Only 10g of metal (おはようグッドモーニング朝田)
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かわいてて、ぬるくて、あたたか。

以前投稿した『ぼくからキミへ』の正統続編的な存在です。ギャグテイストとシリアステイストを分割しました。
ギャグの方は『生意気邪竜嫁がトホってワイプ顔オチする話』と題して別作品としてまとめることにしました。そちらもよろしくお願いします。

今作は邪ンヌと立香の微熱ストーリーをメインに書いていけたらいいなと思います。

ドライだけれど、確かな繋がりがある。そんなお話です。
どうぞよろしく。


かわいてて、ぬるくて、あたたか。

 

 

 

 街の雰囲気とは裏腹に空が零す涙が、まだ雪に変わる前。1年で最もカラフルな光が世界を照らすクリスマス・イヴ。無邪気な夢が食卓を飾り、それを見守る者たちがサンタさんへと変わっていく。

 目を覚ますと、そんなクリスマス・イヴが終わる3時間前だった。

 

「これは、やらかしたなぁ……」

 

 ベッド脇の床に倒れている段ボールの、その中で出番を心待ちにしているモミの木もどきに手を合わせる。南無。どうやら君の出番はまた365日後になりそうだ。

 

「ほら、オルター。起きてー」

 

 隣ですいよすいよと寝息を立てている灰髪の女性を揺する。俺が起き上がったことで布団に冷気が入り込んだらしく、ぷるっと震え、体が少し縮んだ。布団を掛けてあげると、また膨らむ。剥ぐ。縮む。掛ける。膨らむ。

 それがなんとも可愛くて、何度も何度も繰り返してしまう。ははは、愉快。

 

「……寒いんだけど」

 

 眠り姫も、どうやら微睡みに刺さる冷気には敵わないらしい。その瞳は未だ開かずとも、意識は世界に引っ張り出されてしまったようだ。

 

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

 

 当初の目的さえ忘れ、寒さにプルプルする彼女に形容しがたい感情を呼び起こされた自分がいた。

 顔だけでこちらを向き、眉間にしわを寄せる寝ぼけ姫。

 

「起こす気まんまんだったでしょう。何言ってんだか。ねぇ、今何時?」

「9時」

 

 露骨なため息。もぞもぞと布団の中に帰っていく。

 

「まだそんな時間? せめて昼まで寝かせなさいよ……」

 

 布団を握りしめ、防御は万全。徹底抗戦の構えだ。

 そんな彼女に、俺は切札にして最強の1撃を放つ。

 開けられたカーテンの音に何を勘違いしたのか、こちらに背を向ける相手兵士。強烈な太陽の光が差し込むと思っているのだろうが、いつまでたってもそんな時は来ない。不思議に思ったであろう彼女がこちらを向き、恐る恐るその眼を開く。

 窓から差し込むのは、陽光ではなく月光だ。眩しいはずも無し。その額縁に見えるのは青空などではなく、濃紺に塗りつぶされた夜空だ。暗闇に慣れた目に優しかろう。

 

「今、夜の9時だよ。21時」

「……はぁ?」

 

 ここ数日、ある界隈の冬の祭典で地獄のような日々を送っていた俺、藤丸立香と藤丸ジャンヌ・オルタは、完全に寝過ごしていた。

 クリスマス・イヴ終了まで、あと2時間と45分。これは、そんなサンタクロースが交通渋滞を起こす時間帯に始まった俺と彼女の、乾いていて、ぬるくて、ちょっとだけ暖かい、クリスマスのお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 オルタという人間は、捻くれ者なのだ。簡単に言うと。

 口ではあーだこーだ言いつつ実は素直じゃないだけだったりするし、流行り物を皮肉ったりするが意外とミーハーなところもある。

 つまるところ、イベント事やそれにちなんだ催し物が好きなのだ。こう見えて。バカにするような物言いをするが、なんだかんだ言いつつ参加する。そういう性格なのだ。面倒くさい。でも、可愛い。

 

 何が言いたいかっていうと。

 

「イヴだからって、わざわざ出かけなくたっていいじゃない。それにもうこんな時間よ?」

「そんなこと言って。オルタ、歩くのめちゃ速いよ」

「うるさい!」

 

