魔王の部下も楽じゃねえ! (普通のオイル)
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1章 経緯とかそんな感じ
お前、人間界行ってくんない?


 

 突然ですが俺、橋尾(はしお)(かける)20歳童貞は転生致しました。

 

 いやね? まさか青信号で渡ってる時に横から車がぶっ飛んでくるとは思わなかったわ。

 

 そりゃあ最近暴走運転とか話題にはなってたよ? けどまさか自分がっていうのが正直な感想。

 

 そんでまあ天国にでも行くのかな〜と思ってたら見知らぬ場所で目が覚めたんですわ。いや〜心踊ったね、これが噂の異世界転生かって。

 

 きっと特殊な能力が生まれつき与えられてたり、なぜかモテまくったりして無双とかできるんだ! やったぜチート万歳だ! 

 

 そう思っていた時期が、私にもありました。

 

 無いんですよ、何にも。生まれ変わったこの体、超能力とかレアスキルとか本当になーんにも無いの。

 

 というかまず人間ですらなかった。種族は人間の敵である魔族って奴。でもそれだけ聞いたらなんか強そうに聞こえるじゃん? なんか画数多いし。だけど俺はここでもハズレを引いたわけ。

 

 魔族にもいろいろ種類があって、強いのはとことん強い。例えばスーパーエリートな竜人族とかパワータイプの鬼族とか。でも俺がなったのは低級悪魔って言って、魔族のワースト5に入るような超弱い奴だった。

 

 具体的にどれくらい弱いかって言うと街中にいるちょっと腕っ節の強いおっさんに普通にぶち殺されるくらい。なんなら前世の方が強いんじゃね? アホかな? 草生えるわ。

 

 そんな感じでいきなりハードモードで始まった異世界生活だったけど、わりかし身の危険を感じる事は無かった。何故なら魔界で一番安全と言われてる魔王城の城下町で生まれたから。

 

 この世界の人間界と魔界は仲が悪くて常時敵対してるんで、たまに勇者を名乗る人間が魔王討伐に魔族領に乗り込んでくる。それでそいつは魔王城があるこの街を目指してくるんだけど、たどり着く前に他の魔族が出張って倒すか、運良く辿り着けても最強な魔王様がぶちのめすので被害らしい被害は受けたことがない。

 

 そんなわけでゆるゆると安全に育った俺は、魔界でも一番良いと言われている就職先、魔王軍に就職した。

 

 え? なんでお前みたいなクソ雑魚がエリート集団の魔王軍に入れたのかって? そりゃあもう如何なく発揮しましたよ。知識チートをね。

 

 生前、軍事シミュとか戦史とか大好きだった俺は、魔王軍の筆記試験をトップで通過してやった。

 

 強さ自体は下の下もいいとこだけど、この頭脳を野放しにしとくのは惜しいと偉い人に思わせることに成功したってわけ。

 

 それで頭脳労働者として作戦立案とか任される部署、まぁつまり参謀本部みたいな所に配属されるに事になった。

 

 “みたいな”ってのがここで重要な所な。なにがヤバイってこの組織。俺が入った時は超適当で、あんまり部署とかの概念が無かったんですわ。

 

 当然部隊とかも適当で、強い人の指示に従っとけばいいか〜みたいな。もうね、これは軍隊じゃ無いですよ。ただの強い奴の寄せ集め。よく今まで負けなかったなと思う。

 

 と言う事で我慢ならなかった俺は、まずは組織改革に尽力しました。当たり前だよね。

 

 勿論、いきなりこんな入りたての若造、それもクソ雑魚低級悪魔がギャーギャー言っても誰もついてきてくれないので、みんなが幸せになるような改革から始めて支持を集めた。労災保険作ったり福利厚生施設作ったりしてな。特に食堂はこだわったんで凄い受けた。

 

 そんで人心掌握(人じゃねえけど)してから、管轄とか方面とかも分けて、部隊ごとの運用方法を明確にしていった。要は現代地球の軍隊と同じように編成し直した感じだわな。

 

 それでしばらくしてみんながこの方式に慣れてくると、これが如何に素晴らしい事なのかに気づき始めた。特に幹部とか四天王とか言われる上の人達は頭がいいから、もっといろいろ改革してほしいって俺を慕うようになったんだわ。

 

 そうなると下々の者どもも俺の事を敬うので、結果として俺の地位はぐんぐん上がっていって参謀長まで上り詰めることが出来ちゃったわけ。いや〜、やっぱ俺天才だったわ。自分、調子乗っていいっすか?

 

 ……まあ調子にのったわけじゃ無いけど、うまくいってる時って面倒事が降りかかってくるものよね。

 

「なあ、グレゴリー。いい加減ここであのクソ面倒な勇者を返り討ちにするのも飽きてきたと思わないか?」

 

 そう言って俺に無茶振りしてきたのは魔界を統べる魔王、ギルス様だ。因みにグレゴリーってのはこの世界での俺の名前ね。

 

「何を仰ってるんですか。ここのところは他の皆さんが頑張ってくれるお陰で苦でも無いでしょうに」

 

「いや、だからこそだよ。あいつらがここまで来ることってもう無いじゃんか。正直暇なんだけど」

 

 あー、逆にね? 俺が魔王軍に入る前はちょくちょく魔王城近くまで勇者が来ることはあったけど、俺が組織改革してからはそういうの無くなったからね。それが魔王様的にはお気に召さないと。

 

 はぁ……意味がわからん。これだからバトルジャンキーは。だいたい軍のトップが前線で戦うとか地球なら敗北寸前だぜ。

 

「無茶を言わんでくださいよ。魔王様にもしも何かあったらどうするんですか?」

 

「ああ、それは困るから勿論()()前線には出ないぞ?」

 

 あれ? この魔王様(ひと)なんか自分で言い出しといてやけにあっさり引いたぞ? 

 

「クククその顔、やっぱりお前は勘がいいな。そこで最初の話に戻るんだよ。この魔王城で勇者を返り討ちにするのも飽きたって話に」

 

 おやぁ? もしかして俺は何かとんでもない地雷でも踏み抜いたんじゃなかろうか? 魔王様の何か企んでいる時特有の凄く怪しい笑顔に若干警戒レベルを上げる。

 

「この俺様が人間界に出向いていって、あのクソ面倒くさい勇者召喚を止めさせるっていうのは制約があるから出来ないだろ?」

 

 魔王に選ばれた魔族が正式に就任すると、魔王城から()()()()()()()()。一種の呪いみたいなもので、離れすぎると死んでしまうのだ。具体的には城下町より外側には行けなくなる。

 

「それじゃあ魔王軍総出で人間界に全面戦争仕掛けるかって言われたらそれは部下が死ぬ事になるだろうからやりたくない。人間側だって嫌だろうしな」

 

 元々俺が来る前も魔王軍にポテンシャルはあったし、組織改革した事で立派な軍事組織になったので、ぶっちゃけ全面戦争したら人間の国家は全部落とせると思う。

 

 それでも犠牲は絶対に出るし、その後の統治は誰がやんの? 多分俺。ってな話なので俺もやりたくない。

 

「そこで俺は考えたんだ。どうやったら退屈さと勇者という二つの問題を一挙に解決できるのかを」

 

「……」

 

 俺は、この先この身に降りかかるであろう困難をなんとなく感じ取って黙りこくった。

 

「グレゴリー。お前、俺の代わりに人間界に潜入して人間の世界を乗っ取ってきてくんない? そんで勇者召喚やめさせるの」

 

「はいっ!?」

 

 いやなんでそうなるんですかねぇ!? 無茶苦茶だよ! 過去にないくらいの無茶振り。俺はその場で数センチ飛び上がった。

 

「いやいやいや! 無理ですよ! 俺のような低級悪魔が人間界に行ったらすぐ殺されちゃいますって!」

 

 俺はギルス様のような魔王とは違って弱い。というか弱い魔族トップ5には確実に入る貧弱さなのだ。人間界で魔族って事がバレたら多分すぐぶっ殺されちゃう。ほんともう実質スライムとかと変わんないから。

 

「いや大丈夫大丈夫。俺が魔王プロテクション掛けてあげるし、強い奴護衛に連れてっていいから。それに変身の秘術が使えるんだからそうそうバレないって」

 

「んー、そうですかぁ? ……いやしかしですよ」

 

 魔王プロテクションというのは、掛けられた者の防御力がかなり上がるという魔王の力の一端だ。それに護衛も付けていいならばなんとかなるかも。そう納得しかけた俺だったが、もう一つの問題が片付いていない事に気がついた。

 

「仮に俺が人間界に行ったとしても魔王様が退屈なのは解決しないんじゃないですか? 定期報告で満足出来ます?」

 

