それゆけラーメン大好きJK妖狐と麺類妖娘たち (エビの衣風巻)
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ラーメン大好きJK妖狐

タイトルそのまんまです


 太陽が一日の折り返しを意識して徐々にその出力を抑えつつあり、コンクリートとガラスでほとんどが構成された都市の一角も薄暗さが勢力を増してきている。中でも、周辺の地域を含む広大な土地の交通面で重用される駅の周りはそれなりにビルが並んでいるのもあって、人や車の往来に大きくその影が落とされていた。

駅の前ではタクシーやバスが乗客を待ち構え、或いは降りてきた人間を待つ乗用車も何台か見受けられる。駅舎の周りには手に持った携帯を必死に弄る老若男女らが陣取り、定期的に鳴る改札口の電子音が、利用客の多さとこの地域の発展を物語っている。

 さて、現代社会の代表ともいえるこの場所、そこにいる人々は何の疑問も持たないが、客観視、観察するためのあらゆるフィルターを取り払った俯瞰視点で見てみると、不可解な存在が混じっているのがわかる。具体的に言えば、かなり浮いた奴が駅前で仁王立ちしているのである。

 姿形は人間に非常に酷似している。二本の足で立ち、骨格や顔のパーツの配置はホモサピエンスと相違ない。背丈や顔つき、雰囲気は十六、七ぐらいの日本人女性のものだ。身に纏う紺色のブレザーとスカートの胸元にはどこの学校かは不明だが大層な校章が縫い付けられており、肩に掛けた鞄に飾られたキーホルダーの類は年頃の女性が好みそうな可愛らしいものが選ばれている。それの手にもスマートフォンが握りしめられており、インストールされたアプリを使いこなす様はまさにJKそのものである。

 だが、JKには、と言うよりも人間には決してあることのない特徴が、彼女が人間とは別物の、非常識の世界の住人だということを証明していた。

 純正日本人では生まれえない、白みがかった銀鼠色の髪の毛は背中まで伸ばされ、頭部には三角形のふわふわしたものが引っ付いていた。コスプレイなどで使われる作り物だったらどれだけよかっただろうか。周りの音に反応し痙攣したり伏せられたりするそれは、明らかに血の通った体の一部であり、耳と呼ばれる器官であることがわかる。

 腰のあたりからはこれまた抱き心地のよさそうな尻尾がゆらゆらと揺れ動き、しっかりと神経の通っていることをアピールしている。その数なんと九本。

 狐耳、九尾。その道の人間ならそれを聞いただけで卒倒してしまうような属性を持つ少女。

 人に似て人に非ざる闇の存在、古来より人々に恐怖を振りまく妖と呼ばれ恐れられておきながら、一方である種信仰を得ていた日の本の代表的な化物。

 まさに“妖狐”と呼ばれるものだ。

 

 JKの格好をした妖狐はその奇異な見た目を隠匿しようとする素振りも見せず、白昼堂々駅前でスマートフォンを触りながら、鞄に括り付けた狐のキーホルダーを空いた手の指で弄ぶ。ちょっとした騒ぎになってもおかしくないとんちきな光景だが、誰も彼女に触れようとせず、日常として受け入れてしまっている。

 恐ろしい存在である彼女は、一体何が目的で人間社会に溶け込み、その身を晒しているのか。その恐ろしい陰謀は何なのか。現代に甦った大妖怪が現代で為そうとしていることは一体……。

 

 

「あー、ラーメン食べたくなってきたな……今日もラーメン屋行くか!」

 

 

 

 

 

  彼女は、妖として浮世に生を受け、九尾にまで上り詰め絶大な力を誇って地上を席巻した後、人類の発展、文明開化の音を聞いて妖怪から人間の天下への移り変わりを察知し、妖社会の古臭い慣習や泥の様な驕傲に彼らの終わりを感じ取り、彼らを見捨て人に混じり余生を過ごすことに決めた妖狐。人間を観察する中で、一番輝かしいと感じた女子高生に模すると決めた妖狐。

 そして、人間の作るラーメンの大好きな、所謂ラーメン大好きJK妖狐なのである。

 

 

 

「バイト代も入ったし、ラーメン食べに行くか」

 

 大妖怪であるという紹介をした直後、そんな上位存在が口にしてはいけないような単語を溢す妖狐だったが、彼女は今女子高生として振る舞い、周囲もまた彼女を学生と認識をしているため、誰もそれを疑問に思うことは無い。

 ケモ耳とケモ尻尾というのは明らかに人の目を集めるパーツだが、人間の中に混じっても騒ぎにならないのには屁理屈染みた理由がある。

 超常的な存在である妖らは科学の発展により存在を否定されるようになった。人々の信仰を神は失ったと同時に、妖も人からの畏怖を断たれたのである。もはや人間たちは、神や妖怪たちがこの世界に存在出来ないと思い込んでいる。今目にできるのは全て起こりうる現象の一つであり、人は信じるものしか認識しようとしないという概念理論を、他者や世界から自身の存在を観測する際のフィルターに使用することで、九尾の狐、妖狐など信じないという極大多数の人間からは狐耳や尻尾は見えないようにしているのだ。

 人外存在を信じない人間しか現代社会にはいないから成り立つ擬態で、信心深ければ見えることもあるらしい。それほどの迷信深い人間は数えるほどもいないし、たとえどれだけそんな人間が喚こうが十中八九精神疾患と断定されておしまいなので、それほど問題でもないだろう。

 閑話休題。

 

「あのクッソ性悪な白蛇の金ってのはどうも癪だけど……まあ、しょうがないか、ラーメン食べたいしね」

 

 脳裏に浮かぶ忌々しくも現在進行形で恩義のある輩に眉根を寄せていた妖狐も、スマホの画面から顔を上げるとほんの少し口角を上げて歩き出した。

 これから自身の好物を戴きに参るのだ。硬い表情をしていては味覚も縮こまって真に楽しむことはできないだろう。食というのはいかなる時も自分の心を高揚させるものでなければならない、というのが妖狐の心情の一つだった。

 駅前のロータリーから続いている繁華街の道ではなく、それとは真反対の、少し落ち着いた雰囲気の家屋が散見できる通りの方へ、妖狐の軽い足取りは向かっていく。

 駅前すぐの場所にも美味しいラーメン屋はいくらでもある。ラーメンチェーン店というのはある程度の味が保証され、適度なラーメン欲を消費するのであれば申し分ない。だが、今日の妖狐は給料日であり、懐が温かく、気分もかなり昂揚しているが故に、そのラーメン欲は計り知れないものとなっている。これを満たすには、当たるにしろ外れるにしろ、全く新しい領域を開発するしかないのである。

 全くリサーチをしていないわけではなく、向かっている方面にラーメン屋が存在していることは知っているものの、普段あまり言っていなかった場所に行き、冒険をする高揚感というのも、JK妖狐はまた楽しんでいた。

 丘を切り開くように通る線路を大きな橋が跨ぎ、再び街道に出る直前でやや狭めの道に差し掛かると、車両の往来も落ち着いた、民家がちらほら顔を見せる通りになる。遠目に見ても飲食店が何軒か発見できるなかなかいい景色で、妖狐は意気揚々と歩きだそうとしたが、幸か不幸か、通りのメニューを物色する間もなく愛しのラーメン店にぶつかってしまったのだった。

 楽園行きの看板を速攻で見つけ、目を輝かせる妖狐だったが、この辺りではラーメンだけでなく、どんな種類の食事にありつけるのか探りを入れてみるのも開拓の楽しみの一つだとも彼女は考えていた。勿論、ラーメン屋に何店舗か目星をつけて、その中から悩みに悩んで今日の一杯を選ぶというのも至福の時だ。

 だが、今宵のJK妖狐はラーメンに飢えている。忌々しい白蛇と呼ばれた何者かに呼び出され、要らない精神的疲労を負わされたことと、労働の対価を受け取り潤った財布に気分がやや上ずっていたこと、そして何より、妖狐がラーメンの中でも特に好んで食している『とんこつラーメン』という文字を彼のラーメン屋が看板に掲げていたことが、彼女の自制心を切り伏せいともたやすくその店に近づいてしまうのだった。

 妖狐は、とにかくズルい、そう内心で溢した。まず、店の外観がズルい。チェーン店の様な華々しさやしっかりとした外観ではない。入り口からのぞき込める範囲内でも、店内はややこじんまりとした個人経営にありがちな内装だ。先述した店の看板もこれまた古臭く、安っぽいネオンで『豚骨ラーメン』と大きく書かれていて、自身またはその同族を調理されているというのにいい笑顔を外に向けている。小さなのれんの向こう側で、初老の男性が調理台と思しき場所で作業をしている様と合わされば、

 

「こんなもん行くしかないやん」

 

 思わず飛び出したエセ関西弁を言い終えるや否や妖狐は暖簾をくぐり、狐耳を震わせながら常識的な範囲内で勢いよく戸を引いて心躍る戦地に足を踏み入れるのだった。

 

