【悲報】俺氏、セミファイナルまでで消えることが確定 (Mamama)
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今更ながら剣盾を買って、プレイしている最中に思いついたネタ


「う、うぅ……ひっぐ……!」

 

 ポケモン世界で言えばもう良い歳した大人―――つまり俺が道路の端っこでしくしくと泣いている。エンジンシティは巨大な都市故に人通りも盛んなのだが、皆一様に俺の事を無視するか、視線を逸らしてそそくさと離れるかのどちらかだ。

大人がこんなに泣いていれば一人くらいは俺に声を掛けてくれたっていいものなのに、都会というのは余りにも残酷だ。俺が生まれた田舎であれば『どうしたの?』と優しいお姉さんが声を掛けてくれることは間違いないというのに。いや都会とか以前にこの世界が残酷なんだ。物語は主人公に対しては優しいかもしれないが、名無しのモブには兎に角厳しい。

 

泣いているとガラルに来る前のホウエン地方の嫌な記憶の数々が思い出される。ホウエン地方ではマグマ団達には徹底的に出くわさないし、俺がルネシティに辿り着いた時にはもう全てが終わっていた。チャンピオンロードでは主人公のハルカと思わしき少女にバトルを挑んでコテンパンに伸されるやらで、俺は大変な屈辱を味わった。

……いや、別にゲームの主人公にマウントを取りたいとかそういうわけじゃないのだが。ただ、俺も一トレーナーである以上は圧倒的に負けたことが悔しいのだ。

 

俺とてホウエンではジムバッジを8つ集め、チャンピオンロードに挑んだ身だ。それなりの修羅場を潜ったという自負はあるし、手持ちの練度だってあったはずだ。なのにハルカには鎧袖一触に片付けられた。例えばそれが良く分からない原作補正だとかであればまだ良かった。そういった不確定要素の多くがハルカに優位に働いたというのは確かにあったが、それを抜きにしても俺が負けた理由は単純で明確な実力差だった。つまり俺が弱かっただけ。それが俺を更に惨めにさせていた。

 

才能というのは必ずある。心のどこかで薄々感じていたことだが、それは確信に変わる。だってそうだろう。俺が負けたのは良いさ。俺が単純に弱かっただけの一言で片が付く。

でもチャンピオンは違うだろう? 仮にもホウエンのトップに君臨するチャンピオンがトレーナー歴一年程度の少女に負けるのか?そんなことは許されてもいいのか?

ハルカには圧倒的な才能があるということが分かってしまった。チャンピオンすら凌駕する才能の塊は恐ろしいほどの暴力としか言いようがない。

チャンピオンのダイゴ相手に堂々と立ち回って勝利を収めるハルカを見て、俺は心が軋む音を聞いた。

 

そんなこんなで傷心状態の俺は暫く実家で引きこもった挙句、ホウエンを離れる決心をした。逃げたと言われたらそれは否定できない。暫く世間との接触を遮断していたお蔭か、俺の脆くなった精神は大分マシになった。そうしてガラルに乗り込み、『流石に時間軸が違うやろ』と高を括って意気揚々と慣れないユニフォームに着替えて開幕式に挑み、何気なく隣を見て、次の瞬間に俺は崩れ落ちた。

 

『え? だ、大丈夫ですか?』

『……つかぬ事をお伺いしますが』

『は、はい。あ、でも体調が悪いなら救護班の人を呼ばないと……』

 

 美少女が俺の背中を擦ってくれるのは役得なのかもしれないが、俺はそれどころでなかった。心臓の鼓動が早鐘を打つ。狭心症にでもなってしまったのかと思うほどで、それだけ俺はパニックに陥っていた。

 

『貴方の名前をお聞かせいただいてもいいでしょうか?』

 

 馬鹿丁寧な口調で俺は聞く。

 

『この状況で!? え、と。ユウリです』

 

 ……なんで此処にいるんですかねぇ、ユウリさん。

 

ガラル地方ではチャンピオンに挑むためにトーナメント方式を取っている。まずはセミファイナル。全てのバッヂを集めた者達によるトーナメントを行う。そこに参加していたのはユウリ、ホップ、マリィ、そして名も知らぬモブトレーナーだ。そのモブトレーナーの描写といえばホップが圧倒する―――要するにボコボコにされるだけ、という余りにも哀れなものだった。

 

ユウリがいるということは当然他の二人もいるわけで、つまり俺がどれだけ勝ち進んでも最終的にはホップにボコられるだけという悲惨な未来が待ち受けている。俺が脳内に描いていた華やかな未来は硝子のようにあっさり砕け散った。

 

【悲報】俺氏、確実にセミファイナルトーナメントで消える

 

ついそんなスレ立てをしてしまうほどには俺も現実逃避をしていた。ちなみにスレ自体はそこそこ伸びたのだが、その殆どが懐疑的というか妄想扱いされて最終的には哀れまれた。

 

「酷えよ、酷えよなぁ、クチート」

 

 俺は相棒であるオスのクチートを掻き抱きながら泣いた。クチートの方は実に面倒臭そうな表情を浮かべているような気がしたが、長年相棒である俺のクチートがそんな薄情なわけがない。内心ではコイツも義憤しているはずだ。俺には分かる。

 

……このままジムチャレンジをしないでどこかに消えちまおうか。

そんな弱音も出てくる。ただ俺のちっぽけなトレーナーとしての意地がそれを邪魔していた。この世界に生まれ落ちて結構な時間が経って、俺もすっかりこの世界で生きる一人のトレーナーになった。此処で逃げたら、俺は一生逃げるだけじゃないのか?それは俺に付き従ってくれるポケモン達に対する裏切りではないのか?いや、でもしかし―――

 

よくわからない感情の渦に叩きこまれ、極度の混乱にあった俺はホテルに戻る気力すら湧いてこず、こんなところで泣いているのだった。

 

「……どうしたの?」

「んあ?」

 

 しくしく泣いている俺に声を掛ける一つの声。顔を上げるが涙が溢れすぎてまともに相手の顔すら見えない。年若い少女とだけ分かった。

 

「こんなところで泣いてるから心配になって声をかけたの。なにかあったの?」

「……それは」

 

 誰かは知らないが、正直に話すわけにはいかない。さっきのスレみたいに妄想扱いされるのがオチだ。ただ、折角声を掛けてきてくれた少女を邪険にするのも憚れた。俺は話を抽象的にまとめて話すことにした。

 

「俺は……自分で言うのもなんだけどそこそこのトレーナーなんだよ。チャンピオンロードにも挑んだし、そこでだって戦えてた。でも……いや、だから分かっちまうんだよな。なまじ強くなったからこそ、相手との差ってやつが」

 

 ユウリは今のところ、ただの新人トレーナーだ。しかしすぐに頭角を現してくるだろう。今ならば勝てるかもしれないが、いずれ俺はあっという間に追い越されて俺が追う者へと立場は逆転する。何よりも俺はそれが怖い。お前なんて何の価値も無いトレーナーなんだと、指を差されている気分になる。

 

「……それってチャンピオンのこと?」

 

 ダンデの事ではないが、それを否定するのもまた話が拗れるので俺は頷いておいた。

 

「絶対に勝てない。それが分かっちまって足が竦むんだ。ただ、俺も積み上げてきたものがあるからプライドが邪魔して逃げることも出来ないんだ。俺は一体どうすればいいんだろうな、ってそう思ってたらなんか泣いてた」

 

 なんかこうやって言葉にすると更に自分が情けなくなる。年下であろう少女に話を聞いてもらっているという今の状況を含めて。

 

「なら諦めるの? ダンデと戦ったこともないのに?」

「……」

「あたしには分かんないよ。チャレンジもしないで挫折するなんて」

 

 それはお前が挫折を味わったことがないからだ、なんて事は言えない。それを言ってしまえば本当に俺はクソ野郎に成り下がってしまう。少女はため息を吐いた。そして、

 

「シャキっとせんね!」

 

 唐突に少女から放たれる叱咤の言葉。俺はビビったこともあってその言葉に反射的に従う。

 

「もう、こんなに泣いて。はいハンカチ」

「お、おう。助かる」

 

 あれ、今の喋り方……と疑問を挟む間もなくハンカチが俺に差し出される。なんとなくその声に逆らいづらいものを感じて俺は素直に受け取る。女物のハンカチを野郎の涙で汚していいものかという若干の逡巡があったが、好意に甘えて顔を拭く。

 

「……うん。ちょっとはマシな顔になった」

「……」

 

 薄い表情に少しだけ笑みを作る少女が目に入って俺は固まった。特徴的な髪型にパンクファッション。ついでににめんポケモンのモルペコも控えている。

 

「泣きよーばっかりじゃ何も変わらんでしょ。 全部やってみて、それでも駄目だったら泣けば良い。だから今は泣かんで行動すること! 分かった!?」

「はい……」

 

 街中で年下の女の子に説教されるという公開処刑を味わった俺だが、全面的に少女の言うことが正しいため俺は羞恥に耐えながら返答した。街中でしくしく泣いている段階で恥もクソもあったもんじゃないが、少女に叱られて多少自分を取り戻すと如何に自分がアホな真似をしていたのか改めて気づかされた。少女―――ああもうマリィでいいや。マリィの方もどこか恥ずかしそうだ。思いっきり注目されているし、それも致し方無い。

 

「……ねぇ、お兄さん強いんでしょ? チャンピオンロードに行ったって、他の地方?」

「ホウエンだ。そこそこには自信があるつもりだったよ。今となっちゃそんな自負は脆いもんだけどな」

「ふーん。強いならあたしとバトルしてよ。あたしもチャンピオンになるつもりだからさ!」

 

 言うなりマリィは俺の手を引いて走り出す。

 

「おいちょっと! いきなり走りだすと危ないだろ!」

 

 突然の事に慌てて胸の中にいるクチートを落としそうになって、クチートは抗議の声を上げた。

 

「乙女心が分かっとらんね! あんな注目されて恥ずかしかと!」

「痛い痛い! 手ぇ強く握るな!」

「直ぐ近くがワイルドエリアだから! そこで一本勝負ね!」

「分かった! 分かったから!」

 

 先ほどよりも余程騒がしく俺達は街中を走り抜けた。恥ずかしいというなら手を放せよ、と思わなくもないがマリィの方もあれでいっぱいいっぱいなのだろう。

 

―――これが俺とマリィの出会いであり、この先も腐れ縁のような形で続いていくなんて、当時の俺は思いもしなかった。街中でマリィと出会うことが多くなり、しばしば行動を共にしていくのだが―――ジュンサーさんに声を掛けられた時、俺とマリィの関係性を尋ねられて、俺の事を堂々と『弟です』と宣ったことは今でも大変遺憾に思っていると付け加えておく。

 

 




マリィかわいいよマリィ

肝心のお姉ちゃんプレイが全然書けてないとか些末な問題。
導入で力つきたので、後は誰か書いて下さい。


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ほんとにただの思い付きで構成もなにもないのに評価をいただいた嬉しさ。
割りとしっかり色々考えてた他の作品が日の目を出ない悲しみ。


 ターフタウンの長閑な光景は郷愁を感じさせる。それは俺が育った場所と良く似ているからだろうか。至るところに畑が広がり、郊外には幾つかの石碑が立っている街並みは人を穏やかにさせる。都会の排ガスに塗れた現代人は一度は此処に来て癒されるべきだろう。街の中央に鎮座しているスタジアムの方に違和感があるくらいだ。文句を言うわけじゃないんだが、如何せん浮いてしまっている。今も数人、スタジアムの中に入っていく少年の姿が見えた。少し緊張しているような後ろ姿に微笑ましいものを感じるあたり、俺も歳を取ってしまったということだろうか。

……もう旅だった日のような新鮮な気持ちは味わえない。けれど、きっと幾ら歳を経ても変わらないものもあるだろう。例えば―――

 

「……腹減ったな、クチート」

「クチ―……」

 

 空腹とか。

 

 

 

 

 まず言っておくと俺は小金持ちだ。決して一文無しのロクデナシではない。しかしホウエンからガラルに来るまでかなりの散財をしてしまったというのは事実。旅には金が掛かる。諸々の道具だってそれなりのいいものを揃えたし、船舶代も結構かかった。それに港に停留中に何も考えず飲み食いしたのも悪かった。しかし、ただそれだけで俺の貯蓄が全部吹き飛んだわけではない。

 

「……クソ、財布を盗まれちまうなんて」

 

 初めて生で見る野生のウールーを興奮しながら見ている最中、他の野生のウール―に背中からたいあたりをぶちかまされた俺は緩やかな傾斜を無様に転げまわるハメになり、その間に財布を落とした。次いでタイミングよく現れたクスネが俺の財布を口に咥え、逃げてしまった。何とも運がない事件の被害者である俺はまたしても涙を流すことになった。

幸いトレーナーカードはカードパスに入れていて無事だったし、現金もそれほど多く持っていたわけではない。しかし、クレジットカードがお釈迦になってしまったのは最悪だ。

直ぐにカードをストップしてもらったが、再発行には時間が掛かる。それまでの間、俺は非常に懐が寂しいことになる。

 

道中、ヨクバリスときのみの取り合いになって死闘を演じた事は記憶に新しい。自分のポケモンに指示を出して戦うという選択肢が思い浮かばなかったあたり、俺も大分精神的に追い込まれていたらしい。ちなみに俺とヨクバリスの勝負の行方だが、俺が負けた上に手持ちのクチート達は呑気にきのみを漁っていた。どうにかクチートに懇願してオレンの実を分けてもらっていなかったら、割と冗談抜きで危なかったかもしれない。多少腹が満たされ、余裕も出来た俺はこの状況を打破するために頭をフル回転させた。

 

「そうか! 俺トレーナーだからポケモン勝負をすればいいんだ!」

「……」

 

 クチートが呆れた表情をしているような気がしたが、気のせいだ。しかしこれは意外と盲点だったと思う。勝負によって金銭を得る、というのはどちらかといえばポケモン勝負の副次的なものであり、金稼ぎのために積極的に勝負を行う、という発想は意外と無い。大体、余程の実力差が無い限り勝ち続けるというのは難しい。ゲームと違って例え無傷で勝とうともポケモンも疲弊するし、それできずぐすりを使うのは結局堂々巡りなようなもので意味がない。

 

ターフタウンの近郊にいるトレーナー達のレベルは正直言って大したものじゃない。俺であれば全勝するのも難しくはない―――。

そう判断した俺はリスクヘッジなんて言葉はどこかにぶん投げて、僅かに残った全財産の小銭を握りしめて、狂ったように目に付いた片っ端から勝負を仕掛けていくのだった。痩せぎすで長身の男が血走った目で勝負を挑んでくる様子は、それはそれは恐ろしかったことだろう。特にスクールガールと思わしき女の子は悲鳴を上げていたが、俺も生活が懸かっているので許して欲しい。

 

まあ、最終的な収支ではプラスになったが雀の涙だ。そもそもこの付近のトレーナー達は高額な金銭の遣り取りが出来るレベルではなかったし、最後の最後で俺も負けてしまった。

 

「あー、最後に負けたのが余計だったな……。いや違うぞ、クチート。お前を責めてるわけじゃないからな」

 

 むくれるクチートを必死に宥める。これに関しては本当はクチートが悪くはなく、寧ろ俺が悪い。頼りにしているが故に引き時の判断を誤ってしまった俺のミスだ。

 

「今日はカレーを作ってやるからな。マトマのみに、そうだなお前が好きな肉も入れてやろう」

 

 喜ぶクチートの頭を撫でてやる。ターフタウンがいくら田舎といえでもスーパーぐらいはある。俺はその辺に落ちていたスーパーのチラシを拾い、設置されたベンチに座って特売の野菜やらの欄を暫く眺めていたが―――

 

「……金が足りない」

 

 手持ちの料金だけでは絶妙に足りない。やはり肉が高い。野菜とスパイスセットだけなら足りる。しかしどんなに安い肉でも僅かに足が出る。

 

「しょうがない、クチート。今日のカレー、肉入りは諦めて……痛って!」

 

 クチートは大層不服のようで俺の腕に噛みついた。勿論俺が怪我をしないように最大限の手加減をしているのだろうが、痛いものは痛い。

 

「しょうがないじゃん。俺だって肉食いたいよ、肉。たんぱく質を思いっきり摂取したいよ。でもお金が無いんだから、どうしようもないじゃん……」

 

 ただでさえ痩せぎすで不健康そうに見えるのがコンプレックスなのに、これ以上は俺だって嫌だ。しかし無い袖は振れないという言葉の通り、金が無ければどうしようもない。

はぁ、とため息を吐いて項垂れる。

 

「ハァ。またこんなところで……」

 

 つい最近、聞いたような気がする声だ。顔を上げる。

 

「……マリィ」

「まったく。今度はどうしたの?」

 

 手が掛かる弟を見るように、マリィはそう言った。

 

 

 

 

 

「あんね、クスネの手癖が悪いのは常識ばい。危機意識が足りとらんのやなかと?」

「……はい」

 

 俺はベンチの隣に座るマリィにこんこんと説教されていた。年下に叱られるというのは相当にくるものがあるが、実際俺の不手際のため反論できないという悲しみ。

 

「トレーナーだけが苦しむならよかかもしれんけど、それで手持ちのポケモンに迷惑かけたらいけんでしょ?」

「……」

「返事は?」

「はい、僕が間違っていました。ごめんなさい……」

「よろしい」

 

 一通り説教を終えて満足したようだ。特徴的な博多弁の頻度も少なくなる。

 

「それで、どうするの?」

「どうするって……まあ、しょうがないだろ。大人しく他の具材とスパイスセットだけ買うさ」

「ふーん。……お肉ならあたしが融通してあげようか?」

 

 魅力的な提案だ。一瞬それに頷きそうになるが、俺にも一応プライドというものがある。こんな無様を晒しておいてなんだが、流石にマリィにこれ以上情けないところを見せたくない。

 

「いや、それは良いよ。提案自体はありがたいんだけどな。……ほら、年下の女の子に集るような真似はしたくないし、男ってのは情けないところを見せたくないもんだからな」

「年下の女の子に二度も説教されとる時点で……」

「それは言うなよ。俺だって分かってるから……」

 

 容赦ない言葉の刃で深く傷つけられるが、それは甘んじて受ける。そしてだからこそ、これ以上情けない姿を見せたくないのだ。単純にそれは年上の男としての意地のようなものだ。だからクチートが俺を噛んできて死ぬほど痛いがそれも我慢する。

 

「……男の人って面倒くさい。別にあたしだってタダで上げようとか思ってないから。ギブアンドテイクって言えばどう? あたしはお肉を提供する。その代わりにあんたはあたしの分のカレーを奢る。これなら対等でしょ?」

「……それは」

 

 俺の手持ちにカビゴンのような大食漢はいない。マリィの分くらいなら余裕もあるだろうし、何よりクチートの噛み方が甘噛みの域を通り越してきた。我慢とか以前に腕が折れそう。大分ぐらついてしまうがまだ頷くことは出来なかった。そもそもマリィが俺と食事を折半する必要性はどこにもない。つまりこれはマリィの好意であり、それを安易に受け取るという事そのものに抵抗がある。一応、年上だし。

 

「うーん、じゃああたしのお願いを一つ聞くっていうのはどう?」

 

 条件を追加される。俺は迷った末に、最終的にはマリィの提案を呑んだ。俺のなけなしのプライドも保てるし、今日頑張ってくれたクチ―ト達にも報いることが出来る。

マリィのお願いというのも気になるが、まさかそんな大それたことを頼んでくることもないだろう。

 

話は纏まった。俺は腹の音を退治するべく、早速スーパーに向かおうと立ち上がる。しかしそこにマリィが待ったを掛けた。

 

「その前にさっきのお願い、聞いてくれる?」

「今ここでか? ……いや、俺に出来ることならなんでもしよう」

 

 本音は一刻も早く腹を膨れさせたいのだが、俺を助けてくれたマリィを蔑ろには出来ない。俺の返事を聞いたマリィは薄く笑った。

 

「あたしには兄貴がおるけど、それは知っとぉ?」

 

 まったく関係なさそうな事を話し始めたマリィに俺は不審なものを感じた。

 

「……スパイクタウンのジムリーダーだろ? それは知ってる」

「そ。兄貴は強くて、あたしの誇り。……でも、そんな兄貴がいるから兄妹以外の他の関係に憧れた事も結構あって」

「お、おう。それで?」

 

 俺は実に嫌な予感がして知らずのうちに一歩下がった。

 

「手が掛かる駄目な弟に憧れてたと。だから―――」

 

 マリィが俺の目を見る。その目付きは決して年上の男性に向けるようなものでなく、どこか慈愛のようなものを感じた。

 

「―――あたしの事、『お姉ちゃん』って呼んでくれん?」

 

 この後、具体的にどのような事があったのかは俺の名誉のために伏せさせていただきたい。ただマリィはこの後、大変ご満悦であった事から察して欲しい。どういうわけかマリィはその事に味を占めたようで、一日だけでは飽き足らず。ことあるごとに俺に姉呼びを強要してくることになる。そしてスーパーのレジ係のお姉さんの絶対零度により、まさしく俺は一撃必殺された事もここに付け加えておく。

 




評価を頂いたのは本当にとてもありがたいのですが、いかんせん何も考えていないため着地点がまったくわからない状況です。
鉄は熱いうちになんとやらの精神で書き上げてしまいましたが、正直続きを書くのは難しいと思いますので、次回投稿は……上げるかもしれませんが、その場合しっかり構成なんかも考える必要があるので、期待せずお待ちください。


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※主人公の精神年齢はたんぱんこぞうと同じくらいです


 最近俺は自分が舐められているような気がしてならない。

 

俺は(ポケモンの世界観においては)れっきとした大人であり、それもそれなりに経験を積んだトレーナーだ。寧ろ俺は尊敬を向けられる側の人間であり、少なくとも年下に舐められるような存在ではない。違う地方とはいえジムバッヂを8つ集めることがどれほどの苦行であり偉業であるのか懇切丁寧に解説したいくらいだ。

 

これまでにイーブイのコスプレをした女の子にいちご味の飴を恵まれたとか、たんぱんこぞう達から鬼ごっこに誘われたりとか、そういう出来事があったりしたがそれはまだいい。飴は美味しかったし、無邪気に走っていると童心に戻って気分も良い。ケンタ率いるたんぱんこぞう連合軍の姑息な集団戦法によって執拗に追い回されたのは今でも根に持っているが。

 

幼い子供というのは純粋な生き物であり、本能的に俺が目付きの悪い不審者ではなく、心優しい穏やかな気風の人間だということを見抜いているのだろう。そう解釈すれば俺も気分が良いし、多少の事は許してやれる気分になる。

 

ただ俺を弟のように扱うマリィの行いは到底許容できるものではない。年上のプライドをへし折る、まさに悪鬼羅刹が如き所業には誰であれ怒ること間違いない。俺がそこに怒りの声を上げないということは俺自身が仏のような性格をしていることと、子供の微笑ましい遊びに付き合っているという認識を持っているからであり、即ち俺が余裕のある大人である証左に他ならない。

 

しかしマリィはそんな事に気づいていないのか、俺に対して実に気安い。

……いや、気安いのは別にいいのだ。別に俺に対して敬語を使えだとか敬えだとか、そんな事を言うつもりはない。しかし最低限、年上に払う敬意というのは持つべきである。お姉ちゃんぶりたい年齢なのは分かるが、それでも弟扱いは論外だ。

 

年上には敬意を払う。これは社会を生き抜くための当然の能力であり、それが出来ない者は社会に居場所はない。故にそれを正すということは厳しい世界を知った年上としての義務である。俺個人の私怨などではなく、道を誤りつつある若人を導くという崇高な使命だ。

 

しかしマリィは俺の言葉を基本的には聞いてくれない。正しく言えば聞いてはくれるのだが、なんというか対応が雑である。言葉で尽くそうにもその言葉が届かない。

……古来より、教育というものは難しいものだ。

特に多感な子供に対しての教育は難しく、相応の苦労があるというのは良く聞く話だ。

言葉では子供は動かない。ならばどうするか。行動で示すしかあるまい。

逞しい俺の背中を見せるのだ。そうすればマリィとて心を入れ替えて、俺への態度も変わるだろう。そのように結論づけたのまでは良いが、しかしそうなるとまた別の疑問が浮上してくる。

 

「……大人らしい行動ってなんだ?」

 

 傍らのクチートにそう問うが、クチートは俺が買い与えた上等なモモンのみを咀嚼するばかりで、俺の話なんか欠片も聞いちゃいない様子だ。マリィよりも俺の手持ちのポケモンの方が余程俺の事を蔑ろにしているような気がしたが、それは気のせいだろう。そうであってほしい。

 

実際、クチートは俺の指示に従ってよく戦ってくれた。昨日のカブ戦では先発ではなかったが、俺のペルシアンが力尽きた後、不利な相手であるマルヤクデを倒してくれたのだから。モモンのみはそのご褒美として買ったものだ。当然、ペルシアンにも同じく与えているが彼女は既に食べ終え、俺の腰のボールの中で柔らかな寝息を立てている。

 

多くのトレーナーにとっての鬼門であるカブ戦を一度の挑戦で乗り越えたことは俺にとって多少の自信になっていた。やっぱりなんだかんだ俺ってば優秀なトレーナーだよな、という考えが浮かんでくるくらいには。そしてその自信は良く分からない使命感となってマリィの態度を治すべきだ、と俺を動かすのだ。

 

「取り敢えずマリィを探すか」

 

 キャンプの中から俺はもそもそと這い出る。エンジンシティからほど近いワイルドエリアで俺はキャンプを張っている。街に近いから大抵は此処を拠点にしているのだ。まあそれもこれから挑むラテラルジムに行くまでだろう。

サイトウを攻略した後、次のジムがあるアラベスクタウンに向かうにはルミナスメイズの森を抜ける必要があるから、流石に拠点を移す必要がある。

 

マリィもカブに挑んでいる頃のはずだ。であれば、エンジンシティをうろついていれば出くわすだろう。いつも用があるわけでもないのに俺に絡んでくるし、当てはないがどうにでもなる。そんな軽い気持ちで俺はエンジンシティに乗り込んでいったのだった。

 

 

 

 

 

 

「……はっ!?」

「どうしたの、兄ちゃん?」

「い、いやちょっと本来の目的を見失ってて……」

 

 不思議そうな顔で俺を見るたんぱんこぞうのケンタ。俺は遠くに特徴的なパンクファッションの後ろ姿を見て、なんのためにエンジンシティに乗り込んだのかを思い出した。しばらくうろついてもマリィの姿が見えないから、エンジンシティに住むケンタと遊びに興じてしまっていた。ちょっとした時間潰しのつもりだったが、カードゲームとはいえ勝負事であるから俺も負けることが出来ず、我を忘れて熱中していた。

 

「悪いなケンタ、今日はここまでな」

「えー! 今日は夕方まで付き合うって言ったじゃんか!」

 

 いそいそとデッキを片付ける俺にケンタは不満げな声を上げた。

 

「男と男の約束を破るのかよー!」

「うっ……。俺が悪いのは認める。でもここは行かせてくれ。俺には使命があるからな」

「はぁ? 使命ってなんだよー! もう鬼ごっこに入れてやらないからな!」

「こら、ケンタ。あんまり人を困らせるものじゃないよ?」

 

 俺とケンタの真剣勝負を温かく見守っていた、ケンタの祖母が優しくケンタを叱る。

 

「約束守れないでごめんな? 明日また付き合ってやるからさ」

「ちぇー……」

 

 むくれていたケンタだが、ケンタの祖母が大粒の飴玉を与えると、途端に上機嫌になる。飴玉一つで機嫌が良くなるあたりケンタも子供だなと思っていると、ケンタの祖母は俺の手にも飴玉の袋を一つ落とした。

 

「ケンタと遊んでくれてありがとうねぇ。これはお礼」

「あ、どうも。ありがとうございます」

 

 年上の好意は素直に受け取るものだ。俺は早速飴玉の包みを剥がす。袋からイメージは出来ていたが、飴玉はソーダ味のようだ。口に放ると、しゅわしゅわとした不思議な感覚と甘味が舌に広がる。やっぱり飴はソーダ味に限る。飴玉を口の中で転がす俺を見て、ケンタの祖母はにこにこと笑っていた。

 

ケンタに別れを告げ、俺は遠くに消えそうになる背中を追う。そして背中が近づき、声を掛けようとした瞬間、俺はちょっとした悪戯心が湧いた。今マリィは俺の事を認識していない。であれば背後からいきなり驚かすことも出来るはずだ。

 

「……いや待て、それは年上として正しい姿とはいえないような」

 

 何せ今から俺はマリィを真人間に戻すべく教育を行うのだ。俺が先生―――実に良い響きだ―――でありマリィは生徒。つまりは俺が上である。しかし子供のように他人を驚かして、それは大人として正しいものだろうか。

 

「いや、でも待てよ……」

 

 腹立たしいことに俺とマリィの関係においてマリィが圧倒的に主導権を握っているというのが現状だ。教育云々の前にそのおかしな現状を打破することが必要ではないか。驚かしてマリィのペースを乱し、俺の土俵へ引っ張りあげる。それも悪くない。

俺が迷っているうちにまた距離が離れてしまった。どうするにせよ、見失っては意味がない。俺はまたしても小走りで追いかける。

しかし未だ心が固まらず、そんな事を二度三度繰り返す羽目になった。

 

「……もう普通に声掛けよう」

 

 いい加減足も疲れてきた。意を決して俺がマリィに近づき声を掛けようとしたところ、俺の右肩に手が置かれ、阻まれる。

誰だと思いながら振り返る。そこにいたのは男女一組のエール団だった。俺の右肩に手を置いているのは男性の方で、その後ろには女性がいて険しい表情を俺に向けながらもスマホロトムを耳に当てている。

 

「君、少し良いかい?」

「あ、すみません。ジュンサーさんですか? はい、不審者が……はい」

 

 フェイスペイントを施した二人はエール団の特徴的なしゃべり方を投げ捨てて、真剣味のある顔で俺にそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うとジュンサーさんを呼ぶのは勘弁してもらった。その代わり、俺はまたしても説教を喰らう羽目になった。マリィを追っては離れてを繰り返す俺の姿は不審者にしか見えなかったらしい。エール団は俺の事を認知していたようだが、いつもとは明らかに違う様子に流石に黙っていられなかったらしく、俺を呼び止めたそうだ。最終的に誤解は解けたが、幼気な少女の誘拐を企てる人攫いと表現されたあたりで俺は泣いた。

 

精神に多大なダメージを受けて、俺は解放された。当然マリィを追いかけるなんてことは先ほどの件がある以上は出来ないし、そんな気力もない。俺はとぼとぼと重い足取りでテントに戻ろうと帰路に着くが、その途中でばったりマリィに出くわした。

正直に言うと、今一番会いたくない人物だ。

 

「また泣いて、どうしたと?」

「なんでもない……」

「もしかして誰かに苛められたりした? だったらお姉ちゃんが―――」

「怒られただけだから。俺が悪いから……」

 

 気遣う言葉が最早年上に対するものではないが、それに反発出来るほどの元気は俺に残されていない。

 

「……またおかしなことしたと? 悪かことしたら反省しぇなだめよ?」

「ごめんなさい……」

「いや、あたしに謝られても。……そうだ! あたし、カブさんに勝ってこれから祝勝会するから来る? 美味しいカレーもあるから。ね?」

「行く……」

 

 今日はまともに昼も食っていない。泣くという行為によってエネルギーを消費しているせいなのか、こんな時でも腹は減っている。俺は深く考えずにマリィの提案を受け入れた。マリィに手を引かれ、俺は夕方のエンジンシティの街を歩く。それが周りにどのように見られているか考えられるほどの余裕は俺にはなかった。

 




取り敢えず書ける分まで書きました。
まだ私もダンデを倒していないので、今後更新するかどうかも含めてもうちょい時間をください。


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ジグザグマな貴方へⅠ

※マリィ視点です。
あれだけ感想欄で主人公の容姿やら年齢やらで突っ込みが入った以上、こういった話を書くしかありませんでした。


 エンジンシティの路上でしくしくと泣いている姿を見たとき、あたしは昔に兄貴と一緒にワイルドエリアに行った時のことを思い出した。

偶然傷ついたジグザグマを見つけて、あたしと兄貴で手当てをした思い出だ。

野生のポケモンだったから、ジグザグマはあたしと兄貴が近づくと威嚇をした。けれど体力がなくなっているせいか唸り声はとても弱弱しかったから、小さかったあたしでも全然怖いとは思わなかった。知識のある兄貴は治療に専念して、あたしは観念して治療を受けるジグザグマの頭を撫でて落ちつかせていた。

 

傷自体は大したものじゃなかった。治療はすぐに終わって、兄貴の腕からジグザグマは飛び出した。すぐに草むらに逃げ込むかと思ったけど、ジグザグマはじぃっとあたしと兄貴の顔を見た。そして躊躇するような素振りを見せながらも、ゆっくりと草むらに消えてやがて見えなくなった。

……なんてことはない、そんな思い出。

 

その人の灰色がかった髪の毛がジグザグマの体毛のように見えてしまった。服装も白と黒を基調としたもので、あたしの幼い記憶にあるジグザグマとどうにもダブってしまう。

どう見ても人なのに、傷ついて無言で助けを求めているポケモンのように見えてしまって、気が付いたらあたしはその人に声を掛けていた。

 

「……どうしたの?」

「んあ?」

 

 間の抜けた声を上げて、その人はあたしを見た。

その顔は酷いものだった。顔の造形が醜いとかそういう意味じゃなくて、目に一杯の涙を溜めて大泣きしているわ、鼻水が垂れているわでぐちゃぐちゃになっていた。

ちょっと引きながらもあたしが事情を聞くと、時折嗚咽は交じりながらもゆっくりと話してくれた。

 

「俺は……自分で言うのもなんだけどそこそこのトレーナーなんだよ。チャンピオンロードにも挑んだし、そこでだって戦えてた」

 

 絶対に嘘だと思った。チャンピオンロードのことはあたしでも知っている。

他の地方では8つのバッヂを集めた後、最後の関門であるチャンピオンロードに挑むのが習わしだという。つまりこの人は8つのバッヂを集めたということになるのだが、兄貴のような強い人特有の気配がまったくない。しかもそんな凄い人がこんな路上が号泣しているはずがない。泣いている理由も……なんというか、年上の男の人とは思えない情けないものだったし。

ただそんなことを指摘するとこの人はもっと泣くだろうから、流石にこの場では言えなかった。

 

それでも挫折した、という言葉を聞いて物申したくなった。

 

「シャキっとせんね!」

 