 オルタはクリスマスを楽しみにしていたのだ。

 赤や緑の光が、目まぐるしく背後に消えていく。俺たちは夜の街に繰り出していた。あの後、パッとシャワーを浴びて、サッと着替えて。

 しかし、今夜の街はにぎやかだ。通りのライトアップ、整った男女比、年齢の傾向、人の密度……。人口が急激に倍増したかのような錯覚を覚える。この中にサンタはいないだろうということを考えると、なおさらだ。

 

 特にあても無く、オルタと2人で浮かれた街をぶらつく。それはそうだ。こんな時間に起きた俺たちに綺麗な夜景が見えるディナーなんて用意されている筈がなく。雰囲気の良い小洒落たお店も同様に。そんなものはとうに予約でいっぱいだろう。通りは人で溢れているのに、冷たい風が首元を撫でていった。

 そもそも、一般的な社会人とは言えない生活をしている俺とオルタに一般大衆向けのイベント事なんていうのも、土台無理な話なのだ。ていうか、なんでこう毎年冬の祭典はクリスマス周辺なのだろうか。俺たちみたいな日陰者はどうせ特に予定もないだろうという運営の配慮だろうか。馬鹿にしているのだろうか。薄暗い部屋で適度な湿気と明かりを頼りに生きていろとでも言いたいのだろうか。

 確かに陽の当たらない場所でじめっとした生活を送っているが、季節のイベントだって楽しみたいし、騒ぎたい。決して日陰者同士が集まって「〇〇さんの誰々が尊い」とか「ガチャで〇万爆死した」なんていう傷の舐め合いなどではなく、もう少し落ち着いた場所で、季節感と節度のある楽しみ方がしたいのだ。隣で同じように文句を垂れる彼女と2人、向かい風が少々冷たい世間を歩く。

 そんな俺と彼女が流れ流され辿り着いたのは、よく見る普通の居酒屋だった。看板メニューは焼き鳥らしい。

 流石にイヴの夜にここはどうなのだろう、と思った俺が彼女を窺う。

 

「ここでいいの?ローストチキンも、ブッシュドノエルも無いけど」

 

 串に通ったチキンはあるけど。

 

「いいのよ。べつに。何処だって」

 

 堂々と、臆することなく店内に踏み込んでいくオルタ。街には普段以上の人がいるのに、この店は普段以上に人が少なかった。

 クリスマスのクの字もない店内に、オルタの燃えるように苛烈で、手を伸ばせば掻き消えてしまいそうなほど儚く透明な声が染み込んでいく。

 しばらくして、オードブルも何もない、飾られてすらいないテーブルに生ビールのジョッキが2つ置かれる。お通しと枝豆を連れて。運んできた若い男の店員の笑顔には、青筋が浮かんでいた。合掌。

 炭火焼の煙が漂う大衆居酒屋。2人用のこぢんまりした座席。その対面で頬杖をつくオルタがジョッキを掲げる。それに合わせてこちらもそれを持ち上げると、視線を交差させた彼女が珍しく、本当に珍しく、柔らかく微笑んで。

 

 

「ケーキもごちそうもいらないわ。1杯の祝杯と、アナタがいれば」

 

 

 きっと街の熱気にやられてしまったんだろう。こんな言葉が平気で飛び出る。

 

「……そうだね。キミと2人なら、何処でもいいか」

 

 やられたのは、俺も同じか。

 カツン、とその見てくれに似合わない優しい音がぶつかったジョッキから聞こえる。中身を半分ほど減らすと、ポカポカと体が熱くなった。

 

 真冬だというのに体温が上がっていくのは、俺と彼女の顔が赤いのは、酒のせいに違いない。そう、きっと、酒のせいだ。

 君の瞳に恋なんて、もうしないと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 早起きなニワトリが鳴き始める頃、俺とオルタは帰路にいた。あの後は結局クリスマスの浮かれムードは鳴りを潜め、いつものわいわい朝までコース。朝と言ってもまだ暗いけれど。

 厚手のジャンパーに覆われた腕をさすり、白い息を吐くオルタ。

 

