黒潮お姉ちゃんシリーズ (雨宮季弥99)
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第一章 陽炎編
第一章 陽炎編


誤字報告ありがとうございます。


 その日私は朝から辛かった。なんでって、目を覚ましたと思ったら視界は揺れてるし頭も喉も痛いし咳はでるし、これはどう考えても。

 

「あー、風邪……ひいちゃったかぁ……ゴホッ!」

 

 喋ったとたんに咳がでるし、あーもう。どうしようかな。

 

「陽炎、起きとるかー? 朝の遠征に……どないしたんや?」

 

 ノックもなしに扉を開けてきて……まったくもう黒潮は。普段なら怒るところだけど……。

 

「ゴホッ! ゴホッ!」

 

 声より先に咳が出ちゃう。これ、結構重症ね。

 

「ありゃー、陽炎もしかして風邪かいな? どんな症状が出とるんや?」

 

「……喉も頭も……ゴホッ! 痛いし動けない……ゴホッ!」

 

「あわわ、こちゃアカンわ。今日の遠征は休むって事伝えてくるから、陽炎は取り敢えず熱測っておき。ほら、体温計挟むからちょっとだけ脇開けるで」

 

 そう言って黒潮は私の脇に体温計を挟むと部屋を出て行って、しばらくしたら戻ってきた。

 

「取り敢えず外歩いてた不知火に司令はんへ伝えるよう頼んだわ。体温はどうや? ……うっわ、38度もあるやん。こりゃお医者さんに診てもらうほうがええで」

 

「わかってる……黒潮、手伝って……ゴホッゴホッ!」

 

 なんとか体を起こすけど、頭が痛くてそれ以上行動を起こせない。

 

「大丈夫か? 陽炎、本当にヤバイなら先生にここに来てもらうようにするで?」

 

「だい……じょうぶよ……、なんとか……キャッ!」

 

 ベットから体を起こそうとしてバランスを崩した私を黒潮が咄嗟に支えてくれる。

 

「ほら、言わんこっちゃない。先生呼んでくるから陽炎はおとなしゅうしとき」

 

 そう言って黒潮は私をベットに戻して部屋を出て行った。

 

「はぁ……もう、風邪なんて最悪……」

 

 今日の遠征に穴開けちゃうし、舞風や秋雲の特訓にも付き合えないわね。代わりに誰かやってくれるといいけど、今度謝らないと。

 

 そんな事を思いながらボーッと天井を見ていて、しばらくしたら黒潮が軍医の人を連れてきてくれた。で、診てもらうとものの見事に風邪。今日明日で治るものじゃないからしっかりと休養を取って休むことって念押しされちゃった。

 

「取りあえずインフルエンザとかやなくて良かったけど、しっかり休養せなあかんで陽炎」

 

「わかってるわよ……ゴホッ。それ……より黒潮……いつまでいるつもり……ゴホッゴホッ」

 

「んー? うちは陽炎がちゃんと治るまで一緒におるで。取り敢えず食べれるもんとか用意してくるからちょっと待っとってな」

 

「え、いっしょって……ゴホッ!」

 

 私が聞き返すより早く黒潮は部屋を出て行っちゃった。一緒に居るってどういうつもりよ、風邪移っちゃうじゃない。

 

 そんな事を思いながら寝てたら、しばらくして黒潮が戻ってきた。手にお鍋となんか袋持ってるけど、何が入ってるんだろう? 視界がボヤけてよく見えない。

 

「間宮はんとこでおかゆ作ってきたで。それと他にも色々持ってきたからな、ちょっと待っとってな」

 

 そう言って黒潮は氷枕を取り出すと、タオルで包んで私の頭の下に敷いてくれる。

 

「陽炎、食欲のほうはどうなんや? 少しでも食べとかんと回復せえへんで」

 

「ん……今は無理……」

 

 本当は食べたいんだけど、喉が痛くて多分通ってくれそうにないのよね。黒潮のいう通り食べたほうがいいのはわかってるけど。

 

「さよかぁ。それじゃぁ飲み物とのど飴だけにしとこうかぁ。水分は取らんとアカンで」

 

 そう言ってスポーツドリンクにストローを入れたものを顔の横まで持ってきてくれて、ストローを口元に持ってきてくれる。ありがたくストローを加えてスポーツドリンクを飲んでいくけど……正直恥ずかしい。お姉ちゃんの立場がないじゃない。

 

「プハッ……ありがと……」

 

「ええてこれぐらいでお礼なんて。それより後はのど飴でも舐めて大人しゅうしとき。ほら、リンゴ味でええか?」

 

 私が頷くと黒潮は飴の包装を破って私に……渡さずにそのまま口元に持ってくる。

 

「ちょ……黒潮……それはちょ……」

 

「ええからさっさと食べーや。喉が痛いの治らんで。はい、あーん」

 

 そう言って唇の上まで持ってこられた飴を、私は諦めて口を開ける。すると黒潮の指が少し口の中に入ってきてそのまま飴を入れる。

 

「ほい。それじゃぁ後は温かくして寝ておくんやで。うちは勉強でもしとくから、なんかあった呼んでや」

 

 そう言うと黒潮は私の机に座って勉強しだした。勝手に私の机使わないで欲しいし、なんでここに居続けるのよ。

 

「黒潮……ゴホッ、あんた今日の予定どう……するのよ……」

 

「大丈夫や。ちょっと他の子に頼んできてるから問題ないで。陽炎はうちの心配なんかしてへんとゆっくり寝とき。陽炎が風邪治さんかったら皆心配するで」

 

 それはわかってるけど、だからって黒潮に付きっきりで看病してもらわなくてもいいのに……はぁ、これじゃぁお姉ちゃん失格じゃない……。

 

「ア、そうそう忘れとったわ。陽炎、これ付けとき。こっちのほうが寝やすいで」

 

 そう言って黒潮が袋から取り出したのはアイマスクだった。確かに、あるほうが寝れそうね。

 

「それじゃぁゆっくり休んどきや。何かしてほしいことがあったら呼ぶんやで」

 

 そう言うと黒潮はまた私の机を使って勉強を始めた。言っても聞きそうにもないし、私も寝ることにしよう。なんとかアイマスクを付けると、私はゆっくりと意識を手放した。



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第一章 陽炎編2

誤字報告ありがとうございます。


 どれだけ時間が経っただろう。目が覚めた私がアイマスクを外すと蛍光灯の光が眩しくて思わず目を閉じる。

 

「あ、陽炎起きたんか? 体調のほうはどうや?」

 

「ん……少し楽になったと思う……今何時?」

 

「今は一一○七やなぁ。ちょっと早いけどごはん食べるか? 朝何も食べとらんし」

 

 黒潮に言われた途端、お腹が大きな音を立てて鳴った。……うう、恥ずかしい。

 

「お腹のほうは食べたい言うとるようやな。喉のほうは大丈夫なんか?」

 

「……今は大丈夫……」

 

 恥ずかしくて布団を顔まで被っていると、黒潮が近づいてくる気配がした。顔を出してみると、そこにはおかゆの入った器とレンゲを持ってる黒潮の姿があった。

 

「冷めても美味しいように作っとるからすぐに食べられるで。はい、アーン」

 

「ちょっと……恥ずかしいってば……」

 

 レンゲでおかゆを掬った黒潮がそのレンゲを私に近づけてくる。だから恥ずかしいって!

 

「アカンで陽炎。そんな赤い顔の病人が自分で食べようとしたら零すかもしれんやん。ほら、諦めてアーンや、アーン」

 

 そう言ってレンゲを口元に持ってこられると流石に諦めるしかないわけで。私は口を開けるとレンゲを銜えておかゆを食べる。冷めてるけど、確かに美味しい。お腹が空いていたのもあって、私は夢中で黒潮から差し出されるレンゲを銜えてはおかゆを食べていき、あっという間に空にしてしまった。

 

「美味しかった……。ありがとうね、黒潮……ゴホッ」

 

「ええって、これぐらい。じゃぁ次は薬やな、さっき軍医さんから貰っておいたけど……ありゃ、これ粉薬やな。陽炎、苦いの大丈夫か?」

 

「……私はあんたのお姉ちゃんよ……。それぐらい飲めるわよ……」

 

 なんて言い草よ。元気になったら覚悟しなさいよ……まったく。

 

「それじゃぁちょっと体起こすで。せーのっと」

 

 背中に回された黒潮の腕に頼ってなんとか体を起こすと、私は薬を飲む。うえ……確かに苦いわね……。黒潮から渡されたコップの水を一気飲みしても苦味は取れず、もう一杯飲み干す。

 

「陽炎、やっぱ苦いのだめそうやなぁ。うちの部屋に薬を包む甘いジェルがあったはずやから後で取ってくるわ」

 

「要らない……わよ……。雪風達……じゃないんだから」

 

 そんなの使ったなんて知られたら次から何言われるかわかったものじゃないわ、まったく。

 

「そんなの気にせんでええと思うけどなぁ。あ、服のほうはどないする? 寝汗凄いし、着替えんでもええか?」

 

 確かに寝汗で気持ち悪いけど……どうしよう。そこまで体動くかな?

 

「体動かんくってもせめて上だけは着替ええや。それにタオルで体ぐらいは拭かんと、気持ち悪いやろ」

 

「……そうね、お願い……」

 

 恥ずかしいけど、このまま汗べっちょりで寝るのも嫌だし……我慢しないと。

 

 私が頷くと、黒潮はタンスから新しいパジャマの上と下着、それにタオルを持ってきて私の隣に置く。

 

「それじゃぁ脱がすからな。腕だけバンザイしとって」

 

「ん……」

 

 黒潮の言われた通りバンザイすると黒潮が丁寧に私の服を脱がしていく。そして裸になった私の上半身をタオルで優しく拭いていく。

 

「凄い汗やなぁ。後は服着たらもっかいスポーツドリンク飲んで寝ておかんと」

 

「わかって……ゴホッ、るわよ」

 

 されるがままの自分が情けなくてつい悪態をついちゃうけど、黒潮は軽口を止めずに私の体を拭いていき、新しい服を着せると私をベットに寝かせる。

 

「黒潮……あんた……は、ご飯どうするのよ?」

 

「大丈夫やでぇ、後で食器を返しに行くときにちゃんと食べてくるからな。陽炎はうちの心配なんかせずにちゃんと大人しゅうしとき」

 

 そう言うと、黒潮は氷枕を新しいのに変えて私に布団を被せると、スポーツドリンクのペットボトルに刺さっているストローを私の口元まで持ってくる。私がそれに口をつけてスポーツドリンクを飲むと、またのど飴を差し出してくるが、今度は流石に自分の手で受け取って食べる。そのままベットで横になり続けるけど、流石にさっきまで寝てたからすぐには寝れそうにはなさそう。

 

「ほな、うちはお鍋とか返してくるから、陽炎、おとなしくしとるねんで」

 

 そう言って黒潮は電気を消して部屋を出て行った。まったく、とことん私を子ども扱いして。……まぁ、駆逐艦は子供だけど、私はあんた達のお姉ちゃんなんだから……本当、早く風邪治さないと。

 

 そんな事を思ってると、部屋の扉がノックされ、それから私の返事も待たずに不知火が入ってきた。

 

「陽炎、起きてますか? お見舞いにきたんですが」

 

「ん……起きてるわ……電気つけて」

 

 そう言うと不知火は電気をつけて私の近くに来る。

 

「黒潮から容態は聞いていましたが、少し回復されてるようですね、心配しましたよ」

 

「ゴホッ……大丈夫よ……それより……皆はどう? ちゃんとやれて……る?」

 

「はい。黒潮が早くに陽炎の事を伝えてくださったので、手早く皆で数日分の陽炎の仕事の分担を決めれました。陽炎はこちらの心配はせずに養生に専念してください。他の妹達には陽炎の風邪が移るかもしれないからお見舞いは控えるようにとも言っています」

 

「そう……ごめんね、手間かけさせちゃって」

 

「別に構いません。それでは、あまり長居しても気が散るでしょうから不知火はこれで失礼します。こちらの事は心配せずにゆっくり休んでいてください。それと、これを置いておきますので、余裕のある時に食べてください」

 

 そう言うと不知火は一礼し、枕元に袋を置いて、電気を消して部屋を出て行った。相変わらず淡々としてるけど……心配してなかったらそもそも来ないし、もしも風邪が移ったら私が気にするって思ったんでしょうね。まったく……黒潮もその辺気を使いなさいよ……。

 

 頭を動かして不知火の置いた袋を見ると、中にクッキーが入っているのが見えた。これは後で食べようかな。

 

 そう思っていると瞼が重くなってくる。短い間だったけど、不知火と話してて体力を消耗したのかしら? なんでもいいや。取りあえず寝よう……。

 

 私はアイマスクをつけると、そのまま眠りに落ちた。



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第一章 陽炎編3

 夢を見た。私がまだ船であった時の、あの大戦の時の夢を。最後まで頑張ったけど、全部の弾薬を使い果たした私は親潮と一緒に海に沈んでいった。

 

 海に沈んでいく私は寂しかった。悲しかった。妹達は? 私に乗っていた人たちは近くの無人島に移動したはずだけど、その後、無事に帰れたの? 親潮は? 一緒に沈んで……泣いてない?

 

 次々に誰かの事が心配になる。でも、それ以上に私は寂しかった。嫌だ。こんなところで死ぬのが、皆と離れ離れになるのが。いやだ、皆を置いて死にたくない! 死にたくない! 死にたく……ない! 嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!

 

「ハッ!」

 

 目が覚め、慌ててアイマスクを取る。ここは私の部屋。あの海の底じゃない。私は沈んで……沈んでなんか……。

 

「あ……れ……?」

 

 体を起こして部屋の中を見る。黒潮は? 黒潮はどこに行ったの? 慌てて時計を見ると、もう時間は一七○○を過ぎている。間宮にお鍋とか返してくるだけにしてはいくらなんでも遅すぎる。どこ……行ったの……?

 

「くろ……しお……くろし……お……どこ……? どこよ……」

 

 カーテンが閉められた薄暗い部屋の中、不安がどんどん大きくなっていく。怖い……怖い……どこ行ったのよ黒潮、なんで……なんで今居ないのよ……。

 

 いつしか目から涙が零れて止まらくなっていく。思わずベットから無理に立ち上がり、部屋の扉へ向かうけど、足から力が抜けて体が崩れる。黒潮、どこなのよ、黒潮……黒潮……。

 

「ふー、ちょっと遅うなった……って陽炎、どうしたんや!? 何しとるんや!」

 

 黒潮の声が聞こえ、顔を上げると、部屋の扉が開いていて、黒潮が心配そうに私に駆け寄っていた。ああ、居た。居た。居てくれた。

 

「くろし……お……くろしお。くろし……お」

 

 駆け寄った黒潮を見た途端、私は黒潮の胸に飛び込むと、思い切り彼女を抱きしめた。

 

「陽炎……どうしたんや? 怖い夢でも見たんか?」

 

「ヒック……私が……私が沈んだ時の……皆が……いなくて……いなく……うう……うあぁ……」

 

 嗚咽と共に絞り出した言葉。怖かった、起きた時に誰も居ないのが。寂しかった、私一人しか居ないことが。

 

「……大丈夫やで陽炎。ここには皆おるんや。ごめんなー。ちょっと用事があって遅くなってもうたんや」

 

 泣いている私の背中を黒潮が優しく撫でる。そして私を安心させるように優しい声音で囁き続けてくれる。

 

「陽炎はいっつもお姉ちゃんしとるから、ちょっと疲れてしもうたんや。だから今はうちに存分に甘えてええんやで。気ィ張るのは風邪が治ってからでええんや。だから、今はゆっくりお休み。うちが一緒におるからな」

 

 その黒潮の声は私の心に沁み渡り、少しずつ心が落ち着いてきて。私はそのまま黒潮に身を任せてしまった。だって、あまりに気持ちよかったから。



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第一章 陽炎編4

 それから数日の間。私は黒潮に思いきり甘えた。多分、人生……いや、艦娘生なのかな? ともかく、甘えられるだけ甘えた。それこそ、子供が母親に甘えてるんじゃにかってぐらい甘えきって……そのおかげか軍医さんが予想していたよりも早く風邪は治ってくれて、今日からはもう出撃もできると太鼓判を押してもらえた。

 

「さーて、不知火達に顔見せないとねぇ。心配かけちゃったし」

 

 医務室を後にした私はとりあえず間宮に足を運ぶ。確か今日は皆非番だったはずだし。それに……不知火達がくれたクッキーとかも美味しかったけど、折角風邪が治ったんだし、甘いものいっぱい食べて精をつけないとね! 

 

 足取り軽く間宮に到着すると、そこには不知火、黒潮、浜風の三人がいた。不知火と浜風の対面に黒潮が座ってるわね。あ、美味しそうなアイス食べてるじゃない。

 

「あ、陽炎。もう風邪は大丈夫なんですか?」

 

「バッチリよ! 今日からもう出撃しても大丈夫だって太鼓判押してもらったわ!」

 

 胸を張って私が答える。

 

「おお、そりゃぁ良かったやん。看病した甲斐があったで」

 

「黒潮に全部任せてしまいましたし、今度私のお気に入りのお饅頭をあげますね」

 

「お、ありがとな浜風。いやぁ、浜風のお気に入りってなんやろなぁ、美味しそうやなぁ」

 

「黒潮、食べ過ぎはダメですよ。ただでさえ黒潮はここ数日の陽炎の看病で体を動かしてないんですから」

 

「なんや不知火、固いこと言わんといてーな」

 

「ですが、体調管理はちゃんとしないと黒潮が黒豚になってしまうのでは……」

 

「誰が鹿児島の黒豚の原産種バークシャー種やねん」

 

「なんでそんなのが出てくるんですか」

 

 久しぶりに聞くけど、相変わらず騒がしいわねぇ。ま、嫌いじゃないんだけど、間宮で騒ぐのはダメよね。

 

「相変わらずウルサイわねぇあんた達は。公共の場所ではもうちょっと静かにしなさい」

 

 そう言って私が黒潮の隣に座って注意すると、不知火と浜風は少しバツが悪そうにしたけど、黒潮だけが笑顔のままだ。なによ、私の注意は聞けないっての?

 

「ホンマ元気になったみたいやなぁ。うちも看病した甲斐があるで。ほい、お祝いや、アーン」

 

「アーン……ハッ!」

 

 黒潮が差し出してきたアイスの乗ったスプーンを咥えてから私はしまったと気づいた。何してるのよ私は! 看病してもらってる間に甘える癖がついちゃってる!?

 

「……陽炎がアーンを受けてる……」

 

「……凄いものをみたわね」

 

 あーもう、案の定不知火も浜風も驚いてるし! そりゃそうよ、私はアーンをする側で、される側じゃないのに! しまったぁ……。

 

「なんや陽炎。まだうちに甘えたいんか? ええでー、いくらでも甘えても」

 

「う、ウルサイ! もう甘えたりしないからね!」

 

 そう言ってそっぽを向くけど、後ろから三人の視線がビシビシ突き刺さってくる。……うう、やっちゃった……私のイメージがぁ……。

 

「大丈夫やでぇ、陽炎」

 

 そんな私の背中に抱き着いてきた黒潮が、私の耳元で小さく呟いた。

 

「疲れた時には、うちにたっぷり甘えてええからなぁ」

 

「う、うるさーい!」

 

 黒潮を振りほどいて彼女を睨むけど、黒潮はニヤニヤと見てくるし、不知火と浜風は驚いた顔のまま見てるし。あーもう、恥ずかしい! 顔が本当に火が出そうなぐらい熱くなってるのが自分でもわかる。……もー、こんなんだったら黒潮に甘えるんじゃなかったー!

 



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第一章 陽炎編5

 私が風邪を引いてから一か月ぐらいが経った。あれから特に風邪がぶり返すこともなく、私はいつも通り、妹達や他の駆逐艦の子の面倒を見たり、他の艦種の艦娘の人達と色んなやり取りをしたり、出撃で頑張ったりと、風邪を引く前と変わらない生活を送っている……。

 

と傍から見たらそういう風に見えてるんだろうなぁ。実は一個だけはっきりと変わったことがあるの。それは……。

 

「陽炎の髪は手触りええなぁ。ちゃんと手入れしとる証拠やでぇ。枝毛もないし、羨ましいわ」

 

「……当然でしょ」

 

 私は今黒潮の部屋で、彼女に膝枕されならがテレビを見てる。あれから私は、誰かに怒られたり、失敗をしたりと気が滅入ることがあった時にこうして黒潮に甘えるようになった。

 

「しっかし、陽炎がこんなに甘えてくるとは思わんかったで。意外と甘えたがりやったんやなぁ」

 

 顔は見えないけど、多分黒潮は苦笑してるんでしょうね。でも仕方ないじゃない。私をこんなのにしたのはあんたなんだから。責任はちゃんととってもらわないと。

 

「あんたが甘えてこいって言ったから甘えてるんでしょ。なによ、迷惑だって言うの?」

 

 私がわざと拗ねたような態度を取ると、黒潮の手が私の頭を優しく撫でてきた。

 

「ちゃうでぇ陽炎。迷惑なんかあらへんて。むしろ普段迷惑をかけとるんやから、これぐらい当然や。まぁ、なんか大きい妹ができたような気分やけどな」

 

「ふん、普段私がどれだけ苦労してるかよくわかるでしょ。まったく、あんた達はいっつも騒がしくして……」

 

「ごめんなぁ。陽炎が頼りになるからつい皆頼ってしまうんやし、きっとそれは陽炎にしかできん事なんや。やからな……」

 

 そこまで言うと、黒潮の手が消えて、変わりに黒潮の息遣いが耳元に聞こえてきた。え、黒潮前屈みになってる?

 

「陽炎に負担をかけてしもうてる分、うちは陽炎を甘やかしたるからな。疲れた時はいつでも甘えてきてええんやで。次からまた頑張れるようにな」

 

 耳元で囁かれた言葉に私は顔が赤くなるのを自覚する。でも、悪い気分じゃないから……いいか。

 

「……そうね、そうするわよ」

 

 そう言って、私はテレビを消すと目を閉じた。このまま寝てもいい……けど、寝る寸前の微睡の中でもいいかな。ともかく、私は目を閉じて、意識を手放していく。そんな私の頭を黒潮はゆっくり、優しく撫でてくれる。その手の感触、そして伝わってくる温もりを気持ちいいと思いながら、私はゆっくりと眠りに落ちていった。



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第二章 不知火編
第二章 不知火編


 その日、不知火は作戦室で雷を叱っていました。理由はその日の出撃において雷が既に何回かやらかしている失敗をまたやらかしたからです。戦闘自体は無事勝利を収められましたが、だからと言って雷の失敗を見逃すわけにはいきません。ここで甘えを見せてしまっていては彼女のために……ひいては艦隊のためになりません。

 

「雷、これで何度目の失敗ですか……失敗してる理由を理解しているのですか? 既に何回かお伝えしているはずですが」

 

「あ、当り前よ! 私はそこまで馬鹿じゃないわ!」

 

「では、改善をしてください。不知火の眼には何時も同じ失敗をしているようにしか見えません」

 

「う……うう……」

 

 不知火を見つめる雷の目に涙が溜まっていますね。しかし、泣けば許されると勘違いされるわけにはいきません。そのような甘えを見せてしまっては、彼女は泣けば許されると思ってしまうでしょう。そうなればまた同じ失敗を繰り返してしまいます。そう思い口を開こうとしたとき、横から赤城さんが口を挟んできた。

 

「不知火さん、この辺にしておきましょう。雷ちゃんも反省しているようですし……」

 

「……わかりました、赤城さんがおっしゃるのなら」

 

 正規空母であり、この鎮守府でも有数の実力者であり、今回の出撃の旗艦を務めた赤城さんに言われてはこれ以上何も言えないわね。……仕方ないわ。

 

「ともかく、次の出撃の時には改善していただくようにお願いします。いいですね?」

 

「わ、わかった……わ」

 

 もう一度釘を刺し、雷が頷いたのを確認すると、不知火は作戦室を後にした。次の出撃に備えておかないと……それに、他にもやっておかないといけないことがあります。早めにやっておかないと、後回しにして忘れてしまったりしてはいけませんし、急な出来事が起きてしまって、やることができなくなる危険もあります。

 

 ヒソヒソ……ヒソヒソ……

 

 不知火さんよ……怖いわね……

 

 あの目つき……今度は誰を怒ったんだろう……

 

 駆逐艦以外の艦娘にもあの態度らいいぞ……

 

 鎮守府の中を歩く不知火の耳に小さな囁き声が聞こえてきます。それは主に駆逐艦達から、不知火が通り過ぎた後に聞こえてきます。その理由はわかっていますが、不知火はそんなのを気にしている暇はありません。いえ……きっと、暇があっても気にしてはいけないんです。その声を気にしていては、きっと不知火は弱くなってしまいます。それではいけないのです。

 

 不知火はそんな声を無視して歩き続けました。



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第二章 不知火編2

 翌日、私は再び雷と一緒に出撃しました。そして、彼女は確かに同じ失敗はしませんでした。しかし、それとは別の、しかもより質の悪い失敗をしたのです。おかげで今回の出撃では敵を殲滅できませんでした。

 

「雷。確かに貴方は同じ失敗はしませんでした。しかし、なんですか? 今回の失敗は昨日の失敗よりも酷いじゃないですか」

 

「そ……それは! 不知火さんが同じ失敗をするなって言うから……」

 

 ……なんて言い訳。自分の非を認めず不知火の所為にするなんて……!

 

「言い訳にしても酷いですね。そうやって不知火の所為にすれば許されると思っているんですか? では、不知火が居なければ完璧にこなせるのですか?」

 

「それ……は……!」

 

 不知火の追及に雷の目に徐々に涙が溜まっていくのが見えます。……そうやって泣けば済むとでも? そうすれば敵が見逃してくれるとでも思ってるのですか?

 

 そんな事を考えつつ雷を見ていると、不意に作戦室の扉が開かれ、彼女の姉妹である暁、響、雷が入ってきました。

 

「ちょっと不知火さん! また雷を怒ってるって聞いたわよ! 雷もう涙目じゃないの!」

 

「不知火さん、ちょっと怒りすぎじゃないか? 雷は確かに失敗しているが、致命的なものじゃないはずだ。そんなに怒る必要はないだろ?」

 

「そ……そうなのです。不知火さんは怒りすぎです」

 

 彼女たちは口々に雷を庇い私を悪者にする。……なんですかこれは、なんで私不知火が……。

 

「大体、不知火さんはすぐに人を睨むんでくるのを止めてもらえないか? それは気分がよくないよ」

 

「そうよ、ちょっとした事ですぐに睨んで来るなんて、レディのする事じゃないわよ」

 

 口々に私を責め立てる暁達。……なんですかこれは、まるで不知火が居ないほうがいいみたいじゃないですか……。

 

「ちょっと四人とも、その辺に……」

 

「……わかりました、もういいです」

 

 赤城さんの声を遮った不知火の言葉に五人の声が止まる。

 

「それでは、私はもう雷の事は気にしません。どうぞご勝手になさってください!」

 

 吐き捨てるように叫ぶと、不知火はそのまま作戦室を後にし、そして走りました。途中で誰かにぶつかりそうになりながらも、そんなの気にもせず走って走って……。

 

「不知火! 不知火!」

 

 不意に腕が捕まれ足が止まる。後ろを振り向くとそこには必死な顔をしている黒潮が不知火の腕を掴んでいるのが見えた。

 

「はぁ……はぁ……まったく、呼ばれたら止まりぃや……。どないしたんや、そんな顔で走って」

 

「……なんでもありません。放っておいてください!」

 

 黒潮の手を振り払おうと腕を振るが、逆に黒潮は私の両腕を掴んでくる。なんですか、放っておいてほしいと言っているのに!

 

「アホウ! そんな泣き顔してるのに放っておけるわけないやろ!」

 

 黒潮に言われて、不知火はようやく自分の目から涙が落ちているのに気が付いたわ。何時の間に……? 不知火……は……。

 

「ッ……ほら、ここじゃ人目に付くわ。移動するで」

 

 そう言って黒潮は有無を言わさず不知火を引っ張り……不知火もそれに抵抗できず、そのまま連れられて行く。そして近くにあった空き部屋に入ると、黒潮は厳しい目で不知火を見てきたわ。

 

「それで、いったいどうしたんや? 泣きながら走るなんて……。よっぽどの事があったんやないんか?」

 

 そう言われ、不知火の脳裏に先ほどの光景が浮かんできます。しかし、それは黒潮に相談するような事ではありません。

 

「……黒潮には関係ありません。失礼しま……」

 

 そこまで言ったとき、黒潮が不知火の両肩に手を置いたと思うと、思い切り頭突きをかましてきました。余程勢いをつけていたのか……不知火は痛みと衝撃で思わず蹲ってしまいました。

 

「もしかしたら言うかもとは思っとったけど、まさかホンマに言うとはな……。うちは妹として心底悲しいで、不知火」

 

 そう言ったと思うと、黒潮は再び不知火の両肩を掴み、視線を逸らさずに話し続けました。

 

「ええか不知火。うちらは姉妹艦や。姉が泣いとるのに放っておく妹がおると思うとるんか。さぁ、キリキリ喋ってもらうで。喋らんのやったらこの部屋から出すわけにはいかんで」

 

 半分脅しのような言葉でしたが、どうやら黒潮は本気のようね……。どうせ聞いたところで何もできないでしょうけど……。そう思い、不知火は先ほどの出来事を話しました。……おかしいですね、話してる最中に視界がボヤけてきました。さっきの黒潮の頭突きのせい……でしょ……う……。

 

「う……うう……不知火は……」

 

 気が付けば不知火は泣き出していました。なんで……なんで私が責められなければならいのですか……。不知火になんの落ち度が……なんで……。

 

「不知火、大丈夫やでぇ」

 

 気が付くと、黒潮が不知火の額に自分の額をひっつけていました。少しでも前に出れば唇が触れ合ってしまうような距離。そんな距離で黒潮は笑顔で不知火を見つめていました。

 

「不知火はなぁ、確かに目つきがキツイところがあるし、ズバズバ物を言ってしまうけど、それだけ皆が大切なんやろ? 轟沈させたくないから……ついキツイ態度になってしまうだけや」

 

「でもなぁ、心は繊細やねんなぁ……だからこうしてと泣いてしもうたんやなぁ。大丈夫やでぇ。ウチは分かってるから。ウチだけやない、ちゃんと見る人が見れば不知火が意地悪とかでキツイ態度してるわけやないってのはちゃんとわかるんや」

 

 そう言って不知火を見つめる黒潮の顔はとても……とても素敵な笑顔で……。陽炎とは別の、不知火を包み込んでくれるような、そんな笑顔を浮かべていました。

 

「黒潮……」

 

 思わず、不知火は黒潮の肩に顔を埋め、そのまま黒潮を抱きしめていました。そんな不知火の背中を、黒潮はまるであやすかのように撫でていきます。

 

「泣き止んだら、雷達にちゃんと説明しに行こうなぁ。大丈夫や、ウチがついていったるからな」

 

 黒潮の言葉に、不知火はただ頷くことしか……できませんでした。



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第二章 不知火編3

「ほい、不知火笑顔やで笑顔。こうやるんやで」

 

「こう……ですか? ……口角が痛いですね」

 

「最初はそんなもんや。慣れれば痛くもなくなるで」

 

 今、不知火は、自室で黒潮と一緒に笑顔の練習をしています。あの、黒潮の元で泣いたあの日、あれから泣き止んだ不知火が作戦室に戻ると、不知火達を見た雷達が謝ってきました。どうやら不知火は最後に吐き捨てた時には既に泣いていたようで、それを見て驚いたのと、赤城さんに諭されたのとで、自分達が悪かったと結論を出していたようです。

 

 結局不知火と彼女たちとの謝罪合戦になってしまったのを赤城さんと黒潮に止めてもらい、今後もこれまでと変わらないようにするということで話は纏まったのですが、それから黒潮が言い出したのがこの笑顔の訓練でした。

 

「不知火はなぁ、笑顔の練習をしとくほうがええで。今回みたいな誤解をまたされるのも嫌やろ?」

 

 と言われては否と言えるわけもなく、あれから時間を見つけてわ黒潮に笑顔の訓練に付き合ってもらっています。しかし……こないだのこともあるので、こうして黒潮と二人きりでいるのは恥ずかしいわね。

 

「なんや不知火。ちょっと顔赤いけど、まさか恥ずかしいんか?」

 

「それは……まぁ、少し……」

 

「不知火、恥ずかしがってたらアカンで。笑顔は心から、楽しそうにするのが一番なんや。ほら、こんな風にするんや」

 

 そう言って、黒潮は不知火の顔を両手で挟んだと思うと、とても素敵な笑顔を浮かべてきました。とても眩しくて、顔がどんどん赤くなってしまっているのがわかります。こんな……今まで黒潮でこんな事になった事なんて……。

 

「……あんたら、姉妹で何やってるのよ?」

 

 不意に聞こえてきた声に不知火は慌てて黒潮から離れると声のした方向を向き、そこに陽炎がいるのに気づきました。

 

「なんや陽炎、普段うちがノックせんかったら怒るくせに、自分はノックせえへんのか?」

 

「したわよ。したのに返事はないけど話し声はしたから開けたの。で、何やってるのよあんた達は?」

 

 陽炎が聞いてきますが、不知火はそちらを向けません。恥かしすぎます。それは黒潮の笑顔に見惚れていた事と、それを陽炎に見られてしまった事です。恥ずかし過ぎて陽炎のほうを向けません。

 

「不知火の笑顔の練習してたところやで。それで、陽炎は何か用があるんかいな?」

 

「そうそう、黒潮に用事があるのよ。不知火、黒潮借りていってもいい?」。

 

「へ? 用事って……あれかいな? でもうち、不知火に付き合っとるところやで」

 

「だから借りて行っていいかって聞いてるでしょ?」

 

「……そうですね。笑顔の練習は後でしますので……大丈夫です……今はその……」

 

 こんな真っ赤な顔の状態ではとても陽炎の顔も黒潮の顔も見られません。ここは申し訳ないですが時間を置いてもらわないと、恥ずかしくて逃げだしそうです。

 

「ほら、不知火も良いって言ってるし、行くわよ黒潮」

 

「待ってえな。そんな引っ張らんでもちゃんと行くって」

 

 二人の声が消えてからしばらくして、ようやく顔の熱が収まった不知火は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせます。

 

「ふぅ……ようやく落ち着けました……しかし、陽炎の黒潮への用事とはなんだったんでしょうか?」

 

 黒潮があれって言っていた辺り、黒潮にも何か心当たりがあるようですが……もしかして、二人で何かをしているのでしょうか?

