京太郎くんカップリング短編集 (茶蕎麦)
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見本としての京咲

 

雨が降るのは避けられなくとも、その身を濡らして身体が凍えるのを防ぐことは簡単だ。ただ、その手に持った傘を広げれば事足りる。

けれども、そんな簡単ですらおっくうになってしまうくらい、今の彼は疲れていた。

 

それは、そうだろう。県大会の決勝まで勝ち進んだハンドボールの試合を終えて直ぐ。試合時間中ずっと敵エースとのマンツーマンを強いられ続けた後のこと。

更には、そんな大変な勝負を敗北で終えて散々にチームメイトと涙を流した後のことでもある。とてもではないが、普段の快活を顕にすることは出来ない。

しとりと濡れた金髪を持ち上げ、少年は空を見上げる。すると、黒い雲に滴の群ればかりが映った。

華も綺麗もそこにはなく、とても気持ちのいい光景ではない。そこに手を伸ばして、空振って。ただ、届かなかったんだな、と何気なく須賀京太郎は実感するのだった。

 

「はぁ……参ったな」

 

京太郎は、ため息とともに頬をかき、しかしずぶぬれのその身を気にすることもない。何となく、やけっぱちの気分だった。

どこに行こうと、心は晴れない。彼は大好きなペットとの戯れですら晴らすことの出来なかった気持ちを、ただの散歩で晴らすことの無理を今更に実感する。

しかし、だからどうすれば良いというのだろう。嫌なことがあったら身体を動かして発散するというのが京太郎の常であり、当たり前。

そうでもなければ友人との会話が慰めになるが、しかし今京太郎は誰に合わせる顔もないと思い込んでいる。

自分のせいで負けて、恥ずかしい。故の、独り。雨の中で慣れない、似合いもしない悲しみに暮れる。

 

「京ちゃん」

 

だが、そんな小さな自罰は彼思う少女に見咎められた。知らないところで迷う彼女は、ときに鋭い時がある。

風も吹かない滴の檻の中。小さな声に応じた京太郎は確かに花を見つける。

彼が独りにさせたくなくて、よくよくちょっかいを出したその綺麗。見知ったその一輪はそっと彼へと寄ってくる。

 

「咲」

 

呟く京太郎。そして、少女、宮永咲は傘を見上げる程に身長差がある彼へと差し出す。

 

「帰ろ」

 

京太郎が取った傘の柄を離さず、彼の濡れそぼったその身に身体を寄せるようにして。咲はそう言う。

思わずぎょっとした京太郎が見下ろす中、うつむく少女の耳たぶの色が赤く染まった。

 

「偶には、私が迎えに行ってもいいでしょ?」

「ああ……そうだな」

 

言葉少なに相合い傘はゆっくりと進む。

 

彼は少女が独りでいるのを嫌っていたけれど、少女も彼を独りにさせたくなかった。これはただ、そういうお話。

 

 



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世間には秘密にしつつ交際する京咏

 空は晴天。絶好のデート日和。抜けるような青の下、須賀京太郎は顔を負けずに青くさせていた。

 長身の彼があわあわと見つめるのは、まるで少女のような彼女。自分の服の裾を引っ張りながら頬を膨らませている乙女の対処に、京太郎は慌てる。

 今日はおめかしと和服を脱ぎ捨て彼を身体のラインの出るような洋服を着て悩殺してやろうか、と意気込んでみてわんぱくな小学生の装いそっくりになってしまった成人女性は、まるで子供のごとくにスネていた。

 

「あー、咏さん。先程のことは仕方がなかったと思うんですが……」

「わっかんねー、自分の彼氏に妹扱いされる雀プロなんて知らんけど。私なんて、須賀うたちゃんでいいんじゃね?」

「はぁ……」

 

 困る京太郎を前にむくれる、彼女こと三尋木咏。どう見ても子供な咏は、しかし子供扱いされることを殊の外嫌う。ましてや、彼氏にそうされるなんて、噴飯ものだった。

 だからこそ先程あったような、咏といちゃいちゃしていた京太郎が学校の先輩に遭って、とっさに咏のことを妹だと紹介してごまかしたのが()()してしまったことなんて、許せるわけがない。

 手慰みに扇子を取り出そうとして、そういえば洋服には合わないから置いてきたのだということを思い出してぐぬぬとしてから、咏は京太郎を見上げて、言う。

 

「それにしても京太郎。あの子と随分と仲良さそうだったんじゃねー? 敬語だったしあれかい。京太郎はただ年上のおねーさんが好きなだけだったってオチかい?」

「部長とはそんな関係じゃありませんって。それに……俺は年齢とか関係なく、ただ咏さんが咏さんだから好きになったってだけですよ」

「おっとこりゃあ熱烈な告白だねぃ」

 

 真剣な京太郎の面を向けられて、咏は照れる。そうしてまるで、恋する乙女のごとく頬を染めるのだった。

 普段の飄々とした彼女を知る者たちは、こんな表情の変化に驚くことだろう。ましてやそんな素直を見せるのが年若い青年の前であることにもまた。

 だがしかし、咏がこうなってしまうのも必然。何しろ言の通りに須賀京太郎は三尋木咏の彼氏。年齢差等諸々の事情から公言こそしていないが、間違いなく想いあった二人なのである。

 好きの前に、何時も通りといかなくなるのは仕方ない。こりゃ惚れた弱みだねぇ、と思う咏。

 

「っ、こっちに来てください!」

「うおぅっ」

 

 彼女が恥ずかしがって目を逸らした京太郎の横顔すら格好いいなとのんきに思っていると、急に彼にその小さな体を引っ張られる。そしてそのまま連れられるがままに、物陰へと向かう。

 思わず変な声を出してしまった咏が、文句を言おうと視線鋭く京太郎を見上げると、先んじるかのように彼は呟いた。

 

「わざわざ清澄からは遠くまで来たのにどうして咲まで……」

「なんだい、あそこでキョロキョロしてる子は、京太郎の知り合いかい?」

「ええ、アイツは俺の幼馴染でして……下手にごまかせないし、困ったな。咲に見つかったら関係を根掘り葉掘り聞かれるかも……」

「なるほど、あれがよく話に聞く子かい? よしっと」

「咏さん?」

 

 繋がれた大きな手からするりと抜け出し、ダンボールの山から顔を出して通りに出ていく咏。

 タイミングを逃した京太郎を他所にそのままとことこと歩いた彼女は、咲の前で立ち止まる。

 

「ここどこ? ……ん? えっと、貴女は……あれ、どこかで見たような」

「おや、こんなナリでよく分かるねぃ。ふふん。三尋木咏、と言ったらどうだい?」

「え、ひょっとして貴女は、三尋木プロ?」

「そんなあんたは宮永咲だねぃ?」

「は、はい。そうですけど……」

「あんたは京太郎の幼馴染なんだって? 知らんけど」

「は、はい……ええと、三尋木プロは、京ちゃんの知り合いなんですか?」

 

 はらはらと見守る京太郎を他所に、咲と咏は会話を続ける。

 そして、咲が首をかしげたその時。咏は噴出した。知らぬが仏ってこのことだね、と思いながら挑発的に彼女は少女を見る。

 

「うふっは! そうだねー。京太郎とは知り合い以上、友達以上……恋人同士ってところかねぇ」

「え?」

「そういうことで、あいつは私のもんだから。覚えときなー」

「うぉっ」

 

 言いたいことを好き勝手に口にし、反転。そうして、その長駆を物陰から出した京太郎の手を取り、咏は駆け出す。

 後ろから向けられた強い視線を面白がってころころと笑いながら、彼女は存分に彼を振り回すのだった。

 

「はぁ、咏さん! どうしてあんなことを言ったんですか?」

 

 世間に交際は秘密としている筈の咏が軽々とそのことを口にしたのに驚く京太郎は、小さな彼女の駆け足に軽々と追いつきながら、問う。

 すると今度は咏が首を捻った。そうしてにやりとしてから、彼女は何時もの台詞を口にする。

 

「わっかんねー」

「はぁ?」

 

 咏のそんな言葉に、京太郎は間抜けな声を上げた。

 敏い彼女が自分がやったことを分かっていないはずがない。ならば、言いたくないのだろう。このまま話を煙に巻かれてしまうのかと京太郎が思ったその時。

 くるりと振り向いた彼女は片目を瞑っていた。それがウィンクだと彼が気付いたその時。

 

「なりふり構えなくなるくらい京太郎のことが好きだったなんて、私も知らなかったねぃ」

 

 咏はちろりと舌を出して、そんなことをのたまうのだった。

 

 



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下手に触れて壊れるのを嫌がって避けるけど本当は触れ合いたい京健

 

 ライオンはネズミの力が分からない。

 故に加減なんて出来ず。

 だからこそ、強い筈の彼女こそが触れるのに臆病になってしまうのだった。

 

 

 星の綺麗な夜空の下。煌めく星々を見上げながら、小鍛治健夜はその輝きに懐かしさを覚える。

 久しぶりの長野で迎えた夜。街の中で蝉の鳴き声を聞きながら、健夜は緊張からその手をぎゅっと握る。

 友達との旅行に長野を選んだのは、間違いとは思わない。けれどもいざ独りになってつい、彼の元へ連絡してしまったのはどうなのだろうと彼女は思う。

 避けていたのは自分なのに、今となって。そんな風にベンチに座りながら健夜は悩んでいると、ふと声がかけられた。

 

「健夜さん、迎えに来たよ」

 

 振り向くとそこに居たのは見違えるほどの長駆に、懐かしい金色の髪を年相応に整えている彼の姿が。

 思わず考えていた全てを忘れて笑顔になって健夜は彼、京太郎へと饒舌に話しかける。

 

「京太郎くん、ありがとう。いやー……こーこちゃんたら酷いよね。私を置いてっちゃうんだもの」

「福与さん、急な仕事が入ったんだって?」

「そう。ごめんねって急いでタクシー乗って行っちゃったけど……でもその後一人寂しく帰ろうとしたら、近くに京太郎くんが居たっていうのは不幸中の幸いだったかな?」

「俺としては単純にラッキーだったかな。健夜さんと二人きりって相当に久しぶりだからさ」

「そうだねー……」

 

 立ち上がり、二人並ぶ。そしてどちらがというわけでもなく、揃って彼らは歩き出した。

 まるで遠いあの日の何時ものように、健夜と京太郎は並んで帰る。

 そんな昔と変わらない今に、くすりとする健夜。何となく、彼女は星空が先より近くに感じられた。

 そして、彼女は今まで京太郎から逃げていた自分のことを情けなく思い、勇気を出して言葉を紡ぐ。声が震えはしなかったと、思いたい。

 

「そういえば京太郎くんはもう、健夜お姉ちゃん、って呼んでくれないの?」

「……流石にそれは恥ずかしいな」

「そっかー……もうおっきいもんね。身長なんて私とこんなに違うし」

「俺からしたら、健夜さんが年をとって小さくなったようにも感じるな」

「なっ! 京太郎くん私、まだアラサーだからね!」

 

 しかし、そんな小さな勇気は当たり前のように京太郎に優しく包み込まれた。

 むしろ、気を遣ったのかどうなのか、ふざけられまでしてしまう始末。年齢のことをからかわれるのは業腹だったが、しかしその柔らかな眼差しの前にはどうしても怒りは続かない。

 だから、ここで健夜は舞い上がっていることを自覚する。そして、冷静になるためにも息を吸って吐いた。

 ふと、十年前と少し様変わりした帰り路に、あの日あんなに恐ろしいものを見たような目をしていた彼と、今共にあれるおかしさを思い出す。

 

「京太郎くん」

 

 ただの親戚の子供。しかし自分の中の特別な位置にも居る彼に、健夜は問う。

 

「私のこと、怖くないの?」

 

 そう、少年とためしにやってみた麻雀の対局ともいえないお遊び。

 そこで深き力の断崖を示し、生まれてはじめて恐れられてしまった健夜は、もう一度彼に怖がられるのが、怖い。

 

「はぁ……」

 

 まるで乞うような下からの視線。初恋の彼女の涙目に、京太郎は少しぐらりとする気持ちを覚えた。

 グランドマスターなんて言われても、こんな愛らしいところは変わっていないのだな、と考えながら彼はまた自分の中の想いの変わらなさにも気づく。

 しかし、と京太郎は微笑む。変わらないものはあっても、十年も経てば変化なんて沢山にあって然るべきもの。

 

 十年前まで夏休みになるたび避暑にやって来ていた健夜と共によく行っていた駄菓子屋は潰れてしまった。

 かと思えば、須賀家には数年前からカピバラという家族が増えたりもしている。

 そして、小さな頃テーブルゲームが好きだった京太郎はそのうち身体を動かすことにハマり、そうして怖くても忘れられなかった麻雀に再び取り組むようになっていた。

 深淵を覗いて、その闇は愛せなかった。けれども。

 

「怖いわけあるもんか。健夜さんは、俺の憧れだよ」

「京太郎くん……」

 

 その深みにのめり込む。そんなことだってあるのだろう。健気にも恐れを呑み込みながら、少年は笑んだ。

 確かに、壊れそうになった。一時、牌に触れることだって出来なくなったのも間違いない。

 それでも、何時だって京太郎は遠く飛躍していく健夜の凄さを追いかけていた。実際のところはやりのおもちに惹かれたこともあったが、まあそれはご愛嬌か。

 とにかく、彼は恐怖とともに、健夜という存在が忘れられなかったのだ。

 何時か内気な少女を助けたのも、ハンドボールを一度の挫折で辞めてしまったくらいにのめり込んでいたのも、健夜の影を追い、少しでも近寄りたかったから。

 そして、再び牌を掴んだのも。それも全て。

 

「俺は何時かさ。こうしているだけじゃなくて、本当の意味で健夜さんの隣に並びたいんだ」

「それは……」

「分かってるって。そんなことが俺に無理だってことくらい。咲……まあ、本物の才能を持っているやつが身近にいるから、これより上の健夜さんになんて敵わないだろうなって思うよ」

「なら」

「でもさ」

 

 そこで、京太郎は言葉を区切る。そして心配そうに見上げる健夜に茶目っ気たっぷりの笑顔を見せて、彼は言うのだった。

 

「福与さんのネット配信見たよ。未だに健夜さん、寝間着ジャージなのな」

「あ、あれは……うぅ、恨むよこーこちゃん……」

「ま、そんなことはどうでもいいんだけれどさ」

「どうでもいい? そんなこと!?」

 

 唐突に友だちがやって来たと思ったら寝間着を全世界配信されていたというトラウマを思い出させられた健夜は慌てる。

 そんな彼女の珍しくもない姿を見ながら、京太郎は続けた。

 

「アレをみて思い出したよ。健夜さんは麻雀は冗談みたいに強いけれど、それでも普段は結構駄目だったりする人だった」

「うう……京太郎くんの前だと格好つけてたつもりだったんだけど……」

「だからさ。俺はせめて、健夜さんを支えられる人間になりたいんだ」

「……え?」

 

 驚く健夜。それに、今までずっと会いもしないのにこんなの言うのは重いかもしれないけどさ、と零しながら京太郎は言う。

 

「怖くなんてあるわけないよ。俺は、健夜さんのことが好きなんだから」

 

 そうして、まっすぐに彼は彼女を見た。健夜はその瞳の中に、輝く星を見る。きらきらと夢に瞬く想い、それを受け取り。

 

「あ。う、うぅ……」

 

 彼女は耐えられなかった。辛かった。泣きたくなるくらいに、そんな健気さが愛おしくって。

 怖がらせてしまって、怖かった。そして、これ以上怖がらせて傷つくのは嫌で逃げて回って。

 そんな、あんなに恐ろしい思いをさせてしまった彼が、それを克己して、自分を愛してくれるなんて嘘みたいなことで。

 

「信じ、られないよぉ……」

 

 泣き崩れる健夜に、京太郎は怖じずに一歩近寄って。

 

「大丈夫。俺は怖くないから」

 

 そうしてあの日の怖がる自分を怖がる少女を抱きしめた。

 

 

 

 ライオンはネズミの力が分からない。ネズミはライオンの力が信じられない。

 でも、そんな二人であっても、想い合うことは出来るのかもしれなかった。

 

 



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思わぬ触れ合いにあわあわとなる京淡

 アンケート投票、どうもありがとうございます!
 接戦ですが一位になった淡さんのお話を書いてみましたー。
 喜んで頂けたら嬉しいです!


 大星淡にとって、須賀京太郎という男は天敵のようなものだった。

 まず、自分たち白糸台に勝って優勝の栄冠を掴んだ清澄高校の一員だということが腹立たしい。

 それだけでなく、気になる敵手である宮永咲と親しすぎて苛々するし、更には大好きなテルーにまで手を出してくる始末。

 私を差し置いて宮永姉妹の間で右往左往する、でっかい金髪。麻雀はヘボな癖して、ムカつく。それが、淡の認識だった。

 

「あー……須賀ー。どうして私のソファの隣で干からびてんのー……」

「……そりゃ、休憩室にお前がダラダラ独り占めしているソファ以外にはこの椅子しか座るところがないからだろ。あと、別に干からびているわけじゃなくてちょっと休んでるだけでな……」

「私だって、ダラダラしてるわけじゃなくて、横になって少しでも早く淡ちゃんパワーを取り戻すためですー……うう、咲ったら後でけちょんけちょんにしてあげるんだから……」

 

 休憩室に二人きり、金髪をだらしなく椅子の上に各々乗っけている男女がのんべんだらり。

 遠くの洗牌音を聞きながら、遅い休憩を取った淡と京太郎は仲良くだらけていた。

 別に、淡としてはしたくて彼と一緒にゆっくりしている訳ではない。

 本当なら、キツイ言葉でも使って、直ぐにこの苛立たしい相手を憩いの場から追い出したかった。けれども、流石に麻雀での負けと疲れがこんでいる今の状況で何時もの元気は出ない。

 

「まあ……仕方がないから私と一緒にいるのを許してあげる。その代わり後でアイスクリーム奢りなさいよー」

「誰が奢るかっ。大星の相手するだけで疲れるってのに、アイスの金まで払うなんてどんな罰ゲームだよ」

「なにおぅっ」

 

 それに、少し今京太郎が疲れ切っている理由が分からないでもないのだ。負けるのは嫌で、それで自分が嫌いになってくたびれてしまうのは仕方がないと。

 淡から見て麻雀の才能が()()()いない上に経験も足りていない京太郎は現状殆ど勝てない、及ばない。

 それでいて極めつけの雀士揃いの清澄という環境下で腐らないところは見どころがないこともないと、あまり雀力のない人間に興味がない淡だって認めている。

 

 だがそんな彼とはいえ、女子校である白糸台との合同練習に男子一人帯同して負けに負けて疲れないなんてことはないだろう。

 もし淡自身、逆の立場だったらと思うとぞっとする。そのため彼女は今、どちらかといえば優しくしてあげているのだった。

 

「そういえば須賀ってテルーと同卓してたんだっけ?」

「あー……まあ、そうだな。そっちは咲と部ちょ……いや久先輩に渋谷先輩と同卓だったか? ……どうだ、勝てたか?」

「うぅん。勝てなかった。……須賀は聞くまでもないけど、一応礼儀として聞いとくね。……どう、飛んだ?」

「聞くの負けたかどうか、ですらないのかよ……まあ、確かに箱下ありじゃなかったら真っ先に飛んでたか……だがまあ、ヤキトリにはならなかったのは幸いだったな……」

「えっ! それってホント?」

 

 意外なことを聞いて、顔を上げる淡。

 記憶の限りだと同卓していたのは照以外、普段異性との関わりが少ないこともあって見目の良い男子に舞い上がりきゃあきゃあ京太郎に近寄っていった淡からしたら大したことのない二人ではあった。だが、それでも白糸台麻雀部の一員であり、雀力は確か。

 チャンピオンの照を筆頭に、能力こそないが実力も運も太くある子と、強めのジンクス程度の支配力のしかし一般人では太刀打ちできないくらいの能力持ちの子。そんな三人と同卓した京太郎を見て、淡はご愁傷さまと思ったものだった。

 そう、素人に毛が生えた程度の人間に簡単に和了りを許すような者は居なかったはず。しかし、それでも京太郎は最低一度は和了を見せたという。

 なら、ひょっとして。

 

「大星、お前どれだけ俺をナメてるんだ……これでも俺だってちょっとは強くなってるんだぞ?」

「……そーなんだ」

 

 それはつまり、京太郎の実力が上がってきているという証左。まあ確かに才能はあるのだろうと、淡も何となくで理解はしていた。

 けれども、それが芽吹くには時間がかかるものだと思っていたのに。それくらい、少し前の京太郎はダメダメだった。でも、今はもう違っている。

 もう、素人ではない。それどころかひょっとしたら、もう彼は男子同士でやったら強い方に当たるのかもしれなかった。このまま行ったら次のインターハイには選手同士として顔を合わせるかも。

 そんな想像をしてから膨れ面。なんとなく、淡は面白くなかった。

 

「……なんだ、何かあったのか?」

「えっ?」

「なんというか……大星が何時もの調子じゃないからさ」

 

 そんな淡に、京太郎は心配げな表情を向ける。気遣わしげなその面は、初めて会う子たちが声を上げてしまうくらいには、確かに格好良かった。

 だから、というわけでもない。むしろ顔だけでないその良さを何だかんだ知ってしまっているからこそ、淡は内心を吐露する気になった。

 すっかりしぼんだおもちの上に手をおいてから、ぽつり、と彼女は話し出す。

 

「あのさ。私って強いじゃん?」

「まあ、そうだな」

「でもさ、一番強いわけじゃないんだ。私はそれがイヤ。でも……なかなかこれ以上強くなれないの」

「……そっか」

「だから、簡単に強くなれる須賀が羨ましいなー、って思っちゃった」

 

 つらつらと述べながら、淡は自分の気持ちが整理されていくことを実感した。

 そう、大星淡は当然のように強い。最初から当たり前のように天蓋の近いまでの雀力を持って存在していた。

 けれども、そんな実力を持ってしても栄冠は掴めない。そして、そんな凄まじきまでの実力だからこそ、伸び悩む。

 弱者は勝つまでに出来ることを一つ増やしてその都度喜ぶのだろう。でも当たり前のように勝ちまでの最短ルートを持っている強者には、これ以上に必要なものが理解できない。

 悩んだ淡は普通の麻雀を深く勉強しようとしたことがある。しかし、今ひとつ合わなかった。

 効率なんて、そもそも最初から和了るまでが決定しているのであれば特に要りそうにない。また書かれた和了までの努力なんて、自分の気持ち一つで邪魔できるものだった。

 蟻のやり方は、鷹に馴染まない。これはそういうことだとは思う。だが、そうであったとしても。

 

「私はテルーの後を継ぐんだから、もう負けたくないのに……」

 

 そう、淡はチャンピオン(照と一緒)でありたいのだ。しかし、実際は照どころかその妹咲にすら敵わないこと多々。

 更に他にも強敵は沢山居て。そんな中で一番になりたいともがくことは生まれて初めてのことであり、とても疲れるものだった。

 

「はぁ……」

 

 語って、そうして言葉が返ってこないことに嘆息する。少し目を向けたところ、京太郎はどうしてか天井を見ていた。残念と、淡は彼から目を背けた。

 だが、仕方ないとも思う。こんな気持ち、分かるはずがないのだ。そして、分かってほしくもない。

 そう、自分の辛さを軽く理解された気になって貰いたくないくらいに、淡にはプライドがある。そして、彼女は自分のような辛さを他人が味わっていたら嫌だと思えるくらいにはいい子でもあった。

 でも、悩んだ末に京太郎は口を開ける。そして、こんなことを言った。

 

「前から分かっていたけど、バカだな大星は」

「はぁ?」

「全く。お前が強くなってないなんて、そんなことありえないだろ」

「え……」

 

 突然の悪口に驚いた淡は、しかし京太郎の続く言葉に更に驚かされる。

 思わず、もう一度京太郎の方を向いたところ、今度は確り彼はこちらを見つめていた。どうしてだかその微笑みから、目を離せない。

 淡は口を挟む気にもなれず、続きをどきどきしながら待った。

 

「負けたら勝ちたいだろ。そうしたらもう、弱いままじゃいられない。……そう俺は思うんだ」

「うん……」

「だから頑張る。いや、きっと大星は頑張ったよな。それでも結果が出ないことに焦ってるんだろ?」

「そう。全然、勝てなくって――」

「でもさ、大星。お前さっき笑ってたろ?」

「え?」

「気付いてなかったのか? 咲にしてやられた時も、ラスで終わった後も大星、お前次は負けないって楽しそうにしてたぞ?」

「そうだったんだ……」

 

 知らない。分からなかった。泣くのを我慢して、そうして今度こそはと発奮する自分の顔が笑顔を作っていたことなんて。

 そして、それを男の子に見られていたこと。それに恥ずかしさを覚えて頬を染める淡。彼女は思わず優しげな瞳から顔を隠すように違う方を向く。

 けれども、そんな女の子の気持ちを知ってか知らないでか、京太郎はもっと恥ずかしいことを言うのだった。

 

「負けに負けなくなった。それだけでもう大星は十分強くなってるよ」

「っ! ……うー!」

「お、急に立ち上がって、どうした?」

「知らないっ!」

 

 声を荒げ、背を向ける淡。

 本当は、面と向かってありがとうと言いたい。でも、そんな殊勝なことなんて出来るものか。

 こんな、嬉しくって恥ずかしくって、歪んだ顔なんてとても乙女が見せられるものではなかった。

 悔しい。だから、そのままちょっと経ってから、淡は自分が言ったことが相手にとってどれだけ意味のあるものになったかも分からない唐変木に対して言うのだ。

 

「須賀のバカ」

「いや、お前に言われたくは……っと」

「バカ、バカ、バカ……ぅぅ……」

「……ああ、全く。泣くなって……」

 

 そして、向き合い、京太郎が何時もの通りの間抜け面をしていたことが悔しくって近寄ってその身をぽかりと殴り。

 それでも怒りもしない彼に、どうしようもなく思いを我慢できなくなってしまった淡は、すがりついて泣いた。

 

 

 

 泣き止むまで、少し。そうして泣きはらした顔を洗ってからしばらく。

 もう自分なんて放って麻雀に触れに行っているかもしれないと思っていた淡は、期待をせずに休憩室を覗き込む。

 しかし、そこには椅子にて待つ京太郎の姿があった。思わず出た、あ、という声に向く彼の顔。それが、今までと全然違うもののように思えてならない。

 端的に言えば、今の淡には京太郎がとても格好いい男の子に見えたのだった。

 

「ん、終わったのか?」

「あ、う……」

「どうした、大星?」

 

 そんな彼に、声をかけられる。当然のように、淡は何も返せない。

 しかし、そんな内心の変化を知らない京太郎は心配になって、近寄っていく。

 

「っ!」

 

 一転、好きになってしまった男の人に近寄ることすら未知なことで、怖くなる淡。つい、彼女は逃げ出そうとした。

 だがしかし。

 

「逃げるなって……どうしたんだ?」

「あ……」

 

 淡は、肩に置かれた京太郎の手によって留められる。それは想像していたよりも暖かで大きくって。

 もっと触れられたいと思ってしまい。そんなことを考えてしまった自分が信じられなくもあり。

 

「あわあわ…………きゅう」

「お、大星!」

 

 見かけよりもずっと初心な淡はあまりのことにその場で気絶した。

 そして、彼女は慌てる京太郎の腕の中にすっぽりと収まる。彼は、急いで崩れ落ちた彼女の無事を診た。

 

「大丈夫か……って息してるな。気を失っただけか……う」

 

 そうしてまるで彼女を自ら抱きしめているようになっているようになった彼。呼吸確認のため顔を顔に近づけまるでキスをする寸前のようになった京太郎と淡のそんな姿に。

 

「京ちゃん……」

「さ、咲。これはだな……」

 

 たまたまお手洗いにやってきた幼馴染の少女は驚きに震えて。

 

「淡ちゃんになにしてるのー!」

 

 大きな声を上げた。

 

 

 咲の大声によって集まった清澄と白糸台のメンバー達が、淡の言葉を聞いて何もなかったと納得するまでの三十分。

 その間ずっと針のむしろの目にあった京太郎は、俺も淡みたいに気絶したかったと後に述懐した。

 

 



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迷わずいちゃいちゃする彼氏彼女な京シロ

 再びの沢山の投票、どうもありがとうございました!
 またもやの接戦の末に抜け出した白望さんのお話ですー。
 何時もはあんまり書かないようなお話になりました!
 喜んで頂けたら幸いですー。


 

 雪華というにはどっしりとしたぼた雪降り積もる中。暖房効いた家にて、更にこたつに入って完璧な暖を取っているそれこそ雪華のように可憐な少女が一人。

 背もたれにもたれかかって天井を薄く見上げながら彼女、小瀬川白望は屋根から雪が落ちる音を聞きながらまどろんでいた。

 一歩外に出たらとたんに凍えてしまうようなこんな寒い日には、誰も彼も動きたくないのが当たり前。そう固く信じ込んでいる白望は、怠惰な心地に任せている。

 

「テレビは……いいかな」

 

 今にも寝入りそうな夢現。そういえば今頃はそこそこ愉快なテレビ番組がやっていたことを思い出すが、しかし白望はわざわざそのためにこたつから手を出すことすら嫌って動かない。

 彼から貰った手袋をしっかりしていたというのに学校からの帰路にて冷えきった手は、しかしもうかじかんではいなかった。だが、ぽかぽかと気持ちよくなってきたこの手のひらを使うのすら、もう面倒。

 というか、もう寝たい。ちゃんと学校にも行ったし部活だって最後までやり切った。もう休んだって誰も文句は言わないだろう。

 そう思い、白望は目を瞑る。そして大きなおもちをテーブルに乗っけてぐだっとしたところ。

 

「失礼しますー……って、シロさん。こたつで寝ちゃ駄目でしょ! 風邪引いちゃいますよ……ほら、起きて下さい!」

「ん……京太郎……」

「半纏の下は制服ですか? 悪くしたらシワになっちゃいますよ?」

「ダル……」

 

 どたばたと、買い物袋を携えながら白望が住んでいるアパートにやってきたのは、須賀京太郎。

 彼の小言にすっかり目を覚ましてしまった彼女は、自分の格好を見直して少し悩んでから、そのまま気を抜いてぐうたらを続ける。

 どうやら、制服がシワになる可能性と制服を脱ぐ面倒を量って、まあどうにかなるだろうと放ったようだ。これには、京太郎も苦笑する。

 

「はは、こういうのもシロさんらしいといえばその通りですけど、男の俺の目とか気にならないんですか?」

 

 白望が脱ぎ捨てたコートをたたみながらそんなことを言う京太郎。

 勿論、年頃の少女ではある白望も彼の目が気にならないことはないが、しかしやけに胸のあたりに向かうそれも彼女はまあいいやとしてしまう。

 じろり、と冷蔵庫に食べ物をせっせと入れるために動く大柄な背中を白望は改めて認める。

 百八十センチを越える長身を持つ京太郎は、しかし高校三年生の白望の二つ年下。

 少年と青年のいいとこ取りをしたような、あどけなさと凛々しさを併せ持つ彼は白望とは遠めの親戚であり。そして。

 僅かに口元を緩めてから、白望はそっと零した。

 

「彼氏の前で格好つける必要なんて……ないよ」

「そんなもんですか?」

「そう」

 

 素直にも首を傾げる京太郎の前で、白望のカオリナイトの顔に紅が差す。言いきってみたが、しかし彼女も少し恥ずかしくなったようだった。

 顔を隠すように、白望は口元までこたつの中へと潜りだす。そんな彼女の照れを面白がって、京太郎は微笑んで言葉をかける。

 

「俺は、シロさんの前では出来るだけ格好つけたいですけどね」

「どうして?」

「そりゃあ、シロさんみたいな美人が彼女でいてくれるんだから、頑張らなくちゃってくらい思いますよ」

 

 言いながら牛乳にはちみつを混ぜてから、電子レンジにかける京太郎。

 勝手知ったる彼女の家の中、彼にとっては何の気のない一言を置いただけ。

 しかし、白望は大いにそれを気にした。湯気立つカップを二つ持ってこたつへとやって来た京太郎の腕に、彼女は手を置く。

 

「京太郎」

「どうしました……わ」

 

 そして、白望はぐいと京太郎をその身に引き寄せた。突然のことだったが、彼がカップを何とか天板の上に安堵出来たのは幸いか。

 いつものぐうたらしている彼女からは考えられないほどの力強さ。驚く京太郎に、しかし白望は何も語らない。

 

「シロ、さん?」

 

 まつ毛の一本一本の長さが見て取れる距離。白望の透明度の高い美しさを間近で見つめながら、魅入られた京太郎はただ彼女を呼ぶしかなかった。

 

「それはダルいよ」

「え?」

 

 そして、白望は心底ダルそうに、そう言う。やがて、耐えきれなくなった彼女は。

 

「わ、シロさん!」

 

 それが当たり前のように、京太郎を抱きしめた。大きなおもちの感覚、そしてそれだけでなく想い人の体温の高さに驚く彼に、白望は言う。

 

「私は、京太郎が好きだよ……ありのままの、京太郎が好き。……それだけは、迷わない」

 

 それは想いの篭った愛言葉。恋にさ迷い周囲を振り回して何人もの少女たちを傷つけた挙げ句に京太郎と結ばれた彼女の、本心だった。

 暖房に温められたからというだけではない熱のこもった吐息が、京太郎の頬を撫で付ける。そして、恥ずかしげに目を伏せて、白望は言った。

 

「だから、私の前で、頑張らなくていいから……あ」

 

 赤く染まった白磁の頬。そこに京太郎は知らずに手を当てていた。

 こんなことまで言われて、男の子はどう思うだろう。最低でも京太郎は応えようと思った。どこまでも綺麗なこの人を絶対に傷つけないようにと、悲しいくらいに優しく。

 彼は彼女の口に口を付けた。

 

「シロさん……」

「ダルいから……呼び捨てで、いい」

「シロ……」

「ん……」

 

 そして、一、二度ついばむようなキスが終わり。少女は少年の前で目を閉じた。

 可愛らしく尖らせた唇。その桃色はあまりに愛らしい。京太郎の心が今までになく燃え上がったその時。

 

 

 ばん、と扉が開かれた。

 

「シロー、京太郎君ー、遊びに来たよー!」

「トヨネ、せめてノックをしてから入らないと駄目じゃないって……わわっ!」

「ん!」

「エイスリンってハート描くのすっごい早いんだね……あはは……ごめんね、二人共。お邪魔しちゃって……」

 

 ぞろぞろと、扉から現れたのは、宮守女子校麻雀部のメンバー。彼女らは、ちょうど抱き合い今キスしようとしている彼彼女らをしっかりと目撃していた。

 

「いや、その……」

「はぁ……」

 

 見られてしまった二人に負けずに顔を赤くする彼女らに、京太郎は慌てる。

 そして、反して白望は冷静にため息一つ。

 見られた。これで後でからかわれるか根掘り葉掘り聞かれるのは確定したと、彼女は思う。

 

 しかし、そうならこのくらいで止めるのは勿体ないな、とも考えて。再び迷うことなく白望は京太郎を引き寄せる。

 

「後がダルいけど、いいや。ん……」

「んぅ!」

「おおっ!」

「わわっ、シロ、凄いよー」

 

 彼女は迷いに迷った末に、マヨヒガにたどり着き、この上ない宝を得た。だからもう、彼に対して迷うことなんてありえない。

 

 そして白望は大好きな皆の前で一番に好きな京太郎と、とても熱い口づけを交わすのだった。

 

 



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恋はステルス出来なくて捨てるっすも出来なくてむしろ燃え上がってしまう京モモ

 またまた接戦でしたねー。沢山の投票ありがとうございます。その上で勝利を収めた彼女東横桃子さんのお話を書いてみました!
 咲-Saki-阿知賀編のゲームに出ている京太郎くんに10%の確率で不要牌を引くという特性があると知り、こんなお話に。
 気に入って頂けるとこの上なく幸いですー。


 それは、少女がまだまだ小さな小さな子供の頃。気配までごく小さな彼女はそのことがあまり理解らないままに友達とかくれんぼをしてみたのだった。

 緑多い長野の田舎。ツクツクボウシが鳴き出す頃合いから彼女は一人こそりと潜む遊びを楽しんで、ヒグラシの響きを聞いたと思ったら、直ぐに誰の声も聞こえなくなってしまった。

 夜更けに至って、彼女は思う。これはまさか自分が忘れられてしまったのではないか、と。だんだんと辺りが闇で違いも分からなくなってしまった今。少女は恐怖に震えた。

 自分が境も見えない暗がりの中にあるのは怖い。けれども、とも彼女は思うのだった。もし未だにゲームは続いていてその途中なのであれば、止めてしまったら皆に怒られてしまうのではないか。

 だから、少女は待った。信じたくて。誰も切り捨てたくなくて。自分の持つオカルト的な能力である陰の気質『ステルス』によって人に気にされなくなってしまっていることを知らずに、震えながら。

 

「う、うぅ誰か見つけて……っす」

 

 俯く少女の顔に、涙が一筋流れる。

 本当ならば、そのまま少女を見つけるものなど現れようもない。地蔵の裏に隠れたまま、彼女は眠りこけて翌日を迎え、そのことで親にまで忘れられたことを知って絶望するはずだった。

 だがしかし、この場には誰よりも諦めが悪い彼が居た。ゲームが得意ではなくハズレを引きがちな人生なのに、明るく挫けないそんな少年は。

 

「モモちゃん、見っけ」

「え?」

 

 そんな勝利宣言をしてから、日がとっぷりと暮れるまで藪をあさって傷だらけになった手を少女に向けるのだった。

 

 

 

 須賀京太郎と東横桃子は幼馴染である。

 広い長野県。同県の生まれとはいえ、血縁もない他人同士がそう簡単に出会うということはない。

 ただ、縁はどこに転がっているか分からないところがある。

 北部の親戚の家に遊びに行っていた京太郎が、持ち前のコミュ力で知らない子供たちの輪に入り、そうして一人ぼっちの少女を見つけたことだって、ただの偶然ではないのかもしれなかった。

 

「ふいー、暑いっす。もっとクーラーの温度下げないっすか?」

「親に28度から変えるなって言われてるんだよ。変なところでケチなんだよなあ」

「それって、はやりんの年齢と同じじゃないっすか! 私の年とまでは言わなくても、もっと下げた方がいいっすよー」

「こらっ、はやりんは永遠の十六歳だろ」

「わあ。京さんのはやりんファン振りが久しぶりに出たっすー」

 

 そして、そんな運命的な可能性もある縁を未だに続けている男女は、一方の家にて寛いでいる。

 ベッドの上でうつぶせで本を読みながら、パタパタとスカートを纏った足を動かしているのは桃子。足の動きに合わせてひらひらと危なげに動くスカートに、しかし椅子に寄りかかって彼女と対面している京太郎は目も向けない。

 もちろん、それは京太郎が硬派であるからということでは決してなかった。彼にはスカートの中よりももっと、夢中になる部分があるからだ。

 視線を熱く受けている桃子は、いいかげんそれがうざったくなって言う。

 

「それにしても、京さん。私の胸を見すぎっすよ。なんなんすか? そんなに潰れあんまんが好きなんすか?」

「いや。おもちはどうなろうが最高だ」

「やれやれっす。私の幼馴染はとんだエロ野郎っすよ……」

 

 大げさに悲しみを表して、桃子は嘆く。そう、京太郎は胸派。ぐにょんと潰れた彼女の大物なんて、彼にはたまらないものだった。

 そんな呆れたエロさを受けて、しかし桃子は特に胸を隠そうともしない。むしろどこか挑発げに今度はごろりと仰向けになった。

 ダイナミックな胸の動きに目を行かせる京太郎に内心優越感を覚えながら、桃子は続けて話を切り出す。

 

「そういえばお互い麻雀部に入ってるっすけど、京くんは、そんなに麻雀得意じゃないっすよね」

「まあなあ……モモと比べたら全然だ。これでも牌効率は勉強してるんだけれどな……」

 

 そう、京太郎と桃子は清澄高校と鶴賀学園とに別れてしまったが、けれども同じく麻雀部に入っている。 

 とはいえ、同じ時期に始めたとはいえ二人の力量差は酷いもの。いや、京太郎も素人の域はとうに脱せてはいるので無駄な振り込みこそ少ないが、しかし。

 

「なんだか京くんって、牌効率以前にそもそも不用牌引く確率がちょっと高めな気がするんすよね。統計とってないから、定かではないっすけど」

 

 そう、どうしてだか京太郎は引きが悪かった。運が悪いと一言で言い切ってしまってもよさそうなそれ。

 だが何となく桃子はそこにオカルトの気配を感じ取っていた。

 そして、やはり当の本人は更にそれを強く感じられるのか、綺麗な金髪を掻いて、京太郎は言う。

 

「……やっぱりモモもそんな気がするか。いや、七対子はやたらと決まるんだが、いざ三枚揃えようとするとなんか難しくなるような気がするんだよなぁ」

「不用牌を引くオカルトっすか。要らないっすねー」

「モモのステルスも大概だがな」

 

 そして、京太郎は自分のゲームに負け易い特性と引き合いに、桃子の誰にも気づかれないステルスのような特性を出す。

 桃子のことを諦める気が更々ない京太郎には見つけて貰えるとはいえ、制御できないそれは未だに桃子の急所だ。

 うぐぅ、と唸ってから、桃子は唇を尖らせて言う。

 

「そりゃ、こんな気配が薄くなるどころかマイナスになってしまう力なんて、私も欲しくなかったっすよ」

「俺からすりゃ、それ覗き放題のすげぇ特技にしか思えないけれどな」

「私の悩みの種をそんな軽々と、それも変態方面に扱うなっす! このエロ京くん!」

「いてっ」

 

 そして、冗談めかした京太郎のふざけた言葉に、桃子は眦を上げた。そして、彼女が投じた手の中の本はくるくると回りながら彼の額にヒットする。

 大して威力のないそれを避けずに受けた京太郎は、今度は何か変なスイッチが押されたかのように一転して表情を変える。

 そのまま、京太郎は真剣に桃子に言った。

 

「まあ……確かに茶化した俺も悪かった。たださ、それくらいに軽く考えて欲しいなとも思うぞ?」

「そう……っすか?」

「ああ、だってステルスとか知ったこっちゃない俺が居るってこと忘れんなよ? 何かあったら俺を頼りゃいいんだ。安心しろって」

 

 安心。それを表すかのように京太郎は柔和に笑んだ。

 それに、桃子は心臓を()()暴れさせた。もう、バクバクである。

 そう、悪口などで必死に隠してはいるが桃子は実のところ恋する相手と一緒に居るのにずっとときめいていた。

 何しろまず京太郎は見目が格好いい。そしてエロくはあるが、実直だ。また、一年前までハンドボールに励んでいた彼は、中々にたくましい。その胸元の盛り上がりのセクシーさといったら、桃子にとってはたまらないものだった。

 

 それに何より。桃子にとって京太郎は唯一無二の自分を必死になって求めてくれる人だった。ゲームで要らないものばかり得てしまう彼は、逆に現実で大切なものを絶対に手放そうとしないのである。

 だからステルス状態だろうが京太郎は縁を頼りに桃子を問答無用で探し当てるのだ。更に、それはつまり壊れるまで頑張ったハンドボールと同じく、桃子は彼の大切なものの一つということ。

 桃子はつい頬を紅くしながら、呟いた。

 

「……全く、こんな思いするなら捨てたかったっすけど、でも今更捨てられないっす……」

「ん? モモそれってどんな意味だ?」

「内緒っす!」

 

 そうして、少女は真っ赤な顔を隠すために京太郎のベッドに顔をぼふん。そうして彼の匂いをいっぱいに嗅いでしまったことで燃え上げるものを覚えながら、その恋を必死に隠そうとする。

 感情に任せとんでもなく桃子は足をバタバタ、すると当然のように京太郎にはピンクの布地が見えた。それを知らずに、彼女はさらに足を動かして唸る。

 

「うー……!」

「はは……」

 

 だがまあ、いくら隠形が得意な彼女といえども、端から意識しきっている彼に隠しきれることなんて中々ない。

 好きだけれど、その想いが拒絶されるのが怖いから隠したい。そんなおおよその内情を察した京太郎は乙女の愛に苦笑して。

 

「別に俺はモモが好きだってこと、最初から隠してないんだけれどな……まあ、実際口にしていないのは意地が悪いか」

 

 まあ、可愛いからもうちょっと焦らしてみるかと、京太郎は存外想いがバレバレなステルスの彼女の痴態を見つめるのだった。

 

 

 

 あの日繋がった二人の手は未だに繋がっていて。きっとそれは、これからもずっと。

 

 

 



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過去に出会ったあの人の面影を追い続けた京小蒔

 今回は小蒔さんが抜けましたねー。本当に毎度投票どうもありがとうございます!

 霧島神境は世界中の色んな山から入れて戻る時は同じ山に戻る、という原作者様のブログからの情報から考えてこんなお話が出来ましたー。
 何だか咲を沢山読み返してみたところ、筆が乗ってしまったのは良いのか悪いのか……本当なら全てのカップリングで同じ出来にしないといけないのですけれどね!
 難しいですー。


 

 長野といっても、決して山ばかりではない。街もあれば、野もある。車も通れば、花も咲く。

 だがしかし、そんな人と自然のバランスなんて知らないとでもいうかのように、京太郎の父親の実家の周囲は山だった。

 山の谷の、限界集落。自然、須賀一家は車での通いが恐ろしくなってしまうくらいに、険しい山道を通ることになる。

 まるで軽自動車の車幅そのものを持ってきたかのような狭さの道路には柵すらなかった。いつも、そこを通る際にヒヤヒヤとしていたことを京太郎はよく覚えている。

 

 そして、また京太郎がよく記憶しているのは、今は亡き祖父母の優しさと、その皺々の手のひらのぬくとさだった。

 よく来てくれた、と彼らは言う。それに、好きだから来るのは当たり前だよ、と京太郎は毎回返していた。それは、彼の本心である。

 祖父が肩車をしてくれた後に彼の腰に湿布をする労は嫌いじゃなかったし、祖母が味の薄い料理を作ってくれたお礼にと肩たたきをしてあげることだって好きだった。

 皆揃って、毎年写真を更新していくのは一番の楽しみでもあったのに。

 

 そんなだから、彼らの死に目に会えなかったのは、酷く残念であったのだ。最初は、二人が揃って倒れ誰も気づかれない間に命消えさせてしまったことが、理解できないまま。

 そして、慣れない服を着て沈黙を続けて、やがてお爺ちゃんお祖母ちゃんがあんなに小さく欠片になってしまったのを見て、京太郎は耐えられなかった。

 泣いて泣いて、それからもう泣かないと決意して。だから、両親がお爺ちゃんお祖母ちゃんの遺品を整理する段に至って、京太郎は涙を堪えてその手伝いを申し出たのだった。

 

「よい、しょっと……」

 

 だが、幼さがようやく抜けかかった程度の京太郎に、持てる重荷なんて殆どない。

 集まった親類が軽トラックに荷物を積み上げていくのを見上げながら、主に京太郎は写真や書類などの運搬に精を出した。

 

「ふぅ……」

 

 健在であった若き日の二人を幾度も見つけて、何度瞳が潤んだことか。だがしかし、京太郎はやりきった。

 日が暮れる少し前。駄賃代わりにと渡された炭酸飲料に口を付けながら、京太郎はせかせかと車を出す男衆をなんとはなしに認めていた。

 そして、そんな中。

 

「あ、落ちた……」

 

 そう、荷台から一冊のノートのようなものが落ちたことに京太郎は気づく。

 それが何かは分からない。けれども、お爺ちゃんお祖母ちゃんの遺品であるには違いなく、彼がなるべく大切にしておきたいと思うのは自然だった。

 だから、走ってそれを拾い上げた。そうして顔を上げると。

 

「あ……」

 

 車はもう出ていって、どこにもなかった。うるさいエンジン音はどんどんと遠ざかっていく。

 そして蝉の声響く中、独りぼっち。何となく寂しくなった京太郎は、落ちていた本――どうやら祖父のノート――を開いていた。

 

「なんだ、これ?」

 

 それでそのまま、目が点。専門的な言葉が筆ペンで連なられていたそれを読み取るのは、幼き京太郎には難しいことだった。

 だが、そんな中でもぺらぺらと捲って行くと見知ったような絵図が見当たるようになる。

 それを記憶と照合してから、京太郎は確信を持って言った。

 

「あ、これあの洞窟だ……」

 

 京太郎はそこまでの経路のような図を指でなぞってから、頷く。そう、これはよく覚えていた。

 何しろそれは二年ほど前に見つけて入ろうとして、お爺ちゃんに危ないから入るなとこっぴどく怒られた場所だったから。

 そこで、京太郎には好奇心がむくむくと湧き起こってきた。危ないから入るな、というのはつまりそこに何かがあるからいけないということではないか。

 そして、そこにあるかもしれないものが、もし祖父母に縁のあるものであるならば、是非とも持ち帰りたい。

 そう思った京太郎は、気付いた時にはぬかるんだ道の中を往っていた。

 

「よいしょっ、よいしょ……」

 

 そして、未だ群を抜いていない身長でえっちらほっちら京太郎は進んだ。ノートの内容と記憶を頼りに、ふらふらと。

 やがて、開けた場所にあったのは。

 

「洞窟だ……」

 

 そう、そこにあったのは、小さな洞窟。今の京太郎でやっとのくらいの高さと、狭いくらいの幅の暗がり。

 そこを見て京太郎がまず感じたのは、恐怖だった。何も見えないところがあったとしたら、そこに何かを想像するのは自然なこと。そして知らないが分からないを連想するのも当たり前。

 次第に京太郎は怖気づいてきた。だが。

 

「おじいちゃん、おばあちゃん……」

 

 そう、京太郎には進みたい理由があった。それは遺品があるかもというちっぽけな希望であったが、明かり一つ持ち込めていないのに暗闇を進むための灯火ともなる。

 そうして少年は一歩を踏み出して。

 

「あれ?」

 

 暗闇ではなく光り輝く全体に一転。蝉しぐれも消え去った辺り一帯。疾く、少年は見知らぬ静寂に呑まれていく。

 

「なんだ、これ……」

 

 整った森の中、静謐、神秘を心の底に感じて身震いする彼の目の前に。

 

「あなたは、誰ですか?」

 

 そんな緊張を吹き飛ばすくらいにとても愛らしい、一人のお姫様が現れた。

 

 

 

 

「京ちゃんお願い、その傘の中に入れて!」

「はいはい。かしこまりました、お姫様」

「かたじけないですわ……って、京ちゃんって急にお姫様とか口走る時があるよね。自然に言うからびっくりするけど、どうして?」

「どうしても、こうしてもなぁ……」

 

 やがて年月がしばし経ち、成長した京太郎は一人の少女と多く共にあるようになる。

 その相手、宮永咲は彼が一時()()()()()()を行き来するようになった相手との名残を不思議がった。

 勿論、京太郎には姫などという一般男子が使わないような言葉が勝手に口から出ていく理由に心当たりはある。

 だが、それも今となっては夢物語のような経験で。

 

「まあ……咲になら、話してもいいか」

 

 だからこそ、少年は少女に話してみようかと思ったのだった。

 雨中に二人歩く気恥ずかしさを吹き飛ばすのに丁度いいな、と思いながら彼の口は回る。

 

「俺、実は父方の実家の洞窟から……本の虫のお前なら知ってるかもしれないが、マヨイガとか仙境みたいなところに行ってたことがあるみたいでな……」

「ええっ、ホント? それって凄いことだよね……何か記念に持って帰ったりとかしたの?」

「いや、子供だったからな。俺は行って会えただけで満足してたな」

「へぇー、何だか凄いね!」

 

 すらりと、どちらかといえば、民俗学的な話をしだす京太郎。彼は自分の体験がどんなものに該当するか調べたがゆえの知識だが、そこに迷いなく咲は食いつく。

 それは本で言葉の意味することを知っていたからということもあるが、それ以前にそのきらきらとした瞳を見れば、咲が彼の言葉をまるきり信じているのは明らか。

 何となく嬉しくなった京太郎は、続ける。

 

「まあ、そんなところで小さかった俺は、姫様と会ったんだ」

「お姫様?」

「今思えば格好が巫女のようだったのが不思議だが……まあ、印象としてもお姫様って感じだったな。のんびりとしていて、どこか浮世離れしていて……側に仕えていた似たような巫女服の女の子たちが呼ぶのを真似して、俺は彼女のことを姫様って呼んでたよ」

「へぇ……」

「ただ、そこに行って会えたのは、三度だけだった。三度目の最後に……姫様が泣きながら、この入口が空いたままだと危険だから鎖さないといけないんです、って教えてくれてさ。その後何度も洞窟まで行ってみんだけど、もう駄目だったな」

「……どうなったの?」

「いや、洞窟はでかい石で埋まってた。あれは重機でもなければ取り外せないな。それで、そのままだ」

「うわー……凄い話聞いちゃった……」

 

 そうして、完全に咲が信じ切ったままに、京太郎は自分でも嘘のような過去にあったことを語り終えた。

 何やら嬉しそうにしている彼女を置いて、彼は頬を掻く。あれは本当にあったことだったのか、という疑問に未だに答えが出ないままに。

 そう、京太郎は分からない。姫様が今どこで何をしているのかも、自分の胸に秘めている想いをどうすればいいのかも。

 

「ふぅ……」

 

 疼く想いを誤魔化すかのように、溜息。そして京太郎は間近の咲を見て。彼女の真剣に見返された。

 

「ねえ、京ちゃん」

「……どうした?」

「京ちゃんはその人にもう一度会いたいの?」

 

 そして、咲が放ったその一言に、京太郎は胸動かされることとなる。

 今あの人を重ねて大切にしている子は、昔に想っていたあの人を見透かし、そして。泣きそうになりながら、京太郎の一言を待っている。

 思わず、心が揺れ動く。だがしかし、京太郎は言うのだった。

 

「ああ……会いたいな」

「そっか」

 

 乙女は、そんな言葉に俯く。

 そうして、くるり。咲は背を向けた。そのまま彼女は京太郎に告げる。

 

「ここでいいよ、京ちゃん。その人と、会えると良いね……それじゃ」

 

 そして、背を向けたままに降りしきる雨の中、咲は走り去っていった。雨中に、涙はきっと目立たない。だがしかし。

 

「まだ、遠いだろ、お前の家……」

 

 京太郎は、遠くなっていく小さな背中に、そう零すしかなかった。

 

 

 

「くしゅん!」

「ど、どうしました、姫様ー」

「あら、風邪かしら?」

「……大丈夫?」

 

「いいえ、平気です……きっと、彼が私の噂をしてくれたんですよ!」

 

 

「姫様……」

 

 

 

 そして、運命の糸は絡んで縺れ。

 

「――貴女が、京ちゃんのお姫様?」

「えっと、貴女は……」

 

 二人の手が重なるそれまで。

 

「思い出した……小蒔さん!」

「は、はい!」

 

 後しばらく。

 

 

「俺、小蒔さんのことが大好きです!」

「わ、私も京太郎くんのことが――――」

 

 




 ちょっと長くなってしまい、少し後半予告風に。
 小蒔さんにあまり会話させることが出来ずに、申し訳ありません!


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三角関係になりそうでならない幼馴染な京憧穏

 毎度のアンケートへの沢山の投票どうもありがとうございます!
 今回は平たかったですね……しかし、その中から穏乃さんと憧さんが選ばれましたー。
 ちょっと、セットはずるかったですかね? ただ、この二人は揃うと凄く強そうで……やってしまいました。
 新たな試み、よろしくおねがいします!


 

「ふふっ」

 

 山に登る、というのはとても楽しいことだと高鴨穏乃は思う。

 まず、険しさに挑むことが面白い。ましてや頂上にて吸う空気なんて例えようもなく心地よいもので。山登りは達成感というものを手軽に得られる数少ない運動だと彼女は考えている。

 それに、自然というものがはらむ空気がどうにも穏乃にはぴたりと合致していた。山の神様に嫌われることがないどころか、この上なく愛されている彼女に、吉野の山はホームグラウンド。

 休日の多くを、山登りに使うのが、穏乃の趣味だった。

 

「はぁ……シズ、ちょっとペースが早すぎないか?」

「京太郎!」

 

 そして、穏乃が山を好きであり続けている理由のもう一つに、誘えば彼が必ずついてきてくれるということも挙げられる。

 今まで、山に飽きたり疲れたりして、付き合い悪くなっていく誰彼。そんな中、しかし彼、京太郎だけは奔放な彼女を見守り続けてくれる。

 成長とともに離れていく皆。だが、京太郎だけは変わらない。ずっと幼馴染の友達で居てくれた。そのことが、どれだけ嬉しいことか。

 穏乃は少し疲れにへたれていながらも重い足を持ち上げて付いてくる京太郎を見て、つい笑んでしまう。

 

「えへへ。ごめんごめん。京太郎がいた事忘れてたよー」

「何時も一緒に登ってる相手のこと忘れるなよ……」

「だって、何時も一緒だからさっ。それが当たり前みたいで」

「……まあ、それはそうかもな、っと!」

「ほら、走るよ!」

 

 喋りながら少しペースを落として穏乃は京太郎と並んだ。そうして、彼の手を取って彼女は駆け出す。

 当然のことながら、幼馴染の過度な元気に引っ張られてつんのめりそうになる京太郎。人のいい彼も、つい彼女に文句を言いたくなる。

 だが、しかし僅かな嫌気から出てきたつまらない言葉なんて、大きな親愛から湧いた感動の前では儚く消え去るもの。花より綺麗な自然な表情に、彼ははっとする。

 穏乃は心の底から楽しくって、京太郎に笑いかけながら、言った。

 

「一緒に、早く頂上へ行こう!」

 

 一人じゃなくて二人。もっと沢山いたらきっともっと楽しいのだろうけれど、今は二人ぼっちで緑滴る風景輝く頂きからの眺めを抱きたかった。

 そう、友達というものに特別な感情を持つ穏乃は、しかし京太郎についてはまた別の所感を持っていた。だから、急ぐし笑うし、繋がった手にドキドキするのだ。

 

「仕方ないな、シズは」

「えへへ! それでも付いてきてくれるから、京太郎大好きだよ!」

 

 大好き。そんな本当のことを言うのに、恥じらいなんて起きるはずもない。でも、そんな想いを抱けるようになったことは、とても照れくさいことではある。

 身長伸びない自分も成長しているんだなと思い、なんとはなしにあっという間に己を追い抜いてぐんぐん背を伸ばした京太郎を穏乃は見上げた。

 そして、そんな彼は意外にも楽しそうに穏乃を見返してくれていて。

 

「まあ、俺だって、シズのことが好きだからな」

「え……わあぁぁっ!」

 

 だから、山の開放感によって零してしまった京太郎のそんな本音に驚いた穏乃は、顔を真っ赤にして妙な叫びを上げてしまうのだった。

 

 

 

 新子憧には、大好きな幼馴染が二人いる。

 その内の一人、同性である穏乃とは中学校が変わり、勉強に時間を取られるようになってしまったことで疎遠になってしまった。

 だが、お隣さんである須賀京太郎とは未だに良好な仲であるという自負が彼女にはある。いや、むしろそれ以上になりたいという想いすら憧にはあった。

 

「ふぅ……ちょっとやりすぎかな?」

 

 何とはなしに、以前幼馴染三人で撮った写真と鏡に映る今の自分とを見比べて、憧は零す。

 成長の早い気になる彼に追いつきたいと、自分もどんどんと背伸びして格好やコスメなどに気を遣うようになった。

 それによって大分変化したのは、こうして見返してみると明らかだった。実際同じ中学の友達である初瀬には、そんなにキメて好きな人でもいるの、とかからかわれたりしたこともある。

 

「ま、でもあの唐変木にはこれくらいはしないと駄目よね!」

 

 でも、と髪を括りながら憧は元気を出した。こんなに頑張っている同級生を忘れて、その姉の胸に目を行かせることすらあるのが京太郎という男子。

 おもちが大きければ誰でもいいのか、なら力士と結婚しちゃえと怒りに燃えないこともない。

 だが、そんなちょっとスケベな彼のことを憧はどうにも嫌いにはなれなかった。いや、それどころか。

 頬を紅くして、彼女は呟く。

 

「京太郎には、あたしがいないと駄目なんだから……」

 

 憧は、そんな京太郎の駄目なところすら好きだ。むしろ、その程度の可愛らしい悪点なんて、対抗心を煽り恋を燃やすための燃料にしかなりはしない。

 そう、新子憧は京太郎のことが大好きだった。

 

 

 阿知賀高校、なんていうものこそあるがそれでも山間の田舎の生まれ。憧や京太郎達の同級の子供は少なかった。

 そして、麻雀に興味を持つ同い年なんてそれこそ貴重なもの。だからこそ、憧と京太郎と穏乃は卓を囲むことで仲良くなった。

 その中に転校生、原村和が入って広い須賀家にてよく遊ぶようにもなったが、それ以前。一緒に遊びだしてから少し経った時に憧は、京太郎の異常に気付いていた。

 偶に二人きりになった時、憧は彼に聞いたことがある。

 

「ねえ、京太郎。あんた、変に弱くない?」

「そうだな……俺ってシズやアコみたいには引きが良くない感じはするな」

「なのにさ、何で楽しそうに麻雀をやれてるの?」

 

 そう、京太郎は不思議なほどに引きが悪い。そのために、よく負けていた。だが、それだけなら憧も気にはしなかっただろう。

 むしろ、その後。幾ら負けがこもうとも、彼は嘆かずに笑って次へと挑んでいた。そのことが、どうにも憧には理解できなかった。

 憧は、麻雀が好きである。そもそもの遊戯の奥深さに魅了されているのには違いないが、それだけでなく頑張れば誰にだって勝つことが出来る可能性が拓けてくるから、というのも一つであると考えていた。

 ならば、幾ら頑張っても味方しない運一つで負けてしまう麻雀に、どう楽しみを見いだせるだろう。それが憧は純粋に気になった。

 だが、何を言ってるんだとでも言うように、京太郎は笑ってこう返すのである。

 

「そりゃあ、アコたちが楽しそうにしているからに、決まってるだろ?」

「え?」

「俺だって、嫌いな奴らに負かされ続けてたら嫌になるさ。けどさ、好きな奴らが格好いいところを見せてくれてりゃあそりゃ、俺も何時かいいとこ見せるために頑張ろうと思うさ」

「そういう、もの?」

「まあ、気になるならさ」

 

 そして、弱くてもいいと呑み込んでしまっている京太郎は、そんな自分を気にせず勝利に笑っていた憧に対して、更に続けるのだ。

 

「俺の代わりにアコが勝って笑ってくれればそれでいいさ」

 

 ああ、格好いいな、こいつ。と、生まれてはじめて憧は同級生の男子にそう思ったのだった。

 

 

 その格好良さに憧れて、目で追うようになり。やがて目を逸らすことすら出来なくなって。何時しか胸がどきどきとしていることに気付いた。

 でも、彼女は。

 

「よっし、今日も京太郎のためにも麻雀、頑張らないとね!」

 

 あえて京太郎とは違う強豪中学を選び、麻雀漬けの日々を送るのだった。

 何時か、少年の弱さ(強さ)の素晴らしさを証明するためにも必死になって。

 

「おはよ、京太郎!」

「おはよう、アコ」

 

 そして、そんな彼女がつい彼にもっと好かれたいと自分を磨いてしまうのは、少女の想いの証明でもあった。

 

 

 

 高鴨穏乃と新子憧、そして須賀京太郎は幼馴染の仲である。

 ご近所でも評判の仲良し三人組は、少し間に冷たい空気が流れたこともあったが、少年をかすがいにして離れることさえなかった。

 

「あはは」

「ふふ」

 

 そして、インターミドルチャンピオンになった和と全国という舞台で戦う(遊ぶ)ために組もうと同じ女子校に進んだ穏乃と憧は、再び以前の仲を取り戻して相好を崩し合う。

 遠慮ない距離感で笑み合う彼女らは、傍から見たら正に気のおけない仲。とても深い絆が伺えるようだった。

 しかしその実。二人の間には並々ならぬ緊張が漂っていた。笑顔というある種攻撃的な表情のまま、憧は言う。

 

「それにしてもしずったらずるいわねー。あたしの知らない間に京太郎と旅行しまくってたみたいじゃない。あーあ。私も連れてってくれたらよかったのにー」

「むっ、そんなことを言ったら憧だってずるいよ。勉強してる、とか私に言っておきながら時々京太郎と遊んでたって聞いたよ?」

「そうね……でも、あたしは謝らないわよ。何しろしずの抜け駆けとは頻度が違うもの」

「頻度、とかいったらお隣さんだからって勝手に京太郎の部屋に上がり込んでくんくんしてる憧のほうが酷いと思うけどなー」

「ふきゅっ! どうしてそれが……」

 

 そんなこんなで好きな彼のことで仲良しな二人は牽制をし合うのだった。

 だが、これも一種のコミュニケーション。穏乃も憧も、どっちが選ばれたところで恨まないという気持ちは一緒だった。

 何しろ二人共、互いのことが京太郎への想いに負けないくらいに大好きなのだから。

 

「あはは……」

「ふふふ……」

 

 多分、きっと。そうなのだろう。

 

 

 

 そして、当の京太郎は。

 

「京太郎、ナイスゴール!」

「よっしゃあ!」

 

 金の髪を揺らし、汗に輝かせながらボールを見事に相手ゴールに投げ入れていた。

 大柄なチームメイトにもみくちゃにされながら、彼は至極満足そうに笑み、そして、山登りで培った身体能力を発揮して紅白戦にて活躍を続ける。

 

「流石、京太郎は一年でエース候補なだけはあるな。だが俺も負けないぞ?」

「はっ、高久田にはたっぱ以外じゃ負けねぇよ」

「言ったなっ」

 

 そう、京太郎は人数が少ないために部活数が少なかった中学から大きな男子校に進学したことで出会った、ハンドボールにドハマりしていたのだった。

 まるでスポーツ漫画のような燃える青春を過ごす彼。そこに萌えはなかった。

 

 穏乃と憧の想いが成就する日は、まだまだ遠いのかもしれない。

 

 

 




 本格的な修羅場はヤンデレの方でー。


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優しいだけでは愛は手に入らない最初の幼馴染だった京照

 期間が空きすぎたためですかね、とっても沢山の投票、どうもありがとうございますー!
 その中で抜け出た照さんをヒロインとして書いてみました!

