Goodbye, Calm Days. (第一第二第三皇女)
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ep.00 breaking down.

 その日、いままでの穏やかな日々に別れを告げた。

 

 × × ×

 

「ねぇ深見、これの続きどこ?」

 

 ベッドに横になりながら顔だけ動かし、声のする方へと視線を向ける。そこには読み終えた漫画を「ん」と突き出す幼なじみがいた。

 短く切りそろえられた髪に、涼しげな表情。感情表現の乏しい幼なじみは表情を変えることも少なく、その様はどこか浮世離れしているとさえ感じる。そんな彼女の名前は浅倉透。腐れ縁の、幼なじみ。

 

「は? 知らね」

「え、続き気になるんだけど」

「自分で探せば」

「……じゃあ面倒くさいからいいや」

 

 よいしょ、と浅倉が俺の横に転がる。ふわりと爽やかで甘い香りが鼻をくすぐる。

 俺には浅倉の他にも幼なじみが何人かいるが、こいつだけは小さい時から距離感が全く変わらない。

 

「なに見てんの?」

「あ? いや……メールだよ。雛菜から」

「へー、なんて?」

「なんか写真送ってきた。美味しいもの食べてしあわせだってさ」

 

 ほれ、と浅倉に見せた携帯の画面には、パフェを食べながら満面の笑みを浮かべているもう1人の幼なじみが写っている。そしてその写真と一緒に「しあわせ〜♡」と甘ったるいメッセージ。

 

「ぽいね」

「そうだな」

「なんて返事するの?」

「は? しねーよ。雛菜は別に返事が欲しいわけじゃないだろ」

 

 この女は自分がしあわせであればそれでいいのだ。別に俺がどう思ったとか、そんなことは気にしてない。まあ、そんなやつだ、この市川雛菜という女は。俺たちからしてみれば、それが雛菜らしさなのだ。

 

「それで、お前はいつまでいるんだよ」

 

 そろそろ帰れよ、と表情で訴えるとにこりと微笑む。一寸たりとも俺の思いは伝わってない。残念なことにこいつはアホの子なのだ。

 

「そういえば今日は深見に話があったわ」

「あ?」

「あのさ、アイドルすることにした」

「……………………なんて?」

「あの時のお兄さんに会ってさ」

「は?」

「それで、うん、なんだかまたてっぺん登れそうだなって思った」

「待て待て、待って、置いて行くな」

 

 浅倉が何を言っているのか、なんの話をしているの何一つ理解できない。ひとまず真剣に聞くべきだろうと、携帯を置き体を起こす。すると俺に合わせてか、浅倉も体を起こしその場に胡座を組んだ。

 

「……何、お前アイドル目指すの?」

「スカウトされた」

「スカウト」

 

 まあ、こいつ顔だけは抜群にいいからな……むしろ今までそういう話が全くなかったのが不思議なくらいだ。まあ、番犬みたいな女がすぐそばにいたことも関係してるだろうけど。

 

「それで? あの時のお兄さんってのは?」

「ほら、あれ。アスレチックの」

 

 覚えてない?と透き通った瞳で問いかけられる。少し考えてからそう言えばと思い出す。登りきったときの景色がどうとか。その時の浅倉は確かにいつもの浅倉ではなかった。なんというか、いつもは透明なのに、その時だけは明確に色があった。何かを見ていた。

 

「あー……なんか昔言ってたっけ」

「うん」

「そんで、そんときのお兄さんがアイドルのスカウトやってたわけ?」

「プロデューサー」

「はいはいプロデューサーね」

 

 よくわからんが、なんか違うんだろうか。

 

「……大丈夫なのか? 詐欺とかじゃねぇの?」

 

 俺がそう言うと、浅倉がクスリと微笑む。笑うところじゃないんだけど……

 

「それ、樋口にも言われた」

「あー……」

 

