中二病の幼馴染のおかげでわたしの魂が休まらない (草木 しょぼー)
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少女は溜め息をつく

「舞い踊れ、煉獄(れんごく)の黒き炎よ。我が創造主の逆鱗を逆撫でる、聖職者どもの愚かな足掻(あが)きを嘲笑(あざわら)え……あっつ!!」

 

 音もなく降り続く雪の中。赤く燃える紙切れが、男の子の手から放り出されて宙に舞う。見る見る小さくなって、地面に届く前に燃え尽きた。

 

「こんな寒い中、そこで何してるの?」

 

「ふわっ?!」

 

 わたしの声にびくっと肩を(すく)めた男の子が、肩越しに(うかが)うようにして振り返る。

 

「はぁ、焦ったぁ。なんだ、里奈(りな)か……」

 

 情けなく()き出された息が、空気を白くかたどった。寒さのせいだけとは思えない、強張らせていたその顔を一気に緩ませる。まるで溶け崩れた雪だるまみたい。感心するくらいの脱力っぷりだ。

 わたしのちょっと、どころでなくかなり面倒くさい幼馴染は、ご自慢のポーズでいつものセリフを口にする。

 

「どうした? 我がしもべが一人、九十九(つくも)よ」

 

 いやいや、さっきふつーにっ、わたしの名前呼んでたよね?

 

 額に添える指の角度や顔の(うつむ)き加減など、わたしにとってはどうしようもなくどうでも良いレベルなんだけど、あのポーズにも強いこだわりがあるらしい。敬愛する魔導王様とやらを模倣しているそうだ。

 

 ほんと、どうでもいい。カインズ? じゃなくってケーズだっけ? とにかく、なんたらウールダウンみたいな名前の人。

 それはもう散々熱く説明されたが、スクールカースト上位のリア充女子高生、そんなわたしがラノベに興味なんて持つはずがない。

 

「ま~さ~と~、だっれっがっ、しもべよ。何度も言ってるけど、親に貰ったわたしの名前を勝手に変えるなっつーの」

 

「しもべを真名(まな)で呼ぶのは当然のことだ」

 

 頭を抱えたくなるセリフが返ってきた。この中二病さえ(わずら)わなければ、ぼっちになることもなかったろうに。

 幼馴染という補正を抜きにしても、聖人はそれなりの容姿をしていると思う。目つきの鋭さも好意的に見れば、大人っぽくクールに見えなくもないし、実際、中学に上がった頃までは男女問わず多くの友達がいた。ほんと、黙ってさえいれば……。

 いつもなら溜め息の一つでもついて諦めるところなんだけど、今日は少しだけ意地悪を添えてやり返す。

 

「はいはい。しもべが、話しかけてくれる相手を指す言葉ならね。それに、他にもいるような言い方してるけど、聖人(まさと)、あんたぼっちじゃん?」 

 

「くくく。我が血の恩恵に浴し、その対価として粛々(しゅくしゅく)と生贄を捧げる月詠(つくよみ)を知らぬとは」

 

「えーっと、それって、もしかしなくても購買のおばちゃんのこと?」

 

「ほっ、他にも我が目となり、不穏分子を監視する鴉どもや――」

 

 裏返った声で、ついには鴉まで巻き込み始めた聖人。当たりだったらしい。

 誰にでも愛想の良い購買のおばちゃん。名前は確か、日下部(くさかべ)さん。笑顔で客の相手をしているだけで、すっかり聖人のしもべにされていた。

 

「なんか……ごめん。わたしが悪かったよ。うん、ほんとごめんね」

 

 ぼっちの現実をまざまざと晒させてしまった。切ない思いに胸が締めつけられ、そっと目頭を押さえる。軽い気持ちで触れちゃダメなやつだった――猛省。

 

「オレは、孤高なんだよ」

 

「そう! 孤高! 良い響きだよねっ」

 

「……」

 

 流石にわざとらしかったかも。聖人のジト目から思わず目を逸らせてしまった。

 

「そうだ! そんな事より聖人、さっきの――あんたまさか、燃やしたんじゃないでしょうね? 期末テストの順位表」

 

