五条美城は白サギ嬢 (アランmk-2)
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第一章 秀知院の白サギ
五条美城は転校生


「席に着け。今日は最初に転校生を紹介するぞ」

 

 転校生。

 それは安定した日常に突如として吹き荒れる嵐であり、学生達の淡い憧れである。

 ここ秀知院学園という、外部入学の者を混院と呼んで疎む文化がある学校でもそれは変わらない。

 

「入りなさい」

 

 教師がそう言うと、少しの澱みもなく扉が開く。秀知院学園の制服である学ランではなく、グレーのブレザー制服姿の生徒が入ってくると、彼らは目を疑った。

 その人を見た瞬間、二年B組の生徒達は雪の精霊か、そうでなければ冬の女神が現れたと思って行儀悪くも口をポカンと開けていた。

 まず目につくのは真っ白な髪。プラチナブロンドやアッシュブロンドと言う輝く銀髪ではなくて、白としか言いようのない髪を肩にかかるくらいまで伸ばしていた。

 次いでその目である。くりくりと大きな目が人の良さそうな丸を描いて、その中の瞳は真っ赤に輝いていた。赤色以外の不純物の一原子すら混じっていないだろうと思わせるほどの、透き通るルビーのような目だ。

 カッカッとチョークの子気味いい音を響かせながら、その人は丁寧な字で『五条美城』と書くと、そっと振り返り、ゆっくりと全員の顔を見渡して、微笑みながら言った。

 

「初めまして。今日からこの秀知院学園に通う事になりました五条美城です」

 

 見た目の繊弱さとは裏腹に、少し低めの凛とした声は教室の隅から隅までよく響いた。

 例えるなら宝塚の男役。もしくは少年を演じる女性声優のような声をしている。

 

「これから皆さんの仲間として学校生活を送れる事を嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 もう一度にこりと笑うと、小さく、優雅に五条美城は一礼した。

 

 

 

「ねえ聞いた?」

「聞いた聞いた。雪の妖精だって」

「えー何々?」

「転校生だよ、転校生」

 

 進級してしばらく、平々凡々な日々に春の陽気も加わってあくびでもしたくなるような日常に、突如として現れた転校生という非日常の話題で持ちきりだった。

 特権階級や、上級国民などと言われる子息息女が多く通う秀知院学園とはいえ、人は人。噂、ゴシップ、風説の流布、そういった物を好む人は多い。

 

(転校生ですか)

 

 そんなざわめきを聞きながら、生徒会副会長四宮かぐやは一つの事を思い出していた。昨日の生徒会活動の折、教師陣から渡された資料の事である。外部からの転校生、という事で同じく外部入学の生徒会長白銀御行にフォロー役の御鉢が回って来たのだった。

 負担をかけすぎでは?とかぐやは思わなくも無かったが、当の御行は新たな外部入学生にテンション高くなっていたので何も言わずにとりあえず微笑んでおいた。

 

「あ、かぐやさ~ん」

 

 憧れと恐れを抱かれているかぐやに話しかける人物は多くない。ましてや物思いに耽っているともなればなおさらである。が、そんな事はお構いなしに話しかけてくる友人の方を、かぐやは振り返った。

 

「藤原さん。どうかしましたか?」

 

 ゆるくウェーブのかかった髪のようにふわふわした性格の藤原千花が、いつもよりふわふわ二割増しで近づいてきた。

 

「もうかぐやさん、何で教えてくれなかったんですか」

「えっと、何でしょう?」

「とぼけ無いでくださいよ~」

 

 藤原千花が突拍子もない事はいつもの事だが、今日は特に要領を得ない。まとわりつく彼女をとりあえず横に置いて落ち着かせた。

 

「何かありました?」

「ありました、何て物じゃありませんよ。知ってたら私もあんな大声を……」

 

「千花?」

 

 廊下の角から、かぐやの全く知らない声が響いた。

 秀知院学園は極端に人の流れが少ない学校である。クラスメートになるか選択授業で顔を合わすか。程度の差こそあれ、全く関わりのない人を意図して作ろうとしても不可能なほどだ。記憶力の良いかぐやが全く知らないなどあり得ない。

 それこそ昨日今日来たでもない限りは。

 

「あ、シロちゃ~ん」

 

 いるのだ、まさに今日きたばかりの人物が。

 ひょこりと顔を出した真っ白な髪の持ち主が、気安い様子で千花に話しかけながら歩いてきた。

 美醜で言えば圧倒的な美の持ち主であるかぐやも、目の前の人物の美貌には嘆息を漏らした。

神秘的な白さに、目に差したるは赤い色。すらりと長い手足も相まって、確かにこれは妖精だ。

 千花が口にするシロちゃんとは、「美城」という名前と、その見た目から「白ちゃん」でもあり「城ちゃん」のダブルミーニングなあだ名なのだろう。例え名前が「黒子」だったとしてもあだ名は「シロちゃん」になった気がする。

 その真っ白な人がかぐやの方へ視線を向けると、一礼して穏やかに話しかけて来た。

 

「初めまして。私、五条美城と申します。藤原千花とは幼少からの知り合いでございまして、かぐや様の御噂はかねがね伺っておりました。此度はこうして皆さまと轡を並べる事と相成りました事、誠に嬉しく思います」

 

 慇懃無礼ともとれるような言葉を、かぐやはとりあえず気にしないことにした。ここは御曹司とも令嬢とも言われる子供が数多く通う学校である。礼を尽くして尽くし過ぎるという事は無い。と思っているのだろうという事情をくみ取って、尽くされた礼に素直に答える事にした。

 

「ご丁寧にありがとうございます。私は四宮かぐや。あなたのご友人である藤原千花さんと生徒会を共にする間柄です」

「二人とも固いですよー」

「ひゃっ!」

 

 のらりくらりと掴みどころのないような会話をしている二人の均衡を、千花は『シロちゃん』に抱き着く事で破った。抱き着かれた美城はその真っ白な頬を赤らめて文句を言う。

 見目麗しい二人のくんずほぐれつに、道行く生徒達はキマシタワーの波動を感じていた。

 

「シロちゃん相変わらず綺麗だねえー。女優さんにも負けてないよ」

「それって嫌味?」

「そんな訳ないじゃないですか」

 

 美城の白雪のような髪を梳くい、頬っぺたをぷにぷにと突く千花。人との距離感が近い彼女ではあるが、その様子からかなり親しい間柄であろう事はかぐやにも分かった。

その様子を見守るギャラリーの中で、壁になって見守りたい派と間に挟まりたい派が発生していたのは余人の預かり知らぬ所である。

 

「おーい五条、次は移動教室だぞ……ああ、四宮もいたのか」

「あっ……会長」

 

 さきほどと同じように角から白銀御行が顔を出した。思い人の登場に、かぐやは少しニヤケそうになるのを下唇を軽く噛みながらにこやかな表情を作る。

 

「こちら今日から秀知院に通う五条美城さんだ」

「はい。藤原さんから紹介してもらいました」

「紹介しちゃいましたー。それにしても二人とも酷いですよ。何で教えてくれなかったんですか」

 

 冤罪である。さっさと帰ったのは千花のごくごく個人的な用事のせいで、この二人になんら瑕疵は無い。

 

「しょうがないだろ。まさか藤原書記が転校生と幼馴染だったなんて俺達が知る訳もない。そもそもさっさと帰ったのが悪いんだろ」

「じゃあぺスの散歩をほったらかしたら良かったって言うんですか!」

「そうは言ってないが」

 

 知っている名前が飛び出した事に、美城は雪色の華を咲かせたような笑みを浮かべた。

 

「ぺス! 元気にしているの?」

「元気ですよ。またシロちゃんにお世話されたらぺスも喜びます」

「私の事忘れてないかな」

「大丈夫ですよ」

「かな?」

「そろそろ移動するぞ」

 

 会話が丁度いい区切りを迎えた所で、白銀は廊下の窓から外の時計台に目を向けながら言う。彼以外の三人もそちらに目を向ければ、授業開始まで僅かであった。

 

「わ、急がないと。かぐやさんまた放課後に」

「はい」

「では失礼します」

 

 千花は軽く手を振りながら、美城は折り目正しく一礼して白銀について行った。同じクラスの友人のように数少ない外部生という事もあってか、彼の口がよく回っているのをかぐやが認める。

 

(まあ彼女の事は心配ないでしょう。藤原さんと幼馴染なようですし、なにより会長が一緒ですから)

 

 そう思案すると、何となく面白くなかった。そもそもクラスが違うのだからどうしようもないのだが。理解はしても納得は出来ないというやつである。

後日かぐやは使用人の早坂に、どう画策すれば三年生に進級するとき同じクラスになれるでしょうと相談して呆れられるのは別の話だ。

 

 

 

 今日の秀知院学園は一人の話題で持ちきりだった。

 もちろん転校生の五条美城の事である。

 しかも外部生を『混院』などと呼んで下に見る文化が暗黙のうちに了解されているこの学園では珍しく、好意的な話題でもって。

 まったく、見た目が良いからといって好意的になるなど単純すぎる、とかぐやなどは思うのだ。その優しさを会長の時にも分けてあげればよかったのに、とも思う。

 

「五条さんまたね」

「はい、また明日」

 

 噂をすれば影とはよく言う物で、件の人がクラスメート達と話しているのが聞こえた。少々行儀が悪いとは思いつつも、かぐやはその様子を物陰からうかがう。

五条美城は空々しいほどに綺麗な顔をほころばせて一礼すると、優雅な足取りで立ち去っていく。彼女の不思議な所は、常に下手に出ているはずなのに、卑屈な所がなく、堂に入るような礼儀作法の前に、嘲る意思すら消え失せるような振る舞いだった。

 これは仕える事が生き方そのものになっている従士家の者に見られる特徴だ。早坂家とか。

 となると、どこか一角の家の生まれだろう。昨日かぐやが白銀と一緒に見た資料には名前と家族構成、前に公立高校に通っていた事くらいしか書かれていなかった。……そこまで思い出してから、簡易資料とはいえ簡易すぎる事に文句の一つでも言いたくなった。

 

「会長、御一緒してよろしいでしょうか?」

「五条か。構わないぞ」

 

 などと考えていると先に白銀に声をかけられる破目に陥り、じろりと白い頭を睨みつけた。

 それを見ていたとある生徒会会計は謎の腹痛により本日の活動はお休みである。

 

(浅ましい女……。会長の優しさに付け込んで……藤原さんと同じね。類は友を呼ぶとでもいうべきかしら?)

 

 かぐやの中で藤原を引き込んでとんでもない巻き込み事故が発生していた。そんな事は知る由もない二人は楽しそうに会話をしている。にっこりとした顔に変わったかぐやの額あたりに青筋が浮かんでいた。

 

「どうだ? 少しは学校に慣れたか?」

「はい。皆さんにはとても優しくしていただきまして、楽しい学校生活を送れそうです」

「五条自身の努力もあるだろう。こう言っては失礼かもしれないが、話しかけにくい見た目をしているからな。そちらから話しかけてくれてほっとしてる奴も多いはずだ」

「冷たそうとか『やっちゃえバーサーカー』って言いそう、などとはよく言われます」

「……後者の意味はよく分からんが、すまない。失言だったな」

「いえ、事実ですから。こんな見た目ですので自分から『私はこういう人間です』と言わないと分かってもらえないよ、と昔知り合いに言われたんです」

「それが藤原書記か?」

「これは違う人からです」

「そうか。おっと、すまん、ちょっとトイレに」

「あ、私も行こうと思っていたんです」

 

 足を止めて二人はトイレに入って行った。

 同じ所に、である。

 つまり男子トイレにである。

 

(えーーーーーーーーーー!!!!)

 

 かぐやは内心で叫んだ。それはもう思い切り。

 

(いやいやまさかあり得ないでしょうそもそも私に恋い焦がれない男などいるはずもないのですから会長は私の事を憎からず思っている訳でそんな今日会ったばかりの女とあれやこれやの何それを……はっ!)

 

 その時かぐやに電流走る……!

 近くは夜中に行われる使用人との会議、古くは四宮の教育係から教わった保健体育の授業の内容。

 

『男は下半身で物を考えるケダモノです』

 

 その言葉を思い出してもう一度この状況を見直してみよう。

 純金の飾緒を身に着けた生徒会長が、美少女と言って差し支えない容貌の生徒を引き連れてトイレに入って行こうとしている。

 …………

 ……

 …

 …………

 

「けだものーーーーーーーーー!!!」

 

 かぐやは思わず叫んだ。それはもう思いっきり。

 

「四宮!?」

「ど、どうかされました?」

 

 今まさに男子トイレに入ろうとしていた二人が、突然の大声に振り返った。

 そこには目も口も限界まで開いて驚きに満ち満ちた表情なかぐやが立っている。人をして淑女と誉高い姿はどこへやら。

 

「会長、どういうおつもりですか?」

「どういうつもりって、ただトイレに行こうとしていた所だが……」

「それがおかしいんです!」

「……?」

「五条さんもどうしてそんな『何か問題でも?』みたいな顔をしているんですか!?」

 

 あのかぐやも大きな声を出すと言う物である。

 

「どうかしたんですか~」

 

 騒ぎを聞きつけた藤原千花が参戦してきた。そもそも今騒いでいるトイレは生徒会室に繋がる廊下にある物なので、通りすがらない訳がない。

 

「かぐやさんが大きな声出すなんて珍しいですね。何かあったんですか?」

 

 正直な所、かぐやの明瞭に冴えわたる頭脳をもってしてもこの事態をどう扱うのか悩んでいた。何か事情があるのか、そもそもどちらに責があるのか、カードとして懐に収めておけばいいのか。

 という訳でここは五条美城の友人である藤原千花に追従する形を取ることにした。友人の事で怒るのは倫理的にも間違ってないのだから。

 

「藤原さん、どう思いますか?」

「どうって……」

 

 と言って千花は、白銀と美城の二人が並んで立っている場所を見た。かぐやが叫んだ時から動いてないので、男子トイレの青色のゾーンに立っている状況は変わっていない。渡〇でなくても社会的制裁は免れ得ないような状況である。

 

「何がですか?」

 

 にも関わらず千花はコテンと首を傾げながら言った。後ろの二人も同じ様に小首をかしげた。

 

「『?』 ではありません!」

「う~ん……あ、もしかしてシロちゃんの事ですか?」

「他に何がありますか?」

 

 熱くなっていた事を自覚したかぐやは、一度息を吐くと自分は冷静だと思い込ませるように落ち着き払って言う。

 あ、と二人は分からない問題が解けた時のような声を出して頷いた。そして、おかしそうに微笑む。

「またですよ」

「まただね」

 などと分かったように話出したので、置いて行かれるかぐやとしては不気味でしょうがない。なぜか白銀が苦々しい顔をしているのも気になる。

 

「な……何ですか」

「かぐやさん。シロちゃんは白鷺城ってあだ名なんですよ」

「白鷺城……姫路城の別名ですね。確かに真っ白で綺麗な髪をお持ちの五条さんに相応しいあだ名だと思いますけど……。ですがそれはこの事態と関係ないでしょう?」

 

 チッチッチ、と藤原は指を振りながら、面白そうな顔を崩さない。こういう顔をしている時は大抵ろくでもない事を考えているのを、かぐやは長い付き合いで知っていた。

 知ってはいるが、ここは乗っかっておかないと話が進展しそうにないので、話の続きを促す。

 

「ふっふーん。たしかにそれもそうなんですけど、白鷺のお嬢様って意味もあってですね~」

「はい。それで?」

「それに白『詐欺』嬢、なんです」

 

 言葉の一つ一つを丁寧に区切り、聞き間違いが起きないように『詐欺』の部分を強調した。

 

 四宮かぐやは考える。

 それは『白詐欺嬢』の詐欺という言葉がどこにかかっているかだ。

 白、の一文字はこの転校生を示す最も単純な単語であろう。そこに嘘はないと確信を持てる。

 では、何にかかってくるのかと言えば、残った嬢という単語。

 嬢が『詐欺』であるならば、それはつまりどういう事かと言うと……。

 それならば、今のこの状況を問題ないと言った藤原千花の言葉は……。

 

「あ、あの。もしかして……」

「お、気が付きましたねかぐやさん」

「……五条さん。簡単に自己紹介をお願いできますか?」

「はい。私、五条美城と申します」

 

 これから言う言葉をかみ砕く余裕を与えるように、ゆっくりと雅な所作で、五条美城は雪のような髪を耳にかけた。

 

 

「五条家の長男です」

 

 

「はーーーーーーーーー!!??」

 

 四宮かぐやの本日二度目の叫び声は広い校舎に、彼を見た誰もが過去同じように叫んだ時のように響いていったのだった。

 

 本日の勝敗 かぐやの敗北

 




問 イリヤみたいな見た目をしてシノンみたいな声でしゃべる人物の性別を答えよ


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早坂愛はそうでもないけど四宮かぐやは知りたい

五条美城の一人称は私と書いて「わたくし」です。


「早坂! 今すぐ来てちょうだい! はーやーさーかー!」

「はい。どうかしましたか? かぐや様」

「どうもこうもないわよ!」

 

 時は戌三つ(20時ごろ)、所は四宮。

 ここ四宮別邸でその主は非常に不機嫌な声を響かせていた。

 他の使用人が怯えているのを後目に、呼ばれた早坂は、今夜は何事でしょうかとため息すら吐いて主のかぐやが待つ部屋に入って行く。

 天蓋付きのベッドの上で、寝間着に着替えた可憐な少女が、柳眉を鋭く釣り上げて、怒りを露わに座っていた。

 

「調べて頂戴」

「会長の事ならかぐや様があと少し勇気を出していただければ……」

「違うわよ!」

「じゃあ何をですか?」

「あの転校生の事に決まっているでしょう?」

「あーあ」

 

 早坂は呆れとも納得ともとれるような気の抜けた返事を返すと、スマホを取り出して友人が送ってくれた写真を眺める。そこには今まさに主命にて調査をする事が決まった五条美城の写真が収められていた。

 シミ一つない白い肌、真っ白な髪、人の良さを表していそうな丸い目には赤い瞳が宿っている。

 

「怪しい……」

 

 肩口から早坂のスマホをのぞき込んでいたかぐやはそんな事を言った。

 

「早坂は彼についてどれくらい知ってるの?」

「そうですね。一部の人がざわざわしてたのでそこそこ家格の……え彼って言いました?」

「言ったわ」

「ええ……うそぉ……」

 

 写真に納まっている彼女……いや彼を見てもいまいちピンとこない早坂だった。かぐやが何らかの目的で虚偽を述べているのではないか、と疑うほどだ。確かに制服はパンツスタイルではあるが。

 

「秀知院学園の会長を取り込む男のふりをしたどこかの会社の女刺客かもしれないわ。距離が近すぎだもの」

「そうですかねえー」

「何呑気な事言ってるの早坂! 放っておいたら会長が四宮の敵対勢力に取り込まれちゃうかもしれないでしょ! そうならないためにも私達で危機がないか調べないと……これじゃ私が会長の事が心配で心配でしょうがないみたいじゃない!」

「違うんですか?」

「違います!」

 

 こほん、と仕切りなおすようにかぐやは咳を一つ。先ほどまで纏っていたアホっぽい雰囲気を振り払って、四宮らしい冷たい空気で最も信頼する侍従に告げた。照れ隠しがあったのは否定しない。

 

「五条美城を調査しなさい」

 

 早坂は流れるような所作でスマホをしまうと、礼節を持って一礼した。

 

「かしこまりました。かぐや様」

 

 

 

 そんな事があったのが昨日の事である。

 対学校用ギャルモードに移行した早坂はスマホを片手に転校生を探していた。

 情報畑の人間に調査をするように指示は出したので、彼女に出来る事は資料では分からない人となりを確認する事だ。今なら他のクラスの人間が話しかけても不自然さは無いので、動くなら今を於いて他にはない。

 

「気になりませんか?」

「どうした五条」

 

 いた。

 二年B組の教室内、普段より早く登校していた白銀御行の席に椅子を寄せて、五条美城は一緒に勉強をしていたようだ。今は一区切りついたのか、飲み物片手に談笑している。

 

「私の毛色の事ですが」

「それか。確かに珍しい髪色をしているが、別に恥じるような事でもないだろう?」

「そうではなくてですね」

「じゃあ何だ?」

 

「髪の毛と下の毛も同じ色なの?とかそういう話です」

「ブ―――――!!」

 

 白銀は飲んでいたカフェオレを盛大に吹き出した。こっそり聞き耳を立てていた周りも似たり寄ったりな反応だ。

 

「ゴホッ……お前なんつー事を!」

「そうですか? 私、生まれてこの方その手の事を聞かれなかった事が無いので当たり前の話題かと」

「ろくでもない奴らばかりだな……。だいたい、少し考えれば分かるだろう」

「と、言いますと?」

「体毛の色は部位によって多少の変化はあってもベースの色は同じだろう。特に五条は眉毛も睫毛も真っ白だからな」

 

 ふむふむ、と五条は頷きながら肩にかかっている白い髪を目の前に持ってきていじった。もちろん枝毛一本ない艶やかなストレートである。

そのまま上目遣いに白銀を見上げて、話の続きを促すようににこりと笑った。

 こんな無駄に可愛らしい見た目の奴に何で下の毛の話をしなくちゃならんのだ、と白銀の方はなぜだか空しい気持ちになったが。

 

「つまり論ずるまでもなくお前の下の毛は真っ白という事だ」

「生えてませんよ」

「生えてないの!!??」

 

 今明かされる衝撃の真実。二年B組は揺れていた。

 

「それはもうツルツルです」

「ツルツルなの!?」

「俗に言うパイパ……」

「言わせねーよ!?」

 

 何等かの放送コードに引っかかりそうな目の前の転校生の発言を白銀は全力で食い止めた。頭を羽交い締めにして口元を押さえつける。

犯罪スレスレの絵面だった。マスメディア部が白銀派でなければ飛ばし記事の一つくらい書かれていたかもしれない。

 

「何でこんな話題を……」

「私、見た目がこうですし外部入学ですから、自らアピールしておかなければ孤立は必至でございましょう?」

「考えすぎ……」

 

 と言う前に白銀は入学してから感じていた疎外感を思い出した。喋る相手もろくにおらず、一目につかない場所で一人食事をしていた日々の事。

 そういう思いをさせないために、俺はこの学校の長になったんじゃないか?

 

「ちなみに会長はいつ頃お生えになられたので?」

 

 こいつ俺がいなくてもぜってー孤立しねーよ。すんごい図太てーもん。

 白銀は思った。

 

 

(……まあこれで女という線は無いでしょう)

 

 一連の流れを教室の外で聞いていた早坂は、かぐやの懸念の一つが十中八九懸念のままであろう事に安堵した。

 デリケートゾーンの話題を同性以外にぶっこむ輩がいれば、それはただの変態だ。

 いやまあいないとも限らないのだが。

 

「下ネタは心の距離が縮まるそうですが、どうでしょうか? 縮まりましたか?」

「心の距離より寿命が縮まるわ!」

 

 転校生という神通力も一発で吹き飛びそうな五条の発言に、白銀のツッコミが朝から冴え渡っていた。

 

 早坂の手帳に調査結果、男で間違いなしと書き加えられていた。しかしとりあえず調査は続行とする。

 

 

 

――

 

「愛さあ、てんこー生ちゃんのこと見すぎじゃん?」

「思った―」

 

 早坂は三時間目が終わった辺りで、友人達からそう声をかけられていた。

 そら(人を監視しながら普段通りの生活をしようとすると)そう(普段と違う様子を見咎められる)よ。

 今更言い逃れようとしても無理な事を早坂は悟り、否定する事なくそれっぽい理由を言う事にした。

 

「えー、でも実際ヤバイしー。SNSのっけたら万バズり確定っしょ?」

「確かに」

「だから行っちゃっていい?」

「私達にも後で紹介してよ」

「分かってるしー」

 

 そう告げて、早坂は昼休みに本格始動する事を決めた。

 放課後になれば恐らく五条美城についての報告が一旦上がってくるだろう。その前に自分自身で何かしらの情報を得なければ。

 これは早坂のプライドの問題だったが。

 

「五条ちゃーん」

 

 先手必勝疾風迅雷。

今話題の人物には人が寄ってくるものなので、早坂は先手を期す事にする。

 幸いにも幼馴染である藤原千花と世話係のような役割の白銀御行は、生徒会としての仕事のために教室にはいなかった。

 

「はい。何でしょうか……えっと……」

「早坂だよー。隣のクラスの早坂愛」

「早坂愛さん、ですね。初めまして」

 

 雪の髪をさらさらとなびかせながら、誰に対してもするように丁寧に五条美城は応対した。

 

(これが男子ですか? さすがに身長は女子にしては高いですけれど)

 

 五条美城の身長は男子の平均よりは低いが、それでも早坂より若干高いくらいだ。

ちなみに十七歳女性の平均身長は157cmで男子は171cmである。こう見るとミコちゃん(147cm)ちっちゃい。

 

「どのようなご用件でしょうか?」

「用ってほどじゃないんだけど~。転校生ちゃんの事が気になっちゃったから会ってみよっかなって」

「なるほど。じゃあ綺麗に撮って下さいね」

「へ?」

 

 五条は胸の前で指を組むと、小首をかしげて笑った。

 

「こんな感じでよろしいでしょうか」

「え、何してるし」

「あれ? 写真に撮ってSNSにアップするおつもりだったのでは?」

 

 先ほどの会話を聞かれでもしたのだろうか。それ自体は大した事では無いのに、裏に潜めている目的が後ろ暗い物である事から、早坂は冷や汗の一つでも流れそうだった。

 

「今日だけで百万枚は撮られていますから」

「あー、そーいう」

 

 察知しているとかそういう訳では無かったらしい。そもそも今の早坂はちょっとチャラいがどこにでもいる女子高生というコンセプトで行動しているのだから、同じような行動を取ろうとする人が、それこそどこにでもいておかしくない。

 

「もしかして早坂さんってあの早坂さんですか?」

「あのって何?」

「千花のお友達の、早坂愛さんですよね」

「あ……そうそう!」

 

 都合のいい事にターゲットからの良いパスが転がり込んできた。一瞬考えて、何か良い会話の流れが生まれそうだったので、早坂はそれに逆らわずに乗っかる事にした。

 友達の友達は友達作戦を実行する。

 

「書記ちゃんと知り合いだったんだ。ねえご飯食べながら話ししない?」

「私でよろしければ」

「ついでに学校案内してあげるしー」

「ありがとうございます。まだ分からない所もあるので……」

 

 嘘である。

 この男、昨日藤原と一度校舎を回って内部構造を完璧に把握している。

 秀知院学園に入れるだけあって、彼も優秀であるのは間違いなかった。

 

「食堂は一階のねー」

「あ、待ってください」

 

 どういう距離感で人と接するか、というのは一つの悩みどころだが、早坂は自分の学校でのキャラと五条の意外にも気安そうな感じから距離感を一歩詰める事にした。

ともすれば男に媚ているようにも見られかねないが、彼の見た目はほぼ女の子なのでいやらしい感じはしなかった。もちろんそこまで計算した上での距離感だ。

 

「速くー、席埋まっちゃうよ」

 

 早坂は少し強引に五条の手首を握ると(うわ細っ)、そのまま引っ張って行った。

 ここまで来れば早坂は今回の作戦の成功を半ば確信していた。かぐやの学んだ四宮家一子相伝『純真無垢(カマトト)』には及ばないが、人心掌握術の一つとして異性との接し方は学んでいる。

 

(もっともこれを男性と呼んでいいのかはかなりの疑問ですけど)

 

 風紀委員に目を付けられないように早歩きで食堂に向かいながら、一瞬後ろを見ると頬に赤みが差した五条美城がいた。もう疲れたという訳でも照れているという訳でもないだろう。早坂自身もそうなので覚えがあるが、色素が薄いとすぐに顔が赤くなるのだ。

 はらりと白い髪が跳ねると、それを白い指でかき上げて整える。

 本当、綺麗な顔をしている。早坂は素朴にそう思った。

 そのまま春の日差しが入り込む窓を抜けて、食堂まで行こうとした。

 

「いっ……!」

 

 突然後ろの五条美城が立ち止まった事で、その腕を引いていた早坂は前につんのめる。

 何事かと振り返れば、空いている手で目元を押さえて今にもうずくまりそうな五条がいた。

 

「え……何? どしたし?」

「すみません、ちょっと、光が目に入っただけですので……」

 

 ゆっくりと彼が目元から手を離すと、そこから涙が一筋流れていた。その痛々しくも美麗な光景に、思わず早坂は息を呑む。

 真珠の海に、浮かんだルビーが、ダイヤの涙を流したら。そんな宝石で修飾過多な言葉が頭の中に流れてきて、そしてすぐに保健室に行かないと、と思い直した。

 

「ふんふーん♪ あれ、シロちゃん。早坂さんも」

 

 そこにタイミングが良いのか悪いのか藤原千花が登場する。

 

「お昼ごはんですかー? いつの間……あー! シロちゃんどうしたんですか!?」

 

 わあわあと叫びながら、涙を流す幼馴染の方へ駆け寄って来た。彼の頭に触れ、肩に触れ、自分の頭に触れて異常が無いか確認する。最後のいる?

 

「大丈夫、目に光が入っただけだから」

「本当ですか?」

 

 何か怪我をした等の理由で泣いている訳ではないと分かり、藤原はふうーと額の汗を拭って人心地着き、片目を瞬かせる五条に居場所を知らせるように手を握ると、ゆっくりと尋ねた。

 

「目薬は? 今も持ってますか?」

「教室の鞄に……」

「じゃあ一緒に行きましょう」

 

 早く行こうと藤原は彼の手を取ったまま歩きだす。

 どこかいたたまれない気持ちを抱える羽目になった早坂も、このままでは終われないと短く声をかけた。

 

「あの、書記ちゃん? これってどういう……」

「早坂さん。ワザとじゃないって分かってますけど、気を付けてあげて下さい。シロちゃんの髪が真っ白なのは伊達や酔狂じゃないんですから。シロちゃんはアルビノですから光に弱いんです」

 

 一つ、二つ藤原は早坂に告げると教室へ歩みを進めて行った。

 その言葉を飲み込んでいる間に早坂のスマホが震える。これはメールの震え方だ。

 画面を見ると、探るよう命じていた調査員からの簡易報告書だった。重要書類を読んでいるとは微塵も思えないような、壁にもたれて少し笑みさえ浮かべながら、友達の連絡を読んでいるかのように目を通す。

 

「これは……」

 

 

 

 

「かぐや様。ご報告があります」

 

 本日の日程が終わった放課後。重厚な生徒会の扉を開けて、早坂はかぐや一人きりで作業をしている所へ入った。

 

「早坂、学校でそれは止めなさい。どこで誰が見ているか分かりませんよ」

「ご心配なく。他の生徒会の面々は帰宅した事は確認済みです」

「その油断が命取りに……まあいいわ。それで、報告というのは?」

「昨夜に指示を出されました五条美城の調査についてです」

 

 かぐやは片眉をぴくりと動かすと、ソファーに座って早坂にもそうするよう勧めた。

 主人の好意を素直に受けておく事にした早坂は座り、鞄からタブレットを取り出しかぐやの前に出す。

 

「五条美城。四月六日生まれ。A型。父、五条彰男と母、五条静花の第一子として、先天性白皮性を抱えて生まれた、間違いなく長男です。白い髪、赤い目はここに起因します。かぐや様の一番の心配は杞憂でしたのでご安心ください」

 

そう告げると、かぐやは力が抜けたようにソファーにもたれかかった。それを見て早坂は素直じゃないな、とため息を吐く。

 

「はあ」

「……何ですかその『はあ』は?」

「いえ。そんなに会長に言い寄る誰かに不安がるなら、さっさとご自身が隣に立てばいいのに、という『はあ』です」

「だから私は会長の事なんて好きじゃありませんから!」

「そういう事にしておきましょう」

「で、もう特筆すべきような報告は無いかしら」

「一つ、私達にとって無視できない事態があります。彼の家は五条建設という会社を経営しているのですが――」

 

 

 

 茜色に染まる秀知院の中を、五条美城は歩いていた。

 真っ白な髪に夕日が差して、瞳のように赤く光る。

 微笑みが唇の端を彩って、可憐な容貌に妖しい色気さえ漂っていた。

 神秘の極みと言って差し支えない容姿の彼が、しかし丁寧に腰を折ってありがとうございます等と言うと、相対した人は疑問に思うのだ。

 あれは人に頭を下げる事を苦に思うどころか、喜びを感じる人種で、では彼が頭を下げるべき人とは誰だろう?

 聡い人は五条美城の礼が最上級の物でない事に気が付いていた。

 

 ピタと足を止めて、とある教室の扉をノックする。中からの返事を聞いて、彼はゆっくりと扉を開けた。

 

「失礼します」

 

 教室の窓際に立っていた人はその言葉を聞いて振り返った。

 

「もう目は大丈夫?」

「はい。ご心配をおかけしました」

「まったく、美城、あなたも大変ね。転校までする必要があったのかしら」

「いえ。私が好きでやっている事なので」

「そうね。あなたはそういう人だったわ」

「改めて挨拶の方申し上げます。こうして同じ学び舎に通える事、望外の喜びでございます」

「ま、よろしくね」

「はい」

 

 眞妃様。

 

   *

 

「――五条建設は、四条の数少ない国内傘下企業の一つです」

 




眞妃ちゃんすこ


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四条眞紀は紹介したい

体育祭の組み分けの描写から秀知院高等部はF組までの6クラスという前提でお話を書いています


 四条眞妃は認めた人を下の名前で呼ぶ。

 人を自分の目で見て、自分を人に見てもらい、それから名前を呼ぶに値するかを判断する。彼女の幼い頃より育まれてきた審美眼によって見定められた人は、善良な人間ばかりである。

 であるから、眞妃はそんな友人を転校してきたばかりの、下の名前で呼ぶ古くからの友人、五条美城に紹介しようと思っていた。

 

「私も転校してかぐや様にお世話していただくから! ちょっと誰でもいいからA組にねじ込んで!」

「考え直してくださいエリカ!」

 

 ……やっぱ止めよっかなー。

 眞妃は思った。

 

 

 四条眞妃には特に親しくしている友人が三人いる。

 幼稚舎のころからの付き合いである柏木渚。

 二年になってクラスが分かれてしまったが、変わらず交友を続けている紀かれんと巨瀬エリカ。この三人だ。

 

「急に変な事言ってどうしたのよ」

 

 眞妃はいつものように突拍子もない親友の言葉に、いつものようによからぬ事を考えているんだろうなと思いながらも耳を傾けた。

 

「最近……というか昨日ですわね、転校生が御来しになられたでしょう?」

 

 口を開いたのは金色にほど近い明るい茶髪を真ん中分けにした、いかにもお嬢さまといった風貌の紀かれんだ。

 いつも熱心に書き込んでいるノート(取材用なのか眞妃も渚も、エリカすら見たことが無い)を開くと、うっとりとした様子で思いをどこかに馳せた。

 そのまま固まってしまったかれんを不思議に思った渚が声をかける。

 

「転校生がどうしたの?」

「会長につきっきりでお世話をされているとか」

「あー……そうね。会長だからって面倒ごとを押し付けられてるんでしょ」

「それを聞いたエリカが、転校生になってA組に入ればかぐや様にお世話されるのではないのかと……」

「馬鹿なの?」

「馬鹿じゃないわよ! かぐや様のお世話があると思えばもう一度のクラス分けも怖くない!」

 

 ちなみに秀知院高等部のクラスはF組までの六クラス。そこからA組に入れるかどうかは六分の一の16.6666……%。

これを多いと取るか少ないと取るかはあなた次第だ。

 

「『巨瀬エリカさん。私が学校を案内してさしあげます』なんて言われたら……うっ……」

 

 エリカは想像だけで嘔吐しそうになっていた。

 

「エリカ食事時にそれは本当にまずいですわ!」

 

 かれんはそんな粗相をさせる訳にはいかない、と背中を丸めているエリカをさすってやり、そっとゴミ箱を引き寄せた。

 

「そんなんじゃおば様と同じクラスになったら死ぬんじゃない?」

「そう言えば『太陽に近づきすぎたイカロスは死んだでしょう?』って言ってたよね」

「くっ……かぐや様の尊さに耐えきれない自分が憎い」

 

 かれんに介抱されて調子を取り戻したエリカは、しかし自分の不甲斐なさに歯噛みする。

 四宮かぐやは家柄の格式高さも彼女自身の才覚の高さもあって憧れの的である。その中でも巨瀬エリカという少女のかぐや信者っぷりは筆舌につくし難い物があった。

 

「そういえば転校生はマキさんの幼馴染とお聞きしたのですが」

「そうよ」

「お写真などありませんか? 何でもとんでもなく美人だと耳にいたしますわ」

「ん……っと、これなんかどうかしら? 真ん中の白いのが美城ね」

 

 眞妃はスマホを取り出して写真を探し始めて、一番新しい物を画面に表示した。

 ジャージ姿でサッカーボールを持って笑みを浮かべ、ユニフォームを着た男子達に囲まれている白い髪の人物がいた。

 

「あらあら、これはお可愛いお嬢様ですわね」

(男の子なんだけどなあ……)

 

 渚は内心で突っ込んだが、放置しておく事にした。

 いじわるではない。たぶん。

 その方が面白いなど思っていない。おそらく。

 

「ですが心配ですわ」

「心配?」

「はい。転校してきたばかり、不安な環境で差し伸べられる会長の優しい手、知らず知らずのうちに惹かれてしまう美城嬢、ですが会長にはすでにかぐや様というお相手が……」

 

 ……ふー……

 

「会長の尊さが罪」

「人の幼馴染で遊ばないでくれる?」

「マキさん、こうしてはいられません」

「いや何が?」

「会長に惹かれてしまうのは自然の摂理、そうなってしまった時に助け合う人がいた方が良いにきまってます。マキさんのお友達なら私達にとってもお友達同然ですわ」

「何この素直にありがとうって言えない気持ち」

 

 かれんの優しさは嬉しかったが、それが妄想が先走りまくった結果生まれた心配だと分かってて喜べるほど、眞妃はおめでたい性格ではなかった。

 

「ちょっと待って、事実みたいに言ってるけどかぐや様と会長の噂……解釈違いなんですけど……?」

 

 想像の中のかぐやにその身を焼かれそうになっていたエリカが復活すると、まずかぐやと白銀が付き合っている、もしくは好き合っているという噂に噛みついた。

 

「聞き捨てなりませんわね」

 

 かれんとエリカは親友同士であるが、一つ相いれない事があった。

エリカはかぐやはかぐやであるだけで素晴らしいという確固たる思いを抱いている。

かれんは白銀とかぐや、尊い×尊い=∞と思っているカプ厨である、という事だ。

 二人の争いはいつも危険な領域(レベル)に到達する……ことは全くなく、かぐやが尊いという落としどころで終着していた。

 そういう訳なので二人の言い争いを眞妃も渚も特に止める事はない。

 

「マキさん、その転校生の方は紹介していただけるのですよね!?」

「え?」

「かぐや様の威光に触れれば尊敬の念を抱かずにはいられないはずよ!」

「会長の尊さに心酔している事に疑いの余地はありませんわ!」

「ええ……」

 

 眞妃は自分の幼馴染が[かぐや単]か[白かぐ]のどちらを取るかという二人の票取り合戦に使われている事に呆れる。

 その素晴らしさと気高さ、隔絶した天才性、と白銀とかぐやを褒める言葉は尽きることなく二人の議論は続いていた。

 

(それにしても、この二人の崇拝っぷりにどこか見覚えあるのよねえ……)

 

――――――

 

「五条美城、不肖の身ではございますが、眞妃様のより良い学園生活の為に力を尽くしますので、いかようにもお使いくださいませ」

 

 茜色に染まる放課後の教室で二人が向き合って、片方の女子……に見える五条美城が恭しく目の前の四条眞妃に言った。

 

 五条美城は五条家の長男である。

 そして五条家は五条建設という会社を経営しており、四条家はその会社の大株主だ。

 五条建設は徳川の治世から続く名家であり老舗企業である。

 高度経済成長期に業績を伸ばしに伸ばし、江戸から関東へ、関東から全国へ。その当時にあった進化への無邪気な喜びのままに、事業の手を広げていった。拡大の一途を辿るかと思われていた五条建設に影を落としたのはバブル崩壊の時節であった。

 それまで手広く行っていた事業が不良債権となってのしかかり、業績は悪化し、事業の規模を縮小を余儀なくされ、ただの地方の一企業に堕ちるのは時間の問題かと思われていた。

 そこを助けたのが四条家だ。

「ですので私が四条に恩義を感じるのは当然です」

 とは美城がよく言う言葉である。

 

 そういう訳で四条家と五条家は二人が生まれる前から繋がりがあって、それが個人的にも繋がりを持つようになったのは眞妃が三歳になってからだった。

 

「ねえ美城。あなたのそれ秀知院の中でだけでもどうにかならないの? 別に五条家は侍従家じゃ無いんだから」

「お気遣い痛み入ります。ですがこれは私が自発的にやっている事、いわば……」

「いわば? なによ」

「趣味です」

「あ、そうなのね……」

「もちろん尊敬している事に嘘偽りはございませんので、そこはご安心頂ければ」

 

 気負う所の何らない真っすぐな言葉に、驚き呆れと言った言葉が隠せない眞妃だった。趣味と言われるとそれを咎めるのに若干の申し訳なさのようなものが立つ。利を受け取る側としてはあれこれ言わず「ありがと」とでも言っておけばいいのではないか、とすら思った。

 

「まあいいわ。今日は紹介したい人がいるから少し待ってなさい」

「はい。少しと言わずこの身朽ち果てるまででも待ちましょう」

「どんな嫌がらせよ、すぐ来るから」

「あはは……相変わらず強烈だね、マキ」

 

 すぐと言わず、既に来ていた。穏やかな柏木渚もこれには引き気味であった。

「ご無沙汰しております、柏木さん」と美城は小さく礼をする。眞妃の幼少の頃からの友人である渚には、彼も一層の礼を持って接していた。

 同級生にそんな態度を取られると困る所はあるが、とはいえ渚も悪い気はしていなかった。

 

「来てたのね渚。かれんとエリカは?」

「秀知院に珍しい転校生が来たから記事にするかマスメディア部の部長と協議するって言ってたけど……」

「お待たせして申し訳ありませんわ」

「部長に質問内容を確認されててね」

 

 二年B組の扉を開けて二人組の女子が入って来た。もちろん紀かれんと巨瀬エリカだ。

 

「そちらが転校生の五条美城さんですか?」

「……これは噂されるだけはあるわ」

 

 二人は嘆息を漏らした。かぐやも同じ反応をしたと知ったら、「かかかかkかかぐや様と同じ!!?」とか言いながら喜んだに違いない。

 

「初めまして、五条美城と申します。どうぞよろしくお願いいたします。紀かれんさん、巨瀬エリカさん」

「あら? 私達の事をご存知で?」

「はい。眞妃様から学校でのお話を聞く際に、よく登場されるお名前ですから」

「ちなみにどんな話をしてるのかしら?」

「ちょっと、別にいいでしょ!?」

「そうですね……」

「美城」

「ふふふ、申し訳ありません」

 

 くすくすとおかしそうに笑いながら美城は謝罪を述べる。そこには言葉の仰々しさの割に親し気な様子が見て取れた。

 プライドの高い眞妃と、それを後ろから見守る美城という関係でこれまで過ごしてきたのだろう、とエリカとかれんは思った。

 

「私達の事を知っているなら話は早いですわ」

「はい?」

「どうしてもこの質問をしたかったのよね」

「構いませんが……」

 

 美城がちらりと眞妃の方をうかがい見ると、その視線に気が付いた彼女は少しばかり肩をすくめて諦めるような表情を浮かべた。何を言っても止まらない部類の人であるらしい、というのはその所作だけで美城は理解する。

 

 白紙のメモとボイスレコーダーをそれぞれ片手に、まさしくマスコミのレポーターの如く二人は質問をした。

 

 

「かぐや様に尊敬の念を当然抱いたわよね!?」

「会長の尊さにどのような膨大な感情が湧きましたか!?」

 

 

 自分の尊敬する人を他人も尊敬する事に疑いの余地なし。

 心底そう思っている二人は期待の眼差しのまま、どのような答えを目の前の転校生が言ってくれるか、ずいっと一歩近寄って返事を迫った。

 

「えっと、かぐや様と会長……ですか?」

「そうですわ。聞くところによると五条さんは会長にお世話をされているとの事。誇り高き責任感を身に纏った希代の会長に、思う物が何もないとは私には思えません」

「この秀知院に通うのにかぐや様の事を知らないなんてモグリの誹りを免れないわよ! あの高貴なる叡智の結晶、秀知院の模範たるお姿、まさに地に下りた天女……!」

 

 なんだか分からないがとにかくすごい熱気だった。圧倒された美城は後ろに一歩後ずさりながら愛想笑いを顔に張り付けた。

 

「えっと……では会長の事からお話しますが、確かに素晴らしいお方だと思います。このような間の悪い時期に転校してきた私に対しても、とても親切に接してくださいます。まさに上に立つべき人とお見受けいたしました」

「やはり会長は秀知院のヤハウェ……」

「むむ……。かぐや様! かぐや様の事はどうなの!?」

「かぐや様ですか? そうですね……まだあまりお話した事は無いのですが、とてもお綺麗な方でした。浅学な私も音に聞く四宮家のご令嬢であらせられる事は、立ち姿から推して図れるという物です。あ、私もかぐや様と同じ赤い目をしているのですが、それは嬉しい所ですね」

「そういえば、あなたもルビーみたいな目をしてるわね……う、羨ましい……私も赤い目が欲しい……」

 

 エリカの心底羨ましそうな声に、美城は緋色の目を瞬かせながら苦笑いをする。

 

「では会長とかぐや様のどちら……」

「ですが」

 

 かれんが聞こうとする所をせき止めるように、美城は先に口を出した。

 眞妃の方を一瞥して、言葉の続きを紡いだ。

 

「眞妃様の前には、何者も霞んでしまいますが」

 

 きっぱりと言い切った。

 後悔や躊躇や気後れなどという物を微塵も感じさせない言葉だった。

 

それを聞いた眞妃を除いた三人は聞き間違いかと頭に「?」の文字を浮かべた。

 

「話をお聞きしていれば、白銀会長がかぐや様がと仰います。私もかのお二方は上に立つ資格ありとお見受けしますが、真に人の上に立つ人間は眞妃様を置いてほかにはいません。質問にはこうお答えしましょう。どちらも眞妃様と相対した時に比ぶべくもありません」

 

 そう続く言葉に三人娘はぽへ~と聞き入るしかなかった。

 眞妃は美城の言葉を聞きながら、かれんとエリカと話している時に抱く既視感の正体にはっきりと気が付いた。

 

 そっか私にも似たような奴がいたんだった。

 

 人は自分の事となると客観性を失う物である。それが幼少の頃からの友人との接し方ともなればなおさら。

 少し変だな、と思う心と、でもうち(四条家)って凄いし、という客観的事実のまじりあった付き合い方は、いつしか同い年に「眞妃様」と呼ばれても気にしない程になっていた。彼女が人前で呼ばれたくないのはちょっと恥ずかしいからという消極的理由以外には特にないくらいである。

 

「いーや! それはあなたがかぐや様の事をまだ知らないからだわ!」

 

 最初に回復したエリカが反撃の狼煙を上げた。

 知ればかぐや様の事を尊敬しないはずがない、という彼女の中にある確固たる信念ともいうべき思いから出た言葉である。

 

「そうですわ。まだ五条さんも秀知院に来て日が浅いのでまだお分かりになっていないだけです」

 

 かれんも同調してエリカの味方をする。

かぐやを尊敬するのは二人とも同じなので、協力し合ってまずはそこから切り崩していく方針を定めた。

 

「分かっても眞妃様を尊敬する所、一点の曇りもございません。巨瀬さんと紀さんの方こそ、長らく友誼を結ばれてなお眞妃様の素晴らしさにお気づきになられないのですか?」

 

 しかし美城は一歩も引く様子が無い。

 

「確かにマキは頭も良くて可愛いけど、かぐや様はそれに加え畏れ多くも生徒会副会長として日々その才覚を振るわれているのよ!」

 

「会長は長きにわたる秀知院学園の歴史の中でも三人しかいない混院の生徒会長。純院の生徒とは異なり、家や幼少から持ち越された交友関係という寄る辺のない所から認められたのです。その自らを高める事に余念ない姿は全ての秀知院生の模範ですわ!」

 

「眞妃様は誇り高き四条のご令嬢でありながら、それを鼻にかけない謙虚なお方であらせられます。かぐや様に勝るとも劣らない才覚を備えながらも、柏木さん、紀さん、巨瀬さんのような友人に恵まれている事がその証明ではありませんか」

 

 

「どうするの、マキ?」

 

 突如始まってしまった美城とかれんエリカ連合軍によるスーパー推しっ娘大戦αに巻き込まれた渚は、熱く語られている当の本人に聞いてみた。

 諦めたような顔をしながら、眞妃は買っていた飲み物のパックにストローを刺していた。

 そしてカフェオレを一口飲んで一言。

 

「渚。ちょっと他の場所に行かない?」

 

 眞妃は自分の幼馴染が自分を誉めそやすいたたまれない状況から逃げ出す事に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……五条さん、あなた中々やるわね」

「ええ、ここまで私達と議論を戦わせる事が出来た人はいませんでしたわ」

「私もお二人のかぐや様への尊敬の念を甘くみておりました。どうか謝罪させてください」

「いいわよ、そんな事」

「いつか五条さんもかぐや様の素晴らしさに目覚めさせてさしあげますわ。それまで謝罪はとっておいてください」

「それは謝罪をしなくていいという事ですね」

「ん……? あっ……! あなた可愛い顔して意外と言うわね」

「その言葉、覆してさしあげますわ」

「「「あはは」」」

 

 

本日の勝敗 眞妃の勝利(なんだかんだ幼馴染と友人が仲良くなったため)

 



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五条美城は告らせたい

眞妃ちゃんすこなんだけど体育祭終わるまでほとんど出番ないからアニメで見れないの辛み


「眞妃様、お帰りの方ご一緒させていただけないでしょうか?」

 

 帰りの途につく四条眞妃に、五条美城は恭しくそう申し上げた。

 目の前の幼馴染が自分信者である、という事に十五年近くかかってようやく気が付いた眞妃は彼を見て変な咳をするが、昔のように一緒に帰る事もやぶさかでは無かったので、その提案に頷く事にする。

 眞妃は四条家の運転手に五条の車に乗って帰る旨を伝えると、やや渋られながらも了解を得て、後ろに控えている美城に声をかけた。

 

「そうね、久しぶりに一緒に帰りましょうか」

「はい! ありがとうございます」

 

 ぱあっと花が咲くと言う形容がこれほどふさわしい人間も珍しい(男なのに)と思いながら下足場に向かった。

 眞妃はさっさとローファーに足を入れると、壁にもたれかかって美城が準備をする様を見ていた。

 彼は鞄から眼鏡ケースを取り出し、少し色の薄いサングラスを取り出して、赤い目を守るようにかける。もう一度鞄に手を入れると、今度は折り畳み式の日傘が出て来た。黒の上質な布が張られ、ふちは白いレースで飾られていて、おおよそ男が持つ物では無かったが、眩いほどに白い彼が持つと、異様に似合っているのも事実だった。

 外に出る時に、この幼馴染が時間がかかるのはいつもの事なので気にしてはいないが、申し訳なさそうに頭を下げてくるのは、眞妃のちょっとした悪戯心を刺激して嫌いではなかった。

 キョロキョロと美城は辺りを見渡すと、日傘を差して光の下に出る。

 

「どうしたのよ? 何か気になる事でもあるの?」

「いえ、私どうやら風紀委員に目を付けられている様で……」

「はあ? まだ入学してすぐでしょう? 何したのよ」

「何もしていないはずなのですが……」

「そう? でもそれなら困ったわね」

「全くです。ただ他校の制服で通学しながら日傘を差してサングラスをかけているだけなのに……」

「いや全部言ってる!」

「え……?」

「『え?』じゃないわよ! 何トリプルプレーしてるくせに私悪くないです面してるの」

5-4-3(三塁→二塁→一塁)のトリプルプレーでございますか」

「アウトの経路は聞いてないけど!」

 

 クセが凄い友人達に囲まれている眞妃のツッコミは今日もキレていた。マエケ〇のスライダーくらいキレていた。

 基本的にしっかりしている美城だったが、時々こんな風に大真面目でボケる事があるので、伊達にあの藤原千花と友達してないわね、と心に刻む事にしておく。

 

「まあ来週には秀知院の制服も届くとは思いますので。あとは明日にでも風紀委員に医師の診断書を持って訪ねる事にします」

「ま、それが無難な所ね」

 

 校門の前に着けた、眞妃の記憶の端っこに残っている五条家の黒塗りの高級車に乗り込む。するとこれまた記憶の奥に残っている運転手に声をかけられた。

 

「これは眞妃様。お久しゅうございます。四条のお車と比べて手狭かもしれませんが、平にご容赦いただきたく」

「五条の用意する車に文句言うような人間はよっぽどの馬鹿ね」

 

 そう言って、眞妃はニッと不敵に笑う。

 偏差値77の高校で三位の成績の彼女が馬鹿であるはずがない。馬鹿ではないのだから、文句などあろうはずもない。彼女の自負からくる真っすぐな言葉だった。

 

「眞妃様、お飲み物を用意しておりますのでどうぞ」

 

 車が音もなく走りだすと、美城が備え付けられた冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。先ほどカフェオレを飲んだばかりだったのでさほど喉は乾いていなかったが、グラスに少しだけ注がせて一口水を含んだ。

 

「本日は眞妃様のご友人に紹介いただきありがとうございました。しかし私としては『翼くん』をご紹介いただけると思っていましたのに」

「……ッ! ゴホッ、ゴホッ……!」

 

 心地よい冷たさで喉を潤していた眞妃だったが、突然出て来た名前に思わずむせかえった。

 

「ああ眞妃様、大丈夫でございますか?」

「ッ……はあ。美城! あなた何言ってるの!?」

「何とは? 私はただ眞妃様のお話によく出てくる、仲の良い友人の一人の名前を言ったにすぎませんが」

「! ああもう」

 

 しれっと、悪びれる様子も全くない美城に語気を荒げるのも無駄と悟った眞妃は、一回深呼吸して気を落ち着かせた。

 

「勘違いしないでよね。翼くんはただちょっと話す男子ってだけで……」

「はい。私が眞妃様のお言葉を勘違いするなどありえません。それはそうとバレンタインのチョコは喜んでいただけたのですか? そうなら私も眞妃様の背中を押した甲斐があるという物でございますが」

「そうなの……って、だから勘違いしないでって言ってるでしょ!」

「申し訳ございません」

 

 ニコニコと穏やかな様子で美城は佇んでいて、それがなんとも眞妃には居心地が悪かった。

 

「ただ……」

「ただ?」

「……喜んでくれたわよ」

「それは良うございました」

 

 照れくさそうに頬を赤らめて眞妃は窓の外を見た。幼馴染が相も変わらずニコニコとしているのが手に取るように分かっていたからだ。

 

「その彼にチョコを渡したのは眞妃様とチョ〇ボール三粒だけあげた柏木さんの二人だけ、という事ですね」

「言っちゃなんだけど渚のそれはチョコにカウントしていいの?」

「何を仰いますか。思春期の男子は落ちた消しゴムを拾ってもらっただけで『もしかしてこいつ俺の事好きなんじゃね?』となる生き物なのですから、チョ〇ボールでも油断できません」

「ふーん…………ん?」

「先んずれば人を制すと言います。眞妃様、翼殿を手にお入れ下さい」

「いやいや、何で渚と争う前提なのよ! そもそも好きだなんて一言も言ってないでしょ」

 

 眞妃はプイっと顔を背けてグラスを差し出して冷えた水を要求した。美城は文句一つなくそのグラスに水を注いで、それが飲み干されるまでゆっくりと待つ。

 タンッと荒っぽくグラスを置いて、誇り高く吊り上がったまなじりがお節介な幼馴染を射抜くが、撃たれた本人はどこ吹く風といった様子でそれを見つめ返した。

 

「本当は好きなのでございましょう?」

「違うって言ってるでしょ!」

「そうですね。差し出がましい事を申してしまいました」

「へ?」

 

 もう一度返しが来ると思っていた眞妃は、梯子を外されて困惑する。美城は新しいグラスを出してそれにミネラルウォーターを注いで飲み干した。

 そして笑みを崩さぬまま、美しく旋律を歌うように言った。

 

「国の心臓たる四宮の血を引く四条家のご令嬢であらせられます眞妃様が、どうしてかのようなヘラヘラとした自主性の低い鼠とお付き合いしなければならないのでしょう?」

「み、美城?」

「彼の祖父の田沼医師は世界で十の指にはいる名医でございますが、必ずしも技術は血によって受け継がれる訳でもありません。ただ一介の町医者程度で終わる可能性も無きにしも非ずでございますから」

「ちょ、ちょっと……」

「それに田沼医師は四宮のお抱えでありますし、四条の身に四宮に近しき者を置く事を良く思わない人間もいましょう」

「わ……私はそんな事……」

「入学するに辺り五条に近い家の物に聞いたのですが、どうやら成績上位五十名の中にも入った事がない様で。これでは眞妃様の横に並び立つなどとても……」

 

「彼の悪口は言わないで!!」

 

 眞妃は我慢ならないという様子で、裂帛の声をあげた。その声に運転手が驚いて車が一瞬揺れた。

 

「翼くんの事なにも知らないくせに!」

「はい。知りません。どのようなお方なのですか?」

 

 散々悪口を言ったくせに全く悪気のない美城に、怒りで顔を赤らめたまま眞妃はがなり立てる。

 

「確かに翼くんはちょっとヘラヘラしてるように見えるかもしれないけど、私がキツイ事言っても笑って許してくれる……何て言うか……包容力があって心が温かい人なんだから!」

「で、好きなのでございましょうか?」

「だから……」

「そうでありましょう?」

 

 美城はその髪のような白羽の矢を言葉にして眞妃の正鵠を射る。彼女は真っ赤な顔のまま金魚のように口をぱくぱくさせると、その口をつぐんで椅子に深く座りなおした。

 

「…………うん」

 

 いつもと打って変わって弱々しい声で、四条眞妃は好意を認めた。

 

「分かっておりますよ?」

「……あなたねえ……」

 

 かなりの恥ずかしい思いをして言ったのに、言わせた人はけろっとしていて、これでは恥のかき損ではないか。眞妃の心中にそんな思いがふつふつと沸き立つ。

 

「それなら何故行動を起こされないのですか?」

「恋愛した事もない美城に何が分かるの!?」

「行動しなければ何も起こらない事だけは分かります」

「分かってる! 分かってるけど告白なんて怖くて出来ない!」

 

 どこかの生徒会長と会計が全力で『わかるぅ!』しそうな事を言い放つのと同時に、四条邸の前に車が停まった。

 

「着いてしまいましたね。お話はまだ長そうでしたのに」

「いいわよ……もう」

 

 いじけるように結んだ二つ結びを摘まんで弄びながら、眞妃は口を尖らせる。

 そのいじらしい姿に美城は苦笑すると、所在なさげに放り出された髪をいじっていない方の手を掴んだ。

 

「眞妃様、何を怖がる必要があるのですか」

「だって……嫌われたらどうするの」

「何を仰います。眞妃様ほど素晴らしい女性はこの世におりません。その鳶色の髪に翠玉の瞳の映える可憐な佇まい。聡明でありお優しく、傲慢な仮面をかぶっておられますがその下には素直で真っすぐな心が隠れている事は少し接するうちに分かる事です。それに……」

 

「あーーー!! もういい! やめてー!」

 

「そうですか。まだまだ言い足りませんが」

「私が聞き足りたからいい!」

「……つまりですね、眞妃様の外面にも内面にも、お付き合いするに何ら瑕疵のない事、これは火を見るよりも明らかでございます」

「そ……そうよね!」

 

 しおらしくなっていた眞妃の顔に、みるみる生気が戻っていき、瞳には自信の光が宿って行った。

 やはりこちらの方が『らしい』と言う物だ。美城は喜色満面の笑みを浮かべてその目を見ていた。

 

「翼くんが私の事を好きにならない訳がないわよね」

「はい。ですから……」

「ならあっちが告白してくるのを待ってればいいんだわ」

「あれ?」

 

 晴れ渡っていた空に暗雲が立ち込める様を美城は幻視した。

 

「ありがと美城! さすが私が認めた幼馴染ね!」

 

 眞妃はそんな美城の心境とは裏腹に、晴れ空を飛ぶ小鳥の羽ばたきのように軽やかな足取りで車から降りた。

 四条家のメイドはこんな上機嫌なお嬢様を始めて見た、と日記に記したほどである。

 

「美城さま……?」

「分かっているから何も言わないで……」

 

 運転手の言葉に、不味い事になったという思いを改めて美城は抱いた。

 不味い事に傾いた針を他ならぬ眞妃のために正さねばならない。

 一つの決意を新たに抱いて、車を出させた。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

「恋愛相談?」

 

 白銀御行は生徒会室の前で振り返りながらそう聞き返した。

 

 秀知院生徒会の扉は常に開かれている。

 それは悩める生徒達に逃げ込める場所を作ってあげたいという、前生徒会長の意思であり、それを白銀も引き継いでいる。

 白銀とかぐや、この両名は生徒から少なくない恐れを抱かれているため、実際に訪ねてくる人は少ない物だったが。

 

「はい」

 

 と言った人は、白い頭髪を春の日差しに煌めかせて、赤い目には強い意思が輝いている。

 その珍しい来訪者は密やかに、そっと口を開いた。

 

 

 

「ある人に告らせたいのです」

 

 




この話で一年生の頃に眞妃ちゃんがバレンタインチョコを渡せているのには理由があります。
まず幼い頃から美城という見た目はともかく男の子にチョコを渡す習慣があった事。
そして色々察した美城が渡すように強く勧めたという二点です。


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五条美城は神算をなめる

前の話で美城は「父親の田沼医師は世界で十本の指に入る名医」と言いましたが、正しくは田沼医師は翼くんのお祖父さんでした。
お詫びして訂正します。


「さすが秀知院の生徒会室。上質なお茶が取り揃えられておりますね」

 

 秀知院学園生徒会の扉は誰に対しても開かれているが、かといってその扉が軽いかと言うとそうではない。偏差値77を叩き出す天才達が集う学園の、その頂点に立つ者が凡人であるはずがない。会長が身に着ける純金飾緒の重みは、相対する人にも重くのしかかってくる気分にさせる。

 はずなのだが。

 

「コーヒーは……少しの良い物と他はインスタントですね」

 

 外から来た生徒には効き目がないのか?白銀は友達の家に来たかのように棚を見て回る五条美城にそんな事を思った。

 恋愛相談があると言って生徒会室を訪ねて来た五条美城だったが、すぐには話しを斬り出さずにこうして軽い話題から入って、何とも白銀をヤキモキさせていた。

 

「ああ。良い物は四宮や藤原書記が持って来てくれている物で、基本的に四宮が紅茶担当でコーヒーは藤原担当だからな」

「まあ千花はマメな性格という訳でもないですからね。そうだ、相談前に淹れさせてはいただけないでしょうか? 会長は紅茶とコーヒー、どちらがお好みですか?」

「俺はコーヒーの方が好みだが」

「分かりまし……あ! フレールじゃないですか! こっちを淹れますね」

「紅茶じゃねーか! 俺に聞いた意味!」

「ふふふ、冗談です」

 

 どうも調子が狂うな。秀知院の生徒は大体会長の事を怖がってくるんだが……。

 いたずらっぽく笑う転校生を見ながら、白銀は髪をかき上げる。

実の所、五条家は名家なので秀知院学園生徒会長の威光の轟く所を十二分に知ってはいた。知った上で美城はこうなのだという事を知れば、白銀はそれはそれは複雑な心境になったであろうが。

 

「それで相談とは? 何でも告白させたい相手がいるとか言っていたが」

 

 美城が淹れたコーヒーを飲みながら白銀は相談内容を口にした。

 この転校生が何やら思いつめた顔をしてやって来たかと思えば、『告らせたい』などと他人事とは思えないような事を言ったのだ。心根が優しく大体の事において蔑ろにしない質の白銀ではあるが、これに少々前のめりなのは自覚していた。

 たっぷりのミルクと少しの砂糖を入れた、自分好みのコーヒーを美城は飲んで、かしこまってはいるがどこか気安い口調で話し始めた。

 

「はい。先ほど言った通り、ある人に告白させたいのです」

「告白させたいって事はもう好きになった相手がいるのか? お前、意外と恋多き男か?」

 

 五条美城が入学してきて三日程度とまだ間もない。日程の兼ね合いの割合が多いとは言えまだ秀知院の制服に袖を通してすらいないくらいに間もない。

 白銀御行が四宮かぐやに惚れたのは入学して一週間ちょっとなので、それよりも短い。

 

「させたい、というの……あ、でも恋多き男と言うのは一面では合っていますね」

「一面では?」

「私去年だけで五人の女性から告白されました」

「え!! マジで!!??」

 

 マジである。

 この男、見た目の珍しさもあって告白される事は多々あったのである。

 白銀は身を乗り出す程に驚いて美城に食ってかかった。

 

「ええ。デートに行った時に同じ文言でフラれましたが」

「ちなみに何て?」

「『私より可愛い男と付き合うのヤダわ』と……。うぅっ……私だって好きでこんな姿に生まれた訳じゃないのに……」

「あー……お前も難儀してるんだな。コーヒーのおかわりいる?」

「あまり飲みすぎるとお腹が緩くなるのでいらないです……」

「ほんと難儀な体してんなー」

 

 コーヒーは覚醒作用があり、これがコーヒーの効果として良く言われる『眠気が覚める』という物だ。多忙を極める白銀が睡眠時間を削って生活していても、何とか起きていられるのはコーヒーの、ひいてはカフェインの効果である。

 しかしこのことで交感神経優位になり、胃腸のサイクルが乱れるので、人によってはお腹が緩くなる、という事が起こりうる。

 眠気覚ましとしても、嗜好品としてもコーヒーを好んでいる白銀としては好きに飲めないというのは同情の念を抑えきれなかった。

 

「俺でよければ話を聞くぞ」

「ありがとうございます」

「それで、誰を告らせたいんだ?」

 

「同じクラスの田沼翼くんです」

 

(えーーーー!! そっちーーーー!!??)

 

 白銀は戦慄した。

 もしかしたら初めて見た同性愛者かもしれん……。

 そう言った感情でピリついた内心を飲み込むようにコーヒーを飲み込んだ。

 

「どうかしましたか?」

「いいいいや、ななな何でもないぞ」カタカタカタカタ

「そうですか。では話を続けさせていただきますけど、彼は恐れ多くも眞妃様の思慕の念を一身に集められている訳ですが……」

「えちょっと待って『眞妃様』って言った?」

「はい。四条家のご令嬢、眞妃様です。姉弟ともども私が尊敬するお方なので、微力ながらお望みを叶えて差し上げたいのです」

「そうかそうか。あーそうか!」

「……? 会長、どうかしましたか?」

「いや何でもないぞ! そうか友人の為に何かをしてあげたいのか。五条は友情に篤い奴だな」

 

 白銀は同性愛に差別的な感情がある訳ではなかったが、分からないというのが正直な感想だった。なので友情という自分にも理解できる範囲の話題だった事に安堵した。

 コテンと小首をかしげて『変な会長』と思いながら、美城は言葉を続ける。

 

「私としては早くに眞妃様に告白していただきたいのですが。あれこれこねくり回してもロクな事にはならないでしょうし」

 

 白銀は傷ついた。

 

「し、しかしそうは言っても相手の気持ちもあるだろう。軽々に告白して断られでもしたら」

 

 自分に弁明するように白銀は繋ぐ。というより田沼翼という生徒は存在感の希薄な生徒だったので具体的な事を言う事が出来なかった。

 ていうかえ?マジでどんな奴だったっけ?

 白銀はクラスメートを頭から順に思い出していると、美城の顔がみるみる内に怒りに赤く染まった。

 ヤバイ生徒の顔も覚えてない情けない会長と思われてる!?

 

「は? 眞妃様に告白されておきながらそれを断る人間などこの世に存在するのですか? 私はその人を同じホモサピエンスとして認識できない自信がありますけど」

 

「お前もアレな事言ってるな」

 

 怒っているのは非常に個人的な事だった。正直友人の為に告白させたいという心理より度し難かった。

 

「こほん……眞妃様から勇気が出ないようなので、相手の方から告白させよう、そういう次第でございます」

「ちなみに田沼翼は四条の事をどう思ってるのか分かるか?」

「仲の良い女友達と思っている事は間違いないと思うのですが。浮いた噂もないので……どうでしょう?」

「つまり肉体的にも精神的にもフリーという事か。……他の交友関係から糸口を見つけていくか?」

「私が把握している限りだと」

「いや知ってるんかい」

 

 この情報収集能力にはちょっと引く。

 

「眞妃様のご友人、柏木渚さん、他のクラスの紀かれんさん、古瀬エリカさんが女友達と言っていいでしょう。男友達はいますが、この場合無視して構わないと思われます」

「それは何故だ?」

「彼らはいわゆる陰キャです。アドバイスできる下地を持っていない人間にどうして相談など出来ましょう?」

「何その陰キャに対する当たりの強さ」

 

 失礼かもしれないが白銀は会計の石上優の事を思い出した。決して出会わせてはいけない二人かもしれない。陰と陽。陰陽道では二つ合わせて真理を表すのだが。

 

「友人は頼れない。女子に相談するのは最後の手段。そうなると」

「俺の所に来る、という訳か。だが俺は大して交流が無いぞ?」

「そこが良いのではありませんか。交流が無いという事は、話しても会長が言いふらさない限り友人に知られる事はないのですから。これほど都合のいい相談相手もそうはいません」

「なるほど」

 

 確かに話を聞けば白銀に提案を持って来た理由は良く理解できた。

 しかし……

 

「で、どうやって告らせるんだ? 相談を持って来られたら四条と交際する事を薦めるのは別にいいんだが」

「それだけで構いません」

 

 肝心要の田沼翼をどうやってここに持ってくるか。という話をするのだろう、そう思っていたのに美城の口から出て来たのは短い言葉だった。

 

「は? そんだけでいいの?」

「はい。会長に何か含ませておかないと彼に余計な知恵を吹き込みそうですから」

「人をお節介なおばさんみたいに言うなよ」

「それは申し訳ありません。ですが今まであまり話した事のない会長がいきなり話しかけると怪しいでしょう?」

「それはまあ……」

「会長。実は私、料理が得意なのです」

 

 カチャリ。

 美城は空になったコーヒーカップ二つを手元に寄せて、そのふちをなぞった。

 今何でそんな話を?と訝し気に白銀は無駄に可憐な転校生を見つめる。

 上質なカップの釉薬に輝く白磁の上を、白磁のような指が滑って、桜貝のような爪がカチンとその薄いカップを弾いた。

 

「下ごしらえはお任せください」

 

 そう言って笑う顔は、策を思い浮かんだ時の天才達によく似ていた。

 

――――――――――――――

 

 

「田沼君、次は移動教室ですよ。一緒に行きませんか?」

 

 五条美城の行動は早かった。

 次の授業の休み時間も移動の時間も惜しまず田沼翼に話しかけている。

 

「あ、眞妃様、御一緒させてください」

 

 このように四条眞妃と彼を傍に置くことも忘れずに。

 確かにこれは俺がやると不自然すぎる。そう白銀に思わせるほどに美城の行動は一つの理念の下に徹底されていた。

 

 全ては四条眞妃の恋心を成就させるため。

 

 そつなく、無駄なく、遠慮なく。

 眞妃いわく、良い感じに距離をつめてた、という時を早回しするようにガンガン攻めの手を繰り出し続けていた。

 

「五月に入ったら中間テストがありますよね? 秀知院のテストは厳しいと聞きますが、どういった物なのでしょう?」

「えっと……僕より」

「あ、眞妃様! 今ですね、田沼くんテストの事を聞いていた所でして、良ければ眞妃様のお力添えもいただけないでしょうか?」

「え……っと、翼くんと一緒に?」

「はい!」

 

 にこっと笑って幼馴染特有の距離感から眞妃の手を握った。有無を言わせないような光の笑顔であった。

言葉にトゲトゲしい所あれど、基本的に善良であり優しい眞妃を『幼馴染が言うんじゃしょうがないわね』という気分にさせるには十分だ。

 

「かいちょ~、フラれちゃいましたか?」

 

 白銀がそんな光景を遠巻きに見ていると、藤原千花がニマニマしながら隣の席に座って来た。見つめてくる目線にどこか邪なものが含まれている気がしたが……。

 こいつ、俺と五条の絡みをどこか嬉しそうに見ていたような……。もしかしてこいつは腐女……いや、よそう、俺の勝手な推測でみんなを混乱させたくない。

 

「馬鹿を言うな。俺より幼馴染と過ごす方が良かったという単純な論理の帰結だ」

「そうですね。……あれ? じゃあなんで私の所には来てくれないんですか。私も五歳からの幼馴染なのに~」

「知らん。まあ何か考えでもあるんじゃないか?」

 

 単純な論理の帰結と言うならば、藤原に真面目な相談を持ち掛けないというのも当然な帰結であると言えるだろう。人の嫌がる事はしないと言って憚らない藤原だが、カオスをばらまかないとは言っていない。事恋愛という繊細な物事にカオスを混ぜてもんじゃ焼きのようにぐちゃぐちゃにする必要は全く無いのだ。

 

「……」

 

 一瞬、白銀と美城の目が合うと、美城の方がその赤い目をパチパチとウィンクして何かしらのサインを送って来た。恐らく、そろそろ期は熟すであろうと言う事を言いたいのではなかろうか。相談のパターンを考えた上で田沼翼を迎えるとしよう、そう思いながら美城に小さく手を振って了解の合図を送る。

 

「さて次の授業の準備に……何してんだ藤原」

 

 美城に向けていた視線を隣に戻すと、そこにはぴしっと最敬礼をしている藤原がいた。

 

「会長、あれは初等部に入る前にシロちゃんと考えた暗号です」

「……で、何て?」

「『諸君の奮戦に敬意を表す。再会の日まで壮健なれ』と」

「そんな宇宙を統べる黄金の覇者みたいな事言ってたか……?」

 

 絶対に違う。

 根拠は無いが白銀はそう思った。

 

――――――――

 

「恋愛相談?」

「はい。僕もうどうしたらいいのか分からなくて……」

 

 その日、生徒会室に来訪者があった。

 黒髪の短髪、優しそうな印象を与えるたれ目はキョロキョロと辺りを見渡して少し臆病にも見える。

 対照的な自信に満ち溢れたつり目を来訪者に向けながら、白銀は口を開いた。

 

「とりあえず立ち話もアレだから中に入って話を聞こう。田沼翼」

 

 美城の予感はどんぴしゃり。

 生徒会室に現れたのは美城が四条眞妃に告らせたい相手、田沼翼だった。

 今か今かと待ち受けていた白銀の準備は万端。お湯まで沸かしてもてなしの用意だって出来ている。

 

『何か淹れようか。コーヒーと紅茶どちらが良い? ああ、四条は紅茶の方が好みらしいぞ。ははは』

 

 完璧だ。

 カップルが一組出来、応援する友人も喜ぶ。三方一両損ならぬ三方一両特である。

 さあ来い。四条眞妃さんが気になるんですと言え。

 

 

「同じクラスの五条美城さんの事が気になるんです!」

 

 オイイイイイ!! 五条お前のせいでややこしい事になってんじゃねーかァァァ!!

 

 

 

本日の勝敗 次回に続く!

 

 



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白銀御行は成立させたい

この話を投稿するか悩んでいたら間隔が開いてしまいました
とりあえず投稿して皆さまの反応を見たいと思います


「何か飲むか?」

「ありがとうございます」

「気にするな。コーヒーは俺がセイロンと四宮だがお前はブルーマウンテンだ」

「だ……大丈夫ですか会長。言葉が変ですけど」

「ははは、何を言っている。俺はいつでも冷静だ」

 

 冷静じゃねーよ! 何だこの状況!

 

 白銀御行は初めて直面する事態に混乱していた。

 田沼翼が相談に来るのはまだいい。それは事前に五条美城が狙っていた事なので気持ちは出来ていた。事前に策も少しばかり考えておいた。

 

「で、誰が気になるんだって?」

「はい。転校生の五条美城さんです」

 

 だがこれは聞いてない。私聞いてない!

 男子高校生なんて誰しも彼女が欲しい生き物なのだから、その背中をそっと押してやればいいと思っていたのだが、相手が五条美城となると話は全く変わってくる。

 

「ふー……まずは話を聞こうか。えーっと、どういう風に気になるなんだ?」

 

 しかし白銀はまだ望みを捨てたくなかった。前に美城が来た時も、翼に告らせたいという所だけ聞いて勘違いしたではないか。そういった感じで美城が気になるという言葉の裏に、そこから仲の良い眞妃に繋げたいという思いがあるかもしれない。

 

「最近仲良くしてるんですけど、五条さんって可愛いなと」

「あっ……フーン。そうなんだ……」

 

 全然裏など無かった。どこまでも真っすぐだった。

 

「ちなみにどんな所が?」

 

 これ以上聞くと藪をつついて蛇を出すどころでは済まなさそうな予感すらしたが、とりあえず聞いてみる事にする。

 話しているうちに違うなと思ってくれるかもしれないという一縷の望みをかけて。

 

「はい……例えばあの白い髪とか。僕あんな髪の人初めて見ました」

「あーそれな」

 

 まあそれは……と白銀も頷いた。アルビノが生まれる確率は二万分の一。単純に考えると二万人と出会って一人いるかどうかという割合だ。

 白銀の妹、白銀圭も銀色の明るい髪色をしているが、もし二人が並んだとしたら圭の髪色の方が色素混じりな事に気が付くだろう。そもそも色素を作る組織に異常があるから美城の髪は白いし、瞳は赤いのだから。

 

「あといつも笑顔な所とかいいですよね」

「あーうん……うん……」

 

 確かに五条美城はいつもニコニコと笑っている。

 彼は優しくて穏やかで寛容であると思われている。初めて来た時から笑顔で、一人一人に懇切丁寧にあいさつしていく中で『混院が』と蔑まれる事がない訳でもなかったが、あの浮世離れした美貌で微笑まれるとなぜだかバツの悪い気分になって、そういう輩は黙ってしまう。

 笑顔は穏やかな彼の性格を映す鏡でもあり、武器でもあるのだろう。

 その武器がハートに突き刺さってしまうのも無理からぬ事なのかもしれない。

 ……男同士でなければ白銀も頷けたのだが。

 

「言葉遣いも丁寧で、他の子とは違いますよね」

「うん……うん?」

 

 丁寧な言葉遣いな例として「です・ます調」というのがあるが、美城はそれを越えて「でございます・であります調」だった。

 秀知院に通う生徒はお坊ちゃまお嬢様と呼ばれる人種が多く、教育も行き届いているが、基本彼ら彼女らは頭を下げられる側の人間である。頭を下げる事を良しとしないので、結果対等な言葉遣いに、つまりは普通の高校生な言葉遣いに落ち着いてしまう。もちろん本当に普通の高校生と比べたら言葉は丁寧な物になるのは当然の事だが。

 そんな中で誰に対しても腰が低く、頭を下げる事に抵抗のない五条美城は特異な存在であると言える。零細企業などではなく大企業の息子として考えればさらに異常だ。

 自分を上に見せようというプライドが無い分、一歩引いた所から下手に話してくる美城は大和撫子と言えない事もない。

 

 いや言えねーよ!あいつ一瞬忘れそうになるけど男だよ!こいつ他の子とは違いますよねって五条の事完全に女だと思ってるじゃねーか!

 

 白銀は心の中で絶叫した。

 ここで彼に託された「お願い」を念頭に置いて状況を考え直してみよう。

 お願いの前提として、四条眞妃は田沼翼が好きである。それを五条美城は応援したくて、生徒会長にまで話を持って来た。自分が、田沼翼が『眞妃様』を気になるように策を巡らすので、彼がその気になって相談に来たら眞妃を薦めるように、と。

 

 しかし田沼翼は五条美城の事が気になるようである。

 

 ここ数日、美城は翼のそばについて仲良く振る舞っていた。移動教室の度に「一緒に行きませんか?」と、にっこり笑いながら問いかけ、いつの間にか隣に眞妃を陣取らせておく。

 近くに眞妃がいない場合は、美城が自分の口でいかに四条眞妃という人物が素晴らしいかを、押しつけがましくない程度に話していた。その声優みたいな声で、にこやかに微笑みかけながら、何とも楽しそうに話していたのを白銀も聞いている。

 

 その結果田沼翼は五条美城の事が気になるようである。

 

 つまり美城のした事を総合するとこうなる。

 滅多に見ないレベルの美貌の持ち主が、いつ見ても可憐な笑みを浮かべていて、その口から紡がれる丁寧な言葉遣いは、人を貶める事に使われる事はない。

 何故だかよくわからないが、最近は自分の所に来て移動教室を一緒にしたり、彼女(と田沼翼は思っている)の身の上話とか世間話とかを交わす日々を過ごしている。

 

 いやこれは絶対勘違いするやつ。

 

 言葉にするだけで白銀もちょっと好きになりそうだった。長男だったから耐えられたが次男だったら耐えられなかった。

 美城の距離感の近さは男同士だから、という事を知っているので性癖がねじ曲がりそうな翼に同情を禁じ得ない部分はあるのだが。

 体育の着替えの時に気が付けよ、と思われる読者諸兄の方々の為に補足しておくが、美城は体育の授業は全休している。彼が着替えるのは外の競技が終わって体育館で行うバレーボールが始まるまで待たなければならない。

 

「どうすっかなー……」

「会長?」

「いや。なんでもない」

 

 いや本当にどうしよう……。白銀は持ちかけられた事を達成しなければというプライドと、しかし目の前に横たわっている現実の板挟みに押しつぶされそうだった。

 

「仲の良い女友達のマキちゃんにも相談しようかと思ってるんですけど、やっぱり女の子に頼るのはちょっとカッコ悪いじゃないですか」

「あーそうだな! うん! お前は正しいぞ!(この世の地獄じゃん!)」

 

 美城の眞妃が気になるであろうという予測は外れたが、先に男の白銀を頼ってくるという所は当たっていた。もし外れていたらぽっと出の女(ですらなく男)に長年好きな男を浚われかねない相談を眞妃は受けていたのだろう。

 これが地獄でなくて何なのだ。

 

「マキちゃんは五条さんといつも一緒にいる幼馴染だから相談相手にぴったりかと思ったんですが」

「そうだないつも一緒に……」

 

 その時白銀に電流奔る……!

 

「……なあ、いつも一緒に、って言ったか?」

「はい。それがどうかしましたか?」

「五条といる時は大抵隣に四条がいるんだよな」

「そうですけど……」

 

「お前、本当は五条じゃなくて四条の事が気になってるんじゃないか?」

 

 意識のすり替え!(ミスディレクション!)

 これはマジックにおいて見られたくない所、意識させたくない要素から目をそらさせる技術の事である。

 白銀は美城がいつも四条眞妃と一緒にいる状況を利用し、好意のピントを少しずらしてやる事にした。

 

「そんな事は」

「まあ聞け。確かに五条を見たらドキドキするさ。皆アルビノなんて初めて見ただろうしな」

 

 まずは、白銀は美城を見て生じるドキドキを物珍しい何かを見た時のドキドキであるとすり替えを行おうとしていた。動物園でライオンや象を見た時の高揚と似た物であると。雨上がりの空に架かる虹と同じであると。

 

「そんな……僕はただ物珍しさにドキドキしていたと言うんですか……」

「早とちりするな。ここから俺の言った事に繋がるんだ」

「マキちゃんを気になっている……っていう」

「そうだ! お前が五条をドキドキ気になっていた時、必ず傍にいた人間は誰だ!」

「マキちゃんです。五条さんがいつも『眞妃様、眞妃様』って呼んでいたから」

「分かってるじゃないか」

「いやでも、マキちゃんが隣にいない時でもドキドキしてましたよ!」

「あと一歩踏み込みが足りないな。ではその時五条の口から出てくる人物とは誰だったか、言ってみろ!」

「マキちゃんです。五条さんはマキちゃんと物心ついた頃からの幼馴染だとか、色々話してくれました」

 

 いける!

 白銀はここが好機と攻め立てる。

 

「そうだ! お前が感情をかき乱されている時、いつも中心には四条がいた! 隣にいる時に意中の女子の顔を見れず、目線を反らした先にいた五条をドキドキの相手だと勘違いしたんだ! 四条の話題が出てドキッとした瞬間、話している五条を意識しているのでは? とお前は思ったんだ!!」

 

「そ……そんな……」

「五条の見た目が人並み外れているのは俺も認めよう。だが見た目に惑わされて自分の中の本当の愛に気が付かないのは愚の骨頂と言わざるを得ないな」

「なるほど……さすが会長です!」

「ははは、まあそれほどでもないさ。だが、分かったんならお前のやるべき事は理解できるだろう」

「こ……告白ですか!?」

「そうだ」

「でもマキちゃんの事が好きなのか心の整理が……」

「何甘っちょろい事言ってるんだ!」

 

 気持ちを整理されたら『やっぱ五条さんの方が……』ってなるかもしれねーだろうが!俺の気持ちも考えて!?

