この果てしなき修羅場に終焉を! (トイ提督)
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全ての始まり

 

 

 

 

 

 

 

 

何かがおかしい。

 

 

 

そんな奇妙な違和感に気づいたのはいつからだったろうか。

 

 

 

ふとした瞬間に私の胸の中には淡いときめきがあった。

 

 

 

一方で、ベッドからの眠りから目覚めた私は涙を流し、出所不明の悲しみと寂しさにむせび泣く。

 

 

 

 

自分自身が理解できない。

 

 

 

 

 

 

そんな混乱する私を彼は優しく元気づけてくれた。

 

 

 

 

 

たったそれだけ、たったそれだけがきっかけで私は”私”になった。

 

 

 

 

そうして、私は”私”を肯定する。

 

 

 

 

その時から、この世界に対する違和感は無くなった。

 

 

 

 

 

そんなある日、私の前に”ソレ”が現れた。

 

 

 

無警戒にも”ソレ”に触れてしまった私は、この得体の知れない”ソレ”の扱い方を瞬時に理解した。

 

 

 

 

だからこそ、私は”ソレ”を天に掲げ、呪詛を吐くようにポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「この傲慢なる神々に裁きの鉄槌を!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「んっ……」

 

 眩しい朝日が微睡む思考をクリアにして行く。そっと目を開けてみれば、カーテンから除く太陽の光の眩しさの前に私は再び目を閉じてしまう。だが無意識に目を手で擦った際に私は違和感に気がついた。

 

 

「涙……?」

 

 

何故か、私の両目からは涙がポタポタと流れていた。それを無作法に袖で拭いながら上半身を起こす。恐らく、怖い夢でも見たのだろう。夢の記憶は一切ないが、さっさと起きる事にしよう。何より、早く顔を洗いたかった。

 

それから、ゆっくりとした足取りで私は朝食が用意された部屋へと向かう。部屋に着くと小さな丸テーブルにはすでに先客の姿があった。私が対面の椅子へと座ると、彼はにんまりとした満面の笑みを浮かべた。

 

「おはよう、ララティーナ」

 

「おはようございますお父様」

 

「うむ、やはりと娘と一緒に食べる朝食は最高だ」

 

「御戯れを……」

 

微笑みながら冗談を言う父の言葉に嘆息しつつ、私は手近なパンを取ってもそりもそりと食べ始める。そんな私の横にポットを持ったメイドが現れる。一瞬、見慣れない顔のメイドだなと思ったが、その所作がどこか初々しい事から自然と察する。この娘が最近新しく雇われたというメイドなのだろう。

 

「お嬢様、コ……コーヒーをお入れします!」

 

「ああ、頼む」

 

「それでは……ってわひゃあ!?」

 

 緊張した面持ちでティーカップにコーヒーを注ごうとしたメイドが、何を焦ったのか急にポットを取り落とした。そうしてぶちまけられたコーヒーは私の寝間着へとびっちゃりと降り注いだ。メイドはコーヒーまみれになった私を見て青い顔をしながらへたりこんでしまった。その姿に私はくすりと笑ってしまった。

 

「ふふっ、気にするな。こういう失敗は誰にでもあるものさ」

 

「で、ですがお嬢様……火傷は……お怪我はありませんか!?」

 

「安心しろ、この程度では私に傷一つつけられない。ああ、別にそんな死にそうな顔でタオルを押し付けなくてもいい。どうせこの後はシャワーを浴びて着替える予定だったんだ」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 

「それより、君こそメイド服を着替えてくるがいい。私と同じくコーヒーまみれだ。私とお父様は何も言わないが、ここのメイド長は口うるさいからな」

 

「ご……ごめんなさいいい!」

 

ぺこぺこと頭を下げながら凄い勢いで退出して行くメイドを眺めながら、私とお父様は同時に笑ってしまった。それから、お父様はこほんと息をついてからこちらを心配するような顔を向けてきた。

 

「ケガはないか?」

 

「もちろん。この程度の熱さじゃ火傷になりませんよ。でも、あのメイドは将来有望ですね。いきなり私好みの辱めを与えてくるとは……あんな初々しい顔立ちなのに本当はゲスの鬼畜で……興奮してきた!」

 

「ララティーナ……」

 

お父様が何故か娘に向けちゃいけないような絶望の表情を浮かべているが、これもいつもの事だ。それから手早く食事を終えた私はさっとシャワーを浴びて汚れを落とす。次にどんな衣服を着用すべきかだが、今日は非常に迷った。いつもは動きやすいインナーと鎧を着る所であるが今日は少し趣を変えようと考えていた。

 

「今日からめぐみんはいないんだよな」

 

 そう独り言ちてから、その事実が私に一抹の寂しさを与える一方で何とも言えない感情が胸中に吹き荒れる。昨日、めぐみんは紅魔の里へと帰郷した。少なくとも2週間は滞在するだろうと彼女は告げていた。それは、今日からあの屋敷にいる鬼畜男の事を半ば独占出来る事を意味していた。

 思わず火照ってしまった顔を冷却するため、私は洗面台の水を顔に打ち付けた。今更な話だが、私は冒険仲間である鬼畜男……カズマに恋心を持ってしまっている。だが、気づけば始まってしまっていた彼へのヒロインレースにおいて、私は一歩……いやかなりの差をめぐみんにつけられている。最近、あの男とめぐみんの距離が今まで以上に近くなっているのは嫌でも自覚している。だが、ここで勝ちを譲るわけにはいかない。私も、あの男にどうしうよもなく”イカレ”てしまっているからだ。

 私は両手で頬を叩いて気合を入れ、深紅のレースがあしらわれた下着を身に着ける。それから、白を基調としたブラウスと明るい緑色のフレアスカートを身に着け、意気揚々と家を出た私はあの男がぐうたら過ごしているアクセルの街の屋敷へと足を運んだ。

 見慣れた屋敷の玄関を私はさっと通り抜け、リビングへと向かう。そこにはやはり、私の意中の相手であるサトウカズマがいた。だが、その姿を見て私は思わず嘆息した。

 

「よう、ダクネス。今日は冒険なんて行かないからな」

 

「私が何か言う前にそれか」

 

「当たり前だろ。この魔王を倒しちゃって億万長者になったカズマさんに、ダクネスは毎日のように木っ端なクエストを押し付けてくるからな。だからもう一度言う。俺は冒険には行かない」

 

「カズマ……貴様はもっとこう……英雄として困ってる人を助けようとかそういう気概はないのか?」

 

「うっせーよ! そういう金にならない仕事は他の冒険者にやらせりゃいいんだ。俺みたいな英雄は新たな脅威のために英気を養わなければならない。だから、こうして俺が身体を休めるのは仕方のない事なんだ」

 

そういってドヤ顔を浮かべるカズマは、ソファにだらしなく寝転がり毛布にすっぽりとくるまっている。近くに置かれた小さなテーブルには酒瓶と食い散らかしたイカの干物が転がっている。その姿を見て、私は思わず何故こんな男に惚れてしまったのだろうという考えが浮かぶが、それをすぐさま振り払う。この男はいつもこんな感じではあるが、色んな意味でやる時はヤる男なのだ。

 

「それはそれとしてだが……アクアはいないのか?」

 

「アイツは朝から用事があるとかでアクシズ教会に出かけてるよ」

 

「そう……か……」

 

 それを聞いて内心でほくそ笑んでしまう。実は私にとってアクアは非常に警戒すべき対象なのだ。今まではそんな事を思いもしていなかったが、魔王討伐後からカズマに非常にべったりとくっついているのだ。それは彼が屋敷にいる時だけでなく、彼が外に出かけた時もその後ろにちょこちょこついていく姿をすでに何度も目にしている。それを見れば、私だって嫌でも理解できる。あのアクアも何故だかこの男にイカれてしまっているようだ。

 

「なあカズマ、私は今日は別に冒険に誘いに来たわけじゃない。ちょっとその……別のお願いをしようと思っているんだ」

 

「ほう、そのお願いとやらを言ってみろ。お願いを聞くかどうかは聞いてから考える」

 

「くっ……いいだろう。私も覚悟を決める」

 

半目でこちらを見てくるカズマの前で私はこほんと息を整える。それから自然と火照る頬をそのままに、私は勇気を振り絞った。今日は正に私にとってのチャンス。勝利への”チャンス”なのだ。

 

 

 

「私とデートして欲しい」

 

 

 緊張により声はかすれてしまった。しかし、私の言葉は伝わったはずだ。カズマは耳まで真っ赤にした私の姿にポカンとした表情を浮かべる。それから、頭を掻いてからゆっくりと身体を反対にしてこちらに背を向けた。

 

 

 

 

「誰が行くかバーカ」

 

 

 

 返答はその一言だけであった。私の顔の火照りは一瞬で霧散する。それから両足から力が抜け、気が付けば床に両膝をついていた。自然と目の奥からジンジンとした熱いものが零れ落ちる。自身のあまりの情けなさに恥じる一方で、私の中の冷静な部分は仕方のない事だとどこか冷めた目で見ていた。

 

「ぐすっ……ひっぐっ……」

 

「おいおい、泣き真似はよせ。お前、この前もそんな事言って俺を外に引き釣り出して……」

 

「ひぅ……」

 

「マジかよ」

 

 情けなく床に臥せっていた私の身体をカズマが抱き起してくれた。それから、手元に持っていた毛布で私の涙を雑然に拭いてきた。今朝、気合を入れてメイクが崩れるのを感じたが私は気にはしなかった。それより、こうして私にカズマが向き合ってくれたのがひたすらに嬉しかった。そんな自分自身が非常に愚かしい。

 

「あー……すまんダクネス。いつものような冗談かと思った」

 

「っ……!」

 

「痛い痛い! 殴るな……殴るなっての!」

 

 薄情なこの男に私は渾身のブローを数発叩きこむ。本当に私はなんでこんな奴に惚れてしまったのだろう。でも、この男に触れているだけで、私の身体はさっきの仕打ちを忘れて再び熱を戻すのであった。

 

「ダクネス、さっきはあんな反応しちまったが、俺の方からもお願いするよ。俺とデートしてくれ」

 

「おまっ……お前は本当に……私がどれだけ勇気だして……!」

 

「分かってるよ。今更だが……似合ってるぜその服」

 

「っ……!」

 

ぐっと親指を立てて笑うカズマを見て、私は微笑みながらの嘆息を返してしまう我ながらにちょろいと思う。でも、私はチャンスをものにした。それがどうしようもなく嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのーダクネスさん……?」

 

「どうしたカズマ」

 

「その……なんていうか近い……近くない!?」

 

「私が近くにいると不満か? んっ……!」

 

「おおう!? ないです! 不満なんてないです!」

 

 だらしなく鼻の下を伸ばしているカズマと腕を組み、私は密かに自慢に思っている胸のふくらみを彼の肘に押し当てる。一歩一歩、足を進めるたびに彼の肘がこちらにぐいぐいと迫っているがこれくらい私は許容する。むしろ嬉しかった……何よりこの男に私が求められているのかと実感出来たため、得体の知れないゾクゾクとした快感を抑えるのに必死であった。

 

「なあ、俺達はこうしてあてもなく街をぶらついてるわけだが……本当にデートってこんなのでいいのか?」

 

「私はこうしてお前と一緒に歩けるだけで幸せだ」

 

「うっ……なんかいつにも増して積極的だな」

 

「ふふっ、何故かはカズマも分かっているだろう? それに、こうしておけば害虫避けになるからな」

 

「害虫ねえ……」

 

 苦笑するカズマは絡みつくように組んだ私の腕をさらにぎゅっと握ってくれた。実は、先ほどから私は敵意の視線を周囲の女性から向けられている。実は、この頃のカズマは街の女性に非常にモテている。何故かというと、彼女達の顔を見れば分かる。彼女達の表情から欲の皮が突っ張っている事が見て取れる。

 つまりは、彼女達は彼の持っている名声や資産にしか目が行っていないのだ。それは私にとってとてつもなく腹立たしい事であった。実際、これに関してはめぐみんやアクアも思うところがあるのだろう。屋敷の外でカズマと行動する際は彼女達も必要以上にカズマにくっついていた。それも当然の事だ。カズマは”私達”の男なのだ。

 

「つーか少し腹減ったな。ちょっと腹を満たしていくか」

 

「んっ……エスコートは頼んだぞ」

 

「はいはい、まあちょっと良い店を知ってるんだよ」

 

そう言って楽し気に会話しながら、私はカズマが目的としていた店にたどり着いた。そこは非常に落ち着いた雰囲気の喫茶店であった。テラス席に腰を下ろした私達に店員がすっと注文を取りに来た。私は朝食を食べてそれほどたっていないのでコーヒーとチーズケーキを、彼はハンバーガーと炭酸飲料を頼んだ。

 それから数十分後、運ばれてきた紅茶とチーズケーキに手を付けた私はその平凡な味に少し顔をしかめる。だが、対面のカズマは非常に美味しそうにハンバーガーを頬張っていた。その姿がなんだか微笑ましくて……愛おしくて仕方なかった。

 

「んぐっ……どうした? ダクネスもこれ食いたいのか?」

 

「わ、私は別に……!」

 

「遠慮すんなって、お嬢様キャラがこういうジャンクな食事に憧れるのはあるあるだからな……ほら」

 

そう言って笑顔でハンバーガーを私の顔前に持ってきたカズマに戦慄する。私の見つめる先には包み紙に包まれ、半分ほどを彼に齧り取られたハンバーガーがある。もしかしなくても、これに齧りつけという事であろうか。全く、カズマは本当に平民で衛生観念がなくて無遠慮で……!

 

「はむっ!」

 

「おっ……」

 

正直言って味なんて分からない。むしろ、私の肥えた舌はこのジャンクな食べ物に拒否反応を示していた。でも、私にとっては今までの人生で一番美味しいと感じられた。

 

「んっ……美味しいな」

 

「そうだろうそうだろう。それじゃあ、今度はダクネスのチーズケーキを一口くれよ」

 

笑いながらそんな事を言うカズマに私は閉口する。彼はそれの意味する事をきちんと理解しているのだろうか。だが、ここまで来たら私だって止まれない。私はフォークで切り分けたチーズケーキの一部を彼の口元へと持っていく。それから、頬が熱くなるのを感じながらあの決まり文句を言ってのけた。

 

「はい……あ~ん」

 

「おおう、あむ」

 

少し驚いた表情を浮かべながらも、彼は私が差し出したチーズケーキにあっさりと頬張ってしまった。しばらく咀嚼する音が聞こえた後、彼は満面の笑みを浮かべていた。

 

「やっぱこの店は当たりだな。うし、また今度も一緒に行くか」

 

「…………」

 

「ダクネス……?」

 

 カズマの顔がうつむいた私の顔を覗き込んでくる。それから逃れるように顔を背けた私は、思わずポツリと呟いてしまった。

 

 

 

 

 

「かっ……間接キス……」

 

 

 

 

 

耳まで深紅に染めた私をカズマがじっと見つめてくる。それから、大きく顔を歪めるのが見えた。

 

 

「ぶふううううっ!? おまっ……いまさらそんな……いひっ、いひゃひゃひゃひゃ!」

 

「笑うな!」

 

「だってそんな……流石はお嬢様で……あいたたたたた!?」

 

気づけば全力でカズマ身体を締め上げていた。羞恥はある。馬鹿にされた事は本当に腹が立つ。でも、こうして彼と笑い、じゃれあう事が本当に嬉しくてたまらなかった。だから、私は強く……もっと強く……!

 

 

「あっ……」

 

 

ゴキリという嫌な音が喫茶店中に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻はその日の深夜前、私はベッドで寝るカズマの前に椅子に座って佇んでいた。私がやってしまった彼の右腕はとっくにアクアの手で治療されている。だが、一応の安静を言いつけられた彼はこうしてベッドで横になっているのだ。

 

「すまない、カズマ……」

 

「いいんだよ。俺もからかいすぎた」

 

「すまない……」

 

 私は彼に深く頭を下げる。流石にやりすぎだと自分でも自覚できるのだ。それから数分が経過した後、彼が大きくため息をつく音が聞こえる。それに反射的にビクリと身体を震わせた自分を見て、彼はもう一度ため息をついていた。

 

「ダクネス、一つお願いしていいか?」

 

「ああ、なんでもいうことを聞いてやる」

 

「ん? 今なんでもするって……いや茶化す場面じゃねえな」

 

彼はガリガリと頭を掻いた後、その手を私の頭へと持っていく。一瞬、どつかれるかと思ったが違うらしい。彼の手は、私の頭を撫でていた。

 

「明日もデートしような」

 

「っ……!? 私は……」

 

「本当に今日は楽しかったよ。だから、明日もデートしようぜ!」

 

「でも……」

 

「任せろ、俺がエスコートするからよ」

 

そう言って微笑むカズマに、私はただ頷く事しか出来なかった。

 

 

 

 

それからは毎日が夢のようであった。

 

 愛しいカズマと手を繋ぎ、街のお店をひやかしたり、彼の少し過剰気味なスキンシップ更に過剰な物で対抗したり、あの喫茶店で再び食事をしたりした。

 

 そして、デートを始めてから6日目の夜。今日は一日中屋敷でぐうたらと過ごしていたのだが、私が持ってきた秘蔵のお酒と、はっきり言って庶民じゃ口に出来ないほど高価なチーズに舌鼓を打ちながら彼との晩酌を楽しんでいた。

 そんな時、彼が私にとても熱い視線におくっている事に気が付いた。だが、私はそれにあえて応えはしなかった。何というか、まだ”はやい”気がしたのだ。

 

「私はそろそろ寝る。その……今日も楽しかった……」

 

「そう言ってもらえると男冥利に尽きるよ。それじゃあお休み。俺はまだ飲んでくさ」

 

「ああ、お休みカズマ」

 

私は彼に背を向けて歩き出す。正直言って後ろ髪を引かれる思いだ。だが、私は悠然と自室まで足を進めた。それからベッドに入ってから数時間後、私はまだ眠りにつけていなかった。脳裏によぎるのは先ほどのカズマの視線。あれは、情欲にたぎる”男”の視線であった。その事実に、私は全身を震わせながら枕を抱きしめる。私の視線の先には、この寝室の扉があった。もしかしたら、次の瞬間にはあの扉は蹴り破られるかもしれない。そして、縮こまる私に彼は豚のような欲望を向けるのだ。

 

 

 

「ふっ、ふん! 私は絶対抵抗するぞ! だいたい、そういうのはこう……ちゃんとしたお付き合いをして……きちんと結婚式を挙げて……夜景の見えるホテルで……あうっ……!」

 

 

 

 

 止まらない妄想を前に私は身もだえする。

 

 

だから私は……私は……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、窓から見える景色は暗闇から明るい朝日へと変わっていた。体に残る倦怠感と”満足感”を前に私は苦笑する。それから、ボサボサの髪と衣服を整えた私は、そっと彼の寝室へと向かった。なんだか、無性に彼の姿が見たかったのだ。

 カズマの寝室にたどり着いた私は、一度大きく深呼吸する。それから、そっと扉を押し開く。だが、寝室に彼の姿はなかった。代わりに、彼のベッドの下に頭を突っ込み、こちらにお尻をゆらゆらと揺らしている奴がいた。そいつは、扉の音に驚いたように振り返り、私の方を見て安心したような表情を浮かべた。

 

「なんだ、ダクネスじゃない。朝っぱらからカズマさんに何か用なの?」

 

「その質問はそのまま返すぞアクア」

 

「私は……私はちょっと探し物をしてただけよ! それじゃ、ばいばーい!」

 

 何やら焦った様子でそそくさと部屋を出て行ったアクアに私は首をかしげるが、大方の予想はつく。また、彼の部屋からお酒でもちょろまかしているのだろう。そうして、私はアクアが首を突っ込んでいた位置に何気なく覗き込む。

 

そこには二つの施錠された宝箱があった。

 

 一瞬、この気になるブツをこじ開けてやろうかと思ったが流石にそれは可愛そう。というか、あまりにも品のない行動だ。そして、自然と彼のベッドへと腰かけた私は、鼻孔をくすぐる何とも言えない匂いを感じた。それは、ベッドにたたまれずに無造作に置かれている毛布であった。それをそっと手にした私は、無意識のうちにその匂いを嗅いでいた。

 

 

「カズマの匂い……」

 

 

 その安心できる匂いと、暖かな朝の陽ざしが私に眠気を思い出させる。結局、昨日は一睡も出来なかったのだ。だからこれは仕方のない事であった。

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

「はぅ……」

 

私が再び顔を起こした時にはすでに窓から見える朝の陽ざしは、淡い夕日へと変わっていた。しばらくぼーっとしていた私は、結局カズマのベッドで寝てしまった事を理解する。

 

 

 

 

そんな時、私はこの部屋へと向かう足音の存在に気づいた。

 

 

 

 

慌てた私は、急いでクローゼットの中へと逃げ込む。そして、足音が部屋に近づいてくるほど、私は何故こんな所に隠れてしまったのかと後悔した。堂々と部屋から出て行った方が、なんとでも言い訳ができるのに……まあ、この際だからカズマを驚かせてやろう。ふふっ、アイツの情けない顔を拝んでやる事にしよう。だから……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カズマカズマ、昨日の続きしませんか?」

 

「マジかよ……」

 

「マジですよ。だって、昨日は中途半端に終わっちゃったじゃないですか」

 

「めぐみん……」

 

 

 

 

 

どちらも聞き慣れた声だ。だが、私の昂った感情は急速に冷えていく。代わりに、私の身体は一切の動きを止める。彼らに私がここにいる事を悟られたくなかった。

 

 

 

 

「遠慮しないでください。だって、カズマはもう私の”旦那”じゃありませんか」

 

「いや、そりゃそうだけど無理はするな」

 

「昨日はその……私が想像以上に痛がっちゃって……ごめんなさいカズマ。私がこんな身体だから……」

 

「何言ってんだよ。お前はその……俺にはもったいないくらい魅力的だ」

 

「ふふっ、そうですか。まぁ、こんな美少女をものに出来たんです。誇っていいですよカズマ」

 

「自分で言うのかよ!」

 

 

 

脳が状況を理解する事を拒否している。愛すべき、男の声だ。愛すべき友人の声だ。なのになぜ……?

 

 

 

「実はお母さんに相談したんです。そしたら、この痛み止めと”潤滑油”を貰っちゃいました」

 

「おいおい、親に伝えたのかよ!」

 

「当然でしょう、もうカズマは私の旦那様ですしね。それより……準備出来ましたよ」

 

「めぐみん……」

 

「ささ、遠慮せずにズチュっといっちゃいましょう……ほら……」

 

 

 

一体、このクローゼットの扉の向こうでは何が繰り広げられているのだろうか。私は近くに吊り下げられていたカズマの冬物ジャケットに顔を押し付ける。スンスンと鼻を鳴らすと、ちょっとだけ彼の匂いが感じられた。それから、そっと耳を両手で塞ぐ。もう、私は何も聞きたくなかった。

 

 

それから、どれくらいの時間が経ったであろうか。私はぐちゃぐちゃの脳内一つの可能性に思い至った。

 

 

 

 

これはいつもの”パターン”である。

 

 

 

 

 実はこのような何やらいかがわしい事例は過去にはあった。だが、勇気を出して突入してみれば、たいていそれは徒労に終わっていた。例えばそれはちょっとした体操だったり……マッサージだったり……耳かきをしているだけなのだ。そうやってお互いに羞恥にまみれながら喧嘩になる。本当にいつもの事なのだ。

 

 

 そんな時、私はクローゼットのスキマから光が漏れている事に気づいた。そこに目を向ければ終わるだけの話である。だから、私はそっと……息を押し殺して……そーっとスキマに目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう限界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……うぶっ……うええええええっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶちまけられたと吐瀉物はほとんど胃液あった。でも、胃液に混じる黄色い欠片は昨日食べたチーズであろうか。少し、もったいない。それにカズマのジャケットを汚してしまった。これは悪い事をしてしまった。

 

 

 

 

 

 

ドンと扉が開かれる。明るくなった視界の先では、何故だか半裸のカズマが、ベッドには毛布に身を包んで恐怖の表情を浮かべるめぐみんがいた。だから、私は謝った。

 

 

 

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

 

 

今の私には謝る事しか出来ない。だから、全身全霊で謝罪を行った。

 

 

 

 

 

 

「コート汚しちゃってごめんなさい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

 眩しい朝日が微睡む思考をクリアにして行く。そっと目を開けてみれば、カーテンから除く太陽の光の眩しさの前に私は再び目を閉じてしまう。だが無意識に目を手で擦った際に私は違和感に気づいた。

 

 

「涙……?」

 

 

何故か、私の両目からは涙がポタポタと流れていた。それを無作法に袖で拭いながら上半身を起こす。恐らく、怖い夢でも見たのだろう。例えば、愛する男性を、愛する友人に全て奪われるとかそんなものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢なら良かったのにな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、ゆっくりとした足取りで私は朝食が用意された部屋へと向かう。部屋に着くと小さな丸テーブルにはすでに先客の姿があった。私が対面の椅子へと座ると、彼はにんまりとした満面の笑みを浮かべた。

 

「おはよう、ララティーナ」

 

「…………」

 

「やはりと娘と一緒に食べる朝食は最高だ」

 

「…………」

 

「ララティーナ?」

 

こちらに困惑した表情を向ける父の言葉に嘆息しつつ、私は手近なパンを取ってもそりもそりと食べ始める。そんな私の横にポットを持ったメイドが現れる。一瞬、見慣れない顔のメイドだなと思ったが、この娘が最近新しく雇われたメイドである事を知っていた

 

「お嬢様、コ……コーヒーをお入れします!」

 

「…………」

 

「それでは……ってわひゃあ!?」

 

 緊張した面持ちでティーカップにコーヒーを注ごうとしたメイドが、何を焦ったのか急にポッドを取り落とした。そうしてぶちまけられたコーヒーは私の寝間着へとびっちゃりと降り注いだ。メイドはコーヒーまみれになった私を見て青い顔をしながらへたりこんでしまった。その姿に私はくすりと笑ってしまった。

 

 

 

 

 

「ふざけるなよこのクソ平民があああああ!」

 

「ふぎゅっ!?」

 

 

 

 

 

 

気が付けば、私はふざけたマネをしたメイドの首を掴み、テーブルへ叩きつけていた。新人メイドは泡を吹きながら白目を向いている。少し割れてしまった頭皮からはドクドクと血が溢れていた。

 

 

「ララティーナ!? くっ、”ヒール”!」

 

 

お父様が私の腕からメイドを奪う。それから、娘に向けてはいけないような怒りの表情をこちらに向けていた。

 

「ララティーナ、何か嫌な事でもあったのかい?」

 

「…………」

 

「もういい、今回は見逃そう。だが、次はない。もう一度こんな事をしたら私はお前を貴族として……親として躾けなおす」

 

「分かりましたお父様」

 

「っ……!?」

 

 

お父様が何故か娘に向けちゃいけないような絶望の表情を浮かべているが、これもいつもの事だ。それから、私はさっとシャワーを浴びて血の汚れを落とす。次にどんな衣服を着用すべきかだが、今日はいつもの動きやすいインナーと鎧を身に着ける事にした。もちろん愛用している大剣も忘れない。

 

「今日からめぐみんがいなくなればいいのに」

 

 そう独り言ちてから、その事実が私に一抹の寂しさを与える一方で何とも言えない感情が胸中に吹き荒れる。思わず火照ってしまった顔を冷却するため、私は洗面台の水を顔に打ち付けた。今更な話だが、私は冒険仲間である鬼畜男……カズマに恋心を持ってしまっている。だが、気づけば始まってしまっていた彼へのヒロインレースにおいて、私は一歩……いやとんでもない差をめぐみんにつけられている。あの男とめぐみんの距離がもはや離れられないほどになっているのは嫌でも自覚している。だが、ここで勝ちを譲るわけにはいかない。私も、あの男にどうしうよもなく”イカレ”てしまっているからだ。

 こうして、意気揚々と家を出た私はあの男がぐうたら過ごしているアクセルの街の屋敷へと足を運んだ。

見慣れた屋敷の玄関を私はさっと通り抜け、リビングへと向かう。そこにはやはり、私の意中の相手であるサトウカズマがいた。だが、その姿を見て私は思わず嘆息した。

 

「よう、ダクネス。今日は冒険なんて行かないからな」

 

「私が何か言う前にそれか。それよりめぐみんはどうした?」

 

「めぐみん……?」

 

呆けたようにそんな事を言うカズマを見て、私は左手で握る大剣の柄を強く握ってしまう。だが、こんな事は意味がない”こんな事”をしてもこの現実は変わらない。むしろ、もっとこの男の愛が離れてしまうだけだ。だから私は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「めぐみんなら昨日、紅魔の里に帰ったばかりだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ララティーナお嬢様のやりなおし

 

 

 

「ねえ大丈夫ダクネス?」

 

「ああ、すまない。迷惑かけたアクア……」

 

「別に私はいいのよ。ただ、あんなに取り乱したダクネスは初めて見たわ。本当に大丈夫なの?」

 

「すまない……すまない……」

 

「全くもう、とにかく今は安静にしときなさいな」

 

 そう言って、苦笑しながら私に毛布をかけるアクアの表情は慈愛に満ちていた。彼女の心配を素直に受け止めつつ、先ほどまでの自分の醜態について深く反省する。記憶については判然としないが、私はカズマの前で盛大に取り乱した。そりゃあもう凄い暴れっぷりであったらしい。結局、屋敷に帰ってきたアクアと今まで私を抑えていたカズマと共に強制的に眠らされたそうだ。

 

「なあ、アクア……」

 

「どうしたの? お腹でも減った?」

 

 

「いや……その……」

 

頭の中でぐちゃぐちゃに揺れ動いてる感情を、私は上手く言語化する事が出来なかった。というよりは、私自身が状況を理解で出来なかった。私は、確かに昨日までカズマとの楽しいデートの日々を過ごしていた。それから、めぐみんが紅魔の里に帰ってから7日目にあたる日に、私はめぐみんがカズマと契りを結ぶ決定的な瞬間を見てしまったのだ。

 

「うぷっ……」

 

「どうしたの? 気持ち悪いの? もう、やっぱり無理してる……」

 

「うぐっ……本当にすまないアクア……」

 

「いいのいいの。ほら、背中さすってあげる」

 

私の上体を抱き起し、優しく背中を撫でるアクアに自然と身を委ねてしまう。そうして落ち着いた私は、あの出来事は全て夢だったのではないかと思い始めた。実際、日付は一週間前に戻っているのだ。

 

「っ……!」

 

「ダクネス、すごい鳥肌が立ってるわよ? やっぱり風邪かしら……でも平熱だし……」

 

私の身体を触診するアクアをよそに、私はアレは”夢”なんかではないと実感する。あの時に味わった屈辱、どうしようも出来ない事に対する自分への怒り……めぐみんへの■■もどうしようもなく現実的で今まで見た悪夢を優に超える恐怖を味わった。

 何より私は今も覚えている。鼻孔をくすぐるカズマの匂いを、思い出したくもないあのすえた胃液の臭いもだ。とてもじゃないが、アレが単なる悪夢ではない事は理解していた。

 

「んっ……もういいアクア。少し一人にしてくれ」

 

「わかったわ……とにかく今日は絶対安静だからね?」

 

「了解……」

 

「もう、本当に手のかかる子達なんだから」

 

そう言って朗らかに笑いながら部屋から退出していったアクアに、私は心の中で感謝を告げる。その後はひたすらぐるぐると脳内でうずまく思いと相対するだけであった。今は、頭の中で考えた事全てに”何故”という疑問符が付きまとう。しかし、確かな事実を私は自覚していた。

 

 

 

 

私は”チャンス”を得た。

 

 

 

 

本来なら潰えていた私の思いを遂げる機会を、私は再び手に入れてしまったのだ。それならば、私はこのチャンスを……奇跡を無駄にはしない!

 

 

 

 

「カズマ、お前は私のモノだ」

 

 

 

 

 

ポツリと呟いた一言が、寝室に小さくこだました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……どうすればいい……」

 

 

 

 

 

あんなにも盛大に覚悟を決めたというのに、私はあの日から三日間全くと言っていいほど行動を起こしていなかった。それもそのはず、あのめぐみんにしてやられた世界とは違って私とカズマは少しギクシャクしているのだ。原因は、初日にカズマ達に当たり散らした事が原因だろう。ここ数日、彼は私に対していつもより多く声をかけてきたり、世話を焼いていた。だが、その目には病人を心配するような気遣いしか宿っていない。この状況ではとてもじゃないがデートには誘えないし、誘ったとしてもいい雰囲気にはなれないだろう。

 

「はむ……」

 

私は目の前のテーブルに置かれたチーズケーキを一口咀嚼し、紅茶を口に含む。その平凡な味を味わいながら、私は大きくため息をつく。私が今いるこの喫茶店での思い出は、本当に楽しかった記憶として今も私に根付いている。しかし、この世界のカズマには私とデートした記憶などもうないのだ。それは、私が愛したカズマ……私とデートをしてくれたカズマがもうこの世には存在しない事を意味していた。

 

「っ……!」

 

 ぶるりと身体を震わせながら、私は大きく頭を振る。確かに、彼にはもうあのデートの記憶はない。しかし、その記憶は全て私が覚えている。それに、カズマは”カズマ”だ。思い悩む必要など全くない事なのだ。

 

 

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 

 

 突然かけられた声に、思わず身構える。しかし、私が顔を上げた先には見知った顔がこちらを心配そうにのぞき込んでいた。彼女は見慣れた紅魔族ローブに身を包み、めぐみんと違ってその豊かな双丘をローブごしに主張している。艶やかな黒髪をおさげにして肩に垂らし、幼い顔つきながら男を誘う抜群のスタイルを持っている少女の事を私は見間違えはしない。私はその見知った顔に苦笑を返す。やはり、今の私は周囲に心配されるような状態らしい。

 

「久しぶり……いや二週間ぶりだなゆんゆん。めぐみんとカズマと一緒にクエストをに行くところ見かけた以来だな」

 

「ええ、そうですね。少しお久しぶりです。それより、どうしたんですかダクネスさん、何だか非常に思いつめた顔をしていましたけど……」

 

「それは……」

 

 言い淀む私の前で、ゆんゆんはそっと離れる。そして、少し離れたテーブル席に置いてあったティーカップと軽食をこちらのテーブルまで持ってきて私の対面の席に腰を下ろす。どうやら、彼女もここの利用客であったらしい。

 

「何を言ったらいいかわかりませんが、その……知ってる人が思いつめてる姿を見るのは非常に心苦しいんです。私で良ければ相談に乗りますよ」

 

「知っている人……か……」

 

「えっ……あっ……そうですよね……ダクネスさんにとっては私は友達の友達で知ってすらいない人ですよね……」

 

ゆんゆんは先ほどとは打って変わってどんよりとした表情で下を向く。私より相談を必要とするほど落ち込んだ彼女の姿に思わず苦笑し、そんな彼女を元気づけるために私は魔法の言葉を囁いた。

 

「落ち込むな。ゆんゆんは私の友達だろう?」

 

「あっ……友達……友達になってくれるんですか!?」

 

「むしろ、そちらが私を友達として認識していなかった方が寂しいな」

 

「そんな事……そんな事ないです! 私はダクネスさんの友達です! だからその……相談でも、頼み事でもなんでもしてあげますよ!」

 

 目をキラキラさせ、私の方に身を乗り出すゆんゆんに私は微笑みを返す。正直、こんな彼女の姿を見ただけで少し癒されたのだ。何というか、私自身も誰かに話を聞いて貰いたかったようだ。だから、私は意気揚々としているゆんゆんに素直に口を開く。もちろん、今の私の悩み事についてだ。

 

「なあ、ゆんゆんは今まで信じていた相手に裏切られた……いや違うな……信じていた相手の醜い一面を見た時、その人と今後も上手くやっていけると思うか?」

 

「醜い一面……そうですねえ……」

 

うんうんと唸りながら冷や汗を垂らす彼女に、私は少し意地の悪い質問をしたと自分を恥じる。こんな相談、私が受ける側だとしてもどうしたらいいか分からないだろう。だが、彼女は緊張した面持ちで深く息をついてから、こちらを真剣な表情で見つめてきた。

 

「えっと……そのダクネスさんの言う信頼していた相手って多分めぐみんの事ですよね?」

 

「…………」

 

「違うなら謝ります。でも、そのお相手がめぐみんだと仮定してお話ししますね?」

 

「ああ」

 

 正直、彼女の事を侮っていた。内心、友達が少ない彼女になんでこんな相談をしてしまったのだとも思っていたが、この認識は改めるべきだろう。ゆんゆんは私如きが下に見ていい存在じゃない。

 

「私とめぐみんはお互い意地を張っていますが、私自身は彼女を友達だと思っています。そんな私から言わせてもらえれば、めぐみんの醜い所はたくさん見ています。もの凄い食い意地が張っていますし、私との関係の始まりだって彼女から見れば食料の確保と私を少し虐めて鬱憤を下げる打算的な面もあったのかもしれません」

 

「そうか……」

 

「正直言って、めぐみんの事は嫌いです。何ていうんでしょうか……すぐ私にマウントを取ってきて……友達がいないだとか仲間がいないだとか……男がいないだとかと馬鹿にされるのは、本当に頭に来ますし、正直辛い時があります」

 

「ゆんゆん……」

 

 ゆんゆんの表情は筆舌し難い複雑な表情だ。私はそんな彼女を見て驚きっぱなしだ。ゆんゆんがめぐみんに対してこんな思いを抱いているとは思わなかった。彼女とめぐみんははたから見てもとても仲良しに見えていたからだ。

 

「でも、めぐみんはそんな打算的な面があったとしても、根底には周囲と上手くなじめない私を気遣っての行動だって私は知ってます。私への変な絡み方だって、私を心配して気にかけてくれる故の行動だって私はよく知っています。だから、私はめぐみんの事を嫌う以上に”大好き”なんです」

 

「…………」

 

「ダクネスさんも、あれだけめぐみんと一緒にいたなら彼女の醜い面は普段から見ているはずです。それに、彼女だって貴方の醜い面を見ているかもしれません。今回はダクネスさんの”嫌い”が”好き”を上回ってしまったかもしれませんが、それだけで彼女を……友達を亡くすのは私は嫌です」

 

 はっきりそう言ってのけたゆんゆんに素直に感服する。確かにその通りだ。私は裏切られたと感じたが、カズマを巡るめぐみんとの淑女協定はすでに済んでいる。お互い正々堂々といきましょうと。あのやり直す前の世界では6日目の夜~7日目にめぐみんはカズマに攻勢を仕掛けた。それにカズマが陥落したまでである。それまでの6日間のカズマへのアプローチを棚に上げてめぐみんを非難するほど私は恥知らずではいたくないのだ。

 

「…………」

 

「あの……私の言葉はダクネスさんの役に立ちませんでした?」

 

「そんなことはない……ありがとうゆんゆん。おかげで目が覚めた」

 

「ふふっ、そうですか」

 

「お礼に会計は持とう。それより、もう湿っぽい話はなしだ。これからは友達として話そうじゃないか」

 

「本当ですか!? 実はこういうお店でお友達とお話しするのが私の夢だったんです!」

 

満面の笑みでそんな可愛い夢を語る彼女に私は破顔してしまう。なんだか、めぐみんが彼女をいじりたくなる理由が分かった気がした。

 

「そういえば、少し前にカズマが話していたぞ。ゆんゆんはその……とんでもない所に妙な印があるらしいな」

 

「っ……!? なんでそんな事を彼が……なんで知ってるんですか!?」

 

「どうやらめぐみんから聞いたらしい。お前も少しはめぐみんを絞めてやったらどうだ」

 

「めぐみん……ああっ……そういう事ですか」

 

 顔を真っ赤にしたゆんゆんは納得したように、どこか焦った様子を落ち着かせるように小さくぶつぶつと呟いていた。それから、彼女と他愛のない会話を交わして行く。魔王討伐で得たお金をの使い道、最近飼い始めたペットの話、今まで通りの冒険者クエストを受ける事への虚しさや、魔王を倒した私達が社会貢献のために何をすべきかなど、気が付けば真剣に討論を重ねていた。

 そんな時、私はゆんゆんの左手の薬指に、鈍く光る銀色の指輪がある事に気が付いた。その位置に指輪を着ける意味は一つしかない。だから、私はほんの興味本位でその指輪について問いかけてみた。

 

「ゆんゆん、なかなか良い指輪を着けているじゃないか。私の審美眼が正しければかなり値がはるものじゃないか?」

 

「これは……そうですね。微量ながらもステータスを上昇させる立派な魔道具……私の大切なものなんです」

 

どこか悲し気に微笑みながら、ゆっくりと指輪を撫でる彼女に私は茶化す気持ちに躊躇いが生まれる。しかし、ここまで来ると余計に気になってしまうのだ。

 

「しかし、左手の薬指に指輪をつけるなんて、ゆんゆんも隅に置けないな」

 

「…………」

 

「ゆんゆん?」

 

 

 

 

ジロリとこちらを見るゆんゆんの目には光がなかった。

 

 

 

 

 

だが、次の瞬間にはテーブルに顔を突っ伏してしまう。彼女はぼそぼそと恨み言を吐いていた。

 

 

 

 

「ええ、ええ……そうですとも……ちょっと夢を見たかっただけです……」

 

「おい」

 

「ふふっ……どうせ私なんて男なんていませんよ……」

 

「まったくお前は……」

 

それからはうじうじ言い出したゆんゆんの愚痴を聞いていた。そして、流石に店員の目線がちょっとだけ痛くなってきた時、私は会計を支払ってゆんゆんを街へと連れ出した。その後、彼女との”友達”として楽しい時間を過ごした。

 

その日の別れ際、ゆんゆんは私の両手をぎゅっと握って激励の言葉を飛ばす。嬉しい反面、少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 

 

 

 

「ダクネスさん、私は貴方を応援してますからね!」

 

「そうかい、ありがとうと言っておくよ……」

 

「ふふっ、本当に……本当に応援していますから……」

 

 

 

 

くすくすとゆんゆんは笑っている。

 

その目には見覚えがあった。

 

私が嫌いな目……二度と見たくない目……憎たらしい目つきであった。

 

 

 

 

 

 

 

「だって、めぐみんが無様に負けるところ……見たいと思いませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、ゆんゆんは確かに私の悩みを解決してくれた。

 

私は別にめぐみんのしでかした事に怒っているわけではない。彼女がカズマにアプローチするのも、彼と契りを結んだ事も別に今の状況を考えると仕方のない事であった。彼女だって、愛する男を手に入れたいのだ。

 

 

 

だが、あの目が気に入らない。

 

 

 

私が情けなく嘔吐していた時、めぐみんは私の姿を見て恐怖していた。当然だ。情事に励んでいた部屋のクローゼットに恋敵が潜んでいたのだ。そんな表情を浮かべるのも仕方がない事だ。

 

 

 

だが、あの口元が気に入らない。

 

 

 

めぐみんは恐怖の表情を浮かべていた。しかし、私は朦朧とした視界の中で確かに見た。めぐみんの”口角”が少し上がっていたのだ。口角を上げ、私を見降ろした目には明らかな”嘲笑”が見て取れた。それが私は許せなかった。

 

 

■したいほど憎らしかった。

 

 

 

 

「めぐみん、私はお前を許さない……許せそうにない……こんな矮小な私をお前も許さない……」

 

 

 

 

 

友達というものの存在が途端に馬鹿らしく空虚に感じられた。

 

 

 

 

 

屋敷への道を重い足取りで歩んで行く。

 

 

背後ではゆんゆんの押し殺したような笑い声が聞こえてくる。

 

 

 

くつくつ、くつくつと。

 

 

 

 

 

 

 




更新は不定期!


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セカンドチャンス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんかお前ら近くね?」

 

 

 

 そんな困惑の表情を浮かべているのは私が恋心を寄せるカズマであった。彼はリビングのソファーにどっかりと座りくつろいでいる。しかし、その声音は少し居心地が悪そうであった。それにイラついてしまった私は、彼の左腕をとってギュっと抱きしめる。彼の体温と匂いを間近に体感し、自然と私の身体は火照ってしまうが今は彼を失う恐怖の方が胸の高鳴りより勝っていた。

 

「いいじゃないの、両手に花って奴ね! それに、アンタみたいなヒキニートじゃ畏れ多くて触れるのすらはばかられる絶世の美女に挟まれてるのよ。むしろこんな愚かな自分に触れてくださってアクア様ありがとうございますくらいの感謝を言えないわけ?」

 

「くそっ……否定できないのがムカつくな。お前、顔だけはいいもんな」

 

「か、顔だけじゃないわよクソニート! 私は女神なのよ!? 顔も身体も性格も全てが素晴らしいに決まってるじゃない!」

 

「うん、そうだね!」

 

「ちょっと、その生暖かい目はなによ! いいわ、そっちがその気なら……えいっ!」

 

「おまっ……!? 落ち着け俺……これはアクアこれはアクアこれはアクアこれはアクア……」

 

 

カズマに正面からむぎゅっと抱きつくアクアは顔面を彼の胸に押し付けて悶えている。今だけは、自由奔放なアクアの姿が少し羨ましかった。

 

 

「むふっ~むふっ~!」

 

「おまっ……さっさと離れろアクア! 犬かお前は!」

 

「んっ……う~!」

 

 カズマの胸ですんすんと鼻を鳴らすアクアを彼は無理矢理引き剥がす。彼女はぶーたれた顔ながらもどこか恍惚としていた。アクアがこれほどにもカズマにイカレてしまっている事に驚く一方で、妙な納得もある。アクアは確かにアクシズ教の女神だが、彼女も”女”であることには変わりない。女神も、惚れた男の前では単なるメスに成り下がるのだ。

 

「くそっ……最近アクアがこの調子なのはいつもの事だが、ダクネスまでどうしたんだ? あんなに取り乱してたのが落ち着いたと思ったら、今度はしおらしくなりやがって……」

 

「もう、カズマさんったら今は私にかまってくれる時間でしょう? ダクネスはいいからもっとかまって敬ってお酒とおつまみを献上しなさいな」

 

「本音はそれか駄女神!」

 

「そんなことないわよ。私はカズマさんと楽しく酒盛りしたいだけよ……真昼間から!」

 

 横でじゃれあうカズマとアクアを眺めながら小さく嘆息する。彼らの仲の良さ……”相性の良さ”は私やめぐみんよりも一つ上の段階に位置している。今はカズマがアクアの事を女として相手をしていないので、たいした脅威ではないが、もしカズマの意識が変わればアクアはめぐみん以上の強敵になる事は間違いないのだ。

 

 

「だああっ! もういい加減にしろお前ら! 俺はちょっとトイレ行ってくる!」

 

 

 絡みつくアクアと私を振りほどき、少し前かがみで逃げ出したカズマはトイレへと逃げ込んでしまった。その後を無意識に追った私達は彼が入っているトイレの前で腰を下ろす。隣には、朗らかな笑みを浮かべたアクアの姿があった。私がふいと顔を逸らすとアクアは滑り込むように私の視界に入ってくる。正直、少し鬱陶しかった。

 

「ふんふん、ダクネスもカズマさんと触れ合って少しは落ち着いてきたみたいね!」

 

「別に私は……」

 

「強がってもダメ、ちょっと前までなんだかすごーく絶望的な表情を浮かべてたもの。でも、今は少しだけマシになったわ」

 

「…………」

 

押し黙る私に、彼女は眉尻の下がった微笑みを返す。そんなアクアを見ていると、何だか自分がひどく矮小な存在に思えてきて嫌だった。

 

「ねえ、ダクネス。めぐみんと何かあった?」

 

「っ……!?」

 

 何気なく核心をついてくるアクアを前に私は情けなく下を向く事しか出来なかった。そんな私を見て彼女はくすくすと笑っていた。

 

「なぜめぐみんが関係あると思ったんだ?」

 

「ダクネスが落ち込んだタイミングを考えれば嫌でも分かるわよ。めぐみんってば結構意地が悪い子だもんね。どうせ、カズマさん絡みで何か喧嘩でもしたんでしょう?」

 

「いや……ああ……そうかもしれないな」

 

 別に里帰り前にめぐみんと喧嘩したなんて事実はない。だからこそ、私はアクアの言葉にぎこちなく頷いた。真実を伝えたら、カズマやアクアは私を軽蔑するだろう。それだけはごめんだ。これ以上、私は醜い私自身を自覚したくなかった。

 

「ふふん、そうだと思った。どうせ、里帰り中はカズマさんを誑かすような事はするなって釘を刺されたんでしょう? それならお互い様よ。私も、めぐみんにカズマさんをこれ以上ダメ人間にするなって怒られちゃったからね」

 

「その点に関しては私もめぐみんに同感だ。金を持ったアイツは見ていて情けなくなるくらいダメになる。お前がその仲間に加わればなおさらダラけるぞあの男は」

 

「別にいいじゃないの。カズマさんとダラけるのは私も好きだしね。それに、彼だって必要な時は自分で動き出すわ。それまでゆっくり見守ってあげるのもいいかなって私は思っているの」

 

 まるでニートの息子を甘やかすダメな母親、もしくはヒモに甘いダメ女のような事を言い出したアクアには辟易する。あの男は確かにやる時はヤる頼りになる男だが、一方で余裕がある時は資金が底に着くまでだらける男だ。それは正直嫌だ。私も理想とする男……夫の姿がある。それに近づいて貰いたいと願うのは女の我儘なのだろうか。

 

「それより、めぐみんの話よ。何を言われたの? このアクア様に言ってみなさいな!」

 

「ありがたい申し出だが話せない。アレはお前には関係ない事だ」

 

「むっ……本当に意地っ張りね……ダクネスもめぐみんも……カズマも……」

 

 アクアは苦笑しながらため息をつき、再び私の視界に身体を滑り込ませてくる。そんなアクアについに我慢できなくなった私は、彼女の頭を掴んで床に押し付けた。しばらくわーきゃーとじたばたしていたが次第に大人しくなった。気づけば、私に頭を掴まれて床に寝転がっているアクアが私の方をじっと見ていた。

 

「ねえ、ダクネス。きっとカズマさんが誰を選んでも、私達の”今”は変わらないわ。そんなに身構えなくてもいいと思うの」

 

「何が言いたいんだアクアは……」

 

「別にそのまま意味よ。貴方かめぐみん、どちらがカズマさんと結ばれたとしても私達は”ずっと一緒”でしょう?」

 

 

 

 

満面の笑みそんな事を言うアクアを見て私は苦笑してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿かお前は」

 

「えっ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 表情を強張らせるアクアを見て私は失笑する他ない。彼女はなぜ、そんな脳内お花畑でいられるのだろうか。そこは少し羨ましい部分であったが、こうはなりたくなかった。

 

「確かに、アクアとめぐみんは私にとってもかけがえのない友人だ。ずっと一緒にいたいっていう思いは私も持っている」

 

「そ、それなら別にカズマがさんが誰と結ばれようとも私達はずっと一緒で……!」

 

「友達だからこそ譲れない部分がある。むしろお前は許せるのか? 自分の愛する男を、お前は友情を保つために”差し出す”のか?」

 

「それは……」

 

 アクアの頭から手を離し、彼女との距離を少し開ける。どこか、決定的な部分で私はアクアと思いを共にする事は出来なかった。また、アクア自身も言葉に詰まり、悲痛な表情でうつ向いていた。アクアも彼女自身が持っている矛盾に気づけたのであろうか。

 

「私はな、お前やめぐみんが怖い」

 

「怖い……?」

 

「そうだ、お前達の存在が私は怖い」

 

 私はぶるぶると震える膝を両手で押さえつける。身体を丸くして座る自身の姿は情けないが怖いものは怖いのだ。以前の私なら、このような思いは抱かなかったかもしれない。しかし、私の淡い夢物語とプライドはすでに砕け散っている。もう私には虚勢を張る余裕はなかった。

 

「例え、私がカズマと結ばれたとしても彼の愛を私に留めておく自信はもうない。だから、もし私がカズマとそういう関係になったのなら私はお前達を彼に近づけない」

 

「そう……」

 

「私以外の人に触れて欲しくない。私以外の人に話しかけないで欲しい。私以外の人と人間関係を持ってもらいたくない」

 

「…………」

 

「これは醜い独占欲に見えるかも知れない。でも、私は愛する人にそれを求める。もう、”あんな思い”はしたくないんだ」

 

 脳裏にめぐみんの紅い目がフラッシュバックする。あんな思いはもうごめんだ。二度と見たくないし思い出したくもない。だが、めぐみんやアクアがこの世に存在する限り、”可能性”は残り続けるのだ。

 

 

 

 そんな時、トイレの中から水で洗い流す音がジャバジャバと響き渡る。私は顔を上げ、出来る限り平常心を保とうとしていた。横目でアクアを見ると彼女はまだうつむいていた。

 

 

 

 

「そうなんだ……」

 

 

 

 

アクアは下を向いてぶつぶつと呟いている。彼女の表情はこちらからは見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーん、そうなんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がちゃりと扉を開けて出てきたカズマは私達の方を見てギョッとした表情を浮かべ、大きなため息をついた。

 

「あのなあお前ら、トイレの前で無表情で俺を待つのは怖いからやめろ。つーか何なんだよお前ら! まさかストーカーか! これがストーカーって奴なのか!?」

 

「ふふっ、そうかもね。それよりカズマ、随分と遅かったじゃない」

 

「うるせえよ、うんこだようんこ! ほら散れお前ら!」

 

 私達にしっしと手を振って追い払おうとするカズマに、アクアがそっと絡みつく。アクアの表情はどこかニヤついていた。私はそんな彼女を見てどこか安心する。少しキツい事を言ってしまったが、アクアはそれほど気にしていないようであった。

 

「ねえカズマさんは”どっち”でシたの?」

 

「なっ……後ろの穴でたっぷりクソをひねり出してやったよ!」

 

「そうなの。ふふっカズマったら臭いわ……とっても”匂う”わよ」

 

「くっ……」

 

「私は女神だから鼻が人間の数十倍良いのよ。だから、カズマさんの匂いも……」

 

「”逃走”!」

 

「あっ……」

 

 いきなり逃走スキルで窓から逃げ出したカズマの事を私達は見送る事しか出来なかった。アクアはそんなカズマに微笑みを浮かべてクスクスと笑った後、私に向き直る。彼女の表情から、すでに微笑みは消えていた。

 

「この後はどうするのダクネス?」

 

「別に何も。あの男と過ごそうかと思っていたが、逃げられたのなら仕方ない。本気で逃げるアイツを捕まえるのは難しいからな」

 

「そう……それじゃあ私は外に出てくるわ。ぐうたらするのにはもう飽きたしね」

 

 アクアはそう言いながら、カズマが逃げたのと同じ窓枠からぴょんと飛んで外に出る。それから、彼女はこちらに大きく手を振ってきた。

 

「それじゃあ行ってきます! ダクネス、アンタはまだ本調子じゃないみたいだからゆっくり休みなさいよ!」

 

「ああ、そうするとしよう」

 

 アクアにそう答えた私は、そっと立ち上がる。そうだ。私は何をしている。奇跡が起こり、チャンスを得られた。この機会を生かすも殺すも自分次第なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

「こんなところか……」

 

私は頭をうんうん唸らせながらもたった数行しか書かれていない紙片に思わず顔をしかめる。だが、現状では私はこれだけしか”情報”を知りえていないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『対めぐみんメモ』

 

・里帰り後、1~6日までにカズマはめぐみんと接触していない。

・6日目夜~7日目にめぐみんとカズマが出会い肉体関係に発展。

・7日目夕方以降に二回戦開始。

・恐らくカズマとめぐみんの初体験は失敗に終わり中途半端に終わっている。

 

 

 

 

 めぐみんにしてやられた世界において、私はカズマと1~6日目までに濃密な時間を過ごしていた彼の夜間の行動は未確定であるが、少なくとも日中は私と一緒にいた。日中にめぐみんに会いに行った線は薄いだろう。問題は夜間であるが、不確定な部分が多いのは仕方がないと言える。それに今日は件の6日目だ。今更後悔しても遅いのだ。

 

「本当に、私は馬鹿だな」

 

 あれだけの時間的猶予があったのに私は取り乱して一人で落ち込み何もしてこなかったのだ。私はそんな悲観的な考えを大きく頭を振って打ち消す。とにかく、私の中ではある確信がすでに頭の中にあったのだ。

 

それは自分が何もしなかった世界こそがあの”めぐみんにしてやられた世界”というわけだ。

 

 あの世界において私は彼と逢瀬を行うだけで満足していた。めぐみんにはそのスキを突かれたのである。だからこそ、私は今回に置いてはこれ以上のスキを晒すわけにはいかない。それに、めぐみんが仕掛けるのは6日目夜である事は変わりないという確信もある。それは2度も新人メイドにコーヒーをぶっかけられた事に由来している。何もしなければ、あの世界で起きた事象はこの世界でも発生する。

 今回、私の発狂やゆんゆんとの遭遇といった事象は前回には起きなかった事だが、カズマやめぐみんに対して何も行動をしていない……何もしていない点は前回と共通しているのだ。それならば、今回も”前回”と同じことが起こる。

 

 

「こんな事をしている場合じゃないな」

 

 

 私はメモ書きを丸めて懐に入れる。それから、少し速足でダスティネス家の屋敷へと向かった。

 

 

 

 こうして実家に帰り着いた私は屋敷の裏手にある兵舎に顔を覗かせる。そこはダスティネス家の保有する私軍の一部であった。お父様や私の護衛、領地内、及び屋敷の警備を行っている兵士達がここに詰めている。その警備主任の隊長と私は今向き合っていた。彼は私の来訪に驚いているようであったが、すぐに私の前で片膝をついていた。

 

「お嬢様、こんな所に何か御用ですか?」

 

「ああ、少し頼みたい事がある。もちろん、お父様には内密にして欲しい頼み事だが……」

 

「以前、私達はお嬢様のお願いは死んでも叶えろとご当主様に躾けられています。お嬢様の御意に従うのは当然です」

 

 何やら感じ入ったように私を見つめる警備隊長には少しばつの悪い思いを感じるが割り切る事にする。使える者は使う。そうしなければ私はめぐみんに勝てる自信がなかった。

 

 

 

 

「それじゃあ肝心の頼み事だが……」

 

 

 

 

 私の頼みごとを聞いた警備隊長は真剣な表情で頷いた。今すぐ人員を配置しますといって忙し気に動き出した彼は非常に頼もしかった。一方で、自分の中に渦巻き始めた感情に私は嫌悪する。彼らは私の頼みごとを快く引き受けてくれた。それならば、”どこまで”私の頼みごとをきいてくれるのだろうか。

 

 

「私は何を……!」

 

 

 考えてしまったどうしようもない事を私は全て振り払う。それをしたらおしまいだ。貴族として、人間としてやってはならない。だが、頭の片隅に残り続ける”ソレ”は常に私の思考を誘惑していた。それを忘れるように私は走り出す。今は、今夜の対めぐみんについてだけ考えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 それからアクセルの屋敷に帰宅した私はせわしなく屋敷内を歩き回っていた。今の私には何も出来ない。そんな自分を落ち着かせるように私は脳内でのシミュレーションを行う。時刻は夕刻、まだカズマは家に帰ってきていないがここからが正念場だ。

 

 

「落ち着け私」

 

 もうすでにめぐみんの攻勢が始まっているのではないかという恐怖に背中を寒くさせるが、ここは私の勘を信じる事にする。まだ大丈夫、大丈夫なのだ。

 

 

「っ……!」

 

 

 私の耳が屋敷の扉を押し開ける音を捕らえる。急いで玄関に向かった私は目的の人物を目にして心底安堵した。帰ってきたカズマは何故だかしかめっ面をしていた。普段なら少し言い淀んでしまう私だが、そんな躊躇いは今は必要としなかった。

 

「お帰りカズマ」

 

「ああ、ただいま」

 

「なあ一つ質問なんだが……めぐみんに会ったか……?」

 

「ん? 何ってんだよ。あいつは里に帰省中じゃないか」

 

 いぶかしげにこちらを見るカズマに見つめられて、私は上がりそうになる口角を必死に抑える。やはり、まだめぐみんは攻勢をしかけていない。間に合う……まだ間に合うのだ。このチャンスを私はものにする。必死に心を落ち着かせた私は、必殺の一撃をカズマに叩き込む事にした。

 

「カズマ……その……お願いがあるんだが……」

 

「ああ……ってお前ゆでだこみたいに顔真っ赤だぞ。大丈夫か?」

 

「大丈夫だ! それよりその……私を……だ……だい……!」

 

「だい……?」

 

 

私自身が嫌になる。何故こんなにも単純な一言が言えないのだろうか。だが、私はここで諦めたりしない!

 

 

「私はだい…だい……ひう……」

 

「なんで泣きそうになってるんだお前!?」

 

「う、うるさい! 私は大根の煮つけが食べたいと思っただけだ!」

 

「まさかの逆ギレ!?」

 

 

 

 

 

 

 

ダメだった。

 

私はどうしようもない愚か者であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、夕食の食席をへとついた私は小さくなる事しか出来なかった。そんな私を見るカズマは苦笑しながら窓の外をチラリと見る。窓の外はすでに闇に染まっていた。

 

「どうした、お前が食いたいって言ったんだぞ。カズマ様作ってくださってありがとうございましたって感謝しながら食えよ」

 

「んっ……その点は感謝している。しかし、お前もアクアみたいな事を言うんだな」

 

「勘弁してくれ! アイツと似てるなんて普通に罵倒表現の一種だからな!」

 

 そう言ったカズマはアクアのために用意された食事を見て少し寂し気に笑った。結局、アクアはまだ屋敷に帰ってきていない。しかし、最近はアクアが外に遊び歩いて帰ってこないのはよくある事であった。思えば、めぐみんにしてやられた世界においてアクアは夜間に屋敷に帰ってくる事はほとんどなかった。カズマとデートをしていて浮かれていたため、その点について今更ながら意識した。

 

「どうせアクシズ教会か冒険者ギルドでいつもみたいに酒盛りでもしてるんだろう。ほら、冷めないうちにさっさと食っちまおうぜ!」

 

「ああ……」

 

 カズマが作ってくれた大根の煮つけを一口齧る。そぼろ肉の油と醤油の味が染みた良い味わいであった。彼の料理は一流のシェフが作った料理よりかは味は一つ落ちるが、その料理の腕前がプロフェッショナルなものであるのは確かであった。それに、彼の食事には暖かみがあった。この大根の煮つけだって、彼が私のために作ってくれたものだ。この暖かさはダスティネス家の料理人が作った食事からは感じられないものであった。

 

「美味いか?」

 

「ああ、美味しいな……」

 

「それなら結構、まあ食いたいものがあるならいつでも作ってやるよ。ララティーナお嬢様の舌に合うかは分からないけどな!」

 

「お嬢様呼びはやめろ」

 

「分かったよララティーナ!」

 

「んっ……それでいい」

 

「いいのかよ!?」

 

 彼が名前を呼んでくれるだけで私の胸は高鳴る。それくらい、私はカズマに惚れてしまったのだ。それなのに私はあの”一言”を躊躇してしまった。それがどうしようもなく情けなかった。それからは、カズマの料理と、彼との他愛もない話を楽しんだ。一応、めぐみんについて何回か探りを入れていたが接触はないようであった。

 

「つーか、今日はやけにめぐみんの事を心配してるなダクネス」

 

「心配……?」

 

「そうそう、確かにアイツが俺達から離れて馬鹿やってないのか心配になるのは分かるぞ。あいつ、かなりのトラブルメーカーだしな」

 

 にこやかに笑うカズマに私は上手い言葉が返せなかった。そんな事、アイツにしてやられた世界においても考えていない。今までは心の片隅にあり自覚していないようにしていたが、私は前回でも同じことを考えていた。めぐみんは本当に”邪魔”でしかないのだ。

 

 

 

 

「そういえば、アイツが帰ってそろそろ1週間か。今夜あたりにでもあのツラ拝みにいってやるか」

 

「それはダメだ!」

 

 

 

気づけば私はテーブルに両手を打ち付け、彼の方へ身を乗り出していた。衝撃で倒れたグラスから飲み物がこぼれるがそんな事はどうでもいい。だが、内心で納得いくものがあった。彼は前回の世界でもこのような思考に至り、めぐみんに会いに行ったのではないかと。

 

「めぐみんは家族水いらずの状態なんだ。それを邪魔しに行くのは酷だろう。それに、”まだ”1週間だ。カズマはアイツのストーカーか?」

 

「おまっ……いやそうだな……心配しすぎか……」

 

「それに時間も時間だ。こんな夜中に娘を訪ねてくる男を出迎えるめぐみんのお父様の気持ちになって考えてみろ」

 

「はい、すんません……」

 

 少し落ち込んでしまったカズマと私は食事を再開し、しばらくしてお開きとなる。それから晩酌を始めた彼を置いて私は隣室におもむき、その窓から外へ向けて手鏡をかざした。そうすると、暗闇の中からもピカピカと光の反射が見え始める。どうやら、私の頼み事に従ってくれたようだ。彼らには夕刻から朝までに屋敷への行き来をする人物を捕縛するように頼んでいる。例外はアクアとカズマだ。それ以外の人物……めぐみん含めての侵入者があった場合は拘束して私へすぐさま報告する手筈になっている。また、カズマが屋敷からの脱出を図った場合も同様だ。加えて、警備隊の魔導士に屋敷内への”テレポート阻害”もお願いしていた。

 

 私は今一度覚悟を決めると、懐から医者が使う聴診器のようなものを取り出す。これも警備隊長に準備してもらった役立つアイテムだ。本来は医療用に使われるが、その能力を高めた魔道具は王都の諜報部隊にも使われているとされている。そして、これはその”諜報用”の魔道具であった。

 壁にその魔道具を押し当てると、両耳に壁の向こうの音が鮮明に聞こえてくる。隣からは、カズマの咀嚼音やお酒を飲むゴクリという音、時折、大きなため息が聞こえてきた。

 

 

 

『やべーな俺……流石に今の状況で出禁はマズイ……しかし俺が何をしたっていうんだ……」

 

 

 

 彼の咀嚼音や食器をテーブルに打つ音がさきほどより大きくなっている。どうやら感情が昂っているらしい。それから、時折小さな愚痴を呟いていたが半刻程してから彼はそっと動き出した。それをそっと尾行した私は、カズマが自分の寝室へと入った事を確認するとすぐさま脳内シミュレーション通り、彼の部屋の隣室へと足を運ぶ。 

 それから、彼の部屋に面する壁に魔道具を押し当てた。しばらくは布ズレの音が響いていたが、ついには彼の大きなイビキが聞こえた。その事に安堵しながら、私は気を引き締めた。今夜は徹夜をしなければならないからだ。

 

 

 

 

「むっ……?」

 

 

 

 そんな時、一つの違和感に気が付いた。それはカズマの部屋ではなくこの部屋についてだ。この部屋は以前から空室であり、物置となっていた。それなのに、なにやら人が生活していたかのような生活感があるのだ。気のせいかもしれないが、大きな木箱の上に無造作に置かれた毛布が気になって仕方がなかった。

 そして、その毛布に触れて少し匂いを嗅いでみたが、当然ながら私は動物の類ではないのでこれが誰のものか分からない。しかし、不快感のない甘く清涼な匂いがしたのは確かであった。それから毛布があった場所から振り返った私は更なる違和感に気づく。この暗闇に置いて、壁から少し光が漏れる場所があったのだ。それに、近づいた私は壁に”小さな穴”がある事に気づく。無論、そこからはカズマの部屋の中の様子をかろうじて見ることが出来た。

 

 

「こいつもめぐみんの仕業か……?」

 

 

 今、ストーカーじみた事をしている私はそれについてはこれ以上追及しない事とする。だが、この穴はありがたく使わせて貰う事にした。

 

 

 

「ふふっ、だらしのない寝顔だな……」

 

 

 

 穴の先ではカズマがだらしのない寝顔でで寝息を立てている。その光景はいくら見ても見飽きなる事のない光景であった。だから、私は見つめ続ける。何分でも何時間でも……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、ベッドから上半身を起こしたカズマを見て、私は窓にかけよって手鏡をかざす。そうすると朝日が輝く空に一発のファイアボールの魔法が打ちあがる。これは”異常なし”の合図であった。それを確認した私はすぐさまカズマの部屋の扉を蹴り開ける。彼は、こちらをぼーっとした表情で見ていた。

 

 

「朝からどうしたダクネス?」

 

「少しな……一つ聞きたい事がある」

 

 

 

 

躊躇いながらも、私は彼に質問をした。

 

 

 

「めぐみんと会ったりしてないか?」

 

「はあ? アイツは里だろ。それに、会いに行くなって釘を刺したのは……ほあああっ!?」

 

 

 

 

 

気が付けば、彼の胸に飛び込んでいた。両目からは涙が溢れ出る。

 

 

嬉しかった……

 

 

それ以上に恐怖から逃れられた安心感が大きかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズマは泣き出してしまった私にしどろもどろであったが、そのうち私の頭を撫でつけてくれた。その愛撫を受けながら、私は自然と笑い声が口から洩れるのを自覚した。

 

 

 

 

 

 

「運命は変えてやったぞ……」

 

 

 

 

 

 

カズマの愛撫を受けながら、私の口角は吊り上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ざまあみろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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眠れる獅子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ、なかなか美味いだろう?」

 

「いや……まあそうだな……」

 

「どうした、そんな浮かない顔をして? あれか……その……私とこうして過ごすのは嫌か。やっぱり、めぐみんの方が……」

 

「おい、急に涙目になるのは勘弁してくれ。つーか最近のダクネスは少しおかしくないか」

 

 私はめぐみんに彼を奪われる運命を回避した。だが、根本的な部分は変わっていない。私はカズマと付き合っているわけでもなく、めぐみんに関しては事態が先延ばしになっただけだ。

 だからこそ、めぐみんにしてやられた世界においてカズマがデートで私を連れてきてくれた喫茶店に現在足を運んでいた。普段より化粧に時間をかけ、服装についてもカジュアルなものより貴族の礼服……深紅のドレスを着こみ純白の花であしらわれたファシネーターを身に着けている。昔は毛嫌いしていたこの貴族衣装は今の私にとっての大事な女の武器になっていた。

 

「ここ最近はどうしたのかってくらい落ち込んでたのに昨日からやけにハイテンションじゃないか。何があったか分からないが、本当に大丈夫かダクネス?」

 

「んっ……気分に浮き沈みがあったのは確かだ。だが、私はもう大丈夫だ。カズマとこうしているだけで、私はどうしうようもなく幸せに感じてしまうダメな女だ」

 

「お、おう……」

 

 どぎまぎしているカズマの前で私はチーズケーキを口に含む。その平凡な味が私に勇気を与えてくれた。この世界は前の世界となんら変わりはない。それは、私が変わらなければ”運命”は変えられない事を意味していた。私は大きく脈動するようにズキズキと痛む胸を手で押さえる。この緊張も、この痛みも、これから訪れるであろう未来を受け入れる痛みに比べれば些細なものだ。だからこそ、私は彼に素直に告白をする事にした。

 

 

 

「私は……私はカズマの事が好きだ」

 

「なっ……!?」

 

「今更何を驚くんだ。何度も伝えてきたはずだ。私はカズマが好きだ……好きで好きでどうしようもないくらい愛している」

 

 

 

 私の告白を受け入れた彼は曲がっていた腰を伸ばしこちらを見据える。少し驚いている様子であったが、その表情からは真剣なものが見て取れた。ここからは、もう茶化す事は許されない。私の言葉にも自然に熱が入っていた。

 

「改めて言おう。私はカズマを愛している。結婚を前提にお付き合いをしてくれないか?」

 

「結婚……」

 

「私との結婚は不服か……?」

 

「そういう意味じゃない。ただ、ダクネスも本当に俺との事を真剣に考えているだなって」

 

「私……”も”……だと……?」

 

 一瞬、カズマがしまったという表情を浮かべる。だが、彼は大きく息をついてから再び姿勢を正す。バツが悪そうな表情ながらも、彼の目はきちんとこちらを見据えていた。

 

「実はめぐみんが里帰りする前日に、俺はアイツからも真剣な告白受けた」

 

「そういう事か……」

 

「いい加減、めぐみんとダクネス、どっちを選ぶかはっきりしろって……めぐみんが屋敷に戻るまでに覚悟を決めろとケツを叩かれちまった」

 

 カズマは肩をすくめながら少し得意げに、でもどこか悲しそうにそんな事を言い放った。私は彼の告白を聞いて思わず歯噛みする。それは私にとって、重要な情報である一方で言い逃れの出来ない事実を無慈悲に突き付けていた。それはつまり、このままではカズマが”めぐみん”を選ぶという事実であった。私は、戦う前から彼に負けを宣言されてしまったのだ。

 

 

だが、私は決して屈しない……決して諦めない。

 

 

 

 痛みを訴える胸を落ち着かせ、私は目の前の男を見つめる。座して待つよりかは精一杯抗ってみせる。そして、愛している男に私は愛していると囁かれたかった。そのためにも、私は彼の頬にそっと手を添えた。それから、大きく身体を前に乗り出す。

 

 

 

「んっ……」

 

 

 

呆けた表情のカズマの唇に、私の唇を押し付けた。

 

 

 

「んぅ……はみゅっ……」

 

 

 

 半開きになった唇に自身の舌をずるりと潜り込ませる。それから、もう片方の手を彼の肩へと回し逃げようとする頭を押さえつけた

 

 

「んっ……ふっ……ちゅるっ……」

 

 たっぷりと彼の口腔内を犯し、息をつくように自然に唇を離す。その後は私もカズマも荒れた息を整える。そして、私は唇の端から垂れた体液を指ですくい舐めとる。彼の体液は一滴たりとも逃がしたくはなかった。

 

「いきなりやってくれるじゃないかダクネス……喫茶店の他のお客さんがめっちゃこっち見てるぞ……」

 

「恥ずかしいのか? ふふっ、カズマは可愛いな」

 

 

「お前なあ……」

 

 カズマはげんなりした顔で喫茶店のテーブルに勘定より少し多い銀貨を転がす。それから、ゆっくりと歩き出した。私は彼の腕をとり、隣に並ぶ。強い興奮により火照った身体を、彼にぎゅうっと押し付ける。抵抗はもちろんなかった。

 

「カズマ、お前が私ではなくめぐみんの方へ気持ちが傾いている事は知っている」

 

「そうか……」

 

「でも、めぐみんとの差を簡単に亡くす方法も知っている。今のキスでも、大分差は埋まっただろう?」

 

「痛いところを突きやがる。だが、あんまり調子には乗るなよ。そっちがその気なら、俺だってヤってやるからな!」

 

 カズマが私の腕を引きずるようにして歩く。彼の顔からは隠しきれない情欲の顔が滲み出ていた。その表情に私は下腹部がじんじんと熱くなるのを感じる。このままどこに連れていかれるのか、どこでナニをされてしまうのか。膨らむ妄想と勝利への予感を前にして私はただ彼の言う事を素直に聞く以外なかった。

 

 そうしてずんずんと進む彼がたどり着いたのはアクセルの屋敷であった。それはデートの終わりを意味していたため、少しむっとする。だが、そんな私をカズマは次の瞬間には玄関へと投げ飛ばしていた。すぐさま抗議の声をあげようとした私の口を、彼は自分の唇で塞いでいた。しかも、彼の身体は私の身体に覆いかぶさっている。何をされているかなど、考えなくても理解した。

 

 

「言っただろうダクネス、あんまり調子には乗るなよ」

 

「ま、待てカズマ! せめてその……寝室で………ひうっ!?」

 

「場所なんてどこでも一緒だ」

 

「こら……お前本当に……ひゃんっ……!」

 

「可愛い声出すなダクネス」

 

「カズマ……カズマ……!」

 

 先ほどから身体をカズマに強くまさぐられている。このままでは私が彼の欲望を受け止める事になるのは確実だった。こうなったらもう、こちらは受け入れるしかない。私は全身の力を抜き、せめてのお願いを口にした。

 

「カズマ……優しくしてくれ……」

 

「うるせえ! ブチ犯す!」

 

 

 

 

私の視界が暗転する。

 

 

ああ、やっとだ。

 

やっと私はこれで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにをしてるの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その声音は非常に強い怒気を含んでいた。

 

 

 

 

「なにをしてるのって聞いてるの!」

 

 

 

 見なくても分かる憤怒の気配。だが、震える声はその怒気を打ち消すほど弱弱しいものだった。

 

 

 

 

 カズマは大きくため息をついてから、私の上から身体をどける。それから、身体を震わせながらこちらを睨む女神様……アクアに向き合った。彼はばつの悪そうな顔をしていたが、私の方をチラリと見てからアクアの方へ歩みを進めた。

 

「見たまんまだアクア。ガキじゃねえんだからナニしようとしてたか分かるだろう?」

 

「分からない……分からないわよ! 何で急に……お家の玄関でなんて……バカなの! カズマってばおバカさんなの!?」

 

「あーはい、その点については辛抱たまらなかったというか……へぶっ!?」

 

 アクアがカズマの頬を叩いてパシンという良い音が響き渡る。それから、アクアは大きく取り乱しながらカズマへと組みついていた。

 

「バカバカっ! カズマさんのクソニート! バカズマ! バっ……ばひゅっ!? ちょっ、女の子に手を上げるなんて最低ねDVカズマ!」

 

「うるせえよ! お前が先にビンタしてきたんだろ! それに仕返しは威力を弱めたデコピンにしてやった事を感謝して……ほめろすっ!?」

 

 謎の奇声を発しながら、アクアに蹴り飛ばされたカズマがリビングの方へ吹っ飛ばされ、私の視界から消える。アクアは肩を怒らせながら今度は私の方を睨む。だが、やはり彼女の様子は少し弱弱しかった。

 

「アンタねぇ、真昼間から屋敷の玄関で盛らないでくれる!? 家に帰る度にこの事を思い出しそうになるじゃないの!」

 

「ふんっ、こちらとしては貴様に邪魔されたのだから謝ってほしい気分だ。ちょっとは空気を読め」

 

「っ……!」

 

 一瞬、憤怒の表情を浮かべたアクアだがそれを発散するように近くに置いてあったカズマの靴を蹴り飛ばし、逃げるように屋敷から出て行った。その姿に私は何とも言えない感慨を得る。自然と私の口からはくすくすとした笑いが漏れていた。

 

「くそっ! アクアのクソバカめ……つーかさっきのはなんだ……回復パンチか? 殴られたのに全身の疲れが吹っ飛びやがった」

 

 リビングから、カズマが妙にツヤツヤとした肌をしながら出てきた。彼は私の方をチラリと見てから、ゆっくりとこちらに足を進める。私はそんなカズマを見て全身の力を抜いた。

 

「おいダクネス、”続き”をするつもりか?」

 

「当然だ! こんな中途半端で終われるか!」

 

「それもそうだな……」

 

 カズマが私の前に片膝をつき、私の肩に手をかける。それから覚悟をして目を閉じた私の頭を、彼は落ち着かせるようなゆっくりと撫でてきた。薄眼を開けてみると、彼はどこか困ったような表情を浮かべていた。

 

「ダクネス、焦らなくていい。お前の気持ちも分かったからよ」

 

「またこうやって……誰かに邪魔されていつものように中途半端に終わるのか?」

 

「正直言って俺は今もお前をブチ犯したいし、頭の中ですでにお前をぐっちょんくっちょんにしてる」

 

「ぐっちょんくっちょん……はうっ……!」

 

 好きな男に求められれているという事は私のような女にとって極上の喜びであった。両手で自分の身体を抱きしめながら、つい身悶えしてしまう。はしたない……だが仕方のない事でだ

 

 

 

 

「でも、今のお前はそれを望んでないみたいだからな」

 

 

 

 私の表情が余裕のないものになってしまうが、カズマはそれを苦笑しながら受け流し、私の右手を両手で包む。ここで初めて、私の”手の震え”は止まった。

 

「めんどくせえ……どいつもこいつもめんどくせぇ……」

 

「カズマ……」

 

「気にするな。何年一緒だと思ってる。お前が単なる痴女じゃない事は十分理解してる」

 

「ち、痴女とはなかなかの評価だな」

 

「実際痴女だろ。でも、俺はダクネスが本当は純情でかなりのロマンチストで、貴族のご令嬢としてのプライドと乙女心を持ってるは理解してる」

 

「くっ……!」

 

「だから、今回はこれで終わりだ。また、時間と場所を弁えようララティーナお嬢様」

 

 その全てを見透かしたようなカズマの視線に耐えられず私は下を向いてしまう。そんな私の頭を彼はもう一度優しく撫でてくれた後、彼は私を残して屋敷を出て行った。

 

「お前の告白、心に響いたよ。正直、今は俺自身が一番理解できない。ごめんな、答えを出すまでもう少しまってくれ」

 

 ゆっくりと去っていくカズマを私は引き留めるべきであった。だが、私の身体は動かない。その情けなさに本当に泣きたくなってしまったが、今の私の”感情”を捨て去ってしまえば。私は”私”ではなくなる気がした。

 

 

「ああ、情けない……本当に情けないな……」

 

 

自嘲気味に漏れ出る笑いだった。だが、私の内心はどこか清々しいものであった。

 

 

 

「情けないな……」

 

 

くつくつとした誰かへの嘲笑が自然と出てしまった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえカズマさん、まだ釣れないのー?」

 

「うるせぇ、釣りは忍耐だ。このポイントが確かな事は確かだ。後は釣れるのを待つのみだ」

 

「そんな偉そうな事言っちゃって……あっ……枝毛伸びてるわよ?」

 

「そうかい……っていてえ!? 躊躇なく引っこ抜くな!」

 

 

 アクセルの街の近くの河川の橋下に置いて、私達は魚釣りに興じていた。私は騒がしいカズマ達を横目で見つつ。釣り竿を振る。私の表情が浮かないものになっているのは嫌でも自覚出来た。

 

「なあ、ダクネス。なんでアクアが当たり前のようにここにいるんだよ?」

 

「仕方がないだろ。邪魔ならさっさと追い返せ」

 

「なるほど……そういう事だからどっか行けアクア! つーか俺の膝の上に陣取るな!」

 

「やだぁ! やなの! 私もカズマと遊ぶの! ここに来て仲間外れはやなの!」

 

「ガキみたいな事いってんじゃねえ! 川に突き落とすぞ!」

 

「ふわあああっ! 助けてダクネス、か弱い女神様を淫乱発情クソニートカズマが虐めてくるの!」

 

「張り倒すぞお前!」

 

 わーきゃー騒ぐカズマとアクアに私は内心で毒を吐く。例の玄関での一件があってからも私は彼をデートに誘っていたのだが、何故だかどこへ行ってもアクアが先回りして私達のなかに割って入ることが多くなった。今回、私とカズマはこうして釣りデートに来ていた。だが、カズマの釣り竿の一投目にすぐ獲物がかかり、引き上げてみたところそれがアクアだったのだ。何を言っているか分からないかもしれないが、私だって分からない。

 

「あっ、見てカズマ! あっちに大きい魚影があるわよ!」

 

「マジか! おいどこに……あれか!」

 

 アクアが指さした方向に、カズマがルアーを投げ込む。それから彼の釣り竿が大きく弧を描いてしなる。どうやら、件の大物が引っかかったらしい。

 

「カズマ、私にもやらせなさいよ。ほら、竿かして?」

 

「アホか、お前が持ったらすぐにバれるだろうが! ここに俺に任せろ!」

 

「けちー! カズマさんのドけちー!」

 

「こ、こら! 組みつくな!」

 

 相も変わらずうるさい二人の横で、私もかかった獲物を引き寄せる。小さな餌に食いついたのは、小指ほどの小さな魚であった。それを針から外して再び川に戻した。横では彼らが相変わらず騒いでいた。

 

「ああくそ、大きいぞ! 網がなけりゃ竿が折られる。おいアクア、川に飛び込んで捕まえてこい!」

 

「ちょっと私は猟犬じゃないのよ。だいたい、私みたいな女神様を顎で使うなんて何様よ!」

 

「今夜の晩酌は高級しゅわしゅわ出すぞ!」

 

「っ……! し、仕方ないわね!」

 