「ふっ。オレはただ、身の程知らずな愚か者を(ほふ)ってやったに過ぎん。我が至高たる位階を有象無象の(やから)と比べようなど片腹痛い」

 

「あちゃー、燃やしちゃったんだ。で、何位だったの? 赤点は免れた? (ひじり)さん、順位表が今日渡されること知ってるよ」

 

「へっ!! なんでっ? なんで母さんがっ……どっどどどどうして我が創造主が知ってんだ……いるのだ?」

 

 今、「母さん」って、完全に素に戻ってたよね? 取り繕ったつもりなんだろうけど、動揺しまくってるぞっ。

 

「だって今朝、家出た時に聞かれたから」

 

「教えたのか? このっ、裏切り者!」

 

「いや、聞かれたら答えるでしょ。家お隣だし、あんたとは同級生なんだし」

 

「おのれ、九十九。我がしもべのくせに……」

 

「だからぁ、さ・じ・ま・り・な。わたしの名前は佐島(さじま) 里奈(りな)、なんですけど? しもべじゃないし」

 

 本当に、どうしてその名前(つくも)が出てきたのやら。

 

「こうしてはおれん。可及的速やかに帰還するぞ。混沌の深淵へと封印せし、聖遺物を消滅させねば」

 

「はいはい、帰るのね。で、聖遺物って何? 答案用紙かな? やっぱり、結果が悪かったから隠してたんだ」

 

「ふん、あんなものでオレの真の実力が測れるはずあるまい。評価方法にオレの力が適合していないだけだ。実戦なら誰にも負けん」

 

「適合しなかったのは一夜漬けの山勘でしょ? どこぞの劣等生の皮を被った最強お兄様かっての。だからわたしが、勉強教えてあげるって言ったのに」

 

「実力を隠すのは世間の目を(あざむ)くためだ。オレの真なる力は、決して悟られる訳にはいかない」

 

「……はいはい。ともかく帰ろっか」

 

 無意識だろうけど、その言葉にドキッとさせられた。傘もささずに前を歩く、相変わらず中二病全開の幼馴染の背中を見つめて、わたしは白い息を吐き出した。

 

 思い出されるのは、()()()()()()わたしの記憶。

 

 

 

 

 天界と呼ばれる世界で、わたしの意識は覚醒した。

 

 天界とは、地上で一生を終えた魂魄(こんぱく)が昇り、次の生を授かるまで過ごす場所らしい。

 その期間は、魂魄ごとに異なるとのことだった。

 また、過ごすと言ってもずっと眠っているような状態で、()()自我が覚醒することはないそうだ。

 

 らしいとか、そうだとか、語尾が頼りないのは、わたしも今し方(いましがた)聞かされたばかりだからだ。

 目の前の――存在は感じるけど、実際には姿の見えない神様から。

 神様は普段、天界の上の世界、神界においでになるそうなのだが、特別な用件で下りてこられたらしい。

 

 特別な用件=わたしの自我が覚醒している理由。

 それを現在進行形で聞かされていた。

 

「よいか? 輪廻転生を繰り返すなかで徳を積み、ある段階にまで昇華せしめた魂は、他とは隔絶した魂魄となる。 

 それが下界で器を得た時、その者は英雄と呼ばれる存在となり、ある時は力で世界を救い、ある時は英知で人々を導いてきた。

 お前の使命は、その英雄の魂が入った器を守ることだ」

 

「はい、アマテラス様。おそれながら、英雄クラスの器を守る必要があるのでしょうか?」

 

「英雄として転生したなら必要ない。自分の力で、どうとでも出来るからな」

 

「つまり、英雄として転生しない……」

 

「そういう事だ。英雄クラスになろうとも魂は消耗する。為すべきことの重大さを考えれば、その消耗度は一般の魂と比べるべくもない。

 力を持つ者は、それに見合った責任を負わねばならん。本人が望もうと、望まなかろうと関わらずな。

 だから、時には褒美を与えてやる必要がある。自分の思うがままに生きられる、自由という褒美をな」

 

