだが、実際はもっとずっと深刻だったことを俺はすぐに知ることになった。

 

「正直な腹の内を告げようか、ワシは心底バラン様を恐ろしいと思うておるよ。……お前は、『あれ』を制御できるつもりでいるのか?」

 

 恐怖をありありと覗かせる瞳と、それを必死に押し隠そうとでもいうかのように厳しい眼差しで睨みつけてくる初老の男は、おそらく俺の前で過去最大となる本心を語っていた。彼は隠す気のない、赤裸々なそれを俺に――忌み嫌う生意気な小僧を相手にぶつけてきていたのである。

 

「買い被りです。私にそんな力はありませんし、そもそも初めからバラン様を御しているつもりはありませんよ?」

「つまらぬ韜晦はよい。あれは――あの力は人の身で届くものではないと、そういっておるのだ。断言するぞ、あれを抑える術は我が国にはない」

 

 これは駄目だと、そう悟って小さく息をついた。

 小細工を弄して逃げることは許されないだろう。誠意には誠意を。こちらも本気で応じねば不実というものだ。

 

「存じ上げております。そして今のバラン様は我らが仰ぐべき主でもあります。……ご懸念は理解できますが、未来のことなど誰にもわかりませんよ」

 

 多分届かないのだろうな。

 そんな諦観を振り払わせてくれと願いながら言の葉を重ねる。丁寧に、ゆっくりと唇に乗せて空しく語りを続けていた。

 

「どうかご安心ください。バラン様はお優しい方です。あの方が人と(えにし)をつないでいるうちは、今日の雷が無辜の民に向けられることは決してないと断じさせていただきます」

 

 その言葉を境に沈黙が一時降りかかる。意図せず形成された重苦しい空気をただただ甘受するに努め、目を逸らすことなく待った。

 

「……信じてよいのだな?」

「皆様に比べれば安い命ではありますが、万一の時はこの身をかけてお諌めいたします。それでどうかご納得いただけませぬか?」

 

 今度の無言は長かった。そして眼前の男も「わかった」とはいわなかった。同意も了解も決して口にせず、しかし最後にぽつりと口にされたそれが、俺の耳にはひどく印象に残ったのである。

 

「時代は移ろう、人も変わらねばならぬか……。小僧、いや、ルベアよ。これ以上はもういわぬ、元よりワシにはお前たちを押し止めるだけの力もない。だが、努々忘れてくれるな。アルキード王国は『人』が住み、『人』が治める国だということをな」

 

 この時、わからずやと罵れたらどんなに楽だったろう。杞憂だと笑い飛ばせたらどんなに心安らかになれたことか。

 だがこの世界の異なる歴史を知り、竜の騎士のありえた選択を知り、竜魔人の姿と超越したエネルギーを知る俺が、無邪気に『それ』を唱える無体をどうしてできよう。

 それとも俺は、彼の懸念と恐れを家臣の身で僭越だと一蹴するべきだったのだろうか?

 

「……人の心を持ち合わせている。人の痛みを理解できる。それだけでは足りませぬか?」

「足りぬよ、足りるはずがない。我らは弱き人間だ。卑しさを肯定せねば生きていけぬ、臆病なまま権を振るう小物よ。……何者にも臆さず、怯まず、柔軟な心で万象を受け入れる。それができてしまう貴様にはわからぬやもしれぬがな」

 

 これが老いかと、そう零して寂しげに背を向ける男は、ここにくる以前よりも一回り小さく見えた。……なにかが折れてしまった。そんな背中だと思った。

 俺はきっと、誤解だといいたかったのだ。

 あなたが評価した男はそんな大した人間じゃない。俺だってあなた方の側の人間だ。弱くて、卑怯で、ままならない現実からいつだって逃げ出したいと考える、どこにでもいる普通の人間なのだと、そういいたかった。

 けれど俺の口はついぞ開かれることはなく。

 その場には遠ざかる背にかける言葉を失い、ただただ無言で立ち尽くす一人の無様な子供だけが残った。

 

 今日ここでバランは示した。竜の騎士として、その力を高らかに謳いあげたのだ。それが何を意味するのか、俺はわかっていてバランの枷を解き放った。

 

 ゆえに天意はここにあり。人の形をした、人ならざる天命の顕現。其は竜の騎士バランなり。

 

 古来、人は天に運命を()た。時に瑞兆、時に凶星として。確かにバランのそれは人の目に無法そのものと映るのかもしれない。穏やかな明日を望む人間には相容れない災いとしか受け取れないのかもしれない。

 そんなことは俺だってわかってるさ。……本当に、わかってるつもりなんだよ。

 それでも俺が彼に何も言えなかったのは、そして彼に何も言ってはいけなかったのは――俺はもう決めてしまっているからだ。自身の行く末を、俺は既に己自身で定めていた。

 

 竜の騎士と共に生き、その果てを見届ける。

 

 それが道半ばで潰える俺の未来だろうと、構うものかと決めていたのだ。だからどんなに彼らに共感したとしても、どんなに彼らの理を認めようとも、最後はその手を握ることが出来ないとわかっていた。そう、彼らに差し出す手を俺は持っていない。

 天を仰ぎ見た。バランの呼んだ雷の影響も去り、雲ひとつない澄んだ青空をただただ仰ぎ見る。その時、不意に滲んだ視界にわけもなく胸が締め付けられた。

 

 はるか遠い未来で、いつか選んだその道を後悔する日がくるのだろうか。

 そんな詮無い疑問が浮かびあがり、けれどすぐに無意味なことだと嘆息してゆるりと首を振ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから幾実かが経過したある日のこと。バランに時間を作ってもらい、王城の一室で卓を挟む。議題はベンガーナ軍による国境侵犯の一件についての総括めいた話だった。ようやく事後処理も含めてひと段落したのを幸いに、報告を兼ねて雑談を交わしていたのである。

 

「バラン様、ベンガーナ王国からの贈り物が届きました。といってもこれは目録のコピーですけどね。一応目を通しておいてください」

「うむ」

 

 残念ながらベンガーナから使者が訪れた時、バランは王宮に不在だった。愛妻家のバランらしくソアラの元に身を寄せていたからだ。夫婦仲が良好で羨ましいことである。

 

「これはテランからベンガーナへの移住者リストか? いや、違うな、近年ベンガーナに居を移した赤子連れの世帯調査……。となると――」

「はい。つまりディーノ王子を捜索したが見つからなかったぞ、という好意の贈り物ですね」

「それはありがたいことだが、どういうことだ? 調査規模とこれが届いた時期から見て、今回のごたごたの侘びにしては準備が早すぎる」

「恐らくですが、今回送られてきた資料の元本は数年前、あるいはもっと以前から続けられてきた調査の一部だと思います。国家にとって人口の把握は急務ですし、外からの流れ者を警戒する意味もありますから。逆にそういった者達へ仕事を斡旋するためにも必要ですしね」

「なるほどな。侘びの品はほかにもあるのだろう?」

「ええ、うちに対して薬草取引量の増加と中型船の売却を格安で打診してきました。それからテランと共同で進めている破邪研究への参加も表明してきましたね。まあ、そちらは実質賠償金代わりの資金提供申し出ということになります。研究成果は共有することになりますから、ベンガーナにとっても悪くない手かと。これだけの手打ち材料を用意してから事を起こしたのですから、ベンガーナ王も食えない人ですよ」

 

 しかもそのどれもがベンガーナにとって後々の利益になる。たとえば薬草の取引規模の拡大は軍の規模を大きくしたベンガーナでは備蓄を増やさなければならなかったのだし、逆にこれ以上の人口流入が期待できなくなったがために余り気味な交易船の処分を兼ねた有効利用もできる。どちらもベンガーナにとっては損にならない。

 そのうえ竜の騎士が伝説に違わぬ本物と知るや否や、早々に誼を結ぶ意思も示してきた。このあたりはさすがの損得勘定だろう、そのうちバランが個人的にベンガーナ王に招待されることもあるかもしれない。

 

「こちらとしてもベンガーナ王の申し出は手間が省けて助かりました。わざわざ落とし所を示す必要もありませんでしたから。それにテランとの遺恨を和らげることはベンガーナの国防にとって急務です。今回のことは難しい外交状況にあったテランへ素直に頭を下げる口実になったんじゃないですか? うちを通してベンガーナとテランの関係を改善する良いきっかけでしたから」

「連帯を強めたアルキードとテランによって南北から挟み撃ちにされるのを嫌った、か」

「あくまで可能性ですけどね。うちとテランは軍事同盟というほどお互い踏み込んではいませんから。ですがバラン様がフォルケン様のお力になると口にした通り、将来を見据えて含みも残しているように見えます。ベンガーナ王はその状況を放置して安眠する気にはなれなかったのでしょう」

 

 遠交近攻。

 いくらテランが小国とはいえ、ベンガーナは二正面作戦を強いられる地政学上のリスクを無視するわけにはいかない。今回わずかな出費でその懸念を解消できるならベンガーナにとっても上々の成果だろうさ。ベンガーナ王は気位が高い、素直に頭を下げるのは難しかったゆえにこんな仕儀となったのだろう。自身の不満で国家の利を潰すのは論外だしな。

 うちだってベンガーナと事を構えるためにテランと結んだわけじゃない。妙な勘ぐりをされたくはなかった。

 

「国家が問題を抱えていない時間なんてありえません。同時にそれを解消する手段と材料なんて幾らでも転がってるのですから、一つ一つ丁寧に拾って形にするのが政治です」

 

 もっとも悩みの種が消えないのは人も同じだけどな、人生は問題と解消の繰り返しだ。

 

「良いお手本ですよ、ベンガーナの王様は。あの方は上手な負け方を知っています。私もかくありたいものですね」

「隣国の王も強かなものだ。もっともそれは身内も変わらんのだが。大方、お前の想定の内に終わったのだろう?」

「異議あり。私だけを企みの首謀者にするのは卑怯ですよ。『私たちの』想定の内でございましょう?」

「抜け目ない奴だ、私が義父に語った言葉を覚えていたか」

 

 喉を震わせ、低い声音で渋い笑みを覗かせるバランに俺も苦笑を浮かべるのだった。まったく、俺に責任をおっ被せようとするなんて困った人である。

 何にせよ、これでひとまずは平穏が戻ってくるだろう。どうやらベンガーナ王に払ってもらった授業料は、うまいこと買い叩かれて安くついたらしい。結構なことだ、それだけ魔王軍を相手にする朋友としてベンガーナ王国を頼りにできるということなのだから。

 

 三方が綺麗に収まった今回のいざこざは上々の出来だったといえる。俺は負けるのは嫌いだが、勝ち方にはこだわりたい。そして勝ちに完勝はいらない、六分七分を確保できれば十分だ。むしろ最上といえよう。――ああ、遊びでは別だぞ? 接待プレイを除けばガチが俺の信条だ。

 

 ほどほどの勝ちで満足する、それはつまり勝利の美酒に酔いすぎぬよう自戒することだった。甘美に慣れればやがては正気を失ってしまうし、勝ちが過ぎれば相手も引き際を悟れなくなる。戦場で死兵を作り出さぬようあらかじめ逃げ道を作っておくのと同じだ。『窮鼠(きゅうそ)猫を噛む』ともいう。死なば諸共の覚悟を決められては元も子もない。俺にとって政とは妥協と譲歩の産物だった。

 

 国家間の争議に生きるか死ぬか(オール オア ナッシング)を求めることほど危険なことはない。もっと単純に言い放つならば、共存も共栄も端から考慮に入れず、ただただ相手を殺しきることだけを考えるなんてどこの蛮族だって話だ。そんなものを俺は政治――統治の法だと認めたくない。誰が認めてなどやるものか。

 

 だからこそ俺は絶滅戦争(それ)を強要する大魔王バーンが嫌いだった。――大っ嫌いだった。

 

「すまぬな、私がお前の懸念を消せればこのような小細工も不要なのだろうが」

「仕方ありません。竜の騎士の本分は『世界のバランスを崩そうとする巨悪の討伐』です。野心を露わにせぬ潜在的脅威にまでその矛を向けるわけにはいかないことも承知していますよ」

 

 現状、バランが俺に協力的なことだけでも助かっているのだ。今回のようにかなりの無茶も聞いてもらっている。これ以上の我侭はいえなかった。

 

「人には人の理があるように、神には神の理がある。それだけのことでございます。幾千年に渡って紡がれてきた竜の騎士の使命とあり方を軽んじることは、人の身で望むべくもない不敬でしょう。――あなたは誇り高き竜の騎士です。誓って血に飢えた獣などではない」

 

 それは歴史の重み。

 大魔王バーンが太古神々に迫害された魔族の歴史を背負ったように、バランは古より連綿と続く竜の騎士の偉業を背負ってこの地上に立っている。その形なき立脚点は混血児だったダイが持ちえず、また頓着もせず、されどバランにはついぞ捨てることの出来なかった竜の騎士としての誇りだった。

 歴史とはすなわち先人への敬意である。バランの頑なさを愚かだと切り捨てるのはあまりに酷だろう。

 

「私としてもバラン様には無理をしていただきたくありません。この先は仮定の話とさせていただきますが、もしもバラン様が単身魔界に攻め込むおつもりなら絶対に止めさせていただきます」

「……ふむ、やはりお前は私一人では勝てぬと見ているのだな?」

「バラン様が大魔王に及ばぬとは申しません。万全を期して一対一の戦を実現できれば勝機は十分ありましょう。しかしかの者の側近には冥竜王ヴェルザーに匹敵する強者が控えております。翻ってあなた様には勝利のために捨石とできる右腕(ナンバーツー)がいない。これではヴェルザーを複数同時に相手どって勝利を収めよと要求されているようなものです。いくらバラン様といえど押し潰されましょう」

「それが真ならば、恐るべきはそこまで至った途方もない忍耐力よな。一体どれほどの時を雌伏に費やしたのか計りしれん」

「まさに《天を呑みこむ巨悪》といったところでしょう。世界の調停者である竜の騎士をも欺いてきた途方もない叡智と狡猾さ、用心深さを持ち合わせる巨魁です。しかしながら、私はかの者がいずれ動き出すと確信していますよ」

「――いつの世も争いか。ままならぬものだ」

 

 争いを収めるために争いを続けてきた修羅を宿す世界の守り手は、口惜しそうにぽつりと呟くと、深く深く嘆息してみせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ベンガーナ王国との折衝も恙無く進む中、忠勤に励んだ功績が認められて臨時の休暇を勝ち取った俺である。久方ぶりに実家に帰省し、骨休みに努めることにした。さすがに国境線まで出向いての強行軍によって身体が悲鳴をあげていたのか、ここ最近疲れがピークに達していたので、丁度良い休息になるとどうにか一息つけたのだった。

 城下町で顔見知りのご近所さんと挨拶を交わしながら帰宅し、祖父母の生前の姿を象った絵姿を前に祈りを捧げる恒例行事を済ませると、その後はとにかく身体を休めることに腐心した。

 

 他界した祖父は兵士をしていただけあって精悍な顔つきと頑強な身体をしていたことが記憶に新しく、こういっては何だが羨ましく思うことしきりである。

 その一方で俺は祖母に会ったことがない。何でも俺の生まれる前に流行り病で亡くなってしまったらしい。遺影代わりの姿絵の中で微笑む祖母は、長い黒髪を結い上げた淑やかな様子で佇み、茶褐色の髪を短く刈り上げた祖父とは雰囲気から何まで対照的だった。

 決して安くはない依頼料を払ってまで祖父母の姿絵を残しているのだから、うちの両親も大したものである。

 

「ルベアがお城に召し上げられてからはや一年か……」

「ちょっと、そんな深刻そうな顔をしてどうしたのさ、父さん。お城勤めは今に始まったことじゃないでしょうに」

「それはそうなんだが、やっぱり慣れないよ。いくら王族様方の目に触れたとはいえ、お前はまだ十一。奉公に出すにしたってもう少し猶予はあるものだ」

 

 そういって再度不景気な顔で唸るのは誰であろう、俺の育ての父だった。黒髪黒目の俺と違い、祖父によく似た茶褐色の髪を適度に伸ばし、澄んだ碧眼が印象的なまだ三十前の男性である。『ルベアの童顔は俺に似たんだな』が口癖になっている人ではあるが、大抵の場合、その後に俺の黒髪は祖母譲りだとしみじみ頷くまでがワンセットで続くのだった。

 そのぱっと見頼りなさそうな外見に反して両親――俺にとっての祖父母が他界した後も、しっかり一家の大黒柱として精力的に働く良き父であり、良き夫でもある。

 

「もう、あなたも良い歳なんですから少しは子離れしたらどうです? ルベアは立派にお勤めを果たしているのですから、私たちが応援してあげなくてどうします」

 

 キッチンから夕餉の支度を済ませた母が戻り、卓上に大皿を置く。その際まとめあげた金の髪が数本ほつれて垂れ下がり、煩わしそうな仕草で耳の後ろに流す。そうして俺に笑いかけてくる優しげな表情に俺も和んだ顔で笑みを返した。

 母は女性にしては大柄なほうで、父と並ぶとほとんど身長が並んでしまうくらいだ。翻って俺は同年代では小柄なほうだから、その点でも父に通じるものがある。とはいえ、俺の場合は案外睡眠不足が祟って身長が伸びていないだけかもしれない、と最近少し危機感が募ってもいるのだけど。

 

「おいおい、応援と心配は別だろう? 大体お前だってルベアのいない食卓を囲うたびに、溜息をついて寂しがっているくせに」

「あら、何のことです? そんなことあったかしら」

 

 そんな夫婦漫才を繰り返す暖かな空気に絆され、自然と軽やかな笑い声が出てしまう。最近はすっかり顔を合わせる機会がなくなってしまったが、こうして笑いあうたび俺は愛されているのだなと実感できた。ありがたいことだと心底思う。

 

「やれやれ、昔から妻に口喧嘩で勝てた試しがないな。ルベアはもっとおしとやかな娘さんをもらうんだぞ」

「それこそ十一の息子に振る話題じゃないよ、父さん……」

「そうよ、ルベアにはまだ早いわ」

 

 実際肉体年齢は小学生だからなあ……。こういっちゃ何だがオママゴトの延長みたいな恋愛をするくらいなら、大人しく数年待ってからお付き合いをしたほうがずっと楽だ。さすがにそんなことまで両親にはいえないけど。

 

「ソアラ様とバラン様の仲睦まじい様子は城下町まで聞こえてくるよ。それだけじゃなく、最近はバラン様の武勇伝も良く噂に上るようになった。ソアラ様を射止めた騎士様は、鬼神もかくやのお力を振るうのだとか」

「噂話のほうが大人しいくらいだと思うよ。あの方は本当にすごいから」

「……そんな方のお傍にお前が侍るようになった、というのがまたなんとも。不思議な巡り合わせとしか思えないよ」

「それはまあ、俺自身びっくりしてるというか、こんなことになるとは思ってもみなかったから」

 

 実際、ここまで重用されるようになるとは予想だにしなかった。その分面倒ごとも背負い込むはめになったし、職責以上の気苦労を抱えているような気がしないでもないが、端から見れば十分恵まれているのだろう。その自覚をもって務めに励まなければいろいろと申し訳ない。

 

「確かに驚きはしたが、いくらかは納得もしていたぞ。お前は昔から聡明なだけじゃなく、何処か浮世離れしたところがあったからな」

「浮世離れって、また随分な言い草だね」

「そうでもないわよ? あなたは隠していたつもりなのでしょうけど、『周囲に合わせて幼さを演じるぎこちなさ』みたいなものを私たちはずっと感じていたもの」

 

 ここは隠し事は出来ないものだ、と頭を抱える場面なのだろうか。さすがに十年も同じ屋根の下で暮らしていると、行動の節々まで細かく見られているらしかった。それでも『早熟な子供』以上には不信がられなかったのだから、そこそこ上手くいっていたのだと思いたい。

 

「俺も、もちろんお前のお母さんだってご政道のことはまったくわからない。お前の才覚についてはそれこそ天からの授かりものなのだと納得するしかないと思っている。……それでも歯がゆさは消えてくれなくてな。父親としては複雑だよ、あの方々に重用いただけていることは素直に喜ぶべきなのだろうが」

「ごめん、心労ばかりかけてるね」

 

 どの世界でも親が子を心配するのは一緒か。俺には苦悶する父の姿をしかと目に焼き付ける以外にできることはなかった。

 

「っと、すまん。勘違いはしてくれるなよ。さっきもいったが、俺たちはそれだけ賢く育ってくれたお前のことを誇りに思ってるし、その分だけ案じてもいるってことだ。……本当に、王城での暮らしは大丈夫なんだな? 身体を壊したりはしていないだろうな?」

「大丈夫。バラン様もソアラ様もお優しいし、お城勤めの方々もよくしてくれてるから心配いらないよ」

 

 王城にあがる以前に俺を気味悪く思うような素振りもまったく見せず、王城に上った後もそれ以前と変わらず、本当に暖かい態度で接してくれる二人のことを俺は心底尊敬していた。

 

「そうか、それならいいが」

「ありがと。出来れば家業も継ぎたかったけど……」

「難しいのか?」

「うん」

 

 そういえば城に上がってからはこうして将来の話をすることもなかったな。丁度良い機会だし、ここで俺の未練も断ち切っておこうか。まがりなりにも志を立てた以上、中途半端になるのが一番怖い。

 

「ソアラ様が懐妊なされたことは聞いていると思うけど、少なくとも次代の指導者が長じられるまではバラン様のお傍を離れられないと思う。行方知れずのディーノ王子のこともあるしね」

 

 実際は魔王軍の脅威が晴れるまで、叶う限り権力の中枢から離れるわけにはいかない、という切実な事情があるのだが、それはさすがに口に出すわけにはいかなかった。

 

「父さん、母さん、ここまで俺を育ててくれてありがとう。本当に感謝してる」

「急にどうした?」

「うん、これからのことについてちょっと話しておきたくて。俺はこの通りちょっと早い自立になったけど、食べていくには十分すぎるほどお給料だって貰ってる。だから俺のことは心配いらないんだ」

 

 そう告げられた両親の顔は喜びではなく戸惑いと少しの悲しみだった、と思う。それが早すぎる親離れに対してだったのか、それともそれ以外の何かだったのかまでは、とんとわからなかったけれど。

 

「そこで相談なんだけど……出来れば新しく養子を迎えるなりして家業の後継者を育ててほしい。俺は一人っ子だし、三代続いたのれんを絶やすわけにはいかないでしょう? もしも俺が邪魔になるのなら、その時は潔く離縁してもらう覚悟だって――」

「ルベア、そこまでだ」

「それ以上を言うと本気で怒るわよ」

 

 頭を下げた姿勢を取りやめ、恐る恐る二人と顔を合わせると、それはもう裸足で逃げ出したくなるくらいの怒気を発していた。……あれ、これは空気を読み違えたかな? もう少し時期を選ぶべきだったのだろうか。

 父が溜息を零し、母は未だに俺を睨んでいた。ちょっとこれはいたたまれないな、身の置き所がない。

 

「ルベア、お前は思い切りが良過ぎる。何を思い悩んでいるのか知らないが、俺は十一の子供を放り出すほど冷血な父親になった覚えはないぞ。家を想うお前の気持ちは嬉しく思うが、それとこれとは話が別だ」

「そうよ。軽々しく縁を切るなんて言わないちょうだい。あなたは私たちの息子なんですからね」

「……ありがとう」

 

 久しぶりに目頭が熱くなり、それ以上何もいえず彼らの芳情に打ち震えているだけだった。俺にはもったいないほどよく出来た両親だよ。だからこそ余計に心苦しくなることもあるのだが……。

 

「なあルベア。お前、もしかして……」

「ん、何? 父さん」

「――いや、何でもない。さあ、湿っぽい話は終わりにして飯にしよう。折角のご馳走が冷めてしまう」

「そうね、折角腕によりをかけて作ったのだから、美味しく食べてくれなきゃ許さないわよ。さ、召し上がれ」

「いただきます」

 

 俺の声と父さんの声が重なり、金属製のナイフやフォークが皿とこすれあう微かな音が交差する。最初はぎこちなかった食卓も三人が意識して場の空気を塗り替えようと考えていたためか、再び談笑がとびかうようになるのにそう時は必要としなかった。

 今はきっとこれでいいのだろう。

 先のことなど誰にもわからないと言ったのは俺だ。ならば焦らずとも、いずれ時が解決することもあるのだと言い聞かせよう。そして――もう少しだけこの人達の好意に甘えさせてもらいたい。この人たちの子供でいさせてもらいたいのだと、そんな図々しい願いを胸に秘めるのだった。

 

 

 

 

 

 俺が作り出してしまった微妙な雰囲気を乗り越えたことで程なく夕餉を終え、母の手できっちりと手入れされていた俺の自室に戻る。寝台に潜り込み、就寝を前にしばしの思索に沈んだ。

 今回のベンガーナとの小競り合いを、『バランの武威を全世界に誇示するデビュー戦』とする俺の目的は十二分に達成できた。バランを弱く見せる時期も終わりだ。国内における地盤をある程度整えたことで、ようやく外に目を向ける余裕も出来る。それは本格的に魔王軍への対策を打てるようになったことを意味する。

 

 つまり正史で大勇者アバンが唱え、パプニカ王女レオナに受け継がれた地上の正義――『全ての戦いを勇者のためにせよ』。この精神を俺なりに実践していくことになるだろう。

 その中で俺が注力すべき戦略の初期目標は、『魔王軍の奇襲に耐えうるだけの地力を各国に用意させる』ことだ。

 これが存外難しい。なにせ今現在、世界中が平和の訪れを謳歌し、次の大戦などまったく警戒していない状態だからだ。この世界の歴史的に見てそれは間違っていないのだろう、だからこそバーン率いる魔王軍の襲来は、人類の心情的にも効果的な奇襲になっていたことがよくわかる。ありえぬ事態にどの国も恐慌に陥っていたのではないだろうか?

 

 現在世界を覆っている平和ぼけを抜きにしても問題は多々ある。軍隊ってのはなにせ金がかかるのだ。平時から戦時体制に等しい軍備増強策など取っていたらすぐに財政が破綻してしまう。魔王軍が攻めてくる前に国が自壊してしまっては意味がないどころか害悪だ。

 だからこそ平和のなかにあって限られた予算で牙を研ぎ、爪を磨き、魔王軍に対抗できるだけの十分な戦力――精強な騎士団を用意させるという離れ業が要求されるのだった。

 

 それを踏まえてまず俺が目論んだのが、『各国にアルキード王国を仮想敵国として認知させる』ことだ。

 より正確にいうならば、《竜の騎士》の力に恐れ戦くことでバランを仮想敵とし、その圧倒的なパワーに対抗できる騎士団を生み出してもらうつもりでいる。今回の件はバランの鮮烈なお披露目に丁度よかった。なにせ血を流さずに事を終えるだけの前提条件が揃っていたから。

 魔王軍の侵略まで時間がない。可能な限り人類戦力の底上げをやってもらわなくてはならないだろう。その軍事力の蓄積と研鑽をいずれ魔王軍にぶつけてもらうために。

 

 そして、この絵図を描くためにはバランがアルキード王国内にて簡単に排除されないだけの立場と信頼を形作る必要があった。

 この一年で証明したバラン自身の威やカリスマによって得た兵からの信望、ソアラとの正式な結婚を経て、第二子の出産予定により磐石となったバランのバックボーン。今のバランなら竜の騎士の力を振るっても早々に脅威論が出ることはない。同じだけの擁護論が期待できるからだ。

 バランを理性の人と認知させることで竜の騎士の脅威を最大限削る。なによりアルキード王国に『バランを取り込んだ』という意識を刷り込む。そこまで持っていくのに俺の予定より一年以上早かったのは嬉しい誤算だ。

 

 それがあればこそ、今回のような無茶が出来た。一年前に同じことをしていれば、間違いなくバラン排斥の声がぶり返していただろうから。

 バランを中心に据えた人類軍の端緒をつける。この段階に至ったことでいずれ来たる脅威――大魔王を相手とした戦争の青写真をようやく描き出せるだけの最低限の準備が整ったわけだ。

 

 まずは魔王復活から時を置かず、ほぼ同時に世界各国を奇襲殲滅してくるであろう魔王軍の初期攻勢を押し止め、膠着状態を作り出すことを第一の戦略目標とする。

 これに失敗することは多数の国家が崩壊することを意味し、それに伴い前線で戦う兵士のみならず、銃後に控える無辜の民からおびただしい犠牲者を出すことになるだろう。

 そうなれば最悪だ、人類戦力の枯渇とはつまり『国家による継戦能力の喪失』をもたらし、同時に『戦略行動の自由喪失』すら意味する。残された道は少数精鋭による特攻よろしく、勇者パーティーによる敵陣強襲、乾坤一擲の暗殺狙いしか手札が切れなくなってしまう。

 それでは駄目なのだ、勇者パーティーによる一大決戦はあくまで『能動的に切れる手札』として確保しておくべきものなのだから。

 

 そもそも一か八かの大博打はエンターティンメントとしてなら面白いのだけど、実際はそこまで追い込まれた時点で大敗北と同義だった。なにせここは『正義の勇者が悪の大魔王を倒しました、めでたしめでたし』で書を閉じることができない現実なのだ。国家にとって満身創痍の勝利とは、イコールで地獄の現出を意味するのである。

 残念ながら魔王軍に民間人への殺傷攻撃禁止義務なんてものはない。前大戦のハドラー傘下の魔王軍にそんなものはなかったし、地上消滅を目論むバーンに至っては『人間同士の戦争作法』など端から考慮する意味のないものだった。

 それが多少なり期待できるのは、おそらくヒュンケルの指揮する不死騎団くらいのものだろう。一度滅ぼされたパプニカがすぐさま国の機能を取り戻せたのは、ヒュンケルが王家以外には手心を加えていた可能性が高い。

 

 魔王軍の地上侵略を押し止められなかった場合、つまり各国軍の敗北がもたらすものは、全世界規模の民間人虐殺と流民の発生、国家そのものの崩壊だ。

 加えて国土の荒廃は農作物を始めとする生産高の減少をもたらし、交易路の寸断は物流のストップを招く。残るのは全盛期から半数以下に減少した人口と死に体の国、そして荒んだ人心だけ。俺が生き残れるかどうかはこの際置いておくとしても、そんな状態から戦後の復興とかどうしろっていうんだよ? 人は(かすみ)を食って生きていけるわけじゃないんだぞ。

 

 一応、俺には税金でご飯食べてる責任もある。解雇されない限りは全力を尽くして奉仕する義務があった。それは愛国心とは別の守るべき職務規範というやつだ。なりはガキでも心は社畜、もとい大人なのだから。

 と、そんな韜晦は別として、ハドラー戦役でさえ死者は出たのだ。それも大量に。

 被害はアルキード王国の王都ですら例外ではなかった。家屋が崩れ、人が爪で牙で切り裂かれ、あるいは炎の渦に焼かれて絶命する。少なくない人間の屍が無造作に放置される悪夢の光景と、否応なくつきつけられた()えた死の臭い。幼くともその一部始終を見届けた俺が、どうしてあの地獄を忘れることができようか。

 ゆえに戦線の死守は絶対条件、この戦略目標の完遂は俺にとって譲れない一線だった。

 

 この魔王軍による大攻勢を凌ぎきることで次の段階に入ることができるようになる。

 膠着状態を作り出した後の魔王軍の動きとして想定されるのが、各軍団長の直接指揮、並びに再襲撃による決戦だ。これにはおそらく魔軍司令も加わるだろう。この動きに対し、バランを中心とした人類最優の戦士たちを集め、各地を転戦させることで各個撃破に出る。軍団長を潰せば魔王軍は一時的に機能不全に陥ることになるはずだ。

 ここまでを戦略の第二目標とし、魔王軍の動きを鈍化させることで銃後の安全を確保する。そうして初めて本格的な攻勢に出るチャンスが訪れるのだった。ここで間髪入れずに第三目標にして最終目標に以降する。すなわち敵拠点の制圧と首魁(バーン)の首を狙うのだ。

 

 この時想定される敵陣拠点は二つ。

 一つは中央大陸はギルドメイン山脈に初期配置される陸上要塞《鬼岩城》、そしてもう一つが人の足の向かぬ不毛の地、死の大地と呼称される大陸に隠された空中要塞《バーンパレス》だ。そのどちらも移動を始めてからでは手に負えない。

 特に空中を遊泳するバーンパレスなど現在の人間の力ではどうにもならないだろう、制空権を支配されるのは痛すぎる。よって鬼岩城だろうとバーンパレスだろうと動き出す前に落としてしまうのが最善だった。

 

 それが出来ないときは大破邪呪文(ミナカトール)に頼ることになろうが、それとてバーンパレスを効果範囲に収めるため、一時的にでも静止させておく餌、ないし有効な状況を用意する必要がある。自陣戦力、特にバランの温存さえできていれば、一応力技でのバーンパレス停止も不可能ではない……と思うのだが、実際に試してみないことには何ともいえなかった。やはり不確定要素が強いのは否めないのだ。

 となればバーンが手札をきる前に攻め込み、奴が本気になる前に終わらせる。バーンに《凍れる時間の秘法》だの《鬼眼の魔力解放》だの、反則すぎる奥の手を晒す暇を与えない。それが考えうる最上の展開だ、戦の常道は敵に全力を出させぬことである。

 そもそもあんな理不尽の塊とがっぷりよっつで組んでも勝ちの目が見えない、という切実すぎる理由があるし。

 

 それでなくても戦争なんてのは長く続けて良いものじゃないのだ。可能な限り電撃戦で終わらせる必要がある。これらの完遂をもって俺の大戦略とするわけだが、実際はここまで理想的に進みはしないだろう。必ずどこかでつまづく。

 特に軍団長撃破で魔王軍に機能不全を起こさせて後、こちらが攻勢に出るだけの時間的猶予があるかどうか。バーンが六軍団に勝る手札をきってくるのがいつになるのか。そしてバーンが本腰を入れることで、本格的に手に負えなくなる前にその首を狩ることが出来るか。

 どうしたって事態は流動的にならざるをえない。そのあたり臨機応変に対処する柔軟性は実際に戦局を担うバランやアバン、成長したダイやポップたちに期待するしかなかった。最後は彼らに頼るしかないのである。

 

 だが、それでいいと思う。戦略に奇をてらってはならないし、策略に絶対を求めるなどもってのほかだ。所詮は机上の思考遊びであることを前提として、都度臨機応変に対応できるだけの底力を確保するのが肝要となる。

 何故なら戦略の王道とはすなわち、相手が何を仕掛けてきても正面から跳ね返せるだけの必勝状況を構築することであり、その基本は兵の数、錬度、将の力量を兼ね揃え、指揮系統の統一と兵站線の確保を握ることにほかならないなのだから。邪道が王道に勝ることはない。

 

 ただしそれら兵の数、将の質、バックアップ体制の確立、戦略拠点の策定と明確な勝利条件、様々な点で俺たちは魔王軍の後塵を拝している。まったく、大魔王の周到っぷりには参ってしまうばかりだ。

 奴らの欠点なんて精々将である軍団長同士が功を競っていたために、横の連携が弱かったことくらいじゃないか? それが弱点にならないだけの圧倒的な軍勢を用意できるバーンがマジで羨ましい。世界同時進攻、すなわち六正面作戦を可能にする大軍勢って何だよ。いや、魔軍司令の本陣を含めれば七正面もいけるのか? 溜息もでないっての。

 

 結局のところ、この差は蓄積した年月の差なのだ。何千年も昔から強固な意志をもって準備してきた大攻勢に、人類が十年そこらで対応しようとか蟷螂の斧もよいところだった。

 これはあれだな、バーンは地道に努力した者が勝つという道徳に優しい配慮をしてくれる非常に出来た王だということだ。――いかん、皮肉にすらなってない。

 

 ま、そもそも情報の精査を怠っている時点で本来は俺の絵図など破綻してるんだが。

 大昔、神々が地上と魔界の行き来を阻害する仕掛けを施したために人類側がおいそれと魔界に踏み入ることもできないし、現在バーンの勢力圏を調査出来る力を持つのは竜の騎士であるバランだけ。どうしたって穴だらけになるのは仕方なかった。

 地上の人間と魔界の魔族の地力の差が如実に出ている力関係に頭が痛い、ホント困ったものである。……せめて開戦の予兆だけでも掴めれば、各国に奇襲の警鐘を鳴らすことが出来るのだけど。

 ままならん。魔族のコミュニティと国交さえあれば、宣戦布告くらいしろと文句を言えるんだけどなあ。作法も何もあったもんじゃない。

 

 にしても、結構な綱渡りを要求されるな。平和の中で牙を研ぐ。すなわち軍事に割く予算を確保させ、戦意を維持することで軍備をしっかと増強させる。各国にバランの脅威をきっちりと理解させることで全体の底上げを図り、可能ならばアバンの使徒に追随できるレベルを持つ強者の出現を期待する。

 けれど熱を高めすぎて戦争まで行き着いては駄目だ、人間同士で戦力を削りあっているようじゃ魔王軍に蹂躙される未来しか待っていない。人類にそんな余裕と時間は残っていないのである。

 

 それゆえバランを餌にしすぎても危険だった。反動でバランを廃するような不穏な動きに発展しかねないし、第一そこまでバランに対して不義理な真似などできやしない。

 程よい緊張を保った国際情勢を最低でも十年の間は維持し、有事に当たっては人類戦力の結集を可能にするだけの友好関係を構築する。できればアルキード王国が主導権を握る形で。……うへぇ、神経磨り減りそう。

 

 あとは俺の思惑を可能な限りバーンの目に触れないよう隠蔽することか。

 なにせ地上の動きを『大魔王対策』だと看破された時点で人類は敗色濃厚に陥るという詰みっぷりだった。何故といって、現時点で地上侵略にでも踏み切られたら、押し止められる可能性は限りなくゼロに等しいからである。

 そのため可能な限り開戦までの猶予を稼ぎたいのだが、それとてバーンを刺激しないという消極策に落ち着いてしまう。地上と魔界は物理的に接触が遮断されているうえ、国交もなければその前例もない魔族の勢力が相手だ。……こちらから探りを入れるにしても何が適切なのか、何が定石なのか、その手出しの糸口すら見つけられないのが現状だった。

 

 となれば目を向けるべきは地上しかない。今回俺はベンガーナの動きを奇貨として、いずれ来る大魔王への脅威を竜の騎士に置き換え、これに抗することで各軍の強化を図るなどという迂遠な方法を取った。引き出すべきは各国の自助努力、そしてバランに請うのは彼の悠久に比肩する経験とその身に秘めた軍事的素養を生かし、地上に遍く知識と力を伝えてもらうことだ。

 まだ各国はハドラー戦役の傷から立ち直りきっていない上に、現在の地上戦力では大魔王の首を取れるだけの戦術能力を期待できない。バランとアバン一行――竜の騎士とかつてハドラーを討伐した勇者パーティーだけではとても大魔王とミストバーン、キルバーンの三人を相手取ることは出来ないだろう。

 

 地上対魔界の図では大魔王に譲歩は望めない。そもそもあの男の信条を思えば講和など端から夢物語。だとしたら戦争を終結させるために取る術は、結局バーンの首を取る以外にないのだ。そしてでかすぎる戦力差が俺たちに戦術行動の自由を与えてくれない。最後は斬首戦術――少数精鋭による勇者パーティーの奮闘に頼る以外の方策が見出せないのが現状だった。

 そう、大魔王バーンの何が一番厄介かといえば、軍隊など組織せずともたった一人で全てを成し遂げるに足る、純粋な暴力をその身に秘めていることである。いわばバーン自身が天地魔界に並ぶ者のない『超弩級戦略存在』だという絶望的な事実があった。

 

 ――つまり大魔王バーンを相手どる戦争は、ある地点を境に戦略と戦術の重要性が逆転する。

 

 まったく、こっちはあの男の盤上遊戯に付き合うだけでも死に物狂いだってのに、魔王軍の大攻勢を押し止めるよりバーン一人を抑えるほうがよほど難しいとかホントどうなってんだか。盤面をひっくり返す魔法の道具があるなら切に欲しいところだ。叶うならこっちも複数黒の核晶を用意して、バーンパレスに放り込むくらいはしてやりたい。

 それには黒魔晶の入手、精製の技術的問題、魔力を蓄える時間的制約、ついでに倫理的問題といった諸般の障害が立ちはだかり、運用はまず無理だろうけど。というかバーンが野心を露わにしていない現状で黒の核晶なんぞ用意しようとしたら俺がバランに殺されるわな。超爆弾を持つ人間がいるなんて、それこそ地上の危機――竜の騎士が動くに足る案件だ。

 

 しかしなあ、仮にバーンに勝ったとして、戦後は魔界と紳士協定でも結んで黒の核晶の所持に制限かけないとまずいんじゃないか? 核を撃ち合う仁義なき戦争とかぞっとするんだけど。

 そんな心胆寒からしむる悲惨な未来は脇に置いておくとして。とにもかくにも戦場でバーンを討てるだけの飛びぬけた力を秘めたパーティーが必要だ。そのために在野から俺も知らぬ実力者が頭角を現してくれるのなら助かる。

 とはいえ……バランに次ぐレベルの実力者とか、ちょっと俺には心当たりがないです、マジで。大魔王の前に立てるだけの実力者を探すにしろ育てるにしろ、そのために国が賄える資金は有限だし、予算を引き出す折衝にしたって容易なことじゃない。俺の立場でどこまで効率的にこなせるものやら。

 

 今から神頼みかと溜息が漏れそうになって慌てて堪えた。道のりの険しさなど先刻承知なのだ、今更嘆いたって何も事態は進展しない。

 とりあえずこちらはこちらで足掻くとしても、やはりダイやポップといった次世代の綺羅星――アバンの弟子以上の人材を見つけ出すのはハードルが高いといわざるをえなかった。よく『人材はいないのではなく見出されないだけ』とは言うけれど、こればっかりは気長に進めるほかないだろう。

 

 ついでにいえばバランの不慣れな王宮生活のストレス解消手段――もとい更なる高みを目指すための稽古相手も欲しいな。現状ではハンデ戦を前提としても勇者アバンと魔界の名工ロン・ベルク、それに大魔道士マトリフと拳聖ブロキーナくらいしか務まらないだろうけど。

 彼らは対魔王軍のためにもいずれ接触しなければならない相手なのだが、それにしたってどんな名分を用意してコンタクトを取りにいったもんだろう? アバンを除いて皆、半ば世捨て人の隠遁生活をしているうえに人間に非好意的だったり無関心だったりのダブルパンチ。控えめに言って癖がありすぎる連中だけに今から頭が痛かった。

 

 加えてまがりなりにも国内情勢が安定してきた以上、ダイを迎えにいくタイミングについても慎重に見定める時期がきている。『モンスターに育てられた王子』と『王子を育てたモンスター』を混乱を最小限に抑えつつ国民に受け入れさせねばならない。

 幸いバランの将としての名声も高まり、王宮だけでなく民の間にも徐々に浸透が進んできている。そのおかげで後の政治的演出を可能にする最低限の手札が用意できつつあった。あとは焦らずじっくり情勢をコントロールすればいいだろう。

 

 デルムリン島に降り立つという神の涙の行方も気になるところだが、こちらの下準備が完了次第動くことになる。おそらくダイが三歳から四歳の頃に迎えにいくことになるはずだ。そのどれもが繊細な問題だけに、一つ一つ丁寧に処理していく必要があった。

 

 さて、ひとまずはこうした方針の下で十年を過ごすつもりだが、これらの俺の選択ははたして吉と出るか凶と出るか。その答えが出るのは当分先のこととなるだろう。

 そんな風につらつらと脳のリソースを未来のシミュレーションに費やしながら、住み慣れた部屋にいる安心感と暖かな毛布に包まれた安堵を呼ぶ感触に、やがて俺の意識はゆっくりと闇に落ちていった。

 

 

 

 

 

 翌朝。心機一転、気合十分で登城した俺を待ち受けていたのは、別荘に移っていたソアラが無事赤子を授かったという喜ばしい報告だった。幸いなことに母子共に健康で、危なげもない至って順調な出産だったらしい。

 これでバランも一安心だろう。それとも今頃男泣きしてるかな? どちらにせよソアラの元に急ぐことだけは確かだろうけど、と密かに笑みをこぼす。おっと、俺もお祝いの言葉を考えておかないと。あまり素っ気なくするのも失礼だし、礼節を保ちながら心からの喜びがしかと伝わるよう趣向を凝らさねば。

 

 ともあれ慶事である。

 アルキード王室に誕生した新たな至宝の銘は『シンシア』。それがバランとソアラが娘へと授けた尊名だった。

 ディーノ王子――今は離れ離れとなっているダイの一つ違いの妹にして、未だ自身が何者かもわからぬ無垢な赤子。けれど、やがては兄と共にアルキード王国を背負って立つことになる、重い宿業を負った王家の末姫であった。

 

 彼女は俺が全霊をもって敬し奉る主筋の娘を意味するわけだが、とりあえずそんな堅苦しいことは忘れておくべきなのだろう。今はただ未来の安寧を祈れば良い。この日、この時、新たな命を祝福する鐘の音が、アルキード王国全土で高らかに鳴り響いていたのだから――。

 

 



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第06話 忠義の形

 

 

 言うまでもなく魔法とは便利な代物だ。とりわけ瞬間移動呪文(ルーラ)は極めつけの利便性を誇る移動手段にあたるわけだが、残念ながらその使い手は多くない。これは呪文習得の難易度も一因だが、それ以上に軍事利用の危険性を各国が恐れているからだった。

 何といっても術者のイメージ次第で瞬時に人を運べるのだ、テロ対策の観点から各国がルーラ使いの保有制限と習得機会の制限をかけてもおかしくはあるまい。まあ砦や城を築いてもその防壁を呪文一つで無意味にしてしまうのだから当然である。

 

 実際、アルキード王国でもルーラの習得魔法陣の詳細は国家機密とされているし、国家管理下の魔法使いであってもそう簡単には開帳されない。うちに限らず大抵はエリート揃いの宮廷魔道士ないしそれに準じる高い地位を持った魔法使いにしか習得と運用を許されていないのだ。

 

 このような理由でルーラの民間利用はほぼ不可能といえる。とはいえ、たとえ制限がなくとも大々的な民間転用は難しかったりするのが現実なのだが。

 というのも、その瞬間移動という特性を利用して荷物の搬送に用いるとして、一度に運べるのは五人前後の少人数にプラスしていくらかの手荷物を抱え込めるくらいのものだからだ。加えて着地時の衝撃を緩和する術が術者の力量に大きく左右するため、硝子や陶器のような脆い物資は運べない。それこそ数十、数百単位のルーラ使いを集めねば大商人の取引規模を満たすことはできないだろう。

 主要な移動手段といえば陸路ならば馬車、海路ならば船が一般的とされているのは、一度に運び出せる荷物の積載量が圧倒的に異なるからだった。……だからといってルーラの価値が減じるかといえば、そんなことはまったくないんだけどさ。

 

 魔王軍対策だけでも、ルーラ使いには各国の戦況を逸早く知るための連絡員として活躍してもらうつもりだし、攻勢にしろ防衛にしろ足並みを揃える密な連絡網の構築をしてもらわねばならない。なにより最悪の場合世界六箇所に投下される黒の核晶をどうにかしなきゃならないのだ、いくらでも彼らの使い道はある。

 だからこそ俺としてはもう少し制限を緩くしてもらい、失われる命以上のルーラ使いを育てたいわけなのだけど。

 

 ただ、習得難易度の高いルーラが使える魔法使いは大抵優れた戦闘能力を持ち合わせているため、前線投入もやむをえないことが多い。俺の一存で後方待機で温存するなどという安易な手も取れず、実際彼らが防衛戦力を担っている部分も大なのだからおかしなこともいえなかった。

 もう少しルーラの戦略的価値を重視して欲しいと切に願う一方、高位魔法使いの持つ戦術的火力の重要性もわかっているだけに歯がゆくなるばかりだ。実際彼らの殲滅力は貴重だ。魔法使いが戦場に立つ場合とそうでない場合では、予想される被害のでかさが雲泥の差となって表れてしまうだろう。

 

 問題は魔王軍の初期侵略において、彼らルーラ使いが優先的にその命を狙われるであろうことか。『あの』大魔王がルーラの重要性を理解していないとは思えない。下手をすればそこらの木っ端王族よりも戦略上重要になりかねない力を秘めた魔法使いなのだ、優先的に『処理』されるだろう。

 おそらくはそうした事情でほとんどのルーラ使いを失った正史では、各国の連絡線がずたずたに分断され、戦線を押し返すなんて夢のまた夢。地上はまさしく滅びを目前にした『ご覧の有様』に陥ってるしな。

 まあ、それだけ国家統制力が落ち込んだ世界だったからこそ、勇者一行も好き勝手ルーラが使えたのだろう。遵法精神なんぞケースバイケースだ、まして世界の危機を前にして文句をつける輩なぞいるはずもなかろうよ。

 

 とにもかくにもルーラを巡る問題というのは人類社会全体に影響を及ぼす繊細かつ重大な問題というわけだ。しかし戦時を基準にした社会作りなんて馬鹿なことはできないし、あまりルーラ使いの価値を高めるのも彼ら自身の安全に関わるのだから、人道的な意味でも無茶をすべきではなかった。ルーラ関連で妙な変革をすればそれだけで深刻な社会不安を招きかねないのだ、慎重にならざるをえない。

 

 ただし、長距離移動の安全性という観点ではルーラに勝るものはないだろうと思う。当然のことだが、陸路にしろ海路にしろ純粋な事故から人為的な襲撃まで一定の危険は内包している。絶対に安全な街道などないし、それは海上だって同じことだ。モンスターや悪天候に悩まされるのは渡航者や行商人、貿易従事者の常だった。

 

 とはいえ、海から生活の糧を得ている漁師が用いる小型船ならばともかく、中型以上の船が海難事故に遭うのは稀である。勿論年間通してゼロというわけではないし、魔王ハドラーが健在であった頃は海の魔物が活性化していた関係で、それはそれは無惨な事故率を示していたものだ。

 それでも勇者アバンが魔王ハドラーを討ち取った後は海も穏やかなもので、貿易船にしろ渡航船にしろ各国が船を出し渋るなんて話はきかない。つまり平時において海難事故というのは極めて不運な出来事だといえよう。

 

 そんな不運に巻き込まれたアルキード王国のディーノ王子――未来の勇者ダイが行方不明になってから、既に三年と半年が経過していた。

 

 ダイを乗せた船は大規模な嵐に巻き込まれたことで沈没の憂き目に遭ったわけだが、吹き付ける風と荒れ狂う波に舵を取られ、予定航路から随分と外れていたことが後の調査によってわかっている。元々はアルキード王国から西に針路を取った先にあるロモス王国、つまりラインリバー大陸の東海岸に一旦寄港し、そこから西海岸目指して地表を右手にぐるりと半周する予定だった。

 何故最終予定地をラインリバー大陸の東海岸に設定せず、わざわざ西海岸を目指すなどという迂遠な真似をしたかといえば、当時ソアラとバランの仲を完全に引き裂こうとしたのが一因である。とにかく物理的に母子の距離を離してしまうことで、ソアラに残る未練を断ち切らせようとしたのだろう。

 

 それが結果的には裏目に出たといえなくもないが、さすがに自然現象まで予測しろというのもいささか酷だろうと思う。当時のアルキード王とて孫に当たるダイの命まで奪うつもりはなかったし、多少強引ではあったがロモス王に話も通していたようだ。当然、ダイの移送先での住居や里親の手配、さらに彼らの生活を困窮させないための準備も含めて諸々の手続きは済ませていた。最低限の手は打った上での放逐だったわけだ。

 

 このあたりはソアラを不憫に思う父としての親心と、まがりなりにも血のつながった赤子を相手にあまりに苛烈な処置を取ってしまうのも憚られたのだろう。なんと無体な王様かと民の間にいらぬ風評がたちかねないと懸念があったはずだ。……俺に言わせればそれでも十分生ぬるい処分といえたし、正直なところ当時の情勢下ではバラン共々処刑にされてしまっても致し方ないくらいなんだけど。

 なんだかんだいっても甘いのだ、うちの王族様方は。それが悪いとまでは言わないし、言えば不敬になるのでさすがに口にしようとも思わないけど。というか個人的には好ましい。ついでにいえば、既に過ぎ去ってしまったことにぐだぐだと文句をつけることほど労力の無駄遣いもあるまいて。

 

 甘いといえば俺の目の前にいる老境にさしかかった王族様も十分お人好しの類なのだとしみじみ思う。この世界の指導者は揃って有能かつ情深い性質を持ち合わせているような気がしてほのぼのしてしまったくらいだ。

 

「ルベアよ、わざわざ足を運んでもらって済まなかったの。お陰で懸念が一つ片付いたわい」

 

 現在、俺はロモス王宮にて礼を取り、静粛な雰囲気の中一人跪いていた。

 にこにこと人の良さそうな顔で愛嬌を振りまいているのは、ロモス王国の王座に就くシナナ王である。恰幅の良さは健康に問題がないことを示し、温和な表情を浮かべた丸顔が自然と人懐っこさを表しているようだ。御歳五十を数えても溌剌とした印象を抱かせる人物で、このあたりは同じ王でもテランのフォルケン王とは大分異なる。

 

 シナナ王は和を尊び、何事においても人とのつながりを重視する人柄と聞くが、統治能力そのものは凡庸の域をでない。実際、現在に至るまで彼の政治手腕に際立ったところはなかった。

 しかし突飛な政策もとることもないため、よく国を治め、その朴訥で慈悲深い人柄ゆえか自国の民から非常に愛された良王だった。ロモスは八王家の中では国力に優れた国家ではないが、その反面とても安定した治世を続ける平和な国なのである。

 

「どうかそのように仰らないでください。シナナ様、あなた様にそう言われてしまっては我らの立つ瀬がありません。元々はこちらの駐在員が貴国の兵に無礼を働いたのが発端だったのですから、こうして駆けつけるのは当然のことです。此度はまこと申し訳ありませんでした」

「いやいや、少々の諍いなど酒の席の与太話とでも笑い飛ばしておけば問題にはならなかったろうて。わが国の兵が短気を催してしてしまってすまなんだの。ほっほ、『友人同士の語らいで始めたのならば無粋を挟むでない』と年甲斐もなく説教をしてしまったぞ、ワシのほうが無粋であったかもしれんな」

 

 そういって優しげな笑みを見せるくれるシナナ王に改めて目礼を捧げる。こんな時、俺はどうにも気勢が削がれる自分を自覚せずにはいられなかった。人の上に長年立っていれば否応なく身についてしまう悪癖――常に他人を疑い、時に蹴落とし、時に排除することに、まるで痛痒を抱かぬ者が持ち合わせる腐臭。それがシナナ王からはまったく感じ取れないのだ。

 

 シナナ王に限らずうちの王族様方にも見え隠れするその性質が、人間同士の争いだけに集中できなかった歴史ゆえなのか、それとも生物学的な意味で元々の精神構造が異世界を基準とする『俺』とは違うのか、その正確なところまでは判断がつかなかった。

 ま、結論を出したところであまり意味があるとも思えないけど。

 そんないくらかの自嘲を込めた笑みが自然と漏れそうになり、慌ててこらえる俺だった。

 

「それでは御身の御前にてご報告申し上げます。今回、貴国の与えてくださった厚遇を忘れて粗相をしでかした者は、一度わが国に戻らせ、物見遊山に興じるがごとく緩んだ心根を厳しく罰することになりました」

「これこれ、わが国の兵も反省しておったし、そちらもあまり厳しい処分をしてくれるでないぞ?」

「承知しております。ですから一度中間報告として本国に戻らせ、そこでバラン様に絞ってもらうつもりです。そうですね、三日ほどしごきあげてやれば十分反省するでしょう。それで今回の罰則は終わりです」

「ふむ。まあ仕方ないかの」

「ええ、うちにもメンツがありますから。御身のご温情に甘えて無罪放免とするにはいささか抵抗があります。ご了承いただけましょうか?」

「それこそ口出しできることでもなかろうて。こちらの意を汲んでもらえただけでワシは満足しておる。感謝するぞ、ルベア」

「いえ、シナナ様のお慈悲に感謝いたします」

 

 俺が神妙な顔で頭を下げると、困ったように「よいよい」と場を収めるロモス王だった。本当、お人好しな王様である。助かるといえば助かるのだが、その分申し訳なさも募るのは避けられないことだった。

 

 今回俺がロモス王国を訪ね、こうして謁見の間で貴人と顔を合わせているのは謝罪として頭を下げるためだった。諍いの内容そのものは大したことではない。

 ロモス王も口にした通り被害もほとんどなく、せいぜい殴り合いに発展した当事者たちの数人が多少の怪我を負っただけ。公務ではなく私的な親睦会の席だったのだが、提供された酒精の巡りが良かったのか思わず口が滑り、あれよあれよという間に手が出る事態まで燃焼してしまった。と、まあそういうことらしい。

 報告する方も面目なさげだったが、報告されるほうの俺だって泣きたくなったぞ。何が悲しくて酔っ払いの後始末をせにゃならんのだ。

 

 問題の原因というか背景に関してはある程度想像がつく。ようは自国の武力を恃んだ驕りだろう。

 かつてベンガーナ軍に示した竜の騎士の勢威を皮切りに、国内外の治安維持や演習を通して実績を積み上げ続けるバラン本人の風評もあって、近年アルキード王国はその声望を大いに高めている。

 またその張本人たるバランによって鍛えられた騎士団の精強化が実感できるようになってきたのか、武官の気勢が文官にも伝播しているところは否定できなかった。幾分増長した心根が今回の喧嘩沙汰につながっていたのは確かだろう。聞き取り調査の結果、うちの連中がロモス王国の兵隊を軽んじたことが発端だったのだから。

 

 アルキードの民の誰もが急激な変化に対応できているわけではない、というのもわかるんだけど。仕掛け人である俺が文句を言うのはやっぱり不遜なんだろうなあ……。どうしたものやら。

 元々アルキード王国の軍事力は八王家の中で比較するならばよくて中堅程度、敬意を払われるほどのものではなかった。世界最強の呼び声高い精強な騎士団を有するカール王国が頭一つ抜けていて、そこに追随していたのが城砦王国リンガイアだ。毛色はやや異なるが世界第三位をあげるならばベンガーナ王国になるだろう。つまり中央大陸の勢力圏においてはアルキード王国はカール、リンガイア、ベンガーナの風下に立っていたわけだ。

 

 軍事力を半ば放棄していたテラン王国は論外として海を隔てた三国、つまりパプニカ、ロモス、オーザムは一つの大陸をそれぞれ一国で統治しているため、隣接した国家がない。必然、外敵に攻め込まれる軍事的脅威が低下していたため、中央大陸に比べてやや弱卒の軍であることは否めない。ということで、贔屓目に見てもアルキード王国の軍事力は世界で四番目、実際はテランを除けばどんぐりの背比べだというのが現実だった。

 

 が、ここで一石が投じられる。

 竜の騎士たるバランが出現したことでパワーバランスに明確な変動が現れ、あるいは世界最強の看板はアルキード軍(うち)こそが相応しい、と思い上がるのもわからないではなかった。実際バランの頚木を外してしまえれば、軍略次第ではあるが本気でアルキード王国の下に七王家を従えることだって決して不可能なことではなかった。もっともバランにしても俺にしても、世界の覇権(そんなもの)に興味がないため、実行に移されることはありえないだろうけど。

 いずれ攻め寄せてくる魔王軍対策を抜きにしても、世界を統一する一大事業なんぞ冗談じゃないぞ。わざわざ平穏を乱してまでやる価値があるとも思えないし、後々の苦労を考えれば過労死必至なのだ。誰がそんな馬鹿な真似をするかっての。

 

 御国の盾を担う兵士諸君に力への自負や余裕があるのはもちろん嬉しいし、志気旺盛なのも望むところだ。練成の成果を誇るのも結構、時には自慢話だってしたくもなろう。仲間内で吠える分には俺だって何も言わんよ。

 だがな、TPOくらいは弁えてくれ、というのが今回の件に関する俺の率直な意見だった。他国に派遣されてるんだから普段以上に自重に努めねばならないのは道理だろう。小さな諍いで済んで本当によかった。

 