「フッフッフ、それに気づくとは流石はグレゴリー。だがそちらも既に手は打ってあるのだよ」

 

 そう芝居がかって言った魔王様は、懐から変わった模様の板を二枚取り出して頭上に高々と掲げた。なんだ、この魔王様、最初から俺に行かせる気満々じゃないか。

 

「一見何の変哲も無いように見えるこの板こそ、世紀の大傑作。魔王シアターだ!」

 

 ネーミングセンスがポンコツなのは相変わらずだわ。ていうかなんだそれ。俺はそんなの聞いた事無いぞ。

 

「なんですかそれ。初耳ですよ。もしかしてまた極秘とか言って俺に隠れて研究費つぎ込んじゃったんですか?」

 

 極秘の研究ってのは敵にばれないようにするんであって、俺にばれないようにするわけじゃないんだよなぁ。

 

「え? いや……まあこれは魔王軍にとって必要な物であるから……じゃなくてだな! これは凄いんだぞ!」

 

 あ、誤魔化したぞこの魔王様。

 

「なんと! この受信板を持っている者は、こっちの送信板を持っている者の目に映る景色と聞こえてくる音をまるでその場にいるかのように感じ取ることが出来るのだ!」

 

 おお、それは確かに凄い。今現在も音声のやり取りが出来る通信機みたいな物はもうあったけど、映像も送れるのは画期的だ。百聞は一見に如かずって言うしな。たしかに魔王軍には必要な物だ。ところで問題は開発費である。

 

「凄い装置じゃないですか! で、それ作るのにいったい幾ら掛かったんです?」

 

「そうだろうそうだろう! なんとこんな凄い物がたったごひゃく……」

 

 魔王様は言い掛けてハッと口をつぐんだ。なにぃ? 五百ぅ……?

 

「……まさか500万ですか。500万シルバーも使っちゃったんですか!?」

 

 しかもたったって言ったぞ! それだけあれば魔王城の食堂の改装工事が出来るくらいの金額なのに!

 

「……500シルバーくらいかな〜なんて……」

 

 そんな昼飯代くらいの金額で出来るかっての。はぁ……しょうがないな。

 

「……まぁ魔王様が暇で暇でしょうがなくてその解決の為にお金使っちゃったのは俺にも責任の一端があります。ですから今回は咎めません」

 

 事実上、俺は魔王様の御目付役でもある。そんな役職は無いんだけど参謀長がそういう役回りになるのが慣例らしいからしょうがない。

 

「……許してくれるの?」

 

「今回は、です。その……魔王シアターでしたっけ? それ持ってちゃんと俺が人間界に行くので今後はそれで我慢してください。くれぐれもお金を使うときは俺に相談してからでお願いしますよ」

 

 まだ作ってないけど今度監査とか作るつもりなんだからもっとしっかりしてほしい。

 

「……グレゴリー。お前は優しいなぁ、今度給料上げてあげるよ」

 

「……分かってませんね魔王様」

 

 そういうとこやぞ……俺はガックリしながら人間界に行く事を決意した。

 



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2章 果ての村壊滅事件
いきなり消えちゃった村


 

 護衛には誰に来てもらうのがいいか、魔王軍四天王の1人であるサリアスさんに相談したら、なんとサリアスさん、自分が行くとか言い出した。

 

「サリアスさんが来ちゃうの? それは不味いんじゃない?」

 

「私が御一緒したら迷惑でしょうか? きっとお役に立ちますよ?」

 

「そりゃ役には立ちまくりだろうけどさ……」

 

 確かにサリアスさんは竜人族で頭も良いし、変身の秘術も使えるので今回の護衛としてはぴったりだ。しかし、最強格の四天王がほいほい出歩くのはどうなんだろうか?

 

「サリアスさんは最高戦力の1人なんだから自覚を持ってよ。まあ一応大丈夫かどうか魔王様に聞いてみるけど」

 

「お願いします。恐らく魔王様なら快諾してくれると思いますよ?」

 

「えぇ? そうかねぇ……」

 

 早速、魔王様にサリアスさんを連れて行っても良いかと聞きに行ったら、四天王全員連れて行ってもいいよとか言われた。

 

 いやいや、そしたら誰が魔王様を守るんですかと聞き返すと、曰く、俺様を殺せるような奴が来たら四天王が100人いようが200人いようが一緒だとのこと。なんだそりゃ?

 

「ね? 言った通りでしょう? グレゴリー様はあまり魔王様の本気は見たことがないかもしれませんが、あの方が本気になれば私が100人いても勝てませんから」

 

「え、そんなに? いや魔王様が強いってのは分かってるんだけどさ……」

 

 正直に言うと、魔王様を戦力にカウントしたことって無いから実際どれくらい強いのかよく分からないのよね。スカウターとかあれば分かるんだろうけどさ。

 

 しかし武家出身のお嬢様であるサリアスさんでも全く歯が立たないとはねぇ。サリアスさんって確か竜人族最強だった気がするんだけどなぁ……

 

 とはいえ、そんなのは例外なんでサリアスさんなら安心して護衛を任せられる。

 

「サリアスさんが来てくれるなら護衛としてはもう充分だね。あとは人間界の、特に生活面に詳しい者がいると助かるんだけど心当たりとか有る?」

 

 俺が聞くと、うーん、と可愛く首を傾げたサリアスさんが1人の男の名前を挙げた。

 

「諜報部にマゴスというオーガ族の男がいます。彼は人間界での情報収集が主な任務なので確かそういった事に詳しかったはずですよ?」

 

「ふーん。じゃあそのマゴス君に会ってみようかね」

 

 少ししてサリアスさんに連れてこられたマゴス君は、それはもう可哀想になるくらい緊張していた。

 

 そりゃいきなり四天王に呼びだされて参謀長である俺の下に連れてこられたんだ。当然ビビるわな。俺でもビビる。

 

「今日マゴス君に来てもらったのはね。マゴス君が人間界での活動に詳しいというから話を聞こうと思って呼んだんだよ」

 

「は、はい!」

 

「それでこれはまだ極秘なんだけど、実は魔王様の発案で人間界を裏から操って勇者召喚をやめさせようという話が出たのね」

 

 その結果、俺自身が人間界に行って工作活動しなければならなくなったという話を伝える。退屈云々という話だけは魔王様の威厳を保つために省いた。

 

「なるほど、そういうお話でしたか。何か自分がミスをしたかと思って焦りましたよ」

 

 マゴス君は呼ばれた理由が分かって安心すると、人間界での自分の活動方法について語り出した。

 

「まず僕は基本的にはデリウス国の冒険者ギルドで冒険者として活動しています。そこで勇者や、各国の動きに関する情報を集めるのが主な仕事内容なんです」

 

「へー、なるほど冒険者としてか」

 

 俺自身は今まで上がってきた報告書から作戦を立てるのが仕事だったので、末端がどういう方法で情報を集めているのかまでは知らなかった。

 

 しかしなるほど。まさか魔族にとっては天敵の冒険者に自らなるとは。随分と思い切った事をしたもんだ。灯台下暗しってやつで案外良いのかもな。

 

「それなら俺達もその方向で行こうかな……デリウスの拠点はどのくらいの大きさだったっけ?」

 

「2人がやっと入るくらいの小さな家を借りています。ですからグレゴリー様が人間界に行くならば別で拠点を作った方がいいかと思います」

 

 確かにそんな小さい家に何人も出入りしたら怪しまれる。諜報部の活動を邪魔するわけにもいかないし、もう一つ拠点が必要になりそうだ。

 

 そう言えばデリウス国の貨幣なら宝物庫にいくらか放り込んであったはずだ。これでだいたい方針は決まったな。そのお金で家を買えばいいんだ。

 

「よし。じゃあマゴス君、君は今日から俺の直属の部下という事にしておくから。諜報部の部長には言っておく。もう明日には出発するからちゃんと準備しといてね」

 

 え、明日ですか? とかマゴス君が言っているが、どうせ人間界で必要な物を揃える以上、あまりこちらで準備をする物はない。だったら早い方がいいだろう。急で悪いとは思うけどね。

 

 そんなわけで当面はサリアスさんとマゴス君と俺の3人で工作活動をする事になった。

 

 

 ーーー

 

 

「で、はるばる人間界にやって来たわけだけど。ここはどうしてこんな事になっちゃってるの?」

 

 次の日、人間界に足を踏み入れた俺達3人を待ち受けていたのは、焼かれて強奪され、廃墟と化した元集落だった。本当はここが魔界に一番近い人間の村のはずだったのにこの有り様である。

 

「マゴス君、確かここは先月時点だといつも通りだったんだよね?」

 

「は、はいっ! 確かに存在してたんです!」

 