「持つ者の苦悩ですか。それで一般人として転生させ、リフレッシュしてもらうという訳ですね。しかし、器を守るというのは? 何から守れと?」

 

「一番は――トラックだな。あとは暴漢の(たぐい)に、それから落下物か」

 

「へっ? あの、トラック……ですか?」

 

「あぁ、物理的にはな。実際は、異世界転生からだよ。もっと正確に言えば、この世界で育った英雄クラスの魂を(かす)め取って、自分の世界へと転生させようとする姑息な駄神や駄女神どもからだ」

 

「はぁ……」

 

「馬鹿の一つ覚えでトラックで轢かせたり、暴漢に襲わせたり。厄介な事に奴ら人助けと見せかけて、英雄の持つ自己犠牲の精神や正義感に付け込んできよる。一般人として転生しても、魂に刻まれた本質は変わらぬからな」

 

「なんか、神様たちも大変なんですね」

 

「どこにでも楽をしたがる奴はいる。逆に言えば、英雄まで昇りつめた魂はそれだけ貴重ということだ。とりわけ、お前の守る者は神界へと昇ることも可能な魂魄を有しておる。さて、与えられた使命の重要さは理解したか?」

 

「はい。でもそれならアマテラス様ご自身が、加護をお与えになられた方が確実では?」

 

「それでは一般人として過ごす事は不可能だ。加護を授かった者は当然周りより抜きん出る。衆目が集まるのを避けられんよ」

 

「なるほど。ではなぜ、わたしなのでしょう?」

 

「かの者と深き(えにし)で繋がっておるのだよ。どの時代でもお前は姿を変え、その者の側にいる。英雄がそれを望んだのであろう」

 

「はぁ……」

 

「その時々の記憶がないのは当たり前だ。今回もその者の転生に合わせ、お前は転生する。この記憶を持ったままな。それと、駄神どもに対抗する為の力も与えておく。

 しかしくれぐれも、英雄の魂を刺激せぬようにな。一般人とはいえ、魂の位階は英雄のままだ。その気になれば、奇跡を起こす事も可能なのだ」

 

「畏まりました、アマテラス様」

 

「では頼んだぞ、つくも。英雄の魂に良き休息を」

 

 

 

 

 英雄の魂を持つ一般人――天宮(あまみや) 聖人(まさと)

 そのお隣に住む佐島 里奈――に転生したわたし。

 誕生日が一日違いの幼馴染として一緒に過ごすこと十六年。もちろん、自分の使命を忘れていない。

 しかし、何でああなった? 鬱積(うっせき)した自由への渇望……その表れなのか。元から一般人のわたしには理解不能だ。

 

 現在、目の前の隠れ英雄さんは、帰り道で偶然通りかかった黒猫さんを尾行中。

 聖人が言うには、「付いてこい」と黒猫が目で訴えてきたそうだ。付いてこいと言われたのに、なぜ隠れて尾行する必要があるんだろう。「どこまで行く気だ?」なんて言ってるあんたこそ、その中二病はどこまで行く気なのか教えてほしい。

  

 結局、黒猫には途中で逃げられてしまった。結構な寄り道をしてしまったが、聖遺物の件はもういいのだろうか。

 おばさんの――聖人の母親である(ひじり)さんの探知能力は侮れない。いつだったか、百科辞典のケースでカモフラージュされていたエロゲーを机の上に並べてやったと、したり顔で煙草をふかす彼女の姿が思い出された。

 まぁ、お年頃の男の子だし、恥ずかしさに床を転げ回るのも一般人としての良い思い出になるのかもしれない。

 

 横断歩道の前で、点滅する歩行者信号を睨みつけ、聖人が手をかざしている。念でも送るかのように大きく開かれていた聖人の手が、グッと握り込まれた。

 

 信号は――まだ点滅している。

 

 多分、タイミングが合わなかったんだと思う。仮にタイミングが合ったところでそれは単なる偶然で、決して聖人の異能の力なんかじゃないんだけどね。

 遅れて赤に変わった信号に合わせて、もう一度手が開かれた。聖人は何に満足したのか鷹揚(おうよう)に頷くと、腕を組んで仁王立ちの姿勢をとった。

 

 信号待ちの静かな時間。

 ゆっくりと雪が降りてくる。

 しんしんと冷えて澄んだ空気が、静寂に拍車を掛けているようだ。

 

 慣れているとはいえ、聖人の言動にどう反応をしたらいいのか迷う時もある。聖人の頭の中で繰り広げられている世界は、一般人の発想など及びもつかないレベルなのだから。安易に間違った反応をしてみせると、設定を延々と語られる。

 ほんと、その豊かな発想力を、いくらかでも勉強にまわせば良いのにと思うんだ……けど……?

