閉じた恋の瞳 (萎びた蛞蝓)
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閉じた恋の瞳

シリアスを書けるようになろうと思って書いたのに結局シリアスにならなかったです。書けるようになりたいんですがねぇ


あぁ、私はなんと無力な存在なのだろうか。愛する者一人救う事さえできないなんて。

 

 

 

 

私の名前は古明地さとり。いつから自分が生きているのかはわからない。多くの妖怪の心を読む限りほとんどの妖怪はそのようなものらしい。心を読む、この能力のせいで如何に嫌な思いをしてきたか。他の者には到底わかるはずもない。私と同じ覚妖怪でもない限り。

 

残念ながら今まで生きてきた中で覚妖怪(同族)には会ったことは無い。つまり私の気持ちを真に理解してくれる者に会ったことが無いのだ。寂しいと感じたことは無い。今までずっとそうだったのだから。

 

心を読む程度の能力自体は素晴らしい。どんな相手にも通用する能力が悪いものであるはずが無い。しかしどんな相手にも通用してしまうからこそ私は望みもしない覚りをしなければならない。妖怪の心は汚い。当たり前だ。人間の恐怖が具現した存在の心が綺麗な方がおかしいというものだろう。しかし心が汚いのは何も妖怪だけに限った話ではない。今まで出会って来た幾多の人間の心も反吐が出るほどに汚かった。

 

表面だけを見て相手を信じることができる妖怪や人間の気持ちが全くもって理解できない。実際は途轍もなく自分本位な考えをしているのがわからないのか。相手を蹴落とすことしか考えていないのがわからないのか。わからないのだろう。何せ彼ら彼女らは心が読めない可哀そうな(幸せな)存在たちなのだから。

 

人間から忌み嫌われる妖怪たちからも嫌われる私の能力。出会った瞬間から私は相手に嫌われる。私を何とも思わなかったのは一部の鬼と動物たちくらいのものだ。鬼というのは強い者ほど他人への嫌悪感を抱きづらくなるものらしい。現に私を見て嫌悪感を抱いた者たちは皆四天王と呼ばれる鬼たちよりも下の位の鬼たちばかりだった。鬼は嘘を嫌うと昔聞いたことがある。嘘が嫌いなのに私の能力を恐れ、忌み嫌う理由は何なのだろうか。その場からはさっさと離れてしまったので理由は今でもよくわからないままだ。

 

逆に動物たちは皆私の事を何とも思わなかったようだ。あれこれ考えることなく、純粋に生きることのみを考える彼らは私という存在をむしろ歓迎しているようにも思える。私なら彼らの望みがわかるからだろう。

 

動物の気持ちがわかるならば植物の気持ちもわかるのではないか。昔そう考えてとある花の気持ちを汲み取ろうとしたことがある。私が花を摘んでいると勘違いした妖怪に危うく殺されそうになったが事情を話せばわかってくれたようだ。彼女によると植物も何か話しているらしい。私にはわからなかったが彼女にはわかるらしい。心を読むまでもなく嘘ではないことは分かったと思う。心を読んでいたから確信は持てないが。

 

結局私は花と話すことができなかった。聞けば花妖怪の特権であるとかなんとか。何故花妖怪があれだけの力を持っているのかはわからなかった。彼女自身もわかっていないようだったし。今でも行く先々で何とか花と会話をしてみようと頑張っているが進展は全くない。ずっと旅のような事をしているのは私の種族柄腰を落ち着けることのできる場所など地上のどこにも無いからだ。

 

ずっと歩き続けるのは楽ではないが腐っても妖怪。ここまでは特に大きな問題はない。小さな問題ならたまにある。例えば獣のような妖怪に喰われかけたりなどだ。これが大きな問題にならないのはいつも簡単に撃退しているからだ。獣のような妖怪のほとんどは元々何かの動物だ。妖怪に至る過程で人間に殺されかけた記憶も多く持っている者が多い。恐怖の記憶を蘇らせれば文字通り尻尾を巻いて逃げてしまうほど弱いのだ。