 川に大きな水柱が上がる。どうやら、アクアが川に飛び込んだらしい。それから、彼女が満面の笑みで川岸に近づいてきた。アクアは何やらかなり大きい獲物を抱え込んでいた。

 

「凄いじゃないカズマ! すっごい大きいバナナが釣れたわよ!」

 

「はあ!? いや、ここはそういう世界だったな……つーかなんだこの謎の既視感は……」

 

 疲れたように地に腰を落とすカズマだが、なんだか非常に複雑な表情をしていた。アクアはそんなカズマをよそにびちびちと暴れるバナナにトドメを刺し、皮を向いて艶やかな白身を口にする。私も自然と喉を鳴らしてしまった。

 

「ん~おいひい~! やっぱ釣りたてのバナナは美味しいわね!」

 

「おう、せやな……」

 

「どうしたのカズマ、ほらあーん!」

 

「やっぱり納得いかねえよこの世界の生態系は……あむ……うまっ……!」

 

 彼らの間に、私は自分の身体を潜り込ませる。バナナの味が気になったのもあるが、私自身が非常に焦っているのを感じた。正直言って彼らの会話にうまく入り込めない。前はもっと自然に会話に溶け込んでいたはずなのに、今は色んなしがらみが邪魔をしていた。

 その後、バナナの半分を持ち帰る事にして私達はあの喫茶店へと向かった。飲み物を片手にカズマやアクアと談笑するなんていつもの事である。だが、私はその”いつもの事”が出来なくなっていた。

 

「でね、少し前にエリスから聞いた話なんだけどね。今天界でも有名なおじいちゃんが行方不明になっちゃったの。それで天界が少し物々しい雰囲気なのよ」

 

「へえ、それって結構偉い神様だったりするのか?」

 

「昔はね……私にも優しくしてくれたおじいちゃんなんだけど、とても寡黙に世界を見つめて静かに時を過ごす人だったわ。でも、最近はどっかに徘徊してはお付きの天使が大騒ぎだし、ご飯を食べた5分後にはそれを忘れてご飯を催促するらしいの。おかげで奥さんにも愛想をつかされちゃったとか何とか……」

 

「神様もボケるんだな。いやな話を聞いたぜ」

 

「神に定命はないけど、信仰を失ったら存在は消えちゃうの。ゆっくりと自分の役割を忘れて他の神に力を奪われてしまったり、もしくはその運命を悟って自分の力を他の誰かに託す事もあるわ。もしかしたら、私もいつかそうなっちゃうかもしれないわ」

 

 そう語ったアクアは寂しげな表情を浮かべていた。カズマはそんなアクアを不快そうに見つめていた。その表情の意味は私には伺いしれない。だが、私にとって都合の悪い事態が進んでいる事は理解出来た。それでも、私は動かないし動けなかった。

 

「まあ、私が消える頃にはアンタ達は塵一つ残ってなさそうだけどね!」

 

「うわ出たよ神特有の畜生さと傲慢さが……」

 

「何よ! 事実何だからしょうがないでしょ! 大丈夫よ、貴方達の魂は私がちゃんと蒐集してあげるから……」

 

「物扱いなんて失望しましたアクア様の信者止めてエリス様に全てを任せます」

 

「なんでよー!? 言っとくけど、エリスだけはやめといた方がいいわよ! あの子、ああ見えて結構趣味が悪いのよ。それだったら、私がその……カズマさんを私だけのエインヘリヤルにするとか……神の恩寵を与えて……」

 

「はいはい、先の話はもうちょっと年を取ってからにしような。この若さで老後の話なんて気が滅入る」

 

 嫌そうに話を切り上げるカズマに、アクアも苦笑しながら同意する。その後も、アクアとカズマの談笑は続いた。私はそれに相槌を打ち、短い返事を繰り返す。彼らは私に適度に話をふって来たが、私はつまらない回答しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えへへっ……何度目か分からないけどかんぱーい!」

 

「うーい、かんぱーい!」

 

「乾杯……」

 

 夜もかなり更けてきた頃、私とカズマとアクアはお互いの杯を交わしていた。もちろん、杯の中身は各自が持ち寄った酒類であった。顔を赤らめ、美味しそうにグビグビと酒をあおるカズマとアクアを、私はちびちびとお酒を舐めながら見つめていた。この夜間帯だけで、こうして杯を交わすのはすでに十を超えている。私はその半量も飲んではいないが、自分が酔っている自覚はあった。

 

「ぷはぁー! なかなか良いお酒を用意するじゃないのカズマ! やっと私のありがたみに気づいたの?」

 

「別にそんなんじゃねえ。今日の釣りのお礼だ。それより、お前が持ってるのは……カ〇ビーのポテトチップスじゃないか? よこせ! その安っぽい味に俺がどんだけ恋焦がれたか……」

 

「うひゅあっ!? ちょっとカズマさん、急に変なところ触らないで! あげる、あげるから……!」

 

 お互いにスキンシップをしているカズマ達を見つめながら、私はナッツをばりぼりと咀嚼する。彼らの姿にはイラつく一方で少しだけ癒される気分であった。このような小さな飲み会も、明日からはまた様子が変わるからだ。

 

 

 

「明日、めぐみんが屋敷に戻ってくるみたいだな」

 

 

 

 

 私の発言に、カズマもアクアも押し黙る。それを眺めながら、私は再び酒をチロリと舐めた。カズマは火照らせた顔を生真面目に戻し、こちらに視線を飛ばしていた。

 

「なあ、ダクネス。例の事だが……」

 

「告白の返事については貴様に任せる。私はもうこれ以上は出来ない。だが、出来る限りの差は埋めたつもりだ。後はカズマ次第だ」

 

「まったく……自分がこんな贅沢な悩みを持つようになるとはな」

 

「そうね……クソニートだったカズマさんが今では二人の女の子に言い寄られてるんだからね。うんうん、成長したわね。偉いわカズマ」

 

「急になんだよアクア、お前は俺の母親か」

 

「別にそういうわけじゃないわ。だた、時は進むのは早いなって実感しただけの事よ」

 

 アクアはそんな事を言い放った後、虚空から一本の酒瓶をぬるりと取り出した。それを小さな盃に注ぎ、私に手渡してきた。

 

「グビっといっちゃいないさいダクネス。それでアンタの不安は吹き飛ぶわ」

 

「…………」

 

「私は貴方の事が好きだし、めぐみんの事も好きよ。例えカズマの事で対立してるとしてもね」

 

 

微笑むアクアに私は何も言い返せず、仕方なく盃の酒を一気に飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫、このアクア様に全部任せなさい。そうすれば、”皆一緒に”幸せよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視界が歪む、意識が朦朧とする。何もかもが光を失った世界の中、私は遅まきながら理解する。

 

 

 

 

 

 

 

私はアクアに一服盛られたのだと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が意識とも呼べる何かを覚醒させた時、自分自身の状況に驚愕した。まず、視界が真っ暗であった。自分が目を開けているのか、閉じているかも分からなかった。それに、体も全く動かせず声を発する事も出来ない。この現状にとてつもない恐怖心が芽生えたが、何故か聴覚だけは機能しているようであった。私のよく知る声……カズマとアクアの声が聞こえてきたのだ。

 

「おいアクア、ダクネスに何しやがった」

 

「ふふっ、エリスの部屋から拝借してきた超強力な睡眠薬を飲ませたのよ。治癒魔法をかけないと、二日は寝たままね」

 

「なんでそんな事を……」

 

「分かっているでしょう? この不毛な争いを止めるためよ」

 

 

 

 アクアがため息をつく音が聞こえる。私は死に物狂いで身体を動かそうとしたが、微動だにしなかった。

 

 

 

 

 

「カズマ、アンタはダクネスと結婚しなさいな」

 

 

 

 

 

その言葉は、私の思考や何もかも止めるのに十分であった。

 

 

 

「どうしてそうなる?」

 

「バカ言わないで、私はアンタが何をぐじぐじ悩んでいるのかも全部知ってるわ。それを考慮した上で、こうした方が良いと私は理解してる。あまり、この”女神アクア”をなめないでちょうだい」

 

「そうか、お前はそう言うのか」

 

「ええ、そうよ。これが一番まるくおさまる方法なの。あの意固地なめぐみんも、プライドの塊なダクネスも、アンタが少し行動を起こせば崩せるわ。それくらい、この子達は”ちょろい”の。後はアンタが覚悟を決めるだけよ」

 

 

 アクアの話を聞いて素直に私は驚いた。どうやら、彼女は私を支援してくれるようだ。体は動かせないが、私の思考は歓喜に揺れていた。

 

「はい、これが治療薬よ。私が出て行った後、これを使いなさい。それからダクネスとちゃんと向き合って、貴方の気持ちを伝えるの。色々言うかもしれないけど、後はカズマさんの力でわからせてあげればいいのよ」

 

「お前女神のくせに割と強引な奴だな」

 

「バカね、神様なんてみんなこんなもんなのよ」

 

「そうかい、でも俺は酔ってるしダクネスも……」

 

「ああ、もう本当に言い訳ばっかりね! まったく……んっ……!」

 

 

 何故か、会話が突然途切れた。それから数分ほどの僅かな間、彼らの息遣いと何かしらの水音が聞こえた。言いようもない不安に襲われた私は再び暴れようとするがどうにもならない。手足の感覚が全くないのだ。

 

 

「んぅ……どう、酔いは醒めた?」

 

「まあな」

 

「頑張りなさいカズマ。私は応援してるわ」

 

「そうかよ」

 

 ぺたぺたという、部屋を離れようとする足音が一つ、私の前に足を止める足音が一つ。私はこれから起こる事態に胸を弾ませた。状況を全て察する事は出来ないが、アクアはめぐみんではなく私の立場に立ってくれた、そして、彼女は私に素晴らしいサポートをしてくれたのだ。

 

 

 

 

 

ああ、本当に何もかも夢みたいで……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい待てアクア」

 

「何よ……」

 

「こんな薬はいらねえよ」

 

「ちょっと、それって結構高いのよ……」

 

「いいんだよ、それより俺も答えが出せたぜ。まさかこんな考えに行き着くとは、俺は俺自身が分からねえよ」

 

 

 

 

 私の近くにいた誰かの足音が、どんどん私から離れていく。それが許せない私は精一杯に吠えるが、何も出来なかった。

 

 

「アクア、お前は本当にこれでいいのか?」

 

「今更何よ……」

 

「気づいてないのかアクア、お前さっきから涙を流してるぞ」

 

「えっ……そんな……私……なんで……ひっぐっ……」

 

「鼻水も追加だな」

 

 

 瞬間的に理解した。これはダメなパターンな奴だと。だから、私はすぐさま今までとは逆の事をする。こんな中途半端な意識をさっさと落としたかった。何もかも忘れて眠りたかった。

 

 

 

 

 

 

「アクア、俺はお前が好きだ」

 

 

 

 

彼の言葉を聞いてしまった。こんなにも残酷な仕打ちは私にとって他にない。

 

 

 

そして、私はここに来てようやく理解出来た。私がこうして物言わぬ芋虫となっているのも、カズマがおかしな事を言い出したのも、全て私のせいなのだと。

 

 

 

 

でも、私は何も出来なかった。

 

 

 

 

 

「アンタ、急に何を……」

 

「別に急じゃない。だが、ずっと気が付かないようにはしていた。めぐみんに言い寄られて、こうしてダクネスに告白されて俺はようやく理解出来たんだ」

 

「私は……私なんか……」

 

「お前が俺にダクネスをあてがう理由は理解出来る。”かわいそう”だもんな。でもな、俺の感情はそれじゃあ納得出来ない」

 

「私そういうつもりじゃ……でもこうしないと私の理想も……アンタの悩みも……」

 

「だからこそ、俺はアクアを選ぶ。そうするのが一番良いんだ……というか俺がそうしたい」

 

 

 

私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。

 

 

「ま、待ちなさいよ! 私はアンタの好みじゃないでしょう!? バカだし、うるさいし、変なトラブル起こしちゃうし……」

 

「やっと自覚出来たか。でもな、それは欠点だけじゃない。バカでうるさいアクアは正直言って無茶苦茶可愛いし、トラブルを起こされるのは困るが一緒にいて退屈しないって部分がある」

 

「その……私ってかなりのわがままだし、傲慢だし……」

 

「それも欠点だけじゃない。張り倒したくなる時も多いけど、そんなわがままも嫌いじゃない。俺だけじゃなくて、世の中の男って生き物は女のわがままが大好物なんだ。傲慢なのは擁護しようがないが……まあ自尊心のある女性は素晴らしいって事で……」

 

「なんか苦しくなってるわねカズマ!」

 

「うっせーよ! とにかく、俺はお前が好きなんだよ! 本当になんでか分からねえけどな! くそ、何度も言わせんな!」

 

 

 私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。

 

 

「でも、カズマさんってば私の事を”女”として見てないでしょう……? 別に無理しなくても……」

 

「ほう、そんなに確かめて欲しいのか?」

 

「ちょっなによ!? 手はなして……そんなっ……」

 

「前にも言っただろう? アクア、お前は俺のモノだ。拒否権はなしだ!」

 

私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。

 

 

「俺はお前を失いたくない。俺の傍からいなくなるなんて二度とゴメンだ」

 

「うん……」

 

「お前にいつか訪れる破滅は俺といる限りは訪れない。俺はこう見えてもお前の事を信仰してる……ってより信じてる。だからアクア、俺と永遠に一緒にいてくれ」

 

「カズマ……」

 

 

 

私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。

 

 

 

 

「んぅ……やぁ……こんな……ダクネスがいるところで……」

 

「安心しろ。起きねえってお前が保証したんだ。それならきっちり見せつけてやろうぜ」

 

「あっ……」

 

 

 

 

 

私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。私は何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺がめぐみんやダクネスなんかより、アクアを愛してるって事をな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずるずると何かを引きずる音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが、しばらく続いた後、ドサリという音が響き渡った。その瞬間、私の視界が暗闇から眩しい朝日の覗く大空となる。私はそれをしばらく眺めた後、いつのまにか動けるようになった手足を使い身体を起こす。場所は屋敷の正門前。そして、腕を腰にあてながらこちらを見る青い瞳に私は怯んだ。

 

 

「アクア……」

 

「何よ?」

 

「私はずっと意識があって……お前達の情事の音も聞こえて……」

 

 

 

 

言い訳するようにしどろもどろになる私に、アクアは大きくため息をついた。

 

 

 

 

「だからどうしたの」

 

「えっ……?」

 

「あえて”聞こえる”ように私が配慮してあげたのよ」

 

 

 思考が追い付かなくなった私はしばし、佇む。それから次の瞬間には気づけばアクアへと飛びかかっていた。

 

 

「ぎっ!?」

 

 だが、透明な壁に阻まれる。何度か突撃を試みたが、この屋敷の正門には透明な壁が張ってあるようでアクアの元へとたどり着けなかった。そして、こうして無様を晒す私を、アクアは無表情で見下ろしてきた。

 

「ねえダクネス、カズマさんは私を愛しているの。アンタじゃない」

 

「ひぅっ……」

 

「なら私の気持ちも分かるでしょう? カズマには私以外の人に触れて欲しくない。私以外の人に話しかけないで欲しい。私以外の人と人間関係を持ってもらいたくないの」

 

「あっ……」

 

「ここは私とカズマさんの家なの。帰って……帰って!」

 

「あっ……うっ……」

 

 強く睨まれた私は無様にも後ずさる事しか出来なかった。そうやって、少しずつ、少しずつ屋敷から後ずさり、気が付けば背を向けていた。こうして、私は逃げ続ける。だって、私には何も出来ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がつんと言う音がする。

 

 

 

 

 結局、私は実家へと逃げかえっていた。そうやって逃げた先でやっている事といえば、頭を壁に打ち付ける事だった。

 

 

「戻れ……」

 

 

がつんと言う音がする。

 

 

「戻れ戻れ戻れ……!」

 

 

 

 

 

 

壁に大穴が開いた頃、私の意識は”やっと”なくなってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

 

 

 眩しい朝日が微睡む思考をクリアにして行く。そっと目を開けてみれば、カーテンから除く太陽の光の眩しさの前に私は再び目を閉じてしまう。だが無意識に目を手で擦った際に私は違和感に気がついた。

 

 

 

 

 

「涙……?」

 

 

 

 

 

 何故か、私の両目からは涙がポタポタと流れていた。それを無作法に袖で拭いながら上半身を起こす。恐らく、怖い夢でも見たのだろう。夢の記憶は一切ないが、さっさと起きる事にしよう。何より、早く顔を洗いたかった。

 

 

 

 それから、ゆっくりとした足取りで私は朝食が用意された部屋へと向かう。部屋に着くと小さな丸テーブルにはすでに先客の姿があった。私が対面の椅子へと座ると、彼はにんまりとした満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

「おはよう、ララティーナ」

 

 

 

「…………」

 

 

 

「どうしたヒドイ顔をしているぞ?」

 

 心配そうな表情をお父様が浮かべていたが、そんな事はどうでも良かった。それより、私はこの状況が受けいられなかった。いない……私の探し人がいないのだ。

 

「お父様……その……新人メイドは……?」

 

「んっ……ああ、あの娘か」

 

 お父様はため息を吐いてからこちらを厳しい目で見つめる。その表情に怯えながら、私は絶望に押し潰された。

 

 

 

 

 

 

 

「お前があんなヒドイ仕打ちをしたからな。トラウマになったみたいで退職してしまったよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやく理解出来た。もう、都合の良い事は起きないのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

くつくつとした笑いが思わず漏れる。

 

 

 

それは自分自身に向けての嘲笑だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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女神の微笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ……カズマさんってば本当にたまってたのね。なによこれ、固形物みたいのも混じってるじゃない」

 

「大股開きながら何をほざきやがる! つーかもっと恥じらいを持て、仮にも女神だろ!?」

 

「仮にもって失礼ね。それに私が動けないのはアンタが好き放題したからでしょう? おかげで、下半身が震えて動かせないし……んっ……カズマさんの味がする」

 

「当たり前のように口に入れるな。後、それについては……正直すまんかった」

 

「いいのよ。拒絶の意志があったら私に触れる人間は例外なく存在ごと消滅してるもの。それがないって事は私がカズマさんを心の底から受け入れてる証拠だもの」

 

「さらっと恐ろしい事言うな」

 

 

 

 

 ボソボソと私の意中の相手であるカズマと、パーティ内で随一のプリーストであり、トラブルメーカーであるアクアの会話が聞こえる。二人の仲の良さは知っているし、彼らが私の知らない話題について笑顔で会話する姿も良く見ている。だが、今回は普段とはその「雰囲気」が違っていた。

 

「ふふっ、アンタは女神様の”初めての相手”になったのよ。もっと自分に自信を持ってもいいのよ?」

 

「それもそうだな。よっしゃ、明日にはアクセルの街中でアクアとヤッたって自慢してやるとしよう」

 

「そ、それはやめなさいよね! 本当にもう……カズマは……んっ……!?」

 

 

 今の私は聴覚以外の感覚が消え失せていた。そんな私の体は彼らの前で無様に寝ているだけだ。耳を塞いで何も聞きたくない……何もかも忘れて意識を無くしたかった。でも、それは許されない。

 そんな私の耳には今もぴちゃぴちゃとした水音と、男女の荒い息づかいが聞こえている。見えないからこそ、たくさんの「見えないもの」が見えてくる。こんなにも甘く、無慈悲な拷問はない気がした。

 

「ちょっと待って……私さっきまで初めてで……んっ……んぁ……やっぱりカズマさんはケダモノね……」

 

「仕方ねえんだよ。いまさらながら気づいたが、お前が可愛くて可愛くてしょうがないんだ」

 

「あうっ……本当に……? 今まで私なんか女として見れないって散々言ってきたくせに……!」

 

「悪かったよ。正直言って意識しないようにしてただけだ。なんつーか、アクアの美貌に負けたらお前はそれを盾に凄いマウント取って来そうだしな。俺にも男としての最低限のプライドがあるんだよ」

 

「カズマのバカ……」

 

「不貞腐れるな、お前こそ超モテモテなカズマさんに選んでもらった事に感謝しろよ」

 

「モテてるのが事実なのが腹立たしいわね……」

 

 クスクスと笑いあう彼らの声が聞こえる。これが、カズマと私の知らない女との会話だったら憤怒に身を委ねる事が出来た。だが、相手はカズマとアクアである。最愛の男と、大好きな親友だ。親しい間柄だからこそ、姿は見えなくても何をしているかが鮮明に想像できてしまう。結果としてこみ上げるべき憤怒は、精神的に受け付けるのを脳が拒む気持ち悪さに変化していた。もし、私が起きていたらみっともなく胃液を吐いていただろう。それでも、今の私にとってはその方がマシに思えた。

 

「ねえ、流石にこの体勢はヤバイわよ! ダクネスの上で後ろからなんて……!」

 

「ダメか……?」

 

「ううっ……もう……しょうがないわねぇ……カズマさんの変態……」

 

 さっきよりも近い場所で、彼らの話し声が聞こえる。私は必死に自分の意識を葬ろうとしたが、やはりダメであった。代わりに、どんどんと思考が霞んで行くのを感じた。人間というものはあまりに受け入れがい事を前にすると、”理解する”事をやめてしまうらしい。知りたくない事を知ってしまったものだ。

 

 

「カズマ、ちゃんと私に囁いて……卑しく矮小な人間のくせにアクア様を愛してしまいましたって言って……」

 

「さりげなく人間ディス入れるな! まったく、本当に……アクア……」

 

 それから、私はひたすら無に徹する事にした。霞む思考の中で反芻するのは、愛しの男が囁いた言葉である。彼の言葉が、私に向けられていないのは今の私でも分かる。被虐的な嗜好を持つ私にとってこれと同様なシチュエーションを妄想した事は一度や二度ではない。だから、大丈夫……大丈夫だ。

 

 

 

 

「愛してる」

 

 

 

 

大丈夫なわけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ……」

 

「起きたか、ララティーナ……?」

 

「うっ……ああっ……あああああああああっ!」

 

「落ち着け! 落ち着くんだララティーナ!」

 

 霞む思考の中で、私はお父様に抱きしめられている現状を段々と理解する。久しぶりに受ける抱擁は嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。おかげで意識を正常に戻した私は、お父様をそっと押しのける。彼はやはり心配そうな表情を浮かべていた。

 

「大丈夫か?」

 

「大丈夫ですよお父様。それより、今は……?」

 

「もう夜中だよ。君は今朝方パニックを起こして、落ち着かせたらこの時間までぐっすりだったのさ」

 

「そうですか……」

 

 私はそれを聞いてすぐさま部屋を出ようと思い立つ。だが、お父様はそんな私を押しとめた。そんな彼を無理やり突破し、目的地へと足を向ける事にした。

 

「ララティーナ、悩みがあるなら相談して欲しい。私でも力になれるかもしれない」

 

「それは無理ですお父様。これは私の”問題”です」

 

 お父様は私の言葉を聞いて、苦い顔をしながら引き下がる。そうして、私が玄関の扉を押し開けた時、背中越しにお父様の声と聞こえた。

 

 

「ララティーナ、どうしようもなくなったら執務室の机の上から二番目の引き出しを開けなさい。こんな私でも時には外法に手を染める事もある。愛するもののためにそれを使う事を私は否定しないよ」

 

 

言い聞かせるようなお父様の声を背に受けながら、私はゆっくりと屋敷を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果として、私は夜の街をあてもなく彷徨う事になった。一応、カズマの屋敷に向かってみたが、正門に張られた透明な壁のせいで中には入れず、私の呼びかけにも反応しなかった。思い出すのはアクアが別れ際に言い放った言葉である。あれが真実であるならば、カズマは屋敷に軟禁されてしまったようだ。

 

 

「私がとやかく言う資格もないがな……」

 

 

 敗者である私が何を言おうと現実は変わらない。頼みの綱であった巻き戻し現象も起こらず、この結果を受け入れるしか他に道はないのだ。自然と溢れてくる涙を手で拭いつつ。私は再び夜の街を彷徨う。カズマの屋敷には帰れない。実家にも、今すぐには帰る気はしなかった。

 そんな私は柄の悪い連中にとってはカモに見えたのだろう。気が付けば下卑た笑いを浮かべた男5人に囲まれていた。場所は路地裏で前後を抑えられている。逃げ場なんかなかった。

 

「よう、女の子の一人歩きはよくないぜ?」

 

「…………」

 

「反応なしか。とにかく、この近辺はやめておけ。この当たりの安宿でくすぶっている冒険者は雑魚だが頭も悪い。アンタみたいな貴族のお嬢様は狙われるぞ」

 

「…………」

 

「おいおい、無視かよ。まったく、こうなったら仕方ないか……」

 

 いかついスキンヘッドの男が、私に手を伸ばしてくる。このままでは、私はコイツらに好き放題犯されてしまうだろう。だが、それも良い気がした。元々、そういう事をされるのは普段から妄想していた。敗者の私には相応しい末路だろう。

 

 

 

「私に触れるな!」

 

「ぐあああああっ!?」

 

 

 

 そう思っていたのに、私は反射的に男の手を捻り折っていた。ゴギリという骨が軋む不快な音と共に、腕を押さえながら男が地に転がる。それを見た他の男達は一斉に武器を抜いていた。

 

「てめぇ何しやがる!」

 

「そんなに痛い目みたいのか!」

 

「お望みならぶち犯してやっても……ぼぎゅっ!?」

 

「いい加減に……うわらばっ!?」

 

 ロングソードを手にした男を蹴り飛ばし、短杖を抜いた男には勢いをつけたタックルを叩き込む。両者ともに壁に強く叩きつけられ、すぐさま気を失った。それを見た残りの男達の一人は憤怒の表情で斧を振るい、もう一人は怯えるように逃げ出した。私は迫ってくる斧を拳で粉砕し、下手人の首を掴んで壁へと押し当てる奴はバタバタを暴れながら涙を流していた。

 

「やめっ……ぐっ……放せ……!」

 

「ほう、仕掛けたのは貴様らが先だ。私は貴族の娘だぞ? 私に手を出した貴様ら全員、死罪にしてやってもいいんだがな?」

 

「なにを……ぐがぁ!?」

 

 男の腹に力を加減して拳を叩き込む。ドズンという衝撃と共に私の拘束から放たれた男は地に転がりながらげーげーと血混じりの嘔吐を繰り返す。そんな奴を足蹴にしながら、私は胸の奥に得体の知れない快感がほとばしるのを感じた。

 そして、腹ばいになって逃げようとする男の一人を何度も踏みつけていた時、凛とした女性の声がこちらを射抜いていた。

 

 

 

「そこまでよ悪党!」

 

 

 

 短杖を抜いてこちらを睨む女性は、私もよく知る紅魔族ローブに身を包む黒髪紅目の少女であった。彼女も私の姿に気づいたのだろう。どこか驚いた表情でこちらに近寄ってきた。

 

「ダクネスさん……?」

 

「ゆんゆんか、加勢は必要ない。悪党は全員殲滅した」

 

「いやあの……その方達は夜間警邏任務中の冒険者ですよ?」

 

「んっ……?」

 

「うわぁ、ヒドイ怪我……今すぐ治療してあげますから……ダクネスさんはちょっとそこで反省しててください!」

 

 それから、ゆんゆんは自分が持っていたのであろうポーションを使って男達の治療と処置をして行く。男達は全員、私に怯えたような視線を時折向けていた。彼女はそんな彼らに優しく声をかけつつ、少なくない金銭を渡した。男達は一斉にゆんゆんにぺこぺこと頭を下げていた。

 

「ダクネスさん、この人達にごめんなさいを言ってください。大体、何があったかは想像できますが勘違いをしたのは貴方が先ですよ」

 

「いいんですよゆんゆんの姉御。あっしらも身だしなみ気をつけます。今まで警邏中に見つけた保護対象がやけに怯えていた理由もやっとこさ理解出来ましたから……」

 

「流石孤高の冒険者ッスね! 以前もカエルに食われた俺達を救ってくれたし……凄いなー憧れちゃうなー!」

 

「そ、そんなに褒めないでください! それより、早くここから離れてください。この人は私が見ておきますから……」

 

「了解っス! その暴走お嬢様は俺らの手に負えないッス! 後、お金はありがたく貰います! 流石にちょっと飲みたい気分ッスね……」

 

 そう言って笑いながら去っていく男達に小さく手を振ったゆんゆんは、改めてこちらに振り返った。私はそんな彼女から顔を逸らす。私は勘違いから男達を叩きのめしてしまった事を今更ながら理解したのだ。ゆんゆんは何やらため息をついてから、私を連れ立って歩き出した。彼女に素直に連行された私は、とある公園のベンチに彼女と一緒に腰を下ろしていた。しばらく沈黙が続いていたが、話を切り出したのはゆんゆんからであった。

 

「ダクネスさん、その……大丈夫ですか?」

 

「…………」

 

「貴方が勘違いしてしまう理由も分かりますし、彼らにも多少の非はあったと思います。でも、さっきの様子はどちらかというと鬱憤でも晴らすようないたぶりかたでしたよ」

 

 

こちらを真っすぐ見つめてくるゆんゆんの視線は、今の私にとって耐えがたいものであった。そして、胸の底にこみ上げてきた思いを彼女にぶつけたくなった。それくらい、今の私が追い詰められている事をどこか客観的に理解できた。

 

「そういえば、先々週くらい前にも、ゆんゆんには今みたいに声をかけられたな」

 

「先々週ですか?」

 

「ああ、喫茶店で私に声をかけてくれただろう?」

 

「えっ……?」

 

 ゆんゆんは戸惑うように目をぱちくりさせていた。しばらく悩むように沈黙をしていたが、どこか納得いったように手をパチンと叩いた。

 

「そういえばそんな事もありましたね。あの時のダクネスさんもすっごく落ち込んでいました。今回も何かあったんですか」

 

「ああ、とんでもない事があったんだよ。実はカズマがアクアと付き合うようになった。ふふっ、私はフラれてしまったよ」

 

「なんだ、そんな事ですか……って!? うえええええっ!?」

 

 片手で口を少し抑えながら、ゆんゆんは素っ頓狂な声を上げていた。彼女はしばらくもにょもにょとしていたが、顔を赤くしながらもこちらに顔を寄せる。その表情は、正に興味津々と言えるものであった。

 

「ダクネスさん、それって本当の話ですか? だって、アクアさんってあのアクアさんですよね!?」

 

「そのアクアで間違いない」

 

「そうなんですか……少し意外ですが……まあそういう事もありますよね」

 

 どこか納得するようにうんうんと頷く彼女の様子が正直言って憎らしい。つい出そうになってしまった拳を必死に押しとめて、私は平常を装う。頭の中は怒りと憎しみに支配されているが、今となっては妙な納得もある。カズマがアクアを選ぶ可能性は全くないとは言えないほど、彼らは以前より親密だったのだ。

 

「カズマさんって、素直じゃない所がありますよね。だから、彼がアクアさんと最初にそういう関係になるのは意外です。でも、カズマさんってアクアさんの事をボロクソに言うくせに、自分以外がアクアさんを傷つけた時は見たことないくらい怒りますし、彼女を守るためならかなり容赦なく加害相手への報復をしますし……少し感情の矛先がぶれたら彼がアクアさんを選ぶのも納得です」

 

「そうか……」

 

「でも、私の予想だとカズマさんはまず最初にダクネスさんを選ぶと思っていたのでやっぱり”意外”って感想ですね」

 

「私……? ゆんゆんはカズマが私を選ぶと思っていたのか?」

 

 ゆんゆんの考えこそ意外であった。正直いって私のカズマへの旗色は悪かった。それに、ヒロインレースにおいて優勢を保ち、彼女の親友であるめぐみんの方が客観的に見て私より優位に見えたはずだ。

 

「ダクネスさん、貴方って本当にそういう所がありますよね」

 

「えっ……?」

 

「なるほど、だからダクネスさんはアクアさんに出し抜かれたんです」

 

「私に悪い所があったというのか?」

 

「だから、そういう所です。貴方って、想像以上に”カズマさん”の事を理解してないんですね」

 

 そう言い放ったゆんゆんの表情からは柔和なものが消え去り、まるで別人のように冷ややかな表情を浮かべていた。そんな彼女に気圧されて私は言葉を返す事が出来ず、ただ怯えたように沈黙を残すしかなかった。

 

「私の知ってるカズマさんなら、貴方達の中からはダクネスさんを選びます。順序はちょっと前後するかもしれませんけどね」

 

「戯言はよせ。実際にカズマは私ではなくアクアを選んだじゃないか」

 

「だから言ってるじゃないですか。順序はずれるかも知れませんが、最後には貴方が選ばれますよ」

 

「何を根拠にそんな事を言うのか理解できないな。アクアはもうカズマを離す気はない。今だってアクアに追い出されたんだ」

 

「ふーん……」

 

 すぅっと細められたゆんゆんの目は、私の全てを見透かすように射抜いている。明らかに今までと違う雰囲気の彼女に私は再び沈黙を返すしかなかった。だが、内心では彼女にカズマの何が分かるのかという怒りがこみ上げてくる。少なくとも、私はゆんゆんよりかはカズマの事を理解しているつもりだ。でも、彼女の次の言葉はそんな自信を打ち砕くものであった。

 

「もしかして、カズマさんに愛の告白でもしました?」

 

「何故それを!?」

 

「その反応で十分です。それでアクアさんが貴方を受け入れるのではなく追い出す方に舵を切ったという事は……どうせ貴方がアクアさんに余計な事を言っちゃったんじゃないですか?」

 

「っ………」

 

「やっぱりそうなんですね。まあ因果応報と言うか身から出た錆というか……」

 

 呆れたように肩をすくめるゆんゆんには衝動的に溢れる憤怒の餌食にしたかったが、そんな私を軽く制圧できる強さと丹力を彼女は持ち合わせている。だからこそ、今は冷静に行動しなくてはならない。彼女は私とは違う視点で物事を見れている。そんな彼女の考えを聞くのは今の私にとってとても重要であった。

 

「何故だ……何故お前はそんな事が分かったんだ……まさかずっと隠れて見ていたのか?」

 

「そんな事をしなくても理解できるってお話です。少なくとも、今の私が貴方に何を伝えても無駄だという事は理解できます。この結果を受けても貴方の本質は変わらないみたいですしね」

 

「本質……」

 

「愛する物のためなら自分の全てを捨てられる……そんな覚悟がないとめぐみん達と同じ場にすらたてませんよ。ララティーナお嬢様」

 

「お前っ!」

 

 必死に我慢していた。でも、もう我慢の限界だった。くすくすとこちらを嘲笑うゆんゆんにそう振り上げた手はあてもなく宙を切る。そんな私にいつの間にか離れて背を向けていた彼女は公園の片隅にある草むらに向けて小さく口をちっちと鳴らす。そうすると、草むらから飛び出た一匹の黒猫が彼女の肩にちょこんと乗った。ゆんゆんはその黒猫を愛おしそうに撫でていた。

 

「もう、勝手に家を出ないでっていったでしょう? じゃりめ……さあお家に帰りましょう」

 

「ま、待て……私は……!」

 

「ダクネスさん、落ち着いてください。暴力に頼っても悪い方向に進むだけですよ。だからこそ、私のお家に来てゆっくり話しませんか?」

 

「…………」

 

「強制はしませんよ。とにかく、私は家に帰ります。夜も遅いですしね……」

 

 くすりと笑ってからゆっくりと歩き出した彼女の後ろを私はとぼとぼと追従する。すでに私の居場所はカズマの屋敷にも実家にもあるとは思えなかった。だから、無言でついていく他に道はなかった。

 そうしてたどり着いたのは、ごく普通の一戸建ての家であった。無論、彼女のような少女が持つには分不相応に思えるが、私は彼女が凄腕の冒険者である事は身に染みて理解していた。その後はゆんゆんが出してくれた夕食を無言で貪り、かなり大きめな浴室にてしっかりと汗を洗い流した。それから彼女から借りた少し小さめな寝間着に顔をしかめつつ、私は意味もなくソファーに座り込んでいた。こうして彼女の好意に甘んじて、改めて先ほどの自分の行動を恥じる事が出来た。ゆんゆんはそんな私から少し離れた場所に腰を降ろして静かに本を読んでいる。そんな彼女にかけられる言葉を私はあまり持ち合わせてはいなかった。

 

「ゆんゆん、先ほどはすまなかった」

 

「別に気にしなくていいです。私も結構ヒドイ事言ってますしね」

 

「すまない……すまない……」

 

「ダクネスさん、追い詰められているのは分かりますけど焦らなくても大丈夫です。きっとアクアさんは……」

 

 こちらを心配そうに見つめて話すゆんゆんの言葉を、ガチャンという大きな音がかき消す。揃って音の方向に目を向けると、私にとっては忌々しくも切っても切れない関係である少女の姿があった。ゆんゆんと同じ紅魔族ローブに身を包み、大きな魔法帽に左目につけられた眼帯、薄すぎる胸と幼い容姿。そんな彼女の大きな特徴である紅の目は困惑に揺れていた。

 

「ダクネス!? なんでここにいるのですか!」

 

「それは……」

 

「ああもう、この際そんな事はどうでもいいのです。それより、丁度いい場所で会えました! ダクネス、なんだか屋敷の様子が変なんです! 正門や裏門には見えない壁が張られてますし、いくら大声を上げてもアクアもカズマも出てきませんでした。でも、私は二人が二階の窓からこちらに顔を覗かせる様子を見たんです。もしかしたら、二人が何者かによって屋敷に監禁されている可能性があるんです!」

 

「落ち着け……」

 

 私の両肩を掴んでぐわんぐわんと揺らすめぐみんを私はそっと抱き寄せる。彼女は少し顔を赤くしてどぎまぎしていたが、すぐさま私の膝の上で暴れだした。

 

「大体、なんでダクネスがゆんゆんの所にいるのですか? 私は最初ダクネスの屋敷に行ったのに、不在だから仕方なくこのぼっちの家に来たのですが……」

 

「ぼ、ぼっちじゃないです!」

 

「ゆんゆん、今は少し黙ってくれ。それより、お帰りなさいだめぐみん。お前のいない間の事について積もる話がある。だから、このまま聞いてくれ」

 

「むっ……分かりました」

 

 素直に私の膝の上に腰を降ろしためぐみんに、私は今までの経緯をゆっくりと聞かせる。めぐみんは私の話をしばらくは黙って聞いてはいたが、最後には口を曲げてふくれっ面を晒していた。

 

「ダクネス、今の話は何かの冗談ですか?」

 

「冗談に聞こえるのかお前には」

 

「えっ、だってあのアクアですよ? それにカズマが私やダクネスを差し置いてアクアを選ぶなんて到底思えないのですが……」

 

「その自惚れに私達は負けたんだ」

 

「自惚れ……いや私は認めませんよ! 絶対にそんな……なんで……私の思いも伝えたのに……きっと何かの間違いです……」

 

 一気に顔色を悪くするめぐみんをそっと抱きしめる。ぷるぷると震えている彼女は私の庇護欲を誘ったからだ。それからしばらくの沈黙を続けた後、一番最初に口を開いたのは私やめぐみんでもなく、ゆんゆんであった。

 

「詳しい事は明日にしましょうか。それより、今日は寝ましょう? 貴方達も疲れているでしょうし、私もじゃりめもそろそろ寝たいんです。ああ、ベッドも寝具も隣室に人数分あるので安心して良いですよ」

 

「すまない……世話になる……」

 

「こういう時はお互い様です。明日は私も付き添ってあげますから」

 

 そう言って柔和な微笑みを浮かべたゆんゆんは、小さな黒猫を連れ立って隣室へと消えていった。私は膝の上で丸くなっているめぐみんを抱えて一緒に隣室のベッドへ身を沈める。こうしてしばらく経った頃、めぐみんの小さな寝息が聞こえてきた。その頭を撫でながら、私は大きくため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……やり直しさえ出来れば……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、私とめぐみんはゆんゆんが作った朝食を貪り、シャワーを浴びて汗を涙を洗い流す。そうして外へ飛び出した私達は、前を歩くゆんゆんの後ろを小さくなって歩いていた。めぐみんは、時折こちらの様子をチラリチラリと伺ってくる。彼女の表情には、まだ疑念が見て取れた。

 

「ダクネス、本当にカズマはアクアを選んだのですか?」

 

「ああ、そうだ……」

 

「それなら……それならそれとしてアクアが私達を拒絶したのは何故なんですか?」

 

「さあな……それを今から確かめるんだ」

 

「………」

 

 途切れた会話は否応なしに私達の空気を重くする。それから数十分後、私達は目的地であるカズマの屋敷ではなく、冒険者ギルドに到着していた。私とめぐみんがゆんゆんに視線を送ると、彼女は少し待っていて欲しいと伝えてギルドへ入っていた。

 

 

 

「はびゃあっ!?」

 

 

 

 待つ事数分、私達の前に何者かが転がってきた。艶やかな銀髪ショートカットにめぐみんより薄いかもしれない胸部、割と際どいが動きやすさを意識した盗賊衣装に身を包み、健康的なお腹と小ぶりながらもむっちりとした臀部と太ももを晒す女性は私にとっては大親友と呼べるクリスしかいない。彼女は驚く私達の様子を胡乱げな目つきで見つめ返してくる。クリスの顔は涙と鼻水にまみれ、目元はドス黒く黒ずんで疲れた表情を浮かべていた。一方で、体全体が不自然に赤い。それに、漂ってくる酒臭さから、彼女が泥酔しているのは明らかであった。

 

 

「あれ~ダクネス~何か用事でもあるの~」

 

「いやっ……大丈夫かお前……」

 

「えへ~全然だいじょばない! それより聞いてよ……さっきゆんゆんがねぇ……ほびょびょっ!?」

 

 地面に寝転がっていたクリスに、いつの間にかギルドから出てきたゆんゆんがバケツ一杯の水を浴びせていた。それによって何も発さなくなったクリスを、ゆんゆんは引っ掴んで無理やり立ち上がらせる。ゆんゆんの顔には明らかな苛立ちが見て取れた。

 

「酔いは醒めましたか?」

 

「はい……」

 

「なら貴方も行動してください。理由は必要ありませんよね。彼女達のためですから」

 

「分かってるよ……」

 

 そうして再び歩き出したゆんゆんの後ろを、クリスは幽鬼のようにふらふらとついていった。これには私とめぐみんは自然と顔を見合わせる事になった。

 

「なあ、ゆんゆんってあんな奴だったか?」

 

「いえ、昔から変な所で大胆だったのは確かですが……それよりあのぼっちがクリスと齟齬なく意思疎通が取れてる方が驚きですね」

 

「意思疎通と言うには少し乱暴な気がしたがな……」

 

 ゆっくりと進む私達はゆんゆんの後に続くしかない。この場で、能動的に動けるのはもう彼女しかいなかったからだ。そうして、私達はついに屋敷へとついてしまった。ゆんゆんとクリスは私とめぐみんに何かを促すように視線を送る。だが、私とめぐみんはうろたえるしかなかった。そんな私達を見てクリスがそっと私の背中を押してきた。

 

「事情はゆんゆんから聞いてるよ。まあアクア先輩と会って話をしてみなよ。あたしも精一杯サポートするからさ」

 

そう言ってクリスが微笑んだ後、彼女は正門へと足を向ける。それから何らかの木札を取り出して正門に張られた透明な壁に押し当てた。だが、それは崩れるようにボロボロと灰になっていった。

 

「あちゃ~……やっぱ結界殺しは効かないよね……という事でめぐみん、爆裂しちゃいなよ!」

 

「うぇっ!? 一応、私の家でもあるんですが……」

 

「大丈夫、そうすればアクア先輩も出てくる気がするよ」

 

「うーん……まぁ……でも一度爆裂してみたかったんですよねこの屋敷!」

 

「めぐみん!?」

 

 私とゆんゆんの声が重なるのも仕方のない事であった。だが、めぐみんは長杖を掲げて爆裂魔法の詠唱を開始する。本来なら止めるべきだが、私もゆんゆんも積極的にはめぐみんを止めはしなかった。これはアクアを引きずり出す餌だと理解していたからだ。

 そして、それは現実のものとなる。いつの間にか正門前に出現していたアクアがめぐみん含めて私達の方を見つめていた。その表情は恐ろしく冷めた無表情である。それに気圧されたのか、めぐみんの詠唱も途中で終わってしまった。しばらく両者に沈黙が流れるが口を開いたのはアクアの方からであった。

 

「こんな大勢で来るとは驚きね。それで何の用なの?」

 

「しっ……しらっばくれないでくださいアクア! 貴方がカズマを軟禁しているのはダクネスから聞いてます!」

 

「軟禁……? ダクネスったら随分と誇張して伝えてるのね。恥ずかしくないの?」

 

「くっ……誇張ではなく事実だ! カズマだってきっと……!」

 

「私の”カズマさん”が……どうしたっていうの?」

 

「カズマも……カズマもこの状況を望んでないはずだ!」

 

「そんな事実は一切ないわ。はい、お話は終わり。それじゃあと早く帰りなさいアンタ達……ここは私とカズマさんのお家なんだから」

 

 くすくすと笑うアクアを前にして私は必死に忘れようとしていた憤怒がぶり返す。思わず、私が大剣を抜いてしまうのは仕方のない事であった。それから、私に続くようにめぐみんは長杖を、ゆんゆんは短杖を、クリスはナイフを抜いて構える。そうして、私達はお互いに目配せをする。こうなったら、実力行使しかないのだ。

 

 

「ねえ、アンタ達はさっきから何がしたいの?」

 

「カズマを含めてお前と話がしたい……それだけだ!」

 

「あっそ……武器を構えながら言っても説得力ないけどね」

 

 そう言って鼻で笑ったアクアに真っ先に斬りかかったのはクリスであった。俊足で踏み込んだ彼女を追えたのは逆手に持ったナイフをアクアの頭上で振り下ろす直前であった。だが、そこでクリスの動きが止まる。代わりにアクアの右手をゆっくりと上げる動作に連動して、クリスの身体が宙へと浮く。それから、右手をぎゅっと握りこむのと同時に、宙に浮いたクリスがばたばたと苦しそうに暴れ始めた。

 

「ぎゅっ……ぐっ……ぎぅ……!」

 

「アクア、クリスを離せ!」

 

「大丈夫よ、この子は結構頑丈だしね……というかアンタ達も反省しなさいな。”神”に逆らうって事がどういう意味を持つのかってね」

 

 アクアは左手でパチンという乾いた音を鳴らす。それが単なる指パッチンであると理解した瞬間、私達は握っていた武器が粉々に砕け散った事を理解した。愛用していた大剣との突然の別れを惜しむ間もなく、今度はゆんゆんが駆け出す。彼女の右手には極大魔法の魔力がほとばしっていた。

 

「流石にこれ以上は……”ライトオブセイバー”!」

 

「”タルカジャ””タルカジャ””タルカジャ”……”ゴッドブロー”」

 

「ひぎゅっ!?」

 

 腹にアクアのグーパンチを受けたゆんゆんは面白いように吹っ飛ばされ、近くにあった民家の壁に激突し、その民家は轟音を立てながら崩壊してしまった。そんな光景を見て、今更ながらに自分自身の悪手に気づく。あのアクアを私達が制御するなんて最初から無理な話だったのだ。

 

「あのさあ……私だってこんな争いはしたくないの。でもね、アンタ達が私に盾突くっていうなら容赦はしないわ。カズマさんが私のお婿さんになるのはもう決定事項なの! だから帰って! 早く帰って!」

 

「だから何度も言ったはずだ! 私達はカズマと話をしたいだけだ!」

 

「ちょっ……やめなさいって……いい加減にしないとアンタもぶっ飛ばすわよ? それとも……そんなにクリスの首が折れる所が見たいの?」

 

「なっ……」

 

 無表情でそんな事を告げるアクアに私自身、すさまじい怖気が走る。私が知る本来のアクアならこんな事は絶対に言わないはずだ。だが、現にクリスはもう宙に浮いて身体をビクつかせる事しか出来ないほど弱っている。だからこそ、私は全身でアクアに組み付いた。だが、私の力をもってしても、アクアの身体は微動だにしなかった。

 そんな時、私の背後で再びめぐみん爆裂魔法の詠唱が始まる。それを聞いたアクアはため息をついてから再び指を弾いてパチンという乾いた音を鳴らした。

 

「あぅ……」

 

 背後でパタリという誰かが崩れ落ちる音が聞こえる。振り返ると、めぐみんは青い顔で力なくうずくまっていた。それは典型的な魔力欠乏症の症状であった。

 

「めぐみん……」

 

「ほら、早くめぐみん含めて帰りなさいな」

 

「私は……!」

 

 

 アクアに組み付きながらも、何も出来ない私は目を伏せるしかない。そんな私にアクアは呆れたようなため息をついた。

 

「あのねえダクネス、貴方はやっと結ばれた私とカズマに二人っきりになる時間を作れるように行動する配慮はないの?」

 

「それはこれとは別の話だろう!」

 

「ふーん……私は今までずっとアンタ達に配慮してたのにそんな事言うんだ……」

 

「はあ!? そんな配慮……ぐっ!?」

 

 軽くアクアに腕で押された私は、恥ずかしくも数メートルの距離を吹っ飛ばされる。お腹に鈍い痛みを訴えながらも立ち上がった私が再び彼女に組み付こうとした時、ぽつりと小さな声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「”エクスプロージョン”」

 

 

 

「しまっ……!?」

 

 

 

 

初めてアクアの表情が無表情から変化する。その瞬間に光が溢れ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づけばめぐみんの泣き声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

「痛い……痛いです……いたっ……なんで……!」

 

 

 

 

 

 ぐすぐすと泣くめぐみんの右手の手のひらには、ぐっさりと矢が突き刺さっていた。手のひらから流れる紅い鮮血に身体を染めながら、めぐみんは矢によって粉砕されたマナタイト鉱石の欠片を必死に集めている。そんな欠片を踏みにじりながら、バツの悪そうな顔を浮かべているのは私の愛したカズマであった。

 

「うわっ……すまんめぐみん。でも、爆裂魔法はダメだっての……」

 

 めぐみんの手に回復ポーションを振りかけた後、カズマは刀を抜いて私とアクアの間に割って入る。抜いた刀の背で自分の肩を気だるそうに叩く彼の装いは、初めて見るものであった。鈍い黒色の鎧を身に着け、背にはひざ下までの長さがある緑色のマントを身にまとう。まるでどこかの国の騎士ような姿をした彼は明確にアクアを守るように私達の前に立ちはだかった。

 

 

「ああー……まぁあれだ……いったん落ち着け」

 

 

 

 

 そう言ったカズマの背に、アクアが身を隠すようにぴったりと取り付く。そして、顔を覗かせたアクアの表情はここ最近で実に見慣れたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから言ったじゃない……」

 

 

 

 

くすくすと笑うアクアの声が、へばりつくように耳にまとわりつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタ達って本当に馬鹿ね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは心からの嘲笑であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 











私の前作、ヤンデレが好きなこのすば好きは是非読んでください!
この作品が数倍楽しめますよ!



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異世界がーるずとーく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛する人に敵意を向けられる。それは今までに経験したことがない感情を呼び起こすものであった。憤怒と悲しみが混じり全身から冷たい汗がじっとりと吹き出てくる。体が膠着してしまうのも仕方がない事であった。

 

「落ち着けダクネス。アクアにやつあたりするのはお門違いってもんだ。だから落ち着け」

 

「何故だ……何故カズマはアクアを庇うんだ!」

 

「それこそ何故と言いたいのはこっちだ。いきなり殺意丸出しで襲撃してきたのはそっちだぞ」

 

「カズマは知らないかもしれないがアクアが屋敷に結界張ったんだ。おかげで、私達は屋敷に帰れなかった。それにお前がアクアに軟禁されてるんじゃないかって心配だったんだ……」

 

 私の言葉を受けたカズマは困ったような表情でアクアをそっと抱き寄せて耳打ちした。その姿だけで彼とアクアの関係がより親密になっている事を察せられた。

 

「なあアクア、ダクネスには俺達の関係を伝えたって言ってたよな?」

 

「ええ、ダクネスには私達が付き合ってるって伝えたわ。でも、それが受け入れられなくてこんな事をしてるのよ」

 

「そうか……」

 

「まあ、アンタからもきちんと伝えなさいな。男として自分でけじめをつけなさい」

 

「わかってるつーの……ああ胃が痛え……」

 

 ガズマは大きく深呼吸してから刀を鞘に収める。それから真っ直ぐとこちらを見つめる。その視線が怖くて、何を言われるのかを受け入れたくない私は顔を俯かせるしかない。だが、今のカズマには”慈悲””がなかった。

 

 

 

 

「もう知ってると思うが……俺はアクアと付き合う事にした。だから、ダクネス……それにめぐみんの気持ちは受け取れない」

 

 

 

 

 はっきりとした拒絶の言葉。疑いようがない彼の真剣な表情。それが、私に残されていたか細い可能性を押しつぶして行く。思えば、彼からの拒絶の言葉は二度目だ。一度目はめぐみんが優勢であった時、私の思いをやんわりと拒絶された事がある。その時も非常に悲しく切ない思いをしたが、今回はあの時とは明確に違う点がある。それは、もう私にとっての”希望”はないという事だ。

 

 

 

「なんで……なんでですか……」

 

 

 

 動けない私の代わりに、めぐみんがゆらりと立ち上がる。幽鬼のようにぶつぶつと疑問の言葉を投げかけながら、カズマへと足を進める。彼はそんなめぐみんをまっすぐとした視線で受け止めていた。

 

 

 

 

「なんでアクアなんですか!?」

 

 

 

 

 

当然の疑問であった。

 

 

 

 

 

「はあ!? その発言は流石の私も許せないんですけど!」

 

 

 

 

 めぐみんの言葉にアクアが肩を怒らせながらカズマの前に進み出る。腰に手を当て、こちらを見下すような視線は以前にも私達へ時折見せていたものだ。だが、以前とは状況が違う。その視線を真に受ける土台が、こちらに整っていた。

 

「私は偉大なる水の女神アクアなのよ? めぐみんが紅魔の里の中で指折りの美少女だとてしても、女神である私の美貌の前では月とスッポンなの! それに、この女神の肢体とめぐみんの貧相な身体を見ればカズマがどちらを選ぶかなんて一目瞭然でしょう?」

 

「ぐっ……」

 

「それに私は優しくて気遣い上手、性格も正に女神で薄汚くて鬼畜な性格なカズマが思わず惹かれちゃうのも仕方のない事で……いひゃぁ!? いきなり何すんのよカズマ!」

 

「いや、流石にそんな事実無根な話を垂れ流されても困る。つーか顔の好みで言えば俺はお前よりダクネスに分がある」

 

「なんでそんな事言うの!? 私がカズマさんの彼女なのに……まさかもう浮気する気なの!? サイテー! サイテーよカズマ!」

 

「ああもう、うざってえなこのメンヘラ女神!」

 

 カズマのチョップをくらったアクアがカズマに泣きながら掴みかかっている。そんなアクアを苦笑しながらあしらいつつ、彼は私達に今までにない冷ややかな視線を向けていた。その視線を受けてぞわりぞわりと私の背中は寒くなって行く。彼からここまで純粋な”怒り”をぶつけられたのは初めての事であったからだ。

 

「とにかく、アクアはもう俺の彼女だ。そんでもって告白してきたお前らをフッた手前、今まで通りの関係を続けるのは不可能だ。お互い、それは理解してるだろう?」

 

「…………」

 

「俺はな、後は時間が解決してくれると思うんだ。お互いに今は冷静じゃないからな。でも、俺は今後もずっとギクシャクした関係を続けたいわけじゃない。お前らは俺の大事な”冒険仲間”で”親友”だ。以前みたいにお互いが無邪気に笑いあえるように……今は帰ってくれないか?」

 

 

 そう言い放ったカズマを前に私とめぐみんは押し黙るしかない。それから無言の時を過ごし、めぐみんが押し殺したような泣き声を上げる。それが私とめぐみんの敗北と撤退の合図となった。私は泣きじゃくるめぐみんをおんぶする。私の背にしがみつく彼女の姿は子供と何ら変わりなかった。

 

 

「なあカズマ……」

 

「どうした?」

 

「私じゃダメなのか……?」

 

「ダメだ」

 

 もう一度、明確な拒絶の意思を告げられ私は深層に息づく私の純粋な心に楔を打つ。その楔に仕込まれた毒が自分の心を侵食している事を否応がなく理解出来た。それでも、私の中の”何故”は尽きなかった。

 

「最後に教えてくれ。お前がアクアを選んだ事を否定はしない。ただ、アクアを選んだ理由が知りたい」

 

「それは……普通そんな事聞くか? 状況的にダクネスは俺にフラレてるわけだし今更そんな……」

 

「後学のために知っておきたい。私もまだまだ”若い”つもりだからな」

 

 私を前にしてカズマは嫌そうな表情を浮かべていたが、観念したようにぽつりぽつりと喋りだした。

 

「正直言って、めぐみんからマジな告白を受けて俺は有頂天だった。もう、めぐみんで行こうって考えてた。でも、ダクネスに告白されて改めて今後のお前らとの関係性を考え直したんだ。そうしたら……そうしたらアクアがいいなって気付いちまったんだよ!」

 

「何故……」

 

「何故もクソもあるか! 俺はアクアが良いんだ!」

 

「…………」

 

「アイツと一緒なら今後の生活は楽しくて幸せなものになる。そう思っちまったから、俺はアクアと一緒にいたいと思った。まったく、気恥ずかしい事を言わせんな!」

 

 顔を真っ赤にしながら、そんな事を言うカズマを私はぼーっと見つめる。彼の一語一句が、私の心に鈍器で殴りつけるような衝撃を与える。彼の言葉の裏を返せば、彼にとってアクアと過ごす時間が楽しく幸せな時間という事だ。私が夢想した彼との甘い生活も、幸せな未来予想図も等しくゴミとなってしまった瞬間であった。

 

「ありがとうカズマ。まさか、お前からアクアに対してそんな言葉が聞けるとは思わなかった」

 

「そうかい……」

 

「だから、しばしのお別れだ。思う存分、アクアとの時間を楽しめ」

 

 どうしようもない捨て台詞であった。そんな事を言ってしまった自分自身を嫌悪するが、それを許してくれなかったのはこちらに静かな憤怒を向けるカズマであった。

 

「ダクネス、これはあくまで俺がアクアを選んだ要因のほんの一部でしかないんだが……後学のためにはっきり言ってやる。お前らのそういう所は俺は嫌いだ」

 

「単なる捨て台詞だ……許せ」

 

「捨て台詞には変わりないが、それだけじゃないだろ。俺はな、お前らに告白されて真剣に考えて……そうしてお前らの女としての嫌な面も意識する事になったんだよ」

 

「嫌な面……?」

 

「そういう所だダクネス。お前らはアクアの事を”バカ”にしすぎだ。コイツがお前らのためにどれだけ……」

 

「ちょっとカズマ、私としては嬉しいけどこれ以上は流石にね……」

 

「むぐっ……」

 

 アクアの手で口を押さえられたカズマは、再び顔を赤くしながらもそれを振り払う。これ以上、彼とアクアの関係を見るのは正直苦痛であった。彼らからゆっくりと背を向けて私は歩き出す。しばらくは顔も合わせたくなかった。

 

「おいアクア、クリスの治療は終わったか?」

 

「もちろんよ、この子はあの程度じゃバツにもならないわよ」

 

「そうか。ならコイツも連れて冒険に出るとするか……」

 

「ねえ本気なのカズマ!? 私は嫌よ! 私はもっと家でいちゃつきたいの……カズマが望むなら昨日の続きだって……お金もあるんだしもっと気楽に過ごしましょうよ」

 

 カズマを誘惑するようなアクアの声が背後から聞こえてくる。同時に背中のめぐみんが私にぎゅっと抱き着いてきた。彼女もこの状況が受け入れられないのだろう。

 

「いや、そんな事は言ってられねえな。改めてお前と生活するには金銭面で不安があるって理解したんだ。今のうちに稼いで今後に備えたいんだ」

 

「ちょっ……!? アンタってば本当に私が愛したカズマさんなの……仕事と私、どっちが大事なの!?」

 

「妙なお約束を入れるな。それにお前と付き合ってから早速数千万エリスの損失が出てる。見ろよあの倒壊した民家を……いったいどこのバカが壊したんだか」

 

「それはつい手加減が緩んじゃって……ごめーんね!」

 

「しょうがねえなまったく!」

 

 彼らの楽し気な声が私達という存在の異物感を際立たせる。つい先日までは仲良く一緒の時を過ごしていたというのに、今の私はカズマにとって邪魔な存在でしかない事を嫌でも自覚出来た。そんな時、倒壊した民家の方から両手を気持ちよさそうにぶんぶん回しながら近づいてくる影が現れる。紅魔族ローブにほつれや汚れはついているが、身体には傷一つなく満面の笑みを浮かべるゆんゆんには少し怖気がした。

 

「ゆんゆん、無事だったか……」

 

「ええ、そりゃあもう……アクアさんの癒しのゴッドブローを受けて何だか疲れもなくなりましたし慢性的だった肩こりもとれて気分爽快です! 私の身体ってこんなにも身軽だったんですね!」

 

 笑顔でダブルピースをするゆんゆんは若干変なテンションであった。だが、そんな彼女も私とめぐみん、背後で盛り上がっているアクア達を見て事情を察したのだろう。彼女は困ったような微苦笑を浮かべていた。

 

「どうやら、決着はついたみたいですね。納得の行く答えは得られましたか?」

 

「答えは得られた。でも、納得は出来ない」

 

「そうですか……ダクネスさんって諦めが悪いですね」

 

 苦笑しながらも少し失礼な事を言うゆんゆんの横を私はゆっくりと歩き去る。今は彼女と会話を交わす気力もない。私とめぐみん、両方が休息を欲していた。

 

「おー丁度いいとこに来たゆんゆん、しばらく俺とパーティ組まねえか?」

 

「えっ……それって冒険のお誘いですかカズマさん!?」

 

「そんな所だ。ちょろっと事業を起こすための元手が欲しくてな」

 

「やります! やりますよカズマさん! 私も……貴方と……」

 

「ハイ採用! おら行くぞ! 今行くぞすぐ行くぞ!」

 

「わっ……わっ!」

 

 後ろの喧騒が先ほどより大きくなったが、もう振り返る事はかなわない。彼との関係性は今までにないくらい溝が出来てしまった。この溝が埋められるのは彼の言う通り、時間に任せるしかない気がした。そうして屋敷を後にする私達の耳には、喧騒の中からアクアの放った一言がやけにはっきりと聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「ばいば~い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇の中、私とめぐみんはゆんゆんの玄関前で力なく座り込んでいた。私の屋敷に帰ってお父様と顔を会わせるのも嫌であったし、カズマの屋敷には帰れない。そんな私達がゆんゆんの家に身を寄せるのは半ば必然であった。ただ、玄関扉にかけられたロックを解けず、カギも持っていなかったため、こうしてゆんゆんの帰りを待つ他になかった。めぐみんはここについてしばらくは泣きじゃくっていたが、今はぼんやりと夜空を見上げている。私は意味もなく、衣服のほつれを手でむしっていた。そんな沈黙を破ったのはめぐみんの方からであった。

 

 

「ダクネス……私はこんなの絶対嘘で……夢かなんかだって思ってました……」

 

「ああ……」

 

「だってあのアクアですよ? カズマがアクアに対して少し偏執的な感情を抱いているのは私だって知ってます。でも、決してアレは色恋に根差したものではないって思ってました。そうして油断していたらこの結果です。もう笑う事も出来ないくらい意外な結果ですよ。だってカズマは……なんで……なんでアクアなんかなんですか?」

 

「そうだな……だがそう思ってた私達の負けなんだ。カズマは私達の想像以上にアクアに執着していたし、アクアも私達が思っているほどバカではなかったという事だ」

 

「だとしても……だとしても納得いきません……だってカズマは……」

 

 また嗚咽を漏らし始めためぐみんを私はそっと抱き寄せる。小さく幼い肢体はやはり子供という他ない。ただ、私はこのめぐみんにしてやられた過去がある。少し前まで、彼女に対する憎悪も渦巻いていた。その憎悪はまだ消えていないが、今はそれもかなり薄まっていた。めぐみんの今までの行動にはカズマと結ばれたいという一貫した思いを感じた。だが、今回のアクアは私の理解出来ない領域での行動を多分に含み、悪辣な言動もあった。少し前までは一種の愛玩対象であった彼女は、今は理解の出来ない化け物になっていた。

 

 

「カズマはアクアと私達のやり取りを最初からずっと見てたんです。私達が無様に蹴散らされる所もずっと……ずっと見てて……」

 

 

 

 

めぐみんは右手を押さえて苦しそうに嗚咽を漏らした。

 

 

 

「そうして、私の手を射抜いたんです。アクアを守るために……あのカズマは本気で怒ってました……」

 

「めぐみん……」

 

「カズマは手の治療もしてくれました。でも、私に向ける目は……あんなの初めてで……」

 

 むせび泣くめぐみんの横で私も思考にふける。確かにカズマはアクアに対して実は非常に甘いというのは私にとっての既知の情報である。ただ、それは私やめぐみんに対してもだと無意識に思っていた。だが、今回の出来事ではっきりとしてしまったのだ。それは、カズマはアクアのために私達を切り捨てる事ができるという事実であった。

 

「この後、私達はどうすればいいんでしょうか……」

 

「私にも分からん」

 

「本当にこれで終わりなんですか? 私が今まで思い描いていた未来予想図も、私の恋もこれで終わりなんですか? 本当に? なんでですか? おかしくないですか?」

 

 めぐみんの紅い目が薄暗い闇の中で鈍く光り輝いている。血のよう紅いその目には危うい光が見て取れる。そうしてぶつぶつ疑問の声を呟く声は、やがて憎悪の声に代わる。呪詛を吐くめぐみんの姿は禍々しく見えたが、一方で彼女が元来持っている覇気がないためどこか弱弱しく見えた。

 

 

 

「なんでアクアなんですか……あの女のどこが……私はなんで……アクアなんかに……」

 

 

「もうよせめぐみん」

 

「アクア……アクアなんかに……アクアのくせに……アクアのくせに! アクアのくせにアクアのくせに!」

 

 目を見開き、歯を剥き出しにして呪詛を吐くめぐみんを見ていて、どこか冷静な部分な私がやっと先ほどのカズマとの会話で要領を得なかった部分を鮮明に理解して行くのを感じた。今のめぐみんの姿は実に見苦しい。恐らく、彼も私やめぐみんにそのような部分を見出したのであろう。

 

「確かにアクアがカズマに選ばれるとは思っていなかった。だが、今はそれについて逆恨みしても仕方がない」

 

「うるさいですね。というか良い子ぶるのはやめてくださいよ。貴方も私と同じじゃないですか」

 

「確かに失恋したのは同じだが……」

 

「そんな事ではないです。貴方だってアクアをバカにしていたでしょう? あのアホ女神を、女として”見下して”いたじゃないですか」

 

 めぐみんの深紅の目に射抜かれ、私は言葉をつまらせる。それは無意識に考えないようにしていた自分の本音、深層心理であった。動きを止めた私にめぐみんは追撃を開始する。私は彼女の言葉に対抗する術を持ってなどいなかった。

 

「貴方だってアクアは女としてのスタートラインに立ててすらいないって思っていたでしょう? あのバカが私達を差し置いてカズマに選ばれるなんて思ってもいなかったでしょう?」

 

「くっ……」

 

「カズマがアクアを選んだ事に怒りを覚えるのは当然の感情です。悲しみだって自然に湧いてきます。でも、貴方の感情の大部分は”屈辱”じゃないですか?」

 

「うるさい」

 

「安心してくださいダクネス。私も”同じ”気持ちです。おかげで私の女としてのプライドも、何もかもがズタボロです。本当に屈辱ですよ……本当に……アクアのくせに!」

 

 そのままぶつぶつと呪詛を吐くめぐみんの横で私は項垂れるしかない。結局、めぐみんの言っている事は私にとって図星だ。アクアの容姿が私達とは隔絶した美しさである事は否定しようがない。彼女の仲間を思う優しさや、あんな風ではあるが本質はやはり女神らしく誰よりも慈悲深い点だって知っている。だが、その他の面が彼女の女としての評価を押し下げる。知能の低さ故にとんでもないバカな事をする時もあるし、あの怠惰さと周囲より自分が偉いと本気で思っている傲慢さは決して全てを肯定できるものではない。酒癖だって悪いし、カズマの前で悪酔いして吐瀉物をまき散らした回数も一回や二回ではすまない。

 

 

 

そんなアクアに私は完膚なきまで敗北した。

 

 

 

 アクアよりかはカズマの好意を勝ち取れていると自惚れていた。私にも”下”がいるのだと根拠もなく安心していた。その結果がこれだ。私はアクアに余計な事を吹き込み。彼女に出し抜かれて今では地を這っている。私の胸に渦巻く屈辱的な感情がそれを証明していた。

 

 

 

 

 

「それで、アクアをどうしましょうかダクネス……殺してやりましょうか?」

 

 

 

 ゆっくりと首を横に向けると、そこには真顔で馬鹿な事をのたまうめぐみんがいた。私は思わず手で顔を覆ってしまう。彼女の表情に冗談の色がない事に失望したのだ。

 

「落ち着けめぐみん。気持ちは分かるが今は感情が昂ってるだけだ。私だってそう思いはしても実行しようなんて思わない。それは人間として絶対にやってはいけない事だ」

 

「アクアは女神です。人間じゃありません」

 

「そう言う事を言っているんじゃない! カズマと結ばれたからってお前はアクアを……仲間を殺すことができるのか!?」

 

 めぐみんの紅い瞳に私は自分の瞳で視線を突き返す。彼女とはそうして睨み合っていたが、めぐみんは嘆息してから魔法帽を目元まで深く被りなおした。

 

「アクアはもう仲間じゃないです。だって、仲間ならカズマだって”共有”できるはずです。それを拒んだのはアクアじゃないですか」

 

「めぐみんそれは……つまり何が言いたい……」

 

「そのままの意味です。もし、私がカズマと結ばれたなら多少の独占欲は許して欲しいです。でも、それ以外はダクネスとアクアにも一緒に幸せになるつもりです。あのカズマが私達の誰かを選ぶ事はあっても、誰かを捨てる事なんてするはずないです。それなら、私達でカズマを”共有”するのが一番幸せな選択ですし、私だってカズマの事で皆と離れ離れになるなんていやです」

 

「…………」

 

「貴方も私と同じ思いでしたよねダクネス?」

 

 顔を上げためぐみんの瞳は相変わらず紅く輝いていた。こうして、めぐみんの思いをぶつけられて初めて彼女の真意と向き合えた。だが、彼女と私とではどこかが徹底的にズレている。このめぐみんに私はどのような返答をするのが正解なのだろうか。結局、私はここで押し黙る選択しか出来なかった。

 

「それなのに、アクアは私達を拒みました。一人でカズマの全てを手に入れようだなんて許せません。そんな奴はもう”私達”の仲間じゃないです」

 

「めぐみん、気持ちは分かる。だが、馬鹿な事はするな」

 

「馬鹿な事……ダクネス、貴方は事の本質を理解していないのですか? 私達はカズマを奪われたのですよ? その時点で私達はもうどうにかなってしまってなければおかしいんです」

 

 月の光が彼女の狂笑を闇に浮かび上がらせていた。めぐみんの気持ちは痛いほど理解が出来る。私だってアクアから受けた仕打ちを考えればめぐみんに同調するのが筋だ。だが、この仕打ちを受けてなおアクアを殺す理由には到底成り得ない。それこそ、アクアは今も私達の仲間である事に変わりはないからだ。

 

「怯えなくていいんですよ。大丈夫ですダクネス。私は貴方の味方ですよ。今までもずっとそうだったじゃないですか」

 

 私の頬を、めぐみんがそっと撫でてくる。めぐみんの目には狂気の光が宿っているが私に向ける表情は慈愛に満ちていた。

 

 

 

それが逆に恐ろしい。

 

 

 

 

 私がめぐみんの”仲間”じゃなくなった時、彼女は私にどのような仕打ちをするのだろう。彼女は昔から私達身内に対しては非常に甘く優しかった。だが、カズマとの関わり方次第では彼女は私を平気で殺しに来る。だからこそ、私はめぐみんの愛撫を静かに受けるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「私に任せてくださいダクネス。”私達の”カズマは私がきちんと取り戻してあげますから」

 

 

 

 

 

結局、私は矮小な存在なのだ。

 

 

 

 アクアのような覚悟も、めぐみんのような勇気もない。ここに来て改めて実感するのは、私は今も昔も性癖も、何もかもが受け身な存在なのだ。そんな私が彼女達からカズマを奪い、独占するなんて事は夢でしかない事なのだろうか。例え、私がもう一度”やり直し”が出来たとしても彼女達に勝てる気がしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、なんでここに……ってあ~そう来るよねめぐみんは……本当に図々しいんだから」

 

 

 

 

 闇夜の中、家の主が帰還する。こちらを見るゆんゆんの視線には呆れが混じっていたが、どことなく嬉しそうであった。私はそんなゆんゆんの視線からも逃れるように下を向く。だが、私は実家に帰る度胸もめぐみんから離れる勇気もなかった。

 

「ゆんゆん、お腹が空きました。夕食はまだですか?」

 

「待って、待ってめぐみん! 流石にその第一声は図々しすぎると思うの!」

 

「うるさいですね。私が帰るべき家を失ったのは知っているでしょう? それならば、貴方が私にしばらくの住まいを提供するのは当然です。だって、私達は友達じゃないですか」

 

「んっ……! そ、そうね友達だものね……ほら、めぐみんもダクネスさんも早く入って入って! 料理には自信があるから期待していいわ」

 

 満面の笑みを浮かべながら扉を開けたゆんゆんの後に続き私はめぐみんと一緒に家にずかずかと入り込む。それからめぐみんは夕食にから揚げを希望し、律義に作って笑顔で夕食を振舞うゆんゆんの好意に甘えるしかなかった。彼女の作る料理は相変わらず非常に美味しい物であった。

 

 

 

 

 

 

 

「という事で、お疲れ様ですゆんゆん。見事にアクアとカズマへの偵察任務をこなしてくれましたね」

 

「あの……私にはそんな意図はないのだけど……」

 

「意図はなくとも結果的にはそうなったんです。ほら、アクア達の様子をきりきり話してください」

 

「分かったからそんなに急かさないでよ。あと、ちょむすけちゃんを落ち着かせて。じゃりめが好戦的になってるから……」

 

「貴方がいつの間にか使い魔を手に入れている点について驚きですが、ちょむすけに比べれば雑魚ですね」

 

「なっ……じゃりめだって負けてないわ! この子は私の大切な……大切な友達なんだから!」

 

 

湯気に立ち込める浴場で、湯につかる私達は随分とリラックスして落ち着いていた。そんなめぐみんとゆんゆんの頭の上にはお互いに黒猫が鎮座し、両者ともに激しい威嚇をしている。私はその光景を湯を浴びながらぼんやりと見つめていた。

 

「とにかく、知っている情報は全て吐いてください」

 

「分かったわよ本当にもう……まあカズマさんが凄いやる気になってるのは感じました。クエストの最中にお話をしたんだけど、アクアさんを養うために資金を集めて何か事業を起こすらしいです。それで、不労所得を得られるようになったらアクアさんと正式に結婚するつもりなんですって……」

 

「ほう……それは本当に私が愛したカズマなんですか? なんだか私がカズマと結ばれた場合のカズマの行動予測と真反対を行っているのですが……」

 

「羨ましいですね。私もあの鬼畜なカズマさんがこうなるのは予想外だけど……それだけアクアさんを愛しているんでしょうね。本当に妬けちゃいます」

 

 苦笑するゆんゆんの話を聞いて私はまた気分が沈む。あの怠惰の塊であるカズマが、愛する者のために勤勉に働いている。それは私が望んだ夫の姿の一つであった。私じゃ動かせないあの男を、アクアはただ存在するだけで揺り動かしている。それが羨ましくて悔しくて仕方がなかった。

 

「ゆんゆん、とりあえずは私達がカズマを奪還するまではここに住まわせてくださいお金だって払いますから」

 

「別にいいわよお金なんて……それよりカズマさんとアクアさんの事をお祝いしてあげないの? 心中は察するけど彼女だって貴方の大切な仲間なんでしょ?」

 

「仲間? 冗談はよしてくださいよ。アクアなんて私達の敵です。祝杯をあげるのは彼女が死んだ時だけですよ」

 

「めぐみん……?」

 

 ゆんゆんは驚愕の表情でめぐみんを見つめた後、私に目配せをしてくる。しかし、私はゆんゆんに足して首を小さく横に振るしかなかった。今のめぐみんは落ち着いてるように見えて、誰よりも狂っているのだ。

 

「それより、私はゆんゆんの思いが気になります。貴方のカズマへの視線、私は気づいていますよ」

 

「別に私はカズマさんに好意なんてないですよ」

 

「ええ、知ってます。でも、その片鱗はある。ゆんゆんのカズマへの視線はどこかおかしいですから」

 

「…………」

 

「私は今の貴方なら受け入れられます。ゆんゆんも私達の”仲間”になりませんか?」

 

 

 それは私にとって聞き捨てならない発言であった。ゆんゆんがカズマへの好意を持っているなんて私にとって藪蛇でしかない。だが、めぐみんは彼女を取り込もうとしている。それに対し、私は何も言わなかった。私には最初から発言権などなかったのだ。

 ゆんゆんはめぐみんに対して渋い顔を向けていた。あまり付き合いが長いと言えない私はゆんゆんの感情は推し量れない。ただ、悩んでいるという事は私にも分かった。

 

「めぐみん、私はいまさら貴方達の仲間になんかなれないです」

 

 

「私達とカズマを共有するチャンスなんですよ? 断ったら後悔しますよ?」

 

「別に構いません。ただ、純粋に疑問なんです。カズマさんはとっても頑張ってて、アクアさんだって幸せそうでした。貴方にはそれを祝福する気持ちはないんですか……二人の幸せを願おうって気持ちはないんですか?」

 

「馬鹿ですか貴方は? アクアはもう私達の敵です。アクアの事、絶対に許しませんから」

 

「はあ……本当にめぐみんは……」

 

 ゆんゆんは大きな溜息をついてから湯船から出る。かけ湯をした彼女はゆっくりと浴室を出て行った。彼女が去り際に残した言葉は私が持っていない覚悟と勇気に満ちたものであった。

 

 

 

「私は友達として貴方達に住居は提供するわ。でも、私はカズマさんやアクアさんの友達として彼らを応援する。それが友達ってものでしょう?」

 

 

 

 

 湯船に残された私達はしばし佇む。だがめぐみんがこちらに妙に熱く粘っこい視線を向けてくる。彼女の瞳は紅い深淵に満たされていたが、光は失っていた。

 

「ダクネス、貴方は私の仲間……友達ですよね?」

 

「ああ……」

 

「だったら裏切らないでください。私は貴方が傍にいるだけでも頑張れますから」

 

 紅く火照った顔を笑顔に染め、彼女は私にぎゅっと抱き着いてくる。めぐみんの抱擁を私は自然と受け入れていた。お互いに衣服を身に纏っていないため、彼女の柔らかさと熱が直に感じられる。小さな体には分不相応なほど、彼女の思いは強く、どうしようもないものであった。

 

「私はカズマを愛してます」

 

「ああ、知ってる」

 

「私は貴方がカズマを愛している事を知っています」

 

「ああ……」

 

「だからこそ私達はずっと友達で大切な”仲間”なんです。一緒にカズマの事を愛しましょうね」

 

 耳元で聞かされるめぐみんの声が私の脳をゆさぶる。私みたいな敗北者はこうして流される事しか出来ない。私の夢はとうの昔に砕け散ってしまった。そんな中でも諦めないめぐみんの姿は素直に羨ましく、愛おしく思えた。そして、めぐみんは私の頬をゆっくりと撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「愛してますよダクネス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 』とリゼロのコラボ見たい(願望)


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契約

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日のように悪夢を見る。

 

 

 

 

 

 暗闇に身を置くと自分の身体が全く動かない事に焦りと恐怖を覚える。それなのに、耳元には”あの女”の甘く媚びたような声音と乱れた息遣いが届く。そして、時折聞こえる彼の声が私の脳を揺さぶる。暗闇に恐怖を覚えるようになった私は自然と慢性的な睡眠不足に悩まされるようになった。

 

 

 

 

 

そうして、気づけばカズマがアクアと結ばれてから半年が経っていた。

 

 

 

 

 カズマは私達の関係を時間が修復してくれると言ったが、そのきざしは全くない。むしろ私達の関係は悪化してると言えた。それはつまり、私とめぐみんの関係も半年前から変わってないという事である。敗者同士、傷を舐め合う関係は今の私にとっても居心地が良かったからだ。

 

 

 

 

 

「んっ……朝か……」

 

 

 

 まだ怠さの残る頭を軽く撫でつつ、私は突っ伏していたテーブルから上半身を起こす。テーブルの上に何本も転がる酒瓶をかきわけ、半乾きのおしぼりで顔を拭く。それから部屋の方へ目を向けて私はまだ酒気の残る頭を更に痛める事になった。

 

 

 

「これは……少々ハメを外しすぎたな」

 

 

 

 嘆息してしまうのも無理もない。部屋中に転がる酒瓶と汚れたグラス、おつまみとして食べたナッツ類はソファーでうつぶせになって寝ているめぐみんの近くに皿ごとぶちまけられ、私の足元にはカーペットにくるまってぶつぶつと苦しそうに寝言を言うクリスの姿がある。これが三人の内、誰かの持ち家ならまだ諦めもついたが、ここは勝手に居候しているゆんゆんの家であった。

 さて、どこから手をつけようかと頭を悩ませる私の耳に家の外から近づいてくる足音が届く。もう遅いだろうと覚悟を決めた私はテーブルの上の中身が残った酒瓶に口をつけた。

 

 

「ただいま~朝帰りになっちゃったけど皆元気に……ってなによこれ」

 

 

 玄関の扉を開け、唖然とした表情で固まるゆんゆんを横目に私はそっと目を閉じる。こうなったら寝たふりで逃避するに限る。

 

「お酒臭い……汚い……これ私の家よね……? めぐみん……起きてめぐみん!」

 

「うぇっ……なんですか裏切り者……私の眠りを邪魔しないでください」

 

「ふざけた事言わないで、仮にも居候なんだから汚したらきちんと片付けなさいよ!」

 

「んっ……だいじょび……ゆんゆんがやってくれるって私信じてますから」

 

「そんな信頼いらないわよ」

 

「うぷっ……少し胃液が出そうなのでトイレに連れてってくださいゆんゆん……」

 

「本当に貴方って人は……!」

 

ドタバタという音が聞こえた後、トイレからゆんゆんの悲鳴が上がる。その声を聞きながら私は酒瓶にもう一度口をつけた。

 

「ひいいぃ! トイレにすでにゲロが……なんで流さないの……」

 

「おぶぇっ! あぅ……スッキリしました」

 

「やめて……汚物に汚物を上乗せしないで……」

 

 それからわーぎゃーと騒ぐ声と争うような音が聞こえた後、私の頬を突然ピシャリと叩くものがいた。目を開けると、憤怒の表情を浮かべたゆんゆんがいた。とりあえずもう一度目を閉じた私の頬を、彼女はぐにっとつねってきた。

 

「いひゃっ……いひゃいじゃないか」

 

「何をすました顔でいるんですか! 私、ダクネスさんならめぐみんやクリスさんが度を越えないようにしっかり抑えてくれると思っていたのに! この惨状は一体どういう事なんですか!?」

 

「私を買いかぶりすぎだ。残念だったな」

 

「なんでドヤ顔なんですか!? まったく……まったく……むきぃっ!」

 

 ゆんゆんが急に奇声をあげながら足元に転がっていたクリス入りカーペット巻きを蹴り上げた。吹っ飛ばされたカーペットは壁にぶつかり、何かをつぶしたような音とくぐもった悲鳴が聞こえた。そうして少しスッキリした顔になったゆんゆんは、私に買い物袋を渡し、小さな走り書きを押し付ける。そこには、いくつかの食材や日用品の名が記されていた。

 

 

 

「おつかいに行ってください。それくらいはしてください」

 

 

 

