Vたちの挽歌 (hige2902)
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第一話 遊星からの物体V

 日高 晶は中学生あたりから息苦しさをおぼえた。

 鏡を見るたびにそれが増長してゆくのを感じた。

 夜の雨のようにつややかな黒髪、細雪のようにやわらかな白い肌、朝露のようにきらめく黒い瞳、蕾のように小さく筋の通った鼻、桜のようにはかなげな唇、花のように手折れてしまいそうな体躯。自宅の洗面所で、入浴前につい見てしまう。

 そのすべてが、説明できない奇妙な違和感をもたらす。

 

 やがてその正体に気づき、恐る恐る呟いた。

 

「……おれは、いったい」

 

 誰にも打ち明けられない苦悩が続いた。美大に進み、Vtuberを始めるまで。

 そしてまた四方をふさがれ、苦悩に身を沈めるよりほかなくなっていった。

 遊星からの物体に出会うまで。

 

 

 

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 第一話 遊星からの物体V

 

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『UFOでキャトった人間から聞いたんだけど、人間同士が殺しあうゲームがあるらしいので、今日はそれをやっていきます』

 画面の隅で緑色の気持ちの悪い宇宙人がグニグニと動いてそう言った。耳障りの良い男性の声のギャップが笑いを誘う。

『まさか同種族同士で殺しあうことを娯楽にするなんて、人間は愚かしいですね。わたしは宇宙人だから人間殺しを楽しんでいいけど』

 

地獄世運子 待ってた

ろん 3Dモデルきもくてワロタ

A これが異文化コミュニケーションか

ぽん アリに水をかけて楽しむようなもんやぞ

 

『なかなか頭が取れませんね』

 そう言って、第二次世界大戦がモチーフのFPSで盛大に敵を虐殺し、執拗に死体撃ちを繰り返している。ワンマガジン空けてまで首を撃ち続けた。

 

ろん こっわ

かん 病気なんか

k 宇宙では標準的な戦争か

 

『これは人間の頑強さの学術的な調査をしているだけです……あ、民間人っぽいのは撃てないんですね』

 

さいだ A級戦犯

ろん 戦争犯罪者で草

k そんなに人間を殺したいんかw

 

『わたしは地球外の遊星から配信しているので、地球の法律では罰せられませんよ』

 

 そのまま軽くキャンペーンモードを遊び、冷酷なバーチャル宇宙人の配信は終わろうとしていた。

 

『そろそろ宇宙標準時間で11時頃だから、終わりにしましょうか。人間の愚かさを学べる、良いゲームでしたね』

 

ぽち UTCとは

ろん 日本との時差無し! 

k あいかわらず時差なくて草

A なんでも宇宙付ければ問題ない説

 

 そんなコメントが並ぶ中で、どうしてもバーチャル宇宙人の目に留まる一言があった。

 

地獄世運子 面白かった。またこんど宇宙民謡やって

 

『ああ、次は久しぶりに宇宙民謡でもします。それではまた次の公転で』

 

k また数年後な

ちき ガバガバ天文学好き

 

 バーチャル宇宙人を演じている彼は配信を切り、テレビのリモコンを持ってアパートのベランダに出た。少し肌寒い夜風にあたりながらタバコに火を点け、虚しく吸って浅く吐いた。

 まばらに輝く星と欠けた月。遠くから車の走行音が聞こえる。

 

 そのまま部屋のテレビを点けて、ぼんやりと番組を流し見する。芸能ニュースのようだった。小さな風がカーテンを室内にやわらかく翻す。

 輝かしいステージで男性アイドルの新曲のMVが流れている。それが終わると、国民的女性アイドルが歌って踊っていた。番組観覧者の悲鳴にも似た歓声が、短く響いた。

 

 彼は虚しく吸って浅く吐いた。やがて葉と巻紙は灰の塵屑となり、紫煙は夜の闇に霧散し、影も形もなくなった。ただ残ったのは役割を終え、価値を失ったフィルターだけだ。ゴミ。

 一服を終え、テレビを切る。動画編集のためにデスクに戻る。明日も仕事なので、就寝時間を知らせるタイマーを起動する。起動してやはりもう寝ようかと迷った。

 登録者数2千人、駆け出しのVtuberにしては健闘していたが、睡眠時間を削ってまでやろうとは考えていないのだ。

 一度そういう思考になるともうやる気は無くなって、サイドに置いてある安物の小さな電子キーボードを片手で弄びながら、スマホでツイッターを開く。

 

 そういえば事前告知を忘れていたとアカウントをバーチャル宇宙人に切り替える。

 アイコンの右上に通知を知らせる数字が点っていた。フォロワー数が今までにないほど増えている。通知欄をチェックすると、どうやら有名なVtuberが以前投稿した彼の動画にいいねを付けてフォローしたらしい。

 エゴサすると反応は良いようだ。

 

『バーチャル宇宙人の登録者数増えてうれしい……ウレシイ』

『コラボせーへんか、せーへんよな』

『大丈夫か海空の事務所は』

 

 スプラトゥーンをやった時のもので、これはイカ星人を殺し合わせており、宇宙的に非道徳的なゲームだと20分くらい文句を言いながら遊んだ回だ。ずいぶんと人間の傲慢さに対して差別的な事を言った。このゲームが宇宙人権団体に見つかれば、人間は滅ぼされるだとか、滅びるべきだとか……

 

 こんな悪趣味な動画を気に入ったVtuberはどんなものだろうかとプロフィールからチャンネルへ飛ぶ。

 ヘッダーはブレザー姿の海色の長髪の女子高生と空色のふわふわのくせ毛の男子高校生が並んでいた。

 チャンネル名は『海空姉弟』。

 

 どんな色物Vtuberかと思ったら、チャンネル登録者数5万人の企業勢のようだった。

 バーチャル宇宙人のチャンネル開設日からまだそう時間がたっていないにもかかわらず、この登録者数の配信者にフォローしてもらえたのは素直に嬉しかった。時期的には海空姉弟が少し先輩といったところ。ささやかな自己顕示欲が満たされ、彼はスマホを置き、パソコンに向き直って慣れない編集作業を開始した。

 

 サブモニタに『海空姉弟』のゲーム実況を作業用に流す。

 どうやら姉の海空ナツの方はアイドル志望の前向きで明るい性格と、弟のアキは見た目に反して意外としっかり者というコンセプトで、現状では女性Vtuberが多い中で男性Vtuberをコンビで出し、早期に女性層も取り込もうという魂胆があるようだ。

 

 トランペットのように快活な女性の声と、フルートのように品のある男性の声が仲良く対戦形式でゲーム実況していた。

 

『マリカーを嗜むのはアイドルを目指すものとして当然の事よ!』

 と、弟のアキに赤甲羅を当て、ナツはぎこちないコーナリングで過ぎ去る。CPUが弱いに設定されているらしく、実質二人のトップ争いのようだ。

 

暗槓コノヤロー 農業も嗜め

かぽっく 村づくりも嗜め

まど これがアイドルぢから

ルシ字 新種の魚の発見も嗜め

 

『おれにはちょっとそのへんよくわからないけど』

 と、転がされたアキは復帰し、バナナを前に投げてゴール直前のナツに直撃させる。立ち上がりで遅い加速のナツを追い抜き、逆転一位。

 

A うますぎわろた

ハリシー ゴールド免許皆伝

 

『どうして!? あとちょっとだったのに、あとちょっとでアイドルに近づけたのに! アキはお姉ちゃんをアイドルにしたくないの!?』

『真剣勝負っておれに言ったのはナツねえだよ』

『真剣だったらアキあんた今頃わたしにぶった切られてるよ! 命拾いしたね』

『ナツねえを犯罪者にしなくてよかったよ』

 

海斗 尊ッッ!! 

シェフレラ 仲良しも嗜んでいけ嗜んでいけ

 

 

 彼の動画にいいねを付けたのは弟のアキのアカウントだった。生真面目そうな好青年で、あまりブラックな動画を好むようには見えない。

 海空姉弟の動画は、あまり好みのテンションのものではなかったが、彼はこれも勉強だと過去動画から漁ることにした。

 

 

 

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 それから数か月が経ち、Twitterの一件がきっかけでバーチャル宇宙人のチャンネル登録者数も8千人を超え、海空姉弟にいたっては15万人を超えていた。

 海空姉弟の弟のアキと彼はなんとなく馬が合い、稀にだがツイッターでプロレスまがいのことをした。配信でチェックしているVtuberは? とコメントされると、明言を避けてなんとなく伝わる程度にはお互いに答えていた。

 彼にはそれ以外にVtuberとの交流はない。それも無理からぬ話だ。

 バーチャル宇宙人の3Dモデルはサンプルを使っただけの個人勢で、宇宙人的視点や価値観から人間を冷ややかに愚弄するスタンスがウケたが、そのせいで差別的ともとれる発言が時たま飛び出した。

 アキからコラボの打診が来た事もあったが、向こうの事務所がNGを出してお流れになったほどだ。どこの企業勢も触れないし、そもそも彼自身、積極的に他者と関わろうとは考えなかった。

 

 Vtuberをやろうと思ったのも、ただ経験というか、勉強がてらといったところだもんな、と彼は思考をまとめる。

 

 ある夜、彼は不定期配信の宇宙民謡を行った。民謡といっても電子キーボードの弾き語りカラオケだ。普通の賃貸に後から防音マット等の騒音対策をしただけなので戦々恐々だが、いまのところ苦情は無い。

 

地獄世運子 歌うま宇宙人ほんま好き

ちき 次キーウィのやつ歌って

k ゆら帝いけるとか守備範囲広いな

ろん 日本語に聞こえる宇宙民謡なんですね

ちー 見た目グロいのにピアノやるやん

 

