クロエに恋愛の愚痴をこぼすだけのお話 (skaira)
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日常①
高校。
それは、恋愛戦争である。
やれ昨今は学生の本分は勉学だとか、オンライン授業だとか訳のわからない事ばかりを囃し立てる輩も多いのだが、それはさておき。
世の高校生の多くは、恋愛をするために高校に来ていると言っても過言ではない。
それが彼女、彼氏持ちだろうがお持ちでなかろうがそんなことも関係ない。
恋人と逢瀬することも恋愛であり、好きな子に思いを寄せる瞬間を味わうだけでも、またそれは恋愛であるのだから。
……とは言ったものの。
好きな子がいなければその前提すらも破綻してしまう訳で。
「……えっ。士条先輩彼氏いたの」
「そ。つってもこの前だけどね。他校のナヨってる高校生らしいよ」
「どいつもこいつもイチャイチャしやがって……」
とまあ、こんな具合に前の席の女──黒江花子に愚痴ることが日常でもあって。
「え? いやうちモテるし。アンタと一緒じゃないんで。仲間意識とか持たんでくれる?」
「……えっなに。お前も彼氏いんの?」
「いやいないけど。いないけどね? いないけど、まあ選び放題ってワケ」
「へ、へぇ。物好きな男も大勢いたもんだな」
強がってみる。内心悔しい。
いや、黒江がモテるとか初耳なんだけど。
こうして毒を吐いたりもしてみるけど、モテテクとか教えて欲しかったりする。
「あ? 誰が物好きだって?」
「いやだって、俺告られたこととか一回も無いし……」
「……え。じゃあ彼女できたこともない系?」
「ねえよ。てか二年も付き合ってんのに知らなかったんだなオイ」
「いやアンタのプライベートとか興味ナシなんで……」
心に刺さることを言われつつ、目の前で重そうなため息をつく女を苦々しく見つめた。
物好きとは言ったけど、コイツのことを好きになる理由は案外簡単に見つかる。
ちょっとパンキッシュなサイドテールをかわいいとか思っちゃったことがある。
言われてみれば美少女と認めざるを得ない気もする。
けど、モテると本人の口から聞くのはやはり少し堪える。
ちょうど、いとこが彼氏を自慢してきたときと同じだ。
なんか……手塩にかけて育てた自慢の娘が結婚したような。いや同い年だけど。
しかし口は悪いし性格は怖いし目つきも鋭いし──悪い点も多々あるんだが。
「……アンタ今失礼なこと考えてない?」
「ひゃっ!? い、いや、何も?」
「……え、何その反応。キモ」
コイツに愚痴ることはもう無い。今決めた。
「ま、まあ俺だってお前以外にも女友達いるし?」
「いやいるでしょ、何そのマウント。……ちなみに、誰? その女友達。うちの知り合い?」
「……なんか圧が強くないすか? 黒江さん」
嘘である。
最近女子と話したのはコイツを除けばいとこくらいのものだが、ついつい強がってしまった。
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
こうして無様極まる嘘がバレそうになっても、神様は助けてくれないらしい。
……いや、その前に。そもそもいるでしょとか言うのなら放っておいて欲しかったんだけど。
「ちえる。……いとこの」
「いとこを女友達って……いや。ちょい待ち。チエル?」
「え、知ってんの?」
「いや、知んないけど……なんか、その名前が無性に腹立つってか……。自分のこと可愛いと思ってて、先輩の男に媚びを売りつつも空回りして結局相手にされずに悔しがってる一つ年下の女って印象がパナいってか……」
「数年来の悪友だったのか?」
いとこ──風間ちえるのことだ。
ちょうど彼氏ができたと自慢してきた時、今と全く同じエピソードがちえるの口から出てきたのがまだ記憶に新しい。
唯一違うのは、〝空回り〟ではなく〝先輩がちえるの魅力に惑わされてるってカンジ?〟だったこと。
まあ空回りだったのは話を聞いて何となく理解したから、何も言わなかったんだけど。
そういえば、「一緒に遊園地に行ったし、これもう付き合ってんじゃね? ちえるの勝ちじゃね?」とか言ってたからこっちの面でも空回りしている可能性が高い……ような、気がする。
「……まあ、とにかく。ロクな女が傍にいないねアンタ」
「それ、黒江もか?」
「はぁ? 何寝ぼけてんだオイ。目玉ひん剥いてよく見ろ! こんな〝天使〟が悪女のワケねえだろゴラァ!」
「本物の天使が聞いたらびっくりする言葉遣いだな……」
ふと、黒江の怒声を聞いてクラスの中を見回した。
もう外は夕暮れを過ぎていて、部活が終わった生徒が校舎から出ていくのが見える。クラスにはもう、俺と黒江しかいない。
我が校──私立王林道高校にはいわゆるお嬢様だとか坊ちゃんだとかそういった類の生徒が多い。
駐車場にはリムジンが多数停まっていた。
それを見て黒江が怠そうに言った。
「……そういや、アンタって金持ちだっけ?」
「なわけねえだろ。金持ちだったらお前とファミレスなんて行ってねえわ」
「ま、確かにそうさね」
「…………黒江ってさ、家──」
「あーいや、みなまで言わんでいい。うち貧乏よ。だからバイトしてるし」
「……んじゃ、今日も帰るか! 黒江の弟達の話聞きながらゆっくり帰途につくわ」
「えなに。ちょい待ち。うちガン無視? 今完全にシリアスになる流れじゃなかった? ちょっと期待しちゃったうちの純情どう落とし前つけてくれんのよ」
「お前に純情なんてあったんだな」
「こう見えても立派な乙女だっつの! いやその前に話逸らすなし。はぁ……」
時計はもう夜の六時を指していて、そろそろ用務員が見回りにくる時間だ。
手早く帰りの支度を済ませ、誰もいない校門をくぐり抜ける。
月が出ていた。もう夜の始まりだ。
「夜っていいよね。わからん?」
「……お前それ何回目?」
「何回も言っていいっしょ。いや好きなんだよね。夜」
「……別に他の男に言うならいいんだけどさぁ」
夜──風間夜。俺の名前だ。
両親から貰ったありがたい名前とは言え、小中高とこの名前で自己紹介するのは恥ずかしいものだった。
先生からも随分と数奇な目で見られたもんだ。逆に慣れたまである。世界一慣れたくない慣れだったが。
……だったが、まあ高校に入ってコイツに出会って、少しこの名前に感謝した。
もっとも、夜が好き、なんて厨二病かと思われそうなもんだけど。コイツは案外そういったものに腐心しないらしい。
「……いや。アンタ以外の男と一緒に帰るとか無いから」
「え、なんで? お前モテるんじゃねえの?」
「……まあ。ね? 弟のこととか、うちの事情とかね。そういうこと」
「いや何も伝わってこないが……」
「何アンタ。もしかして照れてんの? 男でそのキャラ売りはキツいっしょ」
「キャラ売りじゃねえから! 誰だって照れるわバカ!」
「……へぇ。意外と可愛いとこあんだ。さすが彼女いない歴イコール年齢の男は一味違うわ」
「余計なお世話にも程があんだろ……」
別に女子に下世話なことを言われるのが嫌な訳じゃないが、ちえるといい黒江といい当たりの強い女が周囲に多いのも考えものだ。
「そういやアンタさ。今週の土曜空いてる? ちょうどバイト無いんだよね」
「……あー、土曜か」
「何、用事? いや無理せんでいいよ。大したことじゃないから」
「ちえるにカフェで愚痴を聞けって言われてんだよな。なんか最近彼氏が会ってくんないらしくて」
「…………前言撤回。絶対にうち優先」
「……まあ、それは別にいいけども」
「え。いいの? 逆に肩透かし食らったんだけど」
「いやね。俺が行かなかったら多分、ちえるのユニっとしてる先輩が付き合わされるから」
「……何その表現。アンタ文芸部だったっけ?」
「いやそうとしか言えないんだよな……」
「ふーん……。ま、いいんだけど。んじゃ土曜、朝九時。ハチ公前で」
「りょーかい。遅れたら悪いな」
アンタ遅れたことないでしょ、と言って黒江が帰っていく。
ちょうどここからは分かれ道だ。
家の距離も近いことから俺たちは自然と仲良くなった。
うちの高校が金持ち学校ってだけあって、アイツの素行や態度は不良扱いされやすい。いや別に素行不良って訳じゃないんだけど。箱入り娘達にはどうにも不良に映ってしまうらしい。
……まあ、そんな訳だから箱入り坊ちゃん達もアイツを腫れ物扱いしてるもんだと思ってたんだけど。男ってのは顔の可愛い女の子に正直なもんだってことがよくわかった。
あんまり黒江と関わったから男子に悪く見られる、とかそんなのを意識したことはないが。
どうにも明日からはそうも言ってられないらしい。そういえば最近男子たちから冷たい扱いを受けてるのも何となくわかってきた。
「明日、少し憂鬱だな……」
とまあ呟いてもみたけど、よくよく考えれば明日も黒江と会って話せるんだから、実はそうでもなかった。
こんな感じで続いていくかも。
続かないかも。
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日常②
土曜日。
朝七時起床、七時半朝食。ちょうどこのあたりでいつも黒江からメッセージが入る。
今日も来た。
『起きてる? いや起きてないと困ンだけど』
『七時起き。多分お前より健康的な生活だぞ』
『うち弟たちの弁当作んなきゃいけないし五時起きなんだよね。すまんな』
『なんのマウントだよ……』
とまあ、だいたい数行で毎日終わってしまうやり取り。
しかし数行とはいえ、意外とこのフランクな掛け合いが楽しかったりもするのだ。
手早く支度を終えて、八時には出発する。
実際黒江も黒江で時間に厳しいタイプだから、大抵ハチ公前に着く前に道でばったり出会ったりするのがいつものパターンだ。
逆に俺が一度、九時ちょうどにハチ公前に着いて──つまりは黒江に行き道で出会わずに着いて、一日不機嫌な黒江に付き合わされたことがあった。
いや、俺何も悪くないと思うんだけどね。
まあこんな愚痴をこぼしても始まらないので、今日は怒らせないように家を出る。
思惑通り、家を出て数分後にばったりと会った。
「んー。おはよ」
「なんか眠そうだな」
「まあね。夜は弟たち寝かせなきゃだし、朝も弁当で早起きだし。なんつーか、慢性的な睡眠不足? 的な。慣れたけど」
「……あんまそういうの慣れない方がいいと思うんだけどなあ」
「いや、そりゃ百も承知だっての。そうも言ってられんからこうなってんのよ」
「あー……部外者が悪かったな。んじゃ行こうぜ」
「へーい」
軽口を叩きあいつつ、街へ出る。
俺は至って普通の格好だが、というか王林道高校がそういう気品を育てるような校風だからそれに従ってるだけなんだが、黒江はあまりそういうのに囚われない性格な訳で。
端的に言うと、コイツは割と派手な格好をすることが多い。
本人曰く〝いや、かっこいいじゃん〟らしいが、ヘソ出しファッションを決めてくるような女が金持ち学校に在籍してるってのが笑えてくる。
「……アンタ、女の子とデートしてんだから服の一つでも褒められんもんかな? いや毎回言ってンだけどさ」
「ヘソ出しファッション?」
「いや。あのさ。うちのコーデを毎回その一言で終わらせんのヤメロし。いろいろ気使ってんだからね? 髪型とか上着とかもさ」
「けどそこが強烈だしなあ」
「……あーうん。そっか。女とデート経験の無いアンタに期待したうちが間違ってたってワケね。わかるよ」
「急にキツい嫌味を心に刺してくんのやめてくんないすかね?」
お前とのデートなら何回もあんだろ、と言いそうになったが、「え。何彼氏みたいなこと言ってんの。キモ」とか言われるのが請け合いなので伏せておく。
彼氏と言えば、数日前黒江がモテると知ってから少し周りを見るようになった。
どうやら黒江の言っていたことは誇張でも何でもないらしく、普通に俺は男子たちから嫌がらせを受けていた。
金持ちってのはどうも、子供の頃から何でも思い通りにして成長してきたもんだからタチが悪い。女一人を思い通りにできんからと言って俺に八つ当たりするのはやめて欲しい。
確かに俺にとっての女友達は黒江しかいないけども、黒江にとっての男友達は多分大勢いるんだろ。ファッション奇抜だし。モテるらしいし。あと、モテるらしいし。
まあ中の下階級の人間がイジメやすいのはわかるんだけどね。
「……そういや、アンタって割とぼっちだよね。恋人も友達も作るの下手か?」
「はっ!? ぼっちじゃないが!?」
ぼっちである。
いつも黒江といるのも、黒江以外に友人がいないからである。
しかしだ。そもそも、この金持ち学校に学業の成績だけで入った俺が上流階級の坊ちゃん達に取り入るのがまず無理な話だ。
もっとも、黒江は割と学校のお嬢様達にチヤホヤされてるもんだが。どこで差がついたのか。やはり顔とスタイルか。どこの世でも外見がものを言うのか。
「けど確かに、黒江は可愛いよな……」
「……は? え、なんそれ。ウケる。友達から一歩踏み出したい的な?」
「あ、いや。他意は無い。絶対に無い。無い。無いけど、客観的にな」
「……そこまで頭ごなしに否定せんでも良くね?」
「肯定すれば良かったのか?」
「……いや。アンタに〝乙女心〟ってのをわかって欲しかったうちが間違いだったわ。わかるよ。本日二度目」
「へいへいさーせんした……」
常日頃から、「うち、乙女って感じじゃないしさ? どちらかっつーと、姉御的な。イヤ自分で言うんも恥ずいんだけどね」みたいなことを言ってるくせに、いざ俺が何かを言うと〝乙女心〟なんて抽象的なもんを話題に出してくるから困ってしまう。
「そういや、今日なんの用事?」
「え。用事無きゃ呼び出しちゃダメなん?」
「いやダメってことは無いけどさ……けどお前、出かける時は出かける理由作るタイプだろ」
「おぅ、よくわかってんね。いやその通りだわ。付き合い長いだけあんね」
「まあ唯一の友達だからな」
「……うわ。やっぱぼっちじゃん。完全に言質取れたわ」
「ぼっちじゃないが!?」
「いやいいて。そのコントさっきやったっしょ」
「……お前って、友達がぼっちでどう思うの?」
「え何。それ本気で言ってる?」
「いやまあ、割と本気だけど。お前って割と友達いんじゃん? どちらかっつーとファンに近いかもしんないけど」
「……え? えっと? いやゴメンわかんない。まさかとは思うから聞き返すけど、アンタが言いたいのはアンタがぼっちだからうちがアンタ嫌いになるんじゃねってこと?」
「端的に言うとそうなんのかな」
そっか、と一息置いて黒江がしゃがみこんだ。
ちょっとまずかったかな、と自分でも反省する。人の自虐はあまり聞いてて気持ちの良いものではないから。
確かにコイツ口は悪いけど、人の悪口とか言わないし。
逆に人の悪口言ったらそれにキレるくらい良い奴だし。
そういえば、黒江のことを注視するようになった数日前。あれの次の日、黒江が告白されている場面を目撃した。