 呆れた表情でこちらを見るゆんゆんを前にして、私はこくこくと頷く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻はお昼に近づきつつある時間帯、私は思ったより大荷物なったおつかいの品を担ぎつつ、ゆんゆんの家への帰路につく。そんな時に、私はばったりと彼女に遭遇してしまった。見慣れた青髪に実は装備としても優秀な女神の羽衣をまとった人物は”アクア”以外にはいない。彼女は私の方を見て少し驚いた表情をしていたが、すぐに笑顔でこちらに近づいてきた。

 

「久しぶりじゃないダクネス!」

 

「…………」

 

「つれないわね。返事くらいはしてもいいでしょうに」

 

「悪いが買い物で大荷物を持っていてな。なまものもあるので急いで帰りたいんだ」

 

「あっそ……それなら手伝ってあげる」

 

 逃げるように背を向けようとした私の前でアクアはパチンと指を鳴らす。その瞬間、私が持っていた荷物や買い物袋が消え失せてしまった。唖然とする私の手をとり、アクアはゆっくりと歩き出す。本当は今すぐにでも逃げ出したかったが、私は何もする事が出来なかった。

 そうして、たどり着いたのは私もカズマと来たことがあるあの喫茶店であった。アクアはいくつか注文を店員にした後、一緒に席についた私の顔を両手を組んで覗き込んでいた。

 

「ひどい顔ねダクネス。最近はきちんと寝れてるの?」

 

「おかげ様でな。寝ているといつも貴様の声が聞こえてくる」

 

「……寝ていないのね」

 

「今更私が貴様に言う事は何もない。こんな風になってしまったのは全部アクアのせいだろう?」

 

 必死に自分を抑えていたのに、出てきた言葉はどうしようもない憎まれ口であった。その言葉を受けたアクアは困ったような苦笑を浮かべている。それが余計に腹立たしかった。彼女は私やめぐみんが辛酸をなめている間に、カズマと二人っきりの甘い時間をすごしているのだ。だから、受け入れるなんてとても考えられなかった。

 

「それについての話はまた今度にしましょう。それより、私は貴方に聞きたい事があるの。ゆんゆんからうるさいほど忠告されてるのよ。めぐみんやクリス、ダクネスが私の命を狙ってるってね。面白い冗談でしょう?」

 

「…………」

 

「ふーん……そうなんだ……冗談であって欲しかったのにね……」

 

「私は何も言ってないが?」

 

「アンタの目を見れば分かるものよ。だって女神だから……いや違うわね……親友ですもの」

 

 両目に貯めた涙をぽろぽろと落とすアクアの姿には正直言って虫唾が走る。私はめぐみんの提案には賛同出来ない。ただ、アクアを祝福する気になれないのもまた真実であった。

 

「ねえ聞いてダクネス。ちょっと前まで、カズマは貴方やめぐみんと結ばれるものだと思ってた。諦観に満ちていたけど、貴方達と結ばれるなら問題ないって心の底から思ってた。でも、その心の奥底で私の思いはずっと燻ってた。それに火をつけて思いを自覚したのは貴方のおかげなの。あの言葉がなかったら、今の私はなかった」

 

「惚気話か?」

 

「そうかもしれないわね。こんな私でも、不安は尽きないものなの。はっきり言って、私がめぐみんや貴方と比べて女性的な魅力に欠けている自覚はあったわ。認めたくないけど、私は考えが足りなくてカズマにいっぱい迷惑をかけたし、貴方達のような女としての”努力”なんてしてないし、しようとする意識さえなかった」

 

 涙を流しながらずびびっとハンカチで鼻をかむアクアからは同情的な悲壮感が漂う。ただ、発言の内容は単なる惚気話。聞くに値しないものだ。

 

「でも、そんな私をカズマは好きだって言ってくれたの。私の我儘が愛おしいって……私が馬鹿な事をしそうだから傍にいないと安心できないって……私と一緒ならこれからも幸せだって笑ってくれたの」

 

「自慢話はやめろ。聞く気はない」

 

「あの怠惰なカズマが、今では必死に働いてお金を稼いで、それを元に大きな商会を作って、商人として世界をまたにかけて商売をしてるの。何のためにって聞いたら、私のためだって平気で答えるのよ。彼と私の時間が減るのは少し嫌だけど、それ以上に嬉しいの。私のためにしてくれてるんだって思うと本当に嬉しくて……」

 

「やめろ……やめてくれ……」

 

「私とカズマはもうこれから先、永遠に続く”契約”をしたの。天界からの許可も下りて彼は正式に私の愛する旦那様で、私を未来永劫に守護する私だけのエインヘリヤル……勇者になったわ」

 

 涙を止めて照れたような笑いを見せるアクアの前で私は自然と耳を両手で押さえて頭を振る事しか抵抗が出来なかった。だが、アクアは私の両手を無理やり引きはがし、テーブルへと押さえつける。彼女の美しい碧眼が、私の両目を睨むように覗き込んでいた。

 

 

 

「だから、この幸せを邪魔するなら私は容赦しないわ。例え、私の親友だとしてもね」

 

 

 

 そう告げたアクアに私は何も言えなかった。そして、彼女は表情を崩して柔和な笑みをこちらに向ける。人懐っこいその微笑みは上辺だけでどこか無機質に感じられた。

 

「でも、私だって鬼じゃないの。貴方達の事は毎日のように心配してるし、彼の事が諦められないっていうなら私も少し折れていいかなってくらいには貴方達の事が大切だと思ってる。条件次第では貴方達はもう一度カズマと過ごせるようになるわ」

 

「条件次第……いきなりどういう事だアクア?」

 

「私だって半年も経てばある程度落ち着きを取り戻したってわけよ。最初はカズマを独占出来た事が嬉しくて考える暇もなかったけど、こうしてどうしようもなくなってるアンタを見れば考えも変わるわよ。だから、貴方達の望み通り、カズマを”共有”してもいいと考えてるの」

 

 そう言ってのけたアクアに私は絶句する。それはめぐみんが望んでいたものだ。あの頑なであったアクアが言わば妥協案とも言えるものを出したのは驚きであるが、それ以上にこの”タイミング”でそれを出した彼女に寒気がした。実はめぐみんの計画が最終段階に移行したのもつい最近なのだ。それをアクアも把握しているようであった。

 

「私の出す条件は簡単なものよ。一つはこの話をめぐみん以外には伝えない事。二つ目は明日の正午に私達の屋敷に来る事。三つ目は女神アクアの名のもとで魂に誓う正式な”契約”を交わす事」

 

「契約……」

 

「そう、契約よ。契約内容も単純だわ。”めぐみんとダクネスはその命が尽きる日までカズマとの愛を誓い共に生きる事を女神アクアの名において赦します”……ってね。つまりは契約を結んだ以上、カズマを悲しませたり、他の男と浮気を許さないってだけよ。簡単な事でしょう?」

 

 アクアは朗らかに笑いながら小さなきんちゃく袋を取り出して私に手渡してくる。それを思わず受け取ってしまった私の頭を、アクアは慈しむように優しく撫でてきた。

 

「ダクネス、それは私からの贈り物……お守りよ。貴方がめぐみんにこの話を伝える時、私に祈りを捧げながらこのお守りを握りなさい。そうしたら、一度だけ……30分程度”認識阻害”の結界を張れるわ。条件その一、めぐみん以外に話を聞かれないための対策ね。面倒を避けるためにめぐみんと貴方以外にはこの話を聞いて欲しくないの」

 

「…………」

 

「別に契約をするかしないかは貴方達の自由よ。でも、覚えておいてちょうだいダクネス。私は今でも貴方達の事を大切な親友だって思ってるの。だから、貴方とめぐみん以外には話したくはないの。それじゃあまた明日……良い返事を期待しているわ」

 

 そう告げたアクアの元に店員がショートケーキと紅茶が運んでくる。彼女はケーキを口に放り込み、紅茶を一気飲みする。それから、口をもごもごさせながら私に手を振って別れを告げた。残された私はアクアから渡された巾着袋を握りしめる。

 

 

「契約か……」

 

それは私にとってこの半年で一番と言えるほど明るい話題であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 家に帰り着いた私は、酒瓶を片手に部屋の中を困ったようにうろつくめぐみんと目が合った。彼女はどこか恐怖を顔ににじませながら、私へとぎゅっと抱き着いてきた。

 

「ダ、ダクネス! 私が新たなお酒を開けたら部屋に突然いっぱいの食品や荷物が急に出現したんです! この部屋には私達には見えない何かが……!」

 

「落ち着け、それはアクアの仕業だ。アイツが私の荷物をここに転送してくれたんだ」

 

「アクアと会ったのですか!?」

 

「ああ、色々と積もる話をしたんだ。それより、ゆんゆんとクリスは?」

 

「彼女達ならゴミ捨てついでに追加の物品購入に行きましたよ。まったく、ゆんゆんってお母さんみたいに小うるさいですよね」

 

 苦笑するめぐみんの周囲からは酒瓶が消え、部屋内も綺麗に掃除されていた。それならば丁度いいと私は勝手に自分の私室にしていた一部屋にめぐみんを連れ込んで鍵を閉める。そして、一緒にベッドへと並んで座る。めぐみんは何故か少しだけ頬を紅くしてこちらを見ていた。

 

「どうしたんですかダクネス? ま、まさかその……」

 

「お前が何を勘違いしているか分からないが少し話をしよう。アクアからある提案があった」

 

「ほう……あの女の提案ですか」

 

 少し蕩けた表情を、一気に蛇のように鋭くしためぐみんは小さく舌なめずりをする。私はアクアから受け取ったお守りを握りしめて彼女への祈りを囁いた。周囲に目立った変化はないが、お守りがほんのりと熱を持ち、不思議と認識阻害効果の発動を実感できた。

 

「早速だがアクアからの提案だ。アイツは私達とのよりを戻してカズマの”共有”をしてもいいそうだ」

 

「なっ……それは本当ですか? 私もこの半年で何度かアクアと話しましたが、随分と意固地になっていましたよ」

 

「正に時間が解決させたって奴さ。もしくは、ゆんゆんにアクアの殺害計画を何度も吹聴して脅迫を続けるめぐみんのおかげかも知れないな」

 

「何の話をしてるのか分かりませんね」

 

 ニヤついた表情でうそぶくめぐみんには少し頭が下がる思いだ。この半年の間にゆんゆんはカズマが立ち上げた商会の手助けをたくさんしており、そんな彼女は今ではカズマの秘書という彼の側近になっている。そんな彼女にめぐみんは毎日のように物騒な計画を語り、ゆんゆんも素直にそれをカズマやアクアに報告していたに違いない。最低ではあるが、その効果で今回のアクアの譲歩を引き出した可能性もあるのだ。

 

「アクアが私達とカズマを”共有”するためには契約が必要だと言っていた。彼女が悪魔なら色々と考えてしまうが、仮にもアイツは女神だ。嘘は言ってないはずだ」

 

「契約ですか……条件は?」

 

「契約内容は”めぐみんとダクネスがその命が尽きる日までカズマとの愛を誓い、共に歩む事を女神アクアの名において赦します”というものだ。つまりはカズマに愛を誓う限りはアクアは私達とカズマを共有していいって事だ。アクアも私達に根負けしたんだろう」

 

「ダクネス、私見はさておき契約条件を伝えてください。紅魔の里では常識なのですが、悪魔と契約する際は契約の内容だけでなく契約の条件も重要なんです」

 

「それについてもおかしな点はなかったな。契約条件の一つはこの話をめぐみん以外には伝えない事。二つ目は明日の正午に私達の屋敷に来る事。三つ目は女神アクアの名のもとで魂に誓う正式な”契約”を交わす事……らしいぞ」

 

「ふむ……確かにおかしな点はないですね。まったく、してやられましたね」

 

 大きくため息をついて帽子を目深にかぶっためぐみんはそのまましばらくの沈黙する。私は彼女の気持ちが少し分かってしまう。酒に溺れたりと怠惰な面もあったが、彼女はこの半年間にアクアを葬る事だけを考えて行動してきたのだ。

 

「せっかく”アクアを殺せる可能性のある武器”を手に入れたというのに……このタイミングで契約ですか」

 

「めぐみんもういいんだ。確かにアイツの事は殺したいくらい憎く思った事もあるが、一方で彼女との親友関係を破棄できるほど私達も冷たくはないはずだ。何より殺しなんて間違った方法を取らなくて済む。これでいい……これでよかったんだよめぐみん」

 

「っ……」

 

 めぐみんの頬には一筋の涙が伝っていた。そんな彼女を私は抱きしめる。彼女も十分頑張った。それなのに、私はこの半年間で何もしなかった。この勝利はめぐみんが掴んだものに違いなかった。そして、私の手の中のお守りが熱を亡くす。どうやら、認識阻害の効果が消えたようだ。

 その時、ふと冷静な部分の私がお守りの中身を見ろと助言した。認識阻害の効果のあるアイテムなど、もし”やりなおし”が起こってしまった際にとても使えると思ったからだ。急いでお守りを開けると、中には一枚の紙片が入っていた。そこには、赤黒い血のような色で、何らかの魔法陣が描かれていた。私がそれを脳に刻み込むように見ていると、突然紙片に火がつき、燃え上がって焼失してしまった。どうやら、お守りの中身を見るのはアクアにとって許せない行為であったようだ。

 

「ダクネス、今のは?」

 

「アクアから預かったお守りさ。効果は認識阻害らしい。契約条件にあった私達以外に話が漏れないようにっていうのを守るためのものだろうな」

 

「そうですか……ただ何か引っかかるというか……私はあの紙片の魔法陣をどこかで……」

 

 ぶつぶつと呟くめぐみんはそのうち力が抜けてしまったように眠り始めてしまった。そうやって眠るめぐみんの表情からは険がとれた穏やかなものであった。その横に私自身も横たえて目を閉じる。そうしてとったささやかな睡眠は、この半年間で一番深く穏やかなものであり、悪夢にうなされないものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、契約の日が来てしまった。時刻は正午近く、太陽が真上に登る時間帯だ。私とめぐみんはカズマの屋敷の正門前で共に息を整えている。否応がなしに緊張はしてしまう。この後アクアと結ぶ契約は私達の未来を左右するものだからだ。

 

「ゆんゆんによれば彼女とカズマは紅魔の里での商談のため出張中だそうです。屋敷にはアクアだけがいるはずですよ。なので落ち着いて行きましょう。アクアだけなら変な知恵はまわらないはずですから」

 

「そうやって侮るのはやめろ。そんなアクアにしてやられたのが私達なんだ」

 

「分かってますよ……」

 

 お互いに気を引き締め、私達は一緒に歩を進める。正門前の結界はそんな私達を迎え入れる。そうして半年ぶりに踏み入れる屋敷に懐かしい思いをしながらも、私達は屋敷のリビングへと上がり込んだ。そこには小さな丸テーブルを前にして椅子に座るアクアがいた。彼女は私達によく見せていた柔和な微笑みを見せながら彼女の対面にある椅子への着席を促した。

 

 

 

 

「よく来たわねめぐみん、ダクネス。私は貴方達を歓迎するわ。親友として……同じくカズマを愛するものとしてね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、貴方達はしっかり契約条件を守ってくれていたようね。それなら早速契約に移りましょう。契約内容は”めぐみんとダクネスはその命が尽きる日までカズマとの愛を誓い共に生きる事を女神アクアの名において赦します”……ってものよ。異議申し立てはあるかしら?」

 

 

 アクアの問いかけに、めぐみんと私は言葉を返さない。それに対し更に笑みを深めた彼女は私達に両手を差し出した。

 

「私とカズマと一緒に歩むなら、その手を私に重ねなさい。そうすれば契約は成立。もう一度、私達四人で幸せな日々を過ごしましょう?」

 

 そう微笑んだアクアの右手に、私は自分の右手を重ねる。正直言ってアクアの事はまだ憎らしい気持ちもある。ただ、それ以上にめぐみんがこれ以上に狂ってしまう事が怖かった。そして、半年間も口を聞いていないカズマと他愛のないものでもいい。ただ、アイツとお話がしたかった。

 

「これで風向きも変わるだろうな」

 

「ええ、歓迎するわダクネス。すれ違いはあったけど、私と貴方の仲でしょう? もう一度やり直しましょうよ」

 

 

 アクアは私の手をぎゅっと握り返してくれた。左方ではめぐみんは手を出さずにうつ向いている。まだ、迷っているのだろう。めぐみんの返答を待ってしばらく経ってから、彼女は顔を上げてアクアを見つめ返していた。

 

「アクア、契約の前にいくつか質問があります」

 

「ええ、いいわよ。契約は大事。一生ものだしね。好きに質問していいわよ」

 

「なら遠慮なく行きます。この契約後、アクアは私達とカズマと”共有”する事を拒否したり、出来ないように根回しをするなんて事はしませんよね?」

 

「ええ、もちろん。今まで通りの関係……もっと進んだものも約束するわ。契約の裏をかくような工作はしないわよ」

 

「なるほど……それではもうひとつ。カズマの”共有”は肉体的、精神的なものも含みます。私とダクネスがカズマと更に愛を深めたり、性的関係を持つ事になります。それを貴方は許容するのですか?」

 

 めぐみんのその質問にアクアは身体を静止させたようりぴたりと動きを止める。それから次第に身体を震わせ始める。彼女の顔は悲痛に歪み、目じりには涙を貯めていた。

 

 

「いいわよ……好きにしなさいよ! 分かった! 認めるわよ……私の負けよ! 本当はもちろん嫌よ。でも、貴方達との関係を失う事と天秤にかけたら許せるの。私達はこれまでずっと一緒だったし……カズマさんを愛する気持ちだって一緒よ。貴方達となら、私はもっと幸せになれる。そう思ってるもの」

 

 

 涙を流すアクアの手を私は更に強く握りしめる。女として彼女がカズマを他の女へ譲る事への複雑な思いは非常に理解出来る。ただ、彼女は私達との友情を前にして折れてくれたのだ。私の心の中のアクアへの憎しみも彼女の思いによっていくらか和らげられた。

 

 

 

 

 

「なるほど、これはとんだ”狐”ですね。ダクネスの言う通り、今のアクアは侮るべきではないです」

 

 

 

 

そう言って、めぐみんはアクアの差し出した手を打ち払った。

 

 

 

 

「めぐみん……何を言うの……私は……」

 

「その泣き真似はやめた方がいいですよ。気色悪い」

 

「…………」

 

 

 アクアの泣き顔が瞬時に切り替わり、表情の読めない真顔になる。私が呆気に取られている間にめぐみんは私の手を掴んでアクアから引き離す。私がめぐみんの方へ顔を向けると、彼女は首を小さく横に振った。そんな私達にアクア再び両手を差し出した。

 

 

「さあ、それじゃあ契約の続きをしましょう」

 

 

 

 私は事態についていけず、再び手を出す事が出来なかった。ただ、アクアの様子がおかしい事は理解できる。もう、彼女の何を信じればいいか分からなくなっていいた。

 

 

「ほう、あくまでその態度を貫きますか。それなら……もう一つ質問です。契約条件のひとつに私とダクネス以外に契約の事を伝えないとありましたが、何故そんな条件を?」

 

「当然でしょう? 私達三人の大切な契約なのよ。他人に吹聴すべきものじゃないわ」

 

「へえ……それなら……私は将来を決める契約なので他人の意見が欲しい所だったんです。今この場にクリスに同席してもらいましょうか。それとも、エリスを呼びましょうか?」

 

「…………」

 

「無表情は貫けても、沈黙はより多くの事を語ります。ボロが出てしまいましたねアクア」

 

 何故この場でクリスやエリス様の事が出るのか私には理解出来ない。ただ、すがるように向けた私の顔にめぐみんはそっと人差し指を立てる。黙っていろというめぐみんのサインに私は屈してしまった。

 

「最後の質問です。貴方の契約では私達とカズマの関係を”命尽き果てる日まで”としていますが、私達の死後はどうするつもりですか?」

 

「別に、天国に行こうが転生しようが好きに選ばせてあげるわ」

 

「カズマとの関係は?」

 

 

じっと見つめるめぐみんに、アクアは満面の笑みを返した。

 

 

 

 

「契約通りよ。死んだら貴方達とのお友達ごっこも終わり。カズマと二度と関係を持てないように縁を切らせてもらうわ。当然でしょう? カズマは”私の男”なんだから」

 

 

 

 

 満面の笑みでそう告げたアクアに対し、私は力なく項垂れるしかない。この契約に裏がないとはとても思えなかった。だが、アクアの事も信じていた。その気持ちを裏切られたようで何だか全てがどうでもよくなる思いであった。

 

「むしろ感謝しなさいな。私は貴方達が人間としての生をまっとうするまではカズマとの関係を認めるのよ。確かに死後に関係は切れるかもしれないけど、現世では幸せに過ごせるの。もちろん、子供でもなんでも作ればいいわ。子供達を通してカズマとの関係は途切れない。それでいいとは思わないかしら。ねえダクネス?」

 

「わ、私は……」

 

「このままだとどこの馬の骨かも分からない男と結婚させられて貴族としてその男と子供を作らないといけないのよ。それよりかは、私と一緒に楽になる気はない? きっとカズマも、貴方が他の男と結ばれるのは望んでないわ」

 

 

 すっと細められた碧眼が、私の目を射抜く。確かに死後は彼との関係は途切れるかもしれないが、少なくとも現世では幸せに過ごせる気がした。それに、私は今を過ごすだけでもいっぱいっぱいだ。死後の事を考えるなんて正直言って馬鹿馬鹿しい。むしろ、そこまで杞憂しなくてもいいのではと心の中の冷静な自分が告げていた。

 

「落ち着けめぐみん、確かに契約を結んだら死後にはカズマと関われなくなるかもしれない。でも、私達はそんな事を気にするほどの年齢か?」

 

「騙されないでくださいダクネス。アクアは真意を隠して私達に契約を持ち掛けた。重要なのはそこです」

 

「別にそれくらいいいじゃないか。いい加減、私達も負けを認めて祝福すべきだ。それに、アクアが関係を切ると言っても、カズマはどうだ? 長い人生をかけて一緒に過ごせば、彼は絶対に私達を見捨てない。もしくは見捨てさせないように努力をした方が良いんじゃないか?」

 

「…………」

 

 

押し黙っためぐみんの代わりに、私は再びアクアに手を重ねる。

 

これでいい、これでいいんだ。

 

 

「良い判断ねダクネス。歓迎するわ」

 

「ああ、私だけでもやってくれ」

 

「もちろんよ。我が名において命ず――」

 

 

 アクアは祝詞を唱える司祭のように小さく言葉を紡いで行く。そして、私は目を閉じた。少なくとも、今よりかは幸せになれる。そう、信じたかった。

 

 

 

 

 

 

 

そんな時、何かが炸裂するようなパァンという乾いた音が部屋内に響き渡った。

 

 

 

 

 

「えっ……あっ……」

 

「最初からこうすれば良かったんです。これで、カズマは私達のものですね」

 

「何で貴方がそんな武器を……しかも本物なんて……」

 

「私はただ酒に溺れてたわけじゃないです。貴方に敗北してヤケになっているクリスに……女神エリスを更に酒に溺れさせて手に入れたものです」

 

「あの子は本当に……しょうがないわね……」

 

 バタリとアクアが机に突っ伏してしまった。そして、テーブルの上とアクアの足元に鮮やかな血が広がって行く。それを見ためぐみんは右手に握っていた謎の武器……その先から出ていた煙を吹き消し、くるりと手で弄んだ。

 

「女神も血が出るんですね。血が出るならこれで殺せたはずです」

 

「めぐみん、お前は何を……」

 

「アクアを殺害したんです。やりましたね。これで全て解決です」

 

「私は……私はこんな……」

 

 

 

 

テーブルに臥せるアクアはピクリとも動かない。その姿を見て私は……

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい表情ですね、ダクネス」

 

 

 

 

 

はっとして私は口元を手で抑えた。

 

 

 

 

 

 

そんな時どこからか、何かを唱えるような声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

『死の、先を行く者たちよ』

 

 

 

『我と共に生きるは冷厳なる勇者、出でよ!』

 

 

 

 

 

 

それは突然の事であった。

 

 

アクアの背後に光柱が現れ、そこから今は見たくない顔が出現する。

 

 

 

 

「やってくれたなお前ら……」

 

 

 

 

 怒りの表情で私達を見据えるカズマは、私達に刀を上段に構える。それから、思いっきり突っ伏しているアクアを蹴飛ばした。

 

「いった……!? いきなり何すんのよバカズマ! もうちょっと心配するとか泣き喚くとかしなさいよ!」

 

「お前がそれくらいで死ぬかよ。それより、今はこいつらの事だ」

 

 起き上がったアクアは衣服を血に染めていたが、その顔は生気に溢れている。ここで私もようやく受け入れがたい現実を受け入れるしかなくなった。

 

 

 

 

人間では、この女神を滅ぼすなんて不可能なのだ。

 

 

 

 

 

「気をつけなさいカズマ。めぐみんが持ってる武器は”サミュエルコルトのリボルバー”、ただの拳銃じゃなくてあらゆる神魔を一発で撃ち滅ぼせる特別製よ」

 

「お前はそんなのを撃ち込まれても大丈夫だったのかよ?」

 

「ようやく心配してくれたのね。まあ、あらゆるもの滅ぼせるといっても所詮は人が神魔に対抗するために作った”人器”なの。”あらゆるもの”の例外は私みたいにたくさんいるわよ」

 

 楽しそうに会話をするカズマとアクアを前に私は押し黙るしかない。とにかく、これで私達は終わりだ。カズマの顔は油断なくこちらに向けられ、怒りに染められている。関係修復はもう不可能であった。対して、めぐみんは呆けた表情でアクアを見ている。しょうがないことだ。彼女の頑張りは全て無駄だったのだ。

 

「めぐみん、ダクネス……半年も期間があってこの結果なのは残念だ。今回は通じなかったとはいえ、アクアに殺意を持って武器を向けた事を俺は許さない。絶対に許さない! だから、終わりにしよう……全部”忘れちまえ”」

 

 

 

 

 

刀を持って近づくカズマを私は黙って見ていた。もう、どうでもよかったのだ。

 

 

 

そんな時、また乾いた銃声が部屋内に響き渡った。

 

 

 

 ふと、私の全身から力が抜けて行く。床に倒れ伏した私は、自分が血だまりに沈んでいる事を遅まきながら理解した。

 

 

 

「お前何を……!」

 

「させません……させませんよカズマ! 私の記憶は消せても、貴方の記憶は残り続ける。だから、永遠に覚えておいてください。私という女性が貴方をずっとずーっと愛していた事を!」

 

「やめろ……やめろめぐみん……!」

 

「アクアは私達を蘇生させますか? それともそのままにしますか? また会う時が楽しみです……ふふっ愛していますカズマ」

 

 

 乾いた銃声がもう一度響き渡る。そうして、私の視界にめぐみんがどさりと倒れこんでくる。口からを血を流すめぐみんの目からは、すでに生気は消え失せていた。

 

「なんで……なんでお前らは……」

 

「いいから蘇生させるわよカズマ。例えどんな理由があろうと死ぬ理由にはならない! この女神アクアが許さない!」

 

 

 

 

 

 霞む視界の中で私は”死”というものを実感し始めた。めぐみんに撃たれたであろう胸からは、血と一緒に暖かさが流れ出て全身が冷えていくのを感じる。ただ、少しだけ嬉しかった。もう何も見えなくなってしまったが、私の愛する人が私を心配し涙を流す声を聞けたからだ。それだけで十分だった。

 

 

 

「なんで……なんで……どうして……! めぐみんは大丈夫なのになんで……!」

 

「落ち着けアクア、今は――」

 

「――――が降りない!? 冗談は―――エリスあなたは―――そう――この世界は――」

 

 

 

 

 

 

 

それは心安らぐ暗闇であった。

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

 

 

 眩しい朝日が微睡む思考をクリアにして行く。そっと目を開けてみれば、カーテンから除く太陽の光の眩しさの前に私は再び目を閉じてしまう。だが無意識に目を手で擦った際に私は違和感に気がついた。

 

 

 

 

 

「涙……?」

 

 

 

 

 

 私の両目からは涙がポタポタと流れていた。それを無作法に袖で拭いながら上半身を起こす。周囲は見慣れた我が家であった。

 

 

 

「これが天国なのか……それとも地獄か?」

 

 

 

 自嘲しながらも、ゆっくりとした足取りで私は歩みを進める。そうして、私はとある部屋にたどり着く。その部屋の小さな丸テーブルにはすでに先客の姿があった。私が対面の椅子へと座ると、彼はにんまりとした満面の笑みを浮かべた。

 

 

「おはよう、ララティーナ」

 

「おはようございますお父様」

 

「うむ、やはりと娘と一緒に食べる朝食は最高だ」

 

「御戯れを……ところでお父様も死んでしまったのですか? それとも、私の記憶から再現とかそういうものですか?」

 

「んっ……寝ぼけてるのか? ああ、また夜遅くまでロマンス小説を読んでいたんだな。そういう所は母親似だな」

 

 

 微笑みながら冗談を言う父の言葉に嘆息しつつ、私は手近なパンを取ってもそりもそりと食べ始める。死後の世界でも、きちんとパンの味を楽しめた。天国なら、体重も気にせず食べ放題も出来るのだろうか。

 

 

 

「いや、以前アクアに聞いた話だと死後の世界は何もない退屈な場所だと……」

 

 

 

 

そんな混乱する私の横にポットを持ったメイドが現れた。

 

 

 

「お嬢様、コ……コーヒーをお入れします!」

 

 

 

「………」

 

 

 

「あの……コーヒーじゃなくて紅茶もありますよ……ってわひゃあ!?」

 

 

 

 緊張した面持ちでもう一つのティーポットを手に取ろうとしたメイドが、何を焦ったのか急にポットを取り落とした。そうしてぶちまけられたコーヒーは私の寝間着へとびっちゃりと降り注ぐ。メイドはコーヒーまみれになった私を見て青い顔をしながらへたりこんでしまった。

 

 

 

 

 

その姿に私はくすりくすりと笑ってしまった。

 

 

 

「ふふっ、気にするな。こういう失敗は誰にでもあるものさ」

 

 

 

「で、ですがお嬢様……火傷は……お怪我はありませんか!?」

 

 

 

「安心しろ、この程度では私に傷一つつけられない。ああ、別にそんな死にそうな顔でタオルを押し付けなくてもいい。どうせこの後はシャワーを浴びて着替える予定だったんだ」

 

 

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 

 

 

「それより、君こそメイド服を着替えてくるがいい。私と同じくコーヒーまみれだ。私とお父様は何も言わないが、ここのメイド長は口うるさいからな」

 

 

 

「ご……ごめんなさいいい!」

 

 

 

 ぺこぺこと頭を下げながら凄い勢いで退出して行くメイドを眺めながら、私とお父様は同時に笑ってしまった。それから、お父様はこほんと息をついてからこちらを心配するような顔を向けてきた。

 

 

 

 

「大丈夫かララティーナ?」

 

 

 

 

その言葉に、私は満面の笑みを返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ、おかげで目が覚めました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ファイナルシーズンをコルトで閉めてくれないかな……


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思い新たに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着け私、やり直しは出来ている……そのはずなんだ」

 

 カズマの屋敷の正門前で私はバクバクと鼓動する心臓を抑えるように胸に手をあてる。頭の中は状況に対する疑問や不安、不信が絶えないが今ははっきりとさせたい事がある。それを確かめるためにも、私はカズマと話をする必要があった。

 

 

「結界はないようだな……」

 

 

 正門に軽く手をかざすと、当たり前の事だが何も起こらない。だが、私にとってはこの正門はついさっきまでアクアの結界によって透明な壁を張られていたのだ。私はそのまま足を進めて屋敷の中へと侵入する。リビングにはもちろんカズマの姿があった。ソファにだらしなく寝転がり毛布にすっぽりとくるまっている姿は私にとっては”半年”ぶりだ。私はぼけっとした視線をこちらに向けるカズマに少しづつ近寄り、ついには我慢できずに抱きしめる。腕の中でぐぇっという奇声も聞こえてきたが、そんな事を気にする余裕はなかった。

 

「いきなりどうしたダクネス? ああ、この俺のカッコよさに気づいて我慢できずにメスになっちまったんだな……」

 

「何を馬鹿な事を言っている。それより、めぐみんは紅魔の里に里帰りしたんだよな」

 

「んあ……昨日は一緒に見送っただろ。少し寂しくなるよな」

 

「ついでだが、アクアはどうした? お前はアクアの事をすっごく愛しているから知っているはずだろう?」

 

「本当に今日はどうしたダクネス、俺がアクア愛するなんて天地がひっくり返ってもありえねぇよ。ただ、どこに行ったかは知ってるぞ。朝からアクシズ教会に行くって出かけたからな」

 

「そうか……そうかそうか……そうなんだな……」

 

 自然とにじみ出る涙は彼のかぶる毛布を濡らしていく。お父様や新人メイドの話を聞いたり状況からしてある程度の確信はあったが、こうしてカズマの言葉を聞いて初めて安心が出来た。

 

 

 

私は”やりなおし”に成功したのだ。

 

 

 めぐみんに負けて辛酸を舐めた一週目、アクアにしてやられた二週目、今回は三週目に突入し状況は振り出しに戻っている。これから私が何をすべきかもまだ定まっていないが、今はこの状況に感謝を告げたかった。そんな時、私の髪をカズマがふわりと撫でつける。こちらを見つめる彼の表情は心配そうなものであった。

 

「ダクネス、本当にどうした? 何か悩んでる事があるなら俺が話を聞くぞ?」

 

「いや、カズマには言えないさ」

 

「そうやって一人で悩みを背負い込むのはやめろって言ったよな。吐き出したいことがあるなら好きなだけ吐き出せ。何か協力して欲しいなら、俺は喜んで力を貸す」

 

「心配しなくていい。これは嬉し涙だ。さて、私はやる事が出来たから出かける事にするさ」

 

「無理するなよ。別に対価は要求しない。困った事が起こっているなら俺を頼れ」

 

「そうだな、今後はそうしよう。ただ、そういうキザなセリフはせめて毛布を脱いでから言ってくれ」

 

「冗談のつもりはないんだがな」

 

 私は毛布にくるまりながらこちらを真剣な表情で見つめるカズマをもう一度強く抱きしめた後、私は彼へと背を向けて歩き出す。目指すべき目的地はすでに決まっていた。その歩みは自然と足の震えによって止まってしまいそうであったが、私は完全なる”安心”を得たかった。そのためにも、私はアイツと対峙する必要性があったのだ。

 

 

 

「その表情はずりぃな……」

 

 

 

カズマの小さなつぶやきがやけに耳に残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてたどり着いたのは随分と豪奢な作りの教会……アクシズ教会であった。当初は普通の教会であったそうだが、アクアが介入したのか増改築が繰り返されているらしい。そんな教会前にて、私はちょっとした違和感に気が付いた。いつもはこの教会の周囲にはアクシズ教の布教者や、怪しい屋台があるのだが今はそれがない。それどころか、周囲数百メートルに渡って人の姿が私以外に見られなかった。教会が中心街に近い立地である事を考えるとなおさらおかしい事であった。

 

 

「むっ……開かない……」

 

 

 違和感を振り切って教会の扉に手をかけたが、ピクリとも動かなかった。確かに女性一人の手で開ける事は難しいほどの大扉であったが、私には一般的な女性より数百倍は力が強かった。力で開けられないという事はカギがかかっているという事であった。そして、例の事件以降に敏感になってしまった私の耳がかすかな音を捕らえる。私は自然と扉に耳を押し当てていた。

 

 

『最近―――時空間――次元の乱れが―――もしかして――」

 

 

『ありえるわね―――――厄介なのは能力じゃないわ――――――同一視――――真名は――』

 

 

『――静観するしか―――――天界は―――』

 

 

『――――大丈夫よ―――――私達は何も―――」

 

 扉の先からかすかに漏れる声はアクアのものであった。そのまま私が更に身体を扉に押し付けた時、ひとりで扉が開いた。勢いあまって教会内に足を踏み入れた私を、礼拝堂の奥で両手に腰を当てて半目でこちらを見るアクアの視線が貫いた。

 

 

「ちょっと、盗み聞きをするのは感心しないわよダクネス」

 

「いやこれは……」

 

「まったく……それで何の用なの? ここまで”来れた”って事は私に何か用事があったんでしょう?」

 

「…………」

 

 アクアの声に私は言葉を返せなかった。それもそのはず、アクアの隣に思いがけない人物の姿があったからだ。白い羽衣に身をつつみ、長い銀髪揺らしながらこちらを優しく見守る姿は正に私にとっての美しさの理想の象徴であった。そんな人物を私が見間違えるはずがない。私の身体は自然と膝をつき頭を垂れていた。

 

「あら、ダクネスったら殊勝な態度じゃない。やっと私の素晴らしさに気づいたのね」

 

「バカを言うなアクア。これはお前に向けてのものじゃない……お久しぶりですエリス様」

 

「なんでよー!」

 

 頬を膨らませて不満げな顔をするアクアを無視して私はエリス様へと顔を向ける。彼女は生きる者全てを魅了するような美しい笑顔を浮かべていた。

 

「もう、そんな態度は取らないで頭を上げてくださいダクネス。私と貴方の仲じゃないですか!」

 

「いえそんな……」

 

「ふふっ、私より堅苦しい所は相変わらずですね」

 

 笑顔を浮かべながら、エリス様が私の手をとって立ち上がらせる。ほんの目と鼻の先にエリス様がいる。その事実に思わず胸も躍るが、今は確認すべき事がある。私は顔を再びアクアへと向けた。

 

「なあアクア、こんな事を言うのも少しおかしいかもしれないが……お前はカズマと男と女として付き合ったりしてないか?」

 

「はえっ……?」

 

 アクアは素っ頓狂な声を上げてから私を見つめ返す。それからみるみるうちに頬を紅く染めながら全身を使いながら右手を左右に振った。

 

「いきなり何言っちゃってくれてるのダクネス! 私があんなダメ男なカズマさんと付き合うわけないでしょ! そんな事、天と地がひっくり返ってもありえないわ! ま、まぁどうしてもって泣きながら土下座して貢物もいっぱいくれるなら考えてあげる事はしてあげなくはないわよ!」

 

「アクア先輩落ち着いて……かなり支離滅裂ですよ」

 

 やけに早口になっているアクアをエリス様が眩しい笑顔を浮かべながらたしなめている。私はというとアクアの初心な反応を見て確信する。やはり、”やり直し”が成功している事は間違いない。そして、これはアクアやエリス様のような女神……人間を超越した上位存在に対しても巻き戻し現象が適用されている事を確認できた。なぜ私がこれまでの記憶を保持しているのかは分からない。だが、この状況を利用しないなんて選択肢はもう私にはなかった。

 

「というかダクネス、アンタは私にそんなしょうもない質問をするために私の所に来たの?」

 

「まあな、だがここに来て状況が変わった。アクアより、適切な相談相手をみつけたからな」

 

「まったくもう……まあ人払いの結界を抜けるだけの頑強な意思を持って私達に会いに来たアンタを無碍には出来ないわ。エリス、よくわかんないけど話を聞いてあげなさいな」

 

「分かってますよ。むしろ、ダクネスがアクア先輩より私を頼ってくれるのは本当に適切な判断だと思いますね」

 

「ちょっとエリス、それ嫌味よね? 絶対嫌味よね!?」

 

アクアとエリス様の様子は非常に仲が良さそうだ。だからであろうか、私は少しイラついている事を自覚した。以前は微笑ましく見えただろうが、今はアクアを目にするだけで心が乱れる。アクアが私の敬愛するエリス様と仲良さそう会話をしているなら尚更だ。エリス様はそんな私の方を見て目を細め、そっと耳元に囁いてきた。

 

「今夜、貴方の部屋に伺います。相談はそこで受けましょう」

 

「…………」

 

「アクア先輩には聞かれたくない事なのでしょう? 私は分かってますから」

 

 微笑を浮かべたエリス様に私は女ながらに見惚れてしまうが、何とか頷きを返す。エリス様も頷きを返し、彼女はアクアの手をとって私から引き離すように歩き出した。

 

「という事でアクア先輩、私達もすこーし大事な話があるので座って話せる場所に移動しましょう」

 

「ちょっと、ダクネスのお悩み相談は聞かなくていいの?」

 

「それは彼女の希望でまた今度になりました。それじゃあダクネス、また会いましょう」

 

「なによ、私には悩みを傍で聞くことも許されないの?」 

 

「はいはい、むくれないむくれない。ダクネスだって多感な恋する乙女なんです。アクア先輩も譲歩してあげてください」

 

 そのまま奥の部屋を消えていった二人を黙って見送った。それから私も教会に背を向けて歩き出す。気になるのはやはりこの”周回”での行動指針である。エリス様にいくらか相談するとはいえ、ある程度の目標は決めておくべきだった。

 私は悩みながら足を進め、気が付けば例の喫茶店にたどり着いていた。私は店員にコーヒーとチーズケーキを注文してから懐からメモ帳とペンを取り出す。それから、考えをまとめるためにも私が今までの世界で経験した事を書きだした。

 

 

 

 

『対めぐみん、アクアメモ』

 

・めぐみんは里帰り前にすでにカズマへの告白を行っている。

 

・里帰り後、1~6日までにカズマはめぐみんと接触していない。

 

・6日目夜~7日目にカズマがめぐみんの様子を見に行き、結果として肉体関係に発展。

 

・7日目夕方以降に二回戦開始。

 

・恐らくカズマとめぐみんの初体験は失敗に終わり中途半端に終わっている。

 

・私が告白をするとカズマはアクアに告白する可能性がある

 

・アクアに”独占欲”を教えるとろくな結果にならない。

 

・ゆんゆんは中立派。

 

・クリスは中立寄りだが、カズマへの恋心を持っている可能性あり。

 

 

 適当に書き出したメモに、私は更なる一文を付け加える。震えるペンで書きだしたのは一つの受け入れがたい真実であった。

 

 

 

・カズマの思い人はアクア。

 

 

 書き終えた後、思わずテーブルにペンを叩きつけてしまった。それから放心する私の所へ店員がコーヒーを持ってくるまで考えはまとめられなかった。私は運ばれてきたコーヒーを一気に飲み、その低品質なコーヒー豆の苦味に顔をしかめる。だが、おかげで止まっていた思考が再び動き出した。その結果、私は一つの結論を導き出した。

 

 

 

 

 

「詰んでる……」

 

 

 

 

 そう、今の私は正に詰みの盤面にいた。周回開始前……つまり昨日の時点でめぐみんはカズマへの告白を終えている。このまま私が行動を起こさなければ、カズマとめぐみんが肉体関係を持ちめぐみんルートへ移行する。

 そして、私がカズマに告白すれば彼の”自覚したくなかった”思いに気づいてアクアルートへ移行するのだ。おそらく、私が告白しなければカズマはめぐみんのへの肉欲が抑えられずそのまま手を出してしまう。その場合、アクアへの思いを封印し、めぐみんへの”責任”を果たすはずだ。変な所で義理堅いのがカズマという男であった。

 

 

 

「どうすればいい」

 

 

 至極当然の疑問であった。カズマは私が何もしなければめぐみんと結ばれ、私が何かしたらアクアへの思いに気づいてしまう。脳裏には一つの解決法が提示されるが、私はそれを選びたくない。私の微かに残る乙女心がそれを許さなかったのだ。

 

 

「どうすれば……どうすればいいどうすればいい!」

 

 

 掻きむしった頭から、私の金髪がハラリと抜け落ちる。それに気づいて私は手を止める。結局、私は怖気づいた臆病者でしかないのだ。

 

 

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 

 

 突然かけられた声に、思わず身構える。しかし、私が顔を上げた先には見知った顔がこちらを心配そうにのぞき込んでいた。彼女は見慣れた紅魔族ローブに身を包み、めぐみんと違ってその豊かな双丘をローブごしに主張している。艶やかな黒髪をおさげにして肩に垂らし、幼い顔つきながら男を誘う抜群のスタイルを持っている少女の事を私は見間違えはしない。彼女とは半年も同棲生活をしていたのでなおさらだ。私は話しかけてきてくれたゆんゆんに精一杯の微笑を返した。

 

「まったく……なんだかゆんゆんとはよくここで会うな」

 

「…………」

 

「前もこんな風に……いやそんな事はなかったか……」

 

「ここでダクネスさんと会うのは初めてですよ?」

 

「そうだ……そうだったな。本当に私自身が嫌になる。周囲に迷惑をかけてばっかりだよ私と言う女は」

 

 自嘲する私の顔をゆんゆんは心配そうに見つめてくる。それに苦笑を返しながら私は更に落ち込んだ。彼女には前の世界でも非常にお世話になっている。全てを彼女にぶちまけたいという思いもあるが、それはできない。ゆんゆんから狂人扱いされるのはごめんであったし、はっきり言って彼女の協力を得られたとしてもたかがしれている。

 私が彼女に関して思い出す事は、めぐみんや私の狂気に苦言を呈する姿、家で好き放題する私達を叱りつけながらもどこか嬉しそうにする姿……そして、カズマの商会に協力してどんどんと成長する商会やカズマの姿を嬉しそうに語る屈託のない笑顔であった。それを私は全て”無かった事”にしたのだ”。ゆんゆんに対してひどい罪悪感を覚えるのも仕方がない事だ。だからであろうか、私は自然と席を立ち逃げるように喫茶店を後にした。

 

「ダクネスさん! 本当に大丈夫なんですか!?」

 

「ああ、大丈夫だ。お茶の時間を邪魔して悪かったな。また今度、余裕が出来たらゆっくり話でもしよう」

 

「ダクネスさん……」

 

 背後から聞こえるゆんゆんの声に適当に返し、私は歩みを進める。彼女には決して頼れない。何より、私の行動によって悲しむ人の姿はできるだけ見たくもないし、考えもしたくなかった。そのまま実家へと帰還した私はベッドへと潜り込む。そうして私は祈りを捧げた。今のどうしようもない私を救ってくれる相手など、彼女以外には考えられなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

「やっとお目覚めですかダクネス?」

 

「あっ……」

 

「ふふっ、貴方がこうして涙を流して私に祈りを捧げるのはいつぶりでしょうか。ほんの少し前まで、貴方もまだ十にも満たない少女だったというのに……時の流れなんて自覚したくないものですね」

 

 椅子に座ってベッド眠る私を見守っていたのはエリス様であった。彼女は私の頭をそっと撫で、穏やかな微笑を浮かべる。それだけで私の乱れた心は落ち着きを取り戻し、スッキリとした気持ちになった。そうして私は彼女の愛撫を黙って受け続けた。思い出すのは記憶にはまったくないはずの母の姿であった。

 

「落ち着きましたか?」

 

「はい、本当に感謝しかない思いです。それと申し訳ありませんエリス様、貴方をこんな形で出迎えるなんて……エリス教徒失格です」

 

「またそうやって勝手に落ち込むのは禁止です。それと、私に対しての敬語も禁止です。貴方と私の仲じゃないですか」

 

「それは……」

 

「アクア先輩とはタメ口ですよね。もしかして、私と貴方の関係はアクア先輩よりも劣ってるという事なんですか?」

 

「それは違います……いや違う」

 

 言葉を崩した私に対し、エリス様は笑みを深める。それからまるで私を愛玩動物か何かかというほど撫でてくる彼女に少し思う所もあるが、私はそれをありがたく受け入れた。そして、頭の中では一応の筋道を立てる。今の私は分からない事だらけだ。だから、その分からない事を彼女に聞くべきなのだ。

 

「エリス様、今から私の話す事は荒唐無稽に聞こえるかもしれない。だが、まずは聞いて欲しい。私の話を聞いて欲しいんだ」

 

「ふふっ、いいですよ。私は貴方の悩みを解決するためにここに来たのですよ。さあ、何でも言ってくださいな」

 

 両手を広げ、こちらを包み込むような姿勢をとるエリス様に私は一つの真実を投げつける。これを言葉に出す事への恐怖はある。だが、話して楽になりたいという思いの方が今は勝っていた。

 

 

 

 

「エリス様……私は”やりなおし”をしているんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 私は何もかもを洗いざらいエリス様へ話した。一週目の世界においてめぐみんにカズマを奪われ無様に泣いた事を、二週目の世界において女として侮っていたアクアに全てを奪われ、半年間も無為な時間を過ごした事を……こうして三週目の世界に突入した事も全て話した。

 私は全てを話した事で肩の荷を下ろしたような解放感に包まれていた。対して、エリス様は私の話を最初から最後まで黙って聞いてくれた。ただ、彼女の表情は何やら非常に苦い顔をしていた。

 

「エリス様……私の戯言を信じられない気持ちは分かる。でも……」

 

「いえ、貴方の話は信じますよ。貴方が嘘をこんなにも真剣な表情で話すはずないですから。ただ、それを真実として受け取ると、私としても考えなくちゃいけない事がたくさんあるんです」

 

「信じてくれるのか……こんな私を……」

 

「今更何を言っているんですか。それに、貴方の話を信じる材料が今の話以外にもあったのです。まあもう少しまってください。私も貴方に話すべきことをまとめますから」

 

 それから数十分はうんうんと唸っていたエリス様は、最後に大きく息を吐いて私の事をまっすぐと見つめてくる。そうして、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「ダクネス、貴方が体験している”やりなおし”は……時間跳躍……タイムリープというものです」

 

 

 

 まっすぐとこちらを見るエリス様に対し、私は首をかしげる事しか出来なかった。タイムリープという言葉は生まれて初めて聞いたのだから仕方がない。そんな私にエリス様は苦笑を浮かべながら、このやりなおしについてを語ってくれた。

 

「このやりなおし現象が何と呼称されているかはバラつきがあるのですが、簡単に説明する際にはタイムリープという言葉が便利ですね。ふふっ、これはカズマさんの故郷にも伝わる言葉なんですよ」

 

「そういわれても私にはさっぱりだ。説明をお願いしたい」

 

「そうですね。これを一から説明すると莫大な時間がかかるので簡単に要点を説明します。タイムリープ……それは過去に戻る力……過去を書き換え自分の思い通りに未来を変える力です」

 

「未来を変える……」

 

「ええ、その力は神に匹敵する実に傲慢な能力です」

 

 私を見つめるエリス様の目は笑っていなかった。その事に背筋が寒くなる。そして、彼女は私の頭をもう一度撫でてくれたのだが、先ほどとまでは違いそこに暖かさも癒しもなかった。ただただ冷たかった。

 

 

 

「貴方はめぐみんさんやアクア先輩が幸せになるはずの世界をやりなおしをして無かった事にした。そんな自分を許せるのですか」

 

 

 そんな問いかけをされて私は改めてその事実に直面する。私はあの一週目と二週目の世界を結果的に無かった事にした。そこに申し訳なさを覚えるのは確かだが、私の思いは変わらなかった。

 

 

 

「知るか、そんな事」

 

 

 反射的に出た言葉であった。思わず口元を抑えるがエリス様にはもう聞かれてしまった。さてどうしたものかと思案していると、エリス様は私の方を向いて満面の笑みで拍手をしていた。

 

「素晴らしいですね。ダクネス」

 

「何がだ」

 

「貴方に罪の意識があるのなら、私もすこーし面倒な道を行くつもりでした。ですが、貴方がすでに開き直っているなら遠慮はいりません。ダクネス、貴方はその力を存分に使ってください。”貴方のため”にね……」

 

 まさかエリス様から太鼓判を押されるとは思っていなかった。だが私は彼女に何と言われようとこの力を利用するつもりであった。そうしなければ、私の望む未来は訪れないのだ。エリス様は私の方を見て更に笑みを深めた後、ほうっと大きく息を吐いた。

 

「まず最初に言っておきますが、私も時間跳躍は出来ます。もちろん、アクア先輩もです」

 

「なっ……それならこの力は貴方が……!」

 

「いいえ、私も時間跳躍……いやタイムトラベルは出来るんです。ですが、この能力を他人に付与するなんて事は出来ません」

 

「…………」

 

「ふふっ難しい顔をしてますね。さて、私の言葉を聞いて貴方は疑問に思ったはずです。何故そんな便利な能力を持っているのに使わないのかってね。それに対する答えは簡単なものです。つまり、過去を変えられても結局”運命”は変えられないのです。そして、時間遡行を私のような神が行使する場合様々な制約があるんです。だから時間遡行という手段はとらない。それだけです」

 

 エリス様の言っている事はいまいち理解出来ない。ただ、一つだ気になる文言があった。それは過去を変えられても運命は変えられないというもの。もし、私がカズマと結ばれないのが運命だとしたならば、私のこれからの行動は全て無意味になってしまうのだ。それこそ、一週目と二週目で味わった苦しみを今後も味わい続け、その先には結局私の望む未来がない事になってしまうのだ。

 

「安心してくださいダクネス。確かに時間遡行をしても”運命”は変えられません。運命は神々にすら制御できないものなんです。そして、運命は神が授けるものではありません。貴方達が自分自身で決めて行くものなんです」

 

「つまり何が言いたい……?」

 

「そうですね……本当なら過去を変えても運命は変えられない。だから、そんな能力に頼って過去にすがらず、未来を生きていきましょうって貴方を説得するつもりだったんです。でも、残念ながら貴方は”例外”みたいですね」

 

 エリス様はくすくすと笑いながら私の頭を再び撫でる。先ほどとは違って暖かみのある愛撫であった。それを受けながらも私の頭の中の疑問符は増えていくだけであった。

 

「時間遡行は天界の掟では”原則禁止”です。世界の因果律を無茶苦茶にしますし、結局は運命は変えられませんからね。でも、例外的に時間遡行を限定的にですが許可されるパターンもありますし、もう一つの例外として時間に関する神がそれを行使した場合……それもまた新しい運命となるなんて噂があるんです」

 

「時間の神……もしかしてそんな得体の知れない奴が私に……?」

 

「ええ、今の貴方からは何も感じませんが、もしかしたらそんな神様が力を貸してくれているのかもしれませんよ」

 

「どうしてだ……何で私なんだ? 確かにタイムリープに関しては感謝はしてるが、それはそれとして放っておいて欲しいという気持ちもある」

 

「あまり難しく考えない事です。そういう旧き神はきまぐれに行動しますし、力を貸す理由も人間からしたら理解出来ないものが多いんです。ただ、確かな事は貴方は”選ばれた”という事です。そういう神の寵愛を……もしくは神の気まぐれをね」

 

 私は特別変わった事はしていない。そんな得体の知れない神に祈りを捧げた事もなければ、この力を欲したわけでもない。だが、私に力を与えてくれたかも知れない神様の思いが少し理解出来た気がした。この力で詰みの盤面を崩すのがかの神の望みなのだろうか。そこからはどことなく逆張り思考のような悪趣味さが透けて見えた。

 

「実は今、天界でとある神が行方不明になって大騒ぎになっていまして……」

 

「むっ、似たような話を以前アクアから聞いたぞ」

 

「えっ……でもアクア先輩にこの話を話したのはついさっきの事なんですが……」

 

「正確には二週目のアクアからだな」

 

「なるほど……なるほどなるほど! どうやら疑いの余地はなくなってきましたね」

 

 私に対して好奇心の浮かんだ表情を見せた後、エリス様はふうっと息を吐き、額に汗を浮かせながら少し緊張した様子でゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「時の神”クロノス”。それが天界で行方不明になっている神様です。もしかしたら、その神が貴方に力を与えているものの正体かもしれませんね」

 

 

 

 初めて聞く神の名であった。だが不思議と私はそれを受け入れていた。かの神から授かった力によるものか、それとも単なる私の気のせいかもしれない。ただ、私の行動指針に”使えるものは使い倒す”という文言が加わった。

 

 

 

私は望む未来を得るためならば”運命”も変える。

 

 

 

 そのためならば、どんな苦難に陥ったとしても、得体の知れぬ神から授かった悪趣味な能力であったとしても私は諦めない。ダスティネス・フォード・ララティーナは決して屈しない、決して諦めないのだ。だからこそ、私はまっすぐと前を向き、エリス様に向き直る。少し興奮気味で顔を紅らめているが、私は彼女に問いただしておきたことがあったのだ。

 

「エリス様、貴方はカズマに恋心を持っている。そうなんだろう?」

 

「何故急にそんな事を……?」

 

「しらばっくれなくていい。私は二週目の世界で見てきたんだ。アクアにカズマを奪われた事で毎日のように泣き言と愚痴を言って酒に溺れた親友の姿を目にしたんだ。半年もの時間をずっと一緒に過ごせば見えてくる事もある。その親友……クリスがカズマの事を大好きだって事を……クリスの正体であるエリス様がカズマに対して恋心を持っているって言う事もな」

 

「…………」

 

「聞かせてくれエリス様。私はこれからカズマと結ばれるために能力でも”貴方”でもなんでも使うつもりだ。この私を止められるのは多分、今のエリス様だけだと思う。貴方は私を止める気はないのか?」

 

 エリス様は無表情で私の言葉を受ける。それから、少しずつ彼女の顔が笑顔に歪んで行く。私の信じたエリス様を体言したような慈悲深い微笑みであるが、一方でそのくつくつとした笑いからはどことなく女神にあるまじき悪意を感じた。

 

「ダクネス、私はカズマさんが好きです。愛してます。本当にどうしようもないくらいです。自覚したのはいつの事だったでしょうか。そう、彼が魔王を倒しこの世界の”運命”を決定づけた時の事かもしれません。でも、その時点で彼の両手は塞がっていました。貴方とめぐみんさんの事ですよ。貴方達はずーっと前からカズマさんの事を愛していたんです。それこそ、魔王を倒してから彼への思いを自覚した私よりも尊く深い愛なんです。だから、私は諦めました。あの人は貴方やめぐみんさんにこそ相応しいって、私なんかじゃ手を触れるのもはばかられる存在なんだって思ったんです。でも、彼ってばとっても気の多い人でしょう。変にお金と名声を手に入れた彼はすっごくモテますよね。それこそ、私より後に湧いた羽虫どもに群がられる姿は見ていて吐き気がしました。私よりも劣るはずの羽虫が彼に触れるのが許せなかったし、彼がそれに心動かされる事が許せません。貴方だって同じ気持ちでしょう。もちろん私もそんな思いでいっぱいです。彼は本当に弱い人なんです。貴方達のためだからって何度も自分の命をすり減らして困難を打破してきた事を知ってますよね。私もずっと身近に、ずっとずっとずっと見てたんです。彼が死の恐怖に怯える姿も、それでも貴方達のために命を捨てる姿をずっと見てきたんですよ。彼ってば貴方達にはいつも偉そうで喧嘩ばかりして、でもそんな彼が私の前にいる時はとっても優しくて普段は言わないような弱音ばっかり言ってなんだかかわいいというか守ってあげたくなっちゃうのも仕方がない事ですよね。だけど私はそんな彼を勇気づけてアクア先輩の蘇生要求を呑んであげたんです。本当はそんな……いえこの話はまた今度にしましょう。それよりアクア先輩についてです。先輩って見ての通り傲慢で怠惰でいきおくれな初心な女神なんです。でも、年増なだけあって耳年増でもあるんです。そんな彼女に敗北するなんて考えたくもない事です。二週目の貴方やめぐみんさんの思いには同情せずにはいられませんね。まあその世界で私が酒に溺れてたっていうのは悔しいですけど非常に想像しやすい光景です。カズマさんが貴方やめぐみんさんと結ばれるのは許せます。でも、アクア先輩は許せませんよね。カズマさんを見出した事は評価しますが、彼に対してずっと女神にあるまじき姿を見せてきて、彼への思いの自覚も私より後のはずです。それなのに、今更彼の一番になるなんてあってはならない事じゃないですか。その座は貴方達にこそ相応しい、百歩譲って彼を英雄として育てた私が相応しい。先輩はその次です。私より先なんて許せません。これに関してはもうプライドの問題なんでどうしようもないですね。まあ、貴方達が彼に選ばれて先輩は三番目だっていうなら少しは留飲が下がる思いですがやっぱり彼の一番はないですよね一番は。だいたい、彼にあんなにも愛されていながら―――」

 

 

 くどくどと続くエリス様の話は正直言って藪蛇をつついてしまった感がある。だが、私の記憶が確かならば彼女の言っている事に一定の理解を示せる。実際、二週目の世界においてクリスは酔った勢いでカズマへの愛を囁いたりしていたのだが、彼女が自分から行動を起こす事は以前から一度もなかった。それこそ、私やめぐみんに対して”配慮”を見せていたのである。そして、”勝者”に対して復讐や襲撃を企てる事はなかったし、私達の事を応援する事はあっても積極的にアクア殺害計画に加担する事もなかった。これが意味する事は単純である。つまりエリス様は私の協力者に成り得る存在なのだ。

 

 

「エリス様、最後の質問だ。私はこれからカズマと結ばれるためになんでもするつもりだ。貴方はその障害になる可能性はあるのか?」

 

「言ったでしょうダクネス。カズマさんに相応しいのは貴方です。貴方が彼と結ばれるのならば私は喜んで祝福しましょう」

 

「場合によっては貴方ではない神の力に頼るかもしれない。それを貴方は許してくれるのか?」

 

「貴方が私を利用する事も、他の神を利用する事も私は許します。運命は貴方自身が切り開くのです」

 

 

 エリス様が差し出した手を私はそっと握り返した。たった二周、されど二周。私は世界をやりなおした。その中で私は今までにない絶望を味わった。敬愛する女神はそんな私にとって希望となってくれるのだろうか。

 

 

 

「安心してくださいダクネス」

 

 

 

 

 私の手を引き寄せ、エリス様は私を抱きしめる。彼女の抱擁は柔らかく心地良いものであり、ほのかに香る甘く優しい匂いは私の脳を震わせた。

 

 

 

 

 

 

「私は貴方の味方です。一緒に”運命”に抗いましょう。この”幸運”の女神エリスと共に」

 

 

 

 

 

 

 

 

私は彼女の事をそっと抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





来年の一月まで待つとか発狂しそう


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乙女心は複雑怪奇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでーどうするのー? 協力って言っても、ダクネスの方針がぶれぶれだと良い結果は得られないよー」

 

「…………」

 

「どしたのさ。そんなしかめっ面をして。そりゃあダクネスの境遇を考えれば思い悩むのは仕方ないけどさ」

 

「少し黙れ」

 

「ひ、ひどくない!?」

 

 昨夜のエリス様との話を終えた私は、早朝から自室に客人を迎え入れていた。抗議の声を上げながら涙目になっている客人は少しぼさっとした銀髪をショートカットにまとめ、シーフだと言われれば一瞬納得するが、見ればみるほど流石に布面積が少なくないかと心配になる盗賊衣装に身をつつんだ私の親友……クリスであった。

 

「いや、お前の正体が私の敬愛するエリス様だって事を理解したくないだけだ。たいした事じゃない」

 

「たいしたことあるよ!? 確かに女神の時と違って思考が人間寄りになるからちょっと開放的になっちゃうけど、あたしもエリス様である事はかわりないんだよ!」

 

「エリス様は酒に悪酔いするし、人の物を盗む泥棒でおまけに痴女だったのか。私の信仰も揺らいできたな」

 

「お、お酒は神様も嗜む程度には飲むものなの! ほら、ネクタルとかソーマとかお神酒だとか言うでしょ! あと、泥棒じゃなくて盗賊! そこには大きな違いがあるからね! それに痴女は流石にひどくないかな!?」

 

 涙目で私の胸をぽかぽかと叩きながらそんな事を言うクリスに私は心からの苦笑いをするしかない。こうしてクリスを前にしても昨夜私の前に姿を現したエリス様と同一人物とは思えない。というより、思いたくはなかった。

 

「と、とにかくダクネスが女神に助けを求めたのは事実でしょう? そこまで追い詰められてるダクネスをあたしは友達としても放っておけないよ。あたしの正体はさておいて、友達として気軽に頼ってくれるかな」

 

「ああ、そうだな。今はもうなりふり構っている暇はない。私も頼らせてもらおう」

 

「そうそう、その意気だよ! それはそれとして話は最初に戻るんだけど、今後の活動方針はどんなものなの?」

 

「ふむ、活動方針と言われると少しよわるが、当面は”情報収集”に重きを置きたい。カズマ、めぐみん、アクアとあれだけの時間を共に過ごしてきたのに私はまだまだ彼らの思いを知らなさすぎる。それを知ることが出来たら私の道を切り開ける気がするんだ」

 

 一周目、私はめぐみんがすでにカズマへの告白を済ませている事を知らずに呑気に過ごしていた。二周目、アクアとめぐみんの持つ闇も、親友が敬愛しているエリス様だった事も知らずに悲劇に酔って怠惰に過ごしていた。これら二回の周回によって私は何も知らないんだという自分の無知蒙昧さを実感した。それがあの終わった世界で得られた唯一の教訓であった。

 

 

 

「流石ダクネス、猪突猛進な所もあるけど君は決してバカじゃない。情報を制する者は戦いを制する……戦争においてそれはとても重要だよ。もちろん、恋する乙女にとってもね」

 

 

 

 歯を剥き出しにして威圧的な笑顔を見せたクリスは、屋敷の外へと続く扉へ歩き出す。その後を私は無言で追った。

 

 

 

 

 

 

 

「来な、あたしがとっておきの情報を教えてあげる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 という事で、私はクリスと一緒に路地裏に置かれた樽の中に詰め込まれていた。わけは分からないが、そんな状況に陥っていた。樽の中身は私とクリス、新鮮な唐辛子で満たされている。おかげで胸元やらなんやらに唐辛子が入り込んでぶるぶると振動している。私とクリスの声も自然と震えていた。

 

「んっ……ひっ……クリス……これは新手の拷問か……?」

 

「そんなんじゃないの。一応特別な浄化魔法と消臭剤をかけたけど、万が一に備えて原始的な匂い消しも使ってるんだ。これくらいしないと、女神の嗅覚は騙せない……んぁっ!? なんでそんなとこばっかっり……ひゃうっ!?」

 

 樽に開けられた小さな穴からは路地裏の様子がかろうじて見える。クリスいわく、ここでアクアの面白い姿を見れるそうだ。それまでひたすら待機する事になった私は、こそばゆい振動に耐えつつ右手の甲に刻まれた魔法陣……もしくは文字か記号のような何かを撫でた。

 

「なあクリス、右手のこれは認識阻害の魔法陣か?」

 

「よく知ってるねぇ……確かにそれは神魔除けの結界を発動させる魔法陣みたいなものだよ。アクア先輩に感づかれたくない時はそれを使うのが手っ取り早いね。神や悪魔ってものはあたし含めて自分の力を絶対に思って只人を前にして傲慢になる。こういう搦め手は思った以上に神に有効だから覚えておくといいよ」

 

「ああ、記憶しておこう」

 

「使う時は今みたいに時と場合を考慮してね。認識できない事が違和感に繋がる事だってあるんだから……んひっ!? おとなしくしなさいもう!」

 

 クリスが生きの良い唐辛子をぷちぷちと潰す横で私は記憶に刻み込むように魔法陣を眺める。前回の周回で私はアクア……女神に挑む無謀さを学んだ。この魔法陣はそんなアクアに一矢報いれる可能性を秘めたある種の希望であった。

 

「それで、この路地裏で樽に詰まる事に何の意味がある。いい加減教えてくれ」

 

「だから、アクア先輩に関する興味深い情報を得られるのがこの場なのさ。まあ大人しく待っててよ。それと、アクア先輩が現れたら会話は禁止。物音も立てちゃダメだからね」

 

 クリスは手のひらを私の口に押し当てて強制的に黙らせる。私はそれにコクコクと頷き、樽に空いた小さな穴から路地裏の薄汚れた景色を見つめ続けた。変化が現れたのは樽に詰め込まれて2時間が経過した時であった。路地裏には不釣り合いなほど見目麗しく、布面積が不自然に少ない黒髪ロングと金髪ショートの女性が二人、涙を流し肩を震わせながら現れた。お互いに慰めるような会話を交わす姿は見ていて少し痛々しい。そういえば、ここはカズマがよく利用していた女性店員が美女ばかりの喫茶店の路地裏である。あの二人はそのお店の店員なのであろう。

 

「薄汚い悪魔め……泣いてもその性悪な魂は誤魔化せないくせに……」

 

「やけに辛辣だな」

 

「だって、あの二人は本当の悪魔……サキュバスだからねえ」

 

「なっ……!? じゃあ、あの喫茶店の正体は淫魔の売春斡旋所か何かなのか!?」

 

「ご明察、肉体的接触はしないけどサキュバスは利用客の男性に夜な夜な望みの淫夢を見せて対価に精気を貰ってる。カズマ君がふらっと屋敷を抜け出して外泊してる時はこのお店のお世話になってるみたいだね」

 

 少しショックな事実であった。ただ、カズマがえっちな夢を見ることくらいは許容出来る。私を差し置いてサキュバスと肉体関係を持っていたのなら多少どころではないほどへこんだが、夢だけならセーフだ。むしろ男として健全な性欲を持っているのは私にとって安心材料の一つだ。

 

「しっ、ダクネス。これ以降は会話は原則禁止。神気が……アクア先輩が近づいてくる」

 

「了解した」

 

 クリスに樽の中の暗闇で頷きを返し、私達は樽に空けられた小さな穴の先の光景に目をこらす。そして、彼女の言う通り、見慣れた青髪が路地裏に現れた。いつもの羽衣をまとったアクアは、路地裏で縮こまって泣いている二人の淫魔を見てため息をつく。落胆したような表情からは微かな憤怒が感じられた。

 

「使えない悪魔ね」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! ただ、貴方が探してる夢を見せたのは喫茶店に在籍してるサキュバスじゃない事だけはわかったんです。多分、小遣い稼ぎに来たOBかお忍びで来てると噂のサキュバスクイーンが……!」

 

「私は言い訳を聞きに来たんじゃないの。さっさとそのOBやらサキュバスクイーンを探しなさいな」

 

「ひぃっ!? 分かりました! だからお仕置きだけは勘弁を……精気を地道に集めて作ったばかりで……!」

 

「それとこれとは話が別でしょう? はい、使えない悪魔には残機マイナス1ね」

 

「あっ……ああっ……あ―――」

 

 

アクアが冷めた表情を指をパチンと打ち鳴らす。

 

 

 

 

その瞬間、二人のサキュバスが文字通り木端微塵に破裂した。

 

 

 

 

 一瞬にして赤黒い鮮血と粉砕された肉片によって路地裏は凄惨な光景となっていた。その中心で何故か返り血一つ浴びていないアクアは再び大きな溜息をついていた。

 

 

 

 

「まったく、めぐみんが動いたっていうのに私はこんな……」

 

 

 

 

 アクアは意気消沈した様子で路地裏を去っていった。それを見送ってから数分後、路地裏に黒い靄で出来た門が現れた。そこから、先ほど木端微塵になったはずのサキュバス二人組が五体満足の状態で現れた。これが噂に聞く悪魔の残機と呼ばれるものなのだろう。彼女達悪魔は命を複数持つ事だって出来るのだ。

 

「もう勘弁してよ……先輩にはアクセルの街なら簡単に残機増やせるって聞いたのに……」

 

「泣き言は言わないの! これでもマシになった方だと思いなさい。アクア様じゃなくて女神エリスが仕切ってた頃は毎日のように”残機ごと”同胞が殺されて消滅してたじゃないか」

 

「うん……でも私には今の状況もたいして変わらないと思うのだけど」

 

 サキュバス達の話を盗み聞きしていた私は樽の中でクリスをこずく。彼女は苛立たし気にぽつりと呟いた。

 

 

「余計な事を」

 

 

 

 クリスは樽の蓋を開けて路地裏へと出て行った。それに続き私も樽から出る。そして、サキュバス達は私達の登場に心底驚いたのだろう。尻もちをつき、這いずるように私達から逃げ出そうとする彼女達をクリスは足で踏んづけて押しとどめ、大振りのナイフをすらりと抜いた。

 

「ひいぃ!? 許してください……私達は貴方に不利な情報は出してないですぅ……!」

 

「悪魔に許すも許さないもないんだよ」

 

「待って……本当に……私達はもう残機がつきて……あぎゃああああっ! あっ

……ああ――」

 

 クリスは少し顔をニヤつかせながら這いずるサキュバスの長い黒髪を引っ掴み、まるで肉や魚をさばくようにためらいなく首を斬り始めた。ごりごりとナイフを動かすたびに溢れる大量の鮮血はどこか現実味のない光景であった。結局、身体から切り離されてしまった生首を、クリスは必死に逃げようとしている金髪サキュバスに投げつける。仲間を失ったサキュバスは子供のようにわんわんと泣いていた。畜生以下の存在である悪魔を滅するのはエリス教徒として妥当だと思うのだが、それはそれとして少し可哀想であった。

 

「なんで……なんでこんな……絶対に許さない……バニル様に言いつけてやる……!」

 

「あの悪魔はよっぽどの事がなければ動かないよ。君みたいな糞虫が消えてもどうとも思わない」

 

「そんな事は……ぎぅっ!?」

 

「おっと、死人に口なしってのも追加だね」

 

 何かが破裂したような乾いた音が響き渡る。気づいた時には、泣きわめいていた金髪のサキュバスは地面の血だまりに倒れ伏してビクビクと痙攣していた。そして、彼女達の亡骸は色を失い、灰となって風に飛ばされて行く。クリスはその光景を満足そうに見つめながら、前の周回でも目にした拳銃をくるくると手で弄んでいた。

 

「さて、それじゃあ次のスポットに行こうか」

 

 

ふんふんと鼻歌を歌いながら機嫌よさそうに歩くクリスに私は無言で付き従った。

 

 

 

 

 

 

 行き着いたのはカズマの屋敷から少し離れた別の民家であった。私とクリスはその民家の二階の窓から、望遠鏡を突き出してカズマの屋敷を観察していた。やっている事は完全にストーカーのようなものであるが、今更な話であった。

 

「ん~やっぱ不便だねえ……以前だったら私の所有してる神器で屋敷の隅々まで観察出来たんだけどね。アクア先輩の警戒が強くなってからはこのざまだよ。ん、襲撃者への無差別攻撃を実行する術式が自動じゃなくて任意に切り替わってるからアクア先輩は屋敷に帰ってるみたいだねぇ」

 

「私には屋敷の外観と一部の部屋が見えるだけで変わった様子は見られないが……」

 

「まあ普通の人間じゃ認識出来ないのはしょうがないね。あたしもダクネスみたいに気楽に出入りしたいよ……今じゃ侵入したら肉片一つ残らないほどのぐちゃぐちゃになるからね」

 

 クリスはどこか覇気のない様子で望遠鏡から顔を離し、壁に背を預けて座り込んでしまった。そして、懐から取り出したスキットルに口をつけてグビリグビリと飲み干して行く。私はそんな彼女の横に腰を降ろし、大きな溜息をついた。

 

「それで、私としてはそろそろ説明をして欲しいんだが」

 

「説明って、今まで見てきた事が全てだよ」

 

「あれで理解出来るわけないだろう。様子のおかしいアクアに、怯えたサキュバス、カズマの屋敷の近くにわざわざ家を買って、やってる事が単なるストーカーなクリスの事が聞きたい」

 

「別にたいした話じゃないよ。でも……そうだね……どこから話そうか……」

 

 天井を見上げながら、ぐでんと体制を崩すクリスの横っ腹を私は肘で小突く。そうして、彼女は観念したようにポツポツと喋りだした。

 

「言っただろう? あたしも助手君が……カズマ君の事が好きだったんだ。でも、敵わない恋だって理解してた。でも、彼への好意が抑えられなくてね。結果として彼の事を徹底的にストーキングして、彼にまつわる品物を集めだしたのはその時さ。使用済みコップから髪の毛まで、際限なく収集してたよ」

 

「気持ちは分かってしまうのが悲しいが行動に移すのは気持ち悪いな」

 

「言ってくれるねえ……ともかくそんな”情報収集”の際にサキュバスの事について知ったんだ。望みの淫夢を見せるあの店には彼が夢を見る時の注文書、つまりは自慰に使用した女の子の名前とか、シチュエーションを書いたアンケート用紙を顧客情報として残してたんだ。あれはあたしにとってある意味貴重な資料だったね」

 

 カズマの性事情については自分から探ろうとも思わなかったが、非常に興味深い点である。酒に酔ったアクアが『馬小屋時代は私の寝顔を見ながら一人で醜くシてたわよ』と爆笑しながら話していた事もあるが、情報源が彼女なので非常に怪しい所であった。

 

「でも、紙媒体での情報じゃちょっと物足りないでしょう? だから、あたしはサキュバス達から見せた夢の記憶を抜き取って集めてたんだよ。まあ少し荒業だったから記憶障害を起こして廃人になっちゃう子もいたし、もう利用価値がない子だから情けで浄化もしてあげてたの」

 

「悪魔は滅するべきだが少し可哀想だと思うんだが……」

 

「人間の姿に似てるからそう思っちゃうけど、女神は相手を”中身”で見るからそんな感情はないね。貼り付けた皮は綺麗だけど、中身はどうしようもなく醜悪な化け物さ。しかも、この街で精気を稼いだサキュバスは他の所で悪さをしてるの。おおぴっらに滅ぼすと彼に嫌われちゃうから、ちょっとずつ間引いてたんだよね」

 

 スキットルの飲み口を名残惜しそうにペロペロと舐めるクリスを私はじっと見つめる。こんななりではあるが、彼女の本体は女神エリス。さっきも記憶を抜いたとか言っていたが、彼女はそれを出来る力があるのだろう。じわじわと彼女やアクアを敵にまわす恐怖が再燃してきた。

 

「ここで問題になったのが彼がサキュバスに頼んだ夢の内容なの。凝り性な彼は様々なシチュエーションとか要望とか自慰の対象にする人物をアンケート用紙に毎回細かく記載してるんだけど、過去に三回だけ全部の記入欄を”おまかせ”にした事があるの。そんな時はスタッフ記入欄にサキュバスが見せた夢の内容について簡単に書いてあるんだけど……そのおまかせの三回に出たの女の子はアクア先輩だけみたいなんだよね」

 

「それが何の問題になるんだ? まあ、カズマがアクアをそういう対象として意識してるのは意外……いやそんな事はないか」

 

「問題なのは”おまかせ”ってところなの。サキュバスの記憶を弄ってて理解出来たんだけど、そういうお客の要望に対してはお客の深層意識……”無意識”から真の欲望を抽出して夢に見せてたみたい。それで、おまかせ1回目はカズマ君が酔って寝てるアクア先輩に悪戯するって可愛いものだったんだけど……」

 

 複雑そうな顔をするクリスに私もコクリと頷く。カズマが無意識ではアクアを求めていたという事実は受け入れ難いが、二周目を経験した今となっては受け入れるべき情報である。なんだかんだ言いながら、カズマはアクアに対して強い執着を持っているのだ。

 

「おまかせの二回目の内容は『もしアクアが彼女だったら』っていう少し異色なものでね。ちょっと甘すぎて吐きそうな内容だったし、実際に彼も嘔吐してたみたい。サキュバスから抜き取った記憶にも宿屋の裏手で吐いてるカズマ君を確認しているよ」

 

「なあ、その……私やめぐみんはカズマの夢に出てないのか?」

 

「もちろん、彼が要望を記入した夢では君たちはかなりの頻度で彼の餌食になっていたよ。100回じゃすまないくらい、ダクネスは彼の夢で犯されてる。でも、彼が無意識で求めた夢にはアクア先輩しか登場してないし、この三回以外はアクア先輩は登場していないの。それで重要なおまかせ三回目なんだけど……これがまだ内容が分からないんだ。スタッフ記入欄には見せた夢の内容について『女神アクアと過ごす理想的な未来』と一言しか書かれていなかったんだよ」

 

 クリスは肩をすくめて残念そうにため息をついていた。私も一緒に呆れるしかない。カズマがアクアに執着している事はよく理解出来た。だが、それを自分にすら隠している彼には女として少し思う所も出来てしまった。

 

「それで、私がその三回目の夢を見せたサキュバスの行方を追ってる時に、アクア先輩にあたしがしていたストーキング行為とか何やらがバレちゃってね。その時にあたしの記憶をアクア先輩が見ちゃって……結果としてそれ以降の彼女は少し”バグ”っちゃったのさ」

 

「バグ……?」

 

「あーなんというか……あたしの”人間的な感情”とか”合理的な考え”をラーニングしちゃったみたいでね。君とめぐみんに対しては今まで通りだけど、それ以外についてはすこーし辛辣になってるよ」

 

「なるほど、つまりお前が諸悪の根源か」

 

「あははっ……どうしよう、何にも言い返せないよ……」

 

 乾いた笑いを見せるクリスを前に私は思わず頭を抱えてしまう。思えば、二周目でも以前よりかは理知的な部分を見せていたのはアクアがこのストーカーに影響された事も関係していそうだ。また、さっきのサキュバスへの仕打ちもアクアにしてはなかなか苛烈であった。それも、クリスから学んだ部分なのであろう。

 

「とにかく、アクア先輩は失われた三回目の夢について今も捜索中。多分、あれが見つかったら終戦になちゃうからあまり時間的な余裕はないと思うよ。だから、頑張りなダクネス」

 

「随分と他人事だな。お前のせいで私は苦境に立たされてるんだぞ……」

 

「あたしなんかアクア先輩に悪事も何もかも握られちゃってるから苦境どころか詰みだよ。だからせめて、あたしはダクネスに勝ってほしいんだ。自分じゃ無理なら、推しを応援するって感じかな」

 

「信用できんな」

 

「それでいいんだよ。自分以外は全員敵。それくらいの覚悟を持たないとアクア先輩やめぐみんに出し抜かれちゃうからね……っと屋敷に動きありだよ。術式が自動に切り替わってる」

 

 再び望遠鏡を覗き始めたクリスの声を聞き、私は急いで立ち上がる。とにもかくにも今は情報収集に徹する。悩むことは後からでも出来るからだ。私達はクリスの購入した家から脱出し駆け足でカズマの屋敷へと向かう。そんな時、屋敷の正門からあくびをしながら外出するカズマの姿を見つけた。そして、それを物陰から観察していた私達はカズマの後方からアクアがこちらと同じように物陰から彼の後をつける様子が見て取れた。そのままゆっくりと歩くカズマ、それをストーキングするアクア、さらにそれをストーキングする私達と言う奇妙な光景がしばらく続いた。

 

 

 

 

「おい、隠れてないで出てこい。後をつけてるのは分かってるぞ」

 

 

 

 振り返りもせずに突然そんな事を言うカズマに私達は身体をビクリと震わせて物陰に身体を更に小さくして隠れる。だが、アクアの方は観念したように物陰から姿を現した。

 

「お前なあ、俺と一緒に外出したいなら素直に連れてけって言えよ」

 

「別に私はアンタとなんか外出したくないわよ。ただ、ちょっと外の様子が気になったっていうか……」

 

「苦しい言い訳はやめろアホ。で……どこに行く? この前の秘湯巡りの続きでもするか? それとも……今は昼時だし王都グルメツアーの続きの方をするか」

 

 満面の笑みで話すカズマと、頬を紅く染めながら話すアクアの様子は私の嫉妬心を激しく擽るものであった。何よりカズマがどことなく嬉しそうに笑っている姿が非常に苛立たしかった。

 

「そうね……私はカズマが行きたい方がいい」

 

「まったく、そういうのが一番困る答えだからな。まあいい、掴まれアクア。テレポートすっぞ」

 

「んっ……手繋いで……アンタも男なんだし、ちゃんと私をエスコートしなさいな」

 

「へいへい」

 

 差し出したアクアの手をしっかりと握り返したカズマが魔法発動による魔力光によって姿を消す。残された私は横でふてくされた顔をしているクリスを小突いた。

 

「カズマ達の行き先は?」

 

「あたしも知らないよ。私達と同じように認識阻害を使ってるみたい。こうなったらもうお手上げだね。さあ、それじゃあ拠点に帰ろうか」

 

 それから、私達は二人でとぼとぼと屋敷の観察をしていた民家へと引き上げる。お互いに口数は少なかったが私とクリスの思いは一致している気がした。

 

「ねえ、これからどうするダクネス?」

 

「やる事は変わらない。引き続き情報収集だ」

 

「カズマ君に攻勢をかけなくていいの? 君の話が確かだとするとこのまま放置すると6日目の夜にめぐみんと……」

 

「それでいい。アクアの事についてはある程度は理解した。それならば、めぐみんについても知っておかなければならない。それが”今回”の私の役目だ」

 

「へえ……」

 

 不機嫌そうに顔をしかめるクリスに私は無表情で返す。これは私が今回の情報収集を決意した時点で決めていた事だ。今回、私は何もしない。何もしなければどうなるかを改めて見届けるつもりであった。

 

「クリス、最後に教えて欲しい。アクアを対策する上で何が重要なのだろうか」

 

「ふーむ、まあこのまま放置してもアクア先輩は滅多な事はしないと思うよ。でも、”気づかせちゃいけない”。だから、基本的にはアクア先輩とは関わらず、余計な事を言わないのが一番だよ」

 

「そうか、助言感謝する」

 

 そんな会話をしていた時、ふと一つの疑問が湧き出る。足を止めてしまった私を、クリスは足を止めてじっと見つめてきた。その瞳に私は真っすぐとした視線を返した。

 

「なあ、どうしてお前もアクアも、カズマから直接記憶を引き抜かないんだ?」

 

「ええ、それ言っちゃうの……」

 

 呆れたように肩をすくめたクリスは私の瞳にまなざしを返しながら頬を薄く染めて照れたような微笑みを浮かべた。

 

「それはあたしもアクア先輩も女の子って事だよ。色々とおかしくなって吹っ切れたあたし達だけど、乙女心はあるのさ。彼を振り向かせるより、自分を振り向かせて欲しい。そんな日が来ることを夢見ているのさ」

 

 

照れ臭そうに微笑むクリスの姿は間違いなく恋する乙女の姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は民家に上がり込みながら今後の方針を再度固める。私はもう一つ確かめたい事がある。

 

 

 

 

だから、私はこの世界を捨てる決意をしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は嘘つきじゃないよな、めぐみん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








戦翼のシルグドリーヴァでリゼロ二期の間を埋めてます
とりあえず、みやこって女の子が話が進むたびにハイタッチする相手が減っていって
顔が曇っていく気がするな!


