赤い主従の穏やかな日々 (SUIKI)
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赤い主従の穏やかな日々
カッ、カッ、カッ。
ーーーーまだ外の景色は暗く、人の気配も薄い。 街の中にポツリとある古めかしい洋館の中で柱時計の規則的な音が、静かに時間の流れを刻んでいた。
洋館の中は年代を感じさせる備品が数多く陳列しており、かなりの古めかしさを感じさせる作りになっているが、住人が定期的に手入れしているのか、埃っぽさは微塵もなく、床はワックスをかけたように磨きが掛かっている。
夜の静寂が漂う廊下を超え、いくつかの客間と思しき部屋を通り過ぎると、地下へと繋がる階段がある。階段は、様々な遠坂所縁の年代物が陳列されている地下室へと続いていた。
「すぅーーー、すぅーー、ん……」
眠気覚ましに飲んだであろうコーヒーカップが置かれ、フラスコや水晶などの備品が散らばった机のそばで、暗い色の寝巻きに身を包んだ黒髪の少女が、ソファーの上で寝息を漏らしていた。
「んぅ……うぅ〜〜ん?…………ふぅ……」
少女ーーーー遠坂凛の朝は早い。
「魔術」と呼ばれる現代ではサブカルチャーの媒体でしか聞かないような、そんなとんでも存在を扱う者を、古来より「魔術師」という。そして、彼女がその魔術を扱う資格を持つ証。それが彼女の身体に流れる魔力を生成する魔術回路でありーーーーー手背に刻まれた、欠けた令呪の存在である。
「……やば。またやっちゃったのね、わたし」
彼女は日課である魔術の鍛錬の途中、そのまま寝てしまったようだ。
「ふっ………あぁ〜〜」
遠坂たるもの、常に余裕を持って優雅たれ。
優秀な魔術師であった父に習い、実践している遠坂家の家訓である。
凛は生まれながらに優秀な血筋を持ったにもかかわらず、それに甘えることなくこれまで日々鍛錬を重ねてきた。そんな彼女にとって、鍛錬中に寝落ちしてしまうことはまあよくあることであった。
「……よし」
家訓からは若干はみ出ているが、この程度ならば問題はないだろう。凛は直ぐに意識を切り替え、微睡みから脱却すると、服を着替えるため自室へ向かう。
「う……さむっ…っくしゅん」
現在の季節は冬であり、気温は一桁ほどだろう。寝巻きの彼女に起き抜けの冷気は効果抜群であった。
手すりに手をかけると、先ほどの微睡みなどなかったかのようにキビキビと階段を登っていく。
「おはよう。昨日はよく眠れたか?マスター」
「……あ」
階段を登り、廊下に出ると明かりが付いている。奥にはエプロンをつけた赤い外套の男がこちらを見るや、朝の合言葉を発した。
赤い外套の男ーーーーーアーチャーは、凛が召喚したアーチャークラスのサーヴァントである。現在凛は、魔術師同士で願いを叶える願望機、聖杯を巡って7人の英霊を呼び出して戦わせる、聖杯戦争の真っ只中にいた。数日前、凛は聖杯戦争の参加者となるべく、英霊を召喚したが、その英霊の正体も、出自も分からないまま召喚されるというイレギュラーに見舞われていた。等の本人は、記憶に欠損があると言っているが、本当のことは分からない。しかし、なんだかんだで頼れる相棒として、数日間共に戦ってきた凛にとって、そのことはあまり重く考えるべきことではなかった。
「……おはよう、アーチャー。えーっと、あなたそこで何してるの?」
「ふむ、おかしなことを言う。サーヴァントとはマスターに仕えるものだ。であれば、マスターの身の回りに気を遣うことも、役割の1つだろう?」
召喚してから気付いたのだが、このサーヴァントは何かと手を焼きたがるのだ。本来サーヴァントとはマスターにとって戦いのための道具であり、それ以上でも以下でもない。はっきり言えば利害が一致しているだけの関係であり、マスターのプライベートには不干渉という在り方が一般的だと思っていた、のだが……。このサーヴァントにとっては違うらしい。
「ま、気にしても仕方ないか。別に害があるわけでもないのだし」
「ほぅ、マスターには私の気遣いは余計なお世話だったらしい。いやなに、そんなに気に触ることだったのなら今後は自重するとしよう」
「へ?いや、余計なお世話とか別に思ってないわよ?ただ、必要性を感じなかったから不思議に感じただけよ」
「ーーーーならば凛。まず顔を洗って、その腑抜けた表情と髪型を整えてくるといい。少しは女性らしい顔付きになるだろう」
こ、このサーヴァント…!主人に対して何よその言い草は!?