 ここに集落があるから寄って行こうと提案したのはマゴス君だったのでかなり焦ってるみたいだ。別に怒っているわけでもないし、減給とかもしないからそんなにビビらないで欲しいなぁ。

 

「という事はこの村はこの一月以内に消え去ったわけか。ふーむ……とりあえず調べてみよう。サリアスさんお願い」

 

「ええ、お任せを」

 

 安全のためにサリアスさんに先頭に立ってもらって、集落で一番大きな家に入ってみる。勿論中に人はいないが酷く荒らされた跡があった。パッと見回してみたところ、そこまで時間は経ってないみたいだ。

 

「ここ最近起こったように見えます。人間の盗賊か何かの仕業でしょうか? それとも魔界の誰かによるもの?」

 

「それはないと思うけど、魔族が手を出したんなら不味いね」

 

 魔王様は人間界への無用な刺激を避ける為に、あるルールを定めていた。それは、魔族側から人間に手出しをしてはならず、攻撃して良いのは反撃するときだけというものだ。

 

 だけど、どう見てもこの凄惨な現場は反撃によるものじゃないぞ? そうなると、もし魔族の仕業だったなら、そのルールを破った者がいる事になる。

 

「あー、魔王様、聞こえていたら至急、魔族で手を出した者がいないかだけ確認していただけるとありがたいんですが」

 

 受信板を握りしめて俺の目と耳にリンクしているであろう魔王様にお願いしてみる。ちゃんと聞こえてるかな? 魔王様の方からこっちに情報を送る事は出来ないのがなんとももどかしい。今度通信装置でも送ってもらうか。

 

「あ! グレゴリー様、これ見て下さいよ」

 

 マゴス君が家屋の柱を見つめながら何か興奮している。

 

「この焦げ方は明らかに火炎魔法によって出来たものですよ。やはりこれは人間の仕業に違いありません」

 

 言われて近づいてみると確かに柱には特徴的な黒い焼け焦げがあった。なんだ、それなら簡単だ。

 

「魔法ね……じゃあ人間の仕業だな」

 

 例外はあるけれど、魔族はほとんどが魔法を使う事ができない。だからその傷があるという事は、人間がこの惨状を作り出したと見て間違いない。

 ちなみに変身の秘術は魔法じゃないからね? 勘違いしないように。

 

 その人間の仕業らしいという事実に安心したサリアスさんが、自身の槍を握りながら静かに呟く。

 

「……魔王様の定めた掟を破る者が出たのではないようで安心です。もしそうならば粛清をしなくてはならないところでした」

 

 サリアスさんがなんだか物騒な事を言っているけど、これは別にサリアスさんが魔王様を崇拝していて個人的に怒っているとかそういう話じゃない。

 

 魔界では魔王様の出した掟には絶対服従だから、違反者には何らかの形で罰を与えなきゃならないのだ。

 

「もうちょっと何か分かれば良かったけどこれ以上は何も分からなさそうか……」

 

 別に足跡が残っているわけでもなく、人間の仕業だろうという事以外は何も分からない。

 

 というか人間界の事だし人間の仕業だったら正直どうでも良いような気がして来た。だって今は俺は魔族だし、他人事だし。

 

「ま、大きい街に行ったらここで何が起きたか分かると思うよ。だから早くメルスクまで行っちゃおう」

 

 俺達は仕方無く、荒れ果てた村を後にして目的地であるメルスクの街へと向かった。

 



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やっぱり世の中金次第

 

 俺達の目的地、メルスクの街はデリウス王国の大規模都市で、人口も10万人を超えている。

 

 そして魔界から最も近い大規模都市という事で、魔界から来る魔物を倒して名をあげようとする冒険者が多く集う街でもあった。

 

「マゴス君はここで冒険者として活動してるんだったよね?」

 

「ええ、そうです。そうだ! どうせなら先に冒険者ギルドに行って冒険者になってしまうのはどうですか? その方が身分証もくれてなにかと便利ですし」

 

「俺達はよく分からんから任せるよ。案内してくれ」

 

 俺がそう言うと、マゴス君は勝手知ったる我が故郷とでも言わんばかりに意気揚々と冒険者ギルドに案内してくれる。

 

 怖くないんかな? まあオーガならバレても逃げきれそうだし別に平気か。

 

「この建物です。早速入りましょう」

 

 連れられてきた冒険者ギルドに入る時、もし俺が魔族だとバレたらどうなるだろうかという不安が少しだけ頭を掠めた。

 でもまあ万が一バレてもサリアスさんが助けてくれるだろうし、魔王プロテクションが掛かってるから何とかなるか。

 

 気にしてもしょうがねえかと中に入ると、入り口の近くにいた冒険者風の男がマゴス君に話しかけてきた。

 

「あれ? マゴス? お前なんでここに居るんだよ? それにその後ろの二人は誰だ?」

 

「おおクラウスか。いやぁこれには深い訳があってだな……先に用事を済ませるからちょっと待っててくれないか」

 

 いきなり話しかけられたマゴス君はその男を適当にあしらうと奥のカウンターへと進んでいく。

 俺とサリアスさんもそそくさついて行ったが、その間、クラウスと呼ばれた男は何か変な物でも見るかのようにじろじろと俺とサリアスさんを眺め回していた。

 

 なんかやらかしたか? 心配になった俺はマゴス君にそっと耳打ちする。

 

「……ちょっとマゴス君。さっきの彼が物凄くこっちを見てるんだけど何か俺たちにおかしい所でもあるんかな?」

 

 カウンターで受付の者とやりとりをしていたマゴス君は申し訳なさそうな顔をして俺に耳打ちしてきた。

 

「彼、僕と同じ諜報部の者です……魔族ですよ……」

 

「……」

 

 はあん、そういうね。人間界で一番最初に話しかけてきたのが人間じゃなくて魔族だってんだからおかしな話もあったもんだわ。

 

 後でわかった事だが、魔王様はこの時ビビり倒していた俺を見て爆笑していたらしい。他人事だからって気楽なもんだぜ。

 

 

 ーーー

 

 

 元々冒険者であるマゴス君の紹介ということもあって、冒険者登録自体は簡単に済んだ。

 

 しかし、冒険者の階級を決める為に強さを測る必要があって、それが少しだけ面倒だった。

 

「ではこの敵に見立てた人形に攻撃して下さい」

 

 裏の演習場みたいな所で、職員だか係の人だかがそう言って藁で出来た等身大の人形を指差す。

 

 だけど困ったことに戦いとは無縁の俺には攻撃の仕方なんて一切分からなかった。そりゃそうよ。こちとら頭脳労働者だっつーの。

 

 魔界を出る時に、剣を携えていた方が怪しまれずに済むって理由で一応帯剣をしたんだが、その剣は振るどころか抜いた事すらないのだ。というわけでぶっつけ本番である。

 

「始めっ!」

 

 コレ重くね? 腰に下げてても重いなと思ってたけど、構えたら倍くらい重く感じる。そういや前世で日本刀の模造刀を持ったことあるけどあんな感じだ。これを振って戦うとか無理。出来たら拳銃とか欲しい。

 

 まあ愚痴を言ってても始まらない。係の人も、まさか目の前の人物が今初めてこの剣を抜いたとは思わないだろうなと思いながら藁人形に向けて剣を振り降ろした。

 

 剣は一応それらしい軌跡を描きながら真っ直ぐ落ちてそのまま()()()()()()()()()

 

 なんとか持ち堪えて剣が地面にぶっ刺さるのだけは防ぐ。うっわ外した。そう焦っていると、そんな俺の焦燥を他所に藁人形はバラバラに細断された。

 

「!?」

 

「おお凄いですね! 真空刃ですか! これなら文句なしで上級冒険者ですよ!」

 

 いやいやいや、なんだよそれ! そんなものは知らないぞ。俺はただ間合いが分からなくて外しただけなんだが。

 

 訳が分からなくて後ろを振り返ると、見学していたサリアスさんが私、やってやりました! という表情で小さくガッツポーズをしていた。うわぁ絶対あの人がなんかやってますわ。

 

「良かったですね。彼女に良いところが見せられたみたいで」

 

 何を勘違いしたか知らないが、係の人がそんな風に笑いかけてくる。いや違うんだ。不正なんだ。たった今不正が行われたんだ。あなたがそれに気づいて無いだけだから。

 

 でも訂正するのも面倒だし、別に実際に戦うわけでも無いから、それならもうそういう事にしといていいか。そう思った俺は、苦笑しながら剣を鞘に戻した。

 

 その後に行われたサリアスさんの測定ではサリアスさんが藁人形を目にも止まらぬ速さで消し去った為、本当はもっと強いであろうが測定不能という事で、暫定で上級冒険者という事に決まった。流石は四天王、恐るべし。