 

今もまた面倒な妖怪に絡まれている。いつも通りに対処しても良いのだが少し気になる情報を持っているようだ。

 

おい、あいつも気味の悪い眼を持っているぜ

あぁ、この間会った覚妖怪という奴の仲間に違いない。心を読むなんて気持ち悪いし前みたいに軽くつぶしてやるか

見た感じは前の奴と然して変わりはねぇ。こりゃ楽勝だな

 

声を殺しても心の声は殺せない。私からすれば大きな声で秘密の取引をしているようなものだ。どうやら目の前の妖怪たちが私以外の覚妖怪に会ったのはつい昨日の事らしい。うっかり覚妖怪だと気づかれてしまった彼女は手ひどくやられたようだ。彼らの漏れている心の声から彼女の場所は特定できた。私にとって初めての同族に出会える機会が訪れた。その前に目の前の妖怪たちをどうにかしないといけない。

 

「ふふっ、気味が悪くてすみませんね。貴方たちが私の同族を傷つけたとあらば黙って見過ごすわけにはいきません。しかし貴重な情報を与えてくれたのも事実です。どうです、このまま引き下がれば後は追わないと約束いたしましょう」

「あぁ?!何言ってんだてめぇ。見逃すっつうのは普通こっち側だろ?寝ぼけてんのなら目を覚まさせてやるよ」

「そうだ。何でお前みたいな雑魚相手に情けをかけられにゃならんのだ!生意気な小娘が、調子に乗るんじゃねぇ。殺す気はなかったが気が変わったぜ。派手に殺してやるよ!」

「生憎私の眼(第三の眼)は誰よりも覚めていますよ。そしてその決断……精々後悔しないようにしてくださいね」

 

つまり退く気はない、と。なんと愚かな妖怪たちなのだろうか。心の中でも言葉と全く同じことを考えているのは少し好感が持てるかもしれない。こういう時だけなのだろうが。精々恐怖の記憶の海で溺れ死なないように祈っておけば良いものを。

 

「恐怖は貴方たち自身にとって何よりも辛いものになるでしょう。知っていますか?海は底なし沼よりよほど深いのですよ…………想起」

 

苦しんでも死ぬことはあるまい。あの妖怪二人組、過去に下っ端の鬼にもケンカを売ったことがあるらしい。なんとか上の鬼の情けで許されたようなものを。あぁ、恐ろしい恐ろしい。馬鹿は死んでも治らない。未だに死んでいないことが不思議なくらいの馬鹿さだったから、あと三生くらい費やさなければならないのではないだろうか。

 

とりあえずあの妖怪たちが思い出していた場所に急いだほうが良いだろう。殺してはいないみたいだが他の妖怪に見つかれば命はないかもしれない。急ぐなら歩くより飛行した方が良い。近頃全然飛んでいなかったが身体が覚えているものだ。高度、速度とも何ら問題はない。場所もそこまで遠いわけではないようなので一刻もあれば到着するだろう。

 

―――――――――――――――――――――――――

 

「しまった」

 

妖気の残り香から彼女が別の妖怪に襲われたわけではない事は分かったが、彼女が移動することを考えていなかった。しかしこういう時に便利なのが動物たちだ。彼らならきっとその子を見ているに違いない。とりあえず最も妖気が濃く残っているここら一帯の動物たちを集めて話を聞けば何かわかるはずだ。

 

……………………なるほど。彼女は近くの川にいるみたいだ。血を洗い流さなければ他の妖怪に襲われる確率は高くなるので良い判断だと思う。生きる術を知っているという事は今まで何度かそういう事態に陥ったのか、本能的なものなのか。動物たちにお礼を言って早速河原を目指す。

 

……いた。かなり弱っているようだがまだ生きている。とりあえず近くの大きな木の洞に運んで寝かせる。目を覚ますのは明日の朝くらいになるだろう。狼に見張りを任せて山菜とキノコでも採ってくることにする。旅を続けているおかげで食べられる野草やキノコの見分けはつくようになった。間違えた物を食べさせてしまうと昔の私の二の舞になってしまう。それは弱っているあの子に可哀そうだ。