 もっともバラン抜きでカールやリンガイアとやりあえば、分が悪いのはまだまだアルキード(うち)なのは変わらないのだけれど。根拠のない判断が一兵卒のものならともかく、騎士団の幹部クラスまで似たような声をあげているようだと目も当てられないと苦笑をこぼす。

 ともあれ今回はロモス、アルキード、どちらの人間も軽傷で済んでいるし、ロモス王も鷹揚な態度で許しているので大事には発展しなかったのが幸いだった。

 

 そうした中で俺がロモス王国に遣わされたのは、問題を起こした人間の職務がディーノ王子の捜索――アルキード王族が関わる重大事案だったためだ。

 かつてダイを乗せた船の沈没座標を省みれば、漂流先として一番可能性の高いのはロモス王国南部の海岸線である。里親としてつけられていた者が生きていれば既に本国に連絡が入っていたはずなので、もしもダイが生きているとすれば赤子の素性を知らぬ第三者が善意で拾い上げ、わが子として育て上げている、というのがおおよその見解だった。そこには何らかの思惑を秘めた悪人に拾われたりしていないでくれ、というソアラたちの希望的観測も入っているだろうけど。

 いずれにせよ次期女王の嫡子を放置する意味はない。真っ先にロモス王へ協力を要請するのは火を見るより明らかな帰結だった。

 

 俺がロモス王をお人好しと評するのはこの要請への快諾にも理由を求められるだろう。彼は当時のバランとソアラ、そしてディーノを巻き込んだ一連の騒動、つまりアルキード王国に大混乱を招いた顛末の概要を聞き及ぶと、それはもう我が身の痛みのように同情と共感を示し、アルキード王室の苦境を駆け引きや取引材料として利用することもなかった。

 

 協力を約してくれたシナナ王はロモス王国に点在する町や村への通行や滞在、調査に便宜を図ってくれたし、今回騒動を起こした駐在員も快く受け入れてくれたのである。ルーラ使いは数が少ないため、彼ら駐在員が部下として調査員を統括し、ロモス王国とアルキード本土をつないで迅速に情報をやりとりする役割を果たしていたわけだ。うちとしてもつまらない諍いでこの協力体制を崩したくないのが本音のため、事態を重く見た上層部が少しでもロモスに誠意を見せる目的で早々に俺を送りこんだ、という裏事情があった。

 

 何故、俺? と首を傾げるほどでもない。率直に言ってバランの傍近くに侍る俺が『使いぱしりにするのに便利かつ最適』だからに他ならなかった。

 なにせ平民出身ゆえに国家に傷をつけることなく容易に頭を下げることができて、そのくせ王族に近いため相手に対する『格』の問題が解消できてしまうのだ。なるほど厄介事解消係としてはこれ以上ない人材だな、と俺自身感心してしまったくらいだ。

 俺としては両国のメンツを立てた上で穏便な着地を図るという一見難しい案件処理を任された、と胸を張って言えればいいんだが、その実態は単なるクレーム処理業務でしかなかったりする。

 

 ――そうそう、俺に回される仕事はこういうのでいいんだよ。平和な仕事って素敵だ、切った張ったの鉄火場に放り込まれるよりはずっとマシだっての。……だから俺の平穏の邪魔をせずに引きこもってろよ、傍迷惑な大魔王。

 

 しっかし、偉くなればなるほど『ごめんなさい』の一言が言えなくなるってのも因果な話だとつくづく思う。

 王様なんて最たるもので、王の謝罪はイコールで国家国民の謝罪と同義になるため、おいそれと公の場で非を口にするわけにもいかない。非を認めればそれだけ敵国や政敵につけこまれる余地が増えるのだから、ほんとヤクザな商売だよ。ま、程度の差こそあれその問題は、人の上に立つならばどんな立場だろうとついてまわるものだろうけどさ。

 

「シナナ様から賜ったお骨折りの数々、幾重にも御礼申し上げると陛下よりお言葉を預かっています。また、厚かましくも今後とも良好な関係を続けていきたいと重ねてお願い申し上げます」

「こそばゆいのう。アルキード王には困った時はお互い様だと伝えておいてくれい」

「かしこまりました。陛下もお喜びになられると思います」

「おぬしは相変わらず固いの。いま少しリラックスしてはどうじゃ?」

「お言葉はありがたく。さりとてこの堅物も性分なれば、御前にて自侭に振舞うは小人のゆえ、と笑って許してくだされば幸いにございます」

「仕方ないのう」

 

 割と本気でしょんぼり落ち込んでいる王の姿に冷や汗を流しながら、これ以外に打つ手はないと決めて苦笑を浮かべ、やりすごす。

 俺、そんなにおかしなことしてるか? 一応俺たちがいるのは謁見の間なんだけど。当然警護の兵をはじめ幾人もの廷臣が俺とシナナ王のやりとりを注視している。そんななかで下手な真似ができるはずもなかった。

 

 なんだってこの世界の統治者はこうフレンドリーな人が多いのだろうか? そんな答えの出るはずのない疑問を覚えては内心首を傾げてばかりの俺であった。悪いことじゃないはずなのだが、だからといってよいことなのかどうかも判断が難しい気がする。

 いや、まあ、公務は滞ることもなくしっかりこなしているのだからやっぱり問題はないのだろうけど。……今も公務中だ、という突っ込みは忘れておくのが吉なのだろう、きっと。

 そんな風に無理やり納得している俺に、シナナ王は変わらぬ恵比須顔で語りかけてくる。

 

「バラン殿は息災かの? 忙しく過ごしているとも聞くが」

「時間を見つけては世界中を飛び回っていますよ。我が子を想う父の情とはかくも強いものかと頭が下がる毎日です」

「なに、そなたもいずれ実感することになる。ワシが保障しよう」

「そんなものですか」

「うむ」

 

 親しげに言を積み重ねるロモスの王。不要領気味に困惑を浮かべる俺。

 語るまでもなく妙な空間が形成されていた。周囲もいくらか戸惑っているような気配が伝わってくる。すいません、こんな緊張感のないやりとりを見せてしまって。

 

「して、今は何処(いずこ)に? ……いや、こうも詮索するのはまずかったかの」

「いえ、そのようなことはありませぬ。ただ今回はパプニカ王国に出向いているはずなので、声を大にして、というには些か厳しいかもしれません」

 

 ロモスやテラン、ベンガーナのようにこちらの調査団を受け入れてくれている国に対しては半分以上部下任せの捜索になっている。年単位の活動をしているため、その調査範囲もかなりのものになっていた。

 その一方、バランが主に担当するのは王都や人口の多い街を除いた辺境の地である。小さな農村やモンスターの生活圏と隣接しているために離散を繰り返しているような小さな集落など、ルーラだけではカバーできない部分をバランが補っている。なにせ体力魔力とも無尽蔵ともいえる竜の騎士だ、トベルーラで飛び回ってよし、幾里も駆け抜ける健脚ありと、華やかさとは無縁の地点でこれ以上の人材はいなかった。

 

 ただし、それはあくまで正規の調査団の補佐であり、今回足を向けたパプニカ王国への用向きとは少し異なる。パプニカ王国はアルキード王国から見ると、海を渡った南東のホルキア大陸に覇を唱えている。ダイの乗った船が沈んだ場所を考えると、ロモス王国には劣るが漂着の可能性がないとはいえない。当然調査協力の申し入れはしたわけだが、残念ながら事故から三年以上が経過した今に至っても実現していなかった。

 

「ふむ……。かつての大戦、その傷跡未だ塞がらず、か。儘ならぬのう」

「致し方ありません。かの国は最初から最後まで激戦区だったのですから」

 

 パプニカ王国の復興そのものは順調に進んでいる。世界に名高い風光明媚な王都の景観もすっかり往年の美を取り戻し、民の間にも笑顔と活力が戻っているようだ。だが、人の心はそう単純なものではない、とりわけ王族の責務と重責の前では。

 パプニカ王国には今でも地底魔城――つまり魔王ハドラーが本拠地として居座っていた巨大な要塞が残っている。前大戦で痛手を被らなかった国は皆無といっていいが、中でも辛酸を舐め続けたのはほかならぬパプニカ王国だったことは疑いない事実だ。幾たびも軍勢に攻め寄せられ、よくぞ国の命脈を保てたものだと敬意を表する程度には絶望的な戦況だったらしい。

 

 そして、パプニカ王は亡国の危機を前にしてもはや悲鳴と変わらぬ救援要請を幾度も他国に送り――そのほとんどを無視された過去がある。

 

 どうしようもないことではあった。攻められていたのはパプニカだけではなかったし、どの国でもぎりぎりの攻防を続けていたのだ。純粋な戦力不足だったというべきだろう、自国の防衛に手一杯で援軍を差し向ける余裕など何処にもなかったのだから。

 王家の義務としてまず自国の安寧が先立つのは避けえぬことだ。その程度はパプニカ王家とて当然承知していただろう。……だが、理解と納得は別のものであることも天地開闢以来変わらぬ真理であった。

 

 つまり各国の王は『パプニカ王国の見殺し』ともいえる苦渋の決断を下さねならず、パプニカ王国は魔王ハドラーの勢威の前に滅亡まで秒読みの段階だった。

 あわやというところでアバンの一太刀がハドラーに届いたために亡国の憂き目は避けられたものの、そのときのツケがパプニカ王国から他国七王家への不審と恨みという形で現在まで続く不和の種になっているわけだ。アルキード王国からのディーノ王子探索への協力要請が断られたのも、過去の遺恨が故のことだったろうとは推測に容易かった。

 

 とはいえ他国との交流全てを排除する鎖国政策を取っているわけではなく、あくまで『国として』調査団の受け入れを拒否するにとどめている、という経緯がある。アルキード王国縁の人間が『観光客ないし旅人として』動く分には文句を言われていないのは譲歩といっていいのかもしれない。

 なにせ誰だって自国で他国の人間が内情を探りまわるなんて面白くはないものだし、これ幸いと諜報活動をされてはかなわないからだ。人の良いロモス王やバランに敬意以上の信頼を寄せているテラン王が例外なだけだろう。

 

 そういった按配で根気よく調査団の受け入れ交渉を続ける一方、バランがパプニカ王国の支配域であるホルキア大陸を縦横無尽に調べまわっているという、笑うべきか嘆くべきかわからない状況が出来上がっているのだった。うちもうちで、竜の騎士の強行軍に誰もついていけないからバランの単独行動を黙認するとか、それでいいのかアルキード王室並びに騎士団、と乾いた笑いしかでなかったことを覚えている。

 いくら一人でも心配ないとはいえ、バランに護衛をつけるのは喫緊の課題だよなあ……。王族の風聞的な意味でもこの状況はまずいだろ、絶対。

 

「現在パプニカが陥っている苦境と頑なさは、不甲斐ないわしらの責任でもあるからのう。耳が痛くて仕方ないわい」

「シナナ様がお気に病むことではありますまい。いずれの国もパプニカ王国が憎くて救援を出さなかったわけでもなし、魔の王の軍勢に各国の限界を冷酷に突きつけられただけにございます」

「それはそれで困りものなのじゃが……」

「かつての悔恨を生かすのが為政者の務めと愚考いたします。至誠をもって語り続ければ、いずれパプニカ王とて心動かされると信じておりますゆえ」

「今は思い悩んでも益はない、そういうことかの」

 

 無力を噛み締めるシナナ王に神妙な様子で頷いてから、ふっと緊張を和らげて笑いかける。

 

「それに然程心配はいらぬやもしれません。幸いといいますか、パプニカ王も最近は頬を緩める毎日だと聞き及んでおります。レオナ王女が日々お美しく成長遊ばされ、また幼くも聡明な姫君と声望が広まるのが嬉しくて仕方ないのでしょう。やがてはその光が積み重なった鬱屈を吹き払ってくれるやも、と考えるのは不敬でしょうか?」

 

 パプニカは『賢者の国』と異名を取るほど智と伝統を重んじる国だ。王家に将来を期待させる才気が芽生えたのは慶事以外の何者でもなかった。

 実際、五歳だか六歳だかの幼い姫君が既に幾つかの魔法を披露し、あらゆる呪文を使いこなす『賢者』の素養を見せ付けているのだから、親としては自慢の一つや二つしたくなるだろう。

 

「――ふ、ふふ。そうよな、そなたの言も現実にありえるやもしれぬ。子煩悩はどの国も同じか。ほんに善きことよの」

「然り。尊い方々のいと深き慈しみの御心に感嘆するばかりです」

 

 幼子が王の不信を吹き飛ばすと冗談めかした俺の言葉にシナナ王は一度目を瞬かせてから、自身の家族に思いでも馳せていたのかとても安らいだ顔で同意してみせたのだった。

 俺もこの時ばかりは不敬を意識的に忘れ、追従するままに声をあげて笑いあった。脳裏にアルキードの子煩悩王室の姿が描かれていたのは言うまでもない。

 

 ふむ。ダイの行方――デルムリン島の調査か。

 問題はダイを連れ戻した後に連鎖して起こる幾つもの問題への対処だが、国内情勢も整ったことだしなんとかなるだろう。そろそろ頃合だ、となるとバランやソアラに話を持ち込むべきだな。

 そして、いずれはアルキード王の承諾をえて世界に波紋を投げかけることになるだろう。既存の秩序を乱すことになるだろうから混乱は必至だろうが……大丈夫、乗り越えることはできるはずだ。多分。

 

「それではシナナ様、私はそろそろ失礼させていただきます」

「うむ」

 

 そう言って礼をとりながら辞去を告げ、立ち上がろうとする俺だったが、ふと思い出したように口を開いたロモス王の言葉にわずかながら驚くことになる。

 

「ああ、いい忘れておった。此度貴国が望んだ取引品は少々厄介な代物じゃて、くれぐれも扱いを間違えぬようにな。件の発案者はお主と聞いておるゆえ、いらぬ心配だとは思うがの。余計な口出しじゃったかな?」

「――いえ、ご忠告ありがたく受け取らせていただきます。成果があがった暁には必ずご報告に参りますゆえ」

「楽しみにしているぞ」

 

 会談が終わって幾分気負いが抜けた瞬間だっただけに意表をつかれた思いだ。さすがに一国の王だけあってよく聞こえる耳をお持ちのようだ、と内心で苦笑してしまう。どこか皮肉気味な感想になってしまうのは性分だった、こんなの口にできるはずもない。

 あとは船に積んだ荷物の最終チェックをして帰国の途につくだけだが、確かに扱うものがものだけに一層の警戒は必要だろう。随伴してきた兵に改めて通達を出しておくか。

 なにせ俺にとっちゃ今回の謝罪会見よりこっちの荷物のほうが重要度が高い。油断したせいでつまらない結果を招きたくもなかった。

 

「ではこれで。シナナ様も過日までご壮健であられますよう」

「うむ、また会える日を楽しみにしておるぞ」

「もったいないお言葉です」

 

 こうして特に波乱なくロモス王国での謁見は終了した。

 王座の前を辞し、あとは細々とした些事を済ませて船に乗り込むだけだ、と今度こそ緊張から解放されてほっと一息つくのだった。

 

 

 

 

 

 ロモス王宮を辞した後はルーラでラインリバー大陸の東海岸へ飛び、そこから海路でギルドメイン大陸を目指す。幸い海は穏やかなもので、数日波に揺られて大過なくギルドメイン大陸に到着した。

 港町で幾つかの書類にサインし、馬車に揺られて数時間の旅をしてようやく王都に帰還することができた。諸事に時間を取られた俺がアルキード王宮に戻ったのは、結局太陽が傾き、夕日が顔を覗かせようとする宵闇迫る刻限のことだった。

 

 この分だと今日は報告をあげるだけで精一杯かも……。

 幾分の憂鬱を抱えながら、城を留守にしている間にたまっているであろう書類の束を想像する。明日はいつもより三十分早く作業を開始しようと決めながら王宮を歩き――ふと違和感を覚えた。何か目に見える変化があるというわけではないが、時折廷臣とすれ違うたびにその小さな齟齬は大きくなっていく。どうも城全体が戸惑いの空気に満ちているようだ。

 待てよ、以前もこんなことがあったような……?

 

 まことしやかに奏でられる心を粟立たせるさざめきに落ち着かず、漠然とした不安がわきあがってきたころ、通路の先から見知った顔が出てくるのに気づいて足を止めた。恰幅の良い年嵩の女で、ソアラ付きの侍女だったはずだ。

 とりあえず挨拶をしなければ、と胸に手を当てて軽くお辞儀をする簡略化された作法を取るが、そんなことはどうでもいいとばかりにほっと息をつかれてしまった。はて、普段ならこんなにも露骨な態度を見せたりはしないものだが?

 

「――あぁ、よかった。お戻りになられていたのですね」

「ええ、さきほどロモス王国より戻り、急ぎ参内にあがりました。これからバラン様へ帰還のご報告を申し上げるつもりなのですが、何か私に御用がおありでしょうか?」

「はい。現在バラン様はソアラ様の執務室にいらっしゃいます。私はルベア様が戻られたらその旨伝えおくようにと申し付けられました」

 

 なるほど、それで俺を待つためにバランの執務室に向かっていたのか。そこで俺を捕まえるつもりだったのだろう。

 

「承知しました。私はこのままお二人を訪ねても問題はないのでしょうか?」

 

 時間をずらしたほうがいいのかという俺の問いかけに、女は迷いを見せることなく首を振って否定した。

 

「至急ソアラ様の執務室にお向かいなさってください。何でもルベア様にご相談があるとか」

「相談……? ああ、いえ、失礼しました。ご用向きは承知しました。わざわざ足をお運びいただきありがとうございます」

「滅相もございません。これも職務なれば、過分なお言葉はご無用に願います」

 

 内心で堅物な人だと苦笑をこぼす。ソアラの傍近くに侍るくらいなのだから、この女性も相当な名家出身だった。それが俺のような身分低き者にまで馬鹿丁寧に接せねばならないのだからご苦労なことだと思う。それだけ俺の後ろ盾(バランとソアラ)が大物だという証左でもあるのだろうけど。次期女王とその夫なのだから当然といえば当然か。

 まあこの女性とは顔見知りといってもさして親しいわけではない。それ以上の無駄話を挟まず、いたって事務的に別れを告げると、お互い惜しむそぶりもなく足を別の方向に向けた。

 

「ルベアです。帰国のご報告に参りました」

「入りなさい」

 

 目的の部屋の前で身嗜みを整え、一度深呼吸をしてから扉をノック。用向きを伝えると程なく入室の許可が下りた。物音を下品に立てぬよう注意を払いながら扉の開閉を終え、部屋に入った途端に膝をついて目を伏せる。

 ここには何度も出入りしているだけに特別な緊張も必要なかった。ソアラが普段政務を執っているこの部屋は俺に割り当てられたものよりずっと広い。高級木材を加工して丁寧に作り上げられた執務机や床に敷かれた柔らかな絨毯、随所にアクセントとして置かれた陶器や硝子の調度品は高価な品でありながら上品さを失わずに輝きを放っている。最初にこの部屋を訪れたのはもう何年も前のことになるが、そのときも部屋の主の趣味の良さが表れていると頷いたものだった。

 

「面をあげなさい、ルベア。遠慮は無用です」

「はっ。では失礼しまして――」

 

 伏せていた顔をあげ、片膝をついていた姿勢もすぐに解いてしまう。ソアラが苦笑している通り形式以上の意味はないとはいえ、仮に部屋の中にいるのが気心の知れた相手だけではなかった場合、面倒なことになりかねないのだから仕方ない。成り上がりの身なればこそ、普段から弱みを晒すような無様は戒めねばならなかった。

 

 そして、その用心は半分正解、といったところだろうか? この部屋、つまり俺の眼前にいるのはソアラとバランだけではなかった。かといって宮廷の高位貴族ではない……はずだ。断定できないのは見覚えがないのではなく、単純に顔が見えないせいだった。

 なにせバランの隣に控えている人物はすっぽりと身体全体を覆うマントに、やはり顔全体を隠してしまう怪しげなフードを被り、そのうえ口元までもが布で覆われていたからだ。

 

 ……おいおい、王宮の中で顔を明かせないとか厄介事の匂いしかしないぞ。密偵でなければ可能性が高いのは他国の要人……それも外聞を憚る事情で尋ねてきた王族やら貴族あたりか?

 即座に幾つかの当たりをつけるものの、そのどれもがしっくりこないのは明らかだった。不自然に過ぎる。

 

 と、いうのも、本当に相手がやんごとなき身分の方ならば、通達もなしに俺と鉢合わせるような杜撰な真似をするのはおかしいのだ。加えて気になる点をあげるとすれば、マントに包まれた四肢が幾分小柄な人のそれに見えることか。長身のバランと並ぶと明らかに小さかった。

 そうなると年少の男子かあるいは女性の可能性が浮かぶが、ぱっと見の印象では俺とそう歳も変わらぬ男ではないだろうか? わずかに覗く顔の輪郭もシャープで、視線を降らせてよくよく観察してみれば、かすかに喉仏が見て取れた。やはり男だろう。

 

 そんな俺の詮索を目的とした視線に気分を害したのか、フードの向こう、鮮烈な光を宿したきつい眼差しが遠慮呵責なく俺を射抜いてみせた。その威に押され、防衛本能が刺激されたのか反射的に眦をつりあげると、しばし睨み合うように時を潰すことになってしまう。

 

 ……まずった。

 

 意図せず睨み合うような形になってしまったことに反省するも、欠片も張り詰めた緊張を緩めることはできなかった。なんといってもこの無遠慮なまでの警戒と敵意の視線が怖すぎる。なんだってここまで強烈な眼光と迸る威圧に晒されねばならないのか。

 いつぞやのバランに比べれば幾分ましだと強がってはみても、やはりきついことにはかわりなかった。フード男の研ぎ澄まされた気迫に思わず息苦しさを覚えて喘ぐ。……動けない。

 

 しかし、なんて不躾な……。ほんと何者だこいつ。そんじゃそこらの人間にここまでの芸当ができるとは思えんぞ。

 これは俺が試されているのか、さもなければ喧嘩を売られているかのどちらかだろう。いずれにせよこの時、俺の脳裏では眼前の人物は危険だと即座に警鐘が鳴らされていた。

 そして恐らくその直感は正しい。そう確信できるくらいには目の前の人物は危うかった。形容するならば抜き身の刃だろう。取り繕うこともなく力を突きつける獣のごとき闘争本能が見え隠れし、相対するだけで緊迫感溢れる戦場の空気にしてしまうのはいただけない。

 

 どうしたものかと溜息が出そうになり、慌てて堪えた。こちとら向けられる悪意には敏感なんだから手加減してほしいものだ。もっとも隠す気もないのだろうけど。

 フード越しだろうとお構いなく読み取れる無遠慮なまでの警戒と敵意の大きさの前に、俺とて愉快な気分にはなれず、不審者に向ける目は自然と厳しさを増していた。――断言しよう。初対面の印象は最悪だ。

 

「穏やかな初顔合わせにはなるまいと思っていたが、ここまで険悪なものになるのも予想外だな。お前らしくないのではないか、ルベア?」

 

 時間にして十を数えるかどうか、といったところだろうか。俺にとっては命の危険を突きつけられたせいでもっとずっと長い睨み合いだったように感じたが、実際はそこまででもなかったはずだ。……走馬灯とか冗談じゃないぞ、おい。

 俺とフード男の対峙を、不敵な笑みを浮かべながら『険悪』と評したバランの一言で当事者二人の気勢が削がれ、ようやく息をつく余裕が生まれた。多分あと十秒続けていたら膝を折っていた。解放された今ですら背中が冷や汗でびっしょりだ、寿命がまた縮んだ気がする。

 

「私に不手際があったのならば謝罪もしましょう。ですが、多少の疑念を向けただけで射殺すような返礼をされてはたまりませんよ」

 

 まだばくばくと煩い心臓を宥めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。多分、俺はこの時少しばかり不貞腐れていた。

 

「バラン様もソアラ様も先ほどは仲裁に入る様子が見られませんでした。ならばそちらのお客人の振る舞いを是としたも同義。私は歓迎されていないことが十分に伝わりましたゆえ、拝謁の栄誉はご辞退させていただきます。後日、改めて伺わせていただきたく――」

「まあ待て、先程の不手際は確かにこちらの落ち度だ。それは認めるゆえ、そう腹を立ててくれるな。このままお前に帰られては私がソアラに叱られてしまうではないか」

 

 努めて無表情を装い、これ以上となく完璧な作法で頭を下げてから、さっさと踵を返してしまう。船旅に馬車旅とそれなりに疲労しているところにこの仕打ち、少しくらいは意趣返ししてもいいだろう。と、半ば冗談、半ば本気の行動にさすがに悪ふざけが過ぎたと判断したのか、引き止めるバランの声には常にはない焦りがわずかながら読み取れた。

 それで溜飲は下がったため、素直に機嫌を直すことにする。引き際を誤るととんでもないことになるし、このへんがじゃれあいの限界だろう。……フード男の視線が明らかに強くなったが無視だ無視。

 

「私からも謝らせてちょうだい。夫を止められなくてごめんなさいね、ルベア」

「とんでもありません、私こそ年端も行かぬ童子のような振る舞いをお見せしてお恥ずかしい限りです」

 

 ところでバラン様、と気持ち柔らかめの声音で呼びかける。

 

「私で遊ぶのは結構ですが、それがあなた様の稚気だけとも思えませぬ。私の不在の間に何か不愉快な出来事でも起こりましたか?」

「……何故そう思った」

「普段はおやりにならないような隙を晒す――それはつまり『甘え』ゆえのことでございましょう? 畏れ多いことですがそれほどまでにお心をお許しいただけたこと、我が身の誉れと致します」

「む……」

 

 そんな青臭い台詞を大真面目な顔で告げると、バランは照れくささからか視線を逸らし、ソアラはそんな俺たちを嬉しそうに見守っていた。さてさて、これで多少なり空気が弛緩したことだし、話を本筋に戻すには十分だろう。

 

「改めまして、この度ロモス王国より帰還致しました。侍女の方からお二人が私にお話になりたいことがあると伺いましたが、それはそこのお客人のことでよろしいのでしょうか?」

 

 そう問いかけると、バランは小さく頷いてフード男に目配せした。それだけで言いたいことが伝わったのか、彼は顔を隠していた布とフードを即座に取り去ってしまう。今の今まで隠されてきた客人の素顔が衆目に晒された瞬間、俺は驚愕から大きく目を見開くことになった。

 

「魔族……」

「正確には魔族の父と人間の母を持つ混血児(ハーフ)だ。名をラーハルトという」

 

 フードを払ったことで長く伸びた見事な金の髪がばさりと広がる。その強い光を帯びた切れ長の瞳は獲物を捉えた肉食獣のような獰猛さを予感させ、目元から頬にかけての縁取りは戦化粧のようですらあった。なにより特徴的なのはその肌の色だろう。浅黒い色彩は俺たち人間とは種族が違うと、一目で確信させるに足るものだった。

 

「ラーハルトよ、先程の非礼を詫びておけ。お前に不満があるのはわかる。だが、それは本来私に向けるべきものであり、ルベアに当たるのは筋違いだ。此度は見逃したが次は許さん、そう心得ておけ」

「はっ! 自身の不明を恥じ、猛省に努める所存でございます。……そこな御仁、憤懣を叩き付けるがごとく気当たりを向けてすまなかったな。この通り反省しているゆえ、責は全てこのラーハルトにあるのだとご理解願いたい」

「貴殿の謝辞は確かに受け取らせていただきました。私も早くに忘れられるよう努めましょう」

「かたじけない」

 

 逡巡する素振りも見せず、深く頭を下げるラーハルトの素早さに面食らってしまう。頭を下げることに躊躇いがないのもそうだが、バランへの忠義の深さに驚いたのだ。バランとラーハルトはどう考えてもまだ出会って半月足らずのはずなのに、既にこの二人は君臣の在り方が確立しているようだ。

 にしても、お寒い限りだと内心で溜息を零す。ラーハルトの言葉には俺に対する申し訳なさや敬意など欠片もない。そんな形だけの謝罪であったことも事実なのだが、わざわざ蒸し返すこともあるまいと口を噤んだ。

 

「バラン様はパプニカ王国を訪れていたはずですが、やはりそこで?」

「山間の集落の外れでこやつを保護した。いや、この際言葉を飾るのはやめておこう。ラーハルトは魔族の父を亡くした後、魔族の血を理由に人間の母諸共に迫害されて幾度も村を追われたようだ。私が見つけた時は人の寄り付かぬ山奥に隠れ住んでいたよ」

「……保護されたのはラーハルト殿だけでしょうか?」

「母親は残念ながら数年前に亡くなってしまったようだ。病だったと聞いた」

 

 父を早くに亡くし、魔族の血を理由に人間の母諸共迫害に遭った。種族を理由に石持て追われる苦しみはバランも経験していることだ。まるで我が身を切られるがごとくの心境だったのだろう、ラーハルトを不憫に思っても何ら不思議はない。

 聞けばバランの息子探しの調査にも一週間近く同行しており、その際に武芸の手ほどきも受けていたらしい。ラーハルトがバランに信服した一因にもなっていそうだ。もっともバランの話では元々我流で磨いた槍の腕前も相当だったようだけど。

 

 バランがラーハルトを伴って帰国したのが四日前。今はラーハルトの希望もあって騎士団に所属させているそうだ。官舎も騎士団所有のものを利用しているとか。

 つまり――ラーハルトはバランの後ろ盾によって些か強引にアルキード王国内部に食い込んでいる、という形になるわけだ。

 王宮を包んでいた妙な空気の正体がようやくわかった。かつてのバラン処刑騒動の後にそっくりなのだ。王宮がやけに浮き足立っているように感じられたのもラーハルトの存在に戸惑いが広がっていたせいだろう。

 そりゃ魔族が王都どころかその中枢である王城を闊歩していれば落ち着かないというのもわかる。魔族の王宮勤めなんて前例、遡るだけ無駄だろう。ラーハルトはある意味平民の俺以上に異邦人なのだといえた。

 

「バラン様、ラーハルト殿を私にお引き合わせになった理由をお尋ねしてよろしいでしょうか?」

「うむ。突然の通達ですまぬが、明日からしばらくラーハルトをお前に預けることになった。そのことはラーハルトも承知している。今はそれだけを理解しておけばよい」

 

 承知している、ね。納得しているようには見えないし、間違いなく望んでのものではないだろう。

 ただ、『今は』と念押しされた以上、ここで仔細を尋ねるのはやめておいたほうがいいだろうな。詳細な事情はこの場では――少なくとも『ラーハルトがいる前では口にしづらい』。つまりはそういうことなのだろう、だから『相談したいことがある』と俺に言伝があったわけだ。

 

 ラーハルトに目を向けると、一瞬表情に迷惑そうな色が浮かび上がったが、すぐに感情を抑えてかすかに目礼を返してきた。ラーハルトも俺の部下として配属される、あるいは補佐を務めあげることを言い含められているとはいうが、はてさてどうなることやら。

 いきなり舐めた態度をとってくれたのだって、望まぬ配置換えに不満を溜め込んでいるせいだろう。暗雲渦巻く前途多難な有様にずきずきと頭痛が襲い掛かってくるようだった。

 

「謹んで拝命致します。通達は以上でしょうか?」

「ルベアは少々残ってくれ、明日の予定を確認する」

「わかりました」

「ラーハルトはご苦労だった。これで下がってよいぞ。ああ、申し付けておいた鍛錬を怠るなよ」

「はっ!」

 

 短く了解の声をあげ、落ち着いた所作で一礼すると、ラーハルトはきびきびとした動作で部屋を出て行った。

 まだまだ幼げな風貌を残してはいるが、その堂に入った仕草は既に武人の片鱗を身に着けているように見える。とにかく動きに無駄がなくて見ていて心地よいのだ。ソアラのようなしなやかな美とは違う。やはりというべきか、バランに近いものを如実に感じさせるラーハルトの立ち居振る舞いだった。

 それからしばらくの無言を挟み、改めてラーハルトを俺に付けた件について切り出そうとすると、ソアラの気遣いで備え付けの椅子が用意される。長話を見越してのものだろう、三人で車座になって顔を見合わせた。

 

「それで、よろしかったのですか。彼はあからさまに不満そうでしたが?」

「あれもまだまだ未熟者ゆえ、多少は目溢しもしてやれ。それに……残念ながらあれにとっては見えるもの全てが敵なのだ」

「例外はバラン様とソアラ様のみ、ですか」

 

 バランほどではないとはいえ、ラーハルトの敬意はソアラにも向けられていた。安心材料とするには、ちょっとばかりか細すぎるがな。

 

「正確にはバランに連なる者、というべきでしょうね。あの子は私とシンシアには丁寧に接してくれているわ。そんな時、あの子の目元には確かな優しさも浮かんでいるから、演技ではないでしょうね」

「ぎりぎりですね。やはり彼は人を憎んでいますか」

「魔王ハドラーの侵略が開始された頃、ラーハルトは七つだった。それから六年、いわば人生の半分を悪意と迫害の中で育ってきたのだ、根は深いだろうな」

 

 物心ついてからの時間を思えば人生の大半を迫害の中で育ったわけだ。その過酷な半生を思い、三人が三人、不景気な顔で黙り込む。話していて気持ちの良いものでもなければ、聞いていて愉快になれる話でもなかった。

 

「ルベア、これを見てもらえる? ラーハルトから口頭で得た身上書と騎士団からあげられた報告書よ」

 

 沈み込んでいてもしかたないとでも思ったのか、ソアラが束になった書類を取り出し、俺に差し出してきた。確認を取るまでもなく二人は承知している内容だろう、となると事態の認識をすり合わせるためにも急いで読破しなければならない。

 しばらくの間書類をめくる音だけが執務室を支配していた。

 

「うちの騎士団連中の一部――おおよそ十人を相手に一人で立ち回り、挙句全員を叩き伏せた? なんです、これ?」

「残念ながら事実なのよね」

「勘弁してください」

 

 既に俺の心は泣き出しそうだった。なんでいきなり乱闘なんだよ、まがりなりにも騎士団は国の管轄化にある正規の軍隊だぞ? それがどうしてそこらの無頼者みたいな軽率な真似をやらかしてんだ。しかもその乱闘には隊を預かる幹部クラスまで含まれていたと記載されているわけで……マジで何やってやがる、あの馬鹿共。冗談じゃなく脳筋呼ばわりするぞ、こんにゃろう。

 騎士団でも血の気の多い馬鹿がラーハルトの出自を理由に喧嘩を吹っかけた、というのが発端というのだから情けなくもなるし、バランが不機嫌になるはずだ。俺がロモスに渡っていた理由も合わせると、これは本気で騎士団の引き締めを考えたほうがよさそうだ。一度バランと相談してみるべきなのかもしれない。

 

 と、今はそれよりラーハルトだよ。こいつもこいつでやりすぎだ。もちろん非はアルキード騎士団側にあるし、重傷者は出ているものの幸いなことに死者が出る最悪の事態にまでは発展していない。そうである以上、不問にして有耶無耶のうちに収めてしまうのが無難な線か。

 実際そういう方向で玉虫色の解決に終わろうとしている。下手に問題を大きくすると収拾がつかなくなりそうだから多分正解だ。もはやラーハルトへのしこりが残るのは避けえぬ未来ではあるが、それはこれから何とかしていくほかあるまい。

 

「多少の怪我を負うも、最後まで立っていたのはラーハルト殿ですか。彼はまだ十三歳の少年でしょう?」

 

 溜息しか出なかった。眩いほどの鬼才だ、おそらくは地上随一の戦闘センスを持ち併せているのだろう。こんなのが俺と同い年かよ、化け物め。

 とはいえ、人類最弱を標榜する俺がラーハルトに対抗心を持ち出す意味は欠片ほどもないんだけどさ。体内で練る闘気は認識できず、魔法使い系にしろ僧侶系にしろ初級呪文の契約すら成立しなかった時点で俺の将来性はゼロだ。戦場に出るだけ無駄、足手纏いになるだけだ、とバランに太鼓判を押されているのだからこれ以上の保障はない。

 

「もうここまでくると天賦の才としかいいようがありませんね。過酷な生い立ちゆえに自衛できるだけの力と狩りに困らぬ技量を身に着ける必要があった、それはわかります。しかし、それでもこれは異常でしょう。うちの連中だって隊列を組めばゴーレムやライオンヘッドとやりあえる程度の練度は持ってるんですよ」

 

 だからこそ伸ばしてやりたくなる、というのはバランの弁だった。これぞ武人って感じの言い分だ。

 まあ才能の原石を磨くという意味なら俺にもそこそこ共感できる。出来の良い若者を見るとお節介を焼きたくなるし、何処までいくのか見てみたくなるものだ。

 

「つまりあれですか、このまま騎士団にラーハルト殿を置いておくのはあらゆる意味でまずい。ついては冷却期間として別の部署に預け、然る後に騎士団に戻す。そういう目論見がお二人の胸のうちにあると見てよろしいでしょうか?」

 

 じとりとした目を向けるくらいは許してほしい。なにせこれ、俺が完全に貧乏くじ引かされているのだから。

 

「いずれ騎士団の一翼を率いる立場に、と考えている」

「随分高く買っているのですね」

「それだけの器量だと見込んでいるのだ。さて、そろそろお前の忌憚ない意見を聞かせてくれ。難しいと思うか?」

「生憎私は一目で相手の才覚を見抜ける便利な目は持ち併せていないのですが、現時点で十分に未来を期待させる逸材だと思いますよ。とはいえ、国の重鎮として迎え入れるのならば兵としての力量ではなく、将としての器量を試されましょう」

 

 戦士の才能という意味では不足どころかお釣りがくる。その片鱗は既に示されているし、『俺の知る』歴史においてもラーハルトの力は絶大だった。

 陸戦騎ラーハルト。古今無双の槍使いにして、竜の騎士バランの腹心中の腹心。バラン亡き後は彼の遺言に殉じ、人間を憎む私心を捨ててバランの息子であるダイに忠誠を誓った、まさに忠義の士と称すに相応しい男だ。

 別の未来ではバランが統括する超竜軍団の指揮官として、その任を見事に務め上げたのだから、兵として、将として、不足などあろうはずがない。もちろん現時点の彼は未だ経験浅く未熟な若輩者ではある。しかしそれもいずれ時が解決してくれよう。

 

「ネックとなるのはやはり魔族の血を引いていることです。これを臣下の皆様に受け入れていただくには相応の時間がかかりましょうし、指揮官として強大な武力を率いさせることに危惧や嫌悪を抱く者とておりましょう。加えて部下が素直に心服するかどうか……。大変申し上げにくいのですが、現在の彼の振る舞いを見るに周囲との軋轢は深まるばかりなのではないでしょうか? いくらバラン様の望みであろうと、ラーハルト殿を無条件で引き上げることに頷くわけにはいきませんよ」

「わかっている。ではお前と似た立場に置くのならばどうだ?」

「それこそおやめになられたほうがよろしいかと。もちろん形だけでよろしければ今すぐでも実現できましょうが、それは最悪の選択になると思います」

 

 強権はいざという時に振るうものであり、普段からそんなことを続けていてはそれこそ暴君のやりようだ。いたずらに臣下の反発を誘発することもあるまい。

 

「私の場合はまだバラン様の地位も定かならずの微妙な時期ゆえ許されましたし、なし崩しのまま現在に至っている事情も少なからずあります。ですが今の御身は身代が重くなりすぎ、かように無茶な人事を断行すれば、長く忠勤に励んできた譜代の臣の反発が強くなりすぎる恐れがあります。バラン様の存念があの者を傍近くに置くことにあるのでしたら、今は時期を待ち、然るべき功を立てさせてから登用すべきでしょう」

 

 つまり順番が逆なのだ。ラーハルトをバランの傍近くに侍らせるにしても、まずは騎士団で頭角を表し、磐石の地位を築いてからでないとまずい。そうでないとそれこそ『王族の我侭、えこひいき』になってしまうだろう。

 ある程度ラーハルトが周囲に認められてさえいれば、護衛任務の名目でも作って騎士団から出向させるなりで、何の憂いもなくバランの傍にも置いておけるとは思うが……。

 

「やはりそうなるか。歯がゆいものだな」

「……あの、バラン様? それだって本来は無茶なんですからね? 正規の手続きを踏んでいない私が言うのもどうかと思いますが、出来るならどこぞの名家と縁組をすることで明確な後ろ盾を得てもらい、さらに有無を言わせないくらいの大功と長年の忠勤を経てようやく、といったところなんです。それくらいあなた様の身分は重いのだとご自覚ください」

「惚れた相手がたまたま王家の娘だったのだ、多少は大目に見るが良い。というのは言い訳になるかな?」

「はい、言い訳です。そんな戯言は全力でポイしてください。あとさらっと惚気ないでいただけますか?」

「くく、そういってくれるな」

 

 真面目な顔でしれっと冗談を口にするから妙な笑いを誘われてしまうんだよなあ……。

 自重しやがれ王族兼竜の騎士。レアリティという意味でも慣習という意味でも、既にこの地上で並ぶ者のいない高貴な身分になってんだぞ、あんたは。

 

「とにかくバラン様のご要望は理解しました。当面はラーハルト殿の才覚に期待するとして、私も出来る限りの助力はさせてもらいます。お二人にお目をかけていただけるなら彼に功を立てさせる機会も用意できましょう。精々励むことにしますよ」

「すまぬな、苦労をかける」

「もう慣れました」

 

 良い感じにまとまったところで、じゃあ解散、というわけにはいかなかった。ここでソアラが口を開いたからだ。

 

「ルベア、もう少しだけ話を続けさせてもらってもいいかしら」

「……何故かとても嫌な予感がするのですけど、ソアラ様の御用向きもやはり拝聴せねばなりませんでしょうか?」

「あら、寂しい。バランのお願いは聞き届けておいて、私のお願いには耳を傾けてくれないの?」

 

 そのにこにこ笑顔が眩しくて怖いです、ソアラ様。

 とりあえず形ばかりの抗議として小さく息をついておいた。これ、降伏のサインになっていやしないだろうか?

 

「出来ればこれ以上の荷物を抱えたくないのが正直な気持ちというか、割とバラン様の要望だけで手一杯だと思うんです」

「あなたはもう少し自分自身を知ってもいいと思うけれど……そうね、本当に無理なら考え直すわ。でも、私はあなたになら任せられると本気で思っているのよ。駄目かしら」

 

 ……困った。

 

「ソアラ様はずるい言い回しを心得ておられます。そこまで見込まれて否といえるほどの胆力を、私は残念ながら持ち合わせておりません」

「ふふ、ありがとう。男の子は大変ね」

「安いプライドだけは一丁前に持ち合わせているんです」

 

 ひょいと肩を竦めて適当な口上を垂れ流す。男の矜持を十三で語るにはちと早い気もするが、まあ志に早いも遅いもないだろう。女性の口車に上手く乗せられて差し上げるのも紳士の務めというものだ。ただし相手が美人の時に限る。

 そんな阿呆な冗談はともかく、俺もこの二人には大概甘いよなあ、と改めて自覚した。しかもそれが悪い気持ちではないのだからここから抜け出せる可能性はゼロだ。厄介な夫婦に見初められたものだと唇を吊り上げて笑う。

 

「お聞きしましょう。ソアラ様は私に何を望むのです?」

「私はラーハルト(あの子)に狭い世界で満足してほしくないの。そう考えてしまうのは傲慢だと思う?」

「いえ、大変慈悲深きお言葉かと」

「ありがとう、では賛成してもらえるかしら」

 

 一度目を閉じ、すうっと深呼吸をしてからゆっくりと唇を湿らせた。

 

「私の心根を明かすならば、彼がバラン様のお血筋のみに忠誠を誓うのも悪くないと考えています。彼の我ら人類への恨みや憎悪はそう容易く払えるものではありませんし、その生い立ちを考えれば国家への帰属意識を素直に受け入れられるとも思えません」

 

 真剣な顔で聞き入る二人の顔を交互に見やりながら、淀みなく言葉を紡いでいく。

 

「アルキード王国の国政に携わる立場から判断するのならば、潜在的な敵対因子を放置するのは危険です。さりとてバラン様が手放しで賞賛される途方もない才覚は失うには惜しい代物であることも事実。となれば下手に手出しするよりも現状の追認、すなわち『個人への忠誠』を是とする判断に落ち着きます。付け加えるならば、彼の忠誠の在り処が間違っていると断じることなど、この世の誰にも出来ることではありません」

「ええ、そうね。『国』ではなく『人』に仕える。程度の差こそあれ、それ自体は珍しいことではないわ。けれどあの子の忠義は……」

「危うい、ですか?」

 

 言いよどむ言葉に被せるように俺が補足すると、こくりと頷くソアラだった。

 

「今のままだとあの子の忠誠がバランへの崇拝に変わりかねないのよ。王族は民から敬意を得なければならない立場だけれど、狂信まで歓迎するつもりはないわ。もちろん最終的にあの子が納得して選び取るなら何も言うつもりはないけれど、初めから選択肢がそれだけしかなかったというのは、ちょっと寂しいでしょう?」

 

 その青臭さに思わず笑い出しそうになった。

 いいね、その傲慢さこそが王族に必須の資質だろう。そしてありがたいことにバランもソアラもそんな自身に酔ったりはしないはずだ。それだけの自制心を持ち合わせた二人だからこそ安心して着いていくことができる。

 

「承知しました。『彼の(もう)(ひら)け』とご下命いただければ全力で任に当たる所存です。されど、一つだけ申し上げておかねばならぬことがあります」

「何でしょう?」

「――私は彼に優しくなど出来ませんよ?」

 

 そう念押しすると、俺の言葉を待ち構えていたかのようにソアラの目がすっと細められ、同時にその瞳に魅入られるがごとく、ぞくりと背筋に震えが走った。

 

「構いません、本気でぶつかり合わねば理解しあえぬこととてありましょう。あなたの裁量の限りにおいて好きにおやりなさいな。この私が許します」

「……なるほど、そういうことですか。だから先ほどはラーハルト殿の無礼を咎めなかったのですね。初めから衝突を織り込んでいるとは何ともお人が悪い」

「あなたへの期待の裏返しだと受け取ってくれれば嬉しいわ」

 

 そこで纏った威厳をふっとかき消し、申し訳なさ気な表情で力なく続けた。

 

「難しいことを言っているのはわかってるつもり。でもね、私たちではどうしてもあの子の理解者ではなく庇護者になってしまうの。それに……情けないことだけれど、私の知る限りあの子を偏見なしで見てあげられるのが、王宮にはあなたくらいしかいないのも事実なのよ」

 

 ソアラだけじゃない、バランもまた痛いほど真剣な顔つきで俺と向かい合っていた。……実のところ、性急さを求めなければ二人の庇護だけで十分だろうとも思うのだが。今は力で庇護を与えることしかできなくとも、時と共にその関係が変化していくことは十分ありえよう。それができない二人だとは思えない。

 いや、これは俺の楽観か。既に問題は起きている、場合によってはその猶予が失われることだって考えられるのだ。だからこそ荒療治すら覚悟したのだろう。

 

「幸い二人は年齢も変わらないし、変に気を遣いあうこともないと思うわ。もちろん最大限のバックアップも約束する。だからどうか私たちの意を汲んでちょうだい。頼まれてくれるかしら、ルベア」

 

 バランは公、ソアラは私、いずれもラーハルトと周囲の融和を目的にし、そのために橋渡しの役割を俺に望んでいる。結局、ソアラもバランも情が深いということに尽きるのだ。使い潰すには最適の駒、そう割り切ってラーハルトを見ることが出来ない。

 もっともそれが悪いことだとは思わない。大事なのは結果につなげることだろう。どんな綺麗なお題目も、どれほど眉を顰める謀の策も、成果が伴わねば等しく無意味な廃棄物に成り下がる。

 

 だから俺は礼法に倣って膝を折ることにした。そして、今日も不敵に宣言を口にするのだ。

 

「――御意。お言葉、しかとこの胸に。非才なる我が身の全力をもって、一ヶ月で彼を『使いもの』にしてご覧に入れましょう」

 

 

 



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第07話 肝胆相照

 

 

 バランとソアラにラーハルトのことを頼まれた翌日、自身に割り当てられた執務室の戸を開けると既に先客がいた。

 相変わらず目深に被ったフードと身体全体を覆うマントによって異様な雰囲気を醸し出している。上司から何も聞かされていなければ迷わず回れ右をして衛兵を呼びつけるところだ。

 そんな不審者ことラーハルトは、無言のまま涼やかな佇まいで俺に一瞥をくれるだけだった。寡黙な性分……というよりは口を開く必要性を認めないから黙っている。そんな感じだな。

 

「遅れて申し訳ありません。少々別件を済ませていまして、思いのほか時間がかかってしまいました」

 

 ゆっくりとラーハルトの眼前を横切り、抱えた書類の束を執務机に丁寧な手つきで置いてから、改めて客人と向かい合う。いや、今日から俺の部下だったか? 先日からここまでのやりとりを振り返るとどっちが上役かわかったもんじゃないけど。

 せめて雄弁に無関心と主張するその空虚な瞳の色をもう少し隠せないものだろうか。それは『人』ではなく『物』に向ける温度だろうに。

 まったく、見事なまでに無愛想だこと。取り付くしまもないとはこのことだ。

 

「さて、先日は自己紹介も交わしていませんでしたね。私はルベアと申します。以後お見知りおきを」

「ラーハルトだ。此度貴様の配下として励むよう命じられた、いかようにも使うがいい」

「貴公の着任を歓迎します」

 

 勤労意欲があるのは良いことだとなけなしの思いで納得し、自然と溜息が漏れ出そうになるのを必死に堪えた。昨日のバランやソアラへの態度を見るに、持って回った言い回しだって心得ているだろうに、俺に対してはこの冷ややかでそっけない対応ときた。……せつない。

 いや、この場合はバラン達以外の大多数に対するものなのだろうから落ち込む必要もないのか? おそらくこの男にとっては、俺たちのことなど『等しく価値のない』事象に過ぎないのだろう。

 

 まさしく不遜と呼びあらわすのに相応しい有様だ。ナチュラルに偉そうなのは魔族の血に流れる強者としての矜持なのだろうかと意識を飛ばすことしばし。その片手間で秘技愛想笑いを炸裂させている俺だったが、王宮の高官がこんな態度取られたら頬が引きつるだけでは済まなそうだ。

 まあバランが拾ってきたことは伝わっていたようだし、勝手の違う魔族出身ということで多少はお目溢しも期待できるだろうけど。『触らぬ神に祟りなし』の精神で避けられているであろうことも否定しない。

 私的にはもう少し形式への心配りがほしいと切実に思う。本気で敬意を払う必要はないが、それを表に出すようではいらぬトラブルを呼び込みもしよう。

 

「私はバラン様から、あなたを私の補佐として扱うよう言われています。相違ありませんね?」

「二度言わせないでくれ、好きに命を下せと既に明言したはずだ」

「わかりました、それではこれから打ち合わせを始めましょう。ああ、そうそう。そちらに応接セットを用意してありますので、好きなほうの席についてお待ちください。今、お茶を入れます」

 

 目で指し示す先には執務机とは別の卓と椅子が用意されている。お茶請けも完備してあるし、完璧だな。

 

「歓待は無用。すぐに仕事にかかるほうがお互いのためになるのではないか?」

「やる気があるのは好ましく思いますが一言二言で済む話でもありませんよ。その間ずっと立ちっぱなしというのも疲れてしまいます。ここは私の顔を立ててください」

「……わかった。従おう」

「それと、その野暮ったいマントはどちらでもいいですけど、フードは外してくださいね。折角のお茶は美味しくいただきたいですし、厨房の料理人にお願いしてお菓子も用意してもらったんですからありがたく食べないと」

「……承知した」

 

 いかにも不承不承といった態度で俺の要望を受け入れ、溜息をついてから腰を下ろすラーハルトだった。先日顔合わせをしているだけに特に抵抗はなかったようだ。

 ラーハルトが選んだのは出入り口側の席だった。意識的にか無意識的にかわずかでも逃げやすいほうを選んでいる。もっとも俺が力づくでラーハルトを害せるとは露ほども考えていないだろうから習性みたいなものなのかもしれないが。

 偶然といわれればそれまでだし、些細な問題には違いない。

 

「お仕事の話を始める前に、お互いの認識を摺りあわせておきましょう。私のことはどの程度聞いています?」

「……バラン様はお前を恩人であり、頼れる部下だと仰られた。その際、信用できるかどうかは俺の判断に委ねる、ともな」

「そうですか、あの方らしいですね」

 

 出来ればハードルをあげてほしくないんだが、そうもいってられないのだろう。じっくり取り組むことが出来るなら、そもそもラーハルトを俺に預けたりはしなかったはずだ。

 

「では、私がバラン様の従者を務めていることもご存知かと思います」

「聞いている」

 

 その確認の言葉にラーハルトの顔がかすかに顰められたようにも見えた。本当に一瞬のことだったから俺の思い違いである可能性も捨て切れないが、多分焦りと嫉妬あたりだろう。ラーハルトが俺の立場を羨望しないはずがない。

 一時、沈黙が部屋に落ちる。概ね想定通りの反応が返ってきたに内心ほっとしながら、間を稼ぐのに丁度良いと幾分ゆっくり茶葉を取り出し、遅滞なくポットからお湯を注ぐ。熱せられた葉が芳醇な香りを放ち始めた様子に満足感を得ながら、程よく茶葉の味と匂いが白湯に染み出したところでカップに二人分注ぎ込む。

 

「なんでも心身共にリラックスさせてくれるハーブティーだそうですよ。やや香りが強いですが、これが癖になると愛好する人もいると聞きます」

 

 どうぞ、と差し出し、俺もラーハルトに向かい合うように腰を下ろした。まずはカップを手にもってハーブの香りを楽しみ、ついで唇を湿らせ、琥珀色の液体を嚥下した。苦味のある独特の味が喉を滑り落ち、ほうっと吐息を零した。

 

「ハーブティーは苦手でしたか? お口に合わないようでしたら果汁の絞り汁を貰ってきますけど」

「いらぬ気遣いだ」

 

 子ども扱いにむっとしたのか、今までで一番わかりやすい反応だった。すこしばかり乱暴な手つきでカップを手に取り、恐れる素振りもみせず唇の位置まで持ち上げる。猫舌だったら愉快な結果に終わりそうだったが、生憎そんな弱点はなかったらしい。何事もなくカップを置いた。

 まだまだ隙はある、というよりこれが自然か。考えてみればまだ十三の少年だ、言動の節々に幼さの名残が残っているのも不思議なことじゃない。

 

「一つお聞きしますが」

「なんだ」

「私のことを羨ましいと思いますか」

「……答える義理はないな」

 

 『俺の下に就いたのだから義理はなくとも義務はある』とか嘯いてみたかったけど、ラーハルトの機嫌を下降させるだけに終わるだろうという確信があったため、苦笑一つで納めておいた。

 わかっちゃいたが打ち解ける気はないようだ。――もっとも、それは俺にしても同じことなのだが。

 

「そうですか。これは口外してもらっては困るお話なのですけど、バラン様はいずれあなたをご自分の傍近くに、とのお考えがあるようです」

 

 無愛想な顔に浮かぶ喜色ばんだ気配に心苦しくもなるが、それはそれと割り切ってさらに一言。

 

「――生憎、その案は私が叩き潰させてもらいましたけど」

 

 ラーハルトの目がすっと細まる。

 

「……どういうことだ?」

「どういうこともなにも、あなたを重職に就ける可能性を私が白紙撤回させたというだけです」

「違う、何故そんなことをしたのかと問うているのだ」

「『彼を御身のお傍に控えさせるはその人品相応しからず』。そういって反対しました。私があなたを預かるのは一ヶ月間の予定ですが、それも私の胸先三寸だということを覚えておいてください。予定が変わることなど珍しくもないのですから」

 

 ちと脚色してるが、嘘はいっていない。ラーハルトを顕職につけることに時期尚早だといって止めたのは事実だし、そもそも騎士団に戻すことに対し不安を解消できないようなら約束した期日が延びることだって十分考えられる。全てはラーハルト次第だ。

 

「貴様……」

「あなたがどうして私に預けられることになったか、まさか忘れているわけではないでしょう。それすら理解できないのなら、今からでも遅くはありません。この国を離れ、人里離れた僻地にでも移り住んで静かに暮らすことをお勧めしますよ」

「随分と好き勝手言ってくれるな」

「私としては極力優しく告げたつもりなのですけどね」

 

 身を置いてきた劣悪な環境からくる弊害だろうと思う。

 なまじ腕に自信があり、バランをして感嘆せしめるだけの才を秘め、そのポテンシャルを生かすことで誰の手を借りることもなく一人で生きてきた。困ったことに彼の眩い才と比例するかのように人間全体への悪感情が募っているせいか、いまひとつ自身の身に対する危機感が薄いのだ。

 戦場と宮廷の戦術作法が異なるといえばそれまでのことだが、これはあの二人が心配するわけだと納得せざるをえない。

 

 こんな調子で騎士団の訓練に加わったのなら、そりゃ反感を買うだろうよ。それとも騎士団の一件で態度が硬化してこうなってしまったのかと、一抹の同情も湧き上がった。これでは完全に悪循環だ、どこかで梃入れをしないと本人にとっても周りにとっても不幸しかもたらさない。

 いずれにせよラーハルトの不審や警戒はまだ可愛い部類だろう。少なくとも心を閉ざしきった相手よりはよっぽどやりやすい。

 舵取りを間違えるなと改めて自身に言い聞かせてから、今まで浮かべていた温和な微笑を消すと、叶う限り強くきつくラーハルトを睨みやった。

 

「そろそろ私のスタンスも理解できたのではありませんか。もしもあなたの存在がこの国に、ひいてはバラン様の害になると判断すれば、その時はこの手であなたを排除します。そう心得ておいてください」

「ほう、大きくでたな。非力な貴様にそんな真似が出来るのか?」

 

 俺の警告など取るに足りぬ、身の程知らずの慮外者めと断じる目だった。それは呆れと自負と苛立ち、それぞれが複雑に絡み合い、鬱屈した気配が自然とラーハルトの唇の形を嘲笑に歪めているようにも見えた。

 

「先に言っておきます――あなたは強い。その年で恐らくはこの地上において有数の実力者でしょう。尋常に立ち会うならば、この国全体を見渡してもあなたを確実に抑えられる戦士はバラン様くらいしかいないと思います。しかもバラン様の話ではあなたはまだまだ伸びるというのですから、本当に末恐ろしい限りですね」

「そこまでわかっているなら先の言葉など妄言に等しいと知ることだな。俺に弱い者を甚振るような趣味はない」

 

 これは『弱者を甚振る人間』への侮蔑、かな。バランに忠を捧げようと思ったのもこうした生来持ち合わせた武人気質が共鳴したのかもしれない。

 不遇の幼少期、過酷な過去。

 巡り合わせが異なりさえすれば、あるいはこの男こそ『アバンの弟子の長兄』に相応しい男だったのかもしれない。それは寛容と正義を胸に秘め、悪を見てみぬふりをせず時に命を賭して成敗する、正しい怒りで魂を奮わせることのできる戦士の素養だ。

 

「立派な心がけです。……ところで話は変わりますが、私、先日まで国外に出ていたんですよ。逗留先はロモス王国でした」

「いきなり何をいっている?」

「詳細は省きますが、そこで交易品を船一杯に積み込んで帰国したんです。その交易船には私の注文した品も含まれていました。……さて、それは何だと思います?」

「……俺が知るはずなかろう」

 

 さすがに不穏な気配を感じたのか、ラーハルトの身体に緊張が走った。すぐに動き出せるようにと腰を浮かしかけてもいるようだ。無意味だけどな。

 さあ、答え合わせをしよう。ラーハルトに向けていた視線を徐々に下降させ、覇気のない顔で指を一本立てると指示棒のようにそっとある一点まで動かす。そうして意図して思考と視線を誘導し、その一方でそっけなく続きを口にする。

 

「大したものじゃありません。ちょっと身体の自由を奪ったり、心に変調をもたらしたり、人を病死に見せかけたりする際に用いられる薬の原料、いわゆる『毒草』ですね。うちの国には群生していない種類を幾つか取り寄せました」

「貴様、まさか……ッ!」

 

 椅子を蹴り倒すような勢いで立ち上がり、慌てた様子で口元に手をやるラーハルトを冷めた目で見つめる。さっと青褪めたラーハルトの視線は俺の誘導に引っ張られるようにテーブルのとある一点に吸い寄せられていた。そこにあるのは俺が手ずから淹れたハーブティーだ。