 店内の様子は外から見た印象とほとんど変わらない。店の奥と中心を調理場にし、カウンター席がその周りをコの字で囲っている。必然的にどの席からでも店員との距離が近くなり、客の動向に目を光らせられるようになっている。

 

「いらっしゃい、ここ座ってください。」

 

 店主の若干嗄れた声は意外にもかなりしっかりと店内に響き、入ってきた客が一見だとわかるとすかさず案内をしてくれた。妖狐的にこっそりプラスポイントを上げたくなるようないい声色であった。

 背の高い椅子の下に鞄を置いて、用意された水を一口。

 妖狐の他に客は三人ほどで、そのうち老齢の男女二人組はかなり仲睦まじく麺をすすっているので夫婦で来ているのがわかる。もう一人の壮年の男性は黙々と炒飯を頬張っている。店主はそのどちら共に気さくに話しかけていて、特に老夫婦の方はかなり気を許している様子だった。男性客の方もまんざらでもない様子で、かなり顔の知れた常連客なのだろうことが推測できる。

 なるほどこれはもしかしたらアタリを引いたかもしれないと妖狐の中の期待は膨らみ、いよいよ注文を決めようかとメニューを探す。

 卓上には箸と調味料の類しか載っていなかったので、ぐるりと店内を一望してみれば彼女の斜め後ろに、やはり木の札が壁にかかりメニューを一人一つ抱えて並んでいた。

『らーめん』と書かれた札を左端に、様々な味の発展系が続き、定番のサイドメニューも豊富に取り揃えてあるようだ。

 

「メニューはそこに書いてあるのしかないよ」

 

 周りを見回す妖狐を店主は見逃さなかったようで、初めての来店を察してかにんまりとした味のある笑顔を向けてきていた。

 ちょっと気恥ずかしさを感じて店主の目線から顔を逸らし、再びメニューに目を通すも、基本となる豚骨ラーメンとそのバリエーションはどれも捨てがたいもので、何故ラーメンは一回の食事につき一杯しか食えないのかという、不条理にも似た体の構造を恨めしく思うばかり。

 一回思考と嗜好の迷路に迷い込んでしまうと、なかなか抜け出せないのが食事時ではかなり顕著になる。しかも、誰に言われているわけでも決められているわけでもないが、悩めば悩むほどその時間を咎められているような気がしてくる。それがたとえ一人の時であってもだ。

 そこで沼に嵌らないようにするのが大切だと妖狐は分かっていた。

 初めての店では店主のおすすめを頼もう。シンプルな答えこそ王道でベストなのだと。

 

「すみません、おすすめって何かありますか?」

 

 店の奥で作業をしていた店主に声をかけると、何やら自慢げな表情でカウンターの縁に手をかけて木の札を一通り指差した。

 

「スープは一本しかないからとりあえず“らーめん”頼んでよ。メニューいっぱいあるけども、全部味が変わるから次来たときに挑戦してみて。味の変化を目いっぱい楽しめるようなの作ってるからさ」

「そりゃそうですよね、んじゃ“らーめん”で」

 

 深く考えすぎていた自分は馬鹿だなぁとか、初見でこだわりを見せてやろうとか洒落たことをやろうとして何になるんだ? などというツッコミをJK妖狐は自分自身に叩き付け、注文を通してからは一人前の麺を取り分ける店主の背中を暫く眺めるのだった。

 ラーメンが完成するまでの間スマホを触って時間を潰すのは、とても簡単な行為だ。特に一人で行動をしているときは、ただ呆けているよりもSNSを触ったり多種多様の記事を呼んだりと、その環境から孤立することで時間に意味を見出すことは悪くはない物だ。

 JK妖狐も例に漏れず、ニュースサイトで大して興味もない記事の羅列を開いたが、彼女はそれで終わらなかった。スマートフォンをわざとらしく目線にまで持ち上げたのは、店内や店主を観察するのを目立たないようひっそりと行うためで、銀毛の耳はしっかりと麺が沸騰する湯の中で踊っているリズムを捉えていたし、和やかに談笑する夫婦や少し離れたところに座っている男性の背中、器にスープの下準備をする老人の雄姿などはしっかりと赤目が把握していた。

 周りの人間からは見えていないからいいものの、妖狐の九つに分かれた立派な尻尾はかなりせわしなく先端を振っていて、見る人が見れば正気を失ってしまいそうな程の異様な光景を生み出していたが、ラーメンを待望し続ける妖狐はまるで気が付かない様子でカウンターの中を注視するばかり。人には見られないからと調子に乗っているのではないだろうか。

 途中、店主と顔見知りらしい老婆が紙袋を持って入店してきて、中身のキャベツをおすそ分けするというイベントにも妖狐は出くわすことができた。ご近所付き合いもかなり活発に行われているようで、古くから変わらない人間の良い営みを都会の中で目の当たりにしたことに、長命者である妖狐も思わず顔を綻ばせずにはいられなかった。

 この土地がまだ畑と山しかなかった時代にJK妖狐が思いを馳せている間にどうやらいよいよ、本日の主役が完成したようで、店主の手元を覗き込んでみれば盛り付けを終わった器がカウンターに上げられるところであった。

 

「はいお待ち」

 

 短い言葉と共におかれた一品を両手でそっと持ち上げて、音を立てないように目の前に下ろす。

 程よく昇る湯気の向こう側に広がる水面が黄金の輝きを放つのを、JK妖狐は確かに見た。

 櫨染色のスープに、薄切りだが大き目のチャーシューが二つ陸地のように浮かんでいて、真ん中にメンマが小さく盛られてみずみずしい葱が散らされている。これぞとんこつ、まさしくとんこつ、と言った風貌にJK妖狐のテンションは鰻登りで、赤みがかった金色のその味わいはいかなるものかという期待に、彼女の空腹は今頂点に達した。

 もともと髪の一部を縛っていた黒い髪ゴムを一旦外し、食事の邪魔にならないよう彼女の長い髪を後ろにひとまとめにしてから再度装着。ブレザーとワイシャツの袖をまくり、これで準備は万端。

 まずはスープからとレンゲを手に取り、押し沈めるようにして窪みを満たして口元に運んだ瞬間、JK妖狐は微かに違和感を覚えた。それは本来なら感じるだろう強烈な気配が限りなく薄まっていたからであり、その真の姿を彼女はすぐに思い知ることになる。

 舌先にスープが触れてすぐの事だった。JK妖狐は驚愕で身を震わせた。

 確かに、とんこつスープの強み、特徴であるしっかりとしたコクや舌触りはしっかりしている。ただ、鼻腔を下から突き上げるような、嗅覚を総なめにする豚骨独特の臭みが全くと言っていいほど存在しなかったのだ。豚骨ラーメンが人の好みを二分する最大の特性が、顔を見せなかったのである。

 スープが通った後に油膜が口内に張っていく感覚は流石豚骨といった具合だが、重厚感がありながら上品さが感じられ、あっさりと形容できてしまうほどの後味の良さに何度もスープだけ味わってしまいそうになりほどだった。

 

「かなりさっぱりしてるでしょ」

 

 これまたほんわかした声を店主が妖狐に掛けてきた。

 ラーメンに目を奪われていたJK妖狐は全く気が付いていなかったが、店主はどうやらずっと彼女のことを見守っていたらしく、目を丸くして頷きだした妖狐に微笑ましさを感じたのだろう。満面の笑みを浮かべてJK妖狐のことを見つめていた。

 

「はい、ビックリしました」

 

 強がる必要もないので彼女は素直に答えたが、ちょっと照れくさい気持ちもあって店主の顔は直視できなかった。

 

「とんこつって匂いがきついイメージあるでしょ。でもね、それは嘘。ほんとは臭くないのよ。他のどの店も調味料を入れすぎてるから匂いがどんどんきつくなっちゃうんだけど、うちは違うの。骨をじっくり煮込んで、時間をたっぷりかけてスープを作るからね、そうすると匂いってあんまりしなくなるのよ」

 

 強烈なにおいまでも楽しむのが豚骨の嗜み方だと思っていたJK妖狐は、どうしても食する身としても妥協しがちなところをしっかりと工夫して実際に変えてみせる、その手腕と心意気に惜しみない称賛を心中で送った。

 前傾姿勢になってまで説明する店主の熱意は、今JK妖狐が口にしているラーメンが証明している。ならば客である自分も、それに応えねばならないだろうと、妖狐は意気込みを新たにする。

 少量の麺を灼熱の海から救い、細身でコミカルに身をくねらせる縮れ麺と対面すると、何の躊躇も無く、上品さの欠片も無く豪快の音を立ててすすり上げた。豚骨の油でとろみを帯びたスープがわずか数ミリの糸にしがみつき、舌で踊り歯茎に染み渡り口蓋に鞭打つ感触が、何度味わってもさわやかな印象を残し、唇で簡単に断ち切れるがしっかり腰がある麺の大人しさとの絶妙な相性になっていた。豚骨がもう少しこってりめだったら、麺があと少し太く歯ごたえがあるものだったら、噛み合い悪くここまでスムーズに胸に入ってこなかっただろう。