 

 そう考えたとき、ふと、胸が痛くなった気がしました。しかし、その痛みはすぐに消えたので、不知火は深く考えることはせず、黒潮に言われたように笑顔の練習を続けました。



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第二章 不知火編4

「……へー。不知火にそんな事があったのね。それで皆から近づきやすくするために笑顔の練習ねぇ」

 

「そうやねん。いやぁ、ウチもびっくりしたで、廊下歩いとったら不知火が泣きながら走っとるんやから。それで話聞いてみたらアレやし、これはどうにかしたらなアカンって思ったで」

 

 黒潮の部屋で彼女に膝枕をしてもらいながら、私は不知火が笑顔の練習をしていた理由を黒潮に聞いていた。そう……そんな事があったのね。まったく、前々から気になってはいたけど、一言相談してくれれば良かったのに。相談してくれていたら不知火がそんな泣くことになる前になんとかできたかもしれないのに。

 

「まぁ、雨降って地固まるって言うし、今回のことがええキッカケになったとは思うで。これで不知火も他の子と仲良くなっていってくれりゃぁええなぁ」

 

 そう言って黒潮はまた私の頭を撫でてくれる。時折、髪を慈しむように、黒潮の指が私の髪の毛に優しく絡み付いてくる。ああ、本当に気持ちいい。黒潮の指が動くたび、例えるのが難しい喜びが湧きたつ。

 

「でも陽炎、次からはもうちょっと優しく誘ってな。不知火ほっぽり出して陽炎に付き合うんは流石に気が引けるで」

 

 気持ちいい。と思っていたら黒潮からそんな声が聞こえてきた。あー……うん、確かにあれはちょっと強引過ぎたわね。私自身よくわかってはいるけど……。なんか、黒潮が可愛い笑顔で不知火を見てるのを見てると衝動が収まらなくて……。

 

「う……悪かったわよ。次は気を付けるから」

 

 仕方ないじゃない。笑顔で不知火を見つめる黒潮の姿を見て、黒潮があんな笑顔を不知火に向けてるのを見て、なんか面白くないかったんだもん。……絶対にこんなの言えないけど。言ったら黒潮に何を言われるか。

 

「ホンマ頼むでぇ。不知火が困ってまうからなぁ」

 

「わかってるって。後で私もちゃんと不知火の練習に付き合うわ。お姉ちゃんだもん、妹が頑張ってるならちゃんと協力してあげるわよ」

 

「ふふ、それでこそ陽炎や。うちの自慢のお姉ちゃん、陽炎型自慢の長女や」

 

 そう言いながら黒潮は私の頭を撫でてくる。視線を上に向けてないけど、黒潮が嬉しそうに笑っているような、そんな気配も感じちゃう。

 

 なんか、もうすっかり癖になっちゃったわねぇ。最近は黒潮の膝枕を味わないとなんだか落ち着かなくなってきちゃったし……前までの私なら絶対に考えられなかったけど……これ、黒潮に依存してない? 長女としてなんだかまずい気もするけど……でも、気持ちいいから別にいいか。



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第三章 親潮編
第三章 親潮編


 私の名前は親潮。陽炎型駆逐艦の四番艦。陽炎型の中では姉のほうであり、よく戦っていると言われる事がある私ですが、私の力はまだまだ未熟です。

 

 先日も、陽炎姉さん、不知火姉さんと一緒に出撃した時もそうです。私が苦戦している間に二人はあっさりと敵を轟沈させました。敵を轟沈させた後にハイタッチを決めている二人はとても眩しく、遠い存在のように見えました。

 

 ですから、私はもっと強くならないといけないんです。それが、先の大戦で陽炎姉さんと黒潮さんを守れなかった私がしなければいけないことなんです。

 

 ですので、私は今も一人で訓練場で射撃訓練をしています。少しでも命中精度を上げなければ。少しでも敵の弱点を貫けるようにしなくては……少しでも……足を引っ張らないようにしなければ。

 

「……おーい、親潮。まだ訓練しとるんか?」

 

 声をかけられ振り向くと、そこには黒潮さんが立っていました。

 

「親潮、あんたウチが昼に通った時にもおったよな? まさか、ずっと訓練しとったんか?」

 

「あ、はい。そうですけど……どうかしましたか?」

 

「……いやいや。今何時やと思っとるんや。自分、時計見てみいや」

 

 黒潮さんに言われて時計を見てみると……けっこう時間が経ってましたね。ですが、今日は非番なので問題はありません。

 

「そうですね、けっこう経ってますね」

 

「いや、けっこう経ってますね。ちゃうで、親潮、少しは休憩をしたらどうや? このままじゃ体持たへんで」

 

「大丈夫です。これぐらいでどうにかなる親潮では……あれ?」

 

 話している最中に不意に足の力が抜けて座り込んでしまいました。あれ、どうしたんでしょうか? さっきまでなんともなかったはずなのに。

 

「アホゥ。気づいてなかっただけで、もうフラフラやん。ほれ、肩貸したるから休憩室まで行くで。そこでゆっくり休むんや」

 

 そう言うと黒潮さんは有無を言わさず私の肩に手を回して立ち上がらせると、そのまま休憩室まで運ばれていきます。

 

「すみません、黒潮さん。この程度の訓練で体がついていかなるなるなんて……」

 

「そんなら次は気ぃつけや。まったく、親潮は加減を知らんのはアカンで。体が壊れてしまうわ」

 

 黒潮さんが呆れた感じで言ってくるのを私は黙って聞くしかできなかった。こんなのじゃダメです。こんな、黒潮さんの手を煩わせるようなことをしてはいけないんです。私がもっと強ければあの時、陽炎姉さんも、黒潮さんも、沈まずに済んだんです。だから、私は頑張らないと……。



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第三章 親潮編2

 そんなことがあった数日後、私は川内さん、暁、黒潮さんと一緒にタンカーの護衛任務に従事していました。

 

「あーあ、夜戦したいなー。護衛より夜戦したいよー」

 

「もう、川内さんったらまたそんな事言っちゃって。これも重要な任務なんだからちゃんとしてよ」

 

「だってさー。夜戦したいんだもん」

 

「川内はん、そんな夜戦夜戦言うとったら、司令はんから欲求不満なんかって思われてしまうで」

 

「そりゃ欲求不満だよ」

 

「……黒潮、川内さん気づいてないわよね」

 

「せやねー……こんな素で返されるとは思わんかったわ」

 

 そんな雑談をしながらも周囲の警戒を怠らない三人を見て、私は自分の力不足を感じずにはいられません。だって、私は先ほどからいつ敵が出現するかの緊張のせいか、体がうまく動かすに三人に置いて行かれないようにしているのが精いっぱいなんですから。

 

「親潮、さっきから静かにしとるけど、大丈夫かいな? 調子悪いんとちゃうん?」

 

「い、いえ! そんな事はありません! 大丈夫です」

 

 クッ……黒潮さんに心配されてしまうなんて……。

 

「ホンマかぁ? こないだも訓練やりすぎ取ったのに……! 川内はん!」

 

「うん、敵だよ! 皆戦闘態勢!」

 

 川内さんの声を合図にしたかのように海中から敵が現れる。奇襲を受けた形になりましたが、私達は迅速に陣を組み、敵に主砲を、魚雷を叩き込んでいきます。

 

「どうやら偶発的な遭遇だね。強さも大した事ないし、さっささと全滅させるよ」

 

「任せて。私が全部倒しちゃうから」

 

「ウチも負けへんで、暁」

 

 クッ、三人の攻撃が次々と敵を倒していく。このままでは私は何もできずに……! 

 

「そんなのは……嫌です」

 

 役立たずになりたくない。その一心で私は川内さん達よりも先行して敵の懐に飛び込み、そして砲撃を叩き込みます。

 

「ちょ! 親潮、それは危険だよ!」

 

「なにやってるのよ! 誤射しちゃうじゃない!」

 

 後ろから制止の声が聞こえますが、私は大丈夫です。ほら、私の攻撃で敵を次々に倒していけています。どうですか、これなら私は役に立ててますよね。

 

「! 親潮、後ろや!」

 

 黒潮さんの声に振り替えると、そこには轟沈させたはずの敵が浮かんでいて、そしてそいつが放った砲撃が私に向かってきて……。

 

「え……?」

 

 呆然とする私に飛んできた砲撃を避ける事もできず、ただそれを見ていることしかできなかった。

 

「! なにボーッとしとるんや!」

 

 砲撃が私に直撃すると思った時、私と砲撃の間に黒潮さんが割り込んできて、そして直撃を受けた。なんで? なんで黒潮さんが私を庇って……? ! 黒潮さん!

 

「あたた……こりゃアカンで」

 

 煙が晴れ、姿の見えた黒潮さんは健在で、でも、艤装のあちこちから煙を吹いている。そんな、私を庇って……。

 

「よし! これで最後だね!」

 

 川内さんの声とともに発射された魚雷は狙いを違わず敵に命中し、轟沈させました。私はそれを横目に黒潮さんに駆け寄ります。

 

「黒潮さん! 大丈夫ですか!?」

 

「ちょっと痛いけど、どうにかいけそうやわ。でも親潮、油断はあかんし、無茶もあかんで」

 

 私の言葉に黒潮さんは笑顔で答えるけど、左腕を右手で抑えている姿が痛々しくて、私の心がとても痛くなる。

 

「……はい、ごめんなさい」

 

「もう、親潮焦りすぎだよ。誤射しちゃうところだったよ」

 

「そうよ。次からは気を付けてよね」

 

 川内さん、暁にも怒られ、私は頭を下げて謝ることしかできず。それからは特に問題はなくタンカーの護衛は終わらせることができた。しかし、私の心が晴れる事はありませんでした。



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第三章 親潮編3

 あの遭遇戦以降特に何事も起きず、私達は無事に任務を終えることができました。そして、任務終了の報告を川内さんにお願いし、黒潮さんは入渠へ。私もその付き添いとして、今は一緒にお湯に浸かっています。

 

「はぅあ~、ええ感じやぁ」

 

 隣にいる黒潮さんの気の抜けた声に私もつい気が抜けそうになります。

 

「しっかし、親潮。付き合わんで良かったねんで? 親潮は特に負傷しとらんやろ?」

 

「いえ。私のせいで黒潮さんが負傷したんです。入渠の間ぐらいお世話させてください」

 

「もう、相変わらず真面目やなぁ親潮は」

 

 そう言って苦笑する黒潮さんの姿に私は心なし安堵しました。どうやら、大した負傷ではなさそうです。ですが、自分のミスで黒潮さんを負傷させてしまうなんて……自分が情けない。

 

「ところでなぁ親潮。あんたなんで焦っとるんや?」

 

「そんな……焦ってなんかないですよ?」

 

「嘘言うなや。訓練では体が限界くるまでやっとるし、さっきの戦闘でもやらんでもいい肉薄攻撃かまして後ろから撃たれとるし……なぁ、いったいどうしたんや?」

 

 私の肩を掴み、顔を近づけて聞いてくる黒潮さん。ああ、そんな心配そうな顔をしないでください。……なんでもない……んですよ。

 

「なんでもない……です」

 

「ほーぅ、顔には何かありますってでっかく書いとるのに、あくまで言わん気かいな。そっちがその気ならうちも考えがあるで……これから先、親潮が理由を言わん限り一緒に食事せえへんで」

 

「え!?」

 

「更に日を置くごとに一緒にやらんことを増やしていくで。おやつも一緒に食わんし、特訓も付き合わんし、出撃や遠征も一緒に組まんように提督にお願いするし……」

 

 そんな、黒潮さんと一緒に食事ができないとか……嫌です。私はそんなの嫌です!

 

「ま、待って……待ってください黒潮さん、待って!」

 

「待ていうんやったら理由を話しいや。話はそれからやで」

 

 ……黒潮さんの目は本気でした。……話すしかない……んですね。

 

「……私は強くならないとダメなんです。先の大戦で……私は黒潮さんも陽炎姉さんも守れずに沈んだんです。あの時、私がもっと強ければ、お二人を守れるだけ強ければ良かったのに……私は何も……!」

 

 そうです。私は何もできなかった。だから、今はお二人を守れるように、誰も沈められないように頑張らないといけないんです。ダメ……なんです。

 

「……はぁ~~~~」

 

 ……思い切りため息をつかれてしまいました。なんでですか? 黒潮さん、私じゃダメなんですか? 私じゃどうやってもダメなんですか!?

 

「……いやはや呆れたわ親潮……あんた、陽炎型の4番艦で、下に十人以上も妹がおるのに、そんな考えしとったんか?」

 

「な、なにがですか! 私が強く……強くならないといけないじゃないですか! ……アタッ!」

 

 黒潮さんの言葉に思わず身を乗り出すと、黒潮さんのデコピンが鼻に当たって……痛い……。

 

「親潮、ウチらは艦隊や。確かに一人一人の錬度が高いのはとても大切なことや。でもなぁ、連携が取れへんかったら各個撃破されておしまいやん。さっきの戦いを思い返してみいや。親潮が焦らんかったら普通に行けてたやん」

 

「そう……ですけど! 私は陽炎姉さん達に追いつけるようにしないと……しない……と」

 

 そこまで言ったとき、私の頭に黒潮さんの手が置かれていた。

 

「……ホンマ、親潮は融通は効かんなぁ。だから、親潮は一人で頑張りすぎやねん。……ウチらは姉妹やろ。親潮一人で頑張る必要なんかあらへん。ウチらが頑張ればええんや」

 

 そう言って頭を撫でてくる黒潮さんの手は暖かくて……なぜか安心してしまいます。

 

「親潮、自分一人で何もかも背負い込もうとしたらアカン。それは戦艦にも空母にもできへん事や。そんなんしとったら自分が潰れてしまうんや。やから、もっと他の子に頼ってええんや。な、わかってくれるか? 親潮」

 

「でも……親潮が頑張れば……先の大戦で陽炎姉さんも、黒潮さんも……」

 

「……親潮、それはお互い様や。そないな事言ったら、まず最初に悪いんはウチやで。だって、最初にやられたんはウチなんやから」

 

「! それは……」

 

 黒潮さんの言葉に反論しようと顔を上げた私の目に入った黒潮さんの表情は……どう表現すればいいのでしょ。泣きそう? 悲しそう? それなのに私を気遣っているような……それらが全て混ざったような、そんな表情を、私はどう言えばいいんでしょうか。

 

「な。悪いんは親潮だけやないやろ? やから一緒に頑張ろうや、ウチも一緒に頑張らせてえや。親潮が一人で、一人だけで歩いていくんは……ウチはとても寂しいし……悲しいで」

 

「はい……はい……」

 

 もう黒潮さんの顔を見ることはできませんでした。……私は黒潮さんを悲しませていた。その事実に気づけなかった……。自分の不甲斐無さに涙が止まりません。俯いて泣くことしかできません。

 

「……こんな言葉だけで泣いてしもうとるやん。やから抱え込みすぎるんはアカンのや。ほら、お姉ちゃんが胸貸したるから、泣きたいだけ泣き」

 

 そう言って黒潮さんは私を抱きしめてきました。裸の黒潮さんの胸から伝わる心臓の鼓動。それを感じながら、私は泣き続けました。



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第三章 親潮編4

「ふーん、入渠施設でそんな事をねぇ……。黒潮、あんた変態なの? レズなの?」

 

 膝の上で寝とる陽炎にそんな事を言われてしもうた。いや、ヒドないか?

 

「いやいやいやいや。陽炎そりゃあんまりやで。可愛い妹のために裸で向きおうただけでそこまで言われなアカンのかいな」

 

「裸で親潮のこと抱きしめてたんでしょ。傍から見たらどう思われるか考えなさいよ。私は妹がレズで姉妹姦してますなんて噂、聞きたくないわよ」

 

「勘弁してーや陽炎。ウチはノンケやで」

 

 膝の上でウチを見つめる陽炎の視線にはめっさ呆れた様子が込められとる。もう、ウチが頑張ったいうのになんやねんこの態度。

 

「……冗談はさておき……。親潮、やっぱり気にしてたのね。……私だって夢に見るぐらいだもん……当然よね」

 

「せやなぁ。……陽炎、あの時はほんまスマンかったなぁ」

 

 あの時、真っ先に大破したのはウチやった。そして沈んだのもウチやった。……ホンマ呆気ない、情けない最後やったで。……アカン、思い出して来たら悲しくなってきてもうた。今は陽炎が甘えてきてるときや、我慢や我慢。笑顔を浮かべておかんとバレてまう。

 

「……別にいいわよ。あんたが大破したのをみて潜水艦の攻撃とかって勘違いした私だって悪いんだから……本当、あれは思い出したくないわね」

 

 そない言うてから陽炎は大きく息を吐いとる。そりゃそうやで。ウチかてもう思い出したくもないわ……陽炎と親潮を置いて沈むなんて……ホンマ、思い出しとうないわ。

 

「ねぇ黒潮。今日は一緒にお昼寝しようか」

 

「へ? いきなりなんやかげ……おちょちょっ」

 

 突然陽炎がなんか言うたと思ったら簡単にウチを持ち上げてベットに降ろしおった。そのまま隣に寝てきたけど、なんやこれ。まるで意味がわからんし、これは流石に狭いで。

 

「陽炎、流石に一人用のベットで二人寝るのはキツイで」

 

「それじゃぁ詰めればいいのよ。後は体をこうして……よっと」

 

 陽炎はそう言うとモゾモゾと体を動かして、ウチの頭を胸に抱くような体勢にしてもうた。いや、ホンマなんやのこれ? ウチ、陽炎に抱かれて……あ、あかん、なんか気持ちええわ。

 

「……なんや陽炎。さっきまでレズだ変態だ言うといて自分も同じような事しとるやん」

 

「何言ってるのよ。私達はちゃんと服着てるでしょ。……どうよ黒潮、少しは安心できる? ……たまには、あんたも甘えなさいよ。私はあんたのお姉ちゃんなんだから、遠慮するんじゃないわよ。私相手に作り笑いとかしなくていいんだから」

 

 ……なんや、あっさりバレとったんかいな。……でもそやなぁ、陽炎やもんなぁ。お姉ちゃんなんやから、当たり前なんやろなぁ。

 

「……そやなぁ。陽炎、ええ匂いがするし……ええ感じやわ。うん、ウチ、このまま寝てまうな」

 

「お休み黒潮。大丈夫よ、こないだの私の時みたいに起きたら居なくなってた。なんてないからね。安心して寝なさい」

 

 そう言ってウチを抱きしめてくれる陽炎の温もりがめっちゃ気持ちええわ……。ウチもそのまま陽炎の首と腰に手を回してと……。ああ、アカン、これは病みつきになってまう。やっぱり陽炎はお姉ちゃんなんやなぁ……ウチじゃかなわんなぁ……。



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第四章 浜風編
第四章 浜風編


 今日、私浜風は非番です。最近は出撃も多くて少々疲れていましたのでちょうど良い息抜きになりそうです。たまには一人でのんびりと買い物して……何か美味しいものでも食べれたらいいなぁ。寮だといっつも誰かが居て一人でゆっくり過ごすなんてあんまりできないし、下手したら姉妹か誰かに遊びに誘われたりもするもん。

 

 そんな事を考えながら歩いていると、ふと視線の先に初風と谷風が見えました。何やら話をしているみたいですね。何を話しているんでしょうか?

 

「初風、雪風、何を話しているんですか?」

 

 私が声をかけると二人ともこっちを向いてくれましたが、なにか困っているようですね。

 

「あ、浜風。実は今日、行きつけのケーキ屋で評判のケーキを予約してたんだけど、急に出撃が組まれちゃって……」

 

「それでどうしようか話してたんです。鎮守府に届けてもらうのは流石に無理そうですしぃ……」

 

 ケーキかぁ……。美味しそう。私にも一言ぐらい教えてくれても良かったのに。そうしたら、私も一緒にケーキの予約してたのに。

 

「あ、そうだ浜風。悪いんですが、代わりに受け取ってきてくれないですか? 確か今日非番だったはずよね?」

 

「え? 確かに非番だけど……」

 

……うう、正直面倒そうだしあんまり行きたくないんだけど……今日は一人でゆっくり遊びたいけど、ケーキとか持ったまま遊んだりとかできないよね……何かの拍子で潰したりしそうだし。でも頼まれたら断りづらいなぁ。

 

「ん? おーい、三人とも何を話しとるんや?」

 

 そんな事を思っていると、後ろから不意に声がかけられた。振り返ると、そこには黒潮がこっちに向かって歩いてきてる姿が見えた。

 

「あ、黒潮。浜風にケーキの受け取りお願いしてるところなんですぅ。今日私も雪風も急な出撃が入っちゃって……」

 

「あらら……そら災難やったな。……せや、ウチも付き合うわ。ウチも街に行くつもりやったからな」

 

 え!? そんな、流石にケーキを受け取りに行くだけなら私一人でも行けるし、むしろ黒潮が一緒にいるとあまり派手に買い食いもできないじゃないの……。

 

「どうする浜風? 嫌なら別に構わへんで」

 

 うう……仕方ない……断るのも悪いし……一緒に来てもらうしかないかぁ。

 

「そうね、お願いするわ黒潮」

 

 勤めて表情に出さないように、淡々と黒潮に応える。

 

「ほいほい、任しいや」

 

 ああ、黒潮も一緒に来ることになっちゃったなぁ。折角一人で過ごすつもりだったのに……。今日はついてないなぁ。

 



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第四章 浜風編2

 街に着いてから黒潮と一緒に買い物をしたり初風達に頼まれたケーキを受け取りに行ったりしたけど……やっぱり気を使うなぁ。一人で気楽に買い物したかったのに……頼まれると断れないのがいけないのかなぁ。

 

「浜風、さっきから変に考え込んだりしとるけどどないしたんや?」

 

「い、いえ、なんでもないです」

 

 黒潮が私の顔を覗き込んできたから慌てて誤魔化したけど……これだからしんどいなぁ。どうしようかなぁ……あれ?

 

 私の視界に入ってきたのは美味しそうなお饅頭の露店でした。……凄い食べたいなぁ……。

 

 その時、ふと心に浮かんだのは悪戯心だったと思う。黒潮に内緒でこっそりお饅頭を食べて何食わぬ顔で合流してみよう。今私達の周りは人込みだし、少し居なくなっても不可抗力よね。

 

 そう思い立った私はこっそりと黒潮から離れて露店のほうに足を向ける。黒潮には後で連絡すればいいしけど、うっかり気づかれる前に早く……。

 

 その時、不意に私は腕を掴まれ、抵抗する間もなく引きずられていったと思うと、人気のない路地まで連れ込まれました。私の腕を掴んでいるのはいかにもチンピラと言った感じの人で、その人以外にも、もう一人後ろに似たような人が立っていました。

 

「へっへっへっ。かわいこちゃんゲットだぜ。見てみろよ子の胸、最高じゃね?」

 

「ああ。こりゃ上玉だな。将来が楽しみだぜ……今のうちに手出しておかねえとな」

 

「は、離してください!」

 

 私はがむしゃらに暴れようとしますが、男二人には勝てず、そのまま両腕とも掴まれ、蹴ろうとした右足も掴まれてて……。

 

「ヘヘヘ、だめだぜお嬢ちゃん。そんなスカートでキックなんかしちゃあよぉ」

 

「上だけじゃなくて下も自信ありますって事なんじゃねえの? それじゃぁ楽しませてもらおうじゃねえの」

 

 そう言うと男の一人が私の胸を掴んで……いや、いや!

 

「誰か! 誰か!! モゴッ!」

 

「へへへ、声なんか上げさせねえよ。それにここじゃ助けなんかこねえぜ」

 

 男の言葉に私の体はどんどん震えていき、体の力が抜けていって……、そんな、なんでこんな事に。神様……。

 

 涙が零れ、絶望が心を支配していく中、私は神様に助けを求める。でも、神様は助けてくれなくて……。

 

「おんどれら! うちの妹になにしてくれとるんや!」

 

 突然聞こえた聞き覚えのある声。それと同時に私の口を押えている男が突然手を放してその場に蹲った。

 

「な!? なんだてめえ!」

 

 もう一人の男が慌てて後ろを向くけど、それより先に飛び掛かった黒潮のパンチが男の顔面に突き刺さっていた。

 

「それはこっちのセリフやこのクソどもが! うちの可愛い妹に乱暴するとはええ度胸や、生きて帰れる思うな!」

 

 そう叫ぶ黒潮の姿は普段の姿からはとても想像できないような荒々しさで、そのまま男二人相手にガチの大喧嘩をしだした。私はそれを、ただ見ていることしかできなかった。

 

 

 しばらくして騒ぎを聞きつけた人が通報したのか、警察の人が来て騒ぎは収まった。男の人たちは暴行、傷害等で逮捕され、私と黒潮はパトカーで鎮守府まで送ってもらうことになった。私はその間、ただ泣いているだけで、何もできなかった。警察の人への事情説明も、提督への事情説明もできず、今は黒潮と一緒に入渠しています。

 

「アタタ……ちょっとやられすぎたなぁ。もっと鍛えなあかんなぁ……しかし、浜風、体は大丈夫かいな? なんもされてへんよな?」

 

「……だいじょう……ぶ……」

 

 私を心配してくれる黒潮の体にはあちこちに擦り傷や殴られた跡があって……。直視できないよ。私のせいで……。

 

「しっかし、今日は災難やったなぁ。初風達のケーキもグシャグシャにしてもうたし……。後で謝らんとアカンで。それに、浜風も災難やったなぁ。今日はもう間宮でええもん食べてさっさと寝て忘れような?」

 

 そう言って私を気遣ってくれる黒潮……私のせいでこうなったのに……そう思ったとき、私はこらえることができなかった。

 

「う……うぇぇ……ん……くろ……しお……ごめ……なさ……」

 

「へ? は、浜風!? 大丈夫か? まだ怖いんか!? 大丈夫やで、ここなら大丈夫や」

 

 黒潮の言葉に私は首を横に振って否定します。違うんです黒潮……違うん……です。

 

「ちが……ちがう……くろ……うぇぇん」

 

「……ようわからんけど……とりあえず急がんでええから。ゆっくり喋りぃや」

 

 そう言って頭を撫でてくれる黒潮に余計に申し訳なくなりますが……少しずつ気持ちを落ち着けた私は改めて黒潮のほうを向きました。

 

「ごめんなさい黒潮……全部……私が悪いんです」

 

「いや、なに突然言うとるんや。悪いんはあの男達やん。浜風はなんも悪うないで」

 

「違うんです! 私は……」

 

 私は言いました。初風達に頼まれたのも本当は断りたかったけど断れなかったこと。普段から責任感が強いという事で色々頼まれるのが嫌なこと。今日も黒潮が一緒で正直ちょっと邪魔だと思ったこと。あのお饅頭の露店に行くためにワザと黒潮からはぐれたこと。全部言いました。

 

「そうかぁ……そうやったんやなぁ……」

 

 全部を聞き終えた黒潮は大きく大きく息を吐きました……。呆れられたんでしょうか? 見放されてしまったんでしょうか? でも仕方ないよね、だって私はそれだけ……。

 

「……よし、今日のぐちゃぐちゃになったケーキの弁償。それと浜風が見たっていう饅頭の露店の商品を一種類ずつ全部買ってきてもらうで。それで勘弁したるわ」

 

「へ?」

 

 予想外の黒潮の言葉に私は呆気にとられてしまいました。え、そんなのでいいの?

 

「へ? てなんやねん。まさかお金ないとか言わへんよな」

 

「ち、違う! そうじゃなくて……黒潮、そんなのでいいの? 私の事……幻滅してないの?」

 

「幻滅てなんやねん。そもそも浜風は13番艦やん。末のほうの妹やのにぽんぽん物事を頼んどったのがおかしかったんや」

 

「で、でも! 私は今日黒潮が邪魔だと思って……それでわざと逸れたせいで男たちに……」

 

「そら、そんな日もあるやろ。うちかてたまには一人でノンビリしたい日かてあるで。わざと逸れたんは怒っとるけど、男達に襲われたんは完全に向こうが悪いやろ」

 

そこまで言うと、黒潮の視線が不意に私の胸に注がれた。

 

「それとも何か? 自分の男に襲われるような胸がいけないんです。とか言う自虐風自慢でもしたい言うんか? そんならその喧嘩は買うで。値引きなんかいらへん、定価で買うたるわ」

 

「ち、ちが! そうじゃなくて……」

 

 黒潮の言葉に私はどう返せばいいかわからないよぉ。なんで許してくれるって……そんな簡単に言えるの?

 

「……あんなぁ浜風。あんたは妹や、しかも末のほうの妹や。責任感が強い言うんは大切やけど、やからって無理する必要なんかあらへんやん。妹は姉に甘えてええんや。多少なら我儘も言うてええんや。やから今回は許したる。その代り、次からはもうちょい我儘になりぃや。妹が一人で抱え込んで疲れとるなんて姉として放ってはおけんのや」

 

 そう言って肩を叩いてくる黒潮。傷だらけの顔に浮かべるその笑顔に……私は申し訳ないと思って……でも、それ以上に嬉しくて。私は黒潮に抱き着いていた。

 

「おわ! ……痛い痛い! 浜風、痛いって!」

 

「ごめんなさい! でも、ちょっとだけ我儘にさせて、お願い!」

 

「いや! 抱き着くのはええけど傷に沁みるんや! ……アイター!」

 

 黒潮が騒ぐのにも構わず私は黒潮を抱き締める。だってそうしないと……嬉し過ぎてまた泣きそうだったから。

 

 

 ……入渠が終わった後黒潮に思いきり叩かれたけど、私は後悔しなかった。



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第四章 浜風編3

 入渠が終わった後、私は初風と雪風に事情を説明し、謝罪した後、後日改めてケーキの買い直しと、黒潮要望のお饅頭を買ってきました。黒潮は買ってきたお饅頭を陽炎型の皆で分け合って楽しそうにしてくれました。

 

 そしてそんなこんながあってから数日後……。私は親潮を相手に黒潮の取り合いをしています。

 

「黒潮は今日は私と一緒に食事するんです!」

 

「いいえ、黒潮さんは私と食事をするんです!」

 

 くっ、普段黒潮と一緒に食事してるくせに! 妹の我儘を聞いてくれないなんて。

 

「……なぁ二人とも、一緒に食べたらええんや……」

 

「黒潮「さん」は黙っていてください!」

 

 これは大事なことです。今、押し切れば今後も優位に立てます。逆に今負ければ今後も優位をとれない可能性が高い。向こうもそれをわかっているんでしょう、一歩も譲らない姿勢ですね。ならばこちらも……。

 

「公共の場で騒ぐなっていっつも言っているでしょうが!」

 

 突然の頭への衝撃に私も親潮も頭を抱えて蹲りました。痛みを堪えて顔を上げると、そこには眉間に皺を寄せた陽炎の姿がありました。

 

「痛いです陽炎。横暴です」

 

「イタタ……陽炎姉さん、何を……」

 

「横暴もくそもないわよ。騒がしいと思ってきてみたら黒潮と一緒に食事するって誘うだけで大騒ぎしちゃって。何やってるのよあんた達は」

 

 親潮と共に苦情を言いますが、陽炎の剣幕に思わず体が強張ります。あ、これはダメね。

 

「まったく……喧嘩両成敗よ。私が黒潮と一緒に食事するから」

 

「へ? いやちょっとま……ちょちょちょぉ」

 

 そう言って黒潮の左腕をとって強引に移動しようとする陽炎。それを私と親潮は咄嗟に黒潮の右腕を取って阻止します。

 

「陽炎姉さん。それは流石にダメです」

 

「そうです、姉の横暴に反対します」

 

「じゃぁ、あんたら仲良く食事しなさいよ。いちいちこんな事で騒がれたら他の人に迷惑なのよ」

 

 その言葉に私と親潮は互いを見合わせました。

 

(浜風、まずはこの場はこれで収めよう)

 

(賛成です。後の事は食事が終わってからで)

 

 互いの意思を確認した私達は黒潮から手を放し、陽炎に頭を下げました。

 

「一緒に食事をするので黒潮「さん」を連れて行かないでください」

 

「最初からそうしてなさいよ……まったく」

 

「はぁ……やっと解放されたで……てかどうしたんや二人とも? 親潮はまぁまだしも、浜風までいきなりウチと一緒に食事したいて言い出して……」

 

「黒潮が言ったんじゃないですか。私はもうちょっと我儘になって良いんだって。だから我儘になってるんです」

 

「はぁ……。それは確かに言うたけど、それがどうしてウチと一緒に食事することになるんや?」

 

 くっ、この間の出来事があった上でそんなことを言いますか。鈍感にも程がありますよ黒潮。

 

「もうその辺の理由を聞くのは後にしなさい。どうせ長くなるでしょうし、さっさとお昼にするわよ」

 

 そう言うと陽炎はさっさと四人用のテーブルに座りました。しかもさり気なく黒潮を自分の隣に座らせています。……悔しいですが今日は我慢しましょう。



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第四章 浜風編4

「……で。浜風をそうして助けてから妙に懐かれるようになった……って事なのね?」

 

 食堂で浜風と親潮を叱った後、私はいつものように黒潮に膝枕をしてもらいながら事情を聴いていた。その体勢のまま上を見上げると、黒潮はまさに困った笑顔。と言うべき表情を浮かべていた。

 

「そやねぇ。前に比べたら我儘も言うようになってきとるし……ウチはええ感じやと思うけど、もしかして陽炎は嫌やった? 嫌言うんやったら、浜風にもちょっと怒っておくけど」

 

 そんな事を言われたけど、そんな程度で怒るわけないじゃない。折角浜風が良い感じに変わってるみたいなのに。

 

「そんなわけないでしょ。そりゃ我儘すぎるのは困るけど……浜風は確かに良い子ちゃんだったし……多少我儘になったぐらいで文句言うわけないじゃない。逆にそれでストレスを解消するって言うなら、浜風のやりたいようにさせてあげるわよ」

 

 そうだ、確かに浜風は八方美人……と言うほどじゃないけど、それでも何か頼まれても嫌な顔をせずに手伝ったりしてくれてた。それは外から見れば美点だけど、当人からしたらストレスの元になってておかしくはない。だから我儘を言うようになったのは別に良いんだけど。

 

「でも、黒潮もキッチリ面倒見るのよ、逆に人に迷惑かけるようになっちゃったらダメだからね」

 

「当たり前やで。可愛い妹やからなあ、しっかりと面倒は見るで」

 

 そういって笑う黒潮の顔を見てると……なんだか面白くないわね。なんかこう……胸の奥からモヤモヤとしたものが湧き上がってくるのが自分でもよくわかる。嫉妬……なんてドロドロしたものじゃないけど、こう、なんかヤな感じがして仕方がない。だから、私も我儘になることにした。

 

「ん……」

 

「わひゃ!? か、陽炎? いきなりなにしとるんや?」

 