 未だ芳しく匂い立つカップを、ラーハルトは猜疑の色をありありと伺わせる目で穴があくほど見つめている。その顔は驚くほど素直なもので、驚愕と畏怖、あるいは恐怖がないまぜになって表れていたのだった。

 

「魔族は先天的に毒への耐性も備わっていると聞き及んでいますが、口腔摂取した毒を完全に無効化できるわけではないことも判明しています。混血児のあなたが純血の魔族に勝る、それこそバラン様並の強靭な肉体を持っているならばともかく、わずかな時間身体の自由を奪うくらいなら地上の毒でも達成できましょう。あとは――」

 

 懐から細やかな装飾のなされた小振りのナイフを取り出し、鞘から抜き出す。

 

「これで動けぬあなたの喉を一閃、間髪入れずに心臓にも一刺し。直接手を下すならこれだけやってようやく可能性が見えてくるといったところですか。武人とはつくづく恐ろしい生き物だと思います。あとはあなたの毒物への抵抗力次第で私が返り討ちにあうかどうかが決まるのでしょうね」

「卑劣な……」

「ええ、褒められた行いではありません。そんなことは百も承知です」

 

 この時点で毒が云々の話題は俺の仕掛けたミスリードだと気づいたのだろう。まんまと乗せられた恥辱でも感じているのか、険のある目はより一層猜疑を濃くし、代わりにその顔に浮かび上がっていた焦燥はなりを潜めていた。

 ひとまず場が落ち着いたことまで確認したところで銀光りする刃物を鞘におさめ、断りなく立ち上がると警戒するラーハルトを横目に執務机まで歩く。そこで引き出しにナイフをさっさと収納してしまい、何事もなかったかのように改めてラーハルトの前に腰を下ろした。

 

「安心してください。私が本気であなたを排除するなら、こんなすぐに足のつくあからさまな手段は取りませんよ。そうですね……盗賊征伐なりモンスター退治なりで死地に向かわせる、あるいは兵士に金を握らせて戦場のどさくさで始末させる、時期と刺客を上手く選べばなんとかなりそうです」

 

 正面から立ち会ってラーハルトを打倒できる人材は限られている。ならば戦士の土俵に上がらない方法を模索すればいい、その程度のことだった。

 なにせ戦闘態勢に入った戦士の肉体は鋼を凌駕する頑強さを持つが、それはあくまで闘気を高めている状態でのことなのだ。それはダイの必殺剣(ギガストラッシュ)すら捌いた大魔王が誇る全盛期の肉体ですら例外ではなかったし、この世界の実例ならばバランを引き合いに出すことだってできるだろう。

 

 かつてこの国で起こったバラン処刑の一幕。竜闘気を用いず戦意なしの無防備状態では、人の扱う中級火炎呪文(メラミ)程度で竜の騎士が死を覚悟したのだ。これすなわち、天地魔界における二大実力者ですら《意識の死角》という一瞬の隙をつければ、圧倒的なレベル差を覆すことは可能だという証左だった。

 もちろんそれは言うほど容易いことではない。わずかでも敵意や殺気を感知された時点で返り討ち必至であることも確かなのだし、そうした危機対応能力も含めて『実力者』と呼ぶのだ。油断を狙った奇襲などあくまで理論上可能なだけの代物であり、とても現実的な方策ではなかった。

 

「まあ一番確実なのはあなたに反感を持つ人間を煽って対立を促し、衝突を繰り返させることで放逐ないし処刑やむなしの状況を作り出すことでしょうね。そこまですればあなたに逃げ道はありません。バラン様でも庇いきれないと思います」

 

 もはやこの時、ラーハルトは俺を敵と認定する一歩手前くらいだったのではないかと思う。猜疑と混乱で表情が硬い。警戒感も最高潮に達していたようだ。

 

 ――首周りが寒い。

 

 冷や汗が背を伝う。命の危機に心臓が怯えきっている。それでもなけなしの意地でカップを口元に運び、余裕のポーズを続行することに腐心した。

 我知らず、ふっと息が漏れる。こうも綱渡りをする必要があったのかと疑問と後悔が止め処なく押し寄せてくるが、既に賽は振られたのだと割り切るほかない。

 俺はいずれ魔王軍じゃなく、味方に刺されて死ぬんじゃなかろうか? そんな危惧の未来を抱くものの、すぐに自業自得だと思い至って泣きたくなる馬鹿が一人いた。

 

「かけてください。それとも怖くなりましたか?」

「俺が貴様に怯えているとでも? 世迷言を口にするなよ」

 

 適当に軽口を叩きながらラーハルトが蹴り倒した椅子を指差す。俺を睨みつけながらもラーハルトが着座し、再度向かい合う形になったところでにやりと笑みを浮かべ、挑発じみた物言いを投げかけるのだった。――緊張で頬が引きつりそうだ。

 

「繰り返しますが、心配する必要はありませんよ。今のあなたは私が率先して排除しなければならないほど大物ではありません。私自身、たかだか一兵卒の命と引き換えに、簡単に投げ出して良いほど軽い地位を拝命しているわけでもありませんし」

「ふん、保身か。つまらん男だな」

「見解の相違ですね、弱さを武器に生きる人間が潔さまで美徳としてどうします? それを人は無責任と呼ぶのですよ」

「詭弁だ」

「程度の差はあれ、最低限はあなたにも身に着けてもらわねば困るのですけどね」

 

 身代が重くなればなるほど責任で雁字搦めにされてしまう、だからこそ高い地位にある者ほど保身に敏感になる義務があるのだと俺は信じている。

 なにせ軽率な真似をして失脚でもすれば、その後釜の選定と空白期の混乱を収めるだけでも相応の時間がかかるし、被害も馬鹿にならないものだと相場が決まっているのだ。一人欠ければそれを埋めるために代わりを必要とし、その代わりの人間が元々進めていた仕事をカバーするためにまた代わりの人間が用意される。連鎖の開始だ、一人二人の異動で済む話ではなかった。

 能力だけではない、身分や格の問題もある。いつかソアラの王女の立場に見合わぬ軽挙を表向き諌める声をあげたことがあるが、今の俺とて、もう簡単に代えがきく立場ではなくなってしまった。人生とはわからんもんだね、ほんと。

 

「まあ私の信条は私のものですし、あなたにまで同じになってもらっては困りますので、今は頭の隅にでも止め置いてください。ですが味方のいない危うさと、奸智(かんち)を得手とする人間のあくどさも少しは伝わったでしょう? 魔族の血を引くあなたはただでさえ人間社会ではハンデを背負っているんです、隙を晒すことは許されません」

 

 魔族というレッテルに顔を顰めたラーハルトに頓着せず、歯に衣着せぬ物言いを続けてしまう。

 

「地位が今のまま低ければそう問題視されることはないでしょう。もっともバラン様に目をかけていただいているというだけで嫉妬は集まると思いますけど」

 

 特に武を信望する者達にとってバランは武神の代名詞だ。そんな男に手ずから見出され、特別扱いを受けるラーハルトに向けられる視線が穏やかであるはずもない。

 そう、なにも騒動の種はラーハルトの持つ魔族というルーツだけではないのだ。そうした己が他者に与える影響のでかさを、バランはまだ過小評価している節があった。

 竜の騎士は世界の調停を司る。おそらくはその性質上、単独行動が多かったことが幾らかの無頓着さに表れているのだろう。

 

「あなたがバラン様のお力になろうと出世を重ね、上を目指そうとすれば、それだけ敵の数と悪意も比例して増えていくでしょう。戦場の武だけでは立ち行かなくなる事態もいずれ訪れます。あなたの目指すところが匹夫の勇に留まるというのならば、本気でこの国を去ったほうが長生きできると思いますよ? 進んで茨の道を歩くこともないでしょう」

「貴様は――」

「ルベアです、ルベア・フェルキノ。厳密にはあなたのほうが年上に当たりますから私的な用向きならば呼び捨てで構いません。もっとも私は上司として常にあなたをラーハルトと呼び捨てにさせてもらいますけどね。それが気に食わぬのならばさっさと偉くなることです」

「……ルベア」

 

 思わず自身の口から漏れてしまった一言に、慌てたように口元を押さえるラーハルトがおかしかった。

 誕生日云々は些細すぎる問題というか冗談だ、気にしてくれなくていい。俺も気にしない。それでなくてもお前だの貴様だの敬意なんぞ欠片もない呼びかけなのだから、今更槍玉にあげるだけ徒労だろうし。

 

 無論、畏まった場では相応の態度を取ってもらわねば困るのだが、それはもう少し経過を見てから判断する。バランやソアラがラーハルトに教養や礼節の宮廷作法を叩き込むカリキュラムも手配しているようだし、遠からず目につく不調法は解消されよう。騎士団の一件もあって、魔族の混血児に物怖じせず教えを授けられる教師役の選定に、幾分難航もしているらしいけど。

 ままならん。あの二人が直接指導できるなら話は早いのだが、それが出来るならそもそもラーハルトが俺の元に送られてくることなどなかった。

 そんな悩みの種であるラーハルトは溜息ともつかぬ小さな吐息をつくと、幾分声を潜めるように俺に言葉を投げかけた。

 

「納得はできんが、言わんとすることは理解した。貴様はいずれ俺がバラン様に仇なすと断じるのだな」

「ええ。バラン様に『碌に部下を教育できない粗忽者』などという不名誉なレッテルを張られるわけにはいきません。あなたが私に預けられた経緯を忘れているわけではないでしょう?」

「だが、あれは――」

「ストップ。その件については後回しにさせてください。今は黙って耳を傾けてもらいます」

 

 何事かを口にしようとしたラーハルトを身振りで止め、ゆっくりと、けれど裂帛の気迫を込めて言霊を叩き付けた。

 

「竜の牙も爪も、人を相手に振るうには大きすぎる力です。それゆえバラン様に非情の刃を振るわせる前に火種を取り除くのが、従者として私に期待されている役目だと心得ておいてください。そこに魔族だの人間だの煩雑な区別などありません、等しくご退場願うのみです。そしてあなたはその火種足りえる位置にいる。自身の立場の危うさをご理解いただけましたか?」

「……好き勝手言ってくれるものだ」

「そうですか? 『いずれ後ろから刺してやる』と宣言するだけ可愛らしいものだと思いますけどね」

「それで愉快になれる者がいるなら会ってみたいものだな」

「ごもっとも」

 

 不機嫌そうに目を細め、呆れ半分で鼻白むラーハルトにさもあらんと同意する。そのうえで表向き飄々とした態度は崩さない。

 そうして胡散くさい笑みで対峙する一方、ほっと安堵に胸を撫で下ろしてもいた。ようやく最低限『話し合い』に持ち込めるだけの土壌を作り上げることが出来たからだ。

 間合いを計りながら騙しだまし言を弄んだ甲斐があったというべきだろう。これでもう一歩ラーハルトに踏み込むことができる。

 

「いずれにせよ、これでお互いの自己紹介も済みました。あなたにも言いたいことの一つや二つあるでしょうし、今後のためにもいま少し腹を割って話しておきたいと考えています」

 

 呼吸を整え、気力を充実させていく。

 場の空気もいい感じに温まったことだし、ここからは窮屈な体面をかなぐり捨てて挑むとしよう。

 

「以後は遠慮も無用。――よもや異存はあるまいな、人魔の混血?」

「いいだろう、俺も貴様のことが心底気に入らぬと思い始めていたところだ。座興に付き合ってやろうじゃないか、陰険小僧」

 

 不敵な顔ですぐに精神を再構築しおえたラーハルトの変わらぬ尊大さに上から目線な奴だと呆れるも、それは俺自身にも当てはまることだと気づいて少し反省。こちらの緊張と焦慮を悟られぬよう密かに気合を入れなおし、火花が散るような距離感を保ったまま、なお挑発的な言葉を選んだのは誰であろう俺自身だったのだから。

 

 致し方ない面もあったとするのは、性急さを隠そうとする言い訳になるのだろうか。

 どうなるにせよ、まずはこの男と俺の心情的な立ち位置を同格にもっていく必要があった。そのために手っ取り早いのがバランを挟んで意思をぶつけあうことだと見積もったのだ。そうでなければ俺の言葉は『忌み嫌う人間のその他大勢の意見』、すなわち無価値と断ぜられ、ラーハルトに何一つとして届かず、ひたすら空虚に上滑りするだけに終始してしまう。文字通り『話にならない』ようでは時間の無駄だ。

 だからこそ大事なのは好悪問わず強烈な関係性の構築だった。なにせ言葉とは『何を』言ったかではなく、『誰が』言ったかが重要なのだから――。

 

 

 

 

 

「ずっと気になっていた。お前はほかの連中とは毛色が違うな。俺に対する恐れや嫌悪、あるいは戸惑いや蔑視が見受けられん。何故だ?」

 

 ブラフだったとはいえ毒入り疑惑のあったカップに臆せず口を付けるあたり、この人と魔族の混血児は胆力も相当なものだと呆れてしまう。こいつに比べれば絶対俺のほうが可愛げもあるだろうさ。

 

「これでも十分怖がってるよ。お前がその気になれば素手でも俺を容易くひねり殺せるんだから」

「そうやってとぼけるのはやめてもらおう。それとも自分自身の言葉をはや忘れたか、鳥頭」

 

 ひょいと肩を竦めるも黙殺されてしまう。冗談の通じない奴め。

 

「確かに事実を語るだけの無味乾燥なおしゃべりじゃ、ちと味気ないか。とはいえ、俺にしてみりゃお前の問いだって相当頓珍漢なものにしか思えないんだけど」

 

 訝るラーハルトに苦笑を返し、緊張の欠片もなく続ける。

 

「何故もなにも、俺がお前に好意的になる理由もなければ嫌う理由もない。それだけのことだろうよ」

「だが多くの者は違うように思うが?」

「そりゃまあ、地上全土に戦火を広げた先の大戦、その首謀者は生粋の魔族だったからな。魔王ハドラーの悪名は今でも健在だし、当然この国でも魔族に非好意的な人間はそれなりの数いるさ」

「ならば――」

「何処にでも冷めた人間はいる、そう納得してもらってもいいんだが……。そうだな、逆に聞きたいんだが、お前は人を憎んでいるのだろう?」

 

 俺の直球すぎる問いにラーハルトのほうが面食らってしまったらしい。そういう表情は年相応に素直な反応なんだけどな。

 

「ああ、別に責める気はないぞ。お前には人を憎み、恨むに足る理由がある。だからそれはいいんだ、お前の境遇を考えればそうであって然るべきだし、むしろそうでなかった場合のほうが怖い。労苦と辛酸を強いた相手に無心でいられるほど生に飽いちゃいないだろ? 健全な証拠だよ」

「……まさかこの鬱屈した思いを健全と言い切られるとは思わなかったな。お前はそれでいいのか?」

「いいもなにも、内心の自由くらいは保障してもらわないと俺が困る。上司に悪態の一つもつけなくなったらつまらないじゃないか。――と、まあそんな世迷言は捨ておいてくれて構わんけど」

 

 そこで少しだけ視線を鋭くする。

 

「いいか? 俺にとって重要なのは、お前の抱く暗鬱とした感情が自身で消化しきれず、極端な方向を向いて溢れ出すかどうかだけだ。たとえば――『人類根絶』を掲げてこの国に牙を剥く、とかな」

 

 しばし宙空で視線がぶつかり合う。互いに目を逸らすことはなく、されど熱の篭らない腑抜けた応酬にすぎなかった。

 

「一応聞いておくけど、復讐とかやる気あるか?」

「はっ、面白い冗談だな。そんなことを企むくらいなら、そもそもバラン様についてくることもなかっただろうよ」

「助かる。これでも平和主義者なんだ、お前を本気で敵に回して殺し合いは御免被る」

「……ふん、狸め」

「そう悪し様に捉えるな、言葉通りだって。ギャラリーもいないんだし、こんなところで言質を取ったって口約束にもならん」

 

 そこでふと思いついたかのように装い、一つの疑問を滑り込ませる。

 

「魔族といえば、どうしてお前は今でもフードやらマントで姿を偽ってるんだ? 報告書に目を通した限りいつも陰気な格好をしてるみたいだけど」

「そのほうが互いに気が楽だろう、何の問題がある?」

「……いや、問題しかないぞ」

「なに?」

 

 おい、なんだってそこで不思議そうな顔になる。おかしいだろうと誰か指摘する奴はいなかったのかよ。

 どうしたもんだろう。バランやソアラへの遠慮とラーハルト自身の出自が相まって、状況がアンタッチャブル化しかけてるというか、カオスにも程があるぞ。

 

「お前が王宮に出入りしていることは既に廷臣のほとんどが知ってることだ。だったらその気遣いの仕方は無意味どころか害悪でしかない。確かに人間にとって魔族は恐怖の対象だがな、お前のそれは『旅人』に必要な処世術であって王都の中心でするべき配慮じゃないって話だよ。……ん? そういえば、そのことでバラン様は何も口にされなかったのか?」

「俺の好きにしろと、それだけを仰られた」

「あー、それはまた厳しいのか甘いのか。あの方らしいのだろうけど」

 

 自ずと悟るにしても時が必要と考えたのだろう。あるいはラーハルトの心の傷を慮ったか。

 言葉を連ねるよりも背中で語る無骨な男らしいといえばらしいのだが、俺としてはもう少し若輩者の手を引いてやってもいいと思うのだ。……なまじ伴侶であるソアラの察しが良すぎるせいで、言葉足らずになっているわけじゃあるまいな?

 

「わかった、まずはそこからだな。いいか、俺の下にいる間は顔を隠すな。バラン様が魔族の子を連れてきたことは既に広まってる、つまりお前があんな異常な風体してたら言外に敬遠しろと叫んでるようなもんだよ、周りの連中にとっても迷惑だからやめろ。トラウマなりがあってできないのであればこの場で言え、考慮はする」

「怖がられるだけだと思うが?」

「お前の体験を一般化するな。それは国家の統制が及びにくい辺境、ことに村社会の結束が招いた弊害だろうさ。魔王ハドラーへの恐れが最高潮だった当時と今では状況も変わってきているしな。……それと、な。言いにくいことではあるが、パプニカ王国は先の大戦で最も甚大な被害を受けた国だけに、魔族への隔意は根深いものがある。それを許す必要はないが、お前たちにとって運と時期が悪かったんだと知っておいてほしい」

 

 すっとラーハルトの目が細められた。

 

「つまり、母の夭逝(ようせい)も割り切れと?」

「違う。それにそこまで傲慢にはなれんよ。これから人の世で生きていくのなら、何処かで折り合いをつけたほうが楽だって口にしただけだ。気を悪くしたならすまなかった」

「いや、こちらも早とちりしたようだ。許せ」

 

 こちらとてラーハルトに抵抗なく謝罪を口にされ、それを悪くない感触だと計算してしまう程度には腹に一物抱えている。軽蔑されないだけマシだと内心で溜息をついた。これならもう一つの懸念も解消できるだろう。

 

「昨夜、お前の関わった乱闘事件の当事者に会ってきたよ。訓練の責任者だった部隊長と、最初に乱闘のきっかけをつくった人間の二人から改めて事情を聴取して事実確認をしてきた」

 

 横たわる沈黙を破ったのは、そんな一言だった。

 

「……そうか」

「ああ、その件については少しばかり裏事情があってな。お前にも言い含めておく必要があるだろうと口外の許可も貰ってきた。ただ、それとは別にお前に確認しておきたいことがある」

「それは必要なことか?」

「俺にとっては。勿論黙秘してくれても構わんよ、それはそれで判断材料になる」

「回りくどい男だ。さっさと疑念を口にすればいい、答えられることなら答えてやる」

 

 言葉の乱雑さに反し、苛立ちはなさそうだ。結構結構。

 

「その前におさらいといこう。騎士団の一件、同僚を扇動し、最初に喧嘩を吹っかけた兵士の動機は単純だ。先の大戦で肉親を失っている。その恨みがお前への挑発及び蛮行につながったわけだが……言うまでもなく見当違いの八つ当たりだし、処罰の対象だ。ここまではいいか?」

「ああ」

「で、その状況をみすみす座視した部隊長の思惑は部下のガス抜きと上層部への無言の抗議だな。魔族を王宮で闊歩させることなど言語道断、とても耐えられぬと憤懣を持つ人間は一定数いる。これにバラン様の庇護を得たお前への妬心が合わさって王宮内部、騎士団内部で不満が高まっていた。それを汲んだ部隊長が適当にお前を押さえつけることでガス抜きを図った」

 

 策士策に溺れる、というほど大層な裏はないか。どちらかといえば間抜けの一言で断じられてしまいそうだ。

 

「誤算は部隊長殿の予測に反してお前が強すぎたことだった。そのせいで一発殴ったら終わりにする目論見が狂い、結果として一度高まった熱狂を鎮め切れずに大惨事になってしまったわけだ。これがお前に降りかかった火の粉の大まかな正体だよ」

「つまらん事情だ」

 

 その言葉通り心底つまらなそうに吐き捨てるラーハルトだった。気持ちはわからんでもないが、素直に口にしすぎだ。そういった傍若無人さも兵の反目につながっていたんだろうに。

 売られた喧嘩だ、火の粉を振り払ったラーハルトに非はない。だからといって、それで万事上手くいくかどうかはまったく別の話だぞ。

 

「そういってくれるな。そんないざこざが簡単に起こるほど人類と魔族の垣根は深く、従って魔族を人間社会に受け入れるのも難しいってことなんだから。それとこの国でどれだけバラン様が信望を集めているかも認識しておいてくれ」

 

 まったく、頭の痛い話ばかりだ。

 

「後始末についてだが、お前が心配することはない。重傷者が出たことについても『訓練に熱が入りすぎた結果』として全て不問にされた。これは騎士団員の私闘が禁じられていることを逆手に取った建前論だが、それだけに反対しづらいわけだ」

 

 別に騎士団全体が反魔族主義でもあるまいし、同僚の軽挙妄動に眉を顰めている連中だって少なからずいる。問題ない。

 

「しかも万事差配したのがソアラ様だけに、正面からお前に責を負わせようと叫ぶだけの気概を持った人間がいるとも思えん。あの方が差配した以上手抜かりはあるまいよ。ダメ押しに騎士団全体の引き締めを騎士団長に直接要請もしている、団長殿も肝が冷えただろうさ」

「ソアラ様が? 確かにお優しい方ではあるが、何故そこまで?」

「お怒りになられているからだろう。騎士団の一件については、バラン様以上にソアラ様がご立腹だ」

 

 どういうことだと目で尋ねて来るラーハルトに対し、閉ざす口を俺は持っていなかった。

 

「大前提の話をしよう。そもそもアルキード王国(うち)に『魔族を理由に私刑を許す法』なんかないぞ? しかも今回は法を守らせる側である栄えある騎士団が率先して規律を破った、これはお前が思っている以上に深刻な事態なんだよ。まして魔族がからむケースってのはデリケートでな、まかり間違えば他国を巻き込む国際問題にまで発展しかねない。それを座視できるような王族ならば、もはや為政者を名乗れまいよ」

 

 だからこそ不祥事を起こした騎士らを真正面から処罰しづらかったともいえるのだが。国内、国外共に取り扱いを間違えると思わぬところに飛び火しかねない。

 

「ふむ……。しかしソアラ様を批判するわけではないが、甚だ説得力に乏しい理由にしか思えんぞ? この国のことではなくとも俺は幾度も人間に安息を奪われた。それが大問題につながる気配など欠片もなかった」

「それは国が何ら対策を打たなかった、という意味でいいのか?」

「ああ」

「公的には認めていなくとも国民感情を考慮して見てみぬふりを貫いている。それから戦後復興が最優先、敵対種族の保護なんぞ後回しにせざるをえない。そのへんが主たる事情かな? 金がなきゃ動けないのはどの国も同じだし」

 

 そもそも魔族の故郷は魔界だ。二つの世界が明確に隔てられている以上、地上に残っているのはいわば『はぐれ魔族』であり、人間の総数に比べれば極々少数に過ぎない。マイノリティを優先して公益を損なうようでは本末転倒だろう。

 

「ついでにいえば保護を求める届出が出ていなければ記録は残らない、あるいは当該地域の統治者が握りつぶした、ってあたりもありえそうだ。まあ原因なんていくらでも考えられるが、実際の答えはパプニカの上層部にしかわからんだろうな。それとうちの事情でいえば税を収める限り国民の権利は持つぞ、少なくとも建前上は」

 

 ましてやここは王族のお膝元、建前は大事だと重々しく告げる。ラーハルトには白けた目を向けられたが。

 

「ここからが本題だ。他国ではそれでよくとも、アルキード王国では軽々しく魔族を迫害するような真似を許すわけにはいかない。何故だかわかるか?」

「む……」

「バラン様がいらっしゃるからさ」

 

 話題を振られて答えに窮するラーハルトを横目にさっさと話を先に進めてしまう。そのとき、少しだけ恨めしそうな視線を向けられた。実はすぐさま答えを返せなかったことを悔しく思っているのかもしれない。

 

「竜の騎士は竜と魔と人の性質を兼ね揃えた超騎士だとされているんだぞ? いってみれば竜族、魔族、人族の混血みたいなものだ。この地上から知恵ある竜が消え、魔族とて一握りしか存在していない。そしてアルキード王国は人の治める国だ。異なる種族を分け隔てなく扱うのは歴史的確執だけでなく、人口比、すなわちパワーバランスの観点からも難しい」

 

 ここまではいいか、とそれとなく確認するが、ひとまずは大丈夫そうだった。

 

「それでも人間以外の種族を徒に排除する気風を歓迎できないことはわかるだろう? それを許せばいずれバラン様にも矛先が向きかねない。だからこそソアラ様にとって種族対立の火種は死活問題なんだ。あの方にとってはお前を守ることは必然ってことになる、公私共に動くべき理由を持ってるからな」

 

 そしてその事情は俺とて同じことだった。

 これでラーハルトが犯罪者であれば話は別だが、逃亡生活のなかにあっても彼が人間を害した記録はない。そうである以上、俺がラーハルトを守る側に立つのは必然なのだ。

 

「俺はバラン様の従者であり、同時にアルキード王国に仕える身だ。仕えるべき主の御心に従い、成果を出さねばならない。そのためにお前が短慮に逸って騒ぎを起こした理由についても確かめておきたい。――なあラーハルト。お前、騎士団の練度の低さに失望したな?」

 

 沈黙の帳が下りた。しばしの後、ラーハルトが険しい顔で口を開く。

 

「何故そう思った?」

「安心しろ、お前の心の内を推し量ったのは俺ではなくバラン様だ。『ラーハルトに直接確かめたわけではない、だが仮にそうであれば未熟者の不徳ゆえ許してやれ』。そう仰られたよ。……どうもその様子だと当たりみたいだな」

 

 バランの洞察力の高さに溜息が出そうだ。よくもそこまで思考のトレースが出来るものだと感心する。

 

「あの方には全てお見通しか……。その通りだ、バラン様の指導を仰ぎながら何故この者達はこれほどまでに脆弱なのか。そう思えばこそ苛立ちを鎮め切れなかった。そのうえ安易に挑発にも乗り、手加減すら誤った。俺の失態だ」

「似たような悩みはバラン様も抱かれたことがあったよ。『どこまで手加減すれば壊さずに力をつけさせる事ができるか』ってな」

 

 俺にはとんと実感がわかない嘘みたいな境地だけどな。

 

「お前はまず己が才気を自覚するべきだ。『魔界にあっても稀有なる才能の塊、長ずれば私にすら迫る牙を身に着けよう』。バラン様がお前を評した言葉だ、実に嬉しそうに話されていた。……その期待、努々履き違えてくれるな」

 

 ラーハルトは感極まったかのように打ち震えていたが、それでも自失はしていなかったのかわずかに頷くことで返答だけはよこしていた。バラン効果は絶大だ。

 

「そういえば、バラン様とソアラ様が同席した事情聴取の折に、お前は終始謝罪だけを口にしていたと聞いたぞ。それならそうと素直に釈明しておけばよいものを」

「そんな情けないことを口に出せるか」

 

 まるで子供の癇癪だ、と口惜しそうに零すラーハルトは本気で慙愧の念に喘いでいるようだった。いや、お前年の頃でいえば十分ガキだろうに、とは口に出すまい。今のラーハルトには一片の慰めにすら値しない戯言だろうから。

 

「なら俺から言うことは一つだけだ。バラン様やソアラ様が後見につくとはいえ、お前が敵意を買いやすい立ち位置にいるのは変わらん。だからこそ安易にその武を振るうな。ちょっかいをかけられても適当にいなせ。堪忍を覚え、実践しろ。いいな?」

 

 末恐ろしい、と素直に思う。目に見えるもの全てを敵として疑わねばならぬ境遇で育ちながら、これほどの自制が出来ている時点で瞠目に値するのだ。

 下手をすれば言葉の一切が通じない凶暴な人間性が備わっていてもおかしくなかった。それを思えば両親の教育がよほど良かったのか、それともバランの薫陶が俺の想像以上にラーハルトの心根に影響を及ぼしているのだろう。いずれにせよ好ましいことには違いなかった。

 

 そうやってラーハルト自身が既に内省している以上、俺の言葉もすんなり受け入れると思ったのだが、あにはからんや、ラーハルトはどこか不敵な面構えでにやりと笑う。それは俺を試すようでいて、その実戯れているような、そんな稚気を感じさせるものだった。

 

「確かに似たような面倒は起きるかもしれん。お前の懸念も考慮はする、俺とてあんな失態は二度とごめんだ。――が、寛容を以って対処するにも限度というものがあるな。不退転の覚悟を決めて挑みかかってくる者に対してはどうする? 国民感情とやらを慮って素直に討たれてやるのが正解か?」

 

 こいつ、本当いい性格してやがる。先日は腹いせ紛いの八つ当たりだったのかもしれないが、今日は全て理解しながら俺で遊ぼうと余興を仕掛けてきている。実に生意気だ。

 とはいえ、だ。子供らしい遊戯と呼ぶには些か物騒に過ぎるが、それでも大した進歩なのだろう。先日よりはずっとマシだった。

 

「それはお前が我慢に我慢を重ねて、それでも相手が止まらなかった場合の想定だな?」

「ああ、その場合はどうする? 情けなく尻尾を巻いてお前のところにでも逃げてみせようか」

 

 冗談に本気を混ぜて。

 戯言に本音を混ぜて。

 なるほど、子供らしからぬ遊び方だ。多分この時、俺もラーハルトと似たような表情を浮かべていた。

 

「だったら話は簡単だ。俺が許可する――殺せ」

 

 一瞬、ラーハルトが表情を消した真顔に戻る。そうして鷹の目にように鋭く俺の真意を探り、けれどすぐに口元に不敵な笑みが戻った。

 所詮は仮定の話。されど仮定の話。

 

「ほう、いいのか?」

「お前が俺を介入させる状況を作り上げているのなら、その時は喜んで後始末をつけてやるさ。論議に値しない」

「その言葉、忘れるな」

「お前こそ鳥頭になるなよ。俺の手は存外長いぞ」

「覚えておこう」

「結構」

 

 最低限の楔は打った。そのうえでまずは人を利用する術を覚えてもらうべきだ。あとはいずれ戦場で、あるいは長い魔族の生の中で、今はまだ小さな背を預けるに足る信頼の担い手を見つけてくれるだろう。

 なればこそ微力をつくす、将来のための地均しを怠るわけにはいかないのだから。

 

「よし、ならお茶会、もといミーティングはここまでだ。仕事に取り掛かろう」

「待て、俺はまだ何も説明を受けていないのだが」

「ん? 心配せずとも今日お前に任せるのは子供でもできるお使いだけだぞ。実務経験のない素人にいきなり書類作成やら任せるほど無謀じゃない」

「……道理ではあるが、今、俺はお前に殺意を覚えたぞ」

「へぇ、俺と心中したいのか、それはまた随分自虐的じゃないか。下手に俺を殺せばその時点でお前の居場所はこの国になくなるんだ、それをしたければ俺を殺しても文句のでない理由と地位を用意してからだな。ただし一朝一夕で出来ると思うなよ、下っ端」

「ふん、その心臓を貰い受ける日を支えに今はいびられてやろう。せいぜい感謝しておくがいい」

「偉そうにするのは偉くなってからにしろよー。戦士が武器も持たずに殿中沙汰じゃ格好もつかないだろうて」

 

 職務として武装が必要な衛兵を除けば、王城内では基本的に武器の携帯は許されていない。特例というほど大それたものではないが、それでも今のラーハルト程度の立場では許されるはずもなかった。ラーハルトは素手でもそこらの兵士よりよっぽど戦闘能力は高いけど。少なくとも俺が懐剣を忍ばせるよりは有事に役立つことは間違いないだろう。

 さて、それより書類書類、と。執務机からラーハルトに任せる分の紙束を取り分け、にこやかに差し出した。

 

「まずはこれ、バラン様宛のものだから最優先で持っていってくれ。薬剤調合の日程あわせについての申請書類だ、少しバラン様の予定がずれそうだからそのあたりの話を伺ってきてくれ。研究内容はロモスから取り寄せた毒草を使った――くく、いやすまん。そう嫌そうな顔するな、元々この研究のために取り寄せたものなんだから」

「薬剤調合?」

「ああ、先の大戦で騎士団や王族から多くの死傷者を出すほどの猛威を奮った『どくけし草では治せない』特殊な毒素を持つモンスター対策だな。一説によれば地上に存在しない魔界由来のモンスターの攻撃だったとも言われている。これに関しちゃ解毒呪文(キアリー)の使い手が豊富にいればどうにでもなるんだが、都合よく戦場に僧侶の数が揃っているわけでもなし。手遅れになるケースも多かった」

 

 回復が間に合ったとしても後遺症が残ることだってある。大事なのは初期段階での適切な治療なのだ。

 

「そこで魔界の知識に通じるバラン様に助力願うことにしたわけだ。幾つかレシピも出来上がってたんだが、足りない材料があってな。それをロモスから取り寄せた。ま、費用対効果を考えれば市井には流れずに富裕層向けの商品になるだろうけど」

 

 どくけし草では治癒させてくれない代表的なモンスターに魔のサソリがいる。こいつレベルの毒素ならばバランの持つ知識で特殊な毒消し薬を用意できるはずだった。とはいえ、毒物のエキスパートであるザボエラクラスの凶悪な調合毒が相手となるとまず解毒は無理だろう。症例の少なすぎる異常には強力な回復エネルギーで吹き飛ばす以外にはないのだ、俺が着手したのはその程度の中途半端な対応策でしかなかった。

 

 この点は竜の騎士の限界でもあった。

 元来竜の騎士は状態異常をもたらす外部刺激に異常なまでの耐性を持ち合わせるため、その手の治療を必要としないのだ。ゆえに今回の知識とて歴代の竜の騎士が手慰みに蓄えてきたり、魔界の知己から仕入れた『バランにとっては無駄な対応策の一つ』でしかなかった。

 ……改めて思うんだが、とんでもないな竜の騎士。さすが究極生物と呼称されるのは伊達じゃない。言葉もでない化け物っぷりだ。

 

「富裕層向け。つまり金持ちや権力者のお守り、というわけか」

「そう皮肉ってくれるな。手間とコストの削減次第では将来的に採算も取れるようになるだろうし、各国との交渉材料程度にはなる。――そういう名目で予算を引き出した」

「名目?」

「研究の最終目標は『回復魔法を阻害する高密度な暗黒闘気に対抗する手段の構築』なんだよ。つっても回復魔法を受け付けないほどの大それた真似が出来る実力者は魔界でもごく一部の魔族や竜族だけだ。採算に乗せるどころか大赤字確定の研究に無駄金を使えるほどうちの国庫は豊かではなくてな。だから隠れ蓑を用意して細々と可能性を探ることにした。当然機密だからよそで喋ったりするなよ」

「……俺には簡単なお使いしか任せないのではなかったか?」

「いずれバラン様が相手どる強敵対策だ、そういっておけばお前は必ず口を閉じるだろ。何か問題でもあるのか?」

「ああ、問題はないな。だが、お前の手のひらで転がされているようで面白くない」

「贅沢な奴だ。ほれ、次」

 

 先のものとは別の書類を指差す。

 

「これはソアラ様が主導になって進めている福祉事業の一環で、補助金を出して支援してる孤児院への視察願いについてのもの。了承印は押してあるから担当者に届けてきてくれ。実をいえばこれは俺が無理いって視察担当を変更してもらった案件でな、『ルベアが感謝していた』と伝えるのも忘れず頼む」

「承知した。だが、これらを見る限り随分多岐に渡っているな」

「あちこち手を出してるからな」

「これでまだ職務のほんの一部なのだろう? お前の肩書きは何だと頭が痛くなるな」

 

 それが渡された資料を一通り流し読みしたラーハルトの感想だった。

 

「そういうな。以前、嫌がらせに目のつく限りの雑事を押し付けられたことがあったんだが、その時に権限増やすチャンスだと思って、いくらか強引に仕事そのものを分捕った経緯があるんだよ」

 

 その汗と涙の結晶がこの節操のない書類の山につながっていたりする。ロモスに足を運んでいたせいで溜まった分もさっさと消化しないと。

 

「心配無用。なにせ俺のモットーは『誰にでも出来る仕事を誰にも出来ない量こなす』ことだからな。この程度軽い軽い」

「……『竜の騎士の従者』に課される役目が誰にでも出来る些事だとでもいうのか?」

「それはそれ、これはこれってな。悲しいことに現実を前にすると、そんじゃそこらの信条なんぞ簡単に敗北しちまうのさ。世知辛い世の中だよ、まったく」

「贅沢な男だ」

 

 おっと、皮肉にも趣向をこらすとはやるじゃないか。

 

「まあ大したことじゃない。今を否定せずとも届かなかった未来を恋しがることだってある、その程度の感傷だな。ほれ、そろそろお前もお使いに取り掛かれ。俺は終日この部屋に詰めてるから、もし問題が発生したらちゃんと報告に戻ってこいよ。子守の真似事くらいならしてやるから」

「ふん、貴様の手など煩わせんよ」

「そう願う。それじゃ、早速取り掛かってくれ」

「ああ」

 

 短く了解を口にし、分厚い紙の束を抱えたラーハルトを見送る。扉の開閉音と遠ざかる足音を確認したところで、胸奥の底のさらに奥深くから漏れ出るような重苦しい溜息をついた。

 

 ――どうにか主導権を握りきった……か?

 

 自問自答に明確な解を出す余力もなく、ぐでっと机に上半身を倒してだらしなく潰れてしまう。

 疲労困憊もいいところだった。もはや何もかも忘れてベッドにダイブしたい気分である。

 あとは待つだけだろう。下拵えはしておいたし、大丈夫だとは思うが……。

 

 ラーハルトには子供のお使いだと嘯いたが、無論そんなわけがない。この機に王城に勤める幅広い人間と顔合わせをさせるつもりだ。

 そのために必要最低限の筋道はつけておいた。

 今朝のうちに各部署の担当者にはラーハルトを向かわせる旨と、その際職務に見合った態度で接してくれるように通達を出しておいたし、俺自身かなう限り礼節を尽くして頭も下げてきた。魔族に端を発する恐れは多少抱いても、最低限事務的には対応してくれるだろう。

 

 最初にバランの元に向かわせたのは、それがラーハルト自身の安定にもつながるかと考えたためだが、あまり意味があるとも思えなかったな。奴はもう下手な大人以上に自己を確立させている、バランを父と慕っても依存するようなことにはなるまい。……本当に十三歳かね? 早熟にも程がある。

 あれを取り巻く環境が安易な甘えと楽観を許さなかった結果か。哀れな。

 

 俺はラーハルトに王城の皆へと胸襟を開いてほしいわけではない、それは逆もまた然り。互いに上手く距離を取って職分を果たしてくれるならそれで十分だ。そのための仲介くらいは俺でもこなせる――が、それだけでは不足だと考えるお人好しもいる。

 どうなるにせよ、互いの隔意ある感情の摺り合わせをしていかねば何も事態が進まないのは確かだろう。となれば、こちらの制御下に置ける範囲で状況をひっかき回してしまえばよい。

 

 幸い、バランもソアラも俺にそれ以上は望んでいないのだ。俺が用意するのは状況を動かすとっかかりだけ。

 そしてほんのわずかなつながりだろうと縁は縁、そこからラーハルトが何を掴み取るか、あるいはそれ自体を不要と断じて捨て去るかまでは俺の関知することではなかった。

 とはいえ――。

 

 ふっと呼気を吐き出し、天井を仰ぐ。

 できることなら、俺も楽観を終生の友に迎えたいものだ。

 埒もなくそんな戯言が思い浮かんだ自身に苦笑を刻んでから、まずは書類退治を始めようとペンを手にするのだった。

 

 

 

 

 

「あなたにラーハルトを預けてから一週間ね。あの子とはうまくやれてるかしら?」

「報告書は提出しているはずですが?」

「ふふ、もちろん目は通しているけれど、あなたから直接聞きたいのよ」

 

 風に冷気の香りが混ざり始め、少々肌寒くも感じる昼下がり。俺は政務を取る王城ではなく王族の私生活の場である離宮を訪れていた。

 手入れの行き届いた見事な庭園の中心には風雅な卓と座椅子が用意され、そこに腰掛けているのは男女三人、遠巻きに幾人かの女官が控えている中での茶席だった。

 しかし俺が一週間前にラーハルトを誘った殺伐ミーティングとは雲泥の差がある長閑な雰囲気だこと。憩いの空気とはこのことだと、自身の振る舞いの数々を棚にあげてしみじみ頷く畜生がいた。俺である。

 

「それは構いませんけど、このままご報告申し上げるのは少々間抜けな気もしますね」

「あらあら、シア、おいたはダメよ」

「むー。シア、るーとあそぶ」

 

 俺の膝の上でご不満を露わにするのはこの場に二人いる女性の片割れ――もとい女児。舌足らずな声でそれでも健気に自己主張する小さな命は、健やかに育ってほしいという両親の願いを正しく受け取って日々を過ごしていた。

 バランとソアラの間に生まれた第二子、名をシンシア。愛称をシアとする御歳二歳の可愛いらしい姫君である。今は俺に乗っかった挙句、その小さな手を懸命に伸ばして力いっぱい人の頬を引っ張り、それはそれは楽しげに笑み崩れるお転婆姫でもあった。

 あー、癒される。無垢な子供は清涼剤だな。

 

「ソアラ様のご懸念についてですが、そこそこうまくやれているのではないかと。最初に楔を打ち込みましたから、私に侮られるような軽率な振る舞いも慎むと思います」

「あまり褒められたやり方ではないわよ。自愛を忘れては駄目」

「承知しております。ですが小細工に見合った成果も実感している次第。いま少し寛容な目で見守っていただければ幸いにございます」

「バランにもそういった気風が見受けられるけれど、殿方の友誼は女の身では不合理に見えてしまうものなの。口煩くてごめんなさいね」

「不器用を誇るのが美徳だと、そんな愚かさを競い合う生き物ですから」

 

 自分を無視するなと一生懸命主張する姫君を片手間であやしながら、穏やかな心境で所感を述べていく。

 

「実際ラーハルトはよくやってくれていますよ、私から見ても謹厳実直と称して良いくらい誠実で真面目な仕事ぶりです。本人の素養か、あるいは両親が知恵者だったのか、こちらが驚くほど飲み込みが早い。私に一年預けてもらえれば、王宮でも指折りの官吏にしてみせましょう」

 

 俊英、まさにその一言だ。周囲とのいざこざさえ解消できれば、文武に優れた類まれな忠臣が生まれよう。

 

「あの子をバランに返したくなくなった?」

「お戯れを」

 

 いたずらっぽい目で尋ねてくるソアラに苦笑で応える。

 

「一度、バラン様とラーハルトが手合わせする訓練風景を目にしました。圧巻の一言でしたよ。確かにペンを握っても一流足りえる資質を持ち合わせていますが、それ以上にあの者は武の神様に愛されています。本人の気質と熱意も戦場(いくさば)に向いている、私の元に止めおく理由が見つかりません」

「ルベアも意地悪ね、そこまで買っているなら本人を前にして言ってあげればいいのに。きっと喜ぶわよ」

「何を企んでいると猜疑の目を向けられる未来が見えるようですがね。とはいえ、自身の意に沿わぬことなど宮仕えをしていればいくらでも遭遇します。その予行演習だと思ってもらえばいいでしょう、たかだか一ヶ月の我慢も出来ないようじゃ先が思いやられますし」

「あの子に、あなたが預かる期限を正確に通知したとは聞いていないけれど?」

「ソアラ様も仰ったではないですか、私は意地の悪い男なんです」

 

 ラーハルトが俺の元に着任した日の夕刻には『一ヶ月でラーハルトを騎士団に戻す』旨、ソアラ達には報告書にまとめて提出している。その書類はすぐに受理されているため、俺、バラン、ソアラの間では、ラーハルトの騎士団復帰は予定通り進めることで合意されていた。つまり――知らぬは本人ばかりなり。

 とぼけた風にしれっと答えてみせた俺を瞳に捉え、今度こそ耐え切れぬとばかりにくすくすと笑い出すソアラだった。彼女の娘であるシンシアも、楽しげな母の姿に当てられたのかとても嬉しそうに笑っている。

 

 

「随分楽しそうではないか。是非とも同席させてもらいたいものだ」

「あら、あなた。お帰りなさい」

「ああ、今帰った」

「わーい、とーさまー」

 

 和やかな談笑の合間を見計らったかのように、タイミングよく張りのある声が割り込んできた。最愛の夫の姿を見つけたソアラの表情が幸せそうに緩み、彼らの娘は満面の笑みでとことこと父の元に向かう。バランも手馴れたもので、一度しゃがみこんでシンシアの頭を優しく撫でると、重さなど感じぬとばかりに片手で抱き上げて歩みを再開した。

 

「遠路のお役目お疲れ様でした。パプニカ王家は何と?」

「互いに騒ぎ立てる口を噤むことで合意した。万事滞りなく運んだといっていいだろう」

「そうですか、ではこれでラーハルトは正式にアルキードの民となったわけですね。まずはめでたき事です」

 

 バランが不遇の境遇に喘いでいたラーハルトを見るに見かねて保護したとはいえ、本来ラーハルトは他国の人間である。とはいえパプニカとて自国の惨状を散々放っておいた自業自得なのだから文句をいえたことではないのだが、それでも筋は通すべきだというのがバランの言い分だった。

 まあ当事者に合意があったとしても人さらいの側面がある事実は拭えないのだ。公的に懸念を解消しておくというのは悪いことでなかった。パプニカにしたって藪をつついて蛇を出すような大事になるのは望んではいなかったのだろう。ここに両者の利害は一致し、予想されたとおりの穏便な決着に落ち着いたというわけだ。

 

 シンシアを抱き上げたバランが席につくと、楚々とした足取りで近づいてきた女官が一礼し、バランの分の飲み物を用意する。再び彼女が遠ざかっていっていき、無駄のない仕草でバランが湯気をたてる液体を嚥下すると、改めて会話に花を咲かせるのだった。

 

「時にルベアよ、お前はテムジンという男と面識があるのか? パプニカ王家に仕える高名な司教だそうだが」

「テムジン殿、ですか? 会話どころか顔を合わせたことすらありませんよ。どうしてそのようなことを?」

 

 しばしの間、本気で誰のことだと頭をひねることになったが、そのうちに思い当たった名前が一つ。

 司教テムジンと賢者バロン。数年の後、ダイの住むデルムリン島を訪れ、そこであろうことか自国の姫であるレオナ王女暗殺を企み、さらには人間が直接搭乗して操れるようにしたキラーマシンなどという物騒な代物まで持ち込んだ謀反人の片割れだ。

 

「歓待の席で妙なことを言ってきた。つまらぬ美辞麗句を抜いて簡潔にいえば、私の従者――つまりルベア、お前と余人を交えず席を設けたい、ついては私に仲介の労を取ってくれぬか、ということだったな」

「確かに妙な話ですね、テムジン殿は何故そのようなことを仰られたのです?」

「わからん。散々にお前のことを褒めそやかしていたが、肝心なことは何一つ口にしようとはしなかったゆえな」

「……なるほど、でしたら私もパプニカまでついていくべきでしたね。バラン様には余計な気苦労を負わせてしまったようで申し訳ありませんでした」

「ラーハルトのこともあり、万一を考えればお前を国元から離すのは得策ではないと考えたのは私だ。お前が謝ることではない。して、ここまでを聞いてお前はどう思った?」

 

 そちらについての答えは明快だ。つまり――。

 

「話になりませんね、お粗末極まりない」

 

 ばっさり切り捨て、溜息を飲み込むようにカップに口をつけた。さもあらんと頷くのはバラン。ソアラもこの件については口出しする気はないのか、黙って俺たちを見守るつもりのようだ。

 

「確かにな。もともと先方の望みは非公式の会合だ、多少邪険にしようがどこからも文句は出ん。丁重に断りの手紙でも送りつけてやるか」

「いえ、少々お待ちください。現時点では会合にさしたる益は見出せませんが、招待そのものは受けようかと考えています。ついてはラーハルトを借り受けたいのですが、お許し願えましょうか?」

 

 さすがに予想外だったのか、虚をつかれたようにバランは目を瞬かせ、ついで難しい顔で押し黙った。その事情はソアラも一緒だ、俺の提案の意味を即座に汲み取り、目まぐるしく思考を巡らせている。……二人の顔を交互に眺めやり、なんとか似たような表情をつくりあげようと四苦八苦する幼女の姿がものすごい場違い感を漂わせ――つまり癒しの極致だった。

 

「ちょっと時期尚早じゃないかしら? 焦ることはないと思うのだけど」

「もう少し経過を見て、無理そうなら私一人でパプニカに渡ります。それにラーハルトを連れていくにしても、率先して前に出ろなどとはいいませんよ。私の後ろで黙って立っていてもらえればそれで十分です」

「経過を見て、か。時期はいつ頃を予定している?」

「バラン様に骨折りをお願いできるのでしたら、是非とも三週間後でセッティングをお願いします。私はラーハルトを一ヶ月預かるつもりでしたから、区切りとして丁度良いでしょう。随行護衛として恙無く職務を果たした成果をもって、彼を騎士団に復帰させます。多少の箔にはなるでしょう」

「むぅ……」

 

 再び考え込むバランとソアラを後押しするため、さらに舌鋒を畳み込むことにする。

 

「得るものも少なくないはずですよ。アルキード王国は魔族であっても受け入れる土壌が育ち始めていることを示せますし、実際に隠れ住んでいる魔族が頼ってきてくれるようになるかもしれません。彼らは優れた肉体や知識、技能を持っていることが多い」

 

 その極みがロン・ベルクだろう。魔界に名だたる屈指の名工にして、魔界一の剣豪でもある規格外の魔族だ。

 あれほどの人材はそう容易く出てくるものではなかろうが、魔族の潜在能力は必ず国の発展のために役立つはずだ。なにより――可能性は低くとも『将来的な魔界の勢力との国交ないし交渉チャンネルの構築』を諦めたくない。それらを実現させるための足がかり、手札は多いほうが良いに決まっている。

 

「無論、受け入れるにあたって様々な困難も予想されますが、幸い我が国は『竜の騎士が庇護する国家』として人間以外にも寛容になれる可能性が高まっています。ソアラ様の種族融和を目指した社会形成の一助にもつながるはず。此度の会合、非公式とはいえ叩き台として相応しい場かと愚考いたします。それに――」

「それに?」

 

 そこで虚偽は許さぬと訴えかけてくる二人の視線を真正面から受け止め、偽りなく本心を告げた。

 

「良い機会ですから、この際私からもラーハルトに信を預ける姿勢を見せておきたいんです。……バラン様、ソアラ様、何卒私の我侭をお聞き届けくださりますよう、伏してお願い申し上げます」

 

 深く頭を下げているために二人が今どんな顔をしているのかはわからない。けれど、困った顔で苦笑いを浮かべあっている夫婦がいるのではないかという思いが消えることはなかった。

 そうして何ともいえぬ沈黙が場を支配し、次に動いたのが誰かといえばバランでもソアラでもなく、除け者にされてお冠な幼女だったことは笑い話というべきなのだろう。いつのまにやら俺の膝によじ登ってまた頬を引っ張られてしまった。

 完全に玩具扱いだな、おい。

 

「……ソアラ」

「ええ、あなたの思うように」

 

 そんなおしどり夫婦の意思疎通があったとかなかったとか。

 

「ふと、思った。お前の我侭はどこまでがお前のものだろうかと。答えは出なかったがな」

「その答えは至極簡単でしょう。全てが私の我侭と思し召しください。たぶんそれで正解です」

「なるほど、雅な我欲もあったものだな」

 

 くく、と小さく笑みを零したあと、バランが覇気の篭った目で俺を射抜いた。その強い眼光を柔らかく受け止め、静謐の中で次の言葉を待つ。

 

「――委細任せる。うまくやれ、よいな?」

「お慈悲に感謝します。微力を尽くしましょう」

 

 それで、全てが済んだ。あとは準備を進め、滞りなく結果を出すだけだ。

 私的な感想をあげるなら、この時俺たちはとても真面目な話をしていたと思うのだ。だからこそ、俺の間抜け面を見て笑いを堪えるのはやめてもらえませんかね? 原因はあなたがたのお子さんなんですから、しまいには俺も怒りますよ。

 そんなどうでもいい不満を咀嚼しつつ、再び天使だか悪魔だかわからない生き物のご機嫌を取り始める俺だった。……俺のほっぺってこんなに伸びるんだな、知らなかった。

 

 実のところ、我が国の国王陛下も孫娘をこれでもかと溺愛しているし、もしやするとこの国最強の権力者はこの無邪気な幼女様なのかもしれん。

 そんな結論をもっともらしく出しておいた。

 

「ところでバラン様。私からも一つご報告があります。よろしいでしょうか?」

「無論だ、何があった」

 

 天使のような悪魔効果で見事に弛緩した空気の中、長閑な風情を無理に引き締めることもあるまいと、やや乱雑な動作で懐に手を入れて一通の手紙を取り出す。そのままバランへと手渡し、軽やかな口調で内容を(そら)んじた。

 

「このたび、めでたく私の恋文がかの人に届きました。そちらに記載されている通り、近日中に我が国の王都を訪れていただけるとのことです」

「ほう、お前がかねてより執心していた男が、ついにか」

「ええ、ようやく念願が叶いました。感無量です」

 

 六年、いや、もうすぐ七年が経つのか。世界を恐怖の坩堝に陥れた魔王ハドラーを仲間と共に打ち滅ぼし、世界に平和を齎した英雄。そして未来においては大魔王バーンをして地上一の切れ者と評し、その警戒を向けられるに値した知勇兼備の大勇者。

 この地上に燦然と輝く御名――アバン・デ・ジニュアールⅢ世。

 

 

 ――本当、会うのが楽しみだ。



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第08話 天眼

 

 

「――チェック」

 

 猛るでも誇るでも、まして嘲るわけでもなく、それが至極当然の成り行きだと告げるように抑揚のない声音を発した。

 木彫りの駒と盤が触れ合う音が心地よい響きとなって耳を楽しませる。卓上に置かれているのは安物のチェス盤だが、変に装飾を施さないその素朴さを俺は存外好んでいた。そんな俺の眼前には悔しさだとか無念さをどうにか無表情のうちに閉じ込めようとして失敗している魔族と人の混血児が一人。

 期間限定で俺に預けられているラーハルトだ。普段から愛想の良い男とはとてもいえないが、今は常にもまして険しい顔つきで盤面を睨んでいた。

 

「……俺の負けだな」

「ふむ。終局の形も見えてきたじゃないか、お前の読み通りあと五手でチェックメイトがかかる」

「褒められているのだろうが、どうにも嬉しくないな。この盤面は俺を教導した結果だろう? 地力の差はまだまだ歴然としている、口惜しいばかりだ」

 

 そう分析する声には負けた悔しさ以上に終始手玉に取られた自身への戒めが多分に含まれていたように思う。その負けん気の強さと熱を伴う冷静さに思わず苦笑が漏れてしまった。

 

「昨日今日駒の動かし方を覚えた初心者に負かされるようじゃ俺の立つ瀬がないよ。それに筋は良いから悲観することもない、じっくり取り組めばその分だけ伸びるさ」

「そう願いたいものだ」

 

 眉間に皺を寄せて難しい表情をしているラーハルトだったが、俺が今しがた口にした通り悲観する必要などこれっぽっちもないのだ。というのもこの遊戯盤の優れた打ち手であるのならそれでよし、逆に拙い腕しか持ち合わせていなくてもそれはそれでよしと出来るからだ。本命は『チェスで遊ぶことが出来る』だけの教養を身につけること。腕の優劣をことさら問うつもりなどない。

 

「二面打ちでも分が悪いかー。こりゃ次は三面打ちに挑戦かねえ、あいつらが国境警備から帰ってきたら一席誘ってみるか」

 

 と、そこでじっと俺とラーハルトを見守っていたこの部屋の主が口を開く。からかいまじりの声をかけてきたのはアルキード騎士団に所属する貴族の青年――ライム。かつてバランに野次を飛ばして吹き飛ばされ、腹いせに俺にからんできて自爆したりと中々愉快な経歴の持ち主である。特に彼の尊い出自を知っているとなおさら愉快になれる。なにせ大臣の息子がこれほど奔放な為人をしているのだから困ったものだろう。

 

「その際はお手柔らかに頼みます」

「ほざけ、そんな必要性は認めない」

「さいですか」

 

 そんな困った君なライムも十八になり以前よりは落ち着いた……なんてことはなく、実家との折り合いが悪く絶賛プチ家出中だというのだから、面白いを通り越して頭痛の種だった。

 官舎は本来地方から勤務にきている武官や文官に割り当てられるものなのだが、王城の程近くに立派な屋敷があるのに不自由な官舎にしがみつくような物好きはこの男くらいのものだった。その破天荒が許されるのも実家の力ありきというあたりが実に皮肉がきいている。

 

 同じ王都に居を構えていても、俺の場合は実家と王宮が馬鹿にならない距離があるため官舎住まい。ラーハルトの場合はそもそも頼るべき親類もなく、身一つでこの国に腰を落ち着けたため必然的に官舎行き。

 つまるところ今夜は一人暮らしの三人が仕事を終えて一同に会し、和気藹々と交友を暖めていたのだった。部屋の主は開口一番『華がない』などと真顔で嘆いてくれたのだが、徹頭徹尾余談だろう。

 

「しかし、存外上手くやってんだな、お前ら。これで結構ハラハラしてたんだが……」

「ご心配ありがとうございます。騎士団のほうはどうです?」

 

 ライムは清潔に切り揃えられた蜂蜜色の髪をくるくると指で弄くりながら、心配そうな様子など欠片も見せずからからと笑う。嫌味のない笑い方は元々顔の造詣が良いせいか、なるほど女性に人気があるのも頷けると素直に納得させるものだった。

 顔よし、腕よし、家柄よし、どう見ても優良物件ではあるのだ。ただ素行不良というか、破天荒な性格が災いしてここぞという場面では敬遠されてしまうらしい。……剣に対しては真摯になれるのに、実家や女性周りへの配慮がまるでなってない男だった。

 

「さすがにやんごとなき方からのお叱りの言葉は堪えたらしい、団長も副団長も随分と慌てて事態収拾に駈けずりまわってたからな。これで万事問題なしとはいかないだろうが、それでも以前よりはマシだろうさ」

「それはよかった。最近は騎士団に限らず至るところで浮ついた空気が蔓延っていましたから、今回の件は丁度良い引き締めになったのかもしれません。当事者には不運でしょうけど、全体としては悪くない変化でしょう」

「ああ、そういやロモスのほうでも不祥事があったんだったか。確かにルー坊の言う通り少し気が緩んでるとこがあったのかもしれないな。だからってそうも明け透けに言われると反応に困るんだが」

「いつも通り見ざる聞かざるで構いませんよ?」

「そうさせてもらいたいもんだね」

 

 そんな殊勝なことをいいつつ、卓に肘をついてそこに顎をのせ、にやにやと俺を眺める姿からは自重の色を汲み取ることはできなかった。らしいといえばらしい。配慮や自重よりも享楽を優先させやすい男なのだから。

 

「折角のエンジョイタイムなんだし無粋はなし! といきたいとこなんだけど、そうさせてくれないのがルー坊なんだよなあ……。お前も大概友人甲斐のないやつだよな、それとも部下思いの上司だとからかったほうがいいのか?」