 

 白銀の胸中はかつてないグダグダの中にあった。

 頼み事を果たしたいという気持ちと、目の前のクラスメートをどうにかこうにか誘導しなければという気持ち。あと交際経験無しであるという事が露呈するのは絶対に避けなければならない、という個人的な事情。

 全てを上手い事納めるために、翼には有意義な時間を過ごせたな感を抱きつつ帰路についてもらわねば。

 

「四条を思い出せ! あいつはかなりの美少女だろ!」

「確かにマキちゃんは可愛いです。……五じょ「そうだろそうだろ!」

 

 白銀ここで割り込み!(インターセプト!)

 相手が口にして思考する間を与えない攻めの一手を打つ。

 そのまま放置していたら五条美城の白い髪と赤い目とその微笑みを思い出していただろう。

 

「他の誰かに取られても良いのか!? 仲の良い女友達のままでいいのか! それでお前の高校生活は良いのか!」

「よ……よくありません」

「声が小さいぞ! それで良いのか!?」

「よくありません!」

「良い高校生活には彼女がいるよな! お前は誰が気になってる!」

「え、ま……マキちゃんです!」

 

 っしゃオラァ! 勝った! 第三部完!

 

「ふー……では告白を考えねばならないな。お前、告白するとしたらどうする?」

「えっと……どう告白したらいいでしょうか? 僕そういう事初めてで……」

「ふむ」

 

 白銀は深呼吸してソファーに深く座りなおす。思考を巡らして、告白の成功率を上げるための案を幾つか考える。

 正直翼が『気になっている』という目線を四条に向けさせた時点で美城のお願いは充分果たした事にはなると思うが、しかしそこはプライドの高い白銀御行、告白の一つも考えられないと思われるのは心外であった。

そうして一つ思いついた物を、じろりと睨むような目線で言った。

 

「俺にいいアイディアがある」

 

 白銀はすっくと立ちあがると扉の前まで歩いて行く。

 

「ここに四条がいるとするだろう」

「はい」

「それをこう!」

 

「失礼しま(ダァン!)ひゃあ!」

 

 扉を用いた壁ドンの実践を行おうとしていた所に、タイミングが良いのか悪いのか五条美城が入室してきた。

 観音開きの扉の左方を開けて入って来た美城が、右方の扉に手をついた白銀と疑似壁ドンになるのは必然の流れだった。

 

「か……会長、困ります……」

(クソややこしい奴が来ちまったー!)

 

 ぽっと頬を赤らめて恥ずかしそうに口元に手をやる美城。並の男ならDANDAN心惹かれかねない状況だったが、白銀は並の男ではないし、一目見た時からかぐや一筋だしでうろたえる事なく冷静に分析した。

 何やら悩ましい立ち姿の美城は無視する事にする。短い付き合いで分かった事だが、この男は見た目にふさわしい振る舞いをして相手が困惑しているのを見て楽しんでいる節があった。

 とりあえずこの状況を打破する方法は無いか。白銀は刹那の思考を巡らした。

 

 その刹那の思考は凡人の熟考に匹敵する。

 

「五条、丁度良い所に来てくれたな」

「あら、つれないですね」

「今はお前と遊ぶより重要な検証を行っている所だからな」

「と言いますと?」

「壁ダァンだ」

「ん……? 壁ドンの事ですか?」

「違う壁ダァンだ」

「まあどちらでも構いませんが」

 

 美城は生徒会室に来ていた田沼翼の存在に気が付くと、そちらに顔を向けて小さく礼を……しようとした所で白銀がそれを遮った。

 

「会長?」

「俺が言うまで田沼翼の視界に入るな」

「えっと」

「必要な事だ」

「はあ」

 

 不審に思ったので小声で白銀に問いかけると、言葉短めにそう言うので美城は頷く事にした。

 ここで上手い方向に転がらなければ、もう後はどうにでもな~れと天才の白銀でも言わざるを得ない。人の気持ちは理屈ではないのだから。

 

「どうしたぼうっとして。さては壁ダァンに疑問でもあるのか」

「いえそうでは」

「分かるぞ。ただ壁際に追い詰めただけで告白の成功率が上がる物か、と疑うのは当然の事だ」

「ですから」

「理論は実践を経なければな」

 

 白銀は力強く一歩を踏み出した。また一歩、もう一歩、鋭い目つきを更に尖らせて、威圧感を纏った姿のまま、翼の方へ歩いて行く。

 思わず翼は後ずさるが、逃がさないとばかりに白銀の歩みは止まらない。

 

「か、かかか……!?」

 

 と、言葉にならない呻きを漏らしながら後ずさりを続ける翼だが、下がるスペースが無限であろうはずもない。あっという間に壁際に追い詰め、ダァン!と音をたてて翼の顔のすぐ横に白銀は手を着いた。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 恐怖に顔を引きつらせながら、とにかく謝る事に決めた翼は誠心誠意ごめんなさいと言い続ける。

 

「どうだ。ドキドキしただろう」

「へ……?」

 

 反応を値踏みするような鋭い視線から一転、笑いながら白銀は壁に追い詰めた彼の肩を叩いた。

 

「この恐怖のドキドキを味わせてから『俺と付き合え』と告白する。すると不安がときめきへと変わり告白の成功率が上がるという寸法だ」

「な、なるほど……」

「もう一例試してみるか。今度は俺とは真逆の顔立ちの五条で行う。これでお前がドキドキすればこの理論はどんな顔立ちでも効果が得られるという証左になるだろう」

 

 これが白銀の狙いだった。

恐怖のドキドキを恋愛のドキドキと勘違いするのはつり橋効果を始めよく言われる事だ。それをこの場合は先に白銀による壁ダァンで平静を奪い、次に美城による壁ダァンを行い、二種類のドキドキを引き起こす。

 それにより上記とは逆に、恋愛のドキドキを恐怖のドキドキだったのかと目をそらさせる事が出来る……はずだ。と白銀は考えている。

 

「始めよう」

 

 そう言って白銀は右手を上げると、すっと音もなく美城は後ろに着けた。翼の視界に入るなという言葉を守りながらである。忍者かと疑う動きだった。

 

「会長」

「何だ」

「私の身長では上目遣いの形になってしまいますが」

「かわいいかよ」

 

 白銀の策では見上げられようが見下されようが、翼がドキドキすればそれで良かったので、構わん、やれと命令を下す。

 

「高圧的にいけよ。あと顔はあんまり近づけるな」

「いまいち理解しかねますが了解しました」

 

 頭を下げ慣れている、命令を聞き慣れている美城は白銀の言葉に疑問符を浮かべながらも迅速に行動に移した。一歩横に飛び出し翼の前に姿を見せると、まだ壁に縫い付けられたようにもたれかかっている彼の傍に詰め寄って、掌底を食らわせるような振りぬきで顔のすぐ横に手をついた。

 傍から見ていれば剣呑な雰囲気にも見えそうな状況だったが、当の田沼翼はいつもニコニコ笑っている美城が氷の様な表情で見つめてくることに良くないドキドキを感じていた。

 

「そこまで」

 

 パン、と白銀は軽く手を叩く。それと同時に美城は壁ドンの体勢を解き、翼の視界から消えた。若干、残念そうな顔をしている彼に白銀は考える暇を与えないように声をかける。

 

「ドキドキしたか?」

「え、まあ、はい」

「だろう。これでこの手法を使えばドキドキを引き起こす事が出来るとお前は身をもって知ったんだ。この技を引っ提げて告白に向かうんだ。成功を祈っているぞ」

 

 まあ四条はこいつの事好きなようだし……よっぽど変な事しない限り成功するって分かってるんだよな。

 

 そんな事を考えてるそぶりは一切見せず、白銀はあくまで一応援者としての体で彼の背中を押した。

 

「はい! ありがとうございました! さすがあの四宮さんを落とした会長ですね!」

 

 失礼しました! そう爆弾発言を残した後に田沼翼は満足気な顔をして生徒会室を後にした。

 白銀の背中に隠れていた美城は彼が立ち去った事を確認してから顔を出した。

 

「会長はかぐや様とお付き合いされているのですか?」

「い、いや……俺と四宮は別に付き合ってないぞ……?」

「そうですか。お似合いだと思いますのに」

「はは……」

 

 にこやかに話す美城とは対照的に、どこかこわ張った顔で白銀は笑った。

 

「好かれてるというより、むしろ嫌われてるんじゃないかって思うんだよな……」

「会長でも不安になる事があるのですね」

「人を何だと思ってるんだ」

「かぐや様との仲を深めたいのでしたら、今度は私が応援させていただきます。協力していただいたお礼に何でも致しますよ。お忙しい会長にお手数かけていただいたのですから、当然の事です」

「考えておく」

 

 こいつが何でも、と言うと洒落にならない感が凄いな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――後日

 

 壁ダァンを習得した田沼翼はこれを用いて告白し、見事四条眞妃と交際を始める事ができたそうである。

 

「どうやら上手くいったようだな」

 

 中庭を歩いている、まだ隣にいる人に慣れていない様子の初々しいカップルを白銀は見下ろしていた。鳶色の髪の二つ結びが犬の尻尾のように嬉しそうに揺れている。

 彼女の恋愛の成就を誰よりも望んでいた五条美城はさぞ嬉しいだろう、と思いながら一緒に様子を見ていた彼に声をかけた。

 

「良かったな。これでお前も……」

 

 あの真っ赤で子犬のような円らな瞳をきらきらさせながら、心底うれしそうに『はい!』とでも言ってくるのだろう、と思っていた白銀の予想は裏切られる。

 

 

「……眞妃様……」

 

 今まで聞いたことの無い様な弱々しい声が美城の口から漏れ出た。かすかに震えるような言葉を押さえるように口元を手で隠していた。

 大きな目は伏せがちに開かれて、白い睫毛がけぶるように赤い瞳にかかる。少しだけ潤んだその赤色を悟られないように、そっと静かに目元を拭った。

 

 こいつ、もしかして……

 

 白銀の中で、美城が以前相談に来た時の言葉の珠が感情の糸で一つに繋がったような感覚が起きた。

 つまり『望みを叶えてあげたい』というのも『眞妃に告白されておきながら断る人間の存在を信じられない』というのも、彼の心の底からの言葉だったのだろう。

 自分が恋焦がれていながら、相手の幸せのために私心を捨てるとは、大した忠心ではないか。

 いつも毅然とした態度で微笑みを崩さない、理想的すぎてどこか現実味が薄いとすら思っていた美城の人間らしさを見て、白銀はこの五条美城という人間に親近感と敬意を抱いた。

 

「大した男だよ、お前」

 

 

 

 

 

 

本日の勝敗

 

 四条眞妃の大勝利!

 




幸せな眞妃ちゃんが生まれると不憫かわいい眞妃ちゃんが見られないというジレンマを乗り越えた先にこの作品は生まれました


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四条眞妃は/藤原千花は分かってる

「美城の言う通りだったわね。告白されるのを待ってれば良かったのよ。そりゃ、ここ最近あなたが色々してくれたのを忘れた訳じゃないけど……」

 

「はい、眞妃様」

 

「でも告白してくる時の翼君はカッコよかったなぁ……。キリッとした顔でね、こっちに来るの。ちょっと怖くなって後ずさりするんだけど教室だったから狭いじゃない? どんどん迫ってくるんだけど、その時は告白してくるなんて知らないからちょっと怖くて……」

 

「はい、眞妃様」

 

「そしたらいきなり壁をドン!ってしてくるし、びっくりしてドキドキしてたら『僕と付き合え』ですって! キャー!!」

 

「はい、眞妃様」

 

「もう頭真っ白になっちゃって、思わずはいって言ったから現実味が無かったんだけど……。その後に一緒に帰ってると段々実感がわいて来て恥ずかしくなってきちゃって、もうまともに顔も見れないの」

 

「はい、眞妃様」

 

「ドキドキしながら翼君の方を見上げるとね、風に吹かれて髪がたなびいてる姿がキラキラして見えちゃって、ああこの人の事好きなんだなって……」

 

「はい、眞妃様」

 

「それでね、それでね……」

 

…………

……

 

 

「最近美城に元気がないの」

「先輩ですけど言わせて下さい。正気ですか!?」

 

 その日、四条眞妃は珍しく白銀御行に相談を持ち掛けていた。

 曰く、幼馴染である五条美城が最近元気がないそうである。いつもはニコニコ朗らかな美城の表情が硬いらしい。目が合った時の微笑みがワンテンポ遅いそうだ。それに受け答えが通り一遍だという。

 

 不憫な……。

 

 白銀はそう思った。

 どこの世界に自分が好きな相手が他人に夢中な話を聞いて嬉しい奴がいるのか。NTRで脳が破壊される。寝てないけど。そもそも美城に寝たいという欲望があるのか、有識者会議を行って検証を進める必要があるかもしれない。

 

「何の先輩よ」

「五条の付き合い歴の、か?」

「じゃあ私は白銀を男歴の先輩として話を聞いてるんだけど」

「何で俺なんだ? 翼くんにでも聞けばいいだろう。せっかく彼氏彼女の関係になれたんなら」

「か……彼氏に……あぅぅ……」

 

 ぷしゅ~と湯気でも出てきそうなほど顔を真っ赤にした眞妃が俯いてアワアワし出して、さすがの白銀もこれにはビビった。控えめに言ってかわいめだった。

 

「幼馴染とは言え、他の男の子の話をされて喜ばないでしょ!」

 

 まだ赤い照れ顔のまま、無理くりまなじりを釣り上げて眞妃は威勢よく言い放つ。

 いやあたぶんそんな事はねえと思うぞ(悟空)。

 白銀は墓まで持っていく事を決意した田沼翼の相談内容を思い出す。彼は五条美城が気になると相談してきたのだ。何もなければそのまま美城の所に行って眞妃の情緒は滅茶苦茶になっていたに違いない。

 やっぱ俺もうちょっと褒められても良くない?

 というか今もちょっとその気があるような……。そんな彼が美城の話を持ち込まれて怒る事は考えにくい。

 

「まあそっとしておいてやれ。男には一人の時間が必要な時もある」

「そうなの……」

 

 目に見えるほどにしょんぼりしてしまった。あく抜きしたほうれん草くらいしょぼくれている。

 

「……白銀は美城の事女の子みたいに扱わないのね」

「たしかに五条の見た目は女みたいだが、あいつ結構クソガキじゃないか?」

 

 自分の置かれている状況を鑑みて、とまでは言わずとも可愛らしさを理解してからかってくるあたりとか。自分しか持っていないおもちゃを自慢する小学生男子のメンタリティーに通ずるものがある、という風に白銀は思っていた。

 

「分かってるじゃない。あの子って意外と男の子っぽい所あるのよね」

「ぽいというかその物だが」

「でもね、だからと言ってそこらの男子みたいに女の子紹介したら喜ぶとかは無いの」

「……まあ……それはそうだろうな」

 

 むしろ心は傷ついていただろう。

 自分の好きな人に女の子を斡旋されるなど、あなたに脈ありませんとかなり直接的な意思表示をされているような物だ。

 可哀そうに。白銀の中で五条お労しやポイントが溜まった。五ポイントでお弁当と交換できます。

 

「何か無いかしらね」

「必死になって考えるじゃないか」

「そりゃそうでしょ。幼馴染だもの」

 

 四条眞妃については、入学してから噂に聞く程度の事しか知らない白銀だったが、その思い描いていたイメージとは少し違うなと目の前の彼女を見ながら考える。

 傲慢で高飛車な典型的なお嬢様。それが白銀が抱いていたイメージだが、案外優しい所もあるのか、そういう風にイメージを改めておく。

 

「何とかしたいんだけどね……。邪魔したわ」

 

 そっと髪をかき上げると存在感たっぷりに立ち上がり、一瞬目線を白銀によこしてから眞妃は自分の席に戻って行った。

 何と言うか、お嬢様といった感じだった。もっとも白銀の中のお嬢様像と言えば、もっぱら四宮かぐやだが。

 

 あぁ、そう言えば親戚なんだっけ。少し似てるよな。

 

 そんな事を思いながら何の気なしに眞妃を見ていると、席に着いた眞妃が隣で教科書片手に唸っている田沼翼の方に歩み寄りながら、四条のお嬢様から恋する乙女への顔色の変化をつぶさに観察する羽目になってしまった。

 もし四宮がこんな顔をしているのを間近で見ていたとしたら……。これは辛い。

 白銀は五条に心の中で手を合わせておいた。

 

 

 

 

 

「会長、最近シロちゃんの元気がないんです」

「お前もか」

 

 その日珍しく難しい顔をした藤原千花が白銀の下に来たかと思えば、数時間前に聞いた事と同じ文言を唱えて来たので、白銀は少し投げやりに答えた。

 

「お前もかって、何ですかその態度は! 秀知院の生徒が悩んでいるんですよ!」

「ほうっておいてやれよ。五条の悩みはお前がどうこう出来る内容じゃない。もちろん俺にもな」

 

 失恋をした事がない白銀には、正直に言って美城の悩みを理解できるとは思わないので、下手な事は言えなかった。失恋を癒すのは新しい恋とも言うが、長い間想っていた人に変わるような女性がホイホイ現れるとも思えない。

 藤原を……いややめておこう。美城がもう恋なんてしないなんて言わないよ絶対とかいう事態になりかねない。

 

「会長、冷たいですよー」

「冷たいって事はないだろ。別に普段通り接してやればいいと思うが」

「むうう……」

 

 藤原は納得いかないようで、むくれながら白銀を睨みつけた。

 もちろん白銀は藤原の言いたい事も理解はしているが、何とかお節介を焼きたいというのはいかにも女性だなといった感想を抱く。

 

「何? 藤原も美城に元気がない事に気が付いてるの?」

 

 美城、という単語を聞きつけたのか眞妃もトコトコとやって来た。

 

「あ、四条さん。そうなんですよ。最近のシロちゃんは元気がありませんって話をしてたんですけど……」

「私もしたわね」

「会長ったらほうっておけって言うんですよ」

「それ私も言われたわね」

「四条さんもですか!?」

「そうよ。朝に相談してみたんだけどね。ほんと男って何ですぐほっとけって言うのかしら」

「ですよね!」

 

 雲行きが怪しくなってきた。白銀は急に帰りたい気分に襲われる。周りを見渡すも美城はおらず翼もいない。風祭、豊島の両友人もそっと目線を反らして、誰も助けてはくれそうになかった。

 

「普段話してる時ははいはい頷いてくれればいいのに、何か意見が欲しい時に限って『ほっとけ』とか『知らない』とか言うのよ」

「確かにそう言う所ありますね」

「ねえ、藤原はどうしたらいいと思うかしら?」

「私ですか? そうですね~……テスト期間が始まればシロちゃんはやる気出すと思うんですけど」

「美城の事分かってる人の言い方だわ」

「えへへ……まあ十年近く友達やってますから」

 

 あなた達今までそんな話した事ありませんでしたよね?

 白銀はそう言いたいのを堪えながら、自分の目の前で話し込み始めてしまった女子二人の様子を見守る事にする。本当なら単語帳の一つでも開きたいくらいなのだが。

 

「だから白銀、手を抜くような事をするとは思わないけど、気合入れて試験勉強しなさい」

「それはもちろん手を抜いたりはしないが、試験と五条にどういった繋がりがあるんだ」

 

そう言って目の前の二人に、どちらでもいいから話せと指をさす。試験が来るとやる気が出るという心理は白銀にもある程度は理解できるつもりではあるが、先ほどの話の流れから考えると、美城のその心理は自分の口で言いたいのだろう。今ははいはい言って話させておけば良いフェイズのはずだ。

 

「シロちゃんって意外と勝負事が好きなんですよ」

「へえ、たしかにそれは意外だな」

「小さいころから『眞妃ちゃんあれしよ、これしよ』ってね」

「私もよく遊んだから分かりますよ~。シロちゃんって……」

「美城って……」

 

「Sなのよ」

「Mなんです」

 

「「は?」」

 

 空気が凍った。

 

 SとM。もちろん服のサイズの話などではない。

 サディスティックであるか、マゾヒスティックであるか。この状況下に限って言えば、五条美城は勝負に勝つ事を望むか、負ける事を望むか、という話になる。

 

「美城は起きてる間は何かしら勉強し続けてるのよ? この前なんか数学を解きながらリスニング問題を口頭で答えるなんて勉強をしてたの。これが負けたいような人間がする行動かしら?」

 

「いつも勉強してるのはもちろん知ってます。でもシロちゃん会う度に『帝様に勝てなかった』『眞妃様にテスト抜かされた』ってニコニコ嬉しそうに話してたんです。勝ちたがりな人間がそんな風に笑えますか?」

 

 美城の本当の所はよく分からない白銀だったが、彼が非常に度し難い性格というか性分というか、そういう精神構造をしている事だけは理解できた。

 呪いのように勝つことを自らに課している白銀に、負けても良いという神経の回路は存在しないので、つまり自分の性分と真反対な美城は分かりかねる。というより白銀ほどの努力家でなくても、負けてニコニコしていられる人間は少ないはずだ。

 

「まあ藤原は美城との付き合いが少し短いものね。あの子の事を分からないのもしょうがないわ」

 

「え(笑)ちょっとちょっと~(笑)本気で言ってます?(笑)四条さんこそ同い年の男の子に『眞妃様』『眞妃様』って呼ばれ続けて本当のシロちゃんを見れていないんじゃないですか?」

 

「ふふふ……」

「あはは……」

 

…………

……

 

「勝負です!!!」

「望む所よ!!」

 

 

「何でそうなる!?」

 

 なんか知らないが戦いの火ぶたが切って落とされた。

 

 



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藤原千花は/四条眞妃は答えたい

ハッ(笑顔)


「えー……という訳で、ここに第一回五条美城の真の幼馴染は誰だ選手権を開会いたします」

 

 どうして……(現場猫)

 

 白銀は貴重な昼休みの時間をこんな下らない事に費やしている自分に絶望すら感じていた。

 別にどちらがあの子と仲が良いのかと言う議論はしてもいいと思う。許されるのは中学生くらいまでだろうが。しかしそれに他人を巻き込むのはいかがな物か、小一時間問い詰めたい。石上、俺の代わりに説教しといて。

 

「司会は俺、白銀御行でお送りします」

「会長、お暇なんですか?」

「おまえー! お前のご主人様に言え!」

 

 小学生が金とか銀とかの折り紙で飾りつけしたかのような、無駄にギンギラギンの特設司会席に白銀は座ったまま、すぐ隣に腰掛けている五条美城に噛みついた。美城はコテンと小首をかしげながら白い髪をなびかせる。その様はゲームの箱が積まれた部室にあっても無駄に輝かしかった。

 藤原千花と四条眞妃が公正な出題者と採点者が必要と協議した結果、もう本人を連れてこようと引っ張り込んだのだ。

 もう本当に三人で話しててほしい。

 

「絶対に負けないわ」

「こっちのセリフです」

 

 白銀の切なる願いは叶えられそうにも無かった。

 

「えーゲストの早坂さん、今のお気持ちをどうぞ」

「帰りたい……」

「はい俺も同感です」

 

 

 哀れな被害者はもう一人いた。

 友人とお喋りという名目の下情報収集に励んでいた、四宮家侍従・早坂愛である。

 彼女は何やら必至な様子で藤原が校舎を駆けまわっているのを見て、良からぬことを企んでいるという確信を抱き、主人に害が及ぶ前に対処しようと声をかけた。それが運の尽きとは、想像だにしていなかったが。

 

「あれれ~、書記ちゃんそんなに必死になって、どしたし~?」

「早坂さん丁度いい所に。大変なんです来てください!」

 

 藤原は駆け足のまま早坂の所までやって来て手を握りしめる。一二回深呼吸して荒くなった息を整えると、藤原の手に一層の力が込められた。

 その様子を見て早坂は一瞬思考を巡らせる。

 

 大慌てで誰かを探しているようですが……。それも特定の誰か、ではなく適当な誰かが早急に必要な様子、という事は……これ私がついて行かなかったらかぐや様の所に行くんだろうなあ……。

 

 藤原千花が無軌道で無計画で無邪気な享楽家である点は早坂も、もちろん主人のかぐやも重々承知している。今更巻き込まれた所で怒り心頭になって早坂に処分を下す事は無い、と彼女は確信しているが、しかし回避できた事態に巻き込んだ事に嫌味の一つは言われるかもしれない。

 事は天秤にかけてみる事にする。藤原に巻き込まれてげんなりするか、かぐやに恨み言を言われてげんなりするか。

 藤原はさっぱりとした所があるので、事これ限りで済むだろう。対してかぐやは根に持つタイプなので後が怖い。生まれたばかりの頃まで覚えているのだ。どうしてめんどくささに手間を惜しんだ事を忘れるだろうか?

 

 しかたがないですね……。早坂は覚悟を決めた。

 

「いいよ~。何する?」

 

 にかっとご自慢の白い歯を見せながら、何をするか全貌を明らかにしていない藤原に無言の圧力をかけ続ける。もちろん藤原はそれで委縮するような(タマ)ではない。にっこりと微笑み返して、意気揚々と早坂の手を引っ張ってとある教室へと向かって行った。

 

「ちょっとちょっとどこ行くの?」

「TG部の部室です。そこで待っている相手がいるんです!」

「えっ普通にヤダ……」

 

 早坂は早々に後悔した。

 

 

 

 そんな背景があってTG部にやって来させられた早坂は、借りて来た猫のように大人しく席に座っていた。

 並大抵の事は持前の機転の良さと口先三寸でどうにか出来る自信のある早坂だったが、今TG部室にいる人間にそれは通用しないと苦々しく思う。

人に、というか四条眞妃には通用しない。彼女は今の早坂の姿が演技だという事を知っているからだ。

 

「別にもう一人呼ばなくても良かったんじゃないの?」

 

 眞妃はふっと軽く笑うと、いつものようにどこか尊大にも聞こえる口調で話し始めた。

 あなたの事をこの場でどうこう言うつもりは無い、と言葉の外で伝えてこられて、早坂は内心ありがたいと頭を下げていた。

 

 

「よ~し。これで司会、出題者、ゲスト、回答者が揃いましたね」

「ふん。あなたの恥を晒す相手が一人増えただけよ」

 

「なあ、そもそもの話いいか?」

「何ですか会長」

「どうしてお前らそんな対抗心を燃やしてるんだ」

「まったく……小さいころに美城に初めて会った時の衝撃があなたに分かるかしら?」

「分かんねー」

「例えるならヘドウィグが魔法のアイテムを持って家に飛んで来たくらいの衝撃ね」

「分かるー」

 

 白銀、一瞬で掌を返した。思いの外分かりみが深かった。

 

「そういう事なので大切な相手にニワカっぽい事言う人が許せません」

「どれくらい許せないんだ?」

「会長に幼馴染のシュワちゃんがいたとして」

「え待って無理……尊い……」

「そんな会長に『シュワちゃん好きだよ?ターミネーター2なんて千回は見てるし』って言ってくる人がいたらどう思いますか!」

「あっさ……。コマンドーは当然見てるよな?そうだよな?」

「残念ながら……」

「お前コマンドー知らなくてシュワちゃんが語れるか!野郎ぶっ殺してやぁぁる! ……充分理解できた」

 

 藤原のようなふわふわ女子から筋肉モリモリマッチョマンの名前が出て来た事に酷い違和感はあったが、言わんとしたい事は理解できた。思わずベネットになってしまったが理解はできた。

 憧れであり、誇りでもあるのだろう。それを否定するには、美城の外見はあまりにも神秘的すぎた。

 

「さあやりましょう。美城!」

「はい。言われたので問題を作っておきました」

「さすがね。はい白銀、読んでちょうだい」

「もうさっさとやって終わるか……」

 

 気乗りは全くしないまま白銀は手書きの原稿を受け取る。

 視線を落とすと段取りがびっしりと書かれており、特に回答者の紹介の文字数がとんでもない事になっていた。眞妃の紹介の件など紙面が真っ黒になるほど書き連ねられていた。

 

「ではまず回答者、自己紹介を」

 

 全部ぶっちぎって本人に言わせる事にした。美城はガーンと落ち込んだ顔をしていたが知った事ではない。

 

「四条眞妃。こんな脳カラ女には負けないわ」

「藤原千花。世間の厳しさを教えてあげます」

「中沢です」

「いや誰!?」

 

 はいはいと流そうと思っていたらしれっと見知らぬ男子が藤原の隣に座っていた。白銀は戦慄した。

 え、怖いつからいたの?

 

「初めまして会長。五条の友人の中沢です」

「男子もいるかと思って私が呼びました」

「いらん気を遣うな」

 

 何で手間増やしちゃうのこいつら?

わがままか?わがままお嬢様なのか?……お嬢様方なんだよなあ……。

 

 白銀は一人で勝手に納得してため息を深く吐く。

 全く知らない中沢という男子生徒がよろしいかと目線で訴えかけてくるので、どうぞと促した。

 

「どうも中沢です。お二人より歴は短いですが男友達として負けられません。お願いします」

「知ってるわよ、中沢直樹。片手で数えられるくらいの年数の付き合いなのにずいぶん言うじゃない」

「そうですよ。負けるはずありません!」

 

「私は五条と乳首をいじりいじられの関係ですよ? そんな事出来ますかあなた達に?」

 

 いやあるけどそういう男子同士のノリ。そんなキメ顔でいう事じゃないぞ絶対に。

 

「いや……それは……」

「ちょ、ちょっと……ねえ……」

 

 明らかに少女二人はうろたえていた。

 乳首は男女共に存在する器官であるが、その重要度は天と地ほどの差がある。男性が上半身裸になって乳首を晒しても放送コードに引っかからないが女性のそれは放送できない事からもうかがい知れる。

 

「でも男のち……び……なんてくすぐったいだけでしょ」

「くすぐりあいっこなら私達だってしたことありますし……乳首みたいな物ですよ」

 

「乳首みたいな物ではありません!乳首と申し上げたのです!!」

 

「ちょっと黙ろうか」

 

 圧が凄い。

 女子達は「ひぃ」と小さく悲鳴を上げてお互いを抱きしめあった。

 

「早く、早く初めてください会長!」

「男の人の大声こわい……」

「あーもう滅茶苦茶だよ」

 

 こんな事態になってまでする必要があるのか、はなはだ疑問である。女子特有の距離感だろうが抱きしめあっている姿は仲良しのそれなので、二人で決着をつけてはどうか。

 

「はい第一問!(デデン!)何今の音」

「ごっめーん☆ なんかー、賑やかな方がいいかなーって」

 

 諦めにも似た境地に達した早坂が、TG部員が持ち込んだ小道具を使って音声係と化していた。どうして生まれてから大人になった時音声さんになろうと思ったんだろう(広瀬す〇並感)

 白銀はこほんと咳払いをして問題文を読み上げた。

 

「えー……五条の好きな動物は何でしょう?」

 

 幼馴染同士がバッチバチに火花を散らしていた割には平和な質問だった。テレビで興味のないタレントがこんな質問をされていたらチャンネルを変える自信が白銀と早坂にはあった。

 だが回答者達にとっては興味のある人物の事。恐るべき速度で手元のフリップに動物の名前を書いて行く。後ろには富〇サファリパークのCMソングが流れていた。

 

「もうツッコまんぞ……」

「はい! 書けましたよ会長」

「じゃあ一斉にオープン」

 

眞妃:ウサギ

藤原:うさぎ♡

中沢:兎

 

「回答は全員兎だ。しかし兎って書くだけなのに個性が出てるな。何だ藤原そのうざったいハートマークは」

「かわいいでしょ~」

「早坂は何だと思う?」

 

 数多あるスイッチがそれぞれ何の音を出すのかという解析作業に勤しんでいた早坂は、突如眞妃に水を向けられて、背中から冷や水を浴びせかけられたかのようにビクッと身震いした。

 

「へ? 私?」

「他に誰がいるの」

「えー……でもフリップがもったいないしー」

 

 嘘である。この女、考える事がめんどくさいだけである。

 

「それなら心配いりませんよー」

 

 よっと。藤原がそう言ってダンボールの一箱を開いた。中にはぎっしりと白色のフリップが詰まっている。

 

「クイズゲーム用に買ってたんですけど、最近小さなホワイトボードを買ったので使わなくなっちゃったんです。遠慮なく使ってください」

「あ、そう……」

 

 足りない気力を物量で押し流されてしまった。だったらそっちを使った方が良くないだろうか?ケチってんじゃねーぞ藤原ァ!

渋々といった面持ちで早坂はフリップを受け取ると、サラサラと答えを書いた。

 

早坂:猫(白いやつ)

 

「「「あっさ……」」」

「書かせといてその言い草!」

「いやねえ、猫だけならまあ分からなくもないんだけど」

「白いやつって書いちゃう所が」

「思慮の浅さを露呈する形になっていますね」

 

 眞妃、藤原、中沢によるジェットストリームアタックを仕掛けられた早坂は成すすべもなく滅多打ちにされた。

 というか浅いって何ですか!

 早坂愛は憤懣遣る方無い。

 

「で、五条、正解は」

「はい。私の好きな動物は兎。三人とも正解です」

 

 美城は【兎】という文字と共に絵本のイラストのような兎を描いて正解を示した。それを見て三人は藤原を中心に「イエーイ」とハイタッチを交わして喜び合っていた。

 ますますこんな事をしている意義が揺らいでいくのを感じる白銀だった。

 

「ちなみに何で兎が好きなんだ?」

「兎には換毛期がありましょう?」

「ああ。夏毛と冬毛に生え変わるな」

「それを小さいころにテレビで見てですね、私も時期がきたら皆みたいな黒髪や茶髪に生え変わるんだと本気で信じておりまして。一時期は眞妃様に黒髪と茶髪どちらがいいですか?などと申し上げまして、そのままで良いと涙ながらに言われた事もございました。

 ……まあ当然生え変わる事なんてないのですが。ふふ……うふふ……」

「「おっも……」」

 

 白銀と早坂は同時に呟いた。

もっと心がぴょんぴょんするんじゃあ^~とか、真っ白で私に似ているから好きですとか可愛らしい理由は無かったのか。兎もそんな美城の変身願望の投影先にされている事を知ったら換毛する事に躊躇しかねない。

 

「はい次行くぞ次! えー……五条の初恋はいつ?そしてそれは誰?」

 

 読み終えた瞬間に白銀は美城の方をチラ見した。

 眞妃と翼が仲良く並んでいる光景を涙交じりで見ていた美城を間近で見ていた白銀は、この質問が人の心を踏みにじっている様に思える。が、これを書いたのはほかならぬ美城だ。下手な事を言う方が彼を傷つけるかもしれないと思い、白銀は黙っておく事にした。

 そうこう考えているうちに、回答者達は自信ありげな顔をしているので手元のフリップに答えを記入したらしかった。

 

「答えを」

 

 少しの気まずさから少々歯切れ悪く白銀は言った。かいちょー恋バナは苦手ですか?と後で藤原にからかわれるくらいには悪かった。

 

藤原:わたし

中沢:四条眞妃

 

「なるほど、藤原は五条の初恋は自分だと言いたい訳か。……自意識過剰か?」

「あなた眞妃様眞妃様と慕う五条の事を見ていないんですか?」

 

 藤原の答えは、男性陣からは冷ややかに受け止められていた。

 本人を前にして『あなた、私の事好きですよね』と言うに等しい……というか言っている。それも自分より仲の良い女の子がいる隣で。藤原の胆力には驚かされるばかりだ。

 

「うぐぐ……でもこれは負けられない戦いなんです。もし正解だったら四条さんにデカい顔できるじゃないですか!」

「正体表したな」

 

 恋愛感情でマウントすんな。

 白銀はそう思ったし四条もそう思っているだろうと思って彼女の方を見る。そこにはふふふ……と自信ありげに微笑んでいる眞妃が、扇子を使っているかのようにフリップで扇いでいる姿があった。

 

「浅いわね……あっさいわ、あなた達」

「なんですか四条さん」

「五条本人を前に言うのもなんですが、四条さん、あなたも自分だという自覚がおありでしょう」

 

「だから浅いのよあなた達は」

 

 眞妃は威勢よくフリップをひっくり返し、カンッ!と音をたてて机に置いた。

 

眞妃:幼等部に入った時に見かけた金髪の女の子

 

 その答えを見た美城を除く他の人は意を計りかねたようにポカンと口を開けて見ていた。

 金髪?……と藤原は呟くと、それを聞いた白銀は隣に座っている早坂の方を見た。予想通りの反応を見て、眞妃はニヤケながら早坂に言う。

 

「早坂。もしかしたら美城の初恋の相手はあなたかもよ?」

「えっ! ちょっと……こ、困るって言うか……」

 

 早坂は突然初恋相手かもしれないと言われて戸惑った。頬を赤らめて戸惑いながら、指先をツンツンと合わせてもじもじしている。

 それを見て眞妃は、本心では早坂が相手だとは欠片も思ってないのだろう。笑ってからかった。

 

「何て顔してるのあなた。あはは!」

「でもでも四条さん、それってただ珍しい人を見たってだけじゃないんですか?」

「そうですね。それだけで浅い呼ばわりされる筋合いはないと思いますが?」

「じゃあ教えてあげるわ」

 

 誇らしげに立てたフリップの角をトントンと叩きながら、眞妃は考察を披露した。

 

「まず美城って珍しい存在じゃない?周りの人間は皆黒髪か茶髪なのに自分一人だけ白い髪でしょ。だから心のどこかで自分と似たような人がいないか探してたと思うのよ。そんな時に入った秀知院の幼等部で出会ったのが……」

「金髪の女の子という事ですか?」

「そうよ。初めて見た自分に似た髪の女の子。本当に嬉しかったんでしょうね。ねえ、当時質問カードみたいなの作らされたの覚えてる?」

「えー、どうでしょう?そんな事もあったような……?」

「あったのよ。そこで何枚も何枚もカードを嬉しそうに作ってたんだけど……美城のお母さまが『外国の子は私達と髪や目の色が違う人もいるのよ』って言うとほんと滅茶苦茶ショック受けて泣き出したんだから」

「少しいいですか? 五条は外になかなか出れず幼稚園には行かなかったと聞いてますが」

「……その一日が美城の幼稚園に行った最後の日なのよ……」

 

 あ、うん……。

 TG部にいる美城以外の人間の意思はその一言に集約された。

 白銀の中で五条お労しポイントが一上がる。十ポイントたまったら圭ちゃんを紹介してやらない事もない事もない。

 

「結局その金髪の子に話を聞けなかった物だから、美城の中でどんどんその子が特別になっていった、っていう訳。まあ大きくなってパーティーとかで外国の人と交流するようになってくると金髪に対する幻想は無くなったみたいだけど」

 

 そう話を締めくくると、フリップの角から指を離してその厚紙がパタンと倒れた。机の上で『金髪の子』という文字が『わたし』『四条眞妃』に比べて異彩を放っているようにも見えた。

 

「深……」

「ええ、全く。付き合いの深さ。五条の心情の理解という点において誰よりアドバンテージのある四条だから出せた答えです」

「私がシロちゃんと会ったのは小学校入学前くらいですからね。いやーこれは深いですよ」

「どれくらい深いんだ?」

「最年少二冠の読みくらい」

「ふっか。それより深い物って地球上にマリアナ海溝しかなくない? どうなんだ五条」

 

 本人そっちのけで盛り上がっていた気しかしなかったので、司会役として白銀は軌道修正する。どんなに考察が深かろうと、これは美城の胸三寸。違いますよと言えばそれまでなのだ。

 

「眞妃様……」

 

 美城はじっと眞妃の顔を見つめて、その赤い目をゆっくりと瞬かせる。回答を書くペンが無駄に音をたてると、緊張感が部屋を支配した。

 え?まさか外れ?

 眞妃はそんな事を思いながら唾を飲み込んだ。

 

「さすがです」

 

美城がひっくり返したフリップには【幼等部に入った時に見かけた金髪の女の子】と、眞妃と一字一句同じな答えが記してあった。

 

「あーよかった」

「いやこれはお見事です四条さん」

「間違ってたらあなた達の記憶を消さなきゃいけない所だったわ」

「怖! そんな物騒な事言わないで下さいよ~」

「「「あははは」」」

 

 あれ冗談じゃ無いんだろうなあ。

 早坂は不思議と確信していた。

 

「はいこれで得点が2・1・1ね。俺の勝ち。何で負けたか明日までに考えといてください」

 

 眞妃はかのサッカー日本代表みたいな事を言いながら勝ち誇った。ちなみに眞妃はそのセリフが生まれたキャンペーンに二回勝負を挑んでどちらも勝ってプレゼントを貰っている。一回も勝てなかった弟の帝をハチャメチャに馬鹿にしたのは彼女の記憶に新しい。

 

「待ってください。元々私達が争った始まりはシロちゃんがどんな事が好きかっていう食い違いからじゃないですか」

「そういえばそうだったわね」

 

「ああ、そういう切っ掛けだったんですね」

「中沢とか言ったか……お前ほんと何も聞かされずにつれて来られたんだな」

「私だってそうだしー」

 

「最後にこれを聞いて終わりましょう。『シロちゃんの好きな事は何?』です!」

「いいでしょう。私が勝つけど」

「最終問題は五(じょう)三四六点が加算されます!」

「いいでしょう。私が勝つけど」

 

 バラエティー番組でもなかなかお目にかかれない馬鹿みたいな数字をかけて最終問題は始まった。ちなみに穣は兆の四つ上の桁で、1の後ろに0が28個つく。

 この問題の争点は彼女達の言葉を借りれば五条美城はSかMか、つまり勝ちに重きを置くか負けを受け止める事に重きを置くかという事だ。

 白銀が美城と接してて思うのは、勝ちにこだわる性格には見えないという事だろうか。(男子を勘違いさせるほどの)美貌をほころばせて笑う人物の、勝ちを求めてがっつく姿という物がどうにも想像できなかった。

 そもそも勝ち負けの二つの争点で考えているが、問題は好きな事とあやふやな物なので、美容と健康のために一杯の紅茶、が正解の可能性も無きにしも非ずと考えると何ともアホらしい。

 まあそれは無いのだろうが。

 

「私の答えはこれで変わりません」

 

藤原:帝くん、眞妃ちゃんに負ける事

 

「美城は意外と勝負好きで、勝負の楽しさは結局これよ」

 

眞妃:勝負に勝つ事

 

「二人とも勝ち負けの二元論で話すのはあまりにさもしくはありませんか?」

 

中沢:努力を重ねる事

 

 

 それぞれの解答は勝ちか負けか、それともそこに至るまでの過程か、という風に綺麗に分かれた。どれが正解でも納得は出来るだろう。……やっぱり負ける事が好きというのは理解しがたい。

 

「五条、正解を」

 

 やっと解放されると思いながら白銀は回答を書いている美城を急かした。いままでより少し長めにペンを走らせると、最後に句点を打って仕上げとした。

 

「あ、見せる前にいいですか?」

「何だ?」

「今日はいきなり呼びつけられて何事かと思いましたが、こんな風に皆が私の事を考えて下さっていると分かったので嬉しかったです。千花。中沢君。そして眞妃様」

「まあ友達ですから~」

 

 藤原の言葉ににこりと笑って美城はフリップをひっくり返した。

答えは【圧倒的に負かされる事】とあった。

 近しい回答をしたのは一人。つまり藤原の勝ちである。

 

「む……負けたのは最悪いいんだけど、いや良くないんだけど。美城!納得できる説明を頂戴。私が見て来たあなたの頑張りはどういう事なの」

 

 鋭い考察力を発揮してきた眞妃はこれにお怒りだった。

 眞妃はプライドの高い性格で、プライドとは積み重ねて来た努力によって形成される物であるという考えを持っていた。近くで美城の努力を見ていた身としては、本人がそうだと言っても納得できるものではない。

 偏差値77の秀知院に編入できるほどの能力の持ち主に、プライドが無い訳ないのだ。

 

「そう言われましても……。恐れながらこの性格になったのは眞妃様、帝様の両名に寄る所が大きいので……」

「え何それ知らない」

「初めて言いましたし」

「四条……」

「四条さん……」

 

 回答していた二人はじとりと眞妃の事を睨んだ。ちょっと軽蔑みたいな色が交じっているのは勘違いではないだろう。

 帝の奴絶対ぶっとばす。

 眞妃は決意を固めた。特に理由の無い……事もない理不尽が帝を襲う!

 

「自分で言うと面映ゆいですが、私は大体の事はそこそこ出来ました。多分一番じゃないかなと思い上がっていた所にお二方の出会いがあったのです。それからは遊びでも勉強でも全敗する日々。計算は速いですしボールを持てば敵なしですし。あれですね、井の中の蛙が大海を知ったような物でしょうか。そうなるともう『この二人はどうやって自分を超えていくんだろう』というのが楽しくなってきてしまってですね、それで頑張ってた所はあります。そしてお二方はいつも見事に私の上を飛んで行かれるのです。ふふ……。ですので私は別に負ける事は苦には思っていないのです。むしろ自分を打ち負かしてくれる誰かが現れるのを心待ちにしている節すらありますね」

 

 美城は長々とした話を何か詩でも読んでるかのように言った。

 締めくくった後で、白銀の方に笑ったまま顔を向ける。

 

「ですから私、会長の事をとても高く買っているのです」

「は!? 俺?」

「はい。一年の二学期頃から一位を守り続けているその才覚。どう私を負かしてくださるのか今から楽しみですね」

 

 ふふふ、と心底嬉しそうに美城は笑っていた。突如として激重感情を乗っけられた白銀は戸惑うばかりだ。肩が凝った気がする。お前とやる勝負、重いよ。

 

「美城」

 

 使用したフリップを空きダンボールに詰めた眞妃が美城の席へ歩いて行った。

 

「何て言うか……ごめんなさい。あなたがそんな風に思ってたなんて……」

「何を謝る事があるのです、眞妃様」

「だって……」

「では私めを哀れんで負けて下さるのでしょうか?」

「それは出来ないけど」

「でしょう? 眞妃様はそれでいいのです」

「分かったわよ。私はこれからも勝つからね」

「はい。ですが易々勝てるとは思われたくありませんね。ご存知でしょうか? 私の二番目に好きな事は勝つことなんですよ?」

「言うじゃない。なら次のテストであなたの大好きな事を味合わせてあげるわ」

「楽しみです」

「えへへ~、眞妃ちゃん良かったですね~」

「眞妃ちゃん……?」

「戦いを終えた二人には熱い友情が芽生えるというのが付き物ですよ!」

「ふふ……そうね、千花」

「では二人に友情が芽生えた所で祝杯を挙げに行きましょうか? 最下位の私が払いますよ」

 

 パンッと乾いた音をたてて柏手を打った中沢が提案した。確かに喉を使ってしまったので潤したい気分だった、と女子二人は同じ事を考える。

 

「あら、殊勝な心掛けじゃない」

「私タピオカミルクティーがいいです~」

「どうぞ遠慮なく。ですが次こういった事があった場合は負けません。倍にして返してもらいます」

「え~二本も飲みたいんですか?」

「そういう事ではありません」

 

 四人は一仕事終えたような爽やかな雰囲気でTG部を後にした。何か良い感じで締められても……と白銀と早坂は顔を見合わせる。

 はあ……と早坂は大きくため息を吐くと、

 あなたの周りは人を振り回す天才ばかりですね

 と侍従モード早坂の口調が出てきそうになった。それを引きつった笑みでごまかす。

 

「どうかしたか。えっと……早坂さんだったかな」

「もう疲れたしー。かいちょーさん、書記ちゃんの事ちゃんと見張っててよねー」

「それが出来れば苦労は……あ、おい!」

「ばいばーい」

 

 これ以上誰かといるとポロっと余計な事を言いそうな状態な早坂は早々に立ち去る事にした。それに白銀と二人っきりというのもよろしくない。もしも誰かがかぐやにご注進でもしようものなら……早坂は考えるのを止めた。

 一つ教訓を得たとするならば、やはり藤原のしようとする事に軽々に乗ってはいけないという事だろうか。

 

「早坂さーん!」

 

 自販機の前で大きく手を振っている藤原と、こっち来なさいと手招きしている眞妃に、控えめに手を振っている美城と、哀れ出費と荷物持ちの中沢の四人が見えた。

 早坂はその場を手を振り返すだけで立ち去った。

 

 

本日の勝敗 藤原の勝利

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……と、いう事があったんですけど」

「か、会長と隣の席ですって……!」

「聞いてます? かぐや様」

「コホン……ええもちろん。でもあなたもヘマした物ね。どうにでも逃げられたでしょうに」

「ではかぐや様、五条美城の好きな動物をお答えください」

「なに? いきなり」

「早く」

「え……そうね……あ、白猫なんてどうです?」

「あっさ……」

「答えさせておいて!?」

「私が逃げたらかぐや様こんな目にあってましたよ」

「よくやったわ早坂」

「調子いいんですから……」

「しかし五条さんは会長と友人ですから、どうにか『使いよう』がありそうなのですが」

「いやあ……あれは書記ちゃんと違うベクトルで厄介な人物だと思いますけど」

「そうでしょうか……あら? 早坂、何か落ちましたよ」

「紙……手紙でしょうか?」

「まあ。早坂にも春が来ましたか?」

「まさか…………」

「早坂?」

「かぐや様」

「はい」

 

「春は春でも春の嵐みたいです」

 

 

 早坂愛様へ

 

――――五条美城より

 



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★キャラプロフィール:五条美城

今まで水曜に投稿していたのでそのリズムを崩さないためにオマケですが投稿します。本編は土曜か日曜辺りに。


  五条美城

 

◆家族構成――父・母・妹

◆秀知院学園高等部二年生

◆身体的特徴――アルビノ・美少女(男)

◆今作『五条美城は白サギ嬢』の主人公

 

 大手老舗ゼネコン・五条建設当主の長男。

 有名進学校(男子校)出身の父親と、生粋の秀知院生である母親との間で教育方針の違いから齢三つにして人生の選択を迫られたが、四条姉弟と一緒がいいという一言によって秀知院行きを決めた。

 しかしそれは幼等部の初日だけ、という結果に終わってしまう。彼が再び秀知院の門をくぐるのには十一年の時を要した。

 小学校、中学校とロクに学校に通えず一人で勉強を済ませたため、学校生活というものに強い憧れを抱いており、高校生になってようやくまともに学校に行く事が出来た。

 

 高校の一年目は四条帝について公立校に行く事にして、サッカー部のマネージャーになる。

 人手が足りなかったり、故障者が出た時にスーパーサブとしてピッチに立つこともあった。なおその際の成績は四試合に出場して3ゴール2アシストと、彼が出ればとにかく点が動いた。しかし十分ほどしか出場しないので某有名サッカー漫画のキャラから取って〈ガラスのエース〉などと呼ばれたという(本編にとってどうでもいい)過去を持っている。

 

 彼の特徴である白い体にはいろいろな逸話がある。母親が身ごもっている間は雪がほとんど降らなかっただとか、生まれる日に季節外れの雪が東京に積もっただとか。その事もあって『現場の神』とも呼ばれた祖父にはからかい半分に崇められている。本人は雪の日のかくれんぼが有利になる事の方が嬉しかったが。

 

 息子の為に仕事を辞めて付きっ切りで見てくれる母親や、よく遊びに来てくれた四条姉弟や藤原千花の存在、その浮世離れした美貌を寄ってたかって褒めちぎる親族もあって美城は自分が愛される存在であるという事に何の疑問も抱いた事がない。しかし傲慢にねじ曲がらず、素直で自信のある子どもに育った。

 

 持前の素直さから『とりあえずやってみる』タイプであり、加えて天賦の才からやってみて出来なかった事がない典型的な天才型であるが、常に四条帝に負け続けてきたために他の人も自分程度にはなれると思っている。むしろ自分を倒す天才が沢山いた方が良いとすら思っている。

 彼は日々、『俺より強い奴に会いに行く』つもりで人脈を広げているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛される事を微塵も疑わない彼ではあるが、自分に恋する人はいないという事も微塵も疑っていない。未来の五条家は妹の子供が引き継げばいいと思っている。

 



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早坂愛には都合がいい

 早坂愛はモテる。

 アイルランド人の血が濃く出た金髪碧眼に白い肌。胸部装甲はお可愛いかもしれないが持って生まれた長い手足もあって完璧と言って良いプロポーションである。

 秀知院では頭の軽そうなギャルを演じている事もあって、手の速い男や同じようなカテゴリに属するチャラ男から告白を受ける事は少なくない。

 もちろん早坂も暇ではないのでいつも断っていた。そして今回もそうなるだろう。早坂は五条美城と書かれた手紙をもう一度見てポケットにしまう。

 早坂はあの男なのか女なのか分からない頓珍漢な容姿をした美城に、よもや女性と付き合いたいという感情があるなんて。というある種の感動めいた物すら抱いていた。

 金髪の女の子に初恋をした、と彼を良く知る四条眞妃は言ったが、こればかりは藤原の珍しい物に興味を惹かれたという意見の方が頷けた。

 

「ここですか……」

 

 手紙に指定された場所はあまり使われる事のない教室の中だった。

 太陽と建物の重なり具合で少々日当たりの悪い部屋だ。その日照量の低さたるや大家さんと戦えば余裕の家賃下げ確実事故物件である。ベランダに出したプランターで育てようとした大豆がもやしになる。

 なる(確定された敗北)。

 

 カラカラと控えめに扉を引くと、教室内には手紙の送り主、五条美城が立っていた。

 

「お待ちしておりました」

 

 ペコリと小さくお辞儀をして、早坂を真っすぐ見ながら五条美城は微笑んだ。

 夕焼けを背景に誰もいない教室で佇む美城は、画工の描いた絵画めいた美しさがあった。白い髪に茜色が少し混じって、毛先が黄金色にキラキラ輝いている。

 これが女でなくて良かったですね、かぐや様。

 早坂はここ最近この転校生と白銀がつるんでいるのが面白くない主人の事を思うと少しやさしい気持ちになった。

 

「五条さ~ん。話ってなーに?」

 

 イラストで表すと横に『キャハ☆』とか描かれてそうなテンションで早坂は話を切り出した。落ち着いた様子の美城とのコントラストが映えている。

 しかし美城はそんな早坂の姿には興味がないように気安く一歩前へ進むと、ゆっくりと口を開いた。

 

「四宮の 覚えめでたき 早坂は」

 

「……っ!」

 

 知っている詩だ。早坂は美城を見つめる目に険を込める。

 早坂家の発展は四宮の助力があってこそと、四宮に取り込まれた時期に早坂家の当主だった男が詠んだとされる詩で、その存在は公にされていない四宮の資料に小さく載っているだけにすぎない。

 それを知っているという事は……。

 色濃い疑問が早坂の心中に渦巻くが、まだたまたま同じ苗字だったと誤魔化せる段階でもある。ポカンと困ったような表情を作って早坂は答えた。

 

「えーどしたしー? いきなり川柳?なんか詠んじゃって」

 

「ポーチ下、螺旋階段、飼育小屋」

 

 もう一つ、美城は学内のとある場所を歌うように言った。

 それは早坂がかぐやに学校で内密に報告をする際に使用した場所の羅列だ。この五条美城は知っていると見て間違いないだろう。そう結論付ける。

 早坂はギャルモードの笑みを崩さないまま、相手の出方をうかがった。

 

「昔読ませて頂いた資料と姓が一緒なだけでは確信は持てませんでしたが、こうも内緒で会う場面に出くわせば分かろうものですよね。四宮侍従家早坂の愛さん」

「どうして」

 

 早坂とて無能ではない。視線を切るような位置取り、一方から見ただけでは二人の存在を確認できないような障害物のある場の設定、もし生徒が来た場合に備え逃走ルートまで考えている。

 だからこそ幼等部から今現在高等部でかぐやと早坂のラインを知る物は、元々四宮家の事情に詳しい四条家の眞妃くらいにしか知られていないのだ。

 そんな思いから、素朴な疑問が早坂の口をついて出た。

 

「どうして、ですか? それは単純です。見ていたからですよ」

「死角を選んだつもりですが」

「学校とは教育施設であり、そして監視する場でもあります。死角が存在しないように色々と考えて造られているのですよ」

「詳しいですね。あなたは幼等部の一日しか秀知院に来た事が無い、と眞妃様が仰っていましたが?」

 

 早坂は昼休みの事を思い出す。まさかあんな下らない諍いで得た情報がこんなすぐに役に立つ場面が来ようとは。

 何だそんな事、と呆れたように美城は頬に手をやり、そしてその手をへその辺りへ下ろして両手の指を絡ませる。

 

 

「秀知院の校舎を造ったのは五条家で、私はそこの長男ですよ?」

 

 

 事も無げに美城は言った。

 早坂はぐっと奥歯を嚙む。これは五条美城を調べる際に、五条家の事を過去三十年程度調べるにとどめて満足してしまった自分の落ち度である。なまじ五条家が四条と繋がっているという大きな事実があったために起きた、精神的な盲点であった。

 

「では栄えある五条の美城様、私に何をお望みで?」

 

 早坂は句を詠まれた意趣返しのように節をつけて答える。美城は口元に手をやってくすりと笑った。

 

「ここに呼ばれた時点で、あなたも何を言われるか薄々分かっているのではないですか?」

 

 分かっている……つもりだった。

 放課後に、一人で来るように、わざわざ靴箱に手紙まで入れての要求。普通に考えれば愛の告白である。

 しかし待ち受けていたのは、どうしても隠しておきたい事実を握った男と二人きりというシチュエーションで、ここで愛の告白をされると思うほど早坂の脳内はピンク色ではない。

 彼女の頭を巡るのは、どのようにこの場を主人の利益につながるように乗り切るかという点だ。しかし彼を消すにはリスクが高すぎる。金で釣るには五条の家は大きすぎる。権力で溺れさせるには、学生が持てる権力は彼が将来得る地位に比べれば浅すぎる。端的に言って詰みであった。彼の良心にゆだねるしかないが、四宮家的には唾棄すべき選択だ。

 

 私はどうなっても、かぐや様は守らないと……。

 

 早坂は覚悟を決めて美城の方を見る。そこには腹立たしい程にこやかな五条美城がいるだけだった。

 

「早坂さん」

 

 四宮に繋がる情報を欲しがるだろうか。四条に近い彼の事を考えて、そうアタリを付ける。

 これ以上あの子を裏切る訳にはいかない。

 早坂は非道な要求だとしても、かぐやに類が及ばないよう事を済ませる覚悟を決め……。

 

「私達お付き合いしませんか?」

「ふっつう!」

 

 愛の告白だった。

 滅茶苦茶普通だった。

 

「え何だったんですかあの無駄に脅しかけてくる感じ」

「脅しなんて。酷い言い草ですね」

「ご自身の立場と物言いを振り返ってくれますか!?」

 

 早坂はあの緊張からの緩和で口がゆるゆるになっていた。文句が溢れてとまらない。

 

「大体、そこまで理解しているなら私があなたの告白……と言っていいんですか?それに頷かない事はお分かりかと」

「落ち着いてください。これは非常に実利的な観点から見た打算まみれの提案なのですから」

 

 実利。打算。

 おおよそ愛の告白にはふさわしくない言葉だ。しかし人の心という物をあまり信頼しない四宮の教育を受けた早坂にとっては受け入れやすい言葉であった。

 

「続きを聞いていいですか」

「はい」

 

 そう言うと美城は教室の後ろに片付けられた椅子を二つ引っ張ってきて、向かい合うように置いた。早坂を座らせ、美城も続く。

 

「まず私の目的から言いましょう。眞妃様とかぐや様の仲を取り持ちたいのです」

「本気ですか……?」

 

 四条と四宮の不仲はその筋の者にとっては有名だ。

 そもそも、四宮の手段を択ばないやり方に反発し、四宮から離脱した穏健派を中心にまとまったのが四条グループである。是として『反四宮』が上級役員の中にはあり、その一念あって四条の急成長ありという所だ。

 その両家の令嬢が仲良くするなど、到底許せる物ではないという人物も多い。

 

「眞妃様は初めてかぐや様と出会った時、小父様の言葉をもってかぐや様を拒絶なさいました。その事を悔いておられるご様子ですので、どうにか仲直りの機会をと、私は思っています」

「今度はかぐや様から拒絶されるとは考えませんでしたか?」

 

 人と交流すれば誰とでも仲良くなれるなどと、絵空事のような、綺麗事のような言葉を臆面もなく話す美城に嘲りめいたものを感じながら、早坂は聞き返す。

 

「その時は……」

 

 その嘲りを平然と受け止めて美城は笑顔を返した。

 牙をむくような笑みだ。

 

「その時は眞妃様も納得されるでしょう。やはり四宮は敵だと。あなた方はかぐや様と同じか、それ以上の才覚の持ち主を敵に回した事をもって無能の証明をなさればよろしいかと」

 

 痛烈な物言いだった。戦えば必ず四条が勝つと、心の底から信じていなければこうは言えまい。

 穏やかな所しか見せた事のない美城の攻撃性に、早坂は少々あっけにとられる。

 

「話が反れましたね」

 

 ふと表に覗かせた苛烈な一面をさっさとしまい、通常営業の笑顔に戻って美城は話を続けた。

 

「たしかに突然仲良くしろなどと言われれば拒絶される事もあるかもしれません。そこで一つ緩衝材を挟むのです」

「それが私達……ですか」

「そうです。早坂さんは眞妃様に、私はかぐや様に、『恋人の事で相談がある』と相談を持ち掛けて……何でもかまいません、小難しくて相談相手が欲しくなる、そんな話題を持ちかけるのです」

「それが話す切っ掛けになれば……と言いたい訳ですか」

「その通りです」

「上手くいきますか?どうも都合のいい部分しか見えていないように感じますが」

「かぐや様の事を良く知る早坂さんと、眞妃様の事を良く知る私。二人で考えれば絶対にできます」

 

 美城は言い切った。

 固い意思。強い覇気。早坂はそれらに息を呑んだ。

 こいつにはやると言ったらやる…………『スゴ味』があるッ!

 といった所である。

 

「あなたの熱意は分かりました。しかしそれで得をするのは眞妃様だけじゃないですか。私やかぐや様にも利益が無ければ到底飲む事は出来ません」

 

 四宮かぐやは機に聡く、利に篤い。それは姉妹のように育った早坂愛も同様だ。

 四条眞妃と仲良くするのは、ともすれば害になりかねない。そんな提案をはいはいと受け取る訳には行かなかった。

 これは五条美城が持って来た、こちらがどう利益を得るか、そちらにはどう利益を与えられるかというビジネスである。こちらにとってより良い条件を提示させるのは当然だ。

 

「そうですね。……早坂さんがかぐや様と無関係を装っているのは、四宮を良く思わないグループにも接近できるように、といった所でしょうか」

「当たらずとも遠からず、です」

「それは残念。正鵠を射るつもりで言ったのですが」

 

 くすくす、と場を和ませるように美城は笑った。

 

「私から早坂さんに提案できる利は、私と交際しているフリをすれば五条に連なる人達に容易にアクセスできる事です。そこからどう利益を引き出すかはあなたの手腕による所になってしまいますが」

「あの手の人達の結束の固さはひとしおですから」

 

 汗水流して、時には血を流して困難に立ち向かう土木業界の人達の繋がりという物は、当然の如く固い。ましてや五条建設は徳川の治世から続く老舗企業である。年月という槌は、鉄の絆をより固くしていった。早坂の演じるギャルのような奴が美味しい所だけ浚おうなど出来るはずもない。

 だが頭の長男と懇ろな関係になってしまえば? その女は身内で、乱暴な言葉を使えば『姐さん』だ。

 もちろん全てとはいかないが、ある程度心を許してくれるだろう。

 

「悪くは無いですね」

 

 早坂は得られそうな利益を勘定した。

 

「次にかぐや様の利についてですが。私、部活を発足しようと思っておりまして」

「それが何の関係が……?」

「名前は『ボランティア部』。社会の一員としてこれからの社会に求められる奉仕精神を養うべく……」

「長くなります?」

「端折りましょう。名前の通りボランティア活動をしたりするつもりなのですが、たまに活動の前にこう言います。『会長、今度の清掃活動を申し訳ないのですが手伝ってくださいませんか……?かぐや様にも助力を乞うたのですが』」

「会長の話になっていますよ」

「おっと私とした事が。ですが同じ事でしょう?」

「何がですか」

「かぐや様は会長ともっとお近づきになりたいと思っている。もちろん会長も。これはAとBを変えても同じです。ですが素直になれずに困っている。ですから私達が一緒になれる大義名分を提供しましょう。触れ合う機会が多くなれば、きっとあの二人の関係は進むはずです」

 

 それは早坂もじれったく思っている事だった。

 かぐやは頑なに白銀の事を好きじゃないと言うが、分かっている、そんなはずがない。

 映画一つ見に行くのに、迂回して迂回して迂回して。かぐやの色が見えないように策を弄する。どうでもいい相手にそんな事をするはずがない。

 素直になりたいのに素直になれない。それは早坂が少しのめんどくささを感じつつも、彼女を可愛いと思う理由だ。

 確かにそんな彼女の背中を押してやるのはやぶさかではない。

 

「いかがでしょうか。一つの嘘から得られるにしては割の良い提案とは思われませんか?」

 

 美城は自社の商品を紹介するセールスマンかのように、自分の提案は素晴らしいでしょうと胸を張った。

 紹介する物に実体があれば「見てくださいこのボディー↑」とか言ってくれたに違いない。

 

「ですが付き合う……付き合うですか……」

「もちろん肉体的な接触は極力避けましょう。……手を繋ぐ、くらいはして頂かないと設定に説得力が生まれませんが」

「いや、分かってはいるんですよ?」

 

 早坂は可憐な容姿に生まれついているがバキバキ処女だった。

 初交際が演技で嘘というのはどうしても抵抗がある。もう一声、自分に利益が欲しいところで……

 

「かぐや様にマウント取れますよ」

「やりましょう」

 

 食い気味に答えた。

 マウンティング愛ちゃんの誕生であった。

 

 

――

 

「早坂、戻ったの?」

「はいかぐや様。お待たせして申し訳ありません」

「それで、どうでした?」

「彼氏が出来ました」

「ファッ!?」

 

 

 

 

 

本日の勝敗 未来に持ち越し(五条美城と早坂愛の間で条約が締結)

 



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早坂愛は浮かれてる

ここすき、感想、評価ありがとうございます。嬉しいなと何回も見返してます。


「あーあ、かぐや様。私の方が先に彼氏ができてしまいましたね」

「むむむ……」

「やはりもっと分かりやすく行動をされた方がよろしいのでは? 彼みたいに」

「うー……」

「告白させる、そのためにあらゆる策を考える……のは構わないのですが、書記ちゃんにめちゃくちゃにされているじゃないですか」

「くぅ……」

「曲がりくねった導火線を引くから足を引っかけられるんです。真っすぐ目標に向かっていけば彼女だって根は善良なのですから……」

 

「あーー!! 早坂うるさいわよ!」

 

 四宮かぐやはネチネチと口やかましい自らのメイドにがなり立てる。帰って来てからというもの、早坂は若干……いや、かなり……やっぱ滅茶苦茶鬱陶しかった。

 話の諸所で『彼』という単語が頻出するし、告白うんぬんに関して少しの上から目線から放たれる言葉が鼻についた。

 

「大体何であなたに五条さんは告白したのよ! 会ってまだ一週間も経ってないでしょう!?」

「何でも幼等部で見た金髪の子を見て一目惚れしたそうです。以来その名前も知らない女の子の事が気になっていたとか。それが私だと言ってましたね」

「何それ!?」

 

 なかなかの羨まエピソードの披露にかぐやは早坂の事を羨望の眼差しで見つめる。

 

 もし会長が同じ事を言ってくれたら……

 

 …………

 ……

 …

 

『実は俺達ずっと昔に出会っていたんだ。文化祭で見た女の子……それが四宮で、俺の初恋だ。頼む。付き合ってくれないか』

 

 …

 ……

 …………

 

 あっ良い! 良いですよこれ!

 

 かぐやは意外と俗っぽい運命とかに憧れがあった。

 

「う……羨ましい」

「そうですか? 言われた方は結構困りますけど」

 

 そう言うと早坂は美城と付き合う切っ掛けにもなった金髪をかき上げる。まとめたサイドポニーの一房を目の前に持ってきて……

 

「本当に……困った人……ふふっ」

 

 うっすらと微笑んだ。

 

 何そのまんざらでもない顔ー!?

 かぐやは姉妹のように育って来た女性の初めてみる表情に困惑した。

 

「ですがご安心くださいかぐや様」

「何が!? 今の何に安心できる要素があったの!?」

「彼は早坂家が四宮に仕えていることを知っていますので、かぐや様を第一に考えて構わないと言っています」

「あらそう」

「これからもいつも通りかぐや様のために働かせていただきますから」

「なるほど。五条の息子も、それは殊勝な心掛けですね……はっ!」

 

 あ。

 まずい。

 

「そうですね。そういう所、好感が持てます」

 

 ほらすぐ自慢してくるじゃなーい。もー。

 

 それはかぐやの過剰反応であったが、早坂も自分の浮かれ具合を過少評価していたのですれ違いの泥沼に陥りかけていた。

 

 読者諸兄に誤解のないようにお伝えしておくが、別に早坂は美城の事は特に好きではない。

 しかしかぐやが白銀に対してしかける恋愛頭脳戦の一端を担っているうちに、恋愛に対して憧れが増幅。そこに降ってわいた契約恋人の話。恋愛の過剰摂取(オーバードーズ)を引き起こし、早坂から冷静な判断力は失われていた。

 結果!

 

「かぐや様もお気持ちを表に出されては……ああ、出来ないんでしたね」

 

 無自覚マウンティング愛ちゃんが爆誕してしまったのだった!

 ゴリラ(学名:ゴリラゴリラ)もかくやというマウント力である。

 

「い、言うじゃない早坂。ですがあなたは殿方の方から告白してもらっただけ。それも一目惚れとかいう理由で。私に何をもって偉そうな口が利けるのかしら」

「そうでした。何もしていないのに彼氏が出来てしまい申し訳ありません」

「ぐはっ!!!」

 

 早坂(学名:ハヤサカハヤサカ)の口撃はとどまる所を知らない。この世の恋する全ての女子を敵に回しかねない発言だった。かぐやも長年の付き合いが無ければ早坂を許されざる物として四宮の歴史の闇に葬り去っただろう。

 

「も……もういいわ。下がりなさい」

「かしこまりました。おやすみなさいませかぐや様」

 

 早坂はスカートの端を持ち上げて一礼すると部屋を後にしようと踵を返して……

 

  ティロリン♪

 

「あ、みぃからライン……」

「みぃ!?」

 

 もう早坂から何も聞きたくないと思っていたかぐやでも聞き捨てならないセリフであった。

 みぃ!? みぃって何!?

 

「どうかしましたか?」

「どうかしかしてないわよ! 何なのその『みぃ』って」

「何と言われましても……彼の名前の美城から取ったあだ名が『みぃ』ですよ」

「シラフで言ってるのそのセリフ!?」

「かぐや様落ち着いてください」

「これが落ち着いていられますか!」

 

 ふん! とかぐやは早坂が持っていたスマホをぶん盗って画面を見た。

 

< 五条美城―早坂愛
.

 

今日

      
既読

18:18

明日同じ教室で

はい。待ってます 18:19
      

      
既読

18:22

細かい事は追々

 

また明日会ってお話ししましょう 18:22
      
 

おやすみなさい。愛。 21:22
      
 

21:22
      
 

Aa          

 

 

 ラブラブじゃないですかやだー!

 何あのハートマーク!? いちいち分ける所がガチ感あって引くんですけど。こんなライン早坂も同じ事思うに決まって……

 

「ふふっ。まったくもう……」

 

 ダメだったー! むしろ積極的に受け入れていく所存だー!

 

 早坂が自分からぶん盗り返したスマホを見て微笑むのを、かぐやは愕然といった表情で見つめていた。もしかしたら古の占い師が未来視でかぐやのこの顔を見て愕然という言葉を残したのかもしれない。そういうレベルの愕然の表情であった。

 おやすみなさいっと、小さく口にしながら早坂は美城に返信する。数秒後についた既読の文字を満足そうに見つめてスマホをポケットにしまった。

 

「私は連絡取りますけど、かぐや様は取らないんですか? 取ればいいのに……」

 

 早坂め、サル山でもない所でこのレベルのマウントを……信じられん……。

 

 カッチーン

 怒った。憤慨した。怒髪天を突いた。

 かぐやは自分が頭に来たのをこれほど客観的に捉えられた事は無いと思えるくらいに、穏やかな心を持ちながら怒りの境地に達していた。今なら空も飛べるはずだし、かめはめ波だって打てるに違いない。

 

 何ですって早坂?

 この浮かれポンポコリンと化したダメイドさん、もう一回言ってごらんなさい。

 その瞬間あなたはエジソンは偉い人だという常識くらい四宮かぐやは怖い人という事を思い出す事になるでしょうけど。……ふふっ。

 

「早坂? 何か言ったかしら?」

「かぐや様は会長の連絡先をご存知ありませんよね」

 

「ふうん……そう……そういう事を言ってしまうのね……」

 

 さようなら早坂。もうあなたはお終いよ。

 

「みぃが知っているので教えてもらいました。かぐや様の携帯にメールで送っておきます」

「ほんとぉ!?」

 

 あーもう早坂はやっぱり有能! 好き! 私達はずっと一緒よ!

 

「かぐや様、今とてつもない掌返しをしませんでしたか?」

「何を言ってるのかしら早坂? 姉妹同然に育って来たあなたに掌を返すなんてありえません」

「それならよろしいのですが」

 

 かぐやから邪の波動を克明に感じていた早坂であったが、そういう面倒くさい事はしょっちゅうだったのでスルーを決め込む事にした。主人にとって都合の悪い事は忘れるのが長く侍従業を続けるコツだ。

 

「でも……ラインという物は興味がありますね」

「かぐや様? 何か仰いましたか?」

「決めたわ」

 

 静かに決意を込めた瞳でかぐやは早坂を見つめる。

嫌な予感がした。

 

「会長にスマホを持ってもらいましょう。早坂、一番安いスマホを取り扱ってるお店を探して」

「ですが……」

「言い訳は聞きたくないわ。そうよ私達に足りない物はスマホだったのよ! 早坂。あなた詳しいでしょ。会長にふさわしいスマホを見繕ってちょうだい。何でしたっけ?かくやすしむ?だったかしら」

 

 アナログ人間なかぐやが知っている単語を目一杯使っている様子は、微笑ましいと言えば微笑ましいのだが。

 

 お可愛い事を申し上げていますが、格安シムは安いスマホの一要素です。

 

「しかしそう易々と変えられないでしょう。会長だけでなく周りの事も考えないと……」

「なるほど。つまり個人的事情ではなく社会的事情を持たせればいいのね?」

「と言いますと?」

「早坂。今すぐ放課後の時間に手が空く者を呼んで来なさい。会長の登下校中にスマホの必要性を説き続けるの。サブリミナル効果の如く」

「はあ」

「何のんきな顔してるの早坂。サブリミナル効果は自分に報酬がある場合にはその効果を何倍にも増幅させるという研究結果があるのよ。何かラインで良い感じの付き合いが出来てそうな同年代がいる事で報酬を理解できる形に落とし込むの」

「つまり……」

 

 にっこり。

 かぐやは笑った。

 

「会長の登下校ルートに張っていなさい」

 

 渾身の諦めなさい宣言。なんと四宮かぐやは交際したてのカップルの放課後を奪うつもりらしい。

 

「会長が抜けそうなルートに付けておきます」

 

 ため息をつきつつも早坂はすぐにタブレットで世田谷区から港区の秀知院へ通う道を調べ始めた。

 そんな様子を見てかぐやはクスクスと淑やかな笑い声をあげる。怪訝そうな顔をした早坂が顔を上げて主人の顔色を窺うと、かぐやは意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 

「あら早坂。彼に放課後会わないの? 私は会長と会いますけど」

 

 

 自分で命令しておきながらこの言い草。ダブルスタンダードを極めし者だけが言える言葉だった。

 ブーメランが綺麗に自分の頭に突き刺さった事を自覚して、早坂は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 

 

本日の勝敗 引き分け

 



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二人の事を確かめたい

「ねえ美城。本当におば様のとこの早坂と付き合ってるの?」

「ですから眞妃様、何回もそう申し上げているではありませんか。私の事、疑っておいでですか?」

「いや、まあ、そんな事ないんだけど……」

 

 

「ねえ早坂。本当にあの五条さんと付き合ってるのよね?」

「かぐや様、それ何度目の確認ですか。昨日勝手に私とみぃのラインを見たじゃないですか」

「み……みぃ……」

 

 

 

 人を好きになり、告白し、結ばれる。それはとても素晴らしい事だと誰もが言う。

 

 

「あ、噂をすれば。ほら。行ってきなさい」

「はい、お心遣い感謝します、眞妃様」

 

 

「早坂。彼がいますよ。行ってきなさい」

「いいんですか? かぐや様」

「速く、行ってきなさい」

「ありがとうございます」

 

 

だが……

 

 

『『契約条項一 甲は乙に乙は甲に対して両丙の関係の改善または決定的な決裂が明らかになるまでこれを継続する』』

 

「はい、おはようございます」

「おはようございます」

 

 それは真に好き合った者たちに対しての話である!

 実利を求めて打算の下に付き合うという契約を交わしたこの二人には、全く当てはまらない事であった!

 

「「何あの挨拶の前の一瞬の間」」

 

 それを見ていた彼と彼女の主人はそれぞれ同じ事を考える。まさか恋人同士と思っている二人が規約の確認をしているとは夢にも思わなかった。

 

 

 

 

 

「愛ちゃ~ん。何かいい事あった?」

「えー? なに急に」

 

 早坂愛はいつものように友人の駿河すばると火ノ口三鈴の二人と情報収集も兼ねて話していると、駿河すばるがそんな風に会話を切り出してきた。

 

「そうそう。なーんか怪しくない?」

「いや、そんな事ないしー」

「はいうそー」

「ひゃっ!?」

 

 ひしっと火ノ口が早坂の細い腰に手を回して、言い逃れようとするのを許さない。

それにしたってわきわきと手を動かしておなか周りを揉みほぐしてくるのはセクハラではないのか、早坂はくすぐったさに身悶えしながらそう思う。

 

「知ってるよぉ~。昨日の放課後端っこの空き教室に行ってたでしょー」

「えー、何で知ってるのー」

「ふっふーん」

 

 二人は顔を見合わせて得意気に笑った。

 お喋りで噂が好きで耳が早いから早坂は彼女達と友人関係を構築したのだから、放課後に人気のない教室に向かう早坂の事を早速聞きつけてもおかしくはない。この時くらいはそのアンテナはお休みしていて欲しかった。

 

「ねーなんでなんでー」

 

二人はゴネた。ゴネにゴネた。

 学校のあらゆる噂話に目がない彼女らにとって、友達の面白い話を聞き逃す手はない。

 マスコミ部よりも情報集めに熱心かもしれなかった。かれん聞いてる?

 

「実は……」

「「ゴクリ……」」

 

 もとより隠す気もそんなになかったので、早坂は形だけもったいぶってみせる。二人はもったいぶる早坂からの言葉を固唾を呑んで待っていた。

 

「彼氏ができましたー」

「「きゃー!!」」

 

 ぱちぱちと手を叩いて大げさに二人は喜び合った。

 実際の所、早坂はノリは良いし可愛いしチャラくて重い所がない(ように演じている)しでモテるのだが、浮いた話は全くなかったので、意外な一面を見れたように感じて二人は嬉しくなっていた。

 

「え、だれだれ?」

「クラスの奴? それとも他のクラス?」

「えーっと。そうだ、彼ピが会長に用事があるから来てって言ってたしー、一緒に来る?」

「「行く行く~」」

 

 バタバタと三人娘は騒がしく教室を後にした。

 一騒動さった後で二年A組内では早坂を狙っていた男子達の阿鼻叫喚と、女子達の噂話に花が咲いていた。

 

(彼ピ! 彼ピて!)

 

 四宮かぐやが涼しい顔してこんな事を考えていたとは、その場にいる誰も予想だにしていない。

 

 

 

 

「会長、今お時間よろしいですか?」

「ん? 構わないぞ」

「ありがとうございます」

 

 目つきが悪くて近寄りがたい生徒会長と、見た目が良すぎて近寄りがたい転校生が、仲が良くて近寄りがたい空気を出している。二年B組ではおなじみになってしまった光景だった。

他の生徒達は少しだけ意識を向けて横目で見ながらも、慣れてきた物でそれぞれの用事を済ませていた。

 

「それで、何か話があるのか?」

「はい。私、部活を作ろうと思っておりまして」

「いいじゃないか。だが部活として認められるには最低でも二人の部員と顧問になってくれる先生が必要だぞ」

 

 二人の会話が聞こえてきた周りの生徒は、そう言えばそろそろ部活連の会合で部費が決められるな、などと呑気に考えていた。と同時に、部活が増えたら部費が削られるんじゃないかという危機感も抱いていた。

 

「それはもうどちらも準備済みです」

「仕事が速いな。用紙はあるか? あるなら放課後の生徒会活動で判を押して教員からの承認をもらっておくぞ」

「はい。……それで会長。実はその部員を紹介したいのですが……」

「何だ改まって」

 

「こっちこっち」

「B組なんだ」

 

 キャッキャッと賑やかな声が教室の扉の前でし始めて、白銀は思わずそちらの方へ目をやった。

 制服を着崩した、一目でギャルだという事が分かる少女達が教室の前で騒いでいる。

 

 あれは昨日の……早坂愛とか言ったか?

 

 白銀は昨日の正直あまり思い返したくない余興の事を、少女達の中に同じ苦労を分かちあった金髪の少女の姿を見た事で思い出した。その元凶の藤原は友達とどっかへふらふら遊びに行ってしまったのでいなかったが、それで良かった気もする。また彼女を引っ掴まえて面倒な事に巻き込んでは可哀そうだ。

 白銀が目線を体の正面に戻すと、目の前の美城も早坂達の方を向いていた。一瞬、美城は白銀の目を見ると、また早坂達の方を向いて大きく手を振った。

 

「愛―」

「愛!?」

 

 白銀は美城の口から急に飛び出した親しみを込めた呼び方に目を真ん丸にする。

 

「みぃー」

「「みぃ!?」」

 

 駿河すばると火ノ口三鈴は早坂の口から急に飛び出した親しみを込めた呼び方に目を真ん丸にする。

 

 美城はその白い小さな手で手招きすると、早坂は他クラスにも関わらず遠慮なしにB組に入って行った。ついて来る友人二人を後目にスタスタと歩いて美城の席まで行くと、仲が良さそうに座っている彼の肩に手を置く。

白髪と金髪の見た目美少女が揃って並ぶと中々壮観な物があった。

 

「みぃー、来たよ」

「ありがと。会長、紹介します。部活のメンバーの早坂愛さんです」

「どもー会長さん」

「あ……ああ。しかしなんだ。一日でずいぶんと仲良くなったな」

「はい。私達付き合う事にしたんです」

 

 事も無げに美城は言った。余りにもあっさり言うので一瞬その言葉を飲み込めなかったほどである。

 

「はぁーそうか、付き合うこと……に……」

 

「「ええー!!」」

 

 白銀と同じように近くで聞いていたすばると三鈴が、先に大声を上げた。

 完全にマークの外から降ってわいたような話で、晴天の霹靂に一閃されたようなとにかく信じられないという声だった。

 

「愛ちゃん白サギ嬢と付き合ってたの!?」

「早坂、落ち着いて聞いて欲しいんだけど五条さんは女の子に見えて実は男の子なんだよ!? あれ? じゃあ問題ないの……?」

 

 二人は混乱で自分でも良く分からずにしゃべっていた。

 ちなみに「愛ちゃん」と呼ぶ事が多いいのが駿河すばるで「早坂」と呼ぶ事が多いのが火ノ口三鈴である。たぶん覚えなくていい。原作では早坂の出番減ってるし……。もっと出して♡出せ(豹変)

 

「そだよー。昨日からね」

「何で何で!?」

「会ってすぐでしょ!?」

「実は初めてでは無いんです。私、小さいころ秀知院の幼稚園に通っていまして、体が弱くて一日で辞めてしまったのですが」

「ふんふん」

「ほう」

 

 あーそんな話聞いたな。

 白銀は昨日の遊びで眞妃が言った事を思い出した。

 

「その時に見かけた金髪の子に一目惚れしてしまい、いつか会えないかと思っていましたらこうして再会する事が出来たので、私から告白いたしました」

「おー……」

 

 聞いていた三人の口から納得したような圧倒されたような声が漏れる。

 普通の人間だったら小学校、中学校、高校と行く先が変動するのだろうが、秀知院は人の流動が少ない所である。それが功を奏した……と美城の視点ではなるのだろう。そんな風に三人は同じ事を思った。

 

「最初は断るつもりだったんだけど……でもみぃがどうしてもって言うから」

「私はとっても嬉しかったですよ」

「そう? ……えへへ」

 

 あまーーーーーーーーーい!!