 もともと味がしっかりついているメンマも、舌にしっかりとできる油膜と豚骨のコクのお陰で癖無くコリコリした食感を楽しむことができるし、薄切りの大判チャーシューも徐々に上昇するガッツリ欲を程よく満たしてくれる。いかにさっぱりした風味とは言え、やはり豚骨は豚骨なのでしっかりと舌や喉、はたまた胃袋にしっかり乗っかってくるものはあるので、頃合いを見てみずみずしい葱を頬張れば、軽快なリズムで濁った下から咽頭をリセットしてくれた。

 心臓が熱を持ち、全身くまなくその興奮を伝えていく中、額に汗が滲み顎にも伝わっていく。手の甲で幾度かそれを拭いながら、それでも箸を止めることは無い。

 後半に差し掛かると注いだばかりのスープとはまた違った顔を見せ始めるのがラーメンの面白いところだ。舌が温度調整にリソースを割かなければならなかったところが、徐々に接触するスープが冷まされて来たことにより段々と味覚に力を注げるようになるからだ。

 たいていの場合は味がかなり濃くなっていく。それは単純な出汁だけでない、ふんだんに使われた調味料が正体を現すようになるからだ。恐らくここで、スープを飲み干すことを断念する人間も増えることだろう。

 JK妖狐は、美味しいと思ったラーメンはスープまですべて飲み干すことこそがマナーであり、調理人に対する敬意の払い方だと決めているのでそうそう残すことは無いのだが、それを考慮しないにしても、終わりが見えている段階なのに飲みやすさが持続していることを不思議に思った。

 そして理解した。店主が最初に言っていたことの意味を。『豚骨はほんとは臭くない、調味料を入れすぎるから匂いが強くなる』という、その本質を。

 具も麺も粗方味わい尽くし、さあ後は最後の一滴までその黄金を飲み干すだけだと両手で器を持ち上げかけた時、ちょうどまた店主が柔らかい口調でJK妖狐を呼び止めた。

 

「あんたスープ飲み干す人でしょ、そしたらね、そこにお酢があるでしょ」

 

 言われて妖狐が探してみれば、確かに箸や爪楊枝、一味などの調味料が置かれている中に、檸檬色の透き通った液体の入った容器が置いてあった。

 

「僕が合図するまで入れてみて、んで飲んだら水飲んでみてよ。面白いから」

 

 店主が言う面白いの意味が全く分からないままだったが、彼の言葉を信じるだけの材料が目の前に揃っているだけでなく身を持って体験していたので、言われるがままに容器を傾けて豚骨と酢を混ぜ合わせていく。若干入れすぎなのではと妖狐が心配になった直後に店主のストップがかかり、にやつくその視線を横目に恐る恐る器を持ち上げ、未知の世界と接吻を果たした。

 確かに酢の穏やかな酸味が豚骨の癖を丸め、舌への労わりを感じる味わいへと変化はしたが、それまでの事だった。まだ何かからくりがあるに違いない、店主は水を飲めと言っていた、だがただの水に何があるというのか。JK妖狐は店主への信頼が若干揺らぎかけているのを自覚しながら、カウンターに置かれた水差しから水をコップに補給し、やや震えながら口に含んだ。

 

 喫驚は既に通り越したものだとJK妖狐は油断していた。感嘆は慣れたものだと思い上がっていた。快楽の山場は過ぎたものだと勘違いしていた。

 口内の熱気と体温で即座に温まった水を喉の奥に流すと、先ほどまで土砂降りの雨を降らせていた雲が遥か彼方に移動していたような、泥にまみれた尻尾を湖で洗い流した後のような、豚骨ラーメンを食べた後では考えられないような爽快感が喉元を通り過ぎていった。いくらあっさりとした味付けでも、豚骨のコクはなかなかリセットできるものではないとJK妖狐は思っていた。油膜が胃袋の辺りまで張っているような、そんな感覚と付き合っていくしかないものだと思っていた。

 敗北だった。JK妖狐は今この場で完全に叩きのめされた。気が付けば、空になった器の底をJK妖狐はまじまじと見つめていた。補充したコップの水もいつの間にか尽きていて、舌の奥に残る幽かな酸味だけが、JK妖狐のお腹に収まった衝撃の残り香だった。

 

「僕が作りたかったラーメンはね、味が印象に残るラーメンじゃないの。ふとしか瞬間にまた来たくなるラーメンが作りたかったの」

 

 そう語る店主の顔を見上げて見れば、人柄のいい笑顔が妖狐に向けられていた。

 ああ、そういう道もあるのだなと、簡単なことながら気づくことの少ない事実が、妖狐の胸板を叩く。

 物凄いラーメンを作り名を広め、全国各地から愛好家が集うような店にしたいという願望は非常に一般的だ。その向上心や競争心がラーメンという文化を絶えず流動させ、発展に寄与してきたのは間違いない。

 その一方で、地域に寄り添って細く長く開いている店があることを忘れてはならない。近所の人間が何度も足を運び、店主や客同士で情報を交換する、コミュニティの中心になる。仕事終わりにビールを一杯ひっかけながら店主に愚痴り、まるで店と友人になった様な関係性になる。そんなラーメン屋も、全国に数多存在している。

 妖狐の他に来ていた客を思い返してみれば、皆店主と顔見知りだったようだ。

 ラーメンを通して心が重なっている。なんと清い世界だろうか。妖狐はかつて自分が愛していた、人間の営みの美しさの片鱗を見たような郷愁を噛みしめた。

 

「ごちそうさまでした、また来ますね」

 

 JK妖狐は会計を済ませると、席を立って目を細める。九尾は満足そうに身をくねらせ、狐耳も後ろに寝かされていた。

 

「はい、まいど」

 

 振り返ることなく店を出て、丸まっていた背中を伸ばして少しだけ冷えた空気で灰を満たす。空は赤らみを通り越し至極色の隆盛を展示し、ただ都会の放つ強烈な光りの群れがまだ人の時間が終わらないことを叫び続けていた。

 

「お酒買って帰るか」

 

 JK妖狐はその見た目では到底許されない爆弾発言を、独りコンクリートで舗装された道に落とすが、呟きは誰に拾われることも無く、一筋のそよ風に吹かれて形を失っていった。

 

 

 

 

 

 

「あの、身分証明書のご提示をお願いします」

「あっ」

 




これから不定期に書いていこうかなと。
別に全部飯テロになる予定じゃないです。
あしからず。


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JK妖狐とのじゃロリツッコみ狐娘

飯テロ成分薄めです
あとちょっと長いので注意


 現代において、人間が生活を営むのに必要不可欠なのは資金である。衣食住、生命活動に必要なものは全て金を対価として得られるものだ。その法則は、人に混じり日常生活を送る妖たちにも適用されている。

 超常的な存在なのだから人のルールに則る必要はないのでは、という疑問ももっともだ。かつての妖たちのほとんどはその意見だったし、実際に人間界のルールに縛られることなく自由奔放に暮らしていた。

 ただ、人の定めた法と道徳を軽視して妖らしい営みを続けていた大多数派の妖は、そのほとんどが消滅した。人を下等でひ弱な存在だと見下し、胡坐をかいていた彼らは、環境と社会道徳の変化に耐えきれなかったのだ。

 JK妖狐は、真っ先に人の規則に準ずるべきだと唱えた大妖怪であり、その後も正しい選択肢を選び続け、二十一世紀まで生き延びることができた賢者だ。人間としての籍を得ることの見返りは大きく、人と妖怪の根本的な差というものに気を付けてさえいれば日常生活に支障はなかった。

 前述したとおり、金が無ければこの世界では存在ができない。故に、妖狐も稼ぐためには労働に従事しなければならないが、彼女はJKを名乗る手前就職という手段を取ることが出来ない。だからバイトの身分を得、雇い主の無理難題に答えいうことでその地位に分不相応な額を受け取り、バランスを保っている。

 それができる場所はどこにあるのか。勿論、JK妖狐らの事情をすべて把握している存在がいる場所であり、それが力を損なうことなく保持し続けられる場所。神の住まう社。現代もその影響力が衰えない由緒正しき大神社こそが、JK妖狐のバイト先である。

 

 山の上にそびえる大神社の、麓の商店街に小さなラーメン屋が店を構えていた。入り口のガラスには『天津飯セット』や『餃子セット』など豊富なランチメニューが写真付きで掲示され、様々な種類のスープのラーメンが楽しめる旨も載せられている。

 席数は二十を超えないぐらいの規模で、カウンターの幅も窮屈そうだ。それなりに古い店のようで、店の奥の蛍光灯は枠の方が片方外れかかっていて、空調設備も風の通り口をテープが塞いでおり、寿命を迎えているだろうことが予想できる。