「チェスもカードも騎士の嗜み、いわばコミュニケーションツールですからね。ラーハルトはただでさえ無愛想ですから、せめてこれくらいは出来るようになってもらわないと」

 

 仲良くなるにしたってとっかかりはあったほうが良い。遊戯の腕を重視しないのはそのためだった。チェスにしろカードにしろ勝負事に秀でていれば尊敬されるし話も弾む、逆に娯楽に疎く負けてばかりいてもそれはそれで話を膨らませる種になるだろう。素直に教えを乞うてもいいし、道化に徹して笑いものにされるのも一興だ。

 ラーハルトの場合は白兵技能に『恐ろしく秀でている』ため、頭脳遊戯では遅れを取るくらいが丁度良いのかもしれない。そのギャップがラーハルトに可愛げを付与してくれるだろう。

 

「バラン様もチェスを嗜むといったらものすごい勢いで食いついてきましたしね。可愛いもんでしょ?」

「おい、それは言うなと――」

「口止めされた覚えはないから、次からは気をつけるように。黙らせ方や約束の破り方も覚えておくといいぞ」

「ぐっ……」

 

 しれっと言い負かす。そんな口喧嘩ともつかぬ不毛なやりとりにたまらず噴出したのは当然当事者以外の第三者だった。

 

「いや、ほんと心配して損した。意外と相性良いみたいだな、お前たち」

「冗談はやめてくれ」

「ラーハルト、先達は立てるように」

「……ライム殿、冗談はやめていただきたい」

 

 くく、と忍び笑いが漏れた。

 

「ああ、いや、なんかすまん。それと俺に気遣いはいらんよ、俺もそいつと一緒でプライベートでは気楽にしてもらうほうが好きだから。つーか酒の席で畏まられたら美味いもんも不味くなるから、何をおいてもやめさせるのが俺の流儀だ」

「あなたの場合は鷹揚すぎますけどね。『騎士団の問題児』の看板もそろそろ返上したらどうです? 幸い目の前に後釜になってくれそうな者がいますし」

「こんなのが上司で同情するよラーハルト。さぞ虐められていることだろう」

 

 涙を流す仕草も様になっていた。しかも小道具として綺麗な刺繍の施されたハンカチまで用意する周到っぷりである。芸が細かい。

 

「まあチェスやらカードでは相変わらずルー坊に虐められる側なんだが。……ふむ、ラーハルトも大変だ。なにせ目標がバラン様とハンデなしで勝負することだろ? あの方も相当打てるってきいたけど、ルー坊との戦績はどんなもんなんだ?」

「以前は五分五分か幾らか勝ち越せるくらいだったんですけど、最近はすっかり逆転して負けが込むようになってきました。特に早打ちだと殆ど太刀打ちできませんね。読みの深さと速さで対抗できずに力負けしてしまうんです。一局ごとに目に見えて強くなるとか反則だと思いません?」

 

 掛け値なしに溜息が出た。むしろ溜息しか出なかった。多分、あと二年か三年すれば五分どころか十やって三勝てれば御の字くらいまで差が開くだろう。

 それが竜の騎士としての特性なのか、それともバランの地力なのかはわからない。一つ言えることは、とにもかくにも学習効率が常人の比じゃないということだった。特に勝敗の分かれ目となるような、いわば『勝負手』への嗅覚が人間離れしているといっても過言ではない。それほどまでに戦機を読む力がずば抜けて高いのだ。

 

「マジで?」

「大マジです」

「うへぇ、そっちの分野でもバラン様がこの国最強の実力者になりかねないな」

「同意します。まず機会などないでしょうが、もしバラン様と賭けチェスでもすることになったら身包み全て剥がされる覚悟をしておくことですね」

 

 今度は俺がにやりと笑った。

 

「……あー、その言い草だともしかしてばれてる?」

「近々引き締めが必要だと考えていた、と言いませんでしたっけ?」

「似たようなことは聞いたような気がしなくもなくもない」

「騎士ライム?」

 

 少しだけ語気を強めると、降参とばかりに両手を掲げるライム。

 

「すまん。これからは注意するから、出来ればお前の胸に収めておいてくれると助かる」

「よろしい。賭けチェスも夕餉の一品を対象にするくらいなら文句も言いませんけど、金銭や高価な品にエスカレートするようなら厳しい沙汰が下りますから、ほんと気をつけてくださいよ。見てみぬふりをするのだって限度というものがあります」

「肝に銘じとく」

 

 ひとまず釘を刺したことでこの件については手打ちとなった。お互いそれを無言のうちに了承し、そこで空気を入れ替える意味でラーハルトを誘ってカード遊戯に移行する。雑談を交わしながら手の中でカードを滑らかにシャッフルし、軽やかな調子で配布するのも慣れてしまった。

 

「ところでラーハルト、騎士団でチェスが娯楽として推奨されてるのはどうしてだと思う?」

「戦争を模した遊戯だからだろう? 様々な駒の特性を駆使した戦いは単なる遊びと一笑に伏せるものではない。実際の軍編成や兵の運用、現場指揮の基本に通じるものがあり、覚えておいて損はない、ということだったな?」

「もちろん遊びには変わらないけどな。実際の戦場において五分の戦力でやりあえることなんてないし、合図をかけていざ尋常に勝負ともいかない。ま、ほどほどに楽しめばいいさ」

 

 尋ねたのは俺、答えたのはラーハルト、補足をつけたのがライム。

 友達甲斐がないといわれた俺の本領発揮だ、折角だからライムにも協力してもらおうと思って今夜の集まりを呼びかけたのだから。ラーハルトを騎士団に戻した時のための顔合わせも兼ねていたのだが、そちらは滞りなく済んでいたのだから今更気にする必要もない。

 

「なあ、ルー坊」

「なんです?」

「管理職としての心得を教授してやってくれとは言うけどさ、俺だってまだ肩書きから『見習い』が消えて一年しか経ってないんだぜ。その程度の人選ならお前が直接教えたって構わなかったんじゃないか?」

「こうういうことは本職に任せたほうが説得力が増すでしょう? ほら、先輩風吹かせるチャンスなんですから頑張ってください」

 

 近いうちにラーハルトは騎士団に戻る。となれば騎士団内部で幾分でもラーハルトに好意的な人間がいてくれたほうが都合が良い。

 そこで俺が白羽の矢を立てたのがこの男だった。双方の感触も悪くないし、場合によってはこちらから手を回してこの男の指揮する隊にラーハルトを押し込むのも一計だろう。

 

 なによりこれはソアラに頼まれていることでもある。ラーハルトの目を『外』に向ける機会は多ければ多いほど良いのだ。そもそもラーハルトのホームグラウンドは軍務畑になるのだから、そちらでぎくしゃくしているようでは本末転倒だしな。

 

「そこはかとなく面倒を押し付けられただけのような気がする」

「その認識で間違っていません。ご所望のワイン一本でどうです?」

「乗った」

 

 と、まあこんな不真面目なやりとりをしてラーハルトから白い目を向けられるという笑い話を挟みつつ、至極真面目な講義が始まるのだった。

 ライムが最初に口にしたのは彼自身が苦手にしていることからだった。

 

「まずは通常業務からざっくらばんに説明しようか。そうだな、例えば演習を一度するにも訓練場所の策定、他の隊とブッキングしないための調整や気配りが必要とされるし、遠征が決まれば隊の編成、物資の確保が出来なければ始まらない。国境の砦にでも配置されれば押し寄せる補給申請書類の処理に部下からの苦情も捌き、時にはレクリエーションも駆使して士気の維持も図らなきゃならない。何をするにしたって書類は付いて回るってことだ、これは文武問わず大前提の約束事だからよく覚えておくように」

 

 こくりとラーハルトが素直に頷く。俺の仕事の補佐をしている以上、部下を持つなら読み書き算盤が必要最低限の技能となってくるのは実感していることだろう。

 

「そういうわけだから、出世したいなら今のうちから手順や形式は勿論、部署の組織図や配置も頭に入れておくべきだろうな。偉くなってから覚えるにはちょっとばかり煩雑に過ぎるし、お前の立場だと侮りを受けやすいんだからなおさらだ。で、上にいけばいくほど戦わなけりゃならない紙の束は増えていく。これはもう慣れるしかない。まあルー坊の下にいる間に多少は手解きもしてもらえるだろ、必要以上に心配しなくてもいい」

 

 それも大丈夫だ。業務時間外で教え込んでるし、そもそも俺の下にいる以上広範な知識は必須条項となっている。嫌でも覚えざるをえない。

 

「平時はそれで良いとして、問題は有事の心得だろうな。戦場において指揮官に要求される仕事ってのは突き詰めれば二つに集約される。――いいか、一つは兵に『殺せ』と命じることだ。そしてもう一つが兵に『死ね』と命じること。その二つの命令を兵に遵守させることが出来れば将として一流といえるだろう。……ほんと、言うは易く行うは難しだな」

 

 それが勝てる指揮官――大軍を指揮する『名将』足りえる条件でもある。畏怖、威信、信望、人徳、カリスマ。目には見えぬ力によって兵をまとめ上げ、雑多な意思を持つ軍集団を『一個の生き物』として再構成できるだけの才覚だろう。

 元々騎士団のような軍組織は上意下達が鉄則だ。命をかける戦場だからこそ上の命は絶対だし、そうでなきゃいけない。兵の一人ひとりが己の考えで『最適解』を考え実行なんてしようとすればその時点で烏合の衆だ、勝てる戦も勝てなくなる。

 

 だからこそ兵は最初に『指揮官の命令には絶対服従』と教え込まれるし、そんな初歩さえこなせないものは戦場には不要だ。足手まといにしかなれない。そういう意味ではきちんと訓練の行き届いた軍組織ならば『殺せ』と命じることは『死ね』と命ずるよりも幾らか容易かった。

 問題は、ラーハルトが将として兵に死ねと命じられるだけの力量を持つことが出来るかどうか。種族の壁が立ちはだかり、未だ交流を密にできない今のラーハルトには望むべくもない。けれど将来的にはどうしても期待せざるをえない状況だった。

 

「なるほど、ご教授感謝する。……ルベア」

「なんだ?」

「戯れに尋ねるが、お前なら出来るか」

「無理だ」

 

 ばっさり切り捨てたが、それだけでは納得できていないようなのでもう少し詳しく続けた。

 

「ああ、勘違いはするなよ。常識的な戦場で、味方が優勢なうちは俺でも兵の統制は出来る。けれど一度でも劣勢に陥ったら、あるいは始めから勝ち目の見えない強敵が相手なら、俺の号令はことごとく力を失うだろうな。負け戦を覆す力は俺にはない、そう考えてくれれば良い」

 

 いずれくる大魔王を向こうにまわした戦争において、人類側は兵力の数と質で魔王軍に劣る以上、戦線は常に劣勢を余儀なくされる。つまり『戦略的に敗北した戦況を、戦術的奮闘によって盛り返す』神業を毎回要求されるのだ。正気の沙汰じゃない。

 仮に現場で兵をまとめることを命じられたとして、俺がその任に当たるとなれば実務を取れる補佐官をつけてもらってぎりぎり凡庸な指揮官が精一杯だろう。それが俺の限界だった。

 

 そも、なぜこの世界で指揮官先頭が持て囃されるかといえば、『人間よりもモンスターのほうが強い』という基本原則に対処するためだ。兵の心の支えとなることはもちろん、臨機応変の指揮運用、多種多彩なモンスターの種別に対する効果的な戦術や陣形の構築並びに実践と、人間を相手にするよりもはるかに現場指揮官にかかる負担と期待が大きくなる。

 ゆえに兵は常に『強く賢い』命令者を望むのだった。

 

 翻って俺はといえば、軍令を出し、出兵計画を練る段階ならばともかく、現場指揮に対する適性は著しく欠いている。それはこの先も変わらないだろう。

 そういって短くまとめあげた俺に対し、本当かと真偽を確かめるようにライムへと視線を向けるラーハルトだった。

 むぅ、少し苛めすぎたか? 俺の言うことを素直に信じてくれないようだ、ちょっと悲しい。

 

「概ねは。ただそれがすべてかといわれるとちっとばかし首を傾げたいところだな。私的な見解でよければこいつだってそこそこ兵の運用はこなすぞ? 第一貴族の放蕩息子として腫れ物扱いだった俺に臆することなく将の心得を説いたのも、そこで涼しげに高みの見物してる小僧だ。その一事だけでも大したものだって言われてたくらいだしな」

「ご自分で情けないことを口になさらないでください」

 

 ずきずきと幻の頭痛が襲い掛かってきたかのようだ。そんな俺の様子も意に介しちゃいねえ。

 なんだかなあ、と溜息。喧嘩を売られたから買っただけと考えると吹聴したい内容だとはとても思えなかった。その点、この男はよくも過去の黒歴史を嬉しそうに話せるものだと感心する。まだ懐かしむほどの年月は挟んでないはずなのに。

 

「プライドの高い輩には顔を顰める者もいるかもしれないが、俺を含めた若手連中ならこいつが直接指揮を執ってもそう反発はしないだろうな。その程度には認めてるし、お互いに足りない部分を補おうとするだけの信頼もある」

「何故と尋ねても良いだろうか? いや、どうやって、というべきなのかもしれない」

 

 ライムは今ひとつ得心がいかないといった様子のラーハルトを面白そうに眺めていた。この男は肝は太いし思慮を巡らせることも不得手ではない、しかしそれら全てを置き去りにして刹那的な享楽に耽る悪癖が、せっかくの長所を見えづらくしているところが多分にあった。

 

「そうさな、結局のところこいつはずるいんだ」

「ずるい?」

「ああ。なにせこいつは弱弱しい外見やら同情されるような年齢すら利用して人の心を絡めとろうとする。内面の苛烈さや腹黒さが周囲に知られていないわけじゃない、それ以上に穏やかで誠実な外面が勝ってるんだ。だから畏れられはしても積極的な排除だとか将来的な危惧まではなかなかいかない。清廉潔白を旨とする我ら騎士団一同からすると『可愛げのある切れ者』って評価になっちまうわけだ。ほらな、如才なくて厭らしい男だろ?」

 

 こら、お前も同意して頷くんじゃないラーハルト。

 どちらかというと俺は『弄り甲斐のある小間使い』に近いような気もするけどな。連中にうまく使われている。もちろんそのあたりはお互い様だから文句を言うほどのことじゃないんだが、どうにも釈然としない気分だった。

 

「実際助かってる。こういうのはあまり大声でいえたことじゃないが、バラン様は俺たちとはちっとばかし感覚がずれてるところがあるからな。加減を間違えられると冗談じゃすまない事態になる。そういう意味でも緩衝材があるのは有り難いんだよ、こっちからも要望出して摺り合わせてもらえるからな」

「散々な言われようです」

 

 頭痛をこらえる真似をして、傷ついてるふりをして、その悉くを見抜かれているという前提で話を進める。

 

「仕方あるまいに、それとも否定できるのか?」

「まさか。そこまでわかっていて、あえて知らん振りしてくれるあなたのいい加減さが大好きですよ」

「残念だな、俺が愛するのは見目麗しい婦人方だけだ」

「心配なさらずともあなたの女好きは王都中に知れ渡っていますよ」

「誉れとするところだな」

 

 その奔放さに頭を痛めている人がいることもよく知っている。ついでにいえば俺のところまで飛び火していたりする。

 

「さて、こんなところかな。ライム殿、ご教授感謝します」

「いいさ、どうせ暇を持て余してたんだ」

「重ねて感謝を」

 

 一礼してからラーハルトと向かい合った。

 

「逆境の中でこそその人間の真価が試されるって言葉があるけど、指揮官も同じだよ、ラーハルト。苦しい時こそそいつの才覚、積み重ねてきた努力が試される。お前の行く末はどうなるんだろうな」

「研鑽を怠るつもりはないが……。ふむ、俺もお前も、バラン様のようにはいかないか」

 

 どこか面白そうにラーハルトの口角が上がる。それは陰のある笑みではなく、もっと意欲にあふれたもの――そう、挑戦の気概が漏れ出したものだったように思う。

 とはいえ、引き合いにバランを出すあたりが実にラーハルトらしい。もしも同じことを言ったのがこの男でなければ俺は失笑を余儀なくされただろう、そうして身の程を知れと諌めたのかもしれない。竜の騎士は比喩なしで『戦神』だ、あの規格外を軍事常識にされてはたまったものじゃないぞ。

 

「無茶言うな、畑違いってのもあるけど、比較対象は選ばせてくれとしか言えないぞ。……バラン様か。あの方の命令なら皆喜んで死地に向かうだろうよ。戦場のあの人は絶対のカリスマを発揮するというか、『この人がいれば大丈夫、俺は生き残れる』と問答無用で兵に刻み込むからな。絶望的な戦況にあって兵の逃亡を防ぎ、なお剣を執らせるだけの信頼関係も育んでる。末端の兵にさえしかと根付かせた忠誠心は見事としかいえん、俺には到底望めるものじゃないな」

「だが、貴様は俺にそこまで辿り着けという。なかなかに虫の良い要求ではないか?」

「さすがにバラン様と同じところまでいけとは言わない、というか言えない。お前はもう少し常識的な範囲に留まってくれると嬉しいよ」

 

 苦笑を交えて宥めておく。バランに向けられる信望は一歩間違えば狂信だぞ、俺に言わせりゃ論理だけでは片付かない非常識の領域だ。圧倒的な畏怖と覇気に裏づけされた奇跡のような統率力。参考にするには色々とぶっとびすぎている。

 

「難しいことを頼んでるのは自覚してる。けど、自分に出来ることだけを他人に要求する、それで満足できるほど俺は万能超人じゃないからな。許せ」

 

 そこで一度言葉をきり、目を静かに閉じ、厳かに告げた。

 

「――人、各々領分あり。器を磨く努力を怠るべきじゃないが、だからといって万事悉くを一流にこなそうとするのも傲慢だろう。違うか?」

「同意しておこう。俺も精々励むとするさ」

「助かるよ」

 

 そこまで会話が進んだ折、感嘆とも溜息ともつかぬ小さな吐息が空気を揺らした。

 

「ルー坊がそこまで買う新人、か。こりゃ色々覚悟しておくべきだな」

「そろそろルー坊もやめていただけません?」

「十五になったら止めてやるよ。ついでに色街で女遊びも教えてやる、ラーハルトも一緒にな」

「大変ありがたい申し出ですが、差しあたっては色事ではなく軍務のご指南を優先してください。そのためにこうして一席設けたんですから」

「真面目だねえ」

「私は普通です、あなたが不真面目すぎるんですよ」

 

 つーかラーハルトに変なこと教えると俺がソアラに叱られるだろうが。バランからは……どうなんだろう? 曲がったことが嫌いな男ではあるが、戦場の心理に通じているせいか性には大らかな一面があると思う。本人は側室も取らずソアラ一筋だけど。愛妻家だこと。

 

「なら部下思いとでも言い換えてやろう。お前にはそっちのほうが効きそうだ」

「私のことをよく知っていてくれて光栄ですね。ええ、実に喜ばしいことです。だから私が三倍返しをしたくなる前にちゃっちゃと真面目になることをお勧めしておきますね」

「おお怖い怖い」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。本当、へこたれない奴だ。

 

「ま、色町云々は話半分でもいいけどさ。ラーハルトはこいつの下に就いてるならわかるだろうけど、ルー坊のとこには文武問わずあらゆる書類が舞い込んでるだろ? 軍務では主に兵站だとか訓練計画に一枚噛んでる。そうなると騎士団(うち)にも相応の影響力を持ってるわけだ」

 

 すっと目が細まる。まるで戦場のような気配を漂わせ、真剣な眼差しでこちらを見る男は先ほどまでの腑抜け騎士とは別人のようだった。

 

「内政だけでなく軍政にも広く手を伸ばす。お前はバラン様の補佐をしているんだ、それ自体は不思議なことじゃないし『俺には』文句もないさ。――だが、権限を集中しすぎていると危惧している連中がいることも忘れるなよ」

 

 なるほど、警告(こっち)が本命か。今回はラーハルトのために骨折りしてもらった以上、俺も相応の誠意を見せる必要があるだろう。それでなくても本気で気遣われているとなれば真摯に応えたくなるし。

 

「随分ご心配をおかけしているようですね。申し訳ありません、我が身の不徳です」

「誤魔化すな。……話せんのか?」

 

 だからそうやって本気で心配されると口が軽くなりそうなんで勘弁してください。そんな内心を抱えて曖昧な困惑顔で誤魔化そうとしたが、じっと見つめられて居心地が悪くなったのはこちらが先だった。

 こうも純粋に心配されていると思うとどうにもな。かといってかつてない魔王の軍勢が近くやってくるからその備えともいえないし。まだ明かすには早い、突拍子がなさすぎるし変に広まってほしくもなかった。

 

「……アルキード王国は伝説に謳われる《竜の騎士》をその内に取り込みました。かの力は人類がために十全の形を振るうことこそ難しいとはいえ、ソアラ様、シンシア様、そしてディーノ様がいらっしゃる限りバラン様は我々の側に立つでしょう」

「それはわかっている、俺が知りたいのはその先だ。バラン様の政治的地盤は固まり、それに伴ってお前も安寧を得た。この先はどうなる? いや、どうするつもりだ?」

「見事な識見恐れ入ります、と言いたいところですが、残念ながら誤りがあります」

 

 ぴく、とわずかに眉根が寄った。俺の指摘した見落としに心当たりがあったのか、あるいは答えが浮かばず不愉快に思ったのか。

 

「王室に受け入れられた当初こそ不慣れな一面を見せましたが、最近のバラン様は政務にも精力的に取り組み、臣民からの信頼も厚くなりました。軍務においては言うに及ばず、もはやバラン様抜きでアルキード騎士団を語るは愚の骨頂でしょう。バラン様本人に関してはもう何も心配はいらないんです」

「『本人は』? ……そうか、お世継ぎの問題があったか」

「ええ、まず竜の力は子に遺伝するのか。遺伝するとしても発現の条件は? 無条件に全ての子が潜在的に力を宿すのか? そのあたりはまだ何もわかっていないんです。まさかそのためにあちこちで子を作れとは冗談でも言えませんし」

 

 つまり、と溜息交じりに続ける。

 

「『竜の騎士の血筋』を『王位継承権』にどのような形で取り入れるか、その難題が丸々残っているんです」

 

 竜の騎士に目覚めた者を優先して玉座に就けるのか、あるいは元来のように長子存続を優先させ、竜の紋章を発現させた兄弟姉妹を優遇し、実権のある役職、特に騎士団のトップにでも据えるか。もちろん単なる名誉職として別のポストに就ける選択肢だってある。

 場合によっては複数の宮家の設立――各家の持ち回りで王位を譲り合う制度も視野に入れる必要があるかもしれない。

 

「アルキードを統べる王権と神意の具現ともいえる竜の血の関係性の確立は、急ぎではなくともいずれは向き合わねばならない国家の一大事でしょう。それに加えて頭が痛くなるのは、ただでさえ第一王子にあらせられるディーノ様が行方不明、シンシア様は健やかにお育ちなさっていますがそれ自体が継承の対立につながりかねない火種になっていることですね」

 

 いずれくる嵐を無事に乗り越えることが出来るのか、乗り越えたとしても安定の治世を作り上げるための制度の構築は不可欠となる。

 

「シンシア様が学問を修められる年齢になればより火種は大きくなるでしょう。仮にですが、ディーノ様のご帰還が十年の後になるようでは、もはやシンシア様を王位にと望む声を抑えることは至難のものとなります」

「ふむ、ちっとばかし危険な発言だな。お前はシンシア様の即位に反対なのか?」

「そんな不敬は申しあげておりません。現状ではシンシア様を頼るほかありませんし、海のものとも山のものともわからぬ幼少のうちから資質云々を語ることこそ僭越というもの。私が言っているのは単に男子継承の優先を蔑ろにしたくないという一般論ですよ、誤解のなきようお願いします」

 

 頼むから俺が恣意によって王位継承を歪めようとしているなどとは間違っても言ってくれるな。さすがに身内のゴタゴタで首を切られたくない。なにせ事が事だ、物理的に身体がお別れする事態だってありえる。

 

「ああ、それはわかるな。なにせ次代はソアラ様が女王として立つことは決まってるんだ、となるとうちの国は二代続けて女王の治世が続くって線も十分ありえる。……慣習といっちまえばそれまでだが、諸手をあげて歓迎とは言えないわな」

「前大戦の最中、十代の女王が即位せざるをえなかったカール王国の政情に比すればまだマシといえましょう。とはいえ、やはり王族の女性は世継ぎを望まれる立場ですからね。激務の約束されている王冠に手を伸ばされるのは臣下として承服しかねます」

「となると、あまり時間も残されてないか。あと五年、できれば三年以内にディーノ様をお迎えできないと厳しいな。バラン様も必死に捜索なさっているんだ、出来れば見つかってほしいものだが……」

「同感です。ここに『竜の血筋』が関わってくるのですから、ソアラ様の次の御代はいささか荒れる可能性を多分に孕んでいるという危惧も根拠のない夢想とはいえますまい。だとすれば、いずれくる混乱に備える意味でも王室は強くあってもらわねば困ります。以上が私の見解ですが、ご納得いただけたでしょうか?」

 

 これだけすらすらと軍務の外を語れるのだから騎士道一本に絞ることもあるまいに。皆がいうように実にもったいないと思う、結婚でもすればすこしは落ち着くのだろうか?

 

「よくわかった、お前が無茶したがるわけだ。……すまんな、どうにも生き急いでるように見えてお節介を焼いた」

「構いません、いずれ陛下を交えてご相談せねばならないことです。ここで懸念を口にするのも悪くないと思います。……今の話、あなたのお父君にも伝えるのでしょう?」

 

 わずかに沈黙が、あるいは思惑が交差した。けれどその緊張は長く続かず、どちらからともなくふっと息をついて話は終わりとなる。

 

「つくづく思う。お前って性格悪いよな」

「おや、何のことでしょう? 私は忌憚ない意見を口にしただけですが。それこそあなたの望みどおりにしたつもりですよ?」

「そうやってそ知らぬふりでとぼけてみせるとこだよ。ったく、無視するには話がでかすぎるし重すぎる。俺の腹だけに収めるには到底無理ってもんだ。それがわかっててわざわざ口にしたのがお前なんだ、愚痴くらい言わせろ」

 

 本気で胃もたれするぜ、と心底嫌そうに腹のあたりをさすっている。あからさまに辟易とした表情を浮かべているあたり、俺の口を割らせたことを後悔しているのかもしれない。ご愁傷様。

 

「良い機会です、いつまでも実家から逃げ回ってないで覚悟の一つも決めることですね。もっともあの心配性な大臣殿なら、もしかすると薔薇色の重しの一つや二つ用意してるかもしれませんが」

「……この野郎、よくもヌケヌケと。さては親父と共謀しやがったな」

「共謀とは人聞きの悪い。近頃はあなたのお父君から『息子の行状を諌めてくれ』と泣き付かれてばかりいるのでお力添えを、と考えただけです。どちらかといわずとも、人が良いと褒め称えられるべき配慮でございましょう、御曹司殿?」

「小さな親切大きなお世話ってな、そこは友情を優先してくれれば言うことないね」

 

 ああやだやだ、と大袈裟に身振りで遺憾の意を示されてしまった。反省はしないけど。

 

「それにしても親父の奴調子のいいこった。ちょっと前までお前のことを蛇蝎のごとく嫌って、俺にも付き合いを断てだのなんだの口喧しかったくせに、いつのまにか主義主張を取り下げてお前と仲良くなってやがるんだから。あんの節操なし」

 

 そう悪し様に言わなくても、と割と本気で宥める羽目になった俺である。相変わらず親子仲が冷えているというか、すれ違ったまま改善の見込みが見えない二人だった。誰か仲裁してやればいいのに。

 

「今でも仕事のうえではしょっちゅうぶつかりあってますけどね。それに離合集散は政の常、その程度のことで恨みに思うほうがどうかしています。ぶっちゃけた話、大臣という重責を担っている以上、王族のご威光を笠に好き勝手に振舞う不届きな輩など煙たく思うのは当然ですし」

「お前はどうもそのへん達観してるよな。怒るべきか呆れるべきか。そんなだから年齢詐欺だとか言われるんだ」

 

 実際詐欺だよなあ、と自分でも思う。どうにもならない、如何ともしがたい思いだってそれなりに抱いているが、気にしたって仕方ないのも事実だった。

 

「そういうあなたは王都で散々浮名を流している割に、この手のことには妙に潔癖ですよね。もう十八なんですからいい加減反抗期は卒業しましょうよ」

「余計なお世話だ。つーか黙れ、それを十三のガキに言われちゃ俺の立つ瀬がないっての」

「残念ながらこの件であなたを擁護してくれる人は少ないとなけなしの忠告をさしあげましょう。ああ、それともう一つ。折角なので私にもちくちくと苛められてください」

「よしわかった、俺が話をつけといてやるから、また騎士団の訓練に参加しにこい。好きなだけ足引っ掛けて地面に転がしてやる」

 

 とてもとても良い顔をした騎士が一人いた。係わり合いにならないほうがきっと平和である。

 

「そうやって大人げないことを嬉しそうに宣言しないでくださいってば」

「はっはっは、仕方あるまい、実際楽しいんだから。……ま、冗談はさておき、もうしばらくは放っておいてくれや。親父は親父、俺は俺。今は仲間と剣振ってるほうが楽しいし、俺は生涯騎士団に奉職するつもりだかんな。それだけは譲れん」

 

 こういうとき、俺は親が子に向けるような、あるいは兄が弟に向けるような、そんな言葉で定義するには少々羞恥心が勝り、躊躇するような笑みを浮かべているのではないかと不安になるのだ。達観というよりは、やはり『ずれ』だと思う。

 それは無理に矯正するものではないが、さりとて素直に表に出してよいものではなかった。誰だとてプライドはあるのだ、年下に慈しまれてはそれだけで矜持が傷つく人間だっているのだから。

 

「曰く、頑固者は褒め言葉、でしたか? あなたがそんなだから余計にお父君が心配されているのでしょうね。いずれは国政の参画者として自身の後継にと考えられているのに、息子であるあなたが一介の武辺者で満足するのはいささか親不孝に当たりませんか?」

「はん、柄じゃないし向いてないっての。そうさな、どうせならお前が親父の後を継いでくれよ、うちの家名が欲しけりゃ妹をくれてやるからさ。姉さん女房も悪くないぞ?」

「またそんな突拍子もないことを……」

「問題ないだろ?」

「大有りです。第一、あまり悪ふざけが過ぎると数少ないご家族内の味方にまで嫌われてしまいますよ? ついでにいえば私にお見合いを勧める前にあなたが身を固める努力をしてください。そうやって露骨に話を逸らさなくても、これ以上は何も言いませんから」

 

 義理は果たしたし、あとは親子の問題だろう。……だよな?

 

「へいへい、わかりましたよっと」

「そう不貞腐れないでくださいってば」

 

 ラーハルトにもこういったことじゃ頼れないしな。というかお前はもう少し関心を示せ。拙くてもいいから嘴を挟め。

 しばらくの間は多少の無作法とて年齢を理由に酌量されるのだから、ある程度は冒険もしてよいと思うのだ。無論、公的な場ではまた別なのだが。

 

「それじゃ気分直しに勝負再開といきましょう」

「異議なし。というわけでオープン! 役は?」

「金貨のフラッシュ」

「……8のフォーカード」

「俺はエースとクイーンのフルハウス。となるとラーハルトの勝ちか。最下位はルー坊だな、シャッフルは任せた」

「了解」

 

 さて次は何をする、と弾んだ声で尋ねてくるライムは、まるで童心に還ったかのように瞳を輝かせていた。こうも屈託なく遊戯を、そして今を楽しんでいる邪気のない様を見せ付けられると、自然とその明け透けな心根を羨ましく思えてしまうものだとしみじみ実感するばかりだった。

 

 

 

 

 

 ある晴れた昼下がり。俺とラーハルトは王都の乗合馬車を利用して移動中の身の上だった。

 季節の移ろいを予感させる乾いた風は寂寥の念を感じさせられ、無言の車内から息苦しさを払拭していた。昔は馬車などとんと利用する機会はなく、馬に引かれた車輪と整備された石畳の擦れ合う断続的な音が耳障りだと不満に思ったものだが、最近ではすっかり慣れてしまったようだ。

 もっとも硬い床板から伝わってくる振動だけはいつまでたっても強敵には変わりない。舗装された王都の大通りでさえこれなのだ、行商人の利用するような碌に手入れのされていない悪路ではどれほどの苦痛となるのか、想像したいとはとても思えなかった。やはり移動は徒歩が一番だ。

 

「たまには城下の大衆食堂に足を伸ばすのも良いもんだろ? 『食』はこの世でもっとも手っ取り早く幸福を得られる営みだと思うんだよ。だとすれば毎日違った幸福を噛み締めたいと思うのは人として当然の帰結」

「……演説も結構だがな、俺たちが店に入った瞬間明らかに空気が固まったし、店主は哀れなくらい冷や汗を流していたぞ。お前が顔見知り相手にも容赦のない人でなしだということがよくわかった」

 

 沈黙だけではつまらないだろうとせっかく話を振ったのに、返ってきたのはけんもほろろな対応、すなわち割と本気の苦言と心底呆れた眼差しだった。

 言いたいことはわかる。白昼堂々魔族(ラーハルト)が店を訪れ、愛想のない顔で料理を注文し、黙々と食事を摂っていれば店員も客も穏やかではいられない。実際、食事中はずっと伺うような視線がまとわりついていたし、周りの連中は息を潜めて口を閉じていた。楽しい昼の一時がまるでお通夜のような雰囲気に様変わりだ、さぞ俺たちは煙たい客だったことだろう。

 

「まったく、どうしてお前はこうも突拍子もないことをするのだ?」

「なに、早いか遅いかの違いだけだ。魔族を国民として受け入れさせるなら避けては通れない通過儀礼でしかない。王城だけが世界の全てじゃないんだ、少しずつ慣れさせていかなきゃいつまでたってもお前は『お客様』のままだぞ。それはまずい」

「その気遣いに対して礼を言うべきなのだろうが、な」

「いらんよ、頼まれた業務の範囲でしかない。それにこれでも楽しんでるんだ、気に病むこともない」

 

 どういうことだと言わんばかりに物問いたげな視線を受け、にやりと笑う。最近はこういったやりとりが増えてきた。

 

「少し昔を思い出した。それが懐かしくてな」

「懐かしい?」

「今回の原因は間違いなくお前の魔族を象徴する外見に起因するものだけど、二年近く前までは俺自身が原因で似たような反応をされてたからな。もちろん楽しい思い出じゃないんだが、どうしてかな……こうして振り返るとおかしな感慨がわきあがってくる」

 

 ラーハルトは俺の要領を得ない説明に妙な目を向けてくる。さもあらんと笑ってもう少し詳細を語って聞かせた。

 そんなに難しい話じゃない。四年近く前、俺はバランの処刑騒動の後、傷の療養を理由に王城に移送された。そこで目が覚めた後、当時立場の弱かったバランに付けられる形でなし崩しに奉職が決まり、そこから一年の間は諸事に謀殺されてほぼ王城に缶詰状態だったのだ。ほとんど実家に帰ることもなかった。

 

 俺がどこで何をしているのかが隠されていたわけではない、だが半ば音信不通に近かったことも合わさり、城下で俺の噂が無責任な形で先行するのも致し方ない状況だったといえる。

 噂自体は取るに足らぬものだと断じても良かった。厄介なのは『本来平民が踏み入れるべきではない貴族の、ひいては王族の政』に年端もゆかぬ小僧が参加しているという、信じがたい事実のほうにこそ多大な問題があった。結果として俺は平民、貴族どちらにも受け入れられぬ土壌を得てしまったわけだ。

 

 ざっくばらんにいえば『コミュニティからの追放危機』である。

 気持ちはよくわかる、俺だって為政者、権力者とつながっているような人間と進んでお友達になりたくはない。そう思える平民は少数派だろう。君子うきに近寄らず、という言葉はまさにこんなときに使われる言葉なのである。

 

「そういった事情もあってな。王城でも城下町でも俺はすっかり腫れ物扱いだった。お前に比べりゃマシだったとはいえ、結構へこんだ時期もあったよ。今となっては笑い話だけどな」

 

 暇を見つけては城下に足を運んだ。

 別にある日突然怪物に変身したとかそんなんじゃないのだ。なるべく城下に足を運んで何気ない会話をかわし、人畜無害をアピールしつつ隔意の解消を図ったり、あるいは職権乱用――もとい仕事の領分を拡大して街の代表者や実力者と新たな関係を築いたりと、『普通に付き合える』関係を構築してきた。

 彼らの畏れは結局『よくわからないモノ』への恐怖だったのだから、俺が多少変わり者であっても、努めて等身大の姿を見せ付けるようにすれば、大抵の溝は埋まっていったものだ。

 

「ま、そんなわけでお前もそう悲観することはない。今は一人で街に出すわけにはいかないけど、そのうちお前が城下を歩いてても当たり前になる日もくるだろうさ。もっともしばらくは俺と一緒に動いてもらわにゃならんけど。俺のことを話半分でも知ってる連中ならそうそう口も手も出してこないからある程度は安心してもらって良い、なにせ治安を守る側が騒動を起こしてちゃ話にならんからな」

「言葉に行動が伴っているのだかいないのだか。お前はもう少し慎重な男だと思っていた」

「自信家といってくれ。これ全て俺の掌の上よ」

 

 ふふん、調子の乗って嘯いてみたらひどく白けた視線を向けられてしまった。相変わらず冗談の通じない奴だと笑いながら続ける。

 

「慎重と臆病は紙一重、これは戦場でも同じことだろう? ケースバイケースというやつだ」

「相も変わらず口の減らない男だな」

「お褒めに預かり恐悦至極」

 

 処置なしとばかりに頭上を仰ぐラーハルトがおかしかった。

 竜の騎士の従者と人魔の混血児。若輩ながらに国の頂点近くに控える俺と、いずれは国家の安全保障を担うであろう卓越した戦士の才を持つラーハルト。さて、俺たちは端から見てどんな印象を抱かせる二人組なのだろうか?

 願わくば――。

 

「今はいいけど、目的地に着いたらもう少し表情を柔らかくする努力をしろよ。子供達を泣かせて困るのはお前なんだから」

「そうはいうがな……。孤児院の視察はまあ良いだろう。お前が希望し、決済を取ったものに俺が付き合うのも、同行の命令が下った以上断るのは不実ゆえ従うのも吝かではない」

「職務熱心な部下を持って俺は嬉しいよ」

 

 ラーハルトが来て初日に決済を取らせた仕事だ、多少は印象深くもあるのかもしれない。内心でそんなことを考えながらしれっと受け答えを成立させていく。

 

「だがな、お前の身上は『適材適所』なのだろう? どうして俺が人間の子供(ガキ)――しかも前大戦で親を失った不遇な境遇にある者ばかりが集まった施設で、よりにもよってこの遊び相手を務めなければならん。お前の真意は何だ」

「不満なのか?」

「混ぜっ返すな。不満ではなく危険ではないかと言っているのだ。人間に憎まれる魔族を孤児の世話役に放り込むなど何を考えている? それこそお前の言う『火種を育てる』事態に発展しかねないだろう、メリットとリスクが釣り合わん。……今更言うべきではないかもしれんが、それでもあえて繰り返そう――何故俺を連れてきた」

 

 この時、ラーハルトは声こそ荒げてはいないものの、その表情には不安と疑問が渦巻いていた。悪いことじゃない、以前より明らかに慎重になっているし『優しく』なっている。格段に細やかな配慮が行き届き、しっかり周囲へと気を回せるようになっているのだ。

 

「確かに人間の中には魔族を恨み、憎んでいる者も多いが、だからといって誰かれ構わず当り散らすには時間が経ちすぎてる。そもそも恨むべきは魔王ハドラーと傘下の魔物軍団だしな、顔も知らぬ相手をいつまでも憎んでいられるものか。大抵の感情は時とともに風化していくもんだ」

「それは一般論だろう、事実例外はいた」

「八つ当たりで済んでたんだからまだマシだったと思うぞ。戦後七年になろうとしている今、当時の無念や憎悪を今に至るまで燃やし続けている相手はそう多くない。逆にいえばそれが出来る奴は本当の意味で怖いし危ない、お前が警戒すべきはそういう少数派だ」

「だから街を練り歩いたり孤児の相手をさせようとするのは問題ないと?」

「群集心理にさえ気をつけておけばそう心配することはないだろう、この意見は何も俺だけのものじゃない。バラン様からも一人では外出するな、なるべく人目のつく場所で生活を送れと申し付けられているだろ? つまりはそういうことだ。まったくの無防備無警戒ってのも困るが、だからといって四六時中神経を尖らせておく必要もないのさ」

 

 そして最低限の警戒さえしておけば、ラーハルトが不意の襲撃者に後れをとるようなこともあるまい。こいつを殺したければ、それこそかつての勇者一行のような、地上でも指折りの実力者を持ってこないかぎり不可能だ。 

 

「なるほど、つまり――」

「思う存分子供達の遊び相手になってやれってことだ。鬼ごっこでもしてやれば喜ぶんじゃないか? ただしお前が本気出すと絶対捕まらないだろうから、ほどほどに手は抜いてもらわないと困るけど」

「武人の技を見世物にするようで気が進まんな」

「『適材適所』だろう? 俺は孤児院が適切に運営されているかの査察名目をきっちり果たす必要があるし、仮に金勘定をお前に任せても結局最後は俺が見直さなきゃならないんだから二度手間だ。来年以降の卒業生の奉公先についても院長さんと相談しなきゃならないし、そっちをお前に任せるのはまだ無理」

 

 力不足だと断じた俺に対し、ラーハルトは激昂するでもなく淡々と口を開く。

 

「卒業生の一人がお前の実家に奉公に出ることが決まった、だったか? それを理由にわざわざ視察を回してもらった男の言い草とは思えんぞ」

「ささやかながら祝いの催しを、ってな。もちろんそれだけじゃないぞ。なにせ親なし子の奉公先として教会や軍の門戸を開かせるために、王家のバックアップを全面的に押し出す案をまとめたのは俺だからな。本来孤児への教育に許されない初等魔法の契約を力ずくで盛り込んだ以上、ある程度の監視の目を入れることと新たな試みの経過観察をきっちり報告するのは必須だ。普段は下の者に任せるにしても、たまには上の人間が顔を見せないと。そのへんの按配は教えただろ?」

「……私益を公益に優先するなかれ」

「そういうこと、お前も杓子定規に考えすぎるなよ」

 

 その言葉の本意は『公益さえ満たせばある程度融通をきかせてもよし』だ。私心をまるっきり否定するものじゃない。つまるところ『うまくやれ』と言っているに過ぎない。

 

「とはいえ、年少組はともかく卒業生は俺やお前より二つか三つ年上だからなあ……。これはこれで心情的に厳しい」

 

 国や地方によって多少の差異はあれど、この世界の子供の就職年齢は早ければ十五、平均すれば十六が一般的だ。そして商家の店先や職人工房で二年から三年の下積み生活を経てようやく一端の扱いを受けることができる。

 当然だが孤児はこの初期段階で一般家庭の子供とは大きく差がつき、なかなか奉公先が見つからない。下手をすれば卒業してもいくあてがなく、ほどなく犯罪者に落ちてしまうなんてこともある。

 

 俺がしたのは王家や貴族の名義を利用し、孤児院に箔を用意するとともに、王都の商組合や職人工房を駆け回って受け入れ枠を願うことでコネを広げさせることだった。そしてある種の社会実験として魔法使いの素質を持つ者を軍に、僧侶の資質を持つ者を教会で受け入れられないかと打診し、予算を工面することに成功した。このあたりはソアラの名が効いたな。

 これで少しでも低年齢層の犯罪率が低下し、治安が保たれれば御の字なのだが、仮に成果が数字となって表れるとしてもそれはまだまだ先の話だ。

 

 これらを踏まえるとラーハルトがいかに優遇されているかがわかるだろう。孤児、それも他国から流れてきた流民というだけでも社会の最底辺扱いは逃れられないというのに、人に憎まれ疎まれる魔族の血を引いてもいるのだ。どう考えても栄達とは無縁の身の上だろう。

 しかし今のラーハルトは王族が後見人につき、やや回り道をしているが近いうちに改めてアルキード騎士団の幹部候補生と迎え入れられることが決まっている。しかも内々の話とはいえ将来的には将軍職――騎士団の団長クラスに就くよう王族に嘱望されてもいるのだ。バラン達の予定通りに事が運んだ場合、ラーハルトの経歴は立派な立身出世物語として世に出しても恥ずかしくないシンデレラストーリーそのものである。

 

 俺の場合は言わずもがな、さらにひどい。齢十三で国家の中枢を担う立場にあり、内務、軍務、外交、貿易、諸事全般それぞれの大臣職に比肩しかねない権限を振るっているのだから開いた口が塞がらないというもの。ホラ吹きが大好きな吟遊詩人ですらもう少しまともな出世物語を紡ぐだろうよ。

 

 戦時ならまだしも平時においてこの状況は異常だ、確実に国の将来に禍根を残す。となればどこかでこの歪みを清算せねばならないのだが、今すぐは不可能だった。それではこれまで無理を押してまで築いてきたものの多くが無駄になる。しかし、いや、だからこそというべきか。大魔王バーンの脅威を退けたその時は――。

 と、密かに十年先、二十年先の青写真を脳裏に思い返していると、どこか不機嫌そうに眉を寄せるラーハルトの顔が目に入った。

 

「ここで年の階を嘆かないでくれ、気が滅入る。俺たちにとってそれは本当に今更なことだろう」

「同感だけど、それでも嘆きたくなるのはどうしようもあるまいよ」

「言うな」

 

 顔を見合わせ、重苦しい溜息を一つ。

 せめてあと五年早く生まれてくるべきだった。それが俺たちの偽らざる本音に違いなかったのだろう。

 共有する苦労話に多少の連帯感が増し、されど決して覆ることのない事実に思い悩むだけ無駄な些事であると断じるまでがワンセット。

 やがて馬車が止まり、大荷物を抱えて歩を進める俺の姿を発見した孤児院の顔見知りから元気よく名前を呼びかけられる。その時には既に俺は営業スマイルを固めることに成功していたのだった。

 

 

 

 

 

 ただいまと掛け声を口にしてから見慣れた扉をくぐる。

 日の傾く夕刻、目に鮮やかな赤が飛び込む刻限が迫っていた。孤児院訪問を恙無く終えたことで本日の業務は終了、心地よい倦怠感に包まれながら馬車に揺られ、ようやっと帰宅の運びとなったのである。

 向かった先は王城ではなくフェルキノの実家だった。そう、件の報告書は翌日に回して良いとのお達しが出ていたため、ありがたく気遣いを貰って実家に一時帰省することにしたのだ――ラーハルトを伴って。

 

 別段緊急の事態となったわけではない。ではなぜかといえば、俺の交友関係を心配している両親を安心させるためである。

 というのも俺は十の頃に王城へと奉公することになったため、同年代の知人友人とは等しく疎遠になってしまったのだ。子供は子供らしく無邪気に遊ぶ姿を見せることが親孝行になるわけだが、俺はそうした当たり前を見せることが出来なくなってしまったわけだ。そして王城には当然ながら俺と年代の近い人間はいない、そのあたりもうちの両親は随分気に揉んでいたらしい。

 

 ――だからといって半魔族であるラーハルトを連れてくるのは我ながらぶっ飛んでるなあ、とは思うけれど。

 

 今回ラーハルトを招待することはあらかじめ二人に伝えてあるし、彼の身の上も簡単にではあるが説明してある。事実二つ返事で了解を貰っているから妙な心配はしなくてよい。

 むしろ意外だったのはラーハルトのほうだった。業務上のことならともかく、プライベートの誘いには容易く乗ってこないはずだと考えていたのだが、さしたる苦労もなく誘いに頷いてくれたのは本当に驚いたものだ。

 

「なんだ?」

 

 俺の物問いたげな視線でも感じ取ったのだろうか? ラーハルトは相変わらず愛想のない顔をしていたが、物腰は随分と柔らかなものだった。こいつはこいつで何か思うところがあるのかもしれない。

 両親はまだ店に出ている時間だ。夕食の食卓を囲うための材料は既に用意していたため、今は中途半端に手持ち無沙汰な時間になっていた。とりあえずということで客人用のお茶をラーハルトに出したところである。

 

「いやな、正直言うとお前がここまで素直なのは予想外だった。ああ、今日のことだけじゃないぞ、俺の下につけられてから今までの『人間』に対しての態度って意味だ。心のうちを上手く隠してるって風でもなく、何ていうかな、うまく折り合いを付け始めてるって感じがするんだ。何か心境の変化でもあったか?」

「貴様に話す義理はない」

 

 そんないつもの調子でけんもほろろにだんまりを決め込まれると考えていたのだが、ラーハルトの言葉には続きがあった。

 

「――といいたいところだが、強いて隠し立てするようなことでもないな。この国に来る前に、バラン様に言われたことがある。それを俺なりに考えていた」

「へえ、どんなことを仰られたんだ」

 

 自分の分のカップに茶を抽出しながら尋ねる。ラーハルトの話には結構な興味がそそられた。

 

「『お前はこれから今まで以上に人間の弱さを知り、醜さに憤り、時にその身勝手さに失望するやもしれぬ。されど願わくばお前が人間を肯定できる男であってほしいと思う。……すまん、私にはそれしか言えぬ。強くなれ、ラーハルト』とな。だから――」

 

 それは遠くを見やる大人びた眼差しだった。

 

「――だから俺は、あれほどまで苦衷に満ちたお顔で語られた御心と、バラン様がこの地で見出した強さの意味を見つけたがっているのだと思う。あの方が辿り着いた場所に俺がいけるとは思わんが望んでみたくはある。つまりはそういうことだ」

 

 ……驚いた。

 喉が詰まり、容易には言葉が出てきてくれない。それでもなんとか空気の通り道を確保し、どうにかこうにか喉を震わせて相槌を打った。

 

「そうか、バラン様がそんなことを」

「ああ。ところで何故貴様は目頭を押さえている?」

「気にしないでくれ、こっちの事情だ」

 

 一言でいうと感動してる。『あの』バランがねえ、とひどく感慨深い思いがこみ上げていたのだ。

 とある歴史ではソアラを殺され、その死を実の父によって蔑まれたことで激昂し、真っ赤な激情に任せたまま一国を塵に変えた男だぞ? それがここまでの懐の深さを見せ付けるようになったのだから感傷も一入だった。

 本当、バランは日増しに全霊の忠を向けるに相応しい仕え甲斐のある男になっていく。そういう意味では俺も結構ラーハルトの気持ちがわかるというか、随分と近い立ち位置にいることを意識せざるをえなかった。そんな共感を抱かれていると知ったら、やっぱりラーハルトは怒るだろうか? 『一緒にするな、俺のほうが忠義高い』とでも言って。

 

 なんとはなしに黙り込む。ラーハルトは喋りすぎたと少し照れている様子で、俺は俺で過去に端を発する幾つかの思い出が脳裏をかすめていて、結果として二人で沈黙に身を委ねていたのだった。

 来客を告げられたのはそんな時だ。アクションの生じにくくなっていた内部からではなく、突然の外部からの強制刺激だったせいだろう、急激に時の濁流が襲い掛かってきたような錯覚に苦笑を零しながら応対に出る。

 

 家業として客商売をしているため、昔から人の出入りの多い家だった。だから昔ながらの気軽な調子で玄関の扉を開き――そこで予期せぬ相手を目にして立ち尽くす羽目になった。

 そこにいたのは一人の男だった。

 男性にしては長く艶やかな長髪はふわりと柔らかで、くるりとカールさせた様はどこか愛嬌を感じさせるもの。薄いレンズの向こうに垣間見える双眸も柔和でありながら抑え切れぬ理知の光が宿り、整った顔立ちが後押しとなって一介の旅人とはとても思えない。。

 さらに視線を動かせば、旅装束に包まれた身体は細身でありながらも絞り込まれた長年の鍛錬を思わせるものだった。その反面、粗雑さなど欠片も見せず、清冽な雰囲気を醸し出しつつ涼やかな威を両立させるという、もはや奇跡というほかない絶妙なバランスを体現した人である。

 

「はじめまして、ルベア君。いえ、ルベア殿とお呼びするべきでしょうか。なにはともあれ無事にお会いできてよかった。ああ、申し遅れました、私はアバン・デ・ジニュアールⅢ世と申します。以後、お見知りおきを」

 

 心臓に悪いと掛け値なしに思う。そんな俺の驚きを斟酌しているのだかいないのだか、若々しい(かんばせ)に人好きのするにこにことした笑みを浮かべたその人は、実に嬉しそうな様子で丁寧に挨拶を口にした。

 今、俺の目の前に、かつて魔王ハドラーを討ち果たした英雄、地上に平和をもたらした勇者その人が立っている。

 突然の来訪に混乱し、かの人の涼やかな佇まいに気圧された。その現実を受け入れるのに数瞬の時を必要としたことを否定しない。とはいえいつまでも呆けていては話が進まないし、なにより失礼だろう。そう思い至ることでどうにか再起動を果たすのだった。

 

「お会いできて光栄です、アバン様。遠路はるばるお越しいただき、まこと感謝にたえませぬ」

「んー、そう畏まられると困ってしまいますね。お手紙に記した通り、私のことは流れの旅人と扱っていただきたいのですが」

「ではアバン殿と。それでよろしいでしょうか?」

 

 ベリーグッドですと嬉しそうに頷く姿に思わず眦が下がってしまう。

 なるほど、怖い人だ。一言二言を交わしただけに過ぎないのに、もう俺の警戒心が引っ込み始めている。それがなにより恐ろしいと戦慄にも似たさざなみが心を乱す。

 そんな内心の分析もひとまず脇に置き、苦笑を浮かべてちくりと苦言を呈すことにした。

 

「あなた様の功績を省みれば、本来は国家の賓客として遇すのが筋。しかしながら政からは一線を引きたいとの申し出がありましたので、『ジニュアール』の名を継ぐ学者先生として招かせていただきました。必要とあらば我が主ともども城下に足を運ぶ用意がございますが、今はどちらの宿に?」

「『薫風の宿木亭』にお世話になっています。ですが、わざわざご足労いただくのは不敬というものでしょう。旅人であれ学者であれ、貴人と拝謁するならばこちらから出向くのが道理。数日は城下に滞在するつもりですし、明日あたりお城の兵隊さんに取り次ぎ願おうかと考えていたのですよ」

 

 確かに勇者の肩書きを使わない以上は俺たち、特に王族(バラン)が出向くのは不自然だしアバンの側の失策、不敬にあたる。だからといって額面通りに処理するには相手が大物すぎるのも事実だった。なにせ勇者アバンといえば今でも各国が諸手をあげて自国に迎え入れたいと願う大人物なのだ、その影響力は無視するには大きすぎる。どの国であろうと最上級の礼で接するのが当然の対応だった。

 ともあれ明日朝一でアバンの到着と『上』への取次ぎを約束して事なきを得、ほっと一息つく。それから折角訪ねてきてくれたのだからと、粗茶でもどうかと水を向けた。というのも、だ。

 

「君のご両親が経営しているお店を訪ねたら、思いのほか話が弾んでしまいましてね。仕事の関係でご子息と会う予定があるのだと告げたら、今日はこちらに帰ってくるので先にお会いになったらどうですか、と実に親切にしていただきました」

 

 こう言われてしまったからには、用が済んだからとて「はいさようなら」と玄関先で辞去を願うわけにはいかないだろう。というか両親の紹介がなくてもそれはあまりに非礼というものだ。

 

「ところでアバン殿、その花はどうされたのです? ご婦人に贈るには数と種類が噛み合わないと思うのですが」

「お察しの通り、これは墓前に活けるような葬祭用の花です。あなたのご両親から息子は祖霊を大変信心深く敬っていて、実家に帰るたびに祖父母の姿絵に祈りを捧げているのだと聞き及びましてね。そこで突然訪ねるのだから一献奉じるべきかと慌てて用意してきたんです」

 

 またしても冷や汗ものの答えだった。知らず背筋が寒くなるも、それを押し隠すことにどうにか成功する。……成功したと思いたい。

 よっぽど話し上手で聞き上手な人なのだろう。うちの両親も偏屈さとは無縁な人柄をしているが、初対面の相手にこうも無防備な対応を取っているのだから相当だ。別段この人と対立する意図も理由もないが、間違っても敵には回したくない相手だと切実に思った。

 

「ま、そんなわけでして、迷惑でなければ手を合わさせてもらいたいのです。お願いできますか?」

「もちろんです。アバン殿のような方にそこまでしていただけるなら亡き祖父母もあの世で喜ばれましょう。ご案内します、こちらへどうぞ」

 

 途中で部屋に残っていたラーハルトにも声をかけ、祖父母の生前を描いた姿絵が置かれた小部屋へと移動する。ラーハルトもアバンに何か感じ入るところがあったようで、わずかの間ではあったが明らかに好戦的な感情が発露していた。……強者の勘でも働いたのか?

 一方のアバンはといえば、あからさまに魔族の血を引くラーハルトを見て驚くでもなく、何故か納得したかのように深く頷いていたのである。これはこれで反応に困るというか、真意の見えない所作に俺のほうが困惑する有様だった。

 ともあれ互いの自己紹介も波乱なく終わったのだからよしとしておこう。ぎくしゃくするよりはずっと良いはずだ。

 

「ここです。すぐに花を活けますのでしばしお待ちを」

 

 準備はすぐに整い、皆、無言のうちに膝をつき、厳かに祈りを捧げる姿勢を取った。姿絵に描かれているのは二人、そのうち祖父との思い出は幾つか思い出せるが祖母の思い出はない。なにせ俺が物心つくまえに逝去しているのだ、記憶に残っているはずもなかった。

 

 祖父は身分も高くなかったため、一生を軍務に捧げたとはいえ華々しい経歴を持っているわけではない。平時は軍需物資を扱い、王都と砦をつなぐ輸送兵としての役割が主だったものだった。だが、後方支援を担った祖父も魔王ハドラーが巻き起こした一大戦役のなかで否応なくモンスターとの戦いに身を投じ、そして帰らぬ人となった。職務に殉じての死だ、誰を恨むでもない。祖父を手にかけたモンスターも討伐されているとなればなおさらだ。強いていえば戦役そのものを憎むべきなのだろうな。

 

 そんな祖父と並んで描かれている祖母も、取り立てて派手な人生を生きた人ではなかった。だからといって卑下するようなものではない明らかだ。親から受け継いだのれんをしかと守りぬいた一生だ、誇って良いと思う。

 波乱万丈といえたのは若かりし日、婿養子に兵士として奉職していた祖父を迎え入れたことくらいだろう。当時家族やご近所の間ではそこそこの騒ぎになっていたと聞く。黒髪をきっちりとまとめあげ、その表情にも芯を感じさせる。人当たりの良い人ではあったが肝の太い豪放な一面は祖父と似通っていたようで、結局似たもの夫婦だったのだろうと思う。

 

「ルベア君、つかぬことをお聞きしますが、この姿絵はいつごろ描かれたものかわかりますか?」

 

 唐突な質問を口にしたのはアバンだった。横目に伺った彼は若干目を細めるように姿絵を眺め、けれど俺の視線に気づくとすぐにもとの優しげな顔つきに戻る。

 少し、取り繕うのが遅かった。訝しんでいることを隠し切れていなかった。そんな小さな綻びにやたらと安堵している俺がいる。あまりに遠くにいる人が少しだけ手の届く場所に降りてきた、あるいはもっと単純にこの世に完璧などないという証左が嬉しかったのかもしれない。

 それほどまでに俺はこの人を恐れていた。――畏れて、敬って、慕わざるをえない魅力を眼前の男が有していることを自覚するゆえのことだ。

 

「詳しい成立年までは存じ上げておりませんが、祖母の生前に描かれたものらしいので、少なくとも今から十五年以上は昔のことでしょう」

「そうでしたか。見事な筆使いに思わず見入ってしまいました」

「十把一絡げの画家が描いたにしてはよい出来だろう、とよく父が話してくれます。アバン殿は芸術にも造詣がおありで?」

「浅学ですが多少の心得はあります。まあ下手の横好きというやつでしょうね」

「ご謙遜を。一目見ただけで『後から書き加えられた違和感』に気づいてしまうのですから賞賛を贈るほかありますまい」

 

 痛いほどの沈黙が舞い降りた。

 一人成り行きを把握しきれていないラーハルトが顔を顰めたのがわかったが、ひとまずは後回しにしておく。もしかしたら何も気づかなかった自身に苛立っているのかもしれないが、人間に追い立てられ、人里離れた僻地で暮らしてきたラーハルトにこの手の知識や洞察を期待するのは無茶だろう。

 というか普通は気づかんよ。『一度完成した作品に後から手を加えた形跡』なんて微妙なもの、気づくほうがどうかしている。俺だって細心の注意を払い、間近で睨めっこしてようやくわかったことだぞ。だというのに、アバンは遠目に一瞥しただけでそれをなしてしまった。まったくどういう観察眼を持っているんだか。

 

「お気になさらないでください。生前の祖母はそこに描かれた私のような黒髪ではなく、父と同じ日差しに透けるような綺麗な茶の色彩をしていました。それを知ったのも私が五つの頃。今更傷つくような衝撃にはなりませんよ」

 

 いや、ほんと可愛げのない子供だったと思うよ? もっとも絵のギミックに気づいたのは、周囲の大人たちがふと漏らした言葉を聞き知ってから改めて確かめて判明した事実だけど。

 人の口に戸は立てられないということだ。うちは客商売、口止めをするにしたって限度がある。大人は見た目が子供だというだけで侮る、ましてそれが幼児ならばなおさらだろう。

 つまり俺が『それ』に気づいた順序はアバンとは逆で、まず事実を知ってから傍証として肖像画の細工を確かめた、という形になる。

 

「おい、どういうことだ」

 

 たまらず口を差し挟んできたのはラーハルトだった。我慢が限界にきたというよりは混乱から思わず口をついて出たといった感じだ。俺とアバンの視線を集めたことに気づいてやや面目なさそうな顔をしている。だからついてこれなくても気にすることはないって。

 別段引っ張るような話題ではないので、軽い口調で事の核心を詳らかに語る。

 

「大したことじゃない。要するに俺は拾われ子で、この家の誰とも血がつながっていないってだけなんだから」

「……それは本当なのか?」

「こんな時にまで嘘はつかん」

 

 十三年前、寒空に放り出された俺を拾ったのが当時恋人関係にあった現在の父と母だ。俺というそこそこの年齢にある子供がいながら、二人が未だ三十才に届かないのもそういう経緯があったためだ。今になってもフェルキノ家の第二子――本来の意味での第一子が誕生していないのは俺が理由だったのかと思い悩むこともある。あるいは、もしかすると母の側に産めない事情があるのかもしれないと推測は立てているが、真実は二人だけしか知らないことだった。

 

 いずれにせよ彼らは俺を実の子として扱い、育てることを決めたのだ。しかも俺が親に捨てられた哀れな子供だと気づかぬよう腐心し、愛情をこれでもかと注いでくれた。そうして『俺の黒髪は祖母譲り』とまで吹き込み、親の肖像画に手を加えるなどという暴挙に近い決断までしてくれたのだ。それほどの志を知ってどうして無心でいられよう?