 ちょっと色々と試してみたようなところがありますが、出来ればよろしくお願いしますー。


 

 宮永照は、麻雀において天賦の才能を持っている。母親譲りのそれは、もはや少女が牌に愛されているかのように錯覚出来てしまうくらいに凄まじいものだ。

 並大抵の豪運ですら敵わない、ジンクスだって無に帰すほどの支配力。照魔鏡のようなもので相手の本質を看破する異能といい、もはや人の域を超えている部分すら多々あった。

 だがしかし、一度卓から離れてみれば、照も普通の女の子と変わらなくなる。もっとも少しお菓子が好きでありすぎたり、少し天然ボケなところがあったりするが、それも愛嬌。

 そして、そんな愛らしさすら萌芽でしかない幼き日。成長も性徴も殆ど不明な、小さな小さな頃。妹がベビーカーから降りて歩き出し、やんちゃに後を付いてくるようになった、それくらいの時期に、照は一人の男の子と出会った。

 

「きょうちゃん」

「なに、てるおねーさん」

「おかし、こぼしてるよ?」

「あ、ほんとだ。ありがとー!」

 

 親の手によって対面させられたのはご近所さんと言うには少し家が離れた、しかし同じ地区の子供。とある役員の親同士のお茶会にて、同じ場所に預けられた同年代の子が、須賀京太郎だった。

 照は京太郎のことを落ち着きのない子供だと思う。そして、食べるのが雑だな、とも感じるのである。それ以外は、今ひとつよく分からない。流石にこの年頃の子供は将来性に溢れたあやふやで、照魔鏡に映るのも確たるものではなかった。

 ただ、傾向として自分とは違うタイプであるとは分かる。頭を働かせるよりも、身体を動かすのが好きな、そんな子供らしさの塊。男の子ってこんなものなのかな、と何となく照は思うのだった。

 照はお気に入りの絵本から目を離して、京太郎をその目で見つめる。零したお菓子をせっせとゴミ箱へと入れている、彼の笑顔はどこか眩い。そして、チョコレートを口の端に付けた姿は、単に間抜けでもあった。

 口元が、緩む。何とはなしに京太郎のことを気に入った照は、妹のためにと残したお菓子をタオルに包み始めた。それを、男の子は不思議そうに見つめる。

 

「おねーさんはもらったおかし、たべないの?」

「これは、さきのぶんだから」

「さき?」

「いもうとのことだよ。きょうちゃんとおなじとしのおんなのこ」

 

 そう、照には咲という愛すべき妹がいる。そのためには、大好きなお菓子だって我慢できた。自分が貰ったものは、妹とはんぶんこにするのが、彼女の姉としてのルールだった。

 けれどもきっと、自分のこんな心遣いなんて気にせずに、咲はお菓子を遠慮なく頬張るのだろう。いつもの欲張りなハムスターの真似事のように頬をパンパンにさせて笑む妹のことを想像して、照は薄く笑んだ。

 そして、そんな妹思いのお姉ちゃんの様子にあてられたのか、京太郎も咲という少女を気にしてみる。けれども、まだまだ富んでいない子供の想像力ではあやふやが浮かぶばかり。ただ彼が照から想像した妹は、とても優しく笑んでいた。

 京太郎は頬に手を当てて、言う。

 

「いもうとかー。あってみたいな。さきってこもきっと、てるおねーさんみたいにやさしいんだろうから」

 

 そして、なんとはなしに彼が零したそんな一言が、二人の関係性を決定づけるものとなる。驚きに目を大きく開いた照は。

 

「そっか……わたし、やさしくみえるんだね」

 

 他人を見るための照魔鏡では分からない、自分への純粋な評を受けて満足する。

 そして、少女はそう見えるのならば彼の前ではそうなろうかなと、思ったのだった。

 

 

 

「京ちゃん!」

「咲、お前こらっ、引っ張るなっての……うおっ!」

「わあっ」

「……ん」

 

 夢現、ベンチに座った照が過去をうつらうつらと思い出していると、彼女は大きな子供の声に起こされことになる。

 見ると、アスレチックで遊んでいる仲良し二人が縄で出来たネットの上で転がっていた。なんと、短パンの京太郎はともかく、スカートが捲り上がった咲はパンツが丸見えになってしまっている。

 これは酷いお転婆だなと、照は近寄りよろよろ立ち上がる途中の二人に声をかけた。

 

「咲に京ちゃん。危ないよ」

「いや、照さん……咲が追いつけないからって俺を引っ張って……」

「そうなの、咲?」

「うぅ……私、京ちゃんがどんどん遠くに行っちゃうのがなんかイヤだったから……」

「そう」

 

 そんなことを口にしている咲は、未だに京太郎の服の裾を持っている。少女が少年に懐いている様子に、照は微笑む。

 咲はここのところ、京太郎にべったりだ。二人揃って入学した小学校でも、仲を勘違いされてよくはやしたてられていると聞く。

 だが、好きが好きを好きでいる。そんなの、なんて幸せなことなのだろうと、照は思うのだった。故に二人を見ているだけで、楽しい。

 まあけれども、と。ぴしゃりと照は咲に告げる。

 

「でも、それで引っ張って転ばしちゃうのは良くなかったね。ごめんなさい、は?」

「うう……お姉ちゃん……」

「咲?」

「ごめんなさい」

「私に向かって言ってどうするの?」

「はい……京ちゃん、ごめんなさい」

「ああ。怪我しなかったし、俺は平気だよ」

「そう? ありがとう!」

「こら、くっつくなっての」

「ふふ」

 

 照の前で咲はごめんなさいをして、そうして二人はまた仲良しに戻った。そんな様子を見て、照は笑顔の花咲かせる。

 

「照さんの前だとお前、形無しだな」

「うーん……」

 

 そんな年上の綺麗な微笑みに惹かれつつも、同級幼馴染を弄る京太郎に、なにやらそれを気せず思案顔の咲。

 思わず、京太郎は聞く。

 

「咲、どうした?」

「なんだか……お姉ちゃんって京ちゃんには随分と優しいよね。ひいきだよ、ひいき!」

「そんなことないだろ。照さんは皆に優しいじゃないか」

「えー……お姉ちゃんって結構仲良くない人には塩対応……」

「……咲?」

「わっ! はい、お姉ちゃんは誰にも優しい天使です!」

 

 何やら笑みに凄みを乗せるなんて高等技術を使ってきた姉に、怯える咲。

 そして、すっかり照の優しさを確信している京太郎は、彼女の言に頷きながら、言う。

 

「そんなの当たり前だろ。照さん以上の天使なんているわけない」

「……そこまで京ちゃんに言われると、恥ずかしいな」

 

 京太郎の褒め殺しに、ぽ、と頬を染める照。

 それに、あ、この人可愛いなとますます惹かれる京太郎。

 そんな二人の仲を見せられて、面白くないのは咲だった。ふくれっ面になって、彼女は間近の京太郎へと抱きつく。

 

「むー……なんだか、ずるい!」

「うわっ、お前また飛びついて……」

「二人共危ない……きゃ」

 

 そうして、よろけた京太郎を助けようと向かった照ごと、三人はもつれ合って転がったのだった。

 やがて気づけばムキになった三人は、遊び、楽しんで。皆で笑いあう。

 

 

 そんな日も、あった。

 

 

 

 

「行っちゃうのか、照さん……」

「京ちゃん……うん」

「そっか」

 

 それは宮永家に決定的な亀裂が走ってしばらくのこと。燃え尽きた家屋の前に最後の別れを告げに来た照に、待ち構えていた京太郎は話しかけた。

 キャリーバッグを引いている照の寂しげな背中に、別れを知った京太郎は、嘆息を飲み込む。そして、優しい彼女に心配をかけないためにも声色に悲しみをなるだけ乗せないようにしながら、彼は聞いた。

 

「照さんはどこへ行くんだ?」

「東京」

「それは遠いな……」

 

 今更に、少年は激しい寂寥に襲われる。だが、それに屈することは出来なかった。世話になった照に、泣きわめいて最後まで迷惑をかけるなんてとても出来ないために。

 京太郎は、彼女らの間に何かあったとは知っている。だが、その何かが仲良し家族を引き裂くまで何も出来なかった。終わってからうろたえるばかりだった自分への怒りを耐えるために握り込んでいた手のひらに、爪が食い込んで痛む。

 大好きと大好きが別れてしまう。そんなのは、とても辛いものである。

 だが、当人たちはもっと辛い。だから、京太郎は思う。我慢せずに弱音を吐いて欲しい、と。そうすれば愛おしい照を遠慮なく抱けるのに。

 

「咲を、任せるね」

 

 しかし、最後まで優しいお姉さんでいるために。彼女はそう言った。

 だから、彼も。

 

「照さん……分かった。安心して俺に任せてくれ」

 

 そう、弱々しく返す他になかった。

 

 

 

「ううっ……」

 

 少女は、故郷から去る車中、くぐもったような声を零しながら、泣く。

 本当は、少年に付いてきて欲しいと、喚きたかった。けれども、それは無理なこと。だって、自分は優しいお姉さん、だから。

 

 彼をはんぶんこになんて出来ないから、妹にぜんぶあげるのだ。

 

「そんなのやだ、やだよぅっ……」

 

 でもそうするのがこんなに苦しいのなら。

 ああ、優しくなんてなるのではなかったと、照は思うのだった。

 

 

 

 

「京ちゃん! ……今、何隠したの?」

「よう、咲、あはは。俺は何も隠しては……うおっ」

「ほら、どうせエッチな本なんでしょ……あ。この雑誌の表紙って……お姉ちゃん」

「……すまん、咲」

「ううん。大丈夫。……そっか、お姉ちゃん、麻雀また始めたんだね」

「……それで直ぐに全国で一番になっちゃうんだから、流石は照さんだよな」

「京ちゃんお姉ちゃんのこと、大好きだったもんね」

「まあ、な」

 

 

「そっか―――ねえ、京ちゃんは、私のことも大好き?」

 

 

 

 

「京ちゃん……」

「照、さん」

 

 そして時が経ち、彼と彼女は東京にて、偶々に再会を果たす。

 その時京太郎は、迷子の咲の手を引いていた。そんな仲睦まじい様子を見てしまった照は、菓子袋を落とし。

 

「おねえ、ちゃん」

「っ!」

 

 走り去ろうとした。

 

 だが。

 

「今度はもう、離しませんよ!」

「なんで……」

 

 咲から迷わず手を離した京太郎は、逃げ去る照のその手を掴んだ。

 目と目は結ばれる。彼の必死に照魔鏡を使うまでもなく強い想いを見た照は。空いた手で強く主張する胸元を抱き。

 

「このままだと私、悪いお姉ちゃんになっちゃうよ……」

 

 ぽろり、と涙とともにそう零すのだった。

 

 



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自分は愛を与えるのに自分への愛が理解できなくなって暴走する京はや

 毎回アンケート投票どうもありがとうございます!
 今回抜け出たはやりさんですが、実は他所で以前お題を貰っていまして……それが題名のようになっていました。
 それを上手く消化できていればいいのですがー。
 皆様に少しでも楽しんで頂けたら幸いです!


 

 

 いち足すいちは、に。そんなものは、子供だって出来る計算だ。

 そして、たとえば麻雀の点数計算どころか牌効率すらそらで導ける人間にとって、ひとけた同士の暗算なんて簡単過ぎるものである。

 それを思えば恋愛の押し引きなんて、普通に考えればお手の物のはず。

 でも、誰だって間違えることはあった。()()には、なにを足してもぜろ。そんなことはあるはずもないのに、聡明な彼女はそんな勘違いしていて、それを続けていたのだった。

 

 

「京太郎くん! こんにちはっ、はやりだよ☆」

「うぉっ、は、はやりさん……こんにちは」

「もうっ、さん付けなんてしなくていいのにっ。はやりと京太郎くんの仲じゃない」

「そ、それはそうですけれど……」

 

 須賀京太郎は、干支一回り年上とは思えないほどの愛らしさの牌のお姉さんを相手に、戸惑う。ほにゃりとした笑みが、屈託なく少年の近くで輝いた。

 彼女、瑞原はやりはハートビーツ大宮所属のプロ雀士でもある。そんなはやりはしかし今はオフ。せりあがった迫力のある自らの胸元を気にせず、彼女は私服としてぴっちりとしたセーターを着込んでいた。

 思わず、京太郎ははやりのおもちに目を引かれてしまう。それは彼が高校一年生の男子で思春期まっさかりということもあるが、そもそも彼は大の大きなおもち好き。

 ごくり、と京太郎が生唾呑み込んだことも知らずに、むしろ視線が合わないことに驚いたはやりはまくし立てる。

 

「ど、どうしたの、京太郎くん! 目を逸らしてひょっとして、はやりのこと嫌いになっちゃった?」

「そんなことはありませんっ! 俺ははやりさんのことがその……大好きですよ」

「ううっ……声がちっちゃい……はやりが無理やり言いたくないこと言わせちゃったかな……ごめんね」

「いや、本当に俺ははやりさんのことが大好きですって! ただ、場所が……」

「場所?」

 

 京太郎の姿しか目に入っていないはやりは、よくわからないと首を傾げた。

 だがしかし、彼女が今彼の側にて愛らしさを表しているその場は清澄高校の校門前だったりする。

 学校に通い慣れてもはや安心すら覚え出すほどに馴染んだ秋の頃の下校最中に、唐突な有名人の突撃。目が覚めるような驚きに湧く周囲に恥ずかしさを覚えながらも、京太郎は叫ぶように言った。

 

「通ってる高校の前で年上の彼女に好きって叫ぶのは、男子高校生にはハードル高すぎですって!」

「彼女……私が京太郎くんの……はやっ!」

 

 そして、そんなひどく勇気の要った言に、はやりは顔を朱に染める。スカートをぎゅっと握りしめる頬をりんごのように赤くした、愛らしさの塊のような28歳。

 京太郎はどこかくらりとする感覚を覚えながらも、周囲に集まる人が増えてきたことに焦る。

 これ、下手したら清澄麻雀部が団体優勝後の凱旋時に近い集いっぷりじゃあと、無遠慮な視線を嫌がる彼は彼女の手を取る。

 あ、という小さな声を聞いて胸をさらにぐらつかせながら、京太郎は、はやりに向けて言った。

 

「とにかく、ここを離れましょう! はやりさんの車はどこですか?」

「そ、そうだね……うん。こっち!」

 

 そして、人垣をすり抜けて行く、二人。どこで知り合ったんだよ、と男子たちに小突かれながら、京太郎はこれはこの場を去っても明日以降が面倒そうだと心から思う。

 やがてはやりと京太郎はうるさいその場を去っていき。

 あとに残るのは喧騒と、そして。

 

「え、彼女って、えっ? 京ちゃん?」

「あんなおばけおっぱいさんが敵なんてなんてこった、だじぇ……和ちゃん?」

「京太郎君……あれ、どうしてでしょうね。何だか胸の奥が痛いです」

 

 一緒に帰ろうと揃って声をかける寸前での乱入者に固まらざるをえなかった恋慕不揃いな三人娘の悲哀ばかりだった。

 

 

 

 

 軋んだ歯車の音色に、そうそう気づける人間なんてない。それが、たとえ自分の胸元で起きている悲鳴であったとしても。

 自分は上手にやれている、とはやりは思っていた。順調この上ない、麻雀での戦績。そして、楽しくてたまらない牌のお姉さんの仕事。

 勿論、ただ幸せを享受しているばかりであっては、叩かれるのもこの世の常。妬まれるのは、最小限にしておきたいもの。だが、聡明なはやりは、角を立てないように立ち回ることだって得意だった。

 笑顔で、罵言を受け止めず。見当外れな言葉に、真剣に頷いた。そして、時にファンに嫌われることだって、仕方ないとする。

 そんな大人な対応に、疲れていたことに気づかなかったのは、どうしてか。

 

 それは、彼女が人を楽しませて元気にする人になろうと、ずっと頑張り続けていたからだったのかもしれない。

 

 

「あはは。真深さんが昔言ってた通りだね……差し入れってちょっと怖いや」

 

 人差し指の腹で、血が丸くぷくりと大きくなる。やがて、それは一筋の流れとなって伝わっていった。呆然と、瑞原はやりはそれを見送る。

 小さな子どもが渡してきた、手紙。その中にまさかカッターナイフの刃が仕込まれていたなんて、流石のはやりも思わなかった。

 これは、あの少女の悪意か、はたまたその親のものか。とりあえず、こんなの落ちていたら危ないな、とはやりは血を拭ったハンカチにて落ちた刃を拾う。そして、白紙の手紙の上にその鋭い尖りを置くのだった。

 

「……そういえば、次の収録は後少しだけど……どうしようかな……」

 

 独り言つ、はやり。次の収録、インターハイ個人戦の実況を前に、彼女は少し悩む。

 マネージャーが用意してくれた休み時間は、残り30分もない。ここから外出して絆創膏を買ってくるのには少し時間の余裕がない気もする。ただ、血は止まったとはいえ、傷が見えるままカメラの前に出るのはどうかという気持ちがあった。

 

「困ったなぁ……」

 

 はやりは溜息を、呑み込む。本当なら、実況前に可愛らしいファンからのメッセージを読んで気合を入れようかと思っていたのに、このざま。正直に、泣きたいような心地である。

 

「でも、頑張らないとね☆」

 

 けれども、こんな悪意に負けていては、皆を元気にさせるなんて夢のまた夢と、思う。だからはやりは上手に笑顔を作って、軽い変装をしてから東京の街中に飛び出した。

 

 

「コンビニは……あった」

 

 トレードマークの髪飾りを外して髪を下ろして。暗めの衣装でサングラスをかけたはやりは、それでも美人が故にそこそこに人目を引いた。

 だが、これくらいはコンサート会場に比べたら大したものではなく、気にするまでもない。

 そのままコンビニへと入り、絆創膏を購入。可愛いのがあって良かった、とどこかほくほくとするはやりに今度は。

 

「はや……ガム、踏んじゃった」

 

 足元の粘りによって気分は急降下。私物の靴をすっかりべたべたにさせて困ってしまったはやり。

 踏んだり蹴ったりだな、と自嘲したくなるところを堪えて、ポケットティッシュで少しでも取ろうとしたところ。

 

「あー……すみません。お節介かもしれませんが、よければガムのとり方知っていますので、お教えしましょうか?」

「はや?」

 

 はやりは、自分を遠巻きにしている人々から視線を動かし近くの声の主の背の高さを見上げ、目を点に。そしてその柔和な表情を覗き、お節介な彼の年若さにびっくりするのだった。

 

 

「ありがとう☆ まさかレシートを使ったらあんなに簡単にガムが取れるなんて思わなかったなー」

「いえ。又聞きしたことがお役に立てたらなら、嬉しいです」

 

 丁度手持ちのレシートを数度踏んづけただけで、ガムは綺麗に剥がれ落ち、その情報を教えて紳士にも待ってくれていた男子にはやりはお礼を言う。

 胸元をちょろちょろと見ていたのはまあ仕方ないとして、中々この優しさはポイントが高いな、と彼女は思う。そして格好いいしこれは大人になったらモテるだろうな、とも考えた。

 だが、まだまだ年の頃は若い。自分が若くないとは言いたくはないが、それでも異性として気になるような年ではない。相手もそうだろうと、はやりは再び笑顔を作ってから別れようとした。

 

「本当にありがとう! それじゃあ……」

「あの……本当にすみません。最後にひとつだけ」

「ん? 何かな☆」

 

 そして、はやり笑んでは物言いたげな彼に耳を傾ける。青年と少年の中間の彼は、彼女のそんな綺麗な面に複雑な思いを持つ。

 彼は何時かハンドボールができなくなって辛い時に、むしろ明るくしていた、それを幼馴染に咎められたことがある。そして、そんな注意が彼にとってどれだけ嬉しかったことか。

 だから、そんな当時の己を鏡で見た時のような感を受けた京太郎は、ボロが出るほど使い込んだ笑顔を纏ったはやりに一言告げたくなってしまったのだった。

 

「あの。そんなに頑張らなくてもいいと、思いますよ」

「はやー……」

 

 ぽかん、と。そこではじめて、素の表情になってはやりは京太郎を見た。

 あれ。どうして。なんで。あたりまえの言葉がこんなにもありがたい。それはつまり、本当に自分が頑張りすぎていたということで。そんなの、どうして見ず知らずの人が分かってくれたのだろう。

 でも、だからこそ、泣きたくなる。そして、歪んだ視界の中で彼の照れくささを誤魔化しているようなそんな彼の幼気な表情すらどこか愛らしい、と改めて彼女は思う。

 どきり、と胸は痛いくらいに高く鳴る。遅くも初恋は、動き出した。

 

「ねえ……君の連絡先、教えてくれない?」

「へ?」

 

 そして、二目で惚れたはやりは、京太郎に猛アタックして。

 紆余曲折の後に、二人は付き合うことになったのだった。

 

 彼女は、また己が脇目も振らずに頑張ってしまっていることを知らずに。彼はそんな彼女にやきもきするのである。

 

 

 

「京太郎くんのお家に到着☆ ここに停めておいて大丈夫?」

「ありがとうございます。家は無駄に土地持ちなので、どこでも平気ですよ」

「カピバラちゃんも飼ってるものね☆ お大臣さんだー」

「その割には、小遣いは普通なんですけどね……」

「あはは☆ ……ねえ、京太郎くんって本当はどのくらいお小遣い欲しかったりするの?」

「言いませんよ! 下手に欲しい額を言ったらその倍くらいのお金を送ってくるつもりでしょう!」

「はやっ、バレちゃった!」

「そりゃあ、はやりさんには前科がありますから……」

 

 可愛らしい色に工夫が凝らされたはやりの愛車から降り、須賀家の敷地でわいわいと。

 学校から彼女に乗せられて車で帰宅した京太郎と、彼女ことはやりは喋っていた。苦い笑みを浮かべる彼に反して、彼女は心底楽しい笑顔を浮かべている。

 そのことを、良いとも悪いとも京太郎は感じるのだった。

 

「前に麻雀の勉強をしたいな、って零したら凄かったですよね……麻雀の本に牌譜が翌日には大量に。俺にはちょっと凄すぎる内容のそれだけで猫に小判なのに……その後すぐにプロの仲間を呼んでくるとは思いませんでしたよ」

「あ、あれはね。その……良かれと思って、ね☆」

「無理やり連れてこられた小鍛冶プロ、半泣きでしたよ……いや、咲がとんだ瞬間を見れたとか得難い経験でしたけれど。でも何時もの三倍速でとばされる、なんて経験は出来れば積みたくなかったですね……」

「はややっ……」

 

 健夜にはやりに咲。日本最強クラスの麻雀打ち達とマイナス能力持ちが卓を囲むという、ちょっとした罰ゲームのような体験を思い出し、煤ける京太郎。

 そんな彼を見て、はやりはあわわと口を押さえる。でもそれも仕方ない、と思っているのが彼女の困ったところ。いや、むしろもっとしてあげないと、と思ってしまうあたりが空恐ろしくすらあるのだろうか。

 そう、はやりは京太郎と居て至極楽しそうではあるが、少し彼のために頑張りすぎているようなきらいがあった。それこそ、自分へ向いている愛が理解できていないかのように。

 何となく、その理由を察して、京太郎は言う。

 

「そんなことしなくても、俺は逃げないですし……ちゃんと、はやりさんを愛してますって」

「でも……」

「だって、頑張らないはやりさんも、俺は大好きですから」

「っ!」

 

 はやりに向けられるのは、満面の笑顔。それを受け取った彼女の胸元は早鐘を打つ。

 そう、京太郎の前では頑張りすぎないでいいと、はやりは知って分かって、それを心から喜んでいる。

 だがしかし、彼女は頑張らない自分なんて愛されるべきではないと思いこんでいるから困ったもの。

 故に、素をさらけ出せる彼に、愛されていないなんていう勘違いが起きてしまうのだ。そして、愛を過剰にぶつけてしまう。子が親にじゃれつくように。

 

「はやりさん」

「……な、なに?」

 

 だから、親が子供を安心させる行いを自分もならってみようかな、と京太郎は思った。

 一歩近寄って、びくりとするはやりに向かって、さらに一歩。()()になった距離を気にも留めずに、彼は。

 

「愛してます」

「はややっ☆」

 

 彼女を抱きしめた。

 

 

 ぜろになにを足してもぜろ。そんなことはない。

 彼の想いは確かにあって、セーター越しに感じるこの熱がその証拠。 

 

 はやりはようやく、そんなあたりまえを理解できたようだった。

 

 



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擦れ違うことも優しさな京キャプ

 遅くなりましたが、沢山のアンケートの投票誠にありがとうございました!
 一番になった福路美穂子さんをヒロインとして書いてみましたが、いかがでしょうか?

 今回は大分何時もと色を変えたので少し不安なところですね!


 

 須賀京太郎はどちらかといえば、甘やかす側である。

 母性に弱い京太郎は甘えたがりなところもあるが、しかし生来からの面倒見の良さから、甘やかす方に行くことが多かった。

 彼は、面倒くさそうにしながらも何だかんだ困っていれば助けてくれる。京ちゃんと一緒に居ると安心できるんだよね、とは幼馴染みの少女の評であった。

 

「京太郎くん。喉渇いたでしょう? お茶、飲むかしら?」

「あ、ああ。ありがとうございます美穂子さん。丁度水が欲しいって思ってたところでした」

「ふふ。どういたしまして」

 

 しかし、そんな京太郎は今甘やかされる側に居る。気の利かせ方が上手な付き合いはじめたばかりの彼女の手によって。

 とても優しくしてくれる蕩けるような笑顔をした彼女、福路美穂子のその綺麗な()()()()()の瞳に映る少年はどうにも困り顔。

 更に思わずちらと魅力的な胸元を覗いてしまったことすら、可愛らしいものと微笑まれてしまったら、どうにも苦笑しかできなかった。

 京太郎はつるつるしたレジャーシート上にて誤魔化すように手元の弁当箱に視線を移す。そのまま彼は何とはなしに串を摘んでミートボールを頂いた。

 すると、思わず唸るようにして京太郎は零す。

 

「……旨い」

「よかった。京太郎くんは男の子だから濃い目の味付けがいいかと思ったけれど、当たっていたみたいね」

「ばっちりです」

 

 つい、京太郎は目を瞑った。そして感じるは、口内の美味。冷めても旨いというか、むしろだからこそ、このふわふわさに病みつきになるような、そんな心地。

 小気味いい甘じょっぱさといい一体全体、自分向けだと京太郎は思う。そう、この味はあまりにもばっちりに口に合い過ぎていた。

 一緒に御飯を共にしたこと、三度。それだけで彼氏の味覚を把握してしまう美穂子の凄さを褒めるべきか、それともその気苦労を慮るべきか。

 とりあえずは、と京太郎は思い、言う。

 

「ありがとうございます。メチャクチャ嬉しいです。俺のこと、よく見てくれてたんですね」

「ふふ、それは当然。こんな格好いい彼氏さんからそっぽを向いちゃう子なんていないわ」

「そう、ですか……」

 

 京太郎の前で愛らしさが、柔和になって花のように綻ぶ。その笑みの美しさに息を呑む彼の前で、彼女は至極自然体。そんなギャップが、青年には少し辛い。

 よく晴れた日、はじめて出来た彼女とピクニックと興じているのに京太郎の心の内にどこか居心地の悪さがあるのはどうしてだろう。

 それは、彼の元来の苦労人気質が甘えるがままでいいのかと叫んでいるがためという、ただそれだけではなかった。

 

 福路美穂子は一般男子にとって高嶺の花とすら言ってもいい程()()()少女である。

 優しく、賢く、美人。そして京太郎にとっては大事なところである、大きなおもち持ち。更には全国大会出場クラスである麻雀の得意すら持っていた。

 麻雀へぼな半端物と自認している京太郎にとっては、隣に居るだけでもう肩身が狭いところがある。もっともそれは過小評価で彼自身、実はかなりのスペックだったりもするのだが。

 まあ、そんな引け目だけでなく、最近一人の少女に言われたことが、京太郎の中に小骨のように引っかかっていた。

 

「キャプテンにあまり苦労かけさせるなよ、か……」

「?」

 

 独り言は拾われずに。向けられれば誰でも笑顔を返さずにはいられない、そんな微笑みのまま首を傾げる美穂子に京太郎は不格好な笑顔を返す。

 京太郎は清澄高校に一年生として通学していて、美穂子は風越女子高校に三年生として通っている。それでは当然のことながら、お互いの学校生活はよく分かるものではなかった。

 しかし、美穂子が麻雀部のキャプテンを勤め上げきってから、少し。京太郎が告白して付き合ってから僅かな今。

 彼女に疲れが見えると、美穂子と登下校をともにしている京太郎の新しい女友達というか無駄に先輩風を吹かせて絡んでくる少女、池田華菜は語っていた。

 京太郎が嫌に大事にしてしまったそんな言葉。半ば華菜の冷やかし混じりのそれ。でもそんな意図を拾わなかった彼はただ落ち込んで。だから、こんなことを言ってしまう。

 

「美穂子さんは、俺と一緒に居て疲れますか?」

「そんなことないわ。どうしてそんなことを言うの?」

 

 素直に、首を傾げる美穂子。だがそれを、正面に置いていながら少年は見なかった。

 京太郎は下を向きながら堪えるように、言う。

 

「いや、俺なんかが美穂子さんの彼氏でいいのかな、って」

 

 京太郎は、美穂子の側にいるだけで高鳴る胸に手を当てる。彼にとって、別段これは初恋ではない。しかし、とても大事にしたい恋情ではあった。

 だからこそ、心配にもなる。そして、ただ自分は彼女の何時ものように、()()()されているばかりで、この恋は決して届いてはいないのだろうかと、血迷いもした。

 

「もう。京太郎くんったら、そんなこと言って。京太郎くんは私の大切な……あの、その、彼氏、よ?」

 

 しかし、初心にも彼氏と口にすることにすら照れる美穂子にとって、京太郎は初恋の相手だった。だからこそ、それを疑われるのは嫌で仕方ない。

 髪棚引かせ風を金の輝きとして、少し頬を朱に染め、美穂子は締め付けられる胸元を意識しながらとつとつと本当のことを口にする。

 

「確かに京太郎くんと一緒にいると少し気を張ってしまうかもしれないわ。でもそれも、私が京太郎くんにもっと好きになって欲しいから。ちょっと、格好つけちゃうの」

「それは……俺と一緒ですね」

「ふふ。それは嬉しいわ」

 

 格好いいところを見せたいからこそ、格好悪いが、嫌。つまるところ、京太郎はそんな状態で、美穂子もそれは一緒と言う。

 本当かどうか半信半疑ながら相思相愛であると思い込みたい京太郎に、美穂子は普段は閉ざしている青い視線をまっすぐ向けてから口を開く。

 

「あのね、京太郎くん。あなたは覚えていないかもしれないけれど……実は私たち、中学生の頃に会ったことがあるのよ?」

「えっと……すみません。思い出せないです」

「そう。でも、私はあの日のことを今でも昨日のことのように思い出せるわ」

 

 それは、今日とは大いに異なる雲天の下のこと。まるきり素敵な今と違って悪くもある過去。

 美穂子は自分が本当に優しくなろうとした日のことを思い出す。

 

「あの日、同級生に嫌われていた私は何時ものように独りで帰っていたわね。そういえば、靴に水を入れられていたからって、上履きだったかもしれないわ」

「っ」

 

 軽く口にされた被害を聞いて、美穂子の昔の痛みに下手人に対する憤りを顕にする京太郎。そんな、彼の優しさを見て薄く笑んだ彼女は、悲しみとともに続ける。

 何しろ、美穂子が同級生に嫌われていたのは、京太郎が持っているようなまっとうな優しさを持っていなかったから、だから。

 

「どうして私は皆に優しくしているのに嫌われてしまうのか、分からなかった。なんで皆のためを思っているのに、悪く思われるのかしらって、ずっと考えていたわ。でも、私には優しくする以外のやり方が怖くって出来なかったから、それを続けてたの」

「美穂子さん……」

「でも、そんな私が嫌われてしまうのは当然のことだったわ。だって、幾ら優しくしていても無遠慮だったら、それは気持ち悪くて当然だもの。……昔の私には、そう感じられなかったのだけれど」

 

 美穂子は誰彼との距離感が分からなかった。故に、自分にするように人に優しくして、それを鬱陶しがられるのが理解できなかった。

 そんなだからこそあの日、美穂子は通りすがりの喧嘩をした後の傷だらけの少年を当たり前のように助けようとしたのだ。

 

「でも、私は京太郎くんに教えられた」

 

 間違っていても、愛されたい。そんなことは当たり前で、そんな当たり前を彼女は初対面の少年に(すが)る。

 しかしあの日、京太郎は言ったのだ。笑顔で、泣きそうになるくらいの傷の痛みを堪えながら。

 

 俺の痛みを気にするより自分の痛みを気にしなよ、と。 

 

 少年の強がり。それだけの言葉に少女は救われた。

 

「心からの優しさは、あったかいって」

 

 見透かされ、そして美穂子はやっと、人の痛みに傷む自らの心を見つける。そのために彼女は、優しくしてもらいたいから優しくするということが間違いだと、心より知った。

 優しくしたいから優しくするのだと理解したのも、初めてのこと。だから、彼女はその日の感動の落涙を忘れられないのだ。また、他校の女子を泣かせておろおろする年下男子の姿に、きゅんとしてしまったことだって。

 

 ぽかんと、口を開く青年。忘れる程度に当たり前に振りまいてきた優しさを大事にしている眼の前の彼女に驚く京太郎に、あっけらかんと、美穂子は言った。

 

「私はあの時からずっと、京太郎くんを慕っているの。ちょっと、重たいかしらね」

「そんなことはないですけれど……えっと」

 

 流石に、ここまで言われると向けられた愛を察することは鈍感にだって難しくない。動揺に、つい言葉を選ぶ京太郎。照れにそっぽを向く彼はどうにも隙だらけ。

 そんなチャンスを見逃す美穂子ではなかった。彼女はそっと、彼に近づく。

 

「えい」

「え」

 

 ふ、と。とても柔らかく、ずっと触れていたくなるほどに温いものが口元に擦れ違うように優しく当たって去っていったことに、京太郎は遅れて気づいた。

 思わず唇を押さえる彼の鏡写しに、桃色の唇を彼女は指で押さえて。

 

「ねえ――――優しく出来たかしら?」

 

 そんなことを言うのだった。

 

 

 

 

 二人がぴたりと合うまで、あと少し。

 

 



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一目惚れなんてオカルトありえません、とは言えない京和

 沢山のアンケート票そして評価、どうもありがとうございますー!
 一番になった原村和さんを頑張って書いてみましたが……どうでしょうか?
 案の定ちょっと違うことやって不安ですが、どうかよろしくおねがいしますー。


 

 山上から残雪流れてせせらぎに。春の長野に清水が溢れんばかりに輝く、そんな毎年の当たり前に今更美しさを覚えるのは、心境が変わったからだろうな、と京太郎は思う。

 休みの一日。友人と遊ぶかランニング程度の運動をするかという程度の予定しかなかった一日を、しずしずと隣を歩く少女は酷く明るいものに変えてくれた。

 もう暮れかけの今日に偶然出会った彼女とこれまで行ったのは、観光にもならない清澄の田舎の案内に、さほど繋がりの良くない会話程度。だが、少女と共にあるその間がとても楽しかったのは、言うまでもなかった。

 初対面の少女のそのはにかみが愛おしくて、頑張った。それだけでこんなに楽しい一日になるなんて。

 

「……夕焼けが、とても綺麗ですね」

「そうだな」

 

 立ち止まり、彼女はほうっと口にする。気障にも君の方が綺麗だと勝手に発しようとする口を止めるのは、想像以上に大変だ。

 胸元に滲む焦りのような心地よくもある感覚を意識しながら、一目惚れも良いものだと、暮れに染まる白磁の顔を覗きながら京太郎は思った。

 

 

 

 須賀京太郎は、原村和が好きである。あまりに分かり易いそれは、彼を知るものの殆どに周知されてすらいた。

 以前夫婦とすらからかわれていた程の仲の幼馴染みを放って和と同じ部活に入部したことや、度々彼女の胸元に視線を向かせて件の幼馴染みに和の親友に足を踏まれて騒いでいることなど。

 京太郎の友人高久田誠がその変心ぶりに驚くくらいには、状況証拠が多分にあった。

 そして、それだけでなく他にも、囁かれる理由はある。

 

「すまない……俺、他に好きな人がいるんだ」

 

 それは、京太郎が女子生徒に告白を受けたその時に、そんな言葉を零したことに端を発していた。見目と性格も良い彼は高校入学以前から女子に好かれることが多かったが、こうきっぱりと告白を断るようになったのは、はじめてのこと。

 地味に咲と京太郎がくっつくことを願っていた誠あたりは、咲へ本気になったのだと自分の都合の良いように考えているが、彼がよく視線が向かう方を見てみれば、それが違うことは明らかだ。

 またそんなのは、彼を慕う少女にとっては尚更分かりやすいもので。でれっとした京太郎をじと目で見つめながら、件の幼馴染みこと宮永咲は尋ねるのだった。

 

「ねえ、京ちゃん、原村さんのことが好きなの?」

「それは……」

「言いよどんでも視線の向きはのどちゃんから変わっていないじょ? やれやれ、遠くの山につられて隣の可能性の塊に見向きもしないなんて京太郎もみーはーだじぇ」

「おいおい、胸もとに手に入れてもないものはないぞ。悪いが、俺には大平原にロマンを感じられるほど変わり者じゃないんだよ」

「全く、何時までも私がのどちゃんのおっぱいの引き立て役だと勘違いしているんだから、この小僧は駄目なんだじぇ。ふっふ、のどちゃんの撃破記録がまた一つ更新されるのが楽しみだじょ」

「妄想はその海抜ゼロメートル振りから少しは成長してから言えって。っていうか、俺の告白は失敗するの前提かよ……あ」

「ふーん。京ちゃん、やっぱり好きなんだ」

「うっ……」

 

 打てば響く、そんな少年少女の冗談めいた会話は、横からの鋭い言葉によって止まる。

 タコス娘と侮っていた優希に知らず本心を吐露させられていた京太郎は、咲の冷たい視線にたじろぐ。ついでに、その少し下方から優希も半目でじろりとならう。

 しかし、それとなく困ってから、むしろ何俺が咲にびびってるんだと思い直した彼は開き直る。目を本命から反らして、少し真面目になってから、京太郎は言った。

 

「別にいーだろ。誰を好きとか嫌いとか、俺ももう子供じゃないんだから思って当たり前だっての。咲が気にすることじゃないだろ」

「それはそうだけど……」

 

 京太郎が口にした言葉に、咲は思わず口ごもる。

 確かに、男女の好きに横から文句を言うのは違うだろう。けれども京太郎が誰か――自分以外の女子――を好きでいるのは何となく、つまらない。つい、空いた指先は髪先を捩る。

 咲がそんな乙女の気持ちを持て余していると、冗談めかして京太郎はずばりと言った。

 

「ならなんだよ、咲。ひょっとして……嫉妬か?」

「べ、別に私、原村さんに嫉妬なんかしてないからねっ!」

「おー、咲ちゃん真っ赤だじぇ……」

「あうう……」

 

 鈍感が急に核心を言い当てたことに、咲は言葉の選択を誤る。そして、彼女は自分の発言に本心に、そんな全てに真っ赤になった。

 顔を手のひらで覆って俯く姿に何となく少女の思いを感じ取った京太郎は、決まり悪そうに頬を掻く。どうしようかと悩む彼を、見上げる少女の目は厳しくなった。

 友人のツンデレを目撃して少し感動すらしていた優希。しかし、どうにも京太郎は自分たちを恋愛対象として見ない。そのことに、彼女は義憤するのだった。

 

「……私には京太郎の身の程知らずの高め狙いぶりが鼻につくじぇ。ボーイ、お前にはこの私に挑んでみるような気概は持てないのかい?」

「優希……俺がしたいのは山あり谷ありの恋愛で、別にゲートボールがしたいわけじゃないんだ」

「むっ、誰が、平原安置のローボールだじょ!」

「優希ちゃん、よくそんなにツッコめるね……」

 

 だがしかし、咲と比べてコメディ路線な優希に、恋路を真っ直ぐ進むのは難しい。

 彼女はごまかすようにされた難易度の高いボケに対しても、見事なツッコミを披露してしまうのだった。

 なんといっても、優希には彼の笑顔が楽しくて。だから彼女は近くにいるだけでドキドキしていることをすら、隠すのである。

 

 

「はぁ……」

 

 そんな風にして、真剣になりきれない三人。最近ずっと仲良しな皆の輪の外、高嶺の位置にて。

 

「仲、いいですね……」

 

 和は自分のことが話題にのぼっていることなど知らず、そうこぼすのだった。

 

 

 

「どうもありがとうございます、須賀君」

「いや、お礼なら和が買い出しじゃんけんに負けたら直ぐに俺に荷物持ちについて行けって言った優希に言ったほうがいいぞ?」

「ふふ。ゆーきには、後で言います」

 

 あいにくの曇天。しかし、それでも京太郎の気持ちは晴れ渡っていた。

 笑顔の隣で艷が流れて、横で揺れる。そんなこんなに胸ときめかせながら、京太郎はちらほらモノが入ったエコバッグ片手に道を行く。

 木が影を作り過ぎない程度に散らばった、しかし涼やかな春の通り。そんな中を京太郎と和は制服姿のまま歩んでいた。

 

 正に、至福の時間。しかし、京太郎は、何とはなしに意地悪な笑みをした我らが悪待ち部長のことを思い出す。何となく彼女、久が楽しげだったのはバッグの中の饅頭ふたつがそれほど楽しみだったからか否か。

 最低でも和と自分のデート地味た二人歩きを歓迎していた訳ではないだろうから少し気になるな、と京太郎は考えたりしていた。

 しかし、そんな彼の思慮など、彼女の喜色には関係ない。歩み軽く、身を弾ませながら、和は言った。

 

「こういうの、久しぶり、ですよね」

「ああ……二人きりっていうのは春先に道に迷ってた和に清澄の案内をした時以来だな」

「ふふ。あの時は、どうもありがとうございました。実はあの時、携帯電話の電池も切れていてマップもなしに、少し心細かったんです」

「そう、だったのか……」

 

 言われ、京太郎はあの日のことを思い出す。それは中学二年生に上がる寸前のこと。

 春休みに部活休みの京太郎がランニングしていた最中、転校して独りちょっと冒険してみた和と出会ったのだ。

 その際に一目惚れをした彼は、新しい転校先でのはじめての出歩きを試みて清澄の入り口にまで来てしまっていた彼女に、道案内がてらの地元紹介を買って出たのだった。

 今も輝く楽しかった、思い出。しかし、そこに腑に落ちないところを覚えた京太郎は呟く。

 

「しかし、今考えると和が素直に初対面の俺に案内されたのは意外だったな」

「あの……私って、素直に思えませんか?」

「いや、和は何というか……よく知らない男に付いていくような、危機意識のない女の子じゃないだろ? どうして俺を信用してくれたのか、不思議でさ」

「それを言うなら須賀君も、普段は初めて会った女の子を誘うような男の子には思えませんが」

「……まあ、確かにあの時は俺も少し勇気を出していたな。不思議だ」

 

 流石に、一目惚れしていたから、とは口に出せずに誤魔化す京太郎。

 しかし、そんなこんなを全部観察し切っていた彼女は、こう呟くのだった。

 

「いいえ。不思議(オカルト)なことなんて、何もないんです――――好意が人を引き寄せるなんて、あたり前のことですから」

「え?」

 

 驚き口をぽかんと開ける京太郎。しかし、そんな間抜けな様にくすりともせず、むしろ愛しいものと目を細めて、和は続ける。

 

「須賀君は、私に一目惚れしてくれたのかもしれません。ですが、私はひと目で恋したわけではありませんでした」

 

 和は、知っていた。けれども、黙っていたのだ。そして、隠していた。

 少女は今、吐露する。

 

「貴方の思わず表に出てしまうくらいの心配(優しさ)に、まず惹かれました。次に郷里を語る(私を見つめる)貴方の好意を感じて、嬉しくなって。やがて、日暮れ(別れ)に陰る貴方の表情の真剣さに、はっとしました」

 

 彼女は恋しく自分を見ていた彼のことを、見ていた。

 そうして、それが嫌いではなかったから。ずっと記憶の底に残していて。

 

「そして、二年後再び須賀君の笑顔(はにかみ)を見ることが出来た時に、ようやく私は恋に落ちたのです」

 

 再会し、また胸に秘めたそれに触れたことで、和は気づいたのだった。ああ、自分は彼のことが好きなのだと。

 胸元が弾む。いやそれどころか弾けそう。自分のこんな好きを、彼も今覚えていてくれていればいいな、と彼女は思う。

 そして今真剣に見つめ返してくる京太郎を見て、和はそのよく出来た面を微笑みに歪ませて、告白を続けるのだった。

 

「実は私、今日はズルをしました」

「……ズル?」

「ええ、実は宮永さんたち部の皆さんには私が負けるような順番でじゃんけんして頂くように頼んでいたのです。そして、私が負けた時には須賀君と二人きりにして欲しいと優希に頼んでいました」

「あー……みんな、特に優希、嫌がらなかったか?」

「ええ。ですが私が須賀君に引導を渡したいから、と言ったらゆーきは二つ返事で了承してくれましたよ?」

「引導を渡すっていう名の告白……つまり抜け駆けした、ってことか。それは……ズルいな」

「ええ。でも、私も心配だったのですよ? 須賀君、ゆーきや宮永さんのことが大好きみたいですから」

「いや、あいつらのことは正直、ペットのカピバラと同じようなものとしか思ってないぞ……」

「それでも、何時好意の種類が変わるのか、私には気が気でなかったんです」

 

 和は、そこで表情を暗いものに変える。

 咲は、和に嫉妬していた。そして、同じように和は咲に嫉妬していたのだ。

 好きの側で、笑顔が咲く。それが、自分のものでないのは、とても苦しいことで。

 だから、もう伝えざるを得なかった。だから、とそろそろ頬を紅色に染めて、和は全てを伝えようとする。

 

「須賀君……ここまで言ったら分かって頂けているでしょうが……あの、私は……」

「あー……もう大分格好悪いけれど、俺から言わせてくれ。……和、好きだ」

「……はい。私もきょ……京太郎君が好きです」

 

 それは、綺麗なものとは言えない、不格好な告白。しかし、合わさった想いは代えがたいくらいに幸せを味わわせてくれる。

 

「和」

「京太郎君……」

 

 だから、もっとと思うのは当然のことで。二人がそろりと手を伸ばし合い、それが重なり笑顔までも同じくなったそんな時。

 それこそ手のひらの組み方がそれっぽくなるために身動ぎ出しそうな、そんな見つめ合う恋人同士の間隙に。

 

「わっ」

「きゃ」

 

 風が一陣。遅れて光が射し。それがとても綺麗な朱色であることに、二人は気づく。

 そして、お互いあの日のようにほほえみ合って。

 

「……夕焼けが、とても綺麗ですね」

「和の方が、綺麗だ」

「もうっ」

 

 手を繋いで歩きながら、そんな風に言葉を交わすのだった。

 

 

 

 

「のどちゃんと京太郎、遅いじょー。私のタコスチップスはまだかー」

「うぅ。京ちゃん、フラれて落ち込んでなければ良いけれど……」

「ふふ。傷心の須賀君、ねぇ……」

「おぉ、悪い顔しちょるのぉ。と」

「カン……ツモ。嶺上開花、タンヤオ、ドラニ、4000・2000です」

「……やられたじぇー」

 

 麻雀楽しむ彼女らが、睦まじく帰ってきた二人に驚かさせられるまで、あと少し。

 

 



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頼まれて恋をするのではない京由暉

 何時も沢山の投票に評価、どうもありがとうございますー!
 今回一位の真屋由暉子さんのお話を書かせていただきましたが……何かまた筆が乗って少し多めに。どの話も同じくらいに、というのは難しいですねー。
 相変わらずどきどきですが、読んで頂けると嬉しいです!


 

 

 雪深い長野から北海道に越してきて、先頃厳しい冬を経験したばかりの京太郎にとって、自己紹介で聞いた()()()という名前はなんとなく身近さを覚えるものだった。

 後で小さな彼女から聞いたその名前の漢字が、雪ではなく由暉という少し難しいものだったことには驚いたが、最初に受けた親近感はそう簡単には消えやしない。

 京太郎が真屋由暉子のことを気にするようになったのは、そんなたあいのないような理由からだった。

 

「ゆきこ、ユキでいいか? 折角同じクラスになったんだから、仲良くしようぜ」

「はい……分かりました」

 

 そして、故にこそ何の他意もなく、少年は少女の手を取る。ただ友達になりたい相手を見つけたばかりの彼の笑顔は、思わず微笑み返したくなるくらいに朗らかで。だからこそ、珍しくも素直に彼女は笑んだ。

 白雪のように無垢な彼女。魔法がかかる前のシンデレラ。由暉子は、柔らかな陽光のような京太郎相手だからこそずっと離れずにいたのかもしれない。

 

 

 

 重ね重ねの雲の下、喧騒の音も遠く。放課後の開放感もどこへやら。つまらない仕事――当番だった少女に由暉子が押し付けられた掃除の手伝い――をこなした京太郎には妙に疲労が張り付いていた。

 主たるものは徒労感、といったところだろうか。ここ最近ずっと、放課後にクラス替えで会う時間が減った友達が一人掃除をさせられていると聞いた京太郎は一計を案じていた。

 そして放課後、ハンドボール部のエース権限のようなものを行使して部活を何とか抜けて様子を見に来たところ、そこには鼻歌交じりに箒を動かす由暉子の姿が。

 彼女が虐められているのでは、と思っていた京太郎は、ぱたぱたとこちらに駆けてくる由暉子の上機嫌にがっくりとしたものだった。

 今も、下校のために校舎を共に歩く京太郎に、由暉子は笑顔にはならない程度の喜びを浮かべながら礼をする。

 

「先程は、どうもありがとうございます」

「……なんかユキ。お前って安請け合いするよな」

「そうでしょうか?」

 

 危うげな自分を認められずに首を傾げる由暉子に、京太郎は苦笑い。どうにも彼女は変わっていると思っていたが、そろそろこれは拙いなと彼も感じる。

 京太郎が一人では大変だろうと申し出た掃除の手伝いを受け容れさえしたが、聞くに由暉子は自分がいいように掃除を押し付けられたことにも気づかず、むしろ頼りにされているのだと勘違いしていた。

 由暉子が、私はとっても掃除が上手らしいんです、と大きな胸をぶるんと張って自慢する頼りなさげな姿に、さてどうしようかと京太郎は考える。

 顎に手を当てて、しばし。そうして由暉子が見上げる首を疲れさせはじめた頃合いに、よしと彼は決意してから、言った。

 

「なあユキ。これから俺も掃除、手伝うようにしていいか?」

「それは、京太郎くんが大変じゃ……」

「なに、今日手伝ったみたいにさ。実は俺、掃除好きだったりするんだよ。ユキが掃除頼まれたときだけ呼びに来てくれたらいいからさ……頼む」

「……そうですか。ええ、そんなに私に()()のならしかたがありませんね。わかりました」

「ああ……」

 

 彼女のための、てきとうな嘘を吐いてお願いだと手を合わせる京太郎に、少しの考慮のポーズの後に由暉子は首を縦に振る。案の定受け容れた彼女に、彼の笑顔は凍った。

 自信という自分の軸になるようなものを持たない由暉子は、頼まれたからには断れない。そして、彼女は自分を頼りにしてくれるならば誰でもいいのだった。それこそ、友達を自負していた京太郎でなくても。

 そんな捨て鉢その無垢に、冷たさすら覚えた京太郎は。しかしだからこそ。

 

「ったく」

「わ」

 

 遠慮なしに、彼女の髪をかき回すのだった。由暉子の茶色い長髪は、気持ちと一緒に乱れる。

 

「今日は一緒に帰るぞ」

 

 しばらく少女の頭部で遊んでから京太郎はそのまま歩んで先んじ、髪型を雑に手ぐしで直そうとしている由暉子を見ないままに、言う。

 弄られた理由もハンド部をサボる理由もいったい訳がわからず、由暉子は首を傾げた。

 

「京太郎くん……部活は良いんですか?」

「良いんだよ」

 

 しかし、京太郎は断言する。そして、ようやく振り向いて、彼は続けるのだった。

 

「俺はユキと一緒に帰りたいんだ」

「そう、ですか……」

 

 酷く、真剣に向けられた少年の視線に、少女は惑う。ただどうしてだか、私なんかと一緒でいいのですか、とは言えずに。

 

 由暉子は胸が強く締め付けられるような心地ばかりを覚えた。

 

 

 

「なにしてんだ。置いてくぞ、ユキ」

「待ってください、京太郎くん! ……それでは、すみません」

 

 隣のクラスからやってきた京太郎に呼ばれ、慌てて頼まれごとを断り帰り支度をする由暉子。

 放課後の恒例となりつつあるそんな構図は、京太郎が大好きだったはずのハンドボール部を辞めて直ぐからずっと続いていた。

 

「お待たせしました」

「じゃ、帰るか」

「はい」

 

 そして、そのまま二人、並んで帰り路を行くのも、もはや自然の流れのようで。

 彼彼女を知る多くの思春期の男女達は、二人の関係を噂した。曰く、彼氏彼女の仲に違いない、と。

 だが、由暉子の世話をしているつもりの京太郎に、そんな気は更々なかった。デリカシーなど考えもせず、彼は問う。

 

「今日、身体測定あったな。ユキはちょっと身長伸びてたか?」

「いいえ。ですが、体重は二キロほど増えていました」

「そうか……」

 

 普通の女子なら嫌がる体重増加を何故か自慢気に語る由暉子を、京太郎は今日も残念なものを見る目で眺める。二キロ増量したのだろう目立つ胸部の張られっぷりもついでに。

 そう、その愛らしい姿のまま、由暉子は段々と大きなおもちもちへと変わっていたが、丸みを増した全体に、しかし京太郎はあまり鼻の下を伸ばさなかった。

 それもそのはず、背をとうに追い越して後、由暉子の危なっかしさばかりを知っていた京太郎にとって、普通なら喜ばしいはずのその性徴だって、彼女の足下をふらつかせる重しがどんどん増してきているようにすら見えていたのだ。

 どきどきせずに、はらはらする。それくらいには、京太郎にとって由暉子は庇護対象。何時ものポニーテールが子犬の尻尾にすら思えるほどに、彼は彼女のことを心配していた。

 しかしだからこそ、由暉子が自分をどう見ているのか気づかなかったのかもしれない。眼鏡の位置を整えながらしれっと、彼女は言う。

 

「そういえば、京太郎くんって格好いいのですか?」

「ユキ……急にどうしたんだ?」

「いえ、クラスメートの女の子がそんなことを言っていましたので」

「……なんか、肝心なことをユキが言っていないような気がするな。どんなシチュエーションでそんな話を聞いたんだ?」

「ええと、確かどうして私なんかが京太郎くんと一緒に居るんだ、って怒られた時に言われたのだと思います」

「困った奴もいるもんだ……ユキはどう言い返した?」

「特には言い返しませんでしたけれど、そういえば私と京太郎くんが一緒なのは当たり前です、と言ったら静かにはなりましたね」

「なるほどな……」

 

 京太郎は由暉子の言葉について、少し考える。

 由暉子にかかりきりになってから減ったが、京太郎は女子からの告白を何度も経験していた。それを()()()()無理だと断った際の苦味も、彼は忘れていない。

 その経験と由暉子の話を思うに、何時も帰りを共にしている彼女に対して京太郎に未だ気を持つ女子がちょっかいをかけた、というのは殆ど間違いないように思えた。

 そして、あまり多弁な方ではない由暉子が、京太郎に頼まれた――名目に過ぎないが――懐いているペットのカピバラの世話を一緒にするために一緒に帰っているという全ての理由を語らなかったこと、そしてそれによって起きただろう勘違いにも察しが付く。

 明日なんてクラスメートに囃し立てられるだろうな、とげっそりし始めた京太郎。しかし、そんなこと知らずに、一本おさげを揺らしながら由暉子は再び問う。

 

「それで、やっぱり京太郎くんって格好いいのですか?」

「珍しく気にしているな……ん、やっぱり?」

「ええ。私は京太郎くんのことをずっと格好良いと思っていました。でも、皆私のセンスはおかしいと揃って口にするので、あまり自信がなかったのです」

「……ちなみに、俺のどんなところがユキには格好良く見えたんだ?」

「ぴかぴかの金髪とか、群を抜いて大きいところとか、ちょっと外れた感じが格好良く見えていました」

「……まあ、ユキのセンスから言うと、気にするのはそこら辺だとは思ってたが」

 

 対抗しているのか背伸びしてくる由暉子を珍妙なものとして見つめながら、京太郎は溜息を呑み込む。

 そして先に少しどきりとしたのも、それが気の迷いであったのは間違いないと、彼は確信するのだった。

 しかし、そんな少年の内心など知らず、何時かのように微笑みながら由暉子は言う。

 そう、曲がりなりにも、よくわからないけれども彼は自分のことを助けようとし続けているのだと彼女は知っていたから。だから、見上げるのだ。

 

「あと、とても優しいところです。特に私を何時も助けてくれるところとか、ヒーローみたいでとても格好いいです」

「……なんかこそばゆいな、ったく」

「わっ」

 

 しかし、京太郎はそっぽを向いて、手近な頭にその大きな掌を置く。

 驚く由暉子。そして、前のように激しく動かすでもなく、彼は優しく漉くようにその手を動かすのだった。

 

「ユキはそう言ってくれるが、俺は本物のヒーローじゃないんだからな。何時でも何でもしてやれはしないから、なるべく余計なものを背負い込まないように気をつけるんだぞ?」

「でも……私は誰かのために……」

「はぁ」

 

 思わず、といった体で言葉をこぼす由暉子に、とうとう京太郎は溜息。

 嘆息にびくり、としてしまう由暉子。彼女は、何故か彼にだけは見捨てられるのが、嫌だった。

 しかし、向き直った京太郎は、由暉子からその真剣な瞳を決して逸らしはしない。怖がる彼女に優しく、彼は語る。

 

「俺は、ユキが好きだ」

「え?」

「好きだから、ためにならなかろうが何だろうが、一緒にいる」

 

 とても柔らかな言葉。そこに籠められた想いの深さを感じて、由暉子は胸をときめかせる。

 格好いい、大好きな彼。自分なんかじゃ到底届かないと思っていた、そんな京太郎がこんなに思いを寄せてくれていたなんて。

 嬉しい。けれどもそれ以上に身体が爆発しそうなくらいにドキドキしている。

 足がふわふわして、視界が潤む。しかし、彼は口を閉じてくれない。今で既に腰が砕けてしまいそうなくらいの心地なのに、もしこれ以上があったなら。

 怖い、けれども聞きたい。彼の本心を。由暉子は、自分の紅潮を自覚する。

 

 そして、京太郎は続きを言う。

 

 

「だって友達、ってそういうものだろ?」

「友達……」

 

 しかしその言葉はとても、痛かった。

 

 

 だから彼女は。

 

「なら私は――」

 

 誰のためでもない、自分のための(請い)をした。

 

 

「もっと、あなたに好きになって欲しいです」

 

 

 そして()()は、雫に変わる。

 

 

 

 

 そんなこんながあった後。しかし由暉子の任され癖は中々直らずに、とある高校の彼女達に見つかって。

 すったもんだの末に彼女は大いに見目を変え、京太郎を驚かすことになる。

 

「京太郎くん」

「おぉ……ユキ、随分と変わったな」

「可愛いですか?」

「まあ、それはなあ……」

「ふっふっふ。お前がユキのヒーローか?」

「……そういうあなたたちは、ユキの何なんです?」

「ええと……そういえば、私達ってどういう関係だって言えばいいのかしら? お友達?」

「あっちがヒーローなら、悪役じゃね? ふふふ……私は秘密結社、えーっと……有珠山! の獅子原爽だ!」

「いやいや秘密結社とか格好つけてるつもりかもしんないけどさ……爽、それはだせーって」

「すてきじゃありません……」

「いいえ、結社とか、とっても格好いいです!」

「ユキ……はぁ。制服から分かっていましたけれど、先輩たちはやっぱり有珠山高校の人たちでしたか……」

「……なんか押しかけちゃってごめんね?」

 

 先輩女子たちの中で目を輝かせる新装の由暉子に苦笑しながら、何となく苦労性そうな少女――誓子――はそう言う。

 しかし、京太郎は笑顔でこう返すのだった。

 

「いえ、彼女をこんなに可愛くしてくれて、感謝しかありませんよ」

「京太郎くん……」

「あら」

「すてきです!」

「んだよ、甘すぎんだろ、こんちくしょー!」

「誰だよユキをヒロインらしくウエディングドレス調にしろって注文付けたの……そのせいで何かいちゃいちゃの破壊力凄いじゃんか……って、それ言ったの私だった! がく……」

「爽……やっぱり悪は栄えないものね……安らかに眠りなさい」

「おぉっ、チカの膝枕いただきー」

「おい爽にチカセン、便乗していちゃつくなって!」

「すてきじゃありません……」

「ふふ……」

 

 そうしてこの後、京太郎と由暉子の周囲は先輩たちを交えて、実に騒がしくなる。

 しかし、その中心で繋ぎあった手は、ずっと繋がれたままだった。

 

 



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本当の自分を見せるのは怖いけれども月は綺麗な京衣

 またまたいっぱいの投票に評価、どうもありがとうございますー!