 昼食にするには微妙に気が早い時間のため客が殆どおらず、背中がやや縮こまった老齢の店主は自身もカウンターに座り込み、棚の上に設置したブラウン管の映すローカル番組を眺めてしまっている。

 そんな独特の雰囲気の店に、JK妖狐はやはりラーメンを食べに来ていた。目の前に置かれた器には、金茶色のスープと細身の縮れ麺、器の半分はあろう大きさに薄切りにされたチャーシューや青々とした葱が盛られ、彼らの熱気が漂わせる湯気が醤油の奥ゆかしい風味を彼女の肺まで届け、心地よく刺激している。

 そして、彼女の前にはもう一つの器が。JK妖狐のそれよりやや量が少なめだが、同じメニューのようだ。決して彼女が二杯頼んだというわけではなく、同席者の分である。妖狐がJKに擬しているとはいえ、彼女はなかなか人間とは深く関わりを持とうとはしないように心掛けていた。いくら人間が数多く存在し、訪問する職場にあってもそれは変わらず、雇い主がそれを認めてすらいる。では、今こうして妖狐と食事を共にするという関係にあるのは一体どういった人種なのか。

 JK妖狐同様に長い髪の毛は人を惑わしかねないほど妖艶な金の輝きを放ち、その瞳も同じ色で彩られている。黒髪黒目が標準の日本人からはまず生まれない容姿だが、顔立ちは非常に日本人に近い。同一と断言できないのは、その美しさが日本人は愚か人間離れしているからに他ならない。JK妖狐と比べると背丈はかなり小さく、歳も十を過ぎたばかりであろう。困り眉も幼ささを引き立てている。二人が揃っていると、まるで姉妹のように見えてくる。

 察しが良ければこの時点でわかってしまうだろうが、この金髪幼女にも、人との決定的な差異が頭頂部と臀部からしっかりと生えている。色合いは金と銀で違えど、JK妖狐とお揃いの狐耳と尻尾。尻尾の方は一尾だけだが、毛並の良さが神秘的な尊さを放っており、JK妖狐の九尾に劣らない存在感を放っている。

 JK妖狐はまさしく妖しげな気配だが、金髪の狐娘は神々しさを見るものに印象付けている。

 人非ざる者二人、その風貌に似つかわしくない世俗的な場所でラーメンと向き合っている光景は、神聖さや威厳とはもっともかけ離れた違和感で満たされていた。

 

「ってことがこの前あってさ……、酷くない? 私妖狐ぞ? 妖ぞ? もうとっくの昔に成人らしきことはしてるし、そもそも関係ないぞ? 酒買えてもよくない?」

「いやお主がじぇーけーなんぞに扮しておるからだろうに……」

「もしかしたらコスプレしてるだけかもしれないのに……人を見かけで判断するとはなんと愚かしい」

「お主は一体どう見られたいのじゃ」

「JK‼」

「じゃあ買えなくても仕方ないの」

 

 テンションのやたら高いJK妖狐に淡々とツッコミを差していく金髪幼女。割り箸をJK妖狐分も配り終え、意識は完全に昼食に向いてしまっている。

 漫才めいた会話からも分かる通り、彼女はのじゃロリツッコみ狐娘。『のじゃロリツッコみ』がJK妖狐命名である、現代に紛れて暮らすかつて神の一柱として祀られていたわりと由緒ある存在だった。今は過去の栄光の残滓は見る影もなく、肩の出た巫女服と黒インナーで身を固め、JK妖狐と同じ職場に住み込んでいる、一介の狐娘に過ぎない。

 

「竜娘がいつも持ってくるではないか。それではいかんのか?」

「いや、あいつはなんか怖いし……あまり恩を売りたくないんだよね……できればのじゃロリにお願いしたい」

「のじゃロリ言うでない! 我とてこんな見た目じゃ、お主よりも厳しいのじゃが……」

 

 冷ますことが命取りになるラーメン。狐娘はJK妖狐が食べ始めるのを見計らい、その後を追うようにしてレンゲをもってスープを掬いあげる。

 息を吹くのもほどほどに一息にそれを煽れば、何時間も煮込まれたであろう鶏ガラのあっさりとしていながら濃厚な出汁の奥深さと、醤油の味わい深い塩気が舌を喜ばせ、更に特徴的だったのは、やや辛いと思わせるほどの生姜の刺激が舌に残る事であり、これがまたスープだけを何度も味わってしまうほど病みつきにさせるものだった。

 麺の細さが縮れ方も細やかなものにさせているため、口に入れた時の感触や、スープの絡み方なども面白みがある。

 特別ずば抜けた魅力や美味しさがあるわけではないが、仕事の休憩中や飲酒後の〆、人によっては間食感覚で何度も食べられるような存在にはなっていた。

 ……とJK妖狐は評しているのだろうなどと狐娘は予想をしながらズルズルと麺をすする。ラーメン大好きを自称してしまうJK妖狐程ラーメンに対して思い入れがあるわけではないし、何だったら外食はラーメンよりも他の店のものを選ぶことが多く、今日のようにJK妖狐と休憩が被る少し珍しいシフトの時にしか行かないのだ。これでは麺類妖娘など名乗ることはできない。名乗ろうと思っていなかったりもするのだが。

 

「いやはや、人の姿はままならないなぁ」

「いやお主は着替えれば何とかなるじゃろ」

「最近は変化みたいな妖力を使う芸が使いにくくなってるから……」

「だから着替えるんじゃて」

「昔と違って力の回復速度が圧倒的に落ちてるからね、しょうがないか」

「我の話を聞け、どれだけそのぶれざーに執着しとるんじゃ」

「いや、だってJKだし」

「じぇーけーだって普段着までぶれざーにしてるわけはないじゃろ」

「私は信じないぞ、そんなのまやかしだ!」

「お主は全てのじぇーけーにいっぺん謝るべきじゃと思う」

 

 ケラケラ笑うJK妖狐の器は既に空で、まるで雲をつかむような徒労感に頭を抱える狐娘はまだスープを半分以上残している。ちびちびと量を減らしてはいるようだが、胃袋に異界を飼っているわけでもなく、容量の限界は近かった。

 

「あっ、そうだ忘れてた」

 

 狐娘がそろそろ職場に戻る時間も近づいてきているので、お昼で帰ってしまうJK妖狐に一言断って席を立とうとした瞬間、妖狐は眉を上げて唐突に声を上げた。

 

「何じゃ、蛇娘の愚痴をか?」

「それもあるけどもっと大事な用なんだってば」

 

 渋面に早変わりした狐娘を見て申し訳なさそうに手を合わせるJK妖狐。蛇娘というのは狐娘と妖狐の雇い主であり、その絶大な神格に同じくする影響力は現代でも衰えることを知らず、狐娘達が現代日本で生きる上で欠かせない身分を保証している。誤魔化しているとも言える。

 いわば恩人と言っても過言ではない存在への愚痴を延々と吐き続けるJK妖狐を、事情を知っていれば可哀想だとは思うがあまり快くは思わないのも仁義の常。

 ただ、狐娘にはJK妖狐を無碍にできない理由もある。

 

「すぐ終わるのじゃな?」

 

 深く、黄泉よりも深いため息を漏らしながら椅子に座り直し、JK妖狐に続けるよう暗黙で促した。妖狐は胸を撫で下ろして一口水を飲むと、笑みを浮かべながらも身に纏う温度をやや下げて話を始める。

 

「すぐには終わらないけど狐娘のお仕事に支障は出ないよ」

「……どういうことじゃ?」

 

 狐娘が首を傾げると、JK妖狐もそれをわざとらしく真似る。挑発とも取れるその行為も、JK妖狐の美貌をもってすれば一等品の絵画のようになってしまうのが狐娘は腹立たしかった。狐娘もルックス的には負けていないのだが。

 

「ここから一時間ぐらいの小さな街にね、妖がいるかもしれないの」

「っ……そういうことか」

「そういうこと。潜伏してそうな場所……廃墟らしいんだけど、その情報はもう持ってる」

 

 JK妖狐の言わんとしていることを察して、狐娘も気持ちを切り替える。狐娘にも縁がないわけではない話だし、妖狐の行動は狐娘の因果にも関わってくる。

 

「じゃが我は行けぬぞ。午後からも働かねばならぬし……」

「それなら大丈夫だよ、蛇娘にはもう話を通してある」

「なんと」

「蛇娘から貰った情報だしね、調整は楽チンだったよ」

 

 唯一引っかかっていた懸念を先回りで解決されていた狐娘は退路を断たれた。退くという選択肢を選ぶつもりは毛頭なかったのだが、当人を置き去りにして話を進めないでほしいというのが狐娘の本音だった。