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確認、確認、確認

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズマの屋敷から1ブロックほど離れた場所に建つ民家は場所が場所なだけに中流以上の家庭向けに立派に作られていた。そんな一軒家の家主であるクリスは冷たいフローリングの上で毛布をかぶって丸くなって寝ている。一方、私は窓から望遠鏡を突き出して屋敷の様子を観察していた。

 時刻は深夜、月明かりに照らされた薄闇の中で私は屋敷のとある一室を覗いていた。そこは私が二周目でお世話になった隣室である。カーテンの僅かな隙間から見える情報量は少ない。ただ、暗闇の中で薄らぼんやりと人の姿があるのが確認できた。

 

 

「あれはアクアか……」

 

 

 暗闇の中でも、確かな光を放つアクアの姿は少し幻想的な光景であった。ただし、アクアは壁にはりついて棒立ちしているだけだ。あの壁の位置は、おそらく私がカズマの部屋を観察するために使用した穴がある場所である。こちらから見えるのは彼女の背面と艶やかで長い青髪だけだ。だが、そんな彼女が微動だにせず直立不動で壁に向き合う姿は正直気味の悪いものであった。

 

「おい……クリス……クリス……!」

 

「んにゃっ……なにさ……」

 

「アクアは昔からその……あんな気味の悪い事をしていたのか?」

 

「んっー……あそこまで熱心になったのはつい最近だけど、軽いストーキング行為は昔からしてたよ。もちろん、その時はカズマ君だけじゃなくダクネス達も見守ってたね。アクア先輩ってああ見えてかなり世話焼きなんだよ。まあ、今は彼の動向を見守るのがアクア先輩のライフワークになってるね」

 

「そうか……」

 

 私は再び望遠鏡を覗く。そこには、やはり壁に張り付いて微動だにしないアクアの姿があった。私はため息をついてクリスの横へと転がる。これ以上の観察をしてもたいしたものは得られないと理解出来たからだ。

 

「ねえダクネス、君がやり直したって世界でもアクア先輩は今と変わらない行動をしてたと思うよ。つまり君がカズマくんと接している時は常に彼女が見守ってたと考えた方がいいね」

 

「勘弁してくれ……怖気が走る……」

 

「いいや、これはチャンスでもあるんだよ。アクア先輩はグズでバカでノロマだからね。それでいて、君やめぐみんと同じく頑固な面もある。だから、余計な事をしなければ、彼女はダクネスやめぐみんに勝利を譲る。それは間違いないと思うな」

 

 クリスは私に絡みつくように抱き着き、二人で一緒に毛布にくるまった。彼女の確かな体温を感じつつ、この親友の正体が女神エリスである事を今一度認識してなんだか脱力してしまった。あのアクアや、女神エリスをも誑かす彼に憤怒の感情と、どこか同情的な思いも感じてしまう。クリスとの付き合いが長い私にはそれが分かる。なんというか、彼女達は非常にめんどくさい存在なのだ。

 

「なあ、本当にアクアは私やめぐみんに勝利を譲るのか? 実際私は二周目で……」

 

「だから大丈夫だって言ってるでしょう。本当にもう……とにかくアクア先輩はあたしとたいして変わらないよ。あたしと同じくらいグズでバカでノロマだからね」

 

 クリスの抱擁が締め上げるようにキツイものになる。それから私の耳元でそっと囁いた。

 

 

 

 

 

「ダクネス、あたしは君の味方だよ」

 

 

 

 

 

 

その言葉はどこか薄っぺらいものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、私の情報収集生活が始まった。だが、初日以降はたいしたものが得られなかった。カズマは屋敷でぐうたらと過ごし、時たま外出をする。そんな彼をひたすらストーキングし、時には仲睦まじく遊ぶ彼らを私はクリスと一緒に遠くから見つめていた。自分が全く行動を移さない事に対してクリスはちくちくと小言を言っていたがそれは全て無視する。この周回は情報収集に終始する。その意志を貫徹するつもりであった。

 

 

 

 

 そして、6日目の夜。カズマは紅魔の里へと旅立った。私が介入しなければ、起こるべく事は必ず起こる。それを再認識しながら、私もクリスと共に紅魔の里へのテレポートを行った。場所は紅魔の里グリフォン像前、時刻は深夜に差し掛かった時間帯であった。

 

「しかし、意外な人選だな。まさかお前が来るとは」

 

「ひぇっ……あのっ……私は魔法学校で中級魔法やテレポートを習得していて……以前観光に行った際に紅魔の里を登録してたんです。だから……」

 

「分かった分かった。まあ、ご苦労だった。とりあえず、貴様は近くの宿泊所で待機しててくれ。私とクリスは少し野暮用がある」

 

「あの……一応私はお嬢様の護衛も兼ねていて……」

 

「命令だ。待機してろ」

 

「は、はい!」

 

 私達からそそくさと離れていくのは例の新人メイドであった。事前に屋敷で紅魔の里への転移魔導士を手配していたのだが、その条件に彼女が合致していたようだ。何だか腐れ縁のようなものを少し感じつつ、私は横で鼻をすんすんと鳴らしていたクリスを小突いた。

 

「クリス、カズマの居場所は?」

 

「んっ、あっちの方から匂いがするね。めぐみんと一緒に二人で歩いてるみたい」

 

「よし、それじゃあ尾行開始だ」

 

「はいはいっと、本当にこれでいいのかねぇ」

 

 何やら呆れた様子のクリスの背を軽く叩いてから私は尾行を開始する。そうして、数分もしないうちに私達は月明かりの中で楽しそうに会話をしながら一緒に歩くカズマとめぐみんに追いついた。

 

「はあ、まだ一週間も経っていないのに私に会いに来るなんて、なんだか少し可愛いですね」

 

「可愛いとか言うな。ただ少し顔が見たくなったんだよ」

 

「そこが可愛いんです。ほら、貴方の愛するめぐみんですよ。抱きしめてキスするぐらいはしてもいいんじゃないですか」

 

「茶化すな……っておわっ!?」

 

「んふふっ……やっぱりカズマの匂いは安心できる匂いです」

 

 

 もたれかかるように抱き着くめぐみんをカズマは優しく抱き留めつつ歩みを続ける。傍から見ていて実にバカップルしている光景はイラつくが今更な話だ。このような不快ないちゃつきをすること数十分、石造りの石柱が存在する謎の古代遺跡のような場所にたどり着いた。倒れた石柱に腰かけた二人は相も変わらず楽しそうに会話をしている。私達はそんな二人の様子を息を潜めて見守った。

 

「それで、私の所へ来たって事は答えを期待してもいいと思っていいのでしょうか」

 

「いや、悪いがまだその期待には応えられねえ。本当に自分自身が情けなくなるよ……」

 

「ええ、実に情けないですね。ここに来て貴方にうじうじされると百年の恋も冷める思いです」

 

「言ってくれるな」

 

「だから、私がとどめを刺してあげますよ。んっ……」

 

 めぐみんがカズマの口に自分の唇を重ねる。ついばむような接吻は、しだいに舌を絡める激しいものとなる。その淫靡な水音はどこかこなれたものであり、二人の間ではこのような行為は初めてではなく日常的なものなのだと私は自然と察せられた。隣からはぎりぎりという何とも言えない不快な音が響く。クリスの方へ目を向けると、彼女は無表情で歯ぎしりをしていた。そんな彼女の頬を軽くつねってから、私は観察を続ける。正直言って、このような光景はもう”慣れた”ものであった。

 

「んぁっ……カズマ……ここは私にとっての始まりの地……爆裂魔法を授かるきっかけとなった場所でもあるんです。爆裂魔法のおかげで今の私がある。貴方に出会えたのもきっと爆裂魔法のおかげです」

 

「相変わらず凄い信頼だな。少し妬けるぜ」

 

「何を言っているのですかカズマ。私は貴方のためなら爆裂魔法を捨てる覚悟がありました。でも、私とこの魔法を受け入れ、肯定してくれたのは貴方です。だから、私は自分を貫くことが出来たんです」

 

「そうかい……」

 

「まったく、カズマは私の言っている事が理解出来ているのですか?」

 

 下を向くカズマの頬を撫でるめぐみんは苦笑を浮かべていた。慈愛を感じさせるめぐみんの姿はまるで母のような包容力をも持ち合わせていた。彼女が単なるクソガキであったならカズマも迷わなかったはずだ。だが、めぐみんには幼い容姿に反して大人びた包容力と思考を持つ女性だ。それが彼の心をかき乱している事は私自身理解はしていた。

 

「私は愛する爆裂魔法のためなら自分の命すら捨てられる人間ですよ」

 

「ああ、それはよく分かってる」

 

「なら貴方も理解しているはずでしょう? その爆裂魔法を捨てても良いと思えるほど私はカズマの事が好きなんですよ。これは冗談じゃありません。私はカズマのためなら命を捨てられるし、カズマのためであるならばカズマ以外の人間の命を奪う事もいとわない。そんな人間なんです」

 

「わかってる……わかってる……」

 

「カズマが私をこんな女にしたのですよ。それなら、その責任を取るというのがスジだと思います。もうカズマ以外の事を私は考えられないんです。貴方も、そう思いますよね」

 

「うぐっ、責任か……」

 

 倒れた石柱に座るカズマに真正面から抱き着き、彼の顔を見上げるように覗き込むめぐみんの瞳は、この月明かりだけが頼りになる暗闇の中でもよくわかるほど爛々と輝いていた。対して、カズマは困ったような表情を浮かべている。それは私から見てもイラついてしまうような優柔不断さが見て取れた。めぐみんもそれを察したのだろう。彼女は小さくため息をついていた。

 

「カズマの気持ちも良く分かります。貴方は誰かと恋仲になる事で今の平穏が崩れる事を恐れている。そうなのでしょう?」

 

「…………」

 

「安心してください私も同じ思いですから。でも、このまま有耶無耶にしてもいずれは崩壊するのも時間の問題です。貴方に私達以外の淫売共が興味を寄せるようになってから、屋敷の雰囲気が少し変わったのは知っているはずです。ダクネスは現実と言う名の袋小路にぶち当たって毎日が心ここにあらずですし、アクアが以前と比べて少しおかしくなっているのもカズマは分かっているのでしょう? 今のうちに勝負を決めておかないともっと悲惨な事になりますよ」

 

 警告をするような口ぶりであるが、めぐみんの顔には薄ら笑いが張り付いている。その人を見透かすような態度は実に気に食わないものが、一部では私も同意見だ。今の私達の関係は永遠に続くようなものでは決してないからだ。

 

「カズマ、貴方に一つ警告しておきましょう。私やアクア、ダクネスと関係を持って数年も経ったならカズマも理解しているはずですが……私達は”普通の女の子”じゃないんです」

 

「わかってる……」

 

「本当に分かっているのですか? 自分の命を天秤にかけて、自信の欲望と誇りを優先したのが私とダクネス、自己愛と承認欲求にまみれた傲慢なる女神アクア、そんなどこかが狂ってる私達全員の執着や欲望が貴方と言う一人の男に向かっているんです。それでも今はまだ全員に”若干の理性”があるから何も起こっていないだけなんですよ」

 

「言われなくても分かってる。クソッ……面倒くさい奴らだ……」

 

 苛立たし気に髪を掻きむしるカズマからは苦悩が見て取れた。それは、彼が屋敷でみせる怠惰な態度とはかけ離れたものであった。その姿に若干母性がくすぐられる所があるというか、彼を思いっきり甘やかして慰めたい思いに駆られる。だが、それはめぐみんにとっても同様な事であったのだろう。彼女はそんなカズマを真正面から抱きしめて頭をそっと撫でていた。

 

「カズマは優しい人です。でも、その優しさはこの状況では人を狂わせる凶器になるんですよ。だから改めていいます。私を選んでください。そうすれば全て解決です。貴方の悩みも葛藤も私が吹き飛ばしてあげます」

 

「だが……俺は……」

 

「無理しなくていいんです。貴方は今まで私達を引っ張ってきてくれた存在です。こんな時にこそ私はそれに報いたいんです。だから、私を選んでください」

 

「…………」

 

「私を選んでくれなきゃだめです」

 

 彼に媚びるようなめぐみんの声は実に不快であるが、カズマにはそれが効果抜群であったのだろう。彼は顔を上げ、熱っぽい視線でめぐみんをみつめていた。隣でガギャリという不快な言葉が響く。それから近くの茂みに何かを吐き捨てたクリスは相変わらずの無表情だが、口元からは鮮血が滴っていた。その鉄臭い匂いには私も少し顔をしかめた。

 

「ねえカズマ、私が何故里帰りをしたか分かりますか?」

 

「それは……家族に会うためだろ」

 

「ええ、そのためです。でも、それだけじゃありません。実はちょっと教師になってみようかと思って面接も受けていたんです」

 

「教師? それまた意外だな」

 

「少し失礼な評価ですね。でも、面接には合格しましたよ。いつでも来いとお墨付きを貰いました。まあ、座学の成績は元々クススのトップ層でしたし、魔王討伐やその他様々な実績もありますからね。とにかく、私が何故教師なんかになろうと思ったのか、カズマは分かりますか?」

 

 少し誇らしそうにしながらも悪戯っぽく笑うめぐみんは憎らしくも可愛らしいものであった。そして、私は今にも飛び出しそうなクリスの首根っこを掴んで止める。ここでぶち壊されては私も困るのだ。

 

「あれだろ……めぐみんは教え子に爆裂魔法を教えるつもりなんだろう?」

 

「ふふっ、正解です。今や数々の実績によって爆裂魔法を笑う人はいなくなりました。それに、私はこの力を私だけで終わらせたくないんです。正しく使えば、これは人間が神や悪魔みたいな理不尽な存在と戦う時の武器になる……爆裂魔法は人類にとって破壊だけでなく救いを得られるかもしれない魔法なんです」

 

「相変わらずの爆裂愛には頭が下がるよ……」

 

「茶化さないでください。それくらい真剣に考えているんです。でも、真剣に考えているからこそ不安なんです。使い方を誤れば人類にとっても無慈悲な虐殺魔法となってしまうものですし、爆裂魔法は自分の魔法の才能や人生の全てを差し出さなければ人間には極める事が出来ません。周囲から理解されない辛さも、爆裂魔法しか身を守る手段がない事への恐怖も私は知っています。だから、こんな私でも少し怖いんです。私の愛する爆裂魔法が失伝する事が……いずれは数多の人間の命を奪う事が怖いんです」

 

「めぐみん……」

 

 涙を見せるめぐみんをカズマは優しく抱きしめる。めぐみんが語った爆裂魔法への愛には素直に感心する。そこには彼への媚びた思いがなかったからだ。一方で私自身を恥じ入る気持ちも生まれてしまう。年齢的にも私より幼いはずの彼女の方が私よりも精神的に成熟している。そう感じてしまったからだ。

 

 

 

 

 

「という事で子作りしましょうかカズマ」

 

「わっつ?」

 

 

 

 

 その瞬間、私達だけでなくカズマの周囲に漂う空気も凍った。だが、熱っぽく妖艶な雰囲気を漂わせためぐみんは、そんな彼を地面へと押し倒していた。

 

「私の愛する爆裂魔法は扱い方を間違えれば危険ですし、孤独をも産む禁忌の魔法です。それならば、私とカズマの子供にそれを継がせるのが道理と言えませんか?」

 

「だからっておまっ……やめろ服を脱がせるな!」

 

「いいんですよそんなに力のない抵抗はしなくても……とにかく私はこの力を継ぐ子供達を正しく導き、愛を注ぐ必要があるんです。それに、私の大切な爆裂魔法を私の大切なカズマとの子に継いで欲しい。自分の愛する我が子にそんな思いを寄せるのはおかしい事ですか……」

 

「めぐみん……」

 

「それに一子相伝の爆裂魔法ってなんかカッコよくないですか!?」

 

「おいこら、お前それが本音だろ!」

 

 

 わーきゃー騒ぎながら地面を転がりまわるめぐみんとカズマの服装はどんどんと乱れて行く。隣のクリスからも圧を感じ始めたが、私は首を横に振った。介入する必要はもちろんない。私が見たいのはこの先なのだ。そうして、彼らの声が黄色い物から荒い吐息へと変わって行く。お互いの身体を触り合い、時折漏れる喘ぎ声は私のいけない想像を駆り立てる。

 とりあえず、私はその光景に背を向ける事にした。不快な音は聞こえてくるが、もはや慣れたものであるし彼らの初々しさは随分と耳年増になった私にとっては少しだけ可愛らしいものであった。それから数十分後、めぐみんの苦悶の声とカズマの少し焦ったような声が聞こえてくる。一週目の知識をふまえると今夜は中途半端に終わるはずだ。そろそろ中断かと身構えていると、私とクリスから少し離れた地点の茂みからガサゴソと草をかき分ける音が聞こえてきた。クリスに視線を向けると、彼女も驚いた表情で首を横に振る。

もちろん、カズマ達も息を殺して身を潜めようとしていた。だが、そんな彼らの前に見知った顔が現れる。それは、もちろんあの女神であった。

 

「ねえ、何をしてるのアンタ達……」

 

「アクアっ!? いやっ、これはその……見ての通りだ!」

 

「チッ……テンパらないでくださいカズマ。私はちょっとアクアと二人だけで話すのでその辺でマスでもかきながら待ってて欲しいです」

 

「おっ……おう……その……何というか手短に頼む……」

 

 素直にめぐみんとアクアから距離を取り始めたカズマは奥の遺跡の影へと消えていく。代わりに残っためぐみんはアクアを睨みつけ、アクアは怯えたように委縮していた。

 

「やってくれましたねアクア。雰囲気が台無しです」

 

「その……私は貴方の苦悶の声を聞いて……それに外でなんて衛生的に良くないし……」

 

「御託はもう十分ですストーカー女神」

 

「…………」

 

「自覚はあるのですね。まったく、これは貴方やダクネスのためでもあるというのに、少し悲しいです。だからこそ、私が言えるのはこの一言だけです」

 

 めぐみんはアクアの肩をドンと突き飛ばした。それだけで二周目では手が付けられなかったアクアが無様に地面へと転がった。

 

 

 

 

 

 

「貴方は負けたんです」

 

 

 

 

 

 その言葉を受けたアクアは目元から一筋の涙を流していた。そして、めぐみんから背を向けてトボトボと歩き出し茂みの奥へと消えて行った。

 

 

 それから、遺跡の陰からカズマを引っ張り出しためぐみん達からは少し気まずい雰囲気が流れていた。だが、めぐみんはそんな彼に対してもう一度深くキスをする。深く長いそのキスを終えた後、二人はまた落ち着きを取り戻していた。

 

「これで理解したでしょうカズマ、貴方が迷えば迷うほど私は傷つきますし、アクアやダクネスも同様の思いをしてしまうんです。ですから、ここで決めてしまいましょう……私を選べばいいんです」

 

「…………」

 

「ああ、大丈夫です。分かってますよカズマ。貴方は私を選ぶ事でアクアやダクネスが傷つく事を恐れている。それなら、一つ良い情報を……私を選ぶことへのメリットを教えて上げましょう」

 

 めぐみんはくすくすと笑いながら、着崩れたローブを羽織りなおす。それから、カズマの方へ身体を預け、そっと囁いた。

 

 

 

「私は貴方を許します。私を選んだとしても、同様にアクアやダクネスを愛する事を許します」

 

「なっ……」

 

「貴方の夢が叶いますよ。私はハーレムなんて正直バカげてると思いますが、カズマが私だけでなくアクアやダクネスに愛を注ぐ事には肯定的です。私も貴方と同じように”この四人での関係”が何よりも大切なんです」

 

「お前はそれでいいのか……? そんな答えで本当に良いのか……?」

 

「いいんですよ。カズマは今まで通り、私達のまとめ役で、私の大好きなカズマのままでいてください。もちろん、私達三人はお互いを妬みあう事もありますが、そんなものは全部貴方がどうにかしてしまえばいいのです」

 

 自信満々といった様子で笑顔で胸を張るめぐみんに、カズマは少し気圧されていた。だが、そんな彼にめぐみんは小さな身体を押し付けた。

 

「本当は嬉しくてたまらないのでしょう? 私やアクア、ダクネス全員がカズマの事を狂ってしまいそうなほど愛しているんです。それならその全てに応えてください。それが私の”カズマ”なんですから」

 

「勘弁してくれ……お前ら三人の相手は疲れるんだぞ……」

 

「ふふっ、でもそんな私達の事が大好きなんでしょう?」

 

「ああくそっ……本当にしょうがないやつらだ」

 

 ため息をついたカズマの顔には憑き物が落ちたような笑顔が浮かんでいた。それから、彼は自分の頬を両手でパンパンと叩いてからめぐみんと再び向き合った。

 

「なあ、ちなみにめぐみんを選んだ場合のデメリットってあるのか?」

 

「そんなものはない……とは言えないかもですね。あえて言うなら私も含めて、カズマが”私達以外”と関係を持つ事は”私達”は絶対に許しません。それだけは覚えておいてください」

 

「ちなみにその約束事を破ったら俺はどうなる?」

 

「そんなに心配しなくてもいいですよ。でも、もしそんな事が起きたら、貴方の世界は今後永遠に”私達”だけのものになるかもしれませんね」

 

「そうかい……なら俺の答えも決まった」

 

 

 

カズマは正面からめぐみんの事を抱きしめた。

 

 

 

「めぐみん」

 

「はい」

 

「とりあえずしゃぶれよ」

 

「は? いきなりなにを……ふむぐっ!?!?」

 

 

 

 

 もうこれ以上は見る必要はない判断した私はその光景から目を背けて紅魔の里の方へ足を向ける。クリスは赤面しながらも、そんな私を押しとどめた。

 

「ちょっとダクネス! これからが本番でしょう!?」

 

「いや、今日はもうアレで終わりだな。得られる情報がないなら無理して見る必要もない」

 

「ねえ、ダクネスが何を考えているかあたしは分からないけど、はっきり言ってもうめぐみんの勝利は確定だよ。それなら、少しでも後学のために今から起こる事を見た方がいいんじゃない?」

 

「遠慮しておこう。私にとってはもう見慣れたものだ」

 

 自嘲を混ぜながら私は彼らの元を離れる。クリスはそんな私に鋭い目をおくりながらもその場に残る選択をした。そうして、紅魔の里に帰り着いた後は新人メイドを回収して帰路についた。時刻はもう一刻ほどたてば夜明けという時間帯。私は確信を持って私達の屋敷の門をくぐり、カズマの居室へと足を向けた。部屋に入って一番に目に飛び込んできたのは、彼のベッドの上でうずくまるアクアの姿であった。アクアは涙に濡れた顔を私にチラリと見せたがすぐに下を向く。その姿に苦笑しながら私は彼女の横に腰かけた。

 

「何があったアクア」

 

「言えないわよ……」

 

「安心しろ。私も見てたから事情については知ってる」

 

「見てたってアンタがなんで……」

 

 くしゃりと悲しみに崩れた顔を見せるアクアに私は自分の手の甲に刻まれた魔法陣を見せつける。アクアはそれを見て一瞬目を見開いたが、呆れたようにため息をついて再び目線を下に向かせていた。

 

「認識阻害の……エリスの仕業ね……まったく余計な事を……」

 

「これは私から頼んだ事だ。おかげでめぐみんにカズマを奪われる姿を見てしまったがな」

 

「…………」

 

「流石のアクアもすぐには受け入れられないか」

 

「わからない……自分がわからないのよ……」

 

 嗚咽を漏らすアクアの表情には混乱が見て取れた。私がそんな彼女の背を安心させるように撫でたのは無意識であった。彼女は少し驚いた表情を見せた後、安心したように身体を私へと預けてくる。それを受け止めながら、アクアがこぼした言葉に耳を傾けた。

 

「ついにめぐみんがカズマと結ばれちゃったわね……」

 

「まあな、でも正直言って妥当な結果と言えないか? あの男との仲が一番進んでいたのはめぐみんだったしな」

 

「そうね。でも、これで私達の関係に変化が出るのは確実よ。今まで通りの関係を継続する事は難しいわ。色々と気を遣わなくちゃいけないしね」

 

「ふふっ、アクアからそんな発言が出る事の方が私は驚きだよ」

 

「馬鹿にしないでダクネス。痴情のもつれによって何が引き起こされるかなんて、今まで人間を天に送ってきた私はよく理解しているわ。最悪の場合、殺人にも発展する事だってあるのよ」

 

 真剣な表情でそう言い放つアクアに私は苦笑を返す。それについては私自身よく理解している。二周目の世界で私は痴情のもつれが原因にめぐみんに殺され、世界をやり直す事になったのだ。

 

「そういう点では少し安心かも。アンタ達って変な所で絶対に自分を曲げない頑固者だから、カズマを巡って対立したら面倒になるなとは思ってたの。結果として、短絡的で少し強硬な性格なめぐみんが彼と結ばれたのは正解かも。ダクネスはなんだかんだで大人な性格で自分を律する事も出来るからね」

 

「買い被りだ」

 

「そうかしら、少なくとも失恋して涙を流す私より冷静みたいだけど?」

 

「どうだかな……」

 

 アクアに対して私は曖昧な返事を返す。私自身、思う所はあるが当初のような動揺はない。それも含めて私は”慣れて”しまったのだろう。もしくは、心の奥底では憐れんでいるのかもしれない。どうせ、全てが無かった事になる世界での出来事だ。

 

「アクアの方こそ大丈夫なのか。明日にはめぐみんによって屋敷を追い出される可能性だってあるんだぞ」

 

「確かに、そうなる可能性もあるわね。でも、私はどんな関係になっても貴方やカズマ、めぐみんの事は見守り続けるわ。貴方達を大切に思う気持ちに変わりはないもの。今後も傍にいる事を許されたとしても、ゴミのように見捨てられたとしても絶対にね」

 

「…………」

 

 まるで女神のような笑顔を見せたアクアに私は気圧されるが、自分の冷静な部分が警鐘を鳴らす。こんな事を言っているが、彼女は前回の周回で私とめぐみんを見捨てた。人の思いと言うものは状況によっては容易く変化するのだ。そんな時、アクアがベッドから飛び降りて、ベッドの下をがさごそと漁り始める。そうして取り出したのは一つの宝箱だった。彼女は懐から取り出した鍵で施錠を解除し、中身を探る。用途不明のガラクタをかき分けて取り出したのは一つの紙束であった。

 

「いいものみせてあげる。ふふっ、今まで私達が撮った写真よ。カズマってば律義にきちんと現像して保管してるの。結構可愛いところがあるでしょう?」

 

「写真か……そういえば何かの節目になった時や、アイツが暇なときに何枚か撮っていたな」

 

「三年以上も一緒に過ごしているのだから量もそれなりなっているわ。この写真は第三回カニパーティした時のもの、こっちは魔王討伐後に屋敷で祝勝会やった時のもの、こっちはある朝カズマが呪いによって毒虫に変身していた時のもの……本当に色々あったわね私達って」

 

「ああ、そうだな。もう切っても切れない関係になってる事は理解してる。本当に」

 

 私は何枚かの写真を手に取った。状況は様々であるが、写真の中の私達はみな笑顔に溢れていた。ここ数か月、そうした姿を現実では見れていない。永遠に続くと思われた友情も、一人の男を巡った対立で陰りを見せている。正直、少し滑稽にすら思えてきた。

 

「ねえ、ダクネス。私達はこれからどうなっちゃうんだろうね……」

 

「安心しろアクア。私達の友情は変わらないさ」

 

「本当にそう思う?」

 

「今はまだ分からない。でも、めぐみんの言葉を聞けばそれも分かるさ」

 

 

 涙目で表情を崩しているアクアの頭を私は優しく撫でる。アクアやめぐみんには今までの周回で受けた憎しみや怒りがある。ただ、それだけで彼女達と縁を切れるほど私は薄情ではなかった。カズマと同じくらいアクアとめぐみんの事を好いている。それは紛れもない真実であった。

 

 

 

 

「確かめさせてもらおうめぐみん。それがこの世界での私の最後の役目だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 その日の夕方、私はクリスの監視用の屋敷へと足を運んでいた。クリスは壁に背を預け、少し眠そうな目でこちらに手を小さく上げて挨拶をする。私は望遠鏡を覗きながら彼女に挨拶を返していた。

 

「それで、夜間帯の彼らの”続き”はどうだった?」

 

「ダクネスの言う通り、大きな進展はなかったね。まあカズマ君はちょっとスッキリしてめぐみんは少し経験を積んだ。そんな所だね」

 

「なるほど、それなら本番はこっからさ」

 

「あの……本当にこのままでいいのダクネス……?」

 

「大丈夫だ。問題ない」

 

 私の答えに対し押し黙ってしまったクリスを無視して私は望遠鏡を覗く作業に戻る。そこには壁に身体を張り付かせているアクアの姿があった。だが、監視を続ける事数時間、アクアは突然泣き崩れながら壁を背にしてうずくまってしまった。どうやら、カズマとめぐみんのやり取りを見てしまったようだ。

 

「ふふっ、同情するよアクア。私も経験した苦しみだ」

 

「趣味が悪いよダクネス」

 

「貴様だけには言われたくないさ」

 

 望遠鏡から目を離し、堅い床に寝転がった私は携帯食料をもそもそと口に含む。それから少し身体を休めた後、再びカズマの屋敷へと足を運んだ。リビングにおもむくと、暗闇の中でソファーに腰かけるアクアの姿を見つけた。私はその隣に腰を降ろす。そうして、お互いに何も言わないままゆっくりと時間が経過していった。

 

 動きがあったのは夜も深くなった時間帯、魔力灯の明かりがつき、ガウン姿のめぐみんが現れた。彼女は湯で火照った身体を手でパタパタと冷ましつつ、私とアクアの対面にあるソファーに腰かけた。そもまま沈黙は続くが、口を一番最初に開いたのはめぐみんであった。

 

 

 

 

 

「私、カズマとセックスしましたから」

 

 

 

 

 

 いきなりの宣言である。隣ではアクアが身体をビクリと跳ねさせていた。私はめぐみんの姿を真正面から見据える。彼女は恍惚とした表情であり、その姿からはどことなく余裕を感じさせる。正に勝者の姿であった。

 

 

 

 

 

「それで、次はアクアとダクネス、どちらがカズマの相手をしますか?」

 

 

 

 

 

 めぐみんの言葉を理解するのに私は数分の時を要した。私もアクアも思わず身を乗り出してしまう。そんな私達をめぐみんは小悪魔のような微笑みで迎えてくれた。

 

「お前は……本気なのかめぐみん」

 

「本気も何もないですよ。カズマは”私達の男”じゃないですか」

 

「それは……」

 

「大丈夫ですよ。あの男にある無駄な倫理観は私が壊してあげました。今のカズマは押せばすぐ折れます」

 

 得意げな表情を浮かべためぐみんは自分のお腹を優しく擦っていた。それが意味する所を暗に理解した私は少々複雑な思いであった。

 

「カズマの欲望の前に蹂躙された私ですが、正直言ってこの身体は限界です。まあ初めてだったのでしょうがないと言い訳しときましょう。とにかく、私は限界ですが彼はむしろやる気まんまんになっています。だからアクア、貴方が”鎮めて”きてくれませんか?」

 

「うぇっ、わたし!?」

 

「ええ、そうです。あの男は今調子に乗ってますからね。他の女に手を出す前に私達でしっかりと調教してあげなくちゃいけないんです。カズマが私やダクネス以外と関係を持つなんて、アクアも許せないでしょう?」

 

「っ……!」

 

 真っ赤な顔で何やらぼそぼそ言い出したアクアをめぐみんは無理やり立たせた。アクアはしばし挙動不審であったが、めぐみんに背をバシンと叩かれてから動きを止める。そんなアクアをめぐみんは優し気な瞳で見つめていた。

 

「めぐみん、本当にいいの?」

 

「私の許可なんていりませんよ。例え貴方がカズマの最初の相手になったとしても、結果は同じでしたからね。カズマは”私達の男”で、私は彼だけじゃなく貴方達も愛している。私達全員が幸せになる道を選ぶのは自然な事じゃないですか」

 

「…………」

 

「自信を持ってくださいアクア。悔しいですけど、貴方は私達の中で一番の美貌を持ってるし、カズマもきっと……うん……カズマがアクアを拒絶するなんてありえませんよ」

 

「めぐみん……」

 

 めぐみんはアクアの手を引いて、彼の居室がある二階への階段前まで連れて行く。まだ動揺しているアクアにめぐみんそっと耳元で囁いた。

 

「アクア、今のカズマはケダモノです。私には優しくしてくれましたが明らかにまだ満足していない様子でした。だから、きっとアクアの誘惑にも……」

 

「ああもう、わかったわよ! 行くわよ! 行ってやるわよ! でもこれはめぐみんに言われて仕方なくなんだからね……!」

 

「はいはい、カズマはまだ部屋にいますから。いってらっしゃい」

 

「うっ……ううぅ~……いってきます!」

 

 ドタドタと階段を登っていったアクアを見守った私達はお互いに自然と笑みを浮かべてしまっていた。あの女神であるアクアが明らかなる”性欲”によって突き動かされる光景は正直言って滑稽だった。

 

「なあ、めぐみん……」

 

「むっ、不平不満をは受け付けませんよ。それに、貴方がこんな状況でカズマに手が出せるほど自分の欲望には素直じゃないって私は知ってますから。だから、アクアを先に行かせた。それだけです」

 

「いや別に順番について不平があったわけじゃないぞ」

 

「それなら何も言わないでください。私でもちょっとだけ思う所はあるのですから」

 

 そう言って笑顔を浮かべためぐみんには少しだけ覇気がなかった。どうして彼女がそんな様子なのかは私も理解出来ている。これは理屈じゃないのだ。だからこそ、私は彼女に対して素直に畏敬の念を抱いた。彼女が二周目の世界で言っていた事に嘘偽りがないとこうして証明されたからだ。

 

「安心してください。後で貴方とカズマだけのまとまった時間を作ります。そこで貴方の”理想”を叶えてください」

 

「くくっ、それを人に用意された時点で理想もクソもないのだがな」

 

「それに関しては受け入れて貰うしかないですね。なぜなら、私こそが勝者だからです! ふふっ、悔しいですか?」

 

「そうだな。悔しい……悔しいな……本当に悔しい……」

 

 私の前でドヤ顔を浮かべながらガッツポーズをとるめぐみんに対して私は様々な憎しみや怒りが霧散して行く。逆に自らの愚かしさを再認識するはめになった。私は自分勝手で傲慢でどうしようもないゴミクズである。めぐみんを恨む理由も、怒りをぶつける正当性も失ってしまった。

 

「そ、それよりさっきからすごくありませんか……その……私の時もこんな音が……?」

 

「いいや、音一つ聞こえなかった静かなものだったよ」

 

「そうですか……なんだか少し悔しいですね……」

 

 私達は二人そろって天井を見つめる。さっきから、屋敷全体が揺れているような音とベッドや床がギシギシと鳴る音が響いていた。そして、時折獣のような男の咆哮も聞こえてくる。何というか、アクアは凄い事になっていそうだ。

 

「さて、それじゃあ私は少し外へ出かけてくる。天井が抜けたりしたら怖いからな」

 

「そうですか……気持ちの整理がついたらまた来てください」

 

「ああ、感謝する」

 

 

 

 

めぐみんは私の事を引き留めはしなかった。

 

 

いや、引き留めないでいてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして私はクリスの監視用の屋敷へ再び上がり込む。監視部屋につくと、望遠鏡の近くでビンごと酒をあおっているクリスの姿が目に入る。彼女は私を胡乱げな目で見つめてきた。

 

「随分と悪酔いしてるみたいだな」

 

「当然でしょ……こんなの飲まないとやってられないよ……」

 

 グビグビと酒を飲む彼女に対して私は苦笑を見せる他ない。思えば、彼女には随分と助けられた。だから、私自身もこれで最後にしようと思った。

 

「なあクリス、最後のお願いを聞いてくれるか?」

 

「なにさ……もう勝負はついちゃってるよ……」

 

「だからこそ必要なんだ。親友の助けがな」

 

「もうダクネスは……んっ……」

 

 顔を背けながらも、クリスは私に手を差し出す。それを取って彼女を立ち上がらせた私は、最後のお願いをゆっくりと告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私を殺してくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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絶望的な希望

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アクアに全てを奪われた二周目の世界。

 

 

 

 

私は”死”を経験した。

 

 

 

 

 乾いた銃声と、死の間際に見ためぐみんの愚かな姿は忘れようとしたが、今も記憶の片隅で燻り続けている。この世界にて落ち着きを取り戻し冷静になった私は、めぐみんが暴挙に出た理由が残念ながら理解出来てしまった。

 

めぐみんは私を殺し、自らも命を絶った事でカズマとアクアに最悪の二択を突き付けたのだ。

 

 一つはアクアの手によって私達を蘇生させるという選択肢、もう一つは蘇生を諦め私達の死をそのままにするという選択肢だ。もし、アクアが私達を蘇生させてしまったら、その甘さに付け入り文字通り死を恐れずにカズマを手に入れるためなら”なんでも”やってしまうだろう。もし、私達の死んだままにするというなら私達の幻影が彼らに一生付きまとう事になる。アクアは平気かもしれないが、カズマは気を病むと私が考えるのは自惚れではないだろう。最悪、カズマとアクアの仲に少しでも亀裂が入るのなら死んだ私としても鬱憤が晴れる思いであった。

 

 

 

そんな”死”がやりなおしのトリガーになった事は間違いないと考えている。

 

 

 

 だからこそ、私はこの三週目の世界を”再現性の確認”を取る事に終始していた。つまり、私が行動を起こしたり、出来事に介入しなければ一週目、二周目で起きた事は三周目でも必ず起こるのだと確認をしたのだ。分かりやすい例で言うと、新人メイドにコーヒーをかけられる事や、六日目の夜にカズマを引き留めないとめぐみんの勝利が確定しまう事などが挙げられる。もちろん、細かな差異は見受けられるが大筋は変わらないというのが私の推測だ。

 

 

 

 

「私を殺してくれクリス……いや……エリス様」

 

 

 

 そう告げた私の顔を、クリスは悲痛な表情で見つめ返す。だが私は敬愛する女神に再度願った。自分の死には計り知れない可能性があるからだ。

 

「クリス、そんなに思いつめた顔をしないで欲しい。もっと気楽に考えて欲しいんだ」

 

「あたしは意地の悪い冗談は嫌いだよ」

 

「冗談ではないさ。私は確認がしたいだけだ。私が死ねばやりなおしが発動する確率が高い。だから試したいと思うのは当然じゃないか?」

 

「ねえダクネス、貴方があたしに最悪の二択を迫ってるって理解してるの?」

 

「もちろんだ。もし、死を試してやりなおしが発動しなければ私も全てを諦める。めぐみんが勝利したこの世界を受け入れよう。ただ、やりなおしが出来たら私はもう諦めない。それだけだ」

 

 

 

私はクリスの前に膝をつきこうべを垂れる。そして、顔を上げてもう一度願いを告げた。

 

 

 

 

 

「私を殺してくれ。こんなお願いは親友であるお前にしか出来ないんだ」

 

 

 

 

 次の瞬間、私は顔面を思いっきり蹴飛ばされていた。痛みは全くないが衝撃で体は地面へと倒れこんでしまう。見上げた先にはクリスの憤怒の表情が見て取れた。

 

 

「ダクネス、君は最悪のバカだよ。どうしようもないバカだ」

 

「否定はしない。私もバカだという自覚がある」

 

「それなら……それならどうして……!」

 

「わかるだろうクリス、私はもう諦めたくないんだ」

 

 

 

 私のお腹にもう一度強い衝撃が走る。蹴り飛ばされて転がった私は、ここに来て自分を恥じた。

 

 

 

 

「君の願いは聞けない。ダクネスはあたしの親友でもなんでもないから……友達なんかじゃ絶対ないんだから!」

 

 

 

 

 泣きながら走り去るクリスの姿を眺めながら私は大きくため息をつく。クリス……エリス様はとても慈悲深く優しいお方だ。いくらお願いをしたとしても、彼女は私を殺してくはくれない。いや、殺す事なんて出来ないだろう。女神エリスにこんなお願いをするのが間違いであったのだ。

 仕方なく、夜空に月が浮かぶ暗闇をゆっくりと歩き、ダスティネス家の屋敷に帰還する。そうしてしばらくベッドの上で思考の海に沈んでいた私は、意を決してある場所へとおもむく。向かったのは屋敷で一番高い建物である物見塔だ。その屋上へと上がった私は、持参した頑丈な鎖で首をぐるぐると巻き、手すりへとひっかける。そうして、私は夜空へと迷いなく駆け出した。

 一瞬の浮遊感の後、私は地面へと吸い込まれて行く。だが、落下は首につないだ鎖によってガクンと急停止した。もちろん、私の首も容赦なく鎖で締め上げられた。

 

 

 

 

「まあ、そうなるな……」

 

 

 

 

 鎖でぶらんぶらんと首を吊られながら、問題なく呼吸が出来ている自分の首の”強さ”を再確認する。付け加えておくと、これは決して首が太いからというわけじゃない。確かに私は一般的な女性に比べて鍛えられた身体をしているが、それも健康的で女性としての柔らかさも保つ程度のものである。だが、私の持つ防御スキルが私の身体をほぼ無敵へと変えていた。

 

 

「んぐぐっ……」

 

 

 私は両手をつかって鎖を捻りあげて自分の首を締め上げる。だが、鈍い金属音と共に鎖が砕け散る感触が手のひらに伝わった。次の瞬間、浮遊感と共に夜闇に投げ出された私は地面へと思いっきり叩きつけられた。それでもなんなく立ち上がった私は地面に出来たくぼみを見て思わず笑ってしまった。

 

 

 

「くくっ、人型のくぼみが出来てしまったな」

 

 

 

 そうして奇妙な形のくぼみに対してひとしきり笑い声を上げた私は、ゆっくりと屋敷へ歩き出した。そして土に汚れた衣服をはらいながら大きくため息をついた。

 

 

 

「私は何をやっているんだ……」

 

 

 

 その後、私の個室浴場にてシャワーを浴びた後、浴槽の中でしばらく身体を休める。それから、用意した物品の一つを自分の手首へと押し当てる。パキリという音と共に私の肌へ食い込もうとしていた剃刀が砕ける。それを放り投げて捨てた私は、大振りのナイフを手に取って意識を集中する。私の身を守るパッシブスキルのスイッチをひとつひとつ消していき、様々な耐久スキルや防御スキルも発動しないようにする。そうして、浴槽内のお湯が全て水に変わった頃、私はナイフを腹部へと思いっきり突き立てた。

 

「くっ……」

 

 鋭い痛みと共に感じるのは解放感に近い快感。その快感に酔いしれながら私は浴槽内に溢れるように広がる鮮血を眺め、もう一度ナイフを突き立てようとして――

 

 

 

「は?」

 

 

思わずそんな声が出てしまうのは仕方のない事だ。ナイフの刀身はぼろぼろと朽ちるように崩れ落ちたのだ。おまけに、深紅に染まった浴槽内に沈む我が腹部が鈍い輝きを放っていた。私は浴槽から出て曇った鏡を急いで拭く。そうして鏡にうつりこんだ私の腹部は傷一つなく綺麗なものだった。

 

「自動回復スキルは切ったはずだが……」

 

 再び自分に意識を集中させると、自分の中に果てしなく強力な”何か”が渦巻いているのを感じた。最初はやりなおしを起こす例の神のものかと思ったが、そのあたたかな光の根源は私の良く知るものであった。

 

 

「エリス様……」

 

 

 思わず力の抜けた体を浴室内に横たえる。まるでぐちゃぐちゃにほつれて絡まった糸のように複雑だった自分のスキルを何とか切った先には、私の愛する女神の”加護”があった。私の意志では動かせないどうしようもない力を前に私はすべてのやる気をなくしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自殺はエリス様の加護の力によってほぼ不可能。思い返してみればめぐみんの爆裂魔法すら耐えるこの身体は謙遜なしで世界で一番頑丈だ。そんな私を今は自分自身ですら傷つける事が出来なくなっていた。

 

 

 翌朝、私は仕方なくカズマの屋敷へと向かった。それは自我を失っていた自分が無意識にとっていた行動であった。そんな私を出迎えたのは頭がくらくらとするほどの淫臭であった。女としての本能が溢れそうになるのを頭を振って打ち消し、その中心であるリビングのソファーに向かう。

 そこには、折り重なるようにソファーに横になり毛布をかぶって眠るめぐみんとアクアの姿があった。毛布から出ている肩からは素肌がのぞいている。おそらく、毛布の中は何も衣服をまとっていないのだろう。

 そんな彼女達の対面のソファーに座り、満足そうな表情でワイングラスに口をつけているのは無論、カズマであった。彼は気崩したガウンを整え、私の方へと振り返る。その自信に満ち溢れたような態度は彼が男として一皮むけた事を意味していた。

 

「よう、おはようダクネス」

 

「おはよう……朝からムカつく顔をしているな」

 

「いきなりだなおい! まあ、今の俺はその程度の挑発には乗らない。なんせ、もう大人だしな」

 

「くっ……」

 

 この男、完全に調子に乗っている。ムカついた私は思わず彼を突き飛ばす。だが、彼はヨタヨタとバランスを崩すものの、体勢を立て直しニタニタとした表情でこちらに詰め寄ってきた。そんな彼に私は気圧され、ついには壁際へと追い詰められてしまった。

 

「ダクネス、俺はめぐみんとアクアとヤったんだよ。だからこそ言わして貰おう。アイツらは俺の女だ」

 

「だからどうした……そんな事昨夜の時点で知っている……」

 

「それなら話は簡単だ。ダクネスも俺の女になっちまえよ」

 

「最低の下衆だな……」

 

「わかってるよ。本当にひでえ言い草だ……」

 

 そう言って苦笑するカズマはポリポリと頬を掻いた。対して私は気丈に振舞っているが、実はぷるぷると膝が震え始めていた。愛する彼に、愛の告白を通り越して誘い文句を言われてしまったのだ。こうなってしまうのは仕方のない事だろう。

 

「実はここ最近の俺は悩んでいてな。いつもと変わらない日常だけど、俺がいない所ではお前ら三人がお互いの足を蹴りあっていた事はよーく知ってる。でも、俺をめぐっての争いは正直言って現実感がないし単なる自惚れかと恥ずかしい思いもした。でも、屋敷の雰囲気と俺との接し方がこれだけ変化すれば単なる自惚れで終わらない事は流石に理解したよ」

 

「鈍感なカズマがそこに気づくとは驚きだ」

 

「はいはい、なんとでも言えよ。ただ、過剰なスキンシップを求めるめぐみん、四六時中どこに行ってもつきまとうアクア、現実から逃避するように実家の政務に携わったかと思えば、俺が一人の時には積極的に絡んでくるダクネス。おまけに、お前ら三人の仲が冷え切っているのを知ってしまえば嫌でも気づくしかないんだよ」

 

 壁際に追い詰められた私はゆっくりと迫るカズマから逃れることが出来ない。そして、突然彼が私の股下に膝を差し込んできた。ドンという彼の膝が壁にぶつかる音が響く。ニヤリと表情を歪めた彼は、膝を軽く上の押し上げる。レギンス越しに伝わる彼の体温はとても熱く、場所が場所なだけに私は悲鳴を漏らしてしまった。

 

「ひゃうっ!?」

 

「可愛い声じゃないかダクネス。そんなに良かったのか? ほれっ……ほれほれほれっ!」

 

「おいカズマそれ以上は……ひんっ!? はぅ……んっ……!」

 

「ずっとこうされたかったんだろう? 俺みたいなクズに惚れたのが運の尽きだ。俺自身もお前らの事をもう離す気はない。今更他の男にくれてやるよりかは全員俺のモノにする。それでいい……それでいいんだよ」

 

「まてっ……本当に……ひぐっ!? んぅ……ぁっ……ああっ……!」

 

「おいおいマジかダクネス……」

 

 崩れ落ちてしまった私はビクビクと震える身体を落ち着かせる事に専念する。カズマは私に差し込んでいた膝を手でぬぐっていた。そして、何故だか濡れてしまった手を、彼は私の前で見せつけるようにぺろりと舐めとった。それに対し、私の下腹部がきゅんきゅんと反応し、得体のしれない感覚に麻痺してしまった。

 カズマはそんな私を見下ろして下卑た笑いを浮かべた後、しゃがみこんでこちらに目線を合わせてくる。自然と両手で顔を隠した私をちょんちょんとつついた後、強引に私の手を顔から引きはがす。燃えそうなほど熱くなってしまった顔が強制的に彼に晒されてしまった。

 

「なあ、楽になろうぜダクネス。俺も誰かを選ばなきゃって思うと胃が痛かったが、めぐみんに諭されて気づいたんだ。ここは重婚を規制する法律もない俺にとっては本当に異世界な場所だ。それなら全員で一緒になって今までと同じように暮らそうぜ。幸いにもお金もあるしな」

 

「ひぅ……!」

 

 カズマはつま先を私の大事な所に押し当てぐりぐりと刺激する。その刺激を唇を噛んで耐えしのいでいると、彼はそんな私の頬を優しく撫でた。

 

「面倒くさいプライドは捨てろダクネス。少しはその快楽に身を任せてみろ……」

 

「そんにゃっ……わたしはまけにゃいっ……!」

 

「凄いトロ顔で何言ってんだか……」

 

 彼は呆れたように笑った後、目を閉じてこちらに唇を近づける。そんな彼を眺めながら私は脳裏に今までの記憶がフラッシュバックする。彼に身を委ねたら、もう私は悩む必要も苦しい思いをする事もない。だが、これを受け入れたら私は今まで苦しんだ意味がなくなる。本当にそれでいいのか。そもそも、この結果を受け入れるならもっと色んな選択肢を……

 

 

 

 

「あっ……あああっ……!」

 

「楽になれダクネス」

 

 

 

 

気づけば、私はカズマを突き飛ばしていた。

 

 

 

 

 おもしろいように吹っ飛ばされたカズマはめぐみんとアクアが眠るソファーの下で情けなく伸びていた。衝動的な反応をしてしまった自分を叱責し、慌てて彼に駆け寄ろうとした時、二人の女の嗤い声がリビングに響いた。

 

「ぷーくすくす! 情けないわねカズマ! あんな気取った態度を取ったくせに拒否られるなんて」

 

「相手は”あの”ダクネスなんですよ? 少しムードが足りませんでしたね」

 

「そうね、少し調子に乗ってるみたいだけど、本来ならアンタは私達には泣きながら土下座してなんとか相手してもらえる男だって事を忘れない事ね!」

 

 ソファーの下でうつ伏せになっているカズマを、起き上がったアクアとめぐみんが足蹴にしていた。その様子を見て私の足も止まる。けらけらとした笑いを見せるアクアとめぐみんが、只々不快であった。

 

「うるせーよお前ら! だいたい、強く押せば落ちるって言ったのはお前らだろ!」

 

「だからと言っていきなりセクハラはどうかと思いますよ」

 

「加えて言うならもう少し場所と時間も考えなさいな。私達が寝てる部屋の中で朝っぱらから強気に出られても、”あの”ダクネスが受け入れるわけないじゃない。あの子ってば私達の中で一番純情なのよ?」

 

「そうですね。カズマにはデリカシーがないんです」

 

「はいはい俺が悪かったです! すいませんでした!」

 

 アクアとめぐみんに平謝りしたカズマは、申し訳なさそうな顔で私に振り返る。そして、私の方を見て彼はギョっとした表情を見せた。そこで私は目頭が妙に熱い事に気が付いた。そっと目元を手で拭って初めて、自分が涙を流している事実に気が付いた。

 

「バカにするな……」

 

「おい待て! お願いだから泣くなって! 俺はお前を正妻にしようと思って……」

 

「バカにするなバカにするなバカにするな……!」

 

 少しでも舞い上がってしまった自分が恥ずかしかった。それに、彼の行動がめぐみん達の息がかかった行動だったことが気に食わない。ここに来て私の無駄な自尊心がゴールへの道を閉ざすが後悔はない。これは私が求める”カズマ”じゃないからだ。だから私は逃げた。仕方がなかったのだ。

 

「カズマさんってばサイテー」

 

「見損ないました。ダクネスがかわいそうです」

 

「最低なのはお前らだろ! 俺の決定が気に入らないからってダクネスに露悪的にあたるのはやめろ!」

 

 

背を向けて逃げ出す私にクスクスとした嘲笑が向けられる。それをできるだけ聞かないようにして私は全てを投げ出した。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 ベッドの上で微睡みながら思考の海に没入する。私に一番強く渦巻く感情は後悔であった。先ほどの場面で逃げずにカズマを受け入れていればどうなっていただろうか。おそらく、私の純潔は乱暴に散らされたに違いない。ただ、それは私に極上の快楽をもたらすだろう。カズマに軽く刺激されただけで気をやってしまったのだ。被虐趣味の私があのまま責苦を味わったら間違いなく堕ちていた。

 

 

 

だが、彼の背後にめぐみん達の存在がちらついた。

 

 

 カズマに私の純潔も尊厳も何もかもを踏みにじって欲しい。でも、それは彼が心からそれを望むからこそ”愛”があると言えるのだ。彼の意志にあの二人の意志が介在しているならばそれは受け入れがたい。今の彼の思いは仮初のものだ。 だから、私はカズマに本心から求められたい。そう思うのは我儘かもしれないが、私としても譲れない一線なのだ。

 

 こうして、私はまたしてもどうしようもないどん詰まりに入り込んだ。二周目の世界のように私はまた無為な時間を過ごすことになるのだろうか。もしくは、ここが私の終着点なのかもしれない。自己中心的な思い上がりで世界をやり直す事に対しての罰といった所だろうか。

 

 

「ああ、私はどうすればいい……」

 

 

自殺方法の模索、誰かに私を殺してもらう。それとも、この世界を受け入れめぐみん達と共に暮らす道を選ぶのか。ぐちゃぐちゃな思考では私の思いもまとまらなかった。そんな時、ふと脳裏にとある言葉が思い浮かんだ。

 

 

 

 

『ララティーナ、どうしようもなくなったら執務室の机の上から二番目の引き出しを開けなさい。こんな私でも時には外法に手を染める事もある。愛するもののためにそれを使う事を私は否定しないよ』

 

 

 

 

 二周目の世界、取り乱した私に対してお父様がかけてくれた言葉だ。あの時は今よりも冷静ではなかったので聞き流してしまったが、今は再現性の確認という意味もこめて私はベッドから立ち上がる。

 そして、お父様の執務室へと向かい、机の上から二番目の引き出しに手をかける。幸いにも夕食時なこの時間はお父様は不在であり、使用人もいない。私は薄暗い執務室の中でそっと引き出しを開けた。何やら魔法的なロックがかかっていたようだが、カチリという音と共にすぐ解除される。お父様の意図の全ては理解出来ないが、この場所を娘である私がいつの日か開ける日が来る。そんな事を想定していたのではないかという気がした。

 

 

 

「これは……」

 

 

 引き出しの中には雑多な書類に紛れて黒い装丁の手帳が入っていた。古ぼけて年季の入ったその手帳は他の書類とは雰囲気が明らかに違う。私はその手帳をそっと手に取って中身を確認した。

 

 

 

そこには、たくさんの”連絡先”が記されていた。

 

 

 

 私は深くため息をつく。やはり、お父様はあれでも王国の懐刀、大貴族ダスティネス家の当主であったという事だ。その今更な事実に私は少なからなぬショックを受けていた。そう思ってしまうのは私がまだ未熟であるからなのだろう。

 

 私は手に取った手帳を引き出しへと戻し再び自室へと逃げ帰る。結局、お父様の助言は今の私にとっては無駄でしかなかった。この状況を解決する事にはつながらない。ただ、私の心には幾ばくかの傷が残った。そうして、私はまたベッドへと横になって思考の海に沈んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、お夕食の準備が出来ました」

 

 

 ベッドで微睡んでいた私にそう声をかけてきたのは、あの新人メイドだ。少しくすんだ金髪ショートと彼女の青い瞳はどこか不安そうに揺れている。メイド服に包まれているが彼女の線は細く、よく言えばスレンダーであり、悪く言えば幸が薄く発育不良な身体であった。その折れそうなほどに細い首に私はそっと手を這わせる。新人メイドはぶるりと肩を震わせた。

 

 

 

ここで彼女の首をへし折ったら、どれだけ気が晴れるだろうか。

 

 

 

 

物騒な事が頭の隅に現れるのはあの手帳のせいなのか、それとも……

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなどうしようもない妄想をしていた私に”天啓”が舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 震える両手を彼女の首に添える。それから、私は思いっきりその細い首を絞めた。目を見開き、こちらを驚いた表情で見つめるメイドの表情は、私の奥底に眠る嗜虐心を刺激した。

 

 

「かっ……!? ぎっ……」

 

 メイドの両手は自らの首を絞める私の手を引っ掻き、浮いてしまった両足はバタバタと暴れている。彼女の両目は不信に揺れ、流れる涙と崩れた表情は懇願に満ちていた。それを観察していた私の口角は自然と上がる。彼女の生殺与奪を私が握っているという事に対し、言い表せないほどの満足感が得られたからだ。

 

 

 

 

 

「いい加減にしなさい!」

 

 

 

 

 

 突然、私の身体が物凄い衝撃と共に壁際まで吹き飛ばされた。私の手から解放された新人メイドは脇目も振らず部屋の外へと逃げて行く。その姿にいくらかの後悔が生まれる。どうせなら、あの首をへし折ってやりたかった。

 

 

「いい加減にしなさいと言っているのです。聞いていますかダクネス」

 

 

 表情を憤怒に染め、こちらを見下ろすのは我が愛しの待ち人であるエリス様であった。クリスとはくらべものにならない美しさと気品、こちらを包み込むような安心できるオーラを身に纏うのは正に女神だ。

 

 

「待っていたぞ女神エリス」

 

「貴方は……」

 

「私を殺してくれ」

 

「だから、そんな事は私は絶対に許しません! 本当にいい加減にしてくださいダクネス!」

 

 女神エリスの声は震えていた。怒りのなかにも、こちらを心配する優しさとどうしていいか分からないという困惑が見て取れた。そんな優しい女神様に私は最後まで甘えるという最低最悪の選択肢を選んだ。

 

 

 

「私を殺してくれ女神エリス。そうしなければ私は私以外の人間を殺す」

 

「なっ……!?」

 

「冗談じゃない事は理解出来るだろう? 私はさっき、”本気”だった」

 

「それでも私は……!」

 

 

 

 

強い意志の宿った彼女の瞳を私は自分の意志を込めて見つめ返した。

 

 

 

 

 

 

「私は絶対に諦めない」

 

 

 

 

 

 意志を宣言した私に対して、女神エリスはビクリと肩を震わせる。それから、彼女は涙を流しながら私の頭へそっと手を伸ばしてきた。それを黙って受け入れる。私に後悔や未練は何もなかった。

 

 

 

 

「ダクネス、全て忘れなさい」

 

 

 

 女神エリスは私の願いとは違った言葉を吐いた。それから、私の頭部にどうしようもないほどの激痛が走る。そうして、私の意識は薄れて行く。全てを忘れてゆっくり、ゆっくりと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 

 まぶしい朝日によって、私は眠気を押して目を開ける。広がるのは明るく爽やかな朝日に包まれた自室。そして、眠っていた私を見つめて太陽のように美しく輝く笑顔を浮かべたエリス様の姿があった。

 

 

「おはようございますダクネス。昨日はよく眠れましたか?」

 

 

笑顔でそんな事を言い放つエリス様を見て、私も思わず破顔して笑ってしまった。

 

 

 

 

 

「ダメじゃないか女神エリス。私を殺してくれって言ったじゃないか」

 

 

 

 

 女神エリスは何度目か分からない驚愕の表情を浮かべていた。私はそんな彼女にそっと歩み寄る。しかし、彼女は私から逃げるように後ずさりをしていた。

 

「どうして……記憶は確かに消したのに……どうしてどうしてどうして!」

 

「さて、どうしてかな」

 

「まさか記憶欠如による人格崩壊……? それならこの予備として作った記憶結晶を……!」

 

「確かに人格は半壊かもしれないが、私の記憶ははっきりしているよ。何度も世界をやり直すにしても記憶だけが頼りだからな」

 

 そう告げた私に対し、怯えた表情を浮かべた女神エリスは手に持っていた謎の青い結晶を取り落とす。その青い結晶を粉々に踏み砕き、私は彼女へと足を進め続ける。そうして追い詰められてしまった女神エリスはついにぺたんと床に腰を落とし、子供のようにわんわんと泣きじゃくってしまった。

 

「どうして……どうしてなのダクネス……これは私が悪い事を考えてしまった事に対しての罰だと言うんですか……!?」

 

「客観的に言わせてもらうと貴方は全く悪くない。悪いのは全て私だ。だから、殺してくれ」

 

「どうして……なんで……! 何を根拠に……私じゃない得体の知れない神にすがるの!? 貴方の死を望む何かに全てを任せるの!? そんなの、絶対おかしいです! 少なくとも、貴方にこんな仕打ちをしでかすのは善き神じゃありません……もっと邪悪な何かです!」

 

「その”何か”に……貴方の言う”クロノス”って神の力を頼るのも私の意志と選択の結果だ。それを貴方も受け入れて欲しい。それくらい、私は諦めが悪い愚か者なんだ」

 

 子供のように泣き喚くエリス様の頭を私はそっと撫でる。これは私の愛する女神に対しての重大な裏切り行為であった。そうしてもなお、私はカズマの事を諦めたくなかったのだ。

 

「エリス様、貴方自身の手で行うのが難しいなら、あの”銃”という奴を貸してほしい。あれは私を殺しきれる」

 

「バカ言わないでください! アレは創造神が弄んで滅んだ数多の世界の遺物の一つなんです。滅んだ世界の人間達が神や悪魔の理不尽に抗うために作った人智の結晶。それを、人間である貴方を殺すために使うなんて私は絶対に許しません!」

 

「それなら、私の願いは最初に戻る。親友からの最後のお願いだ。聞いてはくれないか?」

 

「こんな事になるなら、私は貴方と親友になりたくなんてなかったです……!」

 

 

力なく紡がれたその言葉はひどく弱々しいものであった。

 

 

「だいたい、貴方の時間移動という境遇と重なって天界にもクロノス行方不明なんて異変が起こっていること自体が何かおかしいんです。そんな都合の良い事……都合の良い……”都合の良い”……?」

 

「エリス様……?」

 

 

 涙を流していた女神エリスはハッとした表情で立ち上がる。それから、自らの爪を噛み締め苦い表情で思案していた彼女は足早に部屋の外へと歩き出した。そんな彼女の決意と失意と怒りと希望に満ちた表情はどこか非現実的な思いを私に呼び起こした。

 

「女神エリス、私を放置するなら私は殺人を辞さないぞ」

 

「ええ、分かってます。だからこそ、お願いです。私に少し時間をください。貴方の願いに答えを出すためにも……今夜またここに来ます」

 

「なっ……!?」

 

 突如出現した光柱に女神エリスは包まれる。それから、無人となった部屋で私は嘆息した。もちろん、諦めてはいない。ただ、あんな表情の彼女のお願いを断れるほど、私は薄情ではなかった。それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜、ベッドで大人しく過ごしていた私の下に女神エリスが降臨する。彼女は朝の弱々しい態度を改めて、こちらへと相対する。彼女の右手には武骨で大振りなナイフが握られていた。

 

「やっとその気になってくれたか」

 

「そんなところです。でも、私は貴方を殺しはしません。貴方自身でけりをつけてください」

 

「望むところだ」

 

「ふふっ、そうですか。それならまずは貴方の思いにも決着をつけてください」

 

 そう言ってから、彼女はパチンと指を鳴らす。その瞬間、私の前に一枚の羊皮紙と一本の羽ペンが出現していた。何気なくペンを取った私だが、エリス様の意図は理解出来なかった。

 

「これをどうしろと?」

 

「貴方は死ぬのでしょう? それなら、きちんと遺書を書いてください」

 

「そんなものになんの意味が……」

 

「意味ならあります。時間遡行は今いるこの世界への別れを意味しています。ここに未練や思い残しがあるならば、貴方のやりなおしの力は動きません。それは貴方が過ごしたという半年間が証明しています。遺書は、そんな思いを絶つ道具として最適なんです。また、遺書には貴方の鬱憤や恨みを……めぐみんさんやアクア先輩への恨みや貴方の受けた苦しみを綴ってください。未練を絶つついでに、貴方の心の揺らぎを落ち着かせるのに役立ちますから」

 

「承知した……」

 

 少し、納得のいかない事もあるがここで渋っても話は進まない。私はエリス様の言う通りに、遺書を書き始めた。だが、完成したのはとてもじゃないが遺書とは言えないもの。私の気持ちを正直に記したそれはめぐみんやアクア、私の気持ちを理解してくれないカズマへの罵詈雑言に溢れていた。それをチラリと確認したエリス様は、小さく頷き、ドレッサーの前に丸めた羊皮紙をそっと置いた。

 

 

 

 

 

 

ドレッサーの鏡越しに見えた彼女の表情は薄ら笑いを浮かべているようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 それから、私に向き直ったエリス様はこちらに武骨で大振りなナイフを手渡してきた。木製のストックはどこか粗削りのものであり、鈍く光る刀身には解読不能の呪文のような装飾が施されていた。

 

「これは死にゆく貴方への私の最後の贈り物。私が初めて作成した”神器”です」

 

「女神エリスの神器……」

 

「このナイフを持てば、貴方は神の”認識”から逃れられます。そして、そのナイフは貴方の身体を傷つける時のみ、あらゆる抵抗を貫き、私の加護を破壊します」

 

 女神エリスの加護の無効化、それは私が自殺をする上で乗り越えなければならない壁であった。それをあっさりと超える彼女の神器は正に私が欲する力そのものであった。

 

「このナイフで貴方の身体を刺せば、一回目は通常のナイフで傷つけられる時と同等の苦しみを、二回目はその数百倍の苦痛を、そして三回目は……貴方の想像を絶する痛みを味わいながら死に至らしめる」

 

「どうせなら一回で死にたいのだが……」

 

「そんな事は私が許しません。これが私のせめてもの意趣返しです」

 

 

 

そうして、お互い笑いあった後、女神エリスは私に背を向けた。

 

 

 

 

そんな彼女の肩はやはり、ひどく弱々しい。ぶるぶると震える肩がそれを示していた。

 

 

 

「安心して欲しいエリス様。私はこれでやり直しが出来れば万々歳だが、失敗したら諦める。その時は私を地獄に行かせるなり、蘇生させても構わない。人生を諦めずに、今を受け入れるさ」

 

「ふふっ、そうなるといいですね」

 

 

 

出現した光柱にエリス様の身体が包まれる。その姿に私はもう一度、愛する女神様への祈りを捧げた。

 

 

 

「ダクネス、もしやりなおした先に何もなければ応援します。絶対に諦めないでください。でも、万が一にも私の贈ったナイフも共にあるのだとしたら、貴方はもう一度考え直してください。痛みと向き合って、死というものと向き合って……貴方を大切に思う人がいる事を忘れないで。それは貴方に救いをもたらすかもしれない。でも、一方で過ちを犯した貴方へ罰を下す事もあるかもしれない。だから、貴方は自分自身を信じていつまでも私の信じるダクネスでいてください。そして、今後は貴方自身とカズマさん以外を信じないで……アクア先輩もめぐみんさんも……そしてこの女神エリスも信じないでください」

 

 

 

 

彼女の姿は眩い光と共に私の前から消え去っていた。

 

 

 

 

『さようなら、ダクネス』

 

 

 

私の脳裏に、そんな言葉がこだました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残された私は、手渡されたナイフをしばし眺める。

 

 

 

 

それから、躊躇なく心臓にナイフを突き立てた。

 

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 

 

 鋭い痛みに私は少しだけ顔をしかめる。だが、この程度の痛みは私にとって慣れたものであった。ゆっくりとナイフを引き抜くと、ぽっかりと開いた穴からは少量の出血が見られた。あれだけ深く心臓にナイフを突き立てたというのに、痛みはあるが私の身体はピンピンとしている。どうやら、本当に三回刺さないと死なないようだ。

 

 そして、二回目はナイフを脳天に突き刺した。躊躇なく額に突き刺さったナイフは根元まで食いごんでいる。それから、先ほどとは比較にならないほどの痛みが私を襲った。

 

 

 

「ぐぎいいいいいいっ!?」

 

 

 だらしなく涎をたらしながら、正に未知とも言える痛みに悶え苦しむ。だが、この程度は私にとってまだ軽い。めぐみんの爆裂魔法に焼かれた時も、ベクトルは違うが同程度の痛みであった。私は脳天から躊躇なくナイフを引き抜き、息を整える。

 次が運命の三回目。自然と震えてしまったナイフを握る右手を、左手で叩いて叱咤する。ここまで来てはもう引き返せない。私は、ナイフを左肩に突き刺した。

 

 

 

 

 

「------------」

 

 

 

 

 

正に想像を絶する痛み。私は、本当の痛みというものの前には人は言葉を亡くす事を初めて知った。

 

 

 

 

 

 

だが、その想像を絶する痛みは私にとっては最上の”快楽”でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、気持ちが良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この痛みを乗り越えた先に私の望む未来があるからだ。

 

 

 

私は三か所の刺し傷から膨大な量の血が噴き出す感覚と同時に下着が熱く濡れる感触を味わった。

 

 

 

 

 

「待っていろカズマ……私はお前を絶対に諦めない!」

 

 

 

 

霞んで行く視界は次第に暗闇に染まっていく。この死の恐怖は私にとってはもう二回目、そしてこれは希望でもあった。

 

 

 

 

 

『どうして……! どうしてなのダクネス! 私は貴方に……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄れる視界の中で心からの涙を流す親友の姿が見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

 

 

 眩しい朝日が微睡む思考をクリアにして行く。そっと目を開けてみれば、カーテンから除く太陽の光の眩しさの前に私は再び目を閉じてしまう。だが無意識に目を手で擦った際に私は違和感に気がついた。

 

 

 

 

 

「これは……?」

 

 

 

 

 

 私の右手に握られていたのは武骨で大振りなナイフ。女神エリスから賜った神器であった。ふと、それをあるべき場所に戻そうと念じるとナイフがふっと消失する。だが、慌てはしない。この神器は私と共にある。出そうと思えばいつでも”出せる”。そんな気がした

 

 

 そうして、私ははやる気持ちで朝食が用意された部屋へと向かう。部屋に着くと小さな丸テーブルにはすでに先客の姿があった。私が対面の椅子へと座ると、彼は”やはり”にんまりとした満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

「おはよう、ララティーナ」

 

 

 

「おはようございますお父様」

 

 

 

「うむ、やはりと娘と一緒に食べる朝食は最高だ」

 

 

 

「御戯れを……」

 

 

 

 微笑みながら冗談を言う父の言葉を聞き流しつつ、私は今か今かと待ち人の登場を待つ。そんな私の横にポットを持ったあの新人メイドが現れた。

 

 

 

「お嬢様、コ……コーヒーをお入れします!」

 

 

 

「ああ、頼む」

 

 

 

「それでは……ってわひゃあ!?」

 

 

 

 緊張した面持ちでティーカップにコーヒーを注ごうとしたメイドが、何を焦ったのか急にポットを取り落とした。そうしてぶちまけられたコーヒーは私の寝間着へとびっちゃりと降り注いだ。メイドはコーヒーまみれになった私を見て青い顔をしながらへたりこんでしまった。

 

 

 

 

 

 

 その姿に私は思わずケタケタとした笑い声をあげてしまった。私を見つめるお父様も、へたりこんだメイドも私の方を見て呆気にとられている。だが、そんな事はどうでも良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、四週目の始まりと行こうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






リゼロの六章が終わりましたね
私的には自分を守らせる7体の氷像が全てスバル君なエミリアたんが実に素晴らしい……素晴らしいデスね!

作成の経緯は皆でお絵かきしたりと微笑ましいけど、やってる事はナチュラルに病んでます。
正にEMT!(エミリアたんマジヤンデレ!)


