艦これ回想録~波濤の記憶~ (COOH)
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プロローグ
「艦長、ご決断を」
この輸送船の艦長は副艦長である高島の言葉に返すことなく艦橋から港を見た。そこには港を埋め尽くすほどの人がいた。この島はもうすぐ人が生存できなくなる。未知の生物、深海棲艦によって。
島民を日本本土に引き上げることがこの若い艦長の最初の任務だった。もうベテランと呼ばれて久しい高島がようやく副艦長であり、軍に入ったばかりの若者が艦長、それもキャリアの踏み台でしかないことに思うところがないでもなかったが、三年前から急速に変化する情勢に対応するには若い血は必要なことは理解できていた。なにより、評判通りの能力と評判以上の人柄を知れば、高島の子供ほどの艦長を受け入れることは容易だった。
「もう深海棲艦は近づいて来ています」
予想以上に早い深海棲艦の侵攻と、輸送船の出港から始まる予定外の遅れ。もう島民全員の乗船は不可能だった。それを分かっていても艦長は命令を発さない。
初めての任務ではあまりに酷だった。冷静な判断はできても、そのために選ぶ犠牲を目の前に突きつけられれば決断ができないのは当然だ。高島はそんな艦長を好ましく思っていたからこそ代わりに声を発した。
「乗船終了。直ちに――」
指揮系統を無視した高島の命令は轟音に遮られた。衝撃と熱が周囲を覆い、艦が揺れる。
深海棲艦の空母から爆撃が行われた。予想以上に早い侵攻よりなお早いそれを理解したところでなすすべなどない。そもそも人類には対抗できる兵器などないのだ。深海棲艦のために生まれた艦娘以外に。
怨嗟に晒され崩れていく艦の音とともに高島の意識は水底に引き込まれていった。
20XX年、大陸国家の海洋侵出により緊張状態にあった日本海沖に正体不明の海洋生物が出現した。便宜上「深海棲艦」と名付けられたそれらは瞬く間に現象ともいえる規模まで広がり、世界中の海を覆いつくした。
従来の兵器が効力を持たないそれらに対抗するため、人類は大戦時の軍艦の名を冠した兵器を生み出す。
初めての犠牲から3年、人類の希望「艦娘」と深海棲艦は拮抗しているものの、海中から生み出される深海棲艦の脅威を消し去ることはできず、世界中の海で悲劇が生まれ続けている。
「…提督、ですか…?」
白瀬は日本国海軍元帥の前にもかかわらず、怪訝な顔で復唱してしまった。
「意外か?」
元帥は、分かってるとは思うが、と前置きしたうえで
「通称日本帝国海軍、対深海棲艦兵器である艦娘を運用する部署への異動だ」
海軍の一部門にかかわらず大仰な名前と独立性がついていることに対する感情が苦笑として滲み出していた。対して白瀬は依然表情を変えずにいた。
「軍法会議、良くて解雇だと思っていましたので…」
「海軍としても人材不足でな。もっとも、人事については君の気にするところではない。ちょうど帝国海軍から派遣の打診があったのだが、簡単に人を送るのも内部での反発が懸念されてね。多少新しい試みもあるようだし、君のような人材が適任と判断した」
体のいい人柱に利用したことを隠さないうえで送られる、息子を見るような視線を受けて白瀬は姿勢を正し敬礼をする。
「どのような事情であれ、謹んでお請け致します」
いくつかの確認事項を話したのち、白瀬は退室していった。
「ふう…」
一人になった部屋で元帥は地位相応な無表情で息をついた。
「防衛大始まって以来の天才、だったか…脆いものだな…」
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第1話 Day after Day ①
「おーい、吹雪―!」
背中から深雪の呼ぶ声が聞こえ、吹雪は振り返る。その姿を認め、屋上から見える港に背を向ける。
「ごめんごめん、もう時間?」
「どうせここだろうと思ったぜ。毎日よく飽きないなー」
毎日といってもそこまで長いものでもない。
吹雪が別の鎮守府からこの泊地に移ってから1か月余り。配属泊地が新造艦が実践投入されるまでの養成所だったこと、自身が教官に任命されたことにはもう慣れたが、港を一望できる景色はまだまだ新鮮なものだった。
「まあ、煙となんとかは高いところが好きだっていうしなー」
…教官としての威厳はまだ身についてないのかも。少し肩を落とす吹雪を見て深雪はとても楽しそうだ。
「教官様が遅刻しちゃかっこが付かないだろ?」
「そうだね、急がなくっちゃ」
深雪がいたずらげに見せる歯に吹雪も微笑み返す。そして走り出す。
「あ、待てって」
追いかけっこの終点である出港ゲートの扉が唐突に開き、人影が出てきた。
「うわっ、初雪ちゃん!?」
吹雪は止まることができず、進路を急いで変更する。勢いそのまま壁にぶつかろうとする体を腕で支えて止める。
「ねる」
ためらいなく放たれる宣言に、吹雪は跳ね上がり回り込む。
まだ朝だから、これから訓練だから、といった反論も音にならず口をぱくぱくさせる。
「な、急いでよかったろ?」
深雪が笑いながらも初雪を引っ張って行ってくれる。
「ねむい」
「きょ、今日終わったら、明日は休みだから…」
「うん、がんばる」
素直なのか、粘るのが面倒だったのか、大人しくゲート内に戻ってくれた。
吹雪は大きく息をつきながら後に続く。他のみんなはもう並んで待ってくれている。
まだまだ慣れないことが多く、威厳なんてこれからも身につくとは思えないが、吹雪は今が気に入っていた。艦娘になる決意をした日から、本名も捨て、家族とも会えなくなった。多分本当の決意なんてできていないまま、戦いの日々に流されていった。それでも、艦娘になってから出会ったみんなに感謝できる今がある。
「出撃です!皆、準備はいい?」
軽やかにステップしながら、屋上から見渡していた海に飛び出した。
「ベリーグッドデース!上手くなりましたネー」
金剛は勢いよく親指を立てた。こぶしを突き出すと先ほど演習を終えた艦娘は嬉しそうに顔をほころばせた。
「今日はもうティータイムにしまショー」
我先にと港に向かう金剛の横にその艦娘は並んできた。それだけでも1か月前を思えば成長が感じられる。
「もうすぐお別れですカ。寂しくなりマース」
戦艦は全体的に不足気味でもとより耐久力があるため訓練期間が短くなっている。始めから分かっていたが、期限が決まった付き合いとは慣れないものだ。
「金剛さんのおかげです。吹雪さんとかもですけど、帝国海軍発足当時から艦娘をされている方は本当にすごいですね」
「亀の甲より歳の甲デース…って、おばあちゃんじゃないネー!」
「そこまで言ってません」
金剛が一人で騒いでいるのをいなしながら、前から訊きたかったこと、と前置きして続ける。
「でも、そんな方々が教官をされていていいんですか?いや、私からすればありがたいんですが」
「テートクが言うに、ゴホービらしいデス」
「ご褒美、ですか?」
「長い間前線にいましたからネ。のんびり海に出る時間も大事だって、演習予定とかも自由に決めさせてくれてるんですヨ。…って老後じゃないデース!」
「だから言ってないです」
適度に合いの手を入れてくれる生徒に金剛はうれしくなる。配属されたときは不安と緊張でほとんど声にならなかったのに。
これからもこうなのだ、と漠然と思った。ここでいろいろな出会いを繰り返し、互いに成長していく。そしていずれの日かまた戦いの海に戻るのだ、と。かけがえのない友と再会し、守るために。
「そうデシタ!今日は特別にスターゲイザーパイも用意してるネ!…どうしましタ?」
それを聞いた艦娘は速度を落とし、結果金剛と離れてしまう。それどころか、反転して速度を上げようとする。
「すいません、やっぱりまだ訓練を続けます。気になるところが残ってるので」
「なに言ってるデス!パイは焼き立てがベストデスヨー!」
スピードに乗る前に捕まえて強引に引っ張っていく。
金剛に不満――というか疑問だが――があるとすれば、紅茶とスコーンを除いて誰も金剛自慢の料理を食べてくれないことだ。魚の頭が上に飛び出している様を「星を見るもの」と名付けるのはとてもロマンチックだと思っているのだが。日本人はわびさびの文化と聞いていただけにがっかりだ。
「食べればやみつきになりマース!」
周囲から何を吹き込まれたのかいまだ食わず嫌いを続けている生徒へ自慢の手料理をふるまえることに心躍らせながら帰路に就いた。
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第2話 Day after Day ②
「…勝った…の?」
空気を求める肺を無視してまで放った言葉は僚艦に目の前の事実を確認するためのものだった。たとえ交戦が終わっていなくてももはや放てる矢も握力もないのだが。
「ええ…そうですよ、加賀さん」
赤城が手を差し伸べながら答えてくれた。膝をついている加賀を引くだけの力は残っているが、加賀よりも被弾箇所は多い。これが実戦ならば二人ともまともな航行はできないだろう。
「参りました。お二人とも、お見事です」
交戦相手である鳳翔が赤く染まった頬をぬぐいながらゆっくり近づいてきた。もちろん演習用のペイント弾だが、片口から胴体まで染め上げられた衣服は血を見慣れない加賀と赤城にとっては十分に刺激的だった。
「ここまで強くなられてしまっては、私が師事を仰がなくてはなりませんね」
「ご冗談を…」
軽く息を整えながら微笑む鳳翔に、加賀はなんとか立ち上がって向き直る。
軽空母1隻で空母2隻と渡り合うことができる鳳翔の練度とそれを許す己の未熟さを、経験の浅い加賀ですら分かっていた。
「私たちの回避も命中も狙ってできたものではありません。それに航空機の損耗率も鑑みれば…」
「加賀さん」
赤城に呼ばれ口をつぐむ。本当は分かっている。鳳翔の賞賛は本心であり、成した成果は喜ぶべきことなのだ。赤城の微笑みを見て、それをかみしめる。
「失礼しました」
「いえいえ。私は夕飯の支度があるのでもう帰りますが、お二人はどうしますか?」
そう聞かれても加賀達はしばらく休まないと動けそうもない。
「せっかく夕日がきれいですし風も気持ちいいので、それがいいかもしれませんね」
鳳翔は朗らかに微笑んで背を向ける。
「かないませんね」
「…ええ」
敬礼を終えても、艦載機を周囲に巡らせながら軽やかに航行する鳳翔から目を離さなかった。空母は艦載機を飛ばして終わりではない。航空機の視界を一手に受け個別に操作をする必要がある。当然高い集中力が必要になり、加賀も赤城も今はまともに操れると思えない。
鎮守府には鳳翔以上の練度を持つ艦娘が多くいるという。鳳翔の謙遜を差し引いても、二人にはまだまだ先の見えない道だった。
「まだまだ精進が必要ですね」
「はい。頑張りましょう」
それでもようやく一歩を踏み出せた感覚を体になじませ、落ちていく夕日を眺めた。
「ふう…」
小さな共有キッチンで鳳翔は夕飯の下ごしらえを終えると、椅子に身を預けて右足をあげる。かつて大破した影響で全速航行を行うことができなくなった。日常生活に問題はないものの、機関出力を上げるとしばらく鈍い痛みに苛まれる。
それでもその痛みに赤城と加賀を思い出すと笑みがこぼれ、それがまた嬉しかった。
以前は動けない自分を忌々しく思っていたのに、誰かの成長の証だと思うと受け入れられた。
「お疲れ様です!」
吹雪が小走りで現れた。
「お疲れ様です。他の方は?」
「おなかがすいていたので、先に来ちゃいました」
照れたような笑みを浮かべながらカウンターの席に飛び乗る。ぶらぶらと足を振る吹雪を見て、鳳翔は立ち上がりコンロに火をつける。吹雪と言葉を交わしながら、父の背中を思い出していた。料亭で働いていた父に料理を学び、父のようになりたかったことを。急変した社会から必要とされなくなった父を救いたくて艦娘になったことを。
しばらく思い出すこともできていなかったからか、思っていたよりもずっと穏やかな気持ちで当時を思い起こせた。
あの人はどうなのだろう。この機会を与えてくれた人は、この時間を休息だと言ってくれた人は、何も話してくれなかったが胸に鉛のような記憶を抱えているようだった。その何かは癒されているのだろうか。
「テートク、早く来るデース!もうおなかペコペコデス」
吹雪が魚の煮つけを口にしたとき、金剛の声が聞こえた。
「いや、まだ仕事が…」
金剛に引っ張られ、思いをはせていたその人が見えた。
「あ、司令官、お疲れ様でふ」
吹雪が白米を口に含みながらこっちを見た。挨拶もそこそこにみそ汁をすする。
「良いにおいデス。ブッキーが我慢できなかったのも納得ネー」
「えへへ。お先です」
吹雪が箸をおいて手を休める。そういえばいつの間にか金剛がブッキーと呼ぶのに抵抗しなくなっていた。配属されたときにはどこかよそよそしかったが、いつの間にか姉妹のように歩く姿を見るようになった。時間を考えると当たり前なのだろうが、ほっとする。
自分もそうなっているのだろうか。
「どうぞ。あり合わせで作ったものですけど」
白瀬が椅子に座ると、鳳翔が小さな小鉢とおちょこを置いた。
「あ、司令官と金剛さんだけずるいです」
「大人の味ですカラ、ブッキーにはまだ早いデス」
金剛が吹雪に見せびらかすように箸でつまみ上げて口に運んだ。それをみて吹雪が頬を膨らます。
「Oh!これは辛めのお酒が合いますネ。今日は熱燗の気分デース」
「こだわるな…」
金剛は鳳翔といろいろと話しているが、白瀬は日本酒の名前を出されてもさっぱりわからない。金剛はイギリスから日本に留学してきたと聞いていたが、当たり前のように料理と会う日本酒を選び出している。
「司令官!」
吹雪が金剛の前に体を倒して箸を伸ばしてきた。言いたいことは分かったので溜息をつきつつ無言で小鉢を差し出す。
「吹雪、出撃します!」
謎の気合を入れて肴を口に入れる。
「うーん…」
「ブッキーはまだまだ子供デース!」
金剛は顔をしかめる吹雪の頭をわしわしと撫でた。それで吹雪はますます頬を膨らます。
「ホラホラ、提督も呑むデース!」
「いや、だから仕事があるって…」
「提督、たまにはいいではありませんか」
鳳翔が徳利を傾けたのをみて、大人しくおちょこを差し出す。
「提督が頑張ってくれているのは、みんな分かっていますから」
「むしろまかせっきりなのは俺のほうだな。艦隊運用も戦術も、分からないことだらけだ」
そろそろ甘えてられないな、とひとりごちながらおちょこを口に運ぶ。
「Hey Hey、テートクー、ホーショーのお酒は素直に呑みますネー」
金剛が肩に手をかけて酒を注いできた。もうすでに息からアルコールの匂いがする。
「お前、もう酔ってるのか」
「まだまだこんなもんじゃないデス!ほらほら、ジョッキが空いたら満杯にするのが日本のマナーでショー!」
「吹雪さん、お酒は節度を守って呑むものですからね」
「はい、吹雪、気を付けます!」
それぞれに新しくなった日常をかみしめながら夜が更けていった。
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第3話 In a Day
――あなたはこの世界が好きって言えるの!?
空を眺めたとき、ふとかつての友人の声がよぎった。きっかけは風なのか雲の形なのか、自分でも分からない何かで思い出す。
真剣に訊かれたその言葉に、どう答えたかは忘れてしまった。ただその問と、結局一度も向けられることのなかった砲口だけが反復する。
忘れても、事実は変わらない。
彼女が人としてあがいたのならば、私は――
「金剛さん」
意識が引き戻され振り返ると吹雪がいた。
「どうしました?なんか元気ありませんけど?」
「なんでもないデス!ちょっとぼんやりしてただけデス!」
手を振り笑うと、吹雪は少し不思議そうに見つめたあとで微笑み返す。
「そうですか。私もお昼ご飯のあとは眠くなっちゃいます」
「ブッキーはよくテートクに怒られてますネー」
「おこられるってほどでは…」
他愛のない話をしながら歩を進めていくうちに記憶は薄れ、演習のために集まる艦娘の小さな喧騒に埋もれていった。
金剛にとって、外洋演習の引率はもう慣れたものだった。金剛の後に続く5隻にとっては初めての外洋で戸惑うことも多かったが、その戸惑いも金剛にとっては見慣れた光景に過ぎない。不慣れな艦が砲弾を無駄に撃ってしまうことも、速度が定まらずに燃料を多く消費することも織り込み済みだったため、演習が規定時間より早く終わったことも気にしていなかった。適切な運用ができたときの見込み活動時間との差を感じてくれたらそれでいい。
予定通りに進んでいたからこそ、電探に引っかかった影が異質なものだとすぐに気が付いた。振り返って水平線を見ると、航空機の影が小さく見えた。
「あれは…?」
他の艦娘も金剛の視線の先に意識を向けたが、それが何かを判別するには経験以前に意識が不足していた。そもそも航空機の類だと思った者がいたのかどうか、少なくともそれが本来の敵だと気づいてはいない。
「この時間にここでの艦隊演習も護衛任務もないデス。敵航空艦隊ネ」
深海棲艦との遭遇など考えもしていなかった艦娘たちはにわかに浮足立った。金剛は僚艦に目を向けながら、周辺海域を思い出していた。
帰路にいたとはいえ泊地はまだ遠い。ほとんど深海棲艦がいないはずの海域では他鎮守府・泊地からの応援も時間がかかるだろう。目に見える範囲に陸があり、物流拠点となる港がある。
金剛は即座に泊地との回線を開いたが、同時に砲塔を起こし機銃を展開した。演習と変わらない声音に少し緊張が混ざる。
「全艦、対空戦闘用意!」
ツイッター始めました
https://twitter.com/COOH54686790
初ツイッターなのでどうなるかは分かりませんが、あとがき的なものをつぶやいたりつぶやかなかったり
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第4話 Obsession
金剛からの入電を受けて画面上に海域図を映し出す。状況を把握するまでもなく金剛に指示を飛ばす。
「撤退してくれ。泊地にたどり着くのが難しいなら近くの島影に隠れてもいい」
〈テートク、でも…〉
「練度の低いやつらに対空装備もないまま戦わす訳にはいかないだろ?」
燃料も少なく、演習とはいえ多少の損傷もある状態ならなおさらだ。それでも金剛は針路を敵に向けたままだった。
「近くの鎮守府に要請は送った。時間はかかるが到着すれば深海棲艦は排除できる」
「提督、入電が入りましたが、到着時間は」
〈それじゃダメデス!〉
秘書艦として連絡を取っていた鳳翔の声が遮られた。
〈敵艦隊の狙いは港デス!攻撃を許せば物資が失われマス〉
「あの港は普段から人がいない。大きな港でもないんだから、物資はあきらめる」
突き放すような声音になったのはいら立ちではなく違和感からだった。深海棲艦の脅威から、海上輸送にかかわるものはほとんど無人になっている。それは輸送任務を行う艦娘には常識である。金剛はもちろん分かっているし、現に物資の心配しかしていない。
そもそも伝えた状況はすべて金剛が把握しているはずだ。海域情報を開くだけで見ることができるものなど金剛の頭には入っている。
材料に違いはないのに、決定的に判断がずれている。
「司令官!」
吹雪が息を切らしながら執務室のドアを開けた。通信は吹雪にも開放していたから状況は分かっている。そして、
「対空装備への換装、完了しました。金剛さんの支援に向かいます」
吹雪も金剛を肯定していた。鳳翔も戸惑いの表情を見せるが、吹雪を咎める様子はない。わずかな沈黙ののち、彼女たちの普段とは異なる印象の正体にようやく気付く。
「…ああ、そういえば初めてだったな」
自分の指揮下で予定外の深海棲艦との遭遇も、国土への被害を受けるのも。だから知る機会がなかっただけだ。違和感が理解に変わったとき、妙に乾いた笑いがこぼれた。
「金剛、撤退だ」
…そういえばこの言葉も初めてだったな。
「命令に従え」
〈…ハイ〉
反駁を断ち切られ、か細いと返事を最後に通信が途絶えた。途絶音が脳を揺さぶる。
「帝国海軍最初の世代、か」
艦娘が生まれたのはたかが三年前の話だ。だが、そう呼ばれる者は極端に少ない。わざわざ訓練所の教導艦なんて名目で戦闘から遠ざける必要があるほどに。
人類が軍艦の力を持つ個人を手にしたとき、初めに行ったことは耐久試験だった。人類の命運を託すに値するか、どこまで使いまわせるか、それを見極める必要があった。何も知らない白瀬でも想像できるくらい基本的な手順だ。
その必要のために、艦娘には前線の維持と国土の絶対防衛という分かりやすい題目が与えられた。それが彼女たちの根幹であり存在意義だ。
「分かってはいるんです。もうあの時とは違うんだと」
鳳翔はうつむきがちに答えた。それを見て、唇をかんだ。間違っていると叫びそうな衝動を抑え込む。
過去の命令にとらわれているわけではないのは分かっている。鳳翔も吹雪も金剛も生き延びたからこそ、手にした力が未来のために使うべきものだと知っている。だが、かつての仲間が散っていった海と命を懸けて守った国土のためならば躊躇うつもりはないのだろう。訪れた自分の番を受け入れることが弔いだった。
その覚悟に今まで気づかなかった白瀬に、否定する言葉は持てない。だからせめてもの、事実を告げる。
「今は耐久力も運用法も分かってる。無理な戦いはさせないさ。豊かとはいえないが、物資も取捨選択できるくらいには安定してきた」
鳳翔の頭に触れると、少し不思議そうにこちらを見上げた。
「今戦えるのは鳳翔たちのおかげだ。ありがとう」
誰かの犠牲で成り立っている世界を前に、これだけがただ言えることだった。それを聞いて鳳翔は口に手をあてて小さく笑った。
「…どうした?」
「提督らしいなと思って。なぐさめてくれているつもりだったんですね」
「まあ、なぐさめといえばそうなるか…」
「でしたらもう少し柔らかくいったほうがいいですよ?急に講義が始まったのかと思って、びっくりしちゃいました」
「こればっかりは性分というか、なかなか抜けないもので…」
珍しくいたずらっぽく言う鳳翔への言い訳もそこそこに、執務室を出る。
「吹雪、出撃準備だ。金剛を迎えに行ってくれ」
「はい!」
吹雪が横について見上げてくる。
「私、毎朝海を見るたびに思い出すんです。前にいた鎮守府を。ありがとうって伝えるために。多分、金剛さんや鳳翔さんよりもたくさんたくさん助けてもらったから」
吹雪はいつもと変わらない笑顔を向けてくれた。
「ありがとうって言ってくれて、嬉しかったです。だからこれからは、もっと言ってももらえるように頑張ります」
吹雪の目からわずかに逃げながら、背中を押した。遠ざかっていく背中を見ながら停泊所に出た。壁に背を預けながらゆっくりと息を吐いた。
結局のところ、何もできていない。見捨てた物資のせいで苦しむ人は出る。命を守ることと戦わないことは決定的に違う。それを金剛たちは理解していた。彼女たちは彼女たちなりの尊厳のために命を懸けている。
その重みを理解したうえで、誓うしかなかった。かつて簡単に裏切られた理想を再び。
「金剛」
夕日に赤く染まった港で向き合った。
「テートク、私…」
うつむき気味で声を絞り出そうとする金剛をそっと寄せる。声になる前に遮った言葉は勝手な宣誓だ。
「誰も沈ませない」
ろくに艦隊運用もできていない身で、何ができるか分からない。それでも誓うしかないのだろう。目の前の少女が希った、本当はささやかなはずの夢を、打ちのめされて歪んでしまった理想を、叶えたいと思ってしまったからには。
「ホントに、ホントにいいんですカ…?もう誰かがいなくならなくても…」
「ああ、この海を取り戻そう。俺と君たち、みんなで」
胸ににじむ熱を感じながら、静かに頭を撫でた。
戦場で何かを為すには戦場に立つしかない。理解していても、ささやかな平穏を手にした少女たちに再び戦火を浴びてほしくなかった。
だが、決断など待ってくれず、歯車は回りだす。
深海棲艦の活性化を止めるべく行われた三週間に及ぶ大規模作戦が白瀬のかかわる余地のないまま終結し、その後まもなく鎮守府への異動が命じられた。
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第5話 Halo
車から出ると地面からこみ上げる熱風にあおられ急激に汗が噴き出る。新たに配属された鎮守府の門の前だが、再び冷房の効いた場所までたどり着く道のりは長そうだ。
「本当に良かったのか?泊地に残っていても良かったんだぞ?」
白瀬は小さく見える鎮守府本部の距離を想像して、早くも冷房の効いた執務室が恋しくなっていたが
「ナーニ言ってるデス!浮気する気なら許しまセンヨー!」
金剛は構わず腕を組んでくるのでゆっくりと押し返す。吹雪といえば鎮守府に入ってからせわしなくあたりを見回している。
「この鎮守府にはあの那珂ちゃんがいるんです!」
「あの…?」
ご存じの通りみたいに言われても、と思いながらも茹った頭でぼんやりと思いだそうとする。
「艦隊のアイドルですよ!艦娘は軍の機密なので活動も限定されているんですが、所属鎮守府内では限定グッズが手に入るって噂なんです!」
吹雪が珍しく熱っぽく語るが、その熱気に当てられたせいか、なんかそんなのもいたな…程度しか感想が湧いてこない。
「ひとりだけ仲間外れにされるのは寂しいですから。微力ながらお手伝いさせていただきます」
鳳翔が3歩後ろを歩きながら微笑む。いつもテンションの高い金剛と妙なテンションの吹雪がいる今、鳳翔がいてくれることには素直に感謝した。
「たくさんの方がいる鎮守府は、にぎやかで楽しいですよ」
「そうだな」
配属された鎮守府は数ある鎮守府の中でも大規模なものだ。当然今までの艦隊運用とは異なってくる。不安を感じながらも、ようやくついた本部の扉を開けた。
扉を開ける音を聞いて背の高い二人が振り向いた。
「あら、もう来たのね。もう少し遅い時間と聞いていたから」
「本当は私たちが出迎えなくてはいけなかったのだが、すまない」
「いや、こんな炎天下で待たれていたらこっちが申し訳なかった。本日からこの鎮守府に着任する白瀬だ。よろしく」
差し出した手を長門はがっちりとつかむ。
「私は長門、こちらは陸奥だ。この鎮守府の艦娘を代表して歓迎する」
「ありがとう。なにぶん新人なもので、よろしく頼むよ」
「経歴はうかがっている。なに、この鎮守府は艦娘が多い。焦らず慣れればいい。この長門が力になろう」