 言うだろうなぁ、あいつなら。なんてことない顔して、一番みんなのことを大切に思っているようなやつだし……俺に対しては口を開けば文句ばっかりだけど。

 

「それでこれ持ってきた」

 

 そう言って浅倉が取り出したのは、一枚の紙切れ。

 

「名刺」

「ふーん……283プロ、ねぇ」

 

 知らね。あんまりアイドルとか興味ないし、会社の名前とかよくわからない。

 

「オッケーしたわけだ」

「うん」

「お前、アイドルとか興味あんの?」

「今は」

「今はって」

 

 プロデューサーさんとやら、こんなやつで大丈夫なのか……

 

「今日はそれだけ言いにきた」

 

 すると浅倉は満足したように口元を緩め、立ち上がる。言いたいことは言ったということだろう。普通に漫画とか読んでたじゃん、じゃなくて。

 

「待て待て、お前これからどうなんの? 学校とか」

「大丈夫でしょ」

 

 浅倉が軽やかな微笑む。……心配でしかねぇ。

 

「本当かよ……」

「あ、そうだ。ペン貸して」

「机にあるけど」

「うーん……まあここでいいか」

 

 独り言を言いながら「うん」と頷くと、浅倉は勢いよくそのペンで白い机に何かを書き殴っていく。

 

「えー……」

 

 何やってんのこいつ? とうとうそこまでアホに……

 

「浅倉?」

「そのうち価値上がるから。じゃあ」

 

 それだけ言うと、浅倉が手を振りながら部屋から出て行ってしまった。俺はというと、浅倉のぶっ飛んだ行動に何もできずにいた。

 ……いつもアホなんだが、今日はさらに輪をかけてアホだった。平然を装っていただけで、気分が高揚していたんだろうか。

 

「大丈夫なのか……?」

 

 まあ、あれだけ話していたお兄さんと一緒にまた何かを目指すことになったのだ。気分が高揚するのも当然なんだろうか。

 

「つかあいつ何書いたんだよ……」

 

 立ち上がり、机を見る。

 そこには「浅倉透」と普通に書いてあった。

 

「もしかしてこれ、サインか?」

 

 何というか、浅倉らしいサインだ。ありのまま、自然体。何一つ装うことなく、それでも特別。

 まあ、あいつならなんとかなるのかもしれない。それに、浅倉が何かを始めたいと意思表示をするのは珍しいことだ。幼なじみなのだから、応援するのが筋だろう。

 これからは283プロって会社のことも調べてみるかと息を吐くと、それと同時に携帯が震えた。

 送り主におおよその予想をつけ、画面を見る。そこには

 

「明日、11時に集合」

 

 と、予想通りの人物からおおよそ予想通りの内容が送られてきていた。どうせ怪しいから調べるとか言うんだろうなぁ。

 ……どうなるんだろうか。

 考えても仕方がないので、ぼふんとベットに横になる。

 

「寝よ」

 

 そして俺は考えることをやめた。



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ep.01 The biter is bit.

 いつもの喫茶店に、俺を呼び出した張本人と向かい合って座る。

 テーブルの上には、レモンティーとブラックコーヒー。

 

「なんて?」

「今言った。3歩どころか、数秒で記憶が飛ぶの?」

 

 はぁ……と目を細めながら、幼なじみがこれ見よがしにため息をこぼす。もう慣れっこではあるが、相変わらずその憎まれ口は鋭利である。

 彼女の名前は樋口円香。もう1人の幼なじみ。

 まるで汚物でも眺めているかのように細めた目が、俺を射抜く。

 

「忘れたわけじゃねぇわ。お前がトンチンカンなこと言ってるからだろうが」

「は? 誰が?」

「お前だよお前。樋口円香」

「トンチンカンだなんて、自己紹介かと思った」

「あ?」

「なに?」

「……そんで、どうするんだよ」

 

 浅倉が変な事務所に勧誘されたんじゃないか確認するなんて。

 