 会計を済ませて店を出ると、二人はその足で駅に向かった。狐娘は仕事着である巫女服のままで、JK妖狐はご飯前にちゃっかりブレザーに着替え直していたのをやや不公平に思わなくも無かったが、なんだかんだ巫女姿を気に入っている節がある狐娘は黙ってJK妖狐の後を追うのだった。

 

 

 問題の現場はやや込み入ったところにあって、神社の街から小一時間の小さな駅を降りて、更に十五分ほど山を登らなければならなかった。駅の周りには住宅街ばかりが並び、案内掲示板を見てようやくスーパーや商店街が辛うじて点在していることが確認できるほど。目的地までの道のりは、罅割れたアスファルトとその隙間を塗って意気揚々と生い茂る草木や、道を完全に塞ぎ止めている倒木などまともであればまず近づかないであろう光景で満たされている。人の手を離れ忘れ去られた人工物の亡骸は半ば過酷に足を踏み込んでいる難度で、だからこそ行き場を失った妖が根城にするには適した立地にあるのは間違い無かった。

 

「聞き込みはせんでよかったのか?」

「やってもよかったんだけど、結局『妖を信じない』人間の情報があてになるかって話よ」

「……それもそうじゃな。既にアタリが付いている段階であれば飛ばしても問題は無いか」

「あっ、でも帰りに寄れるラーメン屋は探せばよかったかな」

「一番どうでもいい情報に時間を使うでない」

「どうでもいいとは何よ!」

 

 やいのやいの言葉を交わしながらようやく見えてきたのは、かつて何らかの商業施設だったことが外観と作りからやっとのことでわかる、紛うことなき廃墟の一種だった。屋根から徐々に黒ずみ、窓や入り口に貼ってあっただろう窓ガラスは原形をとどめておらず、外装は悉く剥がれ落ちて無機質なものに変わっている。カウンターや椅子がそのまま放置して残されていることから、飲食店であったことが予想できる。床に散らばる瓦礫の中に混じった皿や調度品の破片、キッチンがあるだろう奥の穴の暗闇が建築物の底から湧き出ているような不気味さが、人を遠ざけんとする誰かの意志を感じさせる。

 

「とりあえず入ってみましょ」

「待つのじゃ。……うーむ、この様子だと今は留守のようじゃな」

 

 中に入ろうとするJK妖狐を制して狐娘が耳を張り立てる。妖が潜んでいれば何かしらの気配を感じそうなものなのだが、狐娘のアンテナには何も引っかかっては来なかった。JK妖狐もそれは同じようで、長いまつげを持つ目蓋が伏せられる。

 

「とりあえず中の様子を見るだけ見てみよう。痕跡があれば待ち伏せられて探し回らなくてもよくなるかも」

「ならば我は建物の外を一周回ってみるとするのじゃ」

「任せた」

 

 JK妖狐は瓦礫に踏み場を邪魔されて何度か躓きそうになりながら、そのまま建物の中へと進んでいく。それを見送り、狐娘は雑草と柵の混じり合った芸術作品の展示場へと足を向けた。

 外周は塗装や装飾が全て剥がれ切った状態で、これと言って面白みがあるものでもなかった。建物の形も代わり映えしないもので、敷地のすぐ裏手には羽を広げた孔雀のように枝葉を伸ばす木々の塀が並んでいる。もしかしたら森の中にこそ件の妖がその身を潜めているかもしれないが、今更生存が確認できるような、JK妖狐らと同じように生き汚い妖怪が『滅んでいった並の妖怪と同じことを』するはずがないという経験則と勘が、狐娘を森から遠ざけていた。

 塀の内外を一通り観察し終わり、建物の入り口に狐娘が戻ってくると、何故かJK妖狐がスマホを持ちながら電波の届きにくさを嘆いていた。

 

「中はどうじゃった?」

「いやー、ここを寝床にしてるのは間違いなさそうなんだけどね……相当警戒心が強いみたいだ。上手く痕跡を消してる」

 

 果たしてこの短時間でまともに探したのかと不安になって状況を念のため聞いてみると、妖狐は苦笑いを返した。

 

「痕跡がないのにいるのがわかるのか?」

「廃墟にしては少し“綺麗過ぎた”のさ。つい最近手を加えられたみたいに」

 

 行こう、とJK妖狐は下山を促し、狐娘も渋々その後を追った。

 

「多分奴さんがここに来たのはついこの間だね。拠点をあちこちに移動させながら暮らしてたんだろう。その土地に暫く潜んで、何かしらに勘付かれたり話題になりそうになれば引っ越すのを繰り返して」

「なるほど、だから今の今まで発見が遅れたのじゃな」

 

 山中の道なき谷を軽快に飛び越えながら、JK妖狐と狐娘は推理する。

 

「恐らくこっちが探してるのも気付いてるかも」

「待ち伏せは出来んということか……」

「そんなことしても、あっちにしてみればそのままここを離れればいいだけだからね」

 

 山を下り切りってからもしばらく歩き、駅前の掲示板まで二人は戻ってきた。狐娘の表情は暗く、困り眉の角度が更に深くなっている。

 

「どうする、手詰まりではないのか?」

「少し時間を空けてもう一回行ってみよう。それでだめだったらそこまでだね。もうこの土地にはいない。次の情報が入るまでお預けさ」

 

 せっかくだからどんなお店があるか見てから帰ろうよ、とJK妖狐は続け、返事を聞かないまま狐娘の手を引いて歩きだしてしまった。

 調査が徒労に終わってしまうかもしれないというのに、落胆した様子も思い残した様子も見せないJK妖狐に愕然にも近い驚きを狐娘は覚えた。JK妖狐が妖としての道を外れた経緯や、その後の歩みを知っている神や妖であれば誰しもがこの異常さを論ずるだろう。

 ただ、ここまで露骨に違和感を発しているとなると、JK妖狐の腹の内を探ることも憚られるというもので、狐娘は引っ張られるままに街中を進んでいくしかないのだった。

 

「お腹空いたよね」

 

 商店街の近くに差し掛かったところで、JK妖狐がぽつりと漏らした。確かに昼食を取ってからしばらく時間は経っているし、それなりの運動をこなした後でもある。何か間食を摂るのもやぶさかではない狐娘だったが、

 

「ラーメンは食べぬぞ、そこまでの胃袋は空いておらぬ」

「……まだ何も言ってないよね」

「間が雄弁に語っておるわ」

 

 唇を尖らせ若干腹が立つ表情を作るJK妖狐の脇腹を突きつつ、狐娘は二人で商店街を進んでいく。

 幸運にも和菓子屋をすぐに発見することができたので、狐娘が提案をすれば妖狐も二つ返事で賛同した。ラーメンに固執せず美味しい物であれば最終的には全てを受け入れるという、JK妖狐が偏愛家ではあるが頑固者ではないことをありがたく思い、手頃な饅頭とお茶を頼んで店の中の飲食スペースで一息つくことに。

 

「この後は流石にラーメン屋探させて、私のアイデンティティーに関わるの」

「夕飯時までこの街に居座るつもりか?」

「もしかしたら、万が一にも、つま先程でも可能性があるなら私はかけてみたいから……」

「何が何でも食べるつもりじゃな?」

「ラーメン妖狐なので」

「新種族を作るでない」

 

 饅頭にはこしあんが合う、決して粒あんが悪いと言っているわけではないなどと独り呟くJK妖狐の、幸せそうな食事姿を観察して、今はただ甘味を楽しむことを決めて狐娘も肩の力を抜く。

 そういえば、妖狐の周りの妖どもも、自分を除けばほぼ全員が食に対する何らかのこだわりを持つ変わり者だったな、などと狐娘は思い返して自然と遠い目になってしまう。皆が皆嗜好が違うので、そのほとんどと交流がある狐娘にとっては偏ることなく様々なものを食べる機会があるのは嬉しいことだが、如何せん我が強すぎて一堂に会することができないのは考え物である。

 

「なあ妖狐」

 

 なんとも幸せそうに頬を緩めるJK妖狐に、狐娘は不意に言葉をかけてしまう。特に話題があったわけでも、今聞きたいことがあったわけでもない。つぶらな瞳で狐娘を見返す妖狐を見て、なんとか捻りだしたのは誤魔化し方としては最悪手とも言える質問だった。

 

「もし妖を見つけたら、お主は何をするつもりじゃ?」

 

 喋りながら後悔してしまうような愚問だった。狐娘にとっては、問いかけるまでも無く身に沁みて理解していたことで、JK妖狐が今回誘ってきた時にも、詳細を聞かないままに付き添ったのは、既に彼女の意図がわかり切っていたからだ。

 妖狐は一拍きょとんとして、すぐに目尻を下げた。その雰囲気がまさしく、狐娘の脳に深く刻まれ、永劫忘れ去ることのできない強烈な想い出の中のJK妖狐と重なり、想起された記憶の中に、狐娘の意識は一時的に引きずり込まれていった。

 

 