 情けないことばかりを言うその人にあたしもちょっとイライラしたのかもしれない。口から出た言葉は自分の想像以上に強いもので驚いた。そしてその人の背筋が伸びる速さにも驚いた。

あたしがハンカチを貸して顔を綺麗にすると、多少はマシな状態になる。

 

ぐちゃぐちゃな顔面のせいで、その人がどれぐらいの年齢なのかはわからなかった。上背があるせいであたしよりも結構年上かと思ったけど、綺麗になった顔を見ると思ったよりも随分幼い。

 

勿論あたしよりは年上だろうけど兄貴よりは若い。男の子と男の人の丁度中間くらい。

いや、もしかしたらあたしよりも年下なのかな?という疑問も同時に抱く。そんなことはないんだろうけど、漂う雰囲気とかちょっとした仕草とかそういったのを見ると顔以上に幼く見える。

身長に対して身体がひょろりとしていて、もしかしたらカイリキーに首根っこを掴まれて強引に引き延ばされたんじゃないか、なんて馬鹿な事を考えてしまった。

 

そして紆余曲折―――といえるほどのものではないけど、ワイルドエリアでバトルをすることになった。道中、『挑むにはまだ早い』とか『俺に触ると火傷する』とか、そんなことを言っていたけどあたしはまだ実力を疑っていた。本当に8つのジムバッヂを集めた凄腕のトレーナーならあたしが勝つのは難しいと思うけど、そんな雰囲気は微塵もないし。

この人の言葉は近所に住むたんぱんこぞうの強がりのようにしか聞こえなかった。

 

そんなこんなでワイルドエリアに到着した。その頃には完全に涙も止まっていたけど、幼いという印象は消えない。

兄貴も身体の線が細いがこの人はもっと痩せていて、普通の人よりも色白な肌も相まって病人のようだ。癖なのか歩いていると身体が少しだけ左右に揺れて、あたしはこの人が今にも倒れてしまうのではないか、と気が気でなかった。

 

「ねえ、チャンピオンロードに挑んだって本当?」

「う、疑ってんのかよ。本当だって。……なんか毎回疑われるんだよな」

 

 ほら、とあたしにパーカーの裏地を見せる。そこには確かにジムバッジが8つ付けられていた。

一瞬偽造を疑うが、直ぐにそれを心の中で否定する。ジムバッジの偽造は重罪だと聞いたことがある。この人にそんな度胸は絶対ない。

 

「……本当なんだ」

「だから本当だって言ってるだろ。……もう一回言うけど、俺ってそこそこ強いから。負けても泣くなよ?」

「はいはい」

 

 適当な返事をしながらも、あたしは思いもよらない幸運にちょっと興奮していた。この人は本当に強いトレーナーだ。チャンピオンを目指すあたしにとって、強い相手と戦えるのはまたとない好機。

 

 簡易的なバトルフィールドを作って距離を取る。そしてお互いにボールを構えた。

 

「準備は良い? ルールは一対一で、道具の使用は駄目だから」

「ああ。―――往くぞ」

 

 そのたった一言で雰囲気はありえないほど一変する。鋭いながらちょっと垂れて微妙な脱力感を漂わせていた目に力が籠り、あたしを突き刺す。圧迫感があたしの前に突然現れた。重苦しい空気があたしに纏わりついて軽いはずのボールが重くなったような錯覚を受ける。

危なっかしい小さい子供はどこにもいなくなった。あたしと対峙しているのは人生の多くをポケモンバトルに捧げたであろう、一人の勝負師だ。

息を飲む。気が付いたら一歩下がってしまっていた。

傷ついたジグザグマはいつの間にか屈強なタチフサグマになっていて、その急激な変化にあたしは戸惑った。

……いや、圧倒されたという表現が正しいのかもしれない。

本気を出した兄貴の前にしたかのような感覚に、あたしは恐れてしまったのだ。

そんな事を思った時点で勝負の行方なんて決まっていた。

 

「行って、モルペコ!」

「暴れてこい、クチート」

 

 震える手を押さえつけてボールを投げる。本当に悔しいことに、決着はすぐに着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 「―――ホント、トレーナーの腕だけなら素直に尊敬できるんだけど」

 

 あたしはそう言いつつ、寝息を立てて無防備になった彼の頬をぷにぷにと触る。一緒にカレーを食べていたところで睡魔に襲われたようで、彼はスプーンを握りしめたままテーブルに突っ伏した。涎を垂らしてすやすやと眠る彼に、勝負の時の獰猛さは無い。そこにいるのは安心しきった顔で眠る、あたしよりも年下の少年だ。

 

バトル以外の彼は本当にあたしよりも幼く、特に誰かに叱られたりするとしゅんとなって言動が更に子供っぽくなる。自身が大人であるとアピールを繰り返すが、それだって小さな男の子の背伸びとしか見えない。

あたしの主観も入っているけど、たんぱんこぞうとかスクールボーイとかと一緒に無邪気に遊べることを考えると精神年齢は彼らと同じくらいであることは間違いない。

 

「……やっぱり、ジグザグマみたい」

 

 昔会ったジグザグマと彼がまたダブる。ちょっと悪そうな見た目で、強がりな態度で、それでいて弱々しい様子とか。そんなことを思っているから、あたしもつい構ってしまう。強気な言葉を遣いたがるくせに、妙におどおどとした態度を見せるし。遠目から見ると目付きも鋭く見えるから、周りを伺う様子が怪しく見えてジュンサーさんに呼び止められたりするのだ。

 

それらのことを抜きにしても普段のしでかす行動の一つ一つもどこか危なっかしくて、目が離せない。お菓子に釣られて知らない人についていってしまいそうな危うさがあるから、あたしが極力見張っていないといけないのだ。実際にホウエン地方では様々なトラブルに見舞われたというし、大きな怪我もなく旅を終えたのは奇跡だと思う。彼曰く、とある事がトラウマになってしまって、そのせいで精神が幼くなったというが―――。

 

『俺、今も十分大人なんだけど昔はもっと大人だったんだよ』

 

 いつか彼はそんな意味の分からない主張をした。何をやったかジュンサーさんに怒られて、あたしが彼を引き取りに行った帰りのことだった。何もない遠くを見ていて、その時の彼はジグザグマではなかった。かといってタチフサグマでもない。きっとマッスグマくらいだ。

 

『でもさ、チャンピオンロードで色々あってそれがトラウマみたいになって、駄目になっちゃったんだ』

 

 寂しそうに笑う、そんな顔をあたしは知らない。いつもの強がりからくる嘘じゃなくて、きっと本当のことなんだろうとあたしは思った。

自分の言葉を失言とでも思ったのだろうか。彼は口を噤んで、それ以上を話してはくれなかった。それがちょっともやもやした。

 

「……」

 

 あたしは手を伸ばして彼のくしゃくしゃの髪の毛を撫でてみる。ろくに手入れをしていないだろう髪はごわごわとしていて、あまり触っていて気持ちのいいものじゃない。けれど、ちょっとちくちくする感触はやっぱりジグザグマの体毛に似ている。

 

もっと頼って欲しいと思うのは贅沢なのだろうか。彼が何かに対して苦しんでいるのはあたしも知っている。それは挫折とかトラウマに関係するものだというのもなんとなく気づいている。

ならあたしにそれを話してくれたっていいじゃないか。情けない姿なんてもう数えきれないほど見てきて、幻滅することもないんだから。

 

それになんといったってあたしは―――。

 

「お姉ちゃん。……ふふふ」

 

 小さな笑いが零れる。始まりはちょっとした悪戯心からだった。ターフタウンの郊外で再会した時の彼はベンチで項垂れており、しょぼくれた様子はやっぱりジグザグマだった。

 




元々一発ネタのつもりで投稿した作品なため、主人公の容姿や年齢どころか名前すらも決めておらず、何故主人公の言動が幼いのかとか、行動理念やらマリィとの関係性やらも何も考えずⅢまで更新していました。

ありがたいことにたくさんの方に見ていただいており、更新を続けようかなと思っています。しかし更新をしていく以上は細かいところを考えていく必要があり、それを主人公視点で描くのが難しかったためマリィ視点の話となりました。

大分中途半端に終わっていますが、後日後編を投稿すると思います。
またマリィとジグザグマのくだりは完全にオリジナル設定ですので、ご承知おきください。

たくさん感想を頂いており励みになっています。ただ返信が大変になってきたため誤字脱字等のご指摘以外は基本的に返信を行わないようにします。

これからも応援よろしくお願いします。


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ジグザグマな貴方へⅡ

 クスネに財布を盗まれたと聞かされたあたりであたしは呆れてしまった。

クスネは珍しいポケモンじゃない。進化先のフォクスライも含めてガラルではかなり広範囲に渡って分布しているポケモンだ。

農作物を荒らしたりして毎年のように注意喚起されているが、大抵被害に遭うのはきちんと対策が出来ていない新米トレーナーか拠点を移せない農家だ。他の地方から来たばっかりとはいえ、まさかこんなに抜けているなんて。

 

……どうにも調子が狂ってしまう。彼が見せたトレーナーの一面はもしかして幻だったのかと疑いたくなる。バトルではあんなに強かったのに、どうして普段はこうなんだろう。年上の、しかも自分よりもずっと強いトレーナーなのに全然尊敬が出来ない。

別に下に見るというわけでもない。ただ尊敬よりもこの人は大丈夫なんだろうか、と心配の感情が前面に出てきてしまう。

 

あたしはため息を吐いた。子供っぽいところがあるとは思っていたけど、まさかここまでだとは思わなかった。あたしとしては再び彼にバトルを挑むつもりで声を掛けたけど、どうもそういう空気でも気分でもなくなっていた。

 

かといって困っているジグザグマをそのまま放置することもしづらいもので、しょうがなくあたしはお肉を融通することを提案した。あたしの言うことを一つ聞くという条件を取り付けて。

この条件は彼の年上としてのプライドとやらを守るために条件を上乗せしただけで、はっきりいってあたしには不要なものだった。

 

しかし弱った様子の彼を見ていると、あたしの中にふと意地悪な心が芽生えてきた。

もうちょっと困った表情が見たいなと思って、『お姉ちゃんと呼んで欲しい』なんてことを口走ってしまった。

 

優秀な兄貴がいるから、弟や妹という存在に憧れた。それは間違いじゃない。でも熱望していたかと言われればそういうわけでもない。

ふとした日常の瞬間に、あたしにも弟か妹がいればなぁと思うくらいが精々で。

だからあたしのお願いに大きな意味はない。彼を困らせたいという結果が欲しくて言ったものであって、あたしのことをお姉ちゃんと呼ばせることが目的ではなかった。

 

彼を困らせるという面において、あたしのお願いの効果は覿面だった。

彼は弱弱しく唸り、困ったように眉が下がった。しかしクチートにがしがしと噛まれている腕が痛いせいか、最後には涙目になって降参した。あたしから顔を背けて、ちょっと顔を赤らめて『お姉ちゃん』と小さく呟いた。

 

その様子が不覚にも可愛いと思ってしまった。ぞくぞくとしたおかしな感覚が背筋を抜け、同時にほわほわとした温かいものがあたしの心に満ちる。その不思議な感じは初めて経験するもので、病みつきになってしまいそうだ。

 

そこで過程と目的は入れ替わった。もっとお姉ちゃんと呼んでほしい欲求が大きくなってしまった。

あたしの中で彼に対する評価が変わったのはその時だ。情けない年上の男の人は、あたしが庇護する対象に変わった。

 

『……さぁ、言ったぞ。これでいいんだろ』

『うんうん、ちゃんと言えて偉い』

『君よりも俺の方が年上だって。この間も言っただろ』

『こぉら、あたしを呼ぶ時はお姉ちゃん、でしょ?』

『一回だけじゃないの!? っていうか君の方が年下なのに姉っておかしいだろ! 俺をお兄ちゃんって呼ぶならまだしもさ』

『いや兄貴は間に合ってるから。それに一回だけなんか言ってないし。……うーん、今後あたしを呼ぶ時はお姉ちゃん固定ね』

『それは本当に勘弁して。……おい、頭を撫でようとすんな! 俺の方が年上だからな! ねぇちょっと聞いてる!?』

 

……あの日、あたしから離れてしまったジグザグマ。あのジグザグマはちゃんと群れに戻れたのだろうか。元気でいるのだろうか。誰かに苛められていないだろうか。

それを確認する方法なんてもうない。きっと元気でやっているのだろうなんて希望的に思うしかない。

彼とジグザグマを重ねて見ることは良くないことだと分かっている。彼に対してもジグザグマに対しても失礼だって知っている。

それでも、誰にも言わないから少しだけ妄想するのは許して欲しい。

あの日のジグザグマが姿を変えて、今度こそあたしの胸の中に飛び込んでくれた―――。

そんなくだらない妄想を。

 

「……いい加減起きんね」

 

 あたしは指先で彼の頭を突っつく。まだ食事の途中だし、こんなところで寝たら風邪を引く。

 

「んぅ……。あー、悪い寝てた」

 

 何回か突っついたら彼はようやく起きた。くぁ、と小さく口を開けて欠伸をする。しょぼしょぼとした瞼を擦るのはいいが、スプーンを持ったままなのはいただけない。目に入ったらどうするのだ。

 

「こぉら。スプーン握ったままじゃ危かろ」

「これくらいで怪我しないって……」

「そんなこと言って。知っとるとよ。お姉ちゃんの言いつけを守らんでワイルドエリアに行ってキテルグマに追いかけまわされて泣いたって。キテルグマが出現するところは危ないって前も言ったのに」

「なんで知ってんの!?」

「たんぱんこぞうのケンタが教えてくれた」

「け、ケンタのヤツ! 絶対他の誰にも言わないって約束したのに!」

 

 残念ながらエンジンシティに住む彼の友人達は懐柔済みだ。といっても別に変なことをしたわけじゃない。単純に彼がおかしなことをしようとしたら連絡して、とお願いしただけだ。

 

「それで、分かった?」

「わ、分かったよ。俺が悪かったです……」

 

 ちょっとむくれた様子でカレーを掻きこむ。まぁ、あたしも説教をしたいわけじゃない。彼がちゃんと反省してくれたら別に言うこともない。

 

「……寝る前の話、覚えとる?」

「ん? ルミナズメイズの森を一緒に抜けるって話だっけ? どうしてもっていうなら、俺は別に良いけど」

 

 俺は一人でも余裕だしー、という彼に意地悪をしたくなった。

 

「ルミナズメイズの森が自殺の名所だって知ってる? それにあそこは本物の幽霊が出るって、よく噂になってる」

「そうなの!?」

「本当本当。有名な話だから」

 

 普通に嘘だが彼は顔を引き攣らせてあっさり信じた。幽霊が出るという噂自体はあるが、悪戯好きなベロバーか何かを見間違えただけだろう。

 

「で、どうする? あたしも無理強いはしないけど」

「……いや、心配だから着いていくよ。うん、そうした方が安全だ」

「あたしは幽霊とか信じとらんし、別に気を遣わんでも良いよ。お姉ちゃんに着いてきたいって言うならあたしも止めんけど」

「……」

「どうする?」

「……ちょっと怖いから着いていって良い?」

「誰に着いていくと? 言葉を抜かして喋ったらいけないって前も言ったでしょ」

「いや、マリィに……」

「マリィ? おかしかね、カードゲームで勝負する時罰ゲームを決めたでしょ? あたしの事はなんて呼ぶんだっけ?」

「……お姉ちゃんと一緒に行きたいです……!」

「よろしい。……まあ、自殺の名所っていうのは嘘なんだけど」

 

 彼はがっくりと項垂れた。

 

「だ、騙したな! 俺、マジかと思って信じたのに……!」

「ごめんごめん。本当はあたしが着いてきて欲しいと。ちょっと頼みたいことがあって」

「初めからそういえばいいじゃん。そういうことなら俺だって断らないのに……。それで、頼みたいって、どんなこと?」

「うん。ベロバーを捕まえるのに協力して欲しくて」

 

 かくとうタイプの使い手であるサイトウさんは本当に強かった。特にあたしはあくタイプを好んで使っているから相性も悪く、一時は負けも覚悟した。

なんとか勝てはしたものの、あたしはかくとうタイプに対して強く出れないということを再度認識した。

かくとうタイプのわざに対して弱点を突かれないのは、あたしの手持ちの中ではグレッグルだけだ。そのグレッグルもかくとうタイプに有効であるひこう技やエスパー技を覚えているわけではない。

チャンピオンを目指すあたしにとって、かくとうタイプに弱いという弱点は早めに克服しなければいけないものだ。

そんな中、浮かんできたのがあくタイプでありながら、フェアリーの側面も合わせ持つベロバーというポケモンだった。

 

「あー、そういうこと。……俺もなんか捕まえようかな」

 

 あたしの説明に理解を示しながらも、彼は考えこむように腕を組んだ。

 

「ガラルって他の地方よりポケモンの持ち込みが厳しいんだよな。既存のポケモンの生態系を壊さないようにっていう配慮らしいけど」

「……こっちに持ってこれなかった手持ちがいるの?」

 

 彼はホウエン地方出身だ。ガラルでは生息していないポケモンも沢山いるから、連れてこれなかった手持ちがいてもおかしくない。

 

「ああ、サクラビスとオオスバメは実家で休んでもらってる。こればっかりはしょうがないんだけど、戦力ダウンが痛くてな。俺も手持ちを増やそうと思ってる。……少なくとも一匹はな」

「クチートとペルシアンと……サイトウさんの時はキレイハナを出しとったけど、後の手持ちは?」

 

 彼の実力は普段の態度とはかけ離れて高い。サイトウさんの時ですらクチートとキレイハナの二匹だけで攻略したくらいだ。それを考えるとあたしが知らない手持ちがいてもおかしくない。

 

「この三体だけだよ。流石にこの面子だけじゃ心もとなくてな、せめて後一体は手持ちに入れておきたいんだ」

「四体って少なくない? 五体ぐらいの方が安心出来るんじゃなかと?」

「育成のこととか考えたら後一体くらいが限界かなって。それに―――」

「それに?」

「……いや、ほら。手持ちって六匹までじゃん? そりゃ今の手持ちは少ないけど、いつかはオオスバメ達も迎えにいくわけで」

「うんうん」

「俺ぐらいのトレーナーなら全部のポケモンに愛情を注ぐとか余裕なんだけど、それでも七匹になって一匹だけボックスに預けたらやっぱりかわいそうだろ」

「……」

「なんで無言で俺の頭を撫でるの? ねえ、おかしくない?」

「ん? お姉ちゃんが撫でたくなっただけだから。別にいいでしょ? 減るもんじゃないし」

「……まあ」

 

 おかしな行動が目立つ彼だけど、本質的には優しい人だ。

単に情けない人だけだったら、きっとあたしだってそこまで深く関わっていないだろう。

年上なのに年下のようで、弱そうに見えてとても強くて。ちょっと偉そうな態度で本当は優しくて。そのチグハグさにあたしはやられてしまったんだと思う。

 

 



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 フランス革命を知っているだろうか。

いや別にフランス革命でなくてもいい。南北戦争でもいいし、十月革命でもいい。

歴史書を紐解けばわかることだが、歴史においての大きな分岐点では革命という二文字が踊っていることが多い。革命という行為の是非は置いておくとして、此処では革命という言葉そのものについて理解を深めたい。

 

革命―――つまりは排斥されていた弱者が強者を打ち倒すなんてことは過去にいくらでもあったことだ。先ほどのフランス革命でいえば当時絶対王政を敷いていたルイ16世らを市民達が排し、ギロチン送りにしたということで有名だ。

弱々しい市民達は飼いならされるだけの羊ではなかった。貴族たちの圧政に耐えながらも見えないところで牙を磨き続けていたのだ。最も、フランス革命後のフランスは国力が低下してしまうのだが、これは本筋から離れてしまうので割愛する。

 

そう、本筋だ。

俺がそれらの行いに対して政治的な主張を行うとか、そういったワケではない。専門家ぶって解説したいわけでもない。ただ一つ、客観的な事実を此処に示したいだけだ。

即ち、革命とは時が来れば自然と起こり得るものであるということ。

革命が起こるのは百年後かもしれない。十年後かもしれない。一年後かもしれない。

或いは、今日だってそれは起こりうるかもしれない。

そう。俺は……いや俺達は今日、革命を起こすのだ。

……確かに、一人では長く苦しい戦いになってしまっていただろう。

 

一人一人では力が弱い。だからこそ革命とは民衆達が団結するのだ。孤独な闘いを強いられていた俺では聊か荷が重い。

だから俺はマリィという絶対的な権力を誇る皇帝に一人で抗っていたのだが、人間とは弱い葦でありこれまでの俺は懸命に耐え忍ぶしかなかった。屈辱に悶え、プライドをへし折られながらも、きっと明日は良い日が訪れると、微かな希望を持って。

しかし今は違う。俺は強力な同盟者を手に入れた。苦しみを分かち合い、互いの心に触れた俺達に最早敵などいない。

革命だ。俺達は革命を起こす。いや、起こさなければいけないのだ。

強きを挫き、俺達は安寧なる明日を手に入れる。その為の力を、俺は手に入れた。

嗚呼。苦しみを共に出来る友がいることのなんの頼もしいことか。

 

「―――それで、準備は良いですか?」

「愚問だな。お前こそ良いのか? スタジアムの扉を潜れば俺達はもう後戻り出来ないんだぜ?」

「貴方こそ誰にものを言ってるんです? 僕は既にジムチャレンジの資格すら剥奪された身。今更怖いものなんてありませんよ」

「……そうか。だが、厳しい戦いになるぞ」

「そんなことは分かっていますよ。……欲しいものは手を伸ばすだけじゃ届かないんです。なら戦うしかないでしょう。例え、どんなに凄惨な戦場になろうとも……!」

 

 そこにいるのは覚悟の目をした男だ。戦地に赴くことを良しとした男だ。ならばこれ以上言葉を重ねるのは無粋というものだ。

 

「ヘマすんなよ、ビート」

「貴方こそ無様な姿を見せないでくださいよ。いつでも僕が助けられるわけでもないんですから」

「……へへ」

「……ふん」

 

 俺達は互いの拳を軽く合わせ、スタジアムに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 事は数時間前に巻き戻る。

俺はアラベスクタウンのポケモンセンターにやってきていた。アラベスクタウンのジムリーダーであるポプラはフェアリータイプの使い手であるから、ルミナズメイズの森に出現する野生のポケモン達は絶好の仮想敵だ。

マリィはさっさとジムに挑戦しにいったが、俺は入念に準備を重ねるタイプだ。

俺が幾ら優秀なトレーナーといっても想定外の事なんてのは幾らでも起こりうる。特に俺は現状として三匹の手持ちしかいないから、慎重にならざるを得ないのだ。

 

そろそろ俺もジムに挑むかな、と思いながらポケモンを回復させるためにポケモンセンターを訪れたわけなのだが―――。

 

「……おう」

 

 ロビーの一角に設置されたソファーでピンク色の服が特徴な少年が一人で俯いてなにやらぶつぶつ呟いていた。どう考えてもヤバイ奴だ。

真っ先にそれが目にはいるほどの違和感と存在感があるというのに、中にいる人達は慣れたというか、そもそも目に入っていないかのようだ。

少年の周囲だけが切り離されたかのようにぽっかりと浮いている。

 

「……あの人、どうしたんですか?」

 

 ポケモンを預ける傍ら、俺は受付のジョーイさんにそう聞いてみた。

 

「あー……」

 

 ちょっと言葉を濁しながら、ジョーイさんは話してくれた。

 

「その、あの方はポプラさんのお弟子さんなんですよ。修行が大分厳しいものらしくて、

良くあそこで項垂れているんです」

「……そうなんですか」

 

 ポプラさんのお弟子、と聞いて俺には一人思い浮かぶ人物がいた。あの特徴的な格好と髪型から考えて十中八九間違いないだろう。

 

「……」

 

 もう此処の住民達は慣れてしまったということなんだろう。俺はそれが寂しく見える。彼が行きつく結末を俺は知っている。だから俺が気に掛けるというのは無駄な行為だ。

しかし今の状況に苦しんでいる。それは確かなことだ。

―――迎える結末を知っているなら、お前は苦しんでいる人を見過ごして良いのか?

良い訳がない。例え俺の知識があるとしても、見過ごして良い理由になんてならない。

 

それに―――。

俺の脳裏にはマリィの顔が浮かんだ。

エンジンシティで号泣する俺に声を掛けてきてくれた少女。

姉呼びを強要するなど俺が思った以上にエキセントリックな性格だったが、俺はマリィに少なからず救われた。

そう。俺は彼女に救われてしまったのだ。

口ではどうこう言いながらも、俺はマリィとの会話を楽しんでいた。そしてそれは俺のささくれ立った心を緩やかに修復してくれているのだ。

……姉呼びは本当に恥ずかしいから勘弁してほしいのだが。

 

「……なぁ、おい。大丈夫かよ」

 

 慣れないことをしているという自覚はある。けれど声を掛けないという選択肢は俺にはなかった。

 

 

 

 

 

 

「朝起きてもピンク。昼でもピンク。夜もピンク。……やめてくださいよ。僕の中でピンクがゲシュタルト崩壊しそうだ……!」

 

 俺が思ったよりも大分ビートは重症だ。出るわ出るわ愚痴の数々。

 

「分かりますか? 朝起きたと同時にあの婆さんの顔が視界一杯に広がって、いきなりクイズが始まるんですよ? しかもそのクイズの問題だって意味が分からないですし。なんで年齢88歳じゃなくて16歳が正解なんですか。それはもうクイズじゃないですから!」

 

 俺は無言でビートの肩を撫でてやった。

 

「もういやだ……。食事も全部ピンク尽くしだし。桜でんぶはおかずじゃないんです。それでご飯食べられないんですよ! ビーツ入りのピンクカレーなんて奇天烈なものを出してくるし……!」

「分かる、分かるよ。辛いよな……」

「そりゃ、僕を拾ってもらったことは感謝しますよ。でもですよ! だからといって人としての尊厳を踏みにじられる謂れはない……!」

 

 その後も言葉を吐き出し続け、ビートはようやっと落ち着いた。

 

「ふぅ。すみませんね。僕としたことがつい取り乱してしまって」

「いや、いいさ。行きずりの関係だからこそ、言えることもあるだろうからな。……それに、俺もアンタの精神的にキツイ気持ちはちょっと分かるよ」

「どういうことですか?」

 

 ハイライトの消えた目でビートは俺を見る。ビートが此処まで赤裸々に語ってくれたのだ。俺が一方的に聞くだけというのは無作法というもの。

 

「俺もさ、マリィ……年下の女の子に弟扱いされてるんだ。酷いんだぜ? 俺に姉呼びを強要してくるし」

「……僕には縁の無い世界ですが、そういった特殊なプレイですか?」

「違えよ! ……でもやっぱりそういう風に思うよな。そりゃマリィには世話になってるけどさ、俺の方が年上なんだぜ? 最近はエンジンシティのガキ共にもマリィの弟だって認知され始めてるし」

「……それは、かなり恥ずかしいのでは?」

「恥ずかしいよ。百歩譲って二人きりとかならまだいいぜ? でも思いっきり街中でそうなんだ。まいっちまうよな。……っと悪いな。なんか俺の方が愚痴を聞いて貰ってさ」

「いえ、なんか僕以外の人だって大変だと思ったらちょっと楽になりました。……もう僕も戻ります。ポプラさんに桜餅を持っていかなくちゃいけないですから」

 

 そう言ってビートは立ち上がる。少しふらつきながらも入口に向かう背中。そこには言いようのない哀愁が漂っていた。

 

「……なぁ。アンタはそのままで良いのか?」

 

 俺の言葉にビートは立ち止まった。

ビートの事を俺は他人事とは思えなかった。最近はちょっと抵抗がなくなってきているとはいえ、年下の少女を姉呼ばわりするのは精神的にくるものがある。

俺の扱いについて、そろそろマリィにガツンと言ってやらねばならないのだ。

というかそろそろやめてもらわないと、俺はスパイクタウンで本当に殺されてしまうかもしれない。

 

「アンタはきっとなんだかんだでポプラさんに感謝してるんだろう。だからそんな目に遭っても唯々諾々と従ってるんだ。でもそれで良いのか? 不当な扱いをされてるんだ。声を上げたって良いんじゃないか? 待遇の改善を要求するとか、そのぐらいの事は主張しても良いんじゃないのか?」

「……無駄ですよ。ジムトレーナー達は皆ポプラさんに逆らえないし、そもそもポプラさんの思想に同調する人ばかりなんです。……あんなことをした手前、ローズ委員長に助けを求めるわけにもいきません。僕に味方なんていないんです」

 

 俺は立ち上がって立ち止まるビートの肩を組む。

 

「俺がいる」

「え?」

 

 驚いた表情のビートの顔が至近距離に映る。

 

「今からアラベスクスタジアムに戻るんだろ? だったら俺も着いていってやる。そして俺がアンタの味方になってやる。……俺が、アンタと一緒に戦ってやるよ。その代わり、アンタも俺と戦ってくれ。丁度マリィが挑んでる頃だろうからさ。あの聞かん坊にガツンと言ってやってくれよ」

「……どうして、僕に優しくするんですか。今日、僕と貴方は会ったばっかりですよね? 僕にこんなに良くしてくれる理由なんてないはずです」

「おいおい。アンタと俺は苦しみを共有した仲だろ? お前の為に俺は身体を張る理由なんて、それで十分だ」

「……僕は」

「別に無理強いをするつもりはない。お前が決めるんだ」

「……僕は……!」

「聞かせてくれ。お前の心はなんて言ってるんだ?」

「僕は―――!」

 

 がし、と俺の腕を強く掴む。

 

「僕は、戦います! 戦って! 僕の待遇を改善してもらいます! そしてピンクとは永劫おさらばするんだ!」

「……良く言ってくれた。俺はそのために力を貸そう。そしてアンタも俺に力を貸してくれ。俺達は搾取されるだけのプロレタリアじゃない! 革命だ! 俺達だって牙を持った獣だということを知らしめてやるんだ!」

 

 ジョーイさんの生暖かい目を後目に、俺達はスタジアムに向かうのだった。

 



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「邪魔するぞコラァ!」

 

 自動扉を抜け、内部に乗り込む。此処は敵の本拠地だ。一切の油断も許されない。

しかし敵勢力の他に事情を知らぬ中立勢力もいるというのも事実。

俺達は二人になり、戦力は二倍どころか十倍に引き上げられたといっても過言ではない。

しかし無駄な事に体力は割いている余裕はない。速やかに本丸に攻め込み事を為す。

そんな中、進む俺達の行く手を阻む大柄な影が一つ。

 

「アラベスクジムにようこそ! ボールガイだボルよ~」

「邪魔ですよボールガイ! ジュンサーさんに通報してほしくなかったら速やかにどきなさい!」

「いきなり敵意剥きだしだボル!?」

 

 ビートの言葉にショックを受けた様子のボールガイだが、俺の方を見ると速やかに立ち直り、口調だけは爽やかに俺に喋りかけてくる。

 

「あ、君はチャレンジャーボルか? そんな君にはいいものを―――」

「いらねえよ。不審者がくれたものなんて危なくて使えるか」

「ボルッ!?」

 

 俺の言葉にボールガイは傷ついたように後ろに一歩下がった。ボールガイ自体はマスコットキャラクターとして認知されているが、この着ぐるみは非公認だ。つまりこの着ぐるみは勝手にジムの中に潜り込んでさも『僕は公式の存在だよ!』という風に装っているだけなのだ。

……よくよく考えると、コイツよく通報されてないな。

中身も得体が知れないことを考えると、コイツからもらったボールなんて怪しくて早々使えない。

 

「ひ、酷いボル~! 僕は皆の為を思ってボールを配ってるだけなのに~!」

「見え透いた嘘は止せ。自分の認知度を上げるための広報活動だろうが。それなのに皆のためにとか偽善的な言葉で誤魔化しやがって。あわよくば公認マスコットに、なんて汚い下心しかないくせによ」

「ボール配ってるだけでそこまで言うボルか!?」

「ええい! 兎に角邪魔です! 今日は貴方にかかずらってる暇はないんです!」

「あッ! ちょっと待―――!」

 

 ボールガイを押しのけて俺達は先に進む。ボールガイという余計な存在に時間を食ってしまった。

しかし天は俺達に味方した。丁度スタジアム入口からジムリーダーのポプラとマリィが一緒に出てきたのだ。なんという好機。

 

「なんだい、騒がしいねぇ」

「……こんな場所で騒いで。まったく、これはお説教しないと」

「なんだい、お嬢ちゃんの連れかい?」

「弟です」

「弟? ……ああ、そういう。最近の子供は進んでるねぇ」

「ちょっと!? そこは納得しないで欲しいんですけど!」

「ポプラさん! 今日という今日は僕も堪忍袋の緒が切れました! 僕の待遇について改善を要求しますからね!」

「そ、そうだぜ! これは革命だ! やいマリィ! 俺だってなぁ! お前より年上なんだ! ちょっとは俺を尊重しろ! 姉呼びを強要すんな!」 

「……反発心を叩き直そうとしたんだけど、いい具合に壊れてしまったみたいだねぇ。或いは隣の馬鹿に何か吹き込まれたか」

「ポプラさん。弟が馬鹿を言ってごめんなさい。後であたしが良く言っておきますので……」

「それはどちらかといえば母親の台詞だと思うけど。……まあ、お互い苦労するねぇ」

 

 ポプラさんとマリィの対応によって俺達の心の炎は更に燃え滾った。

二人はこの期に及んでも自らの絶対的な優位を確信しているらしい。なんという傲慢だ。

今日、足元を掬われることになるなど想像もしなかったに違いない。

 

「ハァ。……あんね、あたしは兎も角、ジムの人に迷惑掛けたらいけんでしょ? 前にも路上で鬼ごっこしてジュンサーさんに怒られとったのに、反省しとらんと?」

 

 静かな声に俺は身体が震えた。しかし今の俺は誇り高き革命戦士だ。そんな言葉一つで怯むなどあり得ない。

 

「そ、そんな声で凄んでも無駄ですよ! 僕達だって言う時は―――」

「あんたは黙りなさい」

 

 ビートの言葉は一瞬で切り捨てられた。マリィは俺の方に一歩寄る。ただそれだけなのに俺は一歩下がってしまった。

 

「それで、返事は?」

「……い、いや、今日は割とマジなやつで……」

「なんで返事せんと? お姉ちゃんが質問したらちゃんと答えるって、これも前に言ったやろう?」

「……あの、だから」

「人と喋る時は人の目ば見んしゃい」

「……今日はこれぐらいで勘弁してやらぁ!」

 