「深見、名刺持ってるでしょ」

「名刺? ……ああ、事務所の? なんで知ってんだよ」

「ちょうだいって言ったら、浅倉が深見に見せるからって」

「あ、そう」

 

 言われ、財布から件の名刺を取り出す。樋口に渡すと、穴でも開くんじゃないかと思うほど名刺を睨みつける。

 そんなに睨んだって、浅倉はアイドルになる事を辞めたりしないぞ。

 

「この人が、透を……」

 

 苦虫を噛み潰したかのような表情で、呟く。

 

「そんで、どうするんだ?」

「この人、ここに連れて来て話聞くつもり」

 

 連れて来るって……簡単そうに言うけど。

 

「……どうやって」

「とりあえず誰かこの事務所の人捕まえて、それから。事務所から出て来るの待って、こっちから声かける」

「なんて?」

「アイドルに興味があるとか言えば、どうとでも」

「ふーん……まあ、お前かなり美人だもんな」

 

 こんだけの美人がアイドルに興味があるって言ってくれば、その業界の人間であれば食いつくだろう。

 

「褒めても何も出ないけど」

「別に、本当のことだろ」

「…………そう」

 

 照れ隠しか、樋口がレモンティーを一口啜る。

 つまり樋口の作戦はこうなんだろう。

 関係者を樋口が呼び出すから、もしもの時のために俺に待機して欲しいのだ。

 まあ、こんなことを樋口が1人で実行しなかっただけ良かった。樋口の言う通り、もしも怪しい事務所なのであれば、樋口こそ危ない橋を渡るところだったのだ。

 

「樋口は心配性だな」

 

 俺の言葉に、ぴくりと眉を動かす。

 

「心配しすぎ? 水瀬は……透のこと、心配じゃないの」

「いや心配だけどさ、でも透がやりたいって言うんだから、応援したいだろ。あの透が自分からやりたいって言い出したんだぞ」

「だから心配なんでしょ。あの透が、アイドルなんて。今までそんな素振り全く……そんな透、私は」

 

 ーー知らない。

 そう言いたいんだろう。けれどそれを認めたくなくて、言葉にしない。

 口を噤み、視線を落とす。ティーカップを握る手は、震えていた。

 そっと、円香の手を握る。細くて小さな手だ。

 

「円香」

「…………」

「大丈夫だから」

「……なにが?」

「透は独りでどこかに行ったりしない」

「そんなの」

「分かる。透と円香と俺と、それから雛菜と小糸はずっと一緒にいたんだから。透がそんなやつじゃないことくらい分かるだろ」

 

 確かにあいつは何を考えているのか分からないような時が多々あるけど、そんな酷いやつじゃない。

 

「手、離して。わかったから」

「あ、ごめん」

「……ありがとう、深見」

「うん。まあ、浅倉はアホだからな。もしかしたら、本当に騙されてるかもしれないし」

 

 にかりと俺が笑うと、釣られたように樋口も頬を緩める。

 

「……でしょう?」

「確認しないとな」

「じゃあ、私……行ってくるから。もしもの時は、信頼してる」

「おう、いってらっしゃい樋口。気をつけて」

「ん……行ってきます」

 

 そう言って、樋口が席を立つ。

 樋口がお店から出ていくのを見届けて、自分の手を眺める。

 まだ彼女のぬくもりが残っている。少しほてった身体を冷ますために、もうすっかり冷たくなったコーヒーを飲み干すのだった。

 

× × ×

 

 そして作戦は実行され、なんと樋口が連れてきたのは浅倉を勧誘した張本人。そのプロデューサーのお兄さんと一悶着あった後、樋口が俺の座る席に戻ってくる。

 

「ミイラ取りがミイラになってどうすんの?」

「……うるさい」

 

 なんと樋口まで勧誘され、それを了承したのだ。浅倉と一緒なら、とのことらしい。

 

「とりあえず俺の家の机にサイン書いてもらって良い?」

「サイン、一緒に考えてくれるなら」



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