『宇宙語翻訳機があるから日本語で聞こえるんです。あとグロいのに、というのは良くないです。外見と内面は必ずしも一致するとは限りませんし、どうでもよい事です。宇宙では常識ですよ。あいかわらず人間は宇宙的リテラシーのない愚かな生き物ですね。やはり滅ぶべきかもしれません』

 

A こいつ容姿の事になると早口になるよな

k お、おう

ぽん すまない彼はゴリラなんだ

UNK 百里ある

 

 宇宙民謡ライブは盛況のまま終わった。

 彼はいつものようにリモコンを持ってベランダに行き、テレビを点けて一服し、ゴミを作って灰皿へ押し付ける。

 デスクに戻ると、編集作業用に最新の海空姉弟の動画を流す。

 

 

 

『だめだ~やっぱりわたしじゃムリ~』

 と海色の髪をした女子高生、海空 ナツが涙声で匙を投げる。

『わたしなんてゲーム一つできないダメダメお姉ちゃんなんだー誰にも必要とされてないんだ』

 

かん がんばれ

まど 次はいける

ホッハ おしかった

 

『お姉ちゃん、体力回復してからじゃないと』

 と、空色のふわふわくせ毛のブレザー姿の男子高校生、海空 アキどこか頼りなさそうにアドバイスした。

 

『じゃあアキちゃんやってよ~』

『え!? ぼくは怖くてそんなのイヤ』

『お姉ちゃんのダメな姿を晒し者にしたいんだ。お姉ちゃんを困らせたいんだ』

『わ、わかったよ、やるよ』

 

 モニタの中で、プレイヤーがゆっくりと角を曲がると、通路の奥からゾンビが出てくる。

 アキは思わず叫び、銃を乱射した。

 

ホッハ 敵出てから目を開けられないの草

海斗 キャプチャの不調かな

暗槓コノヤロー ずっと目つむってるの草

ちーとい 撃つときずっと目閉じてるww

こまんちん かわよ

ルシ字 結構雰囲気変わりましたね

海斗 気に入らなきゃ見んな

 

『うわーやっぱムリ~! 怖すぎるー!』

 

 

 

「しかしずいぶん変わったな」

 

 彼はマウスを動かす手を止め、海空姉弟の動画にぽつりとこぼす。変わったから良いとか悪いとかではなく、彼はただそう感じただけだ。姉弟は登録者数15万人越えの人気企業勢Vtuberなのだから。

 まだVtuberというジャンルが注目されだして間もない時期に、これほどまでに登録者数を伸ばしたのだから文句なく成功だと言える。

 

 モニタの中では変わらず姉弟が戦っていた。本能のままに二人を貪ろうとする、心を失くしたゾンビたちと。

 その日のライブ配信は同時視聴者数1万人を超え、大盛況のうちに終了した。

 



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第二話 2017年宇宙のV

 数日後、彼は定期配信の一時間前に宣伝ツイートをしようとツイッターを開く。するとちょうど、以前行った宇宙民謡の動画が、海空アキのツイッターアカウントでコメ付きリツイートされていた。

 

『宇宙に行ったら宇宙的リテラシーがあるのかな』

 

 読み方によっては、地球の、つまり身の回りの人間のリテラシーに辟易しているようにも取れる。リプ欄には運営との関係性を心配する声が付いていた。

 その不穏な印象のツイートは、彼が配信開始のツイートをする時には消えていた。

 アキ本人の意思で消したのか、それとも運営からの指示があっての事なのか。

 

 そういえば、と彼はコラボの声をかけてもらった時の短いやり取りを思い出す。声をかけてきたのはアキからだった。距離感が近すぎるので内容を少し変更してほしいと返事を返すも、後から先方の運営がNGを出したので流れた。

 企業勢であるならまずアキが運営と打ち合わせ、OKが出てからコラボ依頼を出すのが筋だろう。組織内でコミュニケーションが円滑に取れているようには見えない。

 そう考えると、どうも運営とうまくいってないようだが、先のツイートを加味するといよいよをもってなのかもしれない。

 ただ、これは彼にしか立てられない推測でしかない。口は禍の元だ。

 

 まあいいと気持ちを切り替えて、ゲーム配信を開始した。

 FTLという、宇宙船を武装しながら進むローグライクゲームで、船員に偉人や有名人の名前を付けてどーのこーの言ったら面白いのでは、と思ったが、コメ欄が面倒くさかった。

 

さぼりおん 海空姉弟なんかあったんですか? 

まど ツイート見ました? アキくんと仲良かったですよね? 

地獄世運子 気持ちはわかるけど、他のVtuberの話はやめてください

ろん 海空とはそこまで仲良くないだろ

ちき 宇宙人と唯一絡みがあったのがアキってだけ。秋は他に仲良いのがいるだろ、コラボした星神とか

k な、アニメアイコンだろ? 

海斗 星神とかいうぽっと出

地獄世運子 宇宙船の名前がディスカバリー号なの不穏すぎる

ホッハ ナツねえのアカウントはなんもツイートしてないし、特に意味ないでしょ

暗槓コノヤロー アキくんとこいつモメたん? 

k 揉めるほどの接点ない、本人のチャンネルなりツイなりに凸れよ

地獄世運子 ちゃんと自動ドア開け閉めするとこ細かい

海斗 視聴者数増えてよかったな、普段は百人くらいだろ

P0rn XxX Gi11 https://syosetu.org/novel/42485/  

P0rn XxX Gi11 https://syosetu.org/novel/33362/  

 

 これはツイッターの方も事だな、と彼は手早くスマホのアプリを開き、通知欄の数字を見てスリープモードに戻した。

 喧騒を無視してプレイを進め、そこそこに時間も経ち、コメ欄も多少落ち着いた。とはいえ気分じゃなくなったのでお開きにしたい心情だったが、ここで折れては海空アキのせいで配信が短くなったという事実を作ってしまう。

 そのせいでまたひと悶着が起きるだろうという予測はたやすい。

 それにまだ配信を楽しんでいる視聴者がいる中での中断は心苦しい。大げさに言ってしまえばファンなのだ。

 

 そう考えて、ファンなどという大層な言葉に彼は心中で自嘲した。ばかばかしい、アイドルや有名人を気取るのをやめろ。わたしはそんな大層なもんじゃない。

 こうして彼は配信を乗り切った。意味深な海空アキのツイートの真相を追う者、野次馬、バーチャル宇宙人の視聴者が合わさり、皮肉にも彼の過去最高の同時視聴者数を記録することとなった。

 

 気苦労した配信を終え、彼はいつものようにリモコンを持って席を立つ。するとスマホがメールの着信を認めた。相手は海空アキだ。

 以前ツイッターのDMからコラボ依頼が来た時に、打ち合わせの連絡用にとアドレスを交換したのだ。彼はラインをやっておらず、アキは内心で驚いた。

 

【ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません】

 

 内容は彼の予想通りのものだった。ベランダで一服しながら返信する。

 

【気にしないでください。いい経験になりました】

 

 実際に彼は怒ってなどいない。事故みたいなものだし、故意でもなさそうだ。ネット上で活動していれば思わぬところから飛び火もする事もあるだろう。バーチャル宇宙人の不謹慎なスタイル上、暴言や荒らし行為はたびたび経験してきた。

 

【そう言っていただけると助かります。重ね重ね申し訳ありませんでした】

【わたしよりアキくんの方が大変でしょうし、そう謝らないでください。宇宙の広大さに比べたら些細な事です】

 

 なにが宇宙だ、と彼は自分で言っておきながら鼻で笑った。笑って、少し悩んだ。首を突っ込むべきかどうか。恩と言っていいのかわからないが、チャンネル登録者数が増えたのはアキのおかげでもある。

 

【なにかあったんですか?】

 

 タバコを吸い終わるまで時間が空いてから返信が来た。

 

【いや、宇宙人さんのカラオケ配信聞いてたら、おれ、何のためにVtuberになったんだろうって思って。なんかついぽろっと】

 

 彼は少なからず驚いた。Vtuberをやる明確な理由が、アキにあったとは思わなかった。失礼な話だが、新しいことに挑戦したいとか、物珍しさだとか、誰かを楽しませるやりがいだとか。そういった就活の面接で言うような志望動機くらいかと。いや、実際に聞いてみればその類かもしれないが。

 彼は二本目に火を付けようか迷いながら送信した。

 

【仕事上のトラブルですか】

【まあ。ちょっといろいろおれの個人的な事情もあって】

【そうですか、アキくんの事務所の事はわからないので助言はできませんが、わたしでよければ話を聞くくらいの事はできますよ】

 

【ありがとうございます。ですが、そこまで甘えさせてもらうわけにはいけません】

【わたしのチャンネル登録者数が増えたのはアキくんのおかげでもあるので、その恩返しと考えていただけたれば】

【ありがとうございます。その時はよろしくお願いします】

 

 結局、二本目を吸うのをやめてメールのやり取りは終わった。

 音量を絞られたテレビからは、アイスのコマーシャルをするアイドルのハツラツとした声が微かに流れている。

 虫の切ない鳴き声が夜風に乗って、柵に背を預ける彼の肩を撫でた。

 灰皿には価値を失くしたフィルターが積み重なっている。

 

 

 

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 それから数日間、彼はちょくちょくツイッターをチェックしていたが、アキのアカウントからツイートされることはなかった。

 バーチャル宇宙人のアカウントは告知くらいにしか使わないので、数日の間ツイートしないのは同じようなものだ。それに引き換え通知欄とオープンにしているDM欄が香ばしい。かといってDMを制限するのもまた効いていると表明するようなものなので、流し見で無視した。

 