 

 

 ーーー

 

 

 という事で無事に? 冒険者になった俺とサリアスさんはマゴス君とクラウス君に連れられて、ひと気の無い公園へとやってきていた。周囲には誰もおらず、とても静かな雰囲気の場所だ。

 

「それで説明してくれるんだよな? その人達が誰なのかを」

 

「ああ、実はこちらの女性は四天王の一人のサリアス様で、こちらの男性は参謀長のグレゴリー様だ。お二人共今は変身の術で人間の姿になっておられる」

 

「は? え、なんで?」

 

 クラウス君は色々と処理が追いついていないのかとても困惑していた。まあ四天王と参謀長が何故こんなところにいるのかは、俺だって知りたいくらいなんで無理はない。

 

「ええと、実はだね……」

 

 俺は要点だけかいつまんでクラウス君に事の顛末を説明した。人間界を裏から操って、勇者召喚をやめさせる為に我々が魔王様に送り込まれたという事を。

 

 ていうか説明してて思ったけどほんと訳分かんないよね? 出来れば君の口からも魔王様にそう言ってやってほしい。

 

「というわけでひとまずはこの街でこれから生活していくのでよろしく。諜報部の活動は極力邪魔しないように気を付けるから」

 

 とはいえ、何かあれば頼るかもしれないけど。

 

「そ、そういう事でしたか。とうとう戦争でも始めるのかと思いましたよ……ええと、何か困ったことがあればいつでも言ってください。協力致しますから」

 

「ありがとう。そういえばひとつだけ確認しておかなきゃな。魔界から一番近い小さい名もないような集落があるでしょ? ここに来る時にそこに寄ったんだけど、襲撃があったみたいですっかり荒れ果ててたんだよね。何か心当たりある?」

 

 ついでなので、何故か消え去っていた集落についての情報収集もしておく。しかしクラウス君はこの件に関しては全くの初耳だったらしい。

 

「え!? あそこの集落無くなったんですか!?」

 

 襲撃自体、ここ最近のことのようだったので知らなかったとしても無理はないんだけど、クラウス君は何故か責任を感じて冷や汗を流していた。

 

「至急調査いたします。分かり次第、マゴスを通してお伝えします!」

 

「我々の方でも調査はするから手が空いている時にでもやってくれると助かるよ」

 

 おや? 諜報部の邪魔はしないつもりだったのに、結局邪魔をしているような……

 

 しかし魔族が手を出したのではないという確証は絶対に必要なんで、仕事と割り切ってやってもらおう。

 

 その後、クラウス君と別れた俺達は街の不動産屋に来ていた。どれくらい金を出せば家が買えるのか見るためだ。

 

「た、高くないか? 手持ちじゃ全く手が出ないんだけど」

 

 魔王城の宝物庫に入ってた分だけじゃ全然足りない。なんでこんなに高いんだよ。ここはそんな都会の一等地じゃねえんだぞ。

 

「どうしましょうか? この築30年の年季が入った家を借りるのが現実的なラインになりそうですけれど」

 

 サリアスさんが紙面をトントン叩きながら呟く。言われた俺も頭でざっと計算するが、確かにサリアスさんの言う通りそれくらいしかまともに借りられそうな物件はない。

 

「全く……向こう(魔界)でもこっち(人間界)でも金に困るとはね……結局世の中金か」

 

 なんとか資金調達の方法を考えなきゃ人間界を乗っ取るどころか日々の生活も出来やしない。こりゃしばらくは資金集めを優先してやらなきゃな。前世で石鹸の作り方とかちゃんと勉強しとくんだったなぁ……

 



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魔族が犯人なはずがない

 

 紹介された築30年のボロ家は値段の割にはそこそこ広かった。隙間風が吹いたり、歩くたびにギシギシ鳴ったり、まぁいろいろと酷かったけど直せば使えなくはない。寧ろ水がちゃんと出るだけ感動もんだ。

 

「俺はここでも大丈夫だけど二人は我慢できる?」

 

 我慢できないとか言われてもここ以外無いんだけどさ。

 

「私は家の方針で如何なる状況、如何なる状態でも寝泊まり出来るよう躾けられましたので全く問題ないです」

 

 サリアスさんはお嬢様だけど武家の出身であるからそこら辺は逆に大丈夫なようだ。マゴス君の方はというと、上司二人が平気だと言っているのに嫌だとは言えず、コクコクと頷いている。

 

 うーん、こういうのってパワハラになるんだろうか? お金稼いだらちゃんとしたとこに移るので今は許してほしい。

 

 いずれにせよ金だ。金をなんとかする方法を考えなきゃにっちもさっちもいかない。俺は今後の事を思って憂鬱になりながらマゴス君に指示を出した。

 

「マゴス君はテーブルと椅子だけでいいから適当に安いのを揃えといてくれる? その間、俺とサリアスさんは街を調査してくるから」

 

 面倒事をマゴス君に押し付けた俺は調査ついでにサリアスさんと街を見て回ることにした。

 

 

 ーーー

 

 

「特徴無いなー。この街」

 

 この冒険者の為の街は、ざっと見ただけでも住宅街や教会、いくつかの商店などが立ち並んでいるだけで特別変わったものは無かった。強いて言うならば冒険者向けの宿屋と飯屋、あと武器防具屋が多いくらいか。

 

「なーんか上手い儲け話はないかねー」

 

「ふふふ、グレゴリー様ならもう何か思いついているのではないですか?」

 

 いやいや、いくら何でも買いかぶりすぎだ。というか外出してるのはそういうネタを見つけるためでもあるんだからサリアスさんも頑張って考えて欲しいんだけど。

 

「うーん、今のところサリアスさんに依頼を受けてもらって小銭稼ぎしてもらうくらいしか思いついてないかな?」

 

「ああ! それはいいですね! 魔物相手なら私も遠慮無く力を発揮出来ますから」

 

 魔族と魔物は名前は似ているが全然別物だ。魔界に住む知能のある生き物が魔族。無いのが魔物。だから魔族でも普通に魔物に襲われるのだ。魔物は魔族にとっても厄介者だった。

 

「ちょっとどんな依頼があるか見に行っても?」

 

「ああ良いよ。行こうか」

 

 特に明確な目的地もなかった俺達は冒険者ギルドへと向かった。

 

 

 ーーー

 

 

「どのような依頼があるか見せて頂けますか?」

 

 サリアスさんが受付で訊ねると、その男性職員は訝しげな表情をして俺達を見てくる。

 

「ふーん。お前さん達、依頼を受けたいのか?」

 

「いえ、参考までにどんな依頼があるか見に来ただけです。だめでしょうか?」

 

「いや……まあ別に構わないが」

 

 その男性職員は目を逸らさずに依頼の書かれた紙束をよこしてきた。そのけったいな物でも見るような微妙な反応に俺はつい聞いてしまう。

 

「何か問題がある?」

 

「いんや。ただ見ない顔だなと思っただけだ。お前さん達、ここには最近来たのか」

 

 ああそういうこと。何か不審なとこでもあったかと思ってちょっとビビってたわ。いかんいかんまた魔王様に笑われる。

 

「ええ、つい昨日ここに来たばかりなんです。冒険者登録もその時に」

 

「ほーん。なるほどそりゃ見たことないわけだ。俺はトールって者だ。この冒険者ギルドのサブマスターを務めてる。よろしくな」

 

 トールと名乗った男は流石はサブマスターというだけあって、まだまだ現役で戦えそうなほど筋骨隆々だった。というかこんな脳筋みたいな見た目してても職員になれるんだな。

 

「どうもご丁寧に。俺はグレゴリーだ。こっちのサリアスさんと一緒に、遠くの国からやって来たんだ」

 

「サリアスです。よろしくお願いしますね」

 

 出自を聞かれた時に困らないようにあらかじめ考えておいた設定を伝える。遠くの国というのが魔界である事を除けば大体合っているのでそんなに演技をする必要が無いのも良いところだ。

 

 そんなこんなで俺とトールが他愛もない会話をしていると、ペラペラと紙をめくっていたサリアスさんの手がふと止まった。

 

「石羽鳥が出ているのですか。大変ですね」

 

「ああそれな。割とここから近くなんで結構急ぎなんだよ。だが自信を持って安全に倒せるって奴が別件で出払っててな。そいつが帰ってくるの待ちなんだ」

 

「そうなのですか」

 

 そう言いながらサリアスさんはチラチラと俺を見てくる。それは、まるで買って欲しい玩具があるのに、素直に買ってとは言い出せずに我慢して見つめる子供みたいだった。

 

「その依頼、受けたいの?」

 

「最近あまり実戦が無くてもやもやしていたのでやらせて頂けるなら直ぐにでも……」

 