 私は今まで向いていた方向を体ごと変えて黒潮のお腹に顔を埋めると、そのまま腕を回して引き寄せ、更に顔を動かして黒潮のお腹の柔らかさを思う存分堪能する。あー、やわらかいなぁ……。今度からたまにこうして黒潮のお腹の柔らかさを堪能するのもいいかもしれないわね。今度するときは服をめくって貰って、素のお腹を堪能しようかしら。

 

「……もう、変な甘え方されたら流石に驚くで……。でも、陽炎がこうやって甘えたい言うなら、こうしててもええで」

 

 そんな声とともに黒潮が頭を撫でてくる。そうそう、それでいいのよ。今甘えてるのは私なんだから……。あんまり浜風の事ばっかり考えてるんじゃないわよ。

 

 

 



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第五章 秋雲編
第五章 秋雲編


 マズイ。ともかくマズイ。私の目の前にあるのは真っ新な原稿用紙。そして頭の中には何のネタもない。このままじゃ……まずい。

 

「……どうしよう。本当にどうしよう」

 

 急いで描かないといけない。そうじゃないとわざわざ提督に無理言って休暇を貰った意味もないし、あのサークルにもバカにされる。早く、早く描かないと。

 

「秋雲、今日の晩御飯何に……」

 

「要らない、ほっといて!」

 

「え、でも、ちゃんと食べないと……」

 

「いいからほっといて!」

 

 巻雲の声だっただろうか? そんなの関係ない。今は原稿を仕上げないといけないんだ。私は聞こえてきた声に怒鳴り返すと、声は聞こえなくなった。

 

「クソッ……。どうして思い浮かばないんだもう……」

 

 それから私はズッと原稿の前に座り続けた。二日、三日、流石にお腹が空きすぎた時には栄養ドリンクやゼリーを飲んだりはしたけど、それ以外の時はずっと原稿とにらめっこだ。だけど、ネタが思い浮かばない。辛うじて浮かんだネタで描こうとしても、途中でうまくいかなくて破り捨ててる。だめだ、こんなんじゃ、ダメ……だ。だめだだめだだめだだめだ。

 

「……ああもう! もう!」

 

 思わず机に拳を叩きつける。でもそれでいいネタが思い浮かぶでもなく、ただ手が痛いだけで、それが更に秋雲を苛々させる。

 

「……秋雲、なにやっとるんよ」

 

 不意に後ろから声が聞こえてきた。でも、そんなのどうでもいい。私は早く原稿を描かないと。

 

「……秋雲、おーい、聞いとるんか。秋雲」

 

「……ウルサイな。ほっておいてよ」

 

 しつこい声に私が後ろを振り向くと、そこに居たのは黒潮だった。なんでいるんだろう? でもどうでもいいや。

 

「なによ黒潮。私は今忙しいんだから、さっさと出てってよ。邪魔」

 

「そう言うわけにもいかんで。巻雲から聞いたんや。今回の秋雲は普段よりも荒れとるって。なぁ、ホンマどうしたんや? もう碌に食事もしとらんのちゃうん?」

 

「栄養ドリンク飲んでるから大丈夫。それより邪魔だから」

 

「いやいや、それ流石にマズイで。それにこんな遠目でもわかるほど隈できとるやん。このままじゃ倒れてまうで」

 

「あーもう! しつこい! 秋雲は大丈夫だから放っておいてって言ってるでしょ! 邪魔なの!」

 

 しつこい黒潮に私は思わず手元にあったペンを投げつける。それは黒潮の顔に当たって床に落ちた。……それには血が付いていた。

 

「え……? あ、え……?」

 

 顔を上げるとそこにある黒潮の顔。そこにはペン先で傷ついたのか、頬から血が流れ出ていた。

 

「イツツ……マジかいな秋雲」

 

 そう言って秋雲を見る黒潮の顔は、……しかめっ面になりながら頬を抑えてる。あき……あきぐ……あきぐものせい……せいで……。

 

「ご、ごめ……な……ごめんな……」

 

 必死に謝ろうとする。でも、口がうまく回らない。そんな私に黒潮が近づいてきて……私の両肩に手を置いて……。

 

「……秋雲、ええんか?」

 

「へ?」

 

 あまりにも予想外の言葉に私は口を開けてしまった。

 

「なぁ……秋雲。ウチはあんたとは姉妹艦ってぐらいしか繋がりはあらへん。それも、元々夕雲型や言われてた秋雲からしたらうっすい繋がりかもしれへん。でもな、繋がりがあるんは確かやで……、あんた、わかっとるんか? 秋雲は今、その繋がりのあるウチをケガさせたんやで」

 

「わか……わかって……るよ……ごめ……なさ」

 

「違う。秋雲……あんた、ヘタしたら他の……もっと大事な艦娘にも同じことしかねなかったんやで、それ、わかっとるん?」

 

 その言葉に秋雲は気づいた。さっきの癇癪が……もしかしたら他の艦娘にしてたかもしれない。そしてその時投げたのがもっと大きいものだったら? もし投げたペンが目に当たっていたら? そりゃ入渠すれば傷は治る。でも、痛いのには変わらない。それに失明なんかしたら……治るの? 治せない……かも……。

 

「……わかったか秋雲。ウチやない。あんたにとってウチよりもっと大切な人に同じ事したかもしれへんって事……。なぁ秋雲、あんたにとってその同人誌を作ることが大切なことやのは知っとる。でも、それは誰かを傷つけるかも知れへん状態になってまでやらなアカン事なんか? 秋雲自身を傷つけてまで作らなアカンもんなんか? なぁ、教えてーや、秋雲」

 

「そん……な……そんなわけ……な……い……」

 

 気づけば私の目から涙がボロボロと零れ落ちていた。誰かを傷つけてまで作って……そんなの、私が作りたい作品じゃない。そんなの……ファンの人に見せたりなんてできないよ……。

 

「……ほな、一回ゆっくり休もうや。な、今の秋雲は疲れとるんやから。一回ちゃんと休みぃ。な?」

 

 そう言って微笑む黒潮の顔は、まるでお母さんのようで……秋雲は泣きながら黒潮の胸に顔を埋め、ただごめんなさいと叫んでいた。



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第五章 秋雲編2

 気づいたとき、秋雲はベットの上で寝ていた。泣き疲れて寝てしまっていたんだろうなぁ……どれだけ寝たんだろう。時計なんか全然見てなかったから時間がわからないや。

 

 ゆっくりと体を起こして部屋の中を見渡す。すると、机の上にお皿が置いていて、その上におにぎりと水筒が置かれているのが見えた。その下には紙が挟まれてる。体を起こして紙をとってみると、そこには「起きたら取りあえずこれ食べとき」と書かれているのが見えた。黒潮が用意してくれたのかな?

 

「……頂きます」

 

 おにぎりを口にすると、美味しかった。冷めていたし、塩だけで味付けされてる単純なおにぎり。でも、秋雲にはとても……とても美味しかった。

 

 おにぎりを食べ終え、水筒の中のお茶を飲みほした秋雲はまず身だしなみを確認して、それから部屋を出て、まずは皆に心配をかけてしまった事を謝って回った。その中にはもちろん黒潮も居たけど、彼女は「なんやそないちゃんと謝ってくるなんて。明日は雨でも降るんちゃうか?」って茶化されたけど。

 

 それから秋雲は部屋に戻って作品を描き始めた。まるでここ数日の不調が嘘のように頭の中にアイデアが沸き上がり、手が動いていく。なんだ、本当に最近の秋雲がバカみたい……いや、本当にバカだったんだなぁ。

 

 それで、結局あっさりと作品を描き上げて印刷所へ依頼を終えて……それから無事にイベントに参加できて、すぐに完売して、人気投票ではあのサークル連中をぶっちぎって上位に入賞。これであいつらに嫌味を言わせない程の差を付ける事ができたよ。普段の秋雲さんなら胸を張って喜べるんだけどねぇ……。今回はちょっと……ね。

 

 イベントが終わってから数日後、秋雲はこの間のお詫びとして黒潮に間宮のスペシャルパフェを奢っていた。なんか黒潮って親潮や浜風と一緒に食事してることが多いから中々誘えなくて時間経っちゃったなぁ。

 

「はぅあ~。やっぱ美味いなぁ間宮はんのスペシャルアイスは。でも秋雲、ホンマええんかいな? こないだの事、ホンマにウチは気にしとらんで」

 

「いいの。世話かけちゃったんだから。素直に食べてよ黒潮」

 

「うーん……まぁ、秋雲がそう言うなら、遠慮なく食べさせてもらうで」

 

 そう言って再びアイスを食べる黒潮。うわぁ凄いいい笑顔。後で思い出しながら描こうかな。

 

「ところで秋雲。例のイベント、うまく言ったって聞いたけど、今回どないな本だしたんや?」

 

「へ!? そ、それはいつも通りのだよ……うん」

 

 そう言いはしたけど、黒潮は疑いの眼差しを向けてくる。

 

「……ホンマかぁ? まさか、変な本出したんとちゃうやろな?」

 

「本当だって! ほら、それより、早く食べないとアイス溶けちゃうよ」

 

「ありゃ、ホンマやな」

 

 黒潮の意識が再びアイスに向かったのを見て内心で安堵する。……言えるわけないじゃん。今回出した本は、今まで薄い関係だと思っていたの妹が、姉の愛に気づく話だなんて。……絶対言えない。絶対に誤魔化さないと……恥ずかしすぎるもん。



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第五章 秋雲編3

「てな具合で秋雲からアイス奢って貰ったんや。いやぁ、やっぱ間宮はんのアイスは美味いで、最高や。今度陽炎も一緒に食べよーな」

 

 アイスの味を思い出しているのか、ニコニコと笑顔を浮かべる黒潮に、私は思わず苦笑を浮かべてしまう。

 

「そうね。そうしましょうか。……で、あんたは本当に秋雲が出した本の内容知らないの?」

 

 その事について聞いてみるけど、黒潮は首を傾げてきた。

 

「知らんなー。教えてくれへんし、在庫ももうない言われとるし……まぁ、あんま気にするもんでもないからええんやけどな。内容知ったところでウチがどうこう言えるもんでもないやろうし」

 

 私の肩を揉みながら話す黒潮。……はぁ、どうしようかなぁ、あの本の内容……教えるのもなぁ。

 

 実のところ、私はその本の内容を知ってる。と言うか持ってる。変な内容の本を出してないかどうかのチェックのために毎回印刷所からサンプルが司令の元へ送られて、最後には私が処分をしてるんだもん。たまに真面目にヤバイ内容のがあったりして、その時には秋雲に注意もしてるし。でも、今回のは別の意味で困った内容なのよね。

 

(……あの登場キャラ、どーみても黒潮と秋雲じゃない。特徴がほぼほぼ同じで間違えようがないし。しかも今回の事の顛末と繋がるものがあるし……そりゃぁ黒潮には見せられないでしょうね、黒潮に見せたらどんな反応されるのか……それで怒られたりしたら秋雲も絶対凹んじゃうし)

 

 内心でため息をつきつつ、私は今回の秋雲の修羅場を思い出す。前々から締め切りが迫っている時の秋雲は荒れていることが多かったけど、あの時の秋雲は本当に普段よりも更に荒れていて、よく改善してくれたと夕雲からも黒潮にお礼を言ってたけど……まさかそんな作品を作っちゃうぐらい黒潮を好きになるなんてねぇ。

 

 ……なんかイラッとするわね。前までは黒潮の事そんなに深く付き合いを持ってもなかったくせに、良い事があった途端にコロッと堕とされちゃって。ちょーっと調子乗ってるんじゃないかしら?

 

「陽炎、どないしたんやー? さっきから黙ってもうとるけど、何考えとるん?」

 

 私が黙り込んでるのを不審に思ったのか、黒潮が声をかけてきた。ああ、いけないいけない、黒潮に怪しまれちゃう。

 

「べっつにー。なんでもないですよーだ」

 

 黒潮の質問に私は適当に返答して、黒潮の両手に意識を向ける。あー、気持ちいいわぁ。人にやってもらうと……と言うか黒潮にやってもらうと、やっぱり安心できるわね。これからも定期的に黒潮にお願いしようかしら。



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第六章 舞風編
第六章 舞風編


 あたしは踊りが好き。踊っていたら暗い雰囲気なんて吹き飛ばせる。嫌なことを忘れられる。でも……あたしには……舞風には踊れない踊りがあるの。それは、本来なら日本人なら誰でも踊れる踊りなのに。あたしは、それを踊る事ができなかった。本当に必要なその時に。

 

「ねぇねぇ舞風。これ見ました? 盆踊りの大会が鎮守府の近くで行われるんですって」

 

 そう言って雪風が見せてきたのは近くで行われる夏祭りで行われるという盆踊り大会のチラシだった。どこで持ってきたんだろう。

 

「舞風、踊りが好きだし一緒に出ません? 楽しいですよきっと」

 

 そう言って笑顔を見せる雪風。行きたい、本当なら行きたいんだけど……。

 

「んー……ごめんねぇ。この日はちょっと用事があるから無理なんだ」

 

「えー……残念です……」

 

 雪風は本当に残念そうにしてるけど……ごめんね雪風。……舞風は……盆踊りは踊れないんだ。

 

 

 あの後、雪風と別れたあたしは自分の部屋で横になりながらさっきの事を思い出してる。盆踊り……かぁ。嫌な事……思い出しちゃうな。

 

 かつての大戦。あたしは轟沈した。盆踊りと称される回避運動すら取れない状態になって、アメリカの艦隊に、香取と一緒に轟沈させられた。その事自体を今更とやかく言う気はない。あれは戦争で、人間同士が戦った結果であって、それを理由にアメリカ艦の人たちを責めるのは間違ってる……それはわかってるけど、やっぱりあれはトラウマなんだ。

 

 それを解消しようと、色んな踊りを踊ってきた。日本のだけじゃなく、それこそアメリカのも、ヨーロッパのも、アジアの踊りだって。

 

 出撃した時にも、舞風の回避はまるで踊っているようだって言われるようになった。でも、盆踊りだけは……。踊ることができてない。

 

「……いやいや、やっぱりダメだよね。これじゃトラウマ解消なんてできないし、艦長達にも顔向けできないよ」

 

 暗い雰囲気なんてあたしには似合わない。よし、頑張ろう。頑張って、雪風と一緒に盆踊り大会に行こう。そうすればきっと……艦長も、喜んでくれるよね。

 

 

 その日のうちに盆踊りの曲を手に入れて……誰かに見られたりはしたくないから夜になってから、倉庫の裏手であたしは準備を整えた。よーし……頑張るぞ!

 

 時刻は二一○○……この時間ならもう人も来ないはずだし……再生機で盆踊りの曲を再生させると、あたしはさっそく踊りだす。

 

「こうしてこうしてこうでっと……」

 

 久しぶりの盆踊り。大丈夫、体は覚えてる。だから踊れる。最後まで、おど……れ……。

 

「ッ!」

 

 踊りが進むにつれてあたしの視界が暗くなってくる。耳に悲鳴が聞こえてくる。あの時……あの時、舞風は踊れなかった。助けられなかった。舞風に乗っている人達が死んでいく。香取が沈んでいく。野分が助けようとしてくれて……でも……どうしようもできずにいて……最後に舞風がしず……しず……ん……。

 

「はあ! はあ! はあ! はあ!」

 

 いつの間にかあたしの体は倒れていて、荒い息を繰り返してる。体が動かない、目の前がよく見えない。陸にいるはずなのに水底にいるように体が……冷たく……うごかな……。

 

「舞風! しっかりせい!」

 

 突然聞こえてきた声に目の前が明るくなる。そして見えたのはあたしを心配そうに見下ろす黒潮の顔だった。

 

「過呼吸になっとる。舞風、次に息を吸ったらウチの合図に合わせて呼吸するんや。大丈夫や、それで治るからな」

 

 そう言って手を握ってくれる黒潮に少しだけ安心感が生まれたあたしは頷く。そして次に息を吸うと、黒潮が息を止めるように言ってきて、それで息を止めて10秒くらいしたら吐くように言われて、息を吐いたら今度は3秒ごとにゆっくりと呼吸するように言われて、あたしはそれを繰り返す。その間ずっと黒潮はあたしの手を握ってくれて、あたしの胸に手を置いて呼吸のリズムを確認してくれて……凄い安心しながら呼吸してたら、しばらくしてやっと落ちついて呼吸ができるようになった。

 

「スゥ……ハァ……うん、もう大丈夫だよ。黒潮、ありがとう。助かったよ」

 

「そりゃ良かったけど……いったい何があったんや。なんや音楽が聞こえる思て見に来たら舞風がぶっ倒れとるんやからびっくりしたで。ウチが偶然ここ通りかかっとらんかったと思うとゾっとするわ」

 

「……いやぁ、ちょっと……ね」

 

 うーん。ちょっと……言い辛いなぁ。でも、見られちゃった以上は事情説明しないと納得しないよね……どうしよう。

 

「……ちなみにな舞風。話さんのやったら、とりあえず野分や萩風らへんに心当たりがないか聞いて回るで。舞風が盆踊りの曲聞きながら過呼吸でぶっ倒れとったけど、なんか心当たりあらへんかって」

 

「わあああ! 待って、待って! 本当に待って! 話すから! 話すからああ!」

 

 野分達に聞かれたらシャレにならないよ! あたしは必死に黒潮の腕を掴んで止める。

 

「じゃぁさっさと話しいや。言っとくけど、変に誤魔化そうもんなら……どうなるかわかっとるやろな」

 

 ……うう、これ誤魔化しがバレたら問答無用で野分達にバラされる流れだぁ……。わかったよ、観念するよお。



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第六章 舞風編2

「……黒潮、あたしが……舞風がどういう風に沈んだのか知ってるよね?」

 

「……そりゃぁ知っとるで……」

 

 返事を返す黒潮の顔に苦いものが浮かんでるなぁ。でも仕方ないか。

 

「うん……それでね、あたしはその時の事を克服しようと、色んな踊りを踊るようにしてるの。元々踊るのが好きだっていうのもあるけど……今度は戦場で踊れなくなるのが嫌だからさ」

 

「でもさ……盆踊りだけは踊れないんだ。何回か挑戦はしてるんだけど、途中で……思い出しちゃうんだ。舞風が棒立ち状態になって……。舞風に乗ってる人たちの様子や、香取が沈んでいく様子。ぜーんぶ思い出して……気づいたらああやって倒れてるの。……情けないよ、本当」

 

 そこまで話したとき、不意に黒潮があたしを抱きしめて、頭を撫でてきた。

 

「阿呆、どこが情けないんや。……立派や舞風は、立派に頑張っとるわこんな立派に頑張ってる、ウチの自慢の妹や」

 

「……うん、ありがとうね、黒潮」

 

……ああ、なんだろうなぁ。こうして真正面から言ってもらえると安心するなぁ。それに、黒潮の暖かい体に包まれてると、すごくホッとしてくる。だから、つい体を預けちゃうけど、仕方ないよね。あ、黒潮って意外と胸あるんだ。普段あんまり見てないけど……なんかくやしい。

 

「……で、舞風。これからどうするんや? まだ練習するんか?」

 

 そんな事を考えてると黒潮がこれからの事を聞いてきた。

 

「うん……頑張ろうと思ってるんだ。今日、雪風に盆踊りの大会に誘われて……さ。いつまでも暗いまんまで居たくもないって思えたから、頑張ろうと思う」

 

 いつまでも引きずったまんまじゃ、どんな踊りも心から楽しめそうにもないしね。

 

「そうかぁ……よっしゃ、ウチも付き合うたる。可愛い妹が頑張っとるんや、応援せんわけにはいかんで」

 

「え、ええ? いや、大丈夫だよ黒潮。別に付き合ってもらうほどじゃ……」

 

 慌てて断ろうとしたけど、黒潮は寂しそうな顔で私を見つめてきた。

 

「……そう言うてもなぁ。またさっきみたいにぶっ倒れ取ったらと思うで気が気でないで。ウチ、嫌やで? 妹がそんな大変な状態になっとるかもしれん思いながら過ごすんは」

 

 う……それを言われると確かに痛い。あたしが同じ立場でもそう思うのがわかるから反論ができない。

 

「わ、わかったよぉ……お願いね黒潮」

 

「おう、任せとき、舞風が盆踊り踊れるようになるまで、しっかり面倒みたるからな」

 

 そう言って自分の胸を叩く黒潮は、普段よりも頼もしく見えた。

 



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第六章 舞風編3

 それから何日か、あたしは黒潮と一緒に盆踊りの練習をしていった。黒潮がいるおかげか練習はこれまで一人でやった時よりも順調ではあった。……でも、やっぱり最後までは踊れない。踊りきる前にあの記憶のフラッシュバックで過呼吸になってしまう。そのたびに黒潮に助けて貰うけど、それでも踊り切れない。

 

「……今日が最後。明日には盆踊り大会が始まる」

 

 いつもの場所であたしは再生機を準備しながら呟く。そうだ、明日には盆踊り大会があるんだ。今日、克服しないと。

 

「舞風、そんな気い張らんでええんとちゃう? 別に盆踊り大会に出れんかっても問題はないやろ?」

 

 その言葉にあたしは激しく首を横に振る。それじゃダメなんだ。そんな弱気じゃ。

 

「ダメだよ黒潮。そんな考えじゃいつまでも克服なんてできない。……あたしは絶対に今日克服する。克服するんだ!」

 

「……よっしゃ、ならウチも今日はとことん付き合うたる。気張っていくんやで舞風」

 

「うん!」

 

 こうしてあたしは気合を入れ直して盆踊りを踊り始める。一歩一歩確実に、体が動くがままに踊っていき……。

 

(きた……!)

 

 最後が近づくにつれてフラッシュバックが始まる。死んでいく人たちの顔が見える。舞風の体を焼く熱を感じる。香取の姿が見える。野分の後ろ姿が見えてくる。そして……最後に舞風が真っ二つになる瞬間が……。

 

「ッ!!」

 

 呼吸が荒くなり、膝から体が崩れ落ちる。ああ、今回もダメだっ……。

 

「しっかりせい舞風!」

 

 崩れ落ちそうになる体が、後ろから抱き抱えられる。振り向くと、そこにはあたしを睨み付ける黒潮の顔があった。

 

「ここや! ここで舞風はいっつも崩れとる。逆に言えばここさえ乗り越えられれば克服できるんや! 頑張るんや舞風。今はウチがおる、ウチが支えてるんや! 一人やないで!」

 

「! ……うん!」

 

 崩れた足に力を込め、あたしは体勢を立て直す。そしてもう一度踊りだした。まださっきの光景は残ってる。でも……今度は大丈夫。行ける、踊れる。……踊り切る!

 

「もうすぐや! もうすぐやで舞風!」

 

 後ろから聞こえる黒潮の声が頼もしかった。言葉が聞こえるたびにあたしは足に、体に、腕に力を籠める。歯を食いしばって、フラッシュバックから目を逸らさずに……!

 

「……やっ……た!」

 

 最後のステップを踊り切り、あたしは大きく息を吐いた。踊れた、踊れたよ。野分……あたし、踊りきれたよ。

 

「……ようやったな舞風。おめでとうや」

 

「うん……うん。黒潮……あたし……やっと……やっ……と」

 

 目から涙が零れる。足から力が抜けて崩れ落ちる。やったんだ……やっと……やっと……。

 

「……お疲れさんや舞風。少し休憩しよう。一度休憩して……もう一度踊ってみて……それから明日の大会に出るんや。やから、今は休み」

 

 あたしの頭を撫でながら、黒潮が抱きしめてくれる。あたしも黒潮の背中に両腕を回して……抱きしめて……ッ。ありがとう……黒潮、ありが……とう。



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第六章 舞風編4

 もう一度、今度は黒潮に支えられることなく踊りを踊り切ったあたしは、改めて明日の盆踊り大会の事を考えながら眠りについた。そして……夢を見た。

 

 夢は今までずっと見てきた舞風の最後の瞬間。……でも、今日の夢は違った。香取と一緒に沈みそうになった時……アメリカ海軍が突然炎上し、爆発し、沈んでいく。そして聞こえてきたのは陽炎を初めとした陽炎型の艦隊。その先頭に居たのは黒潮で……艦橋から陽炎達が……なぜか野分も一緒に、こっちに向かって手を振ってくれていて。あたしも……舞風の艦橋で手を振っていたんだ。

 

 

 翌日、あたしは急遽用事がなくなったからと言って盆踊り大会に参加。雪風や野分達と一緒に盆踊りを踊った。もうあのフラッシュバックは起きなくて、あたしは踊り切ることができた。

 

「舞風の踊り凄いですよ。同じ盆踊りを踊っているはずなのに、舞風だけまるで別の踊りを踊ってるような感じでした」

 

「ちょっと、それ褒めてるの? けなしてるの? どっちなの?」

 

「褒めてるんですよぉ」

 

 大会が終わったあたし達は祭りの露店を歩いて回ってる。動いたらお腹空いちゃったし、何食べようかな。

 

「……本当に舞風の今日の踊りは良かったよ。見てて惚れ惚れしたから」

 

「ちょっ、野分。そんな言い方されたら恥ずかしいじゃん」

 

「いや、そう言いたくもなるよ。……実のところ、心配してたんだよ。舞風が盆踊りを踊るって聞いて。……今まで踊ってなかったのは、あの時の事がトラウマになってるんじゃないかって、心配だったんだよ」

 

 ……あー、やっぱり気づいてたんだ。それもそうかぁ……でも、うん、大丈夫。

 

「うん……そうだよ。踊ろうとしたらあの時の事を思い出してずっと踊れなかったけど……もう大丈夫だから」

 

「そう。……良かった。舞風が踊れるようになって、本当によかったよ」

 

 そう言って野分は嬉しそうに笑ってくれる。あたしもそれに釣られて笑いながら露店を歩いている……すると。

 

「……え?」

 

 人込みの中、一瞬見えた人影。でも見間違えるはずがない。艦長……萩尾艦長!

 

「待って、待ってください!」

 

「舞風!?」

 

「え、舞風? ちょっと!」

 

 野分と雪風を置いて、あたしは人込みを掻き分け進む。艦長! 艦長はどこ!? どこ行ったの!?

 

 人込みを掻き分け、追いかけ、追いかけ……人気のない木々の中、あたしはついにその背中を捕らえた。

 

「萩尾……艦長」

 

 あたしの声に振り返った艦長は……笑みを浮かべてくれていた。まるで子供に向けるかのような笑みを浮かべ、敬礼してくれて……。

 

「かん……ちょう……」

 

 思わず目に涙が浮かぶ。……でも、そのとき不意に大きな風が吹き、葉っぱが舞い散る。思わず目を瞑ってしまい、そして……目を開けた時には艦長の姿はなかった。

 

「舞風! ……はぁ……はぁ……どうしたの? いきなり走り出して」

 

 後ろから野分の声が聞こえてきて……肩を掴まれる。あ、そうか……二人を置いてけぼりにしちゃってたっけ……。

 

「……野分ぃ……」

 

「え? な、なに!? どうしたの!? どこか痛いの?」

 

「ちが……違うよ……」

 

 あたしが泣いているのを見た野分が心配そうにするけど、違うんだ。これは……この涙は……。

 

「……艦長が……萩尾艦長がさ……居たんだ……居たんだ……よ」

 

「え? 萩尾艦長……が?」

 

 野分の言葉にあたしは頷く。あれは見間違いじゃない。居たんだ、見てくれたんだ。あたしを……舞風を、見てくれて……いたんだ。

 

「……ねぇ、野分。あたし……艦長たちをちゃんと送れたかな? 艦長たち……もう、行ってくれた……かな?」

 

 盆踊り……死者を送る踊り。これまでずっとあたしは踊れなかった。でも、これで……大丈夫だよね? もう、艦長達も残らなくていいんだよね? あっちの世界に……行けるんだよね?

 

「……大丈夫だよ。だって舞風は踊れたんだ。トラウマを……克服したんだから。きっと……安心してくれてる」

 

「そう……だ……よね……きっ……と」

 

 それ以上言葉は出なかった。あたしは野分に抱き着いて泣いていた。……そんなあたしを、野分は優しく……優しく抱きしめてくれた。

 

 ……艦長。皆さん、見守ってくれていてありがとうございました。どうか、安らかにお眠りください。舞風は、もう大丈夫です。



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第六章 舞風編5

 その後、雪風と合流して(思い切り怒られたけど)、お祭りを楽しんだあたし達は鎮守府に帰りました。それで野分達と別れた後……あたしは黒潮の部屋に向かました。

 

「黒潮~、起きてる~?」

 

 あたしがノックすると扉が開かれて……あれ、なんで不知火が出てきたの? 部屋、間違えてないよね?

 

「おや、舞風ですか。黒潮に何か御用ですか?」

 

「え、う、うん、ちょっとお話がしたいんだけど……」

 

「そうですか……では、不知火は失礼しますね。黒潮、明日またお願いします」

 

 最後の言葉は黒潮に向けられていて、不知火は部屋から出て行ったんだけど……何してたんだろ?

 

「おーい、舞風。いったい何の用なんや?」

 

「あ、ごめんごめん。とりあえずお邪魔するねー」

 

 慌てて部屋の中に入ると、黒潮は床に座りながらあたしを見上げてる。不知火と何してたのかちょっと気になるけど……まぁいっか。

 

「どないしたんや? 今日は盆踊りの大会やろ? ……まさか一緒に来んかった事怒っとるん? しゃあないやん、提督じきじきに出撃するよう言われたら断れんで」

 

「もう、その事は別に怒ってないよぉ。仕方ない事なんだし。そうじゃなくて……。お礼言いに来たの」

 

「へ? お礼?」

 

 不思議そうにする黒潮の前に正座して……あたしはまっすぐ黒潮を見る。

 

「黒潮……今日ね、萩尾艦長が居てくれたの……居てくれて……あたしに笑ってくれたんだ」

 

「……そうか、萩尾艦長……ずっと居てくれたんやな。……舞風、無事に送れたんか?」

 

「……きっと、きっと……送れたと……思う……よ」

 

 あれ、また泣いちゃってるよあたしったら……。野分の時にも泣いたのに、こんなに泣き虫だったっけ?

 

「そうか……お疲れさん、舞風。あんたはようやった。ホンマ……自慢の妹やで」

 

 黒潮が抱きしめてくれて……頭を撫でてくれる。ああ、きっとお母さんってこんな感じなのかなぁ……。あたしも黒潮の背中に腕を回して……抱きしめながら泣き続けた。

 

 ……ありがとう、黒潮。

 

 

 

「ねぇねぇ黒潮。野分と一緒にダンス踊ろうよぉ。三人でならダンスの幅が広がるんだよぉ」

 

「いやぁ、舞風のダンスはホンマもんのガチダンスやから、ウチがついていくのはキツイで」

 

「そんな事ないって~」

 

 黒潮の首に腕を回しながらおねだりしてるけど、黒潮は苦笑するだけで了解してくれない。もう、せっかく簡単なダンス見つけてきたのに。

 

「お? 黒潮、舞風。なにしてんのー?」

 

 あれ、秋雲だ。声かけてくるなんて珍しいなぁ。

 

「お、秋雲。ちょうど良い所に来てくれたで。なぁ秋雲、舞風がダンスの相手探しとるんや。秋雲、同人誌のネタになるやろから一緒に参加してみいへんか?」

 

「ちょっとぉ、あたしは黒潮を誘ってるんだよ?」

 

「……ほっほー。なるほどねぇ、そうかそうかぁ、舞風も堕ちたんだねぇ」

 

 なんか秋雲がニヤニヤしてる。おちたってなんの事?