 小鳥の囀りと、動物らが木々と草草の間を掻き分けて進む摩擦音、無慈悲な日照が荒れ果てた石畳を徐々に焦がしていく幻聴だけが、その場所を包んでいた。

 自分の呼吸や、微風に揺れる尻尾や耳は何も発しない。今にも腐り落ちそうな板張りの床から感触の返答がない。かつては近隣の村民らが参拝し、率先して整備してくれていたおかげでそれなりの大きく誇らしかった社は、今狐娘が寝そべる縁側の一角を除いてほとんどが崩れ果てていた。

 瓦と木材の海に祭殿は沈み、集めた信仰と祭神としての誇りは底に遺棄された。もはや、この場所に神社があったことも、神社で行われていた祭り事も、娘の姿を取った神が地域を見守っていたことも、人々の記憶から擦り切れてもう抹消されてしまった。

 もう誰も自分の事を知らない、誰からも認識をされないのであれば、それはもう死んでいるのと同義だと、存在していないに等しいのだと自覚をしてから、狐娘は動くことすらもやめてしまった。

 それから程無くして、狐娘を苛めていた空腹感が突如として消えた。そして、ついに消滅の時が来たことを狐娘は悟った。

 狐娘は自分の中に喜びの感情が残っていることを少しばかり意外に思った。もう何もかも捨て去ったつもりでいた。だが、自分にまだ個が残っているというのは未練が残っている証拠ではないかと、唇を噛みしめもした。

 忘却を非道と罵るつもりはない。人を見守り、人と共に在ることを宿命づけられて生まれてきたからには、いずれそうなるだろうという予想もついていた。自分の手を離れ、独自に歩みを進めるのは、人の成長した証なのだと親の様な心持だった。

 だからこれでいいのだと。このまま消え去るが自然なのだと。ただ、人と交わる長き時の間で、一つだけ羨ましいことがあった。それは人の笑顔だ。施しに対する感謝の笑みとは違う、娯楽を消費して自然に浮かぶ笑み。建前関係なく人を笑顔にするものと接する機会があまりなかった。人を幸福にする勤めに追われ、憧れに手を出せないまま興味ばかりが日に日に強まっていくばかりだった。

 そういう物に、少しでも触れてみたかったというのが、狐娘の唯一の心残りだった。だが、もう死んでいるようなちっぽけな狐に、叶えられる願いでもない。

 そうして娘を騙った狐という実体も取れなくなりそうだった時、彼女は出会ったのだ。見慣れない服装に身を包んだ、銀色の毛並みの怪しい狐娘に。

 

「ずいぶん萎れてるじゃない」

 

 何やら聞き覚えのある声がすると狐娘も気付いたのだが、目線を動かすのも億劫になっていたために何の反応も返すことはできなかった。狐娘の容態を察知した妖狐は、狐娘の顔の向く側に回り込み、少し離れたところで同じように寝そべる。

 そこに至って、狐娘は訪問者の正体をようやく判別できた。何やら珍妙な格好をしているようだが、身に纏う軽薄な雰囲気は変わり者の気質も漂わせていて、遊戯の一環なのだろうとそう狐娘の中では結論づいた。

 

「この格好? これはね、JKっていう人間の身分を表す衣服だよ。私JKになろうと思って」

 

 妖狐は自慢げに口角を上げ、胸元のリボンをひらひらと狐娘に見せびらかした。

 じぇーけー。じぇーけーとは何ぞや。聞き慣れない単語に狐娘の薄れ切った自我が、思考が徐々に形を持ってくる。何やら風の便りに聞いた響きの覚えだが、それが人の身分となっているとはどういうことなのか。

 

「まったく、せっかく同じ狐のよしみで来てあげたのに反応が薄くて悲しくなっちゃうよ……。いやまあ、神さまと一介の妖怪ってのは正直同族って言えないかもしれないけどさ、“あの時”あなたは分かってそうだったからさ」

 

 お道化る妖狐を見て、霧散していた記憶も意味を為し始めた。確かに狐娘はこの妖狐を知っている。彼女があの場所で発した言葉を一言一句覚えている。あわや大戦争になりかけた場を、様々な神や妖と協力して鎮めたのも覚えている。

 妖としての『個』を捨てて自我の『個』を選択した彼女のことが、羨ましくて仕方が無かったのを、一柱の神は忘れられないでいた。

 

「……何をしに来たのじゃ」

 

 狐娘の何百年かぶりの人語は掠れ掠れで、上手く伝わったかどうか不安になるようなか弱いものだった。

 しかし、妖狐にはしっかり届いていたようで、彼女の蝋の様な明るい表情が途端に崩れて、彼女本来のやわらかな笑みが浮かび上がり、胸が静かに上下した。

 

 

 

 狐娘の意識が現在に戻ってきた時、二人は和菓子屋を出てまた商店街の中を進んでいこうとしていた。興奮を隠しきれていないJK妖狐の数歩後をついていくように狐娘は位置取り、相方のハイテンションさに引っ張られないようやや冷め気味にその背中を追うことにしたのだ。

 

「やっぱり田舎はチェーン店は少ないけど個人経営のお店が多くて、開拓のし甲斐があっていいね」

「堂々と失礼なことを言うでない。お主だって元々ど田舎暮らしだったはずじゃし、今も都会と言える場所に住んではおらん筈じゃが?」

「残念ー、私だって千年前は都のすぐ近くに住んでたし今もそこそこのところに住んでますー」

「都の傍のお堂を勝手に占拠しとっただけじゃろ……、しかも『そこそこ』と自分でも言うとる時点で自信が無いのが見え見えじゃ。竜娘ぐらいいい立地で生活をするようになってから都会面をするがよいのじゃ」

「なんでのじゃロリは私に対してそんな辛辣なの?」

 

 馬鹿な話をしている間に、小さな街の地域住民向けの商店街などはすぐに周りきれてしまうもので、散々寄り道をしてあらゆる細かいところを突っつきまわしてみても二時間もすれば見るものも無くなってしまったのである。

 たかが二、三時間時間を空けるだけで希望が持てるかという問題があり、だがそれでも行くしかないとJK妖狐が言い、駅の側へ向かっていく最中の事だった。

 途中、小さな肉屋の前を通りがかったのだが、何やら店員と警察官が神妙な面持ちで話し込んでいるのを妖狐が見つけ、少しの間聞き耳を立てることにしたのである。

 交番勤務の警察官とその地域住民の和やかな交流というものではなさそうだったが、JK妖狐は人間界の人間同士の諍いに首を突っ込むタイプではなかったため、狐娘は少し不思議に思った。だが、怪しまれないように口元を緩ませながらも、いつになく真剣な目つきで会話をする人間たちを眺めている妖狐を見るに、重要な鍵の気配を感じ取ったのだと狐娘は勘付き、JK妖狐に倣って人間たちの言葉に耳を傾けてみた。

 人間らの話し合っていた情報を羅列すれば、「最近猫による荒らしが酷い」「商店街のほとんどの店が被害に遭っている」「どれだけ対策しようとまるで煙のようにそれをすり抜けたり、或いは神のように現れ鬼のように姿を消して決してその尾を掴ませない厄介な猫だ」「まるで化かされているみたいだ」「ついさっき和菓子屋が被害に遭ったらしい」

 かなり確信に近い情報を手に入れることができ、狐娘はなんとか気持ちを上向かせることができた。

 

「おい聞いたか妖狐、この数時間も無駄ではなかったのじゃな!」

「……そうだね」

 

 だが、一番喜んでもおかしくないJK妖狐は対照的に落ち着きを取り戻しているようだった。不可解としか思えない彼女の反応に狐娘は首を傾げる。

 

「どうした、あそこに張り付いておればいずれっ、むぐぐぐぐぐぅ……」

 

 狐娘は突然妖狐によって後ろから抱きかかえられ、その口を塞がれてしまう。理由不明の蛮行に怒りを隠しきれない狐娘が必死の形相で犯人を睨み付け、説明と謝罪を求めていると、耳元で平坦な語調でJK妖狐が囁いた。

 

「今から私が言う通りについてきてね」

 

 あまりに突然の事だったので思考の整理が追いついていない状況ではあったが、尋常でない様子のJK妖狐と、起伏が無いと思いきや少し申し訳なさそうに下がる語調によって、段々と狐娘の頭は冷え、そして、JK妖狐の意図するところを段々と気が付いていった。

 策謀は狐娘の領分ではない。かつて偉大なる妖としてその名を轟かせ、今はJKをやっているという頓痴気な妖狐の考えというものに、賭けるしかないだろうと、狐娘は首を縦に振った。

 内容を一通り聞き終わった後で、かなり気がかりなことが一つあり、それをJK妖狐に尋ねてみると、

 

「ここで惜しんでもしょうがないからね。まあ、なんとかなると思う」

 

 なんとかならなかったらそれで“終わり”なだけだよ、と妖狐が笑うが、狐娘は愛想を返すことができず、その言葉の重みを受け止めるのに精いっぱいで、そんな簡単に終わりを受け入れてほしくないという、狐娘の願いを表現することはできなかった。