 

 ――だからこそ、俺は彼らに恩返しをしたい。暖かな家庭を与えてくれた一家に、たくさんの『ありがとう』を返したいのだ。

 

「……ご両親は『あなたが知っていること』を知らないのですね?」

「ええ。俺が拾われ子であり、俺自身がその事実に気づいていると承知しているのは、バラン様とソアラ様、そして陛下だけです」

 

 バラン処刑の場に介入し、調査の手を向けられた時点でこの事実が明るみになってもおかしくはなかった。だが、両親が俺に知られることを厭い、涙ながらに寛恕を願ったらしい。そしてソアラ達も口を噤んだことで、結果として俺が捨て子だった事実が広まることはなかった。

 

 少々生臭い話をするならば、あの当時それを公表しても王族側にとって何もメリットがなかったことがあげられる。握りつぶすのは当然といえば当然なのだ。

 同じ平民といっても『王都の裕福な一家の息子』と『親に打ち捨てられた孤児』では風評にも雲泥の差が出る。ましてあの当時、バランもソアラも立場が弱かったのだから、俺を利用することに決めた陛下からすれば不都合な事実を葬り去ることに何らの躊躇もなかっただろう。

 

「もっとも両親も薄々察してはいるようです。多分、慣例として奉公に出る年齢を迎えれば全部話してくれると思いますよ。それまでは父や母の好意に甘えようと思っています。そういった次第ですので、時がくるまで今の話は聞かなかったことにしていただければ助かります」

「それはもちろんそうさせていただきます。……しかし参りましたね、少々踏み込みすぎてしまったようです」

「半ば自分から話したようなものですから、アバン殿が気にやむ必要はこれっぽっちもありませんよ。吹聴しないと約束していただいただけで十分です。――勿論ラーハルトも。お前もそれでいいよな?」

「無論だ、他人の身の上を軽々しく口にする趣味はない」

「サンキュ」

 

 これにて一件落着と大手を振って言うにはいくらか不足があるとしても、同様にこれ以上膨らんでいくこともないだろう。元よりアバンは人格者だしラーハルトも根は善人だ、他人の過去を突ついて面白がるような悪癖は持っていない。

 

「配慮に欠けた物言いに終始してしまった由、慙愧に堪えません。ついてはルベア君、先の非礼を詫びる機会を私に貰えませんか?」

 

 だからといって、こうも下手に出られても困り果ててしまうのだが。

 この人はかつて地上を救った勇者であり、けれど今は公職を持たぬ中途半端な立場にある。つまりひどく扱いが難しい立場なのだ。公務のうえでは(へりくだ)りすぎてはいけず、さりとて恩義と心情を加味すれば頭を垂れずにはいられない。為政者側から評すのならば、さっさと何らかの役職を拝領してくれと悲鳴をあげたいくらいだろう。……これも明日の課題だな。

 

「アバン殿、どうかそのように仰らないでください。先に申し上げた通り、あなた様が気になさるようなことではないのです。それに今となっては外に漏れてもさして影響の出る案件ではありませんゆえ」

「ふーむ、親切の押し売りに目を瞑ってしまえば割とお得だと思うんですがねえ。たとえば明日、私に便宜を図れと申し付けてもらえればそれなりに力になりますよ?」

「押し売りの自覚はあるのですね」

 

 今度こそ溜息が出た。この人が善人であり、類を見ない人格者であることに否定を唱える余地はない。だが、それでいて食えぬ人であることも確かな事実だと改めて突きつけられた思いだ。探りを入れているというほど露骨ではない、しかしこちらの思惑と人となりを計られているのは間違いなさそうだ。

 ガンつけされないだけマシなのかね? 荒っぽい洗礼をぶつけてきた現部下もいることだし、と避けえぬ通過儀礼に妙な思いが込上がるばかり。偉人や権力者に試され、胃が痛くなるような繊細さとは無縁な性根を持ち合わせてよかったと心から思う。センチメンタルな心根など幾年幾十年の昔にどこぞかへと投げ捨ててしまったため、もっぱら行方不明と評判だ。主に俺の中で。

 

「お返事、貰えます?」

 

 ウインクの似合う成人男性というのは実に貴重だと思う。そのひょうきんな振る舞いに和んでしまうせいか、問答無用で許せてしまう空気を纏うのだからずるい。

 だから俺も、これ以上ないほど朗らかに笑み崩れることで答えとした。言葉などおまけのようなものだ。

 

「その儀はご無用に願います。どうぞお忘れなさってください」

「それでよいのですか?」

 

 よいに決まってる。自身の口の端が釣りあがり、やがて浮かべた笑みは不敵なそれへと変貌を遂げていく。

 そうでなければ、と思う。そうであらねば、と思う。慈悲を乞うのは俺の趣味ではなく、また長い付き合いを通して友誼を育みたい相手だと認識するならば、理と利だけにとどまらぬ相応の振る舞い方というものがあるはずだ。

 

「申し上げます。そも降って湧いた幸運に頼らずとも、私はあなたを正面からきっちり口説き落とすつもりなのですよ。これより道を交えんと意気込んだ矢先に、さてもつまらぬ枷を嵌めるはあまりに興醒めというもの。アバン殿は風流を解すお人柄と伺いました。なればここで私の楽しみを奪うはあまりにご無体でございましょう?」

 

 『それなり』では足りない。この先の激動を乗り切るためには何をおいてもこの人の協力が必要だ。だからこそ『こちらが欲しいのはあなたの本気の合力なのだ』と暗に込めて言い放った。

 視線が交差し、思惑もまた交錯する。今後の判断材料を交えて並べる品評会を経て、此度の沈黙は長く続くことはなかった。先に表情を崩し、緊張を解いたのはアバンが先だ。その答えもまた、俺の意図を正しく汲んだものだった。

 

「ふふ、君という人間が少しだけわかった気がしますよ。明日はどんなお話が聞けるのかと楽しみになりました」

「私にはあなたの腹の内がまったく見えませんけどね。どうかお手柔らかに願います」

 

 お互い様ですよ、とやはり人好きのする気持ちの良い笑い方で前哨戦にも似たステージの幕を降ろす。そのままの泰然な面持ちでそろそろ夕餉の時間だろうと口にし、非の打ち所のないタイミングで辞去を口にした。

 実際、そろそろ下準備を済ませないとまずい。それでなくても問題を抱えた『お友達訪問と夕餉を囲った団欒』が待っているのだから、これ以上の不確定要素は歓迎できなかった。

 ……まあアバンも夕餉を共にしたほうが談笑が弾むことは間違いないのだろうけど。しかしながらそこまで図々しくなれる人間ではないのだろうし、このタイミングで宿に戻るのは妥当としか言いようがない。俺も引き止めるような真似はしなかった。

 

「そうそう、明日はそちらの少年、ラーハルト君といいましたね。彼にも同席してもらいましょうか。そのように私が希望していたとでも伝えておいてください」

 

 だからこう――去り際に強力な爆弾を放り込んでいくのは反則ではないだろうか? 実はこの人、相当性格悪いのではなかろうか、という割と洒落にならない疑惑が俺の中で固まった瞬間である。

 頭脳明晰であることは疑いなく、そうでありながら常に飄々としていて底を見せない。だというのに誠実さを疑われにくい人柄とくれば、これは心底羨ましいと妬むに十分だった。いや、ほんと羨ましい。

 

「……ご提言しかと承りました。万事恙無く取り計らせていただきます」

 

 ごくりと唾を飲み込み、どうにかそれだけを口にすることが出来た。

 

「わずかながらの尽力に過ぎませんが、それをもって先のお詫びとさせてください。無作法に見合うだけの埋め合わせになっていれば幸いです」

 

 この男、やはり意地が悪いのではないだろうか?

 

「十分すぎるほどのご厚意に言葉もありません。正直、あなたがどれほどの目と耳を有し、どれほどの高みから遍く地上を見下ろしているのかと不安になりますよ」

 

 その明晰な頭脳、その精緻な思考力、その俯瞰する天眼。それらことごとく全霊の尊敬に値する。この人は俺がどんなに望もうとも届かない地平にいるのだ、だからこそ手を伸ばしたくなるのが若さというものだった。

 これはラーハルトの無謀を笑えたものじゃないな、俺の中にもまだこれほどまでに身の程知らずな炎が残っている。

 

「――俄然、やる気が出て参りました。私は明日、あなたをこの舌鋒にて思うがまま打ち据えることでしょう。どうぞお覚悟召されますよう、アバン『先生』」

「おやおや、今度はこちらが加減を要請する番かもしれませんねえ。あまり脅かさないでもらいたいものです」

 

 稚気と畏敬を込めて先生と呼ぶのはこれが最初で最後になるだろう。アバンがアルキード王国に腰を落ち着けるならば彼を上に置いて敬うのも良いだろうが、おそらくそうはなるまい。だからこれは今だけの幻――そしてアバンを師と呼ぶのはかつて遠い世界を生きた身だからこそ抱く密かな夢だった。本懐である、なればこそ十分だ。

 これ以後は感傷も無用、竜の騎士並びにアルキード王国に仕える人間として、この男をきっちり口説き落とすのが俺の仕事なのだから。

 

 ――お覚悟を。

 

 もう一度繰り返したそれは声に出さずともしかと自身に刻みつける、このうえなく鮮烈で明快な言霊へと昇華したものだったと自負している。

 時が過ぎてアバンが去り、両親が合流した後も、かくも昂揚に浮き立ち静まらぬ心を、今回ばかりは抑えつけようなど微塵も考えず――さて、その未熟、俺は誰に詫びるべきだったのだろうか?

 

 

 



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第09話 成るは盟約、示すは標

 

 

「こうして一同が会する機会を得たこと、実に喜ばしく思います。発起人の責に則り、会談の進行は私、ルベアが務めさせていただきます。ではまず出席者の紹介から――」

 

 大仰な催しを厭ったアバンと、この会談の重大さを重々理解しているアルキード側の思惑が合致し、世界を救った元勇者を招くにしてはひどくこじんまりとした部屋に俺達の姿はあった。

 出席者は客人のアバン、発起人の俺、そしてバラン夫妻の四人。番外として警備の名目でラーハルトが控えている。ただし彼は会談の席に加わらず、出入り口を固めるように直立したまま警戒に当たっていた。

 今のラーハルトをこの場にねじ込むのはこれがぎりぎりの妥協ラインだ。さすがにバランやソアラと同じ格で座らせるわけにはいかない――むしろ俺だって場違いなくらいだろう。これなら立ってたほうがまだマシだ。

 

「お初、お目にかかります、バラン殿下。本日はよろしくお願いします」

「よく来てくれた、アバン殿。今日という日を指折り数えて待つ毎日だった。こうして顔を合わせることが出来たこと、まさに祝着よな」

「恐れ入ります」

 

 勇者アバンと竜の騎士バラン。

 互いに年齢は二十代前半、タイプは違えど共に見目良く、剛柔兼ね揃えた重厚な気配を漂わせる出来人だ。しかも実績もとんでもない。片や魔王ハドラーを倒して地上に平和を取り戻し、片や冥竜王ヴェルザーを下して地上侵略の危機を防いでいるのだ。これほどの大人物が談笑を交わしているのだからすごいの一言。

 まさしく歴史的瞬間というやつだろう、映像に残しておきたいくらいだ。無論、俺の姿は後に編集して抜いてしまうこと前提で。

 

「ソアラ様もお久しぶりでございます。不精にてご挨拶が遅れました由、まことご容赦の程を願います」

「そんな寂しいことを仰らないでくださいな。我らアルキード王室並びに国民一同、先の大戦を終結に導いた勇士らの奮闘を忘れてなどおりません。礼を尽くすはこちらですよ、アバン様」

「勿体無いお言葉です」

 

 旧知、というほどソアラとアバンに交流があったわけではない。アバンが魔王討伐の旅に出ていた当時、この国をアバン一行が訪れた際に遠目にて挨拶を交わしたことがあったとのことだ。

 むしろこの二人は間接的なつながりのほうが大きいのかもしれない。なにせ――。

 

「ところでアバン様、故郷から足が遠のいて長いのですか?」

「恥ずかしながら仰るとおりです。困りましたね、ソアラ様のお耳にまで届いていましたか」

「フローラ女王がしきりに気に病まれているご様子だったのでもしや、と。殿方には殿方の考えがお有りになりましょうが、華やかさの影で涙をこらえる気丈な(ひと)がいることも忘れないであげてくださいね」

「しかと。御身の芳情、ありがたく受け取らせていただきます」

 

 歳が近いこともあり、アルキード王国王女ソアラとカール王国女王フローラの間には、友人といって差し支えないだけの暖かなつながりがある。

 フローラはソアラより二つ年下とはいえ、即位して女王の冠を担っているため、公的には王女の位にあるソアラよりも立場が上だ。しかしプライベートでは年齢相応の付き合いを続けているらしい。お互い忙しい身の上であり容易に時間を確保のは難しいものの、それでも時折顔を合わせて旧交を温めていた。

 おそらくその折にでもアバンの名が出たのだろう。ソアラの言葉にはどこかアバンをからかう軽快な響きがあり、アバンも痛いところを突かれたとばかりに苦笑を浮かべて頬をかいていた。

 

「ルベア君とラーハルト君は昨日に引き続き、ですね。今日はよろしくお願いします」

 

 こちらこそお願いしますと返す俺。無言のまま会釈するラーハルト。

 ほどよく順調な滑り出しにほっと胸を撫で下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 アバンを招いた――正確には世界を放浪している元勇者を捕まえた経緯は実に単純だ。かつて魔王ハドラーを討伐した勇者一行のうち、行方の知れている二人――戦士ロカと僧侶レイラの夫婦が暮らすネイル村で網を張り、そこでアバンと接触しようと考えたわけだ。もっとも網はネイル村に限った話ではなく、テランやベンガーナ、ロモス王宮のように、直接アバンの素性を知る王族(ツテ)には俺が彼と会いたがっていることを伝えるよう頼んでおいたわけだが。

 

 ちなみにそれらの連絡役にもっぱら利用させてもらったのがディーノ捜索隊の人間であり、その後も彼らを仲介に細々と勇者一行との関係を維持してきた。もっとも俺はロカやレイラ、アバンと直接顔を合わせたことはない。

 パプニカ王宮の相談役を辞して後は隠居してしまった魔法使い(マトリフ)や、魔王討伐以後は人里離れた山奥に篭ってしまったという武闘家(ブロキーナ)はいわずもがな、こちらは所在の確認さえ出来ていない。

 

 もっともマトリフは時折ネイル村を訪れているようだ。ただしこちらの兵が不在の時を見計らっているかのようにニアミスを繰り返している。絶対狙ってやがるな、というのが俺の見解である。

 まあ仕方ないか。戦後、請われて仕えることにしたパプニカ王宮で家臣団の反発に遭い、そこでよほど嫌な思いをしたのか、人間嫌いにプラスして権力者にもうんざりしてるようだからな、あの老人。同じく体制側であるアルキード王室からの使いと聞けば逃げたくもなるだろうさ。

 

 マトリフに代表されるように、今現在、勇者一行は基本的に公権力から離れていた。ブロキーナは元々求道者のような生活を送っているようで滅多に人里に下りてこない。これは昔からそうだったらしい。

 元カール王国騎士団長だったロカは、アバンと共に魔王討伐の旅に出る際に役儀を返上した。時のカール王国王女、現カール王国女王フローラは、大戦終結後改めてロカに騎士団長復帰を打診したが、ロカはこれを丁寧に辞去している。

 

 それは戦火の広がる真っ只中、国防の第一線を預かる騎士団長という重職を放り投げてまでアバンと共に厄災の根本的排除、すなわち魔王討伐の旅に出たことを気に病んでもいたのだと思う。だが、それ以上に彼はもはや激務をこなせる身体ではなかったことが最大の理由だろう。

 

 ロカは勇者一行の切り込み役として常にパーティーの先頭に立ち、その身を盾に仲間を守り、敵を討とうと奔走した。そうして見事勇者の道を切り拓き――その代償としてあまりに深い後遺症を患ってしまった。度重なる戦傷や毒、呪い。肉体の酷使は限界を超え、回復呪文や薬草の類でも癒せる範囲を超えていたのである。生命力を振り絞りすぎたゆえの肉体機能の低下だ。

 

 もっとも限界を超えた戦いの連続はロカに限った話でもなく、たとえばマトリフとて仲間を守るために禁呪と呼ばれる外法の類を乱用したことで寿命を縮めていた。つまるところ魔王ハドラーを打倒したアバン一行の道程は、並外れた艱難辛苦の末の快挙だったというある意味で当たり前の、そして残酷な現実であったといえよう。

 

 故にソアラの口から弔意が零れ落ちたとしても、それは何ら不思議なことではなく――。

 

「ロカ様のことは残念でした。叶うならば直接この身の頭を下げ、尽きぬ御礼を連ねたかったと今でも思います」

 

 ロカの訃報を受け取った誰もが胸の痛みとともに『早すぎる死』と嘆いたことだろう。

 ハドラー戦役の後、ロカはカール王国に在する生家からレイラの故郷であるロモス王国のネイル村に引越し、そこで療養の日々を過ごす。ハドラーとの決戦前に誕生していた娘、マァムも健やかな成長を見せ、父としてもこれからというときに不幸が襲った。流行り病にかかり、おそらく免疫機能も弱まっていたのだろう、合併症を患いそのまま回復することなく亡くなってしまったのだ。

 本当に残念だ。俺としても一度は会ってみたかった。

 

「暖かな弔意のお言葉を感謝します。ただ、こういってはなんですがロカは真っ直ぐすぎて少々無骨な男でしたからね。ソアラ様のような見目麗しいご婦人に幾度も頭を下げられては、そうそうに身の置き所がなくなって逃げ出してしまったやもしれません」

「まあ、アバン様ったら」

 

 我がパーティーきっての朴念仁でしたからねぇ、とひょうきんな仕草でおどけるアバン。続けてその分だけ裏表もなく、本当に気持ちの良い仲間だったとすかさずフォローを入れながら、アバン自身故人を懐かしんでいるようだった。

 

「ロカ殿は細君との夫婦仲も仲睦まじいものだったと聞いている。良き戦士であり、良き夫でもあったのだな。私も子を持つ親としてかくありたいものだ」

 

 故人を偲ぶ切なさに湿った空気に浸りながらも、和やかな談笑の声が小さな室内を柔らかく揺らしていた。

 バランはどちらかといえば家庭人としてのロカよりも戦士としての力量に興味津々だったように思う。以前、機会があればその戦いぶりを事細かく尋ねてみたいと口にしていたからだ。基本的に単独で動いてきた竜の騎士としては『仲間を守り、パーティーの盾となる』戦い様が新鮮なのだろう。

 ただしバランは竜の騎士であり、単騎にして天地魔界最高クラスの戦力を誇る。そんな男が背を預けるに足る実力者など、そうはいないのが現実なのだが。……いやいや、そんな恐ろしい実力持ちがぽこぽこ出てくるほうがやばいな、と即座に思い直したものだ。

 

「ソアラ様――」

 

 と、その時、アバンが居住まいを正し、深く頭を下げた。

 

「ロカの療養のためにと、ロモス王宮から辞退した褒章代わりに上質の薬草や滋養に富む作物が定期的に贈られてきました。私はもちろん、マトリフ、ブロキーナ、なによりロカとレイラもアルキード王国のご芳情には大変深く感謝しております」

 

 顔をあげたアバンの声はなおも続く。

 

「アルキード王国は薬草の一大産地、ロモス王国では中々お目にかかれぬ上質な品も用意できましょう。それを篤志と銘打ってシナナ様を通じ、ネイル村に届くよう『配慮』することも。遅くなりましたが、亡きロカ、そして彼の妻レイラに成り代わり、この場にて御礼申し上げます」

「アバン様、それは……」

「彼らを慮る御心はありがたく、しかし我らを忘恩の徒にしてくださいますな。……こうして内輪の席を用意してもらえて助かりました。遠慮なくお礼が言えるというのは良いものです」

「……わかりました。ならばその感謝はそちらに控えるルベアにお願いします。元々は彼の発案によるもの、私は名を連ねたに過ぎません」

「そうでしたか、では改めまして――」

 

 アバンは一度席を立ち、バランとソアラに一度、そして俺に向かっても恭しく頭を下げ、口上を述べる。ぴんと伸びた背筋が清涼感を抱かせ、一片の淀みない綺麗な動きに圧倒される思いだ。

 ……見事な所作だった。そう、その様はまさに真摯という以外に表現のしようがない、文句のつけようのない作法に則ったものだったからだ。ありていにいって、礼法の見本のような立ち居振る舞いだったのである。

 

 まあ、ロカへの支援に関する動機は割と不純なものだけに、こうして丁寧に礼を述べられてもちょっと罪悪感があるのだけど。

 第一にロカの窮状が回復すれば来たる魔王軍の襲来に心強い手札が増える。それが達成できなくとも、先の大戦の功績に報いることを口実にアバンとつなぎを取る一手にもなりえたため、陛下にもお伺いを立てて積極的に形式を整えたのだ。

 そうやってソアラの名でシナナに話を通し、アルキードの、ひいては俺の意向をネイル村まで届かせるための一手が結実したことで、今、こうしてアバンと席を囲む機会をめでたく実現させたというわけである。

 

「私も改めて明言させていただきます。アバン殿の仰る芳情は、先の大戦における功にわずかでも報いらんと志された王家のご意向です。『恩義に感謝を示したのは王家』であり、あくまで返し切れぬ恩を返そうとしたに過ぎません。どうか考え違いをなさってくださいますな、これ以上の恩義と義理の螺旋はいりませんよ」

「これよりは情実とは切り離して考えよ。そういうことですね」

「はい。私はアバン殿に宛てた手紙のなかであなたの力添えを請いました。そして先日、アバン殿は取るに足りぬ口実を理由に協力の意思があることを伝えてくださった。ならば我らは建設的なお話が出来ると確信しています」

「ふむ。……バラン殿?」

「そう気を遣ってくれなくて構わぬよ。まずは二人で話を進めると良い、なにせアバン殿を招くことに最も熱心だったのはそやつなのでな」

「了解です。信頼されているのですね、ルベア君」

「常日頃からお二方のご厚情に甘えさせてもらっています。だからこそこんな若造が大手を振って権勢を誇っていられるのですけどね」

 

 畏れ多いことです、と肩を竦めてから。

 ふっと空気を入れ替えるように真剣な面持ちでアバンと相対する。

 

「最初に断っておきます。私は――いえ、アルキード王国はアバン殿の士官を願いません。お力添えを請うことはしましたが、それはわが国に仕える形を想定してはいないのです。ここまではよろしいでしょうか」

「もちろんです。それを聞いて安心しました」

 

 言葉通り、アバンは心底ほっとしたように息をついた。演技ではない。

 

「それは戦時の英雄が平時の政に関わるを良しとしないため、ですか?」

「ええ。確かに私は魔王を打倒しました。しかしそれは世の安寧を願ってのもの、栄誉栄達を望んでのものではありません」

「欲のない事です」

「いえいえ、そんな大層なものではありませんよ。私はこの通り、風来坊をしているのが性に合っているだけなんです」

 

 大袈裟な身振り手振りを交えて嘯くアバンは、しかしすぐに困ったように眉根を寄せると、多聞を憚るように声音を重くして続けた。

 

「ですが、そうなるといよいよもってキナくさくなりますね。君は私に今一度『勇者』の肩書きを望むのですか?」

「それを口にする前に、まずは私達の認識を摺り合わせませんか? 説明を必要とする人間もこの場にはいますし」

 

 説明いらずなのも大変結構なことだが、それだけでわかるのは事前情報を把握しているものだけだろう。バランやソアラはともかく、この場にいるもう一人には不親切すぎる。

 そう考えてちらとラーハルトに目を向ける。彼は自身が会談の添え物と理解しているせいか、徹頭徹尾警護番の名目を崩すつもりはないようだった。殊勝というよりは実直、真面目なのだろう。

 

「先日のことですが、私をいの一番に訪ねてきたのはどなたの口添えによるものです?」

「何故そう考えました?」

「『一介の旅人』にまで私の名が届くほど宣伝活動に勤しんだ覚えはありません。確かにアバン殿に宛てた手紙はバラン様と連名でお出ししましたが、それだけで私の実家を訪ね、探りを入れようとするほどあなたの猜疑心が強いとも思えませんので。おそらくは誰ぞかの、最有力はフォルケン王あたりだと推測しますが、こちらに足を運ぶ前にお会いなさってきたのではないかな、と」

「ご明察です。以前からフォルケン様には破邪呪文の手解きを請われていたため、良い機会だからと少々足を伸ばしてきました。その折、フォルケン様からバラン殿やルベア君のことを聞き及びました。それから伝言も預かっています。『破邪研究は未だ形にならぬものの、儀式魔法の簡略化には目処がついた』だそうですよ。そろそろこちらにも報告があがるそうですけど」

「あの方はご高齢のわりに童子めいたところがありますね、困ったサプライズです」

 

 儀式魔法の簡略化は破邪研究の副産物といえるだろう。魔法石を配置することで五忙星を形作り、適切な魔力循環路を用意することで呪文の発動の簡易化や威力の増幅に寄与する。要は輝星石を媒体に魂の力を引き出し、ミナカトールの威力を最大限増幅した儀式魔法の応用、簡略化だ。もしくはポップがクロコダイン戦で魔法石を砕いてマホカトールを成功させた事例にも近い。

 これは儀式と頭につくことからわかるように攻撃呪文を対象とするには向かないが、たとえば雨雲を呼ぶ呪文(ラナリオン)のようなサポート系呪文にならば適用しやすい。多少術者にレベルが足りていなかろうと負担を弱め、呪文の成功率を上昇させることが出来る。

 

 よしよし、ベンガーナ王国から資金供与の申し出があったとはいえ、着々と研究は進んでるな。なにせフォルケン王に大見得きって提言した手前、テラン統治に何の寄与も出来ずでは心苦しくなるばかり。出来るだけ成果があがってほしいと切に望むのは不思議なことではあるまい。

 

「フォルケン様は君と話していると若返った気分になれるそうですよ?」

「……本当に困った人です」

 

 だからといって俺で遊ばないでほしいのだが。

 しかも孫を見るような慈しみに溢れた目を向けてくるものだから文句も言えない。もはや何と言っていいものやら、とにかく困り果てしまった俺である。そしてそんな俺を横目にくすくすと相好を崩す王族が二人いた。

 

 ……にゃろう、実に楽しそうですね、お二方。野次馬根性発揮しないでもらえません?

 

 そんな内心を誤魔化すように一度咳払いをして場を仕切り直す。

 

「何故アバン殿は『勇者が必要になる事態が訪れる』と考えるに至ったのか、それを明らかにしてもらえますか?」

「バラン殿の噂を聞き知ってから、私なりに《竜の騎士》というものを調べてみました。古文書に記される伝承を紐解き、一般的な史書の類を突合せていくと、そこには『竜の騎士らしき存在』が地上に残した痕跡を読み取ることも叶います。そのなかでも確かなことは、大乱あるところに竜の騎士在り、ということですね」

 

 たとえば、とアバンの人差し指がぴんと立つ。

 

「神の使いとされる《竜の騎士》と地上を救う《勇者》の伝承には、偶然とは思えぬほど重なり合う記述があります。ルベア君、《勇者》を象徴する呪文とは何でしょう?」

「《勇者》のみが操れるとされる正義の雷――雷撃呪文(ライデイン)、そしてさらに上位に位置する極大雷撃呪文(ギガデイン)ですね」

「正解です」

 

 その淀みない語り口は、まるで教師が生徒に物を教えるような謹厳の重みと年長者が纏う温かみを感じさせた。

 アバン自身まだ齢二十を幾つも超えておらず、これから人間として成熟を見る頃合だというのに、現時点ですら『一つの道の到達者』のごとき風格を備えているのだ、自然と頭も垂れたくなる。

 ラーハルトにも似たようなことを思ったが、アバンに対してはなお一層の畏怖を覚えるのだ。この年齢でよくぞここまで……。

 

「私は火炎(メラ)氷結(ヒャド)閃熱(ギラ)に代表される魔法使い系列の呪文、そして真空(バギ)回復(ホイミ)、あるいは解毒呪文(キアリー)のような僧侶系列の呪文、いずれも中位ないし上位の階梯まで操ることが出来ます。しかし『勇者』が操るとされる雷撃(デイン)系の呪文は習得していません。正確には契約も出来なかった、といったほうが正しいですね。つまり私は《勇者》と呼ばれてこそいますが、《勇者》を象徴する呪文は身に着けていないのですよ」

 

 能力的な意味で分類するならば、アバンは武芸達者な戦士であり熟達の魔法使いであり僧侶でもある――すなわち《賢者》が最も近い。

 まあ個人的には《叡智を宿す賢き者》という意味で、俺はこの人を賢者と呼び称したいのが本音なのだが。むしろ万能の人と呼び表したいくらいである。なにせこの人、伝え聞くだけでもあまりに多才すぎる。

 

「ご謙遜なさいますな、勇者とは名誉称号のようなもの。世界に戦火をもたらした魔王ハドラーを打倒し、地上に平和を取り戻したあなたこそが今代の『勇者』であることは間違いありません。――と、一応慰めは入れさせていただきます。もっとも、こだわりがあるようには見えませんけどね」

「重荷に感じこそすれ、殊更誇るようなものでもありませんから」

 

 そういえるのはあんたが人格者だからだよ、と心底突っ込みたくなった。

 

「ふふ、とはいえ慰めの言葉はありがたくいただいておきます。まあ、それは本題ではないので今は脇に置いておくとして」

 

 見えない荷物を右から左に移動させる軽妙な仕草でおどけてから、「ここからだ」というようにアバンはずいっと身を乗り出して持論を語る。割と楽しそうだ、やはりこの人は教師のような役柄にやりがいを見出しているのだろうか?

 

「バラン殿は以前ギガデインを放ってみせたのでしたね。それは勇者のみが操れる呪文をバラン殿は習得している、ひいては歴代の竜の騎士も同様の力を持っていたと推測が叶います。つまり私はこう考えているのですよ、この地上に伝わる災禍破りし数多の《勇者》の逸話を、《竜の騎士》こそが作り出してきたのではないか、と」

 

 眼鏡の薄いレンズの向こうで理知的な瞳が輝く。そんな真理を希求する学者の面持ちでアバンは俺へと水を向ける。

 

「そう的外れではないと思うのですが、あなたはどう見ています、ルベア君?」

「アバン殿のような例もありますから、『全て』と言い切ることには疑問符をつけさせていただきます。ですがそれ以外は私もあなた様と概ね同じ結論を出しました。竜の騎士の一族が太古より地上の安寧を担ってきたことを考えると、その痕跡が全く見当たらないというのは不自然に過ぎます。デイン系の呪文の操り手があまりに稀少という傍証もあることですし、高確率でアバン殿の仮説通りかと」

「おや、君は仮説のままにしておいたのですか? 確かめる術も身近に存在しているように思えますが?」

「ところが当のご本人に『知らぬ』と言われてしまいました。《竜の騎士》が受け継ぐのは竜と魔の力、そして戦闘の知識と経験が主たるもの。そこに先代の記憶や感情までは含まれていないのだ、と」

「なるほど、得心しました」

 

 アバンの言う通り、勇者と竜の騎士がイコールに限りなく近いとされる仮説、その検証のための肝心要の実物、すなわちバランの傍近くに控えているのが俺なのだ。史学研究家のような学究の徒からすれば、何を悠長なことをと文句が出てもおかしくない。実際、バランの話を聞きたがる人間は国の内外にごまんと溢れている。

 それらの要請を軒並み却下したり、時に言を尽くして宥めたりと、それはもう忙しく対処してきた過去の苦労を一頻り思い起こしながらそっと肩を竦めた俺に、アバンは全てお見通しといわんばかりの穏やかな顔で笑った。一方でバランはといえばそ知らぬ顔をしてでんと構えるのみだ。まるで動じていない。

 

 竜の紋章を介して力と経験のみが受け継がれていくのも当たり前といえば当たり前の話だろう、なにせ他人の人生をまるまる受け継いでしまえば人格崩壊の危機なのだ。まして竜の騎士は成人するまで紋章の力を自由に振るえないのが普通とされている。経験以外のリセットはある意味で竜の騎士の心を守るリミッターとして働いているのだった。

 まああくまで推測だ、実際のところは竜の騎士という一種の《システム》を生み出した天界の連中にでも聞かせてもらうほかないけどな。

 

「話を戻しましょう。竜の騎士はその身に重い使命を帯びている。そしてバラン殿がこの国に姿を現した時、瀕死の風体であったとか。だとすれば、それは我々の知らぬところで何者かと戦っていた証左ではないでしょうか? あの当時、地上を脅かす《敵》が魔王ハドラー以外にも存在し、バラン殿は人知れずその者と死闘を繰り広げていたのだとお見受けします。そしてその敵の正体、おそらくは――魔界の者」

 

 しん、と空気が張り詰める。

 

「魔界と断じた根拠をお尋ねしても?」

「単純な引き算ですよ。前提として、バラン殿の戦闘力は確実に私より上でしょう。しかしそれほどの実力者の噂は先の大戦中、ただの一度も耳にしていません。地上にバラン殿が戦った痕跡が残っていないのだとすれば、残りは天界と魔界の二つ。そのうち、地上と争いがあるのは魔界だけ、ならば『バラン殿は魔界に踏み込んで戦っていた』と推測するのが自然でしょう。『神の使い』とされている方ならば、世界を隔てる神々の呪法に行く手を阻まれることもないでしょうからね」

 

 そこでアバンはこほん、と咳払いを一つ。

 

「ルベア君が私に力添えを請うてきた理由を色々と考えてはみたのです。思い当たることはそう多くはありませんでしたが、まずはバラン殿が戦っていた相手と決着が着かなかった、あるいはその残党が地上侵略を図っているのではないか、あたりでしょうか。そうした警告と備えこそがこの席を設けた意味だと、稚拙ながら論理立ててみました」

「なるほど、そういうことでしたか……。そこまで読んでいたのならば、昨日のあなたの態度にも納得です。言葉通りに『親切の押し売り』でしたね」

「少々あざとかったことは自覚していますよ。さて、ここまでの採点、お願いできます?」

 

 軽やかなウインクで答え合わせを求めてくる傑物の姿に苦笑いしか浮かばない。

 

「見事と賞賛する以外にありませんね。その先は是非ともバラン様から直接お聞きください。……バラン様、よろしいですね?」

「うむ」

 

 俺の目配せに頷いたバランを確認し、場を譲るように一礼して引いた。

 

「ルベアが是が非にでもそなたの協力を得たいと口にするわけだ。ここまでまったく隙をみせない身のこなしや淀みない弁舌もさることながら、御身の頭脳の冴えには空恐ろしい鋭さがある。勇者の肩書きに恥じぬ佇まい、このバラン、感服仕った」

「いやはや、痛み入ります。こうも持ち上げられるのは些かこそばゆいものですね」

 

 照れた顔はアバンにより一層の愛嬌を与え、自然と席を囲む皆の頬が緩む。心なしかラーハルトの口元にも微笑が浮かんでいるようにも見えた。それだけをとってもすごいことのような気がする。

 

「アバン殿が看破した通り、魔王ハドラーがこの地上を蹂躙していた数年間、私は魔界で冥竜王ヴェルザーと死闘を繰り広げていた。かの者は長く魔界を二分してきた強大な竜の王であり、その眷属も精鋭揃い。竜の騎士の力を以ってしても容易には討伐叶わぬ一大勢力を築いていたのだ」

「ただでさえ魔界のモンスターは地上のそれよりも凶悪かつ精強なれば、その王の力も推して知るべし、ですね」

「左様。アバン殿の前で口にするのは少々憚れるのだがな、かの者の眷属のなかには貴殿が討伐した魔王ハドラーの力を上回る強者も数多くいたと断言しておこう。それほどまでに魔界の闇は深く険しいのだと認識していただきたい」

 

 そこでバランは一息つくと、ゆったりとした動作で卓の上に手を組んだ。

 

「遠き地の話だ、そう容易く信じてもらえるとはとは思えぬが――」

「いえ、我が身を天地魔界に並ぶ者なしなどと自惚れてはいませんよ。あなたがそう仰るのならばそれは真実と受け止めましょう。しかしそれほどの相手に私がいかほどの力になれるのかという疑問が出てきますが?」

 

 アバンは冷静だ、そして微塵も臆した様子はない。その胆力こそが地上の希望を一身に背負った勇者の風格だと、無言のうちに悟らされる程度には圧倒的な威風がそこにはあった。

 

「先程のアバン殿の推測、実に見事なものだった。が、一つだけ訂正を入れるのならば、ヴェルザーとは既に雌雄を決し、天界の力を借りることで奴を封印の虜囚とせしめた。不滅の魂を持つ悪竜を永劫に復活させぬためにな」

「では、心配事はヴェルザーの残党でしょうか?」

「それも否だ。かの者の眷属はことごとく魔界の土に還り、ヴェルザーの勢力は完全に無力化されている。残余の兵を気にする必要はないのだ」

「御伽噺でも聞かされているようですよ。竜の騎士、その名の重みをひしひしと感じています」

 

 少数勢力でハドラー陣営と矛を合わせ続けたアバンだからこそ、単騎でヴェルザー一党を打ち滅ぼしたバランに俺以上の戦慄も味わうのだろう。そこで恐れではなく感心が顔にでてくるのが、アバンのアバンたる所以なのだろうけど。

 

「実のところ、ヴェルザー本人はともかく、奴の勢力圏まで消えてなくなったのは自滅に近いのだがな」

「どういうことです?」

「魔界の奥深くに《黒魔晶》という名の稀少な魔法石がある。その魔法石は禁呪を用いて加工することで、《黒の核晶(コア)》と呼ばれる無尽蔵の破壊力を持つ超爆弾を作り出すことが可能となるのだ。ヴェルザーはいつまでも決着の着かぬ闘争のなかで、ついにその禁断の呪法に手を染めて私を抹殺しようとした」

 

 バランが黒の核晶を話題に出すこと自体、最大限の敬意の表れだ。あれはあってはならないものだと俺達の間でも結論付けている。危険すぎる超爆弾の秘密の一端だけでも開示してみせた、その一事だけでもどれほどバランがアバンに信を寄せたかがわかるだろう。

 

「結果を聞かせてください」

「先程言った通りだ。全てが吹き飛んだよ、アバン殿。ヴェルザーの眷属も、奴の支配していた広大な大陸も、そのことごとくが灰となって消えたのだ。あまりの破壊力に肝が冷えたのだろうな。強欲にして豪胆、悪逆の限りを尽くしたあの者も、私に討伐されるその時まで二度と黒の核晶を使うことはなかった」

「言葉もありません。ヴェルザーを打倒せしめた武勇もさることながら、バラン殿はよくもそんな大規模な爆発に耐えられましたね」

「竜の騎士の底力とでも思っていてくれ、紙一重ではあったがな」

 

 バランも思い出したくない過去なのだろう。黒の核晶を話題に出している間、ずっとしかめっ面だった。そうはいってもバランはソアラやシンシアの前以外では、あまり柔らかな表情を見せたりはしないのだが。

 侍女連中はそんな堅物なところも素敵とか目を輝かせてるけどさ。見目の良い奴ってのは男女問わず得だこと。

 

「ご事情は把握しました。バラン殿のご懸念は冥竜王ヴェルザーと相対していたもう一方の勢力にあるわけですね。首魁の名を伺っても?」

「大魔王バーン。《魔界の神》とも自負する魔界最大の実力者だ。数千年に渡って魔界の大勢力を率いる男で、これまで地上へ進出する野心は見せたことがないゆえ竜の騎士の討滅対象になったことはないのだが……どうにも風向きが変わってきているようだ」

「ヴェルザーの封印が引き金となったのでしょうか?」

「さて、どうであろうな。元々はここにいるルベアの警鐘から始まったのだが、私も魔界の動静は気にかかるゆえ、軽く探りを入れてみたのだが――」

「何か動きがありましたか?」

「逆だ、細々とした動きはあるのだろうが、大々的に領土を拡張するような行動には出ておらん。以前と同じく沈黙を守っている」

「それは逆に不気味ですね」

 

 うむ、とバランが重々しく頷く。

 

「目下最大のライバルが消え、魔界に覇を唱える絶好の機が訪れたにもかかわらず大魔王陣営に目立った動きはない。今まで地上に目を向けず、魔界の勢力争いにしか興味を示さなかった男が、今もって行動に出ぬのは何故か、この沈黙が何を意味するのか」

「現在の地盤に満足しているか、さもなければ――戦力の温存」

「然り。魔界制圧の時期を遅らせてまでとなれば、相応の理由が求められよう。もしやすると、その秘めたる胸のうちにはヴェルザーに匹敵する野心を抱えているのかもしれん」

「といいますと?」

「ヴェルザーが地上進出を望んだのは、奴が地上と魔界の両方を欲しがったがゆえだった。あるいは地上の豊かな土地とモンスター群を手中に収めることでバーンに勝る勢力を作り出そうとしたのやもしれんが」

「大魔王の胸中にも同じ野望があるかもしれない、ということですね」

「天界をも手中に、という可能性もあります」

 

 最後に俺も彼等の討議を可燃させるような材料を放り込んだ。バランが思わずといった風情で顔を顰め、アバンは難しい表情で黙り込んだ。ソアラはあまりにスケールの大きな話に青褪めた顔で必死に平静を保とうと努め、ラーハルトもまた愕然とした表情を隠せなかった

 これでバーンの胸のうちは地上そのものを消滅させることにあるなんて知ったら、皆どんな顔になるものやら。本当、バーンの野望は悪辣に過ぎるだろうと痛感するばかりだ。

 

「少し、整理してみましょう。はるかな過去、冥竜ヴェルザーと雷竜ボリクスが雌雄を決した魔界に名高き《真竜の戦い》を経て、ヴェルザーは竜の中の竜、《冥竜王》を号します。けれど彼は魔界に覇を唱えるまでには至らなかった。理由は簡単で、魔界には彼に比肩する実力者がいたからです。その名を大魔王バーン、超魔力を有する恐るべき魔族です。そうして彼らは千年、二千年と、人の尺度では気の遠くなるほど悠久の時をにらみ合いに費やします。そして時は現在へ。痺れを切らしたヴェルザーはついに地上侵略を企てました。多少の前後はあれ、魔王ハドラーと重なり合う形での地上進出です」

「そのヴェルザーの企てを防いだのがバラン殿」

「はい、そしてもう一方の脅威であるハドラーによる侵略を鎮めたのがアバン殿です」

 

 ここからだ。

 

「些か気になることがございます。魔族とは長寿の種、その生の長さは人間のおよそ十倍とされていますが、相違ありませんか、アバン殿?」

「私もそのように認識しています。そうですね……参考までに一つ例をあげるなら、かつて魔王ハドラーと幾度も剣を交えた折に、彼は自身を三百歳を数える魔族と口にしていたことがあります。おそらく人間でいえば三十前後、最も肉体が充実している時期だったのでしょう。もっとも魔族はその全盛期の肉体を百年単位で維持できるわけですから、私達の基準で全盛期と表すのが正しいのかはわかりかねますね」

「そこです、アバン殿。今までの話のなかで大魔王にまつわる妙な点に気づきませんか? 看過するには大きすぎる矛盾があると思うのですが……」

 

 俺の提言を受け、アバンは俯き気味に数秒の沈思を経てから、はっと顔をあげた。

 

「――寿命。魔族がいかに長命であろうと、その尺はせいぜい千年。けれどバーンなる魔族は千年の倍どころではない長寿を誇っている」

「その通りです。歴代の竜の騎士にとっても、いえ、正確には天界ということになるのでしょうが、いずれにせよ幾千年も前から冥竜王ヴェルザーと大魔王バーンの名は有名だったようです。これは魔界でも同様で、この二名の実力者の名は生ける伝説として長く魔界に定着し、君臨してきたのは間違いありません。だからこそおかしいんです」

「確かに……」

「バーンの姿形は典型的な魔族の老人だそうです。姿を変え、何千年も種族を偽っているとは考えづらい。仮に偽っていたとしても、魔族を超える長命種など限られてしまいます。《知恵ある竜》と呼称される最上位の竜族、あるいは天界を統べる神々くらいしか候補は見つかりません。となれば、あとは魔族の身で不老ないし不死を実現するような外法を身に着けた、それくらいしか考えられないのですが……」

「ありえるのですか、そのようなことが?」

 

 ゆっくりと首を左右に振る。

 

「バラン様のお答えは『ありえない』でした。肉の器を持つ以上、不老不死などこの世に存在せぬと。けれど《最後の知恵ある竜》にして不滅の魂を持つヴェルザーならいざ知らず、肉体的には竜族に劣る魔族のバーンが、魔界の誰よりも長寿を達成している。魔界の神を自称するのも故なきことではないのでしょうが――あまりに不可解です」

「不老不死……。違う、不死は確認されているわけではない。……まさか? いや、人智を超える魔力があれば可能なのか? 不死など存在しない、しかし不老ならば『あれ』を使えばあるいは……?」

 

 かすかに漏れ聞こえるそれは、あまりにも核心に近づこうとする試みだった。たったこれだけの言の葉から、瞬時に全てを紐解いていくその頭脳は、在り難がる前に怯えの対象だと俺は思う。秀才では辿り付けぬ天才の部類、常人の外にある才能の権化というやつだ。まったく、溜息しか出ないよ。

 

「心当たりがお有りのようですね?」

「にわかには信じられぬことです。しかし生物が永遠に近い寿命を達成するならば、私には一つの方法しか思いつきません」

「それは?」

 

 逡巡は一瞬だった。アバン自身信じきれない様子で動揺を隠せず、しかしそれでも発せられた声には確信の響きが含まれていた。

 

「《凍れる時間の秘法》」

 

 アバンは苦い顔でそれを口にし、バランはその秘呪にして禁呪の名を耳にした瞬間、傍目からもわかるほど表情を厳しくした。

 

「その《凍れる時間の秘法》とはいかなるものなのですか?」

「私の知る限り、現存する呪法のなかでも最高難易度を誇る代物です。数百年に一度訪れる皆既日食の刻限のみ可能な、人智を超越した秘呪文。これをかけられた者はその名の通り『時を止められてしまう』のです。つまり生命活動を完全停止させる一種の封印術といえるでしょう」

 

 ――ようやくつながりました。

 

 と、俺は言葉を発した。それはアバンの言葉を引き継ぐように。あるいはこの淀みない会話の応酬劇を壊さぬように。確かな断定口調で続けたのである。

 

「アバン殿は『凍れる時間の秘法』を、かつて魔王ハドラーに対して使用したことがあるのですね?」

「今更隠し立てする気もありませんが、どうしてそう思いました?」

「これでも私はあなたのファンなんです。前大戦のなかでアルキード軍が、あるいは人類軍がどのように戦い、数々の勝利と敗北を繰り返し、そうして最終的にどうしようもなく追い詰められ、アバン殿一行に頼らねばならなくなったかを分析し続けました」

 

 過去の戦訓に学ぶことが未来への剣になると信じた。いや、今でも信じている。

 

「あなた方は一時期パーティーを解散していますね? 理由はレイラ殿のお腹にロカ殿との間に儲けたご息女が宿っていたため。そのご息女――マァムお嬢様がお生まれになる一年近く前に、皆既日食が訪れています。……《凍れる時間の秘法》を知るあなたが、この機を見逃すでしょうか? また、その時期から半年と少しの間、何故か魔王軍の侵攻が弱まっています。勇者一行が活動を休止するのと連動するかのように魔王軍も沈黙する、これを偶然とするのは難しいかと」

 

 アバンは何も言わない。何も言わずに受け止めるだけだ。

 

「各国はこれを偶然ではなくアバン殿たちが手を打った、おそらくは魔王に手傷を与えた結果だと捉えていました。私も同じ意見です。アバン殿たちが何かしらの手を打ち、その結果として魔王軍は攻勢を弱めた、それが真相だと考えています。……実際アバン殿一行とハドラー率いる軍勢による、常ならぬ一大決戦と目されるような激突も確認されていたようですしね」

 

 魔王が大群を率いて出向き、大魔道士マトリフが露払いとして魔法力を全開にして暴れ回った戦だ。大地は削れ、魔物の死骸が積み重なる地獄のような光景を作り出した。戦そのものは痛みわけに終わったのだとしても、激突の痕跡そのものを隠し通せるはずもないのだ。

 

「その決戦において《凍れる時間の秘法》なる封印術が用いられた。だから魔王軍は指揮系統が混乱し、以後半年以上の間沈黙せざるをえなかったのでしょう。もっともその一年後に再度パーティーを結成、最終決戦にてハドラーを打ち破ったそうですから何らかの要因で封印は完全ではなかったようですが」

「正解です、封印が完全でなかったのは単純に私の力量不足でした。本来は永劫の封印とするはずが、蓋を開けてみれば一年にも満たぬ有様。しかも術者である私にまで呪法の反動は及び、間抜けなことに魔王と勇者が揃って案山子(かかし)になってしまいました」

「封印がかかっている間に魔王を討滅することは出来なかったのですね」

「ええ、凍れる時間の秘法は時間を停めます。つまり対象者はその間、いかなる外的刺激も受け付けぬ『この世ならぬもの』と固定されてしまうのですよ。多少意味合いは異なりますが、常時鋼鉄化呪文(アストロン)の影響下にあるとでも考えてもらえばよいでしょう」

「いかなる攻撃も通さぬ絶対無敵の防護壁を纏っているようなものですか。問題は擬似的な不老不死を実現できるのか、ということですが」

 

 そこでアバンは目を閉じて沈思し、幾ばくかの後に答えを口にした。

 

「私の魔力では不可能でしたが、秘術を完全なものとして操れる術者ならば可能でしょう。本来は対象を封じるための《凍れる時間の秘法》を応用し、自身の《若さ》を分離封印、皆既日食が訪れるたびに施術を繰り返すことで限りなく永遠に近い不老を実現する……。恐るべき魔道の技です」

「まさしく魔界の闇ですね。地上とは桁が違う」

 

 魔道は明らかに魔界のほうが進歩している、軍事的な観点では戦力比較したくないな。

 せめてもの救いは魔族も竜族も種族として頑強なせいか、生殖能力に劣ることだろう。とりわけ生命力に秀でた竜はある意味で絶滅危惧種だ。実際《知恵ある竜》と呼称された最上位種族は、ヴェルザーを除いて滅びさってしまったようだし。

 魔界は不毛の大地と呼ばれるくらいだ。地上と比して過酷な環境にあるらしいから、一族の数も増えづらいのだと思う。そうなると人口比ならば地上の人類、そしてモンスター種が勝っているわけか。

 

「しかし、本当に可能ならば世の女性たちが挙って秘術を追い求めそうですねえ」

「永遠の美貌の探求ですか? 確かに女性の夢ですし深刻な問題ですが、こちらはもっと厄介ですよ。死んでもいつかは蘇るヴェルザーといい、不老不死に限りなく近いバーンといい、魔界は悪鬼羅刹の巣窟に思えてきました」

 

 そんな連中を相手にしないといけないなんてどうなってんだか。本気で逃げ出したいくらいだ、ただし逃げ出せる先に心当たりがない。無念だ。

 

「アバン殿は先程凍れる時間の秘法は常時アストロンにかかっているようなもの、と仰りました。……まさかとは思いますが、凍れる時間の秘法の影響下で動ける禁呪の類は存在していませんよね?」

「まさか……といいたいところですが、魔界に伝わる魔道の全貌を把握している人間などいないでしょう。もしいるとすればそれは大魔王バーン本人か、あるいは――」

「どうでしょう、可能だと思われますかバラン様? 凍った時間の中で動くことが」

 

 今度はバランが物思いに沈む。多分、今、バランのなかでは様々な単語や法理が飛び交い、あらゆる可能性が渦巻き、その一つ一つを高速で精査しつつ却下に明け暮れているのだろう。

 そうして出した答えが――是。

 

「秘術のかかった状態にもよるが、人形師のような特殊な魔法術師、あるいは魔界でも希少種の憑依型モンスターならば、外部から抜け殻の身体を操れる可能性はある」

 

 本日何度目の激震だったろうか。数えたくもなかった。

 

「いよいよもって最悪が見えてきました。魔界を牛耳る男の全盛期の肉体がアストロン状態で暴れまわる? 悪夢ですね」

「どうしたものでしょうかねえ。私以上に呪法に詳しい魔法使いに相談でもしてみますか」

「是非に。あとでその心当たりの人物を紹介してもらえると助かります」

 

 地上随一の大魔道士に手を貸してもらえるかどうかはともかく、顔つなぎくらいはしておきたい。

 

「質問を変えます。バラン様、あなたならば、時の狭間を漂う禁呪の産物を破ることは叶いましょうか?」

 

 そう駄目元で尋ねてみたのだが――。

 

「前例のないことだからな、確実なことはいえぬが……本来軍勢をなぎ払うための竜闘気砲呪文(ドルオーラ)を、対人の域にまで絞り込めればどのような敵であれ貫けるはずだ」

「最大出力、最大収束で放てれば、ということですか」

「うむ」

 

 思いのほか前向きな意見が返ってきたことに驚いた。

 バランが出来るというのなら可能性はあるのだろう。大魔道士マトリフ最大の切り札――極大消滅呪文(メドローア)以外に対抗策を用意できるとあれば、確かに諸手をあげて飛びつきたいところだ。

 しかしこの時、俺は示された光明にどうしても乗り気にはなれなかった。それはバランを信じていないからではない。逆だ、信じているからこそ頷くわけにはいかなかった。

 

「バラン様、正直にお答えください。……もちますか? そこまでの無茶をして、あなたの身体が」

 

 ただでさえ竜魔人化しなければ肉体への反動がでかすぎて放てぬ切り札を、従来のもの以上の威力と用途に引き上げようというのだ。それはいかな竜の騎士といえど無謀ともいえる試みのはずだった。

 しかし、バランは既にこの時、不退転の覚悟を固めていた。

 

「限界の一つ二つ超える必要があろうな。――だがな、ルベアよ、私は世界の調停を担う竜の騎士なのだぞ。出来ぬとはいわん、否、いってはならんのだ……!」

 

 雷鳴満ちて峻厳を知る。

 それは強烈なまでの自負だった。幾千年の不敗を誇る確かな事実と天与の使命を押し戴くがゆえの、何者にも負けぬと吼える獰猛な炎。その宣言はさながら嵐のような激しさと凪の海のような静けさを兼ね揃え、泰山の頂を思い起こさせる圧倒的な迫力を醸し出していた。

 

 我知らず、息を呑む。そうしてバランの威を受けた俺、ソアラ、アバン、ラーハルトの、この場にいる全て、皆無言の内に顔を見合わせ頷き合っていた。

 口火を切ったのはアバンだ。

 

「ここに盟を約すと誓いましょう。私、アバン・デ・ジニュアールⅢ世は御身の敵をこの身の敵と思い定め、地上の平和と正義の名の下に、今一度剣を振るうと」

「感謝する、アバン殿。地上の勇者にして随一の賢者殿の助力を得ることが出来た。これほど心強いことはあるまい」

 

 ふと、涙が出そうになった。竜の騎士とバランと勇者アバンが固く手を握り合う光景に安心したのか、それとも歴史の転換点といって過言ではない瞬間に立ち合うことが叶って圧倒されたのか、この昂揚を説明する術を今の俺は持ち合わせていなかった。

 

「バラン殿、ソアラ様、さしあたって私に何を望みます?」

「ルベア、説明を」

「はい」

 

 すうっと深く空気を吸い込み、粛々と呼気を整える。

 

「いかなる意味においても備えは必要になります。まして今、地上は魔王ハドラーの脅威を跳ね除け、平和を謳歌する時のなかにあるのですから、奇襲なんてされては目も当てられません。少なくとも各国王族には魔界の勢力情勢を最低限知っておいてもらわねばならぬでしょうし、叶うならば軍備の増強も進めていただきたいと考えています」

「それがアルキード王国とベンガーナ王国の間で幾度か合同軍事演習がなされていた理由ですか。どうやら私の予想以上に動かれているようですね」

「恐れ入ります。アバン殿にはカール王国女王フローラ様に言伝をお願いしたいですね。『王室管理の《破邪の洞窟》に立ち入り許可をいただきたい』と。特に十五階にあるとされるマホカトールの契約魔方陣を解析できれば、テランでやや停滞している破邪研究の進展にも寄与しますので」

 

 神々が魔法の全てを収めたと伝わる、カール奥地に存在する破邪の洞窟。各階に一つずつ呪文契約の魔方陣が配されているとされ、降れば降るほど強力な呪文が眠ると伝承は言う。ただしその全貌を把握している者はこの世の何処にもおらず、地下何階まで続いているかも不明。そして地下を目指せば目指すほど凶悪なモンスターと多数の罠に行く手を塞がれるため、目的を達して地上に生還するのは至難とされていた。

 さしあたっては十五階のマホカトール契約陣を解析し、地上でも契約の儀式を取りはかれるようにしたいのだ。呪文習得の難易度を少しでも低下させ、術者を増やす。つまりマホカトールに汎用性を与えるのが急務の課題だ。

 