 

「……よし、確かにネタになりそうだしこの秋雲さんも参加するよ」

 

「おお、マジか秋雲。助かるで」

 

 って、黒潮、秋雲の手握ってるし。そんなに嬉しいの!? あたし、凹んじゃうよぉ。

 

「うん、じゃぁ一緒に頑張ろうね黒潮」

 

「へ?」

 

 あれ、秋雲が黒潮の右腕を思い切り掴んでる。

 

「舞風、どこで練習するの? あんまり遠いところだと黒潮連れていくのに苦労するから近くがいいなぁ」

 

「ちょいちょいちょいちょい。秋雲、なんでウチ連行されるんや! 秋雲が参加するんやろ!?」

 

「そだよー。でも、黒潮が参加しないなんて一言も聞いてないからね。舞風、早く行こう」

 

「……秋雲、グッジョブ!」

 

 あたしと秋雲は固く握手を交わし……逃げようとする黒潮を両脇から捕まえて連行する。さぁ、今日は黒潮と秋雲と野分と一緒に踊るぞー。



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第六章 舞風編6

「……あー、筋肉痛やでぇ……あんな普段使わん筋肉使う事なるとは思わんかった……やからガチもののダンスとか踊れんゆうたのに……」

 

「はいはい、お疲れ様。湿布の位置はこれでいいのね?」

 

 今日も私は黒潮の部屋に来てる。と言っても流石に今日は黒潮に甘えるつもりはないけど……筋肉痛でベットに横たわってるのに甘えるのは無理よ流石に。服を脱がせて背中や足にペタペタと湿布を貼っていってるけど、黒潮の様子を見ると治るまでにしばらく時間がかかりそうね。

 

「舞風には私のほうからちゃんと言っておくわ。今日のあんたの予定も舞風と秋雲に振っておくから、安心しなさい」

 

「助かるわ~……もう、秋雲は結局踊らんで絵ばっか描いとるし、野分も止めきれんし……舞風一体どないしたんや。ウチと踊ってもそんな面白くもないやろ」

 

「……今回は理由ぐらい自分でわかるでしょ……。舞風はやっと……克服できたのね」

 

 舞風が盆踊りを踊れたという話を聞いた時は本当に驚いた。彼女が盆踊りを踊ろうとしない理由は皆想像がついてたから誰も何も言わなかったけど……。それでも、皆心配していたんだもん。で、どうせ黒潮が何かやっただろうと思って聞いてみたら案の定黒潮が何かやってた。で、野分や雪風にも話を聞いて、舞風が艦長を送れたというのも聞いた……。そりゃ黒潮に懐くでしょうね。黒潮のおかげであの大戦での舞風の大きな心残りが解消されたんだから。

 

「ん~……そらまぁ、陽炎が言わんとしとる事はわかるけど……ウチは大した事はなんもやっとらんで。そもそも、ウチがやらんでも野分らへんがやれとったはずやし、もっと言うなら舞風なら誰かに頼らんでも自力で克服できとったと思うで。だから、ウチは大したことは何もしとらんわ」

 

 ……こいつ、一回痛い目みないと本当にわからないんじゃない? まったく、自分の妹ながら呆れてものも言えないわ。

 

「……あんたのその変に鈍感な所、どうにかしなさいよ……もう、そんなんじゃそのうち変な勘違いされちゃうわよ。襲われてからじゃ遅いんだから」

 

「アハハ、ないない。ウチ襲うようなもの好きなんておらんって」

 

 そう言って黒潮は暢気に手を振る。その姿を見て思わずため息を漏らさずにはいられなかった。

 

 ……こいつ、今から私が襲ってやろうかしら。そうしたら少しは危機感が芽生えるかも……いや、今後甘える時にやり辛くなるわね。じゃぁどうしようかしら。

 

 呑気に笑ってる黒潮を見下ろしながら、私はため息をつくのだった。



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第七章 野分編
第七章 野分編1


 最近、この鎮守府では国民に向けての広報活動を行うようになりました。私達の活動を宣伝し、国民への信用を得るための大切な活動です。そして、私もその活動に参加する事になりました。

 

「はーい、那珂ちゃん、野分ちゃん、こっち向いてねー」

 

「はーい。良い笑顔、いっくよー」

 

 今、私は那珂さんと一緒に写真を撮っています。那珂さんと一緒に写真を撮ってもらえるなんてとても嬉しいです。

 

 しばらくの間、慣れない撮影に疲れることになりましたが……無事に本日の撮影を終えることができました。

 

「いやぁ、素晴らしい写真が撮れたよ。流石艦娘の方々は素晴らしい容姿をされていらっしゃる」

 

「もっちろん。でも、このアイドル那珂ちゃんが一番だからね」

 

「ええ。勿論ですよ那珂さん」

 

 そんな風に撮影のメンバーと楽しく話をしながらも撮影は続き、やがて今日の撮影が終わり、私達は鎮守府に帰ってきました。

 

「のわっち、お帰りー。撮影どうだったー?」

 

「撮影は順調に終わったわ。それより舞風、のわっちって呼ぶのやめてったら」

 

「え~いいじゃーん」

 

 もう、舞風はいつもこうなんだから……。

 

「ん~? おお、野分、撮影お疲れさんや。上手いことやれたんか?」

 

 そんな私達に声をかけてきたのは黒潮だった。その姿を認めた途端、舞風が黒潮に抱き着く。

 

「ねぇねぇ黒潮。今度また野分と一緒に踊ろうよぉ」

 

「いや、ホンマ勘弁してーな。ウチ、あれから筋肉痛が辛かったんやで」

 

「え~」

 

 あの盆踊りを踊った日から舞風はよく黒潮に懐くようになった。なんだろう……なんか、イラッとしてしまう。

 

「……なぁ野分、どないしたん? 眉間に皺寄っとるで」

 

「え? わ!?」

 

 突然目の前に黒潮の顔がアップで映ったので思わず体を反らす。

 

「い、いや……なんでもないよ黒潮。それより今日の撮影は……うん、うまくいったよ。撮影の人たちからも褒められたんだ」

 

「おお、そらよかったな」

 

 ……うん、大丈夫。ちゃんと話せる。大体姉妹艦の黒潮が舞風と仲良くするのはおかしなことじゃないんだし、自分がおかしいだけだよ。

 

 

 そんな事があってから数日後、野分はまた広報活動として鎮守府の外に出ていました。今回は会見場で筑摩さんと一緒にカメラの前での質疑応答です。国民の皆さんの質問に色々と答えていきますが……やはり機密情報に近いものは伝えられませんし、かと言ってあんまりプライベートな質問をツッコまれても答えれないし……。正直苦手ですね。

 

 野分が応答に困っていると筑摩さんがさりげなくフォローしてくださって……本当にありがたいです。そのおかげでなんとか無事に終わらせることができました。

 

「ふぅ……疲れたぁ」

 

 質疑応答が終わった後、野分は楽屋で休憩を取ってる。筑摩さんは今後の打ち合わせがあるとかで居ないけど……やっぱり頼りになるなぁ、あの人は。野分も頑張らないと。

 

 そんな事を思っていると、楽屋の扉がノックされて、入るように伝えると、入ってきたのは40台ぐらいの女性だった。その人には見覚えがあって、確か撮影のためにテレビ局に来ると決まって撮影を見ている人だった。

 

「いやー、お疲れさま。中々良かったわよぉ」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 褒められたので取りあえず頭を下げると、女性は私の傍に近寄ってきて、そのままこちらを凝視してきました。……野分、何かしたでしょうか?

 

「んー、こうしてみるとやっぱり野分ちゃんはもっと男らしい恰好をしたほうが良いわね。折角の素材がもったいないわ」

 

「そ……そうですか」

 

 女性はジロジロと無遠慮に野分の体を見ながら言ってきて……別に男の格好が好きってわけでもないのに……。

 

「ねぇ、貴女。私の所にこない? そのボーイッシュな魅力。私なら最大限に引き出せるわよ!」

 

「え!? ちょ、ちょっと……」

 

 うわ、手を掴んできた。怖い、この人怖いよ!

 

「何をされてるんですか?」

 

「! 筑摩さん!」

 

 いつの間にか筑摩さんが楽屋に入っていて、女性を睨み付けている。それを見た女性は何かしどろもどろに口にしながら楽屋から出て行った。

 

「大丈夫ですか野分さん」

 

「は、はい! ありがとうございます!」

 

「さっきの人は……このテレビ局の方でしたね。一応抗議はしておきましょうか。野分さんも、何かあったら教えてくださいね」

 

「わかりました」

 

 これでもうあの女性に会わなくて済むのかなぁ。あー良かったぁ。

 

 そう思っていた時期が、この野分にもありました。

 

 



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第七章 野分編2

 あれから何回か広報活動のためにこのテレビ局に訪れていますが、そのたびにあの女性からアプローチをかけられています。そのたびに一緒に来てくださってる艦娘の方に報告はするのですが……向こうはお偉いさんのようで、中々強く言うことはできないようです。

 

「……はぁ……」

 

 間宮で食事をとりながらも、気分は晴れません。広報活動自体が嫌いなわけではないですが……正直気が滅入ります。あの人、野分を見る目が尋常じゃない……なんと言うか、物凄い執念的なものが見える。だから関わりになんかなりたくないのに……。予定ではまだ何回か広報活動に行かなきゃいけないけど……嫌だなぁ。

 

「おーい、野分、なに浮かない顔しとるんや?」

 

「……え? あ、黒潮……」

 

 顔を上げると、いつの間にか黒潮が前の椅子に座っていました。全然気づかなかったけど、いつから居たんだろう。

 

「どないしたんや? そんな浮かない顔をして。なんか困ってることがあるなら相談乗るで」

 

 そう言ってこちらを見つめる黒潮に口を開けかけ……やめました。なんだか黒潮に相談すると負けたような気分になりますし。大丈夫、あれぐらい……自分一人でなんとかしないと。

 

「いえ、大丈夫です」

 

「……ホンマかぁ? なんや無理しとらん?」

 

「……大丈夫ですから」

 

 野分を見てくる黒潮から視線を逸らし、急いで食事を終えると席を立った。大丈夫、黒潮に頼らなくったって大丈夫。

 

 

 そんな事があってから数日後。野分はまた広報活動のためにテレビ局を訪れていた。今日は野分一人だけ……筑摩さんも那珂さんも居ないけど、これまでやってきた事をするだけだったので、問題なく活動を終えることができました。

 

「ふぅ~」

 

 楽屋で水を飲みながら大きく伸びをして……はぁ、正直出撃でもしてるほうがまだ気楽なんだけどなぁ。……あれ、そう言えば。

 

「今日はあの人見てないな」

 

 普段なら撮影場とかでこちらを見てるはずなのに、今日はその姿を見てない。今日は局に居ないのかな? 良かったぁ。そう思ったら気分が楽になってきた。さ、後は帰って美味しいものでも……。

 

「ちょっといいかしら」

 

 そう言って楽屋に入ってきたのは例の女性だった。うそ、居ないって思ってたのに。

 

「ああ、今日も野分ちゃんは可愛いわね。ボーイッシュなのに女性的な柔らかさも秘めていて……まさに私の理想だわ」

 

「そ……そうですか……」

 

 どうしよう。なんだか今日のこの人の女性は普段より怖い。よりによって那珂さんも筑摩さんも居ないときに……。

 

「ねぇ、野分ちゃん。私もう我慢できないわ。貴女がその気になればもっと輝けるのよ……そう、もっとね」

 

「ひい!?」

 

 こ、怖い! もう眼の光が尋常じゃない! に、にげ……逃げないと!

 

「あ、逃げようと思わない事ねぇ。貴女も軍の広報活動として来てるんでしょ? それなのに逃げ出したなんてなったら……恥ずかしいわよねぇ」

 

 その言葉に思わず体が強張る。そうだ、野分は任務でここに来てるんだ。それなのに逃げ出したりしたら皆に迷惑をかけてしまう。でも……。

 

「ふふ、大人しくなったわね。さぁ、私のものに……なりなさい」

 

 女性が勢いよく野分の手首を掴んで、その勢いのまま押し倒されて……そのまま女性が顔を近づけて……誰か……那珂さん……筑摩さん……!

 

「おーい、野分おるかー。迎えに来たでー」

 

 突然楽屋の扉が開けられたと思うと、聞き覚えのある声が聞こえた。それを聞いた女性が振り向く中、野分も視線を扉に向けると、そこには黒潮の姿があった。

 

「……野分、さっさと帰るで。まーた舞風が踊りに誘って来とるんや。野分やないと抑えきれんで」

 

 そう言うと黒潮はまるで女性が居ないかのように野分に近づいてくる。

 

「ちょ、ちょっとあんた、誰よ!?」

 

 女性が野分から手を放して黒潮に怒鳴りますが、黒潮は女性に視線すら向けずに口だけ動かして答えている。

 

「ああ、挨拶が遅れましたな。ウチは陽炎型3番艦の黒潮言います。野分の姉ですわ」

 

 黒潮はそう言いながら野分の荷物を取ると、そのまま野分の腕を掴んで立たせてそのまま楽屋の出入り口まで引っ張っていきます。野分はそれに対して何もできず、ただされるがままです。

 

「ま、待ちなさい! あんた、私を無視するとは良い度胸ね!」

 

「無視なんかしとりませんわ。ちゃんと答えてます」

 

「こっちを見もせずによく言うわね! 良いわ、そっちがその気なら私もしかるべき行動を取るわよ。あんたの事鎮守府へ苦情を入れるし、野分ちゃんも……」

 

「黙れや」

 

 女性の叫びを断ち切るように、黒潮が短く一言だけ言った。たった一言。でも、それを言った黒潮の雰囲気は普段と全然違う、野分に向けられた言葉じゃないのに、背筋がゾクリとした。女性もそれを察したのか口が閉じていて……。

 

「なんかやる言うなら勝手にしてもらおうか。でもな……ウチの妹になんかするんやったら相応の覚悟しとかんとアカンで……野分はウチの大事な妹や。今回は見逃したるが、今度なにかしよう思うなら……そん時は容赦せんからな」

 

 そう言って女性を見る黒潮。その横顔は普段の彼女からは想像もつかないほどに冷たく、まるで彼女が別人になってしまったかのようで……。

 

「ひ……ヒィッ!」

 

 その視線を受けた女性が悲鳴を上げる中、黒潮に手を引かれ、野分は楽屋を後にしていました。

 



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第七章 野分編3

「ふ~、まったく、舞風はもうちょい落ち着かんとアカンで」

 

 あれから寄り道せずに鎮守府へ帰ってきた野分達は今、黒潮の部屋に居ます。途中で舞風がダンスに誘ってきましたが、それは断っています。

 

「野分、あんたからももうちょっと言っといてや。ウチまーた筋肉痛なるんは嫌やで」

 

「……わかり……ました」

 

 鎮守府に戻ってからの彼女は普段の様子に戻っていて、今も普段と変わらない雰囲気で話してます。

 

「……で、野分。あのテレビ局での事はなんなんや? ウチ、あんなん聞いとらんで」

 

「それは……そ……の……」

 

「……まさか思うけど、野分。あんた、体売ってるとかやないやろな?」

 

「ち、違います! それだけは絶対に、違いますから!」

 

 黒潮の言葉に慌てて否定すると、黒潮は野分に顔を近づけて……ちょ! 近い、近すぎます!

 

「ほんなら何があったんかちゃんと喋ってもらおうか。あんな場面を目撃したんや。今更変な言い訳しようなんて思ったらアカンで」

 

 ……確かに今更へんな言い訳なんてできるわけもなく、野分はあの女性に関することを全て話しました。

 

「なるほどな~……。まぁ、後で司令はんに事の次第を伝える必要はあるな。対応が後手に回っとるんはアレやけど……しゃあないあ。それより野分」

 

「な……なに?」

 

 目の前の黒潮の眉間に皺が寄ってる。な、なにされるの? あのテレビ局の時の黒潮に怒られたら……。

 

「ひひゃ! ひひゃい!」

 

 不意に両頬が掴まれたと思うと、そのまま上下左右に引っ張られる。痛い、本当に痛い!

 

「こないだ聞いたときより前から襲われとったとはどういうこっちゃ! おまけに他の艦娘には相談しとるのにウチが聞いたら誤魔化すとか、そんなにウチが頼りにならん言うんか、ええ!? どういうこっちゃ!」

 

「ひひゃ! ひひゃう! ひひゃう!」

 

 野分の抗議に耳を貸さず、黒潮はしばらく野分の両頬を引っ張って……ようやく離して貰った時には痛くてちょっと涙目になってて……うう、痛い……。

 

「まったく……まぁええ。怒るんはこれで勘弁しといたる」

 

「えっと……まだ何か……?」

 

 野分が恐る恐る聞くと、黒潮は大きくため息をついて……そのまま野分を抱きしめてきました。

 

「え……っと……?」

 

「ごめんな野分、気づいてやれんくれ」

 

 突然の黒潮の行動に野分は困惑してしまいます。どういうこと……なんでしょうか?

 

「ウチがもっとはよう気づいとったら今日みたいになる前になんとかできとったかもしれんのに、ごめんなぁ、気づかんくて」

 

「え、でも、それは……」

 

「黙っとったんは怒っとるよ。でも、もしウチが今日来んかったら……野分、えらい目におうとったやん。ホンマ、そんなんなっとったら、ウチ、後悔してもしきれんで……」

 

 黒潮の言葉に、野分は改めてあの女性の事を思い出して……体が震えてきました。もし、あの時黒潮が来てくれてなかったら……。

 

「あ……あ……」

 

 震える手で、腕で、思わず野分は黒潮を抱きしめてました。そんな野分を……黒潮は優しく抱きしめ続けてくれます。

 

「野分、次からはもっと早よう相談し。そうしたらウチももっと早ように動ける。助けられるからな」

 

「……わかった……よ」

 

 背中を撫でてくれる黒潮の手。その温かさを感じながら、野分は舞風が黒潮に懐くようになった理由に気づきました。

 

(舞風も……きっと、何かで……多分あの盆踊り関係でこうしてもらったんだ……。だから、あんなに……)

 

 そりゃ、こんな暖かく抱きしめられたらそうなっちゃうよ……。黒潮、ありがとう、本当に……ありがとう。

 

 

 

「ねぇ黒潮、踊ろうよー。今度のは簡単なダンスだってー」

 

「いややー。もう筋肉痛にはなりとうないんやー」

 

 鎮守府の廊下の先から聞こえる声とこっちに向かって走ってくる黒潮と舞風。あ、また舞風がダンスに誘ってるのか。しょうがないなぁ舞風は。

 

「ん? おお、野分。ちょうどええところにおってくれたな。舞風なんとかしてーや」

 

 野分を見つけた黒潮がこっちに走ってきて手を合わせてくる。もう、しょうがいないなぁ黒潮も。

 

「うん、任せてよ黒潮」

 

「おお、助かるで野分」

 

 野分が承諾したのを見て喜ぶ黒潮。その後ろから舞風も追いついてきた。

 

「のわっち。黒潮と一緒にダンスしよう。今回のは簡単なのだからやりやすいよ」

 

「もう、舞風。黒潮が困ってるんだから、所構わず誘うのはやめなよ」

 

「そうやそうや」

 

 野分という援護を得たおかげか黒潮も舞風に反撃する。そして野分はその左腕を掴みました。

 

「……野分、なんでウチの腕掴んどるん?」

 

「ほら、こんな廊下で騒いだら皆の迷惑だし。トレーニング場でなら黒潮もきっと承諾してくれるから、そこで誘うよ舞風」

 

「……野分、グッジョブ!」

 

「ちょーーーい! なんで! なんでそんな結論なったん!? てか野分、止めてくれんのか!?」

 

 騒ぐ黒潮を他所に野分は舞風と固く握手すると、黒潮を連行していきます。さ、今日のダンスは普段よりきっと楽しいはずです。

 

「なんでやー! なんでこんな天丼せなアカンのやー!」

 



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第七章 野分編4

「うう……野分のアホー、裏切りもんー、薄情もんー」

 

「はいはい、静かになさい。湿布張るから」

 

 ……こないだも私が甘えようとしたら黒潮が筋肉痛で動けなくなってたのに、なんでまた同じことなってるのよまったく。これじゃぁ、私がいつまでも甘えられないじゃないのよ。

 

「なんでやー。なんで野分まで舞風側に回ってもうたんや。ウチがなにした言うんや、ウチは別にあの二人になんもしとらんで」

 

「しっかりやってるでしょうが。司令から、例の女性の更迭が決まったって連絡がきたわよ。なんでも他にも色々やらかしてたみたいで、ちょうど良いキッカケになったらしいわ。向こうのお偉いさんからは逆に感謝されたんだって」

 

 黒潮から話を聞いた司令はすぐに筑摩さんや那珂さんを初めとした艦娘への事情聴取を行い。軍の上層部にも掛け合ってあの女性に対処してくれたわ。なんでも社長の親族らしく、それを利用して色々やってたらしいけど。まぁ、単なる虎の威を借りる狐じゃこんなもんでしょうね。

 

「そうかぁ、そりゃ良かったで」

 

 それを聞いた時、黒潮は嬉しそうに笑った。……まったく、嬉しそうな顔しちゃって。そんな顔するぐらい嬉しいってのはよくわかるけど。

 

「舞風と野分には私からちゃんと言っておくわ……。まったく、私が甘える時間がなくなってばっかりじゃない」

 

「うう……それはホンマ申し訳ないで陽炎。ごめんなぁ」

 

 私の呟きに黒潮は申し訳なさそうにしてくる。

 

「あんたを責めてるんじゃないわよ。……はぁ良いわ。今日はこれで我慢しとくから」

 

「へ? おちょちょ、ちょいちょい、なんやなんや?」

 

 私は黒潮が寝ている隣に強引に体を潜り込ませる。狭いけどまぁ我慢できる範囲ね。

 

「……陽炎、狭ないん?」

 

「狭いわよ。でもあんたが動けないんだから仕方ないでしょ」

 

 そう言って私は黒潮の手を握る。抱き着こうにもさっき張った湿布が剥がれちゃうからこれで我慢ね。

 

「それじゃぁお休み」

 

「……お休み陽炎、いい夢見ような」

 

 空いている手で軽く頭を撫でてもらって……はぁ、早くちゃんと甘えたいなぁ。もっと抱き着きたいのに。まったく、あの二人には本当にキッチリ話をつけておかないと……そもそも、黒潮が何かにつけて筋肉痛になってたら、不知火や親潮のほうも困るんだから。

 

 ……あー、そうだ、そう言えば不知火は不知火で黒潮が筋肉痛の時に笑顔の練習ができなかったから微妙に不機嫌になってたわね。親潮と浜風も一緒に食事ができないから微妙に気を治してたし……うん、後でさっさと二人に言っておこうっと。



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第八章 萩風編
第八章 萩風編


 萩風は皆さんが心配です。艦ではなく人の体を持った萩風達は艦にはない多くの利点があります。それはとても素晴らしい事ですし、萩風も艦娘になれて良かったと思っています。

 

 ですが、人の体は利点だけではありません。怪我、病気、どうしてもそう言ったものと無縁ではいられません。そうしたものは艦であった時のように誰かに修理してもらって終わり。と言うわけではなく、癌のように完治が非常に難しい。または現代医学では不可能なものも多くあります。ですから……。

 

「はい皆さん。今日のお菓子用意しましたよ」

 

 今日は久しぶりに第四駆逐隊で集まっておやつの時間です。この鎮守府の人も増えてきて、一緒に集まる時間も少ないですから、萩風、精一杯作ってみました。

 

「おー、萩風のクッキーだ。……うーん、いつもの味だぁ」

 

「こら舞風。お行儀悪いよ」

 

「ま、あんまり気にするなよ野分。ここに居るのは俺等だけなんだしさ」

 

 ふふ、皆さん特にお変わりがないようです。萩風、嬉しいです。

 

「あ、そうだー。あたしもお菓子持ってきたんだよー。じゃーん、浜風お勧めのケーキ。これも食べようよ」

 

 そう言って舞風が取り出したのは有名なケーキ店の箱で、上を開けるとそこには四つのケーキが入っていました。うわぁ、美味しそう。

 

「お、気が利くじゃん舞風」

 

「へへ、そうでしょ。じゃ、お皿とフォーク持ってくるから」

 

 そう言って舞風はアッという前に席を離れて、アッという間に人数分のお皿とフォークを持ってきました。

 

「じゃ、俺はこれだ」

 

「野分はこれ、貰ってもいいかな?」

 

「あたしはこれが良いけど、野分、そっちもちょっとちょうだい。あたしのもちょっとあげるから」

 

「では、萩風はこれを頂ますね」

 

 こうして四人で分けられたケーキ。早速皆が口にしたんですが……。

 

「う……あっまい。ちょっと甘すぎます」

 

 口にしたケーキの甘さに思わず眉間に皺が寄ってしまいます。

 

「え? そんなに甘い? どれどれ? ……萩風、そこまで甘くないよ?」

 

「うーん……そうだなぁ。言うほど甘くもないな」

 

「……そうだね、普通だと思うよ」

 

「ええ!? そうなんですか!?」

 

 三人のケーキを少し分けて貰いますが、やっぱりどれも甘すぎます。でも三人はそれぞれ同じようにケーキを食べてみても首を捻るばかりです。

 

「うーん……取りあえず、ケーキは今度、甘さ控えめなの買ってくるね」

 

「……お願いします。あ、ケーキのほうは誰か食べてください」

 

 そう言ってケーキを差し出すと、三人とも申し訳なさそうにケーキを食べ始めます。あーあ、久しぶりの女子会なのに、悪い空気にしてしまいました……悲しいです。



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第八章 萩風編2

 そんな女子会から数日後。今日は第四駆でお昼を食べることができました。勿論、この萩風が作った健康に良い根菜カレーを振る舞っています。

 

「うーん、素朴な味だね」

 

「萩風の作る料理は相変わらず健康志向だね」

 

「まぁいいじゃん」

 

 ふふ、食べてくださってるのを見るのはやはり嬉しいです。皆さんが少しでも健康になっていただけるなら、萩風は満足ですから。

 

「おーい、四人とも、ちょっとええか?」

 

 カレーを食べている萩風達に黒潮さんが声をかけてきました。珍しいですね。

 

「あ、黒潮、どうしたのー? ダンス踊ってくれるの?」

 

「踊らんて。筋肉痛が辛いんやから。野分も、こないだ裏切ったこと忘れとらんからな」

 

「アハハ……うん、あれはごめん」

 

「で、一体どうしたんだ黒潮ねえ? 何の用なんだよ?」

 

「おお、そやそや。実はたこ焼き作ったんやけど、良かったら食べてくれへんか。ちょいと多く作ってもてなぁ」

 

 あ、黒潮さんのたこ焼きですか。美味しそうですね。

 

「良いよー。食べるから持ってきてよ」

 

「持ってくるのお手伝いしましょうか?」

 

「大丈夫や、一人で運べるからちょっと待っとき」

 

 そう言って黒潮さんはいったん戻ると、お皿にたこ焼きを積んで持ってきました。ああ、美味しそう。そう言えば久しく食べてなかったわね。

 

「ほい、お待たせや。ウチのお手製ソースかけとるから、市販のより味の保証はするで」

 

「お、流石大阪生まれ。ソースに拘りあるんだな」

 

「ふ、当たり前や。大阪生まれをなめたらアカンで。さ、冷める前に食べてや」

 

 勧められるまま萩風達はたこ焼きを口にし…… ええ!?

 

「かっ、から! 辛いです!」

 

 思わずたこ焼きを吐き出し、水を飲みます、なに、この辛さ。黒潮さん、どんなソース作ったんですか!?

 

「ええ!? 辛いって……そんな吐き出すほど辛くした覚えないで! ……うーん、普通の辛さやと思うけどなぁ」

 

「ん~……そうだねぇ。これ、別にそんな辛くはないよ?」

 

「うん。多少辛みはあると思うけど……食べれるよね」

 

「だよなー。まさか黒潮ねえ、ロシアンルーレット的に辛いの混ぜたんじゃないよな?」

 

「そないな事するなら事前に一言言っとる。なんならそれ食べて辛ないって事証明したろか」

 

「いや、そこまでしなくていいけど……萩風、大丈夫?」

 

 野分の言葉に頷きますが……なんで皆平気なんですか?

 

「うーん……なぁ萩風。ちょっとこれだけ食べてみてくれんか?」

 

 黒潮さんがそう言って差し出したのはソースがかかってないたこ焼きで。試しに食べてみますが辛くはないです。

 

「特に辛いとかは……ないですね」

 

「せやったらやっぱこのソースなんか。でも……そんな辛いんか?」

 

「いや、特に辛くはないよ? 萩風の味覚が独特なのかな?」

 

「あ、それあるかも。萩風っていっつも健康食? みたいなのばっかり食べてるじゃん。素朴な味だし嫌いじゃないんだけどさぁ。味は薄いよね」

 

「あ、確かにな。薄味ばっか食べてるから余計に辛いって思ったんじゃないか? こないだケーキ食べたときにも甘すぎるって言ってたし」

 

 う……確かに萩風の作る料理は基本薄味ですけど……。

 

「そうかぁ、じゃぁこれどないしょうかなぁ。萩風が食べれへんのに置いとくわけにもいかんし」

 

「そうだね……ごめん黒潮。下げてもらってもいいかな?」

 

 野分の言葉に黒潮は残念そうにお皿を下げて、萩風達は少し微妙な空気のまま食事会は終わりました。



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第八章 萩風編3

 その日を境に、萩風は食事のときに気を遣うようになりました。多少味が強くても普通に食べますし、あんまり刺激の強いものでも我慢して食べています。でも、それは他の人にも伝わってしまっているようで……彼女達が遠慮している空気も感じています。

 

「はぁ……」

 

 そんな日が続いて正直憂鬱です。萩風は……皆さんに健康になって欲しい。その為にも自分も健康じゃないといけない。そう思って料理をしてきただけなのに……。

 

(それと言うのも黒潮さんがたこ焼きを持ってきたから……いえ、あれはキッカケに過ぎないです。そのはず……)

 

 ふと脳裏に過ったのはあの時の黒潮さんの持ってきたたこ焼き。わかってはいます、あれは単なるキッカケに過ぎなかったって。でも、少し……恨めしいのも事実で。

 

「なぁ萩。最近ため息増えてないか?」

 

「え!? いえ、大丈夫ですよ!」

 

 慌てて誤魔化しますけど、嵐は怪訝そうな顔のままでお茶を飲んでいます。今日は第四駆逐隊で昼食を食べていますが……皆さん、萩風の料理を美味しいと思ってくれてるのでしょうか? 前はその殊に疑問は抱いていませんでしたが、今は……。

 

「おーい、四人とも、ちょっとええか?」

 

 そう思っていると黒潮さんが話しかけてきました。手には……またたこ焼き!?

 

「なに? くろし……ってなんでまたたこ焼き持ってるのさ!?」

 

「こないだのリベンジや。自家製ソース吐き出されて捨て置けるほど大阪生まれは穏やかちゃうで。大丈夫や、ちゃんと間宮はんや鳳翔はんにも手伝ってもらって作っとる。萩風の舌にも合うはずや!」

 

 そう言って目の前に置かれたたこ焼き。……正直食べたくありません。こないだの事が脳裏を過ります。嵐もその事を思い出したのか少し嫌そうな顔をしてますし、舞風と野分も……。

 

「あ、本当だ。こないだより辛くないけど美味しくないとかじゃない」

 

「うん、これはこれでいけるね。ポン酢で食べてるのに近いかな?」

 

 ってあっさり食べてますし!

 

「おう、せやろ。萩風の舌に合わせて辛さは薄く……それでも味を損なわんよう作るのに苦労したで。ほら、嵐と萩風も食べてみてえや。口に合わんかったら遠慮なく言って構へんで」

 

「それじゃぁちょっと……。お、萩、これは本当に美味しいぜ」

 

 嵐までそう言って……仕方ないです。本当はあんまり食べたくは……あれ?

 

「……美味しい……」

 

 三人が言うように、辛さはあまりない。それなのに萩風が知ってるたこ焼きとそん色のない味で。これなら十分食べれます。

 

「おっし、萩風の口にも合ったようやな。いやー……苦労したでぇ」

 

 そう言って深く息を吐く黒潮の顔は……あれ、よく見たら隈ができてる?

 

「そう言えば最近は黒潮よく間宮に出入りしてると思ってたけど、これ作るためだったんだ」

 

「せやでー。いやぁ、京料理の手法なんて久しぶりやったから、中々うまくいかんくてなー」

 

「え!? これ、京料理の手法使ってるのかよ?」

 

「せやで。素材の味を生かすんはやっぱり向こうの手法のほうが上手や。いやー、大阪の味とのミックスには苦労したで」

 

「黒潮……そんな器用な真似ができたんだね」

 

「おうどういう意味や野分。ウチが大阪の濃い味の料理しか作れんとでも思っとったんか。分かった、今度失敗作のクッソ濃いソース使ったお好み焼き食わせたろやないか」

 

「ちょ、ごめん! ごめんなさい!」

 

 みんなが騒ぐ中、萩風はもう一度たこ焼きを食べてみます。……うん、美味しい。

 

「そうそう、萩風、これレシピや、渡しとくで」

 

「え? い、いいんですか?」

 

「構へんよ。元々萩風にも美味しく食べれるようにって作ったんやもん」

 

「えー、萩風だけそんなにしてもらってずるーい。黒潮、あたしにももっと構ってよぉ」

 

「そう言うてウチを何回筋肉痛にさせるつもりやねん」

 

 黒潮さん、楽しそうです。そんな彼女の作ってくれた……目に隈を作ってまで作ってくれたレシピ……あれ、なんだか目の前がぼやけて……。

 

「萩、涙出てるぜ。ほら」

 

「へ? おおう、どないしたんや萩風」

 

 嵐がハンカチで涙を拭いているのを黒潮さんに見られて驚かれます。……仕方ないじゃないですか、こんな、折角作ってくれたたこ焼きを吐き出した萩風の為に作ってくれたなんて言われたら……。

 

「黒潮さん……ありがとうございます。このレシピ、大切にしますね」

 

「おう、大切にしてーや」

 

「……ところで、どうしてここまでしてくれたんですか?」

 

 こう言ってはなんですが、萩風と黒潮さんは別に大きな接点もありません。それなのにどうして?