いや別に黒江が誰と付き合おうと良いんだけどね。俺が口出すことじゃないし。けどまあ、少し気になるくらいなら許されてもいいと思う訳で。
ちょっと覗き見した。
相手の男子はまあ金持ち坊ちゃんの典型的な例で、容姿端麗学業優秀、 ついでに嫌な金持ちの高圧的な態度まで付け加えたハッピーセット。
ぶっちゃけて言うと振られるのは目に見えていた。
で、俺の予想通り振られちゃったんだけど。そいつは捨て台詞を残していって、何て言ったかっていうと。
──あの風間って奴とつるむより絶対〜みたいなことを云々と吐いていった。その先からは共感性羞恥に耐えられなくて聞いていない。
それはさておき、その日も黒江とは一緒に帰った。
けれど、今まで見たことない黒江花子がそこにはいた。
終始ツンケンしていて苛立っていながらも、俺には努めて優しくしようと振る舞っているという。
昼間に言われたことをずっと引き摺っていたのだろう。
そこで俺は、案外コイツの中で俺は割と大事な存在なのかな、なんて思ったのだ。
という自惚れかもしれん過去話はさておき。
今は怒り心頭(のよう)に見える黒江にどう謝るか、である。
……だったのだが。黒江から出てきたのは怒りでも何でもなく、ついぞ俺が見たことが無いほどの穏やかな口調だった。
「うち、アンタを良い奴だと思うよ。うちがバイトで忙しい時、弟たちの世話してくれるし。なんなら母親アンタがうちの彼氏だと思ってるし。いやゴメンね。母さん病弱だから、そっちの方が安心してくれンのよ」
「……ちょま、慰めモード? 俺そんな悲壮に見えんの?」
「あーうっさい。今いいとこなのに。続けるよ? ……んで。うち、友達って無理に作るもんじゃないと思うんよね。正直アンタがずっと傍にいてくれれば? 一生、みたいな」
「……え、告白?」
「は? いやそれは自惚れっしょ」
「あ、はいサーセン……乙女心わかってませんでした……」
別に友達から一歩踏み出したい、なんてことは思ってないけど、黒江は割と言葉のスキンシップが激しい。
俺はまだ二年も付き合ってるから何とかなるんだけど、多分普通の初対面の男がこんなもん言われたら自分のこと好きなのかと思うのも当然だろう。
俺も思っちゃったし。違うのね。いやいいんだけど。
「……まあ、ありがとな。よくよく考えれば俺もお前がいれば十分だったわ」
「ん。それなら良いんだけどね。じゃ、次からネガるの禁止。マジで。うちも嫌んなるから」
「それは留意しとく。ありがとな」
へーいと気怠げな声を出し、いつもの調子に黒江は戻った。
まだ時刻は10時にもなっていない。
1時間にも満たない会話だったけど、それ以上に大切なものを得られた。
黒江には割と信頼されてるってことと、黒江の母親に彼氏だと思われてるってこと。次黒江家に行った時どうすりゃいいんだろな。
まあその辺は黒江に任せるとして。
「で、今日呼んだ理由は何よ」
「……ああ、そうだったわ。アンタの顔が見たかったから。アレだったらウチくる?」
「いやかわいいかよ。お前もキャラ売りかよ」
「……聞こえんかった。もっかい言って?」
「キャラ売りかよ!!」
「普通そっちじゃないっしょ!!」
なんて軽口を叩き合いつつ。
黒江の家に向かうことになった。今日は一日暇だったので時間が潰せるところに行けるのはありがたい。
黒江の弟達に会うのも久々だ。久々といっても一ヶ月くらいか。黒江とは毎日一緒にいるせいかその辺の感覚がバグってくる。
そういえば、黒江の母親のことはどうしよう。
「……黒江さん、母君はいらっしゃるんですか?」
「んあー……。まあなるようになるっしょ。頑張ろ」
「テキトーかよ……」
とまあ、そんなこんなで。
黒江の家に向かうことになったとさ。
ネタが続く限り書きます〜。更新止まったらそういうことなんだなって思ってくれると幸いでございます。
では、見て頂きありがとうございました。
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日常③
黒江家。
河川敷を下に構えるマンションの一室で、黒江と弟たちと母親の五人暮らしの家だ。お世辞にも裕福とは言えず、黒江も日々バイトしながら学費を稼いでいる。
そこに行くことになった。
「あれっ。母さん出かけてるわ」
「え、出歩いても大丈夫なのか?」
「最近は安定してるし。心配せんでもいいよ」
「なら良いんだけど。弟たちは?」
「今日は部活。……あ、そういえば大会とか言ってたわ。母さん見に行ってんのかも」
「……んじゃ、二人か」
「…………」
えぇ……。
急に気まずくなったんだが。
閑散とした部屋の中は、3人の弟たちが元気に過ごしていたことがよくわかる荒れ様だった。それだけに、彼ら全員がいないとなるとなかなかに寂しい風景となっている。
とりあえずゲーム──とはいかない。黒江家にそんなものは無いからだ。実際に黒江も黒江で、周りの友人達と比べて色々なものを持っていない弟たちのために苦心しているようだった。
「……あー。ちょいミスったかもね。今からでも街出る? アンタとこういうビミョーな空気になんのヤだわ」
そうするのが一番の選択なんだろう、なんてことはわかるけども。
ここで退くことは即ち、〝黒江家に行くことは魅力が無い〟ってのを黒江に暗に伝えてしまうことになる訳で。いやそんなことは全く無いんだけど。弟たちと遊ぶの楽しいし。
──あ。
「昼飯作らん? ちょっと腹減ってきたわ」
「はっ?」
「あーでも、お前弟たちの弁当作ったんだっけ……」
「いやストップ、ちょいまち。それいいじゃん。やろうよ」
「え、マジ?」
割とダメ元の提案だったんだが。
黒江が毎日弟の弁当を作ってるってのは知ってたから、むしろ懸念要素の方が大きい提案でもあったんだが。
思いの外功を奏した。
「……いや、なんでアンタが驚いてんの」
「すんなり通ったなあって……」
「や、アンタの料理の腕が見たいってのは正直あんだよね」
「……ほーう。上から目線だこと。その鼻へし折ってやんよ」
「毎日弁当作ってる人間にそれ言う? 百年早いっての」
自信たっぷりだこと。オホホ。
自炊は割とする方だ。
親が頻繁に家を空けがちだというのと──ちえるがウダウダ言ってる時にもよく飯を作ってやるから、料理の腕はそこそこある。
「で、何作るよ?」
「弟たちにもいっっぱい食わせてやりたいし……カレーとか?」
「……割と時間食うぞ?」
「まあ昼まで一時間半あるし。なんとかなるっしょ」
「んじゃ、やるか。材料は?」
「たんまりある。あんま買い物行く時間とか取れんし」
よしっ、と黒江が一呼吸入れて、ともに台所へ向かう。
すぐそばに黒江のエプロンが畳まれて置いてあった。
「……なんだそれ。ドラゴン?」
「ああ、エプロン? なんかね、弟が学校で手作りしたらしくて。うちにプレゼントしてくれたのよ。かっこよくね?」
「なるほどなー……うん、すげえかっこいいよ」
エプロンも────そういう黒江も。
なんて、口に出すとすぐ調子に乗るから言ってやらんが。
だけど、所々にほつれや縫い直しの跡が目立つあたり何年も使ってるのがすぐわかる。
「大事に使ってんだな」
「そりゃまあ。大事な弟がくれたもんだし」
そうか、と一息ついて俺もスペアのエプロンを巻く。
麗しき姉弟愛、とかいろいろとかける言葉は思いついたけど。それを言うのは野暮ってもんだろう。
言われなくても黒江は弟思いの良い姉だし、俺のような部外者が勝手にその絆を語っていいもんじゃない。
「冷蔵庫開けるぞー」
「お好きに〜。……つくづく気が回んねぇ」
「……? なんか言ったか?」
「いんや。ジャガとか人参とかテキトーに頼むわ」
「へーい」
ジャガイモ、人参、玉ねぎ、肉にカレールウ。
カレーのテンプレだけど、テンプレは万人受けするからテンプレなのだ。
……にしても、想像していた通りでもあったがキッチンが割と狭い。
黒江一人が毎日調理する分には問題ない大きさなんだろうけど、二人キッチンに立つとなると──。
「……ちょー。さっきから身体くっつけすぎじゃね?」
「思ってて口に出さなかったんだから言うなよ……」
──こうなる訳で。
エプロンをつけているといっても、側面はいつもと変わらない。
いつもと変わらないということは、隣にいるのは半袖短パンの黒江ということで。
「アンタの肌がうちの腕に当たってんだけど。なんとかならんの?」
「だから言うなって! ならん!!」
「……あのさ。そんなに意識されるとうちまで照れンだけど」
「はぁ? 意識? それこそ自意識過剰ってやつだな」
「……へぇ。生意気言うようになったじゃん。じゃも少しくっつけるわ。こっち狭いし」
……いや、こっちは割と限界なんですけども。
俺が生意気言ったのが悪かったんですかね。けど否定しない訳にもいかなくない? 意識ってつまりは告白じゃん。そんな気無いし。
不本意ながら大分不格好になってしまった人参の切れ様を見て、さっきまでの自信に溢れ啖呵を切っていた自分を殴りたくなる。
でも、ここでじゃあ役割分担してやろうとは提案できない。それは黒江の肌が密着して照れてるってのを打ち明けることと同じだからだ。
黒江もそれをわかっているようで、断固として退こうとはしない。
微妙な空気が流れていた。
同じ微妙でも、さっきまでの気まずいものとは雲泥の差がある。
「……ほい。とりあえずジャガイモ終わりー」
「俺も人参と玉ねぎ切り終わったぞ」
「さすがに下手じゃね? 五年前のうちでもそれよりクオリティ高めなんだけど」
「はーん。お前のそれも十年前の俺の方が上手く切れてんぞ」
「…………」
「…………」
うん……。
いつものように(割と無理して)軽口を叩きあったが、ふと気付いてみれば実はお互いが隣にいて。
当然、至近距離で目が合った。
「…………」
「…………」
「……なんか喋らん?」
「お顔が綺麗ですね……とか」
「……いや。今一番言っちゃダメっしょ……」
男女7秒目が合えば云々とか言うよね。
いや、俺と黒江はそういう関係ではないけども。そんな気もないけども。だけど、コイツの顔がいいのは事実だし。恋愛感情を抜きにしても意識するなと言われるのが無理な話であって。
「……とりあえず、鍋にいれません?」
「そうしよか……」
ボトボトと具材が鍋に積まれていく音を聞きながら、心臓を何とか落ち着かせる。
月曜からどんな顔してコイツに会えばいいのか皆目見当がつかん。
で、料理が終わったし次は洗い物、と言いたいところだけども。今さら二人で洗い物をする訳にもいかず、かと言って一人にやらせてもう一人を休ませるなんてのも却下。
「……洗い物はカレー食ってからね」
「そうだな……」
そんなわけで、暗黙の了解と言わんばかりに意見はまとまった。
黒江も俺もどっぷりと疲れてしまい、倒れるようにソファに沈み込む。
ソファは弟たちが3人座れるように大きなつくりになっているようで、また俺たちが密着するようなことはない。
それでも一応、保険をかける。
「……え。なんでそんな離れて座んの」
「さっきみたいになりたいか?」
「……や、たしかにそうだわ。それが正解かも」
「んで。今から何するよ」
「んー……。うち少し寝ていい? 言ったかもしれんけど睡眠不足でさ」
「あー、確かに。じゃ静かにしとくわ」
「ありがたみ~……」
……え。
数秒経たずに寝やがった。
ほんとに疲れてたんだろう。隈とかは化粧でごまかしてたけど、若干猫背になっていた体を見るに疲労が相当なもんだってことは伝わってきた。
もしこれであの時街に出ていたら──と考えると恐ろしいな。
黒江が起きないように注意して、ソファから立ち上がる。
台所には大量に食器が積まれていた。きっと朝食の分だ。どうせ洗い物も黒江が後で全部やるつもりだったんだろう。
コイツ、自分が有利になる不公平は絶対受け入れないくせに、自分がしょいこむことは厭わないタイプだから。
で、自分がどれだけ疲れてようと家族のために骨身を惜しまず働いて──多分どっかで倒れんだろう。
そうならないようにするのが友人の役目だと思うんですよね。
でも、食器棚とか収納方法とかはわかるけど、如何せん勝手にこういうのに触ったら顰蹙を買うかもしれんな。
まあその時は土下座でもして謝るしかないよね。
てことで、洗い物やりますか。ちっさいことでも助けんのが友達ってもんだし。
〇
「疲れたな……」
カレーができあがっちゃったよ。
さすがに五人分の洗い物をするのは、当たり前だけど家の俺とちえるの分をやるより骨が折れた。
いや、ていうか黒江さん。毎日これやって食事も弁当も作って勉強もしてバイトもしてんのかよ。
そりゃ疲労も溜まるってもんだ。寝る時間を削るくらいしなきゃこいつらの両立とか不可能だ。
相変わらず黒江は、起きる気配を僅かにも見せずゆっくりと寝息を立てていた。頼むからずっとそうしててほしい。俺が半分くらい担いでも絶対バチは当たらんと思う。
カレーもできあがったんだし起こそうかとも思ったけど。多分これはそっとしてた方がいいんだろう。
というか、なんなら俺も眠くなってきた。人様の家で寝るとか絶対にしないけどね。
けどまあ、少しソファに座るくらいなら──。
リアルの事情で更新ちょっと遅れます。
多分8月25日くらいまでには投稿できるかと思います。
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日常④
目が覚めると、夜になっていた。
膝にはタオルケット。で、何でか知んないけど隣にはうちと同じようにスヤスヤ寝てる男、風間夜。
アホ面。
……夜も寝ちゃったんね。まあ寝てる人見てたら眠くなるのはわかる。
うちが何かされた形跡は──ナシ。いや、コイツだし当たり前かも。いくら家族ぐるみで仲良いとはいえ……みたいなことは心配しなくていいらしい。
それでも、こうして一緒に寝るなんて経験は初めて。
いつもは小さい机と椅子を挟んだ、距離60センチの関係だけど。今は1センチにも、1ミリにも、それ以上短くすることもできる。
「……ま、んなバカはやらかさんけどね」
この関係をずっと続けていたいから。
人間関係なんて、本当にひょんなことから切れてしまう。そんな両親を見て、うちは育ってきた。
「よ──風間、起きろ。もう暗くなってんよ」
「ん……? あ。え? 夜?」
事態がのみ込めていない様子で、風間が煮え切らない返事をする。
やっぱアホ面。
寝顔もアホだし、起きた顔もアホだし、弟たちと遊んでるときも、授業中に後ろから話しかけてくるときも。
全部が全部アホだ。
だからきっと、うちは安心してる。
「外見りゃわかんでしょ。何時か知らんけど」
「や、悪い。すぐ帰るわ。……って母さんは?」
「多分寝てんじゃない? 母さん、9時には寝るし」
「……ってことは今9時回ってんじゃね?」
「……え、そんなことある? うちら寝たの昼よ?」
急いでスマホを確認する。
時刻は──は?
