仮面ライダーアギト ー神との戦いー (アルペン)
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第一話「再来そして変身」
プロローグ


 最後の結末の日から、既に三年が過ぎようとしていた。

 

 今年も白い息が漏れ、マフラーが恋しくなる季節がやってきた。一人の男は公園の自動販売機の前に立ち、缶コーヒーを買おうとしていた。かつて世間を大いに騒がせた未確認生命体やアンノウンなる存在は姿を消し、少し前までは夜に外を歩くことさえ憚られるほどだった世界も、ようやっと安穏を取り戻しつつあった。

 

 そんな呑気な一日を今日も終え、男は自動販売機の取り出し口からコーヒーを手に取る。その時、ふと男が目を暗陰とした夜空に向けたのはただ、勘だったから、としか言いようがない。いや、あるいはその勘は意図しないものではあったが、必然的だったと言えたのかもしれない。

 

 今夜は星も見えない曇天。そんな夜空を高速で動き回る奇妙な何かがあった。目を凝らさなければ、暗い夜空と見分ける事も出来ない「それ」は飛行機にしては随分低い空を飛んでいるように思われた。

 

「ん……?」

 

 男は更に目を細める。

 

 気のせいだろうか? こちらに近づいてきている気がする。

 

 不幸な事に、それは気のせいなどではなかった。宙を飛び回るそれは、見る見るうちに滑空し、その人型を視認出来る距離にまで近づいてきた。

 

 男は思わず、片手に持ったコーヒーを地面に落とす。最早、相手が何者なのか、本当に自分に向かっているのか、などと問うてる暇などない。男はコーヒーを拾いもせずに走り出した。

 

 しかし、時速にして300km/hで宙を滑るそれは、一瞬で男に近づき、そのまま体当たりを食らわせて全身を砕いたのだった。

 

 ──────────ー

 

 津上 翔一は自らの経営するレストラン「AGITΩ」を閉めようとしていた。二年前から始めたレストランであり、開店当初こそ経営に不安もあったが、今では上手く軌道に乗りつつある。料理は翔一の最も好きなものの一つでもあった。毎日、自分の好きな事をして、誰かを喜ばせることが出来る。数年前までは戦いに明け暮れる毎日を過ごしていた翔一にとってそれは、今がこんなに幸せでいいのだろうかと、自分でも不思議になってしまうほどの幸福だった。

 

 今日も笑顔を浮かべ、店を閉めようとした翔一は、ふと、違和感を覚える。

 

 音が全く聞こえない。

 

 レストランの扉を閉める時の音がしなかった。そもそも、これほど世界が無音なはずがない。翔一は首を傾げ、もう一度扉に手をかけ開けてみる。鈴のなる音が聞こえるはずが、やはりしなかった。顔をしかめ、再び扉を閉めようとした時だった。

 

 翔一を凄まじい頭痛が襲った。しばらく味わう事のなかった、しかしある意味懐かしいともいえる痛み。翔一はグッと頭を抱えた。

 

「うっ……ぐっ!」

 

 いくら頭を押さえても、痛みは一行に引く気配がない。

 

 まさか、そんなはずはない。あいつらはもう、いなくなったはずなんだ! 

 

 翔一はフラフラとよろめきながら、レストランの前に停めてあるバイクによりかかるようにして跨り、そして発進させた。

 

 彼は確かめなければいけなかった。この痛みの意味を。



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新たなる始まり

 テールランプが眩しい夜の街道を、翔一はバイクFIRESTORMを走らせる。相棒が奏でる振動に身を委ねながら、ハンドルのグリップを強く握りしめる。翔一は強く思った。

 

 あってはいけないんだ、あいつらが、また動き出すなんて! 

 

 そして、その不安な内心を表すようにアクセルを踏み込んだ。

 

 

 翔一が現場にたどり着いた時には、既に現場には無惨に体を腰のあたりからへし折られた男の遺体だけが残っていた。翔一は思わず眉を寄せる。そして、感傷に浸るよりも前に辺りを見回した。まだ、この惨状を作り上げた張本人が近くに潜んでいるのかもしれない。

 

 翔一は何と無く、自分をせせら笑った。

 

 死んでしまった人間に対して、ここまで冷たい自分がいる。生きている人間に対しては、彼は常にとても優しく、献身的にさえ接してきた。人を助ける事は無条件に厭わなかった。しかし、彼がそんな生き方をしていたのには、彼自身のその優しさ以外にも理由があった。彼は、生きている事こそが素晴らしいと思っている事、そして、他人の感じるその素晴らしさを守ることを、自らの生き甲斐、自らの「場所」としていることだった。だから、死んでしまった人間に対しては、人並みの、いや人の死に対して慣れすぎてしまった翔一は人並み以下の感情しか持ち合わせることが出来なくなってしまったのだ。

 

 翔一はゆっくりとバイクから降りた。あたりに全身の注意を向けながら、男の死体に近寄る。当然、死体はピクリとも動かない。

 

 翔一は結局、ついに「奴ら」の姿を確認することもなく、再び愛車に跨ってその場を走り去っていった。

 

 ────────────ー

 

「珍しいわね」

 

 イギリスの名門大学の教授としての席に、つい一年半前に就いた小沢 澄子は、久しく言葉を交わしてすらいなかったかつての同僚からの連絡に、思わず頬をほころばせた。彼女は、この大学では「鉄骨」と呼ばれている。自分の主義主張は決して曲げず、頑固で自己中心的、授業に遅れようが何しようが決して頭は下げない。そのくせ、間違った事は絶対に言わないという所以から、そのあだ名がついた。一部では超人なのではないか、という噂すら立つほどだ。

 

 そんな彼女が珍しく笑顔を見せている、などと言ったら、彼女の生徒たちはどう思うだろうか。

 

「あなたから連絡をくれるなんて。それでどう? 上手くやってるの?」

 

 今、彼女が手にとっている受話器の向こうには、かつて仮面ライダーの一人として本当の超人達と共に戦った「人間」の英雄、氷川 誠がいた。

 

『はい、前までは少し寂しくも感じていたんですが、今は何とかやっています。小室さんも、今やG-5ユニットの教官として頑張っているとか』

 

「そう、小室くんね。彼も達者そうで何よりだわ。それで、あなたがわざわざ私に連絡を寄越すなんて、何かあったのかしら?」

 

「はあ、いえ、実は僕も仕事の都合上ロンドン(こっち)に来ていたんですが、近々小沢さんが日本に戻って来ると聞いて」

 

「ああ、そのことね。ええ、その通りよ。色々と報告したい事も出来たしね。それにしても」

 

 小沢は微笑みながら、卓上のワッペンに目をやった。「G3」と書かれた、かつての思い出の品だ。

 

「あなたと話してると、昔を思い出すわぁ。早いものね、あれからもう三年。G3ユニットは解散、三人とも、別々の道を歩んでいるなんてねぇ」

 

 受話器の向こうで、氷川がそれに頷くのが小沢にも分かった。

 

「同感です。みんな平和になって、それは本当によかったと思うのですが」

 

 フフ、と小沢は笑う。

 

「それにしても変わらないわねぇ、あなたも。その様子だと小室君も変わりなさそうだわ。じゃあ、そろそろきるわね。今度、日本(むこう)で会ったら、その時にでも、もっと色々と話しましょう」

 

「はい、是非」

 

 氷川のその言葉を最後に、小沢は受話器を置いた。それから、既に消灯した書斎の中で一人、机の上に置いたワッペンを懐かしそうになぞる。

 

「G3ユニット……か」

 

 ──────────────

 

 翌朝、事件のあった公園は警察官によって封鎖された。遺体のある場所はブルーシートで囲まれ、既に鑑識が集まっている。

 

 報告を受けて現場に現れた、捜査一課の北条 透は、先に現場にいた河野刑事に頭を下げた。河野は北条を見ると一つ頷き、北条と並んで歩きながら話し始めた。

 

「ひどいもんだ。死体は腰の辺りから真っ二つに折られてやられてる。見るか?」

 

 北条はブルーシートの囲いをくぐって中に入る。既に路上に流れた血は乾き切っていて、死体の色は蒼白に変わり、温度を感じさせない。河野は慣れた目つきで死体を見下ろしながら、北条に淡々と説明する。

 

「被害者の身元は、塗丈 文雄二十九歳。近場の工場の従業員らしいんだが、人間関係にトラブルがあったような話は出ていないらしい」

 

「なるほど。しかし遺体の状況から見て、他殺であることは間違いなさそうですね」

 

 北条は河野の説明に頷き、言う。しかし、河野は納得がいかなそうに首を傾げた。

 

「それがな、奇妙な話なんだが、犯行に使われた形跡がある凶器が見つかっていないんだ。人間をここまで完璧に壊せるようなもんだから、簡単に持ち運びできるはずもないと思うんだが」

 

 それと、と河野は更に続ける。

 

「現場近くに、潰れたコーヒーの空き缶が落ちていた。何かのタイヤで踏み潰した跡のようなものがついていたみたいなんだが」

 

「何かの……タイヤ?」

 

 河野は頷く。

 

「ああ、おそらくはバイクのタイヤなんじゃないかと言われている。まあ、そこら辺は鑑識の結果を待つしかないな」

 

 河野はそう言って話を区切ったが、北条は目を細めて考える。

 

「バイクの……タイヤ」

 

 ────────────ー

 

「おはようございます!」

 

 岡村 加奈は今朝、いつもより少しはやくレストランAGITΩにやってきていた。鈴の音を鳴らして店に入る。普段なら明かりが着いていて、翔一が笑顔で彼女を迎えるのだが、今日は違っていた。レストランはガランとしていて、人の気配はない。翔一はまだ来ていないようだった。

 

 まあ、今日はいつもより早いし。

 

 加奈は自分で自分を納得させて、支度を始める。

 

 彼女はこのレストランAGITOの従業員の一人であり、翔一とは一応、「それなりの仲」である。三年前、ひょんな事から翔一と知り合い、そして彼女もまた、翔一と同じ特別な力に目覚めたのだった。しかしながら、彼女は力を扱うことは出来ない。彼女はその力を恐れていた。人間とは違うその力を。そのため、力を制御する術を覚えてからは一度もその力を使ってはいない。そもそも、人間には本来、不要な力だろうと彼女は思っていた。

 

 彼女がバッグを置いて、コック服に着替えようとした時だった。入り口の方で、ガタンと誰かが倒れこむような音が聞こえた。加奈が慌てて玄関の方へ戻って来ると、なんと上着とヘルメットを着けたままの翔一が、そこに倒れていた。

 

「津上シェフ!」

 

 加奈は急いで駆け寄り、翔一を抱き起こした。翔一は眠ったように目を閉じていて、どうやら気絶しているようだった。加奈は何度か、翔一の肩を揺らす。

 

「津上シェフ! 津上さん! ……翔一さん!」

 

 しかし、翔一は未だ、力なくうなだれるだけだった。



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変身

 上空遥か七百メートル。東京スカイツリーをも見下ろす遥かな空から、その異形の怪人は眼下に広がる豆粒のような街並みを見下ろしていた。

 

 強硬な頭蓋に鋭く小さな瞳、天狗のようなクチバシの下に尖った歯がズラリと並んだ口を持つ。肩や胸には銀色の立派な装飾品を身につけ、左胸には羽型のバッジのようなものをつけていた。全身は塗りつぶされたように黒く、両手からは翼が生えていて、その両手の翼の他にも、背中に退化したような翼の後があった。

 

 かつて、仮面ライダー、そして仮面ライダーになる可能性を持った超能力者達を始末すべく現れた神の使者の同族である、クロウロード・コルウス・コンカッサスである。

 コンカッサスは口元に笑みを浮かべながら、低い笑い声をあげて、街並みの中の一人の青年に目をつけた。そして、右手の平をゆっくりと胸の前に持って行き、それから左手の人差し指と中指の二本指で、その手のひらの上にゼット字をなぞった。すると、コンカッサスの頭上に青白い輪が現れる。コンカッサスは一つ、小さく頷くと、青年めがけて直滑降に下降した。

 

 ────────────ー

 

 サイレンの音が鳴り響く。

 

 封鎖された街道沿いで、北条と河野は既視感を覚える死体と向き合っていた。河野は唸るように言う。

 

「この仏さん、犯人は今朝発見された死体の事件と同じだな。それにまた、目撃者は無しときた」

 

 そう、見つかった死体はまたも、腰のあたりから真っ二つに体をへし折られていたのだ。まるで何かとてつもなく硬いものを、ものすごい勢いでぶつけられたように。

 

「被害者の身元は?」

 

 北条は問う。河野は頷き、答えた。

 

「ああ、どうやら近場のアパートに住んでいた大学生で、名前は塗丈 義之、十八歳」

 

「塗丈?」

 

「ああ、なんの群然か知らんが、今朝見つかった塗丈 文雄の兄弟らしい。ホシはもしかすると、塗丈家の一族を狙ってるのかもしれないな」

 

 河野がそう言うと、北条は眉をひそめて考え出した。

 

「そういえば、少し前までこんな事件が多発していましたね」

 

「ああ、もしかしてアンノウンのことか。俺も同じ事を考えていたんだが、お前もしかして、これもアンノウンの仕業だなんて言うんじゃないよな。アンノウンはもう、かれこれ三年は現れてない。それとも、まさか、また活動を再開したっていうのか?」

 

「いえ」

 

 北条はゆっくりと首を降る。

 

「確かにアンノウンは、もう長い間現れてはいません。滅んだのかもしれない。ですが、まだ滅んでいない者もいたはずです」

 

「滅んでいない者? 一体なんだそりゃ?」

 

「アンノウンと同じ、いや、それ以上の力を持ちながらも、未だに滅んでいない者、アギトですよ」

 

「アギトォ? じゃ、お前なんだ、これはアギトがやったってのか? そりゃあちょっと無理があるんじゃないか? え?」

 

「いえ、まだそこまでは……。そうだ!」

 

 北条は、思い出したように河野に言う。

 

「塗丈 文雄殺害の現場に、潰れたコーヒーの空き缶が落ちいたと言っていましたね。あれを見せてもらえませんか?」

 

 ────────────ー

 

「それにしても驚きました。いきなり津上シェフが倒れていたんですから」

 

 加奈はレストランの休憩室で、目を覚ました翔一に笑いかけた。翔一も笑顔でそれに応え、頭をかく。

 

「いやぁー、すみません! 昨日あんまり眠れなくって。ははは」

 

 翔一はそう笑いながら、体を起こそうとして、ウッとまた体に痛みを感じる。慌てて加奈が翔一に寄り添い、肩に手をかけて寝かしつけた。

 

「まだ寝てなくちゃダメですよ。お店を開く五時までにはまだ、時間があります」

 

 加奈は真摯な瞳で、訴えかけるように翔一に言った。

 

「加奈さん……」

 

「翔一さん……」

 

 二人の視線がお互いに交差する。その時だった。

 

「ウアッ!」

 

 再び、翔一を頭痛が襲う。同時に、加奈も頭に鈍い痛みを覚えたが、そんな事には構わずに、翔一の肩を揺らした。

 

「ちょっと、翔一さん!? 大丈夫ですか!? 翔一さん!?」

 

 翔一は頭を抱えて唸りながら、無理やり体を起こして言った。

 

「すみません加奈さん。俺、ちょっと行かなくちゃ!」

 

「行くって、どこへ……」

 

 加奈のその問いに答えることなく、翔一は駆け足で休憩室を飛び出し、レストランの入り口から出て行って、FIRESTORMに跨った。翔一を追ってレストランを飛び出した加奈の耳には、ただバイクの発進音だけが聞こえてきた。

 

 ────────────ー

 

 昨日よりも速く翔一はバイクを疾らせた。バイクが大きなエンジン音を立てて、二つのタイヤが路上を滑る。翔一がふと空を見上げると、何かの黒い飛行物体が地面に向かって高速で滑空しているのが見えた。翔一は高鳴る胸のリズムに抗わず、さらに強くアクセルを踏んだ。

 

 翔一がたどり着いた川の土手には一人の男が倒れていた。翔一が昨夜見たのと同じように、腰の辺りで真っ二つに体を折られた死体だった。

 

 そして、その向こうには……。

 

 翔一の最も恐れていた姿があった。黒い成りをした、人ならざる異形が、こちらに背を向けて立っていたのだ。アンノウン。そう呼ばれていた奴らに間違いない。翔一は思わず、拳を握りしめる。

 

 異形の存在、コンカッサスは翔一の方を振り向く。そして大きく胸を張って、唸るように笑った。

 

 翔一はバイクから飛び降りると、腰の前で手を交差させた。

 

「なぜ、何故お前たちがここにいる! どうしてまた、人間を襲うんだ!」

 

 翔一がさらに変身の構えをとると、翔一の腹部に賢者の石の輝きを宿すオルタリングベルトが現れた。それと同時にコンカッサスが翔一に襲いかかる。

 

 翔一はコンカッサスの右の拳を左手で受け止めると、そのままカウンターで右ひじを食らわせた。そして、コンカッサスのみぞおちを蹴り上げる。

 

 コンカッサスが後ずさり、怯んだ隙に、翔一は右手を前に突き出した。

 

「変身!!」

 

 叫び声と同時に、ベルトの両端を手で叩く。すると翔一の体が、賢者の石から発せられる光に包まれた。

 

 そして。

 

「はっ!」

 

 翔一もまた、光を纏った金色の異形へと変身した。コンカッサスがその姿を見て、怯んだように身を震わし、口走る。

 

「アギト……」

 

 そう、その姿こそ翔一の変身、アギトだった。

 

 コンカッサスは低い唸り声と共にアギトに襲いかかる。しかし、アギトは左フックをかわすと、更に返しの裏拳を左手で受け止め、空いたコンカッサスの左脇腹に二度、三度パンチを食らわせる。コンカッサスが脇腹を抑えて後ずさるが、アギトは更に左の足で追撃し、コンカッサスの腹を蹴り飛ばした。

 

 コンカッサスは二メートルほど宙を舞って土手のサイクリングロードに叩きつけられ、身悶えする。

 それから何とか立ち上がると、地面を蹴って飛び上がった。そしてアギトの方に頭を向けると、翼を羽ばたかせて、地面の上を滑るように滑空した。

 

 とてつもないスピードでコンカッサスの硬い頭蓋がアギトの胸を襲う。ギリギリで直撃をかわしたアギトだったが、それでもコンカッサスの攻撃をくらい、吹き飛ばされてしまった。

 

「うわっ!」

 

 アギトは草原に背中を投げ出し、よろめく。

 

 それでもゆっくりと立ち上がると、再びこちらに向かって滑空してくる敵を見据えた。

 

 アギトは激突の瞬間、横へ身をそらし、それと並行する形でコンカッサスの腹を蹴り上げる。

 直撃を食らってコンカッサスが呻き声をあげ、地面に落ちた。対してアギトはすぐに体制を立て直し、体に力を込める。

 

 すると、アギトの頭に生えている二本の角、クロスホーンが展開し、六本角へと変わった。そしてアギトの足元に炎を宿した六本角の戦士の文様が浮かび上がる。それはまるで、力を与えるようにアギトの両足に収束した。

 

 エネルギーが収束すると、アギトは腰を深く据え、思い切り地面を蹴り上げて跳躍し、そして今ようやっと体制を立て直したコンカッサスに向かって大上段の飛び蹴りを放った。それは凄まじいスピードでコンカッサスの眼前で更に加速し、人間で言う心臓の上の辺りの胸を蹴りつける。ものすごい衝撃と共に、コンカッサスは数メートルも吹き飛んだ。

 

 アギトは綺麗に宙を舞って着地する。対して、コンカッサスは胸を押さえて苦しみながらヨロヨロと立ち上がった。しかし、すぐに膝を折り胸をかきむしる。そして遂に耐えかねたように頭上に天使の輪を浮かべると、断末魔の声と共に地に倒れ、爆散した。

 

 アギトはその爆発には目も向けず、ゆっくりと土手を昇り、そして倒れている男の死体を見下ろした。

 

 ちょうどその時、警視庁捜査一課の車が現場を通りかかった。乗っていたのは北条 透。北条はアギトの姿をとらえて車を止め、窓から身を乗り出した。アギトは今、背を向けて立ち去ろうとしている。そしてその近くには、人間が倒れていた。

 

 北条は思わず呟く。

 

「アギト……」




DATABASE

種族名:クロウロード
個体名:コルウス・コンカッサス
能力:時速300km/hで飛行する
カラスに似た超越生命体。その名は「激突のカラス」を意味する。


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第二話「津上翔一として」
恐れる者


「そういえば、翔一君は今頃どうしてるかな?」

 

 名門城北大学の教授を長年勤めてきた美杉教授はふと、自宅のリビングで新聞を読みふけりながらそんな事を呟く。それに真っ先に反応したのが、義理の姪である真魚だった。彼女はとある理由があって、この美杉家に置かれている。

 

「翔一君? どうしたのいきなり?」

 

「ああいや、大した理由はないんだが、何と無く気になってね」

 

 美杉教授のそんな言葉に、続いて息子の太一が反応した。

 

「翔一なら気にすることないって。どうせ今ごろ呑気にやってるよ。あいつが上手くやれてない所を想像する方が難しいって」

 

「ああ、しかしだな。彼も今でこそああしているが、一時期は大変だったこともあったじゃないか。翔一君のことだ。もしかしたら、また大変な事に巻き込まれていないとも限らない」

 

 美杉教授はそう言って、新聞をたたむ。真魚はふと、壁にかかったカレンダーに目をやった。

 

「翔一君がうちに来てからの一年間、色んな事があったよね」

 

「ああ、早いもんだな。あれからもう三年が経つ。翔一君がうちにいた時間の、三倍の時間が過ぎたことになる。思えば、翔一君と過ごした時間は長かったようで、実はとても短かったのかもしれないな」

 

 そんな空気に耐えられなくなったのか、太一が読んでいた漫画をほっぽり出して言う。

 

「ああもう、どうしたんだよしんみりしちゃって。そんなに気になるなら会いにいけばいいだろ。別に外国に行っちゃったわけでもないし」

 

 しかし、太一はすぐにこんな言葉を口にしなければならなくなる。

 

「うえー、本当に行くのかよ」

 

 太一の苦虫を噛み潰したような表情に、真魚は返す。

 

「何言ってんの、太一が言い出したんでしょ」

 

「うん、いい案だ。翔一君と会うのも、もうしばらくぶりだからな」

 

 

 ────────────────

 

「アギトが犯人の可能性?」

 

 警視庁内の自動販売機で「コーンポタージュ」缶を買いながら、河野は思わず同輩のセリフを反復する。すぐ近くに並べられた、背もたれのない椅子に座った北条はそれに頷いた。

 

「はい。その可能性が高いと私は考えています。今日の午後、土手で見つかった死体を覚えていますか?」

 

「ああ、お前が発見して通報した奴か」

 

「そうです。実はこの事を話すのは河野さんがはじめてなのですが、私はその死体を最初に発見したとき、アギトも同時に目撃しているのです」

 

「アギトも? ほぉ〜、そりゃ大したもんだが、なんたってアギトはそんなところにいたんだ? だいたい、アギトだってアンノウンが現れなくなってから、パッタリと姿を見せなくなったじゃないか」

 

「ええ、それはまだはっきりとは分かりませんが、私の推察では、アギトこそが一連の事件の犯人ではないかと思うのです」

 

 みてください、と北条は証拠品保管用の真空ビニールに入った潰れたコーヒー缶を取り出す。

 

「この潰れた空き缶に残っていたタイヤの跡が、津上 翔一の乗っているバイクの型と一致したのです。そしてその津上 翔一こそ……!」

 

 そこで、北条は口を閉ざす。河野が困ったような表情をして聞き返した。

 

「津上 翔一こそ、なんだ?」

 

「あ……」

 

 北条は言葉に詰まった。それからゆっくりと首を振る。

 

「いえ、なんでもありません」

 

 ────────────────ー

 

「翔一君がいない?」

 

 夕刻も五時を周り、太一、真魚と共にレストランAGITΩへとやってきた美杉教授は、思わず顔をしかめた。三人を出迎えた加奈は頷き、心配そうな口調で言う。

 

「はい。戻ってきてすぐに、今日は体調が悪いから帰る、って」

 

「うーん、そうか。翔一君がいないとは、それは残念だが、しょうがないな」

 

「翔一の奴、まさか本当にまた変な事に巻き込まれてるとか!」

 

 その言葉に、加奈が反応する。

 

「変な、事?」

 

 そして思い出したように言った。

 

「そういえば津上シェフ、店を飛び出す前にこんな事を言っていたんです。「俺、行かなくちゃ」って」

 

「え!?」

 

 加奈の言葉に、思わず真魚は聞き返した。それから小さく呟く。

 

「それって……」

 

 そして、ハッとしたように突然、太一と美杉教授に言った。

 

「私、ちょっと翔一君の様子、見てくるから」

 

 真魚はそう言って、一目散に駆け出した。突然のことに驚く美杉教授。

 

「え、おい! 様子を見るってどういうことだ! おい、真魚! 真魚ぁ!」

 

 ────────────────ー

 

 もう既に日の暮れきった青山霊園の墓地を、男は歩いていた。あるいは亡くなった家族への弔いか。あるいは何か他の理由があったのかは分からない。どちらにしろ、その男が不幸な犠牲者であった事に変わりはないだろう。

 

 男はふと歩みを止めて、目の前の地面に目をやる。下に窪んだ地面の辺りから、何やらチョロチョロと可愛らしく水が吹き出している。男は顔をしかめて、その湧き水の近くまでやってきて、覗き込むように身を乗り出した。

 

 その途端、まるでそれを待っていたかのように、激流のような水が一気に吹き出した。男は驚いて悲鳴をあげ、その場に尻餅をつく。見る見るうちにその水は、辺りに小さな池を作ってしまった。男は慌てて逃げ出そうとするも、水に手足を取られて上手く進めない。そんな男の背後に、銀色の異形が現れた。

 

 艶かしい体皮に、長く尖ったような頭。クロウロードと同じく鋭い目つきと、牙の並んだ口を持ち、胸の辺りには羽飾りをつけ、背中には退化した羽のあとがある。垂れ下がるような装飾品に身をまとい、その人差し指は触手のように長かった。

 

 スキードロード・モリペス・デシムペスである。

 

 デシムペスは左手を胸の前まで持ってくると、その甲に死のサインと呼ばれる、ゼット字を描いた。

 

 ──────────────────ー

 

 翔一は、レストランAGITΩ近くのアパートの自分の部屋のベッドの上で座り込んでいた。彼は、あの数年ぶりの変身にとてつもない疲労感と、そして僅かな快感を覚えていた。それが翔一を恐ろしくさせている理由でもあった。翔一はグッと膝を抱えて、ベッドの上でうずくまる。

 

 何かに怯えるように、小刻みに自分の体が震えているのが分かった。

 

 そんな時、自分の部屋のドアをノックする音があった。

 

『翔一君……?』

 

 懐かしい声に、翔一は思わず立ち上がる。それから、まだ痛みの余韻が残る頭を押さえながら、玄関に向かった。

 

 カチャリ

 

 扉が開き、中から現れた翔一の姿を見て、真魚は安堵する。翔一は笑顔を見せて言った。

 

「あれ、どうしたの? 真魚ちゃんじゃない。いやぁ〜懐かしいなぁ。あ、もしかして、また身長伸びた?」

 

 そんな事を言って、なはは、と笑う翔一に、真魚は苦笑いで返す。

 

「うん。それで、翔一君……」

 

「まあまあ、良いからさ。ちょっと上がってよ。今、お茶とか入れるから、ね?」

 

 そう言われ、真魚は半強制的に部屋の中へ引き入れられる。翔一は笑顔で、コタツ机と座布団の置かれたリビングルームに真魚を通すと、

 

「ちょっと待っててよ」

 

 と言ってキッチンの方に向かって行った。

 

 フンフンフーン、と翔一の鼻唄が聞こえてくる。それからすぐに、翔一がトレイの上にティーセットを乗せて戻ってきた。

 

「いやぁ〜、真魚ちゃんにお茶をいれるのも久しぶりだなぁ。で、今日はまたどうしたのよ」

 

 翔一は机の上にティーセットを並べると、お茶をいれる準備をはじめた。その様子を見て、真魚は何と無く不安げに聞く。

 

「翔一君、何か良い事あった?」

 

「良い事? どういう意味よ、それ?」

 

「ううん、でも、何だが今の翔一君、嬉しそう」

 

 それに対して、翔一は首を傾げる。

 

「そうかなぁ。良い事なんて別にないけど。悪いことならあったけどさ」

 

「悪いこと?」

 

「うん、まあちょっとね」

 

「ふうん……」

 

 そうは見えないけど、と真魚は心の中で思う。それからふと、

 

「もしかして、その悪いことって、アギトに関係すること?」

 

「アギト?」

 

 お茶をいれていた翔一が、思わず顔を上げる。

 

「どうして、そう思うわけ?」

 

「どうしてって言われても、何と無く、かな」

 

「なんとなく?」

 

 真魚が無言で首を縦に振る。翔一はお茶を入れながら、気丈に笑った。

 

「当たりかな」

 

「え! 当たりって、一体どういう……?」

 

「うん」

 

 翔一は一言、頷くとしばらくの間、黙りこくってお茶をいれていた。そして、最後に紅茶の入ったティーカップを真魚に差し出すと、改めてそれに答えた。

 

「また、あいつらが現れたんだ」

 

「あいつらって……」

 

 真魚の脳裏には、何体もの異形の怪人たちの姿が浮かんだ。下を向き、唾を飲み込む。ティーカップの取ってにそっと触れた。

 

「どうして?」

 

「それは、分からないけど」

 

 翔一がそう答えた時、再び、玄関の呼び鈴が鳴った。



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動き出す

「あれ……またお客さんだ」

 

 翔一は顔を上げ、玄関の方を見る。それから首を傾げて立ち上がった。

 

「はーい?」

 

 翔一が玄関のドアに早足で駆け寄り、そう言いながら鍵を開けてドアを開くと。

 

「あれ……北条さん?」

 

 そこには、かつて幾度となく翔一も目にした男、北条 透が立っていた。彼は三年前、執拗にアギトを捕獲することに執着し、二度にわたるアギト捕獲作戦を立案したり、翔一の身柄を拘束しようとしたこともある男だった。

 

 しかしながら、翔一のその性格の故もあり、別段彼がこの男に対して悪い印象を持っているということはなかった。

 

「お久しぶりです。会わない間にあなたがこちらに引っ越したと聞きましてね。それと……」

 

 北条は軽く頭を下げると、翔一の部屋の中を覗き込む。かつて彼も捜査に加わった『風谷伸幸事件』の関係者である真魚の姿を確認すると、そちらにも会釈した。

 

 

 

「いやぁ、今日は懐かしいお客さんばっかりだなぁ」

 

 翔一は突然の来客、北条 透を部屋の中へ案内すると、笑顔で彼にもお茶を入れて差し出した。

 

「それで、今日は何の御用なんですか? あ、もしかしてまた、手品やります?」

 

「あ、いえ、今日は是非、津上さん、あなたとお話をと思いましてね」

 

 北条は、首に巻いたネクタイを緩めながら言う。と、真魚がそれを聞いて慌てて立ち上がった。

 

「あ、じゃあ私、邪魔ですよね。もう帰りますんで」

 

 真魚はそう言って、北条に頭を下げる。

 

「え、もう帰っちゃうの? 別にいいんじゃない? 聞かれて困るような話でもないだろうし」

 

 ねえ、と翔一は北条に目を向ける。が、北条は微妙そうな顔をしてそれに答えた。

 

「いえ、できれば、外していただけると助かる話題なのですが……」

 

 北条の言葉に、翔一は思わず「あらら……」と口を開ける。

 

「ほら、北条さんもこう言ってるし。それにおじさんに黙って来ちゃったから、もう帰らないと」

 

 そう言って立ち去ろうとする真魚に、北条は頭を下げ、翔一は笑顔で手を振る。

 

「じゃ、また来るからさ」

 

 真魚は笑顔でそう言って、部屋を出て行った。

 

 真魚が出て行くと、北条は改めて座り直し、翔一と視線を交わす。

 

「津上さん、実はあなたにアギトの事について聞かせてもらいたいのですが」

 

「アギトの事、ですか?」

 

 翔一は顔をしかめて頭をかいた。

 

「ん〜、なんか難しい話じゃありません?」

 

「いえ、あなたの考えを聞かせてもらいたいのです」

 

「考え?」

 

「はい。あなたはかつて、アギトとしての力を使い、氷川さんらと共にアンノウンと闘った。そんなあなたは、アギトであることを、果たしてどう思っているのか。アギトとして闘う事をどう感じていたのか? 私はまず、それをあなたに聞くべきだと思いましてね。いえ、これは何の気ない気まぐれなのですが」

 

「う〜ん、アギトであること、ですか」

 

 翔一は両手を頭の後ろにやる。それから、少し考えた後に首を振った。

 

「何も思ってません。何も感じてません」

 

「……は?」

 

 ふざけたような答えに、北条は思わず聞き返す。

 

「そういうの、考えないようにしたんです。俺がアギトだからって、俺がアギトになっちゃダメじゃないですか」

 

「……は?」

 

 北条は意図せずして、同じ言葉を繰り返してしまった。翔一は腕を組んで難しい顔をする。

 

「何って言えばいいのかなぁ〜。俺はアギトだけど津上 翔一だぞーって。前にアギトの力が暴走した時とか、真魚ちゃんのお父さんがアギトになった姉さんに殺されたのかもしれないって聞いた時とか、なんかすごい考え込んじゃって。なんで俺、アギトなんだろうって。それで色んな事が頭の中で混ざりあって、わーってなっちゃって。だから、考えないようにしたんです。俺がアギトになったからって、俺が俺でなくなるわけじゃないんだって、俺の居場所がなくなるわけじゃないんだって。だから、アギトだからどうとか、そういうの考えないようにしたんです」

 

 翔一は全部言い切ると、スッキリしたような笑顔を浮かべて北条を見た。北条は唖然とした表情を浮かべてかたまっていたが、やがて頷きながら口を開く。

 

「はあ、それは……その」

 

 と、北条が言葉を探しているところに、彼の携帯へ着信がかかってくる。北条はポケットを探って手早く携帯電話を取り出すと、「失礼」と言って電話に出た。

 

「はい。はい……はい。……え!?」

 

 突然語調を変えると、深刻な表情で何度も頷き、やがて電話をきると、携帯を閉じて翔一に言った。

 

「すいません。緊急の用事が出来ましたので、私はこれで」

 

 北条はそう言って立ち上がると一礼し、翔一の言葉も聞かずに、さっさと部屋から出て行った。

 

 ──────────ー

 

 夜の街。眩しい夜景に照らされるネオン街を遠くに見下ろす高層ビルの上に、一人の男が降り立った。まるで闇の中から現れたように忽然と姿を現したのだ。

 

 その容姿は、女のように長い茶髪に白い肌。感情の無い表情に溶け出したような微笑を浮かべ、全身を灰色の服に包んでいた。

 

 その右手の甲には奇妙な紋様がタトゥーのように刻まれている。

 

 男は眼下の街にそっと微笑みかけると、サッと右手をかざした。すると甲に刻まれた紋様が強い輝きを放つ。男はその顔に浮かべた笑みをより一層深めながら、更にその右手に力を込めた。

 

 ──────────ー

 

 帰宅ラッシュの電車を乗り終えて、今日も帰路についた男はふと、違和感を感じた。誰かに見られている、そんな気がしたのだ。男は辺りを振り返るが、誰の姿もない。道の傍には深い藪があったが、そこに誰かがいる気配もなかった。男は首をかしげて、また歩き出す。

 

 少し行ったところで、足取りがおぼつかなくなるのを感じた。体が妙に重く感じ、男は思わず膝をつく。

 

 と、軽くついただけのはずのその膝が、なんと地面にめり込んでしまったのだ。男は驚きのあまり悲鳴をあげようとするが、肺までもが固まったように動かず、声を出すことすら出来なかった。全身がまるで鉄の塊になったように重く、そのままその場に倒れこむ。

 

 やがて遂に、自分の体の重さに耐えられずに内部から肉が崩れ落ちる音が、男の耳に響いた。

 

 物陰から、その様子を満足そうに眺める者がいた。

 

 灰色の硬質な肌に、鼻の頭に生やした二本の角。衣装も、装飾ではなく堅硬な鎧のようなものを身に纏い、そして左の肩には羽型の飾りを着けていて、頭上には青白い天使の輪が浮かんでいる。

 

 サイ型のアンノウン。ライノロード・トラクレンタ・コーンである。

 

 コーンは男が力尽きたのを確認すると、頭上の輪を消失させてゆっくりとその場を後にした。



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炎の戦士

「殺しですか?」

 

 事件現場であるという霊園に到着した北条は、車を降りると河野刑事に声をかけた。仕事の早いことに、もうすでに辺りには黄色テープが張り巡らされ、恐らくは遺体のあったのであろう辺りは完全に立ち入りを禁止させられている。河野は北条の言葉に頷き、手帳を取り出して言う。

 

「ああ、恐らくはそうなんだが、どうも妙でな。鑑識によると被害者の死因は恐らく溺死だと言うんだよ。こんな水のない場所でだぞ? どうなってるんだか」

 

「水のない場所での溺死、ですか……ウッ!」

 

 突然、北条は側頭部を抑えて顔を歪める。

 

「おい、どうした? 具合でも悪いのか?」

 

「いえ、その死因を聞くと、どうも頭が……」

 

「なんだそりゃ。お前、あんまり一人屋なもんで、ちょっとおかしくなってるんじゃないか? ん?」

 

「いえ、とにかく被害者は、ここで奇妙な殺され方をした。そういうわけですね」

 

「ああ、だが今回は時間が時間だけに目撃者がいたらしくてな。それによると、どうも犯人らしい者の外見は普通の人間ではなかったらしい」

 

「普通の人間では……ない?」

 

 北条は思わず唾を飲み込む。河野もその言葉に神妙そうに頷き、不安げに言った。

 

「ああ、まさかとは思うんだがな。血縁関係者の保護……か」

 

 河野と北条は目を合わせる。そして静かに頷いた。

 

 ──────────ー

 

「翔一君に会ってきた?」

 

 美杉家に帰って来た真魚は、美杉教授と太一に翔一のことを話した。美杉教授は驚いた様子で真魚に尋ねる。

 

「それで、どうだった? 彼は元気にやっていたかね?」

 

「うん。具合が悪そうには……見えなかったけど」

 

「ふーん、そうか翔一の奴がね」

 

 太一が腕を組んで頷き、知ったような口をきく。

 

「なんだ、それはどういう意味だ、太一」

 

「あいつでもたまには、仕事をサボりたくなることもあるってことだよ」

 

 うんうん、と納得したような太一に真魚は首を傾げた。

 

「そんな感じじゃなかったけど」

 

 そう言って、真魚は暗くなった庭に目をやる。今では美杉家が日当で世話を引き受けているキュウリのツタが、なんだか少ししおれているように見えた。

 

 ──────────ー

 

 二十時をすでに回った寒空の下、北条、河野は霊園で見つかった変死体の親族の身辺警護を、主に独断という形で行っていた。対象の男は今、湯島聖堂の敷地内を歩いている。二人は違和感のない程度に物陰に隠れつつ、目配せをしあって対象から目を離さないようについてまわった。

 

「本当に現れるでしょうか」

 

「さあな。現れない方がいいのは間違いないんだが」

 

 河野はため息をつきながら、ふと男の方を注視する。男の動きが止まっていた。まるで何か奇異なものを見たかのように腰を引かしたまま、固まっていたのだ。

 

 と、なんと突然、男が腰を抜かしてその場に倒れこむ。見れば男の足下の近くから噴水のように水が吹き出していた。

 

 そして突然、吹き出した水の中から異形の姿をした銀色の怪人が現れたのだ。

 

「う、うわあぁぁぁ!」

 

 男の悲鳴があがる。二人は慌てて、腰を抜かしている男に駆け寄った。異形の姿が間近に捉えられる。

 

「こ、こいつは……」

 

 北条は思わず声をあげ、腰にさした拳銃を取り出した。河野は、必死に後ずさりをして逃げようとしている男を立たせると、

 

「早く逃げろ!」

 

 と叫び、自分も銃を抜いた。二人が同時に引き鉄を引く。

 

 しかし、銃弾はデシムペスの前で見えない壁にぶつかったように静止し、そしてなんと消滅してしまった。異形の怪人デシムペスは二人の方を一瞥したが、意にも介さずに、逃げて行った男を追おうとする。二人がなおも発砲するが、銃弾はデシムペスに届いてすらいない。

 

 デシムペスが鬱陶しそうに右手を一振りさせると、それだけで、当たった北条の体は何と数メートルも吹っ飛んだ。彼は背中を木の幹に打ち付けて顔を歪め、すぐに力なく項垂れた。

 

「北条!!」

 

 河野は気絶した同輩に向かって叫ぶが、返事はない。震える手で拳銃を構え直そうとするも、デシムペスに左手で払われ、拳銃を吹き飛ばされてしまう。河野はゆっくりと後ずさりながら歯を食いしばった。

 

 万事休すか……。

 

 

 その時、辺りにバイクのエンジン音が響き渡った。

 

 物凄い勢いで、バイクライトの光が近づいてくる。デシムペスはライトの光を振り返り、そして最早、河野の方など見向きもせずに静かに歩き出した。近づくにつれて、光に包まれたその全貌があらわになる。

 

 そこに現れたのはマシントルネイダーに跨ったアギトだった。

 

「アギト!」

 

 デシムペスはその姿を見て叫ぶ。アギトはそのままマシントルネイダーのアクセルを踏み込み、デシムペスに突撃する。衝撃とともに、デシムペスの体が大きく宙を舞った。

 

 地面に叩きつけられたデシムペスは、その衝撃に体を反らせて痛みにうめく。しかしすぐに立ち上がり、唸り声をあげて襲いかかった。

 

 アギトはマシントルネイダーを飛び降り、襲い来るデシムペスの右腕の触手を身を低くして交わすと、続く左手の触手を打ち払い、胸に一撃を叩き込む。デシムペスは後ずさりながらも再び右手を払うが、完全に見切ったアギトにその腕を掴まれ、そのまま左の脇腹に蹴りを食らった。

 

「グガ!」

 

 デシムペスが思わず、口を開いて唸る。アギトは敵の右腕を離すと、さらにその顔にパンチを食らわせる。デシムペスは大きく体勢を反らせて後ろに下がった。

 

 しかし、すぐに立て直すと胸を張って、悠々と首を回すような仕草をする。何と、アギトのパンチ、キックによって与えられたデシムペスへのダメージは、その凄まじい回復力によって即座に再生され、相殺されていたのだ。

 

「……!」

 

 アギトが驚いたように顔をあげる。デシムペスは一つ、低い声を上げると、その口元から黒い塊をアギトに向かって吐き出した。塊はアギトにぶつかるとスミのような液体となって飛散し、アギトの視界を遮らんとする。なおも二発、三発とアギトに向かって黒い塊がはきかけられる。

 

 アギトの視界が封じられると、デシムペスはアギトに走り寄って右手の触手を振るった。さらに続けざまに左手の一撃と右足の蹴りによってアギトを攻撃する。

 

 アギトはダメージを受けてよろめいたが、腰を据えると両手を胸の前に突き出した。そして思い切りオルタリングの両端を手で叩く。オルタリングが激しい輝きを放つと、アギトの体がその光に包まれた。

 

 デシムペスはさせるまいとアギトに挑みかかるが、光に包まれたアギトはデシムペスの右拳を受け止めると、敵の胸に向かってカウンターのパンチを放つ。先ほどの数倍もの威力の一撃に、デシムペスの体が再三、吹き飛んだ。それと同時にアギトを覆っていた光が晴れる。