「ふむ……。テランで動き出したプロジェクトも興味深いですし、フローラ様にもお考えがありましょう。私が口を出すまでもないかと。まずは正式な窓口を通してみては?」

「『あなたが』メッセンジャーになるということが、この先大きな意味を持つことは言うまでもありませんよね?」

「だからこそ、それが正道ではないことくらいは承知しているでしょう? 無位無官の私が出しゃばるのは秩序を乱します。ここはソアラ様の伝を頼っても良いと思いますよ」

「個人の友誼が国家の友誼に勝ることはない、なればこそジョーカーとしてアバン殿を立てる――などと小ずるいことはいいませんよ」

 

 ふっと笑う。

 そんなことをしてあなたに嫌われたくもありませんしね。

 

「ご心配なく、国として正式な要請も出しますし、なにより今は打診だけで精一杯なんです。マホカトールの契約魔法陣を解析をしたくとも、十五階まで辿り付ける人材を用意することすら叶わないのが現状です。破邪の洞窟に立ち入るにしても時が必要なのですよ」

「確かにあの破邪の洞窟はリレミトも通じず、生きて帰るには大変な困難も予想されますが……。人材がいない?」

 

 アバンの困惑気味な視線の向く先はバランとラーハルトだった。

 確かにバランならば十五階どころかその十倍の深さだろうと苦もなく踏破するだろうし、ラーハルトとてバランに及ばずとはいえ十分に探索をこなすだろう。それだけの実力があることは俺も重々承知している。

 

「破邪の洞窟は神々が脆弱な人間のために残した慈悲にして試練です。よって竜の騎士が立ち入るのはルール違反に当たるそうなのですよ。バラン様は探索行に加われません」

「では、ラーハルト君は?」

「これは私も未確認なのですが……『人間の神が邪悪に対抗するために残した場所』に、魔族の血が色濃いラーハルトが障害もなく立ち入れるものでしょうか? 古の記述によれば神々は魔族と竜族を魔界に押し込め、人を地上に残し優遇する措置を取ったそうです。――彼等を一律に邪悪と断じていても私は驚きませんよ?」

 

 あ、とどこか間の抜けた声が漏れた。その瞬間、確かにここはそこはかとなくコメディチックな空気に染まっていたような気がする。簡単なことほど見落としがあるってこういうことなのだろうか? 実際俺もラーハルトがバランに仕えることになり、破邪の洞窟探索に送り込むチーム編成をシミュレートし直す段になってから、ようやく魔族が探索行に加われるかどうかの疑問を持った。

 

 何事もなく魔族にも門を開くのか、あるいはマホカトールの張られたデルムリン島に無理やり侵入しようとしたハドラーのように無理をすれば侵入できるのか、考えうる限りの手段をとっても問答無用に不可能なのか、今のところ全てが不明なのだ。あとはカール王国の許可を待って試してみるほかあるまい。

 

「生憎そのあたりの試行記録はテランの古文書でも見つけられなかったものですから……」

「魔族が容易に利用できるのか否かを確かめるだけでもカール王国の益になりますね。なるほど、確かに一度フローラ様と相談したほうがよさそうです」

「できれば純血の魔族との比較データも欲しいところでしょう。混血とは扱いが違う可能性も十分あります」

「そうなりますか。ただ、私はこれで知人は多いほうなのですが、協力的な魔族の知り合いはちょっと心当たりがありませんよ?」

「同じく」

 

 仕方あるまい、そもそも地上に暮らす魔族が稀少なのだ。純血の魔族でそこそこ話が通じそうな心当たりはロン・ベルクくらいしかいないが、それとてこれから口説かねばならぬ相手だ。

 どうなるにせよ破邪の洞窟に潜るのはまだまだ先、という旧来の結論に終始せざるをえない状況だった。ラーハルトに頼れなければアバンに隊を率いて潜ってもらうのも手だろう。

 

 うーむ、浅い階層ならばうちの兵だけでどうにかなるかも、というのは甘い見通しだろうか? 兵の調練という意味では得がたい経験を積めるのも確かなのだ、危険すぎるのがネックだが。

 もっともカール王国が厳重に管理しているだけに、仮に許可が出たとしてもそう頻繁に立ち入ることが出来ないだろうから、所詮は取らぬ狸の皮算用ってことで終わりそうだ。

 

「先程申しました通り、カール王国への要請は正式にこちらから使者も立てますし、なによりいずれはアバン殿を交えてフローラ様とも会談を持ちたいと考えてます。アバン殿にはその均しと、お願いできるなら会談の潤滑油としての役割も期待したいところですね」

「場合が場合ですから、主義主張にかまけて骨折りを渋るなどということはしませんよ。ですが破邪の洞窟の件、なにより魔界の件、本当に危急とせずして良いのですか?」

「私が大魔王の立場ならば竜の騎士の動向は余さずチェックしておきます。たとえ地上に出向く心算がなくとも、ヴェルザーなき今、彼を打倒したバラン様こそが大魔王にとって最も大きな脅威ですからね。ですからあまりおおがかりな動きを見せて大魔王の決断を誘発しても困ります。いわば防諜です、それが一つ」

 

 もう一つは、と溜息交じりに続けた。

 

「個人的な事情で恐縮ですが、単純に私が《暗殺》を恐れています。大魔王の側近には漆黒の道化衣装を纏い、大振りの鎌をこれみよがしに使う殺し屋がいるのですよ。魔界では《死神》と呼ばれ、皆に恐れられている闇の者。名をキルバーン」

「キル?」

「ええ、『バーンを殺せ』と、なかなか洒落た名前を持つ男ですよ。バーンが名付けたのでなければ、あるいは彼等も完全な一枚岩ではないということかもしれません」

「外の勢力、というわけですか。覚えておく価値がありそうですね」

「意味深な命名といえばもう一人、大魔王の第一の臣も似たようなところがありますね。ミストバーン――すなわち『バーンの影』の名を持ちます。素直に捉えるならば大魔王への忠誠の証といえなくもありませんが」

 

 ここまではバランも承知している。なにせバラン自身が魔界に出向いて確かめてきたことだ。つまり重要なことはここから。

 

「仮に大魔王が凍れる時間の秘法を自身に使っているのだとすれば、分離させた《全盛期の肉体》を守るか隠さねばなりません。ミストバーン――その意味するところは《バーンの影》、ミスリードを誘うにしても意味深だとは思いませんか? しかも彼は全身をローブで覆うことで素顔を隠し、数百年無言を通す繊細な一面もあるそうです。大魔王の側近にしては存外奥ゆかしい方もいたものですよね」

「……バラン殿、これは」

「うむ、聞いての通りだ。大魔王バーンはもとより、ミストバーン、キルバーン、この二人を目下最大の警戒対象としてマークしておくべきだろう。努々油断せぬよう頼む」

「承知しました」

 

 とりあえず大魔王陣営における最大の脅威の確認と共有はこれで叶ったわけだ。これでまだ氷山の一角というのだから恐れ入るけどさ。

 

「アバン殿」

「なんです、ルベア君?」

「私は魔界に関する一切をこの王宮以外で口にしたことはありません。他国ではもちろん、城下でもそれは同じです。防諜という意味でも、私自身の身の安全を図る上でも、それは必要なことだと考えているからです。私にしてみれば『バラン様の生活圏』が最も安心できる場所なのですよ。……どこに大魔王の目と耳が潜んでいるかもわかりません、アバン殿も不用意に口外なさることのなきよう願います」

 

 ミストバーンやキルバーンのような大物だけではない、普段から警戒すべきは悪魔の目玉やシャドーのような諜報に向いたモンスターだ。奴らは一匹一匹の戦闘能力は低いし、その特殊能力も平和な時節ならば大して意味を持たないが、『上』に情報を活用しようとする盤の指し手がいる場合は途端に脅威と化す。

 無論、このアルキード王宮はバランが目を光らせているのだから奴らの暗躍する隙はない。なにせソアラやシンシアがいるからな、バランの力の入り具合も違う。俺も枕を高くして寝ることが出来るというものだ。

 

「肝に銘じておきましょう。それにしても随分と徹底しているものですね」

「こちらが彼らをマークしていることをわざわざ教えてやる義理もありませんから。地上の各国はようやく復興に目処がつき、これからは国力を充実させる時期を迎えます。魔界からのつまらぬ横槍など断じてごめんですし、なにより立て続けの大戦に耐えられるほどの体力は人類に残っていません。今は静謐に努めるのが唯一にして無二の対応でしょう」

「道理ですね」

「ああ、それと忘れないでほしいのですが、私は臆病者です。下手に目立って命を狙われたくないという切羽詰った事情もお忘れなく」

「ふふ、この場合は慎重と評されるべきだと思いますよ?」

「ではそちらでよろしくお願いします」

「了解です」

 

 くすっとアバンが口元を綻ばせる。もしかして冗談と取られたかな? 韜晦抜きで本気の危惧なのだけど。

 実際、ミストバーンにせよキルバーンにせよ、バランの助けがない状況で狙われたら俺にはどうにもならないのだ。バランの傍近くにいるだけで奴らの目に止まりやすいのに、バーンの正体に迫る凍れる時間の秘法の存在を吹聴しただの、バーンの野望を警戒して備えを用意しようとしているだの奴らに知られたくもなかった。大っぴらに俺という人間を宣伝したくないのが本音である。

 

 ささやかな慰めもある。

 バーンの信条は弱肉強食、つまり強者のみの世の中を好ましいと考える男だ。となれば戦場で槍を振るう兵ではないからと、俺を路傍の石と見て監視の目から外してくれていれば万々歳。

 とはいえ、だ。アバンの知に並々ならぬ警戒を持っていたのもバーンである。奴の基準を俺が把握しきれているわけでもなし。実際、そろそろやばいかな、というのが最近の悩み事でもあった。

 

 怯えて暮らすのは御免被りたいんだが、かといって安全重視で王宮に閉じこもっているわけにもいかない。これまで同様仕事で他国に赴くことだってあるし、なによりこれから先、対魔王軍を見据えて各国の紐帯を強めるためには積極的に国外に出ていかねばならないのだ。そのたびバランを連れまわすわけにもいかない。俺自身の身の安全をどう図ったものだか。

 

「アバン殿、私からも感謝を。これで一つ肩の荷が下りました」

 

 万感の思いで頭を下げ、しかと礼をとってから改めて口を開く。

 

「正直に申し上げるならば、地上の危機さえお伝えすれば、アバン殿はこちらが何を言わずとも立ち上がってくださると踏んでいました。実際、先日は『政治利用されない形』での協力を申し出てくれたくらいですからね。ですからここから先は要請ではなく、あなたへの発奮材料を提供させていただきたく思います。それが地上の、ひいてはアルキード王国の利と安寧につながりますから」

「実は先日からずっと楽しみにしていました。この子は私に何を語ってくれるのだろうと。これまでのお話しでも十分度肝は抜かれたものですが、このうえまだ何かあるのですか?」

「はい、心して聞いていただければこれに勝る喜びはありません」

「怖いですねえ」

 

 そう口にする言葉とは裏腹に、アバンの目に怯えの色は欠片もない。むしろ乗り気な風さえ装っている。意識して空気を軽くしてくれているのだろう、その心遣いがありがたい。

 

「アバン殿は政に対する意欲をお示しにならない。それは戦後カール王国に帰参せず、各国の士官伺いを固辞し続けていることからも明らかです。もっとも故郷で権を振るうにしろ、ジニュアール家は学者の家系として敬は得ていても家格そのものは高くありません。功を以って立身をなしても成り上がりを厭う者は多かったでしょう。さらにいえば、国力の低下した大戦直後に国内の平穏を乱す可能性を座視できなかった。国政を乱す英雄の肩書きなど不要、そう断じるのも無理からぬことだとは思います」

「その通りです」

 

 うんうんと頷くアバンにこちらは苦笑を浮かべるばかり。

 

「少々素直すぎますね、アバン殿」

「はい?」

「こんな(なり)でも、人の心を弄ぶ術についてはいくらか心得はあります。建前で誤魔化すことも、人を納得させる優しい嘘のつき方も、生き抜くために必要な嗜みのひとつに過ぎません」

 

 決して胸を張って言えることではない。けれど処世術を疎かにすることは破滅と同義だった。

 

「無論、あなたが悪意からそのような振る舞いをされていないことは存じあげています。しかし事ここに至ってまで、おためごなしを口にするのはご遠慮願いたいのです」

 

 悪意の有無でいえば、この場にいる誰も持ち合わせていない。それは俺とて同じだ。

 昨日、アバンが俺の身の上に踏み込んだのは故意ではなかった。踏み込みすぎたと頭を下げた謝儀に嘘や打算もなかった。けれど、俺は彼ほどには善人ではないし、より良い未来を引き寄せる可能性が見えるのならば躊躇いもしない。だから、ここより先は痛みを伴う会話劇だ。

 

 種は十分に撒いた。そして踏み込んだ先には、珠玉の果実が実る未来が待っているはずだと信じている。

 誰にとってのものかなど今更言及する意味もないだろう。俺にとって、バランにとって、アルキード王国にとって、そしてなにより――アバンにとっての未来だ。

 

「あなたが盟を約してくださったように、我らもその信に全力で応えとうございます。ですから私からは未来への《標》を贈らせていただきましょう」

「《標》、ですか?」

「ええ。あなたがハドラーを討伐した後、故郷に凱旋せず旅の身の上になった理由がありましょう。今なお世界を放浪し続けるあなたへお力添えする用意がこちらにはある。そう申し上げています」

 

 俺が何を語ろうとしているのか戸惑い、次いで『何を知っているのか』と険しさを増したアバンの表情に、やがて哀切と痛苦が呼び起こされることを俺は知っている。俺が彼をそうするのだと、どうしようもなく確信していた。

 

「この身が諸国で如何な異名で称されているか、あなたならご存知のはずだ。ですから《標》と申し上げました」

「――《託宣の御子》」

 

 アバンの小さな呟きは波紋のように部屋を満たし、泡のように儚く溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 アバン・デ・ジニュアールⅢ世。

 とぼけた顔で、何でもない風に、さらっと真理を解き明かすように世相を紐解いてしまうこの人が、俺は怖い。

 元来、情報とは集めてナンボの代物なのだ。たとえばドラマや映画、あるいは時代劇にお約束として描かれる機密文書の漏洩、こんな都合の良い事態は現実ではほぼありえないと断言して良い。

 

 それはこれまでの魔界の情勢、ならびに大魔王の秘密に迫る談話に限ったことではない。

 たとえば先日アバンが『アルキード王国の方針として種族融和政策を推し進めている、モデルケースはラーハルト』と即座に見破りこちらへの好意としてラーハルトの同席を要請した。この結論に辿りつくために必要はのは国家機密に指定された文書を盗み見ただとか、国の重鎮の口を割らせたなんてことはない。なにせ『それ』を知るのはここにいるメンツと陛下くらいのものだし、動き出してから一ヶ月にも満たない。無論、文書に残しているわけもなかった。

 

 けれどアバンは察した。俺がラーハルトを街で連れ歩いていたパフォーマンスを市井の噂で聞き知ったり、『竜の騎士の従者』が直々に実家に招待するという事実、俺の王宮での立場やひととなり、あるいはバラン、ソアラ、ラーハルトをはじめ、ありとあらゆる情報を分析し、つなぎあわせ、仮説を紡いでは却下し、そうやって真実に辿りついたのだ。

 情報とは玉石混交、雑多にして単体では意味をなさぬものを山のように積み上げ、それらを取捨選択して形にすることこそ賢者の本懐。それをアバンは『個人の力』だけでここまでやってしまうのだ、恐ろしいとしかいいようがない。

 

 一から十まで自ら動き、万里を見通すその途方もない力量は、到底俺の力の及ぶところではなかった。まあ、同じことをするにしても《人》を使うのだってそれはそれで別の才覚が必要とされるものだが。これは負け惜しみかな? この人が俺の立場にあったならば、多分、いや絶対俺以上に上手くやるのだろうし。

 

 いかんな、どうも必要以上に意識してしまう。こんなつまらん仮定を弄んでどうしようというのだ。

 人は生まれを選べないし、人は自分以外の誰かになれることもない。そんな自明などいわれずとも理解しているつもりだった。それでも、もしも俺がこの人を『敵に回したい』と、少しでも、冗談でも、戯言でも、ほんの欠片ほどでも考えてしまったとするならば、それは……。

 

 ――多分に俺は、この人と競いたがっているのだ。全霊を尽くした知恵比べを挑んで、完膚なきまでに打ちのめされて、それでも笑って納得できる駆け引きが出来ると信じている。それだけの器をこの人に見込んでいるのだろう。……勝手なことだ。

 

 最近はラーハルトの身辺と王城、王都の住民感情に神経質なくらい気を張っていたため、少しばかり好戦的になりすぎているのかもしれない。さても自身がままならぬ人間だと思い知ったところで、ここからはアバンの心意気に対する、俺なりの最大の返礼で応える時間だと肝に銘じるのだった。

 

「アバン殿は政を厭います。それは再三繰り返されてきた基本姿勢であり、一貫した主張でもある。――けれどそれはあなたの本心ではない」

 

 この時、俺はあえて強い声音で断じてみせた。

 

「なぜなら小人の妬みを解消する術も、まして政務を滞りなくこなすだけの手腕も、あなたには十全に備わっているからです。『英雄』の肩書きを制御し、それを上手く国政に生かす方策とてあなたには見えていたはずだ」

「私をそこまで買っていただけるのは嬉しいのですが……」

「加えて、その程度の理由であなたが主筋かつ親交厚かったフローラ様を放り出し、諸国を放浪する旅に出られるとも思えません。なによりフローラ様は未だ一人身です。本来ならば早々に婿を取り国情を安定させねばならぬところを、デメリットを承知で我侭を貫いている」

 

 淡々と語る。それが事実だと強調するように。

 

「あの方がどなたを待っているのか、あるいは二人の間で約束があるのやもしれぬと邪推する心算もありません。あなたが『世界を第一に考える勇者』であるほうが都合が良いのは確かですが、『カール王国を支える忠臣』であっても、あるいは『それ以上の立場』であっても手を携えることは出来ますから」

 

 目に、身体に、心に、かなう限りの気迫を込めてアバンと対峙する。

 

「国の建て直しと発展を細い双肩に託された年若い主君を、一時放ってまで為さねばならぬことがあなたにはあるようだ。フローラ様もあなたの旅を黙認している節があります。では、その真意は何処にあるのか?」

 

 フローラは国民に望まれて即位した女王だ。人望は高く、その政治手腕も『世界一の軍事大国』を率いるに値する力量の持ち主だった。けれど彼女の人生は決して順風満帆だったわけではない、むしろ度重なる波乱に翻弄された女だろう。

 前大戦時、カール王国は病床に喘いでいた国王の代わりとして王女が国民を鼓舞し、国主としての責務も実質彼女が差配していた。そして最後まで魔王打倒の旗頭だったフローラと浅からぬ仲にあったのがアバンである。元々アバンは苦境にある主君を放り出せるような人ではないし、フローラが未だ一人身であることからも、今なお王配の座はアバンの眼前に拓けているとみるのが自然だろう。

 

 情理ともにそんな状況なのだ、いずれアバンがフローラのためにカール王国に帰参することは目に見えている。どれほど厚遇を約束しようと、アバンはフローラの待つカール王国以外に仕えようとはしないだろう。それが士官伺いを求めなかった理由でもある。

 そんなアバンが今なお最愛の女性(フローラ)を袖にしている理由は――。

 

「ヒュンケル」

 

 短く人の名を口にした瞬間、アバンの肩が跳ね上がり、澄んだ瞳に痛苦が宿る。いくばくかの迷いを経て、やがて諦めたような顔つきで重い口を開いた。

 

「その名前が出てくるということは、調べたのですね?」

「ええ。あなたが竜の騎士を見極めようとしていたように、私もあなたの足跡を追っていました」

 

 ディーノ王子捜索網をフル活用することで、『ついでの情報』を世界の各地から収集した。アバンにまつわることも収穫の一つだ。

 

「戦後、あなたはパプニカ王国の山奥で一人の少年を弟子に取り、剣の技と生きる術を教えていたそうですね。人里離れた山奥で過ごすこと数年間、しかしアクシデントが起こります。正確な時期は不明ですが、どうもお弟子さんが行方知れずになったと聞き及びました。あなたが街に出て、一人の少年の行方を人に尋ねるようになったからこそ判明したことです」

 

 アバンが世界を放浪していた目的の半ば以上が、愛弟子の行方を探ることに集約されていたのだろうと思う。

 まあ『半ば以上』と評した通り、アバンの旅にはヒュンケルの行方以外にも付随する目的が見え隠れしているのだが、それはいずれ時と場所を改めて話すことになるだろう。できればその場にはマトリフも招きたいものだが、はてさて?

 ま、いずれにせよ今は双方にとって余談に類するものだ、よって忘れておく。

 

「教え子の名はヒュンケル。年の頃は……今も生きているのならば十二歳、で合ってますよね?」

「よく調べていますね、訂正の必要もありません。……どうぞ、続けてください」

 

 常の明朗快活なアバンらしくない、弱弱しい影が声音に潜んでいた。さすがに気落ちしているか。

 

「大事なのはここからです。一つお尋ねしますが、その少年の剣腕は達者でしたか?」

「何故そのようなことを?」

「必要なことなのです。あなたが教え導いたお弟子さんは天与の才を持っていたのでしょうか? それこそ長ずればあなたを凌ぐと予感させるほどのものを」

 

 俺の問いに幾分の不審を感じ取っていたようだが、それでも隠す気は起きなかったのか、戸惑いながらも首肯し、補足した。

 

「彼に剣を教えたのはそう長い間ではありませんでした。そもそもまだ身体が出来上がる前の年頃です。無理をしては取り返しのつかない事態を招いてしまう。必然、修行は年齢に見合った密度でしか行っていません」

 

 ヒュンケルを思い出しながら語る口調には、哀愁以外にも隠し切れない誇らしさが感じられた。そして弟子を想う確かな愛情もまた、アバンの語り口には色濃く滲んでいたのだ。

 

「ヒュンケルを立派な剣士にする。それが彼の亡き父と私が戦場で交わした約束だったのです」

 

 ルベア君、と呼びかけられる。

 

「ヒュンケルの剣の才を何故君が気にかけるのかはわかりません。けれど、師の贔屓目なしに率直な答えを返しましょう。――天才でしたよ。彼が十年早く生まれていれば、魔王ハドラーを討伐するのは私ではなく彼の剣だったはずです。それくらい卓越した才覚の持ち主でした」

 

 懐かしそうに、嬉しそうに、寂しそうに、そしてんなにより哀しそうにアバンは語る。皆が神妙な佇まいでアバンの独白に聞き入っていた。

 

「子供の不自由な身体とわずかな修行だけで、私に迫る剣技を身に着けていたのです。驕ることなく修練を続けていけば、遠からず私を超え、はるかな高みに羽ばたくと、そう確信させるほどに」

 

 生きてさえいてくれれば、と口惜しそうに唇を噛む。そんなアバンに俺は神妙な声で語りかけた。

 

「我々もまた人を探す身であることはご承知でしょう。今日まで培ってきた人海戦術とノウハウをもってあなたの力になれるかもしれない。いえ、なるべきだと考えます。ですが、その前にお聞かせいただきたい。彼が行方を晦ませたのは何故です?」

「……喧嘩別れ、というには少々生臭い話になりますよ?」

「構いません」

 

 アバンが一度瞑目し、心を落ち着かせているように見えたのは、内心で決意を固めていたからだろうか?

 

「――修行に一区切りをつけ、ヒュンケルに一人前の証を渡したあの日、あの子は私を父の仇と叫んで飛び掛かってきました。私の命を狙った剣は鋭く、私は反射的に鞘で打ち払ったのです。……あの子の優れた剣腕が、私に手加減を許してくれなかった。ヒュンケルは勢い余って渓流に飲み込まれてしまったのです。私もすぐに飛び込んで下流を捜索しましたが力及ばず、あの子は今もって行方知れずのままです。……情けない限りですよ」

「つまり突発的な事故ではなかったのですね?」

「残念ながら。ヒュンケルは元々父の仇を討つために剣を握りました。彼は敬愛する父を死に追いやった私を憎み、その暗い感情は剣に殺気として宿るほどだったことをよく覚えています。結局私は、最後まで彼の闇を払ってあげることが出来なかった」

 

 ぽつりぽつりと漏らした告白には、きっと俺には想像できぬほどの葛藤と痛みが含まれていたのだろうと思う。恨まれていると知っていて、それでも約束を果たそうとした。あるいはヒュンケルの生きる力になればと半ば復讐を肯定していたのかもしれない。そんなお人好し相手だからこそ、俺は何も言わず、何も咎めず、伝えるべきことを伝えることに異存もない。

 確認を取るようにバランを見やり、間違いないと断じるような力強い目を受けて、すうっと大きく息を吸った。

 

「私はあなたの力になるといいました。ですからそのままお聞きください」

 

 そう前置いてからゆっくりと話し出す。

 

「……魔界にはある御伽噺が伝わっています。魔界最強の剣士と、その剣士を殺めた魔族の話です。誰も敵わなかった剣士を殺めた方法は、少女の姿に変化して剣士を油断させることで彼の剣を奪うことだった、とそんな寓話のようなものらしいのですが」

「申し訳ありません、それがヒュンケルのお話とどうつながるのか、私には今ひとつ……」

「失礼、肝心要の部分を後回しにしてしまいました。御伽噺に登場する最強の剣士が誰をモデルにしていたのかは諸説あるようなのですが、その一つに『ヒュンケル』という名があるようです。魔界に実在した有名な剣豪の名だったようですね。彼に肖ってヒュンケルという名を子に贈る親もいるのでしょう」

「そうかもしれませんね」

 

 まだアバンには戸惑いがある。それはそうだ、これで察しろというほうが無理がある。

 

「ところが最近、魔界で――正確には大魔王バーンの勢力圏において、ある噂が流れているそうです。近年バーンの居城に迎え入れられた小柄な戦士は優れた剣の使い手であり、伝え聞く風貌は白髪に鋭利な瞳、刃物のような殺気を漂わせ、一心不乱に剣の修練を繰り返す変わり者だと。素性は不確かなれど腕は確か、しかも明らかに子供の風体をしていて、名乗りはヒュンケルときたものです。あまりに符号することが多いためか、城下では『御伽噺に謳われた魔剣士の再来』だともっぱら噂になっているようですよ」

 

 竜の騎士様々である。彼なくしてこれほどの『生きた情報』は手に入らなかった。なにせ質云々を問題にする前に魔界を闊歩できる人材がバランしかいないのである。その情報一つ一つが値段のつけられぬほど貴重なものであることは言うまでもない。

 バランには足を向けて寝ることができんよ、マジで。

 ただでさえ日々の政務をこなし、軍務を済ませつつ自身の鍛錬にも励み、ダイの捜索のために世界中を飛び回り、暇を作ってはラーハルトに稽古もつけるという、これ以上とない激務の日々を送っているのだ。そこに俺の頼みで魔界にまで足を運んでもらっているのだから幾度頭を下げても足りない。……まあバラン本人も魔界の動静を確かめておくことは義務なのだから気にするな、とは言ってくれているが。

 

「アバン殿の弟子の名はヒュンケル。魔界の新進気鋭の少年剣士の名もヒュンケル。――これを偶然とお思いになりますか?」

 

 ひたとアバンを見据え、言い放つ。

 アバンは俺の語る内容に次第に目を見開き、身体に力が入り、最後には椅子を蹴飛ばして飛び掛らんばかりの勢いで、一言一句聞き逃すまいと身を乗り出していた。……その鬼気迫る様子が少し、いや、かなりおっかなかったことは秘密にしておこう。どうせおれの動揺もソアラ以外にはばれてるだろうけど。

 

「あの子が……魔界で生きている?」

 

 思いがけず知ることになった弟子の消息に、呆然とした面持ちで立ち尽くす。そんな弟子思いの師の姿にさもあらんと納得しながら、ここはあえて軽めに振舞おうと決めた。

 

「大袈裟ですよ、元より生存の可能性を信じて旅を続けてきたのでしょう?」

「ええ、ええ、その通りです。その通りですが、それでも私は――」

「喜びに水を差すのは私としても不本意ですが、万感に浸るのはまだ早いでしょう。噂の人物があなたのお弟子さんと決まったわけではありませんし、仮にあなたの探し人と同一人物だったとしても、お弟子さんは簡単に手を出せる場所にはいません。バラン様は確かにこちらと魔界を自由に行き来できる地上唯一の人ですが、本格的に大魔王と事を構えるような衝突は慎むようお願いしています。……『彼』がバーンの居城に匿われている以上、こちらから手を出すことは出来ません」

 

 一人のために地上全てを危うくするような真似は出来ない、と。

 

「隙があるようならバラン様に奪還してもらうのも手なのですが、なにせ場所が場所です。繰り返しますが、大魔王の居城にバラン様一人で挑ませるのだけは駄目です。ソアラ様はもちろん、私とて許容できません」

「探りを入れつつ機会を待つ、ということですね。承知しました」

「なにより彼は我々にとって反逆者予備軍です。今も彼は師を殺めるために剣の腕を磨き、故あれば魔王軍の尖兵になりえる素養と背景を持っている。それを否定はできません」

「……ええ」

「ただ、彼の存在がこちらの助けになっている部分もあります。大魔王が人間の子供を『飼う』ことにした理由を酔狂と読むのならばともかく、師殺しに燃える復讐鬼を『座興』と考えているのなら地上侵略の時期を読む指針になります。彼は何年であなたを凌ぐ力を得ると思います?」

 

 はっとアバンの顔に生気が戻る。いや、師の顔以上に勇者の顔が戻ってきたというべきなのかもしれない。明晰な頭脳が回転し、素早く結論を叩き出す。

 

「我流ならば十年、優れた師がつけば五年あれば十分でしょう。少なくとも成長期が終わり、身体が出来上がる頃には私と並ぶ剣腕を身に着けているはずです。もちろん目安に過ぎませんが」

「……本当に優れた素質を持っているのですね」

「私の誇りですから」

「その一言で流すにはちょっと厳しいです……」

 

 アバンを超えるということは、ハドラーを超えるということ。アバンの分析によれば、ヒュンケルは十五歳でかつて世界を災厄の渦に巻き込んだ魔王に比肩する実力を持つというのだ。そう考えるとヒュンケルもまた明らかに尋常の域を超えていた。

 まあ日常的にバランやラーハルトを見ている俺が驚くのもおかしな話なのかもしれないが。

 とはいえこの二人は出自からして人間じゃないからな。生まれも育ちも……間違えた、正真正銘人間の両親から生まれた、生粋の人間であるヒュンケルがこうも容易く魔王の領域に踏み込むと太鼓判を押されてはたまらない。どいつもこいつも、と、そっと溜息をつく程度の自由は許されて然るべきだろう。

 

 これも時代の巡り合わせか。幾千年続いた竜の騎士システムに狂いが生じ、決して子を授からぬはずのバランが何の因果かこの地上に自らの血を残した。そんな変革の時代に居合わせる綺羅星たちだ、過去の通例をはみ出す連中がぞろぞろと現れてもおかしくはない。

 俺も外から他人事として見物していられればよかったんだが、思い切り巻き込まれてるのが覆しようのない現実である。どこまで流れに竿を挿すことが出来るのかと、先行きに暗雲が漂わぬことを祈るばかり。

 

「弟子の不逞は師の監督不行き届きです。いずれヒュンケルなる剣士が魔王軍の尖兵として人類に厄才をもたらすのであれば、その時はあなたが弟子の始末をつけてください」

 

 ありあまる不安を断ち切るが如く、重々しい口調で一息に切り出した。こちら側の王族はこの場を俺に一任している、ゆえに口を挟まない。槍使いの混血児はもとより発言権を持たない。そして無慈悲な宣告を受けた心優しき師匠は――俺の言葉を受けてにっこりと微笑んで見せたのだった。その察しの良さがありがたいですよ、ほんと。

 

「それは私に彼の処遇を委ねていただけると考えてよろしいのですか?」

「違う意味に受け止められてしまったなら謹んで訂正させていただきますが?」

「ふふ、十分です」

 

 面倒ごとは丸投げ、これが偉い人の基本である。――などという冗談はともかく。

 

「これは例え話ですが、彼が『一国を落とす』ような深刻な被害を撒き散らした場合は情状酌量の余地もなくなってしまいます。よって穏便な処理をするためには被害は少なければ少ないほど好ましく、反逆者予備軍は予備軍のまま立ち消えさせてしまうのが皆にとっての幸福となります。そうでしょう?」

「同感です」

「私にとっての線引きも申し渡しておきますね。彼がアルキード王国に牙を剥いた時は容赦できません、その時は苛烈な対応になると心得ておいてください。……ただしこちらが標的になった場合もなるべく最悪が訪れぬよう配慮はします。迅速な対応のためにも我々の連絡は密にしておきたい。それでよろしいでしょうか?」

「重ね重ねお心遣い感謝します」

 

 最善はヒュンケルが自分から復讐の愚を悟るなり、養父に直接手を下した仇はアバンではなくハドラーだったことに気づいて大魔王への忠誠を失ったり、あたりなんだけど。望み薄かな、やっぱり。アバン憎しに凝り固まっている今のヒュンケルに接触するのは危険だしなあ……バーンに告げ口でもされたら目も当てられん。

 ベター案としては俺が口にした通り、ヒュンケルが人類側に被害を出す前に決着をつけてしまうことだ。可能ならばこちらに引き込む。不可能ならばその時は――。

 ふっと力を抜く。そんな最悪が現実にならないよう仕込みを行っているのだ、ヒュンケルについてはアバンの手腕に期待しておこう。愛弟子のためなのだ、粉骨砕身の心構えで望んでくれるはずである。

 

「ならばあとはお任せします。無論、お弟子さんの事情抜きでも助力は惜しみませんから、何かあれば頼ってくれて構いませんよ――バラン様を」

「ルベアよ、そこで私の名を出したら締まらんだろう」

 

 そうして場に明るい笑い声が戻った。何一つ解決はしていないが、解決に向けて努力することが確認できただけで大きな前進だろう。

 

「懸念といえばもう一つ。勝てますか、アバン殿? 次に彼があなたの元に現れる時は、間違いなく『魔王ハドラーを倒した勇者』を超える実力を身に着けて立ちはだかりましょう。あなたが評した剣の天才が、復讐のためだけに磨いた剣を打ち破らねば何も始まりませんよ?」

 

 半生を費やした人生の目的を安っぽい言葉一つで翻せるはずもない、どのような形であれ激突は必至だろう。となれば殺し合いを制する技量が必要だ。

 そんな俺の意をアバンは正しく読み取っていた。

 

「彼には確かに卒業の証を渡していますが、そう簡単に師匠超えを許しては張り合いもないでしょうからね。ついてはバラン殿やそちらのラーハルト君に稽古相手を所望したいところです。ご迷惑でなければ是非ご一考くださいな」

「道理ですね。アバン殿の要望ですが、いかが思われますか、バラン様?」

「聞くまでもあるまいよ、結んだ盟を果たすに異存はない。加えて本来竜の騎士が果たすべき地上の安寧を為してくれた恩人の頼みなのだ、最大限の便宜を図ると約束しよう」

「了解しました。さて、ラーハルトはどうだ?」

「願ってもない、こちらから申し出たかったくらいだ」

 

 戦士の血が騒ぐとでもいいたげな顔つきである。この二人、稽古相手に難儀しているせいか、戦闘狂ではなくても技を競い高めあう場には貪欲なところがある。この際だ、存分に遊び倒してくれ。あんたらが仕事を忘れない限り俺も文句はいわんよ。

 

「決定ですね。日程や場所の調整は私が担当しますので、事前に連絡をくれれば万事取り計らせていただきます」

「重ねて感謝を、このご恩は決して忘れません。……なにかお返しができればよいのですが」

 

 いけませんね、アバン様。俺は人の弱みに付け込むことが得意な人間なんですよ、そんな殊勝なことを口にされては歯止めがなくなってしまいます……なーんてな。

 心配せずともアバンにはこの先いくらでも働いてもらう機会があるし、この機会に是非とも尋ねておかねばならないこともあった。アバンの言葉尻をこれ幸いと捕らえて、俺が図々しさを発揮することは必然といえよう。

 

「でしたら一つ恩を返してもらいましょう。アバン殿、博識のあなたならばと見込んで尋ねたいことがあります。……『魔物が人間の子を守り育てる事例』をご存知ありませんか?」

「……困りました。君は本当に何者なのでしょうか?」

 

 睨まれるかと思ったが、何故だか呆れられてしまった。

 

「その問いに答える術はない、昔バラン様にそうお話したことを思い出しました。先の問い、どうか深読みはせぬよう伏してお願い申し上げます。望むのはイエスかノーの一語のみ、『誰が』と明かす必要はありません。私も『誰のために』と口にする気はありませんから」

 

 他言無用。

 たとえそれが自明のことであっても、口に出さぬことが優しさにつながることもある。

 

「そういうことでしたら正直にお答えしましょう」

「ありがとうございます」

「いえいえ。では――」

 

 こほんと咳払い。

 

「魔物が幼子、あるいは赤ん坊を育てるケースは実在します。少なくとも私は実例を知っていますよ。拾い子を慈しみ、健やかな成長を見守った心優しいモンスターがいたことを、生涯忘れることはないでしょう」

 

 この場にいる全員がアバンの語る『実例』が指す人物に思い当たっただろう。そして俺が前置きした通り、その内容に触れるものは誰一人いなかった。しかしアバンの側の事情には触れられなくとも、こちら側の事情には触れられる、触れざるをえない。そのために《託宣の御子》などという大仰な肩書きまで持ち出したのだから。

 

「ルベア、それはまさか……」

 

 ソアラの掠れたような囁きが耳を伝う。

 

「どうか今はそれ以上はお尋ねになりませぬよう。……細かな調整は陛下も交えた席がよろしいでしょう」

「……そうね。わかりました、今は我慢します」

 

 一時、場が停滞する。皆が次の言葉を捜しているようでいて、その一方で沈黙を破ることを恐れるような、そんな奇妙な時間が過ぎ去っていく。結局、その静寂を壊したのはアバンだった。

 

「久しぶりに肝が冷えました。君は私の予想以上に怖い子でしたね」

「先日の意趣返しじゃありませんけど、それこそお互い様だと返させていただきますよ。とはいえ我々は手を携える幸運の中にある。違いますか?」

「ええ、その通りです」

 

 じっと見詰め合っていたアバンの表情からふっと緊張が抜け、その眼差しはやんちゃな子供を見るような優しいものに変わった。その内心まではさすがに俺では察することはできないが、アバンなりに煩悶を決着させた証拠だったのだろうと思う。きっとそれはかつてバランとソアラが、あるいはアルキード王やテラン王が経験した葛藤と似たものだったのだろう。

 

 手が伸びたのはどちらが先だったのか。軽く触れ合うように結ばれた手はさして力強く掴まれていたわけでもないのに、これ以上とない安心感をもたらしてくれた。それは深い叡智を秘めた賢者が相手ゆえの安堵か、あるいはこれこそが勇者の名が背負う重みと肌で感じたがゆえだったのか。いずれにせよこの時の俺の心は喜びに包まれていたことは間違いなかった。

 

 自身の口にした通り、あらゆる幸運をしみじみ思い噛み締めていたところで、不意に忍び笑いが耳朶を揺らした。発生源はアバンだ。俺の視線に気づいたアバンはそれでも笑みを絶やすことなく、にんまりとさらに相好を崩すのだった。

 

「どうかされましたか?」

「いえ、先日お会いした折に君の言った言葉通りの結果になったと思いまして。この通り強かに打ち据えられてしまいました」

「そうでなければ格好がつきませんからね、見栄を張るためにも全霊をもって約定を果たさせていただきました。もしやご不快に思われたでしょうか?」

「いえいえ、このような清清しい気持ちになれるのでしたら、この先何度でも打ち据えてもらいたいくらいですよ」

「残念ながら品切れです。あとはご自分でどうにかしてください」

「では存分に頼らせていただきましょう」

「……あの、話が噛み合っていませんよ、アバン殿?」

「そんなことはありませんよ。これ以上となく噛み合っています」

 

 満面の笑みがそこにはあった。そして、一言。

 

「――言ったでしょう? 君という人間が少しわかった気がする、と」

 

 アバンの囁くようなそれは、ひどく優しい色をしていた。こちらが気恥ずかしくなるくらい真っ直ぐな口説き文句に、照れくさくなって顔を背けてしまう。

 しかして残念ながら、逃げたその先にも暖かな微笑みを浮かべた竜の騎士と慈愛の姫に出迎えられ、居た堪れなくなった俺は最後の砦とばかりに半魔の混血児に縋るが、案の定というか「諦めろ」と目で語られ、ふんと鼻で笑われる始末だった。無念だ、ここに俺の味方はいない。

 

 そうして俺は泣く泣く天を仰ぎ――けれど彼等に負けぬほどの満ち足りた想いをそっと口の端に乗せたのだった。



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第10話 魔王の爪痕

 

 

 ――パプニカになど来るのではなかった。

 

 無明の闇夜を照らす松明の炎がそこかしこで燃え上がり、緊張に顔を強張らせた兵士の顔を浮かび上がらせる。

 赤銅に染まる炎の揺らめきはいかにも怪しく、まるで今この時が夢のようだと錯覚させるが、時折空気中の不純物を飲み込んで火花が爆ぜる音が間違いなく現実なのだと知らしめていた。

 

 これは現実、ならばあれも現実――。

 そんなどこまでも重苦しく、暗澹とした思いを抱えながら遠方に目をやれば、大地を鳴動させる軍馬の群れならぬモンスターの団体が、夜目で把握できる限りの視界一杯に広がっていた。

 多分俺が確認できている以上の数がそこにはひしめいているのだろう。なにせもたらされた報告では敵の数は正面戦力だけでも四百を超え、全容を把握しようとすれば六百を下回ることはあるまい。

 

 陣容の詳細は大地に獰猛な二足歩行の魔物であるリカントやオークが槍を構え、俊敏な四足歩行のサーベルタイガーやマッドオックスが立ち並ぶ。無論それだけのはずがなく、遠方には一際巨大な体躯を誇るゴーレムまで隊列に加わっている始末。最悪なことにベギラマを吐き散らす高位モンスター格のライオンヘッドまで確認できた。数多のモンスター群が規則正しい行軍で迫り来る光景には背筋が震えあがるほかない。

 

 敵は地上を走る影だけではなかった、空にもまた魔物の軍勢がひしめいている。大型鳥獣のガルーダやヘルコンドルが悠々と翼をはためかせ、マヌーサが大得意な人面蝶がそこかしこに飛び交う。空の狩人の異名を持つキメラまでいる。こいつもまた炎を吐き、中級魔法を使いこなす危険度の高いモンスターである。

 まさしく魔物の軍勢ここにありと示す威容だ。いっそ笑いたくなるほど殺意満点の集団だった。

 

 そんな魔物の一団を迎え撃つは砦に詰めるパプニカの精鋭、およそ三百騎。こちらが砦に篭って戦える利を思えば、人間の軍が相手ならば三倍差までなら五分に渡りあえる。が、相手は魔物だ。

 それもスライムやドラキーとはものが違う凶悪な個体が占める軍勢である。二倍の戦力差しかないようでは、とてもではないが安心して臨める状況ではなかった。下手をしなくても砦が陥落する。

 

 ここで俺にとっての最大の問題点は、これが自国での戦ではなく、他国での騒乱だということだ。俺もラーハルトもここではお客様であり、当然指揮権に介入など出来るはずがない。よって従える部下もなく、一兵士として参戦し、協力して撃退を目指すのが精々なのだ。

 逃げられるものなら逃げたかった。しかし砦を包囲されている今は逃走経路を確保することも難しい。戦って活路を開く以外になかった。

 

 砦の備品から借り受けた槍の重みがずしりと腕にかかる。武器も借り物なら防具も借り物だ。もっとも非力な俺では重い金属の鎧はとてもではないが装備できないため、皮の防具を纏って致命傷を避けるのみだ。……いよいよ三途の川が見えてきたな。

 どうせならここで魔王よろしく高笑いの一つでもあげてくれようかと、半ば自棄な思考を過ぎらせることでどうにか精神の再構築を図る。命の危険を告げるシグナルが盛大に鳴り響くなか、パプニカになど来るのではなかったという切実な後悔が幾度も首をもたげ、その都度振り払って気持ちを落ち着かせた。

 

 力ない溜息をそっと零し、時々刻々と迫る開戦の瞬間を、血の気の引いた土気色の顔で待つ。願わくば、五体満足で祖国に帰れますように……。

 けれど。

 そんな逼迫(ひっぱく)した祈りを捧げる相手として真っ先に浮かんだのが、人でも魔でも竜の神でもなく、彼らの使いとされる当代竜の騎士の勇壮な姿だったことに気づいて、確かな安堵を胸に抱く。

 

 ――《戦神の加護ぞあれ》。

 

 そうして霊験あらたかな呪文を即興で引きずり出す頃には、すっかり俺の顔からも強張りが抜け、口元には微かな笑みが刻まれていたのだった。

 

 

 

 

 

 パプニカ王国に発つ前日、禅を組んで鍛錬中のバランの元を訪れていた。

 場所は殺風景な練兵場の一角ではなく、王室のプライベート空間が確保された緑豊かな庭園だ。バランの身体を循環するように闘気とも魔力ともしれぬ力場が形成されているのは、一見すると魔法使いが魔法力を高める瞑想に似ている。

 

 修行の場と考えるとどうにも首を傾げてしまいそうになるのだが、静寂に包まれたバランの座禅姿を拝見していると周囲全てを静謐に染める厳粛な空気に感化されてしまうのか、いつの間にか当初の違和感が拭われていることに気づく。

 無言で膝をつき、礼を取ったまま暫しの時を過ごした。そうして百を数えた頃、すっとバランの瞼が持ち上げられ、低く落ち着いた声音で呼びかけられたのだった。

 

「ルベアか。律儀に待たずとも、遠慮なく声をかけてもらって構わんのだぞ?」

「必要な時はそうさせていただきます」

 

 急ぎの用でもないのに修練の邪魔をするのも臣下らしくないだろう。

 

「先程アバン殿の見送りを済ませてきました。一度ロモスのネイル村に寄ってからカール王国に帰参するそうです。あの方には珍しく、終始後ろ髪を引かれるような態度を隠していませんでしたね。バラン様たちと剣を合わせることがよほど楽しかったのでしょう」

「ラーハルトにも良き鍛錬相手となってくれているよ。お前もスケジュールの調整に苦心したことだろう、大儀であった」

「仕事ですから。それよりもバラン様。アバン殿との会合以降とみに瞑想に耽るお時間が増えましたが、単純に闘気や魔法力の修練というわけでもなかったのでしょう。いかな目的あってのものか、御心の内を明かしていただきたく思います」

「ふむ、よく見ているな」

「眼力くらいは鍛えておかないと格好がつかないんです」

 

 冗談めかした俺の返答にバランが喉を震わせる。

 存外機嫌が良いらしい。やっぱり稽古相手(ストレス発散)の宛てが出来たのがよかったのかな?

 

「私とて務めを疎かにするわけにいかぬゆえ日々修練に励んできたが、それだけでは足りぬと痛感したからな。大魔王バーンが凍れる時間の秘法を自在に操るというのならば、かの呪法を打ち破る手段を模索せねばなるまい」

 

 アバンと会合を持ってからまだ一週間足らず、しかしバランにはそれで十分だったらしい。以前にも口にしたが、と前置いてからバランは語りだす。

 

「ドルオーラに注ぎ込む竜闘気と魔法力をさらに高め、人間大の敵を滅することに特化した呪文として再構築する。完成形のイメージは既に固まっているゆえな」

「つまり一国を消滅させるエネルギーを一個人に向けるわけですね」

「そうだ。おそらくエネルギーの波ではなく珠として形成し、直接ぶつけるものとなろう」

 

 問題はその先だろう、はたして実用可能な代物となるかどうか。

 

「以前お伺いしたことをもう一度口にさせていただきます。それほどの無茶をしてバラン様のお体が無事に済みましょうか?」

「無論、今のままでは無理だな。だが、凍れる時間の秘法そのものの知識は竜の騎士にも伝わっている。それこそアバン殿の家系よりも余程詳細なものがな。まさか封印術以外の使い方を考える者がいるとは想像の埒外であったし、自分自身にかけて力と若さを分離するという荒業を可能にする超魔力が恐ろしいことに変わりはないが、手をこまねいてばかりではこの身の肩書きが泣こう」

 

 ああ、そういえばバランはダイと共に死の大地に突入し、黒の核晶を作動させたミストバーンの素顔を見たとき、その正体に感づいていた節があったな。そもそもアバンの家系が優秀な学者一族とはいえ、地上に伝わっていた秘儀の概要を天界と魔界に通じる竜の騎士が全く見聞きしていない、というのもおかしな話だ。凍れる時間の秘法本来の使い方をバランは元々把握していたのだろう。

 

「つまりある程度の目処が立ったと。……やはり竜闘気の総量が鍵となりますか?」

 

 ふっとバランの口元に不敵な笑みが宿る。獰猛な肉食獣も真っ青な迫力だな、おっかねえ。

 

「本当に良く見ている。お前に武技の才はないが、その眼と洞察は誇って良かろうよ」

「お言葉ありがたく、以後も精進に励ませていただきます。ところでバラン様はどの程度のレベルアップが必要とお考えでしょうか?」

「最低でも生身でドルオ-ラを放てるだけの闘気量は身に着けねばなるまい。そのうえで竜魔人化すれば、高まった竜闘気、魔法力、肉体の強靭さを武器にドルオーラを超圧縮できるだけの準備が整う。……一年や二年の修練では足りぬゆえ、時間との勝負となろうな」

 

 未来でダイ一行が大魔宮に突入した当時、つまり超魔生物ハドラーと真竜の戦いを演じた時点でのダイの力量は、良くてバランと互角。一撃の破壊力はともかく、総合的に見ればまだバランのほうが地力は上だったはずだ。

 しかしその後、ダイは双竜紋に目覚めることで一気に竜魔人化したバラン以上の闘気量を得た。これにより双竜紋を身に着けたダイは肉体をあふれ出る竜闘気によってカバーし、生身でドルオーラを放つことができたわけだが、この時、バランから受け継いだ紋章は本来のパワーの三割から四割程度しか機能していなかったとダイ自身が口にしている。つまり今のバランが竜魔人に変異なしでドルオーラを放つなら、概算で三割程度の闘気増しが必要となるわけだ。

 

 そしてそれだけの地力を身に着けた上で更なる力を求めて竜魔人化すれば、超圧縮したドルオーラの反動を押さえ込むことも不可能ではないとバランは見ている。そのあたりは戦士としての嗅覚のない俺では踏み込めない領域のため、バランの判断を信じる以外にないだろう。そう心配することもない、こと戦う術に関して竜の騎士の右に出る者はいないのだから。

 そしてここまでバランが覚悟を決めている以上、俺も腹を括る以上に出来ることなどなかった。

 

「了解しました。政務、軍務においてバラン様を煩わせる問題が噴出さぬようこちらでも注視しておきます。歴代の騎士が届かなかった遥かな高みに達した竜。その勇姿をこの眼に焼き付ける瞬間を、今から楽しみにさせていただきますね」

「そうだな、お前にも今まで以上に働いて貰うことになろう。身体を労わることを忘れぬようにな」

「勿体無いお言葉です」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。この様子なら命と引き換えの無茶なんてこともないだろう。一安心だ。

 なにせ息子のためなら即興でドルオーラを応用して黒の核晶の爆発を押さえ込むとか、控えめに言ってもとんでもないことをする御仁だしな。

 何年も傍仕えをしていれば情も移るものだ。俺の心情的にも、この世界でまでバランに同じ末路を辿ってほしくなかった。

 そんな細かな内心までは読み取っていないだろうが、それでもあからさまなほど安心した俺の様子を見て取ってか、謹直で知られる堅物の口元がわずかに緩んでいた。……ちょっと気恥ずかしい。

 

「お前の懸念も晴れたようでなによりだ。では報告の続きを聞くとしようか」

「畏まりました。まずディーノ王子捜索網の拡大についてですが、先立って陛下のご許可もいただいたことですし、予定通り人員の派遣先を人類の生存領域外――つまり魔物の生息支配域まで広げることになりました」

「友好的な接触を図り、然る後に情報の提供ないし交換を持ちかけるのだったな。先遣隊の選抜は進んでいるのか?」

「それでは経過報告を。まずは外洋に出る船の手配ですが、ひとまず軍用船を三隻用立ててメンテナンスに入らせています。平行して水兵、それから少数ではありますが海兵の選抜候補者もリストにまとめて騎士団長に提出済みです。近日中にバラン様の下に暫定結果の報告が届くでしょう」

「仕事が早いな。だが、騎士団に全権を預けては武断の色が強く出すぎるのではないか? 義父は何と言っている」

 

 ここのところ騎士団の粗が目立ってしまっているせいでバランも慎重にならざるをえなくなっているようだ。それでなくても息子の行方、ひいては身の安全に関わるとなれば神経を尖らせるのは親として当然だろう。

 魔物と一口にいってもその種族、各々の習性や生活様式、知性の有無やその深さはてんでばらばらだ。だからこそ彼らとの接触のために矢面に立つ者は臨機応変の対応が求められるだろう。

 

 憂慮すべき事柄はそれこそ枚挙に暇がないが、不意の遭遇や思慮に足りぬ振る舞いを発端とした決裂、なし崩しの武力衝突などなど。それらを避けたうえで平和的な情報交換、可能ならば今後の関係の構築が求められる。決して容易い任務ではない。

 

「元々モンスターに殴り込みをかけにいくわけでもないので、歓談や交渉に長けた者も随行させる予定です。陛下にもその旨ご説明し、ご理解と信任も得ていますが……なにぶん派遣先が派遣先ですからね。自信を持って魔物との交渉に当たれる者を探すのは難しいのが現状です」

「選抜するにも前例がなければ判断基準に困る、といったところか」

 

 魔物には国家の概念がない。何をもって対等とするかでまず躓き、相互交流が成立するとしてもそれは変わり者同士の個人間での取引が精々、それが今までの認識だった。それだけに今回のケースでは規模がでかくなりすぎ、どこまで求めて良いのか、あるいはどこまで譲歩すればいいのか、その全てが手探り状態なのだ。前例などあるはずもない。

 

「ええ、そういう意味では能力、思想の両面でアバン殿なら今回の任務に最適なのですけどね。調査の旅に同行していただけるならこれほど心強い人もいません。なにせあの方、交渉の席で自分のペースに持ち込むのが大得意ですから」

「くく、皮肉にも聞こえるがな」

「まさか。アバン殿は私の目標ですよ。純粋に羨んでいるのだとご理解いただきたいものです」

「なるほど、物は言い様だな」

 

 そうして互いに笑みを交し合うが、アバン評については冗談抜きのガチだった。バランやラーハルトと鍛錬を進める合間に言葉を交わすたび、尊敬の念が深まるのだ。

 ありとあらゆる分野で彼の見識は深い。ついでに栄養学にも造詣がある料理上手な家庭人ともくれば、これはもう一家に一台、もとい一国に一人は是非にほしい逸材だろう。……なんだこの完璧超人、本当に人間か?