 踵を返す俺の腕をビートが掴んだ。

 

「ちょっと待ってくださいよ! まだなにも出来ていませんよ!?」

「だ、だってマリィ怒ってるんだもん! 超怖いんだよ!」

「男がもんとか言わないでくださいよ気色悪い! そんな事も織り込み済みで此処に来たんでしょう!? 一瞬で折れてどうするんですか!?」

 

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ俺達を止めたのはポプラが持つ杖が地面を叩いた音だった。

 

「……ビート。あんたはあたしに逆らう。そういう認識でいいんだね?」

 

 長らくジムリーダーを務めたポプラには高齢ながら独特の力強さと迫力があり、俺とビートは動きを止めた。

 

「い、いや、違いますよ。ただ僕もこの待遇は大分辛いものがあるというか……。少なくとも、僕に日常をあんなピンクに染める必要はないでしょう?」

「つまり、あたしに物申したいってことだね?」

「物申すっていうか、僕だって一人の人間ですから、その……あんまり人権を無視するようなことはちょっとやめて欲しいというか……」

「そうかい。まぁ、細かい事は奥で聞いてあげるよ。あたしだって鬼じゃないんだ。話し合いの場くらい設けてあげるよ」

 

 ポプラはビートの腕を掴んで引き摺って行く。腕力勝負ならビートが負けるはずがないのだが、されるがままになっている。

 

「ちょっと待ってくださいよ! ほら、桜餅も買ってきましたから! ゆっくりお茶でもしましょう!」

「あたしゃ高血圧なんだ。そんな糖分たっぷりのもんが食べられるかね」

「じゃあなんで買いにいかせたんですか!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ! ねえ! 僕知ってるんですよ! 話し合いとかいってまた僕をピンクの永劫地獄に叩き落とすつもりなんでしょう!?」

「なんだ、分かってるじゃないか。その通りだよ」

「い、嫌だァ! ポプラさん、自分の好みは他人に押し付けないって言ってるじゃないですか! なんで僕にだけこんな仕打ちを!」

「弟子は人間じゃないからねぇ。だから人権もない」

「そんなぁ……!」

 

 さらりととんでもない言葉の暴力をビートに叩きつけて、二人は去っていった。最後、ビートは俺を見た。それは助けを求める顔だった。ビートは必死に手を伸ばした。俺も手を伸ばせばきっと届く距離ではあった。けれど俺は動くことが出来なかった。

……その時の、ビートの絶望した表情を俺は暫く忘れることが出来ないだろう。

 

ビートの姿が消えた。彼がどのような目に遭うのか、俺には想像も出来ない。

革命とはある種華々しいものであるが、一つリスクとして考えておかなければならないことがある。革命とは常に成功するとは限らないということだ。

華々しいものには常に影が付きまとう。俺達は革命という言葉の鮮やかに惹かれてしまって、そればかりを追いかけていた。だから革命は失敗してしまった。そしてその結果、ビートという志を同じとする正しく同志を失ってしまったのだ。

 

「……ビート。良いヤツだったのにな」

 

 こうなった以上、俺に出来ることはない。俺に出来ることは彼の身を案じ、祈ることぐらいだ。後で教会にでも行ってみよう。信仰心溢れる信徒ではないが、神の門は誰にでも等しく開けられているという。ならば俺にも祈る権利くらいはあるだろう。

それが無力な俺に出来る唯一の行いだ。

そしてスタジアムを出ようとする俺を止めるように掴まれる小さな手。

 

「どこ行くと?」

 

 鷲掴みされたように心臓が跳ね上がった。

 

「……教会とか?」

「教会? まあ、行くのはいいけど後にして」

「あ、何か用事でもある? 俺でよければ付き合うけど? 買い物?」

「説教」

「……」

「……」

「……その、手心を加えていただくとか……」

 

 マリィは珍しく口角を上げて微笑んだ。俺にはそれが死刑宣告のように見えた。

 

 

 

 正座という禁じ手をあっさりと解禁し、俺はマリィの説教と共に足の痺れとも戦わなくてはならなかった。精魂果てた俺にマリィは追撃の手を緩めることなく、執拗に攻撃を続けた。説教は過去最長を記録する長丁場となり、マリィが時々おいしい水で喉を潤す場面もあったほどだ。

 

説教して話せば喉が渇く。そしてそれを聞いてしくしく泣いている俺だって喉が渇く。

しかしマリィは俺に水分補給すら許してくれなかった。こんなものは昭和時代の部活動と同じだ。精神論を振りかざしたところで何も変わらないというのに、やはり世界が変わろうとも時代が変わろうとも人の愚かさというのは変わらないということなのか。

そんな事を考えているとマリィから厳しい詰問が飛んできた。精神の自由すら最早保障されていない俺は身体竦めて、マリィの説教を聞くしかなかった。

 

「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど」

「……はい、なんでしょうか。お姉ちゃん」

「もう普通の喋り方に戻してもいいから。……やっぱり、お姉ちゃんって言いたくない? 嫌?」

 

 説教を終盤に差し掛かり、俺の方は流れる涙も流れ切ってしまい、寧ろフラットな状態になっていた。これまで眉根を寄せて懇々と説教していたマリィは急にしおらしくなって、そんな事を俺に聞いた。

 

「嫌っていうか……。正直もう俺も慣れちゃってるとこがあるけどさ。実際、別に俺達姉弟じゃないじゃん」

「それは、そうだけど……」

 

 ぶっちゃけた話、もう俺にはマリィを姉と呼ぶことに抵抗はあまり無くなっている。勿論恥ずかしい気持ちはあるし、出来れば呼びたくはないのだが。ただエンジンシティではマリィが俺の保護者として認知されつつある現状を鑑みると最早俺がいくら抵抗しても無意味な気がしないでもない。

 

しかし問題はこれからだ。俺が首尾よくこれからも勝ち進めたとして―――勿論、それは前提なのだが――、7つ目のジムがとんでもない鬼門になる。

ジムリーダーの使うポケモンのタイプ相性とかそういう話ではなく、ジムリーダーのネズはマリィの実の兄だ。兄妹仲も悪いものではなく、寧ろ良好なようだ。そのネズが俺のことを知ったらどう思うだろうか。スパイクタウンはエール団の本拠地であり、そこに一人ノコノコ俺がやってきたら袋叩きにされてもおかしくない。

そんな事を丁寧にマリィに説明してやると、マリィはきょとんとした顔を作った。

 

「え? そんなこと?」

「そんなことって……。良くないだろ。ネズさんにバレたら俺、殺されるんじゃないか?」

「大丈夫大丈夫。兄貴はそんな心の狭い男じゃなか。それに―――」

「それに?」

「もう兄貴、この事知ってるし」

 

 俺の周りの空気だけが凍り付いた気がした。

 

「え? え? なんで? いや、おかしくない? もしかしてエール団の誰かがチクったりした?」

「いや普通にあたしが。電話した時にちょっとそういう話になって。兄貴は別に怒ってるとか、そういう風じゃなかったし。『俺も早く会ってみたい』とか言っとったよ」

 

「そ、ソウデスカ……」

 

 俺はネズのマイクスタンドで撲殺されている自分の姿を幻視してしまって、身体が盛大に震えた。

 

それが妄想ではなく、割とあり得そうな未来であるあたりが最悪だ。

乾いた笑みを浮かべる俺に、マリィは不思議そうな表情を浮かべていた。

 

 




ツイッター始めました
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初めて触るのでイマイチまだ使い方が分かっていない状況ですが、頑張ってこれから使いこなしていきます。


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 このままじゃ駄目なんだろうな、という意識はずっと前からあった。

街は日に日に寂れていく。ナックルシティの方が交通網も発達しているし、利便性も良い。だから皆そちらの方に逃げてしまう。便利なところに移り住みたい気持ちは分かるし、出ていった彼らを責める権利なんておれにはない。

此処には大層な娯楽もない。この場所で出来る娯楽なんて他でも十分に出来るもので、この場所独自のものなんてないから観光客だって来ない。おれのライブであればファン達が来るが、まあそれだけだ。

ダイマックスも使えないから、他のジムと比べると見栄えだってよくない。

こうして考えてみると衰退の道を辿るなんて子供が考えたってわかる。

 

一人、また一人と人が消えていって代わりに増えるのはシャッターだ。

人が減れば活気が消え、代わりに生まれるのはぽっかりとした静寂だ。

永久に栄える場所などない。エンジンシティだって、いつかは寂れる時が来るだろう。しかしそれは今ではない。少なくとも、おれが生きている間は街の発展は約束されたものだろう。では、スパイクタウンはどうだ。

……もしかすると、おれが生きている間にこの街は地図から消えてしまうかもしれない。

長年住んできた俺だから分かる。年月を経る度にこの街は寂れていく。悲観的な妄想ではなく、それは実体を持った現実として、今まさにスパイクタウンを侵しているのだ。

 

今よりも若い時のおれは、それでもどうにかなると思っていた。

シンガーソングライターとしてはそれなりに評価を受けていたから、客寄せは出来る。なら、どうにかなるって思っていた。

けど、違うんだよな。おれにそこまでの求心力はなかった。中にはおれを慕ってくれて残ってくれる奴らだっているが、その数は大したものじゃない。

おれでは力が足りていなかった。そんなことはずっと分かっていたはずなのに、おれは現実から目を背けていた。

 

「なぁ、タチフサグマ。おれ、ジムリーダー向いてないな」

 

 トレーニング中になんとなくタチフサグマに話しかけていた。タチフサグマは困ったような表情で俺の言葉を聞いていた。

意外と、内面の想いを口に出してみると改めて実感することもある。仮にもシンガーソングライターであるおれが、一番知っていなくちゃいけないことなのに。

そうやって零してみると、それは運動後に飲むおいしい水のようにおれの心にしみわたった。

 

おれはなんでこうやって意地を張っていたんだろう。おれがこの街を変えてやるんだ、なんて青臭い想いを後生大事に持ち続けていたのか。勿論、その考えはまだ持っているが、おれだけの力で成し遂げなければいけないわけでもない。

意思は固まった。覚悟は出来た。元よりジムリーダーという肩書そのものに固執していたわけじゃない。これからやるべきことが劇的に変わるわけでもない。

 

「おれはジムリーダーを辞めるよ。シンガーソングライターで、ちょっとポケモンバトルが出来る一般人に戻るよ。……ああ、きっとそれが良い」

 

 問題は次のジムリーダーを誰にするのかということだ。ジムリーダーはただ強ければ良いというわけじゃない。おれがこれまでジムリーダーを務めていた理由はもっとスパイクタウンを盛り上げたいという思いがあったからだ。後進に譲ったといってその思いは変わらない。

 

しかし、スパイクタウンを拠点にしてジムを運営していくというのははっきり言って厳しいと言わざるを得ない。ダイマックスという要素はガラルのポケモンバトルにおいてかなり大きいウェイトを占めている。そのダイマックスが使えないとなると、ガラルの流儀に染まったトレーナーでは難しい。

おれはダイマックスを憎んでいるわけでも否定するわけでもない。しかし後を継ぐジムリーダーにはおれの理念を引き継いで欲しい、という贅沢な思いもあった。

 

第一候補は妹のマリィだ。おれよりも社交的な性格だし、トレーナーとしての素質も申し分ない。

身内びいきではなく、旅で経験を積めば十分ジムリーダーとしてやっていけるだろう。

しかしここに来て新たな候補が突然現れた。

ダイマックスをまったく使わないジムチャレンジャーがいて、エンジンシティのジムも突破した。そんな噂をおれは聞いた。

 

『ボクに連絡するとは珍しいこともあるものだね、ネズくん』

「ええ、まあ。あんまり親しい仲ってわけでもないですからね、おれ達」

 

 ロトムフォン越しにはエンジンシティのジムリーダーのカブの姿が映し出されている。おれは特別親しくもないカブに連絡をしていた。

 

『それでどうしたんだい? 普段は横の繋がりをあまり意識しない君だ。世間話というわけではないんだろう? ……何かあったのかい?』

「……確認したいことがあるんですよ。ダイマックスを使わないトレーナーについて」

 

 僅かにカブの表情が揺らいだ。

 

『……噂が流れるのは早いね。確かにダイマックスを使わない君にとっては興味を引かれる話だ』

「本当にそんなトレーナーがいたと?」

 

 三人目のジムリーダーであるカブは長い経験を積んだベテランだ。ホウエン出身であり、そちらの流儀も知るカブの方が、ヤローやルリナよりも話しやすい。

 

『いたよ。まだ若そうだったが、戦い方を良く熟知していた。相性で劣るクチートとノーマルタイプのペルシアン相手に落とされるとは思わなかったよ。……そうだね、彼ならば君にも挑むことになるだろう』

 

 カブは経験豊富なトレーナーであり、そのカブからタイプ相性を覆して勝ちを拾うことは相当な難易度だ。実際、カブも高く評価している。おれに挑む……つまりそれはジムバッヂを6つ集めるということで、例年おれに挑みに来るトレーナーの数は両手で足りるくらいだ。

 

「ちなみにそいつとのバトル映像はあったりしますか?」

『ああ、あるよ。後でファイルを添付して送ろう。ボクとしてもかなり刺激を受けた戦いでね、良く見返すのさ。……それに』

 

 カブは少し迷うような素振りを見せて口を開いた。

 

『彼は、ボクと同じ地方の出身だからね。ちょっとシンパシーを覚えているのも否定できない』

「ホウエン地方出身なんですか」

『ああ。それもただ、ホウエンから来ただけのトレーナーではない。……君は開会式に来ていなかったから知らないだろうけど、前々から彼のことはボク達の間では噂になってたのさ。何せ、ホウエン地方の四天王プリムからの推薦だったからね』

 

 カブとの連絡を終え、おれは次にマリィに連絡した。そこまでのトレーナーならジムチャンレジャー達の中でも噂になっているだろうから、話を聞いてみる価値はある。

数回のコールの後、速やかに電話は繋がった。

 

『もしもーし、兄貴? 連絡なんて珍しかね。どうしたと?』

「何、可愛い妹の様子が気になっただけですよ」

 

 暫く世間話を続ける。実際、マリィの様子が気になっていたというのは本当だ。軽く話を続け、おれは話を切り出す。

 

「そういえば、最近ジムチャレンジャーの中にはダイマックスを使わないトレーナーもいるようだね」

『ああ、知っとるよ。……それ以外でも色々有名になりつつあるみたいやけど』

「マリィはそのトレーナーを知っているのですか?」

『よぉ知ってるよ。知っとるというか、最近は良く会うし』

「会う? そのトレーナーと懇意にしていると?」

『どっちかというとあたしが世話をしている感じかな。あ、ちょっと待って。丁度おるから映すね』

 

 マリィはそう言うなり、画面が揺れ地面の方を向く。そこには項垂れた青年の姿があった。嗚咽を流してしくしく泣いていて、マリィがカメラを向けていることにも気づいていないようだ。その様子におれは引いた。

 

「……マリィ。兄貴には思いっきり号泣している男の姿が見えるんだけど」

『兄貴の目は正常だね。 この人、ほんと泣き虫なんだ。あたしが付いてないと危なっかしいし』

「そいつが、例のダイマックスを使わないトレーナーだと?」

 

 俄かに信じられない。マリィなりの下手くそなジョークだと思いたい。

 

「おれの目には情けない姿を晒しているアホにしか見えませんが……」

『あー。でもホント、バトルの時は目付きが変わるんだ。 あたしも全然歯が立たなかったし、この間カブさんと戦った時もダイマックス使わんかったみたいだし』

 

 そこまで来ると本物なのだろう。おれの頭で思い描いた姿とはあまりにもかけ離れ過ぎているが。

しかし、本物がそこにいるとすればこれはこれでチャンスだ。

 

「マリィ、そいつと電話代われますか?」

『え? うーん、ちょっと待って。……ほら、いい加減泣かないの。財布はお姉ちゃんが一緒に探してあげるから』

『……酷え、酷えよ。あの狐、また俺の財布盗みやがって……。カードも再発行したばっかりなのに……』

「……」

『ごめん兄貴、ちょっと無理そう』

「いやいや、マリィ。それよりも兄貴は問いただしたいことが出来ましたよ」

 

 さらっと言っていて聞き逃しそうになったが、何故マリィがお姉ちゃんと言っているのか。当然、おれには弟なんていない。そもそもそいつは姿恰好から判断するにマリィよりも年上だろう。

 

『え、何?』

「寧ろ何故疑問符が出るのか理解に苦しみますよ。マリィは何故、年上の他人の姉を自称しているですか? もしや、その男に言わされているとか?」

 

 マリィは歳の割にしっかりしているが、それでもまだ世間の厳しさを分かっていない少女だ。もしや悪い男に騙されているのではないか、とおれは懸念したがあっけらかんとしたマリィの声でそれは覆された。

 

『なんというか……成り行き?』

 

 どんな成り行きだ。とおれは言葉を荒げたくなった。

 

『ほら、こんなに情けない人だから、あたしがしっかりしとらんと駄目でしょ? そしたらあたしがお姉ちゃんになるのは当然でしょ?』

「理論が飛躍しすぎですよ」

 

 おれはマリィの将来が心配になった。

流石にそんなマリィの言葉で引き下がれるほど、おれも楽観主義じゃない。おれは問い詰めるも、最後はマリィの逆切れによって強制的に通話は打ち切られた。

おれはビジートーンを聞きながら暫く放心状態だった。ちょっと見ないうちに女は変わるというが、いくらなんでも変わりすぎだ。

 

この状況で何もせず放置するほどおれも冷静ではない。適当にジムトレーナーを呼びつけて、マリィの身辺状況を洗わせる。ちょっとでも怪しいところがあればおれが直接成敗してやる、という気持ちでいたが―――本当に何も怪しいところがなかった。

 

エンジンシティでは凸凹姉弟として有名なくらいで、時折マリィのことをお姉ちゃんと呼んでいるようだが、それもマリィが強引に言わせているだけのようだ。

長々とした報告を聞いて、おれの胸中には罪悪感があった。話を聞いてみれば寧ろ件のトレーナーは被害者のようだ。

……いや、情けない行動の数々を聞いておれもそれはどうかと思ってはいるが。

 

しかしホウエン地方のジムをコンプリ―トして、四天王のプリムから推薦を受けたほどのトレーナーだ。ガラルには四天王といえる存在はいないが、その名前は重い。素行に問題があるようなトレーナーに推薦状を書くわけがない。最初から取り越し苦労だったといえばその通りだ。

 

それに時折マリィから連絡があって楽しそうにこんなことがあったと報告してくるくらいだ。当事者ではないおれの独断で二人の仲を引き裂くということもしたくない。

やはりマリィもまだまだ子供ということか。きっと旅先で寂しくなったのだ。だから弟という存在を作りだした。きっと、そういうことだろう。

 

「……これは、まずは兄として謝罪するところからか」

 

 万が一のことがあれば即座に報告が入る手はずになっている。それでも何もないということは、本当にあのトレーナーは白だったということ。

ならば、彼が此処に来たときはマリィの兄として、迷惑をかけたことに対して謝罪を行うべきだろう。

 

―――そして、その時は来た。

ジムトレーナー達の実力を疑うわけじゃないが、流石に分が悪すぎる。今更ジムミッションなんてものも必要ないだろう。そう判断しておれはそのトレーナーを速やかにバトルフィールドに招いた。

 

「ようこそ、おれのジムへ。マリィが世話になっていると聞いてね。あんたには前々から会いたいと思って―――……ああいや、その前に筋を通すことが必要か」

 

 そう言っておれが頭を下げようとした瞬間、相手は何故か泣き始めた。それを見てマリィはため息を吐いてハンカチを取り出す。

 

「まったく、ホント泣きやすいんだから」

 

 マリィよ。その意見には兄貴も同意します。というかちょっと情緒不安定過ぎではないだろうか。

 



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 率直に言えば、ダイマックスというバトルの要素は俺にとって不要なものだ。

それ自体を否定するわけではないが、俺にとっては扱いどころが難しいというのが本音。

何せこれまでダイマックスというものは縁の無いものだった。ダイマックスをすることによって能力値は上がり、大きな恩恵は得られる。しかし時間制限があり、使いどころを見極めなければならない。

いつ使うのか。それとも使わないのか。ホウエン出身の俺はそういった見極めからやっていく必要があるのだが、そもそもその工程が煩雑だ。

 

それにダイマックスを使いバトルの主軸に置くということはこれまでの戦法を捨てなければいけないということだ。つまり俺のこれまでの経験をある意味否定するということに繋がる。

……まあ、それでバトルに勝てるというのなら俺もそんな安い矜持は捨てられるだろう。

しかしポケモンバトルとはデカくなって力が強くなれば勝てるほど、簡単なものではない。

 

初心者同士の戦いであればまだ力押しの要素が大きいから有効かもしれないが、俺ほどの玄人になれば戦術レベルでの競い合いになる。俺の扱うポケモン―――クチート、ペルシアン、キレイハナと言った面子は高い能力値で纏まったポケモンではない。補助技を駆使して戦うのが俺の基本的な戦術であり、大雑把な指示しか出せないダイマックスとはそもそも根本から噛み合わないのだ。

 

もっと言えば、そもそもダイマックスを使いこなしたとして、それは俺の利益にならないどころか、将来的には手痛いしっぺがえしを食らう事になる。

ダイマックスはガラル特有のもので、ガラル以外では使えない。要するにダイマックスというのはローカルルールでしかない。俺がガラルの地に骨を埋める覚悟でもしていればまた話は違ってくるが、現状としてそんなことは考えていない。

 

俺がダイマックスをものにすれば、その分ホウエンでの経験は失われていく。ガラルを離れた時にその結果は重くのしかかってくるだろう。

俺がダイマックスを使うことはこれまで無かった。今も、これからもないだろう。

しかしそうなるとやはり手持ちが三体というのがキツイ。俺のポケモン達は一騎当千の猛者揃いではあるが、それでも数の利は馬鹿にならない。実家にいるオオスバメとサクラビスのことを考えると、あと一匹しか増やせないが、それでももう一体は手持ちを増やすべきだろう。

しかしそう思い立ったのはいいが、俺はここで新しい問題にぶつかった。

 

「……俺、野生のポケモン捕まえた経験って殆どないんだよな」

「クチー?」

「ああ、悪い。なんでもない」

 

 俺の膝でオレンの実に齧り付くクチートが俺の声を聴いて反応を示すが、俺は頭を撫でてそう言う。俺のクチートはお袋のクチートの子供で、俺がタマゴから育てたヤツだ。少し離れた場所で日向ぼっこをしているペルシアンはニャース時代に悪戯しているところをお袋に捕まって俺が庇ったヤツだし、器用にカレーを掻き交ぜているキレイハナに至っては実家の庭に生えていた雑草を引き抜こうと思ったらナゾノクサだった。

オオスバメもサクラビスも似たようなものだ。

 

世間には珍しいポケモンを草の根を掻き分けて探して捕まえる連中もいるが、なんというか俺には性が合わなかった。だって俺と長きに渡って苦楽を共にする相方だし、やっぱりなんか運命的な出会いをしたい。俺の手持ち達と運命的な出会いをしたのか、という疑問はさて置き。

 

キレイハナが綺麗な鳴き声で俺を呼ぶ。カレーが出来たようだ。元々家事が壊滅的だった俺はキレイハナによって救われてきたと言っても良い。キレイハナは洗濯も掃除も出来るしカレーも作れる。

最近は何故かマリィに突っかかる事が増えてきたような気がするが、俺も平等愛を説ける程成熟した人間ではないので放置している。相性というものは例え人間とポケモンにだってあるものだ。そこを覆して友情が芽生えることもあるかもしれないが、基本的に俺は無理強いをさせたくない。

やっぱり、会った時のフィーリングとかそういうのって大事だ。

しかし現状の戦力を考えるとそうも言ってられないというのもあり。

 

「あー、どうするかな……。ああ、悪い。今行くよ」

 

 思考に耽る俺をキレイハナが催促する。俺はクチートを抱き上げてテーブルに着いた。ペルシアンも匂いを嗅ぎつけたのかのっそり起き上がって近づいてくる。

なにはともあれ腹ごしらえだ。腹を満たせば何か建設的な意見でも出てくるかもしれない。

俺が皿にカレーをよそっていき―――そして、一つの疑問が出てきた。

 

「あれ? 皿足りないな……」

 俺とポケモン含めて計4枚の皿が必要になるはずなのだが、何故か俺の分の皿がない。

ポケモン達には全てよそって目の前に置いたのだが。

クチートの前には皿がある。ペルシアンの前にも皿がある。キレイハナの前にも皿がある。

スコルピの前にも皿がある。

 

「……なんでお前、我が物顔でカレー食ってんの?」

「スピッ!?」

「え? 驚くの? なんか俺おかしなこと言って……ないよな?」

 

 俺の合図も待たずにスコルピが美味そうにカレーを食っていた。いつの間に現れたのか、余りにも堂々としていたせいで、俺はそのスコルピを異物として認識出来ていなかった。

スコルピは俺に見つかった途端逃げようとしたがカレーに未練があるらしく、少し距離を取ったかと思えばカレーの方を凝視している。

 

「お前、腹空いてるのか?」

「スピッ!」

 

 元気に返事をするスコルピ。その間も視線はカレーの方を向いており、口から少し涎が垂れている。俺はため息を吐いた。空腹のポケモンを見過ごすのも目覚めが悪い。俺は今日の昼食を諦めることにした。

 

「……しょうがないな。食っていいぞ。そのカレーはお前のもんだ」

 

 俺の言葉を聞くやスコルピは猛烈なダッシュでカレーまで近寄り、機嫌良くカレーをむさぼり始めるのだった。

 

「なぁスコルピ。食いながらでいいから聞いてくれないか?」

 

 むしゃむしゃとカレーを食べるスコルピに俺は声を掛けていた。なんとなく、そういう選択肢もいいのかな。こんな出会いでもいいのかなと思ったのだ。

 

「お前が良かったらでいいんだけどさ―――」

 

 多分、これだって運命だと思うんだ。そこに強弱はあれど、立派な一つの縁だと思う。

沢山の出会いやら別れやらがあって、それら一つ一つが運命なんだ。俺がエンジンシティでマリィに声を掛けられたのも―――まあ、あれはあれで運命的な出会いだったといえばそうかもしれない。

運命ってものは目には見えない。だからそういうのは感じることしか出来ないんだけど、偶に結果として残る。例えばこうやって俺の手持ちが増えたように。

 

 

 

 

 

 

 手持ちを増やせたのはありがたいことだ。スコルピはドラピオンに進化し、試運転も兼ねたマクワ戦でもおおいに活躍してくれた。タイプ的にも俺の手持ちとのバランスは良く、ドラピオンに関しては何も言うことがない。

しかしここからが最大の問題だ。

俺の目の前にはシャッターが開かれたスパイクタウンがある。今からここに挑むのだと思うと冷や汗が止まらない。

 

「やべぇよやべぇよ……。どうする? ほとぼりが冷めた頃の方が良いか? いやでも、マリィがいれば俺もネズに殺される事態を避けられるかもしれないし」

 

 或いはマリィがまた変なことを口走って事態が余計に悪化してしまうかもしれないが。

 

「いや、でも……ここで逃げたら俺多分、ジムに来れなくなるような気もするし」

 

 何せ今日此処にくるだけでも相当な精神力を費やした。尻尾を巻いて逃げれば多分俺は此処に戻ってこれないような気がする。そんな風に入口付近で右往左往していると、ひょっこり出てきたエール団らしき女性と目が遭った。

 

「アンタは……チャレンジャー? なんでここで立ち往生してるんだい? シャッターは開いただろう?」

「あ、どうも。ええ、まあ。ちょっと……ハハハ」

「いや待てよ。此奴の特徴……痩せた身体に幽霊みたいな肌。それにジグザグマみたいな白黒の服。ネズさんからの報告にあったチャレンジャーだな?」

 

 エール団の女はネズにも当てはまるような外見上の特徴を呟いた。

 

「えッ!? い、いや違いますよ。ぼくは偶々立ち寄った観光客で……」

「住んでるアタシが言うのもなんだけど、スパイクタウンに観光に来るもの好きなんて早々いないよ。丁度いい、ネズさんも手が空いた頃だろうし付いてきな」

 

 エール団の女は俺の手を掴んだかと思うと、スパイクタウンの内部に俺を引っ張っていく。

 

「ちょっと! めっちゃ素通りしてますけどジムチャレンジは!?」

「アンタには無いよ。ネズさんからのお達しでね、アンタが来たら無条件で奥まで連れてくるように言われてね」

「なんで!?」

 

 俺は身の危険を感じた。それってつまり『直接俺が殺す』という意思の表れではないだろうか。

「さぁ? アタシは下っ端だから詳しいことは聞いてないけど、大事な話をしたいとか」

「だ、大事な話?」

 

 大事な話と聞いて真っ先にマリィの顔が浮かぶ。俺の明晰な頭脳はこれから行われるのが単なる話し合いではないことを見抜いている。多分その話は言葉での詰問以外にも武力行使が含まれているはずだ。俺はきっと、これからネズのマイクスタンドでぶん殴られてしまうのだ。いや、もしかするとそれよりも酷い目にあってしまうかもしれない。

 

「ちょっと待って! 話せば分かりますよ! 話せば!」

「いやだから、その話し合いをネズさんとしてもらうんだよ」

 

 にべにもない。俺の必死の抵抗も空しく、俺はネズの前まで引きずりだされてしまった。

バトルフィールドの隅、窓網の近くにはマリィもいるが、そんなものは今更気休めにもならない。

 

「ようこそ、おれのジムへ。マリィが世話になっていると聞いてね。あんたには前々から会いたいと思って―――……ああいや、その前に筋を通すことが必要か」

 

 ネズのその言葉を聞いた瞬間、俺の精神は臨界点を突破した。筋を通すなんてヤクザ者が使う常套句じゃないか。マイクスタンドで殴られるなんて生ぬるい。俺はこれからケジメとして小指を切断されてしまうのだ。

俺はビビって恐怖のあまり涙を流した。直ぐに涙で視界が歪んでいくが、その前にネズの戸惑ったような顔が一瞬だけ見えた。

 

 

 



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砕ける世界の前と後Ⅰ

「貴方、そういえばキンセツシティの出身だったわね?」

 

 ホウエン四天王であるプリムに三度目の敗北を喫した直後にプリムはそう言った。

 

「……ええ、まあ。郊外の方でしたけど」

 

 別に隠すことでもないので俺は肯定する。何故それをプリムが知っているのか、という疑問はあったが四天王の権力を使えば調べることは出来るだろう。

 

「そう。なら丁度良いわ。今から行きましょう」

「は?」

 

 そのまま半ば強引に空の旅に招待され、連行されたのはキンセツシティの有名店であるキンセツキッチンだった。一杯1万円という馬鹿高い価格設定故に暖簾を潜ったことはなかったが、一度は行ってみたいな、とリョウヘイと話していたものだった。まさかプリムと一緒にこの店に入るとは露にも思わなかったが。その変装に果たして意味はあるのか、と問いたくなるが一応は変装のつもりなんだろう。プリムは何処からともなく取り出したサングラスを掛けて店内に入る。

 

昔からある有名店で、店の中はこじんまりとして小さい。カウンター席とテーブル席が数えるくらいの小さな店だ。プリムはこの店の常連なのかやけに慣れた様子でカウンター席に座ったかと思うと俺を手招きする。上品な仕草だからこそ、少し寂れた感じの店とのギャップが凄い。服装は変わっていないからとんでもない違和感だ。

 

「店長、いつものを二つ」

「へい!」

 

 本当に常連だった。俺は敗北で若干苛立っていたこともあって、少し乱暴にプリムの隣に腰を下ろす。

 

「……で、なんで俺を態々に飯に連れてきたんですか?」

 

 待っている時間は手持ち無沙汰で俺はプリムに話しかけた。

 

「あら? いけなかったかしら?」

「光栄なことなんでしょうけどね。俺が聞きたいのは理由ですよ」

 

 俺とプリムが出会ったのはバトルの三回だけ。それ以外の接点はない。同じ四天王仲間のカゲツやらフヨウやらと来るのなら分かるが、何故関係の浅い俺を連れてきたのか。少なくとも仲良く飯を食うような間柄でないことは確かだ。

 

「それは勿論、お腹が減ったからよ。丁度貴方もいたし、良いかなって」

「良いかなって……」

 

 俺の中でプリムのイメージがとんでもない勢いで崩壊していく。貴婦人のような言動とは裏腹に理由としては大分大雑把なもので、俺は呆れた。

 

「わたくしは誰とでも席を共にする尻軽な女ではないわよ? わたくしが最近食事に誘った異性なんて、カゲツとゲンジさんくらい」

「チャンピオン……ダイゴさんとは来ないんですか?」

「嫌ですわよ。あの男、石の話しかしないですし」

 

 ダイゴの件はどうでもいいが、やはり俺を誘った意味が分からない。三度目の正直で挑んだ今回も俺はプリムの操るトドゼルガに食い止められてしまったのだから。俺はプリムに覚えてもらうほどのトレーナーではない。

 

「納得できないならもう一つ理由を上げましょう。……いい勝負が出来たの。だから貴方を誘った。それじゃ理由にならないかしら?」

「……嫌味ですか?」

 

 俺はプリムの言葉につい噛みつく。今日の勝負は惨敗、とまではいかないが実力伯仲とは到底言い難い内容だった。カゲツとフヨウの突破でも大分苦労したというのに、また戦術の練り直しが必要だ。しかしそうなると今度はカゲツとフヨウに止められてしまうという悪循環。

 

「貴方は自己評価が低すぎるわね」

 

 俺の言葉にプリムは薄っすら笑った。

 

「三人目の四天王であるわたくしに挑む。それが既に偉業なのですよ。その中でも詰まらないトレーナーはいましたが、貴方は違う」

 

 プリムはテーブルのお冷に手を伸ばして一度嚥下する。

 

「ポケモンと一体化するような緻密な連携に戦略。最後まで諦めない強い意志。貴方は本当の意味でトレーナーを名乗るに相応しい。わたくしがそう認めたのです。ならば、敬意の一つくらいは示すべきでしょう?」

「それこそ過大評価ですよ。俺はまた、貴方に勝てなかった」

 

 俺はテーブルの下で拳を握りしめた。今度こそは勝つつもりだった。そのために作戦を練りに練ってきた。しかしそれでもプリムには届かなかった。そのことが、俺はどうしようもなく悔しかった。

 

「勝てなかったねぇ。そんなにも勝利とは価値があるものなのかしら。敗北にはなんの意味もないのかしら」

 