 

 そこには溶岩の如き炎を身にまとった戦士、アギト・バーニングフォームがいた。

 

 視界を封じていたスミはその高熱の体温によって瞬時に蒸発し、消え去っていた。

 

 デシムペスは立ち上がりながら、新たな姿となったアギトを見る。そして思わず胸を抑えた。バーニングアギトのカウンターパンチはデシムペスの再生が追いつかないほどの一撃だったのだ。

 

 アギトは体に力を込めると、右腕を前に突き出した。そして引き寄せるように胸の近くへとやって、握りしめる。それを見たデシムペスが、いきり立ったように地面を蹴り、アギトに向かって駆け出した。

 

 アギトが握りしめた拳に更なる力を込めると、その拳が炎に包まれる。

 

 アギトはその拳を、思い切りデシムペスの腹部に叩きつけた。

 

 辺りの木々がざわめく程の余波と共に、デシムペスの体が、これ以上にないほど大きく吹き飛んだ。それから地面に叩きつけられ、身悶えする。すでにその頭上には天使の輪が出現していた。

 

 デシムペスは力なく立ち上がると、天に手を伸ばしながら断末魔の叫びをあげる。そして地面に倒れ伏すと共に、遂に爆散して果てた。

 

 アギトはそれを見届けると、グランドフォームへと戻り、マシントルネイダーの元へと戻ろうとする。

 

 しかしそんなアギトに、突如、新たなアンノウンが現れ、襲いかかった。

 

 

 突然現れた、ライノロード・トラクレンタ・コーンはアギトの体を持ち上げて吹き飛ばす。アギトは構えも取れずに宙に投げ出されると、そのまま堂へと続く階段の近くまで飛ばされた。それから、壁に手をつきながら立ち上がると、急襲の敵を見据える。

 

 灰色の鎧に身を包んだ重硬の怪人は、アギトと相対しながら肩に力を入れた。視線がぶつかり合うのと同時に、両者は駆け出した。




DATABASE

種族名:スキードロード
個体名:モリペス・デシムペス
能力:如何なる場所にも水溜りを生み出すことができる
イカに似た超越生命体。名は「柔らかい十本足」の意味。


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第三話「翡翠の冠」
再び走り出す


 なぎ倒さんと振り払われたコーンの剛腕を、アギトは身を低くしてかわし、敵の脇腹に肘を叩きつけた。怯みながら後ずさるコーンに向かって、更に続けて、アギトが拳を叩きつける。二発、三発と相手の胸部にそのパンチが決まった。しかし、鎧のごときその堅牢な胸殻はアギトのパンチをまるで通さなかった。

 

 コーンはアギトの拳を受け切ると、お返しとばかりに相手を拳で叩きのめす。たった一撃の重さに、アギトの足が思わずふらつくと、コーンはそのまま組みつき、押し込んだ。アギトは引きずられるように堂への階段近くの壁際まで追い詰められ、そして叩きつけられた。

 

「ウワッ!」

 

 アギトは思わず声をあげながらも、攻撃に転じようとコーンを振りほどき、力を込めた拳を何発も叩き込むが、コーンはまるで応えた様子を見せない。コーンは更に右手でアギトの手首を捻じあげて、左手で数発。そして手首を掴んだまま、アギトを思い切り投げ飛ばした。

 

 数メートルも宙を舞い、アギトが石床に激突する。

 

 それでもふらつきながらも何とか立ち上がると、アギトはサッと構えをとった。頭部の二本のクロスホーンが展開し、六本へと変わる。それと同時に、アギトの立つ地面に竜の頭を模した炎の紋様が浮かび上がった。アギトが腰を深く据えると、その紋様は両足へエネルギーを与えながら収束する。

 

 その様子を見て、コーンが思わず怯んだような素振りを見せた。しかしすぐに、胸を大きく張ると、さすまいとばかりにアギトに向かって駆け出した。

 

 アギトは両足に力を込めると、力強く地面を蹴って飛び上がった。そして空中からコーンに向かって狙いを定め、急降下するように飛び蹴りを放つ。その一撃はコーンの眼前で加速しながら、胸部を蹴りつけた。強い衝撃にコーンが数歩後ずさり、自身の胸部に手をやった。

 

 しかし。

 

「ンン……」

 

 何とコーンは悠々と体制を立て直し、再びアギトに相対したのだ。更に続けてアギトに向かって肩から突進し、アギトを吹き飛ばした。

 

 アギトはまたも壁に打ち付けられ、地面に手をついて倒れる。それでも、壁によりかかりながら何とか立ち上がろうとした所を、更に物陰から新たに現れた何者かに組みつかれ、不意打ちをくらった。

 

 それは厚い体毛と硬皮、その上から布のような衣服をまとい、口元には二本の大きな牙を生やしていた。胸には羽飾りをつけ、背中には退化した翼の跡を見せる。大きな鼻からは荒々しい鼻息を立て、鋭い目つきで睨みをくれていた。イノシシのような姿をしたアンノウン、ボアロード・トラクレンタ・デンスだった。

 

 デンスは不意打ちによろめくアギトの首元を掴むと、そのままアギトの体を数度、壁に叩きつけ、振り払うように上空に高く投げ飛ばすと、落下してきたところに突進を食らわせた。

 

 アギトの体が再三、宙を舞い木の幹に叩きつけらる。倒れこんだアギトは一度、手をついて起き上がろうとしたが遂に力尽き、その場に力無くくずおれて動かなくなった。

 

 デンスとコーンはその様子を眺めると、一つ頷いてゆっくりとその場を後にした。

 

 倒れ伏したアギトは光に包まれて変身解除し、津上 翔一の姿へと戻った。

 

 ────────────

 

 海の見える車道沿いを、葦原涼はXR250を走らせていた。シートから伝わる滑らかな振動と、少しだけ荒っぽい走行音とに身を委ね、涼は水平線の向こうを見やる。仄暗く月を照り返す漣が、まるで銀色の鳥群のようにどこまでも連なっていた。

 

 多くの人々を恐怖に陥れたあの長い戦いを終え、彼が手に入れたものは小さな友人と、平穏という名の二文字。それは彼が失ったものと天秤にかけるならば、余りにも釣り合わないものであったのかもしれない。それでも彼が今、幸せというものを感じているのならば、人はそれを何と呼ぶだろうか。神の祝福か、それとも悪戯か。

 

 ふと、涼は漠然とした違和感をその身に感じる。そして、すぐにそれは確信的なものへと変わり、締め付けるような頭痛が涼を襲った。長らく慣れていない感覚だったが、それでも思わずバイクのブレーキをかけたのは、昔の癖がまだ抜け切っていなかったからだろう。突然のブレーキに車体が傾きスピンする。咄嗟に片足でそれを支え、片手でこめかみを抑えながら涼は辺りを振り向く。

 

 この痛みは……まさか……。

 

 胸の奥にこみ上げる、静かながらも熱い感情を押し殺すように、涼は体に力を込めながらバイクをUターンし、アクセルを踏み込んだ。

 

 ──────────ー

 

 ポツポツと幾つもの街の灯りを眺めるビルの屋上で、その長い髪を風になびかせながら、灰色の衣服をまとった青年は静かに立っていた。そして、その両脇には控えるように二体の異形の怪人が佇む。共に胸の中心に二枚羽を象った、上級アンノウンの証である装飾品を身につけ、銀色の衣装に身を包んでいる。

 

 右方に控えるドルフィンロード・ケトス・ディルフィナスと、左方のプラティパスロード・グリフォ・マニトゥードである。

 

 灰色の青年は、眼下の街並みを見下ろしながら語りかけるように口を開いた。

 

「かつて地に堕ちた竜が、再び目覚めようとしています」

 

 その言葉に反応するように、二体のアンノウンはゆっくりと首を動かす。灰色の青年は視線を動かさずに、淀みのない声で続けた。

 

「あの大洪水から長い時を経て、始祖の竜が今再び……」

 

 ────────────

 

 翔一が目覚めた時、既に太陽は高く昇っていた。体中の痛みに顔をしかめながら、翔一は木の幹に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。まだ足元がフラつき、視界がボヤけるようだった。

 

 昨晩の事を思い出し、翔一は思わず唇を噛む。

 

 既に青あざになっているであろう脇腹を抑えながら、翔一はバイクの元まで足を引きずり、倒れこむようにまたがった。そして、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。



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戦端の裏に

「風谷伸幸事件の?」

 

 警視庁本部捜査一課で、河野と北条は互いにデスクに向かいながら会話を交わしていた。そんな中でふと飛び出した北条の発言に、河野は思わず眉をひそめた。

 

「ええ、そうです。あれから何か進展はあったのかと思いましてね」

 

「進展って言われてもだなあ。そもそもお前、あの事件には興味がなくなったんじゃなかったのか?」

 

 河野の言葉に北条は噛みしめるように頷き、答える。

 

「ええまあ。しかし、何故でしょう。先日のアンノウンらしき者、そしてアギトを目撃した今となって、蘇るのはやはりあの事件なんです。三年という期間を開けてもし再びアンノウンが動き出したのだとすれば、もしかすると五年前のあの事件も……」

 

「おいおい、まさかお前までアンノウンの仕業だとでも言うつもりか?」

 

「いえ、まだ分かりませんよ。犯人は一体、人間なのかアンノウンなのか……それとも」

 

 本当にあの結末が正しかったのか、北条はそんな思いをこめて宙を見上げた。やはりあの結末には疑問が持たれる。本当にただ沢木雪菜の犯行であるという結論だけで、あの事件を終わらせてしまって良かったのか。

 

 河野は不思議そうに北条の表情を眺めてから、

 

「まあ、そこまで言うのならな。もういっぺん、一からはじめて見ても良いが」

 

 

 ────────────

 

 もう午後を周りかけた頃、翔一はようやくレストランAGITΩへとバイクを止めた。案の定、店はもう開いている。おそらくは加奈が一人で開けてくれたのだろう。まだふらつく足で、翔一はバイクを降りるとレストランの扉に手をかけた。

 

 それと同時に、中から聞き覚えのある懐かしい声が聞こえてきた。

 

「そうか、すまないな。あいつがいないんなら仕方ない。また来ると伝えてくれ」

 

 ぶっきらぼうで愛想がないが、どこか穏やかで暖かみのあるその声に、翔一は思わず顔をあげる。と、声の主が扉の向こうから現れて、あやうく翔一と鉢合わせになる所だったが、間一髪、翔一が後ろに飛び退いてそれをかわした。

 

 出て来たのはやはり、翔一の見覚えた顔。かつて翔一と共にアギトとして戦った男、葦原 涼だった。加奈もその後ろから顔を出す。

 

 二人はお互いに顔を確認すると、少し驚いたように目を丸めた。

 

 そしてまず、翔一が口を開く。

 

「葦原さん? 葦原さんじゃないですか! 久しぶりですね、どうしてたんですか!」

 

 驚いた表情はやがて満面の笑みへと変わり、翔一は涼を中へ引き入れようとする。

 

「まあ中に入ってくださいよ。今日はどうしたんですか? 最近全然この店に寄ってくれなくなっちゃったじゃないですか」

 

 翔一がなおも笑顔でまくし立てるように言うが、それとは対照的に涼は喜びを分かち合おうという表情にはならず、愛想のない表情で言った。

 

「津上、お前……その服を脱げ」

 

「え?」

 

「はい?」

 

 唐突な涼の言葉に、翔一どころか側に立っていた加奈まで一瞬、呆然とした表情をする。それから加奈は何かを察したように口元に手を当て、そして逃げるように店の奥へと去って行った。

 

 翔一はどうしていいかも分からず、逃げ去る加奈と、未だに真剣な表情で翔一を見る涼とを交互に見交わして、

 

「あの、え? や、やだなぁ葦原さん。冗談ならその辺に……」

 

 翔一がその言葉を言い終わる前に、涼は翔一に組み付き、シャツを捲り上げた。そこには涼の思った通り、まるで岩にでも打ち付けたかのような大きな青あざが残っていた。涼は自分が扉を開けた時、翔一が飛びのきながら無意識の内に腹を抱えて庇っていたのを見逃さなかったのだ。

 

「津上、これはどうした?」

 

「ど、どうって……」

 

 翔一は思わず言葉に詰まった。

 

 翔一の前に立つ彼、葦原 涼もまた翔一と同じくアギトの力を持つ者だった。アンノウンが再び現れたということを、ここで彼に言ってしまうべきなのか。しかしそうすれば再び戦いの渦に涼を、自分以外の者を巻き込んでしまうことになるだろう。いずれ彼にも解ってしまうかもしれない事とは言え、今の翔一にはやはり、それを涼に話そうという気にはなれなかった。

 

「いや〜、ちょっとバイクで事故っちゃって」

 

 翔一は頭をかきながらそう言って笑う。しかし涼は仏頂面で、

 

「相変わらず嘘が下手な奴だ。まあいい……」

 

 冷めたような声でそう言い、扉に手をかけた。

 

「お前に話す気がないのなら、無理に聞こうとは思わない」

 

 そう言い残して涼は扉を開け、出て行ってしまう。翔一は慌てて、

 

「あれ、もう行っちゃうんですか? 葦原さん! 葦原さーん!」

 

 とその背中に声をかけたが、彼がこちらを振り向くことはなかった。

 

 ────────────

 

 北条は河野からの一報を受け、新たな殺人事件が起こったという現場に駆けつけた。当然、辺りには鑑識やら警官やらが忙しく立ち回り、彼にはもう見慣れた光景の中で、河野がブルーシートの前に立っている。

 

「また犠牲者が出たとか?」

 

 北条は辺りを見回しながら、河野の元へ歩み寄った。河野は頷きながらブルーシートを捲り、凄惨な現場を北条に見せる。

 

「また随分と酷いですね」

 

「ああ、どうやら骨と内蔵の重みに体が耐えられなくなったことが直接の死因らしい。こりゃあ本格的にアンノウンの仕業と見て間違いなさそうだな」

 

「そうなると、一般市民への勧告と被害者の親族の護衛が必要になりますね」

 

「ああ。それにしても奇妙なもんだ。なんでまた三年も経ったこの時期に再びアンノウンが現れたんだか」

 

 河野は困ったように首を傾げた。北条はそれに頷きつつも、心の中では全く別の事を思い返していた。

 

 あの風谷信幸事件のことを……。

 

 ────────────

 

 陽も大分傾いて来た頃、涼は自身の住まうマンションへと帰ってきた。自分のバイクを駐輪場に止めてエンジンを切ると、涼はマンションの階段を昇り、借りているアパートの一室の前で立ち止まった。ポケットを弄ってキーを取り出すと、ドアの鍵穴に差し込み回す。ガチャリと音がして扉が開いた。

 

「おっ」

 

 と、部屋の中に踏み入ろうとした涼の足元に、何者かが駆け寄って彼を出迎えた。

 

「ワウッ!」

 

 それは小さな彼の友人、彼があの長い戦いを終えて出会った一匹の柴犬だった。川の土手で路頭に迷っていたこのチビを拾い上げて、涼はそれ以来、この小さな同棲者と共に暮らしてきた。

 以前までは自分には広すぎると感じていたこの部屋も、今では少しだけ、場所が埋まったような気がする。涼はチビを見下ろして小さく笑みを浮かべると、わしゃわしゃとその頭を撫でた。

 

 しかしすぐに真剣な表情に戻り、顔をあげる。翔一の事を思い出しながら、涼は歯を食いしばった。

 

「まさか……な」

 

 ──────────ー

 

「津上さん」

 

 見事な重役出勤を果たし、大慌てで準備をしていた翔一は、加奈に声をかけられ、振り返る。

 加奈は少しだけ浮かない顔をして、翔一の事を見つめていた。翔一は持ち前の笑顔で加奈に聞き返す。

 

「どうしました?」

 

「はい……あの、余計なお世話かもしれないんですけど。さっきのこと、何かあったんですか?」

 

「なにか?」

 

「ええ、津上さんが無断で遅れてくることなんて滅多にないし、それにさっきの人も」

 

 加奈の顔に不安げな色が浮かぶ。彼女もまた翔一が自分と同じアギトであり、そしてかつてアンノウンと呼ばれる未知の怪人達と戦ってきた戦士であることを知っているのだ。もしかしたら、という思いは彼女の胸中を穏やかなものではなくさせていた。

 

「ああ、あれは本当、つまんない事故を起こしちゃって」

 

 翔一はそんな加奈に、笑みを絶やさずにそう返す。しかし加奈は、

 

「翔一さん!」

 

 柄にもなく声をあげ、翔一を見つめた。

 

「本当に大丈夫なんですか? それに、その怪我の手当ても……」

 

 それでも翔一は、満面の笑顔でそれに答えるのだった。

 

「大丈夫大丈夫! こんなもん唾つけとけば治りますって! 

 それよりも、早く支度しましょう! 俺遅れちゃったから!」



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咆哮再び

「それにしても、上手くなったよなぁ真魚姉も」

 

 太一は暇つぶしがてらに美杉家の庭に出て、菜園の野菜に水をやっている真魚を見ながら何とはなしに言う。真魚はそれに気づいて、水をやる手を止めながら少しだけ笑った。

 

「まあね。最初はダメだったけど、毎日毎日やってきたから最近はちょっと慣れてきたかな。それでも翔一君に比べれば全然だけど。……あっ、ていうか」

 

 真魚はそう言うと太一を睨む。

 

「そもそもあんたがサボりすぎなんでしょ!」

 

 真魚のその言葉に太一はしまった、とばかりに口元を面白く開き、

 

「やっべえ」

 

 などと抜かして逃げ出す。

 さすがは成長期と言うべきか、この三年で身長も大きく伸びた太一だが、本質的にはあまり変わっていないらしく、日当の水やりはサボり気味だ。真魚はそんな太一の背中に向かって叫ぶ。

 

「ちょっと太一! ……もう」

 

 が、既にその背中は二階への階段の向こうに消えており、真魚はため息をつきながら一人、菜園を見下ろす。それから少し笑顔を浮かべて、またゆっくりと水やりの作業に戻って行った。

 

 いつまでもここは、翔一君の居場所だもんね。

 

 

 ────────────ー

 

 

 昼過ぎの捜査一課、北条は昼食を共にしていた河野の口から出された言葉を反復した。

 

「日政大学……ですか?」

 

「ああ、どうもそこらしい。風谷信幸が勤めていたっていうのは」

 

「そうですか……ではその大学で、風谷信幸はあの研究を」

 

 北条の言った言葉に、河野はピクリと反応する。

 

「研究? 一体なんだ、そりゃ」

 

 河野がそう聞くと、今度は北条が、なにがなんだと言わんばかりの表情で返した。

 

「風谷信幸の研究と言えば、超能力の研究に決まっているでしょう。彼を殺害したと思われる沢木雪菜もその研究の対象だったようですし。……まさか河野さん、知らなかったんですか!?」

 

「知らなかったんですかってお前、超能力だって? なんだってそんな超能力なんて……ん? ちょっと待て、お前、今沢木雪菜って言ったか?」

 

 河野が怪訝そうな顔をする。北条はそれに頷くと、

 

「ええ、ですがそれが何か……?」

 

「沢木雪菜……沢木雪菜か。そう言えば風谷信幸の研究講義のグループ……どうやらサークルに近いグループだったらしいんだが、そこにそんな名前があったと思ってな」

 

「なんですって!? それは本当ですか!」

 

「ああ。そのメンバーは他に……」

 

 その時、河野の携帯に着信がかかった。河野は言葉を遮って北条に視線を送り、携帯に出る。

 

「はいもしもし、河野ですが。……なに? 分かった!」

 

 と切迫した様子で言うと、電話を切り、北条に言った。

 

「どうやら出ちまったらしいな」

 

「出ちまった……?」

 

「アンノウンだよ。こりゃ、これが終わったら本格的に上部(うえ)に報告に行かないとまずいな」

 

 河野が面倒そうな表情をしながらも焦った様子で言うと、北条は頷き、

 

「分かりました。とりあえず現場に向かいましょう」

 

 

 ────────────ー

 

 

 自室のベッドの上に寝転がり、微睡んでいた涼は唐突な鋭い感覚に、一気に覚醒する。目を見開くとベッドから起き上がり、机に置いておいたヘルメットに手を伸ばした。

 

 そして一瞬、躊躇するように手を止める。かつての、彼が戦士であったころの様々な記憶が制止するように涼の頭の中をよぎった。

 そんな涼の異変に気づいたのか、チビが涼の足下へとすり寄ってきて、涼の周りを周る。涼はそんなチビを見下ろすと少し吹っ切れたように頷き、しっかりとそのヘルメットを手に取った。

 

 

 ────────────ー

 

 

 同じ頃、翔一もまた同じように鋭い感覚に襲われ、無心にレストランを飛び出そうとしていた。しかし不意に脇腹の痛みに襲われ、思わず立ち止まる。その背中に、すぐに感づいて後をおおうとしていた加奈から声がかけられた。

 

「津上さん!」

 

 翔一はその言葉に振り返る。

 

 そうだ、また一人で勝手に飛び出して行くなんて……。

 

 翔一が暗い表情になると、加奈は、

 

「ここなら大丈夫です。でも、言い忘れてたんですけど、昨日の夜、美杉さん達がここに来て……」

 

「先生達が?」

 

 翔一が聞き返すと、加奈はゆっくりと頷いた。

 

「そうか、それで真魚ちゃん……。分かりました、ありがとうございます」

 

「…………」

 

 しかし加奈はなおも不安げに翔一を見つめると、言う。

 

「無事に……帰ってきてくださいね」

 

 その言葉に、翔一か笑顔を見せて頷いた。

 

「任せてください! ……あ、あと、帰りにちょっとだけ、先生の家に寄って行っても大丈夫ですか?」

 

 翔一がそう言うと、加奈はようやっと笑顔を見せて、それに頷き返す。翔一はそれを見て、

 

「ありがとうございます!」

 

 と言い残し、静かにレストランの扉を開けた。

 

 

 ────────────ー

 

 

 河原を横切る鉄橋の下で、サイ型のアンノウン、コーンは悠々と次の標的に歩み寄っていた。周りに集まった護衛の警察官達など意にも解さない様子だ。実際に、警官達が発砲した弾丸などまるで効いている様子はない。

 コーンはゆっくりと胸の前に手をやると、甲に死のサインを描き、標的へと狙いを定めようとする。

 

 しかしその時、バイクのエンジン音と共にマシントルネイダーに跨ったアギトが現れ、そへを遮った。コーンはそれと同時に、ターゲットから視線を外し、アギトの方へと体を向ける。

 

 アギトはそのままマシントルネイダーのアクセルを踏み込み、コーンへと突っ込んだ。車体がコーンに吸い込まれるように激突する。……が。

 コーンは数歩、マシントルネイダーに押し込まれて後ずさったもののなんと踏みとどまり、逆に跨っていたアギトを片腕で払い飛ばした。

 

 アギトは低く声をあげて地面に投げ出されたが、すぐに片膝をついて立ち上がり、オルタリングベルトの右端を手で叩く。すると、ベルト中央の賢者の石が赤色へと変色し、アギトの姿もそれに応じて赤を基調とした超感覚と怪力の形態、フレイムフォームへと変化した。そして、アギトが賢者の石の前に手をかざすと、フレイムフォーム専用の武器、フレイムセイバーが錬成されて現れる。アギトはフレイムセイバーを手に取ると、それを構えてコーンへと向き直った。

 

 コーンはそれを見ても怯んだ様子はなくアギトに向かって行き、右の拳を振った。が、アギトは難なくそれをかわすと、お返しとばかりにフレイムセイバーでコーンを斬りつける。しかしその硬い皮フはフレイムセイバーの刃すらも通さずに受け止めてしまった。

 アギトは思わず顔をあげるが、そのまま怪力にものを言わせてコーンを押し込む。

 

「うおおおおおお」

 

 そして、さらに膝蹴りを食らわせてコーンを怯ませると、フレイムセイバーの鍔の部分で頭を殴りつけた。

 唸り声をあげてコーンの身体が大きく宙を舞う。

 

 アギトはそれを見るとマシントルネイダーのもとに駆け寄り、跨ってエンジンをかけた。グワンと音が響き渡り、マシントルネイダーが走り出す。アギトはそのまま、立ち上がろうとするコーンへと狙いを定めると、マシントルネイダーから飛び上がった。それと同時にまるでマシントルネイダーがアギトの意思を汲み取ったかのように形を変え、サーフボードのように平らなスライダーモードへと変形する。飛び上がったアギトは空中で一回転して、そのままスライダーモードとなったマシントルネイダーへと着地し、フレイムセイバーを構えて、力を集中した。するとフレイムセイバーの鍔の部分が展開し、六本へと変わる。それと同時に、アギトはマシントルネイダーからコーンに向けて飛びかかった。

 

 アギトの超感覚は的確にコーンを刃で捉え、コーンは凄まじい威力によるフレイムセイバーの一閃、セイバーブレイクを受けて雄叫びとともに爆散した。

 

 アギトがゆっくりと地面に着地すると、マシントルネイダーも役目を終えたかのように通常のバイクモードへと戻った。

 

 ──────────ー

 

 物陰からその様子を眺めているもう一体のアンノウンの姿があった。トラクレンタ・デンスは、同胞が倒された様子をみると低く唸り声をあげてアギトに向かって飛びかかろうと身構えた。

 しかしその時、もう一つのバイクのエンジン音が鳴り響く。デンスがそちらに目を向けると、そこにはバイクに跨った一人の青年が睨みをくれていた。

 

 その青年、葦原 涼はバイクから降りると落ち着いた仕草でヘルメットを外し、デンスに向かって小さく言う。

 

「……どうしてお前たちが」

 

 それから少し切なげに自分の掌を見下ろした後、その顔に激情を浮かべてデンスを見やった。

 

「お前は……俺が倒す!」

 

 涼はそう言うと、両手を胸の前でクロスさせ、

 

「変身!」

 

 その掛け声と同時に、何かを引き剥がすようにその両手を払った。すると、涼の体が白い光に包まれる。そして彼もまた、深緑の肉体と、赤く鋭い鋭爪を備えた異形の戦士、エクシードギルスへとその姿が変わった。再び翠の戦士が現れたのだ。

 

「……!」

 

 デンスが驚いたように、ギルスの姿にたじろぐ。

 

「ウオオオオオオオ!!」

 

 そんなデンスに対して、ギルスは雄叫びをあげながら飛びかかった。

 

 ギルスはそのままデンスの両肩を掴むと、自分の体を低く軸にして投げ飛ばす。更に、地面に投げ出され立ち上がろうとするデンスの腹を蹴り上げ、後ずさる相手を続けざまに数発殴りつけた。

 デンスは声をあげながらも、反撃するために自身もギルスに向かって殴りかかるが、逆にその腕をとられ捻じあげられると、再び腹に数発パンチを喰らい、続けて頭に回し蹴りを見舞われて吹っ飛んだ。宙を舞ったデンスの体が少し離れた地面へと叩きつけられる。それを見たギルスは、口を大きく開き、空に向かって咆哮した。

 

「ウオアアアアアアアアア!!」

 

 それから強く地面を蹴って跳ぶと、右の足を思い切り振り上げる。そして、今まさにふらつきながら立ち上がろうとしているデンスの肩に、その踵を振り下ろした。

 

「ウグッ……!」

 

 思わずデンスが悲鳴をあげる。ギルスの踵に生えた鋭い爪、エクシードヒールクロウは的確にデンスのことを捉えていた。ギルスは更にデンスの胸元を蹴りつけると後方へと宙返りし、膝を折って着地する。それと同時に、もがき苦しむデンスの頭上に天使の輪が出現し、そして爆散した。

 

 ギルスはその爆発には目もくれずに立ち上がると、その変身を解除し、葦原涼の姿へと戻る。それから一瞬だけ地面に目を落とすと、ゆっくりと自分のバイクへと向かって行った。

 

 ────────────

 

 その帰り道、もはや幾月ぶりとも忘れた美杉家へと立ち寄った翔一は、懐かしい笑顔達に迎えられていた。

 

「おお、翔一君!」

 

 その家の主である美杉教授は、彼の姿を見て嬉しそうに破顔する。かつてこの家に世話になっていた頃の記憶を懐かしみながら、翔一もそれに対して満面の笑みで応えた。

 

「お久しぶりです、先生」

 

 すると、その息子、太一も翔一のもとに駆け寄ってきて、

 

「なんだよ、やっぱり元気そうじゃないか」

 

「え、なによそれ、どういう意味?」

 

「なに言ってんだよ、聞いたぜ? お前この前、店サボったんだろ?」

 

 全く変わらない太一の調子にも翔一は笑って返す。そんな中、ただ一人、真魚だけが浮かない顔をして翔一を眺めていた。それから戸惑うように口を開く。

 

「翔一君……大丈夫なの?」

 

「あ! 真魚ちゃんも! 元気にしてるわけ?」

 

 翔一の明るい言葉に、真魚は少したじろいだように顔をあげた。

 

「え……うん。あたしは大丈夫だけど」

 

「そっかそっか! みんな元気にしてたんだ! あれ? そういえば菜園の野菜……」

 

 翔一がベランダの方を向いて、庭の菜園に目を向ける。

 

「へえー! 立派に育ってるじゃない!」

 

「ま、お前のために俺たちがかわりばんこで世話してやってるってわけだよ。ありがたく思えよ」

 

「そっか! サンキュー太一!」

 

 翔一はそう言って、もう一度高らかに笑った。




DATABASE

種族名:ライノロード
個体名:トラクレンタ・コーン
能力:重量操作によって人体を自壊させる
サイに似た超越生命体。「獰猛な角」の意を持つ名を冠する。

種族名:ボアロード
個体名:トラクレンタ・デンス
能力:分厚い鋼鉄も容易く破壊する突進
猪に似た超越生命体。「獰猛な牙」という名を持つコーンの補佐を主な役目とする同族。


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第四話 「英雄の帰還」
再会と躍動


「また随分と突然ですね……」

 

 イギリスのロンドンに事件の捜査として出向いていたところ唐突に、緊急でとんぼ返りのように帰国を要請され、たった今東京の羽田空港へと降り立った、高身長に黒い上着を羽織った若い男は自分を出迎えた何人もの警察官とその先頭に立つ二人の自分の同輩、北條透と尾室隆弘に向かってそう言った。

 彼の姿を見て、北條は少し意外そうに尋ねる。

 

「おや、ご一緒ではなかったのですか」

 

「ご一緒?」

 

 なんのことか、と男は首を傾げた。

 と、その背後から不意に3人に向かって聞き覚えのある女性の声が掛けられる。

 

「氷川君はいつまでもおしめのとれない赤ん坊じゃない……そうでしょ?」

 

 それは勝気な口調、芯にある我の強さを感じさせる声音。

 微かに懐かしいような声に思わず男、氷川誠は反射的に振り向いた。その後ろで、応えるように北條がフッと口角を釣り上げる。

 

 氷川はそこに立っていた久々な姿に思わず感慨の声を漏らした。

 

「小沢さん……?」

 

「久しぶりね、氷川君」

 

 

 ──────────

 

 冷蔵庫に入れてあった食べ物もいつの間にかほとんどなくなっていて、葦原涼は仕方なく近場のコンビニに食料の買い出しに出ていた。チビが転がり込んでからというもの、食料の減りが早い。特にどうやら育ち盛りだったようで食べる量がとんでもなく、最近では自分でなんとか冷蔵庫をこじ開ける方法を覚え、知らない内に食べ物を引っ張り出しているような様子も見られるのだ。

 

 ため息をついて人通りの少ない街路を歩いていた涼は、向こうから慌てた様子で走ってくる1人の少女の姿に気がついた。少女の方は何かから逃げるように後ろを向いて走っているため、涼の姿には気づいていないようだ。

 

 涼は少し顔をしかめると、立ち止まってその様子を伺う。と、少女は涼の目の前まで走ってきてようやく前を向き、ぶつかりそうになったところで、

 

「わっ!」

 

 と体制を後ろに崩した。少女がコンクリートの地面に尻餅をつく。その拍子に少女の手から色々なものがこぼれ落ちた。

 スナックなどの菓子類やカップ麺、それにペットボトル飲料の飲み物がいくつか。コンビニの商品にあるようなラインナップだが、袋に入れられていない事からも、これらの物をどうやってこの少女が手に入れたのか、大体の予想がつく。

 

 少女は、涼を見上げると睨みつけ、「チッ」と小さく舌打ちした。背中のあたりまで伸ばしたストレートの髪を茶に染め、少し丈の大きい赤いコートに下はレギンスを吐いている、年齢は15~17程度の少女だった。目つきといい格好といい、どうやらあまり大人しくない年頃のようだ。

 

 少女はそれから辺りに散らばった物を拾い集めると、サッと立ち上がって涼の横をすり抜けて行こうとする。が、すかさず涼がその片手を掴んでそれを制した。

 

「待て」

 

 涼がそう言うと、少女が明らかに不機嫌そうに涼を睨みつける。

 

「なんだよ」

 

 女子にしてはなんとも荒々しい高圧的な口調で、少女は答えた。涼は少女の抱えてる食べ物に目を落とすと、少しため息をつく。

 

 

「またガキか……」

 

 

 ────────ー

 

「なんですって! じゃあアンノウンが!?」

 

 帰国早々、本庁へと呼び戻されたかと思えば更に緊急会議へと引っ張り出され、幹部会の上役三人から放たれた言葉に、氷川誠は真っ先に反応した。

 既に訳知り顔だった北條透と尾室隆弘はその横で神妙に頷き、小沢澄子も納得した様子で首を小さく振った。

 

「なるほど、このメンバーで呼び出されるくらいだからまあそんな所だろうとは思っていたけど、まさか本当にそうだったなんてね」

 

 それに対して上役三人の内、真ん中に座った最も腰の重そうな老幹部が口を開く。

 

「我々もつい先日北條主任の報告を受けたばかりでね。複数の警察官の目撃証言や実際に不可能犯罪で殺害された可能性が高い被害者達の件についても上がってきている。信じ難いことではあるがアンノウンの再出現という可能性を考慮しなければならないだろう」

 

「そんな馬鹿な! 一体なぜ、今頃になって!?」

 

 氷川が勢い余って机を手で叩いた。見かねた左方に座る眼鏡をかけた上役が彼を諌める。

 

「落ち着きたまえ、氷川主任。確かに疑問点は多々あるが、実際に目撃されているのは事実だ。我々としては現状、一連の事件についての情報を集め、アンノウンの復活が確かな事ならばそれに対策していく以外、どうすることもできないと思っているのだが」

 

「まだそんな事を言っているのですか!」

 

 その言葉に対して次に口を開いたのは北條だった。北條は訴えかけるような視線で上役三人を見ると、まくし立てるように言う。

 

「アンノウンが絶滅したと思われながら出現したというケースはこれが初めてではありません。そうなれば我々としては、もしかしたらアンノウンが不滅であるかもしれないという線についても考慮していかなくてはならないはずだ。そして! ……もし仮にそうであったとするならば、G3-Xだの、時のG5だのがいくらアンノウンと戦ったところで、問題を先送りにしているだけに過ぎない。今、再びアンノウンが動き出した以上、我々に求められているのは、このアンノウン事件の根幹にある謎を解明することなのです。……我々自身の手で」

 

 G3-X「だの」という表現が気に食わなかったのか一瞬北條を睨みつけた小沢だったが、彼の言う事にも何か思う所があったのか飲み下すように再び前を向く。

 

 それから北條の後を取るようにゆっくりと口を開いた。

 

「概ね、私も北條主任の意見に反対はありません。ですが、G3-X……いえ、そう、今はG5でしたか、所謂「未確認生命体対策班」改め「アンノウン対策班」のやっていることが無駄である、という意見には同意しかねます。例え彼の言うようにアンノウン事件の謎を解明する事が出来たとしても、アンノウンに対抗する術を持たなければ全てが無駄になってしまうからです」

 

 

 ──────────

 

「はぁ? 誰がガキですって?」

 

 涼の言葉に少女は視線を鋭くする。

 

「なんなのアンタ、なんか文句あんの」

 

 威勢のいい言葉を吐き捨てながら睨みをくれる少女を見て、涼は再度嘆息した。

 

「お前、親は」

 

 涼がそう聞くと、少女の目線が更に厳しくなる。それからバシッと涼の手を振り払うと。

 

「なんでそんなこと言わなくちゃいけないのよ、関係ないでしょ」

 

「ああ、そうだな。こっちもお前みたいなガキに一々構っていたくはない」

 

 涼がそう言ってうんざりした様子で大人しく手を放すと、少女は怪訝そうな表情で涼の姿をまじまじと見やった後、彼の言葉に対しては特に何も言わず背を向けて走って行った。

 涼は静かに遠ざかるその背中を見送った。

 

 

 ──────────

 

 一方その頃、美杉家には一人の訪問者がやってきていた。スラリとした長身に大学の学生鞄を肩に提げた青年は、表札を確認した後に少しだけ母屋の窓の方を見上げると、インターホンに指を伸ばした。

 

 ピンポーン

 

 呼び鈴の音が静かに小玉する。

 

 しばらくして、ガチャリと家の扉が開くと、そこから一人の少女が現れた。この家の風谷真魚だ。

 真魚は

 

「はいはーい」

 

 と訪問者に応えるようにして、駆け寄ってくる。そしてその姿を見て目を見開いた。

 

「久しぶり、真魚ちゃん」

 

 青年がそう言って軽く手をあげると、真魚の表情がゆっくりと笑顔に変わり、そして驚き混じりの笑みになった。

 

「真島くん! 久しぶり! あ、せっかくだし上がって行きなよ! お茶くらい出すからさ」

 

 そう言って嬉しそうにはしゃぐと真魚は手招きをして真島 浩二を家の中に招き入れた。

 

 

 

「そっか〜、真島くんも医大生だもんね。忙しいんだ」

 

 真島を家の中に引き入れた真魚はお茶を差し出しながら頷く。

 

「うん、まあね。まだまだペーペーなんだけど、ほんっと、大学が忙しくてさ〜」

 

 真島が疲れた様子で伸びをすると真魚は微笑ましそうに笑った。

 

「でもなんか、真島くんも変わったよね。垢抜けたっていうか、成長したっていうか」

 

「そう? まあ、そりゃそうか、なんてったって医大は大変だからさ、嫌でもそうなっちゃうよ」

 

 それにさ、と真島は遠くを眺めるような瞳で続ける。

 

「今はちゃんとした目標があるからね」

 

 そう言って誇らしげに笑う真島に真魚は神妙そうな表情を浮かべて聞いた。

 

「木野さんのこと……?」

 

 木野 薫。かつてあの凄惨なあかつき号事件を体験し、そしてこの世で三人目のアギトとして覚醒した男。過去を呪い、己を呪い、光の力の気まぐれによって数奇な人生に弄ばれた人間の一人だ。

 一時は津上や葦原とも相争いあうこともあったが、自身の内にある弱さを打ち破ることで彼らと共に戦い、そして壮絶に散って行った男である。

 

 彼は今も、真島にとっての師であり、二人目の父にも似たような存在だった。真島は、しかし笑顔を崩さずに。

 

「……うん。昔はさ、こう、見返してやるっていう気持ちだけで具体的な目標とかも何もなしにアギトの力が欲しいって思っててさ」

 

 真島はそこで、少しだけ視線を落とすと、グラスに入った麦茶に口をつける。それから。

 

「でもそれ、結局意味ないじゃない。アギトの力を持ったって、医者になったって、結局それは自分自身なんだからさ。力とか技術とか、それを使うのも自分自身なわけ。だからその自分から逃げ続けてたら、どっちにしたって何も意味ないんだなって。アギトの力を無くしたからって俺に出来ることが何もないわけじゃないんだなって」

 

 それから懐かしそうに、電球の光を照り返すグラスを眺めて続けた。

 

「それをあの日、アギトの力をなくしても、アンノウンに襲われた津上さんを助けた木野さんのオペを見て教わったんだ。だから、俺も木野さんみたいになりたい。アギトになるんじゃなくて、誰かを助けられる「人間」になりたい。それが、俺の居場所なのかなって」

 

 そして、自分の事をマジマジと見つめている真魚の視線に気づき、慌てて恥ずかし紛れで両手をふるう。

 

「あ、ごめん、なんか勝手に語っちゃったりして! 今の、忘れていいから」

 

 それから無理やり、麦茶を一気に飲み干そうとする真島に向かって真魚は首を振った。そして、

 

「ううん、それすごくいいかも」

 

 と満面の笑みを浮かべた。



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進化する装甲

 警視庁本庁の廊下で、かつてのG3ユニットのメンバーである三人が再会の挨拶を交わしていた。

 偉そうに髭など生やして以前よりも貫禄をつけていた尾室は二人に会えた感慨のあまり涙を拭う。

 

「うっうっ小沢さん……氷川さん……僕、僕、また二人に会えてなんていうか、光栄っていうか」

 

 そんな尾室の情けない姿に、小沢は笑みを浮かべながら肩を叩いた。

 

「わかったわかった。まあでも、なんだかんだまたこの三人でやっていくことになれて良かったじゃない。……ほーら!」

 

 世話のかかる末弟を諭すような口調で尾室に語りかける小沢。それを微笑ましそうに見守る氷川。

 

 そんな三人に、やけにネチネチとしたこしゃくな声がかけられた。

 

「おや、仲良し三人組はまたこんなところで談笑ですか。愉快そうで何よりですよ」

 

 見れば、本庁きってのエリート刑事、北條透が人を小馬鹿にするかのような笑顔で三人の基に歩みよってくるところだった。

 そんな北條に対して小沢もこれでもかと言わんばかりの嫌味な笑みを浮かべる。

 

「ええ本当に何よりね。あんたがまたアンノウンを保護しようだなんて馬鹿みたいな事を言ってくれなくて」

 

「もうそんな必要はありませんよ。アギトもアンノウンも、その謎が解かれれば、自ずと我々がどうするべきなのか、その答えが見えてくるのですから。まあ、それまではせいぜい宜しくお願いしますよ? アンノウン対策班がアギト対策班に変わったりしないことを願って、ね」

 

 北條はそう言って小さく笑うと、口をへの字に曲げる小沢の横を通り抜ける。それから数歩歩いたところで立ち止まり、「それと」と付け足しながら3人の方を振り向いた。

 

「感謝してください。あなた達がこうしていられるのも三年前のあの暴挙を私が上層部に黙っていたお陰なのですから」

 

 そして、今度こそ背を向けるとツカツカと足音を鳴らしながら歩いて行った。

 小沢はその背中を睨みつけながら、二人に向かって。

 

「三年たっても相変わらずね、あのカラス男は」

 

 ──────────

 

 どこか見知らぬ場所。

 この世の何処とも知れぬ、地上であって地上でなく、本来人間の及びもつかない世界に立ち灰色の服を来た青年は世界を見つめていた。

 凍りついたかのように感情のない表情はピクリとも動くことがなく、視線もだだ一点を見つめている。

 

 そして、その青年の背後には身なりの良い一人の男が立っていた。

 男は視線だけで辺りを見回し、しばらくしてから口を開いた。

 

「どういうことだ。なぜ、私がここにいる」

 

 そう言う男は、不思議そうに自分の両手のひらを見つめ、狼狽する。

 それから青年の背中を怪訝そうに睨めつけ、続けた。

 

「私はあの時……」

 

「死んだはず」

 

 その言葉を遮るように青年がそう、口を開く。そしてゆっくりと男の方を振り向いた。

 

「その通りです。あなたは二度死んだ者。分かりませんか、私が呼び寄せたのです」

 

 青年のその言葉を聞いて、男の顔が驚きに歪んだ。

 