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破綻

 

 

 

 

 

 

 

 

決意新たに始まった4周目。

 

 

敬愛する女神の声を振り切り、自分の命を生贄に捧げて得られたこの世界。

 

 

絶対に私は負けない。

 

 

 

 

 

 

「格好をつけたものの、私はどうすればいいんだ……」

 

 

 

 

 四周目の世界の一日目、お昼時に私はもはや通いなれてしまった喫茶店で過去の周回でも何度も頼んだチーズケーキをフォークで意味もなくつつきまわしていた。色々と思う所もある三週目に見切りをつけてタイムリープとやらをしたのだが、あの世界で得られたのは結局のところこのループ現象を意図的に引き起こす方法だけだ。もちろん、それ自体はとても重要で意味もある事なのだが、肝心のカズマを私のモノにするための方策はまだない。

 相も変わらずめぐみんは強敵であるし、アクアに対しても下手をうつと彼を奪われてしまう。一番の問題はカズマが私に対して積極的な好意がないという事実である。彼は密かにアクアに対して自分すらも理解出来ない感情を向けているが、めぐみんに求められれば彼はそれに応える。カズマは私を含めて今の私達と共に暮らすことを望んでいるが、周囲に流されやすく日和見主義なきらいがあった。

 

 

 

「んっ……」

 

 

 

 頭の中に一つの答えが出てしまう。それをすれば、私の勝利は間違いないと見ている。だが、それは私にとってはいくらか敷居が高く、諸事情によりやりづらかった。

 

 

 

「理想を夢見る事はもう許されないのだろうか」

 

 

 そう独り言ちてしまうのも必然であった。脳裏にチラつくのはエリス様から賜ったあのナイフ。私の中で確かに息づいているその力が、私の過去の積み重ねを証明していた。だからこそ、余計に思考が先鋭化してしまうのだろうと冷静な部分の私が結論付けていた。

 

 そのまま悩みに悩んで少し店員の目が痛くなってきた頃、この喫茶店に顔見知りが来店してくる姿を目端で捉えた。彼女は席について店員への注文を済ませた後、まるで誰かと対話でもするようにぶつぶつと独り言を呟いていた。目が虚ろになっている点は少し気になるが、その姿は少し親近感を覚える。私も、先ほどまでぶつぶつ独り言を言っていたのだから当然だ。

 そんな私の視線に気づいたのだろうか、じろりとこちらに視線を移した彼女は次第に生気を取り戻してこちらに目線を返してくる。そして、彼女……黒髪と特徴的な紅目を持つ女性は私の対面の席へと腰を降ろした。

 

「何かお悩みですかダクネスさん。とても辛そうな顔をしてましたよ?」

 

「いきなりだなゆんゆん。貴様に心配されるという事は私もいよいよのようだな」

 

「…………」

 

「すまない、冗談だ」

 

 私が吐いた毒にゆんゆんは僅かに首を傾げ、彼女の艶やかなおさげが揺れる。こちらを心配して近づいてきた彼女にイラつきをぶつけるほど私も追い詰められていたらしい。その点は反省しつつも、やはり会話は上手く続かない。彼女には以前の周回からお世話になっているし、実際に半年以上の同居もした。だが、ゆんゆんが私にとっては友達の友達という枠組みの中にいる事実は変わりはない。二周目でも彼女は今回と同様に話しかけてきた事を考えると、お人好しのお節介焼きである事は確実と言えた。だからであろうか、気が付けば私は意地の悪い事を彼女に言ってしまった。

 

「お察しの通りだがカズマやめぐみん、アクアとの人間関係について少し悩んでいる。つまりは、痴話喧嘩だな」

 

「それは年中してますよね。私もめぐみんにカズマさんや貴方との関係についての愚痴を聞かされたのは一度や二度じゃありませんから」

 

「そのめぐみんの愚痴とやらを詳しく聞いても?」

 

「流石に駄目ですよ。私もめぐみんの友達として詳細は語れません。でも、結局は私に対しての自慢話や惚気話になるような可愛い物でしたよ」

 

「そうか……まあアイツはこのまま何もしなければカズマと結ばれるだろうしな……勝者の余裕という奴だ」

 

「ふふっ、だとしても私はめぐみんよりもダクネスさんを応援してますよ」

 

 そう言って、朗らかにか笑うゆんゆんを私はまじまじと見つめる。私にとっては実質的に半年以上も前の話なので記憶が曖昧なのだが、思えば以前の周回でも似たような言葉を聞いた気がしたのだ。

 

「意外に思いましたか? でも、あれだけの惚気話を聞かされるのは正直苦痛なんですよ。ダクネスさんが勝ってめぐみんが泣く姿を見れれば少しは鬱憤が晴れる気がするんです」

 

「なかなかに歪んだ考え方だな」

 

「別に、ちょっとした復讐ですよ。だからと言って、めぐみんの恋路を邪魔したりはしませんけどね」

 

 悪戯な笑みを浮かべるゆんゆんの姿は女性の私から見てもとても魅力的なものであった。そうして私は半年以上も前の彼女の会話を薄らぼんやりと思い出す。詳細は思い出せないがゆんゆんは侮れない相手だと記憶していた。それならば、彼女に助言を乞うのも一興だ。私がどうしようもないどん詰まりにいる事実は変わりないのだ。

 

「ゆんゆん、一つ教えて欲しい事がある」

 

「ええ、一つでも二つでもなんでもどうぞ!」

 

「それならば質問だ。ゆんゆんは愛する者のためなら自分の命を犠牲にしても構わないと思えるか?」

 

「いきなり突飛な質問が来ましたね。でも愛する者ですか……」

 

 複雑そうな顔で黙り込んだゆんゆんはしばしうんうんと悩んでいた。だが次に顔を上げた時には何か決意に溢れたか表情で私の事を真剣に見つめてきた。

 

「ダクネスさん、前提としてそれは何か本などの物語での話なのか、貴方自身に関しての話なのか教えてください」

 

「どうとって貰っても構わない。一種の思考実験のようなものだ」

 

「そうですか。それならば私の答えは決まっています。そんな事をするのは”大馬鹿者”です」

 

 気分が昂っているのだろうか、ゆんゆんはテーブルから乗り出すようにそう告げてきた。私は彼女の言葉を受けて少し怯む。質問と言う形でゆんゆんに話をぶつけたが、はっきりいうと私は彼女から共感と同情を得たかっただけだ。おかげで私は自分が否定されたようで少しイラついた。頭の隅で、『女ってめんどくせえよな』と呆れたように毒づくカズマの姿がチラついた。

 

「物語としてはそのような展開は面白いかもしれません。でも、いざそれを自分に置き換えた時はもやもやするんです。愛する人が何を指すかはこの場で言及するのは控えますが、どちらにしても自分の命を犠牲にするという考え方が嫌いです。その愛する人ってのもとても悲しむでしょう」

 

「だが……」

 

「何より、”死”というものを軽く考えてはいませんか? 死んだら何もかも終わりなんです。良かれと思ってとった行動だとしても死んだら”全て”が終わる。それってとても悲しい事じゃないですか?」

 

 有無を言わせぬようにこちらに言葉を畳みかけるゆんゆんに私は二の句を告げる事が出来なくなる。私が黙っているのをいいことに、彼女は更に話を続けた。

 

「もし、私が死の淵に立たされたら人としての尊厳を捨ててまでも生き残ろうと思うはずです。愛する人がいるならなおさらです。死ぬのは本当に最後の手段なんです……」

 

「分かった。分かったから落ち着け」」

 

「あっ……す、すいません!」

 

 ついには私の胸倉に手を伸ばしかけたゆんゆんを制止させる。頬を紅潮させ、熱く語ってくれたゆんゆんには悪いが結局のところ私の悩みの解決には至っていない。やりなおしをしている事を相談するのも一つの手だが、彼女の死生観を聞くに前回のエリス様のように面倒な手合いであるし、何より彼女に対していまいち信頼が置けなかった。それも含めて、所詮は”友達の友達”なのだ。

 

「とにかく、すぐに死ぬだの殺すだの短絡的な思考になるのはダメです。その先には自分が望む未来なんて絶対にありませんから!」

 

 そう忠告してからころころと笑うゆんゆんの姿は少し眩しいものだった。だが、彼女はすぐさま表情を引き締めると神妙な面持ちで話し始めた。

 

「そういえばダクネスさんに会ったら言っておきたい事があったのを思い出しました」

 

「ほう、めぐみんやカズマへの伝言でもあるのか?」

 

「いいえ、ダクネスさんにです。その……”クリスさん”には気をつけてください。」

 

「クリス……?」

 

 ゆんゆんから飛び出したのは私の親友の名であった。ただ、その名がゆんゆんから出た事の方に驚かされる。彼女の交友関係は決して広いものではない事を知っているならなおさらだ。

 

「少し前まで、私はお節介にもカズマさんは本当にめぐみんには相応しいのかってその……色々と探っていた時期があるんです。そんな時に私は……色々見てしまって……」

 

「歯切れが悪いな。クリスが陰湿なストーカーだったって事は私も知ってるぞ」

 

「ご存じだったのですか!? そのクリスさんの正体が……」

 

「エリス様だって事は私も薄々理解してるさ。それより、貴様は何が言いたい。確かにアイツの趣味の悪さには私も思う所はあるが、堂々と親友の陰口をたたかれるのは正直言って気分が悪いんだがな」

 

「あっ……! 別に私は陰口を言いたいわけじゃないんです! ただその……クリスさんやエリス様の言う事を真に受けて信じすぎない方が良いと言いたいんです! 笑顔で人心掌握した人間を自分のために使いつぶせるのが女神エリスっていう女神の正体というか……とにかくあの人の言う事は真に受けないでください。ろくでもない事になりますから」

 

 ゆんゆんは忠告という形で私は女神エリスへの不信感を伝えてきたが、私としては非常に不快としか言えなかった。クリス……もといエリス様への信仰は私の人生においての精神的支柱であった。それだけでなく、前回の周回においては私の我儘に散々に付き合わさせて最後には彼女の思いに対して全てを裏切る選択を私はしている。それだけに私はエリス様の事を悪く言うゆんゆんの事が許せなくなっていた。なにより、ゆんゆんの表情は不自然なほど歪んでいるのが気になった。彼女が表情に浮かべているそれは、間違いなく”憎しみ”であった。

 

「少なくとも友人の陰口を言うような人間の言葉を私は信じたくないな」

 

「それは……私は貴方のためを思って……」

 

「私のつまらない話に付き合ってくれて感謝する。釣りはいらない」

 

「あっ……ダクネスさん話はまだ……!」

 

テーブルに金貨を投げ捨てて私は引き留めようとするゆんゆんを振り払って屋敷へと向かった。結局、ノープランなのは変わりなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、私は再びカズマと対面する。昼も過ぎた時間だというのにソファーの上で毛布にくるまって横になっている姿を見るに、本当に朝からまったく動いていないのだろう。その事に呆れる一方でどこか安心感を覚えた。私がカズマの横に腰を降ろすと、彼は迷惑そうな目をこちらに向けてきた。

 

「おい、邪魔くせーから別のソファーに行けよ」

 

「くっ……中々にクる反応だな」

 

「あんま俺の近くに寄るとセクハラするぞ。めっちゃするぞ」

 

「カズマは相変わらずだな。いいだろう、好きにしろ」

 

「ダクネス……?」

 

 カズマの前で私はだらんと力を抜いた。彼はそんな私に対しセクハラでもしてくるのかと思っていたが、答えは毛布を取り払って私を心配そうに見つめるというものであった。彼は私の眼前に手のひらをかざしてひらひらと振った後、大きくため息をついた。

 

「お前大丈夫か?」

 

「大丈夫だ」

 

「なるほど自覚はないか。まあそれはそれとして堪能するけどな」

 

「あっ……」

 

 カズマは座っている私の膝の上に頭を乗せてきた。おまけにごろごろと体勢を変えながら大きく息をするように鼻をすーすーと鳴らしていた。彼に自分の匂い嗅がれるという事に羞恥は感じるが悪い気はしない。むしろちょっと興奮してきた。

 

「女の子の匂いってなんでどことなく甘い匂いがするんだろうなあ……」

 

「そ、それを私に聞くな!」

 

「良い匂いだぞダクネス。このまま俺専用抱き枕にでもなるか?」

 

「調子に乗るな……」

 

「なんだよ……ノリがわりぃなお前は……」

 

 そんな事を言いながら、カズマは私の首筋をつーっと撫でてきた。それにぞわりぞわりと身体が反応してしまうが、それを必死に打ち消した。仕返しとばかりに私は彼の頭を子供のように撫でてやる。カズマは私の愛撫に反抗するかと思いきや、しばらく黙ってそれを受け入れていた。

 

「なあ、ダクネス」

 

「どうした」

 

「おっぱい吸っていい?」

 

「ダ、ダメに決まってるだろ!」

 

「なんだよ……ノリがわりぃなお前は……」

 

「そういう事はノリでするものじゃないだろう!」

 

 私が彼の鼻をつまむとふがふが言いながらそれ以上のセクハラはしなくなった。代わりに私は私自身に後悔と苛立ちが募った。もし、これがめぐみんだったら躊躇いもなく胸を曝け出していたかもしれない。それが出来ない時点で私はめぐみん達に負けているような気がした。

 

「それで、何に悩んでるダクネス」

 

「いきなりだな……」

 

「バカ言うな。これだけ長い間付き合ってればダクネスがため込んでる状態だってのはすぐ分かる。ほら、きりきり話せ」

 

「むぅ……」

 

 ゆんゆんと合わせればこれで二回目のお悩み相談だ。ただ、ゆんゆんと違ってカズマに対しては下手な相談は出来ない。ということで情報収集も含めて私は彼への逆質問を断行した。

 

「私の方はたいした事じゃない。いつもと比べて少し月のものが重いだけだ」

 

「うげっ……すまん……」

 

「それよりカズマの方だ。貴様も実に悩んでいるようだな。例えばめぐみんの事とか……」

 

「ダクネス、それは分かってて言っているのか……」

 

「さあな、告白でもされたのか?」

 

「分かってるみたいだな」

 

 カズマは片手で顔を覆いながら、私の大腿部に顔をうずめる。それから黙ってしまった彼の頭を私は優しく撫でた。女性関係について悩めるのは贅沢な事かもしれないが、彼にとっては重い悩みなのだろう。まあ、これに関しては悩んで貰う方がいいのだ。きっぱりと結論を出されては私はどうあがいても勝利は得られない。それは彼の悩みの対象に私がいる事の証明と言えた。

 

「お察しの通りめぐみんから告白された上に早く相手を決めろと急かされてる。俺はいつまでもこのままでもいいんだけどな……」

 

「私も含めて一生待つなんて出来ないさ。特に女にとっては若いうちにしか出来ない事もたくさんある。その……子供とか……!」

 

「気がはやいなほんと……俺まだ二十代前半なんだけど……というかダクネスは俺の子供が欲しいのか?」

 

「欲しい」

 

「うわっ……」

 

 彼の質問に即答してしまってから、私は何を言っているんだという羞恥と後悔が巻き起こるが今更この程度で動じる事もない。というかこれは告白扱いになるのだろうか。それならばカズマがアクアの思いを自覚する事にもなってしまう可能性もある。そもそも、告白を封じられては彼と一緒になるのは夢物語に終わるのではないか。結局私はどうすれば……

 

「なら俺との子供を作るか?」

 

「ほあっ!?」

 

「そこまでしたら俺も吹っ切れそうだしな。まあなんだ、今日は練習がてら軽くヤってみるか」

 

「ドキドキさせておいて結局それかカズマ!? 私の身体が目当てなのか!?」

 

「勘違いするな。身体”も”目当てだ」

 

「あっ……」

 

 いつの間にか私はカズマにソファーへと押し倒されていた。情欲に溢れた目は私を前にしてだらしなく歪んでいる。私はというと、色んな意味で動けなくなっていた。論理的にも本能的にもこのまま無茶苦茶にされたいと訴えている。でも、私の高すぎる自尊心がそれを是としなかった。

 

「こういうのはもっと段階を踏んでから……その……あうっ……!?」

 

「ほう、そのダクネスの段階とやらを聞かせてくれ」

 

「それは……まずは女の私としては貴様に告白して受け入れて貰うというのも一種の憧れだが、どうせなら男の方から告白して欲しい。もちろん、貴族の私と付き合うなら結婚が前提だ。私のお父様にもきちんと話を通して正式に認められるも重要だな。そして私を色んな所に連れまわしていっぱいデートして欲しい。この恋人関係の期間はお互いに馬鹿みたいに好き合って後々になって思い出を振り返ると貴重な二人だけの幸せな時間なんだ。そうしてお互いに距離を詰めて手を繋いで、接吻を交わしたい。でも、性交はダメだ。それはきちんと結婚してから行うのがスジというものなのだろう。最近では市井の人々には出来婚という文化が根付き始めたようだがあまり関心しないな。いい加減な付き合いをしていい加減な性交を行い、子供が出来たからといい加減な結婚をする。そんな人生に関わる事をいい加減にこなせばツケは後々来てしまう。だからこそ夜の営みは盛大な結婚式を終えた夜、お互いに疲れながらも嬉しいような恥ずかしいような気持ちで初夜を迎えるんだ。どこで初夜を迎えるかも重要だな。夜だからこそ夜景が映えるような場所で行う憧れがある。一方で二人の思い出深い場所で行うというのも良いな。それこそ、私とカズマの場合はこの屋敷でも全く問題ないだろうな。確かにカズマは性欲に素直な所もあるが、私はお前がこちらの意をくむ気遣いが出来る男である事も知っている。貴様がどちらを選ぶか分からないが私はそれを期待してもいいのだろうか?」

 

「なげえよ! 長すぎて聞き流しちまったわ! もう面倒だからとりあえず脱げよ!」

 

「面倒くさいとか言うな! 私はただの一般論を言っただけであって……こらカズマ本当に……!?」

 

 気が付けば彼に身体をぐいぐいと引っ張られ、鎧をはぎ取られてインナーだけになってしまっていた。それを良いことに鼻をふんふんと興奮の息で鳴らしながら私の至る所揉み始める彼はなかなかの鬼畜である。だが、それもいいのかもしれない。私の頭の中で展開される面倒な順序も、彼はこうして破壊してくれる。やはり、愛する相手が自分を求めてくるというのは女にとっては最上の喜びだ。順序をすっ飛ばしてしまう市井の人々の気持ちが分かる気がした。だから、私は彼の顔を引っ掴んでこちらに引き寄せる。そうしてお互いの唇が触れそうになった時、”お約束”が起きてしまった。

 

 

 

 

 

「なにをしてるのよアンタ達……!」

 

 

 

 

 

私の愛する人は、私よりも涙目のアクアを優先した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻、アクアの介入によりぐだぐだとなって雰囲気も台無しにされてしまった。おまけにカズマはアクアの機嫌を取る事に終始したため、私は蚊帳の外となってしまう。以前はあまり気にならなかったが、こういう場面で自分とアクアの差を感じてしまった。そして私といえばそれを愛想笑いで見ている事しか出来なかった。おかげで私は現在涙目での敗走中である。四周目にもなってこのような体たらくである自分自身が情けなくて仕方なかった。

 

「ちょっと待ちなさいよアンタ。夕飯は食べて行かないの?」

 

「今日はいらない」

 

「まったく、私に邪魔されていじけちゃったのかしら」

 

「別にそういうわけじゃない……」

 

「ええ、そうね。アンタの顔、こっちが不安になるほどヒドイ顔をしてる。さっきの事だけが原因じゃない事は分かってるから」

 

 屋敷から逃げ出した私を、アクアが正門前にて引き留めてきた。彼女は私に対して心配そうな表情を向けているが、その目は不審で揺れていた。話すのも面倒になった私は正門を抜けようとするが、突如として透明の壁に阻まれる。私にとっては宿敵とも言えるこの壁の出現は、アクアに敵意を向ける事への十分な理由となった。

 

「やっぱり見間違いじゃないわね……カズマやあの子が心配するのも当然だわ」

 

「なんの話だ」

 

「貴方についてよ。こうして貴方を深く観察すれば違和感に気が付くのよ。そうね、例えて言うなら……昨日まで可愛がっていた子犬が、次の日には急に飢えた人食い狼に変貌していたような驚きよ」

 

「余計なお世話だ。私にも事情がある」

 

「ふーん、私の事をそんな”目”で見てくるくらいには何か心境の変化があったみたいね。でも、いくらなんでも突然すぎるし流石にこれは私も見過ごせないわ」

 

 そんな事を言いながら私に近づいてくるアクアに私は内心では非常に困惑していた。何故なら、今までの周回ではこのような展開は一度も起こっていないからである。初めてのイベントへの恐怖はあるが、それ以上にこの”再現性”についての不安定さにも気づいてしまった。どうやら、アクアは私の態度や目つきで異常に気付いてこのような今までにない接触を図っているようだ。そうであるならば、今後は私の態度やカズマやアクアへの接し方も一度改める必要があると実感した。

 

「少々月のものが重くてイラだっているだけだ。こんな透明な壁で閉じ込めるようなまねは勘弁願いたい」

 

「嘘ね。アンタ達の身体の変化は”匂い”で把握してるわ。ここ数日は貴方にその兆候はないの。それより私は貴方が私に向けてる敵意の方が気になるし、その濁った目は生者がしていいものじゃない。何か言えない事情があるなら断片だけでもいいから教えてくれないかしら」

 

「…………」

 

「答えは沈黙……という意味かしら」

 

 アクアは押し黙る私を見てため息をついた。それから、私の額に向けて素早く右手を突き出していた。まずいと思った束の間、ずぶりという不快な音と頭から感じる激痛。蘇るのは三週目で女神エリスが行った記憶操作の事である。今回も同様の事がアクアの手によって行われようとしていた。だが、私の身体が光り輝いたかと思えば、次の瞬間にはアクアは後方へと勢いよく吹き飛ばされ、屋敷の玄関扉に叩きつけられていた。アクアは驚愕の表情を浮かべていたが、私では補足できないほどの速さで再び眼前へと迫る。それからじろりじろりと私を観察した後、彼女はぽつりと呟いた。

 

「ねえ、バカみたいな事を聞くかもしれないけど……」

 

「どうした……?」

 

「アンタって、タイムリープしてない?」

 

 そのアクアの質問は私を動揺させるには十分だった。ガタガタと震える肩を必死に抑えながら私は平静を装った。だが、アクアはそんな私を見てどんどんと笑みを深めて行く。私は再度正門から抜けようと試みたが当然のように透明の壁に阻まれた。

 

 

 

 

「なるほど……なるほどなるほど……そういうことだったのね……健気に”設計図”までつけちゃって……」

 

 

 

 アクアの嗤いかたがキヒキヒとした尋常ではないものへと変化していた。それは私に生理的嫌悪を覚えさせる一方で別の感情を思い起こす。つまりは目の前の理解不能な相手への恐怖であった。

 

「お前は誰だ……! 少なくともアクアはそんな気味の悪い笑いかたはしない!」

 

「あら、私の事をそう評価してくれるのは嬉しいけど残念ながら私は”私”よ。でも、貴方は知ってるかもしれないけど、今の私は誰かさんのおかげで思考がとても”クリア”なのよ。まさかあの娘の記憶を取り込んだせいでここまで自我に揺らぎが出たのは失敗だと言えるけど、案外悪い物ではないわ」

 

 それから数分間、何がおかしいのか笑い続けるアクアを私は止める事が出来なかった。むしろ、彼女への生理的嫌悪がどんどんと増してくる。私は一刻も早くここから抜け出したかった。

 

「ねえダクネス、アンタはどうせ絶対に諦めないだとかそんな思考でいるみたいだけど、”今回”は諦めなさい。今すぐにでもこの時空から離れなさいな」

 

「何の話だ……!」

 

「貴方を私の記憶操作から守った力は純粋に貴方を身を案じてるのでしょうね。でも、その力の存在を今の貴方以外に知られた時点でもう詰みなのよ。本当に残念だわ」

 

「私は……いいから早く出せ……出してくれ……!」

 

 どんどんと透明な壁を叩くが、やはりこの壁は打ち破れない。代わりに私を嘲笑うようにきひきひと漏れ出る笑い声が私の耳元まで迫る。この時点で私が出来ることは無様に醜態を晒す以外何もなかった。

 

「ダクネス、私も貴方の事を心から心配してるっていうのには嘘偽りはないわ。だから、貴方にヒントをあげる」

 

「ヒント……?」

 

「ええ、教えられるのは私がアンタ達へ介入する際の方法よ」

 

「はっ……?」

 

「まあ聞けば分かるわよ。そうね……私は女神だけど貴方達全員を常に見守るのはやはり難しいの。でも、何か変化があった際にすぐに駆け付けられるように、貴方達に大きな”感情変化”が起こった際には私に通知が来る術式をカズマ、めぐみん、貴方にもすでに仕込んでるの。まあ、最近の運用方法は盛ってしまったカズマを鎮圧する事にしか使ってないけどね」

 

 アクアの語ったヒントとやらは確かに非常に有益な情報であった。これを応用すればカズマとの情事の際に彼女の介入を防ぐことが出来る。だが、それを私に伝える点が納得が行かない。それに彼女の言葉を全て信じられるような状況ではない事がその言葉の信憑性を揺らがせた。

 

「それと忠告もしてあげる。そうね……アンタは地頭は良いけど頭の回転が速いわけでも策略を張り巡らすのが得意というわけじゃないわ。だから、変な事はせずに直球勝負で行きなさい」

 

「…………」

 

「それと、とても重要な事を教えて上げる。ダクネス、アンタは”妥協”を覚えなさい。自分が得るべきもを得たらそれ以上欲はかかないで。その先に待つのは破滅よ」

 

「何が……何が言いたい!」

 

 流石の私も我慢の限界であった。だが、アクアに掴みかかろうと思った瞬間、私は正門の外へと弾き飛ばされていた。倒れ伏す私を見てアクアは相変わらずの笑い声をあげている。そして、私は再びこの屋敷への侵入を拒まれるようになった事を理解した。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあダクネス、良い旅を」

 

 

 

 

 

 そう言って立ち去るアクアの姿に、私はどことなく敬愛する女神の姿を垣間見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 翌日、私は実家のベッドの上で目を覚ました。右手には女神エリスのナイフを強く握っている。実は昨夜に私はやりなおすかどうかずっと考えていた。現状としては私がタイムリープしている事を何故かアクアが理解してしまった。私が取るべき行動はもうあまりない。今回の事は事故と思ってやり直すか、それとも今起こっている展開の確認を行うかである。今後のためにも少しでも現状の情報を集めて次回に生かすというのはこのタイムリープという能力を使うに置いて非常に重要だ。再現性についての当初の考察が崩れつつある今、情報は得られるだけ得るべきだというのが私の答えであった。

 

「しかし私はどうすれば……」

 

 そうして、また思考の海に沈みそうになった私を扉からのノック音が現実へ引き戻す。乱暴に叩かれたその音は私への返事を待たずに扉を開ける。現れたのは焦った様子のお父様であった。

 

「ララティーナ、話がある」

 

「なんでしょうか?」

 

「その……うむっ……その様子だと今回の事にお前は関与していないようだな」

 

 どこか安堵した表情を見せるお父様の様子を見て私は再び困惑する。このようなお父様の様子は過去の周回では見たことがなかったからだ。

 

 

 

 

「心して聞いて欲しい。アイリス王女が失踪してしまった」

 

 

 

 そう言って、額に汗を浮かべながら語るお父様の話を要約すると、昨日宮廷で開かれた晩餐会の途中でアイリス王女が失踪してしまったらしい。過去にも同様な突然の失踪は見られたが、護衛を全く付けない、もしくは側近への置手紙もなしに行方を眩ましたのは初めてらしい。王城ではいつもの事と少し緩んだ姿勢も見られるそうだが、護衛騎士などは血眼になって探しているようだ。

 

「一応、ダスティネス家はララティーナの要望通りアイリス王女とは距離を置くように接している。もし何かあった時も真っ先に疑いの目が向けられるという事もなさそうだ」

 

「その……ありがとうございますお父様……」

 

「いいんだ、可愛い娘の恋路のためだ。それに、あの王女があのカズマ君に近づくのはこちらの陣営としては厄介だからね。それはそれとしてララティーナ、カズマ君の様子を探ってきてくれ。何か事情があるなら早めに手をうっておきたい」

 

「かしこまりましたお父様」

 

 とにかく、イレギュラーな事態が起こった事は間違いない。私は手早く準備を済ませてカズマの屋敷へと向かった。だが、屋敷の正門前で仁王立ちするアクアの様子を見て私の足も止まる。アクアはこちらを警戒するように見つめていたが、数十秒後にはにへらっとした崩れた表情でこちらに近寄ってきた。

 

「あら、まだ”こっち”にいたの? 私に何の用かしら?」

 

「別に何も考えてないというのが正直な感想だ。それで、アイリス王女に何をした?」

 

「何の話?」

 

「しらばっくれるな!」

 

 私の怒鳴り声をアクアはクスクスとした笑いで押し流す。それだけで、私の中で燻っていた戦意が全く持ってなくなってしまった。それよりも、私はもうこれ以上アクアと接したくなかった。理由は分からないが、怖くて怖くてたまらない。この何が起こるか分からないという恐怖から一刻もはやく逃げ出したかった。

 

「ふーん、ダクネスにとっては今回の事件は初めての経験なのね。なるほどね……」

 

「もういい加減にしてくれ! お前は何を企んでる!」

 

「何を怒ってるのか私には理解出来ないわね」

 

「待て私の質問に答えろ! お前は何がしたいんだ! 答えてくれ……教えてくれ……!」

 

「だーめ、教えてあげない」

 

 

 くすくすと笑いながら屋敷へと歩き去るアクアを私は止められなかった。透明な壁をがりがりと引っ掻いてみたみたものの、やはり変化はない。こうして私はこのはやくも四周目に置ける失敗の要因を悟る。

 

 

 

 

 

 

アクアには私がタイムリープしている事は悟られてはならない。

 

 

 

 

意味不明な事が起きすぎて思考は大混乱であるが、それだけは理解出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜、私は自室にてまたも女神エリスのナイフを弄んでいた。本来なら、いますぐにでも自殺をしてやりなおしをするべきだろう。だが、アクアの言う通りにこの周回を諦めるのは癪であった。出来ればもっと有用な情報が欲しい。何よりアクアにどうにかして一矢報いたかった。

 

 

「エリス様……」

 

 

 暗闇の中、ランプの光によって鈍く光るナイフの存在は私に対して一種の安堵をもたらす。そして、女神エリスの力を頼るべきだと私の心が囁いてくる。だが、それは出来なかった。それをしたら最後、私はまた彼女の悲しむ顔を見なければならなくなる。一方で、エリス様に頼る事で今回のアクアの異変のようなイレギュラーが引き起こされる事への恐怖があった。

 

 

 

「私はどうすれば……」

 

 

 

 

結局、いくら悩んでも答えは出なかった。

 

 

 

 

 

 そんな時、部屋の扉がノックもなしに開かれる。私はすぐさまナイフを構えて扉の方に体を向けたが意外とも言える尋ね人に私は言葉を失った。

 

「良かった……! 無事だったかダクネス!」

 

「カズマ……?」

 

「ああ、そうだカズマさんだ。それより力を貸して欲しい。今朝方アイリスが行方不明になった」

 

「それは知っている」

 

「そうか、なら捜索に出た俺がアクアとはぐれてそのままアクアも行方不明になった事は?」

 

「はっ……!?」

 

「ついでに言うとめぐみんもゆんゆんも行方不明だ。アクアの事について知ってないか訪ねたが、彼女達も夕暮れ時に姿を眩ましたらしい」

 

 いきなりの情報の多さに私は呆気にとられる。だが、カズマの方はそうではない。なぜか、私の方に疑念をこめた視線を飛ばしてくるのだ。それが今は何よりも恐ろしかった。

 

「ダクネス、俺は王都での捜索中に知ったんだが、お前はアイリスが俺と接触できないように自分の派閥に所属する貴族と結託してアイリスの動きを制限していたらしいな」

 

「それは……事実だ……」

 

「今回の件、まさかダクネスが関与しているのか?」

 

「なぜそうなる! 確かにそのような裏工作をしているがこれはカズマとアイリス王女のためを思っての事だ! それよりその情報を誰から聞いた!?」

 

「アクアだよ。王都ではぐれる前にダクネスが少し怪しいかもって……」

 

 それを聞いた瞬間、私は思わず近くにあった衣装棚に蹴りを入れてしまった。砕け散ってばらばらの木片となってしまった衣装棚と溢れる衣服にカズマは驚いていたが、こちらには相変わらずの視線を送っていた。それがひどく悲しくて仕方なかった。

 

「カズマは私よりアクアの事を信じるのか……?」

 

「…………」

 

「そうか……」

 

「いや、俺が悪かった。俺も少し熱くなってた。確かに色々と疑問はあるが、こんな事にダクネスが関与してるわけないな。お前は隠し事が下手くそな奴だし……」

 

「その納得のされ方は癪だが……本当に私は関係ないんだ……」

 

 項垂れてベッドに座り込む私をカズマは強引に立たせてくる。その顔には私への疑念はすでにない。だが、彼の瞳は真相解明に向けての炎に燃えていた。

 

「つーことで当初の予定通り俺はお前に助けを求める事にする。実はめぐみんとゆんゆんの行方が分からなくなっている事を知ってから俺はエリス様に助けを求める祈りをした。だが、今のところ全く反応がない。クリスとも連絡が取れないしなんだかとてつもなく嫌な予感がするんだ」

 

「エリス様が……?」

 

「そうだ。だが俺だけで天界に行くのは少し心細いだから俺についてきてくれ」

 

 カズマが差し出した手のひらを私はすぐさま握り返していた。ここまで来たら何も情報を得られずに終わるのはあってはならない。それに、純粋にエリス様の事が心配だった。それから、カズマがテレポートの魔法を唱える。周囲は私の自室から夜空のように薄暗くも暖かい空間に切り替わる。周囲の光景はまるで星空のように輝いて終わりが見えない謎の空間であるが、不思議ことにここが天界である事への疑いの気持ちはなかった。

 

「とりあえずエリス様の寝室に行くぞ。こっちだ」

 

「おい、天界だけでなくエリス様の寝室を知ってるだなんて……」

 

「俺にも色々あるんだ。まあエリス様とはたまに遊んでるくらいで今のところは普通の友人関係だよ」

 

 今のところという部分に引っかかりは覚えるが、とりあえず今は余計な詮索はしない事にする。それから数分ほどカズマの手にひかれながら歩を進めた後、突然周囲の光景が切り替わる。周囲の光景は夜空からほどよい広さの個室へと切り替わる。そこにはベッドよソファーといった私もよく知る家具から、薄っぺらい金属の板のような謎の調度品が壁にかけてあったりと私の馴染みのない家具も置かれていた。確かな事はここは先ほどの空間と違って生活感に溢れていた。ただ、キッチンと思われる設備の一画が少しおかしかった。そこには空間の”切れ目”としか言いようがないものが出現していたのだ。

 

 

「あんなものは以前は見かけなかった。ここにエリス様がいない以上仕方がない……行くぞ」

 

 

 カズマに手を引かれながら私はその空間の裂け目へと足を踏み入れる。だが、そこから先の空間は驚くほど狭い場所であった。無機質な鉄色の壁と床に所せましと置かれた薬品棚や調合台。何より目を引くのはこの狭い空間の奥に鎮座していた円筒状のガラス製の水槽、もしくは密閉容器のようなものがだった。その円筒状の容器は前面が盛大に破損して床には砕けたガラス片が散らかっている。ただ、それ以外は何も見つける事が出来なかった。

 

「なあダクネス、俺の知識で言うとこういうガラス容器の中には生物兵器とかエイリアンが入ってるもんなんだが……どう思う?」

 

「その生物兵器やらエイリアンは分からないが……これは……」

 

「おいよせって!」

 

 カズマの制止もすでに遅く、私は円筒状の容器に残っていた水たまりに指をつけ、それをそっと舐めてみる。味はしなかったが、それは私にとってもなじみ深いものであった。

 

「これはエリス教で一般的に使われている聖水だな」

 

「聖水……?」

 

「ああ、一定以上の力を持つ司教が生成してる聖水と品質は変わりない。聖水の貯蔵タンクだったという可能性はどうだ」

 

「うーん……とりあえず家探ししてみるか」

 

 浮かない顔をしながらカズマと私はその薬品室やエリス様の寝室を調査する。だが、めぼしい物は何もなく、見つかるのはカズマが以前使っていた私物や下着、盗撮写真などのストーカーの証拠だけであり、私達の呼びかけに対して反応は全く見られなかった。

 

 

 結局、数刻後には私とカズマは屋敷の前にテレポートで帰還していた。お互いの間に会話はもうない。カズマは憔悴したような表情であり、私はというと流石にもう色々と諦めがついていた。そんな時、屋敷の方から小さく声が聞こえた。

 

 

 

 

 

『カズマさーん、カズマさーん。こっちきてー』

 

 

 

 

 

それは確かにあの水の女神のものであった。

 

 

 

 

「アクア!」

 

 

 

 カズマは弾かれたように屋敷へと駆け出していた。出遅れた私慌ててその後を追うが、透明の壁に動きを阻まれる。その瞬間、私は全てを悟った。やはり、アクアが何かやっているのだ。

 

 

 

「くそっ! なんでこんな! 開け!」

 

 

 咄嗟に女神エリスのナイフを取り出して壁を切りつけるが、全くもって効果がない。だが、それから数十秒後、ふっと透明な壁が消失した。私は勢いよく屋敷へと突入する。しかし、そこにはカズマの姿も、アクアの姿もなかった。

 

 

 

「カズマ! どこだ! 返事をしてくれ!」

 

 

 

返事はない。

 

 

 

「アクア、お前は何がしたいんだ! 出てこい……出てきてくれ……!」

 

 

 

自然と力が抜け床に崩れ落ちてしまう。アクアの返事もない。

 

 

 

「エリス様……めぐみん……誰でもいい返事を……返事をしてくれ……」

 

 

 

もちろん返事はなかった。

 

 

 

 

 

 

「私は何のために……どうしてこんな事に……なんでなんでなんで!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、何も分からないまま”一か月”の時が流れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エリス教、アクシズ教、自分の派閥に属する貴族、持てる資産を使ってカズマ達の捜索を行った。だが、何も得られなかった。もう私にはやりなおす以外の選択肢はなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、そのナイフ……」

 

「うるさい、いいからお前はお茶でも入れてろ」

 

「は、はいぃ!」

 

 カズマの屋敷のリビングにて、私は味の感じられないお茶に口をつけていた。だが、リビング以外は男達の声と屋敷の破壊音で騒然となっている。例の一連の失踪事件から約一か月、私は結局何も情報を得られていない。せめて何かを持ち帰ってからではないと死ねないと頑張っていたが流石に限界だ。カズマのいない世界にいる意味なんてもうないのだ。

 ナイフを弄びながら私は左手に巻かれた包帯を眺める。そこにはすでに二か所の刺し傷がついていた。実は昨夜に自殺を決行しようとしたのだが、最後にもう一度原点に立ち返って調査しようと思い立ったのだ。だが、屋敷を探させている私軍の兵士からは良い情報は上がってこない。一か月前の時点でも私が屋敷の調査をしているため、当然とも言えた。それから数刻後、浮かない表情をした兵士達がリビングに集まってくる。彼らから得られた報告は『何も見つからなかった』という簡素な物であった。

 

 

 

「あの……その……お疲れ様です! 皆さんの分のお飲み物も淹れたので……ってわひゃあ!?」

 

 

 

 重い空気を払うように声を張り上げた新人メイドが、勢い余って床にポッドの中身をぶちまける。思わず私だけでなく、兵士達の中からも大きな溜息が漏れる中、メイドは青い顔をしながらコーヒーで一部が黒く染まった絨毯をごしごしと布巾で拭いていた。

 

 

「ひいっ! こんな高そうな絨毯に……とりあえず洗濯を……!」

 

 

 慌てて絨毯を引きはがしたメイドには呆れていたが、絨毯の下にあったものに私だけでなく兵士達も息を呑む。絨毯の下から現れた木目調のフローリングになぜか赤黒い何らかの着色料で模様が刻まれていたからだ。それは私にとっても見慣れた”認識阻害”の結界であった。

 

 

「破壊しろ」

 

「了解!」

 

 すぐさまフローリングを剥がし始めた兵士達を横目に私は全身を貫く悪寒に体を震わせていた。それからまもなく、謎のレバーが床下から見つかり、それを引っ張ると地下へとつながる梯子が出現した。そんな隠し部屋へと乗り込もうとする兵士達を制止させ、私は一人で鉄格子を降りていく。そうして、薄暗い石壁と金属製の扉を発見した私は心を無にしながら扉を押し開けた。ガチャリという音と共にあっけなく開いた扉の先に踏み込み、私は全てを後悔する。昨日の時点で自殺しておけば良かったのだ。

 

 

 

 

 

「ダクネス……?」

 

 

 

 

 私を呼ぶ声は、その一室の最奥にて祈るように片膝をついていた。見つめる天井には見たことのない赤黒い魔法陣が書かれている。何よりも問題なのは、その祈りを捧げる者……エリス様の足に鉄製の鉄球のような足枷がついている事であった。

 

 

「ダクネス……ダクネスなのですね……だくねす……だくねすだくねす!」

 

 

 ごりごりと足枷を引きずりながら私の胸に飛び込んできたエリス様は幼子のように抱き着きながら嗚咽を漏らしていた。そんな彼女をそっと抱きしめながら私は周囲の光景に目を凝らす。そこには壁に鎖で四肢を繋がれた者たちがいた。めぐみん、ゆんゆん、クリス、アイリス、四人のも女性が虚ろな目で私の事をじっと見つめてくる。生きているようだが、心が生きているとは言えなかった。それだけで私は全ての思考を放棄したいと思ってしまった。

 

「エリス様、アクアはどこに?」

 

「わかりません。誰も彼女の行方を知らなくて心配していたんです。でも、とりあえずは安心です。気が付いたらこんな所で監禁されてて……こんな状況を助けてくれるのはアクア先輩かダクネスしかいないと思ってましたが……やっぱりダクネスは私の誇るべき親友です! いままでも、私が困った時にはなんだかんだで助けてくれましたからね!」

 

 恍惚とした表情でそう語るエリス様の言動に私は違和感を感じる。何より、エリス様から感じる粘っこい視線は不快ではないが、何だか私の中の嫌な予感を増大させる。私は溢れ出る恐怖感を押さえつけ、もう一人の行方を尋ねた。

 

「カズマはここにいないんですか?」

 

「カズマ……カズマさんですか?」

 

「ああ、アイツは屋敷で行方を眩ました。ここにはいないのか?」

 

 

エリス様はしばらく難しい顔をしてうんうんと唸っていたが、諦めたように小さくため息をついた。

 

 

「ねえ、ダクネス」

 

「ああっ……」

 

「そのカズマさんの事なんだけど……」

 

 

 

息を呑む私の前で、エリス様はこてんと首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カズマさんって誰のこと?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう限界だった。

 

 

 

 

「許してくれエリス様」

 

 

 

私は取り出したナイフですぐさま自分の首を刺し貫く。

 

 

 

 声に出ないほどの苦痛には思わず顔を歪ませるが、そんなものは死という”救い”を前にしては些細な事であった。

 

 

 

 

 

 

 

「ああっ……あああああっ! だくねすっ……どうしてなんで……こんな……助けて……助けてよぉアクア先輩……!」

 

 

 

 

 

 

 

血の海に溺れながら私は意識を落として行く。

 

最後にエリス様をまたも悲しい目に合わせてしまった事が、この四周目の世界の唯一の心残りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回はカズマさん視点らしいぞ!


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 自分がガキの頃、なかなか寝付けない夜があった。そういう時は頭の中で余計な事を考える時が多い。自分がどうやって呼吸しているのかを無駄に意識してしまったり、暗闇の中で幽霊や妖怪といったオカルトな存在に怯えたりした。

 なかでも、自分の死について考えてしまった時は余計に寝付けなかった。老衰で死ねるのか、病気で苦しんで死ぬのか、それとも交通事故にあって死んでしまうのかと後ろ向きな事を考えてしまう。このまま寝て、目覚める事なく死んでしまったらどうなるのかを考え夜更かしをしたのは懐かしい。

 そんな無駄な悩みは中学生を過ぎる頃には忘れてしまう。だが、ふとした時に意識するのはいつになっても変わらなかった。まあ、流石に寝付けない日なんてものはなくなった。

 

 

 

そして、結果的に俺は交通事故で死んだ。

 

 

 

 いや、あれは交通事故で死んだと言えるのだろうか。まあ身体を耕されかけてのショック死なので広義の意味で多分交通事故だろう。うん、そういう事にしておこう。

とにかく、本当に人生は何が起こるか分からない。ただ、死んだおかげで分かった事がある。人は死んだら、本当に神なんていう胡散臭い奴と対面できるという事だ。おかげで余計な事を考えずにぐっすり眠れる。例え明日には世界が滅んだとしても、俺はアクアやエリス様と会えるだけだ。

 

 そうして、俺はひょんな事から異世界転生という奴をしたらしい。まあ転生と言うより異世界召喚の方が正しいかもしれない。とにかく、俺はそこで第二の人生を楽しんでいた。だが、眠る時にごくたまに寝付けない日というのがあった。もちろん、しょうもない理由からではない。それは……

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 パチリと目を開けた俺の視界には少し煤けた汚れのある天井が目に映った。脳内に溢れるあのセリフを言わないように我慢しつつ、俺は上体を起こして周囲を見渡した。

 

「んんっ!?」

 

 俺が寝たのはほんの数時間前、朝早く起きたはいいものの、やる事もなく毛布にくるまってソファーで寝たのが最後の記憶である。確かその後ダクネスが……

 

「いてて……」

 

 寝不足に似たような頭痛に顔をしかめながら俺は状況の整理を始めた。眠りについたのは屋敷のソファーなのに、起きて見たら六畳ほどの狭い部屋であった。あるのは俺が横になっていた布団一式だけだ。光が漏れるカーテンを認識した俺は、無意識にそのカーテンを押し開いていた。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 思わず自分の目をごしごしと手で拭いてしまった。それくらい理解したくない状況が窓の外に広がっていたのだ。

 

 

 

「あ、起きた? おはようカズマ」

 

 

 背後からかけられた声に俺は瞬時に振り返る。そこにはニコニコとした笑顔を浮かべる女性がいた。その美しく艶やかな青髪も、常人とは隔絶した美貌はもう見慣れたものだ。だが、彼女がこちらを見る目だけがいつもと違う。俺の事を食い入るように見つめるその目には理性の光による輝きを失っていた。

 

 

「驚いたでしょう? でもこれで私もようやく安心できるわ。ここならめぐみんもダクネスも、エリスさえ介入できないもの。カズマはここで私とずーっと一緒に暮らすの」

 

「…………」

 

「カズマも嬉しくてたまらないようね。ふふっ、私みたいな美しく聡明な女神を自分のモノに出来るからってそんな発情しなくても……」

 

「ていっ!」

 

「いひゃいっ!? 急に何すんのよバカズマ!」

 

「いや、そういう冗談とかテンプレヤンデレ台詞はいいから状況を説明しろ」

 

 俺の愛のある懲罰チョップを喰らったアクアは頭を手で押さえながらこちらを睨んでくる。その理性の戻った彼女の瞳に安堵しつつ、俺はどこかほっとした気持ちになった。演技にしてはなかなかに堂に入る様子だったからだ。

 

「なんだか思ったより動じてないわね。もっと情けなく泣いて私に頭を撫でてよしよしされないと落ち着かないと予想してたんだけど……」

 

「お前の想像する俺は随分とクソガキなようだな。それよりさっさと状況を説明しろ」

 

「もう、せっかちなんだから……」

 

「あんまし引き延ばすとお前のケツをひったたくぞ」

 

「んっ……今少しだけアンタの欲望が見えたわよ」

 

 こちらを見てケラケラと笑うアクアに俺は無言で詰め寄った。そうすると、彼女は大人しくなり、観念したように無慈悲な一言を言い放った。

 

 

 

 

「アンタ、あの世界を追放されたのよ」

 

 

 

 どこか嬉しそうな表情でそんな事を言うアクアに俺は思わず声を張り上げる。だが、その声は窓の外から聞こえる騒音にかき消される。鉄が軋む耳障り音も、重量のある客車がガタンゴトンと揺れる音も今となっては懐かしい。

 窓の方へ振り返ると、所せましに並んだ民家の群れとその間を通過していく電車が見える。遥か遠方には少し規模の小さな摩天楼に反射する太陽の光が眩しいほど輝いていた。その光景をしばらく眺めた俺は、諦めたようにアクアの方へ振り返る。彼女は相変わらずニコニコとした表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「お帰りなさいカズマ」

 

 

 

 

その言葉に俺は何も言葉を返すことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

「なあ、その話はマジなのか?」

 

「おおマジよ。まったく、何度説明させたら気が済むのかしら」

 

 近所のコンビニで買ってきたというシュークリームを口にほうばってもぐもぐしつつ、呆れた目線を向けるアクアを前にこちらは溜息を吐く事しかできない。

 

 

 

 

アクア曰く、俺はあの世界を追放されたらしい。

 

 

 

 

 というのはざっくりとした説明であり、話を聞くと俺が何度も天界の規則を破った事に原因があるらしい。なんでも今の天界は複数人いるという創造神クラスの上層部がゴタついており、それに乗じて四文字に影響された比較的新しい神や天使が幅をきかせ始めたとの事。

 法と秩序を絶対とする彼らはかなり融通が利かないため、下手をすると天界規則破りの常連である俺が罰せられる可能性も高いとの事。念のために天界のゴタゴタが収束するまでにアクアが俺を追放……よりは拉致して地球に連れ帰ってきたらしい。

 

「おいアクア、その話が本当なら俺はこの地球にいても危ないんじゃないか?」

 

「それは多分大丈夫よ。天界にもめんどくさい派閥みたいなものがあるの。ゲーム脳のアンタに分かりやすく説明すると……エリスはLIGHT-LAWの女神であの世界の派閥はLAW側、対して私はLIGHT-CHAOSの女神でこの地球はNEUTRALな世界よ。おまけに数多の神々の出身地であり、そんな神々を悪魔とまとめて一緒に滅ぼした人間達が住まうこの世界は一種の聖域なのよ」

 

「お、おう……なんとなく分かった……」

 

「エリスの世界にいると派閥的にも危ない場所だし、エリスもようやく中堅になった女神だから何かあった時、アンタを庇いきれない可能性が高いの。それに比べて私は高位の神だし、アンタのショボい規則破り程度でこの世界に介入してくるようなリスクを彼らがとる事はないわ! だから、アンタはほとぼりが冷めるまで私と一緒にここで暮らすのよ」

 

「ちなみにほとぼりが冷めるのにはどれくらいかかりそうなんだ?」

 

「んー少なく見積もって数百年から数千年ってところね!」

 

「ええっ……」

 

 人間の俺にとっては実質永久追放といっていいものであった。気が抜けたように座り込んでしまうのも致し方がない事だ。俺の頭の中ではぐるぐると今後の不安やエリス様の世界への望郷の念に苛まれる。何より、今までアクアの話に一切登場しなかっためぐみんやダクネスの事が心配だった。最悪、俺の事はいい。だが彼女達は……

 

「アクア、お前の話がまったくのでたらめっていう可能性は?」

 

「なんでそんなこと言うのよ……」

 

「微妙に嘘くさいし、アクアの言った事に対する信用度は30%くらいだしな」

 

「…………」

 

「おい、涙目になるのは勘弁してくれ」

 

 目に涙をためて俺にすがりついてくるアクアにはウザい思いもするが申し訳なくも思った。俺の予想だとアクアの話には嘘が混じっている気がする。でも、アクアが俺のためを思って行動を起こしたのだという不思議な信頼を俺は彼女に抱いていた。

 ついには手でゴシゴシと涙を拭ったアクアは、突然パチンと指を鳴らした。その瞬間、アクアの背後にもう一人の神、女神エリスが出現した。彼女は少しおろおろとしていたが、俺の姿を見て真剣な表情をこちらに向けてきた。

 

「事情はアクア先輩から聞いてるようですね。すいませんカズマさん、いわば身内のトラブルに貴方を巻き込んでしまったのですから」

 

「いや、エリス様が謝る事はないですよ。それはそれとして、俺自身も混乱してて、もうどうすればいいのか分からないですよ……」

 

「きっと貴方はダクネスやめぐみんさんの事も心配に思っているでしょうが、安心してください。彼女達は天界規則を破った経歴もありませんし、私が彼女達の身を保障します。それに、定期的に彼女達をこちらの世界に連れてくる事もアクア先輩のおかげで出来そうなんです。だから、後は全部私に任せてカズマさんはこちらでゆっくりしていてください」

 

「エリス様……」

 

「ちょっとカズマ、その感謝の念はエリスじゃなくて私に向けなさいよ。そもそも私がいなければアンタは耕されて終わりだった人間なんだからね」

 

 ぶーぶーと文句を言ってくるアクアの口を手で塞ぎ、エリス様に向けて一礼する。彼女はそんな俺に眩しい笑顔を見せた後、出現した光柱の中へと消えていった。

 

 

 

『また逢いましょうカズマさん。今度は貴方の友人達も連れてきますから』

 

 

 

エリス様の最後の言葉は非常に頼もしいものであった。

 

 

 

 

「それに比べてお前ときたら……」

 

「何よその目、かなり心外なんですけど! だいたい、私が天界規則に破ってでもアンタを蘇生させなきゃ、今のカズマはないのよ? 冬将軍に首をチョンパされて終わるのと、紆余曲折はあってもこうして元気に生きながらえるのと、アンタはどっちが良かったのよ?」

 

「そりゃあ……まあ……」

 

「はい、私の勝ちー! カズマはこのアクア様にもっと感謝しなさいな」

 

 謎の勝利宣言をしながら、俺が寝ていた布団にくるくるとくるまっていく駄女神を俺はぼっーと見つめていた。正直言って今の状況は突然すぎてうまく飲みこめてはいない。めぐみんとダクネスの事は滅茶苦茶心配だが、エリス様という心強い味方がいるのであまり心配はしていない。ただ、少しだけ寂しいのは確かだった。

 

「なあ、アクア……俺はこれからどうしたらいいんだろうな……」

 

「そんなに心配しなくてもいいわよ。私がカズマさんの傍にずっと一緒にいてあげるから」

 

「それが余計に不安だってのに……だいたい俺は明日から何をすれば……」

 

「落ち着きなさいカズマ。こういう時は飲めばいいのよ飲めば! ふふっ、スーパーにでも買い物に行きましょうよ!」

 

「あ……おい……」

 

 笑顔のアクアにぐいぐいと腕を引っ張られ、結局外へと連れ出されてしまった。幸いにも俺はジャージを着ていたため、外にいても違和感はない格好だ。別に元ニートなだけで外に出るのは日常的にしていたが、それでも異世界帰りというのも相まって外出は少し緊張してしまった。

 

「ねえカズマ、久しぶりの故郷……日本はどう?」

 

「ああっ……うん……久しぶり……久しぶりなんだよな……そうか……一時的な帰還じゃなくて……俺は本当に帰って来たのか……」

 

「ふふっ、少し涙目になってるわよ」

 

「うっせーよ」

 

 一度は異世界に骨を埋める覚悟もした。家族に手紙を書いてこちらの世界との決別をしたつもりであった。それでも、今はこの黒く堅い無機質なアスファルトも、こちらに目線すら向けず無感情な表情で道を行き交う人々も、道路を縦横無尽に走り抜ける車ですら愛おしくてたまらない。息をしていて感じる微かな空気の汚さも、俺にとっては懐古に浸る材料でしかなかった。

 

「でも、ここは日本のどこだ? 俺の故郷はコンクリートジャングルじゃなくて結構な田舎なんだがな」

 

「正解よ。ここは日本だけどカズマさんの出身県じゃないわね。お隣の県の県庁所在地、住むにはちょうどいい地方都市よ」

 

「ああ……そう言われるとなんとなく見覚えのある。そうかそうか……あそこか……俺がガキの頃に家族全員で出かけてたな。半端なくでかいサ〇ィがあってだな……」

 

「サ〇ィなら潰れたわよ」

 

「マジかよ! ちょっとショック!」

 

「ふふん、アンタが異世界に行っている間に日本も色んな事があったのよ」

 

 少し得意げな様子で最近の日本の世情について語るアクアに俺は耳を傾ける。それから、アクアの後を歩き続けること約ニ十分、見覚えのある大型デパートが見えてきた。サ〇ィの看板は外され、イ〇ンにはなっているが、確かに小さい頃に家族で行ったあの場所であった。そうして、少しの時間放心していた俺の腕を組んでアクアが歩き出す。今の俺は彼女のされるがままであった。

 

「みてみてカズマー! これが昨今の日本人の寿命を急激に縮めてる悪魔のお酒、スト〇ングゼロよ! それでね、こっちはあの有名ブランドが出してるレモンサワーで……全部まとめて買っちゃいましょう!」

 

「なんか凄く怖いフレーズが聞こえたが……」

 

「大丈夫よ。今も昔も人間の愚かさは変わらないわ。昔はこれより強烈なジンやスピリッツが水より安く買えたせいでそれはもう凄い事になってわよ。その時と比べたらマシになった方よ」

 

 いつの時代かも分からない事を得意げに語りながら、アクアは安酒とおつまみとなるお菓子や惣菜をショッピングカートにぶち込んでいく。それを半歩引いて見守っていた俺の肩を彼女は小突く。それから、挑発的な笑顔を浮かべながら俺の頭を撫でてきた。

 

 

 

「遠慮せずに好きな物をカゴに入れていいのよ」

 

 

 その一言に俺はムッとした。だが、俺の手はカゴにポテチやあたりめをぶち込む作業で忙しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ということでカズマさんの日本への帰還を祝福して……かんぱーい!」

 

「乾杯……」

 

「何よ、やけに暗いじゃない。ほら、嫌な事はお酒を飲んで全部忘れてしまいなさいな!」

 

「俺はアクアほど単純じゃねーんだよ。まったく、これから俺はどうしたら……」

 

「ぶはっー! 安く酔えるのは良い事よね! もう一缶開けちゃいましょ!」

 

 ものの数秒で安酒を飲み干したアクアは新たな缶チューハイをプシュッと開けていた。その能天気な姿を横目に俺はコーラハイをチビリと飲む。味は良い物ではないが、そのケミカルな味は懐かしさを感じさせるものであった。そして、窓の外からは電車の走る音や車やバイクの排気音が聞こえてくる。質素な丸テーブルの上に広げられたプラスチック包装のおつまみや安酒の入ったアルミ缶。それらすべてが俺の日本への帰還と言う事実を告げていた。

 

「もーカズマさんってば……私と一緒に飲む事が嬉しくないの?」

 

「そういうわけじゃない。ただ、今だに現実が受け入れられないんだ。本当に俺はあの世界にはもう帰れないのか?」

 

「はあ、結構未練がましいわねアンタも」

 

 アクアは溜息を吐きながらも、俺の対面の席から立って俺の横へぴったりと腰を降ろす。そして、その柔らかい肢体を押し付けるようにしな垂れかかってきた。アクアのひんやりとした肌と、鼻腔をくすぐる女の匂いは俺の胸中の不安を打ち消していく。頭の中は考え事でいっぱいであるが、アクアが俺の傍にいるというだけで不思議と活力は戻っていた。

 

「残念だけど、アンタがエリスの世界に行くことはもう無理よ。何度も説明してる通り、アンタは面倒な連中に目をつけられてるの。でも、こっちの世界で私の傍にいるカズマを襲撃するほど彼らは愚かじゃないし、下手な事をすればこっちのハンターやデビルバスターが面倒な連中を狩ってくれる可能性だってある。でも、エリスの世界はいつ敵に襲撃されてもおかしくないほどガバガバなのよ」

 

「分かりたくないけど分かった事にしてやる。それで異世界の俺の資産や私物はこっち持ってこれないのか?」

 

「当然でしょう? 異世界由来の物品は世界に余計な混乱をもたらす事があるの。エリスがあれだけ必死に回収してるんだから、カズマもその事は知っているはずよ。だから、こっちに持ち込めるのは私物を数点ってところね」

 

「なあ。それで向こうの世界の金貨とかは持ち込めなかったのか……?」

 

「まったく、カズマってば本当にバカね! そんなはした金よりも比較するのも失礼なほど”いいもの”をアンタはすでに持ち込んでるじゃない!」

 

 アクアは呆れながらも、笑顔で俺の身体をギュッと抱きしめてくる。そうして耳元に囁かれる彼女の声は、俺の思考を放棄させるのに十分なものであった。

 

 

 

 

 

「私がカズマさんとずっと一緒にいてあげるからね」

 

 

 

俺は彼女の抱擁を黙って受けとめる事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜、俺とアクアは一緒の布団に入っていた。とはいっても、間違いは起きていない。結局、昼から飲み続けた俺と彼女はベロベロに酔ってしまい、一つしかない布団に二人で入ったのは半ば自然な事であった。薄い暗闇の中、窓から洩れる人工的な光がアクアの顔をほのかに照らしていた。そんな彼女は先ほどからこちらをじっと見つめている。電車の通過音なども合わせて非常に眠りにくい状況だった。

 

「アクア、なんでこんなボロなワンルームに住むことに決めたんだ?」

 

「アンタに配慮してるからよ。急に実家には戻れないでしょう? だから、立地的にも金銭的にも丁度いい所を選んだの。残念ながら私が持ってるお金は有限よ。贅沢三昧は出来ないわ」

 

「金か……世知辛い話だ……」

 

「大丈夫よ。エリスがお金の計算をしてくれたんだけど、私とカズマで今後70年は贅沢をしなければ暮らせる貯蓄はあったのよ。だから、毎月定額が口座に振り込まれるようにしたの。これなら無駄遣いして破産……なんてことは起こらないでしょう?」

 

「アクアの割にはなかなか賢い事してるじゃないか」

 

「あ、そういう事言うなら私にも色々と考えがあるんですけど?」

 

「いえ、生意気言ってすまねえですぜアクア様!」

 

 肩眉を上げたアクアに対し、俺はへこへこと媚びへつらう。彼女はそんな俺をけらけらとおかしそうに笑ってから、俺の頭を両手で抱き込んできた。必然的に俺の顔面はアクアのおっぱいに埋もれる事になる。ふにゅりと潰れる双丘は俺の顔を包み込み、脳を麻痺させる。

 彼女の匂いはひどく甘いものであった。ろくに抵抗の出来ない俺はその抱擁を受け止めるしかない。そんな俺の態度がお気に召したのだろうか。彼女はくすくすと笑いながら俺の頭を撫でてきた。それは必死に押さえつけている性的欲求を刺激する一方で、一種の望郷の念を呼び起こした。

 

 

 

 

 

「大丈夫よ。安心してカズマ。私が養ってあげるわ。ずっと、ずーっと一緒に仲良く二人で暮らしましょう?」

 

 

 

 

それは俺の尊厳を踏みにじりながらも、抗えない誘惑に満ちた声であった。

 

 

「こうしてると、私がカズマと出会った当初の事を思い出さない?」

 

「ああ、俺も少しそんな気分だ……」

 

「でしょでしょ! 馬小屋で寝てた時も、ちょっとお金が入って安宿に泊まった時も寒さを紛らわすようにお互い身をくっつけて寝てたわね。ふふっ、あの頃ってなんだかんだで楽しかったよね」

 

「そうだな……アクアと二人で労働して酒飲んでぐっすり眠って……今となっては良い思い出かもな」

 

 アクアに抱きしめられながら俺はめぐみんやダクネス達と出会う前の事を思い出す。あの時の俺も今と同じような漠然とした不安があった。だが、彼女が傍にいたおかげでそんな不安はすぐに消えるようになったのだ。だからであろうか、俺が彼女の腰に手を回し、ぎゅっと抱きしめるのは仕方なのい事であった。

 

 

「あっ……」

 

 アクアに似つかわしくないほどか細く可愛い声が漏れる。それを聞いた俺は更に彼女の事を強く抱きすくめ、そんな俺の頭を彼女は優しく愛撫していた。

 

 

 

「おやすみカズマ」

 

 

 

俺のまぶたはゆっくりとさがっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

 

 

 

 

 

 ふと目を覚ますと、眩しい朝日が部屋に差し込んでいた。しばらくボヤけた頭で何も考えずに目をこすっていたが、状況を理解して一気に血の気が引いた。布団には俺だけしかいなかったのだ。

 

 

「アクアっ!?」

 

 

 慌てて立ち上がった俺は、すぐさまアクアの姿を探そうとしたが、そのような焦りは杞憂に終わる。浴室の方から彼女の小さな歌声が聞こえてきたからだ。それを理解した俺はしばらく気分を落ち着かせる。それから、そっと浴室の扉を開けた。

 

 

「かな~しみの~ふんふん~たどり~つけるなら~」

 

 うろ覚えの歌詞を歌っているのだろうか。時折、鼻歌で誤魔化されるアクアの歌は少しだけ調子が外れていた。カーテン越しに揺れる彼女のは肢体はひどく扇情的で、シャワーの水音が余計にうるさく感じられる。俺は色んな意味で爆発しそうな理性を抑えつけ、思いっきりズボンを脱いだ。

 

「えっ……なに……くさ……くっさ!」

 

「悪いアクア。生理現象には勝てなかったよ……」

 

「ちょっとカズマ! 普通人がシャワー浴びてる最中にその……排泄するなんて信じられないわ! もっと我慢しなさいよ!」

 

「うるせーよ! お前が二人で暮らすのには不向きなユニットバス付きの部屋を選んだのが悪い!」

 

「まさかギャク切れしてるのアンタ!? はあ、まったく……やっぱりカズマは器が小さい男ね!」

 

「うるせえって……言ってんだよ!」

 

「わひゃああああっ!?」

 

 狭いユニットバスで、浴槽とトイレを隔てる唯一の仕切り、シャワーカーテンを思いっきり押し開く。そこには当然、一糸纏わぬ姿でシャワーを浴びるアクアの姿があった。大事な所を両手で隠し、こちらに少し涙を滲ませた目で睨む彼女の姿は俺の劣情を刺激するのに十分なものであった。

 

「調子に乗るのはいい加減にしなさい!」

 

「あちいいいいいいっ!?」

 

「あはははっ! カズマもついでにシャワーを浴びちゃいなさいな!」

 

 トイレに座る俺にアクアが熱湯シャワーを浴びせてくる。服を着ていた俺にとって、それはとてつもない拷問であった。そうして、頭の中で様々な感情が渦巻いた俺は、結果として服を脱いでアクアに突撃するという愚行を選択していた。

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カズマ、朝ご飯何が良い?」

 

「なんでもいい」

 

「あっそ、それならツナマヨご飯ね」

 

「おー手抜き手抜きー」

 

 丸テーブルにご飯を盛った茶碗とツナ缶を差し出すアクアの表情は耳まで真っ赤に染まっていた。かくいう俺も大差はない。ぎこちなく茶碗を受け取りながら、火照った身体を冷ましていた。結果として悪乗りした俺達は一緒にシャワーを浴びてしまった。だが、本当にシャワーを浴びて身体を洗っただけだ。どさくさに紛れて色々と揉んでしまったが、それは仕方のない事であった。

 

「それで、今日は何をするんだ?」

 

「別に何もしないわよ。いつも通り、好きなだけぐーたらしましょう?」

 

「マジか……」

 

「んふふっ、嫌だった?」

 

「いや、最高」

 

 

ツナマヨご飯を口の中へかきこみながら俺は半ば考える事をやめていた。

 

 

 

 

 

 そうして、日本へ帰還した俺の二日目の生活は部屋でアクアと一緒にごろごろしながらテレビを見るという退廃的なものであった。頭の中で色々と考えているのだが、そのたびにアクアがむじゃきにじゃれてきて考えが霧散してしまう。着実にダメ人間の道を俺は歩んでいた。だが、昼寝はあまり出来なかった。漠然とした不安が、俺を眠りにはつかせてくれなかったのだ。

 

 

「んー……ちょっとコンビニで飲み物買ってくるわねー」

 

「…………」

 

「カズマー? まあいっか……いってきますカズマ」

 

「待て」

 

「わっ!? 何よ起きてたの?」

 

「俺も行く」

 

 

 アクアの声を聞いた俺は、外出用の衣服に袖を通す。それをニコニコと見守っていたアクアは準備の出来た俺に右手を差し出してくる。意図を理解した俺は、彼女の手を握りはしなかった。代わりに彼女の腕をそっと手に取った。二人でボロアパートの外へ出ると、周囲は夜闇に包まれていた。だが、外灯や車のヘッドライドがそんな闇を明るく照らす。俺とアクアの間に会話は少ない。だが、いつもよりお互いの距離が近いのは確かであった。

 

「ねえ、どうしてついてきたの?」

 

「あれだ……いくら日本とはいえ夜中に女性が一人で出歩くのは少し危険だからな」

 

「へえ……やけに素直じゃない。いつもだったら、俺も買いたいものがあるとかなんとか言ってたんじゃない?」

 

「…………」

 

「あははっ! 可愛いじゃないカズマ!」

 

「うっせえよ!」

 

 絡みついてくるアクアを俺は力なく振り払っていた。彼女には俺の思いを全て見透かされた気がして、どうしようもなく恥ずかしかった。

 だが、それ以上にアクアの事を見失う恐怖の方が強かった。そして、お互いにじゃれあいながらコンビニについた俺達は、いくらかの食料を買ってすぐに帰路へとついていた。そんなアクアは俺の腕を引っ張って寄り道へと誘う。彼女に連れてこられたのは寂れた公園であった。二人でブランコに腰を降ろし、コンビニで買った中華まんをついばむ。周囲は静寂に包まれていたが、気持ちのいい沈黙であった。だからであろうか、俺は自然と弱音を吐いていた。

 

 

 

「なあアクア……」

 

「なーに?」

 

「どうしてまだ俺なんかと一緒にいてくれるんだ?」

 

 

 その言葉は吐いてしまった事に俺は激しく後悔した。だが、想像以上に俺はまいっていたらしい。その後悔を押してぽろぽろと弱音がこぼれてしまった。

 

「今の俺には何の価値もない」

 

「…………」

 

「あの世界で獲得した名声も、築いた財産も何もない」

 

「カズマ……」

 

「今の俺は元ニートのどうしようもないクズだ。別に無理して付き合う必要はないんだ。俺より、めぐみんやダクネス達の方についてやってくれ。正直言って、エリス様だけだと心配なんだ」

 

 めぐみんやダクネスの事は本当に心配だった。だが、それ以上に今の自分は彼女達に”顔を会わせられない”という思いの方が強い。今の俺の情けない姿を、彼女達には絶対に見せたくなかったのだ。

 そんな時、あたたかく、でも少しひんやりとした柔らかな感触を首筋に感じる。アクアが俺の身体を背後から抱きしめてくれたのだ。胸部に回された彼女の腕を俺はそっと手に取る。柔らかな手の感触が、アクアがこの世界にいてくれるのだと実感させてくれた。

 

「ねえ、カズマ……私はなんで貴方と一緒にいると思う?」

 

「それは……その……」

 

「ふふっ、困ってるって事は私もさっきの質問には困ってることは理解できた?」

 

「…………」

 

「カズマさんに少しでも”乙女心”って奴が理解出来るなら。この話はとりあえず終わりにしましょう」

 

 背後からぎゅーっと抱きしめられて、俺はどうしようもなくなって閉口するしかない。代わりにアクアはそんな俺を抱きしめながら、首筋に顔を押し付けてすんすんと匂いを嗅いでくる。それに我慢できなくなった俺は立ち上がってアクア方へと向き直った。彼女は頬を深紅に染めながら俺の事をじっと見つめていた。

 

「カズマさんのちゃちな不安を消し飛ばす方法があるって言ったらどうする?」

 

「そ、その方法ってのは……?」

 

「別に警戒しなくていいわよ。この女神アクアと人間であるサトウカズマで”契約”を結ぶってだけよ」

 

「契約……?」

 

 その言葉の意味は知っている。だが、アクアの言う契約は何かが違う気がする。それでも、気づけば俺は彼女の手を取っていた。それを情けなく思う一方で、アクアというとこちらを見て笑みを深くしていた。

 

「契約を結べば、カズマさんと私の間に”魂の繋がり”が出来るの。そして、一度契約を結んだら解約なんて一切出来ない。もしそれを無視して契約を裏切るようなマネをしたら魂は永遠にもう片方のモノ」

 

「なんか物騒だな」

 

「ただ私を裏切らないで欲しいってだけよ。契約に条件はつけるけど、少しくらいの契約違反は見逃してあげる」

 

「そうかい……それで契約する条件ってのは?」

 

「ふふっ、別にたいしたことじゃないわよ」

 

 

 アクアは俺の両手をとって抱きすくめる。そして、その深く澄んだ青い瞳で俺の事をひたすらまっすぐに見つめていた。

 

 

 

 

 

「私だけを見て」

 

 

 

 

 

アクアが俺の手をぎゅっと握る。

 

 

 

 

 

 

「私以外には触れないで」

 

 

 

 

 

 

彼女の熱い吐息が俺の頬に触れた。

 

 

 

 

 

 

「私だけを愛して」

 

 

 

 

 

 

それは懇願にも似たものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 アクアの瞳からは一筋の涙が流れ落ちている。それを指で救いながら、俺は混乱する頭の中でなんとか自我を保っていた。だが、もう色々と限界であった。俺の答えはもうとっくの昔に出ている。それこそ、さかのぼれば異世界に行った時にはすでにもう答えは出ていたのだ。でも、それを認められなくて俺は……

 

「どうすればいい」

 

「どうすればいいかはもう理解してるでしょう?」

 

「そうか……それなら……!」

 

「んうっ……んっ……」

 

 気づけば俺はアクアの柔らかい唇に、自分の唇を押し付けていた。ほんの少しの抵抗を見せたアクアの腕はだらんと垂れ下がり、しばらくは俺のされるがままとなる。俺の脳内では本当に様々な感情が渦巻いていたが、今この時だけはアクアの柔らかな唇を貪る以外には何も考えられなかった。

 

 

「んあっ……!」

 

 

 唇を離した時、お互いの間に透明な橋が出来ていた。それを手で拭った時、俺は体の全身が燃えるような感覚を受けた。だが、それもすぐに収まり、自分の中の何かに変化が起こった事は自然と理解出来た。おそらく、これが”契約”というやつなのだろう。

 

 しばらく、俺とアクアは荒れた息を整えながらブランコへ座り込んでいた。それからどれくらい時間が経過したか分からない。ただ、気づけば満面の笑みを浮かべたアクアが俺に手を差し出していた。

 

 

 

 

 

「カズマさん、おうちに帰りましょう?」

 

 

 

 

俺はアクアの手をとってそっと立ち上がった。

 

 

 

 

 公園からの帰り道、アクアは俺の手を離れ機嫌よさそうに道を歩いていた。スキップを踏み、歌を口ずさみながらくるくると回って見せる彼女を俺はぼんやりと眺めていた。

 

 

 そして、俺より少し早く家に着いたアクアは玄関の扉を開けて出迎えをしてくれる。彼女の嬉しそうな表情が、俺の口角を緩めていた。

 

 

 

「お帰りなさい、カズマ」

 

 

 

「ああ、ただいま」

 

 

 

 

 

ただの挨拶が、今は気恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

 

 こうして家に帰り着いた俺達はゆっくりと食事をとり、穏やかな時間を過ごす。深夜に入る前には二人して同じ布団へと入っていた。お酒が入っていたからであろうか、早々に寝息を立て始めたアクアの髪を俺はそっと撫でる。

 昨日まで感じていた不安も、ある種の恐怖ももう何も感じない。ただ、目の前の女神の姿を俺はじっと見守っていた。彼女はこうして俺の前で無防備な寝顔を晒している。

 一方で、俺の”魂”のなかにアクアが生きづいているのを感じた。目を閉じても、アクアに背を向けてもそれは自分の中にある。それが、俺にとってはどうしようもなく安心できるものなっていた。

 

 

 

 

 

「やべっ……」

 

 

 

 

 そんな雰囲気の中、俺の愚息は俺への謀反を起こしていた。原因は複数ある。異世界でのサキュバス店への出禁、日本という特殊な環境。今朝見た彼女の裸体、今も目の前にある無防備な寝顔。そのどれもがもう、色々と刺激していた。

 

 

 

 

 

 

少しくらい触ってもバレないのでは?

 

 

 

 

 

 それは今の状況で出せる当然の結論であった。俺は右手をごそごそと布団の中に潜らせ、左手を彼女のお腹の上に乗せる。パジャマ越しに、彼女の柔らかい暖かみが感じられた。そうして、少しづつ左手を這わせていざ登山へと向かわんとした時、アクアの瞳がパッチリと開いた。

 

「カズマさん……」

 

「ど、どした……?」

 

「なにをごそごそしているの?」

 

「えっ……いや……これはその……!」

 

 アクアは布団に潜らせていた俺の右手をガシリを掴む。そこで動きを止めた俺に、彼女は顔を耳までを深紅に染めながらそっと囁いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

「私が手伝ってあげる」

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はコクコクと頷く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回もカズマさん視点!
(タイトルがおかしいのは仕様です)


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縺九♀縺吶k繝シ縺ィ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なによ、また手伝って欲しいの? そうだとしたら、頼み方ってのがあるでしょう。ふふっ……んっ……合格。最初に言っておくけど、見せるだけだからね?」

 

 

 

 

 

 

水の女神アクア。

 

傲慢不遜な彼女の姿はある意味で女神らしかった。

 

 

 

 

「んふふー今日も見たいの? まったく、カズマさんったらまるで猿みたいね。そんなに……ひゃっ!? えっ、手でして欲しいの……? それは……んっ……そんなに必死にならなくてもいいのよ。もう、しょうがないわね……」

 

 

 

 

 

あちらの世界にいた時、面倒な事を引き起こすアクアは厄介な存在だった。

 

 

 

 

 

「また眠れないの? 今日はどうしてほしい? えっ……足? ぷくくっ……カズマさんってば本当に変態ね!」

 

 

 

 

 

 

周囲にめぐみんやダクネスがいた事もあり、俺はアクアに目を向ける事はなかった。

 

 

 

 

 

「ひゃっ!? やめなさいよ! そこは脇なのよ!? そんなものを挟む場所じゃ……いやっ……熱い……んっ……頭撫でられたからって許さないんだから……あっ……ばかぁ……!」

 

 

 

 

 

 

いや、正確に言うと目を向けないようにしていた。一度でもその対象にしてしまえば絶対にマウントを取られる。それだけは俺のプライドが許さなかった。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、まだ昼間なんですけど……また見せて欲しいの? もう本当にしょうがないわね……えっ……そうじゃない? ちょっ……恥ずかしいからイヤよ! わわっ……そんな目の前ではやめてよ……んぁっ……!? んぅ……やっ……可愛い……? おだてたって私は……あっ……その……実は私自分じゃあまり……えっ……こうすればいいの……ひんっ!?」

 

 

 

 

 

だが、アクアが女神である事は変わりない。彼女の美貌はかなりの美少女であるめぐみん達と比べても明らかに桁違いのものだった。一度足を踏み外したら、俺は溺れてしまう。それだけは避けたかった。

 

 

 

 

「舐めたい……? もう、カズマさんってば本当にもう……んふふー……好きなだけ吸っていいよ。あっ…ひうっ!? そんな……下に行くのは……いやっ……汚ない……そこ汚ないから……ひゃあ!? だめ………だめだめだめっ!」

 

 

 

アクアのふやけた笑顔は俺にとっての平和の象徴だった。彼女とお酒を飲んだり、一緒にだらけるのはとても居心地が良かった。実際、クエストに行かない日はアクアを連れまわして余暇を楽しんでいたものだ。 そんなアクアとの関係も、魔王討伐後には若干ギクシャクしてきた。もちろん、めぐみんとダクネスの牽制合戦に委縮しているというも面もあったのだが、アクアが俺の事を意識し始めた事にも感づいていた。

 

 

 

「ふっ……くっ……はふぅ……カズマ……今日もその……それだけでいいの……? その……最近は私だけ満足して終わっちゃってるから……私ができることならなんでもしてあげ……っ……!? うん……いいよ……お口でしてあげる……えとっ……私ってこういうの初めてだから……下手でも文句はいわむぐぅっ!?」

 

 

 

 正直言って、そんなアクアの姿は滑稽だった。俺が外出したら毎回のように後をつけてきたり、めぐみんやダクネスがいない時はやたらとスキンシップが激しかったり、朝起きたらたまに俺の布団の中でまるまってる姿は不覚にも可愛いと思ってしまった。そして、これが俺の敗因だった。

 

 

 

 

「えへへー! カズマさん、今日はどうして欲しい? いいよ、なんでもしてあげる。カズマさんのせいでお口でするのも上達したと思うの。だから今日は朝から晩までずっと舐め……えっ……? 私がカズマにして欲しいこと……? あっ……うん……私は抱きしめて欲しいかな……って!? うん……ふふっ……甘いわよカズマ! もっと力を入れなさいな! そうそう……もっとお腹をぐっと……背骨を折るくるらいに……ふぁあっ……!」

 

 

 俺がアクアを意識してしまえばもう終わりだ。何故ならばアクアがこの世で一番美しくて可愛いからだ。面倒ごとを起こすのは頂けないが、彼女は決して悪意を持って行動するわけではない。意識をしてしまえば、そんなドジすら愛らしく見えてくる。なにより、彼女と過ごす時間がとても楽しいこと、傍にいて一番安心できる存在というのも外せない。

 

 

 

 

 

「ばか……今日も私がして欲しい事なの? 嬉しいけど……うん……あっ……それじゃあ……私からのお願い。自分に素直になってカズマ。私も素直になるから、お願いね?」

 

 

 

 

 

 

 

だから俺は、アクアにずっと傍にいて欲しかった。

 

 

 

 

 

 

「うん、私もカズマさんのこと、大好きだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふうっー! ふうっー!」

 

 

 

 狭くて古いワンルームの中に、熱く艶やかな女の息遣いが響き渡る。そちらに目を向けると、布団の上で枕を顔に押し付けるようにして抱いて横になるアクアの姿があった。時折、びくんびくんと身体をはねさせる彼女の表情は枕のせいで伺えないが、ちらりと見える耳元は深紅に染まっていた。

 

 

 

「かずまさんのばかっ……!」

 

 

 ぼそりと呟かれたアクアの声はやはり震えていた。無造作に脱がされたパジャマのズボンは気が付けば布団の外へ追いやられ、脱力したように投げ出された彼女の両足は俺の目を楽しませてくれる。そして、彼女が履いている水色のパンツは敷かれた布団と同じくぐちょぐちょに濡れてシミを作っていた。

 

 

「しかし朝からやって気づけば夕方か……喉は潤ったけどお腹がすいたな……」

 

「ばかっ! カズマさんのばかばかばかっ!」

 

「ばかばかうるさいっての……さて……それじゃあコンビニでも行くか。お前はついてくるか?」

 

「い、一緒に行くから少し待ちなさいよ。あと……その……立てないから起こして……」

 

 消え入りそうな声でそんな事を言うアクアを思わず俺は鼻で笑ってしまったが、立てない原因はこちらにあるので素直に彼女の要求を聞き入れる事にする。両手でアクアの身体を引き起こし、しばらく抱きしめる。彼女は俺の背中をぺしぺしと叩いたり、すんすんと俺の匂いを嗅いでいたが、次第に呼吸を整えて自分の足で立てるようになった。

 

「着替えるから待ちなさいよ……置いてったら許さないからね」

 

「分かってるから早く行ってこい」

 

 俺の言葉を受けたアクアは、着替えを手にしてこちらからは見えないキッチンの奥へと消えて行く。もう見慣れたものなのに、何を恥ずかしがっているのかと少し呆れた。それから、いつもの青い羽衣を身に着けた彼女を連れ立って、外へと足を運んだ。

 肌寒い外気に肩を震わせつつ、自然とこちらの手をとって暖かな身を委ねてくるアクアを横目に見る。少し前ならありえなかった光景を、今は自然と受け入れていた。

 

「しかし寒いな。こっちに来てからどれくらい経ったんだ?」

 

「カズマってばだらけすぎて曜日感覚どころか月日の感覚まで狂ったの? あれから約三ヵ月ってところよ」

 

「マジか……今の生活に慣れてきた自分が少し怖いな」

 

「そんなこと言っても、カズマさんってば食っちゃ寝してるだけじゃない」

 

「それはアクアも同じだろ」

 

「ぶー! 全然違いますー! 私は立派に家計をやりくりしてるわ。だからそんなこと言わないのヒモニート!」

 

「ぐふっ!?」

 

 にやにやしながらそんな事を言うアクアに俺は残念ながら致命の一撃を叩き込まれる。まったくもってその言葉を否定できない。今の俺はアクアの家でニートやってるヒモである事は間違いなかった。それから居心地が悪くなった俺は少し早足で歩きだす。そんな俺を見て彼女はけらけらと笑っていた。

 

 目的地であるコンビニについた俺達はゆっくりと品物を漁る。とはいっても、購入するのは今夜の夕食だけだ。コンビニでの大量買いはアクアが許してくれなかったからだ。夕食を選ぶアクアを放置して俺は菓子類を物色する。そして、切らしていたシェービングクリームを探していた時、俺はふと奴の存在を見つけてしまった。

 

「カズマ、何か欲しい物ある? あと500円くらいなら追加で買えるわよ」

 

「じゃあこれ頼むわ」

 

「ちょっ……アンタねえ……」

 

 なんだか呆れられてしまったが、今更そんな事で恥ずかしがる仲でもない。アクアはそんな俺にカゴを突き付け、財布を渡してきた。懐かしくもボロボロな財布を受け取った俺は素直に驚いていた。

 

「お前、まだこんな俺のお古の財布を使ってたのか。流石に替えた方がいいんじゃないか!」

 

「う、うるさいわね! まだ使えるんだからいいじゃない! それより、会計はカズマが行ってきなさい。私はちょっとお金を降ろしてくるから」

 

 手に持ったキャッシュカードをひらひらさせながら、アクアはATMへと向かう。残った俺は懐かしい財布を手にレジへと進んだ。無感情に物品を袋へと詰める店員からはすぐさま視線を外し、ATMの方へを顔を向ける。そこには相も変わらず頬を紅く染めたアクアの姿があった。その後、追加でホットコーヒーのカップを購入し、外で待っていたアクアに手渡す。彼女は小さく「ありがと」と呟いてから素直にそれを受け取った。

 帰り道、俺は両手にレジ袋を持ち、アクアは俺の横でホットコーヒーをちびちびと飲んでいる。自然と視界にかすった茶色い袋の存在を話題に上げるのは当然の事であった。

 

「なあ、やっぱ避妊具って必要か?」

 

「うぶっ!? いきなりなによ!」

 

「いや、本当に気になってるんだよ」

 

「あのねカズマ、そのセリフは私に今まで何もつけないで考えなしに中に出しまくった後に言うものじゃないわよ」

 

「今日は出してないだろ。飲んだだけだ」

 

「へりくつ言わないこのバカズマ!」

 

 アクアによるチョップをくらった俺はしばらく閉口するしかない。ただ、何故か胸の中でそわそわとした思いが募っていく。残念ながら、本当に俺は今まで何も考えていなかったからだ。

 

「安心しなさいカズマ。私がちょっとした術式を仕掛けてるから出来はしないわ」

 

「そうか! それじゃあ遠慮なく今まで通り出来るな!」

 

「アンタね……とにかく、それは無駄遣いってことよ」

 

「これはこれで使い道がたくさんあるから大丈夫だ」

 

「ろくでもない事を考えてるのは流石に私でも分かるわよ。本当にもう……」

 

 ため息をつくアクアに俺は少し胸がチクチクと痛んだが、享受するであろう快楽を前に俺の思いは楽観的になった。

 

「それはそれとして、アクアは子供が欲しかったりするのか? というか、女神って人間の子供を産めるのか?」

 

「はあ!? 今日のアンタはなかなかにキてるわね……まあいいわ。子供に関してだけど、問題なく出来るわよ。神の子孫である王家はこの地球でも数多くいるし、あの四文字だって他人の妻を処女のまま孕ませてるわ」

 

「そう聞くとろくでもないなアイツ! いや、こんな事言ったら少しマズイか?」

 

「大丈夫よ。あの四文字ってばもうこっちの人間達に殺されてるから」

 

「マジで……?」

 

「盛者必衰って奴ね。正に神は死んだって奴よ」

 

 なんだかマズイ真実を聞いてしまった気がするが、別にあっちの宗教の信者でもないためそこまでの混乱はなかった。だが、少しだけ表情に暗い物がさしたアクアを俺は見逃さなかった。アクアとは明らかに異なる神ではあるが、同族が死んでいるという事実には変わりないようだ。

 

「それで、子供自体は欲しいの?」

 

「アンタは無責任にそういう事を言ってるならひっぱたくわよ?」

 

「おいおい、なんでそんな喧嘩腰なんだよ……」

 

「別に怒ってるんじゃなくて呆れてるだけ。あのねカズマ、子供ってものはとっても大変なものなのよ。気軽にぽんぽんと作っていい物じゃないの。それに私達の生活の事だってある。アンタってばまだまだ遊び足りないでしょう?」

 

 そう言って朗らかに笑うアクアを俺はじっと眺める。それから、俺の視線から逃れるように歩き出したアクアの後を追う。彼女の踏むステップはいつもよりぎこちなかった。ふと、視線を落とすと白いレジ袋が目に入る。それを眺めながら、俺は大きくため息をついていた。

 

 

 

「世知辛い世の中だ……」

 

 

それはアクアのヒモにあるまじき発言であった。

 

 

 

 

 

 

 狭い自宅へと帰り着いた俺達は、上着を脱いでちゃぶ台に購入した弁当や総菜を並べる。そして、ポケットに眠る財布を取り出し、アクアへと突き返していた。それを笑顔で受け取った彼女は、小銭入れをチラリと眺め、押し入れからよくある豚の貯金箱を取り出す。それに財布から取り出した500円を投入した彼女は朗らかな微笑みを浮かべていた。

 

「お前、貯金なんかしてたのか」

 

「別にいいじゃない。元々は私のお金なのよ」

 

「そりゃあそうだけど、貯めてどうするんだ?」

 

「それは……その……」

 

 言葉を濁したアクアはしばらくもにょもにょとしていた。それから、はっとした表情で俺の事を見てくる。彼女の瞳はキラキラと輝いていた。

 

「ふふっー! これはね、限界まで貯めると20万円くらいになるらしいの。貯まったら、旅行にでも行ってぱーっと使いましょ!」

 

「旅行か……そういえばこっちに戻ってから遠出をしてないな」

 

「そうでしょうそうでしょう! ねえ、カズマ! 旅行に行くならどこに行きたい!?」

 

 終始笑顔のアクアと俺は行きたい旅行先について夕食を食べながら語り合った。北海道、沖縄、箱根に大阪、広島や香川といった主要な観光地をの会話であるが、日本の事についてここまで語ったのが久しぶりであり、終盤はお酒も入って結局深夜になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、俺は例のブツを使い、頑張って腰ミノを作った。

 

 

 

 

カラフルさと数が足りないのが今夜の反省点だった。

 

 

 

 

アクアはそんな俺に対し、涙目でばかばかと罵倒を繰り返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、目を覚ました俺の前に飛び込んできたのは、こちらを無表情で見下ろすエリス様の姿だった。しばらく、その無表情と目を合わせていたが、流石に居心地の悪くなった俺は下着を着て衣服を身に着ける。そんな俺を眺めながら、エリス様はくすりと笑った。

 

「昨日はお楽しみでしたねカズマさん」

 

「勘弁してくださいよエリス様!」

 

「ええ、本当に勘弁願いたいです。やはりこうなってしまいましたか……まあ今はそれを受け入れるしかありませんね」

 

 エリス様は溜息をつきながら俺に胡乱げな視線を向ける。それを受けきれなくなった俺は、横で死んだように寝ているアクアを蹴り起こす。目を覚ましたアクアは俺の不意打ちに文句を言ってきたが、エリス様の姿を目にして布団の中へと逃げ込んでしまった。

 

「という事でカズマさん、私が確保した家に行きましょう」

 

「随分といきなりですね……」

 

「もう待てないとめぐみんさんがうるさいんです。察してください」

 

「めぐみん……!?」

 

「ええ、早く貴方に会いたいって毎日のように泣きつかれたのは本当に大変でしたよ」

 

 エリス様の言葉を聞いて俺は彼女がここに来た理由を理解する。どうやら、こちらにめぐみん達を無事に連れてこられたようだ。正直、今の今までその事については一度も考えていないほど忘れてしまっていた。それから、呆ける俺の手を引いて歩き出すエリス様にされるがままになる。俺は大声でアクアの事を呼んだが、彼女は布団にくるまって無言を貫いていた。

 

「アクア先輩は置いて行きましょう」

 

「いやでもエリス様……」

 

「おそらく、彼女達に会わせる顔がないのでしょう。今はそっとしておくのが無難ですね」

 

 そう言ってやや強引に俺の事を引きずるエリス様には全く持って抗えない。だが、アクアを一人で残す事は少しだけ後ろ髪を引かれる思いであった。

 そして、外に出た俺をエリス様はやっとこさ離してくれた。それから、もう一度ため息をついてから歩き出す彼女にそっとついていく。だが、今更ながらにエリス様が日本にいるという光景が気になった。彼女の白い羽衣や漂わせる神々しい雰囲気はこのコンクリートジャングルと明らかにミスマッチしていた。それなのに、時折すれ違う人達はエリス様にチラリとも目を向けない。はっきり言って、ありえない事であった。

 

「エリス様、なんだか周囲にいる人たちがあまりにも貴方に無関心な気がするんですが……」

 

「それは認識阻害の術式をかけているからですね。流石に素性を隠さなければ面倒ごとが起こります。周囲には記憶にとどめられないほどにありふれた人間として認識させるようにしているんですよ」

 

「まあ、エリス様の姿なんて見かけたら男がうようよ寄ってくるでしょうね。俺だって絶対その一人になってますよ」

 

「ふふっ、嬉しい事を言ってくれますね。でも、同じような術式を使ってるアクア先輩には同じ事は言わないんですか?」

 

「えっ……?」

 