 

 素っ気ない顔をしている早坂の手を美城が両手で包み込むように握ると、胸元まで持ってきて彼女に向かって柔らかく微笑んだ。それを見た早坂はまんざらでもない表情を浮かべて、そしてくすぐったそうに笑う。

 見ていて背中が痒くなりそうな光景だった。

 控えめに言ってラブラブだった。

 

「会長」

「はい!?」

 

 半ば呆然としていた白銀は突然かけられた声に過剰に反応し、意図せず大きな声を出してしまう。それを目の前のカップルがおかしそうにくすくす笑うので、余計に居た堪れない気持ちになりながら返事をし直した。

 

「何だ」

「部活の事、よろしくお願いいたしますね」

 

 美城はそう言うと、クリアファイルに挟んだ部活動設立申請用紙を手渡す。白銀は受け取るとさっと目を通して不備が無いか確認した。

 

「ん。問題ないぞ。二三日すれば正式に部として承認されるだろう」

「やったね、みぃ」

「ありがとう、愛」

 

 美城と早坂の二人は手を取り合って喜びを露わにする。

白銀などは、何か……こう……わちゃわちゃしてるのを見ると何とも言えない気分になるよね、みたいな事を思っていた。

 

 

 

 

「大した恋人ぶりではありませんか」

「それはどうも」

 

 当の本人達はというと、人気のない中庭のベンチに一緒に座りながらそんな色気のない会話をしていた。傍から見れば仲睦まじい様子に見えただろうが、二人の関係性の実態はこんな所である。

 

「フリをするのはいいんですが、みぃ、近くないですか」

「愛、付き合い立てのころにベタベタしないでいつするんですか? それに先に私の肩に手を置いて身を寄せて来たのは誰でしたっけ」

「言い逃れようとしていませんか」

「どこまで接触していいかを決めるイニシアティブは愛が持つと決めたではありませんか。私は同じレベルの接触にとどめたつもりですけど」

「女の後に続くのは情けなくないんですか」

「契約を遵守していると言って欲しいですね」

「ああ言えばこう言う。やっぱり契約恋人なんてするものではありませんね」

「それは残念。私はこんなに愛の事が好きなのに」

「はいはい。私も愛してますよー」

「ありがとうございます。今、早坂さんから愛を頂きましたけど。こんなんなんぼあっても良いですからね」

「ちょっと髪色ミルクボーイやめてください」

「何だか卑猥な響きですね」

「怒られてください。あらゆる所から」

「先に言ったのはそちらですよ?」

「ほんとこの人は……」

 

 早坂は話ながら、美城がなよなよしてそうに見えて意外と頑固というか自分を曲げない所をひしひしと感じていた。むしろ家と学校で態度を180度変える自分の方がなよなよしてるかも、とすら思ったほどである。

 

「まだ目的を何一つとして果たしていないじゃないですか。これからも従者同士仲良くしていきましょう」

「あなたのそれは自称で看板に偽り有りですけどね」

「お支えしたいという気持ちに嘘はありませんよ」

「気持ちに嘘は無くても立場は嘘なんですよねえ……」

「もう! 愛、何でそんな事言うんですか!」

「あなたが五条の長男だからでは?」

「私はこんなにも奉仕精神にあふれているというのに」

「部活で我慢してください」

 

 早坂は弁当をつつきながらそんなしょうもない会話をしていた。

この弁当はいつも友人と食堂に行くか、購買で買ったパンを手早く腹に入れて昼食を済ませるのが常であった早坂だが、恋人と言えば仲良く席に並んでお弁当を食べるというイメージの彼女が、わざわざ四宮別邸のシェフに造らせた弁当である。『あーん』の一つでもしてあげようかと思っていたのだが……。

 

「愛、早くしてください。これからボランティア部室(仮)で作戦会議を始めますよ」

 

 当の本人がこれである。

 美少女と二人きりで昼食をとるシチュエーションに、少しくらい動揺するものではないのだろうか。トマトを口に放り込んだ箸を休めて顔を上げる。窓ガラスに映った少女もそうだよと頷いていた。

 

「聞いていますか?」

 

 ぼうっとしている早坂に業を煮やしたのか、美城は顔を近づけてはきはきと言葉を口にする。白くて長い睫毛が瞬いて、春風に雪が舞うかのように白髪がたなびく。

 

 こんな顔してる人では、ね。

 

 ピックを差してそのまま誰かさんにあげられるよう工夫したハンバーグを、早坂は無言で口にした。

 

 

 

 

 

「あ、シロちゃん。早坂さんも」

「千花」

 

 校舎に入って部室予定地に向かっていると、今日の休憩時間はいつもどこかに行っていた藤原千花と出くわした。大人しくしておけば大好きな恋バナにありつけたというのに、こういう日に限って、というやつだ。

それでラブ探偵とか言ってるの? そんなんじゃ甘いよ。

 

「どうしたんですかー、今日は二人で」

「実は私達付き合う事になりまして」

「そうだったんですねー……」

「ね、愛」

「そうなんだよねー。ごめんね書記ちゃん、言うのが遅く……書記ちゃん?」

「……」

「千花?」

 

「ええええええええええ!!!」

 

 藤原は叫んだ。中庭の木から鳥達が飛び去って行くほどにそれはそれは大きな声だった。

 

「だ、大丈夫?千花」

「聞いてない! シロちゃん私聞いてませんよ!!」

「は……はい、今言いましたし……」

「何で!?」

「面白いかと思って……」

 

今まさに面白い。

 

「うわーん! シロちゃん私の事好きじゃないんですかー!」

 

 藤原は悲しみ……とは少し違う寂しさのような疎外感で瞳を潤ませながら美城に縋りついた。言うに事を欠いてこれであるし、彼女持ちの男にやるに事を欠いてこれである。

 栄養が胸ばかりに行っている脳カラ……。早坂は主人と同じ事を思った。

 

「そんな事。初めて会った時から大切な友達ですし、もちろん今も好きにひはっへはふ(決まってます)

「……」

ひひゃいへふはい(痛いです愛)

 

 澄ました顔をしながら早坂は美城の頬を摘まんだ。ふがふがと言葉にならない何かを口から漏らしながら、美城は彼女の方を不満そうに見つめる。早坂も同じように見つめ返して、ペチッとか音をたてそうなほど荒っぽく摘まんだ指を離し、むっと口を尖らせた。

 若干赤くなった頬をさすりながら、美城は首を傾げる。

 

「どうしたんですか」

「別に。ただ誰にでも好きとか言っちゃう口はいらないって思っただけだし」

「は、はわわ……」

 

 こ……これがホントの痴話げんかやぁ~!

 藤原は興奮した。

 

「誰にでも、ではありません」

「じゃあ誰だし」

「帝様と眞妃様と千花です」

「三人も!? てか男混じってなかった!?」

「もちろん愛もですよ」

「あ、ありがと……じゃないし! ついでじゃん!」

「ついでではありません。追加です」

「なお悪いんだけど!」

「あ、あの~早坂さん、怒るのはその辺で……」

「書記ちゃんは黙ってて!」

「ひゃい!」

「あ、そっか。……ふーん、いいよね、ずっと友達の幼馴染だから私より先にみぃの好き貰ってるんだもんね?」

「は……早坂さん……? 目が怖いですけど」

「えー、そんな事ないしー。そう見えるんならー」

 

 カツン、とわざとらしく固い足音を響かせて早坂は一歩前に出た。

 カツン……カツン……。

 早坂が一歩、二歩と進む度、藤原は言い知れようの無い感覚に鳥肌が立ってきていた。

 カッ! 足音が目の前で止まったので、藤原はおずおずと金髪の友人の顔色を窺う。いつものようなチャラついた笑み、が、すっと目を細めて静かな怒りの顔になるのはすぐだった

 

 

「やましい事でもあるんじゃないの?」

 

 

「ひぃぃぃ! ごめんなさいぃぃ!」

 

 恋愛大好きラブ探偵千花も、雷に打たれてまで突き詰めたくは無いらしい。さっと踵を返すと二人とは明後日の方角に走り出した。

 

「厳しくない?」

「ない! ねえ私が何言いたいか分かる?みぃ」

「分かってますよ」

「ホントに?」

「ええ」

 

 厳しい顔つきの彼女に微笑みながら近づくと、耳元に顔を寄せて言った。

 

「つけられてます」

「さすが」

 

 美城は一瞬後ろに目線をやると、早坂は満足そうに笑みを浮かべた。

 

「何人いますか? 愛」

「六人。離れた所に一人で計七人です」

「では八人につけられてますね」

「八人……? もう一人は」

「さ、行きましょう」

「えっ、ちょっと……!」

 

 どこか楽しそうに早坂の手を取ると、一気に駈け出した。後ろから男女入り混じった「あっ」という声を置き去りにして。

向かう先は決まっているし、尾行まがいな事をしている人物にも分かり切っているのでこの行為に意味はない。ないが、楽しそうと青春っぽいという理由で美城は走っていた。

 

「すぐ着くんですから本当に意味ないですね」

「無意味に走り出すのは私嫌いじゃありませんけど」

「前の学校ではどうだったか知りませんけど、ここには厳しい風紀委員がいるんですよ」

「お世話になってます」

「なってるんですね……」

 

 階段を一階上った階層にあるボランティア部候補室に入って、尾行者達が来るであろう方を見ながら二人は隠れんぼでもしているように囁きあった。

 

「それで、誰につけられてたんでしょう?」

「会長、かぐや様、眞妃様とその彼氏、私のクラスメート二人、あと遠くに一人足音が続いてました。この七人は分かったんですけど」

「あの時私達がいた所の対角線上の校舎に、一人私の知り合いがいました。これで八人ですね」

「気が付きませんでした」

「あの時間帯だと光が丁度反射して見えにくいですから。あの子もそれを分かって見てたんだと思います」

「何なんですか、五条建設はスナイパーを派遣する会社でしたか?」

「どちらかというと四宮の方がそうではありません?」

「そんな事……ない……はず」

 

 ある(無慈悲)

 

「それで、どうしましょうか。もうそろそろ昼休みも終わりますが、休憩時間の度に着けられては仕事になりません」

「簡単ですよ」

「何です?」

「こうするんです」

 

 

 

 

「もう! 見失っちゃったじゃない!」

「大きな声出さないでください、眞妃さん。あなたが前に出過ぎてたのではないですか?」

「まあまあマキちゃん」

「行き先は恐らくボランティア部の部室になる予定の空き教室だろう。そう慌てる事はない。……で、君達はどうして」

「だって愛ちゃんが」

「あのバイトで忙しくて付き合い悪くなりがちな早坂が心配で」

 

 廊下には早坂が察していた通りの六人が集まっていた。

 もちろん最初から集まって五条美城と早坂愛の二人を追いかけようと考えていた訳ではない。各々が勝手に気になるからといって尾行していたのだ。彼らが移動すると当然尾行してる者も移動せざるを得ない訳で、そうするとバラバラに行動していた彼ら彼女らは次第に目的地に向かって集まって行く。

 結果。

 

「こんな大所帯連れてバレない訳ないじゃない」

 

 そういう事だった。

 

「まあもう良いんじゃないか。仲良さそうだし」

「まだです会長」

「ウチらの愛ちゃんをきちんと幸せに出来るかどうか、この目で確かめないと」

 

 何か覚えあるー。

 

 何度昨日のアレを思い出せばいいのだろうか、白銀はしわを寄せた眉間を揉みながら思った。

 当人達にとっては真剣だから始末に負えない

彼女達は早坂の彼ピがなつき度で彼ピッピに進化してゆびをふる(意味深)からつのドリル(意味深)をしないか不安でしょうがないのだ。

 

「速く行きましょう。お昼休みが終わっちゃうわ」

「お、四条さん話が分かるねえ」

「愛ちゃん意外と初心だから心配~」

 

 眞妃、駿河、火ノ口の三人は時間を気にして慌てて駆けだす。

乙女は誰でもラブ探偵なのだろうか。後ろ姿に藤原千花の興味本位でグイグイ行くところを幻視しても文句を言われる筋合いはないはずだ。

 白銀とかぐや、あとついでに田沼翼は顔を見合わせて肩をすくめた。

 

「ここよ。ボランティア部予定地は」

「しー。四条さん、しー」

「あ、二人ともいるよ」

 

 先に着いた三人は身を隠しながら、ドアに付いている窓ガラスから教室の中を覗き見た。

 声は聞こえないが金髪の頭と白髪の頭がふわりと揺れて、何やら話している様子は見て取れる。

 

「五条達、付き合ってすぐ……」

「あ! 手を繋いでる!」

「いや、手を繋ぐ所お前達見てただろ」

「か、会長……五条さんが早坂の肩に手を!」

「四宮は見てないだろうが、あれは前の休み時間に早坂がやった事を五条がやり返しているだけ……」

 

 何故か美城たちの弁護をしていた白銀は、次に飛び込んできた光景に口をつぐんだ。

 早坂より少しだけ背の高い美城が彼女を見下ろして、そっと顎を持ち上げる仕草をして、そして……

 

「あー! チューした! あれ絶対チューしたよ!」

「五条さんあんな見た目して結構行くタイプなんだ……」

「うぅぅ……わ、私だって翼君とまだなのに……」

「早坂のはれんち!」

 

「言いたい放題だな」

「さすがに五条さんに同情しますね」

 

 女性陣の情緒は滅茶苦茶だった。

 自分達が隠れているという自覚を忘れてきゃあきゃあ騒いでいる。

 その騒々しさを聞きつけたのか、止まっていた白髪の頭がゆらりと揺れた。

 

「もういいだろう。早く教室に戻るぞ」

「み……美城に先こされた……」

「は……早坂に先こされた……」

 

 同じような反応をしているかぐやと眞妃を早坂の友人二人に任せて、六人はぞろぞろとその場を後にした。

 

 

 

「上手くいきましたね」

 

 騒がしさが去った後、ボランティア部室の扉が静かに開いた。

 そこからひょっこりと白い髪をした美城が顔を出して皆が立ち去った方向を確認する。

 

「眞妃様もそうですが、皆さん私達がどのような付き合いをしているか気になっていらっしゃったんでしょうね」

「……」

「ですからああして見せれば満足して帰ってくださると思っていました」

「……」

「これでさすがに休み時間の度に尾行される事は無いと思いますよ、愛」

「……」

「愛?」

 

 目的は果たしたのに早坂はむっつりと黙ったままだったので、美城は心配になって彼女の顔をのぞき込む。

 ポケーっと呆けている青色の目の前で、美城は白い手を軽くふった。パンッと柏手を打つとようやく呆然の霧が晴れたようで、瞳に光が戻って来る。

 

「はっ!」

「気が付きました?」

「気が付きました? じゃありません! 何するんですか!」

「そんな事言われましても……あの窓からキスのように見える位置に行っただけ……」

「だけ!?」

 

 光が戻って来たというより火がついたようだ。早坂は顔を真っ赤にしながら美城の事を攻め立てる。烈火の如く攻め立てる。

 

「大体どうして見せつけなくてはいけないんですか! こう……私には私なりのプランがあってですね……」

「長くなります?」

「ええ」

 

 恋人関係の上っ面だけ掬ってお互いに利益を分かち合うはずの契約恋人は、ただの女の子のように愚痴りながら、付き合いという物はうんぬんかんぬんと、美城は長々しく訓示をいただく羽目になった。

 

 

 

 本日の勝敗 早坂&美城の勝利(ただし試合に勝って勝負に負け状態)

 

 



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伊井野ミコは捕まえたい

評価、ここすき、感想いつもありがとうございます!


「愛、ボランティア部の初仕事を取ってきました」

 

 部活動!

 秀知院には体育会系、文科系と大小合わせて数多くの部活が存在している。

 多くの富裕層が通うこの学校では、部活にかけられる費用も普通の学校とはくらべものにならない。

 しかしその設立基準は緩く、TG部のような部活や原作でのボランティア部も二人で始まった例を見ればそのゆるゆるさもお分かりいただけるだろう。

 だからといって継続させる基準までゆるゆるな訳ではない。部活としての活動実績の報告が義務付けられている。TG部で言えば、某有名同人即売会にてボードゲームを販売するのがそうであるし、ボランティア部で言えば募金活動に参加した等を報告しなければならない。

 

 つまり、参加できるような大会が無い部活の場合、営業マンの如く外から仕事を持ってきて実績をアピールしなければならないのだ。

 

 

「それは手が速いですね」

「三つ」

「三つ!? 決算が近いからと無理な仕事を取ってくるバカな営業ですかあなたは」

 

 ボランティア部は生徒会、職員会議の承認を経て正式に部として発足され、活動を開始していた。

 

「まあそう言わないでください。もう二つは終わらせましたから」

「ちなみに何の仕事だったんですか?」

「はい。サッカー部とラグビー部の練習試合を取り付けてきましたよ」

「それボランティア部の活動ですか?」

「何を言ってるんですか! サッカーに命を懸けるタックン様の心意気を叶えてさし上げる。これも立派な奉仕の心です」

「その人、周りに誰かいましたか?」

「ええ。女の子がいましたけど」

「絶対それ彼女に見得張っただけですよ」

 

 その活動実態とは、基本的に美城がよそから困りごとを貰ってきて解決に尽力する、という物だった。

 

「ボランティアと言えばその名の通り清掃などのボランティアに参加する物と思いましたが」

「え……ですがこれから日差しが強くなってきますし……」

「女子みたいな事言ってますね」

「日に焼けちゃいますし……」

「女子みたいな事言ってますね」

「火傷して水膨れできちゃいますし……」

「あなたが超特異体質という事を忘れてました」

 

 ボランティアと言えば、という活動には美城の日光に極端に弱いというアルビノ体質もあって積極的には参加ができず、結果こういう形で部活動を運営する形となっている。

 それにあまり積極的にボランティア活動を入れてしまうと、早坂本来の仕事である四宮かぐやのお世話に支障をきたす恐れがあった。

 それは互いに都合のいい状況を提供するという契約恋人の話を反故にする形になってしまう。

 美城は言い出した手前そんな事をさせる訳にはいかないと思っていたので、早坂の罪悪感(があるのかは知らないが)を晴らすように明るく言った。

 

「まあ、という訳で外には出ないのでそんなに時間は必要ありません。こちらは一人でも大丈夫ですよ」

「そういう事なら……。これから放課後は参加できない日が続きそうなので」

「愛。そう気にしないでください」

「みぃ……」

 

 そっと優しく囁いた美城に、感謝と少し尊敬の入り混じった視線を早坂は向ける。

 

「アテにしてないので」

「みぃ……」

 

 そっと優しく囁いた美城に、憤りと何なら敵意の入り混じった視線を早坂は向けた。

 はなからアテにしていないと仮にも恋人に言われると、反抗したくなるのが乙女として四宮の一員としてプライドの高い早坂という生き物である。

 

「少しくらいは私だって手伝えるんですよ」

「えっ!? かぐや様のわがままを聞きながら部活を!?」

 

できらあ!!

 

 威勢よく啖呵を切ろうとした丁度その時、早坂のスマホが震えた。

 開きかけた口を何事も無かったかのように閉じて、かぐやからのメールを確認する。

【今日は生徒会が無いでしょうし、あってもすぐ終わりそうなので行動を開始なさい】

 

 ……

 …

 

「で、出来そうですか?」

 

 できねぇー!!

 

 スン……となってスマホをポケットに入れなおした早坂を、さすがにいじめる気にもなれず、慰めてあげようとすら思った。

 彼女の細い手をしっかりと握ると、じいっと青い瞳を見つめながら、労い……というのもおかしな話だが美城は言葉をかける。

 

「早坂、いつもありがとう。あなたの頑張りに一度だって感謝しなかった日はありません」

「何のつもりですか」

「え? かぐや様みたいな感じで私が愛にお礼を言っておこうかと」

「余計なお世話です」

「またまた。お礼を言われて嬉しくない人はいませんよ。私生まれてこの方褒められた事しかありませんが」

「すんごい自慢」

「褒められる度に舞い上がるような気持ちになりますよ。その気持ちを感じてもらおうかと」

「だから余計です。あと、手!」

「手?」

「何で普通な顔して握ってるんですか」

「え、手は握ってもいい事になったのではありませんか?」

 

 早坂の言う事が理解できないかのように、美城は小首をかしげてきょとんとした表情を浮かべた。いつもの餌場に餌が無い猫くらいきょとんとしてる。

 

「今日は手を握るのはレギュレーション違反です」

「はい」

「全く……誰かに見られたらどうなる事か」

 

 美城が手を離したのを確認してから、これ見よがしに手首の柔軟体操を始めると、カタン……とボランティア部の扉から小さな音がしたので二人はそちらを振り返る。

 

「失礼します」

 

「失礼するなら帰ってくださーい」

「え?はい、ごめんなさい……」

 

……

 

「ですがいつまでも手を握るのにも緊張する、では愛のキャラにもそぐわないのではないでしょうか。……そうですね、これを眞妃様とかぐや様に持ちかける相談第一号といたしましょうか。私はかぐや様に……」

 

「どうして何も無かったみたいに話せるんですか!」

「だよね!」

 

 今度は扉をバン!と勢いよく開いた女子生徒が肩で息をしながら鋭い目つきで部屋の中に入って来た。何と鮮やかな切り返し。本場新喜劇でも通用するノリツッコミであった。

 ボラ部の扉を再び開けた人物の登場で、早坂は一瞬でギャルモードに移行する。

 逆にあれで帰られたらどうしようかと思ったほどだ。

 

「これはこれは。こんな辺鄙な所に足をお運びいただき恐縮です」

「当然です。校内のあらゆる所に秩序をもたらすのが風紀委員の役割ですから」

「それで、今日はどのようなご用向きでしょうか? 

 伊井野ミコさん。大仏こばちさん」

 

 『風紀委員』の腕章が輝く女生徒二人、その中でも伊井野ミコと呼ばれた小柄な少女は、胸元に抱えたバインダーに一旦目を落として、ふっと大きく息を吐いた。

 小さな体にみなぎる正義感の迸りのように言葉を発する。

 

「新しい部活が設立された、と聞いたので挨拶と調査にきました。まずはおめでとうございます」

「ありがとうございます。そうだ、お茶でもいかがですか?」

「結構です」

「あ、無いんでした」

「どうして無いのにそんな自信満々に言えたんですか!?」

「水でいいですか? 粗水ですけど」

「お茶から水の時点で結構な粗なのに更に粗水!? なお結構です!」

「愛に入れて来てもらいましょうか」

「人の問題ではありません!」

 

 伊井野ミコは鋭い目つきを更に尖らせて呑気な風をまとう美城を睨みつけた。言う事言う事に一々噛み付く所は、大きな犬に吠えるチワワのような可愛らしさがあったが、本人にとってはそれどころではない。

 

「ミコちゃん落ち着いて」

「こばちゃん、この人のペースに飲まれたらダメだよ?それで何回も逃げられてるんだから」

 

 睨みつけるに留まらず、グルルルル……と唸り声でもあげそうなほどに歯噛みしていた。飲まれてるのはミコちゃんだよと言わなかったのは大仏の優しさか。

 

「えーっと、ちょっといい?」

「何でしょう早坂先輩」

「何でみぃをそんな怖い目で見るの?」

「み……みぃ!? みぃって言ったよこばちゃん!」

「そうだねミコちゃん」

「驚かないんだね……」

「だってこの二人は付き合ってるんだよ? あだ名くらい」

「付き合ってるーー!?」

 

 他の風紀委員が見たら節度を持ちなさいと怒られそうな程の大きな声を出して、伊井野は驚きを露わにする。

 二人きり……人気のない教室……共同作業……

 

「それはあまりにスケベェです!」

 

 伊井野ミコは思春期だった。

 

「あらあら、何をお考えになったんでしょうか?」

「えっ」

「酷い話ではありませんか、困っている生徒の方の支えになりたいと日々努力しておりますのに」

「えっと……」

「伊井野さん、どのあたりがスケベェなんでしょうか?」

「うう……」

 

 ミコちゃんのザコっぷりを理解されている……。

 大仏は新たなミコの天敵の誕生にやるせないため息を吐く。

 

「そうやっていつもウヤムヤにされてきましたが今日は違います!」

「ねーねーみぃ、どういう事なの?」

「それは転校初日まで遡らなければなりません」

 

 初めて伊井野ミコと出会った日の事を説明する前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ。

 

「いやスッと話せだし」

 

 

――

 

 

 その日は薄雲のかかった天気であった、と伊井野ミコは当日の日誌に記している。

 学年が変わって一月近く経ち、最初は気を引き締めていた人達の中から怠惰の綻びが見え始めてくる時期である。細々とした注意をして、違反者の三人目に指導を行った頃だったといやにはっきり覚えていた。

 正門の前に黒塗りの高級車が着けた。

 それ自体は珍しい事ではない。ここは特権階級とも呼ばれる子息令嬢が多く通う学校だ。送り迎えの車が豪華な事は驚くに値しない。

 

 驚くべきはそこから出て来た人物の姿だった。

 薄雲のかかった、どこかどんよりとした空気を吹き飛ばすような鮮烈な白が、車の中から現れた。

 真っ白な新雪の如き白髪を肩辺りまで伸ばしたボブカットが春風にふわりと揺れて、パッと咲いた黒い日傘の下に隠れてしまった。どこか物惜しいような気分でその人の事を見ていると、ようやく秀知院の制服を着ていない事に伊井野ミコと大仏こばちは気が付いた。

 

「ちょ……ちょっと待って下さい!」

 

 学校関係者? 保護者? もしかしたら新しい先生?

 制服を着ていなくてもおかしくない候補を頭の中でぐるぐる思い浮かべながら、得体の知れない人物に声をかける。

 

「はい。何でしょうか?」

 

 それが伊井野ミコと五条美城が初めて顔を合わせた瞬間だった。

 彼女は人の顔を見て初めて息を呑むという感覚を理解した。

 この秀知院でも指折りの美少女である大仏こばちを見慣れている伊井野ミコは、いまさら美しい顔に驚きを覚えないだろうと思っていたがそれは間違いだと思った。

 

 空を舞う雲のように白い髪と、同じように白い眉毛が細い流麗なカーブを描いていた。その人がそっとサングラスを外すと、雪に縁どられたような瞼の中には真っ赤なルビーの瞳が宿っている。

 

「あ……えっと……」

「風紀委員、ですか? 私、初めて見ました」

 

 その白さから雪像のように冷たい印象を与える美貌がふと綻んで温かい笑顔に変わると、なぜかドキドキしてミコはまともに顔を見れそうになかった。

 

「あの……失礼ですが秀知院にどういった御用でしょうか?」

 

 少し緊張しながらミコは目の前の人に問いかける。

 

「どういった……そうですね、私は今日からこちらに通う事になりました、二年B組への転校生の五条美城と言う者です。どうかお見知りおきを」

 

 そう言って優雅に一礼すると、もう一度微笑んで美城は風紀委員二人の下を後にした。

 その後ろ姿をポーっと見送っていた二人だが、重要な事を思い出して呼び止める。

 

「待ってください。えっと……五条先輩」

「はい。何でしょうか?」

 

 振り返った美城はサングラスのつるを持って今まさにかけようとしている所だった。一息ついてミコは自分を落ち着かせると、努めて冷静に告げる。

 

「……申し訳ありませんがそのサングラスは校則違反です」

「そうなのですか?」

「はい。前の学校ではどうだったか知りませんが、秀知院では許可されていません」

「そうですか……これが無いと困るのですが」

「没収という形になります」

「分かりまし……あれ、風紀委員長ですか?」

「えっ? 風紀委員長?」

 

 風紀委員長は彼女達の直属の上司であるが、今の時間は他の場所で清掃活動に勤めているはずだ。と、言うより五条美城は風紀委員長の顔を知らないはずである。

 不思議に思って振り返ると、自転車で通学している生徒が駐輪場の方に曲がって行く所が見えた。

 その生徒の襟には金色の飾緒が輝いている。

 ああ、と二人は納得した。秀知院学園の生徒にとっては、純金飾緒は生徒会長の証であるというのは常識だが、外からの生徒にはそうではない。綺麗な物を身に着けているからとりあえず偉い立場の人なのか、と今目の前にいる風紀委員の長かと口をついて出たのだろう。

 

「違いますよ、あの金色の飾緒を付けているのは……」

 

 …………

 

「いない!?」

 

 少し目を離した隙に五条美城は姿かたちを消していた。

 え、逃げた? 何で? というかどこに? 

 振り返ってからまた向き直るその間、わずか五秒の出来事だった。

 慌てて二人は二手に分かれて目立つ白い髪を探すがどこにも見当たらず、予鈴が鳴るまで捜索を続行したがとんと消息を掴めずじまいであった。通りすがりの生徒に聞いたにも関わらず、である。

 白い髪の人と言ったので歳をかなり召した先生の情報を掴まされた時には思わず床に崩れ落ちそうになったほどだ。

 反省と敗北感から、きっちりと違反項目から逃げられた子細に至るまで記録に残した。ミコにとって耐えがたい屈辱と言って良いであろう。

 

「今日伊井野いないじゃんラッキー」

 

 このように得した生徒会会計もいた事をここに記しておく。

 

――

 

「まさか逃げられるとは思っていませんでした。あと複雑な秀知院の敷地で転校初日の人に逃げきれられるとも思いませんでした」

「えーやばー」

 

 いや無理でしょう。みぃより秀知院の校舎に詳しい人なんて五条の一族の中にしかいないんじゃ。

 早坂は思ったが特に教えてあげる義理も無いので黙っておいた。

 

「けどさ、何でみぃ逃げちゃったの?」

「風紀委員に因縁つけられるのが私の夢だったんです」

「そんな理由で!?」

「私にとっては真剣な理由なんです。でもこんな可愛らしい風紀委員に目を付けられるなら悪くもないはいいはい(痛い痛い)

「…………」

 

 早坂は無言で美城の頬を摘まんだ。むにむにと餅のような白い肌を弄んでいると、自分の肌より綺麗なんじゃ……と思い、せめてもの抵抗として摘まむ力を強くする。

 

はんはほへふははい(何なのですか愛)

「今度余計な事言うと口を縫い合わせてあげるし」

 

 パチンと乱暴に指を離すと、美城の白い頬に痛々しい赤色の痕が残った。頬をさすりながら怒っている少女のご機嫌伺いをする光景は、控えめに言ってカップルだった。

 

 やはりスケベェでは? ミコは訝しんだ。

 

「それに! これだけじゃないんですよ先輩のやった事は!」

 

――

 

 次の日、正門近くに立って仕事をしているミコ達は、盗み聞きをしている訳ではないが、通り過ぎていく人から『真っ白な転校生』が話題に上る事を何度も聞いていた。

 

「ねえこばちゃん、あの人ってどこか外国の人なのかな?」

「ロシアとかの北国の人は色素が薄いっていうけど」

「でも名前は日本人だったよ」

「お母さんが外国人の国際結婚かもね」

「だからって許される訳じゃないよ。今日は絶っ対に捕まえるから」

 

 そんな話をしていると、昨日と同じ様に黒塗りの高級車が正門の前に停まった。

 そして昨日と同じ様に妖精のように白い人が降りてくる。

 昨日と違うのはこちらの覚悟が決まっている事だ。昨日の事も含めて五条美城に更生の意を表してもらわなければ、風紀委員の名折れである。

 

「これはこれは、五条のお姫様ではありませんか」

「あ、中沢君! こうして会うのはお久しぶりですね」

「新年の集まり以来だな」

 

 確保に向けて動き出そうとした所、先に美城に声をかける男子が現れた。転校生相手というのに、なかなか親しそうに見えた。

 しばらくどういう関係か考えて、実家の繋がりかと納得する。孤高の裁判官の父親と海外で人道支援を行う母親を持つ伊井野ミコと、片親の大仏こばちは親戚付き合いが広いほうでは無いのでイメージし辛いが、子供を秀知院に通わせるような親は大体において顔が広い。

 それを知識として知っている二人は、転校生と男子生徒の会話を興味……というほどでもないし、執行猶予……というほど偉くなったつもりでもないが、何となく聞いていた。

 

「どうだ?秀知院は」

「そうですね……やはり私立の最高峰といった所でしょうか。校舎は広くて綺麗で機能的ですし」

「おいおい自画自賛か?」

「ふふ、そうですか?」

 

 風紀委員の二人は『?』を浮かべてお互いの顔を見合わせた。

 校舎を褒めて自画自賛? どういう事?

 もちろん二人は五条美城の実家が建設業を営んでいる事も知らないし、その会社が秀知院の校舎を造った事も知らない。

 

「去年は公立にいたんだろ? 一年経ったらまた転校って事にはならないだろうな」

「特に何もない限りは卒業までこちらに通いますよ」

「それは良かった。お祝いのハグでもするか?」

「あ、いいですね」

 

 中沢という男子生徒の方が大きく手を開いて胸を広げると、ぱっと五条美城という転校生の方も可愛らしく両手を突き出した。

 これは不純異性交遊の決定的証拠!?

 この時点では美城を男子と知らないミコと大仏の二人は固唾を呑んでその瞬間を目に焼き付けようとした。

 美城が目の前の顔にそっと両手を添えると、すっと胸元の方まで下がって行き……

 

「はいここ離れ乳首双子小島」

「おっふ」

 

 胸板の真ん中あたりを突っついた。クラスの体育会系の男子がやってる滅茶苦茶見覚えある光景であった。

 名を乳首当てゲームという。

 

「ふふふ……胸板が厚くなったのは服の上からでも見て取れますよ。あとはそこから位置を予測すれば」

「くっ、やはり大した奴だお前は。乳輪カス当たりが精々だと思っていたぞ」

「予測は私の得意科目の一つですよ」

「よし、次は俺の番だ。お前をあひんあひん言わせて全男子生徒を前かがみにさせてやる」

「果たしてそう上手くいきますか?」

「さっきのおっふの借りを返させてもらおう。やられたらやり返す……倍」

「何やってるんですかーー!!」

 

 ミコはたまらず飛び出した。

 前倣えの形に突きだした手で見目麗しい美城の胸元を突こうなど、到底看過出来るものではない。いや不細工だったら許されるとかそういう話でもないが……。

 

「お二人の関係がどうかは知りませんが、白昼堂々何をしようとしてるんですか!!」

「見て分かりませんか。乳首当てゲームですよ」

「何でそんな堂々と言葉に出来るんですか!?」

「風紀委員さん、どうしてそんなに興奮しておられるのですか?」

「五条先輩! どうしてそんな落ち着いてられるんですか! 戯れにち……ち……を触られようとしてたんですよ!」

「そんな怒るような事ですか?」

「ええ……」

「それとも何ですか!私の乳首には当てる価値がないとでも言いたいのですか!?」

「私怒られてる!? 何で!?」

「あ! 会長、聞いてください! 風紀委員の方が酷いんです!」

「えっ、会長!?」

 

 風紀委員会は生徒会からの指示を受けない独立した組織ではあるが、それでも一生徒として生徒会会長は敬うべき相手である。

 そう言えば五条先輩の二年B組は白銀会長のクラスでもあったと思い出す。ミコと大仏は襟を正して振り返り、深々と先に一礼した。

 

「おはようございます会長。失礼ですが」

 

……

 

「誰もいない!?」

 

 礼から顔を上げるとそこには誰もいなかった。

 

「はっ! まさか」

 

 そのまさか、振り返ると中沢と美城の二人は忽然と姿を消している。後で目撃者に話を聞くと壁とフェンスの間をマリオのように三角飛びで登って二階の窓から侵入したそうである。ガチすぎて引く。

 

「もおおお! 何なのあの人――!!」

 

――――

 

「これが二日目の出来事です」

「ほんとさあ、何でみぃは逃げちゃうの?めちゃくちゃ事態ややこしくしてるじゃん」

「何か楽しくなってしまって……」

「もしかしてみぃって【お】で【ば】で【か】な人なの?」

「オリバー・カーン……?」

「お・ば・か、だし!」

 

 早坂は契約恋人のボケにどこか既視感を感じながらツッコミをした。

 

「とにかくこの人は問題行動を起こしてばかりなんです!」

「あらまあ」

「みぃ自分がしてきた事の自覚あるの?」

 

 美城は頬に手を当てながらミコに呑気な返事をした。

 校則のギリギリを攻めたり時には破ったりしている早坂でも、さすがにミコに同情の念を抑えきれない。美城という人間は基本的に真面目で善良だが、悪ノリが酷い事が時たまある。白銀に対して下の毛発言だとか。

 そしてこの場合殊更に質が悪いのが、

 

「ですが伊井野さん。違反と思われていた事はキチンと無実の証明をしたではありませんか。瞳を守る色素が無い私にとって、サングラスは近眼の人の眼鏡くらい必要な物と医師の証明書を提出しましたし、中沢君との乳首当てゲームも男同士なのですから何も問題は無いはずですが……」

「くっ……」

 

 そう、美城がやった事は何一つとして違反行為にあたらないのだ。

 例えば帽子を室内で被る事は禁止されているが、頭を怪我した際はそれを隠す為に帽子を被る事は禁止されていない。それと同じで、レンズに色のついた眼鏡は禁止されているが、それに医療的価値が付随するなら色付きの眼鏡すらも許容される。

 不純異性交遊は禁止されているが、ちょっと行き過ぎたスキンシップも同性同士なら許されるのである。体育会系の奴らが肩パンしたりおんぶしたりされたりするのを咎める校則は、今の所秀知院には存在しない。

 

 つまり、上記の事で五条美城を攻める事は不可能なのである!

 

 それがミコの不機嫌に更に拍車をかける事になったのは想像に難くないだろう。

 

「ですが困りましたね……」

「何がですか?」

「いえ私ボランティア部の部長でしょう?」

「そうですね。甚だ遺憾な事に」

「愛、私仕事を三つ取って来たと言ったじゃないですか」

「あーそう言えば。えっとサッカー部とラグビー部の練習試合を取り付けたんだっけ? あれ? じゃああと一つって何だし?」

「それは……」

 

 美城が口を開こうとすると、ボランティア部の扉がノックされたので三人はそちらを振り返る。

 

「どうもボランティア部さん。失礼するよ」

「風紀委員長!?」

 

 入って来た人物はミコ達にとってなじみ深い顔だった。

 眉毛の上で真っすぐに切りそろえられた前髪のおかっぱ頭。カラーの部分を開けたり、ボタンをはずして前を開ける事の無いピタリと閉じられた学ランは風紀の象徴である。風紀委員長その人であった。

 

「伊井野君達もいたのか」

「委員長こそどうしてここに?」

「協力してくれる相手に挨拶をと思ってね」

 

 えっ……とミコは口をポカンと開いた。

 協力……? 挨拶……?

 ギギギ。さび付いた玩具のようにミコは美城の方を向くと、見られた本人は恨めしい程に美しい顔でにこにこと笑った。

 

「ボランティア部の仕事、三つ目は、風紀委員会のお忙しい時にお手伝いとして繰り出す事です。ですがこうも嫌われるとは弱りますね」

 

 ミコはそれを聞いて、一拍、二拍、三拍目としっかり間を取ると、

 

「ええーー!!」

 

 これでもかというほど叫んだ。

 

「嫌です! 委員長、どうして外部の人間に頼るんですか!?」

「そうは言っても風紀委員も人不足だからね」

「伊井野さん、そう邪険にしないでください」

 

 美城は怒り心頭のミコの手を取ると、いつもの笑顔ではなくて、キッと眉根を寄せて凛々しい顔を作る。

 こいつやってんな。

 早坂は美城の行動を完璧に理解した。契約恋人開始史上もっとも美城を理解できた瞬間である。

演技が得意な早坂は、他人の演技を見破る事など造作もない。いい事を言って締めようとしている魂胆が見え見えだった。

 

「水は低きに流れる物。人は易きに流れる者。それを是正するため風紀委員は秩序の下に生徒達が規律正しき生活を送れるように日々奮闘しているのを知っています。ですがそれを疎ましく思う方がいるのも事実」

 

 一旦言葉を切ると、ずいっと席から身を乗り出して、ミコの顔を真正面から見つめる。

 動揺したミコは少しだけ顔を赤らめながら、落ち着かない視線を美城の顔と何もない壁の方へ交互にやった。

 

「伊井野さんのようにしっかりと決まりを守っている人が、疎まれる現状は宜しくないと私は思います。どうかお手伝いさせていただけませんか?」

 

「わわ私はそんなただの一風紀委員ですから決めるのは委員長です……」

 

 堕ちろ! 堕ちたな(確信)

 

 さっきまでの反抗の塊みたいだった伊井野ミコはどこへやら。目線はブレブレ体はぐにゃぐにゃ。もう『はい』と言っているに等しい答えを口にしてしまった。

 

「では書面を作っておこう。これもボランティア部の活動報告の一部にしてくれて構わないからね」

「ありがとうございます」

「もちろん、真面目にやってくれる事が大前提だよ」

「ええ、それは重々……」

 

 美城は隣にいる早坂愛の校則ギリギリの姿を見ると、ため息を吐いて委員長へ向き直った。

 

「言い聞かせておきますので」

「ちょっと!?」

「では僕はこれで失礼しよう。何かあった時はよろしく頼むよ」

「委員長、私達も一緒に戻ります」

 

 ぽわぽわして役に立ちそうにないミコに肩を貸した大仏が、風紀委員長と連れ立って部室を後にした。

 騒がしかったボランティア部に一時の静寂が戻って、早坂は被っていた猫を脱ぎ捨てた。

 

「やっと行きましたか……」

「お疲れ様です」

 

 美城は労いとしてコップを出した。

 

「いや水!」

 

 粗水ですが……。

 

 文句を言いつつ飲み干して、早坂は机の上に腰掛けた。風紀委員がいたら即咎められる行為である。白い太ももが何とも艶めかしく伸びるが、そんな事は意にも介さず美城は紙コップを丸めてゴミ箱に放り投げた。

 

「悪い人ですね、あなたは」

「何がですか?」

「かわいー風紀委員さんをメロメロにさせて。大して外に出れないくせに、協力するも無いでしょう」

「良いではありませんか。私だって人の役に立ちたいんです」

「まあ、みぃの好きにすればいいんじゃないでしょうか?」

「はい。好きにします」

 

 美城は頬杖をつきながら机に座っている早坂の顔を見上げる。

 その顔を見ていると今でも充分好き勝手しているくせに、なんて呆れると共に羨ましく

思ってしまい、鬱憤を晴らすように美城のゆで上がりの卵みたいな額を指で弾いた。

 

「痛いです。愛」

「それは良かった。みぃ」

 

 

 本日の勝敗――

 

「こばちゃんやっぱりステラの人みたいに分かってくれる人はいるんだね……」ぽわぽわ

「はいはい。良かったねミコちゃん」

 

 ――伊井野ミコの勝利(理解者を得たため)

 



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ボランティア部は付き合いたい

「ようやく会長がスマホに買い替えてくれました」

 

 早坂愛は開口一番そう五条美城に伝えた。

 時は夕方、放課後である。場所はボランティア部の部室である。二人にとっていつもの光景になりつつある日常の一幕であった。

 美城は書面をまとめながら、その赤い瞳で契約恋人の顔を見上げる。

 会長がスマホを買った。それはつまり早坂愛が、かぐやのわがままを完遂したという事だ。金銭的と精神的なハードルを乗り越えさせるのは優しい問題では無かったが、見事この侍従は乗り越え改めて自らの有能さを(かぐや)に知らしめる形となった。という事である。

 これで進展しなかったら馬鹿だと言ってやればいい。沖田艦長もそう言ってる。

 

「それは良かったですね」

「使える人員を総動員した甲斐がありました」

 

 使える人材は誰であろうと問答無用。朝に魚を捌かせたシェフに格安スマホを捌かせるし、庭園の管理を行う庭師にラインで報告を行うガバガバ危機意識管理職の真似だってさせる。

 まさに総動員。まさに総力戦。しかし貧乏家族に月二千円の出費を強いる事など四宮の力をもってすれば造作もない事である。

 図らずも白銀と知り合いになってしまった早坂は、彼の道すがらにある携帯販売店舗の前に立って通り過ぎようとする前に一声かけて足止めし、軽く世間話をしながら美城と上手くいっている様子を画面を見せつけながら惚気るという手法をとる事にしていた。

 そして少しばかり興味が湧いた所でショップ店員に扮したシェフが安いスマホあるよとそそのかし、庭師にスマホあると便利だと一般通過スマホ活用おじさんの役をさせる。

 そうした涙ぐましい努力の末、白銀御行はようやくスマホを購入してくれたのだった。

 

「ええ、本当に……」

 

 早坂は若干遠い目をしながら、窓から見える生徒会室の入っている棟を見た。今ごろかぐやは白銀のIDを聞くか聞かれるかですったもんだしているはず。

 

「私も微力ながら会長にスマホの利を説いていました。役に立っていたら嬉しいですけど」

「ちなみにどんな事したんです?」

「会長をハブにしてクラスグループを作りました」

「何でそんな可哀そうな事しちゃうんですか」

「明日の課題や小テストの話をして次の日『会長、昨日のラ……あっ……そういえば会長スマホを持っていませんでしたね。申し訳ありません』と言うだけの簡単なお仕事です」

「鬼? 鬼ですね」

「誰が鬼殺の剣ですか!!」

「そういう著作権モラルを問われるセンシティブな話題は止めてください」

「はい」

「素直!」

 

 スマホの話題が出たので、早坂は何となくスマホを取り出して美城とのグループを開く。

 開いて一番『好き』の文字が目に飛び込んで来て、何とも言えない気分になったのですぐ電源を切った。

 歯の浮くような甘々なやり取りの中に、本人達にだけ分かる暗号が仕組まれている無駄に高度な技術を要するラインであった。

 会話の中に鍵は隠されているのだが、ラインを見ただけでは完璧に解読する事は出来ない。二人が共有している暗号解読表四つを正しく符号させなければ、正しく情報を抜き取る事は出来ないように二人で(と言うより主に美城が)考えた物だ。

 しかしどの解読表を用いるかのコードは『好きだよ』か『好きですよ』の前後に愛の名前を入れるか入れないかのパターンによって決められているので、分かっていてもこう胸をかきむしりたくなるようなむずがゆさを覚えるのは致し方ない事だろう。

 この五条美城という女みたいな見た目をした男にはそう言う事に躊躇という物がまるでなかった。

 

「それで、今日は何も無いんですよね」

「いえ。ありますよ」

「なら呑気してていいんですか?」

「向こうからこちらに来てくれる手筈になっていますから」

「それは……」

 

 どういう?と続けようとしたときに、ボランティア部の扉が軽くコンコンとノックされた。

 

「また風紀委員さんではないでしょうね」

「どうでしょう? 愛、迎えに行ってはくれませんか」

「全く……。んっ……あ、あー。カンシャしてよねー」

 

 短い吐息を漏らして喉のチューニングを済ませると、頭の軽そうな声を出しながら扉の方へ向かう。いつ見ても完璧な猫の被り方だ。美城は自分がチャラくなるとしたらあの方向性にしたほうがウケがいいのだろうか、などと考えていた。

 

「はいはーい。誰ですか~」

 

 部室の引き戸を開くと、そこには二人組の女子がいた。ロングヘアーを真ん中分けにした明るい茶髪の女子と、ぱっつん前髪にした艶やかな黒髪の女子がいた。

 紀かれんと巨瀬エリカ。この二人はマスメディア部の生徒だ。と早坂が逡巡している時に、パッとフラッシュが焚かれ目の前の二人に警戒態勢をとる。

 

「ちょっと何だし!」

「あ……申し訳ありません。五条さんが来るものと思って撮ってしまいましたわ」

「かれん気を付けてよ。彼女さんの機嫌を損ねたら五条くんだって取材させてくれないかもしれないんだから」

 

 早坂は一喝すると、二人はしおらしくなって何度も頭を下げてきた。ここで責めても自分の外聞が悪くなるだけだろうと冷静になった頭で考えると、少しだけ怒っている容貌を残したままで室内へと迎え入れる。

 

「どうぞ」

「丁寧なお迎えに感謝いたしますわ」

「今日はよろしくね」

 

 カメラとメモと、それにボイスレコーダーを携えたマスメディア部の二人が座っている美城の所まで行く。早坂としては要監視対象の部活の構成員が、自らのテリトリーに入ってくる事に言い知れようの無い不安感みたいな物があったが、それを認めるのも癪なので余裕ぶって美城の隣に立った。

 

「この度はお越しいただきありがとうございます」

「いえ、この前書いた記事は好評を博しましたので、また五条さんに取材出来て嬉しく思いますわ」

「前……?」

「五条くんが転校してすぐに書いた『氷雪の転校生! その正体は男の娘!?』の事ね」

「何その馬鹿丸出しみたいなタイトル!? みぃもよく許したね!」

「私が考えました」

「自分で、かーい!」

 

 ギャルモードの早坂はツッコミのテンションが高い。普段とのギャップに美城はクスクスとおかしそうに笑うので、早坂はいつももにょもにょした気持ちになるのだがいまさら仮面を脱ぎ捨てる訳にもいかないので、パワーで押しきっている。

 

「あらまあ。仲が良さそうで何よりですわ」

「付き合うって聞いたときは質の悪い冗談かと思ったけど」

「酷いです。私こう見えて男なんですよ?」

「それ自体質の悪い冗談みたいな話だけどー」

「ではそれと付き合ってる愛も質の悪い冗談ではありませんか?」

「怒った?」

「怒ってないですよ」

「ホント?」

「ええ、もちろん」

「コホン……お二人とも、コホン」

 

 流れ変わったな、という潮目を呼んでかれんは空咳を二つ打った。男女交際のパターンを知るのはかれんにとっても白×かぐ妄想に、より一層の説得力と深みを生み出すだろうから望む所ではあるが、パッと見女の子同士の絡みはインモラルに過ぎる。失礼とは思いつつも話の本題に入ろうとした。

 

「えーっと、今日は新部活が発足された事についての取材を受けていただける、という事でよろしいですわね」

「はい」

「ボランティア部って言ってるけど、実際はお手伝いばっかりじゃない? そこの所どうなの」

「何と言いましょうか、私こちらに転校当初会長にお世話になっていまして。いえ今もお世話にはなっているのですが。それでですね、会長のように人助け出来たらなと思いまして」

「まあ! 会長の威光に触れられました五条さんは、その光を追いかけようと言うのですね! 素晴らしいですわ!」

 

 一人大盛り上がりのかれんを見て、早坂は端的に言って『はぁ?』であったがエリカなどは慣れた物で記事に出来そうな感じに手直しした分をメモに書き込んでいた。

 

「そう言えばその会長だけど、何だか忙しくなるんじゃなかったかしら?」

「どういう事ですか? 古瀬さん」

「ほら、テラスのあるパーティー用のホールあるでしょう? あそこってそうそう使われないから申請すればすぐ貸してくれるのに、次の日曜から二日借りられないんですって」

「何か秀知院特有の行事でもあるのでしょうか?」

「私は寡聞にして存じませんが……」

「それにバイリンガルやトリリンガルの人にパーティーの誘いが来てるそうよ」

「それは絶対に何かありますね」

「で、そういう何かある時に駆り出されるのって基本生徒会じゃない?」

「「「うーん……」」」

 

 いやボランティア部の取材は?

 早坂は普通に会長の話をし始めた三人に困惑しながらも、なぜか言い出せずにはいはい頷いていた。白キチとかぐキチと眞妃キチの間にはファンデルワールス力めいた不思議な引力が働いているので、早坂が割込めないのも仕方がないと言えば仕方がなかった。

 

「そうだ、聞きに行けばいいんですよ。行きましょう」

「え? 何、どこ行くのみぃ?」

「それは私にも分かりません」

「ええ……」

 

 

 

「かれん、エリカ。五条君と一緒って事は取材中?」

「渚さん。そうなんです」

「今皆で使えないパーティーホールの謎を追っている所」

「……ボランティア部の取材は?」

 

 真っ先に会ったのはかれんとエリカの友人、柏木渚だった。最近は一番の親友の眞妃を田沼翼に取られた事でご立腹であったが、今日はご機嫌な様子でにこやかに笑っている。それもエリカの話を聞いて引きつった物に変わったが。

 昼食を囲んでいた時の話と全く違う調べものをしているので、また二人の思考がどこかにぶっ飛んでしまったのかと邪推したのだ。

 その時の会話を思い出す。

『今日は放課後に五条さんの所に新部活の話を聞きに行きますわ』

『この前の転校生記事は好評だったから皆も楽しみにしてて』

 ……うん。どうしてパーティーホールの謎を追っているの?

 幻術か新手のスタンド使いの攻撃の可能性があった。

 

「そういう渚さんはこれからどちらに?」

「今から眞妃と勉強会なんだ」

「眞妃様と?」

「そう。最近の眞妃は『翼くん翼くん』ばっかりだったけど、今日は自習室を取ったから一緒に勉強しよって」

「良かったわね」

 

 エリカがそう言うと、渚は胸元に抱えている勉強道具をぎゅっと抱きしめて、一層笑顔になった。ちらりと美城の方を向いて、意味深に口角を上げる所が無ければ素直に可愛いと言えるのだが……。

 

「それで、何を調べてるんだっけ?」

「そうそう。二階にホールがあるでしょ? あそこが日曜と月曜に使えなくなってるから何かあるのか調べてるの」

「……何で?」

 

 ごもっとも。

 

「何してるのよあなた達」

「眞妃様!」

 

 廊下で話し込んでいる一団に、呆れたような声がかかる。

 その四条眞妃の声に、いの一番に反応したのは美城だった。余裕の返事だ。年季が違いますよ。

 全くそんなつもりは無かったのだが、渚には何となく当てつけのように感じられて、彼の白い頭を瞬き少なく見つめた。控えめに言って狩人の目であった。

 かれんは寒気を覚えた。

 

「実はかくかくしかじかという訳でございまして」

「へえ、そんな事がね」

 

 そんな目で見られているとは夢にも思わない美城は、まるっと眞妃に説明して、憚る事無く見上げる彼女の英知の一端を借り受けようとキラリと瞳を輝かせた。

 

「聞きに行けばいいんじゃない?」

「と言いますと?」

「だって美城がいるんだから、あの人に聞きに行けばいいでしょ」

「あの人……あっ、そうですね」

「まったく、そんな事に気が付かないなんて、かれんの恋愛脳かエリカのおば様脳でも貰ったのかしら」

「お恥ずかしい限りで……」

「ちょっと待って下さい眞妃さん今それ言う必要おあり?」

「というかあの人って誰よ」

 

 エリカは眞妃と美城にのみ通じる話に首を傾げる。内輪ネタというのはする方は楽しいがされる方は訳がわからないんだから、と説明を求める。

 

「ここの事務長。昔勤めてたのが五条家の所なのよ」

「なるほど、五条さんとはお知り合いという訳ですわね」

「ねえ眞妃、そろそろ」

「そうね。じゃあ私達は自習室に行くから」

 

 渚が眞妃の袖をくいっと引っ張ると、もうお開きと眞妃は手を広げて軽く振った。早坂とエリカは振り返し、かれんと美城は頭を下げる。

 

「マキちゃん」

 

 さらりと男の声がかかった。眞妃は喜々としてそちらを振り返り、渚の顔は固まる。

 やはりというか、そこにいたのは田沼翼だった。

 

「翼くん! どうしたの? 今日は用事があるから先に帰るって」

「そのはずだったんだけど、急に無くなって……」

「じゃあ今日は一緒に帰れるの?」

「うん。でも今日は少し勉強でもしてから帰ろうかと」

「じゃあ一緒に勉強しない? 自習室とってあるの。ね、渚、いいでしょ!?」

「えっ……と、うん、いいよ」

「ありがと! 早速自習室行こ翼くん」

 

 眞妃はぐいぐい翼の手を引いて自習室へと向かって行った。翼の成績は上位五十位に入れない程度だ。眞妃の事、今日は彼に付きっ切りで勉強を教えるだろう。

 

「あの……渚ちゃん?」

「^^」

「ヒェッ……」

 

 エリカは恐怖に打ち震えた。雷に怯える小動物のように丸くなって廊下の隅で震えている。

 何だろうこれは。渚はせっかく大親友と二人で過ごせる時間が出来たと思った矢先に彼氏に分捕られて、女の友情の儚さを感じていた。

 幻術か新手のスタンド使いの攻撃を疑った。もしかしたら下弦の壱の術かもしれない。

 いや、違うな……下弦のアレはもう少し自分に都合の良い夢を見させるはずだった。もしそうならとりあえず翼の存在を無かった事にしてしまうだろう。という事はこれは現実だ。

 

「え、えーと、私達はそろそろ取材の方に戻ろうかと……」

「申し訳ありませんでした」

 

 かれんが頭を下げると、美城も同じようにペコリと頭を下げた。

 今となっては、もしももアシモも無い話ではあるが、取材どうこうが無ければスッと自習室に行って翼とここで鉢合わせる事は無かったのではなかろうか。渚は思う。

 そもそもこの五条美城があの奥手の彼に色々吹き込んだから四条眞妃を取られたのではないか。あれが無ければ今でも仲良し四人組の均衡は保たれていたはずであったのに。

 

 眞妃はどうもこの五条美城という子がお気に入りみたい……。

 

 渚はすうっと目を細めると、美城の顔をよく検分した。

 それは控えめに言って獲物を屠る狩人の目であったし、緋色の瞳を狙う幻影旅団の目であった。

 美城は怖気に震え、かれんは寒気を覚えた。

 

「じゃあウチら取材に行ってくるねー」

 

 埒が明かないと思ったのか、早坂は何も分かっていないフリをしつつその場を後にした。震えているエリカと美城の襟をむんずと掴んで引きずって行く様は、母猫が子猫の首を咥えて縄張りに帰って行く姿を想起させる。

 

「あーあ、私も行こ」

 

 二人きりではなくなったとは言え、せっかく眞妃と勉強できる時間を逃したくは無かった。つまらなそうに渚はため息を吐くと、眞妃が取ってくれた自習室へと向かった。

 

 

 

「ああそれですか? 姉妹校との交流会があるんですよ」

 

 あの悩んだ時間は何だったのか。疑問は一瞬で解決した。

 美城が恐慌状態から回復して向かったのは事務員、用務員が詰める事務室であった。そこでわざわざ事務長の鹿苑莞爾(ろくおんかんじ)を呼び出して、物の流れから解き明かそうと探偵気取りで聞き取りを始めると、あっさりと教えてくれたという訳である。

 

「ありがとうございます」

「いえいえ」

 

 事務長は人の良さそうな笑みを浮かべて会釈すると、自分の机に戻った。

 

「秀知院の姉妹校と言えばフランス校ですね」

「って事はー?」

「フランス語をお話になられる会長とかぐや様を拝めるチャンスですわ!」

「美しいフランス語を話されるかぐや様……しゅきぃ……」

「でもどうしてこんな大がかりな行事が知らされてないのでしょうか?」

「そんな事より五条くん、もっと大切な事があるでしょ」

「何でしょう?」

「かぐや様の尊さが海を越えてフランスにまで伝わってしまう事よ!」

「古瀬ちんもアレだねー」

「これは今すぐ取材体制を整えなければなりませんわ! お二人とも今日はありがとうございました」

 

 かれんとエリカは本来の目的を忘れてきゃあきゃあと嬉しそうに駈け出した。記事採用にこぎつけれそうなネタを放り出してしまうのはいいのか。しかし美城は眞妃が困っていたら、今抱えている物を何とかこじつけて放り出し、ウッキウキで眞妃の手伝いに馳せ参じる自信があったので何も言わない。

 

「良かったんですか?」

「ちゃんと届けておきましたから大丈夫ですよ」

「届けるって……何を?」

 

 

 

 

 

「部長! スクープを掴みましたわ!」

「まだ公式にアナウンスされてないイベントの存在が!」

 

 かれんとエリカは早速掴んだ情報をマスメディア部に持ち帰っていた。もちろん一番に向かうのは部長の朝日雫の下である。

 

「そう」

「今すぐ取材体制を整えましょう!」

「パーティーの作法に明るい人とフランス語が出来る人と、それから……」

「二人とも?」

 

 ピンと張りつめたような声が、朝日の口から二人に刺すように飛び出した。

 なにやら様子がおかしいと思った二人は、居住まいを正して部長からの言葉を待つ。

 朝日はいつも騒がしい二人が黙ったのを見届けて、デスクから一つの封筒を意味ありげに取り出した。

 

「私、二人にマスメディア部部長として公式にアナウンスした仕事の存在があったよね?」

「は……はい」

「これなーんだ?」

「部長、まさか私達より先に交流会の事を知ったんですか?」

「ううん。二人のそれは初耳」

「では何でしょう? 部長、教えてください」

「女子バレー部の一年生が届けてくれたんだけどね」

「女バレの子が?何で?」

「『転校当初、親身になってくれた会長のように、人の役に立ちたかった』」

「「あっ」」

 

 かれんとエリカは一時間もしない前の事を思い出した。

 今日の仕事は……

 

「新しく発足された部活の話を聞きに行ってって私頼んだよね?」

「えっと……」

「二人は部長と知り合いだから頼んだのに、この原稿の字、二人のじゃないよね。作ってもらったの?」

「それは……」

 

 それは違うと言い切りたかったが、熱くなって本来の目的を見失ったのは事実で、この原稿はもしもの時のために美城が用意しておいたのだろうという事がかれんにもエリカにも分かったので、悪しざまに言うのは彼女達の良心に反していた。

 

「スクープを掴む前に、しなくちゃいけない仕事があるって、もう一度教えてあげないといけないみたい」

「「ご……ごめんなさい!」」

 

 二人の謝罪が重なってマスメディア部に響いた。雷の如く頭を垂れた、急転直下の謝罪であった。

 これは自分達の落ち度である。美城を攻めるつもりは毛頭なかった。

 けれど……できれば……自分達の所に持ってきてくれたら怒られる事は無かったのに……。かれんとエリカはちょっとだけ美城を恨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「役に立ってるといいんですけど……」

「やっぱり鬼ですか?あなたは」

 

 

 本日の勝敗 かれんとエリカの敗北(こってり絞られた)

 




小難しいだけで事務長の名前は適当です。


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早坂愛は五条の○○

勤労ギッチギチお兄さんユルシテ……ユルシテ……


「愛、別に休んでも良かったのですよ?」

「そういう訳にもいかないでしょう。まあ、今日は来客もありませんし、かぐや様の手伝いは普段からですし」

 

 日曜の朝の秀知院に、五条美城と早坂愛の姿はあった。

 明日に迫った秀知院学園フランス校との交流会、ボランティア部はその会場設営の手伝いの為に駆り出されていた。

 いや駆り出されていた、というのは正しくない。

 交流会の存在が明るみになった時に、美城は生徒会室を訪ねて、半ば無理やり協力するよう白銀と取り決めをしたのだ。

何でそんなに協力したがるのか白銀は不思議であったが、確かに人手が足りない事に間違いないので、部活の実績稼ぎに協力してあげると共に、手を貸してもらう事を確約した。それが今日である。

 

「おはようございます、五条さん、早坂さん」

 

 凛とした鈴を転がしたような声が二人に向けてかけられる。振り返って見ると、そこには生徒会副会長・四宮かぐやが立っていた。カラスの濡れ羽色の髪が朝日にキラキラと輝いて、赤みがかった瞳は何の衒いもなく真っすぐ相手に向けられている。その美貌だけで国を買ったと言われても信じるほどの美しさに普通の人は臆するものだ。

 

「かぐや様。どうされました? 今は周りに人がいないので普段通りで大丈夫ですよ」

 

 しかし美城はそう言った事はなく話しかけ、あまつさえ少しからかってみせた。美城というその美貌でかぐやの国の隣の国を買ったと言われても信じるほどの美しさの持ち主に、何を臆することがあるのか。

 

「そうですか? あなたには御付きのスナイパーかスポッターがいると早坂から聞いていますが」

「それは大いに誇張された表現です。あの子は気が向いたときにしか見てきませんし、私が止めろと言えばすぐに止めますのでどうかご安心ください」

「気まぐれというのはむしろ一番怖い所ですが、五条さんがそう言うのなら。早坂。だそうよ」

「言えば撤収してくれるなら、もっと早く言ってください」

 

 姿の見えない魔弾の射手もどきにやきもきしていても仕方がない。それに今の早坂はボランティア部員としてこの場に来ているのであって、依頼した生徒会の副会長が会っていても不自然ではない、とかぐやは結論付けて普段通りで接することにした。

 

「いらぬ煩わしさを覚えさせてしまった事、申し開きのしようもございません」

「私は気にしていませんよ。見られるのは慣れていますから」

「ありがとうございます。しかしご厚意に甘えてばかりもいられません。用向きがあればどうぞあの子をこき使ってやってください」

「その子は五条さんの従者なのですか?」

「いいえ、そうではありません。強いて言えば妹の、でしょうか」

「あら? 妹さんがいらっしゃるのですか」

「はい。三つ下に一人。会長の妹さんと同学年ですね。あと千花の妹の萌葉もでしょうか」

「それはそれは……」

 

 かぐやの目が遠くを射抜くかのようにすっと細められる。

 将を射んとする者はまず馬を射よ、という言葉もあるように、周りから攻めていくのは兵法の一種だ。白銀の“周り”といえば父親と妹の二人で、攻略の難易度が低いのは妹の方だろう。

 しかしかぐや自身は白銀の妹、圭と個人的な繋がりは全く無い。であるなら、美城という繋がりから、彼の妹というカードをストックしておいてもいいかもしれない。かぐやは美城の妹の利用価値をそのように定めた。

 よくない事を考えているなと早坂は気が付いた。

 

 会話をしながら倉庫の横を通り過ぎると、思い出したようにかぐやは改めて口にする。

 

「五条さんのおかげで早坂も準備に参加させる事が出来ました。改めて感謝します」

「四宮邸では愛がパーティーの準備等を取り仕切っているのですか?」

「そうですよ。早坂があの別邸では一番の古参ですからね」

「私の仕事は多岐にわたっていますから、会場設営なども当然請け負いますよ」

「そうだったのですか。愛って凄いんですね。さすがかぐや様の侍従を務めるほどの女性です」

 

 美城は照れるという感情を母のお腹に忘れて来たのかのようにべた褒めする。傍付きを褒めて、そんな人を従えている貴女は素晴らしい人だと、分かっていても躊躇するレベルの褒め言葉が美城の桜色の唇から紡がれた。

 

「そうでしょう?」

 

 かぐやを褒めるワンステップにされておきながら、誇らしげに頷いて、早坂はあえて言うなら『むふー』とでも評すべき顔をして、どうも扱いが雑になりがちな主人の方を見た。

 

「五条さん、あまり早坂を甘やかさないでくれますか」

「なぜですか? 実際に凄いのですから、凄いと言って何ら差し支えるとは思いませんが……」

「そうですかぐや様。実は私結構凄いんですよ」

「ほらそういう事言うじゃないですか。これは五条と四宮の教育方針の違いです。あまり口出しして欲しくありませんね」

 

 少し不機嫌な顔を見せながら、かぐやは美城に対して止めるよう釘を刺す。固い殻で覆ってはいるが、その奥底に隠れている早坂の甘えたがりは如何ともしがたく、いつか『私みぃの所の子になる』とか言い出しかねない。

 

「よしよし。愛は頑張り屋さんですね」

「聞いてました?」

「ママァ……」

(彼氏に母性を見出している!?)

 

 ママ(男子)にドチャクソ甘やかされる(早坂)という地獄のような光景がそこにはあった。

 

「駄目! 駄目です! 早坂から離れてください五条くん!」

「やーんみぃ、四宮さんがこわーい」

「この子は……!」

 

「あー……ゴホン……おはよう四宮。それにボランティア部の二人も」

「「おはようございます」」

「か、会長!?」

 

 声をかけられた瞬間、二人は真面目くさって挨拶を返し、一人気が付くのが遅れたかぐやだけが白銀の登場にうろたえていた。

 あまりに反応が良すぎる。この二人会長が来る事を分かっててあんな茶番を繰り広げたのか。かぐやは早坂が男の影響を如実に受けている事を確信し、許し難い気持ちになった。

 

「会長、違うんですよ……? あれはこの二人があんまり公序良俗に反した行動をするものだから」

 

 かぐやはまるっきり早坂と美城のせいにした。

 

「何となくだが分かるぞ」

 

 さしたる反論もなく美城が微笑んでいる所から、大体の流れを掴んだ白銀はかぐやの言う事を信じる。美城の持っている、からかい好きで悪戯好きの面をこの秀知院で一番と言って良い程知る羽目になった白銀は、ややこしそうな事態に出くわしたらとりあえず美城の反対にいれば何とかなる事を学習したのだ。あまり知りたくない事であったが。

 

「そういえば藤原さんはどちらに?」

「今さっき職員室に向かって……」

「会長、用具庫とか倉庫とかの鍵を一通り開けてきてもらいました。あ! シロちゃん! 今日はありがとね~」

 

 今まで姿の見えなかった藤原千花が、校舎の中から鍵をくるくる回しながら現れた。生徒会の面々に混じった真っ白い幼馴染を見つけると、大切なマスターキーをぞんざいにポケットに突っ込んで嬉しそうに美城の手を取った。

 

「いいんですよ、これくらい。私と千花の仲でしょう?」

「シロちゃん……」

 

「一回シメとくべきだし!」

「気持ちは分かるが落ち着け」

「ホント信じらんない!」

 

 本日の天気は若干の曇り空だが、そこから雷が落ちたみたいに早坂は怒りに唸っている。本人としては『あーまたか』くらいの気持ちだが、今はそういう反応が許されるキャラではないので、殊更に怒って見せた。

 どうどう。暴れ馬をなだめる御者のように白銀とかぐやは早坂の気をなだめる。

 

「さっさと終わらせよ!」

 

 怒り心頭……のフリをしながら早坂は袖をまくりつつ気合十分の様を見せつけた。事実として早坂が手腕を振るえばこの程度の規模のパーティーの準備など早々に終わるだろう。

 

「まずはテーブルやクロスを運ぼう。藤原書記、五条、いつまでそうしてるつもりだ」

 

 男女の友情というよりは同性の友人の距離感で話し込み始めた二人に、白銀は少しだけ強めに声をかけた。

 

「はい、会長。それで会場設営の図面などはございますか?」

 

 従う事には慣れた物な美城は物腰低くそう切り返した。それを受けて白銀は学ランのポケットから一枚の紙を取り出し、広げる。

 庶民の出である白銀にパーティーのあれこれは分からないので、かぐやと藤原が考えて教師陣にお墨付きをもらった図面である。

 美城はスマホで写真に残すと、一回二回操作を加えてからポケットにしまい、図面をきっちり折りたたんでから白銀に返した。

 

「男子と女子で分かれよう。俺と五条はテーブルの担当、四宮と藤原と早坂さんはテーブルクロスや飾りつけを運んでくれ」

「はい」

 

 かぐやが返事をしたのを皮切りに作業は始まった。

 

 

 最初に手を付けた細々した飾り付けは、大体段ボール箱に押し込まれてまとめられているので、最初の一時間は滞りなく作業は進んでいた。運ぶ物が決まっていて、その量が膨大な時、試されるのは個人の才覚ではなく単純な手の数だ。そういう意味では美城と早坂という手が増えたのは思っていたよりありがたい。

 

「ふー、飾り付けだって軽くありませんねー」

 

 大小さまざまな飾り付けが入った段ボール箱を床に下ろして、藤原は額にかいた汗を拭いながら椅子に座った。かぐやと早坂も近くの椅子に腰かける。

 

「そうですね。秀知院の威光にかけて安っぽい物は許されません。当然しっかりとした造りの物になりますし、その分重さが増えるのは仕方ないですね」

「次はテーブルクロスだし、これより重いよねー」

「愚痴を言っても始まりません。少し休んでから行きましょう」

 

 真面目さが足りない早坂をなだめるように、かぐやは落ち着いた佇まいで言う。

 

「飲み物買いにいきましょーかぐやさん」

「いいですよ。早坂さんは?」

「ウチはここで休んでるし」

 

実際の所、この中で一番疲れていないのは早坂であったが。

 

「じゃあ代わりに買ってきますね。何がいいですか?」

「え? んーっと……レモンティーかな」

「分かりました」

 

 立ち上がった藤原とかぐやの二人が財布を片手にホールを出て行くのと、テーブルを持った白銀と美城が入って来たのは同時だった。美城は軽く頭を下げて謝罪して、そんな彼等に藤原はついでに「何か買ってこようか?」と言う。緑茶で、と言葉短に応えると、白銀も何か言おうとしたが、藤原が「会長は荷物持ちです」と言って白銀の腕を引っ張るので、そのまま三人は自販機へと向かった。

 

「愛は行かなくていいんですか?」

「みぃに聞きたい事があるので残ってました」

「そうですか。あ、先に言っておきたいのですが、今からテーブルクロスを取りにいきますよね?」

「ですね」

「あそこにある物は古いので黄ばんだりシミがあったりするかもしれません。家庭科室にある物の方が新しいので、不備があればそちらを取りに行くよう覚えておいてください」

「分かりました。しかし備品の状態まで覚えてるんですか?」

「いえ、そういう訳では……。それで、聞きたい事とは何でしょう」

「そうでした」

 

 早坂はやおら立ち上がると美城について来るよう手招きしながらホールを出た。美城はその背中を追いかけて廊下まで出ると、窓辺に意味ありげに立つ早坂の隣に並ぶ。

 

「どうかしましたか?」

「気が付きませんか?」

 

 疑問文に疑問文で返すなとどこぞの手フェチみたいな事を言いそうになったが、美城はとりあえず一度周りを見渡してみる。

 

「見られてますね」

「でしょう?」

「何をしているんでしょうかあの子は……休みにわざわざ……」

「協力してくれますよね」

「それはもちろん」

「では少し……」

 

 

 早坂の金色の頭がそっと美城の耳元に寄っていく。

 肩に手を置いて、軽く背伸びをして、覆いかぶさるような形でしばらくそうしていた。

 

「ひゅ~、やるっすねえ」

 

 その光景を、違う棟の中から見ながら軽口を叩く人影があった。がじりとチョコを齧りながら、オペラグラス片手に覗きを慣行する様は、さながら物見遊山である。

 恋人二人がしばらくそうしている様子をドキドキしながら見ていると、そうっと早坂の方から離れた。どこか不安そうに周りをキョロキョロと見渡すその姿は、普段の刺々しい見た目とのギャップでなんとも可愛らしい。

 

「なるほど、美城様はああいう女の子が好みなんっすね」

 

 キリッと吊り上がった猫のような目元、ブルーの瞳が白い肌に映えて、流れる金髪は金糸のようで、暴力的ですらある美貌である。

 これが浮世離れした美城の見た目と並ぶと、もはや絵画のようであった。

 芸術を愛でてるだけだし、覗きの現状をその人は言い訳した。

 

「あ、戻っちゃった」

 

 そうこうしているうちに、早坂と美城の二人はホールへと戻っていく。どこか口惜しさみたいな物を感じながらも、それならそれで場所を移動すればいい話だ。そう思って見える位置に移ろうと足を向けると、またすぐに金色の頭が廊下に飛び出してきた。先ほどと同じように、何かを探すように頭を揺らしている。

 

「あはは、こっちっすよー」

 

 どこか楽しそうにその様子を見つめて、陽気な歌すら口ずさんでみていた。

 

「こっち見て愛ちゃん♪ブルーのロシにゃん♪」

 

 

 

 

「ロシアンじゃなくてアイリッシュなんですけど?」

 

 ぴたり、と時が止まった感覚に襲われた。

 ゆっくりと振り返ると、そこにはさっきまで瞳に収めていたはずの早坂愛が立っている。

 

「え何で……だってあそこに……」

 

 目の前にいる早坂愛と、窓の向こうにいる早坂愛を見比べて頭を抱えると、それに気が付いたかのように窓の向こうの早坂が振り返ったのが遠目に見えた。目の前の早坂が「見たらいいんじゃない?」と言うので首にかけたオペラグラスをのぞき込む。

 目の前の早坂と打って変わって穏やかな丸い目をしていて、からかう様に笑って見せた。その瞳は赤色に輝いていた。髪に手をかけると、するりと金髪が落ちて、その下から白髪が覗く。

 典型的な入れ替わりだった。

 ……入れ替わり?

 頬を自分で叩いて隣にいる早坂を見る。ブレザー制服を羽織ってズボンをはいている。

 頬を自分で抓って窓の向こうにいる美城を見る。襟のない改造セーラー服を着た彼がこちらに歩いて来ていた。

 秀知院学園のセーラー服はワンピースタイプなので必然的に美城はスカート姿という事になる。良い。

 しかし付き合っているとは言え、自分を追い詰めるために服を交換できるとは全く思いもしなかった。

 

「うぅ~やられたっす」

「こっちチラチラ見てくるからどんなヘンタイかと思ったけど、女の子だったんだ」

 

 早坂はうずくまっている女子を見てポツリと言葉を漏らした。

 その言葉が耳に入った少女は、顔を上げて上目遣いで早坂を見上げる。

 くりくりとした目にこげ茶色の瞳、背中まである綺麗な黒髪をまとめてポニーテールにしている。笑顔に馴れきったような口角上がり気味の口元が朗らかで、少し間抜けにも見えた。その顔の造りはおバカな柴犬とちょうど同じだった。

 

「ヘンタイじゃないっすよ。私には鹿苑(ろくおん)こがねという名前があるんすから」

「バレないように遠くからこっそり見てくる奴がヘンタイじゃなかったら何なんだし」

 

 じとーっとした目で早坂は目の前の少女を見つめる。

 

「つかまりましたか?」

「あ、みぃ」

「美城様」

 

 そこに美城が合流してきた。セーラー服を身に纏った、である。スカートを翻した、である。恐ろしい事に制服の黒と、美城の髪の白のコントラストが効いて非常に映えであった。少女は神を見た。

 こがねは助けを求めるように女神(男)に縋りつく。

 

「美城様! 助けて下さいっす!」

「諦めなさい。それよりも、ほら、愛に何か言う事があるんじゃないですか?」

「むぅぅ……早坂先輩、申し訳ありませんでした」

 

 美城に促されてこがねは頭を下げた。いかにも不承不承といった感じで、自分が悪いからというよりは目上の人に言われたからという風を隠そうともしない。

 

「まあいいけど……」

 

 反省が足りてないのでは?とゆすっても良かったが、それは後でも良いだろう。今自分のキャラを損なう事は、後々の自分の利を損なう事に繋がりかねない。美城と二人きりの時に言えば良い話だ。

 ……二人きり、という状況を当たり前のように受け入れている自分が恐ろしい。早坂は思った。

 

「愛、どうしますか?」

「どうしよっかー」

 

――

 

「藤原先輩! それは第二倉庫の方にあるっす! 行きましょう」

「は、はいー」

 

「藤原先輩! 次は料理部の準備室に行くっすよ!」

「は、はひー……」

 

「藤原先輩! 次は……」

「もう勘弁してくださいー」

 

 早坂が出した結論とは、この鹿苑こがねという少女に手伝いをさせる事だった。

 今回のフランス姉妹校とのパーティーは、幸いにと言うかそれほど規模は大きくない。早坂が陣頭に立って指揮すれば、真面目に動く“手足”があればそこそこの速さで終わるだろう。

 それに不躾にもこちらを覗き見する輩だ。良心の呵責なく使い倒せる。

 そう思っていたのだが。

 

「先輩! 何なんすかこのリストは! せっかく事務員がきちんと備品については把握しているのに反映されてないじゃないすか。こんな指示書じゃ日が暮れても終わらないっす!」

 

 存外、役に立ちそうである。

 秀知院学園事務長、鹿苑莞爾を父に持つからか、こがねは備品の状況が頭の棚にきっちりと収まっているようだ。後はそこから引っ張り出すだけ……なのに、備品保管リストは改訂される前の物。それが何とも彼女をいらだたせるみたいだった。飾り付け君は今演劇部にいるはずなのに、どうして手芸部にいるってメールがあるの?みたいな感じである。

 

「何で私ばっかり引っ張るんですか~」

「いやマスターキーを持ってるのは藤原書記だからだろ」

 

 さんざん引き回された藤原が椅子にぐったりと座った。こがねがリストにある備品が本当に収められている部屋の鍵を開けろ開けろとせっつくので、藤原はあっちに走って鍵を開け、こっちに走って鍵を閉め、またまたあっちで鍵を開け、この広い秀知院中を駆けずりまわったので疲労困憊の様子だ。

 

「まあ後は並べていこう。鹿苑さんは……」

「もちろん最後までお付き合いするっすよ」

 

 白銀の言葉にこがねは笑顔で頷くと、早坂の方を意味深に見た。

 私はこれだけ役に立ちましたけど、あなたはどうですか?とでも言いたげだ。

 それは早坂のプライドをいたくくすぐる行為だった。舐められたらやり返すのが四宮流だ。自分のお役立ちさでぶん殴り返してやらないと気が済まない。

 

「かぐや様、私が指示出しをしていいんですね?」

「ええ。あなたが一番こういう設営に詳しいでしょうし」

「ありがとうございます」

 

 早坂はひそひそと主人に話しかけると、かぐやは了承して侍従に全てを任せる事にした。かぐやも自分の従者が軽んじられて笑顔でいられるほど優しい性格はしていない。あの自分の尻尾を追いかけまわすようなアホな柴犬みたいな顔した下級生の頬面を有能さでひっぱたくべきという点は二人に共通していた。

 だが自分で言うのもおかしな話なので、美城を一回挟んで伝える事にする。

 

「みぃ、会長に言ってください」

「いいんですか? かぐや様も」

「はい」

「では……会長!」

「五条、どうした?」

「これから会場の設営ですが、指示役を愛に任せていただけませんか?」

「早坂さんに?」

「ウチ、家でパーティーとかよくしてるから役に立つよかいちょー。あ、真面目なやつだからね」

 

 白銀にパーティーの事は分からぬ。設営の大まかな所は図面の通り行って、あとの所は政治一家の娘である藤原か大財閥の娘であるかぐやに見てもらえばいいと思っていた男だ。

 

「どう?」

 

 青色のネイルが煌めく爪先を拝むように合わせながら、友人の恋人が尋ねるのでどうした物かと考えるが、隣にいる美城が何も言わないので問題なかろうと結論付ける。

 

「よし任せよう。こういうのは素人じゃ分からない部分もあるだろうしな」

「やった! じゃあ先に紙見せて」

「これか」

 

 白銀は図面の紙をぱっと広げると、早坂はそれを横から覗き込む。肩に手をかけ、寄りかかってくるような仕草に白銀は戸惑っていた。

 

近くない? こんな事してたら五条さんが怒るんじゃないかしら。

 かぐやは思った。

 

「美城様、早坂先輩が会長とベタベタしてますよ? いいんすか?」

 

 こがねも同じ事を思った。思うだけでは足りず、近くの美城に小声で話していた。

 

「私だって普通に千花と接しているつもりなのに、近すぎとかベタベタしすぎとかよく言われますから、外から見たらそう見えるだけでしょう」

 

 あ、いいんだ。

 この時ばかりはかぐや、こがねの二人は同じ事を思った。

 

「さ、いつまでもそんな顔してないで始めますよ、こがね」

「うっす」

 

 美城が言うとこがねは頷いて大人しく付いて行った。かぐやはそれを見ると、まさに飼い主だけに懐いている犬のようだと思う。

 

「じゃあまずテーブルを運んで欲しいんだけど。私が置く場所にしるし付けるから」

 

 ギャルモードを崩さないまま仕事モードに突入した早坂は、簡素で明確にするべき事を伝えた。過剰にキャピキャピした所が無いので白銀などはむしろこの方が助かる程だ。

 早坂はテーブルを置く場所の赤絨毯を足で軽く逆立てる。そうやって部屋中歩いてから先にしるしを付けて、ここに運んでくるよう指示を出した。

 

「じゃあー、みぃと鹿苑さん、会長と四宮さんでペア組んでテーブル運んでー」

 

 あんまり楽しくない作業に、これくらいの役得はあっても良いだろう。早坂は少しばかり気を遣ってかぐやに目配せした。あざっす。こがねはお辞儀した。違うお前じゃない。

 

「書記ちゃんいける?」

「ちょっと待って下さい。何であの子あんなに元気なんですか~?」

「運動部だからじゃない?」

 

 あと手の空いているのは藤原だが、どうやら駆けずり回ったせいでグロッキーなようだ。しばらく休ませておかないと動きそうにない。

 しかしこうなると困った。今回のパーテーで使うテーブルはクロスを引いて中央に重しのインテリアを据えた上で軽食の乗った皿を置いても充分な広さがある。重さも相当な物だろう。

 

「まあ出来ない訳ではありませんが」

 

 自分に言い聞かせるように囁くと、早坂はテーブルの下に潜り込んで天板を背負うように立ち上がった。支柱を軽く肩にかけるようにして前の視覚を確保しながら、自分でつけたしるしの所まで歩いて行く。

 

「ふう……」

 

 テーブルを置いて下からのそのそと這い出て、息を吐きながら少し乱れた金髪を整えていると、何か良いたそうな瞳が八つ向けられていた。理由は分かっている。重い物を汗くせ動いて持っていくというのは、ギャルな早坂のキャラではない。

 

「どしたし?」

「どしたし? じゃありませんよ愛。危ないじゃないですか」

「ヘーキヘーキ。ウチけっこう力持ちだし」

「藤原さん。お手伝いにこんなに頑張らせていいのかしら?」

「うぅー、かぐやさんが良心を苛んでくる……。分かりました!早坂さんにばかり苦労かけられません!」

「別にいーのに」

 

 へとへとになっていた藤原も気を奮い立たせて怠惰の椅子から降りた。女の子一人に一抱え以上の大きさの天板が乗ったテーブルを運ばせるには、藤原千花という少女は優しすぎた。

 全員が作業を開始した事で、設営の効率はグンと上がった。きちんとパーテー会場の完成図を描ける早坂が頭になって、無能ではない人物が手足となっているのだから当たり前と言えばそうかもしれないが。

 とにかく何事もなく順調に作業は進んでいた。

 

「早坂さん。このスタッフ用の机、壁に近すぎじゃありません?」

「そう……かも。ちょっとすれ違ってみて」

「かぐやさん、私あっちから来るのでこっちから行ってください」

「分かりました」

「よいしょ……(ふよん)ひゃっ! ほらやっぱりー。体ひねっても胸の所がつっかえちゃいますよ」                <●><●>ジッ……

「う……うん。もうちょっと机離そうか……」

 

 順調に作業は進んでいた!