 じい、と俺の顔を見る。端正な顔に覗き込まれて俺は落ち着かなくなる。

 

「ポケモンバトルは勝ってこそ華。敗者に価値が無いと断じることは出来ませんが、勝者の方に価値があることは間違いないでしょう」

「ならジムリーダーはどう? 彼らは負けることも職務の一つよ? 彼らに価値はないのかしら?」

「それは極論です。彼らが誇り高いトレーナーであることは疑いようがない。しかしそれは貴方が言ったように職務の一環として敗北を良しとするだけであって、彼ら自身が敗北を望んでいるわけではないでしょう」

「ええ、そうね。彼らは自分が負けるべきと判断したら負ける。後進のトレーナーを育成するために、価値ある敗北をするのよ。そして、だからこそそれが出来るジムリーダーは讃えられるの」

「……まあ、そうでしょうね。それで、プリムさんは何が言いたいんですか?」

 

 要領を得ない問答に俺には苛立ちが募っていた。

 

「私もずっと思ってるんだけどね、負けることって意外と悪くないのよ」

 

 意外過ぎる台詞に俺はついプリムの顔をまじまじと見てしまった。強さを求めて他地方からホウエンに乗り込んできた彼女とは思えない―――ともすれば自らの弱さを認めるような発言だった。

 

「だって―――」

「へい! キンセツチャンポンお待ち!」

 

 プリムの言葉を遮るように俺達の前にチャンポンの深皿がどん、と置かれる。

 

「……続きは後にしましょう。冷めないうちに食べる。それがチャンポンに対する礼儀です」

 

 言うなり、プリムは割りばしを綺麗に割る。やけに気品のある、いただきますという言葉の後に勢いよく麺を啜り始める。

 

「はふっ! はふっ!」

「……」

 

 ずずーっ!と熱さと格闘しながらプリムは盛大な音を立てて麺を啜る。額に汗を滲ませてチャンポンを喰らう姿に俺は呆気に取られてしまった。

 

「……貴方も早く食べなさいな。麺が伸びてしまうでしょう?」

「はぁ。まあ……いただきます」

 

 俺は盛られた野菜の中から麺を発掘して啜る。プリム行きつけの店だけあって美味い。それがなんだか腹立たしくて、俺は顎に力を込めて麺を噛み切った。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……それで、負けることについてだったかしら」

 

 チャンポンを食い終え、ハンカチで額の汗を拭いながらプリムは何もなかったかのように話し始めた。

 

「……いや、良いですよ」

 

 礼儀を逸すことになるが、それでも俺はプリムの話を聞きたくなかった。聞いてしまっては、自分の中にある何かが壊れてしまうような予感がした。俺は席を立ちあがって財布の中から1万円を取り出してテーブルに置く。

 

「敗北にも価値があるっていうのは俺のような若輩者にも分かります。ただ、俺はそれでも勝ちたい。……いや、違いますね。俺は勝たなくてはいけないんです」

「……そう。まあ、貴方がその道を選ぶというのなら、わたくしがそれを止める権利はないでしょうね」

 

 プリムは俺の置いた1万円を手に取り俺の胸にそれを押し当てる。

 

「ただ、覚えておきなさい。ポケモンバトルとは義務で行うものではなく、勝利とは自らの欲求から湧き出るものだということを。そして、敗者である貴方にも大いなる価値があることを心に留めなさい」

 

 ふっ、とプリムは笑う。

 

「ここの食事はわたくしの奢り。……言ったでしょう? 敬意の一つくらいは示すべきだ、と。それに食事に誘っておいてお金を出させるなんてことをしたら、わたくしがカッコ悪いですし」

「……分かりました」

 

 少し迷ったが、俺はプリムの好意を受け取った。プリムが会計を行って、二人揃って外に出る。もうすっかり夜だ。街灯が点き、人の往来も少なくなってきている。

この時間帯で空を飛ぶのは危険が伴う。実家も近いことだし、気は進まないが今日くらいは実家に顔を出すか、と思っていた矢先にプリムがとんでもないことを言い出す。

 

「シダケ方面に行くと美味しいラーメン屋があるそうね……」

 

 この人、まだ食うのかよ。流石に口に出せなかったため、俺は心の中で突っ込んだ。

あのチャンポンは結構なボリュームだった。細身とはいえ、男の俺が完食して大分苦しいくらいなのにこの人の胃袋はどうなっているのだろうか。

 

「そうですか。じゃあ俺はここで」

 

 そして俺は先ほどの嫌な感覚とはまた別のものを感じ取って速やかにプリムの元を離れようとしたが、どうやら時間切れだったらしい。

 

「何言ってるの? あなたも来るのよ」

「……勘弁してくださいよ。奢っていただいたことは感謝しますが、腹一杯なんで付き合えません」

「若者なのに軟弱ねぇ……。まあわたくしが無理やり連れてきた手前、無理強いはしませんが」

 

 残念そうな表情のプリム。どうやら本当にラーメン屋を梯子するつもりだったようで、俺は慄いた。

 

「ちなみに今日の宿はどうするつもり?」

「実家に帰りますよ、結構近いんで。……あんまり気は進まないんですけどね」

「ふぅん?……わたくしの分の布団はあるかしら」

「あるわけねえだろ、何考えてんだこのオバサン……あっ」

 

 ぶん殴られた。

 

 

 

 

 

 

 頬がひりひりと痛むが、この痛みは俺の自業自得だから甘んじて受け入れなければならない。やけに腰が入ったグーだったが、プリムも本気で殴ったわけではない。痛みもすぐに治まるだろう。

夜の涼やかな空気がありがたい。痛みを誤魔化してくれる。

結局プリムはホテルに泊まるようで、颯爽と行ってしまった。

ちょっとした冗談のつもりだった、と彼女はぷんすか怒っていたが、多分半分くらいはマジだったと思う。

 

「……家、帰りたくねぇな」

 

 110番道路方面に向かって歩きながら呟く。特殊な家庭であるとか、折り合いが悪いとかそういった話ではない。ただ単に俺が気まずいのだ。

家族は傷ついた俺を―――プリムに殴られた頬のことではなく―――優しく受け入れてくれるだろう。そしてその優しさこそが俺にとって何よりも恐ろしいことだった。

 

迷った末、俺は家に帰らずに近くのポケモンセンターで一夜を明かすことにした。キンセツシティは治安も良いし、一晩明かすくらいなら問題ない。ぼうっとしながらひたすらに時の経過を待つ。

朝になって、光の眩しさに目を細めながら外に出る。手持ちのモンスターボールからオオスバメを出し、頭を軽く撫でてやる。

 

「……帰ろうか。俺達のチャンピオンロードに」

 

 ジムバッヂを8つ集めたエリートトレーナー共が巣食うチャンピオンロード。一般トレーナーとして最上位の連中が跋扈する環境はとても厳しく、心が折れてあそこを離れるトレーナーも大勢いる。

しかし不思議なことに俺にとっては居心地が良い場所だった。

あんな苦しいだけの場所に思い入れがあるわけではないが、ひたすらにバトルに明け暮れて、生存本能に従うまま生きるのは楽だった。

 



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ジグザグマな貴方へⅢ

決戦!マリィよりも戦闘!マリィの方が好きなんだけど、あんまり分かってくれる人がいないこの頃


「アンタ、ジムリーダーに興味とかないですか?」

 

 誤解は解け、彼もようやく泣き止んだ。そして兄貴がそんな言葉を口にした時、彼の表情はどこか固く、鋭利なものになった。普段の彼とは違う、進化直前のマッスグマのような、荒ぶるような気配をあたしは感じた。

 

「まさかとは思いますが、俺をジムリーダーに推薦しようとか思ってます?」

「アンタが良ければの話ですけどね」

「……自分で言うのもなんですけど、俺ってばこれでもホウエンでもジムバッヂを8つ集めましたしね。そこそこ強いっていう自負はありますけど、強けりゃいいってもんでもないでしょ? そこのところはどうです?」

「……ああ、その通り。おれとアンタは今日ここで初めて言葉を交えたんだ。だから話半分に聞いてくれて良い。第一おれの独断だけでジムリーダーを任命なんてできないですしね」

「でしょうね。そもそも、なんで俺を?」

 

 あたしには彼をジムリーダーに推薦したい兄貴の考えが理解出来た。彼はダイマックスをこれまで一度も使ったことがなかった。スパイクタウンではダイマックスが使えないから、それを使わずに戦えるトレーナーをジムリーダーとして据えたいんだろう。

予想通り、兄貴は彼に向かってそんな説明をした。

 

「……確かに俺はダイマックスを使いませんから、ネズさんの言う条件に合致してますね。ただ、俺じゃジムリーダーにとって一番大事な仕事をこなせないんで」

「一番大事な仕事?」

「ほら、ジムリーダーって負けるのも仕事じゃないですか。そりゃこれまで幾らでも負けてきましたけどね、だからって負けたいわけじゃないんですよ。俺、根本的に子供なんですよ」

 

 彼の言葉にあたしは最初のジムリーダーであるヤローさんのことを思い出した。当時のあたしにとってはとんでもない強敵だった。しかし今であればあれだけ苦戦したワタシラガと戦ってもそんなに苦労はしないと思う。

それはヤローさんが弱いからとかそういったわけではなく、あたしに合わせて手加減をしていたからだ。実際、あたしと戦っていた時の手持ちと、去年のファイナルトーナメントでは手持ちがまるで違っている。

 

……手加減、というのは少し違うかもしれない。ヤローさんに限らず他のジムリーダー全員が手持ちを制限したうえで全力で戦っていた。全力で戦っているからこそ、彼らも負けるのは悔しいのだ。

しかしそれはある意味敗北を強要されている、という見方も出来るかもしれない。

なんの制限もないヤローさんと戦っていたらあたしは間違いなく負けている。

ジムリーダーは負けるのも仕事。確かに言われてみればその通りだ。

その仕事は彼に取って受け入れられないものらしい。

 

「ポケモン達も連戦すれば疲労も蓄積しますし、俺も人間なんで指示ミスやら運が悪かったとかで負けることって普通にあります。でも負けたら後で改めて叩き潰してますからね。そんな俺がジムリーダーなんて務まらないでしょう。ネズさんの気持ちはありがたいんですけどね」

「……そうか。まあ気が変わったら声を掛けてくれると嬉しいね」

「ええ。……その時が来れば、俺も嬉しいですね」

 

 どこか寂しそうに言って、彼は兄貴から距離を取る。

言うべきことは言った、ということだろうか。後ろを向いて再び兄貴の方を振り向いた時は普段の弱々しさは完全に消えていた。

進化直前のマッスグマはタチフサグマに進化して、戦意の高まった瞳で兄貴を射抜く。

 

「ふぅ……」

 

 兄貴はそれを受けて一つため息を吐いただけだった。普通のトレーナーなら怖気づいてしまうほどの戦意を叩きつけられても表情を変えないあたり、やっぱり兄貴も凄腕のトレーナーだ。

 

「今日はもう二人も勝たせてしまってね。それにマリィも見てる手前、おれも無様な勝負をしないように努力しますよ」

「ハハ、心にもないこと言わないでくださいよ。そんな殊勝なこと、欠片も思ってないくせに」

 

 犬歯を剥きだしにして彼は攻撃的に笑って研ぎ澄まされた目付きのまま、腰のボールに手を伸ばす。こなれた手つきでボールを弄びながら軽く真上に放りなげ、それをキャッチする。そして腕を伸ばし、ボールを構える。

それを受けて兄貴もボールを取り出し、マイクスタンドを手繰り寄せる。シンガーソングライターでもある兄貴のマイクパフォーマンスだ。すぅ、と息を深く吸い込み兄貴の目にも力が入った。

だん!と力強く地面をマイクスタンドで突く。

 

「おれは! スパイクタウンジムリーダー! あくタイプポケモンの天才、人呼んで哀愁のネズ!! 負けるとわかっていても挑む愚かなおまえのためにウキウキな仲間とともに! 行くぜー! スパイクタウン!! まずはメンバー紹介から!」

 

 そして同時にボールが放たれる。

 

「行け! タチフサグマ!」

「出番だ! ドラピオン!」

 

 飛び出た二匹のポケモンは戦意が十二分に昂っている様子で、次の瞬間には激しくぶつかった。

 

 

 

 

 

 

 彼という生き物の生態がどうにも分からない。知り合ってそれなりの時間が過ぎた。彼のちょっとした特徴、例えば好きな食べ物とか苦手なものとか、そういったものは諳んじられるようになった。

でもそれは表面上のものであって、内面に深く根差すものではない。

 

『俺、今も十分大人なんだけど昔はもっと大人だったんだよ。でもさ、チャンピオンロードで色々あってそれがトラウマみたいになって、駄目になっちゃったんだ』

 

 前にふと彼が漏らしたそんな言葉を思い出す。彼に何かあったのはあたしにだって分かる。普段は情緒不安定のくせに、バトルの時では苛烈になる。あたしのモルペコのように二面性を持っていて、自然にそうなったと考えるのは不自然だ。

ちらり、と横目で彼を見る。彼は具合が悪そうに呻いている。今あたし達はエンジンシティの一角のレストランで食事を採っている。兄貴に無事勝利した、ということで祝勝会を行っている最中だ。

カレーが絶品ということで頼んだはいいものの、中辛を注文したあたしに対抗した彼は一番辛いものを注文して、予想通り悶絶した。なんとか食べ終えたが、お腹がしくしく痛むそうでしきりにお腹を擦っている。

 

「……お腹、大丈夫?」

「……うん。大分良くなった」

 

 あたしは店員さん呼んで水を持ってきてもらうように頼む。ありがとうねぇ、と彼は老人のような声を上げた。

 

「まったく、そんなに無理して食べるから」

「いや、だって残すのはもったいないし。俺なら余裕だと思ったんだもん……」

 

弱々しい様子からは先ほどの激闘を制したトレーナーの姿は欠片も見えない。

 

「……ねぇ、そういえば最近日焼けした? というかちょっと太った?」

 

 彼の顔を見ていると、ふとそんな感想が出てきた。出会った当初は病的なまでの白さだったが、今は少し違う。白いことには間違いないけど、なんというか健康的な白さだ。体格についても元々が病人のように痩せていたから、まだ細く感じる。けれど全体的に多少はマシになったように感じる。

 

「あ、分かる? 大分戻ってきたんだ」

「戻ってきたって、前はもっと焼けてたし、体重もあったと?」

「……あー、まあそんな感じ」

 

 そこで少し彼は言葉を濁す。

 

「……それって、例のトラウマが関係してるの?」

 

 彼の言うトラウマとはなんなのだろう。あそこまで強い彼の心を叩き折った出来事とは、どれほどのものだろう。ずっとそれは気がかりだった。でもそれを問いただすということは彼のトラウマをほじくり返すということで、軽く聞くのも憚れる。今のジグザグマな彼のことが嫌いなわけじゃないし、変わって欲しいなんて思ってるわけでもない。

ただ、そのトラウマとやらに未だに苦しんでいるというのなら、あたしが手を差し伸べてあげたいのだ。

その思いは彼の事情を察した時から持ち続けていたものだったが、その欲求は時が経過する度に大きくなっていった。

そして今、あたしは明確にその件について切り込んだ。

 

「いや、それは……」

「何? 言えんと?」

「いや、言えないっていうか」

 

 もしかすると、あたしは焦っているのかもしれない。

あたしと彼は7つのジムバッヂを集めた。最後のジムリーダーであるキバナさんに勝つことが出来ればジムチャレンジの旅は終わりだ。

それが終われば―――彼は、どうなってしまうのだろう。

元々彼はここの出身ではない。ホウエンという場所から来たという。

このジムチャレンジがどう終わるにせよ、終わってしまえばガラルに残る用事はない。きっと彼はホウエンに帰ってしまうのだろう。

 

だから実を言うと、あたしは彼がジムリーダーになる兄貴の案には賛成だった。

あたしはチャンピオンで彼はスパイクタウンのジムリーダー。そうなれば今みたいな関係はずっと続く。けれど彼が望まない以上、それは夢物語だ。

きっと今のような距離感ではなくなる。近くに居て、手を伸ばせば触れられる距離ではなくずっとずっと遠くなる。ロトムフォンがあるから電話は掛けられる。偶に長い休みの時に会えたりも出来るかもしれない。けれど、今よりずっと遠くなることは間違いない。

あたしには、それがどうしても怖いことだった。

 

ただ、あたしの我儘の為にずっとガラルに残って欲しいなんてことは言えない。彼には彼の生活があるし、向こうでやらなくちゃいけないことだってあるかもしれない。

向こうに帰ると言われて、それを止める権利なんてあたしにはない。

それが分かるくらいにはあたしだって分別はある。だからこそ、だ。

 

別れの時が近いというのなら、それが避けられないというのなら、せめて納得のいく終わりにしたい。もやもやとした感情が燻ったまま終わってしまうのではなく、最後には泣きながらも晴れやかに終わりたいと思ったのだ。そのために、心残りなんて残すべきじゃない。

 

「……ちょっと恥ずかしいんだけどさ、その、引きこもってた時期があって。半年くらいだったかな。外にもあんまり出なくなったし光も浴びてなかったから。俺も病人みたいになって」

 

 あたしの真剣な顔を見て、何かを感じ取ったのか彼は時折言葉を濁しながらも話してくれた。

けど、そうじゃない。あたしが知りたいのはもっともっと深い根っこの部分。

 

「そもそも何でそんな風になったの?」

「いや、それは……」

「あんだけ情けないところを見せておいて、言いづらいとか無しだから。そもそも、あたしと初めてあった時にかいつまんで話してくれたでしょ」

「いや、あれは行き摺りの関係で終わると思ってたから逆に言えたんだよ。まさか、こんなに関係が続くなんて思ってなかったし……。っていうか大体のことは知ってるんだからそれでいいじゃん」

「駄目」

 

 彼はあたしの顔をじぃっと見て一つため息を零した。

 

「……分かんないな。俺の過去なんて知ったってどうしようもないじゃん。なんで俺のことなんて知りたいの? 興味本位だったら止めて欲しいんだけど」

「興味本位なんかじゃない」

「じゃあなんでだよ」

 

 ちょっと不機嫌そうに彼はそう言った。

 

なんで、と聞かれると返答は難しい。いや、別に難しいわけじゃないけどそれを口に出すのには大分勇気がいる。嫌がる彼に過去を語らせようとしている癖にあたしは正直に言わない、なんてのは卑怯かもしれないけど。

でも、そういうのって男が気を利かせてくれるものじゃないのか。

 

「だって、あたしはあんたのお姉ちゃんだから」

 

 その言葉は半分本当で半分嘘。そんな風に誤魔化してしまった言葉の真意を汲み取ってくれ、なんて虫がいいかもしれないけど。 

 

あたしの想いは、貴方にちゃんと伝わっているでしょうか。

 

 



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砕ける世界の前と後Ⅱ

一話じゃ終わらなかったので、もう一話使います。


 「チャンピオンロードを抜けようと思うんだ」

 

 プリムに連行された少し後のことだ。話があると呼ばれて来た俺にリョウタロウは開口一番にそう言った。リョウタロウは俺と同世代のトレーナーで、共にキンセツシティのポケモンスクールに通って親友とも呼べる間柄だ。厳しい環境故に心を折られて去るトレーナーの数は多い。慣れたとはいえなくても割り切ったはずだったが、親しい仲でもあるリョウタロウの言葉は俺に深く突き刺さった。

 

「……何故?」

「何故って、お前だって分かるだろう。俺は未だカゲツさんを一度すら突破出来てないんだ。……もう、限界なんだよ」

 

 俺は一瞬視界が真っ赤に染まるのを感じた。胸倉を掴もうと伸ばした手はすんでのところで止められた。燃え滾る感情に強引に蓋をして、何度か深呼吸を繰り返す。

そうすると話を聞ける程度の余裕が戻った。

 

「……悪い、ちょっとカッとなった」

「いや、俺が悪いんだ。……お前との約束、果たせなくなっちまったからな」

 

 ポケモンスクール時代に俺とリョウタロウは一つの約束をした。他愛のない、子供の約束だ。

どっちかがチャンピオンになって、どっちかがチャレンジャー。そしてデカい舞台で盛大に戦おう。

……そんな淡い、かつての記憶が俺の脳裏に蘇った。

俺は適当な岩にどっかりと腰を下ろした。そうやってリョウタロウと距離を取らなければ思いっきりぶん殴ってしまいそうだった。

リョウタロウを視界にいれたくなくて目を伏せる。そうしていると昔のことばかりを思い出す。

本当に、本当に楽しい日々だったのだ。

 

「……なんで今なんだ」

 

 掠れた声で問う。

 

「この間、カゲツさんのグラエナとノクタスは倒せたじゃねえか。エースのアブソルを引き出せたじゃねえか。……前よりいい勝負が出来るようになっただろ? 勝ち筋だって見えてきたんじゃないか? もっと前に諦めるなら分かる。どうして、今になって諦めるんだ?」

 

 僅かでも進歩はあったはずだ。それなのに、どうして今になって。

 

「どうして、か……。なんつうか、分かっちまったからかな」

 

 俺はリョウタロウの顔を見る。心折れた絶望しきった顔ではない。諦観の表情でありながらも、どこか朗らかな表情だった。

それは此処を去るトレーナーにはありえない表情だった。

彼らは大抵失意の果てに絶望してこの場所を去る。……あの顔は、何度見ても慣れないものだ。

その中の何人かは俺が再起不能に追い込んでしまったのだから猶更だ。

 

「分かったって。そういえば、昨日からお前の様子はなんか変だった。何かあったのか?」

「ああ。まあ、一人のトレーナーに遭ったんだ。そんで負けた」

「……それだけか? お前はそれだけで此処から出ていくのか? 俺もお前も数えきれないほど負けてきただろうが」

 

 一度の敗北も味わわないトレーナーなど居はしない。敗北に敗北を重ね、そしてだからこそ強いトレーナーへと錬磨されていくのだ。次こそは負けない、その強い決意と共に。

だから俺は負けたとしても必ず再戦を挑んで勝ちを捥ぎ取ってきた。四天王だって同じだ。確かに今の俺ではまだ力が足りないかもしれない。そこは認める。だが、いずれ勝つ。

俺は、勝たなければいけないのだから。

 

「そうだよな。俺達は何度も何度も負けてきた」

 

 俺の熱の籠った言葉とは裏腹に、リョウタロウの言葉は澄み切っていて柔らかい。それは明らかに不自然で気持ちが悪い。

 

「何度負けたって最終的に勝てばいい。そうして俺達は自分の価値を示し続けるんだってな。……これは俺がセンリさんに負けた時にお前が言ってくれた言葉だったか」

「……ああ」

「お前の言葉に嘘はないし、一つの真理でもあるんだろう。でもさ、絶対に勝てない相手が出てきたらどうする?」

 

 まるで哲学のような問いかけだ。俺はこれまでそんなことを考えたことすらなかった。四天王やチャンピオンは確かに強い。ただ、付け入る隙がまったく無いわけではない。

現に俺はカゲツとフヨウを突破しているし、プリムとだって戦えている。

今はプリムの方が格上だとしても、絶望するまでの差はないと思っている。三度目の挑戦でエースのトドゼルガを引っぱりだしたのだ。後は戦いの流れを掴み、主導権を握れれば不細工な形かもしれないが勝ちだって拾えるだろう。

リョウタロウの言葉通り、俺は数えきれない程負けてきた。しかしそうあがいても勝ちようがない無敵の存在なんて出会ったことがない。

 

「それは……勝つまで挑むしか無いだろ」

「何度挑んだとしても絶対に勝てないんだ。何度繰り返してもどれだけ鍛錬を重ねても、どう足掻いても」

「哲学の話は嫌いじゃないが、この期に及んで煙に巻くような言動は止めろ。そんな空想の存在を仮定してどうなる」

「俺が負けたトレーナーの話さ。あれはトレーナーの理想だ。全てのトレーナーが目指す頂だ」

 

 打って変わって力強く語るリョウタロウ。リョウタロウは間違いなく強いトレーナーだ。全てのジムバッジを集め、長くチャンピオンロードに居続けている。カゲツだけとはいえ、四天王の一角と戦ってもいる。そのリョウタロウがそこまで熱弁するトレーナーとは確かに尋常の存在ではない。

 

「……本当に、そんなヤツがいたのか」

 

 半信半疑だ。リョウタロウほどのトレーナーが見誤るとは思えないが、そんな存在は御伽話の中でしか許されない存在だろう。

 

「ああ、いたんだ。……あれは、俺の理想だ。俺がこれまでずっと追いかけ続けていたものだ」

「そのトレーナーがお前の理想だって言うなら、そのトレーナーを追いかければいいじゃねえか」

「理想って届かないから理想なんだ」

 

 一変して、寂しそうにリョウタロウは呟く。

 

「戦っているうちに分かったんだ。……いや、思い知らされたっていう方が正しいのかな。俺の人生をこれから全てポケモンバトルに捧げたとしても、あの領域には届かない。……それにさ、そいつのトレーナー歴どれぐらいだと思う? 旅を始めて一年だとさ」

「ハァ!?」

 

 流石に俺も声を荒げた。リョウタロウが此処まで言うヤツのトレーナー歴が一年なんて、俄かには信じられない。

 

「まさか騙られたか?」

「いや、俺よりも年下の女の子だったし嘘じゃないだろう。少なくともトレーナー歴は俺達よりずっと短い。それは動かない」

 

リョウタロウは話し続ける。その言葉の中にはこれまで聞いたことのない、熱っぽさがあった。

 

「見た目は普通の女の子だったんだ。なんかの間違いで迷い込んだかと思ったぐらいでさ。でも本当に戦いは素晴らしかった。俺は、殆ど何も出来ずに負けちまったよ。それぐらい圧倒的だった。……負けたらさ、思ったんだ。俺のこれまではなんだったんだろうなって」

 

 自画自賛になるが俺達はキンセツで神童と言われるほどセンスがあった。俺は特に知識面で優れていることもあり、ポケモンスクールでの成績は筆記もバトルも卒業まで一位を保持し続けてきた。リョウタロウは万年二位だったが、俺のような存在はそもそもイレギュラーだ。リョウタロウも周りからも才能があると言われ続けて来たし、実際に勝利を重ねてきた。勿論、その中には苦しい敗北だってあっただろう。だがそれだって乗り越えてきた。そしてチャンピオンロードにまでたどり着いて―――トレーナー歴一年の少女に圧倒された。

 

「……」

 

 その時のリョウタロウの想いはどれだけのものだったのだろう。それはリョウタロウにしか分からない。そしてもう一つ、分からないことがある

 

「……悔しくないのかよ。お前のこれまでが否定されたってんなら、そういう感情だって出てくるだろうが」

 

 それが一番不可解なことだ。何故負けてそんな穏やかな表情を浮かべられるのか。

 

「本当はさ、俺も薄々気づいてはいたんだ。俺はチャンピオンにはなれないって。けど、踏ん切りがつかなくてなんとなく此処に残ってた。でもあの女の子に負けて……納得したんだよ。俺がチャンピオンの器じゃないって、これ以上明確に。あの子になら負けていいなと思ってしまった。……だから、俺は諦めるよ」

 

 そしてリョウタロウはこれからの展望を語り始める。実家に戻って暫くゆっくりした後はポケモンレンジャーの試験を受けるとか、そんな事を優し気な顔で喋り始める。正直、聞いていられなかった。

 

「そいつの名前は?」

 

 話を遮って俺は聞く。

 

「名前は……聞いてなかったな。でも特徴なら覚えてるよ。スパッツに、赤いバンダナを巻いてた。……噂、聞いたことあるだろ? マグマ団をほぼ単独で潰してルネに出てきた馬鹿でかいポケモンを倒したって。多分その子だ」

「……そうかよ」

 

 薄々と予感はあった。出来れば外れて欲しいと思っていたが、やはりそうは問屋が卸さないらしい。

俺は岩から立ち上がった。そしてリョウタロウに背を向けて奥に歩き始める。

 

「どこにいくんだ?」

「決まってるだろ。俺もバトルを仕掛けるんだよ、そのトレーナーにな」

「……止めといた方が良いんじゃないか」

 

 その言葉に俺は振り返ってリョウタロウを睨んだ。

 

「俺が負けると?」

「お前が俺より強いことは知ってるさ。でもあの女の子が負ける姿を俺は想像できない。それに、お前は負けるだけじゃ済まないかもしれない」

 

 それがどういう意味か聞くまでもない。俺はリョウタロウを無視して奥に急いだ。

 

 

 

 

 

 

 リョウタロウがおかしかったのは昨日からの話だ。時間を考えればまだチャンピオンロードにいるはずだ。俺の第二の故郷とも呼べるようになったチャンピオンロードは険しいが、抜け道なんていくらでも知っている。出口付近に繋がるショートカットをすれば先回りも可能なはずだ。

 

「ふざけるな、ふざけるなよ……!」

 

 道中、俺の心は荒れに荒れていた。後先考えず、思い切り岩肌を殴りつける。痛みと共に血が滲んでくるが、痛みは感じなかった。

認められないのだ、そんな存在は。此処はれっきとした現実で、画面越しに眺めていた虚構の世界ではない。たった一年でジムバッジを集める傍らマグマ団を潰して、ついでに伝説のポケモンも倒したって? 舐めるのも大概にしろ。

確かに俺もミーハーな気分で主人公を探したりする時期はあった。しかしいくら探しても出会えないし、この世界に身をおいている間に浮ついた感情はとっくの昔に消え失せていた。だから最近はそもそも主人公なんていないんじゃないか、と思っていた。

マグマ団が壊滅したという噂だって、何かの間違いか誇張されたものだと思っていた。

だってそんなことは現実的に不可能だ。たった一人で悪の結社目掛けて突撃する少女がいるとしたら、それはただの自殺としか言いようがない。

詰まらない噂話だと思っていたが、もしもそんなトレーナーが実在するとしたら才能があるとか、天才とかそんな生ぬるい言葉では片づけられない。

まるで世界そのものが味方をしているような―――。

馬鹿げた妄想を振り払う。今はそんなことを考えている場合ではない。

 

出口付近に辿り着き、暫く待つ。待った時間はそれほど長くはなかった。眩しいライトが点滅したと思えば、続いて響く地面をタイヤで擦る音。

そうして眼前には少女がいた。リョウタロウの証言と一致する、自転車に乗った見た目は極々普通の少女だ。

 

「よぉ」

 

 俺は至って気安く少女に声を掛けた。少女は俺の声に反応して、頭を軽く下げる。

 

「君がマグマ団を潰してルネに出現したデカいポケモンを鎮めたっていう噂のトレーナーか?」

 

 ここまで来ればほぼ確定なのだが、念のために質問を投げかける。俺の質問に少女は困ったような顔を浮かべた。

 

「……はい。でも、私一人だけの力じゃないです。ダイゴさん……チャンピオンも力を貸してくれましたし。私は大したこと―――」

「そういうの、やめてくれないか」

 

 俺は少女の言葉を遮った。たとえその言葉に悪意がなかったとしても、その言葉だけは許容していいものではない。

 

「謙虚は美徳かもしれない。けど過ぎればそれは嫌味だ。チャンピオンロードで君は沢山のトレーナーと戦ってきたんだろう? 此処に来たってことはそいつ等全員に勝ってきたということ。……君が大したことないなら他の連中は塵か何かか?」

 

 俺はこれまで多くのトレーナーと戦ってきた。中には俺に負けて挫折し、トレーナーを諦めたヤツだっている。俺の背後には数えきれないほどの躯が横たわっていて、俺はただ一人その先で立っている。振り返ると俺が壊してしまった彼らが倒れ伏したまま無数の目で俺をじっと見るのだ。

だから俺は諦められない。だって、俺が諦めてしまったらそんな彼らになんの意味も無くなってしまうじゃないか。そしてだからこそ俺は、自らの才能を誇る。それが折れてしまった彼らに対する手向けであると信じている。

 

「……すいません」

「いや、これは俺の思想で君に押し付けるのは間違いだ。ただ覚えてくれ。君にとっては雑魚同然のトレーナーでも彼らは生きている人間でプライドだってある。だから俺は君に誇って欲しい。負けてしまった彼らを無価値にしてほしくないんだ」

「……はい」

「長々と話して悪かった。……まあ、こうしてトレーナー同士の目が遭ったんだ。やることは一つ。天才共の巣窟をあっさり突破した君の価値を、俺にも見せてくれよ」

 

 俺はボールを構える。そして少女は少し迷うような素振りを見せた。

 

「……どうした? 回復したいなら待つが」

「いえ、私のポケモンは先ほど全快させています。……勝負を挑まれた以上は私も受けないわけにはいきませんね」

 

 自転車を降りて、少女はボールを構える。

一瞬の間があり、指し示したように同時のボールを投げる。

 

「行って! バシャーモ!」

「出てこい! サクラビス!」

 

 一目見ればバシャーモが異様なまでに鍛え上げられていることは分かる。これまで見てきたポケモン達が霞む程の堂々とした威容は、間違いなく難敵だ。

まるで目の前に佇んでいるかのような圧倒的な感覚に身震いしそうになるが、俺は自らを鼓舞するように笑ってやった。

 

「どうする。相性の面じゃそっちが不利なようだが、交代するか?」

「問題ありません。この子は私が最も信頼するポケモンです」

「……ああ、そうかい」

 

 本当に少女が全幅の信頼を置いている故なのか、少女はポケモンを替えようとしない。確かにタイプ相性だけで勝負が決するほどポケモンバトルは甘いものではない。相性はバトルを有利にする条件の一つというだけであって、勝敗を決定づける絶対的なものではない。相性を覆して勝ちを拾ったことは俺にだってある。

ただ、それは他に有利を取れるポケモンがいなかったとか、何かしらの理由によるものだ。

苦しい勝利を敢えて狙う必要はどこにもないし、意味がない。

そして炎タイプで挑まなければならない理由なんて今ここにはない。ここまで来れるトレーナーがタイプ相性を理解していないはずがない。炎は水に弱い。こんなのはトレーナーでなくても分かることだ。

ならば行きつく結論はただ一つ。

 

「舐めてんじゃ―――」

 

 歯が軋む。噛み切った唇からは生暖かい雫が垂れた。

 

「―――ねえよ! 『ハイドロポンプ』!」

「『ブレイズキック』」

 

 言葉の直後、紅蓮と紺碧が衝突した。

 

 




イメージとしてはハルカさん→ゲームの世界 その他→割とリアルな世界

ちなみにそのせいでハルカさんの精神状態が結構やばいことになっている設定ですが、多分深く描かないと思います。


感想に対する返信は今基本的に行っていませんが、全て読ませてもらっています。
これからも応援のほど、よろしくお願いします。


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砕ける世界の前と後Ⅲ

ハルカさん「敗北を知りたい」


「―――じゃあついでだ。ポケモン勝負してやろうか?トレーナーってどんなものかオレがおしえてやるよ!」

 

 生まれて初めてのトレーナー戦はユウキ君とだった。相手はミズゴロウで私のアチャモでは相性が悪い。つい先ほど博士からポケモンを貰ったばかりの新米トレーナーだけど、それくらいは私でも分かる。それにユウキ君は私よりもトレーナー歴だって長い。どれぐらいの差があるか分からないけど、私が勝つのはかなり厳しいはずだった。

けれど、勝った。ミズゴロウは水タイプの技がまだ使えないようで、それが幸いした。

 

「……ふうん、ハルカって強いんだね。父さんがハルカのことを注目する理由も分かったきがする」

「え? えへへ、そうかな?」

 

 単純に勝てたことが嬉しかった。最初のバトルなんだから、やっぱり気持ちよく勝ちたかった。

その時の私はただ浮かれているばかりで、深くは考えなかった。

 

「ふうん……かなり育ててるんだな。ちょっとくやしいな。トレーナーとしてはオレのほうがセンパイだったのに……」

 

 けれどミナモデパートの前で聞いたユウキ君の言葉に、私は考えてしまったのだ。

―――なんで、私が勝てたの? 