 ツイッター上ではやはりというか、運営と海空アキの不仲説がまことしやかに囁かれている。なにせ、先駆者的企業系Vtuberの数人を除けば、海空姉弟は初のグループでの成功の道を歩んでいるのだ。きな臭くなれば、まとめサイトが仰々しい見出しで不安を煽りだすのも当然の事。姉のナツがこの件には触れずに平常運転のツイートをしている不自然さも、それを加速させていた。

 渦中のアキの負荷たるや推して知るべし、といったところ。

 アキには星神という仲の良いVtuberもいるようだが、お互いに企業勢故に表立って擁護はできない。

 

 そんなある夜、彼のスマホにアキから相談したいことがあるとメールが来た。

 

【やっぱりちょっと甘えさせてもらっていいですか? 愚痴というか、整理したいというか】

【わたしでよければ】

【おれ、やっぱりダメかもしれないです。それで、会うことはできますか? ちょっと言葉だけだと説明しにくいので】

 

 妙なことになってきたな、と彼は眉をひそめた。言葉だけでは伝わらない事とは。

 アキの手によりバーチャル宇宙人の中の人とネットに晒されるならまだいい。ただ、それがきっかけで最悪の事態になりはしないかと慎重になる。とはいえ話を聞くと自分から言い出した手前、断りにくい。

 

 どうも調べたところによると、企業系Vtuberが企画でオフコラボすることは珍しくないらしい。アトラクション等の体験レボや、一緒にどこかに食べに行ったという雑談配信。同一空間で3Dモデルを動かす企画なら社外の人間とも顔合わせをする。

 ネット上の人物とリアルで会うことにそれほど禁忌感は無いのか、顔バレのリスクを犯すほど追い詰められているのか。

 

【直接会うとなると仕事があるので日程調整が難しいかもしれません。ディスコードのビデオ通話ではダメですか?】

 

 と打ってから、彼は全文を消した。アキの身からすればキャプチャされてネットに流される恐れがある。運営と揉めていると仮定した場合、社外秘の情報が相談事に入っているのなら後々不利な事になる。

 それはリアルで会って録音されていても似た状況だが、ボタン一つで画面ごとキャプチャされるリスクと比べればかなり低い。

 

 彼は仕方なしに了承の意を伝えた。

 

 

 

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 後日、日程を合わせて適当なショッピングモールのフードコートで待ち合わせた。ネットで知り合った人物と会う場合は、不特定多数の第三者がいる開けた場所がいいらしいとネットでみた。

 休日だったが午前中ということもあり、人はまばらだ。

 先に着いたのはアキの方で、座って待っている席を彼にメールで伝える。

 

 彼が伝えられた席に向かうと、アッシュグレイの後頭部が見える。あらかじめ髪はその色に染めていると聞いていたのですぐにアキだとわかった。テーブルの横に立ち、すみませんが、と尋ねた。

 

「すみませんが、アキくんですか?」

「あ、はい」

 と見上げて海空アキの中の人は返事をして腰を上げた。動画よりも声が柔らかく高い。

「あー、宇宙人さん、なんですか?」

「ええ、そうです。初めまして」

「あ、初めまして。どうぞ、座ってください」

 

 勧められるがままに彼は対面に着席する。何を言うべきか悩んでから口を開きかけると、アキが桜のようにはかなげな唇で先んじた。

 

「驚かないんですね、おれが女って事に」

 

 長い前髪の奥の瞳が、彼を試すように覗いている。

 

【挿絵表示】

 

 



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第三話 Vたちに明日はない

すみません、雰囲気がこっちのほうが合ってたのでタイトルだけ三話と四話入れ替えました。



 彼の目の前にいるのは、長い前髪のショートマッシュの女性だった。形の良い耳には青い小さなピアスがつけてある。白い肌に映えていた。

 海空姉弟の弟であるアキの中の人と言われても、彼はてっきり男だと思っていたのでにわかには信じがたい。信じがたいが、なんとなく言葉だけでは説明しにくいと言っていた理由はそこにあるのだと推察できた。

 

 そう試算するバーチャル宇宙人の中の人を名乗る彼を前に、せっかく足を運んでもらったのだからと相談事を口にしようとしたが、どこから話せばいいかわからず、ふと思いついた疑問を口にした。

 

「驚かないんですね、おれが女って事に」

 

 彼は「ああ、まあ……」と曖昧な返事をしてから続けていった。

「多少は驚いてますよ。けど……外見と中身が伴わないなんて珍しい事じゃないですから」

 

 どこか居心地悪そうな口調だったが、アキは少しばかり胸をなでおろした。

 

「それで、相談事というのは?」

 

 彼が話題を切り替えると、アキは視線をテーブルに走らせてぽつりとこぼした。

 

「まー初対面の人に話すような事じゃないかもしれないんですけど……気持ち悪かったら言ってください」

「かまわないですよ」

 

 そっすか、と小さく言って重い口を開く。

 

「おれ、どちらかといえば、プリキュアよりも仮面ライダーとかの方が好きだったんですよね。子供の頃」

 

 アキはふと自身の幼少の頃を思い返した。母親からはよく、もっと女の子っぽい格好をしなさいと口を酸っぱくして言われた事も脳裏にたち込め、うんざりする。

 意識的に気持ちを切り替える。

 

 

 

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 それでなんとなく小学生の頃の友達は男が多かった。

 中学生になると、どうも女友達とツルまないといけないという雰囲気を感じて、流れに従った。小学校で仲の良かった男友達も、おれから距離を置いてグループを作っていった。

 

 別に女と遊んだりくだらない事を喋ったりするのが苦痛というわけではなかった。

 けどある日アレが、まー、生理が来てから少しずつ侵食されるように変わっていった。股からとろりとした生臭い赤い血が出てきたから最初は病気かと焦った。身体もダルかったし。

 家のトイレで青ざめて、場所が場所だけに親になんて説明すればいいのか悩んでるうちに、そういえばと思い出した。小学生の時に保険の授業で習った事がある。怖い病気じゃなかった気がする。

 焦燥感に飲まれていたのは単純に生理という現象を忘れていたからじゃなく、おれには関係のない事だと無意識的に思っていたんだと気づいた。

 

 すぐにネットで対処法を調べて、小遣いでタンポンを買うようになった。

 そして風呂に入る前に、全裸になって洗面所の鏡を見るようになった。目や鼻、小さい肩、胸、腰つきに奇妙な違和感を覚えた。

 怖いもの見たさ、というのは好奇心からくるものらしいとネットで見た。それは防衛本能の一つで、怖いものを知ることで対抗策を講じようとする働きを持つ。

 だからかおれは裸のおれを眺めた。見れば見るほど違和感が膨れ上がり、気分が悪くなった。

 

 しばらくして母親が、なぜ初潮を迎えた事を言ってくれなかったのかと問い詰めてきた。興奮が落ち着くと、小遣いでタンポンを買わせてしまった事と気づいてあげられなかったことを謝罪した。お祝いにと赤飯を食べたが、おれには初潮が全然めでたい事だとは思えなかった。誰だって股から血が出て不調になるのは嫌だろ。

 子供を産める証でもあるらしいが、だったらこっちが産む覚悟を決めてから生理が来ればいいと思ったよ。当面は産まないのに定期的に不調になって苦しむなんて、人間の身体は不便だと呪いもした。

 タンポンを買ってもらえるようになったのは助かったが。

 

 ある夜、テレビで好きな俳優が「おれ」という言葉を使ってたのが、不思議と心に残った。全裸で洗面所の鏡を見ながら、おそるおそる初めての一人称を口にした。

 

「おれは、いったい……」

 

 不思議と違和感が和らいだ。その時の事は今でも覚えている。ふっ、と胸が浮くような、ウサギが短く跳ねるような、小さな高揚感があった。

 

 格好もシャツやズボンを好んで着た。長かった髪も短くしたが、おれは自分のぱっちりとした丸い目が嫌いだったから前髪は伸ばした。そうすれば自分の目も鏡に映った身体も、男の格好をしてるおれを奇異の目で見る他人も見ずに済む。

 母親は男の格好をするおれが嫌らしく、せっかくの美人さんなのに、と事あるごとに文句をつけた。

 

 そして学校の制服が嫌になった。スカートが嫌だった。プールの授業が嫌だった。トイレが嫌だった。

 おれは学校に行けなくなった。

 

 勇気を出して理由を親に説明したが、理解は無かった。

 精神がおかしいと病院に連れまわされる日々に疲れたので、望まれるまま女の子を演じて高校に戻る事にした。髪も伸ばして、私服もワンピやなんかを着る。不登校者がいきなり登校してくるのも気まずいので、学校と話し合って適当に病気だったということにした。

 

 そんなクソみたいな学生生活の中でも趣味みたいなのはあって、美術部に入ってた。

 油絵を主に、キャンパスの中に空想上の男の自分を描いて慰めていた。描いて。この頃にはもう完全に違和感の正体を理解していたけど、答えを知ったって解決する手段は知らないし、実行なんてできやしない。

 男だけ描くと周りから変な目で見られるから適当に女も描く。絵が好きというより、せいぜい手で抱える程度の四角い世界の中でしか、自分らしくいられなかったからだ。

 

 幸いにも少しばかり才があって、美大に進み、親元を離れて女の子の強制から逃れることが出来た。

 大学は服装も髪型も自由でよかった。なにより他人からの干渉が少ない。おれの格好にケチをつけるやつも、高校までに比べればいないも同然だ。

 

 おれがVtuberを知ったのは、課題をこなす際のラジオがてらにYouTubeでゲーム実況動画を漁っていた時だ。

 なんとなくのイメージとして知ってはいたが、個人勢の動画を見て驚いた。犬がゲーム実況している。明らかにおっさんのボイスの幼女がおしゃべりしている。何かになりたくてもなれないやつが、なりたい自分になっていた。