 今回一位だった衣さん……天江衣さんのお話を書かせていただきました。
 難しかったです……作者に語彙がないのもあって余計に中々再現が上手くいきませんでしたねー。要精進です!
 それでも、楽しんで頂けたら嬉しいですね!


 須賀京太郎にとって、天江衣という少女はとても賢いお姉さん、だった。

 年齢的には大差なく、そして身長においては大差で勝る。つむじを眼下にぴょんぴょんと跳ねてきゃっきゃと笑う、そんな相手を見上げるというのは存外子供には難しい。けれども、京太郎は素直に衣を凄い人だと感じていた。

 京太郎の私室のベッドの上にて足をばたばたさせながら、長い金の流れと落書きを散らばらせる小さい彼女。衣のそんな愛らしい姿を認めて、京太郎は呟いた。

 

「衣姉さんは凄いな」

「キョウタロー、藪から棒に、どうした? たとえ旧套墨守と言われようが、弟を守るために姉が穎脱なものを目指すのはむろんのことだぞ?」

「……そんなところだよなあ」

「?」

 

 半端な返答に首を傾げる衣に、しかしやっぱりこの人は尊敬できるなと京太郎は改めて思う。

 矮躯に詰め込まれた沢山の難しい言の葉。ちんぷんかんぷんなそれらを会話に出されるだけでもう、京太郎には彼女の先輩振りを感じざるを得ない。

 そして、それだけでなく。衣は血縁関係もない自分に対して必死にその背を伸ばして姉たらんとしてくれている。

 過去の両親同士の友誼をかすがいに、二人の背丈が変わらないくらいの齢からずっと。少女は、少年を必死に可愛がろうとしていた。

 それがたとえ、自らの孤独を慰める――両親との死別を共に泣いてくれた少年にばかり心を開いた――ための頑張りであるとしても、嬉しいことに変わりない。だから京太郎は、月兎の化身のような愛らしさの衣のことが大好きだった。

 そんな自慢のお姉さんはクレヨンで描いたまんまるお月様の絵を両手で持ち上げ、京太郎に尋ねる。

 

「出来たぞ! 出来はどうだ?」

「満月か。衣姉さんは絵が上手いな」

「ふふー!」

 

 衣は褒められた喜びに、飛び跳ねるその動きとお月様が画かれた用紙を無理に一緒させて、べろんべろんと大騒ぎした。

 そう。黒の中の、黄色い丸。ただそれだけのシンプルな芸術作品を、京太郎は歓迎したのだ。彼に、美的センスはあまりない。

 

「やっぱり絵って分かりやすいのが一番だよな」

「うーむ……しかし衣の発想は、些か庸劣なものかもしれない……」

 

 衣姉さんは芸術の才能もあるんだな、と姉贔屓に思う京太郎に、しかし当の少女は次第に落ち着いていく。

 そして一転停止した衣はひとりごちてからまじまじと画用紙に描かれた月を見つめはじめた。

 その喜色が薄れだしてどんどんと透明になっていく表情に、京太郎が不安に思いだしたころ、彼女はぽつりと口にする。

 

「……キョウタロー。お前は、水月を掬ったことはあるか?」

「すいげつ? あ、水月か。うーん、水に映る月ってことだったら、ないな。というかそんなの屏風の虎を追い出すのと同じで無理じゃないか?」

「衣にはある。むしろありすぎて、もう飽き飽きだ」

 

 水月。それはたとえるならば、山奥の最後の最後に残った輝石一つ(和了り牌)。そんな掴めそうにないものをすら簡単に掴んでしまうのが、海底撈月のオカルト少女、天江衣。

 幼気な少女の感情に、セカイは付き従う。それこそ確率なんて曖昧は彼女の味方となる。ありえないことこそ衣にとっては、つまらないただの当たり前。そんな()を信じられないもののように見つめられることこそ、毒だった。

 実力を見せた友にも家族としている相手の中にすらある、恐怖心。それが京太郎の中にも沸き起こらないように、自分の尖った部分を抑えつけるのは、中々に大変なものである。ありのままを、大好きな相手に見せられないというのは、辛い。

 そして、少女の面にまで顕れた、倦み。よく分からない話の中に、衣の中の本物の嫌気を見つけた京太郎は、むしろ感心して言う。

 

「はぁ。衣姉さんはとんでもないな」

「……信じてくれるのか?」

「そりゃもう、衣姉さんが嘘を吐くわけないだろうし。どうやってそんなことをしてるか分かんないけどさ、俺が理解できないなんてのはどうでもいいことだ」

「わーい! 衣は素直な弟を持って嬉しいぞ!」

「おっと」

 

 抱きつく、衣。飛びついてきたその矮躯とすら言っていい軽さを、京太郎は受け止める。そのままひっしと縋り付く彼女の内心の怯えを察しつつ、彼は黙って背中を撫でるのだった。

 勿論、京太郎は衣の語った言葉の真意なんてものは、分からない。彼の中で彼女は、ちょっとだけ言葉使いがマイナーなだけの小さなお姉さんだ。親類ですら恐れたオカルトの塊である魔物など、知らないのだ。

 しかし、その言のとおりに彼はたとえ嘘みたいな言葉ひとひらであっても、ないがしろにせずに大事にしたくあるのだった。それくらいに、京太郎は衣のことが大好きだったから。彼女が知られることを嫌がるのなら、自分は無知なバカでいいとすら思う。

 

「ふっふー。姉弟のスキンシップは大切だな!」

「あんまり大きくなってまですることじゃないと思うけれどなあ」

「衣は小さいぞ? ふぁ……」

「衣姉さん……はは」

 

 少年の内心を知らずに、少女は安心に目を瞑る。苦笑しながらも他人同士触れ合うことの照れを抑えて、京太郎が孤独な少女にぬくもりを与えようとそのまま抱きしめていると。

 

「あら」

 

 これまた金の少女が現れた。柔らかいばかりの見目の衣を少し尖るまで整えたような彼女、従姉妹の龍門渕透華は京太郎――遠戚の子――のもとで安堵している衣を確認し目を細める。

 そのまま遠慮なく部屋に入ってきた透華は、頭頂の跳ね毛をピンと逆立て、目を閉ざしている少女にあえて大声で告げる。

 

「衣、時間ですわよ! また京太郎の胸元でおねんねですの? 全く……」

「んにゅ。……分かったー。キョウタロー、下ろしてくれ」

「かしこまりました、お姫様っと」

「恩に着る」

「ぷっ、衣がお姫様、ですか……」

 

 披露されたはぶきっちょなカーテシー。見目と呼ばれたとおりに合わせて、いかにもなおしゃまな様子を見せた衣を見て、透華は思わずといった風にして笑う。

 それもそうだろう。なにせ、孤独な自分を守るために他人に力の断崖を見せつけて恐れを集めている少女が、一人の男の子を怖がらせないためにと力を隠しているそんな様子は、全てを知っているものにはあまりに滑稽でもあるから。

 もう、彼を信じて全てをさらけ出してしまえばいいのに、と思いながらお姫様とは似合わないなとも、透華は考えるのだった。

 

「むっ、トーカ。今のやり取りに何か弊でもあったか?」

「いえ、そんなことはありませんが……そうですわね。強いて言うなら蝶や花やとされているのはむしろ京太郎の方ではありませんこと?」

「トーカはいやに衣たちのやり方を慨嘆したがるな……姉が弟を愛玩するのは当然至極のことだろう?」

「ふふ、衣も何時までそんな強がりを言っていられることやら……」

 

 そして、始まるは、軽い言い合い。地味に、京太郎の姉貴分として自認している二人は、意地の張り合いを行ったりもする。今回は、保護のあり方の問題での衝突。

 また、最近京太郎を少し男性として見始めている透華は、どうせいつかは彼にハマるのだろう初心な衣を笑いもしていた。

 そんな風にして、しばしつんけんと、二人はじゃれ合いを続け。

 

「衣姉さんも透華さんも、仲がいいな」

 

 二人に蚊帳の外にされた京太郎は一人、そんな風にのほほんと呟くのだった。

 

 

 

 

 

「キョウタロー……」

「どうしたんだ衣姉さん。今日はなんだか元気がないみたいだ」

 

 それは先から随分経った夜分に差し掛かる頃、須賀家の門前。

 清澄の高校へと進学し、入ったばかりの部の活動に励んだ後の疲れを見せないように元気を出して出迎える京太郎の前に、衣はどうにも消沈していた。

 どうかしたのかと思う京太郎に答えずに、衣は小さな口を開く。

 

「キョウタローは、麻雀を始めたのだそうだな」

「ああ。高校の麻雀部に入ったんだ。前から智紀さんに衣姉さんが麻雀得意だって聞いて、やってみたいなって思ってたんだけどさ、これまでずっとハンドに専念してたのもあってやってなかったんだ。でも止めた今ならはじめるには丁度いいかなって思ってさ」

「そうか……智紀……口外しては駄目だと言ったのに」

 

 気軽に話す京太郎に対して、衣の気持ちは重い。

 天江衣は、その異能ばかりでプロにも勝る雀士である。また、去年のインターハイで散々に対戦相手を蹴散らした経験のある衣は、全国まで広がった己の悪名の高さを自負していた。

 男女の違いはあれども、それでも競技をやっていく中で有名選手を耳にするのは自然。そうして、自分の異形なまでの力量を知った京太郎が目の色を変えてしまわないかと、衣は恐れるのだった。

 やがて、話は衣の嫌な方向へと移っていく。

 

「いや、やってみたら楽しくて、嵌っちゃったんだ。なあ、衣姉さんは強いんだろ? ちょっと後で一緒に……」

「駄目だ!」

 

 思わず、衣は悲鳴を放つように拒絶した。

 感覚に麻雀を打たされている衣に上手い手加減など出来ない。一度同じ卓に着いてしまえば持ち前のオカルトがバレてしまうのは明らかだった。

 恐れに、つい衣は隠してきた威を露わにしてしまう。その必死と風すら覚える圧に、京太郎も些かならず驚く。

 

「あ……っと」

「う。ち、違うんだキョウタロー。これはキョウタローと一緒に麻雀をするのが嫌というわけじゃなくて……」

 

 慌てる衣。カチューシャをぴょんぴょんさせて、弟の心証を心配する彼女を見つめた京太郎ははたして。

 ただ、衣姉さんはやっぱり凄いな、と思うのだった。彼は、頷く。

 

「いや、分かったよ」

「……分かってくれたのか?」

「ああ。何だか衣姉さんは俺と麻雀をしたら怖がられるかもしれないって感じてるんだな。なら、なおのこと打ちたいな」

「キョウタロー?」

 

 相手の言っていることが、分からない。そんな風に不明に首を左右に動かしている衣は、先にとんでもない圧力を放った存在と同じにはとても見えない。

 よく衣の口からついて出る難語に首を傾げていた幼き日の自分もこんな感じだったのかな、と思いながら京太郎は微笑んで、言うのだった。

 

「俺は衣姉さんの全ては知らないのかもしれない。けれど、それでも……いやそれだけで充分に、俺は凄い姉さんだって知ってるから」

「……あ」

「だから……衣姉さんは、そんなに怖がらなくていいんだよ。たとえ理解者になれなくったって、きっと俺はずっと衣姉さんのことが大好きだから」

 

 だから、と。京太郎は一歩踏み出す。そして、震える少女の手を、優しく取るのだった。

 思わず、ぽろり。落涙させた衣は視界を滲ませ、零す。

 

「ああ――――鬼胎なんて蒙昧こそが抱くものと思っていたが……いや、衣こそ認識が胡乱だった」

 

 恐れを知らない、恐ろしいもの。自分がそうであると衣は思い込みたかった。だが、当然ながらそんなことはない。

 彼女はただの、姉ぶりたい、少女で。更に少しばかり、牌に愛されてしまっただけにすぎない。

 

「ああ」

 

 けれども、そんな少しこそ、他と断絶を生むもの。衣は彼の優しい手から、そっと離れた。

 

「衣は、尾生の信を信じたい」

 

 京太郎が、抱く信頼。それは匹夫の勇ですらない、夢物語のような一途。

 しかし、その無垢な思いを、衣は。

 

「キョウタローの気持ちを、裏切れるはずがない――!」

 

 そして、きっ、と。睨みつけるようになるくらいに目の前の男の子の勇気を認めて。

 

「ハギヨシ」

「衣様……」

「車中のトーカと歩を呼んできてくれ」

「……かしこまりました」

 

 暗中へと向いた衣は呼び声に応じ側に魔法のように現れた男性――ハギヨシという執事――に短くそう告げる。

 そして、疾くその場から消えたハギヨシを確認してから、再び京太郎の方へと向き直った。

 

「キョウタロー」

「ぐっ……衣姉さん……」

 

 姉の仮面を捨て去り鬼気溢れさせた彼女は、人間の域を越えている分だけの重みを放つ。威圧というには過分すぎるそれに、存外敏な京太郎が両足に力を込めて必死に抵抗していると。

 

 

「雀躍するがいい。お前の望み通り――――今宵、衣はお前に悪鬼羅刹を見せよう」

「ぐ……」

 

 

 返事もできず、ただ息を吸うために京太郎は仰ぐかのように空を見た。しかし、明らかな格上に対する緊張にろくろく呼気も出来ず、ただ、円かな輝きばかりを見つける。

 そう、何時かの落書きのように、月は丸かった。京太郎は何となく、水月の会話の下りの理由を察する。なるほど、姉は確かに穎脱――才能が群を抜いて優れる――だった。これは、とても敵いそうにない。かもしたら怖くすらあるかもしれなかった。

 

「……はは」

 

 ただ、やっぱり彼女と一緒で見る月は間違いなく。それはそれは、とても綺麗なものだったのだ。

 

 少年は改めて自分を鼓舞するために拳を強く、握った。

 

 

 

 

 

 その日行われた半荘は激しく、濃密なものになる。暴威は卓の上で存分に発揮されて、京太郎をいたぶった。

 しかし、それは誰にとっても意外な結末になったのである。

 

「ツモ……」

「なっ」

 

 方や対戦相手、方や自分。良形聴牌(順子刻子完成)を妨げる、そんな互いのオカルトの相性の()()から、最後まで諦めなかった京太郎が最後に国士無双を和了った。

 そして、彼が崩れ落ちる前に浮かべた優しい笑みは、衣を心より安堵させる。

 またそれは、衣が京太郎への好きを姉弟のものとしては抱ききれなくなる、そんなはじめの出来事でもあった。

 

「キョウタロー! 大好きだ!」

「衣姉さん……」

「むっ、もう衣を姉と呼ぶな!」

「はは……わかりました」

 

 たとえその手に水底の月は掬えても、輝く空の月までは掴めない。

 

 けれどもだからこそ、二人で見上げる満月は、何時までも綺麗なままだった。



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寒くてお腹がくぅと鳴るのでお金が欲しかった、京ネリー

 やはり多くの投票、どうもありがとうございましたー!
 恐れながら自分の予想と違ってネリーさんの独走状態でしたねー。
 相変わらず、何時もと違うことをしたくなってしまうので、今回も大変でした!
 それにしても再現が難しく……何とか喜んで頂けると良いのですがー。


 

 

 ネリー・ヴィルサラーゼはサカルトヴェロ――ジョージア。グルジアと言った方が分かる人もいるかもしれない――という国の生まれである。

 サカルトヴェロは旧ソビエト連邦から独立したかつての貧国であり、現在は経済成長著しい国家、というのが多くの認識であるかもしれない。

 とはいえ、急激な成長に直ぐさま全てが恩恵にあずかることが出来る筈もなく、一定の層が貧じたままであるのは仕方なく。そして麻雀に長じて日本に留学生として国を発つことになったネリーの心もまた、未だに乏しいままだった。

 

「……これからここで、稼ぐために頑張らないとね」

 

 飛行機に覚えた物珍しさにも慣れて、空の上から大地の凹凸と多色に富んだ日本という国を眺めてみたが、しかしネリーはその美しさに感じ入ることはない。

 美は表層であり、必要であるのはその内の力量。そう信じてやまない彼女にとっては、海の迫力すら空虚である。

 富貴。それが心に余裕を持たせるものであるならば、なるほど貧乏に浸かりきって染まったネリーの心は常に切羽詰まったものとなるだろう。

 

「むぅ」

 

 だからこそ、ガイドブックなどを読み込んで勉強済みであっても、空港の外新たに自力で立つために見知らぬ大地に降りたその一歩目は不安気なものとなる。

 まるでぬかるみに足を運ぶように歩くのに辛い。スキップすら踏めないこれこそが緊張だと、ネリーは思いたくなかった。

 こんな弱い性根で、どうして勝てるだろう。そう考える少女は。

 

「ネリーは飛ばないと」

 

 ふと、空を見上げた。彼女にとって青を湛えているばかりのそこに、愛着はない。けれども、誰も届かぬ高みに向かう意思を、再確認するのには役に立った。

 能力とすら呼べるオカルト、運の飛躍。その行き着く先は果たしてどこまでか。出来るなら、誰よりも高く。そんな風に、彼女が挑戦心を燃やし始めていたところ。

 そこに、彼女にとってはありふれた金髪長身の男子がやってきた。どこか童顔な面を覗いてなぜかちろり、と勝手に瞳の奥に熱を覚えたことに驚きを覚えながら、ネリーはこちらを向いて声をかけはじめた彼――須賀京太郎――を見上げる。

 

「その民族衣装……ネリー・ヴィルサラーゼって、君か?」

「……誰?」

 

 そして二人は視線と視線で繋がった。互いの瞳に映るのは、相手の姿。それがどうにもしっくりくる。

 縁。そんなものを覚えずにはいられなかったが、しかしその実見知らぬ相手同士。

 むしろ訝しがるネリーに、出迎えのために制服をかっちり着込んだ京太郎は、彼女に向かって微笑んで見せてから名乗りだす。

 

「……俺は須賀京太郎。急用が出来たアレクサンドラ監督の代わりに君の出迎えを頼まれたんだ。監督も後何分かで来るとは思うんだが……」

「キョータロ……身分証明できるもの、何か持ってる?」

「あー……やっぱり怪しいか。臨海高校の学生証……だけじゃだめか?」

「えっ……臨海って、女子校じゃなかったの? どう見てもキョータロって男子だけど?」

「ああ、今年共学になったんだ……っと。そうかこれがあったか」

 

 これでどうだろうと、学生証を見せたところむしろ混乱し始めた留学生に、京太郎は苦笑い。

 拝金主義の子供、と聞いていたよりずっと愛らしい様子のネリーに内心ほっとしながら、彼は次に定期入れの中から写真を取り出す。

 そこに写っているのは、トロフィーを手にした京太郎と色素の薄い大人の女性。彼は肌身離さず持っておくように、と常々被写体の片割れに言われているそれを軽々と手渡した。

 

「写真? それにこれは……」

「これは俺が男子麻雀インターミドル大会で優勝した時のものなんだけれどさ。ほら、ここに一緒に映ってるの、アレクサンドラ監督だろ?」

「監督、キョータロにハグしてるね」

「……距離感は置いておくとしても、まあこれで関係者だってのは信じて貰えないか?」

「ふーん。へーぇ。キョータロはあの硬そうな監督のねぇー」

「いや、だからって過度な関係は期待しないでくれると嬉しいな……」

 

 折り目一つ付いた写真を持ち上げながら、嫌らしい笑みを見せるネリー。そこにからかいの意思があったのは明らかだ。

 しかし京太郎は慌てず騒がず、面白がって写真を上下させている小さな手からさっと、取り上げる。

 空の手をぐーぱー。そうしてからネリーは彼の思ったよりも慌ててくれないそのつれなさを残念がった。

 

「なーんだ、つまんないの。でも一応チャンピオンなのか……ね、キョータロって麻雀強いの?」

「ああ。まだまだ、だけれどな」

 

 そして、京太郎の嫌に謙遜気味な肯定を聞いて、再びネリーの瞳の奥がちろりと燃える。そして、彼女は何となく勝手に盛り上がる気持ちの故を理解した。

 男子に異能持ちや極端な運を持った者は少ない。居たとしても、誤差程度が精々。技術の高さには目を瞠るものは多々存在するが、オカルティックな者は殆ど目につかない。

 そんな中、あの下手をしたら自分よりも貪欲かもしれないアレクサンドラ・ヴィントハイム――臨海高校麻雀部の女子監督――に気に入られるなんていうのは、つまり京太郎がよっぽど珍しいということだ。

 そう理解したネリーは、片方の口角を持ち上げて、笑う。そのどこか挑戦的な笑みが、まるで悪役のようになっていることを、彼女は知らない。

 

「ふぅん……まあよろしくね、キョータロ」

「ああ、よろしくな。ネリー」

 

 対して、留学生を迎えるという初体験に隠れてテンションが上っている京太郎は満面の笑み。そもそも人のいい彼は嫌気を誘いかねないネリーの強気すら、気にも留めていなかった。

 あまり、最初から好意を向けられているという経験の少ないネリーはなんだか嫌われがちな自分の笑顔を歓迎する少年を見て取り。

 

「……なんだかなぁ」

 

 珍しくも気勢を削がれて、ほにゃりと笑いながら小さくぼやくのだった。

 

 

 

「ネリーは普段は堅い麻雀をしてるなぁ……カウントしだすととんでもない和了を始めるけどさ」

「そういうキョータロはみみっちい麻雀をするよね。殆ど順子も刻子も揃わないからって七対子ばっかり刻んで和了るのはどうかな」

「いや。俺だって偶には国士も狙うぞ?」

「キョータロが狙う時は必ず和了るから凄いけど……でも、普段は七対子の迷彩に頼りすぎていて、ちょっと麻雀が雑だよね」

「そうか?」

「そうそう」

 

 やがて二人は、卓を共にすることで距離を次第に縮め。

 

「ネリー! ネリー! 意味分かんない! ……あ」

「……どうして缶ぽっくりに乗りながら自分の名前を叫んでるんだ、ネリー?」

「うぅっ……キョータロに恥ずかしいところ見られたー!」

「人聞きの悪い事を口にしながら缶に乗ったまま逃げた!?」

「キョータロー……」

「キョウちゃん……」

「京太郎さん……」

「京太郎……」

「いや皆さんにそんな冷たい目で見られても……見てたでしょ? ネリーは元気にぱっかぱかしてますけど、俺何もしてませんよ?」

 

 多国籍な麻雀部の女子団体レギュラーメンバー達と日和な時間を共にしたりして。

 

「そういや、他の皆には最初おかしかった名前の発音が直ったのに、どうして俺だけ妙に変な感じなんだ?」

「え? キョータロはキョータロでしょ? 変える気なんてないよ」

「なんだか、俺だけ違うのもなぁ……」

「変えてほしかったらお金ちょうだい!」

「呼び方を変えるのにも課金が必要とか、相当シビアなソシャゲみたいだな……」

 

 何時の間にか、当たり前にネリーと京太郎は共に居るようになったのだった。

 

 

 

「キョータロ。また、宮永の写真見てるの? 部活中なのに」

「おっと、ネリーか。……まあ、照さんは俺の目標だからな。監督にも、コンセントレーションを高めるのにはいいだろうって許可されてるぞ?」

「ふぅん」

 

 それは、何時もの部活の合間。変則的、とはいえ出来たばかりの男子麻雀部の他の部員と比べると一段二段多く稼ぎ出す京太郎は強豪の女子部員達と混ざることがない時にはしばしば、一人とある女子の写真を見つめていることがあった。

 レベルの差からどうやっても京太郎が勝ってしまう男子同士の闘牌の後、彼が天狗になってしまいそうになる自分に活を入れるために、本物の最強を見つめ直すこと。

 それは、監督も許可した――苦々しくもだが――ルーティーンの一つだった。

 そんな中に、暇をしていたネリーがやってきたのは運が悪いことだったのかもしれない。ジト目の彼女に、京太郎は言う。

 

「なんだ、ネリー。……別に、下心があるわけじゃないんだからいいだろ?」

「つーん。隠し撮り男の言い訳なんて聞かないよー」

「いやこれ、照さん本人から送られたものなんだけれどな」

「また言い訳!」

 

 何となく、京太郎が自分以外を見つめていることに、ネリーは口を尖らせる。まるで自分がチャンピオンと知り合いだとでも言うような、そんな言い訳を始める彼の情けなさにも、むかっ腹が立った。

 どうしようもなく嫉妬心に駆られてしまう。そんな自分は安っぽいと思いながらも、しかし不機嫌のポーズは止められないネリー。

 

「全く」

 

 そうして少女が分かりやすくぷんぷんとしていると、そこに堂々歩み寄る姿があった。

 しばしばまるで抜身の刀のような雰囲気を放つ彼女は、鋭く彼らに向かって言う。

 

「また夫婦喧嘩か。程々にしろよ?」

「智葉」

「辻垣内先輩……」

「しかし、京太郎。ネリーが怒るのも当然だぞ? 華の前で他所の華に見惚れるなんて、デリカシーがない」

「はぁ……すみません」

「まあ、そういうのは隠してやるんだな」

「智葉っ!」

「ふふ……ネリーも、可愛らしくなったな」

「わっ」

 

 京太郎とネリーに忠告しながらもからかっているのは、強豪臨海高校女子麻雀部の主将であり日本高校女子の三位でもある、辻垣内智葉。

 息を呑むほどの剣呑さすら時に垣間見せることもある智葉がネリーの髪を撫でる手つきは、ひどく優しい。

 何となく、京太郎が薄く笑む上級生の綺麗に見惚れていると、智葉は思わずといったように零した。

 

「それにしても、まさか共学になった途端に話に聞く宮永の弟分が入部してくるとは思わなかったな。いや、京ちゃんは麻雀強いよ、と聞いてはいたが、まさか特待生で長野からわざわざ共学になったばかりの臨海にまでやってくるとは」

「……辻垣内先輩は、照さんの友人なんですよね」

「ああ。あいつから京ちゃん、という名前を聞き飽きるくらいには、時間を共にしているよ」

「はは……少し恥ずかしいですね」

「……ホントにキョータロってチャンピオンの知り合いだったの?」

「だからそうだって……」

「ふぅん……」

 

 どこか疲れた表情を浮かべて言う京太郎に、ネリーも納得の色を浮かべる。そして、今まで感じていた疑問も、何となく氷解するのを感じた。

 聞くに、京太郎はあの宮永照――ネリーから見ても生粋の化け物――と共に居たのだ。そして、きっと今も共に居るのを諦めていない。

 それは強くもなるはずだと、納得する。だから疼きもするのだと、悔しくも理解した。

 

 ネリーから見れば、日本という国の学生の殆どは弛んでいると思えてしまう。まあ、大凡欠乏していることがないだろう子供達に、必死を求めるのは違うだろうと、彼女も思わなくもない。

 だが京太郎は富んだ生活の中で、餓えている。失ったものを取り返すために、その身を削ってまでして。

 王者宮永照に並ぶために、一年生にして男子インターハイチャンピオンを目指す。京太郎がそんな大業を成そうとしている理由は、だが存外小さなものだった。

 彼は、その一部を溜息のように零す。

 

「しかし、照さんには俺のことなんかより咲のことを喋って欲しいもんですけど」

「やれ。姉妹の確執に挟まりたがるなんて、京太郎も酔狂者だな」

「いや……ただ、心配なだけですよ」

「心配……」

 

 ぼうっと、繰り返すネリーをすら目に入らない様子で、京太郎は思いにふける。

 そう。京太郎は、戻りたいばかりだったのだ。宮永姉妹と自分とあと一人で遊んだ時。よく分からないうちに壊れてしまったあの幸せだった日々に、戻りたかった。

 それが無理でも、せめて姉妹の仲を取り戻すために、京太郎は照と約束している。もし、自分が貴女に勝てたら、咲と話をして下さい、と。

 頷いてくれた照のためにも、京太郎は何でもする覚悟だった。そのためにまず男子で一番になろうとしたところ、彼がアレクサンドラの目に留まって、今がある。

 そして、ネリーとの関係も、その延長線上だった。

 

「やれやれ……」

 

 しばし無言で時は経ち。その後も上の空の京太郎に漫ろな様子のネリー。自分がかき回してしまったかな、と思いながら智葉は踵を返すことにする。

 そして去り際に彼女は振り返ってから一言ばかり、告げた。

 

「覆水盆に返らず、なんて言うつもりはないが……綺麗に元の鞘に収まるなんてそうそうないということだけは覚えておくんだな」

 

 返事は、なかった。

 

 

 

 

 

 部活が終わり、二人ぼっちの帰り道。

 言葉少なな重い空気の中、ネリーが最初に切り込んだ。

 

「……キョータロはそんなに宮永が大切なの?」

「照さんも咲もただの幼馴染みっていえばその通りだけれどさ。まあ……だからこそいざ失くしてみるとつまらないんだ。大切、だったんだろうな」

「そっか」

 

 まるで独り言つように口にした京太郎に、隣のネリーは頷く。

 大切なもの。そんなものはネリーにもある。でも、それが自分じゃないのは悔しくって。確認するかのように彼女は問いただした。

 

「ネリーよりも?」

「ん? それは……」

「どうなの?」

 

 迫るネリーに、しかし秤は冷静に傾いていく。幼馴染と友人。それは比べるまでもなく明白に重さが違う。

 しかし、そんな思いの差に薄情を覚えた京太郎は、思わず謝った。

 

「……すまん」

「そうなんだ。ふぅん……」

 

 予想通りの答えに自分は落ち込む、とネリーは思っていた。しかし、負けていると言われて、しかし考えていたよりも衝撃はなく。

 むしろ、逆に。本格的に欲しくなってしまった。目がちかちかとするように、炎が宿って心をたぎらせる。

 そんな時、くぅとお腹が鳴った。ぺろりと、餓えに乾くネリーの唇を紅い舌が這う。

 

 空は青く、澄み切っていて。曇りは記憶の中ですら虚ろ。女の子はそんな空に心を飛ばす。

 そして物語のヒロインのように綺麗に笑んでから、ネリーは聞いた。

 

「キョータロはどのくらいお金持ちになりたい?」

「ん? どうした、藪から棒に」

 

 急に望みを問われて疑問を覚える京太郎に、ある種の答えを見つけたネリーは微笑んだまま続ける。

 

「キョータロを買うにはどれくらい稼がなければいけないかな、って思って」

「はぁ?」

 

 思わず驚きが口から出た京太郎を他所に、ネリーはひらり。

 スカートをなびかせ一回転。故郷の古い記憶の中の祭りの踊りを披露してから、言う。

 

「ネリーはね。お金が欲しいんだ。だって」

 

 彼女には色々とお金が欲しい、理由がある。けれども第一は。

 

 

「――――お金持ちは、震えなくていいんでしょ?」

 

 

 冷たさに震えることが、嫌だったのだった。

 心に走る、隙間風。それは一人ぼっちでは埋めきれなくて、彼女は幼き頃に聞きかじった、絵空事を信じた。

 俯き、ネリーは続ける。

 

「ねえ、キョータロ。ネリーがハオや智葉も宮永も倒して一番にお金持ちになったら……ネリーを暖めてくれる?」

 

 美が薄く儚いものであるなら、金というのも浅薄。そんなことはネリーも知っていた。けれども、それしかもう()()ることは出来なくて。

 

 

 そしてそんな少女の切なる願いは。

 

「馬鹿だな、ネリーは」

「……どうして?」

 

 少年によって叶えられる。

 

「ああ――――どうしてだろうな」

 

 恋は落ちるもの。一瞬のときめき、胸の高鳴り。或いは、憐憫にも似る。

 だがしかし、そんなこの上なく浅薄な代物にこそ、少女は暖められるのだった。

 愛おしさに耐えられずに己を抱きしめてくる京太郎の手を強く握って、ネリーは。

 

「うぅっ……」

 

 熱く厚い、確かな彼の胸元に()()った。

 

 




 ネリーさんが元気にぱっかぱかしてる下りは、咲日和5巻からです!


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良くも悪くも待ちきれなかった京久

 相変わらず沢山の投票を頂けて嬉しかったのですが接戦の末に……まさかの同点でした!
 いや、先にちょっと得票数の多かった竹井久さんのお話を書いていたのですがまさかのヤンデレの急接近に自分もびっくりですー。
 と、いうことですので投票の結果を反映して今回は京久を投稿して次にはヤンデレ短編を書くことに決まりました!
 まずは、今回のお話を楽しんでいただけますと幸いですー。


 

 須賀京太郎は、原村和のことが好きである。そんなこと、竹井久はよくよく知っていた。

 けれども、恋することは止められない。逆境。それでも受け身で居ること。それが悪い待ち方であるとは知っている。

 だが拒絶されることが怖くてたまらない久は、だからこそおちょくるばかりの先輩として、自信のある悪待ちで構えるのだった。

 

「でも、不安なものは不安よね……」

 

 それは、白熱した部活動の終わり。彼女には伸ばした長い足を覆う八十デニールの暗がりですら、何となく不吉にすら思える。

 後ろに座して勉強していた初心者の京太郎の()()()もよくしている終始綺麗な手作りの麻雀の結果得た、沢山の点棒を手慰みに弄りながら久はそんなことを口にする。

 竹井久は、そもそもの雀力が高い。普通に打っても、女子全員全国レベルという魔境の清澄麻雀部で抜きん出ることだって難しくはなかった。だが彼女は邪道を心の底から望んで、そこに信を置いている。

 だが。正道で得た一位に価値を見いだせないひねくれた自分。そんな悪い女の子を、あんなにいい子が選んでくれるのだろうか。恋する女の子はそんな風に自問してしまうこともある。

 そして、他にも不安はあった。

 

「そもそも彼、ずっと麻雀部に居てくれるのかしら? ……きっと初心者一人っていうのは大変でしょうね。なるべく卓に着かせたいところだけれど……どうにも私も彼には甘えちゃうのよね」

 

 苦々しく面を変えて、久は思う。自分はあまりに京太郎の力になれてない、と。

 久は、清澄高校麻雀部の部長。そして、部員が手が届くくらいに少数であるのならば、皆に手をかけるのは当たり前のことで、初心者の京太郎に目をかけるのは当然だった。

 しかし、構えば構う程に京太郎の優しさに溺れた久は、彼の善意の雑用の申し出を断ることが出来ず、むしろ甘えて任せること多々。

 恋愛はちょっと意地悪な先輩として待つことを決めているとはいえ、これでは京太郎が麻雀部らしく卓で活躍する未来へ一向にたどり着けない。自戒しないと、と久も思うのだった。

 

「部員、他にも集めるべきかしらね……」

 

 久はこれまで望み通り女子は五人集まったことだし、無理に他に初心者を集めて面倒見きれなくなるリスクを負わずとも須賀君のことは皆で親身に面倒見ればいいか、と楽観していた。

 だがやはり、勝てないばかりの麻雀が、楽しいわけがないのだ。だから、京太郎は雑用と勉強に逃げてしまっているのでは、と彼女は考えて危惧していた。

 なら、細かく面倒見れずとも部員をかき集めて京太郎に勝ったり負けたりを経験させればそれでいいかというと、そうもいかない理由がある。

 

「でももう、殆どの新入生はどこかに入部してるだろうし……それに、私の悪名の高さを考えると、ねぇ」

 

 もう、時は五月過ぎ。そろそろ新入生も自分の落ち着けるところで落ち着いているだろう。そして、そこに言の通りに久という少女の悪い意味での有名さも仇となる。

 学生というのは、存外身近な年上の言うことを諾々と聞くもの。そして、学生議会――清澄高校の生徒会――の長として部費の締め付けなどを行った久は主に運動部等にたいそうな恨みを買っていた。

 訳知り顔の年上から陰日向に囁かれる悪口を本気にしないのは、それこそ根っからの善人である京太郎くらいのものだろう。久も、今ばかりは素直ではなく敵を作ってばかりの自分を呪った。

 そうして思わず、彼女は天を仰いだ。しかし、見て取れる部室の天井は白いばかりで別段気持ちいいものでもない。むしろそこに呑気に巣の真ん中に鎮座している小さな蜘蛛を発見して、明日に掃除の予定が増えたことに嘆息するのだった。

 

「はぁ……」

「なんじゃ、久。また京太郎のことで悩んどるんか?」

「まこ……」

 

 久は仰ぐのを止めてから、椅子に寄っかかったままに見知った顔を見つめる。そこに居たのは、麻雀部唯一の二年生部員であり彼女の親友だった。

 よく、漫画などの中で眼鏡を取ったら美少女、とかいうお話がある。だが、染谷まこは、眼鏡を取らなくったって愛らしい少女である。

 そんな彼女をメガネ女だのおばさんだの言って虐めていた奴らのことを、久は思い起こす。そして、お得意の悪巧みにて、彼らの鼻を明かした過去もまた。

 そう。いじめっ子達を懲らしめた後、嫉妬心や愛慕の裏返しで散々な目に遭って自信を失くしたまこを元気づけたのは、久だった。

 以降、懐いてくれるようになった少女が、今や自分の心配をしてくれる。おっきくなったわねぇ、なんておちゃらけた思いを持つ。

 しかし、そんな現実逃避をも見透かして、まこは意味ありげに、にやりとするのだった。

 

「あの悪童がまっとうに先輩風吹かすようになるとはのぉ。恋は人を変えるってのは本当じゃな」

「そもそも、須賀君が悪いでしょ? あんな可愛くっていい子が、部長部長って毎日尻尾振ってくるんだもの。好きになったって仕方がないじゃない」

「やれ、久が子犬系男子が好みだってのは知らんかったのぉ……」

「私だって、知らなかったわ……」

 

 本当に、知らないことばかりだったと、久は思う。まあもっとも部員たちには先輩風を吹かせているが、実際問題彼女はまだ少女である。

 頭がいいばかりのひねくれた子供、と言っても良い彼女は。ぷう、と頬を年相応に膨らましてから、いじけるのだった。

 

「咲は須賀君に付いて部に入ってきて今もべったりだし、惚れられて和もまんざらでもない感じだし、優希は言うまでもないし、私まで誘惑して……何なの? 須賀君ったら清澄麻雀部にハーレムでも作る気なの? それとも無自覚サークルクラッシャー? どっちにせよ恐ろしいわ……」

「相当な言いがかりじゃな……ちなみにそこにわしは入らんのか?」

「まこだって我慢してるけど、告白されたら断らないくらいにはぐらついてるでしょ」

「まあ、それは、のぉ……」

「ふふっ、まこが健気にも須賀君の視界になるべく入ろうとしてるの知ってるのよ?」

「むぅ」

「まこったら、奥手なのねー」

 

 散々ふくれてからそして一転、久は意地悪く笑う。

 隙を突く。人の弱点を見つけることに長けている彼女に、他人の恋情はわかり易すぎる。だからこそその不備を覗き、こうして突いて遊べるのだが、しかし鏡がなければ自分を認めることなんてそうはできない。

 だから、少し気を悪くしたまこは、忠告も込めて、言うのだった。

 

「わしのことを奥手と言うがな、久。おんしのアプローチはちぃと難解すぎやしないかのぉ」

「そう? 普通じゃないかしら?」

「好きな相手を小間使いにするのは普通とは言わんよ」

「え……そんな風に彼を雑に扱っているように見える?」

「おんしも悩んどるようじゃが、京太郎に甘えるのもほどほどにするんじゃの」

 

 優しげに、まこは久を見つめる。それは先輩に向けたものでも悪友に向けたものでもなく、ただの臆病者に向けたもので。

 

「そう、ね」

 

 だからこそ、素直にも久も頷くのだった。そして首を竦めた彼女はまさに親に怒られたばかりの子供。

 神妙になった部長に苦笑しながら、まこは続ける。

 

「まあ、応援はしちょるが……恋愛に悪待ちは通じるんかのぉ?」

 

 親友のぼやきにも似たそんな言葉を聞いた久は。

 

「通じなければ……困るわよ」

 

 力なく、そう言うのだった。

 

 

 

 

 そして、翌の日。また部活終わりの部室片付け。

 部長たる久ともうひとりは当番制のそれに無理に割り込んできた京太郎を咎めきれずに、彼女は無心で昨日見つけた蜘蛛の巣を箒で取り去っていた。

 ちらりと横目で見れば、可愛い可愛い年下がせっせと床を掃いている。二人の時間にそれとなくドキドキしている久も、はじめての共同作業ね、とか内心ふざけてみる余裕くらいはあった。

 だが、気づけば掃除の手を止めて、こちらを真剣に見ている京太郎を認めてしまえば、そんな余裕はどこへやら。近寄る彼に口をぽかんとしながら久は迎えるのだった。

 京太郎は、真面目に言う。

 

「部長」

「な、なに? 須賀君」

「実は、相談がありまして……」

「ん……いいわよ。何かしら?」

 

 相談。なるほどそれは自分もしたいところだった。

 どうすれば、もっと京太郎が部活動をしやすくなるか。それについて本人と本心から語り合うのは大事だろう。向こうから本音を伝えてくれるこの機会は渡りに船だ。

 きっ、と柳眉を整えて次の言を待つ久は、内心雑用勉強を強いてばかりの自分への非難すら覚悟する。

 だが、京太郎の発した言葉は、彼女にとって予想外のものだった。

 

「ええと、正直なところ俺、お役に立てているか不安で……」

「役? そんなこと……須賀君が何時も部や皆のために頑張っているのは皆知ってるわよ? 買い出しを率先してくれたり、皆の仲を繋ぐように働いてくれたりして。それに、麻雀の勉強だって頑張ってくれてるじゃない」

「いや……そんなの、俺じゃなくても出来ることだし……やって当たり前のことです」

「そんなこと……」

 

 驚きに、開いた口が塞がらないとはこのことか。いやいや、と久は思った。

 あんな、決して強制ではない買い出しを真面目に行うのも、思わずメロメロになってしまうくらいまで周囲に優しさを発揮したりするのは当たり前では全くないだろう。

 そもそも、年頃の子供は部活に真面目になることすら難しい。真剣に麻雀に打ち込んでくれることすらありがたいというのに。

 いい人というのもここまで来ると困ったものねと苦笑する久。そんな彼女の表情を、悲観的になってしまっている京太郎は悪く取り、申し訳無さそうに続けた。

 

「第一麻雀部員なのに俺は肝心な麻雀の腕が悪くて……結果皆の足を引っ張ってしまっています。それが、俺にはどうも許せません」

「須賀君……」

 

 あまりに悲痛にそんなことを言う京太郎に、思わず久も沈黙する。そこまで、自分たちはプレッシャーになってしまっていたのか、と瞠目して。

 初心者にこれほどまで思いつめさせてしまったということ。これがもし想い人相手でなくても久も反省するだろうが、口にしたのは愛すべき京太郎である。

 どう慰めようか悩む久に、次に京太郎は頭を下げるのだった。

 

「部長も、それは分かっていると思います。だから、なるべく駄目なところから目を逸らせるよう俺に細々とした仕事を任せてくれた。本当に、ありがとうございます」

「え? ……えっと、私も別にそうまで考えている訳じゃなかったりするのよ、須賀君?」

「いえ、部長は俺には及びも付かない人ですから」

「えぇー……」

 

 思っていたよりずっと尊敬されていたことに、若干久は引く。また、それ以上にじくじくと胸元が傷むのだが。

 確かに、これは少し京太郎が自己完結させてしまっている節はある。だが、それは恋にのぼせて意地の悪い先輩とかまけて相互理解をはかり来れなかった自分にも問題があると久には分かってしまう。

 久はどうすれば、私があなたを必要としているのが分かってもらえるのかしらと、困る。だがそんな思いは通じずに、京太郎は更に言い募るのだった。

 

「それに。このまま足を引っ張り続けて、それで麻雀部全国大会出場という部長の夢に届かなくなったら、それこそもう、俺は自分を許せなくなっちまいます」

「そんな、こと……」

 

 もう、なんと言えばいいのか、久には分からない。

 ひと月近く前。はじめて部活動に参加した京太郎に、ぽつりと語った自らの夢。それが未だに彼を縛しているとは久も知らなかった。自分があの時どれだけ瞳をきらきらとさせながら語ったことだって、また。

 とても綺麗な夢を見て、それに憧れた京太郎は、だからこそ。

 

「何だか色々と語っちゃいましたが、つまり……俺。麻雀部、辞めさせて欲しいんです」

「え?」

 

 邪魔なその身を引くために、頭を下げるのだった。

 

「何かが嫌、だからじゃなくて……皆のことが好きだから、辞めたいんです」

 

 そしてそんなとても悲しいことを、言う。

 

 

 もう、彼女は耐えられなかった。

 

「……嫌よ」

「え?」

「そんなの、嫌に決まってるじゃない!」

 

 ぽろぽろ、もう威厳も何も知ったことかと久は泣きわめく。飾らなくなった、崩れた綺麗、柔らかな頬を水玉が斜光に輝きながら落ち込んでいく。

 突然の、尊敬する部長の涙に驚く京太郎。潰されなかった蜘蛛は、駆け出しその場から逃げた。

 そして久は京太郎に詰め寄り、それこそ抱きつきかねない距離にて、言い張る。

 

「私は、この麻雀部の皆と! 勿論須賀君とも一緒に全国に行きたいの! 勝手に辞めるなんて、許さないわ!」

 

 そう。彼女の夢の中に勿論、京太郎も居るに決まっていた。

 愛とか恋とかその前に、最初から部活に参加してくれた彼を、久は仲間だと確り認めていたのだから。

 そんな無闇に近い仲間意識は、中学時代の己の悪行のせいで麻雀部に人が寄らずに寂しい思いをまこが入部する一年間も味わった、その経験から来たものではある。

 でも、しかしもう既に想いは深まり淵となった。愛の断崖にて、彼女は彼に叫ぶ。

 

「私を好きなら、私の側にいてよ!」

 

 そんな必死を受けた彼は。

 

「……わかりました」

 

 受けた強い想いの嬉しさから感涙しそうな自分を抑えた不格好な笑顔をしながら、頷いたのだった。

 

 

 

 そして、久が泣き止むにはしばらく時間が必要で。その間に近づいた距離は、二人の仲まで接近させて。

 泣き顔を見せたくないからと片方ぐすぐすとしたまま、しかし背中合わせの形で離れることなく彼らは互いの熱を感じ合う。

 

 やがてもう、見られてないし格好つけるなんてどうでもいいわ、とふくれっ面になってから、久は口を滑らせる。

 

「というか、何? ここまで私を焚き付けておいて逃げる気なの、須賀君は」

「えと……俺、何を焚き付けたんです?」

「そんなの決まってるわ! 私が須賀君を好きな気持ちを、よ!」

「えぇっ!?」

 

 そして誤って、ぽろりというよりもどかんと、本音をぶつける彼女。

 初心な少年は、背中の女の子の告白にどぎまぎする。

 そんな中。思わずなりふり構ってられずに口にしてしまった彼女は。

 

「あ……言っちゃった……」

 

 待ちを放棄したそのあまりの格好の悪さに、あわあわとして。

 

「うぅ……」

 

 照れて熱くなる頬を押さえるのに必死になるのだった。

 

 

「部長って、こんなに可愛いかったのか……」

 

 久の恋を知った京太郎は、まず先に見当違いな事を言って彼女を悲しませてしまったことを、残念に思い。

 背中越しに彼女の愛らしさを受けた彼はこの人に一生、ついていきたいな、と考えるのだった。

 

 

 

「……ん」

「はい」

 

 良くも悪くも待ちきれなかった時は訪れ。彼女のかじかんだ手は、そっと暖かく包まれた。

 

 




 と、いうことで下で行っている投票は次の次のお話で反映されるものとなりますー。
 よろしくおねがいします!


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ヤンデレ清澄

 たくさんの投票どうもありがとうございます!
 おかげで次は京怜を書くことに決まりましたー。50%も票を得たのは凄いですね! 自分も頑張って書いてみようかと思います!

 そして今回のヤンデレですが……なんとも慣れない修羅場ギスギスも描き、かなりやりすぎてしまったかもしれません!

 出来れば覚悟して読んで下さると嬉しいですー。


 

 咲さん

 

 雨もくもりも忘れたような連日の晴れ。暖かな陽光に心地よい風。そんな春のよい日に帰り路を行く京太郎の心持ちはしかしどこか重たい。

 それは、隣で一緒に帰れて嬉しいという気持ちを弾ませている幼馴染みの最近の変調にあった。

 どこかうんざりとしている京太郎に、幼馴染み――宮永咲――はねじの外れたような満面過ぎる笑顔で飛び付く。

 

「きょーぅちゃん♪」

「うぉっ、咲……」

 

 ぴとり、というよりもべたりと。そんな擬音が聞こえてきそうなほどの粘度の篭もった感情と一緒に宮永咲は、須賀京太郎へと抱きついた。

 嫌がる素振りを見せる京太郎を気にもとめずに、咲はその愛らしい笑顔を更に深めてから面をすりすり。そして、顔を上げてから彼女は言う。

 

「うふふ、京ちゃん、いい匂い」

「嗅ぐなっての。お前は犬か?」

「ふふ、京ちゃんのお犬さんにならなってもいいかもね」

 

 ぽうっ、と頬を染めながら倒錯的なことを口にする咲の恋情は極めて分かりやすい。

 ああ、私に首輪を付けて側に置いて欲しいな、と恋に浮かれる咲。そうしたらペットも家族だから須賀咲ってなるのかなと考えつつ普段の輝きをどこかにやっている少女を横目に、溜息を呑み込んで京太郎は言う。

 

「……俺はカピバラ派だがな」

「知ってるよ? それだけじゃなくて、京ちゃんのことなら好きなもの嫌いなもの、考え事しているときの癖も踏み切る方の足がどっちかだって、殆ど知ってる」

 

 京太郎が、なるほど訳知り顔というのはこういうものなのか、と考えてしまうくらいに、語る咲の表情は自慢げ。なんでこいつはそんなストーカー自慢でふんぞり返っていられるのかと、彼も胡乱げな面になる。

 言い張り、そして一転彼女の表情は暗くなった。ぼそり、と咲は言う。

 

「――――勿論、どうして京ちゃんが麻雀部に入ったかっていうのもね。京ちゃん、原村さんのことが好きなんでしょ?」

 

 瞳に光が足りない。なるほどこれがハイライトの失せた瞳というものかと、京太郎は驚きながら感心を覚える。

 内が洞穴であれば、面にも輝きが消えていく。そんなこともあるのだなと理解し、このポンコツ意外と俺のこと見てたんだなとも思いながら、彼は問う。

 

「それで、咲。お前はどうするつもりだ?」

「そんなの決まってるよ! 麻雀で原村さんを負かして、京ちゃんに振り向いて貰うんだっ!」

「いや。別に俺は麻雀の上手さで好きになる人を選んでる訳じゃないが……」

「え? えっと……でも私の凄さを見たら、きっと京ちゃんも……」

「普段より意味分からない和了り方続けられたら、咲が勝ってもむしろ若干引くと思うぞ」

「そんなっ!」

 

 宮永咲は特異な力を持っていて、それに若干感性が引っ張られているところがあった。故に、彼女は大人しげな外見と違い存外力こそ正義となりがちだった。

 気を引くために敵をやっつけるとか、どんな蛮族だと思いながら、京太郎は溜息を吐く。

 大大大好きで、ぴたりと一緒になりたい相手から心離されたのを感じた咲は、涙目だ。ならどうすればいいのかと、困った彼女はそのまま問いかける。

 

「うう……そもそもどうして京ちゃんは気心知れた私じゃなくて原村さんを……」

「ぶっちゃけ、おもちの差だ」

「なにそれ、どうしようもない!」

 

 おもち。それは、オカルト持ちの宮永咲が持ち合わせていないものの一つだ。

 いいと聞いて溢れんばかりの牛乳を飲んだり、直ぐ足をつらせる過度な運動をしたりしても、丸くならなかった、胸元。

 彼女は性徴周回遅れ、一向に大きくならないすかすかスレンダーなボディを自ら抱く。そしてうつむき、しばし震えてから彼女は爆発するのだった。

 

「うわーん! 京ちゃんのバカー!」

 

 駆けて、逃げ出す咲。そして追い掛けて貰えていないか止まってからちらりと後ろを見て、むしろ手を振ってさよならしている京太郎を確認することで更に涙目になる彼女。

 おまけのように、こてん、と一度転んでから彼女は走り去った。

 

「はぁ……ぽんこつはちょっと重くなってもぽんこつで、大差ないな」

 

 だからそんな風に京太郎が述懐するのも仕方ないことで。

 

「ん? これは……」

 

 そして。

 

「はぁ」

 

 京太郎が拾い上げたノートの切れ端に赤色で愛言葉がびっしりと蟻の列のように整然と書かれていたことに、彼が溜息を吐いてしまうのもまた、どうしようもないことだったのだろう。

 

 

 和さん

 

 原村和にとって、好かれることはごく当たり前のことだった。

 見目も能力も抜きんでて高く、性格だって硬くあれども悪くない。そんな少女が、嫉妬以外で嫌われることなんてあまりない。

 そんな和は異性の恋情を集めることだって、多々。持ち前の綺麗で恋されることよくもあるが、もっと低俗にその性徴に鼻の下を伸ばされることもあった。いやむしろ、それこそうんざりするくらいに、少女は嫌らしい視線を浴びていたのだ。

 だから、そもそも男子というものを嫌いになりかけていたのだけれども。

 

「須賀君のことは……嫌いになれないのですよね」

 

 しかし、須賀京太郎は少し毛色が違った。嫌らしくも、憎めない。そんな男友達。絶妙な距離感を持った少年のことを、どうにも和は気にしてしまう。

 和も自分が好かれていることは、知っている。接触すると意外な純を感じるほどに照れてくるし、時たま己の特異なほどの実った胸元に視線を向けて呆けているスケベな姿には、残念を覚えもした。

 

「そんな人ですけど……私のことをしっかりと見てもいるのですよね」

 

 見目の綺麗に囚われて、中身を見てくれない。和は同性異性にかかわらず、そんな経験は嫌になるほどしていた。

 けれど、京太郎は綺麗な見目に隠れた頑なな内面の中にも、どうやら輝石を見つけてくれていたようなのである。

 恋愛までの助走目的の友情のようにどこか相手を見ない拙速なものではなく、彼は確りと駄目を見つけながらも、笑って許してくれる。それはどこか親の愛にも似ていて、ほっとする気持ちを覚えるのだった。

 

「このままずっと友達、がいいのでしょうけれど」

 

 京太郎は友達としては、これ以上ないくらいには適当な相手だと思う。

 そもそも和は、転校してばかりで友愛こそ、すがりつきたくなるくらいに物足りなくあったのだ。それを思うとちょっと異性のノリに戸惑ってしまうけれども満足の行っている、こんな関係をいちいち変えたくはない。

 けれども。

 

「最近ちょっと、須賀君は落ち着かないのですよね」

 

 思いだしながら和は叫び出したくなる感情をこわばりで抑える。ぎり、と奥歯が軋んだ。

 そう、周りの賑やかさに気を取られて彼は、少しばかり彼女を恋しく見る頻度を少なくしていた。それが、どうにも和には苛立たしい。

 和は恋愛が苦手である。異性と番うなんて、考えられないくらいには少女は無垢だ。

 けれども、同時にお嫁さんというものに未だ憧れを残しているくらいには、夢見がちでもあって。

 

「浮気は、許せません」

 

 だからこそ、潔癖にも友達の筈の彼の恋心が離れていくことすら、認められない。恋というものは真っ直ぐ一途であるべきで決してふらつくものではないと、彼女は大好きな友達である彼に向かって叫びたいとすら思っていた。

 好きならずっと、好きでいて。京太郎に対して、友情からくるものか恋情からくるものかすら分からない、そんな思いが彼女の中に芽生えたのは何時からか。それは不明であるけれども、しかし。

 

「次に私から目を逸らしたら……そのお目々、食べちゃいましょうか?」

 

 原村和という少女を病ませるくらいには、強い思いではある。

 艶めく唇を、紅い舌がちろりと這った。

 

 

 優希さん

 

 片岡優希は、少女らしい少女である。いやそれはむしろオブラートに包んだ表現か。

 幼さを大いに残した高校生である優希は、故に子供にしか見えなかった。勝手気ままに楽しむばかりの、元気の塊。舌っ足らずの言葉尻ですら、それを助長していた。

 だからこそ、京太郎は優希に気安くしたし、性別を考えもせずに触れ合いもしたのだ。

 だが、とはいえ優希は実際のところ思春期真っ盛りの女の子。そればかりが全てではない。そんなことは京太郎も気付いていた。

 それこそ好き嫌いもあれば、惚れもして。

 

「京太郎!」

「なんだよ優希……」

「お前は私の犬なんだじぇ! 他の奴らに尻尾を振るのは駄目だじょっ」

 

 当たり前のように嫉妬もした。怒髪天を衝く、嬉々の裏返った鬼気が彼へと向けられる。

 裏切られた。なるほどそうであれば感情がささくれ立つのは当然だろう。だがこれは、恋人関係でもない相手にするものにしては行き過ぎか。

 好きである。だからこそ直ぐさま独占したい。そんな優希の恋は明らかに歪んでいた。そして、その友愛からの恋愛の変化はあまりに急速。

 京太郎からすれば、それは突然の変心のようなもの。ついていけない、と両手を挙げるポーズを取りながら彼はこう返すのだった。

 

「いや、俺はさっきまで麻雀部に顔を出してただけだぞ?」

「ふん。どうせ、京太郎のことだから誰彼構わず鼻の下を伸ばしていたに違いないじぇ……」

「おいおい、酷い言いぐさだな……俺は最近お前が部に顔を見せなくなったことで、部の皆と相談してたんだがな。皆困惑してたぞ。優希が部活をするのが嫌になったのなら何か麻雀に関係のないレクリエーションにでも誘ってみようか、とか話し合ってたんだが……」

「ふん。そもそもあんな奴らのことなんて、どうだっていいんだじょ」

 