 

 

「よし。これで今日できる作業は一通り終わっただろう」

 

 華を飾り付けた『フランス交換留学生歓迎会』と書かれた看板が吊り上げられていく様子を見ながら、白銀はようやく人心地ついた気分になった。

今日の苦労の一端を思い出す。ガバガバの備品リスト、単純に多い物量、ノウハウの無い会場設営……。

 実際これ鹿苑や早坂さんを五条が引っ張って来てくれなかったらギリギリまで時間かかってただろうなぁ……。

 看板が丁度いい所で止まったのを楽しそうに見ている美城の白い頭を見ながら、白銀はそんな事を思った。金髪の彼女と、黒髪の後輩を引き連れて美城が来たのでこちらから声をかける。

 

「今日は助かった。ありがとう、ボランティア部の皆。お疲れ様」

「会長こそお疲れ様です。生徒会も大変ですね」

「まあ慣れたさ」

「また忙しい時は頼ってください」

「すまないな。三人はこれから帰りか?」

「はい」

「そうか。では改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」

「どういたしまして……ふふっ。会長、成功を祈ってますよ」

「そこは任せてくれ。手伝ってもらって大失敗でした、では笑い話にもならん」

「まあ千花はフランス語も話せますし、困ったときに頼ってみてはいかがでしょう?」

「……考えておこう」

「では会長。また明日」

「おう」

 

 美城は軽く手を振りながらさようならと告げて、かぐやと藤原の二人と少し話をしてからホールを後にした。

 

 

 

 

「鹿苑ちゃんどしたし? さっきからあんま喋んないじゃん」

 

 早坂は廊下を少し歩いて、人気のない所でめっきり口数が少なくなってしまった後輩に尋ねた。口数が少ないどころか元気も少なくなってきたように思われる。難しそうな面持をして、顔をうつむき加減にしていた。

 

「あ……」

 

 こがねはぱっと顔を上げると、口を開けて閉めて、何かを言いたそうだが言えない、みたいな雰囲気で早坂の事を見つめている。

 

「こがね、ゆっくりでいいですよ」

 

 美城は気を遣って優しくそう言うと、ぽんと肩を叩いた。隣の美城と、目の前の早坂に何度か視線を行き来させると、ようやく意を決したようで息を大きく吸った。

 早坂の目を真っすぐ見ながら、

 

 

(あね)さん!」

「……は?」

 

 彼女の事を滅茶苦茶困惑させた。

 

「自分、姐さんの事を誤解してたっす!」

「いや待って待って。どゆこと?」

「最初見た時はチャラチャラして不真面目な人なのかと思いこんでいたっすけど、今日の仕事ぶりを見て自分の見る目の無さが骨身に沁みたっす!」

 

 こがねは瞳をキラッキラさせて早坂の青い目をのぞき込む。

 早坂も役に立つ所を見せつけてあの余裕の顔を歪めてやろうくらいには思っていたが、まさかこんな事になるとは……。

 

「……ちなみにどういうとこ?」

「一番はアレっす、あの重たいテーブルを一人で持って行った所っすね。文句も言わず重い物を背負う姿に現場の魂を見たっす」

 

 重い物もったから偉いとか蛮族かな?

 

「そして内装を整える時のあの流れるような手付き、細やかな気遣い。僭越ながら言わせていただくっすが、この人なら五条の家の事を任せても大丈夫と思ったっす! だから姐さんを姐さんと呼ばせていただくっす!」

「え、ちょっと意味わからないんだけど。みぃ、みぃからも何か言ってよ」

 

 ずずいっとにじり寄ってくるこがねを手で制しながら、早坂は美城へ助けを求めた。この鹿苑こがねという少女は早坂より若干身長が高いので、圧迫感が凄い。

 その様子を『あらー』と他人事のように眺めていた美城は契約恋人の一言で当事者意識を取り戻した。

 

「こがね」

「はいっす」

 

 五条家の長男は、長年尽くしてくれている鹿苑家の末娘を見つめる。黒柴のようなくりくりした目が、じいっと見つめてくるのを受け止めながら少し考えて……諦めたように早坂の方を見て言った。

 

「懐かれちゃいましたね、愛」

「ちょっと!?」

「わーい! 姐さんっす!」

「くっつくなしー!」

 

 

 本日の勝敗 鹿苑こがねの勝利(姐さんをゲット)

 



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早坂レポート その一

 彼が跳んでいる。

 白色をはためかせて、青と黄の二色に彩られたボール目掛けて体育館の床を踏み切ると、体を弓なりに反らせて腕を振るった。

 バァン! と大きな音が轟いて矢のように相手のコートに突き刺さる。コートにいる誰も、そのボールの影に触れる事すら敵わず、呆然と見送っていた。

 華麗なスマッシュエースに二年B組の生徒達は湧き立つ。

 

「ナイス白銀―!」

 

 彼の友人が笑顔で手を叩いている。

 打ったのは白銀御行だった。

 そこはみぃであれ。

 

 

 梅雨の季節になってくると、体育の授業は外の物から内の物になってくる。それまで太陽光への弱さから一度も体育の授業に出た事のない五条美城が、ようやく授業に参加できると友人達に意気揚々と話していたのは、耳目を集める彼の事、A組とB組の生徒の間では話題になっていた。

 そして当日、体操服を身に纏って現れた彼に注目が集まるのは仕方ない事ではある。

 半袖半ズボンから伸びるすらりとした真っ白な手足には、漢らしい武骨さなど微塵も感じられない。

 しかしヒョロヒョロの訳でもなく、すこしだけ付いた胸筋が服を押し上げている。逆にそのふくらみがあるせいで、彼の印象を胸が小さい女子のように抱かせるのは何とも皮肉な話だと、少し同情しますけど。

 彼のせいでと言うべきか、彼のおかげでと言うべきか、女子達は普段自分に向けられる視線が九割減したのを感じていた。注目の大暴落(ブラックマンデー)だ。かわいいの上場廃止が危ぶまれる。

 もちろん私に向けられる視線だってそうだ。ジロジロ見られたい訳でもないが、感心を向けられないと言うのも、それはそれで面白くない。それが彼氏(という事になっている)のせいならなおさら。

 

「五条とペアだったろ。アイツどんな?」

「何かいい匂いした」

 とか言う輩に、

「キモ……」

 

 と言ってしまったとしても、それは不慮の事故というものではないでしょうか。

 そんな大注目の中バレーの授業でゲーム形式が行われると、視線を集めるのは別の二人になっていく。

 まずは白銀会長。普段からの存在感をそのままコートに持って来たかのように暴れまわり、サーブを打てばノータッチエース、スパイクを打てば下手なレシーバーを吹き飛ばす。

 

「あの子私が育てたんですよ」

「母!?」

 

 その度に書記ちゃんが感慨深く隣のかぐや様にそう言うのは、ある種異様な光景でしたが。

 そしてもう一人は意外や意外、眞妃様の彼氏、田沼翼だった。

 会長と異なり、あまり冴えたプレーというのは無いのに、意識の間を縫うようなタイミングで彼にボールがあげられ、印象に残る得点を挙げていた。

 

「翼く……頑張りなさいよ男子ども!」

 

 別に彼氏を直接応援しても誰も文句はないでしょうに、素直に応援できなかった眞妃様が可愛らしかった事もここに記しておく。

 二大エースのおかげもあって悠々と勝利を掴んだB組だったが、バレー部の生徒などはその二人ではなく、これ以上は無い得点機のお膳立てをした五条美城の方に視線を向けて訳知り顔で頷き合っているのが、私の視界の端っこに映った。

 

 

 

 それを改めて思い起こさせたのは、授業が終わった後に彼の所に来た二人の男子のせいだ。口ぶりからバレー部に間違いないだろう男子達が、通せんぼするように五条美城の前に立ちはだかる光景を見たからだ。

 160ちょっとしかない彼が、180に迫る男達に詰め寄られている光景は、控えめに言って犯罪の香りがする。もしもし警察ですか?

 

「待って!?」

「誤解! 誤解だから早坂!」

 

 よく見れば同じクラスの男子達だ。だから何だという話だが。

 

「みぃに何の用だし?」

 

 私は口馴染んでしまった彼のあだ名を呼びながら、じろりと半眼になって二人を睨んでみせた。

 

「俺達は五条さんにバレー部に入らないかって言ってるだけ。なあ」

「そうそう。早坂からも言ってやってくれよ。バレーしてるカッコいいみぃ見たーいって」

 

 あはは、と少し小馬鹿にしたような笑いを二人はする。別に彼がバレー部に行こうがバスケ部に行こうが私は構いませんけど。その場合はボランティア部は立ち消えに、私は前と同じ生活のサイクルに戻るだけ。デメリットというほどの物でもない。

 

「早坂も来るか? マネージャーだけど」

「ボランティア部なんてよく分からない部より内申点も良いぜ」

 

ド正論はやめてください。泣いてるマイナー部活もいるんですよ。

 実際、ボランティア部は碌に部費は出ないだろうし、活動実績を内申点に加えてくれるのかどうかも怪しい。娯楽作品にありがちな謎部ってこう考えると本当に謎ですね。

 かといって他の部活に入るというのはあり得ない。こちらの事情を分かっている五条美城が提供する緩い部活内容だから参加しているだけに過ぎないのだから。

 睨み合いのような状況が少し続くと、彼は申し訳なさそうな声色で言った。

 

「お誘いはありがたいのですが、申し訳ありません。お断りさせていただきます」

 

 ふざけた所はあるが、それなりに真剣な申し出を五条美城はきっぱりと断った。余りにもきっぱり言うので、逆にあちらの方がバツの悪い顔をしたほどだ。

 

 

 

 

 

「いやー、そのバレー部は見る目あるっすね」

「そうなの?……って! 何でフツーにいるの」

 

 付き合っている風を装うとは言え、いつも一緒に昼食を彼と共にする訳ではなく、自分のクラスで火ノ口三鈴と駿河すばるの二人と机を囲む時もある。お喋り好きの二人から、雑談という名目で情報を集めるのは、私が自らに課した重要な使命の一つだ。……というのに、

 

「いいじゃん愛ちゃん」

「そうそう。いつの間にこんな可愛い後輩できたの?」

「いや~可愛いだなんて、先輩達の方が綺麗だし可愛いっす。さすが姐さんのご友人っすね」

「きゃー、姐さんだって」

「うちの早坂はまだお嫁に出さないからね!」

「出ない出ない。出ないから!」

「えー。そんなー姐さーん」

「えー、じゃないし!」

 

 つい先日知り合ったばかりの鹿苑(ろくおん)こがねが、しれっと二年A組まで来て、どういう訳か二人と一緒に机を囲んでいた。ちょっとは身に覚えのない後輩に対して疑問に思って欲しい。

 

「ていうか五条君て運動神経いいんだ」

「そうっすよ。もし日の下に出れる体なら何のスポーツでも代表に選出されるくらいの才能の持ち主っす」

「へー、いがーい」

「全然そうは見えないんだけど」

「みぃってそういう事言わないから。ウチも初めて知ったし」

 

 というより、あの日陰で大事に育てられたもやしみたいな見た目をしておいて、運動神経が良いなどと誰が思うのか。

 

「お? 惚れなおした?」

「そーいうんじゃないし」

「でも、じゃあ何で断ったんだろうね」

「そんなの決まってるっす。姐さんがいるからっすよ!」

 

 鹿苑こがねは言う。疑いを知らないような真っすぐな瞳をこちらに向けて、にへらっと口元がほころんだ。

 

「美城様は仲間を大事にされる方っす。そんな人が自分で選んだ女性をほっぽり出してどっか行くなんて考えられないっすから」

 

 私にはない、彼と昔から築いてきた信頼関係に裏打ちされた言葉だった。恐らく昔から彼はニコニコと穏やかに優しく柔らかく、時には先ほどのように毅然と物事を進めてきたのだろう。容易に想像できる。

彼女の言う事を別に疑う訳でもないが、だとするとそれは私には当てはまらない。実利を求めた打算による関係を仲間と言うのなら、前言を撤回するけれど。

 

「まあ愛ちゃんはちょくちょくバイトでボランティア部もフケるしねー」

「今の部活以外だと適当な所で抜けるってヘイトヤバそう。マネージャーとかも出来ないわこれ」

「部活で得られる達成感より、姐さんと過ごす時間を取ったという事っす」

「愛されてるぅー」

「るぅー」

「るぅー、じゃないし!」

 

 必要経費と割り切っているつもりではあるけど、どうも囃し立てられるのはこそばゆい。こんなナリをしておきながら、ほとんど矢面に立ったという経験が無いせいだと思うが。

 

「でも実際どうなの?」

「上手くいってるんでしょ?」

 

 ニマニマした顔が私に向けられる。そういえばキスのふりをして追い払った事があった。その事を思い出してからかってきているのでしょう、と思えば何という事も無い。

 

「どうかな~」

「なにその口ぶりー」

「五条君って滅茶苦茶優しくしてくれそうじゃん」

「どうなんすか姐さん」

「え~、皆が思ってるより結構子供っぽい所あるし~。

 ……でもそういう所がかわいいんだけど」

 

 ぽっと頬を染めながら、右のサイドヘアーを指先でくるくる。

 客観的に見て彼氏との事を気恥ずかしく話す女子高生にしか見えない。恋してるっぽい表情を私はいつでも浮かべる事が出来る。これくらいの演技は朝飯前だ。今は昼食時だけど。

 

「えー、いーないーなー」

「私も彼氏欲しいー」

「眩しいっす」

 

 恋人がいる、というのは圧倒的なアドバンテージである。いる者といない者の間には、浅からぬ溝が存在しているのだ。どこか見上げてくるような三人の視線を見返しながら、少しの優越感に浸る。

 

 た……楽しい。

 

 よくない事かもしれないけれど、そう思わずにはいられないのは、結局私も人間のマウント心を持っている事からは逃れられないという証左だ。

 本来これは恋をするというエネルギーと、交際期間という条件を満たさないと得られない物であるならば、五条美城という人間ほどハードルの低い条件をくれる者はいないだろう。低いを通り越して埋まっている。その意味では彼の事を好きと言ってもいいかもしれない。

 

 何しろ彼は恋愛事のうざったい所とは無縁だ。既読スルーしたって怒らないし、するなと言えば律儀にそれを守るし、あれこれ嫉妬しないし、無根拠にこちらをべたべた褒めてくるのは普通に気分が良い。かぐや様との関係を隠し立てしなくていいのも気が楽だ。

 総合して非常に良い契約相手だったと断言できる。☆5です(購入者のレビュー)。

 

「けど美城様もこんな綺麗な姐さんがいるのに、私に五条の家には言うなって言うんすよ。喜ぶと思うっすけどねえ」

「ウチからもお願いするから止めて」

 

 何という事をしようとしていたのだろうこの後輩は。

 今どき高校生同士の付き合いで将来を誓わせるような家はそうそう無いと思うが、それでも家の人に知られると付き合いにどうしても重みが出てしまう。少なくとも私は目的を達成したなら後腐れなく別れたいと思っているのに。

 あの見た目だ。溺愛されている様を簡単に思い浮かべる事が出来る。

 

「いつか紹介したいっす」

「なんでこがねの方が乗り気なの」

 

 五条くらいの家になると、本人よりも周りの方がやかましいのだろうか。

 早い事別れておかないととんでもない事になりそうな予感がひしひしとする。

 そのためにはさっさとかぐや様と会長にくっ付いてもらわないと。と言っても私に出来る事はそう多くはないのがもどかしい。彼みたいに恐れ知らずの恥知らずならどうとでも出来たのかもしれませんが。

 

 

――――――――――

 

「蒸し暑くなってきましたね」

 

 夜の街で信号に足止めを食らっている間、湿気を帯びて心なしか靄のかかっている空を見上げてそんな事を呟いた。

 カサっと右手に持った袋が音をたてて、どうしてこんな時間に夜歩きなんて事をしているか、あのお可愛い主人の顔と共に思い出す。

 

 相合傘。だそうだ。

 かぐや様は梅雨の時期を利用して会長と無理不合理のない流れで、相手からの誘いによって相合傘をする計画を立てておいでだ。

あらゆる天気予報に目を通すと共に、自らも天気図を読み込み、朝は雨が降らず夕方から降るという好条件の日を見つけになられたようなので、実行に向けて準備を始めている。

 その過程で、傘を使わなければ帰れない状況、つまり送迎の車が動かないような状況にするためタイヤをパンクさせなければならないのに、穴をあける千枚通しが壊れていてタイヤに歯が立たない事が分かった。

 

「なら新しい物を買ってきなさい」

 そういう事だ。

 私は千枚通しと、逆さてるてる坊主のための紙を調達するため、夜道を一人で歩いて買い物に行き、そして今はその帰りという訳だ。健気な事とは思いませんか?

 ぱっと視界に赤がチラつく。足を止めて、しまったと肩を落とした。ここの信号は異常に長いのだ。別の道から行こうと進路を変更した。

 角を曲がって続きから考える。

 かぐや様はもう少し私を大切にしてもバチは当たらないと思うのに……。だからと言って五条美城くらい甘やかせとは言いませんが。

 というか、彼のあの褒める事への躊躇のなさは一体何でしょう。彼自身も言っていたが、褒められた事しかないという、ある意味歪な家庭の教育方針からくる物なのか。四宮の方針と比べれば遥かにまともだけど。

 

「すんません。今こっち夜間工事中で通行止めっス」

 

 えっ、こがね?

 突如聞こえた声に最近纏わりついて来る後輩を感じてはっと顔を上げる。

 そこには『安全第一』のヘルメットに、反射材が貼られたベストを着ている、二十歳くらいの若い男性が立っていた。ただの体育会系だった。

 その作業員とふと目が合うと、彼は「おっ」と小さく言って息を呑んだ。その目は次に私の金髪に視線を映し、そしてもう一度顔を経由して胸元の方へ落ちる。

 気付かれないとでも思っているのでしょうか?

 言葉にして言うほどでもない小さな不快感に眉をひそめるのと、その看板が視界に入って来たのは同時だった。

 【工事のお知らせ】と上に書かれた、よく見かける看板。下にある五条建設の文字が嫌に目を引いた。五条美城の実家である。関東土木建設の王とも言って良い五条建設にしては小さな工事だ。それでも億の金は動いていると思うけど。

 真正面に意識を戻すと、目の前の作業員から顔と胸に舐めるような視線が相も変わらず送られている事に気が付く。

 いいんですかそんな事して? 私、五条建設の創業者一家の長男の彼女ですけど?

 そんな良く分からない偉ぶりが沸々と心に湧いてきたのを感じる。しかし、それは良くないと理性が働きかけてそれは沈静化した。

 

「あ……はは、分かりました」

 

 後に残ったのは、そんな事を思った自分に対しての恥ずかしさだけだ。その一言だけ言って踵を返すと、逃げるように来た道を引き返した。

 近いからと思って行きと違う道を選んだのが間違いだったみたいだ。

あんな事を思ったのは参っているからなのか、自分でも知らず知らずのうちに色ボケているのか、良く分からない。

 

 はあ、とため息を一つ吐いて落ち着かせる。何の根拠があって偉ぶれるのか。自分は、彼氏が出来たからと言ってその彼氏の力をあたかも自分の力のように振る舞う女を軽蔑していたではないか。これではその女と変わらない。

 大きく回り道して進路を変えると、弱り目に祟り目とでも言うのか、タイミング悪くガラの悪い集団が道いっぱいにたむろしていた。片手に火のついたタバコを持って、もう片方の手に持ったストロングなお酒をあおっている。浦田あたりに行けと言いたい。

 

 上手くいかない。

 私はもう一度ため息を吐くと、絡まれないようにそっとその場を後にした。

 どの道から帰ろうか、などと考えていると、キンッと乾いた金属音が微かに耳朶を打つ。振り返ると『バッティングセンター』の文字が夜に煌々と輝いていた。時々利用している、いわゆるいつもの店だった。

 不思議と偉ぶるのも、変な事を考えるのも、きっとストレスが溜まっているせいでしょう。

 そう自分に言い聞かせると、一回くらい打って行こうと思い、扉を引いて中に入った。

 

 キンッと鋭い音。ボッと鈍い音。時折誰かが「ナイバッチー」と言っている声が聞こえる。

 夜遅くにも関わらず、中にはそこそこの人がいた。

 大学生らしき二人組が二組、一組はバッティングをしていてもう一組はストラックアウトをしている。同じような大学生の、こちらはカップルだ。女性の方が打っている様子をその彼氏は下手くそと笑っている。

 そういった人たちの見世物のようになるのは何となく嫌だったので、人が少ない方に歩いて行った。

 

 仕事帰りの三十代くらいの男性が黙々と打ち込んでいる。一つ開けたケージには私と同年代で、すらりと背の高い女子が興味無さげにバットを振り回していた。誰かに無理やり連れて来られたのかもしれない。

 どちらも周りに興味の無さそうな人だ。そこが良い。

 その二人の間のケージに入り、二百円を機械に投入した。最高百十キロのコースを選び、一番軽いバットを手に取って右打席に入る。一二回軽く素振りをして準備完了。

 マシンの投球口の周りにある簡易モニターがぼんやりとした人影を映す。映像のピッチャーの動きと同じタイミングで投球する、どこにでもあるありふれたシステムだ。

 足を肩幅に開いて、オープンスタンス気味に構える。モニターのピッチャーも投球動作を開始した。高く腕を上げる特徴的なワインドアップ、背番号が見えるほど捻って投げる、日本人で最初に海を渡り活躍した投手の投げ方だ。

 真ん中低めに来た球を弾き返すと、キンッと軽い音をたててライナーで真っすぐ飛んで行った。センター前ヒットだ。まだ腕は鈍っていないらしい。

 来た球を素直に打ち返す事二十球。モニターの電気がふっと消えた。終わりのようだがもう少し打って行こうと思い、もう一度二百円を投入する。

 投げられる白球の事だけ考える。より上手くはじき返す事だけを考える。芯で打った時の心地よい手の痺れが、煩悩とか懊悩とかいった物をはじき返したかのようで心地よかった。

 薄っすらとかいた汗が額に流れる頃には、気持ちもだいぶ楽になってきたような気がする。

 最後の一球が投じられると、真ん中高めに浮いた球だった。上手く打てば女の私でもホームランに出来るコースを振りぬいて……

 

「はい神。今の内角のさばき落合だよー落合」

 

 空ぶった。

 

 それまで静かだった隣のケージがいきなり騒がしくなったので、つい変な力みが生まれたからだ。

 がっくりと肩を落とすが、まあここに来た目的は充分に果たせたので良しとする。

 足元に置いていた買い物袋を忘れずに手に取ってケージを出ると、

 

「はい大谷大谷。そのアウトコースを逆方向に引っ張れるの大谷・筒香・(かなめ)ちゃんだけだよー」

 

 とか言っている人と目が合った。

 

「えっ、姐さん……?」

「えー……っと」

 

 私を姐さんなどと呼ぶ人物は一人しかいない。見覚えのある黒いセーラー服を身に纏っていて、ざんばらな前髪と、後ろはポニーテールにまとめた黒髪。くりくりっと大きな目はこげ茶色で、笑みを浮かべた口元は、やっぱりどこか間抜けにも見える。

 鹿苑こがねだった。

ぱあっと顔色を明るくした彼女が、ポニーテールを尻尾のように揺らしながらじりじりとこちらに近づいてきた。

 

「姐さーん!」

「わっ! だからくっつくなだし!」

 

 飼い主が帰ってくると玄関に飛び出してくる犬のように、こがねは私に飛びついてきた。私より少しだけど身長があって、バレー部に所属していて筋肉もある彼女は色んな意味で大きかった。

 

「ど、どうしたっすか。私何かやらかしたっすか?」

「今」

「あ、はい。すみませんっす……」

 

 冷たく言い放ってやると、手を離してすごすごと身を引いた。肩をすくめて俯いてシュン……となる。強く叱った時の犬と同じだ。

 しかしどうしてこんなに懐かれているのだろう。鹿苑の家が五条に世話になっているのは分かるが、私はその長男の彼女(嘘)というだけで、尊敬に値するような事はしていないと思うのだが。……重い物を持ったから? 何て単純な。

 

「姐さんもこういう所に来るんすね。意外っす」

「まあ私には似合わないしー」

「いえいえそんなまさか。横目でちらっと見ただけでしたけど、カッコよかったっす」

「そう?」

 

 こう正面切って褒められると、さしもの私も少しは照れた。褒めるのは五条に連なる一族の特徴なのだろうか。陽の気が過ぎる。

 

「こがね? 何してんの」

 

 さきほどまでこがねが声をかけていたケージの中から、凛とした女性の声が響いた。少し低くて落ち着き払ったような印象を受ける声だ。

 

「あ、はい、要ちゃん。今行くね」

 

 普段私が聞いている『っす』口調ではない話し方で内の人に声をかけたのを少し驚いて聞いていると、それに気が付いたこがねはバツが悪そうに苦笑いしてケージの方に歩いた。

 さすがに知り合いでもない人のバッティングをかぶりついて見る気にはなれず、近くの自販機で買ったお茶を舐めながら彼女の後姿をみていた。

 

「あ、今の良かった。完全にバース」

「褒めてる?」

「当たり前だよ」

 

 こがねは褒めるので、見る気は無かったが何となくケージの内に目をやった。私には運動はした事あるけど運動神経は良くない人にしか見えなかった。上半身だけで打ちにいく、いわゆる『手打ち』な打ち方だ。けれど腕の力はあるからだろうか、良い打球が飛んでいく。

 背は高いからそれだけでレギュラーになれるタイプの人なんだろうな。と、失礼ながら思った。

 背は低くても運動神経の良さと視野の広さからバレー部に誘われるほどの彼とは正反対のタイプだ。

 ……うわ、今ちょっと誇らしかった。こうして人は男の人のステータスを自分の物のように思っていくのだろう。反省しないと。

 

「要ちゃんどんどん良くなってるよ。近いうちにホームラン賞貰えるね」

「別にいいよ。ただの暇つぶしなんだから」

 

 どうやら打ち終わったらしい。ケージの中からこがねが声をかけていた『要ちゃん』が出てくる。

 175センチはありそうな長身が何よりも目につく特徴の女子だ。手足が長くて羽織った薄手のジャケットの上からでも分かるほど胸も大きい。背が高いとは思っていたが、存在感のある佇まいに想像以上に大きく見える。

 

「さっき何か話してたのってこの人?」

「そう。高等部二年の早坂愛先輩」

「どもー」

 

 ペットボトルの蓋を閉めて軽く手を振る。要という少女は「ふうん」と興味あるのか無いのか分からない声を出すと、すこし屈んで私の顔をのぞき込んできた。愛想笑いを返しながら、私もその顔を見返す。

 切れ長の目はキリッと吊り上がって、中に黒曜石のような黒い瞳が収まっている。真っすぐ通った鼻筋に、少し厚めの唇で、細い顎のラインから始まる頭の形が綺麗なのは、飾りっ気のないショートヘアーから窺い知れる。

男子よりも女子に人気が出る女子だ。バレンタインチョコは間違いなく貰っていると思う。

 

「こんな時間に何してたの?」

 

 彼女は不躾に聞いてきた。会って数分、それも先輩に対して。何ともまあ図太い神経を持った女子なんだなと感心してしまうほどだ。それを言ったのは警察とめんどくさい酔っ払いとあなたで三人目です。

 

「何って、バイトだけど?」

「バイト? 秀知院の生徒が? へえ……」

 

 唇を愉快そうに歪めながら、そばにあったベンチに足を放り出すように腰かけた。そして放り投げた嘘みたいに長い脚を組んで、上にした方の膝に肘をついて頬杖をつく。私を頭の天辺からつま先まで値踏みするように眺めると、皮肉っぽく笑って言った。

 

「夜の蝶……ってね?」

「夜のちょー?」

 

 要という少女が言った事が分からないのか、とぼけたような口調でこがねは繰り返す。

 あんまりな言い草だ。片方の眉を顰めてニヤついてる彼女を睨んだ。

 派手な髪色をしているし、メイクもばっちりだ。四宮の一員として服だって高校生が着るレベルを遥かに逸脱する物を身に着けているが、よりにもよって水商売? そんな事を思われる謂れはない。

 言葉の意味は分からなかったが、私が不快になったのが分かったのだろう。こがねは私を守るように前に出て来て、要に食って掛かる。出来た忠犬だ。

 

「要ちゃん、何か失礼な事を言ったんじゃないの?」

「どしたのこがね」

「どしたの、じゃない。怒るよ」

「へえ、怒るんだ。こがねが、私に?」

「そうだけど……そうっすけど……」

 

 私に対する口調か、彼女に対する口調か悩んでる心境そのままに、こがねの口調があっちこっち行き来すると、怒られそうな状況すら楽しむように要はクスクスと笑った。

 

「何で?」

「何でって……」

 

 その余裕ぶった笑みが癪に障ったのか、こがねは肩を震わせて固く拳を握って、吠えた。

 

「この人は、あなたのお兄さんの恋人だから、です!」

 

 ……

 ん?

 ちょっと待って。

整理しよう。

 『この人』とは私の事だ。『あなたのお兄さんの恋人』は分解できそうにないのでそのまま。

 仮にさっきのセリフを私が言ったとすると、

「私はあなたのお兄さんの恋人だ」という事になる。

つまり……?

 

「えっもしかしてみぃの妹!?」

 

 そういう事になる。ということは……中学生!? これで?

 

「みぃ? ふふっ、兄さんの名前が美城だからみぃなの? あははっ。可愛いあだ名」

 

 心底楽しそうに要はけらけら笑い出した。兄という単語ですぐ美城という名前が出た所から、目の前の少女が五条美城の妹で間違いないだろう。

 しかし似てない。

 マジで似てない。

 かつてないほど似てない。

 彼の髪の色が白だったり目の色が赤いのは親の遺伝子とは無関係なので仕方がないが、顔つき、体格など全くと言って良い程に似てない。

 

「あーあ。お姉さんが来ちゃったし帰ろうか、こがね」

「要ちゃん!」

 

 その五条美城に似てない妹は、彼とは正反対なつり目でこがねに目線をやりながら立ち上がる。いつもそうしてるのか、こがねは大人しく二人分の鞄を持つと、まだ何も私に言ってない事を思い出して要を叱責した。

 つまらなそうに彼女は唇を尖らすと、私の方を向いて口角を上げてクールな笑みを浮かべた。

 

「ごめんね。ちょっとした冗談だよ」

 

 悪いとは思っているのだろうが、いまいち真剣味の感じられない謝罪だったが、中学生だったらこんな物だろう。教科書に載るくらいの建物を見て、『これ家で造ったやつ』と言える家柄の子供の自意識という物は分からない。かぐや様? あの人はずっとそばで見ていたから別。

 

「いーよ。気にしてないって言ったら嘘だけど、忘れとくから」

「ありがと。優しいお姉さんを持って幸せだな」

 

 ふふっ、と彼女は短く笑うと、こがねの持っていた鞄を取って出口へと歩いて行った。

 

「申し訳ありませんっす、姐さん。要ちゃんも悪い子じゃないんすけど……」

「けど? 何だし」

「周りに四宮副会長や眞妃ちゃんみたいな人がいなかったっすから」

 

 天狗になってる、と言いたいのだろうか。確かに自分を脅かす人がいない、ぬるい環境下ではそういう精神が醸造されやすいのかもしれない。五条美城の場合は生まれてすぐ四条姉弟という家柄においても能力においてもトップの二人と関わっていたおかげか(せいで、とも言う)物腰の低い人物になったのだから。

 

「こがね、どうしたの?」

 

 いつまで経ってもついて来ないこがねにしびれを切らしたように彼女は声をかけた。顔を突き合わせて話している私達を見ると、困ったようにポツリと零した。

 

「……そっちの方が良いんだ」

 

 そう言う五条要の姿は、なぜだか小さく見えて、落胆の奥に悲嘆をにじませているように見えた。そういえば美城が、こがねは妹の従者みたいな関係と言っていた。昔から面倒をみてくれた姉のような人が、ぽっと出の奴に取られるのは面白くないに違いない。

 

「ごめん要ちゃん。今行くよ。……では姐さん、また明日学校で会えるのを楽しみにしてるっす」

「あー……うん、じゃあね」

 

 ぺこりと私に一礼すると、こがねは要の下へ小走りで駆けて行った。要はそんな彼女の頭をぐしぐしと乱暴に撫でると、満足気に目を細めてバッティングセンターを後にする。

 

「疲れた……」

 

 せっかく人が気分よく汗を流していたのに。晴れやかになった気分に水を差された気分だ。落ちていた気分を上げたのに、また下げられると倍は気疲れしたように感じる。

 何だか気分が上がってこないまま、ぼうっとベンチに座りながらお茶に口につけた。

 

 ああ、ただでさえ一日の最後には最も気分の乗らない業務が待っているというのに。

 

 そんな事を思いながら飲み終わって空になったペットボトルをゴミ箱に投げようとした、

 

 ティロン♪

 

 瞬間に通知が来たのは、もう呪われているとしか思えない。手元が狂った投擲は、当然のように的を外して、緑色のラベルを纏ったボトルが空しく地面を転がった。

 はぁ~……

 私は今日一番のため息を吐いてペットボトルを拾い上げ、改めてゴミ箱に捨てた。

 いきなり音を出した不届き者をポケットから出して、ライン画面を開く。

 さっきの人物……の兄からだ。

 彼はかぐや様と同じで遅くとも十一時には床に就くので、十時か、早い時には九時におやすみのラインが来る。画面右上の時間を見ると十時を少し過ぎた頃だ。

 

『今日もお仕事お疲れ様です』

『今日は少し暑いですね。体調を崩さないように気を付けて』

『ではまた明日。おやすみなさい、愛』

 

 好きだよ、の文字は暗号の合図。それが無いという事は言葉通りに受け取れと言う事だ。

 恋人に送るにしては飾りのない簡素な文字だった。けれどそれは、返信は別にしなくてもいいという彼なりの優しさという事を知っている。というよりも、おやすみを送った彼は本当にその瞬間寝てしまうのだ。

 一日の終わりに彼女とコミュニケーションを取ろうという気なんて無いのだろうか。酷い話だ。

 心の中で彼に文句を言っていると、何だか馬鹿馬鹿しくなってきて、くつくつと喉の奥で笑った。

 荷物を乱暴に手に取って、バッティングセンターを後にする。湿った空気が肌に纏わりついてくるのを置き去りにするように、駈け出す如くにステップした。さっきの酔っ払い達がたむろしていた通りに出ると、もうそこには誰もいない。ツキが向いてきたかな。

 そうだ、明日は文句を言ってやろう。

 酷いんですよ、あなたの妹が。

 それを聞いたら彼はどんな顔をするんだろう。

 すみませんでした、と謝るだろうか。あの子はまだ子供ですから、と笑うだろうか。

 今からあのいつもニコニコ顔が困ったように歪むのが楽しみだ。少し不健全な事を考えていると、それがまた可笑しくて、誤魔化すようにひょいっと縁石を飛び越える。

 帰り道の信号に、今度は一度も引っかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ただいま」

「お帰り、かなちゃん」

「兄さんは?」

「もう寝てるわよ」

「へえ、いい気なもんだね。彼女はこんな時間まで働いてるっていうのに」

「え!? 彼女!? 何それ何それ。お母さん知らないんだけど」

「私も初めて知ったよ。早坂先輩っていう金髪のハーフ」

 

 

 

 

「……早坂?」

 

 



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早坂愛はどこにも行けない

「酷いんじゃないかしら、おば様」

「あら、何がでしょうか眞妃さん」

 

 四宮かぐやと四条眞妃が相対していた。

 今は昼休み、中庭の見える渡り廊下で、冷たい美貌が向き合っている。梅雨の時期らしく空に雲はかかっているが、薄い鈍色の雲で雨は降りそうにない。

 今ここに、竜が天から降って来そうな剣呑さはあったが。

 

「分からないんですか? お・ば・さ・ま」

「だから何が酷いんですか? 5W1Hをはっきりさせて喋ってください」

 

 言葉だけ聞けば一触即発の様相を呈していた。

 片や資産二百兆円の大財閥の令嬢、四宮かぐや。片や資産一兆ドルに迫る多国籍企業の令嬢、四条眞妃。ただシェアを奪い合うライバル企業というだけでなく、四宮家から袂を分かった四条家、両家の間には張りつめた糸のような緊張感がある。

 そのまま言おうと眞妃は口を開く。しかし中庭の方を見ていた彼女がある一点を見つめてふと表情を和らげると、そっとその方を指さした。

 

「あれよ、あれ」

「あれ?」

 

 眞妃が指さした方をかぐやも見ると、そこには中庭の木陰に向かって歩いて行く白と金の二人組がいた。

 かぐやの侍女の早坂愛と、眞妃の侍従(自称)の五条美城だ。

 

「酷いんですよ、みぃ。あなたの妹が」

「要に会ったんですか?」

 

 そんな会話をしている事は二人には当然届かないが、少なくとも不仲でない事を推し量るには充分だった。

 

「あの二人がどうかしましたか? 仲睦まじい様子に見えますけど」

「そう見えるのね。だったらなおさら酷いわ」

 

 眞妃はもう一度酷いと言ってやれやれと頭を振る。酷い酷いと言われ続けてかぐやは頬を引きつらせた。謂れのない誹謗中傷を四宮に向けるなど許されない事だ。

 

「そろそろ言葉遊びにも飽きてきた所です。早く何が酷いのか言ってください」

「ふん……。あの子達ってそろそろ付き合って一月くらいじゃない?」

「そうですね。それがどうかしましたか?」

「おば様のとこが忙しいから、あの子達一回もデートに行けてないじゃない。って言いたいの」

 

 デート!

 男女交際においてその価値をいまさら説くほどでもないくらいに重要な、恋愛のプロセスの一つである。

 男女が日常を、または非日常を共有する事でお互いの愛情を深め、確認し合う行為であり、これによって恋人達の時計の針は進む。関係性の発展により手を繋いだり、キッスをしたり、神ったりするという段階へ至るのだ。

 そのデートを早坂愛と五条美城の二人は今まで一度もしていないのである。

 

「ほら、愛は生粋の使用人でしょ。デートしたいから休ませて下さいなんて言えないのよ」

「そう言われればそうですね……」

 

 かぐや、納得の頷き。ここ最近は彼から告白された浮かれ調子も少しはマシになって、おおよそ以前の早坂に戻っていたので、デートの一つくらいしたいのでしょうと思っていた事も頭のどこかにしまっていたのだった。

 ……マシになったとはいえ、連絡来たとマウント取ってくるから恋愛にすんなり手を貸してやるのが癪だったとかそういう事はない。

 無いったら無い。

 

「ですが早坂は替えの効かない一番の従者です。そうはいはいと休みを取らせる訳にも行きません」

「そんな事言わないでよ。あの子の……美城の初恋がせっかく実ったんだから、何とかしてあげたいの」

 

つんと張りつめていた眞妃の表情が少しだけ緩んで、らしからぬ弱々しさをのぞかせた。

 

「ま、おば様には分からないかもしれないけど」

 

 一瞬かぐやが同情しかけた所に、眞妃はいつものふてぶてしさを取り戻して言う。かぐやは笑みを深くして、そんな事を思った自分に後悔した。

 

「品の無いこと……。ですが、そうですね。早坂はいつも頑張っていますし、少しくらい普通の女の子みたいに過ごす日があってもいいかもしれません」

「そういうの素直に言ってあげたら? 愛も喜ぶんじゃないかしら」

「四宮に甘えは必要ありません。それにあなたの従者気取りさんが変わりに誉めてくれるでしょう?」

「確かに致死量レベルで美城は褒めてくるけども。ちなみにいつ休みをあげるの?」

「そうですね……」

 

 かぐやは頭の中にあるカレンダーでスケジュールを確認すると、直近二週間ほどの予定を問題ない範囲で諳んじた。

 

「週末は駄目です。平日も今は季節の変わり目ですから、庭園に手を入れる作業の指揮を執っているので余裕がありませんね」

「四宮別邸の庭師はかかしか何か? 全くお笑いだわ」

「違います。あの子が優秀なだけです」

「じゃあいつならデートできるのよ」

「そろそろ期末試験ですけど、それが終わったあたりでしょうか」

「先じゃない……」

 

 眞妃は不服そうにかぐやの事を睨んだ。

 それは友人の事というよりも、自分の身に降りかかる不幸のような落ち込みようで……。

 

「どうして眞妃さんがそんなに落ち込んでいるのですか?」

「え?」

「いえ、物心ついたころからの幼馴染と言っていましたから分からなくはありませんよ? ですが、どうもあなた自身に不都合があるような気分の落ちこみよう……」

「な……なによ」

「何故かはわかりませんが、眞妃さんはさっさと彼等にデートに行って欲しいんじゃないでしょうか」

「それのどこが悪いの」

「何か目的があるんじゃないですか?」

「無いわよ!」

 

 嘘である。

 滅茶苦茶目的があって眞妃はこんな話を切り出している。

 

「例えば……あなた自身のデートの参考にするとか、ね」

 

 妙な確信があってかぐやはその言葉を口にした。

 確信は大当たり。息を呑んで眞妃は黙りこくった。ぷいっと顔を背けて空を見上げている。

 

「お可愛いこと……」

 

 かぐやは口元に手を当てて言った。この心理戦、地の利を得たのは間違いないだろう。あとはこのまま上から叩けばいい。この場の勝利は目前である。

 

「ふんふん。ここからラブの香りがします! 誰が惚れた腫れたにデートに誘う誘わないですか、かぐやさん!」

 

 よほどの上位者が現れない限りは……。

 

「藤原さん!?」

「はい。ラブ探偵チカただいま参上です!」

 

 整えたフィールドを荒らされる、かぐやにとって藤原の参上は惨状であった。

 しめた、と思った眞妃の思惑も重なり、戦いは新たなステージへと突入する。

 

 

「見てください愛。これが私の家族写真です」

「みぃって母親似なんですね。あなたに色付けたらこういう顔ですよ」

「時系列で言えば母さんから色を抜いたら私と言う方が正しいですけど」

 

 話題の中心であるはずの二人は何ら四宮・四条両名の争いに関わる事無く、呑気に家族写真を見ながらキャッキャしていた。

 

 

「それで何の話をしてたんですか~?」

 

 藤原はかの名探偵シャーロックホームズが被っていた事でも有名な鹿撃ち帽を浅く被って、かぐやと眞妃の二人にそれぞれ目線を送った。ここにくる直前まで友人と夏休みに向けて惚れた腫れたの恋バナをしていたので帽子を被っていたのだ。彼女がここを通ったのは本当にたまたまである。

 

「藤わ……」

「あの二人の話をしていたのよ」

 

 かぐやが話そうとしていたモーションを見て、それを制し、一息に言って後の先を取ったのは眞妃だ。藤原の興味が一気に眞妃の方へ向き、そして指さしている方へと順に動いて行く。

 眞妃の指さした先の中庭の木陰には、寄り添う二つの人影があって、それは藤原も良く知る人物である事、白と金に輝く二つの頭を見て理解した。

 

「シロちゃんと早坂さんですか?」

 

 『はてな?』といった感じで藤原は小首をかしげる。二人には特にこれと言って問題は生じていない事をラブ探偵はその人脈の広さから知っていた。

 唯一あるとすれば自分と仲が良すぎて『藤原は早坂から略奪するつもりか』と疑われている事くらいだろうか。心外である。愛のパズルが一人では解けないからと言って友人の恋人をゲットするほどワイルド&タフなつもりは一切ないのに。

 

「二人はもう付き合って一か月くらいになるのにまだデートもしてないのよ」

「それは由々しき事態です!」

 

 義憤に駆られて藤原はふんふんと鼻息を荒くする。あんな風に好き合っている二人がデートの一つも出来ないなど、ラブに対する反逆である。

 

「愛のバイトが忙しくて全然休めないんですって」

 

 眞妃は仕上げの一言を呟いた。

 

「そんなの間違ってます! そう思いますよねかぐやさん」

「えっ」

 

 かぐやが攻め、眞妃は受けに回っていた状況は完全に逆転した。藤原を用いた、シャークさんもかくやという眞妃の完璧なマジックコンボであった。

 

「そ、そうですね。でも早坂さんも納得した上でお仕事をされているのでは?お給料も良いそうですし」

 

 かぐやは早口で言った。

 その裏に少しばかりの言い訳する心があったのは、眞妃には完全に伝わっている。どことなく愉快な気分で彼女は藤原がかぐやを攻め立てる所を見ていた。

 かぐやの欺瞞を見抜いた訳でもないし、早坂の心情を推し量った訳でも無いが、彼女は恋人は一緒にお出かけしたいという一般論を基に根拠を組み立てる。

 

「だとしても、どこにも出かけられないなんて間違ってます! カップルは一緒に何かしたいしどこかに行きたいはずなんです。二人が所属してるボランティア部とかいう妙ちきりんな部活で時間が取れない事は無いと思うんですよ」

「さらっと酷い事言ったわね」

 

 ただ本人がこの場にいたとしても否定はしなかっただろう。

 

「ちなみに早坂さんはどんなシフトかは知ってますか? 平日は?」

「最近は休みなし、という話をしているのを小耳に挟みましたが……」

 

 小耳に挟むどころかかぐやは早坂の耳にシフトをねじ込んだ張本人である。知らないはずがない。

 藤原はそれを聞くと普通の家……ではないが、それなりにまともな家に育った子供らしく普通に怒った。

 

「そんな事ってありませんよ! 高校生にそんなに出勤させるなんておかしいです!」

 

 奇しくもその批判は、一般論からかけ離れた四宮家の芯を貫く行動規範にぶっ刺さりであった。

 かぐや、ひいては四宮家に4のダメージ。

 

「ですが長らく勤めている職場だそうですし……いきなり環境を変えるのも早坂さんの負担になるのでは?」

「そうかしら?」

「何が言いたいんですか眞妃さん?」

「別に」

「ちなみにどんな仕事をしてるんですか?」

 

 鹿撃ち帽を今度は目深に被りなおして、名前も知らぬ早坂愛の勤め先に内心で疑問の矛先を向けた。目つきがらしからぬ鋭さを帯びて、皮肉にも探偵っぽかった。

 疑っている事は探偵というより労基であったが。

 かぐやはアホ面ではない藤原に居心地の悪さを感じながら、早坂が言っていたのを小耳に挟んだ体を崩さないままで話した。

 

「えっと、朝に仕事の書類を確認して登校して、夕方に職場に向かって食器の洗い物や掃除、発注、指示出し、打ち合わせ、お客様の対応……などでしょうか」

 

 細かい所は言うまいと思っていたが、こう考えてみるとかぐやは使用人がどんな事をしているのかざっくりとしか知らないなと思った。将来的に頭を縦に振れば何億が動き、頭を横に振ればいくつかの会社が消し飛ぶ立場に就くであろうかぐやにとって、身の回りの家事は些事でしかない。

 そんな事に時間を取られないようにするために使用人がいるのだから、それはそれで構わないはずだった。

 そんな使用人の中でも早坂愛はとびきり特別な近従だ。やはりそう易々と休ませられない……。

 

「えっ滅べばいいんじゃないですか?(辛辣)」

 

 四宮死すべし慈悲は無い。

 ラブ探偵はラブのない職場に厳しかった。『これね、ラブの平手打ちだよ?』と言って教育を施しかねない。彼女がやってまともな職場になるかは神も保証してくれないが。

 

「ふふふ……」

 

 眞妃は声を押し殺しながら口元に手をやって笑いを押さえようとしたが、目がニヤニヤしているので効果はなかった。

 誰よりも四宮かぐやの味方である藤原千花が、誰よりも四宮の敵である四条と同じような事を言っている。

 あまりの皮肉さに眞妃は少しとはいえ笑わずにはいられなかった。

 

「そんな藤原さん、滅べだなんて口が悪いですよ」

「だってそうでしょー! 一介の女子高生に朝から仕事させて! こーぞー改革、働き方改革が必要です!」

 

「あれれ~? 皆で集まってどしたし~?」

 

 今まさに職場に政治の介入が行われるか否かという瀬戸際とは露知らず、早坂愛はかぐや一団に声をかけた。

 

 助かった……。やっぱり頼れるのは早坂だけね。

 かぐやはそんな事を思って彼女への感謝を深めた。

 

 なお彼女がここに来たのは――

 

「愛の家族写真も見せてくださいよ」

「えぇ……嫌です」

「そんな。どんな両親の下で育ったのか、私とても興味があります」

 

 早坂は自分のスマホの写真データを思い返す。

 家族写真と言われても、パパもママも京都の本邸で仕事してるから撮った事なんて……。あ。

 

「あるんですね」

「いや、これは」

「見せてください。ね?」

 

 あるにはあった。母親に頬ずりするように顔を近づけて、ベッタベタに甘えている写真だ。

 美城の前ではクールな四宮の使用人・早坂愛モードでいるので、この甘えたガールの側面は決して見られてはならない。フリではない。見られてはならないのだ。

 

「駄目です」

「そんな事言わずに」

「駄目ったら駄目なんです」

「見せてくださいよー」

「だ・め・で・す」

 

 ぱっと立ち上がると、駆け足で早坂は木陰から離れて美城から逃げ出した。

 

「愛ー。待ってくださーい」

「待ちません。……ふふっ」

 

 

――みたいな爽やかな青春劇を繰り広げていた最中に、偶然渡り廊下で話しているかぐやの事を見かけたからだった。早坂がここに来たのは本当にたまたまである。

 

 キレそう……(僻み)。

 

 

「書記ちゃん何でそんな怒ってんの~?」

 

 さてそんな逃避中に見かけたからという理由で足を運んだ早坂だったが、藤原はぷんすか怒っていて、かぐやは笑顔がこわ張っていて、眞妃はおかしそうに笑っている状況に、面倒くさい場面に来てしまったと早速後悔した。帰りたい。

 

「早坂さんは今のままでいいんですか?」

「え、何が?」

 

 本当に何も知らない。事前準備を怠らない、仮にそれが出来なかったとしても心の準備はいつもしている早坂には珍しい失態だった。

 

「職場のおかしさについてです!」

「……は?」

 

 だからこうして一瞬頭が付いて行かない事態になる。

 

「えっと、どういう事?」

「聞きましたよ。朝からお仕事に目を通して夕方からやる事がいっぱいなんですよね」

「そうだけど……」

「そのせいでシロちゃんと一回もデートに行けてないとか」

「……まあそう言われればそうかな」

 

 自分はバイト先の事はほとんど言っていない。

 まさか、と思って主人の方に目線を送ると、かぐやの瞳がほんの僅かに揺れた。お前かい。

 まあちょっと厳しい接客業くらいの言い方程度の話をしたのだろう。厳しい、の責任の所在の四割はかぐや自身に帰するのを知って欲しいが。

 

「早坂さん、悪い事は言いませんから職場を変えるべきです」

 

 藤原は優しい顔をして早坂の手を取った。突っぱねる事は出来るが、彼女は百パーセント善意で言っているのでそれも良心が咎めた。

 こういう所がずるい。だから藤原千花という少女は好かれるのだ。

 

「そうだね~。朝は早いしー、学校の間も色々考える事はあるしー、夕方からはほんっとに忙しいしー」

 

 彼女の口車に乗せられて、早坂は職場のおかしい所を一つ一つ列挙した。詳しい事は言えない制限の下でも口が快調に走り出している。不満の峠を攻める走り屋だった。

 かぐやなんてちょっと泣きそうになっていた。

 

「……そう、早坂さんは今の職場に不満がおありなんですね……」

 

 しょぼくれたかぐやが恨みがましそうに早坂を睨む。

 お望みなら……と物騒な事を考えるが、実の姉妹のように育った早坂の事、そう軽々に切り捨てられる人材ではないし、単純にそうしたくはなかった。

 そんな内心を読み取ったように早坂は内心で微笑むと、彼女の職場に不信感を募らせる藤原と、なにより少なからずショックを受けている主人の為に口を開いた。

 

「けど……」

「あ、見つけましたよ愛」

 

 ……の矢先、渡り廊下に繋がる扉の影から白い頭が飛び出した。見失った早坂を探しに駆け回っていた五条美城である。

 トコトコと呑気な足取りで渡り廊下に固まっていた主人友人契約恋人その主人の所へ歩いて行くと、何となく淀んでいる剣呑な雰囲気を肌で感じ取った。

 四宮と四条の娘二人が顔を合わせると、両雄相並び立たずという故事を引き合いに出すまでもなく空気が冷たくなる事は美城も知っているつもりだが……ふわふわの権化みたいな藤原千花がいてこの空気は度し難い。

 

「えっと、何かありましたか?」

「いえ。丁度いい所に来てくれましたシロちゃん」

 

 その会話の一度でこの空気の正体が美城には理解できた。

 何故かは知らないけど、千花は怒っているらしい。

 おおよそその通りだった。潤滑油に不備があったら会話の回りがギスギスするのもしょうがないという物だった。

 

「早坂さんがバイトで忙しくてデートに行けない現状をどう思いますか!?」

「どうって……まあ……仕方ない事ではありませんか? 愛にしか出来ない仕事とは思いますし」

「ダメダメです! シロちゃんには早坂さんとデートしたいというエモが足りません!」

「え……エモ?」

 

 美城の答えは藤原の琴線に触れるものではなかったらしい。むしろ怒りを増してしまったようだ。

 そんな事言ったってしょうがないじゃないか。えなりかずきに成らざるを得ない心境に美城は陥った。

 

「そうは言ってもですね」

「何ですかシロちゃん」

 

 要領を掴めないまま藤原の会話に乗っていた美城は、どんよりとした目をしたかぐやと、何故か申し訳なさそうな眞妃と、何か言いたそうに口をもごもごしている早坂の事が目に入った。

 なるほど……こうかな?

 眞妃がそそのかして藤原が乗り、予想外にダメージを受けたかぐやとフォローしようと早坂が何か言うタイミングで入って来た自分。

 という構図を美城はほぼ完璧に描いた。

 となると自分がしなければならない事は。

 

「愛は勤め先のご主人様がかわいくて仕方ないんですよ?」

 

 喋る機会を逸してしまった愛に代わって私が言ってあげる、ということ。

 

「え、ご主人様って……?」

「もちろん、女の人ですよ」

「で、ですよね!」

 

 ご主人様というワードに不穏で少し退廃的な雰囲気を感じ取った藤原は、しかしすぐに妄想を振り払う美城の一言に安心したようにうなずいた。

 ちなみにかぐやと眞妃は生粋のお嬢様であり、生まれる前からご主人と仰がれる存在になる事が決まっている者なので、ご主人様というワードに何ら恥ずかしがる事はない。

 むしろ何故藤原が焦っているのか理解できなかったくらいだ。

 意図したのかそうでないのか、藤原の心が揺れ動いたタイミングで畳みかけるように美城は続きを口にした。

 

「そうですよ。今の職場に勤めてからずっと一緒のその人の事を、愛は姉妹のように思っているのですから。千花もあんまりいじめないであげてください」

「むう……シロちゃんがそう言うなら……」

 

 ラブ探偵は恋愛でない隣人愛(アガペー)を理解したようだ。

 そこに信じられる愛はあるんか?と早坂に聞くのも野暮な気がして、鹿撃ち帽を脱ぎラブ探偵は一人の藤原千花に戻る。

 

「早坂さん、ごめんなさい。私勝手な事ばかり言っちゃいましたね」

「いやいや、別にいーよ謝んなくて」

 

 平身低頭ぶられてもこちらが困るだけ。という言葉は飲み込んでおいた。

 それに、職場環境に難ありというのは事実だし。

 青い目は黒髪赤目のご主人様を射抜くと、早坂の内心を知って調子を取り戻したかぐやは平然とそれを受け止める。

 

「でもやっぱり付き合ってる二人がデート出来ないのは可哀そうです……。どうにか出来ないでしょうか?」

 

 ポツリと藤原は呟いた。早坂本人はそれでいいとしても、幼等部からの初恋を引きずってそれを十年越しに叶えた幼馴染を思うと、そう思わずにはいられないのが彼女の美点だった。

 

「そうですね……」

 

 実際の所、どうしようもない。

 早坂が従事しているのは、何かを右から左に動かすような単純労働ではなく、徹底した教育の下で磨き上げられたセンスと技術と何より経験が物を言う、上級の人材にしか出来ない仕事なのだから。

 五条家は執事やそれに類する人を雇ってはいないが、その大変さは知っているつもりなので、美城から早坂にこれといって言う事は無いし出来ない。これは契約の際に決めた事でもある。

 しかしそれでは藤原は納得しないだろう。なので、

 

「もし、愛の主人である方がこの場にいて同じ学生だとしたら……」

 

 秘密のベールに仮定を重ねて、美城はこう言うしかない。

 それは愛のため、というよりは、藤原千花を納得させるための方便に近かった。

 

「こう言いたいですね。今度の試験であなたに勝ちます。そうしたら、お願いを一つ聞き届けては下さらないでしょうか……と」

「な……何てお願いするんですか?」

 

 ふいに美城が纏った真剣な雰囲気。朝日に煌めく新雪のような柔らかさが消えて、氷の刃のような冷たさに藤原は息を呑んで続きを促した。

 

 

「愛の一日を私にください」

 

 

 ゆっくりとかぐやと早坂の方に目線を向けると、言葉の切っ先で貫くようにそう言った。

 

「きゃー! もーシロちゃんったら男の子! ほんと聞かせてあげたいですねそのご主人様という人に!」

 

 藤原は大盛り上がりだ。真っすぐな好意。目の前に立ちふさがる壁に立ち向かう姿。そのどちらも彼女の琴線にバシバシ引っかかるものである。

 付き合いの古い眞妃でさえ、その言葉に瞠目した。こういう強い言葉を使う幼馴染では無かっただけに。

 

「愛。あなたの仕事が忙しいのは分かったけどね、美城だって真剣なんだから考えてくれない?」

 

 眞妃は見張った目をふっと細めると、語りを聞かせるように朗々とした声で言った。

 

「あなたのご主人様に、お休みをくださいって言う事。ね?」

 

 最後の方はかぐやの方を見ながらだ。『ですよ。おば様』という言葉が裏に隠れている事は、藤原以外の全員には分かる物言いだった。

 

 予鈴が鳴る。

 

 学業に意識を戻されたそこにいる五人は、はっとして次の授業の事を思い出そうとする。早いのは従者二人だった。

 

「四宮さん、次って数学?」

「眞妃様、次は視聴覚室へ移動です。急ぎましょう」

 

 時間的余裕がないのは二年B組の方だ。

 藤原は「かぐやさん、また放課後に」と言うと、急いで教室に戻ろうと二人の手を取って駈け出した。美城は一度振り返ってかぐや達に礼をすると、そのまま幼馴染に引っ張られて渡り廊下から立ち去った。

 残された二人は、それぞれ先ほどの言葉を反芻する。推し量り難い外面を持った、あの五条美城という男がどこまで本気で言ったのか。かぐやはそんな風に考えた。

 本気であるなら、白銀以外に後塵を拝したことのないかぐやへの挑発に異ならない。

 

「早坂」

「……」

「早坂!」

「あ……はい、かぐや様。どうかしましたか?」

 

 二回目に鋭く呼び掛けるとようやく気が付いた早坂がこちらの目を見た。彼女の顔を正面から捉えると、怒りとは違う、天才であるプライドを燃やしていたかぐやも毒気を抜かれたように、吊り上げていた眉が下がった。

 

「……どうかしてるのはあなたの方ね」

「何がですか?」

 

 早坂は努めて冷静に主人に返答する。

 しかし、はあ……と呆れたようにかぐやは息を吐くと、ほんの目と鼻の先に立って、

 

「ひゃっ……!」

 

 侍従の頬に触れた。

 冬の首筋にかじかんだ手を突っ込まれた時みたいな、油断しきった叫び声をあげた早坂に今度は呆れたように笑うと、かぐやはそんなどこか優しい顔のまま言う。

 

「そんな顔しておいて、『何がですか?』も何もないでしょう?」

「そんな事は」

「あるの」

 

 それだけ言って踵を返すかぐやに、早坂は釈然としない物を感じながら後ろを付いて行く。

 そんな顔とはどんな顔でしょう?

 ふと当然の疑問を早坂は浮かべると、周りに鏡か何かないか見渡す。

 見渡していた先、良く磨かれたガラスが鏡のようにいきなり自分を映したので思わず息を呑む。

 よく知っている金髪に、よく知っている青い瞳。ただ、リンゴのように真っ赤に染まった知らない頬をしている。

 よく知っているはずの少女の、全く知らない顔がそこにはあった。

 

「ね、あるでしょう?」

 

 目の前を歩く主人は、そんな早坂を振り返るとどこか勝ち誇った顔をして、嬉しいようにおかしいように声を弾ませた。

 

 

 違う。

 かぐや様、あの人はそんな純粋で汚れを知らないような人ではないんです。ある意味真っ直ぐではあるのですけど。

 サッカー部とラグビー部の練習試合を方々の伝手を使って取り付けた時に、

「何で同じ日取りなんですか?」

 と聞いた私に、彼は何て言ったと思いますか?

「だってラグビー部がいたら芝のフィールドが使えないでしょう? せっかく帝様がいる高校を対戦相手にお呼びするのですから。帝様には心置きなく秀知院での練習試合を楽しんでいただきたいですよね」

 そう言ったんですよ。眞妃様の弟君を喜ばせるという、私欲のためです。

 だから、あんな事を言ったのも、少なくとも彼の私欲にそぐうからであって、私のためではないはずなんです。

 とは、分かっているんですけど。

 

『愛の一日を私にください』

 

 あんなにも真っすぐ言われると、嬉しくない、というと嘘であって、けれど彼の打算がどの方角に向いているのか分からないんです。

 打算の下に、実利を求めた契約。

 あの言葉は、誰の利益のために言ったんでしょう。

 自分の為?

 眞妃様の為?

 書記ちゃんの為?

 かぐや様の為?

 それとも……

 

「酷いんじゃないですか? みぃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そっと呟いた早坂の言葉を、四宮かぐやは聞かなかった事にして窓から空を見上げる。

 相変わらず、薄鈍色の雲に覆われていた。

 



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五条美城は勝ち負けにこだわらない

「そろそろ期末テストですけど、あんな啖呵を切った五条くんの学力はどれほどの物なのかしら? 早坂」

 

 期末テスト。

 秀知院では文理混合年五回の試験が実施されている。

 四宮かぐやはこの偏差値77を誇る高校で、白銀御行が頭角を現すまで一位の座にい続け、今なお二位のトップランカーだ。

 凡人が影を踏むことも叶わぬかぐやという天才が、本気を出してなお勝てない生徒会会長・白銀御行との点取り合戦。

 その間に先の『試験に勝ったら愛の一日をください』発言をもって戦いに身を投じようとする五条美城の事が気にならないはずがない。

 問題集を見開き一ページしたキリの良い所で、伸びをしながら傍らに控える早坂愛に尋ねた。

 

「はい。以前に通っていた学校では、眞妃様の弟君・四条帝と共に百点を取り続けていたそうです。とは言っても、秀知院より偏差値の低い公立校での事ですが」

「外部編入試験を潜り抜けているのですから、少なくとも掲示板でしょうね」

 

 秀知院では成績上位五十名の名前と得点が掲示板に張り出される。他の公立校とは言え百点を取り続けている事、編入試験を通っている事からそこに名前が載る事は確実、とかぐやは考えた。

 

「どこまで秀知院でのテストに対応してくるか、という所でしょうか。早坂、あなたはどちらに勝って欲しい?」

「欲しい?ではなく、単純にかぐや様が勝ちます」

「冷たいこと」

「では泣きつけば彼に負けてくれますか?」

「無理ね」

「でしょう」

 

 『みぃが勝つし』みたいな色ボケられ方をされたらどうしようかと思っていたが、そこまで脳みそ真っピンクではないようだ。

 それもそうだ、早坂は成績上位の争いの恐ろしさを知っている。

 試験は教師陣が本気になって作り上げた、艱難辛苦極まる問題だ。東大の試験を初めて解いた受験生が面食らってロクに解く事もできないように、慣れてない人にとって実像の難易度より難しく感じるだろう。

 さらにそれら全ての教科で九十点以上取る所がトップ層に入るスタートラインだ。その時点で難しい。さらに十傑と呼ばれる位置に入ろうと思うなら九十五点は取らなければならない。ミスの一つも命取りという状況に追い込まれる。

 

 これらが単純に四宮かぐやが勝つと思った早坂の論拠である。

 

「いつも通りやれば五条くんには私が勝つ。けれど、いつも通りでは会長に勝てない……。今回の試験は勉強時間を増やして挑みます。五条くんには悪いですが、負けという形で涙を呑んでもらいましょうか」

 

 問題集のページを一枚めくりながら、かぐやはいつも通りの声色で言った。

 

「ああ、だからと言ってお休みをあげない、なんて事は言いませんから安心なさい」

「そうですか」

 

 あまり関心が無い体で早坂は頷いた。休みが欲しいのは事実だが、喜ぶと自分が美城とデートしたくてしょうがないように思われかねない。それは早坂的にはノーである。

 相手が頭を垂れて誘って来る分には問題ないが、こちらが媚びるのは宜しくない。早坂愛は四宮の教育を受けた女だった。

 

「こちらはもういいです。早坂も自分の勉強をなさい」

「かしこまりました。おやすみなさいませ、かぐや様」

 

 スカートの裾を持って一礼すると、早坂は主人の部屋を退室した。

 勉強なさい、と言っても今回も114位を取るのでしょうけど。

 ある種一位を目指すより難しい事をしている従者の金髪をもう一度だけ見て、かぐやは自分の勉強に取り掛かった。

 

 

――――

 

 ああ言いましたけど、気にはなりますね……。

 

 かぐやは自分の才能に絶対の自信があるが、だからといって相手を軽んじていい理由にはならない。成績では圧倒的に下位に位置する藤原千花にすら工作を惜しまないのだから。

 

「あら、会長」

「四宮。今行くところか?」

「ええ。ご一緒してもいいですか」

「もちろん」

 

 放課後、生徒会室に向かっている最中にかぐやは会長の白銀御行とばったり出くわした。

 内心のウッキウキを悟られないように気を付けながら、とりあえず目前に迫った期末テストの事を話題に挙げる。

 

「そう言えばそろそろ期末テストですね。会長は勉強の方ははかどっていますか?」

「ん……ああ、どうかな。バイトや何やらでな、あまり時間を確保できていないな」

「そうですか……」

 

 嘘である。

 この男、最近はバイトも休み起きている時間はほぼ全て試験勉強に費やしている。

 一夜漬けどころか十夜漬けに達しようかというほど、勉強時間の確保に本気を費やしている。

 

「そういう四宮はどうだ」

「私はいつも通りでしょうか。テストは自分の実力を見るものです。無理に背伸びせず、自然体で受けようと思っています」

 

 嘘である。

 この女、本気も本気で臨んでいる。

 四宮かぐやにとって敗北は必ずしも屈辱ではない。周囲から疎まれる事を避け、『常に六割』の実力を出さない彼女は、敗北も処世術の一環と考えている為である。

 だが勉学に限っては、本気を出してなお白銀には一度も勝てていない。これは彼女のプライドをいたく傷つける事実であった。

 これに加えて未知数の五条美城が勝負を挑んで来るのだから、心中穏やかでいられるはずもない。

 

「会長は防衛王者として一位にい続けていますが、最初の頃は秀知院のテストに戸惑いましたか?」

「そうだな……まず範囲が異常に広いな。それに問題の質が高い。テストでこんな問題を出してくるのかと驚いたよ」

「やはり外とは違いますか?」

「外か……。外と言えば、俺と同じ外部入学の五条は普段は何を考えているのか分からないような奴だが、この時ばかりは勉強漬けって感じだな」

「どうですか? 彼は会長から見て」

 

 これだ。かぐやは見た目が綺麗という事以外の情報が乏しい転校生の事を聞き出そうとする。

 

「正直に言うと分からん。小テストとかの点数は良いんだが、掲示されるような生徒は大体そうだろ?」

「ですね」

 

 どうやら早坂が持っていた情報以上の物は得られそうにない。白銀と話せたという事以外は有益な情報もなく、今日の授業で教師がテストに出すと言ったとか言わないとかの話題を提供し合った。

 

 生徒会室の前まで来ると、中から可愛らしいソプラノが扉を挟んでくぐもって聞こえた。

 

「藤原さんでしょうか」

「また何かゲームでも持ち込んできたのか? 全くしょうがない……」

 

 

 

 

 

「5メガネ!!」

「なんの! わりばし!!」

 

「何だこれー!!!??」

 

 メガネを五つ床に並べた藤原千花に、それにわりばしを突き出す五条美城。

 中では天才二人でも読めないカオスが広がっていた。

 

「な……フェイントですか!? じゃあこの明太子は使えません!!」

「そしてこのウーロン茶で私のコンボは完成します」プシュ(缶を開ける音)

「しまった暗黒コンボですか!! 仕方ありません! ここで雑巾を発動です――!!」

「バカな!! 二枚もですって!? 千花正気ですか!!?」

 

「ちいいっ!」

「アイルトンセーナー!!」

 ザッ……

 

「くッ……私の五目半負けです……」

「フチなしのメガネだったらシロちゃんの勝ちだったかもしれません……」

 

((全然わからん……))

 

 それを教えてくれる人は誰もいない……。

 

「会長、四宮先輩、お疲れ様です」

 

 この戦いを見届けていた人物は、意味不明に白熱している二人の戦いから目を離して、今入って来た先輩二人の方に目を向けた。

 石上優。本編の裏主人公にあるまじき初登場であった。

 美城とは風紀委員の追及から逃れる際に出会い、秘密の抜け道を案内されたが、ゲームを持ってきていると知るや否や普通に伊井野ミコに突き出された過去を持つ。

 あまり話が膨らまなかったので二行で二人の出会いを説明するにとどめておく。

 

 

「藤原先輩が雑巾を使っていなかったら僕達も無事ではすみませんでしたよ……」

「そーなの!!?」

 

 石上は大真面目な顔をしながら額の汗を拭ってそんな事を言った。

 

「というか石上! お前がツッコまないでどうした!」

「会長、さっきのを見てどう思いましたか」

「意味がわからん」

「そう言う事です」

「そうか……」

 

 滅茶苦茶な説得力がその言葉にはあった。

 白銀も頷かざるを得なかった

 藤原がハチャメチャな事は重々承知していたが、気の合う幼馴染と一緒だとこんなのになってしまうとは予想の範疇の外である。

 

「そもそも何であの二人はあんな変な事をしてるんですか?」

「何でも成績が下がり調子の藤原先輩を心配した親御さんが、勉強を見てくれと頼んだそうですよ。勉強するかしないかで戦っているみたいです」

「「あっ、フーン……」」

 

 白銀、かぐや、両名言葉を濁して明後日の方向を向いた。

 藤原の成績が下がり調子なのは二人の試験を少しでも有利に進めようというダーティープレイの結果なので、とてもとても心当たりがあった為だ。

 

 ……まあそれはそれとして。

 かぐやは自分の行いを棚に上げた。

 

「今日の所は千花に何も言いません」

「やったー。シロちゃんを打ち払いましたよ」

「ですが第二第三の私が千花に勉強をさせるために誕生するでしょう……」

「えっ」

「覚えておいてください千花。勝つまでやれば負けじゃない!」

「……勉強教えてください」

「はい、喜んで」

 

 藤原と美城は五つのメガネとわりばしを『TG部お楽しみボックス』に片付けると、粛々と鞄から勉強道具を取り出してカリカリ書き込み始めた。

 

「さっきまでの騒ぎは何だったの!?」

 

 この人もしかしてただの馬鹿なのでは?

 かぐやは自分の中で五条美城の脅威度が急激に低下していくのを感じていた。

 

――

 

「と、言う事があったんだけど」

 

 その日の夜に話したのは当然あの二人の頓珍漢な行動についてであった。

 長きにわたり語り継がれそうな意味不明ゲームに興じた後、それまでの流れを無視するように普通に勉強を始めた対象FとM……。

 二人の融合FM怪人が放った毒電波は確実に天才達を蝕み、『どうしてメガネをわりばしで防げるんだ……?』という答えの無い問答が頭にチラついて鬱陶しかった。

 と、言う事を早坂と共有したかったのだが、

 

「書記ちゃんが雑巾を使わなければ危ない所でしたね、かぐや様」

「あなたも!? 同列感凄いんだけど良いの?」

 

 この有り様だった。

 

「まあそれは良いとして」

「まあ、で置いておいていい事!?」

「みぃは他の人にも教えているそうですよ。彼に近い所で言うと眞妃様の彼氏の田沼翼とか」

「随分と余裕ですね。ライバルを増やして勝てるほど秀知院のテストは甘くないというのに」

「ええ、ほんとうに……」

 

 早坂は美城の不可解な行動を主人に教えると、自分ではっと思い出した。

 そういえば美城という人は、本気を出して負ける事にかぐやと違って何ら忌避感のない特異な人物である。という事を。

 もしかしたら周りを育てて自分を打ち負かす人間を育てているのではなかろうか?

 いやいや、まさかそんな魔王みたいな事を……

 

――

 

「え? そうですよ?」

 

 する人間だった。

 迷いのない真っすぐな瞳だった。

 LEDの光をはじき返す煌々たる赤い瞳が、一揺らぎもする事なくこちらを見ていた。

 

「そうですよって……どうしてですか?」

 

 単純な疑問を早坂は口にする。

 今は試験期間中の為、部活動は休止しているが、自習という名目で二人は普段ボランティア部として利用している教室で勉強していた。

 部活は休止中だが、生徒会活動は一応あるため主人を待たなければならない早坂への配慮である。

 パタリと美城はノートの上にペンを転がすと、机の上で指を組みながら彼は言った。

 

「ほら、私って負かされる事に喜びを覚える人間じゃないですか?」

「ヤバイ性癖ですね」

「ですが私を負かした人物って四条姉弟のお二方しかいなかったのでもっと欲しいんです」

「ヤバイ性癖ですね」

「私二番目に好きな事が勝つ事と勝たせる事なんですよ」

「ヤバめの性癖ですね」

「成長した人が私を負かしたら、一番と二番が同時に満たされてお得ではありませんか」

「やっぱヤバイ性癖ですね」

「まあそんな訳で他の人と勉強会を行っているのですよ」

「総じてあなたがヤバイという事しか伝わって来なかったのですが」

「やばいですね☆」

「やかましいです」

「はい」

 

 どこぞの腹ペコお姫様のような事を言いだした彼氏(似合ってるのがムカつく)を一喝して黙らせる。しかし内心は彼の行動の裏が分かったためほっとしているのだった。

 何の事はない。自分の為にしているのなら理解できる。

 

「ですが教える、というには大所帯ですね」

 

 美城が勉強会を行う時は、最低でも眞妃と翼、そして柏木渚を含めた四人で行っている。そこに紀かれんや巨瀬エリカが加わったり、生徒会が無い時の藤原が参加したりしているのだった。

 

「それはあれですね。眞妃様の成績に悪影響が出ないように……」

「悪影響?」

「田沼君はあまり成績が良くないので、眞妃様が一人で教えると、その時間が足を引っ張るのではないかと」

「だから教える人を増やして負担を減らそうと?」

「まあ、そう言う事ですね」

「それであなた自身の勉強はどうなんですか。かぐや様にあんな啖呵を切っておいて」

「どうしてそんな事を気にするのですか?」

「別にいいでしょう」

「まさか、本当に私とデートしたいですか?」

「怒りますよ」

「ふふふ……怖い怖い」

 

 口元に手をやり、忍び笑いするよう小さくクスクスと笑う美城。その美少女にしか見えない容貌を知り尽くしている笑みに、早坂は少しの親近感を覚える。容貌を『使う』のは、私と一緒だな。

 

「というよりも、ですね」

「何でしょうか、愛」

「いえ。そんなに負けたいなら負けてしまえばいいんじゃないですか? 私が常に113人に負けるようにしているみたいに」

「分かっていませんね」

 

 何てくだらない、とでも言いそうな表情を作って、彼は青の瞳を見つめる。

 

「何が分かってないと言うんですか」

「えっと、これ女の子に言っても絶対に伝わらない例えなんですけど……」

「言ってみてください」

「バキの最恐死刑囚みたいな感じです」

「全っ然わからない……」

 

 早坂が知っているのは実写化した漫画(見てない)くらいである。それも漫画の内容ではなく主演俳優の出ていた作品、という形で覚えるので、バリバリ男向けの漫画などは彼女の守備範囲外だった。

 

「『敗北を知りたい』ですよ」

「知れば良いんじゃないですか?」

「ワザと手を抜いて得た敗北に何の価値がありますか? 真剣に努力して、死力を尽くしてなお勝てない相手がいる。それがいいんですよ」

「理解できませんね」

「それでいいと思います」

 

 この話題はお終い、といった感じで美城は再びノートに目を落とした。さらりと流れる白髪が彼の顔にかかって、その表情を窺い知る事は出来そうにない。

 普段は軽やかな綿毛のようにも見えるその白髪が、この時ばかりは氷った滝のような重厚さを帯びて垂れていた。

 きっとこの奥に、五条美城という人間の底があるのだろう。

 自分が誰かの役に立てるような能力を持っている事を疑いもしないような、謙虚な表に反して傲慢とも言えそうな内面に抱えた自信。それだけの自信があればプライドもありそうな物だが、負けても平気なメンタリティー。

 ……こればかりはやはり心底理解できそうになかった。

 まあ自分は美城のカウンセラーでもないのだから、考えるのは止めておこう。しょせん女は男の事を理解できないし、その逆も然りだ。

 彼も言ってるじゃないですか、それでいいと思います、と。

 

「そろそろ時間ですね」

「何かありましたか?」

「いえ、生徒会が終わる時間という事です。この後千花と勉強するつもりなのですが、愛も一緒にどうですか? もちろんかぐや様も」

「申し出は受け取っておきますがお断りします。かぐや様も同じ事を言うと思いますよ」

「それは残念です」

 

 どこまで本気か、美城は残念そうに肩眉を下げて笑うと、鞄に勉強道具を片付けて立ち上がった。手にはこの部屋の鍵が握られている。

 それを返却する手間を考えると、そこらへんの教室で勉強しても良かったのでは、と早坂は思った。試験前で人の残る教室だと面倒くさい視線に晒されるかもしれないが。

 

「あ、シロちゃ~ん」

「千花、ちゃんと逃げずに来ましたね」

「私を何だと思ってるんですか!」

 

 生徒会室に繋がる廊下から顔を出した藤原に、美城は手を振って応えた。

 

「眞妃ちゃんとその彼氏さんや、柏木さんも来るんでしたっけ?」

「紀さんや巨瀬さんも呼びましたよ」

「あー。だからシロちゃんは自習室の広い所借りてって言ってたんですね」

「そう言う事です」

「そうだ、かぐやさんと早坂さんも一緒にどうですか?」

 

 にぱーっと花が咲くような笑みを浮かべながら、藤原は二人を見て言う。邪気のない笑みに、気の抜けたような表情をかぐやは浮かべた。

 逼迫するような成績ではなく、かといって上位に食い込める成績でもない事を十二分に理解した彼女の、しかしそれでも良いと思っているお気楽な笑みだったからだ。

 周りが厳しく、本人も自分に厳しいかぐやでは至れない能天気さ。少しだけ羨ましいと思ったのは嘘ではなかった。能力は全然羨ましくはないのだが。

 

「ありがたい申し出ですが遠慮させていただきます。友達同士の輪の中に入って空気を悪くするのは嫌ですしね」

「そんな事ないですよー」

「それに、私は一人でする勉強が合ってますから」

「そこまで言うなら……。早坂さんはどうですか?」

「ごめーん、今日これからバイトで」

「またですか!? もう本当……『もう!』ですよそんな職場!」

「まあまあ。落ち着いて千花」

 

 早坂のバイト……もとい仕事はかぐやの従者業なので、彼女が帰るなら早坂も帰らなければならない。しかし当然藤原にとっては知ったこっちゃないので、こんな時に仕事をさせる勤務先に怒りが湧き上がって来ようものだ。

 中学からの目の前の親友が顔をしかめた。

 

「で……では私達は帰りますね」

 

 『もう!』されたかぐやはしかめっ面の渋い所が抜けないような中途半端な顔で挨拶すると、そそくさとその場を後にした。悪口を言われているようで落ち着かなかったからである。

 知らず知らずのうちに親友を貶していたとは夢にも思わない藤原は、そんなかぐやの様子に首を傾げながら「また明日―」と手を振った。

 

「速くテストが終わってくれないかしら」

「珍しいですね。かぐや様がそんな事を言うなんて」

「早坂も分かっているでしょう? あなたがさっさとデートに行ってくれないと、藤原さんはずっと怒り続けるって事」

「まあー……そうですね」

「テストが終わって欲しい普通の学生はこういう気分なのかしら」

 

 かぐやは新たな発見をした所で窓から視線を落とす。五人ほどのグループが自習室に向かっているのが見えた。白い頭と、遠い血のつながりがある鳶色の髪があるので何のグループかすぐに分かった。

 眞妃と、その周りの友人は上位五十名に名を連ねる優秀な生徒であるという事は知っているかぐやだが、あんなにも集まって勉強し合うとかえって非効率ではと思う。

 一人でこなしてきた自負があるからこそ、美城のああいう姿は理解が出来なかった。

 

 天才とは、孤高の人であるはずだ。

 であるならば、五条美城という人間が天才であるはずがない。

 

「勝たせてもらいますよ、五条くん」

 

 その能力と実績で恐れられながらも慕われる白銀御行も、似たような孤高を抱えている。

 その見た目と口八丁で誰からもすぐ愛されるような五条美城という男は、あまりに自分と違いすぎて、孤高とはかけ離れた存在で、少しばかり腹が立つのだった。

 

 

――――…

 

「うう~緊張します~」

 

 テスト当日。

 学内は夏の頭にも関わらず乾いた冬の日のような肌を刺す空気に満ちていた。

 ここ偏差値77の秀知院学園に於いて成績を気にしない生徒など居ない。

 誰か一人でも先んずるため、始まる前は如何に相手に勉強させないかの心理戦を繰り広げていたとしても、事ここに至ってはわずかでも頭に知識を詰め込んだほうがいい。

 一ページでも多く、一単語でも多く目を通しておきたい。そんな焦燥と対抗心とが渦巻く人が多くなれば、自然と乾いた空気にもなるだろう。

 

「もし今回も成績落としたらお小遣い減らされちゃうんですよ~」

 

 焦燥に溢れているが、あまり対抗心はなさそうな藤原はノートをぱらぱら確認しながら、隣で熱心に問題を解いている白銀に話しかけた。返答を期待しているというよりは、何か喋って緊張を紛らわそうという口と頭の運動みたいなものだ。

 

「落ち着け。今更慌てても点数は変わらん」

「会長は緊張しないんですか~?」

 

 成績でさほど期待をかけられていない藤原には、白銀の心中は知る由もない。

 期待に応え続ける重圧と、失敗は許されない恐怖を。

 

「当然だ。別にこれで人生が決まる訳でもない。今まで積み重ねたものを出すだけ。俺は自分の力を信じている」

 

 嘘である。

 この男、ゲボ吐きそうな程緊張しているし、先刻から謎の震えでペンもロクに持てていない。

 

「おはよーございます。……ふわぁ」

 

 この期末テストにおいて最大の懸念事項、五条美城が登校してきた。彼が上位に食い込んでくるのかそうでないのか、眞妃以外の生徒は知らないのだ。

 しかし、そんな彼はいつもと違って眠そうで、どこかふわふわした雰囲気を纏っている。

 

「シロちゃんあくびなんかしてどうしました? 眠れなかったんですか?」

「いや、逆。昨日は日差しが強くて暖かい日だったじゃありませんか。目が痛かったので早く床に就いたんです。まあつまり……寝過ぎですね」

 

 本気である。

 この男、試験直前の追い込みの時期であるにも関わらず、昨夜は十時間もぐっすりだったのである。

 美城スヤスヤでワロタ。

 

「会長。今回の試験は胸を借りるつもりで挑ませていただきます」

「ああ」

 

 言葉少なく白銀が言うと、それだけで満足な美城は自分の席に歩いていった。

 

「藤原書記も席に戻った方がいい。大丈夫だ、噂になる程の大勉強会をしたんだろ?」

「そうですね~。頑張りましたから。では会長も頑張ってください」

 

 では、と藤原は頭を下げて席に着いた。

 予鈴が鳴ったのと担任教師が入って来たのは同時であった。

 いつもよりも簡素で短いホームルームで、試験時の注意をいつものように言う。机を空に、机の上はペンと消しゴムだけ、カンニングは厳重な処罰が与えられる事、どれも耳馴染みがありすぎて誰も聞いていなかった。

 

 そして始まる期末テストの時。

 教師が問題用紙と回答用紙を配ると、生徒達の緊張は極致に達した。

 ある者は落ち着きなく深呼吸を繰り返し、ある者は余裕を漂わせながら目を閉じて、ある者は射殺さんばかりに問題用紙を睨みつけている。

 

「始めっ!」

 

 その一言に弾かれたように、皆一斉に問題用紙を表に返した。

 

 今ここに戦いの火蓋が切られた――

 

――

 

 一階の掲示板にはさまざまな掲示物が貼られている。

 地域のボランティア活動のお知らせ。部活動の勧誘ポスター。マスメディア部の校内新聞。

 今日は一年に五度ある掲示板の前が賑わう日であるが、彼等の目的はそんな張り紙ではない。

 

「前開けて」

 

 分厚い巻物を抱えた教師が掲示板にやってくると、皆大人しく二三歩下がって黙りこくった。

 それは成績上位五十名の名前が書かれた物で、そこに名前が載る事の価値を、彼等は誰よりも知っていた。

 

 それは知性の証明であり、天賦の証明であり――何より努力の証明である。

 それを怠った者に栄光は輝かない。

 

 教師が巻物の端を切り、ゆっくりと掲示板に張り付けて言った。

 いつもの文句が冒頭に飾られて、さあ一番に顔を出すのは誰だ。

 白銀御行と四宮かぐやは顔を見合わせた。

 

 

 

一学期定期考査

成績優秀者五十名を列記する

ここに名を連ねる者は今後も

後進の標となるべく更なる

講究を望むものである

       教師一同

 

一位  白銀御行  四九二

 

二位  五条美城  四八八

 

二位  四条眞妃  四八八

 

二位  四宮かぐや 四八八

 

五位  柏木渚   四七九

 

六位  阿部和音  四七八

 

七位  荒川たいが 四七五

 

八位  豊崎三郎  四七四

 

 

 

 かぐやの時が止まった。

 それとは裏腹に、周りは騒然となって動き出す。

 白銀御行と四宮かぐやの、二人の天下に割って入る人が出た!