 

「何言うとるん。妹のために一肌脱いどるだけやん。それに、こないだの件以降、なんか微妙な空気になっとるって聞いたからな。罪滅ぼしも兼ねとるんや」

 

 その言葉に思わず三人を見ると、舞風と野分が咄嗟に視線を逸らしました。お二人ですか、そう言うのを言ったのは。

 

「あのなぁ萩風。食事ちゅうんは大切なことやし、萩風みたいに健康を意識した食事するのもええ事やと思うで。でも知っとるか? あの外国のくっそ体に悪いドリンク。あれを一日三本飲み続けて100歳以上生きとるおばあちゃんおるんやで」

 

「え? ええ!? ほ、本当ですかそれ!?」

 

 あのドリンクは萩風も知っています。あれを飲んでいて100歳以上生きておられるなんて……とても信じられません。

 

「ホンマの話や。せやから、食事ちゅうんは大切やけど、絶対条件ちゃうと思う。むしろ、健康を意識しすぎて食事のたんびにストレス抱えるようなんなったら本末転倒や。あ、萩風の料理がまずいとかそういうのやないから勘違いせんとってな」

 

「え、ええ。勿論です」

 

「で、話し戻すけどな。このソースのレシピ使こうたら、萩風ならもうちょい料理のバリエーション増やせる思うねん。それなら、四人で食事するときも健康料理とは別のもんも出せるやろ。バリエーションは豊富に越したことはないからな。萩風も、たまには皆で心置きなく美味しいって言い合える料理作れるようになっとくほうがええやろ?」

 

「……そう、ですね。萩風……健康の事ばかり考えて、そう言うのを失念してました」

 

「萩風の気持ちもようわかるんやけどな。でも、たまには多少健康に悪いもんでも、皆で遠慮なしに美味しい言い合える料理があればええんと思うんや。押しつけがましい事言うとるのは自覚しとるが……。どうや、やってみんか?」

 

「……そう……ですね。わかりました、やってみようと思います」

 

 萩風の言葉に黒潮さんが笑顔になって……あ、こうしてみるとけっこう可愛らしいんですね。今まで接点があんまりなかったので気づいてませんでしたけど……。

 

 その後は黒潮さんも混ざった五人でお食事を続けました。ああ、なんでしょう。凄い心地良いです……黒潮さん、萩風のいけない所を教えてくださって、本当にありがとうございました。

 

 

 

「黒潮さん、黒潮さん、新しい料理を作ったんです、食べてください」

 

「黒潮さん、私も今までの料理に手を加えてみたんですよ。食べてもらえませんか?」

 

「おおう……食わせてくれるんは嬉しいけど、こんな食べ取ったらマジで黒豚なってまうで。つうか、最近はマジに体重増えて困っとるんやけど……」

 

「大丈夫です。ちゃんとカロリーを抑えたヘルシーな料理ですから」

 

「大丈夫です。そもそも最近の黒潮さんは節約と言ってオヤツを抜いたり、量が少ない料理を頼んだりしてますから、これぐらいでバランスが取れてます」

 

 二人で大丈夫な事をアピールすると、黒潮さんはなんか微妙な顔でこちらを見てきました。

 

「……なんでそんなウチの逃げ場塞いどるん?」

 

「「黒潮さんに食べてほしいからです」」

 

「お……おう、ありがとうな」

 

 萩風と親潮さんの言葉に黒潮さんは若干引いている感じはしますが料理を食べてくれます。ふふ、美味しそう食べていただけて萩風は幸せです。

 

 最初は親潮さんとかち合うことが多かったですが、今ではこうして一緒に黒潮さんと食事をすることで落ち着いています。親潮さんも料理をされるので、一緒に料理を作ったりするのも楽しみになりました。

 

 ふふ、こうして親潮さんとも親しくなれましたし、本当に、黒潮さんには感謝しかありません。ありがとうございます、黒潮さん。

 

 



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第八章 萩風編4

「うう……腹が一杯や……動けへん……」

 

「動かなくてもいいけど、体ぐらい起こしなさい。胃液が逆流するわよ。逆流性食道炎とかなりたくないでしょ?」

 

「おおう……それは勘弁やで……」

 

 ベットに寝転がっていた黒潮はなんとか体を起こすけど……これ、筋肉痛の時より甘えられる雰囲気じゃないわね。おもっきり眉間に皺寄ってるし、相当苦しそうね。

 

「まったく、親潮と萩風も悪いけど、あんたも律儀に二人分食べてるんじゃないわよ。お金なら貸してるんだから、普通の食事取れるでしょ」

 

「そうなんやけどなぁ……折角作ってくれたん残すのも悪いやん」

 

 私の言葉に黒潮は苦笑いを浮かべてるけど、それでこんなんになってるんじゃ本末転倒じゃないの。

 

「だからって食べ過ぎで動けなくなってたら駄目じゃないの。こないだから筋肉痛で動けなくなるわ、食べ過ぎで動けなくなるわ。そんなんばっかりじゃない、そろそろ任務にも支障があるから、笑い話じゃ済まなくなるわよ」

 

「それ言われると辛いわぁ……って、筋肉痛のほうはウチも全力で逃げとるわ」

 

 いや、逃げきれてたら筋肉痛になってないでしょうが。

 

「逃げきれてないじゃないの」

 

「むむむ……」

 

「何がむむむよ」

 

 ……はぁ、しょうもないネタは置いといて……こうして会話してるのも悪くはないんだけど物足りないのよねぇ……仕方ない、恥ずかしいけど。

 

「よっと」

 

 私は黒潮の横に腰を下ろすと、足を広げる。

 

「黒潮、ちょっとここに座ってくれる?」

 

「ええ? 陽炎の股の間に座れって、どないな意味があるん?」

 

 わけがわからない、と言う感じに黒潮が困惑した表情を浮かべてくる。

 

「いいからさっさとしなさい」

 

 黒潮が渋々と言った感じで座って……じゃ手袋を外してと。

 

「なぁ陽炎、なんでウチの服捲ってお腹撫でとるん?」

 

 私が黒潮の服をめくり、素肌のお腹を摩っていると、黒潮から怪訝な表情を向けられた。まぁ、うん、言いたいことはわかるわよ、わかるんだけどね……。

 

「甘えられない分の代用よ。あんたも、こっちのほうが楽でしょ?」

 

「まぁ、せやなぁ。これで少しは消化が早ようなってくれたらええんやけどなぁ」

 

 そう言いながら私にもたれかかってくる黒潮。その肩に顎を乗せながら、私は黒潮のお腹を撫で続ける。あー……暖かいなぁ……、特に手から伝わってくる体温は、普段の服越しに感じるものじゃなくて、黒潮の素の体温をそのまま感じてるから、普段よりもっと黒潮と言う存在を感じられる。……ま、たまにはこんなのも悪くないわね。



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第九章 嵐編
第九章 嵐編


 俺は夜が苦手だ。あの大戦で俺も萩も夜が苦手になった。最初に鎮守府に配属された頃も、野戦が大の苦手だったし、夜になっても電気をつけて寝る事が多かった。それは萩も同じで、入渠する事すら苦手だった。

 

 そんな頃、ある映像作品に目を通した。それは人のために戦うヒーローの作品で、彼が腰に装着したベルトは、まるで自分のベルトのように個性的だった。

 

 だから、彼の真似をすることにした。彼はヒーローだ。彼になれれば夜なんて怖くない。萩が夜を怖がる分も、このライダーが、頑張るんだ。俺がライダーになって、萩の分も頑張るんだ。

 

 

 

 

「くっ、退却します! 支援艦隊との合流ポイントまで急いで!」

 

 夜戦の中、旗艦である神通さんの声が聞こえる。確かに今回の敵は想定よりも強い。しかも、このまま無事に退却させてくれるほど甘くもなさそうだ。

 

「神通さん! 殿は嵐が努めます!」

 

「! ダメです! 貴女一人では……!」

 

「嵐! 萩風も残ります!」

 

「大丈夫です。嵐の損傷は軽微です。神通さんはどうか他の人を! 萩も、俺に任せとけ!」

 

そう叫んで俺は敵に突っ込む……いや、今の俺はライダーだ。だから、こんな夜でも、一人でも、平気だ。平気なんだ。だから、萩も早く退避させないと。萩まで夜戦に巻き込む必要はない。

 

「さぁ、行くぞ。ライダーはこんなピンチ、なんてことない」

 

自分にそう言い聞かせると不思議と夜が怖くなくなる。そうだ、今の俺はライダーだ。だから夜なんか怖くない。

 

「はああああ!」

 

 この暗闇の中で肉薄は難しい。敵の色も相まってかなり見えにくいけど……大丈夫。やれる。

 

「これで!」 

 

 至近距離に接近し、砲撃を、魚雷を叩き込む。敵の攻撃も同様に飛んでくるが、それを避ける。避ける。避ける! ここで時間を稼がないと大破した人達にまで追手がかかるかもしれない。そうならないためにも少しでも!

 

「! グアッ!」

 

 後ろからの砲撃を食らいバランスを崩す……けど! まだやれる! こんなものでライダーは倒れない! 足に力を入れろ、心を震わせろ! ライダーなら、こんな夜戦。なんてことはない!

 

「でええい!」

 

 声をあげ、自分に活を入れる。まだだ、ライダーはまだ倒れられ……。

 

「やっと見つけた! 何やってるのよ嵐!」

 

 その時、後ろから聞き覚えのある声がした。振り向くとそこに居たのは陽炎姉、不知火姉、黒潮姉の三人だった。

 

「嵐! 大丈夫ですか!」

 

「嵐! 後ろさがっとれ! 後はウチ等で対応する!」

 

 三人の声が頼もしく聞こえる。でも……自分はライダーだ。だから倒れられない。倒れてる姿なんて見せられない。

 

「だい……じょうぶ。まだやれる!」

 

「! なに言うとるんや! もう艤装もボロボロやん! 無理せんと後ろ下がり!」

 

「でも……! 嵐はライダーだから……下がるなんて……」

 

「下がれ言うとるんや! 聞き分けないんやったらどつくぞ!」

 

 普段聞かない黒潮姉の怒鳴り声に思わず体が固まる。その間に黒潮姉は陽炎姉達を追って前に出て、敵を倒していく。

 

(俺……は……)

 

 その後姿を、俺は見送ることしかできなかった。



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第九章 嵐編2

 そんな事があってから数日後。俺は再度神通さんの率いる艦隊で夜戦を行っていた。今回の編成には黒潮姉も居るけど、俺は最低限の挨拶だけで済ましている。……別にあれで黒潮姉の事が嫌いになったわけじゃないけど、やっぱり俺のやり方を非難されたのは腹が立つ。

 

 そして今日の出撃先は……前回の夜戦に追い込まれた海域だ。前回よりも戦力的には上がっている編成で挑んだけど……それでも敵の強さは半端じゃなくて、俺達は再び撤退に追い込まれた。

 

「おらあ!」

 

 敵に砲撃を叩き込みながらも俺は考える。このままだと前回の二の舞だ。前回に比べれば全体の損傷は少ないけど、それでもだ。それなら。

 

「神通さん! 俺が突撃して敵の気を引きます!」

 

「嵐! また貴女は!」

 

 神通さんが止めるより早く俺は敵に突っ込んでいく。大丈夫。ライダーなら同じ相手に負けたりなんてしない。ライダーが時間を稼いで、皆を安全に退避させる……!

 

 その決意を胸に俺は敵に向けて攻撃を続ける。よし、大丈夫だ。大丈夫、俺なら……ライダーなら大丈夫。だいじょ……。

 

「グアアア!」

 

 戦っている最中、横からの魚雷を避けることができずに大きなダメージを受ける。そんな俺の目の前に、別の敵が……。

 

「ぐ……クソ!」

 

 避けようとしても体が動かない。ダメだ、ライダーがこんなんじゃ。動け、動いてくれ! 動いてくれよ!

 

「嵐! 伏せえ!」

 

 後ろから聞こえた声に思わず頭を伏せる。そして何かが頭の上を飛んでいく気配がしたと思うと目の前の敵が沈んでいく。

 

「嵐! 他はもう撤退した! ウチらも撤退するで!」

 

 そう言われたと思うと、俺の体が簡単に持ち上げられる。そして持ち上げた本人……黒潮姉はそのまま俺をお姫様抱っこして後退していく。

 

「く、黒潮姉! 俺、一人で走れるよ!」

 

「神通はんの制止を無視して殿したアホが何言うとるんや! おとなしくしとき!」

 

 俺の言葉に怒鳴り返しながら黒潮姉は走り続ける。俺は……何も言えなかった。

 

 

 

 その後神通さんから軽く怒られた(入渠の後に本格的に怒られるけど)俺は黒潮姉と一緒に入渠している。その黒潮姉は不機嫌そうな顔で俺を睨んでいた。

 

「まったく……前回のはまだしも、今回のはなんやねん嵐。ウチがおらんかったらどうなってたんかわかっとるんか?」

 

「……わかってるよ、ごめん、黒潮姉」

 

 あーあ、こんなのライダーの姿じゃないよなぁ。情けないなぁ、ライダーになれば夜戦だって怖くないのに、同じ相手に二回も負けるなんて。

 

「……嵐、なんであんな無謀な真似するんよ。あんな戦い方しとったら命がいくつあっても足りんで」

 

「だって……俺はライダーだから……ライダーは同じ相手に負けない。ライダーは夜戦を恐れない。ライダーなら……」

 

「……アホ、あんたはライダーなんかやないわ」

 

「な!」

 

 黒潮姉の言葉に思わず睨もうとして……俺の頭はいつの間にか黒潮姉に抱きしめられてた。

 

「あんたは嵐や。ウチの妹。陽炎型の姉妹や。あんな特撮の中にしかおらん架空の存在ちゃう。ここにおる……ここにおるウチの妹や」

 

「う……」

 

 黒潮姉の言葉はさっきまでの怒りや呆れの気配のない……たまに陽炎姉が聞かせてくれるような、優しい音で……。

 

「あんたが夜戦を克服するためにライダーになるんは止めへん。でもな……それは一人でなんでもやらなかん、一人で危険を背負わなあかん理由にはならん。ウチらは姉妹や、この鎮守府には仲間がおるんや。やから、一人で無理はアカン。一人で突っ込むのもアカン。それは一人よがりに過ぎへん……。やから、ウチらを頼り」

 

 その言葉に……俺の目からお湯じゃない……何かが零れる。

 

「……ごめん、黒潮姉。ごめん……なさい……」

 

「謝るんなら神通はんや萩風達にしい。皆、嵐の事心配しとるんや。心配かけてごめんなさいって、ちゃんと謝るねんで」

 

「……うん……うん……」

 

 黒潮姉の胸に顔を埋めてる間、黒潮姉は俺の頭を撫でてくれて……そうだよな、ライダーはこんなのないもんな。俺は……ライダーじゃなくて、嵐だから……。

 



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第九章 嵐編3

「変身!」

 

「変身!」

 

 ステージの上で俺と黒潮がポーズをとると、眩い光が明石さん特性の腰のベルトから溢れ出し、そして光が収まったとき、俺と黒潮姉はそれぞれのライダーの恰好になっていた。

 

「ハア!」

 

「セイ!」

 

 そしてライダーに変身した俺達は適役のスーツアクターの人達と殺陣を演じて……最後はお決まりの必殺技でラスボスを倒して、ステージを見てくれている皆に手を振ってステージの上を降りた。

 

「はぁぁ……疲れたわぁ。これ、思ったより動くんやなぁ」

 

「お疲れさま、黒潮姉。はい飲み物」

 

「おお、スマンな」

 

 変身を解除した黒潮姉が休憩室に戻った途端に座り込んだから水を手渡すと凄い勢いで飲みだした。

 

「ぷはぁ……しっかし、嵐こんな事しとったんか。ウチ知らんかったで」

 

「ああ、鎮守府の広告活動の一環で始めたのが人気が出ちゃってさ。不定期だけど開催するようになったんだ」

 

 俺達が今日やったのは艦娘が登場するヒーローショー。今回は俺と黒潮姉がそれぞれライダーの役として登場したんだけど、ステージの反応を見ると成功だったみたいだな。黒潮姉、良い動きしてたもんなぁ。

 

「しっかし、なんでこのライダー選んだんや? 確かこのライダーって、別にそっちのライダーと接点ないやろ?」

 

「えーと……ほら、黒潮姉の名前と似てるじゃん。だからこっちのほうが親近感沸くって思ったんだけど、ダメだったか?」

 

「いや、別に嫌やないで。確かに親近感は沸くわ」

 

 そう言って黒潮姉はまた水を飲みだす……ふー危ねえ危ねえ。まさか、俺の演じたライダーの俳優が、黒潮姉の演じてるライダーが大好きだから……なんて理由で選んだなんてバレたら恥ずかしすぎるからな。黒潮姉の名前が似てて本当良かったぜ。

 

 

 

 

 

 

「……ふーん、最近嵐と一緒にいると思ったら、そんなのに付き合ってたんだ」

 

「せやでー。あ、これ向こうで貰ったおせんべいやけど、食べる?」

 

「もらうわ……あ、美味しい」

 

 黒潮の部屋でせんべいを齧りながら黒潮の話に耳を傾ける。しっかし黒潮もよくよくトラブルに巻き込まれるわね。ま、今更なんだろうけど。

 

「それで、ヒーローショーって筋肉痛はないの?」

 

「せやねぇ。ダンスと違って普段使こうとる筋肉使っとるんか、それともダンスのせいでその辺の筋肉も鍛えられたんかはわからんけど、今回は筋肉痛はないで」

 

「じゃ、遠慮なく甘えるから」

 

 そう言って私は黒潮が行動するより早く彼女を抱きしめる。あー、正面から抱きしめるのは久しぶりねぇ。

 

「そうやねぇ……それじゃぁ陽炎、いっぱい甘えてええで。ウチが甘やかしたるからな」

 

 そう言って背中を優しく撫でる彼女の手を感じながら、私は久しぶりの満足感に漬かっていった。



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第十章 時津風編
第十章 時津風編


 あたしは先の大戦で沈みました。それも無茶苦茶な作戦に参加して……今でも時津風の胸を貫いたあの一撃の痛み……忘れられない。

 

 だから、あたしは司令の元へ通います。もうあんな作戦をして欲しくないから。あたし達を見捨てないで欲しいから。

 

 

 

「ねぇねぇ。しれいしれい。あそんであそんでー」

 

 今日もあたしは司令の膝の上で彼に甘える。しれぇがあたしを見捨てないように、精一杯アピールする。

 

「こらこら、そんなにじゃれつかれたら仕事ができないだろ。仕事が一段落したら遊んであげるから少しどいてなさい」

 

「はーい」

 

 司令に怒られたから仕方なく膝から降りてソファーで司令の後姿を見続ける。大丈夫だ、この司令はあたし達に無謀な作戦を命令したりしない。あたし達を使い捨てたりしない。大丈夫なんだ。

 

 

 

 

 さぁ、今日も司令の所に遊びに行きます。今日も司令はきっと困った顔をしながらもあたしに構ってくれて、それであたしは安心できるんです。ここならきっと、あの時と同じような事は……。あれ?

 

 司令の部屋の前まで来たら中から何か声が聞こえます。なんでしょう? また霞さんが司令を怒ってるんでしょうか? まったく、霞さんはいっつもしれぇを怒ってます。あれじゃぁしれぇが疲れるから、あたしが癒してあげないと……。

 

 そう思って扉を少し開けたところで、あたしはその手を止めてしまっていた。中から聞こえた声を聴いてしまったから。

 

「だから、なんなのよこの作戦は! こんな作戦でうまくいくわけないでしょ!」

 

「ほう、やる前から無理だと言い切るのか? やってみなくてはわからないだろ?」

 

「やる前からわかるぐらいひどい作戦だって言ってるのよ!」

 

 ……ひどい作戦? まさか……あの時みたいな作戦を? しれぇが? あたし? あたしじゃなくても……誰かを……誰か……を?

 

それ以上を聞くことは時津風にはできなくて……あたしは覚束ない足取りのまま歩き出してました。

 

 

(しれぇが……しれぇが……)

 

 覚束ない足取りで部屋に戻ってきたあたしはそのままベッドに倒れこんで先ほど聞いた言葉を思い返す。しれぇが……無茶な作戦を? まさか……あたし達を捨てるような作戦を?

 

「やだぁ……やだよぉ……」

 

もうあんな作戦なんて嫌だ。あんな作戦で戦いたくない。あんな作戦で誰かが死んでほしくない。あんな作戦で死にたくなんてない。見捨てられたくない。

 

 嫌な予感が頭の中をぐるぐると渦巻いて、知らず知らずのうちに涙が零れる。

 

「いやぁ……いやぁ……」

 

 頭の中の嫌な考えを拭うことができないまま……あたしは泣き続けていた。

 

 

 

 

「……かぜ……とき……か……」

 

「……ふぇ……?」

 

 体を揺さぶられて少しずつ意識が目覚める。あれ、あたし……?

 

「時津風。目覚めたんか? 時津風」

 

「……黒潮?」

 

 肩に置かれている手を追っていくと、そこにあったのは黒潮の顔だった。

 

「時津風、どうしたん? なんか怖い夢でも見たんか? ……泣き跡、残っとるで」

 

 言われて顔に手をやると、そこには確かに泣き跡が残ってた。……寝ながら寝てたんだ。

 

「時津風、なんか怖い夢でもみたんなら、一緒におろうか?」

 

「だ、大丈夫……それより、黒潮はどうしてあたしの部屋に居るの?」

 

「司令はんから次の作戦について時津風にも話しておきたいって事で呼びに来たんや。そしてら返事はないのにカギは開いとったんや」

 

 作戦。その単語を聞いたとき、あたしの体に力が入る。……やだ、司令からの作戦……聞きたくない。

 

「……時津風、どうしたん? ……なんか怖いことでもあったんか?」

 

「……」

 

 どう話せばいいの? あの司令が怖い作戦を計画してるなんて……言って信用されなかったら? ……怖い。怖い。

 

「……時津風、心配せんでええで」

 

 不意に黒潮があたしを抱きしめてきて……あ、頭撫でられるの……気持ちいい。

 

「大丈夫や。ウチは時津風の味方や、お姉ちゃんや。せやから、怖がらんと話してくれへんか? 妹が怖がっとるのを放ってはおけんで」

 

 そう言いながら頭を撫でてくれる黒潮の手が、体温が心地よくて、あたしは少し迷ったけど……司令と霞が話していた事を伝えました。

 

「……マジかいなぁ。司令はん、霞と口論するような作戦立てとるんかいな」

 

「あ、で、でも、もしかしたらあたしの聞き間違いとかそう言うのかも……」

 

「いいや、そんななぁなぁで済ませられる話ちゃうで。よし、行くで時津風。司令はんに事の真相を確かめるんや」

 

 そう言うと黒潮はあたしの部屋を出ていき、あたしも慌てて後を追います。黒潮は一直線に司令の部屋に足を運ぶと、ノックもせずに扉を開けました。

 

「司令はんおるか? ちょっと聞きたいことがあるんやけど!」

 

「な、黒潮!? ど、どうした?」

 

「今日、作戦の内容で霞と口論なったって聞いたで。司令はん……いったいどんな作戦立てたんや? まさか……ウチらを見捨てるような作戦立てとるんやないやろうな」

 

「な、なんで俺がそんな……時津風?」

 

 司令はあたしに視線を向けて……それから大きく息を吐きました。

 

「……そうか、時津風に聞かれていたのか」

 

「……それで、どうなんや司令はん。いったいどんな作戦を立てたんや?」

 

 黒潮の再度の問いに司令は机から書類を取り出して黒潮に手渡す。あたしも後ろからそれを覗きこ……なにこれ? サンマ漁?

 

「……ソナーと爆雷によるサンマの捕獲? ……なんやこれ? 爆雷で漁なんて禁止漁の類ちゃうん?」

 

「深海棲艦の跋扈によって漁が行えなくなっている分、海産資源は増加の一方だ。皮肉な話だがな……。それで、プロパガンダを兼ねてサンマ漁を行うように大本営から通達が来てるんだよ」

 

「……そんじゃ、霞が怒っとったんって」

 

「そりゃまぁ深海棲艦と戦うんじゃなくてサンマを取ってこいと言われたら怒りもするだろう。だからと言ってやらないわけにはいかないんだ」

 

 ……それはまぁ仕方ないと思う。いきなりサンマ取ってこいって言われたら何言ってるんだってはあたしも思うし……でも、そうかぁ……無茶な作戦とかじゃないんだ。

 

「……すまなかったな時津風。お前に怖い思いをさせてしまっていたようだ」

 

「え? ち、違うよ……悪いのは早とちりしたあたしだから……。黒潮もごめんねぇ……」

 

「いや、ウチは構わへんよ。時津風が怖い思いせんで済むんならそれで問題ないで」

 

 そう言って頭を撫でてくれる黒潮に、あたしは恥ずかしくて顔を俯かせて……あ、でも本当……本当に良かったぁ……。

 

 



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第十章 時津風編2

誤字報告ありがとうございます。


「さぁ、サンマ取りにいくわよ! 私達陽炎型が一番だって事、皆に教えてやるわよ」

 

「陽炎。サンマが多く取れたら私に分けてくださいね。絶対美味しく焼いて見せます」

 

「私もお手伝いしますよ浜風」

 

「ふ、ならばこの磯風に任せてくれ浜風、親潮。最高の焼き加減で焼いてみせるぞ」

 

「陽炎! 絶対に私に渡してください! 磯風に渡すのだけはだめです!」

 

「お、お願いです陽炎姉さん! 磯風に渡すのだけは!」

 

 先を行く四人がそんな事を言ってる中、あたしは黒潮と一緒にその後を追いかけます。普段の出撃にはない、とてものんびりとした空気の中の出撃で、あたしも気が緩みそう。

 

「いやぁ、今日はええ天気で、絶好のサンマ漁日和になったなぁ」

 

「うん、うん。そうだね黒潮」

 

「しっかし、ホンマ良かったな時津風。こんなのんびりした出撃で」

 

「本当……良かったよ」

 

 もし、あの時黒潮が来てくれてなかったら、あたしはきっと今も怯えたまま出撃してたと思う。しれぇが話した作戦の内容を疑いつつ、作戦が終わった後も……もしかしたらしれぇ疑ったままで過ごしていたかもしれない。

 

「……黒潮、ありがとう」

 

「ん? なんか言ったか?」

 

「んーん、なんでもないよぉ」

 

 小さく呟いたお礼に反応した黒潮に笑顔で返しつつ、あたし達は海の上を走る。きっと今日の作戦は、楽しいものになるよね。

 

 

「ねぇ、黒潮。何してんの? かくれん……ムグ」

 

「シィー! 時津風、頼むから今はよそ行ってくれ! 舞風達に捕まるわけにはいかんのや!」

 

 物陰に隠れていた黒潮に声をかけると、黒潮は慌ててあたしの口を塞いで辺りを見渡す。そう言えば舞風と親潮が黒潮の名前を呼んでたっけ。

 

「……黒潮、この物陰、あたしが入ってもまだ大丈夫だよね?」

 

「まぁ、隠れられん事はないと思うけど……なんや、今入るんか? ちょっとマジで勘弁してえや。今舞風達に見つかったら……」

 

「あれ、そこ誰かいる?」

 

 舞風の声が聞こえた途端、黒潮の体が一瞬震える。

 

「なーにー? 舞風、どうかした?」

 

「あれ、時津風。黒潮見なかった?」

 

「んーん。見てないよ」

 

「そっかぁ、じゃぁ見つけたら教えてねー」

 

 深く追及する事無く去っていった舞風を見送ってから黒潮に視線を戻すと大きく息を吐いてた。

 

「ふぅ~……助かったで。それじゃウチは移動するから……」

 

「ダメ~」

 

 移動しようとした黒潮の腕を掴むと黒潮が怪訝な表情で見返してきた。

 

「なんや時津風。なんか用なんか?」

 

「黒潮、黒潮。一緒にいようよ。ここならさっきみたいに誤魔化せるよ?」

 

「いや、それはありがたいけど、なんでそんなんしてくれるん?」

 

「あたしが黒潮と一緒に居たいから。ダメ?」

 

「いや、別にええけど」

 

 黒潮から許可も貰えたし、あたしは黒潮の懐に潜り込むと、そのまま彼女の胸に顔をこすり付ける。

 

「んふー……」

 

「おーよしよし。ええ子ええ子」

 

 あたしの頭を黒潮が優しく撫でてくれる。いっつもしれぇにやってもらってるけど、今度からは黒潮にもやってもらおーっと。



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第十章 時津風編3

「つーわけで、なんか最近時津風と遊んどると、犬飼いとうなってもうたんよ。どうにかならんかな?」

 

 部屋の中でそう言ってくる黒潮に、私は取り合えず当たり障りのない言葉で返す。

 

「別に止めないけど、世話はちゃんとやるのよ。でも、犬飼ったりしだしたら時津風が拗ねるんじゃないの? 犬に構ってたら時津風に構う時間少なくなるし」

 

「うーん、そうなんやろか? 別にそんな事はないと思うけどなぁ」

 

 黒潮が首を傾げてるけど、まぁ面倒だからこれ以上は言わない。どうせしばらくは時津風がじゃれついて犬を飼うどころの話じゃないだろうし。

 

「それで、時津風ってあんたに懐いてるのよね?」

 

「……まぁ、そうなんかなぁ? 前々に比べたら今はようじゃれつかれるようになったとは思うよ」

 

「じゃ、私も同じようにじゃれるから」

 

 そう言って私は黒潮の胸に顔を埋めると、そのままグリグリと押し付ける。うーん……やっぱり、あるわよねぇ黒潮って。浜風とかが目立ちすぎるからあんまり目立たないけど、やっぱりあるわよねぇ。今度お風呂に入った時にちゃんと確認とかしてみようかしら。この感じだと……不知火よりはありそうなのよねぇ。

 

「……陽炎、ウチの胸に顔埋めてもあんま柔らかくはないで。浜風らへんのほうがええんとちゃう? あっちのほうが明らかにボインやで」

 

 なんか呆れたように言われたけど、あんただからやってるんだって気づきなさいよ。妹の胸に顔を埋めるなんて、普通逸るわけないじゃないの。ていうかボインとか古いわね。

 

「あんただから埋めてるのよ。言わせないでよ恥ずかしい」

 

「まぁ、ええんやけどな」

 

 黒潮はそう言っていつものように私の背中を撫でてくれるけど、実のところ今回のは普段の甘えてるのとはちょっと違う。

 

(……なーんか、黒潮からたまに時津風の匂いがするのよねぇ)

 

 時津風は元々親しい相手にはじゃれついてくる性格で、私にもそこそこじゃれついてくる。だから普段の時津風の使ってるボディソープやシャンプーが黒潮の使ってるそれと違うのは知ってる。でも、最近微妙にだけど黒潮から時津風と同じ匂いがすることがある。つまり、時津風がそれだけ、黒潮相手にじゃれつく頻度が高くなってるって事よね。だから……。

 

(時津風、黒潮は渡さないからね)

 

 黒潮と私の使ってるシャンプーやボディソープは違う。だから私がこうして匂いを付ければ時津風に黒潮が私のものだって認識させれるかもしれない。……なんか本当に犬のマーキングみたいだけど、気にしないでおこうっと。

 



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第十一章 谷風編
第十一章 谷風編


 なんでかねー。そりゃさぁ、黒潮は三番艦で、この鎮守府でも陽炎、不知火に次いで最古参の駆逐艦さ。でもね、身長も見た目も谷風と大きく差はないはずじゃないか。なのにさ。

 

「黒潮~、絵描きたいから付き合ってよー」

 

「黒潮、ダンス踊ろうよ」

 

「黒潮さん、新しい料理作ってみたんです、食べてください」

 

 最近、陽炎型の姉妹の大半が黒潮に懐いてる。別に悪いこととは言わないんだけどさ。なんで黒潮ばっかり懐かれてるのさ。そりゃ、谷風だって末のほうの妹だけど、谷風より末の妹の舞風や野分が谷風をあんまり懐かないのが納得いかないよ。まったくもう。

 

「なぁ、谷風。ちょっとええか?」

 

「んー? 何の用なのさ?」

 

「ちょっと街に食材の買い物行こう思っとるんやけど、谷風も一緒に行かんか?」

 

「え? なんで谷風? 黒潮なら他にも付き合ってくれる人いるんじゃない?」

 

「いやー、舞風や野分はダンスに誘われかねんし、親潮と萩風もなんか食わせてくるし、他は出撃や遠征でおらんからなぁ……。あ、もしかして谷風もなんか用事あるんか?」

 

「いや、別にないけどさ」

 

 別に用事はないけど……わざわざ他に付き合う子がいるのに谷風のところに来られても……いや、これはチャンスだよ。黒潮と一緒に行動して、黒潮が懐かれるようになった要因を探ってやろうじゃないの。

 

 そう結論付けた谷風は黒潮の誘いに乗った。さぁ、頑張るぞ。

 

 

 

 

 街に出た谷風と黒潮は買い物を済ませていく。買い物をしている黒潮の姿は年相応と言うか……見た目まんまというか、鼻歌交じりに上機嫌な姿はどうみても谷風とそんなに変わらないと思うんだけどなぁ。

 

(うーん、でも、浜風や親風が懐いてるんだよねぇ……なんでだろ?)

 

 親潮はわからないでもないんだけど、浜風や、それに第四駆逐隊のメンバーも最近黒潮と一緒にいる姿をよく見る。特に舞風はよくダンスに誘ってるし。うーん、谷風はあんまり誘われないのになぁ。

 

「えーと、後は向こうの店で買い物やな。谷風、行こうか」

 

「はいよ」

 

 黒潮にの後ろに付いて行って歩いていく。うーん、今日はあんまり収穫はなさそうかなぁ。後は出撃とかその辺ででも……。

 

「……むぐ!?」

 

 なに!? なんかいきなり後ろに引っ張られ……腕も口も捕まれ! く、黒潮!?

 

「むぐー!?」

 

「ん? 谷風!?」

 

 振り返った黒潮が走ってくるより早く谷風の体は引っ張られて、どこかに放り込まれ……これ、車!? あ、扉が閉められた!

 

「な、なにをするんだい! 離せ!」

 

「へっ、黙っとけ。黙らねえよ殴るぜ」

 

 そう言って谷風を見下ろすのは屈強そうな男で、他にも三人、男が見下ろしている。

 

「た、谷風に何をするつもりなんだい! 離せ!」

 

「静かにしてろって言ったろうが!」

 

 そう言って最初の男が谷風の頬を叩く。くっそ、こいつ!

 

「おい、車を出せ! なんか追ってきてるぞ!」

 

「あいよ!」

 

 く、車が動き出した!? は、早く脱出しないと!

 

「放せ! 放せーー!」

 

「おい、ガムテ使え! こいつ無茶苦茶暴れやがる!」

 

 暴れる谷風の腕を抑えられ、ガムテープで拘束される。おまけに足も掴んで広げられたから、下着も丸見えで、くそー!

 

「けっ、この野郎。大人しくしやがれ!」

 

 二発、三発、顔を殴られ更に口に猿ぐつわを噛ませられ……あ、これヤバイ……。

 

「むぐ! むぐぅ!」

 

「おい、もう一発やっちまおうぜ! そうすりゃおとなしくならあ!」

 

「おう、ヤッちまえ!」

 

 服が強引に破られて開かれた足の間に男の体が割り込んでくる。ヤダ……ヤダ! ヤダヤダヤダヤダ!

 

(助けて、誰か! 誰かー!)

 

 叫んでも口から出るのはくぐもった声だけ。心の叫びなんて誰かに聞こえるわけもない。やだよ! 初めては好きな人にって決めてるのに、なんでこんな、こんなことになるんだよ! やだ……よ……。

 

 そこまで考えたとき、不意に大きな衝撃が車内を揺らして、男達も私も大きく揺られる。な、なに!?

 

「おい、どうした!」

 

「さっきのガキだ! フロントガラスに牛乳をぶつけやがった!」

 

 前から男の怒鳴り声が聞こえたと思ったら、何かが割れる音と更に男の怒声が聞こえる。

 

「てっめえ! なにしやがッ! ……ぎゃああ!」

 

男が最後まで何かを言う事はなく叫び声が上がる。様子を見ようとこっち側の男が扉を開けると、そこには……。

 

(くろ……しお……?)

 

 そこに居たのは確かに黒潮だった。でも、様子が違う、違いすぎる。普段の温厚な黒潮じゃない。まるで冷たい、氷で作ったかのような温かみの欠片もなくて、その手は……。

 

「てっ、めえ!」

 

 男の一人が黒潮に掴み掛って黒潮の体が見えなくなる。でも、次の瞬間男は叫び声をあげたと思うと顔を覆って倒れてもがく。そして黒潮の手は……。

 

(黒潮! 手に血! 血!)

 

 黒潮の手は血に濡れていて、谷風とそんなに変わらない体付きの彼女の姿のはずの彼女のその様子が余計に冷たい何かに見える。

 

「……てめえ! これ以上近づいたらどうな……ギャッ!」

 

 谷風を持ち上げようとした男に向かって黒潮が何かを投げる。それが当たった男が怯んだ隙に黒潮が距離を詰めたと思うと、その顔面に拳を振り下ろした。

 

「……ようもやってくれたな。ウチの可愛い妹をどうするつもりやったんや? ええ?」

 

 静かに、穏やかな口調なのに、一切の熱を感じないその言葉に顔面を殴られた男が怯む。その隙に何度も、何度も黒潮の拳が振り下ろされる。

 

「誘拐してどうするつもりやったんや? 犯すんか? そのまま監禁か? 殺して捨てるつもりやったんか? ……許さへんで。絶対に許さん。ウチの可愛い妹にそんなことさせへん」

 

「た、たす……たすけ……ゆるし……て……」

 

「助けるわけがないやん。許すわけがないやん。このまま警察が来るより先に……ウチが殺してやるわ」

 

 そう言って黒潮が大きく拳を振り下ろす。鈍くて湿った音がしたと思うと男が動きを止めた。そして黒潮がもう一度拳を振り上げ……。

 

「むー!」

 

 体をよじり、転がってなんとか黒潮の腰に頭をぶつけて、全身で訴える。だめだよ黒潮! 止まって!