 病んだ優希は、日向の京太郎の言葉を鼻で笑う。

 そう、彼女にはその他大勢なんてもはやどうでもよかったのだ。友愛なんて、下らない。そんなものよりもっともっとあなたを。そんな求めてすがるばかりの少女のヒネは、どこかおぞましくすらあった。

 そして、人なつっこさこそが特徴ですらあった女の子がここまで変わるのは、ただ恋に燃えているだけではおかしいと、流石の京太郎も思う。心配から彼は優しく続ける。

 

「どうしたんだ、優希。お前、皆と仲良かったじゃないか……和も心配して……」

「嘘だじょ!」

 

 優希は叫んだ。

 原村和。劣等感ばかり抱かせる、自分にないものを集めたような少女。愛する京太郎の視線すら独り占めにしてしまう女。そんなものに、優しさがあるなんてことすらもう優希には認められなかった。

 たじろぐ京太郎に向かって、優希は訴え続ける。

 

「どいつもこいつも、私の犬を誘惑して! うっとうしいんだじょっ。私には、私を見てくれるのは京太郎しかいないのにっ……」

「優希……」

 

 落涙。それが自分のせいであることに、京太郎は心痛ませる。

 そんなことはない。そう伝えるのは簡単だ。だがしかし、ここまで視野狭窄、闇に浸って周りが見えなくなってしまった少女に、果たして根拠を示せない救いを信じて貰えるものだろうか。思わず、彼は頭を振った。

 そう。優希は信じてしまっている。彼ばかりを。

 

 

 だって、須賀京太郎()()が。

 

 

『優希。そんなに無理しなくてもいいんだぞ?』

『えっ?』

『似合ってるけど、だからって無理に笑うことはないって』

 

 少女の幼さの一部が仮面であると気付いてくれたのだから。

 京太郎の優しさは、笑顔に隠した柔らかい部分を深々とえぐっていた。

 

「ねえ、京太郎。私を捨てないで……」

 

 彼の長身にすがりつく優希にきらきらした笑顔はもうなく。

 ただ周りが笑顔でなければ安心できなかった、そんな小心な乙女ばかりがそこにあった。

 

 

 まこさん

 

 自分は観察力に秀でている方だと、染谷まこは思っていた。

 人の観察は勿論のこと、麻雀で発揮されるような場の空気の読み取り、こと流れというものを理解するのは彼女の得意とする分野である。

 好悪の表情なんて、それこそ眼鏡の奥の輝く赤の中では気軽に読み取れるもの。それを知って尚、はすっぱに寄っていくのまこのスタイルでもあった。

 

「京太郎……おんし、本気か?」

「ええ、本気です。俺は本気でまこさんのことが好きです」

 

 そんなだからこそ、まこは京太郎の告白に驚きを隠せない。

 その恋情は兆しすら発見できなかった。しかし、今目の前で唐突にもそれは爛々と輝いている。

 京太郎は、正直なところ異性としてちょっと気になっている後輩だ。そんな彼に告白されるのが嫌なはずはない。

 だがしかし、お得意の観察眼ですら理解できない、その唐突な変心に理解が追いつかなかったまこは。怖じ気づいて返事を先延ばしにするのだった。

 

「すまん、京太郎……ちぃとばかし時間をくれんか?」

「それは勿論です。ちょっと俺も唐突でしたからね」

「まぁ、のぉ」

 

 ぽりぽりと、整った面の端を掻く京太郎の言に、頷くまこ。本当に、この告白は唐突だったのだ。

 なにしろ、じゃんけんで偶に決まった買い出しの二人組。購買までの道々に京太郎が急に立ち止まったと思ったところ、愛の告白である。

 先触れも何もない。これには、彼女が唐突な感を抱いても仕方のないことだった。

 もうちょっと、普段から露骨にしてりゃ良かったかな、と反省を零す京太郎。彼は続ける。

 

「でも、染谷先輩なら、俺の気持ちなんてとっくに分かっているものと思ってました」

「むぅ……そりゃ、わしだって万能じゃないからのぉ。それに可愛い後輩は一人ばかりじゃないんじゃ。おんしばかりを見ててもいかんじゃろう」

「まあ、そうですよね……まあ、なら」

 

 まこから見たら、どこかいじけた表情をしている京太郎。こんなに分かりやすいのに、どうして恋慕を見逃したのかと、まこは悩む。

 そんな気になる彼は、はたと表情を柔らかなものに切り替え、カピバラが刺繍されたぱんぱんのマイバックを掲げながら、彼女に向けて言うのだった。

 

「これからは、俺のこと、もっと気にして下さい」

 

 頑張ります、という京太郎。その朗らかな笑みを見たまこは、胸がきゅうと締め付けられる感を覚える。

 

 そうして、彼女は恋の病に侵されるのだった。

 

 

「はぁ……そんな綺麗なお話からどうしてこうなっちゃうのかしらね」

「むぅ。京太郎が言ったんじゃぞ? 気にしろって……」

「……やっぱり須賀君も別にまこにストーカーになってください、とは言っていない、と」

「別にわしは付きまとうようなことはしていないんじゃが」

「隠し撮りは、いい趣味とはいえないと思うけれどね……」

 

 そんなこんながあって。答えを返せずじまいだったまこが怖気づいたままにしばらく。

 なんか二人の仲がぎこちないと感じていた久が、相談事があると言った一番の親友にほいほい付いて行って、まこの部屋の中で見たのは一面に張られた京太郎の写真ばかりだった。

 それも同じのが一枚ずつということではなく、見渡せばアップになった京太郎の様々な角度が見て取れる。百ではきかない数、天井に及ぶまでのその恋慕の証は異常。

 着いてからまこの口から話された、この部屋の惨状に至るまでの理由を聞いた久は、ため息を吐かずにはいられなかった。

 しかし、まこは、呆れている様子の久を見て、首を傾げるのである。

 

「そんなに、おかしいかのぉ……好きな相手のことから片時も目を離したくない、というのは当たり前の感情だと思うんじゃが」

「度が過ぎれば、何でも毒よ……っていうのは何時ものまこなら分かるわよね。あれか、これは私にはどうしようもなさそうね。はぁ……」

 

 再びのため息。久は、どうしようもなく自分が見えていないまこに、彼女が明らかに恋にやられてしまっているのを感じるのだった。

 まあ、それも仕方がないか、と思わないこともない。だって、存外にもこの少女は純白な内面を持っているのだから。

 まこはもとより美少女ではあるけれども、その訛りの強い口調は長野の田舎では昔から浮いてしまっていた。

 男子にからかわれることさえあっても、色恋沙汰にまで発展しなかったのはそこら辺に故があり、また彼女も意図的に異性のそういったサインを認めていなかった節もある。

 それは、きっと。異性を針と勘違いするくらいの痛みのため。彼女のそんな過去を知っているからこそ、久は恋しすぎて異常とすら言えるようになってしまった乙女を見捨てることは出来ない。

 あえて、微笑んで、久はまこに言う。

 

「どうせ外野の言葉なんて通用しないんだから……須賀君に、治してもらいなさい」

「治す、ってのはどういうことじゃ?」

「簡単よ。恋が叶ったら、少しは落ち着くものでしょ?」

「恋が叶う……ってことはそりゃつまるところ」

「私も好きです、ってまこが返事するだけよ。簡単でしょ?」

「む、無理じゃ!」

 

 そう言って、枕に顔を埋めるまこ。ばたばたする彼女を見て、じれったいわね、と久は思う。

 そしてこれは発破をかけるしかないか、と考えた彼女は言うのだった。

 

「そんなに悠長にしてると私が須賀君を取っちゃう……あ」

「――なんじゃと?」

 

 そして、久は停まる。余計なことをこれ以上喋ればどうなるのか。それは、爛々と凄まじい意思を持って燃えるまこの瞳が教えてくれる。

 とても、友達に向けるものではない鬼気を受けた久は。

 

「ごめん。冗談よ」

 

 短く、そう言うしかなかった。

 そうして、ようやく息を吸えるようになった彼女をまたまこは再び友人として認め。

 

「全く――おんしとわしの仲じゃなかったら、おんしの命なんてとぉになかったぞ?」

 

 そんな本音を口にして、場違いにも、まこはにこりとするのだった。

 

 

 久さん

 

「失敗した、失敗した……失敗しちゃった……」

 

 震えに震えて、言葉はぽろぽろ零れる。

 どうしようもない、絶望感に崩れ落ちた久は、あまりに小さくその場にて凝る。

 

「どうして、どうして、どうして」

 

 久には、分からない。聡明な彼女には。そうであるからこそ、自信のあるオカルトに賭けてしまった少女にはとてもとても。

 

「なんで、須賀君は、咲を選んだのよ――――!」

 

 久は身体を、掻き毟る。気持ち悪い。認められないこの現実に浸かっていることすら疎ましくて。

 そう。なんでなのだろうか。何時ものように、本気で悪く自分は待ったのに。

 優しくしたくても意地悪く微笑んで。親身になりたくとも、身勝手に当たって。

 そんな、酷い存在のまま、好きになってもらうのを悪く、悪くも待っていたのに。

 

 そんな風に自分が見当外れの努力を重ねていたことを理解できない、理解したくもない久はぐしゃぐしゃの面のまま独り言つ。

 

「足り、なかったの?」

 

 自分が悪いから悪くない。彼女はそんなオカルティックなロジックに導かれて、最悪になる。

 だからこそ。

 

「あは♫」

 

 きっとこの時に、竹井久という少女は終わっていたのだろう。

 

 

「大丈夫?」

「部長……」

「須賀君、顔色すっごく悪いわよ。どうせ、何も食べてないんでしょ?」

「はい……」

 

 それは、曇天。暗雲立ち込める、遅い時間。

 ずっと、居なくなった彼女を駆けずり回って探し続けたところ、最後に最愛の少女の姿が認められた場所に知らず京太郎はたどり着いていた。

 清澄高校麻雀部の部室。彼女、咲が元気に和了りを見せていた椅子。そのとなりで落ち込む京太郎。

 そんな彼に、近寄って話かけたのは、久だった。暗がりの中、彼女の表情は闇に溶け込んだまま、これっぽっちも伺えない。

 

「これでよし、と」

 

 一度離れ、しばしごそごそと持ち物を漁った久は、取り出した保温水筒からカップに中身を零していく。

 琥珀色の液体に、充満するよい香り。そこに温もりが失せていることが、少し久には不満だった。

 

「ぬるいけどせめて、これでも飲んで気を休めなさい……あなたが倒れちゃったら、咲が帰ってきても心配させちゃうでしょ?」

「はい……」

 

 おずおずと口をつける、京太郎。それを嚥下しようとして、彼は損ねた。

 げほ、と少しむせてから京太郎は目を剥いて言う。

 

「なんですか、これ……紅茶かと思ったら、違って……」

「あら、隠し味、ちょっと多すぎたかしら?」

「隠し味って……」

 

 舌を小さくぺろり。ふざけた様子の久。そんな彼女に、京太郎は毒気を抜かれる。まあ、何を入れられたにしても、この感じだったら悪戯で、そんなに悪いものではないのだろうと自己完結して。

 後ろに回された、彼女の包帯まみれの左手を、少年は知らない。

 

「でもまあ、良かった。少しは元気が出たみたいね」

「まあ、おかげさまで……」

「それなら、もっと元気の出る情報、教えてあげましょうか?」

「なんですか?」

 

 もったいぶる久。京太郎はあまり気乗りしないままに、身を乗り出す。

 何時か、少し切ったのだという痛々しい裂傷ごと唇を動かして、彼女はこう言った。

 

「咲がどこに居るのか、とか」

「分かるんですか!?」

「まあ、ね」

 

 自慢げな先輩に、京太郎は縋るような思いを抱く。

 先日から咲が行方不明になって三日目。いくら探しても見つからない、彼女の消息。

 それがこの頼りになる先輩が握っているなんて。さあ、どこに。

 詰め寄る京太郎に満足を覚えながら、久は続ける。

 

「ふふ。ついさっきまで、あの子はここに居たわ」

「どこに、どこに居たんですか?」

「ロッカーの中に、三日間ずっと」

「え?」

 

 ふと、京太郎が見たのは隅に置かれたロッカー。その大きさは確かに人一人すっぽりと入りそうなサイズではある。

 だが、しかし。掃除用具が入っているはずのそれは、流石に狭い。そもそも、入ることすら普通はありえない。何かがおかしかった。

 しかしもし、そんなところに三日も隠れていられたとしたらそれは。もはや。

 悪い想像が京太郎の中で膨らんでいく。そして、それは当たっていた。

 

「私がずっと隠しておいたのよ。そして今は――――」

 

 久は、外を向く。そして、開かれた窓の近くに立ち。

 嗤った。

 口の端は、どこまでも悪く歪んで、彼女は最悪な現実を語るのだった。

 

「ここから下に落としたから彼女、今頃シミになってるんじゃないかしら」

「っ!」

「あ」

 

 怒気。そして、首元に掛かる強い圧力。

 命をすら危うくするそれをむしろ歓迎して。

 

「――――ああ、やっと私だけを見てくれた」

 

 私は正しかったのだと、久は確信するのだった。

 

 

 しゅらば

 

「それじゃ、そろそろ買い出しに行ってきますね」

「お願い、京ちゃん」

「おう」

「気をつけて下さいね」

「近いけれどまあ、気をつけるか」

「京太郎。タコスを忘れちゃだめだじょー」

「お前はそればっかりだな……」

「駄賃は十分持ったか?」

「はい」

「ごめんね、須賀君」

「いえ。これも持ちつ持たれつ、ってやつですよ」

 

「行ってきまーす」

 

 

「……行ったかの」

「私のために、ね。健気よねぇ」

「はっ、寝言は寝ていうんじゃな」

「ふふ。眉間にシワが寄っていますよ、染谷先輩。これ以上見た目を老けさせてどうするのですか?」

「京太郎はいい子じゃからのぉ……おんしみたいないやらしい体型の女にだって目を掛けるがのぉ。更に口が悪いともうどうしようもないぞ?」

「染谷先輩も偶にはいいこと言うじぇ。乳牛はもうもう言っていれば良いんだじょ」

「はぁ。ゆーきがこんなにつまらない子だとは思いませんでした。だから、貴女は彼の眼中から外れてしまうのですよ」

「私みたいに近寄ることも出来ない臆病者が、吠えるもんだじぇ」

「あら。子犬の振りをするのはそんなに楽しいのかしら? 醜い尻尾がそろそろ彼にも見えちゃいそうよ?」

「京太郎を下僕としか見ていないやつがよく言うじぇ!」

「やっぱり何も分かっていないのね。道化はただ笑っていなさい」

「ふふ。果たしてピエロは誰なのでしょうね」

「おんしら全員じゃな」

「まこ、目が悪すぎない? 自分が一番おもしろいって分かってないのね」

「論外は黙っとれ」

「私からすれば、皆さんが彼の範疇外であると分かるのですけれど……おかしいですね」

「のどちゃんも口が減らない奴だじょ。不細工なのは体型だけにしとくんだじぇ?」

「ゆーきこそ……」

 

 わいわい。

 

「ははっ。皆、どうしようもないなぁ」

「まあ、そんなだから、京ちゃんの心は掴めないって確信できるから、いいかな」

 

 

「京ちゃん、大好きだよ」

 

 

 

「へくしっ!」

「大丈夫?」

「はは。清澄の誰かが噂してるのかもしれませんね。まだ帰ってこないのか、って」

「そう。ちょっと話し込んじゃったかしら……」

「まあ、大丈夫ですって。俺なんて異性、むしろ女子ばかりの中だと異物ですから。ま、偶には皆で仲良くしてもらいのもいいんじゃないですかね」

「そうかしら?」

「そうですよ」

 

 

 了。

 




 ヤンデレ、また選ばれましたら次回は違う高校をサイコロころころさせて決めようかと思っていますー。


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カピバラとハムスターの頑張りリレーに竜華さん大興奮な京怜

 沢山の投票、そして感想に評価、どうもありがとうございますー!
 皆さんお待ちかねの園城寺怜さんのお話、彼女が主役の外伝を読み返しながらやっと書くことが出来ましたー。
 相変わらず毎度違ったことをやろうとしてしまうので、受け容れてもらえるかは不安ですが、少しでも楽しんでいただけると嬉しいです!

 あと大阪弁が出来ているか、とーっても不安です!


 

 思えば園城寺怜は、最近見上げてばかりの生を送っていたのかもしれない。

 当然のことながら空は飛べない、抜きんでれない、むしろただただ抜かれていく。何時しか先を読む力もナニカに取り上げられていた。それでも、励んで、砂を噛む今がある。

 もはや努力の全てが普通になるために消費されているような実感。特にそれは最近大好きな麻雀において顕著だった。

 楽しく麻雀をするのが好きとはいえ、実際はもっと羽ばたきたくあったのに。

 変わらない。変えられない自分が徐々に錆びついていくような感覚。こんなものなんやろうか、と何となく自分の大したことのなさに憂いを覚えはじめていた怜。

 

 そんな中、彼女に長野から来たのだという年下の少年は彼女にはちょっとしたヒーローのように映った。

 第一印象は、あまりに泥臭い少年だなあというもの。何やら新入生が中学の校庭の端っこでボールを独りで投げる練習をしていたと思えば、今度は部員集めのために帰り道声を上げ続けている。

 その物語の主人公みたいな熱量に、むしろ怜は気持ちを引かせたのをよく覚えていた。ただ、東京弁の子が懸命になっている姿に葉子――小学からの大切な友達――を思い出して、気になりはしたのだ。

 

「なんか、大変やね」

 

 その後。怜にとっては大好きな人達と麻雀をしながらのんべんだらりと続く日々の合間。彼女は駆け回る彼に声をかけたことがある。

 いつの間にか多くの友達に囲まれるようになった少年に声をかけるのは存外ためらわれるところではあったが、しかしなんとなく本心を伝えたくなった怜は気付けば近くで、そんな風にねぎらっていた。

 だが、彼。須賀京太郎は頭を振ってから、こう返したのだ。

 

「いや、そんなことないですよ。だって俺、毎日好きなことをしているばかりですし」

 

 長身の友達にお前って練習バカだもんなー、と弄られる京太郎。浮かべる笑みはどこまでも自然だった。思わず怜が羨ましくなってしまうくらいには。

 そう、京太郎は明らかに人の合間にて、ただ藻掻くことを楽しんでいた。中々前に進まぬ五里霧中。それでも征こうとするのがどれだけエネルギーを使うものか、怜は知っていた。

 自分は疲れたのだ。しかしその徒労すらも楽しめるならば、なるほど無駄はないのかもしれない。

 

「君ってハムスターみたいなんやね」

 

 怜は頬が緩むのを、覚える。在りし日の理想を、見つけた。だが、それはあまりに微笑ましく。

 なんとなく、中学生に上がりたての初々しいその見目を含め、愛らしさを感じた怜は京太郎をそう評したのだった。

 

 

 

 その後も、京太郎のことを気にするようになった怜は、目立つ彼の噂を良いも悪いも全て聞くことになる。

 大体が、自分のように、引っ越して直ぐに創部をはじめてそれを成してしまうなんて、大したものだという感想。

 しかし、その容姿の軽さからか、隠れて悪い仲間を集めてるんだという悪い噂だって耳にした。あんなに頑張っているというのに悪くも見られるのだな、と思うと少し残念だったのを、怜はよく覚えている。

 他にも様々にあった中で面白かったのは、京太郎がハンドボールを頑張るのは長野に残してきた恋人との約束だから、というもの。

 何となく、あの熱血男子に恋する彼女が居るというのは信じがたかったが、しかし色恋沙汰というのは女子にとっては呑み込みやすい話題ではある。

 

「それで竜華たちに隠れて直に聞き出しにいくなんて、私もみーはーだったんやなぁ」

 

 何となく、気になった怜は、これは受験勉強の息抜きでもあるからと自分に言い訳しながら、新人戦に挑まんと練習に励むハンドボール部の元へ顔を出すことにした。

 時間が早かったのか、まだ準備運動をしていた彼らの中で、京太郎は直ぐ目に付いた。

 それは京太郎のその金髪の輝きのため。決して、普段から知らず視線で追っかけていた怜が彼の姿を目に入れることに慣れていたから、というわけではないのだ。その、はずである。

 それとなく、男子同士ストレッチにくんずほぐれつ身体を押し合うその様子にほっこりしていると、いち早く怜に気付いた京太郎がペアストレッチで乗っかっていた相手から降りて、やって来た。

 

「どうかしましたか、先輩?」

「いや、ちょっと京ちゃんに用があってな」

「京ちゃん……えっと。そういえば前回お名前をお聞きしていませんでしたね。先輩は……」

「園城寺怜や。怜ちゃんって呼んでくれると嬉しいな」

「園城寺先輩、ですか。それで俺にどんなご用事が? 時間がかかるようでしたら誠に指示を任せますし、あまり聞かれたくないような話なら場所を移しますが」

「京ちゃんはいけずやなー。そんで私の用事っていうのはそう大したもんやないから、直ぐ終わるし、場所もここで構わへんよ」

 

 ハンドボール部は、一年生ばかりで京太郎とあと一人以外未経験者ばかりの集いである。故に、部長を務める彼は存外忙しい。

 そんなことは、怜も知っていた。しかしだからこそへらへらと手を振ってここでいいとし、彼女は軽く続ける。

 

「で、京ちゃん。長野に好きな子置いてきたってゆーのは、ほんと?」

「好きな子って……別にそういうことはありませんが」

「でも私、京ちゃんがハンドボール続けてるのは彼女のためって聞いたで?」

「あー……そっか。勘違いされてるみたいですね。噂を広めたのは誠か? 口が軽い奴だな……」

「?」

 

 何やら、合点がいった様子の京太郎に、反して首を傾げる怜。

 その愛らしさに誰かを重ねて苦笑してから、彼は真剣な面持ちに切り替えて、続けた。

 

「俺はただ、転校してからもハンドボールはずっと続けるって約束しただけですよ。その相手が女子だった、ってだけです」

「うーん……そこに甘酸っぱいもんはなかったん?」

「皆に聞かれますが、あいつはただの幼馴染みで、友達ですよ」

「言うなら私の竜華みたいなもんか。それは勘ぐるのも野暮やな」

「そうですよ」

 

 頷き合う、京太郎と怜。何となく、温い空気が間に流れた。

 確かに、普通の幼馴染ならそこに恋愛沙汰なんてなかなか存在はしないだろう。しかし、その実彼彼女らの幼馴染関係は仲いいの度が過ぎていたりする。

 同性とはいえスキンシップだって平気、もしくは異性同士夕飯のおすそ分けすら厭わない、そんな仲は普通一般ではないことを、怜と京太郎は知らない。

 しかし、そんなことを突っ込む者など居ない中。話は進んでいく。

 怜は、通りの良いその髪を少しいじって悩む様子を見せてから、ぽつりと続ける。

 

「でも、部もないこのハンド不毛の地で続けるのって幾ら練習楽しいゆうても最初は大変だったやろ? 京ちゃんもかなり固く約束したんやねー」

「俺はあいつに……変わらないで、って言われたんです」

「うん?」

 

 再び首を傾げた怜の目の前で、京太郎の眉は悩ましげに歪んだ。

 何かを、重ねられている。それは怜にも分かった。だがなんだろう、ドキドキする。

 だって、こんなに熱い思いを込めた視線を男子から受けるなんてはじめてのこと。それが、決して自分に向けられたものでないとしても、なんとなく、ときめいてしまうのはどうしようもなかった。

 そして、そんな初心な怜の前で、京太郎は()()を安心させるために微笑んだ。

 

「それだけであいつが安心できるんなら、約束くらい守りますよ」

 

 たとえば。大切な人を失って、そして家族がばらばらになって。

 そして、一番の友達である幼馴染である少年まで遠くへ居なくなってしまうのだとしたら。

 そうしたら、いなくならないでと、すがりつきたくなるのではないか。或いはそれが叶わぬことだとしても、せめて彼は変わらないでいてと、()()はいじらしくも願ってしまうのではないだろうか。

 そして、そんな彼女の想いを受けて、京太郎はずっと、変わらないようにあろうとしているのではないか。

 

 頭を振って忘れたくなる、そんな妄想。しかしこの時怜は先を視るのではなく、そんな過去を夢想していた。

 そして、それが当たらずとも遠からずであることを確信して、怜は感慨深く呟く。

 

「格好ええなー」

「そうですかね……」

 

 そんな本心を受けて照れくさそうに頬を掻く、京太郎がどうにも素敵に見えてならない。

 これはハムスターにしては、少し決まり過ぎているか。

 ひょっとしたら同じ齧歯類でいうなら彼はカピバラくらいには格好いいかもしれない。そう、怜は思った。

 

 

 

 からからからから。

 

「京ちゃん」

「なんですか、怜先輩」

「だから怜ちゃんって呼んでや。二人の仲やないの」

「いや、お呼ばれしておいてあれですが……俺、怜先輩とお会いしたことすらそんなにないですよね?」

「ちっち。時間ばかりが仲を深めるものやないで。大切なのは、インパクトや」

「それはまあ、分かりますが……」

「分かったんなら、次は竜華の登場や。出番やでー」

「……あんた、怜のなんなん?」

「清水谷先輩! いや、俺はただの後輩ですけれど……って、怒ってます?」

「それは、怜に色々と聞いたからな……噂に聞いてハンドボールに恋する変わった男子かと思っとったら、隠れて怜にも色目使ってたなんて……私から怜を奪い取るつもりなん?」

「うおっ眼、怖っ! いや、ボールは友達ですし、俺は別に怜先輩に何もしていません! 潔白です!」

「真っ白ってのは嘘や! 今だって私の胸、ちらちら見とるやないの……やらしいな……」

「それは、あの……すみません!」

「むぅ。謝られても困るけど……って、怜?」

「ぷぷっ、やっぱり二人は相性バッチリみたいやなぁ」

「なに、怜どうしたん? 私はこのだらしない子に文句言うてるだけで……」

「そこや」

「えっ?」

「さっきから、らしくなさ全開やからな。――――珍しく竜華、他人に本気やん。怒りながら、楽しそうに笑ってるで」

 

 からからから。

 

「むぅ……」

「いや、怜先輩と一緒の時間にお邪魔して申し訳ありませんが……流石に卒業式のお祝いくらいは認めて欲しいです」

「そーやで? せっかく、可愛い後輩がお祝いにお花を持ってきてくれたんや。こういう時は嘘でも笑顔でないとあかんで」

「……怜のむっつり」

「なんか聞き捨てならん言葉が聞こえたで……」

「ハレの日ですから、あまり喧嘩は……っと」

「そやな。喧嘩はもうせえへん……諦めたわ」

「清水谷先輩?」

「……竜華でええよ。須賀君は認めたる」

「認め……えっと?」

「怜の相方としてな! もう怜も高校生なんや。私が守ってばかりってのも駄目や。それに……よく見たら確かに須賀君は怜の言う通りにいい子やったし」

「竜華……」

「竜華先輩……」

「でも、ふたりとも大人にはまだ早いんやから、その……キス以上のことは許さへんで!」

「ははは……そもそも俺と怜先輩、付き合ってすらいないんですけど」

「はぁ。キス以上て竜華、よくその口で私がむっつりなんて言えたなぁ……」

 

 からから。

 

「凄いなぁ、京ちゃん」

「怜先輩、見に来てくれてたんですか?」

「ふっふー、私も居るで。いや、京太郎くん、格好良かったなあ。そして良かったな。決勝戦進出!」

「竜華先輩まで……ありがとうございます、っわ」

「京太郎くん、そんな縮こまらんと、最多得点選手なんやから、もっと堂々としいや!」

「先輩、抱きついて……! おもちが……」

「ん? あ、つい怜にするみたいにしてしまったわ。ごめんなー」

「竜華、恐ろしい子や……最初の警戒心はどこにやってしまったんや……それにしても、母校の創部から見てたハンド部が全国大会に出るかも、って思うとなんだか感慨深いものがあるなぁ」

「ただ今まで通りにするために、ハンド部創って、皆でわいわいやって……それでこんなところまでこれるなんて、俺も思いもしませんでした」

「努力の勝利、やなぁ。私も頑張らんといかんかな」

「怜……あまり無理はせんといてな? 京太郎くんも、頑張るのもいいけど、無理しすぎには気をつけるんやで」

「はい」

 

 から、(から)り。

 

「ぐっ!」

「京太郎!」

 

 そして、回し車は止まった。

 

 

「京ちゃん……」

「怜先輩、ですか……あはは。すみません。せっかく応援してくれたのに、全国大会出場、逃してしまいました……」

 

 京太郎は、少しぶりの怜の姿に、まるで眩しいものを見てしまったかのように目を伏せながら、そう言う。

 学ラン姿に、ま白い三角巾が悪目立ちしていた。痛ましさの中に、痛ましい笑顔が浮かぶ。

 無理のしすぎで壊した、もう上がらない京太郎の右肩を真っ直ぐ認めて、怜はこう返した。

 

「そんなん気にせんでええよ。そんなんより……京ちゃんの体のことや」

「ああ。これですか……竜華先輩も無理しすぎるな、って言ってくれていたのに……それを忘れて、情けないです」

「違う……京ちゃんは情けなくなんてないんよ……」

「いえ。俺は約束を守れませんでした」

 

 哀しげな怜を気にしながらも、京太郎は断言する。

 

 さて、何時からだったのだろう。誓いが枷になり、努力が重しになっていったのは。

 それでも、楽しむことだけは続けていたかったのだけれども。しかし、この怪我ではそれも無理。

 果たして、今までの全てはただの空回りでしかなかったのか。そう思いすらする京太郎は、自嘲しながら言うのだった。

 

「これじゃ、今まで通りってのは無理ですからね……ったく、咲の奴にどう言い訳したら……」

「はぁ……あまり、過去ばかりみるのはよくないなぁ」

「っ怜、先輩?」

 

 そんな傷を負った傷心の少年を、年上少女は見逃せない。

 遠慮で離れていた距離を、一歩、二歩で埋めて。そして、彼女は更に近づく。

 そして大きくなった、しかし小さくなってしまった彼をそっと抱いて、怜は語りかけた。

 

(未来)のこと、もっと見てくれても良いんよ?」

「せんぱ……あ」

「ん」

 

 触れ合いは、一瞬。ぼう、と熱を覚えた唇を触っている京太郎に、怜はウィンクをする。

 

「分かってるんよ? 約束したからってだけであんなに笑えるはずないって。京ちゃん、本当は頑張りたかったんやろ?」

「……はい」

 

 京太郎は、頷いた。そして、訥々と彼は続けていく。

 

「俺、楽しかったんですよ。辛かったけど、無意味かもしれないと何度も思ったけれど……から回って、それでも……楽しかったことだけは忘れられません」

「うんうん」

「だから、俺は頑張り続けたかったのに……っ!」

「なるほどなぁ……」

「それすらもう無理なんて、嫌だ……」

 

 涙はもう流れない。しかし、少年はその代わりに落ち込もうとする身体を留めるために彼女へ()()りつく。

 京太郎のその本音は、どこまでも純。まるで子供の願いのようなものだった。楽しいから、そればかりを続けたいというある種のわがままとすら言えるそれ。

 しかし、それを恋する少女は大切にしようと思った。そっと、胸元に温かい彼の頑張りより点った熱。それを繋ぐためにも。

 

 だからとても綺麗に、園城寺怜は、笑う。

 

「うん。なら今度は私が頑張るわ」

「怜、先輩?」

「だから京ちゃんは今度私を支えてくれへんかな?」

 

 これ、私なりの告白やで、とうそぶきながら、怜はそっと彼から離れる。

 慌てて、京太郎は遠ざかった一歩を縮め、そして尋ねた。

 

「……どうして?」

「私はな。京ちゃんから貰った火を、なかったことにだけはしたくないんよ」

 

 そう。私は今まで無力に燻っていた。そんな私にこの愛すべきカピバラの少年は、頑張り方を思い出させてくれたのだ。

 けれども。楽しみ、それを続ける。それはとても難しいこと。そして、京太郎の頑張りを継いで皆に見せ付けるというのも、得意の麻雀でも部で三軍程度の実力しかない自分には難しい。

 

 だから、怜は少し、ズルをする。

 

「――これからちょっと無理、するわ」

「怜先輩?」

 

 そう言い、彼女はこてんと彼に頭を預けてから。

 

「……ぐぅっ!」

「先輩!」

 

 苦悶の声を上げた。

 

 

 ぎい。知らない合間に、目の前に、扉があった。それをちょっと開けてみただけ。それだけのことで、耐えきれないほどの苦痛が怜を襲ったのだった。

 

 

「はは」

 

 でも、笑ってしまう。

 怜の目は、痛苦の中で薄く開かれていた。そうして見つけたものに、彼女は心の底から安堵するのである。

 

 それは何時の先のことだろう。特別なものを取り戻した少女の瞳には、彼と共に進む未来ばかりが映し出されていた。

 

「――怜!」

「りゅーか……」

 

 そしてそんな先にも、もちろん彼女だって隣りにあって。

 二人をどこから見ていたのか異変に駆け寄り泣き叫ぶ竜華と、携帯電話で救急を必死に伝える京太郎。

 

「私は幸せもんやな」

 

 ひとりごち。暗闇の中、次第に遠ざかっていくそんな二人がおかしくて、怜は微笑むのだった。

 

 

 からからから。

 こうして再び、回し車は回り始めた。

 

 

 これは千里山女子先鋒、一巡先を見るもの、と謳われることになる少女、園城寺怜のはじまり(再開)のお話。

 

 




 そして問題となるのは前回の投票結果で圧倒的多数だったヤンデレ②……はい、次の話はサイコロころころさせて決めますね。

 ちなみに自分は紅糸清澄の頃から十面ダイスを用いていまして、今回それに対応させたのが以下となります。

01 風越女子
02 龍門渕高校
03 鶴賀学園
04 永水女子
05 姫松高校
06 宮守女子
07 臨海女子
08 有珠山高校
09 阿知賀女子学院
00 白糸台高校

 これを今執筆しながらころころしてみますね。

 すると……03の鶴賀学園が出ました!

 正直に鶴賀は難しそうだと感じますが……なんとか頑張ってみますー。


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ヤンデレ鶴賀

 またもや沢山の投票に評価、どうもありがとうございますー!
 今回はヤンデレ鶴賀回となっておりますねー。そしてとんでもなく苦労して文量が増えてしまった回でもありますー。流石に五人分は大変ですね!

 ……と言いましたがしかし投票で一位になったのは再びのヤンデレ③。これまたサイコロの出番ですー。頑張りますね!


 今回もやはり挑戦し、かなりぎすぎす尖った内容になりましたのでどうかお気をつけて下さいー。


 睦月さん

 

 好き、というものを弁える。それは存外難しいものであると津山睦月は思わざるを得ない。

 それが趣味だろうが友だろうが、或いは異性だろうが、どうしたって普段から意識してしまうのは仕方ないもの。

 何せ、それがなければ人生に甲斐はない。そして、好きには好意を表したくなってしまうもの。最低でも睦月は好きが隣り合って、笑顔になるのを中々止められはしなかった。

 

 ところで、睦月は何時もどこか()()()()していると言われる。

 彼女本人も表情筋が頑なのは認めるところであり、特に周りとの親睦が深まらない内はよく怒っているのかと聞かれたものだった。

 近頃、鶴賀が共学になって周囲の仲間が刷新され今度は見知らぬ異性からこわごわ声をかけられることで、睦月も自分の表情のなさにうんざりとしてはいる。

 だが、しかしこれもまた中々変えることは出来ないものの一つだった。

 

 そして、そんな表情が固い彼女が()が近くに来る度ぴくぴくと好意に口角を上げているのを見て、周囲はどう思うか。

 それは睦月が所用で退いた後に表れた、ワハハと何時も笑顔の部長のもの珍しい困り顔が、物語っていた。

 

「京太郎。お前むっきーに何かしたのかー?」

「部長……多分、俺何にもしていないと思うのですが……」

 

 口にしては見たところで、その声色に、自信はまるでない。

 去り際のポニーテールの颯爽を思い出しながら、自分が寡黙な先輩の表情を変えさせていることに、彼こと麻雀部唯一の男子部員須賀京太郎は頭を抱える。

 自分は何をしでかして睦月に微妙な表情をさせているのか。正直なところ、京太郎も少しは思い当たる節がないこともなかった。

 そんな少年の揺らぎを敏感に感じ取った桃子は、ステルスを霧散させる勢いで大きな声を上げる。

 

「むっ、多分っていうのは怪しいっす! 何しでかしたかさっさと吐くっすよ!」

「私は多分京太郎君は悪いことしていないとは思うけれど。そうだね……思うところがあるなら、口にした方が楽かもしれないよ?」

「佳織先輩……モモからの信用のなさは悲しいですけど……そうですよね。実は……」

 

 優しく微笑む佳織に絆された京太郎は、素直に口を開く。

 そして語られた彼の話は、しかしどうにも皆を納得させるには足らないもの。

 ゆみは反芻するように、その内容を繰り返した。

 

「なんだ、須賀君の語ったことが本当ならば、津山は須賀君に前にどこかで会いましたよね、と言われた後からああなったというのか?」

「ええ。そのはずですけれど……」

「普通っす! うーん……どうせ、京太郎のことだから、私にしてるみたいに嫌らしい目でむっちゃん先輩を見て怒らせたに決まってるっす!」

「いや、それは……」

 

 桃子は、向いてきた京太郎の前で自分の豊満を両手で抱いて隠すようにする。そこで思わず、柔らかそうに歪んだそれに目を行かしてしまう少年に、四方から冷たい視線が注いだ。

 少しの沈黙。そしてなんだかんだリーダーシップのある智美が先行しワハハと畳みかけた。

 

「ワハハ。私は分かるぞ。むっきーはモモほどのおもち持ちじゃないから、京太郎はそそられてないんだろー。きっとそもそも、あんまり見てないっていう自覚があるんだな!」

「いえ、その……」

「慌ててるってことはマジっすか……女の人をおもちで判断するなんて、最低っす……」

「まあ……なんだ、須賀君。ほどほどにしておくんだぞ?」

「京太郎くん……」

 

 そうとは言わずとも、態度で明らか。図星を言い当てられてうろたえる京太郎に、周囲の麻雀少女達は白い目を向ける。

 言い訳すら、もう遅い。それに気付いた京太郎は心の底から落ち込むのだった。

 

「どうしてこんなことに……」

「ワハハ。女の子は、視線に敏感なものだからなー。もっと気をつけないといけないぞー?」

「すみません……」

 

 部長の優しい指摘にただ、自分の素直さを申し訳なく思い頭を下げる京太郎。

 彼はそんな自分の情けなさに、こんなのが睦月先輩に嫌われているところなのかもな、と勘違いするのだった。

 

 

「ふふ」

 

 さて、京太郎が部室ですけべ心を指摘されていた、そんな頃。

 果たして睦月は珍しくも笑顔だった。京太郎の前で格好つけていようと我慢していたのが解かれたのだろう。ツリ目がちな、しかし端正な顔が優しく歪んで少女の愛らしさを際立たせる。

 通りがかる新入の男子たちも、色づく睦月の綺麗に振り返りがちだった。そして、彼女のその一つ縛りの尾っぽの艶を目にするのである。

 しかし、そんな他人の注目なんて至極どうでも良いのが、恋する乙女の常。ただ、愛する人を思って睦月は言葉を零す。

 

「京太郎は覚えてくれてたんだものな……」

 

 そう。睦月は確かに京太郎が口にした、前にどこかで会った、という言葉一つで変貌していた。

 少女は、少年が言った通りに、覚えていた。けれどもそれは相手までも覚えているものではないと考えていたのだ。

 

 何しろそれは。

 

「前世の記憶を」

 

 そんなオカルティックな妄想だったのだから。

 睦月の笑みは深まり、ぱっかりとした半月になった。

 

 勿論、そんな同じ妄想を京太郎が偶々持ち合わせていたなんていうことはない。ただ、幼い頃にすれ違った記憶があったので、それを指摘したばかり。

 しかし、こじらせて妄想にどっぷり浸ってしまっている睦月は勘違いする。

 

 ああ、やはり京太郎と自分は運命で結ばれている、などと。

 

「小さい頃は本当によく、一緒に遊んだよな。何時も後を付いてきてくれたのは忘れられない。京太郎はお姉ちゃんと言ってくれていたなあ。それにしてもあいつは運動が好きな性分だったが、結局のところ麻雀に行き着くんだな。運命って奴かな? 私も前と比べて麻雀の腕は衰えたけど、これでもまだまだ今回の京太郎にはいいところを見せられているから良しとしようか。まだまだ関係も何もかもまっさらだし、大変だけれど楽しみだ。うん。でもそれにしても前回は私達は心の底から結ばれていたよな。それを……あいつは」

 

 どこかの遠いありえない、を見ていた睦月の晴れ顔は、次第に曇って再びむっすりと。

 そして、怒りに不機嫌すら越えて更に険しく柳眉は逆立った。

 ぎりり、と砕けんばかりに奥の歯列が噛み合う。

 

 睦月はここには居ない、どこかのセカイの彼女が前の京太郎を奪っていった、そんな妄想(もしも)を思い出す。

 そして、口の端から血が溢れることすら厭わずに。

 

「もう、あいつには渡さない!」

 

 ただただ独り。そんな、空虚な宣言をするのだった。

 

 

 

 佳織さん

 

 妹尾佳織にとって、好きというのは秘めるべきものだった。

 だって、自分の胸の中のこの暖かで柔らかなものが、誰かに見られてしまうなんて考えるだけで恥ずかしい。

 ひょっとしたら裸を見られてしまう方がマシなくらいに、少女の想いはいじらしくも純である。彼女は僅かに態度で示すことすら苦手だった。

 そんな佳織に、恋を表せなんていうのはとてもではないが無理なこと。好きな相手の前でも彼女はにこりと控えるばかりで、何一つモーションを取ることはないのだった。

 

「あ・・・・・・京太郎君」

 

 空も朱色に染まり始めた夕の頃合い。頬の紅すら境を失くす、そんな時に佳織は密やかに恋心抱いている京太郎と出会った。

 まだ中学生な年下の彼は、ハンドボール部のユニフォームのまま帰宅中の様子。遠目からでもトレードマークの金髪も少しくたびれた感が見受けられた。

 けれども、佳織がひとたび手を振ってみれば、京太郎は笑顔で手を振り返してくれる。いじらしい少年の元気に、彼女もなんだか嬉しくなって気付けば買い物袋から片手を離して笑顔になるのだった。

 

「京太郎君、今部活帰り?」

「ええ。佳織先輩は……」

「あはは……お母さんにお使いを頼まれたの。その途中」

「なるほど、通りで持ってるエコバッグがぱんぱんなんですね」

「うん。明日の分も頼まれたから」

 

 奇遇。それを運命的なものと考えるのは恋する者の常。佳織は京太郎と赤い糸が繋がっていたらいいな、と思わず自らの小指を見つめてしまう。

 けれども当の気になる後輩、京太郎は乙女心を気にも留めずに、バッグから飛び出た青みを気にする。そして得心いったと口を開く。

 

「明日は鍋ですか?」

「そうだけど……どうして分かったの?」

「いや、先日聞いた時みたいにバッグからネギが飛び出してたので、もしかしたら、と」

「すごい。分かっちゃうんだ」

「まあ、俺の家も今日は鍋の予定だったりするので。そうだったら奇遇だなと思いまして」

「ふふ。確かにそれは、奇遇だね」

 

 笑顔で繋がる、そんな会話。生活リズムの異なる高校生と中学生。普通にしていたら偶にしか会えない筈だけれども、存外奇遇にも二人は顔を合わせることが多かった。それこそ佳織からしたら()()なことに偶々で、二人はよく会話を交わす仲になっている。

 だからこそ、京太郎は佳織とは気の置けない仲と認識しており、彼は彼女の労を預かることをためらわないのだった。

 

「失礼します」

「あ……」

 

 一言。それで手の重みが消えた。横を向けば、自分が重いなと思っていた買い物カバンを軽々目の前まで持ち上げている京太郎の姿が。

 まるでいたずらが成功したかのような笑顔の少年にどきりとしていると、京太郎は間を置かずに言った。

 

「お家までお手伝いしますよ」

「……いいの?」

「ええ。むしろ佳織先輩と一緒出来るなんて、役得です」

「もう……」

 

 気障な態度に思わずぷくりと膨れる佳織だったが、しかしその内は喜色で埋まっていた。

 小さな親切で心まで軽くなり、わざとらしいおためごかしですら嬉しくて堪らない。

 だから、もっともっとと思ってしまったのかもしれなかった。彼女は彼の手を掴んで、言う。

 

「それじゃ、一緒に行こう」

「えっと、佳織、先輩?」

 

 お手々繋いで。しかし子供ではないのだから、異性同士手を繋ぐのはそれなりの好意がなければなされないと、京太郎は知っている。引っ込み思案なところのある先輩がどうして急に、と思う鈍感な彼に、佳織は不安げに見上げる。

 

「・・・・・・嫌?」

「いえ、そんなことはありません」

 

 応えるように京太郎は佳織の手をその大きな手のひらで包み込む。

 優しい、彼の温もりを受けた彼女は。

 

「温かい……」

 

 暮れ空の下の朱に紅く、ぽうっとそう呟くのだった。

 

 

 さて、そんな風に佳織は大して好きを表せもしないままに、運良くも逢瀬を重ねることに成功する。

 その度に、好きは深まっていく。

 彼の、優しいところが好きだ。格好いいところもあるけれど、あどけない部分だってたまらない。彼がするなら何気ない仕草だって愛らしいもの。

 そして、何より温かい。それが佳織には一番好きなところなのかもしれなかった。

 

 でも。

 

「京ちゃん―――」

「――咲」

 

「え?」

 

 不運、いやある意味幸運にも佳織は彼が誰かと結ばれる瞬間を目にしてしまい。そこから逃避したその時から佳織は凍えるようになった。

 

 嫌だ。嫌だ。京太郎君が誰かのものになってしまうなんて。自分がもう、彼と一緒に温まれないなんて、そんなの嫌で堪らない。

 だから、彼女は。

 

「あんな子……いなくなっちゃえばいいのに」

 

 そう、気の迷いで願い。

 

「……っ咲……」

「京太郎君……」

 

 不運(幸運)にもその願いは叶ってしまった。

 

「辛かったね」

「・・・・・・佳織先輩……」

 

 悲しみに暮れる京太郎を半ば使命感から慰めながら、佳織は。

 

「温かい」

 

 ただ、すがる少年の温もりにほっとするのだった。

 

 

 

 智美さん

 

 蒲原智美は、好きの違いが今ひとつ分からない。

 嫌いの反対、だとは思う。けれども、恋だの愛だのそんなごちゃごちゃとした分類なんて、とてもではないが区別が付きそうにない。

 智美は根っからの片付け下手なのだから。

 

 そういう意味では、好きだらけで何一つ分別する必要のない麻雀部は居心地がいい。

 おもわずワハハと足を伸ばしてだらけてしまうのも仕方ないことで、そして唯一の男子部員である京太郎が智美の注意をするのもまた、仕方のないことだった。

 青年の眉の歪みすらなんとなく好んでいる智美は、京太郎の文句をすら待ちわびているようである。

 

「部長……ちょっとだらしないですよ」

「ワハハ。別にいいだろー。鶴賀は女子校なんだから。むしろどうして男子の京太郎が交じってるんだー?」

「鶴賀が女子校なんて、何ヶ月前の話を言ってるんですか……共学になった今、男子の目を少しは気をつけた方がいいですって」

「んー? そんなこと言っても、この場の男子の京太郎は私の下着なんかよりモモのおもちの方が気になるようだし、別にいいだろ?」

 

 そう言って、スカートをぱたぱたとさせる智美。ちらちらと見える、ま白い肌が目に毒である。

 まるでそれは子供の無防備のようであるが、しかし智美は年頃の女の子。もう運転免許だって取れる年齢だ。男子の貪欲さをもっと知っていてもいい筈である。

 長く女子校で過ごした弊害か、鶴賀学園の生徒達は異性を気にしない子が多いのだが、智美はその極みのようであった。

 ワハハと笑って男女の区別をしない。流石に、京太郎もこれには心配になった。

 

「あの。俺だって男子なんですからそんなに無防備にしていると気になりますよ」

「ワハハ。男は皆狼ってやつかー。京太郎には似合わないなー」

 

 あくまで、好きの前でふざけるのを楽しむ智美。彼女の中で好きは自分を傷つけるものでは決してない。

 だから安心安全ふわふわの心地の中。まどろみのようなノーボーダーの内に、しかし京太郎は一歩踏み込むのだった。

 

「部長」

 

 柔らかな椅子にもたれかかった智美の顔の横に、京太郎は片手を置く。そして、真剣にしたまま、彼女にその整いを寄せる。

 奇しくも、麻雀部には彼彼女二人きり。まるで告白はたまたキスをするかのような壁ドンに近いシチュエーション。

 明らかに彼女らと違う、可愛いではなく格好いい顔が目の前に。これには流石に智美もどきりとせざるを得なかった。

 

「ワハ……なんだー?」

 

 唇が乾くような心地を覚えて、知らずに舌なめずり。緊張して、相手に怖じる。そんなことを好き相手にもようやく思い出した智美は、目をパチクリ。どきどきし始めた胸元を押えながら彼を見上げた。

 そして、しおらしくなった智美を確認した京太郎は、これで分かってくれただろうと安心と共に彼女から離れていく。

 思わず少女が彼へと手を伸ばしてしまったのは、果たしてどんな思いから来たものだったのだろうか。

 

「部長は可愛い人なんですから、もう少し自分を大事にして下さい」

「私が、可愛い?」

「そうです」

「それは…ワハハ。嬉しいなー」

「ですから――」

 

 ワハハ。ワハハ。笑い声が彼女の内に響いて渡る。もう、それ以外に何も聞こえず、彼しか見えない。

 ――――私を可愛い、と慮ってくれたのかこの男の子は。好きだ。これはもっと好きにならざるを得ないだろう。しかし、もう十分に彼のことは好きで、もう天辺に届いているのに。さてどうしようか。

 

 ああ――――なんだ、答えは簡単だった。

 

「ワハハ」

 

 智美は何時しか独りになっていた部室にて、陰りの中にて笑う。

 

 

 

「痛っ」

 

 唐突な太ももの痛みに口に出し、思わず顔をしかめる京太郎。ちょうど見惚れていた時に都合悪く、いいやあるいは都合よく、その痛みは起きた。

 何かと思いきや、そこには横合いから少年の太ももを抓る手が。その細き指先を視線で辿っていくと、そこには何時もワハハとしている先輩の笑みが映る。

 しかし、どうだろう。今やその笑顔の奥に何か怒りが見える。これは、先までおもちに注目していたところを見咎められたのか、と京太郎は遅まきながら気づくのだった。

 

「ワハハ。京太郎は私が可愛いんじゃないのかー?」

「はぁ……いや、俺が変なところ見てたのを教えてくれたんですよね。すみません」

「分かったならいいぞー」

 

 うんうん、そう頷く智美に京太郎もほっと一息。未だ女性の人口の方が多い鶴賀でスケベ心によって村八分にされてしまうことほど恐ろしいことはない。

 許してくれたのかと気を緩めた京太郎の顔に、今度はぽふりと柔らかなものが当たる。タイが頬を打ち、その上から声が続く。

 

「ならな」

「うおっ」

 

 思わず、京太郎が声を上げてしまったのも当然のことか。何せ今、彼は。

 

「私だけを見るんだなー」

 

 智美に優しく頭を抱かれているのだから。そっと大事に、胸元を押し当てられながら。

 

「っ」

「おっと」

 

 紅潮するのを感じ、柔らかな拘束から逃れんとし始めた京太郎。それを嫌がらずに、智美はそっと退くのだった。

 

「智美ちゃん……大胆だね」

「凄い告白っす!」

「うむ。いいものを見せて貰った」

「ふふ。これは須賀君、返事は本気で考えた方がいいぞ?」

 

 そして、雀卓を囲んでいたところ、突然巻き起こったそんな恋愛沙汰に京太郎に負けず紅くなる少女たち。

 冷静ぶった照れ隠ししているばかりのゆみのそんな言葉に、今更衆人環視の中告白されたことに気づいた京太郎は。

 

「あはは……どうしてこんなことに」

 

 大輪の笑顔の前に、どう応えたものかと思うのだった。

 

「ワハハ」

 

 少女は笑う。ああ、やっぱり京太郎は大好きだ。

 

 好きの上の大好きが出来た。なら大好き以外はどうでもいいか。考えてやるだけ面倒だ。

 片付け下手な智美はそう思う。

 

「ならみんな、要らないなー」

 

 智美のそんな恋の歪みが顕わになるのは、もう少し後のこと。

 

 

 

 桃子さん

 

 好き好き大好き愛している。こんな私の想いに溺れて欲しい。そう東横桃子は何時だって京太郎に対して思っている。

 けれども、想い人は中々につれない。告白染みた言葉を何時もの親愛表現ととってしまうし、それでいて中々見てもらえない自分から目を離さないでいてはくれるのだから、たまらない。

 ぶーたれながら、いじいじと今日も桃子は京太郎に聴くのだった。

 

「京君は私のこと、どう思ってるんすかー?」

「そりゃあ、好きだぞ」

「それは恋のラブっすか?」

「いや、家族愛的な……」

「いつの間に私達籍入れてたんすか!?」

「気が早すぎる……勝手に俺を東横京太郎にするなよ」

「須賀桃子でもいいっすよ?」

「どっちにしろ、結婚も何もまだ俺たちには早い話だっての」

「あいたっ!」

 

 ずびしと頭に下ろされたチョップに、桃子は元運動部男子の膂力の強さを知る。端的に言えば、痛かった。

 しかし、そんな拒絶に桃子はめげない諦めない。何しろ、彼女は彼を愛しているから。

 

 見て欲しい、ひいては自分を好きになって欲しい。そうしてくれるなら幾らでもと、相手を溺れさせるくらいの好きがそもそも桃子には用意されていた。

 そう。誰にも見られず周囲に無関心を装う少女はずっと、誰かを愛したかったのだ。

 そして見つけてもらって愛してもらえたのだから、今こそ存分に。と、思えども生い立ちからくる臆病はどうしようもなく。

 今日も結論濁されたままそれを良しとし、二人、校内で別れるのだった。

 

「むむ……京君は強敵っす!」

「ワハハー。またモモ、スルーされたのかー」

「桃子ちゃん、その、手に抱きついてたりもしていたのにね」

「珍しくも目立ってばっちりと見られ続けていたな」

「恥ずかしいっす!」

「……それにしても、須賀君はどうしてモモを袖にし続けているんだろうな……」

 

 そして、途端に影から現れ桃子を囲んでわいわいとし始めるのは、鶴賀学園麻雀部の皆様方。応援団な彼女ら以外にも、好奇の視線は周囲から飛んできた。

 ステルス少女は共学になったばかりの学園では物珍しい男女の恋愛を展開することでそれなりに目立つようになっている。

 それにむずむずしてしまうのは、どうにも影に隠れた人生を送り続けてきた弊害か。

 しかし、と桃子は改めてそんなことはどうでもいいのだと思い直して、悩む()()の先輩に向き直るのだった。笑顔の仮面を付けて、彼女はゆみに言う。

 

「先輩がそれを言うのはダメっす」

「ん? 私は何かおかしなことを言っただろうか?」

「鈍感も、罪っすねえ……」

 

 零し、言葉の意味が分からず首を傾げるゆみに、桃子は外れかけの笑顔を深くかぶり直す。そして次第に身体から突き破りかねない鉾を納めながら、疑問を躱していくのだった。

 三角関係の二角が向かい合う事態に、残された三人はこそこそとしながら会話を交わす。

 

「ユミちん、まだ気づかないのかー」

「先輩は、桃子を差し置いて自分が選ばれることが信じられないみたいで……」

「……加治木先輩、もうちょっと自分を高く見てもいいのにね」

 

 そう、現状を憂う智美たち。桃子と京太郎、そしてゆみを含めた三人の恋愛模様はどうにも筒抜けのようだった。

 

 

 桃子と京太郎は、幼馴染の関係。そして、京太郎とゆみもまた、一種の幼馴染の関係である。

 ゆみは京太郎の手を引き教えた。そして、その教えから京太郎は桃子の手を取ったのは間違いのないことで。

 

 だから。

 

「あの人には不慮の事故、ってやつもためらわれるんすよねぇ……」

 

 一人になった桃子がそう零してしまうのも仕方がないのかもしれなかった。

 ゆみは間接的にではあるが自分を救った恩人、ではあるのだ。そして同時に京太郎の心を奪った邪魔者でもあり。

 だからこそ、殺したくなるほど憎いけれども、最後の一線が踏み出せない。

 

『やめて! 誰かっ』

『桃子ちゃん……どうして』

『京ちゃん……』

 

 もう、邪魔者なんてそんなにいないのに。最後の一つの大きなものばかりが取り除けない。そんなことに、少女(マーダー)は悩む。

 

「ばっちいっすね」

 

 次第になんとなく、ある日の手の汚れを思い出した桃子は、幻の赤を流すために手洗い場へと向かう。そして、彼女は何時しかの誰かの血を水で流していくのだった。

 じょろりじょろりと、清水は零れる。手先は冷たくかじかんで、しかし罪の感触は何時まで経っても消えはしない。

 

 でも、それと同じように、恋する心は一向に冷えずに燃え盛り続けていて。 

 

「好きっすよ」

 

 言い、桃子は手を当て、微笑む鏡にべたりと赤を付けるのだった。

 妄想に、滲む全て。そして、ああ、もう少しでどうでも良くなりそうだと、彼女は思う。

 

 

 きっと、桃子が憧れをすら火にくべる日は、そう遠くない。

 

 

 ゆみさん

 

 加治木ゆみにとって、恋愛、ひいては好きという感情は酷く簡単なものだった。

 自分の心に触れられて快いかそうでないか。そこに深みは要らない。

 何しろ、大好き一つどころに傾いてしまえば、好きなその他大勢に触れることが出来なくなってしまい、つまらなくなってしまうから。

 つまり、彼女にとって恋をしてしまう、というのは失敗とまではいかないが、それは人間関係のバランスを取り損ねたということ。

 

 そして、ゆみは今、言うなればすっころんでしまっていた。

 

 

「須賀君……」

「ゆみ先輩……」

 

 京太郎とゆみ。二人は想いを示すかのように互いの指と指を絡め合う。吐息が近く、熱だって恥ずかしいくらいに感じ取れる。

 学園内の一角。一体全体風紀も何もあったものかといったそんな二人の姿に、しかし周囲の目はまるでない。

 それは、通って三年目になるゆみが密会に都合のいい場所を知っていたから、というだけではなかった。

 彼彼女らを覆うは、暗がり。そう、今の時間は夜。二人が人目を忍び続けて行き着いたのが、今日この場所だった。

 

「あ」

「ん……」

 

 誰も居ない校舎内に男女が二人、興奮の渦の中にある。そうなれば、タガが外れていくのも当然。

 まずは指先、次は唇。次第にエスカレートしていく触れ合いに、空気の冷たさを感じる分も増えていく。

 罪悪感すら燃料にして、二人は燃え上がらんとしていた。

 

 だが。

 

「何、してるの?」

 

 幸運(不運)にも、彼女はゆみと京太郎が行き着くところまで行き着いてしまう前に、二人を発見できた。

 そう、顔面を蒼白にさせた佳織は、しかし蠢きを止めた彼らに気丈にも続ける。

 

「おかしいと思ってたんです……京太郎君が、私に連絡をくれなくなったり加治木先輩が部活の途中に居なくなってしまったり、今思えば全部が全部変でした!」

 

 暗い中。月明かりすら眩しい。そんな最中に佳織の糾弾の声以外には、荒い息が続くばかり。

 果たしてこんな状況、誰が望んだものか。最低でも、彼女と彼は望んでいなかった。

 感極まり涙を目の端から零しながら、佳織は叫ぶように言う。

 

「こんなこと、ずっとしていたんですね……私に黙って、二人……」

「っ」

「はぁ」

 

 泣き崩れる、彼女。慌てて受け止めようとする、少年。しかし、それはゆみの手によって留められる。

 ため息一つ。そうしてゆみは光のもとに姿を見せた。肩をはだけさせたまま、彼女は頷く。

 

「ああ、そうだ」

 

 そしてゆみは、思わず見上げた佳織がはっとするような笑みを作るのだった。

 

「妹尾が須賀君と付き合っていたことは知っている。そして、須賀君が別に私を好いていなかったことだって知っている」

 

 はじまりは遅く、どうしたって横恋慕。そんなものに手を出すほど、自分は堕ちてなるものか。

 最初はそう思っていたゆみであった。

 

「だが、それがどうした」

 

 しかし、そんな過去の己の小心をあざ笑うくらいに、今のゆみは満ち満ちている。

 だから、彼女は言い張る。

 

「私は須賀君が好きだ。この感情に比べたら………他の全ては取るに足らない」

「ひどい……」

「酷くて結構。須賀君が私に傅いているのが妹尾の弱みのためだとしても、どうでもいい。私は決して、諦めない」

 

 あまりの言葉に佳織は沈黙。

 代わりに続くはエンジン音。車が通り過ぎていく。

 そのライトに一瞬照らし出されたのは()()()()()()()()()()京太郎の姿だった。

 

「え」

 

 瞠目する佳織。そこに再びにこりとゆみは嗤い。

 

「それに妹尾。嫌でも……刺激すれば反応はするものだぞ?」

 

 そんなことを言い、京太郎の胸板を撫でてから諦めの悪い自分を嘲り続けるのだった。

 そうきっと、ゆみは私は君が欲しいと、彼に()言えなかったことを後悔し続けるのだろう。

 

「ああ、消え入りたい気分だが……もう、そんなことだってどうでもいい」

 

 そして、誰かに頼られることのなかったゆみは、折れた心を再び京太郎に預ける。

 やがて沈黙の中、月光すらも雲に陰った。

 

 取り返しのつかない今。祭り囃子も遠く。ゆみはもうこの闇から逃れることは出来ない。

 

 

 

 しゅらば

 

「桃子ちゃんって、気持ち悪いよね」

「どこがっすか? かおりん先輩の目が悪いのは知っていたんすけど、頭も良くないなんてびっくりっす」

「ワハハ。私は佳織の言いたいことは分かるけれどなー。何せ、モモは京太郎に知られていないからって犯罪行為に走りすぎだからな」

「はぁ? 冗談はその笑い方だけにするっすよ。部長」

「ふむ……桃子が京太郎の後をつけている姿がここに映ってるが?」

「うっわ。むっちゃん先輩、何私と京君の二人の時間を映しちゃってるんすか。普通にこっちの方がキモいっす」

「やれ……隠し撮りというのは津山も趣味が良くないが、能力をストーカーに使っているモモも大問題だ。須賀君に見られたらどう思われるとか考えないのか?」

「先輩も、堅いっすねー。他なんてどうでも良くないっすか?」

「まあ、確かに須賀君が大事にしていなければ、この麻雀部すらもはやどうでもいいがな」

「随分軽いですね加治木先輩……まあそれには同感ですが、同じだけ虫酸が走りますね」

「ワハハ。前の私だったらむっきーもユミちんも喧嘩すんなよとか言うんだろうけど、まあもうそんなのもどうでもいいなー」

「本当だね。京太郎君が大丈夫なら、肝心なところでヘタれちゃう桃子ちゃんも許してあげちゃう」

「かおりん先輩に許してもらわなくても、京君は最初から私のものっす」

「ワハハ。寝言は寝ていうんだなー」

 

 わいわい。

 

「失礼します……いや、すみません。遅れました……」

「京君、遅いっすよ!」

「うぉっ、モモ」

「京太郎、何かあったのか?」

「津山先輩。いえ、ただ鶴賀の授業は進んでるなー……と」

「ワハハ。居残りでもさせられたのかー?」

「智美ちゃん、それは失礼だよ……」

「いや……実際その通りでして……」

「大丈夫か? 少しくらいなら私も勉強を見ることだって出来るが……」

 

「いえ、大丈夫です。休みの日に幼馴染に勉強を見てもらう約束を取り付けておきましたから!」

 

「へぇ……」

「そうっすか」

「ワハハ」

「なるほどね」

「ふむ」

 

「久しぶりですから、会うの楽しみなんですよねぇ。あいつのぽんこつが少しでも直ってたら俺としてはありがたいんですけれど」

 

 わははは。

 ………

 

 

 

 了。

 

 

 




 読了ありがとうございますー。
 それでは待望(?)のサイコロころころタイムですね!
 対応する高校は以下の通りになっております。

01 風越女子
02 龍門渕高校
03 千里山女子高校
04 永水女子
05 姫松高校
06 宮守女子
07 臨海女子
08 有珠山高校
09 阿知賀女子学院
00 白糸台高校

 千里山が鶴賀に代わった形ですね。

 それではサイコロコロコロいきます……すると出たのは06!
 宮守女子に決定しました!