「うー、寒い。朝の冷え込みって異常よね。火でも着かないかしら」

 

 己の左手を見つめるオルタ。

 

「そんなファンタジーな。それに、今手から火を放たれたら俺が真っ先に燃える」

「あぁ、焚火。良いかもしれないわね、暖かくて」

「もしジャンヌが炎を操る魔女だったら、絶対手は繋がないようにしよう……あいたっ!」

 

 俺の左手がゴキリと悲鳴を上げる。ついでとばかりに足も踏まれた。最後のは余計だろう。

 仕返しだ、と体重の軽い彼女をぐるぐる振り回す。

 

「わ、ちょっと、やめなさいよ! 私たちお酒入ってるのよ!」

 

 白い街灯が弱々しく俺とオルタを照らす。腕を引き上げ、空いている手で彼女の背を支えて停止する。

 

「……なに? ダンスでも踊っているつもり?」

「ダンスは、苦手だな」

「もっとマシな照明、用意しなさいよ」

 

 一瞬が無限に引き延ばされる感覚。オルタの吐息が当たった頬が、少し熱を帯びる。

 

「決め台詞とか、無いワケ?」

 

 ニヤリ、といやらしく笑う彼女に乗せられた俺は、何処かのドラマで聞いたような言葉で返事をする。

 

「パーティは終わらない。今夜は踊り明かそうか」

 

 目を見開いた彼女と至近距離で見つめ合う。遠くでトラックが走り去っていった。

 

「……」

「……」

「……ぷふ! ごめ、ちょっと待ちなさい、クククッ!」

「ふ、あはは!」

 

 支えていた手を放し、歩き出しながら大いに笑う。頭上の電線が揺れた。街灯はどんどん後ろへと遠ざかり、手をつないだ2人で1つの影が薄く、まっすぐ伸びて消える。

 

「なに! さっきの!」

「さぁ? ドラマか何かで観た気がするんだけど」

「はぁ、おかしい。最高に似合ってないわよ」

「だよね。しかも踊り明かそうって。もう明けてるし」

 

 それに、とはどちらが放った言葉だっただろうか。涙さえ滲んでいる顔で笑い合い、まったく同じことを口にする。

 

「ダサいわね!」

「ダサいよね」

 

 特に示し合わせてもいないのに、どちらともなく揃う台詞。もう何もかも可笑しくなってしまい、2人で下品に笑い合う。世間的にはクリスマスの朝。街並みに響く男女のミスマッチな汚い笑い声。近隣の住民を起こしてしまわないか普通心配になるものだが、如何せん酔っ払いのやることである。理性は数倍に薄められていた。

 

「笑った笑った。素面だったらキモいだけよ? あれ」

「今度の新刊で使おうよ」

「ギャグ本になる以外の道が見えないわ」

「えー、そんなことないでしょ。クリスマスに、あのセリフだよ? ロマンチックじゃん」

 

 隣を歩く彼女がまた盛大に笑った。底冷えするような朝の空気はとうの昔に吹き飛んでしまっている。

 

「私たちのクリスマスがそうなったこと、1度でもあったかしら?」

 

 片手で器用に、そして大げさに、肩をすくめた。そしてこちらに、ニヤニヤと視線を寄越す。

 確かに。夜景が見えるレストランも、煌びやかなパーティも、俺とオルタのクリスマスに登場したことは1度だって無かった。俺が考えていると、話は最後まで聞きなさいとばかりに腕が引かれた。

 

「そしてこれからも、きっと無いわ」

 

 振り向いて、今夜限りの貧相なスポットライトを見つめる。遠ざかるそれは、もう古いらしく点いたり消えたりを繰り返している。

 

「冷え冷えとしていて、なんだか寒そう」

 

 それは、世間一般的に言われている「ロマンチックなクリスマス」のイメージだろうか。それともスポットライトに照らされるパーティ会場のステージだろうか。

 

「まぁ、燃えるように情熱的な夜も、いらないけれど」

 

 イベント事が好きな彼女にしては、意外な意見だった。俺が驚いている様子からその考えを読み取ったらしい彼女が、ツーンと横を向きながらぶっきらぼうに答える。

 

「馬鹿ね。私たちには私たちらしい温度感があるってことよ」

 