 可哀想に。いや何がって勿論、ストレス発散のはけ口にされる石羽鳥がだ。サリアスさんが石羽鳥如きに負ける事は万が一にもあり得ない。

 

「ならお願いしようかな。報酬も良いみたいだし」

 

 今日の夕飯の献立を決めるみたいな軽いノリで承諾した俺に、トールから待ったがかかる。

 

「おいおい待て待て。それは上級冒険者用の依頼だぞ。嬢ちゃん達は昨日登録したばかりだろう?」

 

 トールに制されたサリアスさんは、昨日貰った金色に輝く冒険者証をスッとドヤ顔で提示する。それを見たトールはハッと息を飲んだ。

 

「……そういや昨日とんでもねえ新人が入ってきたって噂になってたな。まさか嬢ちゃんがその新人だったとは……」

 

「私が受けても大丈夫ですか?」

 

「勿論だ。だが怪我とかしても一切こっちは責任は負わないからな。それはよく理解しといてくれ」

 

「それは大丈夫です」

 

 そう澄まして答えるサリアスさん。あの顔。多分もうサリアスさんの頭の中は、石羽鳥を何分で倒せるかって事でいっぱいだ。

 

 その後、トールから概要を説明されたサリアスさんは場所がすぐ近くだという事が分かると、まるで散歩にでも行くかのような気軽さでこう(のたま)った。

 

「じゃあ私ちょっと今から行ってきますね。晩ご飯には間に合うと思います」

 

 はい!? 今から!? 流石にこれにはトールだけでなく、俺もぶったまげた。

 

「おいおいおい。いくらお嬢ちゃんが強いからってそんな思いつきで倒しに行くような相手じゃ……」

 

「そうだよ。せめて明日とかにしたら……いや、やっぱり行ってきてください」

 

 俺はトールと一緒になって止めようとしたが、その瞬間、サリアスさんがしょぼくれた犬みたいな顔をしたので考えを改める。今行かせてあげないと明日まで機嫌が悪くなりそうだ。

 

「分かりました! じゃあ行ってきます!」

 

 サリアスさんは花のような笑顔を咲かせると、さっさと出かけていってしまった。危険が無いからいいけどあなた、一応俺の護衛なのよ……?

 

「随分パワフルなお嬢ちゃんだな……ところでお前さんは行かないのか?」

 

「俺なんかが石羽鳥と戦ったら出会った瞬間石にされちゃうよ」

 

「あれ? 上級二人組って聞いたけどな? それはまた別件か?」

 

 ……合ってるけど合ってないよ。ぐぬぬ。サリアスさんが測定の時に余計な事をしたせいで面倒くさい事に……適当に言い訳するか。

 

「確かに俺も上級だよ。でもなれたのはまぐれ。実戦ならすぐにやられちゃうって」

 

「ほーん、そんなもんか。お前さんは……その、言っちゃ悪いがあんまり強そうに見えなかったからな。納得だよ」

 

「そりゃどうも」

 

 どうやらトールは見る目があるらしい。サブマスターだし当然か。

 

 その後、冒険者ギルドを出た俺は、また街の中を散策し始めた。しかし特に新たな発見もなく、歩き疲れた俺は街の中央広場にある噴水の縁に腰掛ける。すると、すぐ隣に座っていた二人組の会話が耳に入ってきた。

 

「なあ、聞いたかよ。あの最果ての集落、無くなっちまったってよ」

 

「ああ、聞いた聞いた。なんか集落ごと消されたらしいな」

 

 お、ちょうど聞きたかった例の集落の話だ。このまま黙って聞いてよう。

 

「物騒な世の中だよな、ほんと。集落ごと消し去るなんてどんな奴だよ」

 

「どうも魔族の仕業って話だ。生き残りが見たんだってさ」

 

 そんな馬鹿な……あり得ない。あれはほとんど人間の仕業で間違いないはずだ。俺は立ち上がって二人組に声をかけた。

 

「ちょっと失礼! そのお話、詳しく聞かせて貰えません?」

 

 

 ーーー

 

 

 その夜、俺とマゴス君と石羽鳥討伐からサクッと帰ってきたサリアスさんの3人で、買ってきたばかりの中古のテーブルを囲んで、消えた集落について話し合いをしていた。

 

「今日街中で話を聞いたんだけど、例の襲撃は魔族の仕業だって生き残りが証言しているみたい」

 

「街でそういう噂が流れてるという情報が先ほど僕の方にもクラウスから回ってきました」

 

「そんな……」

 

 サリアスさんが露骨に狼狽えている。魔族が掟を破ったなんて話、信じたくないのだろう。

 

「しかし、そうなるといったい誰がやったのかという話に──」

 

 マゴス君が話し始めたちょうどその時、部屋の窓ガラスに何かがガンガンとぶつかる音が聞こえた。

 

「ん? なんだ?」

 

 窓に近寄ると、小さなコウモリがこれまた小さな袋をぶら下げながら何度も窓に体当たりしていた。ピンと来た俺は窓を開けて迎え入れる。

 

「それはいったい……」

 

「多分魔王様の使い魔だね」

 

 コウモリはフラフラとテーブルの上まで飛んできて袋を放り投げると、またフラフラと窓から出て行った。テーブルに放られた袋を開けると、中にはあの魔王シアターとよく似た板きれが入っていた。

 

 こりゃいったいなんだろうと手に取ると、その板が突然ブルブルと震え出す。

 

「ああ……ここを押せば良いのかな」

 

 ポチッと真ん中のふくらみを押すと板から声が聞こえてくる。

 

『あー、もしもし? 聞こえるか?』

 

「「魔王様!」」

 

 サリアスさんとマゴス君がピッと姿勢を正す。いきなり自分のとこの社長が電話かけてきたら多分こんな感じの反応するよね。

 

「聞こえてますよ。なるほど、通信機に転用したんですか。これは便利ですね」

 

 あのでっかかった通信機をこんな前世のスマホ並みに小型化できるとは。魔王軍の研究開発チームはよっぽど優秀に違いない。また金が減ってそうなのには目を瞑ろう……

 

『こっちから何も伝えられなくて不便だったんでな。魔王シアターを改良して作らせた。まあそんな事はどうでもいいんだ。魔族で手を出した奴がいないか調査させていた結果が出た』

 

 実はまさか……? 俺達はゴクリと唾を飲みこんだ。

 

『結果は白だ。手を出した奴は居なかったぞ』

 



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そんなに期待されても困っちゃう

 

 魔王様の調査結果が本当であれば、人間界の誰かが果ての村を壊滅させたことになる。あるいは魔王様の調査から逃れた魔界の誰かがこの事件を起こしたかだ。

 

 出来れば前者であって欲しいなと願いながら、俺達はその襲撃の生き残りから話を聞くべく、とある宿を訪れていた。

 

「おめえ達か? オラの話を聞きてえってのは」

 

「ええ、話辛い事でしょうが出来れば当時の状況について分かる限りのことを教えて欲しいのです。何か力になれるかもしれない」

 

 俺の言葉を聞いた農夫は前に衛兵にもしたという話を悔しそうに語り始めた。

 

「オラ達の家があった場所から西の方、ちょうど魔界の方だっぺな。そっちの森から5、6人の鬼が出てきたんだべ」

 

「え、でも……」

 

 それを聞いたマゴス君が何かを反論しかけたが、俺が手で制す。人間の言う鬼とは間違いなくオーガの事だ。マゴス君もオーガであるので、言いたい事の一つや二つもあるだろうが、この人にそんな事を言ってもしょうがないのでここは我慢してもらう。

 

「何故オーガだと分かったんですか?」

 

「そんなのおめえ、角があったからに決まってるべ」

 

 何を当たり前の事を、という表情で農夫が述べる。確かにそれはオーガの特徴だ。だが逆に言うとその点しか判断材料はない。それに普通のオーガは魔法を使えない。

 

「貴方がそいつらを見たとき、そいつらは()()()()()使()()()()()()()()()()()?」

 

「ああ、確かに手から火を出していたべ。とうとう魔界の兵士が攻めてきたと思ってオラ、何も出来ずに逃げる事しか出来なかっただ……」

 

「……」

 

 嘘はついてないようだ。それにそもそもこの農夫にはそんな嘘をつくメリットはない。

 

 この時点で俺はほぼ確信していた。恐らく人間の盗賊か何かがオーガのコスプレでもして集落を襲ったのだろうという事を。それでオーガに濡れ衣だけを着せようとしているに違いない。ふざけやがって。

 

「なあ、あんた達冒険者だろう? オラの村の仇を取ってくれねえか? 村にはオラの母ちゃんがいたんだ。だども母ちゃんも他のみんなも拐われちまった。オラは魔族が許せねえ……!」