 分割にならない程度に頑張りますねー。


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ヤンデレ宮守

 毎回本当に大変な数の投票に評価、どうもありがとうございますー。
 今回はヤンデレ宮守ですが……どうしてでしょう、最長記録です! 時間がかかって大変でした……筆がのりすぎましたね。反省です。

 投票の結果は再びのヤンデレ④……もちろん発奮して書かせていただきますが、これからアンケート内容をどうするべきかは悩みどころです。


 今回は少し挑戦しすぎたかもしれません。怖いですけど喜んでいただけたら嬉しいですー。


 

 白望さん

 

 時の流れに急かされて、人は生きるために動かなければならない。だが、小瀬川白望はどちらに進むべきかすら迷う時がある。いや、それどころか踏み出すべきか否かすら。

 ただの違和感。しかし捨て置くのは何かが、違う。そして、悩みに悩んだあげくに彼女は先のモヤの中からしばしば輝石を拾うのだった。

 

「ダル……」

 

 しかし、光を梳いて白く輝く癖髪を掻きながら白望は自分のそんな特異に対してそう零してしまう。

 そもそも面倒くさがりな彼女は、悩むことが得手ではない。本当ならばどうでもいいやと思いたいところ。

 けれども、時に迷った方が好転する、そんな持ち前のオカルトに助けられたことは数知れない。

 だから、今日も白望は仕方なしに悩むのだった。自販機の前でアップルティーか、それともミルクティーか、決めきることが出来ないままにしばし気怠げに立ちすくむ。

 

「どっちでも、いいんだけれどなぁ……」

 

 緑茶派な白望にとって、紅茶は茶葉どころかフレーバーにおいてすら好みはない。故に、どちらを選んでも満足度には大差はないだろう。だから、ここで無闇に悩んでいるのはただの時間の無駄に思えてならなかった。

 どちらにしようかな。どうでもいいの中の一番を見つけるのは存外難しかった。

 けれども、そんな風にして動かず時間を潰していたからこそ、偶々に彼に出会えたのは間違いない。遠慮がちな声が白望にかけられた。

 

「迷い中ですか?」

 

 青年と少年の中間。声変わりしきらない男の子の声色。なんとなく、良い声だなと思いながら白望はゆるりと振り返る。少し見上げてからそして年下の顔を見て、首を傾げる。

 彼女は何かどこかでみたような顔だな、と思ったのだった。

 

「ん……まあ。どっちがいいかって」

 

 しかし、そんな感想なんて面が気怠げに固定されている白望はおくびにも出さない。まあ、他人のそら似だろうと、深く考えることなく自販機の隣り合った二つを右から順に指さし雑に返答を置く。

 そっけない応答。愛想の一つもない態度に、拒絶の意を感じる人も多いだろう。

 けれども彼――須賀京太郎――は違った。むしろ面白そうにして、会話を続ける。

 

「そうですか。なら……両方とも買ってみませんか?」

「……どういうこと?」

「いえ、実は俺喉渇いてるんですけど、でも何が飲みたいとかなくて」

「ふぅん。主体性ないね」

「ははは……その通りなんですけど、でも今は丁度いいかなって思いまして」

「うん?」

 

 言いたいことがよく分からない。そっけない、どちらかといえば塩対応。白望のそれにむしろ喜色を増させていく京太郎はどうにも不思議だった。

 首を傾げてみる彼女に、京太郎は指を立ててさも名案を口にするかのようにして、言う。

 

「俺も金出しますから両方買っちゃいましょうよ。その上で選んだらどうです? 俺、残った方を飲みますから」

「それ……意味あるの? ひょっとしてキミ、私の間接キスでも狙ってるの?」

「いや、違いますよ。口付ける必要はなくて……迷うなら一旦両方買った方がすっきりして選ぶのも楽になるんじゃないかな、って思ってのことでして……」

 

 特に意味のないだろう案を提案しながら何を自慢げにしているんだこの子、とぼんやり見つめる白望の前で、京太郎は困る。顔を紅くして、自案の説明のために口早に。

 間接キスの一言で、こんなに右往左往する少年も珍しかった。今回不埒を思ったこともなかったのか、うろたえっぷりはどこか初々しい。

 妙な発案と良い、実にユニーク。白望はつい口の端を持ち上げていた。

 

「ふふ」

 

 二人の間に隔意もなければ、未だ愛もなく。ただ白けた自分と色づいた彼は鏡合わせ。なるほど、だからこそ面白いのかもしれない。

 白望はようやく理解する。目の前の少年は、鏡の中の自分に少し似ていた。けれどもその実性徴のせいか彼は少し角張っていて、またにこやかで大凡違うとも言える。

 しかし、きっと根底で似通った部分があって、だからこそ。

 

「いいよ。一緒に飲もう」

 

 白望は安心して、そんなことを小さくなっている男の子に言うのだった。

 

「はい!」

 

 なんでか一転嬉しそうにし始めた彼に、白望も笑みを深める。そしてふと彼女は、これは果たして自己愛になるのかな、と思った。

 

 

 

「シロと京太郎君って、どこか似てるよね」

「えー。どこが?」

「えっと、顔?」

「うーん、そうかなー?」

 

 しばらく時が経ち、寝ぼけ眼に白望はそんな会話を聞く。

 耳に慣れた、高い声二つ。これが幼馴染みの二人、胡桃と塞のものであると気付いてから、その内容を気にした彼女はむくりとこたつから起き上がる。

 寝転んでうとうとしていた少女が急に顔を上げたことに驚く胡桃と塞に、白望はおもむろに言った。

 

「ん……私と京は似てるよ」

「やっぱり、シロもそう思ってるんだ」

「うん」

「ええっ、シロと京太郎、どこら辺が同じなの?」

 

 白望の言に納得を覚える塞とは対照的に、中等部の京太郎と共にこっそり部室に持ち込んだこたつの熱で額に汗を浮かしている胡桃は疑問をそのまま口に出す。

 存外人見知りな小さな彼女は、新入りの柔和な少年に対して敵愾心を持つとまではいかなくとも、親友と同じと見て取ることは出来ないようだった。

 首を傾げる胡桃に、しかし白望は言う。

 

「それは――――ずっと、迷っているところかな」

 

 そっと、口にした白望の表情はあまりに透明で。

 塞が思わず溶けてなくなってしまうのではと怖くなってしまうくらいに、彼女は透き通った氷の綺麗だった。

 

 

 

「……ありがと」

「いえ、これくらい大したことじゃないですよ」

「そう」

 

 雪が積もることは当たり前。それを己の手で退かすことはもはや苦でもない惰性。とはいえ、嫌でも何とかしなければそれこそ雪だるま式に面倒になっていってしまう。

 だから、白望がダルいダルいと言いながら家族と家の周りの雪かきをしていたところ、なんと通りがかりの京太郎が手伝ってくれた。

 長野から岩手のお婆さんのところに彼が住んでからもう三年。もう生半可な積雪なんて苦にしない程度に彼は逞しくなっていた模様だ。

 既に家の周りの雪をかいてきたのだという京太郎は、もこもこなアウターの上からでも中々の体格をしていることが覗える。流石は、中等部ハンドボール部のエースというだけはあるだろうか。

 疲れている白望はその頼りがいのありそうな背中に寄りかかりたくなる気持ちを我慢するのが存外大変だった。

 

 

「ずっと、好きでした」

 

 そして、外で白望のお婆さんがお盆と一緒に持ってきてくれたあったかいお茶を呑みながら、二言三言。ただの雪かき休憩の会話の中に、京太郎は口を滑らす。

 爆弾発言を聞いた白望は、めずらしくぽかんとして言った。

 

「……私のこと?」

「あ……はい。そうです。俺、シロ先輩のことがずっと……それこそ最初に会った時から」

「ふぅん……」

 

 真っ赤な少年に、向けられたのはどこか白けた視線。

 聞くに京太郎は、たまたま見つけた白望に一目惚れをしていたのだという。

 だから困った様子の彼女を見つけて何とかしてあげたくなって、あの日お節介というかよく分からない余計なことをしたらしい。

 

 動転して、失敗する。そんなことは確かによくあることだろう。平熱続きの白望には少々縁遠い話ではあるが。

 けれどもきっと、あの日の京太郎の失敗はそういうことではない。薄く開かれた瞼から、碧が覗いて、少年を貫いた。

 

「嘘だよね、それ」

「え? そんなこと……」

「ダルい、なぁ……」

 

 頭を上げて曇天を見てから、白望はぱさりとぱさりと分厚いフードを落とす。

 面倒。わかりきったことを説明するなんて、少女にとっては大儀である。

 けれども、と目の前の少年を見つめる。迷いに迷った男の子。決してたどり着かない自分と同じ人。

 京太郎の手を取り――手袋でもっさりしていた――白望は言った。

 

「京は、本当は好きとかどうでもいいでしょ? だってずっと――――死ぬか生きるか悩んでるんだから」

「え……あ」

 

 京太郎は一筋、透明な涙を零す。癒えかけの傷に触れられた痛みから、思わず。

 

 そして、想起する。

 燃え盛った屋敷。悲鳴遠く、水で濡らした身体も煙に鈍って動かずに。目の前で灰になっていく車いす。

 そう、京太郎は彼女たち三人を助けることが出来なかった。

 そんな、トラウマなんて文字なんかでは収めきれない永遠の後悔。

 失ったことが辛くて辛くてもう、生きていても仕方ないと思った。けれども、誰も彼もが京太郎に生きて欲しいと言う。

 だから、惰性で生き続けて、そして。

 

 彼は自分と同じ悩みを抱える白望を見つけたのだった。

 

「どう、して……」

 

 そう、折角共感を恋だと勘違い出来たのに、どうして。どうしてこの想いを分かってしまったのか。

 力なく、いやもともと全てが虚勢であったがために鏡の前で格好付ける意味すら失ってしまえば当然に、京太郎は膝をつく。

 

「京」

 

 そんな彼に薄く、どこまでも透明な薄氷のように微笑んで、白望は言うのだった。

 

「一緒に……死のうか」

 

 死は諦めでもましてや美でもなく、ただの腐れと無。そんなことは知っていたけれど。

 

 キミとなら、それもいい。

 

 白望は、京太郎の耳もとで、そう囁くのだった。

 

 少女は生きるべきか死ぬべきか、そんな悩みをずっと持ちながら、人生の金を拾い続けていた。活きるのは楽しい。

 けれども、そうであったとしても悩むのだ。

 

 どちらにしようかな。どうでもよくないものの中から一番を見つけるのは白望にとっては殊の外簡単だった。

 

 愛に生きずに、恋に死ぬ。そんなのだって、良いと思う。

 

「ああ、俺――――」

 

 捨て鉢な少年はきっとあの日、彼女に全てを委託していた。

 そして、マヨイガの少女が真っ直ぐ行き先を決めてくれたのならば。

 

 

 抱擁の中、頷きは小さくも、確かなものになった。

 

 

 

 エイスリンさん

 

 エイスリン・ウィシュアートは夢を描くものである。

 エイスリンはニュージーランドの生まれの少女。その中でも景勝の良い地で彼女は過ごしていた。

 人の良い隣人達と遊ぶことや、海の青さを楽しむことなんて当たり前。幼い頃には、その国らしく珍鳥キーウィの愛らしさに目を輝かせたり、ラグビー代表が行うハカの迫力に泣かされたりもした。

 そんなエイスリンは、自身をそこそこ愛国心に溢れた人間だと自負している。彼女は大好きな土地の名前に動物の名前を図鑑から覚え込んでそれをスケッチブックによくよく描いた。

 白い画用紙は大好きなものばかりで埋め尽くされる。しかし、それらはどこか彼女の幼き希望にて歪められていた。

 細に描かれたカカポ――飛べないオウム――がオットセイの背中に乗って海を渡る。島離れたラグビーチームのユニフォームを着た子供二人が仲良くパスを繋ぐ。

 エイスリンの心のキャンバスに、ボーダーはない。故に優しい、それこそ夢のような世界を彼女は描いていたのだった。

 

 さて、確かにエイスリンは生まれた国を愛する少女である。しかしそんな彼女はそれとは別に、日本という国にそれとなく理想を抱いていた。

 サムライニンジャゲイシャにハラキリ。大昔の日本の概要を聞きかじったばかりのお婆さんの話を聞いた幼きエイスリンは、是非とも異文化溢れるその国に行ってみたいと思ったのだった。

 

『でも、サムライなんてもうどこにも居ないのね。つまんない』

 

 そして、紆余曲折と幸運を経て、はるばるニュージーランドから留学生としてやって来たエイスリンは、半ば雪に埋もれた岩手の町にてありふれた普通の人たちを眺めながら、母国語にてそう零す。

 そしてはたと、地元の案内をしてくれている、唐突に流暢に紡がれた異国語に首を傾げる同い年のクラスメイト女子――臼沢塞――に気付いたエイスリンは笑顔を作ってから、一言。

 

「ゴメンナサイ」

「ううん。別に大丈夫。……絵、上手だね」

 

 真白くか細いその指はさらさらと、申し訳ないと手が合わさったイラストを描きだす。その上手な出来に、塞はぱちぱち。

 日本語を聞き取るのは出来る。しかしどうしてだか話すのは未だ苦手なエイスリン。

 であるから、会話の補助として彼女の絵の得意は活きるのだった。仲良くなりたい少女が大丈夫と言ってくれて、エイスリンもほっと一息。

 

「エイスリンさん、周囲を見回してたけど、何か面白いものでもあったの?」

 

 そして、続く塞の勘違いした言の葉を聞いて、どうしようかと彼女ははたと考える。

 つまらないから周りをきょろきょろ見ていた、と正直に語るのは印象が悪いことだろう。ならばと、別の本心を披露するために、エイスリンは画用紙にそれを描いて笑顔で言うのだった。

 

「ユキ!」

「わあ、それって雪の結晶? エイスリンさんって本当に絵が上手なんだね……」

 

 大きな雪花を片手にくるくるり。そのたびに喜色が沸き立っていく。

 そう、日本の田舎の普遍につまらなさを覚えていたエイスリンであったが、しかしその実岩手の冬の雪深さに感心もしていたのだ。

 何せ彼女が暮らしていたニュージーランド北島ではほとんど雪が降らない。それこそ道の周りを囲むかのように雪の壁がそびえ立つ光景なんてあり得なかった。

 

「サワリタイ……」

「えっ……エイスリンさん?」

 

 そして先からとことこ進んでいたところ、隣には誰一人足を踏み入れていないだろう純白が。思わずふらふらとそっちに向かうエイスリン。

 正直なところ、彼女は周囲に高く乗りかかった新雪の無垢にうずうずしていた。あれに触れたらどれだけふわふわでひんやりとしているのだろう。

 そしてぜひとも誰も踏み入れた様子のないあの広場に足跡を残したい。雪に目を取られた彼女はついつい駆け出してしまう。

 

「ア」

「危ない!」

 

 そして、エイスリンは雪中の石に足を取られて転んだ。

 途端にぬくぬくしていた身体は雪に埋もれて安堵する。しかし、冷たくも優しげな圧迫感の他にも、彼女は膝小僧に強い痛みを感じた。

 思わずその場を転がって雪を纏いながら、エイスリンは駆け寄ってくる塞に言う。

 

「イタイ……」

「ああ、エイスリンさん、膝のところ切れてる……」

 

 痛いはずだと、塞の言を聞いてエイスリンは納得する。そして、起き上がろうとして、膝に力が入らないその事実に怪我を見てその赤に卒倒しかけた。

 裂けた、筋。そこからだくだくと血が。そのグロテスクに、気をやられそうになった彼女が塞にもたれかかったその時。

 

「大丈夫ですか?」

 

 エイスリンは駆け寄ってくる年若い男子の声を聞いた。

 そちらに向いて、彼女は。

 

「ア……」

 

 一つ、夢を描いたのである。

 

 

 

「エイスリンさん」

「ン……キョウ!」

「っと」

 

 そんなことがあって、しばらく。エイスリンの足から包帯が取れてすっかり痛まなくなった夏の頃。偶に町で出会った彼女に、須賀京太郎は声をかけた。

 すると、彼女は当然のように駆け寄って彼にハグをする。唐突かつ、情熱的なその接触を、少年はその身で感じる。

 

「あー……元気そうですね。良かった」

 

 嫌に欧米的なボディランゲージ。ただし、それは自分相手にだけ。

 そんな挨拶に無闇に慣れてしまった京太郎は、胸元に頭をごしごしとこするように当ててくる異国より来た年上少女を仕方がなしに受け容れるのだった。

 

「キョウ、スキ!」

「はいはい、俺も好きですよ」

 

 愛言葉を照れずに受け流す京太郎。ただ、ぽんぽんと彼はエイスリンの頭を撫でる。

 青い目の美少女からの好意をこうも粗雑に扱う男子なんて珍しいが、しかしそれも仕方のないことと言えた。

 そう、須賀家の雪に塗れた広い庭に入り込んで転んで怪我をしていたエイスリンを介抱した京太郎は、一目惚れした彼女からところ構わず行われる直接的なアプローチに慣れきっているのだから。

 

「ムー……」

 

 京太郎のそんなつれなさに、思わずエイスリンはふくれっ面。

 この年下の男の子は年上お姉さんを軽く扱う。こんなの自分が思い描いていた未来と違う、とエイスリンは思う。最初はどぎまぎしてくれて、上手くいっていたはずなのにどうして。

 これではまるで自分がキーウィ――小動物――にでもなったよう。ぷんすかと、エイスリンは怒った。

 

「ギャク!」

「逆って……いや、前にエイスリンさんが犬になれって言ってましたけれど、そんなの俺、嫌ですからね?」

「ムゥー……ン!」

「うおっ、エイスリンさんに首輪付けられて四つん這いで散歩させられてる俺の姿なんて、描かないで下さいって!」

 

 一息で画用紙にでかでかと描かれた、飼われている様子の自分のイラストを誇示するかのようにふりふりするエイスリンに、京太郎は至極嫌そうな顔をした。

 そう、エイスリンは怪我を懸命に手当てして病院まで同席して慰めた京太郎に、犬になってと言ったことがある。彼から見たら彼女は明らかに、異国――文化が違う――の人という事実を抜きにしたところで変人だった。

 何とか、変わった女の子として評価を落ち着かせはしたが、しかし京太郎にとってエイスリンは最早ただの面白い先輩。とてもではないが恋愛対象には思えないのだった。

 渋る京太郎に、エイスリンの柳眉は下がる。ぽつりと、少女は言葉を零した。

 

「モウクビワ、カッタノニ……」

「俺の意思の確認は?!」

「イラナイ!」

「えっと……あ、俺の尊厳、投げ捨てられてる!」

 

 そして、くしゃくしゃな何かが投げられる絵を描いて、エイスリンは自分の意思を表明。少女の頑固なおかしさを見て、京太郎はどこかユーモラスに愕然とするのだった。

 

 なんでか自分を気に入ってくれる、変わった女の子。

 ハンドボールの試合にて右肩の大怪我をした後に親の都合による転校などにてすっかり鬱いでいた京太郎。そんな彼にとってエイスリンが良い刺激であったことに間違いはない。

 とても可愛いし、性格も良さそうだ。これで変な性癖すらなければきっと懸想していただろうにな、と京太郎は思いながら彼女を諭すのだった。

 

「いや、俺エイスリンさんのこと結構好きですけれど、首輪をかけられるっていうのは違いますよ……もっとこう普通のお付き合いと言いますか……」

「ソウ。ナラ、ハナシガイ……」

「放し飼い!? いや、エイスリンさんってどうしてそんなに俺を飼いたいんですか?」

「ン?」

 

 至極当然な京太郎の疑問に、何を言っているのだろうこの子はと首を傾げるエイスリン。

 彼女は、口を開く。

 

 

 さて、エイスリン・ウィシュアートはやはり夢を描くものである。

 そして、彼女の思い描く未来にボーダーはない。()の中でただ二人の間に強い繋がりがあることこそ重要である。

 何故か()があまり効かない京太郎にはやきもきさせられてしまうけれどそれでも彼女は。

 にこりと、下手なルージュいらずの美しい桃色が弧を描く。

 

『―――これなら私が貴方の全てを管理できる。それに一生一緒にいられるでしょ?』

 

 ゆりかごは、無理だった。けれども墓場までなら。そこまでなら一緒について行ってあげられる。

 貴方の全てを私にちょうだい。心の底まで、幸せにしてあげるから。一分一秒全てを私に捧げて。

 そんな風にどろりとした思いは笑顔に細まった瞳の奥に隠れる。当然のように、そんな内心も言葉の意味すら分からない京太郎は、言う。

 

「えっと、なんとかライフ……なんだ。あの、流石にネイティブな発音されますと分かんないですけど……」

「フフ……ナイショ!」

 

 エイスリンは、元気を取り戻した膝を使って背中を向けてもったいぶる。

 そして背後で首を傾げる京太郎を余所に、手を広げた。

 

「おおっ……」

 

 途端に天は開闢。思い描いた通りに雲開かれた空の元、きらきらと光芒を受けたエイスリンは。

 

「スキ!」

 

 笑顔を作って愛を言葉に。とりあえず、彼に思いの一欠片ばかりを晒すのだった。

 

 

 

 胡桃さん

 

 鹿倉胡桃には、弟分が居る。それは須賀京太郎という、学年が二つも違う男の子。彼の出現は彼女にとって唐突だった。

 

『おねーちゃん、だれ?』

『私がおねーちゃん?!』

 

 引っ越し場所の下見に来たらしい夫婦の下で金髪の幼児がぴょこぴょこ。小さな胡桃のことを、はじめてお姉ちゃんと呼んだのだった。

 これには、胡桃もびっくり。そしてついつい彼女は口の端を緩ませてしまうのだった。

 

 長野からやってきた須賀家は、その後鹿倉家の隣に居着く。やがて同年代の子供が居る家庭同士、お隣さんの交友が始まったのも至極当然のことだった。

 最初、胡桃は瞳がくりくり綺麗な、自分の後をひょこひょこ付いてくる子供を大変に可愛がったものだった。

 素直で元気で意外に優しく、何より自分より小さい。こけしや座敷童だなどとからかってくる同学年男子に都度ぐるぐるぱんちをお見舞いすることの大変を思えば、京太郎という少年と一緒の間は随分と安らぐものだった。

 しかし、年月が経てば変わるものもある。成長を忘れてしまったかのように変化の乏しい胡桃と違って、それは当たり前に。

 

 素晴らしいことに内面的な変化はあまりなかった京太郎であるが、しかし彼はなんとぐんぐんと背を伸ばしていった。遠ざかる、大好きな笑み。

 その急激な成長ぶりに彼がつい胡桃さんひょっとして小さくなりましたか、と聞いてきたときには思わず彼にぐるぐるぱんちをお見舞いしてしまったほどに悔しかったことを彼女は覚えている。

 

「胡桃先輩」

「京太郎……むむむ」

 

 可愛いけれど、でっかい。そんな京太郎を見上げながら、胡桃は思わず歯ぎしり。男女の理想の身長差であるところの15センチメートルまで縮まって欲しいとまでは思わないが、これでは彼と距離が遠すぎる。

 ぴょんぴょん跳ねたりしながら、何となく胡桃は見下げられてしまうことを悔しがるのだった。

 

「……何それ胡桃? うさぎの真似でもしてるの?」

「シロ!」

 

 度々行う幼馴染みのお姉さんの奇行を苦笑して見逃す京太郎だったが、しかしその様を見咎めてしまう者だって存在する。

 小さな子供が愛しの彼の前で忙しく跳ね回っている姿なんて、うざったい。そう思いながらも面に出すことなく、白望は自然と京太郎の横に付いた。

 並んだ女子に、歩みを合わせる男の子。二人を下から見上げれば、とてもお似合いに見える。

 

「むむむ……」

「……胡桃先輩、さっきからどうしたんですか? 流石に挙動不審ですよ?」

「だってー……」

 

 唇を尖らせる胡桃の複雑な想いをしかし、京太郎が気づくことはない。彼の中の彼女は、小さい姉のような人。そう固定してしまって動かない。

 愛されているのは分かる。しかし恋しく想われていないのもまた明らかで。密かに恋情を育ててきていた胡桃にとっては悲しいことだった。

 

「どうでもいいじゃん。京……ダルい。おんぶ」

「いやいや、流石にそれは拙いですから、何とか学校まで頑張ってください」

「はぁ……ダル」

「むぅ」

 

 そして、立派なおもち持ちに成長している白望に対して、京太郎はどうにも照れ気味だ。その顔と胸元を視線が行ったり来たり。

 下の方から見てみれば、彼の助平心と理性の争いが透けて見えるようだった。

 

――――こんな反応、自分にはしてくれないのに。

 

 そう思って、胡桃は一向に膨らんでくれない胸元に目をやる。そして、先日京太郎がいない間に恋仇として宣戦布告をしてきた白望の正反対の豊かな持ち物に歯噛みをするのだった。

 

「……ん?」

 

 何となく、胸元の視線を察した白望は至極だるそうにしながら、胡桃を気にする。彼女は涙目少女をみやってから徐に、口を開いた。

 

「ん。こんなの……重いだけだよ?」

「そんなの、分かんないもん!」

「まあ……胡桃はそうだよね。でもまあ、ダルくてもいっか」

「えっと?」

 

 隣で交わされる性徴の話について行けず、何だかよく分からず首を傾げる京太郎。

 なんだかんだ初心であり自身が注目されていることに気づかない彼は、己の一挙一足が人に与える影響というものが今ひとつ理解できないのである。

 しかし、大好きな先輩二人が、今ひとつ仲良くしてくれていないのは何となく分かる。

 どうしたものかと思う京太郎に、白望は寄りかかる。そして。

 

「っ!」

「京は、こうされるのが好きだろうから」

「うおっ」

 

 腕に細腕を絡みつかせて、そうして白望はぽにょんと胸元をくっつけるのだった。ふわりと、幸せそうに少女は笑う。

 唐突なおもちの感触を受けて途端に、赤くなる京太郎。拳を握った手のひらに痛いほど爪を食い込ませる胡桃。

 なんだか朝の清々しい時間にはふさわしくない、どんよりとした空気が流れたそんな時。

 

「シュラバ!」

「わわ、シロすっごく積極的だよー!」

 

 しかし、何かが切れる前に、エイスリンと豊音が気にせず入って、嫌な空気感を払拭。

 エイスリンは、何やら熱心にスケッチを始めて、豊音はきゃーきゃー言いながら顔を隠した手の指の間からちらちら白望と京太郎を覗く。

 どうにも、流れがコメディチックな感じだった。

 

「……流石に恥ずかしいや」

「あ……っと。すみません」

「ふふ」

 

 弛緩を覚えた白望は照れくさくなって離れる。そして、抱きつかれていた京太郎は慌てた末に何故か謝った。

 そんな少し格好悪い様に、愛らしさを覚えるのはきっと恋してる贔屓目だなと思いながら白望は笑んで。

 

「――――許さない」

 

 胡桃は、怒りにばきりと奥歯を噛み砕いた。

 

 

 京太郎は、胡桃にとって大切な弟分である。そして、目に入れても痛くないくらいに愛おしくも恋しい人でもあった。

 そんな彼が離れてしまうなんて、とても考えられることではない。

 

「シロさん」

「京……」

 

 京太郎が、女とキスをしていた。

――それは私の唇なのに――

 

「俺、シロさんのことが好きです」

「私も……」

 

 京太郎が、女に告白をしていた。

――それは私に向けるべき言葉なのに――

 

「俺最初はシロさんのこと、お姉さんみたいだと思ってたんですけど……でも」

「いいよ。今好きでいてくれるなら」

 

 京太郎が、女のことを姉のように思っていたと言った。

――それは、私のことじゃなかったの?――

 

 もう、胡桃は耐えられなかった。

 

 

 小さな体躯に冗談みたいな愛を秘めて、胡桃は生きていた。

 胡桃は目に映るすべてに対して、注意を出来る。うるさいと言われても、彼女は決して気にしない。それは自分の正しさを押し付けているがためではなく、正しくあるのが彼らのためであるからと信じているからである。

 本当は、皆幸せであって欲しいと胡桃は純に願っていた。

 

「……」

「京太郎! 学校内での……その、い、淫行はだめ!」

 

 けれども。それくらいに大きな愛が歪んで恋に落ち込んでしまったとしたら。

 

「そういうのしたかったら、次は、わ、私に言いなさい!」

「……」

 

 堕ちた彼女は思ったのだ。彼が自分以外の女を想うのは間違っている。なら――正さないと、と。

 そして、胡桃と相対して付き合う男女として()()()()()に切り取られ、二枚舌を正すために切り取られてしまった京太郎は。

 

「京太郎も男だもんね、私でいいなら……」

「……」

 

 ただ、壊れてしまった姉のために、涙を流し続けるのだった。

 

 

 

 塞さん

 

 臼沢塞にとって、須賀京太郎という人物は、奇々怪々な人物だった。何やら共学化したばかりの宮守高校に一年生として入ってきたかと思えば、特に新入部員を求めてもいなかったというのに、気づけば麻雀部の仲間入りをしていた。

 そして、女子ばかりの中で自分の立ち位置を確保し、大いに周囲に好かれている。それこそ、部員()()に恋愛沙汰に発展するすれすれまでも。これには、部長である塞は頭を抱えざるを得ない。

 更に、彼の打ち筋もまた中々にオカルティックな代物であり、それがまた彼女の頭を悩ませるものだった。

 

「ロン。七対子、ドラ二、赤ドラ一。満貫です」

「……はい」

 

 卓上で滞りなく行われる、支払い。8000点程度の行き来に一喜一憂するほど麻雀に不慣れな塞ではないが、しかし。

 

「……やっぱり、塞げなかったのかい?」

「……はい」

「うーん。京太郎のそれは強いオカルトとはいえ、塞に塞ぐことが出来ないほどのものとは思えないんだけれどねぇ。……相性かね?」

「はぁ……」

 

 どうしたものかとシルバーグレーの髪に手を当てながら考える麻雀部顧問の熊倉トシ。悩む彼女に雑に応じながら、塞は考える。

 意気揚々と麻雀部に入部してきた京太郎は、しかし面子が三枚揃うことが阻害されてしまうようなオカルトを持っていた。麻雀にしか適応されない意味不明な能力だったが、しかしそんなものがあってしまえば中々和了ることなんて出来はしない。

 けれども、そこで腐らないのが京太郎の良さだった。伸ばせないならそのまま突き進む。七対子、または国士無双ばかりを狙う思い切りの良い彼の雀風には惹かれないこともない。

 けれども、そんな彼に対して、塞の能力である相手の能力、引いては和了りを()()、というものが効かないというのは驚きというか困った事態だった。

 労して塞げないのではなく、すり抜けるように効果がない。

 男女で効果が違うのかと、雀荘で中年男性を塞いでみたところ、完封成功。つまり普通に考えれば京太郎にも効くはずなのに。これには、オカルトにも麻雀にも造形の深いトシも不思議がった。

 最後に二位に浮上することに成功し、そのことに喜ぶ豊音やエイスリンに絡まれ胡桃に注意されている京太郎を、塞は何となく遠いもののように見て取った。

 

「まあ、分からないということはそういうものだということにしようかねぇ。ただ、一つケースが取れたのは良かったかもね」

「良かった、ですか?」

「そうだよ。これから向かう全国にも塞の能力が効かない相手が居るかもしれない。その時の対応の練習に京太郎はもってこいだと思わないかい?」

「それは……なるほど」

 

 トシの言を聞き、塞も納得。麻雀全国大会は能力者の巣窟。しかし、出来ればこの麻雀部の皆で勝ち抜きたいと思っている塞は自分の対応力を増やすための経験の一つにこのよく分からない少年がなってくれる、と思えば喜べた。

 なんとなく、京太郎の方を向き、そして。

 

「それにしても部長は凄いですよね。シロさんもエイスリンさんもかわし切るなんて……なんでか俺今回は結構和了れましたけど、それでも勝てないんだものなぁ……流石です」

「へっ? あ、う、うん。うまく使えば私のオカルトは、それなりにね……」

 

 ぼっと、顔を紅くさせる。そう、京太郎に恋愛沙汰すれすれまで好意を持っているのは部員全員。当然のように塞も含まれていた。

 ぽむぽむお団子を弄りながら、視線を外すいじらしい塞を見たトシは。

 

「……なるほどこれは、そういうことだったのかねぇ?」

 

 それとなく、塞が京太郎を塞げない理由を察した。

 

 

 塞は時にお婆ちゃんぽい、と言われることがある。きっとそれは無自覚に他人に気を使ってしまうところが所以しているのであろうが、しかし彼女もやはり年頃の女の子。

 気になる男の子がいれば、それを見つめて好きになってしまうことだってあるし、他人の好きが彼に向けられる度に、やきもきしてしまうことだって仕方ない。

 

「はぁ……現実でも、塞ぐ力が働けばいいのに」

 

 塞が思わずそう零してしまうくらいに、現状は憂いるべき様子である。もし、恋の矢印が現実化したなら京太郎は何度も死に瀕してしまうだろうくらいに、モテモテだった。もし、他人の恋を塞げれば、と塞が思ってしまうのもどうしようもない。

 好きな人が愛されることは、本来胸を張って喜ぶべきことなのかもしれないが、家族でも恋人でもない自分にはそんな余裕を持つのは無理そうだと、塞は思う。

 

 そんな独りごちながらの部活動の終わりの後片付け。麻雀牌の方は既に終わり、後は部室の掃除ばかり。あまり汚れる余地もないそれを終わらせ、掃除当番の札を次のエイスリンに代えて、部室から出る。そうして凝った身体を解すために伸びでもしようかと思ったその時。

 

「あ、部長。終わりました?」

「え、京太郎、君?」

 

 すると、どうしてだか愛しの彼が待っていた。なにこれ夢かなとすら思ってしまう程疲れていた塞に、京太郎は続ける。

 

「お疲れさまです。帰り道、一緒させて貰っても構いませんか?」

「えっと……うん。いい、よ?」

 

 にこりと、向けられる柔らかな笑み。それに解されたのか何なのか、取り敢えず緊張も何も失ってなるようになれと思うようになった塞は、京太郎を連れて遠く紅くなり始めた空の元歩むのだった。

 そして、沈黙のまま数分。歩調を合わせて歩いてくれる彼に気づいてまたどきりとし始めた頃合いに、京太郎は再び口を開いた。

 

「……部長。実は、聞きたいことがあるんです」

「何? 答えられることなら、答えるけど……」

「あの、部長には恋人っています?」

「え、えっ?」

 

 塞は唐突な内容の問いに、目を白黒させる。むしろこれは巫山戯て自分をからかっているのではと京太郎を見たが、しかし彼の表情は真剣そのもの。

 この問に、意味を見出しているのは明らかだった。塞は、どういうことだと動揺する。

 

 自分に恋人が居るのか、と聞くなんてもしかしてフリーかどうかを気にしているのか。つまりそれは。

 希望は泡のように膨らんで。

 

「……実は俺、長野に恋人がいるんです」

 

 そしてまた、泡のように弾けた。

 

 

 ぱたり、と玄関扉を閉じる。ああ、何か、いろいろなことを聞いたような気がする。

 部長は信頼できるから話したとか、遠距離恋愛は大変だとか、咲という名前とか、その他色々彼の言葉を。それに確か自分は笑顔で頷きで返していた。取り繕って、ぼろぼろになりながら。

 そう、塞は思い返す。そして、家に帰った今我慢する必要なんてもうなくて。

 

「うぇ」

 

 思わず嘔吐く。しかし、吐き出そうとしたものは、何も出てこない。とても、胸に詰まっているものがあるというのに。

 

「うう、うゎあああん……」

 

 思わず、塞は泣いた。ぽろりぽろり、透明な雫は頬の外を伝って落ちていく。

 好きだった。しかし、彼の心はここにない。それが、どうしようもなく先の会話で解ってしまった。

 好きなのに、それが届かない。こんなに辛いことはなかった。

 

「私の想い、塞がなきゃ……でもそんなの無理だよぉ……」

 

 しかし、どうしてたって好きなものは好きで、心は塞げない。

 どんどん想いは溢れ出し。そして。

 

「ああ、なら――――」

 

 奥の方から悪意が出てくるのも当然のことだったかもしれない。

 塞は一人、言う。

 

「咲っていう子を塞い(■し)じゃえばいいんだ」

 

 自分の心は塞げない。何故か能力が効かない彼の心も塞げない。なら、塞ぐ相手は一人しか居ない。

 だから、とそんな間違った答え。そんな違いぶりなんて、心優しい塞には分からないはずがない。けれども。

 

「あはっ」

 

 優しくしていて彼が得られないなら、優しくなくてもいいや、とも思うのだった。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 豊音さん

 

「わー、京太郎くんやっぱり、ちょー凄いよー。男子麻雀で頂点を獲ったことはあるねー」

「いえ……それを言うなら、豊音さんの方が凄いですよ。俺の方にばかり有効牌がごっそり来てたのに、失点がほぼなくて」

「えへへ……このやり方は慣れてるからー」

「なるほど……」

 

 雪積もった旧びた家屋の下で、年若い長身男女がこたつを挟んで何やらガチャガチャ。

 硬質なその音は、手積み麻雀の洗牌をしているがためというのは、簡単に分かる。しかし、男――京太郎――が渋い表情をしている故は、何故か。

 それは、女――豊音――の喜色に富んだ言のせいだった。

 二人で、それぞれ二つの家を担当して打ち合う。それに慣れているという寂しげな内容を、まるで当たり前のように語る彼女に、京太郎は困惑を覚えていた。

 

「何時もは、四人分一人で考えてやっているから、今はちょー楽で楽しいよー」

「そうですか……」

 

 そして、再び山を積み上げる二人。京太郎には、妙齢の豊音がどうしてだか賽の河原にて石を積み上げている子供と重なった。

 同じところは、無為な一人遊びをしている、というだけ。そして更に京太郎はどちらにせよ助けになりたいと思うのだった。

 京太郎は、改めて頭を下げて、言う。

 

「改めて、やらかして立ち往生していて困っていたところ、軒を貸していただき、どうもありがとうございます」

「わわっ、そんなに頭を下げなくていいよ。困っている時はお互い様だよー」

「そして、すみません。俺、正直なところ豊音さんに会えて舞い上がっていました」

「え?」

 

 大学を卒業してしばらく。つい先日亡くなった祖父の話を聞くために岩手の限界集落の親戚の元へと車で向かっていた京太郎は、その手前の山奥のとある村にて誤って車を雪の山に埋もれさせてしまった。

 ほうほうの体でそこから抜け出た京太郎だったが、しかし一人ではどうしようもない状況。すぐ近くの民家に助けを求めた。そこで対応してくれたのが豊音である。彼女の長躯を久しぶりに見た京太郎は、驚いたものだった。

 京太郎は豊音に親切にされ、更には家の中に入ることまで許される。そして、流されるまま彼女に麻雀に誘われて今がある。

 青年は、こんなところにこんな素晴らしい女性が一人ぼっちであることを、悲しく思った。

 

「俺、実は……えーと、何回だったけ……そう、豊音さんが三年生の頃に出てた全国麻雀大会を横で見させていただいてたんです」

「わー、あの時って……うう、恥ずかしいよー。私確か負けて泣いちゃったよね?」

「えっと、それは正直覚えていないんですけど、でも俺は強烈に豊音さんの強さを見て……憧れたんです」

「ええっ? そんな。だって、京太郎くんはプロだよ? 京太郎くんに比べたら私なんて……」

「まあ、今ならいい勝負出来ますけど……当時はそれこそ初心者でしたから、豊音さんの道理を越えた力には憧れを禁じえませんでした」

「へぇ……」

 

 麻雀だこを感慨深げに弄りながら語る京太郎に、豊音は目を白黒。そして遅れて須賀プロに憧れて貰ってたなんてちょー光栄だよ、と横目で貰ったサインの無事を確認しながら思うのだった。

 ますます嬉しそうになった豊音に、しかし京太郎は悲しげに続ける。

 

「けれども、俺はそれだけで……そればかりでした。ただ、真似して麻雀で強くなることを求めてばかりで……憧憬のお礼を返すことも忘れて、豊音さんという少女のことを忘れていた」

「えっと?」

 

 なんか、よく分からなくなってきた。でも、なんだろうこの胸のドキドキは。期待、だろうか。

 珍しいお客さんが来てくれて、それが敬愛している須賀プロで、彼に下の名前で呼び合う仲にまでなって。

 でも、これ以上求めてはダメだと思う一線。そこでもじもじしている豊音に、京太郎は手を伸ばした。

 

「ですから、あの……俺と友達になってくれませんか?」

「友達? ――嘘」

 

 思わず豊音は、顔を覆う。それは、もう遠くなって忘れかけたもの。どんどんと物理的な距離のせいで疎遠になっていく友達に、もうそんなのいらないといじけていたけれど。

 

「ちょー嬉しいよー!」

 

 この真摯な熱意を向けてくれる彼がそうなってくれたらどれだけ嬉しいか。

 豊音は今日はじめて、以前のような花が咲くような笑顔を見せたのだった。

 

「良かった」

 

 そんな姿に満足を覚えた京太郎は、これから密に連絡を取り、せめて半年に一度以上は会ってこの人に悲しい思いをさせないようにしないと、と決意するのである。

 

 

「えへへ、きちゃったよー」

「来ちゃったって……」

 

 そして、長野に戻った京太郎は、すぐさま豊音の訪問を受けた。

 ごろごろとただの旅装にしては過ぎた荷物を持ってやってきた彼女は、どうにもただ遊びに来たという様子ではない。

 これは下手をしたら泊めてくれと言いかねないな、と思いながらも取り敢えずお茶をと思い室内に踵を返す京太郎。もちろん中に豊音を招くのも忘れない。

 

「ん、あれ?」

 

 しかし、とある執事に教わった上等な淹れ方で紅茶を淹れている際に、彼はふと疑問を持つ。

 自分は、彼女にメールアドレスと電話番号しか教えていない。それなのにどうして、自分の住所を知っていたのか。その不思議に思い当たり。

 

「えへへ」

「っ」

 

 振り返った京太郎は、自分を見下ろす豊音の瞳にどろんとした孤独の洞を見て取って。思わず、身震いするのだった。

 

 

 

 しゅらば

 

「……私は断然上かな」

「下!」

「真ん中がいい!」

「それなら私は右かな」

「なら私は左だねー」

 

 

 

 

「これで、ずっと一緒だ」

 

 

 

 了。

 

 




 読了ありがとうございますー。
 それではサイコロコロコロですね!
 以下のようになっておりますー。

01 風越女子
02 龍門渕高校
03 千里山女子高校
04 永水女子
05 姫松高校
06 新道寺女子
07 臨海女子
08 有珠山高校
09 阿知賀女子学院
00 白糸台高校

 宮守女子が新道寺女子に代わった形となりました!
 そしてサイコロコロコロ……なんと出たのは00!

 それでは白糸台でヤンデレ書かせていただきますねー。


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ヤンデレ白糸台①

 更新遅くなって申し訳ありません!
 ですが……どうにもヤンデレ白糸台編が予想外に膨れ上がって終わらず……無理に減らすよりもと、分割(今回は本編が)としてしまいましたー。
 続きは出来次第投稿いたしますね!

 そして、アンケートですが……今回一連の白糸台を投稿した後、まずヤンデレ〇〇の投稿になりますが、その前に少しここらでアンケートを空にするために先にアンケートに書いていた話を全部書いてしまうことにしましたー。
 具体的には、京優希、京咲、京恭、前に投稿したカップリングから続きひとつ、を続けて投稿します!
 そうしてからもう一度アンケートを作って投票を募りますね。

 色々と悩んだ結果変則的になって申し訳ありませんが、出来ればよろしくお願いします!


 照さん

 

 宮永照は、チャンピオンである。女子高校麻雀界の絶対者。麻雀を嗜む女子で知らぬ者はないくらいの有名人だ。最早人間の域を超えている、とすら言われる少女。

 とはいえ、そんな照とて人の子。チャンピオンの椅子に深々と座すまでの麻雀から離れていた頃。特異なまでの得意は見当たらない、普通の女の子として過ごしていた時期もあった。

 

「あ」

 

 それは、長野から東京に来て、大して経たない日。高いビルの合間を、人の波をすり抜け続ける暮らしに慣れはじめた、そんな時に照は京太郎と出会った。

 急に増した風。ビル風のいたずらだろうか、照の頭から白いキャプリーヌがさらわれ飛んでいった。

 

「おっと」

 

 大きく天に持ち上がり、青いリボンの軌跡を残してふわりふわりと飛んでいったつばの広い思い出の帽子。その布地の白が地に落ちて汚れる前に、なんと通りがかりの男子が見事にキャッチしてくれたのだ。

 高く、ぴょんとひと跳びで捕らえた彼の上手さに、感動した照は思わずぱちぱちと拍手をする。

 その音に失くした人を知った金髪眩しい少年――京太郎――は、照のもとへとやって来た。

 ぼうとする照の手元に、京太郎はキャプリーヌをそっと置いて言う。

 

「違っていたらすみません。貴女のですよね?」

「……そう」

「やっぱり。この帽子、きっとお似合いでしょうから」

「ん」

 

 少し頬を染めて、頷く照。受け取った帽子を、彼女はそっと抱いた。

 向けられたのはありきたりな褒め言葉。しかし。それが本気であるのは嘘に欺瞞に未だ揉まれていない照にも分かる。

 満面笑顔の少年。彼が怖いとは思えない。けれども、母親に常々言われていた、何かあったら()()を使いなさいという言葉を照はここで思い出す。

 

「ありがとう」

 

 適当に返し、そして彼女は照魔鏡と言われる、相手の本質を映し出す鏡をそっと彼の後ろに創出した。

 敏な人でなければそれと分からぬ、オカルトによるただの人には見えない代物。それの閲覧を受けた京太郎は。

 

「――――なんか、しました?」

 

 何を感じたのか照をじっと見ながらそんなことを言った。

 それに対して、彼女が京太郎に言えることは、一つ。

 

「なんでもないよ――――素敵な人」

 

 抜けるような蒼穹のもとに、照はうそぶくのだった。

 

 

 宮永照にとって、須賀京太郎はとても素敵な存在だった。

 優しくて、何より甘い。砂糖菓子のようなその人格に、甘い物好きな照が惹かれたのは自然なことだろう。

 しかし、人が初対面の相手に優しさの仮面を被るのは人付き合いの常。普通ならば、照が京太郎に懐くのには時間がかかるものだったろう。

 けれども、照は照魔鏡によりはじめに京太郎の本質を知った。

 

 ならば、何心配することなく――――溺れられる。

 

 なにしろ、とある事件により大切なもの――父と妹――から離れて暮らすようになった照は、安心できる場所が欲しくてたまらなかったのだから。

 それこそほとんど遠慮なく、彼女は彼に近づいていった。

 

「肉じゃが、ですか?」

「うん。作ったから、あげる。京ちゃん、お父さんと二人暮らしなんでしょ?」

「うわ、マジでありがたいですけど……いいんですか?」

「うん。作りすぎちゃって、二人じゃ食べきれなかったから」

「え? これ照さんが作ったんですか?」

「そうだけど?」

「手料理とかホント、ありがたいです! 家宝にします!」

「ふふ。そんなのいいから、早めに食べて」

 

 照は、まず長野から上京してきたのだという同じ境遇を使って――彼の引っ越し前の住居は長野に住んでいた頃に関わりがなかったのが不思議なくらいに燃え尽きた実家の近くだった――近づいて、京太郎の良いお姉さんになろうとしていく。

 連絡を密に取るのは当たり前。得意な勉強を教えてあげたり、こうして偶にはご飯を持っていってあげたりして、仲を深めた。

 

「……甘っ!」

 

 もちろん、照が帰った後に肉じゃがの味見をした京太郎がその糖分過多に悲鳴を上げるような、そんな些細なミスが頻発したりもしたが、それですら誤差の範囲内。

 目指すところに殆ど一直線に照は進んだ。

 

「京ちゃん」

「あ、照さん。また本読んでたんですか?」

「うん。この作者の文章はどこか詩的で面白いんだ」

「へぇ……っと」

 

 広い公園の端っこ、植わった木々が枯れに染まる頃合いに二人。彼彼女らは並んでベンチに深く座していた。

 本に連なる英文を苦もなくすらすら読み解く照。その隣で京太郎は日本語に訳されたのがあったら読んでみたいな、くらいに興味を持ちながら、しかし視線は偶に見るいわし雲の広がりばかりに惹かれていた。

 しかし、そんな中ふと、彼は肩に掛かる重みを覚える。そちらを向くと、なんとも愛らしい少女の顔がこてりと乗っかっていた。

 もちろん、それは照である。驚く京太郎に、彼女は呟くように言う。

 

「失礼するね」

「あはは……照さん、ちょっと無防備過ぎませんか?」

 

 肌に乗っかった髪のくすぐったさに思わず、京太郎は注意するかのようにそんなことを言った。

 京太郎からすると、照はお世話になっているお姉さん。ときにデートもどきはしているけれども、彼の中では恋人と言うよりもお友達という感覚。

 甘えてくれるのはありがたいが、しかしこうも気楽に男子に身を任せるようなことはいかがなものかと存外お堅い倫理観の京太郎は思う。

 しかし、軽い体重を更に預けて、照は零す。身じろぎにはらりと、前髪一房、額から流れ落ちた。

 

「京ちゃんだからだよ」

「はぁ……」

 

 真剣な声色に、思春期の少年は困る。

 自分はなにもやっていないし、むしろして貰っている側。それなのにこんなに安心されているのには、どうも解せない部分がある。

 

 初対面こそ変な感覚があったが、付き合ってみたところ照は存外普通の女の子。

 少々抜けているけれども優しいし、砂糖中毒のようにも思えてしまうほどのお菓子好きではあるけれどもとても頭が良い。

 京太郎の好みとは異なれども、照には幸せになって貰いたいと思う。彼女のことを好き、といえばその通りなのだろう。

 

「……気をつけて下さいよ?」

 

 だからこそ。とりあえずは自省して、この人を傷つけないようにしようと京太郎は思ってしまうのだった。少年には、キスすら棘の一つである。

 そんな、甘く優しく過ぎる男の子に、年上少女は微笑んで。

 

「京ちゃんになら、何をされてもいいんだけれどなぁ……」

 

 そう、誘惑するのだった。

 

 

「妹さん、ですか」

「うん。私には妹がいるの」

 

 そして、柔らかに安堵していると、それが過ぎて言葉がぽろり。油断して秘密にしていることまで晒してしまった照は、仕方ないからと愛すべき妹のことについて語りだす。

 

「色々あったんだ。それで、ずっと離れたまま……これがいいとは思っていないんだけれど」

「それは……辛いですね」

「辛い?」

 

 遠く、まるで長野の妹を望んでいるかのような――方向音痴の彼女らしく、見当違いの方角だったが――照に対して、京太郎が深く訊ねるようなことはない。そんなせっかちなことをする前に、察したことがあるから。

 よく分からないと首を傾げる照に、その苦しみをどうにかしてあげたいと心より思いながら、京太郎ははっきりと言った。

 

「だって、照さん、その子のこと好きなんでしょう? 会えないのが残念って顔に書いてありますよ」

「……そう、なんだ」

 

 過去にあった事態はまことに複雑。トラウマとして思い出すのは燃え盛る屋敷に、台無しになった車いす。楽しかった全ては灰燼に帰し、残るのは悔恨ばかり。

 けれども。それでも自分は彼女にまた会いたかったのだ。そんなことを、彼の口から聞いて、ようやく理解する。

 

「うん。私……咲のこと好きだったものね」

 

 好きだった。何しろ彼女は可愛らしくって、温かい。だから甘く優しくしてあげた覚えもあって、それが出来ない今がつまらないというのも、当然だったのかもしれない。

 照は少年に教えられ、今更にそんなことを気付く。京太郎は、微笑んだ。

 

「へぇ。咲っていうんですか、妹さん。可愛らしい名前ですね」

「むぅ……京ちゃん咲のことが気になるの?」

「まあ、照さんの妹さんですからね、ちょっとくらいは」

 

 他の女――妹だけれど――のことを気にする京太郎に少しむっとする照だったが、続いた言葉に溜飲を下げる。

 そう、未だ彼にとってあの子は私の付属物でしかない。だから、会ってみたいと思った程度。つまり、何より気になっているのは。

 そこまで考えて、笑みを隠せなくなってしまう自分は現金だなと照は思った。

 

「ふふ。そうだね、後で紹介してあげる」

 

 でも今はただ喜びに口軽く、少女はそんなことを言うのである。

 

 

 そのまま、照は京太郎のことが好きなままだった。けれども、高校生になってから、彼女を取り巻く状況は変わってしまう。

 卓上にて発揮された照の魔物は、たちどころに彼女を高校生の頂点へと押し上げた。

 最強の女子高生。すると、自然照は注目を浴びるようになり、人に囲まれるようになる。それは麻雀で繋がった絆。縛されてみれば温かくもあるが、しかしそこには彼の姿がない。

 だからつまらないと、時に照は嘆くのだった。

 

「京ちゃん分が足りない……」

「照。またそんなことを言ってるのか、お前は……」

「だって、本当に会う時間がないから」

「はぁ」

 

 カメラ前での笑顔は何処へやら、あからさまに萎れた様子の照に彼女の大切なお友達であり曰く親切な人であるところの白糸台高校麻雀部部長弘世菫は嘆息する。

 照と菫は、高校入学して直ぐからの付き合い。菫も紆余曲折を共に進んでトップを歩む照をずっと支えて来たからには、彼女の想い人である京太郎の名前をうんざりするほど聞いているし、顔を合わせもした。

 初邂逅の時に起きた面倒を思い起こし、菫が額に皺が寄らぬように我慢していると、同じチームの後輩二人が思い思いに言葉を零す。

 

「でもここまで照先輩に想われてるなんて、その京……なんとかって奴は幸せ者ですね」

「きっと先輩の想いは通じてると、思います……」

「誠子、尭深……」

 

 ボーイッシュな亦野誠子はしかし頬を染め、渋谷尭深は眼鏡の奥を柔和に細めて言った。

 彼女らは後輩の鏡というべきか、女の子らしく恋バナは嫌わないし、敬愛する先輩の恋の成就を願いだってする。

 そんな思いやりに感動する照。のろりと首をあげて京太郎分の代わりに後輩分を摂取しようと手を広げると、そこにきゃんきゃんと最年少が声を上げた。

 

「そんなことないよ。きょーたろーってバカだもん。間違いなくあいつはテルーの気持ちなんて分かってない!」

「そういえば、淡は彼と同じ中学で知り合いだったな……はぁ。こっちにも火が点いてしまったか」

「そー! せっかく淡ちゃんお世話係に任命してあげたのに、勝手に別の高校に進学しちゃって。女装してでも白糸台に来てって言ったのにー……」

「……淡。それ、初耳」

「ふふーん。テルーにも言ってなかったからねっ! それにそもそもきょーたろーが教えてくれたんだよ、テルーの凄さを」

「むむむ……」

 

 可愛い後輩大星淡の言葉に、頬を膨らませる照。そう、こと京太郎関連において彼女たちは意見が合わなかった。

 淡のその無垢な性格もふわふわ髪の毛だって、照は大好きだ。それこそ、妹代わりみたいに接して甘やかしてしまっている。

 とはいえ、そんな大切な淡にだって、京太郎は奪われたくない。そして中学時代に京ちゃんを私物化していたんなんて、と憤慨した照はぷんすかした。

 

「京ちゃんは私の」

「違う。きょーたろーは私のだよっ」

 

 照の文句に、淡も意地を張り出す。そして、はじまるのは子供の喧嘩。

 私の、いや私のと繰り返されるばかりの口論にすらならないそれに、誠子と尭深も苦笑い。しかし、その横で捗らないチームの会議をどうしようかと、ついに額に深い皺を刻んだ菫は。

 

「やれやれ。須賀君も可哀想だな。こんなポンコツ二人に執心されて……」

 

 淡と照に両手を引っ張られる京太郎を幻視し、後で慰めてあげよう、と心に決めるのだった。

 

 

 

 確執はそのまま。しかし、大好きな男の子の存在が慰めとなりこころ和やかに。

 少し短くそろえた髪を気にしながら、照はすっかり慣れた東京の街を一人歩く。

 見上げるような人の波に、しかし望む長躯は中々覗えない。

 

「それは、そうだよね」

 

 人の海に、彼を願う。そんなこと何度繰り返したことか。でも、そうそう彼と隣り合える試しはなかった。

 改めて語らずとも、宮永照は須賀京太郎のことが好きである。

 そして照はなかなか会えなかろうが、それでも自分の想いは届いていると信じていた。

 自分は好きで、彼もきっと好き。ならば多少の距離なんて。そう考えていた。

 

「あ……きょう……咲?」

 

 しかし。広い道路の反対側に望んでいた京太郎の姿、そして見紛うことない愛すべき妹、咲の姿を認めて。

 照は停まった。彼女は、その場で男女の会話を、聞く。

 

「京ちゃん!」

「なんだよ、咲……」

「えへへ、京ちゃんとお買い物を一緒出来て嬉しくって」

「……お前、照さんすら霞むくらいのとんでもない方向音痴だから遠出には付いていかないと不安なんだよ……全く、臨海女子中への道に迷ってる咲を俺が拾わなかったら、初登校は何時になったんだろうな……」

「それがはじめての出会いだったね! あの時は、お姉ちゃんと間違われてびっくりしたけど、結果的に相手が京ちゃんで良かったなぁ」

「そうしたら、肉じゃが持って家におしかけてくるようになったけれどな。警戒心なさすぎだろ……」

「だって、お姉ちゃんが認めた男の子だよ? 大丈夫に決まってるよ!」

「咲お前どんだけあんな無防備な照さんの人を見る目、信じてるんだよ……」

「だって、お姉ちゃんは凄いもん!」

「まあ、確かに凄いけどさ……」

 

 長身男子に、控えめ少女。どこかぴったり嵌まっているような微笑ましい二人。

 しかし、そんな彼彼女が共に自分の大切なものだったとしたら。

 

「咲? 京ちゃん?」

 

 どうすれば、良かったのだろう。照は己の内にて揺らぐ天秤に、悩んだ。

 

「――――京ちゃん大好き!」

「はいはい」

 

「っ」

 

 届いた妹の愛言葉。それを聞いて、照はその場から走り去る。もう、自分とは違う自分と似たものが自分の代わりに隣にいる事実を認めたくはなくて。

 

「う、うう……」

 

 いやいやをして、泣きじゃくりながら逃げ出す少女は、痛々しくも幼気。

 ただ、か弱い自分を鏡を見つめて守っていたばかりの彼女は、ひび割れる胸元を止めることは出来ない。

 

 そして照は、ぱりんと、大事なものが壊れる音を聞いた。

 

 

「……なかったことに、しよう」

 

 少女はいつの間にか潜り込んでいたベッドの中で頭を振って、そう呟くのだった。

 

 

 

「京ちゃんもお姉ちゃんへのプレゼント、買えると良いね」

「そうだな。せっかくここに仮にも女子がいるんだから、確りとセンスを見て貰わないとな」

「仮にもってなに!?」

 

 そんなだから。もし、彼女がこの会話まで聞いていたら、というのはあり得ない。

 

 

 

「照さん。咲に、貴女の妹に――――なんか、しました?」

「――――京ちゃん。私には()()妹はいないよ?」

 

 何時の日か、焦燥に疲れた京太郎の前で照は、そうつぶやくのだった。

 

 

 鏡は壊れた。もう、あなたしかみえない。

 

 



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ヤンデレ白糸台②

 9千文字書いても②で終わりませんでした……要素を拾いすぎているのか、それとも自分の書き方が変わってしまったためか、どうにもひとつひとつが長くなりすぎていますね……申し訳ありません!
 でも次回③で終わりですー。次こそ早めを目指しますね!