今までの艦娘に比べて随分と頼もしいので少し気後れしてしまう。もっとも、白瀬のあった戦艦など、新人かいまだ長門の手を握っている白瀬を見て不満顔の金剛しかいないのだが。
「では、さっそく案内しよう。まずは港がいいか」
「…いや、少し休ませてくれ」
ひとりだけ気合を入れる長門にウインクしながら陸奥は部屋を出ていく。
「長門、やる気は分かるけどほどほどにね。ボロが出るわよ」
「おーい、吹雪―!」
顔合わせのために駆逐艦寮へ歩き出してしばらくしたとき、聞きなれた声が聞こえたので振り返る。そこには予想通りの姿があり、手を振ってくれていた。
「深雪ちゃん!ここの鎮守府だったんだ!」
「おう!初雪もいるぜ。ここの鎮守府に吹雪がいなかったからもしかしてと思ってたんだ」
基本的に艦娘同士はそれぞれの所属や移籍を知らされない。しかし噂レベルでは話題にあがる上に、同じ艦を一つの鎮守府に所属させない原則によりある程度は推察可能だ。
「吹雪型なら白雪と磯波、浦波もいるからな。案内してやるよ」
深雪に腕を引かれながら友人に再開した喜びと頼もしさを感じていると後ろから頬っぺたを触られた、というよりつかまれた。
「これが噂の新入りかー。ねーねー、夜戦好き?」
「あ、川内さん。こんにちはー」
戸惑う吹雪をよそに深雪は普通に挨拶をしていることがさらに吹雪を困惑させる。その間も川内は吹雪の頬をつねり続ける。
「新入りも夜戦が好きだと嬉しいなー。ねえ、どう?」
「ちょっと、姉さん!」
後ろから影が現れて川内を引っ張る。
「おっ神通、ちょうど新入りが夜戦好きか聞いてたところなんだけどさー」
神通は話を聞かずに川内の腕をつかむ。ようやく解放された吹雪は頬をさする。
「えっと、夜戦とほっぺつねるのは何か関係が…?」
「いやー、ぷにぷにしてたからつい、って痛いいたい!」
川内は腕を背中に回されてひねり上げられる。涙目になる川内を無視して神通がにこやかに微笑む。
「姉が迷惑をおかけしました。今姉さんは夜戦明けでテンション上がっているので、また改めてご挨拶させていただきます」
「さようならー。じゃあ行こうぜ、吹雪」
神通に連行されていく川内に手を振った深雪は再び吹雪を引っ張って寮に向かう・
「…なんか強くなったね、深雪ちゃん」
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第6話 On the Corner
「赤城さん、加賀さん」
鳳翔は見慣れた後ろ姿に思わず声をかけた。振りかえる二人の後ろに他に人がいることに気づく。
「鳳翔さん!お久しぶりです!」
喜びを素直に表す赤城に加賀も控えめに続く。
「瑞鶴、翔鶴、先に行ってなさい」
「ちょっと!まだ話が――」
加賀に食って掛かるツインテールの艦娘を、どうせいつものことでしょ、とぼやきながら手払いで追いやる。
「お取込み中でしたか?」
「いえ、大したことではありません。…しかし、こうしてお会いできるなんて嬉しいかぎりです」
「ええ。お二人ともますます立派になられて」
「そんな、まだまだです」
「加賀さん、固いですよ。ごめんなさい、加賀さんったら緊張してるみたいで」
赤城と笑いを交わすと加賀は少し不機嫌そうになる。といっても普段の表情とほとんど変わらないのだが。
「これから演習があるのですが、終わってからで良ければお話できませんか?この鎮守府にはおいしい甘味処があるんですよ」
甘味と聞いて鳳翔も興味を惹かれる。小さい泊地にはなかったものだ。
「ぜひ。久しぶりにお二人の食べっぷりも拝見させていただきます」
「…間食ですから、そこまで食べません」
恥ずかしそうに小さな声で反論する加賀にまた赤城と二人で笑みを交わす。
新しくなる日常の中で懐かしいものを垣間見た。
比叡、榛名、霧島の金剛型3姉妹は寮の一室で少し重い空気を共有していた。
「金剛型1番艦、つまり金剛が来るみたいですけど…」
「やっぱり、霧島も不安?」
「榛名もです。今まで3人でやってきたのに…」
同型艦は編成や生活面で近い扱いを受けることが多い。姉妹艦といわれるだけあって性格的に問題なく関係が築ける場合がほとんどらしいが、この鎮守府ではずっと3人でやってきた。ましてや艦籍でも艦娘としても上となれば新たに姉妹艦を迎える懸念は当然ある。
だからといって何かをできるわけではない3人の心境をよそにドアが盛大に開き
「Hey Hey Hey! ユーたちが私のシスターズですネー!!」
――やばいやつが入ってきた。
「なんだ、もう終わったのか?」
陸奥は廊下の先で壁に背中をあずけている艦娘に目をやった。長身の陸奥よりもさらに背が高い。
「長門がはりきって案内してくれてるわ」
陸奥は嘆息しながら歩を進める。
「気になるのならあなたもくればよかったじゃない。貴重な大和型なんだから、提督に顔を合わせておくべきよ?」
「近いうちにな。私では改まった場に向かんだろう?」
分かってるだろ、と悪びれもせず目で語る武蔵を見て、陸奥は再び息をつき武蔵の隣で壁に背を付ける。
「で、どうだ?新しい提督とやらは」
「まあ、いい人そうね。私の評価なんて当てにならないけど」
「まだ気にしているのか?己の責任外のことは忘れるのも上に立つものの資質だ。少なくとも私はお前に人を見る目があると思っているぞ」
武蔵にしては珍しい、慰めるような声音と言葉に小さく笑って答える。
「そうだといいわね。…長門にはからかい甲斐のある姉でいてほしいもの」
冗談めかして肩をすくめる陸奥に、武蔵も口だけは咎めながらも同じように応じる。
「提督はともかく、一緒に来た艦娘は大したものね」
「お前の評価はあてにならないんだろう?」
「その私でも断言するほどってことよ」
「それはぜひ手合わせ願いたいな」
陸奥の言葉に武蔵は眼鏡の奥の瞳を光らせる。
「あなたの悪いところが出てるわよ。その艦娘が信用してるのだから提督もそれなりなんじゃないかと言いたかったのよ」
言葉を返さずに歩き出した武蔵の背を見ながら陸奥は再び嘆息した。まさか今すぐ演習をやろうというわけではないだろうが。
内も外も心配事だらけだ。新しく来た提督がこの鎮守府にとって吉となってくれるように願いながら、焦点の合わない天井を見つめた。
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第7話 Grid Room
「おはようございます!」
吹雪が元気よく執務室に入ってきた。先にいた金剛と鳳翔と長門が吹雪を見る。
「元気だな。よく眠れたか?」
「みんなと話してたら夜更かししちゃいました」
思い出したかのようにあくびした吹雪に長門は近づく。
「確か深雪と初雪とは見知った仲だったか。積もる話もあっただろう」
「はい。あの、それでこれから歓迎会をしてもらえるみたいで…」
来てすぐに出ていくことに申し訳なさがあるのか、少し上目遣いで白瀬の方を見る。それを遮るように長門が吹雪の頭をなでる。
「なに、雑務なら私に任せておけ。駆逐艦は数が多いからな。早く馴染むのも仕事だ」
「ありがとうございます!」
吹雪は勢いよく頭を下げて出ていった。長門は吹雪が廊下を曲がるまで見送ってから白瀬の方を向いた。
「しかしあれだな、吹雪はその、なんだ、かわいらしいな」
「Yes ! ブッキーはキュートデース!」
金剛は全面的に同意したが、頬を赤らめる長門をみて白瀬と鳳翔は顔を見合わせる。
「長門には近づかないように言うべきか?」
「いえ、さすがにそこまででは…」
「なっ、私はただ一般論を言っただけだ」
必死に否定する長門の後ろでドアが勢いよく開いた。
「お姉さまー!お姉さまのためにカレーを作ったので食べてください!」
長門を突き飛ばして入ってきた比叡に金剛の腕が引っ張られる。その反対側の腕を榛名が引く。
「違います!お姉さまは私とクレーンを見に行くんです!ね、霧島?」
「榛名の趣味に付き合わせるのもどうかと思いますが、比叡お姉さまのカレーよりは…」
「キリシマー!助けてくだサーイ!ちぎれちゃいマース!」
懇願むなしく金剛は外に運ばれていく。
「テートクー!」
助けを求める嘆きも扉が閉まることで遮られる。どうであれ戦艦の綱引きに白瀬が介入することなどできないのだが。
「ふむ、昨日の今日であいつらからあそこまで慕われるとは。なに、騒がしいのはいつものことだ。じきに慣れるさ」
長門が埃を払いながら立ち上がる。特に気にしてなさそうなところに日ごろの苦労が見える。
「あの、私もこのあとに間宮さんとお会いする予定が…」
あっさりいなくなった2人のことを考えてか、鳳翔が遠慮がちに切り出してきた。長門の言う通り、今は交流を深めることが優先だ。咎めることはない。
「うむ、あとはこの長門に任せておけ」
長門に後押しされて鳳翔も執務室をあとにする。
「皆うまくやっているようで何よりだな。今日一日よろしく頼むよ、提督」
静かになった執務室で白瀬は大量の書類を眺めていた。
「しばらくは演習も作戦行動も控えないとな…」
「ほう、なぜだ?」
ほとんど独り言だが長門はしっかりと拾う。いざ長門と2人だけになると何となく気まずいが、昨日さんざん連れまわされた分今日は書類確認が主になる。
「艦隊規模と比べて資材が少なすぎる。特に修復材が。これで大規模作戦は遂行できないだろう?」
「確かにな。提督は初任と聞いているが、良くわかったな」
眉を上げた長門は少し間を開けてから、試したわけではないのだが、と慌てて付け足す。特に気にすることなく長門に尋ねる。
「この状態で運営していたとは思えないんだが、何かあったのか?」
「…いや、前回の大規模作戦での負担が大きくてな。なに、提督の気にすることではない」
あからさまにごまかしが入っていたが、過去がどうであれ今後の指針に関係ないのは事実だ。ごまかしてまで言いたくないことを聞き出すほどの友好も信頼もまだなかった。
「とにかく、今後は遠征での資源確保を優先だ」
「もっともな判断だが、素直に聞いてくれる連中ばかりではないぞ?」
白瀬が長門の言を理解するのはそう遠い話ではなかった。
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第8話 Blind Alley
鎮守府には弓を用いる空母のために作られた弓道場がある。直接の航空機操作とは関係ないものの、集中力を養い、発艦動作に慣れるために推奨されている。
その的の中心に矢が刺さる。
「よし!」
「瑞鶴」
嬉しくなって握ったこぶしを加賀がたしなめる。
「残身を忘れないようにいつも言っているでしょう」
瑞鶴の表情があからさまに不機嫌になる。
「でも当たったんだからいいじゃない」
「偶然ね。次も同じように当てられて?」
言葉に詰まったからには瑞鶴も自覚があるのだろう。それでも小言を言われるのが気に入らないのは変わらない。隣で姉に当たる翔鶴が赤城とにこやかに話しているだけになおさらだ。
「正しい立ち姿を身に着けることが先ね」
「じゃああれはいいんですか!?」
弓を取り上げようとする加賀に抵抗しながら、赤城と翔鶴の逆を指さす。その先でカカカッとまとめて矢が刺さる音が聞こえた。
「やだやだぁ!一本はずしたぁー」
「やった!お昼はなにたべよっかなー」
蒼龍が4本まとめて放った矢は中央には遠かったものの3本が的に刺さった。
いつものことだが、蒼龍と飛龍が昼食をかけて勝負をしている。複数本同時に放つだけでも加賀の理解の外だが
「まだわかんないんだからね!飛龍の番!」
蒼龍は頬を膨らませながら起き上がった。飛龍が変わりに寝ころび、矢を構える。いつも逆さづりやまた抜きなど好き放題な姿勢で撃っているが、今日はあおむけらしい。確かに瑞鶴が言いたくなるのも分かる。しかし
「あの人たちはいいの」
加賀からすれば二航戦を引き合いに出すことが自分を見えていない証拠だ。ふざけていない、とは言えないが、確実に的に当てることができるうえでの次の段階だ。
「確かに私も言いたいことはあるけれど、こと航空戦においては文句はないわ」
「実力っていうなら、さっさと改造受けさせてくださいよ!」
加賀の言葉が癇に障ったのか、瑞鶴は声を大きくした。赤城と翔鶴もこちらを見る。
艦娘はある程度の練度になると改造と呼ばれる強化を受けることができる。基本的にはメリットが大きいため条件を満たしていれば推奨されている。しかし瑞鶴の練度の判断は指導に当たる加賀に一任されており、その加賀が許可を出していなかった。
「何度も言わせないで。技量がなくては搭載数も機動力も意味がないわ」
「だから、その技量をつけるために改造させてくれって言ってるの!もしかして加賀さん、私に負けるのが嫌で――」
「瑞鶴」
珍しく言葉を遮った加賀に瑞鶴は思わず半歩下がる。すると背中に柔らかい感触がした。
「おつかれさまー。おなかが空いてはなんとやら。お昼にしちゃいましょ」
「そうそう、瑞鶴にはおごってあげちゃうよー…蒼龍が」
「ええー聞いてないよぉ、あ、加賀さんと赤城さんも来る?」
飛龍が瑞鶴を後ろから抱えたまま、蒼龍とじゃれつきながら弓道場の外へ引きずり出していく。いつものことながら全く空気を読まない二航戦だが、加賀の溜息は自分に向けて漏れたものだ。
瑞鶴の言い分ももっともだと思う。着実に成長している瑞鶴の気持ちを考えるとまた溜息がこぼれた。
自身が改造を受けたときの感触を思い出す。何が、と問われれば答えることができないが、確実に何かが変化した。漠然と言うなら、体が金属か機械となったかのような冷たい感覚。改造された艦娘は成長が止まる、などといったうわさがあるのも理解できた。長くて3年しか経っていない艦娘の歴史では検証ができていないうわさだが。
誰も気に留めた様子がないことが加賀には不思議だった。
「まさか、私が、ね…」
静かになった弓道場で己の手を見つめ、自虐的につぶやいた。
加賀は幼い時から身寄りがなく施設で育った。他の施設の話を聞いた限り決して悪い環境ではなかったが、口下手な加賀を受け入れてくれる環境でもなかった。艦娘となり赤城と出会った後の記憶が加賀を構成する大部分であり、であればその艦娘という存在が人と異なろうが、もとに戻れなかろうが問題はないはずだ。
実際、加賀は心の片隅に引っかかりながらも受け入れていた。それでも、瑞鶴には受け入れるのではなく、決断をして欲しかった。「艦娘」となる意味を知ったうえで。
人の上に立つ立場となっても依然伝えることが苦手な加賀は、ありのままに気持ちを伝えると瑞鶴の選択を変えてしまいそうで、瑞鶴自ら決断できる時を待っていた。
その時が来るのなら嫌われても良かった。しかし、その程度の代償では望んだ時が来る保障など得られないほどに加賀は不器用だった。
「んんー、なんでだろうねー」
肩を落として歩く北上はゆっくりと後ろを振り向いた。漏れ出た声は疑問ではなくあきらめだった。その視線の先にはたくさんの駆逐艦が連なっている。
間宮に行くってもらしちゃったからかなー
中身を確かめるまでもなく薄い財布をポケット越しにたたきながらため息をつく。
「てか、この子達も給料変わんないじゃんねー…あ、大井っちー」
「北上さん!」
大井が全力で駆けてくる。もともと間宮で落ち合う予定だったのだが。
「ほらほら、あっち行って」
大井が追い払うと駆逐艦は散開していった。いつものことながら北上以外にきつい態度をとる大井の評判は少し心配だったが、今回は財布事情を考えると素直に感謝した。
「ふぅ、北上さんが人気なのはうれしいけれど、困ったものね」
「うーん、木曽がいたときはここまでじゃなかったんだけどねー」
「あの子謎の人気ありましたもんね」
「変にかっこいいからねー」
二人は妹を思い出す。急に移籍になり、たまに連絡を取っているが検閲にかかるのか何をしているか要領を得ない。時間が経つにつれ連絡の頻度も下がっていくのも仕方がないことだろう。
「元気でやってるのかしら」
「いやー、なんにせよねえちゃんたちの面倒みるより楽でしょう」
自分たちのことは棚に上げて球磨と多摩の愚痴を言いながら、間宮に向かっていった。
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第9話 I'll Talk You
海の上にもかかわらず燃え盛る炎に視力を奪われながら、吹雪はこれが夢だと理解していた。砲撃音にかき消されたはずの声がはっきりと聞こえたから。耳元で聞こえるそれを自らの叫び声でかき消す。今の自分ならかばわなくてもいいと、敵を倒すことができると。記憶に反して絞り出した声に過去を変える力などなかった。記憶のままに吹雪の目の前、彼女の背中で砲弾が爆ぜ、吹雪を戦火と隔絶していた彼女は吹雪の前に崩れ落ちた。
吹雪はいつもよりも少し早く目が覚めた。アラームが鳴る前の目覚ましを止めながら、久しぶりに見た夢をゆっくりと反芻する。別に悪夢というわけではない。夢であればよかったと思うだけで。それでもなぜか嫌な予感がした。虫の知らせなど外れるどころかしたことがないのに、着替えている間もなぜかその予感が残り続けた。
白瀬が朝も早いうちから疲労感漂う息を吐いた。規模が大きくなった鎮守府の運営は想像以上に苦労が多かったようだ。
「少しお休みになってはいかがですか?」
鳳翔は冷たいお茶を出す。提督は肯定的な返事をするものの手を止める様子はない。この鎮守府に来てから鳳翔が秘書官を務めることが多くなった。以前と違って出撃が主であるため、鳳翔の古傷を配慮してのことだ。
こうして執務室にいると、いつから知られていたのだろう、とよく思う。けがは隠していたし航行以外では鳳翔自身も違和感がなかったのだが。指摘しても隠していたことを咎めることなく流した提督に聞けないままだ。
「しかし、四水戦のライブの予算はなんて書けば通るんだ?」
ここ数日提督を悩ませている問題だ。那珂のライブは知名度が高いし前任は問題なく予算を確保していたため素直に申請すれば良いと考えていたらしいが、何度か兵站部門からはじかれている。提督は不正にならない匙加減に苦労しているが、過去の記録を見ても記述がないことを見ると堂々と偽装していたのではないかと思う。まさか鳳翔からそんなことアドバイスするわけにはいかないが。
「川内は演習を引き延ばしてでも夜戦するし、神通は経費気にせず訓練するし、あいつらは…」
提督は最近艦娘の扱いが多少ぞんざいになってきた。良いか悪いかはわからないが、それが提督の自然体のようで好ましく思う。
「提督さん!」
提督が頭を抱えていると瑞鶴がノックもなく入ってきた。それを見て提督はさらに頭をうずめる。
「改造の件なら加賀に任せてあると言ってるだろう…」
「あの人がろくに聞いちゃくれないから提督さんに言ってんの!」
瑞鶴が提督に直談判を初めてからしばらく経っていた。提督が変わったのだから改造を直談判しようというわけだ。
「確かに練度は十分だと思うが」
「え、なになに?改造?」
開いたままの扉からのんきな声が聞こえた。
「司令かーん、清霜も戦艦になりたーい」
「…それは武蔵に相談してくれ」
清霜は武蔵になついている。よく武蔵のようになりたいと言っていたのだが、さすがの武蔵も清霜には現実を言いづらいのか、最近提督にけしかけてくる。
「はーい、わかったー!」
清霜が素直なのをいいことに提督と武蔵で清霜のキャッチボールが続いている。
「ほら、清霜はいい子だぞ」
「おんなじ扱いしないでよ!」
瑞鶴が憤慨しながら出ていく。
「…これでいいんだよな?」
扉が閉じる前に矢を握りしめた瑞鶴を見た提督は鳳翔に訪ねてくる。提督が瑞鶴の件を加賀に一任すると決めたのは鳳翔の言葉があってのことだ。
「必要なことなのだと思います。加賀さんにとっても、瑞鶴さんにとっても」
加賀の行いは自分勝手で、決して正しいとは言えないと思う。改造をしないことで戦闘でのリスクは増し、艦隊としての戦力も少なくなる。
しかし、加賀が言葉を選びながら語ってくれた思いは、鳳翔にとって考えることのなかったものだ。だから、提督が許してくれる限り、加賀には悩んで、伝えてほしい。
「私には、戦うことしか教えられませんでしたから」
ひとつ節目の10話目を迎えました。
いつも読んでいただきありがとうございます。
励みになりますので、良ければ感想もよろしくお願いいたします。
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第10話 Why Don't You Come Down
「いっちばーん!」
「白露ちゃん、ちょっと待ってよー」
吹雪は先頭で加速した白露を慌てて追いかける。
特定の艦隊に所属せず、入渠や遠征で欠員が出た艦隊に臨時で入ることが吹雪の任務になっていた。今回は白露を旗艦とする駆逐隊の出撃任務に入っている。
「つかれたっぽーい」
「白露はいつも元気だね」
吹雪の後ろで夕立が嘆くのはいつもの光景だが、さらにその後ろでつぶやく時雨にも疲労が見える。普段行わないような長距離出撃だったので当然といえば当然だろう。
「深海棲艦ともあんまり戦えなくてつまんなかったっぽい」
「それは良いことだと思うよ…」
今回の出撃の目的は深海棲艦が活性化している海域の調査であり、実際に海域が確認できた時点で引き返した。定期的に数が増える時期を見越しての調査だったが、おかげで従来よりもその傾向を早く認めることができた。おかげでこれから始まる大規模作戦にいつもより早く体制を整えることができる。
「僕もこのくらいのほうが――」
時雨が言葉を止めたのと吹雪が自身の想定が希望的だったと知るのは同時だった。吹雪と時雨の力量差が意味をなさないほどの背後で、唐突に深海棲艦が現れた。
「駆逐イ級、軽巡もいるっぽい」
「白露ちゃん、最大戦速!」
吹雪は先頭の白露に指示を出す。深海棲艦が海中から生まれる限り避けられない遭遇戦だが、おそらく白露たちには経験のない距離で起きてしまった。隊列の乱れはないが、動揺はしているだろうし、なにより布陣が悪すぎる。逃げ切るか戦闘かの判断はまず距離を取ってから行うべきだ。
「オッケー!」
白露が隊列を見て針路を決定する。だが加速を終えた直後に妨げられる。
「回頭、取り舵!」
吹雪が声をあげるまでもなく、白露は針路を変更した。目の前にも深海棲艦が現れたからだ。深海棲艦は駆逐艦のみであったが、交戦している余裕はない。戦闘回避の判断だったが、急激な方向転換により減速は免れない。そして、吹雪の真横に砲弾が落ちた。軽巡の砲戦距離に入ったのを把握してもまだ吹雪は冷静でいられた。
――まだ大丈夫
吹雪は一度深呼吸してから意識を後ろに向ける。
単純な速度では逃げ切れなくなったが、魚雷や砲撃で牽制して深海棲艦の足を止めれば、隊列が乱れなければ――
着弾の水飛沫が夕立の頬に当たる。気づいたら深海棲艦の射程に捉えられていた。こちらの攻撃は届かず、一方的に砲撃される距離。その理不尽を思い知る。
夕立たち、やばいっぽい…?
戦闘は嫌いではなかった。他の艦娘と比較するならむしろ好きな部類だろう。しかし、それは今までの戦闘が正しく戦闘であったからだ。反撃もままならない背後から迫られ、挟撃により転進も許されない。戦いとは程遠い狩りの標的とされた今、深海棲艦も底の見えない海でさえも恐怖の対象でしかなかった。
怖い
単純な感情が思考を埋め尽くし、暗い淀みとなってあふれ出した。
――ならバ、ケスシカナイ――
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第11話 Pray for the Power
時雨は夕立の背中に違和感を持った。だが見慣れた背中との違いを見つけられずに気のせいだと首を振る直前、夕立の背中が消えた。接触寸前ですれ違った夕立の回頭に反応できたのも、夕立に何が起きたのか理解できたのも、牽制のタイミングを伺っていた吹雪だけだった。
「夕立――」
減速して振り返るが、白露型の機関出力を超えて遠ざかる背中に届いているとは思えなかった。その背中を吹雪が追い抜き、指示を叫ぶ。
「夕立ちゃんは私に任せて、全艦進行方向を維持!最大戦速で離脱して!」
声は確かに聞こえた。反撃に出るには挟撃を抜け正面から向き合うべきなのは分かっている。しかし、意識が夕立に引かれる。ここで離れれば二度と会えない気がして。
急激な状況の変化により思考が止まった艦隊は、先頭の白露をはじめ全艦が吹雪の後を追う形となる。
――艦隊の隊列は乱れ、指揮系統は完全に失われた。
吹雪は背後の機関音で僚艦の動きを理解した。起きうることだとは思っていた。最善ではないが、最悪の状況でもない。息を吐き迫りくる魚雷に意識を戻す。軽巡から牽制ではなく殺意を持って放たれたそれは散り広がることなく吹雪の前面を制圧する。迎撃のために掲げていた機銃を下ろし水面を踏み出した。並んで放たれた魚雷が磁気信管である限り存在する反応領域の隙間、脚一本分の生存領域へ。
両脚での航行を前提とした推進器を無視した体勢がバランスを崩す。推進力も浮力も損なった足元を操り魚雷が背後に過ぎるまで勢い任せに駆け抜ける。
安全圏となった瞬間に両脚を付き最大限に機関を回す。夕立に追いつくために前傾になりながらも機銃だけは背後の魚雷に向けて放つ。
吹雪と時雨の間で一斉に爆発した魚雷は水柱と変わり、二人を分断する。夕立につられた艦隊の動きが強制的に止められた空隙に、吹雪は通信と声で指示を出す。
「白露ちゃん!敵駆逐艦隊の撃破を優先して!」
それだけで吹雪は今度こそ完全に意識を前のみに向ける。
完全な想定外により隊列が乱れた。それは確かにミスだ。だが、一瞬の間さえあれば艦隊は立て直せる。吹雪はそう確信していた。この部隊の実力を、白露型一番艦の指揮能力を。ならば最悪など起きるはずがない。
魚雷により発生した大波に乗り加速する。一度相手の予想を上回る加速をしてしまえばあとは簡単だ。実際よりも遅い動きを想定して放たれた偏差射撃は吹雪の背後に落ちる。その波をとらえ続ければいい。
駆逐艦の機関出力以上の速度で迫っても夕立の接敵を止めることは叶わなかった。手から直接放たれた魚雷の爆発音が聞こえる。深海棲艦と見まがう鈍い光、従来の艤装を無視した戦闘手段、自らの負傷を介さず敵の殲滅を遂行する姿。吹雪はその姿を知っていた。忘れるわけがなかった。届かぬところに行ってしまうその姿を。
周囲の深海棲艦をほとんど無視して夕立に迫る。近づく影を敵と認識した夕立が主砲を向ける。それでも必死に手を伸ばした。こめかみを掠る砲弾に意識を持っていかれそうになりながら必死に懐に飛び込む。
「夕立ちゃん!」
やっと、やっと届いた――!