 エリス様の返した言葉に俺はしばらく閉口する。アクアだって、見た目はこの世とは隔絶した美しさを持っている。それなのに、思い返してみれば外出先でもアクアの事を気にとめる人間はいなかった。やはり、彼女もエリス様と同様の術式を使っているようであった。

 

「…………」

 

「カズマさん、どうしたのですか?」

 

「いや、別にたいした事じゃないです。ただ、自分のバカさ加減に呆れてたところです」

 

「……?」

 

 エリス様は困ったように笑っていたが、俺は本当に俺自身に呆れていた。頭の中では他の男に言い寄られるアクアの姿を想像し、勝手にムカついていた。そして、そんな俺の醜い嫉妬心に更に呆れる。本当にどうしようもない愚かさであった。

 

「あっ、私の家が見えてきましたよカズマさん」

 

「へえ、俺達の家から一駅も離れていないじゃないですか。それで、どこなんですか」

 

「目の前にあるじゃないですか、あれですよ」

 

「ええっ……マジですか……」

 

 エリス様の家は、右手に見える小さな一軒家でも、左手に見えるアパートでもない。目の前にそびえる巨大なタワーマンションであった。それに臆することなく入っていくエリス様に続き、エントランスとフロントを抜けてエレベーターで上を目指す。当然のように最上階へと向かったエリス様に案内されたのは、正直言って経験がないほど豪奢で広い部屋であった。

 そして、そんな俺をリビングのソファーで出迎えたのは、こちらを見て目を爛々と輝かすめぐみんと、何やら不安げな表情で座るゆんゆんの姿であった。

 

「お久しぶりですカズマ!」

 

「ああ、久しぶり……って抱き着いてくるなよ……」

 

「抱き着くに決まってるじゃないですか! というか、少し反応が薄くありませんか? もっとこう、泣きながら抱き着いてきてもおかしくないと思っていたのですが」

 

「別に死に別れたわけじゃないんだからそこまではな。それより少し話をしたいんだが……」

 

「分かってますよ。エリス様、私はカズマと込み入った話があるのでゆんゆんの相手をしてあげててください」

 

「ちょっとめぐみん、私の扱いが凄く適当な気がするのだけど……」

 

 小さな声で抗議の声を上げるゆんゆんは俺の方を見てから顔を赤くして目を逸らす。エリス様はというと、俺達に手を振って笑顔で見送ってくれていた。めぐみんは俺を奥の部屋を連れて行き、久しぶりに彼女と二人っきりになる。こちらを見つめるめぐみんに対して、俺は何故だかしどろもどろになっていた。

 

「改めて言います。お久しぶりですカズマ」

 

「あっ……ああ……」

 

「歯切れが悪いですね。私やダクネスへの心配の言葉もないのですか?」

 

「そういえばダクネスはどうした?」

 

「そういえばって……まったく……ダクネスはまた今度来ますよ。今回は私を優先してもらったんです。ゆんゆんはおまけですね」

 

「そうかい……」

 

「なるほど、説明は簡潔にした方が良いようですね」

 

 呆れた表情を浮かべるめぐみんは、事の顛末を簡単に教えてくれた。めぐみん曰く、俺とアクアが日本に帰ったのは突然の事であったらしい。当然のように大混乱に陥っためぐみんとダクネスはクリスづてにエリス様に助けを求めたそうだ。エリス様はアクアと事前に話をしていたらしくひとまず落ち着いたとの事。後はアクアが俺に語ったような話があり、エリス様が”上”の許可を取るまで待っていたそうだ。どうやら、元々日本人であり、上への要請をしたのが地球担当の神であるアクアだった俺とは違い、異世界出身で要請者がエリス様のめぐみん達は色々と苦労したらしい。

 

「でも、月に一度の頻度で訪れる許可はなんとか取れたそうです。いずれは永住権も貰えるそうですよ」

 

「そうか……それなら……安心……だな……?」

 

 俺の返答を聞いためぐみんは何故だか不機嫌になっていた。そんなめぐみんのふくれっ面をちょんと指でついたが、彼女に乱暴に振り払われてしまった。

 

「カズマ、貴方はもしかして私の事をバカにしているのですか?」

 

「いきなりどうした?」

 

「話してて自分でもおかしいと思わないのですか? カズマはさっきからずっと上の空ですし、久しぶりだというのに私に顔を合わせようともしません。何か私達に対してやましい事でもあるのですか?」

 

「…………」

 

 めぐみんの言葉を受けて俺はしばらく黙り込む。だが、こうして彼女達と再会した事で俺もけじめをつけなければならない案件を思い出す。そして、それに蹴りをつける事が俺がこの世界でやっていくのに必要だと気付いた。自分が出した声は思っていたよりも震えていた。

 

「めぐみん、俺も簡潔に言おう。色々あって、アクアと付き合う事になった。だから、お前の告白には応えられねえ」

 

「えっ……いきなりなんですか……?」

 

「いきなりなのは謝る。でも、これが俺の答えだ」

 

 めぐみんはしばらく呆けたように口をぱくぱくと動かしていたが、次第に涙を目のふちに貯め、ついには崩壊してしまった。子供のように泣きじゃくるめぐみんを俺は黙って見つめる。それくらいしか、俺のやる事などなかった。

 

「カズマはひどい人ですね。久しぶりに会えたと思ったら、こんなにも貴方に突き放されるとは思いもしませんでした。こんな事になるなら、ここに来なければ良かった……!」

 

「悪いとは思ってるが事実は変えられないんだ。それと、その程度の男である俺のためにこっちに永住しようだなんて思わなくていい。爆裂魔法が好きなめぐみんには生き辛い世の中だ」

 

「本当に……本当にひどいです……たった三ヵ月だというのに……随分と変わってしまいましたね……」

 

「俺はその程度の人間なんだ。会いに来てくれるのは嬉しいが、めぐみんの未来を俺のために使わなくていい」

 

「っ……!」

 

 めぐみんにどんっと突き飛ばされる。俺は身体をよろけさせるが、その程度のダメージしかない。めぐみんはというと、俺に背を向けて泣き始めた。

 

 

 

「しばらく一人にしてください……ぐす……ひっぐ……きひっ……きひひっ……!」

 

「めぐみん……?」

 

 

 めぐみんの涙声に気味の悪い笑い声が混じる。なんだかそれに怖気を感じた俺は、逃げるように部屋を出た。

 

 

 

 リビングではエリス様がキッチンで何やら調理のような事をしており、いい匂いが部屋を漂っている。ゆんゆんは街が一望できるように全面ガラス張りになった場所の前で所在なさげに突っ立っていた。ゆんゆんへと近づくと、彼女は俺の方を見てクスリと笑った。

 

「ここがカズマさんのいた世界なんですね……なんだかおとぎ話の世界みたいです」

 

「それはそっくり、そのまま返す。俺もあっちに行った時はそう思った」

 

「同じ人間なのに、ここまで技術力が違うのは驚きです。それとも、いずれ私達もこうなるのでしょうか」

 

 ゆんゆんの目線は遠方の雲に消えて行く旅客機の姿を追っていた。俺はというと、アクアと住んでいるボロアパートを見つけて少しテンションが上がる。だが、アクアと住む家を見下ろす事で、ここにいる事への嫌悪感が増した。何やら、”格差”というものを肌で感じてしまったからだ。

 

「カズマさん、めぐみんを泣かせましたね」

 

「いきなりだな」

 

「かすかに声が漏れてます。貴方は最低ですね」

 

「…………」

 

 何も言い返せずに押し黙った俺を、ゆんゆんはじっと見つめていた。だが、しばらくして諦めたのか、彼女は再び街へと目線を移していた。

 

「実はさきほどエリス様に街をすこしだけ案内してもらいました。めぐみんってば、凄くはしゃいでましたよ。純粋に未知を知る好奇心もありましたが、貴方の故郷に来れたって事に喜んでいました」

 

「そうか……」

 

「聞いてもいないのに、貴方がこの世界で何をしていたかも語ってくれましたよ。めぐみんによると貴方はどこかの組織のギルドマスターとして、仲間を率いて怪物と戦ってたと言っていましたが……絶対に嘘ですね。カズマさんにそんな度胸はありませんし、ここから見る景色からはモンスターの存在を全く感知出来ません。本当に貴方は嘘つきで見栄っ張りです」

 

「うぐっ……!」

 

 感情のない表情でそう言い放つゆんゆんに俺は心を傷つけられる。だが、事実であるので俺は再び黙り込むしかない。そのまま気まずい沈黙が続いたが、それもエリス様のお昼を告げる声で終了する。ゆんゆんからも逃げ出した俺は、食席に素早くついていた。そんな俺にエリス様は焼きそばが山と盛られたお皿を手渡してきた。

 

「くくっ……エリス様ってば焼きそばなんか作ってたんですか? なんだか、イメージと違いますね」

 

「う、うるさいですね! 美味しければいいんです!」

 

「そんなに必死にならなくても……うむっ……美味い!」

 

「そうですか!? まだまだいっぱいあるので食べてくださいね!」

 

 エリス様の見せる笑顔は、今の俺にとって癒しと言う他なかった。そのままたっぷりと昼食をとった後、俺は食席につかず相も変わらず外の景色を眺めるゆんゆん、今も奥の部屋から出てこないめぐみんへと考えを巡らせる。どうしていいかは分からないが、自分が何をすべきかというきっかけはつかめた気がした。

 だからこそ、俺はエリス様に頼みごとをした。彼女は少し困った表情を見せていたが、俺の我儘な要求に合致したものを紹介してくれた。

 そして、俺は自然と玄関へと足を運んでいた。そんな俺をエリス様は手を引いて引き留める。だが、ここに残るわけには行かなかった。

 

「泊まっていかないのですか? めぐみんさん達は明日にも帰ってしまいますよ?」

 

「すいませんエリス様、正直言ってこれ以上アイツらに会わせる顔がない。だから、向こうではめぐみん達の事を頼みます。少なくとも、俺がいなくとも生活出来ている事は確認できました」

 

「…………」

 

「それじゃあまた今度……」

 

 そう言って帰ろうとした俺を、エリス様が抱き着くようにして引き留める。俺の胸に顔を埋める彼女は目のふちに涙を貯め込んでいた。

 

「私もカズマさんの事が好きなんです。アクア先輩の事はひとまず置いて、今夜は楽しんで行きませんか?」

 

「いきなり勘弁してくださいよエリス様……」

 

「私はアクア先輩から貴方を奪うためならなんだってします。この身体を好きに使ってくれても構いません。望むなら、めぐみんやゆんゆんとも夜を共にしますよ」

 

「なっ……!」

 

「彼女達が何のためにここに来たか、薄々は分かっていますよね? それに応えてあげるのがカズマさんの役目ではないのですか?」

 

 妖艶に微笑むエリス様に俺はたじろぐ。ゆんゆんの気持ちは正直言って分からないので置いておくが、少なくともめぐみんはそのつもりだった。しかも、俺がすでにアクアに陥落している事は想定済みであった。それでもなお、めぐみんは俺に会いに来たのだ。

 

「私はアクア先輩と違ってこちらでの活動資金はたっぷりとあるんです。今ならこのマンションも差し上げますし、毎日を優雅に過ごすことだって出来ますよ?」

 

「エリス様、申し訳ないけどそれは受け入れられない」

 

「なぜですか……?」

 

「家でアクアが俺の事を待ってるんですよ。ここに残るわけにはいきません」

 

「へえ、そうですか……そうですかそうですか……まさか……ここまで……きひっ……!」

 

 目の光を失ったエリス様にまずいものを感じた俺は、恥も外聞もなく走って逃げだした。背後からは追ってくる気配はない。しかし、へばりつくようなエリス様の視線はしばらく頭から離れなかった。

 

 

 

 ボロアパートに帰宅した俺は、相も変わらず布団に隠れていたアクアを引きずり出す。そして、むすっとした表情を見せる彼女の姿に安堵した俺は、気が付けばその細い身体を抱きしめていた。アクアはそんな俺の様子に当初は戸惑っていたが、しばらくすると優しく頭を撫でてくれた。

 

「どうしたのカズマ……めぐみん達と何かあったの?」

 

「別になんでもねえよ……」

 

「嘘つき。でも、何も聞いておかないでいてあげる」

 

「すまん……そうしてくれ……」

 

 アクアの優しい愛撫を受けながら、俺はさきほどまでのめぐみん達のやりとりを反芻する。ぐちゃぐちゃな思考ではあるが、これだけは理解出来た。

 

 

 

 

 

 

アクアは俺にとって一緒にいて一番安心できる存在なのだと。

 

 

 

 

 

そのまま、俺は情けなくも眠りに落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、目を覚ましたのはその日の夕方だ。テレビを見ながら寝転がっているアクアを傍に、俺は軽く伸びをした後、古ぼけたノートパソコンを取り出す。それは、アクアがこの部屋に持ち込んだ私物の一つであった。使い慣れた検索エンジンを開き、目的のサイトをいくつか発見した俺は、指示された通りにコメントの書き込みを行っていた。

 

 

「かずまーなにやってるのー?」

 

 そんな俺に、アクアが絡んでくるのは当然の事であった。俺は手短に、エリス様から紹介された仕事をやっていると答えた。エリス様いわく、俺のわがままに合致した仕事、在宅で出来る楽な仕事だった。だが、当然のように給料は低い。日給500円と子供の駄賃並みの仕事であった。

 

「しかし、この仕事になんの意味があるんだ? オカルト系のまとめサイトや掲示板に否定的なコメントを残す仕事なんて俺は今まで聞いた事がないぞ。エリス様はステルスマーケティングやサクラみたいなもんだって言ってたけどな」

 

「…………」

 

「アクア?」

 

 俺は『神社で神様と出会ったけど質問ある?』というスレッドをまとめたサイトのコメント欄に『これは頭の病気だな。早く精神科に行けキ〇ガイ』というコメントを投稿しながら、アクアの様子を伺う。彼女は少し複雑そうな顔をしていた。

 

「アンタがやってるその仕事、立派な”裏の仕事”よ」

 

「はあ? この仕事に意味なんてあったのか? 俺はエリス様の優しい嘘かなんかだと思ってたが……」

 

「いいえ、それも立派な仕事である事には変わりないわね」

 

 諦めたように笑ったアクアは、あぐらをかいていた俺の膝の上に頭を乗せて横になる。俺はそんなアクアを撫でながら、ノルマ達成のために既定の数のコメントを投稿していた。アクア、は相も変わらず俺にちょっかいをかけ続ける。視線をパソコンから下に下ろすと、アクアの深く青い瞳と目が合った。

 

「ねえカズマ、アンタは神様がどういう存在かって知ってる?」

 

「急にどうした……」

 

「その仕事に関わる事よ。まあ話すと長いから簡潔に言うけど、神様や悪魔ってのは人間が作り出した存在。そんな存在に本当の上位存在って奴が役割を与えてるだけなの」

 

「アクア……?」

 

 アクアらしからぬ難しい話であるが、彼女の表情は真剣だった。だから、俺はつっこみを入れずに黙って話を聞く。彼女はそんな俺によじ登り、俺の膝へと座る。アクアのうなじからは甘い女の香りがした。

 

「私の先輩達は宇宙創造を経験してるし、その少し後に存在を確立した私はアンタとは比べ物にならないほどの長い時間を過ごしてる。でも、それは一種の虚構よ。そんな事実はないのに、神々にはその記憶があるの」

 

「つまりどういう事だ……?」

 

「そうね、アンタにも分かりやすく説明すると、神なんてものは簡単に変質するものなの。それこそ、昔は栄華を誇った神話の神々も、信仰を広げるために使った道具が仇となって今では神話や聖書という”創作”の産物になった。まだ世界でも三大宗教は栄えているけど、信者の大半はそれを心からは信じていない。それに絡む利権と世間体によって成立してるだけよ」

 

 少し悲し気な表情を見せるアクアに俺はマウスを動かす手を止める。そんな俺に彼女は背を預けてくる。柔らかな体と体温が、アクアここに存在している事を証明していた。

 

「そういう意味では私は運が良かったわ。先輩や同期がの神々が殺されたり、封印されたり、隠居を決める中で私はエリスみたいな後輩達の教育係になってたし、たいした逸話を持たない私だけど、水の女神っていう点が有利に働いて力をつける事が出来たの。聖書や神話に頼らなくても、人間達は”水”に感謝してくれてるからね」

 

「まあ人間に水は必要不可欠だからな……」

 

「そういう事ね。水自体が一種の偶像になってるし、月日が経って周囲が落ちぶれるほど私の神格も上がった。結果的に今では地球を管理する神の一人にまで成り上がってしまったわ」

 

「うーん……もしかしてお前って結構凄いのか……?」

 

「もしかしてって何よ! 今更になって私の偉大さを知ったの!? 少なくとも、管理世界の敵性存在に遅れをとるほど弱くはないわ!」

 

 ふふんと偉そうに語るアクアの頭を俺は優しく撫でる。なんだかんだ言って、コイツの力がなければ俺はあの世界でも野垂れ死んでいた。それだけは覆せない真実であった。だが、アクアが語った話とこの意味不明な荒し行為ともいえる仕事が繋がらなかった。

 

「まあこうして科学技術が発達して神々は死んじゃったけど、代わりにこの現代に適応した悪魔達が出てくるの。いわゆる”都市伝説”って奴ね。昔は精霊だとか妖怪だとか言われてた連中よ」

 

「都市伝説って……あれは単なる与太話で……」

 

「ええ、神話や聖書と同じく、与太話にした方が存在ごと殺せる。それが今のアンタの仕事よ」

 

「マジか……」

 

「特にこの世界の人間達はそういう集合無意識の力、別の所では観測の力って言われてる奴は侮れないわ。それこそ、異世界の氷の精霊を冬将軍にしたり、地の精霊をクトゥルフ神話の邪神に変質させてるのが証拠ね」

 

 思い出すのは俺の首をちょんぱした冬将軍と、ダクネスに呪いをかけた邪神だ。アクアの話によると、あれも広義の意味では都市伝説の一種らしい。そう考えると、向こうに行った転生者達は知らないうちに随分と現地の人に迷惑をかけている気がした。

 

「なあアクア、それなら最強の都市伝説を作ってそれが広まったらヤバイんじゃないか?」

 

「大丈夫よ。そんな都市伝説は四文字と同じ末路を辿るわ。完全無欠の存在は、話が一気に嘘臭くなって誰も存在を信じない。例え広まったとしても、人間達は神殺しの武器……都市伝説で言うと対抗神話って奴を作り出すわ」

 

「はあ……なんか神様ってのは大変だな……」

 

「ええ、大変よ。とっても大変なの……そんな私達を貴方は殺すの?」

 

「はっ……?」

 

 いじけたように黙ってしまったアクアを俺は仕方なく抱きしめる。俺の手はもうマウスからは離れていた。そして、どうしようもない不安に襲われる。それは俺にとっては未知の恐怖だった。

 

「アクア、お前も”死”って奴があるのか?」

 

「寿命ならないわよ。でも、存在的な”死”はいつか訪れるかもしれない」

 

「それなら……!」

 

「大丈夫、大丈夫よカズマ……」

 

 

アクアは身体を俺の方へと向けて微笑む。彼女の手は俺の頬に添えられていた。

 

 

 

 

 

 

「カズマさんが望む限り、私は貴方の傍に存在し続けるから」

 

 

 

 

 

 そんなアクアを力いっぱい抱きしめながら、俺は馬鹿らしい思い、それこそめぐみんを馬鹿に出来ないような思いがこみ上げてきた。

 

 

 

 

力が欲しい。

 

 

 

 

 少なくとも、目の前にいるアクアだけでも自分で守れるくらいの力が欲しかった。

そのための一歩を、俺はようやく踏み出す事にした。

 

 

 

 

 

「なあ、アクア俺の戸籍ってどうなってる?」

 

「いきなりどうしたのよ。まあ安心しなさいな。天津神は私の後輩だからその伝手でちょちょいと元に戻してるわ」

 

「アマツカミ……? まあいいや、とにかくそれなら大丈夫そうだな」

 

 

 

とりあえずの目標は立てたられた。それなら、後は突き進むだけだ。

 

 

 

 

 

 

「アクア、俺就職するよ」

 

 

 

 

 アクアはしばらく呆気に取られていたが、すぐに満面の笑みを取り戻す。その笑顔に懐かしいものを感じた俺は少しだけ気恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 







次回でカズマさん視点は終了ですね。


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繧ォ繧ェ繧ケ縺ク縺ョ隱倥>

真・女神転生、都市伝説ネタが複数含まれます。
この文字化けルート自体読み飛ばしても問題ないので
ダクネス目当ての方は観覧注意を……


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

就職をして金を稼ぐ。

 

 

 

 

 

 そんな事を宣言した俺が最初に行ったのは、アクアのお金でスーツを購入し携帯の契約をする事だった。本末転倒な自分に対し、火が出るほど恥ずかしい思いをしたが、彼女は笑顔で応援してくれた。そして、連日のようにハローワークに訪れる俺を、職員さんも真剣に受け入れて職業の斡旋を行ってくれた。

 

 

ただ、約5年にもなる空白期間は痛かった。

 

 

 この部分を面接で質問されると、どうにも弱ってしまう。まさか異世界に行っていたなんて馬鹿正直に答えるわけにはいかない。結果として、様々な言い訳をしてみたのだが逆にそこを突かれてしどろもどろになる。そんな俺を面接官達は白い目で見ていた。

 

 

 同じような面接を日に数度受けた後、夕方には色んな意味でボロボロになりながら帰宅する。家で俺を待っているアクアはいつものように笑顔で出迎えてくれた。スーツを脱ぎ、何も考えずにテレビの前に座り込む俺に、彼女は簡単な手料理を振舞ってくれる。それがアクアに対しての申し訳なさをより感じさせることになった。

 

「面接の手応えについては聞かないのか?」

 

「なによ、聞いて欲しいの?」

 

「いいや、勘弁してくれ……」

 

「ふふっ、結構参ってるみたいね。でも、私はそんなカズマを応援してあげるし、諦めたとしても喜んで受け入れるわ」

 

「どっちなんだよ……」

 

「どっちもよ。私はカズマが傍にいてくれるだけで安心出来るから」

 

 恥ずかしげもなく、笑顔でそう言い切ってしまうアクアにはもう歯向かえない。こちらの現実世界に戻ってきて、俺は彼女との立場が逆転してしまったようだ。アクアの慈愛の表情を直視できなくなった俺は、テレビに顔を向ける。そこにはバラエティ番組に映る生意気な顔が見えた。この頃よくテレビでみかけるようになったコイツは、ゆーちゅーばーという事をやっているらしい。異世界に行っている間に、変な素人が市民権を得ている事に驚きと言うよりは嫉妬していた。俺だって好きな事をやって楽に稼ぎたいものだ。

 

 

「よし、ゆーちゅーばーになるか!」

 

「はあ? なってどうするのよ? カズマさんってば何か再生数を稼げる特技でもあるの?」

 

「そこは安心して欲しい……”ティンダー”」

 

 そう唱えた俺の指には、赤い魔法の炎が灯っていた。それをさっと吹き消し、頭の中で考えたゆーちゅーばーへの道筋をアクアに披露する。それを聞いたアクアは苦い顔をしていた。

 

「カズマ、そうやって異能を使って知名度を上げると、ハンターに目をつけられる事になるわよ。ろくな結果にならないからやめときなさい」

 

「なんだよハンターって……」

 

「そうね、ものすごく簡単に言うと”一般人の味方”って奴ね。悪さをする神や悪魔、異能を使って一般人を害する人間をどこからともなく現れては狩っていく人間達の事よ。大抵は身内を超常現象に害された人間なんかがハンターになる事が多いから、結果的に無慈悲な復讐者な事が多いわ。カズマも下手したらさっくり殺されるわよ」

 

「怖い事言うな……」

 

「残念ながら、私も少しが経験があるのよ」

 

 少し悲しそうに笑うアクアの表情を俺は忘れられなかった。アクアによると、この地球では無名の神として過ごしていた彼女だが、他の世界でアクシズ教徒となった人間を日本に転生させるうちにこちらでもアクシズ教が自然発生してしまったらしい。ただ、彼らは前世の気質を受け継ぎ、中には魔法を扱う異能者も出てきた。そんなアクシズ教徒達は結果的に悪質なカルト宗教になった。アクアも何度か”お告げ”を行ったが、彼らに神が実在する事を信じさせてしまい逆効果となったようだ。

 そんなこんなのうちに、悪事が市井に紛れるハンター達に露見してしまい一人、また一人と悪質なアクシズ教徒は殺されてしまったらしい。今ではカルトは解散となり、善良なアクシズ教徒の一部が静かに活動を続けているそうだ。

 

「あの子達には悪い事をしたわ。来世での安寧を約束しておきながら、こんな事になるなんてね……」

 

「別にお前が気にする事はないだろ」

 

「気にするわよ……本当に不甲斐ない神様だわ……」

 

 泣き笑いのような表情を浮かべるアクアを尻目に、俺は彼女が作ってくれたグラタンをつつく。異世界ではアクアが女神としての力をふるう無茶苦茶な姿を見てきたが、同様に無茶苦茶なポンコツな姿を見てきた。全知全能とは程遠い姿は神というものに対する認識を考えさせるものだが、一方でそんな彼女がどうしようもなく愛らしかった。

 

「それよりも、アンタがこうして真面目に就職活動をしてるのが不思議だわ。そのうちギャンブルで稼ぐとか言い出さないか心配だったくらいなんですけど」

 

「人間万事塞翁が馬って奴だ。金銭だけを目的とすると俺の運も鈍る。具体的に言うとロト6で50万当てると父親の車が大破したりする揺り戻しが起こるんだよ」

 

「なんだか嫌なくらい生々しい話ね……」

 

「ギャンブルで食っていけるならニートなんてやってねえよ。むしろ、それで少しでも収入があったからニートが出来てたのかもしれない。まあ、異世界に行く前と同じく、金を手に入れたいなら堅実に働くしかねえんだよ」

 

 思い出すのは異世界に行く前の日々だ。本当に欲しいものがある時は短期バイトで金を稼いでいた。RMTなどにも手を出したが、結果は長年使ってたメインアカウントがみつかってのアカBANである。俺の幸運も絶対の物ではないのだ。

 

「まあ、カズマさんが幸運な事には変わりないわね。なんたって、私っていう超絶素晴らしい女神様と出会えたんだからね!」

 

「…………」

 

「なによ、文句あるわけ!?」」

 

「いいや、そう考えると俺があの時死んだのは幸運だったて事だな」

 

「えっ……!?」

 

 驚いた顔を真っ赤に染めて口をぱくぱくさせる彼女を眺めつつ、俺は気を引き締める。この安定した状況がいつまでも続けられるかは未知数であるし、アクアの話を聞いていてこっちの世界も一筋縄では行かない事も理解した。だからこそ、もっと”力”が欲しかった。もちろん、アクアを守るための武力も欲しているが、今はお金が欲しかった。財力はこの世界での普遍的かつ万能な分かりやすい力だった

 

 

 

 翌日、俺が簡単に作った朝食を二人でもそもそと食べ、家に残るアクアに行ってきますの挨拶をする。彼女は応援の言葉を一言告げて俺の背をバシバシ叩いてきた。そんな彼女に若干のイラつきと、まるでお節介な母親のような姿を重ねて俺の羞恥は限界突破していた。

 

 

 だが、結局この日もダメであった。面接に手ごたえが全くない。夕暮れ時の公園でブランコに揺られながら、思わずため息をつく。明日からはもう自身の余計な要望は捨てよう。余計な選り好みをしなければ正社員に簡単になれる。それが今の日本という社会だった。そして、決意を新たにして帰ろうと顔を上げた時、目の前に見知らぬ男性がいた。白髪混じりの短髪と、顔に刻まれたしわが彼を年配者だと教えてくれる。だが、着古したスーツでは隠せないほどの鍛え抜かれた体と身に纏う存在感が俺の警戒感を引き上げる。

 

 

 

 

「青年よ……君は神の存在を信じているかな?」

 

 

 

 やはり、ヤバイ奴であった。男性の表情は柔和な微笑みを携えていたが、その目はこちらを値踏みするようにギラついている。とりあえず、俺は逃走を選択する事にした。今の日本社会において、ヤバイ奴に出会った時の一番の対処法だ。

 

「あの、俺は宗教とか興味ないんで……」

 

「まあまあ、少し話を聞くだけでもいいんだ」

 

「お断りします」

 

「君はとてもいい目をしている。昔は私も君のように力を欲したものだ」

 

「…………なんだこのオッサン」

 

 進路を塞いでくる明らかにヤバイおっさんから逃げるため、俺は逃走スキルを発動する事にした。そうして、おっさんの横を素早く駆け抜けた時、俺の顔面には彼の高そうな革靴の裏が見えていた。蹴りを入れられたと理解した時には、俺の自動回避スキルが発動し身体をぐにゃりと曲げて蹴りを回避する。今の幸運には感謝したいが、そもそもこのおっさんに遭遇すること自体が不運だった。

 

「いきなりなにしやがるクソジジイ!」

 

「ふむ、今のをかわすとはやはり常人ではないな」

 

「ふざけんな! これ以上は警察呼ぶぞ!」

 

 薄く微笑むおっさんに流石の俺も我慢の限界だった。だが、おっさんが何かをぶつぶつと唱えた後、その両手に紫電に光る雷撃を貯め込み始めた時点で彼が精神だけじゃなく存在的にもヤバイ奴であると悟る。頭の中に浮かぶのは、昨日のアクアとの話で話題となった存在だった。

 

「お前、まさかハンターって奴か!?」

 

「おっと、こちら側の存在を知ってるなら話が早いですね。ですが、私達はそのような後始末しかできない連中とは違うのです。本当に申し訳ない」

 

 おっさんは笑顔を浮かべながら両手の紫電を掻き消す。それから、両手をシュバっと広げて俺の前で頭を垂れた。

 

「申し遅れました! 私はアクシズ教で大司教を務めていた……というのも昔の事ですね。今はアクシズ財団の理事の一人である五島と申します。以後お見知りおきを」

 

「アクシズ教……!?」

 

「おやおや、その名に聞き覚えがあるようですね! 時に、君は前世の記憶というものに興味はないかな? ほら、詳しい話はそこのカフェでしようじゃないか! ほら、行きましょう行きましょう!」

 

「ちょっ……おまっ……!?」

 

 笑顔で手を引いてくるおっさんに俺は抗えなかった。彼の力がかなり強かったのもあるが、真相が知りたいという知的好奇心と、アクアへの害となるなら”処理”する事も頭の中で考えていた。そうして、少し緊張しながら近くの喫茶店に入ったのだが、聞かされたのはおっさんの信仰への目覚めの話であった。昔は自衛隊にいたとか、クーデターを計画していたが超常の力を行使していたため同胞はハンターにボコられ、自分は部下に裏切られて銃器の不法所持で逮捕されたとか嘘くさい話を聞かされた。

 

「そんな私も獄中で真理に至りました! 不当に独房に閉じ込められ、食事にすら満足にありつけなかった中で私は前世からの使命を思い出したのです! それからは日々の恵みをもたらす水と大地に感謝を捧げ、この豊かな日本社会を守るために活動しているのです! 君も是非アクシズ教……じゃなくてアクシズ財団の一員として働きませんか!?」

 

「ああ……うーん……」

 

「今すぐ私達の仲間となれば、この洗剤セットをお付けしますよ! さらに、司祭たちが丹精込めて作ったアクシズ聖水もセットにして……!」

 

 喫茶店で声を張り上げ、懐から洗剤や水の入ったビンを取り出す彼の姿は実に異質だった。現に、周囲の人達はこちらを不審な目で見ている。俺としてはかなり複雑な思いであった。この信仰に狂った部分は異世界で遭遇したアクシズ教徒達と同じであったが、話を聞くと彼らには定まった戒律もなく、今のアクシズ財団の前身であるアクシズ教の崩壊間際において神から授かったという言葉を教義として活動しているようだ。

 

それによると、神いわく……

 

 

『真面目に働いてお金は自分や家族のために使いなさい。私はもういらないから! このお布施は騙した人に全部返してきなさい! え……半分くらい足りない? それは貴方達への罰金よ! 真っ当に働いて得たお金で返しなさい!』

 

 

 

『なになに……世界平和のために悪を倒そうと思ったら、ル〇ファーもア〇リマユも魔王を名乗ってた連中はすでにハンターに殺されて存在しない? あら、そうなの……まあ最近イキってた四文字も悪魔に堕とされて死んじゃったしね……とにかく、悪魔はまだまだいるみたいだからそういう連中から人々を守って上げなさい。アンタ達もやれば出来るのだから……たぶん……』

 

 

『私はホモだろうとレズだろうとロリコンだとしても別に許容するけど、犯罪はダメよ。神を言い訳に使ってやりたい放題やれば私の信用も四文字みたいに堕ちちゃうわ。それに、そんな事は私が許さない。貴方達の来世を保障したりもしないし、天国行きへの融通もしない。大人しく警察や社会の裁きを受けなさい」

 

 

 とかなんとか言っていたらしい。頭を抱えながらそんな事を言うアクアの姿が目に浮かぶが、彼らは自分達が信仰している神が女神である事も分からないらしい。ただ漠然と前世からの因縁で水をご神体として活動しているようだ。その部分に俺はいくらかの諦めと、優越感を覚えた。

 

「とにかく、俺は前世のからの因縁だとかアクシズ教徒の使命とか知らないんで帰っていいですか?」

 

「ご無体な! 貴方の力は我が財団にとって大きな力になるのです! 私が出来る範囲の事であれば、貴方の望みを叶える事も可能ですよ! おっと、そういえば金銭の話も重要ですよね! 我が財団にはいくつかのフロント企業を所有してまして、この地方ではウォーターサーバーや宅配水の営業、販売を行う会社の正社員として雇用し、必要時に……」

 

「正社員……?」

 

 俺の口から出た言葉はまさに失言だった。おっさんの口角はにいっと吊り上がり、雇用方面での話が大半になる。そうなると俺も弱い。ウォータサーバーの営業なんてものはまったくの未経験だが、目の前に正社員への雇用をチラつかされると俺の姿勢も前のめりとなる。

 給与は基本給+歩合給と少し怪しいが、基本給だけでも思ったより貰えるようだ。おまけに年に2回の賞与も約束されている。連日の面接に疲れていた俺は気づけばその話を受けてしまっていた。おっさんからは即採用の言葉を伝えられ、明日から来てほしいと会社のパンフレットを渡されてしまった。

 

「よろしく頼むよカズマ君! よっ、期待のニューフェイス!」

 

「は、はあ……よろしくお願いします」

 

「じゃあ私はこれでも忙しい身なのでこれにて失礼させて頂くよ」

 

 そそくさと喫茶店を出て行ったおっさんを俺は半ば呆然としながら見送る。結果として、俺はアクシズ教もどきの構成員となってしまったようだ。色々と思う所はあるが、最悪バックレればいいかと少し楽観的に考えていた。

 

 

「まあ、なるようになるさ~っと……」

 

 

 

 なんだかんだで、就職が決まった俺は若干テンションが上がっていた。家に帰り、出迎えてくれたアクアにドヤ顔をしながらその事を告げた。

 

「という事で、明日から仕事に行くよ」

 

「え゛……!? 本当なのそれ……」

 

「おいおい、そこまで驚かれると少しヘコむぞ?」

 

「いや、そういうわけじゃないけどね……うん……」

 

 なんだか歯切れの悪いアクアは口をもにょもにょとさせていた。その後、軽く酒杯を交わしいつものようにテレビを見つつイチャついた。彼女とこんな関係になる事は以前はあまり考えないようにしていたが、いざそういう関係になってみるとこれが当たり前となった。アクアを膝の上に乗せ、後ろから抱きしめながらそんな事をぼんやりと考えてる俺は、もう色々とダメなのかもしれないと諦めた。

 

「そういえばカズマ、アンタが就職した会社ってなんでか知らないけど聞き覚えがある気がするのよね……」

 

「まあ当たり障りのない会社名だしな」

 

「うん……でもやっぱりどこかで聞いた覚えが……うひゃっ!? ちょっとやめなさいよカズマ! まだご飯食べたばっかで……んっ……」

 

 とりあえず口を塞いで黙らせる。それから、アクアの全身を愛撫しながらも、俺は冷や汗をかいていた。アクシズ教と関係のある会社に教団幹部の紹介でコネ入社した事は少しだけ後ろめたかったし、彼女にそれがバレる事が気恥ずかしかった。

 翌日、目覚まし時計でたたき起こされた俺は、いつも以上に身なりを整えスーツを着込み昨日の夕飯の残りを口に放り込む。そして玄関先ではき慣れない革靴と格闘していると、俺の背中に暖かな重みを感じる。どうやら、先ほどまで眠りこけていたアクアが布団から這い出て抱き着いて来たようだった。

 

「アクアーそろそろ出発だから放してくれー」

 

「いやよ……」

 

「流石に初日から遅刻は出来ないっての」

 

「…………」

 

 少し強引にアクアの抱き着きを振りほどく。振り返ると、パジャマ姿で浮かない表情をしたアクアが目に入る。そんな彼女の様子に思わず苦笑した。

 

「カズマさん、辛い思いや苦しい思いをしたら無理して仕事なんてしなくていいからね」

 

「あのな、そういう悪魔の誘惑はやまてくれよ……」

 

「だって、本当に心配なんだもん。カズマさんってば肉体だけじゃなくて精神もくそざこのよわよわなんだもん……」

 

「ひでーな! これでも、色々と経験して心身ともに鍛えられたつもりだったんだが……まあいいや。とにかく、いってきます!」

 

「いってらっしゃい……」

 

 寂しそうな顔をしながら手を振るアクアの頭を俺は思わず撫でてしまう。それから、少し後ろ髪を引かれる思いをしながらも、俺は新生活へ向けての一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 電車に二駅ほど揺られ、その後にバスを使ってたどり着いたのは小さな平屋建てのオフィス。地方都市とはいってもこの県自体はかなりの田舎の部類、中心部から離れればそこはもう農村地帯であった。若干緊張しながらもオフィスに入った俺を出迎えたのはやたらとテンションの高いおばちゃんであった。彼女に歓迎の言葉をかけられ、必要な事務手続きを済まして行く。そうして、一時間ほどで口座やら通勤経路やら色々と申請した俺は、おばちゃんに駐車場に行って欲しいと言われる。どうやら、そこに俺の面倒をしばらく見てくれる”先輩”がいるとの事だった。

 

 そうして、事務所の裏手に向かった俺を出迎えたのはライトバンに背中を預けて煙草を吹かす女性であった。年齢は二十代後半、もしくは三十代であろうか。もとは長いであろう黒髪はシニヨンにまとめられ、切れ長の鋭い目をした彼女はスーツがよく似合う女性であったが、初対面の印象としては少し威圧的な雰囲気を感じた。

 

「君が佐藤君か……これからよろしく頼むよ」

 

「よろしくお願いします! えっと……」

 

「まあ、先輩と呼んでくれたまえ。中途採用だと新人研修はないんだ。しばらくは私の下で働いてもらうからな」

 

「分かりました! よろしくお願いします先輩!」

 

「おおっ……元気がいいな……」

 

 なんだか少しニヤニヤした表情を浮かべていた先輩は颯爽とライトバンに乗り込み手招きをしてくる。慌てて助手席に乗り込んだ俺を彼女は苦笑しながら見守り、車を発進させる。先輩の少し荒い運転に揺られながら、俺は本格的な”仕事”へと向かった。

 

 

 

 

「はあ……はあ……結構キツイっすね……」

 

「そうだろうそうだろう。私も最近腰が……ってなんでもないぞ! 私の分まで頑張ってくれ!」

 

「分かりました……」

 

 

 

 事前に水の販売などを行っている事は聞いていたが、やっている事はウォーターサーバーに使う巨大な水ボトルの配達であった。何度か事務所を往復しながら、ライトバンにボトルを積んで客の家まで持って行く。一軒家などはいいのだが、エレベーターがない団地や金持ちが住んでいる玄関まで距離がある庭園付きの家は地獄であった。こうして単純な肉体労働をするのはやはり辛いが、不思議と苦には感じなかった。

 

 

「流石は男の子だな。午前中に配送の仕事が終わったのは初めてだよ」

 

「ありがとうございます。それで、次の仕事は……」

 

「ふふっ、次の仕事は……ここだよ」

 

そう言って連れて来られたのは自動車教習所だった。意図を理解できずに固まる俺に彼女は茶封筒を渡してきた。

 

「という事で配達が終わったら定時まで教習を受けてくれ。なんだかんだで車が運転できないと仕事にならないからな」

 

「あの、本当にいいんですか?」

 

「先行投資という奴だな。まあ、上層部がわざわざ私の下に君をつけたんだ。期待はしてるさ。とにかく、佐藤君はこの1ヶ月で免許を取りなさい」

 

「うっす……分かりました」

 

「定時になったら事務所に連絡するんだよ。それじゃあまた明日」

 

そう言って、先輩はライトバンに乗って颯爽と去ってしまった。なんだか、少し解放的な気分になったが、気を引き締めて茶封筒を開ける。そこにはそこそこの大金が入っていた。バカな考えが思考の隅によぎるが、素直に自動車教習への申し込みに使った。

 

その後、早速学科教習を入れるだけ入れる。帰りの電車に揺られる頃には20時を過ぎていた。ふと、マナーモードにしていたスマホを開くと、アクアからの着信とラインの通知が大量に入っていた。それを見なかった事にして、俺は流行りのソシャゲーを無表情でポチポチする作業に時間を費やした。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

「うん、運転は問題ないね。よし、それじゃあ今日から営業車の運転は佐藤君に交代だ」

 

「ええっ、まだ俺初心者なんですけど……」

 

「初心者だからこそだよ。車の運転なんて慣れだよ慣れ」

 

「うっす……」

 

 あれから約一か月、水配って教習して帰って最近はなんだか不貞腐れてるアクアに構って朝までぐっすりと眠るルーチンワークは免許の取得によって終わった。本日はまだ慣れない営業車の運転を行い、水の配達を終えた所である。いつもなら、ここで先輩とはお別れであったが今日からは違う。

 

「それじゃあ先輩、営業について教えて貰いたいんですけど……」

 

「えっ? 営業なんて私はしないぞ?」

 

「えっと……それはどういう意味で……」

 

「別にノルマもないし、基本給で十分な額が貰えるじゃないか」

 

「ええっ……」

 

 真顔でそんな事を言いながら、助手席をリクライニングにしてリラックスした表情を浮かべる先輩に正直言って引いてしまった。この一か月、先輩に対して寡黙でストイックなイメージを勝手に持っていたが、思ったよりダメっぽい人だった。

 

「それじゃあこれからどうするんですか?」

 

「んー昼寝をしたら定時までスタバで時間を潰そうかな」

 

「いやいや、本当にそれでいいんですか? というか、こんな事でお金を貰えるのはやっぱり怪しくて……」

 

「すかー……」

 

「マジで寝たよコイツ!?」

 

 冗談抜きで助手席で眠り始めた先輩を前に俺は途方にくれる。先輩はかなり美人な部類ではあるが、自分の中での比較対象がアクアになるので相対的に”食指が動かない女性”に分類される。それに、流石に現代日本でセクハラはまずい。結局、俺は無防備に眠る先輩を乗せながら車で当てもなく彷徨う事になった。

 

「ふぁーよく寝た……佐藤君、今何時?」

 

「もう15時半ですよ……」

 

「そうか、それじゃあスタバ行こうか。ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノでもご馳走するよ」

 

「えっ……?」

 

「だから、ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノだって……もしかしてスタバが何かも分からない田舎者か?」

 

「…………」

 

 

一瞬、ぶん殴ってやろうかと思ったが流石にやめた。

 

 

もう、どうにでもなーれ!

 

 

という思いで俺はスタバに車を走らせた。

 

 

 

 

 

 そして、先輩は約束通りゲロ甘いコーヒーっぽいドリンクを奢ってくれた。ただ、向かいの席でマッ〇ブックをドヤ顔で開き始めたのを見て一刻でも早くここを去りたい気分だった。しかし、先輩は宣言通り定時まで居座る気であった。

 

「ふむ、そういえば佐藤君の”前世”はどのようなものだったかを教えてくれないか?」

 

「いきなり意味不明な事を言わないでくださいよ……」

 

「とぼけなくていい。わざわざ上層部がスカウトした人間だ。神や悪魔なんてものが実在している事もとっくに知っているだろう? 私達の会社のバックには昔壊滅したカルト宗教の残党がついている事も知っているはずだ」

 

「…………」

 

「別に怯えなくていい。ちなみに、私は前世をほんの少しだけ記憶しているんだ。そこでは私は偉大な魔法使いだったようだ。おかげで今でも”異能”が使える。ふふっ、カッコイイだろう?」

 

 相変わらずのドヤ顔を浮かべる先輩にはイラっとくるが彼女も俺を勧誘したおっさんと同じく日常とはズレた世界を生きる人間のようだ。俺としては、正直言って困ってしまった。あのおっさんが俺を勧誘した理由も何となく分かったし、普通に働いて金を稼ごうとしたら何やら非日常に踏み込んでしまったようで気が滅入った。

 

 

 押し黙る俺に、先輩はマッ〇ブックの画面を見せてくる。そこにはこの地方都市の地図があり、そこには大小さまざまな記号や注意書きが書き込まれていた。

 

 

「神や悪魔はこの世界では過去の遺物だ。だが、そんな遺物を掘り出したり、新たに創造する連中がいる。基本的に存在自体が神殺しなハンター達は超常現象による人的被害が出て初めて動く連中が多い。アイツらは悲劇の後始末しか出来ないんだ。だからこそ、そんな悲劇を事前に潰す。それが生まれ変わったアクシズ教がするべきことなんだ。悪魔は残らず殺すべしってな」

 

「はあ……」

 

「ちなみにこの地図に表示された記号はそういう悲劇を起こす可能性のある団体だ。これは”まっぴかー”、これは”証人”、こっちは”学会”で、これは”ハッピーをサイエンスしてる連中”だ。どれも、どうしようもないクズ共だけどこいつらのやり方は私達はよく知ってる。だって、私達も昔はコイツらの仲間だったんだからな」

 

「うわ、それじゃあ俺は今後はこの関わりたくない連中とドンパチするんですか?」

 

「情報収集は他の社員がやってくれている。私達が出るのは普通じゃどうしようもならない事が起きた時に力を使う事だ。だから、普段は今日のようにゆっくり気を休めればいいさ。ただ、必要とされた時は死ぬ気で戦え」

 

 

 スタバでそんな事を言われても、俺は生返事を返す事しか出来ない。平和に過ごせると思った日本でこんな事になるとは驚くしかない。ただ、正直言って悪い話ではなかった。危険かもしれないが、それは俺が欲している財力以外の”力”を磨くのにちょうどよかった。

 

 

 

「佐藤君、もう定時だし続きは明日にしようか」

 

「はい……」

 

「ふふっ、支給している業務携帯にはいつでも出れるようにしておくんだよ。奴らに定時はないんだ」

 

「…………」

 

「それじゃあ、また明日。明日も平和だといいな」

 

 

 ドヤ顔で去って行く先輩に俺は閉口する。それから、少し混乱した頭を甘いコーヒーで落ち着かせて帰路へとつく。今日が給料日だったため、帰りにATMを覗くと、この俺の一か月の仕事に見合わない額が入っていた。とはいっても、異世界では中難度のクエストを一回クリアするだけでこれと同程度の収入があった。そう考えてしまうと、なんだか少なく見えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 そんな週末の夜、俺はアクアと個室居酒屋に来ていた。最近、少し不機嫌なアクアは相変わらずツンとした態度を取っている。だが、運ばれてきた生ビールを見てそれも瓦解した。こういう時は単純で助かる思いだ。乾杯の合図とともに俺もアクアも一気にジョッキを空にする。それからは、もう酔っ払いの会話だった。

 

「ふふーん、初のお給料で私にお酒をご馳走するなんて、やるじゃないカズマ。お母さんが褒めてあげる!」

 

「勘弁してくれ……そういうのは思っても口に出すな!」

 

「いいのいいの。はい、お仕事お疲れ様カズマさん、頑張ったわね」

 

「おい……」

 

 上半身を席から乗り出し、俺の頭を撫でてくるアクアに俺は仏頂面を返す。ただ、内心でまあこれも悪くないと思っているあたり俺もいよいよダメであった。

 

「カズマ、仕事は順調なの?」

 

「それなりにな。結構肉体労働がメインみたいだな」

 

「辛くない? 上司や先輩にいじめられてない?」

 

「そんな事されてねえよ。つーか心配しすぎだ」

 

「心配するわよ……私は……カズマさんが傍にいてくれるだけでいいのに……」

 

 何やら陰気臭い雰囲気を出し始めたアクアには少し呆れる。俺が働くようになってから彼女はこんな調子になり始めた。帰宅した俺に対して風呂場や布団では気がすまず、トイレ中にも甘えてくる一方で、口癖のように”最近カズマさんが冷たい……もっと私にかまって!”と言ってくるようになった。だが、アクアのそんな様子は正直言って可愛いのでそのままにしていた。

 

「ねえ、カズマさん。その仕事なんだけど……やっぱりやめ……」

 

「そういえば、アクアに渡したいものがあったんだ」

 

「え?」

 

「ほらよ」

 

 俺は懐からラッピングされた箱を取り出してアクアに手渡した。彼女はしばらく戸惑っていたが、俺から受け取った箱をまじまじと見つめながら首を傾げた。

 

「え、なに? びっくり箱?」

 

「ちげーよバカ。どうみてもプレゼントだろ。ほら、初給料も入った事だしな」

 

「あの……カズマさん……私は貴方の本当のママじゃないのよ?」

 

「そのネタを引きずるなっての! ほら、これは家族にじゃなくてその……恋人へのプレゼントって奴だ!」

 

「恋人……!?」

 

 驚いた表情を浮かべたアクアに俺は少なからずショックを受けたが、その顔がみるみるうちに紅くなったのを見て安堵する。どうやら、彼女には少し自覚が足りなかったらしい。

 

「やることヤって同棲してるんだ。恋人じゃなかったら、俺とお前の関係は何なんだよ」

 

「それは……」

 

「俺じゃアクア様のお眼鏡には叶わないか?」

 

「そんなことはないわよ! ただ……その……嬉しくて……カズマさんってば私の事が好きなの?」

 

「おい、それを言わせんなまったく……はいはい好きですーもうアクアなしの生活なんて考えられないですー」

 

「ふふっ、茶化してる割にはカズマさんも顔真っ赤よ」

 

「うるせーよ!」

 

 この場はお互いに引き分けだった。滅茶苦茶恥ずかしい思いをしたが、一方ではなんとも言えない満足感を得られた。これが幸せという奴なのかと実感するが、それにまた新たな恥ずかしさを感じた。そして、アクアの了承を求める目線に俺はコクリと頷く。意気揚々とラッピングを剥がしたアクアは、俺の贈り物を見て目を丸くしている。とりあえず、落胆はしていないようだったので少し安心した。

 

「これって……」

 

「新しい財布だよ。一応、そこそこのブランドだからお前が持ってても違和感ないだろ?」

 

「…………」

 

「大事に使ってくれるのはありがたいが、あのオンボロ財布は正直言ってアクアには似合わないからな」

 

 押し黙ってしまったアクアを前に俺はこのプレゼントは失敗したかと思ったが、次の瞬間にはアクアが対面の席に座る俺に飛び込むように抱き着いてきた。ビンやお通しの枝豆が散らばってしまったが、とりあえずは一安心だ。

 

「ありがと……ありがとねカズマ……」

 

「デザインはそれで大丈夫だったか? 不満なら買い替えるぞ?」

 

「そんなことないわ。私の好みよ……大切にする……ずっと大切にするからね……」

 

「そうかい……まあ喜んでくれたなら御の字だ。さあ、今日は飲もうぜ。色々と積もる話もあるんだ」

 

「うん……私もいっぱい話したいことがあるの……」

 

 結局、その日は夕方からラストオーダー間際まで居酒屋に居座った。正直言って、仕事も含めて将来への不安もある。だが、こうしてアクアと過ごす毎日は俺にとってはもうかけがえのないものとなっていた。

 

 

 

 

 居酒屋からの帰り道、俺は酔い潰れて寝てしまったアクアをおんぶしながら歩いていた。時折、寝言を言いながら全身を俺の背に擦り付けてくる彼女には苦笑するしかなかった。そして、我がボロアパートまで500mといった所で、見知った顔が俺達に立ちふさがった。

 

 

 

「エリス様……」

 

「ええ、お久しぶりですカズマさん」

 

 

 夜闇の中でも、エリス様の人智を超えた美貌は薄く輝いていた。歩く俺の横に彼女はしばしの間、無言で横に付き添った。だが、ボロアパートの前までついた時、彼女は俺の袖をそっと引いてきた。

 

「カズマさん、私は貴方の事を愛しています」

 

「またその話ですか……」

 

「当然です。こんな事、納得行きません。何故アクア先輩なんですか……私じゃダメなんですか……?」

 

「勘弁してくださいよ」

 

 涙目で俺を引き留めるエリス様には正直言ってクるものがある。だが、彼女の想いに応える事は出来ない。アクアを裏切る事になるし、何より自分の想いを裏切る事になってしまうからだ。

 

「アクア先輩なんておっちょこちょいで肝心な時にドジを踏みますし……その不幸体質はもう不変のものですし、いっぱいカズマさんに迷惑をかけると思うのです。そんな女神を貴方は選ぶのですか?」

 

「まあ、そうなるな」

 

「私なら……貴方に一生尽くします! 資産だってアクアせんぱいより持ってます! 貴方が望むなら私は喜んで貴方の欲望を叶えて見せます! 私なら絶対貴方を失望させずに……!」

 

「エリス様、少しは自分の事を大切にしてください。それと、貴方の想いは受け止められないです。俺は背中のコイツだけで手いっぱいなんですよ」

 

 なぜエリス様がここまで俺に執着するかは分からない。今の俺は異世界にいる時よりどうしようもない男だ。それでも、アクアと一緒に日々を過ごしたいという思いは向こうでもこっちでも変わりなかった。

 

 

 

 

 

「カズマさん、貴方はアクア先輩を本当に……本当に愛してしまったのですか……?」

 

「あんまり軽い言葉は言いたくないんだが……そうだな。俺はアクアを愛してる。まあ、気づいたらベタ惚れだ。昔は考えられなかった事だけどな!」

 

「っ………!?」

 

 

エリス様は顔を下に向けて身体をプルプルと震わせていた。だが、彼女の耳は真っ赤になっていた。

 

 

 

「きょ、今日はこのくらいにしておいてあげます! わ、わたしは諦めませんから!」

 

 

 

 そう言って、文字通り飛び去ってしまったエリス様を追って俺は夜空を見上げる。そのまましばらく空を眺めた俺は、何とも言えない狐に包まれたかのような不思議な違和感を感じた。

 

 

 

 

 

 

一言でいえば、エリス様らしくなかった。

 

 

 

 

 

 

「ふぁ~カズマ……ねむ……ふとん……」

 

「はいはい、今日はさっさと寝るとするか……」

 

 

 

 その後、帰宅した俺はアクアを布団に寝かせる。そして、サッとシャワーを浴びた俺はアクアと同じ布団に入った。酒の匂いが残る彼女の身体は実に抱きしめ甲斐のあるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな時、会社から支給された業務携帯の着信音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

嫌な予感を覚えながら携帯を手に取ると、やはり先輩からの電話であった。

 

 

『もしもし、急で悪いが仕事が入った。今から迎えに行く』

 

「えっ、今からですか!? ちょっと酒が入ってるんですけど!」

 

『私が来るまでに死ぬ気で酔いを醒ませ!』

 

「うっ、うっす!」

 

 

 

 それを最後に電話は切れてしまった。とりあえず、俺は酔い覚ましの薬をガブガブと飲み干す。それから、ある程度の身だしなみを整えた。布団には平和そうな顔でアクアが寝息を立てている。俺はそんな彼女をしばらく眺めていた。

 

 

 ボロアパートから出ると、黒塗りの高級車が止まっていた。俺が出るやいなや、助手席のドアが開く。中にはやっぱり先輩の姿があった。急いでそこに乗り込むと、彼女はすぐさま車を発進させた。

 

 

「それで、急な仕事ってなんですか?」

 

「単純な話だ。ここから15分ほど来るまで行った場所にある寂れた神社が異界化した」

 

「えっと……」

 

「つまりは楽しくて美味しい”悪魔狩り”の時間だ”」

 

 

 普段なら電波が何か言い出したと呆れる所だが、おっさんや彼女と話し合い、なおかつ彼らから感じる威圧感を経験している俺はそれが真実なのだと理解する。だが、こうなったらもう渡りに船だった。

 

「佐藤君、得意武器はあるかい?」

 

「えっと……刀と弓……?」

 

「ほう、なかなか歴史のある家の出身かな? だが、あいにく今はこれしかない。使ってくれ」

 

「ありがとうございます……ってこれ……」

 

「使い方は分かるだろう? ちなみに私の師匠はジョン・ウ〇ックだ」

 

 放り投げて渡されたのは自動式拳銃と数個のマガジンだった。もう今更驚いてられなくなった俺は、素直にそれを懐に入れた。そして、目的の神社前に車を止めた先輩はトランクから日本刀とショットガンを取り出していた。なんだか、もうどうでもよくなって来た俺は彼女の後ろをひょこひょことついていった。

 それから、鳥居を抜けた所で周囲の光景が一面の赤黒い妙な空間に切り替わる。どうやら、これが異界というらつらしい。

 

「この空間は悪魔が作ったものだ。最深部の異界化の元凶を倒さなければ私達が死ぬどころか周囲に被害が出てしまう。いくぞ、佐藤君!」

 

「了解ッス……って、早速なんか出てきましたよ」

 

 

 

 

『ホホホ……ホホホ……ホホホ……』

 

 

 

 

 それはおかっぱ頭の笑顔を浮かべた日本人形だった。ただ、首は不自然に長く、目や口には穴が空いたように空洞になっている。そして、先ほどからずっと不気味な笑い声を上げていて……

 

 

 

『ホホホ……ホホホ……ヒーホー!?』

 

 

 次の瞬間には、変な人形は先輩が撃ったショットガンによってバラバラにされていた。そして、残骸を踏みにじりながら先輩は良い笑顔を浮かべていた。

 

「ああ、悪魔を殺すのって最高に気持ちいいな」

 

「あっ、はい。それじゃ先に行きましょうか」

 

「ちょっと、反応薄くないか佐藤君?」

 

 もういちいちツッコでいたら終わりが見えない。さっさと、足を進める俺に先輩はぶーぶーと文句を言いながらついてきた。そして、代わり映えのしない赤黒い肉壁のような道を進むこと十分。俺達は敵に囲まれていた。相手は三匹の血濡れた日本猿、手にはチェーンソーやナイフ、先割れスプーンを持ち、頭には何故か駅員がかぶっているような車掌帽をつけていた。

 

「先輩、こいつら本当に悪魔なんですか……?」

 

「立派な悪魔だよ。ただ、この異界はどうやら”怪異”がよく出るみたいだ。それより、右の猿を頼んだ!」

 

「分かってます……”狙撃”!」

 

 もしかして無理かとも思ったが、俺の狙撃スキルは拳銃でも発動してくれたようだ。脳天を貫かれた猿は霧のように消え、残る猿も先輩が刀で切り捨てる。だが、先割れスプーンを持った猿が彼女に飛びつこうと跳躍する。それを、俺は咄嗟に魔法で撃ち落とした。中級魔法、”ライトニング”によって消し炭になった猿を見て、先輩は目を丸くした。

 

「異能も使えるのか……それなら私も本気を出さなくてはな……」

 

「先輩、新手が来ましたよアレは……おおう!?」

 

 

 それはこの場には不自然なほど綺麗な女性であった。純白ワンピースを身に纏い、純白のドレスハットからは黒く艶やかな長い髪が垂れている。ただ、身長だけは俺の二倍以上あった。

 

 

『ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……』

 

 

 おまけに意味不明な言葉を呟いていた。だが、コイツだけは明らかに今までの雑魚と格が違う。正に、レベルが違う悪魔であった。というか、エリス様に紹介してもらった仕事をやる過程でアレについてはよく知っていた。

 どうしたものかとたじろぐ俺の横で、先輩は懐から回転式拳銃のようなものを取り出した。だが、銃の先がパカリと二つに開いて何やらモニターとキーボードが出現した。

 

「先輩、その実用性の全くない銃はなんですか?」

 

「こ、こら! バカにするな……これはお父様から貰った……大切な……こほん!」

 

 急にしどろもどろになった先輩だが、彼女は変な銃を弄り始める。そうすると、彼女の両サイドに六芒星の召喚陣が刻まれる。そこから、新たな二体の”悪魔が”出現した。一体はなんだか雪だるまを悪魔っぽくデフォルメしたような奴、もう一体は目と局部だけを黒い革紐で隠した金髪の女性であった。そして、先輩は敵の悪魔……”怪異 八尺様”に日本刀を突き付けババんとポーズをとっていた。

 

 

「我が名は”卜部麗子”! 偉大なる魔法使いを前世に持つデビルサモナーにしてこの地を守護し悪魔から人々を守りしもの! 行きなさい、エンジェルちゃん、ジャックちゃん! おまけに喰らいなさい! ”アギラオ”!」

 

 

 

 

彼女の名乗りを聞いて、俺は内心ため息をついた。

 

先輩の前世はなにかと俺と縁のある頭のおかしい種族のようであった。

 

 

 

 

 

 先輩の手から放たれた結構な威力の火炎魔法によって、八尺様は炎に包まれる。そこに、追撃するように彼女の悪魔が氷魔法や雷魔法を放っていた。

 

 

 

 

そうして、決着は一瞬でついた。

 

 

 

 

 魔法で傷一つ付かなかった八尺様の華麗な回し蹴りで、先輩は召喚した悪魔もろとも赤黒い壁に叩きつけられていた。

 先輩の悪魔は霧となって消失し、後には血反吐を吐く先輩だけが残る。慌てて駆け寄った俺に彼女は申し訳なさそうに笑った。

 

「すまない。かっこつけた割にダメだった……ごふっ……」

 

「喋らないでください……ヒールヒールっと……」

 

「助かる……でも私じゃアレを倒せないらしい……そうだ……君の業務携帯には悪魔召喚プログラムが入っている……私を囮にして今は逃げろ……仲魔を十分に集めたらアレを……いやアレは無理かな」

 

『ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……』

 

 八尺様は表情を怒りに変えながら左右に体を揺らしていた。俺はさてどうしたものかと考える。先輩は戦闘不能、逃走も不可能となれば選択肢は一つしかない。

 

 

 

 

「ま、待ってくれ八尺様! 貴方のためになんでもしますから! 命だけは見逃して……!」

 

「佐藤君……?」

 

 

 

それは全力の命乞いだった。

 

 

 

『ぽぽぽぽぽぽぽ……?』

 

 

 八尺様は何やら俺に質問を飛ばしたようだ。はっきり言って意味は分からないが、とりあえず当たり障りのない返事をしておいた。

 

 

「えっと……うーん……滅茶苦茶可愛いですね!」

 

 

『ぽぽぽぽぽぽぽ……!』

 

 

 

 

 ぽぽぽぽ言いながら俺の顔を覗き込んできた八尺様は俺の適当な返事に笑顔を見せた後、霧となって消失してしまった。どうやら、俺の想いが伝わったのだろう。

 

 

 

 

「なんだかよく分からないけどヨシ!」

 

「ヨシじゃない、一体何が起こってるんだ!?」

 

「うるせーよ役立たず先輩」

 

「ひ、ひどい!?」

 

 

 もうなにがなんだか分からない俺と、涙目になっていじける先輩の間に業務携帯の通知音が鳴り響く。画面を見ると通知欄に妙な記載があった。

 

 

「先輩、”怪異 八尺様”が仲魔になりました……ってどいうこと?」

 

「これは……うーん……佐藤君って運が良いって言われないか?」

 

「ええ、よく言われますね……」

 

「つまりはそういう事だよ……っていうかこれほど高レベルな悪魔を制御できるって佐藤君……貴方は……」

 

 もうお互い喋る気力を無くした俺達はそのまま真っすぐに歩き続けた。空間が変になっているとは言え、元は神社。最深部までは一本道であった。道中、言葉が少ないながらも先輩から説明を受ける。先輩の変な銃は悪魔を使役する悪魔召喚プログラムが入った召喚機らしい。そして、俺の業務携帯にも同様のプログラムが入っているそうだ。

 

 そうこうしているうちに、異界の最深部とやらにたどり着く。赤黒い肉壁にそびえ立つ小さな社の前に、またもイロモノな悪魔がいた。それは妖艶な巫女服の女性、ただし腕は左右合わせて六本もあり、下半身は大きな蛇であった。その姿は俺のトラウマを呼び起こすラミアタイプの悪魔だった。

 

『ほう、わらわの前に姿を見せるとは度胸のある人間達よ……その勇気に免じて見逃してやろうかの……』

 

「おっ、見逃してくれるらしいっすよ先輩」

 

「ダメだ。あれがこの異界の主、ボスモンスターって奴だ。倒す以外に道はない」

 

『ふうむ……ならしょうがない。まあここの主を喰らってわらわもやっと”神”になれた。お主らで力を試すのも一興じゃ』

 

 こちらを睨む巫女ラミアからは確かに”神気”を感じた。だが、アクアと比べるまでもなく貧弱である。だからこそ、俺は業務携帯を取り出して悪魔召喚プログラムを起動した。召喚できる悪魔の一番目は文字化けとエラー表示が出ている。

 試しに一番目の文字化けをタップするが、召喚エラーが表示されるだけだった。おそらく、この文字化けはアクアだろうと不思議と察せられたが、彼女は召喚出来ないらしい。肝心な所で役に立たないのは相変わらずであった。

 だからこそ、俺は二番目の八尺様をタップする。すると、俺の目の前に六芒星の召喚陣が開き、長身の怪異が姿を現す。それを見て、巫女服ラミアはだらだらと汗をかいていた。

 

「よし、バケモンにはバケモンをぶつけるに限る!」

 

『ちょっとタンマじゃ! その……ちょっとレベル差がある気がせんかの?』

 

「ああ、その気持ちはよく分かるな。私もカッコイイ所を見せるはずが、裏ボスクラスのこいつに軽くひねられてしまった……そのご愁傷様!」

 

『まて……よさぬか……わらわはやっと……なんでもするから見逃しておくれ……!』

 

 泣き始めた巫女服ラミアに先輩は何やら同情的に話かけていた。俺はというと、相変わらずぽぽぽぽ言っている八尺様に目を向ける。彼女はニコニコと笑っていた。何となく理解出来るようになった彼女の言葉を訳すと、”あの女の子達、ちっちゃくてちょーかわいいよー!”だった。

 とりあえず俺は塞ぎこんでいる巫女服ラミアの肩を叩く。彼女はびくりと身体を震わせる。そんな彼女に俺はお決まりのセリフを叩き込んだ。

 

 

 

 

「今、なんでもするっていったよね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝

 

 

 

 

 

 

 ボロアパートにて、まぶしい朝日と共に俺はたたき起こされる。起きると、アクアが泣きながら俺の身体を揺さぶっていた。

 

 

 

 

 

「うああああああっ! ふわああああっ! カズマさんが……カズマさんが浮気しだああああああっ!」

 

「朝からうるせーよ! つーか浮気ってなんだよ!?」

 

「しらばっくれるの!? この……泥棒猫……! アンタ達からも何か言いなさいよ……!」

 

『ぽぽぽぽっ!?』

 

『イダっ!? なんでわらわがこんな目に……!』

 

 

 

 

 泣きながら八尺様と巫女服ラミア……”邪神 姦姦蛇螺”をスリッパではたくアクアを横目に見ながら、俺は眠りに落ちる。もう、今は何も考えたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




気が付いたら一話伸びた。
次回、このルートの最終回。
やっと脱線から戻れますね

元ネタ
悪魔召喚プログラム など: 真・女神転生シリーズ

今回出た都市伝説系怪異についてはすべて洒落怖のもの
(2chのオカルト板)


渦人形
ショトガンで先輩に倒された奴。元ネタでも物理破壊されてる。日本ホラー安定の呪殺系。

猿夢
物騒な日本猿の姿をした怪異。元ネタを見ると夜寝るのが不安になるトラウマ都市伝説。

八尺様
洒落怖のシンデレラガール。数年前まで本気で怖がられ、知名度もかなりのものだったが、気づけばオネショタジャンルに取り込まれある意味ソープ堕ち。怪異にしては、見た目が清楚系

姦姦蛇螺
元ネタでも逸話は怖いが登場人物にした事は立ち入り禁止の場所に入った若者をおどかしただけ。怪異の割には慈悲深い。
巫女服ラミアという和風モンスター娘みたいな見た目のせいで案の定ソープ堕ち。




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エピローグ? そんなものはアンタには渡さないわ

元アクシズ教が運営する会社に就職してから早くも三ヵ月が経過した。当初は単なるウォーターサーバーの営業かと思ったら、悪魔退治なんていう変な裏の仕事も任されるようになったりと色々あったが、なんだかんだで生活は順調だ。悪魔の出現は一月に一回あるかないかであるし、悪魔の強さも異世界のモンスター達とそれほど大きな差はない。神社での異変を解決し、すぐさま独り立ちとなったのは流石に不安だったが、そんな不安も”彼女達”のおかげで大分和らいでいた。

 

「お~やってるやってる……流石は八尺様……頼りになるな~」

 

『何を呑気な顔をしておる。あの山姫にも限界はあるのだぞ?』

 

「へいへい……”狙撃”」

 

『むっ……びゅーてぃふぉー!』

 

 視界の先、のどかな田園風景の中心では巨体を俊敏に動かして敵悪魔を次々と粉砕しているのは仲魔である八尺様だ。そんな彼女を潜り抜けて俺達に近づく敵悪魔……赤くぶよぶよとした塊に人間の顔が複数浮かび上がった気味の悪い見た目をした”幽鬼レギオン”をボルトアクション式ライフルで狙い撃つ。

 弾丸が見事に命中したレギオンは血しぶきを上げ肉片を飛び散らしながら消滅する。この地球じゃ銃で撃たれれば幽霊も悪魔も神も殺せる。それは知りたくもなかった新たな常識だった。そして、次のターゲットをライフルのスコープ越しに探していた時、視界に何やら白い物体がかすめる。その瞬間、俺は慌ててライフルを投げ捨てた。

 

「あっぶね!? クソ……あの白いくねくねした奴の相手は任せた!」

 

『あいわかった。報酬はお主の濃厚な生体マグネタイトでよいぞ』

 

「無駄口言ってないで早く行け!」

 

『むぅ……つれないのう……』

 

 不満そうな表情を浮かべる姦姦蛇螺の下半身をげしげしと蹴りつけると、彼女はのそのそと田んぼふちでくねくねしてる奴の討伐に向かった。それを見届けた俺は、この悪魔が湧き出る原因となっているらしい古民家へと足を運ぶ。そんな古民家の居間では、先行して突入していた女神アクアの姿があった。濃紺のレディーススーツに身を包んだ彼女は何やら難しい顔をしながら木製の立体パズルのような木箱をいじっていた。

 

「それでアクア、悪魔が湧く原因は分かったのか?」

 

「それなら丁度その原因を浄化した所よ。だから、外の連中も力を失って消えてるはずだわ。それより、この箱を開けてくれないかしら? こういうのって中身が気になるのよね」

 

「へいへい、これくらいのパズルな楽勝……って何やらすんだ駄女神!」

 

「ひゃっ!? いきなり怒鳴らないでよ!」

 

 俺はアクアから渡された箱を窓から外に向けて思いっきり投げ捨てた。アクアは何やら俺に対してびくびくしているが、俺は流れるようにノリツッコミをしてしまった自分自身にびくびくしていた。

 

「お前が俺に投げ渡したのは多分、”コトリバコ”っていう呪い箱で……お前は呪いとか大丈夫なのか?」

 

「私があんな程度の低い呪いを受けるわけないでしょう? それより、アレの正体がよく分かったわね。私はあんなの初めて見たわよ?」

 

「まあアレは結構特徴的な見た目してるしな。最近は暇なときはそっち関連の勉強もしてるし……それはそれとして……アレの中身は……」

 

 

 

 コトリバコの中身を聞いたアクアはうげっとした顔をしていた。そして、事務所に任務完了の連絡を入れた俺はアクアと共に外に出る。そこには、どんよりとした異界の瘴気は消え去ったのどかな田園風景が広がっていた。

 

 

『おお……甘露、甘露……』

 

 

『ぽぽぽぽぽっ……!』

 

 

 そして、仲魔の怪異たちはそんな田んぼの一画で壊れたコトリバコから中身を取り出してポリポリと食べていた。アクアと共に俺もうげっとした顔をしてしまう。なんだかんだでコイツらも立派な化け物だった。

 

「ねえ、やっぱりアレは滅ぼすべきじゃないのかしら……」

 

「物騒な気は抑えろ……それより今夜は面倒な仕事の達成を記念して一杯やるか」

 

「ふーん……そう……」

 

 興味なさそうな表情で生返事をしたアクアが車の助手席に乗り込む。俺は武器や物品をトランクにつっこみ、全身を敵悪魔の血で染めながら笑顔で戦闘終了後のご褒美をねだってくる怪異達を送還術式に叩き込む。そうして、運転席に乗り込んだ俺をアクアは半眼で睨んで来た。

 

「どうした、不機嫌だな? 何かやっちまったか俺?」

 

「やっちまったもクソもないわよ……もうわけが分からないわ! どうしてこうなったの!?」

 

「どうしてたもこうしたも、お前が俺が浮気するからなんて変な理由で仕事に付き合うようになって……」

 

「そうじゃないわよ! 前提がおかしいの! カズマさんとこの日本で二人っきりで暮らす事になった時、私は少し退屈だけど幸せで穏やかな日々が過ごせるって思ったのに! それがこんな……!」

 

 頭を抱えて項垂れるアクアを横目に俺は車を発進させる。ちなみに、この車は営業車ではなく神社での臨時ボーナスで購入した車である。彼女を連れてドライブに繰り出した時、『アクアが”アクア”に乗っているなんて……ふひゃははは!』と一人で爆笑し、彼女にドン引きされた記憶は今も新しい。

 それはそれとしてこの頃、アクアの精神が若干不安定なのは知っていた。もしかしたら、めぐみんやダクネスに対しての罪悪感でも抱き始めたのかと思ったがどうやら違うようだ。

 

 

「数か月前までスーツを着て現代社会にズタボロされるカズマは正直言って可愛かったわ。母性本能ともいえる女としての心をぐいぐい刺激するアンタの姿を全力で応援したし、そんな状況でも甘える私に優しくしてくれたのは嬉しかったわ。でも、たった三ヵ月後には怪異を従えて悪魔を狩ってるし、初々しいスーツ姿はどこかに消えて変な軍服を着て銃をぶっぱなしておまけに頭には金色のバケツをかぶってるのよ!? もう、私はどうすればいいか分からないわよ!」

 

「なんだよお前、急にヒス起こすなよ。後、デモニカスーツを馬鹿にするな。防御面も優秀だし、こんなにもカッコイイのに……」

 

「むきいいっ!」

 

「いてててっ!? わかった、わかったからヘルメットを殴るな! 脳が揺れる!?」

 

 急にヒステリックを起こし俺の頭を殴打し始めたアクアを宥めるため、俺は彼女が金色のバケツと称したヘルメットを脱いで後部座席に放り投げる。後には、頬を膨らましたアクアの仏頂面が残った。その後、押し黙ったアクアをそのままに車を走らせて家へと直帰した。

 

 家についた俺は車を地下駐車場に止めてエレベーターへと乗り込む。そして、マンションの最上階に位置する我が家に入り、アクアはふらふらとソファーへ導かれて横になる。俺はというと、地方都市の控えめな夜景を見ながら、ウォータサーバーから紙コップに注いだ水をゴクリと口にした。

 

「なあ、アクア」

 

「なによ……」

 

疲れたようにソファーでぐったりと横になるアクアに、ここ最近における”真理”を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「人生ってチョロいな!」

 

 

 

 

 

 

 顔面に向かってテレビのリモコンが飛んできた。アクアが投げつけたそれを難なくキャッチした俺は彼女の横へ腰を降ろし、巨大な壁かけテレビのスイッチを入れる。こちらにゲシゲシと蹴りを入れるアクアを上から抑え込むと、彼女は相変わらずの仏頂面をしていた。

 

「どうした、今の生活が不満か?」

 

「不満は別にないわよ。でも、それはそれとしてカズマの事はムカつくの! この成金!」

 

「おいおい、それは誉め言葉だぞ……」

 

「ううぅ~!」

 

目に涙まで貯めてこちらに反骨心を示すアクアに対し俺は溜息をついた。

 

 

 

 

 神社での怪異討伐の後、臨時ボーナスとして数百万円の報酬を受け取った。先輩によると、あの異界で出現した悪魔は非常に強力だったらしく妥当な報酬らしい。それこそ、この規模の案件を昔気質の退魔士に依頼すると報酬としてこの数倍は必要だそうだ。

 ともかく、あぶく銭を受け取った俺は出社までの足として車を購入したり、先輩の紹介で刀や銃器をなどの武器を手に入れたりした。それでもまだ余った金を使い、俺は更なる金儲けをしようと企んだ。そうして手を出したのはあのFXだ。最悪、FXで有り金を全部溶かした人の顔を晒すことになってもエリス様に泣きつけばいいかと楽観的に始めた。だが、一か月後には元金は約100倍に膨れ上がっていた。あぶく銭で更にあぶく銭を手に入れた俺だが、今のレバレッジで損失を出したらこの莫大な資産も吹っ飛んでしまう。

 という事で、FXをきっぱりやめて株式投資に手を出す事にした。その結果、莫大な元金は二ヶ月後にはその三倍に膨れ上がっていた。とりあえずアクアの資産に俺の資産の8割を入れたところ、ひと月に引き出して良い上限が数百万まで伸びた。そして、残りの2割をいわゆる安定株の購入に当てた結果、今まで通りの生活をするだけなら配当金だけで可能となった。

 この結果に対して大きな揺り戻しは起こっていない。株式投資で実は結構な損失を出した事が揺り戻しの可能性もあるが、最終的には利益が損失を上回った。今ではアクアと遊びで競馬やボートレースに手を出しているが、アクアは毎回のように撃沈している一方で俺は小さな勝ちを繰り返してアクアの損失を補填できるほどの額は博打によって得たいた。これを見て流石の俺も実感する。どうやら、俺は異世界でも経験した”安定期”に入っているようだ。これは苦労して稼いだ金は博打に入れても裏切らないというジンクスをより実感させた。

 ちなみに現在の仕事についてだが、今では水の配送などの仕事は他の社員に任せ、悪魔狩りはノーギャラで行っている。アクシズ財団には結構な額を寄付して例の上層部のおっさんとも緊密に連絡を取り合った結果、今では色んな意味で”事情通”である。また、デモニカスーツもその伝手で手に入れた最新式の装備だった。

 

「そういえば、わざわざ隣に引っ越したっていうのにここしばらくエリス様達に会ってないよな……」

 

「うっさいわね……アンタは私だけを見てればいいのよ……」

 

「なんだよ、焼きもちか?」

 

「あーもう……本当にカズマは……」

 

 イライラした様子のアクア俺はぎゅっと抱きしめる。そうすれば、経験上アクアは大人しくなるのを知っていた。案の定、いそいそと抱きしめ返してきた。そんなアクアを撫でながら俺はもう一つの真理を悟った。

 

 

 

 

 

「アクアってチョロいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「むがあああっ!」

 

「いてえええっ!? なにすんだ駄女神!? 噛むなクソバカ!」

 

 

狂犬と化したアクアを振り払いながら俺は何とも言えない充足感のようなもの覚えた。その感情が何を示すのかはいまひとつ分からないが、おそらくこれが”幸せ”というものなのだろう。

 

 

 そんな日の翌日、朝からテレビ前のソファー陣取っていた俺にアクアが神妙な顔で立ちはだかる。彼女の手には以前も目にした豚の貯金箱が握られていた。

 

「ねえカズマ、暇なら旅行でも行きましょうよ。せっかく生活も安定してきたのに、アンタってばだらだら過ごしてるだけじゃない」

 

「なにおう!? これでも俺も結構色々とやってる……というかもう貯金箱を硬貨でいっぱいにしたのか?」

 

「残念ながらこの中身は半分も貯まってないけど、カズマがすでに馬鹿らしいほどのお金を手に入れているじゃない。それなら少しくらいは旅に出てもいいと思うの」

 

「うーん……」

 

「なによ、乗り気じゃないの?」

 

「別にいいと思うぞ。ただ、どこに旅行に行くんだ?」

 

 思えばアクアと旅行について話すのはこれが初めてではない。一週間に一度は話のタネになっていた気がする。だが、その場では旅行先の決着がつかずに毎回言い争いで終わっていた。となればここは言ったもん勝ちである。俺はかねてから行こうと思っていた地の名を口にした。

 

「それじゃあ北海道に行くか! やっぱ旅行と言ったら美味い飯がある場所だよな!」

 

「はあ? 何言ってるのカズマ、旅行っていったら綺麗な海と豊かな自然を楽しめる沖縄に決まってるでしょう!?」

 

「いやいや、沖縄とか飯がクソまずいから論外だろ。豚の餌よりひどいのばっかじゃねえか」

 

「ちょっと待ちなさい! 流石にそれはディスりすぎよ! それにご飯は米兵御用達の料理屋にいけば問題ないわ。それより、ご飯以外はじゃがいも畑しか存在しない北海道の方が論外よ!」

 

「いやその北海道にも色々あるぞ……その用途不明の時計塔とか……あと……うーん……五稜郭……? と、とにかく俺は北に行くぞ! つーかお前も沖縄の飯のまずさは分かってるみたいじゃねーか!」

 

「うっさいわね! それよりアンタは北海道のつまらなさを経験した事ないの? 道内全域の観光施設は寂れてるし嫌になるくらい虫が多くてストレス満載なの。という事で沖縄で決まりね!」

 

「はあ!? 勝手に決めんな駄女神!」

 

「うっさいわよバカズマ!」

 

 それからはいつものような言い争いになってしまった。お互いの旅行先についてある事ない事をディスりあい、数時間後には大人げなくつかみ合いの喧嘩となった。そうして、お互いにぼろぼろとなった俺が提案したのは”多数決”であった。

 

「という事で八尺様、北海道と沖縄、旅行するならどっちがいい?」

 

『ぽぽっ……?』

 

「ねえカズマ、こんな怪異にそんな質問するの?」

 

「一応は日本の怪異なんだから知識はありそうなんだが……」

 

 苦肉の策で出した妥協案に、アクアだけでなく俺も心配になってきた。だが、質問を受けた八尺様はどこからともなくスケッチブックと油性ペンを取りだして何かを描き始める。そうして、ニコニコとした笑顔で俺達の前にスケッチブックを差し出す。そこには、どこか見覚えのある形が記されていた。

 

「これって県のシルエットよね……確か東北地方の……何県だったかしら」

 

「岩手県だな……」

 

「ねえ、二択で聞いてこの答えを出すなんて、この子ってば結構なバカよね……」

 

「おう、事実でも言ってやるな」

 

 アクアと共に八尺様を暖かい目で見ていると、彼女はスケッチブックに『ばかじゃないよー』と書き足して涙目になっていた。だが、彼女のせいで旅行先について更なる話の捻じれが出たため、俺はさっさともう一人の怪異、姦姦蛇螺を召喚した。

 

「という事で旅行に行くなら北海道と沖縄、どっちがいい?」

 

『なんじゃいきなり……まあ旅行ならば、わらわは長野にいきたいのう。弱っていた分霊とはいえ、かの祟り神の力を貰い受けたのじゃそれ相応の礼を……ってなんじゃお主ら? 物騒な顔を浮かべよって……』

 

「カズマ、やっぱりこのお馬鹿さん達はさっさと始末した方がいいと思うの」

 

「落ち着け落ち着け……ともかくこれじゃあ話が振り出しに戻ったな」

 

 一気に熱の冷めてしまった俺達に八尺様がすっとスケッチブックを差し出す。そこには、デフォルメされた笑顔の八尺様と『Go To 岩手』の文字、彼女の周りに倒れ伏す俺達のイラストが描かれていた。思わずため息をついた俺だが、そのイラストの中央に描かれたものを見て妙案を思いついた。