 

 そう、アバンが一国の利益に囚われない『勇者』の看板を背負っている内に、諸々の面倒事を押し付けまくろうと俺が企むくらいには、彼という人間はきれ者だし曲者なのである。名分はどうにでも作れるだろうし、いずれはうちの王子様王女様方にも文武の教鞭を取ってほしいものだ。

 

 その反面、心底困るのは、いずれ軍事大国カールの国王に就任する可能性が高い相手だということだろう。大陸を同じくする国家に所属する身としては、将来鎬を削るのが必定なやり手に戦々恐々な思いを持ち合わせるのは当然のことだった。

 もちろん個人的には将来に渡って良き友人関係でいられると思う。とはいえ、それだけではすまないのがお仕事上の付き合いというものであって……。

 溜息を一つ。カール王国と国境が接していないだけマシかと慰める俺だった。

 

「それと交渉のための実弾……ごほん、誠意として持ち込む宝石や貴金属、日持ちのしそうな加工食品の類も積み込んで出航するわけですが、物品の選定はソアラ様にお願いしています。こちらも近日中にはバラン様の元に目録が届くでしょうから、なにか不足があれば奥方様にお話を通してくださるようお願いします」

「わかった」

 

 モンスターに貨幣制度が浸透しているとも思えないため、誠意(実弾)金銀銅貨(ゴールド)を重視するよりも物々交換のつもりで向き合ったほうが良いだろう。物にしたって名のある絵画のような芸術品は人間の国家相手には重宝しても、よもや魔物に歓迎されることはあるまい。

 『力こそ正義』を地でいくような魔界の国家相手ならば鍛えられた名剣や魔道書の類が喜ばれるのだろうが、それが地上の魔物に適用できるかといえばそれも怪しい。いずれにせよ手探りということになる。

 

「魔物との交易か……。三隻船を出すというが、行き先はラインリバー大陸、マルノーラ大陸、そして怪物島。それぞれの勝算はどうみる、ルベア?」

「今現在、この地上に名を轟かせる魔物は百獣を統べる陸の王者クロコダイン、そして船乗りの間で恐怖の代名詞として語られる大海の覇者ボラホーン、この二者です。彼らは魔王ハドラーが猛威を振るった時代においては消極的中立を貫いたようですね。ハドラーも手出ししなかった以上、もしかすると魔王に匹敵する実力を持っているのかもしれません」

「同感だ。そして魔物の事情に明るいであろう彼らに話を通せれば確かにディーノ捜索の一助となろうが……で、あればこそ最初に私かラーハルトが同道し、戦端に備えたほうが良いのではないか? まだほかの者には荷が重かろう」

「今回はあくまでこちらが接触したがっていることを認識させれば十分です。芽がないようならばすぐに引き下がるよう命じますよ」

 

 第一、と切々と言葉を尽くして説得に回る。

 

「最初の接触でこちらのアキレス腱であるディーノ様の名を出すわけにもいきません。今回の試みがどうなるにせよです。本当に魔物の中にご子息を保護した者ないし行方を知る者がいたとしても、全てがこちらに好意的なはずがないのですから。最悪人質に取られる可能性だってあるのです。神経質なくらいの慎重さで臨むことを忘れてはいけません」

「……む、確かにな。逸っているか、私は」

「些か。ですが無理もないでしょう、心中お察しします」

「よい」

 

 言葉少なく応じ、粛々と気を鎮めるバランだった。

 

「ほかに魔物で聞く者といえば、空を自在に翔る神出鬼没のドラゴンライダーがいたはずだな。確か名はガルダンディー」

「そのモンスターですが、リンガイアから手配書が回ってきています。昨年城砦王国リンガイアの首都にスカイドラゴンと共にたった二匹で攻め込み、精強で知られる騎士団にかなりの痛手を与えたことが原因ですね。リンガイアにとって不運だったのは、勇将と称えられるバウスン将軍の不在時を狙われたことでしょう。被害が拡大した一因でした」

 

 まったく余計なことをしてくれる鳥野郎だ。さっさとイオを叩き込まれてしまえ。

 

「そやつを接触候補から外したのは、クロコダインやボラホーンと異なり接触するのは危険――話の通じる相手ではないと判断したのだな?」

「その通りです。リンガイアの通達を信じるならば、『その性、残忍にして非道。人を殺すことに愉悦を覚える残虐モンスター』とのこと。先に話題があがったクロコダインは弱者には興味がないと公言し、ボラホーンは人間そのものを唾棄しています。彼らもまた難儀な相手に違いありませんが、問答無用で襲い掛かられるようなことにはならないでしょう。どちらも積極的に人を襲う心積もりはない以上、精々門前払いで済ますのがオチです」

 

 それにクロコダインとボラホーンはガルダンディーほど傲慢でもなければ愉悦に歪んだ為人もしていない。一国と本気で敵対関係を取って総力戦をする腹積もりなどないだろう。そうするくらいならば前大戦時にハドラーに乗じて世界中の国々を荒らし回っていたはずだ。

 

「しかし同じ魔物でもガルダンディーは彼らとは大分趣きが違うようです。大儀を胸に矛を交えるでもなく、生きるために奪うでもなし。かの者は人を斬りたいがために人を殺める危険な輩なれば、いずれ討伐せねばならぬ手合いだと思われます」

「高位の魔物になるほど魔王の放つ瘴気の影響は減じるものだが、前大戦時はどうしていたのだ?」

「さて? 未だ歳若い魔物なのやもしれませんが……」

「そやつの出方次第になるな」

「はい」

 

 アルキード王国に牙を向けるか、あるいは各国から討伐要請でもくれば速やかに処理する。ガルダンディーについてはそれでいいだろう。今すぐ敵対してくるならばラーハルトの功績と経験の糧になってもらい、将来的に剣を交えるならばダイやポップに相手をさせても良い。

 なにせ俺の知識云々は別にしても、この世界で耳に入る風聞だけでも生かしておくのは危険なモンスターなのである。あるいはバランならばそんな男であっても力で従えさせることが出来るのかもしれないが、俺としては正直肩を並べて戦いたいとは思えないのが正直なところだった。

 

 ただ対魔王軍を考えると、地上のモンスターでも突出した三人の力が惜しいのも事実。ガルダンディーはともかく、出来れば他の二人はバーンが魔王軍編成のために粉かける前にこっちに引き込んでおきたい人材なんだが、どうにもとっかかりがなかった。

 バランの名を出すことでクロコダインあたりが興味を示してくれればいいのだが、望みは薄いだろうな。いくら武人気質とはいえ、大陸を隔てた遠方の戦士とまで力を競いあいたいと思うほど酔狂ではあるまい。だからといって彼の縄張りを侵すような真似をすれば本末転倒、協力を得ることなんて夢のまた夢になってしまう。

 

 わかっちゃいたが難しい。

 有史以来続いてきた人間と魔物の生存競争は決して軽いものではないのだ。それはある意味では戦争以上に複雑なものであり、魔族との敵対関係とはまた異なる性格をしているものだった。

 

「つまりお前の本命は『怪物島』にある、そういうことなのだな」

「はい。加えて南海の孤島デルムリン島は、海流次第ですがディーノ様が漂着する可能性も残る地です」

 

 目は口ほどに物をいう。たとえ無言であろうが、いや、無言であればこそ無視できない圧がバランから流れてきていた。

 もちろんすぐに注文の品を届けるさ、ここで続きを渋るほど俺は世を儚んでいない。

 

「遠洋漁業に出る漁師の話によれば、デルムリン島にはいつしかモンスターが大量発生し、今はバラン様の仰られたように怪物島と呼び恐れられているとのこと。ですが怪物島の呼称はここ最近、せいぜいが十年来のもの。大戦終結期に魔物がこぞって移住したと考えればつじつまが合います」

「怪物島が原因となる騒乱は記録されているか?」

「これまでのところ確認されていません。自然発生とは思えぬモンスターの跋扈が『怪物島』と呼び習わされる由来でありながら、今なお平穏の中にある不気味な島。見えぬ内情とてそれらを裏返せばある程度推察は出来ましょう」

「人と争うことに疲れた者達、あるいは変り種かつ温和な魔物の受け入れ場所か。……確かに人間の赤子を受け入れる条件としては打ってつけだな」

 

 案外魔物の中では駆け込み寺ならぬ駆け込み島になってるんじゃないのか、デルムリン島。

 これは推測でしかないが、魔物の間ではそこそこ有名な島だと思う。というのも島の長をやっているブラスが只者ではない。

 モンスターを封じ込める貴重な呪物である魔法の筒を大量に保持しているのみならず、ブラスは魔王が直々に『魔界のモンスターを封じた特別な筒』を預けたほどの大物鬼面導師なのである。ヒュンケルの父代わりだった地獄の騎士バルトスには及ばないにしても、魔王軍にあってかなり特殊な地位にいたのは疑いようがない。

 

「私はデルムリン島を積極的中立の勢力と考えています。そういった意味ではクロコダインやボラホーンよりもこちらの求めに応じてもらえる可能性は高いでしょう。少なくともこちらから手出しせぬ限り大事にはつながらないかと」

「よくわかった。して、私がデルムリン島行きの船に乗り込むと言ったらお前は反対するか?」

「しません。他の船は他国の領土に踏み入りますゆえバラン様にはご自重いただきますが、デルムリン島は国境の空白地帯です。強いていえば数十年前、パプニカ王家の洗礼の儀式とやらが執り行われていたという眉唾ものの記録もあるようですが、今回の件で嘴を挟んではこないでしょう。元よりパプニカに通達してやる義理もありませんし」

 

 つーかこっちからパプニカ王家に『デルムリン島に赴きますが構いませんか?』なんてお伺いを立てるわけにはいかないのだ。それをしてしまえば、暗に『デルムリン島はパプニカ王国の領土』と認めてしまうことになる。後々を考えれば外交失点以外の何者でもなかった。

 それがわかるからバランも一度頷くだけで異は唱えなかったのだろう。内心では七面倒くさいことを、とか考えてるかもしれないけどな。仕方あるまい、そういう面倒くさいのが国家間の付き合いというものなのだから。

 なにより折角『アルキード王国第一王子の第二の故郷』なんて名分が生まれようとしているのだ、この機を最大限生かせずしてどうして行政の担い手を名乗れよう。機を見て敏なる言葉が推奨されるのは、何も金儲けの算段に限った話でもないのである。

 

「時期は?」

「冬の海は荒れるそうですから、一つの季節を跨いで新芽が顔を出す頃合がよろしいかと。それまでに兵の調練や情報の収集も含めて、出航の準備を万全にしておきましょう」

「それが妥当であろうな。だが、万全を期すというのであればお前も私に同道せよ。よいな?」

「はい、喜んでお供させていただきます。……バラン様が陣頭指揮を執ってくださるなら気楽な旅が出来そうですね」

 

 それこそ渡りに船だろう。

 下手な人選をしてダイやブラスに無礼を働くような真似をされては困るのだ。元々文官の人選に難航が予想されているのだし、デルムリン島には俺が責任者として出向き、ブラスを説得してダイを連れて帰るつもりだった。部下の統制や指示だしをバランが請け負ってくれるというのなら、その分楽をさせてもらうまでだ。

 

「一つ、尋ねておきたいことがある」

「なんでございましょう?」

「お前はいつからディーノが魔物の元にいる可能性を考えていた?」

「アルキード王国全土をあげてディーノ王子の行方を辿り、その調査の空隙をバラン様が埋めておきながら何も出てこなかった。ならばと消去法で考えたのが始まりです。……ああ、それとも最初から選択肢として秘めていた、と言ってしまったほうが驚いてもらえますか?」

「頭から否定は出来んな。お前は知りたいことを最短距離で知りすぎる」

 

 そりゃそうだ。何故といって、俺がバランに注文する情報の多くは『元々知っていることの裏づけ調査』なのだから。バーンの秘密に関わる凍れる時間の秘法しかり、魔界の情勢しかり、アバンとヒュンケルの関係しかり。

 既に芯となる情報を持っていて、それを確かめたり補強したりするためにピンポイントな場所や人物、組織を洗えるから得られる情報の質が半端なく高いのだ。諜報分野、すなわち情報戦においては普通玉石混交の石ばかりが集まるし、それらを多角的に分析することでようやく真実が見えてくる、そういうものなのだ。だというのに、俺の場合は高確率で玉を引き寄せてしまう。

 

 そんなことを何度も目の当たりにしていれば、こうしてバランが不審を抱くのも至極当然のことだった。そして俺自身時間効率を優先しているため、フェイクを差し挟んだりといった小細工は打っていない。無論、人材と資金の無駄遣いをしたくないという貧乏性な性根も否定しないが、それだけ俺がバーンの脅威に怯えている証左でもあった。

 

「運命に愛されているか、神様に呪われているのでしょうね。難儀なことです」

 

 どちらも同じ意だ。つまり――禄でもない。

 

「身も蓋もないことを言う。それを竜の騎士たる私の前で口にする度胸は買うがな」

「バラン様にそう仰っていただけると嬉しくなってしまいますね」

「皮肉だ、馬鹿者。ついでにいえば、既にこの手の問答の時期は失しているというのが私の見解だがな。お前はお前の為すべきことを為すがいい、おそらくそれが最も良い結果につながるのであろうよ」

「さて、誰にとっての未来かは保障できかねますよ? とはいえ信には信を返すのが筋というもの。叶う限りの微力を尽くさせていただきましょう」

「頼もしいな。お前の献身、ありがたく受け取ろう」

 

 と、ここで終われば麗しい主従愛だったのかもしれないけど。

 以下は蛇足。

 

「戯れに応えるが良い。仮に最初からディーノの行方に目星をつけていたとして、それを私に秘した理由を挙げてみよ」

「ああ、簡単ですよ。当時の私は『竜の騎士が魔物に対する立ち位置』を知らなかったので、ディーノ様を取り戻そうと罪もない魔物を相手に大虐殺を起こすのではないかと恐れていました。それはさすがに良心が咎めた、とお答えしておきます」

「なるほど、それはひどい理由もあったものだな」

 

 はっはっは、と笑うのはさすがに自重。

 だって仕方ないだろう、俺にしてみればバランは自分の妻を殺されて侮辱された途端、怒りで大陸の一部を消し飛ばす苛烈な気性持ち、つまり盛大な地雷だったのだ。下手にダイの居所を予想した結果バラン暴走、息子を理由にブラス老を殺してしまうなんて未来は寝覚めが悪すぎるし、下手にダイを連れ戻した挙句王族稼業に嫌気でも差されたら事だ、そのままソアラとダイを連れて出奔してしまう恐れもあった。そんなことになったらバランに俺の家族が暮らすこの国を守ってもらうという企てが成就しないじゃないか。

 

 なによりバランを煙たがっていた連中が暴発して赤子のダイにちょっかい出してみろ、バランがぶち切れてアルキード王国滅亡一直線だ。ダイをデルムリン島に置くことで紡がれるだろうブラス老との家族関係とか神の涙扮するゴメちゃんゲット作戦以上に、あの当時のバランとダイを一緒にすることは不確定要素が強すぎて、とてもじゃないが踏み込める代物じゃなかったんだよ。ぶっちゃけてしまえば俺がバランを信じ切れていなかったってことになるわけだけど。

 あれから三年、いや四年が経とうとしている。国内の情勢も固まり、味方も増えた。直接仕えることでバランの人柄だって掴めた。今となってはさすがにこの男を噴火寸前の活火山なんて思っちゃいない。

 

「明日からパプニカに渡るのだったな、地底魔城まで足を伸ばすのだったか。……無事に帰ってこい、まだまだお前には助けてもらわねばならん」

「ラーハルトも一緒ですし、本格的に潜るわけでもなし。そう滅多なことは起こりませんよ。しばしお傍を離れるゆえ、バラン様もお体にお気をつけください」

「うむ」

 

 そんな心温まる会話を交わした翌日、俺はラーハルトと共にパプニカ王国に意気揚々と跳んだのだった。

 

 

 

 

 

「ようこそいらっしゃいました。まずは我が邸宅に案内いたしますゆえ、ごゆるりとおくつろぎあれ、とのお言葉です」

 

 パプニカ王国の玄関口、すっかり復興の叶った風光明媚な港町で俺達を出迎えたのは、件の招待主である司教テムジンの遣いとしてやってきた一人の青年だった。賢者の衣装を纏う見目良い男で、おそらくはまだ二十歳前。涼やかな挨拶を交わした青年はバロンと名乗った。賢者バロン、歳若くもパプニカを代表する魔法の使い手として勇名を馳せている男だ。

 

 俺の後ろに控えるラーハルトを一瞥してかすかに目元に険を寄せたようだが、それ以上の反応は示さず、いかにも事務的な対応に終始していた。当たり障りのない応酬を繰り返しながら馬車に手早く乗車し、程なくテムジン宅に到着する。教会で司教の地位にあり、パプニカ王宮でも頭角を現してきているという事前情報を省みるならば、テムジンの邸宅は彼の肩書きに比して随分質素な佇まいをしていた。

 

 ここに来る道中にもっと大きな住居を幾つも見ていただけに、少々拍子抜けしたくらいだ。個人的な知識の面でも、テムジンにはもう少し浪費家のイメージがあったのだが、存外質素倹約に努める男だったらしい。意外、といったらやっぱり失礼になるのだろうな。

 ほどなく奥に通され、家の主と面会が実現する。

 

「はじめまして、ルベア殿。こうして招きに応じてくださり、まこと感謝に堪えませぬ」

「こちらこそ無理を聞いてもらえてありがたい限りですよ、テムジン殿。改めて名乗らせていただきます。アルキード王国はバラン殿下の傍仕えをさせてもらっているルベアと申します、こちらは私の護衛兼随伴のラーハルト。我ら共々、短い間ですがテムジン殿のご厚意に甘え、お世話になります」

「いやいや、請うたのは私ゆえ、そう申されてはこちらの立つ瀬がありませんよ。ともあれまずは祝着、骨折りに尽力した甲斐がありましたな」

 

 テムジンは王宮でもないというのにきっちり礼装を整え、非のない態度で歓迎の声を紡いでいた。中年に差し掛かっているのだろうが身奇麗にした風貌と溌剌とした語り口は実年齢よりも幾分若さを感じさせる。俺のような青二才をこうまで下手にでてまで招きよせた以上、なにかしらの思惑を秘めてはいるのだろうが、少なくともそんな腹黒さは欠片も思わせない態度だった。パプニカは八王家の中でも特に伝統と格式を重んじる国家であり、その最前線ともいえる王宮で長年泳いできた男らしい如才なさである。

 

「さて、本日は本宅で休みを取り、明日は王都で観光、明後日以降は地底魔城の見学でしたな。城下はバロンを案内につけますが、地底魔城は王家の厳しい管理下にあります。容易く他国の者を入れるわけにはいかぬゆえ、私も同道致しましょう。ここまででご不明な点はありましたかな?」

「テムジン殿のご協力に重ねて感謝を申し上げるべきですね。ご迷惑をおかけします」

「貴国と我が国の陛下がお決めになられたことゆえ、感謝は不要です。ですがどうしてもというなら、是非にルベア殿との歓談の時間を楽しみたいものですな」

「それはもう、私程度でよろしければ喜んで同席させていただきましょう」

 

 できればご遠慮したいところなのだが、まさかそんな本音を口に出来るはずもない。にこやかに了承と頷く俺だった。

 テムジンがバロンに申しつけ、客間に向かう道すがらぼんやりと考える。やっぱりテムジンは俺向きの相手だろう。多少気になるのは終始テムジンの影のように沈黙を守っていたバロンの立ち位置だが、軽く話題を振ってみるとテムジンの直属というか子飼いのような仕事をしているらしい。この頃から単なる上司部下以上のつながりがあったのか。テムジンとの会談ではそのあたりにも探りを入れて見るとしようか。無駄な情報にはなるまい。

 

 ともあれ、バロンの相手はラーハルトに任せることにしようか。バロンはラーハルトの顔、というより魔族の風貌を目にして微かに嫌悪を滲ませていたし、彼らのファーストコンタクトはそれなりに相性が悪そうだった。どうにもならないようなら適当なところで仲裁に入ればいいと割り切っておけば、これもラーハルトにとって良い経験になるだろう。

 いや、だってなあ……。

 

「さて、ラーハルト、お前はさっきの二人を見てどう思った?」

「テムジンとやらは荒事向きではないな。多少の心得はあるようだったが、凡百の術師に過ぎん」

「一応大戦期は前線にも出たことのある僧侶らしいがな。そりゃ、お前にしてみれば並以下の手合いなのかもしれんけど」

「戦後七年で牙が鈍っているのが明らかだからそう言ったまでだ。露骨に呆れてくれるな」

 

 アバンとの手合わせに味を占めて、ますます腕磨きの渇望に拍車がかかった男の台詞である。

 

「警戒という意味では俺達を案内した男――バロンとかいったか? 奴のほうを注目しておくべきだろうな」

「大戦末期の戦場で獅子奮迅の活躍をした賢者殿らしい。貴族の出じゃないせいか力に地位が伴っていない向きもあるが、パプニカでは若手ナンバーワンの実力者だろう。二十そこそこの年齢で僧侶の魔法はベホマまで、戦場の華である魔法使いの魔法はベギラマまでマスターしているというのだから、魔法戦のエキスパートという触れ込みは妥当なとこか」

 

 魔法使いの操る代表的な攻撃魔法のうち、比較的習得しやすいとされるのがメラ系とヒャド系である。幾分ヒャド系のほうが習得しづらいともされるが、個人差の範疇だ。そこから難易度が上がってイオ系、さらに上にギラ系が位置する。同じ魔法力を込めるならギラ系が最も破壊力に勝るのだ。ベギラマまでマスターしている一点のみでもどれだけ魔法使いとして練達しているかが伺えるのだった。

 あらゆる呪文のエキスパート――すなわち賢者。竜の騎士であるバランや魔王討伐を成し遂げたアバン一行を除けば、バロンは世界でもトップクラスの一角を占める実力持ちなのは動かないだろう。

 とはいえ……。

 

「だからなんだ、という程度でしかないがな。警戒するとはいっても、それはお前に狼藉を働かせないという意味でだ。斬ろうと思って斬れない相手だとは思えん」

 

 『肌で敵の強さがわかる世界の住人』の感覚なんぞ知るか、こんなことを当たり前のように口に出せるからこいつは例外なのだ。なにせ魔法ありの自由組み手で、短時間ならばアバンとも互角以上に打ち合える猛者だからな。唯一の欠点は年齢からくる体力不足くらいだろう。

 ラーハルトは長期戦になると途端にパフォーマンスが落ちる――が、それもあと数年で解消される弱点でしかない。今ですら身体が出来上がるまで待ってはいられないとばかりに、疲労を抑える戦闘術の開発に余念がない男だ。目標とする高みが竜の騎士だということもあるだろう、生半可な覚悟で生きちゃいない。

 

「頼りになる部下を持って俺は幸せだよ。喧嘩しにきたわけじゃないってことだけ覚えてくれてりゃいいけどさ」

「お前の身の安全も俺の職務のうちだろう? むしろ仕事熱心だと感謝してほしいくらいだ」

 

 最近は口も回るようになってきた気がしないでもない。結構結構、このまま俺の仕事を肩代わりできるくらいまで腹黒くなってくれれば安心もできるというものだ。

 

「しかし名にし負うパプニカの若き天才でも役者不足ってのは恐ろしい話だ」

「弱いとはいっていないさ、望めるならばパプニカの誇る賢者殿の実力を拝見させてもらいたいとも思っている。それにアバン殿と手合わせをして、俺には実戦経験が不足していると痛感したところだからな。今回は自重するが、機会があれば逃さんよ」

「……本当に頼もしいことで」

 

 怖いくらいの向上心だった。

 

「他国の見聞を深めることも必須だったな、この際だからその手の話も聞かせてくれ、お前は事情通なのだろう?」

「調子の良い奴。……ふむ、晩餐にお呼ばれするまでもう少しかかるし暇つぶしにはなるか」

「そうこなくてはな」

「戦士の質でいえば、やっぱり最有力はアバン殿の古巣でもあるカール騎士団だろうな。入団したばかりでまだあまり名は知られていないが、ホルキンスという男が有望株らしい。今度アバン殿に話を聞いてみるか」

 

 先代の騎士団長を務めたロカを超える逸材とも一部では囁かれてるそうだが、実際今から八年そこそこで騎士団長にまで上り詰めるのだ、誇大に吹かした評価ではないだろう。

 そもそもロカは生前ハドラーを倒したことで英雄扱いだったし、今は故人だ。そんな人物を引き合いに出してまで評価するくらいなのだから、聞こえてくる話のほうが控えめだろうと思う。剣の技能に限ればバランともある程度打ち合えるほどの達人になるのだ、尋常な才能ではない。

 

「とはいえ、どうせ学ぶのなら俺はリンガイア王国のバウスン将軍を推薦するぞ。城砦王国リンガイアで将軍職を務めているだけあって、大規模合戦の指揮や篭城戦に一家言持つ方だ。将来を考えるならご指南いただくことに絶対損のない相手だと思う」

 

 実践指揮官としての名声は世界一だろう。今年三十才になったばかりの歴戦の武人と考えれば、この人も十分若い。……息子の教育には微妙に失敗しそうな御仁ではあるが、それは言わぬが華か。

 一軍を率いた将軍の息子が単独行動大好きな個人能力主義者というのも考えづらいだけに、ノヴァも祖国が滅びたことで余裕を失っただけという可能性もある。いずれにせよノヴァについては将来の話だ。今は剣を握り始めた子供でしかないし、俺の知識など参考情報にしかならない。

 

「惜しむらくは俺の立場だと自分から出向けんことだな。どうにかできんものか」

「贅沢言ってんなー。バウスン将軍との個人的な語らいなんて騎士の誰もが憧れる誉れだぞ」

 

 俺も勉強させてもらいたいくらいの相手だ。なにせ戦略畑では世界トップクラスの人材なのだから。

 

「そこはお前に期待させてもらうとしよう」

「バラン様に頼め」

「そのような畏れ多い真似が出来るものか」

「俺ならこき使っても良いと聞こえてくるのは気のせいかね?」

「無論、気のせいだろう。しかしそう邪推ばかりでは程度が知れてしまうのではないか? 自重するんだな、《託宣の御子》」

「槍捌きに留まらず減らず口にも磨きがかかってきたじゃないか。折角ソアラ様がつけてくれた教育係も今頃泣いてるだろうよ」

 

 喧々諤々。

 そんなこんなで、真面目なのだか不真面目なのだかわからない雑談は、迎えの者がくるまで小一時間続いたのでありましたとさ。

 

 

 

 

 

 テムジン宅で一泊した翌日、王都観光を満喫中に奇妙な出会いがあった。いや、奇妙といっては相手に失礼だから言い直そう、思いがけぬ遭遇があった。……『遭遇』とか考えてる時点でひたすら無礼だということにはこの際目を瞑っておく。

 喧騒盛りの昼下がり、俺達は一人のご老体と鉢合わせしていた。相応の年かさ伺わせる白髪の頭、深い皺を刻む一方で柔和に綻んだ人の良さそうな顔、さりとてその身体は歴戦の名残を思わせる鍛えられた兵士のもの。溌剌とした声をあげて笑っているのは『自称』パプニカの発明王と豪語するご老人、バダックだった。

 

「やあやあ、奇遇ですなバロン殿。今日は休暇ですかな?」

「いえ、私はテムジン様のお客人のご案内なれば、職務の一環にございます」

 

 若手の新進気鋭にして賢者として名を馳せるバロンを相手に、こうも気安い態度で接することが出来る。その一事だけでもバダック老がただの好々爺ではないことが知れよう。

 バダックは先代国王の御世から長くパプニカ王家に仕え、尖った能力や目を瞠る功績こそないものの、堅実かつ実直な忠勤に励んできた過去を持つ。そのため現パプニカ国王の信頼も厚く、国内向けの顔の広さや知名度でいえば相当のものだった。……その奇行ぶりも含めて。

 

「いや、実際助かりましたぞ。いま少しで誤解されたまま衛兵にしょっぴかれるところでしたからな」

「城下で火薬を使っておいて誤解もなにもないでしょう。この場は私の権限で兵に引いてもらいましたが、明日登城したら真っ先に始末書を提出してくださいよ」

「バロン殿は固いのう。あれはこのバダック一世一代の大発明なのですぞ、なんとしてもレオナ姫さまのお誕生祝いに間に合わせなければ」

「……バダック殿」

「やあやあ、感謝しますぞルベア殿。おかげで実験に弾みがつきそうじゃわい」

「それはどうも」

 

 しれっと応える俺をよそに、疲れたように溜息をこぼすバロンが少し不憫だった。そんな若者の悲哀はともかく、バダックが大発明と謳っていたのは火薬を使った祝砲、もとい『花火』である。数ヶ月先に控えたレオナ姫の誕生パーティーでお披露目すると意気込んだはいいが、何分パプニカは火薬の扱いに関して後進国。彩りもへったくれもない信号弾もどきしか存在せず、バダックも頭を抱える始末だった。

 

 そこで俺が花火の骨子になる『星』の作成と配置図を数例提案し、彩り豊かな火薬反応の研究はベンガーナ王国で研究中だと囁く。ついでに資料を取り寄せることも可能だと大盤振る舞いしたからさあ大変。バダック大興奮でバロンがますます頭を抱え込む仕儀となった。

 うん、悪ノリしたのは自覚してる。だから『花火はベンガーナで既に開発済み。近々売りに出される』という残念な、いやさ野暮な事実は口にしないことにした。

 

 そのうえベンガーナに花火の開発依頼を出し、火薬研究のスピンオフ技術として『花』や『柳』のような多種多様の大輪を咲かす娯楽アイテムという、ベンガーナの好きそうな商売絡みの発想を持ち込んだのも俺なのだ。……これは気づくまで黙っておけばいいな。パプニカは大戦終結からこっち、半ば鎖国じみた政策を取っているから他国の動静にも疎いようだし。

 

 うん? 花火の使用用途? そんなもん、うちの王子様の帰還祝いでぶっ放すための準備に決まっているじゃないか。

 

「よーっし、わし、決めちゃったぞい! 一宿一飯の恩を返せぬとあっては騎士の名折れ! 聞けばルベア殿らはあの憎らしい悪の巣窟、かの魔王の残した地底魔城を訪れるとのこと。ならば――!」

 

 ぎらり、とバダックの眼光が空を射抜く。帯剣していれば間違いなく剣を引き抜いたであろう見栄の切り方だった。ついでにここは王都の真っ只中だということを思い出していただきたい、控えめに言って関わりあいになりたくない絵図だろうよ。

 

「このパプニカ一の大剣豪バダック様が御身を守ってしんぜよう! なに、遠慮はいらんぞ。泥船に乗ったつもりでご安心召されるがよい」

 

 一宿一飯とか泥船とか、もしかして突っ込み待ちなのだろうか? かっかっか、と大層機嫌良く笑うバダックに相対する俺もまたにこにこ顔。

 うわーい、なんかこの人おもしろーい。

 ……そこ、苦笑いとかいうな。必死に頬の引き攣りを誤魔化してるところなんだから。バダックの突然の申し出も苦労するのはテムジン以下、パプニカの家臣団だと言い聞かせて心の安寧を図ってみたりとこっちは忙しい。

 

 ――地底魔城訪問が本当に泥船だったことに気づくのは、もうしばし後のことである。いや、もちろんバダックが原因じゃないのはわかってるけどね?

 

「ではわしは準備があるので一旦失礼させていただきますぞ。ふふふ、腕が鳴るわい」

 

 そんな不穏な言葉を残し、バダックは去っていった。嵐のようだった、と思う。だからこそバダックと別れた後の俺達は、どこか気の抜けたような気分で王都見物を続ける羽目になったのだろう。

 

 ちなみに、というべきか。順当に、というべきか。

 この王都観光の間、ラーハルトの姿が原因の諍いは一切なかった。厚着の季節になっているためほとんど肌の露出がなかったことが一つ。ラーハルトの出自に気づいて胡乱な目を向けてくる人間もいたが、そうした連中のほとんどはバロンの顔を見た途端すごすごと退散していくのだった。ラーハルトの話では一般人に扮した兵らしき者も数名見かけたらしいし、半魔族の同伴と相応の警備を要請していたことが功を奏したらしい。

 

 気になる点を挙げるとすれば、そのこちらが気づいた警備兵は皆『テムジンの手の者』だという事実だろう。……あの男、やはり武官筋にも顔が利くらしい。頭に入れておくべきだな。

 

「王都見物は大変楽しかったです、と後でバラン様に報告しよう」

「緩みすぎだろう、遊びほうけていたと告げ口したくなるほどだ」

「そこは誇っておけ、お前が気を張ってればこそ安心してられるんだ」

「……ふん」

 

 魔王ハドラーに最も苦しめられた国のお膝元で、こうして半魔族の部下と二人暢気な会話を交わす余裕を、今は何よりもありがたく思える。そんな初冬の一幕だった。

 

 

 

 

 

 地底魔城とは魔王ハドラーが地上侵略の拠点として定めた本拠地である。いや、魔王が討伐された今は本拠地だった、と過去形で語るのが本来は正しいのだろう。

 しかし完全な過去形には出来ない事情があった。というのも、地底魔城は『今も往年の姿のまま』パプニカの国土に堂々と鎮座しているからである。しかも城の内部には当時に比べて激減しているとはいえ、未だ魔物が屯する巣窟に変わりはないという妙な事態になっている。

 

 ――何故か?

 

 答えは簡単、『地底魔城を残すことを人間が、とりわけパプニカ王家が望んだから』である。

 そうでもなければ地底魔城など早々に打ち壊され、原型を残すことなく瓦礫の山に還っている。ハドラー討伐から十五年後の未来において、バーン配下の不死騎団が拠点にできるほどの軍事機能が残っているはずもないのである。

 なにせ地底魔城は世界を恐怖に陥れた魔王の居城なのだ。長く戦乱に苦しめられた国民感情、勝者を決定付けるための国としての体面、どう考えても占拠して利用しようとするより、後腐れなく破棄してしまうほうが自然だろうと思う。

 

 しかしそうはならなかった。パプニカ王家は戦後、驚いたことに『地底魔城を資源の策源地として残す』選択をしたのである。

 魔物は何百年、何千年と人類圏と隣り合わせに生きてきた敵対種族の総称であり、言語を解さぬ獣のようなものから、人間と遜色ない知性を有する者まで様々だ。常に人類の生存圏を脅かしてきた彼らだが、だからといって単純な敵対相手と言い切れるものではなかった。というのも、モンスターは人の生活に深く寄与し、恵みをもたらす共生相手でもあったからだ。

 大抵の場合、それはモンスターの死骸を利用することで成り立つ。生きた魔物は敵であり、死んだ魔物は友となる、などという言葉もある。スライムからドラゴンまで、遍く素材の宝庫となりえるのは動かしがたい事実だった。

 

 魔王ハドラーによって国土を蹂躙され、大勢の国民を殺されたパプニカ王国の戦後はひどいものだった。王都の民だろうと窮乏に喘ぎ中、生命線となる田畑は荒らされるままに放置され、耕す働き手の多くも失っていた。そんな状況のなか、パプニカ王家は速やかな戦後復興のために地底魔城を利用することで窮余の策としたのだ。

 

 地底魔城には世界各国で略奪された金銀財宝が眠っていた。アバンらはこれらをネコババしていなかったため、莫大な宝が地底魔城には眠っていたことだろう。パプニカ王家はズタボロになった国を立て直すため、急場を凌ぐ一手として回収した財を使って食料を輸入した。そして継続的な素材収入を確保するために、魔王の瘴気が色濃く残る地底魔城を『国家が管理する狩場』として利用し尽くしたのだ。食料、皮素材、骨、剣や鎧といった金属、ありとあらゆる素材がモンスターから手に入る。自然発生数が段違いの地底魔城は理想的な資源策源地となり、莫大な権益をパプニカに与え、国庫を潤したことは間違いない。

 

 地底魔城は天然の要害にあり、一方向にしかない出口を砦で塞いだがために、モンスター達にとっての檻となっている。誕生するそばから狩られる定めにあるモンスターにとってはひどく理不尽な話だ。モンスターを家畜に見立てた屠殺場以外の何者でもないし、もちろん聞こえのよいものではない。まさしく人類の暗部に等しい所業だろうと思う。

 だが、だからこそパプニカの戦後復興は急速に進んだのだ。それも他国の干渉を許さず、ほぼ独力で。

 

 王都見物で目の当たりにした通り、パプニカ王国は滅亡の憂き目から十年足らずの間に往時の隆盛を取り戻し始めている。民は平和と繁栄を謳歌しているのだ。

 俺が魔物に一方ならぬ罪悪感を抱いているのは、彼らの多くが人語を解す知性体だからだろう。内心色々と複雑ではある。しかし魔物もまた人類を襲うし食らうのだからお互い様と納得するのが道理でもあった。まして民にパンを食わせられない為政者こそ最も唾棄する手合いと認識している俺なのだから、パプニカ王家のやりように異を唱えられるはずもない。

 そもそもの話をするならば、モンスターを食材やら素材に利用することは多かれ少なかれ世界中で行われていることだった。それを廃止しろなどとなったら人類が滅びかねないし、最低でも文明レベルが数段衰退する羽目になる。ぞっとしない話だ。

 

 今も地底魔城には年に三回、『間引き』と称するパプニカ王家傘下の討伐隊が送り込まれている。素材の確保はもちろん、モンスターが外に溢れ出さないよう、定期的に間引いて総数を減らしているのだ。もちろん間引いた分だけ国庫を潤すのだが。

 こうしたパプニカの『独占』を各国は半ば黙認していた。それはそうでもしなければパプニカが滅びかねなかったことを知っていたからであるが、大戦時に各国がパプニカを見捨てたことも大きな理由だったのだろう。援軍の請いを黙殺した後ろめたさが各国の王族の胸には確かに残っていたのである。

 

 そうした背景を持つ地底魔城を俺が訪れることになったのは、件の地に足を踏み入れることで『アルキード王国としても君らに口出しはしないけど、安全管理だけは怠ってくれるなよ』と暗に伝える役目を負っているからだ。

 まかり間違って大戦再びなどということになったら目も当てられない。こっちも注視だけはしているぞ、といういかにもなポーズも兼ねて俺が赴いている……のだが、俺としても隠し部屋に眠る魔法アイテム――『魂の貝殻』の行方が気になっているのでこの任務は渡りに船だった。

 ヒュンケルのことはアバンに一任する予定ではあるが、バルトスの遺言を確保しておいて損もないのだ。それでなくとも父から息子に宛てた最期の言葉、多少の骨折りで最後の邂逅が叶うならば餞として贈ってやるのが人の情というやつだろう。

 

 もちろん今の地底魔城はパプニカ王国が厳重に管理しているため、無断で忍びこめるはずもないし、今回とて城の奥深くに踏み入る許可は出ていない。が、実際の脅威度を測るのが先決だから落ち込む必要もないのである。いずれは探索許可を得て火事場泥棒に勤しみ――げふんげふん、穏便にお宝を回収しなければ。

 ふむ、アルキード王国(うち)の派遣兵が地底魔城の深部に踏み込むのがまずいなら、アバンを押し出して引率に当てる形にするのもいいか。さすがに救国の英雄相手に無視はないだろう。これは案外使えるかもしれん、覚えておこう。

 

 地底魔城はハドラーが本拠にしていただけあって攻めるに難い立地に建てられている。高い標高の山々に囲まれ、正面以外は切り立った崖。ただでさえ険しい山間の地のうえに妙な呪法で覆われているのか、瞬間移動呪文(ルーラ)洞窟脱出呪文(リレミト)も通じない、いわば陸の孤島にある。

 そこで俺達はルーラで乗り付けることのできる最も近場の砦――戦後に設立された地底魔城の監視と蓋の役目を帯びた軍事施設を経由することで目的地に辿りついた。周囲には討伐隊が野営した名残りらしきものがそこかしこに残されている。そして――。

 

「これが地底魔城……かの魔王が座し、最後に勇者様たちと死闘を演じた地ですか」

「左様、まさにこの世の終わりのような威容ですな」

 

 俺が半ば無意識に漏らした独白を拾ったのはテムジンだった。ラーハルトとバロンは無言で警戒を強くし、同じくテムジンを警護する兵士の一団が魔物の襲撃に備えている。バダックも何故か守られる側だった。……もしかして厄介払いか?

 それはともかく、俺はようやくにして眼前に広がる地の底まで穿とうという大穴を確認し、畏れと恐怖にごくりと唾を飲み込む羽目になった。それは二十人に満たない今の俺達をはるかに越える大軍であろうと容易く飲み込まんとする巨大な(あぎと)であり、こうして眺めているだけでも自然と身体に震えが走る不気味さがある。目を移せば決して自然の賜物ではなく、人工物を思わせる螺旋階段が続き、まるでここが地獄の入り口だと手招きしているようだった。

 

「ここからは我々が先行しましょう。――バロン」

「はっ」

 

 そんな短いやりとりがあって、すぐに陣容が整えられた。先頭の露払いと最後尾の警戒をパプニカ兵が引き受け、中央にテムジン、バロン、そして俺とラーハルトが続く。

 長い長い降り階段を下りれば、そこは一面の迷路だった。天然の要塞であることを印象づけるような剥き出しの岩壁が無骨なまでに広がり、要所要所を石で塗り固められた通路が四方八方に伸びている。出会い頭にモンスターと遭遇するものの、それはパプニカの精兵によって瞬く間に処理されてしまった。以降は遭遇戦もなく静かなものだ。

 

「……これはマップなしに歩き回るのは自殺に等しいですね。貴国の調査は何処まで?」

「無論、この城全域を網羅したものが作られておりますよ。ですがそれは――」

「軍事機密ゆえ開帳は期待するな、といったところでございましょう? 我が国としても貴国がこの地をきっちりと管理してくれるのであればそれ以上は望みません。無粋な勘繰りは無用ですよ」

「それはありがたいことですな」

 

 にこやかに含意が横滑りする会話である。腹に一物抱えてるのもまたお互い様というやつだろう。今は大人しくしておくことに変わりはない。

 

「――ここまでですな。これ以上は私の権限で案内できる範囲を超えてしまいます。なにとぞご了承いただきたく」

「ここまで内情を見せていただけただけで破格の対応と存じます。国許にはテムジン殿の尽力と合わせてご報告させていただきますよ」

「ありがとうございます」

 

 迷路状の地下一階をしばし歩き回った頃、テムジンが撤収を口にし、俺もまた文句を零さず同意していた。バダックだけは「わしの剣の冴えを披露する場が」などと微妙に落ち込んでいたが、丁重に無視されていた。だからこの人の相手を俺に押し付けるな、あんたらの同輩だろうに。

 

「安全な場所を選んでご案内いただいたのでしょうが、それにしても最初の遭遇以降モンスターの影がない。城の内部で発生するモンスター数、及び生息数が年々下降しているとの話でしたが、それを実感するような静寂ですね」

「どうも地下に篭る習性でもあるのか、さらに奥深くに潜ればまた別ですが、この階層に限ればルベア殿の感想が正しいでしょうな。むしろ一度でもモンスターが出現したことのほうが驚きです」

「魔王にしろ魔物にせよ、未だその生態は謎のまま、というのはどうも収まりが悪く感じて落ち着きません」

「さりとて我々は今日も生きて行かねばなりません。違いますかな?」

「テムジン殿の仰る通りですね」

 

 収まりが悪いというより……なんだろう? 何かがひっかかって胸のうちにとどまるもやもやが晴れない。そんな不完全消化の気分だった。

 その後も何か事故が起こることもなく、至って平和に地上にたどり着いたことで、俺達は各々馬車に乗り込んで帰投を開始する。

 

「……ルベア、気づいているか?」

「対象が多すぎる。もうちょい詳しく」

 

 やはり魔族の外見で損をしているのか、ラーハルトはパプニカ兵のほとんどに歓迎されていなかった。ラーハルトもそのあたりは嫌になるほど察していたのだろう、探索の間は言葉少なく職務を遂行するだけで不満らしい不満を見せなかったのはたいしたものだ。

 煩わしい目がなくなって口を開きやすくなったのかとからかう間もなく、ラーハルトのどこか緊張した面持ちに気を引き締める。御者に音が届かぬよう注意しながら会話を続けた。

 

「野営跡のことだ。確か前回パプニカの討伐隊が出張ったのは二ヶ月前だったな? だが、あそこに残っていたのは――」

「兵士が大挙して押し寄せた形跡がある、だな。お前の見立てでは規模と時期はどれくらいだった?」

「規模はわからんが、時期はおおよそ二週間前といったところだろうよ。ところで貴様はどうやって規模を特定した?」

「んにゃ、お前と違って証拠品から辿ってるわけじゃなくて単なる推測。王家が厳重に管理している地に正規軍以外が入り込んでるんだ。どんな連中がどんな目的で『上』を欺いてるかを思えば、いくらかは想像もつく」

「……家臣間の権力闘争」

「多分。宝の山がそこにあるんだから食指も伸びるだろ、そう不思議なことでもない」

 

 たとえば何処かの誰かさんが魔王の遺物(キラーマシン)を発掘し、私物化して研究してるなんて与太話もありだ。パプニカ王家が秘匿してるのと、どっちの可能性が高いやら。

 

「対応は?」

「何もしないよ、それはパプニカ王家が糾すのが筋だ。お前も忘れとけ」

 

 現時点では所詮は疑惑でしかないし、他所様のお家事情に嘴突っ込んで火傷するのも馬鹿馬鹿しい。うちの王族方に報告して終わりにしておくのが無難だろう。場合によっては拗れた外交の突破口にもなりえるのだから、なおのこと慎重に扱うべきだった。

 

「わかった。そういうことならば何も言わん」

「何か思うところがあるなら聞くぞ。この国はお前の生まれ故郷であることに変わりないんだから」

「いらぬ気遣いだな、所詮は自ら捨てた国でしかない。積極的に害為す気はないが、今となっては特別な感傷に耽るほど思い入れもないさ」

「そっか」

「ああ。それに、な。この国の人間はやはり俺に――魔族に強い隔意を残しているよ。長居するべきじゃないと改めて実感した」

 

 一瞬の空白。二人の沈黙を覆い隠すように風が吹く。

 乾いた砂煙を持ち寄っては視界の端をかすめて去っていくそれは、どこまでも冷たく、寂寥を孕んだ寒風だった。 

 

「こればっかりは仕方ない、とは俺が言っちゃいけないんだろうな。……すまなかった」

 

 どれほど大人びていても、未だ十三年しか生きていない子供であることに変わりはない。そんなお前をこの国にまで連れ出したのは俺で、見たくもないものを見せたのも俺だ。それを自覚しているからこそ零れ出てしまった弱気だった。

 しかし滲み出る悔恨を表情に乗せた俺に向かって、ラーハルトは鼻で嗤うような仕草で応えてみせた。

 

「はっ、らしくもない。貴様、頭でも打ったか?」

 

 これ以上となく明瞭な、その答え。罵声をここまで頼もしく思えることも、そうはないだろう。

 

「いいか、ルベア・フェルキノ。二度とつまらん世迷言をいってくれるな。俺は貴様に心配されるほど弱くもなければ情けなくもない。取るに足りぬ惰弱こそを憎むのだと心得ておくがいい」

 

 ああ、本当――可愛くない奴。

 こういうストイックな性質は非常にバランと似通っている。だから互いに感じ入るものがあるのだろう。

 どこまでも鋭く、望む限り柔軟に。それはまさしく抜き身の妖刀が鞘に収めた名刀に変わる瞬間のようにさえ思えた。ともすれば俺は、稀代の戦士が生まれる過程を垣間見ているのかもしれない。ラーハルトの半生を知ればこそ、この尊敬の念にも価値が生まれよう。

 

「……上等。これからもきっちり使い倒してやるさ、泣き言は聞いてやらん」

「ああ、それでいい。お前はそうでなくてはな」

 

 張り合いがない、と微かに聞こえた気がした。俺もラーハルトも相手の顔を伺うような真似はしなかった。それはきっと、お互いが同じ表情をしていると確信していたからだ。あえて確かめるような無駄はしなかった。

 しかしながら今回の外遊を済ませて帰国すれば、ラーハルトは俺の直属を離れて騎士団に戻る予定なのだ。俺が使い倒すもなにもない。いずれはバランの右腕として活躍するようになるだろう。

 

(せわ)しない旅ではあったが、あとはアルキード王国に帰還するだけだな。このまま何事もなく終わってほしいものだ」

「同感。たった数日だっていうのに、もう実家のパンの味が懐かしくなるとは思わなかった。俺も存外里心が強い性質だったみたいだな」

 

 そうか、と今度はラーハルトが相槌を打って、以降は穏やかな沈黙が続いた。流れる景色は山肌とまばらな木々ばかりを移し、どこか寒々しい印象を抱かせる。最後に背後を一度だけ振り返ってから視線を正面に戻す。

 ……どうにも落ち着かない。

 脳裏に地底魔城の威容が思い出されるたび、無意識に右手が己の胸元に伸び、掴んだ服の厚い生地に皺を刻みつける。

 

 かつての魔王の居城という地獄の釜を垣間開いた影響か、警報染みた妙な胸騒ぎが一向に鎮まらないのだ。ただでさえ心労のたまる他国での旅程だ、自分で把握している以上に神経が張り詰めているのだろう。そうして適当な理由を見つけだし、気にしすぎだと言い聞かせてから、視界の全てをカットして暗闇に閉ざした。

 ここまで強行軍だったのだ、疲れも相応に溜まっている。疲労に任せて一時全てを忘れてしまうのもありだろう。

 

 そう思い定めた俺は、蠢く不安を忘れるため、しばしの休息として心と身体をまどろみの淵へと(いざな)うのだった――。

 

 



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第11話 竜に捧ぐ献身

 

 

 眠るには難のある山道だったが、それでも身体を休めようとする努力が実ったのか、うとうとと意識が沈み始める。浅いまどろみと覚醒を幾度か往復した頃、物々しくも軍備が頼もしい雄大な砦に戻ってくることができた。

 日も傾き出し、斜陽に照らされながら砦に入城していく。ここで一泊し、明日王都に戻って王城に顔を出したら行程も全て終わりだ。ならばあとは本格的に寝る! というわけにはいかず、程なく俺達はテムジンに呼び出されたのだった。

 砦で供された味気ない夕餉を終え、ようやくというべきか歓談の誘いを受けて実現した席である。テムジンに招かれた理由なのだから受けないわけにはいかないという事情もあった。

 

 そうして俺達は砦の一室を借り切って顔を突き合わせていた。卓を挟んで向かい合い、椅子に腰掛けているのが俺とテムジン。ラーハルトとバロンはそれぞれの上司の背後に控える形で直立の姿勢だ。

 お騒がせじいさんことバダック老はここにはいない。折角砦まで来たのだから旧交を温めてくると言い置いてどこぞへと消えてしまった。今頃美味しく酒を飲み交わしているのかと想像するとちょっと羨ましい。

 

「さて、これでようやく落ち着いて話も出来るというもの。恥ずかしながら王都では気の休まる暇がなかなか見つからぬものでして、前線に出たほうが素直になれるというのも因果なものだと辟易するばかり。――おっと、失礼。少々生臭い愚痴を聞かせてしまいましたな」

「お気遣いありがとうございます。これで小心者ゆえ、耳目の集まる場で萎縮するようなお見苦しい姿を晒さずにすみます」

 

 自己顕示欲やや高しってとこかね。半分はこちらへの好意なのかもしれないが、ようは軍事にも力を持ってますよというアピールだ。この砦内部にもある程度顔がきくのだろうし、あるいは半ばまで掌握している可能性すらある。今回の地底魔城訪問の要請を一手に引き受け、ここまで問題を生じさせなかったのもこの男の手腕なのだろう。相応の権勢を誇っていると見て良い。

 

「ルベア殿におかれては我が国の安全対策には満足されましたかな? この砦も堅牢無比を誇るゆえ、有象無象の魔物なぞ鎧袖一触に退けてみせましょうぞ」

 

 自信に満ち溢れた物言いと不敵な面構えだった。

 

「危機管理体制に満足したかと問われれば是と頷く以外にないでしょう――少なくとも今日見た限りにおいては」

「ほう、含みを残しますな。ならば是非ともその胸の内をお聞きしたいものです」

「世の中には余人には見えぬものが見える方もいるでしょう? たとえば、かの大魔道士マトリフ殿」

 

 美辞麗句の応酬にはもう懲り懲りだと言ってみたい。言えないけど。

 けれど代わりにとマトリフの名を出した時、一瞬だけテムジンの眉が苦味走ったように歪められた。すぐさま取り繕っていたようだが、この様子だと確執でもあったか?

 

「戦後、マトリフ殿は貴国に仕えていたと聞き及んでおりますが、その折に『地底魔城の即時破棄』を提言したとか。あの方の危惧されたところを、この場にてご教示いただければ幸いです」

 

 おおよそのところは知ってるけどな。

 そんな俺の内心に応えたわけではなかろうが、テムジンの顔にどういったものかと困ったような苦笑が浮かび上がった。

 

「マトリフ殿はなんといいますか、こう……何分破天荒な御仁でしたからな。私も交流を密にしていたわけではありませんが、それでも小耳に挟んだところによれば、魔物の大規模襲撃を最後まで懸念されていたようですな。何が起こるかわからないのだからさっさと禍根(かこん)を断っておけ、と」

「けれど彼の言は受け入れられなかった」

「ええ、その通りです。我々は最終的に国土の復興と財源確保を優先しました」

 

 魔物がなんなのか、という疑問に明確な答えを返せる学者はいない。それはアバンだろうとマトリフだろうと同じことだ。

 彼らは魔王が消えてもこの地上に存在し続ける。例外は骸骨剣士や腐った死体のような不死の怪物、そしてガストのようなガス生命体くらいだ。

 

 魔物の誕生ないし増殖の仕方は未だに謎のまま解明されていない。ただ、彼らは《人間のいない場所、目にしていない瞬間に増える》のだ。人が長く住み着いた街中で突如魔物が誕生したような例は一度としてなかった。つまり魔物とは『あくまで外から襲い掛かってくる何者か』なのである。こう考えると彼らは単なる生命体として捉えるのではなく、現象や概念に近いあやふやな性質を想定するべきではないか。俺はそう考え、便宜上、彼らを生物というより妖怪のようなオカルトチックな種と位置付けている。

 

 そして魔物誕生の原理も、彼らの増殖の仕組みもわからず、けれど地底魔城では地上に類を見ない速度で魔物が誕生し続けている事実。これを前にしたパプニカ王家並びに家臣団がどう受け止め、マトリフが何を危惧して警告し続けたのか。おおよそのところは察するに容易いだろう。

 マトリフとパプニカ家臣団が主張を異にした根本理由、それは脅威度の見積もりの差である。それが見解の相違を生み、相互理解を拒み、当然のように意見が衝突し、割れた。

 

「とはいえ、今の状況を見るにマトリフ導師の心配のしすぎだったとも取れますね」

「幸いにも今日に至るまで地底魔城は我々の制御下にあるといえますゆえ。油断は戒めるべきものですが、もうじき七年という月日が経過する今、マトリフ殿の懸念は取り越し苦労だったというべきでしょうな」

「貴国の調査でも年々討伐数が減少している。それはつまり、魔物が発生しやすい地底魔城の特異性が失われつつある。そう考えて良いということでしょうか?」

「確かに魔王の残した呪法は謎のままです、おそらくは魔王の遺したなんらかのギミックによってモンスター発生数が尋常でなかったというのもその通りでしょう。ですが魔力は永遠ではありません、いつかは枯渇するもの。違いますかな?」

 

 そう問われて違うと答えられるわけもない。永続する魔力や呪法など聞いたこともないのだから。だからといってそれがイコールで地底魔城の無力化につながっていると断じられるものではなかった。

 杞憂が杞憂で終わればいいというのは俺も、そしてパプニカを見限ったマトリフとて同じだろう。乱を歓迎する性格ではないのだから。

 

「以前にもお話した通り、我が国は騒乱を望んでいない。それだけです」

「なればこそ、ルベア殿がどのように考えておられるのかを知りたいものです。そろそろ忌憚ないご意見を伺いたいのですが、いかがですかな?」

「……真新しい意見はありませんよ?」

「構いません」

 

 溜息をつきたくなった。この分だと知りたいのは対策ではなく、俺がどういった人間性を持っているかだろう。お互い様とはいえ、こうもあからさまに判断材料を揃えようとするのはいかがなものか。

 性急さは若さの特権なのだ、あんたはいい歳なんだから自重してくれ。

 

「軍事上の観点からいえばマトリフ殿が正しいでしょう。わけのわからないものをわけのわからないまま使い続ける。その危険性を一匙ほども斟酌できないなどとは言わせません。何が起こるかわからない以上、早々に危険の芽を摘むのが最上です」

 

 ふっと息継ぎをしてから、粛々と語る。

 

「魔王の操る呪法は地上の常識を超える。おそらくはマトリフ殿もそう考えたからこそ、多少の費用がかかろうと城そのものを崩してしまおうとしたのでしょう。地底魔城がルーラやリレミトを拒む以上、あの建物と土地一帯に魔王の残滓が残っていることは疑いありません。私自身、放置はあまりに危険だと考えています。だからこそマトリフ殿が提唱した次善策を進言したいですね」

「破魔の結界で邪気を払ってしまえ、でしたか。かつてマトリフ殿も似たことを言っておられましたな。そういえばテランで破邪の魔法の研究が進んでいるとか?」

「何も破邪呪文に頼らずとも聖水で場を清め、定期的に儀式を執り行って邪を払い続ければ魔王の残した瘴気は消えるはずです。魔物の出現数も減じるでしょうし、いずれは人の住む領域として少しずつ環境を整えておけば済んだ話です。……そうであればこそ、当時のパプニカ王国に受け入れられるはずもなかったというのは皮肉ですね」

 

 護衛団を率いての破邪の儀式、定期的なメンテナンス、家屋や道路の整備、入植の募集。いずれも人と金と時がかかる。

 マトリフの言葉は軍略のうえでは正しい。しかし政略がそれを許してはくれなかったのだ、国家として人も足りなければ時間と金にも猶予が存在しなかった。俺とて当時パプニカに仕えていればマトリフの案を退ける以外にはなかっただろう。

 

「意見の一致を嬉しく思いますよ」

「勘違いしないでください。今の体制が必要なのは戦後復興の端緒がつくまで、それ以降はマトリフ殿の要請を受け入れ、地底魔城の脅威を減らす案を取るべきだったと口にしているのです」

 

 叶うならば魂の貝殻を回収した後にでも瓦礫に還してしまいたい。そうすれば後の大魔王勢の侵略拠点として再利用されることも防げて好都合だ。認められるはずもなかったが。

 上手くいかない、と内心で吐息を零す。

 メリットとデメリットを勘案し、リスクを計算。最終的にメリットを優先したのがパプニカ家臣団、デメリットを警告したのがマトリフという構図だった。当初は復興の道筋が見えるまでという条件で妥協したマトリフの案で収める予定だったのが、予想以上に地底魔城から搾り取れる富に目がくらんだのか、最終的に家臣団が決定をひっくり返して今の体制の継続を主導した。

 マトリフにしてみれば彼らの行いと心根は呆れるほどの変節と映ったのだろうし、そんなことが続けば『欲の皮の突っ張った連中』だと失望するのも自然な成り行きだったのだろう。そのうちにマトリフも嫌気が差してしまったのだと思う。

 

 加えてマトリフが官職を辞す頃にはアバンもヒュンケル捜索の足をパプニカ国外に求めていたため、それ以上国内の情報をアバンに流す意味もなくなり、マトリフがパプニカ王家に士官し続ける意義が完全に失われてしまった。結局さしたる葛藤もなく辞職を決意し、マトリフは世を捨て、隠遁生活に入ってしまったというわけだ。

 パプニカの連中もいらんことをしやがって。別にパプニカに仕え続けようが隠居しようがどちらでも構わないが、人間に見切りをつけさせるような真似をするんじゃねえよ。これから口説くこっちの身にもなってくれ。

 

「魔王の怖さを最も知っているのは貴国だったはずでしょう。喉元過ぎれば熱さも忘れ、財貨に溺れるがごとき楽観に耽る。その果てに(めし)いてしまわれぬよう、厳にお慎みいただきたく願います」

「――待たれよ」

 

 そこで初めてバロンが動いた。

 元々半魔族を連れ歩いている俺に好意的でなかったのもあるだろう。とても看過出来ぬと、不愉快気な顔を隠すことなく口を挟んできた。

 

「ルベア殿、些か言葉が過ぎるのではありませんか。魔王打倒よりはや七年、貴殿が危ぶむような事態になったことは一度たりともありませぬ。敵を過大評価するは文官の常と申しますが、私の目には御身もまた机上を弄ぶがごとき悪癖を患っているように見受けられます。我らは護国の意志の下、最後まで魔王に抵抗し続けました。その底力を舐めないでいただきたい」

 

 侮辱したわけでもなし、そこまで反発しなくてもよいだろうに。

 その自信が根拠のあるものであることを願う。見通しを誤ればまた大量の血が流れるんだ、石橋を叩いて渡るくらいで丁度良いと思う。第一、ハドラー率いる魔王軍の攻勢に抗いきれず、あわや滅亡というところまで追い込まれたのがパプニカの、そして人類の限界だったはず。

 自身を奮い立たせることと事実を事実として受け止めることは矛盾しない。……俺がパプニカ側の人間ならもう少し素直に聞き入れてもらえたのかもしれない。

 

「その猛々しい矜持を示さねばならない相手は私ではないでしょう。そもそもこの場はテムジン殿と私の語らいのために用意された席のはず、御身は自重めされよ」

「貴様……!」

 

 しれっと応える俺、途端に気勢をあげるバロン。感情の昂ぶりに併せて眦も釣りあがっていた。ここで激昂するとはまだ若い、というよりプライドが高いのかな?

 歳若くして賢者として名声を博しているのだ、侮られるような物言いをされれば黙っていられないというのもわからないではない。それでも十三年しか生きていないラーハルトのほうがまだ弁えてると思うのは身内贔屓の賜物だろうか? その頼れる男ことラーハルトは今までずっと影に徹していたが、バロンが動いた時点で素早く牽制に入っていた。

 如才なく機先を制した形である。ラーハルトの振る舞いはとてもありがたい、俺も安心して口を動かすことができるからな。

 

「バロン、控えよ。ルベア殿の申す通りだ、余計な口を挟むでない」

「……はっ、申し訳ありません」

 

 歯軋りがきこえてきそうな形相で一度睨みつけられた。……俺だけじゃなくてラーハルトも。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつかね? やっぱりこの国の者が持つ魔族への隔意は単純なものじゃなさそうだなあ。

 何年も後の話だが、レオナ姫がヒュンケルを許した一幕がある。その時、マトリフが彼女を大器と評していた理由がよくわかるというものだ。感情の拗れほど厄介なものはない。

 

「すまんの、ルベア殿。されどこの者が激したのも忠義ゆえのこと、広い心で許していただきたい」

「咎めるほどのことではありません、もう忘れました。それにバロン殿が憤ったのは国への忠のみならず、あなたを擁護せんがためとお見受けしました。羨ましいことですね、お二人は以前から?」

「そうですな、戦火を共に潜りぬけた戦友であり、今は頼れる部下です」

 

 これ以上は水掛け論になるだろうという意図を込めて別の話題を振ると、テムジンは軽く目礼で謝辞を表してから柔和に微笑んだ。意外といえば意外で、この二人、よほど親しいらしい。そうでもなければここまで弛緩した顔は出てこないだろう。

 

「この者、生まれで少々損をしておりましてな。もう少し高い身分で生まれてくれば、今頃は宮廷魔道士として陛下のお傍に上がることもできたでしょうし、将軍職の一つや二つ拝命していてもおかしくありませんでした。それに見合うだけの功は立てている」

「……テムジン様、どうかそのようなことは――」

「先の大戦末期、お前は若輩の身でありながら良く戦い、よく守った。お前の奮戦なくして王都防衛はならなかったのは誰もが理解するところ。だがその勲に見合った場を得ておらん」

「一部隊を率いる長なれば、過分な処遇に栄しております。私に不満などありません」

「そうか、すまぬな」

 

 察するに身分の軋轢か。パプニカは格式重く、伝統が幾重にも絡み合うお国柄、比例して貴族社会の苛烈さも随一と聞く。そこで高位の貴族籍を持ち、司教としての肩書きも併せ持つテムジンがバロンの将来性を買って支援し、引き立ててきたわけだ。そりゃバロンもテムジンに恩義を感じるだろうさ。

 

「ご苦労されたのですね」

「そう、それです! ルベア殿をお招きしたのはまさにそこなのですよ」

 

 と、いきなりまくしたてるテムジン。俺はあんたのいきなりなテンションにびっくりだよ。半分くらいは演技なのだろうけど、妙な情熱というか迸る興奮の残滓があちこちに放出されているような気がする。言葉を飾らずに一言物申すならば――落ち着けおっさん。

 

「そこ、と申されますと?」

「このバロンのように、才を持ちながらも開花せぬまま一生を過ごす者とて多いはずなのです。最大の国難が去った今だからこそ国力の充実は必須。なればこそ有能なものが上に立つのは当然、それが出来ぬ国は衰退の道を辿るのみでしょう。そこで私はもっと下々の民からも積極的に人材を登用すべきとの考えに至ったのです。それがゆくゆくは国の発展と安寧につながる。そうは思いになりませぬか?」

「随分過激なことを仰る。なるほど、王都ではとても口に出せないわけです」

 

 貴族に『人』はいないと公言するに等しいからな。正面きって無能と断じられて喜べる連中がいるのなら、是非会ってみたい。

 

「しかしあなたは凡百の民の出でありながら政の中心で活躍しておられる。伝え聞くところによれば、孤児の保護や教育にも熱心だとか。少なくない予算を割いて呪文の基礎理論と実践の伝授までしている。それは私の目指すものと同一の地平にあると愚考いたしますぞ」

 

 本当に愚考だよ。

 どうしてそうなる。冗談でいってるなら笑えないし、本気で言ってるならこれから先の付き合いを考え出すレベルだ。

 

「前提として幾つか訂正せねばならないことがあります。我が国では確かに大戦の猛威に晒された戦災孤児や不慮に事故で親をなくした不幸な子供を手厚く保護し、将来の受け入れ先の一つに軍の門戸も開きました。しかしそれは前線に出さぬいわば後方支援兵としてです。それも主目的は雇用を確保して治安を安定させるため、賃金も路頭に迷わせぬ最低限のものでしかない。彼らを生粋の騎士として受け入れるほどの優遇にはなりえませんよ」

 

 そもそもの目的は俺の実家を継ぐ候補探しだった、とかいったらどんな顔をするんだろうな、このおっさん。

 そんな真面目な政治家にとっては噴飯物の実情はともかくとして、俺の私情込みだとしてもあまりに手厚く彼らに便宜を図る意義も薄かった。戦力面からいっても、素質という点では血筋の確かなもののほうが潜在能力が高い傾向にあるからだ。平民よりも貴族、貴族よりも王族のほうが優れた使い手は現れやすい。

 それはうちの王族方とて例外ではなかった。現王陛下とて戦時中は陣頭に立って兵を鼓舞し、数多のモンスターを切り捨てている。そこらの騎士顔負けの武勇を誇るのだ。女の身であるソアラとて魔法の資質はかなりのもので、中位回復呪文(ベホイミ)まで自由に使いこなす僧侶呪文の使い手だった。魔法の才に特化した修練を積むだけの時間と環境があれば、最上位回復呪文(ベホマ)にだって手が届くだろう。

 

 時間効率の差は大きい。

 平民を連れてきて槍を持たせて闘気を練り、あるいは魔法の知識と実践を根気良く仕込むくらいならば、同じだけの時間と金を貴族出身の子弟につぎ込んだほうが見返りも大きいことは明らかだった。当たり前といえば当たり前で、彼らは何代、何十代にも渡って軍事と行政を担ってきたエキスパート集団なのである。戦に臨む心構えも違えば、蓄積した教育のノウハウも違う。

 

 なによりこの世界は数千年単位で王政の下、騎士がモンスターと戦い続けてきた。分業体制もそれだけ続けば、支配階級と被支配階級の間にちょっとした人種の違いくらいには基礎の骨格や運動性能に違いが現れてもおかしくないだろう。

 いわば血のもたらす実益である。隔絶こそしていないが確かな差、それがなければ後にポップが自身の『平凡な武器屋の息子』という出自を仲間と比べ、絶望に塞ぎこむほどの劣等感コンプレックスを覚えたりもしなかったのではないか?