 そうね、ちょうどこれぐらいの。結ばれていた手がキュッと強く握られる。

 だいたい36度くらいだろうか。それはちょっと、ぬるすぎな気もするけど。

 

 

 頭の上で光が明滅する。真冬の上空を横切ったのは、流星だろうか。サンタクロースだろうか。

 下を向いていた俺には、わからなかった。上を向いていたオルタなら確認できたかな。

 重なり合って止まっていた影が動き出す。スポットライトは、もう誰も照らさない。家はもうすぐだ。

 

 ドライで、ぬるい。そんな俺とオルタの温度感。そのクリスマスだっていつも通りで、ほんのちょっとだけあたたかい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<おまけ>

 

ぐだお「嫁の実家でブッシュドノエルを死ぬほど食わされました」

邪ンヌ「だから言ったでしょう。いらないって」

 





ありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。


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愛は世界を救わない


静寂と喧騒。現実と夢幻。世界はいつだって曖昧で不透明だ。未来なんてわからないし、愛が世界を救うだなんて信じられないけれど、この気持ちがあれば僕たちはきっと無敵だと思う。


愛は世界を救わない

 

 

 

「ねぇ」

 

 オルタとふたりで川沿いの道を歩く。桜前線が列島を縦断し尽くしてから幾日、俺と彼女が住むこの街も花見の活気が徐々に収束の色を見せ始めていた。しかし満開のピークは過ぎ去ろうと、ここは土手沿いに桜が肩身狭しとその身を長く並べる花見の名所。今も桜は散らしてなるものかと踏ん張りを見せ、幸い天候にも恵まれてかその彩を残している。そこに人が集まるのは道理というもので、夜にも関わらず屋台がずらりと立ち並ぶ通りにはたくさんの人が詰めかけていた。

 いや、夜だからこそか。暖かい色の照明や屋台の灯りにライトアップされ、夜の暗幕に桜色を主張するそれらは、いかにも風情、これぞ和の情緒といった感じで現代人にも雅な本能をガツンと思い出させる。

 会社帰りのサラリーマンや初々しい学生カップル、騒ぎたい盛りの大学生など、同性異性分け隔てなく花見宴会に興じる姿は、まさにこの世の春と言った様相だ。ビバ、夜桜。

 しかしここにいるほとんどの人は、その後のことなど考えていないのだろう。桜が咲いて、散ったそのあとにのこる真実のこと。巡る四季と時間、命。

 別に非難するわけではない。悪いとは思わない。ただ、ほんの少しの寂寥感が心をかすめて心臓を痒くするだけ。

 ぴゅうと弱い風が首を撫でる。春とはいえ、朝晩は冷えるな。

 川沿いを、屋台が並ぶメインの花見通りとは反対の道を歩く。こちらはライトアップの反対側になっており、まるでレールのように影が連なっていて向こうに比べて薄暗い。屋台も無い。そのためか、人はまばらで散歩にはうってつけだ。

 

「ねぇってば」

「なにオルタ?」

 

 左隣を歩くオルタに呼び掛けられそちらに顔を向けると、信じられないようなものを見る目をしている彼女と目が合った。何度も呼んでんのにその返しかよ、と表情が語っていた。気付いていたけど、なんかしょうもなそうだからスルーしてたんだよ。きみ、酔ってるし。

 繋いでいない方の手を見れば、缶のレモンサワーが握られているのがはっきりわかる。顔の赤さから見るに、たぶん3缶目だ。今日はゆっくり飲みながらのんびり夜桜を眺める花見散歩という趣旨ではあるが、そのペースは少し心配である。

 

「ちょとつまみたいから、これ持っててくれます?」

「はいはい」

 

 オルタから缶を受け取ると、彼女は指に引っ掛けていたビニール袋の中の焼き鳥が数本入ったカップから空いた左手のみで器用に1本取り出す。その流れのまま串の先端から2個ほど鶏もも(塩)を齧り取ると、あごをツンと突き出しちょいちょいと薄く開いた口に立てた小指を当てて何かをアピールしてくる。なに?