何もすることができなかったかつての自分の幻影ごと夕立を抱きしめた瞬間――
全身の悪寒が現実を告げた。
肩越しに爆発した魚雷が吹雪と夕立を引き離す。脳が揺さぶられ朦朧とする意識の中、額から流れる血が目に入る前にぬぐいながら己を叱責する。
当たり前だ。触れられただけで打開できるわけがない。
気持ちで、気持ちだけで変えられるなら――
目の前の暗い光に呑まれて沈んでいった仲間たちを思い出す。その景色が滲み吹雪を包む。刹那に消えたその灯りは変える。身に纏った艤装を、運命を。
頬を伝う血潮の熱が脳を冷ます。体の軽さにも兵装の変化にも動揺はない。その力の源も使い方も初めからあるかのように受け入れる。
複数の深海棲艦。目の前の夕立と連携するのが最適だが夕立の行動は敵にもなりうる。それ以前に至近距離で魚雷を放つ夕立の負傷は戦闘継続を困難にしていた。それでも止まることはないだろう。この海域すべての艦を沈め、自ら沈むまで。
夕立の行動を制限しながら可能な限り早く深海棲艦を駆逐する。
できない――なんて聞いてくれる人はもういない。
魚雷の装填音が無機質に響く。静かに発射管を後方に弾く。
できるか――なんて問の先に成せたことはない。
残弾すべてを込めた機銃を左右に向ける。
できる―――それは決意でも祈りでもなく、義務だ。
両腕で構えた主砲を目の前に掲げる。
そのために吹雪はここにいる――
「私がみんなを護るんだから!」
動き始める世界で、すべての兵装を解き放った。
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第12話 Turn it Around
「夕立!吹雪!」
戦闘音が途絶えた薄もやの中に時雨はようやく駆けつける。かろうじて見える影に呼ばれ急いで向かう。
「夕立!しっかり!」
「時雨ちゃん、大丈夫だよ。だけど…」
吹雪に支えられた意識のない夕立を慌てて受け取る。吹雪が脚をふらつかせる。なんとかバランスを保って応急修理を取り出す。
「ダメコン…持ってたのかい?」
緊急時に艦娘の動力を維持し轟沈を防ぐ装備だが、現実あまり使われていない。装備を圧迫し本来の性能を発揮できないからだ。
「うん…いつもは持ってないんだけど、なんとなく、だよ」
「…そうか」
「ちょっと、時雨!私をおいて先に行かないでって…うわ、夕立!」
吹雪の戦闘を思い返そうとする時雨を後から追ってきた白露が遮る。
「白露ちゃん、ありがとう!助かったよ!」
「んえ?…あ、ああ」
吹雪が深海棲艦の駆逐艦隊との戦闘を言っていることに遅れて気づく。
「当然!白露が一番なんだから、これくらい!…てか、吹雪さ、なんか違くない?」
白露に言われて時雨もようやく吹雪に感じていた違和感の正体に気づく。大きな変化ではないが、見慣れたものとは異なる艤装。
「えっと、改二、だと思う…」
吹雪も今更気づいたかのように自信なさそうに答える。時雨は見たことがなかったが、戦闘中に艤装が変化する現象は知っている。
改二――危機を前にした艦娘にまれに起きる奇跡。
「なんか、できちゃってた…」
返す言葉に困る時雨だが、白露の手拍子で我に返る。
「とにかく、急いで帰るよ!夕立も心配だし!」
夕立への応急処置が終わると白露が時雨から奪うように夕立を背負う。時雨は夕立の背中を支える。
「いいよ、時雨も足回りだいぶきてるよね?」
「でもそれは白露も…」
「大丈夫、お姉ちゃんだもん!よおっし、帰るよ!」
腕を高く上げて宣誓した白露の加速を見て夕立の背中を静かに押す。
「あれ?」
気づかないうちにいつもの艤装に戻った吹雪が体勢を崩す。その体を受け止めると素直に体重をあずけてきた。
「ごめんね、なんか力が入らなくて…」
従来では成しえない性能を発揮する改二だ。長くはもたないし負担も大きいのだろう。
申し訳なさそうに言う吹雪に静かにかぶりを振る。吹雪に感謝をしながらも、吹雪の改二を見て生まれた疑問を告げる。
「吹雪、夕立のあれは、改二なのかい?」
時雨は改二が何かわからない。しかし、姿は艤装から変わり、性能が劇的に向上するといわれる改二の現象は確かに夕立にも起きていた。しかし、あれはどちらかというと…
時雨の思いを肯定するように吹雪は首を振る。
「違う、と思う…あれは…」
吹雪は言葉を濁し、うつむいた。
「司令官!」
吹雪は白瀬の姿を認め体を起こす。
「無理しないでそのまま寝ててくれ」
念のために寝かされたベッドだが体調は大丈夫だ。それをアピールするために上体は起こしたままにする。
「話は聞いてる。助かった、吹雪がいなかったらと思うと――」
「ブッキー!」
金剛が飛び込んできて吹雪に抱き着く。胸を押し付けられた吹雪はばたばたともがく。
「ちょっ、金剛さん!」
「ブッキー、怖かったですよネ。よく頑張りましタ」
「え…?」
ああ、そうか――
金剛の鼓動を感じながら手に触れた服をゆっくりと握りしめる。
――私、怖かったんだ…
誰かが沈んでいた恐怖、自分が沈んだかもしれない恐怖。それが今襲ってくる。それでも。
伸ばせなかった手で
届かなかった手で
ようやく掴めた。
金剛に撫でられるに身を任せ、湧き上がってくる実感を静かに心になじませた。
「まだまだ、未熟だな」
白瀬は執務室で苦々しく吐き出した。
「そんなことないデス。今回はあまりにも」
「それじゃ駄目なんだ。予測できなかったなんて許されない」
「テートク…」
金剛は心配になる。戦場に絶対の保証はない。それを知っているはずなのに、すべてを背負い込もうとするかのような白瀬の姿に。
「…金剛、夕立に起きた現象はなんなんだ?」
白瀬は足りないピースを探すように金剛に尋ねる。金剛は窓辺に背中をあずけて小さく答える。
「起きていることは改二と同じハズの、艦娘の暴走デス」
自らの損壊も顧みず、敵味方なく総てを殲滅する。艦娘の任務の過酷さと比例して減っていったが、それは艦隊が消える象徴として艦娘が生まれたときから存在していた。
「よくわかっていない改二と比べても謎ばっかりデス。ちゃんとした名前はついてないようデスガ、私たち艦娘の間ではこう呼んでいマシタ」
解明できていない理由は簡単だが、その俗称が拒否された理由はさらに明確だった。
「深海棲艦化、と――」
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第13話 Stain
海軍元帥入間は背後の扉が開く音を聞いた。海軍元帥のもとにノックも声もなく入る人物など一人しかいないのだから振り向くまでもなかった。
「有賀か。何の用だ」
「なに、近くに来たからついでに顔を見に来ただけだ」
入間と同年齢の男はソファーに雑に座る。老紳士然とした入間とは対照的に白く伸びた髭が顔を覆う有賀は古い武士や兵士を彷彿させる。左目の眼帯がさらにその印象を強めていた。
「お互い元帥なんて堅苦しい地位になっちまったんだ、腹を割って話せる友人も少なかろう」
「貴様は帝国海軍だがな」
入間は有賀を見もせず言い放つ。役職名だけでなく、帝国海軍その存在自体が気に入らないと暗に告げる。が、特に気にした様子もなく有賀が続ける。
「そう言うな、お前がこの老体をたたき起こしたんだろうが」
入間の沈黙により途切れかけた会話を有賀がつなぐ。
「白瀬といったか、あの小僧はよくやっているようだ。良かったのか?手放すほどの余裕が海軍にあるとは思えんが」
「貴様が欲しいと言ったから寄越したまでだ。海軍には不要な人間だ」
「ならありがたくいただこう」
「…何を考えている」
途切れかけた会話を今度は入間がつないだ。返事を待ちはしなかったのだから、独り言に近いが。
「私は深海棲艦の存在を知ったとき、神に感謝したよ」
有賀の表情をわずかに伺う。
「深海棲艦による初の被害は国境海域での某国との緊張状態のさなかに起きたことになっている。だが現実はすでに戦端は開かれ、同時に一隻が失われた。わが海軍の旗艦が、な」
有賀の表情は変わらない。入間にとってそれも確かめるまでもなかった。
「厳重に守られた司令塔が難なく沈められた。我が国が戦力を拒否していた間にそれほどの差が生まれていたのだ、数も技術も。大陸国の浸食に脅威を抱き、自衛隊が軍に代わってなお埋まらないほどに。深海棲艦が現れなければこの国は敗北していた」
有賀はすでに知っている。某国との戦力差を知らしめられた一人だ。
「深海棲艦により人は海を奪われ、艦娘により制海権は大戦時にまで戻された。シーレーン確保のために某国も我が国と和解した。だが現状が打開されればまた侵略が始まる」
わざわざ確認のように話したのは次の言葉のためだった。
「まだ深海棲艦を消すわけにはいかんのだ。国が守れるのなら艦娘の被害など物の数に入らん」
有賀がゆっくり立ち上がるのを見てその言葉が決別となるのを悟った。
「相も変わらず心配性なことだ。恐れずとも我々が勝つ手立ては見つかっとらん」
「有賀」
「俺には何もできんよ、お前の望みどおりにな」
別れの言葉もなく扉が不躾に閉められる。
有賀はこの国が置かれた状況を理解し、大局観もある。実行する胆力も。そう入間は信じていたからこそ有賀を海軍に引き戻した。だがその有賀は独自に提督を集めだし、帝国海軍を動かしている。
「何を考えている」
答えの得られなかった問を再びつぶやいた。
ぼんやりとした意識を小さなうめき声が揺さぶる。腕の下で動く布団の感触が時雨の意識を覚醒させる。
「夕立!」
「時雨…えっと…」
寝かされていたベッドから起き上がろうとする夕立だったが痛みで顔を歪める。まだ完全に理解できていないのか、視線が揺れている。
「夕立、確か…」
「大丈夫だよ。落ち着いて」
「いっちばーん、じゃなかった…」
激しく開けられたドアの音で時雨と夕立がびくっと跳ね上がる。
「なんか、いつも時雨に先にこされてなーい?」
「気のせいだよ」
白露は不満げに時雨の横の簡易椅子に座る。
「夕立、気が付いたんだ。良かったー」
「白露ちゃん、夕立どうしたの?思い出せないっぽい…」
「大丈夫だから。忘れていいんだ」
時雨はかすかな記憶を手繰り寄せようとする夕立をなだめる。それを見ながらも白露は小さく声を出す。
「深海棲艦に囲まれてね、夕立がいきなり」
言葉を切り、つばを飲み込む。
「深海棲艦に向かっていったの」
「白露!」
記憶がこじ開けられ表情が固まる夕立をかばうように白露の前に立つ。
「すごい速くて、あっという間に深海棲艦に向かっていって。吹雪が助けてくれたけど」
「白露!もういいから!」
「私、なんにもできなかった…」
肩をつかんだせいで震えが伝わってくる。
「怖かった、夕立がいなくなっちゃうんじゃないかって。でも動けなくて…私、お姉ちゃんなのに…」
うつむいたまま謝る白露の背中を撫でる。夕立が顔を覆い、再び訪れた恐怖が漏れる。
「白露ちゃん、時雨ちゃん…夕立、どうしちゃったのかな…」
決定的に変わってしまった時雨たちがもとに戻る術は誰も持っていない。だから、進むしかない。夕立を救ってくれたあの背中を追って。
「強くなろう。僕たちみんなで」
唐突な深海棲艦の活性化による艦娘の被害は未だ対策のない事故のようなものだ。そして、前例のないほど急速に広がったそれに巻き込まれた艦隊は白露たちだけではなかった。
次回の投稿は週末になります。
ストックが切れてきたので今後は投稿ペースが少し落ちますが、続けて行きますのでよろしくお願いします。
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第14話 Frozen Area
鎮守府に広がるのは大規模作戦に備えての喧騒ではない。執務室の白瀬にもその揺らぎは感じられた。
「第八駆逐隊か」
艦隊の一つが危機を脱した時点で安堵するのはあまりにも安易だった。むしろ深海棲艦の活性化を確認した時点で警戒を強めるべきだったと悔やんでももう遅い。
「提督、気に病まないでください」
鳳翔が心配そうにのぞき込んでくる。その声と無意識に噛んでいた唇の痛みで我に返る。冷静に考えればどうしようもないのは理解できる。それだけに指示を出すしかできない立場の無力さがのしかかる。
白露型と同様に調査に出ていた朝潮を旗艦とした第八駆逐隊も想定外の深海棲艦に遭遇した。異なったのは駆逐本隊と朝雲がはぐれてしまったことだ。捜索を望む朝潮を説き伏せ帰投に着かせたが、荒れる海域を進むのでは1日近くかかる。
白瀬はこわばった腰を上げた。
「どうする気だ?」
長門の落ち着いた声を背中で聞きながら上着を羽織る。
「大規模作戦前の会議だ。通常なら1週間は準備期間を取るが事態が事態だからな。すぐに鎮守府が連携をとって作戦を開始できるように掛け合ってくる」
「…そうか、上手くいくといいな」
いつになく乾いた長門の声が背中を掻いた。
白瀬が提督たちの会議に参加するのは初めてだ。間接的にやり取りすることはあったが顔合わせは元帥以外したことがない。それでも緊張よりも焦りが先立つ。直接のやり取りの価値を否定しないが、今はわざわざ集まる時間が惜しかった。
「提督!はしたないですわ!」
会議室に入るなり叱責が聞こえた。提督ではなく艦娘が声を上げている。会議には秘書艦を連れていくことが通例だ。白瀬も鳳翔に付いてきてもらっている。会議の透明性だとかの理由が付いているが、すでに形骸化している気がしてならない。
その連れてきた艦娘に叱られた提督は一向に動じずに湯呑に入れられたお茶をすする。
「この菓子、おかわり自由だってさ。くまのんもどう?」
「お断りします!」
椅子に胡坐を組んでいる唯一の女性提督が白瀬に気づいて軽薄に手を振る。
「はじめましてー、新人くん。あたしよか若い人いなかったから嬉しーよ。新人くんもどう?」
各席に1つのみ用意されているはずの茶菓子の包みを3つまとめて差し出される。本人の言とは異なり白瀬よりも若そうに見えるがその要因が見た目なのか行動のせいなのかは分からない。困惑する白瀬の横を若い提督が通る。
「あ、あたしは亜庭ね。んで、これが宗谷先輩」
自己紹介以上に雑に親指で指された男が無表情に通り過ぎる。
「時間だ。早く席に着け」
あっけにとられてはいたが時間が惜しいのは白瀬も同じだ。熊野に抑えられる亜庭をしり目に迅速に席に着くと提督唯一の上司に当たる元帥、有賀が入ってきた
「くだらん」
白瀬の提案は宗谷に一言で否決された。反論の余地も与えられない。
「万全を期すための時間だ。たかが駆逐艦一隻のために覆すことはない」
白瀬は奥歯を噛み締めた。言わんとすることは分かる。各鎮守府の状況を把握できていないが、作戦も情報も少ないまま大規模作戦を行うリスクは理解している。しかし
あんたの後ろにいるのは駆逐艦だろ…!
宗谷は自分の連れてきた秘書艦を顧みる素振りがない。控える駆逐艦同様に表情を変えず、微動だにしない。
白瀬の感情を一切無視したまま沈黙が続く。
「まー、そうなるっすよねー」
お茶を口に流し込みながら放つ亜庭の緊張感のない声が沈黙を破り、そのまま白瀬が口をはさむ余地のないまま会議は進んでいく。
「作戦概要は以上だ」
有賀が終了を宣言して会議は終えた。
「提督…」
鳳翔の気遣うような声を聴きながら席を立った。
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第15話 Vague Smoke
「テートク!」
帰るなり金剛が駆け寄ってくる。執務室には長門に加え陸奥もいた。
「どうなりましタ?」
見上げてくる金剛の問いに白瀬は静かに首を振る。長門と陸奥は静かに息をつくが
「テートクはどうしますカ?」
金剛は白瀬を見つめたまま問いかけを続ける。その瞳にかつての赤い景色を思い出す。
――誰も沈ませない
ならばすることは一つしかない。
「捜索隊を編成する。浸透作戦になるが――」
「正気なの!?」
指示に移ろうとする白瀬を陸奥が慌てて遮る。単独で大規模作戦を行うつもりなのだから当然の反応といえる。だから白瀬はそれに驚きも見せずに応えた。
「ああ、作戦開始まで待てば生存は絶望的になる。可能な限り迅速に行動する必要がある」
「提督、本気で朝雲の救出を行うつもりか?」
長門の問いに首肯で答える。長門はあきれたように預けていた背を壁から離し、白瀬に近づく。
「もちろん危険な賭けであることは分かっているのだろう?」
今度は白瀬の反応も待たずに肩をすくめ息をつく。
「やれやれ、困った提督だ…」
長門の溜息の下から機械の擦過する冷たい音がする。無表情のまま出された機銃が白瀬に向いた。
「考え直してもらおうか」
港がいつもに増して騒がしくなった。第八駆逐隊の帰投により艦娘が集まっている中を吹雪はかき分けて進む。帰投した艦隊は立っているのがやっとであるのが見て取れるが、吹雪は構わず朝潮の肩をつかむ。
「朝潮ちゃん!場所分かる!?」
「吹雪…?」
困惑する朝潮に気づき、吹雪は落ち着いて言い直す。
「戦闘のあった位置!時間も分かれば海流とかで流れ着いた島の予想もできるし――」
「吹雪、まさか朝雲を探すつもり?」
「当たり前だよ!みんなだって――」
朝潮から困惑よりも躊躇いを感じた吹雪は言葉を詰まらせる。周りを見渡してもどこか吹雪を遠巻きに眺める空気が触れる。
「なんなのよ!」
それでも吹雪が声を続けるより前に霞の叫び声が響いた。
「霞ちゃん…?」
「もう無理なことぐらい分かるでしょ!あんたに勝手に騒がれると迷惑なのよ!」
「ぬーいぬーいちゃーん!」
廊下を歩きながら宗谷の背中を見ていた不知火は大声で背後から迫りくる存在への反応が遅れた。振り返ったときにはすでに真後ろから抱きつかれていた。
「はぁー、ぬいぬいちゃんいい匂いー!このつつましやかなお胸もかわいいよー」
不知火は嫌悪感をあらわに亜庭の腕を押しのける。この女が宗谷と同じ提督だと思うと嫌になる。
「いけずー。でもいいのかなー?艦娘が提督に暴力をふるうなんて大ごとだよ?」
「なにを言っているのですか。私はただあなたの腕を…」
「どう考えるかは人によるからねん。事実はどうであれ騒ぎになれば君の大切な提督にも迷惑がかかるよ?」
無茶な言い分にも理を感じたのか、不知火は嫌悪感をあらわにしながらも腕に下げる。それを見た亜庭は煩悩丸出しの顔で、指を柔軟に動かす。
「そうそう、大人しくしていれば悪いようには――」
「とぉぉぉう!」
その指が不知火に届く前に全身が壁にたたきつけられた。肺がつぶされたような鈍い声を出す亜庭を熊野は見下ろしながら汚物に触れたかのように亜庭を殴り飛ばした手を払う。
「提督、戯れにも限度がありましてよ」
「いいじゃんかよー。減るもんじゃないだろー」
「我が艦隊の品位が失われますわ!」
一言返すたびに一蹴り入れていた熊野が唐突に振り返って不知火の背中を押す。
「うちの提督が申し訳ありませんでしたわ。お詫びにお茶でもご一緒させてください」
あっけにとられていたために熊野に押されるままの不知火だったが、ふと宗谷と離れていくことに気が付いて足に力を込める。手に返ってくる抵抗が強くなったことに気づいた熊野は不知火の耳元に顔を寄せ、悪戯げにウインクをする。
「殿方の後ろに従うことだけがレディのふるまいではありませんわよ」
「用件はなんだ?」
宗谷は不知火が遠ざかっていくのを視界の隅に捉えながら亜庭を見下ろす。
「いやだなー、あたしと先輩の仲じゃないっすか。ゆっくりお話ししたかっただけっすよ」
亜庭は埃を払って無表情な宗谷の首に腕を回す。身長差があるのでほとんどぶら下がるような形になる。
「あの新人くん、勝手にやっちゃいそうっすけど」
「単独での大規模作戦がどれほど愚かなことか分からないわけではないだろう」
どこか楽しそうな亜庭を見て宗谷は不快感を露わにする。亜庭はそれに動じる様子はなく続ける。
「若気の至りってやつじゃないっすかー」
先輩もあったでしょう、といった軽口は一顧だにされない。だが、宗谷は宗谷なりに亜庭の言葉を受け止めていた。そのうえで亜庭を振り払う。
「奴がどうであれ問題はない。どのみちあの鎮守府は動かない」
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第16話 Detect but miss
長門は難しい表情で出港を見守る。
「そんな顔しないでください」
当然のように心境を読み取られて抗議される。それは素直に謝るが、心配なのは変わらない。彼女が最高戦力であることは間違いないが、それに見合った運用コストと万が一失ったリスクの大きさのため実戦での経験は少ない。
「提督に何を言われたのか分からないが、無理はするなよ」
「長門さんまで私を出撃させないつもりですか?」
口どもる長門に微笑んで敬礼をし、出撃していった。
提督は本来事なかれ主義の傾向がある。どう捉えるかは人によるが、使われる立場の長門としては手堅い指揮で、提督自身の優秀さもあり信用できる部類と言えた。ただ、今回は厳しい浸透作戦が多く、功を焦っているように見える。
…何を言われたのやら。
長門は巨大な艤装で隠れた背中を見ながら思わずぼやく。
慎重であることは戦果が少ないことでもある。先の大規模作戦会議でやり玉に挙がったのかもしれない。提督の苦労など分かるはずもないが、事情の異なる他鎮守府を気にする意味はないだろうに。
そこまで考えて、出撃の喜びを隠しきれない彼女を思い出し、気持ちを切り替える。
「なんにせよ、実戦経験は必要か」
これが、艦隊決戦の切り札、大和の大規模作戦初出撃だった。
その報告を聞いた提督の顔が青ざめた。おそらく長門自身も同じ表情だっただろうが。
「大和が、沈んだ…?」
提督が絶句から絞り出した声がどうしようもみじめに響いた。長門はかろうじて平静を装う。仲間の轟沈などほとんど経験したことのないこの鎮守府では皆を落ち着かせる時間が必要だ。
「提督、ここは戦線を下げて――」
「轟沈を確認したわけではないのだろう…」
確かに直接見たという報告があるわけではない。だが撤退中に追撃を受けた場合に確認できることはほとんどなく、それで実は無事だった、などもあったことはない。
「大和の救出作戦を行う。鎮守府の総力を投入する」
長門の反論を封じる形で提督は即断した。だが、急な作戦方針の変更はできるものでなく、そもそも大和の喪失地点は敵勢力圏深くだ。結局は今まで行っていた浸透作戦の強度を上げるだけの話になる。どれだけリスクが高いかは提督も分かっているだろうが
「ほかに方法などあるまい」
そう言われると返す言葉はない。救出を行おうとするならば敵地に突入するしかなく、救出を成し遂げるという奇跡を起こそうとするならば艦娘が危険にさらされるのは必要な覚悟だ。ならば救出作戦事態の是非だが
「すでに艦娘の疲労は大きい。そのうえでここまで危険な作戦は――」
「お前が何とかしろ」
投げやりな指示が返ってきた。思い返せば提督は冷静な反論をされる前に強硬に押し通すつもりだったのだろうが、みすみす大和を危険地帯に送ってしまった長門は受け入れてしまった。
なにより、仲間を救うことに異論があるはずもなかった。
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第17話 Blockhead Elegy
陸奥は壇上に上がる長門を離れた場所から眺めていた。なんとかしろと言われてできてしまうのが長門だった。もともと指揮官向きの通る声であったし、普段からの堂々とした立ち振る舞いはそれだけで求心力がある。
話すのは耳障りのいい言葉ばかりだ。仲間を見捨てないだの、正義の行いだの、大義名分を並べ立て、厳しい戦場に送り込むことの謝罪も依願もない。恐怖も危険も忘れさせることが人を駆り立てる方法だと分かっている。分かっていて利用しているのだ。陶酔こそが戦場で生き残る最善の方法だと信じて。
もし深海棲艦が現れなければ発揮することのない才能であるのなら、普段の長門を思い出して胸が苦しくなる。
「…ほんとに、助けてくれるの?」
長門が声を止めた沈黙に小さな声が割り込んだ。
「…霞?」
大和と一緒に出撃していた艦娘の中で霞がうつむいたまま続けた。
「大和は、助かるの?」
「もちろんだ」
長門が今までと異なる優しい声音で答える。そのままゆっくりと壇上を降りる。
「お願い、大和を助けてよ!」
震える霞の肩に優しく手を置く。
「ああ、誰も沈まない。だれも欠けないまま、この鎮守府に返ってこよう!」
長門の呼びかけに皆が応える。その言葉を信じる者、不安をぬぐい切れない者、個々の感情は様々だったが、鎮守府は大和を救う意思を持ち、新たな戦いが始まった。
「本当にやる気なのだな。もう遅いと思うが」
陸奥の背後から武蔵の声が聞こえた。
「随分他人事ね。あなたの姉よ?」
表情を取り作れないことは分かっていたので振り返ることなく言葉を返すが、十分にとげを含んでしまった。それでも武蔵は腹立たしいほど態度を変えない。
「練度の足りない者が戦場で敗れた。それだけだ」
あなたは、何も知らないくせに――
壇上の言葉を長門が信じていると思っているのか。仲間を危険にさらすことに悩む長門も、それでも大和を見捨てられない長門も見ていないのに。
言葉にすれば長門の覚悟すべてが無駄になる気がして、唇とともに噛み殺す。
「長門――!」
陸奥は倒れた長門に駆け寄り、背を支える。頬の内側が切れて口から血を垂らす長門をその艦娘は上から見下ろす。
「また一人いなくなりました」
固く握られたこぶしを除いて、なにも感情が読み取れなかった。長門は向けられた視線からわずかに目をそらす。
「あなたが悪いのではないことは分かっています。でも…」
踵を返して去っていく背中を見送っても、長門は立ち上がろうとしない。その肩を強く握ってしまう。
もう何日たっただろうか。1日に1隻か2隻ほど。多くはないが確実にいなくなっていく。損害が増えるたびに熱は冷めていく。それでも艦娘は命令が続く限り諦めることは許されない。やりきれない感情の矛先は必然長門に向く。
せめて戦場に出ていれば罪悪感も薄れただろうか。数隻沈んだ時点で、長門をはじめとした主力艦が出撃することはなくなっていた。望みの薄い大和と天秤をかけて決められた命の重さが互いの理解を拒絶した。
「なんだ、こんなものか…」
頬に手を当てつぶやく長門にかけられる言葉はなく、ただ強く抱きしめた。
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第18話 Lament Over the Howling Age
朝潮の腕は掴みかかるというよりは縋り付くに近かった。背の高い長門をにらんでも威圧感などないことは当人も分かっていただろう。それでも朝潮は腕の力を緩めない。
「あなたは…霞を…」
――利用した。
偶然ではあるが、霞の言葉をうまく利用すれば士気が上がることは分かっていた。作戦が失敗すれば霞がどれだけ苦しむかも。
だから長門は沈黙による肯定をするしかない。
「あの子は、あなたのせいで…」
朝潮のこぶしの衝撃が肋骨を抜けて心臓に突き刺さる。あるいは自分一人なら耐えられた重みに動けなくなり、ただ朝潮の嗚咽が鼓膜を震わせるのに任せた。
陸奥の報告に提督は神経質に机を叩いた。うわごとのようなつぶやきは次の出撃を決めていた。
「…もう、いいじゃない」
もう散々繰り返した沈没報告に慣れてしまう前に漏れ出した、擦り切れた神経の最初で最後の悲鳴だった。提督が不機嫌に何か返そうとしたが、それが陸奥の意識に入る前に断ち切る。
「大和は死んだの!何をしても無駄なの!」
机に着いた腕は崩れ落ち、視界が暗転する。それで今更、自分の言葉の意味を知る。
――私はいま、大和を
――殺した
諦めるとは、そういうことだ。
どう言い訳しようと、動悸が収まることはない。体が立ち上がることを拒んでも後悔だけはなかった。誰かがこの罪を背負わなくてはならないなら、それが長門でないことに安堵すらした。
まもなく、鎮守府の出撃が止まり、大規模作戦は終わりを迎えた。
長門は力なく立ったまま、静かに見下ろした。いつかと逆の構図だと思った。違うのは、その相手が見えないことだけで。
代わりに目に映るのは鎮守府の端に置かれた小さな石だ。遺体が海の底に沈む艦娘に墓などできはしない。申し訳程度にある慰霊碑も艦名しか刻まれないなら、何も書かれていない粗石のほうが、まだ個人が宿っている気がする。そう思った誰かが作り、賛同した誰かが守ってきたものの前で、長門はそこに本当は誰も眠っていないことに感謝した。
…もう一発くらい殴ってくれても良かった
そうすれば少しは赦されたのだろうか。ぼんやりと流れる思考のままに頬をさする。
戦いは終わってしまった。何も変えられないまま。ならば、何のために沈んでいったのか。
開いた口から息が出ない。それでも肺から絞り出そうとする。
ここに来たのは、懺悔のためだ。長門は未だ指揮官の務めを果たそうとしていた。ならばつぶやくことすら許されない言葉を死者にだけは告げたかった。
「すまな――」
一瞬の淀みがあり、あれほど体が拒んでいた息があふれ出た。
「ごめんなさい、ごめんなさい!ごめんなさ――」
崩れるからだが後ろから抱き留められた。馴染んだ体温と匂いが長門の意識を縫い留める。
「もう、いいの」
嗚咽がゆっくりと引いていき、冷静になった心が罪を述べる。
どうしようもなかった。大和を助けようと思ったのならば他に手はなかった。だが、叶うことがないのならば、もとより望んではいけなかった。
――そうか、
「…もう、いいのか」
陸奥の腕の中は何も見えない袋小路でありながら、どこか安らかだった。
もう奇跡など願わない。それで犠牲を減らせるならば。
仲間を見捨てることが罰ならば、ただ従おう。どんな罪を重ねることになっても――
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第19話 Set the Sunset
金剛がほとんど本能的に長門の前に入る。機銃の先端がみぞおちに当たるが、厳しいというより殺意に近い表情は長門本人に向けられる。
「ナガト、なにしてるデス。ムツ、止めてくだサイ」
「これは冗談では済みませんよ」
鳳翔も金剛の横に立ち静かに咎めるが、陸奥も腕を組みいつもより小さな嘆息をつくのみで、すなわち長門を肯定していた。
「なら良かった。冗談と思われては困るからな」
金剛は話など聞くつもりはないとばかりに機銃をつかみ握りつぶさんばかりの力を込める。
「私はさっさとどけろッテ言って――」
「金剛、いい。下がってくれ」
金剛は腰まで上げた握りこぶしを掴まれる。白瀬に肩を抑えられたことで手も機銃から離される。その先端が本来の対象に向いたことに寒気を覚えるが、当の白瀬は平然と椅子に着く。その姿に先ほどとは異なる寒気を感じ言葉を失う金剛の横で、長門が声を絞り出す。
「もう少し反応があると思っていたのだが…」
「いや、驚いているよ。長い付き合いではないとはいえ、ここまでされるとはな…なにがあった?」
「なにって、どう考えても無謀な――」
身を乗り出した陸奥を長門は手を伸ばして制した。長門を見る陸奥の視線を措いて息を吐きだす。
「提督がこの鎮守府に来る前の話だ。作戦中に一隻の艦が沈んだ。それだけならよくある話だが、沈んだ艦が――」
「大和、だった」
金剛と鳳翔はその名が出たことに表情を変えたが、陸奥と長門は一瞬の言葉の間を継いだ白瀬に目をみはる。
「知っていたのか?」
「隠されている理由は分からないが、大和型ほどになれば運用は隠せるものじゃない。記録を見ればわかるさ」
白瀬は当たり前に言うが着任して間もない提督の理解ではない。だがそれならば話は早い、と長門は続ける。
「貴重な大和型だ。本営のことは分からないが責任追及は免れないのだろう。沈没を認められない提督が無茶な救出作戦を行い、結果として多くの艦娘が沈んだ」
言葉にすればただそれだけの話だ。言葉にできないことが多すぎるだけで。
「提督、あなたが私欲で動く人だとは思っていないし、むしろ好ましく思っているの。だから、お願い。私たちはもうあんなことさせるわけにはいかないの」
懇願の切実さが機銃の意味を重くさせる。必要となれば引き金は引かれるのだろう。躊躇や悲痛といった感情を置き去りにしてでも。
「……そう、だな」
前がかりになっていた白瀬が椅子に背中を沈めて弛緩する。
「君たちの言う通りだ。一人の救出のために他の艦娘を危険にさらすわけにはいかない」
「テートク…」
白瀬のつぶやきは道理であり、届かせるつもりのなかった金剛の声は誰にも届かなかった。だから、このお話は終わりになるはずだった。
長門が黙ってさえいれば。
「あなたほどなら言われるまでもなかっただろう。なぜこんな無理を通そうとした?」
白瀬は少し躊躇い、深く椅子にもたれかかる。天井を仰いだはずの目線は覆った手のひらが遮っている。
「俺は人を殺した」
目を開く長門にその想像を否定するように手を振る。その平然とした態度は機銃を向けられても変わらない白瀬と同じだった。
「まあ、つまらない昔話だ」
白瀬は再び体を前に向けた。
「俺が海軍で初めて指揮を執った任務は深海棲艦に呑まれる島から住民を救出することだった。別に戦闘は行わないただの護送任務だな」
白瀬の淡々とした声が口をはさむのを遮る。
「深海棲艦が想定より早く迫り途中で撤退することになったものの、まだ島民の半分は乗り込めてなかった。そして撤退の決断ができないまま停滞した船は深海棲艦に襲われて壊滅した」
深海棲艦に襲われるとはすべてが蹂躙されるということ。その船も土地もどうなるかは多少経験がある艦娘なら実感を伴って分かっている。
「戦況に基づく取捨選択なんて演習でもシミュレーションでも散々やってきたのにな。俺は致命的に指揮官に向いていないらしい。なんの因果か俺は助かってここにいるが、自分では何もできないくせになんとかできると思ってる。あのときと何も変わらないな。」
金剛には静かに話す白瀬の気持ちなど分からない。だが、ずっと握りしめていたこぶしはいつの間にか解かれていた。どこかで感じていた想いははっきりと安堵に変わった。白瀬が諦めるのならば、理想はただの理想でいい。理想のままで――
「ならば、もういいだろう。任を全うすれば提督が責に問われる心配もない。たかが…」
もう十分苦しんだはずだ。だからもういい。叶わぬ願いと知った空虚な言葉でも、あの誓いを何度でも聞かせてくれれば金剛は幸せなのだから。
長門の声はそのまま金剛の心だった。その震えまでも。
「たかが駆逐艦だろう」
歯を食いしばる長門が鏡合わせの自分だと気づく前に、金剛は走り出していた。
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第20話 OK,Stay & Go
「霞ちゃん…?」
吹雪の声が耳に響く。霞が理性の限りを尽くした叫びがそれだけでかき消された気がした。滲む涙と共に零れ落ちそうになる本能ごと隠すように朝潮が前に立つ。それでも情動が迫り言葉が漏れる。
「だって…私が、大和を……」
崩れる霞の声が届かないように居てくれる姉妹に甘えた。
あの日、大和が沈んでいくのを目の前で見た。初めて見る轟沈は受け入れがたいほど冷酷だった。だから願ってしまった。
――助けて、と
それが未曽有の作戦の始まりだった。本当にきっかけだったかどうかは分からない。が、そんなことはどうでもよかった。
「だから…今度は…言わないと――」
声が出ない。姉妹を見捨てるための言葉を脳が、喉が拒否する。それでも言わなければまたたくさん沈む。乾き張り付く喉元を引き離し――
「大丈夫だよ!」
朝潮にすがりながら出そうとした言葉は能天気な声に止められる。姉妹全員で見た視線の先には声のまま能天気な吹雪の顔があった。
「朝雲ちゃんは助けられるよ!頑張ろう!」
「頑張ろうって…」
あまりにも場違いな吹雪に毒気を抜かれた朝潮から声が漏れる。それでも何か返そうとする肩を掴まれる。
「だから、教えて。私も司令官も頑張るから」
悲壮感のない顔でもどこか真剣で、確信的で。これは――
頭によぎった言葉がはっきりと形になる前に吹雪は走り出していた。
陸奥は金剛を追いかけた。どこに行くのかは分かっていたから追いつくのは簡単だった。
「私たちだってこれでいいと思ってるわけじゃないの!」
返ってくる言葉はない。それでも祈るように呼び続ける。
「でも無理なの。あなただって沈むかもしれないのよ。だから――」
伸ばされた金剛の腕をつかむ。
「――だから、馬鹿な真似はやめて」
出撃ゲートにつながる隔壁を開くボタン。金剛の指は触れる直前に止められる。金剛の行動が自身のためでも、朝雲のためですらないとは分かっている。だからこそ問う。
「そんなに提督が大事?」
「…テートクは言ってくれたんデス。誰も沈ませないッテ」
うつむいた金剛が自分の言葉を確かめるようにゆっくりとつぶやく。その意味を、陸奥には理解できなかった。
「たったそれだけで――」
「それだけで嬉しかったんデス。誰も言ってくれなかったから……誰にも、言ってあげられなかったから…」
黎明期の艦娘。絶望の片鱗を味わったからこそ、陸奥にはその意味を真に理解するのは不可能なのだろう。誰かが沈む日常など。
「さっき、ホントは少しホッとしたんデス。テートクは私たちのために悩んで、ずっと辛そうでシタ」
何も知らずに誓った言葉を、白瀬は現実を知ってなお愚直に守ろうとしたのだろう。だから金剛はどこかで願っていた。その呪いが解けるときを。
「でもダメなんデス。ここで諦めたらもう私たちは…」
何も知らずに誓われた言葉を信じてしまったら、もう守ることしかできない。
希望を捨てて生きていけるほど、金剛の世界は甘くなかった。それを知っているから、白瀬を茨の道に引きずり込もうとしている。いずれ途切れる理想へ続く道に。
金剛の震えを受け取りながら、陸奥はつばを飲み込む。
…どうしてこうなったの?