 この後ヤンデレ白糸台③を投稿した次には京恭ですので、お待ち下さいー。
 自分も中々終わりが見えないことにひーひー言っていますが、頑張ります!


 菫さん

 

 弘世家、といえば東京、いいや全国でも指折りの名家である。

 家が大きい、土地が広いは当たり前。その豪奢の全てが、静に沈んでいる。和に倣っているわけではなく、弘世家が和の代表。そう思ってしまうくらいに格式高い一族の一人として、弘世菫は生まれた。

 いわゆる、お嬢様。しかし、本人は特にそれを嫌いもせずに受け止めて、そこらに蔓延る普通一般にも習った。向上心の高さに、深い度量。それによって、菫は誰からも一目置かれるようになった。

 

 見目の整いを心がけてみれば、あっという間に幼い華となる。習い事では抜きんでるまで励み、特に得意のアーチェリーに至っては大会で負けなし。

 そんな菫は勉学だって当たり前に行うことの一つ。辛くもなければ楽しさこそ勝り、そのお陰かガリガリ学ばずとも花丸だらけの答案と馴染めた。

 それでいて、普通を劣りと思わず認める器。それを多くが優しさと捉え、殊更周囲の女子は熱狂する。流石にファンクラブまでが出来てしまっては菫も眉をひそめたが、それくらい。

 基本的に、菫は百点満点を出し続け、険を作らず過ごしていた。

 

「菫ちゃんって、アホだな」

「え?」

 

 だがしかし、それこそが間違いだと、少年は言うのだった。

 

 

「上品、と言うには少し贅が過ぎるな」

 

 様式に合わせ、久々にドレスに身を包みながら、菫はそんな風に呟く。サテンのドレスは、彼女の未発達の身じろぎに合わせて、滑らかに揺れた。

 パーティに慣れきった喜色のない子供。それで口を開けばこれでは、まことにかわいげがないものだろうと思う。だが、どうしたって無駄に育ちきった審美眼が、この場の華美にバツをつけるのだ。

 財閥として有名な龍門渕。その娘の誕生パーティという名目のお披露目兼社交練習場。

 その表層、資本の多寡でいえば日本でも随一の一族の誇りをかけた上質な飾りにすら、しかしどうにも菫は洗練されていない野暮ったさを感じてしまう。

 絢爛豪華。しかしそこには飾らなければいけないそのままの自己に対する自信の薄さが透けて見えてしまった。

 

「ふぅ。こう思うのは、驕っているようで良くないな……」

 

 菫は果実の唇から、小さく溜息を吐く。そして龍門渕は何もかもが半端だと、そう評した先日の祖父の言葉を思い出す。

 財閥の系譜とはいえ、歴史が足りない。黄金にすら最早洒脱さを見いだせない、そんなレベルの大家ですら弘世家のこの国に張った根の深さと比べればもの足りなかった。

 無意識に、そんな家の子であることの誇りが出てしまい、恥じる菫。これは頭を冷やさなければ、と彼女は財界の魑魅魍魎達とにこやかに会話を続ける両親から離れた。

 流石に訓練されているために、子供の自分すら見逃さずに都度避けてくれる給仕たちに道を譲られながら、大人達の会談の谷間を歩む。

 

「っと」

「あ、ごめん!」

 

 そして、安堵しきった菫は突如大人達の間から表れた少年にぶつかりかける。急なことであったが、持ち前の運動神経で菫が反応し、ぼうっとしていた男子も良い反応をみせたことで何事もなかった。

 とはいえ、明らかに上等な年上女子に衝突しかけるなんて、あまりに気が抜けたことだと反省した少年は疾く頭を下げる。

 そんな彼に、菫は微笑んで言葉をかけた。

 

「なに、お互い何もなかったことだ。悪いことなんて何一つ起きてもいないというのに、君が頭を下げることはないよ」

「あ……そっか、ありがとう」

 

 下がった金の頭は再びぴょんと持ち上がり、彼は笑顔を見せる。

 少年の顔に見覚えはない。その金の毛髪に龍門渕との繋がりが伺えるが、それくらい。菫も見ず知らずに優しくするのは得意だが、もっとも必要以上にすることはない。

 とはいえ、その笑顔は人を見るのに長けた菫であっても素敵に思えたので、彼女も倣って微笑むのだった。

 

「うん。笑顔の方が好ましいな。私は弘世菫」

「菫ちゃん、か。俺は須賀京太郎っていうんだ」

「そうか……なあ、京太郎。君が良かったら一緒に会場を見て回らないか?」

「いいの?」

「ああ、一人ではつまらなかったからね」

 

 涼しげに菫は話したが、しかしつまらなかったというのは本当のことだ。

 何しろ、先に語らった龍門渕の一人娘は子供に過ぎた。必死に自分と背比べをしようとし続ける者の相手をするのは疲れるものだ。

 そして、それが終わってみれば可愛がるフリをして近寄ってくる大人共の相手を笑顔で務めるばかり。これには菫も少し面白みのなさを感じてしまうのも仕方ない。だからこそ彼女は表裏のない様子の京太郎を伴に選んで、しばらく暇を潰そうとしていた。

 

「あら、()()京太郎と一緒にどこに行くんですの、菫さん?」

「貴女は……」

 

 しかし、そこに現れたは、パーティの花。品を捨てて足早にやって来た主役に、周囲はざわめく。

 そう。社交のいろはを教わったばかりの龍門渕透華は、そんなものを投げ捨てて菫のもとへとやって来たのだった。

 そして、その目的は彼女の言から分かるように、勿論。

 

「透華おねーちゃん」

「京太郎! お久しぶりですわ! 元気でしたか?」

「うん。透華おねーちゃんも元気?」

「もっちろんですわ! 衣は寂しがっていましたが、私はこれっぽっちも京太郎と中々会えないことを寂しがっていたりなんて……」

 

 べったり。京太郎にくっつく透華を見た菫は、なるほど関係性においてそういう言葉はこういう様態に使われるべきものなのだな、と理解できた。

 それほどまでに、場を忘れた粘度。肌がくっつきかねない程の距離に、少女は遠慮なく寄っていた。そして、険を持って龍門渕透華は弘世菫を見つめる。

 これは、自分が厄介なところ(逆鱗)に触れてしまったのだと気づいた菫は、面倒に巻き込まれないように疾く口を開く。

 

「これは知らないとはいえ、少しお邪魔だったかな? では私は……」

「あら、菫さんお待ちになって。これでも私、貴女を邪険にするつもりはありませんわよ?」

「そうだよ菫ちゃん。俺たちと一緒に話そーぜ?」

 

 白々しい言葉と、笑顔の本音。あまりにあからさま過ぎるその様子に、彼らがあまりに擦れていないことに首を傾げたくもなる。

 正直なところもうこの二人に関わり合いになりたくなかったが、しかし表面上とはいえ場の主役に留め置かれてしまってはどうしようもない。

 菫は、ため息を飲み込んだ。

 

「ああ、そうだな。少し一緒させてもらおうか」

 

 そして、少女は笑顔を仮面として、腹をくくるのだった。

 

 

 須賀の家は、龍門渕の傍流。とはいえ、須賀家は当時弘世家も注視していた先端分野にて頭一つ抜けた成果を出している会社の代表を務めてもいた。

 父が社長。幼き京太郎もそういう認識くらいは持っていたそうだ。しかし、それだけでしかない、とも言えたが。

 酔狂にも、あまりに普通の子として育てられたお坊ちゃんである京太郎は、何時かバカ正直に本家龍門渕の問題に顔を突っ込んで手を伸ばし、その全てをぶち壊しにしたのだそうだ。

 語る透華の言葉があまりに称賛に偏っていたために不確かだったが、そんなことをパーティの残り時間の殆どを使って語られた。

 そして、後。

 

「うーん……京太郎ー……」

「透華おねーちゃん、寝ちゃったね」

「その、ようだな……」

 

 三々五々、お開きになり始めた中で確りと寝入る透華のその手は二人と結ばれていた。

 なんだかんだ、初めての社交の場ということで気疲れしていたのだろう、ぐっすりしてしまったのもパーティが終わったということで緊張の糸が切れてしまったが故だというのは菫も理解出来る。

 しかし、それにしてもどうして私の手をも握ったまま寝入ってしまったのだと、菫も文句の一つでも言いたくなった。

 だがまあ、衆人環視でそんなことを口にしてしまうのは、上手いことではない。だから努めて黙っていると、きょとんとした京太郎が言った。

 

「ん? 菫ちゃんって、こういうの嫌だったか?」

「いや……」

 

 正直に、嫌と言えたらどれだけ楽だろうと、菫も思う。しかし、減点を恐れる彼女には子守をすら嫌ともいえない。

 静かに首を横に振る、菫。そんな彼女を見た京太郎は。

 

「菫ちゃんって、アホだな」

「え?」

 

 あっけらかんと、そう言うのだった。京太郎は優しく笑みを作ってから、続ける。

 

「嫌なら嫌って言って良いんだよ? 窮屈だったら言って良いんだって。――――皆が皆菫ちゃんみたいに頭いいわけじゃないんだから、言わなきゃ分かんないからさ」

「お前は……」

 

 途端、優しさの前で菫は分からなくなる。

 お利口こそ、優れた処世術。それを信じて満点をばかり貰っていた菫。

 けれども、そのための我慢をアホらしいと彼は言った。そんな文句に、ぐうの音も出ない自分に気づいた菫は愕然とする。

 

 自分に素直なだけで、磨かれてもいない。しかしなるほど、これは。

 

「大器、だな」

「おじい、様……」

 

 それを眺めていたばかりの老人が、輪から一歩進んで京太郎を一言で語った。

 それが自分の祖父であることに気づいた菫はそちらに顔を向けるが。その厳格を前にしたまま、何一つ気負うことなく京太郎は言った。

 

「たいき? 俺は京太郎って名前だよ、おじいさん」

「ああ、なるほどなあ。ワシの孫娘をよろしくな、京太郎」

「うん!」

 

 そして、平素から眼光一つで大人を震え上がらせる翁をその仕草一つで微笑ませる。

 なるほどこれは、見誤っていた。小さいものはどちらだったのか。彼女が今も眠りの中で彼に縋っているその理由もまたよく理解できて。

 菫は、吹き出す。

 

「ふふ、あはははは!」

「菫ちゃん?」

 

 何も分からずに首を傾げる京太郎の前で、菫は思う存分に笑んでから。

 

「はは……よろしくな、京太郎」

 

 ただ、それだけ言った。

 

 

 

 龍門渕透華は、須賀京太郎のことが好きである。

 弘世菫もまた、須賀京太郎のことが好きである。

 そんなことが広く龍門渕に弘世の家に縁のある家々に知れ渡るのに時間はかからなかった。そして、両家が本気で彼を囲おうとする動きもまた、迅速極まりないものだったのだ。

 

「え? 婚約? そんなの俺には早すぎるって! しかも相手透華おねーちゃんに菫ちゃんって……俺たちが仲良くしてるからってなんでもくっつけようとすんなよなー、大人たち」

 

 しかし、どうにも世間とズレている京太郎はそんな本気を本気にすることなんてなかった。京太郎は須賀京太郎のまま、年上彼女たちと親しむ。

 

「京太郎! 誕生日プレゼントですわ! その、プレゼントは……わた」

「あ、透華おねーちゃんも来たんだ。いや、ついさっき菫ちゃんが来てさ」

「失礼している……それにしてもプレゼントがどうのこうの言っていたが……そのまるでラッピングされているかのような衣装はひょっとして?」

「な、なんでもありませんわー! 私を京太郎に貰ってもらおうなんていう魂胆なんて、ありませんの!」

「あ、解けた」

「脱げたな……」

「きゃあっ、二人共凝視しないで下さいな!」

 

 大人しく言祝ぐよりもと、京太郎は菫に透華に全面の親愛を受ける。

 

「よしっ。折角だし、皆で遊ぼうぜ!」

「……仕方ないな」

「ま、待ってくださいまし! せめて運動できるような格好に……きゃ、いつの間にか服が替わって……ハギヨシ、ナイスですわ」

 

 そして、次第に彼らの喜色は飛び跳ねた。

 遊び戯れることこそ子供の全力。得意と得意を擦れあわせ、三人はきゃきゃあ高い音色を響かせる。

 

「はは……楽しいな」

 

 そんな稚さの中で、微笑むこと。そのあまりの楽しさをはじめて知って、ますます彼女は彼に傾倒することとなった。

 

「やあ、菫……さん」

「ん? どうした京太郎? 私のことは前のようにちゃん付けでも良いんだぞ?」

「いやさ……最近ハンドボールのクラブチームに入ってさ。上下関係っての教わったんだよ」

「だから、二つも年上の私に礼儀を払わなければと思ったのか? なら、それは間違いだ」

「間違い?」

「なに、私と京太郎との仲には親愛以外が入る余地なんてないさ。むしろ、もっと私に寄りかかれ」

「うわぁ、菫ちゃんめちゃ格好いいな。流石はふた桁もファンが居るだけはあるなあ」

「お前は口が裂けても私を可愛らしいとは言えないのか……あと、ファンは最近三桁になったようだな……」

「おぉ……」

 

 そんな中、どうにも先達として立ちたがる菫に京太郎が気を引かせることがありもしたが、それも一言で解消。

 嫌に女性人気がありすぎる、そんな菫のどうしようという本気の相談を京太郎が聴いたりもした。

 

「差し入れを断るのも大変でな……断るのは一言でいいが、彼女らの手作りの苦労を思うと心苦しい」

「あのさ。前にも言ったけどさ……そもそも付き纏われるの嫌だったら止めろって言ってもいいんだぞ? 人を想うってのも限度があるって。菫ちゃんって嫌でも平気な顔してることあるからさ、心配だ」

「……そう見えるか?」

「好きなことだけしろとは言わないけどなぁ……俺は嫌なことに慣れるのも良いことじゃないと思うんだよな。ハンドやっててつくづく思うんだ」

「そうか……嫌なら止める……」

 

 そんな、風にして付かず離れず。周囲から見れば驚くほど奥手な交流は続くのだった。

 

 

「にしても、京太郎はヘボだじょ……どうしてあそこでドラの四索が切れたんだじぇ?」

「いや……正直俺も悩んだんだけどさ。チャンタに三色同順があるからもう無理に持ってなくても良いかなって……」

「それで京ちゃん、染谷先輩の清一色に振り込んじゃうんだから……後ろであーってなったよ……」

「染めてたんだって後で気づいたんだよな……正直俺、あの時優希とかの捨て牌とか見てなかったわ」

「染谷先輩もわざとミエミエにやってくれてたのに……やれやれだじぇ」

「マジか……うっわ本当に格好悪いな、俺」

「ふふ。役を作るのに懸命になりすぎてしまうのは初心者にありがちなミスですから、これから気をつけていけばいいと思いますよ?」

「おぉ……俺に優しくしてくれるのは和だけだな……これからもお世話になります、和先生!」

「えっと、先生ですか? それは、その……」

「もう、京ちゃんったら和ちゃんに変なこと言わないの!」

 

 そして、高校に上がり、なんとなく懇意にしている年上女子ふたりがハマっている遊戯に触れることで、京太郎はいち麻雀部員として清澄の地にて日常を謳歌することになる。

 どうしてか男子が一向に入ってこない麻雀部にて、京太郎は当たり前の交流を楽しんだ。ここでは金持ちの息子でもハンドのエースでもなく、むしろ曰くただのヘボ。

 一般家庭と言いながらカピバラを飼っているということに和あたりには違和感を持たれたが、それくらい。少年はそのまま平凡に浸ることで、大器を忘れる。

 

「良かったな。京太郎」

 

 勿論、彼女たちはそれを忘れることなんてなかったが。

 

 

 それは、ある日。

 京太郎が麻雀をはじめたということを喜んだ透華が衣ハウス――少女を閉じ込めるような動きはもうなく、ただの遊戯場と化している――にて衣と透華、ハギヨシとで彼から点棒をこれでもかと奪い去った後のこと。

 暮れかけの空の下、仲のいい()()の友達と遊ぶ衣を背景に、幸せいっぱいな透華は感極まる。京太郎のその手に抱きついて、彼女は告白した。

 

「京太郎! その……好きですわ!」

「ん? 俺も透華姉ちゃんのことは好きだぞ?」

「鈍感!? いえ、そっちの好きではなくてですね……その、恋愛的な好きといいますか何と言いましょうか……」

「恋愛って……透華姉ちゃん何変なこと言って……」

 

 本当に、変なことだと、京太郎は思う。自分との間には既に確かなものがある。

 お互い好きであり、それでいい。それを越えて貪り合うことなんて、はしたないことだ。

 そんなことを、京太郎は幼心に誰かに聞いていた。真心に似せた毒。大器はそれを飲み込み、歪んでいた。

 受け取りきれずに惑う少年。しかし、想い募らせた少女は頑強。真っ直ぐに、彼女は彼のためにも続ける。

 

「いいえ、私は決しておかしなことは言っていませんわ。恋愛は京太郎、あなたが思っているよりよっぽど当たり前にあって良いものです。それを否定するのは怖がりというものですわ」

「そう、なのか……」

「ええ。それで京太郎。勇気を出して教えて下さいな。――あなたは誰が、一番好きなのですか?」

 

「えっと、その……」

 

 少年は、困る。傷つけたくはない。けれども。

 どうしてだか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のように、口は勝手に開いて、あっけらかんと答えを口にした。

 

「菫ちゃんだけど」

 

 平らに、まるで嘘のような。けれども、それは本心でもあったのだ。

 

 

 

「はは……」

 

 それを盗み、聴いていた彼女は笑う。

 近く、京太郎に対する愛のみを好きとして、それ以外の全てを嫌って捨てた少女は。

 

「本当に、私はアホだったな」

 

 残骸となってしまった富貴を思い出しながら、ありきたりな涙を一つ零す。

 

「それでも、私も好きだよ、京太郎」

 

 言葉に震え、ごく小さな居の中彼の画で造られた闇にて、彼女は再び昏く凝った。

 

 

 

 尭深さん

 

 渋谷尭深といえば、麻雀の高得点プレイヤーとして有名である。

 あの、宮永照の居なくなった白糸台にて大輪を咲かせ、三年時には最多得点記録を更新するに至った、強者。

 生来からの大人しさと優しさが溢れる、どこか押しの弱そうな見目に反してのその実力に、ファンはそれなり以上に多い。

 とはいえ、それに無自覚でのんびりと過ごしてしまうあたりもまた、らしいといえばそうなのかもしれなかった。

 

 半ば押し付けられるように渡されたファンレターをその手に、困惑した様子で尭深は言う。

 

「……まさか、バイト先でこんなの貰うなんて思わなかったね」

「いや……尭深先輩なら納得ですよ。なにせこの前も、麻雀雑誌の表紙飾ってましたし。大学生でっていうのあまりないみたいですよ?」

「あれは……宮永先輩が忙しかったみたいだから、その代打。高校の縁でカメラマンさんが知り合いだったから、受けたの」

「いや、プロの代わりになれるっていう時点で凄いことに気づいて下さいよ……」

 

 尭深にとっては見上げる長身である京太郎が、肩を下ろしてがっくり。

 美人で、謙虚。長じた部分に無自覚な先輩に、彼はたびたびそのアンバランスさを不安がる。

 自己評価があまりに低すぎて、これでは悪い奴だってそれを良いことに関わりを持とうとしかねない。

 沸き起こる庇護欲――危なっかしい幼馴染とこの頃随分と疎遠になったためか――をくすぐられた京太郎は、本屋のバイトで偶々顔を合わせた知り合いなだけの少女に構いたがった。

 

 しかし、そんな青年を見て、尭深は口角が上がることを禁じえない。ファンレターを店名がプリントされたエプロンに入れながら、彼女は笑う。

 

「ふふ……」

「どうしました、尭深先輩?」

「京太郎君って、心配性だなって思って。大丈夫。私だって自分が有名だってくらい分かってるよ?」

「いや……それでは足りないかと」

「足りないの?」

「ええ。それだけじゃなくて、尭深先輩がどれだけ魅力的なのかっていうのもまた……と」

 

 有名の自覚。しかし、それでは足りないと京太郎は熱弁しようとして、ようやく彼も二人の間に失われつつある距離に気づく。

 それは、聞くふりをしてどんどんと尭深が寄ってきていたことが原因だ。

 柔らかな笑みに、崩れきらない整いが眩しい。吐く息が、互いにかかりそうだ。

 これほどまで近寄って気にしないなんてあまりに無防備、とは思う。直ぐに注意したくはあった。だが京太郎も男である。

 可愛い女の子をいたずらに突き放すような気にはどうしてもならず、なにも言えずにしばし。沈黙を笑顔で飲み込んだ尭深はそして。

 

「ふふ……私って、そんなに魅力的?」

 

 そう、言った。

 

 

 

「美味しい?」

「はい! いや、正直お茶の良し悪しはよく分かんないんですけど、尭深先輩に淹れてもらうとなんか……ほっとしますね」

「ふふ……それは良かった」

 

 一人のためのアパートメントに、二人。京太郎は尭深のもてなしを受けて、ほころばせる。

 青年の本心からの褒め言葉に、笑みを続ける尭深。じっと彼を見つめる彼女はメガネの曇りすら気にならない。

 年離れた妹を郷里に置いて、一人暮らしはちょっとさみしいというそんな言葉。

 それを本気にした京太郎は尭深のアパートに顔を出すことをいとわなくなった。はたしてどっちが危なっかしいのか、とは彼女の思いである。

 

「緑茶って良いですよね……これまでペットボトルでばっかりでしたけど、尭深先輩の注いだのを呑んだらなぁ。うーん……後で急須買おうかな?」

「良かったら、お家から持ってきたお古があるんだけれど……どう?」

「良いんですか? いや、でも……」

「ううん。使わないのは勿体ないから。それに、どうせ安物」

「そう、ですか……なら」

「ん」

 

 短い返事を置いてから、とたとたと歩んで奥に消えた尭深はそのままごそりごそりと、戸棚を漁りだす。

 尭深には趣味が四つある。麻雀に読書に園芸。そして、お茶入れだ。

 麻雀が殊更達者であるが、それ以外の趣味もどれも熱たっぷりに入れ込んだもの。

 高校時代それらの趣味は、メガネを友にするくらいにのめり込んだ読書は少しポンコツな先輩との話の種になったし、唯一の日を浴びる趣味の園芸はそのため虫に慣れていたがためによく同級の少女の趣味である釣りに連れて行かれる原因となった。

 

「ぐぅ……」

「ふふ」

 

 そして。今回も趣味のお茶入れは働くこととなった。どうしてこの後輩は、お茶を呑む度に寝入ってしまうおかしさに気づかないのだろうと、尭深は微笑む。

 そう、京太郎は尭深の家でぐっすり。ソファに倒れ込んでよだれを垂らしている。その前のテーブルに探し出した、二桁万円はする茶器をそっと置いてから、彼女は彼に顔を寄せる。

 

「ん」

 

 そのまま、尭深は京太郎に口づけた。そして、口の端に流れる液の後を這わせるように彼女は舌で撫で、もう一度唇に唇を寄せる。

 そしてそのまま口内に舌を入れた。

 

「んぅ」

 

 舐る。いやむしろ食むような勢いで彼女は彼を味わった。

 しかし、どうしようもなくそれは柔らか。花を弄るような愛を持って尭深は京太郎を愛する。触れる離れる、その程度の快感ばかりで決して達さない。

 

「はぁ……」

 

 だからこそ、これ以上はとてもではないが了承のない今ではとても出来やしないのだ。

 もっと己を刻んでみたい。でもしかし。そんな葛藤は彼の呑気な寝姿にて急速に収まっていく。

 

「……ちょっと、苦い」

 

 唇をぺろり。彼にあげた茶の苦さを味わって、尭深は再び微笑んだ。

 

 ああ、可愛い。食べちゃいたいな。

 

 そんな想いは決して口から出ない。

 

 

 

「っ……うわっ、ひょっとしてまた俺、寝てました?」

「うん。ぐっすり。……バイト帰りだったし、きっと疲れてたんじゃないかな?」

「それなら、尭深先輩も同じじゃないですか……うわ、情けないな、俺。体力どんだけ落ちてんだよ……最近多いな、こういうの」

 

 起き抜けに、全身のダルさを覚えながら落ち込む京太郎。微笑む尭深はその横で、もう少し頻度を落とさないといけないかなと冷静に考える。

 それもそうである。未だ彼に感情の芽しかなければ、収穫には程遠い。拙速にも少し味見してはいるが、しかしそれで鮮度を落としてはいけないのだ。

 恋愛。それは尭深にとって花ではない。糧、なのである。だからこそ、彼女にとって彼は必要なものだった。

 そっと急須を入れた袋を胸元に持って京太郎に寄りながら、尭深は言う。

 

「情けなくてもいいよ」

「そうですか? いや、流石に迷惑ばかりかけて申し訳ないなと……」

「迷惑をかけても、いいよ」

「そんな……」

 

 懐の深さにますます恐縮する京太郎。そんな彼に、尭深は。

 

「それまでどんな労があったって、収穫は喜びでしかないから」

 

 ほそくほそく、目を細めてじっと見つめながら、そう微笑むようにして真顔で言うのだった。

 

 

 

 花枯れた後に、実はつけるもの。それをもぎ取ることは彼女にとって。

 

 



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ヤンデレ白糸台③

 また色々と試しながら書いてしまいましたー……書ける幅は増えたかもしれませんが、お気に召す内容でなければ申し訳ありません!
 ですが今回で白糸台編は何とか終了ですー。

 そして次は京恭ですね! 頑張りますー。


 誠子さん

 

 亦野、といえば我々のような釣りを趣味にしている人間にとっては実に馴染みの深い名字であるかもしれない。

 その辣腕にてルアーフィッシングを日本中に広めた亦野●●――執拗に塗りつぶされていて読めない――と、その息子日本全国津々浦々の大魚を平らげたとすら言われるテレビでもおなじみの彼、亦野○○――名前の部分が破り取られている――はまことに有名だ。

 

 

※ハサミが入れられ一部綺麗に切り取られた痕がある

 

 

 そしてこの写真の彼女、亦野誠子は彼らの血を真っ直ぐに引く、しかし高校女子麻雀界のホープとしてその界隈にどっぷり浸かっている、そんな子だ。

 筆者からすると、小さい頃に〇〇氏が連れ歩いていた、あの可愛い誠子ちゃんが大きくなったものだなと感慨深いが、しかし知らない読者諸君にとっては急に釣り雑誌で麻雀女子の紹介をはじめてどうしたの、と思われてしまっても仕方がないのかもしれない。

 とはいえ、その麻雀のスタイルを見てみると、我々釣り人にとってきっと無視できるものではなかったりもするのだ。

 ポン、チーと鳴いて牌を河から釣り上げ誰よりも早く和了る、そんなスタイルで彼女は麻雀界の強者として君臨しているんだ――どうだい、麻雀を知らないフィッシャーな君も、それを聞いたらたまらないなと思ったりはしないかい?

 誠子ちゃんには否定されてしまうかもしれないが、我々からすると亦野家の血というものをその闘牌からはひしひしと感じ取れてしまう。そうなると、贔屓する気持ちがムクムクと湧いてきてしまうものだ。

 

 今回は前回予告していたチヌ釣りのイロハについてのものではなく、白糸台のフィッシャーとして名を上げているそんな誠子ちゃんを応援する記事になる。

 編集長の説得には苦労したものだが、今号が誠子ちゃんが挑む第71回全国高等学校麻雀選手権大会が始まるちょうど前に出回るのであれば、応援のためにもねじ込まざるを得ないだろう。

 

 それでは……―――――以下に続くだろう文章は強い力で破かれて損なわれている。

 

 

「はぁ、はぁ……クソッ」

 

 自分が悪い。そんなことは分かっている。だから、我慢できるとは思っていた。しかし、そのせいで先輩が悪し様に言われてしまったら。真っ直ぐな性根をした彼女に我慢など出来はしなかった。

 どうでもいい嫌な女子たちに掴みかかって、暴力沙汰。そして停学。しかし家の中にじっとしていられず、今逃避のようにただひたすら駆けている。

 端的に、亦野誠子は荒れていた。

 

「私が、弱いせいで……」

 

 口に出しても、弱いというそのふた言が信じられない。そんなことを自分に思ったことなど今まで誠子は一度もなかった。

 頭は悪くないし運動神経だって抜群、そしてこと釣りをしてみれば祖父と父親に褒められるほどの釣果を上げてばかり。そして、そんな釣りの得意を麻雀という土俵に持ち込んでみたら、群を抜いた。

 強豪白糸台であるからこそエースになりきれないが、全国の代表校のエース達と戦ったって自分は引けを取らない―――そんな自信も、たしかにあったのだ。

 

「でも、私のせいで白糸台は、負けた」

 

 そうではないと、優しい人達に何度言われたことか。けれども、影から投げかけられた心無い言葉は胸元に刺さったまま抜けてくれやしない。

 まるで自信と共に温かいものすべてがどんどんとその傷から抜けていくような感覚。

 ひょっとしたら、先輩への文句に崩れてしまったのも、この冷えこそが原因だったのかもしれなかった。

 

「寒いな……」

 

 彼女ほど髪短ければ、雨粒の冷たさだって感じ取りやすい。

 何時の間に空まで泣き出していたのだろう、誠子はすっかり濡れていた。

 震えすら、もうない。それどころでどうにかなる域ではない、凍えによる血色の悪さが顔にまで出ている。

 気づけば足取りもふらふらだ。前に進もうとして、よろよろ。ガードレールにぶつかった誠子は、そのまま寄りかかって、その先を見つめた。

 

「汚い、な」

 

 見て取れたのは、臭ってこないのが不思議なくらいに汚れた川。濁りの中に雑多が捨てられていて、大きな何かのスポークが川底から顔を出しているのが分かる。

 こんな中でも、しかし魚はいた。汚泥を啜って、彼らは生きている。そんな生き方に彼らは最適化しているのだけれども。

 

「可哀想、だな」

 

 どうしてか、誠子はそこに自分の末路を重ねてしまう。そんな不味いもので生きるくらいならいっそ。

 そう思った彼女はいつの間にか沸き起こっていた熱に浮かされながら、口を開いた。

 

「そんなヘドロより私の血の方がきっと、美味いぞ?」

 

 そして彼女はガードレールの上に登り、そのまま。

 

 

「危ないっ!」

 

 突然現れた彼の抱擁によって、引きずり降ろされるのだった。

 彼――京太郎――は自分と同じようにずぶ濡れで、しかしそんなことはどうでもいいとナニかを終わらせるためにともがく誠子を必死で捕まえる。

 

「っ、駄目ですっ……どうしてこうなってんのかは、よく分かんないですけど……飛び降りるとか、駄目ですって」

「駄目って、誰が決めたんだっ、私なんか……私なんか……」

 

 もがいて、熱い。そして抱きすくめられて、燃えるようだ。

 そのまま嫌だ、逃さぬを繰り返し、解けて脱げて、すっかりもみくちゃになった誠子と京太郎は、次第に動けなくなる。

 

「どうして……」

「はぁ、はぁ……どうしても何もありますか……」

 

 ただ力強く抱く彼の必死を肌で感じるばかりになった誠子は、京太郎のその目をその時はじめて見た。

 そこにあったのは燃えるような、そんな意思。彼は、彼女のために心から言う。

 

「まだ、何もはじまっていないのに、終わるなんてナシですよ」

 

 そうして安心してもらうためにと笑んだ京太郎のことが、誠子にはとても眩いものに見えたのだった。

 

 

「ま。そんな言葉に私がまんまと釣られて、今があるってわけか」

「いや、それじゃ俺がいやらしい人間みたいじゃないですか……当時、そんな他意はなかったですよ?」

「なら、今はあるんだな、良かった」

「はぁ……」

 

 飄々とした恋人の言葉に、あの日のしおらしさはなんだったのかと、思う京太郎。

 彼のため息を他所に、誠子はにこりとしながらココアをずずと啜った。

 須賀家の広い一室。京太郎のためにとあてがわれた部屋にて、当たり前のように誠子は寛いでいる。

 まあ、それも当然のことか。京太郎と誠子が付き合っているのは須賀家亦野家の公認。子供だけは焦るなよとは、誠子の父親の実感篭もった一言だった。

 

「いや、それにしてもあの日、京太郎たち清澄麻雀部が東京に来ていなければ私も危なかったな。なんだっけ、宮永先輩と咲ちゃんの仲直りを見届けるために、部の総出で来てたとか何とか」

「実際のところ大会の時は麻雀漬けで周れなかった東京観光も兼ねてたんですけどね。咲は私のために皆過保護だよって苦笑いしてましたが……結果的には良かったです」

「私が家から出たことを父さんから聞いた宮永先輩が、その場に居た清澄の皆の手を借りることさえなければ、私は今は川の底かな」

「あの時は照さんも慌ててましたよ……いや、だから助けにならなければとより必死になりましたが……それで結局誠子さんを俺が脱がしていたように勘違いされて散々な目にあったのは残念です」

「ふふ。私が寝込んでいる間に、そんなことがあったのか……よいしょっと」

 

 微笑みで話は一段落。そして誠子はふかふかベッドから腰を上げる。彼女はそのまま、扉へと向かう。

 

「どこへ?」

「いや、京太郎の分のココアを淹れようかと思って」

「あー……よろしくお願いします」

「ん」

 

 返答は短く。そして、誠子が帰ってくるのにばかりは少し時間がかかった。

 その間、京太郎は思う。どうにかして、誠子を以前のようにとまではいかなくても好きだった麻雀と向き合えるようにはしてあげたいな、と。

 とはいえ、そんな以前から考えていた解決策の思いつかない問題の妙案を、短時間で浮かべるのは無理なこと。

 とりあえず、誠子の笑顔が再び浮かべることが出来るようになった笑顔を大切にと思うのである。京太郎が戻ってきた彼女から受け取って飲んだココアは、とても温かかった。

 

「ふぅ……美味しいっす」

「それは、良かった」

 

 本当に、良かったと誠子は思う。心配だったけれども、美味しいのだ。ならもっと彼のためにも、と絆創膏の付いた指先を弄る。

 京太郎は、そんな彼女の人差し指に気づいて、問う。

 

「そういえば、その指先……何時の間に怪我したんですか?」

「なんでもないよ……そんなことよりココア、冷めちゃうよ? せっかくだからなるだけ美味しいうちに飲んで欲しいな」

「それはそうですが……誠子さん、怪我には気をつけて下さいよ?」

 

 京太郎のその心配は本心から。けれども、その心はもう決して届かない。

 だって、誠子は今気づいてしまったのだ。こうすれば、自分を慮ってもらえるし、何より――――美味しいと言ってもらえる。

 

「ふふふ」

 

 返事の代わりの笑みに、京太郎は大丈夫だろうと勝手に納得する。

 

 

 しかし、折角釣ったんだ逃す気がないのなら食べてもらわないとね、と誠子は心のなかで言葉を転がすのだった。

 

 

 淡さん

 

 大星淡は、星星が好きだ。

 太陽はおっきくてあったかいし、月は満ち欠けが綺麗。地球だって、とても大切な私達の世界だってことも分かっている。

 しかし、夜空というカンバスに思うがままに光を散らしたかのように細々とした星星一粒一粒こそが、淡にとっては空を見上げる一番の理由だった。

 キラキラ、星星は届かない。光り輝く全てはただひたすらにキレイなだけ。けれども、だからこそ愛おしかったのだ。

 

「だって、手を伸ばし続けたくなるじゃん。好きなの。須賀だって好きな人の名前くらい覚えてるでしょー?」

 

 須賀京太郎の、どうしてそんなに星のことばかり諳んじれるんだ、という質問に対して淡はそう答えた。

 天の川より大いに光を孕んだ彼女の瞳は希望にきらきらと零れんばかりに輝く。

 思わず見とれた京太郎だったが、しかしこの()()()()()()()()()()が、ポンコツであれども魅力的であるのは何時もの通り。

 今日も今日とで淡は我が道を往く。授業中に騒ぎ出した彼女にまたかとため息をついた教師の表情にも気付かずに。

 

「たとえばねー、このはくちょう座にある星なんてとんでもないんだよっ。太陽なんて千六百個並べたってダメでさあ……」

「あー、そうか……」

 

 何やら図鑑を取り出して、ベテルギウスだのUY星だのの魅力を語り出した、その新たな一面に京太郎は藪をつついてしまったかと反省。

 

「一等星くらいは須賀も知ってるよね? たとえば星座から一等星がなくなっちゃうと寂しいものだけど……まあ、光り輝くばかりが偉いってわけじゃないの。それでね……」

「あ。そっか」

「え?」

 

 愛しのアイドルを語るかのように頬を染めながらよく分からないどうでも良さそうな星星の詳細を流暢に語る淡に、しかしふと彼は思う。

 そして、思いついたことはそのまま口にしてしまうのが、よくも悪くも京太郎らしさ。

 まるで名案を口にするかのように、彼は身を乗り出してきた話し相手に目をパチクリさせる彼女に、言った。

 

「そんなに好きならさ、部活創っちまおうぜ」

「創る?」

「おう。この学校って天文部、確かなかったよな。でも、創部が禁止ってことはないだろうし、淡だってそろそろ勧誘され続けんのも嫌だろ?」

「創部かぁ……しかも天文部。なにそれ、面白そー!」

 

 感激に淡は、何やらわさわさとそのふわふわ長髪を興奮させる。

 現段階で、彼女は届け出やら必要な部員数などの面倒は考えていない。星を見上げる時間が増えるかもしれない、そのことにばかり目を引かれて枝葉末節はもはや脳裏になかった。

 気分屋なところがあり好きなもの以外に目もくれないために部活動とは疎遠な一年生である淡と同じく部に入っていない京太郎は、続ける。

 

「ああ、そうだどうせなら俺も部員にしてくれよ?」

「えー……別にいいけどさぁ……須賀って星のことそんなに興味なさそうじゃん」

「とはいえ、他に興味があるものだってないし……それに、俺も一々運動部に勧誘される度にケガのこと話さなくていいっていうのは楽だしな」

「あ……」

 

 淡は、素直に目を伏せる。

 京太郎には現在興味あるものがない。それはそうだろう。何しろ、今彼は中学の三年間をかけて努力した大好きなハンドボールが怪我によって出来なくなっているのだから。その右手がもう肩より上がらないことを、彼女は知っている。

 淡は思う。もし、自分から星が取り上げられてしまったら、そんなの泣きたくなるくらいに悲しいことだと。

 優しい彼女は少し涙ぐんでしまったが、そんなのを無視して努めて明るく、京太郎は言うのである。

 

「それに何より、淡と一緒に居たら退屈しないだろうからな」

「……ふふんっ! それはそうだっての。淡ちゃんは凄いからね。面白さだって高校100年生分くらいはあるんだから!」

「高校100年ってどんだけ留年して老成した面白さだよそれ……っと」

「もー、揚げ足取らないの! あのねっ」

 

 雑にツッコミを入れる京太郎に、それでも淡は元気全開のなまま。

 そしてブレーキ知らずの状態で、授業中だということすら忘れて叫ぶのだった。

 だって、ふわふわ空の上ばかり見ていたばかりの淡は、右も左も分からない。だからこそ、これからも彼に頼るためにと大胆なことを口にする。

 

「とにかく須賀は私と一緒にいればいいのっ!」

 

 周囲に完全にカップル認定された京太郎が頭を抱えることになった、そんな原因の一言を発した淡は、まるで恒星のように光り輝いていた。

 

 

「ふぅん。それで、天文部を創部できなかったからって文芸部に入ってきたんだ……君たち面白いね」

「ほら、須賀ー。先輩にも面白いって言われたよ! これは私の高校100年生分の凄さが出ちゃったかな?」

「いや、淡は喜んでるけどこれ多分褒められてないぞ?」

「ううん。褒めてるよ」

 

 古い本の山の側にてパイプ椅子に座りながら訳されていない本を読む、大人しい女子生徒。

 いかにもな文芸部らしさがある光景を前に、しかし京太郎と淡は何時もの通り。話を大人しく最後まで聞いてくれた文芸部の三年生――宮永照といった。文芸部唯一の部員らしい――は、そんな二人を()と実の目で認めてにこりと微笑む。

 

「それじゃ、淡ちゃんに京……ちゃん。よろしくね」

「こっちこそよろしく、テルー!」

「いや、どうして俺まで先輩に最初からちゃん付けなのか分かりませんし、淡は相変わらず軽いな……」

「ごめんね。京太郎って意外と呼びづらくて……噛みそうになったから、京ちゃんにしたんだ」

「可愛い理由ですね……淡と一緒で須賀呼びでいいですよ?」

「それはフレンドリーさに欠けると思う。京ちゃんも照ちゃんって読んでいいんだよ?」

「分かりました、部長」

「がーん……」

「あー、須賀がテルーをいじめた!」

 

 素直にぷんぷんぎゃーぎゃー言う淡の隣で、京太郎は宮永照のおかしさを見つめる。

 普通ならこんなに拙速に距離を縮めようとしてくる下級生なんてうざったがられるのが然り。

 それをこうも()()()()()()()()()()()()()なんてよほど器が広いのか、或いは何か裏があるのか。

 

「いい子たちだね」

 

 まるで大切な一つ星を庇うかのように隠れて真剣にしている京太郎を認めた照は()()()そう思うのだった。

 

 

 その後。

 照が独り持て余していた部費を使って購入した望遠鏡で揃って星を見上げたり、天球模型を持ってきた淡が京太郎に毎日それを用いたクイズを出すのを趣味としたり、大人しく三人で本を読み耽ったり。

 そんなこんな日々を送ってから、最近ハマったのだと言って麻雀牌を持ってきた京太郎が三麻をやってボロボロに負かされたことがあった。

 明らかに手加減をしていた照に、教本を持ってあーだこーだ言っていた淡にまで完封された京太郎は、絞り出すように言う。

 

「はぁ……麻雀強いのな、二人共」

「それはもう私は……」

「高校100年生だから、か? まあ淡は適当にやって和了ったって感じだけど、部長は凄いですね。無駄がないっていうか何というか……上手でした」

「うん。でもこれは昔とった杵柄」

「はぁ……麻雀部に入っても活躍できそうな感じでしたけど……」

「私は麻雀それほど好きじゃないから」

「なるほど」

 

 京太郎は、その言葉に納得を覚える。好きと得意が違うなんていうことは当然のようにあり得ること。

 それに何しろ、宮永照という少女は淡々と――ときにダイナミックに――打牌をする先の姿よりも、静かに本と親しむ姿の方が似合っていた。

 また、正直に言えば照が麻雀部に行ってしまうと、とても寂しい。このぽんこつ2(1?)号な先輩のことをすっかり好きになってしまったことを、京太郎は感じるのだった。

 

「んー……でも、私はちょっと麻雀に興味あるかも。いっそのこと、麻雀部に殴り込みをかけてみて……」

「止めたほうがいいかな」

「部長?」

 

 反して、麻雀というものに興味を持ち始めた淡は、実力を確かめたいとそんなことを言ったが、照に止められる。

 頬を膨らまして、淡は反発した。

 

「えー、多分だけど、私きっと負けないと思うよ?」

「うん。私も負けないと思う」

「なら……」

「だからこそ、止めたほうがいい。勝ち続けて……でもそこには京ちゃんを連れていけないよ?」

「須賀を? ……ふーん」

 

 訳知り顔で、不明なことを述べる照。どういうことだと考える京太郎に、しかし淡は特に悩むこともなく答えを出す。

 あっけらかんと、笑って。少し瞳の輝きを曇らしながら、淡は言った。

 

「なら麻雀なんて止めよっと」

 

 そうして遠く旅立たずに。だから、彼女は今日も星を見上げる。

 

 

 

「ねえ、京太郎」

「どうした、淡」

「もしもさ、私が遠くに行っちゃったらどうする?」

「そりゃあ当然、付いて行くに決まってるだろ」

「それが出来ないなら、どうするの?」

「出来なくても、どうにかするさ」

「ふーん。頑張るんだ。私のために必死になるんだね――――私には、それが嫌だったんだ。京太郎にはね、ずっと笑っていてほしくって」

 

 

「あは。そのためなら、私に翼なんて要らないんだ」

 

 そう。彼女は今日も、彼のために背中の痛みを我慢し、笑うのだった。

 

 

 しゅらば

 

 

「分かった気に成っているだけ。照、お前はそれだけが得意か」

「菫……どういうこと?」

「何、須賀君に対してもそうだが、お前は慌てなさ過ぎる。それはきっと、致命的な失敗をするまで変わらないのだろうな」

「……京ちゃんに、何かしたの?」

「何もしていない。だが……馬脚は現したか。ふん。その険を持った表情のほうが、宮永照らしい」

「そんな菫は、あんまり余計なことをしない方がいいと思うけど」

「つまり?」

「きっと京ちゃんはうざったいと思ってるよ」

「ふん。お前のほうが余程うざったいと思われているだろうがな。所詮お前は宮永咲の代わりだ」

「何者にもしてもらえてない菫がよく言うね」

「下らない。そこは、何者にもしてもらえると言いかえるべきだな」

「……つまらない人になっちゃったね」

「お前こそな」

 

 

「どうしても、彼には私が愛されるよね」

「よくそんなことを言えるなぁ、尭深。ただ京太郎に親切にされているだけだってのに」

「粗雑に扱われている人が自信を持てるのが私には不思議だけれど」

「壊れ物を扱うように、っていうけれど実際はもう壊れているのにな。京太郎もよくこんなのに付き合ってられる」

「大雑把だから触れやすいのだろうけど、中身が不細工じゃ彼には似合わないよ?」

「こんだけの恋して綺麗なままでいられるって思えるあたり尭深も夢見がちだな」

「綺麗でありたいというのは女子の当たり前だよ? それとも誠子は女の子じゃないの?」

「ああ、男子だったらそれはそれで良かったかもな。京太郎をむちゃくちゃにしてやれる」

「彼が可哀想。自慰に使うためにしか想われていないなんて」

「ああ、京太郎が可哀想だな。触れることすら出来ない臆病者の相手をしないといけないなんて」

「……いなくなればいいのに」

「そればっかりは同じ意見だな」

 

 

「キョータロー……あれ? その女、だれ?」

「ああ、この人は白糸台OGでプロの……」

「ねえ、どうしたの? おかしいよね。まだ部活の中で目移りさせるのは許せるよ? でもそれ以外の場所で私以外の女子を気にするなんて変。どこか頭ぶつけたの? それとも……うん。そうだ。その女が悪いんだ。間違いないよ。目つき悪いし。キョータローを誘惑するなんて許せない、どうしようかな、どうしようかな……」

「……淡」

「なに!? キョータローの言う事なら私、なんでも聞いちゃうよ? 恥ずかしいことはちょっと嫌だけれど、でもそれがいいかもしれないし……」

「ハウス」

「分かった! 先に帰ってるねっ!」

 

 

「はぁ。お前も大変だな京太郎」

「……分かりますか」

「ああ。お前はとっくの昔に私のものだってのになぁ」

「……へ?」

 

 

 了。



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そのひと目惚れにマルをあげた京恭

 また大阪弁出来てるか不安で不安で遅々として進まなかったのですが、なんとか出来ました!
 なんとなく以前のようなノリで書けたようなそうでもないような……頑張りますね!

 次は京咲を書こうかな、と思っていますー。出来ればよろしくおねがいしますね。


 

 何もかもが思い通りにならない日というものもある。

 予想は外れて、期待は叶わず、挙げ句寝入ることすら一苦労。そんなサッドネス・デイ。

 この世の道理のひとひらを思い通りに出来るような、そんな特別な持ち物なんて夢のまた夢。曰く凡人の末原恭子には、それなりにそんな一日を経験するものだった。

 

「……つまらん日やったなぁ」

 

 そして鏡の前に立ち、下ろした髪の長さを気にしながら、恭子は今日一日をそう評する。

 朝練から麻雀の成績は奮わずに、駆けてみれば足を挫き、ちょっとしたいざこざに意固地になって家族と衝突し、心細さに敬愛する監督へかけてみた電話も不通。

 そんなこんなで、今までため息を我慢できたのは上出来だったろうと、恭子も思う。

 一歩進んで触れんばかりの距離までそっと、少女は鏡に近寄る。もちろんそれは、世界一美しい乙女を探すためではなく、少し険があるように固まってしまった表情を確認したばかりだ。

 いかんなあと考えた彼女はなんとなく、とんでもないものを持った友人愛宕洋榎がかけてくれた、抜けた言葉を思い出した。

 

「なんでもかんでも欲しいからって手ぇだしとったら何時か腰いわしてしまうで、かぁ……ほんまやな」

 

 それは何時か、恭子が卓上において鳴きにおいて最短と危険の秤を誤った時にかけられたもの。一語一句を諳んじれるほど心に入ったものではないが、なんとなく耳に残った程度の軽い冗句。

 しかし、それは今の状況に合っていると恭子は思う。

 

 得意というか己の大部分を賭している麻雀でダメ、ならばと気合を入れて挑んだ体育で怪我をして、己の足の痛みを知らない両親の無遠慮に理解を求めて失敗して、そして夜半に期待してかけた電話が繋がらなかったことに勝手に失望する。

 一日において気を抜いている部分がまるでなかった。思うにすべてに、良い結果を求めていたのだろう。そのらしくなさに、と恭子は苦笑する。

 

「切り替えてかんといかんな。私は別に宇宙怪獣とかじゃないんやし、手も足も出んでそのまま終わり、なんとことだってフツーにあって当然やんか」

 

 鏡の中少女は、少し見ない間に柔和を取り戻していた。恭子は彼女の前で、まああんな風にくるくる空飛べられたら素敵やけど、と冗談を零す余裕を見せる。

 だがしかし、己の映しの前で、恭子はふと思う。さて、自分はどうしてこうも格好良くあろうとしてしまったのか。

 ああ、なるほど。そして理解は羞恥を引っ張ってくる。心当たりを想うだけで紅潮する頬は、何より雄弁だった。

 

「あー……らしくないいうたら、こっちの方がアカンわ」

 

 そんな好きになる理由なんてないやろ、と困る恭子。しかしどうにもひと目で気に入った彼の姿は脳裏に焼き付いて離れずに。

 

 鏡は、恋に熱を持った頬を捏ねくり回す、そんな世界でも有数の可愛さの乙女を映していた。

 

 

 

「須賀」

「はい。どうかしましたか、末原先輩?」

「……いや、ただ呼んだだけや」

「はぁ……分かりました」

 

 揺れる自由なつり革を見上げながら恭子は、何が分かっただこの唐変木、と口にせずとも思う。絶対こいつはこんなに私が胸をバクバクさせていることを分かっていないとも、考えながら。

 いや、以前から彼が姫松高校への通学に同じ電車を使っているとは知っていた。何を隠そう一目惚れしたその瞬間は人々の隙間から京太郎の姿を見つけた時であることだし。

 しかし、今日は空いてるやんラッキー、と何も考えず座ったところが彼の隣。これには恭子もびっくり動転し、ついつい部の先輩の厚い皮を被ってしまったのだった。

 

 それこそまるで昨日の夜の再現のような険しい恭子の表情。思わず、その不機嫌そうな様子の理由が分からない京太郎は拙いと思いながらもストレートに問ってしまった。

 

「……怒ってます?」

「ん? 別に怒ってへんよ。須賀は何か私を怒らすようなことをした自覚でもあるん?」

 

 実のところ恭子は何いってるんこいつ、と内心イライラしてはいる。けれどもそれをおくびにも出さずに、彼女は聞き返した。

 今更だが、麻雀する時にも浸かっているポーカーフェイスを恭子は思い出したようである。

 少し意地悪な問いに、否定を返そうとする京太郎。しかし、愛らしい先輩の横顔から、一つ彼は心当たりを思いついてしまうのだった。

 

「いや……あ」

「なんや、本当にあるんか?」

「すみません……実は昨日、漫さんと……」

「何、漫ちゃんとナニかあったん!?」

 

 恭子からすると唐突に出てきた上重漫というその名前。可愛がっていてとても身近な後輩ではあるが、それが京太郎の口から出てきたのは拙い。

 何しろ、観察と分析を得手とする恭子からすると、京太郎のその目線の行きたがる先は歯ぎしりしたくなるくらいに分かりやすいもの。そう、おもち持ち、にである。

 その観点からすると、三年生でありながらすとんとした自分よりも二年生でありながら山のような漫の方がよっぽど彼の好みに合っているということになるのだ。

 

 好きな彼が、好みの女性に接近する。それは大事だ。そしてまたその相手が溺愛している後輩であるというのも良くない。

 どっちもが自分の遠くに行ってしまう、そんな恐れを抱いた恭子は京太郎にことの仔細を尋ねるために、それこそ掴みかからんばかりに寄った。

 

「ち、近いですよ……末原先輩……」

「そんなんどうでもええやん! 二人でナニしてたか、って聞いてるんや!」

 

 そう、まるで今自分と彼がキスする手前のようだろうが、どうでもいい。なにせ、妄想の中の二人はもっといやらしいことをしているのだから。

 咎めて、それを続けさせないように、或いは取り戻すためにと恭子が食って掛かると。

 これ以上近寄られたらそれこそ唇が頬についてしまうと、素直に京太郎は白状をするのだった。

 

「すみません、二人で買い食いしてました!」

 

 そう、それは漫が京太郎を誘い、末原先輩には内緒やでと商店街でほかほか唐揚げを一緒に食べた咎。

 その際の罪の味を思い出して、ごめんなさいと京太郎は謝るのだった。

 これには、キス以上のことを想像していた末原先輩は、ぽかんである。

 

「それだけ?」

「はい。それだけ、ですけど……」

「えっと、でも、それってデートちゃうん?」

「帰りにばったり会って商店街の唐揚げを買い食いしたってのはデートとは言い難いかと……」

「それはそうやな……」

 

 買い食い。そんなちっちゃなことで怯えていたのか、このでっかい青年は。

 ああ、そもそもあの純な漫ちゃんと唐変木な京太郎の組み合わせで、スケベなことが起きる筈もないのだ。恭子は今更ながら、そう理解する。

 

 安心。そして、恭子は現況を思い返すこととなる。

 近い、顔と顔。しかし昨夜と違い、見上げる顔は柔らかさに欠け、情けなくもあるけれどやっぱり格好いい。

 

 そして、その中身だって良いものだと恭子は知っているのだ。

 はじめて見目から好きになって、ずっとその軌跡を追っかけていた彼女だからこそ、分かること。

 それは、麻雀における須賀京太郎という少年の引きの悪さ、そしてそんな引きの悪さを逆手に取ったやり方で推薦を勝ち取ったという分かりやすい特徴ばかりではなかった。

 人を見て、当たり前のように気遣う。朗らかさを押し付けずに、それでいて人を明るくさせる。そして何より。

 

『……末原先輩、こんな遅くまで一人で検討していたんですか?』

『そやな……持ってるヤツの意見も聞いとくか。須賀。ここはアンタならどう打つ?』

『ええと、俺なら……』

 

 真摯で。

 

『また来たんか? 別にパーティの用意も何もないで?』

『いえ、そんなに気になるなら主将から今日からお前に鍵頼むな、って言われまして』

『……洋榎、余計な世話やってのに』

『末原先輩?』

『いや、どうして須賀は私のこと気にしてんのかなってな。何、力もないのが必死にしてるの哀れんでるん?』

『違いますよ! 俺はただ……』

 

 ひたすらに真っ直ぐに。

 

「一番格好いい人のためになりたいと思っただけです、かぁ」

 

 自分を見返してくれていたのだった。

 

 小さくあの日の言葉を繰り返した恭子は、しかし格好いいではなく可愛いと思って欲しいと考える。

 だから、少し気恥ずかしさに離れてしまったけれども、今一度近くに顔を寄せて。

 

「末原、先輩?」

「恭子、や」

「はい?」

「漫ちゃんと同じように呼んでや。……やらんと額にバツ書くで」

「分かりました! ……えっと、恭子さん?」

 

 照れに顔を赤く、目は泳いでいる。とても格好悪くて、子供っぽい。

 

「ふふっ」

 

 でも、そんな京太郎にだって、恭子は何度目かの惚れを覚える。屋烏の愛に、恋は闇。けれどもこの胸元のときめきばかりは本当だろう。

 及第点。花丸には及ばないけれども、これは。

 

「後で京太郎には、マルあげたるわ」

 

 そう言って、誰より愛らしく恭子は笑みを深めるのだった。

 

 

 

 

 

「これは面白い場面、見ちゃったのよー」

「ふーん。やっぱり、うちの見立てた通りやったなー」

 

 がたんごとん。そんな音に二人の観察者の声は紛れて消える。

 果たして、こんな青春のいち場面(からかいの種)電車内(公衆の面前)で披露してしまった、二人の未来はいかに。

 

 



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そのバツからカップリングがはじまった京咲

 遅くなりました!
 なんとか念願の京咲書けたのですが……マルの次にバツは安直でしたかねー。
 とはいえ、カップリング≒×というところもあって、題材に選ばざるを得なかったところもあったりします!

 次回は、順当にいけば前に投稿したカップリングの続きを投稿してから、京優希ですねー。
 そこまで行ったらまたアンケートしますので、その時はよろしくおねがいします!