 

「わからない? なんのためのつまみだと思っているのですか、まったく」

「あぁ、そういうことね」

 

 彼女の意図するところを理解し、先ほど受け取った缶の飲み口を、餌を待つひな鳥よろしく待機するオルタの口元に運び、傾ける。両手がふさがり、為す術なくこちらが注ぐレモンサワーをその小さい口で受けるのみになっているオルタ。いや、為す術なくというのは、彼女が望んだことであるからおかしいかもしれないけれど、でもなんとなくこの状態を続けるのはまずい気がする。センシティブです。

 ちょうどよさそうなところで缶を離してやる。嚥下の音とこぼれかけた雫を啜る音が鼓膜を揺らす。謎の支配感。ちょっとテンションが上がった。いけないいけない。

 

「んっ……ぷは。うっま。最高の組み合わせねやっぱり」

「それはよかった」

「ほら、アンタも」

 

 ひょいと差し出された串に齧り付き、肉を抜き取って咀嚼する。む、しおっけと鶏の淡白な甘みの塩梅がいい。それをレモンサワーでさっぱりと喉奥へ押し込むと、なんとも爽やかな後味が口内に残って美味しい。もはや快感だなこれ。

 

「ね? なかなかイイものでしょう」

「参りました」

 

 ドヤ顔で串に残った鶏肉を胃に納める彼女に缶を返す。ごびりとそれも一息に流し込んで次のプルタブを引っ張るオルタ。以下繰り返し。振出しに戻る。飲ませ合い食べさせ合い。今度は豚バラ串だった。だからペース早いんだって。

 

「それで」

 

 つまみの串焼きを粗方平らげその胃袋に収納し、もう酒を流し込むのみの逆ドリンクサーバーと化したオルタが問いかけてくる。そんなに強くないんだから、そろそろやめれば……?

 

「ぼーっとしちゃって。さっき、何を考えていたワケ?」

 

 さっきの呼びかけを何回かスルーした時のことだろうか。気にしていないようで、気にはなっていたみたいだ。

 思い出そうとして記憶を手繰るふりをして言葉を選ぶ。彼女はこう見えて季節イベント大好きウーマンなので、変に水を差すようなことを言うと「何よ文句ある?」と楽しげな気分を壊してしまいかねないのだ。

 

「こうも賑やかにさ、みんな集まって騒いで盛り上がってるじゃない。だからさ、なんというか……逆にこのピックアップ期間が終わった桜が無価値なんじゃないかって思っちゃったんだよね」

「花見シーズンをピックアップ期間って言うのやめなさいよ……」

 

 彼女は呆れがちにそう言い、ゲップを飲み込んだ。まだ理性が残っているようで安心だ。

 桜並木の背中の間から通りを見遣れば、人工の光が煌びやかにうねりを上げて波打っている。本来主役であるはずの春の代名詞を境に明と暗がくっきりと分かれたこの川沿いの道では、どこに主役がいるのか……何が主役なのか、ときどきわからなくなる。

 

「価値……ねぇ。アンタ、つまらないことを考えるわね」

「いや、桜見に来てるんだから桜の価値を考えるのはわりと理にかなってると思うんだけど」

「じゃあ、私たちは桜の花を見に来ているのですから? 咲いてない桜は無価値ね」

「えー。枯れ木も山の賑わいって言うじゃん」

「ぷふー! それ意味違うわよ」

 

 知ってます。オルタはニヤニヤと下卑た笑みでこちらを見上げている。彼女は俺の言葉の間違いを指摘すると決まってこう意地汚く、上機嫌に笑うのだ。その底意地の悪さを煮詰めたような表情が好きで、たまにこうやってチャンスボールを転がしてあげたりする。食らいついては水を得た魚のようにドヤるけれど、俺の用意した水槽の中だということには気づいていない様子。可愛いなぁ。

 しばし、お互いに何も話さない時間が続く。2人の間を風が通り抜け、足元に花びらを敷いていく。背の高い草が揺れて、時折川で魚が跳ねる。隣から聞こえる缶から液体を啜る音。目前の暗がりを睨みつける煤けた金の瞳、闇を吸って咲く彼岸の花のような頬の火照りが夜に映え、俺の意識を掴んで離さない。晩春の冷え込みにも動じない繋がった手が、心地よかった。