 やってはみたかったが、どうも機材一式そろえるのにまとまった金が無い。学費も稼がなきゃならない。そこで企業系Vtuberのリクルートはないかと調べてみると一社だけ見つかった。

 

 まだVtuberの知名度を押し上げた一社がいるだけの黎明期なだけあってか、割とすんなりと雇い入れられた。アプリケーション開発事業社の社内ベンチャーで、雇用形態は月給制のアルバイトだった。会社としてはモデル等の素材は社内で用意できるし、とりあえず流行りに乗ってみようくらいの感じだったんだと思う。

 採用通知を受け、打ち合わせ兼顔合わせのために本社へ向かう。服装に迷ったが、アルバイトだしとゆったりしたパーカーとジーンズにキャップをかぶる事にした。

 オフィス街から少し外れたビルのワンフロアに通され、パーティションで区切られた一室で最終調整が行われた。

 

 資料に目を通すと前もって説明された通り、アイドル志望の前向きで明るい姉と、見た目に反して意外としっかり者の弟という二人組Vtuberのコンセプトだった。

 演ずることになる弟の空海 アキのビジュアルは、ふわふわのくせ毛の男子高校生といった感じ。

 これがおれか、と胸が躍った。嗚呼、男になれるんだと。気兼ねなく男として振る舞えて、男として見られるのだと。

 

 おれはちらと相方となる女性を盗み見る。仲良くやっていけるか不安だったが、お互い抱えているものがあったせいかすぐに打ち解けられた。

 

 活動は特別な企画等を除き、基本的には貸与されたPCや撮影機材で自宅にて配信を行う形となった。動画作成についてはチェックが入るが、公序良俗に反した場合などを除いて、キャラコンセプトを壊さない限りは基本的に好きにしていいとの条件だった。最低でも月に5本の動画投稿と2回のライブ配信が原則となり、スパチャは一割が入ってくる。

 少しケチ臭い気もするし編集もこちらに丸投げだったが、おれからしてみればそんな事はどうでもよかった。

 

 かくして社内ベンチャー、Actuary Onが運営するVtuber「海空姉弟」始動した。

 

 アキを演じている間だけ、おれは昔からまとわりついてくる違和感を忘れられた。編集はクソ面倒だったけど、他のVtuberとのコラボも楽しかった。アキくん、と呼ばれることが嬉しかった。

 アナリティクスを見るに、まだVtuber黎明期において絶対数の少なかった女性ファンを多く取り込んでいることがわかった。これも嬉しかった。おれを男として見ている女性がいるということだから。

 

 けど、いま登録者数15万人越えの海空姉弟として認知されてるのは、アイドル願望のあるメンヘラ気味の姉と、それを応援する頼りない弟の二人組。当初のキャラコンセプトである、アイドル志望の前向きで明るい姉と、見た目に反して意外としっかり者の弟というコンセプトは真逆だ。

 人気がぼちぼち出だした頃にやった、エイプリルフールネタとしてのキャラ崩壊がウケたのが原因だ。その動画の再生回数は群を抜き、普段はノータッチの運営の目に留まった。

 試しにその方向でもう一回やってみようと言われ、あれよあれよと今に至る。

 

 なよなよしたアキを演じるのが苦痛だった。責任者のプロジェクトマネージャーに相談したけど、それが人気を博していると言われて聞く耳もない。初期からのファンに申し訳なかった。

 逆らって雰囲気や口調を戻すとチェックを通らず、しばらくして台本が渡されるようになった。

 

 

 

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 ま、大体こんな感じです、とアキは短くため息をついて言った。

 

「見ました? ゾンビゲーやってる時のおれ。怖くって目つむって銃撃ってるのがウケたやつ。直前でナツさんがやってるの見てるのに、そこまで怖いわけねーっつの。台本ですよ、台本」

 ふてぶてしく浅く腰掛けなおして、俯きながらつまらなそうに続ける。

「プロマネが得意顔で書いたやつですよ。あんなの、アキじゃないし、おれでもない」

 

「初期と変わったな、とは思いましたよ」

 

「ですよね!」

 とアキは彼の意見に食いついたが、すぐに気を落とした。

「でもまーあれがウケてるんだから。慈善事業じゃない、仕事だからと言われるとなんとも……」

 

「どうして、きみにとってそんなにも重大な話をわたしに?」

「きっかけは羨ましかったからですかね」

「羨ましい?」

「人間は滅んだほうがいいだとか、素の自分というか、憎しみをそのままネットという社会に言えて」

 

 反射的に彼の視線がアキを向く、アキもまた伏していた視線を彼にやっていた。

 

「あれは、別に……どうしてそう思った」

「勘というか、おれがそうだからですかね。人間なんて滅んじまえって思った事は山ほどありますよ。もっと素を出したいし、だから近い感じがしたってか……違いました?」

 

 そんなことは、と言葉を濁しつつも、彼はなんとなくアキと馬が合った理由がわかった。

 

「だから相談しようと思って。トランスジェンダーを打ち明けた理由もそんなとこです、もうちょっと複雑なんですけど。キモがられても、どーせ会わないし。仕事の事は親に内緒だし、そんな仲いい友達いないし」

 

 

 一通り吐き出して満足したのか、アキは背伸びをして言った。

 

「そんな折に宇宙民謡見てたら、ついぽろっとツイートしちゃって。その節はすみません」

 

 ああ、と彼は記憶を手繰り寄せる。外見と内面が必ずしも一致するわけではないだとか、宇宙的リテラシーだとか。

 

「気にしないでください……登録者数も少し増えましたし」

 

 お互いに小さく鼻で笑う。

 

「何か飲み物買ってきますよ」

 と彼が席を立つと、アキが「あーいやおれがおれが」というどこでもあるようなやり取りをして。結果的に相談に乗ってもらったアキがコーヒーを二杯買ってきた。

 

 一息つくと、それで結局と彼が切り出す。

 

「それで結局、辞めてしまうんですか」

「ぶっちゃけ編集がキツイんですよね、求められるハードルが高すぎて。演技なんかもスゲーダメ出しされるし……星神ってV知ってます?」

「名前だけは。編集は外部か社員がやってるのかと」

「それくらいのクオリティあるでしょ? 大変なんですよ、ホント。で、星神はVrain streaming(ブレイン ストリーミング)って会社の企業勢なんですけど。どうもリアルのアイドルの箱推しをVでもやろうってコンセプトの一期生で、ほぼ全員が声優か専門学校生なんですよ。おれは素人だから、まあ、プロマネがねちねちと比べるんですよ。パワハラですよ、パワハラ」

 

「わたしは不自然に思った事はないですけど」

「ですよね。気取りたいだけなんですよ、業界人を」

 

 不満への当てつけのように、アキは残った氷を音を立てて噛み砕いた。

 

「ナツさんにこの事は?」

「このままだと続けられないってのは言ってあります。おれが辞めるのも仕方ないって感じです。あの人もかなり抵抗あるみたいですけど、彼女の抱えてる問題におれが口を出すのも……事務所の方は聞く耳持たずで。これから会社に掛け合いに行って、ダメならもう、かな」

「残念ですね」

 

「そういってもらえると、嬉しいです」

 少しはみかみながらアキは言った。

「アキじゃなくなるのは残念ですけど、またVはやるんで。モデルはサンプルでも人気出せる人が目の前にいるわけですし」

 

 しみじみと、Vtuberという仮想空間でしか自分でいられないアキは言った。アキにとってのリアルは現実には無いのだ、と彼は思った。

 Vtuberをやる明確な理由はそこにある。Vというアバターでいる時だけ、視聴者という他者からのディスプレイ越しの視線、コメントという言語を含め、向けられたそれが対男性である限り、アキもまた他者に向けて男性でいられる。その双方向的な環境こそがアキにとってのリアルであり、おそらく唯一の居場所なのだ。

 

 彼はアキの隣の席に置いてあるトートバッグに視線をやった。今日会社に向かう予定という事は、契約書の類もそこに入っているのだろうか。

 

「それだけ嫌な目にあっても、まだVtuberをするんですか」

「まあ、おれの居場所がキャンパスに縮小されるよりはマシじゃないですか」

 

 そうですか、と彼はスマホを取り出した。

 

「電話番号教えときますから、もしマズかったり、話したいことがあったら連絡ください」

「え? あーいいんですか。でもまあ辞めるって事がすでに最悪にマズい事なんで、それ以上は無いですよ。今さら上からの指示の路線変更をなんとかできるなんてことは……」

「わたしは外部の人間ですから無理ですし、向こうも仕事ですからね」

「そっすよねー」

 

 わずかに期待の色に染まった口調のアキが、トーンを落としてスマホを操作しながら言った。

 

「でも良かったですよ。宇宙人さんが真面目な人で」

 

 彼は飲みさしたコーヒーを持つ手を一瞬止め、残りを一口で煽る。

 

「面談時は出来たら録音しといた方がいいですよ」

「その辺は一応の用意はあります。今日はありがとうございました。おかげでだいぶスッキリしました」

 

 昼時が近づき、フードコートには人が多くなってきた。蕎麦だかうどんだかハンバーガーだかの空腹を誘う匂いが濃く漂いだす。

 ちょうどいい時間なので二人は別れ、彼は喫煙スペースで一服した。

 

 別れ際にアキはこれからも宇宙人さんと呼べばいいのかと尋ねた。それはつまり、おれは本名でもいいですという意味を含んでいた。

 ある程度の信頼関係が構築された証拠でもあったが、彼はその提案を蹴った。

 

 もう加護も切れる頃だろうし、と吸殻を捨てる。最悪の事態にはなりたくなかった。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 その晩、彼のスマホにアキから連絡があった。