「……黒江ちゃんク〜イズ。今何時でしょう?」
「……なにそのほんわかしたの。かわいいキャラの夢まだ諦めてなかったのか?」
「元からそんな夢抱いてねえっつの! いいから答えろ!」
「こわ……。えっと、じゃあ9時で」
「ぶぶ〜。おしい」
「……お前のバイトってメイド喫茶だっけ?」
「や、ごめん……。今のはうちも大分キモかったわ……」
「メイド喫茶って給料いいの?」
「えそのネタ続く系? いや知らんけども。働いたことないし」
「まあ黒江が一般客に萌え要素とか醸すのは無理だわな」
「……へぇ。言うじゃん。じゃあやったげようか? 萌え萌えキュンってやつ」
「新手のテロ概念産出は勘弁してくれ……」
「はい殺す。ぜってー殺す! てかクイズだし!」
「やっべ、素で忘れてた。じゃあ8時?」
「残念ながらそっちじゃなくてさ。……なんとね、2時だってさ。夜中の。午前の」
「……は? …………は?」
いやまあ、そうなるよね。
「ちょい、スマホ確認してみ。多分親から着信あんじゃね」
「……いや、無いわ。うちの親そういうとこ任せっきりだし」
「えマジ? それ親として──や、うちの出る幕じゃないんだけどさ」
「言いたいことはわかる。ただまあ文化の違いってやつだな」
「いろんな文化があんね……。じゃ今日泊まってく? どうせ明日日曜だし」
「え、いいの?」
「……まあ、アンタってもう家族みたいなもんだし。それに客人を深夜に帰した、なんて黒江家の名折れっしょ」
「……どしたの急に。告白?」
「なに、最近告白ネタハマってんの?」
「え。いや……。お前他の男にもそんなん言ってたらやべえからな……」
「いや言わんし。うちホントのことしか言わないし」
うち以外に友達はいない、休日はウチに来て弟たちと遊んでる、挙句の果てに親はうちらを恋人だなんて思ってる。
こりゃ一晩くらい泊めたところで差し支えはないんじゃね。いや無いっしょ。
問題は寝るスペース。
黒江家に部屋は三つ。食事室に、寝室が二つだ。
そのうち一つは弟たちとか母さんが寝る部屋になってて、もう一つはありがたいことにうちが使わせてもらってる。
というのも、必然的にうちは寝るのがいつも遅い。夜遅くまで明かりをつけられて作業できる部屋が必要だったってワケ。
で。弟たち3人に母さんが今まさに寝てる部屋でコイツを寝かせるわけにはいかない。
となるとうちの部屋で一緒に──あ。いや。違うわ。
「寝る部屋だけどさ。うちはこのソファ使うから、アンタはうちの部屋で寝ていいよ。毎日うちが使ってるベッドでごめんけど」
「え? いや。俺がソファ使うよ。黒江はいつものとこでいいから」
「……あー。そういやアンタもうちもそういうタイプだったね……」
日本人は譲りあいの精神こそが美徳なんだ、とか小学校のクソ教師に口酸っぱく言われたっけ。
こう、水掛け論になるってわかってんのに。単に時間のムダってか。
……けど、同時に相手の優しさも伝わってくるから、強く出ることもできないし。
「……さて、どうしますか」
「……あー」
「なに。なんか案があんなら言えば?」
「一応保険をかけておくぞ? これは双方納得かつ最善の意見だから」
「前置きはいいて。どうぞ」
「まず一つ目。ここで二人がソファと床で寝る。却下だがな」
「そうさね。うちの部屋使ってないし無益極まれりってカンジ」
「で、二つ目。黒江の部屋で俺らが寝る」
「いやわかってた。それしかないよね」
「で、俺が黒江の部屋の床で寝る。これは譲らんからな」
「……まあ。それはしゃーなしか」
黒江家の家訓──なんてものはないけど、うちが貧乏って知ってるくせにこうして楽しくもないウチに来て、いつも弟たちの世話をしてくれてる夜には正直頭が上がらない。
だから極力、うちができる限りのもてなしはしたいっていつも思ってた。
ここでもベッドを使ってもらいたい気持ちはぶっちゃけある。
けど。そんなことをするとコイツ帰るとか言い出しそうだし。
遠慮ばっかりで、優しいから。
「風呂、お先どうぞ」
「あ、了解。悪いな」
「パジャマだけどうちのジャージでいい? ちょいきついかもだけど」
「これで寝るつもり──だったけどさすがに無理か。ありがとな」
「はよ上がってね。うちも入りたいし。……あ、でもゆっくりあったまっていいから」
「なるべく早くあったまって上がるわ」
「へーい」
10分後に夜が風呂から上がってきて、うちも15分くらいでパパっとシャワーを浴びた。
いつも風呂に入るのは弟や母さんが寝てからだから、湯気も何もない寒い風呂場でシャワーを浴びることがほとんどだった。でも、それ以外の選択肢なんてないワケで。
こうして誰かが入った後の風呂に入るのなんて、何年ぶりだろ。あったかいな。
こんな些細なものにふと、〝家族〟ってものを感じたりする。
本当に家族だったら、うちの兄だったりしたら、なんて。
そんなことを時々思う。
「あ、布団自分で敷いたのね。布団の場所知ってたの」
「弟たちが昼寝するって言った時支度したことがあんだよな」
「弟たちってさ……ふふっ、アンタほんとにアイツらの兄貴みたいじゃん」
「……まあ。お前のさっき言った家族ってやつ、あながち間違ってないのかもな」
「だから言ったっしょ? うちホントのことしか言わないし」
昼から軽く10時間以上寝てるような気がするけど、それでもこんな深夜となると身体はどうしても疲れてる。
……いや、もしかしたらあんなに寝たのに、うちの疲れって取れてないんかな。
まあ明日も朝ごはん作らなきゃだし、はよ寝らんとね。
「電気消すよ、寝床入んな」
「はいよ。……おやすみ」
「んー。おやすみ」
「…………」
「…………」
「……寝られねえわ」
「うちも。ちょっとなんか話す?」
「近頃の高校生ってどんな話すんだろな。俺らいつも恋愛の話しかしてないし」
「アンタも高校生っしょ。なに達観ぶってんのさ。……じゃ、いつもに倣って好きな人の話とかする?」
「中学生の修学旅行かよ……。つか好きな人いねえっていつもお前に言ってんじゃん。早く欲しいんだけどな」
「別に好きになるのは簡単じゃね?」
「俺ずっと士条先輩に憧れてたんだよな。まあそう簡単に変えは見つからんて」
「あ、なに。アレ結局好きだったんだ?」
「好きと憧れがどう違うかは要議論ってとこだけどな。まあ告白されたら喜んでって感じ。それくらいの好き度かな」
「……あら。んじゃ残念だったね」
「んー……。別にそうでもないんだよな。憧れって失ってもそうダメージになんないってか」
「照れキャラの次はポエマーっすか」
「いや違うから! てか前提が違うから! ……てかそういう黒江はどうなのよ」
「うちも同じ。つか家のことが大変で誰が好きとか言ってらんないし」
「……ああ。部外者が失礼したな」
「別にいいて。アンタはウチの家族なんでしょ」
「そういえばそうでした。……んじゃま、今度こそおやすみ」
「いい夢見なよ。おやすみ」
いい夢見なよ、なんて。
普通の友達には言えんくらい恥ずいセリフだわ。
うちも好きな人なんていないし、誰が好きなんてそんな甘っちょろいコト言う余裕なんて本当に今のうちには無い。
今の生活ですら、夜に助けられて精一杯って感じだし。
もし夜がいなくなったら、なんて考えたくもないっつーか。
──あれ? じゃあ夜が誰かと付き合ったらうちどうすんだろ。
………………やめやめ、寝よ。
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授業①
王林道高校の校風として、〝優雅な気品〟と〝生きた外国語〟がある。
要は、高校卒業の時には高級ディナーでウェイターに気楽なオーダーができるようにしましょうね、ってことだ。
でも、そもそもこんな校風に縛られなくとも、金持ち共は親からその辺の立ち振る舞いを学んでいることが多い。後々は親の家業を継いだり、あとお偉いさんとこの息子さん娘さんと交流する機会もあるんだから当然といえば当然だ。
で、もちろん学校もそんなことは百も承知。
当初は一般学生をそういった人間に育てるための学校だったのかもしれないけど、今となってはただの金持ちが通る一つの道でしかない。
だから割と、学校が俺たち生徒を縛るようなことは無い。
あるとすれば。
「──はい。では、今日の英語の時間は男女一組で50分会話しましょう!」
……まさに、こういう手抜き感満載の授業くらいのもんだ。
王林道高校は基本男女一名ずつ均等にクラス分けされるから、ペアワークの時間はこんな感じに教師側が生徒に自由に男女ペアを組ませることが多い。
やたらと男女の組み合わせが好きなところも金持ち学校にありがちなヤツだ。巷で聞いた話では、ここで誰と組むかとかいうのも将来の戦略に関わってくるらしい。全くもってバカげた話だ。
でもだからこそ、教師の役割というのは無くなってしまう。
黒板の方を見ると、英語教師はもう既にそそくさとクラスを出ていった後だった。職務怠慢で訴えられそうなもんだけど、ここは私立校だからそこらへんの融通も利くらしい。
「この授業もう何回目だっつー話よね。いい加減ネタ無くなってきたわ」
前の席──黒江が俺に愚痴を垂れた。
「まあ、一年の頃からずっと同じペアで組んでる奴らがいるなんて学校側も考慮してないだろ」
「いやさ。別に不満はこれだけじゃないのよ。最初これって全部英語で会話するって感じだったじゃん? 今もう皆日本語バリバリだし。なんなら教師すら英語って言わなくなったし」
「……まあ、その辺は認めざるを得ないな」
「あ、それよりさ。……その、昨日はありがとね。ってかゴメンね。なんか風間に任せっきりの休日で……いやほんとゴメン」
「あー。あれくらいならな。俺料理好きだし」
昨日。日曜日の朝のことだ。
それまでいくら寝ていたとはいえ、2時寝の奴が朝早く起きて家族の朝食を作る、なんてのはさすがの黒江でも不可能だったらしい。
俺が起きたのは朝の6時だったが、黒江は横でまだ寝息を立てていた。多分疲れもまだ取れてなかったんだろう。
で。逆に俺は、急に寝る環境が変わったもんだから早く起きちまったって訳だ。寝起きはわりと最悪だった。
でもその状況下で、黒江は睡眠。家族は1時間後には恐らく朝食を食べに来る。
身体がきつかったのは間違いなかったけど、何とか鞭打って5人分の朝食を作った。
んで、弟たちと黒江の母親が朝食を食べるのを見届けて帰路に着いたってのが事の顛末。
「……つか、昨日散々謝られたじゃん。別に謝んなくて良かったんだけどさ。そう何回もネガられると、ほら、前言ってたヤツ」
「アンタもヤな気持ちになる?」
「そゆこと。まあ貸しを一つ作ったくらいに思っとけばいいんじゃね」
「……まあ、アンタがそう言うなら」
納得がいかない、と言いたげな様子で黒江は口を噤んだ。
多分自分ばっかりが俺にいろいろ世話焼かせて、逆に自分は何も与えられてない、みたいなことを思ってんだろう。
そんなことはないんだけど。
でも、コイツはその辺の義理が呆れるくらい堅いから。
「ま、そんじゃほんの気持ちばかりってことで」
「え?」
黒江がガサゴソと鞄の中を漁る。
中から出てきたのは黒い小包だった。
「……あ」
「あ?」
「今年のバレンタインって何だったっけ?」
「生チョコだったろ」
「あちゃー……。また生チョコ作っちゃったよ。いる?」
「くれるならありがたく貰うけども」
「ん。そんじゃあげる。昨日はありがとね」
「どういたしまして」
今年の2月と同じ包装。
手のひらサイズの黒い包に、多分生チョコが3つ入ってる。
確かあの時は、ちえるに1個食われて大喧嘩になった。
『え。去年までバレンタインとかご無沙汰だったくない? 毎年ちえるのあまぁ〜い市販のチョコ心待ちにしてたくない? 急に手作りとかB級映画もビックリな展開なんですけど。一個貰うね』
おい──とその手を制した時には既に遅く。
おそろしく速い手つき。俺でも見逃した。
でも、ちえるがしきりに美味しいって言うもんだから何か怒るに怒れなかったんだよな。
別に、俺が作ったもんじゃないんだけど。
「……え、なに。今食うの? いやまあ、別にいンだけど」
「いや今年の二月ね、かくかくしかじかの事がありまして」
「は? ……一応聞くけど、残りの2個はアンタが食ったんだよね?」
「あぁ、そりゃもちろん。美味かったよ」
「……まあ、ならいいんだけどさ」
ぶつくさと不平を垂れる黒江を横目に、生チョコを頬張った。
相変わらずのビターテイスト。まるでコイツの性格のよう。
でも、10年以上もちえるのクソ甘いチョコで慣らされた俺の口は、逆にこういう味の方が美味く感じるのだ。
「てか、授業中ってなんか食ってもいいの?」
「いいだろ。親交の一環でチョコ食ったって言えば授業の趣旨から外れてはない」
「……そういうの屁理屈って言うんじゃね?」
「こんな手抜き授業がまかり通ってる時点で理屈も何もありゃしないって」
「ま、確かにそうかも」
こんなダラっとした時間が流れて、一限が終わった。
建設的なものなんてどこにも無い、ただ流れていく時間を眺めるだけのような会話の数々。当然、お互い話すことが無くなって無言のまま過ごすこともある。
──それでも、なぜか黒江とはそういった時間を過ごすのが心地良い。
二限、数学。
「……風間、ちょい予習見せて。うち今日当てられる日だわ」
「家でやってこなかったのか?」
「ベクトル普通にわかんないんだよね。時間の許す限り頑張ったんだけど」
「あー……。んじゃ昼休み勉強会やるか」
「助かる〜」
三限、古文。
「……ここの現代語訳、どうすんだ?」
「家でやってこなかったの?」
「時間の許す限り頑張ったんだけどな……。俺文系向いてないのかも」
「確かにアンタ1年の頃から数学得意だったよね。なんで文系にしたの?」
「唯一の友達が文系だったからかな」
「そりゃご愁傷さま。昼休み勉強会ね」
「へーい……」
四限、日本史。
「小テスト、勝負ね」
「今って何勝何敗だっけ?」
「3勝2敗5分けでうちの勝ちじゃなかった?」
「たわけ。2勝2敗5分けだろうが」
「うわ覚えてんのかよ。きも。だったら聞くなし」
「いやお前もバッチリ覚えてんじゃねえか……」
「んで。いくつ?」
「……9点だけども。黒江は?」
「10点だけど?」
「はっ?」
目の前で小テストの答案用紙がヒラヒラと揺れ、その横に腹立たしいドヤ顔が見えた。普段仏頂面なだけに余計イラつく。
「昼休み、教えたげよっか? 9点さん」
「いやお前意外といい性格してんのな! この前の告白してきた金持ちくんもビックリだろうよ」
「え、見てたんかい。恥っず。……や。てかアンタが9とか珍しいじゃん。うちらずっと満点だったっしょ。最初以外」
「純粋な努力不足でサーセンね……」
「ありゃ……。じゃ次頑張んなよ? これからうちの出来レースなんて嫌だかんね」
「うわ。そこで気使われんの最高に屈辱なんだけど。なにそれ狙ってんの? 次は勝つからな」
「いやひねくれすぎでしょ……前も言ったけどうち〝天使〟だから。そこんとこお忘れなきよう、的な。……まあ、そんじゃ。楽しみにしとくよ。チャレンジャーくん」
〝天使〟の部分を相当に黒江は強調した。