正しいのは何か分かっていた。正解にたどり着くのは簡単なはずだった。
白瀬が馬鹿な事を言いださなければ
長門が撃っていれば、とは言わない。ただ話を終わらせていれば
金剛がここへ来なければ
陸奥がこの手を離さなければ――
金剛を握る手に静かに力を込める。
そう、この手を――
かすかな押下音とともに隔壁が開き始める。
…離さなければよかったのに――
奥行ができていく景色に後悔と諦めが心を占める。それでも仕方がなかった。誰かを失うつらさなら、陸奥にも理解できてしまうのだから。
「ムツ…」
だからせめてもの償いはしなくてはならない。
「私も行くわ。あなたみたいには速くないけど、いないよりは――」
「あ、金剛お姉さま!遅いですよー!」
扉の向こうで比叡の大声が聞こえた。
「だからもう少し装備を整えてからでもいいと言いましたのに」
「霧島、金剛お姉さまを待たせるなんて榛名が許しませんよ」
緊張の糸が弛緩し、港がにわかに騒がしくなる。
「ヒエイ、キリシマ、ハルナ…なんでここにいるデス?」
「金剛お姉さまであればこうされると思いましたので」
「私たちもお供しますよ!」
まっすぐ向けられた目線を受けて、金剛はわずかに俯く。金剛とて覚悟は自分のみに向けたものだったのだろう。
「…危ないですヨ?気持ちは嬉しいデスガ――」
「金剛さん!」
背後から呼吸にあえぎながらの叫び声が聞こえた。
「ブッキー…!」
「良かった!間に合った!」
吹雪が手を膝につき呼吸を整えながら金剛とその後ろの3姉妹を認めて安堵のような少し残念そうな息を吐く。
「比叡さんたちがいるなら私はお留守番ですね!…金剛さん?」
吹雪は金剛たちのやり取りを知らない。そもそも葛藤があったのだとは思ってもいないのだろう。誰かを助けることに正誤も善悪もなく、誰もがそうであると信じている。そんな吹雪を見ると、陸奥はなんだか肩の力が抜けた。
「やっぱり、ブッキーはキュートデース!」
「こ、金剛さん、くるしっ――」
金剛が吹雪を抱きしめて頭を激しくなでる。必死に抜けだした吹雪に金剛はこぶしを突き出す。
「私とシスターたちに任せるデス。ブッキーは鼻を高くして待っててくだサイ!」
「はい!…はな?」
枕の間違いだと思うし枕だとしても使い方がちょっと違うと指摘するのは野暮だろうか。陸奥が少し悩んでいるうちに金剛は踵を返していた。
「みんな、行きますヨ!」
三人の肩を抱いて海に向かいながら、背に声をかける。
「ブッキー、ムツ、鎮守府は任せましたヨ!」
速度を求めるなら、金剛型の中に入っても邪魔になるだけだ。なんだか自分の決意も徒労に終わったようで、陸奥は肩をすくめる。結局、事態はただ前に進む者が開いていくのだ。
それを知ってか知らずか、吹雪は大きく手を振る。
「はい!いってらっしゃい!」
金剛自身の希望をかけた出撃。それはなにも変わらない出撃風景だった。遠ざかる金剛たちを見ながら陸奥は問う。
「吹雪、あなたは怖くないの?」
いち鎮守府で大規模作戦を行うことの意味を分かっていないはずはない。なのに、吹雪はその質問の意味を理解できていないような顔をする。
「はい。だって、諦めたくないですから」
誰も沈めない――それは吹雪にとって呪いどころか願いでもなかった。
「司令官が頑張ってくれるから、私も頑張るんです」
絶対の命令であり、成し遂げるべき行動原理としてあった。
諦めたくないから諦めない。
それが信頼なのか妄信なのかなど知ることはできない。吹雪は白瀬なら成し遂げられるとただただ信じている。空恐ろしいものを感じかけたが、少し抜けている吹雪を思い起こして笑ってしまった。
「なら、私たちも早く金剛たちを追いかけないとね。留守番なんて言ってないで」
「…え?」
「――えっ?」
他愛ない言葉の綾を指摘すると、吹雪が今度こそはっきりと困惑を顔に出す。朝風救出の可能性を模索して数十時間、陸奥はようやく
「だって、この作戦って私たちは――」
ようやく己の間違いを悟った。
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第21話 Inversus
金剛とそれを追った陸奥がいなくなり、執務室の空気はわずかに弛緩していた。長門が機銃と目線を下げると鳳翔が安堵の表情を見せる。
「すまない、提督。気持ちは分かるが、この鎮守府の戦力であっても単独で作戦を行うなど出来はしないさ。」
「方法はあった」
もう決まった結果の検分を行うように落ち着いた声で白瀬が告げた。それは悔いではなく後始末のための言葉だったのだろう。それでも長門は白瀬を見た。
見てしまった。
「通常兵器では深海棲艦を沈められないように艦娘は深海棲艦の砲撃に一撃では沈まない。不意の遭遇を防ぎ引き際を誤らなければ沈むことはない」
原理は分かっていないが、艦娘にも深海棲艦にも今の人類には認識できない力場が存在している。深海棲艦は通常兵器に、艦娘は深海棲艦に対して確実に優位に働くものが。数で劣る艦娘が対抗できているのはその優位を正しく運用できているからだ。それでも不意の遭遇は発生するし、深海棲艦の勢力圏に飛び込めば撤退ができなくなる。だから大規模作戦では時間をかけて一つずつ勢力を削っていく。そのセオリ―を無視してでも正面衝突するには――
「深海棲艦の動きが完全に分かればいい」
長門には白瀬の言葉が理解できなかった。それができるならとっくにしているはずだ。
「深海棲艦の発生は完全なランダムじゃない。海域によって深海棲艦の傾向があるのは気温、海水温、風、海流などが影響しているといわれている。仮説にすぎないけどな」
深海棲艦の活性化も海の荒れと伴ってもたらされる。もっとも、深海棲艦が増加したことにより海が荒れるとの見方もあるが。
どうであれ、懐疑の答えにはなっていない。可能なら実現している。たとえ傾向を理解したところで、人類には海の総てを把握はできない。どれだけ膨大に、精密に観測しなくてはいけないか。深海棲艦に海のほとんどを奪われたこの時代では不可能に近い。
「もちろん条件は限られる。深海棲艦が多数いたうえで、明確に進行方向があることだ」
大きな流れの中にある小さな力の影響は無視され、単純になる。水たまりに浮かぶ葉の動きの予想は困難でも、急流に流される葉の道筋は同じになるように。
要は深海棲艦が活性化している今でしか使えない手段なのは理解できた。だが、それでも不完全だ。問題は葉の行く先だ。激流の勢いを受け止めるための。
「理屈は分かったが、やはり机上の空論だな。あの海域では予測に足る情報など得られないだろう。得られたとしても即座に艦隊が出撃できなければ意味がない」
白瀬の返答は少しの間が空いた。その空白は白瀬は長門より早く認識の違いを理解した瞬間だ。
「1つあるだろ。世界中が持て余した観測装置が眠っているおかげでデータに事欠かず、出撃も撤退も即座にできる場所が」
長門が白瀬の意図を理解できなかったのは致し方ない。朝風の救出を目的としても艦娘の存在の最大前提、人と国土を守ることから離れられていなかった。長門はようやく――
「この鎮守府だ」
ようやく己の間違いを悟った。
「ふざけるな!」
机を叩いたのは怒りではなく恐れからだった。ならばその声は悲鳴と呼ぶべきだろう。
「落ち着いてください」
そんな長門を鳳翔は軽く制す。いささかの動揺も見られない振る舞いが長門の心をさらに乱す。長門にはようやく見慣れたはずの目の前の男が理解のできない何かに見えた。それすら織り込み済みのような鳳翔も。
白瀬が単独で救出を行うと決めたとき、あの悲劇を許すわけにはいかないと誓った。それでも、十数人の犠牲だと思っていた。鎮守府近海まで深海棲艦を迎えるのであれば敗北の代償はその比ではない。
だが、白瀬は確かに言っていた。他の艦娘を危険にさらすと。長門が他の全ての艦娘、と読み取れなかっただけで、始めから白瀬はこの鎮守府を賭けに差し出すつもりだった。
「…正気か?」
訊くまでもなく狂気でしかなかった。だが、白瀬はどこまでも冷静で、夢想家なのは長門だった。
長門たちがかつて失敗した理由は――
「当然だ。深海棲艦の根城に残された艦娘を犠牲なく救おうとするんだ、これくらいのリスクは当然だろう?」
――単純にチップが足りなかった。
いくつかの艦隊を死地に送る程度で賭けの俎上に上がろうなど、ただの妄言でしかない。
長門は悟ってしまう。かつて奇跡を成しとげられなかった必然を。
誰かを救うなんて大義名分でしかなかった。確実に誰かが沈んでいくこの世界を変えたかった。そんな大それた願いを叶えようとするには長門は常識的で良識的過ぎた。
ならば当然の誘惑が鎌首をもたげる。この狂気を受け入れれば、と。
「深海棲艦といえども無限ではないからな。比較的数の少なくなった背後に別動隊を浸透させて救出をする」
これは悪魔との契約なのだと思った。この鎮守府全てを差し出して結ぶ契約。
だが、その悪魔はあっさりと遠ざかる。
「別動隊が早急に出撃することが前提だけどな。今から準備しても――」
「もう出たわよ」
振り返ると陸奥がいた。開けた扉にゆっくりともたれかかる。
「金剛型4隻。足りないかしら?」
「…陸奥」
「それはずるいわよ」
咎めるつもりだったが先に制された。そう、これは長門の決断だ。
動悸がさらに激しくなり、目の前が赤く滲む。それでも、一言ひとことを噛み締めた。
「提督、あなたがどう思おうがこれで動かないわけにはいかなくなったな」
金剛たちのせいにするくらいは許してほしい。この契約を交わすのは長門なのだから。
白瀬もだた無言で頷く。静かに、だが確かに交わされた証を見て長門は最大の懸念を口にする。
「そもそもこの鎮守府全ての艦娘を動員する必要がある。どうするつもりだったのだ?」
「そうだな…危険な作戦をさせるんだ。それを伝えたうえで頭を下げるしかないか…」
長門は思わず笑ってしまった。急にいつもの調子に戻った白瀬に、その男を悪魔と違えた自身に。
「確かに、提督は指揮官には向かんな」
ようやく白瀬を理解できた気がした。長門は白瀬に背を向け陸奥の方へ向かう。
白瀬がここにいる理由は簡単だ。狂気と才覚を持っていようと、この男はすべてに誠実すぎるのだ。
「動員できればいいのだろう?」
ならば、不誠実は――
「この長門に任せておけ」
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第22話 Private Machine
「で、どうするの?」
陸奥が問うと長門は大げさに肩を落とす。それでも姉の背中にかつてを思い出してしまった。
「最近は金剛たちのせいで忘れられている気がしていたが、お前もか」
陸奥の心配そうな顔を見てか、長門は微笑み返す。その顔の向こうにはこの鎮守府の艦娘が待っている。
「鎮守府の秘書艦は私だ。説得ぐらいなんとでもしてやるさ」
陸奥は壇上に立つ長門を見つめる。
長門はあのときと何も変わらない。変わらずできてしまうのが長門なのだ。
凛々しい声で告げる口上も作戦もどこか芝居がかっていて、誰も先ほどまでの長門の思いなど読み取れはしないだろう。長門は仲間を、約束された勝利で飾られた、先の見えない道へと進ませる。
……忘れるわけないじゃない。でも――
何も変わらない長門に、陸奥は静かに肩を壁に預ける。
――あなたには、忘れていて欲しかった
本当に願っていたただ1つの小さな幸福を、長門は望んでいなかった。だから、陸奥の願いは叶わない。
提督の決断がせめてこの鎮守府にとっての光となってくれるように願いながら、焦点の滲む天井を見つめた。
宗谷は亜庭の腕を払いのけながら、へらへらと笑う亜庭をにらみつける。
「早く本題に入れ」
「いやー、さすがにあの鎮守府の戦力でも無理があると思うんすよ。だから先輩に助けてあげて欲しいなーって」
亜庭は足を止めない宗谷の後ろを右へ左へちょこまかと動く。手を合わせて頭を下げられても、ここまで安い頼みはそうない。
「随分都合がいいことだ」
「いやいや、うちみたいなしがない輸送部隊になに期待してるんすか」
戦力面はともかく、日本海側に位置する亜庭の鎮守府からの増援が現実的でないことは事実だった。艦娘の陸上輸送であれば可能であるが、そうなれば鎮守府のみの裁量ではなくなる。もっとも、艦隊が動けば記録が残るのは宗谷であっても同じことだが。
「先輩のところにあるじゃないっすか。現状唯一の非公式部隊が」
非公式とはいえ秘匿しているわけではないのでその存在を亜庭が知っていることには驚きしない。確かに非公式ゆえ多少ごまかしが効くのも事実だが
「あれは元帥からの預かりだ。私的に使う気はない」
「先輩のけちー。新入り君はボスが引っ張ってきたんすから、ちょっとくらい文句言わないっしょ」
頬を膨らますも全く愛嬌のない亜庭の妙な肩入れも不愉快だが、元帥の意図も理解しかねる。元帥が実戦でなんの成果も残していない白瀬に何を期待しているのか分からない。
「艦隊すべてを指揮する能力なんて、ゲームでしか役に立たないはずじゃないっすか」
個人の意思で即応するシミュレーションと異なり、軍艦を動かすには多くの人と時間が介入する。動き一つひとつに指揮者を必要とすることで不特定多数の思惑が入り込み第一令が正確に反映されることはない。だから役割は細かく分けられ、上流は大枠の命令しか出せない。そもそも、広大な海で上から見下ろすような情報など入るわけがない。
「でも、できちゃったんすよ。戦況を把握できるくらい小さくて、軍艦が一言で意のままに動く戦場が」
そして、人のひしめく戦場では叶わぬ、誰も失わないことを望める世界が。
最小限の損害で最大限の戦果を得る、戦場の理想形。だがその理想形がそれでも確実性を取った妥協であることは宗谷も認めている。
現実では何も捨てられないと気づいたならば、シミュレーション上では不敗の男は安易な妥協を選べない。
「単に見たかっただけっすよ、机上の天才の本気を」
白瀬は深く息を吸った。鼓膜まで届く胸の鼓動は高揚ではなかった。座っているためかろうじて抑えられている震えは今指先に伝播して恐怖を視覚に伝えている。
あのときは何も分からないまま、何も決められなかった。間違えればすべてを失うと理解したうえで下した決断の重さを初めて味わう。
「提督、鎮守府近海の情報が揃いました」
鳳翔が目の前に立ち、感情の整理がつかないまま、それでも時が来たことが告げられる。
白瀬に微笑みそのまま扉に向かう鳳翔を呼び止める。
「最近間宮さんといるとつい食べ過ぎてしまいまして。たまには運動をしないといけませんね。空母の師範をしている手前、いつまでも演習って訳にもいきませんし」
いつもと変わらない調子で微笑む鳳翔に、白瀬はなぜか言葉を失う。
全てを失ったあのときから、何も変わらないと思っていた。実際、自身に得たものなど恐怖と諦めしかないはずだった。それでも――
「私たちがいます」
今ここにいるのは、この決断は、自分を信じてくれた人たちがいるからだ。
「私たちはあなたの力です。存分にお使いください」
開いた扉の向こうであがる鬨の声が体を震わせる。その震えを最後に、手に力が戻る。
画面上に開かれていくウィンドウを見て気づかず苦笑いしてしまう。
「…やっぱり俺はろくな人間じゃないな」
わずかな高揚を自覚しながら、目の前に広がった、かつて不敗を誇った見慣れた戦場に沈んでいった。
今度は一切の損失を許さない、それだけだ。
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第23話 Squeaked Hours①
「長門さん!」
朝潮が長門に駆け寄ってくる。壁際にいた長門は押されるままに壁に背中を付く。
「どういうつもりですか!」
朝潮は身長差を意に介さずにらみつけてきた。
かつてと同じ決断をした長門への詰問だ。かつてを繰り返さないと誓ったはずの長門への。朝潮も妹を見捨てることを是としているわけではない。これは彼女なりの決断だ。できるだけ霞を傷つけないための。長門はそれを無駄にした。分かっていなかったわけではない。悲しみも葛藤も教訓も、失った命でさえも捨て去る、傲慢な行いだ。
「…すまない」
だからただ謝るしかできなかった。歯を食いしばりうつむく長門を見て朝潮は力を緩める。
「長門さん…」
自分をなのか、提督をなのか、奇跡をなのか、分からないまま祈った。
「頼む。信じてくれ」
「夜戦!やっせん!」
飛び跳ねる川内を神通が押さえつける。
「姉さん、落ち着いてください。別に夜戦だけするわけではないんですから」
「だって、提督が夜戦させてくれるって言ったもん!」
神通の記憶では1か月前に1度聞いただけだったと思うが、これ以上暴れさせても面倒になるので適当に話を合わせておく。肩を掴んだまま鏡に向かい合う那珂を見る。
「うーん、髪型が決まらないなー。こんな感じかな」
頭のお団子をずっといじっている那珂だったが、だいぶまとまってきたようなので声をかける。
「那珂ちゃん、今回の作戦どう思います?」
「夜戦ができるぞー!」
跳ねる川内の答えは分かっているので袈裟固めで押さえつけて那珂の返答を待つ。
「んー?あいつらたくさんぶっ殺せるならそれでいいよー」
「那珂ちゃん」
目元のメイクに集中して無頓着に答える那珂を軽くたしなめると慌てて振り返る。
「みんなに那珂ちゃんのライブ見てもらえるんだから張り切っちゃうぞっ、きゃは☆」
ウインクしながら頭を軽く叩く那珂に神通はあからさまに溜息を漏らす。
どうであれ、いつも通りの返事が返ってきて安心する。それは神通も同じで、旗下の二水戦についても心配はしていない。命令とあらばただ戦うだけだ。
川内を縛り上げて、艤装の確認に入った。
「なんや、まだ呑んでんのか」
寝ころんで酒をあおっている隼鷹とその隣で巻物を広げる飛鷹を見比べて、龍驤はあきれた声を出す。
「そろそろ作戦始まるで」
「いやー、こんなのはいつも通りのほうが調子がでるってもんよ」
ついにコップに注ぐのも面倒になったのか、酒瓶から直接口に流し込んで笑う隼鷹にはなんの緊張感も見られず、謎の説得力があった。
「まあ、そうやな」
「普段呑んでることが問題よ」
無駄だと分かっていることがひしひしと感じられる飛鷹のぼやきを聞きながら軽空母寮を出ようとする。
「なんだあ、えらく張り切ってんじゃん」
「最近は駆逐艦のガキどものおもりばっかりやったからな。楽しいイベントの始まりや」
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第24話 Squeaked Hours②
「白露ちゃん」
吹雪が白露の背中を見つけて後ろから追いつく。振り返った白露には緊張した表情が見えた。
「夕立ちゃんはどう?」
「うん、体の方は問題ないんだけど…」
目を伏せる白露にいつもの元気はない。まだなにが起きたかも、これからどんな影響がでるのかも分からない夕立を出撃させることになるのだから当然ではある。そんな白露の手を握りしめる。
「私もいるよ。司令官が、近くにいてあげてって」
「うん。お願い」
吹雪の手が痛いぐらい固く握られた。
そうか、と呟いた声は隣の清霜に届いたようだ。
「どうしたの、武蔵さん」
小首をかしげる清霜への答えは適当に濁す。気にするなとの言葉に素直に従う清霜は本当に気にする様子はない。
「この作戦で頑張れば戦艦になれるかな?」
「どうだろうな。ただ、無茶はするなよ」
頭を撫でてごまかす武蔵に清霜は満面の笑みとうなずきで返してくる。そんな清霜をみながら、今度は声に出さなかった。
――これがお前たちの答えなんだな。
今自分がどんな表情をしているのか、分からなかった。
眼帯を抑えて沖でたたずみながら静かな海に目を向けた。
「本当に俺たちが出ることになるとはな」
たしかに、あまり平常の任務は行わないとはいえ、今回は輪にかけて特異な任務で、それを実際に行うことになるとは思わなかった。それは遠くの鎮守府で無謀な戦いが始まることを意味する。
「ふむ、この時間なら日没までには着くな」
「どうしたの、日向?珍しくはりきってるじゃん」
「まあな。久しぶりにこいつらを飛ばしてやれる」
日向の飛行甲板に向ける視線を受けて、伊勢は自分の腕の飛行甲板に手を当てる。水上機を飛ばせることを喜ぶ二人をしゃがんで頬杖をついたまま見つめてぼやく。
「それにしても遅いわね」
ちょうど話題に出したところで港から2隻が現れた。
「ごめんねー、天龍ちゃんのおめかしがおそくなっちゃってー」
「お前を待ってやってたんだろうが!」
前に出ていた木曽が肩越しに振り返りながら苦言を呈す。
「鎮守府に動きがあればすぐに出撃できるように言われたはずだぜ」
「あんたたち、さっさと行くわよ。木曽が早く姉に会いたくて仕方がないみたいだし」
「ちがうって!ちょっと姉ちゃんたちが心配なだけで――」
慌てる木曽を無視して立ち上がる。木曽はごまかすように話を続ける。
「お前は知り合いとかいねえのか?」
「さあ?私のいない吹雪型なんて珍しくもないし」
軽く受け流し、腕と槍を背中に回して体を伸ばす。
「いよいよ戦場ね」
たくさんキャラを出してみたもののどこまで回収できるか分かりません…
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第25話 Change Gears
荒れた海に砲撃音が響く。背部から伸びる連装砲から放たれた1対の砲弾が深海駆逐艦に直撃し、情報が伝播する前に沈黙させる。敵の索敵範囲外からの狙撃だったが、砲撃音が他の深海棲艦に伝わった可能性があるため、進路を変更する。偶発的な遭遇があるたびに繰り返してきた行動だが、当の比叡はまだ1撃も放っていなかった。榛名、霧島さえも。
隠密性を重視して極力控えた戦闘も砲撃もすべて金剛で完結している。そもそも敵地のど真ん中とは思えないほど少ない戦闘も、金剛の針路選択のおかげだ。
もちろん比叡は理解していたつもりだったが、この特異な状況で思い知らされる。金剛の実力と、自身の意義を。
金剛の後ろを必死についていきながらも、目線は下に向く。
――もしかして、私たちはいらなかったんじゃ…
堂々巡りに入りそうな思考で見つめる手が不意に掴まれる。驚いて前を見ると、後ろ手に比叡の手を握った金剛が肩越しに微笑んだ。
「やっぱり、怖いデスネ…この海も、戦いも、一人では立っていられないくらい」
比叡に言い聞かせるように穏やかに話す金剛の手は、確かに比叡を掴んでいた。
「一緒に来てくれて、ありがとうございマス」
少し恥ずかしそうに、でも安心したように笑う金剛の手を強く握り返す。
力が及ばないのは分かっていた。それでも金剛は必要としてくれた。その喜びを伝えたいのならば、全力で応えるしかない。
「はい!任せてください!」
振り返り、榛名と霧島を見る。二人とも目と首肯で答えてくれた。
はじめと比べて確実に減ってきた深海棲艦を鑑みるに、鎮守府での作戦行動は始まっているのだろう。帰るべき場所が無事であることも、無事帰ってこれるかさえも、もう祈るしかなかった。
比叡は彼女たちの向こう、鎮守府があるはずの、もう何も見えなくなった水平線を見つめた。
開かれた戦端の先頭に立ちながら、長門は驚きを隠せないでいた。会敵するタイミングと戦力が分かっているだけでここまで楽になると思ってはいなかったからだ。
長門の行動選択以前に、最適なタイミングで最適な戦力をぶつけることができていることも大きいが、これがすべての艦娘規模で行われていることに思い至る。
艦種はもちろん、個別の性能どころか練度も性格も把握した上で命令を出しているのなら感心を通り越して寒気を覚える。やたらと細かく記録させた戦果報告を丁寧に読んでいた姿を思うと、これも努力の成果に他ならないのだろうが。
額から流れる汗をぬぐい、戦艦タ級の姿をにらみつける。
〈長門、無理はしないで〉
離れたところで戦う陸奥から短い通信が届いた。
背後のそう遠くないところに鎮守府がある。この指揮が可能なのが白瀬だけであるなら、万が一でもそこに攻撃を許すわけにはいかない。だから、疲労で弛緩する脚に力を込める。
「待ちに待った艦隊決戦だ。多少の無理もするさ」
先が見えなかろうが、正しい選択なのか分からなかろうが、ここは長門が望んだ戦場だ。下がる気などさらさらない。
砲弾の装填音が響き渡り、戦いの再開を告げる。
「なんや、あんたも出るんか」
出撃に向かう鳳翔は道中、龍驤から呼び止められた。他の空母と比べて古株の龍驤は鳳翔に遠慮なく声をかけてくる。
「ええ、遠出はしませんが」
単純な一線で守り切ることは難しいので、計画的に前線を破らせ複数段で迎撃をする。鳳翔はその最終段を担う。出撃も撤退も容易であるため肉体的な負担は少ないが、一つ取りこぼせば鎮守府の機能が損なわれる。深海棲艦のコントロールに失敗すれば前線で戦う艦娘が挟撃されることにもなりかねない。
「なら後ろは任せたで」
細かい配置に無頓着であろう龍驤のコメントはそれだけで終わったが、しばらくの間を開けて不意に訊いてきた。
「なあ、今回の作戦どう思ってるん?」
ただの雑談でしかなく特に自身の感想はなさそうな問いへの返答もまた、特に何も、だった。
「どんな命令であれ、ただ従うだけです」
私たちは兵器ですから、と繋ぎゆっくりと目を閉じる。
提督の命令がなくては何もできない。それが艦娘という兵器のあるべき姿だと思う。
人としての喜びが許されるなら――
「提督が私たちのことを想って命令を下さるならば、それは幸せだと思います」
――ただ人と見てくれる、それだけでいい。
長門の葛藤も金剛の願いも否定するつもりはない。それでも鳳翔には、一人では力がないと嘆く白瀬と、何も選べない艦娘のつながりもまた、尊いように映る。
「まあ、うちは提督のことよくわからへんのやけど、どうでもいいっちゅうのは同意やな」
龍驤は飛沫を上げる波の前で帽子をかぶりなおして不敵に笑う。
鳳翔はいつもと変わらない笑みを返し、震える海へと踏み出した。
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第26話 Come On Nexus
無数に動く点群を眺めながらも、白瀬は目頭を押さえた。深海棲艦の動きを予測するなんて芸当は大まかな構想こそ考えていたものの、具体的なことは考えていなかった。鎮守府へ着任してからはそんな時間も余裕もなかった。だからリアルタイムで過去のデータとすり合わせしながら即席で理論を構築していく。中盤も越し、なんとか分析はほぼ必要ない段階までにはなったが、疲労はかなり蓄積していた。これからは艦娘の入れ替えがさらに頻発する戦況になるため判断ミスは許されない。
少しずつ戦況は厳しくなってきている。想定外の損傷を受けた艦娘の数も増えてきた。
計算違いではない。そもそもギリギリの戦いになる作戦で最悪を考えると何もできなくなる。ならば最悪の可能性を排除して戦うしかない。そうして設定した閾値を下回る事態は当然発生する。ある意味で織り込み済みの想定外であるためごまかせているが、これ以上は最悪を引かないことを祈るしかない。
「…せめて増援があれば」
思わずつぶやいた言葉に我に返りかぶりを振る。
独力で戦うと決めたときから分かっていたことだ。ありえない希望にすがるのだけは指揮官として許されない愚行だ。
勝算があるから諦めなかったんじゃない。諦めたくないから諦めなかった。
ならば全力であがくしかない。ここまで来た自分のため、連れてきてくれたみんなのために。
腕を伸ばし飛行甲板に戦闘機を滑らせる。もう敵空母を撃沈し航空戦を終えた。制空権を完全に奪った空に戦闘機は必要ない。それでも加賀は表情を一層固くした。隣の赤城も同じ表情で前をにらむ。
「…むしろここからね」