 

『あ、宇宙人さん?』

 というアキの声はわずかに震えていた。呼吸を整えるように一息ついて続けた。

『なんか、おれ、アキを辞めるってことが最悪だと思ってたんですけど』

 

 彼はレトルトを解凍する電子レンジの前で慎重になった。

「はい」

『プロマネが言うには、Actuary On辞めたらVtuberできないみたいです、おれ』

 



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第四話 HAPPY DEATH V

すみません、雰囲気がこっちのほうが合ってたのでタイトルだけ三話と四話入れ替えました。



 彼に相談に乗ってもらった後、アキは喫茶店で適当に昼食をとって打ち合わせまで時間をつぶした。

 そろそろオフィスビルに向かおうと店を出るとすでに初夏が来たようで、夕方のじっとりとしたいやらしい蒸し暑さがアキの肌にまとわりつき、セミが死に物狂いで鳴いている。アスファルトの蓄熱がゆだるようで暑苦しい。車の排ガスと室外機の温風が鼻から喉にへばりつく。一刻も早くこんな環境からは抜け出したかった。

 ふと見上げると、高い空だけがそんな地上とは無縁とばかりに透き通っている。

 

 十分かそこらしか歩いていないが、着くころにはもう汗だくだった。ハンカチで額をぬぐいながら、エレベーターで目的のフロアまで昇る。

 

 やっぱ慣れないな、とアキは辺りを見回して思った。すべてが整列されている。白色LED蛍光灯、白いデスク、黒いディスプレイ、黒いチェア、そこに座ってタイプする社員。

 とってつけたように置いてある観葉植物の緑が哀れだった。

 学生が来るには少し場違いにも思える。

 

 適当にすれ違う社員にお疲れ様ですと挨拶をしながら、一番端にある小さなデスク群にいる一人に話しかけた。

 

「お疲れ様です、端田屋さん」

「うん? あーうんお疲れ」

 

 Actuary OnことAcOn(アクオン)のプロジェクトマネージャーである端田屋と呼ばれた男は、あごひげをなでながらPCから目を離さず言った。

 

「えー、あれだっけ……なんだっけ?」

「週3の動画投稿がキツいんで頻度減らしてほしいってのと……」

「あーわかった、じゃあちょっと会議室で話そうか」

 

 アキは、おっくうそうに席を立つ端田屋に付いていき、パーティションで区切られた部屋に入る。

 デスクに体重を預け、端田屋が言った。

 

「週3っつってもさ、その内の1個は配信のダイジェストの短いヤツでしょ?」

「やー切り取ったり字幕付けたりの編集は時間かかるんで、学校もあるし」

「でもフツーにバイトするより金入ってくるでしょ」

「いやでも最初は月に5本の動画投稿って条件だったじゃないですか」

 

「それは最低ラインだし、いま海空姉弟は人気出てるしさ。うちよりも遥かにリッチな3Dモデル使ってるトップ層の次点よ? ここで立場固めて利益出したいってのわかんないかな。大変だけど頑張って投稿頻度上げて知名度上げれば、その分配信でスパチャも入ってくるわけじゃん。おまえらは声質も演技力も他のVに劣ってんだから、そういうとこでカバーしないと」

「じゃあせめてキャラ路線戻してくださいよ」

 

 またその話か、と端田屋は頭を掻いた。

 

「もう今ので定着してるじゃん。今どきアイドルになりたい元気な女と支える男なんて設定、コンビニでも売ってるだろ。そーいうのに飽きたオタクにはメンヘラが新鮮なの。庇護欲湧くしヤレそうだと思うし。女々しいアキと姉弟で共依存だと、しょっちゅう手首切ってるような女視聴者はナツの立場に浸れるしさ。あんまわがまま言われても困るわ、バイトでも金貰ってんだから社会人としての自覚を持って働かないと、いざ社会に出ても通用しないよ」

 

 アキは込み上げた情感を飲み下して言った。

 

「じゃあもう続けてられないです」

 

 言ってしまった。

 心臓の血がサッと消え去ってしまったような喪失感と、それなのに速まる鼓動を覚えた。

 

「わかった。じゃあ退職願持ってくるから」

 端田屋は会議室から足早に出て、すぐに書類と会社で預かっていた予備の印鑑を手に戻ってきた。

「今書ける? 退職日は今月末でいい?」

 

 生返事でアキはペンを受け取った。

 本当にこれで良かったのか。ぐるぐると自問自答しながらテンプレートに沿って名前を書く。辞めずになんとかうまく折り合いつける道は無かったのかと、今さらに後悔が滲み出る。

 あれほど辞めよう辞めようと思ってきたが、いざ辞めるとなると後ろ髪を引かれる。

 

 長いあいだ耐えてきた苦しみから解放された初めての場所である海空アキとの決別は、思いのほかあっけなく終わった。

 

 退職願を回収した端田屋が、にべもなく言う。

 

「あーあとさ、うち辞めた後はVtuver出来ないから気を付けてね。訴えるとかごたごたした事したくないから、暇じゃないんで」

「は?」

「いや入社時の誓約書に書いてあったでしょ。じゃ、お疲れ」

 

 端田屋は呆然とするアキの肩を軽く叩き、そそくさと会議室を出た。ちょうど部下と鉢合わせたので、一緒にデスクへ向かう。

 

「日高、やーっと辞めたよ」

「あ、そうなんですか。結構粘りましたね」

「2期生の募集に間に合ってよかった、ついでに海空アキの代役も探せる。面接の要項に追加しといて」

「あ、はい」

 

「ちゃんとした声優で頼むわ」

「あ、海空ナツの方は募集掛けなくていいんですか? あっちも素人ですけど。クビにすれば間に合うんじゃないですか」

「扶桑も面倒だしヘタクソだけど、あれは置いとく方がいいんだよ。それにあっちは正社員で雇い入れてるから、バイトですら簡単にクビに出来ねえのにどーやって辞めさせんの。知らねーのか」

「あ、すみません」

 

 端田屋は部下の頭を丸めた退職願で軽く叩いて、デスクに戻った。

 

 残された日高 晶は誓約書を改める。端田屋の言う通りだった。個人情報や貸与されたPCの取扱い等に混じって確かに記してある。

 

 

 

貴社を退職するにあたり、貴社からの許諾がない限り、次の行為をしないことを誓約いたします。

 1)貴社で従事した3Dモデルを用いたオンライン配信、動画投稿に係る職務を通じて得た経験や知見が貴社にとって重要な企業秘密ないしノウハウであることに鑑み、当該技術及びこれに類する技術に係る行為を一般に行いません。

 2)貴社で従事した3Dモデルを用いたオンライン配信、動画投稿に係る技術及びこれに類する技術に係る職務を、貴社の競合他社から契約の形態を問わず、受注ないし請け負うことはいたしません。

 

 

 やがて別の部署の社員が入室してきたので、日高は会社を後にした。

 とりあえず相方に辞めた旨を連絡していったん落ち着こうと喫茶店に入り、ぐらぐらと定まらない思考でラインする。

 

『すみません。辞めました』

『お疲れさま。謝らなくていいよ。日高くんは頑張ったし、自分を曲げなかっただけだよ』

 

 スマホを持ったままテーブルに突っ伏した。ツイッターでファンに謝罪だか報告だかわからないがとにかく一言伝えたかった。だが宇宙民謡の一件以来、姉弟のアカウントは運営が管理している。稼働しているナツのツイートはすべて、中の人である扶桑 棗ではなく社員が投稿しているのだ。

 

 自分を曲げてないのは扶桑さんの方なんだよなあ、と心中で自身の逃げを認めた。

 しばらく目を瞑り、もう一人、連絡しないといけない人物がいることを思い出した。思考停止で電話をかけてから、やはりメールにした方がよかったと後悔する。いざ現実を口に出そうとすると、声が震えた。

 メールで済まそうと切ろうとしたところ、タイミングが良いのか悪いのかちょうど繋がった。

 

「あ、宇宙人さん?」

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

『プロマネが言うには、Actuary On辞めたらVtuberできないみたいです、おれ』

 

「いま会社から出たところですか?」

『いえ、ちょっと混乱しちゃってたから店でコーヒー飲んでそれで、落ち着いてからです』

 

 あまり落ち着いているようには聞こえなかった。

 

「また、愚痴とか話なら聞きますけど」

『まいりましたよ、おれ、ショックだな。自分でも意外ですけど』

「……混乱するのも仕方ないですよ」

 

『そっすよね』

 日高は深いため息をして言った。

『どーすりゃいいんすかね』

 

「なぜActuary Onを辞めるとVtuberを続けられないんですか?」

『なんか契約で決まってるからって、入社時にサインしちゃってるからって言われて。もうちょっとちゃんと見とけばよかった』

「バイトにしては厳しい条件ですね」

 と彼は相槌を打ちながらスマホをスピーカーモードにして、ツイッターを開いた。海空アキのアカウントからは、【今月末をもちまして、一身上の都合により活動を一時休止します】を最後になにもツイートされていない。

 心配や応援、いつまでも待ってる旨のファンのリプライがいくつも付いていた。

 

『酷くないすか!? いくらなんでも』

「そうですね」

 

 電子レンジからレトルトカレーを取り出し、ラップをかけて言った。

 

「夕食は済みました?」

「え、いやまだですけど」

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

「なんか、妙な感じですね。日に二回も待ち合わせるのって」

 そう言った日高は充血した目を見せたくなくて、俯いたまま彼とは目を合わせようとはしなかった。

 

 残念会というか愚痴だのを聞くその類をしようという事になり、今朝がたと同じ場所で合流したところだった。挨拶もそこそこに、二人は日高がたまに行くという居酒屋へと歩みを進める。