 

とりあえず両手がいっぱいになるくらいの山菜は採ってきた。しかし如何せん山は妖怪が多い。いちいち相手にするのも面倒なので途中からは問答無用で想起してきてしまった。加減していないのでどうなっているかはわからない。いくら妖怪が精神攻撃に弱いからと言っても流石に死んではいないと思う。多分。

 

洞に帰ったがまだ少女は寝ているようだ。見張りをしてくれた狼には人間の里から頂いてきた干し肉をやる。勝手に頂いてはきたものの食べずに残していたのがあって丁度良かった。もう日は昇っている。寝息も安定しているようだしもうすぐ起きると思うのだが。

 

                ・

                ・

                ・

「うっ、……………………ここは?」

「ようやく起きたのですね。気分はいかがですか?」

「っひゃぁ!あ、あ、貴方は一体?!」

 

あれから一刻ほどが経過してようやく目が覚めたようだ。意外と長かった。

 

「申し遅れましたね。私は古明地さとり。貴方と同じ覚妖怪です。して、貴方は?」

「私の名前は……無いの。名前を考えようと思っても覚妖怪に名乗る名はいらないってこの間言われたから……」

 

覚妖怪に名前はいらない、か。確かに覚妖怪というだけで嫌われる私たちは誰かに名乗ること自体が少ない。大体は名乗るより前に攻撃が来るからだ。そういう意味では私が名前を持っているというのは以上なのかもしれない。この名前は昔名を聞かれた時に咄嗟に考えたものだけど気に入ったので今でも使っている。

 

「そうなのですね。何考えてみてはどうです?」

「うーん、何も思い浮かばないよ。それより丁寧な口調やめてよ。なんだかむず痒いから」

「そう言うならわかりま……分かったわ。これで良いのでしょう?」

「うん。それでここは?貴方はどうして私を助けてくれたの?」

「私は長い間旅を続けてきましたが同族には会ったことが無かったのです……なかったのよ。だから偶然知った貴方の事は放っておけなかったのよ。覚妖怪に優しさなんて不要なのにね」

 

覚妖怪に優しさはいらない。誰から好かれることも無く、誰に対しても嫌味な妖怪。それが覚妖怪なのだと言われたことがある。今回のこれは私の自己満足だ。何故か見過ごせなかった。初めて会う同族に知らず心躍っていたのかもしれない。相手の心はわかっても自分の心はなかなかわからないものだ。

 

「でも貴方のおかげで私は助かったみたいだしありがとう!」

「私は感謝されたくて助けたわけではないのよ。だからお礼は必要ないわ。それにしても貴方はどうして昨日の妖怪を撃退できなかったの?」

「私ね、実はまだ生まれて少ししか経っていないの。だから自分の能力で何ができるかもまだよくわからないの。だから良かったら教えてくれない?お姉ちゃん」

「お、お姉ちゃん?どうしてそうなったのかしら」

「だって私より長く生きているんでしょう?なら問題ないと思ったんだけど」

「はぁ、まあいいわ。貴方の能力の使い方についても教えてあげるわ」

 

急に『お姉ちゃん』は流石に驚いたがどうやらまだ生まれたてで純粋な様子だ。これだと恐らく心を読むことしかできないと思っているのだろう。私たちのような弱い妖怪は自分の能力を最大限に生かせなければ生きていけない。まだまだ先は長そうだがゆっくり覚えていけば良いだろう。

 

―――――――――――――――――――――――――

 

あれからさらに十数回は季節が回っただろう。この子はゆっくりではあるが着実に教えたことを吸収して成長してくれた。あの日の次の日から教え始めたが、初めに教えたのは勿論心を読むことだ。これは当然彼女もできていた。しかしその練度が問題なのだ。心を深く読むことができなければ相手の恐怖を呼び起こすことはできない。基本だからこそ重点的に。初めの数年はその練習のみを繰り返した。

 