 

「こうなったら、ゲームで決着をつけようじゃないかアクア」

 

「別にいいけど、運ゲーは許さないわよ」

 

「安心しろ。勝負は麻雀でつけようじゃないか。これなら運ゲーとまでは言えないだろう?」

 

 

 

俺の言葉を受けたアクアは最初は難色を示したが、次第にニヤニヤとした表情を浮かべ始めた。

 

 

「ふーん、その勝負を受けて立つわ! それと、最初に言っておくけど、私は手先が”器用”なの。後から難癖をつけるのはお互いになしにしましょう?」

 

「ああ、別にいいぞ。まとめて俺の運で消し飛ばしてやる……!」

 

 

 

 

 

 

こうして、旅行先を賭けた真剣勝負が始まった。

 

 

 

 

 

 

「嘘よこんなの……燕返しだって決まったのに……」

 

「俺の運が負けただと……!?」

 

『はいはい、キンクリキンクリ』

 

『ぽぽぽぽぽっ!』

 

 旅行先を賭けた麻雀勝負は結果として八尺様の一人勝ちで終わってしまった。彼女はニコニコした笑顔を浮かべ『優勝!』と書かれたスケッチブックを持って身体を左右に揺らしている。一応、俺は二位でアクアは三位、ラスは巫女服ラミアが引いた。一応、俺が二位なのでアクアには勝ったのだが、いまさらそれを言って勝ち誇る気力はもう残っていなかった。

 

 

 

『お主ら、そんなに落ち込むくらいなら両方行けばよかろうに……』

 

 

それは、ヘビ女がぽつりと呟いた一言だった。

 

 

 

 

これには俺とアクアも顔を見合わせる。

 

それは一種の盲点だった。

 

 

 そして、八尺様がスケッチブックを俺に押し付けてくる。そこには『日本一周! ちょーたのしいよー!』と書かれていた。そうと決まれば話は早い。俺とアクアはノートパソコンを覗き込みながら旅の予定を立てる事にした。

 

「よし、それじゃあ大洗からフェリーに乗って……」

 

「バカねカズマ! どうせ船に乗るなら日本海側を通りましょうよ。太平洋って汚いじゃない」

 

「なにおう!?」

 

 

結局、日本一周旅行の予定は大筋をまとめるだけでも翌朝までかかってしまった。

 

 

 

 

 そして、アクアが寝落ちしてから数時間後、俺は書店へと足を運んで旅行雑誌を大量に買い込んで足早に帰宅していた。だが、我が家である最上階にてエレベーターを降りた際にそうした浮ついた気持ちは消し飛ぶ。俺の目の前には少し懐かしい友人の姿があった。

 

「やあやあ助手君、久しぶりだねぇ」

 

「ああっ……久しぶり……」

 

「どったの? なんだか気分が悪そうだよ?」

 

「いや別にそういうわけじゃないんだが……」

 

「まあまあ、今日は君もお待ちかねな”あの子”が来てるから相手をしてあげてよ」

 

 そう言って小さく微笑んだのは相変わらず布面積の少ない衣服を着た銀髪ショートの快活娘。女神エリスの分身、クリスであった。彼女は俺に手招きをした後、ゆっくりと歩き出す。俺は買い込んだ旅行雑誌を急いで我が家の玄関に叩き込んでからその後に続いた。今更ながら、新居にこのタワーマンションを選んだのは失敗な気がした。

 

 俺がエリス様の部屋に入ると、アクア達から比べると少し小さな影が俺の胸に飛び込んで来た。最初はめぐみんかと思ったが、彼女よりかは豊かな双丘を感じてそれは違うと思いなおす。何より、目下に見える女の子の髪色は眩しいくらい鮮やかな金髪だった。

 

「お兄様お兄様お兄様~!」

 

「んっ……!? お前……まさかアイリスか!?」

 

「はいっ! お兄様の将来の結婚相手、アイリスですよ!」

 

「いや、結婚相手って……」

 

「ご不満ですか? ふふっ、でもめぐみんさんよりかは私も成長しているんですよ。いつまでも子ども扱いは許しませんから」

 

 ロイヤルスマイルを浮かべるアイリス王女とこうして真っ向から顔を合わせるのは実はかなり久しぶりだった。それ故に彼女の成長ぶりには少し驚く。身長の伸びはそれほどではないが、全体的に出るとこは出て引っ込むところは引っ込んだ非常に理想的な成長ぶりであった。

 

「めぐみんさんからお兄様がアクアさんと故郷に帰り、会いに行ってみれば男女の関係になってたと泣きつかれた時にはどうしようかと思いましたが、私にとってはチャンスでしかありません! 結婚しましょうお兄様!」

 

「だからいきなりすぎだっての! 離れろクソガキ!」

 

「ちょっと待ってくださいよお兄様! 子ども扱いはいやです!」

 

「ああもう、クリス! パスパス!」

 

「はいよ~」

 

 飛びついてくるアイリスを俺はクリスへと受け流す。アイリスは頬を膨らましてクリスに抗議していたが、俺はクリスの目配せに頷いて部屋の奥へと進む。そうして進んだリビングには所在なさげに佇むダクネスの姿があった。約半年ぶりとなる彼女との再会を前にお互いが無言になってしまう。窓際で佇むダクネスの横に陣取ること数十分、重い口を開いたのはダクネスの方からであった。

 

「めぐみんから話は聞いた。アクアと駆け落ちまがいの関係になったらしいな」

 

「そういう言い方は……いや認める。結果として今の俺はアクアと恋人関係だ。ダクネス達にとっては急かもしれないが、俺にとっては別にそうでもない。異世界ではなんだかんだで一番古い付き合いだし、当時の事を振り返るとアイツが俺にとっては救いの女神以外の何物でもないんだ。一度女として意識してしまったらもう俺の負けだ。俺はもう、アクアの傍を離れたくない」

 

「そうか……」

 

 言葉少なく黙り込むダクネスを前に俺も再び沈黙を選ぶ。彼女は窓から見える景色を眺めながら、表情をほんの少しだけ和らげた。

 

「正直言って、私はお前に会うのが怖かった。自信満々でこの世界に赴いためぐみんが、次の日にはズタボロになって帰って来た。それ以降はずっと塞いでたよ。出てくるのはアクアへの呪詛とカズマへの恨み言ばかり。流石の私も気づけたよ。貴様がアクアを選び、私達を見捨てたとな」

 

「…………」

 

「だが、今日のカズマの表情を見れば嫌でも気づかされる。お前があのポンコツ女神をどうしようもなく愛してしまったとな。それに、貴様の表情にはやすらぎと安心が見え隠れしている。やはり、故郷というものは人間の拠り所なのだな」

 

「そうだな。なんだかんだ言って、日本の風土とこっちのハイテク機器に囲まれた生活は落ち着くんだ。異世界も悪くなかったけど、ネット環境や漫画みたいな娯楽はこちらが勝る。おまけに向こうでの安心感の象徴だったアクアが傍にいるおかげで俺は……そうだな……幸せな日々を過ごしてるよ」

 

「なっ……!? こっちまで恥ずかしくなるような話をよく堂々と出来るな」

 

 顔を赤らめながら俺に文句を言うダクネスを俺は涼しい顔で受け流す。もうこんな事でいちいち恥ずかしがってはいられないし、曖昧な態度では彼女達を余計に傷つけてしまう。だからこそ、俺は彼女に厳しい言葉を吐くことにした。

 

「これも一種の旅の恥はかき捨てって意味だ」

 

「それは……どういう意味だ?」

 

「そのまんまの意味だよ。俺は異世界に帰る気はないし、今後の人生もアクアと共に歩むつもりだ。こうして旧交を温めるのはたまには良いもんだ。でも、俺はもうお前らとこれ以上は仲良く出来ない。あの女神様はわりかし嫉妬深いんだ」

 

「えっ……」

 

絶句してしまったダクネスを残し、俺はさっさとこの場を去る事にした。玄関前では相変わらずアイリスがクリスに拘束されている。クリスはというと、俺に視線を向けてから何かを察したのだろう。しょんぼりと項垂れてしまった。代わりに開放されたアイリスが飛びついてくるが、俺はそんな彼女の頭を手でつかんで止めた。

 

「お兄様、どこに行くのですか!? 私はお兄様の故郷を案内して貰いたいです!」

 

「あのな……いや……この際だからはっきり言ってやる。アイリス、俺はアクアと付き合ってるんだ」

 

「はい、存じてますよ! でも、ここに帰化すれば私を縛る王女なんて肩書も消せますし、私はお兄様の妾だとしてもそれはそれで……!」

 

 興奮した様子でそんな事を語るアイリスには正直言って辟易する。だが、この程度で俺は屈しない。彼女の頭をがっしりと掴んで目線を合わす。キョトンとした表情でこちらを見るアイリスに俺ははっきりと言ってやった。

 

 

 

 

 

「迷惑だからもうこっちに来るなよ王女様」

 

 

 

 

 固まってしまったアイリスに俺は罪悪感を覚えたが、これは仕方がない事だと割り切る。エリス様の部屋から出た後、俺は背後から聞こえる”子供の泣き声”を出来るだけ聞かないようにした。そうして、マンションの通路を歩きながらやっぱりここは引っ越した方がいいなと後悔していると、背後から誰かが駆け寄る気配がして振り返る。そこには無表情で感情のこもってない瞳をこちらにむけるダクネスがこちらをじっと見ていた。

 

「決めたよカズマ、私は諦めない」

 

「往生際が悪いな……」

 

「別に私はカズマの言葉が信じられないわけじゃない。ただ、私はアクアの事が信じられないだけだ」

 

「おいおい流石にそれは……」

 

「いいや、この際だから言ってやろう。アクアはどうしようもないバカでクズのノロマだ。頭は働かないし、男の機微を察せない鈍感さもある。何より、カズマの言うようにアレはどうしようもなく嫉妬深いし、掴んだら離さない諦めの悪さもある。そういった事を重ねて、アレは貴様を失望させる。そんな時の貴様の受け皿に私はなりたいんだ」

 

 アクアの事を悪く言われる事で俺の心もカチンとくるが、それ以上に今のダクネスの心情が理解出来なかった。彼女の考え方は何というか”最初から負けている”。ダクネスの諦めの悪さはよく知っているが、これはいつもの彼女の諦めの悪さとはまた別のベクトルな気がした。

 

「なあ、考え直せダクネス。お前がこっちに来て横恋慕しても誰も幸せにならない。それに、ダスティネス家はどうするんだ?」

 

「貴様のためなら私は貴族なんてこちらからやめてやる。私はもうこちらで暮らす覚悟は決めた」

 

「本気か……?」

 

「ああ、本気だよ。私は貴様をどうしようもなく愛しているからな」

 

 

 それはとてもダクネスらしい諦めの悪さだとある意味では言えた。だが、俺はそんな彼女に苦笑いしか返す事が出来ない。

 

 

それが俺にとって決定打だったからだ。

 

 

 

 そして、右手は自然と懐の自動式拳銃へと延びていた。だが、抜き撃ちをする直前で思いとどまる。それはダクネスの防御特性を忌避したからではない。ただ、彼女の正体に察しがついてしまったからだ。

 

 

 

「なあ、そんなに俺が信用できないのか?」

 

 

「いいや、私はカズマをこれからもすっと永遠に愛して信じ続ける。でも、あの女は信用出来ないんだ!」

 

 

 嫌悪感を滲ませたその表情に俺は溜息をつく。それから、ゆっくりと帰路へとついた。ダクネスはそれ

以上は追ってはこなかった。

 

なんとも嫌な気持ちになりながらも、我が家のリビングについた俺は気持ちよさそうに眠るアクアを揺り起こす。彼女は少し不機嫌そうな寝ぼけ顔をしていたが、俺が買ってきた旅行雑誌を見て満面の笑みを浮かべていた。

 

「やるじゃないカズマ! えへへーそれじゃあ旅行計画の詳細をたてましょうか!」

 

「ああ、そうだな」

 

 アクアとあれやこれやと笑顔で会話しながらも、俺の心の奥底では何とも言えない気持ちが渦巻いていた。だが、そんな思いも彼女との楽しい旅行計画を前に小さくなっていく。アクアだけは何があっても守り抜く。その思いは今も昔も変わらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 約二週間に渡って議論された日本一周旅行の計画。それをワードにまとめてコピーした簡易の旅のしおりを片手に、俺は地下駐車場へと足を運んだ。アクアとの相談の結果、自家用車を使って旅をする事にしたのだ。仕事に関しては先輩に頑張ってもらう事にして約三ヵ月の休職である。まあ、元々あってないような仕事だったのでそこは大丈夫だ。とにかく、二人でそこそこの荷物をトランクに突っ込み、いざ旅行に出発だとそりゃあもう上機嫌で出発した俺達に”アレ”は立ちはだかった。

 

地上への入口へとつながる通路に黒い瘴気と重苦しい雰囲気を漂わせる何かがいたのだ。だが、奴の姿と顔は瘴気で判然としないが、それが人型であることだけは理解出来た。俺はどうするべきかとアクアに視線を飛ばしたが、アクアはというと”アレ”を見てどこか怯えていた。

 

「アクア、アレはなんだろうな。さっきからあそこ動かねえから駐車場から出られねえ。もう、思い切って車で突っ込んでみるか?」

 

「そ、それはダメよ! それとカズマ、あれの事は”認識しない”ようにして、私がアンタに術式をかけて見えないようにしてるけど、用心はした方がいいわ」

 

 その言葉を聞いて俺は相手が精神干渉系の技能を持つ悪魔か、くねくねのような理解したら発狂系の何かかと理解する。だからこそ、俺の行動は早かった。車を止めてトランクを漁り、刀とショットガンを手早く取り出し、悪魔召喚プログラムを弄って八尺様と姦姦蛇螺を召喚するが、その間も黒い影には動きは見られない。せっかくだからとショットガンでやつに狙いを定めた俺を、助手席から飛び出したアクアが慌てて止めに入った。

 

「待ちなさいカズマ! アレは……多分私が交渉すればどいてくれるわ。だからその……物騒なのはやめて!」

 

「大丈夫なのか……?」

 

「そう信じるしかないわ。流石の私でもアレは……」

 

怖気づいたように下を向くアクアの背を俺は軽く撫でる。そうして、くすりとした微笑みを見せた彼女は黒い影に対峙する。奴までの距離は約20メートル。俺は神経麻痺の効果がついたスラッグ弾を静かに装填した。

 

「ねえ聞いて……貴方はなんでここにいるの?」

 

『………………』

 

「私は貴方に伝えたはずよ? ここは”私の世界”よ。だから、去りなさい。ここはただの通過駅であって貴方の終着駅はここじゃないの。だから……」

 

 

 奴の動きを注視していた俺は、奴の動きを見逃さなかった。だからこそ、俺はすぐさま指示を飛ばしていた。

 

 

「防げ!」

 

「ちょっとカズマ……って……えっ……!?」

 

 俺の指示に忠実に動いてくれたのは八尺様だった。素早くアクアの前に躍り出た八尺様は、奴が懐から出した回転式拳銃による銃撃を代わりに受ける事となる。駐車場内に反響する銃声と共に八尺様の身体は霧となって消えてしまった。

 

「アクア、アイツはなんだ!?」

 

「アレはその……とにかく殺すのは私が許さないわ!」

 

「なんだよそれ!? まあいい、とりあえず足止めをは頼んだ!」

 

『それはもしかしてわらわにいっとるのか? あの山姫を一撃で倒した相手にわらわが敵うはずが……』

 

「いいから行け! 後、銃弾は絶対に避けろ! あれは破魔と呪殺の力が宿ってるみたいだ」

 

『こ、こら!? わらわを足蹴にするでない! むう、行けばいいのだろう行けば……』

 

 ゆっくりとこちらに歩みを進める黒い影に姦姦蛇螺が思いのほか俊敏な動きで襲い掛かる。それを傍目に俺は動揺しているアクアの頬を軽く叩いた。彼女はほんの少しの間、何かに葛藤していたが覚悟を決めたように言葉を紡いだ。

 

「カズマ、アレについては言葉で説明している暇はないわ。でも、対処法は一つ。アレをいるべき場所に戻して二度とこちらに来れないようにその次元との繋がりを絶つ。それしかないわ」

 

「ならさっさとしてくれ。アレは明らかにアクアを狙ってたぞ!?」

 

「あの黒い影を送り返す次元はあのエリスの世界なの。だから、アレを封印したらもう二度とあちらの世界にはいけない。それでもいいの?」

 

 申し訳なさそうな顔でそんな事を告げるアクアに俺も僅かなためらいが生まれる。だが、目の前の女神の存在と比べれば、取るべき選択肢など最初から決まっていた。

 

「俺は異世界なんてどうでもいい。アクアさえいればいいんだ!」

 

「ちょっ……アンタってばいきなり……!」

 

「とにかく、さっさとやっちまえ!」

 

「う、うん……!」

 

 顔を深紅に染めながら神気を漂わせ始めたアクアは詠唱や祝詞のようなものを唱え始める。だが、それと同時に何かの液体がぶしゃっとまき散らされる音がした。黒い影の方へ目を向けると、姦姦蛇螺が上半身と下半身をざっくりと切断されて血に溺れていた。

 

『まさかこんな最後とはのう……ああっ……わらわの神格が消えて行く……』

 

『…………』

 

『まあ、短いながらも……ひぎっ!?』

 

 姦姦蛇螺の首が宙を舞う。斬り飛ばしたのは奴が手に持つ大鎌だった。その姿を見て俺の頭の中で想起するものがる。それは”死神”という存在だった。

 

「カズマ……」

 

「分かってる。俺が足止めするから後は任せた」

 

「うん……お願い……それと貴方の携帯を貸してちょうだい。あの子達の事、悪いようにしないわ」

 

「ああ、頼んだ」

 

 俺はちらりと悪魔召喚プログラムの入ったスマホを見る。そこには戦闘不能の文字が並び、姦姦蛇螺に至っては邪神の肩書きが”鬼女”となって大幅に弱体化していた。それをアクアに投げ渡し、俺は日本刀を構えて奴と対峙する。黒い影は、禍々しい大鎌を構えながらゆっくりと足を進めていた。

 

「なあお前は一体何者なんだ?」

 

『…………』

 

「答えないか。でも、ここから先には進ませねえ! こんな所で躓いてたまるか!」

 

『っ………!』

 

 俺の刀による斬撃は黒い影の大鎌によって防がれる。だが奴と刃を交える事で俺も相手の事が少しは理解出来た。それは奴が大鎌の扱いに慣れていないという事、おまけに奴の攻撃は大振りで”命中率”が悪かった。

 

「オラっ! さっさと死ね!」

 

『……!』

 

俺の回し蹴りをまともに受けた黒い影は地面へと無様に転がる。そんな奴に刀を突き立てようとした時、黒い影は新たに現れた巨大な何かに体を吹っ飛ばされ、壁際に駐車されていた高級車に突っ込んで車を大破させる。思わず振り返った俺は。八つの首を持った巨大な大蛇と目が合った。そいつはフシャーっと鳴いた後、よろよろと立ち上がった黒い影に再び突っ込んでいく。それを見届けた俺はひとまず、戦線を後退させた。

 

「なあアクア、あのヘビってもしかして……」

 

「昔、私に力をくれた水神の搾りカスをあの子に上げたのよ。同じ水神だったから悪魔合体も上手くいったわ。それより、準備は出来たわ。後はアレをあそこに押し込むだけよ」

 

 アクアが指さした先、地上への出口付近の通路に真円を描く空間の裂け目が出来ていた。そうと決まれば話は早い。俺はもう一度ショットガンを手に取った。

 

「アレが……”あの子”が持つ鎌は”神殺しの武器”よ。心苦しいけど私は斬られるわけにはいかない。だからカズマ、あの子は貴方が返してあげて。きっとそれが一番後腐れがないわ……」

 

「ああ、任せろ! で、それはそれとしてアイツは無事か?」

 

「はいはい、分霊だったおかげで消滅はしてないわ。という事でさっさと決着をつけてきなさい。せっかくの旅行初日を台無しにしないで」

 

 そう言って、アクアは肩をすくめながら携帯を俺に投げ渡してくる。すぐさま画面に目を落とした俺は”龍王ヤマタノオロチ”と可愛げない姿になったアイツに軽く笑いつつ、戦闘不能の文字が消えた彼女を召喚した。

 

『ぽぽぽぽっ!』

 

「蘇った所で悪いが連戦だ。いつも通り前衛を頼む。援護はするから奴をあの次元の裂け目に押し込んでやれ!」

 

『ぽぽぽっ』

 

 おっけーっと書かれたスケッチブックを片手に八尺様が黒い影に向かって行く。俺は巨大ヘビを相手に防戦一方になっている黒い影に照準を向ける。とはいっても、ヘビの頭の本数はすでに半分になっていた。侮れない相手だと再認識しつつ、俺は使い慣れたスキルを発動した。

 

「狙撃っ!」

 

『………!?』

 

 向かってくる八尺様に銃を抜こうとした黒い影の右手を俺は正確に撃ち貫く。ダメージはあまり入っていないが、奴の動きが鈍る。そこに八尺様のベノンザッパーが炸裂する。地面を転がる奴は確実に次元の裂け目の方へと近づいた。

 

 

 

 

だが次の瞬間、仲魔達の動きが文字通りピタリと止まる。八尺様に至っては、跳躍して地に足がついていないというのに静止を続けている。そして、今までと比較にならない速さで黒い影が大鎌を掲げて走り出した。慌てて立ちはだかった俺に奴は一瞬動きを止めるが、気が付けば俺の視界は暗闇に落ちていた。それは俺もよく使う砂を使用した外道技だった。

 

 

 

「目つぶしだと!?」

 

 

 気づいた時にはもう遅い。初級水魔法を唱えて水で目を洗い流した時、俺が見たのはアクアに大鎌を振るう黒い影の姿だった。だからこそ、俺は最も使い慣れたスキルに全てを託した。

 

 

 

 

「”スティール”!」

 

 

 

 眩い光と共に俺の右手に窃盗スキルが発動する。だが、俺は最後の最後で不運に見舞われた。俺が奪ったのは奴が振るう大鎌ではなく、武骨で大振りなナイフだった。

 

 

 

「ひゃあっ!?」

 

 

 駐車場内にアクアの悲鳴がこだまする。俺は怨嗟の想いを抱きながら抜き放った自動式拳銃を奴の身体に全弾命中させる。そして、奴が大鎌を取り落とすガシャンという音がした。

 

「無事かアクア!?」

 

「ええ、なんとか回避できたわ。私の服は少しダメージ受けちゃったけど……」

 

朗らかに笑うアクアを見て俺はとりあえず安堵する。そして、急いで奴から大鎌を取り上げた俺は、それを次元の裂け目に投げ込んだ。

 

 

そうして油断していた時、先ほどとは比べ物にならないアクアの悲鳴が響き渡った。

 

 

素早くアクアの下に戻った俺だが、黒い影は相変わらず地面でよろよろと動くのみだった。ただ、悲痛な表情を浮かべながらアクアは自分の足元を見ていた。そこにはアクアのいつも着ている青いドレスの破片の他に、そこから溢れたであろう用途不明の壊れた小道具が溢れていた。だが、その中に俺が贈り物として渡した財布が混じっていた。無残に切れ込みが入れられた財布を拾ったアクアは、しばらく肩を震わせた後、無表情で黒い影を蹴りつけ始めた。

 

「な、なんでこんな……許さない許さない許さない!」

 

『……………』

 

「死ね死ね……死になさいよ……! せっかく私が温情をかけたのにこんな……」

 

『……………』

 

「どうして、なんでこんな事するの……せっかくカズマが私にプレゼントしてくれたのよ? あんなにも素直じゃないカズマさんが私のためにこの財布を選んでくれたの。私の事を考えながら、私にこれが似合うって少ない予算で無理して買ってくれたの! 彼が私のために汗水流して働いて最初に貰った給料で私に買ってくれた大切な贈り物なのよ。本当だったらこの先も私がずっと大切に使うはずで……大切に……宝物にしようって思ってたのに……それを……ぐすっ……許さない! 絶対に許さないんだから!」

 

 黒い影の首を両手でギリギリと締め上げるアクアはボロボロと涙を流していた。そんなアクアにどんな言葉をかけようかと考えていた時、俺は奴の黒い瘴気と顔にかかった影が消えていくの見た。そして、奴の顔を理解した事で俺は本当に発狂しかけた。だが、それは別に精神干渉系のスキルが働いたからではない。

 

 

 

 

黒い影の正体は俺のよく知る人物だった。

 

 

 

 

 

「許さない……絶対に許さない!」

 

 

 

 

そんな人物の首をアクアが締め上げている。それが受け入れられなかった俺は、ため息をつきながら車へと乗り込み、イグニッションキーを回す。大衆車らしい穏やかなエンシン音を響かせるのを聞きながら、俺は思いっきりアクセルを踏みこんだ。

 

 

 

「ひぐっ!?」

 

『……!?』

 

 

ボンネットがひしゃげる音と共に結果としてアクアと奴は盛大に吹っ飛んだ。

 

 

 

 

 

 

車から降りた俺にアクアは当然のように憤怒の表情を浮かべてしがみついてきた。

 

 

「いきなり何すんのよキチガイカズマ! 世界中を探しても彼女をひき殺そうとする彼氏なんていないわよ!」

 

「落ち着けアクア。そして、あの黒い影の姿をよく見ろ」

 

「なによ……私はアイツを絶対に……」

 

 そこでアクアの言葉が止まり、身体をガタガタと震わせ始める。どうやら、怒りに我を忘れて俺が奴を認識しないようにした術式が解除されてる事に気づいたようだ。それから、彼女は悲痛な表情で言い訳を始めた。

 

「ち、違うのカズマ……これは……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」

 

「いいんだよ別に。それよりちょっとここで待ってろ」

 

 絶望的な表情でペタンと腰を降ろしたアクアを尻目に俺は黒い影に近づいた。彼女は俺が彼女自身の正体を把握した事に気づいたのだろう。涙を浮かべながらこちらを向けてよろよろと歩き出した。

 

 

 

『…………!』

 

 

 

 彼女の声はやはり聞き慣れたものだった。全身を銃創や擦過痕、切り傷を受けて彼女の衣服も血に染まっていた。そして、俺に向けて手を伸ばした彼女に俺は一言だけ謝った。

 

 

 

 

「ごめんな」

 

 

 

 謝罪と同時に、俺は彼女が伸ばした手にさっき盗んだ武骨で大振りなナイフを突き立てる。女神の力が宿ったナイフによる不意打ちは効いたのだろう。彼女は俺の声を呼びながら狂乱したように泣いていた。

 

 

そんな彼女を俺は軽く蹴り飛ばす。面白いように転がった彼女は次元の裂け目へと飲み込まれる。だが、右手は車止めにかろうじて掴まり、左手を俺の方に伸ばしながら懇願するように助けを求めていた。そんな彼女の手を俺はショットガンで撃ちぬく。

 

 

 

そうして、やっと彼女は俺の前から消えてくれた。

 

 

 次元の裂け目もそれにより閉じて、後には駐車場の静寂だけが残される。ショットガンを肩にかつぎながら振り返ると、アクアは罪悪感に怯えたように俺から後ずさる。次の瞬間、光柱が出現してそこからエリス様、めぐみん、ダクネス、、アイリスが現れる。彼女達は俺の姿を見て安堵の表情を浮かべていた。

 

「遅れて申し訳ございませんカズマさん! でも、無事だったみたいですね!」

 

「ああ、でもアクアがちょっとな」

 

「分かってます。”アレ”を見たのでしょう? そうです……アクア先輩はアレを貴方に隠すような信用出来ない女神なんです! ですから、これからは私達とずっと……!」 

 

「なあ、少し黙っててくれないかエリス様?」

 

「えっ……!?」

 

「カズマカズマ、それは救援に来た私達に対してあんまりにも辛辣じゃないですか?」

 

「そうだぞカズマ。少なくともアクアよりかは私達の方が頼りがいがあるはずだ」

 

 

 めぐみんを始め、口々に俺とアクアに対して文句を言う彼女達にうんざりとする。だから、俺はもう一度言ってやった。

 

 

 

 

 

「だから黙れっていってるだろう”アクア”! 俺は本人の言葉が聞きたいんだ。ガワを被ったお前の話は聞きたくない!」

 

 

 

 

 

 

 

俺の言葉を聞いた彼女達は一斉に黙り込んでしまった。

 

 

 

 

 

だが、諦めの悪い奴が俺の前に現れる。それは金髪碧眼のダクネスだった。

 

 

 

「何をおかしな事を言うんだカズマ。私は”私”だぞ!?」

 

「あのなあ、はっきり言ってやるがエリス様達に関しては正直いって全然見抜けなかった。でも、お前の下手な演技を見て芋づる式に理解出来たんだよ。お前が”アクア”だってな。ということでどけ!」

 

 

 俺の手押しでよろよろと崩れ落ちたダクネスをよそに、俺は敗れた財布を両手で握って泣きはらしているアクアの横に座る。彼女は俺と目を合わそうとしてくれなかった。だが、しばらくしてからボソボソと言葉を呟き始める。それは俺に対しての謝罪の言葉だった。

 

「ごめんなさい……」

 

「謝るな」

 

「こめんなさいごめんんさい……」

 

「うるさい駄女神」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」

 

「いいから謝んな」

 

 泣き喚くアクアを慰めながら、俺はエリス様達の方へ顔を向ける彼女達は無表情で微動だにせず棒立ちしていた。それを見てもう一度ため息をつきながら俺はアクアを車の助手席へと乗せてやった。

その後、戦いを終えて静かに佇む八尺様と龍神に感謝を告げながら送還陣に入れ、自らも運転席に乗り込む。そうして、俺はやっとこの駐車場から脱出する事が出来た。

 

「ねえカズマ……聞かないの?」

 

「別に好き好んで聞きたくはねえ。でも、今思えばお前が話した天界規定がどーたらだとかは全部嘘だって分かってる。エリス様達の状況を見ると、お前が下手したらめぐみん達を全員殺害してる可能性にだって至ってる」

 

「そこまでヒドイ事はしてないわよ! ただ、ちょっと彼女達からカズマさんの記憶を全部抜き取って……」

 

「そこまで大差ねえじゃねえか」

 

「ううっ……!」

 

大粒の涙を流し始めたアクアに俺はもう一度ため息をつく。そんな俺にアクアは身体をビクリと震わせた。

 

 

「ねえカズマさん……今までごめんね……ずっと貴方を騙し続けて……こんな私にこれ以上構わなくても……」

 

「あのなあアクア、俺はアイツにナイフを突き立てた時点で覚悟は決まってんだ。俺はどうしようもないアクアを受け入れる。だけど、一つだけ聞かせてくれ」

 

「なに……?」

 

「こんな事をしようとしたきっかけはなんだ?」

 

 それは純粋な疑問だった。路肩に車を止め、ひしゃげたボンネットに顔をしかめながら俺はアクアの返事を待つ。そうして待つ事数十分、彼女はようやく言葉を紡ぎ始めた。

 

「私は……私はカズマさんに好かれているのかいつも不安だったの」

 

「はあ? そんな理由か?」

 

「きっかけとしては十分よ。だから、私はカズマさんに愛されてるって実感が欲しかった。それで、サキュバスの夢で貴方が見たっていう私との”夢”を探し求めた。性的な対象として私を見てくれる。それを知るだけでも私は自信が持てた。でも、あの日手に入れた”夢”は私の常識を壊したの。だってそれは……」

 

「お前、もしかしてそれって……!」

 

「ええ、驚きだったわ。カズマさんが密かに故郷に帰りたいっていう願望を持ってたのも驚きだし、何故かその相手として私を……それを知ったら我慢が出来なくなって……でもその思いは必死に押さえつけたの。だけど、あの世界の状況を理解して私はその思いを解放して”この道”を選んだ。アイツに無茶苦茶にされるくらいなら、”私の世界”にする。それだけよ」

 

 自嘲しながら語るアクアに俺は逆に火が出るほど恥ずかしかった。アクアの語る夢とは、俺がサキュバスに”おまかせ無意識願望コース”を選んだ時のものだろう。てっきり、まさしく夢の酒池肉林が繰り広げられるかと期待していたが、実際には違った。あれは事故として出来るだけ思い出さないようにしていたのだが……

 

 

 

 

「それでねカズマ、”タイムリープ”って知ってる?」

 

 

 

 

そうしてアクアが語ったのは非常に眉唾な話だった。

 

 

 

 

「でもね、あの子の正体は魔神クロノスなんかじゃない。私と同じように、旧き神を取り込んでるの。だから同一視された存在の武器を振るっていた。でも、あの子の……あの神の真名は……」

 

 

 

 

 

 

 

俺はアクアの話を聞きながら、ゆっくりと車を動かす。そして、当初の予定とは違ったルートを走り始めたのを理解した彼女は小さく苦笑した。

 

 

 

「ごめんねカズマ……こんな私でごめんね……旅行って気分じゃないよね……」

 

「泣くなよ。それとこれに関してはちょっと予定を早めただけだ」

 

「ふふっ、私を山に捨てる予定……?」

 

「バカを言えバカを! まったく、お前はどうしようもないな……」

 

 

 車を走らせながら、俺は今日の朝から続く衝撃の展開の数々に思わず笑いが漏れる。そして、助手席で小さくなっているアクアを見て、俺はもう一度笑った。

 

「なあアクア、俺はこれでも安心してるんだ」

 

「どういう意味よ……」

 

「いやな、これがエリス様だったりしたらお前が正直に話した事を永遠にばらさずに俺と生活してる気がするんだ。でも、ポンコツなお前が考えた俺を独占するための計画はこうして暴かれたわけだ」

 

「うっ……」

 

「なんつーか、そういう所も含めてやっぱりお前はアクアなんだなって」

 

「ちょっと納得行かない安心のされ方なんですけど……」

 

 ぶーたれるアクアに対して、俺はもう一度心から笑う。アクアがこのような暴挙に出た理由も今は全て知ることが出来た。知ってしまったら、俺は決して彼女を責める事は出来ない。惚れた弱みと言えば終わりだが、俺は今でもこんなアクアがどうしようもなく愛おしかった。

 

 そして、バイパスから一般道に降りた俺は懐かしい道をひた走る。アクアも周囲の光景をちらちら見ながら、俺の目的地に感づいたのか彼女は身体をそわそわとし始めた。そして、俺は因縁の地にたどり着く。それはド田舎の一般道であり、周辺は田畑しか存在しなかった。

 

「おいアクア。ここが俺が情けなくも死ぬ原因を作った場所だ」

 

「…………」

 

「なんつーか変わってねーなー」

 

ハンドルを握る手が震えてくる。だが、止まりはしない。もう俺は後戻りをするわけにはいかないからだ。そんな俺にアクアは心配そうな表情を向けてきた。

 

「ねえ、大丈夫カズマ?」

 

「ああ、大丈夫だ。俺は大丈夫だよ」

 

 そう言って車を走らせること数十分。俺はゆっくりと車を停止させる。そこには見るだけで涙が出てしまいそうな光景が広がっていた。そこは昔と何一つ変わっていない。我が愛すべき”自宅”であった。

 そのまま、俺はその光景を目に焼きつける。ここに来てどうすればいいか分からなくなった。色々と考えている事もあったが、何もかもが吹き飛んだ。そうして、固まっている俺に彼女は優しく語りかけてくれた。

 

 

 

 

「大丈夫、大丈夫だよカズマ」

 

 

 

 それはあまりにも無責任な言葉だった。だからこそ、俺は踏みそうになっていたアクセルから足を離す。そうして、サイドブレーキを引いてエンジンを止めた。周囲は相変わらずの田舎で懐かしい風景。それを見ながら、俺はダッシュボードに手をかけた。

 

「アクア、俺は一度死んだ。そうして、異世界で色んな出会いがあって骨を埋める覚悟だってした。実際、故郷の事なんて忘れてたんだ。ニートやってる後ろ暗い記憶は俺に取って邪魔だったし、借金を背負っている間はそんな事を考える余裕もなかった。でも、金が入って怠惰に過ごしていると俺はここでの事を思い出す。あの年まで好き放題やってたのに、俺は……俺は何も返せずに死んじまった……」

 

「うん……」

 

「だからこそ、異世界で生き抜いて幸せに過ごす事に決めたんだ。それが償いになるならってな。でも、こうしてこの世界に戻って来てしまった以上、俺は会わなきゃならねえ人達がいる。でも、ここに来てやっぱり思うんだ。これって俺に取っても、相手にとっても恐ろしい事だってな」

 

 

彼らがどのような反応を示すのかは未知数だ。気まぐれに手紙を送ったが、彼らはそれを悪質な冗談と破り捨てているかもしれない。でも、面と向かって会えばもう誤魔化せない。そんな俺に対し、彼らがどんな反応を示すのかが怖かった。

 

「だからアクア、一緒に行ってくれないか?」

 

「ふふーん! カズマさんってば本当に憶病なんだから」

 

 にへらっとした微笑みにつられて俺も思わず笑ってしまう。そして、そんな彼女に俺は小さな小箱を渡した。その中に入っているのはいわゆる”アレ”だ。給料三か月分とも言われるアレである。

 

「貰ってくれるか……?」

 

「うーん……」

 

「お、おいなんだよ!? いやっ……その……財布よりかは高いものだから貰ってくれると嬉しいというか……」

 

「カズマ!」

 

ピシャリとそう言い放ったアクアによって車内はシンと静まり返る。それから、アクアは顔を深紅に染めながら左手を差し出す。その意図を理解した俺は彼女の薬指にそっと指輪を通す。それからバクバクと唸る心臓を抑えながらこっぱずかしい言葉を言い放った。

 

 

「結婚してくれアクア。ずっと俺の傍にいて欲しい」

 

 

 

 一世一代の大勝負だった。そんな俺にアクアは屈託のない満面の笑みを返す。それだけで、俺はどうしようもなく嬉しくなってしまった。

 

 

 

「私もカズマさんの傍を離れないわ。永遠に……例え世界が変わったとしても……絶対に離さない……死んでも離さないんだから」

 

 

 

 

 ぎゅっと抱き着いてくるアクアを俺は抱きしめ返す。例え何を失ったとしても、アクアだけは絶対に離さない。それは俺の新たな決意だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、それはそれとして怖いもんは怖いな! ゾンビ扱いされたらどうすりゃいいんだ!?」

 

「もう、さっきからうるさいわね! そんなの全部私に任せなさいな。私は女神なの。分かる? カズマさんの最愛の女神様なの!」

 

「分かった、分かったから……」

 

「えいっ!」

 

「おいバカ! まだ心の準備が……!?」

 

アクアがインターホンのボタンを押してしまった。そして、玄関扉の向こう側で足音が近づいてくるのが分かる。思わず頭が真っ白になってしまった俺を、アクア小突いて来た。

 

「カズマ、大丈夫よ。私が傍にいるわ」

 

「ああっ……」

 

「それに夢だったんでしょう? こうやって美人なお嫁さんを連れて元気やってるって伝える事がね!」

 

「おまっ……それを言うなよ!」

 

「自信持ちなさいな! アンタのお嫁さん女神様なのよ! 世界で一番美しくて、世界で一番貴方に相応しいのが私なんだから!」

 

 

そんな時ガチャリとドアが開けられる。扉の向こうには昔よりは少しだけ老けた顔があった。彼らと再会したら、どんな言葉を言うべきかずっと考えていた。あれはマズイんじゃないか、こういったら正直言ってホラーじゃないのかと。でも、最初に言うべき言葉は昔から変わらない。だから俺は自然とその言葉を口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、間に合ってます。穀潰しはさっさと地獄に帰ってください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばたんと扉は閉められ、ガチャリとした施錠音が鳴り響く。

 

 

 

気づけば、俺は拳銃を抜いていた。

 

 

 

 

 

 

「お前それでも親かよおおおおおおおおおおっ!」

 

 

 

「わああああああっ!? 落ち着いて! 落ち着いてカズマ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の傍にはアクアがいる。それだけで十分なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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無慈悲な現実

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、コ……コーヒーをお入れします!」

 

 

 

「ああ、頼む」

 

 

 

「それでは……ってわひゃあ!?」

 

 

 

 緊張した面持ちでティーカップにコーヒーを注ごうとしたメイドが、何を焦ったのか急にポットを取り落とした。そうしてぶちまけられたコーヒーは私の寝間着へとびっちゃりと降り注ぐ。このやりなおしの合図となるやり取りもこれで”五回目”だ。無事やりなおせた事への喜びはあるが、それ以上に私の頭の中は整理しきれない情報と感情でいっぱいだった。

 

 

 

 

 

「とりあえず……5周目の開始と行こう……」

 

 

 

 私は味のしない朝食に手をつけ始めた。この周回で目指すのは今までと変わらない。私がカズマの”一番”になる事だ。だが、具体的な策も何もない。今の私に出来る事なんてなにもないのだ。

 

 

「…………」

 

 

 朝食を終えた私は早速カズマの屋敷へと来ていた。だが正門前で足が止まってしまう。そうして、恐る恐る伸ばした手は、難なく正門をすり抜ける。もちろん、そこには”透明な壁”なんてものはない。私の足を止める物理的障壁なんてものはそこには存在しなかった。

 

 

 

『それじゃあダクネス、良い旅を』

 

 

 

「っ………!」

 

 

 あの女神の声が私のすぐ近くから聞こえた。慌てて周囲を見渡すが、彼女の存在は確認できない。それが幻聴であると理解した時には、私は屋敷から背を向けていた。それから一歩、また一歩と屋敷から離れていく。

 

 

怖かった。

 

 

本当に怖かったのだ。

 

 

親友からの裏切り、愛する男は私の事を見ていないという現実、どうしようもない詰みの盤面。

 

 

それら全部が嫌になって私は無様にも逃げ出してしまった。

 

 

 

 

 

 そうして逃げ出した私が行きついた先はいつもの喫茶店であった。思えば、このやりなおしに思い悩んだ時はいつもここに足を運んでいた。そこでまずくも美味しくもないコーヒーと甘味の注文を取り、静かに腰を落ち着ける。私はこの周回の目標を定めるために今までの事を振り返ろうとしたが、それも喉にせりあがる不快感のせいで気力が出ない。運ばれてきたチーズケーキを小さくつまみ、過ぎ去る時間を何も考えずに過ごした。

 ふと何者かの視線を感じた気がして思わず周囲に目を向けた。その時、少し離れたテラス席にこちらを無表情で見つめる知人の姿を見つけた。見慣れた紅魔族ローブに身を包んだ少女……ゆんゆんと私は目がった。思わず目を逸らした私だが、近づいてくる足音で彼女が席を立った事に気づいた。そうして、予想通り私の前に姿を現したゆんゆんは、相変わらずの無表情でこちらを見下していた。

 

「大丈夫ですかダクネスさん?」

 

「あ、ああ……」

 

「貴方らしくない表情です。何かあったのですか?」

 

「別に……なんでもない……」

 

「…………」

 

会話は途中で途切れる。だが、ゆんゆんは私の対面へと腰かけた。そのままお互いに無言の時間を過ごすが、先に口を開いたのはゆんゆんだった。

 

「ダクネスさん、私の家に来ませんか?」

 

「なぜだ……」

 

「それくらい貴方の様子がひどいんです」

 

「私は何も……」

 

「体、震えてますよ?」

 

「っ……!?」

 

 そう言われて初めて、私の全身がぶるぶると震えている事に気が付いた。震えを止めようと意識するが、自分の手のひらは震えが止まらない。それを取り繕うために私はゆんゆんへ顔を向ける。だが、私の表情は彼女を安心させるような笑顔は出来なかったらしい。ゆんゆんは私の顔を無表情で見つめ返した後、大きな溜息をついた。

 

「じゃあ行きましょうか」

 

 ゆんゆんは私の手を取り、思いのほか強い力で私を立ち上がらせる。そうして手を引く彼女に私はされるがままにされた。そのまま歩き続けること数十分、私はゆんゆんに連れられて彼女の家に通された。半年以上もめぐみん達と寝食を一緒にしたこの家は、私にとっても少し懐かしいものだった。ゆんゆんは私を強引にソファーへ座らせた後、暖かい紅茶を淹れて私に手渡してきた。それに口をつけた私は小さく一息をつく。彼女の淹れるお茶は相変わらず美味しかった。

 

「震えは止まりましたか……」

 

「…………」

 

「んー、少しは良くなったようですね」

 

 私の持つカップに注がれた紅茶の水面は小さな波紋を作っていた。ゆんゆんの表情はいつの間にか無表情から何かを慈しむような表情に変化していた。ばつの悪くなった私はそっと紅茶を飲み干した。

 

「それで、何があったんですかダクネスさん?」

 

「それは……なんというか……い、言えない!」

 

「ダクネスさん?」

 

 私の身体がまた震えを取り戻した。三周目、私は事情を全てエリス様に話した。その結果はもはや言うまでもない。前回に至ってはアクアが私の状況を把握した結果、エリス様やめぐみん達からカズマの記憶を消し、アクア自身もカズマを拉致してどこかに消えてしまった。それを経験して、私は三周目のエリス様が私に伝えた警告の意味をやっと理解出来た。

 

 

 

やりなおしをしている事を他者に伝えてはいけない。

 

 

 それは私の中で悲劇への入り口であると心に刻まれようとしていた。だが、今の私の姿はゆんゆんからしてみればより悲壮なものに映ったらしい。彼女はまた大きくため息をついてから私の横へと腰かけ、こちらの背中を撫でてきた。思ったより積極的な態度を取る彼女には驚かされたが、私はそれに対し何も抵抗する事が出来なかった。

 

「ゆんゆん……ありがたいが何で急に私を……」

 

「知り合い……いや友達がこんな状況なら誰だってこうするはずですよ」

 

「友達……友達か……友達なんて一番信用できない相手だ……」

 

「…………」

 

 そのままたっぷりとゆんゆんに慰められた私は少しだけ余裕を取り戻した。おまけに彼女からあてがわれた小さくて可愛い黒猫をあやすのも良い気分転換になった。

 

「少しは気分が晴れたみたいですね」

 

「まあな……」

 

「さっきまでのダクネスさん、見ていて自殺でもするんじゃないかってくらい暗い表情でしたからね」

 

「っ……!?」

 

「ダクネスさん?」

 

 私は思わずゆんゆんから距離を取る。もしかして、彼女はこちらの事情を知っているのではないかと思ったからだ。だが、困惑したような様子の彼女を見て私は自己嫌悪に陥る。結局、私の根底には前回アクアに植え付けられた恐怖がまだあるらしい。ここまで慰めてくれた彼女を疑うという良心の呵責に苛まれた。

 

「ダクネスさん、貴方がめぐみんやアクアさんと何かトラブルを起こしたのは私でも理解出来ます。だからこそ、私みたいな別の”友達”を頼ってみてください。こんな私でも、少しは力になれそうですから」

 

「私は……」

 

「ふふっ、別に些細な頼み事でいいんです。とにかく私は出来る事ならなんでも……!」

 

 笑顔を見せるゆんゆんに私は小さく苦笑する。そして、私自身も覚悟を決める。確かに、私のやりなおしが周囲にばれる事は前回のような最悪の結果を引き起こすかもしれない。それでも、今の私はどうしようもないどん詰まり、運命の袋小路にいる。私以外の手が欲しいのは確かだった。

 そして、私は今までの周回でこの”ゆんゆん”という少女のお人好しぶりを嫌になるくらい目にしてきた。思い悩む私に何度も声をかけ、二周目では狂気に染められた私達を養いながらアクアと私達の仲を取り持とうとした。だから私は彼女に全てを告げる事にした。それは一種のやぶれかぶれでもあった。

 

 

 

 

 

 

「なあ、ゆんゆん……」

 

「はい!」

 

「私は……私は”やりなおし”をしているんだ」

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

「ゆんゆん?」

 

「…………」

 

「おい、ゆんゆん」

 

「っ……!?」

 

「どうしたんだ? 早く湯船に来たらどうだ?」

 

「あっ、はい!」

 

 慌てて立ち上がったゆんゆんはまるで飛び込むように湯船に入り私の近くへと身を落ち着かせた。場所はゆんゆんの家の浴室。二人で入っても問題ないくらい広さを持つこのお風呂に、私はせっかくだからと彼女と一緒に入る事にした。それこそ、私の全てを話した相手である。裸の付き合いに誘うのも造作のない事であった。

 

「やけに内股をごしごしと洗ってたみたいだが……」

 

「な、なんでもないですよ!」

 

「白々しいな。ふむ……」

 

「ひゃあっ!?」

 

 私はそっと、彼女の両足を押し開いた。突然の事に抵抗できなかった彼女をよそに、私はじっくりとそこを眺める。そこには激しく擦ったせいなのか白い肌に少しだけ赤みがさしていた。そして、その近くにゆんゆんが紅魔族である事の”証”を目にして私は溜息をついた。

 

「今更何を恥ずかしがっているんだか……まあめぐみんんもそれについては少し文句を言っていたな」

 

「…………」

 

「ゆんゆん?」

 

「ええ、大丈夫です。確かに今更ですね。それはそれとして、これの位置に関しては紅魔族内でも共通の恥ずかしい話題なんですよ」

 

「ああ、少し悪乗りした」

 

「もうっ……でも貴方に元気が戻った事は確かみたいですね」

 

 朗らかに笑うゆんゆんの横で私は肩まで湯につかり身体を休める。これまでの周回を合計して約一年あまりであるが、その間に私は常に思い悩んでいた。しかし、今回はその経験をゆんゆんに全て話し、肩の荷も下りた気分だ。だが、私には具体的方策も今後の見通しもなっていない。とりあえずの目標は体と精神を休める事にした。異常事態が発生したとしても、やりなおせばいい。正直言って、この周回は”捨て回”とも言えるものだった。

 

「ダクネスさん、さっきの話は本当なんですよね?」

 

「まあな、信じられないなら私の狂言だと思って聞き流して欲しい」

 

「信じますよ。貴方がわざわざ私なんかにそんな嘘をつく必要性はないですしね。それにあそこまで追い詰められた表情を浮かべる人間を見たのは生まれて初めてですから」

 

 ゆんゆんの納得の仕方には私も閉口するしかない。私から見ても、彼女の表情はいまいち読み取れないが少なく見積もって半信半疑という所であろう。そのまま、私達はしばらくのあいだ無言で湯を浴びる。それから、そろそろ上がろうかと思い始めた時、そっとゆんゆんが口を開いた。

 

「ダクネスさん、”死”っていうのはどういう感覚なんですか」

 

「いきなりだな」

 

「純粋な好奇心です。まだ死んだ事はありませんから」

 

「そうだな……」

 

こちらをじっと見つめるゆんゆんに私も視線を返す。そうして思い出すのはこれまでによる周回で経験した死の感覚だ。自然と震えと鳥肌が立つが私は平然を装った。

 

「めぐみんに殺された時は本当に一瞬だった。痛みとか喪失感を覚える前にはすでに死んでいた。自殺の場合は……なんだかんだで痛みはあったな。まあ、こんなナイフで体を切り裂けば私でも痛みを覚えるのも当然だ」

 

「それは……!」

 

「話にも出てきたナイフだよ。私がエリス様から賜ったものだ」

 

 自嘲気味に、少しだけ誇らしげに右手に出現した大振りのナイフをゆんゆんはマジマジと見つめる。そんな彼女の前で私はナイフを”自分の中”に収納する。綺麗さっぱり消えてしまったナイフを前にゆんゆんは表情を固くした。

 

「痛みもかなりのものだが、それ以上に寒かった。大量出血の感覚は痛い以上になんだか頭がボヤっとしてきてな、それから思考力がどんどん低下して気が付いたら死んでる。そんなものだ」

 

「…………」

 

「カズマも何度か死を経験してる事を考えると、やはりアイツには頭が上がらない。あれを何度経験しても……」

 

「カズマさんの死と貴方の死は別物です。一緒にしないでください」

 

 それはゆんゆんから漏れた明らかな嫌悪の声であった。綺麗な顔を怒りに染める彼女を前に私も少しカチンと来る。だが、私自身強くは出れない。私だってそんな事は言われなくても分かっているのだ。

 

「ダクネスさん、一つだけ言わせて頂きます。やっぱり、貴方は狂気に囚われています。思考が常人のものではありません」

 

「ああ……」

 

「でも、だからこそ放っておけません。私に協力出来る事があるなら、犯罪以外はなんだってします。貴方が自暴自棄になっているのなら少しくらい身体も心も休めてください。それに、私が関わる事で今までと違う変化だって起きるかもしれません。だから……!」

 

「…………」

 

「自分で死を選ぶなんてバカな事はやめてください! そんな事、私が絶対に許しませんから!」

 

 まっすぐにこちらを見つめる彼女の目は決意に満ちていた。その姿にまぶしさを感じながら、私は思わず笑ってしまう。どうせ、終わる世界だ。それなら、彼女に頼ってみるのも一考の余地があるだろう。

 

 

「それじゃあ最初のお願いだ」

 

「はい!」

 

「今晩は泊めてくれないか?」

 

 

 

 

私の申し出にゆんゆんはコクコクと頷いた。

 

 

 

 その日の深夜、私はゆんゆんが準備してくれた布団の中にいた。だが、簡単には眠れない。それを察したのかベッドからゆんゆんの小さな声が聞こえた。

 

「眠れないんですか?」

 

「ああ、今日はまだ終わっていない。これが前回のようなイレギュラーなパターンだった場合、アクアが……」

 

「まったく、しょうがないですね」

 

 小さなため息が聞こえた後、ゆんゆんは私の布団の中へすっと入って来た。そして、母が子を安心させるように私の頭を掻き抱いた。頬に感じる彼女の豊かな双丘と人肌の暖かさは私に安心とありもしない懐古の念を思い起こさせた。

 

 

「大丈夫ですよダクネスさん。私が何とかしますから」

 

 

 彼女のぬくもりに包まれながら目を閉じる。まあ、少しくらい心身を休めても問題はないだろう。もし何か異変が起きた場合は、私が死ねばいいのだから。

 

 

 

 

 

「こんな悲劇、私が終わらせます。私が終わらせなきゃダメなんです。ねえ、そうでしょう……」

 

 

 

 

 

微睡みの中でゆんゆんの決意に満ちた声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから2週間、私はカズマ達と一切関わらずに引きこもって趣味の小説を読んだり、小旅行に出て温泉と食べ歩きを楽しんだ。晴れた気分になりながら家へと帰還し、そろそろカズマがめぐみんかアクアと結ばれているという事実にげんなりしながら私はカズマの屋敷へと足を運んだ。気は重いが、結果は次回のために見ておくべきであるからだ。だが、屋敷で私が目にしたのは予想外の光景だった。

 

「カズマさん、反対になってください」

 

「甘い匂いがする……」

 

「それはさっきまでお菓子を作っていたからですよ」

 

「いいや違う。これは……ゆんゆんの匂いだ……」

 

「変な事言わないでくださいよ……もう……ってダクネスさん?」

 

「うげっ!?」

 

 ゆんゆんの膝に頭を乗せたカズマがこちらを見て冷や汗をかいている。ゆんゆんはというと、朗らかな表情でカズマに耳かきをしていた。それだけならギリギリ許せるのだが、何故か彼女はメイド服を着こんでいた。残念ながら、私的にはこれはアウトであった。

 

「ほう、しばらく見てない間に随分とゆんゆんと仲良くなったようだなカズマ」

 

「誤解だ! これはな色々とあって……」

 

「いいんですよカズマさん。説明は私がしますから……という事で一緒にキッチンまでお願いしますダクネスさん?」

 

 たいした動揺も見せずにキッチンに足を運ぶゆんゆんに続いて私もキッチンに入る。それから、ソファーで小さくなっているカズマを一瞥してからゆんゆんは私の方へ向き直った。

 

「心配しましたよダクネスさん、あれから急に姿をくらまして私に連絡もしてくれないんですから……」

 

「それより今のお前の状況を説明しろ。一体、何をやってるんだ?」

 

「ふふっ、貴方のために場を整えたんです。カズマさんがめぐみんやアクアさんと深い仲にならないように、ちょっと妨害活動をしてたんですよ!」

 

 少しドヤっとした表情のゆんゆんに私も毒気が抜かれるが、納得はしていない。だが、本来ならここでカズマとイチャついているはずのめぐみんやアクアがいないのは事実であった。

 

「めぐみんには紅魔の里の学校で教育実習を受けて貰ってます。まあ、行ったのは私のコネを使ってのめぐみんの里帰り延長させるっていう単純なものです。アクアさんにはバニルさんと協力して彼女の探す”夢”に関しての誤情報をバラまきました。彼女が積極的にこちらに介入する事はないはずですよ」

 

「なっ……」

 

「カズマさんは誰かに会いに行ったりしないように私がこの屋敷で世話を焼きつつ見守っていました。それも、ダクネスさんが帰ってくるまでですけどね」

 

 笑顔を浮かべるゆんゆんを前に私は閉口するしかない。この周回、私はただ遊んでいただけなのにゆんゆんはほぼ完ぺきと言える盤面を整えてくれた。これは僥倖という他ないが、ここまで来ると返って心配であった。

 

「何故私にそこまでする……」

 

「友達だからって理由ではいけませんか?」

 

「残念ながらここ最近の私にとって友達なんてものは一番信用出来ない相手なんだ」

 

「もう、ひねくれちゃって……とにかく後は貴方次第です。さっさとカズマさんに告白しちゃってください」

 

「は?」

 

ゆんゆんに勧められたのはカズマへの告白だった。だが、それが悪手である事は以前の周回で理解している。その行為はカズマにアクアへの好意を自覚させるだけなのだ。

 

「ダクネスさん、そのやり直した世界のお話を聞いて私は確信しているんです。アクアさんの介入がなければカズマさんは貴方を選んでいたはずですよ。あの人、流されやすい性格ですからね」

 

「お前にカズマの何が分かる……」

 

「これでも、私はカズマさんの友人のつもりです。彼の性格だってある程度は理解してます。大体、何もなければ彼は貴方を一番に選ぶはずで……」

 

「それだ! その言葉を私は以前の周回でも貴様から言われている。一体、何を根拠にそんな考えに至るんだ!?」

 

 当然の疑問だった。私、めぐみん、アクアとカズマを取り巻く関係においてゆんゆんは言わば盤外の人物だ。そんな彼女が何故私に手助けをするのか、私が勝つものだと思っているかが理解出来なかった。

 

「その答えは貴方がカズマさんに告白すれば分かりますよ」

 

「なっ……それじゃあ答えを放棄したようなもので……」

 

「という事で私は買い物にでも行ってきます。さっさと告白でも何でもしてください」

 

「あっ……おい……」

 

 足早に裏口から外へと出かけてしまったゆんゆんを前に私は言葉を失う。残された私はしばらくぼーっとしていたが覚悟を決める事にした。どの道、告白をしなければ私の想いは彼には伝わらない。待っていればこちらを振り返ってくれるような男ではないのだ。また、告白をした結果彼がアクアを選んだのはまだ一度だけだ。再現性の確認が取れたとは言えない。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

頭の中でごちゃごちゃと考えていたが、結局答えは変わらない。

 

 

 

 

”失敗したらやりなおせばいい”

 

 

 

 それだけだ。私のやぶれかぶれも、ここでは前向きに働く。私はキッチンから足を進め、ソファーに座って小さくなっているカズマの隣に座った。彼はまるで怒られるのを怖がる子供のような表情をしているが、私はそんな彼に対して小さくため息をついた。

 

「カズマ、少し話があるんだ」

 

「なんだ? ゆんゆんなら別にそういう関係とかじゃ……」

 

「そうじゃない。私達の今後についてだ」

 

 私の言葉を聞いた彼は目を見開いてこちらを見る。そんな彼に私は思いを伝える事にした。以前のような熱はもちろんない。淡々と告白の言葉を告げていた。

 

 

 

 

 

「私と結婚してくれないか」

 

 

 

 

 

 ド直球な私の一言にカズマは口をあんぐりと開けて放心していた。私はそんな彼の口を手で閉じさせ、答えを促す。狼狽え始めた彼は少し滑稽であった。

 

 

「ダクネス……いきなり……その答えは……少し考えさせて……」

 

「ダメだ。今答えろ。どこまで女々しいんだお前は」

 

「うぐっ……」

 

 言葉を詰まらせる彼をまっすぐ見つめながら私は答えを待つ。結果の予想はついているが、万が一の可能性もある。それから沈黙が続いた後、彼はやっと口を開いた。

 

「なあダクネス、答えを出す前に色々と聞きたい事がある。いくつか質問に答えて貰っていいか?」

 

「いいだろう」

 

「それなら……その……ダクネスの親父さんは俺が結婚相手になって納得するのか?」

 

「は?」

 

 

 

 

それは私にとっては予想外の方向からの質問であった。

 

 

 

「私の父は反対しないと思うし、むしろ歓迎すると思うぞ。前々から私には早く結婚しろって言ってるしな」

 

「でも、お前の家って貴族じゃないか。何と言うかその……分かるだろう?」

 

「いや、分からない。もっと詳細に質問してくれ」

 

「あーもう……分かった……分かったからよ……」

 

 

 俯き、少しもじもじしているカズマの様子は弱々しかった。今までにない様子のカズマを見つめている私だが、彼はそんな私をチラっと見た後、観念したように大きく息をついた。

 

「俺って異世界人だし……しかも髪も茶系の黒髪だし……目だって……」

 

「だからどうした?」

 

「いやその……もしお前と……その……アレだ……子供は貴族としての純血を失うわけで……」

 

「は……はっ……はあ!?」

 

「いやだから……」

 

「ちょっと待て! 少し時間をくれカズマ!」

 

「お……おう……」

 

 私は言葉数の少ないカズマから目を外し、ズキズキと痛む頭を抑えながら私はぐちゃぐちゃの思考をまとめ、彼の言葉の意図を理解して行く。それから、おぼろげながら見えてきた真相を前に私は正に発狂しそうになる気分であった。

 

「なあカズマ、そんなしょうもないことを気にしていたのか?」

 

「いや気にするだろ……だって結婚だぞ……」

 

「私がお前との間に生まれた子供が金髪碧眼じゃなかったら失望するとでも思ったのか!?」

 

「別にそういうわけじゃ……ただ貴族ってのは責任重大というか……」

 

 狼狽えるカズマの前で私は怒る気すら無くす。どうやら、私と彼ではそもそもの前提条件が違うらしい。自分の欲望には素直な男だと思っていたが、想像以上に繊細で変な価値観を私に持っているようだ。何と言うか、私の方が色々と気が抜けてしまった。

 

「確かに貴族社会は金髪碧眼が純血の証とされているが、そうじゃない貴族だっている。王家だって過去の勇者の血を何度も入れているんだ。金髪碧眼じゃない王族だってたくさんいる。それなのに、私が愛する男を貴族じゃないから、髪色や目の色、肌の色が違うからと言って拒むと思うか?」

 

「あっ……いやその……」

 

「はあ、もういい。さっさと告白の返事をしてくれカズマ。なんだかどうでも良くなってきた」

 

 今までの私の苦悩は何だったのか。カズマの想いを知らずに一人で色々と考え込んでいた自分が実に滑稽に思えてきた。カズマはと言うと、そんな私を見て焦ったような表情を浮かべていた。

 

「少し言い訳させてくれダクネス。何と言うかその……俺に取ってお前は一番”異国感”のある女性というか……」

 

「はっきり一言で伝えろ!」

 

「うっ……正直言うと俺みたいな生粋の日本人にとって、“外人”のお嬢様と結婚するのは敷居が高かったんだよ!」

 

「ガイジン……?」

 

「やべえ、俺はまた差別に繋がりそうな発言を……」

 

 落ち込むカズマの膝を私はバシっと叩く。それから、彼の話の続きを催促した。カズマはしばらく挙動不審になっていたが、覚悟を決めたように大きく息をついた。

 

「まあアレだな。仲間としてはお前達と何不自由なくやってきたわけだけど、結婚となると色々考えてしまってな。めぐみんは容姿も日本人よりだし、普通の田舎娘だから馴染みやすいんだ。でも、ダクネスは容姿も綺麗すぎてこっちが惨めになるレベルだし、貴族なんてもう考えるだけでめんどくさそうな……」

 

「面倒くさい……?」

 

「そうそう、ダクネスって面倒くさい女なんだよ……ってやべえ!? 何言ってんだ俺!?」

 

怯えた表情浮かべるカズマに私は何だか色んな思いが萎んでいく。少しだけ愛も減ってしまった。だが、彼の発言は変な説得力はあるが矛盾している点があった。

 

「私よりその……アクアの方がカズマにとって高嶺の花じゃないのか?」

 

「いや、確かにアイツは容姿も正に女神だし髪色だって青なんて意味不明な色してるけど、アクアはアクアだしな」

 

「ん……?」

 

「いやだから、アクアはアクアっていう……」

 

「分かった。この話はやめよう」

 

 藪でヘビを突く前に私は話を切り上げる。これ以上はカズマに余計な事を考えさせるきっかけにもなりそうだった。

 

「それで、カズマ告白の返事は?」

 

「いや……それは……不束者ですがよろしくお願いします……」

 

「えっ………?」

 

「何を素っ頓狂な顔してんだよ。つーことでこれからもよろしくな」

 

「あ、はい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうしてカズマと私は結婚する事になった。

 

 

 

 

 

この果てしなき修羅場に終焉を! 

 

 

 

 

完!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、結婚には条件がある。めぐみんとの仲も認めてくれないか? 貴族なら許されんだろう? 側室って感じで頼むわ。後アクアも……使用人でもペットでもいいから傍に置かせてくれないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう少し、夢を見させて欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 笑顔でそんな馬鹿な事を言うカズマを前に私は熱く込みあがっていた感情が急速に冷えて行くのを感じた。カズマも私の方を見てそれを察したようだが、彼は引き下がらなかった。

 

「分かるだろうダクネス、めぐみんもアクアも俺の事が好きなんだ。俺だって今更アイツらと縁を切るつもりはない。これからも、一緒に過ごす事にダクネスだって歓迎して当然で……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘つき」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは自然と私の口から漏れた声であった。そうして、遅れて両目から涙が溢れだす。もう終わったと思った。しょうもない誤解も解けて大団円で終わると思った。その結果がこれだった。そして、ようやく私はカズマの本心に触れられた。結果として、ゆんゆんの言葉の意図にも気づいた。

 

「カズマは私をそういう目で見ていたんだな……」

 

「いきなりどうした……?」

 

「その目だ。その目で私をずっと……」

 

気づきたくない真実というものがある。だが、無慈悲にもカズマの目はそれを物語っていた。

 

「私を可哀想な物を見るような……弱い物を見るような目で見ないでくれ……!」

 

「ダクネス……?」

 

「こんな……こんな現実を知るくらいなら私は……」

 

 恋する乙女として、私はカズマとの恋愛関係において多くの”夢”をみた。そのなかにはロマンチックすぎるものやあまりに非現実的なものだって混じっている。でも、それを夢見るのは女として誰しも当然の行為であった。私はカズマを愛し、カズマも私を愛する。そうやって二人で愛を誓って結婚し、幸せな家庭を築いてゆっくりと天国へと旅経つ。そんな当たり前な光景だ。

 

 

 

だが現実は違う。

 

 

カズマが私との結婚を受け入れるにはきちんとした理由がある。

決して私を一番に愛しているからではなかった。

 

 

端的に言ってしまえば、私は彼にとって”かわいそう”な存在なのだ。

 

 

 貴族として生きる以上、世継ぎは重要だ。私とカズマが結ばれない場合、私が他の男と結婚するのは必然であった。だから、カズマはそれを哀れんだ。結婚の動機の大半は、私を愛しているからではなく、私が望まない結婚をしなくていいように。ただそれだけだ。恐らく、めぐみんと結ばれる事になっても彼は私を”愛人”にしようとしたはずだ。根底にあるのはやはり、哀れみだった。これは彼にとってはめぐみんもその哀れみの対象である事を示していた。

 

 

 

では、カズマが本当に愛する者と結ばれた時はどうなるであろうか?

 

 

 

その姿を私はもうすでにこの目で見ている。

 

 

 

 

 

 

カズマは愛するアクアのために、私とめぐみんを切り捨てたのだ。

 

 

 

 

 

「おい、ダクネス!?」

 

 

 

 

後ろから、彼の呼ぶ声がする。

だが私はその場から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

「結局、こうなるのか……」

 

 

 

ダスティネス家の自室で、私はエリス様のナイフを抜いていた。その鈍く冷たい刀身をしばらく見つめた後、私はそれを自分の左手の甲に突き刺す。鋭い痛みが走るが、気にせず二回目の刺突を手のひらに打ち込んだ。

 

 

 

「いぐっ……!?」

 

 

二回目の痛みが以前と比べて大きくなっている気がした。血が泡立つような熱さと皮と肉が引き裂かれる感触に私は怖気を覚える。だが、これで終わりじゃない。三回目の刺突を……

 

 

 

 

「また逃げるのですか?」

 

 

 

 それは私の自室の背後、窓際から聞こえてきた。視線をそこへ移すと、風に揺れるカーテンといつもの紅魔族ローブを身に着けたゆんゆんの姿が目に入った。いつの間にか不法侵入してきたらしい。

 

「死んでやりなおして、やりなおした先で何をするのですか?」

 

「いきなりだな…………」

 

「急な話ではありません。ダクネスさんだって本心では理解しているのでしょう? 今の貴方では例え百回、何千回、何万回繰り返しても結果は変わりませんよ」

 

「私は逃げてなんか……!」

 

「いいえ、逃げてます。見ていてとっても無様ですね。ダクネスさんがやっている事はサイコロで望まぬ出目が出なかったからと何度も振りなおしをしているだけです。そんな事をしても、貴方の望みは叶えられません。だって、貴方の持つサイコロには貴方が望む出目自体がないのですから」

 

「ぐっ……」

 

 ズカズカと私室に土足で踏み込んで来たかと思えば、やっている事は私への説教だ。言い返してやりたいが、今の私にはその気力も自信もない。項垂れる私に彼女はゆっくりと足を進め、ベッドに座る私を見下ろしてくる。その瞳は何故か怒りに揺れていた。

 

「意中の相手が自分の想いを察し、相手も私を好きになる。そして彼の方から積極的にアプローチをしてくれる事を夢見るのは当然です。でも、現実はそうじゃない。自分より容姿も性格も良い女性なんていくらでもいますし、愛しの彼もいつもこちらをみてくれるわけじゃない。そんな”現実”に貴方は向き合わなきゃダメなんです! そうしなければ貴方は永遠に無意味なループを……」

 

「うるさい黙れ! 私はやりなおすんだ!」

 

「ダクネスさんのバカ……!」

 

 呆気に取られたゆんゆんの前で私はナイフを思いっきり突き立てようとした。だが、次の瞬間には彼女の鋭い回し蹴りが炸裂する。革ブーツによる蹴りの衝撃で私はナイフから手を離してしまった。勢いのついたナイフは天井へと突き刺さる。自殺手段を失った私は、無様に佇むほかなかった。

 

「ダクネスさん、貴方は”現実”を見るべきです」

 

「…………」

 

「カズマさんが本当に好きなのはアクアさんです。これは多分、貴方がどうあがいても変えられない」

 

「うるさい……」

 

「貴方が享受できるのはカズマさんによる慈悲だけです。望まぬ結婚をしないように、今まで通りの関係を維持するために、彼は貴方と結婚するという選択肢だって取ります。でも、それは真に貴方を愛しているからではありません。彼にとって、貴方との結婚は”今まで通りの関係”を維持するのに都合が良い。それだけの関係なんです」

 

「うるさいうるさいうるさい……!」

 

 そんな事は言われなくても分かってる。カズマのあの”目”を見てしまえば嫌でも理解出来る。彼にとって、今の私は可愛そうな存在というだけだ。私だけを選んで愛してくれるカズマは私の幻想にすぎなかった。

 

「だから、ダクネスさん。貴方はこの状況を一度は飲み込んでください。確かに、貴方はカズマさんに一番に愛されているわけではありません。でも、これをスタート地点と考えればいいんです。ここから……ゼロから始めればいつかカズマさんだって……」

 

 

 

 

「うるさい!」

 

 

 

 

 

 私は年甲斐もなく大きく地団太を踏んだ。その衝撃で、天井に刺さったナイフが抜け落ちる。それを手に私は覚悟を決める。もう考えるのも億劫だ。一刻でも早く私はこの世界をやりなおしたかった。

 

 

 

 

 

「あれは私の”カズマ”じゃない!」

 

「ダクネス……さん……?」

 

「きっとどこかに……どこかにいるはずなんだ……! 私を……私だけを愛してくれる……私だけの”カズマ”がいるはずなんだ!」

 

 

私の言葉に、ゆんゆんは表情を凍らせる。

 

 

 

 

 

そして、私は一気にナイフを――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、この世界の”カズマさん”は私が貰ってもいいんですね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉の意味が分からず私は動きを止めた。

 

 

 

 

 

 

「ああ……そういう事ですか……アクアさんもエリスさんも、貴方みたいなクズと付き合いきれなかったんでしょうね」

 

 

 

 ゆんゆんは窓枠にゆっくりと手をかけ、こちらを一瞥する。彼女の瞳には明確に私を軽蔑する視線が含まれていた。

 

 

「ダクネスさん、一つ忠告です。貴方の”やりなおし”の話を聞いて私はいくつも納得出来ない点が散見しているのに気づきました。でも、愚鈍な貴方はそれに気づかない。自分の持つ能力は絶対だと過信して自己中心的な欲望で周囲を破滅へと引き込む。そんな貴方には、いつか絶対天罰が下ります」

 

 

 夜風に揺れる紅魔族ローブが闇に溶けていく。私の前から姿を消しながら彼女はポツリと呟いた。

 

 

 

「それと、これは独り言ですが……何故三周目のエリス様は貴方に”アクアさんとめぐみんへの罵詈雑言に満ちた遺書”なんてものを書かせたんでしょうね……?」

 

「はっ?」

 

「貴方の気持ちを整理させるため? そんな嘘に貴方は容易く騙されるくらい愚鈍なんですよ」

 

「えっ……あっ……」

 

「それじゃあ良い旅を……また会いましょうダクネスさん」

 

 

 

 

 

ゆんゆんは私の部屋から完全に姿を消す。

 

 

 

 

 

残された私は、ナイフを手にしたまま指一つ動かす事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

翌朝、私の部屋に飛び込んでくる小さな影がいた。

焦った表情を見せる少女……めぐみんは半ば予想通りの言葉を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大変ですダクネス! カズマがゆんゆんと一緒に行方不明になりました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は二月中になりそうです


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最後通牒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方達は何をやっていたのですか」

 

 

 

 

静まりかえった屋敷のリビングにて呆れのこもっためぐみんの声が響き渡る。私は彼女に対して閉口し、アクアはビクリと背を震わせてから小さく縮こまった。

 

 

「私が不在の間、貴方達がカズマと性的関係を持つ可能性は考えていました。でも、ある意味で信頼はしていたんです。例えそうなったとしても私達の関係は変わらないと。だから私は自分の将来を向けて行動を起こしていたんです。そんな時、教師になるための研修中の私にアクアが急に泣きついてきまして……」

 

 

 めぐみんは苛立ちを隠さず、私達の向かいの席へとドカリと座る。彼女の口元からはギシギシという不快な歯ぎしりの音が漏れていた。

 

「私の不安も残念ながら杞憂に終わりました。貴方達ではなく、よりによってあのぼっち娘に出し抜かれてカズマと駆け落ちされるなんて考えもしませんでしたよ!」

 

「めぐみん、まだ駆け落ちと決まったわけじゃないわ。二人で旅行に行っただけかもしれないじゃない……」

 

「アクアはバカなんですか!? 私達の年齢で二人だけで旅行なんてお互い下心があるに決まってるじゃないですか!」

 

机をバンバンと叩きながら怒鳴るめぐみんにアクアは怯んで更に縮こまった。

 

「それじゃあ改めて聞きますよアクア。カズマが失踪する前に、貴方は何を見たんですか?」

 

「えと……二週間くらい前からゆんゆんが屋敷に訪れるようになったの。それでカズマの世話を焼いたり、メイド服を着てたり……あの子を最後に見た時はカズマさんにギュッて抱きついてて……」

 

「それで、アクアはその状況にどう対応したのですか?」

 

「うぐっ……その……なんだか見ていられなくて……」

 

「そうして無様に敗走したとでも?」

 

 めぐみんの問いにアクアは小さく頷く。それを見て、めぐみんは顔をしかめながら大きな溜息をついていた。そうして、視線は私へと向かった。

 

 

「ダクネス、貴方は何をしていたのですか?」

 

 

実に耳の痛い質問であった。

 

 

「私は……私は何もしていなかった……」

 

「貴方もゆんゆんとカズマの姿を見たはずです。それを見て、何か行動を起こさなかったのですか?」

 

「ああ……本当に私は何もしなかった……したくなかったんだ……」

 

「ダクネス、正直言って失望しました。本当に貴方らしくない姿です」

 

「うるさい。余計なお世話だ」

 

 私の言葉にめぐみんはもう一度ため息をついてから、彼女は私達に改めて向き直る。その瞳は怒りと憎悪による復讐の炎に揺れていた。私は思わず自分の左手をじっくりと眺めてしまった。エリス様のナイフによって付けられた傷はすでに塞がっている。しかし、もう一撃を自分に打ち込めば塞がった傷も開き私は死に至る。

 はっきり言ってこのどうしようもない世界に残る意味は薄い。さっさとやりなおすのが正解なのだろう。だが、ゆんゆんに寝首をかかれたのは正直言って癪だった。彼女は私の敵としても格落ちの相手だが、情報収集をするに越したことはない。今回は彼女の情報を収集し、捕縛後は憂さ晴らしの復讐でもする事にしよう。

 

 

 

どうせ私には時間だけはたっぷりとあるのだから。

 

 

 

 

「まあ貴方達への死体蹴りはこれくらいにしておきましょう。カズマへの害虫除けにもならなかった事には失望しましたが、そんな足りない貴方達も私の大切な親友で共犯者です。見捨てはしませんよ。という事でアクア、貴方ならカズマを見つけられるのではないですか?」

 

「それが出来るならすでにしてるわ。私の女神としての力を全部使って探知しようとしたけど、カズマもゆんゆんも見つからないの。カズマに仕込んだ術式も機能してないし、完全にお手上げよ……」

 

「まったく、使えない駄女神ですね」

 

「な、なによ……私は……うん……ごめん……不甲斐ない女神様でごめんね……」

 

「いいのですよ貴方が使えないのはいつもの事ですから」

 

「なによその慰め方……心外なんですけど……」

 

 先ほどから気落ちしているアクアを、めぐみんは軽く抱き寄せる。少し顔を紅く染めた彼女は改めて私とめぐみんに対して頭を下げた。

 

「ごめんなさい……私……本当にどうしたらいいか分からないのよ。カズマが私達に何も知らせずゆんゆんとどこかに行っただなんて今でも信じられない。考えがまとまらないの……」

 

「アクア、そこまで考え込む必要はありませんよ。私を裏切ったゆんゆんには地獄を見せる。私達を蔑ろにしたカズマには私達全員の愛と身体を使って、あの男が誰の物なのかを分からせるだけです」

 

「でも……もしかしたらカズマはもうゆんゆんと……あうっ!?」

 

 涙を浮かべるアクアの頭を、めぐみんは軽く小突く。めぐみんの瞳には相変わらずの復讐の炎に揺れていたが、その瞳に少しだけ私達への優しさの色が滲んでいた。

 

「幸いな事に、私達はカズマとゆんゆんの決定的な背信行為を見たわけではありません。もしかしたら、まだ肉体関係も持ってないかもしれないです。それに、もう情事を済ませた後であったとしてもカズマとゆんゆんの仲が深まったのはこの二週間です。まだ、彼を振り向かせることはできるはずです。寝取られたなら、寝取り返せばいいんですよ」

 

 

 自信満々にそう言い放つめぐみんに私もアクアも黙り込む。そうして、私は改めてこのめぐみんという女の強かさを思い知る事になった。

 

 

 

 

「大丈夫ですよ。私がダメダメな貴方達を導いてあげますから」

 

 

 

 

 そう言って微笑むめぐみんの笑顔には私達への溢れんばかりの愛情とほんの少しの優越感で満ちていた。

 

 

 

 

「さて、それじゃあ私は紅魔の里へもう一度行ってきます。ゆんゆんは里長の一人娘ですからね。里で暇してる人間をカズマ達の捜索に割り当ててくれるかもしれません。それと貴方達は冒険者ギルドへ行ってカズマの捜索依頼を出して来てください。ほら、行動開始ですよ」

 

「ひゃんっ!?」

 

 めぐみんはアクアのお尻をぺしりと叩いた後、早くも屋敷の外へと消えていった。残された私は涙目でお尻をさするアクアと目が合う。こうなったらもう、行動あるのみだ。

 

 

「ねえダクネス……」

 

「どうした?」

 

「本当にカズマさんってば帰ってくるのかしら……?」

 

「…………」

 

「私、知らないうちにカズマさんの気に障る事をしてたのかな……」

 

 アクアの様子はいつになく落ち込んでいた。それはいつも傲慢で自信満々な彼女の様子とは異なり、今までの周回で見せた悪辣さも感じられないものだ。そんな彼女の姿はただひたすらに憎らしかった。

 

「行くぞアクア。思い悩んでいても時間の無駄だ」

 

「うん……」

 

 歩き出した私の後ろにそっとアクアがついてくる。はっきり言ってしおらしい姿を見せるアクアはただただ不快だった。今すぐにでも■してやりたかった。こんな物騒な感情に支配される理由は単純なものだ。

 

 

 

 

カズマがアクアを手放すわけがないからだ。

 

 

 

 

このカズマとゆんゆんの失踪なんてはっきり言ってただの茶番だ。

 

 

 

 いつになるかは分からない。ただ、カズマは必ずアクアに会いに来る。今の状況は私達がカズマを見つけるのが先か、それともカズマがアクアに会いに来るのが先かというだけに過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなカズマの失踪から早くも”一ヵ月”が経過した。

 

 

 

 紅魔族の里長を説得して紅魔族の一部を率いて捜索をしていためぐみんの力強さも、この頃になると彼女自身の感情と合わせて弱まっていたのを感じた。そして、アクアは屋敷に引きこもりがちになった。部屋を覗くと、目にクマを作りながら何らかの儀式に取り組んでいた。聞くところによると、古今東西の魔術や呪術、女神の力すら行使して彼の捜索をしているらしい。だが、両者はともに何の成果もあげられず、その代償に彼女達の心と感情を壊していった。

 

その光景を私はどこか冷めた目で見ていた。

 

それでいて、”胸がすく”思いであった。

 

 情けない事だが、私は彼女達のそんな姿が愛おしかった。私がこれまでのやりなおしで経験したような挫折と絶望に彼女達が呑まれていく姿は傍から見ているぶんには滑稽で哀れみ深い光景だ。めぐみんとアクアには同情は覚えるが、この状況が続いて彼女達が今後どうなってしまうのかは実に興味が惹かれた。

 

 そんな彼女達と言葉を交わすのは夕食の時だけであった。日中は各々の方法で捜索し、夜中はその成果について語らう。約一ヵ月という節目をを迎える今夜は当初の数倍の量の酒瓶が食卓に並んでいた。

 

「という事でカズマ・ゆんゆん捜索の緊急クエストを我が国と隣国や同盟国の冒険者ギルドに発布したわけだが、今日も今日とて捕縛の知らせはない。相変わらず目撃情報は何千件と寄せられているが、どれも眉唾だ。これに関しては達成報酬が高くしすぎたせいかもしれないな。まあ、報酬が少なければ誰も真面目に取り組まないから仕方のない……って聞いているのか貴様ら」

 

「…………」

 

「長々と話しても意味ないでしょ? そういうのは一言で済ませなさいな。成果なしってね」

 

 私の話をめぐみんは机に突っ伏して聞き流し、アクアは疲れた表情で若干トゲのある言葉を飛ばしながらお酒をグビグビと飲み干していく。この状況には流石の私もため息をつく。カズマがいなければ、彼女達は実に脆い存在だった。そして、めぐみんがムクリと顔を上げる。その表情は涙をこらえる子供そのものであった。