 今まで三位の四条眞妃だけならともかく、牙城を崩した二人の内一人は転校生だ。

 興味がそちらに映った生徒達は周りを見渡して目立つ頭を探すが、黒、黒、あって栗色、あの眩い白髪はどこにも見当たらなかった。

 

「……流石ですね会長」

 

 四番目に自分の名前を見つけたかぐやは、喉の奥につっかえるようなものを感じながらも、前回に引き続き一位を取った白銀の事を褒めた。

 彼はいつもと順位が変わらないのに、かぐやの名前が隣にいない事実に若干の寂しさを覚えながら応える。

 

「四宮こそやるではないか。こういうのは時の運もあるからな、次は分からん」

「いえ、会長の努力は私も知る所です。運などではありませんよ」

「しかし……二位が三人か。まさか五条の奴がこんな出来る奴だとは思わなかったな」

「ええ、本当に。転校生に並ばれるなんて私もまだまだですね。この結果も甘んじて受け入れますよ」

 

 嘘である。

 この女、目から血が吹き出しそうな程悔しがっている。

 ここが公然の場でなかったら地団駄を踏んで転がり回る所であったが、唇を強く噛んでそれを抑え込んでいた。

 

「会長はこれで四連覇ですね。やはり嬉しいですか……?」

「いや。やはりプレッシャーが大きかったからな。実際の所安堵しかない。新しいライバルが増えてしまって今から気が重いくらいで、喜ぶ余裕なんかないさ」

「そういうものですか……」

 

 嘘である。

 この男、ここが公然の場でなかったら意味もなくシャドーボクシングをしそうなほど喜んでいる。

 肩の荷を下ろすように大きく息を吸って吐くと、白銀はトイレのために席を外し、個室で拳を振るいまくったほどであった。

 

 後に残されたかぐやは、チラチラとこちらを窺ってくる視線が気に食わなかったので踵を返した。

 一度だけ振り返って、五条、四条、四宮の並びを見る。

 

 ただの五十音順です。

 

 と思っても悔しさは晴れない。順位は同じ二位とは言え、四番目に名前が配されるなど、かぐやの記憶には無かった。

 端的に言って屈辱である。

 誰も来ない校舎の影に隠れると、先ほど我慢していた地団駄を踏んで悔しさを露わにした。

 

「かぐや様」

「あ……ご、五条くん?」

「はい」

 

 声のした方向を、敵意と殺意のこもった目で見つめると、建物の角から出て来たのは白い髪の五条美城だった。

 二つの害意を意識して薄めながら口元に笑みを浮かべると、余裕のある佇まいを作って言った。

 

「……掲示板は見ましたか?」

「いえ、見ていませんが、こがね……かぐや様とはフランス校交流会の準備の際一度会った女子ですね、彼女が無駄に張り切って教えてくれました」

「そうですか……。ともかく、二位を取った事、おめでとうございます」

「ありがとうございます、かぐや様。ええと……」

 

 美城は小さく頭を下げる。

 さて彼は何を言うだろうか。同じく二位を取った自分を褒めるのだろうか。だとすればとんだ嫌味ではないか?

 心がささくれ立っている事を自覚しながら、美城が何か言いそうなのでしばらく待ってみる。

 

「同着だったので偉そうな事は言えませんが、愛にせめて半休をあげてはくれませんか?」

 

 ぽんと出て来た言葉は、恋人の為の物だった。たしかに表立って約束はしてないものの、早坂の主人がかぐやである事を理解した上でああ言ったのだから、特に否定されない限り約束として受け取られたと美城が考えてもおかしくない。

 

「みぃー……と、かぐや様?」

 

 また建物の影から、聞き馴染んだ声と共に見慣れた金髪がひょっこりと頭を出した。何とタイミングが良い。

 

「早坂、どうかしましたか?」

「眞妃様が『美城はどこ?』とお探しのようだったので、少しお手伝いを」

「私を?」

「そうです。『せっかく自分と並んで二位』なん……だから……」

 

 二位、という言葉を口にした瞬間、早坂は自分の主人の順位と同着なのに五十音順のせいで四番目に書かれた事実を思い出す。眞妃のメッセンジャーとして役割を果たそうとはしても、本当の主人の機嫌の前には比べるまでもない。

 どうしようか、そう考えるように早坂は口ごもる。

 

「美城―? ねえ愛、こっちにいるの?……って何だ、おば様も一緒だったの」

 

 またまた建物の影から今度は鳶色の髪が飛び出した。三度目ともなれば驚かない。

 

「あら、これはこれは、おば様。今回のテストは私と美城とお揃いね」

「眞妃さん……」

「今回は惜しかったわ。あともう少しで一位と思ったんだけど」

 

 地団駄を踏んで転がり回りたいかぐやと違って、眞妃の言葉はあっさりしたものだった。

 

「それだけですか?」

「そうよ。他に何かあるの?」

「いえ、別に」

「あ、そうそう、約束よ」

「約束……。五条くんが私に勝ったら早坂の一日をあげるとかいうアレですね?」

「そのアレよ。まさか同じ順位だから駄目とかつまんない事言わないでしょうね」

 

 かぐやは、あまりにもからっとした眞妃の態度に、過去にも美城はこれくらいの有能さを見せ続けていたのだろうという事を読み解いた。

 だとすると、見る目が無かったのは私の方、ですか。

 ふっと胸のわだかまりを吐き出すように息を整えると、眞妃と美城と早坂の顔を見渡した。

 

「もちろんそんなつまらない事を言うつもりはありませんよ。五条くん」

「はい、かぐや様」

「あなたに早坂の一日をあげます。日取りはちょっと先になってしまいますが」

「構いません」

「来週の土曜日を開けさせます。あなたも予定を開けておきなさい」

「ありがとうございます。私如きのお願いを聞き届けくださり、感謝の念に堪えません」

 

 美城はかぐやの言葉に深々と頭を下げた。

 頭を下げられ慣れてるかぐやでも惚れ惚れするほどの綺麗な礼だ。

 ちょっと顔が可憐に過ぎるけど、礼節をわきまえているし、能力だって申し分ない。早坂の相手にはこういう人がいいのかも。

 姉妹のように育った早坂が取られるのは心中穏やかで無かったが、ようやく認められたかも……

 

「では愛にこの一日をあげますね」

 

……

 

「は?」

「へ?」

「ん?」

 

 あまりにも当たり前のように美城が言った言葉に、かぐやと眞妃は友人の所に行こうと三歩進んだ足を二歩下げた。

 早坂など鳩が豆鉄砲を食ったようにポッカーンとしている。

 

「えっと……みぃ、それはどういう……?」

 

「? どういうも何も、愛の来週の土曜日はお休みという事ですけど。普段できない事をして存分に羽を伸ばしてください。駿河さんや火ノ口さんは言っていましたよ。全然遊べてない、と。女友達同士で買い物なんて楽しそうでいいですね。愛はお洒落さんですから夏物とかが沢山必要だと思いますので、渋谷や原宿……あ、もしかして銀座とかですか? それとも愛はパソコンとか最新電気機器が好きとも言ってましたから、秋葉原とかでパーツを見たりするのでしょうか? もし人手が必要ならいつでも呼んでくださいね。私もその日は開けておきますから。それにそれに……」

 

 ぺらぺらと美城の口が止まらないのを、早坂は引きつった笑みで眺めていた。後ろにいる二人を見ると、理解できないような目で同じ様に彼を見ている。

 何故そこまで言ってデートの一言が出てこない。

 じろっと、胡乱な物を見るような目で三人は美城の事を眺めていると、偶然か必然か、皆の心は一つになった。

 

「……早坂。やりなさい。誰かのためじゃなく、あなた自身のために」

「……眞妃様は?」

 

 そう会話の水を向けられると、いまだ頭の中での東京散策が終わらなそうな美城を見て、呆れつつもどこか楽しそうに言い放つ。

 

「やっちゃえハーサーカー」

 

 ご主人様のお墨付きを頂いて、早坂は拳を握りしめながら美城の目の前に立った。

 

「いいですね、お出かけというのは。あ、もちろんお出かけしなくても、お家でゴロゴロするというお休みも一興とは……え? どうしました愛? 何だか目が……目が怖いんですけど……」

 

「みぃの……バカッ!

 

 

 パシーン!

 

 

 

本日の勝敗 美城の敗北(立派な紅葉が咲いた)

 

 

 

 




「5メガネ!」「なんのわりばし!」が分からない方は伝説のバトルギャグ漫画『ボボボーボ・ボーボボ』を読んでください。さらに分からなくなる事必至です。


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五条美城は仲直りしたい

扉絵的な小話
 会計君と転校生①

石上「全く……生徒会だからって図書室にプリントを持っていけなんて……」

美城「……」キラキラ

石上(うわっ、あれが噂の転校生か。マジで真っ白なんだな。それに男の娘……)
美城「……」ジー
石上(住む世界が違うってこういう事を言うんだろうな。まあ僕には関係な……)

美城「石上君」

石上「はいっ!?」(話しかけられた? 何で僕の名前を……)
美城「生徒会会計の石上君ですよね。私、会長と同じクラスで話を聞いていたもので。すみません、驚かせてしまいましたね」

石上「ああ……会長と同じクラス」
美城「それで……少し聞きたい事があるんですけれど……」
石上「えっと、何でしょう」(何かとんでもない本でも探してるのかな?ユーゴスラビアの作家とか言われたら分からないぞ……)

美城「はだしのゲンを探してるのですが……」
石上「いや小学生か!」

 ―完―


「おはようございます眞妃様、かぐや様」

 

 その日は雷雨が降りしきる悪天候であった。

 ざあざあと会話がかき消されそうなほどの水音に、時折轟く雷。愚痴をこぼしながら行き交う人々の中にあっても、いささかも陰りも見えないような真っ白さで五条美城は主人に挨拶をする。

 返って来たのは本日の雷のような鋭い目線だった。

 

「眞妃さん、あなたの所の女の敵が挨拶なさってますよ」

「何よ女の敵。期待させるだけさせといて最後に梯子を外す女の敵」

「ええと……」

「四条ではこんな風に女を扱えと教えているのですか?」

「美城、ほんっとこれだけは擁護できないわ」

 

 四条眞妃と四宮かぐやは、双方冷たい美貌の目元を更に尖らせて美城の方を見て言った。

 どうしたものか、と彼が考えているうちに、二人はこれ以上話す事は無いとでも言いたげに背中を向けて歩き去った。

 

「そもそも五条くんは優しさという物を……」

「美城の対人経験の少なさが……」

 

……

 

「ヨシ!(現場猫)」

「何が『ヨシ!』なんですか」

「あ、おはようございます。愛」

 

 指さし確認をしていると後ろから馴染みの声が聞こえてくる。美城は振り返って契約恋人の金髪を確かめると、いつものように挨拶をかわした。

 早坂の方が返そうとすると、遠雷が響いてきてその声がかき消された。

「っ!」とびっくりして肩を竦めた自分を恥じるように息を吐く。そして挨拶は諦めて早速本題に入った。

 

「切り替えが早いんですよ。もうちょっと主人に嫌われたなら落ち込む殊勝な心掛けを見せてはどうですか」

「雷にびっくりする所も可愛くていいと思いますよ?」

「話をそらさないでください」

「はい。……と言われましても、あちらを見てください」

 

 そう言われると指さしの形のままでいる美城の指のその先に早坂は視線を送った。

 四条眞妃と四宮かぐやが二人並んで歩いている様子が見える。今角を曲がった。

 

「あれがどうかしましたか?」

「私が愛に近づいた理由の一つですよ」

「ええと、眞妃様とかぐや様の仲を改善させる、でしたっけ」

「見ましたよね、あのお二人のご様子」

 

 人気のない廊下から美城の方に視線を戻すと、何だかウキウキした彼がそこにいた。

 

「愚痴をこぼしあうなんていかにも友人ではありませんか。こういう、ぽい所から本当になっていくんですよ」

「あなたの悪口で、でもですか」

「それになんの問題がありますか? ……まあ想定と違ったのは認めますけど……」

 

 二人が仲良くしているのは喜ばしい。それも嘘ではないのだろうが、反面自分に厳しい態度が向けられるのは、それはそれで辛いようで美城は少し俯いて指先を遊ばせた。

 

「対立部族が蛮族を追い払うために一致団結したヨーロッパの歴史ですか? では挙国一致のためにフン族であり続けてください。女の敵さん」

「一つ言いたいのですけど」

「何でしょう?」

「あのお二方が怒るのは分かりますよ? 私達が本当に付き合っていると思っているのですから。ですが、どうして愛も怒っているのですか?」

「フリですよ。この状況、一番怒っていないとおかしいのは私でしょう」

「それにしては今もどこか怒った様子……」

「気のせいです」

 

しげしげと早坂に無遠慮な視線が美城から放たれた。

 どこかいかり肩な気もするし、眉が吊り上がっている様にも見える。いつものすまし顔と言われればそうかもしれないが、幸か不幸か、彼は記憶力がいいのでそうではないとはっきり言う事が出来た。

 

「おはよーう愛ちゃん」

「お、朝から見つめ合ってラブいねー」

 

 表情の鑑定をしている二人の下に乱入者が飛び込んできた。早坂の友人、駿河すばると火ノ口三鈴だった。

 「雨やばー」と軽い話題を二三交わして、顎に手を当てて考え込む美城を不思議そうに見返した。

 

「ねえ何してんの?」

「睨めっこ? ファッションチェック?」

「いえ。確かに今日の愛はスカートの裾が濡れるのを嫌がったのかいつもより短いですし、まとまらなかったのか髪がくりんくりんですし、ネイルが彩度高めですけど、そういう話ではありません」

「すご」

「恐怖すら覚えるよ~……」

「じゃあ愛ちゃん何かあったの? 怒ってる?」

 

 怒ってる、は禁句だったのだろうか。美城に向けていた相貌を閉じると、首をわずかに傾けて考え込んだ。

 同じように二人も小首をかしげると、早坂と美城へ交互に視線を配った。

 

「いーや。なんでもないし。行こ、二人とも」

 

 ぱっといきなり目を見開いた早坂に一瞬あっけにとられた二人は、そのまま腕をとられて引っ張られて歩き出した。歩かされた、というべきか。

 

「愛、どうしたんですか?」

「その学年二位の頭で考えたら?」

 

 べー。

 からかうように舌を出してぷいっと顔を背けると、そこから振り返る事なく歩き去って行った。

 金髪のテールがふりふりと揺れている。

 猫が尻尾を振る時は不機嫌な証だそうだが、はてさて。

 

 

 

「という事があったんですけど」

「死ねって感じですね」

「言い方」

 

 昼休みの生徒会室で、美城は白銀御行と石上優に話を持ち込んでいた。

 さっそく石上の青春ヘイト先制攻撃がさく裂したが、柳のように受け止める。

 本来であるなら役員の二人は目前に迫った部活連の会合に向けて打ち合わせをしている時期なのだが、ある事情ですっかり余裕ができてしまい、こうしてお喋りに興じているという訳だった。

 

「五条の家が、長男が通うからって寄付金を増やしてくれたから今楽出来てるだろ。悩みくらい付き合ってもバチは当たらんだろ」

「それはそうですが……札束で頬をぶん殴られた気分を味わいましたよ、アレは」

 

 部活連の会合で一番頭を悩ませるのは『予算が足りない』という事だったが、この度転校してきたスーパーゼネコンの息子のおかげで労せず予算を引っ張ってこれたので、悠々とした時間を過ごせている。金の偉大さを理解させられた。

 

「で、どうしたらいいと思いますか?」

(っしゃオラざまぁみろ!と思ってます」

「石上声に出てるぞ」

 

 石上のヘイトの嵐吹き荒れる中、美城は気にした風でもなく紅茶を一口含んだ。喉を温めた所でゆっくりと話し出す。

 

「愛って秀知院の生徒には珍しくバイトをしっかり入れる子なんです。ですから、せっかくのお休みを貰えたなら、自分の好きなようにしたら良いんじゃないでしょうか?と言っただけなのですけど……」

 

 早坂家は四宮家の従者であるという事と、かぐやに勝ったら愛の休みをもらうという勝負の事を隠してざっくりと二人に伝える。嘘は吐いてないので良心は傷まなかった。

 

「それは簡単な問題だろう」

 

 白銀は少し安堵しながら美城の悩みに答えた。ゴリゴリの童貞である白銀でも、恋のABCに至る前の段階であるなら想像の範疇だ。

 

「休みがあるんだからデートに誘え、という事じゃないのか」

 

 確信めいた物を抱きながらはっきりと言い切った。

 傍から見れば五条―早坂カップルは仲良くしているように見える。これまで一度もデートに行った事がないという事実に驚いたほどだ。

 だったらもうデートしかないだろ、いい加減にしろ。

 

「ですが私とデートしたいかと聞いたら『怒るよ』と言ってきたんです。ですから友達とどこかに行ったり、ゴロゴロしてください、と言ったんですけど」

「ふむ……」

「僕答えていいですか」

「分かりますか? 優君」

「優君……?」

「ええ。一つ確認しますけど、早坂先輩には美城君から告白したんですよね?」

「そうですよ」

「美城君!? いつの間にそんな仲良くなったんだ!?」

「会長。話の趣旨がぶれるので」

「アッハイ……。怒られちゃった……」

 

 白銀は後輩に冷たくあしらわれてシュンとした。こんなにもしょんぼり。

 

「まあ会長の答えに付け加えるだけですけど。バイトが休みだと告白してきた彼氏に教えている。デートに誘うと怒ると言ったくせに今の方が怒ってる。だったら早坂先輩が怒っている理由は、【あなたの方が私の事好きなんだから、もっとそっちからガンガン誘ってきなさいよ】ですね、きっと」

「それ……いえ、うーん、そうなんでしょうか……?」

 

 優れた発想力を発揮した石上の答えに頷きかけるが、いやいやと頭を振った。

 普通の恋人関係ならそれで正解かもしれないが、生憎と五条美城と早坂愛は普通の恋人ではないので恐らく違うだろう。美城はそう思った。

 

「じゃあ聞きますけど、女性が『何でもない』と言ってたらどう思います?」

「女性の心理問題の初歩だろう。それは何かある、という事だろうな」

「では『怒るよ』と言っている女性は?」

「怒らないという事ですか……?」

「私の事は気にしないでー」

「それ絶対気にしろって事じゃん」

「乙女心という罠ですね、これは」

 

 そう言われると頷ける物があった。

 四宮家の人間とは言え早坂も女性は女性。デートに行きたいかどうかは置いておくとしても、デートに誘われなかったという事に怒ってはいるかもしれない。

 

「ありがとうございます優君。放課後に愛と話してみますね」

「頑張ってください。あ、悪い報告だけくださいね」

「石上ぃ!」

「会長には分からないんですよ……僕の気持ちが……! 見てくださいよこの美城君と言う男を。女と見まがう男の娘。天然物の白髪に赤い目。さらには超大型ゼネコンの長男。おまけに可愛い彼女までいる!

 

……僕には何もないのに……」

 

「げ……元気だしてください?」

 

 青春ヘイトと美城への個人的なヘイトが募りに募って石上は思わず涙を流した。美城と白銀が二人がかりで彼の背中をなでてあげたほどである。

 自覚無き陽による陰への“理解(わか)らせ”だった。

 人の幸せがこうも他人を傷つける刃になると美城は初めて知った。

 

 

 

本日の勝敗 石上の敗北

 

 

 

 

―――

 

 優君もああ言ってましたし、誘うだけ誘ってみましょうか。

 

 授業が全て終わった後のホームルームで、美城は彼にしては珍しく頬杖をつきながら、いまだ雨の降りしきる窓の外を見てそう思った。

 

 考えてみれば私と愛の関係性から、恋人らしい事をするのは迷惑かもしれませんけど、友人として遊びのお誘いの一つや二つしてもよかったのでは?

 ……まあ愛がこちらの事を友人と思ってくれているかは疑問符がつく所ですが。

 

担任の話を聞きながら、頭の片隅で考え事をする。ここ一月ほど同じ部活の仲間として方々駆けまわったり、普通に話に興じたり。彼の評価基準に合わせても、恐らく世間一般の評価基準に合わせても友人と呼んでいい親密さのラインは超えているだろう。

 だとすると、石上の言葉が俄然説得力を帯びて彼の中で存在感を放つ。

 確かに遊びに誘われないというのはかなり寂しい物がある。彼は晴れの日にはほとんど外に出る事が叶わない体であるが、一声もかけられないのはそれはそれで寂しい、という思いを何度もしてきた。

 

 では誘うとしてどこに行きましょう?

 

 美城は動けない場合が多い人物なので、いざ動ける時のフットワークが軽い人間だった。頭の中で出かける先の候補を一つ一つ上げていき、もし早坂愛が是として頷いてくれるなら、予約なり何なりをする算段をすでに立て始めた。

 

「……ではこちらからは以上だ。ホームルームを終わる。今日は雨風が強いから気を付けて帰るように」

 

 聞き流していた担任の連絡と諸注意が終わったようだ。委員長の号令によって礼をすると、教室はにわかに騒がしくなる。

 他のクラスはまだホームルームが終わっていないような静けさなので、美城は終わるまでクラスで待っておく事にした。

 これから部活に行く友人と、生徒会に行く幼馴染と会長にそれぞれさよならを言うと、ブルーライトカットメガネをかけてスマホを取り出した。短い時間見る程度だったら彼もこんな物はかけないのだが、今は他のクラスがどれくらい長引くのか分からないので、長丁場も覚悟で鼻っ柱に乗せるようにメガネをかけた。

 画面を眺めるのと、そのメッセージを受信したのは運命を感じるほど同時だった。思わず取り落としそうになった手を慌てて押さえて、落ち着いてメッセージを表示する。

 

「母さん……?」

 

 

―――

 

 

 二年B組に遅れること五分。A組でもホームルームが終わり、授業から解放された生徒達は銘々がこの大雨で狂った予定をどうしようかと話し合っている。

 早坂はもともと主人と同じ車に乗って帰るのだから、予定が狂うも何もない。ただこうも雨が降ると明日の庭掃除をするのもさせるのも面倒臭そうだ、くらいは思うが。

 その面倒そうな顔を変に受け止めたのか、すばると三鈴がニヤケ面を引っ提げて、早坂の席にするりとやって来た。

 

「愛ちゃん今日やっぱ機嫌悪いよねー」

「やっぱ愛しのみぃと何かあったんじゃなーい?」

「だから何もないし」

 

 やっぱり。予想通りの言葉に早坂は呆れる物を抱えながら、少し不機嫌そうに『ふんっ』と息を漏らす。

 怖い怖い、とそれ以上口を挟まないように二人はアイコンタクトを交わした。可愛い愛ちゃんが見られればそれでいいのだ。本気で怒らせたいなどとは思っていない。

 ……という生暖かい目で見られているだろう。早坂は優れた頭脳から友人二人の思考パターンを予測し、もう一度不機嫌な様子を見せようかと思う心を抑えた。

 

「私達さ、親が早く帰って来いって車出したからもう帰んなきゃいけないんだー」

「愛ちゃん送ってってあげようか? 一緒に帰ろうよ」

「はい残念、早坂はこっちに乗って帰りまーす」

「えーズルだズルだー」

 

 キャッキャと二人はスマホを片手にはしゃぎ合う。楽しそうな二人を見ると一緒には帰れない自分に申し訳なさも立つが、かといってかぐやを放っておく訳にもいかないのだ。従者の辛い所である。

 

「ごめ~ん。どうせ大した事無いんだろうけどー、一応ボラ部に顔だしときたいしー」

 

 こういう時に部活はいい名目になってくれる。

 顔を合わせなければならない契約恋人の事を思うと、昨日から胃の中に悪いバターを使ったトーストを食べた後のようなムカつきを覚えるが。ヤギ乳のバターみたいな色の髪しやがって。

 何かを言いたそうな二人は口を開きかけて、スマホがやかましく鳴り響いたので、やめた。

 お迎えが来たようだった。

 

「じゃあ私達帰るけど、今日の内にみぃ君と仲直りするんだよ~」

「うっさいし!」

「えへへー。じゃーね」

 

 最後に言いたい事だけ言い放って、ぱたぱたと慌ただしく二人は駆けて行った。

 しかし、三鈴は仲直りしろと言ったが、そう言われてもどうすればいいのか分からないのが早坂の正直な所だ。

 そもそも、事の発端はかぐやが実状はどうあれ美城の為にあげた早坂の一日を、あろう事かそのまま早坂に返して好きにしてくださいと言った事にある。

 何だやっぱり私悪くないじゃないですか。

 謝るべきは向こうである。うんうんと一人納得しながら彼女はボランティア部の部室に足を運んだ。

 電気が付いていない。おかしい、と思いながら扉を開けると、前の授業で使った痕跡の残っている室内の様子が目に映る。美城は来ていない。

 何かあったのでしょうか?

 早坂はすぐにスマホを取り出すと、美城からラインが来ている事にいまさら気が付いて、急いで開いた。

 

『今日、父が出張から帰って来るので母と迎えに行ってきます』

 

 ……心配した自分が馬鹿らしかった。

 親元に住んでいるのだから、親と何か一緒の用事があるというのは当然だ、仕方のない事である。自分やかぐやと違って親子仲が良いのは素晴らしい事だ。

 

 早坂は真ん中の冷たい席にそっと腰を下ろした。

 教室には少しの湿っぽい空気に乗って、チョークの石灰臭さが漂っているような気がした。

 すん、と鼻で息を吸い込むとそれがより感じられて、掃除担当を心の中で叱りつけた。

 四宮家であったなら首が飛んでいるに違いない。

 そんな得にも何にもならない事を考えながら、机に寝るように体を倒した。窓から時折稲光が走る鉛色の空を見上げる。

 ぱっと閃いて消えた光に数瞬遅れて『ピシャァ!!』と雷鳴が轟くと、分かっていたはずなのに驚いて肩を震わせた。

 

「可愛いと思いますよ?」

 

 と、誰かさんに笑われたような気がして、思わず顔を上げる。

 もちろん錯覚だ。今頃彼は母親と一緒の車で父親を迎えに行っているはずなのだから。

 羨ましくない、と言えば嘘になる。彼女の両親は今も京都の四宮本邸で働き詰めで、年に数えるほどしか会う事が出来ないから、悪天候の日に迎えに来てくれるという普通の事も遠い出来事に感じられるからだ。

 一人はつまらないと思った事はさほど無い早坂でも、雷鳴に一人震えている状況は、つまらないというか、侘しさのような物を感じざるを得ない。

 

 こういう時、いつもはどう暇を潰していましたっけ?

 

 分かり切った事のようにスマホを取り出すと、秀知院裏サイトにアクセスして、何か役に立つような噂話が無いか探してみる。

 数分眺めてみるが、分かる人にだけ伝わるように書いてあるのだから当然だが、どうにも散文的で脈絡のないような文ばかりが続くので、早坂はあくびをした。

 いつもなら『tとmというアルファベットは、前後の文脈を見るに一年の竹中君と三奈さんの事ではないでしょうか?』とどこから仕入れたのか分からない情報を補足してくれる人がいるのだが。多分こがね辺りが口を滑らしているのだと思う。

 

 タブを消して、彼女自身が一番興味のある電気機器のページを開いた。数か月後に迫った最新機種予約のニュースから、四宮の半導体関連企業が新しいCPUを開発したという身近な事までを一通り見て、他企業との比較をしながらその性能差にご満悦の表情を浮かべる。

 しかし……

 

『……という訳で、国内スマホも捨てた物ではないですよ』

『愛ってものしりですね』

 

 披露した蘊蓄にそう言ってニコニコ笑顔を向けてくる人がいないのは、やはりどこかつまらない物だった。

 オタクというのは話したがりなのだ。主人のかぐやはこういった事に興味がないし、友人二人にこういう話をすると引かれそうで、そうなると話せる相手というのは美城になってしまう。

 何でしょう、既視感が……。

 さきほど思った事と似たような事が過去にあったような気がして、動画サイトを開きながらワイヤレスイヤホンを同期させて耳に入れ、物が破砕されて行く様子や動物が大暴れするやたらバイオレンスな動画を見ながら記憶を辿った。

 煌びやかな飾り羽を持った鳥のオス同士がメスを巡って争っている動画を見ていた所で、ようやく思い出す。

 

『しょせん男は下半身で動く生物なのです』

『早坂ものしり!』

 

 まだ小さかった頃に、かぐやが頼ってくれるのが嬉しくて、ついつい口走ってしまう過去の自分と同じなのだ。

 はぁぁ……と早坂は進歩の無さに嘆きの吐息を漏らした。

 仲良くなりたい相手に、同じような事しか出来ないのは、恐らく正しい意味での友情を育んでこなかった自分のせいである。

 

 ……友情。

 友情か……。

 

 何て軟弱なと思いながら、殊更に否定する気も起きないのは、早坂愛は五条美城に奇妙な友情を抱いている証に他ならなかった。

 

 

 

 

―――

 

 

 

 

 

「みー君、早坂の娘とは別れなさい」

 

 穏やかなクラシックが流れる広い車内で、五条美城の目の前に座る女性はそんな穏やかでない事を言い放った。美城によく似た顔立ちの、黒い髪に黒い目をした人だった

 

「母さん、どうしたんですかいきなり」

 

 突拍子もなく感じる言葉に、美城はそう応える。

 美城が母と呼んだ女性、五条静花(しずか)は可愛らしく小首をかしげた妖精のような長男に、少々の後ろめたさを感じながらも、もう一度同じ事を言った。

 

「早坂愛……でしたっけ? その子とは別れなさいと言ったの」

「要が何か言いましたか」

「カナちゃんが何を言ったかは関係ないわよ?」

 

 疑問をぶつけてきた長男に、静花はお返しとばかりに小首をかしげ返す。

 

 五条静花。五条建設、前当主・五条健三(けんぞう)の長女であり、現当主・五条彰男(あきお)の妻である。

 幼・小・中・高・大とすべてを秀知院で過ごした、生粋の箱入り娘であった。少々世間知らずな所はあるが、かつては生徒会の役員を務めた事もある才女である。

 

 夫の五条彰男は旧姓を恒村といい、他企業で企業再建に従事していた人物だった。

 五条の苦しい折、健三にその才能を買われて引き抜かれ、しがらみのない外部の人間らしく不良債権を剛毅果断にも切り捨て、財務の健全化をもたらした優秀な男である。当時秘書課に勤めていた五条静花にも気に入られ交際し、婿養子として五条家の一員になる事を選んだ、義理の固い男でもあった。

 ちなみに彰男と静花の歳は十八離れている。妻の方が年下だ。

 

 

「それでは母さん。どうしてそんな事を言うのか教えてくれますか?」

 

 静花は十七年経っても相も変わらず綺麗で可憐で美の化身みたいな真っ白な長男が、少し眉を顰めながら言う言葉を胸を弾ませながら聞いていた。

 

 反抗期よ反抗期! かわいー!

 

 彼女は親バカだった。

 

「コホン……それはみー君も分かってるでしょう? 早坂は四宮の一員だからよ」

「分かりかねます」

「そう。じゃあ一つ、昔話をしましょうか。

 

  昔々、ある所に財閥の息子と御付きの女の子がいました。

  息子は冷たくて冷酷な人で周りの人を道具として見るような男でしたが

 唯一御付きの女の子とは道具ではなく、人としてお互いに信頼関係を築いていました。  

 ていました。

  二人はどんな時も仲良しでした。

  しかし、ある日の事です。

  息子は自分と御付きの女の子しか知らないはずの出来事が外に漏れている事に気が付きました。

 気が付きました。

  息子はどこかにいるはずの犯人を捜しました。

  ですが探しても探しても裏切り者は見つかりません。

  それもそのはずです。

 

  だって、裏切り者はずっと一緒にいた女の子なのですから。

 

  信頼していた人に裏切られた息子は心を閉ざしてしまいました。

  冷たい心にもあった、人を信じる心。

  それをなくした息子は、立派な“四宮”になりましたとさ」

 

 ちゃんちゃん。

 朗々とした語り口で『昔話』を話し終えると、真剣な眼差しをしている美城に付け加えるように言った。

 

「女の子の名前は、早坂奈央って言うの」

「もしかして……」

「そう。あなたの愛ちゃんのお母さんね。同級生だったのよ?」

 

 言うべき事は言った、そう思いながら五条静花は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して一口飲んだ。

 

「同じ事が起こる、と母さんはお思いですか?」

「そうね。今学校に通ってる四宮……」

「四宮かぐや」

「そう、かぐやちゃんね。その子はみー君から見てどう?」

「どうとは? 勉強にも運動にも非常に優れた才覚を発揮される方と思いますけど」

「そうじゃなくて、性格とか振る舞いはどんな感じ?」

「性格ですか……? 中等部から高等部の一年までは『氷のかぐや姫』と呼ばれていたそうですが、私が見るかぎりは優しい人に見えますけど。毅然とした振る舞いに憧れている女生徒も多いですし」

 

 色々な噂を聞いた事があったが、良い人なのだと思う。そうでなければ色々言われるが性根は善人の藤原千花が懐く訳が無い。それに紀かれんと巨瀬エリカもただ美しいだけの女に憧れるほど、審美眼の無い人に美城には思えないのだ。

 しかしその言葉を聞くと、静花は非常に気の毒そうな表情をして天を仰ぐ。

 

「可哀そうに……」

「優しいのはいい事ではありませんか?」

「四宮じゃなければね。……いい? 四宮の子供達だって何も全員が最初から“四宮”らしくあった訳じゃないのよ。優しい人であるなら潰し、慈悲深い人であるなら踏みにじり、逆に不合理なほどの合理主義者に仕立て上げる。それが四宮の教育なの。そのために甘さとか優しさはいらない。優しいなら優しいできっとそれを奪われる。……そんな人達に近づいて欲しくないの、お母さんは。だから変な影響を受ける前にその子とは別れてちょうだい」

 

 単純な好き嫌いで言っている訳では無い事はすぐに理解できた。

 美城は基本的に甘やかされて育った人間である。親にこうしろああしろと言われた事はほとんど無い。そんな母親が自分にこうしろああしろと言ってくる。それだけで事態の深刻さは分かった。

 

「愛も将来かぐや様を裏切ると?」

「『将来』じゃない。今もその子は裏切っているわよ。早坂家か、四宮兄弟の誰の指示かは知らないけどね」

「そんなはずは……。愛は主人(かぐや)と良好な関係で、とても裏切るとは思えません」

 

 それは素直に出て来た言葉だった。少なくとも美城が今まで見て来た早坂愛という少女は、主人たるかぐやのためにあらゆる労を惜しまない人物である。ちょっと会話に寸鉄を忍ばせてちくりと刺す事はあるが、それは仲の良い証左ではないか。

 そう思っていると、静花は母親らしく慈愛に満ちた瞳をしながら、そっと美城の真っ白い頭を撫でた。

 

「みー君。どんなに可愛くても、やっぱりあなたは男の子なのね」

「どういう事でしょう?」

「女の事を一面だけ見て決めつけるのは危ない事よ。あなたに良い所だけ見せ続けるなんて、簡単な事なんだから。ましてや四宮の女なら、なおさらね」

 

 それを言い終わると同時に、図ったかのように車が停まった。東京駅に着いたのである。

 美城は何かしら反論を述べようかと思ったが、何でも言ってごらんなさい、とばかりに余裕の笑みを浮かべた母親に勝てる術が思いつかず、傘を手に取って席を立った。

 個人的な嫌悪と、家としての嫌悪。二つの晴らし方は、美城でも分からなかった。

 

 五条が四宮を嫌うのは、何も四条の傘下であるからだけではない。

 五条建設は、四宮の土木建設部門とは大型公共事業の入札の札を取り合う仲であり、幾度となく四宮の妨害に晒された事もある。不倶戴天の仇と言っても過言ではなかった。建設業界でこれほど不仲な事も珍しい。

 建設業界は大手であっても構造物(橋、トンネル、ダムなど)の得手不得手が生じる事が多く、各分野に秀でた企業と協力するJoint Venture、略してJVと呼ばれる組織を組む事も多い業界である。例えば横浜スタジアム建設の際は、早期完成を図るため十一社のJVが結成されたと言われている。

 だが五条は少なくとも1951年にJVという制度が出来てから四宮と手を結んだ事は一度も無かった。

 ある意味、四条よりも年季の入った四宮嫌いである。そして静花はその五条の前当主の長女なのだ。その心中は推して測るべしと言うべきか。

 母親の半分も生きてない自分が、どうして偉そうな事を言えよう。

 早坂愛は、たかだか契約で結びついた恋人である。

 本気になる必要がどこに……

 

「母さん……」

 

 深紅の傘を広げて前を行く母に、美城は力なく呟いた。

 

 けど……

 それでも……

 何か、彼女の為に言い返したい気持ちは嘘では無い。

 それは、五条美城は早坂愛に対して奇妙な友情を感じている証に他ならなかった。

 

 



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早坂愛を誘いたい

今回一万字を大きく超えてしまいました。
もっと短くまとめたい……


 早坂愛はその日、いつもの様に起床して、いつものルーティーンを済ませた後、いつもの様に出勤し、いつもの様に仕事をしていた。

 そしていつもの様に主人の朝の手伝いをしようとする段になって、いつもと違う事に気が付く。

 かぐやが一声かけてこないのだ。

 彼女はいつも七時ごろに起きて、早坂を身の回りの準備をするために呼びつけるのだが、今日の部屋はしんと静まり返っている。

 まさか寝坊した訳でもあるまい……。

 

「失礼します」

 

 少し躊躇しつつ、主人の自室の扉に手をかけた。重厚そうな見た目に反して滑らかに開いた扉の中に体を滑り込ませて、さっと後ろ手に閉じる。

 かぐやが眠っているベッドには、天蓋から垂れ下がるカーテンがいまだかかったままだ。いつもならそこから出て窓の外を見ながら、

「おはよう早坂」

 と言って着替えの手伝いをさせるのが常というのに。

 不審に思いながらカーテンに手をかけて一気に開き、わがままな姫の眠りを妨げる事にした。真っ暗な天蓋の中に朝日が差し込んで、中の姫様は「うぅ……」と気力の無い声を漏らす。

 

「かぐや様、起きてください。お目覚めの時間です」

 

 布団を引っぺがしても良かったが、まだ時間に余裕はあるのでそういう可哀そうな事はしないでおくことにした。

 

「は~や~さ~か~……」

 

 ……これは不味い。

 早坂は普段のかぐやから退化著しい甘えた声が出て来たので、過去の経験に照らし合わせて一つの結論に至る。

 彼女はサイドボードの一番下から体温計を取り出して額にピッとした。

 

【38.2】

 

 風邪である。

 完膚なきまでに風邪である。

 もともとかぐやという少女は見た目に違わぬ繊細さの持ち主で、季節の変わり目などには体調を崩しがちであった。

 とは言え今は温かくなっていく季節柄。秋冬ごろならまだしも、今の季節に責任は少ないと思われた。

 となると別の原因があると考えるのが自然で、そして直近に体調を崩しかねない出来事があったのを早坂は身をもって知っている。

 

 会長から『車に乗せてくれ』の一言を引き出すために、雨の中で彼の登場を待っていた事だ。

 結局、雨で視界の悪い中だったので彼は四宮かぐやに気付く事なく、自転車が跳ね上げた水を引っかけた事にも気付く事なく、ただただ雨に濡れた哀れな少女を生み出してしまうだけに終わったが。

 その際に冷えた体のダメージを回復できずに、今こうして風邪という形で四宮かぐやに纏わりついている。

 何ともアホらしい結論であった。

 

「まあ、こうなる事も読めてましたよ」

「だったら……もっとはやく……とめてよぉ……」

「……私も今日は学校休みますから。お粥でも作ってきます」

 

 天才のくせしてその当然の帰結に至れない訳がないのだが。

 しかし四宮かぐやは白銀御行に恋愛頭脳戦を仕掛ける時に若干アホになるという特徴があり、今回もその例にもれず防雨対策を怠った結果、風邪をお召しになられる羽目に会ったという、何とも不名誉な事実のみが残ってしまった。

 とすれば、早坂に出来る事と言えばさっさと風邪を治してもらって、恥の上塗りをしないように手助けするほかない。

 ポンポンと掛け布団の上から胸元あたりを叩いて席を外す事を伝えると、きゅっと袖を引かれた。

 

「いやだぁ……そばにいてょはやさかぁ……」

「普段からこれ位可愛ければいいのに」

 

 ベッドの上にしどけなく放り出された黒髪に、うるうると潤んだ心細そうな瞳が、彼女が弱っている事を言葉はなくとも伝えてくる。頬に差した赤みが端正な顔立ちと合わさって不思議な色香を放っていた。

 こんな顔を見せたらどんな男でもイチコロに違いないと思うのだが、そこは彼女の自意識が許さない。

 寝ぐせでくしゃくしゃになったかぐやの髪を早坂は指で梳きながら、いつもこういう時に学校に連絡させる部下を呼んだ。

 別に自分でやっても良いのだが、声色を変えているとはいえ聞き慣れた生徒の声だ、察しの良い教師なら『どうして早坂が四宮の休みの連絡をするんだ?』と思い至る事は難しくないだろう。だったら最初から別人にさせていた方が確実だ。

 早坂はかぐやが休みという連絡を任せて、自分の休みの連絡は自分で行った。

 こほこほ、とわざとらしくせき込んで体調の悪い自分を演じる。

 

「もしもし……二年A組の早坂です……今日は――

 

  *

 

「お休み、ですか?」

 

 昨日、直接声をかけずに帰ってしまった事を謝りに行こうと二年A組に顔を出した五条美城は、早坂の友人二人からの言葉をそのまま返した。

 

「そう。愛ちゃん何か風邪ひいちゃったんだって」

「まあ昨日雨だったし、濡れて帰ったんじゃない?」

「そうでしたか……」

 

 美城は窓の外、四宮別邸の方向に視線を送る。

 顎に手を当てて考え込む姿は、どこか技巧めいたものがあるような気がしたが、その瞳に宿る慕情を感じ取れた。

 

 まあかぐや様が風邪をお召しになられて、看病の為に愛もお休みをとったのでしょうけど。

 

 受け取り側が勝手にそう思っているだけで、当の本人はこんな事を考えていたが。

 彼女を心配する気持ちが無いのか?

 いやいや、早坂という少女があんな雨で体調を崩す訳がないという信頼だ。

 

「それでさー、今日の分のプリントとか、ノートのコピーとか取っておいてあるんだけど」

「五条君が届けてくんない?」

「私が……?」

「他に誰が行くの?」

「なーんか早坂も昨日言いたい事がありそうだったから会ってあげなよ」

 

 はい、と言って二人は美城に紙袋を手渡してきた。ペラペラと指先でそれを弄ぶと、懐にしまい込んで、「分かりました」と笑顔でそう言った。

 その表情を見て何か肩の荷が下りたように二人は伸びをした。そして、何かを思い出したかのようにニヤニヤとして、漢らしい所の全くない転校生の顔を眺める。

 

「あ、弱ってるからってエッチな事しちゃ駄目だからね」

「しませんよ。何ですか急に?」

「でも早坂が怒ってるのって、二位取って調子に乗った五条君が何かいかがわしい事をお願いしたからってもっぱらの噂だけど」

「えぇー……」

 

――

 

「って言うんですよ? 酷いと思いませんか?」

「なんでそれをわざわざこっち来て言うんですか?」

 

 放課後になると美城の姿は四宮別邸にあった。

 部活動を二日連続お休みするという罪悪感は、さすがの彼にも無きにしも非ずと言った所であったが、今の所は差し迫った用事は無いのでこうして彼女の御見舞いにも行けるという物だ。

 美城の予想通り、別邸の門を開けてくれたのは風邪など引いた様子は微塵もなく、元気な様子で職務に励む彼女の姿だった。

 真っ新なワイシャツに袖を通し、襟元に巻かれたスカーフをアクアマリンが輝くピンで留めて、簡素であるが質素ではないエプロンドレスが腰回りからひざ下までを覆っている。

 秋葉原で見られるメイドなど鼻で笑って吹き飛ばすくらいの完璧なメイドであった。

 ただのメイド好きが彼女にオムライスへ『♡』と書いてもらうためには云百万円はかかる事だろう。

 チェキしたらそれが現世最期の思い出になるようなハゲ(黄光)の手の者がけしかけられるかもしれない。やっぱハゲってクソだわ。

 

「駿河さんと火ノ口さんからこうしてプリントを預かってまいりましたし」

「……とりあえず入って下さい。誰に見られているとも限らないので」

「まあ。男を連れ込むなんて愛ったら悪い子ですね」

「……」

 

 ウィィーン……(正門が閉まる音)

 

「ああ! 無言で閉めないでください!」

「今度言ったらつまみ出しますからね」

「鮭とば」

「誰がおつまみを出すと言ったんですか!」

「つまみ、出すと」

「……」

 

 ウィィーン……(正門が閉まる音)

 

「ごめんなさいごめんなさい閉めないで」

「本当にこの人は……」

 

 総工費一千万円はかかった門での漫才は美城が頭を下げる事で終わった。観客はカメラの向こうにいる監視とすぐ傍で庭木の刈り込みを行っていた庭師である。

 

「ではどうぞ。四宮家当主に代わり歓迎いたします」

「ありがとうございます。そう言えばかぐや様のご容態の程はいかがでしょうか?」

 

 四宮別邸は東京でも有数の豪邸であるが、自身もそれなりの家に住む美城は何ら臆する事なく足を踏み入れた。

 

「普通に風邪と言った所ですね。よっぽどの事が無い限り明日には学校に行けると思います」

「それは良かったです。あ、これお見舞いに持ってきました。愛から渡しておいてくれますか?」

「自分で渡せばいいじゃないですか」

「恐らくこの後に会長がお見舞いに来るんです。そちらが最初の方がかぐや様も嬉しいでしょう?」

「それもそうですが、そんな事は気にするだけ無駄という物ですよ」

「それはどういう……?」

「着きました。まあ見れば分かります」

 

 豪奢な扉が並ぶ別邸内でも特に立派な扉の前で、早坂はコンッと軽くノックして中からのうめき声を聞くと先に室内に入って行き、その後ろに続いて美城はそっと音をたてずにかぐやの部屋に入る。

 毛足の長い絨毯が床中貼られて、窓際には天蓋付きのベッド。壁際には海外製のデスクが重々し気な顔をして鎮座していた。一目で相当な令嬢が住んでいる事が分かる部屋だった。

 部屋の主はそんな優雅な部屋の作りとは裏腹に、ベッドの上で芋虫のように丸くなってうーうー唸っていたが。

 

「はやさか~はなびするぅ~」

 

 いつものクールな佇まいからは想像も出来ない、鼻にかかったような甘い声でどう考えても今じゃない事を口走った。

 

 四宮の姿か? これが……

 知能を落とされ、体調を崩され、予定を潰され、風邪を認めぬ醜さ

            生き恥

 

 なお熱が下がると全て忘れるためかぐやは恥を感じる事が無い模様。

 

「ご覧の通りかぐや様はお風邪を召されますと著しくアホになってしまうのです」

「赤ちゃん返りみたいなものですか?」

「まあ、そうで無いとは言い切れませんね」

「じー……」

「どうされました? かぐや様」

 

 美城が早坂と話していると、ベッドの上にちょこんと収まったかぐやは布団に顔を半分隠しながら、じいっと白い頭を眺めていた。

 それに気が付いた美城は膝をついてかぐやの視線に合わせ、優しく微笑みながら自分とは少し異なる黒みがかった赤い目に問いかける。

 

「ぅー……」

「かぐや様?」

「ごじょーくん だ!」

「はい。そうですよ」

「え! なんでうちにいるの!?」

「今日は私、お見舞いの為に立ち寄らせていただき……」

 

「はやさかのおよめさんになったの!? わたしきいてない!」

 

「「違います」」

 

 二人の声が綺麗にハモった。

 

「せめてお婿さんと言ってくださいませんか」

「あなたも何を口走っているんです?」

「じゃあはやさかがおよめさん……? やだぁ。まだむすめはよめにやらんー」

「かぐや様―? 絵本を読んであげますよー?」

「よんで!」

「これで四回目ですけど……」

「ホントお疲れ様です」

 

 うきうきと嬉しそうな主人とは真逆の、早坂はくたびれた顔をしながら『ねむりひめ』の絵本を取り出した。

 十七歳にして育児疲れの境地に一歩踏み入れている彼女であった。

 

「では昔々……」

【ピンポーン】

「おっと、来客です」

「そのシュシュにそんな機能が……!?」

 

 青いシュシュが突然インターホンの音を鳴らした事に美城は軽い戦慄を覚えた。

 機械に詳しいって言っても限度って物があるじゃん……。

 そんな感じの事を思われているとは露知らず、早坂はカメラと繋がっているタブレットを取り出して来客の姿を検めた。

 

「あらまあ……」

「どうかしましたか?」

「会長です」

「遅かったですね。今日は生徒会活動は無いと、そのような事を言っていましたが」

「何かあったんでしょう」

「千花?」

「きっとそれです」

 

 信頼と実績のある決めつけが藤原を襲う……!

 

「この姿のままではバレてしまうので少し変装を」

「分かりました。私は……」

「はやさか~ほんよんで~」

「……みぃは私の代わりに本を読んでてください」

「はい……」

 

 ぐずぐずとぐずりそうなかぐやを任せるのは早坂にとっても心が痛むが、来客を誰かに任せるのも四宮別邸を任されている者として許されざる行為だ。

 ねむりひめの絵本を先に美城に渡しておく。シュシュを取って髪を下ろし、クローゼットの中からカチューシャを取り出して頭に乗せる。これだけでも印象が随分と変わるが、瞳が変わらないのですぐに四宮のメイドと早坂愛を結び付けられてしまうだろう。

 カラコンでも入れて印象を変えなければ。出迎えの為に正門へ向かう道すがら、洗面台に向かう事にした。

 

「ではかぐや様、みぃが本を読んでくれますから、大人しくしていますか?」

「は~い」

「いい子」

「私はこの恰好のままでいいのでしょうか?」

「えー……、クローゼットの奥に私のウィッグがあるので、適当に髪色を変えてください」

「分かりました」

 

 そう言って美城が頷いたのを見て、早坂は少し急ぎ足で部屋を飛び出した。何もないとは思うが、念のためにかぐやの部屋の前で待機するように一番近くにいたメイドに言ってから正門に向かう。

 途中、洗面台の置いてある部屋に入ってカラコンを並べて品定めした。

 

 一に自分の瞳とは真逆である色の赤。

 二に普段より穏和な印象を与える濃い青。

 

 とりあえず一の方のカラコンを付けてみた。

 慣れた手つきで瞳に赤色を収めると、一瞬だけぼうっと視界が歪むが、慣れるといつも通りに見えてきたので鏡を見てみる。

 四宮の従者が瞳に入れるのだ、そこらで買えるような安物ではないカラコンは、まさしく宝石の様に輝いて異彩を放ってみえた。

 これなら普段の自分と今の自分を結び付けられる人はそうそういないだろう。

 もう一つを試すまでもない。

 ……と思いながら鏡を見つめていると、ふと鏡の中の少女の目じりが下がって尖った印象を和らげた。

 その温かい日差しのような瞳の色をした女を、早坂はそっと指でなぞった。

 

「おそろい……」

 

 ……

 いや、いや、何を考えているんですか私は。

 変装の為とは言え、彼みたいな緋色を瞳に収めようなんて。

 これではまるで私があの人に並々ならぬ興味を持っているみたいじゃないですか。

 

 あまりのバカバカしさに、ほどけていた厳しさが一気に引き締まり、穏やかだった目元は彼女本来の宝刀のような鋭さを取り戻す。

 さっさと相貌に輝く赤いコンタクトを取り出して、もう一方の濃い青を入れなおした。

 パチパチと瞬きして鏡を見ると、大人しい青色の水面がどこかゆっくりとこちらを見つめていた。

 面白味は無いがこれでよし。

 

 変装にバタバタしたとは言え、少し客人を待たせ過ぎた。白銀御行にそのあたりの機微は分からないかもしれないが、他の秀知院生だったら一つまみの皮肉を会話の端々に織り交ぜられるかもしれない。それくらいの時間だった。

 

『お待たせ致しました。どうぞお進みください』

 

 

 

――――

 

 これが噂の四宮別邸……ネットの記事で見た事あったけど実際すげえな……

 

 正門の前で少々の待ちぼうけを食らわされていた白銀は、しかしそんな事も気にならなくなる程に、目の前の豪邸に見入っていた。

 どれくらい前の建物なのだろうか。どこかが汚れたりしている訳では当然ないが、さりとてその磨き上げられた白亜の壁からは時代を経た名優のような重々しい威厳を感じさせた。四宮の関東の城としての一面もあるのだから、そのような建築に見慣れた者も唸らせなくては意味が無い。

 そこに来た家賃数万の安アパートに住む白銀である。圧倒されっぱなしになるのは仕方のない事だった。

 

 ポ●リやゼリー飲料は失敗だったかもしれん。ここくらいは藤原に頼っても……いや、調子に乗りそうだから悪手だな。こういうのに詳しそうな五条は早坂さんのお見舞いに行っているらしいし。

 

「かぐや様のご学友の白銀様で御座いますね」

 

 考え事をしながら歩いている彼の耳に、凛とした声が飛び込んでくる。少し、日本人には聞きなじみのない訛りが耳朶を打った。

 落としていた目線を上に挙げると玄関の前に一つ人影があった。金髪の小柄な、少女と言って差し支えない人だ。近眼の白銀でも顔が確認できるほどの距離に近づくと、大きな瞳に深い青が宿っている事に気が付く。

 その人はエプロンドレスの裾の辺りを摘まむと、少し持ち上げて優雅な礼をした。

 

「四宮家当主に代わって歓迎いたします。わたくし、かぐや様のお世話係を務めさせて頂いております。スミシー・A・ハーサカと申します。以後お見知りおきを」

 

 メイドさんだ!!

 

 うおおお、と内心で上流階級のリアルなお世話係の登場に驚きと良く分からない興奮を覚える白銀だった。

 映画の中でお世話係と言えば年輪を感じさせる初老の執事か、はたまた見目麗しい女性と相場は決まっている物だが、四宮家の長女であるからか傍に付けたのは後者だったようだな。白銀は勝手にそう納得した。

 

「して、本日はかぐや様のお見舞いにいらしたとお見受けいたしますが」

「あっはい、その通りです……」

 

 間近で聞いてみると、日本語の一つ一つ単語を発音する発声法に慣れていないような声使いはより一層顕著に感じられた。

 白銀は場違いにも思える場所に来た事と、甘えんぼな四宮かぐやがどんな物なのかという事と、目の前のメイドが外国の価値観でいきなり自分に怒って来たりしないだろうかという三つの緊張感に苛まれた。

 

「俺、プリントを届けにきただけなので、これハーサカさんから渡しておいてもらえればとか……」

 と庶民出の彼が言うのも仕方のない事だったし、

「ここまで来てビビるなよ……」

 と言われるのもまた仕方のない事である。

 

「いえいえ、かぐや様に直接お渡しするのが宜しいかと」

 

 煮え切らない態度の白銀に業を煮やした早坂は、彼の後ろに回って背中をグイグイと押してかぐやの自室に誘う。

 早坂にとって部屋に残してきた美城の事は気がかりではあるが、まあ彼はやれと言われたらやる人間であるので、パッと見で五条美城と分からないくらいには仕上げているだろう。そこは付き合いの月日くらいに信用していた。

 四宮家と付き合いのあるお嬢様です、と紹介してさっさとお帰り頂けば白銀もさほど不審には思わないはずだろう。

 ちらりと白銀の方を確認するが、これから女の子の部屋に入る事で一杯いっぱいの様子。

 

 とりあえず、みぃにはつつがなく帰ってもらいましょうか。

 

「かぐや様、客人がお見えです」

 

 ノックするが返答はない。

 ろくに返事をする気力もかぐやにはないだろうし、美城は美城で他人の家で他人の従者に返答をするのを迷っているのかもしれない。

 付けていた侍女からは何も言葉が無いので部屋に入っても特に問題はないだろう。……何だか楽しそうな表情だったのは気になるが。

 

「失礼します」

「あ、かぐや様、アイ王女が帰ってきましたよ」

「おぅどりーはやさかーん……」

「何を言ってるんですか……」

 

 いきなりかけられた良く分からない言葉に、早坂はふっとため息を吐いて答える。

 それを言うならアン王女でしょう。

 そして瞬きをすると、遅れていた認識が現実に追いついて、目の前のあんまりな光景にようやく気が付いた。

 

「……というか何て恰好をしてるんですか、みぃ!」

 

 小さく叫んだ早坂に、美城は小首をかしげて「何が?」とでも言いたげな顔をした。

 金髪のウィッグ。これはいい。早坂が身に着けろと言った物である。

 青色のカラコン。これもいい。彼の特徴その一は白髪でその二は赤い目であるからそれを隠すのは非常にいい。

 黒を基調としたエプロンドレス。これは似合っている。頭にカチューシャも添えてバランスがいい。

 金髪碧眼美少女のメイドがもう一人いた。

 

 ……?

 ……いやおかしいでしょう!

 早坂は内心叫び声をあげた。

 

「はやさかーん? それと、みぃというのは……」

 

 すぐ後ろに付いてきていた白銀は良くない真理に辿り着こうとしていた。

 これはダメだ。

 ずっとひた隠しにしていた事実が、かぐやのアホと彼氏の女装でバレるという事になれば、末代までの恥である。

 

 そうなれば早坂家は私で終わらせる!

 

 悲壮な決意を持って早坂は誤魔化しの知恵を絞った。

 とりあえず思いついた事をさっさと口にする。これには美城の方が乗ってくれないと不発に終わってしまうが、絶対彼はこの設定に乗ってくるという確信を抱いていた。

 

「白銀様、彼女はドイツにいた私の腹違いの妹。ハーサカーンはハーサカのドイツ語読みです。かぐや様は彼女の発音を真似しているだけですので」

「えっそんな事が……」

「Guten tag . ミユキ・シロガネ」

「うわあああ本物のドイツ語だ!」

 

 白銀でも知っているドイツ語と言えば挨拶のグーテンタークくらいの物だが、あえてカタカナで表すなら『グンツァーグ』という発音に絶対ネイティブの人じゃんという思いを抱かせるに至った。

 

「じゃあみぃというのは。あ……いえ、俺の友人にそう呼ばれている人がいまして」

「みぃ、自己紹介を」

「はい、お姉さま」

「お姉さま!?」

Es(エス) freut(フロイト) mich(ミヒ)Sie(スィー) kennen(ケネン) zu(ツー) lernen(レルネン)(あなたと知り合う事ができてとても嬉しいです)。私はミーア・ゲオルギー・ハーサカ。お姉さまからはミィと、かぐや様からはミドルネームのゲオルギーからとってゴジョーって呼ばれてるの」

 

 いけるか……?

 即興の嘘にしては中々の完成度を誇る嘘であったと二人は思っているが、しかし相手は高校生屈指の頭脳を持つ白銀御行である。固唾を呑んで彼がどういう決断をするか、早坂は熱のこもった視線で見つめていた。もしバレたらどうするべきか。

 あんたはここで愛と死ぬのよ。

 と言って関係各位を末代にしてしまうかもしれない。

 

「なんだ、ミーアでミィなんですね。いや、変な事を言ってすみません。いいあだ名ですね、はは」

 

 いけたー!

 

「えー、もしかして口説いてる?」

 

 こうして一つ光明が見えてくると気持ちが楽になってくる。それに美城が乗じない訳が無かった。

 くつくつと笑って白銀をからかった。

 

「え、いや、そんな事は」

「駄目ですよ白銀様。彼女が話すのはイギリス英語なんです」

「それがどういう……」

「これ、何と言いますか?」

 

 このまま愉快な姉妹という方向性で切り抜ける事を決めた。

 そう言ってハーサカこと早坂はタブレットの画面を見せる。

 真っ赤な身をした丸い野菜。鮮やかな緑色のヘタがついたそれは、

 

「トマトですよね」

「もっと発音よく」

「トメィトゥ」

「ハッ……(嘲笑)」

「鼻で笑われた……!?」

「No トメィトゥ ミユキ。It`s トマート」

「うわ本当だ! イギリス発音でマウント取ってくる!」

 

 

「うぅ……、はやさかぁ~」

「あっ……かぐや様」

「しー、ですよ。しー」

「アッハイ……すみません」

 

 白銀のツッコミの大声にかぐやは反応して、もぞもぞ動きながら一番身近な名前を呼んだ。

 早坂は駆け寄り、美城は人差し指を唇に当てて静かにするようジェスチャーをした。何となく釈然としない感じはしつつも、かぐやが心配な気持ちが勝った白銀は押し黙って二人の後ろからベッドの上をのぞき込む。

 

「はなびさがそうっていったのにごじょーくんがだめって」

「花火? ああ、夏休みが近いですからね。ですがまず風邪を治す事が先決です」

「ふたりのいじわるぅぅ……はなびするぅぅ」

「それよりもかぐや様、お客さんですよ。ね、ミユキ」

「ちょっと妹さん」

「お客さん……?」

「ああ、四宮、調子はどうだ……?」

 

……

 

「かいちょう だ!!」

 

 かぐやのぽわぽわーんとした瞳が急に焦点を結んで、白銀の姿を見つけると風邪にあるまじき声を出して驚いた。

 

「かいちょうもうちにすむの!? きいてない!」

「住まない! 住まないから!」

「では後は若い者どうしで……」

「妹さん!? それ使い方間違ってますよ!?」

 

 役立つ情報を教えてくれそうにないハーサカ妹の方は諦めて、白銀はハーサカ姉の方に助けを求めた。

 

「ハーサカさん。話には聞いてましたが、これって一体どういう……」

「いいですか白銀様、今のかぐや様は普段の理性を失ったただのアホです」

「アホ!?」

「病気が治ったら今の事なんかすっかり忘れてますよ。酔っ払いと同じですね」

「いやそうはならんやろ……」

 

 なっとるやろがい!

 

「あ、私達これから仕事があるのでこの場を離れないと」

「白銀様、かぐや様のお相手をお願いします」

「わかりました」

 

 二人は顔を見合わせて短く意思疎通を図ると、白銀とかぐやを二人きりにする事で同意した。従者スピリッツが流れている美城と早坂にこれ位は朝飯前だった。

 美城のスピリッツは後乗せ添加物だったが。

 

「いいですか? この部屋には三時間ほど誰も入りませんが、ええ絶対に誰も入りませんが、変なコトをしては絶対にいけませんよ?」

「し……しませんよ」

「かぐや様の記憶は残りませんけど、変なコトしちゃダメデスヨー」

「だからしないって!」

 

 パタン。

 両開きのドアを閉じると中の叫びは分厚いそれに阻まれて聞こえなくなった。

 

「いいんですか? あんな煽るような事言って」

「いいんです。どうせ手を出せっこありませんよ」

「でしょうね。責任感の強い会長の事ですから」

 

 美城は白銀と知り合って一月ほどだが、それでも彼の為人を知るには充分な時間だ。意識が曖昧な女の子を捕まえて酷い事するような人物でない事だけは断言できる。

 

「それよりもみぃの恰好です!」

「似合っていませんか?」

 

 美城はその場でターンする。スカートの裾がふわりと舞い上がって、黒い色が彼の白い足に纏わりついた。そのコントラストが目に眩しいが、そんな事を言いたいのではない。

 

「似合ってるのが無駄にうっとうしい……」

「これはですね、変装しようとした際にかぐや様がメイドを呼んでですね、『はやさかのおよめさんにきせてあげて~』なんて言うものですから、勘違いしたあの方が面白がってメイド服を着せてきたせいです」

「断ればよかったでしょう」

「私から早坂と四宮の繋がりが漏れては申し訳がたちませんから。恥を忍んで袖を通す事にしたんです。まさか同級生の男がメイド服を着てるとは思いもしないでしょうし」

「そうですね。思った人がいればその人はとんでもない変態でしょうね」

 

 白銀を連れてかぐやの部屋に戻って来た時に、あのメイドが楽しそうな顔をしていた理由はこれで判明した。

 とりあえず責める気はなかった。主人も美城を初めて見た際には女の子と勘違いしたものである。

 

「あ!」

「どうしました?」

「……着替えが部屋の中に」

「はぁー……本当にあなたという人は」

 

 これでは帰るに帰れない。

 もしこのまま帰したら早坂愛という女は、彼氏にメイド服を着せて喜ぶような変態だと五条家の笑い者になる事請け合いだ。

 あの姐さん姐さんと慕ってくるこがねでさえも、

『姐さんがそんな人だったなんてガッカリっす。あ、写真あったらください』

 と言って失望するに違いない。……失望?

 

「まあ会長の『お見舞い』が済むまで待っている事にします」

「そうですか」

 

 呆れ混じりにそう言うと、早坂はちょっとだけ行儀悪く壁に背を預けて休んだ。

 その壁は『四宮ならば』という物々しい字の書が入れられている額のほど近く。

 それに気が付くと少し硬くなった表情で彼女は美城を見る。

 人に頼るな、貰うな、愛すな。

 その逆を生きる美城には到底理解できそうにない言葉が、整然と列を組んでそこにあるのが不気味ですらあった。

 母の五条静花が言った、四宮とは関わるなという言葉に今なら頷いてしまうかもしれない。

 

「……そうだ。愛に聞きたい事があったんです」

 

 それを誤魔化すように声を張った。

 

「? なんでしょう」

「愛のお母さまの名前は、奈央で合っていますか?」

「どうして知っているんですか」

「私の母と愛のお母さまは同級生だそうですよ」

「秀知院ですか。当然ですね」

「それで……」

 

 早坂の母親の名前は奈央という確定情報を得た事で、美城の中で疑っていたかった母親の言葉が真実味を帯びて胸の内にわだかまる。

 という事は、奈央という女性が当時御付きをしていた四宮の息子を裏切ったという言葉にも重みが生じてくる。そうすると、『早坂愛は四宮かぐやを裏切っている』という母の言葉も、まるっきり無視できる物ではなくなってくるという事だ。

 

「みぃ、どうかしましたか?」

 

 早坂愛は、気づかわしげに美城の顔を見た。慣れない服に、カラコンまで入れて、どう見ても体が強く見えない彼が体調を崩したのではないか、そういう思いで声をかけてきている彼女に疑いを持っている事を、美城は心苦しく思った。

 外面を良く見せるのは簡単だと母は言ったが、やっぱり美城は早坂愛に裏切り者の血が流れているとしても、それを引き継いでいるとは到底思えなかった。

 それに、奈央という人もやりたくてやった訳ではないだろうし。

 

「いえ、何でもありませんよ」

 

 そう言って、美城は胸の奥に『裏切り』という言葉をしまい込んだ。

 これを言ったら最後、二人の関係は完全な決裂を迎えるか、はたまた徹底的な敵対に至るか、とにかく今の関係でいられない事だけは確かである。

 

「ならいいんですが」

 

 少しばかり不服そうな顔をした早坂に、美城はいつも通りを心がけて話題を振った。

 

「そう言えば、かぐや様のベッド」

「どうかしましたか」

「私も同じ物を使っているんです。いいですよね、あれ」

「うわぁ」

「ドン引き!?」

「当たり前でしょう。あんな姫しか寝れないようなベッドを男が使っていると知って嬉しい女がどこにいますか」

「えー、天蓋付きって良くありませんか?」

「女性が寝てたら、可愛いですよ」

「そうですか……」

 

 物心ついたころから眠る時は天蓋から下がるカーテンを閉め切ったベッドの中で眠ってきたので、その報告は美城にとってショックだった。

 その姿を見て、思ったより落ち込まれてバツが悪くなったのは早坂である。

 みぃの中では常識なのかも……。

 そんな思考が頭をもたげて、空気を換えようと彼女から話題を振りなおした。

 

「姫……というか、会長を連れてきた時に私の事をアイ王女とか言ってましたよね。あれどういう話の流れだったんですか?」

「あれはどうして愛をデートに誘わなかったのか、というかぐや様のお叱りから、理想のデートの話に及びまして」

「で、ローマの休日ですか」

「そうです。良く分かりましたね」

「教養として昔に見たんです。少しあやふやでしたが」

 

 嘘である。

 この女、ラピュタがテレビで放送されるくらいの頻度でローマの休日を見返している。

 イタリアに海外旅行に行った際はサンダルを買おうと思っているし、髪を短く切りたいとは思わないが、スペイン広場の階段でジェラートを食べたいという妄想を描いている。

 しかし保全のため実際は階段で飲食は出来ない(無慈悲)。

 

「それでアイ王女はオードリー・ハヤサカーンという話に」

「ではあなたはゴジョー・ブラッドレーですか」

「ふふふ、いいですね」

 

 しばらく見た事のある映画の登場人物を、自分達に置き換えて遊んでいた。

 どこかに行けない事が多い二人がする、何とも子供っぽい遊びだった。

 

「愛」

 

 想像の中でローマを歩いた後である。

 

「はい。何ですか」

「今度の土曜日にどこかへ出かけませんか?」

 

 美城がさらりと当たり前のように言った。

 

「いいですけ……ど……。え?」

 

 その言葉に、早坂は特に考えずに肯定すると、ややあってその意味する所を理解した彼女が、目を見開いて隣の彼を見つめる。

 つまり、それは、

 

「デートしに出かけましょうか」

 

 という事になる

 

「え、でも……えっと」

 

 あまりにも直接的な誘いに、早坂も年相応の少女らしく驚いて、あまりにも芸の無い事に呆れて、それでもどこか嬉しい自分がいる事に戸惑っていた。

 

「そう重く受け止められると困るのですが……。私は新しい高校で出来た友達と、どこかに遊びに行きたかったんです。それが、愛、あなただったら嬉しい。と言っているんですよ」

「友達……」

 

 言葉にすると何ともこっ恥ずかしい気持ちになる。

 しかし、なんとも収まりが良いように早坂には思われた。少なくとも契約に基づく恋人のフリよりは格段に血の通った言葉で、これまでの美城の理解できない所が友情というレンズを通して見ると分かるような気がした。

 

「どうでしょう?」

 

 美城は装いをまるっきり変えた姿だったが、にこにこと浮かべる笑顔はいつもの彼だった。

 そう、いつも通り。無駄に意識していた自分が馬鹿みたいだ。

 早坂は笑って、ポツリポツリと言葉を口にする。

 

「……実は、私は機会があれば普通の高校生みたいな事がしたかったんです。友達と、どこかに遊びに行ったり」

「私と同じですね」

「それが私の色んな事を知っている人なら、なお良いとは思いませんか。面倒な事を考える必要がなくて」

「ここに愛が四宮の一員だという事を知っている友達がいますよー」

「友達? どこにそんな人います?」

「う……ひどいです」

「ふふっ。……そうですね、みぃ今度の休みは空いてますか?」

「もちろんです」

「どこかに連れて行ってください。そして楽しませてください。主人の前で恥をかかされた私からあなたへの罰ですよ」

 

 言っていく内に段々と調子を取り戻してきた早坂は、どこか挑発するように美城に注文を叩きつけた。

 その挑戦を待ってましたと言わんばかりに美城は笑みを深くすると、自信に満ちた顔で応えた。

 

「はい。謹んでお請けいたします」

 

 

本日の勝敗 デート編に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やっぱりメイド服を着たままだと決まりませんね」

「そんなぁ……」

 




早坂がローマの休日を見ているかは百パー妄想。
けど恋愛にハマったらベッタベタな物にはまりそう。
バック●ンバーとか聞いてると思う。


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二人のデートは前途多難

 ミントグリーンのフリルブラウスに、ネイビーブルーのロングスカート。

 

 初夏らしく爽やかで清涼感があり、普段の制服と違ってあまり足を見せびらかさず、少しだけお堅い雰囲気を纏っている。

 友達、と出かけるのであればこう言った恰好の方がいい……のかもしれない。

 早坂愛は、彼女なりに考えた結果のコーディネートを身に包み、不安げに鏡の前でくるりと一回転した。

 とん、と鎖骨の前でネックレスが躍る。プラチナのチェーンに通された赤の指輪が胸の少し上を打った。

 コランダムの赤。ルビー……ではなく、アルミとクロムを溶かして固めた石。残念な事にこれは模造宝石だ。

 身に着けるか否か悩んで、結局着ける事にして、だからこうして変ではないか確認している。

 

 なぜこんなにも悩んでいるかと言えば今日一緒に出掛ける相手が相手だからだ。

 あの真ん丸お目目の五条美城が、どんな恰好をしてくるか全く読めない。見た目にそぐわない男向けファッションをしてくるのか、フェミニンな恰好をしてくるのか。

 

「早坂、今から出るの?」

 

 今から出ようかと玄関の扉に手をかけた所で、主人である四宮かぐやに声をかけられて早坂は降り返る。

 

「はい、かぐや様。今日はお暇を頂き……」

「そんな事を聞きたくて呼び止めたんじゃないわよ。ちょっと出過ぎた事を承知で聞くけど、どこに行くの?」

「どうせなら思いっきりベタに行こうかと思って、渋谷のハチ公前に集合です」

「……? というのに車の準備はしてないみたいだけど」

「電車で行けばいいじゃないですか。私もそんなに乗らないので定期は持ってませんが、大した出費ではありませんよ」

 

 四宮別邸は泉岳寺付近に居を構えている。最寄り駅に行ってそこから山手線外回りに乗って行くつもりだった。

 

「電車……って、ダメに決まってるでしょ!」

 

 電車に乗った事も無いかぐやは何故か叫んだ。理不尽である。

 

「どうしたんですか、そんなに興奮して」

「電車……電車ってアレなんでしょう? 痴漢……とやらが出没する危険地帯だともっぱらの噂の」

「誰から聞いたんですかそんな事」

 

 誰が吹き込んだのか知らない(恐らく藤原と思われる)が余計な事を言わないで欲しかった。ただでさえかぐやは純粋培養のお嬢様なのだから、一例をもって世間の常識と考えてしまうクセがあるのに。

 

「かぐや様、一人が言ったからといって『皆そう言ってる』とかいう小学生みたいな事はやめましょうよ」

「もー! 何ですか心配してるって言うのにその態度は!」

「お気持ちはありがたく受け取って……」

「いえ決めました。送っていきます。誰か?」

 

 パンパンと大きく手を叩くとかぐやの視界の外にいた使用人がすっと目の前に現れた。背広を着た男性の使用人である。

 

「はいここに」

「運転手はいるかしら?」

「申し訳ございません。今日はお休みをとっておりまして」

「そう……。あなた、免許証は持ってる?」

「はい。大型四輪までの免許をとっておりますが」

 

 10トントラックに乗れる免許だ。ちなみに彼はバスまで運転できる。

 

「ならあなたが早坂を乗せて行きなさい」

「かぐや様!?」

「かしこまりました。では、どちらに?」

「渋谷駅……あ、北口の方よ、ハチ公前で待ち合わせだそうだから」

「今すぐ準備いたします」

 

 かぐやの言葉に頷くと、使用人は一度頭を下げてガレージへと向かって行った。

 その角を曲がって行く姿をしっかりと見送った後、早坂はかぐやに向き直る。

 

「かぐや様、どういうおつもりですか」

「どうもこうも、五条くんに傷物のあなたをお渡しする訳にはいきませんからね」

「大袈裟な……」

 

 ため息を吐きながらこめかみの辺りを抑えて、自分に対して過保護というか、世の中に対して猜疑に溢れているというか、そんな様子で義憤に駆られている妹を見た。

 もう面倒くさいので大人しく車に乗って行く事にする。

……やれやれ。

 

 

――

 

 

「人が多いですね」

「休日の渋谷ですから……というか、何で付いてきてるんですか」

 

 渋谷駅のすぐ傍に着けた四宮の普段使いの車の中で、かぐやは窓の外の街並みを眺めながら感心したようにそんな事を呟き、隣で聞いていた早坂はジトッと艶やかな黒髪を睨みつける。

 

 まさかとは思いますが、尾行してくるつもりではないでしょうね……。

 

「かぐや様、車を出していただきありがとうございました。帰りは結構ですので」

 

 早坂は美城がよくやるように、上を褒める事で下の者を褒めた。

 それは相手も良く分かっている様で、運転手はサイドブレーキを引いた手を挙げて『お気になさらず』と小さく伝える。

 

「ではかぐや様、お気を付けてお帰り下さい」

 

 遠まわしに「来るな」と言いながらにっこりとらしくない笑みを浮かべて、早坂はドアを閉じた。車内でもにょもにょ何か言いたそうなかぐやは、やがて諦めたように俯くと、もう一度顔を上げて手を振った。

 ゆっくりと走っていく車を見送りながら、会長とのデートに役立ちそうなお土産話を持って帰りますから、と決意を新たに向かう事にする。

 

「さて……」

 

 振り返ると人、人、人。

 休日らしく人でごった返したハチ公前に、失敗だったかもと早速そんな思いがよぎってくるが、ベタという事はそう言う事だ。

 とりあえずもう着いているか連絡を……。

 

「あれ何? 撮影?」

「外国人のモデルかなー?」

「真っ白だったけど、どこの国よ」

「あれじゃない? ロシアとかでしょ」

 

 ……来ているようだ。

 先ほど横を通り過ぎて行った女子二人組が来た方向へ向かっていくと、こんな雑踏にあっても「白い」「可愛い」という言葉がカクテルパーティ効果の応用で飛び込んでくる。

 

 すみません。それ男の子なんですよ。

 

 人波をかき分けながら進んで行くと、ハチ公の周りのある一円に人垣ができていた。背伸びをしながらのぞき込む。

 日傘を傾けた女子(?)とスーツを着た男性が向かい合っていた。状況が良く分からないので事の成り行きを見守る事にする。

 

「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいですからお話だけでも!」

「えーっと、どうしましょうか?」

「この名刺をちらっと見るだけでもいいので! 先っちょ、先っちょだけでいいので!」

「しょうがありませ……はい見ました先っちょだけ見ました。大なんとかさん」

「ありがとうございます! もう一声、もうちょっとだけ行ってみませんか」

「えぇ? 困りましたね……。もう、ちょっとだけですよ? 大……山なんとかさん」

「崎の部首だけ!?」

 

 何してるんでしょうこの人達?

 早坂の素直な感想だった。

 

「……私そこまで言っていいなんて言ってないですよ」

「ひぃぃ! ごめんなさいぃぃぃ!」

「何女のムーブなんですかそれは」

「あ、愛。ようやく来ましたね。遅刻ですよ?」

「そこは『全然待ってないよ』って言うのがマナーじゃないんですか」

 

「ポケットの奥にある切れ端みたいな感じで良いんで名刺を貰ってください!」

 

「……これが待ってないように見えますか?」

「見えませんねすみません」

 

 大の大人に縋りつかれている高校生がそこにはいた。

 というか私の彼氏だった。

 

「はっ! お友達ですか!? どうでしょう芸能の道に興味はありませんか」

「えぇ……メンタルつよ……」

 

 地べたにひれ伏していたスカウトは一瞬でシャンと立ち上がると、清潔感のあるレザーの名刺入れから一枚取り出して早坂の前に差し出した。心がターミネーターと同じ素材で出来ているに違いない。

 

「いえ、興味ないんで……」

「そこをなんとか! あなた達は二人で組めばアイドル界の天下は取ったも同然の素材ですよ! この道十年の私が保証します」

 

 となると十七の子供に三十以上の大人が媚びへつらっていたのか……(困惑)

 早坂と美城は、この美貌という宝石を磨き上げる事の為なら恥も外聞もかき捨てる目の前の男に不思議な尊敬を抱いた。

 

「というか残念なお知らせなんですけど」

「いえいえ何せ急な話ですからお二人が困惑するのも理解できますよですから私も今すぐに!なんて悪徳なスカウトみたいな事は申しません一度持ち帰って徹底的に調べていただいてから連絡を頂くという形で構いませんのでどうか一枚だけでも名刺を受け取って貰えないでしょうか」

「「こっわ……」」

 

 尊敬は一瞬で霧散した。

 二人は身を寄せ合って恐怖にうち震えるのみである。

 

「いえホント盛り上がってる所悪いんですが、この子は男ですよ?」

「……えっ?」

「はい、証拠の保険証です」

 

 早坂のアシストから繋げて美城は財布から保険証を取り出すと、性別以外の欄を隠しながら目の前の男に見せた。

 保険証は公的な手続きを踏んで発行されるものである。そこに嘘は無いし、あったとすればもはや犯罪だ。

 

「男……」

 

 呆然といった様子で佇む男を見て同情が湧かない訳でもなかったが、しかし芸能界に身を置くよりも重大な事が二人にはあるので、諦めてもらうしかない。

 泣いているのだろうか? 肩をぶるぶると震わせる男をこのまま放置するのはさすがに良心が咎めたので、美城はポンポンと彼の背中を軽く叩いてあげた。

 そうしていると男は不意に勢いよく顔を上げて、美城をビビり散らかさせた挙句にこう言った。

 

「という事は……可愛い上におちんちんが付いてお得!!

 

「「ヒェッ……失礼しました……」」

 

 マジのガチで恐怖を覚えた二人はそそくさとその場を後にした。

 過去一の恐怖である。密室で殺人鬼と一緒に閉じ込められたとしてもこうはなるまい……。

 

 ハチ公像のすぐ傍には有名なスクランブル交差点があるが、そこが丁度青になったので人混みに紛れて逃走を図った。

 何事にもその有能さで何事をも乗り越えて来た早坂と、何事も才能とその美貌の神通力で事を穏便に済ませて来た美城の二人をして、何もなすべき事が見つけられない真の逃走だった。

 今日のこの日を二人は敗北記念日として忘れない……かもしれない。

 

 

本日の勝敗 早坂&美城の敗北

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ……ここまで来れば大丈夫でしょう」

「本当にあなたという人は。トラブルに首を突っ込まないと死んでしまう回遊魚か何かですか?」

「ひどいです。私だって好き好んでトラブルに突っ込んでる訳じゃないのに……」

「まあ……あれは酷い当たり屋だったと思って忘れましょうか」

 

 スクランブル交差点を駆け抜けて、はす向かいの商業施設に逃げ込んだ二人は休憩スペースのベンチに腰掛け、少し荒くなった息を整える。

 走って少し形が崩れたようで、美城は丁寧に日傘を折りたたんで鞄の中にしまった。

 深呼吸を一度すると、昂っていた気が収まってきて、さきほどまで出会っていた奇妙な出来事におかしさがこみ上げてくる。

 

「あーあ、怖かったですね。あははは」

「あはは、じゃありませんよ。大体みぃの服が……」

 

 ここまで来て早坂はようやく美城の恰好の事を気にする余裕が出て来たので、乱れた白髪を整えながら襟もとを直している彼のファッションをじっと見つめた。

 

 裾に向かって広がっていくゆったりとしたスタイルのグルカパンツで、足元は女性物のローファーのような革靴を履いている。

 青色のブラウス……と呼びたくなるが普通に男物のシンプルなシャツだ。首回りに黒いセーラー襟が付いていなければ、だが。

 これと似た服装を早坂は見た事があった。明るい色の上下に黒のセーラー襟という構成は、秀知院中等部の制服によく似ている。

 そしてとどめとばかりに秀知院のセーラー服で言えば、赤いリボンがある胸元の位置にループタイを留める飾り(アグレット)が青色の石で輝いていた。

 コランダムの青。サファイアである。

 

 朝にした早坂の予想レースは、メンズファッションに身を包んでくるか、フェミニンな恰好で来るかの一騎打ちだった。

 しかし、正解は前者と後者のシンクロ召喚によってミリタリー系のグルカパンツに普通の男物のシャツを着ていてもそういう恰好が好きな女性のようにしか見えない、という合体モンスターが爆誕してしまう結果に終わった。

 

「無駄に可愛いんですよ。どういう意図なんですかそのセーラー襟は」

 

 そんな恰好してたら変な輩の一人や二人呼んでしまうのも仕方がない気がしてくる。

 自分と美城のファッションを見比べて、見劣りするとは思っていないが甲乙つけるなら美城の方に軍配が上がるかもしれない、と考える。彼の白い髪のすぐ傍に、黒いセーラー襟は映えが反則級であった。

 

「これですか? 今日は明るい色のシャツですから、照り返しを防ぐために付けているんです。これ後付けなんですよ?」

 

 ほら、と言って美城は襟を外した。パタパタと首元に風を送り込んで少し涼むと、また元通りに付けなおす。

 体質を理由にされては黙るほかない。

 

「愛の服も似合っていますよ? 夏らしく爽やかで。ええ、とても可愛いと思います」

「……ありがとうございます」

 

 普段は制服なのでそんな事を思う必要はないのに、こうして私服で並ばれるとどこか負けたような気持ちになって、早坂は少し口を尖らせながらぞんざいに褒め言葉に応じる。

 そんな事を気にするでもなく、美城は何かを見つけて嬉しそうな顔を崩さないまま言った。

 

「おそろいですね」

「何がですか」

「アクセサリーの石が、ですよ」

 

 そう言う美城の目線が早坂の首元にかかるプラチナのチェーンに向けられて、最も注目を注がれているのは通されている指輪の赤い宝石だ。

 それから視線を上げて、自分の瞳を指さした。

 

「ほら。同じ赤です」

 

 そう言ってからくつくつと笑うと、今度は自分の首にかかっているループタイの留め飾りに嵌められた輝く石を見せて、早坂の瞳を覗き込むように眺めた。

 

「ほら、愛みたいに綺麗な青をしていると思いませんか?」

 

 何ともキザったらしい褒め言葉だったが、美城が言うと不思議と腑に落ちるような響きがある。完全に見た目の暴力でしかなかった。

 

「冗談はそれくらいにしておいてください」

「はーい」

 

 ここまで“らしい”と分かる物だ。早坂は真剣に捉えるバカらしさに気が付いて突き放すように言い放つ。

 やり過ぎたと思っているのか、美城は軽い調子で返事をして、舌を出しておどけてみせた。

 

「さ、愛。気を取り直してデートを始めましょうか」

 

 ぴょんと飛び上がるように立ち上がると、華麗にくるりとターンして、早坂の目を真っすぐ見ながら彼は白魚のような手を差し出す。

 

「初っ端からあれでは不安でしかないですけど……」

 

 これ見よがしにため息を吐いてみると、僅かながらに困った表情になった美城に面白味を感じて、唇の端をちょっとだけ上げた。

 

「楽しませてくださいよ? 私の一日は安くありませんから」

 

 少し嫌味にも取れそうな事を言いつつも、目の前に差し出された手を、早坂愛はそっと取ったのだった。

 

 




最近小説版かぐや様を読んだので、その中に出て来た早坂の私物であるルビーの模造宝石が嵌められた指輪を出してみました。


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五条美城はモフりたい

前回投稿した時にランキングに載りました。そのおかげで先週は過去最高に伸びたので嬉しかったです。
また、評価・感想も合わせて伸びたのでこれをモチベーションにこれからも頑張ろうと思います。ありがとうございました。


「良い知らせと悪い知らせがあります。どちらから聞きたいですか?」

 

 目の前の五条美城はその美しい顔のおもてを上げながら、白い髪をさらりとなびかせて、凛と通った吹替声優のような声で、ハリウッド映画の中盤みたいな事を言いだした。

 

……あれ? いつの間に映画に来てましたっけ?