 

 ……昔、この男の名は津上 翔一と言った。

 

 その名前の真の持ち主であり、そしてかつて創造主によってこの世に生まれた最初のアギト、沢木雪菜を死なせたことで、沢木哲也という名を受け、使徒として再び生を受けた男だった。

 

 しかし彼は神を裏切り、沢木雪菜という女と、そして自分自身を救うことが出来なかった事への贖罪に生き、アギトの味方として三年前、その2度目の命を使い果たした……はずだった。

 

「あ、アンタは……」

 

 沢木は口元を震わせて、青年の姿を見やる。青年はその凍てついたような顔に笑みを浮かべ、

 

「私も、やっと目覚める事が出来ました。そして、かつて使徒としての役を与えられたあなたに、三つめの命を授けた」

 

 そう言う青年に対し、沢木は明らかにその表情に動揺した様子を浮かべながら言い返した。

 

「何のつもりだ。今さらあんたが出て来たところで、彼は……うっ!」

 

 しかしその言葉は途中で途切れ、沢木は苦しそうに胸を抑える。突然、貫くような鋭い痛みに襲われたからだ。

 

 そんな沢木を、青年は冷たい視線で見下ろす。

 

「口を慎みなさい、人間。あなたはまだ、自分の立場というものを理解していないようだ」

 

 青年はそう言いながら、ゆっくりと沢木に背を向ける。それと同時に、徐々に胸の痛みが穏やかになっていった。

 

「三度目の命くらい、利口に使うことです」

 

「……ぐっ。なぜ、なぜだ。なぜ私を……」

 

「君の、記憶を借りたいのです。私が眠っている間、何があったのかを」

 

 青年は静かに宙を仰ぐように手をかざす。そしてその手に力をこめると、眩い光が放たれた。

 

 ──────────

 

 その日はよく晴れ渡った青空だった。

 気温も普段と比べて低すぎず、空には雲一つない。風も穏やかで太陽の光が眩しく、快晴と言って差し支えのない天気だった。

 

 そんな空をふと見上げた男が何を思ったのかは分からない。もしかしたら「今日はなんだか良いことがありそうだ」などと思っていたのかもしれない。

 

 だとすればその男は幸せだった。

 

 一瞬の内に、晴れ渡った空から稲妻が走り、まるで吸い寄せられるように男の心臓を貫いた。

 ほとんど即死だっただろう男の体が、間髪入れずに燃え上がる。

 

 すぐに辺りは悲鳴の渦に包まれた。

 

 ──────────

 

 加奈は突然、自身を襲った謎の感覚に畏怖していた。

 唐突に辺りの物音が一切聞こえなくなり、世界がゆっくりと動かなくなったようになる。そしてにわかに、鋭い頭痛に襲われるのだ。

 

 最初は強く締め付けるように痛み、それと一緒に耳障りなノイズがはしる。やがてその痛みはこめかみのあたりにやってきて刺し貫くように疼くのだ。

 

 

 ……以前にも、似たような事があった。

 

 もう三年も前のこと、まだ彼女と翔一が出会って間もないころの話だ。彼女の姿は唐突に、異形のものへと変貌した。

 

 当時の悩みや不安定な感情も相まって、あまりにも突然の事に彼女の心は激しく混乱した。ただ、自分は人間ではいられないのかもしれない。そんな感覚に、世界でたった一人になったような気がした。

 

 それはその時の彼女にとって、世界の終わりに等しかった。夢も、希望も、人間として在った彼女の中の何もかもが壊れてしまったような。

 

 しかし、そんな彼女を救ってくれた人間がいた。世界で独りきりだった彼女の孤独を理解出来る人間がいた。……いや、彼はそれよりもずっと前から、その自分の中の孤独と戦い、人々の居場所を守り続けてきた人間だった。

 

 その人間の名前は……。

 

 

「津上さん」

 

 加奈は、レストランの厨房で開店の下準備にかかる翔一の背中に声をかけた。

 

「はい?」

 

 すぐに、屈託のない笑顔を浮かべ、彼が振り返る。

 加奈は下を向いて、少し落ち込んだ表情を浮かべた後、真摯な瞳で翔一の事を見て言った。

 

「……ありがとうございます」

 

「えっ?」

 

 

 ──────────

 

 警視庁本庁地下、一般には内密にされている車庫にGトレーラーと呼ばれる大型警察用トレーラーが存在した。

 かつてアンノウンと呼ばれる謎の存在が跋扈した際には、G3ユニットの主な移動手段として活躍していたものだ。現在でもそれは変わらず、「来るべき日のため」にそこにあるのだが、この三年、平和が訪れた世界ではこの巨大な鉄塊が市内を奔走することはなくなり、やがていつからか埃を被るようになっていった。

 

 そして今、そんな「来るべき日」の到来を告げるかのように、かつてのG3ユニットの英雄がGトレーラーのもとにやってきたのだ。

 

「G5……ですか?」

 

 氷川は数年ぶりとなるGトレーラーの姿を見上げながら、小沢の言葉に聞き返す。

 

「そうよ。Generation5、言わばG3-Xの後継機、次世代機みたいなものね」

 

「G3-Xの……次世代機?」

 

「ええ。内容としてはね、システムプログラムに拡張アプリを組み込むことでシステムそのものが拡張、パワーアップされる。更に、プログラム自体が装着者の身体能力や特性、戦闘経験などに応じて自動でその拡張アプリを作り上げて、システムに組み込んでいくの。つまり理論上は誰にでも装着することが出来、戦えば戦うほど強くなる、装着者と一緒に進化するGシステムなのよ」

 

 小沢のその言葉に、氷川が思わず驚愕に目を丸める。

 

「進化する……? すごい、それじゃまるで……」

 

「アギトみたい?」

 

 小沢は得意げに、氷川の先手をとって言葉を返す。

 

「そうね、その通り。進化するのは何もアギトだけじゃないってわけよ。……まあとは言っても」

 

 そう言いながら彼女はGトレーラーハッチのロックを解除する。

 二人はプシュー、と漏れ出すような解除音が響くのを確認してから、Gトレーラーの運転席へと乗り込んだ。

 

「実際にこのシステムを完成させることが出来たのは、アギト……いえ、津上君との接触によるところが大きいんだけどね」

 

「津上さんの……?」

 

「ええ、あなた覚えてるかしら? アンノウンと戦っている時の彼は状況に応じて、自分の姿を変えていたの。そして観測によればそれと同時に彼の戦闘能力も変化していた。ま、あれにヒントを貰ってね」

 

 小沢の言葉と同時にGトレーラーの内部への扉がガタンと開き、そして懐かしい光景が広がる。

 

 あの頃と何も変わっている様子がなかった。

 管制用の少し時代遅れなパソコン、緊張感を程よく引き締める薄青色のランプに、トレーラーのスロープに据え付けられたガードチェイサー。すべてがあの時のままだった。

 

 氷川はその光景に無意識に笑みを浮かべるが、小沢はそんなものには大して感慨を覚えることもなく、チェアに腰掛けて続ける。

 

「それから諸外国の技術者達と連携することになったの。どうやらこの国と違って公にはされてなかったけれど、アンノウン事件は世界中で起こっていたみたいね。秘密裏に特殊部隊が動いていたこともあったみたいだけど、どの国もアンノウンにはなす術がなかった」

 

 小沢はそこでチラリと氷川の事を見やり、それから管制用のパソコン画面に向かい合う。カタカタ、と小沢の指がキーボードを打った。

 

「事態を重く見た各国が提携し、いつか現れるかも知れない未知なる敵に備えて、私の開発したG3システムを前形に造り上げた装甲スーツ。それがG5ってわけ」

 

 小沢の指が止まると、ガタン、と音がなり、デスクの横にある壁がゆっくりと左右に開閉する。

 氷川はそこに設置された強化装甲スーツの姿を見て思わず生唾を飲み込んだ。

 

「これは……G3-X?」

 

 そこにあったのは、かつて氷川が英雄として戦っていた時に身にまとっていた姿、G3-Xによく似ているように見えた。氷川はそれを指さして小沢に尋ねる。

 

「これが、G5ですか?」

 

 小沢はそれに対して、首を横に振った。

 

「G5は飽くまでも量産型の名称よ。あなたが装着するのは私が直接設計した特別タイプ。名前は、そうねぇ……」

 

 小沢は顎に手を当てて天井を見つめ、それから閃いたように得意げに氷川を見やる。

 

G3-XX(ジースリーダブルエックス)ってところかしら?」



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開戦の鐘

 人の体が突然発火した。

 そんなにわかには信じられないような通報を受け、現場には多くの警察官達が集まっていた。例によって河野、北条も事件の現場にやって来て捜査を進めている。

 

 死体があった当時の姿を示す、白いテープで囲われた地面は真っ黒に焦げていて、辺りには何かの燃えカスのようなものも残っていた。

 

 現場の状況を見て、河野は思わず顔をしかめる。

 

「目撃者の証言によると、気づいたら被害者の死体が燃え上がっていたらしい。……しかしなぁ、こうも何も残らないとなるとなぁ」

 

「アンノウンの仕業には間違いないのでしょうが、この手口の殺しは確認されているだけでも七件目です。既に二組の血縁が絶やされている」

 

 切迫した様子の北条に、河野も困ったように頷いた。

 

「ああ。しかしなぁ、アンノウンの目撃情報が全くない上に、死体が完全に焼失してしまうせいで、被害者の把握が難しいんだ。今回の被害者は偶然、人目のあるところで襲われたようだが、それでもアンノウンを目撃したっていう話は出ていない」

 

 河野は小さく舌打ちをして、

 

「とにかく早く身元を確認しないことには、護衛のつけようもないな」

 

 ──────────

 

「ありがとうございますっ」

 

 加奈は首を傾げる翔一に対して、もう一度頭を下げた。

 

「え、だからなんのことですって!」

 

 翔一はますます混乱した様子で口をポカンと開ける。

 そんな翔一の姿に加奈はぎこちなく柔らかな笑みを浮かべた。

 

「私、この三年間生きてきて、楽しい事が一杯ありました。もちろん、楽しいだけじゃないことも。でも……」

 

 3年前の、運命の日の記憶をまさぐりながら加奈は俯く。

 

「でも、もしあの時死んでたら、本当に何もかもお終いだったんですよね……。今の私も過去の私も。結局、それを選ぼうとしてたのは私自身だったんですよね」

 

 翔一はそんな加奈の様子に、下唇を噛んだ。

 

 あの時、翔一には何故か加奈の姿が死んだ姉、雪菜が重なって見えた。そして翔一は最後の最後で、自ら死を選んだ姉の言葉に応えることが出来なかった。

 

 彼女に重なった姉の姿が、彼の自分自身の弱さを浮き彫りにした。

 

「だから、あの時私を助けてくれて、本当にありがとうございました」

 

 なんで今更こんなこと……加奈自身も不思議でならなかった。

 それでも、言葉は自然と彼女の口をついたのだ。彼女自身が今、翔一にこの気持ちを告げたいと思ったから。

 

 翔一はそれを聞いて少し気落ちしたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻ってそれに答える。

 

「いえ、それなら加奈さんにこそ、ありがとうございましたですよ」

 

 笑みを浮かべながらそう言う翔一に対して、加奈が不思議そうに眉を寄せる。

 

「私に……?」

 

「はい。あの人の言葉……覚えてますか? ほら、俺と一緒に加奈さんの事を助けてくれた人の。『人はしょせん、自分で自分を救わければならない』って。俺、本当にその通りだと思うんです。俺がどんなに頑張ったって、加奈さんがどうするかを最後に決めるのは加奈さんなんですから」

 

 その言葉は、今は亡き姉、雪菜にかけるものでもあった。そしてあの時の、自分の弱さにかけるものでもあった。

 だからこそ、翔一は笑顔を絶やさずに加奈に言う。

 

「結局、加奈さんの事は加奈さんが助けてあげるしかないんです。加奈さんは自分が助けられたって思ってるわけですよね。それってやっぱり、自分で自分を助けてあげる事ができたからそういう風に感じるんだと思うんです」

 

 翔一は噛み締めるように、姉の姿を思い出にしまい込むように最後に付け加えた。

 

「だから俺、加奈さんの事を助けてくれた加奈さん自身に、たくさん感謝してるんです」

 

 そう言って翔一は重ねるような笑顔を浮かべ、仕事に戻る。そんな翔一の背中を見て、加奈は再び俯いた。

 

 ありがとうございます、津上さん。でも……。

 

 

 でも私、やっぱりまだどう生きていいのか分からない。ずっと……ずっと津上さんに甘えっぱなしで……。

 

 

 ──────────

 

 長年使い続けている愛車の定期メンテナンスの帰りのことだった。

 涼はふと、見覚えのある姿に路上でバイクを止め、ヘルメット越しにその様子を見つめる。

 

 一人の女性……と言うよりまだ年端もいかないような少女が、数人の男、それもかなり粋がった服装の連中に追われているようだった。

 相手は格好からしてまともな類の人間達ではなく、中には短いパイプ棒のようなものを持ってる物騒な男までいて、一目でそれが普通の状況ではないとわかる。

 

 すぐに一行は狭い路地の方へと入っていってしまったため見えなくなったが、何やら穏やかじゃない事態が起こっているようだ。

 

 涼はチッと小さく舌打ちをすると、バイクのアクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 路地に入り込んだ少女は、網の目のように狭い通路をくぐり抜けて追いかけてくる男たちを巻こうとする。が、しつこいことに連中も諦めずに狭い通りに苦戦しながらもついて来ていた。

 

 やがて何回か角を曲がったところで再び路地が終わり、少女は車道のある通りへと飛び出る。

 と、路地の出口のすぐ目の前に見覚えのある格好の男が、バイクに跨っていた。

 男は少女を見るなり、後部座席を顎でさし、

 

「乗れ」

 

 などと言ってくる。

 少女ですら思わず素で「はあ?」と顔をしかめたが、男はそれには答えようとせず、

 

「早くしろ」

 

 と少女の後ろの方を見ながら言った。

 後ろからは今にも追いつかんとしている追っ手が声を荒げていた。

 少女は小さく舌打ちをしたが、今はなりふり構っていられる場合でもなく、言われたとおりに男のバイクに乗り込む。

 

 男はそれを確認すると、アクセルを踏んでバイクを走らせた。

 

 ──────────

 

 唐突に、警視庁各局、そしてそこに属する全てのパトロールカーに突然の一報が入る。

 

「一般人警護中の警察官より、対象がアンノウンに襲われた模様との入電中、繰り返す、一般人警護中の警察官より……」

 

 そしてその一報は、警視庁地下に封入されているGトレーラーにも届けられていた。

 それを聞いたオペレーターの小沢はまさしく稲妻のごとく反応し、共にいた氷川と尾室室に向かって言う。

 

「ついに来ちゃったわね……覚悟はいい?」

 

 そんな小沢の言葉に尾室が慌てて、空気を読まずに返した。

 

「え、いやでもまだ上からの正式な許可降りてませんよ!?」

 

 が、すぐに小沢の、

 

「何言ってんの細かいこと気にしてる場合! 行くわよ!」

 

 という身もふたもない返事によって切り捨てられてしまう。

 小沢はマイクを装着し、通信用のスイッチを入れると、

 

「Gトレーラー、出動します!」

 

 と声高らかに宣言した。

 

 それに応えるように、Gトレーラーがサイレンを鳴らして動き始める。その振動を感じながら、小沢は複雑そうな表情を浮かべた。

 

「晴れてG3ユニットの復活というわけね。喜ばしい……とは言い難いけれど」

 

 ────────ー

 

 ちょうどその頃、開店に向けての作業を続けていた翔一も鋭い感覚に襲われる。

 そして、無意識の内に駆け出しながら、

 

「加奈さんすいません! 俺、ちょっと!」

 

 と言って、返事も聞かずにレストランを飛び出した。

 

 加奈はそんな翔一に追い縋るように自分も走り出そうとしたが、すぐに足を止め、その背中を不安そうに見つめる。

 

 自分の手が慄くように震えているのが感じられた。

 

 ────────ー

 

 けたたましくサイレンが鳴り響く中、小沢は氷川に向かって語りかける。

 

「悪いわね、またあなたにこんな戦いを強いてしまうなんて」

 

 それに対して、氷川は首を振って新しい自分の姿、G3-XXを見つめた。

 

「いえ、僕の方こそまた小沢さん達と戦うことが出来て光栄です」

 

 そう言って彼はゆっくりと立ち上がる。小沢もそれに並んで腰を上げ、氷川を見上げた。

 

「じゃあ行くわよ。G3-XX、出動!」

 

「はい!」

 

 

 

 オペレータによってG3システムへのアクセスが解除されると、装甲のそれぞれのユニットが装着可能になる。まずはオペレータの補助によって胸部ユニットが、さらに続けて肩部、腕部、臀部ユニットがそれぞれ装着員に装着される。

 そしてバッテリーの残量を示すベルトが接続されると、赤いランプがマックスまで点灯し、G3システムの起動を示した。それと同時に、オートフィット機能によって装甲全体が完全に氷川に適合する。

 

 最後に、氷川誠をG3たらしめる頭部ユニットが、彼の顔に重なり被せられた。

 

 その装着を確認する氷川は一度、新たなる自分の姿に目を向ける。それから懐かしむように零した。

 

「何も変わらないな、昔と」

 

 そしてその言葉を最後に、氷川はスロープに配置された彼専用の白バイ、ガードチェイサーに跨った。それを確認した尾室が、Gトレーラーの後部ハッチを解放し、スロープを後ろに下ろしていく。

 

 氷川が一度後ろを振り向いて確認してから、ガードチェイサーはスロープから離脱され、ゆっくりと滑るように路上に降下した。それと同時に、ガードチェイサーも自らサイレンをあげて、走り出す。

 白い車体が唸りを上げ、警察局の誇る最高の技術力によって超高速で市街を駆け抜けた。

 

 

 

 やがて、しばらくもしない内にG3を乗せたガードチェイサーは通報のあった埠頭付近へとやってくる。湾を一望する海沿いに氷川はバイクを止め、辺りを伺った。アンノウン出現の報告があったはずだが、辺りは不気味なほどにひっそりとしている。

 

 氷川はガードチェイサーから降りると、車体に格納されている専用マシンガン、GM-01を取り出し、構えた。それと同時にGM-01がアクティブモードとなり、射撃を可能とする。

 ゆっくりと、氷川は慎重に辺り見回した。

 

 しかし相変わらず、そんな氷川を嘲るかのように静まり返っている。耳に響くのは、自らの足音とG3-XXの稼働音。

 そしてそんな状況がより、彼を緊張させた。

 

 

 と、不意に一台の車が目に入る。どうやら、捜査一課が保有する警察専用車両のようだが、人の気配がない。アンノウンに襲われたのか? 

 氷川がそれを確かめるために車両に近づこうとした時だった。

 

 嘘のように晴れ渡った青空から一筋の稲妻がはしり、氷川の胸を貫いた。




DATABASE

仮面ライダーG3-XX
警視庁本部アンノウン対策班の小沢澄子によって、G3-Xを元に更に進化開発された戦闘用強化外骨格。システム拡張アプリを元に、プログラムがオートで装着者の戦闘論理や、様々な対象のデータを解析し独自に進化するという新世代のG5の設計を基盤にして、小沢自らが手を加え再構築したG3-Xである。それに伴い、主要武器にも大幅な改良が加えられ、戦闘能力、火力ともに強化されている。


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第五話「新しいG3!」
英雄の邂逅


 一瞬の出来事だった。

 氷川の視界が高熱のあまり真紅に染まり、胸部装甲が火花をあげる。数千度の熱にも充分耐えうるはずのその装甲が悲鳴をあげたのだ。

 G3のモニタを通して現場の様子を見ていた小沢と尾室も、突然の出来事に思わず息を吸い込んだ。

 

 バチバチとパルスのように光の残滓が氷川の周囲で弾ける。

 

「ぐっ!」

 

 思わず氷川は後ずさり、膝をつきそうになった。

 が、なんとか踏みとどまり、辺りを見回す。

 

 ……見えない! 

 

 敵の姿がどこにもないのだ。G3システムによって超広角、超範囲の視覚聴力を与えられた氷川にすら、敵の姿が捉えることができなかった。

 しかしそれでも、氷川はサッとGM-01を不可視の敵に対して構える。と、まるでそれを彼の敵意と感じ取ったかのように再び、稲妻が迸った。

 青白い電子がはじけ飛び、億ボルトにも達する電流がまたもG3-XXを貫く。

 今度こそ氷川はその場に肩膝を着いた。

 

 だがなおも、彼は歯を食い縛り立ち上がろうとする。そしてその時、氷川の頭に鋭い痛みが走った。

 

「うあっ!」

 

 キーンという耳鳴りの様な音と共に締め付けるような、貫くような痛みに襲われる。氷川は思わずGM-01を手放し、頭を抑えた。

 

「うっ……ぐあっ!」

 

 痛みによろめきながら、頭を押さえつける氷川の耳にオペレーターの小沢の声が響く。

 

「氷川君!? どうしたの、氷川君!?」

 

 しかしそんな声に答える余裕があるはずもなく、氷川はどうしようもない痛みにうめき声をあげる。

 顔をしかめながらも、霞む視界で目をこらした時だった。

 G3システムのモニタ越しの何もないはずの空間に、ぼんやりと人の形を象ったような影のようなものが写りこんだ。ついさっきまでは確かに何も見えなかった筈なのに、今はそこに何かが存在しているように見える。

 不意にその人型がモゾモゾと蠢いた。

 

 その瞬間、氷川は反射的に飛び込み姿勢で前に転がっていた。まるで、脳内で何者かに「かわせ」と命令されたかのように。

 

 そして、数瞬先まで氷川が立っていた場所にまたしても稲妻が走る。それをかわしながら氷川は手落としたGM-01を拾い上げると、起き上がりざまに前方の不可視の人型に向かって構え、トリガーを引いた。ドトン、という発砲音と共に薬莢が宙を舞い、そして肝心の弾丸は何もないはずの空中でパシュンと弾けた。

 

 何かに当たった! 

 

 氷川は考えるよりも早く、続けてトリガーを引き、サブマシンガンを連射する。何発もの弾丸が虚空に着弾した。

 

 

 

 ちょうどその頃、本能に導かれた翔一も現場へと到着した。翔一はファイヤーストームから下りると辺りの様子を伺う。そして、宙に向かってひたすらにGM-01を発砲するG3の姿を目にした。

 

「氷川さん?」

 

 翔一は目を細めながらも、彼が戦っているというその状況を理解して、変身ポーズをとる。オルタリングの両端を思い切り叩くと、翔一はアギトへと変身し、氷川の元へ駆け寄った。

 

「氷川さん!」

 

 近寄りながら、そう声をかける。その声を聞いた氷川が、思わず発砲をやめてそちらを振り向いた。

 そして、アギトの姿を見て驚く。

 

「つ、津上さん!?」

 

 氷川がわずかに気を抜いた瞬間だった。

 

 先ほどとは比べ物にならないほどの、電信柱程もあろうかという雷光が二人を狙って一直線に落雷した。コンクリートを砕き、爆風を広げるほどのエネルギーが衝突する。その余波に巻き込まれただけで、二人は数メートルも吹き飛んだ。

 

「うわっ!」

 

「わああっ!」

 

 二人は地面に叩きつけられて身悶えしながらも、手をついて立ち上がり、辺りを見回した。しかし既にそこには先程までの気配はなく、ただ再び不気味な静寂だけが空気を支配していた。

 

 ──────────

 

「そうですか、では津上さんも……」

 

「ええ、実は……」

 

 不意のことにアンノウンを取り逃がしてしまった二人は、あの事件以来お互いにそれぞれの人生を歩んでいた為に久方ぶりの再会となった。とはいえ、素直にそれを喜んでいいという雰囲気になることもできず、再びに現れたあの異形の存在アンノウンについて談義していた。

 翔一は既に人間の姿に戻り、氷川もG3のマスクを取り外している。

 

「でもなんでまた奴らが? 一体どうして……」

 

 翔一はそう言って唇を噛む。氷川もその言葉に首を振りながら口ごもった。

 

「分かりません、まだ。何故アンノウン達が再び現れたのか、彼らは一体何なのか……」

 

「そうですか……やっぱりそうですよね」

 

 翔一はファイヤーストームに手をつきながら考える。

 

 あの、最後の戦いの日。翔一達が倒した相手はとてつもなく強かった。きっとアンノウンの親玉だったに違いない。だからこそそれ以来アンノウンは姿を消したはずなのだ。

 それなのに再び、こうしてアンノウン達が現れた。それならば一体どうすれば? 奴らは不滅なのか、もしそうならば抗う術はないのか? 

 

 アンノウンは一体何者なのか? 何故現れるのか? 

 

 三年前も解かれる事がなかった問が、翔一の中を巡る。

 

 多くの物を失った。本当にたくさんの人間を救うことが出来なかった。そしてそんな多大な犠牲を払うことで、あの日、ようやっと全てが解決したと思っていた。けれどそれは、偽りだったのか? 

 

 そんな、らしくもないマイナス思考を振り払うように翔一は首を振ると、無理やりに笑みを浮かべて氷川に言う。

 

「でも、良かったです。氷川さんとこうしてまた一緒に戦えるなんて、なんていうか、頼もしいっていうか? またよろしくお願いします!」

 

 そんな風に無邪気に言う翔一に、氷川もまた安堵したように笑った。

 

「そんな、それはこっちのセリフですよ。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 そう言って、返すように氷川は頭を下げる。

 と、それを見た翔一が慌てて、

 

「そんなそんな! 頭下げる必要ないですって、こっちがよろしくお願いしますですよ!」

 

 そんな風に言いながら氷川に倣って頭を下げた。その様子を、ちょっと顔を上げて伺った氷川は、

 

「いえ、そんなことはありません、こちらこそよろしくお願いします」

 

 と無理やり更に深く頭を下げる。と、対抗するように翔一も。

 

「いやいや、俺の方がよろしくお願いしますですって!」

 

「いえ、僕の方が!」

 

「いやいや俺の方ですよ!」

 

「そんなことはありません頭を上げてください、僕の方がよろしくお願いします……あっ!」

 

 馬鹿みたいに二人で張り合って地面に頭がつくほどに深く低頭した氷川は、G3-XXの装甲の重量を全く考慮しておらず、思わずバランスを崩し、前のめりに上半身ごと倒れ込むと、地面に強かに頭を打ち付けながら転んでしまう。

 

「痛っ〜!」

 

 思わず頭をさすりながら上半身を上げて翔一を見上げる氷川。タイミング悪く、それと同時に翔一が「ブフッ」と吹き出した。そしてすぐに。

 

「あっ……」

 

「……」

 

 なんとも言えない沈黙が流れた。

 

 ──────────ー

 

 警視庁では、捜査一課に所属する警察官達が会議に緊急招集されていた。議題は勿論、再び姿を現したアンノウンに関してだ。当然氷川も呼ばれるはずだったが、アンノウン迎撃中との事もあり参加していなかった。

 

 重役幹部三人が一番前のテーブルに、刑事らと向き合うように座し、出席した十数人らと顔を合わせる。

 

 まず河野刑事が起立し、議題の概要についての説明を始めていた。

 

「えー、既に聞き及んでいるとは思いますが、今回の議題は他でもありません。アンノウンが活動を再開したらしい、という件についてです」

 

 河野は自身の手帳をペラリと捲ると、続きを言う。

 

「情報の確証性はほぼ間違いありません。殺しの手口もさることながら、現職の警察官にも目撃者がいますし、アンノウン対策班も応対を余儀なくされています」

 

 その言葉に一つ頷くと、重役の内の真ん中に座った男が口を開いた。

 

「事件についてはどうなっている?」

 

「はい、事件は確認されているだけでも十三件。手口は様々ですが、いずれも通常では不可能な犯行です。例えば……お配りした資料の三ページ目を見てください」

 

 河野がそう言うと、刑事たちは一斉に慣れた手つきで配られた紙束の三枚目に目を通した。河野はそれを確認して再び続ける。

 

「最初の被害者です。死因はショック死ですが、鑑識によるとこれは、人間大の物体に時速にして300kmの速度で衝突されたのと同じだけの衝撃によるそうです。この速度は新幹線の最高速度に匹敵します。市街でこれだけの衝撃を与えるものを何の痕跡も残さずに扱うのは不可能と言えるでしょう」

 

「なるほど、つまり……」

 

 今度は重役幹部の内、左に座った眼鏡の男が口ずさむ。

 

「はい、アンノウンが再び現れたというのはほぼ間違いないと言えます」



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鳴動の気配

 沢木が目を覚ました時、そこはどこかの寂れた廃病院のようだった。辺りには人の気配はなく、まだ日も暮れていないというのに辺りは静まり返っている。

 

 自分がベッドの上に寝かされていた事を知ると、沢木はゆっくりと半身を起こし、周囲に目をやった。

 どうやら随分長いこと使われていないらしく、人の跡がない。ただいくつものベッドと、台に乗せられた良く分からない器具だけが不気味なほど整然と並んでいる。

 

 と、そんな沢木に向かって、静かな声がかけられた。

 

「目が……覚めましたか」

 

 見れば、そこには灰色の服を着た青年が立っている。相も変わらず感情を殺したような無表情でこちらを見ながら、青年はゆっくりと近づいてきた。

 沢木は彼の姿から視線を離さずに問う。

 

「あなたは……一体なぜ」

 

 途切れるように語尾が掠れた。青年は沢木としばし目を合わせた後、チラリと窓の外に目をやり、それには答えずに言った。

 

「君の記憶を借りました」

 

 超然として掴みようのない声色。何よりも無感情で何よりも無関心なその声に、沢木は思わず唾を飲み込む。

 

「君は、自分のした事の愚かさに未だ気づいていません」

 

 それからゆっくりと、その冷たい視線を再び沢木に向けた。その視線はどこか違う世界を見ているかのように遠く、じっと目を合わしているとその向こうの世界に吸い込まれてしまいそうだった。

 

「アギトの力……あれは存在してはならない力なのです」

 

 ぐっ、と沢木が唇を噛んだ。

 

 やはりそれか。

 

 しかし彼は、決してあの時の選択を後悔するつもりはなかった。青年の視線にも負けまいと、沢木は相手を睨みつける。

 

 と、青年はフイと目を逸らし、

 

「君はかつて、人間の中に眠るアギトの力を覚醒させた。しかし、そのようにしてアギトの力を得た者は皆、その力のために過ちを犯し、苦しみと悲しみを抱えただけだ。愚かなことです」

 

 静かな声が、静まり返った部屋中に響きわたる。

 

「所詮人間に、アギトの力を正しく扱うなどということはできません。あなたがそう望んだとしても、これは変わらないでしょう」

 

「……」

 

 沢木は拳を握りながら尚も青年を見つめる。

 

「……それは違う。アギトはきっと、この世に希望をもたらす、そんな存在になれるはずだ」

 

 強い思いを込めて、沢木は臆することなくそう言った。青年はその言葉に少しだけ反応すると、視線を下に逸らす。

 

「希望……ですか」

 

 そう静かに呟いた。

 

 そして、不意にその表情に僅かな笑みを浮かべた。

 

「それならばその希望……私が摘み取りましょう」

 

 相変わらず無感情、無関心な声音で放たれた言葉。しかしその言葉に、沢木は青年の絶対の自信ともとれる強い意思を感じた。

 

「どういう意味だ!」

 

 沢木は震える声でそう問う。

 青年は静かに答えた。

 

「君たちが遥か古代と呼ぶ時代にやり残してきた私の役目を終えるのです」

 

 ──────────ー

 

 爽やかな空気と、眼下に広がる若草で覆われたなだらかな斜面の風景が心地よい川の土手沿いに、涼はバイクを止めていた。

 隣には、先ほど厄介な騒動から助け出してきた少女を座らせて。

 

 少女の方はと言うと、仮にも手を貸してやったと言うのに一言もなく、大人しくしてはいるものの気だるげに地面に片手をついて腰を下ろしているなど、態度がよろしくない。

 涼はそんな姿を見ても大して不快感を抱いた様子もなく、隣に座り込んだ。

 

「あんなところで、なにやってた?」

 

 何となく、世間話をするような体で話しかける。少女はフンとそっぽを向き、

 

「別に」

 

 それから付け加えるように。

 

「ていうか、勝手な真似すんなよ。あんたが来なくたってあれくらい、あたし一人で何とか出来たんだから」

 

 随分とご機嫌斜めな返しに、涼はクスッと苦笑いした。

 

「そうか、そりゃ悪かったな」

 

 どうやら自分が予想していたのとは違った言葉だったらしく、少女が怪訝そうに涼の方を見た。それから伺うような目線で、

 

「あんた、初めてじゃないよね? さっきあたしを見つけたの、偶然か?」

 

「さあな。まあ、嫌な運だけは強いみたいだ」

 

 嫌みのこもったような事を爽快そうに言ってのける涼に、少女はブスっとした顔をする。

 

 涼は川沿いの景色を眺めながら、まるでなんでもない風にポツリと聞いた。

 

「お前、親いないだろ?」

 

「えっ」

 

 思わず少女が驚いたように目を丸めた。涼は図星かと少女に横目をやる。

 

「な、なんだよ。なんで……」

 

「見れば分かる。独りっきりの奴と会うのはこれが初めてじゃない。何人もそういう奴らを見てきた」

 

 過去を思い起こすように、涼は遠くの青空を眺めた。

 

 父親を失った元恋人、一緒に生きていける人間を探していた女、今から逃げようとしていた少年、夢を断たれた走り屋、そしてあの日出会った子犬。

 みんな独りだった。

 涼は多くの出会いと別れを繰り返し、そんな孤独な人々の身近にいた。

 

 ……いや、涼自身もまた、孤独な存在だったのだ。

 だからこそ、はっきりとわかった。孤独な現実を抱えている人間のことが。

 

 そんな涼のことを、少女は呆気に取られたように見つめる。

 

「お前、逃げようとしてるだろ」

 

「逃げようと……?」

 

「ああ。現実に背中を向けて、跳ね返っていればいつか、何かが変わると思ってる」

 

 それからチラリと少女を見やり、飄々と言う。

 

「俺から言わせればお前みたいなガキの生き方は危なっかしくて見てられないな」

 

 と、涼の思った通りその言葉が気に入らなかったのか、少女は顔をしかめる。

 

「なんなのよあんた、余計なお世話だっての!」

 

 それからサッと立ち上がり、涼を見下ろしながら強い口調で言った。

 

「それに、簡単に諦めて跳ね返ったり、逃げたりする事もしない奴なんて嫌い!」

 

 誰かに向かって吐き捨てるようなその言葉。少女はそれだけ言うと涼に背を向けて歩き出した。涼はその背中にしばらく目を細めていたが、立ち上がって何か声をかけようと一歩踏み出した。

 と、その時、物陰から何者かが涼と少女の間を割るように現れた。

 

「!」

 

 一体どこから現れたというのか。涼の目の前にはいつの間にか、明らかに日常の光景では有り得ない異形が映っていた。少女の方も何か異変に気がついたのかこちらを振り向き、そして息を呑む。それから涼と目を合わせると、無言の内の「逃げろ」というメッセージを感じ取り、すかさず走り出した。

 

 涼の目の前には、絢爛な装飾を身につけた黒褐色で長身の人型が立っていた。その装飾からは人間的な知性さえ感じられる一方、その漠然として不気味な立ち居振る舞いからは、この存在との意思疎通がまるで不可能なのだと思い知らされる。

 

 その怪人はイールロード・アンギラ・シケリオス。電気鰻の起源である上級天使で、額には三つのOシグナル、背中には大きな翼を生やし、豪奢な胸飾りも両羽のものであった。

 

 シケリオスは涼を睨みつけると「フンッ」と声を上げた。表情の変化はなかったが、小馬鹿にするような笑いに似たものが感じられる。まるでちっぽけな虫を嘲るかのような声音だった。

 

 涼はシケリオスを目にしてすかさず、胸の前で腕をクロスさせ、変身のための構えをとった。シケリオスは悠然とただただその動作を見つめているだけだ。

 

 こいつ、一体何がしたい? 

 

 涼は怪訝に思いつつも、迷いなくその腕を振り払い変身した。

 

「変身!」

 

 その姿が緑色の鎧のような皮膚に覆われ、涼はエクシードギルスへと変身する。その様子を物陰に隠れて見ていた少女が、驚愕に目を見開き、そしてゆっくりと拳を握りしめた。

 

 ──────────ー

 

 その頃氷川は、Gトレーラー内で小沢、尾室らと共に先ほど行われた会議の内容と、不可視のアンノウンについての討議をしていた。

 

「突然頭痛に襲われた?」

 

 氷川の戦闘中の報告を聞いて、小沢は顔をしかめる。氷川は一つ頷くと、状況の説明をした。

 

「はい。僕がアンノウンによると思われる攻撃を受けた際、敵の姿はどこにもありませんでした。すぐに僕も体勢を立て直そうとしたんですが、その時によく分からないのですが……頭痛に襲われたんです」

 

 氷川は自分のこめかみの辺りを抑えながら言う。

 

「それと関係があるのか分からないんですが、それからぼんやりとアンノウンの姿が見えるような……そんな感じがしたんです」

 

 氷川の報告を聞くと、小沢は小刻みに頷きながら「なるほどねぇ」などと呟いた。

 

 頭痛、か……。

 

 小沢はふと何を思ったか、G3-XXの装甲スーツに目をやった。もしかしたら……そんな予感が彼女の頭をよぎった。




更新が細切れで申し訳ありませんm(_ _)m
アンノウンのネタ切れがこわいので近々活動報告でこういう怪人を出してほしいみたいなのを募集しようかとも思ったんですが需要あるんですかね(笑)
まだまだ読んで頂いてるユーザーさん少ないので無理かな……


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遭遇と喪失

「ウオオオオアアアアア!!」

 

 雄叫びと共にギルスがシケリオスへと踊りかかった。叩き壊さんばかりの拳がシケリオスの腹部を強烈に襲う。ドムッとという鈍い音ともにその一撃がまともに炸裂すると、更にギルスは攻撃の手を緩めることなく敵を猛襲した。鋼鉄の壁をも粉々に砕くほどのパンチが、幾度となくシケリオスの体に叩き込まれる。

 

 ……しかし。

 

「ヌッ!」

 

 シケリオスはその全てを微動だもせずに受けきると、こんなものかと言わんばかりに両手を広げ、ギルスを挑発した。

 

「っ!」

 

 ギルスは一瞬、動揺したように手を緩めたが、すぐにその感情を絞り出した咆哮によって消し去り、今度は更に敵の顔面に向かって殴りかかる。一撃、二撃と拳が決まるが威り狂ったギルスが続けてもう一発を見舞おうとした時、その拳をシケリオスはガシリと掴んだ。

 

「ンン~」

 

 まるで力を測るかのようにしばし、その手でギルスの押し込みを受けるが、すぐにその手を捻りあげるともう片方の腕でギルスの脇腹に痛烈なひじ打ちを入れた。

 

「グアッ!」

 

 葦原涼の視界が、冗談などではなく一瞬霞んだ。思わずその場に膝をつきそうになるのを気合でこらえ、お返しに右薙ぎのラリアットを放つ。が、シケリオスはそれを身をかがめて悠々とかわして見せると、涼の拳を掴んでいた手を放し、そしてそのままその腕を振り上げて溝落ちに叩き込んだ。

 

 まるで肝の臓を直接思い切り殴りつけられたかのような。エクシードギルスの姿となり、普通の人間とは比べるべくもないほどの強靭な肉体を得たはずの涼が、それだけの衝撃を感じていた。こみ上げる吐き気をこらえつつも、後ろにフラフラと後ずさるギルスに、シケリオスは優雅な動きで背を向けながら追い討ちのごとく裏拳を叩き込む。

 

「グアアっ」

 

 たった二撃の内にもはや足を踏ん張る力さえ失っていたギルスは、大きく宙を舞った。ギルスはそのまま近くに停車してあった車のバンパーに背中から激突する。幸い、車体がクッションとなって気絶することこそなかったが、頭の中がものすごい速さでかき回り、手足がふらついた。

 

 このままでは……まずい! 

 

 ギルスとしての戦いの敗北、その意味するところはほとんど死に等しい。

 

 俺は……不死身だ! 