ミナモデパート前の勝負の件はまだ良い。けれど、一番最初にユウキ君と勝負をした時に私が勝てたのは何故だろう。

 

私のバトル経験なんて博士を襲っていたポチエナだけで、素人丸出しだったはず。

あの時のバトルはお互いノーマル技しか使っていなかったし、ポケモンの能力も多分大体同じくらいだった。なら、勝負を決定づけたのはトレーナーの腕の差なのか。いやそうなるとやっぱり素人の私が勝てたことはおかしい。それが才能なんだ、なんて言われても納得できない。

 

そもそも、ユウキ君は私よりもトレーナー歴が長いのに、どうしてミズゴロウを鍛えなかったんだろう。

もらったばかりのアチャモと競り合えるレベルだったんだから、ミズゴロウも大して鍛えられていなかったはずだ。今までは深く考えてなかったけど、一度思考の沼に嵌るとどんどん深みに沈んでいく。

なんで皆、私に勝てないんだろう。マグマ団リーダーのマツブサだって弱かった。

ルネシティに出現したグラードンだって普通に倒せた。

 

世界は私の都合の良いように作られている。次繰り出してくるポケモンは大体分かるし、技は絶対にあたる。それを鬼才だ、と皆私を褒め称える。それが私にはいまいちわからなかった。凄い人に師事しているわけではない。特別なことなんて何もやっていない。私はただ普通に旅をして普通にバトルをしているだけなのに。

チャンピオンロード。8つのジムバッジを集めたトレーナー達も、やっぱり大したことなかった。

ミツル君も初めてキンセツシティで戦った時と比べるととても強くなっていたけど、私には及ばない。

そしてチャンピオンロードの出口を通せんぼうするように背の高い青年が私の前に立ちふさがった。

 

「謙虚は美徳かもしれない。けど過ぎればそれは嫌味だ。チャンピオンロードで君は沢山のトレーナーと戦ってきたんだろう? 此処に来たってことはそいつ等全員に勝ってきたということ。……君が大したことないなら他の連中は塵か何かか?」

 

 彼らにだって此処まで来るだけの実力があって、それを容易く捻じ伏せた私は客観的に見れば凄いトレーナーなんだろう。でも私はそれを殊更に主張する気分にはなれない。

だって私は自分がごく普通の女の子だと知っている。

 

青年は私に誇れと言った。青年が言う言葉の内容は理解できる。ただ、私なんかがそんなものを誇っていいものではないと思う。寧ろそれは私に負けたトレーナーにこそ言うべきことだ。

私との勝負に膝を折って、それでも尚立ち上がる気概を見せる彼らこそが誇り高い。

懸命に堪え、それでもと私を睨む姿。例え敗北でも、それはきっと輝くような眩しいものだと私は思うのだ。

 

だから私は敗北を知りたい。そうすれば、きっと私は救われると思う。この歪んだ世界に亀裂が入って、私は普通の女の子に戻れるのだ。

もしかすると眼前の青年がそうなのかもしれない、と思った。私を打ち伏せ、真っ平な暗闇から引きずりだしてくれる夢のような存在なのかもしれない。

青年からにじみ出る覇気は強者のそれ。きっとこのトレーナーは今まで私が戦ってきたトレーナーの誰よりも強い。だから、少しだけ期待してしまった。

 

「……俺の、負けだ……!」

 

 ―――そんなこと、あるはずがないのにね。

 

 膝をついて打ちひしがれる青年の脇を通り抜ける。ミツル君よりかは強かった。きっと強いトレーナーなんだろうと思う。でもそれだけだ。

一体どこにいるんだろう。私を救って(壊して)くれる存在は。此処までやってきたからにはもう四天王とチャンピオンに期待するしかない。

眩い出口に足を踏み出そうとすると後ろで物音がした。振り返ると、先ほどの青年が固い地面を素手で殴り付けていた。肩が震えている。声を押し殺して泣いている。

これまで私が何回も見てきた光景だ。

 

……あーあ。

また壊れちゃった。

 

 

 

 

 

 

 ハイドロポンプの一撃を強引に押し返し、ブレイズキックがサクラビスを直撃した。それだけでもうサクラビスは戦闘が出来る状態ではなくなった。

技の相性で劣っており、尚且つハイドロポンプで多少なりとも勢いが減衰しているにも関わらずだ。

全身が寒気立つ。化け物とは思っていたが、まさかあそこまでとは俺も思っていなかった。

 

「ッ、オオスバメ!」

 

 次に選んだポケモンはオオスバメ。天井が洞窟の内部はオオスバメの強みを潰すことになるが、それでも素早さは俺の手持ちの中でも随一であり、格闘に有効な飛行技だって豊富だ。

 

「『ツバメがえし』!」

 

 この世界には必中技なんてものは存在しない。しかし速度に振り切ったその技はオオスバメが持つ高い素早さも相まって正確にバシャーモを捉えた。そしてバシャーモは異様な速度でオオスバメを雁字搦めに固定した。

 

「! オオス―――」

「『ばかぢから』」

 

 本当に一瞬だ。一瞬で俺のオオスバメは倒れた。

地面に落下するオオスバメを労りながらボールに戻す。ボールを持つ俺の手は震えていた。強いとかそんなレベルの話ではない。俺だって素人じゃない。ポケモン達も全員鍛え上げている。

そんな彼らが殆どなにも出来ず、戦闘不能になった。

強すぎる。弱音を強引にねじ伏せ、ペルシアンを繰り出す。またしても瞬殺だ。

 

……俺が今やっているものは本当にポケモンバトルなのか?

いや、こんなものはポケモンバトルではない。ただの虐殺だ。自分から勝負を挑んだ癖に俺は叫びそうになった。それほどまでに俺がこれまでしてきたポケモンバトルと乖離している。技と技との競いなどではなく、一方的な虐殺。バシャーモが技を繰り出せば一瞬で俺のポケモンは墜ちる。それは虐殺であると同時に、作業のようでもあった。

 

キレイハナもブレイズキックに倒された。残る一体は俺の長年の相棒であるクチート。

ボールを取り出し、投げようとした。けれどボールは俺の手に残ったままだ。

頭が思いっきり命じても、身体はそれに反して言う事を聞いてくれない。

小刻みに震える指は固く閉ざされて、ボールを離すまいと抵抗している。

 

諦めろ、と本能が語りかけてくるのだ。

うるせえよ。俺はまだ負けてない。俺が信頼するクチートは多くの強敵に打ち勝ってきた。だから今度だって。

―――諦めろよ、俺。

黙れ。頼むから黙ってくれ。勝てないなんて俺が一番分かってるんだ。でも勝てないことと諦めることは同義じゃない。一度くらいの敗北なんて受け入れる。でも諦めたら本当に駄目なんだ。

絶対に勝てないんだと思ってしまったら、生涯コイツに敵わないと思ってしまったら。

俺がこれまで積み上げてきたもの、切り捨ててきたものが全部無駄になるじゃないか。

だから諦めるのは駄目だ。そんなことは分かっているのに。

 

「……どうしましたか?」

 

 静かに声を掛けられて俺は少女の顔を見る。無感動な瞳が俺の見ていた。

 

「次のポケモンがいるなら出してください。無ければ私の勝ちです」

 

 少女はこの戦いに何の価値も見出していないようだった。だってそうでなかったらあんな顔はしない。感情が乗せられていない顔は、見ようによっては心底詰まらなそうでもある。

 

嗚呼。俺はこんなにも必死で藻掻いているのに、お前にはなんの価値もない戦いなのか。

俺のポケモン達は作業のように事務的に片づけられるだけの存在だったのか。

そんな顔をしないでくれ。無感動に睥睨しないでくれ。『お前にはなんの価値もないんだ』と言わないでくれ。俺のこれまでを、頼むから否定しないでくれ。

そんなのは嫌だろう。だから動いてくれよ、俺。

 

「……俺、は」

 

 みしみしと軋む音。継ぎ接ぎだらけの硝子が軋んでいる。その言葉を言ってしまったら本当に終わってしまうと分かっている。けれど怯えた本能は勝手に俺の口を動かしていく。

 

「……俺の、負けだ……!」

 

 クチートが入ったボールを握りしめた腕が力なく下がる。降伏宣言だ。戦えるポケモンはまだいるのに、俺は諦めた。

足腰が砕け、俺は無様に膝を折る。少女は俺を一瞥し、脇を通りぬけていった。

最後の最後まで、俺を見ながらも俺という存在が眼中にない、そんな態度を貫き通して。

歯を食いしばって地面を殴る。俺は情けなさのあまり声を押し殺して泣いた。

少女は確かに異様なまでに強かった。しかし、それは俺が諦める理由にはなんらならない。

 

挫折なんてものは結局自分との勝負だ。俺が弱かったから折れてしまったのだ。

これまで築き上げてきたもの、誇りやプライドや実績。それらが音を立てて崩壊する。

残ってしまったのはちっぽけな自分という存在だ。

嗚咽が抑えられなくなってきた。ここまで大泣きするのは物心ついてからは初めてで、俺はリョウタロウが来るまで身体を丸めて小さい子供のように泣きじゃくった。

……ごめん。おれ、まけちゃったよ。

それは一体誰に向けて謝っているのか、謝罪している俺本人ですらわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 チャンピオン防衛戦はテレビ放映がされる。ホウエンのトップを決める戦いであるが故に注目度は高く、観客席も満員だ。その中に俺とリョウタロウもいた。

リョウタロウがチケットの抽選で当選して、俺を誘ったのだ。俺は正直来たくはなかった。

だが廃人同様でホテルに籠っていた俺をリョウタロウが強引に引っ張りだしてきたのだ。

 

「始まるみたいだな」

「……ああ」

 

 俺は無気力な身体を酷使してバトルフィールドを見る。

……俺達が夢見た場所。もう、俺達では届かない場所。観客の熱気に包まれて戦ったらどんなに盛り上がるだろうか。もう、叶わない思いがここに来ても噴出する。

チャンピオンのダイゴと少女は握手を交わし、勝負が始まる。

俺とリョウタロウにとっては驚くべくことではないが、周りの観客達は驚愕のあまりどよめきが起きていた。チャンピオンが少女に押されている姿は俄かには信じられない光景だろう。

 

「……おい」

「ん?」

「お前、泣いてるぞ」

 

 目に触れる。確かにそこからは大量の涙が流れでていた。

 

「大丈夫かよ、お前。あの子に負けてから凄い涙脆くなってるぞ。……そんなにあの子に負けたのがトラウマなのか? 今からでもホテルに―――」

「いや、違うんだ」

 

 確かにあの少女に負けてから俺はこれまでにない無力感に苛まれている。あの一戦は間違いなくトラウマになっているし、涙脆くなっていることも否定しない。

ただこの涙はそうではない。悲しいから、恐ろしいから流しているものではない。

 

「なぁ、リョウタロウ。……綺麗だよなぁ、あれ」

「……ああ。そうだな」

 

 俺が言わんとしていることをリョウタロウも分かったのか、神妙な顔をして頷いた。

少女の操るバシャーモは本当に美しかった。その姿ではなく、躍動する動きそのものが。

エアームドの攻撃を避ける姿は華麗で演舞のよう。動作一つ一つも洗練され、周囲に舞う焔がその美しさを際立たせている。合理的でありながら明媚で、それでいて荒々しく。

一体どれほどの鍛錬を重ねればあれだけの動きが出来るようになるのだろう。あんなもの、今の俺はおろかこれから何十年と研鑽を重ねても無理だろう。

これは感動だ。涙を流すに足る芸術を俺は今眺めている。戦っている最中ではなく、観客席から見るとそれが良く分かる。バトルを見て美しいと思ったのは、きっと生まれて初めてだ。

 

「見ろよ、チャンピオンロードに居る奴は全員、重苦しい顔をしてる」

「ああ。……そいつらの気持ち、分かるよ」

 

 彼らはたとえ少女に瞬殺されたとはいえ、一握りの高位のトレーナーだ。バシャーモの演舞がどれほど凄まじいものか、その価値を分かっている。

そして一様に皆こう思っていることだろう。『あれには勝てない』と。

俺もそうだ。僅かに残っていたプライドの残骸はたった今、粉微塵に踏みつぶされた。

あれには勝てないと納得してしまったのだ。そして認めてしまった以上は、俺も此処に残ることは出来ない。

 

決着がつく。チャンピオンは防衛に失敗し、チャレンジャーが新しいチャンピオンの座に君臨することになる。その結果はチャンピオンロードを根城にする連中に重く受け止められた。多くの者が去っていき、俺もまたその一人だった。

 

 



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砕ける世界の前と後Ⅳ

長くなったので分割。
多分今日中に投稿出来ると思います。
後、活動報告(言い訳)を更新しています。お時間がある方はこちらもご覧ください。



「俺、今後はヒップホップで食っていこうと思うんだ」

 

 俺の言葉にそれまでの和やかな談話ムードだったリビングは固まった。親父は箸で摘まみ上げたから揚げを取り落とし、お袋は一瞬固まった後音楽番組を流していたテレビの電源を速やかに落とした。

 

「……またテレビ番組に感化されたの?」

「うむ。別に音楽方面に進むことを反対するわけではない。本当に真面目に考えての結論だったら、応援してやってもいいが―――」

 

 親父はちらり、と先ほどまで点いていたテレビを見る。

 

「絶対に、さっきのテレビを見て反射的に言っただけだろう」

 

 つい今しがた映し出されていたラッパーのことを言っているのだろうか。やれやれ、だとしたら俺も舐められたものだ。

 

「馬鹿にしないで欲しいな。俺がそんな風に見える?」

「残念ながら、お前のここ数か月の行動を見ていると十分にそう見える」

 

 実の親だからこそこの口調には容赦がない。両親は呆れた目で俺を見た。不本意極まりない。

 

「ついさっき思ったわけじゃない。俺がラッパーを目指そうと思ったのは―――先週の音楽番組を見てからさ」

「ごめん、実の息子にこんなこと言いたくないんだけど、やっぱりお前は馬鹿だ」

「今日衣装も届いたんだ」

「買ったのか!?」

「……宅配業者が来てたから何を注文したかと思えば」

 

 驚愕する親父とため息をつくお袋。

俺は一度自分の部屋に戻り、普段着から届いたユニフォームに着替える。こんな派手なものを着るのは生まれて初めてだ。四苦八苦しながら着て、リビングまで降りる。

そして俺は渾身のラップを披露してやった。音楽経験なんてまるでない俺だが、中々様になっていると我ながら思う。少しレッスンを積めばテレビにだって出れるだろう。

 

「どうよ?」

「生まれたてのポニータか?」

 

 なんて惨いことを。

 

「というか、それって女物なんじゃ……」

 

 確かにスカートだ。男モノを注文したと思ったが間違えてしまったのか。当然ながらスカートなんて履くのは生まれてこの方初めてだ。足元はスースーするし、世の女性はよくこんなものを履けるものだと感心した。しかし、そんなものは些末な問題だ。いや、寧ろこれはこれで話題になるのではないか。女装ラッパー。話題性は十分だ。

 

「……ありね」

「母さん!?」

 

 ふくよかな体型に似合わず俊敏な動作で立ち、俺の髪やら顔を触っていくお袋。

 

「うーん、流石私の息子といったところかしら。細身で色白だから化粧も映えるだろうし、長身なのも逆に良いわ。私の伝手でそういうお店を探しましょうか?」

 

 なんでそういうお店に伝手があるの?とは聞かない。そういうこともあるんだろう。多分。

 

「い、いや、いくら母さんがそう言ってもだな―――」

「やあねぇ。お父さんだって昔プレイの一環でセーラー服を着てたりしたでしょう? あの時はノリノリだったし、血筋なのかしら」

「母さん!?」

 

 再び驚く親父。俺は親父がセーラー服を着ている姿を想像する。俺の長身の遺伝は親父からだ。体格がよく大柄な男がセーラー服でくるりと回った姿まで脳裏に描いてみて、俺は吐き気を催した。

 

「……なぁ」

 

 叫んだ親父は自身を落ち着かせるように深呼吸して、真面目な口調で喋りだす。

 

「確かに、俺は昔セーラー服を着た。その姿のまま母さんに鞭でしばかれるのは、とても良かった」

 

 いきなりなんてことを暴露してやがる、親父。

 

「だが、そういうのは身内で秘めておくから良いのであってな。やはりその……一般的ではない。勿論お前がそういった性癖であれば止めるつもりはないが、そこまで倒錯しているわけじゃないだろう。単なるキャラクター付けならやめておけ。絶対に後悔するだろうからな」

 

 親父は腕組みをして俺をじっと見る。温厚で滅多に怒ることのない親父の目は真剣で、空気が読める男である俺は口を挟めなかった。

 

「……お前の苦しみは、親である俺達ですら正確に分かってやれない。だが、最近は部屋から出てこれるようになったし、大分回復しているだろう? 今すぐに行動に移せとは俺も言わない。だがそろそろ将来のことを考えて良いんじゃないか? 子供染みたことは止めて、そろそろ大人になるべきじゃないのか?」

「……」

 

 俺は無言のまま、テーブルの席に腰を下ろす。

子供染みたことは止めて、という理屈は良く分からない。俺は十分に大人で―――更に、もっと大人になるために自分に何が出来るかを模索しているのだ。

親父にそんなことを言われる筋合いはない。

 

「またポケモントレーナーに戻る? 確かに貴方はチャンピオンに届かなったけど、その実績は素晴らしいものなんだから、どうにでもなると思うわ」

「……ポケモントレーナー」

 

 お袋の言葉を俺はなぞるように繰り返す。

……今の俺にトレーナーを名乗る資格はあるのだろうか。俺は部屋の隅、親子そろってポケモンフーズを齧るクチートを見る。俺のクチートと一瞬目が合うが、直ぐにクチートは視線をそらした。

半年間、俺とクチートはすれ違ったままだ。あの時、自分をボールから出さずに諦めたことをクチートは今でも気にしているようだ。クチートの立場からすれば、俺は裏切者だ。一番長く同じ時間を過ごして信頼関係を築いたはずなのに、俺はクチートを信じなかったから。

 

一番大事な友と信頼関係が築けないトレーナーなんて、本当にトレーナーなんだろうか。

そんなことを考えていると不意に衝動が沸き上がる。何かをぶっ壊してしまいたくなるような、強烈な衝動。

俺の姿を見て反省したと思ったのか、お袋は再びテレビを点けた。そしてすぐにチャンネルを変える。先ほどの話を蒸し返さないためだろう。適当にチャンネルを変えて、最終的にマラソンの中継画面に落ち着いた。

 

「思い、だした……!」

「え、何?」

「俺、前世ではマラソンランナーだったんだ!」

 

 勿論嘘だ。ただ俺は裡で暴れる衝動をどうにかしたかった。そしてこの場所から逃げたかった。

 

「ちょっと俺、走りこんでくる!」

「今から!? あ、ちょっと……!」

「放っておきなさい母さん。今の脆弱な身体でろくに走れるとは思えん。直ぐに帰ってくるだろう」

「いや、それは私も思うけど、あの子ったらスカートのまま出ていこうとしてるわよ?」

「……あ」

「行ってきます!」

 

 背後で何やら騒がしいが、俺は一切合財無視して夜のキンセツシティに飛び出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 夜のキンセツシティを走りながら、俺の脳裏には先ほどの親父の言葉がリフレインされていく。

『そろそろ大人になるべきなんじゃないのか?』

大人ってなんだろう。昔っから俺は大人びていると言われてきた。そして今の俺は誰からも子供っぽいといわれている。近所では俺の精神が崩壊したとか、そんな噂が流れているらしいがそれは違う。あの一戦はトラウマになったが、俺の精神が崩壊したわけじゃない。

ただ―――そう、鎧をはぎ取られたのだ。

 

俺の心を形成していたそれまでの経験やらプライドやら実績やらで塗り固められた安っぽい鎧は一人の少女によって剥ぎ取られた。残ったのは心の幼い一人の少年だ。

俺の性格が劇的に変わったわけでもない。元々俺はこんな性格なんだ。

好き嫌いは激しいし、暗いところは滅茶苦茶怖いし、直ぐに泣く。でもそういう本質は経験やら何やらで強固に守護されてきた。極論、これまでの俺の性格は演技みたいなものだ。でも大人になるってそういうものなんだと思う。どれだけ鎧で本質を守れるか。

その鎧が無くなった俺は、確かに幼く見えてしまうんだろう。

そして俺はその鎧を再度形成する必要がある。だって、大人になるってそういうことだから。

 

俺は自分が大人であると自認がある。それだけの経験を積んできて、実績もあるんだから。でも同時に俺は小さい少年でもあるということは認めざるを得ないことだった。

再び鎧を強くするためにはどうしたらいいんだろう。それは勿論、経験を積むしかない。

でも再びトレーナーになる、という決断は中々出来ないでいた。再び鎧を壊されることは途方もなく恐ろしいことだからだ。そしてその恐れこそがクチートとの信頼関係を修復させない元凶でもあった。

……俺は一体、どうすればいいんだろう。

トレーナーとしてずっとやってきた。だからこそ、俺にはそれ以外の道が分からなかった。

 

考えに耽っているとひゅうひゅうと呼吸が荒いことに気づく。大した距離は走っていない。前はこんな距離大したことなかったのに、鈍った身体が限界を伝えてくる。

とうとう公園で力尽きた。膝に手をやって、前のめりで回復に努める。

そうしていると背後から肩に手を置かれた。

 

「君、ちょっと良い」

「……ああ? なんだよ。ランニング中に……」

 

 息を整えながら振り返るとそこにはジュンサーさんがいた。

 

「通報があってね、女装をした不審者が髪を振り乱しながら走ってるって」

「はぁ。そんな変態が……。俺も気を付けますよ」

「君のことだよ」

「……あっ」

 

 そこで俺は自分がスカート姿のまま走っている事実に気づいた。

 

「待ってください! 俺は不審者ではありません!」

「鏡を見なさい。ちょっと署に来てもらうよ」

 

 そう言いながら強引に腕を掴まれる。喚き散らすも、抵抗空しく俺は御用となった。

 

 

 

 

 

 

 親父とお袋に迎えにきてもらって、なんとか俺は解放された。

親父に手を引かれ号泣しながら家に帰る。こんこんと説教され、俺のナイーブな心は限界だった。

 

「……ん? 誰だ?」

「あら、綺麗な人ねぇ」

 

 家の前で親父とお袋が立ち止まる。濡れた視界では誰かわからないが、そこに女性が立っているようだった。

 

「こんばんは。夜にごめんなさいね。……えーと、出直してきた方がよろしいかしら?」

 

 貴族然とした口調には聞き覚えがある。俺は腕で涙を拭って女性を見る。

そこには口元をひくつかせてドン引きしているプリムの姿があった。

 

 



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砕ける世界の前と後Ⅴ

ようやく過去編終わり
※本日2話目です


「どんなに連絡しても全然出ないから、様子を見にきたのよ」

 

 優雅に湯飲みを傾けながらプリムはそう言った。四天王って暇なのだろうか、と俺は思った。キンセツキッチンでも思ったことだが、気品のある佇まいだけでも様になる。なんの変哲もないテーブルが豪奢な造りに見えてきた。

親父とお袋はこの場に居ない。大事な話だから、という理由で席を外してもらっている。

 

「ごめんなさいね。家に押し掛けた挙句、ご両親には席を外してもらって」

「いや、それはいいですよ。うちの両親、そんな狭量じゃないです」

「……そう。そう言ってもらうと助かるわ」

 

 とん、とプリムは湯飲みを置いて俺をじっと見た。

 

「……なんというか、その……そういう趣味だったのかしら? いえ、ケチをつけるわけじゃないのだけれど」

「誤解です」

「……まあ良いわ。話の本題じゃないし」

「そうですよ。なんでプリムさんが態々家に来てるんですか?」

「言ったでしょ、様子を見に来たって」

 

 プリムは視線をずらしながら俺を見る。そしてため息を吐いた。

 

「……衰えたわね。いえ、一般トレーナーと比べるとずっと力はあるんでしょうけど、わたくしと対峙した時と比べると随分見劣りするわ」

「……今、トレーナーとして全然活動してませんからね」

 

 この半年、俺はポケモンバトルから離れていた。最初の数か月はそれが出来るほどの精神状態ではなかったし、そもそも今の俺はトレーナーを名乗れない。

 

「そんなにチャンピオンに負けたことが響いたのかしら?」

「……知ってるんですか?」

 

 野良試合故にプリムが知っているとは思えないが、プリムは確信したような口ぶりだった。

 

「分かるわよ。貴方が心を折られるとしたら、絶対に勝てない相手と対峙した時だろうから」

「……そうですよ。プリムさんにあれだけ生意気なこと言っておいて、こんなザマです。笑えるでしょ?」

「笑わないわ。貴方の気持ち、わたくしも少しは分かるもの」

 

 プリムはどこか憂いを帯びた目で言った。そして目を細める。四天王であるプリムは当然、あの少女とも戦っている。当時の戦いを反芻でもしていのだろうか。

 

「『あれにはどうやったって敵わない』そう思ってしまったら、チャレンジャーは終わりよ。そしてあの女の子はどんなトレーナーであろうともそう思わせるだけの力がある。貴方には折れて欲しくはなかったのだけれどね。……それで、どう? 貴方はそのままでいいのかしら」

 

 挑発するようなプリムの物言いに俺の中にある灰が一瞬燃え上がるが、それはすぐに力尽きる。

このままでいい訳がない。ただ、俺には起き上がる気力がない。どうしても、あの時の恐ろしさの方が勝ってしまう。

 

「……そもそもプリムさんは、今日何をしに来たんですか? 四天王が態々乗り込んでくるなんて普通じゃないです」

 

 俺は話を逸らした。ただ、俺は本当にプリムが此処にきた理由が分からなかった。

 

「貴方にちょっと話を持ってきたのよ。ただ、そのためには前提として貴方がポケモントレーナーである必要があるわ」

「……じゃあ、無理ですよ。俺は今トレーナーじゃないですから」

「今はトレーナーじゃない? じゃあ貴方がいうトレーナーの定義ってなに? 何をすればトレーナーなのかしら」

「……それはポケモンとの信頼関係を築き、勝負に勝つことでしょう。だから俺はトレーナーではないんですよ。クチートとの信頼関係を壊してしまいましたし、折れちゃいましたから」

「初めから信頼関係が築けるトレーナーなんていないわ。それはゆっくり時間を掛けて作っていくものだし、喧嘩をしたら仲直りをすればいいでしょ? 勝負にしてもそう。勝者がいれば敗者がいるのだから、負けたっていいのよ」

「……わかんないですよ。だったらトレーナーとしてのプリムさんが考える義務ってなんですか」

「そんなものはないわ」

 

 あまりに堂々とした答えで俺は自分の耳を疑った。

 

「だって関係なんて考えなんて人それぞれだもの。ビジネスライクと割り切っていることが絶対に悪とは言い切れないし、バトルを遊びの一環として捉えることが悪いわけでもない。少し関係が悪くなったからトレーナーの資格を失うわけじゃないわ。貴方は今でもトレーナーなのよ」

「いや、その言葉の通りだと俺はトレーナー失格ですよ。俺達はチャンピオンを目指してた。そのためにアイツらも付いてきたわけですし、それに応えられなかったら駄目じゃないですか」

 

 だからクチートも俺と目を合わせてくれないのだ。俺がどんなに呼びかけても視線を逸らしてしまうのだ。俺が弱いから。俺が諦めてしまったから。

 

「……俺は怖いんですよ。今でもあの光景が夢に出るくらいです。あれが本当に怖くて、俺は諦めてしまって―――」

「貴方、ちょっとポケモン達を見くびり過ぎじゃないかしら。それに諦めることと立ち上がらないことは同義ではないわ」

 

 俺の言葉を遮ってプリムが強く言った。

 

「チャンピオンを諦めたっていいじゃない。怯えながらも立ち上がれば良いのよ。長年連れ添ったポケモン達は諦めたら離れるほど薄情ではないし、そもそも貴方は本当にチャンピオンを目指していたの?」

「……どういう意味ですか」

「勝負の時の貴方は獰猛でいて勝つために効率を突き詰めて、極力無駄を排除していた。でもね、そうするとおかしいのよ」

「……何が、ですか」

「もっと別のポケモンを使っても良かったんじゃない? そのためにポケモンセンターにボックス機能があるわけなんだし、手持ちを変えるトレーナーなんていくらでもいるわ。なのにどうして貴方は手持ちの五体に拘ったのかしら」

「……それは、だって連携も大事ですし」

「ポケモンとの連携は大事よ。実際貴方はその部分だけで言えばダイゴに近かったと言ってもいいでしょう。でもそれって他のポケモンを捕まえて、訓練すればいい話でしょ?」

 

 バトルにおいて強いポケモンを使えば良いというわけではない。例えばドラゴンタイプは強力だが、それを扱えるトレーナーは一握りだ。強いポケモンを使うにはトレーナー自身も強くなくてはいけないからだ。

 

「戦って分かったけど、貴方は勝負においてはストイックだし勝つために非情な決断も出来るタイプよね。だったら戦い以前の段階でそういう非情な決断が出来なかったのは何故? ご丁寧に手持ちを一体も変えず、三度に渡って私に挑んだのは何故? ……いいえ、そうでなくても新しい手持ちを加えなかったのは何故?」

 

 熱が入ったように語るプリム。怒涛の質問に俺は答えを返せないでいた。

 

「それは……その、俺にとって縁があったポケモンだったから。そいつらで勝ちたいと思ったからですよ」

 

 しどろもどろになりつつもようやく俺は返事を返す。俺のポケモン達は全員俺と縁が合って出会った奴らだ。そいつ等と一緒に勝ちたいと思う事は別におかしくはない。

 

「そうよね。思い出のあるポケモンと一緒に戦いたいと思う事は別に不思議なことではないわ。でもそれって、彼らと一緒に戦うことが大事だったってことよね?」

 

 考えたことが無かった。俺は自分のポケモン達と一緒にどうやって勝つのかを考えるばかりで、草むらを探してポケモンを捕まえようなんて思ったことがなかった。

 

「そうかもしれませんが……」

 

 俺は渋々肯定した。

 

「だったら矛盾が生じるのよ。貴方は勝たなくていけない、という思想の一方で勝つための努力を放棄しているんだから」

 

 最初のうちは純粋に旅が楽しかった。相棒達と色んな場所を見ることは新鮮だった。バトルでは大体勝っていたが勿論負けることもあって、次こそは勝つとリベンジに燃えていた。それは単純に負けたことが悔しかったからだ。

……一体いつからだろう。勝ちたいという考えから勝たなければいけないという思考に陥ったのは。

でもプリムの言う通りだ。負けてしまった彼らのためにも勝たなければいけないというのなら、手持ちを替えるという選択をしても良かったはずだ。

 

「その矛盾、或いは歪みがどこで生じたのかなんて聞く気はないけどね。貴方はチャンピオンに絶対勝てないと思ったからチャレンジャーとして折れてしまったのでしょう? でももしチャンピオンになることが一番大事じゃなかったとしたら、そもそも折れる理由なんてないじゃない。そうじゃなかったとしても、さっき言った通りゆっくり歩けばいいのよ」

 

 勝たなければいけないと思った。絶対に勝てないと思ってしまったから、俺は諦めるしかなかった。でも俺だってポケモンが好きでトレーナーになったんだ。トレーナーを辞めたいわけじゃない。

……俺は、またトレーナーに戻れるのだろうか。

 

「……随分と喋ったわね。まあこのプリムがここまで言うのだから素直に受け取っておきなさい。後はこれ」

 

 プリムは俺に便箋を手渡す。ポケモンリーグ協会公式の封筒だった。

 

「ガラル地方って知ってる? 今回一般トレーナーの招待枠があったのよ。わたくしは貴方を推薦しておいたから、興味があるならポケモンリーグを尋ねなさい。旅をしていればトラウマも薄まるだろうから、悪い話じゃないと思うわ」

 

 そう言い残し、プリムは颯爽と去っていく。

何故俺を推薦したのだろうか、なんて聞く暇もなかった。言いたいことだけを言ってプリムは行ってしまった。

 

「俺は……」

 

 未だに恐怖が蘇る。このトラウマを克服できる日がやってくる日がいつになるのかもわからない。それでもいいのだろうか。諦めながらも俺はもう一度、トレーナーを名乗ってもいいのだろうか。四天王のプリムがそこまで言ったのだから、俺はもう一度やり直せるんじゃないか?