次に想起の方法を教えた。基本をしっかりやっていたおかげで使えるようになるまでにはそれほど時間がかからなかった。しかし相手の心に深く入り込むことはできてもその先は難しい。見たくもない感情を見せられ、その上で彼らの恐怖を表面に押し出すのだからまともな神経ではまず不可能だ。あの子にとってはそれが辛かったらしい。結局今でも潜在的な恐怖を呼び起こすまでには至らず、表面的な恐怖をいくつか取り出すことで何とか誤魔化している。

 

私はそれでも構わないと考えている。あの子は元々妖怪とは思えないほど純粋な心を持っていた。他の妖怪の心を泥水だとすればあの子のそれはまるで沢の水のように清らかだったのだ。それを汚すのは私も避けたかったし、質を量で補うのは当たり前の事だと思っているからだ。

 

最後に教えたのは飛行だ。これはいざとなった時の逃走手段となる他、相手を追う時にも使える。空を飛ぶことの欠点は狙い打たれる可能性があることくらいしか無いので覚えておいて損はない。飛行はあの子と親和性がかなり高かったようで、今では私よりも上手く飛ぶようになった。姉として少しばかり悔しいが仕方ない。

 

あの子はとても自由だ。昼間は人間の里付近まで行って小さな子供たちと遊んでいることもある。何でも小さな子供は心がとても綺麗で、一緒にいると癒されるらしい。それはとても良いことだと思う。しかし注意は一応しておかなければならない。

 

「人間の里に遊びに行くのは良いけどあまり深く関りすぎると逆にひどい目に遭うかもしれないわよ。遊ぶのもほどほどにしておきなさいね」

「えー、楽しいのに。お姉ちゃんも来てみたら?思ったよりも楽しいと思うよ?」

「いえ、私は遠慮しておくわ。でもくれぐれも気を付けるようにね」

 

今思えばこの時の私の選択は間違っていたと言わざるを得ない。私がついて行っていれば結果は変わっていたかもしれないのに。後悔先に立たず。人間ももっともな言葉を作ったものである。

 

あの日帰ってきたあの子はいつもと随分様子が違った。遊んできたはずなのに何処か寂しそうな眼をしていたし何を聞いてもはぐらかされた。その時の私は妹の事を何一つ理解できていなかったのだ。結局『少し一人にしてほしい』というあの子の願いを聞き入れてしまった。

 

夕餉の準備ができたとあの子の部屋にしている場所まで行った時に私がどれほど胸が潰れる思いをしたか。恐らく誰も理解してはくれないだろう。彼女は生きていた。だが彼女の種族の象徴(第三の眼)は開いてはいなかったのだ。これが何を意味するか、私にはよくわかっていた。たった今、あの子の覚妖怪としての生は終わってしまった。覚れない妖怪は覚妖怪ではないのだから。

 

あぁ、私はなんと無力な存在なのだろうか。愛する者一人救う事さえできないなんて。自分が嫌になる。何か行動を起こしたくなる。それほどまでに私はこの子を妹として愛しているのだ。そろそろ名前も付けてあげようと思っていたところなのに。

 

何故こうなったかを確かめに行きたいが彼女を一人にするのは心配だ。その辺にいる動物に任せてしまおう。お礼は今日の夕餉。残念ながら私は食べる気になれない。

 

―――――――――――――――――――――――――

 

あの子がよく来ていた里に着いた。何処か騒がしい気がする。人間の里というのは夜は大体静かなものだ。妖怪とわからないように変装して誰かに尋ねてみるのが一番だろう。

 

「もし、そこのお方。今宵はどうしてこのように騒いでおられるので?」

「なんだ?嬢ちゃん知らないのかい?今日里長のところの坊ちゃんが妖怪の魔の手からこの里を救ったって話さ。そん時にちょっとばかし怪我をしたみたいだが問題なさそうで何よりだね。そんで祝いとして里長が宴会を開いたてぇわけだ」

「ご丁寧にありがとうございます」

 

里長の息子か。中心の方にいるのがそうみたいだ。私の能力の効果範囲は狭くない。この程度の距離なら十分に心は読める。彼が如何にしてあの子を傷つけたのかを暴かなければならない。