 

「物の価値なんて、流動的で不確実で、曖昧なものなのよ」

 

 静寂を破ったのは、隣を歩く彼女の方からだった。静寂、と言っても2人の右手側からは花見客の喧騒がひっきりなしに聞こえてくる。しかし左手側はキリギリスの鳴き声がはっきりわかるほど静かで、その間に挟まれたここはまるで夢現の狭間のようだ。

 そこそこに酔っているオルタはきっと夢心地で、普段なら言わないようなことを言ってくれるんだろうな、と冷静になっている自分がいた。

 そんな期待を裏切ることなく、饒舌に哲学めいたことを話し出す彼女。

 

「価値、なんてものを決めるのは所詮個々人の物差しよ。好きとか嫌いとか、信じたいとか信じたくないとか。そういうふわふわと実体のないものが物の価値を決めるの」

 

 ねぇ。例えば。

 

「芸術に、価値があると思う?」

 

 たまにはこういうことも考えましょうか、私たちだってクリエイターの端くれなのだし。そう俺に問いかけてこちらをじっと見つめるオルタは、祈るような、何かを諦めたような、そんな表情をしていた。

 俺は「一般的にだけど」と前置きしてから言葉を繋ぐ。

 

「教科書に載るような……あるいは大金が動くようなものは価値があると言えるんじゃないの? それだけたくさんの人に認められているっていうことでしょう」

 

 大きな美術館に飾られる、超高倍率のチケット、古くから続く伝統ある流派……捻りだそうとすれば、それなりの数の理由が思いつく。それらしい、もっともらしい、極めてごく普通の回答だ。

 それを聞いて、目の前の女は待ってましたとばかりに口の端を吊り上げた。よかった、これが正解だったみたい。

 

「その価値観で結論付けるのなら、この世で価値があるのは金塊だけね」

 

 オルタの熱を帯びた吐息が鼻先を擦って大気に溶け込んでいった。こう言ってはなんだが、酒臭かった。

 彼女は冗談とも真面目ともとれない曖昧な態度で言葉を続ける。酒気をたっぷり孕んだ溜め息は空気中を漂ってどこに向かうのだろう。祈りを届けるように空へ昇るか、はたまた諦念に似た何かを背負って地に落ちるか。

 

「芸術が何によってその存在を測られるかなんて、そんなものは決まっているわ。人の好みよ。それによって付与されるのは関心の度合いであって、価値じゃない」

 

 夜空を眺めつつ、左手の缶を揺らす彼女は、星を探しているのだろうか。しかし周囲の光が強すぎて、今日の星はその姿を捉えにくい。潤む瞳。染みたのは風か……それとも祭りの空気か。

 

「この世にある芸術には2種類しかないのよ。また見たい、もしくは聴きたいと思わせることができるものか、そうでないか」

 

 って、誰かが言ってました。

 体内で吸収しきれないアルコールとともにいとも簡単に吐かれたその言葉は、ある意味真実で、そして残酷な現実を内包していた。夜風にのり、桜の花びらと共に何処かへ運ばれていく彼女の言葉。俺はそれを目で追うことができなかった。オルタの瞳が離してくれなかったからだ。

 

「芸術に特別な力なんて無い」

 

 1度軽くなった彼女の口は、止まることを知らずくるくると回る。これを後々思い出したらきっと悶絶すること間違いなしだろう。しかし彼女は酔った時の記憶があまり残らないタイプなので、それだけが救いか。だからこそ何度も同じような過ちを犯すのだけれど。

 

「アート……音楽とか美術とか、芸術って言うモノは神聖視されがちというか、個々人の嗜好や思い出とマッチして美化されがちなのよ。その重なりは厄介で、魔法なんていう粗末な錯覚を生むの」

 

 人は、音楽を聴いたり絵を見たり、物語に触れたりして喜んだり悲しんだりする。それどころか、それらに元気づけられるとか、背中を押されるとか、時には救われたなど……そんなことまで言う人間もいる。