 

「任せてくれ」

 

 俺が言うと農夫はハッと顔を上げた。

 

「俺が責任を持ってこれを起こした奴に落とし前を付けさせる。必ずだ」

 

 

 ーーー

 

 

 その後、家に戻った俺達は襲撃を起こした犯人を探し出す為の方針を話し合っていた。

 

「それで……どうやって見つけだすかだ。まず、犯人は人間であると断定して話を進めるけど異論はある?」

 

「ありません。オーガ族である事は絶対にあり得ませんから」

 

 俺の質問にマゴス君が力強く答える。

 

「私もありませんよ。普通のオーガは魔法、使えませんものね」

 

 それにどうやら人間は忘れてしまったみたいだが、基本的に魔族は魔法を使えない。今の魔王様になって100年ほどは戦争も起きていないので、そんな簡単な事も人間は忘れてしまったようだ。

 

「でもまあ一応、魔王様にお願いしておくかね」

 

 俺は懐から魔王シアター改を取り出してボタンを押した。すると魔王様が秒で出る。多分今も俺の目を通してリアルタイムでこっちの状況を見てたなコレは。

 

『なんだ。ちゃんと聞こえてたぞ。あとさっきの生き残りの男から話を聞いた時に、魔法が使える奴をもう一度調査するように手配しておいた』

 

「流石は魔王様、仕事が早いですね。あ、一応このまま繋げておきますね」

 

 他の二人がえっ? という顔をしてるけど、この作戦では魔王様の協力も恐らく必要になるので参加してもらう。

 

『それでグレゴリー、お前の見解は?』

 

「そうですね。生き残った男の話によると、拐われた人間がちょうど10名居ます。この人数を人目に付かずに捉えておくのはかなり難しい」

 

 拐った村人を馬車に押し込んで移動するのにも限界ってものがあるし、ましてやぞろぞろ連れて歩けば一発で露見する。

 

「ですから、襲った集落からそう遠くなく、且つ人目に付かない場所に仮拠点が必ずあります」

 

「ええと……例えば山小屋みたいな物でしょうか?」

 

 そうそうそんな感じ。そういう隠された場所に拐った人達を一時的に押し込んでおく筈だ。だからそこを見つける事が出来ればほぼ勝ちだ。とはいえ、普通にそれを見つけるのはとてつもなく難しい。

 

「本当はその仮拠点を直接見つけたい所ですが、ここは人間界。魔王軍の物量で無理矢理探す事はできません。なので別の方法を考えなきゃならない訳です」

 

『何か良い考えは?』

 

「今のところは何も」

 

『なんだよ。らしくないじゃないか』

 

 まーたこの魔王様(ひと)は無茶を言う。というか魔王様といいサリアスさんといい、いったい俺をなんだと思ってるんだ。

 

 俺なんかちょっとだけ前世の知識がある弱弱デビルよ? というか仮に俺がコナン君だったとしてもこの情報量じゃ解決できないと思うの。

 

「人も物も情報も足りてないですからね。だからこそこの場で方針を決めようと言う訳ですよ」

 

『そんなこと言われてもなぁ。お前らなんか考えある?』

 

 急に魔王様に振られた二人はふるふると首を横に振る。まぁ俺だって良い方法は浮かばないし無理もないよ。あ、いや、とりあえずひとつだけはあるんだった。

 

「……そう言えば魔王様の使い魔って今何匹くらいいましたっけ?」

 

 俺が疑問顔で言うと何かを察した魔王様が若干嫌そうな感じで答える。

 

『50くらいだが……待て。まさか使い魔総動員して無理やり探せってんじゃないだろうな』

 

 おっと。結論としてはそういうことなんだが、なんとか魔王様にはやる気を出してもらわなければ。

 

 というかそもそも無茶振りで俺をこんな敵地ど真ん中に放り込んでるんだからそれくらい我慢してやってほしい。

 

「いや、闇雲に探せってんじゃありません。捜索範囲は絞りますよ」

 

 そう言って俺はマゴス君に指示を出して地図をテーブルに広げさせる。俺は地図のある一点を見つめながら言った。

 

「この地図は見えてますね? ちょうどこの点が集落のあった場所です。ここを基点に……」

 

 俺は紐にくくりつけたペンで集落を中心にぐるっと地図上に円を描いた。ちょうど集落から1日で行けるかどうかくらいの範囲だ。

 

「この円の中。この範囲だったらどうです?」

 

『どうですって言う割には結構広いじゃないか。この範囲だとそうだな……全部探すのに最低でも一ヶ月はかかるぞ?』

 

 魔王様が不平を言うが、これはひいては魔族全体に関わる事なのでしっかりと働いてもらう。

 

「本当は魔王軍の軍人を使えれば良いのですが人間側に戦争でも始めたのかと勘違いされたら事ですから。それは魔王様だって望むところではないでしょう?」

 

 もしそんな事態になれば、今まで魔王様が掲げてきた、人間界とは戦争をしないという目標が一発でおじゃんになる。魔王様もそれは分かっているからか渋々承諾した。

 

『分かった分かった。探せばいいんだろう……まぁもしかすると意外とあっさり見つかるかもしれないしな。その……山小屋?』

 

 山小屋から離れてほしい。それ以外に洞窟とかあるでしょ……こんな調子で本当に見つけられるんだろうか。

 

「別に山小屋とは限りませんからね……まぁとにかく保険の一手みたいなものはこれで打てたのでもう少しスマートな方法でも考えましょう。諜報部のマゴス君的にはどういう方面で行くのが良いと思います?」

 

 俺は保険かと呟く魔王様を無視してマゴス君に意見を聞く。

 

「そう、ですね。犯人達は10人も拐ったという事ですけど、それだけ拐ったからには何かしら目的があると思うんですよ」

 

 ほうほう、なるほど。だが実は俺もそれは考えてた。

 

「そんな人数拐ってどうするつもりなんでしょうか? まさか奴隷として売るとか……? それなら許せませんね……」

 

 サリアスさんが自分の意見に憤りを見せる。

 

「確かに人間界じゃ奴隷狩りも人攫いもあるし、奴隷落ちして買われちゃえばいくら身の潔白を証明したところで買ったほうは知ったこっちゃないで通るからね」

 

 現代日本で育った俺や、魔族からするとどうにも理解できないんだけど、人間界には奴隷狩りにあう奴が運がなかったという風潮が昔から蔓延しているらしい。

 

 なので売ろうと思えば意外と簡単に売れちゃうらしいのである。だがしかし今回だけは盗賊どももそれは出来ないはずだ。

 

「でもなあ、今回はみんな魔族に連れてかれたと思ってるわけでしょ? それなのにその集落の人間をほいほい売ったらそれが直ぐに嘘だって分かるじゃない」

 

 これほどまでに噂が広まっている以上、例え他都市の奴隷商だったとしても買うはずがない。なぜなら果ての集落壊滅という犯罪に加担していると思われてはたまったもんじゃないからだ。

 

「そうなんですよね……そうするとやっぱり分からないですね」

 

 うーむと考え込むマゴス君。そこで思いついたように魔王様が口を開く。

 

『あー、それは例えば他国の奴隷商に売りに行ったらどうなる?』

 

 魔王様の言う通り、この事件の事をまったく知らない他国へ行けば売れるだろうし足もつかないかもしれない。けどそれはあまりにも現実的じゃない。

 

「そんな10人もぞろぞろ連れて行ったらもうそれ盗賊じゃなくて行商人ですよ」

 

 輸送費だってタダじゃないし食費も掛かる。それに集落の人間である事が露見すればパーになる事を考えると、悠長に旅が出来るとは思えない。

 

『そう、だな……』

 

 俺は魔王様を黙らせた事に若干の罪悪感を感じながら、ここらが頃合いだろうと自分の考えた基本方針を示す。

 

「……えー、これ以上会議を長引かせてもいい考えは出ないでしょうから、俺の考えを言います。反対意見があれば聞かせてください」

 

 俺の言葉に皆が注意深く聞く態勢に入る。正直に言うと勘弁して欲しい。何しろ俺にもこれがベストな方法かどうかは分からないからだ。

 

「先程のマゴス君の“売りに来るかも”という意見については実は俺も少し考えていました。ですがそれはどうにも難しいようだ、というのは皆さんの共通認識になったかと思います」

 

 俺の言葉にサリアスさんがコクコクと頷く。

 

「じゃあどうするんだという話なんですが……俺が思うのはこうです。売りには行かないで全員自分たちの元で働かせる。これしか無いでしょう」

 

 シーンと静まり返る部屋の中。いやぁまあ言いたいことは分かる。でもみんなしてそんな目で見なくてもいいじゃない。

 もしかしたら最初は金目当てだったかもしれないけど、噂が予想以上に広まっちゃって売るに売れなくなっちゃったってパターンもあるかもしれないし、そんなに大外れの意見って事はないと思うんだけどなぁ……いかん、自信なくなってきた。

 

「その……なんというか……普通ですね?」

 

 参謀は優秀って聞いてたけどこんなもの? みたいな若干冷めた目をしてマゴス君が聞いてくる。おう、普通で悪かったな。勝手に期待して勝手に失望するのはやめてくれると俺が喜ぶぞ!