 

『想起』

 

相手を傷つけるためではなく彼の体験を追体験するための能力使用。この使い方は今までしたことが無かった。だが問題はない。覚妖怪として、あの子の姉として今できない道理はないのだから。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「おい、そこのお前。お前だよお前。そこの変な被り物をしているお前。妖怪だろ?どうして里にいるんだよ」

「――――――――」「――――――――」

 

小さな子供たちが何か言い合っているが声が小さくて里長の息子が聞き取れていない。追体験の中でも心が読めたらいいのに。

 

「え?私?人間の子供たちと遊んでるだけだけど。子供たちは心が綺麗だから遊んでいて楽しいんだよ」

「はぁ?心がぁ?……ははっ、分かったぞ。お前覚妖怪とかいうやつだろ。最近この近くに住んでいるという噂を聞いたぜ」

「だとしたらどうなのよ」

「どうなのよ、だと?心を読むなんてお前気持ち悪いんだよ。子供たちにも悪影響じゃないか。さっさと出て行けよ。そして二度とこの里に来るんじゃねえ」

「そ、そんなのひどいよ。この子は妖怪かもしれないけど僕たちと毎日遊んでくれてたんだよ!」

「そ、そうだよ。そんなの可哀そうだよ」

 

おぉ、やはり小さな子供たちは純粋だ。遊んでいなくても心が読めなくても癒されるかもしれない。そして子供には特に悪影響は出ていない様子。

 

「うるせえぞ、農家んとこの餓鬼が出しゃばってくるんじゃねえ。俺はこの里の長の一人息子だぞ?お前らは口出しできるような立場じゃないんだよ。わかったらさっさと親のところに帰れ。そこの気持ち悪ぃ妖怪もさっさと失せろ。これ以上残っているようなら里の退治屋を呼ぶぞ。クズ妖怪が。近づくんじゃねえよ……汚らわしい……」

 

自分が不利になると途端に自分の有利な所に話を持っていく。人間としては最底辺の所業だと私は考えている。わざわざ聞こえにくいように小声で言うところなんかも実に嫌らしい。ここが追体験では無かったら一発殴っているところだ。一発じゃすまないかもしれないが。

 

「私は……私は貴方のもののような汚らしい心を読もうと思ってこの里に来ていたわけじゃない。私がここに来ていたのはただ遊びたかったから。私たち覚の能力が人間はおろか妖怪にも嫌われているのは知ってる。だから私はこの場で最後の覚としての能力を使って心はもう読まないことにするよ。お姉ちゃんがどう思うかはわからないけど私は貴方を許さない。覚悟は……できた?」

「なっ、なんなんだよお前!そんなこけおどしで俺が怯むと思っているのか?!」

「心を読まなくてもわかるよ。貴方のその怯み様は。最後に読む心が貴方のものだなんて……途轍もなく不愉快だったわ。さようなら……」

「おいっ!お前は一体何をする気……」「想起

 

暗転する。恐らくあの子の想起によって気を失ったのだろう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

あの子がああなってしまった理由は全て分かった。あの子は最後に私がするのと同じような想起をしていたがやはり効果が弱かったみたいだ。現に里長の息子は満足そうに酒を飲んでいる。

 

私は彼を許さない。あの子が心を閉じてしまった直接の原因。もともと周囲に嫌われることを嫌がっていたようだが決断させたのは間違いなくあの男。子供たちがこの里にいなければ今すぐにでも滅ぼしてしまいたいくらいだ。しかしそんなことをしてはいけない。私の攻撃対象は里長の息子ただ一人。里長も攻撃したいが里が回らなくなるのはいけないだろう。

 

流石は里長の息子だ。恐怖の体験はかなり少ないようだ。しかし彼が忘れたふりをしているだけの恐怖を潜在的な恐怖として呼び起こす。量と質両方で。幼少期はどんな物にも恐怖する。

 

想起

 