 

 中学二年生の頃の自分は、それはもう付き合いにくい存在だっただろうな、と宮永咲は思う。

 とある不幸にひねて、普通を羨む。文字の海に埋没することで深い悲しみを忘れようとしていた少女はきっと、面白くない転校生だったのだろう。

 とはいえ、一人殻にこもった少女をつつきもせずにあれは酸っぱい葡萄だと見て見ぬ振りをしてくれた大勢は優しかったに違いない。

 

「はぁ……こんな、いやがらせ……」

 

 もっとも、クラス全員が文句ひとつなく独りぼっちになりたがる頑なな少女を受け容れてくれるはずもなかった。

 溜息と共に、咲は嫌気をはき出す。机にチョークで描かれた大きなばってん。その悪意をまるで子供みたいと彼女は内心蔑む。

 

「どうしよう……」

 

 この机いっぱいのピンク色のいたずら書きがされたのは彼女が放課後、図書室に本を返しに行ったその合間。

 二本の直線は、まさにいたずら書きという呼び名が相応しいような乱雑さで描かれていた。

 筆致は強く、雑巾で拭いたところで直ぐに取れそうもない。とはいえ、こんな×印がついた机を平気で使い続けられるほど咲は図太くもなく。思わず困り極まり呟くと。

 

「酷ぇな、これ」

「っ!」

 

 咲は真後ろから少年の声を聞いた。独りぼっちのつもりが一人ではなかったことに驚く彼女に彼、須賀京太郎は苦笑しながら弁解する。

 

「あー。すまん、宮永。驚かせるつもりはなかったんだ。俺、ちょっと教室に忘れ物しててさ。そうしたら宮永がぽつんとしてたから、ついな」

 

 長躯からその声色は優しげに響く。京太郎のその手には、競技用のシューズが入っているのだろう手提げ袋が携えてあり、その言は本当なのだろうと咲は思った。

 確かに、忘れ物を取りに来て、自分を気にしてくれたのだろう。本来ならば喜ぶ場面かもしれなかった。

 とはいえ、少し優しげなだけでは、すっかり痛みに怯えるようになってしまった少女は安心できない。咲から向けられる警戒心の篭もった瞳に、思わず京太郎は頬を掻いた。

 

「あー……ちょっと待っててくれ」

「え?」

 

 これは、いくら諭してみても距離は縮まらないな。そう考えた京太郎は部活の忙しさにかまけて二週間経っても馴染まない転校生をほったらかしにしてしまったことに、どこか罪悪感を持ちはじめていた。

 気の良くてそれに過ぎるところすらある彼は、努めて笑顔のままに、自分の机のところまで行く。

 そして、何を思ったのか、その中身を椅子の上にあけて、咲のところまで持ってきたのだった。

 微笑みながら軽々と机を運んできた男子に、怯えを忘れて疑問符を浮かべた彼女は訊く。

 

「えっと、それは?」

「ああ。俺の机だ」

「そうじゃなくて……」

「なあ、宮永。机、交換しようぜ」

「え?」

 

 軽く告げられた言葉は、正に咲にとっては寝耳に水。それこそ先までは嫌そうに机の落書きを見ていたというのに、どうして。

 なんでと首を捻る少女に、まるでなんでもないかのように、京太郎は言った。

 

「いやさ。よく見たら中々良いセンスじゃないか、その落書き。赤系のバツとかまるでここが宝のありか、みたいだよな。つい欲しくなっちまってさ」

「それは……」

「んー? おまえの机って今、空っぽいな。文句なかったら、今すぐ換えてくぞ?」

「……あ」

 

 それは有無を言わせない、強引さ。でも不愉快ではなかった。

 遠ざかっていく大きな背中。そして、連れて行かれる×(否定)。その意味を遅ればせながら察した咲はぽつりと言った。

 

「……ありがとう」

 

 その言葉は彼に届かなくても、きっと彼女にとって深い意味となったに違いなかった。

 

 

 

 その日から、京太郎は咲のことを気にかけるようになる。

 目に入るものが楽しそうだと嬉しい、といういかにも善人(おせっかい)な性質である彼が周囲に居ては、彼女もむっすりしてばかりではいられない。

 姫と呼んでからかったと思えば、少女に向かったいじわるに向けては声をあげ、笑顔に対して頬を緩める京太郎。

 そんな少年と時間を共にすることで、宮永咲は、次第に笑顔を取り戻していった。

 それどころか、懐いて近寄りもっともっと。それは、欠けてしまった愛を取り戻すための行為であり、京太郎にしてはひな鳥が親にせがむ姿と重なるもの。

 

「まるで咲ちゃんは京太郎の嫁さんだな」

「嫁さん違いますっ!」

 

 しかし、他人からはもっと微笑ましい何かに見えていた。

 

 

 たとえば。溶け込み始めたクラスの皆から、ほらと女子の一人に押し出された咲は、調理実習の合間に京太郎の班へ向かい、肉じゃがを味見して貰うようなこともあった。

 熱さにじゃがいもをはふはふとしている京太郎に、緊張しながら咲はその味を訊ねる。

 

「す、須賀くん、美味しい?」

「おお。この肉じゃが凄く美味いぞ。いやー、ポンコツの宮永にも得意なことあったんだなぁ……感動だ」

「むぅっ、私だって得意なことのひとつやふたつ、あるんだからね! そんないじわる言うなら須賀君、勉強もう見てあげないよ?」

「これは美味いがそれは不味いな……すまん、咲。お詫びというかお返しにプレゼントだ」

「……何これ? ぐちゃぐちゃ……」

「ちょっと自由に作りすぎたかもしれないが、それはオムレツだ」

「献立から自由にはみ出すぎてるよっ。失敗したんでしょ……完全にこれ、スクランブルエッグ!」

 

 衆人の期待を裏切るように、いつの間にか構えていたのがバカみたいに思えるような普段に戻る。

 別段、彼女も淡く蕩けるような雰囲気を期待していた訳ではない。ないが、それでも素直にしてくれない京太郎にぷんぷんする咲。

 けれども、怒りは長く続かない。だって、空っぽの胸の中を埋める代替とはいえ、大好きになった大切なものの前で、険を持ち続けるのはあまりに難しいことだから。

 

「仕方ないなぁ……」

「すまん」

 

 意地悪にも可愛がられて、最後にはそれを許す。そんな日常に心は否応なしに和んでいく。哀は愛に慰められ、次第に大きさをなくす。

 これはちょっと料理の勉強しないといけないなと隠れて決意する京太郎に対し、あ、意外と美味しいと気付いた咲はぐだぐだな炒り卵をもしゃもしゃ食むのだった。

 

 

 

 そして、親愛をインプリンティングされたひよこのように、咲が京太郎の後をくっついて回るようになってから、一年以上の月日が経つ。

 いつの間にか咲に京ちゃんと互いの呼び方も変わり、仲を囃し立てるのが飽きない誠くらいになった頃。冬が終わり、花の季節。

 殆どはじめて、京太郎は隣の咲が読んでいる本を気にした。

 そして、予想通りにその内容がバスの揺れの中でもはっきり分かるくらいに文字ばかりであることに眉をひそめてから、ぼそりと言う。

 

「あー、咲って結構難しい本読んでるんだな……正直もっとこう、一ページごとに絵がドーン、っていう本を嗜んでいるとばかり思ってたぞ」

「それってもう絵本……京ちゃんっていつも私を子供扱いするよね……」

「そりゃデパートのお姉さんのアナウンス曰く、迷子の宮永咲ちゃん、だもんなぁ……」

「もうっ、一緒に出かけた時、ちょっと迷っただけのことなのにずっと……」

「いや、界さんから聞いてるぞ? 実は覚えるまで界さんが何回も中学校の行き帰りを送り迎えしてたって」

「お父さん……車で連れてってくれたの二、三回くらいなのに話を盛りすぎだよ……というか、何時お父さんと仲良くなったの、京ちゃん!」

「そりゃまあ、授業参観で会ったっていう俺の親伝手に、だな……つうか俺と界さんってほぼ毎日メッセージ飛ばし合う中だぞ」

「なにそれ、聞いてない!」

 

 蚊帳の外で父親と()()()()()()()が仲良くしていたことに憤り、軽く地団駄を踏む咲。

 彼女のその元気いっぱいの様子に、満足そうに京太郎は笑むのだった。そして諭すように、彼は言う。

 

「いや、でも界さんも咲のこと相当に心配してたから俺に連絡してきたんだぞ? お前、家でほとんど学校のこと、話さないっていうからさ……」

「私だって、お父さんにあれこれ全部話すわけじゃないよ。京ちゃんは忘れてるけど、これでも私だって年頃の女の子なんだからね?」

 

 じと目で見つめる咲に、京太郎は苦笑い。

 この、思春期を忘れてきてしまったような純な少女が自分をまるでその他大勢であるかのように語る姿には、彼も違和感があった。

 つまるところ、実は隠れて京太郎は咲を一つの華として認めている。だからこそじゃれて、真剣になりきれない。それが明確なバツであることを知りながら。

 真剣に向けられる長い睫毛に包まれた大粒の瞳に心惑わされないようにして、京太郎は言った。

 

「ああ。でも咲に界さんが心配するだけの過去がある、とは俺も聞いてるぞ」

「……それは」

 

 聞き、咲は押し黙る。想いと共に悩ましげに絡まりあう、白魚の指。己の胸の奥につかえるものを感じ、困ってしまった咲はつい彼に聞いた。

 

「京ちゃんは、その話、聞きたい?」

 

 聞きたくない、わけがないと思う。

 これまで彼と紡いできた関係はそれなり以上に密という自信があるし、そもそも宮永咲の×()を京太郎は何時だって拭おうと奔走していた。それでもつい訊ねてしまったのは、言いたくないという気持ちを示唆するため。

 案の定、京太郎は首を振って返した。

 

「無理にはいいぞ」

「……そう」

 

 大きな安堵と、少しの失望。聞かれたくないけれど、助けて欲しかった。

 そんな子供っぽい矛盾した気持ちを抱く自分を恥じて視線を文字の海に落とす咲に、勘違いした京太郎は言う。

 

「別に、咲に興味がないってわけじゃなくてさ」

 

 そこで彼は言葉を一度切る。そしてはにかんでから、少女を隣からなるだけ真っ直ぐ見つめて。

 

「ただ、何があろうと、俺はお前の友達ってだけだ」

 

 ここは大事な場面だと照れを飲み込み京太郎は告げる。

 心配なんてしなくていい。どうあっても、それこそ前に本当に大きな×(間違い)をしていたとしても、今更この胸の友情を捨てられるかと、微笑んで。

 

 けれども、少女の視線は沈んだまま。しばらくしてから、咲はぽつりと言うのだった。

 

「駄目」

「ん?」

 

 とても友愛に満ちた回答。しかし、咲はそれに×を付ける。

 だって、それじゃあ零点。なにしろ求めていたのはそれじゃあない。もう、あなたはあの子の代わりじゃないんだ。だから。

 

「友達じゃ、もう嫌だよ」

 

 ああ、おっかなびっくり触れ合うばかりはもう嫌だ。あなたが温かいのはもう知っている。だから、ふざけた振りしてないで遠慮なく私を抱きしめて。

 そんな想いは言葉にならず、身の捩りに抑えられる。だがそれでも停まるのはもう無理なこと。頬紅くしたままに、柔らかな咲の唇はなお動いた。

 

「私が経験した整理も出来てない嫌なことなんて、知って欲しくはない。けど、私が間違いなく京ちゃんのこと大好きだってことは知っておいて欲しいな」

 

 そう、それはわがまま。けれども、請う恋なんて当たり前。綺麗な私の好きを知っていて。

 そんな愛言葉に少年は。

 

「咲……っと」

「バス、着いたね」

 

 返答を用意する時経たずに、目的地にてバスの扉は開いた。二人は慌てて出口に向かう。

 ICカードで早々に払いを終えた京太郎に、硬貨を慌てて数えるのに時間をかけた咲は、降りたと共に春風の涼を覚える。

 そうして一息吐いて、公園前のバス停の名前を確認してから揃って見上げた景色は正に。

 

「綺麗……」

「そうだな」

 

 満開だった。零れんばかりの大輪連なり、その勢いは蒼穹を覆わんばかり。

 桜色は薄桜に聴色、淡紅色をも容れて、淡く淡く。入学記念に遠くの花を見に来た二人を、優しく包み込んだ。

 

 長野にしては早めの開花。けれども、それだって自然。当たり前。

 それに倣う気持ち。そうして想いに蓋をすることを止めた京太郎は、ぽつりと零した。

 

「俺はさ」

「京ちゃん?」

「正直、俺たちはずっとこのままでいいかと思ってた」

「……そうなんだ」

「でも間違ってたな」

 

 そう。はじめはこわれ物のような少女から反応を取り出すことばかりに必死で、そして次に自分を見つめ返してくれたので、今度は一緒を楽しんで貰おうとふざけることにした。

 すると、見れたのは愛らしい咲という女の子の笑顔。それに見惚れた少年は、共にあれる嬉しさに満足した。けれども。

 

「出会ってから一年経ったし、桜も咲いた。間違いなく時間は進んでる。なら俺たちも一歩進んだっていいはずだよな」

 

 大好きな笑顔が隣に咲いている。

 喜ばしいそればかりが、だが関係の終着点であるはずがなかった。

 こっち向いてとつついてばかりでなく、もっと近くにと請うのも正道。少年は自分の×を知る。

 

 だからこそあえて微笑んで、京太郎は咲へ真っ直ぐ向く。そしてそのまま決まり悪そうにしながら、少年は告白するのだった。

 

「あー……咲、好きだ。俺と付き合ってくれ」

「――――うんっ!」

 

 そして京太郎と咲の関係はとうとう×(クロス)する。咲き、桜色に萌え盛る世界の中で、二人の影は、重なった。

 

 

 泥濘からも、花は咲くもの。いくつかの×(間違い)を越えて、春が来た。

 

 



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自分への愛が分かったので怖がらないようにしたら暴走した京はや

 大変遅くなりました!
 最近随分と忙しなくなってしまったのもありまして、中々筆の進みが悪かったのです。
 更には続きを書くと言ってもどれがいいだろうとうじうじ悩んでいたので、もう10面ダイスさんに頼ることにしました!
 いつものやつですね……それでコロコロしたところ出たのは0!

 つまり10話の京はやということになったのですねー。

 急ぎ書いてみましたが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです!


 いち足すいちは、に。そんな子供でも出来る計算を間違えた。

 ならもう間違えないとすることは、正しい。

 

 とはいえ、そんな学びの切っ先でのつまづきなんて、子供心が忘れてしまうもの。楽しみに進む気持ちが、後悔を糧へと変えていく。

 聡明で天才、とすら言えたその女性にとっては忘却しきった、靴の底。大事な大事な立脚点でしかないのだろう。

 

「うーん……」

 

 しかし、ちょっと立ち止まってしまった大人が恋愛の初っ端でやらかしてしまったとしたら、中々前へと進めなくなってしまうのかもしれなかった。

 牌のおねえさんとしてのトレードマークのツーサイドアップにずっとまとめている髪は、解いたところで多少の癖が残る。

 それを気にして弄る指はか細くも円かだった。

 今更になって、今まで自分がやってきた彼へのアピールの拙さに気づいた瑞原はやりは、まだ子供と言っていい年頃の友達に向かって話し出す。

 

「ねえ、咲ちゃん」

「なんですか?」

「あのね。はやりはね、ずっと私なんて京太郎くんの彼女さんにはふさわしくないと思ってたの」

「……それは、ちょっと勝手ですね」

「あはっ☆ そうだよね。たとえそうでも京太郎くんは好きでいてくれるのに、それでも彼のことが好きで好きで仕方ないのに、怖がっちゃって」

 

 ぼうと過去を望むようにはやりは上を向く。そこには、古びた天井があるばかりだが、しかしセピア色はどうにも心を乗せるに易い。

 しばらく彼女がそうしている様子を、同じこたつに入り込んでみかん山盛りの天板に顎を安堵させている咲は見つめた。

 

 はやりは、まるで高校生の自分よりも童顔にすら思えるほどの愛らしい女性だ。そして得意をぶつけ合ったところで敵わない、尊敬すべき先達。

 また、たまたま京太郎の家に遊びに行って会った時に、彼との関係も語らずに誤魔化したずるい人でもあった。

 そしてすったもんだを乗り越えた今。すっかり仲良くなった茶目っ気溢れる大人の女の人が、こんなに気弱にしているなんてつまらない。

 

「はぁ」

 

 ため息ひとつ。咲は勝手知ったる須賀家の空気をたっぷり吸い込んでから、語り出した。

 

「京ちゃんは、スケベでバカな、ただの男子高校生ですよ? はやりさんと比べちゃったらそれこそ凄いところなんて見つからないくらいに普通です」

「はや……」

 

 思うは、好きな彼のこと。それが罵言に近くなってしまうのは、親しさ故のことだったろうか。

 それを、仲違いでもしたのかと勘違いして心配そうにこちらを見つめるはやりの鳶色の瞳に、咲は微笑みを返す。

 子供を諭すように、彼女は言った。

 

「だから……怖がらなくていいんです。むしろ京ちゃんは意外と怖がりだから、親しくなった後はこっちから行かないとダメなんですよ?」

「えっと。でもはやりが押しても京太郎くんはむしろ引いちゃってたけど……」

「それは、はやりさんが勘違いしていたからですっ! あんな物量で圧倒するのは間違ったやり方ですからね!」

「わっ☆ ……どうしたの、咲ちゃん?」

「いえ。ただ段ボール箱何箱か分からなくなるくらいの量送られたプレゼントを家に運ぶのを、偶々近くに居たからって京ちゃんに手伝わされたことを思い出しただけですー」

「あわわっ☆ あの時はごめんねっ」

 

 差出人瑞原はやり。そんな段ボール箱が無数に。そして牌譜や教本が詰まった一つ一つはなかなかの重さ。

 愛の物理的な重さに困っていた京太郎の手伝いをしたことを、後悔と共に思い出した咲の表情は苦い。頬を膨らませ、ぷんとするのだった。

 

「……ふふ」

 

 けれども、そんな苦ばかりがこの真っ直ぐな女の人からもたらされる訳ではない。

 エンターテイナーとしてではなく、ただの人間としてのはやりの柔らかなところに触れた覚えのある咲は、彼女を嫌うことなんて出来なかった。

 だから、ただそっぽを向いただけで絶望的な表情をする大人の素直さを笑ってから、本当の気持ちを口にする。

 宮永咲は、好きな人が好きな人と幸せになることが、本当に良いことだとやっと信じられるようになったから。

 

「はやりさん。あなたはただ……好きって、そう言うだけで良いんだと思います」

「でも……」

 

 好き。それは本当のこと。けれども、この恋は果たして口に出したら嘘になる。

 だって、そんな二言ばかりではとても足りない。もっと熱いものが、心の奥でたぎっているのに。

 そんな悔しい思いと照れ。そのせいではやりには殊の外想いを伝えることが難しいのだ。

 けれど、それを察しながら、咲は静かに言うのだった。

 

「だってそれは、私が出来なかったことですから。……でも、はやりさんは出来たんです。自信を持って下さい」

 

 そう。宮永咲は、ずっと須賀京太郎のことが好きだった。はやりよりもずっと早くに恋をしてきたのだ。

 けれども、ずっと怖がっていた。咲は自分は彼のタイプじゃないとか、本当に彼のことが好きなんだろうかと言い訳ばかりして、逃げていたのだ。

 

 そして、成就しなかった恋がある。だから、応援したい恋がある。

 

 微笑む咲に、はやりは。

 

「うん。分かった!」

 

 ただ、やっと輝くような笑顔を見せることが出来たのだった。

 

 

 

「京太郎くん好きだよ☆ 大好き☆」

「うおっ、どうしたんですか急に」

「急に、じゃないよっ☆ ずっと好きだったの!」

 

 甘い匂いに、柔らかな感触。どう我慢したところで頬が緩んでしまうそれを受けながら、京太郎は縋るはやりを抱きしめ返すことを迷う。

 本当に、どうしてしまったのだと思って。

 

 何しろ、一人ペットのカピバラの餌を買いに出かけてくるその前までアンニュイな雰囲気を彼女は醸し出してた。

 能天気にも見えるはやりとて思い耽ることだってあるだろうし、これはこれで愛らしいと思っていた京太郎だが、しかし帰ってくるなりハグである。

 その元気さについていけず、助け手を探す青年。しかし、先程まで一緒にのんびりしていたはずの、ぽんこつ幼馴染の姿が見当たらない。思わず京太郎はつぶやいた。

 

「えっと、あ。咲はどこに……」

「むぅっ。今は咲ちゃんじゃなくてはやりを見て☆」

「うおっ、どうしちゃったんだ、はやりさん……」

 

 そして、余計な考えで、更にはやりのこころに火がついてしまう。甘々な雰囲気に、京太郎は怖じる。

 ちなみに咲は、こたつの中で楽しんで空にしたみかんの皮を十段重ねにして捨ててから、京太郎が帰ってくる前に去っている。

 彼女はきっと、はやりがこうなることが分かっていたのだろう。そして、こんな空気の中放って置かれたら砂糖を吐くのが自然の流れ。咲が黙って帰ったのは賢明な判断だった。

 

「ふふ☆ 私はね。ずっとどうかしちゃってるよ?」

「えっと?」

「キミに、恋しちゃってる☆」

 

 はやりは、はにかんだ。怖い気持ちを、奥歯に力を入れることでやっつけて。

 

 恋に落ちるのが音で聞こえないならば、果たしてどうやって確かめればいいのだろう。

 そして、この胸元で燃える想いは、一体どうすればいいのか。

 

「そう――――瑞原はやりは今、京太郎くんに愛されたくて生きてるの。そんなの間違ってるよね? でも、それが私の答えなんだ☆」

 

 その答えのひとつが、愛言葉。想いは伝えるものでもあるのだから。熱に浮かされた、間違い。けれどもそれだって本気。

 

 そして、想いに想いを返したくなるのも、愛の常。火は、移る。

 

「あ☆」

「はやりさん」

 

 京太郎は、愛おしくてたまらない彼女を抱きしめて、愛言葉を返す。

 

「俺は、自分が足りていないのが怖いです。でも――そんなことよりもずっと、俺ははやりさんを愛したいのだと、気づきました」

 

 いざ抱いてみれば柔っこくてどうも頼りない、けれども人々を楽しませて元気にしようとして叶えてきた彼女。

 そんな、尊いものをただの学生でしかない自分が手にして良いのかと、京太郎はずっと悩んでいた。でも、それも終わりだ。

 

 眼と眼を合わせ、心より想いを告げようと彼は口を開き。

 

「だから――むぅっ」

 

 とても艷やかで温いもので、黙らせられた。

 

 

 

 そしてしばらく。糸を残した合間すら惜しむように、彼女は。

 

「京太郎くんって、美味しいんだね☆」

 

 はじめて知ったよ、と戯けるのだった。

 

 

 いち足すいちは、に。

 でも好きあった二人はもう、ひとつ。

 

 はやりはようやく、そんなあたりまえを理解できたようだった。

 

 



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恋するのは難しいけれど面白おかしく過ごしたい京優希

 少し時間が空いて申し訳ありませんー。

 お待たせしました、京優希とアンケートとなります!
 どうか投票よろしくおねがいしますねー。

 ちなみに自分は単行本派だったりしますので、知識が遅れてしまいこれから書くものが公式に準拠出来ていなかったら申し訳ありません。
 その場合はこんなイフもあるのかな、と心広く読んでいただけましたら嬉しいですー。


 片岡優希にとって、面白おかしく過ごすことこそ、正しい生き方だった。たくさんの笑顔の中で過ごすことなんて、心地いいことこの上ない。

 しかし、正しく生きるというのは殊の外難しかった。邪魔するのは苦手な()()の勉強に、得意な麻雀での敗衄、そして。

 

「はー……こんなの、つまんないじょっ!」

 

 性格と一緒、御髪要らずの素直なツーサイドが思わず振った頭につられてざわめく。

 常日頃から小ぶりな体躯に元気いっぱい。そんな少女が困惑しているのは、己の怖じ気だった。

 未だ稚さが抜けきれていない優希にはよく分からない。あんなに優しいお人好しに好きだと伝えるというそれだけが、こんなに大変なんてどういうことだと首をひねる。

 

「私としたことが、当たって砕けるのを怖がってるのかー? そんなの私らしくないじぇ、むしろ当たって砕いてやるじょ!」

 

 しかし、生来からの負けん気が弱い心に待ったをかけた。想い人を砕いてはいけませんよ、という空に聞こえた親友のツッコミを他所にして、意気を増した優希は気炎を上げだした。

 下級生たちの歓談から離れた待ちぼうけで一人きりの雀卓から疾く離れて、そのまま駆ける。

 

「先輩?」

「どこ行くんですかー?」

「どっかだじぇ!」

 

 そうして、優希は副部長の突然の乱心に起きた新入部員のざわめきにおざなりに対応して、心の向くまま旧校舎の部室から出ていった。

 

「はぁ……体が重いじぇ。これはタコスぢからが足りてない証拠だじょ……」

 

 遠い雲に、弾む息。ここ数年麻雀にはまり込み過ぎて、すっかり体力が落ちてきたことを今更ながらに覚える。

 それをなんとかタコス――エネルギー――が足りていないという冗句で収めたいところではあるが、乙女的には最近薄く付きはじめたお肉が気になりもした。

 とはいえ、この程度の衝動的なダッシュくらいで痩せてくれはしないだろう。そんなことよりもと、想いの源泉、彼のことを思い出しながら、優希は独り言つ。

 

「アイツは、確か……のどちゃんが学生なんとか長の選挙に出馬するから、ってその手伝いだったかに行ってるんだった……なら私の、のどちゃんセンサーを頼りにすれば、っと」

「うぉっ、どうした優希。外だろうが駆けると危ないぞ」

「京太郎っ!」

「っと」

 

 そして、少女の疾走は曲がり角でこの上なく優しいものに捕まった。その顔を見て、ほころびを隠しきれなくなった優希は、物理的に彼の胸元に顔を埋めて面を隠す。

 すると、好きな異性の香りを思いっきり味わうこととなり、ますます彼女の気持ちはざわめくのだった。

 優希はそっと離れてから顔を真っ赤にしてもじもじと話し出す。

 

「京太郎、その……あのね、だじょ……」

「どうした優希、おかしいぞ? 何か悪いものでも拾って食ったか?」

「お、おかしくなんかないじょ! 思えばちょっと前にこんなちっちゃな紫の花の蜜を舐めたけど……そんなの誤差みたいなもんだじぇ!」

「優希……お前高校生にもなって、ホトケノザの蜜を吸ってたのか……はぁ。まるで子供みたいだな」

「むっ」

 

 そして、優希は話すにつれて呆れを口にする京太郎にむかっ腹を立てた。

 いや、たしかに先に自分は後輩の中でも野良な子や子供っぽい子達と戯れながら、通学路で花の蜜をちゅーちゅーしてはいる。

 とはいえ、子供とは何事だろう。こんなに、恋の憂いに悩む女子高生を捕まえて、と思い優希は口走るのだった。

 

「私は子供じゃないじょ! 多少ナリは近くても、実際それとは遠い懊悩を秘めたクールな大人なんだじぇ?」

「大人もクールも違うと思うが……で。お前何悩んでんだよ、優希」

「う、どうしてバレたんだじぇ?」

「いや、普通に口に出してるし、懊悩とか、よっぽどでもなけりゃ片岡優希の頭の辞書から出てきやしないだろ。何か、困ったことでもあるのか?」

「うう……」

 

 じり、とたっぱのある男子に詰め寄られて優希はますます怖じる。

 相手が慣れていて中身が綿みたいな奴だと知っているからこそ、逃げはしないがそれでも胸元の恋心を暴れさせる難敵に対して、及び腰になってしまうのはしかたない。

 困ったこと、それはたった一つ。もっともっと、望むように面白おかしく過ごすために決心できないそんな今のこと。

 

「ああっ!」

 

 くすぐったくも、寂しくて愛おしくて辛い。そんな感覚をこじらせながら、優希は刹那的になる。

 これが破れかぶれかなんて知ったことか。恋が麻疹で病気ならば、隠しておけば悪化するのは火を見るより明らかなのだから。

 上から見下げることなく、ただ優しく認める鳶色。何時ものようにそれを見上げながら、挑むように優希は叫ぶのだった。

 

「京太郎! お前が好きだからだじぇ!」

「えっと……好き、って……」

「ラブに決まってるじょ! この唐変木!」

「おっ、おぅ……」

 

 勢い、そればかりに任せて本音をぶつける。これが後悔に繋がるのだって、知らない。熱に浮かされるのが恋ならば、きっと今の自分は精一杯それを出来ている。

 そんなことを信じながら、潤んだ瞳を京太郎に向ける優希。そして、そのまま男女は茜に染まる。

 カラスの鳴き声、車の排気音、遠ざかる飛行機雲。

 しばらくの間、耐え難い沈黙の中黙していた京太郎は、ようやく口を開ける。

 

「……俺も優希、お前のことが好きだよ」

 

 はにかんで、小さくも心を込めて。それは、確かに恋に対する応えだった。

 

 

 

「むー」

「そんなに怒るなって……タコスおごってやったろ?」

「この怒り、学食のタコスじゃ足りないじょ」

「はぁ。なら、家で作ってやろうか?」

「……しょうがないじぇ、坊主。それで手を打ってやるじょ」

 

 恋は実って、花の笑顔は満開に。小さな彼女は大きな彼氏の手をずっと離さず、きゃいきゃいと。

 浮ついた心が離れたからと、嫉妬に呑まれずただ彼の困り顔すら楽しむのだった。

 彼の実家にお呼ばれして、大好物をいただける。そんな夢のような楽しみにワクワクしながら、京太郎の手を引き優希は帰路を進む。

 空の青のように変わりがちな少女の心に揺らされながら、青年はぽつりとやゆするように言った。

 

「ったく……そんなにホイホイ食べて、太っても知らないぞ?」

「ん? 京太郎はちっちゃくて丸太みたいな体型が好きなんだじょ? なら平気だじぇ」

「はぁ? 誰がそんなことを……」

「お前よりノッポの男子が言ってたじぇ?」

「誠……予想が外れたからって、またちっちゃな嫌がらせを……」

 

 高久田誠。京太郎の悪友であり、今は亡き京咲派の中でも固くそれが実ると信じ切っていた人物である。

 未だに咲と京太郎がお似合いだと思っている彼は、相手の体型が変わったら心も変わるんじゃ、と優希にいらんことを吹き込んだのだった。

 勿論、まんまるとした優希だって、京太郎にとっては可愛いものでしかない。

 まあ見た目に反してろくに悪いこと出来ないあいつじゃ出来ることはこれくらいか、と苦笑する京太郎。優希は、そんな彼を見上げながら、言った。

 

「予想って……ひょっとして、咲ちゃんと京太郎のことか?」

「……知ってたのか?」

「前に夫婦って言ってたことがあったって、思い出してただけだじぇ……でも……」

 

 過去の面白おかしさに反して、途端につまらなくなる、今。少女の手は迷いに離される。

 京太郎と咲はお似合いだ、と誰かは言っていた。お前たちは凸凹で不似合いだな、と誰かが言っていた。

 どちらが正しいか分からない。果たしてどっちも間違っているのかもしれなかった。

 

 しかし、優希は恋故に迷う。

 私は彼にふさわしくないのではないかと、大好きのために、似合わない苦悩に浸かるのだ。

 

「……本当に、京太郎は私で良かったのか?」

 

 優しい、それだけでなく多くが整った男の子。麻雀の腕はポンコツだが、そこそこ見れるように頑張って来ている今、スキなんてほとんど見当たらない。好きばかりはたくさんあるのに。

 反して、自分は何なんだ。お気楽にも成りきれず、つまらないことでうじうじしてしまう。そんな輝けない花が隣りにあっていいのかと、優希は考えてしまうのだった。

 

「ちんちくりんで、考えが足りなくて、自分勝手……こんな私のどこが……っ」

 

 そう、それこそ咲や和のように大きかったり思慮深かったり、ましてや優しかったら自信が持てたのでは。そう勘違いしながら弱音を吐き出し続けようとした口は、大きな手のひらに頬を包まれたことによって止まった。

 何よりも愛おしそうに、細く細く見つめながら、京太郎は優希にむけて訥々と語る。

 

「可愛らしくて、思い切りがよくて……それで自分勝手なんていうのは嘘だ。なんだ、いいところだらけじゃないか」

「あう……そんなこと……違うじぇ……」

「いや。そんな優希が、俺は好きなんだ」

 

 そう、胸を張って言う京太郎は恋に何一つ後悔なんてしていない。

 それは、異性の幼馴染と距離を空けるようになったことを寂しく思ったり、好みの異性をじっと見つめることを控えるようになったことを残念に感じることだってしばしばある。

 とはいえ、そんなもの秤にかけるまでもなく、どうでもいいと捨てされるものだ。

 

 何しろ、自分の恋で大好きな人が笑ってくれる、そんな面白おかしい今こそが大切なのだから。

 腰を屈めた彼は、彼女にしっかりと目を合わせてから、言う。

 

「信じられないならさ……そんなつまらないこと忘れちまうくらい、ずっと一緒にいようぜ?」

 

 それは、何度目の告白だろうか。結構そこかしこでいちゃついている二人であるからには、中々分からない。

 

 けれども、今回伝わった想いに、ようやく安心できた優希はこの上なく笑顔を開かせて。

 

「あは! そうこなくちゃ、だじぇ!」

 

 面白おかしく過ごす未来のために、再び彼の手を握り返すのだった。

 



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あったかくなり過ぎてくらりとしてしまった京宥

 アンケートしたのに、大変遅くなって、誠に申し訳ございません!
 オリ小説をゲームにしてましたー!
 それに加えて、阿知賀編の見直しが足りず、キャラを最初うまく掴めなかったがため、ということもありますー。

 そのため、阿知賀編の復習をしてから宥さんのお話に挑みました!
 少しでも楽しんでくださったら、嬉しいですー。

 そしてまた、アンケートも用意しましたので、投票よろしくおねがいしますね!


 この世がずっと小春日和であればいいと思う人はそれなりにいるかもしれない。

 ほどほどに涼しく、温い。一般であるならば、そこに心地の良さを感じるものだった。

 それを考えると、気温が夏の盛りで固定されてほしいと願い続けている子供はそうは居ないのだろう。

 それくらい、松実宥という少女も分かってはいた。しかし度が過ぎるほどの熱への焦がれは、不足に震える身体は、変わってはくれない。

 

「あったかい……」

 

 だからこそ、小学生宥は家で家族とばかり触れ合う、それこそこたつむりなスタイルを好んだ。

 奈良の地元ではそれなり以上に名の知れた旅館、松実館。その中の真夏にヒーターとこたつが完備された謎の一室にて至福に幼くも端正な顔が緩んでいた。

 

「ふふ」

 

 炎天下。屋根があるとはいえども、加熱され過ぎてもはや意地か何か色々なものが試されそうな温度の中、ぬくぬくと少女はゆっくりしている。

 40度は下らなくなった室内の中、分厚い毛布が重なった掘りごたつに潜った上で、長袖だけでは足りないとマフラーを首に一周。

 普通ならば、汗に熱にやられてしまいそうな、そんな環境。しかし、果たしてここで催されているのは一人我慢大会、というわけでもないのだった。

 

「今日は丁度いいねぇ……」

 

 こんなのただの、何時も。サウナですらマシに思える環境下こそ、宥にとっての最適だったのだ。

 

「ふぁあ……眠いなぁ」

 

 気持ちの良さにあくびを一つしてしまう、宥。眠気が少女を襲うが、それはもちろん熱波による熱中症の果ての永眠への誘いということではない。

 適温に、緊張のなさによるただの弛緩。なんと、こんな高温下において彼女は汗一つかいていないのだった。

 そんな異常なびっくり人間ぶりが、松実宥という少女は寒がりだから、という一言で片付けられてしまうのが、恐ろしい。

 

「うぅん……」

 

 家の中だと多くの時間をヒーターにこたつで環境を整えたこの一室か、はたまたボイラー室でよく過ごしている宥。安心出来るこたつむりスタイルにて、彼女もうとうと。

 どこか薄い色をした茶の髪を身動ぎにてはらり。このまま仰向けに寝入るにしてはどうも、少女にしては大きな胸元が邪魔のようだった。なんとなく、すわりが悪い。

 サイズ感が妹とおそろいなのはいいけれど、性徴を邪魔なだけだと思っている宥はこんな時、年下の少女たちを羨ましく思うのだった。そして、小さい子といえばそういえば。

 

「玄ちゃんの友達、とか思い出しちゃうな」

 

 遠く見るばかりの子どもたちの元気を思い出していると、次第に宥は眠気を忘れていく。こもりんな自分と違って活発な妹のことを想う。

 そして身を起こして、彼女はつぶやく。

 

「麻雀クラブ、かぁ」

 

 宥のもともと小さくなりがちな声はたよりなく、独り言ちただけの今なんてそれこそ蚊の鳴くようで響かなかった。

 しかし、誰にも自分の耳にも届かぬほとんど無意味だっただけにむしろ寂しさは募る。

 まるで無力を吐露したかのような心地に、気も落ちた。

 

「いい、なぁ」

 

 宥は言ってからはっとする。それは誰にも口にしなかった、本音の転がり。

 そう、宥は、こども麻雀クラブにいたく興味を持っていた。それは、自分の妹である玄が通っているという、そればかりではない。

 何しろ、そもそも少女にとって麻雀というものは。

 

「お母さん……」

 

 亡き母親が残してくれた、とてもあったかいものの内の一つだったのだから。

 引っ込み思案な自分。それでも人と繋がれる方法の一つ。それを教えてくれたのが母親であるのは、彼女にとってとても大きいことだった。

 

「うん……」

 

 宥は過ぎるくらいの白さの手で何もないを握って、閉じた。今は掌には何も感じられない。けれど、それで良いわけがない、とは思う。

 だから、少女は決意する。

 

「私も玄ちゃんみたいに、頑張りたい、なぁ……」

 

 寒さを恐れる少女の胸中は、しかし胸いっぱい。

 また知らない子に近づいたらいたずらに剥かれてしまうかもしれないけれど、それでも、と。

 意地悪に立ち向かう、或いは克己する。そのための意気を誰知らず宥がこたつの中にて持ち始めたその時。

 

「ここが居間だよな……って、熱っ!」

「……わっ」

 

 がらりと金髪の少年が現れ室内のあまりの暑さに驚いて、その大声に思わず勇気へたれた宥はこたつの中にさっと潜り込んでしまったのだった。

 

 

 

「うぅ……」

「えっと、貴女が宥さん、ですか。はじめまして。俺、須賀京太郎といいます」

「うん……は、はじめまして、だねぇ……」

「あはは……よろしくおねがいします」

 

 ぷるぷるしながら赤い顔を隠す宥に、金髪の少年須賀京太郎は苦笑で応じる。

 こたつから僅か顔を出しただけで分かるくらいの綺麗さに、正直なところ京太郎は直ぐにお近づきになりたくもあった。

 しかし、これは難しいだろうと先までのやりとりで思う。

 

 驚き、こたつむりんに隠れてしまった宥に、最初京太郎は気づかなかった。けれども、流石に部屋の中の異常には気付く。

 滅茶滅茶熱いなこの部屋、どうしてヒーターにこたつが点いてるんだ、といたずらに発される熱量を嫌って彼はそれを止めようとした。

 そこに待ったをかけたのが、宥だった。彼女は恐れている男の子相手に勇気を出して、やめてぇ、とだけ言いながらこたつから顔を出す。

 京太郎は、すわ幽霊かと心底たまげたのだった。

 

 だが、彼は落ち着いてから、おねーちゃんが居る居間で待っててね、との玄の言葉を思い出してこの隠れ潜んでいた少女が彼女の姉だと判断。

 そして、記憶からひと目見たことのある季節変わらずマフラーな年上女子と同じではと理解し、なるほどつまりこの部屋の暑さはこの子のためなのだと解した。

 であるならば、冗談みたいに熱いが、それは我慢で暖房器具は放置する。

 その判断が功を奏して、何もしない京太郎に落ち着き始めた宥。沈黙の後少し経って、彼は対話を試みるのだった。

 ひとまず現況の確認だな、と京太郎は口を開いた。

 

「えっと、消しそうになってしまいましたけれど、ヒーターとかはこのままで?」

「う、うん……私、寒がりで。ごめんねぇ」

「いや……まあ、そういう体質なら、仕方ないですよ」

「……そう?」

「ええ」

 

 体質。それを信じられない人のほうが大勢のはずなのに、少年は頷く。そんな見た目子供の大人しさに、宥は首をかしげた。

 だが、若くして変な経験の豊富な京太郎は、引っ越してしまったが何を隠そう故郷において、忍者が裸足で逃げ出してしまうほど、人から見えなくなる人間を男女二人知っていたのだ。

 片方は技術で片方は体質とのことだったので、なるほど凄いね人体と彼は謎の知見というか心の広さを得ている。少年にとって、極度の暑がりなんて、誤差なのだ。

 二つ年上というのもあってその少女よりも尚大きくおもちの胸元からなるべく目を反らすようにして、京太郎は目を疑問にぱちぱちさせている宥に続けた。

 

「俺、玄さんからここで待ってろって言われてるんです。しばらくここに居てもいいですか?」

「えっと……うん。……その、きょう、たろう君は玄ちゃんのお友達?」

「はい」

「そう、なんだ……」

 

 妹の友達。それを聞いてようやく宥は安堵して胸を撫で下ろす。京太郎の視線が一度少し、下に降りた。

 恥ずかしさにそんな少年から目を離しながら、なるほど友達ならば自分のことを一度ならず聞いていて、だからあまり体質のことを気にしなかったのかも知れない、とそう勘違いする。

 そして、やっぱり玄ちゃんは優しいと思いながらも、次に目の前の少年のことをようやく彼女も気にしだした。

 

 せっかくあったかいのにこたつにヒーターから離れた位置に座して額から汗が吹き出させている曰く、京太郎。

 その恵まれた体躯を見て自分と同学年くらいかな、と誤認しながら、宥は先からの言動、落ち着きぶりから少年のことをこう判断する。

 

「京太郎君は……いい、子なんだねぇ」

「えっと……そうですかね?」

「……うん。おかしいものを、受け入れて、我慢だって出来るって、凄いよぉ?」

「はぁ……まあ、でもそんなの簡単じゃないですか?」

「……ええ?」

 

 あっけらかんと意外を口にする京太郎にまた、宥は首を傾げた。

 普通のこどもは、我慢なんて出来ない。それに、違うものを受け容れるなんて、大人だってそう簡単に出来ないことだというのに。

 訝しく思う少女に、しかし、京太郎は子供だからこその照れのなさで、いい切るのだった。

 

「俺、玄さんのこと好きですし、ならそのお姉さんである宥さんのことだって、好きになれると思うんです。だったら、ちょっとのことで目くじらを立てるなんてもったいないでしょう?」

 

 京太郎と玄は、下世話にも女性の胸元のサイズの趣味が合ったからという流れで得た友誼。

 しかし、それは殊更深まり、花となった。年齢性別関係なく仲良くなった二人は麻雀教室にも共に通い、やがて少年の人となりを深く知った玄は、これは姉と()わせた方が良いと判断。

 そのために、此度生まれた間隙に妹の狙い通りの流れが生まれる。

 好き、という家族と従業員さん以外からは聞き慣れない言葉に、目をパチクリ。この子は、何度私を驚かせれば気が済むのだろうかと思いながら、宥は問った。

 

「えっと……私のこと、好きになってくれるの?」

 

 それは、本当に少女にとっての疑問。

 この世は夏以外は、とても寒い。何時だって、どこだって凍えるようで。

 だから一人が良かったのに。変は孤独になるべきだと勘違いしていたのに、違うのか。

 

 案の定、京太郎は――まっすぐ目を見て――笑って言い張った。

 

「ええ。絶対に!」

 

 絶対。その自信の故は何なのだろう。そもそも、私と貴方は初対面だと言うのに。

 けれども、どうしてだか宥はその本気を信じることが出来た。少年に、最愛の妹が重なって、そして気付く。

 

「ありがとぉ……」

 

 愛すべきものが一つ増えた喜びに、宥ははにかむのだった。

 

 

 

 

 そして一拍。二人の扉がすうと僅か開いた。

 某家政婦のようにそこから覗くのは、玄のくりくりとした瞳。喜びに、僅か感涙すらさせながら、少女は言うのだった。

 

「ううっ、良かったー……さすが同士きょーたろー君……感動したよっ!」

「く、玄さん? 聞いてたんですか?」

「おねーちゃんを、よろしくねーっ!」

 

 どたどた。旅館の娘らしからぬ足音を立てた走りに、響く今日はお赤飯だよー、の声。

 しばらく驚きに固まっていた京太郎だったが、ここにきて彼はようやく自分の先の言葉が他人から見たらどう見られかねないか気付くのだった。

 

「うわぁ……あの様子だと玄さん絶対勘違いしてるな……っと」

 

 どの場面から覗かれてていたかわからないが、かもしたら自分が告白したと取られたか。

 そんな勘違いを喧伝されるのは困る、と思い立とうとした京太郎。

 しかし、袖がくいくい引かれたことに遅れて少年は気付く。

 

「あのぅ」

 

 振り向き、果たしてそこに居たのは宥。

 年上の、おもち大きめな少女が間近で潤んだ瞳で見上げている。

 つう、と京太郎の頬を汗が流れ落ちた。

 

「その、よろしく……ね?」

 

 彼女の眼差しの熱と、室内のサウナもかくやの暑さに。

 

 少年は、くらりとするのだった。

 



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勘違いしてしまったけれど一緒に明日を見上げる京玄

 皆さん、沢山の投票、どうもありがとうございましたー!

 先のお話の流れか、玄さんが圧倒的でしたねー。
 書けましたが……再現度が不安です!

 アンケートもよろしくお願いします! 頑張りますねっ。


 松実玄は、良くも悪くもやや拘りが強過ぎるところがある。

 乳飲み子の頃からのおもち好きは自他共に認めるところだし、彼女がとてもいい子であるのも、実は褒められたことが嬉しかったからそれを続けているばかりのこと。

 その頑迷っぷりはこと、麻雀で愛した母の教えを守りきって、ドラに愛されるようにすらなってしまった辺りに顕著だろう。

 

 でも捨てられない、良いならばそうだと信じる。果たしてそれは、愛にすら似ているのかもしれなかった。

 

 霧中の先に、新しい世界がある。

 ならば、伏した少女の瞳が再び持ち上がった先に見えるものは、何なのだろうか。

 

 

 

「ふぅ」

 

 玄関先にて玄は、突き刺さるように鋭く冷えた空気を吸い込んで、吐く。

 ぶ厚い手袋はした。姉――松実宥――にマフラーを首にかけてもらってもいる。それでも、出ている顔は寒いし、喉元は乾きに少しだけひりつく。

 

「いかないと」

 

 でも、それが辛くはない。むしろ、楽しみとして冬の朝、きりりと引き締まるような心地を覚えながら、少女は出立するのだった。

 

 玄が生まれ育った阿知賀は自然が多い。それはときに厳しさすら覚えるほどだ。

 そして、人が辛さに対抗するために団結をするのは当然のこと。特に旧家ほど周りの人間関係を大切にするものだった。

 勿論、松実家もその一つ。新年はじまれば挨拶回りに付き合って、多くの家へと向かうのが少女にとってもうあたりまえのこと。

 もう、母親代わりとして父の背中を追いながら大げさな門をくぐることに、特に感慨を抱くこともなくなった。

 

「須賀さん、かぁ」

 

 言葉と共に、吐いた息は白い。

 傾斜に慣れた足にもそろそろ軽く熱を覚えるころ、目的の家――とても大きい――が見えてきた。

 今日は三が日もとうに過ぎ、少し離れた日曜日。先方の都合によって、遅れてしまった挨拶。その相手のことを玄は考える。

 

 須賀家は、あの龍門渕に連なる大家。その昔鉄鋼業に携わって一財産を得た一族ではあったが、明治の頃には養蚕にも手を出し、それは大いに儲けたようである。

 松実家も今はなき曾祖母が奉公に出たことがあり、その縁もあって過去大変世話になったと聞いていた。

 すったもんだあった後に龍門渕グループに吸収されてからも、この土地にて須賀家の影響力は大きい。恩からも打算からも、彼らと縁を継ぎに顔を出しに向かうのは当然と言えた。

 

「おばあちゃん、元気かな?」

 

 とはいえ、そんなことをいい子の玄が考えているわけもない。ただ、彼女は一年ぶりに知り合いのお婆さんに会いに行くのを楽しみにしているばかり。

 背筋正しく、しかし深いシワを隠すこともなく、明るく振る舞う美しい女性。幼い頃に彼女の優しいところに触れ、玄は懐いていた。

 だから、父親の名代を買って出てお土産をぶら下げやってきたのだ。

 それに年末年始に、なにやら須賀家でことが起きた、というのは聞き及んでいる。玄は幾ら元気そうに見えても年寄りであるおばあちゃんが少し心配だというのもあった。

 

 それに、あとひとつ。心残りも。

 

 失礼しますとしてから、大げさに感じるくらいの門をくぐって、少し。えっちらおっちら玄は進んだ。

 音飲み込むような広さに、木々のざわめきすら遠く。枯れた庭に、大石が少し寂しげに見える。

 そんな心地を覚えながら彼女が歩んでいると、ふと人の形を見かけて。

 

「あれ――――キミは、きょーたろー君?」

「……貴女は、玄さん」

 

 懐かしい青年と、再会をした。

 

 

 

「……つまらないなぁ」

 

 それは同じような冬の候。そこかしこを走り回るには寸足らず過ぎた、松実玄の幼き日。

 縁側にぶらりぶらりと両足を遊ばせ、彼女は、両親に連れられてやって来た大きな屋敷にて大層暇を覚えていた。

 

 つまらないのも、まあ当然のこと。今挨拶などに忙しい大人たちの他所で、彼女は独り。

 そう、この頃、ただでさえ熱の側にいる行動範囲の狭い姉は、更に家の中縮こまって震えてしまっていた。

 自然、玄は外で一人でいる時間が増える。だがまだ、知っている大人たちが側にいれば寂しさも紛らわせられた。

 しかし、それすら今はない。どうしよう。

 

「ふぅ」

 

 とはいえ、そうであっても動こうとしないのが良くも悪くも玄という少女なのである。小さな唇チューリップのようにして、そればかり。

 遊びたい盛とはいえ、しかしいい子の彼女には整い揃えられたお庭を遊びで損なわせることなんて考えもできなかった。

 そのため、おかあさんの待っていてね、を遵守し、次の指示待ち。

 これは、面白くもないその間隙。だがそこに。

 

「おねえちゃん、誰?」

「え?」

 

 金の髪をした少年が現れたのだった。

 

 

 友達が出来た。その子は須賀の家にいけば何時もいる。また、彼のおばあちゃんの手も優しければ、向かう坂道すらも楽しみで。

 そんな少女におかーさんは、言った。別に無理に挨拶についてこなくても、いいのよと。

 玄は笑顔で返す。友達に会うの好きだから、むりなんかじゃないよ、と。

 そう、と手を繋ぐ母は微笑んでくれたのを、少女は今も覚えている。

 

 その男の子――京太郎――は、ご多分に漏れず動き回るのが好きだった。

 しかし、どうしてだろうか、誰かのために控えることも知っていたようだ。

 玄が疲れたと嫌がれば止め、それどころか女の子の遊びだって嫌がらずにしたし、次にやろうよと誘った麻雀だって時間をかけて覚えてきた。

 とても優しく――夏に引き合わせてみた姉にだって彼は仲良くしてみせた――だから、少女が少年に懐いたのも自然のこと。

 

 その性格が大人から受けた教育が故であったとすると、恐らく厳しいものがあったのだろうと今の玄は予想できる。

 でも、おばあちゃん、おばあちゃんとしていた京太郎の姿に陰りはなかった。きっと良いところの長子として育てられながらも、愛も確りと受けていたのだろう。

 少女には、大事に磨かれた少年がどこか眩しくすら見えていたのだ。だからよく、彼の和装の裾を握って離れず、困らせていた。

 

「本当に……いっちゃうの?」

「うん……」

 

 しかし、すっかり仲良くなってから、京太郎は越して行ってしまうという。

 彼が両親と共に向かうのは長野、県外だ。帰ってくるのも、年に一度といったくらいになるかもしれないということだった。

 仕方ない、と言われた。どうしようもないんだよね、と理解もしたのだ。でも、別れに玄は、涙を我慢できなかった。

 

「うぅ……きょーたろー君、行っちゃいやだよお!」

「クロさん……」

 

 そして、生まれてはじめて駄々をこねた。好きと一緒にいたいと、いやだいやだと泣きわめいて、それはそれは大人たち――少し嬉しそうでもある母を含めて――を困らせたのだ。

 でも、一つ年下の彼はどこまでも優しくて。

 

「また帰ってくるから」

 

 と笑顔で言う。その言葉を信じて、嫌々いい子の玄は頷くのである。

 

 

 はじめは、文を交わしながら、玄と京太郎は半年に一度程度のペースで会っていた。

 でも、次第に色んな忙しいが二人の間を広げていき、そして玄が大好きなおかーさんを亡くしてからそれは顕著になる。

 その時は抜け殻の玄を少年は慰めた。心から、優しい言葉をかけて、発破もかけてくれたのだと彼女も知っている。

 でも、会うのも年に一度くらいのお友達。どう想っていたってそれだけとしか言えない子の言葉きりで、父に姉が立ち直らせるのに困る程の落ち込みを正すことなんてできやしない。

 懸命な少年にただ一つ、玄は言った。

 

「もう、私に構わないで……」

 

 そんな、痛みからくる心からの言葉に京太郎は。

 

「……また、来るね」

 

 そう言って、彼女の元を去っていったのである。

 

 

 でも、またはずっと来なかった。それこそ、今偶に会うまでは。

 互いに互いを気づけて良かったと、玄は思う。私は彼の金の髪で分かるけれど、これは髪の形を成長にそろえて整えるばかりで大して変えなかったおかげかな、と見違えるほどの美しさになっている少女は勘違いした。

 

 そしてひんやりとした空気の中昔を思い返し、なんとなく寂しさを覚えながら玄は京太郎に言った。

 

「久しぶり、だね」

「ええ、お久しぶりです」

 

 久しぶり、その挨拶に笑みが帰ってきてくれたのは嬉しい。けれども、余計なですます調がそこには引っ付いていた。

 他人行儀を嫌った玄は、唇尖らせて、言う。

 

「む、きょーたろー君、どうして私に敬語なんか使ってるの?」

「……けじめ、ですかね」

「それは……」

 

 つい、玄は口を閉ざす。けじめ。それは前の別れ際のことを彼が引きずっているということを示唆している。

 案の定、苦しそうにして京太郎は独白をはじめた。

 強い北風が一つ、吹く。髪を押さえながら少女は彼の言葉を聞いた。

 

「正直に言うと俺、ずっと玄さんのことを避けていました。……俺、あの時まで知らなかったんです。時間以外にどうしようもないことがあるってこと。それに、好きな人が辛いのが辛くて、逃げたくなってしまう気持ちだって、初めて知った」

「きょーたろー君……」

「だから、すみません。俺は、貴女の助けになれなかった」

 

 言い、京太郎は頭を下げる。

 いつの日に見下ろしていた金のつむじをようやく認めて、玄は耐えられなくなった。

 

「そんなこと、ないよぉ!」

 

 涙は、端からぽろぽろこぼれる。それは、自分の情けなさから。

 大好きな彼に勘違いをさせて、それをずっと引きずらせて。そんなの、悔しい。だから、玄は言うのだった。

 

「違う、違うの! ただ、私は大好きな人に、泣いてる姿を見られたくなかっただけだったの! きょーたろー君には、もっとずっと綺麗な姿を見ていて欲しかった……」

「玄さん……」

「あれはそんな、私のわがままだったんだ……ごめんね……私はきょーたろー君に救われてたのに、ごめんね」

 

 風は止まり、しかし胸元の音は続く。

 好きである。でも一度は捨てようとしたけれど、そうしたところでどうしようもなく好きに決まっていた。だって、それは玄にとって生まれて初めての恋愛だったから。

 あなたは私を助けようとしなくても、良かったの。ただ、貴女への愛があったというそれだけで早く立ち直れた。そんな思いが言葉にならず、嗚咽に消える。

 しっかり、しないと。そう思って伏した目を上げた彼女の瞳に映ったのは。

 

「俺も、一緒です。玄さんが大好きで、だからずっと格好悪い自分を許せなかった」

「……え?」

 

 笑顔の彼。その言葉で少女は両思いを知る。

 悲しさに、恥ずかしさが入り混じり、そのためか少しずつ、彼女の涙も流れなくなっていく。

 そして赤い目に、濡れた頬。あの日と同じ姿の玄を真っ直ぐ見つめて、京太郎は変わらず高鳴る胸元を確認した。

 

「でも、やっぱり好きな人は、諦めきれないくらいに好きでした」

「それって……」

 

 京太郎の、胸の内は複雑だ。これまで玄に釣り合うくらい格好良くなるためにもと、一途に励んでいたハンドボールを怪我にて止めて、失意と共に帰郷してからそう日は経っていない。

 そんな残念に、この不格好な再会。これもまた良いとは思えなかった。

 正直に、痛い。けれども、我慢するのが男の子だと知っている京太郎は、これでも一歩進もうと克己して。

 

「ただいま、玄さん」

「……おかえり、きょーたろー君!」

 

 彼は理想以上の綺麗に――それこそ大変なおもち持ちにまで――なった幼馴染の少女に、帰りを告げるのだった。

 

 

 

 陰り晴れた空に、蒼穹眩しく。

 澱の取れた彼彼女らは()()()()()()空気の中、手を繋ぎあう。

 だからきっと、明日だって愛おしい。



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普通に青春がしたくて遠距離通学な京春

 皆さん今回も投票、どうもありがとうございますー!

 春さんのダントツ人気ぶりに、自分の浅はかさを思い知りながら、なんとかひとつ書いてみました。
 ……中々難しかったです!

 今回霧島神境は世界中の色んな山から入れて戻る時は同じ山に戻る、という情報を拡大解釈してなら神境から他の山にも行けてもいいだろうとしました。
 そして更に、六女仙さんは神仙の類だという原作者様ブログからの情報を用いていますー。


 アンケートどうしようか悩み中ですが、是非投票よろしくお願いします!