……いいや、それよりも以前に確認しなければならないことがある。

 

「なぁクチート」

 

 俺は独り言のように誰もいないリビングで聞かせるように呟いた。

 

「俺はまだ諦めたまんまだ。半年間で大分腕も鈍ったし、不自由させちまうかもしれない。それでも……カッコ悪いけど、諦めたままだけど、前を向いて立つって言ったら。俺がもう一回トレーナーをやっていくっていったら、お前は俺を信じてくれるか?」

 

 ごそり、と物音がした。玄関に繋がる扉は開けっ放しで、そこから小さい影がひょっこり現れた。視線が合って、クチートは小さく鳴いた。半年間、ずっと逸らされた視線はようやく合った。

 

「……そっか。ありがとう」

 

 俺は久しぶりに笑って、封筒を手に取った。

 

 

 



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 マリィの真剣な顔に押され、俺はマリィにこれまでの経緯を話した。思い出したくない記憶のはずなのに俺の口からは思いのほか言葉が出てきて、結構な長丁場になっていた。

俺の拙い話をマリィは黙って聞いていた。話がようやく終わると昼食を取る時間はとっくに過ぎて、店内に人の影は少なくなってきている。

 

「―――まあ、ガラルに来たのはそういう経緯があったからだ」

 

 こんなにも長々と喋るのは初めてかもしれない。喉が渇いていて、ミネラルウォーターを口に含む。

元々腹の痛みがあって持ってきてもらったものなのだが、腹よりも喉の方が痛くなっていた。温くなったそれを飲み込むと、喉の痛みに僅かに染みた。

 

「……」

 

 俺の話を聞いて、マリィは始終難しそうな顔だった。まあ、そうだろう。俺が聞き手だったとしてこんな話を聞いてどんな反応をすれば分からない。それに俺としても別に同情してほしいわけでもない。

こんな話は幾らでもある。

 

「……まだ、やっぱり苦しいと?」

「そりゃそうよ。未だに夢見るくらいだし、そんな簡単にはあの過去を振り切れないさ」

 

 前と比べるとずっとよくなってきたとは思う。しかし克服出来たかと言うと、それは違う。俺はまだチャンピオンロードの悪夢に囚われたままだ。

 

「なんていうか、初めてあった時は情けない人だなっていう風に感じとったけど、そんなことがあったなんて」

「別に誰にでもホイホイ話すことでもないからなぁ。……今も昔も俺は情けない男だよ」

 

 あの少女に心を折られたのは俺だけじゃないだろう。しかし、少女に負けた全員が折れてしまったかと言われればそれも違う。中には奮起し、再び立ち上がったやつだっているはずだ。

……諦めたまま、それも先人から背中を押されて辛うじて立ちあがれた俺とは違って。

俺は弱い人間だ。バトルの実力などではなくて、精神的に脆い。

 

「それでも、頑張って立ったんでしょ? なら―――」

「頑張ったよ。今でも頑張ってるさ。でも、でもそんなもんは当然だろ?」

 

 勝ちたいと思うなら、自分を貫き通したいと思うなら、それだけの実績を残さないといけない。そのために頑張る、つまり努力なんてのはそのための前提に過ぎない。どんなに才能があったとしても、努力はしないといけない。そしてその努力が報われる保証なんてのはどこにもない。

こんなものは別にポケモントレーナーに限った話じゃない。

ジムバッヂを8つ集めて四天王に挑戦した俺はまだ報われてる方だ。

 

「誰だって努力してるよ。お前だってそうだろ?」

「ん、まあ」

 

 俺がマリィの相談に乗ったのも一度や二度ではない。ポケモン関連でいえば俺に一日の長があるから良く俺に相談を持ち掛けてきたものだった。マリィも7つのバッジを集めてきたトレーナーだが、その道は生半可なものではなかった。それを、俺は知っている。

 

「……あたしはまだ、そんな風に折れたことがないから分からんけど、それでも這い上がっていく人を情けないとか思えない。多分、それって本当に大変なことだと思うから。だから、」

 

 対面に座るマリィは少し腰を上げて、俺の方に手を伸ばす。そして小さな手は俺の頭に乗せられた。

 

「―――本当に、頑張った」

 

 マリィの手が前後に揺れ、俺の頭を撫でる。

……もう、これまで何度も頭を撫でられてきて、多少は慣れたつもりだった。

でも俺は猛烈な気恥ずかしさに襲われて、首を振ってそれを拒否する。

 

「だぁー! だから俺の方が年上だって!」

「たとえ年上でもあたしがお姉ちゃんだから、弟が頑張ってるなら褒めてあげるのが当然でしょ」

 

 相も変わらず、その理屈は良く分からない。だが、まあそんな言葉に悪い気持ちを抱かなくなっているあたり、俺も随分とマリィに絆されているようだ。ただそれも真正面から認めるというのも気恥ずかしい。

 

「……それはもういいや。そろそろ出ようぜ。キバナの対策を考えなきゃいけねえし」

 

 俺がキバナを絶対に突破出来る保証なんてない。もしかすると、別の誰かがセミファイナルに出場する四人目になるかもしれない。

ましてやキバナはガラルにおいて最強と名高いジムリーダーだ。これまでもそうだったが、より一層気の抜けない勝負になることは間違いない。

ガラルのジムリーダーは公開情報が多い。手持ちのポケモン、使用する技、本人の癖に至るまで研究出来る。挑戦する側にとっては大きなアドバンテージだが、キバナに関してはダブルバトルという変則的な勝負を仕掛けてくる。対策は必須といえよう。

 

「あ、じゃあそれあたしも付き合っていい?」

「ああ、ナックルシティに行って、適当な店で作戦会議だな」

 

 俺は立ち上がって伝票を取った。

 

「今日は俺が奢ってやるよ」

「え? でも……」

「ほら、あれだよ。マリィが俺を褒めてくれたから、そのお返しだよ。お前だって頑張ってるんだから、このぐらいはあってもいいだろ?」

「……うん、じゃあお願いしようかな」

 

 マリィはそう言って軽く笑った。そして会計で、店員に伝票を差し出し、俺はポケットから財布を―――

 

「……あれ?」

 

 財布がない。嫌な汗が流れた。

 

「ちょっと、ちょっと待って」

 

 俺はバッグの中を漁る。大抵はパーカーのポケットに財布を入れているが、バッグの方かもしれない。バッグの中に入っている荷物の中に手を突っ込んで探す。しかしやはりない。

どこかで落としたのだろうか。先ほどのネズ戦で金銭の遣り取りをしていたので、財布を弄った記憶がある。ホテルに忘れている、というわけではないはずだ。

それに今回は俺の財布を二度に渡って奪ったクスネに遭遇しているわけでもない。

となると、スパイクタウンから出る道中で落としたのか。

 

いやいや、どこで落としたのかはどうでも―――良くはないが、今は良い。問題は俺では支払いが出来ないということだ。俺は恐る恐る背後を向く。

もしかしてまた?というマリィの視線が痛い。しかしないものはないのだ。仕方ない。

俺のプライドがまたしても盛大に傷ついてしまうが、流石に食い逃げなんて出来ない。

俺は断腸の思いでマリィに頭を下げることにした。

 

「あの、マリィさん?」

「……何?」

「その、絶対にお金は返すんでここの支払い任せても……いいっスかね?」

 

 年下の少女に飲食店の支払いをする情けない男がいた。俺だ。

俺の言葉にマリィは惚けた顔をして、右手を耳に当てる。

 

「ごめん、何? 良く聞こえなかった」

 

 嘘だろ。マリィのヤツ、俺がこんなにも困っているというのに聞こえないフリをしてやがった。

 

「いや、だからお金を……」

「なんか言葉が足りてないと違う?」

「……」

 

 此処まで言われればマリィが何を要求しているのか俺にも分かる。だが、まさかここでもそれを要求してくるのか。俺だって恥を掻くけど言われるお前だって恥ずかしいだろ。

そのどうでも良い情熱は何処から来るんだよ。マリィは頑なな態度を変えようとしない。レジにいる店員の不審げな視線もそろそろ痛くなってきた。このままでは平行線だ。

……良いだろう。俺がお前を何回そう呼んだと思ってる。最早数えきれないほど呼んできたんだ。今更一回がなんだというんだ。

俺は一度深く息を吸い込む。

 

「お願いしますお姉ちゃん!」

「よし来た」

「……」

 

 まじかよコイツ、という店員の視線が痛い。俺がこんなに恥ずかしい思いをしているというのに、マリィは何も堪えていないようにいそいそと財布を取り出す。

 

「……あ、もしかしてエンジンシティで有名な凸凹姉弟の……」

「え?」

 

 認知されてるのかよ。なんで知ってるんだよ。エンジンシティの飲食店ならまだしもおかしいでしょ。

 

「いえ、そちらのマリィさんのSNSで」

 

 俺はマリィの方を見る。マリィの方は知らん顔をしているが、まさかそんなことをしてたのか。

 

「許可は取っとったでしょ?」

「あー……いや、そうだけどさぁ」

 

 確かに俺の写真を偶に取ることはあったし、俺だって許可はしたけどまさかそんな使われ方をしていたのか。俺自身は全然そういったものを使っていなかったので、まったく知らなかった。

 

「こちらに寄っていただいた、ということはスパイクタウンのジムも攻略した、ということですか?」

「……ええ、まあ。俺もマリィも勝ちましたが……」

「うわー! スパイクタウンも攻略したんですか! 凄いですね! 例年キバナさんに挑めるのは極僅かなんですよ! あ、ちょっと失礼ですが、サインとか貰っても……」

 

 どこからともなく色紙とサインペンを取り出して渡してくる店員。マリィはノリノリでサインを書いて、俺は屈辱を味わいながらもサインペンを色紙に走らせる。

俺は今日、また大事なものを失ったような気がした。

 

 

 

 

 

 外に出る。またしてもマリィに頭を下げて俺の財布を一緒に探してもらう羽目になった。

ネズに連絡を取ってもらって、スパイクタウンを探してもらう。俺とマリィは店からスパイクタウンに逆走だ。ホウエンでは一度も無くさなかったのに、メンタルが脆くなると注意力も散漫になるのだろうか。

半泣きになる俺をマリィに慰められ、最終的に尋ねた交番で俺の財布は見つかった。

それは本当に喜ばしいことだったのだが、ジュンサーさんの言葉が俺に深く突き刺さった。

 

「良かったですね、でもこれからはちゃんとお姉さんの言う事を聞かなきゃ駄目ですよ?」

「……はい」

 

 何故ジュンサーさんにまでマリィが俺の姉だと認知されているのか。またしてもSNSの力なのか。そうであれば、マリィには安易にインターネットに手を出さないように言いくるめないといけない。

 

 

「ガラルではジムチャンジって本当に大きな催し事ですからね。推しのトレーナーがいたりとか、ファンがついたりとかするんですよ。それにここまで残っているチャレンジャーはどうしても注目されてしまうんです。お二人の場合は良く行動も共にしていますし……その、色々な意味で知られていますから」

「あー、そういう……」

 

 その色々の意味を聞こうと思ったが、俺だけが致命傷を負う気がしたのでやめた。

そういえば、確かに最近は注目されているような気がするし、周囲からの視線で薄々感じてきたことだ。ホウエンから出てきた俺にとってはカルチャーショックといえるものかもしれない。ホウエンが力を入れていないというわけではないが、ガラルの場合はダイマックスを使っての派手なバトルで観客も入ることからより注目されてしまう。

 

「では、最後のジム戦も頑張って下さいね」

「ええ、まあなんとかやりますよ」

 

 交番を出てようやく一息つく。時間ロスはあったが、まだ日中だ。これからナックルシティに移動して、ようやく作戦会議だ。ジュンサーさんに言われた最後、という言葉が脳裏にチラつく。

作戦会議も、これできっと最後だ。セミファイナルに挑むことになったら勝ち抜けてきたトレーナーと戦うことになる。ジムリーダーのような情報は期待できない。後は本番までにどれだけ俺とポケモン達が互いを高められるか、という話になってくる。

旅の終わりは近い。俺はきっと、ホウエンに帰るだろう。

 

「……」

「ん? どうしたと?」

「いや、なんでもない」

 

 俺はマリィの言葉を誤魔化してナックルシティに歩を進める。一抹の寂しさを胸の中に隠しながら。

 



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 キバナの人気は他と隔絶している、というのが俺の推測だ。ガラルにおいて最強と名高い実力で現チャンピオンのダンデのライバルと称されるほどの男である、というのが一つ。単純な実力の高さからくる人気は汗苦しい野郎共は勿論のこと、腐っている貴婦人達にも大人気だ。電子の海ではダンデとキバナが抱き合うようなイラストが大量に転がっていたりする。その手のものに耐性がない俺は一目で卒倒しそうになった。

 

そしてもう一つがSNSの配信だ。元々バトルに負けた時に悔しい気持ちを忘れないように、という名目の下始めたらしいが今では単純にSNS配信を楽しんでいるようだ。

自撮り画像も多く、ちょっと調べればキバナの写真なんてものは腐るほど出てくる。

情報収集の一環として、ナックルシティの一角にある喫茶店でマリィと一緒にスマホロトムを弄っているのだが、なんだかキバナの画像を見ていると腹が立ってきた。

 

「……コイツ、イケメンだな」

 

 キバナは同性の俺から見ても際立った顔立ちをしている。野性味溢れる顔はカッコイイし、普段のたれ目も愛嬌がある。成程、女性人気が高いワケだ。それでいてバトルの実力も高いと来たら、それはもうモテモテだろう。

 

「キバナさんはガラルで一番強いジムリーダーって言われとるけん、人気も高かみたい」

「おかしくない? 俺だって結構強いんだけど? 顔だって負けてねーし。そうだろ、マリィ」

「え? うん……まあ、うん」

「もっと頑張ってくれよ……」

 

 がっくりと項垂れる俺。そりゃ俺だって本気でキバナよりイケメンだとは思ってないけど、そんな微妙な反応をされると傷つく。

 

「大丈夫やって。お姉ちゃんは良い所いっぱい知ってるけん」

「とってつけたように慰めんなよ……」

 

 俺だって男だ。モテたいという願望がないわけじゃない。しかしガラルに来て俺がまともに話してきた相手なんてのはマリィぐらいしかいない。後はジュンサーさんとか。

 

「俺だってもうちょっとちやほやされても良いじゃん……。強いし、顔も……悪くないし」

「モテたいんやったら、その為の努力をせんといかんと思う。何もせんでモテたいなんて言っても誰も見てくれんよ」

「て、手厳しいな……」

 

 確かに俺はモテるための努力なんてしてこなかった。服装や髪型に気を遣っているわけでもないし、話術が優れているわけでもない。そりゃポケモンバトルだったら多少の自信はあるが、それだけで俺のことを好いてくれる異性なんてものも希少だろう。

 

「ほら見て、キバナさんのSNS。こん人はお洒落にもちゃんと気を遣ってると」

 

 差し出されたロトムフォンをスライドさせていくと、確かに異なるコーディネートの服装が幾つも目に入る。中には良く分からないぬいぐるみ姿なんてものもあるが、そういったユニークさも含めて受けているのだろう。フォロワー数はとんでもない数で、キバナの一言に大勢が反応を示している。

 

「前から言おうと思っとったけど、身だしなみにはなんで気を遣わんと?」

「いや、だって俺の本分は旅なんだし……」

 

 俺は大抵、簡素な服を着ることが多い。今だって着ているのは黒いズボンに白いパーカーといった出で立ちだ。俺の本分とは旅で、時には険しい自然に挑むこともある。そうなってくると自然と機能を重視するようになったのだ。髪だってそうだ。最低限見苦しくないようには整えているが、地毛はくせ毛だし、風や汗なんかでどうせ乱れるから適当だ。

 

「んー、理屈は分からんでもないけど……」

 

 マリィは俺の説明に理解を示しながらも納得がいっていないようだ。

 

「ガラルではスタジアムに大勢の人が来るし、特にキバナさんに挑めるトレーナーなんて本当に一握りで注目度は段違い。それにトーナメントになったらテレビ中継もされるし、そういうお洒落にも気を遣わんといかんといけんでしょ」

「う……まぁ、一理あるかな」

 

 俺は一応、ホウエンの代表ということでガラルに来ているのだ。ならばホウエン代表に相応しい立ち振る舞いが要求される。もう既に手遅れなような気がするが、身だしなみに気を遣わなければいけない時が来たのかもしれない。

毎年ネズに勝ち、キバナに挑めるのは両手で足りるくらいだという。であれば俺が注目されてしまう、という事態もあり得る。ただ俺にはイマイチ実感がなかった。ホウエンでは多少名は売れていたが、それでも四天王に足止めを食らっていた一トレーナーだ。俺の情報が出回るなんてことはなかったはずだ。

 

俺は気になって手持ちのスマホロトムに自分の名前を打ち込んで検索してみる。かなりの件数がヒットした。適当なリンクを踏んでみると俺の情報も相当数出てくる。どこで知ったのか詳細な情報もあれば、出どころ不明な誹謗中傷に似たものもある。

そして画像。そこには俺が大泣きしながらマリィに手を引かれている画像やらが大量に―――

 

「……」

 

 俺は見なかったことにして画面を閉じた。知らない方が幸せなこともある。それを確かな実感を伴って俺は知った。

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで作戦会議を一旦中断し、俺は服を買いに来た。今日ネズを撃破したばかりでキバナに挑むにはもう少し対策を練る必要があるだろう。ポケモン達も疲労が溜まっているし、どうせ今日と明日は情報収集でもしながらのんびり過ごそうと思っていたのだ。

 

俺はお洒落に関しては素人もいいところなので、マリィについてきてもらっている。というかやけに張り切ったマリィが勝手に着いてきた。ブティックなんて場所はこれまで縁が無く、正直入るだけでも緊張した。

 

「次、これ着てみて」

「……おう」

 

 しかし俺はマリィを連れてきたことを直ぐに後悔することになる。怒涛の勢いで手渡される服を試着室で着るだけのマシーンと化した俺は機械的に手渡されたジャケットに袖を通す。何度もその作業をやっていると肩が凝ってきた。

 

「……うーん、細身だからやっぱりこういう系統が……下との組み合わせが……でもそうなると暖色系が……」

 

 素人の俺にはマリィが何を言ってるのかわからない。マリィが真面目にコーディネートしているのは分かるが、着せ替え人形である俺の方は疲れてきた。

 

「なぁ、もう良いんじゃないか? 俺も疲れてきたしマリィも大変だろ? 適当にもう見繕ってくれてるやつで良いからさ」

 

 疲れている、という理由もあるが出費も問題だ。既にマリィが何着か選んだ服を買うことが確定している。どれもこれも結構な値段なもので、それを何着も買うとなると結構な痛手になる。

 

「次がラストで良いから、ラストで」

「えー? じゃあどうしようかなぁ……」

「お客様、お困りですか?」

 

 先ほどまで他の客を対応していた女性の店員がにこやかな顔で近寄ってくる。そして俺とマリィの顔を見た瞬間に何かに気づいたかのように目を瞬かせる。今日のレストランでも似たような光景を見た。

 

「あ、もしかしてマリィお姉さんと弟さんですか?」

「いや、弟じゃないんですけど……」

「弟です」

「弟さんですよね?」

「……ええ、まあそういう意見もありますね」

 

 頭が痛くなってくる。なんだか俺が間違っているような気がしてきた。

 

「それで、お洋服をお探しなんですよね? ……これなんてどうでしょう?」

「いや、それ女性ものじゃないですか」

 

 店員が引っ張りだしてきたものはどう考えても女性が着るスカートだ。店員なりのおふざけだろうが、流石にそこは突っ込ませてもらう。

 

「え?」

「何で驚くんですか? 着ませんからね」

「いや、これはこれでありかも……」

「マリィ!?」

 

 恐ろしいことを言い始めたマリィに俺は慄く。確かに俺はホウエン地方で一度女装の経験があるが、あれは色々と精神的におかしかった頃の奇行だ。俺にそんな趣味はない。

 

「いや、足も細いしムダ毛も少ないから映えるんじゃないかなーって」

「お客様! ストッキングもございますよ!」

「なんでアンタそんなテンション上がってんの? とにかく着ませんから」

「そんな殺生な! 一回だけ! ちょっとだけですから! ファンサービスだと思って!」

「ファンサービスに女装を求めんな」

「今日お買い上げのものは全部半額にしますから!」

「……それ本当?」

 

 討論の余地すらなかったが、洋服が全部半額になるとしたら一考の余地はある。金銭的に逼迫しているわけではないが、余裕があるわけでもない。俺は積み上げられた値札のタグを一つ一つ確認していく。優秀な頭脳を以って金勘定をしていくと、かなりの減額だ。ちょっと我慢するだけでこれだけの恩恵が得られる、と思うと揺らぐものがある。

俺はチラリ、とマリィの方を見る。マリィは期待するような目で俺を見ていた。

 

「……。……まぁ、半額にしてくれるなら」

「おっしゃあ! じゃあこちらへどうぞ!」

 

 店員に試着室に押し込められ、俺は渋々押し付けられたスカートを手に取るのだった。テンションが上がり切った店員に釣られたのか、マリィもエキサイトし俺はまたしても大事なものを失った気がした。

 

 

 

 

 

 

「……酷い目にあった」

「よう似合いおったよ」

「ええ、やはり身体の線が細いと女装も映えますね!」

 

 スカートだけかと思ったらストッキングも履かせられるわ、カーディガンも着せられるわ、ウィッグも装着させられるわで大変な目に遭った。半額になるという明確なメリットが無ければ俺は絶対に拒否していた。

 

「そもそも俺になんで女性ものの服を勧めてきたんですか?」

  

 会計をしつつ、俺は店員にそう聞いた。女装させるというのが店員の趣味であったとしても、流石にぶっこみ過ぎだ。俺はまだしも、そういったものに不愉快になる相手もいるだろう。一応職務中の店員がそれはどうなのだろうか、と微かな嫌味を込めての言葉だ。

 

「……女装、趣味じゃないんですか?」

「趣味なわけないでしょう。そりゃそういうのが趣味な人だっているでしょうけど、俺は違いますよ」

「え? そうなんですか? いや、でも……」

 

 もしかして店員にとって俺はそう見えたのか、と訝しむが店員はスマホロトムを取りだして何やら操作をして俺に手渡す。

 

「こういった画像があったので」

「……」

 

 そこにはスカート姿で涙ぐむ俺の姿があった。なんだろう、とても見覚えのある恰好をしている。俺が一度だけ袖を通した女性もののユニフォームだ。熱さとは違う意味で汗が噴き出る。間違いなく、ホウエンで俺が半錯乱状態の時に着たやつだ。しかし当然、俺がこんなものを自撮りしたわけではないし、SNSに上げたわけでもない。

しかし写真は結構な近距離で撮影されているもののようで、盗撮のようにも思えない。

俺は店員からスマホロトムを半ば強奪する勢いで取り、画面をスライドさせていく。この写真はSNSに投稿された一枚のようだ。

不慣れな俺は適当に弄っていき、ある部分をタップすると投稿者のページに飛んだ。ユーザー名は偽名のようだが、ページ画面には俺の良く知る人物が実に良い笑顔で映っていた。

 

「すみません。ありがとうございます」

「ええ。……あ、ちょっとまだ会計が終わってませんが」

「すみません、直ぐに戻るんで」

 

 俺はダッシュで店の外に出る。そして自分のスマホロトムを取り出して電話帳を選択し、電話を掛ける。

 

「親父ィ! なんとことしてくれたんだ!」

『え? だってお前の女装した姿がネットに大量に転がってたから、ようやく目覚めたのかと……』

「そんなわけねえだろ!」

 

 慌てて検索をしてみると出るわ出るわ俺のコラ画像。一部の有志が作ったその中には俺の女装姿なんてものも混じっていて、それを見た親父は勘違いしてしまったらしい。一度ネットに公開したものはたとえ一度非公開にしたところで意味はない。画像をコピーされたらどうにでもなってしまう。さめざめと泣く俺に流石にマリィも同情したようで、よしよしされながら俺達は帰路に着いた。

この日、俺に女装野郎という極めて不名誉な渾名が追加されることになった。

 



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 ドラゴンタイプとは最強の種族である、と何かの論文で見たことがある。相性による弱点もあるが平均的な能力という一面で見ればドラゴンタイプが最強である、という意見は強ち間違いというわけでもない。しかし一方でドラゴンタイプのポケモンは同時に育成が最も困難なポケモン群として知られている。

生半可なトレーナーではまともに指示を聞いてくれるかも怪しいものだ。だからこそドラゴンタイプを持つトレーナーの数は少なく、育成すればそれだけで優秀なトレーナーといえるだろう。

 

そしてジムリーダーとは一つのタイプを極めたトレーナーであり、つまりドラゴンタイプを極めたキバナは戦うまでもなく、凄まじい技量を持ったトレーナーだということは分かる。ドラゴンタイプを使うから強いのではない。ドラゴンタイプを使いこなせるから強いのだ。

 

最後のジムリーダーだから強いことは当然分かっていたが、キバナの実力は他のそれと一線を画していた。少し歯車が狂えば俺が敗北していてもおかしくない戦いだった。

二対二という変則的なバトルではあったが、俺は単体の強さよりもコンビネーションを組み合わせて戦う方が性に合っていることもあり、どちらかといえばそのバトル方式は俺の方が有利なはずだった。しかしバトルは最後に一匹になるまでもつれこみ、最後はジュラルドンのダイマックスが切れた瞬間に放ったクチートの『じゃれつく』が決定打となって勝負は決した。

 

ガラルチャンピオンであるダンデのライバルを自称するキバナ。それは単なるポーズなどではなく、それに見合うだけの実力があった。

此処に至るまでで、俺の実力はホウエンのチャンピオンロードを彷徨っていた時期と同じくらいには戻ったはずだ。身体は軽く、判断は迅速に行える。無論、今の現状が俺の限界ではない。しかし今この瞬間が全盛期と言えるくらいには俺の調子はいい。

だからこそ言い訳は使えない。使用ポケモン、運等の要素を排除した純粋なトレーナーとしての実力はキバナの方が上だ。

 

「……ありがとうございました」

「おいおい、怖い顔すんじゃねえよ。折角勝負に勝ったんだから、もっと喜んだらどうだ? アンタがジム踏破の第一号なんだぜ?」

 

 勝負が終わり、俺とキバナはスタジアムの中央で握手を交わした。しかし俺の顔はきっと硬いままだっただろう。その光景だけ見れば恐らく誰もがキバナの方が勝者だと思うはずだ。

 

「ええ。この勝負は俺の勝ちです。しかし純粋なトレーナーとしての実力は……俺と戦った貴方なら分かるでしょ?」

 

 キバナほどのトレーナーであれば俺の言いたいことも分かるだろう。そしてだからこそ、キバナの方には未だ余裕がある。そう思うのは俺の劣等感が生み出した幻想だろうか。

 

「……そうだな。アンタが何を言いたいかはオレも分かるぜ。だがそれでも敢えて言おう。勝者はアンタで敗者はオレだ。そこは覆らねえ」

「キバナさん、アンタが全力を出せていたらその結果も違ったはずだ」

「そんな仮定はここじゃ意味ないぜ。少なくとも今の勝負ではアンタの方が上だった。だからオレは負けたんだ。誇れよ、オレサマが勝者を称えるなんて、中々ないことなんだからよ」

「いや、だから―――」

「今だけは悔しい思いを俺にさせてくれ。それは敗者の特権だ。そうだろ?」

「……負けたことを勲章のように言わないでくださいよ」

「ハハ、勲章か。良い表現をするな。そうだな、俺にとっちゃ敗北も立派な勲章だ。そしてこの勲章はファイナルリーグで熨斗を付けて返してやるよ」

「ファイナルリーグ?」

 

 予想外の言葉に俺はついオウム返ししてしまった。キバナの言葉は俺がセミファイナルを勝ち抜ける前提で話している。まずはセミファイナルリーグあるというのに。

 

「なんだ? ホウエンからの刺客は謙虚だな。自信がないのか?」

「いや、自信がないっていうか……」

 

 俺はとても残酷な世界の法則を知っている。俺は、セミファイナルトーナメントを勝ち抜けない。この世界は遊戯のように簡略化されたものではなく、れっきとした現実だ。しかし絶対的に覆しようのない法則も必ずあることを知っている。

 

「ま、確かにアンタがセミファイナルを勝ち抜ける保障はねえよ。意外とアンタはあっさり負けるかもしれない」

「でしょう?」

「でも勝つかもしれない。そればっかりは蓋を開けてみないと分かんねえからな」

「……どうでしょうかね?」

「アンタはちょっとばかり自身を過小評価し過ぎだな」

 

 それは以前プリムにも言われたことだ、と俺はふと思い出した。長々とした握手を終え、俺とキバナはお互いに控室に戻っていく。その間もキバナの口が閉じることはなかった。

 

「アンタとオレの実力差なんて、あったとしてもごく僅かだ」

「たとえごく僅かでも俺が劣っているなら負けるのは俺でしょうよ。精神論で勝てるほど勝負は甘くないんですから」

「……ま、確かにそうだわな。オレの熱意は誰にも負けてねぇ。精神論で勝てるんだったらオレだってダンデに勝ってるだろう。ただ、オレはその精神論を否定しない」

 

 俺は横を見た。キバナはただ前だけを見ていた。

 

「オレはダンデに勝ちたい。それだけで此処まで来たんだ。ダンデがいなかったら、オレはきっとここまで強くなれなかった。負けそうになったらダンデのヤツの顔がチラつくのさ。その顔を見てると負けてる自分に腹が立って普段以上の実力を出せるような気がしてくる」

「……ライバルですもんね」

「ライバルなぁ。オレは心の底から自分がダンデのライバルだと思ったことは一度もない。でも、だからこそライバルを自称しているんだ」

 

 自身を追い込むことで実力を出し切るタイプのトレーナーはいる。だが、それを一度間違えればそれはただの大言壮語に成り下がる。キバナがそうではないのは高い実力は元より、心の底からダンデに勝利することを渇望していることを誰もが知っているからだろう。

 

「今回こそ勝つ。ダンデとのバトルでその気持ちを忘れたことはただの一度たりともねえ。コイツは勝つっていう執念だけじゃなくて……なんつうか言葉にするのは難しいんだけど、案外とアンタに足りてないピースはそういうもんじゃないか?……っと」

 

 キバナは不意にスマホロトムを取り出す。何かの通知を受け取ったようだ。目を細めて画面を眺める。

 

「……へぇ、今日二度目のチャレンジャーか。しかも、だ」

 

 キバナは俺を見て悪戯小僧のような笑みを浮かべた。

 

「喜べよ。アンタの『お姉ちゃん』もジムチャレンジを突破したみたいだぜ?」

 

 

 

 

 

 

「勝った!」

 

 ジムスタジアムの入口付近でぼけっと待っていた俺の前でマリィは胸を張って言った。

 

「……知ってるって。俺も観客席で見てたんだから」

「こういうのはちゃんと言葉に出すのが大事なの! それともあたしが勝って嬉しくないと?」

「声が張り裂けるくらい応援したよ。勝った時は周りのエール団と抱き合うくらい喜んださ。叫び過ぎて喉が痛い」

「そ、それならいいけど!」

「取り敢えず、場所を移して良いか? この場所は結構辛い……」

 

 俺が少し此処で待っているだけでも勝手に写真を撮られるし、声を掛けられるしそういったものに耐性のない俺は残り少ない体力を更に消耗して疲れていた。今ですらちょっとした人だかりが出来ているほどだから、やはりガラルとホウエンは文化が違うと思い知らされる。

マリィの手を引いて、声を掛けてくる連中を躱して通りに出るとやっと一息つけた。

 

「ふぅ……」

「て、手を引くときは一声かけんね。びっくりするでしょ」

「ん? ああ、悪い悪い」

 

 俺がアホな理由で泣く度にマリィに手を引かれていたような気がするが、そういえば逆は今回が初めてだったのかもしれない。

しかし、それにしても疲れた。これまでの中で一番神経を集中させた勝負でもあったし、その後のマリィの応援でエール団達と一緒にはしゃぎ過ぎた。それはマリィも同じようで、今日のところはホテルに戻るという意見が一致した。

そしてホテルに戻る道中、話の種としてはやはりセミファイナルのことだった。

 

「……いよいよ、セミファイナル。一応言っておくけど、今度こそは負けないから」

「今度こそって、そんな俺達ガチなバトルはやってきてないだろ」

 

 俺とマリィはこれまで何度も勝負をしている。とはいってもお互いに全力を出す真剣勝負というのは殆どやってこなかった。どちらかというと実戦ではなく、トレーニング形式であったり仮想敵を想定したシミュレーションだ。

 

「一番最初。あたしのモルペコはクチートに手も足も出んかった」

「あー、あれな」

 

 もうずっと遠い昔のような気がする。なんというか、ガラルではそう感じてしまうほどに結構濃い時間を過ごしたように思えるのだ。

 

「一応言っておくけど、セミファイナルで当たっても手加減なんか無しだから」

「そんな器用な真似できねえし、出来たとしてもやらねえよ。後が怖いし」

「……なら良いけど。あ、絶対にあたしが勝つんだけど、アンタが負けたら罰ゲームだから」

「ええ? またかよ。衆人環視の中でお姉ちゃん呼びを強要するのはマジで勘弁してくれよ。これは本当にフリじゃないからな」

 

 俺とマリィは多分セミファイナルで当たることはないだろう。マリィはユウリに負け、俺はホップに負ける。それがこの世界の、謂わば正史であり曲げられない歴史であるからだ。だが、何かの間違いでその罰ゲームが有効になってしまったら本当に不味い。テレビ中継がされてる中でそんなことを強要されたら俺は冗談抜きで憤死する。

 

「今回は舞台も大きいから、罰ゲームも大きくしなくちゃね」

「そんなルールはねえよ。それで、マリィが勝ったら俺は何をされるの?」

「……兄貴はさ、あたしにスパイクタウンのジムリーダーになって欲しいみたいだけど、あたしはチャンピオンになる。だからジムリーダーは出来ん」

「オイオイ。まさか、俺が代わりにそれをやれと?」

 

 確かにネズも少し乗り気であったようだが、それは流石に罰ゲームの範疇を越えたものだ。どんなに控えめに言っても俺のこれからの人生を左右するような内容だ。とても許容できるものじゃない。何かの冗談かと思ったが、マリィは至って真剣な表情で俺を見た。

 

「別に絶対じゃなくても良いと。でも、真面目に考えて欲しい。考えて、やっぱり無理だったら強制もしないし」

「いや、だったら俺の返事は決まってるよ。言っただろ、俺は負けることを良しと出来ない狭量なトレーナーだって。ジムリーダーなんて柄じゃないし務まらないだろ」

「それでも良い。兄貴とか他のジムリーダーのことを知って、それでも結論が変わらんなら、それでも良いから。駄目?」

 

 ジムリーダーが高潔な存在だと俺も分かっている。しかし理屈として理解出来ることと感情で納得出来るかはまったく別の種類の問題だ。俺はジムリーダーなんて器じゃない。一番俺が良く分かってる。だから、マリィにそんなことを言われても俺の結論は変わらないだろう。

 

「……結論、変わらないかもしれないぞ。それでも良いなら……」

 

 俺とマリィはきっとセミファイナルで戦うことはない。しかしそんな事は言えないし、言っていいものでもない。何故マリィが俺にジムリーダーになって欲しいのか、その真意は良くわからないけど、真摯な態度を蔑ろに扱うことは出来ない。

悩んだ末に出した答え。俺は結局マリィの言葉を拒絶できなかった。

……俺がジムリーダーになってもいいかな、なんて言える日はきっと来ないだろうけど、少しだけ真面目に考えてみようと思った。結論はどうあれ、俺はマリィを裏切りたくない。そう思えるくらいにはマリィは大事な存在になった。

 

「じゃあ俺が勝った時の罰ゲームはどうしようかな」

 

 ちょっと重苦しくなった空気を払拭するべく、俺は明るい声で言った。しかしいきなり罰ゲームと言われても何も思いつかない。暫く俺は頭を回転させ、ふと思いついたことを思ったまま口に出した。

 

「なぁマリィ。トーナメントが終わった後で良いんだけどさ」

「うん」

「俺と一緒にちょっとホウエンに来てくれない?」

 

 マリィは思いっきり咽た。

 

 



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 俺はあの少女が、未だに怖い。表情が薄いまま、何の価値もないような顔で蹂躙された記憶は今でも脳裏に焼き付いて俺を離してくれない。

このままでは駄目だ、という意識はずっとある。俺がこれからもトレーナーとしてやっていくなら、どこかで決着を着けるべきだ。或いは禊とでもいうのか、いずれにせよ俺はもう一度あの少女に立ち向かわなければならない。

 

敗北後の半年間、そしてガラルの旅で俺の摩耗した精神は大分回復した。しかし俺は未だにあの少女の前に立つほどの度胸はない。きっと俺の足は竦んでしまって、また失意に打ちのめされてしまうだろう。予感ではなく、それは確信だ。

俺は弱い人間だ。大いなる脅威にたった一人で立ち向かうほどの胆力はない。

では俺だけでなかったらどうだろう。逃げ出してしまいたくなるような時でも、俺の背中を押しとどめてくれる人がいれば、俺はもう一度立ち向かえるんじゃないか?