日頃学校の女子たちに不良だとか言われてんのをそこそこ気にしてんだろう。
……まあ、言われてるのは間違いない。だからといってその女子たちが黒江を忌避してるかというと、それは違うんだけど。
それでもコイツは多分、人に優しいとか言われることは無いんだろう。じゃないと定期的にこう俺に優しいアピールをする訳がない。まあそれに関しては、荒い言葉遣いと鋭い目付きの黒江自身が悪いような気がするけど。
「……あー。その。なんだ。いつも昼休みいろいろ教えて貰ってサンキューな。そういうとこ優しいと思うし、黒江と付き合ってて良かったなって思う」
「……えなに急に。取り憑かれたの? この学校って霊地だっけ?」
────落ち着け、落ち着け。
別にこれはいつもの対応であって、俺の厚意を黒江が汲み取る必要はない。額に青筋が浮かんでも我慢しろ。コイツが無神経なことたまに言うのは今に始まったことじゃない。
「……なんて。アンタ意外といいとこあるよね。うち風間のそういうとこ好きだよ」
「はっ? ……え、取り憑かれたのか?」
「人のネタパクんないでくんない?」
「えぇ……」
ちょうどその時、ペアワークの時間が終わった。
黒江は前を向いて、俺も自分の席を正す。
この瞬間はいつも震える。いざ授業が始まると、黒江の雰囲気は思わず気圧されてしまうほどに重いからだ。授業の時間はその科目に集中できる数少ない勉強時間なのだから、当然と言えば当然かもしれないが。
昼休み。
黒江に一通り勉強を教えて貰って、逆に俺も数学をいくつか教えて、予鈴が鳴った。
黒江がトイレに行った際にスマホを取り出す。
『ちえるー。今日勉強しない?』
『え。いいけど何で?』
『持ちつ持たれつの関係ってのを続けてたいんだよな。このままじゃ置いてかれそうでさ』
『……は? 友達いなさすぎて具体的って言葉忘れちゃったの?』
『いやうるせえな! 友達いるし! てかどうなのよ』
『あー……。バレンタインの子ね。いいよ、由仁先輩も一緒でいい?』
『全然大丈夫、ありがとな』
とまあ、こんな風に勉強時間を確保して。
間違いなく黒江より勉強する余裕はあるんだから、差をつけるどころか差をつけられるなんてことがあったら黒江に合わせる顔がない。
多分黒江は、こういう面で俺と対等だから俺と仲良くしてる節もあると思う。
──なんて、こんなこと言ったら多分黒江は怒るんだろうけど。
それでも俺は、いつまでもあいつと一緒にいたいから。
誤字報告、感謝します。
今気がついたんですが、登場人物がアストルムをプレイしてるって設定忘れてましたね。まあ黒江さん多忙なんでやってないってことで〜。
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従姉妹と先輩①
今回の話は多分チエルのキャラエピ見て見た方がいいかも。
「ちぇるーん! いつもぼっちで灰色の学校生活を送ってる夜くんのために、なんと可憐な超絶美少女ちえるんは学校まで迎えに来てあげたのでした!」
「初っ端から死ぬほどうるせえ奴出てきた……」
「なんか言った?」
「いえなんでも。……てかお前年上に当たり強くない? 敬う気持ちとか無いの?」
「いやだっていとこだし。家族みたいなもんだし。なんならご飯いつも作ってくれるから……家政婦的な?」
「はい決めました。もう絶対飯作ってやんねえ」
「ちょ、ストーップ! 悪かったってば!」
生意気穀潰し外面だけ女──もとい、いとこである風間ちえる。
青春に理想を抱いて日々奔走しており、いとこのようなぞんざいに扱っても問題ない相手にはとことん当たりが強い。
「てか、いつも話してる夜の友達は? 一目見ておきたかったんだけど」
「黒江? アイツはもうバイトに行っちまったけど」
「……え、クロエ? あの子そんな名前なの?」
「黒江花子って名前だけど」
「んー……? なんかその子、同じ高校の先輩で同じ部活だったような気がするんだけど。由仁先輩も一緒で。気のせいかなぁ?」
「いや気のせいだろ。そもそも高校違うし。真行寺先輩も違うし」
「……ま、確かに。由仁先輩待たせてるしはよ行くよ」
「お前もう少しゆとりってやつをだな……」
とまあ、不平を言ったところでちえるが受け入れてくれるはずもなく。
腕を引きずられ、ちえる行きつけのカフェへと向かう。
道中何人か同じ高校の奴らと会って、微妙な顔をされながらすれ違い微妙な顔をしながらやり過ごした。どうもちえると俺が一緒にいることが気に入らないらしい。
アイツらとは別に友人でも何でもないから、会ったからといって話しかけられるようなことはないんだけど、それはそれとしてこれからも陰湿な嫌がらせは続いていくのだろう。
でも、腐っても金持ちで良識を持ちかつそっち方面に疎い坊ちゃん達だ。当然今までいじめなんて受けたことはないんだろう、俺が受ける嫌がらせも至極陳腐なものが多い。
例えば、シャーペンがいつの間にか無くなってたりとか。大事にならず、俺が先生に言うのも憚られるちっさいことだ。だからもう完全に慣れてしまった。
そういう意味では、この坊ちゃん達はある意味賢いと言えるのかもしれない。
「さっきのって夜の友達? 美形が多かったね」
「いや、別に。お前の嫌いなタイプだったろ」
「うん、ああいう男は嫌い。まあちえる女子校だからあんなのとは関わんないんだけど」
「……けど、この前合コンしたとか言ってなかったか?」
「あー……。美衣子先輩に頼まれてね。ま、あれは先輩に会えたし災い転じて福となすって感じかな?」
「彼氏のこと? 最近会ってくれないっていう」
「そうそれ! ってか、この前聞いたら付き合ってるなんて思わなかったって言ってて! ひどくね!? なんかこの学校にも女子トモいるらしいし!」
「ちょま、落ち着こう。……この学校?」
「あ、うん。風の噂だけどね? 確か、士条? とかなんとか」
「…………はぁぁ!?!」
──────さよなら、初恋。
じゃないが。俺のいとこの彼氏が、俺のいとこをキープしつつ俺が憧れてた人と二股してたってことなのか? 複雑な関係にも程があるだろ。
明日の黒江との会話のタネが一つ出来たと思えばラッキーではある。
「……あ、もしかして夜の好きな人だった?」
「……まあ、多分似たような感じ。今は違うけど」
「え、ちょい待ち。この前のバレンタインってその士条さんからじゃないよね? クロエちゃんからだよね?」
「そうだけど?」
「……で、もしかして夜そのクロエちゃんに士条先輩が〜とか言ってた?」
「一年の頃から割と毎日言ってたかな」
「……うわ。さすがに無いわ。引くわ。それは無いでしょ」
「はっ?」
「いや、別にいいよ。いずれ天誅が下るから」
少し不機嫌になったちえるに何も言えなくなり、それからはカフェまで無言で2人歩いた。
なんとなく怒ってる理由はわかる。確かに友達にしては黒江と俺の距離は近い。そういった女友達に好きな人どうこうの話をするのはちえる的にはタブーだと受け取ったんだろう。
でも、これに関してはちえるは全く関わりのない人間な訳で。自分の青春のことばかり追い求めてるようで、実はこういうお節介な面も垣間見えるあたりコイツの難儀な性格が窺える。
「あ、真行寺先輩。こんにちは」
「風間くん! 昨日以来だね」
「そうですね。今日は付き合わせちゃってすみません」
「いやいや。勉強だったら私も役に立てるかなって思って! 一宿一飯……じゃないけど一飯の恩があるから」
カフェ。
ちえるの行きつけにしては意外と言えるほどお洒落な雰囲気で、真行寺先輩の落ち着いた様子とよく調和している。
彼女と知り合ったのは昨日、俺が黒江家から帰った後だった。
家に帰って、まあちえるが当然のように居座ってたのはもう敢えてツッコまないとして、その横にちょこんと彼女も居座っていたのだ。
うちの親の了承を得ているならともかく、親の不在でかつちえるの持つ合鍵で2人は入ったようで、つまりは半ば不法侵入とも言える状態。俺と目を合わせると大分バツの悪い表情をしていた。
いやまあ、俺か俺の家族の同意も無しに他人を家に連れ込むちえるもどうかと思うけど。まあちえるがそういった安易な行動をしないとわかっていただけに、俺も真行寺先輩を信頼することができたわけなんだけどね。
で、そんなちえる達を横目に俺は晩飯を作らなきゃならん訳で。どうせちえるの分も作るんだし、せっかくだからと真行寺先輩の分も作ったという訳だ。
「すごい美味しかったよ、昨日の晩ごはん。いつから自炊してるの?」
「……あー。まあ10年前くらいですかね。うち親があんまり家にいないんで」
「あ、昨日もそういうことだったんだ……。いや、気分悪くしちゃったらごめんね」
「え、いや。全然良いってか、気分害する要素無いってか……」
──昨日から薄々感じてはいた。けど、周囲の女子があまりにアレなもんで幻覚みたいなもんだと思ってた。
でも、ここで確信に変わった。この先輩、人が良すぎる。
雰囲気もすごく落ちついてるし、醸すオーラも純正緑色って感じ。横のピンクと黄色に包まれた眩しすぎるヤツとは正反対だ。
正直に言うと、なんでちえると仲が良いのか理解できない。高校も違うってのに。
「……ちえる、お前真行寺先輩とどこで知り合ったの?」
「あ、ゲームだよ。アストルムってやつ。知らないの?」
「アストルム?」
「VRMMO。……そういやアンタってゲームに疎かったね」
「サーセンね……。要はアバターに人格を投影して仮想世界で遊ぶ、みたいな奴か」
「んー……。概ね正解。ま、そこで知り合ったってワケ」
最近は友人の形もいろいろと変化しているんだなあ、と思うなど。まあゲームには疎いからプレイはしないだろうけど。
第一今から高三──受験勉強が始まるってのにおちおちゲームなんてしてられない──あれ?
「あの、真行寺先輩。えっと、受験とか大丈夫なんですか? アストルムに時間取られて、みたいな」
「あー……はは。自慢することでもないんだけど、もう志望校の合格点は中学の頃に超えちゃったんだ。今は大学の勉強してて、息抜きにアストルムって感じ」
「…………は?」
思わず頓狂な声が出た。
本物の天才というのを目の前にして戦慄したのだ。
俺も中学の頃は周りに頭いいなどと持て囃されたものだ。それなりに勉学の才能を持ってる、なんて思ってた時期もあった。今でも才能が無いとは思ってない。
それでも、〝本物〟はレベルが違うことを今改めて認識した。
横からちえるがツンツンと脇腹を突く。
「……由仁先輩に勝負、とかやめとけよ? アンタ負けず嫌いなんだし負ける試合は最初からすんなって話」
「そんなに俺も馬鹿じゃねえってば……」
その時、何かを思い出したように真行寺先輩が口を開いた。
「そういえば風間くんって理系だったりする? 私文系だから、理科はあんまりわからなくて……」
「あ、いや大丈夫です。俺も文系ですから」
「あぁ良かった。なんで文系にしたの?」
「……友達が文系だったってのが一番大きな理由なんですが、まあ人文学とか好きなもんで」
「わかるよ!! 人文学は人類の叡智だよねぇ。対して理系の学者というのは頭は固いわもののあはれも全く解さないというか、あの柔軟性の無さには話していて辟易する。日本人ならもっとゆとりを持って人生を生きるべきだと思うのだよ。全くああいう奴らが日本古来の文化を消していくのだと思うと夜も眠────」
「…………ちょ、わかりました! ストップ!」
──今心なしか、真行寺先輩にいつもと違う人格を感じたのは気のせいだろうか。
トイレに行くと一言残して、少し熱の入ってしまった彼女をちえるに押し付け席を離れた。ちえるは大学に行かないようだから、こういった話は滅法興味ないのだろうけど。
しかし、こう落ち着いて店内を見回すと本当にお洒落な雰囲気だ。コーヒーの匂いと薄暗い照明が客に〝自分だけの空間〟というのを上手く味わわせている。多分学生が勉強しに来るようなとこじゃないんだろうけど、それはそれ。
裏を返せば勉強にうってつけの空間でもあるとも言えるから、最大限活用させてもらおう。
……ふと、黒江のことが頭によぎった。
黒江は多分、これを見ると〝カッコいいじゃん〟とか言うんだろう。相変わらずあのクソ悪い目つきで、口元だけ笑みを浮かべてて、低いトーンの言葉だけど声は妙に浮ついてて────。
アイツ今何してんだろうな。たしか服屋の店員とか言ってたっけ。ファッションセンスも抜群だしいいとこに勤めたもんだと思う。
高一の、まだ中学生気分を抜けられなかった俺にいろいろとブランドやコーディネートを教えてくれたのも黒江だった。
その次の日、俺が自分で服を見繕って黒江に見せに行くと、これもまた〝カッコいいじゃん〟っつって褒めてくれたのもアイツだったか。服を褒められるなんて初めてだったから、やたらと嬉しかった記憶がある。
────うわ。
なんか無性に、アイツに会いたいな。
ちょいとキャラ紹介のためだけの話みたいになっちゃいましたね。続きはできるだけ早く書きます。
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授業②
火曜日。
朝はあまり黒江と一緒に登校することは無い。単純に時間が合わない(割と黒江は遅刻ぎみ)ってのと、さすがにそこまでくっついてると恋人だとか噂されるのが目に見えてるからだ。それはお互いのためにならない。
けれど、のっぴきならない事情があった場合はまた別。
世の中ケースバイケースが全てなのだ。よしんば理系であったならこんな柔軟な発想はできない────いや。
……昨日の真行寺先輩の小言に随分と影響されてしまったようだ。
「なにその顔。隣で変に悩まれるとこっちも気ィ揉むんだけど。なんかあんなら言いなさいよ」
「呪詛祓いの秘法とかねえかなって……」
「……は? ……精神科じゃね?」
「いや真に受けんでいいよ。まあ、昨日一悶着あってだな」
「なに、ケンカでもしたの? 友達いないってのに?」
「お前ほんっっと一言余計じゃない?」
「……んで。何があったのよ」
「んー……。百聞は一見に如かねえんだよな。お前今日バイト?」
「や、今日は非番。明日からは3連勤で土曜が休み、日曜はある」
「ひっでースケジュール……。いやもし暇なら俺のいとこに会わないかって思ってさ」
「それってチエルって娘のコト?」
「あ、そうそう。それともう一人、真行寺先輩って人もいんだけど」
「名前は?」
「由仁。ちえると由仁先輩だな」
「ユニ……? その人うちの先輩じゃなかったっけ?」
「お前らのその深層意識での繋がりみたいなの何なの?」
とか言ってるうちに、学校に着いた。
幸い同級生には1人も会わなかった。まあ、アイツらは徒歩での登校とかしないだろうから元々杞憂だったのかもしれない。
ましてや時刻を黒江に合わせたもんだから遅刻ギリギリだ。まあこれに関しては俺が悪いんだけど。
土曜の夜に着たパジャマ──つまり、黒江が高校で使ってる体操服を月曜に返すのを完全に忘れていて、体育のある火曜に返すことにしてしまった俺が悪い。