 その道中で日高は不思議に思った。食事を申し出たのは特に会話も無く付いてくる彼だが、なぜ会ったばかりの自分にそこまでしてくれるのか。少し昔に動画にいいねを付けただけの恩にしては過大すぎる親切心だ。内面はともかく、身体の見てくれはいいから下心なのかもしれない。もしそうだとしたらと考えて、ただでさえすり減った心を軋ませた。

 

 日は暮れ、店や街頭のきらびやかな明かりが夜を灯している。歩道橋を渡ると車のライトが川のように流れ、風に揺れた街路樹の葉がせせらぎのようにさざめいた。

 やがて居酒屋激戦区から少し離れたチェーン店に入った。有線放送が今どきの曲を流している。

 店員が元気よく対する。

「いらっしゃいませー! 2名さまで? タバコは吸われますか?」

 

 二人は顔を見合わせた。

 

「アキくんに合わせますよ」

「じゃあ……喫煙席で」

 

 そのまま店員に個室まで案内された。

 周囲からは給与人や大学生らしき客の笑い声で賑わっているが、このテーブルだけは隔絶されているように静かだった。気落ちしている日高の事もあるが、ネット上でもそれほど親しくない人間と食事をしても話題が無い。

 

 メニューを開きながら彼が言った。

「ここにはよく来るんですか?」

 

「たまに扶桑さん……あー、ナツさんと。二人で収録する企画の終わりとかに」

 浅く腰掛けた日高がぶすっとして続ける。

「今後は別のアキと来るんでしょうけど」

 

 何を言っても地雷だな、と彼は適当に注文した。

「ウーロン茶でよかったですよね」

「まあ、なんでも」

 

 ほどなくして運ばれてきた料理を、彼は黙ってつまんだ。日高は箸にも手を付けず、俯いたままだった。俯いたまま、ぽつりとこぼした。

 

「なんで」

「うん?」

「なんで宇宙人さんは、おれにそんな親切なんですか」

「全部が全部親切心じゃないですよ」

 彼は箸を置いて答えた。

「まあ、気になるというか、興味というか」

 

「興味?」

「嫌な思いして辞めたくないVtuberを辞めて、また同じ仕事をやるアキくんの」

「もう遅いっすよ、出来ないんですって。つか興味ってなんすか、おれがおれでいられる、唯一の場所だったのに。面白半分ですか。それともなんか下心でもあるんすか」

 

 羨望に近い、とは省略して彼は言う。

「まるまる親切心や下心よりはマシじゃないですか、好奇心の方が。もう辞める旨は伝えてしまったんですか?」

 

 日高は何か反論したそうだったが、いらだちに任せて頭を掻き、無理やり口を開く。

「退職願をその場で書いて出した後に言われたんですよ、誓約書に書いてある通り、もうVは出来ないって」

「その誓約書って今持ってますか?」

 

「そりゃありますけど」

 言ってトートバッグから封筒を取り出す。

「でもこういうのって他の人に見せていいもんなんですか」

 

「基本的にダメです」

「え、じゃあ……なんで」

「もし気分が悪かったらお手洗いとかで5分くらい席を外しても大丈夫ですよ」

 

 ん? と日高は怪訝そうな顔で彼を伺うが、なんとなく察して「それじゃあちょっと」と離席した。ふと、男女共用トイレ内の鏡の前で前髪をかき上げて自分を見やる。会う前に泣いてしまったのはバレただろうか。Vtuberを続けられないというだけで、そんなに悲しむことかと引かれてはないだろうか。

 対外的な印象を意識すると、幾分かは冷静になれた。前髪を上げたまま片手でぴちゃぴちゃと手洗いの蛇口の水を顔に浴びせ、ハンカチで拭った。こうしないと前髪が濡れるのだ。

 目をつむり浅く深呼吸をする。彼とのやり取りを思い返すと恥ずかしくなった。愚痴を聞いてもらっているのに、なんだあの駄々っ子のような態度は。大人になれ、と頬を軽く叩く。

 大丈夫、Vtuberを知る前と同じ日常に戻るだけだ。何年も耐えてきたのだから、これからも大丈夫。またVtuberをやれるならそれに越したことはないけれど、誓約書にはそれを禁ずる項があった。

 

 あったが、彼は誓約書を精査するような口ぶりだった。どうなのだろうか? 

 マッチの灯火のような儚い希望が胸に浮かんだ。

 ダメだった時の事を考える不安の種が、期待するなと警告する。

 腕時計を確認すると、五分はゆうに経っていた。

 お手洗いを出て席に戻る足どりはやや速い。自然と鼓動が短くなる。

 

 封筒は、まるで誰も手にしていないかのようにテーブルの上に置かれていた。

 

「あの、すみません。ちょっとさっきは投げやりな態度を取っちゃって」

 申し訳なさそうに座った。

「それで、どう、なんですかね」

 

「競業避止義務を根拠とした項だと思いますが、それは主に退社した人間が企業の不利益になる行為を防ぐ目的がある」

「え?」

「例えばある事務所から抜けた社員が、新たに同業の職に就く事を防ぐ目的で結ばれる。だいたいは弁護士とか会計士とかの事務所の就業規則や労働誓約書に入ってる。芸能関係でももちろんある。契約終了後の一定期間内は他の事務所と契約できないとか、だがスポンサー関係の縛りの意味合いで使われることが多い。コカ・コーラのCMに出たらペプシの宣伝はしないとか、そんな感じ」

 彼はタバコに火を付け、浅く吸って虚しく吐いて続けた。

「ただ通常、この契約には期間が設けられる。その一定期間が経過すれば同業の職に就く事ができるし、期間が長すぎると裁判所は有効性を認めない」

 

 日高は反射的に封筒から誓約書を抜き出して確認する。

 

「そもそもその契約が有効になるかどうかは、会社内の地位や地域内で競合するのか、流出すると不利益を被る会社のノウハウがあるか等が勘案される。中の人は代替可能が売りのVtuberが、ネットで全国活動出来て、Vのやり方はググれば出てくるし編集丸投げなら有効性は認められない。と思います。例え文言では禁止と書いてあっても」

「えと、期間の定めが無いんですけど? あ、例えば無かったら?」

「項を盛り込んだ人が競業避止義務の正しい運用方法を知らなかったか、逆に期間を定めたとしても無効になると知っていて脅しに使ったかじゃないですか? わかりませんけど」

「は、え? じゃあおれ、Vtuberをやれるんですか?」

 ぽかんとした日高が尋ねた。

 

「一度誓約書や契約書にサインしてしまうと書いてある事すべてが有効になると思われがちかもしれませんが、そうとは限らないんです。ただわたしは専門家ではないので、アキくんと事務所の結んだ競業避止義務が確実に無効となる、とは言い切れないです」

 

 それを聞いて日高は深い安堵のため息をつき、おもむろにウーロン茶を一気に半分飲み、胃液しかない胃袋に食べ物を詰め込み、ウーロン茶の残りを干した。

 気持ちのいい飲み食いっぷりである。

 景気よくグラスをテーブルに置いて言った。

 

「絶対知っててやってますよ!」

「例の義務の事ですか?」

 

 彼が煙を吐きながらそう言うと、日高も思い出したようにトートバッグからタバコを取り出して火を付けた。

 

「あのヤロー、面接の時からなんか気に入らねーと思ってたんですよ。上から目線っつーか」

「どこにでもそういう人間はいるもんですね」

「海空姉弟の人気出てくると、いくらでも替えは利くとかでこっちの意見を無視しだすし」

「代替可能はVtuberのメリットとして売り出されてますからね、リアルのアイドルと違って不祥事のリスクも少ないと言われてますし。今のところ」

 

「そうかもですけど、アニメの声優だって、ドラえもんとか声が変わったら多少は文句付ける層とかいたじゃないですか……多少だからいいのか?」

「中の人が交代する事例はアキくんが初めてになるかもしれないので、実際はどうかわかりませんね。後釜がいるんですか?」

「さあ、その辺はおれも知らされてないっす」

 

 彼は吸いさしたタバコを灰皿でもみ消した、日高の口から出る煙が少なかったので。

 対外的に男性っぽく振舞うのも、なかなか大変そうな人生だなと少し同情する。

 

「そういえば禁煙してたのを思い出しましたよ」

「あ、そうなんすか。じゃあおれも吸わない方がいいっすね」

 

 日高もそそくさとタバコを灰皿に押し付ける。まだ葉と巻紙が半端に残ったタバコが2本、皿の上に転がった。

 

「あのー宇宙人さんって今日は運転しなきゃならないですか?」

「いいえ。大丈夫ですよ、アルコール頼みます?」

「あ、じゃあ無事にVに復帰できる祝いって事で付き合ってもらっていいですか」

 

 注文を取って、待つ間にぽつりと日高が言った。

 

「あと、晶でいいっすよ。もうアキじゃないですし」

 

 一方的に本名で呼ぶことに彼は抵抗を覚えたが、そう言われてしまうと道理なので従うことにした。

 やがてアルコールもほどほどに入り、動画編集などの話題でそこそこに打ち解けだす。

 その頃合いを見て日高がもごもごと切り出した。

 

「あの~聞いていいかわかんないんすけど」

「……はい」

 と彼は予防線を引いた質問に慎重になる。

 

「宇宙人さんって何の仕事されてるんですか? いや、契約関係のこと詳しかったし、なんでかなーって」

「宇宙船の操縦ですよ」

「あー、ですか」

 

 気まずそうにビールを口にする。

 