 

「まあそう思うよね。俺もそう思うし。だけど今の情報だけだとせいぜいこれくらいしか言えないんだ。それでどうやって見つけ出すかだけど……」

 

 ここでタメを作って深呼吸。そしてあたりを見回してごく普通の対処方針を示す。ああ、俺の株がどんどん下がってくなぁ。

 

「とにもかくにもまずはもっと多くの情報が必要になる。だから具体的な行動はまだ起こさないで、もうちょっと情報収集しよう。今の俺達に出来ることはせいぜいそれくらいだよ」

 



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だったら知ってる奴に聞けばいいじゃない

 

「その、僕って軍に入ったのって最近じゃないですか」

 

 僕、魔王軍諜報部のマゴスは現在、四天王の一人であるサリアスさんに相談に乗ってもらっていた。

 

「それで他の皆さん、特に古くからいる方々はみんな、グレゴリー様は凄い。参謀長について行けば間違いないって仰いますよね」

 

「そうですねぇ。あの方を尊敬してる方は多いですからね」

 

 サリアスさんは、手を後ろに組んでのほほんとした様子で肯定する。

 

 綺麗に舗装された石畳の繋ぎ目を、踏んでしまわないように少しだけ歩幅を変えながら歩くその姿は、まるで可憐な町娘のようだ。

 

「きっと凄い方なのでしょう。ただ、僕自身直接見たわけでは無いから分からないんですよ。だから思ってしまうんです。如何なグレゴリー様でも流石に今回の事件は解決出来ないんじゃ無いかって」

 

 先日行われた会議でも結局、直接的な行動は起こさないで情報収集に努めると決まってしまった。魔王軍参謀長の立てた作戦にしてはあまりにも消極的すぎるように思える。

 

「まぁ確かにそうですよね〜」

 

 サリアスさんは一応肯定はしてくれるが、そのニコニコとした表情は微塵も変化がない。僕の心配とは真逆に、サリアスさんは全く気にしていないようだった。そんな煮え切らない態度に僕はつい声を荒げてしまう。

 

「心配では無いんですか? 下手をすると戦争になるかもしれないのに!」

 

 声を荒げる僕にサリアスさんはそっと人差し指を唇の前に持っていく。僕はハッとなって黙りこくった。いくらここが人が居ない道だからって一応人間の街の中。どこで誰が聞いているか分からない。

 

「グレゴリー様ならなんとかしてくれますよ。あの方なら必ず解決策を導き出してくれます」

 

「ですがしかし……」

 

 ちょうどその時、またも食い下がろうとする僕を嗜めるかのように懐の魔王シアター改が震えだす。先日の会議があってから全員が持っていた方がいいだろうと魔王様が送ってきたものだ。

 

「はい、マゴスですが……」

 

『ギルスだ。そこにサリアスもいるな?』

 

 魔王様! グレゴリー様からだと思い込んでいた僕は驚きで魔王シアター改を取り落としそうになりながらもなんとか落とさずに持ち堪える。

 

「は、はい! 居ります!」

 

 僕の泡を食った様子からサリアスさんも通話の相手が魔王様だと察したらしい。魔王様の話をなんとか聞こうと真剣に耳をそばだてる。

 

「今、街中を偵察中でした。如何致しましたか」

 

『あーそれなんだが……情報収集しなくてよくなったから戻ってこい』

 

 しなくてよくなった? 何故? どうして? 僕の頭の中をクエスチョンマークが埋め尽くす。

 

『グレゴリーが奴らの居場所を割り出したんだ。とにかく一度家まで戻ってこい。詳細はそれからだ。切るぞ』

 

 通話が切れて放心状態になった僕に、サリアスさんが自信満々に笑いかける。

 

「ね? 言ったでしょう? あの方ならなんとかしてくれるって」

 

 やっぱり。やっぱりあのお方は凄い方だったのだ。僕は項垂れながら、先ほどまでの自分の浅はかな考えを恥じた。

 

 

 ーーー

 

 

 魔王様に二人を呼び出して貰って数十分後、借家に帰ってきた二人に俺は簡単に事の経緯を説明した。サリアスさんは特に疑問は無いようだったが、マゴス君は知りたくてたまらないといった様子だ。

 

「それで……どうやって。いったいどうやって割り出したんですか!」

 

 ニコニコと上機嫌のサリアスさんとは対照的に、興奮気味に迫ってくるマゴス君を落ち着かせると俺は改めて説明を始めた。

 

「結論から言うとこの街の“孤児”を使ったんだよ」

 

 この街は比較的大きいので街を囲うようにスラム街があった。そこの孤児たちに“この街に出入りする見慣れない馬車を見なかったか”と金貨をチラつかせながら聞いただけだ。

 

 そうしたら割とあっさりと、そう言えば普段見ない幌馬車を見たような気がする、ちょうど今朝も街を出ていくのを見た、という情報を掴んだというわけだ。

 

 あとは魔王様に使い魔でその馬車の捜索をしてもらったところ、北に向かう幌馬車を発見するに至ったという話。

 

『それでその馬車が向かう方向に絞って使い魔で森の中を捜索したら人が何人かいる洞窟を見つけた。洞窟内には囚われている人間もいた。犯人の拠点と見て間違いない』

 

「いやぁ、スラム街の彼らのネットワークは凄まじいね。どんな些細な変化も見逃さない。いずれは彼らも仲間にしたいくらいだよ」

 

「なるほど……」

 

 ストンと椅子に座り直したマゴス君はどこかうわの空だ。流石に俺もこんなにスピード解決するとは思ってなかったんで、その気持ちはよーく分かる。

 

 サリアスさんだけ私は信じてましたよという表情をしているけど絶対分かってない。今回は運が良かっただけだから。

 

 まあでもこれで今回下げた株はまた元に戻せたかな? 上の立場の人間だと人心掌握も大切だから苦労するわ。人じゃないけど。

 

「その……どうして馬車が出入りしていると……?」

 

 おや? マゴス君なら聞けばピンとくるかと思ったんだけど衝撃が勝って思考が止まっているんだろうか? まあ恐らく分かってないサリアスさんと魔王様のために説明するつもりだったから別に構わないか。

 

「当然だけど、彼らが森の中で暮らすにはあまりにも捕虜が多すぎる。だから必ずこの街から食料を買っていく必要があるんだ。そうするとなんらかの輸送手段が必要だろうって予測したんだよ」

 

 しかし簡単に見つかりすぎてなにかの罠なんじゃないかとすら思えてくる。サリアスさんとマゴス君の二人だけで事に当たって貰おうかと思っていたんだが、少しばかり不安になってきた。

 

「場所が割り出せたんであとは殲滅するだけなんだけど人質がいる以上、正直戦力が心許ない」

 

『ふむ。誰が欲しい?』

 

 お、流石は魔王様。阿吽の呼吸って奴だ。

 

「隠密作戦が出来る者が良いですね。彼らに警戒されることなく一人ずつ無力化していけるような……」

 

『それでしたらあっししかおりませんね』

 

「「!?」」

 

 魔王シアター改から魔王様以外の声が聞こえてきたことにびっくりする一同。

 

『まずは今まで黙って聞いていたことをお詫びいたしやす。実は今日、魔王様のお隣でお話を聞かして貰ってたんでさ。あっしは特殊工作チームのワイルズです』

 

「ああ、ワイルズさんか」

 

 ちょっとお前急に話し始めるなよ! というギルス様の声が遠くで聞こえる。どうやらワイルズが板ごと奪い取ったらしい。ていうか相変わらず魔王様はワイルズには頭が上がらないんだな。俺も同じく上がらないけどさ。

 

『グレゴリーの旦那。あっしは旦那のお役に立ちたいんです。どうかこのワイルズにお任せを。あっし以上の適任はこの軍には居りませんぜ?』

 

 ワイルズは歴戦の工作班のリーダーで、実は魔王様よりも魔王軍にいた時間が長い大先輩なのだ。それ故に魔王様を可愛い我が子のように思っているところがあるのが欠点だが、腕はかなり良い。

 

 俺自身、今までに何度も彼に助けられてきた経緯がある。そんな彼に手伝ってもらえるのなら願ったり叶ったりだ。

 