体操服ってのは中学卒業したての奴らが高校3年間を見越して繕うから、サイズの大きいものが使われる。ましてや、黒江は身長にコンプレックスを持っている(154cm)もんだから少し人より大きめに作ったんだろう。俺がわりと小さいと感じる程度の大きさだった。
で、体操服を返す瞬間とか学校の誰にも見られたくない訳で。教師に知られたら何が起きるか知れたもんじゃない。てなわけで、遅刻覚悟で黒江の家にまず向かって、それを返してから学校に向かったという訳だ。
ちなみに、今日の体育は男子はサッカー、女子はバスケットだったはず。さすがにいくら男女カップルが好きなこの学校といえど、体育まで一緒にさせようなんて思考には至らないようで。
黒江はわりと三面六臂の活躍をしているらしい。
もっとも、運動神経がかなり良いのは知ってるからさして驚くようなことでもないが。そういうところも起因して、コイツは女子たちから黄色い声援を貰ってるんだろう。
俺はいつもの如くハブられてるから、たまに黒江の活躍してる様子を見に行ったりする。想像してた様子と見事合致してる光景が目の前に現れて、行くまでもなかったなと思うことが多い。
まあそんなものでも、頭を使わずに思いっきり羽を伸ばせる体育の時間は貴重だ。
────だったんだけど。
「今日は雨なので、体育館でフォークダンスの練習をしますよ」
体育の時間。
女子が更衣室に行く前に体育教師が教室に来たと思えば、口に出したのはそんな言葉だった。
フォークダンス──男女で手を取り合って踊る、体育祭とかでよく見られるアレ。
勝手にこの学校が好きそうランキング1位に俺の中でランクインさせていたものだけど、どうやら本当に好きだったらしい。
別に不必要だとは言わない。逆に男女間の優雅な交流を念頭に置くこの学校なら、むしろ必要とも言えるものだろう。しかしそれはそれとして、スポーツよりつまらないことに変わりはない。
黒江が大きくため息をついて、更衣室へ向かった。
んでまあ、これは完全に予想通りではあったんだけど。
着替えて体育館に整列して開口一番教師が言ったのは、〝男女のペアで今日は練習しますよ〟ってことだった。
もはやツッコまない。
「やるよ、風間」
「へいへいお姫様……」
「なに。不満なの? だったら別に他の男子とやるけど」
「ちょま、そうじゃなくて! いや黒江さんでいいですってば」
「あ? うち〝で〟いい?」
「……いや、黒江さん〝が〟いいです」
「もう一声。ちゃんと動詞を具体化して」
「はっ?」
「ほら、今から何すんの」
「あー……〝黒江と踊りたい〟です」
「ふーん。ま、そこまで押されちゃしょうがない」
「このアマが……」
この借りは授業の時にメタクソにマウント取って返す。
昨日真行寺先輩にいろいろと教えてもらって、その教え方が神がかっていたせいか知識が随分と身についた。これで古文やら日本史やらでコイツに遅れを取ることは無い。
「で、この授業も男女ペアで放任すか。こういうのは生徒の自主性とかって言わないんじゃね?」
「至極真っ当だな。ま、かと言って俺らは何もできんのだけどね」
「教育委員会とかに訴えりゃうちら勝てると思わん?」
「そこまでして現状変えたいか?」
「なわけ。これはこれで楽しんでるっつの」
「ま、だよな。とりあえずやってる体だけ見せとこうぜ。体育館でサボると目立つ」
「わかってるって。んじゃはい、お手」
「もうちょっと言い方ってやつをだな……」
フォークダンスにもいろいろあるんだろうけど、うちの学校が採用してるのは女子が前、男子が後ろに立ち、女子側の肩と腰あたりで手を取り合うタイプ。
もっとも、1人あたり数秒で次のペアへと交代してしまうものだから、こうして2人だけで練習する場合はやれる事は限られる。
毎年こうさせてるんだから改善点も教師側はわかってるもんだと思うけど、男女2人のペアに固執してしまうものだから肝心のフォークダンスの練習が疎かにならざるを得ない。
こういうのを本末転倒って言うんだよね。
まあ、不平を言っても始まらず。
「……なんかアレだね」
「アレ?」
「……こう、さ。ずっと手ニギニギしてると、汗がさ」
「あぁ。そりゃ手汗は出るだろ」
「や、ゴメンね、汚くて」
「え。何急にしおらしくなってんの。需要無いぞ」
「……は?」
「ッ痛ぅ!!」
思い切り手のひらに爪がくい込んだ。かなり痛い。
俺から見えるのは黒江の後ろ姿だけだけど、それだけでも黒いオーラが立ち上ってるのがわかる。失言でしたね。
でも、落ち込んでる黒江なんて正直見たくないってのが本音で。
ぶっちゃけると、「……あ? 手汗? んなもん出るだろ。何気にしてんの。キモ」くらいの言葉をかまして欲しかった感がある。
「ま、まぁ、今さら手汗なんて気にする仲じゃなくないすか」
「や、それでもね? 乙女っつのは気にしちゃうもんなのよ。わかる?」
「そういうのは乙女らしい言葉遣いをしてから言ったらどうだ?」
「あ?」
「ッッ痛ぅ!!」
「……いやアンタさ。こう、同じ轍を踏まない努力をさ……」
その時、外で大きな雷が鳴った。
今日は天気予報が雨だったとはいえ、こんなに激しい天気になるのは久方ぶりか。少し体育館を見回すと、お嬢様達がペアの坊ちゃん達にしがみついてる様子とかが見えた。
そんなに怖いもんかね。真っ黒社会の公立中学出身としては露骨なアピールにしか見えないもんだが。ましてや、相手の男子が将来的に関係を持っておいて役に立つ存在なのだから、疑いはさらに深まるばかりだ。
相手の男子くんもまあ、鼻伸ばしちゃって。
うちの中学にも世間一般的な金持ちってヤツはいたけど、それでも公立中学の奴らはその肩書きに大して魅力を持っていない。それよりも、スポーツが抜群だとかケンカが強いとか、そういった身体的要素の方が魅力カウントに換算されやすい。
でも、ここは皆が皆金持ちで、だからこそこの肩書きが魅力的であることも理解していて。それだけに、こいつらは自分自身には何も無くても実家が太いってだけで自分が魅力的に映ることを理解してやがる。
だから当然嫌がったりも照れたりもしないし────。
────黒江にあんな高圧的な態度で告白したりもするって訳だ。
ま、僻みったらしく言ってるけど金持ちが魅力的なのは事実だから何も言えない。
「社会の縮図ってのを見てんねぇ。ほらあそこ、逆に男が女にペコペコしてんじゃん。多分あれ、女の方が金持ちなんだろうね」
「だろうな。お前は雷とか怖くないの?」
「うち? あー。なんか子供の頃は怖がってたらしいわ。けど今は弟たち守る立場だからね。雷如き怖いとか言ってらんねえっつの」
「たくましいっすね……」
「アンタも妹弟を持ったらわかるよ」
「……にしては、握る手が強いような気もするけど」
「……ちょい、デカい音にビクっただけ。不可抗力。……てかそういうアンタこそ力強いっての」
「ほら。ちょいびっくりすると人って力むじゃん。アレよ。もう離すから」
「……や、別にそれはいんじゃね? 傍から見たらこれ、めちゃくちゃ授業に熱心なペアでしょ。……ん、そうそう。そーしとき」
「なんだこれ……」
黒江の手のひらが熱い。強く握られてるのもあるけど、多分俺の手と黒江の手の間にめちゃくちゃ手汗が溜まってんだろう。
全くもって。さっきまで手汗云々言ってた奴とは思えない。
──まあ、だけど別に俺も離れたい訳じゃないし。むしろこの雷で皆が皆くっついてる中、俺らだけ離れるとか逆に不自然だし。不可抗力。
……放課後ちえるに何か言われるの必定だな。あいつこういうの目ざといから。
そのまま変な空気を2人で味わって、体育の時間は終わった。
「ここすき」って機能、めちゃくちゃ嬉しいので気楽になさってくださいな
学校が忙しすぎて少し停滞してます、一週間に一度たりとも腰を落ち着けて書ける時間が無いのでもう少しだけ待っててください
いやほんとすみません……。
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黒江①
昼休み、ちえるに電話をかけた。
今日も昨日と同じように真行寺先輩とちえるとでカフェに集まろうという計画だったんだけど、それに黒江も混ぜていいのかを聞くためだ。
ちえるは二つ返事で承諾した。どうやら近くに真行寺先輩もいたらしく、話は簡単にまとまったらしい。
そんなわけで、放課後。
「いやいやいや、そんなわけでじゃなくてさ。うちあの子らと初対面よ? いや名前には妙に親近感あるけど」
その旨を黒江に伝えた際、コイツから出てきたのは想定外の弱音だった。初対面だろうと何だろうと誰彼構わず傍若無人な態度を取る黒江なんだけども。
まあ(口で伝えているだけだが)ちえるの性格が黒江みたいな奴には、特に初対面だと苦手とされるのも無理はないのだが。仲良くなってそうなイメージはめちゃくちゃ浮かぶもんだけど。
「イヤ別にね? 人と話すのは好きなんだけど。どうもさ、一方的にアンタ越しにうちのことその子に知られてる状態で会うってのはちょっとね」
「あー……。そりゃ悪かった」
「いや謝らんでいいて。けど、……その、さ。アンタは来んの?」
「へ? そりゃそうだろ。全員と面識あんの俺だけだし」
「おっけ。んじゃ行こうか」
「え、なになに。緊張してんすか花子さん」
「いやうっさいし。乙女の豆腐メンタル舐めんなし。最初の頃のアンタの100倍マシだし」
「む……」
つい言葉がつまる。
──黒江と最初に話したとき。
あの時は俺が〝か〟で黒江が〝く〟だったから俺の席が前、黒江の席が後ろという関係だった。
当然まだ今のような仲ではなくて、プリントを後ろに渡す時に目が合う程度のもの。隣同士ならまだ接点はあったのかもしれないけど、当時はそれ以上でもそれ以下でもない関係だった。
例えるなら、SNSでフォローされたらフォロバはするけど、その後何か話したりなんてことは一切しない、みたいな。
今みたいな仲になるなんてあの時は思ってもいなかったから、別にそういった何の後腐れもない関係であることに疑問を持つようなことはなかった。仲良くなりたいわけでも無かったし。
しかし、それは黒江でなく他の生徒であっても同じことで。
まあ高校の初期なんて皆が皆打ち解けられないもんだから仕方なし。
そんな中うちの担任が提案したのが、ゴールデンウィークはクラスで何か会をやろうというものだった。
将来的な(つまりは金銭的な)目的もあり、クラスの大多数は承諾していた。担任もそういったところを見越した上での提案だったんだろう。
逆に、難色を示したのは俺と黒江だけだった。
当然協調性が無いなんて思われたくはないから、手を挙げて反対したり、なんてことはしない。
けれどそんな裏事情もあってか、俺と黒江はその懇親会で浮く始末となってしまった。まあ、懇親会と言っても庶民が庶民向けレストランで庶民らしくワイワイ騒ぐようなものじゃなく、ここ王林道高校らしい会合だったのもあるだろう。というわけで、皆がお上品にナイフとフォークでフレンチを嗜んでいる傍ら、俺と黒江は隅に縮こまってスマホをいじっていたのだ。全くもって協調性の欠片も無い。
ただ運が良かったのは、この時俺と黒江の割り当てられた席が隣だったことか。
先に口火を切ったのは黒江の方だった。
『……ねえ、食べないの?』
『あいにく作法がわかんなくて』
『あれ、アンタって金持ちじゃないの?』
『庶民も庶民だっての。中の下階級』
『……あそう。ちな、うちは下の上階級』
『反応しにくい自虐やめてもらっていいですかね?』
思えば、今のような軽口の叩き合いの片鱗は最初の会話にも滲んでいたような気がする。
そこからは貧乏人同士らしく俺たちの会話は弾み、最初は学校に対する愚痴、次にはクラスの面々に対する愚痴、最後には高校生らしく恋愛の愚痴にまで発展した。
で、おそらく宴もたけなわ、会終了の30分ほど前。俺と黒江はこっそり会を抜け出した。全くもって協調性の欠片も無い。
まあこんなもんだから俺がこの時からクラスでハブられだしたのは文句の言いようがない。もっとも、黒江は孤高とか言われて調子に乗ってるが。非常に腹が立つ。
抜け出した理由は至極単純で、あの息の詰まりそうな空間でクラスと共にいるよりも、人気のない公園で2人でいた方が心地よいのが目に見えていたからだ。
コンビニでお互いに1000円を出してサンドイッチやコーヒーを買い、手入れされてなさそうな公園に立ち寄った。
蒸し暑い夏の夜。少し背伸びして買ったホットコーヒーは俺の額に汗を滲ませ、それを黒江に見られて〝緊張してるの?〟だとかからかわれたっけ。
随分とポエティックな話だが、実際あの時は黒江に対して仄かに好意があったのも事実なのだ。今は無いが。
まあそれでも、あの時付き合った方が良かったような気がしなくもないこともないことも云々。
そういう雰囲気に持っていく機会をあの時以来永遠に失ってしまった。今ではもうあの空気を欲しいとすら思わなくなっている。
いわゆる腐れ縁というヤツになってしまった訳だ。
「……ま、あの時のプラトニックな関係は今は見る影も無いね」
「別にいいだろ。長く付き合ってたらそうもなるって」
「一理あんね。んじゃ腐れ縁らしく仲良く行こっか」
「へーい」
黒江を連れて、昨日のカフェにまた向かう。
さほど遠くない場所にはあるけど、特筆するほど学校に近いわけでもない所。昨日と同じように、街中を2人で歩くことになる。鉢合わせれば嫌な展開が待ってるのは間違いない。
が、もう黒江と仲良くなって一年近くが経った。俺と黒江の仲が良いことに学校の奴らがどう思っているかは置いといて、もはやそんなことは周知の事実である。堂々としていれば良いのだ。
友達といることを恥じるなんて、失礼極まってる話だしな。
しかし、そんな時に限って学校の奴らに会うことは無いもので。
代わりにジュベールという外国人の女の子が道に迷っていて、それの案内をしてあげた。どうも日本の忍者文化に悪い方向で影響を受けていて、それでいてスキンシップの激しい女の子だった。
それが理由なのかはわからないけど、若干不機嫌になってしまった花子ちゃんを連れながら俺がカフェに向かうことになったのはまた別の話。
「てことで、着いたぞちえる。どこ?」
「B席にいる〜。由仁先輩も」
「りょーかい」
B席。このカフェにいくつかある個室席の一つ。
カフェの個室なんて誰が考えた案なのかわからないけど、仲間内で他人の顔を見ることなく時間を過ごせるのは心地が良い。
もっとも、メンバーは男1女3だが。肩身が狭い事この上ないが。
「……まあ、俺は適当に本でも読んでるんで女さん達は楽しくお願いしますよ」
「え。今日は勉強しないの?」
「あ、じゃあ真行寺先輩と俺は勉強しとくよ。女2人は楽しくやっといて」
「えっ。いやさ。アンタが誘ったんだから2人の空間入んなし」
「……んじゃ、俺らは勉強するからちえるは……」
「それ本気で言ってんのか? あ?」
「マジトーンで言うの怖いからやめて……」
八方塞がり、四面楚歌。
追い詰められたネズミは猫を噛んで逃げられるとか、どこかで聞いたような気もするんだけど。ちえるの圧が強すぎて噛むどころじゃない。
「……四人で仲良くしましょうか」
というわけで、俺だけ得しない折衷案を提示せざるを得なくなった。