 

 涼は壮絶な気力で自身を振るい立たせると足に全身の力を込めて大きく跳躍した。

 

 特に止めるでもなくシケリオスがギルスの動きを超然と眺めていただけだったのは幸運だった。ギルスは一跳びでバイクの前までやってくると力尽きたように変身を解除し、バイクに跨った。それと同時に物陰から、まだ逃げていなかったのか、先ほどの少女が飛び出してきて急いで後ろに乗ろうとしてくる。呆れと焦りで表情を歪め、半ばバイクを発進させながらも彼女を後ろに乗せると、思い切りアクセルを踏み込んだ。

 

 シケリオスは慌てることもなくその様子を眺めていると、バイクが走りはじめるのと同時にゆっくりと歩き出した。

 

 が、すぐに何かに感づいたかのようにどこかを見ると、涼達とは全く別の方向に向かって歩き始めた。

 

 ──────────

 

 その頃北条は、職務の合間を見つけて河野からの情報を頼りに、日政大学とやらの場所へとやってきていた。そう、あの風谷伸幸についてより深く知るためにだ。

 

 彼は三年前、この風谷伸幸事件こそがアギトとアンノウン関連の事件に繋がる鍵だと考えていた。そして実際に彼はアギトになってしまった人間、沢木雪菜の暴走が風谷伸幸を死に至らしめたのではないかと言う一つの推論にたどり着いた。今となっては真相こそ分からないが、その結論に間違いがあったとは思っていない。

 

 しかし、未だ明らかに不明な点が多すぎた。アギトの力とは本来なんなのか。いかようにして現れるのか。アンノウン事件との根本的な繋がりはなんなのか。

 三年前、アンノウンが忽然と姿を消したことで、あるいはなんとなく北条の中で、この事件も共に雲散霧消してしまった気になっていた。だが、こうして再びアンノウンが現れ、その結末が本当に「ただあれだけ」のものだったのか疑問が湧いてきたのだ。

 

 そしてまだ、アンノウン関連の事件に対する根本的な手がかりは自分だけでなく誰も、おそらくその一番の当事者として戦ってきた津上翔一にさえ分かっていないだろう。まだ、まだなにか、分かっていない事があるに違いない。

 

 更に言うならばもう一つ、かつて木野薫邸から発見したあの手紙だ。風谷真魚に解読を頼んだものの途中から彼女の精神が不安定なものになった(何かに取り憑かれたようにひたすら空中を見つめていた)ため、ひとまず彼女にあずけ、そのままうやむやになっていた。

 彼女にその続きを問いたい、と北条は思っていた。あの手紙も何か、大いなる手がかりを秘めている予感がするのだ。

 

 

 

「警察の方……ですか。うちで何か?」

 

 北条は老齢の学長のもとを尋ねると、手帳を見せて捜査への助力をお願いした。学長は北条が警察と知るや否や恐れ多しとばかりに腰の引けた態度となり、萎縮してしまう。北条は、何も自分は学内犯罪を暴こうとかいうわけではないのだが、と心で思うが、このご時世だ。学校などというものは殊更、世間からの評判や目線を気にする必要がある。警察と言われれば縮こまってしまうのも無理はないのかもしれない。

 

 北条はため息をつきつつもそう思い、なるべく相手に圧力を感じさせぬよう、物腰穏やかに言った。

 

「ええ……いや、正しくは昔起こったことについて聞きたいのですが。……風谷伸幸事件のことについて」

 

 ──────────

 

 今日の夕飯はどうしようか。

 そんな事を考えながら、真魚は美杉家への帰路を歩いている途中だった。

 

 翔一がいなくなってから真魚は多くの事を覚えた。というより、自分に思ってた以上に多くのことを出来る才能があると知った。ほとんどは、昔は翔一に任せきりにしていたものばかりだ。

 料理もその一つだった。

 

 翔一がいなくなってから、ポツポツと美杉家では自炊の気が起こった。が、そもそもずっと翔一に頼りきりだったこともあり、美杉教授の料理の腕はお世辞にも上手いとは言えず、太一に至っては論外である。ここは女手の私が何とかしなければと奮起し、思い立ったのだが、これが始めて見ると意外に面白い。

 もちろん翔一のものには遠く及ばないが、料理の腕はそこそこのものになったのではないかと今では自負している。

 

 そう、そんなことを考えながら歩くいつもと変わらない、そんな帰り道だった。大学に入ってから買った、少しお洒落な鞄を揺らしながら歩く。

 

 

 いつもの交差点を曲がった辺りで、ようやっと真魚は異変に気がついた。

 

 なんと人通りが全くないのだ。それどころか人の声も気配も、まして葉ずれの音や風が通り抜ける音まで一切の気配がなかった。まるで世界から切り離されたかのように辺りが全くの沈黙に包まれていたのだ。こんな時間に、この通りがここまで沈黙していることなどありえるだろうか。

 

 見たところ、それ以外は何も変わらないように見える。いつもの道だ。いつもの、交差点だ。考えるあまり変な脇道に迷い込んでしまったわけでもない。

 

「おかしいな」

 

 知らずの内に独白していた。

 首を傾げつつも、まあ気のせいかと振り払い、歩き出そうとした時だった。

 

 交差点の角から一人の男がゆっくりと歩いてきたのだ。

 

 全身を灰色の衣服に身を包んだ、女性と見紛うばかりの美しい容姿の男だった。以前、真魚は似たような姿形の男を見たことがあるような気がするが、それがいつのことだったのか霞がかかったように記憶は定かではない。

 

 真魚はその男の姿を見た途端、何故か彼に釘付けとなり、じっと固まってしまった。恐怖とも恍惚とも違う。何か不思議な感情に支配されて、当然のことのように体が動かなかったのだ。

 

 やがて男は真魚と一つの道路を跨ぐくらいの距離までやってきて立ち止まると、静かに口を開いた。

 

「やっと見つけましたよ」

 

 淡々とした口調には感情や感傷といったものがまるで感じ取れず、意識を傾けていなければ、ただ「言葉」という音を聞いているような感覚に陥ってしまいそうになる。

 

「君は……始まりの記憶を見ましたね」

 

 意味のわからない言葉を、男は口にする。いや、この空間そのものが本来異質であるはずなのだが、真魚にはそれを感じ取る余裕が無かった。

 

「その記憶は、人間が持ってはならないものです。今、君はその記憶に知らずの内に蓋をしてしまっているようですね。ですが、その記憶そのものが人間の中にあってはならないものなのです。手放して貰いますよ」

 

 男はそう続けると、ゆっくりと真魚に向かって手をかざした。その手から目を覆わんばかりの眩い光が放たれて、真魚は思わず目をつむる。が、すぐにその光が何かに遮られるようにパシュン、とはじけた。

 

 それを見た男が、眉をひそめる。

 

「なに? 今のは一体……」

 

 怪訝そうに真魚を見つめるが、すぐにまた無表情に戻り自分の手をさする。

 

「……そうか。そういうことであれば仕方がありません」

 

 そして冷酷なまでの口調で最後にこう囁いた。

 

「それならば君には……消えてもらわなければならない!」

 

 ──────────

 

 ピーという高い報知音と共に、Gトレーラーに電撃のような一報が入った。

 

「付近を警邏中のPCよりアンノウンによると思われる犯行が発生したとの入電中。繰り返す、付近を警邏中のPCより……」

 

 その報せを受けた小沢が反射的に動き、マイクのスイッチを入れると、

 

「Gトレーラー出動します!」

 

 と高らかに宣言した。

 それと同時にGトレーラーは音をあげて発進する。

 

 気の早い氷川は既に装着の準備を終え、ハッチの前に立っている状態だった。

 

「では、G3-XXも出動を!」

 

 氷川がそう言い、新たなる装甲に歩み寄ろうとした時だった。

 

「あ、待ちなさい!」

 

 氷川よりもせっかちで一本気なはずの小沢が珍しく、氷川を引き止める。氷川は不思議そうに首をかしげ、小沢のことを見やった。

 

「どうしたんです? 早くG3-XXを!」

 

 そう急かされるものの、小沢の頭にはまだ先の氷川の言葉があった。突然の鋭い頭痛。アンノウンの姿が見えるようになったという現象。

 一体これの意味するところはなんなのか……。

 

 小沢は横目で進化したG3の装甲に目をやる。まさか、また……? 

 

「小沢さん!」

 

 焦燥したような氷川の訴えに小沢は我に返り、思わず、

 

「え? え、ええ、そうね。G3-XX、出動!」

 

 と頷いてしまう。

 まさか、思い過ごしだといいのだが。

 

 

 Gトレーラーから、特別性の白バイ、ガードチェイサーに跨ったG3-XXが出動した。市街を駆け抜け、一気に報告があったという砂浜の近くまでやってくる。

 

 氷川はサッと身軽にガードチェイサーから降りると、辺りに目をやった。

 

 風の音だけが、急き立てるように騒がしく響いている。氷川はガードチェイサーからGM-01を取り出すと、辺りに警戒しながらゆっくりと歩き始めた。

 

 G3の踵がギシッと砂を踏みしめる。

 

 と、不意に何者かの気配を感じた。それと同時に「ウィイイイイイ」とG3に搭載されたシステムの1つが起動を開始する。氷川は何かに導かれるように右前方に目をやった。

 

 いた! 

 

 今度こそ、氷川の目には謎のアンノウンの姿が捉えられていた。

 

 まだ多少判然としない部分はあるものの、前回とは比べ物にならないほどはっきりとその姿が目に映る。

 

 透明でひらべったい傘のようなものを頭に被り、黒と白の混じった法衣のようなものを纏っている山伏のような姿のアンノウン。ハイドロゾアロード・ヒドロゾア・エレクトリスだ。

 

 なぜ今、敵の姿が目に映っているのか、そんな事を不思議に思っている場合ではない。

 

 氷川はすかさずGM-01をアンノウンに向かって構えた。それに呼応するようにエレクトリスの腕がフラリとこちらに向けられる。

 

 氷川の動きは早かった。エレクトリスの動作が完了するよりも前に、自然と前方へと回転し、敵の放った雷を完全に背後へと置き去りにしていたのだ。そして、そのままマシンガンを構えると無心に的に向かって引鉄をひいた。

 

 薬莢が宙を舞い、エレクトリスに命中する。怯んだようにエレクトリスは後ずさり、声をあげる。更に氷川が発砲しようとした時、フラリとエレクトリスの姿が消えた。

 

 今度は不可視になったというよりも唐突に消失したという感じで、氷川はすぐさま辺りに目をやった。

 

 一瞬の静寂、そして。

 

 ドカッ! 

 

「うわっ!」

 

 不意に、何の前触れもなく背後からたたきのめされた。構えもろくに取れずに氷川はよろめくが、何とか向き直る。いつの間にかエレクトリスは自身の背後へと回り込んでいたのだ。

 氷川は至近に迫った敵に向かって今度は拳で応戦しようとする。が、殴りつけようとした瞬間、すぐ目の前にいたはずのエレクトリスがまたも消え去る。

 

 そして再び、後部からの衝撃によろめいた。先と同じようにいつの間にかエレクトリスに背後を取られていたのだ。

 

「くっ!」

 

 歯を食いしばりながらも氷川は即座に足を踏ん張り、体制を立て直してエレクトリスを向きやる。下手に手を出せば、また厄介な能力を使ってくるかもしれない。なるべく隙を見せないように構えながら、敵の動きを待つ。

 

 ゆらゆらと不気味に体を左右に揺らしながら、誘うように対していたエレクトリスだったが、こちらが向かっていかないと分かると、奇妙なフォームで向こうから踊りかかってきた。相手が両手をふりかぶった所に、氷川は相手の空になった胴めがけて手刀を繰り出す。鈍い音と共に敵が「グエ」と声を上げて怯むと、さらに前のめりになった敵の上半身に膝蹴りを食らわせた。

 

 続けて敵に向かって渾身の拳を叩き込もうとした氷川だったが、一瞬の間に敵は再び目の前から姿を消す。三度、敵を見失ったかと思われたが。

 

「はっ!」

 

 氷川は咄嗟に、背後に向かってその姿勢のまま見もせずに回し蹴りを放った。と、見事にその蹴りが、虚空から現れたかのように飛びかかろうとしていたエレクトリスに命中する。敵が一瞬に移動している時、かならず自分の背後に回っていたことから、敵の行動を予測したのだ。

 

 敵は胸部にまともに蹴りを食らって大きく宙を舞い、地面に叩きつけられた。それを見た氷川はガードチェイサーへと走り寄ると、後部に備え付けられていた大型銃を取り外し、アタッシュモードから組み立てた。G3-XXへの改良と共に威力を大幅に強化された元GX-05「ケルベロス」、新たな名をGX-55(ジーエックスダブルファイブ)「ライラプス」。一秒間に百発の徹甲弾を十秒間発射し続ける。「十発」をまとめて「一砲」として発射することで莫大な威力を発揮する、更に強化されたケルベロスである。

 

 氷川はそれをガシャリと構えるとフラフラと立ち上がろうとするエレクトリスに向けた。そして、自動照準が相手を完全に補足するのと同時に引鉄を引く。その瞬間、鈍い衝撃と共にライラプスが火を吹いた。

 

 たった一秒の間に百もの強化徹甲弾が敵の体内に炸裂し、それと同時に小爆発を起こす。その一斉砲火を浴びて、断末魔の声と共にエレクトリスは木端微塵となって爆散した。

 

 氷川はそれを確認してからゆっくりと構えを解いた。そして、無意識のうちにガードチェイサーに寄りかかっていた。

 

 

 ──────────ー

 

「真魚が帰っていない!?」

 

 城北大学での長ったらしい講義を終えて、夜遅くに帰宅した美杉教授は、息子太一の言葉に思わず声をあげた。太一は頷きながら口をすぼめ、

 

「うん。真魚姉ったら飯も作らずにどこか行ったまま帰ってきてないんだよ。たまんねえよ。俺腹が減ったよ〜」

 

 あまり心配した様子ではなく、むしろうんざりしたように体をだらりとさせながら太一はぶつくさと言う。しかし美杉教授は怪訝そうな顔を浮かべた。

 

「だが、帰ってないっていうのは一体なんで?」

 

「知るかよ。真魚姉だってもう歳だからさ。まあたまにはこういうこともあるんじゃない?」

 

「いや、しかし何の連絡もなしにこんな時間まで帰らないなんて……」

 

 美杉教授は顎に手を当てながら眉を潜める。

 

「あーもう何でもいいからさ。お父さん、早く飯」

 

 体は大きくなったにも関わらず、未だに冗談のような不謹慎なことを言う息子にめっと顔をしかめながら、美杉教授は声をあげた。

 

「ご飯なんか食べてる場合じゃないだろ! とにかくまずは電話だ!」

 

「え〜!」

 

 そういえば前に翔一君も、いきなりいなくなった事があった。最も彼はなくしていた記憶を取り戻したという事情があり、次の日になって連絡を入れてくれたものだが。

 

 美杉教授は慌てる指先で真魚の電話番号にかけながらぼんやりとそんなことを思い出していた。

 何となく嫌な予感がした。真魚のことだけ、というよりも何か漠然とした悪寒にも似た感覚は、翔一のことを思い出した時に一層強くなったように思えて、思わず身を震わせた。

 

 何か……何かとてつもなく恐ろしい事が起こっていなければいいが。

 

 美杉教授は祈るようにコール音の木霊に耳を傾けた。




DATABASE

種族名:ハイドロゾアロード
種族名:ヒドロゾア・エレクトリス
能力:稲妻を呼ぶ
電気クラゲに似た超越生命体。名は「電気のクラゲ」。


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第六話「漆黒の騎士」
悪意の気配


私がそこで見ていると、黒い馬が現れた。
そしてその馬に乗っている者は計りを手に持っていた。すると私は四つの生き物の間から出て来ると思われる声がこう言うのを聞いた。
「小麦1マスは1デナリ、大麦3マスも1デナリ、オリーブ油とぶどう酒とを損なうな」

ー「ヨハネの黙示録」第六章第六節よりー


 加奈は日に日に、強い何かを感じていた。

 それは最初は頭の痛みや気持ちの悪さ、と言った具体的なものではなかった。何と形容できるのか、言わば「直感」や「本能」と言ったものに近かった。自分の奥底の潜在的な「もう一つの自分」と言えるような存在が、加奈に仕切りに何かを発している、そんな感覚だ。

 

 それが影響してか、次第に自分のコンディションにも影響が出始めていた事を彼女は気づいている。加奈の今の心境も相まってか、それは彼女に知らずの内に負担をかけていたのだ。

 

 加奈は気だるげに、まだ開店まで時間のあるレストランの椅子に腰掛けて机の上にうつぶせていた。

 

 と、不意に誰かの気配を感じた。

 

 確信があったわけではないが、彼女は昔からこの手の勘に優れているのだ。それが彼女の持つ「力」によるものである事を、はっきりと自覚してはいなかったが。

 実際に見てみると、レストランの入口の方で何やら人影が右往左往としているのが見えた。こんな時間に人が来るなんて事が多いはずもないが、翔一ならばさっさと入ってくるだろう。一体誰だろうと立ち上がり、入口の方に歩いていった。

 

 中から覗いてみると、見知った顔がいた。少し前は頻繁にこの店に訪れてくれていたし、つい最近出会った顔だ。

 確か……美杉さんだったかな。津上さんが前に世話になってたっていう。

 加奈は黙想すると、レストランの扉を開けて彼を迎えた。

 

「あの、津上さんに何か御用ですか?」

 

 何やら相当に慌てているらしく、彼は加奈がそう声をかけるまで彼女の姿に気づかなかった。そのためか、声をかけられた途端にちょっと肩を震わせたりなどして何だか怪しい。髪型はボサボサで、昨日は眠れなかい用事でもあったのか目元にはクマが浮かび上がっている。服装も着の身着のままという感じで、あまりしっかりとしたものではなかった。

 加奈が首を傾げると、美杉はそれを見て姿勢を直した。

 

「あ、ああ。実はそうなんだが、彼は今は?」

 

「すみません。さっきちょうど出ていってしまったんです」

 

「出ていった?」

 

「はい、何だか随分慌てた様子で……」

 

「……そうか」

 

 加奈の説明を受け、美杉は頷く。それから少し考えた後で真摯な目で。

 

「少し、ここで待たせてもらっても構わないかね?」

 

「はあ、それは構いませんけど」

 

 

 ────────────ー

 

 気がつけば翔一はいつの間にかバイクを駆っていた。

 今までとは比べ物にならないほどの衝動だった。アギトの力を長らく使いこなし、そして完全に制御したと思っていた翔一が、自制することも、それどころか「自制しようという意思」を持つことさえ出来ないほどの衝動に突き動かされ、翔一はFIRESTORMを最高速で走らせる。

 

 衝動に導かれてやってきたのは、かつては翔一が見慣れた通りだった。美杉家に居候していた頃、行きつけのスーパー、食材を買った帰り道は必ず通る道だったからだ。今もあの頃の面影は変わらない。鼻唄を歌って歩いた帰り道が懐かしまれるようだった。

 

 一体なぜ、翔一はこんなところに突然バイクを走らせたのか不思議だった。何があったというのか。アンノウンが現れたのか? しかしそれにしてはいつものビジョンが見えない。しかし何か、何か強い力を感じたはずなのだ。

 

 翔一は目を細め、辺りを見回す。まばらではあるが人が往来し、何も変哲はない。

 翔一は手がかりを探すべく、バイクのハンドルに再び手をかけようとした。そしてその時。

 

(翔一くん……)

 

 小さな、風にかき消されてしまうほど小さな声……というよりも言葉のイメージのようなおぼろげなものを感じた。翔一が慌てて辺りを見回すが、その主らしき人間の姿はない。まるで本当に風に飲み込まれて消えてしまったかのように、世界は無情にも無関心に通り過ぎていく。

 しかし翔一は、その気のせいとも思えるような感覚にふと口ずさんだ。

 

「真魚ちゃん……?」

 

 

 ────────────ー

 

 多くの人々が行き交う、都市圏の商業地区。いくつものオフィスビルが立ち並び、人々の足音が昼も夜も絶え間なく響いている。上から見れば粒のような人々がひしめき合うように群れているその様は、実際に人間が働きアリを見下ろした時のその様子にとてもよく似ていることだろう。

 

 シケリオスは人どものそんな姿を一棟のビルの屋上から悠然と見下ろすと、左手に持っていた奇妙な鎖付きの天秤のようなものを空に掲げた。そして祈るように右手を自身の胸元に重ねる。

 

 その途端だった。眼下にひしめき合っていた人間達の何人もが次々と倒れ始めた。全員ではなかったが、一見しただけでも数十人の人間が糸が切れたように倒れてその場に動かなくなる。それを見た辺りの人間が、突然の出来事に驚き、そして徐々にパニックになっていく。

 やがて群集は四散するかのように散り散りにその場から逃げ出し始めた。

 

 シケリオスはその様子を眺めて満足げに頷いた。

 

 ────────────ー

 

「おいおい、冗談じゃないぞ!」

 

 警視庁本部で部下の刑事の報告を聞いた河野は、珍しく声を上げた。思わずと言った調子だ。それというのも、電話越しの部下の報告が信じられないような内容だったからに他ならない。

 

「500人だって!?」

 

 突拍子もない数字を自分の口で繰り返す。どうにも納得行かないという態度が露骨に現れていた。

 

「ああ……ああ。ああ、分かった。とにかく一度検討してみないことにはな」

 

 河野はそう言って相槌を打つと電話を切り、難しそうな表情でため息をつく。そこに、丁度よく氷川が廊下を歩いてきて彼に挨拶をした。

 

「河野さん、おはようございます。……どうかしたんですか? 気分が良さそうではありませんが」

 

「どうもこうもないな。殺しだよ」

 

 物騒な言葉に氷川は途端に息を呑む。

 

「殺し……まさかアンノウンが?」

 

「いや、それはまだ分からないんだがな。別々の場所で同時に人間が倒れたって言うんだよ。報告に上がってるだけでも500人だ」

 

「ご、ごひゃく!?」

 

 想像だにしなかった数字を耳にして、氷川は思わず目を丸めた。河野は参ったように頷きつつ続ける。

 

「ああ。被害者は都内の商業地区で86人、それとほとんど同じくして各地で死亡者が出たらしい。関連は今の所不明だがな。それに死因が妙なんだ。まるで中世ヨーロッパの飢饉にでもあったかのように衰弱して死んでいるらしい。餓死というより、飢え死にと言った方がイメージに合うな」

 

「やはりアンノウンの仕業でしょうか、被害者の血縁関係は?」

 

「うん、いかんせん人数が多すぎて纏まっていないんだが……商業地区で死亡した被害者と各地で次々と死亡した被害者とは既に血縁関係が確認されているものがあるらしい。まだ確かな事は分からないんだがな?」

 

 河野の言葉を聞いて、氷川は少し考えるように顎に手を当てた。

 

「では、商業地区で死亡した被害者達の血縁関係者がそれと同時期に全く別の場所で次々に死亡したということですか?」

 

 氷川が驚愕したような表情で言うと、河野も渋い顔をした。

 

「そんなところだな。いくらアンノウンとはいえ、今回はちょっとやりすぎじゃないか? あいつらは超能力者を狙ってるなんて話だったが、これじゃあお前、人類はみんな超能力者になっちまうぞ」

 

 河野は自嘲げにそう言って笑う。しかし、氷川は核心をつかれたようにその表情を固まらせた。アギト、アンノウン、そして超能力者と推測される被害者達。

 かつて、「人がアギトになる何らかの出来事が起こり、超能力がその予備段階に呼び起こされる」という憶測が起こった。もしもその「何らかの出来事」が実際に起こり、そしてそれが限定的なものでないとしたら。

 

「人類が……全員?」

 

 



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システムの影

 日政大学。かつて沢木雪菜によって殺害された風谷伸幸が勤めていたという大学にやってきた北条は、学長の紹介で、生前の風谷伸幸と最も親しかったという同大学の一人の教授のもとにやってきていた。

 講師室にまで案内されると、北条は軽くドアをノックをする。そして奥からの「どうぞ」という声に従って、ノブを回した。

 

 カチャリと乾いた音がしてドアが開くと、そこには背広を着た初老の男が座っていた。神学科の並木雅之教授というらしい。

 北条が低頭すると、並木教授は人の良さそうな笑みを浮かべた。

 

「やあ、たった今伺った所ですよ。北条透さん、でしたかな? たしか警視庁にお勤めになっている」

 

「ええ、間違いありません」

 

 きちんとした態度で北条はそう返す。気さくな瞳をほころばせると、並木教授は頷いた。

 

「ご苦労様です。たしか、五年前に亡くなった風谷先生の事について私に聞きたいと?」

 

「はい。あなたがこの大学で一番、風谷氏と親しかったと聞きましたので」

 

「なるほど。しかし何故今頃になってそのようなことを? 警察の事情聴取に対しては当時、知っている言は全てお話したつもりですが……」

 

 怪訝そうな顔をする並木教授に対し、北条は首を振る。

 

「事件の事について、もう一度最初から考えてみる事になりまして。失礼でなければ、何度でもお話をお伺いしたいのです」

 

 北条がそう言うと並木教授も神妙な面持ちになった。

 

「なるほど。そういうことであれば力になりますが、それで一体どういった事を?」

 

「ありがとうございます。まずは、風谷氏の研究というものが一体どんなものだったのかをお聞きしたいのですが」

 

「風谷先生の研究内容……ですか」

 

 並木教授は目を瞑り、腕を組む。それから眉を潜めて口を開いた。

 

「詳しい事は私も聞かなかったんですがね。彼は自分の講義の……特に関係の深かった生徒達と特別な研究をしていたというのは聞いたことがあります」

 

「それは……どのような?」

 

「うーん……なんと言えばよいのか。こう言うと刑事さんは笑われるかもしれませんが、風谷先生は『超人を造りあげてみせる』とそんなことを。しかし確かにその研究は、城北大学の講師を勤めている著名な方々が目を見張るほどの成果をあげていたのですよ」

 

 並木教授が少し気まずそうな表情で言うが、北条は「ええ、信じますとも」とばかりに真剣に首を縦に振る。並木教授は「それから……」と続けた。

 

「偉く神話に興味をお持ちの方でね。いえ、専攻している分野を考えれば当然とも言えるんですが、一時期はまるで取りつかれるように神話の事を学んでいらっしゃいました。『世界中の神話は一つに繋がっている』なんてこともよく仰ってはいましたが。そう、ちょうど彼の奥さんが亡くなられた辺りからでしたかな」

 

「風谷氏の夫人が?」

 

「ええ。十年……いや二十年くらい前ですかね。錯乱状態に陥って自殺同然に亡くなられたとか。しばらくはかなり落ち込んでいられたんですが、ほら。彼には生後間もない娘さんもいたもんですから、私は普通に立ち直ってくれたものかと思っていたんですが」

 

 生後間もない娘とは……恐らくは風谷真魚のことだろう。それにしても自殺同然の死とは一体何なのだろう。二十年も前となれば自分が耳に挟んでいなくても不思議はないが。

 そういえば風谷伸幸を殺害した犯人、沢木雪菜の死因も自殺だった。これは単なる偶然なのだろうか。

 

 北条は自問するように目を細めた。

 

「それで彼、超人の研究と同時に神話の研究も進めていましたね。それも世界の始まりに関する物をとても好んでいらっしゃいました」

 

「世界の始まり……ですか?」

 

「はい。その事については私もよくは存じていませんが。或いは私よりも風谷先生の事を知っている彼なら、知っているかも知れません」

 

「は、その「彼」というのは?」

 

 北条が首を傾げると、並木教授は意外そうな顔をして話した。

 

「ああ、まだ聴取をなさっていないんですね。風谷先生の義理の弟さんですよ。城北大学の美杉教授です」

 

 北条はこの時、思わず心の中でため息をついた。

 その手があった。何故今まで自分は、この風谷伸幸事件に興味を持った日から今まで彼に話を聞きに行かなかったのだろうか。風谷真魚や津上翔一、その存在に隠されて今まで考えてもいなかった。

 確かに彼ならば、多くを知っているはずだ。北条は思い至るとすぐに、並木教授に頭を下げた。

 

「ありがとうございます。早速向かってみます」

 

 忙しなくそう言う北条に対し、並木教授は笑みを見せた。

 

 ────────────ー

 

「G3-XXをしばらく稼働停止する!?」

 

 河野の話を聞き、小沢、尾室と共にGトレーラーへと舞い戻った氷川はそこで小沢から勧告された内容を思わず反芻した。小沢は気が乗らなそうに氷川の言に頷く。

 

「ええ、そうよ。しばらくはG3-XXの装着はやめなさい」

 

 小沢らしくない控え目な口調で言われ、氷川はますます意味がわからなくなった。今どき上層部から、「システムの実績が無さすぎる」だとか「経費のかさばりが問題である」だとか、ましてや「アンノウンを討伐するために使うべきではない」と言ったような寝ぼけた指摘があったとは思えない。そもそも、そういうことならばあの小沢管理官が大人しく、こうもしおらしくそれに従ったりなどするはずがないのだ。

 

 氷川は純粋に自分の疑問を問い詰めた。

 

「どういうことですか! まさか僕に何か問題があるんですか? それならそう言って下さい!」

 

 声を上げる氷川に対し、小沢は首を振る。

 

「そういうわけじゃないわ。ただね……」

 

 そこで一度言葉を切ると、言いにくそうにため息をついた後で再び口を開いた。

 

「今回は緊急性も相まってマニューバーや装着テストを行わずに出動する事になったじゃない。新しいG3システムに本当に問題がなかったかどうか、確かめられていないのよ。「また」何か問題点が浮上するんじゃないか、そんな可能性を頭に入れるべきだったわ」

 

「そんな! 聞きましたよ、G3-XXは理論上、誰にでも装着できるはずだ。小沢さんが作ったそのシステムに問題なんてあるはずが……」

 

「あなたは私を買いかぶりすぎよ。私の作ったシステムなんて問題がないことの方が少ないんだから」

 

 何故か小沢はそこで偉そうな口調になる。そんな彼女に対して氷川が一瞬ポカンと口を開け、尾室が怪訝そうに眉をひそめる。小沢はその空気に気がついてわざとらしく咳払いすると、説明を始めた。

 

「とにかく、誰にでも装着できるという事は、それなりに問題があるのよ。逆に言えば誰にでも自分を装着させるシステムって事だし」

 

 よく分からない理論を展開すると、小沢は続けて具体的な話に入る。

 

「G3-XXには自己拡張アプリが組み込まれている。その話はしたわよね? つまり自分で進化していくシステムなのだと」

 

「はい。……ですが、それが何か?」

 

「何かもヘチマもないわ。例えばね、光学迷彩を利用して目に映らない敵と対峙したりした場合、G3-XXのシステムは自分でその状況の打開を試みるの。空気の流れや光の屈折の具合なんかを計測して敵の本体の探知に入るわけ」

 

 なるほど、と氷川は頷いた。先方のアンノウンを手に取った最も分かりやすい例だ。

 

「ところが、G3-XXのシステム単独ではそんな高度な計算をいち早く終えることは難しいの。かと言って一々外部に他のアプリを接続していったりすれば、G3-XXそのものの足枷になってしまう。だから……」

 

 そこまで言って、小沢は物憂げにG3-XXを眺めやった。

 

「その演算の一部をあなたの脳に頼る訳。それがあなたに負担を与えているかもしれない、というのが今のところの推測よ。詳しい所を調べてみないとまだなんとも言えないけど」

 

 と、その話を聞いて尾室が奇妙そうに口を挟む。

 

「でも、氷川さんそんな難しい計算出来るんですか?」

 

 微妙に失礼な事をぶっ込む尾室に、小沢は首を振った。

 

「計算そのものを行うのは無理よ。そんなの人間の脳には限界があるわ。飽くまでも演算の手助けを行うわけ。それも頭の中の使われていない部分でね。微弱な電気信号を送受して、無意識の内に氷川くんに演算の手助けをしてもらっているのよ」

 

 小沢がそう言って自分の頭を指さしながら言う。しかし、氷川は最早そんな論理はどうでもいいとばかりに両手を広げて小沢に訴えかけた。

 

「しかし、G3システムがなければ僕達はアンノウンに対抗出来ません! 市民を見殺しにするんですか!」

 

「幸いな事に津上君がアギトとして戦ってくれている。今のところは、「また」彼に頼るしかないでしょうね」

 

 小沢がそう言うと、氷川は呆然としたように肩を落とした。

 

「そんな……」



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太陽の戦士

 いつまでもレストランに戻って来ない翔一に痺れを切らし、加奈の提案で彼女と美杉はお互いに翔一を探しに出ることにした。

 美杉は自分の家がある方面へと、そして加奈はそれとは逆方面にそれぞれ翔一の行方を探した。翔一が帰ってきた時のために、書き置きも残しておいた。

 

 最初は人目のある大通りから、次に彼が興味を持ちそうな場所へと足を運び、念のために裏の人通りの少ない道も目に入れておく。そういう風にして少しずつ遠くまで探しに行った。時たまに加奈が彼を探す時には大抵こうしていればすぐに見つかるのだが、どういうわけか今回はなかなかそうはいかなかった。

 

 そんな風にしてレストランから少し離れ、加奈が閑散とした住宅街を歩き回っていた時だった。

 

「っ!」

 

 唐突に、言葉にならない鋭い頭痛が加奈を襲った。締め付けるように、切り裂くように鋭い頭痛に加奈は思わずフラつく。なんとか塀に手をついて体勢をあずけたが、加奈は思わずその場に腰をつきそうになった。

 

 そしてそんな姿を見ながら、いつから加奈の背後にいたのか、忽然と立っていた漆黒色の異形の存在がゆっくりと近づいてきた。

 残忍そうな目つきで加奈の事を睨めつけながら、ゆったりと歩いてくるその存在に気付いて加奈は顔をこわばらせ、慌てて立ち上がった。もたつく足をふらふらさせ、痛む頭に視界をぼやけさせながら塀に手をついたまま小走りに逃げ出した。

 

 あれ……確か、アンノウンとかって。なんで? なんでこんな所に? 私を狙ってるの? なんで私を……なんで私、こんな目に……。

 

 定まらない思考で自暴自棄気味になりながら、加奈は恐怖という本能に従ってひたすら足を進ませた。

 

 ────────────ー

 

「ねえ」

 

 シケリオスから何とか逃げ切り、そのままバイクを走らせていた涼は後ろに跨った少女に声をかけられた。あまり話をしたい気分でもなかったので涼は最初は聞こえないフリをした。というより、実際にバイクのエンジン音と行き違う車の走行音とでほとんど聞こえなかったのだ。

 涼が何も答えずに黙っていると、少女は更に大きな声で再び言った。

 

「ねえってば!」

 

「なんだ」

 

 涼は今頃青アザになっているであろうお腹の辺りを庇いながら、それを感じさせないよう鬱陶しそうに言った。

 

「さっきのアレさ……」

 

「ああ」

 

「あれってもしかして、アギトってやつ? あたし、聞いたことあるんだけど」

 

 少女の口から飛び出したワードに涼は目を細める。

 

 アギト。あの姿は果たしてアギトなのだろうか。ある男は涼のことをアギトと同じ存在であると言った。しかし、本当に全く同じものなのか涼にはわからない。

 そもそもアギトとは何なのか、自分の変身とは何なのか、そんなことに実際に興味を持ったことも、そしてその余裕すら彼にはなかった。ただ普通に生きていく、それだけを求めて闘ってきたのだから。

 

 涼はぶっきらぼうに答える。

 

「さあな」

 

 短い返事に、一瞬少女は口をつぐんだ。それから少し躊躇しつつも聞いてくる。

 

「あんたさ、怪我してるんじゃないの?」

 

「だったらなんだ」

 

 涼は相変わらず愛想がない。さっきまでとは少し違った雰囲気だった。だが少女は怯まない。

 

「じゃあさ、うちに来たらいいじゃん」

 

 突然の申し出に涼はバイクを運転しながら少し顔をしかめた。いきなり何を言い出すかと思えば。

 

「うち?」

 

「うん。うちっていうか、教会でさ。あたし達みたいなのの面倒を見てくれる孤児院みたいなもんだけど。うちの神父さん優しいから、あんたの怪我も診てくれると思うんだけど」

 

「驚いたな」

 

 少女の申し出に、嬉しさよりも先にそんな感情が現れる。そして前を向いたまま言った。

 

「お前、俺が怖くないのか」

 

 涼にそう聞かれると、少女は少しハッとしたように目を丸めた。それから意外そうに口を開く。自分でも驚いたように言った。

 

「そうだね……怖くない。なんでかな」

 

 なんでと言われても、と涼は肩をすくめた。そしてバイクのアクセルを踏み込む。

 

「で、お前の家ってのはどこにあるんだ」

 

「お、何よ。来る気になったわけ?」

 

「お前を送ってやるだけだ」

 

 ────────────ー

 

「あ、翔一君!」

 

 美杉は自身の家の近くの商店街に、やっと彼の求めていた姿を見つけて声を上げて駆け寄った。翔一は何かに集中していたらしく、それまでこちらに気が付かなかったが、美杉が大急ぎで近寄って来るのを見て、少し驚いた。

 

「せ、先生!?」

 

 深刻そうな表情で走りよってくる美杉に翔一は返す。美杉は翔一の元まで来ると肩で息をしながら言った。

 

「はあ、はあ。こんな所にいたのか。君のレストランにもいない言うから探したんだぞ。とにかく大変な事が起こったんだ。君にも話を……」

 

 美杉がそこまで言った時、突然翔一の表情が厳しくなった。何かを察知したかのように宙に目をやりバイクのハンドルを強く握る。そしてヘルメットを締め直すと慌ただしく美杉に言った。

 

「すいません先生。俺、ちょっと!」

 

 それと同時に彼の返事も聞かずにアクセルを踏み込み、発進させてしまう。

 せっかく苦労して翔一を探し当てたというのに、さっさとバイクでどこかに行かれ、美杉は慌てて「ああ、翔一くぅん!」と追いかけようとしたが、バイクの速度に追いつけるはずもなく、一人取り残されてしまう結果となった。

 

 ────────────ー

 

 Gトレーラーに突然の一報が入る。

 

「一般人より、アンノウン出現との入電あり! アンノウン出現との入電あり!」

 

 その報に氷川が敏感に反応し、小沢に目をやった。しかし、小沢は腕を組んだまま動こうとしない。氷川はそれに駆け寄り、声を上げる。

 

「小沢さん!」

 

「…………」

 

 小沢は難しそうな表情で黙りこくったままだ。

 

「津上さんに頼っている場合ではありませんよ! 津上さんが現場に間に合う保証なんてありません! それに、一般市民が襲われていたら助けるのは僕達の仕事のはずです!」

 

「そうは言ってもね……」

 

「どうしたんですか、小沢さんらしくない! もしも僕のことなら大丈夫です、心配ありません! 僕を信じて下さい!」

 

 氷川の真摯な訴えかけに、尾室も感化されたのか同調するように言う。

 

「そうですよ! いつも男みたいに図々しくて頑固なのに、らしくないですよ! 『男は気に入るか気に入らないかで判断しろ』って小沢さん言ってたじゃないですか!」

 

 尾室の言葉に、一瞬小沢はジロリと彼を睨んだ。すぐに尾室が「やべ、言いすぎた」とばかりに白々しく目をそらす。が、小沢は尾室に対して追求するような事はせずに、おもむろにPCの上のマイクを装着すると。

 

「Gトレーラー、出動します」

 

 その声に、氷川が笑顔を見せた。しかし、小沢は飽くまで神妙な面持ちで氷川に警告する。

 

「そこまで言うなら止めはしないわ。でも、私が命令したらすぐにシステムから離脱すること、いいわね?」

 

 小沢にそう言われ、氷川は力強く頷いた。

 

「わかりました」

 

 ────────────ー

 

「加奈さん!」

 

 直感にも似た感覚に従ってバイクを走らせた翔一は、人通りの少ない住宅街の道路で、今まさに異形の怪人に襲われんとしている加奈の姿を見つけ、声を上げた。

 

「津上さん!」

 

 翔一の姿を見て、加奈も安堵したようにその名を呼んだ。翔一はそのままバイクで加奈とシケリオスの間に割り入って加奈を庇おうとした。

 しかしシケリオスは翔一の存在を些事とばかりに、そのまま加奈に襲いかかろうとする。

 

「きゃっ!」

 

 シケリオスの振るった腕が加奈を襲い、そして彼女が思わず両手で体を覆って身を守ろうとした。それと同時に、一瞬だけ彼女の腕が金色の人外のものへと変わる。加奈はそのままシケリオスの一撃をその腕で受けて、吹き飛ばされてしまった。が、そのアギトの力のおかげで目立った怪我を追うことはなかった。

 翔一は慌てて倒れ込む加奈に駆け寄り、声をかける。

 

「加奈さん! 大丈夫ですか!」

 

「つ、津上さん」

 

 翔一は加奈を何とか立たせると、「逃げてください!」と声を上げた。そして、シケリオスに対し向き合う。

 加奈はどうしたものかと戸惑いながら二、三歩後ずさり、弱々しく翔一に声をかけた。

 

「で、でも津上さんは……」

 

「俺なら大丈夫ですから!」

 

 翔一はそう言って、腰の横で両手の拳を握り、力を込めた。それと同時に、翔一の腰にドラゴンズアイを宿した進化のベルトが現れる。翔一は両手をゆっくりと胸の前で交差させると、思い切りそのベルトの両端を叩いた。

 

「変身!!」

 

 それと同時に翔一の姿が眩い白銀の光に包まれる。そして、その聖なる光が晴れるのと同時に太陽の力を身にまとった光輝の戦士、アギト・シャイニングフォームが姿を表した。

 

「加奈さん。俺、どんなに辛くてもどんなに苦しくても今が楽しいんです。だから加奈さんも、何か辛いことがあったら俺、絶対に力になりますから」

 

 まるで加奈の心境を見抜いたかのような言葉に、彼女は思わず息を呑んだ。

 

 どうして。津上さん、あなたはどうしてそんなに強くいられるんですか……。

 

「だから、今は早く逃げて!」

 

 翔一はシケリオスに相対し、体に力を込めながらそう言った。

 

 ────────────ー

 

 ガードチェイサーに跨り、入電のあった現場付近へとやってきた氷川は近くの野外駐車場にバイクを止めると、慎重に辺りを見回した。今のところ周囲はシンとしていて、何か異変があるようには見えない。

 氷川はガードチェイサーから降りると、アタッシュモードのままGX-55を取り外すとガトリングモードに変形して、それを構えた。

 

 万全の注意を払いつつ、駐車場全体を見回した。すると、駐車場の中央辺りに一人の男が立っているのに気づく。さっきからそこにいた、と思うべきだろうが今まで全くその存在を気取ることが出来なかった。まるで忽然と今、その場に現れたかのようだ。

 

 その男は上下灰色の衣服に身を包み、色白で髪が長く、一見すると女性のようにも見える中世的な顔立ちだった。無表情に、あまりにも超然と佇むその姿は、それ故に極めて異質なものに思えるほどである。氷川はそこで思わず息を呑んだ。その男の姿を以前にも目にした事があったからだ。

 

 あれはそう、最後の戦いの日のことだ。さそり座の人間達の抹殺を引き起こしたという存在。その男に非常に似ているように思えた。いや、着ている服以外は全く同一と言っても過言ではないだろう。

 

 氷川は思わず声を上げた。

 

「お、お前は……!」



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第七話「魂の天秤」
運命の呼び声


 しかしその男は彼の言葉に答えることはなかった。氷川のことを一瞥すると、最早用はなしとばかりにこちらに背を向け無情に歩き出した。

 

「待て!」

 

 氷川がその背中を追いかけて声を出した時だった。

 

 突然、轟音と共に野外駐車場の塀が砕け散った。

 

 駐車場を囲うコンクリート塀の破片が飛び散り、それと共にシャイニングフォームとなったアギトが姿を現した。アギトはそのままフラフラとよろめき、背中から地面に倒れこんだ。どうやら何者かに突き飛ばされ、その勢いのまま塀を突き破って来たらしい。

 

 地に手をつきながらも何とか立ち上がろうとするアギト。それと共に崩れた塀の向こう側から漆黒色のアンノウンがゆっくりとその姿を見せた。

 その姿に氷川は、咄嗟に手に力を込める。

 

 それからすぐにさっきまで男が立っていたはずの場所に目線を戻した。しかし、氷川が一瞬目を離した隙にその男の姿は忽然と、まるで蒸発してしまったかのように消えていた。

 氷川は内心歯ぎしりしながらも、アギトと共に目の前に現れたアンノウン、シケリオスへの対処を優先し、相手に対してGX-55を向ける。対してシケリオスは即座に氷川の存在に気づくと、その引き金を引かせるまいとひとっ跳びで彼の眼前にまで着地し、間合いを詰めた。

 

「はっ!」

 

 氷川は近距離まで近づいてきたシケリオスに対してGX-55を鈍器として薙ぎ払う。シケリオスはそれを簡単にかわすと、右の肘でそれを叩きつけてはじき飛ばした。氷川の手元からガトリングガンが離れ、地に転がる。

 

「フン!」

 

 更に続けてシケリオスの左拳によるアッパーがG3-XXの装甲を襲った。火花と共に衝撃が伝わり、その瞬間からG3システムによる拡張アプリが演算によってその衝撃のクッション、発散を企図する。氷川は後ろによろめきながらも臀部に装着されたGM-01を引き抜くとシケリオスに向けて構えようとしたが、シケリオスは即座にそのサブマシンガンを蹴り上げて氷川の手から弾く。更にそこから回し蹴りの容量で体を捻り、逆足で氷川の腹部に突き蹴りを叩き込んだ。

 

「うああっ!」

 

 ダイヤモンド硬度など優に上回る強堅な装甲によって守られているはずの氷川の意識が、冗談抜きで飛びかけた。氷川はそのまま蹴り上げられて宙を舞い、朦朧とする意識の中でシステムの拡張アプリだけが必死に演算を続けている。

 

 妙に長く感じられた滞空時間の後に、氷川はガシャンと背中から地面に叩きつけられ、痛みに喘いだ。視界が霞み、喉の奥の方から何かがこみ上げてくる。Gトレーラーからの小沢の声が必死に氷川に何かを訴えかけている気がするが、それに耳を傾けている余裕はない。何とか体を起こそうと両手両足で立ち上がろうとするが、膝を着いた状態から体を起こす事が出来ずに再びその場に倒れ込んだ。

 

 立ち上がれないでいる氷川に追い討ちをかけようとシケリオスは拳に力を込める。それを見かねたように、今度は横からアギトが不意打ちに近い形で突っ込んで押し込みをかけた。

 

「うおおおお!!」

 

 シケリオスは対応しきれずに数歩後ずさったものの、グッと踵を踏みしめて踏ん張るとアギトを膝蹴りで押しのけた。

 

「くっ!」

 

 腹部を抑えて後ずさりながらも、アギトは更にシケリオスに対して身構えると、残像を引きずりながら流れるような動きでその敵に挑みかかる。そしてその胸部、腹部に続けざまに渾身の拳を叩き込むと、最後に右足の蹴り上げを放った。流麗な動作と強力な一撃がシケリオスを翻弄する。

 

「ヌッ……」

 

 アギトの怒涛の連打を食らい、さしものアンノウンも腹部を抑えてうめき声をあげた。アギトはそれを見落とさず、畳み掛けるように拳を放つが、シケリオスもさすまいと体勢を立て直し、アギトの右蹴りと左のひじ打ちを腕で受け止め、組み合う。

 

 しばしその体勢のまま均衡を保った後、グッとシケリオスが押し込みをかけてアギトを後ずらせ、塀の壁に背中から叩きつけた。それからすぐに今度はアギトが攻勢に入り、入れ替わるようにシケリオスが壁を背にする。追い詰めたシケリオスに対して、アギトはこれでもかとばかりに力を込めて拳を叩き込んだ。

 が、シケリオスはその拳を受け止めると、剛力にものを言わせてねじ上げ、加えて力を込めた肘、裏拳、膝蹴りを続けざまに見舞い、最後に捻じあげた腕からアギトを軽々と放り投げた。

 

 宙を舞い、胸から地面に打ち付けられるとさしものアギトももんどりを打ち、痛みに喘いだ。立ち上がれないでいるアギトに対して、シケリオスはゆっくりと歩み寄った。

 

 ──────────ー

 

「ここか」

 

 少女の案内に連れられて、彼女の言う「うち」にやってきた涼は声を漏らした。確かにそこは西洋宗派の教会のようだったが、しかし彼はどこかでこの教会を目にした事があるような気がしていた。

 

 物思いに耽るように教会を見上げる涼に、少女は言う。

 

「何やってんの?」

 

「いや……何となくな」

 

 曖昧に返す涼に、少女は不思議そうに首を傾げてから涼を手招きした。どうやら教会の裏の方に入って行こうとしているらしい。

 

「着いて来て」

 

 どうやら彼女は涼の怪我を診て貰うという提案を、律儀にも果たそうとしているらしい。涼としては彼女を送迎できたわけなのだからそれで充分であり、これ以上着いて行ってやる義理もないのだが、折角の申し出を頭から断る必要も無いかとため息混じりにバイクを降りた。

 

 少女はそれを確認すると教会裏手の道に入り込み、そこを進んで行った。やがて正面入口とは反対の位置にもう一つの裏口のような、というより教会と繋がったもう一つの別の建物の入口のような物が見えてきた。少女は足を忍ばせるようにゆっくりとその入口に近づいて行く。

 

 しかし、彼女がそのノブに手をかけようかという時、突然ガチャリと扉が内側から開いた。そして一人の少年が中から現れる。恐らく少女と同い年くらいであろう彼は、その姿を見て目を丸めた。そして思わずと言った調子で声を出す。

 

「さやか、どこ行ってたんだよ」

 

 その瞬間、さやかと呼ばれた少女の方は「まずったな」とばかりの表情をした。少年は更に彼女の肩越しに後ろから着いてきていた涼に目を移した。そして、先ほど以上に更に大きく目を見開いた。

 

「あれ!? あ、あの時の……!」

 

 そう言って自分を指差してくるその少年に対し、涼は何のことか、人違いかと一瞬顔を顰めた。が、すぐに涼の脳裏に三年前のいつの日かの事がよぎった。

 

 あの夏の日、全てから逃げ出そうとしていた少年の姿が、ぴったりと彼に重なった。随分大きくなっていたが、間違いなかった。彼を、葦原涼を確かに一度、救ってくれた少年。

 

 そこにいたのは浅野一輝だった。

 

 ──────────ー

 

 何も見えない。何も聞こえない。

 目の前には真っ白な、ただただ真っ白なだけの終わりの見えない世界。

 

 ここはどこ? もしかして、天国? 