 JK妖狐は固まる狐娘を地面に下ろし、

 

「じゃあ、帰ろっか」

 

 むすっとした友人の背中を叩いて駅の方に歩きだした。心の内は荒れ狂っていたが、とりあえず妖狐の提案に納得する他に道は無く、彼女の脇腹に一発肘打ちをすることで手打ちにすることとした。

 二人が駅につき、改札をくぐって程無くして電車が到着した。妖狐たちが乗り込み、この土地を後にするのを見送った猫が一匹、ホッとした様子で山の方へ駆けていくのだった。

 

 

 動物の身体なら山中の険しい道もなんのそのと、あっという間に猫は廃墟の前まで辿り着いた。強烈な西日も森の木陰に遮られ、辺りはすっかり明度を落して不気味な空気をじわじわと漂わせていたが、人の目を避け息を潜めて生きている猫にとってはこれほど快適な一軒家は無い。用心深く振り返り、野生動物以外の気配が無いことを改めて確認すると、四足歩行から直立二足歩行へ、そして骨格が変わっていくと同時に体格や表皮の質感が変わっていき、ついには黒髪美人の姿へと変貌を遂げてしまった。深緑色のやや珍しい虹彩と整いすぎた容姿、頭頂部と腰臀部に、人非ざる証として猫耳と尻尾が付いていることを除けばだが。

 狐娘や妖狐のようなやや派手な服装ではなく、白く簡素な着物を着こんだその猫娘は建物の奥へおぼつかない足取りで進み、懐から饅頭や砂糖菓子の包みを取り出して手近な台に置くと、どっかりと地べたに座り込んでしまった。

 猫娘の顔には疲労が色濃く浮き出ており、息苦しそうに肩も大きく上下している。それもそのはずで、今の猫娘の妖力は枯渇しかけていて、実はかなり重篤な状態だったからだ。

 かつて彼女たち妖は妖力を消費してありとあらゆる怪異を引き起こしていた。体を変化させたり、幻覚を見せることで人々を惑わし、恐れさせることで妖としての格を高めたり力を強めていき、そして腹を満たしていた。中には人を食らうことで妖力を回復したり向上させる種も存在はしていたのだが、多くは恐怖という感情のエネルギーを摂取することで満腹になり、使った妖力も賄うことができていた。

 しかし、人々の信仰が神から科学に移り、存在を否定されてしまい、あろうことか妖としては認知されなくなってしまったが故に、空腹に追われることが常になり、妖力はほぼ使い切りの様な状態に陥ってしまった。辛うじて人の食物でも生き長らえることはできるし、効率は悪いながら妖の力に変換をすることも可能だ。だが、基本的に現代で妖力を使うということは寿命を縮めるに等しい行為なのだ。

 猫娘が猫の形態に変化するのも、本当は数日に一回が限度で、長く続けることはできないほどに消耗が激しいものだった。

 猫娘はそれを二回、使う羽目になってしまっていた。一度目は和菓子屋に行き食料を確保する目的で。二度目は、外出している間に自分の根城を誰かが訪れた痕跡があり、その誰かを特定して追跡する必要が出てきたからだ。

 蓋を開けてみれば不届き者の正体は人ならざる者で、片や清廉な匂いのする金髪の狐、片や妖であることは確かだが底知れぬ怖れを抱かせる雰囲気の銀毛の狐。始めは久しぶりに見る同族に警戒が解れかけたが、妖を駆逐した人間たちの世界で何食わぬ顔で生活しているのがどうにも猫娘には不可解極まりなく、自分の暮らしを脅かすやも知れぬと後をついていくことにした。

 実際二人組は人間に紛れ込み、へらへらと軽薄な笑みを浮かべ、妖の本分を忘れ去っているように猫娘には見えた。商店街の人間と楽しそうに話す彼女らを見て、胸の奥がざわつくのが不快でたまらなかった。

 猫娘は、二人組が自分を探している理由だけが気がかりで、何故か街を少し見て回っただけでここを後にしてしまったので、それが不思議で仕方が無かったのだが、自分を諦めてくれたならそれでいいと深くは考えなかった。

 ただ、狐娘達がまたここを訪れないとも限らない。今度は、相応の準備をしてくるかもしれない。そう思えば、明日にはここを出た方がいいのかもしれないと猫娘は不安に思った。

 ようやく住み慣れてきたとはいえ、人間たちをこれ以上刺激すれば『駆除』されてもおかしくない。変化後に重傷を負ってしまえば、元に戻ることもできずただの野良猫として処理され、妖としての尊厳は失われてしまうだろう。そういう意味でも、頃合いに違いない。

 猫娘は持ってきた饅頭の一つを齧り、これまたくすねてきたペットボトルのお茶でのどを潤す。残りの何個かは移動中の、そして新しい環境に慣れるまでの食料として大切にしなければならないとまた懐に戻そうとしたとき、猫娘は驚愕と憂虞の混ざった表情を浮かべ、廃墟の入り口を凝視してしまうのだった。

 

「ほらね、言った通りでしょ、のじゃロリ」

「のじゃロリ言うでないわ。これからが肝心なのじゃぞ?」

「わかってるって」

 

 猫娘が出立を見送ったはずの二人が、何故か自分の前にいるのである。あれからすぐに折り返してきても、本数の少ないあの路線では少なくともまだ半刻以上は余裕があるはずである。

 本当は乗っていなかったのか。いやそんなはずはない、車窓から二人の後姿が見えたし、電車に揺られていくのを猫娘は自身の目でしかと見届けたはずである。猫娘は奇妙奇天烈奇想天外の光景に視界が揺れた気がした。

 そして不意に、彼女らもまた妖であることを失念していた自分に絶望した。

 

「まさか……」

「そう、使わせてもらったよ。私もね」

 

 妖狐が不敵な笑みを浮かべ、一歩、また一歩と猫娘に近づいていく。体力が十分に回復しきれていない今、猫娘に逃げる場所など存在しなかった。

 

 

 顔にこそ出していないが、狐娘は内心冷や汗を滝のように流していた。

 あれだけ余裕ぶっているJK妖狐も、所詮は妖なのだ。一旦妖力を使ってしまえば、その負担は命を削りかねない。しかも、かなり精巧な幻覚を生み出すとなれば、手持ちの妖力ほぼすべてを使わなければならない。猫の妖が立つのもやっとなぐらい疲弊しているのと同様に、JK妖狐もかなり無理をしているはずだ。窮鼠猫を噛むように、もし猫娘が逆上して襲い掛かってきたら、いくら妖狐とは言えどうなってしまうか。

 いざという時は狐娘が介入できるように構えてはいるものの、易々と身を危険にさらせてしまえるような妖狐のこと、更なる無茶を冒してもおかしくはなく、ただただ彼女の無事を祈るばかりだった。

 

「お、お前ら何しに来た! 盗みを咎めに来たのか?!」

 

 髪の毛を逆立てて警戒心を剥き出しにする猫娘だったが、JK妖狐は構わず手を広げながら歩みを進める。

 

「く、来るな! 八つ裂きにしてやるぞ!」

 

 どれほど威嚇しても歩調の変わらない、眼前の狐が猫娘には段々と不気味に思えてきて、後退りながら後ろ手に爪を立てた。数で負けてはいるが、片方は妖力のほとんどないいわば手負いの状態。隙を突けば必ず逃げられるはずだと、金髪か銀髪か、どちらを狙うか品定めをする猫娘。

 JK妖狐は、背後の狐娘に飛びかかられないよう上手く線の上に位置取り、あともう一歩で猫娘の間合いに入るまでのところで立ち止まり、喚く幼子を宥める母親の様な柔和な笑みを湛えた。

 

「私はあなたと生きるために、あなたを生かしに来た」

「……は?」

「私はあなたと共に生きたい」

 

 猫娘の呆けた顔を見るのは、狐娘達にとっては二度目だった。先ほどの恐懼入り交じったものよりかは、幾分か困惑の成分が濃かったが。

 

「あなたは妖としては少し変わっている。かつての妖の生き方を踏襲しているけれど、あなたは人そのものは認めている。人失くして我々は在ることができないと知っている。人と共に生きられないのは、我々が人ならざるものだからだと、そう思っている」

 

 今の今まで消滅を免れてきたのは皆そういう不器用な妖だからね、と苦笑するJK妖狐を、後ろから狐娘が見守る。

 

「人と生きるっていうのは、実はそんなに難しい事じゃないよ。最初は少し抵抗感があるかもしれない。だけどあなたは人間が大好きだから、すぐにわかるはず」

「な、なにを言ってるんだお前! あいつらは私たちを除け者にしたんだ、そんな奴らと共存なんてできるわけないだろ!」

「私たちがいるよ」

 

 猫娘が怯えた目で狐娘も睨み付けるが、JK妖狐の言うことを肯定するように首を横に振ると、拠り所を失った視線が舌を向いてしまう。

 