 

 早坂愛は銀幕を幻視した。

 ベタな事をやってみたいとは言ったが、それはデートの話であって、誰が好き好んでハリウッド映画でありがちな事をやりたいと言ったのか。

 

「ではいい方からお願いします」

 

 とりあえず乗っかっておく事にした。

 早坂は基本的にツッコミタイプで後の先型なので、相手の出方を窺わないと反応も何もない。

 

「はい。今日は晴れて絶好のデート日和ですね」

「はあ、そんな事を言いたいが為にあんな無駄な前振りを?」

「それで悪い方の知らせなのですが」

「聞いてます?」

「晴れているので今日の移動は全て車です」

「あー……」

 

 納得した。

 五条美城のその特徴的な白い髪に赤い目は、日の光から守ってくれる色素が無い事の証明である。今日のように日差しが強い日は普段なら外出しないはずだ。

 今もこうして、カフェに入ってはいるが日差しの来ない一番奥の席に座って向かい合っている程なのだから。

 

「ドライブデートですね」

「運転手がいますから。……まったく、風邪ひく前のかぐや様と同レベルの事を言ってますよ」

「やったあ」

「アホと呼んでいい状態のかぐや様と同レべルで嬉しいですか」

「お可愛いとは思いますけど、全くですね」

「でしょう」

 

 遠慮なくアホかぐやを切った美城にふっと笑いながら、早坂はクリームの乗ったコーヒーをかき混ぜて、

 

「にゃーん」

 

 猫に取られた。

 

「……」

「あ、スーくん愛のコーヒー取っちゃダメですよ」

「にゃあー」

「うーん……許しました……」

「許さないでください。というよりですね、どうしてこんな話合いに向かないカフェに来『にゃーん』ですか」

「来にゃんですか? ふふっ。愛ったら、そんな事しなくても可愛いですよ」

「この駄ネコ……」

 

 早坂は自分のコーヒーを勝手に飲み(一応カフェインレスではあるが)、あまつさえ会話の間に割り込んできて安い猫キャラみたいな口調仕立て上げてくれた三毛猫をひっ捕らえた。

 二人が今いる所は渋谷駅から少し歩いた場所にある猫カフェだった。

 あの恐怖のスカウトから逃げた後で美城が長い時間待っていたので喉が渇きましたなどと言い出し、早坂が

「自販機で何か買いましょうか?」と言えば、

「近くに私が時々行くお店があるんです」

 そう言って彼が連れて来たのがこのカフェだ。

 明るい店内に、色とりどりに種々様々の猫がにゃあにゃあ言っていた。歴戦の甘え上手達だ、面構えが違う。

 

「愛は猫嫌いですか?」

「好きでも嫌いでもありません」

 

 早坂は自由奔放なギャルを演じている事や、その大きなつり目を称して猫に例えられる事は時々あるが、個人の趣向としては普通と言った所だ。ちなみにかぐやは犬派である。

 捕まえていたスーくんとやらがバタバタと腕の中で暴れ始めたので、離してやるとさっさと逃げ出してしまった。向かった先は店内最年長のお爺さん猫、アレクサンドルくんの下だ。仰々しい名前の割に雑種である。

 そのアレクは後輩猫が来た方、つまり早坂の方を一瞬見ると、すぐに興味をなくしたようにお昼寝に戻った。ぷしゅん、という気の抜けたくしゃみを添えて。

 

「……今嫌いになりました」

「えー、こんなに可愛いのに。ねー」

「にゃー」

「ふふっ。にゃー♪」

「うわっ、あざとい」

 

 美城は紅茶を飲み干してから、膝の上に大人しく鎮座していた白いペルシャ猫のシルヴァーくんに呼び掛けた。先ほどの駄ネコと違って利発な顔つきをしている。まさに貴族が飼っていそうなペルシャ猫そのままであった。

 その猫に、甘ったるい声をかけて優しくふわふわの毛を撫でる。まさしく猫なで声という物だ。

 

「ほらほら、愛も撫でてあげてください。ふわふわですよ?」

「いいです」

「もこもこですよ?」

「言い方の問題じゃありません」

 

 えー、と美城は残念そうに呟きながらシルヴァーの喉を撫でてゴロゴロと鳴らしていた。何となく面白くない物を感じながら、ふと猫と目が合う。撫でてもいいのよ、みたいな目で見られている気さえして、プイっと顔を背けて店内に飾られている客と猫の写真を見る事にした。

 

「愛? どうしました?」

「お気になさらず」

「二人で同じ物を愛でるから意味があるんじゃないですか」

 

 ぶーぶーと膨れながらペルシャ猫に興味がありそうな他の客の為にシルヴァーを手放す。

 視線をきょときょと動かすと、すらりとした横顔、青い目を見つけて、美城は小さく手を鳴らした。

 

「ほらほら、あーいにゃん」

 

 呼びかけられた方はピクリと耳を動かした。

 

 いやいや、いくら猫カフェにいるとは言え、そんな安直な呼びかけ方します?

 

 早坂は頭に浮かんだはてなを追い払うように印を組むかの如く指を組むが、しかし、なおも美城の攻勢は止まらない。パチパチと手拍子しながらそのリズムに乗って軽やかに歌いだした。

 

「にゃんにゃん♪ あーいにゃん♪ ブルーのロシにゃん♪ 青い瞳でこっち見て♪」

 

 ……なんかどっかで聞いた事があったような。

 

「だから私はアイリッシュです……って……」

 

 ロシアだと経歴詐称されそうな現状に待ったをかけるべく、早坂は美城の方を振り向いた。そして振り返って気が付いた。

 そもそも自分から直接ルーツについて聞いている美城が、そんな初歩的なミスをするはずがない。

 

「ん? どうかしました? 愛」

 

 真っ白なさらさらの髪に赤い目の美城が早坂を向く。

 その膝にはグレーの体毛に、青色の瞳が宿っている猫。ロシアンブルーが乗っかっていた。首から下げられたネームプレートには【アイ】と書かれている。

 

「アイちゃん、このおねーさんも愛って言うんですよ。挨拶してくれますか?」

「にゃー」

 

 ブルーのロシアンのアイにゃんは一声鳴いた。一方のアイリッシュの愛にゃんはむっつりと黙りこくる。

 早坂は肩透かしを食らった気分になってカクンとうな垂れた。

 

「偉いですねーアイちゃん。あ、すみませんこのシフォンちゃんのケーキください」

「……ふん」

 

 甲斐甲斐しく世話を焼き始めた彼を見て、絶対にペットを飼ってはいけない男だなと美城の新たな一面を知った早坂であった。

 猫のアイをゴロゴロ言わせながら、この店には絶対的ナンバーワンがいる事を美城が言っている。愛は興味があるのか無いのか分からないような頷きを返しながら、正に猫可愛がりされているアイを見つめた。

 人に媚びる事で日々の糧を得ている寄生虫……いや寄生獣……。

 早坂は漫画の事をあまり知らない少女である。

 コトン、と固い音がした事で遠くに行っていた意識が目の前に帰って来た。可愛らしい猫の絵がチョコレートっぽいソースで描かれている。猫にとってチョコレートは毒なので、見た目がそれっぽい物を使うのだ。

 

「お待たせしました」

「ありがとうございます。わあ、可愛いですね」

「こちら猫ちゃんも食べる事が出来るケーキなんですよ」

「愛、撮っておきませんか?」

「いいです」

 

 そうですか……。と言ってシュンと小さくなると、膝に乗っているアイが心配そうににゃあと鳴いた。それに応えるようにぱあっと美城の顔が明るくなると、ますます、何というのだろう、頑なにこの場を楽しんでやるものか、という気に愛の方はなってきていた。

 

 何か気に障ったのでしょうか? こんなに猫ちゃんは可愛いのに……。

 

 美城なんてこんな能天気な事を考えているというのに。

 

「愛、あーんしてあげましょうか?」

「はっ?」

「ほらほら、あーん」

 

 クンクン……。

 ペロペロ。

 

「美味しいですか?」

「にゃー」

「よしよーし」

 

 ……いや知ってましたし?

 

 謎の強がりを心の中ですると、はあ、とため息を吐いて席から立ち上がる。

 

「愛、どこに行くんですか?」

「私も『みぃくん』を可愛がろうかと思いまして」

 

 当てつけである。

 だからと言って美城の機嫌が悪くなったり、嫉妬が芽生えるという事もないのだろうけど。

 ……嫉妬? いや、私は何を。

 足元にすり寄って来たアメリカンショートヘアに気持ちを撫でつけるように触ると、どこか良からぬ思いでも感じたのか、別の客の所へ走って行ってしまった。

 やるせない気持ちになりながら立ち上がると、猫達が遊ぶ用に付けられた天井まで届くタワーの一番上に鎮座する猫と目が合った。

 漆を塗り重ねたように艶やかな毛並みを持つ、そんな黒猫だ。

 ただの家猫とは違うスマートな立ち姿はまるで豹のようであり、そして左右の瞳の色が違う金銀妖瞳(ヘテロクロミア)が、神話に出てくる猫のようにも見える。

 他の猫のネームプレートはひらがなかカタカナなのに対して、この猫だけは『Oskar』とアルファベットで名前が書かれている。

 横に備えられたちゅーるに見向きもしない。早坂はこの猫が店のナンバーワン猫だとすぐに分かった。

 『みぃくん』ではないが、彼が熱弁を振るっていたナンバーワンを連れて行けば鼻を明かせるだろう。

 指先をひらひらさせて「おいで」と黒猫のオスカーに呼び掛けた。

 乗っているタワーの段に指先がかかると、『フー!』と短く一喝するように彼は唸った。

 

「何しているの、貴女」

 

 それまで遠巻きに見ていた常連っぽい客が、慌てたように駆け寄って来て早坂に呼び掛けた。伸ばしていた手を下ろして、声の方を振り返ると、四十代くらいの身綺麗な恰好をした女性が睨み付けるような目でこちらを見ている。

 

「何って、あの子に興味があったからちょっと手を伸ばしてみただけですけど」

「オスカーくんに!?」

 

 信じられないアホを見る目で見られた。

 

「この店は猫と触れ合う事が目的ですよね? 客としては一番人気の猫に興味を持つのは自然な事だと思いますけど」

 

 少しムっとしながら言い返すと、目の前の常連っぽい客はキリっと眉を顰めた。

 やばい、何か来る。

 

「黙れ下衆!!

 貴様はオスカーくんの自由を封じるのか!?

 彼の意思ではなく客の御旗を以ってしようというのか!?

 資本主義の威を借る狐めが!!」

 

 えぇ……滅茶苦茶厄介なファンが付いてらっしゃる……。

 

 早坂は浴びせかけられた言葉の洪水に飲まれそうになりながら、四宮の一員としての矜持で何とか踏ん張った。

 

「愛、どうかしたんですか?」

「ぅにゃあー」

 

 騒ぎを聞きつけ猫参上。

 相も変わらずアイを抱っこしながら愛の下へ馳せ参じに来たのは美城である。

 常連客の女性と愛の顔を見比べて状況を理解しようとしていた所、先に声をかけたのは常連客の方だ。

 

「五条さん。この子、あなたの知り合い?」

「はい。そうですけど」

「この子いきなりオスカーくんに触ろうとしたのよ。まったく……この店の事が分かってないわ」

 

 分かってない、なんて、ただ猫に触ろうとしただけじゃないですか。

 納得のいかない気持ちになりながら、しかしこの状況であれば自分を味方するだろう、と若干の安心感を抱いて美城の言葉に臨む。

 

「え!? 愛、本当ですか?」

 

 聞こえて来たのは、アホを見た……とまでは行かないが何か信じられない物を見たかのような声であった。

 

「本当ですが……なにか問題でもあるんですか?」

「オスカーくんはとても気難しい猫なんです。特に自分に対して媚を売ってくる女性に対しては、どこか軽蔑するような視線を向けてくる事も少なくありません」

「えぇ……厄介な猫過ぎます……」

 

 早坂は話題の中心であるオスカーくんを見上げてみる。下界を睥睨する貴族のような視線は変わらず、確かに非常に気位が高い猫である事は理解した。

 

「私もようやく女性ではないと理解してもらえる段になったので、抱っこして愛にオスカーくんを撫でさせてあげたかったのですが……」

 

 落ち込んだような美城は抱っこしているアイの頭に顎を埋めた。嫌がっている。

 

「そういえば五条さん。あなた店に入ってどれくらい経ったのかしら?」

 

 美城と顔見知りらしい女性は猫カフェに来るには少しお高い時計を見ながら、彼にそう尋ねてきた。

 ん?と二人は思い出す為に小首をかしげて、先に思い出した早坂の愛が答える。

 

「二十分くらいですよね、みぃ」

「そうですね。それくらいに」

「五条さん……今すぐ出て行きなさい!」

 

 凄い叫ばれた。

 当然早坂は納得がいかない。目を鋭く細めて、女性の事を威圧するように睨み付ける。

 

「何なんですか貴女は?」

「愛、いいんです」

「よくありません。理由なく客を追い出すなんてありえないでしょう?」

「理由があればいいのね」

「あれば、ですけど」

「今、夏でしょう?」

「はい」

「毛が生え変わるでしょう?」

「はい。それがどういう……」

 

「くしゅっ」

 

 ……

 

「ほら」

「はい?」

「失礼しました。お話の続きっしゅん!」

「み、みぃ? 大丈夫ですか?」

「大丈ぶぁっしゅ!」

「フギャッ」

「ああ、ごめんなさいアイちゃん。くしゃみが……っしゅん」

 

 美城がその容貌に相応しからぬくしゃみを盛大にすると、飛沫がかかったアイがバタバタ暴れ出して彼の腕から抜け出した。それでも尚くしゃみは止まらない。

 

「ほら五条さんやっぱりそうなるじゃない」

「お恥ずかしいかぎりです……す……ステューピファイ! うぅー……」

「くしゃみのクセが凄い」

 

 魔法使いが失神しそうなくしゃみをすると、美城の真っ白な鼻頭が赤くなってきた。真珠のように美しい彼の白目も赤くなってきて、ちょっと涙ぐんでいる。

 

「もしかしてみぃって猫アレルギー……」

「違います。アレルギーではありません。……ただ抜け毛が多い時期だとくしゃみが出やすいだけで」

「なのにどうして来たんですか? バカですか?」

「愛にも私の好きな物を知ってもらおうかと……くしゅっ」

「平気な時期に来ればいいだけの事でしょう。早く店から出てください」

 

 よく分からない常連客の言葉に従う事になりそうなのは癪だったが、そうも言っていられない。早坂などは平気だが、彼にとって非常に埃っぽいこの空間から美城を出す事を先決すべきだ。

 猫が逃げ出して空いた美城の手を掴んで、さっさと店の外に放り投げた。それから先ほどまで二人で座っていた席に立てられている注文の明細を取って会計を済ませる。

 忘れ物が無いか店内を見渡すと、常連客と目が合った。彼女はひらひら手を振ると、

 

「お大事に」

 

と言って自分が座っていた席に戻って行った。同じような事を店員も言ってきて、さして動揺した所も無いので、よくある事なのだろう。

 だったら来るのを止めろと。

 そうは思うのだが、理屈ではないのかもしれない。

 

 店を後にすると、道の真ん中でスーツ姿の男に掃除機をかけてもらっている人がいた。

 というか美城だ。

 首元についているセーラー襟の裏っかわの方までしっかりと掃除して、身綺麗になった美城はスーツ姿の男、つまり運転手に何か詰まった袋を渡されると隣の店舗へと入って行き、お手洗いの表示の下で曲がった。

 

「今、美城様はお顔を洗いに行かれましたので、少々お待ちください」

 

 落ち着いた低い声で、初老の運転手はそれだけ言うと車内に入って行った。

 邪魔をしないように、という配慮だろうか。

 暇つぶしにスマホを取り出してニュースでも眺めている事にする。あの様子だと念入りに手を洗い顔を洗う必要がありそうで、時間もかかりそうだ。

 しかし、これでは何のために彼は痒い思いをして店に入ったのか分からない。

 私はコーヒーもどきを猫に取られ、みぃはお目当てのオスカーには触れず終い。常連には怒鳴られたし、そもそも彼は猫に構ってばかり。……最後の凄い構ってちゃんの面倒くさい女みたいじゃないですか。うわぁ。

 

「お待たせしました」

 

 しばらく待っていると、ようやく洗い終わった美城がお手洗いから戻って来た。どこかこざっぱりとした顔だが、目の赤さは誤魔化せていない。

 

「大丈夫ですか?」

「ええ。しっかり洗いましたから平気です」

 

 そうは言うものの、何となく痒い思いを抑えられないように目頭の辺りを軽く揉んでいた。

 

「愛、すみません。まさか猫の事がそんなに好きではなかったなんて。女性は皆猫が好きなどと言うのは、私の思いこみでした」

「いえ……別に謝る必要はありませんよ」

 

 猫に対しての好悪はそこまで無いし、むしろくしゅくしゅと鼻をすすって涙目の美城というレア物が見られたので、プラマイでいうとプラスだと早坂は思っている。

 絶対に言ってはあげないが。

 

「ですが次に行く所は愛も気に入ってくれるはずです」

「どこですか?」

「この辺りで一番のネイルサロンです」

 

 さあさあ、といつもの調子を取り戻した美城が車に乗るよう勧めてきた。

 さっきまで猫に向けられていた甲斐甲斐しさが自分に向けられるのは、やはり悪い気はしない。

 早坂は普段かぐやにしているような扉を開ける所作を自分に向けられると、何か偉くなったような気がした。

 単純な家の格で言えば早坂家は五条家に及ばないが、それは二人の時には言いっこなしだろう。そうでなければ四宮かぐやと白銀御行の間でまともな交際が出来ない事になる。

 

「愛?」

 

 扉を開けたのに乗り込んでこない早坂を不審に思ったのか、眉をハの字に困ったような表情を浮かべて美城は彼女の名前を呼び掛けた。

 

「いえ、何でもありません。行きましょうか」

 

 こんな時でも主人の事が頭に浮かんでくるあたり職業病の気がある。自嘲しながらもすぐに頭を切り替えて車に乗りこんだ。

 単純に早坂もネイルサロンは楽しみであるし、それがここらで一番の店ともなればなおさら。

 

「でも、よく予約がとれましたね」

「実はビルのオーナーと私の母が知り合いでして。普段は言わないわがままを聞いてもらいました。愛のためですよ?」

 

 にっこりと笑いながら正面切って言われると、面の皮が厚いと自覚している早坂も少しばかり照れくさい。誤魔化すように、

「水をください」

 と言ったが、かえって内心の動揺を吐露しているように感じて、体温が上がる感覚に襲われた。

 

「はい」

 

 分かっているのか分かっていないのか。いや、分かった上で分からないフリをしているのだろう。

 五条美城のそういう所が楽で付き合い易い。普段面倒くさい化けの皮を被っている自分にとって、そういう相手はありがたかった。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 美城は曇り一つないグラスに注がれたミネラルウォーターを早坂に手渡した。短く礼を返して口を付けると、同じように水を飲んでいる美城の赤い目と視線が合い、何となくふいっと反らした。

 反らした先に、あの黒猫のオスカーがいたので少し吹き出しそうになる。美城も気が付いたのか、物惜しそうな目線をそちらに向けていた。

 かぐやが将来デートするなら、絶対にデート先に選んではいけないと吹き込んでおこう。白銀が猫を構いだしたらこの世から猫が消えてしまうかもしれない。

 そう思う早坂だった。

 

 

本日のデート勝負 五条美城の敗北(くしゅん!)

 




スーくんの正式名称はスーンスールズカリッターくんです。
デート編は次回で終わりです。


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早坂愛は爪を研ぐ

前回のあらすじ
「ロイエンタールの大馬鹿野郎!」


「そう言えば、愛の誕生日っていつなんですか?」

 

 穏やかに揺れる車内で窓越しに『お誕生日のラッピング承ります』の文字を見た五条美城は、ふと気になって目の前の彼女に問いかけた。

 早坂はそれまで話していた、夏休みに行きたい所の候補地という話題(もちろん自分達ではなく、かぐや・白銀が行きたいであろう場所を考える)から全く異なる話題転換に首を傾げると、さらりと金髪のサイドテールが首すじをくすぐった。

 

「どうしたんですか、急に?」

「いえ、単純に世間話ですよ。愛の誕生日を知らないなと思いまして。どうせ私の誕生日は知っているのでしょう?」

「四月六日ですよね」

「ほら。そちらだけが知っているのは不公平と言う物ではありませんか?」

 

 何をいまさら気にしているのでしょう。初めて会ってからもう一月以上は軽く経っているのに。

 とはいえ別に隠し立てする必要も感じられないので、文句を垂れている彼を黙らせるためにも答えてあげる事にした。

 

「四月二日ですよ」

「え……もう過ぎてるじゃないですか」

「そうですよ? だから今更だなあ、と」

「言ってくださいよー」

「嫌ですよ。過ぎた誕生日の事を言うなんてプレゼントを催促しているみたいで」

「ちなみに今って何が欲しいんですか?」

「だから言いません」

「もー」

 

 ぷんすかご機嫌斜めになってしまった美城に、ある種の微笑ましさを感じて早坂は少しだけ笑う。

 

「ですが四月二日なんて、ぎりぎりでしたね」

「何がですか?」

「早生まれのルールですよ」

「ああ。四月一日生まれは一つ上の学年に入るというアレですね」

 

 学年は四月一日に始まり三月三十一日に終わり、翌四月一日に学年が上がる。これは学校教育法の施行規則第五十九条に記されている法令だ。

 ではどうして四月一日生まれは学年始まりの日に生まれたのに、上の学年に入れられるのか。

 

「あと数時間でも遅れていたら私は愛を先輩と呼ばなければなりませんでしたね」

「興味あります。試しに言ってみてください」

「それはまたの機会に。愛はどうして一日生まれは早生まれ扱いになるか知ってますか?」

「確か……民法によると、【誕生日の前日が終了する時(深夜十二時)に歳を一つとる】とされていて、つまり四月一日生まれの人は法律上は三月三十一日の深夜十二時に歳をとっているという扱いになるから、ですね」

 

 何とも小難しい話だが、そう言う風になっているらしい。

 ちなみに有名な四月一日生まれキャラは木之本桜やボボボーボ・ボーボボである。

 

「さすが愛。なんでも知ってますね」

「まあ自分に関わる事ですから」

 

 こんな事はポケットに入れている板を触ればすぐに出てくる情報だが、おそらく美城は堂々とスマホを取り出して調べものをしても褒めちぎったに違いない。褒められ慣れている四条眞妃をして致死量レベルで褒めてくると称された彼はそういう男だった。

 褒められる事に乏しい早坂は少し照れたように頬を掻く。家族間の教育方針がどう作用したら、こんな人を平気な顔して褒められるような生物になるのか教えて欲しいくらいであった。

 主人をロクに構いもしないクソ爺(四宮雁庵)を五条家に放り込んだら丁度いい父親が誕生するかも、と益体もない事を考える。

 

「しかし示し合わせたみたいですね」

「何がでしょうか」

「その年度中に生まれるかぐや様と同じ学年に、従者の早坂家にギリギリ早生まれにならない日付に生まれて来た愛という子供が、です。ちょっとした運命を感じますね。もしかして一日生まれをずらしたりしていませんよね? ……すみません、もちろん冗談ですよ」

「…………」

「えっ何で黙るんですか?」

 

「あなたのような勘のいい男は嫌いですよ」

 

「ま、まさか本当に……?」

「あ、停まりましたね。着いたみたいです」

「ちょっと、愛?」

「速く降りてください」

「何でそんな含みを持たせるんですか。じょ……冗談ですよね?」

「ふふっ……」

 

 何かを秘めたような伏し目がちに青い目を向けると、焦り始めた美城が可笑しかったので、そのまま含みを持たせた微笑みで応えた。降りてと言っても彼が降りてくれそうにないので、手で制しながら美城の前を通り、通り過ぎる際に、囁くように短く言う。

 

「いいじゃないですか。私の誕生日は四月二日ですよ。……という事で」

「だから最後の一言が不穏なんですけど」

 

 美城はどうも口にした冗談が真実味を帯びてきてしまった事に居心地が悪い物を感じながら、先に下りてしまった彼女の後姿を追いかけた。

 

 

 

 

 二人が入るネイルサロンは商業ビルの二階にあった。

 大きな窓が嵌められた白亜風の建物で、同じような目的の若者でごった返している。

 一階にあるカフェから、今となっては流行りと言い辛いタピオカミルクティーを片手に通り過ぎていく女子を横目に見た美城が、ツイッターかインスタかは分からないが写真を撮ろうとしている彼女達のスマホに向かって小さくピースした。

 

「何をしているんですか」

 

 茶目っ気を出して他人の写真に見切れようとしている彼に呆れつつ、階段に足をかけた早坂は振り返る。

 えへへ、と困ったように美城は笑って、待たせている早坂の所へ行き同じように階段に足をかけた。そしてゆっくりと登って行く。

 

「愛はあれ好きですか? タピオカ」

「飲んだ前提ですか」

「だってツイッターに画像上げているのを見ましたから」

「何勝手に見てるんです」

「どうせ見せる用の別アカでしょう? 金髪碧眼の美少女写真をアップすればすぐ伸びそうなものをしないという事は」

「それでも一年近くさかのぼるのはちょっと変態じみてますけど?」

「では十七年近くさかのぼった愛はもっと変態という事になりますけど?」

 

 カツンカツンと革靴とサンダルの固いソールが打ち付ける子気味いい音に合わせるように二人の技の返しあいのような会話が続く。

 変態、と女子に言われれば男子なら多少なりともたじろぎそうな物を、平気な顔をしてこちらに擦り付けてくるのは、美城の対女子性能の高さを窺い知れた。腹立たしいほどに。

 

 店主の趣味がそのまま反映されたような色鮮やかな外観を一瞥して店内に入っていくと、受付にいた女性が机に落としていた視線を上げて、

「いらっ……しゃいませ」

 そんな風に言いよどんだ。

 彼女も長らく渋谷の一等地に居を構える店の一員である。金髪も白髪も、何なら虹色に染められた髪すら見た事があるが、これほどナチュラルな髪色はお目にかかった事がない。

 染髪剤を教えてほしい。遺伝子です。

 

「予約していた五条です」

「五条様ですね。えーっと……はい、奥の部屋へどうぞ」

 

 予約状況を確認すると、一つだけあからさまに特別な色使いで『五条』と書かれている。赤色だ。

 美城は示された奥の席に目をやると、受付に会釈して早坂と一緒に進んで行った。その瞳が赤色だった事に気が付くのは、奥に二人が消えてからだった。

 

 突然の予約が図々しくも店長を指名してきた事は従業員の間でも噂になっていた。御坊っちゃんお嬢様学校として知られる秀知院の卒業生であるにも関わらず、自分の腕一本で店を守っている店長。

 その人に先輩だからと言って予約をねじ込むのはどうかと、皆の間で議論の的であったが、少なくとも五条と名乗った二人組を見た彼女は何かを言うつもりがなくなってしまった。

 大理石から切り出したような白と金の天使像の、美しく白い佇まいに触れる勇気が湧かなかったのである。

「あんなに綺麗だと人生楽しいだろうなあ……」

 そんな言葉を思わず漏らした。

 

 

 

「お待ちしておりました」

 

 奥の部屋で待っていたのは三十代前半の女性だった。明るい髪色、煌めくネイル、少し軽薄にも見えそうな姿は、幼少から裏打ちされた教育によって得られた上品な佇まいで少しもそうとは思わせない。

 

「今日は無理を言って申し訳ありません」

「いいんですよ。先輩にはいつもお世話になってますから、これ位はね」

 

 丁寧ではあるが、すこし砕けた言葉遣いだった。客であるし、先輩の先輩の子どもではあるが、秀知院に通っているなら後輩である。そんな気持ちが出た言い方だった。

 

「では始めますね。座ってください」

「あ、いえ、私ではなく彼女をお願いします」

「よろしくお願いします」

 

 予約した本人が座らないのはおかしい話だ。と言いたげな表情になった店主に、気まずい気持ちを抱く羽目に会った早坂は、さっさと簡易イスに腰掛けた美城を睨んだ。

 

 どうせ私が受けるのだから、『早坂』で予約を取ってくれればいい物を。……それで彼の方を見ながら「早坂さんですね」と言われたらもっと複雑でしょうけど。

 

 こればかりは仕方ない。耳目を集める姿に生まれた彼が悪いのだ。

 そういう事にして早坂は席に座り、青系統の人気のネイルでと伝えて爪を表に手を差し出した。

 

「綺麗な爪ですね。自分で手入れしてるの?」

「普段は自分で塗っているので」

「え、今の秀知院ってネイルして良いんだ」

「軽めの物なら、ですけど」

「でも愛くらいしっかり塗る人は珍しいですね」

 

 確かに……と言おうとした所でふとある事を思い出し、早坂は美城に語気を強めに問いかける。

 

「そう言えば、余計な事を言ったのはみぃですよね」

「余計な事?」

「とぼけないでください。マスメディア部の二人が書いたネイルの記事に余計な情報を付け加えたでしょう」

「あー、ネイルは男の趣味でいうとガンプラ、みたいな事を言った記事ですか」

「それです。彼なんかすぐ真に受けてしまうんですから」

「何かあったんですか?」

「私があの子に塗ってあげたピンクのネイルを、後日シャアザクみたいで良いと思うぞと言われたとか。せっかくハズいくらい可愛かったのに」

 

 一応気を遣ってかぐやと白銀の名前を出さないで会話を続けた。

 

「ラインストーンを一個のせた可愛らしいネイルだったんですね」

「なんで分かるんですか!?」

「一個のストーンをモノアイに例えたんだと思いましたので」

「『シャアザクって何!?』となった彼女の為に、私はガンダムをはしごですよ。はしご」

「まあ楽しそう。私も一緒したかったです」

「あなた十時くらいには寝ちゃうじゃないですか」

「すみません……」

 

 そんな会話をクスクス笑いながら聞いていた店主は、丁寧に磨き上げた早坂の爪に、後でふき取るので軽くオイルを塗って下準備を完了する。

 余計な甘皮を切り取って、もはや工業製品のように丸いピカピカに光る早坂の桜貝のような爪を見ながら、美城は感嘆した声を出した。

 

「やっぱりプロですね。単純な事に一番差が出ます」

「そうですね」

「ではありがとうござい……」

「いや待って!? 終わった感出さないで!」

 

 そのまま席を立ちそうな美城に慌てて店主は呼び掛けた。もちろんふざけているだけとは分かっているが。

 

「私だったらこれで満足してしまいますね」

「何で男はネイルが嫌いなんでしょう?」

「嫌いという事は無いと思いますけど。ただIKK●さんクラスか、キャッチャーの蛍光ネイル位いかないと興味が無いだけで」

「どんだけ~……って何やらせるんですか!」

「自分でやっておいて」

 

 ノリよく返してしまった。

 ここが学校だったらギャルモードで乗り切れたのだが、今は比較的素に近い早坂愛だったのでダメージが直接自分に返ってくる。

 

「仲が良いね」

 

 店主は愉快な気持ちになりながら目の前の二人を見てそう言った。

 嬉しそうに微笑む美城と、納得がいかなそうに顔をしかめる早坂の対照的な顔を見比べながら青系統のジェルネイルの準備を始める。

 特に人気なのは、ベースの上にカラーを乗せ、その上に金銀を散りばめて更にトップジェルを塗る物だ。

 数ミリの世界でありながら、奥行きさえ感じるそのネイルは、ギャラクシーなどと呼ばれたりもする。

 

 下準備がなされた爪の上に、まずはベースとなるジェルが均一に塗られる。

 美城は建築業の息子らしく『コンクリの左官みたいですね』と思ったが、気を悪くされそうなので黙っておいた。

 良いのに、左官。このご時世でも五百万近く稼げるのに。

 誰に言うでも無いのに、内心言い訳した。

 

 ここでジェルネイルの特徴が美城に牙をむいた。

 その特徴とは、ゲル状の樹脂を硬化させる工程にある。普通のマニキュアの、溶剤が渇いて固まっていくのとは決定的に異なる点は、

 

「じゃあ光当てるねー」

 

 ジェルネイルはUVライトを照射してジェルを硬化させるのだ。身近にある似た原理の物と言えば、歯医者で施術される詰め物だろうか。

 UV。ウルトラヴァイオレット。

 日本語で言うと紫外線である。

 アルビノである彼の天敵だった。

 

「私ちょっと席を外します」

「ハンディUVライトで!?」

 

 手元を青紫の光に晒しながら早坂は首だけ向けて美城の後ろ姿にツッコんだ。

 美城はやはり外的刺激によわよわ彼氏すぎる。

 

「可愛いお友達ね」

「確かにあれほど見た目が可愛らしい人を見たのは初めてです」

「このビルのオーナーが私の先輩なんだけど、そのさらに先輩が子供の写真を見せてくれないってオーナーが愚痴ってたの。けど、あんなに可愛かったら納得。お兄さんもきっとカッコいいんでしょうね」

 

 ん?

 微妙にかみ合わない会話の歯車を回して、回して、カチリとかみ合ったのは要という少女を思い出してからだった。五条家の子供は、兄と妹で構成されている。

 そう言えば彼はお兄さんでした。兄と妹の子供二人という情報だけだと、彼の事を妹と思うのも無理はありませんが。

 

「あの子の方がお兄さんですよ」

「えっ」

 

 

――

 

「お待たせしました」

 

 施術を終えた早坂は美城が待っているカフェに合流した。

 どこかウキウキした様子の彼女に対して、美城はどこかくたびれたような顔をしている。

 それもそのはず。

 

「どうしました? 疲れた顔をしていますけど」

「だって、あれから二時間ですよ?」

「大袈裟な。女性の使う時間を過大に言うのは男性の悪い癖ですよ」

「では実際に何分使いましたか?」

「百分です」

「ネイルってこんなに時間かかるんですね……」

 

 所要時間、優に百分を超える『大工事』である。

 女性のあれこれに理解がある美城といえど、さすがに堪える時間であった。

 それはいつも手頃なマニキュアでお洒落を済ましている早坂もご機嫌になろう物だ。普段の十倍近く時間をかけているのだから。

 その丹念に塗り重ねられたジェルネイルは女性の心を捉えて離さない輝きを放っていて、早坂はもう一度視線をネイルに合わせる。

 

「ねえ、愛、私にも見せてください」

「いいですよ」

 

 光にかざしてキラキラと輝くネイルをじっと見つめていた早坂に、そんなにいい物なのかと興味が湧いた美城は見せてとお願いする。

 彼女が選んだのは青の中でも明度の高い物であった。彼女の目よりも少し明るいくらいの色だ。そこに金色のラメが、大小さまざま入り混じって奥行きのようなものを感じさせる不思議な煌めきを放っていた。トップにクリアなコートをかけると海を閉じ込めたようなネイルが、早坂愛の両手に収まりよく十個並んでいる。

 夏の日差しに煌めくブルーの海、といった風に美城は思った。

 

「綺麗ですね。良く似合ってますよ」

 

 ネイルに向けていた視線を上げてそう言うと、喜んでくれていると思っていた早坂が少しだけ困ったような顔をした。

 美城は疑問に思いながらこてっと小首をかしげると、早坂はその少し困り顔のまま話し始める。

 

「こんな感じでいいんでしょうか?」

「何がですか?」

「デートと言う物が、ですよ。何と言いますか、私のために何かをしてくれるのは、それはまあ気分がいいですけど、これがあなたにとってどんなメリットがあるかと考えると……。

……って何を言っているんでしょうか。忘れてください。さあ次はどこに行きます?」

 

 猫カフェのような体験ではなくて、目に見える形となって表れた事で何か思う所があったのだろうか。

 美城はそんな早坂の言葉を、腹立たしい気持ちで聞いていた。

 与えられる事に慣れていない四宮の教育の歪みの被害者ではとすら思う。だからこんな友達同士で出かける事にさえ、メリットとデメリットの天秤を釣り合わせる事に拘泥するのかもしれない。

【人から貰うな】と御大層な書体で額縁に飾られていた言葉を美城は思い出した。

 この歳の女の子なら、自らに降ってくる全ての都合のいい事を無遠慮に受け取っても良さそうな物なのに。

 

「確かにメリットはないかもしれませんね」

「そうですか……では次に行く所くらいは私が」

「ていっ」

「痛っ」

 

 金髪垂れこめる綺麗な額に、美城はデコピンをかました。

 

「そんな風に思えるのは愛の美点かもしれませんけど、辛気臭い顔をされては困ります」

「ではどうすれば」

「簡単ですよ。笑っていてください、愛」

「はっ……?」

 

 弾かれた額をさすりながら、美城の言った言葉に早坂は息を呑んだ。

 

「愛だってかぐや様と出かける事があれば、笑っていて欲しいでしょう?」

「それは……まあ、そうですね」

「それと同じです。好きな相手が笑っていてくれたら嬉しい。楽しかったら私も楽しい。それが何よりのメリットです。ですから困った顔をされると、私も困ってしまいます」

 

 そう言うと、鏡合わせのように困った笑顔を美城は浮かべる。抱える思いは早坂の後ろ向きな物から、鏡に映った虚像のように反対の物だ。

 愛情いっぱいに育てられた彼らしく、なんとも真っすぐな友情の理屈であった。

 それを眩しいと思うくらいに、早坂の育って来た環境は問題を抱えたもので、彼の言葉に素直にうんと頷けない自分は、彼と真の意味で相いれる事は無いのかもしれない。

 

 早坂はそれを、少しだけ惜しいと思ったのだ。

 

「そう……ですね」

「分かってくれましたか?」

「ええ」

 

 笑っているだけでいい。

 楽しんでいるだけでいい。

 裏表のないような、そんな事を心地よく思う自分がいる事。

 それが分かってしまった。

 

「では次の場所へ行きましょうか。綺麗なネイルに合う、綺麗な服を見繕いに」

 

 五条美城は早坂愛の手を引いた。

 普段なら馴れ馴れしいと言って振りほどくかもしれないが、今だけは素直に受け取って、彼女の唇の端には少し笑みが浮かんでいた。

 

 

 ……

 …

 

 

「早坂、帰ってきてたのね」

「はい、かぐや様」

 

 夕焼けの茜色が全てを染め上げる時間帯になって帰って来た早坂を、四宮かぐやは出迎えた。

 

「しかしタイミングがいいですね。まるでずっと待っていてくれたみたいです」

「そんな訳ないでしょう? 五条くんが連絡をよこしたから、そろそろかしらって見に来ただけ」

「冗談ですよ」

 

 意地の悪い返しにかぐやは呆れるように目を伏せる。これでよくやっているものだ。

 顔を上げて早坂をもう一度真正面から見ると、どこか雰囲気が違っていることに気づいた。

 それが聞きたい。四宮の令嬢、かぐやは御付きが帰ってくるからとわざわざ出迎えに行くほど殊勝な心掛けはしていなかった。

 

「早坂、話があるんじゃないですか?」

「はい……?」

「あーあ本当はあなたの惚気話なんて聞きたくないんですが、早坂がどうしてもって言うなら聞いてあげますけど?」

 

 素直でなく、迂遠で持って回った言い回し。身の周りで交際している人物が四条眞妃と早坂愛しかいない、さらには四条とは敵対関係でもありおいそれと彼女の方には行けないので、早坂の方から何かしら話を聞きたいのかもしれない。

 早坂はそんな主人の思惑を看破すると、しかしあえて否定から入る必要も感じなかった。

 

「そうですね。かぐや様、話を聞いてくれますか?」

「全く、しょうがないわね」

 

 上機嫌になった様子のかぐやは早く話を聞きたいのか、小走りになりそうなほどの早歩きで自室へと足を運んだ。

 お可愛い人……。そう思いながら早坂もその後ろに続く。

 

「で、どうだったのかしら」

 

 かぐやがベッドに座り、そのすぐ傍で早坂が立って控えている、いつもの恋愛頭脳戦を企てる時のような格好でかぐやは切り出した。いや、切り出すように促した。

 主人の思惑する所、過不足なく受け取っている早坂はまず端的に述べる。

 

「失敗ですね」

「失敗だったの!?」

 

 かぐやは初っ端の早坂が言った言葉に目を見開いた。

 

「ちなみにどういう所が?」

「そうですね……。まず待ち合わせからケチの付き初めでした。みぃの方が先に着いて待っていたのですが、しつこいスカウトに声をかけられてまして」

「まあ、あの見た目ですからね」

「アイドルに強い事務所だったので、私がその人男ですよと言ったら『可愛い上におちんちんが付いてお得』とか言い出して」

「ブー!!」

 

 かぐやは吹き出した。

 彼女はまだ『ちんちん』や『おっぱい』で笑ってしまう期から抜け出せていない!

 

「かぐや様?」

「い、いえ、何でもありません。急に変な単語が出たから驚いただけです」

 

 それを知るのは今の所藤原千花だけである。こんな自身の恥をいくら姉妹同然に育ったとは言え、早坂に見せられる訳がない。

 

「まあいいですけど……。それでですね、その変なスカウトから逃げた後でカフェに行ったんです」

「あら、いいじゃない」

「猫カフェですよ猫カフェ。かぐや様も会長とお出かけする機会がある際は気を付けてくださいね。彼女を放っておいて猫構いだしますよ」

「だから私は会長の……って猫カフェ? そんな所に行ったのね」

「はい。そこでは頼んだ飲み物を猫に取られましたし、一番人気の猫に触ろうとしたら厄介な常連に絡まれましたし、挙句の果てにみぃは猫の抜け毛でくしゃみして使い物にならないし、散々です」

 

 証拠として早坂はお手製改造スマホの望遠レンズで撮ったオスカーくんの写真を提出した。

 猫の気まぐれな所が好きではないかぐやだが、その壮麗たる姿に賞賛の声を送る。

 

「綺麗な猫ね」

「綺麗なだけです。なんでも、可愛がってくる女性が嫌いだとか」

「……何でナンバーワンなのかしら?」

 

 虫の居所が良い時は撫でさせてくれるらしい。それを目当てに通いつめ、貢ぐのだとか。ホストより質が悪い。

 

「良かったのは次に行ったネイルサロンですかね。自分では絶対にしないようなネイルをしてもらいました」

「その爪?」

「はい」

「んー……確かに私にしてくれた物とは全然違うわね」

「ええ。やはりプロは違います。……まあ一つケチが付いたのは」

「また何かあったの?」

「ジェルネイルはUVライトを当てて固めるのですが、その光を嫌がって隣で見てたみぃが出て行った事くらいでしょうか」

「あの手に持ってピッてやるやつで!?」

「あの手に持ってピッてやるやつで」

 

 美城のよわよわ具合はかぐやの想像を絶するようだ。食べ物のアレルギーは無いそうだが、それは奇跡に違いない。

 

「極めつけはその後に行ったショッピングモールですよ」

「今度は何で五条くんは使い物にならなくなったの」

「書記ちゃんです」

「あっ……(察し)」

「ホント信じられません。幼馴染だからって一応デート中なのに付いて行ったりします? ……あんなカッコいい事言っておいて

「早坂、何か言った?」

「いえ、何でもありません。罰として買い込んだ物をしこたま持たせてあげましたよ」

 

 少しばかり笑みを浮かべるとちょいちょいとスマホをいじって、哀れ荷物持ちに身をやつした美城の姿をかぐやにも見せてあげた。

 画面を覗き込むと、そこには余裕の笑みをしながら両腕に整理下手のクローゼットみたいにぎっちりと物をかけている美城が映っている。

 こんな顔して意外と力があるのが早坂のお気に召さないらしい。もっと大型メモリとかバッテリーを……と穏やかでない事を口走っていた。

 そのまま自分の世界に入り込んだように、早坂は自身がよく行くパーツショップや専門店をリストアップする。

 

「……失敗だったのよね?」

「そう言ってるじゃないですか」

「カフェにも行って」

「そう言えば最近になってようやくナンバーワン猫に男と認められたそうですよ。ふふっ、損な見た目」

「人気のネイルサロンにも連れて行ってもらって」

「ネイルを落とす時も予約したらすぐ受けさせてくれるみたいです。店主が秀知院卒で、先輩筋にみぃのお母様がいるそうですが、様様ですね」

「買い物にも行ったんでしょう?」

「そうですけど……何が言いたいんですか、かぐや様」

「いえ。ただ、失敗だったと言う割には楽しそうだなと思っただけですよ」

 

 かぐやがそう言うと、そうでしょうか、とどこか呑気な事を呟きながら早坂はデートの枝葉の子細に至るまで話し出した。

 お可愛い事、と口走りそうな口元を優雅に抑えながら、何も知らなければ美しく、知っていれば嫌味たらしい笑顔を早坂ににっこりと向ける。

 

「たいした“失敗”でしたね」

 

 出かける時はルビーの模造宝石が嵌められていた指輪をプラチナチェーンに通していたが、今は大粒のサファイアが輝くアグレットに代わっている事はどういう『失敗』なのか。

 かぐやはそれが早坂の口から語られるのを、今か今かと楽しみに待っていた。

 

 

本日の勝敗 早坂の勝利

 

 



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五条美城は用立てたい

書いてる話と今の気温差に耳キーンなるわ


 一学期が終わろうとしていた。

 夏の盛りの昼下がり、学年集会を残すのみ、数時間後に鳴る鐘が長い休みの始まりだ。

 一月近い休みを前に、クラスメート達はお互いの予定などを聞き合っていた。

 それは別れを惜しむような……

 

 などではない!

 

 今この時間と、学年集会が終わり迎えるSHRの後の僅かな時間。これは夏休みの予定が決まっていない者たちの、時間制限ありの駆け込み寺も同然である!

 

 夏休みの予定!!

 その期間、七月後半から八月いっぱいにかけて、全国津々浦々でイベントが行われている。

 海開き、旅行、花火大会。

 これらの様々なイベントに“男女混合”で参加できるかはスタートに全てかかっていると言っても過言ではない。

 ここで混合グループを作っておかないと長い休みを同性グループで過ごす羽目に合うだろう。

 

 これに失敗すれば灰色の夏休み!

 となれば、男女混合での旅行など無い!

 海で水着もバーベキューも無い!

 夏祭りで鼻緒が切れて女子を背負うなど無い。

 花火の音でかき消される愛の言葉など無い。

 田舎に帰ったら幼馴染との再会など無い。

 ひと夏の大冒険もあるはずが無い!

 現実! 

 それが現実なのである!

 

 しかし……逆を言うなら、固く結ばれている恋人関係にある男女ならその心配はないのだが。

 

「ねえ美城、お願い! 夏休みの旅行のプランを考えてちょうだい!」

「どうされました眞妃様?」

 

 長年の想い叶ってめでたく田沼翼と付き合う事が出来た四条眞妃は、長年の友人を頼ってそんな事を言ってきた。

 

「言葉の通りよ。どこかにこう……いい感じで行ける所が無いか探してるんだけど」

「田沼君から誘われていないのですか?」

 

 誘われてない? だとしたら彼の処遇を改めなければならない。

 世界魅力的な女性ランキングで上から数えて一番目にいる四条眞妃を誘わないなど、人間のなせる所業ではない。仰々しくする必要はないとは言え、彼女を楽しませる事は交際している彼の至上命題ではないか。

 

「誘われてるけど……」

 

 命拾いしたな小僧。

 

「でも私から誘っちゃいけない道理はないでしょ」

「それはその通りでございます」

「せっかくだからパーッとどこか遠出でもしたいんだけど、二人きりで出かけるのもパパに何か言われそうだし、だったら美城も一緒に行かない? もちろん愛を誘ってもいいわよ」

「いいのですか?」

 

 美城が良かろうと四宮家がまともに休みを取らせているとは思えないと彼は思っていた。いたが、あえて眞妃の言葉に異を唱える必要も感じない。普通ならそう考えるのが自然だし、その変に擦れてない所が眞妃の良い所なのだから。

 

「もちろんよ。私の周りでそういうのに詳しい人あなたを置いて他にいないから。前の高校でも夏休みとか冬休みにサッカー部の皆と旅行に行ってたでしょう?」

「……あれは旅行ではなく合宿ですよ」

 

 

  *

 

(さてどうしましょうか? 私が旅行の幹事を務めるのは一向に構わないのですが……)

 

 五条美城は学年集会の間中、いや終わってからもずっと旅行の事を考えていた。

 正直言えば遠出するのは容易い。高校生とは言え、秀知院はピラミッドの上層を構成する富裕層の子息令嬢が多く通う学校である。ネックとなりやすい金銭面のハードルは悠々飛び越えることが可能だ。

 しかし金銭面を乗り越えられたとしても、まだ高校生である。未成年の旅行を許してくれるか、という問題が立ちはだかるだろう。

 さてどうするか……。

 

「美城様~」

 

 マルチタスクが出来る美城は考え事をしていても他の事が出来る。旅行計画を頭の片隅で進行させながら、呼び掛けて来た方を振り向いた。

 くりくりとした柴犬のような瞳が、爛々と輝いてこちらを見ている。後輩の鹿苑こがねだった。

 

「こがね。どうかしましたか?」

 

 一声かけると、待てを解かれた犬のように小走りに駆けて、美城の下にやってくる。来た方の向こう、伊井野ミコと大仏こばちがこちらを見ていた。彼女達は一年B組で、鹿苑こがねも一年B組。こんな所で繋がりがあったようだ。

 なんとなーく胡乱気な表情でミコは美城を眺めていたが。

 何故だろう。美城は納得いかない気持ちを覚えた。この前だって髪をブリーチして真っ白になった頭の生徒に丁寧な説明をして次の日黒髪に戻してもらう大金星を挙げたというのに。

 後日、校則違反の白い髪がいるという通報があったが、生来の髪は校則違反ではない。美城とは全く関係ない事のはずだ。

 

「どうもこうもないっす。昔約束したじゃないっすか。一緒の学校に行けるようになったら応援に来るって。忘れたとは言わせないっすよ」

「もちろん忘れていませんよ」

 

 ふりふりとポニーテールを揺らしながら来たこがねは、上から覗き込むようにして美城の赤い目をのぞき込む。

 バレーボール部の一年エースである彼女は当然のように美城より背が高い。つまり美城は大きな丸い目を上目遣いにして見返してくるという事で、こがねは役得役得と思いながら会話を続ける。

 

「夏休みは美城様にとってお出かけしにくい季節っすけど、バレーボールは室内競技なので観戦しやすいっすよ!」

「そうですね。日が入ってこないのは大事です。それで、どこであるんですか? 東京?」

「三重っす!」

 

 遠っ……。

 ダルいとは思わないが、それが美城の素直な感想だった。行くけど。

 

 同じ身内でも、

『アンタ、大会があるって言ってたわよね。どこであるの?応援に行ってあげるわ』

『茨城だよ』

『えぇーっ、遠っ……。急にダルくなってきた……』

『お前ほんとざけんなよ』

 となった四条姉弟とは対照的である。こうなった眞妃はマジで行かない。

 血の繋がった双子と、付き合いが長いとは言え上司と部下の関係のその子供である美城とこがねでは対応も変わるのは仕方ないのだが。

 

「分かりました。予定を空けておきます」

「こがねちゃん。そろそろ行くよ」

「はーい、ミコちゃん! では美城様、これで失礼するっす」

 

 ニコニコと屈託のない笑顔を浮かべたこがねは深々とお辞儀をすると、慌ただしく友人の所へ戻って行った。

 労せず夏休みの予定が一つ埋まってしまった、と美城は頭の中のスケジュール帳に予定を書き込んだ。その一つを埋めるために世の男子達がどれだけの精神的ハードルを乗り越えているか。女子と話す事に何ら抵抗を覚えない彼には知る由もない事だった。

 

(しかし応援に行くというのは良いですね。眞妃様は帝様の出場される大会への応援を渋ってらっしゃいましたが、海水浴場近くを抑えれば遊びのついでに来て下さるかもしれません。それに田沼君を引っ張ってくれば)

 

 美城の中で大まかな方針が決まった。大会に乗じて遊びに行く事を四条帝は良い顔をしないかもしれないが、そこは自分が付きっ切りで応援する事で許してもらおう。そういう見通しを美城は立てた。

 こんな顔をしていても一応OBなのだから、応援に行く事にさほど不自然さはないはずである。

 

「愛ちゃん、夏休みどっか行く~?」

「ばっ、五条くんとどっか行くに決まってんじゃん」

「あっ……そっかそっか」

「でもバイトの予定が~」

 

 少し歩くと今度は別の話声が聞こえる。

 女三人が集まって姦し筝曲が鳴っていた。

 早坂愛と、駿河すばると火ノ口三鈴のトリオが奏でる会話である。

 

「えーせっかく恋人が出来たのに?」

「マジ働きすぎ~。改革してこ?」

「でも欲しいアクセのためにお金貯めないとだし~」

「いや嘘つけー!」

「知ってんだぞー、ツイッターにあげた画像にでっかいサファイアあんの」

「いやあれは……」

 

 楽しく夏休みの予定を話している様子だったのに、急に風向きが変わって早坂の顔に吹き付けた。彼女は困った顔をして固まった。

 

「あんな写真今まで無かったじゃん」

「とんだ匂わせしたがりだね」

「だから違……」

「あれ男物の紐シャッてやるネクタイみたいなのの金具だって知ってるから」

「愛ちゃんに忍び寄る宝石が似合いそうな男の影と言えば……」

 

 間が良いのか悪いのか、駿河すばるはそこで美城の存在に気が付いた。目が合ったらバトルを挑んでくるトレーナーのように好戦的な目をしながら、声に出さずに訴えかけてきた。

『そこんとこどうなの?』といった感じの事を言っている。

 会話の詳細を聞いていたわけでは無い美城は、良く分からないうちに軽く手を振って答えとすると、大盛り上がりになった二人はそのまま突っ込んだ。早坂に。

 

(愛は何か楽しそうですし、頼るのは諦めましょう)

 

 盛り上がった友人の連携攻撃を受けている早坂を見てそんな事を思いながら、美城はその場を後にした。恨みがましい目線を向けられた気がするが、友人での楽しい会話でそんな事あるはず無いので振り返りはしなかった。             「薄情者……」

 しかし楽しそうではあるが、夏休みが早坂と一緒に過ごせないとぶー垂れている二人を見ると恋人のやっかいな立場にこちらが頭を抱えたくなる。

 そもそも論として、早坂と夏休みを過ごしたいなら主人の四宮かぐやに聞きに行かなければならないのに。

 だがそれを明かす訳にはいかない彼女の置かれた立場に考えを一瞬巡らせた。だったら助けてください。とでも言われそうな内心であった。

 

 

 窓から離れて壁際を歩きながら美城は先ほどの事をもう一度考えた。早坂の事ではない。眞妃と田沼翼の事である。

 応援の名目で、というのは存外いい案に思えるからだ。後でこがねを褒めておかなければ、影を慎重に歩きながら忠義者の後輩を思い浮かべた。

 しかし、夏の大会は基本的に八月の中旬から下旬にかけて行われる。となると上旬が寂しい予定になるので、何かもう一つ、もう一回くらい海に行っても良いはずで……

 

「わっ」

 

 ひゅう、と熱い風に吹かれた紙が、美城の目の前で踊った。軽い驚きとともに小さな声をあげてしまったので、ちょっとだけ文句を言いたい彼はワザとらしくその紙を壁に押し付ける。

 少しだけ柔らかい触感の、そこは掲示板であった。

 お知らせ、注意事項、“ボランティア”活動について……

 様々な掲示物が貼られているのはいつも通りだが、今は一つ、ある紙が考え事の光明のように見えて仕方が無かった。

 これだ、と思った美城は、さっきよりも少しだけ足取り軽く駆けて行った。

 

 

 *

 

夏休みの予定一つ埋めるに全く苦労しない人間もいれば、持てる知力の全てを出してなお埋められない人間もいる。

 四宮かぐやと白銀御行。

 早坂愛が言う所の恋愛頭脳戦を繰り広げている二人は、プライドの高さが邪魔をしてお互いを誘えずにいた。

 藤原千花を用いて自分の有利状況を生み出そうとするのだが、ド天然の彼女を思い通りに動かす事は出来ずに、休みの予定の進退窮まったかと思われた……その時、

 

「失礼します」

 

 その声と共に生徒会室の扉が控えめに開かれた。

 

「あ、シロちゃん」

 

 入って来た白い髪の生徒に一番に声をかけたのは、かぐやへの策に考えを巡らせている白銀御行ではなく、無の境地に至っている四宮かぐやでもなく、俯き加減の石上優でもなく、幼馴染の藤原千花だった。

 ウキウキとした様子で応えてくれた藤原に美城は一つ笑顔で返すと、何かしら空疎な所を含んだ空気を彼は感じる。心ここにあらずな一人と、思案にくれる二人。

 夏休みを前に浮ついているのでもなければ、どう言えば良いのか微妙に困る空気だった。

 ただ一つ分かる事は、元凶はこの幼馴染の藤原千花であるという事くらいか。

 

「シロちゃんは夏休みどう過ごしますか?」

 

 その恐らく元凶の藤原は、いつものように春の曙のようなほわほわした空気で声を出すと、今に相応しい心が浮つきそうな話題を投げかけてくれた。

 

「私ですか。そうですね、こがねの出るバレーボールの大会へ応援に行こうとは思っているのですが……それくらいですね」

「そうなんですか? 何か去年は忙しそうでしたけど」

「去年は帝様をお手伝いするため、サッカーの大会に出ていましたから」

「サッカーですか……」

 

 石上優が顔を上げた。敵性言語を感知したからである。

 彼にとってサッカー部バスケ部野球部は不俱戴天の敵だった。生徒会会計に就任してからもその思いは変わらず……いや、むしろ深くなっていた。

 何しろ偏差値重視の秀知院の部活。活動費の割に大した成果を上げていないという現実が嫌でも見えてくるのだから。

 

「ちなみになんですけど、去年の秀知院の全国行きを打ち砕いたのは帝様率いる高校だったんですよ。私も一ゴール決めました」

「美城君、ありがとうございます」

 

 石上は心の底から感謝した。

 去年の話で、その時は中等部の彼には関係ないと思われるかもしれないが、石上はそうは思っていない。

 高校部活動において黄金期と言われる物は、個人による所が大きい。野球で言えばエースで四番の二刀流選手がいたり、サッカーで言えば大空の翼みたいな点取り屋のキャプテンがいたり。

 今のサッカー部には『秀知院のアルシンド』と名高い神童という生徒がいて、彼が勝ち癖を付けてしまうと向こう二年夏休みは応援に駆り出されると石上は思っていたが……。

 それはこの男の娘な先輩とその親友が打ち砕いてくれたみたいだった。

 

「何で優君は喜んでいるのでしょう?」

「あー……、サッカー部の応援行きたくないんですね、石上君」

「何ですかその目! いいじゃないですか不要な外出を控えてて! 大体夏の日差しに外に出るのは偉いなんて価値観は今よりも真夏日の頻度が低い昭和の価値観ですよ!」

「誰もそこまで言えとは言ってませんよ石上君」

 

 一気に捲し立てた事で喉が渇いたのか、この場にいると状況が芳しくないと思ったのか、どちらにせよ石上は『飲み物買ってきます』と生徒会室を出て行ってしまう。そんな彼の後ろ姿を眺めて美城は呟いた。

 

「私なんて一年中室内に籠っているのですから、優君も気にしないで良いと思いますけど」

「シロちゃんと比べたらダメですよ。それじゃ今年の予定は鹿苑さんの応援だけですか?」

「いえ。実は部活の長として何かしようと思っていて」

「ボランティア部ですか?」

 

 藤原は小首を傾げる。

 五条美城という特異な体質が部長を務めるボランティア部は、かなり自由に休みを取る裁量が与えられている。その分与えられる部費は少ないという事情はあるが。

 当然日差しのキツイこの時期には休業する物と彼女は思いこんでいたので、時間が経つ毎に頭の上の『?』がその数を増していく。

 

「ええ。そうですよ。時間が余っているのに何もしないというのは外聞も悪いですし」

 

 そう簡潔に答えを藤原に教えた。

 

「確かにそうですね。私もTG部として実地調査を試みるつもりですし」

「それ旅行先でゲームを買うだけですよね?」

「んん゛っ! それで何をするかは決めてるんですか?」

「七月の終わりにある、神奈川の方の海岸清掃のボランティア活動にでも参加しようかと」

「海……」

 

 今度は白銀御行が思案の行く先を変えて美城の顔を見上げた。

 彼はかつて出かけるなら山派として四宮かぐやと侃侃諤諤の議論を交わし、山は虫が出るから海派に転向した過去を持つ。そんな彼がその単語に興味を示さないはずがなかった。

 その決意の固さたるや、浜辺のそこらへんにある石の裏側を見せたらすぐ山派に再転向するほどである。

 

「実は今日こちらに来たのは、その事でお願いがございまして……」

「「お願い?」」

 

 藤原と白銀の声がハモった。

 四宮かぐやが顔を上げる。ソウルのユニゾンを感じたからであった。許してはおけない。

 

「はい。というのも、私達ボランティア部は二人しかいないではありませんか?」

「まあそうだな」

「わざわざカップルで出来た部活に首を突っ込みたがる人はそうそういませんし」

「しかしそれでは困る事が起きてしまいまして。その海岸清掃のボランティアの企画者は私……というよりも五条家の知り合いの人なのですが、以前その人に部活の人を連れて行くと大見栄を切ってしまいまして」

「秀知院では二人でも部活として認められているが……」

「格好がつかないでしょう?」

 

 自分の不明な点を恥じ入るように頬を染めた美城が、気まずい表情をしながら無理やり笑みを浮かべた。

 

「ですので、恥を忍んで参加のお頼みを申しあげさせていただきたいのです。会長、かぐや様」

「私もですか?」

 

 いきなり名前を呼ばれたかぐやは少し驚いたように声をあげる。戸惑いをにじませながら自分の顔を指さした。

 白銀という男を誘った事は十二分に理解できるが、だが自分を呼んだ事が理解できないという様な表情だ。

 

「人数が多い方が私としては嬉しいですし、それに……」

「それに?」

「愛もクラスメートの女子がいた方が嬉しいかと思いまして」

「それだけの理由で私を参加させようという事ですか?」

「そう言われると弱いのですが……」

 

 気まずそうな表情のまま、美城がかぐやの方に意味深なアイコンタクトを送ると、聡い彼女の事である、美城が何を求めているのかすぐに理解できた。

 

(つまり五条くんは、早坂と出かけたいがために私を奉仕活動に参加させたいのですね。私が出かければ、早坂は付いて来るから、と。まったくこの前出かけたのに、こらえ性の無い人……)

 

 回りくどい事をするのね、かぐやはブーメランを投げた。

 

「まあ前向きに検討してみよう。バイトを入れようかと思っていたが……」

「それでしたら、会長、じつはですね……」

 

 懐から手帳を取り出そうとした白銀の手をそっと制して、美城は生徒会長の隣に座る。寄りかかるように体を傾けて、会長は真夏でも着用せざるを得ない黄金飾緒をつけた学ランの、その黒い肩へ真っ白い手を置くと、身を乗り出して白銀の耳元に顔を近づけた。

 

「……で……なんです……」

「それじゃ……は……という事か?」

 

 楽しそうにコソコソ話をしている。かぐやは許し難かった。藤原は『友情いいよね』『いい』とプロ同士の会話みたいな境地に達していた。

 

「よし。俺は参加しようと思う」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 

 どうやら話は決したようで、白銀は海岸清掃のボランティアに参加するようだった。そうなれば、かぐやとて黙ってはいられない。

 

(ですが……)

 

 そう、ここで焦ってはいけないのだ。

 奉仕活動に参加する。それ自体は素晴らしい事で大義名分は立つが、白銀が参加の表明をした直後というのが良くない。

 ここですぐさま私も、と続こうものなら……

 

『四宮、さっきは参加する事に抵抗があるような口ぶりだったのに、どうして俺が参加すると言った途端自分もと言い出したんだ?』

『そ、それは……』

『まさか、俺と一緒に海に行けるからと思って頷くのか?

 お可愛い奴め

 

 となるのは必然!(ならない)

 さすれば圧倒的なアドを取られてしまう!(しまわない)

 

 そうならないためにも確かなる論理武装をしてボランティアに頷かなければ。

 もはや首を横に振るという選択肢はかぐやに残されていなかった。

 

「かぐや様、夏休みのご予定などはいかがでしょう? お手伝いいただけるなら嬉しい限りですが、これはボランティア、奉仕活動ですから、無理強いは致しません」

 

 返事に窮したように見えるかぐやを気遣って、美城は語尾を優しくそう言う。

 かぐやはその言葉に、優しさを感じるでもなく、気遣いを感謝するでもなく、武装する論理が詰まったケアパッケージが降ってきた様に思っていた。つまり、使える、と冷静に思ったのだ。

 

「そうですね……秀知院の生徒として、そのような奉仕活動に参加する事は価値があると私は思います」

 

 あくまでもボランティアである、という点を強調しながら泰然とした調子を崩さずにかぐやは凛とした声を張った。

 白銀が参加するなら私も参加したいという思いを抱えているとは到底思えない完璧なふるまいである。

 

「私も前向きに検討させていただきます。ですが即答は出来ません。私の予定は相手あっての事なので、後で連絡させていただくというのはどうでしょう?」

 

 そしてここで予定の確認、という一拍を置いた。こうする事で四宮の複雑な事情を匂わせ、白銀が参加を表明したからかぐやも飛びついたという印象は格段に薄くなるだろう。むしろそこを突いたら、

 

『言葉は願望の表れ……会長、もしかして私が参加するのは自分が参加したからだと思いたいのではないですか?

 お可愛いこと……

 

 と、かぐやの攻めのパターンに持ち込める。ボランティアという基本的に無条件で素晴らしいとされるカードは、かぐやと白銀の両名に握られた。これを奪い合う、暴き出すことはまさしく不毛である。

 その事を正しく理解している二人はこれ以上の追及は止めにしておく事にした。まず喜ぶべきは、夏休みの予定が一つ埋まった事だ。

 

「ボランティアが終わったらその足で近くの海水浴場にでも行きましょう。どうですか?」

 

 そしてさらにおあつらえ向きの提案が美城からなされるので、二人は夏休みの勝ちを確信するに至るに充分であった。

 

(ボランティアでは五条の言った流木拾いで稼ぎつつ終われば四宮の水着を見れる……? こんなプランがあったとは恐れ入ったぞ)

(帰ったら予定を空けさせておかないと。ふふっ、早坂も喜ぶでしょうね。夏休みにも彼氏に会えるのですから)

 

 普段は冷静で地に足のついた二人であるが、この時ばかりは陽炎の上を舞う羽のように熱に浮かされたふわふわした感覚に陥っていた。

 そんな陽気な感覚になると、今度は陰気……とまではいかなくても、黙っている人が気になってくるものである。

 先ほどから口を噤んで微動だにしない藤原の事だ。噤む、というよりハムスターのように頬を膨らませて話出したいのをそこでせき止めているような表情であるが。

 

「どうした藤原書記。いつもだったらズルい~とか言ってくるじゃないか」

 

 白銀はそんな彼女を不審に思ってか会話の切っ掛けを渡してやる。

 

「いえ、そんな……私はただシロちゃんが楽しい夏休みを過ごせそうでいいなあ、というだけです」

 

 気味が悪かった。

 本格的に暑さでおかしくなったのかと思った。

 藤原千花は確かに心優しい少女である。あるが、多少こすい事をしても構わないという策士な面や、友人の輪に入れなければ拗ねる年ごろの少女らしい面等なども、当然持ち合わせている。

 それらの面や天然さを考慮して予想するのが難しい彼女でも、上記のセリフは言いそうにないというくらいには、白銀もかぐやも彼女との関係性を築いていた。

 

「どうしたんですか藤原さん? 何だか歯切れが悪い言い回しですけど……」

「いえ、その頃は私は……いえいえ、なんでもありません」

「どうした、五条が来る前は外国旅行を喜々として話していたじゃないか」

「か、会長……!」

「そうですね。まずハワイでしたっけ?」

 

 いつになく歯切れが悪く、御しやすそうに見える藤原に、二人は普段振り回されている意趣返しのつもりで、少しからかいを含んだ口調で話しかける。

 

「五大陸を渡り歩く冒険少女チカと意気込んでいただろう」

「アメリカはカリフォルニア、南米に行ってサンパウロ」

「シドニーでオペラを聞いて、スペインでトマトを投げるんだよな」

「ドバイ、エジプトと砂漠の国を行脚して……」

「「ケープタウン」」

 

 白銀とかぐやの声が最後にハモった。

 からかい混じりとはいえ、同じような事を考えたくすぐったさに二人は頬を染める。

 傍から見ていて微笑ましい光景……のはずが、藤原千花は『あっ』と大口を空けてそれを両の手で押さえていた。

 初めて見る反応で、二人は戸惑いながら声をかけようとする。

 

「ひ、ひぃぃ……アフリカ……」

 

 より戸惑い、いや恐怖に揺れるような声にそれをかき消されたが。

 

「ご……五条?」

「五条くん?」

 

 いつもニコニコ余裕綽々、容顔美麗でありながら文武両道というふざけた存在の五条美城が、うわ言のように「アフリカ……アフリカ……」と言いながらカタカタ震えていた。

 

「あ……アフリカがどうかしましたか?」

「あっ! かぐやさんダメです」

「……」

 

 そんな恐ろしい事はとてもじゃないが口に出来ない、と言わんばかりに震え出した。そっと藤原を盾にしてその背中に隠れている。

 

「ま……まあ赤道直下の大陸だから五条には辛い所があるんだろう。しかし……尋常じゃないなその怯え方は。光が合わないのか……水が合わないのか、文化が合わないのか」

 

「うぇぇぇぇん売られるぅぅぅ!」

 

 白銀としては小声で言っていたつもりだったが、耳ざとく聞いてしまった美城はブワッと泣き出してしまった。言っている事も穏やかではない。

 これには白銀もかぐやも困惑を通り越してドン引きの域に達そうとしていた。

 

「あの、藤原さん。彼はどうしてしまったんですか?」

「幼馴染のお前なら知ってるだろう」

「分かりました。私から話します」

 

 ふん、と藤原は気合の一息を入れると美城の両耳を押さえて音が入ってこないようにしてやった。泣いている人間の頭を引っ掴む、なんとも奇妙な光景である。

 マンドラゴラを引っこ抜いたネビル・ロングボトムと絵面の破壊力は同じだった。

 そんな面白画像みたいな状況とは裏腹に、藤原は真剣な表情で語りだす。

 

「アフリカってまだ黒魔術とか呪術の影響が強い地域が多いですよね?」

「確かに」

「充分な医療体制が敷けないから、そういった物に頼る文化があるのは事実です」

「その呪術の中でも重宝される物がアルビノです」

「「あっ」」

 

 白銀とかぐやの声がハモった。今度は全く嬉しくない物だったが。

 

「昔シロちゃんとアルビノに関する本を読んでいた時に『アルビノ狩り』の話が出て来て……高値で売られるという話を見てからすっかり海外嫌い、とりわけアフリカを怖がるようになってしまいまして」

「そうだったんですね……」

「知らないとは言え、悪い事を言ったな……」

 

 藤原に耳を押さえられながら小型犬のように震えている美城を見ると、優しい白銀御行はもとより四宮かぐやも同情の念を抑えきれないようである。

 二人の表情を見て察した藤原は、そっと耳を押さえていた手を離してあげた。

 

「すまなかったな五条。知らないとはいえ……」

「ええ。反省しました」

「うらない?」

「売らない売らない!」

「ここは日本ですよ。安心してください」

「ほんと? ザンビアだったりしない?」

「しないから!」

 

 いつものような敬語を言いつくろう余裕が無いのか、幼児退行一歩手前みたいな口調で美城は話し出した。

 泣いた瞳がキラキラ輝いて、憂いを帯びて伏せる顔に、どこかたどたどしい口調。不謹慎ながらこんな人間メチャクチャ高値が付くに決まってると二人は思った。日本から出してはいけない人物である。

 

「……今日は帰ろうと思います……」

「それがいいと思います」

「また連絡しますので……」

 

 ションボリしながら五条美城は部屋を後にしようと歩きだした。心配した藤原が付いて行っている。

 男子としては小柄な彼だが、今日はその背中がいつもより小さく見えて仕方がなかった。

 

「戻りまし……え、どういう状況ですかこれ? 何で美城君泣いてるんですか」

「それには深い事情が……」

「まあ深くは聞きません。あ、帰るんならこれどうぞ。なぜか自販機に全然物無かったんですけど、それだけ買えました」

「ありがとうございます……」

「全然無いって何買ったんですか?」

「コーヒーが二本」

 

「コービーが日本!? 死んだはずじゃ?」

「残念だったなぁ、トリックだよ」

 

 うな垂れていた美城が突然メイトリックスみたいな事を言いだしたので、石上はオタ心を発揮してコマンドー定型を返すと、『え?』と反応する暇もなく美城は膝から崩れ落ちた。

 

(何でコーヒーで膝から崩れ落ちたのこの人!? 千鳥の『イカ二貫!?』みたいなギャグなの?)

 

 状況が飲み込めてない石上はさっぱり、飲み込めている二年生組もさっぱり分からない。

 どゆこと? と互いが互いの顔を見合わせている間に、いつの間にか美城の姿が消えていて、辺りを見渡すと部屋の端っこでカーテンにくるまっていた。今日日小学生でもやらない隠れ方である。

 

「シロちゃんどうしたんですかー?」

 

 ぐるぐるにまかれたカーテンから中身を取り出して、藤原は小さくなった幼馴染に語り掛ける。

 

「コービーは世界を股にかける人身売買組織で……それが日本に来たとなれば何をしでかすか分かりません……」

「よくそんな情報を入手できましたね石上君」

「いや聞いてたでしょう四宮先輩。僕が言ったのはコーヒーが二本、ですよ。というか何で美城君はあんなビビッてるんですか?」

「……アルビノは高く売れるとかいう、面白くない話のせいだよ」

「ピンとこないですね、日本に住んでると」

 

 石上はコーヒーのペットボトルを開けながら、どこか現実味の薄い感じの話題に頭を悩ませる。甘ったるいコーヒーがほろ苦くなった気がした。

 

「眞妃様臆病な私をお許しください……」

「マキちゃんがどうかしましたか?」

「旅行プランを考えるはずだったのですが……コービーが来てるとなれば私は遊びに出ないつもりです」

「え?」

 

 風向きが変わった。

 簀巻きになって小さくなっていた男の目に、大きな炎が宿っている。

 

「この夏は彼等を潰すために費やします!」

「へ?」

 

 確実に二人に吹いて来ていた風が、今その発生源が降りると言ってしまい、止んだ。代わりに吹き荒れ出したのは、筋肉モリモリマッチョマンの変態がバズーカ担いでデェェェェン!な力強さを内包した、怒りのアフガンに吹きそうなランボーで荒々しい風であった。

 怖さがそれを通り越して怒りに転換した瞬間だった。

 

「臆病の要素が一ミリもない!?」

「いえ。知ってしまったからには撃滅するまで安心はできません。Gを見失ったら殺すまで安心できない女子みたいな感じです」

「それは臆病とは違うんじゃないか……」

 

 午前のボランティアで共に汗を流すのは……?

 午後からは湘南辺りで海水浴は……?

 夏の海、夢幻の如くなり。

 

 これで美城にやっぱり行こうよとか言い出せば普通に人間としての良識を疑われかねない。犯罪組織が無くなる事は喜ばしい事だからだ。

 という事は、これを口実にする事は諦めて自分の力で相手を誘わなくてはならず、振出に戻る状態だった。

 かぐやなど、思わず早坂を呼んでしまいそうな程である。

 あなたの彼氏でしょう。あなたがその胸に抱きしめて荒ぶる彼を収めるべき……あっ出来ないんでしたねその胸では(笑)

 

「は?」

「どした? 愛ちゃん」

「今すっごいムカつく事を思われた気がする」

 

仕事が新たに早坂の肩に乗っかるのかどうかという瀬戸際だった。

 

「失礼するわよ」

 

 美城の攻撃司令計画が着々と進む中、コンッと開きっぱなしのドアをノックした人影が現れた。

 早坂ではない。

 

「四条……眞妃さん」

 

 かぐやは現れた遠縁の同級生を苦々しい表情で見つめた。ふんっと同じように面白くない顔で眞妃も応えると、

 

「ご挨拶ね。そんな顔しなくてもいいでしょ、生徒会室は誰に対しても門扉を広げてるんじゃなかったかしら?」

「何の用でしょう?」

「そこにいるじゃない」

 

 ノックした手でそのまま美城の方を指さす。少しだけ生徒会室の空気がこわ張る中、そんな事は知った事ではないと言わんばかりに眞妃は美城の所へ歩みを進めた。

 

「美城、どう? こんな所にまで来たって事は何か考え付いたんでしょ?」

「眞妃様、その事なのですが……コービーが日本になのです」

「いやだからコーヒーが二本!」

 

 石上は叫んだ。このままでは金持ちの私兵どうしの決闘から始まる第三次大戦の引き金として歴史に名を残しかねない。現代のサラエボ事件であった。

 

「コービー? ああ、あの人身売買組織の?」

「臆病とお笑いください。私この夏はどこにも行かない覚悟を固めました」

「あはは! バカねえ――

 

――だってコービーは潰したじゃない。役員のヘンダーソンの令嬢に手を出そうとしたからって」

 

「え?」

 

 白銀、石上、かぐや、藤原。皆の心が一つになって、一つの音を作り上げた。恐らくこの世で一番美しい『え?』だった。

 

「あれ? そうでしたっけ?」

「しっかりしなさい。ユーロポールやFBIまで巻き込んだ大立ち回りを忘れるなんて、あなたの怖がりも考え物ね」

「えー……っと、そう言われれば段々思い出してきました。メアリーの件ですね」

「そうそう。引退した伝説の刑事まで呼び戻してどったんばったん大騒ぎだったわね」

 

 とんだジャパリパーク(r―18)もあったものである。ケダモノばかり、のけ者はいない血で血を洗う大冒険がそこにはあった。

 

「えっ、じゃあ優君が言ってたコービーが日本にというのは……」

「コーヒーが二本しか買えなかったって話よ」

「なーんだ、『組織は死んだはず』と聞いたら『残念ですが』と言われたので勘違いしてしまいました。紛らわしいですよ」

「僕のせいかなあ! 僕のせいなんですかねえ!」

「いやお前は悪くない」

 

 慟哭する石上にそっと白銀は肩に手を添えてやった。

 

「じゃあ私は心配せずに夏休みを迎えられるということですね」

「そういうこと。まったく来て良かったわ。何いきなり血みどろの戦争を始めようとしてるのよ」

「お恥ずかしい限りで……」

「恥ずかしいで済ませていいの!?」

 

 海外で大規模な抗争があった事はかぐやもニュースで知っていたが、その裏に四条家が絡んでいたとは……海外に伸ばす腕が短い四宮には知る事が出来ない情報である。

 

「帰るわよ美城。用事はもう済んだでしょ?」

「はい、眞妃様。あ、会長かぐや様後で連絡をさせていただきますので、これで」

 

 美城は先ほどの怒り模様をケロッと忘れた穏やかな顔で二人に向かって言った。あまりにも見事な転身すぎて『あ、はい』としか言葉が出てこなかった。

 美城は返事を受け取るとニコリと笑顔で応えて丁寧に頭を下げる。それは完璧に普段の五条美城であった。

 藤原と石上にも別れの挨拶をかけると、生徒会室から踵を返して先に出ていた眞妃の背中を追いかけて駈け出す。

 

「どこに行くか決めた?」

「茨城に行きましょう。九十九里浜です」

「ふーん、いいんじゃないかしら」

「ありがとうございます」

 

 段々と遠くなる会話を、半ば呆然と聞きながら白銀はポツリと呟いた。

 

「さすが藤原書記の親友だな」

「どういう事ですかそれ!?」

 

 

本日の勝敗 白銀&かぐやの辛勝(何とか夏休みの予定を確保)

 



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四宮かぐやは掴みたい

冬はそんな好きじゃないけど冬優子はすこ


 東京都は世田谷区。いわゆる都心と呼ばれる三区から少し離れたこの地の、それも安アパートの立ち並ぶ地区を似つかわしくない高級車が走っている。

 

(ここが会長が育った町……)

 

 その車内で窓の外を感慨深そうに見つめる少女がいた。

 四宮かぐや、その人である。

 彼女は今日、神奈川県で行われる海岸清掃のボランティアに参加する為に、白銀御行を迎えに行く真っ只中であった。

 そんな直接的な行動に移れるのなら、最初からそうしろと言われるかもしれないが、こうなるにあたって、彼女の侍従・早坂愛の尽力が無ければ、ここを走っているのは五条の車だったであろう。

 

 それは今から二日前――

 

「私が会長を迎えに行けですって!? 早坂、本気で言ってるの?」

 

 間近に迫った海行きを前に、早坂が『お車には一人で乗って、会長を迎えに行ってください』と言った事に端を発する。

 一人で行く、つまり車中は二人きりという事で(運転手は含めない)、これは風邪を引く羽目にあった一幕のリベンジとも言えた。しかし、当然それに易々と頷くようなかぐやではない。

 また始まった。

 早坂はいつもの屁理屈をこねだした主人にどうしようもないと呆れながら、自分の提案した事についての説明を始める。

 

「冗談でこんな事言いませんよ。いいじゃないですか迎えに行ってさし上げれば」

「朝から車を出してわざわざ世田谷区まで行くなんて……そんなの私が一緒に行きたいみたいじゃない!」

「違うんですかー」

「違います。あくまで今度のボランティアは地域の環境の改善する事を目的とした物でしょう? そんな浮ついた気持ちで行くなんて、不純よ!」

「そうですか。一時間一緒の車内にいられるのに」

「うっ……」

「雑談をするでしょう。夏の予定はどうですか?と自然な流れで聞きながら、そのお得意の頭脳戦で会長の予定を丸裸にしてしまえばいいじゃないですか。丸裸に」

「裸裸言わないで! ……そうよ、マイクロバスでも出せばいいんだわ。そうして隣に座れば自然な成り行きでしょう? あなたはどうせ五条くんと座るのだから、必然的に会長の隣に座るのは私になるのだし」

 

 瞬時にここまで考え付いたかぐやの計画性に、早坂は舌を巻きそうになる。いらぬ所で天才を発揮しないで欲しい物だ。

 天はこの少女に二物も三物も与えたが、この小賢しさは無用の長物ではなかろうか。

 一緒に乗れば……とさらに付け加えようとした早坂だったが、このまま言い続けても頑なになってしまったかぐやには通用しないだろうと、長年の経験から分かっているので手法を変える事にした。

 

「いいんですか、かぐや様?」

「何がですか? 何も問題はないでしょう。余裕のある家が車を出す、そんなのどこの世界でもやっている事じゃない」

「それはそうですが、ではいいんですよね?」

「なんですか、そのもったいぶった言い方は」

「私とみぃが一緒に座っても良いんですよね」

「そんなの当然でしょう? 当たり前の事聞かないで」

 

 そもそもかぐやのマイクロバス案は早坂と美城の恋人が隣に座り合う事を前提とした作戦だ。それを覆されては困る。

 

「良かった。今日のお客様にこの石を褒められたから、早いうちに顔を見てお礼を言っておきたかったんです」

 

 そう言うと感慨深げに目線を下におろして、襟元に輝く蒼い石を見つめた。

 今日四宮別邸に来た客人はファッション会社を経営する女社長で、多少のおべっかはありそうだが、早坂の凛とした立ち姿に涼やかな青のサファイアは良く似合うと褒めた一幕があったのだ。

 その石の送り主と同じ様な手法をとっている、とかぐやは表に出さないが少しばかり愉快な気持ちになり、いつもより楽しく事が済んだというこちら側の事情があった。

 

「私自身も利用するブランドの社長に褒められて、顔には出しませんでしたが嬉しかったですよ。みぃに喜びの報告ついでに……」

 

 早坂は、右の人差し指で唇をそっとなぞる。

 派手ではないが、艶やかなグロスが妖しく光った。

 

「キッスでもしてしまうかもしれませんね」

 

 くすくす、悪戯っぽく早坂は笑うと、少しだけ首を傾げて豪奢な金髪のサイドテールを揺らした。

 女のかぐやでも少々どきりとさせられる、艶姿といっていいような不思議な色気を放っていた。

 これは、やるかもしれない。

 

(これが私と会長が乗るバスの前だか後ろだかの席にいる? 事情を知らない会長がいるからギャルモードの高い声で、あの甘やかし放題の五条くんにべったりする早坂が?