 

 ――音が、消えている。

 

「っ!?」

 

 ハッと辺りを見回すと、わたしと聖人しかいなかった。人も車の通りも少なくない時間帯にもかかわらず、二人しか存在しないような空間が出来上がっていた。

 その静寂を突き破り、それこそ次元の壁を突き破るかのように現れたトラックが突っ込んでくる。間違いなく、異世界の神の仕業。

 聖人が中学に上がった頃から始まった、もう何度目となるかもわからない、使い捨ての式神による襲撃だろう。

 

 問題無い。いつも通りに対処を!? 効かない?! 神様に与えられた力が、なぜか効力を発揮しない。

 なんで? どうして? あのトラックの運転手、あの女性まさか――女神本人? ありえないっ、なんてデタラメな女神なの! 他の神様の世界へ、本人が乗り込んでくるなんて。こうなったら聖人だけでも――えっ。

 

 不意の衝撃に目を向けた先には、わたしを突き飛ばした形の聖人の姿。スローモーションで遠ざかる聖人が、泣きだしそうな笑みを浮かべ、その口が一言だけ呟いた。待って、何を……なんであんたが――。

 次の瞬間、ガンッと響く鈍い音。聖人のいた場所を瞬きする間もなくトラックが走り抜け、そのまま街路樹を薙ぎ倒して停止した。

 

「いったぁ……なによ、ごめんって」

 

 地面に打ちつけた体を起こし、聖人の姿を探す。道路の中央で横たわる影が目に入った。震えだした自分の体を抑えつけるように抱きしめ、一歩一歩近付いていく。

 

「聖人……聖人?」

 

 呼びかけても返事がこない。嫌な予感がつのり、早足になる。

 

「聖人っ」

 

「九十九……か? 怪我は……ないか?」

 

「聖人!? わたしは大丈夫。でも、あんたが、あんたの体が……」

 

 頭と、あと多分お腹からの出血が酷い。学生服が湿って変色している。右足もあり得ない方向に曲がっていた。どうにか意識はあるようだが、これでは……。

 動かす訳にもいかず、聖人の横に膝をつく。冷えたアスファルトに置いた手まで血だまりが広がり、生温かい血のぬくもりが、この瞬間がリアルだと突き付けてくる。

 聖人は虚ろな瞳を空に向けたまま、苦しそうな息遣いで口を開いた。

 

「ははっ、避けきれ……なかった。危ない目にっ……巻き込んじゃって、ごめん」

 

「何で、何であんたが謝るのよ」

 

「オレといると友達を……他のみんなを……危険な目に巻き込んじゃうから」

 

「えっ」

 

「でもお前だけは……側に……いてほしくて。オレの……オレの我が儘で……ごめん、里奈」

 

「そんな、それじゃ聖人は――」

 

 わたしの言葉を最後まで聞くことなく、眠るように聖人の目が閉じられた。その(まぶた)に舞い落ちた雪が溶けて、涙のように(にじ)む。

 

 聖人は、周りの人間を巻き込まない為に、敢えてぼっちを演じていたっていうの? そんな聖人の苦悩にまったく気付かず、中二病だなんてあんたを馬鹿にしてわたしは――

 

「起きて、ねぇ、聖人。嫌……嫌だ、死んじゃ嫌だよ、聖人ぉ」

 

 馬鹿はわたしだ。わたしは、本当にどうしようもない大馬鹿だ。

 

「聖人の世界を少しでも理解したくって、あんたの好きなラノベ、いっぱい、いっぱい読んだんだよ……」

 