「それで晶くんはやっぱりまたVtuberをやるんですか」

「ん、まあそうですね。とりあえずバイトと並行して広告収益化目指して、徐々にバイトの時間を減らせていったらなーって感じです。収益化は欲張りですかね」

「いいと思いますよ。ただ、わたしは、いくら新興のVtuberと言っても芸能業界的な側面が多かれ少なかれあると思うんですよ」

「え、あ、はい」

 

「晶くんが新しいモデルに変わっても、名前が変わっても、いずれは中の人が晶くんだって気付くファンの方がいると思います」

「そうだと、嬉しいっすね」

 

 日高は照れくさそうに視線を逸らした。

 

「一度ケチの付いた人間が、もう一度芸能業界でやっていくのは色々とキツいですよ。たぶん」

「ケチってそんな言い方しなくても……」

 冷や水を浴びせるような彼の物言いに、日高は面食らった。

「外野的にはそうですよ。問題を起こして辞めた、としか見ない人間はいるはずです。それでもやるんですか」

「それでも、おれにはやるしかないって知ってるでしょ、宇宙人さんは」

 

 日高は靴を脱ぎ、片膝を抱いて言った。

 

「男として振舞って、男として見られるのが夢だった。夢は諦めたくない。です」

 

 夢か、と彼は内心で呟いた。

 ただ、その夢は視聴者というファンがいて初めて成り立つ。

 極端な話0人だと成立せず、では具体的に何人以上いればいいかという数字は無い。日高 晶が現実での苦悩を忘れられるほどの人数が必要になる。

 膨大な数の現実の人間が日高を女性視するなら、日高を男性視する仮想の視聴者数はそれを感覚的に超えなければならない。

 そうしてVという仮想は日高にとってのリアルになるのだ。

 

 そしてその夢は、企業の助力無しではかなり難しそうであった。もはや黎明期は終わり、海空姉弟の勢いに続けと言わんばかりに続々と企業が参入しており、人気を博している個人勢も多い。

 叶う兆しは僅かと考えられた、日高ひとりでは。

 

 しばらくの沈黙の後、彼が口を開く。

 

「立ち上がりのアドバイスくらいなら出来ますよ」

 

 有線放送から、人気の男性アイドルのキャッチーな曲が流れだした。

 夢か、と彼は内心でもう一度呟いた。

 



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第五話 復活のV

 やっぱりサンプルの方が良かったんじゃないか? 

 日高はたどたどしく動く上半身だけのLive2Dモデルを見て、徒労に終わるのではないだろうかと後悔する。

 

 とりあえずはなんとかLive2Dを動かすまでは出来た。といっても、小首をかしげて瞬きと口が開く程度だ。肝心のモデルも慣れない板タブでどこか違和感がある。

 参考にした星神の動画を流してみる。彼女の所属するVrSt(ブレスト)は全員がLive2Dで動いている。高価な3Dモデルに比べて動きは少ないがコストが低い。

 AcOnの流れに乗りたいが、VrStの将来的な収益モデルがアイドルの箱推しである以上、人数を揃える必要がある。しかし3Dモデルを外注する資金が無いという解決口がそれであった。

 Vtuberのコンテンツの主流がゲーム実況の現状で、画面構成上、下半身は映らないのならいっそ胸像が動けば良い、といった戦略だ。

 凝ったモーキャプも不要で参入ハードルが低く、現状は視聴者に受け入れられている。

 

 そんな星神の動画は、トップ層の3Dモデルのものと比べると確かに華がない。だが日高の作った素人の出来のLive2Dはそれよりも劣って見えた。

 アナログなら理想の自分を描けたのに、と惜しい気もするが、絵描きの下地があったのは不幸中の幸いとするしかない。

 制作過程で、ほんとにこんなので大丈夫なのだろうかと何度も思ったが、彼が下手でもモデルは自作した方が良いと言ったのだ。助言を求めた手前、独断でサンプルモデルを使うのはためらわれた。

 

 一度頭から編集した動画を再生してみる。自己紹介の短い動画だった。中古で購入したPCやカメラ等の機材は必要最低限のスペックなので、当たり前だが音質等は今までのものより落ちた。一人称がぼくのアキを辞めておれになり、雰囲気も変わったせいか自分の声ではないように聞こえる。これより気合の入った個人勢はいくらでもいるだろう。

 

 それでもなぜだか、日高の胸はいっぱいになった。お世辞にも上等とは言えないモデルの自分が、リップシンクも上手くいってない自分が、不思議と本当に愛おしく思えた。

 特別なキャラ設定も無い、どこにでもいる、高校生時代にキャンバスに描き続けた夢の自分を拾い集めたものだ。

 しかし名づけるとなると急に恥ずかしくなる。オリキャラの名前の字面がかっこよすぎると気取っているようだし、普遍性があると視聴者の両親と同じ名前だったりしたら見る方も気になるだろうし。

 これがなかなか勇気のいる事だった。

 あれこれ悩んで、暁とした。字面がかっこよすぎるに抵触するが、本名の日高にちなんでいるのでセーフである。曙と間違えられないかという一抹の不安は拭えないが、これ以上考えてもしょうがない。

 

 とにかく新環境での撮影編集はなんとか形になった。後はAcOnの契約終了後にうまくアップロードできるかチェックして終わりだ。

 ちらとカレンダーを見やる。なんとか間に合いそうだ。

 

 彼はモデルを自作することに加え、なるべく早く復帰する事を勧めた。直後はマズいので、AcOnが特にアキについて告知しなければ一週間は空けた方がいいとのこと。いずれ元海空アキとバレた時に節操がないと思われかねないらしい。

 一息ついて、貸与されていたPCや機材の返却準備をする。

 中古のタワーを買ってみて初めてわかったが、ノートで動画編集するとなるとかなり高額になるようだ。そんなものをポンと貸せるのが企業勢の強みの一つかもしれない。

 

 仕方ないとはいえ配信環境を揃えるのは痛い出費だったな、とノートPCや機材を緩衝材に包んでリュックに入れてアパートを出た。重いリュックが肩に食い込む。

 本社に着くと、どうやら端田屋はちょうど席を外しているようだった。端田屋の部下にPCの返却を伝えると総務部に回して本人はどこかに行った。端田屋とは会いたくなかったので助かる。

 総務部で社員証なんかも机の上に置いていくと、重かったでしょ、と声をかけられた。接点のない社員だったので、少し戸惑った。

 

「はあ、まあ」

「急だったね、辞めるの。有給の話とか聞いてる?」

「え、いや。バイトなんで」

「ああ、バイトでも有給出るよ。たぶんまとめて給料に加算されると思うから」

 

 それを聞くと少し懐具合に余裕が出てきて、気持ちが明るくなる。現金なやつかもしれないが貧すれば鈍するのは事実だ。

 少し余裕が出てきた。

 

「それは助かります。あのう、海空アキってどうなるんですかね」

「さあ。なんか声優の面接だかしてるみたいだったから、そのうち復活するんじゃない? あの人あまり他の部署と話さないからわかんないな」

「そうなんですか」

「絡みにくくない?」

 

 それは、と日高は逡巡して、少し笑って愚痴をほころばせる。

 

「ですね」

 

 総務部の社員がつられて笑う。

 

「じゃあお疲れさま」

 

 そう言って総務部の社員は社員証は預かり、日高が去るとPC等はめんどくさそうに端田屋の部下のデスクに置いた。

 

 日高がビルを出ると熱気に襲われ、あっという間にじっとりと汗をかく。

 振り返ると、もう足を踏み入れることのない四角いコンクリの塊が佇んでいる。隣も、その隣も同じような形のビルが並んでいる。

 空になったリュックを背負う日高の肩は軽い。

 空は晴れている。いやになる暑さだが今日はそれほど気にならなかった。気の早い秋風が柔らかく吹いていたからだ。街路樹の木陰が涼しげに揺れた。

 

 日高と海空アキとの別れはそれで終わった。

 

 

 

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 日高はツイッターで新たに作った暁のアカウントで告知する。どこか不自然さの残るキャラアイコンの下に表示されるフォロワー数は、まだ10人程度だった。

 YouTubeを開き、自己紹介動画をアップロードしようとしたところで鼓動が早まった。初めて海空アキとして動画を投稿した日を思い出す。それは喪失感や悔恨からではない。

 ただ、自分が作ったものを不特定多数に向けて公開する事に対しての緊張感を想起していたのだ。

 不安でもあり、好奇への一歩でもあった。受容されるのか、拒絶されるのか。

 

 ひとまずツイッターで予告した時刻に公開を設定してブラウザを閉じた。逃げるようにペンタブを握ってデジタルの練習をする。

 やがて公開時刻が迫るとあえて風呂に入った。シャンプーをする頃に、そろそろアップロードされている頃だと考えて嫌な汗をかく。

 浴室から出ると簡単な夕食を作る。心臓はずっとうろたえたように不規則に鳴っていた。

 食器を洗い、覚悟を決めてブラウザを開いた。投稿時刻から二時間ほど経過している。

 

 結果は、日高が想定していたどれでもない。

 50再生、登録者数は15人。

 受容されず、拒絶もされず。ただネット上に不出来な自作が流されただけだった。

 

 登録者数15人はいる。まぎれもなく確実に存在するが、言いようのない温度が胸に広がるのを、日高は感じた。

 途端にあした公開する予定の動画をアップロードする気が失せる。

 15人は待っているのだから、投稿は続けるべきという葛藤が生まれる。その人たちをないがしろにしているような罪悪感を覚えるが、同時に失意も覚えており、後者の方が優勢だ。どうしようもなくそういう気持ちなのだ。

 なまじ企業勢のスタートダッシュを経験している分、落差は激しい。

 