 もし本当にキッスでもしよう物なら……)

 

 ……居た堪れない。

 非常に居心地が悪い。

 慎みが無いと叱るのは簡単だが、それは何とも僻みっぽい。

 

「さあ、バスの準備でも致しましょうか。かぐや様と会長、私とみぃが乗れる六人乗りの……バスというよりバンですね。用意させておきます」

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 着々と準備を進める早坂に、かぐやは待ったをかける。

 

「はい。何でしょう?」

 

 知り合いのイチャ付きを傍に、永遠にも感じられそうな一時間を過ごすか。

 気になる人を傍に、一瞬にしか感じられないような一時間を過ごすか。

 これはそういう二択を迫る、早坂の最終定理であった。

 

「……あなたは五条くんの車に乗って行きなさい。私が会長を送っていきます」

「かしこまりました。みぃから会長を説得してもらうので、そちらの方は心配しないでください」

 

 かぐやが選んだのは一瞬にしか感じられない一時間の方であった。

 その言葉に早坂はカーディーラーに車を用意させようと考えていたメールの文面を消去して、すぐさまスマホを美城につないだ。

 あまりの切り替えの早さに、最初からこの事態を念頭に置いて話していたのではないか、とかぐやは侍従に疑いの目を向けるのだった。

 

――という事があり、かぐやは今こうして白銀の住所に向かって車を走らせている。

 

 それでも抵抗がないと言えば嘘であったが、これはカップルと相乗りして気まずい移動時間を過ごす事になりそうな彼を助けるためと思えば、飲み込める程度の物だった。

 

「止めて」

 

 とある公園を横切るという所で、かぐやは運転手に指示を出した。すぐさま首肯を返すと、慌ただしくも、反動を感じさせないブレーキ捌きで公園の出入り口に停車させた。さすが四宮の運転手といった所だ。

 

「ここで待ってなさい」

「かしこまりましたかぐや様」

 

 白銀の家まではもう少し距離があるが、ここは彼が選んだ待ち合わせ場所である。それは、家の前まで来る道は狭いからという彼の気遣いもある事は間違いないが、本当の所はかぐやにあのボロアパートを見られたくないという見栄でもあった。

 

「四宮」

 

 声が聞こえる。

 気安く自分を呼ぶその声に振り返ると、いつもの学ランに身を包んだ白銀御行の姿があった。暑そう。暑い(確信)。

 妹の圭に『海に行くのにその恰好は無い』と何度も言われたものの、秀知院の生徒として奉仕活動に参加する表明だと突っぱねて出て来た結果の、威厳ある黒の出で立ちだった。

 夏休みに会えた嬉しさをそのままに、かぐやはふんわりと微笑んで、

 

「会長、おはようございます。今日は頑張りましょう」

「おはよう。今日は真夏日に迫るそうだ。気を引き締めていこう」

「ふふふ、会長、気合十分ですね」

「そうか? ……恥ずかしい話だがボランティア活動なんてのは近所のアーケード街のゴミ拾いくらいしかした事が無くてな……」

「あら。立派なことですよ」

 

 いつものような……というには少し地に足が付かないような心地で会話を楽しんでいた。

 

「さあ行きましょうか。車を待たせてあります」

「すまないな、わざわざ」

「いえ、これくらい大した事ではありません」

「とは言ってもだな」

「では会長、五条くんと早坂さんの間に挟まれて一時間過ごす自信が御有りですか?」

「勘弁願いたいなそれは……」

「早坂さんは五条くんから最近プレゼントを貰ってご機嫌なようですけど」

 

 馬に蹴られそうだな……と白銀は小さく呟く。それにふっと息を漏らして笑うかぐや。

 

「行くか」

「ええ」

 

 あまり待たせては悪いと二人に共通認識が芽生えたからか、驚くほどすっとその言葉が出て来た。

 

(ドライブデート……と言っていいんだろうか)

(会長と二人きり!? いえこれは真面目な……ボランティア活動ですからね。そういうのは違いますからね!)

 

 空は晴れて風は無く、今日の海は穏やからしい。

 それとは裏腹に大しけの心模様を抱えた二人を乗せて、四宮家の車はゆっくりと走り出した。

 

――*

 

 白銀は若干の気負いをその肩に乗せたまま段々近づいて来る海に想いを馳せていたが、どうやら杞憂だったようだと肩の荷を下ろす。

 同じように海岸清掃のボランティアに参加している人達は、子供を連れた家族や自分達のような友人同士、年配の方々のグループもあれば、一人で来ている若い人の姿もあった。

 かなりカジュアルに参加できるボランティア活動のようで、手ぶらで参加している人の姿も見受けられる。

 

「実は私、ボランティア活動に参加するのって初めてなのよ」

「そうだったんだ」

「翼君は?」

「僕は少しだけ。って威張るような事じゃないね」

「ううん。立派だと思うわ」

「ありがとうマキちゃん」

 

 このようにカップルも来ているようだし、参加する意思以外はハードルの低い良心的なボランティアで……ん?

 

「眞妃さん? どうしてあなたがここに」

「げ、おば様……」

 

 かぐやは既視感があるというか、つい最近聞いたような声がするので振り返って見ると、やはりというか四条眞妃が、彼氏の田沼翼と連れ立って歩いていた。

 むっとするような夏の午前、ここだけピリッと肌を刺すような空気が生まれる。

 

「あ、会長おはようございます」

「お前も来てたのか」

 

 そのようなしがらみが何もない男子は能天気な挨拶を交わしているだけであった。

 

「げ、だなんて四条は挨拶をそのようにするよう躾けているのですか?」

「まさか。おはようございます“おば様”、今日の良き日に会えて嬉しく思いますわ」

 

 眞妃は友人の紀かれんのような穏やかさを纏ってみせて、かぐやに丁寧なお辞儀をした。

 闇の帝王がするような形式ばったお辞儀だが。数歩下がったのちに何らかの呪詛を唱えそう。

 

「それで、どのようなご用向きで今日こちらに?」

「見れば分かるでしょ? ボランティアよ。人がいないからって言うからわざわざ湘南くんだりまで来たんだから」

「……五条くんが?」

「何? 文句が……今、五条くんって言ったわよね」

「ええ」

「あの子……!」

 

 眞妃は自分を呼んだ美城の事と、そしてかぐやから出て来た『五条くん』という言葉で、何となく……いや、確信に近い物を抱いて彼の画策している事を思い描いた。

 ごくごく小さい頃、まだ四宮という物が分かっていなかった時に、眞妃は幼く素直で純粋な気持ちのまま、かぐやという少女と仲良くなりたかった。相手だってそう思って手を伸ばしたかもしれないのに、事もあろうにそれを自分から振り払ってしまった過去が、小さい棘のように突き刺さっている。

 当然それは、美城に話した事でもある。その不満を解決しようと彼なりに考えてこの場を用意したのだろう。

 

「余計な事を……」

 

 そんな小さい頃の話を持ちだして、わざわざ神奈川まで来るバカがいるか。しかも彼自身は今日のような太陽の光が大の苦手というのに。

 

「お待たせしました」

「遅いわよ美城! 今日はどういう……つもり……」

 

 

 /▼益▼\ <コーホー

 

…………

……

 

「……?」

 

 振り返ると、そこに現れたのは真っ黒な兜、真っ黒なマント、真っ黒な上着に真っ黒なズボン、真っ黒な小手に、とどめに真っ黒なブーツ。

 という、とにかく真っ黒ずくめな衣装に身を包んだ人物だ。オタクでももうちょっと他色を混ぜるぞ。

 眞妃はこの人物が美城である事を声と背格好から疑ってはいなかったが、それでも首を傾げるに充分すぎる恰好をしていた。

 というか他人であって欲しかった。

 昔からの友人がこんな珍妙な服を着てボランティアに参加するはずが無い、と思いたかったからだ。

 すっ、とその重厚な小手に覆われた右手を目の前の人があげると、男子二人がゴクリと固唾を呑んだ。何故……?

 

 

/▼益▼\<May the force be with you.

 

「「う、うわあぁぁぁぁダースベイダーだぁぁ!!」」

 

 男どもは大はしゃぎで目の前に現れた黒の騎士に飛びつく。

 目を覚ませそいつが共にあるフォースは暗黒面だぞ。

 

 かぐや、眞妃は真顔になった。

 かぐやは映画なんて物は、超の付くそれも芸術性の高い映画しか見た事が無いので、コテコテのエンタメ映画は守備範囲外である。

 眞妃は普通に知っているが、知っているからこそ真顔になっているのだ。

 男女のギャップに苦しむ一幕であった。

 

/▼益▼\「今日は遠路はるばるお越しいただき感謝します。マキマキーン様」

 

「マキマキーンって何!?」

 

 マキマキーンは叫ぶ。訳も分からずいきなり暗黒卿の立場に立たされていた。

 後日、翼と一緒にSWを通し見した時に『絶対私の方がライトサイドの人間でしょ!』と憤慨した事をここに記しておく。

 

「ちょっと愛!? 愛! いるんでしょ出てきなさい!」

 

 眞妃はコーホー呼吸音がやかましい幼馴染を無視して、そばにいるはずの彼の恋人を探した。

 恐る恐ると言った感じで黒の後ろから早坂愛がそっと顔を出す。申し訳ないというか、恥じ入るような顔をしている。美城がこの恰好をしようとしている所に立ち会いながら、止められなかった自分に思う所がありそうだ。

 

「や、やっほー皆。今日はありがとー」

 

 真っ黒の出で立ちの後ろから、金髪碧眼の美少女が出てくる絵面はまさに悪役ここに極まれりといった風情があった。

 

「おいやべーよベイダー卿自らレイア姫を送ってるじゃねーか」

「ここはタトゥーインだった……?」

「行くぞクロ銀トル行」

「いや誰がクローントルーパだよ、せめてストームトルーパーにしてくれ」

「フォース(浜辺)にバランスをもたらすのだ」

「ベイダー卿昔のこと忘れられてないんですね」

 

 男どもは遠い昔、遥か銀河の彼方で起こったはずの物語の設定から抜け出せないようだ。無視する事にした。

 

「何なの美城のあの恰好は? あなたと言うものがありながら」

「申し訳ありません眞妃様。ですがアレは夏の日差しに負けない防護服だと言われると、みぃの体質の手前強くも言えなくて……」

「それを言われると私も弱いけど……」

「ですがあんな恰好だと余計熱いでしょう?」

「いえかぐや様、あれはファンが付いている空調服ですから、中の気温は快適に保たれてるんです」

「あのコスプレにそんな機能が!?」

 

 最新技術の粋が、あんなコスプレ衣装に用いられているとは驚きだ。正しく技術の無駄遣いといった所である。

 空調服は屋外での作業が多い建設業界でよく使われていると、そう聞いた事が女性陣にもあったが、

 

「あ! 二人とも、鎌倉武士の恰好した人達も来てますよ!」

「時代劇とジェダイ劇が混じり合って訳分からん事になるから止めとけ」

 

 あんな喜ばれ方は本来の目的から大きく逸脱しているに違いなく、眞妃かぐや早坂の三人は氷の三連星になって男連中に冷たい視線を送っていた。

 帰って来た男連中がその白けた目線に気が付くと、一番に白銀が口を開く。

 

「おいおいここはいつから氷の惑星ホスになったんだ?」

 

 何だこいつら無敵か?

 女子の心は一つになった。

 

 ☆

 

 ボランティアを主催するNPO団体の会長が、子供達の興味が他に移らない程度の短い挨拶をすると、参加者全員にゴミ袋が配られ海岸清掃は始まった。

 ぱっと見た限りではゴミが散見されない綺麗な浜辺であったが、少し砂を掘ってみるとビニールゴミに煙草のフィルター、持ち帰られなかった花火の残骸などがわんさか出てくる。

 そもそもここは花火禁止の浜のはずなのに、どうしてこんな事が平気で出来るのだろうか? と、白銀や素朴な翼は自然と強い憤りを感じていた。

 

「という事を感じさせるためにも、こう言った活動は行われているのだろうな」

「ええ。参加してみないと分からない事もありますね」

 

 白銀の感想に、かぐやは深く頷いた。

 本音の所では清掃員を雇えば雇用も生まれて海岸も綺麗になるのでは、と考えていたのは彼には絶対に内緒である。

 そんなバツの悪さを誤魔化すように、かぐやは精神的な物ではなく、もっと即物的な利益の方に白銀の目を向けさせた。

 

「会長、もう一つの方は忘れてはいませんか?」

「流木拾いだろう。忘れてないさ」

 

 今日入っていたバイトを休むに至らせた二つの利益の内の一つを、彼は煙草のフィルターをゴミ袋に入れながら確認する。もう一つはもちろん四宮かぐやと出かける事だ

 

「五条はつまらん嘘を吐く奴じゃないのは知ってるが……これがそんなに売れるのか?」

 

 ひょいと波打ち際に寄せていた片手で握れるくらいの大きさの流木を拾い上げながら、疑わしい目線をその棒きれに向けた。

 

「私の家にある熱帯魚の水槽には、それくらいの木を入れて景観を作り出していますよ。売値で二千円程度……ですから買値は五百円ほどでしょうか?」

「マジで!? これがそんなにするのか……」

 

 その話を聞くとぞんざいに握っていた流木を丁寧に握りなおした。

 これが売れれば白銀の一日分の食費が余裕で賄える事に戦慄すら覚える。木が高いのか白銀の食費が安いのか。

 

「もう少し大きければそう言った置物だけでなく、芸術家の作品の材料として買い取ってくれるそうですから、買取額が増えていくでしょうね。十万を超える物は無いと五条くんは言っていましたが」

「いや充分すぎるだろう」

 

 そんなとんでもない木がこんな海水浴場に流れついてたまるか。ゴミ袋とは別に美城から借りている背負子に流木を入れながらそんな事を思った。

 

「そうですね。十万は言いすぎですけど、どうせなら価値のある物を拾いたいですね。勝負しましょうと言われてしまったからには、やはり負けたくないですし」

 

 かぐやは先ほど白銀が拾った物よりも若干大き目の木を拾い上げて、笑顔でそう言った。

 

 ボランティアが始まる直前に、三組に分かれてゴミ拾いをしようと提案してきたのは美城だった。流木の買取価格で勝負しましょう、とも言ったのは彼である。

 固まっていると効率が悪いとか、眞妃と翼組とかぐや白銀組は二人きりになりたかった事もあり、三組はめいめい別の所へ向かった。

 美城がそれを言った一番の理由はあまりにも美城が目立ってしょうがないからという100%自分に寄る所であった。今もゴミ拾いの傍ら写真を求められている。早坂なんてカメラ役をやらされていた。

 アレを見ると早坂と美城組は最初から勝負の舞台に立っていないので、眞妃と翼組との一対一になるだろう。

 負けてもいい、とはかぐやの処世術であるが、勝敗が白銀の利益につながるならそんな術はかなぐり捨てても構わない。

 とはいえ流木拾いなんて一にも二にも運が物を言う事柄だが。

 

「会長、あちらに行ってみましょう。河口に近い方がより多くの木が流れ着いているかもしれません」

「そうだな。ゴミも流木も川の流れに乗ってここまでくるだろうし、一緒にゴミも拾えるか」

 

 会長ったら自分の利益を横に置いてボランティアに夢中になるなんて……そう言う所が好……コホン……好感が持てるんですよね。

 

 危なかった。

 好きの垂れ流しが行われる所だった。

 キラキラの初恋が河川に流されて土壌と水を汚染し生態系に悪影響を及ぼしかねなかった。メスが求愛を受け入れるまでに一年くらいかかりそう。

 かぐやは先導する形で浜辺の河口寄り側に歩いていく。道中落ちているゴミを拾う事も忘れない。

 

 先ほど流木拾いはしょせん運が物を言うと書いた。

 しかし、四宮かぐやという少女が、運否天賦に身を任せる事を良しとする人物だろうか?

 答えは否である。

 

「これは酷いな……」

 

 浜を横切って岩を乗り越えた先、人がほとんど寄り付かないここには、目を引くゴミが散乱していた。ボロボロのブルーシートが、何か大きな物に引っかかっている。傘が飛び出した中身が詰まったゴミ袋がいくつか転がっていた。

 

「本当に……ですがお手柄ですね会長」

「いや、四宮がここに行こうと言ってくれたからだ」

「たまたまですよ」

 

 嘘である!

 この女、前日に現地入りしてこの状況を作り出した張本人である。

 わざわざ別邸から持って来たゴミを置いておき(海に流されないように配慮しながら)、人が入らないように別邸の人間をうろうろさせていたのだ。

 もちろん早坂も加担している。

 加担しているし何ならゴミの散乱具合までプロデュースしている。プレス機の動画を見続けていた成果がこんな所で出てくるとは彼女自身予想だにしていなかった。チャンネル登録をダブルクリックしたほどである。

 

「まずこのブルーシートからどかすか」

「反対側を持ちますね」

「気をつけろよ。古い廃材とかで尖った部分があるかもしれないからな」

「分かりました」

 

 配布された軍手を気を付けて嵌めなおすと、ボロボロに解れたブルーシートの端を持ってゆっくりとはがしていく。

 

「これは……」

 

 シートをはがした後に露わになったのは、白銀の胸の辺りまである大きさの、枝ぶりの立派な流木であった。

 

「やりましたね会長。これで勝負は貰ったも同然です。運が良いとしか言いようがありませんね」

 

 嘘である!

 当然、この流木もかぐやの差し金に寄る所である!

 四宮別邸で大規模な剪定を行った際にでた木の先端部を持ってきて、切り口から海水が入らないように気を付けながらこの場に置くよう指示を出したのだ。

 かかった費用、総額七万円なり。

 

「さあ五条くんを呼んできましょう。これだけ大きいと二人でも運べませんし」

 

 かぐやはさっと近場に転がっているごみ袋を拾うと、岩場の奥から出て美城を呼びに行った。状況の不自然さに白銀が思い至る前に状況を確定させてしまう腹積もりである。

 

「会長?」

「ああ、すまん。そうだな、来てもらっている業者に頼むか」

 

 思案する顔になった白銀に呼び掛けて、考えている所を打ち切らせた。

 あとはこのまましれっと現金化して彼に懐に収めてしまえばいい話だ。

 

 私は喜ぶ会長が見れて嬉しい。会長は大きな現金収入があって嬉しい。ウィンウィンの関係ではありませんか。

 

 かぐやは自分の権力と財力を正しく使えたような気がして上機嫌になった。

 そのホクホク顔のまま入り組んだ岩場から出ると、美城から離れて一人で歩いている早坂が目についたので声をかけた。

 

「早坂さん、五条くんはどちらですか? 業者の方を呼んで来て欲しいのですが……」

「かぐ……四宮さん、えっとね……」

 

 しかし、何とも浮かない顔をしている。いや、浮かないというよりももっと深刻な顔で、それはミスをした四宮別邸の人間が沙汰を待つような顔だった。けれどもどこか『私は悪くない』と言いたげな言い訳がましさを鋭い目元から感じる。

 

「どうかしたのか? 顔色が悪いぞ」

「早坂さん、熱いですから体調を崩されたのではないですか? 無理をせず休んで……」

「いやいや! そんなことないし!」

 

 白銀にも気が付かれるほどの曇り顔をぶんぶんと振って晴らすと、いつものお調子者のギャルの顔を張り付ける。

 ちらっと主人の顔を見ると、少しだけ悲しそうな伏目になっていたのは、非常にかぐやの気にはなったが。

 

「四条さんがすっごいんだよー。二人とも早く来て!」

 

 綺麗なサンダルで砂を巻き上げながら、早坂は走り出した。半ばやけになっているようにすら感じる。

 白銀とかぐやは互いの顔を見合わせて、鏡映しのように首を傾げた後に早坂の駆けて行く姿を追いかけた。

 

……

……

 

 早坂の後を追いかけて行った先は、何のことはない駐車場である。四宮家の車はここで停まってかぐやと白銀を降ろしたし、恐らく四条家も五条家も同じだろう。

 それに加えてもう一つ、白銀は材木店のトラックが停まっていた事を覚えていた。軽ではなく。

 

「どう? これっていくらくらいになるのかしら?」

「これだけ立派な木はそうそうお目にかかれません。さすがは眞妃様、いやマキマキーン様」

「ぶっとばすわよ」

「まあまあマキちゃん」

 

 そのトラックの上に、相変わらずコーホー言ってる美城が感嘆するのも頷ける大木が乗っかっていた。

 その大きさたるや白銀の上背をゆうに超えて、二メートルに差し掛かろうかと言う所である。

 

「ね? 凄いっしょ」

 

 早坂は驚いた様子の二人にケラケラと笑いながら、波の穏やかなこの浜辺にどうやって来たのか謎な程に大きな流木を指さした。彼女の心境を正しく言えば、もう笑うしかないという境地だったが。

 それもそのはず、不自然にならない程度、しかし高値が付く木を、というオーダーを自分達はこなしたはずなのに、あざ笑うかのように大木が浜辺をゴロゴロしていたのだから。

 眞妃がこれを見つけた瞬間、早坂はこの世の不条理を呪ったくらいである。眞妃の勝ちたいというファーストオーダーに対してフォースがなんやかんやで応えてくれたとしか思えなかった。だからダースベイダー? 早坂は美城に許し難い気持ちを抱いた。

 

「あら、おば様。どちらに行っておられたのかしら。私はゴミ袋を二袋ほどいっぱいにして更にこの木まで見つけましたけど。今日の勝負は私の勝ちね」

 

 バシャーン!

 かぐやは手に持っていたゴミ袋を盛大に落とした。

 口が結んであったので大惨事にはならなかったし、そのやかましさが膝を折りそうな彼女の心を何とか持ちこたえさせてくれた。だが生まれたてのオカピのように震えている。もしくは反乱軍に膝をやられたAT-ATである。

 

「ど……どうでしょうか? 私も向こうの岩場に背丈ほどの木を見つけましたけど」

 

 まだ負けてない。大きさは勝てなくても、形の独特さや加工のしやすさなどではまだ勝機はある。

 

「四条さんですか? こちらの木ですが、七万円で買い取りさせていただきます」

 

 カラン……

 材木店員の言葉に全ての敗北を悟ったように、早坂の持っていた火ばさみが悲し気な音をたてて彼女の手から滑り落ちた。

 剪定作業と合わせて岩場に置くまでにかかった諸経費と全く同じであったからだ。

 顔で笑って心で泣いている。

 白銀はそんな高値が付いた木はどんな物なのか興味深そうな顔をしながらトラックの荷台に歩いて行った。翼と一緒にスゲースゲー言い合っている。

 

「まあ私にかかればこんな物……って何でそんな悲しい顔してるのよ。わ……悪かったわよ……ごめんね、ちょっと調子に乗り過ぎたわ……」

 

 もっと刺々しい言葉の応酬を期待していたのだろうが、返って来たのは膝オカピと笑顔のペルソナを被った悲しい女子二人の反応だった。

 となると調子に乗っていられないのが眞妃という少女である。

 

「ほら、結局の所流木拾いなんて運なんだから、今回はたまたま私の歩いていた方に木が転がって来ただけで……別に本気で勝った負けたを言ってる訳じゃないんだし」

 

 かぐやは膝から崩れ落ちた。20××年7月30日、ライトサイドからの悪気無い口撃に耐えかねての事だった。

 流木拾いを運では無く確実な物にして、わざわざあの場所まで歩いて行ったかぐやには、眞妃の言葉が当てつけのようにしか聞こえない。

 今のかぐやはオビワンにやられた時のアナキンと同じ気持ちである。貴女が憎い!

 せっかくの事前準備を『運』の一文字で台無しにしてくれた眞妃をどうしてくれようか。それは色んな事を『天然』の二文字で薙ぎ払っていく藤原に対する怒りに近い物があった。

 

「ほら、せっかく臨時収入があったし、今日のお昼ごはんは私が奢るから、ね?」

 

 目つきがより一層鋭くなったかぐやに『なんで私がこんなに譲歩してるのかしら?』と思うほど眞妃は相手に都合の良い提案をしだした。ツンケンしていても最後の所は優しいのだ。眞妃ちゃんをすこれ。

 字面だけ見れば情けないのは四条だが、実際は膝を屈した四宮に四条が譲歩しているクッソ情けない絵面が広がっている。早坂はそっとかぐやを立たせた。

 萎えていた気を何とか奮い立たせ、かぐやは眞妃に食ってかかる。

 

「パエリアがいいです」

「……分かったわよ」

 

 勝った……。

 かぐやは敗北の中にあっても、最後の最後に確かに輝く勝利の一要素をその手に掴めたのである。

 それは夏に入ってから素ソーメンしか食べてない白銀の為に米を食わせてあげる事であった。

 素と素麺で素の字が被っている、あまりにも簡素過ぎる会長の食事の運命を変えることが出来た。と、当の本人はちょっと誇らし気であった。

 

 

本日の勝敗 四条眞妃の勝利(プラス七万円。なお白銀も二万二千円のプラス)

 




夏に女の子と海行きたいだけの人生だった……


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夏の遊びをやりたい

次回は日曜に投稿予定です


 夏。

 そして海。

 

 人々の心をこれほど浮かれさせる言葉が他にあるだろうか。

 五条美城はその赤い瞳の奥に、浜辺の光景を映しながらそんな事を思う。

 今もこうして蕩けそうな日差しの下でも、能天気な叫び声がキャアキャア聞こえてくる。

 波打ち際を駆けまわる子供達。一緒の浮き輪に乗ってぷかぷかと揺られているカップル。

 沖まで遠泳し始める海ガチ勢から、砂浜でナンパに勤しむ正に軟派な男達。ビーチバレーをしている女性に、離れた所でスイカ割りをしている大学生くらいのグループ。

 

 様々な海の楽しみ方を見て、美城はふむふむと小さく頷いた。

 どんな事をしたら四条眞妃が喜ぶのか、彼の頭の中は大体そんな事でいっぱいだった。

 もちろん事前に遊ぶ内容はある程度考えて来ているのだが、状況は刻一刻と変わるので流動性を持たせるために決定はしていない。

 そば食おうと思って蕎麦屋に入ったのにカレー食ったみたいな感じで、泳ごうと思っていたけどスイカ割りがしたくなるみたいな事は誰しも起こりうるのだから。

 

 よーし……

 

/▼益▼\「今日も一日がんばるぞい!」

 

「何を頑張るというんですかその恰好で」

 

 ぐっと拳を握りこんで気合を入れた美城に、契約恋人の早坂愛は呆れた調子の物言いで彼の目の前に座った。バニラのソフトクリームが浮かんだコーヒーフロートを片手に持って、パシャっと一枚写真を撮る。端っこの方に美城の影を入れて男と来ているアピールも忘れない。

 かーっ見んね! 卑しか女ばい!

 

「それで? 何を決意して何が頑張るぞいなんですか?」

「え、帝国の支配?」

「そんなポップな物言いで!?」

 

 インスタに写真を投稿した卑しか蝶はいつの間にか帝国の支配が強められようとしている事に驚き、呆れてスマホをパーカーのポケットにしまった。そうなれば早坂愛は一人(ソロ)でこの男に立ち向かわなければならない。愛・ソロ。

 

「今ちょっと射角が良いので……」

「何するつもりですか何をするつもりなんですか」

「先っちょだけデススターのお披露目を」

「気軽に星を滅ぼすのは止めてください」

 

 早坂はペチッと美城の被っている兜を叩いた。

 いなせなシスを連れて来た人が、渚まで支配及んでめっ(滅)!

 される所だったとはこの場の誰も知らなかっただろう。十秒前の美城も知らなかったに違いない。彼は雰囲気で会話をしている。

 

「まあ冗談はこの辺にして」

「ではまずその兜でも脱いでみては?」

 

 夏の海にダースベイダー現る!など、質の悪い冗談だ。

 

「ですが、そうなると顔を晒す事になるでしょう?」

「何当たり前の事言ってるんですか」

「昔ですね、千花と海に行った帰りに『シロちゃんは海では顔を出しちゃダメですから』と言われたので、抵抗あると言いますか」

「あっ」

 

 その言葉で今はハワイでアロハなホノルるってる対象Fの事を思い出した。

 終業式の日に、生徒会室で美城がてんやわんやを演じた後、藤原千花は善意百パーセントで早坂にこう忠告したのである。

 

『シロちゃん何にもせずに海にいると二秒に一回ナンパされるので気を付けてください』

 

 いやいやそれは言いすぎっしょ。

 早坂はカラリと笑ってそう藤原の言葉を一笑したが。

 まあ二秒に一回は言いすぎとしても、相当な頻度でナンパをされるには違いない、と彼女は自分の彼氏をどんなに低く見積もっても、されないという結論には至れないでいた。

 何しろ可愛いですから。私の彼氏は。

 

「ではどうするつもりですか? まさか一日中パラソルの下で荷物番という訳にもいかないでしょう」

 

 勘弁してほしい。どんな機密を抱え込んでいたらベイダー卿に荷物を見守って貰えるのか。

 秘密か? デススターの秘密なのか?

 

「もちろんそんなつもりはありませんよ。一日中そんなでは、眞妃様が気にされるでしょうし、海に浸かる以外の事は参加するつもりです」

「そのライトセイバーでスイカを真っ二つにでもしますか?」

「いいえ?」

「いいえ!?」

「スイカ割りなんて下手なほど面白いですから。私は三半規管つよつよ男子なので、十回転したくらいでは真っすぐスイカの下に辿り着く事ができます。それでは面白くないですよね。愛も目を回さないでしょう?」

「家庭の事情で」

 

 完璧な従者を作るための、早坂家に伝わる訓練の一環だった。そんな特殊な事を施しているのは早坂家かゾルディック家かと言った所である。

 

「二人ともー、浜に出るわよ」

 

 昼食を終えて一休みした丁度いい腹心地になった所で、眞妃は海の家の入口から大きく手を振って美城に呼び掛けた。見た目があまりにもあんまりなので、眞妃達に離れて座る様に彼が言ったのだった。

 

「眞妃様、今参ります」

 

 すっくと黒の装いが立ち上がると、美城の周りはざわざわとし始めた。視線を集めている事を感じた彼は胸元に組み込まれている赤色のボタンを押した。

 

 ダーンダーンダンダーダダンダーダダン♪

 

 遠きものは音に聞け。これが遠からず世界を覆いつくす帝国のマーチであると……

 

「止めなさい」

「はい」

 

 すぐやめた。

 

 

 

 外に出てみれば夏の日差しは相も変わらず厳しく、じりじりと肌を焦がしそうな熱線は無遠慮な程に肌に突き刺さる。

 まず美城がしたのは前線の陣を敷く事、つまり浜辺にパラソルを立てる事だった。

 パッと赤青白のトリコロールが花開くと、美城の母が彼の為にこしらえたパラソルは、普通のビニール製のそれと違って濃い影が砂浜に落ちる。

 

「ビーチバレーをしましょう」

 

 その影の下で前線基地を無碍にするような事を我さきに言ったのは美城だった。

 日焼け止めを塗りなおしている眞妃は、怪訝そうな顔をしながらガチガチの重装備に身を包んだ発言者の方を向く。

 

「そんな重そうな恰好をして何言ってるの? 正気?」

「正気も正気です。クラスマッチではずっとセッターだったので私も攻撃したいのです」

「眞妃さんの言葉を借りて言いますけど、とてもスポーツをするのに向いてる恰好にはみえませんけど」

「大丈夫です。私にはフォースの導きがあるので」

「いやそれアナキン」

 

 美城の言う事やる事に乗っかりっぱなしだった白銀と翼両名も、さすがに心配したように目線で『やめとけ』と言っていた。

 

「ま、ちょっとやってみましょうか。無理だと思ったらすぐ言うのよ」

「はい眞妃様。感謝いたします」

 

 あまりにも反対されているのを不憫に思ったのか、眞妃はダメで元々みたいな心境で美城の肩を叩いた。

 

「コートは?」

「もちろん取ってあります」

 

 相変わらず根回しが早い。

 かぐやは感心するどころか彼の掌の上なんじゃないかと不審な目で、黒い兜をかぶった彼を見ていた。早坂はそんなこの夏後手に回りがちな主人を見ると思う事がある。

 

 最初に言った人の発言権が大きくなりがちなのは、集団の常という物ではないでしょうか。だから一番にぶっ飛んだ事を言う書記ちゃんを誰も無視できない訳ですし。

 

 とある大統領はこれを物事は最初にナプキンを取れる者が決めていると評した。とある書物では拙速は巧遅に勝ると説いた。

 速さは強さである。

 

 

 コートに着くと皆で軽く手首足首を回して準備運動し、邪魔になりそうなので上に羽織っていたパーカーを女性陣はするりと脱ぎだした。

 下に着ているのが水着と分かっていてもドギマギする瞬間だ。一番いいパターンだし一番エロいやつであった。

 パサッとパーカーを砂がかからないようにベンチに置くと、それぞれが着て来た水着が露わになる。

 

 眞妃は少し落ち着いた印象の、深いエメラルドグリーンのビキニを身に着けている。小顔ですっきりとした首のラインから始まる細見のプロポーションは、無駄な肉が全くない芸術の巧緻の極みと言って差し支えない。

 エメラルドグリーンの水着が派手さはなく、楚々とした眞妃の美しさを際立たせている。腰に巻いたパレオが翻り、ちょっとしたドレスのような可憐さがあった。

 

 かぐやが着ていたのは、彼女の清楚な立ち振る舞いの印象から少し外れた赤いビキニである。

 艶めく黒髪に白い肌、からの真っ赤なビキニは視認性抜群であった。ひらりと赤いパレオが舞った時、かぐやは苦々しい顔をして眞妃の方を見ていたが。両者を知る人は大体、二人は似ていると言うが、何も水着のチョイスまで似つかなくてよかろうに。

 魂が双子のレベルで似ているかぐやと眞妃は、そのプロポーションもよく似ていた。

 すらりとした肢体にくびれたお腹。以前かぐやは水着姿で会長を悩殺すると息巻いていたが、その自信に見合うだけの物は持ち合わせていた。

 

 早坂愛が着ていたのは、シンプルな黒ビキニだった。

 シンプルとはいえ、いやだからこそ素材の持ち味がそのまま出る強気なチョイスである。

 キラリと光る黄金の髪が、サファイアの目を引き立たせるようにたなびく。真っ白な肌のその上を、真っ黒なビキニが覆っていた。

 かぐや・眞妃と比べて、やや肉の付いた体。黒の水着が覆う胸は、掌サイズのちょっと小ぶりなふくらみで、うっすらと割れた腹筋がくびれたウエストをさらに引き締まった印象に見せる。

 白と黒のコントラストが目に毒なほどで、早坂愛という少女を過不足なく魅力的に見せていた。

 

 早坂は絶対的に言うと貧乳である。

 であるが、眞妃とかぐやしか女子がいないこの場においては相対的に巨乳であった。

 これをおっぱい相対性理論という。

 僅かながら勝ち誇った笑みを浮かべた早坂は、ふふんと鼻を鳴らして胸を張った。

 ふよん、とちょっとだけ揺れた。

 あーダメダメ! エッチすぎます!

 

 

 眞妃とかぐやの想いが珍しく一つになって早坂の胸元に目線を送ると、不穏な空気を感じた彼女はこの場の誰よりも大胆な物に身を包んでいる彼氏の背中に隠れた。

 片手でポンポンとリフティングしていた美城は急に背中に張り付かれてボールを落とす。『?』と首を傾げつつも、皆の準備が完了した事を確認すると、足でボールをけり上げて胸の前で掴んで言った。

 

「では私と愛のペアでお相手します。眞妃様、好きなコートをお選びください」

「じゃあ日光を背にする方を貰おうかしら」

 

 美城と早坂がペアになるのなら、眞妃は翼と組むのが自然の成り行きである。

 だから仕方ないですよね、とかぐやは自動的にペアとなった白銀にこそこそ目線を送った。白銀もこそこそ視線を送っていたので二人の視線はぶつかり合い、それに気が付きサッと視線を反らし合った。

 じれってーな。俺ちょっとやらしい雰囲気にしてきます。

 

「みぃ、ホントに大丈夫なの?」

「まあ見ていてください」

 

 仮面の下ではいつものような余裕の笑みを浮かべているのだろう、という事が、伊達に彼女はしていない早坂はすぐに思い至る。

 心配を払うように美城は上げたボールを軽やかに打って相手コートに返した。

 狙われたのは翼の方である。だが一学期最後に行われたクラスマッチはバレーで、そのカンはまだ鈍っていない。真正面に来たサーブを丁寧にレシーブした。

 

「翼くんナイスー」

 

 運動部のように眞妃は彼の事を短く褒めると、落下点に入って攻撃しやすいよう高くトスを上げた。

 一、二、心の中で数えながらここだと思ったタイミングで踏み切った。しかしここはビーチである。予想していたよりも上手く踏み込めず、ジャンプの高度も足りず、腕の振りも足りない中途半端なアタックがへろへろと相手のコートに返って行った。

 

「ごめんマキちゃん」

「次で取り返し【バァン!】ましょう……え?」

 

「これが私の力です」

 

 速さは強さである。

 眞妃と翼のコンビは速攻で突き刺さった美城のスパイクにぽかんとして見入っていた。

 美城は、翼が返した弱いチャンスボールを、そのままダイレクトに打ち返したのだ。2アタックですらない1アタックであった。

 何の競技をやっても代表入り出来る、と評した鹿苑こがねの言葉を早坂は改めて思い出した程であった。でもその格ゲーの勝利カットインみたいなポーズはムカつく。

 

「あの子が天才だった事を忘れてたわ」

「授業では全然攻撃してなかったけど、バレー部並みだよ」

「これでご安心頂けましたか?」

「ええ。もう遠慮なんてしないからね」

「望む所です」

「いや私の意見も聞けだし」

「何よ心配性ね。美城が動けるか心配だったけど、その心配はいらないからここからは普通に遊ぶだけじゃない」

「あ、そういう? 言葉が強いんだよー四条さんって」

 

 好戦的な言葉の割に、生じる変化は微々たる物のようだ。美城ナメ郎モードからナメないモードにマイナーチェンジを果たした四条眞妃は、翼からボールを受け取ってサーブの準備をした。

 パンッと柔らかめの打球音から放たれたサーブは、ゆっくりと山なりで早坂の方へ飛んでくる。落下点に足を運んでアンダーで迎え撃とう……とした所でゆらりとボールが揺れた。早坂が優れた反射神経でそれを察知するも、間に合わず無情にも彼女の前でボールは落ちた。

 某バレー漫画でも印象深いワザの一つ、ジャンプフローターサーブであった。ナックルサーブとも呼ばれるそれは、打つのに高い技術が必要である。

 ニヤリ、と眞妃は笑った

 

(いやガチじゃん……)

 

 早坂は少しビビった。白い肌に鳥肌が立っているかもしれない。

 何が普通だ。性根の所が負けず嫌いなのは、やはりかぐやに似ている。

 

「凄いよマキちゃん。あれ漫画で見た事あるやつ」

「そう? 凄い?」

「ちょっと後で教えて」

 

 翼は眞妃の事を凄い凄いと褒め称えた。

 ポニョが宗介を好きなように男子はナックルが好きなのである。

 今この時も野球部員はナックルの握りを試し、サッカー部員は無回転シュートの練習をする光景がどこかに広がっている。伸びしろですねえ!

 

「かぐや様と会長ペアに交代しましょうか。その間に田沼君は眞妃様に教わるというのは」

 

 彼の教わりたいモチベーションを無駄にしないためにも、美城はそう言った。本人が学びたいと思ったなら、そのタイミングを逃すのはもったいない。嵐山さんもそう言ってる。

 

 眞妃・翼カップルが横に避けると、そこに入れ替わりでかぐや・白銀コンビがコートに入って来た。これが早く前者のようにカップルと呼んでいい日が来ればいいのに。早坂はこの三組の中で唯一カップルと呼べない男女の組み合わせに嘆きの目線を送る。

 

「……」

「どうした四宮? バレーは苦手か?」

「いえ、良からぬ視線を感じた物で」

 

 かぐやは目が良いしカンが良い。

 早坂の視線にマウンティング愛ちゃんの心を感じてイラッとした。

 

「そちらからサーブをどうぞ」

 

 美城はそこはかとなくかぐやのピリ付きに気付きながらも、そもそもかぐやが上機嫌な時の方が少ない事を思い出していつもの事かとボールを渡した。

 ふふふ……とボールの影に口を隠しながらかぐやはうすら笑う。

 

(ちょっとあるからと何ですか、彼氏といるとそんなに偉いですか。)

 

 早坂の態度にお灸をすえてやろうと思ったのだ。

 書き出すと酷い。何か似たような人を知っている。しっとマスクって言うんですけど。

 

「いきますよ」

 

 凛とした中にも、どこか柔らかさを感じる温かい物言いでかぐやは軽くボールを上げた。慣れない足元なので無茶はしない。軽めにオーバーハンドサーブを繰り出して、早坂の方に打ち上げた。

 

 もちろんそんな柔さは擬態である。

 

 ポーンと緩やかに飛んで来たボールに対して真っすぐ入ると、すぐに違和感に気付く。

 同じ面がずっとこちらを向いている。完璧な無回転サーブだ。そこに容赦は少しも無かった。

 先ほど眞妃が打っている所を見て、見様見真似で試してみた。できた。天才じゃったか!

 

 しかしかぐやには及ばないとはいえ、早坂も優秀である。黄金聖闘士に二度同じ技は通用しないとばかりに対応して、すぐさまオーバーハンドレシーブで“掴まえ”に行った。

 同じく某バレー漫画で見た技術で、この時ばかりは早坂は珍しくこがねに感謝した。

 だが全アニメシリーズマラソンを次に提案してきたら命は無いと思え。というか寝不足で早坂が死ぬ。

 まだ変化しきる前を打ち上げると、美城は感心したのかコーホー言わせると、体勢が崩れた早坂を気遣うようにゆっくりとしたトスを上げる。

 早坂はトットッとステップを踏んで距離を作ると、しっかり助走をつけて高く舞い上がった。そのまま一閃……

 

「やらせん!」

 

 かと思った所で、白銀のブロックが立ちはだかった。

 身長もあり、後から跳んだ白銀と、小柄で先に跳んだ早坂。ふゆでなくともこの空中戦は分が悪い。

 ストレートに打ちに行く所を無理やり変えて、クロスに打ち込んだ。

 バシッ……

 運よく白銀の腕に掠ったボールが、勢いを失ってネットのそばに落ちようかとしている。後ろ目に守っていたかぐやは慌てて前に駈け出すと、落下点に飛び込んで何とかレシーブを上げる。

 

「ナイス四宮」

 

 よくやった、と言いたそうな白銀を、かぐやは一瞬ではあるが確かに見た。砂まみれになった甲斐がある。

 

「会長、決めてください!」

 

 彼女らしくなく熱くなったかぐやは、大きな声を出して白銀に声援を送った。

 かぐやの声を聞いた白銀は奮い立つ。

 

 見せるなら、やっぱカッコいい所だろう!

 

 かつてバレーを特訓した時、藤原千花に行ったセリフを思い出し、身に着けたバレーの技術を駆使して彼は腕を振るった。

 

 バチーン!

 

 豪快な音が浜辺に響き渡った。

 白銀の手は確かに捉えたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……自分の頭を。

 

 頭を自分の手でしたたか打った後、そのまま玉突き事故のように緩やかに落ちて来たボールに鼻っ面を打ち付け、ボールはネットに引っかかり、白銀は受け身を取る余裕もなく顔から砂に落下した。もちろんポイントは早坂と美城ペアに入る。

 悲惨。

 その一言である。

 

「か……会長?」

「あとちょっとだったのに!」

 

 読者諸兄は忘れるはずもないだろうが、改めてここに記載する。

 

 白銀御行は運動音痴である!

 

「大丈夫ですか? あの、慣れない砂の上だったので失敗しただけですよ」

 

 かぐやはあの特訓の日々を知らない。白銀は元からバレーが出来ると思いこんでいる。直前にも砂に対しての踏み込みが足りなかった田沼翼の例を見ているので、白銀の失敗もそれと同じだと考えるのは自然な事だ。

 

 だがそれは間違いである!

 白銀の運動に対する脳内スキルツリーは、スポーツ毎に独立しているので、バレーを習得したからと言ってビーチバレーが出来るようにはならないのだ。

 歌えるようになったからと言って、ラップが出来る様になった訳では無い事に藤原千花が絶望したあの状況に似ている。

 

「すまない……次は決める」

「はい。あっ……会長、鼻血が!」

「え」

 

 柔らかいとはいえボールを真正面から鼻で打った事、そして鼻から地面に落下した事で白銀の両鼻の穴から血がポタポタと流れ落ちていた。

 

「いやこれくらいどうって事……」

「今すぐ顔を洗って鼻に何か詰めてください! あぁすみません、今は何も持っていないので……。眞妃さん! ティッシュかハンカチか持ってきてください!」

 

 翼に手取り足取り教えていて上機嫌だった眞妃は、突然かぐやに呼ばれたのでびっくりしながら振り返る。その顔は不機嫌だったが白銀が鼻から血を流している所を見て、その不機嫌はしまっておく事にした。

 すぐに翼と共に駆けつけると、美城が新品のミネラルウォーターのペットボトルを開けて、その水で顔の砂を落としている白銀という状況だった。

 

「何があったらこうなるのよ?」

「それが……会長がボールで顔を打ってしまって」

 

 見たままを言わないのはかぐやの優しさか。彼女には本当にそう見えているのか。

 後者なら医師にかかる事をお薦めしたい。

 

「翼くん、どうすればいいの?」

「えっと、最近は鼻血が出てもティッシュを詰めたりはしないそうだけど」

「では垂れ流せと?」

「そうじゃなくて、鼻をつまんで下を向いて十分くらい待つ、これだけでいいらしいですよ」

「白銀。はやく摘まみなさい」

「おう」

「口の方に回って来たら無理せず吐き出してください」

「わかった」

 

 分かってしまえば何のことはない。僅か五秒の診察だった。

 

「ただ一度鼻血が出るとクセになりやすいですからね。海水が傷に悪いかもしれないので今日は泳ぐのは止めておいた方がいいかもしれません」

「ああ」

 

 白銀は左手で鼻をつまみながら残念そうに肩を落とす。

 

 よし、今日は泳がない言い訳を考えなくていい。

 

 彼の内心はこんな感じだったが。

 

「会長、暑いでしょうから私の日傘を使ってください」

 

 美城はマントの下の懐から日傘を取り出した。いつも使っている、レースのあしらわれた可憐な日傘である。

 ただ取り出し方が完全にライトセイバーであった。

 

「すまないな。ああ、俺の事は気にせず続きをやってくれ」

 

 見た目に抵抗はあるが、人の気遣いを無碍にするような白銀ではない。一言礼を言って広げてみた。

 滅茶苦茶似合ってなかった。

 

「あはは、会長かわいー」

 

 強面の白銀が、大真面目な顔で可愛い日傘を広げている光景に我慢できなかったのか、早坂は笑いだした。彼女自身は心配していない訳ではないが、ギャルというキャラ付けのためである。けらけら呑気に笑っていた。

 

 だがそれが逆にかぐやの逆鱗に触れた!

 

 彼女の頭では、白銀を傷つけ鼻血を流させ恥をかかせた目の前の二人にどうしてやろうかという陰謀が一つにつき0.05のペースで作り上げられていた。宇宙刑事の蒸着プロセスに迫ろうかという光速の思考だ。

 

「眞妃さん私達で組みませんか?」

「え?」

「マキちゃん、やって来たら? 僕は会長の様子見てるから」

「翼くんがそう言うなら……」

 

 渋る間もなくあっさりと、彼氏の言葉に従って眞妃はかぐやとペアを組む事に決めた。

 それがかぐやの仄暗い思惑と気付かずに。

 

 彼女は早坂と美城の従者カップルにアベンジする事を決めたので、強い選手が欲しかったのだ。

 リベンジではない。アベンジである。両者は同じ復讐という意味を持つ単語だが、根底に流れる思想が違う。リベンジは私怨に基づくもので、アベンジは正義に基づくものである。

 つまりこれは正義を取り戻す聖戦であり、ジョセフ・ジョースターが三回見たあのクソ長い事で有名なアラビアのロレンスもかくやという争いなのだ。

 アベンジャーズ、アッセンブル!

 なお眞妃にそんなつもりは一切ない。知れば手を切るだろう。関係の破綻のタイムリミットは今この瞬間も進んでいる。

 

「そっちからサーブでいいわ」

「はい、眞妃様」

 

 そこから始まった打ち合いは苛烈極まる攻防であった。

 四宮かぐやと四条眞妃。女性として最強の才能の持ち主二人が手加減無しで挑むのだし、それに相対する五条美城と早坂愛はそんな二人の事を知り尽くしている。

 一進一退の長いラリーが続いていた。

 白銀の鼻血が止まるには充分すぎるほどに。

 

「おば様」

 

 タンッと早いリズムで眞妃がトスを上げる。

 速攻の意図をくみ取ったかぐやは、助走もそこそこに飛び上がった。

 

「させません」

 

 前に出ていた美城はそれを見て慌ててブロックに跳ぶ。かぐやは美城のブロックがネットからかなり離れている事を一瞬で見抜き、貪欲にポイントを取る為と、白銀の無念を晴らすというアベンジの為に胸元辺りに当ててネットにかけて落とす事を思いついた。

 ごつい上着を着ているのでさほど痛くはないはずだ。空調服が壊れたというなら買いなおしてあげればいい。

 一瞬でそこまで考えて、かぐやは照準を下に定めた。

 大きく腕を振り、何度目か忘れたスパイクを放った。

 

 パキッ!

 

 何かが割れるような音と共にボールは跳ね返りネットにかかって相手コートに落ちた。かぐやの計算した通りに事は運んだようだ。

 何かが壊れたような音がしたが……必要経費と思って弁償しよう。

 

「私達の勝ちですね。……すみません五条くん、何か壊れてしまいましたか?」

 

「いえ、大丈夫です。さすがかぐや様、固い所で受けようと思ったのですが間に合いませんでした」

 

 パキッ……パキッ……

 

 美城の被っていた兜の目元に亀裂が走って行く。彼がそこを指先でいじると、パキンと決定的な音をたてて面の半分が崩れ落ちた。

 数時間ぶりに美城の素顔が露わになった。半分だけ。

 黒い兜の下から彼の真っ白な髪が覗いて風にゆらゆらと揺れている。白い柳眉のその下に、雪のような睫毛に覆われた澄んだ赤い目がかぐやを見ていた。

 

「この傷は私の能力の及ばずの証として頂戴いたしますので、どうかかぐや様はお気になさらず」

 

 優しく片方の目を細めながら、全く責めるつもりの無い美城の言葉が何となくかぐやを居た堪れない気持ちにさせた。

 

「「かっけぇ……」」

 

 男二人は美城の姿を見て素直な感想を述べる。

 戦隊シリーズや仮面ライダーの終盤でたまにある、仮面が割れて素顔が見える一番カッコいいやつであった。子供みたいにキラキラした目をしている。

 

「みぃ、大丈夫!?」

「美城!」

 

 男二人と違ってあとの女子二人は普通に心配しながら美城の下に駆け寄った。

 ワザとではない……と早坂も眞妃も思っているので、かぐやを責める事なく美城の顔をのぞき込んで大丈夫かと気遣いの言葉をかけた。

 

 かぐやはちょっとくらい壊してもいいでしょうと思っていた事を墓まで持っていく決意を、その光景を見て固めていた。

 

 復讐は何も生まない……。

 

本日の勝敗 かぐやの勝ち(精神的には敗北)

 

 



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夏はまだまだ終わらない

美城「まさか愛が〇〇〇だったなんて……」(YJ今週号ネタバレのため伏字)

いやほんとまさかでしたね。アレは。


 

「まったく、仮面を壊された上に『負けた罰として皆様の分のかき氷を買ってまいります』だなんて、やはり彼はドの付くMですか?」

 

 ヤシの並木のうち、一つの木陰で早坂愛は木にもたれかかりながらぼやいた。

 早坂・美城カップルの敗北という形で終わったビーチバレー対決の後、美城は火照った体を冷やすためにもかき氷を買うと言って、早坂を引き連れて海の家の方まで向かっていた。

 途中、壊れた仮面とバッテリーが切れそうな空調服の交換の為に美城が駐車場の方に向かってしまったので、一人寂しく待ちぼうけという状況だ。

 

「ハーイ! お姉さん一人?」

「俺達と遊ばない?」

「ヘイヘイ、ウィーアーサムライボーイズ」

 

「うわっ出ましたよ……」

 

 そんな状況を放っておくチャラ男ではなかった。

 この浮かれ切った砂浜で、早坂愛という特上の生肉が転がっているなら、むしろ飛びつかない方が失礼であると飢えたライオンは主張するだろう。オスのライオンは狩りしないが。

 

「ウェアーアーユーフロム?」

「サムライ、ニンジャ、ヤマトダマシイ」

 

 早坂は絶対零度の視線を彼等にぶつけながら思案を重ねる。

 金髪碧眼、白い肌が眩しい体躯を見て、彼等は早坂の事を完全にバカンスか何かで来た外国人だと思いこんでいる。カタカナ英語で話かけてくるなんて正にそうだ。

 

 早くしないと彼が帰ってくる。

 

 早坂は彼女の信条にもとるがパワープレイで押し切ろうかと考えた。

 滅茶苦茶大声で、英語で捲し立てる。これだけだ。だが日本人にはよく効く。

 

「A~……」

 

 英語の発音を意識して、早坂は口を開いた。

 彼女はなにも彼氏にナンパされている姿を見られて軽そうな女として見られるのが我慢ならないという、可愛らしい乙女心のような殊勝な心遣いでいるのではない。

 単純に五条美城という男にあってべらぼうに可愛い人物が、この場に現れた時の面倒くささを考えるとさっさと追い払った方が楽だと思ったのでそうしているのである。

 美城に面倒くさい事が降りかかるのか、美城が面倒くさい事をしでかすのか。一番人気は後者の選択肢です。(オッズ1,18)

 

 どうせ分からないだろうから、適当に朝ニュースの話でも捲し立てようか。

 

 そう考えていざ話そうとした……

 

「あ、愛~、お待たせしました」

 

 何かしようという間の悪い所で何か起こるのは、もはや全人類にかけられた呪いか何かだと早坂は思う。

 宿題しようと思っていた所で母親に宿題しなさいと言われる事とか。……いいなあ私もママにそんな事言われてみたい。

 早坂はちょっと切なくなった。

 いけないと一回頭を振って澄み渡った声の方を向くと、案の定美城がそこにいた。

 

「見てください愛。舌が真っ青」

「もう買って食べてる!?」

 

 重い鎧を脱ぎ捨てた五条美城が次の服に選んだのは、アラブの男性が着ているような、白くて長袖で足元まである衣装だ。ワンピースに見えない事もない。

 二人で買いに行くという話だったのに。この僅かな時間で六人分のかき氷を購入して現れた美城に、早坂は思わず日本語でツッコむ。

 ニコニコとプラスチックのトレーにかき氷を乗せながら、彼はベーと可愛らしく舌を突き出した。あざとい。

 

「ふーん……エッチじゃん」

 エッチ前リョーマさん!?

 

「……? 愛、こちらのお三方は? 愛の知り合いですか?」

「見て分かりませんか? ナンパですよナンパ」

「えぇ! これがナンパなんですか!? 私初めて見ました!」

 

 美城のニコニコ笑顔がぱあっと明るく花開いて、マジで恋する何秒か前不可避なその容貌をチャラ男三人へと向けた。

 早坂は『初めて』という言葉に引っかかりを覚える。藤原千花いわく、二秒に一回ナンパされる彼がその存在をしらないという事は……。

 

 書記ちゃん……。

 

 早坂は能天気な美城の言葉から藤原の苦労が偲ばれた。ママの鑑。

 

「初めましてナンパ師さん。ちょっとお話聞いてもよろしいですか?」

 

 大事に大事に日陰で育てられた美城は、生息地が夏の浜辺か日サロあたりの陽の者に興味津々なようだ。

 不死身の妖怪になりたい人間と、早く人間になりたい妖怪の関係に似ている。永久に交わるはずの無かった二つの道が、今ここで交差していた。

 科学と魔術が交差する時物語は始まるように、陽の者と陰の物が交差する時にもなんか始まりそうだった。

 

「おい逃すなよ」

「分かってるって」

「もちろんいいよ~」

 

「どうしてその度胸があるのに彼女さんがいらっしゃらないのですか?」

 

「なんだぁ……テメェ……」

 

 チャラ男、キレた!

 

「行動力とモテは比例すると私は思っているのです。でしたらお三方には彼女さんがいそうな物なのに……。それともいらっしゃるのにナンパをされているのでしょうか? それはそれで愛想を尽かされそうといいますか……」

 

「どうしてそんな事言うの?」

 

 チャラ男、泣いた!

 

「ちょっと遊んだだけじゃん……あんな怒らなくてもいいじゃん……」

「ちょっと女子ー、いじめるとかサイテーなんですけど」

「謝りなよ」

 

 チャラ男はそっと泣き出した友人に寄り添った。精神的ショックにより徒党の組み方が女子になっている。

 こんがり焼けた肌の男達がくんずほぐれつしているのは素直に言って気持ち悪かった。

 

「す……すみませんでした。まさかそんな過去が御有りでしたとは。あの、よかったらこれどうぞ」

 

 美城はその居た堪れない雰囲気に押されて色とりどりのカップが載ったトレーを差し出した。

 それは短期的には有用な手だったかもしれない。

 

「ありがとね……」

「ほら向こうで話しようぜ」

 

 ナンパはお開きムードになって立ち去って行ったので、早坂をナンパから救うという目標は果たせたのだから。

 

「みぃ~」

 

 眉間にしわを寄せて怒った様子の彼女がいなければもっと良かったのだが。

 

……

 

「会長、お帰りなさい。混んでいませんでしたか?」

「まあそれなりにな。まだ五条達は帰ってきてないのか?」

「海の家だってそれなりに混んでるでしょうからね」

「大丈夫ですかね五条さん。ナンパとか」

「そこは早坂の方を心配してやれよ……」

 

 眞妃達は美城の立てたパラソルの下でそんな会話をしていた。腰を下ろして完全に休憩モードに入っている。

 

「心配するのも無理ありません。あんな顔してる人ですから」

「あれ? 愛、ナンパされてない?」

「どこだ?」

「ほら、あそこのヤシの木の下」

「あー……あの金髪か」

「ど、どうします会長? 助けに行きますか?」

「もう少ししたら五条が来るだろう。しつこいようなら俺達で行くか」

「あ、なんかアラブな恰好した人が早坂さんの所に行きましたけど」

「それ五条だろ」

「なーんかにこやかにナンパ野郎に話かけてるわね」

「絶対五条じゃん」

 

 美城はそういう変な事をする。その確信が四人の中にはあった。

 しばらく成り行きを見守っていると、ナンパ師三人の内一人が顔を押さえだしていた。

 

「泣いた!?」

「何言ったのよあの子……」

「かき氷をあげましたね」

「私達のかき氷……」

 

 かぐやは物惜しそうな顔をして美城の事を睨んだ。金額的には大したことの無い物であるが、かぐやにとって初めての友人と食べるかき氷である。

 それを易々どこの誰ともしらない馬の骨に渡してしまうなど……かぐやは理解できなかった。

 じとーっと睨み付けていると、美城の大胆な行動にあっと小さく声を漏らす。

 彼は開いた早坂の口に、自分が食べていたかき氷を放り込んだのだ。

 

「かか、間接キス……!」

「きゃー大胆」

「早坂さん怒ってますよ」

「そりゃあな」

 

 早坂は怒った様子のまま浜辺に下りて来る。それを少し困ったような表情で追いかける美城。

 

「ねえ、美城なんて言ったと思う?」

「か……『間接キスですね』とかじゃないでしょうか」

「そんな感じじゃなくて、もっとツッコまざるを得ない感じだと思うけど」

「『青色どうしで共食いですね』とか」

「言いそうだけど、違うと思うわ」

「四条は分かるのか?」

「まあね。たぶん……」

 

「お待たせしました」

「ねえ聞いてよ、みぃってば……」

 

「『私、虫歯ないので大丈夫ですよ?』って言われたでしょ」

「何で知ってるし!」

「ほら」

「すげえ……」

 

 早坂の反応を見て、美城の言った言葉当てゲームの正解ど真ん中を当てた勝者に驚きの目線を送る。

 正直何と戦っているのかは分かりませんが!

 

「かき氷なのですが、三つほどダメにしてしまいまして……」

「いや見てたから。何故かナンパにあげてる所」

「そうだったんですね。すみません、すぐに買いなおしてきますので。とりあえず先にお渡しいたします」

 

 六人に一個ずつかき氷を買ってきて、一つは美城が先に食べた。残りから三つ渡したので、トレーには二個残っている。

 残り二つは誰かの選んだ味であるので、当然その二人が一つ食べていいのだが。

 しかし先ほどの、美城が早坂に分けっこした行動が四人には刻まれているので、思考が段々と誰かに分けないといけないのかという方向に傾いていった。仲良く(?)分け合っている人達の目の前で、独り占めするのはどうよ?といった感じに。

 

「では先に眞妃様のレモン味とかぐや様のイチゴ味を渡しておきます」

 

 そして間の悪い事は続くもので、手渡されたかき氷は女性陣二人の物だった。これが男女に分かれて手渡されていれば、同性同士で分け合って『男で分け合って何が楽しいんだよ』『四宮(四条)と一つかき氷を分け合うなんて』などと笑い話にもなるが……。

 これはこの困った状況下をどうアドリブで切り抜けるかという、ジャズのセッション染みた様相を呈してきていた。

 天才達の恋愛セッション編が始まる。

 

「つ、翼くん。半分こしましょう!」

 

 状況を打ち破り、最初の音を出したのは眞妃だ。彼女と翼は交際関係にある。一つの物を分け合って食べてもおかしくない。

 

(つまり分け合いっこするという事は、あなたと交際関係にある男女がするような事をしたいと言っているような物!?)

 

 かぐやは混乱した。

 流れが来ている。一つの物を分け合うというカップルっぽい流れが。

 

(どうしましょう、気にせず食べる? いや、でもカップルとは言え分かち合う人の隣で食べるのも何だか冷たい女みたいだし……。あぁでも早くしないと溶けちゃいますし)

 

「会長! 先に食べてください。美味しかったらそのまま全部食べていただいてかまいません」

 

 かぐやは裁量を白銀に押し付ける事で難局を乗り越えようとした。

 大丈夫か、かぐや。先を行く眞妃の旋律は翼との連弾だぞ。

 さて任された白銀は白銀で困った事態に頭を抱えそうになっている。どうせすぐに新しい物が来るのだから待っても全然かまわないはずなのだが、それはそれで逆に意識しすぎなのでは? そんな事を彼は思った。

 

「かき氷なんて久しぶりだな。昔は圭ちゃんと半分こしたもんだ」

 

 白銀、ここで予防線を張る。過去にもした事がある、つまり分け合ったとしても、それは普通の人間には起こりうる事なのだという正当性をわずかながらでも得るためだ。

 

 サクッと赤いシロップのかかった氷を一匙すくい上げ、白銀は何でもないかの様にかき氷を口に含んだ。

 

「やはり夏によく合う。四宮もどうだ。といっても元はお前のだったな」

 

 ははは、気にしていませんけど何か? みたいな空気を纏いながら、白銀はスプーンを氷に刺してかぐやの方に向けた。

 かぐやは二択を迫るどころか、逆に迫られている現状に臍を嚙む。まさかあんなにあっさりと白銀が口をつけるとは予想を超えていたからだ。

 ……やるしかないか?

 

「そうですねこうして友人と一緒に食べるのは初めてです」

 

 どれほどの効果が見込めるか分からないが、何もしないよりマシとかぐやは薄い論理武装をする。稀代の天才四宮かぐやが身に纏うには、あまりにも脆弱な鎧であった。

 

(会長と間接キス……?)

 

 思い返すはいつぞやのコーヒー騒ぎだ。しれっとかぐやは白銀のカップと自分のカップを取り換え、間接キスを図ろうとしたが、口を付ける直前に藤原がそのコーヒーはコピ・ルアク(ジャコウネコの糞から取られたコーヒー豆)だと言った事で口を付けるのをためらった一幕。

 だがいまから口にするのはそんな心配は一切不要の味のついた氷だ。

 かぐやは恐る恐るといった風にスプーンで氷をすくうと、ゆっくりそれを口元に……

 

「皆さまスプーンは人数分……あっ、いえなんでもありません」

 

 美城はスプーン一つを巡ってぎくしゃくしている空気を解きほぐしたくて、根本的な事を言おうとしたが途中で野暮な事を言っていると気が付いて無理やり終わらせた。

 手遅れだったが。

 

「「……」」

 

 真夏の真昼の真っただ中なのに、闇の底のような目をかぐやは美城へと向ける。眞妃も。

 

「「先に言いなさい!!」」

 

「も……申し訳ありません……」

 

本日の勝敗 美城の敗北(かき氷九つ出費の上怒られる)

 

――― ――― ―――

 

「うぅ、何かまだ背中がヒリヒリする気がします」

 

 私は四宮別邸の廊下を歩きながら、いつもの体勢に違和感を覚える事を周りに誰もいない事を確認しながら口にした。

 

「昨日は結局みぃに振り回されてばかり」

 

 まあ何もない夏休みよりは、遥かにマシですけど。

 かぐや様の夏の予定は、会長から誘われる事を前提にした脆弱極まる物なので、下手したら八月下旬にある花火大会まで何も無しという事態になりかねない。

 昨日は怪我した会長は海には入れなかったようですけど、横目でチラリと見た限りでは二人が楽しそうな様子だった事をはっきりと覚えている。

 

「昨日は楽しかったわね、早坂」

 

 私はいつもの様に昼食の用意が出来ましたとかぐや様に伝えに行くと、ゆっくりと写真が変わっていくデジタルフォトフレームを眺めながら、主人は噛みしめるようにその言葉を口にされた。見間違いではなかったようです。

 

「そうですね」

「特にあれ、スイカ割り。ふふふ、傑作だったわ。まさか会長にあんな弱点があったなんて」

 

 くすくすと楽しそうな微笑みを浮かべると、私が教えたようにフレームを数回タッチして目当ての写真を表示させる。

 そこには目かくしをしながら海に突っ込んでいく白銀会長の姿が映っていた。

 キリッと真剣な口元が、これから数秒後に起きる悲劇の滑稽さを際立たせている。次の写真に移り変わると、派手な水しぶきを上げながら海へと倒れこむ主人の思い人(本人は認めてない)の姿があった。

 

「ふふっ、この世には下手な方がいい事もあるのね」

 

 心底楽しそうに笑いながら、昨日の想い出を回顧される姿を見ると、肌を焦がしながらも夏の海に出かけた甲斐があると言う物だ。昨日のお風呂は辛かった。

 胸にはっきりと水着の三角の痕が残っていたのは、必要経費と思って支払うしかないと思ってはいます。

 

「五条くんのおかげね」

 

 突然、自分の仮初の恋人の名前が出て背筋が思わず伸びた。

 背中が痛い。日焼け跡にブラが擦れて薄皮一枚くらい持っていかれそうだ。

 

「あなたと出かけるために私をダシにするのは気に食わないですけれど。まあ彼がどこまで考えているかはともかく、私も外に出る事はやぶさかではありませんし?」

 

 そうか。かぐや様の視点ではそうなるのか。

 私と彼の共通認識として『かぐや様は会長に惚れている』というのがあるので、かぐや様を外にお連れするためにどう振る舞えばいいのか、という事を考える。

 五条美城は私と出かけるためにかぐや様を利用している、のではなく、かぐや様が出かける用事を作るために私を利用している。かぐや様が述べられた言葉と主と従が逆転しているのだ。

 別にそれを言おうとは思いませんけど。変にかたくなになられても困りますし。

 

「今年の夏休みは幸先良好ね」

「そうですね。それで、会長と次の予定は決まってますか?」

「何を言ってるの? あんな場が用意されたのだから、会長の方から誘うのが道理じゃないですか。私から誘うだなんて……はしたない」

「はあー……」

 

 幸先にいきなり暗雲が立ち込めた気がした。

 追い風を吹かせても順風満帆と行かないのが何とも『らしい』と言いますか……。そんな貞操観念なら水着を晒すのも充分にはしたないと思われますが、それはそれ、これはこれなのでしょう。

 

「そんなため息を吐かなくても大丈夫よ。ちゃんと帰る前に『またどこかに遊びに行きたいですね』と言っておいたんだから。会長からのお誘いは秒読みよ」

「だといいんですが」

 

 そのパターンで成功したこと、一度でもありますか?

 

ヴーッ! ヴーッ!

 

「ほら!」

「うそぉ……」

 

 かぐや様の旧型ガラケーがメール着信を知らせるために震えていた。会長の名前が点滅しているので書記ちゃんからだと、ぬか喜びする事態はあり得ない。

 今日は記念すべきそのパターン成功例その一らしい。

 

「見て早坂! 会長からプラネタリウムに行かないかって誘われたわ!」

「良かったですね、かぐや様」

 

 とはいえ、そんな事を言って腐す必要は全く感じない。喜びにあふれたかぐや様はそれだけで尊いので私も何だか嬉しくなって、自然と口角が上がるのを自覚した。

 

「あら?続きが……どうやら五条くんからペアチケットをもらったらしいわね」

 

 かぐや様はメールを下にスクロールすると、出て来た続きの文面に納得したような響きの声を漏らした。確かにコ〇カミノルタのプラネタリウムは経済状態の芳しくない白銀家にとってそう易々と出せる金額ではない事は、再三の調査により知っているのでおかしいと思いましたが。

 

「えぇっと、二枚も? という事は……ふふっ、全くしょうがない人ですね。どれだけ早坂と出かけたいのかしら五条くんは」

 

 いやそれは普通に二回くらいデートに出かけてくださいという事だと思いますけど……。

 

 チケットを二枚、という所を深読みしたかぐや様は、『愛されてますね』などと言いながらありもしない裏を読んでご自身と私の忙しくない日程の確認を始めた。

 人は利益で動くという考えが恒常化しているこの子は、会長にペアチケットを二枚渡した事で五条美城にどんな利益が生まれるかという事をごく自然に考えてしまう。

 かぐや様と会長が進展して、恋愛頭脳戦によってかかる私の負担が減る事が一番の利益なんですから、二枚とも使ってさっさとくっ付いてください。

 

「楽しい夏休みになりそうね、早坂」

「ええ。本当に」

 

 狡知に長けているのに、会長の前ではポンコツになるかぐや様。

 いつも肝心な所で上手く行かない彼女ですけど、この夏は上手く行きそうで私もほっと胸をなでおろす。

 彼には感謝しないといけませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かぐや様はこう仰られる事がある。

 

『誰しも幸と不幸のバランスは同程度に収束する』と。

 

 それは恵まれた環境に生まれながら、恵まれたとは言い難い家庭内におけるご自身の立場を称して……つまるところ、それは彼女の自虐だ。

 けれど私はそうは思わない。

 

 名家に生まれたからと言って、我慢を強要される理由がどこにあるのか。

 優れている人だからと言って、不幸になる必要がどこにあるのか。

 

 見てください五条美城の事を。名家に生まれながらあんなに自由奔放ではありませんか。

 見てください四条眞妃の事を。かぐや様ほどに優れた人でありながら、想い人と付き合えて幸せそうではありませんか。

 

 

「なりません」

 

 

 だから、四宮かぐやがこんな仕打ちをされる理由がどこにあるのか。

 

 



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早坂レポート その二(上)四宮かぐやの夏休み

評価、感想、お気に入りありがとうございます。


「はあ~」

 

 会長と(あとついでに私と美城と)プラネタリウムに行く予定が御流れになってから半月ほど。あれからかぐや様の夏休みは時が止まったように何事もなく過ぎていった。

 何事もなく、というよりは、何事もさせてもらえなかったと言うのが精確な所ですが。それはかぐや様もこんなため息を吐こうと言う物です。

 まあ、失意のどん底で腐っているよりずっとマシだと思いますけど。

 

「そんなため息を吐かれていては幸せが蜘蛛の子散らして逃げていきますよ?」

「蜘蛛の子散らして?」

「かぐや様の気の落ち込みようも理解できますが、気分転換にどこかにお出かけされてみては? 車で少し回るくらいなら本家からの二人も何も言わないでしょうし」

「それの何が楽しいの?」

「世田谷区あたりまで行けば楽しい物が見られるかもしれませんよ。会長、今日は家にいるみたいですし」

「そんなストーカーみたいな事……え?」

 

 ぱっとかぐや様が俯かせていた顔を上げて私の顔を見上げてくる。驚きと疑惑のこもった目。先ほどまでの沈んでいた物よりも生気の籠った顔になられてちょっとだけ安心した。

 

「早坂、会長と個人的に連絡を取り合ってるの? え? 五条くんはそれを許してるの?」

「どうしてそこでみぃが出てくるんですか。会長本人がツイッターで呟いていただけですよ」

「ツイッター!? ……いえ、ちょっと待って! 確か藤原さんがやってるとかどうとか……」

「こちらに手順をまとめておきました。では私はお風呂入りますので」

 

 かぐや様は真っ先に広辞苑を開いてツイッターの文字を探すが、それはまだ改訂前の版なので当然ツイッターという単語は載っていない。あっても『呟く』という意味くらいだろうけど。こんな事もあろうかと、ありとあらゆるSNSの登録方法をまとめておいてよかった。

 お爺ちゃんお婆ちゃんでも理解できるように書いたそれがあれば、いくら機械音痴なかぐや様でもスムーズに登録を済ます事が出来るでしょう。

 いやでも『【あなたはロボットですか?】何を言ってるのかしらこのパソコンは。ロボットはあなたでしょう』くらいは言い出しそう……。

 

 

「くぷぇーーほ」

 

 ポケーっと開けた口からどんな辞書にも載っていないような感嘆詞が零れた。

 熱めに入れたお風呂の湯気に乗ってゆらゆらと空中に立ち昇り、耐水性のスピーカーから聞こえるヒーリングミュージックと共に広い浴室に響く。

 独り占めして浸かるお風呂は最高だ。この別邸では私が使用人として一番上の立場にいるので、誰も表立って文句は言ってこないし。

 とはいえ……。

 

「こうして家に閉じこもりというのは、精神衛生上よくない……かな。みぃじゃあるまいし」

 

 ふさぎ込むほどではないが、やはり気落ちした様子のかぐや様を思い出しての感想を言葉にしてみた。

 美城のような、体に問題を抱えて外に出れないならともかく、かぐや様は心身ともに健康そのもので……いや陳腐な言い方だが恋という病を患っておいでか……、ともかく外出する事に本当なら遠慮などいらないはずなのに。

 

 あの本家から来た二人の執事。老紳士然とした男性と、厳しさを張り付けたような若い女性。

 

 四宮長女の下に駆り出されるだけあって有能なのはいいが、雁庵様の名の下に締め付けてくるのは怒りを通り越して呆れてくる。

 今までそんな事は無かったのに……。

 

 おかげで『白銀会長とかぐや様急接近作戦』という頭の悪い作戦名をつけて立てたプランは全て凍結されてしまった。

 早く解凍して実行できる状況になればいいのですが。

 

 

「ふはぁ……」

 

 お風呂から上がった私はもう一度使用人服に着替えて(もちろん下着は替えてますよ?)かぐや様がお休みになるまでの話相手になるべく、主人の自室へと歩みを進めた。

 上手く登録できたでしょうか?

 そこはかとない不安を抱きながら扉をノックすると、入りなさいと聞こえたのでゆっくりと扉を開けて入る。

 

『かぐや様、どうかお考え直しください!』

「少し黙っていてください。それにこれはあなたが言い出した事でしょう」

『それは最悪ですねーあはは、という軽口でございます!』

「丁度いい所に早坂も帰って来てくれましたし、やってみましょう」

 

 ……何か、聞き覚えのある声とお話しされていた。

 

「かぐや様、登録の方は御済みになられましたか?」

「バカにしないで。確かに少しだけ手伝って貰いましたが、本当に少しだけですから」

「どちらに?」

『あ、その声、愛ですか?』

「ちょっと五条くん。あなたは黙ってなさい」

「なるほど……」

 

 かぐや様の友人は少ない。ましてや携帯の電話帳に載っている相手など、片手で数えられるくらいだ。

 書記ちゃん、会長、会計くん。私と、そして五条美城の五人が学校内で四宮かぐやの連絡先を知っている数少ない人物だ。

 かぐや様の心理上のロジックから読み解けばこうなる。

 書記ちゃんは海外で時差がある。

 会長にこちらから電話するのは言語道断。

 会計くんは……うん。

 私はお風呂に入っているので、となれば頼れそうな人物は美城になる、という結論が導き出されるのは充分に理解できるのだが。

 

「ふぅん……かぐや様、私がいない間に彼と通話を楽しんでおられたと」

「楽しむだなんて、ただ相談にのって貰っていただけです」

「ですがこういう事に詳しい会計くんがいるじゃないですか」

「石上君は……って、早坂? 怒ってるの?」

 

 怒る? どうして私が怒らなければならないのでしょう?

 かぐや様が私以外に頼るような人が出来た事を喜びこそすれ、怒るなど。

 

『愛、何か嫌な事でもありましたか?』

「何かとは何ですか。大体あなたも私には電話をよこさないくせに、かぐや様相手だとすぐに応じるんですね」

 

『えっ、電話していいんですか?』

 

 ……? 何を当然の事を言っているのだろう、この男は。

 私達は恋人同士という事になっているのだし、当然、電話の一つや二つ……

 

 ……!

 

 思考を巡らせて、ようやく自分が何を言い出したのか分かった。

 彼は一日だって私とのラインを欠かした事のない筆まめな人物で、おおよそ責められるべきな事は何一つしていない。古代ローマに生きていればキケロのような散文家として後世に名が残ったかも。

 それなのにこの上、電話まで求めるなんて……

 これじゃ私が彼の事を好きで好きでたまらないみたいじゃないですか!

 

 吐いた言葉は飲み込めない。

 聞いていたかぐや様の顔が、少しだけニヤついた物に変わり、電話から聞こえてくる声が喜色を帯びて弾んだ物に変わって行った。

 

『ふふふ、愛からそう言ってくれて、私とても嬉しいですよ。いつにしましょうか? 今日のお仕事が終わってからなら時間ありますか? 少し遅い時間ですが、愛と電話できる――』

 

 プツ……

 

 悪は滅びた。

 

「何してるの早坂!?」

「ご安心ください。危機は去りました」

「あれが危機なら世の電話は全て詐欺よ!?」

「駄目です。みぃは叱るという事を知らない生物です。かぐや様を甘やかしてどうするつもりなのか皆目見当もつかないので、彼の策に陥ってはいけません。ここは私に任せて先に言ってください」

「映画で聞いた事あるセリフ!」

 

 危なかった。

 かぐや様の身に美城の毒牙が降りかかる所だった。

 それは一見甘いので、世間知らずなお嬢様の主人は気付かない間に取り入れてしまうかもしれない。

 彼には後で注意しておかなければ。     ……十一時くらいに電話しようかな。

 

「彼氏が他の女に電話して機嫌が悪いのは分かりましたけど」

「違います」

「文面より電話の方がいいというのも分かりましたけど」

「違います」

「……まあいいでしょう。あと一つ分からない事があったので、早坂にしてもらいましょうか」

「それは構いませんが……あと何が残っているのでしょうか?」

 

 パソコンの画面には新しく出来たかぐや様のアカウントが表示されている。アイコンは初期設定の卵のままだけど。問題は無いように思いますが……。

 

「会長が寝静まっている間にアカウントを乗っ取って私のアカウントを承認して欲しいの」

「堂々と違法行為をさせないでください」

 

 とんでもない事を言いだしたなこのハッキングお嬢様。『何ですのこのファイアウォール!阪〇の内野並にガバガバですわ!』とか言いたいのだろうか。

 不正アクセス禁止法違反ですよ?

 

「会長はギリギリまで睡眠時間を削って勉強に励んでいますが、夏休みは二時に眠っているそうですよ。五条くんが本人から聞いたと言っていました」

「なるほど。私も睡眠時間を削って仕事に従事しているんですけど?」

「夜中の三時くらいに操作をすれば、勉強疲れと眠気でそんな事をしてしまったのかと思うでしょう?」

「という事は私に三時まで起きてろと」

「そこまでは言いませんけど……ね? 早坂、ね?」

 

 ね? じゃねーんです。

 

「かぐや様、聞いて欲しいんですけどそれは違法なんです。罪です。ラスコーリニコフです」

「罪と罰!?」

 

 私の言葉に髭もじゃのロシア文豪にどつかれたような顔をして驚いていた。

 罪を自覚してください。ドツキエフスキーさんもどつく事したくないんですよ?

 

「そうです。それをしたらかぐや様は百万を支払った後で地面にキスして世界に赦しを乞う事になるでしょう」

「重い! 文庫で千ページくらい読んだお話の結論くらい重いわ!?」

「かぐや様選んでください。以上の事をするか、一時の恥を忍んで会長に申請するか」

 

 ぐぬぬ……と羞恥を堪えるような顔をして悩みだした。かぐや様はどちらかと言うと悪人の側だが、しかし犯罪者ではない。

 私は……(夜の秀知院に侵入などなど)……うん! 何も問題ないですね!