足りないならば補えばいい。それを考えると、やはりぱっと浮かぶ顔はマリィだった。

 

そそそそういうのはまだ早かでしょ!?と 壊れた機械のような声を出したマリィは一体何を勘違いしているのか。

懇切丁寧に説明してやると百面相のようになって最後にはポチエナのように唸った。

 

「……はぁ。なんか馬鹿らしくなった」

「おい、俺は割とマジで言ってんだぞ」

「そこじゃなくて。ああ、もうあたしの一人相撲じゃん!」

 

 マリィは不機嫌そうな顔をして俺に小指を差し出す。

 

「じゃあ指切りげんまんね。嘘ついたら『オーラぐるま』を1万回食らわせるから」

「あいよ」

 

 マリィの指と俺の指が絡まる。先ほど手を握った時にも思ったことだが、マリィの手は小さい。いつもは俺が手を握られる立場だったから、気づかなかった。

 

「でも、あれだな。俺とマリィがセミファイナルで当たらない可能性もあるんだぜ。その時は無効か?」

「え? うーん……」

 

 気持ちばかりが先行してその可能性を考えていなかったようだ。

 

「そん時はそん時!」

「……ま、そうだな。今からそんな後ろ向きな事は考えなくていいか」

「そうそう! っていうかあたし達が勝っていけばいずれは当たるんだし。それまでは絶対負けないでよ!」

「ああ。肝に銘じておくよ」

 

 大きな舞台で、ファイナルトーナメントを掛けた決勝で俺とマリィが鎬を削る。もし実現すればそれはきっと本当に楽しいものになる。

誰が勝者になるのか。誰が敗者になるのか。そんなことは結果を見てからでないと分からないと誰もが口を揃えて言うだろう。

……だから、俺だって夢くらいは見てもいいはずだ。

例え叶わなかったとしても、その想いだけは本当に、本物なのだから。

 

心のどこかで俺はホップに勝てないという粘り気のある暗い声に苛まれていた。しかし同時に勝ちたいという意欲も生まれていた。

勝たなければいけないのではなく、勝ちたい。可能性がどれだけ低くても、ゼロに限りなく近いとしても。運命に翻弄され続けるとしても。

俺は足掻きたい。あんな苦しい思いをもうしたくない、というのもある。

けれどもっと大事なものにようやく気付いた。

俺はマリィの為に勝ってやりたいのだ。俺を導き、俺を信じてくれたマリィの為に。

一度折れてもなお俺に付いてきてくれたクチート達の為にも。

信頼に応えるために俺は戦いたい。

 

それに俺のトラウマはあの少女であり、特段ホップに何かされたわけでもない。

ならば、俺は次に進むための試金石にすればいい。

そう考えると多少は気分も楽になる。

 

「―――で、ちょっと話を前に戻すけど、マリィは何であんなに取り乱してたわけ? ちょっとお兄ちゃんに教えてくれない?」

 

 それはそれとして俺がマリィに対して優位に立つ場面なんて滅多にないので、俺はにやにや笑って言ってやった。

 

「だぁー! なんで話を戻すと!?」

「え? だって僕、よく意味が分からなくって……」

「だったらそん意地汚か笑いば止めんね! あーもう!」

 

 最近の子供は早熟というがマリィも例に漏れずそうだったようだ。マリィの言う通り、それは早すぎる。今は、まだ。

 

 

 

 

 

 

 まだ試合が始まっていないというのにスタジアムには観客が押し寄せていた。それほどトーナメントの注目度は高い。セミファイナルトーナメントの勝者はファイナルトーナメント出場の切符を手にし、同時に一つの称号を手に入れることになる。

『一般トレーナー最強』という称号だ。

 

控室には既にセミファイナルトーナメントに出場する四人が集まっていた。

ユウリとホップ、マリィに俺だ。そしてようやく抽選が終わった。マリィの最初の相手はユウリであり、俺の最初の相手はホップだった。

 

最初はユウリ対マリィのバトルが行われ、その後に俺とホップのバトルだ。

マリィ達のバトルが始まり、観客席から離れた控室にも大きな歓声が響く。俺はバトルの様子を控室のモニターで観察していた。控室に居るのは俺とホップ、そして数人のスタッフだけだ。

 

「……よう、そういえば会うのも話すのも初めてだな」

 

 俺はモニター越しの激戦を見ながらホップに話しかけていた。そこに深い意味はない。

ちょっと話してみたかった、という単純な興味本位だ。

 

「おう。……やっぱり強そうだな! でも勝つのはオレだ! 勝って、オレがユウリと戦うからな!」

「おいおい気が早いな。まだバトルは序盤。この状況でマリィが負けるって決めつけるのは良くないと思うぞ?」

「む、確かにそれは良くないな。でもオレはユウリと約束したんだ! だから勝つのは絶対にユウリだ!」

 

 眩しいな、と俺は思った。無垢な信頼は色々あった俺にとっては眩しすぎる。だが俺にもそういう時期があった。チャンピオンの弟というのは当人たちの考えはどうあれ、周囲の人間からは邪推されてしまうものだ。ここまで真っすぐ在れるという、ただそれだけでも大したものだと思う。

 

「俺にだって譲れないものはあるから負けてやるつもりはないね」

「いーや、オレが絶対に勝つ!」

「……そんな闘気を控室で出すなって。こんなところで言い合いしたってどうしようもないんだ。本番に残しとこう」

「それもそうだな! そういえばこれまで一度もダイマックスを使わなかったって聞いたけど、もしかして今回も使わないつもりなのか?」

「さぁどうだろうな。使うかもしれないし、使わないかもしれない。そういうのも含めて戦いだろ?」

 

 言葉は軽快に弾む。別にホップが憎いとか、そういったわけではないから言葉は気安い。言葉を交わしながらも俺とホップはモニターに釘付けだった。マリィのズルズキンはユウリのアーマーガアに落とされ、また一つ戦況が進む。

 

「……まぁ、あれだ。折角の大舞台なんだ楽しく行こう。憎い相手ってわけでもないんだからさ」

「おう!」

 

 会話はそこで終わった。それまでゆっくりと進行してきた試合が一気に動いて話している場合ではなくなってしまったからだ。難易度の高い大技の連発、互いのポケモン達は激しく動き、また倒れる。歓声に飲まれてマリィの声は聞こえない。けれど、その表情を見れば分かる。一進一退の攻防を繰り広げて苦しい顔を見せながらも、どこか楽しさが見え隠れするような、そんな顔。

直に見れないのが口惜しい。それくらいにいい勝負だ。

 

そして決着の時は訪れる。状況はマリィの劣勢だった。最後のポケモンであるオーロンゲがユウリのストリンダーを強引に戦闘不能に追い込むが、その代償として毒を貰ってしまった。まだ瀕死には遠いが、この状況でエースバーンの無償降臨を許してしまうのはかなりの痛手だ。

これでお互いが最後の一匹を切ったことになる。ダイマックスはまだ両者とも使っていない。

 

マリィはエースバーンを見た途端、直ぐにダイマックスを選択する。普通に正面から戦っても勝つことは難しいと判断したのだろう。毒状態も合わせて考えると残された時間は少ない。持久戦よりかは短期決戦の方が勝ちの目がある。そしてそれに合わせてユウリもダイマックスを選択する。

巨大になった二体が放つエネルギーは凄まじく、モニター画面が一瞬何も見えなくなる。

光が収まり、立っていたのはエースバーンだった。マリィの敗北で、勝ったのはユウリだ。

 

「よっしゃあ!」

 

 ホップが拳を突き上げて喜ぶ。その間も俺はモニターから視線を外さなかった。マリィの顔が映し出される。悔しさはあるだろう。それでも、その顔は全て出し切ったようでどこか朗らかでもあった。

 

 

 

 

 

 

「……ごめん、負けちゃった」

 

 下手に慰めるのはマリィを侮辱することにもなる。俺はマリィの言葉をただ受け止めた。

 

「負けたけど、楽しかった。全部、出し切ったから。悔しいけど、みんなを熱狂させたからかな……」

「ああ。きっとな」

「……あたしは観客席に戻って、兄貴と一緒に応援するから」

「おう。……マリィ、ちょっとグー握ってくれない?」

「? うん」

 

 俺も拳を握り、マリィのそれと合わせる。こつ、と一瞬だけ拳が触れて直ぐに離した。

 

「行ってくる」

「……頑張って」

 

 マリィと別れてホップと一緒に廊下を進む。一歩フィールドに足を踏み入れた瞬間、大きな歓声が響いた。

 

「うぉ! 凄い歓声だな!」

「多分、もっと凄いことになるぞ」

「へへ、それぐらい俺達に期待しているって事だよな! よーし、気合入った!」

 

 中央に駆けだすホップ。飲まれてしまうほどの歓声も、ホップにとっては起爆剤にしかならなかったようだ。無論、俺もこのぐらいで動じるほど柔ではない。

俺もバトルフィールドの中央に辿り着く。ホップは待ちきれないようで身体をうずうずさせていた。

 

「なぁ、ホップ。運命って信じるか?」

 

 アナウンスで簡単な選手紹介を行っている間、俺はふと気になってホップに聞いていた。

 

「それも逃れられない運命。どんなに頑張ったとしても、見えない糸で縛られちまうような、そんな運命だ」

「……それってあんまりよくない運命じゃないか? そういうのはちょっと嫌だな」

「そりゃ嫌だよなぁ。じゃあ、もしもそういうものがあったとして、その糸を断ち切るにはどうすれば良い?」

「うーん……頑張るしかない!」

 

 悩む素振りをして、ホップが出した答えはそんなものだった。ホップの答えは予想通り過ぎて俺はつい噴き出した。

 

「まあ、そうだよなぁ。結局、頑張るしかないんだよ。言い訳だのなんだの並べて何もしないってのが一番カッコ悪いよな。だから諦めて足を止めた俺はカッコ悪かったのさ」

「……良く分かんないけど、今は大丈夫なのか?」

 

 観客からの声はうねりとなって野太い大きな流れを作りだしている。そこに微かな少女の声を感じ取って、俺はそこを向いた。

 

「ああ、きっと。そうなる予定だ」

「予定? ……むぅ、何が言いたいのかわからないぞ!」

「悪い悪い。君にとっちゃワケ分かんないよな。……そうだな。一つ言うとしたら今日の俺はいつもより手強いってことかな」

 

 選手の紹介が終わった。俺とホップは中央から少し下がり、そして振り向く。

俺の視線の先には強い眼差しのトレーナーが居た。高く、分厚い壁だ。

それを見て、怖くないといえば嘘になる。また俺はズタボロに負けてしまうんじゃないか、と弱い気持ちが表に出てくる。それを俺は笑って嚥下した。

 

ガラルに来る前、クチートに言った言葉を思い出す。

―――カッコ悪いけど、諦めたままだけど、前を向いて立つって言ったら。

まだ、俺は諦めたままだ。でもカッコ悪いのはもう止めだ。

そして今度は諦めることを卒業するために俺は運命に挑む。

どんなに劣勢でもどんなに負けそうでも、俺は今度こそクチート達を信じると言ったのだから。マリィが俺を信じて応援してくれているのだから。

 

「―――勝負だ」

 



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私は対人戦を全然やっていない素人なので描写が甘いのは許して。



「バイウールー、『のしかかり』だ!」

「躱して『どくびし』」

 

ポケモンバトルにおいての強さとは何か。一体何が勝敗を分けるのか。

一口に言ってもそれは多岐に渡る。単純にポケモンが強い、トレーナーの指示出しが上手い。

一つ一つの要素を組み合わせ、総合で上回った方が強い。

しかしそこには運の要素も存在する。極端な話、俺のクチートのハサミギロチンが全部当たれば俺は誰にでも勝てる。いや、実際使えはしないんだけど例えとして。

運の要素。バトルの最中に起こる揺らぎとでもいうのか、俺はそれが嫌いだった。

だってそれは実力を越えた世界だからだ。お前は運が悪かったから負けたんだ、なんてそんなことは言いたくないし、言われたくもない。

しかし運の要素は絶対にある以上は上手く付き合っていかなければならない。

それはガラルで改めて学んだことの一つであり、俺が新たに手持ちに加えたドラピオンはその思想を取り入れた集大成でもある。

 

見た目にそぐわぬ素早い動きでバイウールーののしかかりを躱す。対キバナ戦しか映像はないが、ホップは真正面からの戦いを得意としているのは分かった。であれば、その事実は俺にとって有利に働く。相手の裏をかき、粘り強く戦うこと。それが俺の戦い方であり、それで結果を残してきたという自負がある。

 

「『クロスポイズン』」

「『コットンガード』だ!」

 

 俺の手持ちは四体。まず数の上で俺が不利だ。そしてエースポケモンであるクチートも相手を強引に叩き伏せるほど強力なポケモンではない。クチートの『つるぎのまい』、或いはキレイハナの『ちょうのまい』を積んで果敢に攻めるという選択肢もあるが、それだけというのはいただけない。一度攻略されればこちらの敗色が濃厚になってしまう。

それしか出来ないとそれも出来る、というのは意味合いが大きく変わってくる。

こちら側としては選べる選択肢を多く用意し、相手に多くの判断を迫って惑わせるというのは一つの戦術としても機能する。

 

いずれにせよ大事なことは積み重ねるということ。小さなものを一つずつ積み上げて、此方にとって有利な盤面を作り出す。

俺はそうやって戦ってきた。これまでも、これからも変わらないだろう。

 

「バイウールー!?」

 

 コットンガードで防御したにも関わらず、かなりのダメージを負ったバイウールーの姿。俺のドラピオンの特性は『スナイパー』、そして持ち物は『ピントレンズ』。

これまで徹底的に急所を突く訓練を重ねてきたのだ。運もあるだろう。しかし、それを狙ってやったという実力も確かに備わっている。

 

「逃がすな。『つじぎり』」

「……く、『きしかいせい』!」

 

 ホップはポケモン交代を選択しなかった。ここで少しでもドラピオンを削りたかったのか。

結果として瀕死寸前のきしかいせいは俺のドラピオンに大きなダメージを与えることに成功した。

そして倒れるバイウールー。俺のドラピオンも深手を負ったが、まだ戦闘は可能だ。

……本音を言えばここは余裕を持ってドラピオンを勝たせたかった。

『きしかいせい』を食らってしまったのは俺のミス。下手に追い込んでしまって欲を掻いた結果だ。

いや、反省は後だ。まだ勝負は続いている。

 

「やるな……! だったら、行けカビゴン!」

 

 続いてホップが選出したポケモンはカビゴン。『ねむる』を覚えていれば『どくびし』をカバーできるし、そうでなくても単純に強いポケモンだ。

一瞬俺も交換をするか迷う。技の種類が豊富なドラピオンは多くのポケモンに対して有効打が放てる。体力は少なくなってきているが、決して遅いポケモンではない。先制の一撃を食らわすことが出来れば盤面を有利に出来る。しかし強力なカビゴンを削っておきたい、という考えも浮かんだ。

 

一瞬の気の迷い。それに対してドラピオンは雄々しく吠えた。

まだやれる。まだいける。俺は戦いたいんだ、と主張するかのように。

勝手に俺のカレーを食っていたスコルピの時代は怖がりで、バトルを避ける傾向もあった。しかしそれは次第に失われていった。バトルを繰り返し、ドラピオンに進化し、自信を付けたのか。バトルをし、勝利を重ねるごとにドラピオンは逞しく頼れる存在になった。

 

トレーナーはポケモンに指示を出す。だがポケモンは唯々諾々とトレーナーの言うことを聞くだけの存在ではなく、確固とした己があり意思がある。

戦うポケモンの気持ちを汲み取ること。それもまた、トレーナーに求められることだ。

……チャンピオンロードで心を折られたあの日、クチートは戦いたかったに違いない。

 

ドラピオンが入っていたモンスターボールに手を触れない。戻すという選択はしない。それがどんな結果を招くのか分からない。分からないなら、ポケモンを信じたっていいだろう。

 

「続行だ。……『クロスポイズン』!」

「負けるなカビゴン! 『10まんばりき』だ!」

 

 互いに取っ組み合いをした後に放たれた一撃でドラピオンは沈む。気絶しながらもドラピオンは満足そうな顔だった。

 

「……お疲れ、ドラピオン」

 

 カビゴンは強い。技範囲が広く、防御もある。はっきりいって俺の中ではカビゴンがラスボスだ。

クロスポイズンで多少なりともダメージを与えられたが、『ねむる』が使えると仮定するとダメージはないものと考えた方が良い。

 

「キツイ戦いになるが任せたよ、ペルシアン」

 

 クチートの次に長く旅をしてきたペルシアン。同じノーマルタイプではあるが、正直にいって真正面からカビゴンを打ち倒すだけのポテンシャルはない。

しかしそんなものは今更だ。自分以上に強力なポケモンを相手にするなんてペルシアンにとってはよくある事だった。その証拠にペルシアンはいつもと同じように欠伸をしてボールから出てきた。そして一度ちらりと俺を見る。早く指示を出せ、と言っているように見えた。その様子を見て俺は頼りになるな、と苦笑した。

 

カビゴンが序盤で出てくるパターンはいくつか想定していた。そしてその時、どのような作戦を取るのかも。出来ればもう少し後で出てきて欲しかったのだが、こうなってしまった以上はしょうがない。

勝負は未だ序盤だが、ドラピオンを倒された以上は早くも賭けに出る必要が出てきた。

 

「……なーに思い上がってんだか。俺はチャレンジャーなんだ。そりゃ当然だろうが」

「カビゴン! 『アームハンマー』だ!」

「当たるかよ! 『わるだくみ』!」

 

 カビゴンは鈍足で、対してペルシアンは俺の手持ちの中で最も素早いポケモンだ。生半可な攻撃ではとらえられない。しかしそれは絶対ではない。カビゴンがペルシアンの動きに慣れてくれば何れは当たる。直撃してしまえばペルシアンは一たまりもないだろう。

カビゴンは毒状態であるが、体力が尽きるまでペルシアンが逃げ切れるなんて甘い考えは出来ないし持つべきではない。

 

「速いな! 落ち着いて相手を良く見るんだ、カビゴン!」

「攪乱しつつ『パワージェム』!」

 

 わるだくみでペルシアンの能力は大きく伸び、カビゴンは想定外のダメージを受けて鑪を踏む。

足りないのならば補えば良い。それはバトルにおいて当然のことで、きっとそれ以外にも適応されるものだ。そんなことはとっくに知っていたはずなのに、それを今改めて実感している。

接近を嫌ったカビゴンは両腕を振り回し、ペルシアンを強引に引きはがす。

ちょろちょろと動き回るペルシアンに翻弄され、カビゴンは苛立った様子を見せる。

ドラピオンの『どくびし』と『クロスポイズン』のダメージもある。ペルシアンの攻撃はまだ耐えられるだろうが、ホップとしても呑気にしていられる状況ではないはずだ。しかしカビゴンには起死回生の手段が一つ残されている。だからホップにもまだ余裕が残されているのだ。

 

「もう一度『パワージェム』!」

「くぅ……! だったらカビゴン、『ねむる』だ!」

 

 出来れば覚えてほしくなかったが、まあそうなるだろう。カビゴンの毒状態が解除され、これまで頑張って与えてきたダメージも治癒していく。まるで悪夢だ。大抵のトレーナーはこのカビゴンで止まってしまうだろう。

 

「よーし、カビゴン! 『カゴのみ』で回復だ!」

 

 眠ったままのカビゴンがきのみを取り出し、それを口に運ぼうとした瞬間、俺のペルシアンがそれを奪って代わりに元々持っていた『あついいわ』をカビゴンに持たせる。当然、そんなものは食えたものでなくねぼけたまま一度齧ってカビゴンは再び寝に入る。

 

「なッ……!」

「……『すりかえ』だ」

「っ! カビゴン!」

 

 一度呼びかけたくらいで深い眠りに入ったカビゴンが起きることはない。しかしカビゴンの体力は満タンであり、ペルシアンが『わるだくみ』を一回使った程度ではカビゴンを突破することは出来ない。ペルシアンはそれだけ非力なポケモンだ。

しかし今回のバトルにおける俺のペルシアンの役割は相手を打倒するものではない。

勝利の起点を作り出すこと。それがペルシアンの役目であり、それは単純に相手を倒すよりも余程難易度が高いものだ。

 

「オレは『なんでもなおし』を使うぞ!」

「今のうちに『にほんばれ』!」

「食い止めろ! 『アームハンマー』だ!」

「チィッ! 耐えてくれペルシアン!」

 

 

 目を覚ましたカビゴンは巨体にも関わらず素早く腕をペルシアンに振り下ろす。

『にほんばれ』は使用するのにかなりの集中力を要する。それだけ外部の攻撃には疎かになってしまうということで、カビゴンの攻撃を完全に避けきれることが出来なかった。

やはり、そんな予定調和には行かないようだ。思った以上にホップの判断は早い。道具の使用タイミングも迅速だった。

 

「戻れ、ペルシアン!」

 

 辛うじて間に合う。しかしボールに収まったペルシアンは瀕死にはいかないもののかなりのダメージを負っており、長期戦は厳しいといってもいいだろう。

しかし凡その展開については想定内。後はどれだけ短期決戦に持ち込めるか。

客観的に見れば俺が今のところ状況をコントロールしているように見えるかもしれない。しかしそれはまやかしで、想定内とは言いつつも今のところ追い詰められているのは俺の方だ。

それを今から覆しに行く。本当の意味で、俺が主導権を取りに行くのだ。

 

「……暴れてこい! キレイハナ!」

 



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ⅩⅢ

 ポケモンバトルにおいてトレーナーの能力も重要になる。バトルの勝敗を握っているのは無論戦っているポケモンであるが、同時にトレーナー同士の優劣も大きい。

ポケモンが戦場で鎬を削っているのと同様に、トレーナー同士でも戦っているのだ。トレーナーの仕事はポケモン達に指示を出すことであり、同時にそれは相手トレーナーを出し抜くということでもある。そしてそれを行う判断というのは身体能力、経験、勝負勘だ。

俺は此処に光明を見出していた。ホップのポケモン達は強力である。ホップ自身も素人ではなく、ここまで勝ち上がってきた間違いなく優秀なトレーナーだ。トレーナーの才能という点で言えばホップは間違いなく俺の上を行く。

それを認めた上で俺が勝っている点はどこか。それはトレーナーとしての経験しかない。

 

これは俺の基本的な戦術にもなるのだが、まず自分の手札を多く用意する。それを使うか使わないかはさて置き、豊富な手段を用意する。ちょっとした小細工でもなんでもいい。極論相手に手札がある、と思わせるだけで良い。そしてその上で相手に難しい選択を迫る。バトルとは一つのリズムであり、俺の勝負はまず相手のリズムを崩壊させてからが始まりだ。

 

自身を高めるのではなく相手を落とし、その隙間をこじ開けて一気に勝負を持っていく。

今でも十分すぎるほど強く、更に伸びしろもあるホップだが今の段階で言うと判断にまだ甘い部分がある。そこを突く。

……裏を返せばそうでもしない限り俺が勝つことは難しいということでもある。

相手の判断ミスを誘うというのは容易なことではなく、奇策を用いる必要もあるだろう。

ベテラン揃いの俺のポケモン達はそれが出来る程熟達しているが、それでも尚危険な橋を渡らなければならないことに変わりはない。

 

「キレイハナ、『ちょうのまい』!」

「食い止めてくれ!『アームハンマー』!」

 

 カビゴンも大概遅いポケモンであるが、俺のキレイハナもカビゴンには勝るものの鈍足だ。『ちょうのまい』を奏でる間にカビゴンが迫る。振り上げた『アームハンマー』はキレイハナに直撃―――しなかった。

それまでのゆったりとした素早さから一気に加速し、カビゴンの拳を掻い潜る。

 

「……『ようりょくそ』か!」

「勉強熱心だな! 正解だよ! 『フラフラダンス』!」

 

 先ほどの舞とは違い怪しげなダンス。それを見たカビゴンは混乱状態になった。

さぁ、ここでも一つの選択だ。ホップはカビゴンを代えるのかこのまま突っ張ってくるのか。

『なんでもなおし』はもう使えない。これはルールブックに記載されており、トレーナーが使える道具には制限があるのだ。『げんきのかたまり』を死ぬほど持っていけば格段にバトルが楽になるが、そんな道具合戦の応酬を観客も見に来たわけではないし、純粋なポケモンバトルといえなくなるからその為の措置だろう。ポケモンの持ち物に関しては大きな制限がなく、この部分には大いに助かっている。

 

「……落ち着けカビゴン! もう一度『アームハンマー』だ!」

 

 後続にいるであろうアーマーガアに交代しなかったのは何故か。それも相手を攻略する手がかりになる。それほどこのカビゴンを信頼しているのか、或いは温存したかったからか。いや、考えはもっと単純で当たりさえすれば倒せるというものなのかもしれない。

ホップの判断が間違いだとは俺も思わない。実際俺のキレイハナは脆く、カビゴンの攻撃が当たれば一気に体力を奪えるだろう。

それに日差しが強い状態とはいえ、カビゴンの特殊耐久は高い。『ソーラービーム』の一発くらいは耐えるだろう。耐えて、混乱状態が解除されれば十分にカビゴンに勝ち目がある戦いだ。

 

混乱状態は早くも解けつつある。悠長に時間を掛けてはいられない。今のところキレイハナはかなり速くなっているが、先ほどのペルシアンで目は慣れているだろうし混乱状態から抜け出せば正確無比な『アームハンマー』が降ってくる。

 

「一旦戻ってくれ! カビゴン!」

 

 二度目の『アームハンマー』は不発に終わる。ホップは今度こそカビゴンを引っ込める決断をした。その隙にもう一度『ちょうのまい』を使えたのは僥倖だ。

次に出てきたポケモンは俺の予想通りアーマーガア。

……さて、ここだ。

カビゴンは強力かつ攻略が難しいポケモンだ。しかし出てきたアーマーガアも相当に厄介なポケモンといえる。特段珍しくはないし、それどころかガラルにおいてはタクシーとして運用されている面もあり良く知られているポケモンだ。

ただ飛行と鋼の複合タイプであるというのがキレイハナに見事にぶっ刺さる。

草タイプの技の威力は大きく減衰し、加えて向こうは草タイプに有効な飛行技を使ってくるのだからタイプ相性は最悪だ。

 

キレイハナを早めに処理したいという考えは分かる。『ソーラービーム』をノータイムでぶっ放すキレイハナに強く出れるアーマーガアを出すことはごく自然なことだし、俺がホップの立場だったら俺だってそうする。

いくらダメージを軽減させるとはいってもそれには限度がある。当然一発二発で削り切ることは出来ないだろうが、手痛いダメージを負う事になるだろう。

調子付いたポケモンを野放しにしていい理由なんてどこにもない。だから迅速に処理すべくアーマーガアを選出した。

 

『にほんばれ』と『ソーラービーム』のコンボは良く知られたものであり、草タイプを専門に扱うトレーナーの中にはそれを主軸に使うトレーナーも多い。俺のペルシアンとキレイハナがやってきたことは教科書にでも載っていそうなことで、ホップがその流れを断ち切るために攻勢に出るというのは簡単に予想がつく。

 

「アーマーガア! 『ドリルくちばし』だ!」

 

『こわいかお』を使って様子を見るという選択もあるにはある。しかし草タイプは状態異常を引き起こす技を豊富に覚える。現に『フラフラダンス』を見せているし、状態異常にでもされたら状況はまた一変する。それにドラピオンが『どくびし』を使ったことから俺が状態異常を使ってくるトレーナーという印象は付けられた。だから何かされる前に一気に決着に出る。

 

「『バトンタッチ』!」

 

 それは即ち、ホップがどのような行動に出るのか俺も予想が出来るということ。

ホップのアーマーガアが最も得意とするのは高威力である『ドリルくちばし』であるのはリサーチ済みだ。次に相手がどのような行動に出るか分かっている。どの技を打ってくるか予想が付く。そしてアーマーガアは野生にも出てくる普遍的なポケモンで、練習には事欠かない。おかげで迎撃の準備はここに整った。

 

「受け止めろ! クチート!」

 

 キレイハナに代わって出たクチートが小さな身体を駆使して錐揉み回転して突っ込んでくるアーマーガアを受け止める。

 

「アーマーガア! 脱出するんだ!」

 

 ホップの指示でアーマーガアが抵抗する前に片を付ける。いや、一撃で片を付けなければいけないのだ。その為の下準備は既に終えている。

 

「この距離なら外さねえだろ! 『かみなりパンチ』!」

 

 至近距離から放たれた『かみなりパンチ』にアーマーガアは一撃で沈んだ。

 

「……もしかして、キレイハナが使っていたのは『ちょうのまい』じゃなくて『つるぎのまい』だったのか?」

 

 アーマーガアを労りながらボールに戻し、ホップはそう疑問を零す。

 

「キレイハナの『ようりょくそ』で速くなっていたから気づかなかったけど……いや、そうなるように見せていたのか。『にほんばれ』状態で草タイプを出してきたら、誰だって『ソーラービーム』を使うと思うよな」

「……さあ、どうだろうな」

 

 正解である。奇襲に特化した今日のキレイハナは『ソーラービーム』どころか、草タイプの攻撃技がない。しかし馬鹿正直に答えるのは下策だから俺は適当にしらばっくれた。

『かみなりパンチ』はアーマーガアに有効な技だが、それが実際に当たるかどうかは別の問題だ。小柄なクチートの攻撃レンジは狭く、相手に近づいてもらう必要がある上にタイミングは相当シビアなものになる。

 

それにクチートに『かみなりパンチ』があるとホップが知れば遠方からの攪乱作戦に出てくるだろう。ホップのトレーナーとしてのレベルは高い。一撃で沈めなければあっさり対応してくる。だからこそ一撃に拘ったのだ。

 

「へへ、すっごいな! アーマーガアが倒れるまで全然気づかなかった! あんな戦い方もあるんだな! よーし!」

 

 気合を入れたホップであるが、その目は油断なく俺のクチートに向けられている。

次に出すポケモンは誰にするか、吟味をしているのだ。

……キバナ戦から手持ちを替えていないとすると、残りのポケモンはバチンウニ、カビゴン、ゴリランダーの三匹だ。

 

ここでバチンウニを出してくることは考えにくい。タイプ相性が悪く速さでも劣る。攻撃力が上がったクチートの一撃で十分に刈り取ることが出来る。

であればカビゴンかゴリランダーか。ここでダイマックスを切って力で押してくる、という選択もある。しかしそれはそれでリスクが付きまとう。まだホップには俺のクチートの持ち物が割れていない。『きあいのタスキ』の可能性を考えればカウンターによってダイマックスしたポケモンでも容赦なく一撃で沈む可能性がある。この持ち物は体力が満タン時にしか効果がないが、俺にはまだ道具の使用権が残されている。ゴリランダーは鈍足ではないが、かといって素早さがウリなポケモンではない。『すごいきずぐすり』を使い、持ちこたえた上で強烈な一撃を見舞うことも出来るだろう。

 

ホップは手持ちが三体残された状態、俺の方も三体残っているがペルシアンが結構なダメージを負っている。ポケモンのスペックを考えない優劣でいえばホップの方がまだ優位といえる。勝負は中盤であり、ここで一気呵成に畳みかけるというのは勝負を決定づける一手に成り得ると同時に、それを破られた時には敗色濃厚になってしまうという危険性も孕んでいる。それを天秤に掛けて攻勢に出てくるかどうか。

 

「……」

 

 俺は脳内にこれからの道筋を立てていく。ホップが悩んだ時間は僅かだった。

 

「もう一度頑張ってくれ! カビゴン!」

 

 選出されたのはカビゴンだった。

 

「『バトンタッチ』」

 

 再度の交代で俺が選んだのはキレイハナ。逃げることは選択しない。次第に日差しも弱まってきた。今回もキレイハナが華麗に避けてくれるだろう、なんて楽観的に考えることは出来ない。

 

「キレイハナ、相手は強い。……酷なことを言ってる自覚はあるが、逃げずに立ち向かってくれ」

 

 躱すと逃げるは似ているようで根本的に思想が異なる。逃げとは一度退却をして態勢を整えるということで、躱すというのは回避を念頭に入れながらも戦う意思を見せるもの。

……俺は、もう逃げてはいけない。

ガラルに来ずに逃げて安穏と過ごすことは出来た。トレーナーを辞めたって、道は別にあった。

でも俺はそれが嫌だったんだ。

俺は諦めたけど諦めたかったわけじゃない。逃げたくて逃げたわけじゃない。

ガラルに来て、もう一度やり直すって、そう決めたんだ。

本音を言うと今だってバトルが怖い。昔の性格を引っ張りだして見得を張っているだけで、いつだってネガティブな思考がどこかにこびり付いている。

そんな自分が、俺は本当に嫌いだ。

 

だから俺は今日、運命に抗う。

勝たなくったってもいいのかもしれない。圧倒的に惨敗するという未来はこの時点で避けられた。

だから、もう頑張らなくていいんじゃないか?いい勝負をすればいいのであって勝たなければならない理由はない。

―――嗚呼、なんて見当違い。

勝つんだ。俺が俺であるために。何より相棒達に誇れるようになるために。

その為の一歩として、俺は勝ちたいんだ。

これまでガラルで戦ってきた誰よりも強いホップというポケモントレーナーに―――!