 ふと後ろに気配を感じ、振り返ると女神が立っていた。そのふざけたピンク色の髪には小枝や葉っぱが絡まっているが、女神がケガをしている様子はない。

 

「ようやくだ。ようやく、(わらわ)の世界にその魂魄を迎える事が出来る。これで妾の世界も救われる」

 

 自分の馬鹿さ加減にうんざりし、苛ついていたところに女神の嬉しそうな声音。わたしの頭の中で、何かがブチッと音を立てた。

 

「よくも聖人を!」

 

「ほう。おぬし、只の人間ではないな。そうかそうか、いつも邪魔をしてくれていたのは、おぬしであったか」

 

「絶対に許さない」

 

 睨み付けるわたしを見下ろす女神は、愉快そうに笑みを浮かべる。

 

「許さないもなにも、おぬし程度の塵芥(ちりあくた)に、神である妾をどうにか出来るはずがあるまいて」

 

「かはっ?!」

 

 女神の瞳が鈍い光を放ったかと思うと、まるで見えない手に首を締め上げられるような、そんな強烈な圧迫感に襲われた。息が――出来ない。

 

「妾の手を(わずら)わせてくれたおぬしには、相応の礼をせねばならぬよな。さて、どうしたものか……ふむ、そうじゃの、おぬしの魂魄そのものを消滅させてやるとしよう」

 

 考え込んでいた女神がほくそ笑むと同時に、ようやく解放される。痛みと枯渇した肺に荒い呼吸をせがまれ、思うように頭が働かない。

 何て? 魂魄の消滅? それって……つまり、もう輪廻転生の輪からは外れるってこと? そうなったら、転生した聖人の側にわたしは――。

 気付いた時には、冷えきった頬を伝った涙が、ぽたぽたと滴り落ちていた。

 

「聖人……わたしこそ、ごめん。役に立たないしもべだったね。でも聖人、あんた最後だけ、里奈って呼んでたよ」

 

 既に眠りについた、わたしの自慢の幼馴染を見つめる。わたしは今、どんな泣き顔をしているんだろ。

 申し訳なさと悔しさと、それ以上の悲しさで涙が止まらない。前世の記憶なんてないのに、今回はただのお守り役のつもりだったのに、聖人が愛おしく思えてしかたがない。

 

「一人きりになっちゃうね」 

 

 最後に、お別れのキスを――顔を近づけたところで、零れ落ちた一粒の涙が聖人の頬ではじけた。

 

「泣くな、九十九」

 

「えっ?!」

 

 ぱちりと目を開けた聖人と、至近距離で見つめ合う。

 

「聖人?! あんた、死んだんじゃ……。え? だって、トラックに撥ねられて大怪我を……血もこんなに……」

 

「問題ない。自己修復術式を作動させていた」

 

「へっ? ……はい?」

 

 思わず聞き返してしまった。聖人の口から飛び出た突拍子もないセリフ。

 これまでの中でも突き抜けて最高難度の展開に、頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされる。

 

「お前に死んじゃ嫌だって言われちゃったからな。しもべを一人きりになんてさせられないだろ」

 

 思考回路がショート寸前のわたしに、聖人が理由にならない理由を、当たり前のように告げて追い打ちをかけてきた。

 

 ――その気になれば、奇跡を起こす事も可能なのだ――

 

 いよいよわたしの頭が思考放棄(フリーズ)しようとしたところでアマテラス様の言葉が過《よぎ》り、わたしの中で一つの結論に至る。

 

「なによ、何なのよ、そのチート設定。まったく……。大体、わたしがいなくなったら正真正銘のぼっちになるのは、聖人でしょうが」

 

「ぐっ……まぁいい。そんな事より今からお前の封印を解く。【神殺し】の九十九のな」

 

「ふふっ、ふふふ。わたしって、そんな設定だったんだ」

 

 呆れを通り越して、思わず笑ってしまった。こんな時でも聖人は聖人だ。

 違うな。こんな時だからこそ、聖人なんだ。

 

「あぁ、だから、その……なんだ。封印解除の儀式を……」

 

 口籠った聖人が、落ち着かない様子でちらちらと視線を送ってくる。

 視線の先は、すぐ近くにあるわたしの唇。

 

「まさかその儀式が口付け、なんてベタなこと言わないわよね?」

 

「そっそそそ、いや、あくまで、あくまでも儀式であってですね。決してキスしたいだなんてむぐっ!!!!!!」

 

 目を泳がせた聖人が可愛くて、わたしの唇で聖人の口をふさいでやった。

 二人の唇が重なったのは僅かな時間。顔を離すと、目を白黒させた聖人がわたしを見つめていた。唇に指を添えて――乙女かっ!