 

「……谷風、無事やんな? 大丈夫やんな?」

 

 黒潮が谷風の猿轡を外す。その時に顔に血が付いたけど、そんなの気にしてられない。

 

「黒潮、だめだよ! 殺したらダメ! 谷風は大丈夫、大丈夫だから! 警察を呼んで、それで終わりにしよう! ね!」

 

「……わかったわ。警察にはもう連絡しとるから……離れようか」

 

 黒潮はそう言うと、近くにあったナイフで谷風のガムテープを切って谷風を車外に連れ出してくれる。

 

(う……)

 

 外に出るまでに男たちの様子が見えるけど、谷風を抑え込もうとしていた二人のうち、片方は全然動かないし、もう一人もいまだに顔を抑えて呻いている。運転席からも呻き声が聞こえてるけど、黒潮は一体なにをしたっていうんだい? 大の大人三人をこんな……。

 

 車外に出ると、そこは人通りのない通りみたいで、辺りには人の気配はない。

 

「……谷風。大丈夫なんか? 顔、腫れとるやん。殴られたんか?」

 

「これぐらい大丈夫だよ。それより、黒潮こそ大丈夫なのかい? あいつらに殴られたりしてないのかい?」

 

「ウチの事なんかどうでもええわ……。谷風……ごめんな、本当……本当ごめん……ごめん……」

 

 不意に黒潮の目から大粒の涙が零れ落ちて彼女の頬を濡らす。な、なんだってんだい! なんで黒潮が泣くんだい!

 

「な、なんで黒潮が泣いてるんだい! どこか痛いのかい?」

 

「ちゃう……ちゃう……。ウチがさそ……さそったから……谷か……風に怖い思い……痛い……おもい……させてもう……た。ごめ……ん……ごめん……」

 

 そう言ってボロボロと泣く黒潮の姿は普段の黒潮よりも幼く見えて……、でも、その姿はまさに姉としての姿だった。

 

「黒潮は……悪くない。悪くないから……」

 

 黒潮を抱きしめると、黒潮は谷風を抱きしめ返してごめんと繰り返す。……これがきっと谷風と黒潮の違いってやつなんだねぇ。こりゃ、皆が懐くようになるのもわかるってもんだよ。

 

 



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第十一章 谷風編2

 あれから到着した警察への事情聴取と病院での診察を受けた後、黒潮は一週間の謹慎処分となった。聞いた話では谷風を襲った男三人は喉や眼と言った急所を攻撃されてたらしい。あと、黒潮が殺しかけてた人は精神病院に入院したとかなんとか……。事態が事態だったとはいえ、流石に処分なしにはできなかったって司令官には言われたよ。

 

 しかし、前に浜風や野分が危ない目にあった時のことを教訓に黒潮は随分対人戦闘の訓練を受けたって聞いた時は驚いたねぇ。そんな事もしてたんだ。おかげで助かったわけだけど、本当黒潮には頭が上がらないよ。

 

 だから、今日も谷風は黒潮がいる反省房に差し入れを持ってきてる。

 

「黒潮。差し入れ持ってきたよ」

 

「おお、すまんな。でも、別に毎日持ってこんでもええで? 谷風も自分の用事あるやろ?」

 

「なーに言ってるんだよ黒潮。谷風のために頑張ってくれたのに谷風が何も返さないわけがないじゃないか。遠慮なんかしないでおくれよ」

 

「んー、そう言うてもなぁ……」

 

「それじゃ、明日も来るからね」

 

 差し入れを置いて谷風は反省房を後にする。確かに今谷風は忙しい。だって黒潮みたいに対人訓練を受ける時間を設けたんだから。正直出撃の時とかには役に立たないとは思ってるけど……。

 

(もしまた同じことがあったら、もうあんな事にはならないためにも、誰かが襲われた時のためにも、谷風も頑張るよ、黒潮)

 

 黒潮だけに苦労なんかさせはしないよ。だって谷風だって陽炎型なんだから。

 

 

 

 

「あー、謹慎はダルかったわー。疲れたわー」

 

 謹慎処分が解けた黒潮はいま私の部屋でしんどそうに話してる。まぁ、反省房での生活が楽なわけはないんだけどね。

 

 まぁ、それより……妹達が出撃や遠征で居ない今のうちにやる事やっておかないとね。

 

「黒潮、おいで」

 

 私は両腕を開いて黒潮にこっちに来るように言う。

 

「へ? 陽炎、いきなりなんや?」

 

「いいから。おいで黒潮」

 

 もう一度、私が浮かべられるだけの笑顔を浮かべて呼びかけると、黒潮が近づいてきたから、私は黒潮を抱きしめる。

 

「よしよし、黒潮は本当に頑張ってくれたわ。本当お疲れさま。よく谷風を守ってくれたわね」

 

「……ウチ、なんも頑張れてへんよ……。一緒におったのに……谷風に怖い思いも痛い思いもさせてもうた……」

 

 私の背中に回された黒潮の腕に、手に力が入る。だから、私は優しく、優しく……黒潮を慰める。

 

「谷風がはそれで黒潮に怒ったりしてないでしょ? 大丈夫よ」

 

「……谷風は優しいもん……ウチに気使ってるんやないか?」

 

 それはない。そんなのだったら黒潮に差し入れを持って行ったりなんてしてないでしょうし、私も様子は見てたけど、そういう素振りはなかった。

 

「大丈夫よ。長女の私が保証してあげるわ。それとも、私も信じられない?」

 

「……信じとるよ……信じ……とるけど……」

 

「信じてるならそれでいいでしょ。ほら……私の前で気を張らなくてもいいから。本当……黒潮、お疲れさま」

 

「……うん……うん……」

 

 胸の中で頷く黒潮の背中と頭を撫でながら、耳元で大丈夫と囁き続ける。普段甘えてるときとは逆の構図だけど……これは私にしかできないから。

 

 今回の件は黒潮にとっても堪えただろうというのは予想がついてた。だから、妹達が居ないうちに……私しか居ない時にやらないと、きっと黒潮は皆の前で無理をしちゃう。だから……。

 

「陽炎……陽炎……」

 

「大丈夫よ……黒潮、大丈夫だから……」

 

 更に力が籠められる黒潮の両腕。だから私は対照的に優しく、優しく、黒潮を抱きしめる。……黒潮、本当、お疲れさま。

 



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第十二章 磯風編
第十二章 磯風編


 この磯風は先の大戦で多くの武勲を立ててきた。それは私の誇りだ。だが、正直味気ないと思う時がある。

 

 私の姉妹たちは皆個性豊かだ。姉達も妹達も、皆何かしらの趣味を持っていたり、特技を持っていたりする。だから私もそういうものに手を出したくなった。だが……。

 

「ふむ……焼き加減はこれぐらいか?」

 

 今、私は七輪でサンマを焼いている。先日の出撃で取ってきたサンマだ。出撃している最中は浜風も親風も私がサンマを焼くことに反対していたが……なに、こうして実際に焼いたのを食べてもらえば磯風だって料理ぐらいできるということをわかってもらえるはずだ。

 

「……よし、これぐらいだな」

 

 焼き上げたサンマを皿に移して見てみる。うむ、見事に黒くなっているな。これなら前回みたいな生焼けと言うこともあるまい。さぁ、、後は浜風達に食べてもらえばきっと……。

 

「磯風!? ま、まさか……」

 

「ん? 浜風! ちょうど良いところに来てくれたな! サンマを焼いたんだ、食べてくれ」

 

 皿の上に乗せたサンマを浜風に見せると……なんだ、浜風の顔色が青いぞ。体調が悪いのか? ならば栄養のある物を食べなければ。

 

「い、いえ。今はお腹一杯……だから」

 

「遠慮するな! 顔色が悪いなら栄養のある物を食べるほうがいい。この時期のサンマは脂が乗っていて栄養たっぷりだ。遠慮せずに食べてくれ」

 

 私がサンマを差し出すと、浜風は意を決したような表情を浮かべて……一緒に乗せていた箸を手にしてサンマの身をほぐして口にして……そのまま倒れた。

 

「浜風!? 浜風ー!」

 

 なんてことだ、サンマを口にしただけで倒れるほど体調が悪かったなんて。急いで診療室に運ばなければ!

 

 

 

「……一時的なショックで倒れているだけです。少しすれば起きるでしょう」

 

「そうなのか……良かった」

 

 病室に連れて行ってお医者さんに診せてもらった結果を聞いて安堵する。

 

「しかし、艦娘は人間より丈夫なはずですが……いったいどんな事があったんでしょう。磯風さんは何か心当たりはありませんか?」

 

「むぅ……心当たりか。特にないな。折角私が焼いたサンマを食べさせた途端にこれだからな」

 

 その言葉を聞いた途端、お医者さんが目を見開き、椅子から転げ落ちんばかりの勢いで後ずさる。

 

「!? そ……それが原因です! 良いですか! 貴女の料理を他の人に食べさせないでください!」

 

「それは心外だな先生。まるで私の料理が毒のような言い方ではないか」

 

「……自覚がないのですか? 磯風さん、貴女の料理は料理とは言えません。以前にも貴女の作った料理を食べてここに連れて込まれた艦娘さんが居るんですよ。良いですか? 絶対に他の人に食べさせないでください!」

 

 真剣な表情でそう告げるお医者さんの言葉に私は言葉を失った。まさか……磯風の料理がそんな……。

 

「重ねて言います。磯風さん。貴女の料理を他の人に食べさせないでください。いいですね?」

 

 重ねられた言葉に磯風は頷くことしかできなかった。

 



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第十二章 磯風編2

(そんな……まさか……)

 

 医務室を後にした磯風は間宮さんの厨房を少し借りて料理を作る。今回作るのは目玉焼きだ。シンプル故に皆食べ慣れている。

 

「ん? ……い、磯風さん……何を作ってらっしゃるんですか?」

 

 声の方向を向くと、そこには赤城さんが居た。ちょうどいい、彼女なら。

 

「赤城さん、目玉焼きを作ってみたんだ。試食していただけないか?」

 

「え……えーと……」

 

「大丈夫だ。焼き加減が赤城さんの好みではないかもしれないが、ちゃんと作った。不味くはないはずだ」

 

 皿の上に乗せた目玉焼きを赤城さんの前に持っていく。大丈夫だ、あの赤城さんなら多少まずくても食べてもらえるはず!

 

「わ、私お腹いっぱいなので……失礼しますね!」

 

「あ、赤城さん!?」

 

 赤城さんは汗を流しながら走り去ってしまった。そんな……あの赤城さんが逃げ出すなんて。まさか……私の料理は本当に不味いのか……。

 

「……ふふ、悲しいな」

 

 自分なりに勉強してきたと思っている。折角人の姿になったのだから、姉妹達と同じように戦闘以外の趣味を持ちたいと思って始めた料理。だが、実際は赤城さんですら逃げ出す程の腕前だったとは……。

 

 それを自覚したとき、私の目から涙が零れ落ちた。……もう料理は止めよう。お医者さんからも言われたんだから……仕方がないんだ。しかた……ない……んだ。

 

「……磯風? どうしたんや? なんで泣いとるんや?」

 

 そんな時、新しい声が聞こえてきた。顔を上げるとそこには黒潮の姿があった。

 

「黒潮か……なに、現実を突きつけられてしまったんだ。ふふふ……私の料理は赤城さんが逃げ出すほどの不味さだったんだな」

 

「……え! 今更気づいたん!?」

 

 黒潮の言葉に思わず胸を押さえてしまう。そうか、磯風はそんなにも……そんなにも私は……。

 

「……で、磯風。磯風はどうしたいん?」

 

「……何をだ?」

 

「自分が料理が下手なんを自覚して、それからどうしたいんや? このまま料理をやめたいんか? それとも、うまくなりたいんか? どっちや?」

 

 ……そんなの決まっている。料理をうまくなりたい……だけど……。

 

「……黒潮、私は医者にも作るなと言われたんだ……。やめるしかないじゃ……」

 

 そこまで言ったとき、黒潮が私の顔を挟んで持ち上げる。視界一杯に彼女の顔が映る。

 

「磯風。ウチが聞いとるんはアンタがどうしたいかなんや。アンタの気持ちだけを聞いとるんや。さっさと答えんか」

 

 そんなの……私の気持ちなんて決まってる。決まっている!

 

「……黒潮、私は料理がうまくなりたい!」

 

「……ヨッシャ、よう言うたな磯風! ならウチもサポートしたる!」

 

 黒潮のサポート。そう言えば黒潮も料理はしていたし、中々好評みたいだな。ならば、彼女を見習うべきか。

 

「黒潮。頼む! 私に料理を教えてくれ!」

 

「もちろんや。可愛い妹のため、一肌脱ぐで」

 

 私は伸ばされた黒潮の手を握ると立ち上がり、涙を拭う。この磯風。悪評を背負ったままでは終わらせないぞ。



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第十二章 磯風編3

 それから私は黒潮の元で特訓を受けることになった。まずは私の料理の腕前を再確認することになったのだが……。

 

「……磯風。厳しいこと言うけど……これは食えたもんやないで」

 

 私が作った料理を一口食べただけで黒潮は厳しい表情を向ける。次に私に食べるように言ってきたので食べてみたが……。うん、美味いとは思わないが、食えないほどではないはずなんだが。

 

 その事を素直に黒潮に伝えると、黒潮は次に彼女が作った、私と同じものを持ってきて磯風に食べさせてきた。

 

「……うん、美味いな」

 

 食べた感想を素直に述べると、黒潮は難しい顔をして眉間に皺を寄せた。なんだ、おかしいことを言ってないはずだが。

 

「……磯風。ちょっと待っとってな」

 

 そう言って黒潮は席を外して……しばらくしてさっきと同じ料理を持ってきた。

 

「磯風。こっちのはどうや?」

 

 出された料理を口にするが……うん、これも美味いな。

 

「これも美味いぞ黒潮」

 

「さようかぁ……磯風、最初に出したやつやねんけどな。あれ、ワザと手を抜いて作った手抜きなんやで。はっきり言って、美味しくない。のレベルや」

 

 その言葉に私は思わず目を見開く。そんな……確かに違いはあったが、そんなに違いがあるようには思えなかったぞ。

 

「……こりゃあれやな。磯風、味覚障害の類やな。多分味覚が鈍感でめっちゃ大雑把にしか味が把握できとらんのや」

 

「……そう、なのか」

 

「そうやねぇ。せやから味見してもあんま意味ないし……と言うか磯風の料理ってレシピ通りですらなくて変なアレンジ入れまくりやん。そりゃ変な味になるで」

 

「し、しかしレシピ通りに作っても……」

 

「面白ない? つまらない? そんなもんレシピ通りに作れてから言うセリフや。磯風はまずレシピ通りに作れるようになり。全部それからや!」

 

 私の反論は黒潮に一刀両断される。

 

「まずはこのレシピ本の料理を作るで! ウチが合格言うまではアレンジ一切禁止やからな!」

 

「わ、わかった」

 

 黒潮の剣幕に押されて思わず頷く。それから、私の特訓は始まった。

 

 

 

 特訓はハッキリ言うと厳しかった。黒潮は今まで私が独学で培ってきた全てを否定して、本の通りにする事の一点張りだったのだ。

 

 正直な所、味覚障害だと言われた時点ではまだ私は自分の料理の腕に少しだけ自負があった。野菜の切り方や肉の焼き方等はまだうまくできているんじゃないか? うまくできていないのは味付けとかそういう部分だけなんじゃないかと。

 

 だが、そんな幻想はあっさりと砕かれた。黒潮の目から見た私の料理の腕前は壊滅的だったようで、本当に基礎の基礎の部分から全てやり直すことになった。

 

 辛くなかったと言えば嘘になる。だが、そんな私を支えていたのは倒れた浜風の顔と、黒潮の叱咤激励だった。あの苦しそうな浜風の顔が罪悪を呼び起こし、黒潮の叱咤激励が私の罪悪感の向かうべき先を教えてくれる。

 

 それと、並行して私は亜鉛を多く含む料理を食べるようにした。黒潮曰く、味覚障害は亜鉛不足で生じることがあると言うことなので、間宮ではもっぱら亜鉛を多くとれる料理を食べ続ける。後、サプリメントとやらも飲み始めた。

 

そして、特訓を開始してから一か月……。

 

「……黒潮、どうだろうか?」

 

 今日作ったのは肉じゃが。簡単なイメージを持っていたが、実際に作ったら難しい。ジャガイモが崩れないように煮るのもそうだが、調味料の配分も気を付けなければならない。作るたびに黒潮から具体的な指摘を受け、作り直してきた。

 

「……」

 

 真剣な顔つきで黒潮が私の肉じゃがを口にする。……特訓を始めてからはこの瞬間が最も緊張するようになった。……今回はどうだ?

 

「……60点やな。基礎はでき始めとる。最近は新しい海域の攻略やらで忙しくなっとる中で勉強したと考えるなら上出来やと思うで」

 

「……そ、そうか! 良かった……」

 

「気緩めたらアカンで。まだ美味しいの範疇に辛うじて引っ掛けれたぐらいや。じゃ、次はこれや」

 

 そう言って黒潮が用意したのは二つの皿に載った肉じゃが。片方は間宮さんが作ったもので、もう片方は黒潮が作ったもの。黒潮の作ったものは多少手を抜いているため、普通の味覚の持ち主ならすぐに違いに気づけるという。

 

「……むぅ……こっちが黒潮……のか?」

 

「その根拠はなんや?」

 

「ジャガイモを食べたときにやや固かったと思う。それに味が多少濃いような気もする……どうだろうか?」

 

「……正解や。味覚障害のほうも少しずつ改善できとるっぽいな。いいな磯風。ここで焦ったらアカンで。こういう軌道に乗り出したころに焦って変な事しだしたら失敗するんや。理解しとるな? 理解できとるな? 理解できへん頭やないな?」

 

「……黒潮。いくらなんでも磯風を信用しなさすぎではないか? 私はそこまで信用できないのか?」

 

「……だって心配やもん。磯風あん時泣いとったやん。泣くほど悲しかったんやないん? そんだけ思い入れのある事を勉強しとるんや、焦ってもおかしくないし……ここで何かやってもうたら磯風がまた泣くかもしれへんやん」

 

 そう言って心配そうに私を見上げる黒潮……クッ、教えているときは厳しいのにこんな不意打ちをするなんて……あざとい……!

 

「……わかった。黒潮の言うとおりにするから」

 

「ヨッシャ。それじゃぁ早速おさらいするで」

 

 一転して表情を和らげる黒潮に私は軽く息を吐く。まったく、我が姉ながら大したものだと思う。あんな釘を刺されては、言われた通りにするしかないではないか。

 



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第十二章 磯風編4

 更に一か月が経過した。私はついに黒潮からのお墨付きを貰った。そして今、浜風を食堂に呼び出した。

 

「……ねぇ、磯風。なんで私食堂に呼び出されたの?」

 

 そう言って私を見る浜風に目には怯えの光が見える。これも磯風のせい……だが、今日は違うぞ!

 

「浜風、これを食べてくれ!、私の料理だ!」

 

 そう言って私は用意しておいた肉じゃがを浜風の前に置く。その途端、浜風の体が明らかに逃げ腰になった。

 

「……いや、私はその……お腹空いてないから……」

 

 逃げようとする浜風の腕を咄嗟に掴む。

 

「は、放して磯風! お願い放して!」

 

 力づくで私を振りほどこうと浜風が暴れるのを強引に引き留める。

 

「大丈夫だ浜風! あれから黒潮に付きっ切りで教えてもらったんだ! だから食べられるはずだ!」

 

 それを伝えると、浜風は暴れるのをやめて磯風を見てきた。

 

「……黒潮が教えたの?」

 

「ああ。だから大丈夫……なはずだ」

 

 そう言うと、浜風は恐る恐るという感じではあるが席に着いた。そして私が手を放すと、しばらくの間に肉じゃがを観察し……意を決したような表情で口にした。

 

「……」

 

「……」

 

 口に入れたジャガイモをゆっくりと咀嚼する浜風を私は見つめる。……どうだ、浜風。食べれるのか?

 

「……割と美味しい」

 

「ほ……本当か!?」

 

 浜風の口から出てきた言葉を私は尋ね返す。

 

「……うん。黒潮の料理に比べるとまだまだだけど……食べれる。磯風の料理、美味しい!」

 

「そう……か……」

 

 浜風の言葉に私は安堵し……なんだ、視界がボヤけて……。

 

「……い、磯風!? なんで泣いてるの?」

 

「……ああ、嬉しいんだ、浜風。……私の料理を食べて倒れた君が……美味しいと言ってくれて……嬉しいんだ」

 

「……ごめんなさい磯風。そんなに私……磯風の事傷つけていたんだ……」

 

「謝らないで……くれ、浜風……。さぁ、冷めてしまうから、食べてくれ」

 

 私が促すと浜風は再びに肉じゃがを食べ始める。ああ、良いものだな、誰かに自分の料理を食べてもらうというのは。黒潮が居なかったら私は料理を作るのをやめていただろう……感謝するぞ黒潮。

 

 

 

「黒潮、これならどうだ?」

 

「ふむ……うん、これならさっきより味のバランスがええで。親潮はどう思う?」

 

「そうですね。悪くはないですが、いっそこう突き抜けてみるのも……」

 

「ふーむ。それも確かにありやなぁ。せやったらこっちの調味料を……」

 

 今、私は黒潮、親潮と一緒に厨房で料理をしている。浜風に肉じゃがを食べてもらってからも、私はこうして黒潮達と一緒に料理をしている。彼女の元でならきっと……私はもっと料理をすることが好きになれると思う。なぜなら……。

 

「磯風。あとちょっと頑張るで。美味いもん食わせたいやろ?」

 

「勿論だ黒潮。私はもっと料理を美味くしたいんだからな。親潮も、これからも頼む」

 

「ええ、喜んでお手伝いしますよ」

 

 黒潮と親潮は力強く頷くと、再び料理作りに意識を向ける。ふっ、こうして複数で料理を作る事がこんなに心躍るなんて思わなかったぞ。ましてそれは愛しい姉と共にであり、愛しい姉が嬉しそうに食べる様子を想像するのがこうも心躍ることだなんてな。黒潮、責任は取ってもらうからな。

 

 



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第十二章 磯風編5

「……黒潮。あんた太ったんじゃない? なんか肉付きが良くなってるように見えるんだけど」

 

 それが今日黒潮の膝の上に頭を置いた感想だった。前はもっと筋肉質で固い部分があったのに、今は脂肪で柔らかい。ぽっちゃりって程じゃないし、肉付きが良すぎるわけでもないからそんなに問題じゃないんだけど。でも、顔もちょっとふっくらしてきてるっていうのがこの体勢でもわかる辺り、太ってきてるのは明らかよねぇ。

 

「……やっぱ陽炎もそう思う? ……最近磯風の料理に付き合っとるからどうにも食べる量が増えてもうてなぁ……ホンマに黒豚なってまいそうや、親潮と萩風の料理もあるし、ウチ、なんか食事の量と回数がめっちゃ増えとるよなぁ……」

 

 膝の上から見上げる黒潮の顔にはいかにも悩んでいます。と言う感じの表情が浮かんでいた。まぁ、太るのは乙女として嫌よね。私だって嫌だ。

 

「舞風のダンスに付き合えば? 流石にこの肉付きはヤバイと思うわよ」

 

「……せやねぇ。四の五の言っとる場合やないかもしれんなぁ」

 

 あれだけ筋肉痛になってた舞風のダンスに乗り気になるって事は相当ね。……まぁ、親潮、浜風との付き合いも大概食べ物だし……時間の問題だったのよね。むしろ遅い方かもしれないけどね、私達艦娘は普段亜kら戦闘に訓練にで延々体動かしてるからそう簡単にデブにはならないんだけど。

 

「痩せないと、この脇腹とか摘みまくるわよ。……あ、胸が大きくなるなら多少太ってもいいからね」

 

 そう言って黒潮の脇腹を摘まんでみる。前はそんなに摘まめなかったけど、今はけっこうぷにぷにと摘まめるし、弾力も前よりついてる。

 

「いややてそんなん。……ちょ、陽炎くすぐった。くすぐったい……アヒャヒャ」

 

 脇腹の肉を摘まんでいた手を上に動かしてついでに黒潮の脇をこそばす。……あー、こっちもけっこう肉摘まめちゃう。本当、脂肪が付いちゃってるわね。これ、お腹も肉付きが良くなってるのかしら。うーん、今度は黒潮のお腹で腹枕してみるのもいいかもしれないわねぇ。でも、あんまり太って戦闘に支障出されても困るし……ちょっとは痩せさせないといけないかしら。

 

「黒潮、早く痩せないと、こうしてくすぐったりしていくからね。脇だけじゃなくて、他にも色々こちょこちょしちゃうんだから」

 

「ま、待ってえ、ホンマま……アヒャヒャ!」

 

 抗議しようとする黒潮の脇をまたくすぐってやる。……揉み応えあるし、やっぱりこの辺の体型のままでいてもらうほうがいいかなー。胸もこっちのほうが大きいしなぁ。

 

 

 



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第十三章 浦風編
第十三章 浦風編


うちはなんだかんだで世話好きやと思っとる。これまでも色々とみんなの世話をしてきとったからな。おかげで陽炎型のおかん。なんて呼ばれる事もしばしばじゃ。

 

 それはうちにとってある意味誇りじゃ。うちら艦娘はおかんから生まれたわけやない。やから、どうしてもおかんと呼べる相手に憧れる。……だから、うちにとっておかんと呼ばれることは誇らしいことじゃ。

 

 それなのに、なんか最近は暇じゃ、最近は皆黒潮が世話してもうとる。陽炎型だけやない、他の艦娘からもそういうのが出てきとる。

 

 いくら姉とはいえ、あんなチンチクリンな見た目の黒潮にそういう役割を持っていかれるのは癪じゃ。じゃから、うちも頑張らんといけんの。負けてられん。

 

 

 

 けたたましい目覚ましの音に目を覚ます。

 

「ん……もう朝か」

 

 目覚ましを止めて時間を確認すると○六○○。うむ、ちゃんとセットできておったな。

 

「さて、今日も一日頑張らんといけんな」

 

 ささっと身支度を整えて、まずは姉妹達のために食事の用意をせんとな。それに夜の出撃から帰ってきた姉妹の洗濯物も洗濯しとかんとの。

 

 食事の用意をしとる間に親潮と萩風が起きてきおった。二人とも早起きじゃな。

 

「あ、浦風おはようございます」

 

「おう、おはようじゃ親潮、萩風。今朝食作っとるけ、待っとってくれ」

 

 二人に笑顔で返事してからうちは朝食作りを再開する。萩風には薄味で作っとらんな。

 

「あ、浦風。私も手伝いますよ」

 

「いやいや、大丈夫じゃけえ、二人とも待っとってくれ」

 

 ここで親潮に手伝ってもらったらおかんとは呼べんからな。さて……早めに朝食を作って洗濯物もせんと。

 

 手早く朝食を作り終え、二人の前に並べてから次は洗濯物に取り掛かる。ふぅ、昨日は夜の遠征に陽炎型が駆り出されたけぇ、洗濯物も多いわ。早く片づけんとなぁ。

 

 

 

 そんな風に、うちは陽炎型の世話を一身に引き受けつつ、自分の出撃や遠征もこなしていった。さて、今日も早起きして、飯の用意をせんといけんな。

 

「ん~……」

 

 ん? なんじゃ? なんか体が起きづらいんじゃが……はて?

 

「よっ……とぉ」

 

 気合を入れて体を起こし、部屋の扉に向かおうとして……む、なんじゃ? なんか眩暈……が……。

 

 

 

「……は!?」

 

 目を覚ますとそこは見知らぬ天井……ではないな、ここは医務室か?

 

「お、起きたんかいな、浦風」

 

 声がした方向を向くと、そこにおったんは黒潮じゃった。なんで黒潮ががここにおるんじゃ? それに、なんでうちは医務室に?

 

「……黒潮、うちはなんで医務室におるんじゃ?」

 

「浦風の姿が見えんからって心配した磯風が部屋に見に行って、倒れとる浦風を発見したんや。磯風めっちゃ慌ててたで」

 

 う~ん……ちょっと倒れただけで磯風は大げさじゃな。ま、起きたからには動かんといかん。どれだけ寝とったかはわからんが、色々とせんといけんことがあるけえ。

 

「ちょ、浦風。まだ寝とき。お医者さんからは疲労が溜まってる言われとるんやで」

 

「大丈夫じゃけえ、ちょっと寝不足だっただけじゃ。横になってて治ったわ」

 

 そう言ってベッドから体を起こして軽く関節を解す。

 

「待ちいや浦風。無理はしたらアカンって、また倒れるで」

 

「だ~いじょうぶじゃ。心配しなさんな」

 

 引き留める黒潮を置いてうちは医務室を後にする。時間は……もうこんな時間かぁ。急がんと、出撃から帰ってきた子らの洗濯物を洗えんな。

 



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第十三章 浦風編2

 倒れてから一週間、うちはまた同じように皆の世話をし続けとる。浜風や磯風はやめるように言って来たりしとるが、なに、大丈夫じゃけぇ。もうあんな倒れたりなんかせん。

 

「ふんふんふ~ん」

 

 鼻歌交じりに洗濯物を干していき、乾いているのを取り入れるが、やっぱり多いのう。じゃけぇ、うちが頑張らんといけんのやけどな。さーて、洗濯物を片付けたら、次は掃除もせなアカン、洗い物ある。やることはいっぱいじゃ。頑張らんと、頑張らん……と。おお!?

 

「ちょ、どこいくんじゃー!」

 

 不意に吹いた風のせいで取り入れた洗濯物が転がっていきおった。まったく、いま吹くんじゃなくて、全部終わってから吹いてほしいものじゃ。

 

 慌てて転がった洗濯物を追いかけて、拾って立ち上がるって……さ、続き……を……。

 

「おお……? お……」

 

 なんじゃ、目の前がくら~っとして……あ、いかん、これは倒れ……。

 

「おわあ! 浦風!」

 

 倒れそうになったうちの体が支えられる。眩む視界の中見えたのは、黒潮の姿じゃった。

 

「あ……なんで黒潮がおるんじゃ……?」

 

「浦風が一人で洗濯物干しとる言うから様子見にきたんや。案の定倒れとるし……。ほら、持ち上げるで」

 

 そう言うと黒潮はうちの体の下に手を差し入れて、あっさりと持ち上げてしまいおった。

 

「……黒潮、見た目によらず力持ちじゃな」

 

「体は鍛えとるからな。それじゃ、運ぶから動かんといてな」

 

 そう言って黒潮は軽々とうちを部屋まで運んでいき、ベッドに寝かせる。

 

「熱は……ないみたいやな。浦風、どっか変な場所とかあるんか?」

 

「いや、単なる眩暈じゃけえ、大したことはないよ。少し横になっとったら回復するわ。早よう回復して、家事をせんとな」

 

「なに言うとるんや。浦風はおとなしく寝とき。ウチがやっとくから」

 

 そう言うと、黒潮はうちの返事も待たずに部屋を出て行ってしもうた。うちはそれを追おうとしたが……上半身を起こした途端、また眩暈がして寝直す。

 

「……はぁ……何をやっとるんじゃうちは」

 

 流石に自己嫌悪の気持ちが出てくる。大丈夫じゃと思っとったのに、こうして黒潮の世話になるとはのう……うちは何をやっとるんじゃ。

 

 そうして自己嫌悪の気持ちに陥っておると、しばらくして黒潮が戻ってきた。

 

「洗濯物は全部干したで。浦風、体調はどうなんや? 冷たい水持ってきたけど、飲むか?」

 

「……もらうわ」

 

 黒潮から受け取ったペットボトルの水を飲み……うちは大きく息を吐いた。

 

「……黒潮。うち、何やっとるんじゃろう……。これじゃぁおかん失格じゃけぇ」

 

「……なぁ浦風。おかんってさぁ……一人でなんでもやらなあかんもんなんか?」

 

 その言葉に黒潮に視線を向けると、彼女は不思議そうな顔でうちを見とった。

 

「ウチらは艦娘やから、おかんに世話してもらったわけやないけど、長女の陽炎が大体そのポジションやろ……陽炎、一人でなんでもやっとるわけやないんやん。なんか困ったことがあれば妹の誰にでも頼るし、他の艦種の艦娘も頼る。不知火かてそうしとるし、ウチかてそうや」

 

「……でも、それは姉じゃけぇ。おかんじゃなか」

 

 そうじゃ、黒潮の言っとるんは姉じゃ……おかんやない。それは違うもんじゃけぇ、比べたら……。

 

「……あんなぁ浦風。あんたはおかんちゃうで」

 

「な、なにを言うんじゃ!」

 

 思わず体を起こして黒潮を睨むと……黒潮は心配そうな顔でうちを見とった。

 

「あんたは陽炎型11番艦。陽炎型の中でも妹のほうや……なぁ浦風。あんたがおかん呼ばれるんが嬉しい言うんはなんとなくわかるで……でも、だからってウチ等心配させてええ理由にはならん」

 

 そう言うと、黒潮はうちの顔を両手で挟んできて、思い切り顔を近づけてきおった。黒潮の顔が目前過ぎて、他のなんも見えん。じゃから……黒潮の心配そうな顔がよう見えた……。

 

「浦風。おかんになりたい言うんなら止めはせえへん。でもな、皆……浜風も、谷風も、磯風も……他の姉妹全員が心配したんや。わかるか浦風? 姉妹心配させるような事するんやったら、それはきっとおかんやないし、ウチは姉として全力で止めるで……わかったか?」

 

「……わからん言うたら黒潮はどうするんじゃ?」

 

 心はもう決まっとる。でも、つい口から出た反論。その返しは予想外じゃった。

 

「……このままキスしてファーストキス持っていったる。なんなら舌差し込んでディープキスしたるで」

 

「へあ!?」

 

 思いがけない言葉に思わず変な声がでてしまう。な、何を言うとるんじゃ黒潮は!?