まあ、ちえるというコミュお化けがいるし、別に他の二人がコミュ障という訳でもないから空間が気まずいってことはないんだけど、如何せん男1女3の比率が心に重くのしかかる。
で、十数分後。
三人が仲良く会話している傍ら、俺は専ら勉学に専念していたのだが。空気の読めない従姉妹が唐突に脇腹を突いてきた。
「こんなに可愛い女の子たちとお茶なんて役得ですなぁ」
「帰っていいか?」
「ちょまっ、ストーップ! てか事実じゃん!」
「や、こんなアウェーなんだから少しは空気読んでくれよ……」
「別に私いとこだし実質女2じゃね? てかんなことでいちいちアウェーとか言ってたらキモって感じだよ」
「キモっ……!?」
女性免疫の無い一般男子高校生にパリピJKのストレートな暴言は刺さると知った。
「てかさてかさ!! クロエちゃん想像の一万倍くらい可愛くてビビったんだけど! アンタどこからあんな良い子連れてきたの?」
「いや、ただのクラスメイトだっての」
実際は少し他より仲の良いクラスメイトだが。
事細かに言うとコイツはすぐ恋愛沙汰に持っていこうとするから説明は簡潔に。
ただ、ちえるは自分も含めて可愛いもの全般が好きな奴なもんだから。
「……いや待って。ちょっと待って。夜さ、もしやあの子に一年前から士条さんの話とかしてたの? 許されなくね? さすがに有罪では?」
「まあそういう面も含めた友達って感じだから……」
「はぁー……。かわいそうな花子先輩……」
ちえるがしきりに頭を抱える。
前情報がどうであれ、ちえると黒江が仲良くなるのは予想できたもんだけど、まさかここまでちえるが黒江のことを気に入るとは思ってもみなかった。
「ちょー。いつまで二人で会話してんの。てか風間も混ざりなよ」
「あ、ちえるも風間だからちょいややこしいです!」
「……んじゃ夜。こっち混ざりなよ」
「……あれ普通に下の名前呼び合う仲なんですね。ちえるちょっと予想外」
──少し、黒江との関係が変わることを覚悟しなければならないかもしれない。
実は締め方に全然いい案が出なくて、話自体は完成していたものの投稿できないという状態でした。加筆修正等してリハビリも済んだので次から本腰入れて投稿しますね
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合宿①
少し王林道高校の奨学金制度について述べる。
一般的な私立校の奨学金がどのように生徒に割り振られているのかは存じ上げないが、ここでは半年に一回査定が行われて、その査定基準を満たしたものに奨学金が割り振られるという仕組みだ。
査定の内容には、主に学校における授業態度、学業成績、また学外で悪い噂が立っていないか、などが含まれる。
また奨学金自体にもいくつかプランがあり、額に応じて基準が甘くなっているものもある。俺と黒江は一学年(文系)160人中20番くらいの成績だから、2番目の額のプランを一年の頃から受け取っていた(もっとも、黒江は不良などと言われていることもあるが、あくまで学内の噂は恣意的なものであるため引っかかることは無い)。
しかし、俺たちはそれに甘んじるような人間ではない。目指すは一番上のプラン──学費全額免除だ。
今年も査定の時期がやってきた。
担任の教師がさも"規則だから配るが、本当は面倒"とでも言いたげな手つきで奨学金制度の要項が書かれたプリントを配布する。
生徒も生徒で、プリントを一目見た瞬間それを鼻で笑いながら後ろに回した。いやまあ気持ちはわかるんだけども。
確かに、奨学金を希望する生徒なんて学校の中で一割くらいのもんだろうし、この学校において奨学金を希望するということは、「自分は貧乏です」と高らかに宣言することにもなってしまう。
しかしいくら金があっても、ここは私立だしそれなりに学費も高い。正直奨学金を申し込んだ方が家計的に助かる家庭もあるはずだ。
プライドというのは非常に難儀なものだと痛み入る。
俺は別に友達もいないし実際貧乏人なので、堂々と申し込む訳だが。
黒江も黒江で鼻で笑っていた生徒を逆に鼻で笑いながら、大事そうにそのプリントをファイルの中にしまっていた。
だが、あくまでこれは奨学金の紹介であって、このプリントがあれば金が貰える訳ではない。必要なのは査定基準、引いては学力だ。
というわけで。
「真行寺先輩お願いしまっす!! 勉強教えてください!!」
自分たちが知る中で一番頭の良い人に、二人揃って土下座して頼み込んだ。
査定に使われるのは全国模試もしくは学内実力考査。今回使われるのは二週間後に行われる実力考査の方で、求められるのはおそらく学内10番以内の成績だろう。はっきり言って二週間で10人抜けたら奇跡みたいなもんだ。
まあしかし、そんな言い訳が通用しないのも事実。
「……どうですか」
「勉強? いいよいいよ!」
「へっ?」
──割とダメ元で頼んだんだけど。
というかかなり嫌がられると思ってたもんだけど。見返りとか何も用意してないし。
思いの外かなり笑顔だ。
「私勉強好きだし、風間くんと黒江さんなら全然っていうか、むしろ大歓迎っていうか」
「いやほんと、ユニ先輩ありがたいっす。いやマジで。……ていうか、マジで」
「けど、二人して何があったの?」
「あ、それはですね。奨学金の全免目当てです。うち貧乏なもんで」
「あぁ……。王林道ってお金持ちだもんねぇ。うん、力になるよ」
「あざます!!」
この時は、天にも昇る気持ちだったと後の黒江は語る。実際俺も同じ思いで、真行寺先輩の知識を持ってすれば実力考査など余裕だと浅く考えていた節があった。
凡才が天才との差を思い知るのは、残酷にも天才と共に過ごした日々が元になるものだ。いくら努力しても努力の方法を模索しても、その才能の片鱗にすら触れられないことを理解してしまうからである。
ここである種の才能──いわゆる、負けん気というものが俺に備わっていれば良かったのだが。ここで打ちひしがれてしまうのが俺が凡人たる所以なのだと知った。
……まあつまり、有り体に言うのならばだ。
真行寺由仁はスパルタだった。
真行寺先輩から放課後勉強を教えてもらうようになって一週間後。
朝、普段通りに登校していると目の前に疲れきった黒江の姿が見えた。ここ二週間は実力考査のためバイトは休みにしてもらったようなのだが、どう見てもバイト漬けの生活だった時よりも憔悴しきってしまっている。
「おはよう」
「んー。おはよ。いい天気ですね。ハハ」
「あいにく今日は曇天、昼からは雨だってよ。傘持ってきた?」
「えぇ……忘れたわ。んじゃアンタの傘入れてよ」
「疲れきってんな……」
最早何か小粋な言葉を掛けることすらできない。というか俺の頭も疲れ過ぎてロクに言葉が思いつかなくなっちまってる。
さて、そんな最悪な朝から始まる今日であろうと、地獄の勉強は待ち構えている訳だ。おまけに毎日宿題を出されてるもんだから学校で仮眠を取ることも出来やしない。というか夜もあまり眠れない。
対して真行寺先輩はと言うと、俺たちと同じ量の勉強をしている筈なのに毎日ピンピンと──いや、むしろ毎日イキイキとしていた。
脳のキャパシティの差にますます落ち込むばかりだ。
そんな時、黒江がふと口を開いた。
「……ねえ、今日金曜じゃん。明日から三連休じゃん」
「そうだなぁ……ここが勝負どころって感じかな」
「んじゃさ。今日からウチ泊まりなよ。合宿しよ」
「いや唐突だねキミ」
「なに。ヤなの」
「嫌じゃないけどさぁ……」
嫌じゃないけども。これは本音である。
まあ黒江はストイックな性格だし、友達同士が泊まり込みをして、それ故に遊び呆けてしまい──のような結果には至らないだろう。お互いがお互いを励ますことも、またお互い教え合うこともできるし有益な時間にもなるだろう。
だがしかし、俺の心配はもっと別の所にある。
「……なんつーかさ。ガード甘くない?」
「別にアンタ前も泊まったし……てか何回も泊まってるし。今更どしたのよ」
「あぁ……。はっきり言うとだなぁ…………。……お前は顔がいい」
「……え。何どしたのいきなり。イヤちょっとキモいかも」
「俺はお前を好きになることは無いが、お前の顔をした別の誰かなら好きになってるかも──なんなら士条──いやこれは失礼。てか全体的に失礼な話だけどさ」
「……んで? 何が言いたいワケ」
「此度の勉強漬けの生活で俺の脳はクタクタってワケ。そこで黒江さんは、俺のこの鋼の精神力にそこまでの期待を注げますかという話だな」
「……あ? つまりアンタ、ウチに泊まればうちのこと襲うっての? ……いやそれは無理でしょ」
「へっ? 無理?」
「まずアンタとうちは家族ぐるみの付き合いだから、うちらの間の粗相なんて誰も望んでないワケ。もし起ころうもんなら家族間断裂にもなりうるし。次にアンタ自身もすごい可愛がってる弟たちも失望させちゃうし。母さんとも。とかく、アンタにメリットが無いじゃん」
「……いやはや全くの正論で恐れ入ったよ」
普段の黒江にあるまじき損得勘定を理論的に説明する口調。
どこから学んだのやら、黒江の雰囲気と組み合わせると、まるで最強の矛と最強の盾を装備しているかのよう。
まあしかし、矛には少し綻びがあったようだ。
「……けど、一つ間違いがあるぜ」
「間違い?」
「そう。俺は別にそんな打算的に黒江と接してる訳じゃなくてさ、純粋に黒江のことをすごい大切に思ってるってこと」
──矛盾を突くにもなかなかに骨が折れる。
全くもってどういう風の吹き回しだろうか。俺が一生言わないと思っていた言葉が滑るように口から流れた。年頃の一般男子高校生の言葉としてはあまりに恥ずかしい台詞だ。
今すぐ逃げ出して頭を自分の机にでもぶつけていたいが、そんなことは後回しだ。俺にとっては奨学金よりも勉強よりもここ王林道よりも、目の前の黒江の方が大切なものなのだ。
「……その、そんな風に思ってんなら襲うとか物騒なこと言わんで欲しいんだけど」
「だからぁ。そんくらい疲れてんの。てか暗に拒否ってんの! わかるだろ」
「てかさ、さっきちょっと聞こえなかったんだけど。うちが何だって?」
「……あ? 顔いいねってやつ?」
「違ぁう! いやそれもイイけど! もうちょい後よ」
「……? 黒江が大切ってやつ?」
「ふーん。大切なんだ。うちが? 一番ってこと?」
「いや一番とは言ってないけどさ……」
「なに、一番じゃないの」
「いや多分一番だと思う。黒江が一番大切」
「へぇ……。うん。いや。悪くないじゃん。一番大切なんだね。ふーん」
ブツブツと黒江が反芻する。
誰だって自分の大事だという思いを嬉しいと思ってくれるのは嬉しいことなのだが、それはそれとして目の前で反芻されるのはかなり恥ずかしい。
「……先学校行っとくわ。今日は遅刻すんなよ」
「あー。うちも。てか委員会の仕事あるし先に行くわ。じゃ」
「よくそんな元気に走れるもんだな……」
そうして途中、黒江が振り返って大きく口を開いた。
「放課後ユニ先輩のが終わったらウチ直行!」
そのまま人混みに消えていく。
何かおかしくないか?
今までの流れ的に合宿の話は無しだっただろうに。いや別に嫌では無いんだけどやっぱり(ましてや黒江のような)女子と二人で屋根の下ってのはちょいまずい。いや、その前にだ。
「俺の承諾はぁ!?」
──暖簾に腕押し。もとより黒江との約束(駆け引き)で俺が遅れを取らなかったことが一度も無いので、諦めかけている節があったのも事実なのだが。
精神のすり減りそうな合宿が始まろうとしているのであった。
評価を貰えるとランキングに載りますので励みになります
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合宿②
この世に幸運なものなど存在しないと俺は思う。
幸運だと思うものがあるならば、必ず不運も同時に降り掛かっているというのが俺の持論だ。逆もまた然り。そうでなければ、教訓などという言葉は生まれていない筈なのだから。つまり、その結果をどう受け止めるかによって物事は幸運にも不運にも転じるという訳だ。
「──この土日弟たちも母さんもいないから。用事らしくて。多分うちに気使ってくれてんだけどね」
さて、この状況は俺にとって幸運なのか不運なのか。
黒江が家族の世話をしなくて良いということは、黒江が勉強に集中できるということだろう。それはつまり、俺自身もそういうことになる。まあしかしそれはそれとして、この土日は俺たち二人で過ごすということでもある。
「いやなに突っ立ってんの……とりあえずご飯作んよ。今日もユニ先輩に絞られてクタクタっしょ」
こういう時に一番賢いと思われる選択は一つ。
「……まあ、なるようになるか……」
全てを成り行きに任せてしまうことである。
今は夜八時で、夕飯を作って食べて洗い物まで済ませたとしても十時くらいには収まるだろう。そこからならば風呂の時間を差し引いても
つまるところ、朝の六時までだ。こればっかりは本当に真行寺先輩に感謝しなければならない。
数時間前、こんな会話があった。
「二人ともお疲れ様! 今週末がラストスパートだね」
「いやほんと勉強舐めてました。マジでユニ先輩尊敬し直しました。さーせんした」
「そこでなんだけどさ、二人ともアストルムって持ってる?」
「あすとるむ? ……あー、確か弟たちが持ってたような」
「てことは二人分あるってこと?」
「そっすね。二人分あります」
「お! それじゃあさ!」
そこから真行寺先輩が説明した内容は、ざっくりと言えば徹夜で勉強できるということだ。
最初は当然俺も黒江も戸惑ったものだが、話を聞いていくうちに段々と全容が掴めてきた。
アストルム──VRMMOゲーム、"レジェンド・オブ・アストルム"にはどうやら、『睡眠拡張機能』なるものがあるらしい。簡単に説明するならば、身体を休ませておきながら脳の活動範囲を少し広げることによって、睡眠をしながらでもVR世界で活動ができるということだ。
なんというご都合機能。当然そんなものがあるなら全世界の人間が使っている筈なのだが。
「……それって正規の機能じゃないですよね?」
「お、その通り! うち──共和学園にね、星野静流さんって人がいるんだけど、その子がゲーム開発者の……確か、模索路さんって人と知り合いみたいで」
「なんすかその繋がり……」
全くもって、幸運なのやら不運なのやら。
とりあえずその模索路さんに会って話を聞いてみないことには信用できない話なのだが、今はとにかく時間が無い。口ぶり的に真行寺先輩は既にその機能を使っていたようなので、彼女が今健康そのものであることに信頼を置くことにした。
「……んで、アストルムってどれ?」
「んーっとね。確か……あ、コレだわ。アイツら散らかしてんなぁ」
黒江が後片付けをしている横で、VRMMOゲームとやらをまじまじと眺める。見かけはイヤホンのようなものとさほど変わりは無いが、これを装着すればVR世界という場所に意識そのものを飛ばすことができるらしい。
長時間身体に電磁波を浴びせること、向こうではこちらの身体の不調に気が付かないことなどいろいろ問題点は浮かび上がりそうなものなのだが────ん?