「あ、あんたね〜〜〜〜」
「いやすまん。なに、随分と呆けた顔をしていたのでな。気を悪くしたなら、紅茶の一杯でもご馳走しよう」
「紅茶って、あんたまた人の材料を勝手に…!」
「紅茶では不満だったかね?ならば今日は気分を変えてコーヒーでも……ふむ、そういえばここには置いてなかったかな?」
カフェインを摂取しておいて寝落ちした私への皮肉のつもりなんだろう。いつものことだが、このサーヴァントの慇懃無礼さにはいい加減辟易してきた。さっきのこともあってか、この赤い住人は少々機嫌を悪くしていたようだ。
「まったく……子供じゃあるまいし」
凛は自らのサーバントに踵を返し、奥の自室へ向かうため歩みを進める。
「凛。返事を聞いていないぞ?要るのか、要らないのか?」
「……要るわよ!!」
全く持って理不尽な咆哮と苛立ちを隠そうともしない主人ににやれやれと首を振る赤い住人。凛はその足で洗面所へ向かい、顔を洗ってから、着替えを済ませ、カツカツと聞こえそうな足音を鳴らしながらリビングへと戻った。
「おやおや、今日の凛は随分と機嫌が悪いようだ」
悪びれもなくこの赤い住人がのたまう。
「ふんッ!!言ってなさい!」
と、椅子に腰がけながら悪態をつくと、芳醇な香りが漂ってくる。
悔しいことに、こいつの入れた紅茶は絶品で文句の1つでも言ってやろうとした私はすっかりこの香りとまったりとした口当たりを楽しんでしまっていた。
「……悔しいけど、美味しいわね…」
「それはどうも、お気に召したようで良かった」
本当、こいつなんでこんなに紅茶を淹れるのが上手いのか……。というか、紅茶を淹れる英雄って聞いたことがないのだけど……。
「ふふっ」
紅茶を飲んだだけで先ほどまでの怒りを忘れられるとは……。私も案外安いなぁ、なんて。
「……ふーん?」
と、ふとあることに気づいた。普段から茶を淹れるものなら分かることだが、この紅茶、熱過ぎずぬる過ぎずと言った絶妙な温度で出されており、明らかに意図して作られている。すなわち、今日凛が起きてくるタイミングから、会話など一連の流れから、ちょうど良い温度になるまで茶葉を蒸らしていたということである。
「全く、無駄に手の込んでいるというか、気を遣いすぎるというか」
「ん、どうした凛?何か不満があるのか」
しかも本人がこれである。
やっぱりこいつーーーーーーーーーーー。
「べっつに〜?じゃあ、紅茶も頂いたし、そろそろ支度しなきゃね」
「む、気のせいか君何かはぐらかしてないかね?」
訝しげな顔で主人を見つめるサーヴァントを尻目に、支度を始める。多分、私が引いた英霊は大当たりだったのだろう。ならば私も、この英霊のマスターとして、ただ突き進むのみだ。
これは、これから起こる長い夜の物語のための、ささやかな朝のひとときーーーーーー。
初投稿ですが、感想or/and評価、気長にお待ちしております。
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