 

「ならば何故魔法知識まで教え込んでおられる?」

「拾い物が出れば、との下心を否定する心算はありません。しかしホイミを使えるだけでも貴重な衛生兵になるのですからそうおかしな話でもないでしょう。給料のアップにもつながるのですから彼らにも喜んでもらえていると思いますよ」

「しかしそれは軍事技術の拡散にもつながりますな。反対するものも多かったことでしょう」

 

 その通りだと示すように苦笑する。それで十分通じるだろう、あまり言葉に出して肯定したいものでもないし。

 

「そこまで下々に手厚く接しながら民の地位向上は考えておられぬと? 何ともちぐはぐに見えますぞ」

「政は王侯貴族の特権、それで良いでしょう。問題なく回っている制度をイタズラに弄るものではありませんよ、テムジン殿」

「問題はないと言われるか。しかし貴国はそうでも、我が国は幾分血の巡りが悪くなっておるのだ。『上』に人が足りていない」

「……テムジン殿は大胆なことばかり仰りますね」

「さもあらん、事実を事実として口にしているだけですよ」

 

 溜息がでそうだ。少々踏み込みすぎだろう、一体この男は俺から何を引き出そうというのか?

 

「貴族に許された政治参加、出世の優遇、労役免除を始めとした特権の数々。それらが意味なく付与されたものではないことくらい、テムジン殿とて承知されているはずでしょう? 有事にあって真っ先に血を流す義務あればこその優遇にほかなりません」

 

 まったく、滑稽なほどあべこべだ。貴族であるテムジンが貴族の否定を口にし、平民の俺が貴族の肯定を口にする。妙な成り行きになったものだと心底想う。

 

「テムジン殿は人材に窮乏している事実を憂いておられるが、それは先の戦によって貴族が死にすぎたからです。彼らは貴族であらんとした、騎士として民を守るためにその命を盾にして戦った。誇り語り継ぐ同胞でしょう。共に戦ったあなたならば彼らの気持ちもわかるはずです」

「だからこそ今が許せぬ。そんな愚かな嘆きを汲み取ってはもらえぬか」

「……勇敢で高潔な者ほど先に逝く、と?」

「いかにも」

 

 国許には残りカスしか残っていない、と言外に匂わせるテムジンにどうしたものかと困り果ててしまう。どこまで本音で語っているのか知らないが、明らかに他国の、それも昨日今日顔を合わせたばかりの男にぶちまける内容じゃない。取り様によってはかなりやばいところまで――すなわち現体制の非難にまで飛び火しかねない爆弾だった。

 

 多分この男は自身に強烈な自負があるのだ。優秀なものが国家を治め、民を導くべきだという信念を持っているのだ。貴族にあって血統を重視しない、血を手段としか捉えないリベラルな思想を持つ政治家ともいえよう。それが高じて『王家の否定』に走る……ありえないことじゃない。特にレオナ姫の幼少期は城を抜け出すお転婆姫だったりと王族らしからぬ素行が目立っていたらしいから、この手の野心家が『自分のほうが良い指導者になれる』と考えれば戸惑いはしなかっただろう。

 

 もしもそこに不幸があるとすれば、それはこの男が一国をまとめる器を持たないことだろう。王女暗殺の是非はともかく、その決行場所に警護と引率の責任者としてのこのこ同行し、罪の一切をデルムリン島のモンスターに擦り付けるなんてお粗末な計画を立てる時点で程度が知れる。

 せめてデルムリン島でのレオナ暗殺と時を同じくして、遠く離れたパプニカ本国で茶を啜るくらいのアリバイ工作はしておけ。仮に暗殺の事実を隠し通せたとしても、王女と同行していた者が責任を問われないはずがないのだ。レオナ姫を守れなかったという一点のみで帰国すれば重い処罰が待っているのは明らか、そんな体たらくで国の実権を握れるはずもない。

 

 所詮は八年後の出来事だ。この世界ではまだ実行に移されていない以上、ありえた可能性だけで判断するのは危険だし不誠実に過ぎる。だからといってこの男と『親密な取引相手』になれるかといえば、はっきりとノーだ。こんな危なっかしい奴とお近づきになるなんて冗談じゃない。妙なシンパシーなんぞ感じてくれなくて結構、放っておいてくれ。

 まさかとは思うが、俺と誼を結んでおけば『事を起こした後に正統政府として認めさせやすくなる』なんて考えてやしないだろうな。さすがに現時点で王家転覆の謀を胸に暖めているとも考えづらいが……。

 

「未だ戦乱の傷跡は消えず、復興も途上とくれば人材の補填は急務でしょう。多少の痛みを恐れて立ち止まるべきではない」

 

 力強く所信を述べるテムジンは、なるほど生気に溢れているといえた。この男の口にする言葉に、一定量の説得力が含まれることも事実。パプニカ家臣団の中で頭角を現しているというのも頷ける。それがイコールで好意や協力に結びつくものでないことなど今更か。

 

「御身の言葉はややもすれば性急と映りましょう。いずれ時間が解決することとてあります。今は軽挙妄動に走らぬようお祈りするくらいしか私に出来ることはありません。無論、今日のことは私の胸に収めておくと約束します」

「……仕方ありませんな。こちらが急ぎすぎたことも自覚するところ、時間が必要なのは我々とて同様なのでしょうな」

 

 言質を取られたくないので曖昧な笑みで誤魔化す。優柔不断というなかれ、『善処します』は政治家の常套句なんだよ。

 それとテムジン、あんたは妙な心配をしなくていい。俺がお前さんと利き腕で握手することは未来永劫ありえないだろうから。

 

「とはいえ、少々拍子抜けのきらいがあったことは否めませんな。こういっては失礼ですが、ルベア殿はもう少し貴族に反感を持っているものだとばかり考えておりました」

 

 わかってんなら口に出さなけりゃいいのに。

 未来のことでどうこういうのはフェアじゃないが、それでもやっぱりこいつは最後の一線で詰めが甘いというか抜けてると思う。これだけ反体制的な発言をしておいて危機感の欠片もない。それとも意識して見せていないだけだろうか? 俺が他国の人間でパプニカ王宮とほとんど関わりがないとはいえ、少し安穏としすぎである。

 

「反感とはまた穏やかではありませんね。些か心外でもあります。私はそれほど狭量な男だと見られているのですか?」

「ご不快に思われたようならば謝罪させていただきます。ですがルベア殿が王宮にあがった時分は随分風当たりも強かったと聞いておりますゆえ、遠く離れた異国の地にて針小棒大に囃し立てられてしまうこととてありましょう」

「確かに噂話に尾びれは付き物でしょうが、困ったものですね」

「しかし、そうなると今度は何があなたの忠を支えているのか気になりますよ。どうでしょう? ここは来国の記念と私への土産と思し召し、この場でご教示願えませぬかな」

「なかなか狡い言い回しを心得ておられるようだ。それで借りは全て返せたと判断してよろしいか?」

「それはもう、ルベア殿の心遣いに感謝するのみです」

 

 にこにこと笑みを浮かべながら、その一方でぐいぐいと攻め込んでくる。『地底魔城訪問に便宜を図ってやった骨折りを忘れてないだろうな』ってとこだ。

 ここまでこの男と対峙し、改めて抱いたのは『惜しい』という感想だった。他国、特に竜の騎士が降り立った国の情勢に気を配る程度には目端が利く。こういった強かさは個人的に嫌いじゃないし、今のパプニカは特に閉鎖的だから外交窓口は貴重であることも確かだ。これで思考というか思想が妙な方向を向いてさえいなければ言うことなしだった。この手の輩とは左手で握手をしておいて、あとは適当にあしらっておくのが正解だろう。

 そんな人物評はおくびにも出さず、努めて気軽な様子で口を開く。

 

「テムジン殿の尋ねた問いへの答えはそう難しいことではありませんよ。足元に恩義を敷き詰められ、両手に信頼を渡された。いってしまえばそれだけのことです」

「恩義と信頼、ですか」

「私の身の上をご存知ならそれだけで納得いただけると思うのですけどね。テムジン殿は私が王家に召抱えられた経緯はご存知ですか?」

「風聞も混じっているでしょうがそれなりに。随分無茶をなされたようですな」

「ならばおわかりでしょう、ルベア・フェルキノは元犯罪者です。それも頭に大がつく、とびっきりのね」

 

 全てが動き出した日。

 バラン処刑の場において、俺は死刑囚を庇ったことで明確にアルキード王に反逆する形となった。しかもタチの悪いことに、国王が直々に取り仕切った公開処刑の儀式を妨害し、あまつさえ直訴という暴挙に及んでいるのだ。

 これは法に照らせば重罪以外の何者でもない。公務執行を妨害しただけでも相応の罰が待っているというのに、直訴に及んだということは事を起こした本人はもちろん、係累縁者さえも巻き込む死罪相当の罪に当たるのだから。

 

 これは何もこの世界の支配者層がことさら民に厳しい施策を取っているわけでもない。たとえばかつて生きた日本という国を例にあげるならば、明治時代以前に遡ると領主に直訴などすればすなわち死罪を意味した。それがたとえば天災による不作で食うに困窮し年貢の半減を願うようなものであり、その訴えを領主が聞き届けたとしても、願い出た当事者は家族共々処刑されるのが当然。お上を相手に正規の手続きを経ずに物申せば死罪。直訴とはそういうものだ。

 

 つまりバランを助け出そうとした俺の行動を客観的に見るならば、良くて俺の首一つで事態の収拾を図る、悪ければ俺を含めて一族郎党区別なく斬首、という結果が妥当なものなのである。少なくともアルキード王が大衆娯楽にしばしば登場するようなステレオタイプの駄目王族だったり、面子大事で臣下の一切を省みない暴君だったりしたなら、どう転んでも俺は助かることはなかった。もちろんそんな相手なら始めから希望など見出さずどうにか国外逃亡をする道を選んでいただろうけど。

 

 当然のことではあるが、結果は手段を肯定しない。たとえば病気で苦しんでいる子供がいるとして、必要な薬を手に入れるために窃盗を働くことが肯定されるか? されるはずがないだろう。

 俺があの場でやったのも似たようなものだ。到底誇れるようなものじゃないし、誇るような人間にもなりたくない。それは法治国家に生きた人間の矜持に悖るのだ。結局のところバランは死刑囚だったし、俺はそんな罪人に与するお尋ね者でしかなかった。社会正義と法理は最初から最後まで体制側にあったのだし、法の弾力的運用を論じて良いのは間違っても法を破った側の人間ではない。賭けに走らざるをえなかったとはいえ、俺も無茶をしたものである。

 

「しかし家族も含めて極刑になってもおかしくないところを、陛下は格別の温情を以ってお許しになりました。罪一等減じたところで強制労働か牢獄暮らしが待っている私を不問に処し、政に参加する望外の特権まで下賜される厚遇ぶりですよ。これで何も思わぬならばそれは畜生というものでしょう。恩に報いるが人の道と心得ております」

 

 全てをひっくりかえし、バランをアルキード王国に縫い付けるために命がけの賭けを打ったのが当時の俺だ。テラン王国に伝わる《竜の騎士》の伝説を利用して王に躊躇を生ませ、バランに権威を付与――すなわち政治的価値を見出させた。

 あの当時、俺の目論見は娘を溺愛するアルキード王にとっても至極都合の良いものに違いなかった。

 なにせ駆け落ちなどという愚行で国を出奔し、一度は祖国を裏切った王女なのだ。ただバランと引き離して国に連れ戻してもその後のソアラの立場は厳しいものになったはずだし、人望を失った後継者では国の舵取りも立ち行かない。早急に手を打とうにも手詰まりだったのが現実だろう。

 

 そこに俺が『王女殿下の選んだ相手はそんじゃそこらの貴種では相手にならない男だ』と言い出したのだ。王にしてみれば愛娘の醜聞を晴らす光明として映ったことだろう。俺の語った言葉の真偽はともかく一考の価値はある。そう判断することでバランを生かし、国と娘のために利用する術を練ったとして何の不思議があろうか。

 バランの価値を高めることがソアラの将来を保障することになる。王は竜の騎士の存在を知った時点でそう考え、以後の舵取りを決めた。打算的と蔑むなかれ、国家を背負う為政者が情だけで判断を下せるものか。それに結果的には愛し合う二人を祝福できるだけの状況が整うのだから、十二分に有情な親心だったと思う。

 

 アルキード王がバラン処刑劇のなかで俺が果たした役割をどこまで評価していたかは定かではない。しかしテラン行きの際に王と謁見し、非公式会談で発言を許す程度には俺を評価していたことは間違いないだろう。だからこそバランの従者として任命し、良く補佐をするよう申し付けたのだ。

 俺の咎を一切不問にした上での抜擢である。この仕置きがどれほど異常なことだったかは、おそらくこの一言で事足りるだろう。――『ありえない』。

 

 従者や小姓、傍仕えという立場は、広義では召使いの意味合いを持つが、これは仕える相手が玉座の後継者だったり有力一族の跡取りだった場合は側近として取り立てられることと同義。つまりガチのエリートコースに乗ることを約束された身分なのだ。

 これを踏まえてバランの補佐を任じられた俺の地位を現代日本風に例えるなら、『政府閣僚の補佐官ないし秘書』あたりが一番近いと思う。しかも恐ろしいことに出自や経歴を問わず、試験や実績のような一切を免除する壊れっぷりだ。もはや悪い冗談としかいえないような厚遇のされ方である。

 

 断っておくがこれは立法、行政、司法を独立させ、権力の集中を厭う三権分立が成立している民主主義国家での役職ではない。憲法の下に君主が存在する立憲君主制でさえもなく、王族に力があればあるほど雪崩のように権力が転がり込む専制君主制国家での話なのだ。

 そんな立場に収まったことを意識が戻っていきなり告げられた俺の混乱ぶりがわかるだろうか? 喜びよりも戸惑い、戸惑いよりも恐れが勝ったことは言うまでもない。許されるならば山奥に引きこもりたいくらいの心境だった。

 

 もちろんそうした俺の心境やら国の内部事情まで語ってやる義理はないため、表面上見えることのみで適当に話を切り上げてしまう。自国の醜聞にも関わるのだ、下手なことをいって王族批判をしていたなどと言われたくない。

 

「ご立派ですな、恩顧の何たるかも忘れた不忠の輩に聞かせてやりたいものです」

 

 リップサービスありがとう、残念ながら俺の心に響くものはないけれど。

 テムジンは俺が王家や貴族に反感を抱いているのではないかと推測を立てていたようだし、その共感をもって俺に何がしかの役割を期待したのだろうが、まったくもって的外れというしかない。

 

 なにせ――彼らを欺き、体よく転がしているのは俺のほうなのだから。

 

 バラン処刑騒動から今に至るまで、片時も怠らず彼らを手のひらで踊らせ続けてきた。俺の介入しない未来において、アルキード王国は竜の騎士バランによって国土ごと滅ぼされる。そう思ったからこそ俺はあの日、賭けとわかっていて刑場に飛び込んだ。『こちらの世界に来る前に得ていた知識』と『こちらの世界に来てから集めた知識』を刷り合わせて王族、貴族、平民の反応を分析し、持ちえる限りの札を使って直訴に及んだわけだ。

 

 結果は上々。『竜の騎士の力』を誤認させたまま刑の取りやめに成功したのだ、これ以上の収穫はない。だってそうだろう? 一体何処の誰が『一国を国土ごと消滅させる人智を超えた存在』を自国の支配者に迎えたがるというのだ? あの時点でそんなことが知れればバランを自国の王族に受け入れようなどとは露ほども考えられなくなる。恐怖政治でも始めろというのか?

 

 幸いなことに処刑場でのバランは粛々と刑を受け入れようとしていた。俺の話に信憑性を持たせるために多少の力の誇示はしてもらったが、まさかあれだけでアルキード消滅の危機まで想像する悲観論者がいるはずもない。というか、あの場面からそこまで思考を飛躍させられるのは夢想家か狂人の類でしかないと思う。幸いなことにアルキード国民は至って常識人であり、それは支配者側の王族貴族側とて同じだった。

 彼らはバランがアルキード王国に牙を向けた際の被害想定を甘く見積もったのだ――俺の期待通りに。

 

 その後はバランを受けいれさせるため、バランを弱く見せることに腐心することで竜の騎士の脅威度を誤認させ続けた。間違っても《本気のバランがアルキード王国に弓引いた場合の想定》などをさせるわけにはいかなかったからだ。

 いうなれば『人類の到達点(ハイエンド)』としての振舞いだ。たとえば屈強の兵士集団を手玉に取ることもアバンやブロキーナ、あるいは亡きロカあたりならば十分にこなせるだろう。ある程度地盤を固めたことで力の一端を解放した国境のいざこざ、つまりベンガーナ軍の戦意を挫いた極大雷撃呪文(ギガデイン)の一撃とて、マトリフならば極大閃熱呪文(ベギラゴン)極大爆裂呪文(イオナズン)を用いて似たような被害をもたらすことは出来るのだ。

 

 これら全てが俺の仕込みだったのだし、これ以後も《竜の騎士が安心して暮らせる国》を作り出そうとしているのが俺なのだから、踊らされている人間にしてみれば業腹なことだろう。王権に竜の騎士を取り込ませるという建前の元、竜の騎士が頂点に立ち得る国を作ろうとしているのだから弁解の余地もなく、また、する気もないのだ。

 『アルキード王国は人間が治める国なのだ』と、悲壮な声で訴えかけられたことだってある。それでも止める気がないのだから、俺はある意味で旧体制の破壊者といえた。……皮肉なもんだよな、俺の気質は何処までいっても保守的だってのに、やってることは竜の騎士を中心に置く新たな秩序の構築――つまるところ緩やかな革命だ。王家乗っ取りという意味では将来のテムジンをそう非難できたものでもなかったりする。

 

 とはいえそれがバランの、ひいてはダイのために必要なことだった。

 かつて――じゃないな、とある未来において大魔王バーンは勇者ダイに向かって『戦いに勝利した後、人間は必ずお前を迫害するようになる。それが人間というものだ』と予言した。それは半分正しく、半分間違っていると俺は思う。

 

 あの世界で勇者として戦ったダイが迫害される、これはおそらく正しい。高い確率でバーンの予言どおりの未来が訪れただろう。喉元過ぎれば熱さも忘れるのが人間だし、人の力で対抗できない外敵のなくなった後の世界で双竜紋を持ったダイの力は強大すぎる。

 時間が経つごとに人々はダイを疎みだし、いずれは目の届かぬ場所に追放しようとしたはずだ。また、ダイもそれに逆らわずどこか人の目に触れぬ場所にでも隠遁しただろう。人間に裏切られたらバーンを倒して地上を去ると広言した勇者だ、それで不満に思うこともあるまい。

 

 だが、彼はそれでよくとも子はどうなる? 子々孫々まで日陰者として隠れ住むのか? それとも子も成さず竜の血筋も自身で終わらせる覚悟だったのか? だが、それが地上を守った勲功として与えられる結果では寂しすぎると思うのだ。そして俺は人間をそこまでせねば己が安寧を図れぬ忘恩の徒だと貶めたくはない。

 

 ――だからこそ大魔王バーンの予言を否定したかった。否定するべきだと思った。

 

 そのためには『竜の騎士が統べる国』が必要なのだ。民が認め、民が奉じる為政者としての竜の騎士。在野の英雄が国にとって不都合ならば、初めから英雄が支配者側に君臨してしまえばいい。根無し草の勇者では無理でも、血統を保障できる国がバランを、ダイを、彼らの子孫を守り、盛り立てていくことはできるはずなのだ。

 

 バーンの言葉は人間の一面を語っているに過ぎない。

 そもそも個に優れた魔族は本質的に個人主義を掲げやすい。強靭な生命力と精神力を持つ彼らは寄る辺がなくとも生きていけるからだ。そして不老の魔道すら確立し、個で完結した強さの極致に至ったバーンだからこそ、群れて生きる人間の習性を掴み切れていない。

 

 バーンの言葉通り人間は確かに異物を恐れるが、その弱さゆえに確立した権威に従順な一面を持つ。日々の生活を投げ打ってまで体制に逆らい、命をかけて我を貫き通せる者など多くはないだろう。

 彼らが真実恐怖しているのは『理解できぬ隣人を持つことで自らの安全が脅かされる可能性』なのだから、それを潰してしまえば煩く声をあげる者も消える。大陸を消し飛ばすほどの力が知れ渡る前に、竜の騎士に統治者としての実績――民に安寧と富をもたらし続けた事実さえあれば十分だ。

 そもそも『王権神授説』なんて言葉があるように、統治に特別な血筋を用意することなど珍しくもなかった。

 

 そうして支配者として受け入れられ、長年に渡ってその施政に浴していれば、自ずと一つの意識が民に芽生え始めることだろう。すなわち『変わらない今日、変わらない明日』である。それは感覚の鈍磨であり、非日常が日常と化す過程でもある。

 実際、今のアルキード王国は俺の目論見通りになりつつある。少しずつ、少しずつ変容は進み、竜の騎士が君臨することに違和感も消えていく。

 

 ――戦後を見据えた世界の趨勢、その全てをこちらの都合の良いように引き寄せる。

 

 種族融和の必要性を訴えるのだって同じことだ。ソアラの唱えるそれは種族間のいがみ合いを少しでも軽減させ、より長期間の平和をもたらさんとする意志の表れあってのものだが、俺にとっては徹頭徹尾竜の騎士のためという理由に行き着く。

 種族融和の輪の中には魔族を皮切りに、いずれはモンスターも加えるよう働きかけるつもりだった。

 多種族をアルキード国民とすることで、竜の騎士の異物感を相対的に引き下げることができる。見た目でいれば人間と瓜二つの竜の騎士よりも、異形のモンスター種のほうがずっと遠ざけられやすい。竜の騎士を守る良い風除けになってくれるだろう。

 

 この動きの決定的な引き金となるのはダイの帰還だ。《魔物に育てられた》行方不明の王子が戻ったとき、人と魔物の関係もまた見つめ直さずにはいられなくなる。『敵』の線引きに綻びが出来るのだ。

 これまで俺が目指し、丁寧に丁寧に組み上げてきた数多の歯車が噛み合い、一層の加速を見せるのは確実。だからこそダイの無事を祈らずにはいられない。あと少しだ、あと少しで竜の親子が再会できる。

 

 俺は竜の親子の行く末を見届けることを自身に課した。そうあれかしと決めた以上は迷いもない。

 そしてアルキード王国は少しずつ、しかし確実に『竜の騎士のための国』に変わりつつある。あとは血の継承――次代の竜の紋章が発現されてくれれば、懸念の大部分が消えることになるだろう。竜の血筋を国父と守り立て、末永い安寧と繁栄を達成せしめる。そのための統治システムを構築し、遺漏なく後の世に託すのが俺の為すべきことだ。

 既に俺は俺の道を定め、歩いている。今更他人に己の命運を委ねるつもりもなかった。

 

「ルベア殿は先ほど平民から拾い物が出ればと口にされたが、あなたご自身が良き拾い物でしたな。アルキード王家は意図せず稀有な忠臣を得たようだ。無論、アルキード王の器量あればこそですが」

 

 バラン達の駆け落ち騒動や俺の登用にまつわるごたごたの核心部分は伏せて報恩のみに触れた会話を繰り返す。こうして事象の表面のみを追った結果、俺のことを私心なき忠臣と勘違いしているテムジンが少しばかり哀れだ。もちろん訂正の必要など認めないけど。

 

「過分な評価を感謝します。ですが、その『拾い物』とやらが真に指す者は私ではありませんよ?」

「ほう」

 

 ぴく、と一瞬テムジンの眉が顰められた。自身の把握しきれていない情報に焦ったのだろう。

 

「それはいかな傑物ですかな。是非芳名をお伺いしたい」

「改めてご紹介の場を整えるまでもありません。その者はずっと貴殿らの眼に映っているのですから」

 

 そこまでいえば誰を指しているか明確だろう。テムジンとバロンの視線がラーハルトに向き、注目を集めた当人は『何程のものでもない』と涼し気な佇まいを崩そうとしなかった。場数を碌に踏んでいないはずなのに小憎らしいくらいの落ち着きぶりである。

 

「そちらの者は……確か護衛として紹介されたラーハルト殿、でしたな?」

「ええ、我が主が手ずから見出し、少なくない時間を割いて稽古をつけるほどに将来を見込んでいる戦士です。今は若輩なれど、いずれ雄々しき竜の牙として諸国に名を轟かせましょう。私はその日が楽しみでならないのですよ」

「……なるほど、覚えておきましょう」

 

 ラーハルトを一瞥した後、俺とじっと目を合わせること数秒。テムジンは抑揚に欠けた声音でそれだけを口にした。俺の言葉を単なる揺さぶりと取るか、あるいは将来の脅威と取るか。このあたりはテムジンよりもバロンのほうが正確に察知しそうだな。彼らがどこまで本気にするかはさして重要ではない。この先も似たような話を俺が拡散させる予定だからだ。

 

 現時点で世界を救った勇者と互角にやりあえる武力持ちなのだ、どれだけおとなしくしていたところでラーハルトの武名が高まるのは確実なのである。だからこそこうして広報活動に勤しんでおけば、いずれラーハルトが大成した暁にはバランには『才覚溢れる部下を見出した慧眼』という風評が立つだろうし、ラーハルトの名にも大いに箔がつく。

 半魔族のラーハルトが人間の兵士の信望を得るために、諸国に響き渡る名声ほど役に立つものはないだろうさ。何時の時代も兵士が望むのは勝てる指揮官なのだから。

 

「アルキード王国には若い力が育とうとしているようですな。我が国も遅れを取らぬよう肝に銘じましょう」

「バロン殿という俊英を抱えてその台詞ですか? 謙遜が過ぎますね、テムジン殿。まして貴国の姫君は御年五つで賢者の才覚をお示しになられている上に、名家の子女の中にも目を見張らんばかりの金の卵が育っているとか」

 

 後の三賢者であるアポロとマリンの二人は若干十一歳ながら既に才能の片鱗を示しているようだ。賢者の卵として将来を見込まれている。

 エイミは彼らより年下の九歳であるためか、二人ほど名は聞こえてこないが、やはり数年で頭角を現すのではないだろうか?

 

「バロン殿も先達として鼻が高いでしょう。さすがは賢者輩出の地とまで呼ばれる国です」

「……まことに」

 

 言外にパプニカの事情の奥深くまで通じていることを匂わせる。バロンは動揺を隠しきれておらず、歯切れ悪い返答だった。そりゃ、正式に任官してるわけでもない人材にまでチェックが入っていると知れば不気味だわな。目にも畏れの色があった。

 その一方でテムジンは表向き何事もなかったかのように対応した。この場合、肝が据わっているというよりは面の皮が厚いというべきなんだろう。

 

「ふむ、確かに我が国にも将来が楽しみな者が幾人もおりますな。ですがそれもまだまだ先のこと。老婆心ながら申し上げれば、ルベア殿もラーハルト殿も表舞台に立つには少々若すぎます。お気を付けになられるがよろしいでしょう」

「重々承知しています。こういっては不遜に聞こえてしまうやもしれませんが、先の大戦で民を導き、最後まで魔王に屈さなかったフローラ様のように毅然と職務に臨みたいと考えております」

「はっは、それは剛毅なこと。フローラ女王といえば御年十四で国主代行まで務めきった英邁(えいまい)君主ですからな。なるほど、年齢で貴方を侮るような者には強烈なしっぺ返しになりましょう」

 

 あんたのところのお姫様は一族郎党全て生死不明の憂き目に瀕したせいで、代行どころか十四歳の若さで一国を背負う羽目になってたけどな。さすがにこの世界でも同じ轍を踏ませる気はないけどさ。

 この世界のフローラや別の世界のレオナの境遇は悲惨の一言であるが、多かれ少なかれそれが王族というものだった。労ばかり多く、実入りなど驚くほど少ない。そして泣き言など許されない苛烈な世界である、望んで仲間入りしたいとは思わない。

 

 その点では、うちの親が『奉公に出るのが早すぎる』と嘆くだけの余裕があっただけに、平民のほうが王族よりもよっぽど恵まれているだろう。そもそもこの世界では子供も労働力として扱われるが、そんなものは二十世紀前半の日本とて同じことだったことを思えば何ということはない。成人年齢として扱われるのが十六歳、慣例として奉公に出るのが十七か十八、俺が多少早熟だったとでも思えば……。

 

 俺が王族か貴族にでも生まれていれば似たような年齢で政に参与した前例も残っているのかもしれないな。ああ、フローラが既に前例か。七年前のハドラー戦役終結時に十四、五の小娘だったんだから、十やそこらの時分でも表沙汰になっていないだけで政務に携わっていたのだろう。そうでなければ国王が倒れた後に一国をまとめきれるか怪しい。

 

 今は戦時ではないし、うちの王子王女には十五くらいまで子供でいさせてやりたいものだが、などと考えているとやっぱり平民のほうが気楽だとつくづく実感する。もっとも八年ちょっと先の未来で大魔王バーンに対抗した最終メンバーのうち、ダイは十二歳、ポップは十五歳だったことを考えると、年齢云々を考え出すだけ無駄な気もするけど。

 

「ところでルベア殿、ベンガーナ王国が近年急速に配備を進めている大砲についてなのですが、アルキード王国にもいくらか輸入されているはずですな?」

「ええ。ベンガーナ王国との合同演習だけでなく、うちでも大砲の戦術評価を検討するべきだとの声が少なくなかったので、試験的に導入しています」

「我が国でも興味を示している者がいましてな。もっとも大砲を揃えて意気軒高にあったベンガーナ軍を、貴国のバラン殿下は歯牙にもかけなかったと聞き及んでいますが」

「バラン様と同じことを兵士一人ひとりに求めるくらいならば、海水を砂糖水に変える努力のほうがまだ実りあるものになるでしょうね」

 

 ひょいと肩を竦めてみせた俺に、テムジンは「それはそれは」と苦笑をこぼすばかりだった。

 

「戦局を決定付ける魔法使いの火力とて有限なのです、何事も運用次第でしょう。ベンガーナ王とも知らぬ仲ではありませんし、口利きがお望みならば骨折りも吝かではありません。ですが、その際はパプニカ王家の紋が必要になりましょう」

「無論です。私も良からぬ企みを抱いているなどと疑われては嬉しくありませんからな」

 

 本当にそう願うよ。もしトチ狂ってうちに迷惑かけにでもきたら、その時は一片の容赦もせず無慈悲にひねり潰すだけだけど。そんな風にちょっとばかし不健康な将来の算段を弾きながら、顔はにこやかに、あくまで友好的な握手を交わそうと席を立ち――。

 予期せぬ急報が飛び込んできたのは、まさに俺たちが握手を交わしあう瞬間だった。

 

「テムジン様! テムジン様はおられますか!?」

「何事だ、騒々しい!」

 

 バロンが怒りの表情で応対に出る。だが、ノックもそこそこに足音荒く部屋に飛び込んできた年若い兵士は、そんな賢者殿の剣幕にも動じる様子はない。いや、動じるほどの余裕がないというべきだろう、一目でわかるほど切羽詰まった顔をしていたのだから。

 

「落ち着け、何があった?」

「ま、魔物の襲撃です! 地底魔城の方角より敵影多数! 私は守衛長と同時に報を受け、その場にて急ぎテムジン様にお伝えするようにと」

「待て、貴様は新兵か? 客人の前なのだ、栄えあるパプニカ兵としての振る舞いを心掛けてもらわねば困る。よいか、報告は明瞭に口にせよ。そもそも地底魔城のモンスターがこの砦に襲撃をかけるのは初めてではないだろう。いずれも少数の散発的なものであったし、この砦は二十や三十の魔物が攻め寄せようとびくともせん」

 

 テムジンとバロンは呆れ顔だったが、俺の嫌な予感は膨れ上がるばかりだった。ラーハルトを見れば俺と同様険しい顔つきになっていた。テムジンらは今までの実績から事態を楽観視していたが、それにしては兵士の慌てぶりが尋常ではない。彼が本当にただの新兵でパニックを起こしているのならば良い。だが、そうでなかった場合は――。

 残念ながら、その答えはすぐさま証明されてしまうことになる。

 

「違うのです!」

「だから落ち着けといっておろう。何が違うというのだ?」

「地底魔城より迫りくる魔物は陸上、飛行モンスター合わせて五百を下ることはありません、かつてない規模の大攻勢です! また奴らは歩調を合わせ、魔物の群れとは思えぬ統率を見せつけながら迫りきているとのこと、深夜未明にもこの砦に到達する見込みでございます!」

「……ご、五百。しかも猶予もごくわずかだと?」

 

 一瞬呆然としたテムジンだったが、それでもすぐに精神の再建を果たしたのは、さすがに前大戦の経験が生きているというべきだろう。

 

「いや、それでもこの砦の防衛機能を活用すれば撃退できぬ数ではない。守衛長は既に事態を把握しているのだったな。急ぎ合流し、備えをせねばならんだろう。平行して王都に急使を――」

「お待ちください、報告はまだ途中です」

「む……」

 

 思考を中断されたテムジンが胡乱な目で兵士を見やるが、上位者の不興を買ったことなどこの若者は露ほども認識していないだろう。何故ならばそんな余裕は何処にもないのだと、俺たちもまたすぐに知ることになったからである。

 

「魔物の軍勢は地底魔城方面だけではありません、何ゆえか王都方面からも押し寄せてきています。数はおよそ百五十。つまり今現在この砦は実質包囲されかけているのです……」

 

 年若い兵士はそう報告するや目を伏せ、力なく項垂れた。狂乱が過ぎれば残るのは救いのない現実だけと告げるような気落ちぶりだ。

 

「馬鹿な……。王都側からも押し寄せてきているだと? 何故気づかなかった」

「警戒は常に地底魔城に振り向けられ、王都側には最小限の備えしかありません」

「わかっておる、わかっておるが……。――ええい、ぬかったわ!」

 

 木製の卓を殴りつけるテムジンはワナワナと肩を震わせていた。みすみす想定外を呼び込んでしまった自身への不甲斐なさだったのか、あるいは魔物の軍勢への怒りゆえだったのか。いずれにせよそれは今この場では何の意味も持たないことだった。

 テムジンだけではない、俺もラーハルトも、かつてない危機を迎えようとしていた。

 

「こうしていても埒があかん。バロン、すぐに守衛長と合流する。そこな兵士よ、案内せよ!」

「はっ!」

「ルベア殿たちにはご不便をお掛けするが、すぐに代わりの者を寄越すゆえこの部屋にて待機をお願いしたい。なに、心配めされるな。魔物ごとき我らパプニカの精鋭がすぐさま追い払ってみせましょうぞ。――では、ごめん!」

 

 俺たちに気を遣う余裕もなく、そう言い捨てて急ぎ部屋を出ていく三人。判断は正しいから何も言わないけど、ものすごくぞんざいな扱いには違いなかった。

 

 

 

 

 

「魔物の大軍勢襲来せり、か。奴らの慌てぶりを見るに形勢も悪いようだな」

 

 まずラーハルトが口火をきる。部屋から俺達以外の人の気配が消えたのち、どちらからともなく戦況分析に入っていた。

 

「仕方ないだろう、この砦に詰めてるのはおよそ三百って話なんだ。しかも地底魔城から溢れたモンスターとくれば、その強さはそんじゃそこらのモンスターの比じゃない。……それでも正面の五百だけならなんとかなったんだろうけど」

「背後の別動隊に戦力を振り向ける必要がある以上、兵力の分散は避けられん。王都側は砦の防備も薄いゆえ、ベテラン兵を中心に編成することになるだろう。となれば五十から七十の精鋭を王都側に廻して防衛、残りの二百余りの兵で正面戦力を迎撃、そんなところか」

「その布陣も含めてテムジンらが急ぎ話し合いを持っているんだろう。それに突然の奇襲かつ包囲されかけってのが痛すぎる、兵の間にも相当動揺が広がっているんじゃないか? どこまで速やかに混乱を収めて迎撃態勢を万全に出来るか、時間との勝負になる」

 

 パプニカが戦後七年で一度として遭遇したことのない未曾有の危機だ。テムジンたちはここから兵をまとめあげ、倍以上の魔物を敵に回して迎撃を成功させねばならない。援軍の見込みは……今から信号弾を挙げたとしても王都の兵は間に合わないだろうな。近隣の村や街から駆けつけるにしてもモンスターの大群に対抗できるだけの兵数を揃えるのは一苦労、さして王都と事情は変わらない。

 なによりこの砦が完成してから五年以上の間、地底魔城を完全に封殺しきっていたのだ。救援にしたってどこまで即応態勢を維持できているか怪しい。援軍頼みが無理な以上、現有戦力でなんとかする方策を見出すほうがまだ現実的だろう。

 

「籠城戦か、逃げ道が塞がれている重圧は相当なものがある。パプニカ兵の真価が試されよう」

「彼らには奮戦してもらいたいもんだ、俺たちだってそんな余裕ぶってられる状況じゃない。もっとも逃走経路を塞がれていなくてもパプニカの連中は死守命令に殉じるだろうよ。何百もの軍勢を素通りさせれば被害がとんでもないことになる。まかり間違って勢力を維持されたまま王都に行進でもされたら大パニックだ、考えたくもない」

「その懸念は奴らが余勢を駆って王都に攻め込めばの話だろう。抑え込まれた末の暴発だとすれば、案外この砦を落とせば奴らも解散するのではないか?」

「可能性は否定しない。が、だからといってどうぞと通すわけにもいかんだろ。国防の最前線を預かる将兵にそんな腑抜けた理論で動かれちゃたまらん」

「確かにな」

 

 それに、とつけ加える。

 

「この襲撃だけど、単なる暴発と片付けるには不審な点が多い」

「どういうことだ?」

 

 ふぅ、と一旦気を落ち着ける。俺も一層冷静にならないと思考を誤りかねない。

 しかし完全に厄日と化したな。瞬きするごとに状況が悪化している気がするぞ。

 

「まず別動隊の群れが一体何処から来たのか? 王都側の警戒が薄かったというのはこの際どうでもいい。問題は『別動隊』としかいいようがない軍勢の正体だろう、地底魔城とは別の勢力だとするにはタイミングが良すぎる。となると――」

「背後の連中も地底魔城からやってきたと?」

 

 こくり、と頷く。

 砦の王都側は街や村が点在している人類領域だ、モンスターが人里に降りてきたとてたかが知れている。今回のように百以上の集団が整然と『軍勢』として押し寄せてくるなどありえん。

 だが現実として今現在この砦は包囲されかけているのだ。となれば正面と背後の集団は間違いなく示し合わせてきている。つまりこの戦いは散発的な小競り合いではなく、この砦を戦術をもって攻めようとしているのだ。それは同時にモンスター集団を統一する意志が見え隠れしていることを意味する。

 

「百以上のモンスターが一斉に動き出せばこの砦の警戒網に察知されないはずがない。そもそも地底魔城から通じる道はこの砦を経由する以外にない以上、二つの勢力を地底魔城由来の集団と定義するのも不可能なはずだが……。ルベア、心当たりはあるのか?」

「いくつか条件をクリアする方法は思いつくよ。たとえば――」

 

 そう、たとえば地底魔城に飛行を可能とするモンスターがいれば峻険な崖上を迂回し、『地底魔城の魔物』を王都側に配することも出来なくはない。人間の体と魔法力では超えることはできなくとも、魔物の体力と空に特化した生態ならば……。その際魔法の筒が残っていればなおよい、魔物輸送も楽になるだろう。

 

 もっともこれは秘密裡に、かつ、地底魔城の統制の元、事あるまで身を潜ませるだけの忍耐と知能が必要となる。年単位の準備が必要な以上、魔王とはいかずとも魔物を服従させ、指揮統率できるだけの特別な個体がいるはずなのだ。

 あるいは地底魔城から少数のみを脱出させて近隣の魔物を糾合、今回の大攻勢に参加させるというのも可能性としてはあるのだが、そこまでの仲間意識を持たせられるか、別の縄張りの種族を説き伏せて地底魔城のモンスターのために命をかけさせられるか、というと無理筋に思える。当然その場合も長年の指示、警戒網を潜り抜けて連絡を取り合う等、様々な準備を進めなければならないことには変わらない。ばらばらの集団では絶対に不可能なのである。

 

 それに正面戦力の数の多さもひっかかる。パプニカの調査では年々魔物の発生は減少傾向にあるとのことだったし、それが『正規の間引き以外の成果』と誤認されていたとしても、相応の数が狩られていることには違いない。となれば今回の大攻勢は不自然なのだ、だが現実はそんな想定を軽く超えていた。

 

 この認識の齟齬を埋め合わせるピースは魂の貝殻だ。原作で魂の貝殻が残っていたように、地底魔城には未だ人類が把握していない隠し部屋がいくつも残っているとみるべきだろう。宝を隠しておく用途ではなく、侵入者を罠に嵌めて袋叩きにするための部屋なりがあってもおかしくないのだ。

 俺が設計者なら間違いなくトラップ部屋程度は設置しておく。最悪の場合、地底を通じて別の場所に避難場所を作ってあることだって考えられるとなれば、パプニカの調査結果など参考資料にしかならなかった。

 

 パプニカの討伐隊や調査隊の目を長年誤魔化し、モンスターの数を秘匿した上で一気呵成の反撃に踏み切る。不運なことにそれが今夜だったようだ。

 思えば昼間一度だけ遭遇した魔物は斥候の役目を持っていたのかもしれない。その結果が予定通りの侵攻だったのか、それとも計画を前倒ししてのものかはわからないが、それは大した意味を持ちえないだろう。

 ともあれ、どんな推測も行きつく先はやはりモンスターをまとめ上げる指導者の存在だった。ここまで組織だった動きを見せている以上、地底魔城に魔物の統率を取っているモンスターがいる可能性は極めて高い。……頭が痛くなるばかりだ、さすがにクロコダイン級の親玉とかはいないよな? ほんと勘弁してほしい事態である。

 

 そうやって今の状況を手短に読み解きつつ口にしているうちに、気が付けばラーハルトがどこか呆れたような顔で、まじまじと俺を眺めていることに気づいた。

 なんぞ?

 

「いや、よくもまあ、あれだけの情報からここまで推論を立てられるものだと思ってな。一体お前の頭の中はどうなっている?」

「大したことじゃないだろ? 所詮は推論に推論を重ねてそれらしく辻褄を合わせただけなんだから驚くようなことじゃないし、こんな穴だらけの推測なら誰だって出来る」

「それでも――いやいい。では今回の件、魔王軍の残党が蠢いているということはないのだな」

 

 この場合、魔王軍の残党とは言葉通りの意味ではなく、魔界で沈黙を守っているバーン一派のことを指す。『外』で話す際の暗号みたいなものだ。

 

「ふむ。俺もその可能性は考えたが、可能性は薄いと思う。どうにもやり方が迂遠すぎるんだ。魔王クラスの野心と知能を持つ実力者が率いていると仮定すると、今の地底魔城の襲撃からは戦略目標が見えてこないんだよ。版図を広げるような軍事行動にはほど遠い杜撰さだろう」

 

 なによりわざわざ地底魔城を足掛かりにする意味がない。そんなことをするくらいなら別の勢力を迎合したほうがよほど容易く力をつけられるだろう。よって今現在の地底魔城の意志は外部ではなく内部で発生したモンスターのものだと考えられる。

 ましてや、と話を続ける。

 

「竜の騎士であるバラン様や勇者であるアバン殿がこの場にいるならともかく、俺やテムジン、あるいはバロンはここまで大掛かりな仕込みをしてまで狙うには小物すぎるんだ。お前がもうちょっと有名になってれば威力偵察の線も考えられるけどな。よって今のところ特定個人を狙ってるようにも見えない」

 

 それが救いになるかといえば、そんなことはまったくないのだが。ことこの場に限っていえば最悪ともいえる。なにせ『パプニカ砦に籠る兵士対地底魔城の魔物』の図式では落とし所がないのだ。

 どうにもならない厳しい現実を前に、重苦しい溜息を零してから断言した。

 

「結論、今回の一件は純粋な『人類と魔物の生存競争』と考えるべきだ。どちらにせよ俺達は厄介な事態に巻き込まれたことになる」

「なるほど。地底魔城に抑え込まれていた魔物が一か八かの起死回生を図ったとするならば、どこにも手打ちのしようがないというわけだ。魔物も生き残るために死に物狂いだな」

「残念なことにな。この先は仁義もへったくれない、人間も魔物もただただ敵を殺しきるまで止まらない凄惨な戦が待ってるだけだ」

 

 窮鼠猫を噛む、そんなところかね。

 魔物の知能と脅威を誤認した結果がこれだ。なにより追い詰め、逃げ道を塞げば誰とて死兵になる。その程度は人間同士の戦争でもわかりきっていたはずなのに、パプニカ首脳部はそれら一切合財を軽視してしまった。これで図らずもマトリフの危惧を証明してしまった形になるな、できればその現場に居合わせたくはなかったけど。

 

「この戦い、パプニカは勝てると思うか?」

「……正直厳しいな」

 

 パプニカ兵を弱兵と侮っているわけではない。パプニカは歩兵や騎兵はともかく魔法部隊の質に限れば世界有数の国家なのだ。まして現在のパプニカの最前線といえるこの砦には選りすぐりの兵が揃っているはず、多少の戦力差があったとしてもそう簡単に落とされるとは思えない。

 とはいえ、返す返すも先手を取られたのが痛かった。戦力の集中運用が妨げられた以上、こちらは泥縄式に対応せざるをえないのだ。

 

「地底魔城で確認されているモンスターは往時ほどではないにせよ凶悪だ。予想されるモンスター種が捨て身の覚悟で攻め寄せてきているなら、パプニカ側は単純な戦力比で三分七分の劣勢、砦に籠る利とバロンの力量次第で五分五分まで持ち込めれば御の字、ってとこかな。――要するに痛み分けに近い終わり方をするんじゃないか? 今回の襲撃を凌いだところで、人的消耗が甚大になることだけは保障できるけど」

「嫌な保障だ」

 

 俺も言ってて嫌になってくる、他人事じゃないからなおさらだ。いきなりこんな死地に放り込まれるあたり、どうやら普段の俺の清く正しい行いを見守ってくれている心優しい神様はいないようである。

 

「――ふん、手詰まりだな。貴様も己が命運を他者に預けきるのは趣味ではないはずだが、この局面、いかな手を打つ?」

 

 暗に抗戦を仄めかすラーハルトだった。

 

「もちろん死ぬつもりなんてさらさらないが、だからといってお前の提案にはいそうですかと頷けるほど事は単純じゃないぞ。多分、俺たちには最後まで部屋に籠ってるよう要請がくるはずだ。なにせ俺らは国王公認で招かれたお客様なんだからな、彼らは俺達を無事に返す義務がある。それを抜きにしたって、半魔族のお前が戦場に出るといってもパプニカの兵には絶対に歓迎されないだろうよ。望んで肩を並べたがる兵がどれだけいると思う」

「その程度は覚悟のうえ。ここの連中と連携など取らずともこの身一つで軍勢の渦中に飛び込み、百でも二百でも魔物を屠り続けて見せよう」

「却下だ、そんな無謀な真似を俺が認めるわけないだろう」

 

 ラーハルトに気負いはない。こいつは本気で言っているし、本当に言葉通りの真似を出来そうなのが困る。虚言を好まない男だけになおさら凄みを感じるのだ。

 溜息を一つ。いかん、少し芝居くさかったかもしれない。

 

「いいか、俺達がパプニカのために血を流す義理も義務もないってことを忘れるな。ましてこんな戦でお前を失ったら俺はバラン様に顔向けできなくなる。それを踏まえて俺たちのすべきことは、第一に生き残る可能性を探ることだ。本格的に参戦するのは離脱の手段を検討してからでも遅くはないし、パプニカ兵の勝利を信じて待つのが一番順当でもある」

「承知している。そのうえでもう一度聞くぞ。『俺とお前がここにいる』。だというのにお前はこの程度の戦況も覆せぬと口にするつもりか?」

 

 その不遜な物言いに今度は混じりっ気なしの嘆息を零さずにはいられなかった。眩しい、と素直に思う。この傲慢なまでの自負が心地よく思える俺もどうかしていた。なにせラーハルトの方針も決して血気に逸った無謀ではないのだ。

 

 まず逃げるにしても徒歩や馬車で離脱はちょっと難しい。モンスターの群れが迫っている中、奴らに遭遇せず抜けるには相当低い確率だろう、命を預けるには心許ない。地理に明るくない俺達が下手に動き回るのは無謀なのだ。

 

 だったらルーラはどうかといえば、この砦に都合よくルーラ使いが控えているか怪しい。あるいはこの砦が設立された当初ならば待機させていたかもしれないが、何年にも渡り安全を保障されていた砦に、万一のためとずっと張り付けておけるほどルーラ使いの数は潤沢ではなかろう。それにルーラを使える魔法使いはほぼ例外なく優秀な術師だ、この劣勢のなかで引き抜かせてくれるとは思えなかった。

 第一、運よく確保できたとしてもルーラを実行する段になれば間違いなく二の足を踏むだろう。押し寄せる魔物のレベルによっては、最悪の場合ルーラの発動中にすら叩き落される可能性があるのだ。そんなことになったら確実にデッドエンドを迎えてしまう、ルーラは万能の逃走手段にはなりえないのである。テムジンにルーラで離脱を勧められても頷けるかどうかは微妙だ。

 

 ならばラーハルトの口にするように初めからパプニカ兵と協力して魔物を押し返す、否、殲滅するのはどうか。この場合、ラーハルトの参戦が認められるのならば少なくとも俺が生き残れる率は確実に上がる、想定されるパプニカ兵の甚大な損失も相応に抑え込めるかもしれない。そう考えれば悪手というほど実現性のない選択肢ではないだろう。その場合の問題点は……結局最初に戻るわけか。

 

「俺達が死ねばテムジンの責任問題になる。参戦するにせよ、まずは奴にそのリスクをどうやって呑み込ませるかというのが一つ。それとお前とパプニカ兵を連携させられるだけの下地の構築がもう一つの問題として立ち塞がる。お前だって味方に刺されるのは御免だろう? 最低限この程度はクリアできないと困るぞ、どうするつもりだ」

「知れたこと。細かな事はお前に任せるだけだ、貴様ならどうにでもするのだろう?」

 

 ……おい、こら。

 

「そこで他力本願かよ。ほんっとうに面の皮が厚くなりやがったな、お前」

「褒め言葉だな、ありがたく受け取っておこう」

 

 微塵も悪びれた様子がねえ。

 誰だよ、こいつに余計な知恵をつけたやつ。責任者出てきやがれ。

 

「それにもう一つ重要なことがある」

「なんだ、聞いてやろうじゃないか」

「なに、大したことではないさ。いっただろう、俺はこの国のために積極的に何かしてやろうとは思わん。だが、この国は俺の父母が眠る鎮魂の地でもある。死者は静かに眠らせてやるべきだと俺は思う」

「……ああ、そうだな」

「生前両親に迷惑をかけ通しだったこの不出来な男に、最後の孝行に励む機会をくれ。構わんだろう、ルベア?」

 

 ふっと柔らかな笑みを浮かべるラーハルトに虚を突かれた。どこか悪戯な光を宿した目に毒気を一気に抜かれ、自然とこみあげてきた暖かなものに突き動かされるまま、俺の顔にも笑みが浮かんでくる。これは完敗かな。

 

「いいね、『人』を良く見てる。お前も俺の動かし方がわかってきたじゃないか」

「ならば()く命じるがいい。俺の槍はそのためにある」

「了解、お前の命と心意気は確かに預かった。だったら後は俺の仕事だ、お前の槍を振るうに足る場を用意してやるさ。ただしお前には間違いなく死線を潜ってもらうことになるぞ、覚悟はいいな」

「言われるまでもない。――頼りにさせてもらおう」

「お互いにな」

 

 こつっと拳を打ち合わせた時、テムジンが口にした代わりの者が到着したらしい。足音荒く近づいてきていた気配が、蹴やぶらんばかりの勢いで出入り口の扉を開け放ったのだ。

 

「ルベア殿、ラーハルト殿、ご無事ですかな!? ワシが来たからには何一つ心配されることなぞありませんぞ、この命に代えてもお守り申し上げる所存!」

 

 俺とラーハルトの間で徹底抗戦の合意が取れたところで現れたのは、汗だくのバダックだった。よほど急いでいたらしい、ぜえぜえと息も絶え絶えの様子である。バダックは現在この砦で指揮系統の外にいる兵だ、正式な令によって詰めているわけではない。ということで俺たちの世話係に回されたのだろう、微妙に厄介払いの匂いがついてくるあたりはご愛敬というものか。

 そんなバダックは俺たちの姿を確かめると安心したように長く息を吐き、やがて呼吸が落ち着くと、にかっと人好きのする笑みを浮かべた。俺たちのことを心底心配し、安心させようとしているのがありありと伝わってくるようで、こういうところが憎めない爺さんなんだろうと思う。プライベートで友人に持ちたいタイプだ。

 

「ちょうど良かった、こちらからお話にあがるところだったのです」

「はて? なにかありましたかな?」

「不躾ではありますが、まずは紙とペンをご用意いただけますか? それと二人分の武具も一揃えお願いします。それが済みましたらテムジン殿への目通りを」

 

 俺は護身用のナイフを一本、ラーハルトも護衛の職務のために用意した槍を一振りしか持ち込んでいない。今のままでは戦場に向かうにしても装備が貧弱すぎる。それに俺は膂力の不足から。ラーハルトは速度を重視した戦闘スタイルから。二人ともに防具は軽装を好むとはいえ、さすがに厚手の防寒具を鎧と言い張るわけにもいくまい。

 幸いここは最前線の軍事施設だ。装備の予備くらい幾らでも転がっているため、遠慮なく拝借させてもらうことにする。そんな俺の矢継ぎ早な要請に、バダックといえば目を白黒させるのみだった。

 

「なぬっ? ちょっとお待ちくだされ。武具を揃えろとは、まさか――」

「ええ、お察しの通りです」

 

 バダック殿、と呼びかけ、眼光鋭く視線を合わせる。

 睨むわけではない。しかし不退転の決意だと受け取られるよう、腐心して言葉を紡いだ。

 

「アルキード王国はバラン殿下が臣、ルベア並びにラーハルト。我ら両名、此度の騒乱に参戦することをここに表明させていただきます。――さあバダック殿、共に力を合わせ、押し寄せたる魔物の軍勢を蹴散らしましょう」

 

 何卒よしなに。

 これ以上なく生真面目な顔で相対する俺とラーハルトを前にして、バダックは呆然とした面持ちのまま、しばし言葉もなく立ち尽くす羽目になるのであった。

 




 主人公、大望を語るの巻。アルキード王国半乗っ取りを野心と見るか忠心と見るか、はたまた別の何かと見なすかは皆さまにお任せします。現王家に対する不忠に当たるのは間違いありませんけど。

 それから拙作についてですが、一話や四話を読んで『子供に激務を課す王族は人でなし(意訳)』『主人公に嫌がらせする貴族は無能(同じく意訳)』と考える方もいらっしゃるようです。作者は『原作で人間の身勝手さや邪悪の象徴として描かれたアルキード王国の人間を物わかり良くし過ぎたかも』と苦笑いで執筆していただけに、まさかの180度反対のご意見にびっくり仰天でした。
 上述の状況を顧みて今回過去話を挟み、ある程度客観的な視点で解説しておきました。誤解の解消に役立てていただければ嬉しく思います。

 ではまた次回。


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第12話 契りの杯

 

 

「――以上で通達を終わる。各員奮励努力せよ、よいな!」

「はっ!」

 

 小気味よい号令と返礼。

 砦の防備を任された守衛長の作戦説明と訓示が終わり、続いてテムジンが兵士たちの前に出た。年輪を重ね老獪を身に着け始めたテムジンと、彼に付き従い押しも押されぬ賢者として名声を馳せるバロンのコンビは、なかなかどうして様になっている。堂々と振る舞い、細やかに兵士を鼓舞する様子は十分に手慣れていた。

 一方でバロンの存在も大きい。彼は兵士に呼びかけているわけではないが、立派な体躯と整った顔立ちに涼やかな立ち居振る舞いが合わさり、何はせずとも兵を落ち着かせる役目を果たしていた。

 

「ここで皆に紹介しておきたい者たちがいる。見知っている者も居るだろうが、遠くアルキード王国より参られたルベア殿とラーハルト殿だ」

 

 自身の言葉の浸透具合を確かめるように一呼吸待ってから、テムジンは幾分トーンを落とした声でさらに続ける。

 

「彼らは此のたび我らを襲った苦難を知ると、いち早く参戦の意志を示してくれた勇士である。私は彼らの義挙に感謝し、轡を並べるをよしとした。諸君らに断りなく進めたことを申し訳なく思うが、これも危急にあっての決断ゆえ許してほしい」

 

 斥候や衛生兵、内務専門の人間を除き、迫りくる魔物に対抗する兵士三百余名が集まった場で、緊張に張り詰めた空気を揺らすのは微かなざわめきと戸惑いだった。招かれざる客。針の莚。場違い感満載。率直に言ってそれらが俺とラーハルトに対する兵士たちの反応だったのである。

 

 それも仕方あるまい。というのもかつてない規模の襲