 

「まぁ、それは冗談なんやけど、ともかく今は寝とき。ええな」

 

思わず頷くと、黒潮は顔から手を放して「ほな、ウチは用事あるから行くけど、しっかり休むんやで」と言って行ってしまった。

 

「……いくらなんでもあの不意打ちは卑怯じゃ……。もしも黒潮にキスされとったら……やめじゃやめじゃ、変なことを考えとかんで寝とこ」

 

 去っていった黒潮の姿を思い出し……うちはため息をつくことしかできんかった。少し顔が熱くなっとる気がしたが、それは気のせいじゃ。

 

 



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第十三章 浦風編3

「浜風。向こうの洗濯物頼むわ、谷風はあっちの取り入れといて……こら、時津風。遊んどらんでちゃんと手伝ってえや」

 

「舞風、そろそろ買い出しに行った親潮達が帰ってくるころじゃ、迎えに行ってくれんか?」

 

 うちらの頼みにそれぞれ三人は了解の返事を返して行動を始める。その間にうちと黒潮は一緒に他の用事を片付けちょる。

 

 あの日を境に、うちはこうして家事をするときに姉妹と一緒にやることが多くなった。こうしていると、一人でやっていたときにはなかった充実感と共に、姉妹と一緒におる満足感を感じる。

 

(結局……うちは独りよがりしてただけじゃったんじゃな)

 

 そんな事を考えとると、視界の先に陽炎と不知火が映った。二人とも出撃しとったはずじゃが、もう終わったようじゃな。

 

「ただいまー。あー、疲れたぁ……」

 

「ただいま戻りました」

 

「おお、お帰りや二人とも。冷蔵庫に冷えたジュース置いとるからそれでも飲んどき」

 

「ありがと。行こう不知火」

 

「ええ、お供します」

 

 自然な流れで会話する三人をみとると……なんというんじゃろう……夫婦みたいな感じがするの。陽炎と不知火がおとんなら、さしずめ黒潮がおかんか。

 

「ん? どうしたんや浦風。うちの顔になんかついとる?」

 

「いや、黒潮ならええおかんなれると思っただけじゃ」

 

「……突然なんなんや?」

 

「いや、気にせんでくれ。ちょっと思っただけじゃけぇ」

 

 首を傾げる黒潮から視線を外し、目の前の用事に取り組む。しかし、黒潮がおかんか……それも良さそうじゃ。

 

 

 

 

「あ~……疲れたぁ……最近出撃に出ること多すぎる~」

 

「お~、お疲れや陽炎。お疲れ様」

 

 黒潮の部屋で、正座する彼女のお腹に顔を埋めて思い切り愚痴る。最近本当出撃が多くてしんどいのよね……。

 

「改二になって、戦力として活躍できる海域が増えたからってこき使いすぎよぉ……」

 

「不知火が一緒やからまだええやん。一人やったらもっときつかったと思うで」

 

「そうだけどさ~……。はぁ……疲れたぁ……」

 

「もう、しょうがないなぁ陽炎は。今日はうちが陽炎の洗濯物とかしたるから、ゆっくり休みや」

 

 そう言って頭を撫でられると、更に黒潮に体重を預けちゃう。あ~……甘やかされてるわぁ。

 

「……黒潮ってお母さん属性あるんじゃない? お母さーん」

 

「どうしたんや陽炎。おかんが相談に……って、なんで三女が長女のおかんにならなアカンねん! そもそも陽炎型のおかんなら浦風がおるやん!」

 

「その裏風が無理して倒れたのを支えたのはあんたでしょうが。お母さーん」

 

「やからって、陽炎のおかんになった覚えはないわー!」

 

 突っ込みを入れる黒潮を無視して私はまた黒潮のお腹に顔を埋める。あ~、柔らかい。癒されるわ~。

 

 



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第十四章 天津風編
第十四章 天津風編


 私の名前は天津風。陽炎型駆逐艦の9番艦。

 

 私は陽炎型駆逐艦19人の中のちょうど真ん中ぐらいだから、妹として姉さん達に接するのも、姉として妹達に接するのも慣れている。だからこそ、彼女のことが気になる。

 

 島風 私の建造時の技術を元にして作られた駆逐艦。その実力は艦娘として生まれ変わった今でも変わりなく、改までしかないにも関わらず改二のメンバーに負けない。場合によってはそれすら上回る実力を持っている。

 

 でも、彼女には姉妹が居ない。そのせいか彼女はよく一人でいることが多い。だから私はよく彼女と関わるようにしている。確かに彼女は陽炎型がないけど、私にとっては妹のようなものだから……でも。

 

 

「アハハ、おっそ~い」

 

「クッ、ちょこまかと!」

 

 今、私は島風と演習を行っている。でも、私の攻撃は全然当たらなくて、逆に島風の攻撃でどんどん艤装が破損していく。このままじゃ……!

 

「こっちだよ!」

 

「え? きゃあ!」

 

 一瞬視界から消えたと思うと、視覚から砲弾が飛んできて直撃を食らう。く……艤装も全壊、実戦ならこれで轟沈してる。

 

「ねぇ天津風ちゃん。こないだからこんなのばっかりだよ? 調子悪いの?」

 

「……別に、そんなんじゃないわよ」

 

「ふーん、でも無理はしないでね。それじゃぁ、私は先に戻るから、後で間宮で何か食べようね」

 

 そう言うと島風は一人で先にドックへ戻っていった。私も後を追っていく。……無理しないとダメなのよ。だって、私は……。

 

 

 

 後日、私は訓練場で一人で訓練していた。少しでも島風に追いつかないと。私は彼女のプロトタイプ。島風よりも早く着任しているから島風よりも錬度は高い。だから、私はいつまでも彼女にやられっぱなしなんでできない。私が強くならないと、強くならないと!

 

「おーい、天津風、特訓かいな?」

 

 ふと声がかけられて後ろを向くと、そこには黒潮の姿があった。

 

「あら、黒潮じゃない。黒潮も特訓なの?」

 

「せやでぇ……そうや天津風、軽く模擬戦でもせえへんか? 的に当てるよりは訓練になるで」

 

「いいわよ、宜しくね」

 

 黒潮は最近改二になって実力を伸ばしている。彼女との特訓なら私にとっても実があるわ。

 

「それじゃ、いくでー」

 

「ええ。甘く見ないでよ」

 

 互いの言葉を合図に特訓は始まり……そして私はあっさりと負けた。

 

 

「嘘……」

 

 海面に膝をついた私は呆然とするしかなかった。確かに黒潮は改二になったし、元から錬度も高い。でも、何もできずにやられるなんて……。

 

「……天津風」

 

 ふと気が付くと黒潮が目の前に立っていた。

 

「天津風、あんた、心ここにあらずって感じやで。なんか心配事でもあるんかいな?」

 

「べ、別にないわよそんなの、それじゃぁ私行く……キャッ」

 

 立とうとしたら、黒潮に肩を抑えられて立てない。な、なにするのよ!?

 

「天津風。自覚あるんかは知らんけどな。天津風が嘘言ったりしたときはな、目がめっちゃ泳いでるねん」

 

「え!? う、嘘!?」

 

「嘘やで」

 

「……」

 

 だ、騙された!

 

「だ、騙したわね黒潮!」

 

「まぁ騙した事にはなるんやけど、そもそも嘘ついたんは天津風やん。さ、理由を話してもらおうか。話さんのやったら……」

 

「……わかったわよ、話す。話すから」

 

 こうなった黒潮が止められないのは他の姉妹達への行動で見てきたから知ってる。あんまり言いたくないけど、諦めないと……。

 

「……私、陽炎型だけど、島風のプロトタイプでもあるじゃない」

 

「せやねぇ。よう島風と一緒におるし、仲がよさそうで羨ましいで」

 

「……プロトタイプだからって、私が島風より弱くていい理由なんてないじゃない。むしろ、私のほうがお姉ちゃんなんだし、私のほうが強いほうがいいのに……最近全然勝てないのよ。あの子のスピードに追い付けなくて、いっつも負けてるの」

 

「……まぁ、島風のスピードはホンマ早いからなぁ。てか、艦であった頃は馬力だけで言えば赤城はんより上やったいうんやから、とんでもないで」

 

 そう、島風は根本的な部分からして、最強クラスの駆逐艦なの。でもね……でもね……。

 

「だからこそ、私は負けたくないの。だって……私まで追いつけなかったら、島風は一人ぼっちになるじゃない」

 

 島風は早い。一人だけが早い。本人は気にしてる様子はないけど、それでも……私だけでも追いつけないとダメなのよ。そうじゃないと、島風は本当に一人になっちゃう気がするから。

 

「……なるほどな。よし! ウチも協力するで! 可愛い妹がそんな真剣に考えとるのに、見なかったことにはできん!」

 

「……協力してくれるのは嬉しいけど、どうするつもりよ?」

 

 黒潮は確かに強くなったけど、根本的には島風より強いわけでもないし、何をするつもりなんだろう?

 

「その前に確認なんやけど、天津風は島風に速さで追いつきたいんか? それとも、戦いで勝てるようになりたいんか?」

 

「……私の艤装じゃどう足掻いても島風には追いつけないわ。だから、勝ちたいの。スピードだけが勝負を決めるんじゃないもの」

 

「……なるほどな。よっしゃ、ちょっと待っとれ、応援呼んでくるわ」

 

 そう言って黒潮はその場から離れて寮のほうへ走っていった。応援って……誰を呼んでくるのかしら?

 



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第十四章 天津風編2

 しばらくして黒潮が戻ってきたんだけど、なぜか雪風も一緒に居た。雪風が応援なのかしら?

 

「お待たせや天津風。遅くなってすまんな」

 

「別にいいけど、雪風が応援なの?」

 

「はい。黒潮から事情は聞いてます。天津風の力になれるように頑張りますね」

 

 それは嬉しいんだけど、雪風が応援って、なんでなんだろう?

 

「じゃぁ、取りあえずウチと雪風で演習するから、ちょっと見とってくれるか?」

 

「え、ええ。わかったわ」

 

 私が頷くと、黒潮と雪風が少し離れて演習を始めた。二人とも私より早く、正確に攻撃を、回避を、移動を行っている。特に雪風は最近メキメキと実力を伸ばしてるから、よく黒潮に食らいついてるわ。でも、これを見せてどうするつもりなのかしら?

 

 程なくして黒潮の勝ちで演習が終わり、二人が私のもとに戻ってくる。

 

「どうや天津風。なんか気づいたことあるか?」

 

「気づいたことって……二人とも、私より強いってことぐらいよ。でも、それがどうしたって言うのよ?」

 

 私の言葉に黒潮も雪風も大きくため息をついた。な、なによその態度。

 

「……ええか。ウチの戦い方は錬度や経験を元にした戦い方や。一方で雪風は艤装の性能や自分の能力を元にした戦い方や」

 

「つまり、今の天津風が島風に勝つためにはどうすればいいかの形の一つなんですよ。少なくとも天津風は艤装の性能は島風より下なので、参考になると思うんです」

 

 ……そうだったの。意味がわからなくてボーッとみてたけど、そういう意味があったのね。

 

「取りあえず、しばらくウチと雪風で天津風の特訓をしよう思うんや。ウチの戦い方から天津風自身の戦い方を、雪風の戦い方から島風に勝つためのやり方を学べたらええと思うんやけど、問題ないか?」

 

「ええ、大丈夫よ……お願いね、二人とも」

 

 こうして私は二人と特訓をすることになった。待ってなさい島風。かならず追いつくんだから。

 

 

 

 それから一か月間、私は二人と特訓を繰り返した。黒潮と雪風、タイプの違う二人との特訓は厳しいものだったけど、それでも私の実力は伸びていく。でも、二人に勝てそうにない。

 

「……なんで勝てないのかしら」

 

 黒潮の魚雷で倒された私は、水面に仰向けになって呟く。確かに黒潮のほうが強い。でも、これだけ訓練してるのに差が縮まる様子もない。私は一所懸命訓練してるっていうのに。

 

(私……才能がそもそもないのかしら)

 

 艤装の強さ、錬度の高さ、それらがあっても私自身に才能がないのなら意味はない。そんなはずはないはずだと考えても、不安な気持ちは消えない。……私、もしかしていらないのかな……?

 

「おーい、天津風。大丈夫かいな? 起きれるか?」

 

 いつまでも倒れてる私を見かねたのか黒潮が声をかけてくる。でも、私は起きれない。起きようという気持ちになれない。

 

「……ねぇ、黒潮。私、なんで強くなれないのかしら?」

 

「は? なんやいきなり?」

 

「……だって、一か月の間特訓してるのに、黒潮にも雪風にも全然勝てる様子がないんだもん。私……こんなんで島風より強くなんて……フガ!」

 

 いきなり黒潮が私の鼻を撮む。突然の事に驚いていると、黒潮は大きくため息をついて手を放した。

 

「……あんなぁ天津風。そんなあっさり強くなれたら誰も苦労せんわ。つーか、天津風は上達しとる。それでも差が縮まっとらんって思うんは、ウチも雪風も強くなっとるからや。当たり前やろ」

 

 ……言われてみればそうか。黒潮も雪風もゲームの中の敵じゃないんだから、いつまでも同じ強さなわけないじゃない。何をばかな考えをしていたのかしら……。

 

「……ごめんなさい黒潮。ちょっと私、焦っててちゃんと訓練できてなかったかもしれない」

 

「ええで、そんな時もあるわな。じゃ、ちょっと休憩したら訓練再開しよか」

 

「ええ。お願いするわ」

 

 こうして私は新たな気持ちで特訓に取り組むことになった。そしてそんな中で黒潮が教えてくれたのは、相手の目に注意して戦うとの事だった。

 

「目は口ほどに物を言うって言うけど、実際戦闘の最中にはこれがけっこう重要になってくるんや。相手の視線から目標を憶測したり、逆にこっちの視線を意図的に読ませて相手にこっちの狙いを錯覚させたりとな。けっこう使えるんやで」

 

 そう、黒潮は得意げに話してくれた。それを聞いてから私は戦いのときには相手の目線に注意して戦うことが多くなった。それ以来、私の戦績も徐々に上に上がっていき、黒潮や雪風相手にも少しずつ対抗できるようになっていった。

 

 そして更に一か月が経過したある日の訓練で……。

 

「これで……!」

 

「しま……!」

 

 雪風の視線から攻撃される個所を読んだ私は、雪風の砲撃を避けて、カウンターとばかりに自分の砲撃を叩き込む。回避した体勢からの砲撃だから雪風を追い込むことはできなかったけど、これなら……!

 

「いてて……やりましたね天津風!」

 

「え!? きゃあ!」

 

 即座に繰り出された雪風の反撃の直撃を受けた私はそのまま艤装が大破し、戦闘が続行できなくなる。くっそぉ……。駄目だったかぁ。

 

「驚きましたよ天津風。さっきの攻撃で決めるつもりでしたのに、あんな回避した上に反撃までしてくるなんて」

 

「何言ってるのよ。結局雪風を大破させれなかったんだから、褒められるようなことじゃないわよ」

 

「そんな事ないです。天津風はどんどん強くなっていってます。自分に自信を持ってください」

 

 そう言って雪風は自信満々に私を褒めてくれる。……こういう時、彼女のこういう態度はけっこうありがたい。

 

「……そうね、少しは私も自信を持とうかしら。雪風、もう一戦お願いできる?」

 

「ええ、大丈夫です」

 

こうして私はまた雪風と特訓を始める。そして数日後……。



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第十四章 天津風編3

「久しぶりに演習するね天津風ちゃん」

 

「そうね、島風」

 

 島風から久しぶりに演習をしたいと言われたので、私は島風と二人で海上に立っている。黒潮達との特訓を始めてからは島風との演習は避けていたけど、今なら……!

 

「島風、今日は負けないわよ」

 

「それは私もだよ、天津風ちゃん」

 

 互いに睨み合い……そして私達は戦い始めた。

 

(……島風も……強くなってる!)

 

 久しぶりに戦う島風は明らかに強くなっていた。私と演習をしていない二か月間の間、彼女も強くなっていっていた。でも、基本的な動きに変わりはない。いかにキレがよくなっても、いかにスピードが速くなっていても、パターンが同じなら対処法はある。

 

「この!」

 

 島風の行動パターンを読んで、彼女の回避先にばらまくように砲撃を飛ばす。よし、このままなら順調に追い込め……!

 

「甘いよ、天津風ちゃん!」

 

 突然、島風のスピードが更に上がった。こちらの予想を上回るスピードに攻撃が追い付かない! このままじゃ!

 

「これで……終わりだよ!」

 

 そう言って島風が魚雷の発射体勢に……違う! 彼女の視線は私の上半身を見ている。つまり、魚雷は囮、本命は……!

 

「てえい!」

 

 魚雷の発射体制から素早く復帰した島風が主砲の砲撃を行ってくる。考えるより先に私の体はそれを際どい姿勢で避け……反撃の砲撃が島風に命中した。

 

「きゃああ!」

 

 私からの反撃を予想してなかったんでしょうね。島風は砲撃が直撃し、そのまま海面に倒れる。……やった、勝った、勝った!

 

「島風。私の勝ちね……島風?」

 

 水面で倒れる島風からの返事がない。もしかして衝撃で気絶したの? それなら早く入渠させないと。

 

「……すごーい!」

 

「え!?」

 

 突然島風が体を起こしたと思うと、私の手を取ってきた。気絶してたんじゃないの!?

 

「すごいよ天津風ちゃん。あれを避けたの天津風ちゃんが初めてだよ! どうやったの!?」

 

「ちょ、ちょっと落ち着きなさい!」

 

「だってだって。天津風ちゃん、私のスピードについてこれたんだよ。天津風ちゃんこんなに凄かったんだ!」

 

「あ、当たり前でしょ! 私はあんたのお姉ちゃんみたいなものなのよ!」

 

「うん、本当凄いよ天津風ちゃん」

 

 私の手を取って嬉しそうに笑う島風……久しぶりに見る島風の笑顔……それを見たとき、私の目から涙が零れてた。

 

「え!? 天津風ちゃん!? どこか痛いの?」

 

「……大丈夫よ、なんでもないから……。島風、訓練も終わったし、片付けしたら間宮で甘いものでも食べない?」

 

 慌てて涙を拭って、島風を誘う。それに島風が頷いたので、私達は一緒に海面を滑り出した。

 

(こんな気持ちのいい中で間宮に行くの、いつぶりかしら)

 

 島風に勝てなくなってから、彼女と一緒にいく間宮は楽しいものじゃなかった。でも、今は……今は大丈夫。

 

(……黒潮、雪風、ありがとうね)

 

 島風と一緒に滑る中、私は二人に感謝していた。



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第十四章 天津風編4

「さぁ、行くで天津風!」

 

「来なさい黒潮!」

 

 今日、私は黒潮と訓練をしている。あれから私はもっと強くなって、雪風とも遣り合えるようになっていってるけど、黒潮にだけはまだ勝てない。

 

 今日も、黒潮にやられた私は水面であおむけになって空を見上げる羽目になった。

 

「おーい、大丈夫かいな天津風?」

 

「大丈夫……ねぇ黒潮。なんで私黒潮に勝てないんだろう? 私、あれから強くなってるわよね」

 

 黒潮に起こされながら尋ねると、黒潮は眉間に皺を寄せながら考えて……しばらくして答えた。

 

「多分やけどな、ウチ天津風が何考えとるかなんとなーわかるんや。せやから、天津風が次になにしようとしとるか読めるんや」

 

「……何よそれ。反則じゃない」

 

「反則言われても困るんやけどなぁ。ほら、疲れたしそろそろ帰るで」

 

 そう言って黒潮は私に肩を貸して、一緒に進んでいく。

 

(……私の考えがわかるのって、私が黒潮の戦い方を元にして戦ってるからなのかしら? それとも……姉……だからなのかしら?)

 

 ……まぁいいわ。深く考えても仕方ないし……でも、負けてるとはいえ、黒潮のおかげでこうして強くなれたのよね……。

 

(……ありがとうね、黒潮)

 

 

 

「ま~た天津風から島風も一緒に連れていけないかって言われたわ。……私達陽炎型での行楽だって言ってるのに」

 

「まぁ、ええんやないか? 島風は姉妹艦がおらんし、ウチら人数多いんやから一人増えても大差ないで」

 

「皆がおとなしくしてくれるならね。引率の私の苦労も少しは考えなさいよ」

 

「あー……それ言われると何も言えんわ」

 

 黒潮の膝枕の上で本を読みつつ、私はため息をつく。そりゃまぁ、全員が親潮や萩風みたいにおとなしいならいいけど、舞風や時津風は気づいたらどっかいってたりするし、磯風は変な食べ物買ってたりするし、不知火もおとなしいふりして変なことしたりするし……。

 

「陽炎、ウチも手伝うから、島風参加させられへんか?」

 

「……わかってるわよ、別に参加させないって言ってるわけじゃないから。あんたもちゃんと島風が変なことしないように注意してよ」

 

「勿論やでぇ」

 

 ……まぁ、確かに今更一人増えても大きな差はないし、天津風がちゃんと見てるだろうから大丈夫だと思うけど……。それに、天津風がよく連れてくるから妹達も島風に対して変な遠慮もなくなってるし……別にいいかしらね。

 

「ふぅ……なんだか眠くなってきたわね。黒潮、ちょっと寝るわね」

 

「わかったわ陽炎。お休み」

 

 本を横に置いて目を瞑ると、黒潮が優しく頭を撫でてくれる。私は後のことは後で考えることにして、その気持ちよさを感じながら眠りについた。



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第十五章 雪風編
第十五章 雪風編


 私の名前は雪風。陽炎型の8番艦で、幸運艦と言われています。

 

 でも、私は幸運艦なんかじゃないんです。だって、私だけ生き残っちゃったんです。いろんな戦いに参加して、皆が沈んでいく姿を見て……それでも私は生き残って中国に連れていかれました。

 

 ……私は死神と呼ばれるほうが相応しいんです。幸運艦なんてのは出鱈目なんです。だって、姉妹が、仲間が沈んでいく姿を見続けるなんて……悲しいじゃないですか。

 

 

「索敵機からの報告! 敵の部隊を発見しました。全艦攻撃準備!」

 

 赤城さんの報告にわたしたちは即座に戦闘の準備に入ります。程なくして敵艦隊と会敵。双方が陣形を組んだうえでの戦闘が始まります。敵とこちらはややこちらが優勢と言った感じで、このままいけば特に問題なく倒せるはず……でした。

 

「ちょ! こっちきた!」

 

 私の近くにいた軽巡の攻撃は私を逸れて、川内さんのほうへ飛んでいく。慌てて川内さんは避けますが、そこに彼女が戦っていた敵の攻撃が飛んできて命中してしまいます。

 

「川内さん!」

 

 榛名さんが急いで川内さんが戦っている敵を倒して事なきを得ましたが、これが私が出撃しているときの光景です。いつも、不自然に敵の攻撃は私から逸れて味方のほうに行きます。たまにとかじゃありません。大抵がそうです。

 

 本来なら来るはずのない攻撃は容易に皆さんにダメージを与えます。今は大きな損傷になった事はありませんが、いずれ大破や……轟沈に繋がることになるかもしれません。

 

 私はそれが怖い。でも、自分でもどうしようもない。いくら私が敵の的になるような位置へ移動しても敵の攻撃は私を逸れる。……私は……。幸運艦なんかじゃない。

 

 

 

 

「……では、次の大規模作戦は新しい海域の攻略となる。敵には強力な個体も多くいると予想されているから、皆、気を引き締めてかかるように」

 

 作戦室で私達に次の大規模作戦の説明がされます。そして、現在予定されている出撃表……そこに私の名前はありました。それも、主力艦隊の中にです。

 

 それを見た途端、私は冷や汗が止まりませんでした。これまでの出撃では厳しい海域に出撃したことはありません。でも、今回はどれだけ厳しくなるか想像もつきません。もしも……もしも私のせいで誰かが沈んだら……!

 

「し、しれえ! なんで雪風が主力の編成に組まれているんですか!? 雪風は……!」

 

「この海域の攻略には戦力を惜しむ余裕はないんだ。雪風の事は聞いているが……雪風の錬度を考えれば前線に出てもらわなくてはならない」

 

 確かに私の錬度は低くはないです。でも、でも!

 

 私はしれえに何回もお願いしました。でも、聞き入れてはもらえませんでした。

 



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第十五章 雪風編2

(どうしよう……どうしよう……)

 

 自分の部屋で私は頭を抱えています。しれえにはいくら言っても聞いてもらえませんでした。……怖い、怖い。私のせいで誰かが沈んだら? もしそんなことになったら私は……。

 

 かつての大戦で、私はいくつもの戦場で、何人もの仲間と一緒に戦ってきた。でも私だけ生き残ってきた。姉妹の中でも私だけが生き残った。私は死神だ。仲間の幸運を吸い取って、私だけが生き残った。

 

「……いやだよ。もう、誰かが沈むのは見たくなんてないよ……」

 

「雪風、おるかー?」

 

 不意にノックの音と一緒に黒潮の声が聞こえてきました。慌てて扉を開けて黒潮を迎えます。

 

「雪風。今度の出撃のメンバー表渡しにきたで。しばらくウチと一緒に出撃になるからよろしくな」

 

 そう言って黒潮が差し出してきた出撃表を受け取りますが……自分でも手が震えているのがわかります。これは大規模作戦とは別の普通の出撃……でも……。

 

「……雪風。あんま心配のし過ぎはよくないで。ウチがちゃんとサポートするからな」

 

「……黒潮……でも、私は……」

 

「不安な気持ちはわかるわ。でもな、そんな気持ちのまんまで居ても変わらんのも確かやと思うで。……それじゃぁ、ウチは他の人に表を渡しに行くから」

 

 そう言って黒潮は部屋から出ていきました。……黒潮、不安な気持ちをなくすなんてできないよ……。私は……死神なんだから……。

 

 

 

 出撃表を渡されてから数日後。私は今、赤城さん率いる艦隊に黒潮と一緒に出撃しています。でも、私は不安と恐怖しかありません。今回の出撃先は錬度を考えれば難しい海域ではありません。でも、万が一も十分あり得る……。もしも、私のせいで誰かが沈んだら……。

 

「雪風。俯いてたら危ないで。ちゃんと前見とき」

 

「あ……はい……」

 

 黒潮に声をかけられて顔を上げるが、気持ちは沈んだままだ。

 

「今から偵察機を飛ばします」

 

 赤城さんの声を合図に全員が停止。赤城さんが飛ばした偵察機が戻ってくるのを待つ。程なくして戻ってきた偵察機の報告を聞いた赤城さんの指示に従って進路を進んでいくと、やがて敵の艦隊と遭遇した。敵は戦艦、空母を含む主力艦隊。皆一様に気を引き締めます。

 

「全艦攻撃開始!」

 

 赤城さんの発信させた爆撃機による攻撃を皮切りに、私達は敵に攻撃を行います。私は先陣を切って突撃し、敵の標的になろうとして……でも。

 

(なんで……なんで当たらないの!?)

 

 敵の攻撃は私に当たりません。時に横に、時に私の後方に着弾して水柱をあげますが、それだけです。私に当たることはありません。どうして……どうして当ててくれないんですか!? 私に当ててくれたら……そうすれば誰かが流れ弾に当たることもないのに!

 

「なんで……なんで!」

 

 私はひたすら敵に接近して攻撃する。それなのに敵の攻撃は雪風に当たってくれない。そして、雪風の横を戦艦の砲弾が飛んで行ったと思ったら……。

 

「おわあ!」

 

 後ろから聞こえてきたのは……黒潮? 黒潮!? そんな、戦艦の砲撃を食らったら……!

 

「……舐めんな!」

 

 私が驚く間もなく、艤装の所々から煙を吹いている黒潮が私の横を通って走っていき、敵に砲撃を加えていく。

 

「来るわかっとったらなぁ……いくらでも対処できるわ!」

 

 そう叫びながら黒潮は私よりも早く、正確な攻撃で敵を翻弄する。その間に主力の方々の攻撃が敵を捕らえ、次々に沈めていって……程なくして戦いはこちらの勝利で終わった。

 

「黒潮……大丈夫ですか?」

 

「おう、なんとかやれるで。改二様様や。それに、来るとわかっとったらどうとでもなるで」

 

「……え、来るのわかってたんですか?」

 

 そう言えば戦闘の最中にもそんなことを言っていたような……。

 

「そやで。雪風の後ろおったからな。雪風狙う砲弾の流れ弾ぐらいくるで」

 

「!? な、なんでそんな危険な位置に居るんですか! 雪風は敵の気を散らすために……」

 

「気を散らす? むしろ当てて欲しい思っとったんちゃうんか?」

 

 黒潮から言われた言葉に思わず息を飲みます。な、なんで……。

 

「大方、自分が死神やとか思って、それが嫌やから自分に攻撃が向けられるようにと思ってがむしゃらにツッコんどるんやろ。後ろで見ててようわかったわ」

 

 そん……な。たった一回の戦闘で……そこまで……?

 

「……だったらなんですか? いいじゃないですか! 私は一人だけ生き残ったんですよ? 率先して前に出るべきじゃ……ヘブ!」

 

 黒潮に噛みつこうとする私の頬が掴まれたと思ったら、黒潮が強烈な頭突きをしてきました。これ……は……痛……!

 

「……アホ抜かすな雪風! 生き残ったからこそ、置いてかれるもんの気持ちもわかるやろ! あんたは自分の我儘で全員を悲しませたいんか!」

 

「ッ!」

 

「ええか雪風! 後ろで見ててわかったわ。あんたに飛んできた攻撃が他の艦娘の所に行くのわな、あんたが避けとるからや! 意識せず、ほとんど無意識に最小限の動きで避けとる。せやから雪風にとっては勝手に逸れとるように見えるんや。そのくせ、後ろのことを気にせんでいるから、立ち位置が悪くて味方に攻撃が飛んで行っとる。それだけの話や!」

 

「そ……そんなわけないじゃないですか! 雪風がそんな事、できるわけが……」

 

 雪風が反射的に目線を逸らそうとして……黒潮が顔を掴んで無理やり黒潮の方を向かせてきます。

 

「ええか雪風。あんたの船員の人たちは全員凄腕やった。悔しいけど、ウチに乗ってた人たちよりも、陽炎型に乗ってた人たちの誰よりも凄腕やったと思うし、当時の船員全員で比べても5本の指に入ってるんやないかってレベルやったと思う。あんたにはその人たちの力が宿っとるんや。なら、無意識のうちにでも敵の攻撃を避けててもおかしくないやん。せやから、後はあんたの立ち回りしだいや!」

 

「そん……な……ゆき……かぜがそん……な……」

 

「……やる前からそんな弱気でどうすんねん。ええか雪風。ウチはあんたを信じとる。あんたは死神やないんや。雪風かて死神にはなりたくないんやろ。なら、今はウチを信じてくれんか?」

 

 ……黒潮はズルイです。さっきまで怒ってたのに、なんで今はそんなに悲しそうな顔ができるんですか? そんな顔をされたら……。

 

「……ねぇ二人とも。そろそろいいかな? 姉妹喧嘩も時には必要だろうけど、今私達出撃中なんだよ」

 

「そうですね。そろそろその辺にして頂けますか?」

 

「あ……こりゃすんまへん皆さん」

 

 慌てて私と黒潮は皆さんに謝ると改めて海上を進んでいきます。でも、私の心の中は黒潮の言葉で一杯でした。

 

(……少しだけ……信じてもいいんでしょうか?)