 その後も30分ごとにチェックしてみるが特に伸びるといった事は無く、時間が経つにつれて少なかった勢いは更に少なくなった。

 Vtuber黎明期という物珍しさもあったかもしれないが、日高は海空姉弟の環境がいかに恵まれていたか思い知った。

 そういえばアキの後釜はどうなったのだろうとツイッターアカウントを検索してみるが、沈黙したままだった。ぽつりぽつりと心配しているリプが付いている。復活してるよ、中の人は! と心中で叫ぶ。寝取られってこういう感じなのか? と陰鬱になった。

 気持ちを切り替え、義務感からバイト雑誌をめくるがすぐに放り出してふて寝する。

 

 翌朝、いつもより早く目が覚めてしまった。動画をチェックしてみるが動きはない。二度寝して学校へ向かう。

 ほんとにこれで良かったのかと、英語の選択授業中に頬杖を付いて考えた。

 誰かにそれとなく、元海空アキだとツイッターかなにかでこぼしてほしいという欲求が首をもたげる。

 新しくVtuberとして転生した事を知っているのは元相方の扶桑と彼だけだ。さすがに現海空ナツをやっている扶桑に頼むのはダメだ。仲の良い星神に事情を話せば、二つ返事で了承してくれそうではある。だが企業勢である事と、やはり有名どころのツテを利用しているようで後ろめたい。

 

 だが彼ならば、むかし動画リンクのツイートにいいねを付けた事もあるので、貸し借りという形で収まるような気がする。

 それとなくメールを送ってみようかとスマホを取り出し、浅ましさを覚えてやめた。

 

 その晩、リアクションのしやすい手垢のついたゲームの実況動画を上げてみるが昨日と似たような反応だった。

 他のVtuberの動画を見てみるが、気落ちしているせいか特に面白いと感じない。しだいになんでこんな動画が伸びているのかと苛立ちを覚え、ため息つく。完全な逆恨みだ。

 自分が評価されないと、これほど他者に不寛容になってしまうものなのかと自己嫌悪に陥る。

 

 時計を見やると、まだ電話しても問題ない時間帯だった。このままうじうじと他人をけなすようなメンタルで続けるくらいならいっそ、と彼の番号にかける。

 

「いまいいですか?」

『大丈夫ですよ』

「あのー宇宙人さんって動画投稿し始めた頃ってどんな感じでした? 再生数とか」

『あの頃は多少物珍しさもありましたけど、今の晶くんとそう大差なかった感じです』

 

 日高は、やはりちゃんと見てくれていたのだという心強さを覚えたが、同時に結果の出ない動画なことに恥ずかしくもなる。

 

「どう、なんですかね? このままやっていっていいのか不安で」

 

 彼は少し沈黙してから言った。

 

「できればわたしのツイッターアカウントからリツイート等で注目させたいですが、まだやめておいた方がいいです」

 

 昼の自分を見透かされたようで、さっと晶の顔が羞恥で赤くなる。

 

『晶くんがツイッターでわたしの動画にいいねを付けたのは、人間に辛辣な態度をとっているわたしに共感したり、何かしらの好奇心や興味があったからだと思うんです。わたしがそういった感情を抱いてないのに晶くんの告知ツイートにいいねを付けても、一過性のものだと思います……アイドルとかも、ある程度の知名度や人気があると別グループへの絡みが事務所的に許されるんだと思います』

「あー、やっぱつまんないっすか」

『結構楽しいです。ただそれはわたしが晶くんを知っているからかもしれません』

「じゃあやっぱこのままコツコツ続けてくしかないんすね」

 

『初めて会った時、もっと素を出したいって言ってましたよね。個人勢なんですし、好きにやってみたらいいんじゃないですか。実際にわたしはそれで、晶くんの目に留まったんですから』

 

 よく覚えているなー、と晶はフードコートでの会話を思い出す。憎しみをそのままネットに吐き出す彼が羨ましく、社会を少なからず恨んでいる自分は親近感を覚えたと言った。

 その後、彼は人間に対する憎しみを素だと認めたのかどうだったか、記憶を探ろうとすると彼が続けた。

 

『晶くんは声もはきはきしていて、話し方も海空アキをやっていただけあってしっかりしてると思いますし。大丈夫ですよ』

「ほんとに、そう思いますか? いまの2Dモデルでも?」

『モデルは少しずつ改良していけばいいんですよ、その方が視聴者も好感を覚えますし。海空アキほどの登録者数になるかはわかりませんが、うまくいくと思います』

「そー、なんすかね」

 

『アキくんがVtuberをやる理由は、就活で使われるような、社会に貢献したいだとか企業理念に感銘を受けたみたいな、誰かの為にっていうのとは違うじゃないですか。お金が主目的でもないですし、そういうところが他とは違って良いんじゃんないですか』

 

 そう言われると、ほんの少しだけ自信が付いた。もともと誰かの為のVtuberではない、自分のリアルを実現させたいからVtuberをするのだ。

 ふっと胸のつかえがとれた気がした。

 

「そうでした。なんか長い間アキのキャラ路線が変わった事にうだうだしてて、忘れちゃってたのかもしれないです。すみません、長くなっちゃって」

 

 彼との通話を切り、PCと向き合う。

 日々増え続けるVtuberに、界隈は供給過多になりつつあった。そこで個人勢が注目を浴びるには尖るしかない。日高にはそれがあった。だからVでしかリアルを生きてゆけないのだ。

 

 

 

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 翌晩、突如として暁のツイートで告知されたのは【婿探し配信】と銘打たれたものだった。

 暁からは何の説明もなく、ゲームが始まる。芸能養成学校に入った主人公が、事務所オーディションに合格すべく同級生の男キャラと青春するようだった。

 プレイヤーの姓名入力欄には【あか】【つき】ニックネームは【あかつき】と入れていた。

 

『Sクラスってなんだろ、学校でこんなのあったら怖くて通えないわ。レポーターカッコいいけどテンション高いなぁ』

 

  新芽 なんで乙女ゲー? 

 

 コメ欄を気にせず、笑ってプレイを続ける。

『シャイニングさんいいじゃん。こういう学校だったらもっと気軽に通えたんだけどな』

 

  リドレイ そいつ公式表記で2mあるで体重0.1㌧

  ヨシ!  月宮もいいぞ

 

『マジ? なんで単位がトンなんだよ。あーこれってパートナー選んだらもうその人しか無理なんかな。あー、けっこうタイプではあるけど』

 

 ぽつぽつと同時視聴者数が増えた。

 男性Vtuberが乙女ゲーを実況する動画は無くはなかった。ただそれは真剣にプレイするというよりは面白半分だったり、腐女子層を取り込もうという狙いが言葉の端々から透けて見えていた。

 だが暁の配信にそういった類は無く、男キャラに対する着眼点や選択肢に悩む様から、純粋に恋仲になりたいという意思を感じられる。

 そして乙女ゲーは初プレイという事もあり、たどたどしさが女性視聴者にウケた。

 

 配信者がアクションゲームで戸惑ったりもたつくと、大なり小なり視聴者の中にはイラつく人間もいる。だがノベルゲーに限って言えば、選択肢で戸惑ったりもたつくのは既プレイヤ―にとってはオカズなのだ。

 その戸惑いを共感でき、かつ先を知っているので神の視点からニヤニヤ出来るからである。

 

 その配信は新人にしては盛況で終わった。しばらくしてバーチャル宇宙人のアカウントから暁の告知ツイートがいいねされると、アーカイブが伸びだす。

 普段まったく他のツイートに関与してこなかったぶん注目を集めた。宇宙人の視聴者層の多くが好むような動画ではないが、なぜ急に新人Vのを? と好奇心が生まれ、暁のフォロワー数が伸びた。

 

 その様子をスマホで見ていた日高はようやく人心地が付いた。アナリティクスを見ると、増えた登録者はやはり女性視聴者が多いようだ。

 なんとか一つ、群雄割拠するVtuber界で立場を確立できそうだった。

 一応お礼は言っとこうと、彼に連絡を取った。同時にじぶんの性癖というか、サガを知られてしまった事に緊張した。

 

「あのー、見ましたよね」

『面白かったですよ、見ないジャンルでしたし新鮮で』

「ありがとうございます。それで、あー、フードコートでトランスジェンダー打ち明けた時、もうちょっと複雑って言ったの覚えてます?」

『ええ』

「バイなんですよね、おれ。わけわかんないでしょ」

『複雑って言った意味がわかりましたよ』

 

「宇宙人さんに知られるの、さすがに恥ずかしかったですけど、スッキリしましたよ。アキの時は初期でもああいう配信は出来なかったし。ヒキます?」

「いいえ。そういう人間も普通に暮らしてると知ってますから」

『それ聞いて安心しました。おかげさまでなんとか続けていけそうです』

 

 少しばかり雑談をして、日高は通話を切る。性に関してやけに理解があるのが少し気になったが、困る事ではないので頭の隅に追いやった。

 それにしてもと、日高はバーチャル宇宙人のアイコンを眺めて思った。

 下心だと思われてなきゃいいけど。

 

 

 

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 数日後、アキの中の人が変わった海空姉弟の動画が、その旨の告知なくアップロードされた。

 

 その時はまだ視聴者を含む業界全体の薄い共通認識として、Vtuberの利点の一つが有効と見なされていたのだ。

 現実世界に生きる有名人は不祥事を起こすが、仮想世界に生きるVtuberは不祥事を起こさない。起こしようがない。仮想世界には麻薬も金も未成年もタバコも酒もないからだ。

 病気も不慮の事故も無い。中の人に何かあれば、アニメキャラがたまに声優を変えるようにVtuberも声優を変えられる。仮想ならではの長期的に継続可能なコンテンツ。

 そんな広告代理店やベンチャーが謳う安全神話が、砂糖菓子のような信仰を持っていた時代だった。

 



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