「生き方なら私たちが教えてあげられる。私たちが探してあげられる。きっと、人を傍で見守り続けられる。だから、おいで?」

 

 そう、それがJK妖狐の目的。彼女の嘘偽りない本音。

 JK妖狐は消えつつある神や妖、その中でも人の発展を受け入れ赦した変わり者たち、人に羨望や後悔を残した者たちといった、妖の末路から外れ、されど世界とうまく交われないまま苦しむ者たちに道を示し、手を差し伸べ続けていた。ともに人を見守り続けるために、愛した彼らの輝きを最後まで見届けるために。

 JK妖狐は気づいたのだ。猫娘の中に眠る、彼女自身も気が付いていなかった未練や憧れを、彼女が暮らす街を観察しながら、そして、彼女の行動を知った時に。

 だからこうして、身を挺して猫娘の手を取ろうとする。

 

「し、信じられるか! 私は一人で生きてこられた、お前たちと違って! これまでも、これからもずっと!」

「もう限界が近い事は自分が一番分かってるはずだよ。自分が何をしたいのかも、ね」

「くぅぅぅうううう、ううううううう……!」

 

 だが、人間たちにはじき出され捨てられたというトラウマと、わずかな妖としてのプライドが猫娘の心をほぐす障害となっていた。瞳と肩を震わせ、歯を食いしばる猫娘から激しく動揺が伝わってくる。

 妖狐の言い分も、予想も猫娘の本質をかなり捉えていた。正しいことを言っているのも猫娘にはわかっていた。だが、それを認めることはそれまでの猫娘の生き方を否定することになり、その中で犯した過ちを自らに突き付けることに他ならない。

 突然の応報を受け入れるか否か、燃え盛る葛藤が体を蝕んでいき、ついにそれがはじけ飛び衝動的な行動に現れる。

 目にも止まらぬ速さでJK妖狐に肉薄し、その顔面を爪で一閃。身を逸らして直撃は免れたが、頬に走った裂傷から妖狐の血潮が飛び散った。

 

「妖狐!!」

 

 狐娘が慌てて駆け寄ろうとするが、JK妖狐は掌でそれを制し、続いて首に伸ばされた猫娘の手を何の抵抗も無く受け入れた。

 小さく上がる狐娘の悲鳴。妖狐がバランスを崩し、猫娘が彼女を押し倒す形になる。猫娘の手には血管が浮かび上がり、かなりの力が込められていた。妖狐の喉からは骨の軋む音が洩れ、涙と涎でその顔はひどい有り様になっていたが、彼女はそれでも猫娘を振り払おうとはしなかった。

 こんなことになるなら、猛抗議してなんとしてもJK妖狐を引き留めればよかった。狐娘は、自分の大切な存在が苦しんでいる姿をまざまざと見せつけられることに耐えられるほど冷めた狐ではなかった。JK妖狐にはなるべく手を出さないように言われていたが、このままでは彼女が死んでしまう。疲弊している妖ならば狐娘一人でも引きはがすことはできるだろう筈……。

 

「げほっ、ごほっ、ごほっ……」

 

 狐娘が意を決して猫娘に飛びかかろうとしたのを、JK妖狐の突然の咳き込みが狐娘を引き留めた。見れば、いつの間にか猫娘が呆然自失の状態で妖狐の首から手を離し、その手で自分の切れ長の瞳から流れる感情の結晶を一生懸命拭っている。だが、拭けども拭けども溢れる涙は量を増すばかり。

 

「なんで、なんで抵抗しないのよ……」

 

 しゃくりあげながら俯く猫娘。そこには、持ち前の優しさを誰にも向けることができず、一人ぼっちで不器用に生きることしかできなかった哀れな娘がいた。妖狐はいそいそと拘束から逃れ、へたり込む猫娘に向き合うように膝をつく。身構えていた狐娘も力を抜き、依然ハラハラはしながらも、猫娘の決断を見守ることにした。

 

「言ったでしょ、共に生きたいんだって」

 

 先ほどまで絞殺されそうになっていた側とは思えないほど温和な声色でJK妖狐が語りかける。地平線の先まで包み込んでしまうような包容力を、狐娘はJK妖狐から感じ取った。それを直接向けられる猫娘の心境は、計り知れるものではないだろう。

 無防備に泣きじゃくる猫娘を、JK妖狐がゆっくりと抱きしめる。壊れ物を扱うように丁寧に、優しく背中に手を回し、衣服が濡れることも厭わず猫娘の頭を抱き寄せる。何十年ぶり、百何年ぶりに感じる他人のぬくもりが猫娘の肌を伝って芯を温め、懺悔と後悔の涙からようやく解放されて、安堵の涙へと移り変わっていくのだった。

 一先ず一件落着したことを感じ取った狐娘も、纏っていた緊張感が一気に散って手近な壁に体重を預けていた。JK妖狐の無茶を目撃し、精神的な疲労が溜まったことを抗議したい気持ちでいっぱいだったが、猫娘がまるで妹のように妖狐に縋りついているのを見て、今回は口を噤んでおいてやることにした。小言の一つや二つは、この後言ってやるつもりではあったが。

 狐娘が瞼を閉じれば、JK妖狐が狐娘の社を訪れた時の続きを思い出した。

 

 形を取り戻したばかりで困惑している狐娘の手を引き、JK妖狐が連れられて辿りついたのは社からそう離れていない一軒のラーメン屋。現在神や妖がどう認識されているかの簡単な説明がなされ、無理なく生きていけることを肌で理解した。

 JK妖狐に奢らされるがままに食べたおすすめの醤油ラーメンの味は、どれだけ時間が経とうと記憶に残り続けるだろう。なにせ、あれだけ恋い焦がれた『人を笑顔にする』ものの一つとの初めての邂逅だったのだから。

 ラーメンを完食し、JK妖狐が「私と一緒に来て欲しい」と狐娘を誘う。その理由は勿論「私が一緒にいたいから」。

 狐娘はその時どんな顔をしていたのかは定かではないが、頷いたときに頬に熱いものが流れていたことだけは、鮮明に覚えていた。

 

 JK妖狐が猫娘を肩に抱きながら立ち上がり、狐娘の傍に寄ってきた。

 

「さあさあ、そろそろお腹空いてきたね。というか何か食べないとやばいね」

「……うん」

 

 おぼつかない足取りが二人の限界が近いことを示している。狐娘はこの後の流れをわかっていたので、それとなく話がうまくいくようにJK妖狐に合わせた。

 

「……そういえばそろそろ夕飯時じゃの。ここいらで食べていくのも悪くはなかろう」

「じゃあさ、商店街のすぐ近くにあったラーメン屋行きたいんだけどいいかな」

「我は二食連続になるんじゃが?」

「あそこは味噌なので」

「味が変われば大丈夫みたいな謎理論はやめるんじゃ」

「猫娘はどう?」

 

 ふと話を振られた猫娘はおずおずと首を縦に振るが、やや抵抗がありそうな目線の動きだった。確かに、生きるためとはいえ商店街に迷惑をかけていたのは事実だ。それも長い間、至る場所で。元々優しい妖だったのだ。猫娘は、その行いの罪悪感で顔を出しづらくなっているのだろう。

 

「猫娘がこれからどうやって生きて、どうやって恩返しをしていくか、そのこともちょっとお話したいな」

 

 JK妖狐は少し考え込むように自分の尻尾を撫でる。

 一拍置いて猫娘の心中を察した優しく諭すように誘いをかけてみれば、

 

「……それなら、行きたい」

 

 今度こそ、色のいい返事を猫娘から得ることが出来た。

 JK妖狐は勝ち誇った顔で、狐娘の方を向く。

 

「ほら、猫娘もこう言ってるし」

「……まあ、しょうがないの。それに、味が違えばもしかしたらいけるやもしれんしな」

 

 今日の主役の言うことには逆らえず、狐娘は苦笑するしかなかった。

 意気揚々と歩いていく妖狐と猫娘の、数歩後を狐娘は歩く。

 

「猫娘ってさ、どこ出身? 好物は? ってかスタイルいいよね、何やってるの?」

「やめるのじゃ馬鹿狐」

「痛い! 狐はそっちもでしょ!?」

 

 まるでナンパ男のように質問を繰り出す妖狐に、たまに狐娘が制裁を下す。緩い空気に、段々と猫娘の表情筋も解れてきているようだった。

 

 確かな収穫、不確かな未来。JK妖狐はこれからどれほどの妖を巻き込んで、救い上げて生きていくのだろうか。

 

 

 

 

 一つ、訂正することがある。狐娘はラーメンが特段好きというわけではない。が、JK妖狐と食べるラーメンは特別美味しい気がして、実は結構楽しみにはしているのだ。JK妖狐には絶対、未来永劫、そのことを伝える気はないのだが。

 




ラーメンが主題の一つなのでセーフ

……麺類妖娘は?


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