敵空母の早急な排除は最優先の任務だった。攻撃範囲の広い空母の放置は戦況をかき乱す。だから同等の射程を持つ空母として赤城とともに航空戦を行った。だが、空母を落とすために費やした時間で同艦隊の戦艦の射程内に入ってしまった。
攻撃機、爆撃機によるロングレンジ攻撃ができないならば、航空戦と異なり砲撃への防御手段がない空母に有利はない。むしろ航空機へ思考リソースを割かなくてはいけない分、不利と言えた。普段ならば哨戒もかねて飛ばす戦闘機をすべて収容して攻撃に回すことがせめてもの対抗手段だった。
もともとは制空権を得て艦隊を守ることが一航戦の本領だが、これを含めて作戦範囲であるため泣き言は許されない。加賀と赤城は弓を引き構えた。
放った矢が航空機に姿を変え敵戦艦に襲い掛かるとき、耳なれないプロペラ音が聞こえて深海棲艦が爆ぜた。
「バッチリ間に合ったじゃない!ね、日向」
「まあ、そうなるな」
回線を合わせながらのとぎれとぎれの通信がそれでも場違いに明るい声を伝えた。応じる誰かの声もどこか嬉しさがにじみ出ている。
「お、つながった。悪いけど援護お願いね」
「え、ええ…」
見慣れぬ艦娘の唐突な要請に困惑が消せないまま、航空機を操作する。援護の意味を理解する前に2隻の戦艦は動き出す。腰に携えたものに手を添え――
「日向、伊勢、突撃する」
流れるような所作で刀を抜いた。
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第27話 Great Regularity
夕立は戦場のど真ん中で立ちすくんだ。今まで考えたこともなかった深海棲艦への恐怖が襲ってくる。思いと裏腹に体はいつものように動いた。だが不意にかつての感覚が襲ってくる。熱く苦しいものに体も心も包まれながら、どこか安らかな破壊衝動。だから恐怖とは、深海棲艦に沈められることでなく誘われている感覚への恐怖だった。
その恐怖が限界に達したとき、夕立は自覚しないまま後ろを見た。かつて助けてくれたものの姿を求めて。
「吹雪ちゃ――」
「夕立ちゃん!」
だが懇願は叫び声に遮られる。こわばった視界の隅に砲弾が見えた。夕立には自身にめがけて降ってくる砲弾も、迎撃態勢をとった吹雪もはっきりと感じ取れた。意識だけが動く世界で沈む恐怖がようやく顔を出す。
――ガギン
鉄の激突する音が鼓膜を揺さぶったが、体へ直接の衝撃はなかった。助かったことしか分からないままいつの間にか閉じていた視界を開くと見慣れぬ背中があった。
「なにしてるの。ボケっとしてるなら下がりなさい」
背中越しに睨まれ、返す言葉を探していると、吹雪の声が夕立をまたいだ。
「叢雲ちゃん…?」
「ああ、吹雪。ここにいたのね」
「えっと、久しぶり…?」
「重巡か、厄介ね」
困惑したままの吹雪を無視して叢雲は槍を掲げる。
「あんた、ちょっとはマシになってるんでしょうね」
重巡に向けて槍を構えると、艤装がほのかに光を放ち、過程を意識する前に変化を終えた。あまりにも自然に行われたそれを、それでも夕立は理解した。
「改二…っぽい?」
「突撃するわよ。吹雪、ついてらっしゃい」
「艦娘の近接せんとぉ?」
あまりにタイミングのいい鈴谷の質問に亜庭は素っ頓狂な声を出してしまった。予想外の反応だったのか、鈴谷は少し身じろいで慌てて付け足す。
「いや、最上と三隈が話してたからさ、何となく…」
ただの偶然だと分かりひそかに安堵する。もっとも、鈴谷が宗谷との会話を聞いていたわけはないのだが。
「鈴谷もおばかですわねえ。艦娘が刀を振り回してどうするんですの?」
「いやいや、鈴谷が言ったんじゃないし」
「まー実際構想はあるけどね」
亜庭の返答に鈴谷は熊野とともにぽかんと口を開けるものの、熊野を小突くことは忘れない。その肘を払いのけながら熊野は少し前のめりになる。
「どういうことですの?」
「これから先はタダでは話せませんなあ」
身を乗り出して手を鈴谷の胸に伸ばすが、熊野にあっけなく叩き落される。
「提督、女同士はセクハラにならないと思っていまして?」
「いいじゃんかよー。すずやんの甲板ニーソすりすりさせてくれよう」
床に腹から落ちてもめげずにはい進む。
「キモいんですけど!うわ!提督の手、マジヌメヌメするぅ!」
鈴谷は足元に縋り付く亜庭を嫌悪を隠さずに踏みつける。
「で、どういうことですの?」
亜庭が満足した頃合いを見て熊野が話を戻す。いつも話がそれるおかげでこなれた対応の熊野に対し、亜庭は大人しく椅子に返りながら思案する。別にこれ自体は秘匿情報でもないので、隠すことはない。問題は、ある意味で今の世界の根本に迫る話をどこから話すかだった。
「深海棲艦って何だと思う?」
「なにと聞かれましても…」
「金属と生体組織ってやつー?」
鈴谷の教科書通りの解答に肯定を示すと、熊野はそれなら分かっていたとのアピールは欠かさずに質問の真意を問う。
「人類の科学の範疇では、ね。でもそれだけだったらここまで追い詰められてないだろね」
深海棲艦には人間の持つあらゆる攻撃が効かない。砲弾もミサイルも、核でさえ。観測できずとも、深海棲艦と人類の間には障壁が存在する。それを打ち破るための唯一の兵器が艦娘だった。はずだった。
「全部試したつもりでも、漏らしてたやつがあったんだよね」
「それが刀と言いたいんですの?」
正しくいうなら刃物を用いた近接武器だ。試そうと思いもしなかったのか試せなかったのかは知る由もないが、俗にいう白兵戦の意義は最近まで議論の壇上に上がらなかった。
「いやいや、わけわかんないんですけど!ミサイルぶっ放されても平気なのに刀で切れますとか言われても!」
「だからはじめの質問に戻るんよ」
深海棲艦とは何か。その仮説の一つとなる事象。
刀とミサイルの違いとは
「船への攻撃のために作られたかどうか、ってこと」
鈴谷も熊野も聞かされた答えが呑み込めずぽかんと口を上げる。
船に限らずではあるが、船は同じ船と交戦することを前提に守りを固める。かつては砲弾を防ぐために装甲を張り、現在はミサイルに対処するため迎撃システムを作り上げているように。結果的にはどうであれ、刀で切りつけられることを想定した軍艦はない。船が切りかかってくることがないからだ。
深海棲艦の装甲が砲撃戦を前提とし、白兵戦を想定していないならばそれはすなわち――
「深海棲艦は船ってことになるんさ」
深海棲艦が船を襲うのも陸を焦土と化すのも、ただ軍用艦の役割を全うしているだけだ。
深海棲艦の装甲が想定していないものには働かない力場なら、随分概念的な装甲で、そんなものを生身に携えて人類を襲っているのなら、随分な夢物語だと亜庭は思う。
鈴谷と熊野には先ほどとは異なる沈黙があった。その深海棲艦の守りを正面から打ち破り、攻撃を受け止める装甲を持つ艦娘もまた――
それは二人にとって亜庭のようにロマンで片付けられない。
二人から視線を外し思案にふける。宗谷のことは信用しているがそれは冷静さや判断力についてであり、むしろ信用の通りならば情なんてものでは動かない。艦娘を完全な兵器として見ているゆえに、損害のリスクが大きくなるならわざわざ助けようとはしないだろう。でもだからこそ、わざわざ見捨てたりもしない。艦娘の価値を知っているから助けられるなら助けるために動く。
その判断をどう行うかなど亜庭は分からない。宗谷の動きとは白瀬への評価の結果だ。なかなか面倒な男に目をつけられたものだと後輩を憐れむ。
「てか、深海棲艦を切った艦娘がいるってことじゃん!」
今更思いついた鈴谷が唐突に叫ぶ。疑問でもなかっただろうが、亜庭は肯定する。
砲弾も効かない相手に切りかかった者がいる。実のところ艦娘ですらないが。それは偶然だったが、戦いの中で人であり続ける手段と信じて、戦術にまで押し上げた。海軍にも奇特な人はいるのだ。
椅子に深くもたれかかり、湯呑のお茶をすする。
「まー、どれもこれも、しがない輸送部隊のウチには関係ない話さ」
Pixivにて行われている「アナログハック・オープンリソース小説コンテスト」へオリジナル小説「G戦場のアリア」を投稿させていただきました。
AI、ヒューマノイドなど共通の世界観をもとにした作品のコンテストです。
投稿作品は公開されているので下記URLから読んでいただければ嬉しいです。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=13711163
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第28話 Dive
砲身の先から爆ぜる火薬に照らされた刃が振り下ろされる。金属の衝突音を響かせル級の装甲に食い込むがそこまでだ。
「…む」
日向が不満をわずかに出し、反対側で同様に伊勢が盾のような砲塔に止められているのを見る。砲撃を防ぐ障害はなくとも、戦艦の装甲が厚い鉄であることには変わりない。
「やっぱ簡単には切れないかー」
「だが忘れるな」
背中に備えた巨大な砲塔が重い駆動音とともにル級に向く。反応する時間を与えずに至近距離から砲弾を叩きこむ。
「私たちは戦艦だ」
爆炎に目を焼きながら刀を引く。刃こぼれを確かめるために視線を落とすと近くで爆弾が爆ぜた。爆撃機の降下音が耳を震わせるのを感じながら、次の目標に向かった。
北上は急いで魚雷を装填しようとするが、前に立つ球磨に後ろ手で制された。重雷装巡洋艦は交戦序盤に飽和攻撃を仕掛けるのが基本戦術だ。敵との距離が近くなった今、混戦になれば魚雷の不利とは言わないが、爆弾を抱えて戦う分危険が伴う。だからといって戦わない選択もあり得ないはずだが、それでも姉2人は北上と大井の前に立つ。
「たまにはいいとこ見せないとにゃー」
普段寝るか文字通り転がる2人しか見ていない北上は少し困惑しつつ戦況を見る。数的不利は明らかで、運びを間違えれば至近距離の撃ち合いになりかねない。ならばもう一度飽和攻撃を仕掛けて主導権を握る。重雷装巡洋艦の存在意義を果たすため、魚雷を装填――
しようとしたとき、深海棲艦の艦隊の先頭を爆炎が包んだ。
「…木曽!?」
明らかな魚雷の炸裂に、北上と大井だけはその発射元に視線を向けられた。自分でも珍しい声が出たと思う。認めた影が近づいてきて軽く手を上げた。
「おう、姉ちゃん。久しぶ――いてっ!」
「なにかっこつけてるクマ」
「たまには連絡よこすにゃ」
球磨と多摩が木曽に容赦なくとびかかる。振り払おうともがく木曽を久しぶりに見て、北上は大井と笑みを交わす。
「本気でやっちゃいましょうかね、大井っち」
「ええ、北上さん」
考えても仕方ない。なるようになる、そうやって生き延びてきたのだといつものように開きなおる。そうでなくては雷巡などやってられない。立ち上がり、発射管を構え――
ようとしたが、木曽が口をはさんできた。
「ああ、姉ちゃんたちは休んでて――いてぇって!」
「生意気クマ」
相変わらず群がられる木曽だったが、何とか振り払う。そのまま腰に手を当てる。
「おれだって遊んでたわけじゃねえんだって」
親指ではじき、鯉口を切った。
「まあ見ててくれよ」
「電!しっかりしなさい!」
暁に叱責されても電の進みは遅い。かばうように雷と響が間に入る。
「暁、電は――」
「怖いのは誰だって一緒よ!」
暁は響を押しのけて電の手を握る。その手も確かに震えていた。
「でもみんな頑張ってるんだから!雷だって、響だって」
小さな手で覆い隠そうとするかのように雷と響の手も重ねる。電はまだ泣きそうな表情のままだったが、確かに頷いた。
「電、行こう」
「私には頼ってくれていいのよ」
「はいなのです」
少しだけ表情が緩んだ電を見て、暁は号令をかける。
「第六駆逐隊、戦闘開始よ!輸送だけじゃないことを見せてあげるん――」
振り向きざま、海中から深海棲艦が飛び出してきた。駆逐艦だが、反応が遅れ手で無意味にかばうことしかできない。
ザン、と耳慣れない音がした。
「おいおい、ボーっとしてんじゃねーよ」
いつの間にか閉じていた目を開けて声の主を確かめる。水面にたたきつけられた駆逐イ級の前に眼帯をつけた艦娘が立っていた。太い刀身を肩に乗せて半身で暁たちを見る。
「そんなに怖いか?」
「こ、怖くなんてないわよ!」
誰かを訪ねる前に言い返していた。
「おーおー、そりゃ良かったぜ」
「ほんとよ!レディーに怖いものなんて――」
小ばかにされたようなあしらい方についムキになるが、それも途切れる。艦娘になじみのない刀に切られた深海棲艦が再び襲い掛かってきた。だが、刀を構える前にイ級が今度は横殴りにたたきつけられる。
「ダメよー、天龍ちゃん」
厚身の槍を突き刺した艦娘が刀を持つ艦娘に微笑みかける。槍を抜いたかと思えば再びイ級に差し込む。
ザクッ
「ほら、こうやって」
ザクッ
「しっかりとどめをささないと」
ドチュッ
「また襲い掛かってきたから」
グチュッ
痙攣するイ級の柔らかい部分から出た鈍い色の体液が龍田の頬に飛ぶ。変わることのない笑顔で抱き合い震える駆逐艦たちに目を向ける。
「この子たちがおびえてるじゃない」
「ぜってーお前のせいだからな!」
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第29話 Electro Arm With Emotion
読まなくても本編に支障はないですが。
朝雲は動かなくなったタービンを見つめていた。動きのないそんな景色など楽しいはずもなかったが、ほかに視線を向ける先もなかった。もう時を数えるのも諦め、岸壁に背をあずける意味もないように思えてきた。
なんとか小島にまでたどり着いたものの、深海棲艦の勢力内では通信も行えずただ助けを待つしかない。艦娘となったおかげで体力は上がったとはいえ作戦が終わるまで耐えられるとは思えない。そもそも
「沈んだと思われてるか…」
砂浜に倒れると力が抜けた。強くなった体も無為な時間を引き延ばすだけになったが、ゆっくりと馴染ませていった諦観のおかげで絶望と呼ぶほどまではならなかった。今はまだ。
波音だけが続く聴覚に無線の電子音が入り込んだ。
金剛が背筋を伸ばすと、後ろの姉妹も同様の反応を見せた。深海棲艦に感知されることを警戒して最小限に抑えていた無線に応答があった。わずかな時間であったが、範囲を絞っていただけあって場所を特定するのは容易だった。
はやる気持ちを抑えて向かった先で、確かに人影が見えた。
「朝雲!」
比叡を筆頭に3人が駆け寄り、立ち上がろうとしてふらつく朝雲の体を支える。金剛と朝雲は顔合わせをしているものの、接点と呼べるものはそれぐらいしかない。付き合いが長い比叡たちのほうが親しいのは当然だ。言葉を交わす様子を少し離れて見守る。
「…なににやついてるのよ」
朝雲に訝しげな目を向けられて金剛は自身の表情を顧みる。
誰も気にしなかったこの作戦の最大前提――朝雲が無事でいること。
助ける是非を問うても、助ける相手がいることをだれも疑わなかった。それを愚かと断じることもできるが、疑えば作戦自体が行われなかったのだと思うととてもいとおしいことだと金剛は思う。
それにようやく気付いたのだから、にやつくぐらいするはしてしまっても仕方がない。思わず抱き着くくらいも。
「ちょ、ちょっと!なに…」
「ありがとうございマス」
朝雲がここにいてくれたから、希望はつなげられた。
ためらいがちに腕を回す朝雲を抱きかかえる。早く帰りたくなった。提督が、みんなが待つ鎮守府へ。
「テートクー!今帰りますからネー!」
「お姉さま!音を立てると深海棲艦に!」
3人は加速する金剛を慌てて追いかける。背後では気配を察した深海棲艦が動きだしているが、金剛は意に介さず進む。
「高速戦艦が追いつかれるわけねーデショウ!行きますヨー!」
「あの、金剛お姉さま…私が分析するまでもなく――」
眼前の水底から深海棲艦が現れ、金剛が急停止する。霧島が静かに眼鏡を正す。
「こうなるかと」
「…Oh」
探し出せなかった獲物をようやく捉えた深海棲艦が全方向から向かってくる。
「ひえぇー」
「は、榛名は大丈夫です!」
妹たちの視線から逃げるように顔をそらすが、胸を軽く叩かれる。
「ばかじゃないの?」
「の、ノープロブレムデース!」
朝雲にまであきれた表情を向けられて逃げ場を失う。金剛は深く息を吸った。打開策はある。金剛にとっては未知ではなく、だからこそなんの保証もないと知っている力が。
抱えていた朝雲をあずけて針路へと向き直る。
己の全てを賭すつもりで振り返ったはずなのに、広がる水平線を前に覚悟が揺らいで消えた。
1艦隊で相手取るにはあまりに多く、なお増え続ける深海棲艦。それが――
自然と口角が上がる。
――それがどうした
この水平線の先に、帰るべき場所がある。その海を共に進んでくれる仲間がいる。ならば、金剛の航路を阻むものなどありはしない。
かつてない高揚感と確信に応じ、金剛の艤装が変化し、進化する。最高の速度と火力を携えて。
「行きますヨ!本気でついてきてくださいネー!」
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第30話 Cosmos
海が心なしか穏やかになってきたと気づいた時、永遠に続くかに思われた深海棲艦が途絶えるのが見えた。まだ遥か先だが、確実に終わりがあった。その中心に異形がいた。
「毎度のことながら仰々しいことだ…」
長門がぼやきながら鎮守府に通信を入れる。禍々しい顎と巨大な砲塔で築き上げられた玉座に座する深海棲艦。側部に滑走路まで見える。今まで確認したことのない姿だが、大規模作戦が発令されるほどの深海棲艦活性化には特殊な存在が現れることは覚悟していた。巨大な圧力を放つその異形を沈めねば終わらないことも。
指揮を聞き入れ隊列を組みなおす。倒すべき敵が見えようと、そこへたどり着かなければ始まらない。これが最後でも、もう立ち止まってはたどり着けないほど疲弊していた。
最後の戦いへ機関を全開にしたとき、水平線の向こうから砲撃音が聞こえた。
<Hey、みなさん元気ですカー?>
着弾と同時に全域に通信が開かれる。あまりに場違いな声に艦娘全員の時間が止まる。反応がないためもう一度聞きなおそうと息を吸う音に、長門は空回りした機関を再動させながら代表して答える。
「…ああ、全員無事だ」
「Okay!じゃーここで決めますヨ!」
嘆息を交えながらも、長門は応じるように加速した。
金剛はひたすらに加速する。敵の砲弾も航空機も置き去りにして。唯一捉えた電波が長門の声を届ける。
<言っておくが、勝手に出撃したことは許してないぞ>
それでもここに居てくれる。提督を信じてくれた。それで十分だ。
周囲の深海棲艦に手当たり次第に撃ち込む。取りこぼしたところで、背中には妹たちがいる。ずっとそばにいてくれた仲間たちが。ならば振り返る必要などない。
いつもより広い視界の中で確信する。自分のためだと己惚れるつもりはない。皆がそれぞれの理由で戦っただけだ。でも、金剛の、提督の希望をつないでくれた。今なら胸を張って言える。
――みんなが、この鎮守府が大好きだ。
戦う理由も負けない理由もそれだけで十分すぎた。
深海棲艦の最深に向けて全砲門を向けた。対称に長門の砲口が見える。
「これでFinishデース!」
号砲と閃光が景色の全てを包み込んだ。
白く染まった世界の中で更に輝く光の泡が立ち上る。消えゆく瞬きを瞳に焼き付けながら、金剛は胸に手を当て静かに祈る。
還り往く先が穏やかであるように――
海に静けさが広がり、生まれた空白に歓声が満ちていくなか、鳳翔はゆっくりと空を見上げた。
立ち込める感情が安堵か喜びか祝福か分からない。ただ一つ、はっきりと――
かつての戦場に背を向け、疲労で震える腕を上げて航空機を収容する。
――今はただ鎮守府に帰りたかった。
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第31話 In My Heart more heart
「朝雲…!」
朝潮が脚をふらつかせながら駆け寄ってくる。服も破け、傷も見える。それでも、頑なな姉に大きな怪我がないことに安堵する。応えるために支えられながらも立ち上がる。霞が朝潮を追い抜き、ようやくバランスをとった不安定な体に抱きついたせいで倒れかけるが、しっかりと支えられた。
「…ごめんね、私ひどいこと言って…」
後ろから静かに頭を撫でる朝潮を見て分かった気がした。霞には彼女なりの苦しみも葛藤もあって、それはただ生きていた自分よりずっと大変で、だからこそ生きていて良かったと思えた。
朝潮に重ねる形で伸ばした手は霞に乱暴に払われた。
「番号は下でも私のほうが先輩なんだから…」
「なによ」
行き場がなくなり下げた手ごと抱きなおされた感触を受け止め、ようやく自分の頬に涙が流れていたことに気づいた。
まだ足りなかった。霞が顔をうずめてぐしゃぐしゃに泣いているなら、後輩はもっと泣いていいはずだ。
息ができなくなるほど声を上げてあふれた涙がようやく止まったとき、朝潮と目が合った。久しぶりに見た気がした微笑みに、鼻水をすすりながら精いっぱいの笑顔で応えた。
「…ただいま」
「テートクー!がんばりましたヨー!ほめてくだサーイ!」
執務室の扉を跳ね開けながら飛び込んだ。が、いつもは正面にいるはずの白瀬が見えない。
「テートクー?ドコですカー?」
体全体を回しながら探すと、応接室のソファーで倒れている白瀬が見えた。心配になり覗き込んだが、ただ寝ているだけのようだ。休むことなく指示を出し続けていたのだから当然なのだが、おそらく鳳翔がかけていったであろうブラケットを見て頬が膨らむ。
「テートクがほめてくれるまで動きませんヨー!」
隣に座り込んで白瀬を見る。
「早くおきてくだサー…イ…」
その寝顔が安らかで、ずっと見ていたいと思いながら、金剛の意識もゆっくりと降りていった。
朝、いつもの習慣で散歩に出かけた。来た事のない鎮守府の敷地内は見慣れた鎮守府と大きな違いがなくとも新鮮だった。昨日の夜はみな遅くまで騒いでいた分、朝早いはずの鎮守府が静かだった。外様には関係のない話だが。
「…叢雲ちゃん、っぽい?」
「ぽい、じゃないわよ」
静けさをどこか懐かしんでいたところに背後から声をかけられ少し不機嫌になる。それを見て遠慮がちだった立ち姿がさらに縮こまる。それでも夕立は一呼吸開けてから続ける。
「その、叢雲ちゃんの…改二って――」
「さっさと言いなさいよ」
「か、改二って、どうやってやったらいいか教えてほしい、っぽい…」
――ああ、そうか
叢雲は海での夕立を思い出し合点する。
「あんた、深海棲艦化したのね」
何気なくその名を口にした叢雲に夕立は目を見開いて答える。おそらく吹雪は夕立にそこまで告げてないのだろう。そしてそれでも叢雲が何を言ってるのか分かってしまう。
伏し目に戻った夕立を見て、自分を恐れているのではないことを悟る。目の前の彼女は己の内側のなにかを恐れ、それでも克服するすべを求めて叢雲に声をかけた。であるなら、叢雲の答えは決まっている。
「…その、夕立もみんなの力になりたくて――」
「やめときなさい」
立ち止まる夕立に叢雲も立ち止まる。残念ながら、吹雪ほど甘くはない。
「誰かのため、なんて理由ならね。改二はある程度解析も進められてるけど、深海棲艦化については全くと言っていいほど分かってないわ。なんでか分かる?」
首だけ振り返り、答えを待つつもりのない問いかけの答えを告げる。
「みんな死んでるからよ」
再び表情がこわばる夕立を見て再び歩き出す。もう夕立はついてこない。
夕立の感覚は正しい。改二と深海棲艦化は対のようなものだ。深海に触れるものだけが改二へと至れるのだろう。だが、改二が唯一の解決法ではない。
改二など夢見ずに逃げればいい。死地からも恐怖からも。深海棲艦化を起こしている以上、いくらでも言い訳はある。
「助かった命を大切にしなさい。自分の命がなによりも大切なのは誇るべきことで、とても幸運なことなんだから」
親切心で告げた言葉を置いて角を曲がった。
「あ、叢雲ちゃん」
しばらくたって、能天気な声を今度は正面からかけられた。この鎮守府で声をかけてくるのは本来この1人しかいない。
「あらためまして、久しぶりだね」
「吹雪、あんたこんなところにいたのね」
ふと昨日の繰り返しと気づいて顔をしかめるが吹雪は気にする様子がない。
「うん、叢雲ちゃんと別々になってからいろいろ移ってたんだけどね」
「ここじゃ教官みたいなことやってるみたいじゃない。まともに航行もできなかったのに、えらくなったものね」
とげのある言い方になってしまったが、吹雪は照れ臭そうに頭をかく。
「えへへ…なんかみんな尊敬とかしてくれないけど」
「それは無理ね。身の程を知りなさい」
大げさに落ち込む吹雪は急に背筋を伸ばす。忙しいものだ。
「そうだ!夕立ちゃん見なかった?」
意外と面倒見の良い吹雪に、自らの背後を左寄りに指さす。別用があるならこれ以上話すこともないだろうとすれ違おうとする。
「気をつけなさい。あの子、沈みかねないわよ」
どこまで意図を理解したのか分からないが、吹雪はおずおずとうなずく。叢雲の背中を見て思い出したかのように最後に尋ねてきた。
「ねえ、叢雲ちゃんはどこの艦隊にいたの?」
「言っても分からないわ」
一瞬の間が空いた。その空白のうちに手が無意識に固く握られたのを自覚する。
「――何もない、小さな島よ」
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第32話 Thinker
手の甲に乗せた瑞雲を指先で弾く。舞い上がる水上機のプロペラ音を聞き、損傷が直ったことを確認する。
「器用なものね」
瑞雲を見ながら頷いているところに声をかけられる。日向は声の方向を見ながら足元に着水した瑞雲を拾い上げる。淡々とした賞賛は艤装もなく航空機を飛ばしたことにだ。
「私の体が船なら、腕はカタパルト。そう考えれば難しいことではない」
日向の答えに、飛び交う瑞雲を見ながら複雑な表情をわずかに見せる。
「加賀、だったか。昨日は世話になったな」
「こちらこそ」
「大した腕だ。我が鎮守府の加賀にも見習わせたいものだ」
素直な賞賛を返したつもりだったが、どうしても抑揚が出ないせいで社交辞令のようになってしまった。だが、加賀もそんな話をしに来たわけではないのだろう。
「だが君には迷いが感じられるな」
加賀は相変わらず無表情だが、先ほどの反応を見ても大体察しはついた。腰に携えた刀を握る。
「皮肉なことだが、艦娘としての戦いを突き詰めていけば軍艦としての戦いから遠ざかっていく。改しかり改二しかり、我々しかり、だ。君にはそれが耐えがたいことなのだろう?」
「…私、ではないのかしらね」
加賀は肯定も否定もせず、ひとりごちた。視線は相変わらず海に向けられている。飛び交う瑞雲に問いかけるように独白を続ける。
「勝手に押し付けているだけよ、正しいのか分からないのに。律儀に船として戦うことしか誇れるものがないのね、私は」
「君の弟子はなかなか果報者だな」
日向の苦笑いを見て加賀はようやく表情を変える。あからさまなあきれ顔だったが。
「話を聞いていたの?」
「弟子を想い悩めるのは師として前提の資質だと思うがね」
「おーい、ひゅうがー」
ますます冷たい表情を深める加賀だったが、補足の前に遠くから伊勢に呼ばれた。どうやら時間切れのようだ。
「君は君だよ、加賀。我々が船だろうと人だろうと、それは変わらないさ」
「無責任ね」
せめて楽天的と言って欲しかったが、無責任ついでに最後に告げる。
「悩んでいれば答えも勝手に降ってくるものだ。それまで思案を楽しめばいい」
相変わらず無反応の加賀を置いて伊勢に合流する。
――人であろうとするために船であることに固執するか。
なかなか興味深い考えと思った。少なくとも日向の中にはない思考だ。気づけば伊勢が物珍しそうにのぞき込んできていたので