 

 黒潮の言うことに確証があるかはわからないです。でも……あんな真剣に怒ってくれたんですから……少しだけ……信じようと思います。



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第十五章 雪風編3

 後日、大規模作戦は無事に成功しました。私は誰かに自分が避けた攻撃が飛んで行ったりしないよう立ち回りに注意して戦ったおかげで、私を狙った攻撃が誰かの不意を突いたりすることもなく戦いを終わらせることができました。

 

「ふぅ……本当、誰も沈まなくて良かった。……良かったぁ……」

 

 大規模作戦の事を思い返しながら雪風は廊下を歩いています。すると、反対側から時雨が歩いてきているのが見えました。

 

「あ、雪風。大規模作戦お疲れさま」

 

「時雨も、お疲れさまです」

 

 時雨の挨拶に答えると……なんでしょう? 時雨が歩かずにこっちを見てきます。

 

「……良い顔になったね、雪風」

 

「え? な、なんですかいきなり?」

 

「……ずっと、気になってたんだ。雪風は出撃のたびに暗い表情になってたし、出撃に関することを話してる最中にもどこか暗い影が刺してたからね……」

 

 ……確かに時雨の言う通りです。雪風はずっと、出撃するのが嫌でした。出撃の話をするのも好きじゃありませんでした。それが変わったというなら、それはきっと黒潮のおかげです。

 

「ご心配をおかけしてごめんなさい。でも、雪風はもう大丈夫ですよ」

 

「うん、そうみたいだね。良かったよ、雪風が暗くしてると、僕まで悲しくなる。ずっと、雪風がそうやってくれることを願っているよ」

 

 そう言って時雨は歩いていきました。……私と時雨は大戦中には関わりはありませんでした。でも、私達は武勲艦、幸運艦の双壁として称えられる事があります。だからこそ……時雨は雪風の事が気になってたのかもしれません。

 

「……大丈夫です、時雨。私はもう……大丈夫ですから」

 

 私は正直時雨と共に称えられるのが嫌でした。でも、今ならきっと胸を張れると思います。胸を張って、時雨と並ぶことができると思います。だって、私は死神じゃないんですから。

 

 この事を気づかせてくれた黒潮にはいくら感謝してもしきれません。なので……。

 

「黒潮~黒潮~、遊ぼうよぉ」

 

「黒潮、遊びましょう。雪風も遊びたいです」

 

 今、私は時津風と一緒に黒潮に遊んでほしいと縋っています。こうしていると黒潮はちょっと迷惑そうにしてますが……嬉しそうな感じもします。だから、私は黒潮に遊びをせがみます。

 

「ちょっと~、黒潮。今度の出撃の事で相談があるんだけど、来てくれる?」

 

「あ、わかったわ陽炎。ほら二人とも、遊ぶのは後でやったるから、離れてな」

 

 仕方がないので黒潮から離れると、黒潮は陽炎と一緒に行ってしまいました。

 

「……雪風、一緒に遊ぶ?」

 

「うん、そうしよう時津風」

 

一緒に縋っていた時津風と視線を合わせると、二人で一緒に遊ぶことにしました。後で黒潮が戻ってきたら、今度は三人で遊ぼうと思います。

 

 

 

 

「ほい陽炎、アーン」

 

「アーン」

 

 黒潮の膝枕の上で次の出撃の事を相談している私に黒潮が飴を取ってくれたからそのまま食べる。あー、大規模作戦が終わったばっかりなのにもう次の出撃のこと考えとかないといけないのが本当面倒だなぁ。

 

「陽炎、すっかりアーンも慣れたなぁ。風邪引いとったときは拒否しとったんが懐かしいで」

 

「……いいでしょ、別に。それより次の出撃だけど、雪風を連れていきたいって考えてるのよ。黒潮はどう思う?」

 

「そうやねぇ、今の雪風なら大丈夫やと思うで。それに、雪風自身にもええ特訓になると思うわ」

 

 黒潮と一緒に出撃したあの戦い以降、雪風の戦い方は一気に変わった。前みたいにがむしゃらに前に突っ込むんじゃなくて、うまく敵と味方の位置を把握して立ち回れるようになった。おかげでメキメキ戦果を上げてるみたい。

 

「……雪風、自分の気持ちに決着をつけれたのよね?」

 

「……きっと、そうやと思うで」

 

 雪風は生き残った。多くの戦いを経験し、多くの仲間が沈み、姉妹が全員沈む中で生き残り、中国に引き渡され、そこで最後まで就役した。中国での扱いは悪いものじゃなかったみたいだけど、もし私が雪風と同じ立場だったら、そんなの慰めになっただろうか? きっとならない。ずっと自分の中で自分を責めていたはず。

 

 だからこそ、ここで雪風と会ってから、気を遣うようにはしてたんだけど……流石に他の姉妹の面倒をみたりしないといけない私は雪風だけに気を遣うわけにはいかなかった。それは今回の出撃でも同じ……。だからまぁ、今回黒潮に一緒に出撃するようお願いしておいたんだけど。黒潮ならきっとなんとかしてくれるって思ったから。

 

「黒潮、雪風の事、ありがとうね」

 

「ええって。可愛い妹やもん。それに、陽炎の役にも立てたんやから。別に困るような事やないで」

 

 ……こいつ、素で言ってるのよねぇ。本当にもう。

 

「可愛いこと言ってるんじゃないわよ」

 

「あひゃひゃ……ちょ、陽炎。だから腋はやめてぇ……あっひゃひゃひゃ」

 

 つい黒潮の腋をくすぐると、黒潮は色気のない声で笑いだす。まったく、どうせなら笑い声も色気のあるものに……だめね、私暴走するかも。



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第十六章 初風編
第十六章 初風編


 私の名前は初風。陽炎型の7番艦。私は提督に、皆に強くなってほしい。それは、提督が強くなれば誰かが轟沈する可能性が減るんだし、提督自身も好きだと思ってる。

 

 だから、私はキツイ言葉で皆に話しかける。甘やかすのは他の人がしてるから、私が強く当たらないと……。嫌な言葉をぶつけることになっても、私がやらないと。だって……誰も沈んでほしくないから……。

 

 

 

「……提督、最近戦果が落ちてるわね。ちゃんと海域攻略について考えてますか?」

 

「……耳が痛いな。だが、無理をして皆に必要以上の苦労をかけたくはないのでな」

 

「その気持ちは嬉しいけど、それで戦果が落ちてたら意味がないわよ。ちゃんと作戦を立ててよね」

 

 提督の気持ちは嬉しい。わたしたちを一人の人間としてみてくれてるんだから。でも、だからこそ、私は厳しく、嫌なことでも言わないといけない。それが私の役目だから。

 

「まったくだな。……と、そろそろ交代の時間か。初風、ご苦労だったな」

 

「ええと……そうね。それじゃぁ出撃に行ってくるから」

 

 そう言って私は執務室を後にして出撃ドッグへ向かう。今日は黒潮と一緒に出撃だったわね。……黒潮には頑張ってもらわないと。

 

(……提督の話では、黒潮の改二計画の話も出てるみたいだし)

 

 最近陽炎、不知火と陽炎型にもようやく改二への改造がされるようになった。その流れで黒潮にもその話が出てるけど、その一方で、陽炎型にだけ急に改二を増やしすぎじゃないかって話もでてるらしい。それはまだ秘書艦をしている一部の艦娘にしか知らされない機密情報。だから黒潮

達には言えない。でも、黒潮には頑張ってもらわないと。

 

(……黒潮だけ改二がないなんてさせたくないわ)

 

 陽炎と不知火に比べれば目立たない。でも、黒潮は二人と一緒にずっと頑張ってきた。だから、彼女にも改二になってほしい。だから、私が嫌なことでも言わないと。

 

 

 

 

「さぁ、出撃しますよ。皆さん、私についてきてください」

 

 赤城さんを旗艦に川内姉さん、黒潮、私、暁の編成で出撃。この海域ならこの編成で十分だし、黒潮がMVPを取ることも十分なはず。……だっていうのに。

 

「今回のMVPは暁か。おめでとう暁」

 

「ふふん、一人前のレディーならこれぐらい当然よ」

 

提督室で提督に褒められているのは暁。確かに彼女の酸素魚雷が敵の旗艦を倒したからMVPなのは間違いないんだけど……黒潮も十分狙えたはずなのに。

 

「それじゃぁ皆お疲れさま。負傷しているやつは入渠。無傷の奴は解散な」

 

 提督のこの言葉で私達は解散。小さいながらも損傷を受けた川内姉さんと暁は入渠。赤城さんと私と黒潮は無傷だったからそのまま解散となった。

 

「それでは、二人ともお疲れさまでした」

 

「「お疲れさまでした」」

 

 提督室を出た後、私と黒潮は赤城さんと別れて駆逐艦寮向けて歩き出す。

 

「いやー、今日も疲れたわ。さっさと部屋戻って寝たいで」

 

「大した活躍してないじゃない。訓練しておくほうがいいんじゃないの?」

 

「いやぁ、初風。そりゃ勘弁やで」

 

 ノホホンと笑いながら歩く黒潮。その態度に正直イラッとしてしまう。取れたはずのMVPも取らなかったくせに……。

 

「あのねぇ黒潮。そんなんだったらいつまでも改二になれないわよ。今日の戦闘だって、暁じゃなくてあんたがMVP取れてたのを暁に取らせてるし。それでいいの?」

 

「改二? あはは、ないない。こないだ陽炎、不知火が連続で改二になったんやで。当分ないって。あってもウチより先に妹達にくるって」

 

 ……なによ、妹に先に来ても気にしないって言うの? 暁や白露なんてめっちゃ気にしてるって言うのに。

 

「黒潮。そんな態度じゃ妹に示しがつかないですしょ。3女なんだから、もっとちゃんとしなさいよ」

 

「も~。初風は手厳しいなぁ。ほら、早よう寮に帰ろうや」

 

「あ、ちょ……」

 

 私の手を掴んで走り出す黒潮。それに引っ張られて私も走る。……まったくもう、こんなんじゃ改二になれないわよ黒潮。



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第十六章 初風編2

 それから一週間。私は少しイライラしていた。黒潮に改二の案が出てることを告げて発破をかけたい。でも喋ることは許されていない。だからそこをボカして黒潮を焚き付けるしかないのに、黒潮はいっつも改二に興味がないように振る舞って……あー、もう。腹が立つわね。

 

「なぁ、初風姉。初風姉」

 

「ん? ……なによ嵐」

 

 寮の庭でボーッとしてたら嵐に声をかけられた。何の用かしら?

 

「初風姉。最近黒潮姉にキツくないか? あれじゃ黒潮姉も疲れちまうぜ。なんかあったのか?」

 

「……なんでもないわよ」

 

「そうか? でも、前はあんまり黒潮姉に厳しく言ったりは……」

 

「なんでもないって言ってるでしょ!」

 

嵐にそう怒鳴り、私は庭から離れる。誰の……誰のせいだと思ってるのよ! でも、私はちゃんと言わないと。だって、黒潮は陽炎と不知火と一緒に頑張ってきたんだから、黒潮だけ仲間外れになんてさせれるわけがないじゃないの。

 

 

 

 

 今日、私は陽炎、不知火、黒潮、親潮、川内姉さんと一緒にタンカーの護衛任務に赴いていた。普段より人数が多いのは、最近この海路で出現する敵の数が増えてるからなんだけど……もう、こんな任務じゃなくて、もっとちゃんとした任務で黒潮には頑張ってほしいのに。

 

「なんやぁ、どうしたんや初風? 眉間に皺寄っとるで」

 

「なんでもないわ」

 

 黒潮に声をかけられるけど、素っ気なく返す。仕方ないし、さっさと任務を終わらせて帰るしか……。

 

「! 皆、偵察機からの報告。敵の戦艦を含む艦隊を発見。こっちに向かってきてるよ!」

 

 その言葉に私達は一斉に気を引き締める。私達のほとんどが駆逐艦。戦艦を含む艦隊を相手にするには火力も装甲も足りない。でも、私達が逃げたらタンカーも、それに乗っている人達も見捨てることになる。

 

「皆、気合い入れていくよ!」

 

「はい!」

 

 川内姉さんの声に皆が頷き艤装を構える。そして、程なくして会敵した敵に向かって先制の魚雷を叩き込み。そこから先は双方陣形を組んでの戦いとなる。くそっ、やっぱり戦艦相手にこっちの主砲じゃダメージを与えにくいし、随伴艦の重巡も厄介ね。空母がいないだけまだマシだけど……。

 

「チッ、面倒な相手ね。不知火、行くわよ!」

 

「了解です、陽炎」

 

 陽炎が声に応えた不知火と一緒に敵に肉薄。重巡に至近距離から砲撃を加え、離脱の間際に魚雷を発射する。それを受けた重巡が火を吐きながら沈んでいく。

 

「よし、これで勢いはこっちのものだね。皆、頑張ってよ!」

 

 それを見た川内姉さんのやる気があがる。私と黒潮も改めて敵に主砲を向ける。……でも、私の頭の中には別の考えがあった。

 

(私の攻撃で戦艦にダメージを与えて黒潮が止めを刺せば、黒潮がこの戦いのMVPになれるかもしれんない。なんとかしないと……)

 

 陽炎と不知火のおかげで形勢を持って行けている以上、戦闘が終わった後の事も考えないと。なんとか黒潮にMVPを取らせないと……!

 

「! 初風、何してるの!?」

 

「え!?」

 

 川内姉さんの声に頭を上げると、そこには戦艦から打ち出された砲撃が私に向かってくる光景が。慌てて回避しようとするけど、間に合わな……。

 

「初風!」

 

 不意に声が聞こえたと思うと、私の体が横から押される。視線をそちらに向けると、そこには私を突き飛ばす黒潮。そして……彼女に砲撃が直撃する光景だった。

 

「……! 黒潮!?」

 

 すぐに体勢を立て直して黒潮に駆け寄る。彼女は力なく海面に横たわっていて、艤装からは黒煙が立ち上っている。そんな……私を庇って!?

 

「黒潮! 黒潮! しっかりしなさいよ!」

 

「……初風……大丈夫……かいな……?」

 

 慌てて抱き起すけど、黒潮は私の心配をしてきて……何言ってるのよ。なんで私を庇うなんて……。

 

「わ、私は大丈夫よ! それより黒潮こそ……」

 

 私が何かを言うより先に黒潮が私の手を握ってくる。

 

「……なぁ初風……。お願いがあるんや……聞いて……くれんか?」

 

「な、なによ黒潮。まるで最後のお願いみたい……な……」

 

 そんな……まさか……!? だって……だって、黒潮は改造も改修もやれるだけやってる。戦艦の砲撃だからって一撃でやられるなんて……そんなわけが……。

 

「……初風……もう少し……柔らかい態度……とったり……。皆……怖がってもうとる……」

 

「だ、だって……それは……!」

 

「……わかっとる……初風は嫌われ役買っとるんやってぐらい……でもな……初風だけが引き受ける必要はないんや……」

 

 そう言って黒潮は私の手を握っていた手を放し、私の頬を撫でる。

 

「……初風だけ苦労したらアカン……初風だけ嫌われるんは……ウチは嫌や……な……お願い……や……」

 

 そう言って私を見上げる黒潮の表情は……どう表現すればいいのよ。こんな……こんな……。

 

「……わかっ……たわよ」

 

「……よか……た……で……」

 

 私の返事を聞いた黒潮はそう言って笑うと……静かに目を閉じた。……私の頬を撫でていた手が力を失い、海面に落ちる。

 

「ちょっと……やめてよ……起きてよ……ねえ!」

 

 体を揺さぶっても黒潮が起きない。力なく揺れるだけの彼女の様子に私は……私……は……!

 

「やめてよ、ねえ! わかったから! 起きてよ! 冗談はやめて……やめ……て……」

 

「初風! 黒潮は!?」

 

 後ろから陽炎の声がかけられる。顔をそっちに向けると、既に戦闘は終わっていたのか、敵の姿はなく、陽炎の後ろに不知火も親潮も川内姉さんも立っていた。

 

「かげ……ろ……くろ……しお……が……!」

 

 陽炎はすぐにしゃがんで黒潮の顔を覗き込んで、そして……黒潮の両頬を引っ張った。

 

「ひひゃ! ひひゃい!」

 

「な~に~を~……してるのあんたはあああ!」

 

「え……え!?」

 

 陽炎が頬を引っ張った途端に黒潮が痛がり出す。生きて……え!? じゃぁさっきのは!?

 

「黒潮、何をふざけているんですか」

 

「黒潮さん、おふざけがすぎますよ」

 

 陽炎の後ろから覗き込んできた不知火と親潮も呆れた様子でこっちを見てる。私……騙された!?

 

「黒潮、あんたはあああ!」

 

「すまん、すまん初風!」

 

 思わず私も黒潮の頭を叩くと、黒潮は必死に謝ってくる。でも知らない! 人を心配させてえ!

 

「ねぇちょっと。姉妹喧嘩なら帰ってからにしてよ。タンカーの人たちも呆れてるよ」

 

「あ、すいません。ほら、初風その辺にしときなさい。黒潮、罰として初風に牽引されなさい」

 

 そう言うと、陽炎達はさっさと行ってしまったので、私も黒潮に肩を貸して後を追っていく。ちょうどいいわ。鎮守府に帰るまで散々怒ってやるんだから。

 

「……なぁ、初風」

 

「なによ。さっきの事許さないからね」

 

「いや、そりゃ悪かったけど……ウチがお願いしたことは……守ってくれんか?」

 

 黒潮のお願い……私だけが嫌われ役を買うなったことよね……。もしかして。

 

「……黒潮、もしかして……それだけのためにあんな真似したの?」

 

「ん~……まぁ、ちょうどいいとは思ったわ。初風、普通に話して聞いてくれるかどうかわからんかったし」

 

 ……確かに、普段の黒潮に言われたとしても私は聞いてなかったと思う。

 

「……初風。ウチらは姉妹や。初風だけ嫌われ役買って、皆から嫌われたりする姿なんて見たくはないんや。……やからお願いや、もうちょっと、柔らかい態度なったり」

 

「……わかったわよ。その事だけは言う通りにしてあげるわ」

 

「ありがとうなぁ、初風」

 

 そう言って笑う黒潮の笑みは、どこかほっとしたような感じで……。仕方ないわね、さっきの事も許してあげようじゃないの。……ごめんね、黒潮。

 

 

 

 

 

「えーと……陽炎?」

 

「……」

 

「……陽炎、なんか言ってぇや」

 

 入渠から出てきた黒潮を強引に私の部屋まで連れてきた後、私は黒潮を抱きしめる。何も言わず、今ここに黒潮がいるんだと実感するために抱きしめる。

 

「……黒潮。冗談でももうああいうことはしないで」

 

「やられて倒れた事? でも、騙されたん初風だけやん。他は全員気づいて……」

 

「不知火も親潮も、体震えてたわ」

 

「……え?」

 

 私の言葉に黒潮が不思議そうな声を上げる。やっぱり、気づいてなかったのね。

 

「……私も、震えてた。頭ではわかってても、もしかして……万が一が……そう考えると怖かった。あんたが死んだんじゃないかって……不知火も、親潮も、そう思ってたはずよ」

 

 そう言って私はもっと力を込める。服越しに黒潮の体温が伝わってくる。呼吸が聞こえてくる。でも、不安な気持ちは消えてくれない。また、黒潮が私の目の前で消えていくんじゃないかという気持ちが湧き上がってくる。

 

「……ごめんなぁ陽炎。ウチがちょっと考えが足りんかったわ」

 

「本当よ。後で不知火と親潮にも謝ってきなさい。いいわね」

 

「うん……ごめんなぁ、陽炎……ごめんなぁ」

 

 私の背中に黒潮の両腕が回される。そうして私はやっと、黒潮がここに居てくれてるという実感を感じた。

 

「……本当……もうやめてよ……」

 

「……勿論や……ごめんなぁ……」



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終章
エンディング


 こないだの大規模作戦。その成功をもって戦争は終わったわ。深海棲艦の本拠地を叩いてから数か月。深海棲艦は海から完全に姿を消したんやから当然なんやけど。これで、艦娘としてのウチらの役割は終わった。鎮守府も解体になって、ウチらもそれぞれの道を歩いてくことになった。

 

「さて……ウチはどうするべきなんやろなぁ……」

 

 部屋の中で書類を見ながら考える。戦艦や空母の人らは就業支援コースに行く人もおるけど、ウチみたいな駆逐艦はまず学業支援を受けなアカン。それを終えてから改めて学校に通って、ほんで就業するなり結婚するなり色んな道があるんやろうけど……。

 

(……陽炎達とも離れ離れになるんかなぁ……)

 

 それは嫌だなぁと考えながら書類をみとると、不意に部屋の扉がノックされる。出てみるとそこにおったんは陽炎やった。

 

「黒潮、司令官が呼んでるわ、付いてきて」

 

「司令はんが? 何の用なんや?」

 

「来たらわかるわよ。さ、さっさと来なさい」

 

 そう言って陽炎が歩き出したから慌てて追いかけるけど、ホンマなんなんやろ?

 

 疑問を浮かべながらも司令室に入ると、そこには司令はんの他に……え、なんで陽炎型が全員おるん? なんか怖いんやけど……。

 

「えーと……司令はん、何の用なん? それに姉妹全員おるし……一体なんなんやこれ?」

 

 ウチの問いに姉妹達はなんやニヤニヤしながらこっちみとるけど、司令はんはなんや真剣な顔しとると思ったら……懐から小さい箱取り出してきおった。

 

「黒潮、これを受け取ってくれ!」

 

 そう言うと差し出してきた小箱が開けられると、そこには指輪があった……って、え? 指輪?

 

「……司令はん、戦争は終わったんやで。今更ケッコンカッコカリしても意味ないんやけど……」

 

「違う! これは結婚指輪だ! 黒潮、俺と結婚してくれ!」

 

 ……へ? 結婚? ウチと? ……ええ!?

 

「し、司令はん、突然何を言うとるんや! ウチと結婚って……ええ!?」

 

「本気だ黒潮! 俺はお前が好きなんだ!」

 

 そんなわけないやん! 艦娘にはウチより魅力的なんが山ほどおるんや。司令はんがウチに告白なんてありえへん!

 

「は……はぁ!? 何言うとるんや司令はん! 冗談にしてはタチが悪すぎるで!」

 

「冗談でこんな事が言えるわけがないだろ!」

 

「だ……だって、艦娘にはウチより魅力的な人が山ほどおるやん! ほ、ほら! 姉妹の陽炎やら浜風やら……ウチより魅力的やで!?」

 

「確かに艦娘には魅力のあるやつばかりだ! でもな、俺が好きなのはお前なんだよ! お前の容姿も、性格も、全部ひっくるめてお前が好きなんだよ!

 

 そう言って司令はんはウチの肩を掴んで、ウチの目をまっすぐ見てくる。……真剣な表情や。こんな真剣な表情の司令はんは初めて見た……ホンマ……なんか?

 

「……ホンマ……なん? ……ウチ……信じてまうで……?」

 

「信じてくれ黒潮! 俺はお前と結婚したいんだ!」

 

「……もし冗談やったら……ウチ、司令はんの事、ホンマに嫌いになるで……?」

 

「冗談なんかじゃない! 俺は、本気で、黒潮が好きなんだ!」

 

 ……アカン、こんな真正面から言われたら……信じるしかないやん……ウチも……ウチも……!

 

「く、黒潮!? 泣くほど嫌だったのか!?」

 

 言われて初めて自分が泣いとるのに気付いた。違う……違うで司令はん……。

 

「……ちゃう……ちゃうよ……。司令はん、ウチな……諦めとったんや。周りは皆司令はんが好きな……魅力的な人ばかりや……ウチなんかじゃ……見向きもさ……れんって……」

 

「……司令はん。指輪……付けてくれる?」

 

ウチがそう言うと、司令はんは左手をとって、薬指に指輪を付けてくれた。サイズはピッタリ。銀色の指輪が光を反射して輝いとる。……アカン、また涙が出そうに……。

 

「黒潮、婚約おめでとう!」

 

「おめでとー!」

 

「おわああああ!?」

 

 そ、そうや、ここには姉妹全員おるやん! スッカリ忘れとった!? ……全部見られとるやん!

 

「えーと……な。黒潮。それで、ちょっと頼みがあるんだが」

 

「ん? ええと…… なんや?」

 

 この状況でお願いってなんなんやろ? 式は……できれば和風のほうがええけどなぁ。

 

「黒潮。俺は姉妹を離れ離れにしたいとは思っていない。戦艦や空母のような大人ならともかく、子供である駆逐艦なら尚更だ」

 

「そらまぁ……そう思ってくれるんは嬉しいけど、それがお願いと関係あるん?」

 

「ああ……。陽炎達と相談したが……黒潮。俺はお前を妻として、そして残りの陽炎型全員を養子として迎えたいと思っている」

 

「……は?」

 

 え? 何を言うとるんや司令はんは? ウチを奥さん……はわかるで。でも、姉妹全員を養子……養子!?

 

「な、なにを言うとるんや司令はん!? 自分が何を言うとるんかわかっとるんか!? じゅ……18人やで!?」

 

「わかってる! 18人全員を養子にするつもりだ!」

 

「そ、そないなん言うても無理やろ! 全員合わせて20人も住める場所があるんかいな!?」

 

「俺の家は一応豪農の出だったから、田舎にでかさだけはある家がある。少々不便ではあるが、そこでなら全員住める!」

 

 そ、そうやったんか……って、問題はそれだけやない!

 

「で……でも、お金はどうするんや? んな20人も生活するお金なんて……」

 

「そこは私達の貯金から出すわよ。艦娘を辞めることになって支払われる退職金に、これまで貯め込んだお金があれば、全員が成人するまでなんとかなるわ。それに、学業しながらでもバイトとかしてればある程度は賄えるしね」

 

 陽炎が平然と言ってくる。いや、確かに退職金はべらぼうな金額やったし、親潮や野分なんかはキッチリ貯金しとったみたいやけど……いや、せやけど!

 

「黒潮! もう準備はできてるんだ! 後は……お前次第なんだ! ……どうなんだ黒潮。やって……くれないか……?」

 

 司令はんがこっちを見とる。姉妹全員もこっちを見とる。……あーもう、しゃあない! こんなお膳立てされとったらやるしかないやんか!

 

「わかったわ……やったろうやないか! 司令はんの奥さんになって、陽炎型全員のおかんになったるわ!」

 

 ……正直場の雰囲気に流されてるだけな気がするけど、こうなったらやったろうやないか!

 

「……皆、聞いたわね!」

 

「はい!」「ばっちり!」「もちろん!」「しっかり聞いたわよ!」

 

「じゃぁ、例のあれ、行くわよ!」

 

「へ? 陽炎、例のあれって……おわああああ!?」

 

 突然司令はん以外に取り囲まれたかと思うと、そのまま持ち上げられる。ちょ、待って! この体勢ってまさか!?

 

「不知火、親潮、黒潮の袖はちゃんと持ったわね」

 

「大丈夫です。陽炎姉さん」

 

「こっちも問題ありません。陽炎も、襟首をちゃんと掴んでますね?」

 

「大丈夫よ。それじゃぁ……お母さん! これからよろしくね!」

 

 陽炎がそう言うたと思ったら、そのまんまお母さんを掛け声に胴上げが。ちょ、アカン! アカン! 吐く! 口からなんか出したらイカンもんが出る!

 

「ちょ、やめ! やめてえええええええ!」

 

 悲鳴を上げる中、視界が何度も上下する。アカン、こんなん心の準備もなしにやるもんやないいいいい!

 

「はい、終わるわよー」

 

 何回やられたんや……ともかく、胴上げが終わり床に降ろされたけど……こ・い・つ・らー!

 

「……いきなりなにするんやあんたらはあああああ!」

 

「ヤッバ、お母さんが怒ったわ。皆逃げろー」

 

 陽炎の声を合図に全員が扉に……ってええ!? いつの間に壁に回転ドア作っとったんや!? ってちょおお! 窓から飛び降りとる!

 

「ちょ! ここ三階……!」

 

 慌てて窓から下を覗くと……下には火災時の飛び降りに使うマットが敷かれとった。そこから降りて逃げとるんは嵐に舞風に磯風に谷風……いつの間にあんなもん用意しとったんや!?

 

「……ハッ!」

 

 慌てて後ろを振り向けど、そこにはもう司令はん以外誰もおらんかった。

 

「……全員、後でしばいたる」

 

「ま……まぁ落ち着け黒潮。皆、お前のためにやったことなんだし」

 

「……それで全てが許されるわけやないんやで司令はん……」

 

 ……あー、アカン。頭がまだ混乱しとる……ちーとばかし深呼吸をして……ふぅ。

 

「……はぁちょっと落ち着けたわ……」

 

 まったくもう、まさかこんな事になるとはなぁ……。驚きが行き過ぎるとこれ以上は驚けん……。あー、いかんいかん。あれやらんと。スッカリ忘れとった。

 

「……陽炎達の事は後でどうにかするとして……司令はん」

 

 改めて司令はんを向き直る。ほんで、三つ指をついて、司令はんを見上げる。

 

「黒潮……?」

 

「司令はん……いや、旦那様。不束者ですが、よろしくお願いします」

 

 そう言ってウチは頭を下げた。こういうのはちゃんとしとかんとな。

 

「ああ。よろしくな、黒潮」

 

 気付いたら思ったよりも近いところから旦那様の声が聞こえてて、頭を上げると目の前に旦那様の顔があった。

 

「黒潮……」

 

「旦那様……」

 

 旦那様の手がウチの顔をしっかり挟んで……初めてのキスはレモンの味や言うけど、味なんてなくて……ただ、旦那様の熱と感覚で心が満たされるだけやったわ。



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エピローグA

こちらはエピローグのAパターンとなります。Bパターンより時系列は先ですが、二つのエピローグは繋がっておりません。

どちらのエピローグを選ぶかは読者様次第です。


「えーと……この辺も持って行こうかなと。後は……」

 

 私は自分の部屋で持っていく物を決めている。この機会なので、艦娘として必要なものは全部置いて行ってもいいんだけど、思い出があるものはどうも置いていきにくい。

 

「陽炎、まだかいなー?」

 

 声がかけられたから後ろを向くと、そこには黒潮が立っていた。またノックせずに扉開けて、まったくもう。

 

「もうちょっとで終わるわ。あんたのほうはちゃんと終わってるのね?」

 

「勿論やで」

 

 その声が聞こえたと思うと、ベッドのほうから軋む音がしてきた。黒潮が座ったのかしら。

 

「……しかしまぁ、ここでの生活も長かったなぁ陽炎。艦娘として生まれ変わってからズーッとここで生活して……ああ、そうや。陽炎の看病をしたんはこの部屋やったな」

 

「……そうね」

 

 そう。今思えばあれが始まりだったのかもしれない。あれをキッカケに私は黒潮に甘えるようになった。あと、あの後から、何かしらのキッカケを元にして妹達も黒潮に懐くようになっていった……。

 

(それでまぁ、最終的にはお母さん……かぁ)

 

 まさか三女の黒潮が陽炎型のお母さんになるなんて、想像もしてなかったわ。そもそも司令官が黒潮に告白するなんて事も考えたことなかったけど。本当、艦娘生には何が起こるかわからないわね。

 

「なー陽炎。手止まっとるでー」

 

「おっと」

 

 考え事をしてる場合じゃないわね。さっさとやらないと皆待たせちゃうわ。

 

 そうやって手を動かしていって、程なくして私は持っていくものを全部鞄に纏めることができた。

 

「お待たせ黒潮。行きましょうか」

 

「了解や」

 

 黒潮と並んで私は部屋を出て、廊下を歩いていく。そんな中、私はここで過ごしていた日々を思い出していた。

 

(……色々あったなぁ)

 

 ここには艦娘として生まれてからの思い出のほぼ全てが詰まっている。海に出て戦った日々も、仲間と触れ合った日々も、妹達と戯れた日々も。でも、それも全部今日でお終い。

 

 私達が寮を出て鎮守府の出入り口に視線を向けると、そこには司令官……いいえ、義父さんと妹達がバスの前で待っているのが見えた。

 

「ありゃ、もう皆待っとるな。急がんとアカンか」

 

「そうね、急ぎましょうか」

 

 私と黒潮は足を速めて皆の元に行く。あそこに着いたら、私達のこれまでは終わって、新しい私達が始まる。……でも、変わらないものがあった。

 

「ねぇ、黒潮」

 

「んー? なんや?」

 

 私のほうを振り返った黒潮に、私は満面の笑みで言葉を紡いだ。

 

「これからも、ずっと甘えるからね」

 

 私の言葉に黒潮は少し驚いた顔をして……それから、彼女も満面の笑みを浮かべた。

 

「ええで、陽炎。疲れた時は存分に甘えてぇや」

 

 そう言って私達は少しだけ笑いあうと、改めて皆の所へ歩き出す。きっとここから先は戦いとは違う大変なことがあると思う。でも大丈夫、私には、私達には、互いに支えあうことができる存在がいるんだから。



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エピローグB 黒潮視点

こちらはエピローグのBとなります。エピローグAよりも時系列は後になりますが、二つのエピローグは繋がっていません。

どちらのエピローグを選ぶかは読者様に委ねます。


「陽炎、ちょっと髪傷んでない?」

 

「あー、加齢のせいかしらねぇ」

 

「アカンでー、ちゃんとケアせえへんと。ウチの使こうとるリンス貸したろか?」

 

「……うん、お願い」

 

 そう言うと、陽炎は面倒そうにため息をついとる。昔はそういうん気にしとったんやけどなぁ。

 

 でもまぁしゃあないか。ウチ等ももう40歳越えとるからなぁ。面倒くさくなってもしゃあないで。……まぁ、それでも綺麗なんやけどなぁ、陽炎は。

 

 あの戦いからもう30年以上過ぎて、ウチは旦那様の妻として、姉妹達の母親として頑張ったけど……皆、無事に独立して、結婚してくれて……今は皆それぞれに家庭を築いとる。

 

 正直そうやって皆が離れてくんは寂しかった。そんな中、偶然やけど陽炎だけはこうして同じマンションで暮らして、こうしてたまにウチに甘えにきとる。

 

「そういや、陽炎とこの子は元気にしとるん?」

 

「ええ。一人暮らしにはしゃいでるわ。黒潮のとこもそうでしょ?」

 

「まぁ、そうやなぁ」

 

 そんな事を話しながら陽炎の頭を撫でてく。話しとる内容は子供の事やけど、こうして陽炎が甘えてきとる間だけは……ウチ等は艦娘に……陽炎型駆逐艦の姉妹に戻っとる気がするわ。この繋がりの間にだけは……旦那様でも子供たちでも入ることはできひん。ウチ等姉妹だけの特別な繋がりや。

 

(……でも、あとどれだけこうしていられるんやろうなぁ)

 

 ウチ等ももう40を過ぎとる。戦艦や空母の人達には50を過ぎとる人も多い。艦娘のウチ等の寿命が人間と同じなんかは知らんけど……老衰やなくとも病気や事故とかで死んでもおかしくはないんや。もし陽炎達がそうなったら……そう考えると、後悔のないようにしたいと思ってまう。せやから……。

 

(陽炎が甘えたくなったときは、精一杯甘やかさんとな)

 

 元からそのつもりやった。あの風邪で倒れた陽炎を看病しとったあの時から、その気持ちは変わっとらん。でも、もう一度口に出して伝えよう。ちょっと恥ずかしいけど、ウチの決心の現れや。

 

「ねぇ、黒潮」

 

「なぁ、陽炎」

 

 互いの口が同時に動き、相手の名前を呼ぶ。……なんでこんな時に被るんやろか? なんやおかしくなってきて少し笑うと、陽炎も同じように笑ろうとった。

 

「先に言いなさいよ黒潮」

 

「いやいや、陽炎が先に言ってえな」

 

「……じゃぁいっせーので。で言うわよ」

 

「あー……うん、わかったわ。いっせーのーで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これからも甘えるからね、黒潮」

 

 

 

 

「これからも、存分に甘えてええからな、陽炎」

 



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エピローグB 陽炎視点

「陽炎、ちょっと髪傷んでない?」

 

「あー、加齢のせいかしらねぇ」

 

「アカンでー、ちゃんとケアせえへんと。ウチの使こうとるリンス貸したろか?」

 

「……うん、お願い」

 

 正直面倒くさいんだけど……仕方ないか。みっともない恰好するわけにもいかないし……。はぁ、昔はもっと気にしてはいたんだけど、最近は面倒ねぇ。

 

 戦いが終わってから30年以上が経過した。あれから私達は義父さんの元で勉強をし、社会を学んで、無事に皆独立した。

 

 幸い、皆よきパートナーを見つけることができて、結婚し、子供を産んだ。まぁ、舞風みたいに子供を産んでからもダンサーとして働いてるのも居るけど、親潮や磯風なんかは専業主婦をしてる。私も二人の子供を産んで、今はパートで働きながら旦那様を支えている。

 

「そういや、陽炎とこの子は元気にしとるん?」

 

「ええ。一人暮らしにはしゃいでるわ。黒潮のとこもそうでしょ?」

 

「まぁ、そうやなぁ」

 

 世間話をしながら私は黒潮の膝の上から彼女を見上げる。偶然だけど、私の家族と黒潮の家族は同じマンションに住んでる。だから私はたまにこうして黒潮の所に来て甘えている。テレビをつけたりなんてせず、ただこうして、彼女の膝枕の上で彼女と話している。この時……この間だけは、私も黒潮も、妻じゃなく、母親じゃない……駆逐艦陽炎と黒潮に戻っている。それは例え家族のことを話していてもだ。

 

(……あと、どれだけこうしていられるかしら)

 

 ふとそんな考えが頭を過った。私達ももう40を過ぎた。義父さんは70歳を越えている。……一度生まれ変わった私達だけど、同じ奇跡が起きるなんて甘い考えはない。いずれ……私達はこうすることができなくなると思う。

 

 それは仕方ない事だとわかってる。永遠に存在するなんてのは神様仏様でもないと無理なんだから。だから……。

 

(後悔なんてないように……甘えようっと)

 

 そう、私は決心した。でも、私の心の中でだけ決めても黒潮が承諾しないと意味ないから……口に出して伝えないと……恥ずかしいけど。

 

「ねぇ、黒潮」

 

「なぁ、陽炎」

 

 互いの口が同時に動き、相手の名前を呼ぶ。今タイミングで被らなくてもいいんだけど……なんだかおかしくて、少しだけ笑うと、黒潮も同じように笑った。

 

「先に言いなさいよ黒潮」

 

「いやいや、陽炎が先に言ってえな」

 

「……じゃぁいっせーので。で言うわよ」

 

「あー……うん、わかったわ。いっせーのーで……」

 

 

 

 

 

 

 

「これからも甘えるからね、黒潮」

 

 

 

 

「これからも、存分に甘えてええからな、陽炎」



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