 

「そうです! 私も鍵アカにします! そして会長からフォローしてきたら……」

「気づいてください。そのパターンで成功した事ありますか?」

「い、一緒に海行きましたし……」

「みぃが言ったからですよね?」

「プラネタリウムにも誘われましたし……」

「それもみぃのおかげ」

「ほらツイッターを……」

「みぃに電話して聞いたんですよね」

「もう! 何ですか! そんな有能な彼氏がいる事を自慢したいんですか!? 有能さなら会長も負けてませんからね!」

「その言い草は会長を彼氏みたいに思っている言葉ですけど」

「誰が会長の事大好きですか!」

「そこまで言ってません」

 

 はあ……。

 本当にどうしようもない人たち。

 もう少しだけ素直になればお互い幸せになれるのに。

 

 ……けど、周りが見えなくなるくらい、誰かを好きになれるのは少し羨ましい。

 美城の事は……まあ。相対しても普通に過ごせているので、きっとそういう感情ではないのでしょう。非常に役に立ってくれる、契約で結びついた仮初の恋人。

 仮初は仮初だ。

 虚実混じった私の仮面のように、必要だからつけているだけであって、そこに惚れた腫れたは必要ない。

 それが本気に変わる事など……。

 

 

 

 

――☾――

 

 

 今日のかぐや様は朝から楽しそうだった。

 書記ちゃんとその妹・萌葉、そして会長の妹・圭と一緒に買い物に行く予定だったからだ。

 素材が良いので服選びに頓着しないかぐや様でも、姿見の前でいくつか服を着替えて吟味されていた事から、その楽しみ加減はうかがえる。

 そして選んだワンピースに合う帽子は無いかと私に聞かれたので、これはどうかと彼女にお洒落させる事を私も楽しんでいた。

 

 『いた』、だ。過去形だ。

 

 本家からの執事がかぐや様の部屋を訪れた事が、ケチの付き初めだった事は疑いようがない。

 この四宮別邸において、神聖不可侵のかぐや様の部屋を訪れる事が出来る者など、私を於いて他にいない。

 いるとすれば、それはかぐや様より上の立場の人が命令した場合だろう。

 

「かぐや様、当主様がお呼びです」

 

 例えばそう、四宮家当主、彼女の父・雁庵だ。

 

「かぐや様……」

「分かっています」

 

 先ほどまでの浮かれ調子を悲しくも霧散させて、被った帽子も脱いで私に手渡した。鞄からガラケーを取り出して『ごめんなさい』と断りのメールを書記ちゃんに返信する。

 

「着替えるから出ていきなさい」

 

 そう言い放つ彼女は、友人との遊びを楽しみにする女子高生四宮かぐやではなく、四宮家令嬢四宮かぐやの姿をしていた。

 

 

 

 

 東京から京都まで車で七時間。

 四宮家の本邸は京都御所の少し北に位置し、俗に京都カーストと言われる地区の中でも群を抜いて位が高い場所に建てられた平屋の木造家屋だ。

 京都市内にあって一二を争う広さの敷地を持ち、何等かの賞を持っている事が当たり前の庭師が手を入れた庭園は、足を踏み入れた者を圧倒するだろう。文化遺産に登録されていないのは当主の気まぐれにすぎない、と言う言葉がまことしやかにささやかれているが、それは冗談でも何でもない。

 

「こちらでお待ちください」

 

 そう言って通された部屋でどれくらい待たされたでしょうか。

 床の間に掛けられた掛け軸も、花もそれを入れる花瓶も、どちらもひとかどの物である事は間違いないのに、不思議と心休まる事も、感銘を受ける事もないのは、この家にロクな思い出が無いからだと思う。

 

「お……お父様……」

 

 ふっと気配も薄く人が通り過ぎようとしていた。

 かぐや様はそこに杖をつく老人……父である四宮雁庵の姿を見つけると、少しかすれたような声で弱々しくそう言う。

 

「ああ。居たのか」

 

 髪の毛一本ほどの関心も無いような物言いだった。

 そして、そのまま使用人を引き連れて通り過ぎて行き、またこの客間には静寂が戻って来た。

 

 こんな扱いをされて、どうして良い思い出など残りましょうか。

 

「こんな場所まで呼び出してそれだけですか」

 

 失意と失望の二つの底に落とされたかぐや様が、肩を落として悲しまれていた。

 私はそっと傍に寄って、耐えるように握りこんだ拳に自分の手を添える。

 傍から見れば破綻しているような親子関係だけど、かぐや様はそんな父親にも期待しているのだ。それを平気な顔をして踏みつける人に、反感を覚えないという方が無理だと私は思う。

 この国の遥かなる天上の君と言えど、

 

「くたばれクソ爺」

 

 娘を悲しませるような人間は、こう言われて然るべきだ。

 

 ☾

 

 かぐや様は外のざわめきとは無縁の生活を送ってきた事を私は知っている。

 それを物寂しく思っていることも。

 楽しそうに騒ぎながら、煌びやかな装いに袖を通した子供達が屋敷の前を通るたび、興味深そうに幼気な丸い瞳を外に向けていた姿を、ずっと見ていたから。

 

 かぐや様は家族旅行に行った事がない。

 見た目の良い、お行儀の良い人形にあちこちフラフラ出歩かれては困るから。空を飛ぶことを忘れさせるように、ずっと籠の中の鳥であり続ける。

 代り映えしない毎日を、『早坂がいてくれる』と絵日記に描いた姿は、私の瞼の裏に残っていて、離れてくれそうにない。

 

 だから、初めて他の誰かと、かぐや様が気になってる人と、遊びに出かけるこの夏を楽しみにされていた事を十二分に知っていた。

 

 

「早坂、これ短くないかしら?」

「いえ。とても良くお似合いです」

 

 今日は花火大会の日。

 かぐや様は初めて外のざわめきに身を投じようとされている。

 煌びやかな蝶の模様で彩られた浴衣に袖を通して、花柄の帯で締めたその立ち姿は、きっと会長も目を皿のようにして見入る事でしょう。

 

 朝一番に京都を発って、また七時間をかけて東京に戻ってくる。

 何の余韻もへったくれも無い京都行でしたが、本家の使用人二人が今この場にいない事だけが大きな収穫でしょうか。あのまま京都に残ってくれたのなら、あの十四時間は全くの無駄ではないと、多少なりとも慰められるものがある。

 

「そろそろ待ち合わせ時間ですよ」

「もうそんな時間なのね」

「かぐや様、花火大会は人が多いですから足元に注意してください」

「分かってます」

「足踏まれたとか言って誰かに背負ってもらおうなどと思わないでくださいね」

「だ、誰が会長に!」

「私は『誰かに』としか言ってませんよ?」

 

 はめられた、そう言いたそうに眉根を寄せて睨んでくるかぐや様を見ていると、いつもの彼女が戻って来たように思えて、張りつめていた糸の一つが緩んでいくような心地よさがあった。

 

 と、呑気な事を思っていられたのも、この時までだった。

 

 かぐや様の自室を出て玄関ホールに通じる廊下を歩いていると、私は一番見たくない者を見てしまう。

 もう本家の方に戻ったと思いこんでいた、あの二人だ。

 

 女性の方が口を開いた。予想通りすぎてつまらない程の言葉。

『なりません』と。

 

 子は親に逆らえない。

 ベッドに突っ伏したかぐや様を見ていると、そんな事を考えてしまう。

 こんなありふれた事を、こんな醜悪な形で見せられるとは思ってもみなかった。貴種を存する貴族主義も甚だしく、それに翻弄される事が腹立たしい。

 だから、かぐや様、いつものように策を弄しましょう。

 これは、恋愛頭脳戦ですよ。

 

 

「いつまでそうしてるつもりですか。らしくないです。いつもならあらゆる策を講じてみようと言う所ではありませんか」

「何をしたって上手く行かないわ……。皆と買い物には行けない。お父様はこれっぽっちも私に関心がない。会長はメールをくれない」

「ですが……」

「何一つとして上手く行かなかったもの!」

「かぐや様。弱り過ぎて記憶を逸してしまいましたか?」

「何を言いたいの」

「海に行った事、もうお忘れですか?」

 

 はっと息を呑む音が聞こえた。

 机の上に置かれたデジタルフォトフレームに手を伸ばすと、数秒後に写真が表示される。

 海に突っ込んでいく会長の姿と、その後ろに楽しそうなかぐや様が映っている写真。

 

「ふふっ……」

「上手くいった事が一つありましたね」

「そうね」

「一つ例があれば、二例目もあって然るべきでは?」

「そうであって欲しいけど……」

「では二例目を作り、夏休みの総仕上げと行きましょう」

「どういう事かしら?」

「会えない時間が愛を育てる……。会長もかぐや様と同じ気持ちのはずです。最初にあった夏休みの楽しい思い出の種が、会えない事によって愛情の萌芽が起こり、毎日会いたくて会いたくて仕方がないはず。

 そんな中! かぐや様と運命的に出会う事が出来れば!?

 今まで蓄積されてた欲望が……」

「一気に解放される……?」

「そうです。いつもの顔に戻ってきましたね」

 

 いつもの天才性とアホさを兼ね備えた四宮かぐやの姿がようやく戻って来た。あとはもう、状況を転がしてあげればいい。

 

「私にいい考えがあります」

「何かしら、その言葉から感じる若干の不安は……」

「こちらにジップラインを用意しました。外まで一直線で向かう事が出来ます。私で安全は確認済みなのでご安心ください」

 

 窓を開けて木の枝を避けると、私がひそかに取り付けていたジップラインが現れる。本家の人間が来た時から、いつか必要になるのではないかと準備していた物だ。正直こんな物使う必要がある事態にならないでいて欲しかったですけど。

 

「さすが早坂。これを見越して浴衣も動きやすい短い物なのね」

「え? 違いますけど」

「あ……そうなの?」

「はい」

 

 ……

 何か変な空気になってしまった。

 

「それはともかく。かぐや様、早く行かないと花火大会が終わってしまいます。私は着替えて身代わりをしますので」

「ありがとう早坂。行ってきます」

「行ってらっしゃいませかぐや様」

 

 窓枠に足をかけるとかぐや様は滑車を使って軽やかに滑り降りて行く。

 塀の上の赤外線センサーはあらかじめ切ってありますし、着地点にはタクシーを派遣しておいた。後はそれに乗って浜松町まで行けば、目当ての花火を前にして、生徒会の皆と見上げる事が出来るだろう。

 

「どうか楽しい思い出を作れますように」

 

 私は祈りを込めてそんな言葉を小さく口にした。

 神なんて信じていない癖にこういう時だけ頼るのはとんだ不心得者かもしれないが、後は精々本家の人間にばれないようにかぐや様の振りをするくらいしか出来ない私の精一杯の後押しのつもりだった。

 

 かぐや様が着ていた浴衣と同じ柄に袖を通して、背を向けても不自然ではないように窓辺に立って花火が上がる、東京湾の方向に顔を向ける。

 キラッと何かが光っていたので少しだけそちらを見て、正体に気が付くと少し笑ってしまった。

 

「後は任せましたよ。会長」

 

 私は乙女の部屋を覗き見ようとする不届き者の方に視線を向けて、少し髪をかき上げる。双眼鏡でこちらを見ている迎えに来てくれたであろう白銀御行生徒会長に、今ここにいるのはかぐや様ではありませんよと教えるために。

 気が付いた会長は急いで双眼鏡をしまって、弾かれたように引き返す……つまり花火大会の会場へと向かって行った。

 途中で会えたらいいな。そうしたら、いつか話してくれたように二人乗りで会場まで向かうはずだ。

 不思議と私は、彼がかぐや様と合流できないかもしれないという不安は抱かなかった。

 だってそうでしょう。

 それくらい出来ない人には、かぐや様は任せられませんからね。

 

 

 

 夏の空に火の花が咲いた。丸く開いたその花びらの淵が、キラキラと輝きながら夜に溶けて行く。ややあって、ドン……と体の奥から震えるような破裂音が響いた。

 メインの花火が始まったようだ。

 

 窓の外を眺める、かぐや様の小さな背中しか見てこなかったから分からなかったけど、今この場に立ってみて分かる事があった。この窓辺から眺めると壮大なはずの空の花もちっぽけな物に見えてしまう。

 だからここから飛び出したくなってしまわれたのだ。かぐや様は。

 あの花火は、近づけばもっと大きく花開いて見えて、轟く音に怖いとすら思うかもしれない。けれど、近づかずにはいられない程に焦がれている。

 この窓から見る小さな花では物足りない。包まれる程に広大で、かき抱く程に膨大な、そんな感情があの子の中にはあるから。

 それを、恋とか愛とか人は言うのだろう。

 

 本人は認めていませんけどね?

 

 

「かぐや様、お食事の準備が出来ました」

 

 そっと静かに入って来た本家の女執事が、慇懃な物言いで私にそう告げて来た。

 気取られないよう気を付けながら、弱々しく落ち込んだ籠の中の鳥を演じる。

 

「いらない……」

「ですが」

「花火を見てるの……。せめてこの位はいいでしょ……」

「……畏まりました」

 

 当主直系の令嬢にはさすがに強く出られないのか、それとも屋敷の外に出なければ何でもいいのか、思っていたよりもあっさりと彼女は引き下がった。

 パタンと扉が閉じられると、再び部屋には沈黙が広がる。

 開けた窓から飛び込んでくる喧騒が、やけに大きく聞こえた。

 

 少しだけ、寂しいのかもしれない。

 かぐや様には、あそこまで必死になってくれる白銀御行という男の子がいる。氷の姫を溶かした温かい彼が。

 

 求めている。

 そんな都合の良い夢が私にも訪れる事に。

 焦がれている。

 私の事を見つけてくれる誰かに。

 こんな嘘つきの私でも。

 

「かぐや様」

 

 つまらない事を考えていたせいか、後ろに再び来ていた女執事に気が付かなかった。何たる失態だ。もし気になった彼女が私の肩を叩いたら一発でバレてしまっていただろう。

 

「まだ花火は終わってませんよ」

「承知しております。ですが、どうしてもと言う来客がおりまして」

「来客?」

「はい。立花祐実と名乗る女性です」

 

 立花祐実?

 全く身に覚えのない名前だ。

 かぐや様の身の周りにいる人物の中にも、その関係者の中にもそれにあたる名前は見つからない。

 

 

 

「みぃが来たと言えば分かる、と」

 

 みぃ?

 

 



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早坂レポート その二(下)私の白鷺

連載三十二話、本編二十九話にしてようやく……


 夜の四宮別邸にお嬢様の来客があったそうだ。

 名前は立花祐実。あだ名は『みぃ』というらしい。

 

「久しぶり四宮さん。元気してた?」

 

 本家の執事に連れられてやって来たその女子は、白いワンピースをたなびかせながら、気安い雰囲気で四宮かぐやに扮する私に声をかけてくると、さも当然のように隣にまで来て私と同じように花火の上がる空を見た。

 黒のロングヘアーがさらさらと流れて、白い花のような甘い匂いを纏った風を運んでくる。流麗なる柳眉の下に、黒曜石を収めたような黒い目が大きく開いてこちらを見ていた。

 道行く人が十人いれば十人振り返るような、そんな可憐な容姿をしている人物だった。

 

「何かご入用の物があれば申し付けくださいませ」

 

 執事はいまだ疑いの色を隠さないような声をしていたけれど、ずっと居座るのも無礼に当たるし不敬を疑われるのも困るのだろう、静かにゆっくりと扉を閉めて退室した。

 

「夏はどんな感じだった? 私はあんまり出歩けなかったかなー」

 

「どういうつもりですか、立花祐実……みぃ……いや五条美城」

 

 何事も無かったかのように世間話をし始めた立花祐実、もとい五条美城に私は短く切り返した。

 一瞬、驚いたように彼は目を見開くが、すぐに言葉の意味を察したようだ。盗聴器やそれに類する物はこの部屋には無い、という意味を。

 

 ほっと彼は息を吐くと、よく手入れの行き届いた黒髪を脱いだ。

 ぱさりと黒髪の下から、五条美城その人の一番の特徴である白髪が現れる。電気を消して、夜の闇が降りたこの部屋で、そこだけが光の穴でも開いたように白く輝いていた。

 

「どこに置けばいいですか?」

 

 彼は脱いだ黒髪のカツラを手にもって、おかしそうに笑いながらそんな事を言った。帽子掛けを指さすと、そーっと王冠でも乗せるように恭しくそれをかける。

 

「こっわ……」

 

 帽子掛けから黒い髪が垂れ下がって、風に合わせてゆらゆら揺れた。完全に貞子だか伽椰子だかが出てくるホラー映画の絵面だった。

 私自身はホラー映画は平気だし、霊感があるなどというオカルト少女でもないが、単純に不気味さを感じる。四宮本家の執事も騙せる見た目という事は人毛なのだろうし。

 

「バッグにでもしまっておきましょうか?」

「いえ、構いません。髪に折り目が付いたり乱れていたら不審に思われるでしょう」

「ではお言葉に甘えて」

 

 不気味には思うが、それを言うのは負けた気がする。かぐや様が妄想で相対する会長に『お可愛い奴め』と言われたくない心理に似た物かもしれない。

 ……あれと同レベルかぁ……。

 

「それで? どうして変装までしてここに来たんですか?」

 

 美城は気にしないと思うが、さすがに客人を立たせっぱなしというのも従者として生きて来た私にとって座りが悪いので、椅子を二つ持ってきて窓辺に置いた。

 

「愛に会いたくて」

「またそういう事を言う」

「ふふっ」

 

 椅子に腰かけながら美城はそう言った。

 恋人にこう言われたらドキリとするのだろうが、あいにく私達は普通の恋人同士ではない。そこに何らかの裏を読んでしまうし、利益につながる何かを探してしまう。

 たまに本当にそう思っている時があるのが彼の厄介な所だが。

 

「気になっていました物で。海の後から色々誘ってもなしのつぶてではありませんか」

「それは……本家の方から人が来ていまして」

「京都からわざわざ?」

「はい。二人による締め付けが酷く、ロクに外に出してくれませんでした」

 

 そのせいでかぐや様は無味乾燥な辛い夏休みをお過ごしになる羽目に……。

 

「ですから、早いうちに海に出かけた選択はこの上なく正しい物でしたね」

「喜んでいただけたのなら良かったのですけど。結構こちらの都合に振り回してしまいましたし」

「今更あなたがそれを言いますか? それにいいんですよ。ああいった名目が無いと素直に行動に移せない人なんですから」

「さすが、かぐや様の事を良く分かってますね」

「十年も一緒にいますからね」

 

 その十年一緒にいる中でも、特に今年は夏休みを楽しみにされていた。

 休みが始まってすぐに会長と海に出かける事が出来る。友人と買い物に出かける予定も入っていたし、夏休みの終わりには生徒会の皆で花火を見に行く予定を入れている。

 過去になく充実した夏休みになる……はずだったのに、本家の人間は……。

 

「ですから、あなたがしてくれようとした事には、感謝しているんですよ? まあ御流れになってしまいましたが」

 

 出来なかったとは言え、何かをしようとしてくれた事に気付けばお礼を言っていた。かぐや様の事をどう思っていようとも、私は結局従者なので彼女の意思に別の観点を与える事が出来るが、それを超えてどうこうする事は出来ない。

 けれど、美城は従者を気取っていても正式な物では無いので、自らの望むままに行動を起こす事が出来る。

 私は内から、彼は内のようで外から働きかける事が出来る、考えてみれば中々に相性のいいコンビではないでしょうか。上位の存在にあっけなく負けてしまう所が難点ですが。

 

「どういたしまして。……今さらながらですが、かぐや様はどちらに?」

「かぐや様ですか? 今頃は生徒会の皆と花火を見上げている……はずです」

「はず? 愛らしくもない言葉ですね」

「仕方がないでしょう。私はここに残って監視の目を欺かなければならないのですから、外の障害を取り除いてあげる事が出来ませんし」

「かぐや様がご自身で外に行かれたのですか?」

「意志の所ではそうですが、手段の所では私です。私が張っていたジップラインを滑って外に向かわれました」

 

 小さく響く遠雷のような花火の音を聞きながら、私はそっと立ち上がると窓のすぐ傍まで伸びた枝を指差す。美城は不審そうな顔をしながらその枝を避けると、現れた中空にかかるワイヤーにあっと小さく声をあげた。

 我ながら大胆な事をしたものだ。そう思いながら忍び笑いを漏らすと、驚いている様子の美城に声をかける。

 

「どうですか?」

 

 言ったその声に、少し誇らしげな響きがあった事に自分自身驚いた。

 

「……どうにも解せませんね」

「?」

 

 美城のそんな言葉に、私は当てが外れたかの様に肩を落とした。

 かけた手間と、それに付随する苦労をした事を褒めてもらえると思ったのに……。

 

 ピンと張ってあるワイヤーの強度を確かめていた彼が、窓枠から降りてきてこちらを向く。関心するような目を一瞬だけした、が、新雪のように美しくも冷たい美貌の印象を和らげる丸い目を、鋭く尖らせて刃の切っ先でも向けるような、剣呑な雰囲気を彼は纏った。

 息を呑む。

 初めて彼を怖いと思った。

 

 

 

「外に出さなかったのは、四宮黄光の指示ではないのですか?」

 

 

「え……は……?」

 

 時が止まった。

 

 そう感じるには、十二分に過ぎる程の言葉が私を脳天から刺し貫いて、頭の中が真っ白になった。

 

 なぜ?

 どうして?

 あなたがその事を知っているんですか?

 

「なぜ? と言う様な顔をしていますね。隠す程度の事でもないのでお教えしますが、愛のお母さまと私の母は同級生なんです。四宮雲鷹に早坂奈央がしていた事を近くで見ていたので、私に気を付けるように言っていました。

『早坂愛は、今この時も四宮かぐやを裏切っている』と」

 

 ママと美城の母親が同じ学級に!?

 

「お母さまから聞いていませんでしたか? 私も始めは信じていませんでしたよ。いえ……信じたくなかった、と言うのが正しいかもしれません。だってそうでしょう? かぐや様は愛に相当の信を置いていますし、あなたがそれに応えようとする姿を私も近くで見ていましたから」

 

 美城は淡々と原稿を読み上げるように淀みなく言葉を続ける。

 その整然とした言葉の流れに、私は言葉をさしはさむ余地がなくなり、ますます頭の中が混乱してまとまらなくなってしまう。

 

「ですがこの夏休みを見てどうでしょう? 最初に行った海の後からずっとかぐや様はどこにもお出かけになられず、男子と出かけるのが駄目なのかと思えば、千花達とのお買い物にも出かけられず仕舞い。そしてこの花火大会。さすが愛ですね、完璧な仕事ぶりです」

 

 褒められた。

 ()()()()()()()()()()

 

「ですから最後、どうして花火大会に向かえるような手段を用意したのか、それが腑に落ちないのです」

 

 腑に落ちない。その言葉を結ぶまでに至った経緯を簡潔に説明すると、彼は反証を待つ弁護士のように真っすぐ私を視線で射抜いて離してくれそうになかった。

 

「……ああ」

 

 私が考えて言葉にしようとする前に、美城は口を開いた。

 

「そこまで掌の上ですか?」

 

 どこまでも酷薄に。

 

「かぐや様は辛い夏休みをお過ごしになられました。気になる人とのお出かけ、友達とのお買い物。それらを奪われ、最後、一縷の望みを託していた皆と花火大会に行くという約束も奪われようとしています。そこで出て来たのは愛の用意した、この四宮別邸から外に通じる蜘蛛の糸。かぐや様は侍従のおかげで外を楽しむ事が出来て、あなたに感謝するでしょう。ああ、何て素晴らしい主従の愛でしょうか」

 

 彼の、この夏に起きた事をつぶさに拾い上げて行く言葉の流れを聞いて行くうちに、笑えて来たほどだ。

 

「これだけ信望を集めたあなたを握っておけば、四宮かぐやの自由意志さえ操れるかもしれませんね」

 

 そう。

 そうなのだ。

 あまりにも私という存在が四宮かぐやにとって重要になり過ぎる。

 

 仕組まれているみたいだ。私は自嘲の笑みに、顔がこわ張りそうになった。

 裏切りの星の下に生まれた者は、その歩む道も裏切りの光に照らされているのだろうか。

 

「わ……わたしは……」

「どうぞ。……四宮のする事は良く分かりませんね」

 

 そんなの、私だって分かりたくない。

 小さな女の子が抱える臆病で、繊細で、純粋な、そんな心を知った事かと踏み荒らすような連中の事など。

 

 私だって、美城のように、何の裏もなくかぐや様に仕えていたかったのに。

 姉妹のように育って来た。彼女の少しの喜びと深い悲しみを知っている。

 孤独は嫌いな、

 プライドが高く不器用な、

 頭が良くて頭が悪い、

 そんなあの子を、心から守ってあげたいと思っている。

 

「愛はかぐや様の事が好きですか?」

 

 心を見透かしたような質問が、彼の口から飛び出した。

 俯いた視線を少し上げる。

 夜闇にぽっかりと開いた穴のように輝く彼の白い髪が、断罪の天使が背負った光のように見えて、私の口を縫い合わせたように重くする。

 

「だったら……」

 

 それは懺悔か、それとも単なる言い訳なのか。

 裁きを前に追いすがるようなみっともなさを自覚しながらも、口から出てくるのは、地を這うように重苦しい言葉だった。

 

「好きだったら何だというんですか。それで全てが許されますか? 犯してきた罪が全て贖われるとでも言うんですか?」

 

そんな事はあり得ない。

 

「あなたは知らないでしょう? 他者を遠ざけていたかぐや様を。軽薄な人間が嫌いなあの子を。約束を守らない嘘つきが嫌いなあの子を。好きだから、何だというんですか。そんな事で、かぐや様は私をお許しになどなりません。私は嘘つきだから」

 

 私はかぐや様に嘘をついている。百万の行動に勝る一つの嘘を。

 その前ではどんな言葉も薄っぺらいかもしれないが、どうしても無くせない想いが確かにある。

 

「そんな嘘つきでも、あの子が外に行けるように手伝った事を貶めないでください。それは腫物のように扱う本家の意向でも、四宮黄光の指図でもなく、私がかぐや様のためにした事なのですから」

 

 それだけは言っておきたかった。

 確かに私はあの子のために成したのだから。本家から叱責を受けようと、鞭を受けたとしても、かぐや様が笑顔で『楽しかった』と言う事に比べれば何の事はない。

 

「そうです。私はかぐや様の事が好きです」

 

 それは十年前から変わらない、私の嘘の奥にある真実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふわりと光が揺れたような気がする。

 とさっ……と何かが落ちるような音がしたかと思うと、ぎょっとした。

 

「愛……申し訳ありませんでした……あんな追い詰めるような物言いを……すみません……」

 

 彼が、五条美城が跪いて私に赦しを乞うていたからだ。

 

「あなたの事を疑っていました。もしかしたら、かぐや様をただの道具のようにしか考えていないような人かもしれない、と。彼女の事をどうでもいいと思っているような冷血な人ではないかと。ですが、違うんですね」

 

 どこか嬉しそうな響きを持った声で彼はそんな事を言う。さきほどまで私を断罪する天使の如く問い詰めて来た人と同じ人間には見えない程に。

 今度は別の驚きで頭がぐるぐるした。

 何だこれは? どうなっているんだろう? 何で彼は、私がかぐや様の事を好きだと言うことでこんなにも喜んでいるんだ?

 

「止めてください。何だったんですか、さっきまでのあなたの苛烈さは? 私を許さないつもりだったんじゃないんですか?」

「そのつもりでした」

「ではどうして……私が裏切り者という情報を握っていたんでしょう? だったらあなたは許せないはずです。鉄の絆で結ばれたと称されるほどの、五条の一族の長男ですから」

「私が許せないのは、許されない事をしておいて何とも思わない事です」

「何を訳の分からない事を。どうして……」

 

 

 

「だって、愛が一番自分を許していないじゃないですか」

 

 彼の涙混じりの瞳と目が合った。

 

「あなたがただの害成す奸臣なら許せませんでした。ですがそうではありません。だから私がする事なんて何も無いんです。自らを許していない人に石を投げるなど、自己満足を超えて自己陶酔ではありませんか」

 

 そう言うと、彼は恥じ入るように顔を歪めて、何かに感じ入るように瞳を閉じる。

 何を思っているのだろう。

 この人の事は、分かっているようで分からない事だらけだ。

 

「愛」

 

 ただ、

 

「辛かったですよね」

 

 彼が他人に対しての献身を厭わない事だけは、私も知っている。

 

「なにを……」

「好きな人に嘘をつき続ける事が辛いのは、私にも覚えがあります。ですが、愛のそれは私なんかとは比べ物にならないでしょう。ましてやかぐや様が幸福になるような嘘ではないのですから。相手の為になる事なら、どんな事だって我慢できます。けれど、そうでないなら……」

 

 はっ……と息を吐くために言葉を区切る。彼の大きな瞳が悩める心のようにゆらゆら揺れて、自分の言った事が自分でもはっきりさせられないような印象を受けた。

 そんな瞳がピタリと止まる。

 私の目を真っすぐに見て。

 

 

「苦しくないはずがありません」

 

 見透かしたような事を言う。

 

「後悔にくれない日は無かったはずです」

 

 分かったような口ぶりで、

 

「ずっと見ていたのならなおさらで」

 

 私の気持ちをなぞる様に。

 

「かぐや様を知れば知る程好きになるのに」

 

 そうとは思っても現実は付いてきてくれない、

 

「かぐや様のもっとも嫌いな事をしなければいけない」

 

 唾棄すべき現実と共に私の今があるから。

 

「その板挟みを強いられる生活から逃げ出す事も出来なくて」

 

 それを生まれた時から宿命づけられている。

 

「かぐや様を、両親を責める事も出来ないから、自分を責め続けるんですね」

 

 だってそうでしょう。私一人が我慢すればいい。

 

「愛」

 

 ……けれど、

 

「そんなのは悲しすぎます」

 

 誰かに、

 

「どうしてあなたがこんなに苦しまなくてはいけないんですか」

 

 本当の私を見つけてと、

 

「ねえ」

 

 嘘をついて真っ黒だけど、

 

「愛」

 

 ただ、

 

「辛かったですよね」

 

 そう言って欲しかっただけなんです。

 

 

 

「……初めて会った時」

 

 私は遠くを見つめながら、十年前にこの場所で起きた事を回想する。

 

「四宮黄光の密命を帯びてこの別邸に来た私を、かぐや様は嬉しいと言って迎えてくださいました。その『よろしくね』という無邪気な笑顔を裏切る所から私の仕事は始まったんです」

 

 かぐや様には味方がいない。

 長女という立場でありながらも、歳の離れた兄達はすでに会社を動かしていて、長男次男と三男の跡目争いから対岸に立っている彼女を軽んじる者は決して少なくない。

 幼いながらも聡明な彼女がそれに気が付かないはずも無く、その孤独を埋めるために私と主従の関係を強く結ぼうというのは自然な成り行きだった。

 それすら黄光の狙いだったかもしれない、と疑い始めるとキリがないが。

 

「かぐや様があやとりを教えてくれようとなさった事も、孤独を感じておられる事も、口さがない周囲に傷ついている事も、私を信頼してくれているから見せる一面なのに、それを毎日切り売りして、黄光派閥の信用を稼いでいました」

 

 改めて考えると、なんて小物のする事だろう。乞食にも劣る下衆の仕事だ。

 

「かぐや様は裏切らない人しか周りに置きません。だから裏切り者の私はいつか手痛いしっぺ返しを食らうのではと思っていました。蛇蝎の如く嫌われて、路傍の石にすら劣る何かに成り下がるような、そんな未来がすぐ傍に広がっているのではないかと思うと……」

 

 可愛くて仕方ないかぐや様。

 姉妹のようにずっと一緒で、親よりも長く時を過ごした人。

 だから、嫌われるかと思うと、

 

「怖かったです」

「はい」

「辛かったです」

「はい」

「何で私がこんな事を、と、ずっと思っていました」

「はい」

「けれど、誰にもこんな事は言えなくて……」

「私が……」

 

 跪いた恰好でこちらを見上げている美城は、そっと私の手を取って言った。

 

「私が愛の味方でい続けます。あなたの苦しみを少しでも分かち合います」

 

 バカな、と言いたかった。

 口先だけなら何とでも、と続けようと思った。

 何かを言おうと思った。彼の目に溜まった涙を前にそれは儚くも消えて行く。

 

 四条眞妃に向けるそれのように、彼が、どのような限りない献身で私の苦しみを贖おうとしているのか、その目を見ただけで知っていた……そんな気にさせたから。

 

「だから、一人で抱え込まないでください」

 

 彼は手を伸ばして、私の頭に触れると、そのまま優しく、ゆっくりと撫でた。

 何もかもを許してくれる母親のような温かさを、男に感じるのも可笑しい話だが、確かに私は感じてしまう。

 彼が微笑んだ気がした。

 けれどそれを確かめられなかった。

 涙で溢れた私の目には眩しすぎたからかもしれない。

 

「う……ぅう……あ……」

 

 嗚咽を漏らしてみっともない泣く姿を、彼は黙って見守ってくれていた。

 泣き続ける私を、撫で続けてくれる彼。

 今だけは全てが許された気がして、ただ子供の様に彼に甘えていた。

 

 

 

「……お恥ずかしい所をお見せしました」

 

 鼻の奥にツンと涙の残りがある気がするが、私は何とか気を取り直して美城に頭を下げた。泣くなんて小学生の低学年の時以来かもしれない。それなのに、こんな……男の人に泣き顔を晒す事になるなんて。

 

「いえ。そんな事ありませんよ」

 

 彼自身は全くと言っていいほど動揺のかけらも見えないので、本当にこの人の前で泣いたのかと私の方が疑ってしまうくらいだった。

 

「愛、最後の花火が上がりますよ。かぐや様も皆とご覧になられたでしょうか」

 

 私の右手を握ったまま、彼は隣の席に座り直して窓の外を見上げる。泣きはらした目を見られたくないだろうな、と彼が思ったのかもしれない。

 今更、という気もしなくはないが、そのこそばゆい厚意を素直に受け取っておくことにする。

 

「好きなんです」

 

 ……えっ?

 

「花火が」

 

 ……あぁ、何だ、紛らわしい……。

 ホッとすると同時に、胸の奥に広がった落胆がチクリと内側から差してきた。

 

 落胆?

 

「私は日が出ている間は碌に外に出る事が出来ません。ですが、完全に日が落ちてからの花火大会は別でした。普段は遊べない皆と遊べた時間は、私にとって今も宝物です。かぐや様もきっとこの日をそんな風に思われるはずですよ」

 

 遠くを見上げながら、口元には微笑みを浮かべて、きっと彼が見て来た中で一番小さな花火のはずなのに、何とも愛おしそうな目線を空に送り続けていた。

 私はその横顔に、何か言わなくてはいけないんじゃないかという感覚に不意に襲われて、でもそれが分からなくてぎゅっと右手を握りこむ。

 

「心配しなくても会長が付いてます。愛は何でも自分のせいにしすぎです。失敗というのは……」

 

 それを心配ととらえた美城は、私を安心させるように手を握り返して、何か自分の事を話そうとしていた。

 

「自分で電話して屋上を解放してもらったのに、花火が打ちあがる方向に新しく建ったビルのせいで全く見えないという失態を犯した、私みたいな奴の事を言うんですよ。移動しようにもその新しいビルは四宮の物で、四条や五条の名前が使えないと分かった時は本当にどうしようかと思いました。……って、これは愛に言うような事ではありませんでしたね」

 

 くすくすと笑いながら過去を思い返す彼に、私も少しだけ笑って、けどそんな風に外に飛び出せる自由がある事が羨ましかった。

 

「ですがその失敗のおかげでより良い観賞場所を探す腕が上がりましたから、怪我の功名といいましょうか。今年も眞妃様に楽しんでいただけたら良いのですが……」

「ちょっと待ってください。眞妃様は田沼翼と一緒に花火を見ているのでは?」

「そうですよ。私にはそのホテルの株主優待がありました物で、少しお得に部屋を取らせていただいたのです」

「そうですか……」

「僭越ながら浴衣の方も私が選ばさせていただきまして、田沼くんの好みと眞妃様の要望に沿う形の物を選べたと思います」

「それは……」

 

 何と言うか、彼の無駄遣いというか。

 いや、きっとそれも彼が好きでやっている事で、私がとやかく言う事ではないけれど……

 

 ずるい。

 

 そう思ってしまった。

 

 私がかぐや様にしている事と同じではないか、冷静な私がそう語り掛けてくるが、理屈では無い部分が感情的に叫んでいる。

 四宮家に並ぶ名家に生まれながら、かぐや様より自由に過ごし、生まれた時からずっと五条美城という幼馴染がいて、彼から限りないように思えるほどの献身を尽くしてもらったに違いない。

 高等部に上がって彼氏が出来てなお彼に尽くしてもらおうというのか。

 

「みぃ」

 

 私は美城のあだ名を小さく呼ぶ。その子猫の泣き声のようなあだ名に、甘えた響きがあった事は否定しない。

 

「愛」

 

 ゆっくりとつないだ手を握りなおして、内に秘めた響きの全てを聞き届けてくれたように頭を撫でてくれた。

 きっとこうした甘えを、四条姉弟は当然のように聞き届けられ続けてきたのだろう。

 ずるい、

 ずるい、

 ずるい。

 

 良くない事とは思っている。

 大それた願いかもしれない。

 けど、

 

「大丈夫ですよ。私は愛の味方です」

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

ぎゅっと目頭が熱くなって、余りの自分の浅ましさに涙がまた溢れてきそうだった。

 

 ドン……

 

 最後の花火の連発が始まる。

 赤や黄色の光の束が、菊や牡丹や柳を描く。

 

「綺麗ですね」

 

 と美城が言うほどの純粋さが、私に十分の一でもあればいいのに。

 

「はい。綺麗ですね」

 

 彼と同じ言葉を、彼と違う物を見ながら言った。

 夜を彩る花々に照らされたこの人の事をそう思うのは、純粋さと言う物の証左なのか、ただ四宮家の従者として鍛えられた審美眼によるところなのか。

 

 いや、分かっている。

 

「ねえ、みぃ」

「はい。なんでしょうか?」

「私は……」

 

 喉の奥に張り付いたように、とある言葉は出て来てくれなくて、感情のままならなさと、素直になれないもどかしさで胸が苦しくなる。

 

「……あ、花火が終わってしまいましたね」

 

 私が口を開けたり閉じたり、まんじりともしないまま時間を空回りさせていると、一際大きな花火が空に上がって、真っ赤な牡丹が辺りを赤く染めた。

 美城の言う通り、花火大会が終わったという事で、恐らく一緒に花火を見に来ましたと言って乗り込んでいる『立花祐実』はそろそろ帰らなければならない。

 

「何か言いたかった事があるんじゃないですか?」

「んー……いや、いいんです」

 

 言いたかった事があるのは本当だけど、こんな焦って慌ててというような状況で言う事でもないから、今は話さない事にした。

 美城は不思議そうな顔を一瞬したが、帽子掛けに掛けてある黒髪のカツラを早く被りなおさなければならない事を思い出して、そうっと自分の頭にそれを載せて、知り合いでも早々見抜けないような『立花祐実』になる。

 

「かぐや様、立花様、花火大会が終了いたしました」

 

 本家の執事がノックをして語り掛けてくる。間一髪という所か。

 本来なら見送るべきなのだが、顔を見せればさすがにバレてしまうのでそれはできない。

 

「かぐや様は少しお休みされると伝えておきます。後はかぐや様が帰ってくるまで、えーっと……頑張ってください」

「思いつかないなら無理に言わなくていいですよ」

 

 締まらない事を言った彼にくすくすと笑ってしまった。

 

「では、二学期に会いましょう」

「はい。楽しみにしています」

「何か言いたい事があったら遠慮しないでくださいね。私はいつでも待っていますから」

「頼りにしてますよ」

 

 『立花祐実』は手を伸ばしてきた。お別れの握手をしようという事だろうけど。

 

「違和感が凄いですね」

「だから入って来れたんですよ?」

 

 それはそうだ。

 

 きゅっと短く手を握り合うと、彼らしいふんわりとした微笑みでは無くて、ハキハキと溌剌な笑みを浮かべて役を降ろした、としか言いようがない程の変貌を遂げる。

 

「じゃーね、四宮さん。お互いに忙しくてあんまり会えないけど、次会う時まで元気でね」

「はい。こちらこそまたお会いできる機会を楽しみにしています」

 

 ドアの外に待ち構えている執事に聞こえるようにそんな会話をすると、

 

「お客様がお帰りになられます。送ってさし上げなさい」

「畏まりました」

 

 変装した彼が外に出て行く姿を見てから、私は顔を見せない方便の為にベッドへともぐりこんだ。

 後はかぐや様が帰って来てからこっそり入れ替わればいい。

 早く帰って来ないかと思いながら寝返りを打つと、出しっぱなしにしていた椅子が二脚ほったらかしにしてある事に気が付いた。かぐや様が帰ってくる前に片付けておかないと。

 まず私が座っていた椅子をさっと片付けると、次に美城が座っていた方の椅子に手をかける。

 二つともを片付けてしまうと、さっきまで会話していた空間がなくなって夢の跡のような侘しさを感じた。

 

「……夏休み、早く終わればいいのに」

 

 まったく……かぐや様を笑えない。

 

――

 

 ままならない現実は変わらない。

 罪悪感にまみれる日々はまだ終わりを告げてはくれないだろう。

 私は今も裏切り者だから。

 

 けれど、それを支えてくれるという奇特な人もいるみたいで、それに甘えてもいいのかな、なんて事を考える。

 いいのかな、ではないか。きっと彼はきっと好き勝手に甘やかすのだろうから。

 だから私の心が軽くなったり、楽になったりしてしまったら、全部あなたのせいですよ。

 

 

 



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第二章 君の事が大大大好きな100の仮面を持つ少女
早坂愛は避けたくない


評価、お気に入りありがとうございます!


 新学期!

 誰もが憂鬱と期待を胸に日常へと舞い戻る。

 何事も起きない……否、起こさせてもらえなかった長い長い夏休みの末。

 早坂愛という少女に訪れた一筋の光のような救いの物語。

 彼女はそれらを振り返り――――

 

「うわああああああああああああああ!!」

 

――恥ずかしさで死にそうであった!!

 

 それは同時刻、生徒会室で掃除をしながら花火大会でテンションが上がっていた自身の言動を振り返る白銀と同じ感じである。

 早坂は自己憐憫気味のセリフで秘密にしていた内面をポロポロ零してしまった事にとてつもない恥ずかしさを感じていた。

 おかげで今日はもう放課後になろうかというのに一度も五条美城と顔を合わせていない。いや合わせられない。

 

―――――「怖かったです」

―――――「辛かったです」

 

 くらいならまだしも……。

 

――――彼が他人に向けている愛と献身の全てを、自分の物にしたいと思ってしまった。

 

 って何!?

 好きじゃん!

 独占欲がダダ漏れじゃん!

 ……いや、違っ……私はそんなつもりじゃ……。

 

早坂は中庭の誰も来ない所で一人頭を抱えていた。

 明るいギャル子ちゃんで通っている早坂のそんな姿をもし見られたら、次の日から生温かい目線に晒され続ける事必至である。

 (*^^*)←こんな感じの。

 

(いやでもそれを言ったら……)

 

 早坂は血の魔人並の責任転嫁を始めた。ウヌの言葉じゃ、ワシのせいじゃない。その戦法でこの危機を乗り越えようと……

 

(美城の『私が愛の味方でい続けます。あなたの苦しみを少しでも分かち合います』も相当な恥ずかしさ……ぁぅ……)

 

 自爆!

 早坂愛は尽くす事に慣れていても尽くされる事に慣れていない!

 本来甘えたガールの彼女にとって美城の献身さは効果抜群だった。

 ペガサスユニットに対しての弓。水・飛行タイプに対しての雷タイプ。待ってそのパーティ、ラグで詰まないか?

 

 このままだとラグで詰みかねない早坂は一旦体制を立て直す必要があった。金ネジキはそんな綻びを許してはくれないし、白美城もそんな緩みを見逃さないだろう。

 幸いにも今日の生徒会活動は部屋の掃除だけだそうなので、二三十分もすれば終わってかぐやは帰路につくはずだった。

 それまでどうにか時間を潰して……。

 ……

 美城がいた。

 廊下の端っこで跪いてすみっコぐらししていた。

 

 何して……いや本当に何してるの?

 

 白い髪がキラキラ輝いて、そこだけ宗教画にでも差し替えられた様な異彩を放っている。そう言う時に限って大抵ろくでもない事を考えているのが彼と言う人物だ。

 四宮かぐやも真剣な顔をしているかと思えば、考えている事はしょうもないという事態に何度も立ち会ってきた早坂だから分かる感覚だった。

 そんな確信めいた予感を抱いて、呆れのような目線で美城を見ていたのだが……

 

「綺麗だなぁ……」

 

 ポーっと熱に浮かされたような物に変わって彼の佇まいを見つめていた。

 

 

「美城さまー、何してるんすか?」

「腹でも痛いのか?」

 

 話しかけようか、いや止めておこうかと早坂が二の足を踏んでいると、他の生徒達に先を取られた。美城の幼馴染で早坂を姐さんと呼び慕う鹿苑こがねと、確か剣道部だったようなと早坂の記憶に定かでない中沢直樹が立っていた。

 

「二人とも……」

「な、なんすか?」

 

「こんにち殺法!」

 

 五条美城がダブルこんこんポーズを取って二人に向かって叫ぶ。彼がこの夏身に着けた技ベスト3の内の一つ、こんにち殺法であった。

 こがねに492のダメージ。その威力はよっこらふぉっくすこんこんこん♪に匹敵する。

「ぐふっ……」

 彼女は安らかに息を引き取った。なお明日の試合には間に合う模様。

 

 鹿苑こがねがやられた。あいつは四天王の中でも最弱である事は確かだったがこんな所でやられていい奴ではない。

 中沢はいまだ殺法を解かない美城に相対して、

 

「やられたらやり返す……」

 

 力強く言い放った。

 

こんにち殺法返しだ!

 

 剣道で鍛えた振りの鋭さ。それから来るこんにち殺法は正に殺法。

 残心を解かないまま睨み合うと、美城の方からダブルツインフォックスmk-Ⅱ2ndを解いた。

 

「完璧です……」

「あ、正解だったんすね」

 

 何か良く分からないが正解だったようで、美城は中沢と感激の抱擁を交わしていた。

 

「それで、結局何してるんだ?」

「見て分かりませんか?」

「跪いていたようには見えるが……」

「今の私は予言の天使です」

「ガブリエルっす」

「明日は夏休み明けの小テスト群があるでしょう? ですから試験対策の押し売りしてるんです」

「押し売り?」

「そうです。通りすがる二年生に、『おめでとう幸福な人よ。テスト対策があなたと共におられる』という……」

「止めろー! その休日の朝に玄関先で待ってるおばさんみたいなのは!」

「中沢くん何怒ってるっすか?」

 

 むしろ何で怒らないの。

 中庭を挟んで反対側の廊下に逃げた早坂はそう思った。

 完全にマタイによる福音書が始まる所だった。読者には休日に約束してない時間のチャイムは出ない方が良いと伝えておきたい。聖書の話を聞かされる(三敗)。

 

「そこまで言うなら止めておきましょうか」

「そうしてくれ」

「ではでは! 美城様、今日はボランティア部は活動されるっすか?」

 

 跪いていた美城が立ち上がると、鹿苑こがねは散歩に連れて行って欲しい犬のように元気よく声をあげる。

 ボランティア部という言葉に早坂の肩がピクッと反応した。

 美城と二人きりで顔を突き合わせる状況に、どう対処すればいいか未だ答えを見つけられていないのだ。

 

「応援された甲斐もあり、この前の大会はいいとこまでいけたっすから、何もないならお礼に奢るのでどこかカフェにでも行かないっすか?」

「おいおい。早坂は……『姐さん』はいいのか?」

「姐さんは生徒会が無い時は何故かいつも早く帰ってるっす。だから今日は帰ってるんじゃないっすか?」

 

 は?(威圧)

 

「殺気!?」

「楽しそーな話してんじゃん?」

 

 このままでは『ふふっ……ブチギレそうでございます』になりそうだった早坂はとりあえず飛び出した。

 私がこんなに悩んでいるのに、何のうのうとお茶しようとしてるんですか。

 許せん! 理不尽! とにかく早坂は怒っている。

 そんな四宮仕込みの闇の炎に突如包まれたこがねは恐怖に慄いた。

 

「ひ、ひぃぃ……姐さん、いたんすね……」

「いちゃ悪いの?」

「滅相もないっす!」

「でさ、何だっけ? 私が帰ってるからみぃとお茶しよっかなーみたいな話が聞こえてきたんだけどー」

「いや誰っすかそんな姐さんを蔑ろにするような事を言った奴は! 中沢君最低っす!」

 

 こがねはチャージマン研がとりあえずジュラル星人のせいにしておくような責任転嫁を始めた。早坂博士お許しください!

 

「いやまあ? 幼馴染だから出かけるのを止めろって言うのも違うと思うしー。いいんじゃないの? 一緒にお出かけして来れば……」

 

 まずい。このままでは消される。

 本能的に危機を察知したこがねは前に進むしかない。引けば老いるし臆せば死あるのみである。

 

「もしかして姐さん嫉妬してるっすか?」

 

 こがねはとんでもない開き直りをした。彼女がいる男子をカフェに誘っておきながら、彼女に見咎められたら『嫉妬してんの(笑)』という……。

 何だこのクソ女!?(驚愕)

 

「ふえ……?」

 

 早坂は思わず変な声をあげた。

 かわいい(かわいい)。

 

「いや、だってなんか姐さんの美城様を見つめる目線がちょっと違うっす! なんというかお熱というか」

「はー? はー!? ちょっと何言ってるか分かんないし!」

「ほら美城様の目をちゃんと見て言うっす。私以外の子と出かけるのは控えてって」

「はあ!? 何でそんな事」

 

 早坂は気が付いていないが攻守がまるっと逆転していた。こがねは鼻が利くので隙の糸を見逃さなかった。いくならここで行くしかない。

 美城に対して普段と違う見つめ方をしていた姐さんが悪いのである。

 

「ちょっとみぃからも何か……言って…………」

 

 この状況にだんまりな美城に顔を向けて早坂は言葉を求めたが、彼を見た瞬間から言葉尻がどんどん小さくなっていった。

 美城の真っ白な髪が煌めいて、真っ赤な目が早坂を射抜く。

 それだけで彼女は何故か胸に何かがつかえたように喋れなくなってしまった。

 

「えっと……その……ぅぅ……」

 

 早坂の綺麗な白磁の肌にほんのり朱が差して、それを恥ずかしがったのか、俯いて金色の髪で顔を隠す。

 

「姐さんは可愛いなあ!」

 

 早坂は可愛いなあ!!!

 

「もう……ちょっとほんとに……」

「ほら可愛い! かーわーいーいー!」

 

 こがねは雑に盛り上げ始めた。

 

「かーわーいい! かーわーいい!」

 

 雑なシュプレヒコールが廊下に響き渡る。

 雑ではあっても可愛いは可愛いに違いはない。

 どちらかと言うと綺麗と言われる方が多い早坂は、普段とは逆の褒め言葉の奔流に呑まれそうになる。

 

「ちょっとみぃ、何とか言ってよ」

「素直に受け取っておけばいいじゃないですか。それに、愛が可愛いのは本当の事ですし」

「そういう……うぅ~……」

 

 ダッ……

 

 早坂は逃げ出した。

 いつもの私はこんなんじゃない……と、自分で被っていた仮面が美城の前だとゆるゆるになって素の自分が出てしまう事が心許なくて、気が付いたら駈け出していた。

 

「あっ! 愛どこに行くんですか」

 

 美城としては普段通りに接していたつもりなのに、急に恋人に逃げられて何か気に障る事でもしたのかと不安になる。幼馴染二人に断ってから彼は校舎に消えて行った早坂を追いかけて行った。

 

「ふー……なんとか怒られずにすみそうっす……」

「お前ほんと後でちゃんと怒られろよ?」

 

――

 

「恋愛相談?」

「はい会長」

 

 後日、五条美城の姿は生徒会室にあった。

 何やら不審そうな顔で美城を見てくる白銀御行だが、それはお構いなしで話を始めようとする。

 あれから早坂と顔を合わせる度に逃げれられ避けられ顔を合わせられない日々が続いていた。

 周りの人に相談しようものなら『あなたが何かしたんでしょ』となじられ『あなたに早坂を任せるのは荷が重かったでしょうか?』と貶され『あ……みぃ、えっと……』と敷地の彼方に逃避行される、そんな感じで解決の糸口さえ見せてはくれそうにない。

 

 彼の内心は疑問で一杯である。心当たりが無いと言えば嘘だが。

 確かに選択授業で『かぐや様は美術を選択されるそうだけど……ね? あの……ね?』という早坂の言葉を、既に四条眞妃が選択した音楽の授業を取っていたのでお断りし、いざ歌ってみれば睡眠不足の生徒達をバッタバッタと眠りの淵に突き落として【秀知院のローレライ】のあだ名を欲しいままにしたが。

 音楽教師は授業にならないと再度授業を選択させ、結局美城は早坂のいる美術を選択したのだが、きっとそれは関係ないはずだった。

 何か凄い顔で睨まれた。

 こわかった(小学生並の感想)。

 

「相談なら僕席を外しましょうか?」

 

 生徒会室内で資料のチェックをしていた石上はそのプリントをバインダーに挟むと席を立とうとする。

 簡単な連想ゲームだ。

 恋愛相談、つまりはかなりパーソナルな質問が飛び交うはずで、それは当然美城の恋人の早坂愛についての事だが、恋人の事をべらべら他人に話したくはないはずだ。

 少なくとも自分ならそう思う。恋人いた事ないけど。……死ねばいいのに……。

 石上のアンチ青春エンジンにヘイトが注がれ、アフターバーナーでカッ飛んで行きそうだった。

 彼は青春と言う物を嫌悪している。

 

「いえ、優くんにはデートの事でお世話になりましたから、宜しければお話聞いてくれませんか?」

「そう言う事なら……はっ!」

「どうした石上」

「い、いえ。何でもありません」

 

 石上は自分がこのキラキラしたアルビノの男の娘の、キラキラした青春のために骨を折るという自己矛盾に気が付いて胸を押さえた。

 守る事と戦う事の終わらないジレンマに悩む仮面ライダー555と丁度同じだった。

 

「それで、悩みというのは何だ? お前らはいつも仲良さそうにしてるじゃないか」

「そうですよ」

 

 その仲良しというのが『女友達みたいだね』と言われているのは言葉にする必要を感じなかった。

 というか言われている言葉が多すぎて把握しきれていない。

『玉串料(建築の際、土地に祈りを捧げるためのお金)を払う方の五条』だの『無邪気とあざとさとをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、こいつは五条家のゴモラ』だの散々な言われようである。

 それに乗じてか早坂もコソコソあだ名されているようだ。

『膝がナッパじゃない方の五条の女』とか。

 とにかくロクでもない。この事は聞かれない限りはお口ミッフィーでいる決意を二人は固めていた。

 

「そうだと思っていたんですけど、夏休み開けてから顔を合わせると逃げられるんです」

「それは妙だな」

「何かしたんですか?」

「何かだなんて……。夏休みの最後に会えた時に、もっと仲良くなれたと思ったのに」

「なるほど。仲良く……ですか」

 

 石上の額に青筋が浮かんだ。怒髪が天を衝くかというギリギリの所で堪えている。

 

(会長。もしかしてこの人相談風自慢をしに来てるんじゃないですか!?)

(いや、まさか五条に限ってそんな浅ましい事をしないだろう……たぶん)

 

 白銀は自信が無かった。彼は美城の事を慎みのある人物だと思っているが、頓珍漢な事も疑っていない。

 今とは百八十度違う意味で麦わら帽子が似合う人物みたいな性格になったとしても驚かない自信の方がある。

 

「ちなみにですけど、仲良くって何があったんですか?」

 

 石上、ここで果敢に切り込んだ。

 

「何が……えっと……。すみません。言えません」

「え?何があったんだよ」

「ひ・み・つ・です♪」

 

 美城はにこやかに指を振り振り微笑みながら、誤魔化すように小首を傾げる。あざとい。そして可愛らしい。攻守において最強だった。

 

(会長―! 僕は人間を止めますよ!)

(待て石上ぃ! そのトイレットペーパーで何をするつもりだ!)

 

備品のトイレットペーパーを掴んでビーンした。必殺仕事人か石上優にしか出来ない神業である。……悪ぃ、今俺テキトーな事言ったわ。

 

「まあその夏休み最後に会った時に原因を求めるのが早いだろうな」

「そうですけど……」

「心当たりはありますか?」

「えっと、嬉しそうな顔してくれて分かれたと思うんですけど」

 

(やっぱり自慢じゃないですか! どうします会長?処す?処す?)ググ……!

(物騒な事を言うんじゃない! そのトイレットペーパーで何が出来るって言うんだ!)

 

「ゴホン……それなのに早坂に避けられている現状が理解できないと」

「そう言う事になります」

 

 ソファにちょこんと座り直した美城を見て、石上の頭にとある想像が駆け巡る。

 いや……まさかそんな……。

 そう思いながら彼は隣の白銀に耳打ちした。

 

(会長! もしかしたら僕達はとんでもない茶番に付き合わされてる可能性がありますよ)

(茶番? どういう事だ)

(俗に言う好き避けです。避けちゃうくらい好き好きになるのは、もう彼等は行くとこまで行ってるからじゃないですか?)

(いやいやまさか……。滅多な事を言うもんじゃないぞ石上。まだ付き合い始めて三か月くらいでそんな神聖な行いを……)

(いや神ってる……。もう神ってても可笑しくないんです……!)

(いやいや、まだ神ってないでしょ……)

 

 恋のABC!

 恋人達がCに至るまで、成人であれば一か月程、高校生であれば三か月~半年の間が一般的と言われている!

 五条美城と早坂愛が表向きに付き合い始めたのは五月の下旬。そして現在は九月の上旬と交際期間三か月はクリアしており、更に夏休みというイベントもあった。

 周りの人間が神ってると疑うには充分の材料がある! (なお

 石上の疑心暗鬼の深まりはとどまる所を知らず、これは神の深淵なのではないかと美城を見つめる目線がまともでは無くなった。

 

「どうかしましたか優くん?」

「なんでもありませんよ」

 

 しかしそうなってくると一つ問題が。大いなる問題が生じる事になる。

 神ってるという事はイザナギとイザナミの国生みの伝説の如く、凸ってるのを凹ってるほうに……そぉい! する事だ。

 つまりどちらかには凸ってる物、おちんちんが必要になってくる。

 

 ……おちんちん?

 この綺麗な白髪にルビーの真ん丸お目目で、すんなり通った鼻筋に薄い桜色の唇、可憐な容姿をした女の子にしか見えない美城におちんちん?

 

 

(ちんちんを生やすなァッッッッ!!!)

(ガ……ガイアッッッッ……!!)

 

 おちんちんを確認するまでは男の娘は実質女の子。

 そんなおちんちんのパラドックスに囚われた男、石上優はまだワンチャン美城は女の子ではないかと疑っていた。

 百合の花のような美城と早坂の正しく百合ップルと思っていた所が少しある。

 この報告は石上にとってショックだった。

 

 

 コンコン……

 

 

 怒りの悪魔になる一歩手前の石上が潜んでいる伏魔殿と化した生徒会室に来客を知らせるノックが響いた。

 こういう時は絶対にヤバイのが来る。白銀は北条時行のように逃げ出してしまいたかったが、逃げた所で石上からの評価を下げるだけなのでそれは出来ない。

 

 頼む……普通の……全然名前も知らないような奴来てくれ!

 

「あっ、みぃってばやっぱりここに居たんだ~」

「愛?」

 

 駄目みたいですね……(諦観)。

 

 白銀の祈りも空しく、入って来たのは金髪碧眼の美少女、話しの中心である早坂愛だった。今日も白いおみ足が美しい。

 石上はギャルの登場にビビり散らしていた。ギャル、オタクに優しい説に真っ向から異を唱える男・石上にとって陽キャの化身は恐怖の対象でしかない。

 

「生徒会に用事ですか?」

「えっと……別にそういうんじゃなくて……」

 

みぃを探してただけだから……

 

(なんかエロい!)

(ばか! そう言う目で見るからそう見えるんだ! もっとフラットな目線で見ろ!)

 

 とは言った物の、白銀に石上の二人は二又に分かれた木の枝にもエロスを見出すような思春期の真っ盛りである。

 カップルの姿を見て何も思わない程、感性は死んでいない。神ってる疑惑の二人に厳しい追及の目が向けられるのは、これは仕方のない事であった。

 

「そうですか? 避けられていたように思いましたけど」

「えへっ♪ ごめんごめん」

 

(だったら調べてみましょう)

(な……どうやって?)

 

 目の前でむずがゆい会話が繰り広げられ始めたので、石上はキレそうになりながらも冷静に頭を回した。

 

「会長、優くん。こうして愛が仲直りしてくれたのでサクッと用事を終わらせて帰りますね」

「あ、ちょっと待ってください」

「はい?」

「僕ら少し部屋を空けるので留守を預かってくれませんか」

「それくらいなら……愛は?」

「ウチも構わないけど~」

「ありがとうございます。ではすぐに戻ってきますので」

 

 生徒会役員の二人は扉から出て、完全に締め切らずに開けておき視界を確保する。

 

 

(いいですか会長。神ってるカップルって言うのはですね、二人きりにすればそれなりにアホな行動を取るんです)

(そう上手くいくか? 五条はあれで意外と兎みたいに察知するぞ)

(兎って年中発情期なんですよね)

(例えだろーが! そんなん言ったら人間だってそうだろ!)

(彼らを監視するには部屋の前で待つのがベストです……。その間……隙間に目を近づけるのは、いけないことでしょおーーか~~~!?)

(いけないに決まってんだろうが!)

 

 アンチ青春フルスロットルになった石上は絶好調だった。二代目ジョジョみたいな事を言って覗く事に全く罪悪感がない。

 

「あの? 何をしているんですか二人とも。そこ通してもらえますか?」

「し……四宮!」

 

 所用で少し遅れていた四宮かぐやと藤原千花が合流してきた。不審な男達に不審感マシマシの目を向けている。

 

「ちょっと今は駄目だ!」

「何が駄目なんですか~?」

「あの二人が神ってるかどうか確かめている所だからです」

「え!? あの二人そこまで!?」

(何で伝わる!)

「皆さん何の話をしてるんですか? 神ってる……?」

「かぐやさんかぐやさん。この場合は神聖なる行いの事を指していて……」

「セッ……!?」

(何でこういう時だけ察しの良さ完璧なんだよ!)

 

 

 

 

「ねえ、愛。どうしてここ最近は私を避けていたんですか?」

「ごめんって。もしかして怒ってる?」

「別に怒ってはいませんけど……」

「だったらこれで仲直り。ね?」

 

 早坂はそろりと手を伸ばすと、美城の真っ白な手にそっと自分のそれを添えた。

 今まで美城からは手を繋ごうとしてお叱りを受けていたが、どうやら解禁されたようだ。くすくすと笑って早坂は添えた指を折り曲げて彼の手に絡ませた。

 

 

「あ! 恋人繋ぎ! これはどうですか!」

「いや……恋人繋ぎくらい最初のデートでするだろう。まだ神認定は早い」

(会長……初デートで恋人繋ぎするんだ……。というか早坂も今までそんな事してなかったのに……。まさか本当に神って……)

 

 かぐやは従者に疑いの目を向けた。

 

 

「みぃは何しに生徒会室に来てたし? やっぱウチの事?」

「それもそうですけど、ボランティア部の活動報告を上げに」

「ふうん」

「ちょっと形式を整えますので少し待っててください」

 

 美城はそう言うと鞄からファイルを取り出そうとした。繋がっている右手をポンポンと叩いて離してもらおうとする。

 

「愛?」

「なに?」

 

 しばらく待っていたが、早坂は一向に手を離してくれそうになかった。それどころか緩急をつけて握りこみ、楽しんでいる様子ですらあった。

 

「もう、なんですかこの手は?」

「えー知らなーい」

 

 早坂は明後日の方向に目線を向けてしらばっくれる。美城はそれをじーっと見て、おかしそうに微笑んだ。

 

 

「何ですかあのイチャイチャは! これは神じゃないですか!?」

 

 隙間から覗いていた藤原が叫ぶ。

 

「いや、まだだ! あれくらい付き合うようになったら誰だってするだろう。まだ神じゃない!」

(会長……付き合ったらあんな感じなの!? でもそれいい……)

 

 

 

「そうですか。ふふっ、愛も知らないとなると、どうしましょうか」

 

 ゆっくりと歌う様に美城は早坂に語り掛けると、空いた方の左手で重ねられた手をそっと爪弾いた。

 

「きゃっ」

「あれ? どうしました? 愛はこの手の事知らないんですよね」

「だ、だからそう言ってるし……ひぅ……」

 

 美城はそうっと早坂の白磁のように白くて滑らかな肌に、彼の真珠のような爪を軽く立てると、恋人の口から喘ぐようなくすぐったい声を出させる。

 控えめに言ってえっちだった。

 

 

 

「これは! これはどうなんですか!?」

「ヤってますね間違いない……」

「石上! 何を根拠に……!」

「肉体関係を持つと精神の距離も縮まる……だってこんな感じの映画僕見た事ありますもん! あれですよ、ターミネーター一作目でサラ・コナーが未来から来たカイル・リースと一晩過ごしたあと滅茶苦茶仲良いみたいなやつ! あの距離感に二人は酷似しています! 地上波放送だとそこカットされてて『何で急に仲良くなってんだ?』って思いましたよ!」

「映画の話じゃねーか!」

「そうです。でもそれは悪い事でしょうか?」

「急に落ち着くなよびっくりするわ」

「反論ないなら僕の勝ちですよ」

 

 石上がネットの荒らしと同レベルの言動を見せている中、かぐやは隙間から部屋を食い入るように状況を見つめていた。

 

(まさか……そんな……早坂は私にも内緒でそんな事を……?)

 

 もしかして自分を差し置いてオトナになってしまったのか……?

 かぐやはまさかと思いながら、早坂がおかしくなる前の最後に美城と会ったのがいつだったか思い返す。

 

(いつ、どこで? 確か夏休みの花火大会の時に五条くんが『立花祐実』と名乗って家に来たみたいだけど……。はっ! まさかその時!?)

 

 花火大会から帰って来た後、別邸に来客があった話を聞かされたが……そう言えばその時から早坂の様子がおかしかった気がする。

 若干ぼんやりして、暗くてよく分からなかったが目も赤かった事を、かぐやはその優れた記憶能力で当時の状況を思い出す事が出来た。

 そして彼女は恐ろしい事実(と思いこんでいる)にたどり着く。

 

 

(そうなると、セッ……は私のベッドの上で行われた事に……!! もしかして私は早坂と五条くんがセッ……した残滓の残る所で寝ていたの!?)

 

 あまりに残酷すぎる天使のテーゼを解き明かした事で悲しみがそして始まり、かぐやの精神は限界に行きついた。

 

 どてーん!

 

「かぐやさん!?」

「四宮!?」

 

 かぐやは顔から床に倒れた。幸いにも生徒会室の有る棟は絨毯が敷き詰められているので怪我は無かったが。

 三人は心配しながら駆け寄り、藤原がかぐやを背負って保健室に行く事に決めた面々はちらりと一回部屋を振り返って、神の領域へ行ってしまった友人を思った。

 

本日の勝敗 生徒会の完敗(勘違い)

 

 

 

「……少しは懲りたでしょうか?」

 

 もちろんそんな様子は中には筒抜けで、早坂は主人が倒れた事に多少の心配はありつつも、やりこめた事にたしかな満足を覚えていた。

 

「愛ったら人が悪いんですから」

「偶には痛い目見るのもいい薬ですよ」

「愛も……」

「私は普段大変な目に会ってるからいいんです」

「いえそうではなくて。愛もようやく完全復活といった所ですか? ここ最近はずっと変でしたから、心配していたんですよ?」

「はい。ご心配なく。あの日みたいな事を言ってくれる人は初めてでしたので戸惑いましたが、あなたがいつも通り過ぎるので気負うのは止めにしました」

「そうですか」

「これからはいつも通りでいきましょう」

 

 

 

 

 

 

 嘘である!

 この女、今も心臓バクバク頭はクラクラである!

 それでも誤魔化せているのはエグイくらい塗ったファンデーションが照れて赤く染まった頬を覆い隠してあるからであって、彼女の勝利ではなく科学の勝利と言って過言ではない。

 緊張で汗が出そうになる所を意志の力でねじ伏せるという、プリ〇セス天功か美〇ひばりの逸話くらいでしか聞いた事の無い様な技術まで用いている。

 おまけに夏休みで浮かれている女生徒の話を聞き込み、男子と一歩親密になった人という仮面を何枚も作り出し状況ごとに変える事でなんとか『早坂愛』の面目を保っている始末だった。

 

「よかった……私、あんな事を言って愛の本音を聞き出したでしょう? だから嫌われてしまったのではないかと心配していたんです」

「そうですか。それはすみませんでした」

「はい。安心しました。これからもかぐや様をお支えしてあげてくださいね」

「あなたに言われるまでもありませんよ」

「ふふっ、そうですね」

 

 美城は穏やかに微笑み、いまだ握っている右手を手繰り寄せて左手を早坂の手を包み込むように握った。

 

「では帰りましょうか?」

 

 早坂はふっと笑って握り返すとそろそろ……と左手を解いて恋人繋ぎから手を離した。

 正直ギリギリの戦いであった。かぐやが気絶するのがあと一分遅かったら床に倒れ伏す未来は早坂の物となっていただろう。

 

「うーん……やっぱりまだ本調子ではないんですね」

「何がです?」

「ボランティア部の書類」

「あ」

「それに……」

 

 ふわふわとタンポポの綿毛のような柔らかな白い笑みを浮かべていた美城の顔が、急に真面目になって早坂の瞳を見つめた。

 ドキッとして彼女の心臓が早鐘を打つ。

 

「これを見せられたら、もう今までの関係ではいられませんよ?」

 

 美城の目線が落ちる。早坂はそれについて行く。

 体を通って、早坂の惜しげもなく晒した太ももにそれは落ちた。

 

(ちょっと! え? まさか美城って足フェチだったの!?)

 

 普段から白い生足を晒してはいるが、それをこんな風に真剣な眼差しで見られる事はない。それなら大抵の男子のように、情欲にまみれた粘つく視線を投げかけられる方がいくらか理解できると言う物で……。

 

「愛」

 

 美城は早坂の右もものそばに左手をつく。

 彼女はもじもじと太ももをすり合わせて、自分のスカートがこんなに短い事に過去の自分を恨んだ。

 

「見えてますよ?」

 

 その言葉を聞いて早坂は、もし過去に戻れたらスカート短いキャラで行く事を決めた過去の自分を殺す事を決めた。まさかそんな……座ったくらいでパンツが見えるくらいスカートを折らなくてもいいのに。

 バッとスカートを押さえて足の間をガードして、恨みがましく美城を睨みつけた。

 

(見えそうなくらい短かったとしても、見るのはルール違反でしょう!)

 

 煮えたぎる羞恥と怒りの色に染まった、今は青い炎のような瞳を……しかし美城は全く別の所に関心をむけて言葉を続けた。

 

 

「これナイフですよね」

 

 

 ……。

 ……は?

 

「いえ、愛が荒事を時にはするかもしれないから、と隠し武器を持つのはどうこう言うつもりは無いのですが、それでしたら見えないように持たないと」

 

 何と言うか……呆れてしまう事実だった。

 彼の目が真剣なのも当然である。

 それは短いが確かに切れる真剣(ナイフ)に注がれていたのだから。

 

「秀知院に通う人達はこういう物騒な物に耐性がないでしょうし、こんな物を太ももに括り付けていると知られたら、今までみたいな頭の軽そうなギャルではいられませんよ?」

 

 そこまで言い切ると、太ももに結んでいたバンドからあっさりと視線を離して、心配そうな目で早坂を気遣った。

 

「愛、やはり仕事は大変ですか? 普段のあなたならこんなミスはしないでしょう? かぐや様に私からお願いしましょうか?」

 

 真っすぐに見据えられた、本当の気遣い。

 (よこしま)な事を考えていたのは自分だけという恥ずかしさがカッと体中を駆け巡る。

 

「か……」

「か?」

 

 ドンッと早坂は美城をつき飛ばした。 

 

「かぐや様の様子を見てきます!!」

 

 脅威のボディバランスによってギリギリの所で倒れこんでいない美城を見下ろしながら、早坂はそんな叫びをあげると一目散に駈け出した。

 そのまま扉を乱暴に開けて外に出ると、彼女はそのまま短距離走者のフォームで廊下を駆け抜けて行った。

 

「ちょっと愛―!」

 

 美城の叫びは、空しく誰もいない生徒会棟に響きわたっていった。

 

本日の勝敗 生徒会の完敗……+早坂愛の敗北

 

 

 

 

 

 気力によって抑えていた汗腺が我慢の限界と汗を流し始め、分厚いファンデーションの下で不快に流れる。途中の御手洗いに飛び込んだ早坂は、頬に化粧落としのコットンを当てると、仮面のように張り付いたそれを拭い去った。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 見つめ返してくる鏡の中の少女が、青い瞳のすぐ下を真っ赤に染めてこちらを見つめていた。

 

 この仮面じゃ駄目だ。

 

 早坂はそんな事を思いながら化粧を含んだコットンをゴミ箱に放り投げる。

 自分の防御が弱いのに、一旦攻撃を受ける型では彼に太刀打ちできない。

 

「ほんと……かぐや様を笑えない……」

 

 自嘲の笑みを浮かべながら、早坂は荒れ狂う内心を押さえる。

 

「私は――――」

 

 『ちょっと積極的な女の子』の仮面を脱ぎ捨てた彼女は、もう一度自分の内面を見つめなおした。心にぴたりと合う仮面を作らなければ、端からポロポロとボロを出すのが目に見えている。

 もっと自分は上手くできると思っていた。

 もっと自分は論理的に動く人間だと思っていた。

 

 でも、それは間違いだったようだ。

 

「――――美城、あなたの事が好きかもしれません」

 

 

 こんな事に思い悩むようでは。

 



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早坂愛は占いたい

目標の一つであった評価バーを端まで埋めるを達成できました。
これも読んでくださり評価してくださり感想を書いてくださる皆さんのおかげです。
本当にありがとうございます!
これからも『五条美城は白サギ嬢』をよろしくおねがいします!



「……」

 

 四宮別邸。

 かぐやは部屋で早坂お手製タブレットの画面を、今日の空に浮かんだ三日月のような鋭い眼差しで睨みつけていた。異次元の通信速度と脅威の処理能力によってサクサク動くこの世に二台とない代物だが、かぐやの手に掛かれば大して性能を活かせずちょっと光る板に早変わりである。

 本日の仕事が粗方終わって主人の話相手になるべくやって来た早坂は、そんな不機嫌というかへそを曲げたようなかぐやにゆっくりと話しかける。

 

「かぐや様、いかがされました? 本日のデザートに乗っていたマロングラッセの皮が苦かったりでもしましたか?」

「子供ですか私は」

 

 勝手に部屋に入って来ておいてこの無遠慮な物言い。かぐやは自分の従者がやって来た事に気が付いて画面から視線を外し、ピシッと収まりの良い金髪をサイドでくくった早坂を視界に収める。

 

「……そうではなくて……会長の誕生日の事よ」

「あー……。そういえばそろそろですね。で、何か妙案が思い浮かびましたか?」

「微妙……」

「微妙? かぐや様らしくありませんね。そこは嘘でも画期的なアイディアがありますけど語りつくすには余白が少なすぎるくらい言って頂かないと、私も調子が狂うのですが」

 

 ポンとタブレットを放り投げ、意味深で物憂げな態度を取られてしまってはこちらとしても困ってしまうと言う物だ。

 いつもみたいに元気でいてくれないと。エクストリームバーサスの筐体前にいるオタクくらい。

 

「それフェルマーの逸話でしょう。……会長の誕生日が微妙なのよ!」

「誕生日差別ですか? やめてください今どきのご時世敏感なんですから」

「そういう不謹慎な事じゃなくて……」

「なんでしょう」

「相性占いが、よ」

 

 はあ~。

 

「ため息!?」

「いえ。誕生日に向けて策を凝らしているのかと思えば、くだらない占いサイトに現を抜かしていると分かったからと言って、まさか私がそんな事……。はぁ……」

「またため息!」

 

 はあやれやれ、と一昔前のラノベの主人公のように首を横に振りながら呆れる従者にかぐやは食って掛かる。ムキになられても、話しの流れからいって期待できる成果は上げられていないだろう、という予感を早坂は抱いていた。

 

「そもそも、占いなんて思わせぶりな事を言って受け手が都合よく受け取るバーナム効果でしかありませんよ」

「会長みたいな事言ってる! そんな事言ってますがコミュニケーションツールの一つとしてですね……」

「ではかぐや様。そのツールを使って会長から何か情報を引き出せましたか?」

 

 ないでしょう。

 早坂はかぐやの優秀さを疑った事はないが、白銀を前にするとその優秀さをどこかに放り投げて世界新を叩き出す事もまた疑ってないのだ。

 早坂の中で放り投げる事に関しては室伏とかぐやが争っていて、いまだ決着がついていない程である。

 

「それがですね……会長は私だけに誕生日をお祝いして欲しそうなのよ!」 ※不正解

 

「本当ですか……!?」 ※勘違い

 

 早坂の顔が驚愕の色に染まる。かぐやの事を上方修正しなければ。

まさかそんな白銀の内面を大胆にも明らかにしてしまうとは露ほどにも思っていなかったからだ。

 何故それをもっと早くできない。なぜ角を取らない。

 

「次の休みには藤原姉妹と会長の妹さんで買い物に行きますから、そこでのリサーチでプレゼントを完璧な物にすれば、これはもう勝ったも同然じゃないかしら?」

「そうですね。おっしゃる通りだと思います」

 

 ただ問題はかぐやが自信満々な時はかなりの確率で上手く行かないので、後になって自分が奔走する羽目になるのではないかという不安が滅茶苦茶あった。

 まあそうなったとしても美城が友人の事だからと手を貸してくれるだろうという甘い公算が早坂にはある。

 ……失敗してくれた方がいいのでは?

 主人のわがままに振り回されるのはいつもの事。それに美城が付き添って手伝ってくれるくらいの美味しい目に会ってもバチは当たらないのではなかろうか。

 早坂はちょっとよろしくない事を考えた。

 

「今日の所はこんな感じかしら。では私は少し考え事に入りますので、早坂ももうお休みなさい」

「ではお言葉に甘えて。お休みなさいませ」

「あ、ちょっと待って!」

「な……なんですか急に叫んで」

「五条くんの事よ」

「へ……? あ、えっと……みぃがどうかしましたか?」

 

 不意に出て来た恋人の名前に早坂の息が詰まった。

 なんとか、努めて気取られないように普段を意識して言葉を返すが、それがかぐやの『二人は神ってる』疑惑の火に油を注いでいる事は彼女の知る由もない。

 

「どうせあの子の事ですから、プレゼントなり何なりを用意してるのでしょう?」

「そう……ですね……。楽しそうに話してましたよ」

「分かる範囲で良いから教えてくれるかしら。もしプレゼントが被っていよう物なら効果半減だわ」

「ホームプラネタリウムを贈ると言ってましたが……」

「えっ何それ普通に良い……。今からでも私が考えた事にならないかしら?」

「だめです」

 

 早坂怒りの同担拒否。

 もし美城に言えば『いいですよ』と言うに決まっているのでかぐやの思惑を完全に断ち切る必要があった。

 

「他人の案にただ乗りして、それで恥ずかしくないんですか」

「は、早坂……? そんな、私は冗談で……」

「冗談とは皆で愉快に笑い合えるものの事を言うのですよ」

 

―― ―――――

 

「本当にかぐや様は会長が関わるとロクな事を考えない」

 

 早坂は自室に戻りながら独りごちる。

 厳正な『話し合い』の末にかぐやには分かって貰えたのだが、何となく胸の奥にわだかまりのような何かがつっかえたような、そんな気持ちで普段より足音荒く自室へと向かっていた。

 それを見かけた他の使用人は『おやすみなさい』の一声をかける事もなくスッと視界から消えた。触らぬ神に祟りなしである。

 

「こんな、占いにも頼る始末では……」

 

 自室に入って厳重に鍵を閉めた早坂はタイを解いて首回りをくつろげ、ふぅ、と一息吐く。行儀が悪いかもしれないが、これから行う業務の事を思えば、少しの堅苦しさも解いておきたいのが彼女の心情だった。

 

 

…………

……

 

 

『それで今日もいつものお仕事ですか?』

「はい……毎日の事ですし」

『よしよし。電話でなければ抱きしめてあげたい所なんですけど』

「冗談はよしてください」

 

 早坂は一日の最後に控えている仕事を終えると、五条美城へと電話を繋いでいた。

 何か言いたい事があったら遠慮しないでください、という以前彼が言った言葉をそのまま受け取る事にした彼女は、時々こうして話をしている。

 仕事の愚痴、かぐやの遅々として進まない恋愛頭脳戦の事、自分の事、他愛もない話。

 たまに『あなたが話してください』と言って無茶ぶりをするが、そんな言い草でも嬉しそうに声を弾ませて喋ってくれる美城に、ふつふつとある感情が湧いてくるのだ。

 ああ、この人には甘えていいんだ、と。

 一しきりいつもの仕事へ文句を言うと、幾ばくかすっきりとした心持ちで息を吐いて、先ほどまで話していたかぐやとの会話の事を話し始めた。

 

「かぐや様ったらあなたのホームプラネタリウムの案を自分の物に出来ないか、何て言ってたんですよ?」

『いいですよ』

「やっぱり言うと思った」

『ふふっ、それはすみません。ですが私の短慮が役に立つなら、いくらでも使ってくれてかまいませんのに』

「遠慮と言う物を覚えませんと、かぐや様のためになりません」

 

 そろそろ深慮とはかけ離れたアホっぷりになじみつつある主人を想えばこそだ。

 ただでさえ新手のバカなのか、バカと言う名の新しい生物へと変貌を遂げつつあるのか分からない程に天才とバカの間にある紙一重が無くなっていっているのに。

 

「短慮と言えば、とうとうかぐや様が安直な占いサイトなんて物に手を出してしまってですね……。こんなのもう……駄目ですよね」

『う~ん。愛には申し訳ありませんが、私は占いは結構重要だと思っていますよ?』

「えっ? どうしてですか」

『建築には今でも占いとか風水が付き物ですからね』

「ちょっと意外です」

『そうですね……風水なんて言うと少しオカルト臭いですが、言ってみれば、人が快適にすごすための学問ですから。愛だって統計などは信じるでしょう?』

「それは、まあ……」

『占いだって同じようなものですよ。まあ、信じたい事なら信じて、信じたくない事は信じなければいいんです』

「何と言うか……テキトーですね」

『当たるも八卦当たらぬも八卦ですから。なら楽しい方がいいではありませんか』

「そんな物ですか」

『そんなもの……ふぁ……』

 

 電話口から美城のあくびが漏れ聞こえ始めた。

 時計を見ればそろそろ十二時に差し掛かろうかという時間帯だ。美城がそろそろお眠の時間を迎える頃だと、早坂はまだ数回の通話だが彼の生態を理解している。

 

「眠いですか?」

『いえ……まだおつきあいしますよ……』

「本当に?」

『ほんとーです。あいのつらさに……くぅ……』

 

 それきり美城は黙ってしまった。くぅくぅと穏やかな寝息しか聞こえてこない。

 

「おやすみなさい、みぃ」

 

 夢の世界に入ってしまった彼の邪魔をしないように通話口にそっと囁きかけると、早坂は自分の行動がとても恋人っぽかった事に気が付いて赤面した。

 

(まだ! まだ好きかもしれない、ですから!)

 

 ぶんぶんと頭を振って煩悩を追い払うと、他の誰でもない自分に言い訳する。

 こいつかもしれないとか言ってますよ。本当は好きなんすねえ~。

 

 実際の所、早坂も自覚はあるのだが、あえて言葉にすると甘える事に歯止めが利かなくなってしまうのではないか、と自分の事ながら恐ろしくて『まだ』などと予防線を張っているのだ。

 早坂が『かぐや様を笑えない』と言うのは、素直になれない所が姉妹のように育って来ただけあって同じという性格面を自嘲しているからだった。

 

 一旦頭を落ち着かせると、早坂はベッドに横になっていつもの癖で動画サイトを開く。普段ならここで物がプレス機に潰される動画や動物が大暴れする動画でも見るのだが。

 もうグー〇ル側も「いい動画、アップされてますよ」とトップ画面にそう言った動画を表示するほど分かってしまっている。

 彼女の破滅願望の表れというか、より正確に言うと彼女自身を取り巻く環境を破壊してほしいという衝動の表れと言うべきか。分かりやすい解放の欲望が現れた動画のセレクトである。

 力みなくして解放のカタルシスはありえねえ。そんな範馬勇次郎理論に最も近い女が早坂であった。

 

 だが今は美城と話せてふわふわと心地いい気分なので、珍しく動画を見る気分にならなかった。

 〇ーグルが「プレミアム会員ですけど言わせてください。正気ですか!?」と驚いている。

 

 今日はいいかな、と思い始めた所で操作をすると、変な所でも押したのか動画サイトからブラウザに飛んで少しばかり彼女をげんなりさせる。

 ネットを見てたら画面真ん中にドーンと出てくる広告を踏んでげんなりするアレと同じくらいげんなりした。

 

「これ……さっきかぐや様がやってた相性占いの……」

 

 表示されたのは『いかにも』といった感じの占いサイトだった。簡素なフォントの安っぽさが隠しきれない、一山いくらの手合いだろう。

 

「うわ……微妙……」

 

 かぐやが見てそのままだった画面には、かぐやと白銀の相性占いの診断結果が表示されていた。

 

 その数値……50%!

 微妙!!

 

 

 これくらいの事私でも言えますよと早坂は何か逆に悲しい気持ちになった程である。

 

「みぃはああ言ってましたけど……こんなバーナム効果の極みみたいなサイトに縋り出したら終わりですね……」

 

 主人にとって不名誉だろう、気遣いを忘れない早坂はきちんと履歴を消しておいてあげようと全履歴の欄を開くと、すぐ下にいくつかの占いサイトを巡っている事が表示されていた。

 占いセカンドオピニオン……では無かった。

 一月一日、九月九日の診断ではなく、四月二日、四月六日の占い結果だったからだ。

 

「まさか私とみぃというサンプルを踏んでからご自身の相性占いに?」

 

 背中が痒くなった。知らない所で占われている身にもなって欲しい。

 

「馬鹿馬鹿しい……」

 

 範囲選択、消去。その2ステップで主人の恥は早坂の心の中だけに永遠に封じられる……のだが、

 

「え? これ名前まで入れるちょっと本格的なサイトでは……?」

 

 『五条美城さんと早坂愛さんの相性……』という文字が、どうしてか早坂の目から離れてくれそうになかった。

 

 ゴクリ……

 

 早坂は生唾を飲み込むと、そろりそろりとサイトへ指を伸ばし始めた。

 

「仕方ありません。かぐや様が変なサイトを見ていないかという、これは調査ですから。ええもちろん私はこんなサイト微塵も信じていませんが、かぐや様がもし信じ込むような事があればよくありませんから」

 

 指を一センチ動かすごとに百の文字が彼女の口からあふれ出る。

 誰も聞いてないから早く押せばいいのに。

 

「能力主義で実力主義かつ血統主義をこじらせた四宮家の長女がスピリチュアルにはまり込んでいる何て知られたらどうなる事やら想像もつきません」

 

 あと一ミリで画面にタップするという所に迫った状況で、早坂は一旦指を止めた。

 見たい、見たくない、せめぎ合い(突然のラップ)。

 彼女はそんな戦いに打ち勝つために叫んだ。

 

「かぐや様! 困ります!! 困ります!! かぐや様! あーっ! かぐや様!! かぐや様困り!! 困りますあーっ! かぐ困っー!!」

 

 はよ押せ。

 

 トン……

 

 騒がしいひと悶着あってようやく早坂は占いサイトを開く事ができた。

 言い訳がないと占いもロクに出来ないのか。そう言う所はやはりかぐやとよく似ていた。

 

「開いてしまった……こんなバーナム効果の極み……」

 

 早坂は後悔しながらも開いた物はしょうがない、と