 

「『ドレインパンチ』!」 

「『アームハンマー』!」

 

 小さな影と大きな影。その二つが交差し、衝撃の轟音がバトルフィールドに響いた。

 

 

 

 

 

 観客達の盛り上がりは絶頂を迎えていた。それは明確な熱となって俺のところまで届いていた。

 

「……お疲れ、ペルシアン」

「よく頑張ってくれたな、バチンウニ」

 

 互いに戦闘不能となったポケモンをボールに戻す。残すポケモンは互いに一体のみ。『すごいきずぐすり』を使ったことにより、俺のクチートの体力は全快している。お互いに万全のエースを残し、ダイマックスも使っていない。

ホップの予想を越えた抵抗によって頼みの綱にしていた『つるぎのまい』の効果は切れてしまった。

このことがエース対決にどう響くか。

 

「まったく、自信無くすな。そりゃ強いことは分かってたけどさ」

「オレだってびっくりしたぞ! まさかこんなに強い人がいるなんてな!」

 

 話しながらも戦意が高まってきていくのを感じる。燃えるような感情に身体を支配されていく。

それはきっとホップも同じだろう。笑いながらもその身体から猛りが昇っている。

 

「ハ、だがな――」

「へへ! でもまあ―――」

 

 合図なんていらない。ここまで戦ってきて、ホップのことを少しわかった。とんでもなく負けず嫌いで、何よりも勝ちたがっていること。

少し、俺と似ていると思った。

 

「「勝つのは俺だ!」」

 

 指し示したように同時にボールが投げられた。

 

「さぁ! 華々しく終わらせようぜ! クチート!」

「オレ達の全てをぶつけるんだ! 任せたぞ! ゴリランダー!」

 



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ⅩⅣ

本編完結


 日中にあれだけの熱気に包まれたスタジアムはとても静かだった。薄暗闇の観客席には誰も座っておらず、周囲は静寂が支配している。

バトルフィールドの中央のライトだけが煌々と輝いていて、そこにはマリィが俯くようにして一人で待っていた。俺はのっそりと近づいていく。足音を耳朶で捉えたのか、マリィの視線が俺の方を向いた。

 

「……マリィ、薄暗くてちょっと怖いんだけど」

 

 俺の告白にマリィは大きくため息を吐いた。

 

「こっちは結構覚悟決めてきたのに、脱力するような事は言わんといて」

「しょ、しょうがねーだろ。暗いところは怖いし……」

「昼間ん時はあんなにかっこよかったのに……」

 

 実に失礼なことを言うマリィ。

 

「……で、こんなところに呼び出して何の用? いや、予想はついてるけど一応確認な」

 

 ファイナルカップが起こる前に大きなトラブルが発生したものの、ファイナルカップ自体はもう恙なく終了した。ユウリがダンデを下し、新しいチャンピオンが誕生した。

その結果から俺がどうなったかは言うまでもない。俺はファイナルトーナメントに駒を進めることが出来なかった。悔しいかと言われれば勿論悔しい。けれど、その後味はそんなに悪いものではなかったと思う。

 

少なくとも、俺は諦めなかった。劣勢でも、負けそうになっても諦めなかった。

それでも負けたっていうなら、単純に俺が弱かったというだけの話だ。

それはそれで良いんだ。今ここが俺の限界じゃない。もっと強くなればいいんだから。

 

「……賭け」

「ん?」

「ほら、セミファイナルの前に賭けしたでしょ? あたしが勝つかあんたが勝つかで」

「結局当たらなかったからな、俺達。……で、それを律儀に履行しようって?」

「うん。でもそれだけじゃなか。純粋に、一人のトレーナーとして戦ってほしかと」

「その為に態々スタジアムを貸し切ったのかよ。ネズさんに頼んだんだろうが、あんまりネズさんを困らせるんじゃねえぞ」

 

 セミファイナルまで勝ち抜いてきた優秀なトレーナーとはいえ、マリィに何か大きな権限があるわけではない。となると、ネズが絡んできているに違いない。予想は当たっていたようで、マリィは苦しそうな顔をした。

 

「……分かってる。でも、あたしは此処で決着を付けたかったんだ」

 

 マリィはぐるりと周囲を見渡す。その目に宿っている感情は何だろうか。澄み切った目にはただ意思が込められているのみで、俺には分からなかった。

 

「あたし達の旅、終わっちゃったね」

 

 声色は悲しいものとなってスタジアムの中に溶けて消えていった。

 

「……終わるさ、そりゃ。始まりがあったら終わりが来る。全部、そういうもんだろ」

 

 マリィの気持ちは俺にも多少理解出来る。ホウエンで8つのジムを制覇した時は達成感と妙な悲しさがあったものだ。旅は楽しいことばかりじゃなかった。色々な厄介ごとがあって、でもそういうのを全てひっくるめて思い出として心に残っていくものだろう。

 

「終わって欲しくないっていうのは間違ってる?」

「間違いじゃないだろ。でも、個人の意思に関係なく終わっちまうもんだろ、そういうの」

「……そうでも、無いんじゃないかな」

「それはどういう―――」

「なんでもなか!」

 

 強い口調でそう言って、マリィは咳払いをした。

 

「とにかく、此処で色々なものに決着を着ける。その為に貸し切ったんだから。言っておくけど、拒否権はないから!」

 

 俺に指を突き付けて宣言するマリィ。

 

「別に逃げるつもりはないって。さっきも言ったけど、薄々そんな予感はしたからさ。俺も、ポケモン達も準備は出来てる。……一応言っておくけど、負けてやるつもりはねえからな」

「上等。あたし達の修行の成果に目を剥かんようにね!」

 

 観客はいない。審判はいない。静まり返ったスタジアムにいるのは二人だけだ。

寧ろ俺はその方が心地良い。熱気の籠ったスタジアムで燃えに燃えるのも好きだが、こういう不純物がない戦いっていうのも悪くない。

 

一度深呼吸をして意識を切り替える。目の前にいるのは凄腕のトレーナー。油断なんてしない。手加減なんて出来ない。俺は今から全身全霊を持って叩き潰す。それがマリィに対する手向けだろう。

 

それぐらいに本当に感謝しているのだ。

ガラルの旅を振り返ると、俺は情けないことにマリィに世話になりっぱなしだった。

不審者扱いされて警察署に連行された俺を迎えに来たのはマリィだった。

俺が落とした財布を一緒に探してくれたのもマリィだった。

阿呆な理由でめそめそ泣いている時、慰めてくれたのもマリィだった。

マリィが俺の姉を自称する気持ちも分からないでもない。それぐらいに俺は情けない人間だったし、今もきっとそうなんだろう。

 

一つ、俺は壁を乗り越えたかもしれない。だが、たったそれだけで人間がガラリと変わるようなもんでもない。カッコ悪いのは卒業した云々言ったところで、大きなマイナスが小さなマイナスになった程度で俺は依然としてカッコ悪いままだろう。

それに俺は本当の意味で吹っ切れたわけじゃない。チャンピオンロードで出会った少女に相対しても、情けなく震えてしまうことは想像に難くない。

昔も今も、俺の心は弱いままだ。

 

「―――よし、時間も押してるし始めるか」

 

 感傷じみたそれを振り払い、俺は明るい声で言った。

距離を取って振り向く。マリィはボールを構えて俺をじっと見ていた。

 

「……今、此処にいるのはあたしだけやけん」

「? ああ。俺とお前しかいないな」

「目移りせんといて、あたしだけを見て」

「言われなくてもお前しか見えねえよ」

 

 そしてお互いにボールを投げた。

 

 

 

 

 

 

 ガラルで初めて出会ってバトルをした時、マリィは本当にただの新人トレーナーだった。光るものがあったことは認めるが、指示は拙く、ポケモンも強くなかった。

それがこの短時間で此処まで来た。その事が少し悔しくて、同時に我が事のように嬉しい。

 

「ああ、クソ! 本当に手強くなったな!」

 

 指示を出す合間に俺は叫んだ。

 

「あたしだって必死に頑張ったと!」

「必死に頑張ったぐらいで追いつかれるのが悔しいのさ! 我ながら女々しいと思うんだけどな!」

 

 くだらないプライドといえば否定できない。俺よりも才能に恵まれてなおかつ努力をしているトレーナーだっているだろう。でも俺にだってここまで来たんだという自負がある。

必死こいて頑張って―――それでも届かない領域があることを知っている。

認めたくなかった。才能と呼ばれるものがあるとしても、絶対的なものではなく努力で覆せるものだと思っていた。

それがある意味で俺の芯であり、通用しなかったからこそ折れてしまった。

……あのトラウマは、まだ克服できない。

 

「滅茶苦茶情けないこと言うんだけどさ!」

「何!? あんたが情けないことなんてとっくの昔に知ってるけど!」

 

 だから、やっぱり俺にはそれを支えてくれる存在が必要なんだ。

そしてマリィという少女は俺にとって、きっとそんな存在なんだと思う。背中にいれば心強く、隣にいれば温かい。どこにもいないと寂しくなる。

 

「やっぱり俺、お前が必要だわ! 一人じゃどうしていいか分かんねえもん!」

「……大真面目な顔して、いきなりそんなこと言わんと! 誤解される言動は止めなさいってお姉ちゃんいったでしょ!」

「ハハハッ! すっかりその態度も板についたよな! ああ、でも! それでも良いよ!」

 

 ガラルじゃすっかり定着してしまったし、呼び続けて呼ばれ続けて俺はその呼び方に抵抗がなくなっていた。それに実際のところ、姉弟という扱いは間違いというわけではないし。それぐらいマリィには世話になってきたという情けない自負がある。

 

「ホウエンに来ても! 俺はそう呼ぶからさ!」

「そ、そげんこと言って油断さそおうなんて作戦は通用せんからね!」

 

 心理戦は俺の望むところだが、今回に限ってはそういう意図はない。気分が高揚して言いたくなったのだ。

 

「知ってるさ! だから、俺が勝つ!」

「……ふん! 勝つのは絶対にあたしだから!」

 

 そうしてバトルは進む。俺の方が一体少ないというハンディキャップはあるものの、それを踏まえた上でマリィは強敵だ。ホップに勝るとも劣らない。

そして、お互い最後の一匹になった。

 

「……懐かしいな。そういや最初バトルした時もこうだったな」

「言っておくけど、前と同じと思わんでよ。どんだけレベルアップしたか見せちゃるから!」

「そりゃ俺もそうだ。前と同じと思うなよ。俺達は絶えず進化してるからな!」

 

 互いに笑ってボールを投げる。

 

「行って、モルペコ!」

「暴れてこい、クチート!」

 

 

 

 

 

「……本当にこんなところにおると?」

「目撃情報によるといるはずなんだけど……」

「そんなこと言って、浅瀬の洞窟にもおらんかったでしょ」

「いや、そうだけどさぁ。神出鬼没みたいだし……」

 

 俺とマリィは日照りの岩戸にいる。ホウエンに戻ってきて、行く先々がこんなじめじめした場所ばっかりだ。俺だって好き好んでこんな場所に来ているわけではない。とある理由がある。

 

「ヒィ! 何々!? ゴーストタイプ!?」

 

 背筋に冷たいものを感じて俺は慌てる。

 

「洞窟やし、水滴でしょ。……もう、そんな調子で大丈夫と?」

「……大丈夫じゃないかも。洞窟、暗いし……」

「まったくもう。怖がりは変わらんね」

 

 仕方ないな、という風にマリィは手を伸ばし、俺はそれを掴んだ。ビビって強張っていた身体が少し落ち着きを取り戻す。

 

「本当勘弁して欲しいんだよな。何で洞窟とかそういう薄暗い所ばっかりで目撃されるんだか。どう思う、マリィ?」

「……」

「あ、お姉ちゃん」

「そうやねえ、人と会いたくないからとか?」

「やっぱりそんな感じ? こればっかりは本人に聞かないと分かんないけど」

「そもそも、その本人が此処にいるかどうかも分からんし」

 

 確かにそうだ。あの少女はいったいどこにいるのやら。チャンピオンの職務をほっぽり出して音信不通で、四天王に挑もうとした俺の決死の覚悟はそこであっさり崩された。プリムも知らないと言っていたし、どこにいるのだろうか。

話をしながら奥へ奥へと進んでいく。日照の岩戸はそこまで複雑な構造ではないから、迷う可能性もあまりないし、誰かとすれ違えばすぐに分かる。

そして、最奥部。開けた空間に、一人の少女が佇んでいた。洞窟を住処にしている原住民などではない。バンダナとスパッツが特徴的な、見た目は普通の少女だ。

 

「……ああ、此処にいたのか」

 

 マリィの手を放して俺は前に出る。声に少女は反応して顔を上げた。無機質な瞳が俺を捉えて離さない。間違いない。俺の心をへし折った少女がそこにいた。他人の空似ではない。双子でもない。あの無感動な目を見れば分かる。

 

「……誰?」

 

 俺の顔を見るなり平坦な声で少女はそう言った。顔すら覚えられていないのはショックではあったが、予想していたことでもあった。俺はきっと、少女にとってはチャンピオンロードで潰した一人のトレーナーとしか認識されていないんだろう。

 

「君に負けて無様を晒したトレーナーの一人だよ。君にとっちゃ塵芥だったのかもしれんがね」

「……そう。それで? 私に何のようですか?」

「勝負をしに」

 

 俺がそう言うと、少女は俺を下から上までゆっくりと眺めた。まるで中身まで全て見通されている気分になって、俺の心臓の鼓動が速くなる。

 

「本気? 私にはどう頑張っても勝てないと思いますけど」

 

 馬鹿にされたわけではない。ごく自然にこの少女はそう聞いたのだ。

 

「とんでもなく厳しい戦いになるなんて、実際に戦って負けた俺が一番分かってるさ。でも極論、勝敗はどうでもいい。勿論死ぬ気で足掻くけど、本題はそこじゃない。俺は君に立ち向かう、そのために君に挑むんだ」

「……よく、分かりません。でも、挑まれた勝負は受けます」

 

 少女は幽鬼のような足取りで一歩前に出てボールを構える。ただそれだけの行動に俺の額から汗が滲みでた。

嫌な想像ばかりが頭を過って、俺の身体は言うことを中々聞いてくれない。手が震えている。この場から逃げ出せと本能が叫んでいる。

その時、温かな感触が俺の右手を包んだ。マリィの手だった。

 

「……悪い」

「お姉ちゃんがしっかりせんといかんからね」

 

 手の震えは収まらない。けれどマシにはなった。息を深く吸って一度目を閉じて開く。そうして眼前のトレーナーを見た。

大丈夫だ。俺には頼りになるポケモン達がいる。隣にはマリィもいる。

カッコ悪いは卒業したつもりだったけど、結局まだ卒業出来ていなかった。情けない姿を見せることになるとも思う。

でも、俺は諦めないよ。どんなに劣勢でも、どんなに負けそうでも、俺は最後まで戦い抜くと誓ったのだから。例えその先にあるのが酷い惨敗だったとしても、もう俺は折れない。

 

そして今度こそはと燃えて見せる。

ボールを取り出す。

チャンピオンロードの戦いで、投げられなかったクチートが入ったボール。

ボール越しに視線が合う。どこか不安そうで、此方の身を案じているような顔。

 

「……大丈夫だ。信じるよ。俺自身も、お前も。だから頼む。とんでもなく厳しい戦いだけど俺と最後まで戦ってくれ!」

 

 そう宣言をしてボールを構える。

 

「クチート! 君に決めた!」

 

 そうして今度こそ緩やかな円を描いてボールは投げられた。

 

 

 

 




これにて完結です。
コメディとして始めたつもりでしたが、そういう方面に疎い私はシリアスな展開に逃げてしまいました。だからこそ早めに畳めるようにしてきたつもりでしたが、予想をはるかに超えて長くなりました。
大分迷走した今作ですが、皆さまの応援のおかげでなんとか完結までもってこれました。
拙い作品ではありますが、最後まで見ていただきありがとうございました。

Twitterにてちょっとした裏話等もお話ししていきますので、よろしかったらこちらもどうぞ。


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番外編

「……えーと、ごめんなさい。私達、誰を連れてくるかまでは聞いていなかったから。改めて自己紹介、よろしいかしら?」

 

 我が家はこれ以上ないほどの緊張感に包まれていた。

テーブルの対面にはお袋と親父が座り、俺とマリィは隣に座っている。お袋も親父も真剣な顔だ。

そんな雰囲気の中、当事者なのに蚊帳の外に置かれた俺は生唾を飲み込んだ。

 

「はい。あたしはマリィっていいます。この人の姉です」

 

 唐突に爆弾を落としたマリィに俺の両親が電撃を受けたような顔になった。マリィって大物だよな、と俺は現実逃避気味にそう思った。

 

 

 

 

 

 港町であるカイナシティはホウエンにおける貿易の中枢を担うと共に、有名な観光名所でもあり玄関でもある。南部には大きなビーチがあり、夏の時期には賑わいを見せている。海が近いだけあって魚介類を使った食事や特産品が有名で、大規模なマーケットも開かれている。

旅行でホウエンを旅するのであればカイナシティを挙げる人も多いだろう。

今のところ観光の繁栄期ではないが、それでも多くの人でカイナシティは賑わっている。

フェリーでの旅を終え、下船した俺達はそのカイナシティの一角にあるレストランにいた。

 

「あー、何かカイナの雑踏の中にいると思うと帰って来たって感じがするな」

 

 魚介のクリームパスタをパクつきながら、窓から見える往来を眺めて俺は言った。カイナシティは俺の出身であるキンセツシティからそこそこ近く、昔は良くリョウタロウと一緒に買い物やらマーケットの掘り出し物目当てに来ていたものだった。俺達が今いるレストランもリョウタロウと一緒に開拓した場所で、お気に入りの場所だった。

モダンな雰囲気ながらも堅苦しくなく、俺達以外の客も各々食事を楽しんでいる。

本当に懐かしい。異国情緒溢れるガラルも悪くなかったが、カイナシティの地に足が着く感じは懐かしいと共に落ち着く。

 

「港町やから人が凄かね。キンセツシティはここから北にあるんやったっけ?」

「そうそう。サイクリングロードがある110番道路を越えてな。自転車もないし、今回はタクシーかバスか使うかな」

 

 レンタルショップで借りるという手段もあるが、サイクリングロードとは名ばかりのトレーナーの巣窟だ。今の俺が梃子摺るほどの強敵はいないだろうが、今日のところバトルは本題ではないし無為に時間を浪費するのは避けたいところだ。どうしようか、と決めかねているとマリィが俺の顔を見て、自分の口の端を指さす。

 

「口、クリームがついとるよ」

「え? マジで?」

 

 布巾で軽く拭うがまだ取れていないようで、結局身を乗り出したマリィに拭かれることになった。

 

「はい取れた」

「っぷ、どうも。……取り敢えずマーケットにでも行くか。後のことは道中で考えればいい」

「いいの? 先を急がなくても」

「チャンピオンに挑むにしたって下準備だって必要だろ? それに折角ホウエンに来てもらったんだ。思い出の一つや二つくらい作ってもらわないとな」

 

 俺はチャンピオンに立ち向かう為に帰ってきた。しかしフェリーの旅で疲労もあるし今日挑みに行くわけには行かない。俺はガラルでそれなりの成績を残したからポケモンリーグ協会も多少の融通はしてくれると思うが、最悪の場合はもう一度四天王に挑みなおす必要があるかもしれないのだ。

まあ、別に俺はチャンピオンの座を狙いに行くわけではない。挑むということが大事であって、公式の場でなくても問題はない。非公式の練習試合という形式なら恐らく問題はないと思うが。

 

どちらにせよ、言い訳を残さないためにも万全の準備をしなければならない。 

そのために英気を養うという意味で少しの間はのんびりするつもりだ。

出身地だからというのもあるがホウエンは良い場所だ。ちょっとした隠れスポットを紹介してもいいし、本来の目的を見失わない程度に観光くらいしたって良い。無理言ってマリィについてきてもらってるんだから、それぐらいの役得はあってしかるべきだ。

それでマリィがホウエンのことを知って、好きになってくれたら俺は嬉しい。

 

 店を出た俺達はカイナシティの散策に乗り出す。俺にとっては庭みたいなものだが、マリィにとっては初体験の場所だ。目ぼしい場所を案内しつつ、アクセサリーを買ったりと俺も久しぶりのカイナシティを楽しんでいると大分疲れてしまって、キンセツシティまではバスを乗り継いでいくことになった。

 

そして久しぶりの我が家だ。最後に見た記憶と何ら変わりない、二階建ての一軒家。キンセツの郊外、シダケタウンにも程よく近い場所だ。近くには育て屋もあり、そこで俺のクチートの卵も見つかったのだという。その家の前でマリィは落ち着かない様子で深呼吸した。

 

「……なんか緊張してきたんだけど、あたし大丈夫だよね? おかしなところないよね?」

「ないって。それにうちの両親はそういう厳しいタイプじゃないから」

 

 厳しいどころかネジが何本か抜けてるんじゃないかと疑いたくなる両親だが、寛容だからマリィを温かく迎えてくれるどころか新しい娘が出来たわ!なんて言って諸手を挙げて喜んでくれるだろう。

 

玄関の鍵は開いているようだ。俺は軽く力を込めてドアを開いた。

 

「ただいまー、帰ったよ」

 

 俺がそう声を掛けるとぱたぱたと二つの足音が玄関に向かってくる。

 

「おかえり! 道中は大丈夫だ……った?」

 

 リビングに通じる扉から顔を出した親父とお袋は俺の背後、つまりマリィを見て固まった。

 

「ん? ああ、ほら紹介したい人がいるって言っただろ? ガラルで世話になったマリィだ」

 

 当然、俺が里帰りを果たす前に両親には俺だけではなくもう一人来ることは伝えてある。

それなのに何故二人ともあんぐりと口を開けているのだろうか。

 

そして場面は戻る。

リビングに連行された俺達は事情聴取を受けていた。何故実家に帰って来たのに、こんな警察署で尋問されているようなぴりぴりした雰囲気になるのか。

……いや、理由は分かる。

まさかこの場でマリィが俺の姉を名乗るとは思わなかった。というか多分、マリィも緊張してしまったせいか、癖で言ってしまっただけだろう。言った瞬間、しまったみたいな顔してたし。

姉呼びを強要さえしなければマリィは常識的な考えが出来る少女だ。そこの部分は今更疑っていない。

 

そもそも姉呼びは少なくとも実家では封印するつもりだった。

俺とマリィの関係は健全なものであるが、誤解を招きかねないものであるというのは分かる。

それを初っ端から破られたので俺は出されたお茶を飲みながら頭を抱えた。

バレたとしてもそんな大事にはならないだろうと楽観的に考えていたことは否定できない。両親、特に親父の性癖は息子の俺から見ても引くぐらいだし笑って流すものかと思っていた。ただ、この重苦しい空気を感じるにそんな簡単に物事は進まないようだ。

 

「私はプリムさんかと思ってたけど」

「ああ。……正直、俺達はプリムさんを連れてくるかと思ったんだ」

 

 腕を組んで神妙な顔をする親父。何故そこでプリムの名前が出てくるのか、俺にはさっぱりわからない。そもそもプリムは一度家に来たことがあるし、その時に顔を合わせている。

 

「そりゃプリムさんには色々世話になったけど、連れてくるわけないだろ」

「あーいや、お前の交友関係で思い浮かぶのがプリムさんぐらいでな……」

 

 歯切れ悪く失礼なことを言う親父。俺にだって友人くらいはいる。リョウタロウにその妹のアキとか。

 

「プリムさんって、話に出てきたホウエンの四天王の?」

「そうそう。やっぱあの人にも顔ぐらいは見せにいかないとな、礼儀として」

 

 俺がトレーナーとして再び歩く切っ掛けを作ってくれたのは間違いなくプリムだ。であれば、先だって挨拶くらい行くのが礼儀だろう。どうせチャンピオンリーグに行くのだから、と横着するつもりでいたがやはり連絡は入れておくべきか。

 

「ああ。……プリムさん、お前がガラルに行った後も何回か家に来たんだぞ?」

「え、そうなの?」

 

 ガラルでも何回か通話したが、そんなことは一度も聞いたことがない。話をした内容としては単なる進捗具合の確認といった事務的な内容が殆どだった。

 

「推薦状を書いていただいた方だから、気に掛けてくれたんじゃない? 貴方の様子を聞きに何回か来たのよ」

「そう、かな?」

 

 それは俺に直接電話をすれば済む話だと思う。実際何回か電話をしていることだし。

ただ、プリムがなるべく俺との接触を避けていたとも考えられる。俺の事を気に掛けているが、過剰に接触するのは良くないこと、なんて風に考えていたのかもしれない。

 

「毎回酒持ってくれてなぁ。やっぱり四天王って給料も良いんだな。この間持ってきてくれたウイスキーなんか結構な年代物で」

「……それ、俺のことをダシに酒盛りしたいだけなんじゃない?」

 

 やっぱり違うかもしれない。如何せんプリムのキャラクターが未だに掴み切れていないので、この場では考えようがないのだが。

 

「あなた、それは今は置いておきましょう。今はもっと大事なことがあるわ」

「ああ、そうだな」

 

 親父とお袋は真剣な顔のままマリィをじっと見た。マリィは居心地悪そうに身体を捩らせる。

 

「その、姉というのは……?」

「いやいや、なんつうか色々あってそういう関係になっただけで。ほら、俺もガラルっていう初めて行く異国の地で色々困ったことがあってさ。そんな時にはマリィが良く助けてくれて。……あー、まあそんな感じ。呼び方にそんな深い意味はないって。そうだろ?」

「え? あ、うん……」

 

 見かねた俺が助け舟を出し、未だに両親の視線に晒されたままのマリィは挙動不審な態度で頷いた。

 

「……もう尻に敷かれてるってことかしら? やっぱりお父さんの子なのね」

「ま、まあ母さん。それは置いておこう。なんというか、まだそういうのは早すぎるんじゃないか? 俺は……そういうものにも理解があるが、マリィさんもまだ若いだろう?」

「あー、まぁ……」

 

 親父の言うことは分かる。今の段階では明確に俺の方が年上だと誰が見ても分かる。これが何年後か、マリィが成長すれば違和感も無くなるだろう。弟扱いにすっかり慣れてしまった俺だが、感性は一般人並みだからこれからのことは予想出来る。ガラルではすっかり名物姉弟としての認識が定着してしまったが、ホウエンではそうもいかない。

つまり親父は俺の世間体を気にしているのだ。

 

「やっぱり世間の評判とか?」

「ああ。自分だけが傷つくなら良い。だが、それでマリィさんが傷つくなら俺も看過出来んぞ。連絡を聞いてプリムさんならば、と思っていたがどう見てもお前より年下だろう」

「……そうね。私は別に二人の関係を否定するつもりはないわよ? でもホウエンにいる間くらいは隠した方がいいんじゃないかしら? ……というか、マリィさんの親族の方はこの事を知っているの?」

「んー、一応知ってるはずだけど。そうだよな?」

「う、うん。知ってるはず。あたしから話したし」

 

 マリィの兄であるネズにはバレている。これは確定だ。しかしネズの方から何も言ってこないということは、まあ許されているのだろう。多分。

 

「それで向こうの方は何と言ってるんだ?」

「何って言われても、まあ黙認されてる感じだけど」

「そ、それはまた大らかだな。他に何か言ってなかったか?」

「他に?」

 

 俺とネズが話をしたことはスパイクジムの一回だけだ。それ以外で接点という接点はない。俺は当時のことを思い出す。その時の会話と言えば―――。

 

「ああ、そういえばジムを継いで欲しいみたいな話はされたっけ」

「……ほぼ公認みたいなものじゃないか」

「そ、そうか? それはあんまり関係ないと思うけど」

 

 何故か慄く親父。 

 

「……ねぇ、マリィさん」

 

 そんな中、静かにマリィに話しかけるお袋。

 

「これは興味本位じゃなくて真面目に聞くんだけど……その、ガラルではどこまで行ったの? 二人共結構いいところまで進んだと思うんだけど」

「お袋、あのさ」

「アンタは黙ってなさい。私はマリィさんに聞いているの」

 

 トレーナーとしての実力は関係ないと言おうとしたところで厳しい声が飛んできて、俺は口を閉じるしかなかった。この家のヒエラルキーのトップはお袋だ。それに逆らうことは俺には出来ない。

 

「別にどんな答えが返ってきても私はちゃんと受け止めるわ。だから正直に話してくれない?」

 

 そういえば、と俺は思い出す。お袋も元トレーナーだ。お袋とクチートのコンビネーションは今でも凄いし、キンセツシティでは結構な腕利きとして地元じゃ有名だったらしい。

久しぶりにトレーナーとしての血が騒ぐのか、いつもの朗らかな顔はどこにも見えない。どこまでも真剣な顔だ。

 

「繊細な話だし、ぼかして言って大丈夫よ? あ、言いにくいなら別の部屋で聞いてもいいし……」

「いえ、大丈夫です。えっと、惜しいところまでは行ったんですけど……」

「最後までは行かなかったと?」

「はい」

「その、なんていうのかしら……リベンジをする気は?」

「え? はい。その時が来ればとは思ってますけど」

「……分かったわ」

 

 ふぅ、とお袋はため息を一つ。そして視線を鋭くして今度は俺の方を見た。

 

「あんただってもう小さな子供じゃないんだし、息子の事情に親が首を突っ込むのはお角違いかもしれないけど、本当に良く考えたのね」

「いや、良く考えたというか自然にそんな風になった感じなんだけど」

「……そうね。旅をすると開放的になるものね。そういえば私とお父さんが初めて出会った時も旅の途中だったわ」

「ああ。馴れ初めはそうだったな。しかし時間の経過は早いものだな。いつかはこの時が来ると思っていたが、俺の予想以上に早かった」

「こんな時が来ると思ってたの!?」

 

 息子が血の繋がらない姉を連れてきましたなんてまっとうな親であれば予想は出来ないはずなのだが、性癖が歪んだ親父の事を知ってしまえば、なんとなくそんな予想をしてもおかしくないような気がする。

 

「お前達がそういう関係なのは分かった。自分が決めたことで向こうのご親族の方も納得されているなら、俺達が言うことは何もない。だがお前も犯罪者にはなりたくないだろう? 暫くは健全な付き合いをだな……」

「そうよ。言っておくけど私もお父さんも嬉しいんだからね?」

 

 嬉しいのか、と俺は心の中で突っ込んだが何も言わないでおいた。

 

「でもちゃんと節度を弁えて行動しなさい。マリィさんに傷を負わせるような真似をしたら息子と言えども容赦出来ないから」

「分かってるって。俺だって警察の厄介になるのは御免だし」

 

 ガラルでの嫌な思い出が呼び起こされる。号泣しながらマリィに手を引かれて帰宅するのは俺だって勘弁したい。ガラルという異国の地ならばまだしもにホウエンというホームタウンで二の轍を踏むわけにはいかない。

 

「あっ……」

「どうした?」

 

 マリィは何かに気づいたような声を漏らす。緊張していたせいで僅かに顔が紅潮していたが、異様な速さで更にそれが色づく。壊れたブリキのロボットのような挙動を繰り返す様はどう考えても普通ではない。

 

「い、いや? な、なんでもないけど?」

「いやいや、どう考えても―――」

 

 追及しようとした俺の声を遮ったのは親父の近所迷惑になりそうな雄叫びだった。

 

「っしゃあ! 娘が出来た! いやはや、今日はなんて良い日なんだ!」

「ちょっとお父さん。気が早すぎるんじゃない?」

「ハッハッハ! 何言ってるんだ母さん! 凄い良い感じの子じゃないか! 俺達も影からサポートしてやろう! そうすれば大丈夫だ! あ、マリィさん! 好きなものとかあるかい! 今日は豪勢に出前でも取ろうじゃないか! 後俺の事はお義父さんと呼んでいいからな!」

 

 マリィが俺の姉を名乗るのであれば確かに親父をお父さんと呼ぶのは……まあ、おかしくないか。

いや十分おかしいのだが、親父の歳からすると若い子にそう呼んでもらえるだけで嬉しいのだろう。

これまでの真面目な顔の様相を一気に崩してとマリィに接する親父を見て、嵐は通り過ぎたなと俺は安堵のため息を零した。

 

「あら、だったら私のこともお義母さんと呼んでいいのよ? 良かったわぁ。私も娘が欲しかったし。あ、そういえばうちの息子が着た女性用の衣装とかあるけどいる? 丁度貴女に合いそうだし」

 

 両親の猛攻にたじたじになるマリィ。こんなマリィの姿は珍しい。

 

「部屋割りはどうしようか。なんだったら息子と同じ部屋の方が良いか?」

「えっ? いや、その……」

「使ってない部屋があっただろ。俺は自分の部屋で寝るから」

「いや、お前の部屋はプリムさんの部屋になってるから使えない」

「どういうこと!?」

 

 ぎゃあぎゃあと騒がしくなる我が家の光景を見てようやく俺は家に帰ってきたのだと実感した。無事マリィも両親に受け入れられたことだし、重苦しい空気も霧散した。

 

―――ああ、だが。

その場の雰囲気に流されてマリィの追及を止めるべきではなかった。

満更でもなさそうな顔でお父さんお母さんと呼んでみせているマリィと身悶えている両親と引き剥がしてでも、理由を聞くべきだった。或いはキチンと両親と話をするべきだった。事前の話で俺も明言は避けていたし、もしかすると誤解させてしまいそうな言動があったかもしれない。そういった意味では俺にも責任はあるだろう。

だが常識で考えて何故分かってくれたのか。そして何故マリィは黙っていたのか。

……きっと誰もが少しずつ悪かったのだろう。俺も悪いしマリィも悪いし両親も悪い。

責任の所在なんてものは分かりようがない。

 

致命的な勘違いと誤解があることに俺が気づくまで後数日。その数日後、カチヌキ一家やプリムを巻き込んでの大騒動が勃発することをこの時の俺はまだ知らなかった。

 

 




勘違いものは書いたことが無かったので書きたかった


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