 

 ずっとずっと、気の遠くなるほどの昔からここにいたようなそんな気分だ。頭の中で何かが繰り返し、まるでビデオのテープのように流れている。

 この映像は何? この記憶は何? 

 

 誰かが争って、誰もが争って、世界が始まって滅んで、また生まれて終わって。時が流れて、星が輝いて。多くの命が生まれて、死んで。何もかものイメージが早送りにされたフィルムのように単調に流れていく。

 

 嫌だ嫌だ、私はこんなの知らない! やめて、やめて、やめて。助けてお父さん、助けておじさん、助けて。助けて誰か、誰か。助けて翔一君! 

 

 

 

「いつか、遥か未来……人間の中に……私の力が覚醒する」

 

 誰かが喋っている。誰かと誰かが、向かい合っている。

 

「その時、人はお前の物では……なくなるだろう!」

 

 力が、力そのものが喋っている。

 

 

 

「そう、君の中でもそうなったように」

 

 気がつけば目の前に、純白の衣服に身を包んだ一人の青年が立っていた。

 どこかで出会ったことがあるような、むしろ生まれた時からずっと側にいたような気のする青年だった。一体彼が誰なのかは分からなかったが、その顔には静かな憂いが現れていた。

 

「君達にもう一度、会いたいと思っていました」



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雷雲の使者

「うっ……ぐあっ」

 

アギトとなった翔一は全身の痛みに呻きながらも地面に手をつき、体を起き上がらせる。既に彼の眼前にまでやってきていたシケリオスは、優位な体勢から拳を振るおうとする。

 

ドトン!

 

しかしその時、一発の発砲音と共にシケリオスが怯んだ。音のした方を見やると、膝と片手で体を支えながら満身創痍の氷川がこちらに向けて強化サブマシンガンGM-01を構えていた。

 

ドトン!ドトン!ドトン!

 

更に続けてその引きがねが引かれる。それと同時にシケリオスの体に弾丸が命中し、体制を崩す。なおも氷川は、続けて半分本能的に無我夢中で引きがねを引いた。着弾と同時にシケリオスが後ずさり、何度も体を傾ぐ。明確なダメージと言えるかは分からないが、少なくとも牽制には確実な効果を発揮していた。

 

悶えていたアギトは、氷川のその姿に我に返る。そして氷川の牽制にシケリオスが怯んでいる間に体制を立て直し、両手を腰部に据えるように構えた。同時に、彼の意思を感じとったベルト中央の賢者の石が錬成を始める。

 

そして、三年の月日をかけて再生されたシャイニングカリバーが白銀の輝きを放ちながらアギトの両腕へと収まった。

 

アギトは優雅な所作で二振りの湾曲した剣を構えると地面を蹴り、残像を置き去りにしながら一気にシケリオスへと詰め寄る。白銀の光刃が一閃し、シケリオスを斬り裂いた。……かに思われた。

 

「ンンン!」

 

シケリオスは一瞬の内にエンジェル・ハイロウから変則的に取り出した細身の剣「無限のエストック」を構え、シャイニングカリバーを受け止めていたのだ。

 

ーーーーーーーーーーー

 

人の手を離れて既に数年が経過しようかという、寂れた廃病院の屋上に灰色の青年は立っていた。静かながらもどこか威厳を感じさせる佇まいで風向きに目を細め、何かに意識を向けている。

 

やがて彼は眉根を寄せ、憂うように虚空を見つめると、不意に静かに空を見上げ仰ぐように両手を広げた。そして、包容するかのようなポーズと共にそっと目を閉じる。すると、まるでその所作に応えるかのように青年の立っている地点の上空を中心に、天に淀んだ雲が渦巻きはじめた。それは、みるみるうちに当たり一体を覆い隠し、今にも嵐を呼ぼうかというほどの曇天に変える。

 

青年はその様子を眺めながら、更に静止した姿勢を続け、天を仰いだ。と、その渦雲から突き破るように一つの青白い球体が現れ、舞うように急降下しながら青年の前にまでやってくる。そして、廃病院の屋上に達すると静かに動きを止め、輪郭を歪めるとその形が段々と人型をとったのだ。

 

「待ちわびましたよ」

 

その姿を見て、青年が薄く微笑む。姿形を変えた球体は、まるで中世西欧の貴族の法衣を纏ったような異形の人間ともいうべき外見をとった。筋肉質な肉体に大仰な装飾品やブーツ、二本の短い角を生やした動物を模したマスクのようなものを装着し、また、アギトに似た黄色の大きな複眼と、人に近い無機質な口元を晒している。更に背には天上人かと見まごうほどの大きな翼を生やしていた。

 

かつて、世界の創造に際して創造主が自らの分霊として生み出した原初の存在、七人いるとされる大天使「エルロード」の一柱。世界において地と空と海を分かつ雲の領域と、そこに潜む雷の支配を任された存在、「(いかずち)のエル」が顕現したのだ。

 

青年はその姿を前に物静かな声音で言う。

 

「やはり人の持つ力は目にあまります」

 

その言葉に、雷のエルはピクリと反応を示した。

 

「まずはアギト、忌まわしい力に完全に覚醒した者から滅ぼしましょう。いずれは予兆のある者、その血を引く者……」

 

青年は手に力を込め、睨みつけるように空を見上げながら続ける。

 

「多くの人間は遠くない未来アギトになります。そしてその可能性を持たない人間も、今やそれに劣らない力を持っている」

 

そしてそっと、眼前のエルロードへと目を向けた。

 

「天を覆い隠しなさい。滅ぼしましょう……人類を」

 

ーーーーーーーーーー

 

「大雑把に言って、今日の天気は晴れかな」

 

草原沿いの路上にバイクを止め、ヘルメットを外して明るい空を見上げたその男はポツリとそんなふうに呟いた。下は黒いレーシングパンツ、上は革のジャケットを着てパーマがかった髪を茶に染めている。元はスラリとした体型なのだろうが、ストレスのためか少しやせ細ったように見え、その目の下にも隈が浮かんでいた。

 

彼の名は国枝東、心理学を専攻する一端の教授だ。ちなみに好物は羊羹だとか。

 

国枝は苦々しい笑みを浮かべて空を見上げたままため息をつく。そして誰かに語りかけるように独白した。

 

「そういえばあの日も、こんな空だったかな」

 

ーーーーーーーーーー

 

刃と刃がぶつかり合い、幾度となく火花が散った。アギトの振るう双剣、シャイニングカリバーは俊敏かつ流麗な動きでシケリオスを補足し、追撃する。シケリオスは辛くも受け止めてはいるものの、完全に攻勢に転じているアギトが有利だ。

 

更にシャイニングカリバーの破壊力は数度打ち合っただけで、シケリオスの武器無限のエストックを叩き折るほどのものだった。その度にシケリオスはエンジェルハイロウを展開し、新たなる剣を手に取る。正しく無限に出現する長剣を操り、シャイニングカリバーの猛追を防いでいるのだ。

 

更にアギトを援護するようにG3-XXがマシンガンでシケリオスを射撃する。

 

バシュン!バシュバシュン!

 

その連携に相手が怯んだ一瞬の隙を突いて、アギトは無限のエストックをシャイニングカリバーの柄ではじき飛ばすと、そのまま回転蹴りをシケリオスの胸部に放つ。速さと重みの併さった会心の一撃に、シケリオスの体が吹き飛んだ。

 

「グウッ!」

 

初めてダウンを食らった漆黒の怪人は、腹部を抑えながら体制を立て直そうとする。そのまま膝をついて立ち上がると、恨めしそうな目でアギト、そしてG3-XXを見やり、形勢不利と見計ると深く膝を折って思い切り跳躍し、二人の前から逃走した。

 

本能的にそれを追いかけようと一歩前に進み出ようとした翔一だったが、背後から「うっ」という氷川のうめき声を耳にして咄嗟に振り向く。重厚な鎧を纏い、前のめりの体制になっていた彼はその途端、気が抜けたと言わんばかりにその場にくずおれた。

 

翔一もそれを見て変身を解除して慌てて氷川に駆け寄る。

 

「氷川さん!!大丈夫ですか!?氷川さん!!」

 

ーーーーーーーーーー

 

「氷川くん!?ちょっと、返事をしなさい!!氷川くん!!」

 

氷川がうつ伏せに倒れることで、モニターの映像が暗転する。その様を見て小沢は通信用マイクに向かって必死に呼びかけた。しかし、気を失っているのか答える余裕もないのか、氷川からの返事はなく、小沢は苛立たしそうに机を叩いた。

 

「氷川くん……」

 

その様子を見て尾室も難しそうに腕を組む。

 

「氷川さん、今回のは相当キツかったみたいですね」

 

「……」

 

無言で同調を示す小沢。そして、どちらからともなく二人してため息をつくと、おもむろに同時に椅子を立ち上がった。

 

「あれ、どうしたんですか?」

 

「あんたこそ、なに」

 

「あ、いや、僕は別に。ちょっと……」

 

「だから、ちょっと何よ。はっきり言いなさい」

 

余裕のない小沢にぐっと詰め寄られ、尾室は息を飲み込んだ。それから、少しびくつきながらも答える。

 

「いや、その。やっぱり氷川さん一人でアンノウンに立ち向かって行くのって、ちょっと無理があるんじゃないかって」

 

「なんですって?」

 

「あ、いや!氷川さんの実力に問題があるっていうわけじゃなくて、でもアンノウンみたいな危ない奴らの相手を氷川さん一人に任せっきりなのは、ちょっとどうかなって……」

 

ためらいがちにそんな事を言ってくる尾室に、小沢も眉を潜めながら数度首を縦にふった。

 

「氷川くん一人に、ね。なるほど、それでどうしようって?」

 

「だから、G5部隊ですよ!そもそもこういう時のために調整してあったんですから!」

 

尾室はいつになく勢い込んで言う。

 

「あれがあれば、氷川さんの助けにもなるんじゃないかって」

 

「でも確か、あのシステムはまだ凍結されてるんじゃなかった?」

 

「はい。まだ色々あるみたいで上層部の許可も降りなくて。でも、僕、ちょっと掛け合ってみようかと思うんです!」




更新が遅れてしまい申し訳ありません。

各話の後書きにてDATABASEとしてオリジナルアンノウンの簡易な紹介を書きました。興味のある方は覗いてみて下さい。


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恩と心

「お前……」

 

 涼は一輝と目を合わせたまま、言葉を詰まらせる。一輝の方も、何か口を開こうとはしなかった。二人のその姿を交互に見やって、さやかは不思議そうな表情になる。そして、脇にいた一輝を小突いてひそひそ声で問いかけた。

 

「なに、もしかして知り合いなの?」

 

 さやかの言葉に一輝は首を傾げる。そして今一度、涼の静かな表情を見やってから首をかしげた。

 

「どうかな。知り合い……ってほどじゃない」

 

「じゃあなんで見つめあってんのよ」

 

 さやかが眉をひそめると、一輝は肩をすくめてそれに応える。それから涼に対して声をかけた。

 

「なんでこんな所に来たの?」

 

 涼はさやかを指差しながら言う。

 

「そのガキを送りに来ただけだ。お前がお守りしてるのか?」

 

 涼のそんなセリフにカチンと来たのかさやかが歯を向いたが、二人はそれには頓着しなかった。続けて今度は涼が一輝に聞き返した。

 

「お前こそ、こんな所で何してる?」

 

「暮らしてる」

 

「どうして?」

 

「……いないから」

 

 一輝は言いにくそうにボソリと呟く。涼は顔をしかめ、同時に脇にいたさやかも「いいの?」とでも言いたげに一輝に目をやった。

 

「父さんも母さんもいないから。ここで暮らしてる」

 

「ここは孤児院って柄か」

 

 涼は協会から繋がる建物を見上げて、怪訝そうに言う。それに対して一輝は首を横に振った。

 

「元々は違う。違うところにいたんだよ。でも、駄目になったから戻ってきた」

 

「駄目になった?」

 

 涼は一輝の言葉に目を細める。一輝はそれに頷いて拳を握りしめた。それから地面に目を伏せて苦々しげに口にする。

 

「みんな、やられたんだ。あいつらに……」

 

「……あいつら?」

 

 ──────────ー

 

 アンノウンとの戦いを終え、氷川と別れた翔一は1人バイクに跨っていた。エンジン音に揺られながら河原沿いの舗装道を走っていた翔一は対向から見覚えのあるバイクがやってくるのが見えた。向こうはこちらの姿が目に入りスピードを落としているようだ。翔一もそれに倣って、バイクのブレーキを握る。

 

 お互いが間近な距離で静止すると、まず相手側がヘルメットを外す。そして痩けた頬を綻ばせて笑った。

 

「やっぱりお前だったか、翔一」

 

 その声を聞いて初めて翔一はハッとする。聞き覚えのある声。そうだ、自分の記憶に比べてかなりやせ細ってはいるが、相手は彼の見知った人間だった。

 

 翔一は自分もメットを外すと、驚きと喜びが入り交じったような表情で口を開く。

 

「国枝先生……!」

 

 国枝東は応えるように右手を上げた。

 

「よっ」

 

 ──────────ー

 

 同じ頃、小沢澄子は先の戦いで倒れた氷川を城北大学病院の検査に送って来たところだった。相変わらずというべきか、氷川は頑なに検査を受けるほどのものではないと言い張ったが、当然小沢がそれを了承するはずもなかった。

 

 綿密な検査が必要とのことで、その待ち時間の間、小沢は懐かしい母校にある1人の恩師の講師室にまでやって来ていた。

 

 高村光介。かつて小沢が、荒れ狂うG3-Xを人の物とするため、彼女の人生の中で唯一、自分の設計図完成のために手を借りた人物だ。彼は彼女が最も尊敬し、そして同時に最も嫌っている人物でもあった。

 

 日本のトップ頭脳の1人とは言え、自分から見れば所詮は凡人ではないか。そんな風に思ったこともあった。自らの子供にも等しいシステムに、他者の力を借りるなど。そんなプライドもあった。

 

 だがそう言う意味では彼は「凡人として」、小沢よりも優れていたのだ。小沢の人間観、氷川誠や尾室隆弘、或いは北条透らの人間らしい部分を評価する一面は、彼から教わったものだと言ってもいい。

 

 小沢は高村の講師室の前にまでやってくると足を止めた。やはり少し気まずい。2人は決して良好な関係という訳ではないのだ。例えば自分が改まった態度を取ったとしても、向こうがどう出るかなど分かったものではない。自分から見れば凡人、されど一般的には間違いなく天才の部類に入る人間だ。優秀な人間に特有の嫌みで意地悪い性格(ちょうどあの北条透にも言えることだ)が彼にも見える。

 

 私は君が嫌いだ、とはっきり宣告された時から、嫌悪感よりも苦手意識の方が先行してしまっている。なんとなく顔を合わせづらい。面倒くさい。嫌いならば会わなければいい話なのに。

 

 でも今はそうも言っていられない。小沢は一つ息を吐くと、講師室の扉をノックした。

 

 コンコン

 

 無感情な音が二度、静かに響く。続けて。

 

「どうぞ」

 

 と中から年老いた声が聞こえた。

 

「失礼します」

 

 小沢はガチャリ、とドアの取っ手を引き、中に入る。ガラス張りの壁に囲われ、コンピュータの置かれた狭い室内に、高村はこちらに背を向けて立っていた。

 

 それからゆっくりとこちらを振り向き、小沢の姿を目にすると、一拍置いてからため息をついた。

 

「……君か」

 

 あ、やっぱり来なければ良かったな、と小沢は痛感した。気まずい静寂が辺りを包み込む。それを取り払うように小沢は自分から口を開いた。

 

「あまり驚かれていないようですね」

 

「ん?」

 

 高村は小沢の言葉に気が乗らなそうに首を縦に振り、ガラス張りの向こうを眺めた。

 

「アンノウンの事は聞いていたからね。君がまた私に泣きついて来るんじゃあないかと、不安でいられなかったんだよ」

 

 嫌味な物言いに、小沢は少しムッとした。この辺りの表情を隠すということが、彼女はすこぶる苦手だ。

 

「君は私に学生時代の感謝を述べに来るような性格ではないからね。となると、ここに来た目的は大体想像がつく」

 

「お察しの通りです」

 

 小沢は高村の言葉にブスッと返す。高村は苦笑いしながら頷いた。

 

「まったく、君も酔狂だな。わざわざアドバイスを頼みに来る相手が私とはね」

 

 ──────────ー

 

 警視庁本庁捜査一課は、かつてない凄惨な事件への応対に追われ、騒然としていた。慌ただしい足音とともに、緊急招集された刑事たちが捜査本部へと入ってくる。あまりに突然のことにまだ事態を把握しきれていない刑事がヒソヒソと耳打ちをしあったり、配られた資料の表紙を見つめながら眉を潜めたりと落ち着きがない。

 可能な限りの人数が集められた本部は異様な空気を醸し出し、それに向かい合う重役幹部の表情もいつになく神妙だった。前方には大きなホワイトボードが二つ並べられ、事件に関する様々な情報が書き込まれている。

 

 所定の全員が着席したのを確認すると、緊迫した空気の中で幹部の1人が口を開いた。

 

「既に聞き及んでいる者も多いかと思うが今回の案件は言うまでもなく、先日起こったアンノウンによると思われる大量殺人についてだ」

 

 苦々しい口調に応えるように第一線を任されている河野が立ち上がり、概要の説明をはじめる。

 

「今回の事件、未だに被害者の身元を把握途中という段階ですが、その数は確認されているだけで東京のみならず関東、東北、北海道から四国、その数509名」

 

 改めて告げられるその数字に、集まった刑事たちは思わず息を呑んだ。中にはお互いに顔を見合わせる者達までいる。河野はそれぞれのリアクションには頓着せずに、自身の手帳を眺めながら先を続けた。

 

「被害者達の死因ですが、こちらがかなり奇妙です。検死結果によりますと、過労や栄養失調などの要因から至る餓死に近い、とのことで」

 

 河野の説明を聞き、居合わせた刑事達が揃って顔をしかめる。重役幹部たちも事前に報告を受けていたにも関わらず、再び苦虫を噛み潰した。

 

「これだけの人数が街中で同時にこの死因によって死に至る可能性は、恐らくゼロでしょう」

 

「つまり……」

 

 老齢の幹部は腕を組み、河野の言わんとしてる言葉を引き取る。

 

「不可能犯罪……ということか」

 




投稿遅れて本当にごめんなさい!
かなり忙しくてなかなか執筆出来ませんでした!
お気に入りや評価ありがとうございます!
これからも頑張りますので何卒宜しくお願いします!


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第八話「ジェノサイド」
失われたもの


 日政大学での聴取を終えた北条は、並木教授の助言を頼りに、美杉邸の前へとやってきていた。新たなアンノウンの出現と、それに伴う大変な事件のことについても既に耳に入っていたが、本部は未だに混乱していて明確な捜査方針すら立てられていないらしい。即ち、現時点では先の大事件の捜査は行うことが出来ないという判断なのだ。

 

 北条は美杉邸のインターホンの前に立つと一つ深呼吸をした。かつてはここにも何度も訪れていた。風谷真魚や津上翔一など、三年前のアンノウン事件のキーとなる人物に話を聞きに来るためだ。不思議な懐かしさとかつての喧騒、それに比べると今この家は、なんとも物寂しいような印象を受けた。

 

 北条はインターホンにそっと指をかけた。

 

 ピンポーン

 

 呼び鈴が鳴り、それからしばらくして。

 

 ガチャリ

 

 と扉が開く。出迎えたのは珍しく、美杉本人だった。まさしく望んでいた人物だと勇んで踏み出そうとした北条だったが、しかし彼の姿を見てその足を止めた。それから眉根をよせてその風貌を見つめる。

 

 ボサボサの髪に虚ろな瞳、目の下のひどい隈に加えてかなり脱力したような姿勢。目を逸らしたくなるとはこの事だろうか。北条は一瞬、今日のところは遠慮をして帰ろうか、なんて考えたほどである。

 

 美杉はそんな北条の姿を見るとまず、失望したように呟いた。

 

「なんだ、刑事さんか」

 

 なんだとはなんだ、という物言いであるが、どうやら彼の待ちわびた相手の来訪ではなかったらしい。しかしすぐに美杉はハッとして北条に歩み寄る。

 

「刑事さん? ……あそうだ、刑事さん! 刑事さん、ちょうどあなたに会いたいと思っていたところなんだ!」

 

 と、一転して今度はまくし立てるように近づいてくる美杉に、北条はかなり戸惑いながらも頷いた。

 

「あ、会いたい? それはその、光栄ですが。あ、いえ、実は私もあなたに御用があって伺ったのですが」

 

「うん、もう何でも構わんよ。さ、とにかく上がってください。いや、まさか刑事さんの方から来てくれるとは。あ、お茶でも飲むかね?」

 

 まるでこっちの話を聞く気もないらしく、北条は観念してまずは相手の用事を伺う事にし、渋々答える。

 

「は、はあ。ではその、頂きます」

 

 

 ────────ー

 

 久々の再会を果たした翔一と国枝は河原の土手に腰を下ろしてお互いに話し込んでいた。国枝は翔一の話を聞いて口元をほころばせる。

 

「そうか。本当にお前は、変わってないんだな」

 

「え、どういう意味ですか?」

 

 国枝の言葉に翔一は首をかしげた。国枝はそれに対して首を振り、遠くのどこかを見つめる。疲れ果てたようなその風貌に、翔一はますます彼のことが気になった。

 

「いやな、本当はもっと早くお前に会ってみようかと思ってたんだ。でも、出来なくてな」

 

「出来ない?」

 

「ああ。ちょっと色々あったんだよ」

 

 国枝は意味深にそう言うと、肩にかけていた小さなカバンから水筒を取り出し、蓋を開ける。ツーン、と特有の刺激臭が翔一の鼻をつき、すぐにそれが何なのかが分かった。口をつけようとする国枝に対して翔一は慌てて。

 

「先生、バイク……ですよね?」

 

 そう言うと、国枝は一瞬ポカンとした表情で動作を止める。本気で何を言われたのか分からなかったようだ。そして、数秒の間を置いてようやく翔一の言葉を理解し、動揺しながら落ち着かない手つきで水筒の蓋を閉めると、それを草むらに投げてしまった。それから目を泳がせて頭を抱える。

 

「そうだったな、何をやってるんだ俺は」

 

 ため息まじりにそんな事を言い、肩を落とす国枝の姿は、翔一の知るかつての彼とはまるで違うように思えた。

 

「どうかしたんですか?」

 

「……」

 

 翔一の言葉に、国枝は明後日の方向を見たまま何も言わない。本当にどこか様子がおかしい。心ここにあらずといった感じである。

 

「あの、もし良かったらまた先生のピーマンを食べさせて貰えませんか。今もあの病院に勤めてるんですよね?」

 

 無理やりに話を切り替え、なるべく前向きな話題を出そうとする。だが、国枝はそれを否定した。

 

「いや、病院はもうやめたよ」

 

「……え?」

 

 言っている言葉の意味が分からなかった。

 病院をやめた、と彼はそう言ったのか。翔一は聞き返そうとして言葉に詰まる。

 

 国枝は目を合わせずに続けた。

 

「無理になってな、何もかも」

 

「何もかも……?」

 

「ああ。もう終わったんだ、全て」

 

「それって、どういう?」

 

 風が吹く。茶と緑の乾燥した雑草が鳴く。国枝は一つ舌打つと、苦虫を噛み潰した。

 

「三年半ほど前に息子が死んでな、それでこのザマだ」

 

 国枝の告白に、翔一は目を見開いた。

 死んだ、という言葉の大きさは翔一は充分に知っている。ただ、それを実際に目にすることと、知人からそれを告げられることは、今の翔一にとっては不思議なことに、後者の方がより生々しく感じられた。

 

 死ぬ。死んだ者には二度と決して会うことは出来ない。神の力でもなければ死んだ人間は絶対に蘇ることは無い。

 

 翔一の姉も、死んだのだ。

 

 言葉を失った翔一に目を向けず、国枝は自嘲げに話し始める。

 

「あいつが死んでから、分からなくなったんだ。誰かを助ける意味ってのがな」

 

 誰かを助ける意味。誰かの居場所を守る意味。自分が存在する意味。自分の居場所。

 唐突にそれは崩れ、飛沫のように消えてしまう。国枝は今まさに、それを失っているのだと翔一は気づいた。

 

「俺はあいつを助けてやれなかった。親の俺が守ってやる事も出来なかったあいつの人生が何なのか、分からなくなった。それから、何もかもが上手く行かなくなってな」

 

 姉の姿がよぎる。姉の面影が、あの笑顔が、今もあの浜辺で翔一を呼んでいるあの姿が。永遠に無くなることはない。けれど、それを引きずったまま生きていくしかない。

 

 翔一は自然と口を開いていた。

 

「先生、逃げてるんですね」

 

 ほとんど無意識に放った言葉が、場を沈黙させる。国枝はしばらくの間何も答えなかった。それどころか微動だにもしなかった。

 

 静寂が時の流れを遅くする。やがて、自分の言ったことの意味をようやっと自覚した翔一がそれを取り消そうとした時、国枝は答えた。

 先手を打つように。取り消してほしくないかのように。

 

「そうだ」

 

 相変わらず、翔一のことを見ずにこぼす。

 

「俺は逃げた。……いや、今も逃げてる」

 

 語尾が消え入りそうなほど、その声音は弱々しい。それからやっとこちらを振り向くと、目を細めて痛々しい笑みを浮かべる。

 

「だけど、不思議なもんだな。お前に会って、お前の変わらない姿を見て、良かったって思うよ」

 

 翔一は視線を落とし、体から力が抜けて行くのを感じた。

 

「もっと早くお前に会っていれば、なんて思ってな」

 

 ──────────

 

「真魚さんが行方不明になった!?」

 

 美杉に告げられた正しく緊急事態な内容に北条は目を見開き、膝の上に乗せた拳を握りしめた。迫真の表情で頷く美杉に北条は唾を飲み込み、先を促す。

 

「そ、それは一体どうして……いえ、そもそもいつから?」

 

 風谷真魚といえば彼女もまた、北条が話を聞きたいと思っていた人物だ。それがまさか、こんな時に行方不明だなどと。そもそもあの年齢の女性が今どき行方知れずというだけで色々と危険だ。

 美杉は彼の言葉に「よく聞いてくれた」とばかりに首を縦に振った。

 

「ああ、昨夜から連絡が取れなくてね。遂に昨日は帰らなかったし、今もどこでどうしているのか……」

 

「なんですって! それは本当で……昨夜?」

 

 勢いに飲まれてつい身を乗り出してしまった北条は、一度その言葉を頭の中でで噛み砕くと、思わず聞き返していた。

 

「ああそうだ。真魚が一晩も連絡もよこさずに家に帰らないなんて……。こんな事は今まで一度しか……私はどうすれば……」

 

「そ、それはその……なんというか」

 

 いや、その年代の女の子ならそういうことも無くはないだろう、というか真魚さんはどれだけ品行方正だったんだ、と不思議なような感心するような複雑な感情を抱きながら北条は言葉を紡ごうとする。

 

 年頃の女の子が一晩帰らなかったくらいでは行方不明とまではいかないのではないだろうか。一度とはいえ、同じようなことがあったらしいし。いや、しかしいずれにしろ警察官として何らかの不貞があるのならばそれは推奨されるべきではない。そもそも真魚さんの不在は自分にとっても不都合ではないか。

 

 北条は自分の中で考えを巡らせると、居住まいを正す。そんな北条に美杉は身を乗り出して言った。

 

「真魚は決して、決してこんなことをするような娘ではないんだ。刑事さん、どうか真魚の捜索をしてくれませんか」

 

 必死の嘆願に、北条も頷き了承する。

 

「ええ、もちろんです。出来る限り力になりますが」

 

 北条の答えに、美杉は安堵したように笑みを浮かべた。

 

「そうか、本当に助かります」




分かりにくかったかと思うので補足しておくと、テレビスペシャルとこの物語はパラレルという設定です。
飽くまでもテレビ本編のストーリーからの続きなので、この世界では国枝先生は翔一君と再会していません。


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新しい答え

 マンションの自室に戻ってきた涼はいつもと変わらないチビの出迎えに静かな笑みを返した。それから軽く頭を撫でてやり、おやつの牛乳を与えるために冷蔵庫に向かう。

 

 みんな、やられたんだ。

 

 冷蔵庫の取っ手に手をかけた涼の頭に、一輝の言葉が蘇った。さやかを送り届けたことで用を済ませた涼は、「怪我、看てもらえばいいのに」と言うさやかの提案を断り、シケリオスとの闘いで負った体中の痛みをこらえながら家へと戻ってきたのだ。

 

 今のこの自分の体を誰かに見せるなど、ろくなことにならない。涼の肉体は最早、普通のものではないのだから。

 

 しかし、一輝のあの言葉の意味は一体なんだったのだろうか。みんなとは誰のことを指すのだろうか。

 

 涼がそんなことを黙って考えていると、不思議そうにチビが足元に擦り寄ってくる。涼はそれに我に帰ると、今更気にしても仕方ない、と冷蔵庫を開けた。

 

「それにしても、まさかあいつと会うなんてな……」

 

 涼はどこか遠くを見つめるようにして呟いた。

 

 ────────ー

 

「なるほど」

 

 城北大学のガラス張りの講師室、突然やってきたかつての自分の教え子の話と、それに関する資料について一通り把握した高村は重々しく頷いた。そして眼鏡の位置を正すとそっと小沢の目を見やる。

 

「驚いたよ。まさかあのG3-Xに更に手を加えようと考えるような科学者がいたとは」

 

 その声音にこもった感情は、あまり好意的なものではないことが小沢にもすぐに分かった。小沢はあえて何も言わずに、高村が言葉を続けるのを待つ。

 

「何故君は、G3-Xを更に進化させたのかね」

 

「未知の脅威に対抗するためです」

 

 小沢は胸を張り、毅然と言い返す。

 それに対して高村は皮肉げに笑った。

 

「私からしたら、こんなものを生み出してしまう君の……人間の頭脳の可能性こそ正しく「未知の脅威」だよ」

 

 そして抑えきれなくなったように笑い声をこぼす。それから、「言いたいことははっきり言ってください」とばかりに無言でガンを飛ばしてくる小沢から目をそらした。

 

「科学者としては私は、このシステムの素晴らしさを賞賛せざるを得ないだろうね。完璧……いや、まさしく完璧というものが存在しない、「無限の可能性」とさえ言えるシステムだ」

 

 そこまで言って、高村は真剣な表情に変わる。

 

「君は昔から「完璧な欠陥品」を作らせると右に出る者がいなかった。誰にも理解されない世界に生き、誰も扱えないものを生み出していたね」

 

 かつてのG3-Xもまた、そうだった。人を超え、人の手に余る、言うなれば理論上の理想の人間にしか使いこなせないシステムだった。そしてそれはおおよそ小沢の頭の中にしか存在しなかったのだ。それは実在の人間を否定し、人間の不完全さを拒絶するものでしかなかった。誰もそれを受け入れず、また誰も受け入れられることがない世界だ。だから、小沢は封印したのだ。『あれ』と共にG3-Xの高度なAIレベルを永遠に。

 

「言葉遊びは好きではありません。率直に伺います。教授、このシステムは失敗であると思いますか?」

 

「……君が気になるのはそこか?」

 

 高村は低い声で言った。

 意味を解し損ねた小沢が首を傾げる。

 

「どういう意味ですか」

 

「このシステムが成功か失敗か、そんなものは私に聞かなくても分かるはずだ。このシステムによって拡張された機能をもう一度よく確かめてみたまえ。そこに答えがあるだろう」

 

 小沢は一瞬、彼の言葉にまゆを潜める。が、すぐにその真を察したように目を見開くと恩師に挨拶をするのも忘れていきなり駆け出した。

 

 焦るように講師室の扉に手をかける小沢の背中に、高村が鋭い声を浴びせる。

 

「小沢くん!!」

 

 貫かれたように動きを止め、固まる小沢。高村は静かに彼女を見つめて言った。

 

「君は一体何のために、小沢澄子としてG3を開発し、アンノウンと戦っているのかね」

 

 しかし小沢は固まったまま答えなかった。

 

「G3-XXは見事だった。君の頭脳が全ての問題を解決して見せた。だがね」

 

 そして、高村はそっと彼女の背中から視線を外す。魔法が解けたように小沢の体の強ばりは融解し、同時に曖昧で漠然とした問いかけが自身の内から湧き上がってきた。

 

「君がこの兵器を開発し、戦い続ける以上、いつかその問いに向き合わなければならない時が訪れる。そのことを肝に命じておきなさい」

 

 高村にそう言われ、小沢は視線を落とした。

 それから、ゆっくりと振り返ると、まるで気の小さな少女のような素振りで頭を下げて、そのまま逃げるように講師室を後にした。

 

 ────────ー

 

 体に不快感を覚えながら、加奈は苦しそうに街道を歩いていた。頭と体の中がグルグル回転して、まるで混ざり合うかのように混沌としている。重たい岩がお腹の中をゴロゴロと転がり、呼吸をすればその岩が砕け散って内蔵に突き刺さるかのように感じた。

 

 全身に冷や汗を浮かべながら、頼りない足取りで歩を進める。どこかでタクシー拾えればよかったのだが、そう都合がよくはなかった。加奈は時折、塀や手すりに手をつきながら苦痛に耐えていた。

 

 と、いつの間にか前方から一人の女性が加奈と向かい合うように歩いてきていた。ショートカットに揃えた黒髪の、まだ二十歳くらいの若い女性だった。白いパーカーに青いサブリナパンツという、年齢を考えればお世辞にもお洒落とは言えない、ラフな格好の女性だ。

 

 その女性は加奈が苦しそうにしている様子を見ると、異変を察知したのかゆっくりと近づいてきた。そして足を引きずるようにフラフラと歩く加奈に話しかけた。

 

「あの、大丈夫……ですか?」

 

 声をかけられて加奈は立ち止まったものの、悠長に答えているような余裕もない。というか、そもそもこの状態を他人にどう説明すればいいのかが分からなかった。

 

「すいません、ちょっと……」

 

 困ったように顔をしかめる加奈の表情を伺い、相手の女性は一考したあと「よし」という感じで頷き、加奈に背を向けてすっと膝を折った。

 

 加奈は一瞬、相手が何をしているのか分からずに戸惑った。

 

「どうぞ。送りますよ」

 

 女性が言ったその言葉から察するに、おぶってやる、ということらしい。しかし、見ず知らずの人にいきなりおんぶしてもらうというのはいかがなものだろうか。それもこんな街中である。というかそもそも私、重くないかな。

 

 加奈がそんな風に躊躇してると、女性は更に続ける。

 

「大丈夫です。市民を助けるのが私の仕事ですから」

 

 女性はそうして闊達な笑顔を加奈に向けた。加奈はそれにますます戸惑ったものの、立ち止まっている内にいよいよ体の重鈍感が強くなってきてこのままでは身がもたないと思い、半ば無意識の内にその言葉に甘え、彼女の背中に覆いかぶさっていた。

 

 ────────ー

 

「じゃあ、先生の息子さんって……」

 

「ああ、自殺だよ。それは間違いない」

 

 河原の土手に座り込んだまま、翔一と国枝は話し続けていた。国枝は先程よりは気楽そうに、翔一は逆にますます真面目な表情になっていた。

 

「でもどうして……」

 

「ショックなことがあったんだよ。上手くは言えないけどな、あいつの世界がガラッと変わっちまうような」

 

「世界が……変わる……」

 

 翔一は眉根を寄せた。その気持ちが、なんとなく翔一には分かってしまうような気がした。

 何度も翔一は世界の劇的な変化に直面した。崩れさり、裏返り、引き裂かれる世界を目の当たりにしてきた。自分の生きる世界がいかに簡単に変わってしまうのかを。

 

「でもそれで死んじゃうなんて、一体なんで……。死ぬくらいなら一層のこと、逃げちゃえばよかったんじゃ」

 

 目線を地面に落として、翔一は言う。

 国枝はそれを聞いて軽く頷きながら、川の向こうを眺めた。

 

「案外辛いんだよ、逃げるのもな」

 

「逃げるのが……辛い?」

 

「ああ。逃げきれないものから逃げ続けるのは辛い。逃げるのをやめるには、立ち向かうか死ぬしかないんだ。あいつは……そこで負けたんだよ」

 

 肩を落とし、国枝は苦笑いをした。国枝もまた、息子の死という逃れられない現実から逃げ続けてきたことに疲れ果てているようだった。翔一は息を飲み込み、そんな国枝にかける言葉を探した。

 

『離して……』

 

 だがその時、翔一の脳裏に、姉の姿が浮かんだ。亡霊が、翔一をじっと見つめている。

 あの時、姉の幻影に言葉を返すことが出来なかった翔一に今、国枝にかけてやれる言葉が存在するのだろうか。

 

『お願い……離して!』

 

 あの時から時間は止まったまま、何も進歩していないのではないだろうか。本当は今も、姉の幻に見て見ぬフリをして、誤魔化して生きているのではないだろうか。翔一は今も、かけてやれる言葉を持たないのではないだろうか。

 

 ……でも、それでも。

 

『お前は……離すな!!』

 

 

 

「美味しい……」

 

 翔一は無意識に、そんな言葉を呟いていた。

 

「……なに?」

 

「美味しかったんです、ピーマンが」

 

「ピーマン?」

 

「はい。俺が美杉先生にお世話になる前に、先生が出してくれたピーマンが、とっても」

 

 唐突に昔の思い出話を語り始める翔一に、国枝は困惑した。どこかおかしくなったのかと翔一の顔を覗き込む。しかし、翔一は大真面目な顔で続けるのだ。

 

「あの時、あのピーマンを食べて、俺本当に楽しくなって。なんか、美味しいもの食べてよかったって。美味しいものっていいなって!」

 

「お、美味しいものだって?」

 

「はい!」

 

 迫真の表情で頷く翔一。その光景は、場にそぐわないとても他愛ない内容と、あんまり真剣な表情がどうにもミスマッチで、どことなく滑稽にすら思えてくる。国枝は真顔の翔一を見つめている内にどうしようもなくおかしくなってきてしまった。

 

「……ぷっ! く……ははは! あはははははは!!」

 

 ついこらえきれずに笑い声があふれでてくる。面白いことを言ったつもりがない翔一はそれに対して不服そうに抗弁した。

 

「わ、笑うことないじゃないですか、酷いですよ先生!」

 

 いつもの俺のオヤジギャグは誰も笑ってくれないのに。

 

 しかし、国枝はなおもおかしそうに翔一の方を見た。

 

「いやな、別にお前のことを馬鹿にしてるんじゃない。ただ、何を言い出すかと思えば「美味しいもの」とはな。お前らしいよ。ははは!」

 

 国枝のその楽しそうな笑みを見て、翔一もなんだか嬉しくなってくる。そのまま破顔してちょっと恥ずかしそうに。

 

「そうですか? でもそうかもしれないですね! あははは!」

 

「ははははは、ったく、お前ってやつはな」

 

 国枝は安心したように眉尻を下げ、翔一の肩を叩く。そして、大きく深呼吸をしてから落ち着いた声色で満足気に言った。

 

「ほんと、お前に会えてよかったよ」



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新戦力

「じゃあ結局、特に異常は見られなかったってわけ?」

 

 病院へと戻ってきた小沢は既に検査を終えていた氷川から結果を聞くと、それを反芻した。氷川はそれに頷き、答える。

 

「はい、身体的な異常は特に何も。少し疲れているのかもしれない……とは言われましたが」

 

「なるほどね」

 

 小沢は思案顔になりながら視線を宙に移した。そんな彼女に対して氷川は真剣な面持ちで言う。

 

「小沢さん、僕のことなら大丈夫です。心配ありません。僕は戦えます、G3-XXを着て、アンノウンと!」

 

 しかし、彼の意気込みに反して、小沢は彼の目を見ずにきっぱりと言い切った。

 

「あなたが戦えるかどうか、それはオペレーターである私が決めることよ。いい? 氷川くん」

 

「それは……当然そうですが」

 

 小沢に諭されると、氷川は歯がゆそうに下を向いて拳を握りしめる。対して小沢はどこか上の空のような素振りでそんな氷川のことを見つめるのだった。

 

 

 ────────────ー

 

 ここは、どこですか? 