「いや、珍しく語りすぎてしまったと思って、な」
と告げてやると伊勢は腹を抱えて笑い出した。そのまま日向の背中をばしばし叩く。
「いやいや日向、それいつもの事じゃん!」
「…むう」
木曽はなりだしたキッチンタイマーを黙らせる余裕もなくグリルの火を止めた。腕がなまっていることを痛感しかけたところでようやく気が付く。
「なんで俺が飯作ってんだ!」
「まあまあ、久しぶりに顔出したんだからご飯でも作っていくクマ」
「ニャー」
あまりにも早くだされたこたつに入って寝転がる姉たちは全く動じない。大井と北上も入って四隅を埋めているのは、以前は見なかった光景だ。かつては多少なりとも手伝ってくれたはずなのだが。
「あなたがいなくなって北上さんにまで炊事をさせてしまってるんだから」
「やっぱりさ、作ってもらうのがおいしいよねー」
言い訳にならない言葉を聞きながら料理を運んでいくと球磨と多摩が跳ね起きる。大井がずれて開けてくれたスペースに入り込み、魚をくわえる二人を見つめる。なんだか懐かしい気持ちを押し込もうとすると不意に動きが止まる。
「木曽は強くなったにゃー。1人でも頑張ってたんだにゃ」
「でも、寂しかったらいつでも帰ってきていいクマ」
「な、なんだよ、急に」
4人に見られていることに気づき、赤くなった顔を隠す。小さな笑い声が聞こえてますます熱くなっていく顔をこたつに埋めた。
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第33話 no more cry
季節外れの日差しが作る木漏れ日が鎮守府の隅をまだらに照らす。碑銘すら刻まれぬ石と誰かが供えた花の前で、長門はただ立っていた。
「終わったよ」
誰にも聞こえない言葉が零れ落ちた。分かっていた。何かが戻るわけでも、許されるわけでもない。分かっていたはずなのにどうしようもなく悲しくなる。
「それでも、歩き出せる気がするよ」
告げるべき者がここに眠っていないことがさみしく、伝えきれないことが胸に痛みを残す。うつむきかけた長門の傷を隠そうとするかのように、優しく胸が包み込まれる。
「もういいのよ」
「…そうか」
陸奥のぬくもりを確かめながら、背中から回された手をしっかりと握り返す。
「ありがとう」
少し照れくささを感じながら、陸奥に微笑みを返す。
「いつもそばにいてくれて」
長門の肩に体をあずけ、静かに目を閉じた。
「当たり前じゃない。姉妹だもの」
何を成したわけではない。これからも変わらない日々が続くのだろう。そう思いながら、長門は建物の一角を見つめる。この静けさをもたらしてくれた者が軍規違反をしたのもまた事実だ。それは本人も分かっていたようで、けして明るいとは言えない今後を何でもないように言っていた。どこかすっきりとした表情が救いだったが、提督としてはいられないと告げられて返す言葉もなかった。
どうしようもない無力な自分を恨みながら、少しでも彼の行く先を照らせる何かを思案した。
白瀬に連れられて初めて来た大本営の内部で吹雪はまじまじと内装を見ていた。それに合わせてゆっくりと歩いていると、二回目なのにもう見慣れてしまった姿が曲がり角の先で見えた。
「おっす、新入りくん!派手にやっちゃったみたいだねー」
相変わらずの軽薄な笑みが忘れようもない事実を突きつける。前回と違い、今日の白瀬は裁かれに来たのだ。硬い表情をする白瀬に吹雪が追いつくと、吹雪が驚いた声を上げた。
「ええ!?みかひゃひゃん!?」
その驚声は亜庭に乱された。
「初めまして、吹雪ちゃん」
亜庭は吹雪の頬をつねる。顔を近づけにやつく亜庭を吹雪は不思議そうに見返しながら、されるがままになっている。一通り頬の柔らかさを堪能されてからようやく放してもらえる。
「えっと…初めましふぇ?」
「いやー、ついついつまみたくなっちゃ――げぅ!」
亜庭の首に腕が回され締め上げられる。髪を短く整えた艦娘が申し訳なさそうに亜庭の上から顔を出す。
「ごめんね、僕のところの提督が嫌な思いさせて」
表情こそ申し訳なさそうな笑みだったが、下で必死のタップをされても腕を緩めないところに固い意思を感じる。
「ちょっ――もがみん…まだ、させてな…い――」
「そんなわけないだろ。ちょっと目を離すとこれなんだから」
引きずられていく亜庭を呆然と見送りながら、なんとか思い出した疑問を吹雪に向ける。
「知り合いか?」
「えっと、人違い、です…たぶん」
歯切れの悪い吹雪の答えを詳しく聞く前に、壁にかかった時計が開廷の時間を告げた。
予想と違わぬ追及にうんざりしていたところで水を向けられた。加勢を微塵も疑わない間抜け顔に悪態の一つでも付きたくなる感情を抑えながら、宗谷は告げる。
「損害もなく深海棲艦を鎮圧したのは事実だ」
「だが、彼の鎮守府はしばらくまともな艦隊運用もできないほど――」
「トータルとして見ると全鎮守府を動員する従来作戦より消費資材は少ない」
粗末な反論に不快感を露わにすると小太りの提督は言葉を詰まらせた。
結果論は嫌いだが、大規模作戦のはずを単独で終わらせてしまった以上、戦果を見ると非の打ち所がないがないのも事実だ。責めるならば無理を通そうとした過程だが、作戦の詳細を検分する発想もなく、見たところで理解できない輩がほとんどだ。これ以上は面倒なので釘をさしておく。
「枯渇した資源は他の鎮守府から回せばすぐに回復する。あなたたちの遠征記録をみると随分ため込んでいるようですし」
こんな駆け引きもなにもないやり取りで黙らせられることにうんざりする。亜庭の言葉を借りるならば一国分の軍艦を指揮する立場である帝国海軍の提督とは、数多の利権が存在する。その利権をほぼ独立した個人の裁量に任され、その立場が日本海軍の天下りに使われるのであれば腐るのは必然と言って良い。目の前の男にしても、艦隊運用に支障がない程度の横流しで収まっていることを称えるべきなのかもしれない。
ともかく、結果を責められず過程に触れられない限り残された主張は単純に命令違反だが、それは最終的に元帥に委ねられるもので――
「鎮守府を通常作戦遂行可能へと復帰することを優先する」
咎めるより鎮守府の機能維持が最善と言われれば反論の余地は与えられない。元帥の腹は知らないが、白瀬を追放したところで入ってくるのは日本海軍からのお下がりだ。白瀬を追及することができないのがこの帝国海軍の実情だった。
重い音と共に白瀬が倒れた。口の中を切ったのかわずかに血を滲ませる。
「司令官!」
膝をつく吹雪もまとめて見下ろす。白瀬の上げた目線が抗議でも困惑でもないことは見て取れた。
「楽しかったか?神に祈るのは。それとも神とでも思い上がったか?」
「そんな、司令官は――」
困惑が引かないまま声を上げる吹雪を白瀬は制する。そのまま立ち上がるのを見届けず出口へと歩き出す。
「ありがとうございました」
律儀な敬礼と共に改まった謝辞が聞こえた。少し遅れて陽炎が小走りで追いついてきた。
「司令らしくないわね、八つ当たりなんて」
この程度で反省も何もないだろう。そんな安い覚悟だったとは宗谷も思っていない。無意味だと分かって、それでも殴ったのだからは確かに八つ当たりだ。
「別にいいけどね、変に感化されないなら」
心配されていることに気づき顔をしかめると、陽炎は手を頭の後ろで組んで笑った。
「ま、それはないか」
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最終話 Curtain Fall
「司令官、大丈夫ですか?」
腫れが引いてきた頬を吹雪はまだ心配する。白瀬の首肯に応じて、頬に当てていた濡れたハンカチを離す。宗谷の秘書艦からもらったハンカチを、その艦娘は返さなくていいと言っていたが、吹雪はどうしたものか思案し、とりあえずといった感じでポケットにしまう。
そうこうする間に車は鎮守府の前に停まりドアが開く。門の前では鳳翔が待ってくれていて、丁寧なお辞儀のあと、少し不安な表情を見せる。
「おかえりなさい。…あら、金剛さんが――」
「テートク―!」
鳳翔が見回して探す前に、妙に上機嫌な金剛が遠くから走ってくる。
「テートク!見ましたカ!?サムライがいましたヨー!」
久しぶりに見せつけられた異国のテンションに白瀬はあいまいに返事する。それを見て金剛は白瀬の肩を揺さぶり感動を伝えようとする。
「私がジャパンに来た時はもうサムライはいないと聞かされてたんデスヨ!サムライは国家機密、つまりジャパニーズMI6だったんデスネ!」
とどまることない暴走に3人は顔を見合わせて困惑を共有する。なんと言うべきか頭をひねる吹雪の腕が引っ張られる。
「ブッキー!ハラキリみせてもらいマショー!」
「そ、それはダメです!」
焦って逆に引っ張り返す吹雪と不満そうに頬を膨らます金剛に、白瀬は肩の荷からが抜ける。
「お前は気にしないんだな。俺の処遇を」
金剛は少しの間止まって不思議そうな表情を見せたあと、小さく笑った。
「私はテートクの行くところにズットついていきますヨ」
その微笑みに答えるように、白瀬も静かに笑い返す。
「だったら、しばらくはここにいてもらわないとな」
「良かったデス。私もこの鎮守府が大スキですカラ」
明るさを増した笑顔と安堵の表情を見せる鳳翔に、吹雪も笑顔で応える。
「早く行きまショウ!みんなに教えてあげないとデス!」
金剛に背中を押されながら、庁舎に入っていった。
「すまない、遅くなっ――」
白瀬が執務室の扉を開けると、長門が窓にいい感じにもたれかかり黄昏ていた。扉が開く音を聞き、流し目を向ける。
「ああ、提督か。いや、もう提督ではないのかな」
違和感しかないたたずまいに吹雪と顔を合わせている間に長門はゆっくりと立ち上がった。
「長い付き合いとは言えないが、迷惑もかけたし世話になったな。いや、まずは非礼を詫びなければならないな」
「…あの、長門さん――」
吹雪が遠慮がちに間に入ろうとするが、長門は気づかずに続ける。何かを察した陸奥は長門から静かに離れていったが。
「あなたのおかげで我々は救われたんだ。あなたの行く先にこれからどんな困難があるか、私には分からないが、それは忘れないで欲しい。これは別れ酒であり、あなたの新しい人生の門出を祝う祝い酒だ」
「いや、その…」
神妙でどこか柔和な笑みを浮かべ、盃を差し出してきた。まっすぐ見つめてくる長門に対し、白瀬は斜め下に視線を逸らす。それを見て長門は苦笑する。
「まあ、こんな色気もない女に酌をされてもつまらないだろうが――」
「違うんだ、長門」
「…違う、とは…?」
上目で伺うと怪訝な表情の長門が見え、耐えられずに再び下を向く。なぜこんな仕打ちを受けるのかと自問しながら、それでもなんとか声を絞り出す。
「……不問になったというか、このまま提督を続けられるらしくて…その…」
「――!?」
視界から外れたところで動きが止まる。何に対してかは分からないが、心の底から述べた。
「…すまん」
その瞬間、バン、と何かが倒れる音が聞こえた。ちらりとそちらの方向を見ると、陸奥が机に突っ伏していた。必死に耐えているようだが、震える肩と噛み殺せなかった笑いが漏れ出ていては意味がない。
「…そうか、うん、そうか。それは良かった…いや、本当に――」
上げてしまった視線を恐るおそる長門に向けると、今度は長門がうつむいていた。盃を持ち差し出していた手が震えている。
「なが――」
――パキッ
白瀬を遮るように盃が割れた。吹雪が後ずさるのをよそに手に取った酒瓶の口が親指で圧迫されて悲鳴を上げる。
「――めでたいことだ。ほんとうに、めでたいなあ…」
先ほど以上に物々しい音を立てて瓶の先端が割れた。長門は破片が飛び散るのを意に介さず、割れた口から酒を一気に流し込む。うつろな目でふらふらと執務机に歩み寄るとおもむろに全館放送のスイッチを入れた。
「のむぞー!今日は宴だ!」
「待て待て!まだまっ昼間だぞ!」
慌てて長門を引き離すが、すでに軽空母寮を中心に雄たけびが響いてきた。前後不覚の長門は簡単に引きはがせたが、抵抗は続く。
「うるひゃい!ほら!ていとくものめ!」
「あぶなっ――」
口の割れた瓶を押し付けられそうになり、慌ててかわす。なんとか奪い取ったところで陸奥が背中から抱き着いてきた。まだ肩を震わせ、涙まで滲ませている。
「たまにはいいじゃない。今日ぐらい羽目を外しましょ」
「そうは言うが――」
「ムム、ムツ!なにしてるデスカ!?」
金剛が仁王立ちで陸奥を指さし糾弾する。静かに顔を出す鳳翔もだが、さっきまで吹雪を除いて隣にいなかった。
「お前ら逃げてたな…」
動揺で冷や汗を流して震える金剛をみても陸奥は余裕の笑みを作る。
「なにって、それはもちろん、ねえ」
「テートクをどうするつもりデス!?」
「あら怖いわ。たすけて、提督」
陸奥は掴みかかろうとする金剛を避けて白瀬に抱き着き、金剛がますます荒ぶる。開け放たれた窓から雲一つない空へ、いつもと変わらない鎮守府の喧騒が広がっていった。
「ムキ―!テートクから離れるデース!」
これからも
私たちの行く先は辛く苦難に満ちたものなのでしょう
でも、
これからは
あなたがいてくれる
それだけで
この長く果て無き航路を進み続けることができます
水平線が暁を告げる、その日まで
ご継読ありがとうございました。
初執筆であり、慣れないことも多くありましたが一通り書き終えることができました
。
実体験(イベ前に大和が欲しくなり溶鉱炉で資源を溶かしたうえ情報を集めず初日から突っ込み朝雲堀りが沼る)を補正しつつ書き上げた作品です。
最終話となっていますがこの話は第1章の位置づけで、これからもアイディアが続く限り投稿を続けていく予定です。
世界観は同じながら手法や話の方向性は変えていく予定ですので、別作品とするか続編とするかは未定ですが、近いうちに投稿します。
この先もお付き合いいただければ幸いです。
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第2章 第1話 your doors
前回の連載から3か月たってしまいましたが、今まで雑に立ててきたフラグを回収していく予定です。
感想などもいただければ励みになりますのでよろしくお願いします。
荒れる海をかき分けて航路を選ぶ。高く跳ねる波も強固な機関に支えられた彼女の航行には大した支障をもたらさないが、そう言えるのは戦艦の中でも大型の武蔵だけだ。
…どうも最近気を使われているな。
波に足を取られる駆逐艦たちを見る。艦隊は他が駆逐艦のみで、任務も偵察。不自然な運用に異を唱えなかったのは提督に対してその思いがあったからだ。出撃すれば気がまぎれると思われているのは犬扱いされているようで心外だが、実際にそうなのだから文句も言えない。
悪天候のなか不安そうに進む駆逐艦たちを見遣る。深海棲艦の勢力圏に入っていることもあり不安そうではあるが、上手くなだめる言葉が思い浮かばない。旗艦の難しさは編成数だけで決まるわけではないとやってみて思う。
――大和ならどうしたのだろうか。
ふいにもういない、ある意味で気を紛らわさなくてはいけなくなった元凶である姉を思い出す。武蔵と違い人あたりが良く、どこか抜けていても頼りにされていた姉。彼女がいたなら変わっていたのだろうと考えたところで、現実に意識を戻した。
「全艦減速」
端的な指令を出して前方を見る。偵察の目的、活性化する深海棲艦の中枢の確認は予想よりずいぶん手前で果たせそうだった。電探で捉えた敵を確認しようと感覚を研ぎ澄ますが
「なっ…!?」
捕捉したはずの意識はすぐに乱される。ついさっきまで内側にいたはずの存在が、そこにいた。普段からは想像したこともないであろう武蔵の声を聞いた駆逐艦も遅れて悟る。
「やま…と――」
「なんで清霜はいかせてくれなかったのー」
帰還して執務室に向かう廊下で清霜の聞きなれた声が聞こえた。大方、武蔵と出撃できなかったことをごねているのだろう。
「あなたはよっぽど武蔵が好きなのね」
「前回は一緒にしたのだからいいだろう?」
なだめているは長門と陸奥だ。想像通りに頬を膨らませている清霜を含めて3人が武蔵を認め、会話が止まる。
「あ、武蔵さん!」
「ほら、もういいだろう」
長門が疲れたようなほっとしたような溜息を出して清霜の背中を押す。清霜は押されるがまま武蔵のもとに駆け寄る。
「じゃあ、私は酒保に行くわね」
陸奥は武蔵と言葉を交わすことなく反対側へ歩いていった。それを見送った長門は武蔵へ向き直り弁解を含めて笑う。
「ご苦労だったな。どうだった?」
そんな長門もどこかよそよそしい。これが、提督が武蔵に気晴らしをさせる理由だ。
前回の大規模作戦は成功に終わったと言える。だが作戦自体の是非であれば武蔵は否定的な立場に変わりはない。長門型、特に陸奥とどこか壁ができているのは今に始まったことではなく、原因が武蔵の言動にあることは武蔵自身も分かっている。だから彼女たちが表向き他の艦娘と変わらず接してくれていることには感謝しているが、武蔵が改めるのもまた違うのだろう。
――大和
この問題の端を発することになった姉と、出撃中に触れた感覚。
「武蔵、どうした?」
いつの間にか思考が揺れていたようで、気づけば長門が怪訝そうに武蔵を見ていた。小さくつばを飲み、浮かんだ世迷い言を追いやる。
「…いや、なんでもないさ。今から提督へ報告に行くが、お前はどうする?」
「――以上だ」
取り立てて珍しい情報もない報告が終わる。何かあるかと問いかけるが、提督である白瀬は特に追及もなく謝辞を述べる。
「提督、もう十分に情報は集まったと思うが」
武蔵の背後から長門が問う。大規模作戦の動向を聞くためにわざわざ同席するのだから熱心なものだと感心する。
「今回は急ぐ必要もないからな。通常の要綱に従うよ」
前回の作戦のことを思い出したのか、提督は軽く苦笑して首を振る。
「だが、今回も我が鎮守府が最前線であることは変わりない。厳しい戦いになるが、よろしく頼む」
世にいう提督としては珍しく艦娘に頭を下げる。それに軽く応えて背を向ける。
「武蔵」
向けた直後に呼び止められる。
「本当に何もなかったんだな?」
軍人には珍しい弱い物腰でも、やはり提督となるだけの素養はあるものだと武蔵は小さく笑う。それを隠そうとせずに振り返る。
「ああ。何か問題でもあるのか?」
扉が閉まると背後から大きく息を吐きだす音が聞こえた。
「イヤハヤ、こっちの気にもなってほしいものデスネー」
金剛が肩をまわしてほぐしながら来客用のソファに座り込む。
「ナガトもムサシもフレンドリーにしてもらわないと私たちが疲れマース」
さも同じ境遇の仲間感を出してくるが、さっきまで気配を消して背景に溶け込んでいたのを忘れてはやれない。
「そう言うな。あいつらだってあいつらなりの考えや苦労があるんだ」
前の作戦では長門の肩を持つ形になったが、武蔵の考えも理解できるし、むしろ冷静な判断だといえる。それぞれの信念が違う中で多少空気が重くなるくらいなら良くやっているほうだ。一応従軍しているとはいえ白瀬より年下の少女なのだから。
…年下、か
ふと心をよぎった言葉を繰り返してみる。白瀬は自分がやっていることを顧みる。いまさら是非や罪悪感といった感情に苛まれはしないが、どうにもできない自分をもどかしくは感じる。本来、深海棲艦のいない世界では海軍が守るべき存在だった。幼い駆逐艦たちはもとより――
「…そういや、鳳翔も俺より年下なんだよな――」
「テートク―」
金剛の低い声とジト目を受けてようやく意識が声に出ていたことに気づく。
「いや、悪い意味ではなくって、包容力があるとかそういう…」
「なんでもイイけど、ホーショーの前で言っちゃダメですヨー」
金剛はゆっくり立ち上がり白瀬に近寄る。次の動きを予想して腰を浮かせた。
「それに私だってホーヨーリョクはありマース!」
「物理的にな!」
今回もサブタイトルはアーマードコアの曲から引用していますが、たぶん途中でネタが切れます…
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第2章 第2話 Flood Of A Life
「加賀さんはこの後訓練ですよね」
赤城は一般的に考えられるより明らかに過剰に盛られたご飯と加賀より早くたいらげ、お茶をすする。
「え、ええ。そうね」
加賀は感心しているが、加賀が食する量も初見の艦娘は二度見するほどだと本人は気づいていない。
「最近は別行動が多いですね」
赤城は眉を下げるが声は穏やかなままだ。加賀も昼食を終えて立ち上がる。赤城が出撃の準備のために自室に戻るのを見送る。
ここ最近は加賀と赤城の別行動が増えてきた。空母が2隻必要な場合でも他の艦娘と組むことが多く、それは指導する立場になったために自然な流れなのだが寂しさは感じてしまう。赤城も寂しいという感想に同意を示してくれるが、本当のところは分からない。加賀は己の不安定さを自覚しながら目下の悩みの種のもとへ向かった。
「瑞鶴はこの後訓練よね」
瑞鶴は姉である翔鶴の食事を見て普通だと思っていたので少し返事が遅れた。なぜわざわざそんなことを考えたのか不思議に思ったが、思い当たる節はあった。よく空母のくくりでまとめられるが、エンゲル係数がとびぬけて高いのは一航戦と二航戦の先輩たちだけだ。
「そうそう。翔鶴姉は?」
上げた視線を再び落とした。それをのぞき込むように翔鶴が見てくる。
「私は出撃だけど…なにをしてるの?」
「手紙。最近友達と連絡とってなかったから」
そういいながら手を止めて伸びをする。
「うーん…検閲にかからないようにするのって結構難しいのよねー。届かないのはもちろん困るけど、黒塗りされても変に誤解されちゃうから」
瑞鶴自身は戦闘や作戦について漏らすつもりはないし、重要な秘密を知っていると思っていないから検閲に不満はある。けれども結構最近までは外部との連絡はほぼ不可能だったと言われると食い下がるわけにもいかなかった。
「翔鶴姉も書いてみたら?みんなが頑張ってるの知ったら私も頑張ろうってなるし」
「そうね。手続きが大変だから敬遠してたけど、書いてみようかしら」
「うん。私が教えて――」
前に戻した視線の先に目下の悩みの種がやってくるのが見えた。この後の訓練にはまだ時間があるが、訓練前に艤装の手入れをしなければいけないのでのんびりもしてられない。
「あ、加賀さん…今から――」
「いいわよ」
急ぎ片付けようとする瑞鶴の手元を見て加賀は告げた。そのまま出口へと方向を変える。
「大切な便りなんでしょう?しっかり推敲したらいいわ」
いつになく、といっても瑞鶴の主観だが、穏やかな加賀の言いようにぽかんとしてしまう。何となく取り繕わなくてはいけない気がして澄ました横顔に声をかける。
「加賀さんも手紙出したらどうですか?家族とかともだ――」
「瑞鶴」
指導中でも聞いたことのない声音に拒絶を感じた瑞鶴は口をつぐむ。
「無駄話をしていいとは言ってないわ」
「は…はい」
小さいつぶやきを返事とするしかできず、去っていく加賀を見送る。背中が角に消えたのち、翔鶴と目を合わせた。
初めて見たとき、彼女が航空機を飛ばす姿に目を奪われた。航空機の制御どころか自分の持つ力が何かも分かっていなかったが、天へ駆け上がっていく航空機に胸がすくような思いがしたのは初めてだった。
名前などただの役職であって、史実とつなげたことなどなかった。でも思ってしまう。自分が加賀ならば、彼女が瑞鶴の名を与えられたのは必然なのだと。
師など適さないことは分かっている。でも伝えたかった。未来をその手で選べるように。技も、できれば想いも。そう遠くないうちに超えていくだろうその日が来るまで。
「あーっ、瑞鶴だ!」
「飛龍さん、蒼龍さんも」
とぼとぼ歩いていた瑞鶴は曲がり角でぶつかった飛龍の柔らかい何かに弾かれたが飛龍は全く動じていない。
「すいません!私の不注意で――」
「いいっていいって。私も悪いんだし」
笑いながら手を振る飛龍と心配そうにしてくれる蒼龍に安心して、むしろほぼ反射的に平謝りしている自分に気づいてしまい、先ほどと違った溜息をついた。
「ちょうど良かった。今から夜ご飯行くけど一緒にどう?おごってあげるよ、蒼龍が」
「ええー、今日は私が勝ったのにー」
言い争いながらも瑞鶴には有無を言わさずに両脇を固める二航戦にされるがまま移動が始まった。
「なに悩んでたの?って加賀さんかー」
蒼龍が好きな食べ物を聞くノリで核心をついてきたので瑞鶴はたじろぐ。
「えっ、なんで…」
「私たち二航戦の目はごまかせませんよ」
「いつものことだしねー」
そんなふうに見られているのか、と恥ずかしさの混じった苦々しい感覚が胃のあたりに落ちてくる。
事実、今日は特に道具の手入れについて指導された。訓練の時間にギリギリとはいえ間に合ったことには何も言われず、つまりは普段から整備をおろそかにしていなければ良かったのだから筋は通っている。使う前にしか手入れをしないのが自分のさぼり癖なのは分かっているし、訓練前後も使わない間も管理を怠らない加賀には言及する権利があるのは分かっている。分かっているからこそそれでも出てしまう愚痴をどこにもぶつけられない。
「でも、今日調子が悪かったのは別に関係ないわよ…」
「お、いいじゃん!今夜は吐き出していこう!」
気づくと目の前にのれんが見えていた。瑞鶴にはあまりなじみのない店。
「ここって――」
「鳳翔さん、こんばんはー」
少したじろいだことなど気づきもしない2人に挟まれて入店する。
「いらっしゃい。あら――」
「珍しい顔がおるやん」
鳳翔の言葉をカウンターで向かい合っている艦娘が引き継ぐ。
「お、龍驤さん!おつかれさま!」
「おつかれさまです。龍驤さんは今日は1人なんだー」
「あとから瑞鳳は来るで。今日はうるさい連中がおらんから静かに呑めると思っとったんやけどなあ」
言いながらも椅子を寄せてきて3人の席を作る。気づけば発生していた流れに逆らえないまま席に座らされる。初めて見る店内を見回していると鳳翔と目が合った。
「あ、どうも…」
来た事のない理由の1つが鳳翔だ。といっても瑞鶴と鳳翔本人は軽く挨拶をかわしたくらいしかない。ただ、加賀の師に当たるとは聞いているし、親しそうに話しているのも何度も見かけた。いまいち険悪な関係の加賀と親密となれば何となく距離を置いてしまっていた。
「瑞鶴さん、いらっしゃい。今日はどうしました?」
「鳳翔さーん、ビールちょうだい!」
「わたしもー。いやー瑞鶴が加賀さんに不満ためてたからさー」
「ちょっ――」
瑞鶴が距離感を計っているのとなど思ってもいないのか蒼龍がさらっと爆弾を投下した。うすうす気づいていたが、二航戦の先輩たちはそういった繊細なところに無頓着だ。
「あら、そうですか」
「加賀もむつかしいやつやからね」
少し困ったように笑いかけてくる鳳翔と変わらず日本酒を口に運ぶ龍驤の反応に胸をなでおろす。考えすぎかと思ったとき、なにも考えてなさそうな両隣はからになったジョッキがカウンターに置いた。
「おかわりー。でもいいなー。私たちも後輩ほしいなー。提督に言っても聞いてくれないけど」
「だよね。私に弟子なんていたら絶対甘やかしちゃうね。提督はさせてくれないけど」
何を聞いていたのか勝手に盛り上がる先輩たちにあきれながら、このくらいゆるい感じなら楽しいだろうなと思ってしまう。
「わたしも飛龍さん達のほうがいいかも…」
「本気でゆっとんのか、じぶん…」
「ちょっと、どういう意味よ」
ハイタッチしかけた二航戦は噴き出した龍驤に水を差されて頬を膨らます。
「あんたらにまともな指導ができるかいな!いっつもむちゃくちゃやりおって!随伴する身にもなってみいや!」
「…そうなんですか?」
「瑞鶴、心配しなくていいからね―。龍驤さんが大げさに言ってるだけー。敵艦なんて先に沈めちゃえばいいんだし」
「そうそう。爆撃なんてよけりゃいいんだし」