 

「里奈。オレ、もう死んでもいいかも」

 

「なんでこんな時だけ……九十九じゃないのよ。そっか、でもキスしただけで満足なんだ。その先も、色々あると思うんだけどなぁ? 残念、残念」

 

「ふぁっ?!!!!!!!」

 

 聖人が鼻血を垂らしているけど何を想像したんだろう。唯でさえ、沢山血を流してるんだから、無駄遣いは止した方が良いと思うんだけど。

 

 それにしても、これがアマテラス様の言っていた奇跡か。世界の(ことわり)さえ書き換え、望む未来を掴む力。神界に昇ることさえ可能というのも伊達ではないということか。

 今なら、あのふざけた女神をやっつけられる気がする。わたしは立ち上がり、女神と対峙した。

 

「おぬしら、妾《わらわ》を放置してイチャラブしよってからに……」

 

「女神なのに知らないの? 咬ませ犬キャラは、主人公たちの都合を待ってくれると決まっているものよ?」

 

「妾が咬ませ犬……だと? ふん、人間風情が調子に乗るでないぞ」

 

 怒ってみせるのもプライドに触るのか、女神は冷静さを装っているように見える。こめかみに青筋が浮き出ているので、まったく装いきれていないけど。

 

「他所の神様の世界に土足で踏み込んで、調子に乗っているのはあんたの方よ。いくら女神でも、自分の世界ではないこの世界で、制限なく力を振るえるはずがない」

 

「ふん、それでもおぬしを消す事くらい造作もないことぞ」

 

「そう? でも今のわたしは、【神殺し】なんて大層な設定を与えられてるわ」

 

「【神殺し】……与えられた? 設定だと?」

 

「この世界の理が書き替えられたのよ。わたしが、あなたを、殺せるようにね」

 

「なんだそれは……そんな改変する力っ?!」

 

 女神が目を見開いて聖人を凝視した。鼻血を止めようと鼻をつまみ、口呼吸している情けない姿の聖人を。

 

「それほどの魂魄であったか……」

 

「調査不足ね。楽をする事ばかり考えていた罰よ」

 

「女神である妾に罰……とな?」

 

「そうよ。歯を食い縛りなさい、駄女神。わたしの拳は、ちっとばっか響くわよっ!」

 

 呆然とした女神の頬に、わたしの殴りつけた右拳がめり込んだ。トラックに撥ねられたかのように女神は吹っ飛び、災難を免れていた街路樹の一本へと突っ込んだ。逆さまにぶら下がるように枝に引っ掛かった女神は、完全に意識が飛んでいるようだ。パンツ丸見えでごめんね、駄女神さん。

 今のを【男女どころか、神様も平等パンチ】と名付けよう。それにしても、今回は後片付けが大変そうだ。そう思いながら聖人に目を向けると、女神のパンツに釘付けになっていた。

 

 ギルティ――早速、【男女どころか、()()も平等パンチ】の出番みたい。

 

 

 

 

 平穏な日常が戻ってきていた。

 斜め前の席に座る聖人は、何やらブツブツ言いながらノートにシャーペンを走らせている。もちろん、勉強している訳じゃない。設定集――いわゆる黒歴史ノートだ。

 

 例の女神襲撃事件も、これまで通り催眠術で聖人の夢として処理した。神様に与えられた記憶の改ざんという物騒な力じゃなく、紐にぶら下げた五円玉を、目の前でゆらゆらとさせるあれで。

 

 記憶の改ざんは襲撃に巻き込まれた人に使うくらいなら良いが、一人の人間に何度も行うと必ず齟齬(そご)が生じ、精神に(ひず)みをきたしてしまうそうだ。

 それならどうすれば? と尋ねたところ、いつの間にやら目の前に五円玉が浮かんでいた。何となくそうするのが正しい気がして、両手で受け皿を作る。果たして五円玉はゆっくりと、わたしの手の上へと降下した。

 

 五円玉……お賽銭? 神様にお願いしろって事?