今回は明確に敵意を持って能力を行使する。いつもの使い方に少しばかりの呪いを混ぜて。

 

急に発狂しだした彼に周囲は騒然としている。この隙に里を抜け出してしまう。

 

彼に思い出させた記憶は幼少期に妖怪に会った記憶。その時に退治屋に助けてもらったから彼は退治屋を信頼しているのだろう。そして恐怖は繰り返す。今回の想起の解除条件は私が止めるか、彼が自身で恐怖を克服するか。彼の発狂が終わるときは来るのだろうか。私の知ったことではない。

 

いつもの木の洞に帰る。すっかり我が家のようになってしまっているがここももう引き払う。嫌われ者は嫌われ者に見合った場所へ。

 

「…ん、お姉ちゃん…?」

「起きたのね。自分の事はわかる?」

「よくわかんない。無意識にお姉ちゃんとは呼んだけど」

 

無意識か。覚妖怪が最も苦手とするもの、それが無意識だ。覚妖怪は咄嗟の事への反応が鈍い。常に相手の心を読んで対策を練っているが故だろう。覚妖怪が無意識を操るようになるなんてとんだ皮肉があったものだ。

 

「貴方の名前は……そう、古明地こいし。これで正式に私の妹ね。今日は引っ越しをするからはぐれないようにしてね」

 

残念な気はするが名前を付けるのには丁度良い機会だった。恋は人を盲目にするという。盲目になる(眼を閉じる)貴方への恋しさ。そして私は今、盲目になる(眼を閉じる)前の貴方がとても恋しく感じる。

 

―――――――――――――――――――――――――

 

「おい、さとり。見つけたから連れて来てやったぞ」

「ありがとうございます、勇儀さん」

「しかしどうして今日に限ってこいしを見つけてきてほしいなんてお願いしてきたんだい?あんたにしては珍しい」

「今日は私たち姉妹にとって特別な意味を持つ日なんです。勇儀さんも一緒にどうです?食べて行くならお燐に頼んでおきますが」

「酒はどうせ少ないんだろう?ならいいや。また誘っておくれおよ」

「わかりました。ではまた何か頼むかもしれませんがよろしくお願いしますね」

 

『さとりとこいしにとっては大事な日なのか。なら私はいない方が良いだろう。それに酒はあまり出ないし』

 

本当に鬼というのは皆不器用なものだ。自分の心に嘘は吐かない。だが隠したいことの一つや二つはあってもおかしくない。ほとんどの鬼が私の能力を嫌う理由はこれなのだろう。

 

「こいし、貴方最近全然帰って来ていなかったでしょう?久しぶりに一緒に温泉にでも入りましょうか」

「温泉?いいね!早く行こうよお姉ちゃん!置いてっちゃうよ~」

「待ちなさい、こいし!」

 

無意識を操るようになってからどこに行っているのかが全然わからなくなってしまったが、たまに帰ってくると地霊殿の外の話を色々聞かせてくれる。地上にも出ているようなので少し気を付けてほしい。地上の妖怪はおっかない。あの境界を操る賢者とか。でもこいしから聞いた話が本当ならばあの時の花妖怪も地上に出てすぐ近くに住んでいるらしい。地底に籠ってからは花との会話を諦めていたが、また再開してみてもいいかもしれない。

 

「こいし、夕飯があるからあまり長くは浸かっていられないわよ」

「わかってるよお姉ちゃん。お燐たちを待たせるのは可哀そうだもんね」

 

数百年前の今日、こいしを無意識の妖怪にしてしまった彼の事を私は今でも許せていないし、あれ以来一度も同族を見たことは無い。もしかするともう私が最後の覚妖怪なのかもしれない。

 

「貴方は今幸せかしら?」

「うーん、幸せかどうかはわからないけどお姉ちゃんとお話しできて嬉しいよ!」

 

たとえ心を読めなかったとしてもその言葉に嘘は含まれていないと断言できる。後悔はとても多い。楽観は好きではないが、愛すべき妹が今楽しく生きているのならその後悔も少しずつ減らせるのではないだろうか。



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