 

 言葉は言葉にならなかった。それは喉を通って口から出た音、というよりも不可思議な空間を媒介して伝わる頭の中のイメージのようなものだった。

 

 テレパシー……そう言う表現で表せる類のものかもしれない。真魚にとっては不思議でもなんでもないものだが、ただ今、この状況においては何かただならぬことに思えた。

 

 普通ではない。

 

「君の……可能性の世界です」

 

 言っていることの意味がよくわからない。

 

 真魚は心の中で首をかしげた。

 

「君の可能性は閉ざされてしまった。それを恐れる者達によって」

 

 目の前に立つ白い服を着た中性的な青年は悲しげに目を伏せる。どこか遠い世界を見つめるような目だった。

 

「ですが、まだ終わりではありません。君は……終わるべきではない。君の中に残された私の力が、君を救えるかもしれない」

 

 どうして、私を助けるんですか? 

 

「……君たちの力は、私の罪だからです。君たちのような、可能性の芽を抱きながら否定される者達を私は助けなければならない」

 

 罪……? どういうことですか? 

 私の力って、一体あれは何なんですか? 何のために。

 

 真魚は自身の呪われた力のことを思い、青年を見つめる。彼女の力は特別なものであり、そしてあのアギトにも通じるものだと彼女自身も知っている。だからこそ、その問いを頭に浮かべたのだ。

 

「今はまだ、分かりません。私の力が君たちを助けることが出来るのか。ですが、私は君たちの可能性を見たかったのです、その美しい可能性を」

 

 かのう、せい? 

 

 青年は微笑を浮かべながらゆっくりと頷く。そして真魚に向けて手をかざした。

 

「来るべき時は近づいています。今一度、君に可能性を……」

 

 

 ──────────ー

 

 ピロロロロロ! 

 

 美杉の話を聞いて、ひとまず真魚の捜索に乗り出そうと車に戻ってきた北条の携帯に着信音が鳴った。スーツから携帯を取り出し、ピッとその電話に出ると、向こうからは聞きなれた声が聞こえた。

 

「おう、北条。俺だ」

 

「ああ、河野さん。ちょうど私も河野さんに話したいことがあったんです」

 

「俺に? そりゃ結構だが……それよりお前、聞いたか?」

 

 通話口の向こうの河野の声音は、どこか普通ではなかった。何か奇妙な、信じられないことを話すかのような、例えるならば学生たちが興味本位でかわしあう七不思議や怪談の類のことについて噂するような口ぶりだった。北条は、真魚のことは話すにしてもその口調に興味が湧き、聞き返す。

 

「聞いた……というと?」

 

「ああ……「幽霊」の話なんだが」

 

 飛び出したのは、思いもよらない単語。突拍子もなく、実感もなく、もちろん現実味もない、どこか稚拙ですらある、まさかこのような年配の先輩刑事の口から飛び出してくるとは思わないような言葉に、北条は思わず眉間にシワを寄せた。

 

「幽霊、ですか?」

 

「ここ最近の話なんだがな。最近警視庁に「幽霊」を見たっていう報告が多数寄せられていてな? いや、俺もこの歳になって流石にそんな、お化けの類なんて頭から信じるわけじゃないが……」

 

 含みのあるような言い方に、北条は思い当たる言葉を口にしてみる。

 

「アンノウン……ですか」

 

「ああ、それもある。ただそれよりも気になるのがなぁ」

 

 そう一泊おいて、河野は続きの部分を言う。

 

「その目撃にある幽霊の共通点が、どうもそのアンノウンに殺害された被害者である、ということらしい」

 

「なんですって!? アンノウンに殺害された……!?」

 

 驚きに声を上げ、北条は生唾を飲み込んだ。まあ、そういう反応になるわな、と河野は頷き言った。

 

「どうもなぁ。いや、この手の話は昔からあったといえばあったんだが、最近は件数が激増しているし、何よりその共通点がなぁ……」

 

「それは、偶然とは思えませんね」

 

 いや、偶然と思えないと言えば、全てがそうだ。アンノウンも今回の大事件も、そして今までさほど深刻に考えてはいなかったが、風谷真魚のこともだ。何も、偶然ではないのかもしれない。全てが必然であるかのように、音を立てて忍び寄ってくる。ジリジリと背後の闇が濃くなるように。

 背中に嫌な汗がつたうのが分かった。

 

「それとだな、これはお前にも馴染みのある話かもしれないが……」

 

 ──────────────ー

 

 同じ頃、警視庁きっての天才頭脳小沢澄子はGトレーラーにある自分のパソコンと睨めっこをしていた。青白い光に照らされながら、しきりに目の前の画面を見つめ続ける。手元のキーボードでひたすらに何かの操作を行いながら。

 

 やがてしばらくして、忙しなく動いていた小沢の手が止まった。そして、画面から目を離し、彼女は小さくため息をつく。

 

「なるほどね……」

 

 何かを確信したかのように小沢は自身の生み出した傑作、G3-XXを見つめた。

 それは、驚くべきことだった。このG3-XXのプログラムはなんと、既に小沢が懸念していた「氷川、即ち装着者への負担」という問題を自身で発見、解析していたのだ。小沢の予想をも超え、そして小沢よりも早くこの問題点を見つけ出して、既に解決への手立ての演算に取り掛かっている。

 

 小沢は、感心すると同時に自身の生み出したこの優秀なプログラムに対して、恐怖にも似た感情すらも覚えた。理論上は確かに、人間の考えうる限りの欠点、欠陥を解決することのできるシステムだ。しかしそれはどこか、創造者である小沢の手をも越えて進化していってしまうもののように思えた。

 

 君は一体何のために、小沢澄子としてG3を開発し、アンノウンと戦っているのかね。

 

 高村のその言葉が、頭によぎる。

 

 G3-XX(これ)は一体、何のために……。

 

 

 

「……そういえば」

 

 思えばいつものうるさい小僧、尾室隆弘がいないことに気づいた。ここいらで茶々の一つも挟んできそうなものだが、いなければいないで若干調子が狂う。氷川には待機を命じているとして、あの凡人は一体今どこで油を売っているものか。

 

 と、その時、尾室の言っていたある言葉が頭に浮かんできた。

 

「G5ユニット……」

 

 ──────────────ー

 

「G5ユニット……」

 

 薄暗がりの中、必要最低限の灯りだけに照らされた警視庁の会議室で、老幹部は腕を組み、目の前の青年の提案に思案した。

 

 その提案の張本人、尾室隆弘は背筋をピンと伸ばし、重役たちに説明する。

 

「はい。先日のアンノウンとの戦闘記録をご覧になったように、今、アンノウンとの戦いは、氷川さん一人では危険な状況にあります」

 

「アンノウンは三年前よりも更に力を増し、我々を脅かしている、というわけだね?」

 

 顔長の幹部の言葉に尾室は強く頷く。

 

「その通りです。そしてこんな時、さらなる脅威に備えて僕達アンノウン対策班は、厳しい訓練のもとあの、G5ユニットを結成したんです! 今こそ、あのユニットを稼働するべきだと思うんです!」

 

「なるほど、言っていることは正しくその通りだ。我々としても今回の事件、今までどおり対応するにはあまりにも事がすぎると考えている」

 

「君の言う通り、新たな戦力の必要性は認めざるを得ない。それに上層部から直々に通達があってね」

 

「通達……ですか」

 

「そう。今回の事態は非常事態だ。ことは大きい。もちろん、君のG5ユニットの件に関しても充分に吟味し、投入可能な戦力であれば活用していきたいと考えている」

 

「しかしだ、それよりも今回の事件は、ただのアンノウンによる殺人事件、と割り切ることはできない」

 

 幹部たちは次々と口を開き、今回のことの重要性について顔をしかめながら口にした。

 

「我々はこの未曾有の事件、いや危機に対して、虐殺(ジェノサイド)と呼称することにした」

 

 虐殺……大げさにすぎるような呼び方も、今回の事件のことを思えば納得がいく。

 

「これに伴い、我々警視庁としても、少々体制を変えなければならない」

 

「今回のアンノウンに対して、氷川主任一人の力では対応が難しいということは間違いない。だが、引いてはそれは、この警視庁という組織全体にも言えることだ」

 

「警視庁……ですか?」

 

「そう、我々警視庁の力にも限界がある。そこで、これからは協力体制をとることとなった」

 

「協力? 誰とです……?」

 

「ああ、ある意味では我々よりもその道に特化している組織」

 

「……自衛隊だよ」



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第九話「あるべきもの」
進化


封印が解かれ、白い馬に跨った騎士は、勝利の上になお勝利を得るため、手に弓を、頭に冠を被り、出陣した。

ー「ヨハネの黙示録」第六章第二節よりー


「何の偶然だったか、だけど今日はお前に会えてよかったよ、翔一」

 

「はい、俺もです!」

 

 人懐っこい笑みで翔一は頷く。それを見て国枝も口角をあげた。そして、穏やかな目で言う。

 

「大事にしろよ、お前のそういうところ」

 

 それから少し視線を落とし、また遠くを見つめるように続けた。

 

「確実なもの、決してなくならないものなんてもんはない。もしもそれに気づかず手元にあるものを失えば、そこにあるのは後悔と、消えない痛み。その先には何も見えやしない」

 

 遠い日の記憶、戻らない景色、会えない人。全ての幻想は鮮やかで、今を生きる者達に過去への回帰を叫ぶ。しかし、それは決して叶わない、届かないのだ。それでは、そのはるか彼方の岸辺の過去を、幻想を、人々を、一生悔やんで生きていかなくてはならないのだろうか。

 

「いや、それでも無くならない、お前の言った「美味しい」っていうことだけが、本当は一番大切なのかもしれない。まだ、こんな俺にも残ってくれてるからな」

 

「先生……」

 

 国枝はギュッと拳を握る。自分に力を込めるように。逃げることをやめ、踏ん張るための力を蓄えるように。

 

「今度は俺も、無くさないようにしないとな。だから翔一、お前も大切にしろ」

 

 そしてサッと人差し指で翔一を指す。

 

「どんな時も、「美味しい」って言えるようにな」

 

「任せてください!」

 

 翔一は満面の笑みで答え、バイクに跨った。

 

 ──────────────ー

 

 国枝に別れを告げ、河原沿いを走っていた翔一は唐突に鋭い頭痛に襲われ、思わず車上でバランスを崩しかけた。その翔一の体に何者かの腕が振り上げられ、翔一はバイクからはじき飛ばされて地面に転がった。のたうち、痛みに悶えながら、前方を見やると、そこには黒色の怪人シケリオスの姿が。

 

「!!」

 

 そしてなんとその後ろには翔一の見知った人物の姿があった。

 髪の長い中性的な美青年。氷のように冷たい瞳で蔑むようにこちらを見つめている。着ている服の色は変わっていたが、あれは間違いない。かつて人間の未来を奪い、それを絶やさんとした強大なる存在だ。三年前の最終決戦で、翔一は決死の思いで彼に挑み、そして撃退させたのだった。

 

「な、なんでまた、お前が……」

 

 その問いに答えるはずもなく、青年はさっと翔一に手を向け、冷酷に呟く。

 

「やれ」

 

 その言葉を合図に、シケリオスは猛然と翔一に挑みかかった。

 

 翔一も対するために構え、力を込める。ベルトが出現するのとほぼ同時に、シケリオスの拳が唸りをあげて襲いかかった。それを交わしながら翔一はベルトの力を解放し、その両端を気を込めて叩く。と、オルタリングから光が溢れ出し、翔一を包み込んだ。そしてその眩い光を纏いながら、シケリオスの脇腹に強烈な拳を叩き込む。

 

「グゥ!?」

 

 その一撃にシケリオスが唸り声をあげ、腹を抱えながら後ずさった。

 

 そしてすぐに体制を立て直し、敵意を込めて光に包まれたアギトを睨みつける。アギトも隙のない構えでそれに応えた。

 

 対峙する白と黒の異形を眺めながら、青年は満足げに微笑む。

 

「アギト……お前は一体……」

 

 

「ヌゥ!!」

 

 まずシケリオスが踏み込んだ。鋭い右の拳がアギトを狙う。

 が、アギトは半身を折ってそれをかわし、続けざまにくる左のアッパーも、右足を軸として体を回して見切ると、空になった胴に強烈な左の一撃を叩き込む。更に、相手が怯んだところを間髪入れずに流れるような動作で右拳で顔を殴り、左の膝でよろめく相手の胸を蹴り上げた。

 

 シケリオスの頑強な肉体が宙に舞い、硬い地面を転がる。一撃一撃が大地をも揺るがすその威力に、シケリオスは立ち上がろうとして思わず手をついた。それから憎々しげにアギトを睨めつけ、地面を蹴ると猛々しく襲いかかった。

 

 両者の拳が交差し、それぞれお互いの胸に直撃すると、打ち分けるように双方が後ずさる。シケリオスは以前の戦闘よりも更に強化されたアギトのパワーに、「グヌゥ」と唸り、エンゼルハイロウを展開させると「無限のエストック」を取り出した。そしてアギトに向けて構えると、それを振り上げた。

 

 アギトは冷静に、向けられた武器の軌道を見切ると右に斜めに後ろに前にと、見事な動きでかわす。更に敵の剣をかいくぐると背中合わせの状態から、肘打ちを叩き込み、敵の振り返りざまの左のカットを身を低くしてかわすと、カウンターにパンチの連撃を放った。

 

 胸、腰、腹、そして顎と続けざまに決めると、最後には渾身の蹴り上げをみぞおちに見舞い、敵の体を優に数メートルは蹴り飛ばした。

 

 肘をついて立ち上がろうとするも、強烈なダメージに唸り声をあげ、シケリオスはよろめく。それに対し、アギトは静かに腰を据え、必殺のポーズをとった。それと同時にアギトの力の紋章が、余りにも膨大なエネルギーとして形をなし、宙空で可視化した。それは竜の頭部を模して二重に展開され、倒すべき敵としてシケリオスを捉える。

 

 シケリオスが何とか両足をついて立ち上がろうかという瞬間、アギトは地面を蹴って飛び上がり、空中で一回転すると、そのまま大上段の両足蹴りをシケリオスに向けて放つ。それは凄まじいスピードと重さで、形をもって具現化した二重のエネルギーを吸収しながら、シケリオスの胸に吸い込まれるように叩き込まれた。

 

 シャイニングシュート。食らった瞬間、シケリオスは耐えきれずにその場で内部から爆散し、炎をあげて消滅した。

 

 その光景を見て、謎の青年は目を細める。

 

「お前は一体……どれほどの……」

 

 炎の中から現れたアギトは、その青年の視線に気が付き、そちらに向けて歩み寄ろうとした。

 

 しかし。

 

 ヒュオオオオオオッ!!! 

 

「!!」

 

 突然、突風かと思えるほどの猛スピードの何者かがアギトに向けて飛来し、それを遮った。何者かはその速度でアギトをなぎ払い、吹き飛ばしたのだ。

 

 アギトが受け身をとって着地し、見上げると、それは空中を旋回してからゆっくりと地面に降り立った。

 

 白を基調とした衣装と体色に、黒の羽が混ざり、肩や腰には金色の装飾品を身につけ、サンダルのような履き物に、布製の腕巻き。顔は鋭い眼光と鳥類特有の嘴に特徴付けられ、両腕は滑空するために翼型となっていた。さらに背中には、腕のものとは別に羽を生やし、胸には両羽の飾りをつけている。

 

 鳥型の上級アンノウンの中でもまた異質、それはなんと始祖鳥の祖霊たる使徒、アルキオプテリクスロード・ウォルクリス・プリーモだった。プリーモはアギトに向けて手をかざす。すると、一迅の強い風が吹き、アギトの体を吹き飛ばした。

 

「ウワッ!!」

 

 河原の草むらに転がったアギトは、すぐに体制を立て直し、急襲の敵に焦点を合わせようとする。

 

 が、しかし、既に敵の姿は視界から消え失せていた。そしてまた、アギトにとって最も警戒すべきもう一人の敵、謎の青年も、アギトが目を向けた時には忽然と、その場からいなくなっていた。

 

 後にはただ、動揺して辺りを見回すアギトの姿だけがあった。

 

 ──────────────ー

 

「すみません、こんなところまで送って頂いて……」

 

 道端で出会った女性に、なんとレストランAGITOまでおぶって送迎された加奈は、その女性の体力と膂力に驚きながらも低頭した。それに対して相手は爽やかな笑顔で首を振り、答える。

 

「いえいえ、これも私の職務の一つですから」

 

「職務、ですか?」

 

「はい。市民を助ける、これ第一です。父の教えですから!」

 

「お父さん……」

 

 父。

 その言葉を聞いて、加奈は俯いた。

 それに気がついて、女性は加奈の顔をのぞき込む。

 

「あれ、どうかしました? まだ気分が悪いですか」

 

「あ、いえ……」

 

 それもありますけど……。

 

 加奈の父は以前に亡くなっていた。それも、とても奇妙な死因で、だった。

 

 不可能犯罪、恐らくは世の中でそう呼ばれているものだろう。あの「アンノウン」と呼ばれる存在に、父も狙われたのではないだろうか。

 

 父の死、それは加奈にとって恐怖を与える出来事だった。

 

 ……見えざる恐怖を。

 

「あの、お名前を伺ってもいいですか? せっかく助けて頂きましたし、いつかお礼を……」

 

 話を逸らそうとして、加奈は女性に伺う。女性は闊達そうに頷くと、はにかんで敬礼し、言った。

 

中野 月美(なかの つきみ)と申します。よろしく。あ、でもお礼とかは構わないですよ。当然のことをしたまでですから」

 

 彼女の自己紹介に、気さくで明るい人だな、と感心し、加奈も思わず笑顔になる。

 

「岡村 加奈です。このレストランでシェフをやっています」

 

 と、相手は見る間に目を丸めて、驚いたように口を開ける。

 

「シェフさん!? ってことは料理がお上手なんですか!?」

 

「え? ああ、はい。人並みには」

 

「へぇ〜すごいな! 私、料理はからっきしで! でも美味しいもの大好きなんで、今度食べに来てもいいですか?」

 

「それは、是非いらしてください! とっても美味しいですから!」

 

「わぁ〜、嬉しいなぁ……っと!」

 

 素直な顔いっぱいに笑顔を広げたあと、月美は思い出したように自分の腕時計に目をやる。それから慌てたように服装を正すと、加奈にお辞儀をした。

 

「もうこんな時間かぁ。すいません、私ちょっと用事がありますので、これで……」

 

「あ、すいません。引き止めちゃって」

 

「いえいえ。では、失礼しまーす」

 

 月美はピョンと加奈に背を向けると、軽快に立ち去ろうと歩き出した。その背中に、加奈は時間を取らせては悪いと思いつつも、直感的に疑問に思ったことをぶつける。

 

「あの、何をしていらっしゃるんですか?」

 

 随分体力がおありのようですけど。

 

 すると、月美はサッと顔だけ振り返り、白い歯を見せて応えた。

 

「平和を守ること、ですかね」




DATABASE


種族名:イールロード
個体名:アンギラ・シケリオス
能力:体エネルギーを電気として蓄える
電気鰻に似た超越生命体。名は「刺客のウナギ」。超能力者ではなく変身能力者をターゲットに活動する。


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失楽園

 三年前の、辛く、悲哀に満ちた戦いの日々。あの壮絶な時間を終えてから、今の涼に生まれた新しい日課は、チビとの散歩だった。

 とても忙しい日(最も、今の涼にそんな日は滅多にないが)を除いては、一日一度、必ずこの小さな同居人の散歩に付き合っている。距離は気分次第だ。近所を周回する日もあれば、隣町まで遠出するようなこともある。チビの気の済むまで、散歩は続く。

 

 今日もそんな日課として、涼はチビと一緒に街中を歩いていた。トテトテと四本足がたどたどしく進んでいく後を、ゆっくりと追う。この旅に、急ぐ理由も、目的もない。時折流れる北風を感じながら、ただただ目の前に広がる道を行くだけの、その何もない感覚が、涼には非常に心地よかった。

 

 覚めない夢のように、ずっとこのまま、この何もない時間が続けばいい。そんな風に、涼はこれまでもずっと考えてきた。

 

 そんな涼の目の前、少し先の、ちょうど住宅街の細い十字路になっている交差点を、ふと誰かが横切った。それは、普段の日常からすれば何でもない、当たり前のごく普通の出来事だった。

 

 普通の出来事のはずだったのだが……。

 

「……!!」

 

 涼の目にはその何気ない光景が、カメラで写し取ったかのように一コマ一コマが鮮烈に焼きついた。何故ならば、それがあまりにも異質な、涼にとってありえない、信じられない光景だったからだ。

 

 彼の目の前を横切ったその姿は、長く流れる髪、女性にしては背が高く、大きな瞳、意志の強さを感じさせる口元と、なによりもその佇まい。どこか謎めいて、どこか儚げで、どこか危うげな美貌。

 

 その姿を、彼が忘れるはずがなかった。

 

 かつて互いに強く焦がれたその姿に、もう二度と、会うことは叶わないと思っていた。

 

「亜紀……?」

 

 榊亜紀、かつて木野や真島らと共に暁号に乗り合わせ、未来を奪われた女。その中でもがき、苦しみ、逃げ続け、そして還らぬ者となった。涼に絶望と苦しみだけを残して、彼女は去った。

 

 なんと、そんな彼女の姿が再び、涼の前を通りすぎたのだ。

 

「亜紀!」

 

 無意識に名を叫び、駆け出す。チビもそれに付き従った。

 

 距離にして100メートルほど先の交差点、もう既に彼女の姿はない。幻だったと言われてもおかしくない、いや、そちらの方がむしろ納得出来る。

 だが、それでも涼は走った。目の裏に焼き付く幻影に追いすがるように。

 

 もう一度会えるだけで……一言交わすだけでいい! 

 

 そんな願望にも似た感情を胸に、涼は彼女の姿が消えた交差点までたどり着き、振り返る。

 そこにいたのは……。

 

「ぐっ……うう……」

 

 残念ながら、涼が望んだ榊亜紀の姿はそこにはなかった。

 なんの偶然なのか、代わりに出くわしたのは最近ではやけによく遭遇する顔だったが、今はどこか様子がおかしいように思えた。さやか、と呼ばれていた少女が足を引きずりながら、道の塀に手をつき、歩いている姿があった。

 

「おい、お前……」

 

 思わず涼は、彼女に声をかけた。

 よく見れば、足や手に怪我を負い、出血までしている。涼は以前、この少女を目にした時のことを思い出した。

 

 何やら良からぬ連中に追いかけ回されていた少女。まさか、こんな子供に手をあげたというのか……。

 

 とにかく考えていても仕方がないと、涼はさやかに近寄る。それに気づいて、さやかは彼を見上げた。

 

「あ、あんた……うっ!」

 

 さやかが、体を抑えて顔をゆがめる。そこにも怪我を負っているのか、それともなにか別の原因なのかは分からないが、涼は倒れそうになるさやかを受け止めて支えた。

 

「おい、一体どうした! なんでこんな……」

 

 そう言いながら、涼は辺りを見回す。

 しかし、先程彼の目に写った亜紀の姿は、どこにも見当たらなかった。チビだけが不安げに、涼の近くで鼻を鳴らしているだけだ。「あたりまえか」と思いつつも下唇を噛みながら、涼は自分の質問に答えようとしないさやかを見下ろす。

 

 彼女はただ、苦しそうに眉を寄せるだけだった。

 

 ──────────────ー

 

「とにかく、真魚さんのことはこれで全面的に捜索に当たることが出来ると思います。河野さんにも協力をお願いしましたから」

 

 ひとまず自分の上司に連絡を済ませ、真魚の捜索に乗り出すむねを伝えた北条は、美杉邸で随分長い間、美杉の嘆きと悲しみを聞かされて、来宅した時よりも幾分か痩せたような顔で、最後に美杉に頭を下げた。美杉はそれを聞いて、神の救いでも得たかのような表情で自身も頭を下げる。

 

「刑事さん、本当にありがとうございます。あなたは頼りになる人だ!」

 

 そう言いながら御丁寧に、両手で北条の手を握ったりなどしてくる。あまりにも大げさで、まるで彼が命の恩人かのような所作だ。まあ、美杉の真魚を思う気持ちを考えれば無理もないところなのだろうが。

 

 北条は美杉の感謝を程々に受け取ると、改めて襟元を正し、今度は自分の要件に入ることにした。

 

「いえ、礼には及びませんよ。それよりも美杉さん、私からも少し、あなたにお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 

 迫真の表情でそう聞く北条に対して、美杉は怪訝そうに眉をひそめて首をかしげた。

 

「私に聞きたいこと? 一体なにかね? もちろん、力になれることであれば協力するが」

 

「はい。唐突にすみません、私が聞きたいのはあなたのお義兄さん、そして真魚さんのお父さんでもある風谷伸幸氏についてなのですが」

 

 北条のその言葉に、見る見るうちに美杉の表情は変わっていった。

 

 ──────────────ー

 

 真魚が目を開けた時、そこは先程までいた何も無い空間とは異なっていた。

 

 辺り一面、見渡す限りが緑に包まれた、豊かな大地がそこに無限に広がっていたのだ。遥か彼方に広がる地平線では新緑の野山と澄み渡る青空が結びつき、大地はどこまでも青い芝生で覆われ、そこからいくつも生える逞しくも安らぎを感じさせる木々は赤々とした立派な木の実をつけ、その葉の隙間からは光が差し込んでいる。青い空にはまばらに白い雲が浮かび、地平線を目指して流れていく。その真ん中には強く輝きを放つ太陽が浮かんでいた。

 

 芝生を踏みしめる感触も、若草の匂いも、風の通る音も、新鮮な空気の味も、太陽の温かさも何もかもがそこにはあった。真魚が実際にこのあまりに美しい空間に存在しているかのように。思わずその場に寝転んで、大きく深呼吸をしてしまいたくなるほどに。

 

 

「これは、始まりの楽園の記憶です」

 

 と、真魚の背後から聞き覚えのある声がする。振り向けば、白い服を着た青年がそこに立っていた。

 彼はあい変わらず穏やかな笑みを浮かべながら真魚に話してくる。

 

 それはどこか、子供に昔話を聞かせてやる大人のような口ぶりで。

 

「かつて永遠の闇の中から生まれた一つの「力」がこの楽園を生み出しました。その「力」は冷たく、孤独な存在でしたが、「形」を作ることが出来ました」

 

 そう言いながら、青年は片手を上げ、宙に何かを描く。すると、それに従ってそこに、黒色に蠢く流動的な何かが現れた。それは青年の近くをユラユラと漂いながら縮まったり広がったりしている。

 

「孤独な「力」は、自身から「光」を分けて生み出し、続けて「命」を分けて生み出しました。そこから「地」と「海」と「空」、「雲」、「星々」に形を与えて分けると、それらを支配するために自らの分身を七つ、生み出して友としました」

 

 青年の言葉に従うように、黒い何かは宙を駆け回り七つの小さな破片を自分からちぎりわけた。

 

「そして、自らの使徒とするために君たちが「アンノウン」と呼ぶ存在をも、彼は作り出した」

 

 そこで真魚が息を呑む。

 

 アンノウン、自分たちを、人類を襲う未知なる敵。それを「生み出した」? 

 彼の言っている孤独な「力」とは恐らく、かつて幾度か真魚や翔一達の前に現れた、あの黒い服を着た青年のことだろう。ならば、彼がアンノウンを生み出したというのだろうか。

 

 頭の中で疑問を浮かべながらも、真魚はどこかでその事実を知っているような気がした。いつか、どこかでそのことを何かで知ったような、そんな気がするのだ。

 

「やがてこの楽園には、「力」が自らに似せて生み出した人間と、アンノウンに似せて生み出した動物とが溢れます。人間は動物を家畜として従える術を学び、動物たちを虐げました」

 

 その言葉と同時に、美しく澄み渡った空に暗い雲が渦をまくようにして立ち込め始める。

 

「自らの似姿を虐げられたアンノウン達はこれに怒り、かつて自らが人間たちを滅ぼさんと地に降りました。人間も抗いましたが、まだアンノウンに敵う術はなく、次第に追い込まれていきました」

 

 やがて空の雲に稲光が走り、ポツポツと静かな雨が若草を濡らし始めた。太陽は覆い隠され、豊かな大地に影を落とす。

 

「君たちの言葉で「40年」にも渡る暗黒の歴史が始まり、楽園の時代は終わりを告げました」




また投稿に時間が空いてしまいました。
毎度すみません汗
不定期になっても細々とまた投稿を続けていきますので何卒よろしくお願いします


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はるか昔、この世界で……

 かつて、気の遠くなるほどの途方もない昔、全ての空が暗雲で覆われ、楽園を戦火にくべた暗黒の時代があった。「闇」が生み出したる傲慢な人の子が世界を支配せんと思い上がり、これに対して「光」を除いた全ての使徒が人を滅ぼし、あるいは服従させんと地に降りた。

 

 中でも、「闇」と「光」に次いで生まれた「命」は人の行いに強く反発し、数にして2億にも昇る使徒を率いて、人類に戦いをしかけた。彼こそが「闇」が作り出した土塊達を動く者に変えた張本人だったからである。この争いはおよそ40年にも渡って苛烈を極め、豊かだった大地の半分を焦土へと変えた。

 

 最初の10年は「恐怖の時代」として使徒側の完全なる有利が続いた。人の抵抗は微々たる者であり、また、眷属への虐待を目の当たりにした使徒達の憤怒の猛攻は凄まじく、その年月のほとんどを、人間は逃げ隠れて過ごすだけに留まった。彼らは地上においては最も貴き所にあったために争いを経験したことがなく、それに対応するための武器も力も持たない、未熟な存在だったからだ。

 

 しばらくの間これを見ているに留まった「光」だったが、やがてこの戦に悲しみ、自らも地に降り立った。彼は全ての使徒の中で「闇」に最も近い形を持っていたが、このために「闇」が自らに似せて生み出した人間が、光の似姿でもあったためだ。彼は人に同情し、その味方をするために、ほかの同胞を敵に回すことを選んだ。

 

 地に降りた「光」は人間に戦う術を教えた。自らの支配域である炎の知識を与え、それによって武器を生み出し、身を守り、あるいは攻撃する手段を伝えた。こうして人は戦争と殺戮を覚えた。

 また「光」は自らの力をさずけようと、禁忌と知りながら人と交わった。これによって生まれた子供は半人半獣の悪魔であり、とても強かったものの、獰猛で攻撃的で、無限の食欲を持っていた。彼らは力を制御することが出来ず、知恵もほとんどなかった不完全な存在だったので、人間からは「ネフェリム」と、そして使徒からは「ギルス」と呼ばれて忌み嫌われた。

 

 こうして訪れた次の10年は「楽園喪失の時代」となり、人間側の反撃が始まった。人は作り出した兵器や、生まれた闘争心で使徒に抗い、またそこから生まれた「ギルス」が暴虐を尽くし、使徒達を食らった。最も、彼らは人間側の戦力と呼ぶにはあまりにも横暴で、腹が減れば人をも襲い、大地をくらい、川を飲み干し、時には同士討ちなどもすることがあった。また、あまりにも強すぎるために体が保たず、寿命はおよそ5年ほどしかなかった。

 この時代には使徒の側も数を減らし、また、楽園は人の生みだした兵器によって本格的に荒れ果てていくこととなった。

 

「闇の力」テオスは、一連の出来事を知り、ついに看過できぬと見て、使徒達の言葉に従い、自ら、弟たる「光の力」プロメスを討たんと出陣した。それと同時に残りの5人のエルも現世に向かい、地上に蔓延る「ギルス」達の掃討に乗り出した。

 

 プロメスもまた、自身の犯した行いの罪深さに気づいていたが、それと同時にこの争いが始まることを諌められなかったテオスにも同等の罪があるとして、彼に反論した。これにより、「光」と「闇」は永く殺し合うこととなる。

 テオスとプロメスの戦いは凄まじく、いくつもの星を壊し、テオスの力を浴びれば、星は全てを飲み込む闇の塊と化し、プロメスの力を浴びれば、宇宙を照らす巨大な炎へと変じた。こうして宇宙を飛び回り、兄弟であった2人はいつしかお互いに憎しみあいながら世界を飛び回った。

 

 この戦いもまた10年続き、これを「黄昏の時代」と人々は呼んだ。

 

 最後の10年は「日食の時代」である。長きに渡る戦いは終わり、反逆者(プロメス)はテオスによって討ち滅ぼされた。また、地上にいた「ギルス」達もエルらの力によって死に果て、同時にこれは人間側の敗北を意味していた。使徒達は勝利したものの、テオスの命令により、それ以上は人に手を出すことはせず、天へと戻った。

 

 裁定は厳しいものであった。プロメスの反乱、ギルスの出現、楽園喪失。エル達は「既に人はプロメスの子となった。彼らみな、地を枯らし、力に溺れるギルスであろう」と言い、その従えた動物たちも含めて地上の全てを洗い流すことを決めた。

 こうして、全てを滅ぼさんと大洪水がもたらされた。「地」が叫べば大地が裂け、「水」が叫べば海が溢れ、「風」が叫べば山が剥がれ、「雷」が叫べば町が溶け、「月」が叫べば星が落ちた。こうして地上は40日もの間、大洪水に見舞われて水の底に沈んだ。

 

 しかしテオスは自らが生み出した命たちの運命に深く悲しみ、エル達を裏切って人間に方舟を作らせると、人を含めた全ての動物たちをつがいで1匹ずつその方舟に乗せ、洪水から生き延びさせた。

 

 やがて水が引き、41日目の朝に再び大地が姿を現すと、人の生き延びたるを見てエル達は怒った。彼らの言うところ、「彼らみな、もはやあなたには従わないでしょう。プロメスの血を受けた悪魔なのですから。いずれは邪悪な力を手にして、あなたに牙をむくだろう」と。これに対してテオスの言うところ「私の言葉に逆らい、争いを起こした罪はお前達にもある。それを止められなかった罪が私にもある。ならば人間が再び地に満ちて繁栄するまで、私たちは眠り、答えを待とう。人間が私たちに逆らう者なのかどうか」と。

 

 こうしてテオスとエル、そしてその使徒達は長い眠りにつくことになった。ひとつの楽園だった大地は分かたれた荒野へと姿を変え、全ての生き物は自ら生きるために獲物を取らなければならなくなった。

 地上へと降り立った人間にはもはや何も残されておらず、彼らもまた他の獣たち同様、地を這う猿として過酷な再出発をしなければならなくなった。しかして、プロメスの光を受け、いつの日にか必然的に彼らだけが英知を進化させ、万物の霊長となる宿命を手にしながら……。

 

 

 ──────────────ー

 

 

 少女が目を覚ますと、そこは見覚えのない場所であった。質素なカーテンから差す陽の光が眩しい、これまた質素なベッドの上だ。視線だけを動かして辺りの様子を伺うと、今、自分がいるこの場所はお世辞にも広い場所ではなく、どうやら一人暮らし用のアパートの一室であることが分かる。それも、デスクやチェアなどの地味な内装から、ここに住んでいるのは少なくとも女ではなさそうだった。

 

 我に返り、ガバッと身を起こす。それと同時に気配に気づいたのか、少女の側からは死角になっているキッチンの方から、一人の男が顔を出した。それは彼女も知っている顔だった。

 

 状況を飲み込むために一度、少女はパチクリと瞬きをしてみる。

 

「……」

 

「目が覚めたか。何があったのか知らないがあんまり無闇に動き回らない方がいい」

 

 相手は涼しげにそんなことを言ってくるが、今目が覚めたばかりの少女、さやかにはやっぱりイマイチよくわからない。気がついたら他人の男の部屋にいる、というのは流石に見過ごすことの出来ない異常だろう。

 

「なんであたし、この部屋にいるんだっけ」

 

 怪訝そうにそう聞いてみると、この部屋の主、葦原涼は一つ嘆息したあとに面倒くさそうに答えた。

 

「お前がフラフラになっている所に運悪く出くわしちまってな。そのまま気絶されたもんで放っとくわけにもいかず、俺の部屋までおぶって来たってわけだ」

 

 いや、それで自分の部屋に連れてくるかよ、と少女は眉をひそめたが、涼は先手を打つように気だるげに更に続ける。

 

「病院の方がいいなら自分で行くといい。だがひとつ言っておくと、俺にガキの趣味はない」

 

「ガキ」という一言が気に障ったのか、さやかは何か言い返そうかとこわい顔で口を開きかけたが、そこで何かを思い出したように目を見開く。そして気分が悪そうにベッドに体を倒した。

 

「そっか、あたししくじったんだ……」

 

「しくじった?」

 

 意味ありげな表現に、涼が反応する。さやかはそれには答えず、独り言のように天井を見上げながら言った。

 

「あの時、急に頭が痛くなって、気分が……」

 

 ──────────────ー

 

 

 同じ頃、未確認生命体対策班改めアンノウン対策班に所属するG3ユニットの3人はいつものようにGトレーラーの管制室に集まっていた。

 

「自衛隊との協力体制?」

 

 そして、そこで尾室の報告を聞いた小沢は氷川ともども顔をしかめ、そう聞き返していた。尾室は神妙そうに頷きながら二人を交互に見やる。

 

「はい、どうも上はそう考えてるみたいですよ。警察だけでは最早アンノウンには対応できないって、だからこれから自衛隊との協力関係になるかもしれないって」

 

「……」

 

 尾室の言葉に、小沢は明らかに気に入らなそうな表情で自身の椅子に背中をもたれかけた。それからブスっと言葉を投げる。

 

「なるほど、つまり私たちの働きぶりが気に入らないと、そう言いたいわけだ」

 

「いや、まあそういうわけじゃないとは思いますけどね。実際、氷川さん一人に戦わせるのは、僕も危ないと思いますし」

 

 このまま放っておくと、罵詈雑言を吐きながら机の足などをけりはじめ、果ては自分に当たってくるのではないかというきな臭い雰囲気に怯え、尾室は慌てて、なるべく彼女の気分を逆立てないように気をつけながらなんとかフォローをした。それでもどうやら彼女にとってはデリカシーが無かったようで、途中でギロリと睨まれた。

 

「協力体制……ですか」

 

 ただ、黙って聞いていた氷川が一言、ポツリと漏らしたので、二人ともそれ以上は危ういやりとりを続けはしなかったのだが。

 

 それから、小沢が不思議そうな顔で氷川に聞く。

 

「どうした? あなたも何か不満? もしかして自分の力不足なんじゃないかとか思ってる?」

 

「……いえ、そういうわけではないんですが。その……」

 

 氷川は少し考え込むように下を向きながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「僕としては大歓迎です。一緒に市民を守るためにアンノウンと戦ってくれる仲間が増えるなら、こんなに心強いことはない。ただ、もしそんな仲間が増えるんだとしたら、それは一体どんな人なのだろうかと……」

 

 突拍子もない、なんとも風変わりな考え方だった。今からそんな、どこの誰かもわからない人間の人格について思いを馳せるとは、なんとも。

 ほとほと、天才の小沢でも彼の思考回路には時折、驚かされることがある。いや、あるいは呆れる、というものに近いかもしれない。ただそこに、不思議と嫌悪感などの不快な感情は全く混じらないのだが。

 

「どんな人って、まあ、程々には立派な人なんじゃないの? 命をかけて誰かのことを守ろうっていうんだから」

 

「やはり、そうですよね。きっと、頼もしい仲間ができる、僕はそんな気がします」

 

「はあ?」

 

 あまりにも純粋すぎる氷川のセリフ。尾室と小沢は思わず顔を見合わせて、眉をひそめた。それから小沢はため息をついて、諭すように言う。

 

「氷川くん、期待するのは結構だけど、人間はそんな簡単なものじゃないわ。「良い人」とか「悪い人」とか、そういう言葉じゃ割り切れないものなの。私たちがこの先、どんな人物と協力関係になるのかは分からないけど、誰しもに必ず、薄暗い部分というものはあるものよ。もちろん、高潔な部分もね」

 

 だから、と更に小沢は続けた。

 

「あまり他人に期待しすぎるべきではないわ」

 

 氷川はそれを聞き、少しシュンとしながら何度か頷く。

 

「なるほど、そういうものですか……」

 

 そんな二人を見て、尾室が何か、場を盛り上げようとくだらない戯言を言おうかと思案した時だった。

 

 

 ピ──ー! 

 

 突然、Gトレーラーのアラートが甲高い音を立てる。3人ともが、敏感にその報知に反応した。

 

 それはアンノウン出現の合図だった。



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第十話「協力体制!」
果てしなき敵


「ねえ、こっちに来て一緒に遊びましょうよ」

 

 かつて、私は孤独だった。

 不思議な施設にいた。父も母も、そこにはいない。その時の私には自分が、なぜそこにいるのかもよく分からなかった。ただ分かるのは、周りにいる自分と同じ身の上のたくさんの子供たち、同じくらいの年齢の子、年上の子、年下の子。

 

 毎日「先生」と呼ばれる何人かの大人たちが忙しく出入りして、私たちに色々な話をしたり、何かゲームのようなことを仕掛けたりしてきた。大体の場合、彼らは私のところまで笑顔でやってきて「こんにちは」と言い、最後にはなにか失望したような表情で去っていった。それが私にとってはとても残酷で、日々の生活に罪悪感を植え付けさせて、漠然と「もっと頑張らなければ」という思いを抱かせた。

 

 友達はいなかった。子供というのは純粋で、気まぐれで、不粋で無神経で、当時の私には不快な存在だった。最も、よくよく考えて私も子供だったもので、「なんでここに来たの?」、「お母さんはどうしているの?」などと素知らぬ顔で聞かれると、どうにも我慢ならなかったものだ。一緒に遊ぶ相手も、一緒にご飯を食べる相手もいない、私の周りには誰もいない、それが普通だった。

 

 時々「先生」とは別の、恐い顔をした大人の集団が施設にやってくることがあった。彼らは「先生」たちとなにか難しい話をしたあとで私たちを見回すと、その内の何人かを選んでどこかへと連れていった。連れていかれた子供たちはもう二度と、そこに帰ってくることはなかった。私にはなぜだかそれがとても恐ろしく、その日がいつ訪れるのかを怖がるばかりだった。

 

 そうして、あの施設での私の毎日は、孤独と恐怖と不安に満ちていて、つくづくうんざりさせられるものだった。いつも私は「こんな場所、なくなってしまえばいい」と心の中で思っていた。

 

 そんな時、新しく施設に入ってきたあの人に出会った。

 

「ねえ、一緒に遊びましょうよ」

 

 私より少し年上の女の子、いや、お姉さんだった。長く真っ直ぐな黒髪がとても綺麗で、包み込むように大きな瞳で、口元は優しく開いて、とても穏やかで落ち着いた声音で……。

 彼女のすべてはなぜか、私をとても安心させた。

 

 お姉さんは私に何も聞かなかった。嫌なことは何もしなかったし、普段は別の子達と遊んでいることも多かった。

 でも、私がふと不安を感じたり、孤独に思ったり、あるいは父や過去のことを思い出して俯いたりした時に、その優しい声で私に話しかけてくれた。そんな時は私は彼女にずっと甘え、彼女は私になんでもしてくれた。

 

 とても嬉しかった。大好きだったお姉さん。彼女になら不思議と、どんなことでも話すことが出来た。彼女が何も聞かないので、私は自分から話したのだ。自分のこと、父のこと、母のこと、ここに来た理由、話せることは思いつく限り話しきった。

 それでも足りなくて、もっと話したくて、もっと聞いてもらいたくて、そこで私は自分が、話せることなどほとんどないとてもちっぽけな存在なのだと気づいた。

 彼女もまた、私に色々なことを話してくれた。私の全然知らないようなとても面白い話を。その度に私は、自分がお姉さんにもこんな面白い話をできたらいいのに、なんて考えて眠れなくなったものだった。

 

 彼女がいるだけで、私の毎日は変わった。色がついた、楽しみが現れた、心が踊った。

 

 でも、そんな日々も長くは続かなかった。

 

 お姉さんも連れていかれる日がやってきた。恐い顔をした人達はとても驚いた顔で、あるいはどこか気味の悪そうな、怖いお化けでも見るような顔でお姉さんを見ていた。そして彼女の手を取って扉から出ていこうとしたのだ。

 

 嫌だった。連れて行ってほしくなかった。ここに、私のそばにずっと居て欲しかった。だから、その日、あそこに来てから初めて、私は泣いた。

 でも誰も、私のことなど見向きもしなかった。私はどうしようもなくちっぽけな存在だったからだ。ただ、お姉さんだけが悲しそうな、申し訳なさそうな切ない表情で私の方を振り向いた。

 

「ごめんね。先に行くわ、月美ちゃん」

 

 

 ────────────ー

 

 

 Gトレーラーが受けた報告によると、アンノウンが出現したと思われる場所は都内のとある遊園地。この時間は人々が多勢、遊び賑わう場所だった。

 確認された事件現場の様子では、突然、人々が何者かに狙撃されたかのように血を吹き、倒れ出したというのだ。それも次々と大量の人数がバタバタと連鎖的に倒れ、現場はすぐにパニック状態に陥ったという。急いで駆けつけた警官や、オフで偶然居合わせた者達も協力して警戒にあたり、周囲を確認したが、敵らしき姿がまるで見当たらずにお手上げだったという。

 

 とにかく、避難と被害者の移送を最優先に当たっているとのことだったが、その影響から現場付近は人ごみでごった返しているため、現場に向かう際は避難ルートを避けて、裏口のある方面から駆けつけるようにとのことだった。

 氷川は現場に急ぐため、ガードチェイサーを走らせる。特注の白バイがサイレンを奏で、市内を駆け抜けた。

 

 現場付近までやってきたG3-XXは、現場から少し離れた無人の公園にガードチェイサーを止めると、リアトランクユニットからGX-55を取り外し、慎重に組み立てながら辺りを見やった。G3システムが機械音をたてて周辺の解析を始めるが、何か異変があるというような反応は見られなかった。

 

 静寂の中、G3が現場に近づくために一歩踏み出す。ザッザッと枯れ草を踏みしめ、事件のあった遊園地に向かって警戒しながらも急ぎ足で歩き始めた。

 

 と、その時だった。

 

 キ──────

 

 G3システムが突然、甲高いモスキート音を発する。それは装着者への警戒を促す合図だった。

 

 何か危険が近づいている……? 