 

 どうにも真意がわからず、じっと五円玉を見つめていたわたしに神様が仰られたのは「かの魂魄が英雄の領域にまで昇りつめたのは、(ひとえ)にその純粋さ(ゆえ)」というお言葉だった。

 

 五円玉を揺らしながら何とも微妙な気分で囁きかけた、あの初めての時が懐かしい。

 実際、純粋というか思い込みの激しい聖人は、催眠術が普通の人の何倍もよくかかった。かかり過ぎて、悪用されないか心配になるくらいに。

 その上、激し過ぎる思い込みは、夢の世界で起こったはずの出来事も現実世界とリンクさせてしまう。それが積み重なった結果が、あの重度の中二病。

 

 ――あれ? どっちにしろ、歪んじゃってるんじゃ……。

 これって、わたしのせいじゃない……よね?

 

 ともかく、今まで通り、これからも聖人のお守り役は続く。

 あれ(キス)も夢だった事になっているから、二人の関係も以前のまま。

 ただ時々、聖人の視線がわたしの口元に集中するのが、ちょっと恥ずかしかったりする。わたしとしては、聖人から告ってきたら付き合ってあげてもいいんだけど。

 

「おーし、お前ら早く席に着けー」

 

 勢いよく教室の前のドアが開けられ、先生が入って来た。

 

「こんな時期だけど転校生だ。入ってきなさい」

 

 転校生、しかも美少女の登場にクラスメイトがざわつく。

 わたしの心は、違う意味でざわついた。

 

「じゃ、自己紹介よろしく」

 

「初めまして。【猪瀬貝(いせかい) めぐる】です。みなさん、よろしくお願いします」

 

 黒板に名前を書くと、そう言ってニッコリと笑みを浮かべたピンク色の髪をした転校生。偶然でなく、目が合った。ニッコリからニヤリへと、僅かに見せた変化を見逃さない。

 

 間違いない、でもなんであの女神が転校生に?

 

『二人目のしもべ、キターーーーーー!』

 

 聖人がノートに書き殴ったのが目に入った。

 あんたか……あんたの仕業か! なんて無駄な奇跡を起こしてんのっ!!

 あと、二人目だったはずの購買のおばちゃんに謝れ。

 

「猪瀬貝の席は、窓側一番後ろの席だな。隣の佐島は色々と面倒みてやってくれ。そんじゃ今から、冬休み中の課題プリント配るからなー」

 

「「「えぇーっ!」」」

 

 わたしの隣で聖人の後ろ。

 

「天宮 聖人さん、(わらわ)とも、仲良くして下さいね。ついでに佐島さんも」

 

 教室にブーイングが吹き荒れる中、転校生(めぐる)が椅子に腰を下ろしながら呟いた。

 ペンケースを落とした聖人が慌てて拾っている。何をやってんだか。あんた、話しかけられる事にどんだけ耐性が無いのよ。

 それとわたしは、ついでですか、そうですか。

 

 回って来たプリントを聖人は肩越しに後ろへと送る。めぐるは口角を上げると――なっ!? 聖人の指を自分の両手で包むようにして受け取った。それも三秒くらいかけて……。

 前の席の男子生徒が、いつも通り笑顔と共に両手で差し出していただろうプリントを、わたしは見向きもせずにひったくる。

 胸の辺りがモヤモヤとして、ニヤけた横顔を見せる聖人にもイラっとさせられる。めぐるのヤツ、どういうつもり? 

 いずれにしても、これからの高校生活が平穏である気がまったくしない。

 

 あぁ、神様。

 どうか、わたしの魂にも、穏やかな休息をお与え下さい。




面白かった、と思ってもらえたなら嬉しいです。


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