 

「私も成果なしです。里の皆も諦めてしまって紅魔族の力はもう当てに出来ません。それどころか、ゆんゆんを応援する不届きものも多数見られ始めました。あの人達は私達の事を見世物か何かかと……うぅ……!」

 

 ついに泣き出してしまっためぐみんを見て私とアクアは目を見合わせて肩をすくめる。ギルドに出したクエストでは失踪者の捜索という緊急性の高い物として認識してもらえていたが、紅魔の里ではすでに”痴情のもつれ”で起こった事という認識が出来上がってしまった。どちらにしろ、もう紅魔の里は当てに出来ないという事だ。

 

「さて、めぐみんに続いて成果なし……と言いたい所だけど、こうして色々と試して分かった事があるの。あの二人は確実に女神すら欺く”何か”を使用してるみたい。この世界で紛失した神器やその他の神魔の干渉も無きにしも非ずだけど……」

 

「神魔避けの結界を使っているんじゃないか?」

 

「ん……よく知ってるじゃないダクネス。私もカズマとゆんゆんがそれを使ってると思うのよ。でも、これの存在はあんまり一般には流布してないはずなんだけど……」

 

「昔、そんな秘術があるという話を聞きかじった事だけだ」

 

「ふーん」

 

 こちらを見て目を細めたアクアを視界に入れ、私の思考は即座に”ヤバイ”と判断する。そんな感情を表には一切出さず、私は曖昧でどうとでもとれる返事をする。そんな懸念をよそにアクアは懐から取り出した羽ペンで自らの手の甲に何かを描き込む。私とめぐみんに見せるように捧げられた手の甲には、見慣れた模様が描かれていた。

 

「これがその神と悪魔の目を欺く刻印よ。悪魔と取引した本物の魔女や、堕天使がこちらの世界に持ち込んで使ってるみたいね。私みたいな女神の目をすら欺ける太古から続く刻印だけど……弱点はあるわ」

 

「本当ですかアクア!? それならその弱点とやら突いて……」

 

「落ち着いてめぐみん。弱点はただ一つ、私のような女神の”肉眼”にこの刻印を刻んだ建物なり人間を捉えれば見抜けるわ!」

 

「…………」

 

「ふふん、カズマにはここまで女神である私の手を煩わせた責任を取らせるんだから!」

 

 ふんぞり返って偉そうな事を言うアクアにめぐみんは再び黙り込む。そして、次の瞬間にはアクアの背中に小さな影が乗り移っていた。

 

「それって結局、解決策がないって事じゃないですか!」

 

「う、うるさいわね! ここは地道に私達が歩きながら探して……痛いっ!? 髪を引っ張るのはやめなさい! なんなの!? アンタってば子泣き爺か何かなの!?」

 

「わけわかんないこと言ってないでもっとマシな解決策はないんですか!」

 

「うっ……解決策がまったくないってことはないんだけど……」

 

 アクアは何かを渋るように縮こまり、めぐみんはそんなアクアに馬乗りになって騒ぎ続けていた。その光景を眺めながら私は思案する。ゆんゆんが取った戦術は今のところ私達に有効に作用している。万が一にも本当にゆんゆんがこのまま逃げ切れたのなら、私が同様の手段を取るのも悪くはない。それこそ、私とカズマ以外が誰も存在しない離島で死ぬまでアクア達と隠れて過ごすという方法もある。もちろん、カズマは嫌がるだろうが聞き分けがない時は口を塞いでやればいい。私から逃げるような事はあってはならないから、最悪アイツの四肢も必要ないだろう。私があの生意気な男の生殺与奪の権利を握れるというのは、一体どんな気分なのだろうか。考えただけで少し下腹部が熱くなってしまった。

 

「それで、この後はどうするのですかアクア」

 

「だから私も色々考えて……って、どうやら答えが向こうから来たようね。屋敷のトラップにネズミがかかったみたい」

 

「ネズミ……?」

 

 アクアは急に苦い顔を浮かべ、めぐみんを背負ったまま歩き出した。その後に私も続く中、背にいるめぐみんがこちらに困惑の視線を送ってくる。だが、私はその視線から顔を外した。この状況に置ける解決策など、私だって分からない。だが、解決してくれそうな相手なら、嫌なくらい知っていた。

 そして、アクアの先導で私達が向かったのは屋敷の正門だった。そのいつもと変わらない見慣れた光景の中に、遺物は入り込んでいた。玄関へと続くアプローチの途中で何故かボロボロになって倒れ伏していたのは私の親友であるクリスだった。

 

「やあやあ、あたしを呼んだかなアクア先輩?」

 

「別にアンタなんか呼んでないわよ」

 

「嘘はダメだよアクア先輩。貴方も”あたし”と同類なんだから。考えてる事は一緒のはずだしねぇ」

 

「うっさいわね……」

 

「まあ、とにかく正式に屋敷に招待してくれないかな。アクア先輩の許可がなければあたしはこのまま野垂れ死にだからさ」

 

 苦笑するクリスを相手にアクアは唇を噛み、めぐみんは顔をしかめる。私はそんな彼女達をよそにクリスを抱き起す。私に向けてはにかんだ笑みを浮かべた後、彼女は少し申し訳なさそうに私から視線を逸らした。そのまま膠着状態が続くが、それに素早く見切りをつける事にした。私の頭の中の考えは”はやく答えが知りたい”という単純なものだった。

 

「なあアクア、現状としてはクリス……エリス様の力を借りるのは仕方のない事なんじゃないか?」

 

「ダクネス……貴方……」

 

「何を二人して驚いている。それくらい、いい加減理解してるさ」

 

「分かった……分かったわよ。私達の屋敷へようこそエリス」

 

「ええ、”久しぶり”にお邪魔させてもらうよ」

 

 アクアは溜息を吐き、クリスはこちらにウインクを飛ばす。めぐみんは嫌そうに口を曲げていた。その後、リビングに案内されたクリスを追加して改めてカズマ奪還への作戦会議が開かれた。だが、誰も口を開かない。だからであろうか、クリスが司会進行を務めるのは当然の流れであった。

 

「さて、君達を見守っていたあたしは今の状況も当然知っているよ。あの助手君がゆんゆんとどこかに消えたって事もね。でも、あたしはこの屋敷の中で”何が”起こっていたのかはしらないんだ。ねえ、アクア先輩?」

 

「それは嫌味のつもり? アンタのストーカー行為を看過できるほど私だって甘くないのよ」

 

「その結果がこれですよアクア先輩。敵を見誤りましたね」

 

「うぐぐっ……」

 

 嘲笑するようなクリスの表情にアクアはムスっとした表情を返した。そのまま火花を散らしていた二人だが、めぐみんの疲れたような溜め息によってそれも終わった。

 

「まあ、戦犯探しはこれまでにして……あたしは今回の事件は別に駆け落ちじゃないと思うんだよね。確かにあたしはこの屋敷内の事は把握してないけど、彼が外で何をしていたかはほとんど把握してる。ゆんゆんと接触があったのもここ最近では二か月前に彼とめぐみんと一緒に参加したクエストの時と、一か月前に何故か彼の屋敷に出入りするようになった時だけだしね」

 

「わかりませんよ。あのぼっちが色仕掛けをした可能性だってあるじゃないですか」

 

「突発的に手を出す事はあっても、長期の行方不明なんて君達を心配させる事を急にするほど彼も不誠実じゃないよ。それは君達もよく知っているはずだよね?」

 

 当然と言わんばかりにそう言い切るクリスを前に私達は揃って閉口する。そして、私にとっては少し風向きが悪くなった事を肌で感じた。

 

「ゆんゆんは助手君と接触する前にダクネス……君と接触していたのをあたしは見ているのさ。本当にちらりと見ただけで会話内容までは盗み聞きはしてないから詳しい事は分からない。でも、助手君が失踪する原因については検討がついているんじゃない? どうやら捜索にもあまり積極的でもないし、アクア先輩達と比べて随分と落ち着いてるみたいだしね」

 

「………」

 

「別に責めたりはしないよ。本当の事を教えて欲しい。それだけだよ」

 

 真摯な態度のクリスを前に私はどうすればいいか思案していた。ループの話をしてしまったらアクアがおかしくなって、私は結末を見れずに今回も”捨て回”になるかもしれない。だからといって嘘が通じるほどアクアもクリスも甘くはない。そうなれば道は一つしかない。

 

「ゆんゆんとはその……恋愛相談みたいな事をした。めぐみんがカズマに決断を迫ったようだから私も焦っていたんだ」

 

「ふむふむ」

 

「それで、何故か彼女は私を手伝うといいながらカズマと接触し始めた。私は彼女の助けもあってカズマに告白したんだが……まあフラれてはいないが私の希望は叶わなかった。アイツは”私だけ”じゃなく私達全員を選ぶってな。それに対して私は癇癪を起して……後の事は本当に分からない」

 

 私の言ったことは真実だ。だが、ループに関しては触れない。それが私に残された生き残り方だ。クリスとアクアは私の方を見ながらコクリと頷き、めぐみんは少しだけ敵意の表情を向ける。抜け駆けして彼を独占しようとしたのはめぐみん的には背反行為に見えたのだろう。

 

「じゃあ、めぐみん。君は本当の所はどう思ってるの? ゆんゆんが助手君と駆け落ちしたって思ってるの?」

 

「それは……確かにあの男とゆんゆんの関係はあくまで友人関係だったのは私も把握してます。でも、色恋沙汰に絶対はないです。急にそういう関係になったのかもしれません」

 

「ふむふむ。じゃあ、これで答えが出たわけだ!」

 

 

 

クリスは得意げな表情を浮かべながらその薄い胸をと逸らした。

 

 

「助手君とゆんゆんが二人で行方を眩ましたのは事実。だけど行方を眩ましたのは君達との関係に悩んでいたからかもしれない。もう一つの可能性としては駆け落ちも考えられるけど……何か月も前から準備したのではなく突発的に取った行動の可能性が高い。そう考えると、彼を捜索するのに最も適した方法は……アクア先輩なら分かるよね。だって、先輩も広義の意味では”あたし”なんだから」

 

 

 クリスの言葉を受けたアクアは忌々し気に視線を返す。だが、彼女は諦めたようにため息をしてからぽつりぽつりと語り始めた。

 

「あの二人の捜索には私の神技もギルドも紅魔族も成果が得られない。そうなったらもう一番有効な方法は”物量”で攻めるしかないわね」

 

「ですがアクア、同様に物量で攻めてるギルドで出した緊急クエストは結果として成果が得られてないじゃないですか。おまけに眉唾な目撃情報が世界中から寄せられてこっちはパンク状態なんですよ?」

 

 めぐみんの声に私は同意の頷きを返す。対してアクアは更に落ち込んだような表情になり、クリスはそんなアクアの背をぽんぽんと叩きながらニヤついた表情を浮かべていた。

 

「ふふーん、浅学な君達には理解出来ないかもだけど、人間ってのは社会的動物なんだよ。いくら隠れ潜んだとしても衣食住で人並みの生活を得ようと思えれば他人と関わざるを得ないんだ。もし、ゆんゆんと彼がとっても深い仲で何か月も前から駆け落ちを考えて環境を整えていたなら難しかったけどね」

 

 クリスは相変わらず得意げに語っているが、私とめぐみんはイマイチ要領が得られない。そんな私達に助け舟を出すようにアクアは気怠そうに口を開いた。

 

「つまり、この子が言いたいのは世界中から寄せられた目撃情報を一個一個すべて検証していくっていう事よ。要するに力技ね」

 

「アクアの言いたいことは分かりましたよ。でも、そんなのは現実的に無理じゃないですか。それこそ、毎日何百件も嘘がばっかの目撃情報が寄せられています。こんなものに付き合ってても時間の無駄です」

 

「だから何度も言ってるじゃない。それを物量……数の力で解決するのよ」

 

「でもそんな人員と費用なんてとても……あっ……」

 

 遅まきながら私とめぐみんは理解する。数を揃えたいならこの二人……アクアとエリス様に敵う存在などいるはずがなかった。

 

 

「それじゃあ”人類総動員”といこっか! ねっ、アクア先輩!」

 

「…………」

 

 

アクアは相変わらず苦い表情を浮かべていた。

 

 

 

 

「心配しなくていいよアクア先輩。代償は何もいらないよ。別に今すぐ彼に会いたいってわけじゃなければ、いずれは時間が解決してくれそうな事だしね。ただ、エリス教徒のみんなの力を今すぐ借りたいって言うなら……今後あたしが屋敷を出入りする事を許可してくれると嬉しいなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「という事でカズマ、申し開きはありますか」

 

「すんません」

 

「え、聞こえないですよカズマ?」

 

「すいませんすいませんすいません……すいませんって言ってんだろバカ!」

 

「はっ?」

 

「うっ……すいません……って痛い痛い!?」

 

 約一か月半ぶりに目にしたカズマは簀巻きにされて屋敷のリビングに転がっていた。めぐみんはそんな彼に馬乗りになりながら長杖でぺちぺちと叩いている。めぐみんの目元には涙が貯められながらも、その表情は明るい物であった。

 

「はあ、結局エリスの手を借りることになるとはね……」

 

「アクア、そのエリス様はどちらに?」

 

「あの子ならちょっとした野暮用でしばらくは姿を見せないわ。後で私も合流しなきゃなんだけど……今はあのクズニートとの再会を喜びなさいな。ほら、会いたかったんでしょう?」

 

アクアに背を押され、私はカズマの方へ自然と身体を寄せる事になる。彼はそんな私を目にして申し訳なさそうに目を伏せる。だが、めぐみんがそんな彼を私の前に無理やり引きずり起こした。

 

「や、やあ久しぶりだなダクネス」

 

「ああ……」

 

「その、言い訳はこの後じっくり……ほぶっ!?」

 

 めぐみんのローキックで再び床に転がったカズマにめぐみんに加えてアクアまでもが腰を降ろす。その流れに乗っかり、私も彼の膝上に腰を降ろした。

 

「それじゃあカズマ、貴方の言い訳を聞きましょうか」

 

彼は観念したようにその口を開いた。

 

 

 

 さかのぼること約一ヵ月半前、私がカズマの前から逃げ出した後、彼は途方に暮れていたらしい。彼が前々から恐れていた恋愛関係のもつれによるパーティ崩壊の危機に直面し半ば自暴自棄になり、これから訪れるであろうめぐみんやアクアとの修羅場を考えて精神的に参っていた。そんな時、ここ最近何故か屋敷に出入りして身の回りの世話をしてくれていたゆんゆんから提案があったそうだ。

 

 

 

『とても疲れた表情ですねカズマさん。気分転換にあの三人のいない所でゆっくりした日々を過ごしてみませんか? きっと、これが貴方にとって人生で最後となる自由気ままな”独身期間”です。貴方が今後もあの三人と人生を歩む覚悟が決まるまで、私と”浮気”しましょう?』

 

 

 

 そんなゆんゆんの誘いにほいほいと乗った彼は、私達の事を記憶の隅に置いて考えないようにしつつ寂れた開拓村でゆんゆんとゆっくりした生活をしていたそうだ。そして、『もしかして、ゆんゆんって俺に気があるんじゃないか?』と思い始めた所でエリス様が『人類総動員、サトウカズマを救出せよ。発見者には神の祝福を”』というお触れをだし、世界中の至る所を文字通りひっくり返して探していたエリス教徒の捜索隊に捕縛されたとの事だった。

 

「しかし、驚いたぜ。ちょっと足りない食材を村に買いに行ったら、今まで好意的だった村の人が全員で俺を捕まえに来たんだからな。大半は返り討ちにしたんだが肝心のゆんゆんが潮時だとか何とか言って俺の前から消えたんだ。おかげでこっちもやる気なくして投降。今に至るってわけだな」

 

「へえ、何と言うかカズマって本当に情けない男ですね」

 

「うぐっ……」

 

「女神である私を裏切る動機が私達から逃げたかっただけって……流石に呆れるわよクズニート」

 

「うぎぎ……」

 

「前々から思っていたが、貴様は本当に意気地なしだな」

 

「おごっ……」

 

 しばらく、何も出来ないカズマに言葉の暴力を浴びせ続けた。私はと言うとゆんゆんがどうなったかが気がかりであった。私にはカズマを奪うとの趣旨の発言をしていたが、彼女の計画もこうして頓挫し彼もゆんゆんに未練がある素振りを見せていない。このままいけば、めぐみんやアクアが望むハッピーエンドは訪れそうであった。

 

「あっ……ねえカズマ、私のお尻に何か当たってるんですけど。もしかして、私達に罵倒されて興奮しちゃったの? 女神である私に布越しとは言えこんなにも汚らわしいものを当てるなんて、本当にどうしようもない男ね」

 

「ちょっ……おまっ……これは……!」

 

「そういえば、ゆんゆんから貴方を取り返して浮かれすぎていましたね。肝心な事を忘れていましたよ。ふふっ、貴方は今日から正式に”私達のカズマ”です。他の誰にも譲りません。ところでアクア、カズマはその……」

 

「大丈夫よめぐみん。カズマさんってばまだ童貞よ。”匂い”で分かるもの。ゆんゆんと一ヵ月も二人っきりで過ごしたのに……本当に意気地なしね。やっぱりアンタは……ってナニをまた反応させてるの? いつもはあんなにバカにしてるくせに、私でもきちんと反応するのね。ふふっ……どんどん硬くなってる」

 

「おまっ……やめっ……へるぷみーダクネス!」

 

 助けを求めるカズマから目を逸らし、私は腰を上げる。これ以上の事に私は参加する気が起きなかった。

 

「どうしたのですダクネス? もう害虫を寄せ付けないために、私達三人でカズマを調教するって事前に決めたじゃないですか」

 

「ああ、だが流石にこんなにも騒がしいとな」

 

「ふむ……分かりました。それじゃあ先に楽しませて頂きますね。埋め合わせはまた後で」

 

めぐみんは私に目配せをした後、ダガーで彼の拘束部位の一部分をダガーで切り取っていた。そして、アクアはというと耳まで真っ赤にしながらも、カズマへの攻めを緩ませなかった。

 

「おい待てお前ら調教ってなんだ!? 仮にもお前らの旦那になるかもしれない男なんだぞ!? それを……待てアクア……何で履いてないんだよ!? つーかどこに腰を降ろす気だ!?」

 

「う、うっさいわねバカズマ! アンタってばこういうのが好きなんでしょ? だからね……その……犬みたいに舐めなさいよクズニート!」

 

「待て……待て待て待て! うひっ!? めぐみんそこは……ああっ――」

 

 

 

 上がり始めた嬌声を背に、私はリビングの隣室へ避難する。この世界にもう意味はない。これ以上、私が深入りすべき理由などなかった。

 

 

「あれは”私のカズマ”じゃない」

 

 

 私はそっと耳を手で塞いだ。とりあえず、この場は離れよう。耐性も出来つつあるが、不快なものは不快だった。

 

 その日の深夜、私はダスティネス家の自室で眠れない夜を過ごしていた。いつこの世界と見切りをつけるかは正直言って決めあぐねている。姿を消しているゆんゆんとはもう一度話をしてみたいし、やりなおした所で私のカズマ攻略プランも具体的には決まっていない。

 

 

「妥協しろ……か……」

 

 やりなおした世界でアクアに告げられた言葉が私の頭から離れなかった。実際、私が今の状況を受け入れさえすれば、カズマとアクア、めぐみんと共に過ごす幸せはつかめる。おそらく、やりなおしが出来なければ私はその幸せを迷わず掴んでいた。

 

 

「でも……私は……」

 

 

 正直言って諦めの境地にいる私だが、それでも希望が捨てられない。このままやりなおしを続ければ、いつかは”私だけを愛してくれるカズマ”が現れるのはないかと……

 

 

「私だけのカズマ……カズマ……カズマ……私だけの……」

 

 

 

考えがまとまりそうになった時、ゆんゆんが私に投げかけた言葉を思い出した。

 

 

「現実を見ろ……現実を見るんだダスティネス・フォード・ララティーナ……」

 

 

 まるで走馬灯のように脳内で駆け巡る今までの世界での出来事を私一つ一つ吟味する。そうして、私はようやく気付くことが出来た。

 

「私だけのカズマを待ち望む……ふふっ……確かにゆんゆんの言う通り私は本当に愚かだったな」

 

 今までの世界でその行為が示す結果を私は嫌と言うほど見てきた。結局、無慈悲な現実はいくらやり直しても変わらない。ならば、それを切り開く方法は一つしかない。私も、今までの世界で見てきためぐみんやアクアのように逃げずに立ち向かうしか道はないのだ。

 

 

 

「私だけの……」

 

 

 

だが、この世界は残念ながら手遅れだ。

 

 

 

少しずつ襲ってくる睡魔に身を任せながら、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、私を叩き起こしたのはやけにツヤツヤとした表情のめぐみんであった。彼女は眠気を訴える私を無理やり起こし、急に私の身だしなみを整え始めた。

 

「めぐみん、どうした急に……」

 

「どうしたもこうしたもないですよ。昨夜の埋め合わせです。ダクネスも意外に乙女な所がありますからね。初めてが乱交ってのも気が引けたのでしょう?」

 

「乱交って……全くお前は……」

 

「大丈夫ですよ。貴方のために私がしっかりとお膳立てしてあげましたから。ほら行きますよ」

 

「お、おい……」

 

 上機嫌なめぐみんに引きずられるようにして私は外へと連れ出される。そうして行き着いたのは中心街がから離れた場所にあるエリス教会だった。中心街のエリス教会とは違い住民に親しまれる質素な雰囲気の教会だ。そんな場所に迷いなくズカズカと乗り込んだめぐみんは礼拝堂の裏手にある居住スペースに足を運んだ。そうして連れてこられた扉の前で、めぐみんは私の身体をぐいぐいと押し出した。

 

「この教会は貴方の崇拝する女神がわざわざ貸し切りで準備してくれたんです。あの女神もなんだかんだでノリが良い所がありますね。初めてでこんな背徳感が得られる場所を選ぶなんて良い趣味してます」

 

 

 女神エリスの正体がクリスと同一人物であるという点で、彼女がどういう人物かは把握している。だが、それはそれとして少し幻滅した。そして、めぐみんに急かされた私は扉の奥へと足を進める。そこは質素ながらも質が良く堅実な家具が並べられられた生活感漂う部屋であった。鎮座するシンプルなシングルベッドには案の定というべきか、カズマの姿があった。

 

「よう、ダクネス。昨日ぶりだな」

 

「…………」

 

「そんな怖い顔するなよ。確かに俺に言いたいことがたくさんあるのは理解してる。でも、俺だって言わせてもらう。やっぱり、俺はお前やめぐみん、アクアと過ごす日常が好きなんだ。もう誰かを切り捨てるなんて選択肢は俺にはない。俺はお前ら全員が好きなんだ」

 

「ほう……」

 

 初手から口説き文句を言い始めるカズマに少し気圧される。だが、言っている事はクズ男の戯言。私は余裕を持って、額に汗を浮かべるカズマの横へ腰を降ろした。

 

「先日までゆんゆんと逃げていたお前にしては随分な言い草だな」

 

「それは真摯に反省するしかねえよ。でも、あの期間があったからこそ今の俺がある。俺はもう、お前らからは逃げたりしない」

 

「逃げたり……?」

 

「ああ、お前らと肉体関係を持つって言う事が一つの証だ。お前らとそういう関係を持ったら、単なる友達には戻れなくなる。でも、それでいいんだ。俺だって、お前らを誰にも渡したくない」

 

 軽薄に聞こえる口説き文句に心が揺らぎつつも、カズマから発せられた言葉は私にとっても少し耳が痛い言葉だ。だからこそ、余計に分からなくなる。結局、ゆんゆんは何のために彼と行方を眩ましたのだろうか。カズマを奪うため? それなら、肉体関係を持っていない事に納得が行かない。カズマの言う通り、私達への配慮とカズマの気持ちの整理のためなのか。詳しい事は分からない。だが、どちらにしても私の答えは変わらない。

 

 

 

「なっ……」

 

 

 私はこちらに伸びる彼の手を振り払う。ゆんゆんにお膳立てされた関係を受け入れるのは癪だ。

 

 

 

それだけだ。

 

 

 

「ダクネス、確かに俺は最低なクソ野郎だ! でもな……!」

 

「残念な事にお前は”私だけのカズマ”じゃない」

 

「はっ……?」

 

「だから、さよならだ」

 

 

 私は、彼の少し荒れた唇にそっと口づけする。呆けた表情を浮かべるカズマを見ながら、私はエリス様のナイフを懐から取り出して右手に持つ。

 

 

私が目の前で自殺したら、どんな反応をしてくれるだろうか。

 

 

 泣いてしまうのか、必死に治療しようとするのか、それとも馬鹿な事をした私を罵倒するのか。未知とも言える快感をじわじわと胸に感じながら私は自分の脇腹にナイフを――

 

 

 

「大丈夫ですか、ダクネス。何か言い争うような声が聞こえましたが……」

 

 

 扉が開くガチャリという音と共に耳障りなめぐみんの声が背後から聞こえた。一瞬で熱が冷めてしまった私は、ナイフを手元から消してベッドから立ち上がる。カズマの声にならないようなか細い声が漏れ聞こえたが、もうどうでもよかった。

 

「すまないめぐみん。やっぱり教会でそんな行為は出来ない。この環境を用意してくれた事は感謝するが、今日は帰らせてもらおう」

 

「そうですか……貴方がここを使わないなら、私が使ってしまいますよ?」

 

「好きにしてくれ」

 

 私の言葉に喜色満面の笑みを見せ、めぐみんはカズマへとにじり寄る。彼はというと、たじろぎながらも、そんなめぐみんの情欲を受け止める覚悟の表情をしていた。そして、歩き去ろうとした私の袖をめぐみんが掴み、小さな声で一言だけ囁いた。

 

 

 

「隣の部屋で面白い物が見れますよ」

 

 

 

 それから、めぐみんはカズマの胸元へ飛び込んで行った。彼の戸惑いの声とめぐみんの媚びた甘え声を背に私は部屋を後にした。

 

「面白い物か……どうせ後は死ぬだけだしな」

 

 この世界でやるべき事はもう自殺くらいしかない。投げやりになっている私は、特に考えもせず廊下を数歩進んで隣の部屋への扉を押し開けた。

 

 

 

「ほう……」

 

 

 

それは確かに面白い光景だった。

 

 

 部屋は暗闇に満ちていて内部の詳細は分からない。だが、先ほどまで私とカズマがいた部屋に面する壁は普通とは違う事が一見にして理解出来た。

 

 

「悪趣味だ」

 

 そんな独り言を呟くのも仕方がない事だ。何故なら、壁が”透明”だったからだ。おかげで、ベッドの上でカズマを押し倒して舌を絡ませるめぐみんの姿がよく見える。これがどんな魔術的仕掛けか分からなかったが、こんな部屋が町はずれの教会に設置されていること自体が闇深かった。

 

「ふむ……一体どんな……っ……!?」

 

 透明な壁に手で触れようとした私だが、背後から聞こえた微かな物音を前に身構える。背後は相変わらずの暗闇であり、隣室が元々薄暗いせいで透明な壁の照明効果も少ない。ただ、そこに”何か”あることを私は感じ取った。

 一歩ずつ、足で確かめるように反対側の暗闇へと進む私の靴に何かが触れる。恐る恐るそれに目を凝らし、正体を見た私は一気に怖気がした。

 

「これは動物の死体か……なんでこんな所に?」

 

 それは何かの獣の死体だった。四足歩行の小さな獣である事は死体の骨格で何となく分かる。だが、半分以上は”炭化”しているため、それが何の獣かは分からなかった。そして、死体を見て初めてこの部屋の不快とも言える異臭に気づく。埃っぽさに混じり、焦げ臭さと錆びた鉄のような匂いがして――

 

 

 

 

「うっ……!?」

 

 

 

 思わず、口からそんな声が漏れる。焦げた獣の死体の数メートル先、そこには反対側の透明な壁と違いごく普通の壁が存在している。だが、その壁は別の意味で異様だった。何故なら、その壁には鎖で繋がれた人間が磔にされていたからだ。手首と足首に杭を打ち込まれた人間は、私のよく知る人物だった。

 

 

「ゆんゆん……」

 

 私の声に、彼女は反応を返さない。全身を鞭で打たれたのか、破れてボロボロになったローブから覗く白い肌には裂けた皮膚からの出血と打撲痕が見て取れる。もちろん、手首と足首に打ち込まれた杭からも、ポタポタと出血が続いていた。そして、鎖で繋がれた首輪から上、顔に関しては血を失って青白くなりながらも不自然なほど綺麗で以前と変わらないゆんゆんの顔があった。

 

 

そんな時、ゆんゆんの淀んだ瞳と目が合った。

そして、私が硬直している間に、彼女の瞳は血のように紅い光を取り戻していた。

 

「お久しぶりですねダクネスさん……」

 

「…………」

 

「カズマさんとは縁を戻せましたか? ふふっ、私の負けですね」

 

「…………」

 

 言葉を失うとは正にこの事である。この女は、一体何を言っているのだろうか。こんな状況で出会った私に何故そんな平然と、何故そんなにも笑顔で……なぜ……なぜなぜなぜ!

 

 

 

「お前は何がしたかったんだ?」

 

 

 

それは自然と口に出た言葉であった。

 

 

私の言葉に、ゆんゆんは困ったような笑みを浮かべた。

 

 

「本当に、私は何がしたかったんでしょうね」

 

 

その微笑みには諦観が混じっていた。

 

 

「カズマさんと二人で過ごせば、後はもうどうにかできるかもしれない。心の底ではそう思ってたんです。でも、彼の心には常に貴方達の事が根底に根付いていて……」

 

 

 ゆんゆんの視線が私の背後へと移る。その先に何があるかは今更言うまでもない。ただ、彼女は大きく吐息をついた。

 

 

 

「本当に……私は何のために……」

 

 

 ついには涙をぽろぽろと涙を流し始めたゆんゆんを前に、流石に私も良心が咎めた。しかし、私としても今の状況が理解出来ない。ゆんゆんは、明らかに”拷問”されていた。確かに彼女の行いがめぐみんやアクアの怒りに触れるのはたしかだが、ここまでの事をするとは思えなかった。とりあえず、ゆんゆんをこのままにしておけないと考えて鎖に手をかける。そんな時、今は聞きたくない声……アクアと女神エリスの声が聞こえてきた。

 

「あれ? 予定してた光景と違うんですけど。何でここにダクネスいるの?」

 

「あっ……」

 

「ちょっとエリス、向こうで盛ってるのはめぐみんじゃない。あの子は全く……」

 

「うっ……あっ……」

 

「エリス……?」

 

 こちらに呆れたような表情でいつものような声音をしているアクアの姿に私は自然とじわりとした嫌な汗を流す。対して、エリス様はその美貌を恐怖と困惑に歪めていた。

 

「あのね、エリス。そんなに狼狽えなくても大丈夫よ。ダクネスだって、理解してくれるわ」

 

「でも……」

 

「さて、ギャラリーも増えた事だし次はこれを試してみましょうか。これはね、”苦悩の梨”って言ってね……」

 

「アクア先輩!」

 

 アクアが取り出した謎の鉄製器具を、エリス様が慌てたように懐へと隠す。その姿を見て、私は嫌々ながら理解する。ゆんゆんへの拷問はこの二人が行っていたようだ。だが、それは私にとっては受け入れがたい事実だ。

 

「エリス様……何故こんな事を……」

 

「それは……

うぅ……!」

 

 言い淀んだエリス様の姿を見て、私の大切な何かが崩れ出す。そして、そんな私にアクアは首を傾げた。

 

 

「なによ、ダクネス。何か文句でもあるの?」

 

「いや、ただ私は……」

 

「私が面倒かけさせた泥棒猫相手でも、何もしないとでも思ってたの?」

 

 

 

真顔でそんな事を言うアクアを前に私は再び言葉を無くした。

 

 

「んっ……ふふっ……いひっ……冗談よダクネス。流石に私がその程度の事で癇癪起こして拷問するなんてありえないわよ!」

 

「あっ……ああっ……」

 

「それとこれとは別よ。ちょっと気になる別件があったのよ。だから、”仕方なく”拷問してるの。そう、仕方なかったのよ」

 

 申し訳なさそうに微笑むアクアに私は無言で頷きを返す事しか出来ない。エリス様に至っては私の視線から逃れるようにアクアの背に隠れていた。

 

「アクア、その……別件ってのは一体なんだ?」

 

「んー話せば長くなるわ。でも、端的に言ってしまえば……そうね、この子、何かおかしいのよ。女神の目からしても、この子は普通の人間。身体も魂も異常は見られない。それでも、何かが絶対おかしいの!」

 

「おかしい?」

 

「ええ、何もかも”おかしい”の。天使避けの結界を知ってるのに、その知識をどうやって手に入れたかは記憶を読み取っても不鮮明、おまけにカズマと逃亡中に二人で過ごしてた時の世間話として何度か時間移動に関する話題があったのよ。それに、この子が私やエリスの監視網を易々と突破できたのが今でも納得行かないし、いくらなんでも”準備”が良すぎる。平時なら気にしないけど、最近の天界でのゴタゴタを考えるとちょっと無視はできないわ。それと……おかしい……とにかくおかしいの……この子を見てると妙な違和感がしてしてしょうがない……女神の勘がそう告げてるのよ」

 

 そう言って、苦笑したアクアは懐から乾いた血がはりついた錆びたメイスを取り出す。それを目にしたゆんゆんは怯えたような表情を浮かべていた。

 

「あら、”初めて”の相手を前に連れない態度じゃない。それはそれとして、貴方の知識の出所を喋る気になった?」

 

「私は何も知りません……話す気もありません……!」

 

「はあ、まったく……エリスも手伝いなさいよ。昨日はノリノリだったじゃない」

 

「アクア先輩!」

 

「はいはい、それじゃあ軽く殴打百回から……ってダクネス?」

 

 

 私は、メイスを振り上げたアクアの前に割って入る。アクアはそんな私を面相臭そうな表情で見ていた。

 

 

「アクア、もっと詳しく説明しろ。納得が出来なければ、こんな行為は許さない」

 

「だから、話せば長くなるから……」

 

「話せ」

 

「ああもう、仕方ないわね……」

 

 アクアは苛立たし気にメイスを放り捨てる。そして、地面に腰を降ろして気だるげに語り始めた。

 

「まず、この事態を説明するには”神”って存在を理解する必要があるわ。私が水の女神って事はアンタも知ってると思うけど……何を司る”水の女神”かダクネスは知ってる?」

 

「それは……」

 

「別に答えは聞いていないわ。とにかく、貴方が頭の中に考えた”水の女神”の全ての要素を私は持っている。正に、”水”の神なわけ。美しい泉神であり、知恵を司る川の神でもあり、穏やかなる母なる海の神でもあり、荒れ狂う洪水と津波の神でもあるの。でも、私だって元はそんなに強力な存在じゃなかった。原始宗教における”水の神”ってだけで、私の女神としての力は私に思いを託して滅んでいった数多の神々の影響が大きいの」

 

「それが、この拷問と何の関係がある?」

 

「だから、まず私の話を聞きなさい。とにかく、今の天界にはエリスみたいな若手に混じって、私みたいに旧き時代の神の力を取り込んだ神様もいるの。その強力な神の一柱である”時空神クロノス”が天界から姿を消したのよ。あの人は時間を司っている神だから、自然と時間操作系の能力を持っているわ。クロノス自身は強力な力を持ちながらも自身の能力を悪用する事はないし、流れる時間をただ見守り続ける穏やかなおじいちゃんだった。そんな人が周囲に何も告げずに天界を去るなんてありえない」

 

 

 アクアの突然の話にいまいち理解が進まない。だが、アクアが何を疑っているかは理解出来た。

 

 

「そんな背景があるなかで、ゆんゆんは私とエリスを完全に出し抜いて見せた。くだんのクロノス自身……もしくはその力を受け継いだり、奪ったりした存在のバックアップや加護を受けた可能性が全くないとは言えない。それに、ゆんゆんがこんなにも頑なにマインドプロテクトを解こうとしないのが気になるの。隠すって事は見られたくない何かがあるはずなのよ。理解出来た?」

 

「悪いが理解しかねる。そのクロノスって奴がゆんゆんと関係あるとしても、拷問する理由にはならないはずだ」

 

 私の言葉にアクアは苛立たし気に唇を噛んでいた。一方で私は背筋が寒くなっていた。信じられない事に、ゆんゆんはひどい拷問に会いながらも私のやりなおしについてアクアに話していないらしい。恐らく、彼女が時間移動に関する話をカズマにしたのも、私の話を聞いたからであろう。結果として、私の能力を隠した事で疑いが私からゆんゆんに向かっていた。

 

「ゆんゆんお前は……」

 

「…………」

 

 私の視線に彼女は無表情を貫き通す。彼女がやりなおしについて黙っているのは、私が以前の周回でアクアに能力がバレた事で大惨事になっていた事を話したからだ。だが、一つだけ疑問が残る。私はゆんゆんに神魔避けの結界の存在を話していたが、その結界の模様や発動の仕方などは伝えていなかった。そう考えると、ゆんゆんはどこでその知識を得たのだろうか。頭がぐちゃぐちゃになり始めた時、エリス様がおどおどしながらも私の前に出て口を開いた。

 

「ダクネス、聞いてください。アクア先輩がクロノスを警戒しているのは理由があるんです。それは、時空神クロノスが”大地の神クロノス”の力を受け継いでいるからです。かの神は正しい意味での”神殺しの武器”を持っていました。かの武器が適性のないものに渡ってしまった場合、本当に何が起こるか分かりません。アクア先輩がこんなにも真剣なのは貴方達のため、ひいてはこの世界を守るために……」

 

「エリス!」

 

「ふむぐっ!?」

 

 アクアがエリスの口に先ほど手にしていた謎の鉄製器具を突っ込む。そして、押し黙ったエリスを避けてアクアが口を開いた。

 

「とにかく、例え時空神クロノスと私が真正面から戦ったとしても、私は一方的に勝てるわ。時間を操る能力なんて大したことないもの。でも、奴が扱ってた武器は私やエリスのような神にとっては危険なの。だから、こうやってゆんゆんを窮地に陥らせれば奴の方から何か反応を起こす可能性もある。何より、ゆんゆんの魂と癒着したマインドプロテクトを破るにはこういう原始的な手段が一番効率がいいのよ。マインドスキャンが無理なら彼女の精神を一度粉々にして情報を拾うしかないの」

 

「だが、元友人だとしても拷問されるのを見過ごせと言われても私は……だいたいめぐみんやカズマが黙ってないはずだ」

 

「大丈夫よダクネス。そんなに心配しなくていいわ」

 

 

アクアは指をパチンと鳴らした。

 

 

 その瞬間、ゆんゆんが光に包まれ……衣服も含めて身体に傷一つない状態に戻っていた。出血も痛々しい皮下出血も消えている。そして、呆けた表情を浮かべる彼女の手の中には、いつか見た小さな黒猫が抱かれていた。

 

 

 

 

 

 

「大丈夫よ。後で全部”元通り”にするから」

 

 

 

 

 

アクアは朗らかな笑顔を私に向けていた。

 

 

 

 

 

「ひっ……あっ……ランダムテレポートのはずなのにこんな……こんな偶然あるわけ……!」

 

「戻りすぎたわね。エリス、拘束して」

 

「女神エリス!? しまった……私はまんまと罠に……あうっ!?」

 

「アクア先輩、しっかりしてくださいよ。というかこれで振り出しじゃないですか」

 

「うっさいわね。とりあえず昨夜の反省点は……苦痛系はあんまり効果なかった事ね」

 

「次は恥辱系で行きましょう」

 

「アンタね……」

 

 

 

 エリス様はゆんゆんを腹部への殴打一撃で沈め、アクアはそんな彼女と威嚇する獣を壁際に引きずって行く。それを眺めながら、私はどうしようもない気持ちに支配された。

 

 

 

私ごときが神に敵うわけないと。

 

 

 

「そういえば、ダクネス。あんたってば何故か神魔避けの結界について知ってたわよね。どこでそれを知ったか、詳しく教えてくれない?」

 

 

 

それは、私にとっては最後通牒に等しかった。

 

 

「だから、昔聞きかじった話で……」

 

「どこで聞きかじったの?」

 

「覚えてない」

 

「ふふっ、嘘つきは泥棒の始まりって言葉は知ってる? それにしても、アンタってばやけにゆんゆんを庇うじゃない。何か貴方も事情を知ってるの?」

 

 

 ゆらりゆらりと近づいてくるアクアを前に私はたじろぐ事しか出来ない。そんな私に残された希望はもう彼女しかいなかった。

 

「本当に聞きかじっただけだ。確か、クリスからそんな話を聞いた気がするんだ」

 

「ふーん……嘘は言ってないわね……エリス……本当に教えちゃったの?」

 

 

 アクアは私から目線を外し、ゆんゆんを鎖につなげ直していたエリス様へと向かう。そして、彼女はクスリと微笑んだ。

 

 

「そういえば、そんな話をした気がします」

 

「ふーん……」

 

「確かあれは……クリスとして行動してる時、お酒の席で世間話の一つとして話しました」

 

 エリス様は私の話に驚くほど自然に寄り添ってくれた。彼女から見れば私が嘘をついているのを分かっているはずだ。それなのにエリス様は私を庇って……助けてくれた。

 

 

 

 

「エリス、嘘は良くないわね」

 

 

 

 アクアの一言で、エリス様は強張ったように体の動きを止める。そして、アクアの浮かべた敵意の表情を見て私は全てを察する。今回はもう、”ここまで”だ。だから、私自らの身体の内からナイフを取り出す。そして、自らの腹部にそれをあてがった。

 

「それは……エリスの力を感じるわね。どういうことエリス?」

 

「知りません! なんで私の力が……そんな事より何をしているのですかダクネス! もしかして貴方は……!」

 

 困惑するエリス様、倒れ伏すゆんゆんを見ながら私も覚悟を決める。例えなかった事になる世界だとしても、憂いは出来るだけ残したくなかった。

 

 

「私が死ねば世界は全て巻き戻る。別にそのクロノスって奴に会ったわけではないが……その力、私のために使わせてもらおう」

 

 そう宣言した私に、エリス様は表情を驚愕に歪め、アクアは無表情で私の両目を睨みつけてきた。

 

 

「何を……何を馬鹿な事を言うのですかダクネス! 例えどんな神であろうと加護を与えた人間の死を望む神なんていません!」

 

「続けなさいダクネス。私が貴方の力を見極めてあげる。ふふっ、”死に戻り”なんて趣味が悪いわね」

 

「アクア先輩! 私はこんな事許しません! だから……あっ……」

 

 アクアが、エリス様の額に人差し指をずぶりと突き刺していた。指の根元まで突き刺したそれを引き抜いた時、エリス様は声もなくゆんゆんの隣へと倒れ伏した。

 

 

「やってみなさいダクネス。大丈夫、私は貴方の味方よ」

 

 

 

空虚に聞こえるはずのアクアの声だが、その言葉だけは不思議と信じられた。

 

 

 

 

だからこそ、私は自分の腹部に思いっきりナイフを突き刺した。

 

 

 

「うぎぃ……!?」

 

「ダクネス!」

 

 

久しぶりのこの冷たく堅い感触。

 

大切な何かと体の熱が抜け落ちていく不快感。

 

そして、どうしようもない苦痛が全身を襲う。

 

 

 

それでも、私は耐え続ける。私の未来を勝ち取るためには造作もない苦痛だ。

 

 

 

 ふと、冷たくなっていく身体に暖かさが戻っていく。視界はすでに深淵へと近づいているが、アクアが私の身体を抱きしめてくれている事は分かった。

 

 

「治癒魔法が効かない……どうして……時間移動……クロノス……死に戻り……時の神……かの神の力でこんな悲しい結末になるなんて……ああっ……だとしたら……」

 

 

 全ての感覚が抜け落ちていく中、私の体の中に熱い何かが入り込み、かき回していく感覚が伝わる。それはひどく不快なものだった。

 

「このナイフ……魂に関連付けされてるのね……なるほど……エリスはダクネスの力を見抜いていたのね……でもダメ……肝心な所を勘違いしてる……報われないわね……あの子も……」

 

 

 

全てが闇に消えていく。

 

 

そんな私に、消えかけの私にアクアの声だけが響き渡った。

 

 

 

『ダクネス。恐らく次が”最後”よ。いや、正確には恐らく最後になる。貴方が理想を求めるのは理解出来る。でも、ある程度の妥協をして現実を受け入れなさい。貴方が求める幸せと、私達と歩む幸せも実はそんなに変わりないかもしれないわ。でも、全てを失うよりはマシよ』

 

 

 

それは以前にも聞いた忠告だった。

 

 

『確かに、このままいけば貴方は全てを”やりなおせる”。でも、次で最後にしなさい。死にゆく貴方への贈り物としてはこれが精一杯の忠告よ』

 

 

 

 

 

 

感覚は全てなくなった。

 

だが、暖かさだけが私を包み込む。

 

 

 

 

 

 

 

『貴方のそれは”死に戻り”じゃない! そもそも、”クロノスの力”でもない! だからこそ、自分の手でこの悲劇を終わらせなさい! そうしなければ貴方は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、全てが闇に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 私はベッドからガバリと起き上がる。そこは何度も見たダスティネス邸の自室。両手を掲げ、巻かれた包帯がない事を確かめ、ちらりと明るい朝の光が差し込んだ窓を見る。穏やかな外の景色を眺めながら、私は確信を得た。

 

 

「やりなおしは成功だ」

 

 迷いを失い、驚くほど軽快な身体を動かしながら私は衣服を整える。もちろん、とっておきの紅い勝負下着も忘れない。

 

 

「本当に私はどうしようもない……何かと理由をつけては逃げてばかり……それも全て今回で終わらせる……」

 

 新人メイドの来訪を前に私はダスティネス家を後にする。そうして、たどり着いたのはカズマの屋敷。見慣れた玄関をくぐり、リビングに到達した私の目の前に相変わらずな様子のカズマがいた。

 

 

「よう、ダクネス。今日は冒険なんて行かないからな」

 

 

 いつもと同じ返事を返す彼を無視して、私はリビングの絨毯を引きはがす。そして、取り出したナイフで思いっきり手首を切りつけた。私の想いに応えるように、手首からはさらさらとした紅い鮮血が流れ出した。

 

 

「おい! いきなり何を……ってダクネス……?」

 

 

 

そうして、木目調のフローリングに大きく……大きく神魔避けの結界を描いた。

 

 

 

「ダクネス、だから何をやって……おわっ!?」

 

 

 私は結界の中央に困惑した表情のカズマを投げ入れる。そうして、目を白黒させて彼の上に、私は馬乗りになった。彼はそんな私に引き続き困惑しながらも、今の状況理解し始めたようだった。

 

 

「あのダクネスさん……俺何かしました……? 何かしたなら謝ります……だからぶっ殺すのだけはマジ勘弁してくれ……」

 

 

 

 冷や汗を浮かべるカズマを見て、私は思わず笑ってしまう。そうして、一しきり笑った後、私はカズマの服を思いっきり破り捨てた。

 

 

 

 

 

「ああ、ブチ犯してやるぞカズマ……!」

 

「ひぃっ!?」

 

 

 

 

 

カズマが、私を見て女の子みたいな悲鳴をあげていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








遅くなってごーめんね!


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電撃作戦

 

 

 

 

 

繰り返される世界、自分が望む結末から逸れて終焉を迎える世界。

 

 

 

私が経験したのは5度のやり直し。

 

 

 客観的に考えると少ない感じがするが、経験した経過日数は約一年にもなる。繰り返す事で、親友達の知りたくなかった感情、愛する彼の秘めた思いまで知る事になった。愚鈍な私でも、これだけの”経験”を積めば見えてくるものがある。

 

 

つまりは、”物語の分岐点”ともいえるものの存在だ。

 

 

 基本的にはこの世界における勝者はめぐみんである事を考えに入れておきたい。私が何もしなければ、彼女がカズマと結ばれるのは決定事項と言える。ここに、”私の介入の有無”によってその後の方向性は変わる。

 ここで厄介な存在となるのがアクアという女神の存在だ。彼女は私が何も介入しなければめぐみんと結ばれるカズマを受け入れる。めぐみんもそんなアクアを受け入れ、無事ハーレム完成となる。はっきり言って、このルートが一番安全で平和なのかもしれない。

 しかし、私の介入の結果によりアクアに”独占欲"が芽生えてしまった場合、彼女からカズマを取り返すのはほぼ不可能となる。女神であるアクアに対抗できる能力は私にはない。また、同じ女神であるエリス様をもってしても、アクアには勝てない事が前回の周回で確定となった。そして、私のやりなおす力をアクアは何故か危険視しており、彼女に能力がバレるとろくでもない事になるのは4周目や5周目からしても明らかであろう。

 なにより注視すべきなのはカズマの行動パターンだ。彼は基本的な目標をめぐみん、アクア、私を全員を自分のモノにしようとしているハーレム野郎だ。その割には、彼は極度の憶病で自分から行動を起こす事はない。彼をモノにするには自分から動くしかないのだ。そして、曖昧な態度を見せる彼だが、アクアだけには並々ならぬ執着心を見せている。彼はアクアが自分の傍を離れる事を極端に恐れているため、彼女を自分の傍に置いていくために必要とあらば、私やめぐみんをあっさりと切り捨ててくる。これはカズマがアクアにめぐみんや私以上の”愛情”を抱いている事に他ならなかった。

 

 

 

このような事実を考慮すると、どうしようもない一つの真実が見えてくる。

 

 

 

 私だけを一途に愛し、私の事だけを考えてくれる”カズマ”は存在しないし、今後も現れない。

 

 

 そうであるならば、私が得られる幸せな未来とはどんなものなのであろうか。おそらく、私が何もしない世界、めぐみんが彼と結ばれるのが幸せなのかもしれない。めぐみんは自分がカズマの”一番”であるという自覚がある場合、彼を私やアクアを共有しようという考えになる。この場合、何が何でもアクアを傍に置いておきたいカズマと、何が何でもカズマの傍にいたいアクアの利害は一致する。結果として今のぬるま湯のような関係性の延長となり、私達は幸せになるはずだった。

 

私はそんな幸せな世界をやりなおして無かった事にしてしまった。

そして、私だけが幸せになれる……そんな夢の世界を追い求めてしまった。

 

 

 もし、やりなおしという手段がなければ私は泣きながらも現実を受け入れ、めぐみんの厚意とカズマが見せる私達への独占欲を担保にその幸せを享受したはずだ。だが、そうはならなかった。結果としてやりなおしの力が私を幸せから遠ざけたのだ。

 

 

だから、私は今回のやりなおしを”最後”にしたいと思う。

 

 

 これ以上のあがきは、自分に利益をもたらさない。理想を求めて無為にやりなおしの回数を増やしても、私の望む幸せは手に入らないだろう。何より、やり直す度に私は人間として大切な物を失っている。そんな自覚があるのだ。もちろん、次回へ繋がる重要事項を知り得た場合はその限りではない。だが、今の私には自殺をしてやりなおすほど価値のある情報は得られそうになかった。

 

 

 

 

そんな私に残された最後の作戦は短期決戦、所謂電撃戦しかない。

 

 

 

 今までの経験から決着を遅延させた場合、アクアの介入が予想されるほかに、前回のようなゆんゆんの参戦もあるかもしれないのだ。ゆんゆんはイレギュラーかもしれないが、カズマの無駄に広い交友関係を考慮すると、アイリス王女や彼に憧れを持つ新人女冒険者といった別のイレギュラーが発生する可能性がある。

 

 また、カズマやアクアの行動を熟知出来ているのが、やりなおし開始から数時間である点も重要だ。カズマ達の動きは私の些細な動きで変化する。おおまかな動きは変わらないのだが、時間経過とともにその規則性は乱れる上に行動予測が難しくなるのだ。

 

 

 この戦いの勝者はカズマと結ばれたものである。そうであるならば、カズマの童貞を奪い、私自身も彼に純潔を捧げる事は戦術的に大きな意味がある。

 肉体関係を持った相手を無碍に出来ず、初めての相手を特別視しそうな彼の性格は正に童貞だ。彼の初めての相手というものの戦術的価値は彼の思考誘導だけでなく、対アクア、めぐみんを考慮すると武器にも使える。

 

 

結論として、彼を手に入れるのに最も有効な方法は……

 

 

 

 

 

 

 

やりなおし直後に彼と肉体関係を持つ事だった。

 

 

結果として。それは見事に成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ……はあ……やっちまった……」

 

「…………」

 

「おい、ダクネス!」

 

「おほっ!? お゛っ……お゛う……」

 

「なんて顔してやがる。少なくとも貴族のお嬢様がしちゃダメな顔してるな」

 

「ひんっ!?」

 

 臀部に強い平手打ちを受けて私は快楽で濁った意識に理性が戻る。うつ伏せで倒れていた私はなんとか四つん這いになる。そして、そんな私の臀部をニヤニヤと笑いながら叩くカズマとしばし目を見合わせる。彼はにやけ面から、段々と血の気の引いた表情となっていった。

 

「カズマ……」

 

「うっ……ちょっと風呂入ってくる」

 

「あっ……」

 

 

逃げた。

 

それはもう素晴らしい逃げっぷりであった。

 

 

 

 そんなカズマにため息をつきつつ、私はよろよろと立ち上がる。それから準備した濡れタオルで体を拭き、下着を身につける。これからやるべき事は多いため、私は今一度気合を入れた。

 まずすべきは部屋の清掃。脱ぎ捨てられた衣服を1箇所にまとめ、汚れたクッション類もまとめる。その後に血で描かれた神魔避けの結界をタオルで拭き取り、絨毯をひきなおす。これで、私達はアクアの探知に引っかかる事になる。

 やりなおし直後から数時間はアクアはエリス教会で、エリスとクロノスについて話し合っている時間帯だ。おそらく、今頃は教会で取り乱しているはずだろう。

 

 そんな事実に笑いがこみ上げそうになっている時、リビングにカズマが帰還する。彼は風呂上がりだというのに、顔面蒼白となっていた。

 

「ダクネス……」

 

「どうしたカズマ?」

 

「いや……その……」

 

「ふふっ、私から誘ったんだ。カズマは何も考えなくていい。ただ、私の誘いに乗ったという事は貴様も私を愛してくれているのだと思っていいんだな?」

 

「そりゃあ……うん……ダクネスの事は好きだけど……」

 

 歯切れの悪いカズマの姿に苛立ちを覚えつつも、平常心を保つ。今は彼を追い詰め、決して逃してはならない場面だ。

 

「なんつーか、今回の事はお互いにわすれ……」

 

「ふむ、貴様も理解しているはずだ。貴族の私から処女を奪ったんだ。もう、お互い後戻りは出来ない。ここで私を捨てるつもりなら、私には自ら命を捨てるほか選択肢がないんだ」

 

「なっ!? 冗談でもそんなことは……」

 

「冗談だと思うのか?」

 

「っ……!」

 

 私の方を見ながら言葉を失ったカズマに私はゆっくりと近づき、そっと抱きしめる。湯上がりの彼は、暖かく石鹸の良い香りがした。

 

 

 

「なあ、カズマ。私じゃダメか……?」

 

 

 

 ビクリと身体を震わせた彼に私はさらに強く抱きついた。

 

 

「私はカズマじゃないとダメだ」

 

「俺は……」

 

「カズマが不安に思っている事は私も理解してる。貴族の女と結ばれるということ、アクアやめぐみんの事だってある。でも、それも全て後で考えればいい。今は、カズマが私を受け入れるかどうか、それさえ判断すればいいんだ」

 

私の言葉に彼はしばらく押し黙った後、小さくため息をついた。

 

「まいったな……なんつーか男前だな。ダクネス」

 

「それは、了承という意味か?」

 

「まあ、そういう事だ。遅くなったけど、俺もダクネスの事が好きだ。これからもよろしくな」

 

「ふふっ、そうか……そうかっ……!」

 

 歓喜の念に打ち震えつつも、私は平常心を失わない。まだスタートダッシュに成功したにすぎない。本当の戦いはこれからだからだ。

 

 

だが、少しくらいはこの幸せを享受しても罰は当たらないはずだ。

 

 

 

「私が男前だというのはいささか不当な扱いじゃないか。だから、貴様に罰を与える。もう一度私を愛して欲しい」

 

「いや、でもさっきヤッたばかりで……」

 

「初めてにしては、乱暴だったな」

 

「うっ……」

 

「きちんと、優しくやって欲しい。もちろん、お返しはたっぷりとする。カズマがやりたい事、やって欲しい事、なんでもしてあげるぞ」

 

「なっ……なんでも……!?」

 

「ふふっ、なんでもだ。 だから……ひゃっ!?」

 

 

 興奮した表情で再度押し倒された私は、女として彼に求められる事の喜びを噛みしめる。そうして、彼に甘い口づけを受けている時、リビングの扉が少しだけ開いている事に気がついた。そこからはチラリと見慣れた青髪が目に入る。だから私は彼にもっと甘い言葉を囁いて欲しいとそっと耳うちした。

 

「愛してる。可愛いよララティーナ」

 

「ふふっ、めぐみんよりもか?」

 

「ああ、当たり前だ」

 

「そうか……アクアよりもか?」

 

「それは……」

 

言い淀んだカズマの頭を私の胸に埋める。それから、もう一度囁いた。

 

 

 

「貴様は女を喜ばす言葉すら吐けないのか?」

 

 

 

 むっとした表情の彼は挑発した私の口を口づけで塞いだ後、吹っ切れたように言い放った。

 

 

「当たり前だ。あんな駄女神より、お前を愛してる。一生傍にいてくれ」

 

「ああ、こちらこそ……ひうっ……!?」

 

 

 彼に強く求められながら、私はかすかにすすり泣くような声を聞いた。だが、私の身体に夢中な彼はそれに気づかない。

 

 

その瞬間、私はアクアと目があった。

 

 

 涙を浮かべたアクアは数瞬だけ私と視線を交わし、扉の奥へと消えていった。おそらく、彼女はこの部屋に漂う淫気を嗅ぎ取り、これが2回戦目だと理解したのだろう。今更止めに来てももう遅いのだ。

 

 

「ダクネス……俺とするのがそんなに嬉しいのか?」

 

「ふふっ、そんなところだ」

 

「そうか……それなら……」

 

「ひぅ!? そんな体勢で……!? やさしくするって……」

 

 

彼の腕に抱かれつつ、私はこみ上げる喜びを快楽で押し流した。

 

 

 

 

 日が沈みかけた夕暮れ時、私は汗や体液で濡れた体をシャワーで洗い流していた。入浴を終え、普段着に身をつつみリビングに向かう。そこには、ソファーで幸せそうな顔で眠るカズマの姿があった。そんな彼の姿に思わず笑みを浮かべつつ、私は書き置きを残して屋敷を出た。

 

 そして、正門を出た私を出迎える人物がいた。その紫紺の瞳と美しい銀髪を持つ相手を私が見違えるはずがない。私の目当てである女神エリスを前に私は片膝をついた。

 

 

「エリス様、ちょうど相談したい事があるのですが……屋敷の中で何があったかはご存知ですか?」

 

「ええ、もちろん。アクア先輩が私との会話を急に切り上げてカズマさんに会いに行ったのに、帰ってきた時には精神的にボロボロでした。それと、貴方の匂いで分かります。どうやら、大人の階段を一歩登ったようですね」

 

「まあそんなところです。ところで、アクアはどこに?」

 

「今は冒険者ギルドで飲んだくれてますよ」

 

「そうですか。なら、なおさら都合が良い。エリス様、私と二人だけで話せませんか?」

 

 

 私の提案にエリス様はコクリと頷く。それから、そっと私の右手を手に取った。その瞬間、周囲の光景は薄暗闇の空間に切り替わった。そこは以前の周回ではアクアに連れられてきた天界であった。

 

 

「ダクネス、ここは神々の住まう地である天界です。無論この空間は私と貴方以外の存在は許されません。人に聞かれたくない話でも、何でも相談してください」

 

 

 そう言って微笑むエリス様の前で私は緊張により息をのむ。ここでの行動次第で私は破滅を迎える。だからこそ、私は一つの質問をぶつける事にした。

 

「エリス様……」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「エリス様は、カズマを私に取られてどう思いましたか?」

 

「え?」

 

 

直球の質問にエリス様はピシリと固まる。だが、私の目を見て小さく息をついた。

 

 

「そうですね……正直言って悔しいです。私もカズマさんの事が気になって……いいえ……彼の事は心から愛していました」

 

「…………」

 

「でも、ダクネスと結ばれたのなら納得です。肝心な所で意気地がなくて、変な所でプライドが高い貴方が婚前交渉という手段を選んだのは驚きましたが……私は貴方達を祝福しますよ」

 

 

 少し力のない微笑みを向けるエリス様を私はしばし観察する。今までのやりなおしで得た知識を鑑みるにエリス様のカズマへの好意はかなり苛烈なものだったとアクアなどから聞かされている。しかし、やりなおした世界においても、彼女は私にとっての数々の助けとなった。

 

 

エリス様は私にとって数少ない”味方”なのだ。

 

 

 だからこそ、私は彼女の手をとって自分の額に押し当てる。首を傾げて困ったような表情を浮かべるエリス様に、私は一言だけ告げた。

 

 

「私の記憶を見て欲しいんだ」

 

 

 目を見開いて驚愕するエリス様だが、私の表情を見て冗談の類ではないと判断したのだろう。こくりと小さな頷きを返してからその手を押し進めた。ずぶりという異物感と不快感、形容しがたい痛みが頭部に巻き起こった。それに呼応するようにエリス様の表情は困惑へと変わっていった。そして、私の額から手を引き抜いた彼女は目に見えて狼狽していた。

 

「嘘でしょ……こんな事って……!」

 

「事実ですよエリス様。証拠品だってありますよよ。ほら、”以前”貴方がくれたものです」

 

右手に出現させたのはエリス様から送られたあのナイフだ。それを震える手で受け取ったエリス様は膝からかくんと崩れ落ちた。彼女が取り落としたナイフは再び私の足元へと転がってくる。それを拾い上げた私は再びエリス様を観察する。彼女にやりなおしを告白したのはこれが初めてというわけではない。だが、彼女もアクアのように態度を急変する可能性も無きにしも非ずなのだ。

 

「過去の私はなんであんなこと……いや……状況的に仕方なくて……」

 

「エリス様」

 

「でもこのナイフの設計図を添付する意図は……やりなおし……死に戻り……タイムループ……ループ……こんなものが……タイムループ……?」

 

「エリス様!」

 

「ひゃ、ひゃい!?」

 

 ビクリと肩を震わせたエリス様に私は手を差し伸べる。困惑した表情の彼女は私の手を取る事に躊躇していた。そんな彼女の様子に思わずため息をついた。

 

「エリス様、私の記憶を見たのなら私の状況は理解出来たはずだ」

 

「それは……結局のところ八方塞がりという事ですか?」

 

「ああ、序盤の突破口を見つけてそれを実行した事に変わりはない。ただ、これからの事は正直言って貴方の協力を得てなお綱渡りな状況だ。だからエリス様……」

 

 

 

 

 私は片膝をついてエリス様と同じ目線に立つ。そうして、今一度自分の手を彼女へと差し出した。

 

 

 

 

 

「私を助けて欲しい」

 

 

 

 

私が差し出した手を、彼女は力強く掴んでくれた。

 

 

 

 

 

「ふふっ、しょうがないですね。本当にダクネスってば手のかかる子ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「という事で、アクア先輩対策会議を始めるよー! はーいぱちぱぱちー!」

 

「…………」

 

「なにさダクネス。テンション低くない? 元はと言えば君が持ち込んだ案件じゃないかー!」

 

「まあ、そうだが……」

 

「もう、せっかくダクネスが話しやすいように”クリス”になってるんだから、もう少しリラックスしようよ」

 

「ああ……」

 

いまいち釈然としない心境のなか、私は椅子に腰を降ろす。対面の席に座ったクリスはいつもの盗賊衣装に身を包んでいた。もう何度も相対しているとはいえ、クリスの正体がエリス様であるという事実にはあまり慣れていなかった。

 

「さて、まずは対策会議を始める前に一つ教えてあげよう。ダクネス、あたしは君の”やりなおし”については確実とは言えないながらも、その現象が起きる理由を大体は理解したよ」

 

「なっ!? それは本当なのか?」

 

「うん、確実とは言えないけど……いや、たったいま確証が取れたよ。なるほど……なるほど……覚悟はしていたけれど……実に救いがない……」

 

「それはどういう意味だ!」

 

「本当にこんなことが……まさかそんな……元はと言えば……」

 

「クリス!」

 

 目の光が消えかけたクリスの肩を大きく揺さぶる。なんとか意志を取り戻したクリスだが、彼女は意気消沈した様子で大きくため息をついていた。

 

「なあクリス、やりなおしの原因とやらを教えてくれ! そうすれば私は……!」

 

「ダクネス、結論を急きすぎないで! その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要があるんだ。少し長くなる……というよりいずれは君も自然と分かる時がくるよ」

 

「誤魔化すな!」

 

「ダクネス……」

 

 明らかに話をはぐらかそうとしているクリスに私はとてつもない怒りが湧いて来た。だが、クリスはそんな私を見ても微動だにしなかった。

 

「ダクネス、正直言ってあたしは今の君を信用できない。君の精神に触れたから分けるけど、今の君は相当に歪んでる」

 

「私が歪んでる……?」

 

「言われても分からないの? 少なくとも、あたしの知っているダクネスなら安易に自殺となんていう、周囲を悲しませる行為はしないはずだよ。もちろん、君がこのやりなおしで受けた苦痛と経験でそんな精神性になったことは理解出来るけどね」

 

「貴方に私の何が分かる……やりなおしによって私の考え方に多少の変化があるのは仕方のない事だったんだ!」

 

「うんうん、理解してるよ。今、激高した風に装いながら、あたしからやりなおしの真実を聞いた後のプランを一気に5個も考え付いた。そのうち4個のプランの終着点が自殺して初めからやりなおす計画だね。確かに、理想を言えば私にすら頼らないのが彼を独占するためには一番いい事だけど……正直言ってあんまりだよダクネス……」

 

「…………」

 

 やはり、彼女も女神だ。私の考えを当たり前のように見透かしてきた。だからこそ、私は考えるのはやめた。今回は彼女に頼るのが最良の選択肢であった。

 

「それでも、あたしはダクネスを見捨てないよ。歪に壊れた精神でも、あたしを頼ってくれたのは確かなんだ。でも、自殺は絶対に許さない。安易に他人を殺害しようとしたり、必要以上に貶めるのも許さない。何年かかってもいいから、あたしは君を”人間”に戻すよ」

 

「やりなおしの真実は教えてくれないのか」

 

「うん、教えない。でも、ダクネスが彼と一緒に幸せを掴んで、人間としての感性を取り戻した時……そうだね……君の子供が立派に成人を迎えた時くらいに教えるよ。おっと、その右手に持ったものはなにかな? 自殺をほのめかして結論を急かすのは許さないよ! ”スティール”!」

 

 私が手に取っていたナイフを、クリスは窃盗スキルで奪い取った。ナイフを自分へと収納しようと念じるが、クリスの手からナイフは離れなかった。

 

「これは君がまともになるまで預かっておくよ……もう本当に……ダクネスってば……」

 

「泣くぐらいなら、いっそのこと教えて欲しいんだが……」

 

 悲痛な表情で涙を流すクリスを私はしばらくじっと見つめる。楽な自殺の手段は封じられた。いよいよ、今回は彼女に頼るしかなくなった。とはいえ、これも想定の範囲内である。どちらにしろ、アクアの動きを封じるには彼女に頼るしかないのだ。

 

「ダクネス、今からあたしが語る事はこの”やりなおし”の真実のごく一部だよ。これだけは心して聞いて欲しいんだ」

 

「ああ……」

 

「もう君が自殺しても、やりなおす事は出来ない。ダクネスの”終着点”はここだよ」

 

「何故そう言い切れる? 私の自殺抑止のためにそんな助言をしているのか」

 

「その意味も勿論あるさ。でも、これは真実なんだよ。もう、君は死んでもやりなおせない」

 

 クリスの瞳は真っすぐにこちらを射抜いて来た。正直言ってまだまだ真実についてもっと情報を得たかったが、ここは引き下がる事にする。私だって彼女の事を疑いたくはなかったのだ。

 

 

「それじゃあ、改めてアクア先輩対策会議を始めようか。真実が何であっても、アクア先輩という障害を取り除かなきゃ、あたしともどもダクネスは終わりだからね」

 

「まあな……」

 

「それじゃあ、今後についての方針だけど……ダクネスはアクア先輩が過去の周回で”妥協しろ”って忠告している事を覚えてる?」

 

「もちろん覚えているが……」

 

「はっきり言うけど、これが君が幸せになるための答えだよ。この忠告をした時のアクア先輩はあたしと同じくやりなおしの”真実”に気づいてる。だからこそ、あたしの答えも一緒だよ。妥協して、ダクネス」

 

 言い含めるようなクリスの言葉は私にちくちくとした不快感を与える。そんな事、百も承知だ。そうすれば丸く収まる事だって理解してる。だが、ここまで私は苦痛を乗り越えてやりなおして来たのだ。妥協して何もしなかった場合の世界と同様のパターン……カズマのハーレムの一員として終わるのはやはり簡単には受け入れられなかった。

 

「落ち着いてダクネス。物事を一か百かで極端に考えるのはやめてよね。つまり、ここでいう”妥協”は君の許容範囲、そしてカズマ君の許容範囲、アクア先輩やめぐみんの許容範囲の重なる点を見つける事が重要なんだ」

 

「つまりはどういう事だ?」

 

「もう少しダクネスは自分で考えた方が……まあいいや! とにかく、分かりやすい例でいえばカズマ君とアクア先輩の許容範囲だね。基本的にカズマくんはアクア先輩だけは自分の傍にいて欲しいという思いがある。そしてアクア先輩にも同様にカズマくんに傍にいて欲しいという思いがある。この場合における君の”妥協点”はどこだか分かるかな?」

 

 片目を閉じて私を試すような物言いの彼女に私は閉口する。クリスの言っている事はいまいち分からない。はっきり言ってしまえば、カズマとアクアの関係は悔しい事に相思相愛だった。お互いの存在を傍に置きたいもの同士を引き離すのは両者からの反感を……

 

 

 

「そうか……そういうことか……」

 

 

 

 その瞬間、私はやりなおしで得た知識がフラッシュバックする。確かに、カズマとアクアは切っても切れない関係だ。しかし、それはアクアがカズマを独占する事を意味してはいない。

 

「つまりは、アクアをカズマの傍に置くのは許しつつも、恋愛関係になるのは認めない。これが妥協点と言う奴か……」

 

「うんうん、よくできました。まあ大体そんなところだね。もちろん、彼らを傍に置くことで恋愛関係に発展する危険性はある。でも、カズマくんやアクア先輩のたづなを握ってコントロールすればそんな危険も回避できる。こういった妥協点を見つけて、後は君の努力次第さ。これが”妥協しろ”って事の本当の意味だよ」

 

 

 クスクスと笑うクリスに頭を撫でられながら私は急速に濁り固まった脳内が動き出すのを感じる。これらの妥協点はカズマ、アクア、めぐみんの心の内を理解しなければ探る事は難しい。だが、幸いにも私はこのやりなおしの中で彼らの想いの叫びを間近で聞いて来た。それらをすりあわせるの作業はそう、難しい事ではなかった。

 

 

「それじゃあカズマの妥協点についてだが……」

 

「おっと、その話をする前に彼の性格を考慮して一番効果がある作戦があるんだよ!」

 

「ふむ、続けて」

 

「カズマくんはこの世界の出身ではない事は知ってるよね? そして、彼の生まれた国は日本っていうところなんだけど、その日本人の典型的な特質とされている”判官贔屓”っていう言葉があってね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな作戦会議を終えた私は夜にはカズマの屋敷に戻って夕食を取っていた。だが、彼と二人っきりと言うわけではない。食卓には、ぎこちない様子のアクアと、満面の笑みを浮かべたエリス様が同席していた。

 

 

「はい、という事で乾杯です! おめでとうダクネス、カズマさん!」

 

「ちょっ!? 恥ずかしいですってエリス様! というかお赤飯って……」

 

「あれ? カズマさんの故郷ではこういう時はお赤飯を炊くんですよね? アクアさんと二人で準備したんですよ!」

 

「いや、確かにそういう風習はありますけど俺がいる場でこんな……」

 

「童貞と処女の卒業おめでとうー!」

 

「エリス様!?」

 

 テンションがおかしいエリス様にたじたじになっているカズマだが、一方で私とアクアの間に漂う空気は冷たかった。とにかく、アクアからエリス様が自由に出入りする許可はなんとか取れた。エリス様が屋敷に来た理由は表向きには私へのお祝い料理の持参のためだが、実はさきほどまでエリス様と二人でアクアの譲歩を引き出すために少し”お話”をしていた。

 結論から言えば、やはりアクアの情緒は不安定な状態に陥っていた、しかし、エリス様によるとこの状態を維持する事がマインドコントロールには欠かせないそうだ。また、アクアはもはや排除すべき敵ではない。彼女は味方に引き込むと決めた人材だ。

 

「いやはや、こういう形で祝って頂くのは少し恥ずかしいが……私は今まで以上にカズマと幸せになるつもりだ。なあそうだろうカズマ?」

 

「えっ……? いや、あの……」

 

「カズマ……」

 

 隣に座る彼に私はそっと腕を絡める。そうして、媚びるように体重を預けていると、彼の方からくすりとした笑いが漏れた。

 

 

「わかった! わかった……わかった! わかりましたよ! ダクネスの事は幸せにします! だから、娘さんは俺に下さいエリス様!」

 

「ふふっ、別にダクネスは私の娘っていうわけではないですが……もし彼女を悲しませるような事をしたら絶対に許しませんからね! 細切れにしてやりますから!」

 

「笑顔で凄い事言ってますねエリス様! なんつーか勘弁してください!」

 

 騒がしいカズマとエリス様を横目にアクアがおずおずと口を開こうとする。その瞬間、私はエリス様に視線を送る。私の意図を把握したエリス様は、アクアに口にローストチキンを放り込んでいた。

 

「ふむぐっ!? んーっ!」

 

「はい、アクア先輩も我慢できないみたいですし、食事を始めましょうか。はい、いただきます!」

 

「い、いただきまーす……赤飯は久しぶりだな……」

 

「なあ、カズマ。エリス様の言っていた故郷の風習ってなんだ?」

 

「えーっと、それはだな……」

 

 

 

こうして始まった夕食は水面下での攻防を繰り広げながら無事終える事が出来た。

 

 

 

 

 

 アクアは確かに強敵だ。特に、私のやりなおしについて知られた場合は大胆な行動にも出る事がある。ただ、私が余計な介入をしなければ彼女はめぐみんにたやすく負かされる存在である。この後の事後処理を間違えなければ彼女を制御する事は特段難しいものではないのだ。

 

 

 その後、しばらくの晩酌を楽しんだ後、カズマはお風呂へと向かった。その監視をエリスへと任せ、私はアクアに向き直る。彼女はお酒を浴びるように飲みながらも、私と二人っきりになったという事に戸惑い目を泳がせていた。私はエリス様と事前に決めた通り、真摯に彼女と向き合う事にした。

 

「すまなかったアクア」

 

「な、なんで謝るのよ……」

 

「こう言ってはなんだが、不意打ちのような形になったのは理解している。だから、すまない」

 

「謝られても私は別に……」

 

「もちろん、アクアの不安も分かる。これで私とカズマは明確に恋人になったとも言える。でも、私達はこれからも一緒だ。最初は少しぎくしゃくとするかもしれないが、いずれは今までどおりの関係に戻れるさ」

 

 私の言葉を受けて、アクアはしばし押し黙る。だが、しだいにひくひくと喉を鳴らし崩れた表情で涙を流し始めた。

 

「う、うそよ! ダクネスってば、ちっとも目が笑ってないじゃない! 本当は私が邪魔なんでしょう!?」

 

「…………」

 

「だいたい、おかしいのよ! 私はしっかり貴方達を見守ってたのに……そうか……多分エリスだわ! ダクネスってば、エリスにそそのかされたんでしょう!? 言っておくけど、あの子はカズマの事を病的に気にいっているのよ! きっと貴方も騙して……!」

 

「エリス様がカズマを愛している事は知っている。でも、私との仲を応援してくれると涙ながらに語ってくれたんだ。アクアは、私とカズマとの仲を応援してくれないのか?」

 

「っ……!」

 

 アクアは私の言葉に困ったように押し黙る。対して、私はこのまま”説得”を続ける事にした。

 

「アクアもう一度言う。私達はこれからも一緒だ。とは言っても、実はこれは本心じゃない。私はアクアに嫉妬しているんだ」

 

「嫉妬……?」

 

「カズマはアクアの事を自分の傍にいて欲しいと望んでいるはずだ。それは例え私と彼が結婚したとしても変わらないはずだ。カズマにとって、アクアは一緒にいて安心できる存在で……故郷を知る良き理解者で……アイツにとって人生を変えてくれた恩人だ」

 

「な、なによ急に!? おだててるつもり!?」

 

 口では反発しながらも、アクアの頬は紅潮して喜色を見せ始めた。ちなみに、このアクアへの口説き文句はエリス様監修である。エリス様曰く、アクアは承認欲求に飢えているらしく、とりわけカズマから求められ、認められる事に喜びを感じているらしい。わりかし尽くす女で扱いを間違えなければ従順な犬になる。それがエリス様によるアクアの評価であった。

 

「私だって、女として彼の愛情を一身に受けたいという思いがある。だが、カズマは例え私と結ばれた後でもアクアを傍にいさせる事を望んでいる。アイツにとって、貴様は一番の”親友”だからな」

 

「親友……」

 

 アクアはもう一度その言葉を反芻しながらも、少しだけ表情を曇らせる。だが、これでいいのだ。余計な事には気づかせなくていい。アクア自身はカズマからの割と重い感情には気づいていない。また、恋愛経験の乏しさから女としての自信は実はあまりないのがこの女の実情だ。カズマが見たというアクアとの淫夢を求めてサキュバスを殺戮していたのも、自分で彼自身に好意を聞いたり探ろうとする勇気がない故の行動である……とエリス様は言っていた。アクアが彼の想いを直接見ようしないのもこれが理由である。もし、カズマがアクアに否定的な感情を持っていた場合、それを読み取った瞬間にアクアのアイデンティティは崩壊する。それを恐れて彼女は消極的な行動に出ている。皮肉な事にそれがアクアを決定的な勝利から遠ざけていた。

 

 

 

「だから、私はアクアには今後も私達の傍にいて欲しい。きっとカズマも喜ぶはずだ」

 

「でも……」

 

「アクアは、私とカズマの事を祝福してくれないのか……?」

 

「うぐっ……わかった……わかったわよ! 私の負けだから!」

 

 

 観念したように項垂れるアクアに、私は追加の酒をついだグラスを手渡す。すると、彼女はグラスを奪い取ってグビグビと飲み始めた。

 

「本当にしょうがないんだから……」

 

「追加で言うと、私は貴様とは今後も恋のライバルでいるつもりだ」

 

「どういう意味よ……」

 

「そのままの意味だ」

 

「わけわかんない……」

 

 そう言って、机につっぷしたアクアは一言も声を発さなくなった。それを見ながら私は部屋を後にする。最低限の希望は残す。それも戦術の一種であった。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、私は当然のようにカズマの部屋に訪れ、当然のように身体を重ねた。

一度経験してしまえば、それほど恥ずかしい行為でもない。むしろ、これほど素晴らしい行為はないと思えるほどだ。

 

 今はお互いに抱き合いながら余韻に浸っていた。だが、ぼそぼそと会話を続ける彼の受け答えは少し鈍かった。こんな時、彼がどんな話をするかはやりなおしで予習済みだ。

 

「なあダクネス、なんだかさっきまで隣室から少し物音がしなかったか? 流石にエリス様が家に泊まってるっていうのに性欲に負けたのはまずかったかな……」

 

「大丈夫だ。むしろ笑顔で祝福してくれると思うがな」

 

「そうか……? そういえばアクアも……」

 

そこでカズマの言葉は途切れる。だから、私は先制攻撃を開始した。

 

「カズマ、きっと今後は私達の関係も変わるだろうな」

 

「あっ……ああっ……まったく同じとはいかないだろうな」

 

「でも、私はアクアやめぐみんと縁を切りたいわけじゃない。カズマとはこれから結婚するわけだが、あいつらと友人である事に変わりはないからな?」

 

「えっ……結婚……? 随分と気が早いな……」

 

「恋人並みの濃密な時間はすでに過ごしただろう? 別に明日結婚してもいいくらいじゃないか。もしかして、私と結婚するのは嫌だったか……?」

 

「いや、そういうわけじゃなくて……あー泣くな泣くな!」

 

 カズマに抱きすくめられ、カズマの暖かさに身を包まれながら私は涙を引っ込める。ここからの話は事前に決めた通りやればいい。それだけだ。

 

「なあカズマ、私は貴族の女だ。決して好きな相手と結ばれるわけではないと子供のころから覚悟していたんだ。でも、そんな私の運命を貴様が変えてくれた。愛した男性が私の望まれない結婚を阻止してくれたんだ。だから、私はその愛した男性……カズマと添い遂げると決めたんだ」

 

「うっ……」

 

「そんな思いが溢れて思わず暴走した私を、貴様は優しく受け止めてくれた。だからそんなカズマと私は一緒に幸せになりたい」

 

「わかったから……別に結婚とかが嫌なわけじゃないんだ。単純に俺が意気地なしなだけだよ。むしろ、立場が逆だ。ダクネスみたいな女性に、俺は土下座しながら結婚を懇願する側だよ」

 

 

 そういって私を抱きしめるカズマに、私は全身を預けた。私は片腕でベッドのふちを小さく二回叩く。これは作戦成功の合図であった。そして、カズマの部屋の壁の一部が一瞬だけ、光を発する。どうやら隣室も順調に進んでいるようだ。

 

「ところでカズマ、貴様は愛人や側室を作ろうとか考えていないだろうな」

 

「な、なんだよ急に!?」

 

「これも大事な話だ。だから先に言っておく、そういう事は”5年”は我慢して欲しい。それ以降は、側室を作ろうが私は何も言わない」

 

 私の言葉にカズマは驚いたような表所を浮かべる。精一杯、彼に自分の身体を押し付けながら、私は彼の頬を撫でた。

 

「私と結婚した場合、貴様は入り婿ということになる。そんな入り婿にいきなり公的に”浮気”をされるのは流石の私も立つ瀬がなくてな。だが、婚姻から5年も経過すればそういう事もあると周囲も納得するし、貴族の間でもよくある事だ」

 

「ダクネス……」

 

「私の父は母だけ愛していた。その姿に私も小さな頃から畏敬の念は覚えていたが、私は別にそこまでは期待しない。ただ一時だけでもいいから私の事を愛してくれれば……あっ……!」

 

 

 

 

 カズマがもう一度私の身体を組み敷いて来た。そして、深く長い口づけを交わす。思わず蕩けてしまった私の表情に彼はニヤリとし笑いを浮かべつつ、そっと耳元で囁いて来た。

 

 

 

 

 

「愛してる……心配すんな……俺だってお前の望まねえ事はしねえよ……まったく、覚悟決めるしかないか……」

 

 

 

 

 

カズマに求められる快楽を享受しつつ、私はこぼれそうになる笑みを抑える。

 

 

 

 

これでいい。

時間的猶予はそのまま私の利益となる。

 

 

 彼の意識改革も、彼の倫理観に揺さぶりをかけるのも、彼ともっと深い愛を築くためにも時間はいくらあっても足りなかった。そして、こうして彼と身体を重ねるたびに私の完全勝利のへの道は見えてくるのだ。

 

 

 

 

「なあ、カズマ」

 

「なんだよ……」

 

「子供は何人欲しいんだ?」

 

「だから気が早いっての!」

 

 

 

そう言いながらも、彼は屈託のない微笑みを見せてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




時が経つのがはやい!
うん、遅くなってごーめんね!


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