 滝見春は自分のことを普通だと思っていた。

 

 黙して語らずを地で行く春は、よくミステリアスだの、流石は鬼界の仙女と呼ばれたりするのだが、そんなのはその他大勢の勘違いだ。

 むっすり黙っていると皆は勝手に勘ぐり出すけれども、その大体は思考を空白にしているだけ。別段沈黙に深い意味などない。

 まあ、その存在が中々に神に近い彼女の行動が浮世離れしてしまうのは仕方がないだろうが、それでも春は自分をただの女の子だと自認していたのだ。

 

「あむ……」

「……何だこの子」

 

 とはいえ、自認と評価が一致しないのは世の常。

 黒糖をぼりぼりかじりつつ藪から出てきた巫女装束の女子を見た京太郎少年は、その子――春――を大変おかしな奴だと認識した。

 これはひょっとして、狐か何かが自分を化かしているのだろうか。そんなことすら少年は考えてしまう。

 なにせ、彼のお爺さんが管理している神社の境内の裏で雑な笹の葉細工を組むなどして遊んでいたら、そこに美しい巫女さんが現れたのだ。

 その巫女さんがちみっこくて、黒糖とでかでか書かれたパッケージから中身をぼりぼり食んでさえいなければ、京太郎もきっと現実感を失い、少女を天女か何かだと勘違いしただろう。

 

「……食べる?」

「いや。俺は要らない」

「……そう」

 

 しかし、実際のところ彼女は神仙に近くあれども人の子である。

 京太郎も、そんなにじっと見つめて食べたいのかと、向けられたその小さな手が砂糖粒で汚れているのを見て、ああこれは人をたぶらかすような何かじゃないな、と理解する。

 むしろ少年は、好物を要らないとされて、少し拗ねた様子の少女に親近感を覚えた。思ったより、普通だな、と。

 

 そうしてここでようやく京太郎も春を真っ直ぐ見ることが出来た。

 少女は綺麗である。纏め上げた髪はなんとも艷やかで目を引くし、白磁の頬の紅はむしろ桜色に近くて春めいて愛らしい。そして何より、彼女の静かな瞳がどうにも心地よく昏い。

 ああ、この子は大きくなったら、きっとめちゃくちゃモテるだろうなと彼も総じて評せた。

 

「あー……俺、京太郎。君、ひょっとして迷子なのか?」

「うん……」

「そっか。どうしようかなあ。爺ちゃん買い物行っちゃったし……」

 

 しかし、そんな未来のことなんて、少年にはどうでもいい。ただ、目の前の幼気な子が一人ぼっちだったのが問題だ。

 ここら辺で見たことない子が、ふらふらと。案の定迷子だと聞いた京太郎はお兄さんぶって背伸びして――実際のところ春と京太郎は同い年である――なんとかしてやんないと、と強く思う。

 そんな心を知らず、ぼやっと――彼女なりに不安を隠しながら――春は少年のどうしようかなを見つめる。

 

 確かに、春は迷子だ。鹿児島から長野という神隠しにあったのではと思えてしまうくらいの長距離ではあるが、それは間違いない。

 そんなことよく分からずとも、どうにかしてあげたいと京太郎は春に問う。

 

「どうしてこうなったか、覚えてるか?」

「かくれんぼ……」

「遊んでて、ここまで来たのか……怪我とかしてないか?」

「うん……」

 

 少女が言葉足らずに語っているのは、全部本当のこと。

 そう、春が大好きな姫様――神の家とすら比べられる人並み外れた少女――とのかくれんぼにて、行き過ぎて境をすら越えて神境と繋がる山々にまで抜けてしまったというのが、今回の顛末。

 口酸っぱく言われた、ここでは外に向かいすぎるな、という文句を完全に無視した結果がこの海を越えたワープである。

 何時ものように、特に何も考えずにしていたところ、これだった。更いえば黙っているから禁忌くらいは理解しているのだろうという、父母の娘贔屓が生んだ事態でもある。

 

「ごめんなさい……」

 

 春はここに来てようやく自省が出来たのか弱々しく、謝った。

 よくわからないところに出たので勇気を出すために黒糖を食みながら道なき藪を進み、そして出会った男の子。

 きっと自分とそう変わらないだろう少年が、自分を慮ってくれること、それが嬉しくも申し訳ない。

 

「私が、普通じゃないから……」

 

 滝見春は自分のことを普通だと思っていた。

 けれども、身体は血の一滴までも図抜けて整っていて、神に似通っている。ならば、起こしてしまうのも奇跡そっくり。

 何時もそれで喜ばれるのはいいけれども、今は見知らぬ子に迷惑をかけてしまっている。

 ああ、やっぱり自分は普通であるべきなのだ、と少女は悲しみ目を伏せた。

 

「ん? それって謝ることじゃないだろ?」

「え?」

 

 しかし、やっぱり何かがおかしいんだろうなこのこの子と理解しながらも少年はわざと元気そうにして、少女の弱音を跳ね除ける。

 笑顔満開、きらきら太陽のように、彼は言った。

 

「俺は、そんな君に会えて嬉しいよ」

「あ……」

 

 奇縁。おかしな運命も、しかし喜びに束ねられてしまってはかたなしだ。

 迷いも奇跡も余計で、これはただのボーイミーツガール。そう京太郎は言外に語る。

 そして、その上でたとえおかしかろうと出会えて良かったのだと、決めつけた。

 

「ふふ」

 

 そんな少年の強引に惹かれた少女は頬の桜を満開にして、頑なだった口元を歪めて微笑む。

 

「春」

「ん?」

 

 きっと、霧島神境では幼い自分の行方不明を案じて大わらわに違いない。

 本当は、一秒でも早く元に戻るために行動するのが、賢いのだろう。

 それでも。

 

「私の名前」

 

 初めての異境の友達――少女はそうなれると信じている――を大切にするのだって、きっと普通のことだから。

 

「……可愛いでしょ?」

 

 自己紹介とともに一つ上手に舞ってみせ――ひどく甘い匂いが漂った――少年の前で少女は格好つけるのだった。

 

 

 

 

 そんな過去があって、色々な事態が通り過ぎた後。

 清澄高校麻雀部の部室にて、麻雀に耽る少年少女たちの中に、二人の姿があった。

 頭必死に悩ませ、ようやく大方揃ったことを理解した京太郎は、やったと牌を曲げようとする。恐る恐る、彼は宣言した。

 

「よし。通ればリーチ……」

「通らない……ロン」

「ぐわっ、当たったの春の方か。コレ切るのバレバレだったか……えっと、すまん。幾らだ?」

「京は字牌を大事にする……8000点」

「まあ、京太郎は何故か対子までなら手早く進められるからのぉ。それに初心者じゃ。鳴きと役を意識して字牌を大事にしてしまうのも仕方ないじゃろう」

「ふふ。須賀君ったら鳴き麻雀を卒業したばかりだものねぇ。それにしても、ちょっとだけ判断遅めかもしれないけれど」

「あー……俺の癖とか、とっくに皆にバレてるんですね。ほい春、8000」

「確かに……」

 

 自風牌を狙われた上にダメを指摘されて項垂れる京太郎に、千点棒を沢山受け取ってほくほくとした様子の春。

 卓を囲む竹井久に、染谷まこの先輩二人はそんな二人を面白そうに認める。

 

「それにしても、二人は仲がいいのぉ……」

「ホントよね。幼馴染と聞いたけど、それって須賀君と春が幾つくらいからのこと?」

「えっと……」

 

 年頃の女子は、どうしても後輩の関係の進捗が気にかかった。

 なにせ、今はタコスの買い出しにでかけて居ない、早々に入部してきた一年女子二人と違って、京太郎と春は色恋沙汰が噂されている男女。

 そうでなくても、清澄高校に鹿児島から自転車で通学しているのだと自称している万年巫女装束な少女、春の過去が気にはなる。

 そして、それを気にしているのはこの場に二人だけでなかった。

 

「私も、聞きたいな」

「咲?」

 

 勉強のためと久の後ろ――京太郎の対面――に椅子を置いていた宮永咲も、追随する。

 愛らしく少しだけ口を尖らせ、彼女は言った。

 

「……どうして?」

「だって、何時も京ちゃんと春ちゃん、私そっちのけで仲良くしてるんだもん。そのきっかけとか、知りたくなるよ。私だって二人の幼馴染なのに……」

「あー……すまん、咲。俺ら、お前のことないがしろにしてたか?」

「ううん……でも、ちょっと私に京ちゃんたち余所余所しい」

「そうか……」

 

 少女の拗ねに、少年は申し訳なく思う。

 何しろ、春とは京太郎に神様関連のごたごたが起きる前、それこそ小学生の時分から仲良くしていた幼馴染。

 中学になってから急速に仲を深めた咲とは流石に年季が違う。優先順位を知らずにつけていたとしても不思議ではなかった。

 更に、神様や鹿児島からのワープ通学関連のようなトンデモ話を咲のような一般人(?)には教えられないというのもある。

 しかしこれはひょっとして寂しい思いをさせてしまっていたか、と大切な友達の方へと京太郎は向き直った。

 

「きっかけとか……関係ない」

「春?」

「春ちゃん?」

 

 だがそんな青年の真剣が親友とはいえ、他の女子の元へと向かうのを嫌った春は口を開いて。

 

「私には京が必要……」

 

 彼お手製の黒糖プリンですっかり餌付けされてしまった少女はそんな爆弾を落とすのだった。

 

「ほぉ。そりゃあつまり……」

「うわぁー、これは青春ねー」

「むぅ……」

 

 そして、そんな言葉足らずに場が湧くのは当たり前。

 なんだかむず痒そうな年上二人に、すっかり膨れてしまった咲。

 

「なんで春、お前はこんなに勘違いされるようなことを言うんだ……」

 

 ため息飲み込んで、これはどう収拾つけようと悩む京太郎に、少女は指先を蕾の唇にくっつけて。

 

「全部……本当のこと」

 

 春は神秘など程遠い普通一般当たり前の中、何より綺麗な花開かせて笑った。

 

 

 

 

 そう、貴方こそ勘違い。

 いくら大切でも好きとはなかなか言えない、青()

 私にそんな普通をくれた貴方を、私は決して離さない。いや、むしろ。

 

「……私を離さないで」

 

 そう、彼女は彼の手をそっと、握るのだった。



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三角関係を縛って一つにしてしまいたい京哩姫

 皆さん毎度投票どうもありがとうございます!
 今回、最初僅差だったこともあり少し様子を見て、差が開いたようなので今書いてみましたー。

 はい、哩さんと姫子さんのお話ですね。不慣れな方言が怖かったのですが、変換器と原作を見ながら書いてみました!
 ……大変に不安ですー。


 好きと好きで、力になった。彼女たちは二人で一つの怪物である。

 なら、好きと好きと好きだったら、それは更なる力になり得るのだろうか。

 

 彼女を取り巻くじゃらり、という自縛の音。この胸の締め付けこそ、実感だとしたら。

 

「よかね」

 

 好きが愛に変わる日は、近い。 

 

 

 

 白水哩は、麻雀強者である。そして、それ以上に花も恥じらう乙女であって、今現在は悩める少女でもあった。

 櫛はただ隙間を通うだけ。癖のかけらもない黒い長髪を指先で遊ばせながら、物憂げに哩は空の天板を見上げている。

 

 彼女が悩んでいるのは一つ。大好きな後輩のことである。

 目に入れても痛くない、むしろ心地いいかも知れないだろう、少女、鶴田姫子。彼女のことを考えるのは少女にとって快く、しかしちょっと刺激的だ。それに耽ってしまうのも仕方ないと思うくらいには。

 だが勿論、哩には新道寺女子麻雀部の部長として考えるべきことだって沢山あった。今三年生で、次大会に向けての作戦変更にそのためのオーダーなど悩みは尽きない。

 しかし、そんな心血注いでいる麻雀においても姫子という存在は大きかったのだ。文字通りのキーパーソン。姫子へのバトンの繋げ方を日々考えるのは当たり前。

 そして、彼女とは日常生活でもおはようからおやすみまで関係しているのだった。それは寮の相部屋であるだけではない。いつも通り風呂を一緒にして、その後当たり前のように一緒のベッドの寝入っている姫子を見て、先程ふと哩も気づいた。

 

 あれ、これちょっとヤバくないかと。

 

「こん程姫子との距離ば分からんくなっとったとは……」

 

 思わず、哩は頭を抱える。

 つい先日我に返った哩は周囲に聞いた。女子校生だし、別に私達くらいのスキンシップは普通だよね、というようなことを同い年の友達に言ってみる返ってきたのはぶんぶん音鳴らんばかりの勢いの否定の首振り。

 ペアが普通なあんたたちは異常。そうまで言われて、何も思わない哩ではなかった。

 

「……こんままじゃいけんな」

 

 別に哩は、同性愛を否定なんてしない。それに、姫子は可愛らしいしいい子だし、相方にするにはもってこいだという思いもある。

 だが、お互いのことしか知らない見えないそれを愛と呼ぶのは稚すぎるのではないかという考えだって、哩にはあった。

 一度周囲を見回して、そうしてから判断するのでも構わないだろう。

 

「間違ごうて、ばってんよか」

 

 姫子との強い縁は能力――リザベーションという麻雀でのリンク――を思うに間違いなくある。だがそれで、縁の全てではないとは思う。

 まあ、本当に己に繋がる縁が一つだけでこんな考えが的外れだったとしても、それでも一度環境を整理するのは良い経験になるに違いない。

 

 とはいえ、何故か――普通にもうデキてると思っていた――姫子は、もう少しお互い距離を取ったほうがいいとの言葉に愕然としていたが、実のところ言った哩の内心にも強い動揺があった。

 そう、考えてみれば姫子以外に誰と仲良くすればいいか、不明で不安で。

 

「……どうすっぎよか?」

 

 伊達に部長をやっていない哩は、部の中で仲の良いものは多い。けれども、どうにも皆とは一線が引かれているような気がした。

 彼女は麻雀という競技で県の代表になれるほどの才媛でまた鋭さのある美人さんである。そんな子が女子校でモテないわけがない。

 とはいえ、明らかな意中の相手が既に居るのならば、別だ。姫子との尊い仲を見た多くが哩は高嶺の花だと仲良くするのを諦めたのだった。

 どこもかしこもそんな中で、新たな良縁を得るのは難しいと思える。

 

 さてどうしようか。迷いに迷った視線は二人の室内をさまよい、彼女は短針がてっぺんを過ぎた目覚まし時計を見つける。

 

「まあ……ひとまずはお昼ばい」

 

 そして哩は、今友達見せてくれたら安心するという自分の言に発奮しているだろう後輩のことも悩みも、すべて投げ捨てるのだった。

 お腹すいた、と。

 

「出かくっか」

 

 言ったが早いか、この方とんと料理を相方任せにしていた哩は自炊の選択を忘れ、外食に出かけだす。

 

 その際に好きだったはずのパスタを久しぶりに食べてみたところあんまり美味しくないと感じた哩は、実のところすっかり姫子に胃袋を掴まれているのだった。

 

 

 

「こげんヘアピン姫子にしか似合わんやろ……引っ張られとうな」

 

 お腹を満たしたら、次は周囲の喧騒に引かれてショッピングに精を出す。

 そんなありがちコースに乗っかり、ショップでやけにカラフルな色をしたヘアピンを買ってしまってから哩はそんなことを呟いた。

 自分に似合う似合わないではなく、必要そうだから手を伸ばしてみる。それが誰かのためとは。自分の行動があまりに一途であることに彼女も苦笑い。

 まあ、満腹だし曲がりなりにも良いものを買えたし、お金は減ってしまったけれども大方でかけて満足できたなと、そう思う。

 

「よか」

 

 なら、後は帰るだけ。

 明かりが眩く灯りはじめた周囲。目を引く良さそうな商品はそこかしこにあるようだった。

 だがさほど裕福な家の出という訳でもない哩が一度財布の紐を締めてしまえば、そう簡単に開くことはない。

 まあ、気持ちばかりはウィンドウショッピングのつもりでゆっくりと帰宅の歩を彼女が進めていくと。

 

「参った……」

 

 何やら先の道路の端で煌めく青年が難儀している様子を認めた。何やら彼はメモらしき紙片を持ってあたりを見回している。

 その近くまで来て、その長駆に乗っかった綺麗な金髪が輝いていたのが煌めきの原因だということは哩にも分かった。

 そして、彼が見てくれのいい顔立ちをしていることも理解できる。

 とはいえ別段、そこには惹かれはしない。むしろ、見目に多少の軽さを感じた哩は、関わりたくなく思った。

 

 しかし、縁とは不思議なもので、彼は彼女を見つける。青年――須賀京太郎の――鳶色の瞳に、通りがかりの白水哩という美形年上少女はとても綺麗に映った。

 それこそ助けの手にはふさわしいだろうと、彼はすがってみるのだ。

 

「あの、そこの方、すみません」

「私か?」

「ええ。申し訳ないのですが、帰り道がわからなくなってしまいまして……ちょっと助けていただけませんか?」

「……携帯はどがんした?」

「お恥ずかしながら朝充電したつもりだったのですがコンセント抜けてたみたいで……持ってきたはいいのですが、バッテリー切れでほら、画面も真っ黒で」

「そりゃあ大変ばい」

 

 それとなく身を固くしていた哩は、だが頭を下げながら語る京太郎の真剣な言葉に、次第に彼の人畜無害さを感じて肩を下ろすようになる。

 関東弁で喋っていることから、ここら辺の人ではないことは明らかだし、確かにその上で案内を失えば迷うことだってあるだろう。彼の手元にある道案内のメモはなんかごちゃごちゃしていて見て取りにくそうだし。

 だがしかし、完全には安心できず、反応を見るためにも、哩は問った。

 

「ばってん……ナンパじゃなかよね?」

「いや、正直余裕があれば、貴女ほどの美人にはお近づきになりたいところですけれど……今はそれどころじゃなく」

「なら、よか。教えちゃる」

 

 変に慌てず、彼がそれでいて正直に答えただろうことは人を見る目に自信がある哩には察せた。

 美人と言われるのは面映くもあったが、それはそれとして人助けするのは別に嫌ではない。云と、そうは返せた。

 そして一歩、歩み寄ってくれた彼女に京太郎は。

 

「ありがとうございます!」

 

 満面の笑みでそう返すのだった。

 

 

 

「須賀君は、そいでこっちに来たんか」

「はい……最初は父親の実家といっても生まれてから数度しか来てなかったので、急に引っ越しと言われた時は正直慌てました」

「ばってん確り付いてくなんて、親との仲がよか」

「はは……正直行く行かないで結構喧嘩したんですけどね……でも、福岡もなんだかんだ住めば都でした。良いところですね」

「やろ?」

 

 互いの帰り道が大分被っていることに気づいて共になった寮への道すがら、哩は京太郎とそれなり以上に会話を広げていく。

 彼女は佐賀から一人福岡にやってきた身だ。県をまたいでの引っ越しの面倒の話あたりなんてどうしたってシンパシーを覚えてしまう。

 そして、そうでなくてもこの男子との話中に人と距離を取る巧さも感じ取れ、面白く思える。

 きっと天然で人に好かれやすい性質なのだろう。表情豊かに、情報の出し方を調整し確りと傾聴する。そんなこと知らずに行えているようだ。

 

 最初の印象と違って実に真面目で、これはなるほど良いやつだった。先はあんなことを言っていたが、ちっとも、自分の胸元などをいやらしく見てくることもないことだし。

 安心した哩は会話に次第に本音を混ぜていく。

 

「そいぎ、須賀君はもうこっちで友達とか出来たんか?」

「まあ、ぼちぼち、ですけれど……流石にまだ少ないので今日とかは誰も捕まらなくてぼっちで出かけたところ、こうなりました」

「そうか。ばってん友達いるんやなあ……」

「ええ。そんな白水さんは、しっかりしてらっしゃいますし、慕う方も友達も沢山いらっしゃるんじゃないですか?」

「そうでもなかと……」

「えっ?」

 

 哩がぽつりとこぼしたその内容に、京太郎は心の底から驚きを覚える。

 おもちは控えめであれども、こんな綺麗どころで優しい人が好意に包まれていないなんて彼には不思議でならない。

 心配しながら理由を考えて悩んでいるそんな全部を面に出すなんて器用なことをしている京太郎に、哩は微笑みながら、言う。

 

「特に仲良うしとる子はいるばってん、それ以外はどうにも疎遠なんや」

「なるほど……いや、皆近くにその人がいるからって遠慮してるんですかね? 白水さんと仲良くしないなんて勿体ないのに」

「ふふ。そりゃ、嬉しか言葉やね」

 

 本気も本気。真剣に、京太郎は言っている。そのことが分かるのが嬉しくって、哩は笑みを深める。

 誰もかもが幸せになって欲しいなんて、そんなこと京太郎も聖人君子ではないから思えない。

 けれども、自分を助けてくれた上に明らかにいい人が、物足りなさや寂しさを覚えているのは、悔しく思えた。

 

「俺でも親しくなれたらいいんですけれど……」

「ふふ。それも悪くなかね」

 

 精一杯慰めたい。そんな年下の青年に垣間見えた、子供っぽい青臭さ。それに思わず哩は云と言った。

 こういうのは、嫌いではない。好きかといえば、今までそうとは知らなかったけれど、きっとそうなのだろう。

 胸元に温かさを覚えた哩は、続ける。

 

「――友達になって、よかよ?」

 

 そう、それは初対面の人間相手に告げることではない。

 けれども、これまでの僅かな時間で、大分心が見えた。それを良いと認めて、哩も繋がりたいと思えたのだ。

 開いた手を伸ばし、哩はいい子である京太郎へ手を伸ばした。

 

「はい! よろしくおねがいします!」

 

 彼は笑顔で彼女の手を取り、握手。

 

 

 こうしてじゃらり、と二人の縁は繋がれた。

 

 

 

 そんなこんながあって京太郎と連絡先を交わし、しばらく。

 身内以外の異性とここまで親しくしたのって実は初めてでは、と思えるくらいにアプリや通話やらで友達らしく近況を語り会うようになった哩。

 しかし、面倒なことになりそうだからと、彼女は姫子に京太郎のことを語ってはいなかった。

 

「むぅ……部長……」

 

 だが、ルームメイト相手に、隠し事なんてそうそう出来ない。

 姫子は自分以外の人間に、時間を多分に使っている親しい人の姿――部長の知り合いだからきっといい人だろうけれど――に眉をひそめるのだった。

 

 これはまるで浮気だ、と姫子は思う。思うが、しかし関係性をはっきりさせてこなかった自分も悪いと彼女も考える。

 そして更に、これが哩の思いやりの一つであるかもしれないとの勘ぐりもあるからこそ、厄介だった。友達をろくに連れてこない自分を心配して突き放し、部長はあえて背中を見せてくれているのではないか、と。

 

 そう、誰か友達を連れてこないと安心できない、そう哩に言われてから健気に姫子も奔走――声掛けられるの待ち――してはいるが、しかし結果は芳しいものではなかった。

 鶴姫とシローズのべったり関係は知れ渡っており、その仲を邪魔するのはどうかというのが大多数で、そうでもない知り合いは麻雀部にいくらかばかり。

 そして、麻雀部の仲間を友達だと連れてきても、当たり前じゃないかと言われてしまうのだった。

 流石にこの歳になって友達欲しいと公言できるほどプライドを捨てては居ないために、さしもの部長ラブの姫子も、自分の瞳に一人を容れすぎたことを反省するのである。

 

「もうやるしか、なか……!」

 

 しかし、反省したとは言えども、一様に人は変わらない。今更、新しいなにかなんて探せないと思い込んでいる姫子は、既存の知り合いから使えそうな人間を探す。

 そして。

 

「部長! こいつが私の友達です!」

 

 改めてカフェで待ち合わせた上で()を連れて、哩へと紹介するのだった。

 

「京太郎?」

「えっと……姫子の敬愛する人って……哩さん?」

「え」

 

 そう。親類で一番に仲良かった、最近こっちに来て会ってより親しくなった気でいる歳近の京太郎を。

 だが反応にまさかの二人が知り合いという事実を理解した姫子は、開いた口が塞がらなかった。

 

 そして、勿論事情や思惑なんて知らず、ただ哩は姫子が彼の手を取るその近さばかりを気にして。

 

「こんは、どがんことや?」

 

 その柳眉を逆立てる。

 

「あう……」

 

 これはヤバい、と姫子はうなだれるのだった。

 

 

 

「京太郎! なにしよおと!」

「うわ、姫子。いや、別に俺が哩さんと出かけたところで……うわっ!」

「そがんとダメにきまっとうけんね! 私の部長を返しんさい!」

「くっつくなっての……重い……」

「重かって、そりゃどがんことばい!」

 

 

 繋がった、好きと好き。さて、私は果たしてどちらに嫉妬しているのだろう。

 

 

 強く握られた手のひらに、鉄の匂い。じゃらり、と鎖の音が鳴る。

 そして締め付けられるような、痛み。

 

「よかね」

 

 自然釣り上がる、口の端。

 

 ああ、私はちゃんと――――二人を愛している。



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間合いの中で火が点いてしまいもう姐さんとは呼べない京智葉

 皆様お久しぶりです! 投票沢山いただけたのに、遅くなってすみませんー。
 いや、実は最近引っ越しして、その先で風呂が壊れていた等のトラブルが頻発した上にスランプで逃避気味にジム通いを始めてしまって遅れたのです……ごめんなさい!

 今回は、智葉さん回ですね。なんでか浮かんでこなかったので、書き方変えてみました。
 正直なところ、またまた再現度には不安がたっぷりですが、少しでも楽しんでいただけると嬉しいですー。


 火は、点けたら最後に消すことまでが然り。

 火の用心、そんなことは誰が叫ばなくても危険を忘却したり学ばない子供であったりしなければ、分かっていること。

 だがしかし、その危険な熱量は絶やせない。

 炎もまた自然の恵みであって、そして人の進化にすら密であるほど大切なものだから。

 

 だがさて、いたずらに燃え出したこの心の炎はいかがだろう。

 己の中の火消しの血は、なんとはなしにそれの熱を嫌う。これに狂うのは、らしくないと私の中の私は冷静に火の用心を叫ぶのだ。

 けれども、これを失くして、私はもう私であれるものだろうか。もう、既に私は変わっているのだ。

 

――――彼のために私は弱くなり、そしてきっと彼のためにずっと強くなれる。

 

「ふっ。後は、あいつを一発で仕留める必殺の間合いを掴まなければな……」

 

 そんな物騒を一人口にしながら、恋する少女――辻垣内智葉――は微笑むのだった。

 

 

 

 

「ねえさん?」

「須賀君って、お姉さんがいたの!?」

「あー……」

 

 それはいつもの部活途中。気心の知れた仲、午後のまどろみ、それら全てが彼を油断させた。

 あ、つい比較のためにねえさんなら、って皆の前で言っちゃったな、と須賀京太郎は思う。

 それは別に禁句でもなければ、嘘でもない。けれども彼女がなるべく私達の関係を口外するなと口を酸っぱくして話したこと。

 しかし、自分の五対の興味にキラキラした瞳――清澄麻雀部女子の面々――から逃れられる気はせず、鍍金の頭を掻きながら京太郎はおずおずと期待に応えてしまうのだった。

 

「ええと……まあ、そうですね。俺がねえ(・・)さんと呼んでいる人は一人だけ居ます……」

「へぇー。京太郎には姉が居たのか! やっぱり京太郎みたいにのっぽなのかー?」

「いや、別に身長どころかねえさんは俺とはこれっぽっちも似ていないが……」

「それは、面白いのぉ。似てないということは、京太郎はどこかやさやさしとるけぇ、ひょっとしたらその姉さんとやらは険がある感じなのかの?」

「ああ、確かにそんな感じですね……」

 

 ちっちゃな同級生の卓から身を乗り出さんばかりの問いに、優しい先輩の好奇に満ちた探り。

 それらに答えながら、京太郎はあの人のことを思う。

 

 似ていないのは、違いない。何せよ心は通えども、血には交じるところなんてほぼないのだ。

 そして、険があるかないかでいえば、まああるだろう。

 京太郎がぽかをかますことが多いせいでもあるが、年上の彼女はどうにも厳し目。思えばよくよくあの人の眉は歪んでいた。

 まあ、柳眉がちょっと曲がっても綺麗は綺麗で眼福だったけれどな、とは彼の感想である。

 

 そして先に問った稚気に溢れた高校一年生片岡優希は、顎に指先を当てて考えながら、頭の中の疑問を口に出す。

 女子で険、それは怖いかはたまた拒絶心丸出しであるのか。優希は平たく彼女なりに翻訳して彼に再び問った。

 

「コワモテかー? それとも委員長系のカチカチかもしれないじょ! どっちだ、京太郎!」

「あー……両方、かもしれないな……」

 

 怖くて、お硬い。そんな確かに彼女のパーソナリティにあった気がする。

 いや、優しいときも多々あるのだけれども、笑顔はとても可愛らしいのだけれども、しかし気づけばそんな緩みは固く絞められているのだ。

 ねえさん、あれで子供に好かれるんだから不思議だよな、とか京太郎はちらと思うのだった。

 だがしかし、そんな心ここにあらずを見つけて、幼馴染を自認している――中学生からの関係は果たして幼馴染に該当するのか――宮永咲は、なんとなくムッとしながら、しかし気になる相手についてを訊く。

 

「両方? 京ちゃん、その人は強面委員長さんってこと?」

「まあな……何時も厳しくしてもらってるよ」

「へぇ……」

「まあ、それ以上に色々と綺麗な人だし、何より面倒見もよくてさ。俺が世話になったのは数え切れないほどだよ」

「ふーん……」

「ふふ、咲さん分かりやすいですね……」

 

 そうしていじけに尖った口先はまるでアヒルのように。わかりやすく、気になる人が自分以外を気にしていることに咲は拗ねるのだった。

 そして、そんな少女の嫉妬心を横で見ていた原村和はぶるんと微笑む。京太郎の視線が、彼女のお持ちのその大きなものに、ちらと向いた。

 

「ふふ」

「っと……」

 

 それを受けた和は、僅かに笑みを深める。青年は、頬を染めて目を逸らした。

 目ざとく一連の二人の所作を認めた優希は、じとと京太郎を見つめて吐き捨てるように言う。

 

「むー……全く、京太郎はリビドー精神に溢れてた奴だじぇ!」

「いや、ただ目が向いただけだって優希……って性欲精神が溢れてるって、どんな目で見られてるんだよ俺……」

「あら、そんなの思春期の男の子だったら普通じゃない。健全男子高校生、ってことでいいんじゃないかしら?」

「だといいんですが……」

「いや、そういうところを抜きにしたら京太郎は殆ど聖人君子じゃけえ、スケベなところなんて、チャームポイントといいって良いじゃろ」

「先輩方の優しさは滲みます……」

 

 チェシャ猫のような笑みを見せて、足の組み方を彼の前で今わざと変えた前部長竹井久と、眼鏡の奥から菩薩の瞳とアルカイックスマイルを見せる現部長染谷まこ。

 彼女らの助け手を受け、むしろ京太郎はなんだか逆に恥ずかしくなるのだった。

 青年は、完全に子供扱いされてるよな、といじけたくなるような心地を覚える。

 もっとも、彼女らは普通に恋愛対象内として見ているのだが、そんなことつゆ知らず。

 萎れる大好きな彼を見て溜飲を下げ、優希はこぼした。

 

「って、話がそれちゃったじょ。全く、京太郎のエロなんてどうでもいいってのに」

「……どうでもよくはないが、それは置いといてくれると助かるな」

「仕方ないやつだじぇ……で、聞いたところなんかまるで京太郎のお姉ちゃんは、辻垣内さんみたいだと思うんだじょ。ひょっとしてそんな人なのかー?」

 

 強面委員長。そんな人はそうはおらず、しかし最近知り合った中でどんぴしゃりな相手が居たから、優希はそれを引き合いに出す。

 

 辻垣内智葉。個人全国三位の麻雀巧者。彼女は魔物たちと――それが極まっていたとしても――鍔迫り合える、数少ない勇者である。

 そして、そんなこんなを抜きにしてみれば、どう見てもあの人は卓に付けば見た目委員長な格好で、そして決勝出場校同士の親善会で話してみれば、そこそこカチカチな人格だった。

 ネリー・ヴィルサラーゼやメガン・ダヴァンのような留学生達に囲まれ慕われているようであり気風が良いところも散見したが、しかし戦い大いにやられたところもある優希には怖い印象が拭えない。

 

「あー……」

 

 これは会心の例えだろうと、優希が薄い胸を張れば京太郎は何故か残念な表情をする。

 失礼な、と彼女が口にしようとしたところ、彼は渋々とした様子で話し出す。

 

「そんな人というか……」

「いうか?」

「はぁ。隠してても仕方ないよな。そのままズバリ、(ねえ)さんっていうのは智葉姐さんのことだよ」

 

 会心というか、的中。言い当てられてしまい、まあ仕方ないと京太郎は智葉との約束を破って白状する。

 まあ、なるようになれという気分になった彼は。

 

「本当か!」

「ほぉ」

「うそ!?」

「えっ」

「本当?」

 

 しかし、びっくりするほど身を乗り出して詰め寄ってくる美少女五人の丸出しの好奇心に怖じ、直ぐに後悔を覚えるのだった。

 

 

 

 

 何かあったら電話をしろ。まあ別に、何かなくてもかけていいが。

 

 そんな言葉を信じて、京太郎は今日も今日とて敬愛する彼女に電話をかけた。

 また、今日は特に何かあった日ではある。質問攻めというのは疲れるものだと零してから仔細を語り出した京太郎に、辻垣内智葉は上機嫌から一転渋い声で呟く。

 

『それで、私との関係を清澄の連中に根掘り葉掘り聞かれたのか』

「まあ、なぁ……姐さんとの馴れ初めから、どうして全国三位の女子と親しくしてたのに俺が麻雀を知らなかったか、とかさ」

『まったく。仕方がないことだったのかもしれないが、余計なことは言わなかったよな?』

「ああ。それ以外は別に姐さんの家がヤのつく稼業をやっている、とかしか言ってないさ」

『おい……』

「いやー、皆本気にしちゃったからさ、姐さんの家は確かにでかくて堅いけど、皆真っ当な職業に就いてるよ、って説くの大変だったな」

『はぁ……この法螺吹きが。そんな大変なんて、まるきり自業自得というものだぞ』

「ははっ、明日には皆忘れてるさ。こっちは大体そんなノリなんだよ」

『ふん……』

 

 智葉は、携帯電話を持った逆手で風呂上がりの長髪に触れる。滑るばかりの濡羽の黒に満足を覚えながら、彼女は考える。

 自分の話題が軽く扱われているようで何だか釈然としないがまあ、下手にイジられるよりは、忘れられた方がよっぽどいいだろう。

 コイツだって別に、家が下手な暴力団なんて裸足で逃げ出すくらいバチバチの男衆女衆ばかりだとは口外していないだろうし、と思う。

 というか、国政に関わる仕事をやっている筈の父親たちが更生させたという元ヤクザや暴走族達から所構わずおじょーとか呼ばれてしまっている現実はどうなのだろう。

 先日それを隣で聞き、サトハはジャパニーズヤクザのオジョウサマなのですネ、と目をキラキラさせたダヴァンに違うと納得させるのにかかった労力を思い出してげっそりとする智葉だった。

 

 そんな彼女の心持ちを察したのかどうか、京太郎は至極優しく話し出す。柔らかに、彼は言った。

 

「まあ、さ。大丈夫だよ。肝心なことは言わなかった。俺が……そう、姐さんと婚約関係にあるってことはさ」

『あ、ああ……それなら、いい、か』

 

 そして耳元で囁かれる、愛おしい彼のきゅっと胸の締まるような婚約という文句に、智葉はらしくなく頬を染めた。

 頬に熱を覚える。愛が胸で焦れた。

 そう、彼と彼女は、実のところ結婚を約束している二人。好きと言われたことさえないが、未来に手を繋ぎ合っていることばかりは確実だった。

 

 淡い恋が訪れる前に両親――二人共おっかないくらいに顔が整っている――に言われた、お前に良いところの許婚が出来たという言葉。

 嫌だと逃げたその先慣れない公園にて、その相手と知らずに長野から越してきたのだという京太郎と智葉は仲良くなった。

 そして、泥で汚れた手を二人繋ぎながら家に帰って、その子がお前の婚約者だよと言われ、ぱっと温かい小さな手のひらを離した記憶。残念な心地

 そんな全ては智葉の大切な思い出だった。

 

 しかし、そんな想いを彼は知らない。

 いや、それも当然なのだろう。離れた手を再び繋ぐこともなく、以降ただ姉貴風を吹かすばかりの少女は幼い京太郎には難解だった。

 そして生まれながらに智葉はポーカーフェイスがお手の物。視界に入れるだけでにまにましてしまう口元を抑えるのだって、彼女にとっては難しくはないのだった。

 俺のことなんて、あんまり好きじゃないのかな。小さかった京太郎がそう思ってしまうのも、まあ無理はない。

 しかし、そんな勘違いが今まで続いてしまっているのは、まあ彼女にとっても想定外。

 メガネを取った時にやっぱり綺麗な目だと言われたからコンタクトに挑戦したり、格好いいと言われ続けたくてさらしで大きくなりだした胸元を窮屈にしたりするなど、健気な努力を続けていたというのに。

 

 そして、京太郎は智葉に思い違いを今、暴露するのだった。

 

「にしても、嫌だろ、姐さん?」

『ん? 何がだ?』

「いや、俺なんかと婚約してるの」

『はぁ?』

 

 思わず、口がぽかんと開く。しかし、それを何時ものように固く閉じることは出来ない。それくらいに智葉は呆気にとられていた。

 良いも悪いも関係なく、京太郎がいいんだ。お前以外の人間なんて、隣に立たせるつもりはない。むしろ私なんかで大丈夫なのだろうか。

 そんな口説き文句を彼女が口走ろうとしたその時。

 

 

「――婚約、解消したほうが良いんじゃないか?」

 

 

 と、京太郎は言ってしまうのだった。

 

『っ―――!』

 

 青くなり、智葉は絶句する。

 

 

 彼女にとっては永遠にも思える数拍。そして、彼はまた口を開いた。

 失言にしか思えない、しかし先のそれは弱気というよりも、相手への思いやり。また、それだけでなく。

 

「だって、そんなのがなくても――俺は姐さんのことを多分世界で一番好きだからさ」

 

 それは返すものではなく、湧き起こるもの。慕いから恋に変わったのは果たして何時からだろう。

 きっと、頑なな彼女が見せる、時折の笑みに見惚れたあの日からだったのだ。

 怖くて、頑な。そんな彼女の中に見つけた綺羅綺羅とした宝石。ああ、この人は誰より美しいから険しさを持ってそれを隠しているのだ。

 ずくり、と少年の胸元には恋が突き刺さっていた。

 

「なあ、智葉、さん」

 

 姐さん。今まで変えられなかった呼び方から完全には別れられはしない。ただ、それでも変化に意味はある。

 

『バカだな……』

 

 そう、バカだ。相手に好かれていないと誤認しておきながら、好きと語れる勇気があるというのに、この男は今ごろになって間合いに飛び込んできた。

 そして、何よりバカなのは、そんな彼の想いがたまらなく嬉しいばかりの自分だと智葉は思う。

 

 ああ彼のこの炎は消せない、むしろ。

 万感の想いを持ってゆるりと、彼女の鯉口は切られた。

 

『私だって、京太郎のことが世界で一番に好きに決まってるだろう?』

 

 

 

 火の用心。けれども、正しく燃焼するのは祝福すべきくらいに喜ばしいことで。

 

『これからも結婚は、約束だ』

「ああ!」

 

 二人の愛は、ぼうと燃えるのだった。

 

 

 



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普通じゃない中の普通だから勘違いしないメイドとお坊ちゃまな京一

 お久しぶりです……まず、申し訳ございません!
 アンケートしながら思い浮かばず、遅くなってしまいました……一年以上も放置してすみません。
 また色んなチャレンジしながらも取り敢えずなんとか今回のお話できましたので、よろしくお願いします。



 今回流石に反省しましたので一時アンケートを閉じますね。
 そして、アンケートに書かれた組み合わせを消化出来たら、またアンケートをしようと思います。
 失礼しました。


 大きな屋敷の中に、メイド服を着込んだ少女が一人。ポニーにしては天辺に短く纏められた髪型の彼女は、よく見るとその家に雇われている数多のメイド達に比べると少々変わった格好をしていた。

 ホワイトブリムだけではオシャレには足りないと言わんばかりに重ねられた大きなリボン。そして、左頬には真新しい星のタトゥーシール。更には、両の手に嵌められているは、手錠に鎖。

 とても傾いたというよりも最早方向性も意味不明な全体を持った小柄な彼女の名前は、国広一と言った。

 

「はぁ」

 

 一は、好きになれない金持ちの趣味趣向を凝らした大仰なドアを前に、ため息一つ。そしてこれからしばらくは傅く羽目になるのだろう相手との顔合わせを前に、怖気づくのだった。

 懐中時計を確認して予定時刻が迫っていることを理解しながら、彼女はそんな現実から逃避するかのようにぽろりと呟いてしまう。

 

「ここが、()()()()の部屋か……嫌なやつだったらどうしようかなぁ……」

 

 ノックをためらいがちに行う――緊張のあまり2回目で直ぐ一は扉をに手をかける――彼女はその部屋の主、いずれ名門龍門渕を統べるだろう男子、()()()()()()のことを、未だまるで知らない。

 

 

 国広一という少女は父子家庭にて特殊な技術を仕込まれながらも、そこそこ幸せに生きていた。

 その特殊な技術は父が行っているマジシャンとしてのものだ。それを行うための手品や話術の手管を覚えさせられながら日本を転々としつつ、けれども才能に恵まれていた彼女はこれまで気楽に過ごせていたのである。

 だが、怒涛に巻き込まれずに暮らせたのは、数日前まで。先日唐突に訪れた龍門渕透華という少女により、露出過多なファッションセンス以外は普通に近かった一の人生は大きく変わっていくのだった。

 

「お父さんが、ボクを売った?」

 

 それに、頷きで返されたことに、少女は混乱する。

 聞くにどうやら、訪れてきたこの明らかに金持ちっぽい透華という子に自分は麻雀の力を見初められ、そのために行われた当事者なき交渉の結果親に金で売られたというらしいのだ。

 思えば確かに、父親の近頃の地方巡業の結果は芳しいものではなかったかもしれない。そもそも、主要から地方都市へと移らざるを得なくなったくらいに、彼の技は優れていても流行りから離れた地味ではあったから。

 通帳の中身は知らないが、親が金に困っているような様子くらい、子には伺えるものだった。

 

「そんな、こと……」

 

 だが、それにしたって、信じられない。一はたった二人の親子の関係が、金銭ごときで揺らぐものとは思えないし、思いたくなかった。

 朝に出ていく父を見送りその後学校に出て、帰ってからすぐ父が帰るまでに家事を行い、戻ってきた父と飯を食みながらよもやま話を行う。そんな親子のルーチンは、所変わったところで同じもの。

 合間合間に、手品の技術の厳しい受け渡しもあったが、日々の殆どには優しい父の愛を感じられていて、だからこそ片親で可哀想ねなどと言われながらも毎日を頑張れていたというのに。

 思わず、湿潤する視界。言葉が詰まり、頭の奥がくらくらする。それが、親愛を信じられなくなった絶望によるものということを知らず、崩れ落ちそうになった一は。

 

「はぁ……こんな流れになるとは……仕方がありませんわね。本当のことを言いますと……実際貴女のお父様が貴女を売るとかそんなことはナッシングですわっ!」

「え?」

 

 間近で諭すように放った透華の言に、再び前を向くことになる。

 身長差から自然見上げるようになった金色少女の表情に哀を認めた一は、自分が思いやられていることを理解し再び地に足がついたような思いがした。

 頭頂の髪束を真っ直ぐ伸ばし、透華は続ける。

 

「実のところ、わたくしが年が近い隠れた麻雀巧者たちを調べている間、我が龍門渕家でもこの前我々の息の掛かった企業のパーティの際に秀逸な手品を披露なされた貴女のお父様をお抱えにしようという動きがありまして……登用することになりましたの」

「えっと……つまり、龍門渕にお父さんがお抱えになった……うん。そう、なんだ……それで、どうしてボクは……透華って言ったっけ、キミのメイドをすることになったの?」

「それは、貴女のお父様の就業前身辺調査で都合のいいことに貴女がわたくしの希望に沿った存在だということが判明しまして……貴女もついでに雇っちゃえということになったんですの!」

「えっと、つまり透華がボクがお父さんに売られたと認識するように促したのは……」

「ただのノリです! その方が後で親子のドラマチックな再会が見られると思っただけですわ!」

「……殴るよ?」

「ふふ。やれるものならやってみなさいな」

「はぁ……」

 

 さっきまでの言葉の半分くらいは嘘だった。そんな思わずくらりとする事実に怒りに拳に力に入る一だったが、しかしそのまま透華の一部だけツンツンな頭を小突くことばかりは止めておく。

 それは、これから雇い主になるに違いない、何故か怒りを嬉しそうに手を広げて受け容れようとしている金持ちのお嬢様に暴力を振るうのは得策ではないことが一つ。

 そして、それだけでなく彼女が今度も嘘を吐いていることが観察力に優れた一には理解できたからだ。手品師に、二度目のペテンは通じない。

 ため息を吐いてから、彼女は問いただした。

 

「透華。それは嘘だよね。なんか、他に理由がありそうだけれど?」

「そうね。わたくしが貴女に孤独を覚えさせた理由は、ただのその場のノリだけじゃありませんわ」

 

 ただ、深く傷つけるつもりはなかったので途中で止めましたが、と透華は続けて空を見上げた。

 孤独な月もない青いばかりの空の中、ギラギラと金色を超えた太陽の輝きが目立つ。

 そんな無様を笑ってから、もう一度振り向いた彼女の顔は。

 

「後は、もし貴女が彼の救いになれば、とわたくしが願っていたというだけのことです」

 

 酷く冷めていて、それでいてマグマのような熱量を瞳の奥に秘めているようだった。

 

 

 龍門渕本家には、ニ頭の魔物が居る。

 そんな文句を知ったのは、それこそその片割れだろう魔物に麻雀にてこてんぱんにされた直後のことだった。

 諳んじた年下メイドの杉乃歩に傾げた一の首はまだ恐怖に震えていたが、内心は最早呆れに包まれたものである。

 だって、ただ遊んだだけでトラウマになりそうなあんなの――天江衣――と並ぶものが他にも居るなんて、金持ちは本当に奇々怪々な存在だと彼女は知った。

 

「坊っちゃん、か……」

 

 そして、しばらく練習として透華のお付きとしてメイドとなり懸命に働いた最中にもう一方の魔物のことを耳にするようになる。

 曰く、麒麟児、国士無双、人誑し。麻雀の役のようなものもあったが兎に角色んな呼び名が彼、龍門渕京太郎という男子にはあるようだった。

 出自としては傍流から養子として龍門渕本家に入ったという異色。けれども話す、多くの人物が坊っちゃんとやらに心酔しきっている。

 それこそメイドたちはファンばかりで偏屈な老齢の執事ですら京太郎様のためなら死んでもいい、というくらい。

 なるほど、この時点で、どれだけ京太郎とやらが実力を持っているかは分かろうものだ。

 

「でも、あの衣と並び称されるなんて、ヤバすぎるよね……」

 

 衣のように忌まれるから――前より待遇は良化しているらしいが――こその魔物ではなく、人に愛されるからこその魔物というものは、流石に一の理解の外だった。

 経済を見通す力は優れているのに麻雀はからきしで、そんなところが可愛いのよね坊っちゃんは、というメイド長の言を苦笑いで聞き流して、その実態の不明さを彼女は思う。

 

 口を開けば誰もが語る。彼は凄い、天才だと。そして、それだけでなくまるで天使のような心を持っている、とも。

 ああ、彼は確かに口出しただけで利益の種を龍門渕に植え付け、そして任された経営にてもあり得ないレベルの差配の結果を生み出しているようだった。そして、人柄で自然と周囲をつなげているらしい。

 

「でもそれだけ、じゃないんだろうな……」

 

 そう、一は褒め言葉だけを信じない。

 龍門渕の貴石、一番に血の濃い男子。そこまで言われ程に称賛しかされない男子なんて。

 

「おかしいよ」

 

 いくら優れても敵があるのが普通。それすらないものは、本当に人なのか。真っ当な感性を持った一はそう、思うのだった。

 

 

「ふぅむ」

 

 そんな彼女はだからこそ間違いないと彼女に認められ、京太郎のお付きとして選ばれる。

 

 

 

「お邪魔します」

「ん? ああ、新しいメイドの子か。入っていいよ」

「はい」

 

 礼をして、足ることはないだろう。そう思いながら諾々と従い部屋へと入る一。

 どこか気安い返事に、あまり上げたくない顔を上げてきょろきょろしながら、彼女は京太郎のもとへとジャラジャラ鎖を鳴らせつつ寄っていく。

 彼は、何か物書きの最中の用で、万年筆を走らせている。目に止まらぬ、という程でないが淀みないその所作にさすがと思いながら、彼女はふと違和感を覚えた。

 

「あれ、物が……」

 

 そう、家具のそれは配置のちぐはぐ。大事に大事に手入れされているだろう跡取りのための威容すら感じる高価達が、しかしどれもが中心の京太郎に対してそっぽを向いているようで。

 勿論、それは勘違いかもしれない程度の些細な感覚。だが、それでも曲がりなりにもマジシャンの血を引いている一には分かるのだ。

 

 ああ、これらは全て紛れでしかないと。そう、この場に本命は一つもなかった。

 

 気づけば彼は振り返り、その整った顔を台無しにしない程度に瞳を大きく白黒させながら、呟く。

 

「ふぅん。気づくんだね、流石は透華姉さんが推すだけはある子だ」

「あ……すみません。ボ……私」

「普通に話して大丈夫だよ。取ってつけたような敬語すら要らない。むしろキミ、年上だろう? 俺なんかに必要以上かしこまることはないよ」

「えっと……うん。そうだね、下手にボロを出すより良いかな。……ボクは、国広一」

「ん? ああ、自己紹介か。そうだな、俺は……うん」

 

 先に気づいた不可解に気を取らて、だからこそこの男子に必要以上に囚われなかったのだろうと、彼女は後に思う。

 所作一つ一つがあまりに丁寧に作られていて学びに教えの厳しさを伺わせながら、それを忘れさせてしまうくらいの人好きのする笑顔を向けられて、国広一は。

 

()()京太郎。よろしく」

「うん」

 

 向けられた手を握っても、だからこそ、彼に惚れなかった。

 

 

 

「一、キョータローは壮健か?」

「そうだね。坊っちゃんは……まあ、いつも通り完璧かな」

「……凡愚は時に一を匹婦と囀るが、やはりトーカの選んだ玉が金剛石でないわけがなかったか」

「衣?」

 

「一はそのまま、キョータローの力になってあげてくれ」

 

 

「一。貴女、体調は大丈夫ですの?」

「んー……そういえば、坊っちゃんにも言われたけど、そんなにボクって頑張ってるように見える?」

「というよりも……何でしょうね」

「何? 透華らしくなく言いにくそうにして」

「だって、貴女……」

 

「まるで、時々何かを我慢しているような顔をしていますから」

 

 

 

「……はぁ」

 

 一も時に、一人で我に返る時がある。そうすると、メイドの仮面すらかぶれなくなって、彼女は迷う。

 それは、今や完全無欠とすら持て囃される龍門渕京太郎に、当たり前の年頃の男子らしいところが見えた時に、ままあった。

 彼女は深く思うのだ。彼が疲れに取り落とした匙を拾う時や、寝言で父母を呼んだ際の悲しげな表情を見てしまった場等にて特に。

 今も、珍しくあくびを一つ噛み殺した京太郎を見て取り、小言の代わりに思いを言葉にしてしまう。

 

「ねえ、京太郎。無理しすぎだよ」

「んー。一さんはよくそう言ってくれるけど、大丈夫だよ」

「そうかな……」

 

 辛そうに目を伏せるお付きのメイド。それに、真っ当に申し訳無さを思うところが京太郎という男子の人の良いところ。

 彼は、台本を口にするようによどみなく、平らな文句を口にするのだった。

 

「ああ。龍門渕は若い俺にだって簡単とはいえ仕事を回してくれるし、それがまたやりがいがあるものばかりだ。こうして皆の為になることは、正直なところ性に合ってる」

「それは、そうかもしれないどさ……これまで、苦労したでしょ?」

「まあ……最初は、必死で学んだけど……それでも、龍門渕の人たちは優しいから、それだって苦労には入らないさ」

 

 キラキラ綺麗なばかりの言葉は、どれも分かりやすいところのある京太郎の本心であるからこそ、星のように輝いて見える。

 でも、輝くばかりで星は果たして疲れやしないのか。そして、彼の疲労を誰より近くにいる彼女は知っている。

 だからこそ、一は迷いなく首を振った。

 

「違うよ」

「……一さん?」

 

 一は否定されることを理解できない様子の京太郎を悲しく思う。

 思い出すは、あの日透華にされた強引な勧誘と、その際に言われた嘘とその訳。

 親に棄てられたと思いこんだ、それだけで自分を見失うくらいに辛かったというのに、実際この男子はそれを呑み込んで歩んでいる。

 

 ああ、そんな小利口できる筈がないのだ。きっと彼はずっと傷ついていて、今も本心は逃げたがっていた。

 

「いくら居場所があって優しくたって、代わりにはならない。そんなこと、京太郎が一番に分かってるでしょ?」

「……そう、かもしれない」

 

 物を見れば、人の心だって分かる。一はそこまでではないが、彼女から見たら彼は明らかに龍門渕の自分の部屋に心をここに置いていない。

 そして、だからこそ逆に、どこか浮世離れしてそのために好かれているような、そんな哀しい現状があった。

 思わず、お茶を片付けていたその手を止め、ずいと座ったままの彼に一は近づく。

 彼女は、言った。

 

「京太郎が、龍門渕の人間に衣を受け容れられるように動いてるって知ってるよ。仕事だってきっと大切なものでさ、キミの代わりなんて居ないのかもしれない」

 

 跡継ぎ、とはいえ人に代わりはない。そんなことは当たり前なのだけれど、この龍門渕という異世界地味たお家の中ではそうでもないみたいで、それが意外と普通な彼女にとっては哀しい。

 もう麻雀でイカサマをしないようにと戒めのためにつけられた手錠を、ここぞとばかりに見せつけ、一は続けた。

 

「でも、こんな物理的に縛られているボクが言うのはなんだけどさ。そんなに無理しなくて良いんだよ。いい子にならなくたって良いと思うんだ」

「あ」

 

 ずるしてもいいのに、とそれがもう出来ない真っ当な少女は言って、その孤独で年不相応に大きな抱きしめる。

 そして、思わず口の端緩めた京太郎を見て、彼女は。

 

「だってキミ、本当はただのちょっとスケベな男の子でしょ?」

 

 そう言い切るのだった。

 

「はは。ありがとう、一さん」

 

 縋られることに、縋るな。

 そんな少女の言葉はどうしたって真っ直ぐ胸を打ち、そのため努めずになってしまった彼の笑顔はあまりに清々しくて。

 

「……どういたしまして」

 

 今更になって惚れ出した一の抱擁は、知らず熱を持つのだった。



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飛べないでも天使のような彼女に優しくされることが悔しい京煌

 月日経つのは早いです……また二ヶ月経ってしまいましたがなんとか出来ましたので、良かったら読んでいただけますと嬉しいです!

 煌さんの話ですね……彼女のすばらさを上手く表現出来ているか不安ですが、どうかよろしくお願いしますー。


 実在すると後で知ったのでかなり高遠原周辺のことをでっち上げてますが、可能であればこのお話ではそういうものと取って下さいー。


 長野に山の風情を求めるならば、高遠原に向かうのはなんらおかしいことではないだろう。

 

 山の懐、斜面の多くを人力でなだらかにした地に出来た集落はそれなり以上に大きくなったが最大値であっても人口は市、未満。

 最盛期の数十年前には農地の斜面を用いた果実づくりにて、町内で開発された桃栽培を中心として盛り上がりを見せていたが、それも今は昔。

 耕作放棄地がそこかしこに出ている今、住み着く人間よりもむしろ出ていく子らの方が随分と目立っている。

 

 とはいえ、人と森とが共存していた過去を連綿と引き継いで来た木こり衆と変わりなく、今も山林整備に励んでいるのは多くが地元の者。彼らは当たり前に隣り合った自然を愛し手入れする。

 それもあってか、高遠原の大部分は人家の隣がもう山の中といった、少々特殊な町の造りをしていた。住民は里を離れてようやく、己が山にどれだけ親しんでいたか思い知るもの。

 もちろん、大切な観光資源として高遠原の広報は自然と触れ合える町と宣伝している程だった。

 故に、長野においても自然豊かな町といえばあそこと言われるくらいには、高遠原は有名。それこそ、長野の一部の小学校では林間学校のために訪れるのが恒例となっている。

 

「……迷ったか、これ」

 

 そして、もれなくキャンプなど行楽じみた学びを深めるために高遠原訪れることとなった小学生な須賀京太郎は、今山に迷っている。

 この町に向かうバスの中で口酸っぱくなるくらいに逸れるなよ、とは先生は言っていた。

 素直な子供の彼はそれを遵守しようと思っていたし、実際に背の順のために最後尾近く先生の真ん前を歩いていたため、過つことは早々にない。

 既に一日目をふかふかの布団に包まれながら、皆の雑談を子守唄のようにして京太郎は寝て終えていた。

 

「靴紐結んでる間に見失うなんて……皆ホントにどこに行ったんだ?」

 

 だが、二日目の少し弛緩した空気の中、少年にとっての悲劇は起きる。

 京太郎の今日のシューズは険しい道を通るかもといいうことで何時ものマジックテープで止めるものではなく、紐で結ばれたもの。

 気づいて座り込んだ京太郎が慣れない蝶々結びを直すのには、思ったより時間がかかってしまった。

 だがしかし、それだって一分二分といったところ。先生達は予定のすり合わせのために先頭に集まってしまっているようだったが、一人止まれば気づくくらいの注意はあると思ってもいた。

 

「さっきの道、左だったか……早く戻んなきゃな……」

 

 けれど、現実として京太郎は忘れられて顔を上げた際にもう誰の姿も見当たらずに。

 故に、木々が周囲を走る中、分岐点まで駆け足で向かい、沢に降りるクラスの予定を鑑みて彼は水音の大きな方を選んだのだった。

 それが過ちだったのは、今の京太郎が思い知っているところ。水音の中心は、沢というよりも渓谷のような水源付近。しばらく歩いてそんなハズレにたどり着いた少年は、急ぎ足で道を引き返すところだった。

 

「はぁ……暑い」

 

 繰り返すことになるが高遠原は、人家の隣が山である。

 整地されきっていない地面はデコボコしており、草も背が高いものが多く繁茂している。それを子供が踏破するのは存外難しいもの。

 幾ら、昼休憩のお遊戯サッカーで点取り屋として活躍をしている京太郎であっても、難儀するくらいに自然は深い。

 

「やばいな、これ……」

 

 先から靴下には不明な種がびっしりついてしまい気持ち悪いし、その更に上の半ズボンの下でもある肌は痛いくらいに葉に傷つけられている。

 これだけでも大変辛いのに、水筒の中身はもう空だ。山間とはいえ7月の高温に汗は吹き出て止まらず、疲れはそろそろピークを迎えた。

 重い頭にくらりくらりとする視界は、これ以上の無理を防がんとする。しかし、それでもこんな半端では見つけてもらうのも大変だと京太郎は更に歩を進めようとして。

 

「おや? ……キミは……」

 

 白いワンピースを着た二つお下げの少女に出会う。

 なんか髪型クワガタみたいだなと初対面で失礼ながら彼が思った地元民の彼女は、ただ近所を散歩していたばかり。

 そこが、山中であって慣れていなければ通れない獣道であっても、少女にとっては平凡な通り道でしかなかった。

 故に、そこを通っている少年に対して、不安は覚えない。お爺さんお婆さんも歩む、こんなご近所に変な人なんて出ないと田舎らしい長閑な考えを持ってして。

 

 だから、優しい彼女は少年に滴る汗の多さを気にして寄っていき。

 

「どうかしました? ただの汗っかきさん……って訳ではないようですが……」

「あな、たは……っ!」

「うはう! ど、どうしたんですー、急に私に寄りかかってきたりして!」

 

 そして、一つ年上少女は背高の京太郎の抱擁じみた寄りかかりをその身で受けることになる。

 これには彼女、花田煌も驚きだった。まさか、見ず知らずの相手にこんな情熱的な抱擁を受けるとは。

 いや、海外ではそんなこと日常茶飯事とは聞く。しかし、ここは日本国長野県の田舎町の一辺であり、故にそこには熱情がなければおかしく。

 

「おや?」

 

 そして、煌はいやに彼の身体がかっかと熱を発していることに遅まきながら気づいた。

 ああ、この子は内心どころか全身揃ってアチアチだ。熱情なんてものではなく、むしろとっても悪いものに侵されていて。

 

「すみ、ません……」

 

 そして、熱中症寸前に暑気に倒れた少年は、ぐたりと煌に全身を預けた。

 最後に口にした小さな謝罪に心動かされた煌は、京太郎を抱えてしかし上背による体重の差から自分の力では持ち上げられないことに気づいて。

 

「これは、すばらくないですねー……」

 

 それだけ、口にした。

 セミの鳴き声遠く、煌は眉をひそめる。だが、近所で起きた行き倒れなら、家に知らせれば速いと思った彼女は、つうと頬にかいた汗を拭った。

 

 やがて煌は頭に乗っけていた麦わら帽子を樹の幹に預けた京太郎の頭に被せてにこりとしてから、発奮した様子で優しく声をかけた。

 

「それでは、安心してここで待っていて下さいね、少年!」

「う……」

 

 京太郎は弱々しく、返事も出来ない。しかし小さく目を開けた彼の視線の先の少女の背にはまるで天使の羽根が生えているかのように映ったのだ。

 

 そうして小さくも頼もしい彼女の背中が駆け足で遠くに離れていったその直後。

 

 

 

「あ、京ちゃん! 先生、京ちゃんここに居ました! ……大丈夫、京ちゃん?!」

 

 

 何時も彼の背中を追いかけてばかりだった少女が、だからこそ一番の救助の手として間に合ったのだった。

 

 

「うーん。わかんねえな。おい、煌。本当にここに誰か倒れてたってのかい?」

「あれ? 確かにここに倒れていたはずですが……彼はどこに?」

「んー。まあ、確かに草がほうぼうに倒れてるから、誰かいたのは間違いねえようだ。オラが後で迷子が出てないか聞いとくよ」

「あ、はい……」

 

 だから遅れ、お隣のお爺さんを連れ立って戻ってきた煌には、担架で連れられて行った京太郎の残滓すら見つけること叶わず。

 

「……あの子は、大丈夫でしょうか?」

 

 ただ、彼の熱いほどの温もりを不安に忘れられず、しばらく木の幹を撫でたまま煌はその場から離れることが出来なかったのだった。

 

 

 

 さて、そんな行き違いがあった後、点滴をうって全快した後一人だけ林間学校を中断し帰宅することになった京太郎。

 彼は、熱中症にて朦朧としていた間のことを殆ど忘れていた。

 辛うじて想起出来たのは、ひんやり柔らかな人の心地と元気な声色。そして天使の羽根すら想起させるその優しさと。

 

「クワガタ?」

 

 髪型のみだった。

 一月もせずに訪れた夏休みの始まりを、自分を助けようとしてくれた相手に感謝を伝える行脚のための時間にした京太郎は、暇をしていた宮永咲の同行を許しながらそんな相手の印象を伝える。

 少年の手は前に伸び、がちゃん。それこそクワガタムシの顎を模してから続きを言った。

 

「ああ……ツインテールが、こうぐわっと前にせり出していて……うん。そんな感じの髪型だったな」

「ええ……かなり特徴的な人だね……それなら直ぐに見つかるんじゃないかな?」

「だと、いいがなぁ……なあ、咲。宮永ホーンに何か反応はないか?」

「京ちゃん、私のこの髪型、角じゃないよ! その人がクワガタなら私はカブトムシ?!」

「冗談だ」

「もうっ!」

 

 おちゃらける京太郎は、しかし頬を膨らませながら後をちょこちょこ付いてくる咲のことを見つめている。

 彼女は今年の春に出会った転校生。馴染みになった彼女には本好きなお姉さんにもう一人大切な子が隣り合っており、陰は一つもない。

 面倒見の良い京太郎は最初問題ないから大丈夫かと他を優先していたのだが、直ぐに顕になった咲のぽんこつ振りにこれは要介助と対処を始めた。

 以降、懐かれついて回られるのが日常。そんな仲を冷やかす、みなもという少女の相手も京太郎には慣れたもの。概ね、毎日に問題はなかった。

 

 だからこそ、だろうか。後悔一つは足元に長く陰として引きずってしまうもの。少年は、あの日被らせてもらった名無しの麦わら帽子を深く下ろしながら迷わずに言った。

 

「だが、俺があの人に迷惑をかけたのは、冗談じゃない。謝りたい、事実なんだ」

「京ちゃん……」

「あそこの土地を持ってるのは花田さん、っていう人なのは分かってるんだから、まあそんなに時間はかからないだろうけどさ……ただ、早く返したいんだ」

 

 須賀家と宮永家は既に知己。子供が同い年というばかりでなく父親がPTAの役員同士でまた仲も良くて、そのために今回の高遠原への小旅行だって共に行えた。

 そして、何か思い詰めた様子の少年と慮ってばかりの少女に彼らの両親は冒険させることを選ぶ。

 きっとこれがその相手だという情報を得るまでは手伝い、以降は子供任せ。そんな放任を彼らに選ばせる理由は、京太郎の額から消えない険にあった。

 

 咲は少し日に焼けた肌をかりと掻いてからこれまで道道ずっと考えていたことを話す。

 

「京ちゃんは、優しくされるの苦手なの?」

「…………どう、なんだろうな」

 

 分からない。だが、こうして逸るくらいに恩を返したがるところから考えるに、ひょっとしたら彼女の言う通りなのかもしれなかった。

 京太郎は、それなりに厳しくしつけられた良いところの一人っ子である。学んだ処世術として、人にやさしくすることはむしろ好んで行っていた。

 だがしかし、自分がやっていたように優しくされたそれを嫌がるなんてなんて捻くれているのか。

 そんなのまるで、大人ぶりたい子供のようで、その実子供でしかない彼は悩むのだった。少年の険は更に深くなった。

 

「暑いな……」

「本当……暑いよー」

 

 花田家に続く道は、森を通らないからアスファルトに守られた自由。

 とはいえ、黒い地面をジリジリと灼くこの夏の熱気は子供にはたまらないものがある。

 田に水引くための畦の側にてたっぷりのスポーツドリンクを採る二人。水を飲むのに懸命な彼らに寄る影一つ。

 似たような年齢の知らない子の来訪を喜ぶ少女は笑み深く、けれども首を傾げて少年少女に問うのだった。

 

「おや、少年少女がお二人でこんな田舎にどうしました? もし、デートで訪れたのでしたらそれはすばらなことですが……」

「あっ」

「この人……!」

 

 花田の家にはかわいらしい一人娘が居る。実はそんなことを聞いてちょっと気にしていた咲だったが、聞きしに勝るなんとやらとはこのことか。

 この少女の瞳には爛々と意志の輝きが宿っており、それでいてどこまでも笑顔が優しげであり、それこそ飛ばない天使のようですらあった。

 そして、何より。ゴクリとつばを嚥下した咲はその特徴を見て指差し、叫ぶのである。

 

「クワガタ!」

「すばっ!」

 

「……あー……すみません。貴女のこと凄く失礼な表現してました、俺」

「むぅ……どういうことです?」

「ホント、失礼しました」

 

 ぶーたれる煌に平謝りする京太郎。

 やっと望んでいた彼女に会えた彼の顔には険は取り除かれていた。

 そして、下げ続けた頭。その下の首に繋がり背に乗っていた見覚えのある形の麦わら帽子を見て取った煌は。

 

「なるほど」

 

 急に訳知り顔になって、頷いて。

 

「あの時の少年だったのですね、貴方は! 無事だったのですね……これはすばらですっ!」

 

 さっきの己に対する悪口に近い表現を忘れてそう言い切り、手を広げるのだった。

 

 

 ああ、あの日夢みたのと違いこの人の背中には実のところ羽根がなく、決して飛べないのかもしれないけれど、でも。

 なんて、貴い。

 

「ありがとう、ございます……」

「あれ? キミ泣いてます? わっ……私男子を泣かしちゃいました……これはすばらくないです……」

 

 彼は初恋の少女に優しくされてばかりの情けなさに、涙するのだった。

 

 

 

「うぅ……」

「あわわ……」

 

 

「……負けないから」

 

 慌てながらも母性本能擽られている煌にただ涙する京太郎。その蚊帳の外にていじける咲もまた、初恋の痛みに翻弄される。



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