そのイヤホンの下にシートのようなものが挟まっていた。メモだ。
『多分大丈夫!
模索路晶』
「……なあ、やっぱりやめにしないか? 俺ちょっと怖くなってきたんだけど」
「なに。今になって日和るのやめてくんない。こちとら一分一秒に生活がかかってんだけど」
「それはわかるけどさぁ……」
このメモを見せればコイツも怪しんでこの話をご破算にしてくれるだろうが、それは真行寺先輩を裏切ることにも勉強時間を削ることにも繋がる。つまり結局のところコイツはどうあってもアストルムをやることになるだろうし、それならば俺も余計な負担をかけさせたくない。
ならば、腹を括るしかないということだろう。
夕食と風呂を済ませ、リビングに布団を二人分持ってきて準備をする。
「……にしても、お前ん家に泊まることにも慣れたもんだよな」
「あー。確かにそうかもね。つか風間ん家がダメって言うから毎回うちん家になってんだけど」
「ほら、うちってちえるがいつもいるし……多分黒江連れてきたら絶対うるさいんだよな」
「……なんつーかさ、アンタらって距離近めじゃない? 一応肉親だよね?」
「肉親も肉親だっての。てかアイツ彼氏いるし。いやてか、そんなことお前に関係ないだろ」
「あー……や、その通りだわ。忘れて」
「とりあえずもう寝ようぜ、多分真行寺先輩も待っててくれてるから」
「へーい。んじゃ接続開始っと」
さて、VR世界に着地した。実際の身体は黒江家で寝転がっている筈なのだが、その感覚が一切なく、また頭に着けている機械の重さも感じない。全くもって浮世離れした装着だと常々痛感する──のだが、実際浮世離れしているのは俺自身だというのが心にくる。
アバター選択は脳内ピクチャをそのまま転用してくれるらしい。特に自分をどう見せようなどとは思っていないため、現実世界そのままのアバターとなった。おそらくは、黒江も俺と似た性格なのでそうなるのだと思う。
「黒江さーん」
「あー、いたいた。後ろ」
「……ッ!?」
──金髪ボブツインテール美少女。
一瞬、誰だかわからなかった。声はそのまま黒江花子のものなのだが、まさかその外見が金髪ツインテなどとは誰も思うまい。
あの学校では不良などと揶揄され、実際の性格も名に相応しく孤高であり、常にストイックで身近な存在からも尊敬されている人物が。
「何か文句でもあんの?」
「……え、えっ? 何か零してましたか」
「や、なんかそういう顔してたから。……え。いや。似合ってないとか無いよね?」
「いやなんだろ……逆なら受け止められたかもだけど、あのサイドテールからいきなり金髪ツインテが来たらちょい情報が追いつかないってか……いや似合ってはいるよ。すごい可愛いっすよ」
「あ? いや似合ってんならいいけど。……てか、可愛いなら別に、いいけど」
「黒江さん最近チョロいよね」
「腹パンしていいか?」
「いや悪かった」
さて、茶番おしまい。
真行寺先輩によると、勉強はどうやら象牙の塔というところでやるらしい。もっとも、土地勘の無い俺たちに行くすべは無いので、先輩がスポーン地点まで迎えに来てくれるという話だったのだが。どうも見当たらない。
見当たるものと言えば、めちゃくちゃデカい木くらいのものだ。
「……あれ、誰か寝てんな」
「ほんとだ。ユニ先輩じゃね?」
「あの人もっと緑っぽい髪色してなかった?」
「いや髪色とか好きに変えられるし」
「あ、確かにね」
この時間帯(深夜)ならわざわざゲームの中で寝ずとも、実世界で寝れば良いと思うのだが。余程寝るのが好きなのだろうか。
「真行寺先輩。お待たせしました」
「……む? おぉ、よく来たね。やあ諸君。ユニ先輩だよ」
「へっ?」
あれ、こんな喋り方だったっけ。
もっとこう、白熱と周章とが入り交じった感じだったような気がするんだけど。
「……本当に真行寺先輩なのかな?」
「いや違うでしょ。どう見ても。多分ユニって名前のNPCじゃね」
「なるほど。アストルムのガイド役として配置されてるってことか」
だとしたらゲーム内で寝ていることにも合点が行く。
人が来たら起きるように設定されているのだろう。
妹を見るような目で、黒江がそのNPCに話しかけた。
「ごめんね、ユニちゃん。ちょい人待ってて。少しここに居させてもらうね」
「……えっ、だからユニ先輩だよ。ユニだよ」
「あーうん、だから案内はちょっと待って……」
「……来た途端に粗雑なラブコメを見せられ、半ば傷心したものの若人の青春のためだと離れて寝転んでいたぼくに対して君たちはさらに苦汁を舐めさせようと言うのかね。……温厚で知られるぼくと言えど、ちょっと悲しい」
目の前の子の眼に涙がじんわりと浮かんだ。
いやこれはまずい。いくら女友達に恵まれずともこれが良くない対応なのはわかる。……というか、本当に真行寺先輩のようだ。
「…………えっ、まさかホントにユニ先輩すか。……マジで?」
「最初からマジと言っとるだろうがこのたわけが。巫山戯るのも大概にしたまえよクロエくん。あと可愛い一つでそんな照れ顔を晒すあざとさも大概だぞ、クロエくん」
「……あーいや、それはマジでさーせんした。てか、何でそんな喋り方なんすか」
「あぁ、所謂キャラ作りというヤツだ。ぼかぁランドソルの中ではそれなりに知識人として通っていてね、こういった性格の方が衆人の印象を損ねないのだよ」
「……はぁ、いろいろ大変なんすね……」
「何を引いた目をしとるんだ。第一クロエくんもいつものアイデンティティを捨て金髪ツインテなどという俗物的思考に身を委ねているじゃあないか」
「なんでうち人と出会う度この髪型ディスられなきゃなんないの?」
ぶつくさと愚痴をこぼす黒江を横目に、真行寺先輩の方は既に転送魔法の用意を終えたようで何やら呪文を唱え始めた。象牙の塔まで飛ばしてくれるのだろう。
という訳で、大分遅くなったが合宿一日目(深夜)、スタート。
プリコネのキャラストーリー、どれもこれもキャラが魅力的に描かれてて良いね
イチオシはチエルです
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閑話①
むだばなし。
(『広辞苑』より抜粋)
時間は少し遡る。
風間夜が黒江花子をカフェに連れていったその日、意気投合した黒江・風間ちえる・真行寺由仁の三人は連絡先を交換し、その日の夜にはもう深夜の女子トークに花を咲かせていた。
が、由仁が思いのほか早い時間に寝てしまった(実際はアストルムへのログインである)ため、ちえるは黒江に疑問に思っていたことを投げかける。
「花子先輩って」
「なに」
「ぶっちゃけ、夜と付き合ってるんですか?」
──その突然の問いに、黒江は飲んでいた茶を吹き出した。
幸い場所は自室で周囲に弟たちはおらず、そっと胸をなでおろす。もしいたならば、携帯画面を覗きこむなり余計なことをしてくるに違いないからだ。
心を落ち着かせて、画面をフリックする。電子メールは返信に時間がかかっても良いところが利点なのだ。
「いや、違うけど」
「そうなんですか? 今日カフェで話してる感じだと、どう見ても付き合ってる感バリバリ出してましたけど」
「いや、違うけど」
「あー。しらばっくれる作戦ですね」
「いや、違うけど」
「あれ私もしかしてAIと話してます? りんなちゃんですかー?」
(…………)
電脳世界に火花が散った。
これが仮に電子メールでなく実世界ならば、黒江は否が応でもちえるに問い詰められ〝何か〟を口走ってしまうこと確実だっただろうが、幸いにも今は無視という手段が使える。
「んじゃあ、質問変えます。夜のこと好きですか?」
まあしかし、風間ちえるはそんな易しい女ではない。
「いや、違うけど」
「おいそれやめろ」
「いやホントに違うんだって。あいつに恋愛感情とか無いし、多分あいつもうちのことそんな風に思ってない」
「あ、それはそうかもしれないですね」
「え」
──え?
何を思って自分はこの言葉を打ったのだろう。黒江は思案する。
黒江自身に、風間夜に対する恋愛感情はない。これは事実だ。しかし逆はどうなのか。夜は口ではどうのこうのと言いながら、なんだかんだ自分のことを好いているのではないか──などと、考えていたのだろうか。
心が締めつけられるような感覚がした。
「いやだって夜、士条さん? のこと気になるって言ってましたし」
「それはうちも知ってる。けど、好きってより憧れだってのも聞いた」
「んー……。似たようなもんじゃないです?」
「そうなんかなあ」
「てか、めっちゃ食いつきますね。やっぱ好きなんですか?」
「いや、違うけど」
「おいそれ」
(……………………)
返す言葉がなかった。
〝黒江花子は風間夜を好きではない〟ということをちえるに理解させる言葉が出てこなかったのだ。
なぜ出てこなかったのか。事実ではないのならば、超名門高校で優秀な成績を収める黒江なら、ちえるを納得させる言葉程度出てくるはずだ。
(……つまりは、そういうこと?)
「ちょっと、考えさせてよ。うちもまだわかんない」
「……いや、すみません。ちえるもいろいろ突っ込んじゃって。今日はもう寝ます」
「うちも寝るわ」
寝るわ。
文字を打ってから、ベッドに横になる。まだ終わっていない課題、それに加えて夜と競うために行う追加の勉強。明日も朝早くから家族の食事を作り、洗濯物を干さなければならない。毎日の日課だ。
けれど、そんなことをする余裕は既に黒江には無かった。
頭にとある男の顔がチラついて離れない。おそらく自分が生きてきた17年間の中で最も親しく過ごし、最も濃密な時間を分かちあった男。
最早家族同然だった。そんな男──風間夜を自身は意識しているのだろうか。
「わかんないってばぁ……」
その夜は何もせず、ただ放心状態で寝たという。
むだばなしなんで、文字数も少ないですね
嘘です 久しぶりに書いたので体力が持ちませんでした、続き頑張って書くので許してください
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黒江②
さてさて、合宿一日目であるのだが。
いま一度現状の確認をしておくと、俺と黒江は実力考査で良い点を取り、学内最高の無料奨学金を得ようとしている。その為に、自分たちが知る中で最高峰の頭脳を持つ真行寺由仁先輩の力をお借りしているのだ。
由仁先輩の頭脳が優れている理由は、もちろん彼女の持ち前の才能、努力によるところも非常に大きいのだが、勉強法もまたそれに寄与しているという。
それこそが、〝レジェンド・オブ・アストルム〟。
ゲームをクリアすれば何でも願いが叶う、などのいわくが付いたゲームではあるものの、一般的には一介のゲームに過ぎない。
しかし、このゲームはVRMMO。つまりは、現実世界に身を置きながら、仮想世界で自分のアバターを操作することができるというものなのだ。
このシステムを逆に利用し、開発者の模索路晶という人物が作成したのが睡眠拡張機能というもの。
曰く、『現実世界で睡眠を取っている間、仮想世界でタスクをこなせる』などというデタラメな機能だ。
当然デタラメなだけに、連続して使用すれば死にも直結しかねない。
聞いた話によると、模索路晶(ゲーム内ではラビリスタと名乗っているらしい)はこの機能を専用の医療ルームでしか使っていないのだとか。
──それってつまり、常にバイタルチェックをしていつでもアラートを鳴らせる状況である必要があるってことだと思うんだけども。
まあ、彼女自身も特に使っていて何か異変が発生したこともないらしく、真行寺先輩(のご友人の星野さん)に貸し与えているのだと。言ってしまえば本リリース前のデバッグ作業に使われているのだろう。
「そういや夜さ」
勉強の最中、今は──深夜5時を回った頃だろうか。
こちらの世界に時計はない。現実の身体が起きる頃、こちらの身体が強制的に消される(ログアウトされる)という仕組みらしい。
さすがの黒江も時計無しの5時間勉強には痺れを切らしたのか、口を開いた。
「この前、ちえるに夜と付き合ってんのかって聞かれて」
「──はっ?」
「や、違うよね?」
「違うだろ。いや、そもそも付き合うってなんだ……?」
「あー。うん。うちも同じこと思った」
「ちえるはなんて?」
「そこまでは話してないけどさ。まあ、疑問に思っただけだから。無視していいよ」
「──というかそもそも、付き合うってことは黒江が俺のこと好きじゃないといけないよな」
俺の言葉に、黒江の身体がピクリと動いた。いや、失言なことくらいわかっている。
ああ──恋愛経験のない人間にとって、さも漫画の中で、両想いの男女が惚気けているような状況がいざ現実のものになると、こんなにも対応に困るものだとは。俺たちは
当然、付き合っているということは好きあっているということなのだろう。童貞こじらせてもそんなことくらいはわかる。
けれど、それでも言葉に困って出てしまう言葉というものはあるのだ。
さらに困ったことに、一度堰を切られたこの口を止めることは敵わないようで。
「黒江って俺のこと好きなのか?」
「……あ? んなわけないでしょ」
「だよね」
一瞬で汗が引いた。
だよね。驚きもない。
多少心にくるものはあったし、できれば好きでいて欲しかったが──いや、それはそれで困るものだが──まあ当然の反応と言えるだろう。
「逆にアンタはさ、うちのこと好き?」
「……黒江さん疲れてます?」
「イイから答えなって。どうなの」
「や、好きじゃないが」
「……んじゃ嫌い?」
「いやそれも違うなあ」
「……ふーん。じゃあさ、好きか嫌いかで言ったら?」
汗が吹き出る。
周りを見回すと、辺り一面は窮屈な壁。
由仁先輩はいない。彼女は一人の方が勉強が進むらしい。
そして象牙の塔は狭い。元々由仁先輩が一人入るスペースを二人で使っているのだから当然だ。
そんな中、小学校の隣同士の机の距離に俺たちはいる。
横の壁は近く、距離以上に黒江は近く感じてしまう。
疲れているのは本当なのだろう。こんなに連続して勉強したのは俺も初めてだ。
それが影響してか、黒江の息は若干荒かった。
ため息か、吐息か、わからない何かが肌に吹きかかる。生ぬるい感触が脳髄まで響くようだ。気持ち悪いことを承知で、ある種の快感を覚えた。
「答えなよ」
いつになく積極的だ。
いや、積極的という言葉の使い方が正しいかどうかはわからない。一つだけ正しいことは、今の黒江が妙に色っぽく感じてしまうということだけだ。
「…………どっちかで言ったら、好きかもな」
──そんでもって、まあ、もとより嫌い、なんて言うつもりはなかった。
好きか嫌いの二択で迫られれば、そんなもの好きに決まっている。
それでもだ。もしここが学校で、あんな感じに前後の席で聞かれたなら。
恐らく俺は好きと答えて、当たり前だろと笑えたのだろう。
こんなに差し迫ったような言葉を言うつもりは無かったのだ。
「……そうなんだ」
「その二択ならって話だけどな」
「…………」
「……あれ、黒江?」
そこに黒江の姿はなかった。
ログアウトしたのだろう。
きっと俺もすぐ起こされる。
なぜか、十分ほどの独りの時間が、妙に長く感じた。
〇
「おはよう」
「おはよ。朝ごはん作ってるよ」
「……なんかさ、大事な話してなかったっけ」
「そうだっけ?」
「なんか記憶が混濁してるな……」
「あ、それはうちも。なんかね、勉強知識以外の記憶は全部消されるらしいんだよね。脳が休まんないから当然かもしんないけど」
「なるほどなぁ」
とても、大事なことを話していたような気がするが。
ログインしてからの記憶が一切ない。そもそも俺はアストルムを正規の方法でプレイしたことがないからわからないのだが、向こうで黒江と会った記憶もない。真行寺先輩ともだ。
ただ、向こうでの学習(したのであろう)記憶だけが脳裏に焼き付いている。はっきり言って変な感じだ。
どこかの漫画で見た、「強化睡眠記憶」とやらはこんな感覚なのだろうか。慣れるまではずっと体調が悪いままのような気がする。
まあ、それはそれとして、だ。
「合宿一日目、お疲れ様」
「ん。そんじゃ朝ごはん食べようか」
トーストパン、ヨーグルト、味噌汁、リンゴ、ソーセージ。
黒江も体調は俺と同じだろうに、いつもと変わらない朝食がきちんと出てきた。
いくらか体調が悪くてもギリギリ体に入る、それでいて必要最低限の栄養が取れる食事。
「なあ、黒江さんや」
「……はい?」
「朝ごはん、ありがとう」
「おおぅ。どーいたしまして」
驚いたように黒江は笑った。
釣られて俺も笑う。
「……ねえあんたさ」
「どしたのさ」
「実力考査終わったらちょっとお祝いしない?」
「……ケーキとか?」
「あー、そういうんじゃなくて。旅行行こうよ。熱海とか」
「誰と?」
「夜と」
「え、二人で?」
「そう。……え、何。なんか考えてんの。キモ」
黒江が引いた顔でこちらを見た。
俺も自分で言って少し驚いた。二人というワードに今まで意識するようなことは無かったからだ。二人で登校、二人で下校、二人で料理、二人でお泊まり。なんでもやってきたじゃないか。
──今俺は何を意識した?