 

 氷川は咄嗟に辺りを見回した。

 

 しかし……。

 

 

 バシュン!! 

 

 シュバアアア!! 

 

 氷川にもたらされたのはその正体ではなく、突然の不可視の衝撃だった。

 

「うわあああっ!!」

 

 胸部ユニットが火花をあげ、視界が焼けた。氷川は思わず声を上げ、GX-55を手放して吹き飛ぶ。

 地面に転がりこんで背中を打ち、痛みに喘いだ。

 

『胸部ユニットに重度のダメージ! バッテリー残量、70%にダウンしました!』

 

『どうしたの、氷川くん!? 今の衝撃は一体何!?』

 

 備え付けの通信機からは、管制室の声が聞こえてくる。氷川はそれに答えようとしながら、片手をついて体を起こした。

 

「わ、分かりません。ただ、急に何か……」

 

 バシュッ!! 

 

 ズガアアアアン!! 

 

 その言葉を遮るように、再び見えざる衝撃がG3を襲う。

 

「ぐあああああ!」

 

 辺りの地面が吹き飛び、粉塵をあげた。今度は背中から攻撃をくらい、氷川の体はそのまま地面に叩きつけられた。

 

「ぐっ! ふうっ!!」

 

 荒くなる呼吸、滲む視界、騒々しい機械音。バチバチとシステムのどこかから火花が上がり、危険を示すアラートが鳴り続ける。

 

 これは一体なんだ!? 何が起こっている!? 

 

 それは、全く正体不明だった。敵の姿が見えないだけではない。何が襲ってきたのかも分からないのだ。

 

 敵はどこから、何を使って、どのように攻撃してきたのか!? 氷川にその答えは分からない。

 

『更にダメージ!! バッテリー残量50%です! オートリチャージモード起動! 四肢ユニットの活動、最低限に低下します!』

 

『氷川くん踏ん張って! どこかにアンノウンが潜んでいるはずよ!!』

 

『無茶ですよ小沢さん! これ以上のダメージは危険です! とにかく現場から離れないと!』

 

 管制室の小沢と尾室が通信機越しに大声でやり取りをする。氷川は顔を顰めながらもなんとか立ち上がり、フラフラとよろめきながら辺りを確認する。

 

「ぐっ、うあっ!」

 

 G3システムが活動を制限され、体に重みがのしかかる。そんな中、G3システムのシチュエーションサーチ機能だけが、状況の解析を続けていた。

 

『……これは!』

 

 と、緊迫した表情で画面を見つめていた尾室が手を止め、何かに驚いたように目を見開く。すぐさま小沢がそれに反応した。

 

『どうした!』

 

『これ、G3システムの予測結果です! 敵位置、遥か上方!! 氷川さん、上です!』

 

 衝撃の強さ、入射角、大気の奔流や、攻撃の「正体」、それらからG3-XXの戦闘システムは敵の位置の予測計算を割り出し、その結果を示したのだ。

 

 氷川は尾室の言葉に、はっと上を見上げる。

 

 彼の上に広がる雲一つない寒空、その遥か遥か彼方、G3-XXによる何倍率もの拡大の末、そこに浮かぶ者の姿が明らかになった。肉眼では目視することすらほとんど不可能なほどの上空から、こちらを悠然と見下ろす超常の存在があった。始祖鳥の上級使徒、ウォルクリス・プリーモの姿を、彼はしっかりと捉えたのだ。

 

 プリーモはそこから、何かを射放つかのような仕草をこちらに向けた。その瞬間、氷川は第六感を働かせて咄嗟に横に飛び退く。コンマ数秒遅れて、彼がたっていた地面が土煙をあげた。

 

 シュバアアン!! 

 

 氷川はそのまま、回避と同時に転がっていたGX-55のもとまで駆け寄り、それを拾い上げた。そして上空の敵、プリーモに向けて構え、引き金に指をかける。

 

 ……しかし

 

「ERROR!! Out of range……」

 

 射程圏外。

 

 絶望的な事実を知らせる電子サインがG3のモニタに浮かび上がった。そしてその瞬間……。

 

 

『また来ます! 氷川さん避けて!!』

 

 

 バシュン!!! 

 

 その衝撃音と同時に、氷川の意識は砕け散った。

 

 

 ────────────ー

 

 

「なるほど……」

 

 北条の「要件」とやらを聞き終えた美杉は、一度深く嘆息して頷く。風谷信幸事件の謎はまだ解明されきった訳では無いこと。そして、その彼が超能力の研究らしきものを行っていたことと、それについて一番詳しいであろう人物が、氏の義理の弟である美杉であろうこと。今になって再び、アンノウンが現れたことで北条が、再びこの事件の根幹の謎に迫ろうとしていること。

 それらの事情を知って、美杉はこめかみの当たりを抑えながら、唸るように過去の記憶を呼び起こした。それから、伏し目がちに北条に語りかける。

 

「刑事さん、これは誰にも……あの真魚にでさえ話していないことなんだが……」

 

 その言葉に、北条は目を見開き、体を前のめりに乗り出して大きく唾を飲み込んだ。それに対して、思い出したくない過去を思い出すかのように、美杉は絞り出す。

 

「私の中で一つ、恐ろしい仮説が浮かんだことがある。義兄さんに対する、とても恐ろしい仮説が……」

 

「恐ろしい仮説? 一体それはなんです?」

 

「ああ、もしかしたら今こそ、この話をするべき時なのかもしれない。風谷信幸の、呪われた過去の話を……」

 

 そう言って、美杉は膝の上でぎゅっと拳をにぎりしめた。

 



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幕間の一時

 日も落ちかけて、辺りの空が薄暗くなってきた頃に、ようやっと翔一はバイクでレストランAGITOにまで帰ってきた。今日は店はそのまま閉めてしまうつもりだったが、加奈がまだ残っているかもしれないと思い、中を覗いてみることにした。

 

 普段は裏口の方から直接、厨房の奥に備え付けの休憩スペースに入ることもできたが、今日は正面入口から無人の店内に入って横切り、そのまま厨房の方まで抜けようとした。

 だが、そこでふと、視界の端に誰かが店内の椅子に座ってこちらを見ている姿が映ったような気がして、翔一は立ち止まった。それからサッとそちらの方を振り向く。

 

 もちろん、誰もいるはずがなかった。電気もついていない、そもそも今まで鍵をかけられていた店内にいる人間など、せいぜい加奈くらいのものだが、そうだとしたら入った瞬間にすぐに気がついたはずだ。だから、誰もいないというその状況が普通のことであった。

 どうやら気のせいだったようだ、と翔一は首を振り、そのまま厨房へと入っていった。

 

 

 ガチャリ

 

 休憩室は簡素な造りだった。6畳ほどの広さの白塗りの壁の部屋に、テーブルと二人分の椅子、簡単なものを作るためのコンロとシンクが置かれ、その上にはヤカンと簡単な調理器具が用意してあるくらいだ。その他に備え付けのものといえば、空調とコンセント、そして安物の電子レンジくらいのものだった。

 

 ドアを開けて中に入るとすぐに、部屋の真ん中に置かれた小さなテーブルの上で、加奈が伏せて眠っているのが目に入った。そしてそのすぐ近くには、皿に盛られた肉じゃがと几帳面に揃え置かれた箸があった。翔一の帰りを待って加奈が作ったものだろうか、そのうちに眠ってしまったのだろう。

 

 翔一がそれを見て思わず微笑むと、同時に加奈がピクっと肩を揺らし、目を細めながらゆっくり顔を上げた。眠気まなこで少し左右に目をやってから、ようやっと部屋の入口に立つ翔一に焦点が合う。そして、加奈もニコリと笑った。

 

「津上さん……おかえりなさい」

 

「ただいまです、加奈さん」

 

 翔一は笑顔のままそう返して、向かいの椅子を引いた。加奈は思い出したように、目の前の肉じゃがに目を落とす。

 

「あ、これ津上さんがいない間に作ったんです。その、まだ何も食べてないかなって思って」

 

 そう言って控えめに促すように、目の前の皿を手で示した。

 

「当たりです」

 

 翔一は椅子に腰掛けながら嬉しそうに頷き、翔一は箸に手をかける。

 

「じゃあ、いただいちゃってもいいですか?」

 

 翔一の言葉に、加奈は満面の笑顔を返した。

 

 

 ────────────ー

 

「参ったなぁ」

 

 立て続けに起こったとんでもない事件。先日は関東を中心に全国で数百人の規模の大事件が起こったが、今回の事件もなかなかに悲惨なものだった。現場は都内の遊園地であるが、報告によればその総死傷者数は47名。特に家族連れが多く狙われ、子供であろうとも一切容赦がなく、一家全滅……という家庭もあった。

 

 あまりにもいたたまれない話だ。連日のあまりにも衝撃的な出来事に、警視庁には問い合わせが殺到、警察に対する不信感も増大している。新聞各社や週刊誌などでは警察組織を非難する声も上がっているが、それも無理のないことだろう。しかしこれでは市民は混乱するばかりだ。

 

 河野は事件への対応に揉まれ、捜査に追われ、夕方も暮れ始めた頃にやっとのことで小休止をとるために、近くまで店を出しに来ていた行きつけのラーメン屋台にやってきて、ため息をついた。

 

「河野さん、今日はまたやけに疲れてるね」

 

 と、顔なじみのラーメン屋のおやじが景気良くハゲ上がった頭を河野に向ける。河野は眉をひそめて神妙そうに頷いた。

 

「そりゃそうだよ。アンノウンにこうも好き勝手されちゃあ、俺たちの立つ瀬がないってもんだ」

 

「あぁ、アンノウンね。最近、ずいぶんと酷いらしいじゃないですか。大量殺人、でしたっけ?」

 

「うん、そうなんだが……いつまで経っても慣れないもんだ。人間が死ぬっていうのはなぁ」

 

 爪の先をいじりながら、河野はボソボソとこぼす。疲弊しきっているその姿に、おやじは肩を竦めた。

 

「まあ、そういう仕事をやっていちゃあねぇ。犠牲者の人は気の毒なもんだ」

 

「うん……いやね、今日も現場に駆けつけたんだがぁ、人がたくさん入り乱れていて……。そんで色んなところでな? 子供が泣いているんだわ。現場で家族とはぐれたんだか、それとも……」

 

 その先の言葉を想像に任せて、河野は胸にし舞い込む。おやじもすぐに察して頷き、肩を落とした。

 

「なるほど、そりゃあきつい仕事ですね」

 

「現場の被害者には一家まるごと、なんてのもいてなぁ、そりゃあ気分が滅入ったもんだが、馬鹿な後輩の中にはこんなことを言うやつもいるんだよ」

 

 河野は苦虫を噛み潰したように言い、おやじは目で続きを促す。

 

「『これじゃあもし、両親だけ死んで子供だけ生き残ってもこの先大変なだけだ。ある意味この方が幸せだったかもしれない』なんてな」

 

「はぁ〜、そらひどいね。冗談でも言っちゃいけませんよ、死んだ方が幸せだなんてね」

 

「まあなぁ。だが、こんな仕事をやっていると、そういう現場をたくさん見てきてなぁ」

 

 三年前のアンノウン事件の時もそうだ。それ以外にも、何かの災害や、ただの事件や事故でさえも、警察という仕事についている傍ら、そうしたケースを目の当たりにすることは決して少なくない。

 

 死んだ者と取り残された者。両者の関係はあまりにも切ないことを河野はよく知っている。後者はその後の人生に傷跡だけを残し、それを抱えたまま生きていかなければならない。そんな人々の涙を幾度となく目にしてきた。まして親をなくし、子供一人残された、など一体どうしてその現実と向き合って生きていけるだろうか。そこに介入していくだけの力は河野にはなかったが、それはあまりにもやるせないことだった。

 

「やっぱり、どんな状況でも生きている方がいいもんかねぇ?」

 

 河野は下を向き、柄にもなく考え込むようにそんなことを問いかける。そんな漠然とした問いかけに対しておやじは気さくそうに笑った。

 

「難しいけどね、生きてる人間が「生きること」について疑問を持つもんじゃないですよ。そらぁ勿体ないってもんだ。ラーメンの味が分かるうちは、生きてても損はありませんからね」

 

 そう言いながら、おやじは「へいお待ち!」と出来たてのラーメンを河野に差し出す。それを見て河野も嬉しそうに笑みを零し、割り箸を手に取った。

 

「そりゃあ間違いないな。死んじまったら、おやじさんのラーメンも食べられないもんな」

 

 

 ────────────ー

 

 氷川が目を覚ますと、彼は病院のベッドの上で横になっていた。どうやらすっかり気絶してしまっていたようだ。氷川は体の痛みを堪えながら何があったのかを思い出そうとした。

 

 そうだ、アンノウンとの戦いに敗北したのだ。全く、手も足も出ずに。

 

 氷川は悔しさを噛み締めるように歯を食いしばった。そして、無情そうに天井を見上げる。

 

「あら、目が覚めた?」

 

 と、そこに聞き慣れた声がかけられた。

 

 見れば、G3ユニットのオペレーターで自分の上司でもある小沢澄子が、病室の入口からこちらを眺めていた。

 

「ダメージは負ってたみたいだけど、どうやら平気そうで何よりだわ」

 

「はい……」

 

 氷川は落ち込んだ声音で答える。小沢がその様子を見て、彼に近づいてきた。

 

「悔しそうな顔ね」

 

 氷川の顔を見下ろしながら、小沢は複雑そうな表情でそう言う。氷川は拳を握りながらそれに頷いた。

 

「……全く、太刀打ちできませんでしたから」

 

「仕方ないわ。今回の敵は想定外、G3の現状の装備では対処できない相手だったんだから」

 

「だから……」と小沢はさらに続ける。

 

「もっと強くなるしかないわね。次は目にものを見せてやりましょうと」

 

「そう……ですね」

 

 しかし、氷川の表情はパッとしない。小沢は首を傾げた。

 

「どうした? まだなにか不満なの?」

 

「ええ……Gトレーラーでの報告には今回も多勢の被害者が出たとあったのが気になって……。自分がこんなに情けないことでいいのかと」

 

 なるほど、と小沢は妙に納得したように頷く。それから氷川の肩を優しく撫でた。

 

「気にしてるのね、事件のこと。でもアンノウンに人間が殺されて、そこに多いも少ないもないわよ。どっちにしても許せない、だからあなたが頑張ってるんでしょ? やつらを倒すために」

 

 まるで子供をなだめるかのような声音で小沢は氷川をさとす。

 

「でも今は限界よ、あなたもG3も。限界を超えてはダメね。……だから、次こそは絶対に倒すのよ! いい?」

 

 彼女の言葉に少し励まされたのか、氷川は唇を噛んで頷いた。そして、自身に力を込めるように息を大きく吸い込んだ。

 

「はい、頑張ります!」

 

 

 ────────────ー

 

 すっかり夜もふけたころ、警視庁本庁に一組の来訪者があった。使用されていない会議室を大々的に使い、警察幹部のお偉方達と対面しているのは三人の男女だった。

 

 一人は顎下くらいまでの短髪を揃えた女性、一人は長い黒髪の身長の低い女性、そしてもう一人は長身で口ひげを生やした三人の中では一番歳上にみえる男性だった。三人は一様に幹部らの前で背筋をはって姿勢をただし、見るものに見せれば一発で身分を知らせることの出来る緑色の制服とつばのついた帽子を被っていた。

 

「やあ、噂には聞いているよ。君たちが今回、警察に派遣された陸上自衛隊八王子駐屯地所属のエリート達か」

 

「既に聞き及んでいると思うが、我々は今後、増大するアンノウンの脅威に対抗する目的で、必要に応じて協力体制をとることとなった」

 

「君たちは言わば、その架け橋のような存在だ。近く、警察組織のアンノウン対策班にも紹介する予定でいる。よろしく頼むよ」

 

 老幹部たちが重々しくそう語ると、対面する彼らの真ん中に立った長髪の女性がニコリと微笑む。整った顔立ちだが、どこかミステリアスで達観したような雰囲気があり、それが彼女の姿を実年齢よりも幾分か大人びて見せた。

 

「わかりました。こちらこそよろしくお願いします」



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呪われた男

「もう、二十年近くも前になるかな。義兄さんの奥さん、つまり真魚の母親にあたる女性が亡くなったのは」

 

 美杉は、遠い過去を思い出すような目付きでそう語り始める。北条は頷きながらも思い返す。

 その話しならば自分も知っている。確か、並木という氏の同輩の教授から聞いた話では、錯乱状態に陥って自殺同然に亡くなったとか。

 

「とても優しくて、美しい女性だった。誰に対しても明るく接し、偏見を嫌い、世の中の悲しい出来事にも胸を痛めるような。……真魚にも会わせてやりたかったが」

 

 そうだ、風谷真魚の母親は、彼女を産んで間もなく、死亡したということになる。真魚は母親をほとんど知らないのだ。

 

「実を言うと、彼女、名前を朱美というんですがね、朱美さんも真魚同様、特別な力を使えたんです。当時の私にはまだ信じられなかったが、とても強いサイコキネシスの力を持っていてね」

 

 その言葉に、北条は息を呑む。初めて聞いた情報だ。だが、超能力は血縁によって遺伝するという法則を考えると、もしかしたらそれは自然な帰結かもしれない。

 

「真魚さんの、母親が……ですか」

 

「ああ。それを知っているのは私と、それに義兄さんが特に信頼している何人かの教授だけだったが、彼女は『この力がいつか、人々を救えるかもしれない』と、嬉しそうだった。途方もない話でしょう?」

 

 懐かしむように、美杉は笑う。北条は静かに続きを待った。

 

「だが、彼女は……死んだ。真魚を産み落として、すぐに」

 

「一体、何故です?」

 

「それは……私にもわからない。義兄さんも教えてはくれなかった。だが、それ以来義兄さんは、様子がおかしくなってね」

 

「様子が……?」

 

 美杉はそこで躊躇いがちにため息をつき、拳をにぎりしめた。

 

「彼女の死について、どこか現実逃避しているような……。いや、そのうちに彼女の存在そのものをあまり語らなくなった。当時は、真魚の存在もあってのことだろうと思い、私たちも朱美さんのことは忘れるようにしていた」

 

「なるほど」

 

「そして、それと同時に彼は、取り憑かれたように「超能力」というものへの研究にのめり込んでいったんです。『超人を作ってみせる』なんて言いながらね」

 

 下唇をかみ、目を細める美杉。

 

「その熱意は、明らかに異常だった。彼はその「超人」のために、いかなる実験をも、理論をも打ち立てた。一人の人間を……翔一君のお姉さんを狂わせるほどの呪われた研究をね。……そう、今思えば、あの時義兄さんはきっと、死んだ朱美さんを……その幻影を追っていたんです。呪われていたんですよ……ずっと振り払えずに……。あの日、私があのバーで義兄さんと口論した日。あの日、義兄さんが死んでしまうまで、ずっと……」

 

 もう暗くなった窓の外を眺めながら、美杉は肩を落とした。北条は何も言えずに、ただ押し黙り、美杉のしぐさを見つめるばかりだ。

 

「きっと、何か。何かあったんです。義兄さんが、変わってしまうほどの何かが。それが彼をつき動かしていた。一体それがなんだったのか、それを考える度に私はね、刑事さん」

 

 救いを求めるような目で、美杉は北条を見つめる。そこにはどこか恐怖と、そして苦悩が混じっているように思えた。そして、震える声で絞り出した。

 

「なぜだか恐ろしくてたまらなくなる」

 

 

 ────────────ー

 

「悪ふざけ?」

 

 涼は思わず呆れ返って相手の言葉を反芻した。

 

「そう、ちょっとワルぶってる奴らをさ、からかうのよ。そういうおふざけ」

 

 目の前にいる少女に怪我のことについて聞いていた涼は、彼女の全く悪びれない様子に思わずため息をついた。なんというか、あまりにも後先を考えないやつだ。

 

「じゃあ、この前のは……」

 

「そうそう、その悪ふざけの途中だったのよ。あたしああいう半端な奴らが嫌いでさ」

 

 ベッドの上であぐらをかきながら、さやかは髪を耳の後ろにかきあげ、斜め上を見あげる。

 信じられないものを見るような目で涼は首をかしげた。

 

「ま、ほんとに時々だけど「本物」に当たっちゃうこともあるんだけどね。そん時は悪いなって思う」

 

「いや、そもそもだな……」

 

 唇を噛み、涼はかぶりを振る。

 

「どうするんだ。それでもしそいつらに捕まりでもしたら」

 

「大丈夫よ、絶対。そんなヘマしないし」

 

「何故そう言える。その怪我は」

 

「これは転んだのよ。逃げてる時に急に頭が痛くなって、土手から転げ落ちちゃって」

 

 それから、得意げに口角を上げて鼻を鳴らす。

 

「ま、おかげでマけたからよかったけど」

 

 結果的に怪我をしているんだから何もよくはないだろう。いや、そもそもやっていることが無意味で無謀すぎる。というか、その謎の自信はどこから来ているのだ。

 

 ツッコミどころがあまりにも多すぎて、涼は言葉に窮した。どこから何を言ってやればいいのだろうか、と。

 

 すると、さやかの方から涼が反応に困っていると見て、悪戯な笑みを浮かべてくる。

 

「あたしね、絶対捕まらないの。不思議な力を使えるんだ」

 

 それから思い出したように「まあ」と付け加え、続けた。

 

「あんたほどじゃないけど」

 

「不思議な力だと?」

 

「それについてはヒミツ。言うなって言われてるし」

 

 もしや、彼女の言う不思議な力とは超能力のことだろうか。風谷真魚や、あの暁号の人間達が使っていたような。

 

「まあいい。とにかく、具合が良くなったなら帰れ。……とは言っても、もうだいぶ遅いな」

 

 面倒なことに関わるのはごめんだ。この少女が改める気がないのならば、なにも自分が更生させてやる必要も無い、彼女自身がしたいようにすればいい。涼はそう思ったが、窓の外を見ると生憎と彼女を帰すには日が暮れすぎているようにも思えた。

 

 と、その時だった。

 

「くう──ん」

 

 どうしたことかキッチンの方から、おもむろにチビ助が顔を出した。何かを嗅ぎつけた、というわけでもなかろうが、さっきまではそこで大人しくしていたのに。

 

 涼としてはこのチビ助の存在をあまり他人に知られたくはない。このマンションでこいつを飼っていること自体が、なかばギリギリ、親切な隣人たちから見て見ぬふりをされて成り立っていることなのだ。ともなると、この少女がチビ助を見てどんな反応を示すものか……。

 

「きゃあ!」

 

 ところが、突然に飛び出すハイトーンのボイス。驚きと喜びのような感情が入り交じった声音。面食らった涼が一瞬ビクッと肩をすくめ、それから顔をしかめて見やる間もなく、さやかはベッドからはね起きてチビ助へと駆け寄った。

 

「へー! うわぁ〜」

 

 その目に喜色をたたえてチビ助を眺めるさやか。どうやら随分とご機嫌で夢中な様子だった。チビ助の方も別段警戒した様子もなく、小首を傾げながら見知らぬ客人のことを見つめ返している。

 

 これはしばらくかかりそうだぞ。

 

 涼はうんざりした様子でため息をついたのだった。

 

 ────────────ー

 

「氷川くん、本当にもう大丈夫なの? 一晩くらい、休んだ方がいいんじゃない?」

 

「いえ、大丈夫です。もう十分休養しましたから」

 

 先程の戦闘から半日と経っていないにも関わらず氷川は既にいつもの制服姿だった。彼は意識が戻ってほとんどまもなく半ば強引に退院し、即座に現場復帰したのだ。彼の体も無傷というわけではなかろうに。

 小沢は氷川のことを心配そうに見つめるが、いかんせんこういう時の彼は頑固だ。恐らく自分が何を言ってもこれ以上休む気にはならないだろう。

 

 そして、それくらい今回の敗戦は彼に悔しさを与えたのかもしれない。

 

「そう。じゃあ、また頑張りましょう。一緒にね」

 

 小沢の言葉に、氷川は強く頷く。あまり彼に「頑張る」ことを勧めたくはないのだが。

 

「ああ、そうそう。あのアンノウンの攻撃の正体が大方分かったわ」

 

「!」

 

 氷川が目を見開いて、小沢の方に身を乗り出す。

 

「それは本当ですか!」

 

「ほ、本当よ。なにも逃げ出しはしないんだから落ち着きなさい」

 

 小沢はズイっと距離を縮めてくる頑健な氷川の図体を何とか押し戻しながら、説明を始める。

 

「被害者達の状況と、G3システムの解析結果を照らし合わせたの。恐らくG3を攻撃したものと被害者達を殺害した凶器は同じ……」

 

 そこで一度、何か引っかかったように小沢は腕を組んだ。

 

「凶器……と言っていいのかしらね。まあ、間違いではないんでしょうけど」

 

「どういう意味ですか?」

 

「ええ、驚かないで聞きなさい。今回のアンノウンの攻撃の正体は恐らく、空気よ」

 

「……空気?」

 

 空気とはなんのことか。まさか自分たちの身の回りにある、この空気のことだろうかと、氷川は眉を顰める。

 ま、最もな反応だわな、と小沢は頷きつつ続けた。

 

「そうよ、空気。というのもね、現場では凶器が発見されてないのよ。被害者達は何者かによって狙撃されたかのような外傷を負って死に至っていたのにもかかわらず、ね」

 

 凶器の見つからない狙撃、など普通に考えればありえないだろう。それこそ不可能犯罪だが、しかしそれが奴らアンノウンのやり口なのだ。

 

「で、G3システムの演算が割り出した予測によると、氷川くんを襲った武器の正体が……」

 

「空気……だったんですか?」

 

「恐らくは、ね。アンノウンの何らかの能力で高密度に圧縮され、熱、つまりエネルギーを帯びた空気を高速で射出したと考えられるわ。原理としては、ダンボールで作る空気砲と同じね」

 

「まさか、そんな……」

 

 氷川は唖然として、言葉をなくす。だがなるほど、それならばその攻撃が氷川の目には正体不明と映ったのも頷ける話だ。しかしまさか、空気を使って攻撃してくるような敵が現れるとは……。

 小沢も氷川に釣られるように視線を落とした。

 

「全く参ったわね。アンノウンにかかれば空気も凶器ってわけ。それに私たちの武器が届かないことについてもどうにかしないといけないし」

 

 とにかく、と小沢は拳を握り氷川に諭すように言う。

 

「苦しい戦いになるわよ」



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第十一話「天の門番」
夜露死苦


「ここに集まってもらった理由は、既に見当がついているかな?」

 

 警視庁本部、その上層階にある会議室に朝早くから集合させられたG3ユニットの三人は、目の前に居並ぶ上役幹部たちを目にして唾を飲み込んだ。

 なんとも勿体ぶった、格式ばった召集である。いつもの老いぼれ三人衆はもちろんのこと、その他にもこの警視庁で一度は目にすることのある顔ぶれがズラリと彼らの前に並んでいた。そのどの面もまた、例外なくしわしわのよれよれで、全く頭のお固い方々であろうことは想像に難くない。

 

「この度のことは、ある意味では革新的な試みと言えなくもない。3年前より続く、この一連の事件にとって、ね」

 

 そのしわしわ頭のうちの一つが口を開く。その言葉に小沢は気圧されずに頷き、返した。

 

「だいたいのことは把握しています。私が耳にした限りでは今回の事件に関する、ある種の妥協点的打開案である、とのことでしたが」

 

 本当は私たちの仕事内容に不満があるということですよね、はっきり言いなさいよ。と大声で口走りたくなる気持ちを必死に押さえ込みながら、務めて冷静に小沢は言葉を紡ぐ。

 

 上役たちもその言葉に「正しく」と頷いた。

 

「その通り。その言葉はアンノウンの脅威に対する対抗策として、君たちだけではなく、我々警視庁という組織全体が問題を共有するという意味だ。そして、組織とは得てして個に似ることもある」

 

「これまでの事件を経て、我々警視庁もまた、単体では力不足であるという認識を強めざるをえない」

 

 要約すると、おまえ達に問題がある。今のままではアンノウンに対抗するには実力不足だぞ、と上から物申されているようだ、この老人達は。

 短気な小沢は、思わず椅子を蹴っ飛ばしてやりたくなる衝動に駆られた。

 

「入りたまえ」

 

 そんな小沢の気持ちなど知る由もなく、老幹部の一人が会議室の中央扉に向かって声をかける。すると、一拍おいてからその扉がゆっくりと開かれた。

 そしてそこから、小沢たちの見知らぬ三人の男女が会議室の中へと入ってきた。三人一様に濃い緑色の制服に身を包み、姿勢よく背筋を伸ばしていて、扉をくぐるとおもむろに幹部達に向かって頭を下げた。

 

「君たちにとっては新しい風になるな。だが、これがより良い刺激となり、さらに君たちを鼓舞してくれることを我々は期待している」

 

「彼らは自衛隊八王子駐屯地より派遣された精鋭、一連のアンノウン事件についても聡く、自衛隊組織の中では専門といえるほどだ」

 

「さて、自己紹介してもらえるかな?」

 

 真ん中に座った重役がそう唱えると、入ってきた三人のうち、1番背の低い長髪の女性が敬礼をし、口角をあげた。一見すると自衛官とは思えないほど落ち着いた美貌の持ち主で、どことなく危うい魅力があった。それは、女である小沢澄子であっても、思わず目を奪われてしまうほどのものだった。

 

「自衛隊八王子駐屯地普通科所属、高山 歩夢(たかやま あゆむ)三等陸佐です」

 

 三等陸佐……といえば相当な大物であろう、警察組織でいえば警部以上、警視にも相当する階級といえるのではないだろうか。しかし、どう見積っても今自己紹介した女性はせいぜい二十代であろう。そんな若年でその役職につくなどと、普通ならば考えられないことである。

 

 警視庁きっての天才頭脳、小沢澄子ですら肩書きは警部、G3ユニットの管轄内でのみ限定的に警視と同等の権限を与えられているに留まる。それなのに、恐らくこの高山という女は小沢よりも年下である。一体どれほどのエリートだというのだろうか。

 

「同じく、土田 甲士郎(つちだ こうしろう)三頭陸尉です」

 

「中野 月美三等陸尉です」

 

 と、脇の二人が続けて敬礼をする。一人は長身口ひげの真面目そうな男、もう一人は闊達そうなショートヘアの女性だった。

 

 氷川らは交互に顔を見合わせつつも、入室してきた三人に目を向ける。向こうもまた、初めて見るG3ユニットの面々に思うところがあるのか、視線を合わせてきた。

 

「立場上、彼らは研修生という名目で君たちの活動に限定的な範囲で帯同する。つまり、警視庁で行動する限り一応は君たちの部下につくという形になるわけだが」

 

「これは警視庁、自衛隊両組織における交流、協力の最前線となる。以後、この体制の要となっていく、といっても過言ではない」

 

「君たちには軽率な行動は慎み、両組織にとって価値のある関係を築いていくことが求められているということだ」

 

 なんだそれ、お偉いさん同士の顔色の伺いあいなら、手前で勝手に済ませてろ。

 と、小沢は苦虫をかみつぶす。

 

 それになんだこの青二才の顔ぶれは。ろくに前線で戦ったこともないくせに。こんな何処の馬の骨かもわからない有象無象がこのアンノウン、そしてアギトに関連する事件に対して、一体どれほどの洞察があるというのか。現場では間違いなく私たちの方がプライオリティがあるはずだ。

 

 特に気に入らないのが、あの最初に自己紹介をしてきた高山とかいう女だ。何を考えているのか知らないが、この私に向かってさっきからずっとガンを飛ばしてきている。もしやこの天才頭脳、小沢澄子に対する挑戦、と受け取ってもいいのだろうか。万が一そう言うことならば、こちらは喜んで受けて立つわ、なんなら今ここで。

 

 と、最初から軽率全開の思考を飛ばしつつも、小沢は自分も向こうに対して軽く頭を下げた。

 

「我々にはない知識、そして技術が彼ら自衛隊には備わっている。G3ユニットにはそれらの力を吸収しつつ、今後のアンノウンへの対抗手段を増やしていってほしい」

 

「高山くんたちもまた、G3ユニットから多くを学び、協力していってほしい」

 

 高山は静かに微笑み、頷いた。

 

「はい、もちろんです。これからよろしくお願いします」

 

 ────────────

 

 一方その頃、同じ警視庁に所属するエリート刑事の北条 透は、缶のホットコーヒーを片手にため息をついていた。彼は缶コーヒーが嫌いであるが、今の知識と状況を整理し直すために、半ば形式的にそれを購入したのだった。

 

 とにかく、今の優先順位はなんだ。

 

 昨夜、美杉教授から伺った風谷 伸幸の情報についてもう一度考え直すべきか。あるいは先日から失踪しているという風谷 真魚の捜索に乗り出すべきか。

 もちろん、抱える仕事はそれだけではない。ただでさえアンノウンが世間を賑わせている今、既に自分のデスクには処理するべき職務が山積みとなっている。

 

 アンノウン、風谷 伸幸、風谷 真魚、アギト……この事件は一体なんなんだ。

 

 そもそも、この事件の始まりはなんだ? アンノウンによる最初の殺人は……3年、いやおよそ4年前だ。だが、更にその前には暁号事件が起こっている。そしてそこに居合わせた人間はアギトの力、あるいはその前段階の超能力を発現させたのだ。

 しかし、更に以前では風谷 伸幸が沢木 雪菜によると思われる超能力によって殺害されている。この手口は暁号事件の乗客である榊亜紀が、自分を含める「アギト捕獲作戦」のメンバーである機動隊を狙った連続殺傷事件の犯行と同じ……。

 

 ならば、この犯行が沢木 雪菜によるものであれば彼女は当然、少なくともアギトになる前段階の強い超能力を発現していたのは間違いない。そして、自身の犯した罪と、その力に耐えきれなくなり自殺した。

 

 そして更にそれより以前、風谷 伸幸の配偶者である風谷 朱美が亡くなっている。なんの偶然か彼女の死因も自殺だ。加えて美杉教授曰く、彼女は強いサイコキネシスを発揮していたという話だ。ならば、彼女もまた、いずれはアギトになりうる存在だったのか? 

 

 もしそうだとするなら、この一連の事件の本当の始まりは風谷 朱美なのか? それともまだ、自分が知りえていないだけで、さらに遡った過去に始まっているのか。

 

「……多すぎる」

 

 そう、謎が、多すぎるのだ。

 

 風谷 伸幸殺害事件で何が起こったのか。風谷 真魚があの手紙から見たものはなにか。彼女はどこに消えてしまったのか。風谷 朱美の身に何が起こったのか。何故、沢木 雪菜は風谷 伸幸を殺害したのか。

 

 アギトとは善なるものか、害をなすのか。

 

 何よりも、だ。もし無作為にアギトになるべき人間が覚醒を続けているというのなら……。

 

 

 自分の知らないアギトは他にもいるのではないか? 

 

 

 ────────────

 

 食材の買い出しは、レストランAGITOのこだわりだ。レストランで扱う食材は、翔一の目利きによって選ばれるものがほとんどで、業者からの配達を頼む場合もあるにはあるが、メジャーではない。

 とにかく、実際に目で見て、感じて自分の仕込む食材を選ぶ、というのが大切であるらしい。

 

 そんなこだわりを尊重して、加奈もこの買い出しを日課としている。最も、彼女には翔一ほどの目利きの力はないのだが。

 

 今日も、見慣れた商店街を歩き回り、食材を探して回る。野菜類、特に消費の激しいキャベツとトマトがきれかけだったので、まずはそれを見つけなければ。それから長くもたない貝と、翔一の好物であるピーマンを探そう。

 

 ああ、普通っていいな。何も怖くないって素晴らしいな。こんな、普通がずっと続いてくれればいいのに。

 

 と、そんな時。

 

「自分のことを怖いと思って、毎日を過ごしてやいないか?」

 

 不意に背後から、そんな声がかけられた。

 

 加奈は硬直する。おそらく自分にかけられたものだ。

 

 こわい? 自分を? 

 

 ……そうだ。毎日そう思っている。分からない自分、不思議な自分、自分とは何なのか。どうなってしまうのか。

 

 でもそんなの、他人から言われるのは余計なお世話ではないか。

 

「この世界で自分は独りだ」

 

 デリカシーのない背後の声はさらに続ける。

 

「自分を理解出来る人間は存在しない。……自分の弱さを、脆さを解ってくれる人間なんて存在しない」

 

 アギト、人ならざる存在。

 

 私はそうなった。突然、なんの因果もなく。誰の説明もなく。何故自分なのか、何故おそろしいのか、何故恐れられるのか。

 自分は強くはない。それを、アギトを受け入れられるほど。

 

 なのに何故、どうして私が? アギトってなに? 恐ろしいって何? 

 

 ……私って何? 