龍驤から隠すようにはさまれた瑞鶴は顔にフィットして酸素を遮るものをかき分けながら加賀からは教えられたことのない理論を聞く。
「瑞鶴も一緒に出撃してみたらわかるで…。ま、司令官の見る目はなかなかのもんっちゅうこっちゃ」
「龍驤さんはひどいなー」
大して気にしてなさそうな二人の間をようやく抜け出した瑞鶴の目の前に泡が見えた。
「それは置いといて、瑞鶴、今日は飲もうよ。出撃のあとの一杯は最高だよ!」
「いや、私は…」
この店に来たことのない最大の理由は、酒を飲まないことだ。記録の上では年齢の概念がない艦娘は規定上だれでも飲酒可能だ。だが人の換算で未成年の瑞鶴は別に飲みたくならなかったし、一度試してみたが苦いだけだった。
「ほらほら、ぐいっといっちゃて」
「瑞鶴、こいつらはこんなやつやで」
「飛龍さん、蒼龍さん。無理させちゃ駄目ですよ」
消えていく泡ををじっと見つめる瑞鶴を見かねて鳳翔が助け船を出すが、瑞鶴は意を決してジョッキを掴み喉に流し込む。相変わらずの苦みが口の中に広がったが。空になったジョッキを机に乱暴に置く。
もうすでに回りだしたアルコールが今夜の目的を思い出させた。航空戦にだっていろいろな考えがあるのなら、別に加賀の言うことだけが正解ではないはずだ。
「加賀さんがなんぼのもんじゃ!」
「おおー、いい飲みっぷり!」
「もう一杯いっとこう!」
「…ほどほどにしとくんやでー」
宙に浮く感覚に包まれたこの時の瑞鶴は、明日胃の中身が浮かび上がるような感覚に襲われながら、蔑むような加賀の目と正座させられる二航戦を見ることを知らなかった。
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第2章 第3話 Out of Control
「作戦も最終段か…といっても、だ」
大規模作戦が発令されて一週間ほど、特に問題も発生せずに順調に進んでいった。だが、白瀬が前泊地からの付き合いである艦娘をわざわざ呼んだのは労をねぎらうためではなかった。
「古今東西、戦場でホラーは付きものですケドネ」
金剛は肩をすくめながらも軽く流すつもりはないようで、他の2人も与太話と軽んじている様子はない。
「大和さんの、気配…ですか」
この作戦中に敵地へと進んでいく過程で噂にのぼってきた話だ。大和のいるような感じがすると、特に大和と親しかった艦娘から複数の報告があった。内容が内容だけに報告までされないこともあったが、今ではこの鎮守府ならだれもが知っている。
「うーん、私は会ったことないからかなあ」
何度か出撃している吹雪は眉を寄せて首をかしげた。気配といってもなんとなくそんな気がする、程度のものなのだろう。事実他の鎮守府では似たような報告もされていない。
「あり得ると思うか?」
ありえない、と断言されればそれで終わる話だ。だが、鳳翔の話す素振りを見る限り、白瀬はそうならないと思っていた。
「私たちが艦娘となった当時から、私たちと深海棲艦は対であるという考えはありました。艦娘の異なる姿だとも。金剛さんの言う通り、よくある与太話でしたが、反攻作戦が可能になり、姫と呼ばれるものと対峙するようになると――」
思っては、いた。だが、
「私は確信しました」
「…どういうことだ?」
完全に肯定されるとも思っていなかった。声の抑揚を極力抑えて問いかける。
「かつて親しかった人が沈んだ海域で相対した特異な深海棲艦は、彼女の面影がありました。私以外は気づいていないようでしたが」
「それで、どうしたんですか?」
白瀬と金剛がつぐんだ問いを吹雪は口にして、すぐに手で抑える。鳳翔は目を閉じる。
「それで良かったのだと思います。消えていく光の中に確かに彼女はいましたから」
白瀬は今更思い至る。深海棲艦を沈めた瞬間、通信越しに伝わる静かな想いを。鳳翔だけでなく、先の作戦での金剛もおそらく同じ感情を持っていた。
「俺達はお前たちに押し付けすぎてるな…」
「そんなことは決して…」
それが謝意なのか諦観なのか、おそらくはかつての大戦から続いている歪みの果てを前にした無力さがこぼれた。
「テートク」
金剛のぬくもりを背中に感じた。首元に添えられた腕に手を当てた白瀬をみて金剛は微笑んだ。
「私もこんな世界を嫌いだったことがありマス。いっしょに戦った友とたもとを別ったことも。デモ、幸せだッテ、この鎮守府のみんなが好きだッテ今なら言えマス。それはみんなのおかげで――」
金剛の腕に力がはいる。揺れ動くものをつなぎ留めたいと願うように。
「なにより、テートクがいてくれたからですヨ」
諦めていた世界を誓ってくれた。誓いを捨てないでいてくれた。そんな人を無力などと言わせない。
「そうか…」
白瀬は金剛の腕を握り止め、視線を合わせた。
「ありがとう、金剛」
「あ、あの、司令官!」
だが金剛の天に舞い上がらんばかりの高揚は吹雪に遮られた。白瀬の目がすぐに吹雪に向いてしまい、金剛は頬を膨らます。
「でも、変じゃないですか?」
「吹雪さん、どういうことですか?」
申し訳なさそうにしながらも先を促された吹雪は続ける。
「うまく言えないんですけど、今回のは気づく人が多すぎるっていうか…今まではなんとなくだったんですよね?」
「まあ、お前たちでもその程度の認識だったからな」
噂話の多い帝国海軍で艦娘としての歴が長い3人が個人的に思うところがある程度だ。あまり話したいことではないこともあるだろうが、深海棲艦と艦娘を気配だけで結びつけるほどの根拠にはなりえないのだろう。
「それにしてはみんな大和さんがいる気がしてるのって、本当に大和さんがいるからじゃ――」
視線を吹雪に集めたまま険しい表情になった周りをみて再び口に手を当てる。
「そ、そんなわけないですよね。なに言ってるんだろう、私…」
「あり得ると思うか?」
恥ずかしさをごまかそうと笑う吹雪を置いて鳳翔に尋ねる。
「大和がいると思うか?」
「分かりません」
鳳翔は言い切る。何の根拠もないただの妄想だと。
「ですが、知りたいと思います」
その妄想の先を。根拠のない希望の果てを。
「じゃー、レッツゴーデース!」
「えっ?ええっ?」
「落ち着け」
勢いあまって首を締め上げる金剛と話が呑み込めずにいる吹雪をいなす。
――大和を救出する
どんな思いがあろうと、意思があろうと、この戦いの主人公はここにいる誰でもない。金剛が教えてくれた。
俺がここにいる意味は――
「武蔵を呼んでくれ」
「なんだ。お前たちもいたのか。で、これは私への裁判のつもりか?」
武蔵は肩をすくめて小さく笑った。背後にいる長門と陸奥を一瞥して提督に目を向ける。初めて深海棲艦の本拠地に触れたのは武蔵だ。その報告がなにもなかったでは追及されるのも道理だ。
「それも言いたいことではあるけどな。まあ座ってくれ」
より好ましくない話題を避けるために自ら言及してみたが、効果はなかった。観念してソファに腰を掛け提督と相対した。
「大和が取り戻せるとしたら、どうする?」
「やはりそんな与太話か」
ソファに深く背をあずけて天井を見上げる。くだらない話と断じてみると、提督も困ったように笑った。
「与太話、か。確かにそうだが、ものは試しだ。やってみて損はないだろう?」
「国防を預かる者の言葉とは思えないな。どうするつもりかは聞くつもりもないが、通常行動と異なることをすればそれだけでリスクだ。提督ならば冷静に判断を――」
「――武蔵!」
提督の返答を促したつもりだったが、後ろから横やりが入ってしまった。見ると長門が前がかりの陸奥を抑えていた。
「あなたはいつもそう!1人でなんでも分かったふりして!」
「冷静な判断はお前たちの役目のはずだ。情に流されて本来の使命を見失ってもらっては困るぞ」
「助けたいって思ってなにが悪いのよ!みんなあなたのように薄情じゃ――」
言い過ぎと思ったのか、長門は陸奥を押し戻す。うつむく陸奥を隠すように立った長門は言葉を引きつぐ。
「武蔵、確かに危険は伴うが、私たちを信じてほしい。皆協力は惜しまない。望みは薄いが大和が助かるなら――」
「助かったらどうなる…?」
いつの間にか視線が机の端にあると思ったときには声を漏らしていた。自然と手が閉じられ固く結ばれる。
「もしも助かったら、私たちはどうすればいい?深海棲艦が沈んだ艦娘だと知って、それでも沈めろと言うのか?そんなことができる艦娘がどれだけいる?仲間が沈んだ海で、お前の友人は運が悪かったから諦めて殺せ、とでも命令するのか?」
深海棲艦に大和が強く表れたのは奇跡的なことでも、深海棲艦に艦娘が内包されているのは奇跡ではないかもしれない。もしも本当にあの深海棲艦が大和であったなら、すべての深海棲艦が艦娘となりうるのなら、そのことで艦娘という防衛手段が瓦解するかもしれない。
「奇跡など起きないほうがいい。今なら――」
「武蔵」
――私だけが耐えればいい。
そう言おうとして提督に遮られた。顔を上げると提督も同じように顔だけ上げたまま武蔵を見ていた。ただ、武蔵とは対照的に目は揺らがず。
「お前の言うことは正しい。鎮守府、ひいては艦娘と人類の行く先を見据えた冷静な判断だ。でも――」
提督は静かにつばを飲み込む。多分武蔵も。
「それはお前の役目じゃない」
「――っ」
なにかを言い返そうとして、なにかで終わった。言葉に詰まる武蔵を見て提督は続ける。
「国の未来を案じるのも命令を下すのも、その責任をとるのも俺の仕事だ。艦娘であるお前が口を出していい領分ではない」
ようやく目があった。
「お前のやるべき事はなんだ、“戦艦”武蔵」
「――ははっ」
こぼれた笑い声につられて大きくなる、楽しいとは程遠い、けれどこの高揚を示すには十分な獰猛な哄笑。
そう、私は戦艦だ。強大な火力を携えた、戦うためだけに作られた船。
「はじめに見たときはとんだ優男が来たと思ったものだが、なかなか言うようになったじゃないか」
「別に隠していたわけじゃない。こうなったのも君たちのおかげだ」
ならば遠慮はいらないということか。
立ち上がり、提督を見下ろす。
「私を出撃させろ。あいつに…大和に言ってやりたいことがある」
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第2章 第4話 Pull it Off
「テ、テートクはヤサオトコジャナイデスヨ…」
「無理にフォローしなくても、別に気にしてないからな!実際士官学校での体育の成績悪かったから自覚もあったし!」
目をそらしながらフォローされても逆に傷つく。
「で、司令官!なにするんですか?」
「なにって…」
「すごい作戦があるんですよね!」
吹雪が目を輝かせながら飛び跳ねているが、そのテンションがどこから来るのか。だって今回は本当に
「なにもないんだけどな…」
「…んえー?」
「テートクー!どーするんですカー!」
金剛が肩を揺さぶってくるが、思いつかないものはどうしようもない。自分でもらしからぬ楽天ぶりに笑えてくる。が、
「テートクー!ナニ笑ってるデスカ!ヤッパリヤサオトコデース!」
「金剛、やめてくれ」
金剛に脳を揺さぶられ続けてさすがに気分が悪くなってくる。
「提督ってのは何もできないもんだって思ってさ。俺ができるのはただお前たちがせめて自分で戦う理由を見つけてくれるのを願うだけだ」
白瀬としては実のところ心配していない。大和がそこにいようがいなかろうが、それぞれに向かい合って乗り越えると信じている。
「駄目だったときはその時だ。俺が責任もってなんとかするさ」
「隼鷹さん、今夜はもうこのくらいにしておいたほうが…」
「まだ八分目なんだけどねぇ。まあこのくらいにしておこうかね」
鳳翔に徳利を下げられて、名残惜しそうに最後の一滴を舌に落とした。隣の飛鷹もこれが最後、と残った酒を飲み干す。
「いつも十二分に呑むのを改めなさいって」
「せやせや。明日出撃あるんやから頼むでー」
龍驤も締めを何にしようか考えながら数口しか飲んでいないお猪口を返す。
作戦も最終段に入り、上手くいけば最後の出撃になる。3人は空母機動部隊として出撃する。そのうちの1人は泥酔寸前だが
「まあ隼鷹はいつも通りやしな。心配なのは――」
言いかけて鳳翔と目が合う。鳳翔はゆっくりと龍驤から目をそらす。
「なんや、まだ気にしとんか?」
加賀と瑞鶴も編成されているが、先日の瑞鶴を見ては心配する気持ちもわかる。鳳翔にとって加賀は生徒のようなもので、瑞鶴はさらにその弟子にあたる。鳳翔自身が出撃できないのであればなおさら気がかりだろう。
「酔った勢いなんてあんなもんやろ。飛龍と蒼龍も悪ノリが過ぎたかもしれへんけどな」
加賀の性格なだけに、瑞鶴には二航戦のような先輩も必要だろうと見逃していたが、さすがに締めとくべきだったかもしれない。
「そうですけど…」
鳳翔としては友好関係よりも作戦行動の懸念があるのだろう。今より厳しい戦場を知る身であれば、万が一の懸念も龍驤よりずっと大きいはずだ。その心境は慮る。
「私も出撃したほうが――」
「なめんなや」
だが、それは龍驤には看過できない言葉だ。
「怪我しとるあんたに何ができるんや?そんななりのあんたのほうがマシっちゅうことか?」
「私は決して皆さんを――」
「ウチらやない。加賀たちのことや。心配するのは分かるけどな」
龍驤は小さく溜息をついて戸に手をかけた。
「ちっとは信じてやらんかい」
「ちょっと、龍驤!」
飛鷹が追って出ていくのを見て、隼鷹は楽しそうに笑う。
「ま、あたしらに任せときなって」
どこからかとってきた一升瓶を開けて流し込んだ。
「まったく、あんたまで拗ねてどうするのよ」
「せやって…」
肩をすくめる飛鷹と夜の風でようやく言いたいことが整理がついてきて、道端の石を蹴った。
「鳳翔はずっと戦ってきたんやろ。ウチらが轟沈の心配もほとんどせんで出撃できるのも鳳翔のおかげや。もう十分やろ。艦娘なんてやめて好きにしたったらええやん」
「そう言ってあげればいいのに」
「アホか。どんなつらして言えばええねん」
それがもやもやの原因だ。鳳翔の背負ったものを引き受けるだけの力はないのは分かっている。実力も指導もまだまだ学ぶことのほうが多い。
「戦うことしか教えられない、か…」
同じことを考えていたらしい飛鷹の呟きが耳を抜ける。
結局、鳳翔の背負ったものを知ることすらできていない。ただ、抱え込みすぎだと思う。それを龍驤からでは伝えることも変えることもできないが。
「あいつらはどう思ってるんやろな…」
言葉少ない加賀も、変な意地を張っている瑞鶴も、そしておそらくは龍驤自身も
「どいつもこいつも、ガキばっかりや」
「おっす!よろしく頼むよ!」
「あ、隼鷹さん。おはようご――うぇっ」
振り返った瑞鶴が隼鷹の顔を見た瞬間、正確には息に混じって漏れ出すアルコール臭を嗅いだ瞬間に口元を抑えてうずくまった。こみ上げるものを抑えるのに必死な瑞鶴を見ながら隼鷹は腰に差したスキットルを口に運ぶ。
「まだ二日酔いが残ってんの?そんなときは迎え酒しときゃいいんだって」
「ちょっ…やめヴォエ――」
「隼鷹、やめてもらえるかしら?」
面白がって飲み口を瑞鶴に近づける隼鷹を加賀は制して離す。
「瑞鶴、あなたも体調管理をおろそかにしないように常日頃から言っているでしょう?」
「分かってるわよ!」
「できていないから言っているの」
見下ろしてくる加賀をにらみ返して立ち上がった。加賀の言っていることはもっともなのだが――
「なんで隼鷹さんには言わないんですか!体調管理どころか酔っぱらってるじゃないですか!」
「おうおう!言ってくれるねぇ」
「まったく、なにやってるのよ…」
楽しそうに笑う隼鷹と額を抑える加賀を遠巻きに見ながら、頭を抱えた飛鷹はしゃがみ込む。
「あんたの相棒やで、あれ」
隣にしゃがんだ龍驤が指さすと飛鷹は目をそらした。昨日のことを踏まえると隼鷹をしばいてでも禁酒するべきだったと後悔してももう遅い。
「おもたんやけど――」
「いや!聞きたくない!」
「瑞鶴が加賀につっかかるんは、周りのやつらのせいもあるんやろな」
「聞きたくないって言ったのに…」
酒を流し込む相棒を直視しないために飛鷹はうつむく。
結果を残せるか否か。加賀の判断基準は明確だ。飛龍と蒼龍も好き勝手しているように見えて2人なりの戦闘理論に基づいての訓練をしている。隼鷹は酔っぱらったほうがいいとは言わないが、隼鷹なりの精神安定方法ではある。
常道を守り、万全に万全を期す加賀の指導は正しいが、自由な先輩たちを見て窮屈に感じる瑞鶴の心境も分かるし、加賀の態度の差を理解するのにはまだ時間がかかるのだろう。
「時間が来たわね…」
重い腰を上げて出撃ゲートに向かうと龍驤も3人の背中を叩きに行く。
「ほら行くで。……仲良くせんかい!あんたらガキか!」
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第2章 第5話 Life in Ash
「ホーショー、ここにいましたカ。いい紅茶があるのでティータイムにしまショー」
「いつもは金剛型の皆さんが一緒でしたが」
「シスターズは最近甘やかしすぎたネー。たまにはごちそうしますヨ」
「ではお言葉に甘えましょうか」
微笑んで立ち上がった鳳翔は目線を下げる。鎮守府の隅、いつも誰かが花を供えてある小さな石積み。
「無縁墓、ではないですね」
「ムエンバカ?」
聞きなれない単語に首をかしげる金剛を見て鳳翔はゆっくりと口を開ける。
「彼女だと分かっていたのは私だけでした。彼女が着任してからずっと見てきたのは私でしたから」
金剛は唐突に始まった話に口を挟まず歩み寄る。
「面影を見た深海棲艦を討っても、彼女は帰ってきませんでした。でも、消えていく彼女の声が聞こえた気がして、私は何もできなかったのだと思い知りました」
本当に聞こえたわけではないのかもしれないその声が何を言ったのか、金剛は問わない。その意味があるとも思えない。
鳳翔を少しだけ越した金剛は石の前に置かれた小さな花を手に取り眺める。
「昔、友達に聞かれまシタ。私たちが必死になってまで守る意味があるのか、この世界を好きだと言えるのか、ッテ」
「その方は…」
「私が撃ちマシタ」
鳳翔は驚きを見せなかった。損耗の激しい時代の艦娘は誰もが前を向いて戦えるわけではなかったし、艦隊の損害につながるようであれば相応の対処を求められた。それを分かっていて問うてしまった自分を責めるように表情を曇らせただけだ。
「最期の言葉に私は答えることができませんデシタ。人として生きたかったはずの友達に、私はただ主砲を向けることしか…」
金剛は花をそっと戻し立ち上がる。鳳翔と合わせた表情はかすかで、それでも確かに笑顔だった。
「デモ、今なら答えられマス」
それが、それだけで十分幸福だと言うように。海に散った誰のものでもあり、だからこそ誰もいない墓標に背を向け鳳翔の手を取る。
「それはこの鎮守府のみんなのおかげデス」
今なら誰かのために戦うことも、信じることもできる。そう教えてくれたから、これからするのは未来の話だ。
「だから、大丈夫デス。絶対にヤマトを連れて帰ってきますヨ」
「はい」
「この作戦が終われば反攻作戦が始まりマスし、航路が開けばヨーロッパとの同盟もできマス。そうしたら私の故郷の庭でティータイムをしまショー」
「それは賑やかになりそうですね」
微笑んで返す鳳翔の想像を知り金剛は頬を膨らます。
「ホーショーは見たことないかもしれマセンが、私の妹たちは私がいないところではしっかり旗艦できるんデスヨ」
何も変わらないと思っていた日々も、少しずつ変わっていく。誰かに未来を託すことができる日が、艦娘でなくなる日がいつか来るのだろう。
そんなまだ見えない未来の話をまだまだしたくて、金剛は鳳翔を引く手を強めた。
張りつめた意識を引いた弦と共に緩めた。先頭の加賀に倣い飛行甲板を掲げて着艦に入る。ほとんど損耗のない艦載機は矢に戻った。
「おつかれさん。しばらく見んうちにうまなったな」
後列の龍驤に背中を叩かれるが、瑞鶴は気もそぞろな返事を返すだけだった。
加賀に不満はある。口うるさいくせに褒めてくれたことはない。でも、戦闘機で守りを固めてから始まる航空戦も、守りに裏付けられた安定姿勢で操作する攻撃機も、加賀自らの言葉を丁寧に実行し続けた成果だ。万全の準備と平常心、目の前で見せられれば認めるしかなかった。示された道が正しいことも、自身がまだ未熟なことも。龍驤に褒めてもらったところで、戦果は加賀の庇護のおかげでしかない。
「そろそろ分かれるわよ。正規空母とはいえ2隻しかいないのだから、無理はしないようにね」
「わかったわかった。のんびり行こうぜ」
「あんたには言ってへん。てかあんたはもうちょっとがんばりや」
漫才を始めた軽空母2隻を横目に飛鷹は瑞鶴に向く。
「瑞鶴、ちゃんと加賀の指示を聞くようにね」
「…分かってます」
叱責でも釘をさすでもなくただ心配する声音が、取り繕えないほどには瑞鶴をへこませた。
海域の地理的問題で少数しか動けないためこのような編成になるのは説明されていたが、訓練以外では加賀と2人で出撃したことはない。訓練でさえも赤城や翔鶴と一緒がほとんどだった。正直に言えば軽空母の3人とは別れたくなかったが、そんなわがままを言えるものではない。
「瑞鶴、なにをしているの?早くいくわよ」
そんな瑞鶴の心境を知ってか知らずか、加賀は航行を始めていた。
戦闘機とすれ違った敵航空機が抱えていた魚雷の爆炎に包まれて落ちていく。その軌道上に自分がいないことを知る加賀は視界の端に捉えた瑞鶴の戦闘機とその背後に付く敵戦闘機に意識を向けた。さらに背後から迫り、友軍誤射にならない火線を取って撃ち落とす。
「瑞鶴、あなたは艦隊への攻撃に専念しなさい」
瑞鶴がなにかを口にする前に指示を出す。
空母は放った艦載機すべての操作を行う。航空機の位置やそれぞれが認識した敵影はすべて意識に入ってくるがはっきりと指示を出すことはほとんどなく、何となくかほぼ無意識の処理だ。ばらばらに動かすより編隊を組んでまとめて操作したほうが精度は上がる。攻撃と防御に分かれたほうが効率的だ。
瑞鶴が攻撃機とそれを守る戦闘機をまとめたのを見て加賀は自身の攻撃機を収容して戦闘機を放った。戦闘機よりもはるかに遅く航行する自身の上に留めながら、同様の陣形をとって迫る敵航空機への迎撃態勢をとった。
魚雷が爆ぜる音が最後の敵空母を沈黙させたことを確認して、瑞鶴はようやく深く息をつく。帰還させた艦載機の姿は、分かっていたことだが少ない。
「こんなものかしらね」
一足早く収容を終えた加賀は少なくなった矢筒を握る瑞鶴を見て小さく告げる。別になにを失敗したわけではない。航空機の損失は戦闘がある限り必然だったし、空母本隊を撃沈した戦果がある。それでも――
もっとうまくやれてた。
航空戦が始まってから、一度も姿勢を崩されなかった。行動指針が決まっている攻撃より、相手に合わせて対処しなくてはいけない直掩のほうが難しい。それを完璧にやり遂げた加賀を前にして、瑞鶴は奥歯を噛み締めた。加賀ならば1人でも、といった思考はかろうじて押しとどめる。
加賀なりの誉め言葉に気づかないままうつむく瑞鶴とすれ違い帰路に入った加賀が立ち止まり振り返る。何があったか分からず加賀を見ていると、一瞬顔をしかめた。
「彩雲が堕とされたわ」
「それって…」
ようやく加賀が認識した光景を理解し、同じ方向をみる。視認できない距離だが、広がる水平線の先に新たな敵艦隊がいる。
「交戦は1回だけのはずじゃ――」
口に出す途中で意味のないことに気づき、押し黙る。ろくに観測できない海で、海底から湧き上がる戦力を予測するのにそもそも無理がある。第一陣が予想通りだっただけで十分すぎた。
「敵機動部隊、正規空母5隻確認。撤退するわ」
「ちょっと待ってよ!」
機関をふかす加賀の肩を急いで掴んだ。加賀は溜息をついて振り返る。
「ここで叩いておかないと、本隊と接触されたらどうしようもないじゃない」
攻略本隊は艦隊決戦のための編成だ。機動部隊は主戦場の前で航空戦を仕掛けて抑えておくことが前提となる。だからといって正面衝突してまともに戦うビジョンも見えなかったが――
「それもそうね。この海域の通過を許すわけにはいかないわ」
加賀は少しの思案の末肯定した。
「応援の要請をして、到着の間足止めをする。それが妥当かしらね」
自ら言い出したことだが、今まで以上にリスクの高い戦闘を前に呼吸が浅くなる。落ち着かせるためにつばを飲み込み震える肩に、加賀の手が置かれる。その感触で戻された意識がはじめに認識したのは加賀がすれ違った風だ。
「あなたは龍驤たちと合流しなさい」
意味を飲み込めず、急いで振り返り加賀を見ると、すでに弓を構えて戦闘態勢に入ろうとしていた。
「ここでは鎮守府どころか軽空母への通信もできないわ。彼女たちに状況を伝えて、判断を仰ぎなさい」
「でも加賀さんは――」
1人で戦うことになる。そんな分かり切った言葉は胸元に差し出された矢に遮られる。
「替矢で持っていた烈風よ。もう必要ないからあなたが持っていなさい」
矢を手に取り加賀を見る。いつものような無表情がようやく瑞鶴に落ち着きを取り戻させる。
1回の交戦では使わないが、連戦に備えて補充用の航空機は持っている。予備が烈風ということは、加賀がこれから使う戦闘機も烈風だ。加賀が最高性能の戦闘機を使うこと以上に、先ほどの戦闘でも予備を残せる余裕があったことに安心感を覚える。
気に入らないことは多く、表情も読めないが、加賀を信頼してしまっていた。だから指示の通りに動き出そうとしたところ、
「瑞鶴」
加賀に呼び止められる。少しばかりの面倒くささを感じながら振り返ると、加賀の背が見えた。
「これからはあなたの好きにしなさい。あなたが選ぶ道なら、正しいでしょうから」
「…はあ」
気の抜けた返事を聞いた加賀が笑った気がした。その表情は見えなかったが。
「早く行きなさい」
自分で引き留めたくせに、と呆れた溜息をついて加速する。
いつも反発しながらも近くで見ていた瑞鶴は、加賀を信じていた。だからこそ、気づかなかった。加賀の最善と瑞鶴の最善は違っていたことを。
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第2章 第6話 Great Wall
「瑞鶴、加賀はどうした?」
合流地点につくと隼鷹がのんきに訊いてくる。
「予定外の深海棲艦が――」
上がった息を抑えながら煩雑なままの説明を伝えると隼鷹があからさまに舌打ちをした。
「加賀の指示に従えとは言ったけど…帰投するわよ。この海域から離脱して鎮守府と通信できるまで下がって応援要請」
確認する時間も耐えがたいというように即座に針路を転換した飛鷹に、龍驤は首肯だけ返して続く。急に重くなった空気についていけない瑞鶴は少し遅れて追いかける。横に並んだ瑞鶴を見て龍驤は淡々と告げる。
「ウチらはほとんど艦載機を失っとる。あとは増援が間に合うかやが、正直分からん」
「…え?でも加賀さんは――」
「正規空母5隻と戦えると本気で思とんか?」
呆れよりも冷徹さが伝わる問に返す言葉はなく、ようやくその当たり前に気づく。
「で、でも――」
それでも加賀を信じたいのか、自分の愚かさを認めたくないのか。
「加賀さんは、ほら、烈風だって私に替矢でくれるくらい――」
「あのバカ」
「飛鷹、龍驤、本隊にも通信入れとくよ。敵機動部隊と接触の可能性ありって」
「それって…」
すがるように握った矢を見て消えた3人の焦りは諦めを受け入れる平静さに変わった。変わらず全力航行する艦隊から瑞鶴は離される。
「だって――」
「アホか!烈風なんて予備に回せるほど数あるわけないやろ!」
聞き分けのない子供を叱るように、龍驤が振り向いて声を上げる。平静を装うことで何とか保っていた空気が揺らぎ、一身に受けた瑞鶴は立ち止まる。
――なんでよ
私のこと嫌いじゃなかったの?