「真行寺先輩は?」
「ユニ先輩とはそれこそケーキ食べようよ。チエルも呼んでさ」
「いいな、そうしようか」
「旅行は行く?」
「……そうだな、行こうか。俄然やる気出てくるよ」
「ん。そんじゃ決定。計画立てとくわ」
「テスト対策疎かにしないでくれよ」
「うちを誰だと思ってんのさ」
まあ、そんなこんなで合宿は一通り終わり、実力考査。
結果は無事、授業料全免の奨学金を得る運びとなったとさ。
予定ではあと4話くらいで終わります
旅行会が3回+エピローグって感じかな
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旅行①
「ちぇるーん☆ 2人で旅行なんて楽しそうなこと、ちえるが聞き逃す訳ないじゃないですかー! しかも東北! 銀山温泉! 蔵王温泉! 楽しみですねぇ花子先輩!」
「……ちょ、初っ端からうるさい。文字量と顔と声と全身全てがうるさい」
「え、普通に悪口なんですけど」
ちなみに真行寺先輩は遠出をしたくないらしくお休み。ケーキは喜んで食べていた。5000円減った。
さて、テストと奨学金審査が終わり、1週間後。
旅行の予定は一通り立て、東北に2泊3日で温泉を巡ろうという話になった。俺は軽井沢などでゆったりと過ごしたかったものだが、黒江がどうにも温泉に行きたいらしく。俺にはそこまで拘りは無かったので、黒江に従う形になった。
ちなみにどうして温泉かというと、曰く「あったかいお風呂ってさ、気持ち良いんだよ」と。さもお前は知らないだろう、というドヤ顔で講釈を垂れていた。
まあそれは良いとして、今は東北に向かう新幹線の中だ。
「ところで花子先輩、温泉はちえるも好きですけど」
「あん?」
「どうしてコイツなんかと?」
ちえるが俺を指さす。
いや、別に良いじゃねえかよ。友達だぞ。というか何ならお前が部外者なんだぞ──という言葉を飲み込んで、黒江の顔を窺った。
確かに、旅行には行くつもりだったが温泉は予想外だった。
温泉旅行というと、なんだか〝ガチ感〟が出てしまう。そんなに行きたければ家族と行けば良いのだと、そう思わないことも無かった。
嬉しいけどね。
「別に良いじゃん。友達なんだし。てか何ならちえる、アンタが逆に部外者──」
「えーっ!? 花子先輩ちえるとは友達じゃなかったんですか!?」
「……ああ、わかった。うちが悪かった。来て良し」
「そうですよね友達ですよね! LINEでもあんなにコイツの話で盛り上がった仲で──」
「お前お前お前!!!!」
「電車の中ですよ花子先輩っ☆」
何やら、仲睦まじく騒いでいる。この上なく幸せな光景だ。
さて、なぜ急にちえるが参加することになったのか。
旅行の話を聞きつけてしまい、自分も行きたいと思うのは理解できる。まあ、そこに参加しようと思うかどうかは別として。
その点、ちえるはわりと弁えている側の人間だ。ましてや男女2人で行く旅行などに無粋に参加したがるような輩ではない。
では、なぜか。
驚くことに、聞いた話によると黒江が話を振ったのだとか。それもテストが終わったすぐの事だと言う。それから、昨晩ちえるが言っていた分には、「え、行く理由? 来たら悪いの? 花子先輩と2人でイチャコラしたかったの? キモ」らしい。
俺も高校生男子だし、何かハプニングを期待しないでもない。ちえるの言っていることが百間違えているとも言い難い。
──しかし、そういった思考を黒江に読まれたからこそ、なのだろうか。だとしたら、少し、少しだけだが、辛い。
辛いと思っているということは、俺はきっと黒江のことを意識しているのだろう。
テスト期間、アストルムでの合宿を経て妙に黒江の顔が頭から離れなくなってしまった。果たして、これが〝好き〟というものなのかはわからない。士条怜先輩に抱いていた気持ちとは全く別物だ。
士条先輩とは、お近づきになって楽しく話せて、それでいて名前を呼んで欲しい。そんな願望があった。俺はずっとこれを〝好き〟だと思っていた。
対して黒江に抱いている願望は、「ずっと一緒にいて欲しい」というものだけだ。世間一般的に見てこれが好きに分類されることは知っているが、士条先輩のものとは思いがかけ離れていていまいち自分の中で実感が持てないのだ。
──俺にとってこの旅行は、そんな気持ちを確かめる場でもある。
「ちょい。夜、何深刻な顔してんの」
「わひっ!?」
とある女のことを考えていると、その女から右脇腹をつつかれた。
身体が跳ね上がる。いとこが、左からバカにしたような目でこちらを見ている。
「いや、なんでもないぞ! 元気だぞ!」
なんとか平静を取り繕った。
しかし次の一手。
「そういえばさ。うちが下の名前で、『夜』って呼んでるの、気付いてた?」
──浮かべた笑みが顔に張り付く感覚。
気付いていた。もっとも、最初はちえる(風間)がいるからだと思っていた。
しかし学校でも呼ばれ始め、最初は違和感を覚える程度だったのが、しだいに頻度が多くなって意識せざるを得なくなった。
だが下手に気付いていたと公言するのもダサい気がするので、とぼけてみる。
「ああ、ちえるがいるからだろ?」
「いんや。普通に下の名前で呼んでる。夜」
「……あー、あー。ちょっと待ってくれ」
何なんだ、こいつは。
俺が意識をし始めた途端にこんなことを言ってくる。
さて、言葉に迷うがここは小粋な一発を。
「……え、何。好きなの?」
「はっ?」
──あ、ミスった。失言かましちゃったかも。
「は!?」
怒りと驚きで黒江の体全体が動く。
「違うけど!!」
「違うのかよ」
「違うんですかっ?」
「違うっつってんだろ!!!」
ちえるまで口を挟んできた。言葉の端が弾んでいるあたり、この状況が楽しいのだろう。
ちなみにちえるには俺が黒江のことが好きかもしれない、という旨は伝えてある。青春偏差値はコイツの方が高いので良き相談相手だ。
一度気になって、「黒江は俺のことどう思ってんのかな?」とちえるに聞いた。明確な答えを求めた訳では無かったが、気休め程度の答えが欲しかったのだ。しかしちえるからの返答は、「男なら直接聞けよ、キモいぞ」であった。それができるなら苦労はしない上、コイツにキモいと言われる回数が最近増えた気がする。全くもって酷い従妹を持ったものだ。タダ飯は相変わらず請求してくるし。
「まあ、それは別に良いんだけどさ。なんでそんな話を?」
「ああそうだった。危うく忘れるとこだったわ」
黒江が一息ついた。さっきの問答で体力を大分持っていかれたようだった。
「うちのこともさ、花子って呼んで良いよ」
「……え、どしたの? 本当に黒江さん?」
「あ? 黒江花子さんだっての」
「そんじゃあ、まぁ。えっと、花子さん」
「さんとかいらないから」
「……花子?」
「……うわ。改めて聞くと恥ずいなうちの名前。やっぱ無しで。黒江で良いわ」
「なんなんだよ……」
黒江は頬を赤くして、窓の方を向いてしまった。恥ずかしいならそんなことするなよ。
だがしかし、気持ちはわかる。
俺に例えば彼女ができたとして、お互いを下の名前で呼び合う流れになったとする。その時に俺は「夜って呼んでくれ」とは言えないだろう。
彼女に恥ずかしい思いをさせるだけだ。
全くもって、お互い苦労する下の名前を持った。
逆に、そんな俺たちだからこそここまで仲良くなれたのかもしれない。昔のクラス懇親会のときを思い出す。
「うちらが恋人になったら気が合いそうだよね」「まずはお友達からだろ」
確か、こんな会話があった。
そしてとある英語の授業だったか。
「黒江ってモテないの?」
「いや別に。なんで?」
「チョコ俺だけ貰ってたりしたら、他の奴に悪いなあって」
「……いやまあ、アンタだけだけどさ。んなことは思わなくていんじゃない、知んないけど」
こんな会話もあった。お友達から始めて、ここまで仲良くなるとは思ってもいなかった。
黒江の方を見る。
窓に映る顔ですら強く光る目が特徴的で、魅力的だ。
顔を褒めたことはあったか。
いやいや、無かったな。顔を褒めたら負ける感じがして、そこは触れなかった。しかし改めて自分の中で言語化してみると、これ以上に褒めようが無いくらい整っている。
──というか、『魅力的』か。
自分の中の思いですら、こんなにも
オッケーオッケー、決心がついた。
「花子」
名前を呼ぶ。
黒江が振り向く。
ふっと笑う顔を不意に綺麗だと思った。
目に集中が向くと、新幹線の音が響いて聞こえる。がたんごとん、がたんごとん。
「あん?」
深呼吸、一息。
一世一代の大勝負、噛む訳にはいかない。
「俺はさ、花子のことが好きだよ」
「────は?」
がたんごとん、がたんごとん。
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旅行②
「………………」
──俺は何やってんだ?
東北、ホテル、一人部屋。
先程一世一代の告白をして、無事
さて、気になるのは当然「なぜ?」という2文字だろう。
いやいや、黒江も俺のことが好きなんて、そんな自惚れがあった訳じゃあない。さすがに年頃の高校生相手だ。弁えの自覚はある。
しかし、振られるにしても少し返事を考えてくれると思っていたのだ。
俺もそれなりに自分の中の〝好き〟を解釈して告白した。決して突発的なものじゃない。
確かに、結婚しても良いと思うくらいに黒江への〝好き〟は固めてから告白したのだ。
「…………は?」
「え、ごめん。無理、え」
──しかし返事はこれだった。
全くもって、新幹線は窓の開かない乗り物で良かったと心底思う。もしそうであれば俺はきっと飛び降りていた。そのまま死んで、この脳の中にあるものを全て空っぽにしたかった。
そこからは終始気まずい空気が流れ、東北着。
まずホテルへのチェックインで、俺は俺の部屋、黒江は黒江とちえるの2人部屋。今俺はベッドに寝転がり、どうやって2人に知られずに家に帰るかを画策している。
「あー…………。死にた」
愚痴も増える。おそらく、人生でいちばん辛い瞬間だった。
温泉も鍋に舌鼓を打つのも全部パーだ。とりあえずは何も考えず一旦寝込もうと思う。他のことは知らん。ただそれでも、叶うならば、もし時間を戻せるならば、
「もっと状況を選べたんじゃないか、俺は」
『告白をやめていつも通りの日常を過ごせば良かった』なんてことは思わない。黒江への「好き」を言葉にしてしまってから、黒江の顔が頭の中から離れないのだ。今更時を戻して告白をやめたところで、黒江に好きと伝えるのは時間の問題だったのだろうと思う。
ただ場所が新幹線の中、乗客も周りにいる中、ちえるも隣にいる中、あのシチュエーションは良くなかったかもしれない。もっと夕焼けが見える高台とか、少なくとも誰にも会話が聞こえないような場所でやるべきだったのかもしれない。
もっと冷静になることはできたはずなのに。
ため息が出る。
後悔に次ぐ後悔だけが胸に残る。
これでもう黒江と話せなくなったら? あの笑顔を身近でもう見られなくなったら?
黒江の笑顔が好きだ。
一緒にキッチンに立った時にあいつはよく笑った。玉ねぎが目に沁みたとき、良い具合の辛さのカレーが作れたとき、それを俺たちで共有できたとき、弟たちに食わせたとき、そして「美味しい」と言ってくれたとき。
目を合わせてお互いにその様子を微笑んだ。
あの時はうまく言語化できていなかった。俺はたしかに、「こんな時間が一生続けば良い」と思っていた。
「……ふふっ」
辛い気持ちは微塵も変わらない。
それでもフラッシュバックする黒江との思い出が、俺の顔を綻ばせていく。
振られた今でも黒江には感謝している。俺の真っ黒だったはずの高校生活がこんなにも楽しい日々だったと思い返せるのは、間違いなくあいつが隣にいてくれたからだ。
「まあ、欲を言えば付き合いたかったけど」
「好きな人他にいたのかな」
「それか俺って別に特別でもなんでもなかった?」
「黒江が優しいから言われなかっただけで、もしかして迷惑だった?」
──やめようやめよう。
黒江はそんなやつじゃねえよ、黒江を信じた俺を信じろ。
振られた理由はさっぱりわからん。夢だったんじゃねえのかな、とすら思う。
「……いや、後の祭りだ」
ピコンピコンと、ちえるからメッセージが届いた。
大方振られたことの励まし連絡だろう。別に見たくもない。
寝る。後のことは知らん。
──────
「いや、OKしないのかよ!!!」
「急過ぎるんだって!!」
「ああもう、夜に今すぐこの部屋来いって言うから!」
「……」
「……いや既読つかないんですけど!!」
次回は黒江さんのターン
2024/03/04追記
次話、最終話全て書き終わりました。
ただ心を落ち着かせて推敲する余裕が今無いので、7月までお待ちいただければと思います。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
2024/03/19追記
なんか新しいストーリー追加されてる(驚愕)
もしかしたらもう少し続くのかも……いやさすがに無いか……番外編とかやるかも…………。
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