 

 

「その力が、怖いか?」

 

 背後の声はそう問いかける。ズケズケとここまで物申すなんて、一体誰だというのか。その声の主に、何がわかるというのか。加奈はそれを確認しようとも思わなかった。

 

「……いえ、私にはいますから。私を、理解してくれる人が」

 

 加奈はきっぱりとそう言い捨てて、硬直を振り払い歩き出す。声の正体を確かめようともせずに。

 

「そうか。だが、俺はここで待っているぞ。……ずっとな」

 

 

 すこぶる余計なお世話だ、図々しい。

 加奈は少し不機嫌になりながら商店街へと溶け込んで行った。どこか心の中で、その声に心を揺さぶられるものを感じながら。

 

 

 ────────────

 

 警視庁本部の廊下、会議を終え、氷川、尾室と共にGトレーラーへと戻ろうとしていた小沢は、向こうから歩いてくる顔ぶれを見て、一瞬すくんだように足を止めた。

 

 先程紹介された、これから自分たちのもとで「研修」を行うという三人組だった。向こうも既にこちらに気がついているようで、目を合わせながら迫ってくる。

 

 なにくそ、ここで負けてたまるか、と意を決して、小沢も胸を張りながら堂々と、もし向こうが止まらなければ突き飛ばしてやろうというくらいの気持ちで歩き出した。

 

 幸いなことに彼らは、小沢たちの前にまで来るとしっかりと歩みを止めた。そして何か言いたげな表情をしながら頭を下げる。

 

 相変わらず、真ん中の高山さんとやらは小沢のことだけを見つめているが。小沢は相手のその態度にイライラとしながらメンチを切り、喧嘩腰の口調で先に口を開いた。

 

「あ〜、あんた達、確かさっきの。研修生だっけ? まあ何がしたいのか知らないけど、実戦経験もろくにない少し訓練を詰んだだけの素人が、私たちの足を引っ張らないように気をつけなさい」

 

 正しく、上層部が仰っていた「軽率な行動」である。彼女のその開幕早々、頭部に危険球を放り投げるような言動を耳にして、氷川は梅干しを噛み潰したような顔になり、尾室に至っては神経性の頭痛と胃腸炎に同時に襲われてぶっ倒れそうになったほどだ。

 

 しかし、そんな後ろの彼らの気持ちなど露ほども知らない小沢はなおも高山から視線をそらさない。と、そんな彼女に対して、高山は笑顔を絶やさないまま、漏れ出したように呟く。

 

「本当に……」

 

 あまりに小さい、羽虫のさえずりのようなトーンが余計に小沢の神経を逆撫で、彼女は歯をむいた。

 

「なに! 言いたいことがあるなら言いなさいよ」

 

 ああ、もう終わりだ。完全に亀裂が走った。自衛隊と警視庁の関係はお先真っ暗だ。

 

 と尾室が頭を抑えて壁にもたれかかる。神経性の腰痛が発症したのだ。

 

 そして、遂にその小沢の言葉に、相手の高山が口を開いたのだった。

 

 

 

「本当に小沢さんだ〜!!」



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交錯する糸

「お、小沢さん……?」

 

 

 その場にいたG3ユニットの三人は一様に、高山の発した言葉に固まり、口をポカンと開けた。それから氷川と尾室は恐る恐る小沢の方に目を向けた。

 

 まさか、彼女たちは知り合いだったりするのだろうか。

 

「な、なによ、私のこと知ってるの?」

 

 だが、小沢の反応を見るにどうもそういう風には思えなかった。明らかに彼女は高山の態度に動揺し、意味がわからないという顔をしているのだ。

 しかし高山はなおも、笑みを浮かべたまま小沢の手など握って顔を近づけてくる。「ひっ」と小沢が短く悲鳴をあげた。

 

「小沢さん、いえ、小沢先輩! はじめまして、これからよろしくお願いします!」

 

 どうやら初対面には違いないようだが、ずいずいっと近寄られてさしもの小沢も気圧されて後ずさる。氷川と尾室(特に後者)は、この「小沢が押し負けている」という異様に首をかしげてお互いに顔を見合わせた。一方で対面に立つ高山の後ろに控える二人も、若干気まずそうに肩を竦めていた。

 

「ち、ちょっと何よいきなり、なれなれしい。私の質問に答えなさい!」

 

「質問?」

 

「だから! ……とにかく離れなさい」

 

 小沢はそこで相手の手を振りほどくと一度、距離を置く。それから制服の具合をなおすと、一度呼吸を整えて相手のことを見やった。

 

「なんで私のこと知ってんのよ」

 

「なんでなんて、当たり前じゃないですか! あの警視庁きっての天才、小沢澄子先輩ですよね! その学歴、来歴もさることながら、若干25歳にして警察の最前線「未確認生命体対策班ことSAUL」の司令塔に抜擢され! 開発者として第四号のデザインを基にG3システムの開発を実現! 更にその後もアンノウン事件の一任者として活動し、G3システムの拡張完全版であるG3-X、そして……」

 

「高山三佐」

 

 熱が入り切った様子で無心で話し続ける高山の言葉を、ようやっと後ろに控えていた一人、ショートカットの中野月美が遮った。

 

 そこで高山ははじめて、ハッと言葉を止める。それから我に返って、恥ずかしそうに自分の頭をなでながら唖然とする小沢に向かって低頭した。

 

「す、すみません、つい興奮してしまって余計なことをペラペラと……」

 

 それから改めて、呼吸を整えると。

 

「とにかく、その、小沢先輩のことはよく存じているんです。だからとっても、光栄で……あの、私……」

 

「な、なによ……?」

 

「ファンなんです。小沢先輩の」

 

「「ふ、ふぁん!?」」

 

 高山の言葉に、弾かれたように訝しげに唸り声をあげたのは、なぜか当の小沢澄子本人ではなく尾室と氷川の方であった。

 

 ────────────

 

 チク……タク……チク……タク……

 

 一定のリズムで時を刻む無機質な時計の針の音に、沢木は目を覚ました。

 自分はどれほどの時間、眠っていたのだろうか。いや、本当は永遠という長い時を眠って過ごすはずだったのだが。

 

 何の因果か、皮肉にも自身にまだその安らぎは許されていないらしい。

 

 沢木が目を覚ましたのは相も変わらず色気のない、どこかの廃病院のような場所だった。薄汚れたベッドから体を起こすと、目の前に一体の異形が腕を組みながら静かに佇んでいた。

 

 猛禽類を思わせるような鋭い眼光、嘴と、その下に隠れるようにしてむき出している人間の髑髏のような口。茶の体毛に覆われ、隆々とした筋肉を見せる体躯の上に金色の襟飾りを装備し、腰巻きも豪華な金属製、足にはブーツを履いている。手には鋭い爪を生やし、腕からは襟のように退化した翼が生えていた。額に三つのOシグナル、胸には両羽飾り、背中には大きな翼。神々しさと禍々しさを併せ持ち、鳥とも獣ともつかぬ威容を誇る怪人。

 

 カモノハシの使徒、プラティパスロード・グリフォ・マニトゥードが彼のことを見つめていたのだ。

 

 沢木は一瞬、その姿を目にして蛇に睨まれたように固まった。だが、どうやら向こうに敵意は感じられない。……少なくとも、今この場で取って食おうというつもりはないようだ。

 

 何をしているのか、自分の監視役とでもいうのだろうか。

 

 落ち着いてよく見ると、彼、マニトゥードの後ろには機械仕掛けの大きな時計があった。黄金の時計本体に、四人の子供の天使が寄り添っているという宗教的なデザインで、宙に浮いているかのようにも見えるそれは、どうやら沢木を目覚めさせた秒針音の発信源となっているようだ。恐らく、この上級アンノウンの能力と何か関係があるものなのだろうが、触らぬ神に祟りなしといったところだろう。

 

 沢木はベッドの上で体を起こした姿勢のまま、辺りを見回す。目に映るのは廃病院の一室の、時の経過を思わせる薄汚れた壁や、何床も並ぶ煤けたベッド、割れた窓ガラスなど殺伐とした光景だった。だが、沢木の目当ての人物の姿はない。

 

「…………」

 

 沢木はどうしたものかと一考した後、恐る恐る目の前の怪人に目をやった。相変わらず彼は無表情で、こちらを睨み続けている。

 

「……彼は、どこにいる?」

 

 このまま睨み合いを続けても埒が明かない、と沢木は思い切って、マニトゥードに問いかけてみた。

 

 コミュニケーションが通ずるのだろうか。

 

 彼の言葉に対して、マニトゥードはしばしの沈黙を保った後……。

 

「…………」

 

 無言で顎だけを動かし、窓の方を指し示した。どうやらそっちを見ろということらしい。

 沢木は身を乗り出し、ガラスの割れた窓のその向こうを覗き見る。

 

 と、その向こうの、この廃病院の隣の棟の屋上に、あの青年の姿が見えた。かつて一度、人類を滅ぼさんとしたこの世の君、黒い青年と同じ姿をした、そしてそれよりも忌むべき、恐ろしい存在。

 

「お前は、一体何を……」

 

 

 ────────────

 

 翔一は最近、よく同じ夢を見る。

 

 翔一がこれまでに知り合ってきた様々な人物が、入れ替わりたちかわり現れるという奇妙な夢だ。

 

 場所は様々だった。フェリーボートの甲板や、どこかのビルの屋上や、長く世話になった美杉家のリビングや、城北大学のキャンパス内。翔一にとっては馴染みのある場所が多かった。

 

 そして、現れる人物も多種多様だ。一人一人だが、翔一とはそれなりに縁のある人々。

 

 かつて共に戦った木野薫や、他にも暁号に乗り合わせた人々、そして、姉の雪菜だ。

 

 そう、最後は必ず、彼は砂浜で目を覚ますのだ。引き潮の波に飲まれそうになって濡れている所を、助けに駆け寄ってきてくれた女学生によって起こされる。彼は、顔を上げ、辺りを見回し、そして目にする。

 

 太陽を背に、こちらに向かって手を振っている姉の姿を。

 

「こっちに来て」

 

 

 目を覚ます。

 

 いつものことだった。悪夢、と呼ぶのはいささか失礼な話だが、不思議な夢だ。翔一の引きずる過去を体現するかのように、その夢には翔一と関わりのあった人物、そしてそれでいて、今は既に亡くなっている人物が登場する。

 

 なぜ、今になってこんな夢を見るのか。なぜ、今になって思い出し、懐かしみ、悔やむのか。

 過去は戻らない、それは今も三年前も、その前からもずっと変わらないことなのに。

 

 ずっと、自分にまとわりつづけるのだろうか。その記憶は、思い出は、心残りは。刻み込まれた傷跡のように、誰もがこんなものを抱えて生きているのだろうか。

 

 これでは、まるで。

 

 

 まるで、呪いではないか。

 

 

 ────────────

 

「おお、氷川」

 

「河野さん!」

 

 広い警視庁の廊下で、氷川と河野は久方ぶりに偶然ばったりと出くわした。かつてはよく、二人で捜査なども行ったものだが。特にアンノウンが一時的に姿を消し、G3-Xの装着員を降りた直後などは随分彼の世話になったものだ。

 

 二人は並んで歩きながら会話を始める。

 

「よお、どうだ最近、調子の方は?」

 

「ええ、色々と大変ですが、頑張っています」

 

「うん、うん。まあ、Gなんとかいうのも、新しくなったんだろ?」

 

「G3-XXです」

 

「あーそうだ。まあなぁ、三年前は色々あったからな。ほら、あいつ、北条もな? 前は随分お前とも争っていたが、今は別のことに興味を持ったみたいでな?」

 

「別のこと、ですか?」

 

「ああ、まあどうやらあいつとしては、刑事の血が騒ぐんだろうな。風谷伸幸事件をまた洗い直したい、なんて言い出してなぁ」

 

「風谷伸幸事件……」

 

 氷川はその事件に思いを馳せる。彼にも馴染みの深い、いや、北条、河野、氷川の三人を繋ぐ大きな事件だ。

 

 ……そして、あの風谷真魚や津上翔一すらもその線上にあった。

 

「でも、一体なぜ?」

 

「さあな。ま、あいつの刑事の勘ってところじゃないか? ただ、厄介なことになったみたいだがな」

 

「厄介なこと?」

 

「なんだ、聞いてないのか?」

 

 河野は少し意外そうな顔をする。三年前なら氷川は、こういうことは自分よりもいち早く耳に入れて動いてそうなもんだが。

 

「なんでもな、風谷真魚が失踪したらしい」

 

 河野の言葉に、氷川は目を丸める。

 

「ま、真魚さんが!?」

 

「ああ、なんでも数日前から家に帰らず、居場所もわからないまま連絡が取れなくなったらしい。それでこっちでもちょっと捜索中なんだが、いかんせんアンノウンのこともあるからな」

 

「まさか、そんなことが……」

 

 自分の知らぬ間に、随分と大変なことになっていたようだと氷川は驚いた。

 

「わかりました、僕の方でも自分なりに捜索してみます!」

 

 そう言って河野に会釈し、走り出そうとする。そしてしばらく行ってから、思い出したように立ち止まり、河野の方を振り向いた。河野の方も、「なんだ?」という様子で首を傾げる。

 

「すいません、河野さん。空にいる鳥を撃ち落とすにはどうしたらいいと思いますか?」

 

「鳥をぉ? それは一体、なんのことだ?」

 

「いえ、ふと思っただけなんですが」

 

 年の功、ということもある。次の敗北は絶対に許されないのだ、どんなことでも聞いておこう。

 

 河野はしばし考えたあと。

 

「そりゃあ銃の性能も必要だがな、それが確かならあとは人間の腕次第だよ。まあ、腕利きの猟師ってのはまず一発、威嚇の弾を撃つんだ。そして鳥が飛び立ったところをしっかり狙い撃つんだ」

 

 河野は、ご丁寧に猟師の身振りなどを真似しながらそう教えてくる。

 

「なるほど、ありがとうございます! 参考にします」

 

 氷川はそれを聞いて、元気強く彼に頭を下げると今度こそ走って行ってしまった。そんな彼の背中を、不思議なやつだなぁ、と河野は見送った。

 

 ────────────

 

 北条はパチリと目を見開く。

 

「よし」

 

 長考の時間は終わった。一通り情報の整理を終え、今度は実際に動き出す晩だ。

 

 だがやはり、先決は風谷真魚の捜索だろう。今、最も重要な情報を握っているのは間違いなく彼女だ。

 

 北条はそう決心すると、拳を握りしめて立ち上がり、歩き出した。



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銃撃戦

「全く、とんだ食わせものだったわね、あの女。名前、なんて言ったっけ?」

 

 Gトレーラーの管制室に戻ってきた小沢は機会の調子を確かめながらぶつくさとこぼした。

 

「高山さんですか?」

 

 こういう時の話し相手は、決まって尾室だ。不幸な役回りだと、彼は自分でも思った。

 

「そうそう、高山さん。全く、急に小沢先輩だなんて馴れ馴れしく近づいてきて」

 

「いいじゃないですか別に。尊敬されてるってことなんですから」

 

「どうだか、見ず知らずの人間にあそこまで尊敬されるっていうのはなんだか胡散臭いもんよ」

 

「そうかなぁ、小沢さんがひねくれてるだけだと思いますけど。それに、高山さん結構かわいいし」

 

 ひねくれてる辺りから既に気に入らなかったのか、小沢は無言で尾室を振り向き、睨みをくれてくる。尾室はビクッと居住まいをただすと、務めて真面目に彼女をなだめ始めた。

 

「あ、いや、だからその。別にそんな疑う必要はないんじゃないかなって……」

 

「あの子、なんて言ってたっけ?」

 

「はぁ?」

 

「ほら、最後に、私のこと」

 

「あー、もしかして……」

 

 尾室は記憶をまさぐる。そう、何かとてつもなく悪寒の走るようなセリフを……。

 

「ファン、ってののことですか?」

 

 尾室が言うと、小沢は得たりとばかりに指を立てて頷いた。

 

「そう、それよそれ。それが一番気に入らないのよ。なによファンって。勘違いしないでほしいわよね」

 

 そこいら辺りから段々と小沢の雰囲気がおかしくなり始める。言っていることの内容と、彼女の表情とが全く釣り合わなくなるのだ。

 

「困るのよね、そういうお門違いなことを言われると。ファンって、アイドルじゃないのよ? 私は、現職の科学者で、警察官にも復帰したっていうのに!」

 

 どこか嬉しさをこらえきれないようにニヤニヤしながら、小沢はまくし立てるように尾室に言う。

 その様子に色々と察した尾室はうんざりしながらも、彼女の機嫌を損ねまいとひっそりと首を傾げながら不服そうに自分の作業へと戻ることにした。

 

 と、そこに。

 

 ウィーン。

 

 管制室に、もう一人のメンバーである氷川が入ってきた。氷川は少し慌てた様子で、他の2人の様子を鑑みずに口を開く。

 

「すみません小沢さん、少し……」

 

 しかし、そこで言葉を途切ると怪訝そうに小沢の顔を見つめた。

 

「なによ?」

 

「いえ、何か嬉しいことでもあったのかと」

 

「嬉しいこと?」

 

 なんのことよ、と本気で問い返す小沢に、なぜだか尾室が大きく嘆息して髪の毛を掻きむしる。突然のことに氷川は驚きつつも、たまによくあることなので一先ずそれは起き、自分の要件にとりかかった。

 

「あ、いえ、その。それはともかく、実は知り合いが少々行方不明になったみたいで……」

 

 ────────────

 

「今度は、一輝も連れてこようかな」

 

「もう二度と来るな」

 

 夜遅くまで勝手に居座った挙句、図々しくも自分の家に一泊するという暴挙に出た悪ガキに対して、涼は本気で眉をひそめた。見つけた当時はどうしたものかと思ったが、やはり厄介を抱え込むもんじゃない。

 

 彼女のあの朦朧とした状態は、不定期によく起こる現象なのだという。それがなんなのかは本人もわからないが、大して重要な異変ではないということで、いつもは無視しているらしい。

 

 涼は心配して損したという気持ち半分、まあ何事もなくてなによりという気持ち半分で、さやかを送り出そうとする。さやかは長い髪を耳の後ろに避けながら、涼を見上げた。

 

「でも知り合いなんでしょ?」

 

「そんな大した関係じゃない。名前も知らなかったしな」

 

「ふうん、そっかー」

 

 なんとなく納得がいかない風にさやかは口を尖らせて頷く。

 

「とにかく、もう俺にはあまり関わるな。いいな?」

 

「はいはい、わかりました。ありがとね、助けてくれて」

 

「いいからいけ」

 

 涼の言葉に、さやかはべーと下を出して、つーんとそっぽを向くと、とっとっとっ、と彼に背を向けて歩き出した。そして、涼が扉を閉めようかと思ったところで不意に振り向き、悪びれもせずに聞いてきた。

 

「あ、ところでさ。あんたの犬、名前なんてーの?」

 

 涼はますます顔をしかめた。

 

 

 ────────────

 

 沢木は謎の青年の姿を追って、廃病院の屋上にまでやってきていた。

 

 彼は先と変わらずそこに立ち、何かを感じ取るかのように宙を眺めていた。沢木はその背中を見つめて、しばし黙り込む。

 

「怖いですか、私が」

 

 沢木に背を向けたまま青年は言った。風が強く吹く。沢木は鬱陶しそうに目を細め、首を振った。

 

「いや。……今の世界がどうなるか、本当は私には関係のないことだ」

 

 沢木のその言葉に、青年はゆっくりと振り向いた。

 

「俺にはもう、足掻くだけの力は残されていない。彼らがどう生きるのか、それを決めるだけの力はな」

 

 ────────────

 

 ヒュオオオオオオオ

 

 雲一つない寒空、大都会を見下ろす遥か遥か彼方の天空に、その姿はあった。

 

 始祖鳥の怪人、ウォルクリス・プリーモは眼下を見下ろすと、右掌を胸にやり、死のサインを切った。そしてロードリングより、神器「常勝の弓」を取り出すと、静かにそれを地上世界に向けて構えた。

 

 ────────────

 

「なるほど、数日前から。それは大変なことになったわね」

 

 氷川が真魚のことを話し終えると、小沢は腕を組み、神妙そうに頷いた。尾室も話に入りたさそうに2人を見ているが、こういう時は大体無視されるのが常である。どうせそんなことだろうと尾室はさっさとそっぽを向くのだった。

 

「ええ、さっき河野さんに教えられて僕もびっくりしているんですが」

 

「なるほど、それでどうしようっての?」

 

「こういう場合、僕としても協力したいと思うのですが……どうにも気になって」

 

「気になる?」

 

「はい、アンノウンが再び現れたこの時期に……本当に偶然なのかと」

 

「まさか、アンノウンにってことはないわよね?」

 

「ええ、それは多分……」

 

 氷川はしばし黙り込み、考えた後に不意に。

 

「そうだ。尾室さんはどう思いますか?」

 

 急に自分を指名されて、思わず尾室はすっころびそうになった。そして自分の顔を指さして確認までとってしまう。

 

「え、ぼ、僕ですか!?」

 

 それに対して氷川は当たり前だろうとばかりに超然と答える。

 

「はあ、同じチームのメンバーとして尾室さんにも意見を求めるのは当然だと思いますが」

 

「い、いや、こんな時って大体二人とも勝手に話し進めちゃうから……」

 

 それから、顎に手を当てて考え込む。

 

 そして

 

「そうだ、まず」

 

 ピ────

 

 その時、アンノウン出現を知らせる甲高いアラームが管制室に鳴り響いた。途端に小沢が真剣な表情に変わる。迅速にオペレーター用のヘッドセットを装着すると、通信機をオンにした。

 

『警邏中のPCより入電、市内で人々が倒れています』

 

 そして状況を確認すると。

 

「氷川くん、どうやらアンノウン出現よ。それも、犯行の手口から前回のアンノウンと同一の個体と思われるわ」

 

「……! わかりました、頑張ります!」

 

「大丈夫?」

 

「……」

 

 確かに、あのアンノウンに対抗する手立てが今の自分にあるのかは分からない。だが、だからといってただアンノウンの凶行を指をくわえて見ている、というわけにはいかないだろう。

 

 氷川は自身を鼓舞するように力強く頷いた。

 

「はい、次は負けません!」

 

「よし、頑張りなさい。G3-XX、出動!」

 

 小沢はそう言って氷川を激励すると、G3-XXの装着に取り掛かった。

 

「あの、僕の意見は……?」

 

 尾室は一人取り残されたのだった。

 

 

 ────────────

 

 一方その頃、アギトたる津上翔一もまた、アンノウンの予感を感じ取っていた。

 

 頭に鋭く響く感覚に従い、翔一は無意識にレストランAGITOを飛び出した。ちょうどそれは仕入れ帰りの加奈と入れ違いになる形となった。

 

 加奈のことにも気づかずに無心でFIRESTORMに駆け寄る翔一。加奈はそんな翔一の姿を見て、声をかけようとした。

 

「津上さ……っ!」

 

 しかし、それは自身の頭にもまた鋭く走る痛みによって遮られる。

 

 キ────ーン

 

 周囲の全ての音が聞こえなくなり、頭の中にモスキート音が反響する。加奈はよろめき、壁に手を付きながら、バイクを発車させる翔一を見送るしかなかった。

 

 ────────────

 

 G3-XXはガードチェイサーに跨り、サイレンを響かせながら市内を駆け抜けた。通報のあった現場へといち早くたどり着くために。

 

 だが、そんなG3-XXにバイクで追いすがる何者かがいた。それは道路交通法などなんのそのというスピードでガードチェイサーに追いつくと、こちらに顔を向けてきた。

 

 G3-XXこと氷川も一体なにごとかとそちらを見やる。そして、その見覚えのある顔を見て驚いた。

 

「あなたは!」

 

「どうも、研修生の中野です」

 

 涼しげな顔で挨拶をくれたのは自衛隊から派遣されたという三人組の一人、中野 月美だった。彼女は非日常的なスピードで、特別仕様の自衛隊オート、KLX250改式「グランチェイサー」を彼に並走させていた。

 

 氷川は戸惑いながらも、「それ、スピード違反ですよ」と切り込むのも気が引けたので、とりあえず挨拶してみる。

 

「ご、ご苦労さまです」

 

「緊急時なので、それなりの認可は貰っています。ご心配なく」

 

 暗に「スピード違反」に対して弁解してくる月美に、氷川もぎこちなく頷いた。

 

「どうしたんです? こんな時に僕を追ってくるなんて」

 

「はい。……っしょっと! これ、高山三佐から預かり物です」

 

 そう言いながら、器用に月美はグランチェイサーの車体に装着されたケースを片手で取り外すと、氷川に向かって差し出してきた。

 

「これは……?」

 

「今回の戦いに必要なものです。私たちなりの挨拶といってはなんですが」

 

 何やらよく分からないが、今ここで疑って逐一問いただしているのはあまり利口ではないだろう。とにかく、現場に一刻も早く向かうことが先決だ。それにもし本当にあのアンノウンに対抗する手段が手に入るならば、それは願ってもないことだ。

 

 氷川はそう考えると、そのケースを月美から受け取って頭を下げた。

 

「わかりました、ありがとうございます!」

 

 そう言って、彼女を置き去りにするように更にアクセルを踏み込んだ。

 

 

 一般人の非難ルートを避けながら氷川は通報があった現場付近で最も見晴らしのいい広場付近までやってくると、ガードチェイサーを止めた。そして、ゆっくりとバイクから降り立ち、空を見上げる。それと同時にG3-XXのサーチ機能が動き始めた。

 

 以前と同じならば、敵は上空にいるはずだ。

 

 氷川は慎重にガードチェイサーからGM-01を取り外すと、ゆっくりと歩き出した。

 と、その時、G3-XXのサーチ機能が氷川に対して警鐘をならす。それと同時に氷川は素早く横転した。

 

 コンマ数秒の時差で氷川が立っていた場所に小さな何かが高速で着弾し、地面に穴を空けた。氷川はそれを見てすぐに、サッと上を向いた。

 

 G3-XXのマスク越しに氷川の目に映る青空が高倍率に拡大され、解析によってその遥か彼方にある敵の姿が晒される。氷川はハッと息を飲んで、映し出されたアンノウンに向けてGM-01を構えた。しかし……。

 

『Out of range.』

 

 ダメだ。やはり届かない! 

 

 それと同時に、第二射が氷川を襲う。急いで飛び退いてかわすと、またもや地面が弾け飛んだ。

 

 どうすれば……。

 

 氷川は打開策を得んと、ガードチェイサーに駆け寄る。そして、先程月美から手渡されたケースを手に取った。

 

「これ……」

 

 藁にもすがる思いで、そのトランクを開ける。

 

 ガチャリ

 

 中には、何かの銃身、あるいは砲身のようなものが入っていた。そう、射撃をするためのものであることは間違いないようだが、なんと持ち手と引き金がないのだ。

 氷川はそれを取り出すと、その形状を眺める。どうやら二つ折りになっているようで、完成すれば狙撃銃のように長い銃身になるようだ。トランクの中には「GR-07 ケイローン」と銘打たれていた。そして恐らく、形状からしてこれはGG-02やGXランチャーと同じく、GM-01に連結して用いられるもののようだ。

 

 氷川は急ぎGR-07を組み立てると、その銃身をGM-01に結合させる。と、銃身がカチャリと見事にハマり込み、二つの武器の連動に成功した。氷川はそれを空に向けて構える。

 

 それと同時に再び、上空からの敵の攻撃が氷川に襲い掛かった。

 今度は避ける暇もなく、まともに食らってしまう。

 

「ぐあっ!」

 

 火花をあげながらよろめく氷川。だが、前回の戦闘よりも体感のダメージはかなり少なかった。恐らくはこのG3システムの「学習」によるものだろう。

 

 管制室からモニタ越しにその様子を眺めていた小沢と尾室も思わず息を飲んだ。

 

 

 氷川は改めて、体制を立て直してGR-07を構える。

 すると、氷川の見る画面に電子文字が浮かび上がった。

 

『CODE「ケイローン」承認……残弾数3』

 

 そして画面上の敵の姿を補足するように枠状のマーカーが赤色に点滅した。

 

 その瞬間、氷川は反射的に引き金をひく。敵に照準を合わせたGR-07は、遥か彼方へ向けて超長距離狙撃ライフルを発射した。

 

 

 しかし。

 

『It was avoided……残弾数2』

 

 なんと空中で飛行する敵に、その一射は軽々と回避されてしまったのだ。

 

 バシュン

 

「うわっ!!」

 

 更にお返しとばかりに放たれた気砲によってまたもや氷川はダメージを負う。バチバチと何かが弾け飛び、氷川はこらえるために歯を食いしばった。

 

 だがそれでも、氷川は諦めずに敵を見据える。再びGR-07を構えて引き金に指をかけた。

 

「まず一発、威嚇の弾を……」

 

 口の中でそう反芻しながら、氷川は引き金をひいた。発射の強い反動に仰け反るまいと踏ん張りながらも敵の姿から目をそらさない。アンノウンが上空でまたもや氷川の発射した弾を回避する。しかし、敵の動きを見切ったG3-XXはその動きを捕捉し、逃さない。そして再び、ターゲットマーカーが赤く点滅した瞬間……。

 

「今だ!」

 

 氷川の放った一撃は今度こそ、見事に宙空のプリーモを追撃し、貫いた。

 

「グガッ!」

 

 撃ち抜かれたプリーモは体から火を噴くと、空中でロードリングを眩く輝かせて爆散しながら地に落ちて行った。

 

 ようやく難敵を撃破した氷川はライフルを下ろすと、力が抜けて無言のまましばしその上空を見つめ続けた。

 

 

 ────────────

 

 時を同じくして、アンノウンの予兆に駆り立てられて愛車を走らせていた翔一だったが、プリーモのいる場所へとたどり着くことはなかった。

 

 翔一の行く手には全く別のアンノウンが立ち塞がったからだ。

 

 相手はエルロードが一、雷のエル。雷雲より遣わされた大天使だった。雷の鎧を纏ったその姿を見れば、敵が普通のアンノウンではないことが翔一にもよくわかった。それに、以前に現れたエルらと同じく、雷のエルからもピリピリと本能に訴えかけるような威圧感があった。畏怖、そんな表現が似合う近寄り難い感情だ。

 

「変身!」

 

 それでも翔一は構えをとり、金色のアギトへと姿を変えた。

 

 自身の、そして大切な人達の居場所のために。




DATABASE
種族名:アルキオプテリクスロード
個体名:ウォルクリス・プリーモ
能力:空気を飛ばして攻撃する
始祖鳥に似た超越生命体。その名は「始祖の鳥」を意味する。


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第十二話「恐るべき力」
その声


 風谷真魚の捜索に乗り出した北条は、卓越、洗練された手腕で聞き込み調査を行い、すぐに彼女が最後に目撃されたという美杉邸近くの商店街にまで行き着いた。流石はエリート刑事の手練ともいうべきか、彼の調査、洞察は常にとてもロジカルであり、それでいて自身の直感をも無視しないものである。

 

 だからこそ、不謹慎ながらも彼は感じていた。この風谷真魚の失踪という事件に対して、どこか一連の事件の核心へと繋がる直感と、それに対する自身の胸の高鳴りを。

 

 間違いない。彼女の失踪は、今回のアンノウンの再出現と何らかの関係があるはずだ。

 

 北条はそう確信を持って、更なる聞きこみ調査を開始しようとした。

 

 その時。

 

「失礼ですが、北条刑事ですか?」

 

「……え?」

 

 突如、自身を呼び止める声の存在に、北条は思わず声を漏らしながらそちらを振り向いた。

 

 

 ──────────────

 

「うわっ!!」

 

 雷のエルの一撃が、アギトを大きく吹き飛ばした。橋梁の上から、一気に河原の土手に突き落とされたアギトは体をよじると、何とか肘をついて起き上がろうとする。

 

 そんなアギトを追撃するように、雷のエルは大きく跳躍してそのすぐ近くに着地すると、自身のエンジェル・ハイロウを展開し、そこからおよそ一メートルはあろうかという長大な大槌、「慈悲のミョルニル」を取り出した。そして体制を立て直そうとしているアギトに対して、その巨大なハンマーを怪力にものを言わせて振り払った。

 

 アギトの胸を打ち付けると同時に、「慈悲のミョルニル」は自身の秘めたる力を電気のエネルギーとして解放すると、強力な雷撃を放った。

 

「うああぁっ!!」

 

 雷を纏った大槌による殴打をまともに食らったアギトは、再び大きく宙を舞うと、そのまま地面を転がり、体のしびれと痛みにあえいだ。ビリビリと、体の中に刺激が走り続けている感覚に陥る。

 

「ぐっ……うぅ……」

 

 だが、それでもなお気迫で体制を立て直すと、力を振り絞って自身の腕を胸の前でクロスさせた。

 そして、オルタリングの両端を思い切り叩くと、賢者の石から更なるパワーを解放させた。アギトの体が眩い光に包まれ、その姿が一度溶岩のごとき高熱を纏った隆々とした強固な外骨格に包まれた後、ひび割れと共にそれが剥がれ落ち、新たに白銀の肉体が新生する。

 

 シャイニングフォームへと自身を「進化」させたアギトは、改めて、今しも迫り来る強敵を見据えようと構えを取ろうとした。

 

 しかし。

 

「……っ?」

 

 不意に、別の何者かの気配を感じ取って、辺りに目を向ける。いや、気配というほど確かなものではなかったかもしれない。アギトという戦士へと変身したことで備わった超感覚を持ってしてようやっと気づけるほどの、極めて微かな何か。あまりにも茫洋として曖昧で、空漠とした存在感。

 

 姿も臭いもない何者かがこちらを見つめているような、落ち着かない感覚がアギトの注意を逸らした。

 

 なんだ? 何がいる? 

 何が……俺を見つめているんだ? 

 

 まだうすら寒い春前の風にそよぐ河辺の草原を見回すが、どこにもその感覚の正体らしきものは見当たらない。ただ、静寂がせせら笑うかの如くその答えを彼に突きつけるのみ。

 

「ふんっ!」

 

 刹那、風切り音と共に衝撃がアギトを襲う。雷のエルは、目の前の敵が見せた数瞬の「致命的」な隙を見逃すはずがなかった。「慈悲のミョルニル」を叩きつけられたアギトはよろめきながら後ずさる。

 

 逃すまいとすかさず、雷のエルは間合いを詰めて、今度は上段から大槌を振り下ろした。大振りを背中に叩きつけられたアギトは、視界が滲むほどの一撃に、両手をついて地面に倒れ伏した。

 

「ぐぅっ……!」

 

 即座に、何とか起き上がろうともがいてみるものの、エルロードの攻撃をまともに数度として受けたダメージは、簡単には振り払うことの出来るものではなかった。

 雷のエルは、足下で足掻くアギトの姿を悠々と見下ろすと、「慈悲のミョルニル」を握りなおす。

 

「アギト……地に落ちた翼よ。ここで滅びるもまた運命……」

 

 透き通るような、響き渡るような、鼓膜を揺さぶる高い声音に、まるで何か決められた筋書きを淡々と読み上げるような無機質な口調で上級アンノウンはそう口にした。

 

 そして、手にした大槌を上段に振り被った。同時に、奔流する膨大なエネルギーが光の束としてその槌頭に収束し始める。正しく渾身の一撃をアギトに目掛けて振り下ろそうというのだ。

 

 だが、その時だった。

 

「翔一くん!」

 

 その行為を制止しようとするかのように、突如としてどこからともなく響き渡る誰かの声。思わず心安らいでしまうほど聞きなれたような、それでいてどこか、何かがかつてと変わってしまったような。静かながらも確かな強い力を秘め、安寧と畏怖という二つの感情を同時に与えるようなその声音に、何を思ったのか雷のエルは手を止めると、声のした方を見やる。

 

 アギトもまた、揺らぐ視界の中にその正体を捉えようとした。

 

 

 ────────────ー

 

 浅野一輝は、気だるげに教会の裏庭に腰を下ろして、ぼんやりと空を眺めていた。所々に叢雲が青空を覆い隠していて、今日の空模様はあまり芳しくはなかったが、それでも矢張りこうしていると落ち着くような気がする。これは彼の何とない趣味のようなものだった。

 今日も今日とて、というより昨日からだが、さやかは何処かへと出張っており、教会にいる「先生」も今は外している。一人でいる時、彼は大抵、空を見つめることに心奪われるのだった。そこに何かが映っているような、あの夏の日に自分が目指していた場所があの向こうにあるような……そしてあの時失ったものがそこで待っているような、そんな不思議な気分になるのだ。吸い込まれるように、誘われるように。

 

 と、そんな彼の周囲で不意に、コロリと小さな石が震えるように細動した。同時に、辺りに生える草花も静かに、しかし確かに周期を一致させて揺らめき始める。最初は小さく、やがて少しずつ広がりながら大きなざわめきを伴って。

 

 更にそこから、小石を初めとしてコンクリートブロックの破片やら、投げ捨てられた空き缶やら、一輝を取り巻くあらゆるものが振動を始めると、今度は左右に無秩序的に転がってぶつかったり、果ては宙に浮かび始めたりする始末だ。

 そして当の一輝本人は、こんな心霊現象とも思えるような異様が周囲で起こっていようとも、まるで頓着することもなく、未だ無感情に空を見上げているばかりだった。

 

 グシャッ

 

 おもむろに、宙に浮かんだ空き缶が一瞬の内にひしゃげるように潰れ、ものすごい力で捻られたかのようにねじ切れる。続けて、今度はなんとコンクリートブロックの破片がミシミシと音を立て始めると、幾ばくもしない間に耐えかねたように大きな亀裂を生じさせる。それは網の目のように広がり、今しもそのブロック片を粉々に砕いてしまおうかという所だった。

 

「あー、またここにいたの」

 

 そんな時にかけられた彼女の声が、一輝の心を呼び戻す。彼がハッとしてそちらを振り向いた途端、空き缶の破片も、壊れかけのブロックも、空中で静止していた石や砂利も、全てが糸が切れたように地面に落ちた。しかし一輝はまるで存在しないかのように、そんなものには目もくれずに、自分に声をかけてきた少女に向かって返事をする。

 

「帰ってきてたのか、さやか」

 

 奔放に辺りをほっつきに出たかと思えば、いつの間にか帰ってきて知った風な顔で裏庭の入口の方からこちらを眺める顔なじみに、一輝はため息をついた。それに対して、さやかの方も彼の周囲を見回してから肩を竦めて返す。

 

「帰ってきてたのか、じゃないわよ。また力を使っていたの?」

 

「……ああ、これ?」

 

「無意識に使うの、やめなさいって言われたでしょ? ほんと、呑気なんだから」

 

「何言ってんだよ、お前の方こそイタズラに力を使ってるじゃないか。どうせ今日もそうだろ?」

 

「それにしたってさ、あたしは相手を選ぶからね。……それにしても」

 

 そこでさやかは一度、そこに散在する「力の痕跡」に改めて目をやると、壊れかけのブロック片を足で小突きながら感心したように頷いた。

 

「相変わらずすっごい力ねぇ。無意識でこれか」

 

 しかし一輝は、相変わらずつまらなそうにその言葉にもそっぽを向くのだった。

 



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力を持つもの

 北条に声をかけてきたのは、スーツ姿の二人の見知らぬ男だった。どちらもかなり高身長で体格もがっしりとしており、片方はスポーツ刈りのように髪を短く刈り上げており、もう片方は対称的に女性のように肩下まで長い髪を真っ直ぐに伸ばしていた。

 

 こんな格好の人間に声をかけられる謂れもない北条は、彼らを見上げながら眉をひそめる。

 

「あなた方は……?」

 

 こちらの身分を聞きたいのなら、先に名乗るのが筋というものだろう。向こうも北条の言い分を理解しているのか、スポーツ刈りの方が軽く会釈をした。

 

「突然申し訳ない。私は警視庁非公認組織、不可能犯罪特別対策科に所属する二上といいます」

 

 よく見れば右目の下には大きく古傷の後が残り、肌もよく日に焼けていて、隙のない鋭い眼光を見せる、齢三十を少し過ぎたばかりに見える、まるで歴戦の戦士という単語を想起させるような風貌のその男は、北条に対してそう自己紹介しながら、警察手帳を開いて見せてくる。

 そこには確かに、二上 雅俊(にかみ まさとし)警部と書かれていた。北条はそれを目にしてから、改めて相手の顔を見やる。そして気になった単語について聞き返した。

 

「警視庁非公認組織? ……いや、それよりも不可能犯罪特別対策科ですって?」

 

「そうです。不可能犯罪特別対策科……通称「不可特」は増大する不可能犯罪の脅威に対抗するために二年前に新設された組織。最も、まだその存在を公にはされていないのでご存知ないのも無理はないでしょうがね」

 

「増大する不可能犯罪の脅威……しかし、それならばG3ユニットという組織が既に存在するはずですが。何故、わざわざ新たに組織の設置など?」

 

「G3ユニット?」

 

 そこで二上とその脇に控えた長髪の男ははて、と首をかしげる。しかしそれからすぐに、何か得心が言ったように唇の端をあげると、二上は首を振った。

 

「……ああ、北条刑事。どうやらあなたは何か思い違いをしているようですね」

 

「思い違い、ですか?」

 

 思い違いも何も、一連のアンノウンによる不可能犯罪の事件ともなれば、あの忌々しい「G3ユニット」の名前が出てくるのはある種当然、それどころか避けては通れないというのが正しい所ではないか、と北条は疑問を感じる。

 

「何も今の時代、不可能犯罪を行うのは恐らくあなたが想像しているであろう「アンノウン」だけではありません。人間もまた、同様なのです。……北条刑事にも身に覚えがあるはずだ」

 

「……!」

 

 北条はそこでハッと息をのんだ。

 人間の行う不可能犯罪。確かにそうだ、それは北条が危惧し、そして榊亜紀による機動隊員襲撃事件の際に実際に体験し、更には北条の風谷伸幸殺害事件への推理の中軸ともなっているものだ。信じられないことだが、この世界には超能力とかいうものを用いて、不可能犯罪を行う人間が実在するのだ。

 

「一般認知はされていませんが、特殊能力を持った人間による不可能犯罪の件数は3年前を皮切りに劇的に増加しています。時にはかの榊亜紀のように連続殺人事件にまで発展することもある。この脅威を見て必然的に警視庁内で組織されたのが我々「不可特」なのです」

 

 二上は、それから、と少し間を置いてから北条の反応を伺いながら続けた。

 

「不可特の最終目標としては、我々人類がいずれは「アギト」にも対抗しうる手段を得ることです」

 

 ────────────ー

 

「氷川くん、お疲れ様」

 

 Gトレーラーへと帰還した氷川は、そんな管理官の労いの一言に迎えられて、G3-XXのマスクを脱いだ。

 

「お見事だったわ、今回の戦い」

 

「ありがとうございます。ですが……」

 

 しかし、念願の勝利を勝ち得たはずの氷川の表情はどこか釈然としない風だった。気になった小沢はいつものように問いかける。

 

「どうした? すっきりしない顔してるみたいだけど」

 

「ええ……。あの中野さんから渡された武器、あれがなければ危なかったなと思いまして」

 

「ああ、あれね……」

 

 その武器とやら、ご丁寧に「GR-07 ケイローン」などと勝手に銘打たれていた怪しげな武装だ。自衛隊からやってきたという三人組の一人、中野 月美とやらが渡してきたものだが、その真意は果たして……。

 

「そもそも、何故彼女がG3システムと連結可能な装備を持っていたのか、そこがまず疑問ね。そしてそれをわざわざ氷川くんに渡しに来た」

 

「考えてみれば変ですよね。中野さんはG3システムにアクセスできたってことですし」

 

 尾室も怪訝そうな顔をして腕を組み、小沢の言葉に頷いた。

 氷川は脇に抱えたG3-XXのマスクを見下ろすと、先の戦いを思い返すように目を細めた。

 

 ────────────ー

 

 そこに立っていたのは真魚だった。

 

 見間違えるはずもない。翔一にとって短いようでとても長い時間を共に過した存在だ。少し前に自分のアパートにやってきた時以来、久しぶりに自分の瞳に映る風谷 真魚の姿を彼はそこに見た。

 

「……真魚ちゃん?」

 

 ふらつく頭を何とか上げながら、翔一は視界に映ったその姿に声を漏らす。

 

 彼女が何故ここにいるのか? 

 こんな所で何故俺を呼び止めたのか? 

 

 そんな疑問も浮かんでくるが今は些事だ。とにかくここは危険である。一刻も早くこの場から真魚を遠ざけなければ……。

 

「お前は……」

 

 そんなアギトの頭上から、雷のエルが高い声で呟いた。そのアギトと同じく丸い双眸はしっかりと真魚を捉えて睨みつけている。そして、「慈悲のミョルニル」を前へと突き出した。

 

「お前もまた、運命(さだめ)の子。翼を背負いし者か……」

 

 言下に、大槌の頭の近くに可視化したエネルギーが暴れ狂うように集約させられる。

 アギトはそれを見て、エルロードの攻撃から真魚を庇おうとして地面をかく。そこから何とか立ち上がろうとするものの、すぐに体勢を崩してしまい、再び地面に手をついた。

 

「ふん!」

 

 雷のエルが力を込めるように唸ると、その膨大のエネルギーが宙を這う眩い閃光となって一目散に真魚へと襲いかかる。普通の人間など一溜りもないような、あまりにも桁違いな威力の雷が彼女の間近で弾けた。途端に土煙が舞い上がり、余波に巻き込まれた周囲の地面が抉れ、それを見たアギトも思わず息を呑んだ。

 

 ……しかし。

 

「……っ!」

 

「……え!?」

 

 雷のエル、そしてアギトもが、その光景に目を疑い、たじろぐ。

 

 なんと土煙の中から現れた風谷 真魚は、アギトでさえも無事では済まないであろうほどの一撃を受けながら、かすり傷ひとつなくその場に佇んでいたのだ。そして彼女の周囲にはうっすらと、取り囲むように透明の壁のようなものが張り巡らされているようで、察するにおそらくはそれが先の攻撃から真魚を守ったようだった。

 

 真魚は唇を噛むと、強い意思を持って眼前の雷のエルを見つめた。

 

 

 ────────────ー

 

 突然、自身を苛む鋭い感覚に、謎の青年は眉をひそめた。それから鋭い視線を辺りに回す。

 彼と向き合い、目の前に立っていた沢木はそれを見て、目を細めた。

 

「どうかしたのか?」

 

 もうしばらく、沢木はこの廃病院の中に閉じ込められているような形となっていた。というのも、この建物の敷地全体を囲うように正体不明の不可思議な空間の壁のようなものが設けられており、外に出ようと思ってもどうやっても進めないのである。どうにかして外部に繋がる道や、その手がかりはないものかと、内観もあらかた探索してみたが、なにも使えそうなものは残っていない。

 

 そもそもこの廃病院に存在している者自体、この灰色の服を身にまとった青年と、大時計を守るように佇むアンノウン、そして自分の三者だけであるようだ。確証はないが、おそらくあの障壁を越える手段は今の沢木には無いように思われた。

 

「感じます……強い力を」

 

 眉間にシワをよせ、恨めしそうに言葉を紡ぐ青年。

 沢木はそれに対して、さらに問いかける。

 

「力? アギトの力のことか?」

 

「アギト……いや、アギトよりももっと……近い」

 

「……近い?」

 

 なんのことかと沢木は首を傾げた。しかし青年は彼の言葉には答えずに忌々しげに歯を食いしばり、天井を見上げた。

 

「ついに……ついに現れましたか、この力を持つ者が」



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