いつもは口うるさいくせに、こんなときだけ何も言わないで。
加賀は嫌いだ。
でも、握る矢の重みを否定するにはあまりに近くにいすぎた。
加賀の言葉を思い出した時、もうすでに針路は反転していた。
「瑞鶴!」
空母として高出力を誇る翔鶴型の機関音が遠ざかっていき、飛鷹の声が届いたのかもわからない。思わず減速する前に龍驤が制す。
「うちが行くからあんたらは鎮守府との連絡を優先せい!」
叱責された2人が再度加速して遠ざかる。手持ちの式神型艦載機を確認する。飛鷹と隼鷹から集めたそれは、本当は数える必要もない。
「半々ってとこか」
補給が不十分な龍驤が加わったところで生き残れるのはそんなところだ。命を懸けるにはあまりに低すぎる確率。瑞鶴はもちろん、加賀にも勝算があるわけではないのだろう。いつも難しい顔をしているくせに考えることは単純だ。
航行性能の違う軽空母では今からでは戦闘海域前に追いつけない。だからもう考えている時間はなかった。
瑞鶴の航跡を探しながら、龍驤はバイザーを直し舌打ちをした。
――くだらん自己満足に付き合わせよって
「だからガキやってゆっとんのや!」
「あーあ、外しちゃった」
「ごちそうさまです」
蒼龍が肩を落とすと赤城は声を弾ませながら手を合わせた。その横で飛龍があおむけに倒れて手足を投げ出す。
「駄目だー。赤城さんに勝てない!どれだけお団子献上しないといけないの!」
「お二人から50本ずつ、合わせて100本です」
これは今夜のデザートが楽しみですね、と満面の笑みで夕食のメニューの話をしてくる師に、翔鶴は引きつった笑顔で応える。翔鶴は見たことも想像したこともない数の団子を食べる気で、そして食べてしまうだろう赤城を見る。
夜を想像している赤城は先ほどすべての矢を的の中心に当てたとは思えないだらしない顔だが、その間でも崩さない背筋が説得力を残している。
「ねー今度は寝ころんでやろうよ―」
「その手には乗りませんよ。お二人はちゃんと撃つ練習をしないといけません」
蒼龍は頬を膨らます。赤城が珍しく二航戦恒例の賭けに参加したのは啓蒙の意味もあったらしい。一番は加賀がいないことによるのだろうが。
蒼龍はふてくされて飛龍の横に転がるが、蒼龍が外したといった矢は中心からずれているものの的には当たっている。翔鶴に経験はないが、確か実際の弓道は的に当たりさえすればよかったはずだ。それでは勝負が終わらないからと中心の円だけが有効になっている。敵の攻撃をかわしながら発艦するためだという曲芸撃ちならば二航戦に分があるのだが、単純な精度なら赤城の、そして加賀の方が上だ。
翔鶴は当然のように賭けに参加していない。精度が上がってきたとはいえ、実力の及ばない後輩への配慮であることは間違いないのだが
「まだまだですね…」
つい気弱な言葉が出てしまう。飛龍が上体だけ起こして笑う。
「そんなことないって!翔鶴も瑞鶴も私たちが新人だったときより良くやってるよ」
そう言われても素直に頷けない。
「いえ、私もそうですが、瑞鶴も加賀さんに迷惑ばかりかけて――」
「んえ?」
抜けた声が聞こえて顔を上げると飛龍がぽかんと口を開けていた。
「いやいや、加賀さんなんて瑞鶴大好きじゃん」
「そうそう、加賀さん酔っぱらうと瑞鶴の話ばっかりするから困っちゃうよねー」
「のろけ話聞かされる身になってほしいんだけどね」
「そこまでにしときましょうか」
赤城が手を叩くと飛龍と蒼龍の顔が引きつる。
「…これ言っちゃダメなやつだったっけ?」
「そーだったー。赤城さん、加賀さんには言わないで!加賀さんにシメられちゃう!」
「うーん、お団子倍で手を打ちましょうか」
「赤城さんの鬼!あ、翔鶴もお願い!お団子あげるから!」
「ただでさえ酔いがさめた加賀さん、記憶飛ばそうと飛行甲板振り回してくるのにー」
足元に縋り付いてくる二航戦を振り払えずにいる翔鶴は加賀の姿を想像しようとしても上手くいかずに困惑する。
「ね、翔鶴」
二航戦を追い払いながら赤城は翔鶴に微笑む。ようやく伝えられることを喜ぶように。
「向上心は大切ですが、焦る必要はありませんよ。私も加賀さんも、あなたたちのことが大好きですから」
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第2章 第7話 Flag is Raised
爆発音がようやく2度目の撃沈を告げる。戦果を確認する余裕もなく攻撃隊を帰還させようとするが、追撃を受けて数機落とされる。敵戦闘機とのドッグファイトに意識をとられていると仕留めそこなった爆撃機から爆弾が降ってきた。
「――っ!」
急速旋回によりなんとか避けるものの爆風にあおられて着艦タイミングを逃す。回避行動を強いられることで発艦もままならず、着艦からの攻撃機、爆撃機の再攻撃もできない。
「二航戦に教えてもらうべきだったかしら…」
呟いてから逆さづりにされて弓を構える自分を想像して変な笑いが出た。守りを固めて整えて射る、鳳翔から教わった基本を守り続けたからこそ今の状況でも完全に崩されることはない。
落ち着いた隙を見てゼロ戦を補給のために帰還させる。飛行甲板を滑るゼロ戦を見て、鳳翔が九六式艦戦を使っていたことを思い出す。九六式のほうが性能は劣っていても馴染むと言った鳳翔に託されたゼロ戦は、瑞鶴には窮屈なのだろう。加賀には身に余る烈風を彼女に渡せたことで1つ肩の荷が下りた気がした。
「さて…」
――あとどのくらい耐えればいいのかしら
補給を終えたゼロ戦を構えた。
できるだけ時間を稼ぐのはもちろん、生存そのものを諦めたわけではなかった。赤城も鳳翔も、他の誰かも加賀がいなくなれば悲しむ。そう断言できるほどのものを加賀は手にしていたことに、こんな状況になって気づく。人であろうがなかろうが、艦娘としての加賀は確かに存在していた。そして、それに気づいてなお、すべてを託したことに後悔がない存在に出会えたことに感謝した。
――選ぶ道が正しい、ではないわね。
そんな器用な子ではないし、正解を選ぶ方法など教えてもあげられなかった。でも、瑞鶴なら選んだ道を正しいものに変えていけると、そう伝えたかった。
いつも言葉を間違えて後悔ばかり。伝えられていないことがまだまだある。だから、鉄になったように重い腕をまだ上げられる。
「心配いらないわ」
ぼやけ始めた視界を振り払うようにつぶやき、飛来する攻撃機に焦点を合わせた。
防戦しかできなくなってどのくらい経ったのか分からない。時折放つ攻撃隊も牽制以上にならず、淡々と落ちていく。それでも深海棲艦も正規空母は無視できないようで、足止めという目的は達せている。上空に舞う直掩も少なくなってきたのは、単純な機数の減少以上に加賀の損耗のせいだった。高速移動する航空機をすべて把握して操作するのは脳の負担が大きい。1つのミスも許されない重圧もあり、加賀の思考能力は限界になっていた。そのわずかな空隙に爆撃機が落ちてくる。聞きなれてしまった急降下の音がやけに近く聞こえて振り向いた時には抱えた爆弾が切り離されようとしていた。
回避、迎撃、ダメージ軽減
今更加速しだした思考に体がついていけるはずもなく、脳内で丁寧にシミュレートされた結果は轟沈までつながった。唯一の恩恵は、自分の死を受け入れる時間がわずかばかりできたことだけ。加賀はせめてそれを享受する。
――赤城さん
「さようなら」
私がいなくても、彼女なら上手くやってくれるだろう。
瞼を下ろした暗闇の中で爆弾が弾ける音を聞いた。爆炎が肌を撫でる。だが火は広がらず、皮膚の表面を焼くこともなく消えた。あの世とは簡単にいけるものだと感心しかけたところで空を裂くプロペラ音に意識を引き戻される。
もう誰のものかも分かるほど聞き続けていた音に目を見開く。想像よりも近く見えた姿を否定したくても、それより早く近づかれ、襟元を掴まれる。
「ふざけんな!」
肌に触れるこぶしのぬくもりが、声が、表情が、幻覚を否定する。
「あなた、なんでここにいるの!私がなんであなたを行かせたか分かって――」
「うるさい!いっつもいっつも1人で黙り込んで!分かるわけないでしょ!」
瑞鶴は目線をそらし、言葉を詰まらせる。生まれた間にバツが悪くなり、下に引っ張り気味に手を離し、背を向ける。
「…本当は分かってるわよ。私のためだって」
あげた目線は敵爆撃機を見据えていた。加賀は弓を引く瑞鶴の背を初めて見た気がした。
やはりここにいる瑞鶴は加賀の幻想ではなかった。構える瑞鶴の背は、加賀の想像よりずっと大きく、頼もしかったのだから。
「でも、好きにしろって言ったのは加賀さんだからね!勝手にやらせてもらうわよ!」
加賀の思いなど知らずいつものように生意気な瑞鶴のその背中は、手紙を書いていた瑞鶴と同じだった。
居場所のない自分から逃げたくて艦娘になった加賀とは違う。未来を掴みたくて艦娘になった瑞鶴はどこまでも諦めが悪く、傲慢だった。まだまだ隙だらけの、だからこそ力強い背中に近寄る。
「まだまだ教えることがありそうね。帰ったら基礎の確認よ」
瑞鶴は横に並んだ加賀を、口角を引きつらせながら見るが、もちろん冗談ではない。
「その前にこいつらを倒す作戦、あるんですか?」
「あると思う?」
「はぁ?」
瑞鶴はまだまだ状況判断が甘い。燃料も艦載機も尽きかけた空母2隻で何かできる根拠など残されていない。
――でも、
「心配いらないわ」
私とこの子なら――
「鎧袖一触よ」
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第2章 第8話 Rise in Arms
加賀は握っていた戦闘機の矢を攻撃機に持ち替えた。持ちうる貴重な攻撃能力をあっさり打ち上げると翼を持ったそれは一直線に敵艦隊に向かっていった。
「直掩は任せるわ。あなたが守ってくれるなら――」
そこまで言われて瑞鶴は初めて守りを任させたことに気づく。敵の撃沈が艦隊戦の花形ではあるが、守りを何よりも大切にしている加賀に預けられた意味は――
そこまで考えながら撃った烈風の機銃は見事に外れて、爆撃機の急降下爆撃を許す。
「やばっ!」
急いで追撃に入ろうとしたところで、横から入り込んだゼロ戦の銃弾が爆弾を射抜く。
「私は攻撃に専念できそうね…それなりに」
「いや、これは違うから!加賀さんが変なこと言うから!」
今まで何度も聞いた溜息が耳に入り、慌てて首を振る。今まで聞いたこともない声のせいで集中力が乱れたのは事実だ。それを必死に伝えるが
「分かったから、静かにしなさい」
「はいはい。赤城さんみたいに黙々とできなくて申し訳ありませんね」
「…本当に」
しみじみと同僚と組んでいたころを懐かしむ加賀に爆撃したくなった。そんな自分に気づいてつい笑いがこぼれる。加賀は怪訝な顔をしたが一瞬だけで、小さく笑みをかわす。こんなやり取りで艦載機の動きが軽くなった気がするのもおかしい話だが、これがいつも通りだ。おかしいというならさっきまでがおかしかったのだ。
「ほら、さっさと行ってくださいよ。援護出しましょうか?」
「邪魔よ。あなたはここで大人しくしていなさい」
いつものように反対を向いた2人は、背中を合わせた。
最後に残る一隻に攻撃機を放った。装備的にも気力的にも許された最後の攻撃に加賀の操作能力すべてを費やす。限られた艦載機をすべて攻撃に向ける。頭上の守りも残りわずかだが、もう些細な問題だ。
対空機銃を回避するべく海面を這う編隊が波を巻き上げながら奔る。迫る敵戦闘機から放たれた機銃がすぐ下の波を打ち抜いて新しい飛沫を生み出す。追撃をなんとか振り払おうとするが、敵の攻撃も制限するということは逃げ道も狭められるということ。相対する敵戦闘機を護衛の戦闘機を体当たり気味に寄せて振り払うが、無防備な攻撃機の背がさらされ、上空から追いかけてきた戦闘機の火線上に乗る。
最悪バレルロールで――
後ろに付く戦闘機の状況も把握できないまま、旋回のタイミングを探る。気流が不安定な海面スレスレで魚雷を抱えたままなど試したことはないが、できないとは言えなかった。慎重に間合いを計り、機銃のロックが解かれる瞬間に主翼を捻じ曲げる。
が、旋回が始まる前に銃撃音が空気を揺らす。
「加賀さん、大丈夫!?」
瑞鶴の操る烈風に叩き落された戦闘機が水面に跳ね消えていく。回避の必要がないと知った加賀は傾いた攻撃機を本来の針路に戻す。
「もう少し早く来て欲しかったのだけれど」
「はあ?」
眉間にしわを寄せる瑞鶴を目の端に捉え、意識を再び攻撃機に移した。
「まあ、上出来よ」
腹から魚雷が放たれ、重量から解放された攻撃機が舞い上がる。水面下を泳ぐ魚雷の針路を阻むものは、もうなかった。
「やった、の…?」
巻き上げられる水柱と轟音を受け止めながら、瑞鶴が腕を力なく下げた。加賀は残身をもって肯定し、瑞鶴に向けようとした体に衝撃が響く。
「やった!やったよ!」
飛びつくように抱き着かれた加賀は危うく倒れそうになる。それでも瑞鶴は加賀に体を押し付けた。
「分かったから離しなさい」
「よかった、ほんとうに…加賀さん…」
表情を見せないことが、胸に顔をうずめて震える瑞鶴のせめてものの意地なのだろう。
ちゃんとここにいる。そう伝えるために、急に頼りなくなった背中を撫でる。その感触が自分の存在を示してくれる。
私は、私…ね。
瑞鶴がいることも、守ろうとしたことも、助けられたことも、加賀が艦娘として手に入れたものだった。船でも人でも関係なく、加賀が加賀として手にしたもの。
かつて航空戦艦が言っていた言葉を思い出すのだけは癪だったが。
瑞鶴をゆっくり離そうとしたとき、いびつな風切り音が頭上から降ってきた。
「加賀さん!」
遅れて顔を上げた瑞鶴に言われるまでもない。自らのものとかけ離れた、だが聞きなれている航空機の音。深海棲艦の艦載機が母艦を失ってもなお残留する思念を宿して落ちてきた。腹に抱えた爆弾を見て、自らを守る航空機も回避する時間も持たない加賀はとっさに瑞鶴を押し飛ばそうとした。
「――っ!」
盾になるように差し出そうとした体は歯を食いしばった瑞鶴に押し返された。その抵抗は考えのないただの意地だ。だが失うことを否定するその意思が、加賀の中に流れる言葉を遺言からかつて聞いた言葉に変えた。
我々が船であるなら――
瑞鶴を押し除けることを諦めた右腕は左肩についた飛行甲板に伸びた。慣れない動きに軋みを上げた腕はそれでも甲板を引きはがし
――腕はカタパルト
投げ放った
一直線に打ち上げられた飛行甲板は爆弾が切り離される寸前に直撃し、敵航空機を真っ二つに割った。わずかなの間をおいて、閃光が空を照らす。近くで広がる爆風にとっさに腕を掲げて顔を下げる。が、そんな基本の防御姿勢をとったのは加賀だけだ。
「か、加賀さん…?」
「なに?」
顎を外れんばかりに開けて爆心を指さす瑞鶴の言いたいことは分かったが、自分でも不思議と落ち着いていた。
「別に…最善の判断をしただけよ」
「いやいやいや、さすがに投げちゃ駄目でしょう!」
いつものことながらうるさいので帰路につくふりをして離れる。ゆっくりと、なにも無くなった肩を掴んでみる。
「あなたが教えてくれたのよ」
「…は?」
懲りずに諦めようとしていた加賀は、生きる欲望を見た。手段や可能性よりも先に来る、単純な意思を。まだ力強い瑞鶴の感触が残っている手のひらが掴んでみたものは、まぎれもない加賀自身だった。
…もっと心もとないものだと思っていたけれど
艤装を失っても変わらない何かをようやく掴めた気がした。
「えっと、飛行甲板投げて遊んでたの、バレてたんですか…?でもあれは着任してすぐだったから――」
「瑞鶴」
「えっ、違うの……いやその、ノリというか、冗談といいますか…」
「おーい。生きとるかー!」
逃げ先を見つけ、先ほどと違う固まりかたをした瑞鶴の表情が安堵に変わる。説教を後回しにされた加賀も肩の力が抜けていくのを感じた。
「なんとか生きとるみたいやな。」
加賀と瑞鶴を見た龍驤は胸をなでおろす。
「おかげさまでね。…あなたならもう少し冷静な判断をすると思っていたのだけれど」
「言われんでもそのつもりやったわ。憎まれ口たたいとらんと弟子に感謝せいや」
「ですって」
龍驤の言葉を受けた瑞鶴に背中を叩かれた加賀は手を跳ねのける。
「元気そうでなによりや。さっさと帰るで…って、おい!」
急に崩れた加賀にもたれかかられた龍驤は急いで抱きかかえ、ようやく加賀に飛行甲板がないことに気づく。
「ごめんなさい。少し背中を借りるわね…」
「なんや、じぶんも冗談いうんやな。こっちは胸やで……冗談って言わんかい!ちょっとばかり大きいからって調子にのりよって」
龍驤は眠る加賀に悪態をつきながら加賀を放り投げた。
「お前がもってやれや。お前の師匠やろ」
「えーっ」
震える膝を素直に反映させた抗議をしてみたものの、加賀の寝顔が目に入った。穏やかな吐息がリズムよく聞こえる。こうして加賀の寝顔を見ることは初めてだったかもしれない。
「師匠、か…」
その言葉を意識したのも初めてだったと思う。とにかく、何となく力が入った脚に応えるように機関が回りだす。
「意外とかわいい寝顔に免じて、運んであげますよ」
聞こえてないはずなのに、加賀が顔をしかめた気がした。かわいげはなくなったが、少しずつ加速していくスクリューは止まらない。仕方ないので加賀を担ぎなおす。
――まだまだ教えてもらわないといけないことがあるんだから
いつも読んでいただきありがとうございます。
雑な伏線回収は1章32話のやつです。
思いつきで散りばめたものがあるのでできるだけ回収していこうとは思いますが
時間が空きすぎるのは連載のさだめ…
ちなみに航空機の操作をファンネルにしたのは某軍艦ゲームで
航空機が自動制御だったからです。
発艦したら勝手に倒してくれるのは便利だけど味気なかった…
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第2章 第9話 Galaxy Heavy Blow
「まさかお前たちが付いてくるとはな…」
「お前を従えるとなるとそれなりに立場が必要になるんだ」
武蔵の呟きを捉えて長門が苦笑いをして肩をすくめる。その動きに合わせるように陸奥は肩を下げる。
「お互い面倒な立場になったものね」
息をつく表情は心なしか穏やかで、武蔵はそんな陸奥を久しぶりに見た気がした。正確に言うなら、武蔵に見せた、になるのだろうが。
「あなたなりに思うところがあったのなら、きちんと話してくれれば良かったのに」
「それだけはお前たちに言われたくないな」
陸奥も自覚があったからか、苦笑いで肯定した。いつ振りかのなつかしさが滲んだ会話だったが、敵地のど真ん中での軽口もほどほどにして目線を切る。向けた先には懐かしい気配があった。
「大和…か。確かにな」
初めて対峙した長門がうなる。武蔵ももう否定するつもりはない。この先に姉がいることを。問題は辿りつく方法だ。
「さて、どうする?先ほどの入電では横やりの心配はないと――」
「行ってこい」
逡巡する武蔵の背中が軽く叩かれた。その手に合わせるように陸奥が軽く手を添える。
「ここは任せて、お前は大和のもとに行ってくれ。敵の数は多いが、できるだろう?」
「到底旗艦の言葉とは思えないが」
長門はまた肩をすくめて同意し、再度背中を叩く。今度は少し強かった。
「旗艦とて姉妹の再開を邪魔する気はないさ」
「やりたいこと、あるんでしょう?」
「武蔵さん!」
低いところから声が聞こえた。
「がんばってください!」
清霜のきらきらした目に、つい表情が緩む。いつものように頭を撫でてやる。
「ああ…行ってくる」
いつも信じてくれている小さな存在に、憧れてくれる瞳に応えたかった。強い背中を見せたかった。
背中の砲塔を前に向ける。水底まで震わせる轟音を合図に踏み出した。
敵陣を裂く突撃に当然のごとく照準を向けられる。だが、降り注ぐすべてを弾き返す。反撃する時間も惜しかった。ただ前に進む。単艦突撃という無謀でも、背中に宿された熱が立ち止まらせてくれなかった。
真正面からの巨大な砲弾を両腕で受け止める。後に南方棲戦姫と名付けられた深海棲艦の道理の外れた砲撃。十分な体勢で受けても後ろにのけぞりかけるが、踏ん張り耐える。
正面から受け止め、ねじ伏せる。それが大和型の戦闘だ。ここにはいない仲間の後押しを受け、退く理由はない。
ただただ前進を重ね、ついに南方棲戦姫に肉薄する。苦し紛れに放たれた砲撃を避け、正面に立つ。
――ようやく届いた
1人ではたどり着けなかった、たどり着こうともしなかった道の果て。
大和と会えたなら、言いたかったこと
「この――」
武蔵はその背に仲間の存在を感じながらこぶしを握り
「――馬鹿野郎が!」
顔面を殴りつけた。
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第2章 第10話 Protrude
「いつぶりかしら、あなたと一緒に海に立つのは」
「ああ、本当に久しぶりだ」
横に立つ陸奥の姿は鎮守府で慣れた気配と異なり、戦地で忘れていた安心感を思い出させた。
互いに艦隊指揮を預かる身となり、共に出撃する機会はなくなっていった。なにも分からずにいた初出撃の日も、初めて戦果を挙げた日も、初めて敗北を経験した日も隣には陸奥がいた。もうないのかもしれないと思っていた妹と出撃ができたのも
「武蔵に感謝、といったところか」
「長門、もう武蔵はいないわよ」
拗ねたように小さく頬を膨らます陸奥は長門に手を重ねる。
「私たちだけで楽しみましょう」
「お、おい。駆逐艦たちが見てるぞ」
「あら、見られて困ることじゃないでしょう?」
並び、重ねた手を前にかざす。前方に向けられた砲門のロックが静かに外される。
「長門、いい?いくわよ!一斉――」
ベキャッ!
と、肉体がぶつかり合う鈍い音が遠くから、しかしはっきりと聞こえた。
頬に直撃を受けた南方棲戦姫が後ろに飛ばされる――前に腕を掴み引き戻す。正面からねじ伏せる、戦艦の在り方を体現せしめる踏み込み。とっさにかばおうとする腕の上から構わずこぶしを振り下ろす。
「なにが最強の艦娘だ!」
バキッ!
「実戦経験が少なかった?そんなのが言い訳になるか!」
ゴキン!
「挙句の果てにこんな姿に成り果てて!」
ドゴッ!
「そんなザマで私の姉を名乗るな!くだらん生き恥をさらすくらいなら――」
耐えられず倒れた戦姫に馬乗りになる。首根っこを押さえつけて腕を引く。
「さっさと沈んでしまえ!」
「――まてまてまて!」
振り下ろそうとしていたこぶしが止められ見ると長門が抱き着いて止めていた。
「なんでそうなる!?」
「好きにしろとお前たちが――」
「やりたいことがこれだとは思わんだろう!」
「そういえばあなた、こんな感じだったわね…」
念のため反対の腕を抑えていた陸奥が溜息をつきながらゆっくりと手を離す。
「なんかまあ、こっちのほうがあなたらしいんじゃない?」
「それはそうだが、これで本当にいいのか!?…清霜、泣くな!ほら、いつもの優しい武蔵お姉さんだぞ!」
好き放題言われているようでどうも釈然としない。けれど、それほど今までの自分は考えすぎていたのかと自らを振り返ると、確かにその通りだった。
足元が光り、今は戦闘中だと思い出す。何が起きたのかを把握するために慌てて下を向くと先ほどまで相対していた敵の姿はなく、代わりに
「大和――!」
見慣れた姿があった。
「…本当に大和なの?」
可能性を提示していても信じていても、実際に見ると驚きを隠せない長門と陸奥の声でこれが現実だと知る。
「…やっと、捕まえられたな」
強く、それ以上に優しい姉。口に出すことはなかったが、その背に追いつこうとしていた。遠くへ行ったと諦めていた姉が、今目の前で眠っていた。
「私の気も知らないで」
心配もいらないほど穏やかな息に存在を感じ、何となく衝動がこみ上げ
ベキッ
殴ってみた。
「だからなんでそうなるんだ!」
「…んっ」
苦しそうに漏れ出す声と腕の下の揺れで武蔵は眠気から引き戻される。もう夜になろうとする時間、体に異常はないものの意識が戻らない大和の傍らにいたが、いつの間にか疲れが勝っていた。もたれかかっていた姉の足が動くのを感じ、武蔵は顔を上げる。
「む、さし…?」
何も分かっていない大和は不思議という感情すら追いつかないようで、ただぽかんと武蔵を見た。
「大和、お前…」
立ち上がってみたものの、武蔵とて何と言っていいのか分からない。だが無意識に大和の肩を掴んだ。伝わってくるしっかりとした、それでも柔らかな感触。幾度となく並べた肩は間違いなく知っている大和だった。
「私…いったい…?」
「少し長い間気を失ってただけだ。心配するな」
不安そうに見上げる大和の視線を受け、武蔵は椅子を引き寄せて座る。目線が同じ高さになり、武蔵はゆっくり息を吐く。
「長くなる。落ち着いたらきちんと話す」
「…そう」
ようやく武蔵を認識したように弱々しく笑い、うつむく。
大和はどこまで覚えているのだろう、と武蔵は考える。覚えているというほどの意識はあったのか、これから思い出すのか。どうであれ、大和にとって良い記憶ではないだろう。覚えてなかったとしても、隠しきることはできない。それは大和を苦しめ、解けない枷になるかもしれない。
「――っ」
大和がわき腹を抱えてうずくまった。
「大和!」
「ちょっと痛んだだけよ。もう大丈夫」
武蔵を逆になぐさめるように頬に手を当てられる。気恥ずかしくなって掴んで離すと大和は残念そうだったが、掴まれたままの手を見て何も言わなかった。
「他に異常ないか?」
「ぼんやりというか、ふわふわした感じがするわ」
「ずっと眠っていたようなものだ、仕方ないさ」
「あと、おなかが空きました」
少し恥ずかしそうにする大和を見て、笑ってしまう。
「食欲があるのは何よりだ。すぐに用意させよう」
立ち上がる武蔵の腕を大和が掴み、引き留めた。
「でも、ほっぺが痛いの」
「…まあ、そういうことも…あるさ」
「武蔵?どうしたの?こっち向いて?」
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第2章 最終話 Days
「はぁー。寿命が縮んだわー」
「ひゃっはっは。あんだけ啖呵切っちまって沈んだら洒落にならないからなー」
「言わんとってや―」
カウンターに倒れこむ龍驤を見て隼鷹は楽しそうに酒を注ぐ。
「なんであんたは他人事なのよ?」
「…皆さん、ありがとうございました」
鳳翔が深々と頭を下げた。
「そーいうことなら酒でも一杯――いてっ」
「ちょっとは黙ってなさい」
「鳳翔、相変わらずお門違いもほどがあるで」
龍驤が体を起こしてあからさまに溜息をつく。その間も鳳翔は頭を下げたままでいる。
「あいつらは無茶やったけどな、あいつらなりに思うところがあったんやろ。それでも生きてられたんはあんたのおかげや」
鳳翔の肩を小突くとようやく頭を上げてくれた。小さいと言われる龍驤と変わらない体、その上に載っているものが重りだけだと思っているのは鳳翔だけだ。
「あんたが教えたことちゃんと守ったから死なずにすんだんや。それ以上に大事なことなんて何があるんや」
鳳翔に笑って見せる。
「生きてるだけで丸儲けってな」
背中を叩いて背筋を伸ばす。龍驤にできることなんてこんなものだろうが、これ以上は出しゃばりすぎだ。
「あいつらも勝手に成長してるんや。うつむいてばっかやなくて、たまには顔上げてあいつら見てやらんかい」
「…はい」
ここまで言ってようやく返ってきた小さな返事は龍驤の耳膜を少しだけ揺らし、隣の喧騒に巻き込まれていった。
「赤城さん」
治療と検査を終えもう皆が寝ている時間になった廊下を歩いていると、縁側に座る良く知った後ろ姿を見つけた。長い髪の持ち主が加賀の声に振り返ると頬が膨らんでいた。
「加賀さん、どうでしたか?」
「特に問題は。数日は休むように言われましたが」
隣に腰を下ろすと赤城は安心したように微笑む。そんな赤城を見て、ようやくいつもの場所へ返ってきたことを感じた。
「今夜は月が綺麗ですから」
そう言って横に積み上げられている団子に手を伸ばす。食べるのはともかく、赤城が買うにしても多いそれにしばらく何も入れていない胃が動き出した。
「私も…いただいていいかしら」
「どうぞ」
さっそく手を伸ばすと、串を掴む寸前に赤城に取られた。手が宙をさまよい、再び取ろうとするとそれも先に取られ、赤城の口に運ばれた団子が消える。
「あの…怒ってます?」
「ほうへんへふ」
そっぽを向いて口に含んだ団子を飲み込む。
「加賀さんったら、最近は瑞鶴瑞鶴って。私のことちっとも見てくれないんですから」
団子がなくなっても膨らんだままの横顔を眺め、加賀は小さく頭を下げる。いつもそばにいてくれる存在にようやく向き合った。だがそれも今になったからこそ分かること。そう、初めてできた居場所にようやく帰ってきた。
「…ありがとうございます」
ずっと待っていてくれて。
赤城は大きく頷いて団子を加賀の前に差し出した。
「忘れないでくださいね。私と加賀さんで一航戦なのですから」
「はい」
加賀は素直に答え、目の前の団子にかぶりついた。
翌朝、加賀は港に立っていた。休めと言われたが軽く動いたほうが調子が戻る気がした。何よりやりたいこと、課題はたくさんある。
「…その前に、瑞鶴」
加賀の視線を受けて瑞鶴も自身の腰元に目線を落とす。いつもとずれた位置に作られた腰ひもの結び目を手で弾く。
「これ、やっぱり少しななめにあるほうがかわいいですよね。加賀さんもどうですか?」
まったく意図の通じないことに頭痛を覚えた加賀は頭を押さえて溜息をついた。その様子にようやく察した瑞鶴は抗議の声を上げる。
「別に困ることないし、これくらい良いじゃない!」
「基本を大切にしなさい。それは服装から――」
「飛行甲板投げる人に言われたく――うひぃ!」
瑞鶴の頭上に飛行甲板が振り下ろされるのをかろうじて避ける。情けなくしりもちをつくも、顔にかかる風圧に避けられたことを安堵する感情しか湧いてこない。
「…あの、加賀さん?持ちネタにしようとしてます…?」
「なんのことかしら?」
「ああ…瑞鶴ってば、また加賀さんと…」
少し遠くで様子を伺っていた翔鶴が両手で顔を覆い、震える声を出した。だが赤城には
「心配ありませんよ。いつもの仲の良い2人です」
めげずに突っかかる瑞鶴といなして出撃ゲートに向かう加賀を見て、翔鶴も同じように微笑んだ。
「そうですね、本当に、仲のいい――」
「翔鶴」
「は、はひ!」
振り返った加賀ににらまれて翔鶴は姿勢を正す。
「後で演習場に来なさい。たまには的になるのもいいでしょう?」
「ひぃっ、なんで私だけ…」
「失礼するぞ」
武蔵が執務室の扉を開くと白瀬は珍しくソファに座っていたが、机の上のティーカップを見つけて納得する。
「休憩中だったか。邪魔したな」
「いや…まあ気にしなくていい。なんの用だ?」
白瀬がちらっと金剛を見たが、先を促すので武蔵も頬を膨らます秘書艦を無視して歩み寄る。
「なに、先日の礼だ」
「れい?」
不安はたくさんある。大和自身の問題も、そこから波及する問題もなにも解決していないし、その手段を思いついてもいない。それでも
「大和が戻ってきてくれて良かったよ」
それだけは間違いのない思いだ。そしてそれに気づかせてくれたのは――
「好きに生きるというのも悪くないな、相棒」
白瀬の隣に腰を下ろす。正面に座ると思っていた白瀬が横にずれる前に肩に腕をかける。
「そうか…それより、少し離れてくれないか?」
「なんだ、かわいい反応するじゃないか、相棒。遠慮するな、私と君の仲だろう?」
「アアアア、アイボー!?ナカ!?」
ティーポットが揺れ、紅茶がこぼれた。
「テ、テートク!?どーゆーことデス!?」
白瀬が反応する前にティーポットをついに落とした金剛が震えだす。金剛と白瀬を見比べて、武蔵は楽しそうにソファにもたれかかり白瀬を引っ張る。
「そういうことだ、金剛」
「だから、どーゆーことデスカ!」
間に割って入ろうとする金剛の頭を押さえて突っ張る。もがく金剛が机を跳ね上げ、お菓子と皿が宙に舞う。
「ムキャー!テートクから離れるデース!」
第2章はこれで終わりとなります。
最後までご愛読ありがとうございました。
次回は未定ですが、来週からもう1つの連載を再開しますのでそちらもよろしくお願いいたします。
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