 そんな力はないのだ、と彼女は言った。

 芸術は、それに触れた人の感性や関心によって左右されるもので、誰にでも当てはまるわけではない以上、それは固有の力ではない。本来、受け取った人間の心を少し揺らすか揺らさないか……そんなちっぽけな力しかないのだ、と。

 

「心のちょっとした動きを個人の記憶、経験が共鳴して揺れを増幅する。その揺れが感情を生む。要は勘違いするのよ。それが魔法のカラクリです」

 

 言いたいことを全て言い終えたのか、オルタは持っていた缶の中身を全て煽り、艶やかな息を短く零した。

 俺は少し考える。これなんの話だったっけ、と。

 もういちど横を歩く彼女を見ると、先ほどまで空を見つめていたその双眸は、今度は夜桜と屋台、花見に浮かれる人々の方をじっと見つめていた。

 憧れと羨望、諦めと失望、嫌悪と無関心。その視線には全てが複雑にないまぜにされているようで、きっとそのどれもが不正解なんだろう。

 

「だから」

 

 彼女の右手にギュッと力が入る。

 

「桜の価値なんて今はどうでもいいことよ。誰がどう思うとかもいいから。私たちは私たちの物差しで、風情を楽しみましょう」

 

 薄く微笑むオルタ。

 

(あぁ、もう)

 

 俺はその表情を見るだけで、きっと今日の花見を美化してしまうのだろう。いつものいやらしい素の笑顔も好きだけれど、彼女はたまにこういう普段の意地汚さが隠れた表情もする。本当にずるいと思う。

 

「まぁ、彼らにとってはライトアップされた満開の桜が楽しみだし、音楽の魔法で人生変わるし、愛は世界を救うのでしょう」

 

 いいじゃない。それはそれで。人生楽しんだもん勝ちよ。

 

 そう言って彼女は俺が飲まずにとっておいた缶に手を伸ばした。

 強いな、オルタは。そう思いつつ、こちらの指にひっ提げる袋を漁ろうとする腕をはたく。引っ込めた手をさすり、恨みがましくこちらを見る……こともなく、いたずらがバレた小僧のように無邪気に笑う。

 祭りの雰囲気に中てられても、お酒のせいもあってかやけに哲学じみたことを語っても、横を歩く彼女は結局いつも通りで、こちらも至って普段と変わらない。桜の根元にふたりして寝転んで星を数えたりしないし、花びらを指先で遊ばせながら愛を語ったりしない。愉快に朝まで踊ったり、するわけない。

 

 熱くない。けれど、冷えてもいない。

 それは愛ではない。誰かが言うかもしれない。

 もとより曖昧なものだ。俺と、彼女なりの形にするさ。

 

 静寂と喧騒の境界を歩く俺と彼女。散った桜の花びらが道に降り積もり、ふたりが歩む先に線を引いている。不確かな物差しと絶対的な価値、曖昧な夢とはっきりした現実。混ざり合うこの世界を生きる俺と君の未来には、何が待っているのだろう。今確かなものといえば、左手を通して伝わる彼女の体温としっかり繋がった2人の距離か。

 きっと大丈夫だ。そう信じられる。根拠はないけど。

 不意に強くなった夜風が背中を押しのけ、そのまま通り抜けていった。髪が揺れ、思わず目を細める。隣を見ると、彼女も鏡合わせのように目を細め、まったく同じタイミングでこちらを見ていた。

 それがなぜだか面白くて、ふたりで笑った。

 道に積もっていた桜色の線がふわりと散って風に乗って天高く舞い上がる。あの花びらたちは空に届くだろうか。届くとしても、こちらの祈りは乗せて行かなくてもいいよ。天に願わずとも、大丈夫だから。

 

 熱くもないし、冷たくもない。

 

 伝わる体温は、至って平熱。

 

 きっと、愛は世界を救わない。

 

 けれど僕らはこの微熱を、愛と呼ぼう。

 

 

 

 

 

 

 

 

<おまけ>

 

ぐだ男「もう1つ確かなものがあった。それは邪ンヌが明日二日酔いになるということだ」

邪ンヌ「うぇ……きぼぢわるいぃ……」

ぐだ男「あー、だめだよ川にデロデロしたら。ほら魚が食べ物と勘違いして寄ってきちゃった」

 




ありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。


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