「ならワイルズさん、お願いできます? 貴方が協力してくれるのなら成功間違いなしだ」

 

『ええ、ええ! 必ずや旦那のお役に立って見せましょう!』

 

 半ば無視するように話が進んだ事で、しょげ返ってしまった魔王様を慰めるのに後で苦労したのは言うまでもない。

 



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偽旗作戦

 

「なんかちょうどいい依頼は無いもんかね?」

 

 それから幾日か経ったあくる日の早朝。冒険者ギルドに来た俺達は、盗賊団のアジト近くで受けられる手頃な依頼が無いか探していた。

 

 なぜわざわざそんな事をするかって言うと、それはアリバイ作りの為だ。

 

 もしも用も無いのに森の奥地に行って、盗賊団を壊滅させたなんて事になったら、どうしてそんな場所に行ったんだって話になる。それだけは避けたかった。

 

「これなんかどうでしょう? 月光草の採取だそうですよ」

 

 サリアスさんが一枚の紙を指差す。確かに場所はベストだけどそれはちょっと簡単すぎると思う。サブマスターのトールもそう思ったのか、カウンター越しに口を挟んでくる。

 

「お嬢ちゃんにしちゃあえらく簡単なのを選ぶじゃないか。今日に限ってどうしてだい?」

 

 しまった。これまでサリアスさんに好きな依頼を受けて貰っていたのが裏目に出た。最近は一部の冒険者から “魔物狩りのサリアス” って呼ばれてるくらい狩りまくってたからな。

 

「あー、えーとちょっとばかし自分用に薬草の類が必要になったんだよ。このご時世、なかなか薬も高くて買えないでしょ?」

 

 適当にそれっぽい言い訳をするけど、トールは疑いの目を向けるのをやめない。別にそんなに怪しまなくてもいいじゃないか。

 

「お嬢ちゃんがあれだけ稼いでて薬の一つも買えないのか?」

 

 サリアスさーーーーーん! そりゃあ疑うよね! めっちゃ稼いでたもんね! チラッとサリアスさんを見ると、ちょっと困った顔をしている。とても可愛い。

 

「ははは……いやあ、ちょっとお金を貯めてるもんでね……家を買いたくてさ。あんまり無駄遣いできないのよ」

 

 慌てて取り繕ってみたけど、これはそこまで嘘ってわけでもないな。

 

「……ふーんなるほどな。分かったよ。それならそういう事で受理しといてやる」

 

「ありがとう。それで頼むわ」

 

 おお良かった。めっちゃ怪しまれてるけどなんとかごまかせたみたいだ。しかしトールのやつ、偉く疑り深いなぁ。理由なんてどうだって良いだろうに。

 

 ここで依頼が受けられないなんて事になれば予定が狂う。もうちょっとちゃんと考えてから来れば良かったな。俺は昨日、魔王様から聞かされた話を思い出していた。

 

『おいグレゴリー、面倒な事になったぞ』

 

「なんです? ワイルズさんが工作チーム全員連れて行きたいとか言い出したんですか?」

 

 軽口を叩く俺を魔王様は真剣な声音で諭す。

 

『冗談言ってる場合じゃないんだグレゴリー。人間側の使者が来て、人質解放とオーガを引き渡すよう要求してきた』

 

 わーお。思ったより深刻な話だ。

 

「それは……不味いですね」

 

『一応調査してから返答すると留めているが1日以内に返答しろと条件をつけてきやがった。そんな短期間でどうしろってんだろうな?』

 

「1日ね……もうそれ、ほとんど断定してるようなもんじゃないですか」

 

 あの事件現場をちゃんと調べれば魔族の仕業じゃないって分かると思うんだけどな。いくら人間界と魔界の仲が悪いからって交流が全く無いわけじゃないんだから、魔族が魔法を使えないって知ってる奴は少なからずいる筈なんだが。

 

「それで、向こうは期限過ぎたらどうするって言ってます?」

 

『なんらかの報復措置を取るんだそうだ。軍隊でも送りこんで来るつもりかね?』

 

 まー、随分単細胞な連中だこと。下手すると戦争になるかもしれないのに。そうなれば年がら年中戦争してたあの頃にまた逆戻りだ。

 

「……仕方ないですね。予定を繰り上げましょう。犯人の拠点を襲撃するのは明日にします。ワイルズさんはワイバーンで空輸してください」

 

『悪いな、急かして』

 

「いいんですよ。悪いのは魔王様では無いですから」

 

 これが昨夜に起こった出来事で、急遽計画を前倒しする事になった理由だ。

 

 昨日の事を回想し終えた俺は冒険者ギルドを出ながら、サッと地図を広げた。

 

「もうあまり時間が無い。急ごうか」

 

 

 ーーー

 

 

「お待ちしておりやしたよ。グレゴリーの旦那。その人間のお姿も凛々しいですなぁ。あっしの方は準備は万全です」

 

 森の中、俺たちが予定された地点に到達した頃、すでにワイルズは準備を終えて待機していた。

 

「お久しぶりワイルズさん。予定を繰り上げたけど本当に大丈夫そう?」

 

「ええ、そんなのはいつものことですから全く問題ありやせん。実はもう準備は済ませておきやした。あとは指示を待つばかりでさぁ」

 

 そう事もなげに言ってのけるワイルズを頼もしく感じる。この男がそう言うのならもう終わったも同然だ。

 

「ならちゃっちゃと終わらせてこの馬鹿げた騒動を起こした奴に責任を取らせよう」

 

「ええ、早速洞窟のところまで案内いたしやす。こっちです」

 

 盗賊団のアジトの洞窟はそこからすぐの場所だった。洞窟の入り口にはやる気のなさそうな見張りが一人立って居るだけでその他には何も居ない。

 

「どう? 全員生かしたまま無力化できそう?」

 

 予定を早めた事で支障は無いか聞いたつもりだったが、ワイルズはそんなものは当たり前という感じで返してきた。

 

「それはもう予定通り100パーセント全員生かしたまま終わらせまさぁ。まずはあいつから」

 

 ワイルズは小声で答えると小さなボウガンを構えてパシュっと見張りに向かって何か小さな矢みたいなものを射出した。

 

 それを受けた見張りはたちまち意識を失ってその場に崩れ落ちる。そこに音もなく近づいたワイルズはそいつをズルズル引き摺って見えない所まで連れて行くと、あっという間に縄で縛り上げた。手際が良すぎる。

 

「後はこの装置を……」

 

 言いながら、ワイルズは何か円筒形のものを取り出すと洞窟の入り口に設置する。装置はやがて唸りを上げてモクモクと白い煙を洞窟の奥に送り込み始めた。

 

「これで10分もすりゃあみんな寝ちまいますよ。洞窟はこの手に限ります」

 

「凄いですね……もしかして私達いらなかったんじゃないですか?」

 

 サリアスさんがそう言いたくなるのも分かる。

 

 なんとなく洞窟に侵入しながらメタルギアみたいに無力化してくのかと俺は思っていたけど、現実は地味だ。そこがまあ逆にプロっぽいけど。

 

「いやぁ寧ろこっからが大変ですぜ。人質は解放して悪党どもは縛り上げなきゃなりやせんからね。とても一人では手が回りやせんよ」

 

 それから10分くらい待って入った洞窟内では、人質も盗賊もことごとく全員が眠っていた。しかし不可解な点が一つだけあった。

 

「なんでこの悪党どもは未だにオーガの振りをし続けてんだ?」

 

 洞窟の中でスヤスヤ眠る悪党どもの頭には、何故だか小さな角が乗っていた。よく見てみると意外としっかり付いていて、なかなか外れないようになっている。

 

「捕まえた人質にオーガだと思わせるためですかねぇ? あっしには見当もつきませんよ」

 

 まぁとにかくそれは一旦保留にして、ワイルズに言われるままに悪党どもを縛り上げて運び出す。表で見張りをしていたのも含めると全部で7人。あの生き残りの農夫の証言とも一致するから、多分これで全部だろう。

 

「それじゃ取り敢えずこの一番偉そうな奴を起こすか?」

 

「ちょいとお待ちを。先に魔法を封じておきやしょう」

 

 ああそうだった。そういやこいつら魔法使ってくるんだよな。危ない危ない。

 

「これは本人とその周囲の魔力を奪う装置でして。こいつがあればこの男は魔法が使えません」

 

 ワイルズはそう言ってまた何か新しい装置を男にくっつけて起動すると、首領っぽい男をペシペシ叩いて起こす。気持ちよさそうに寝ていた髭男は寝ぼけた様子で目を覚ました。

 

「ふが……なんだあおめえら!」

 

 今まで寝てたくせによく言うぜ。じゃなくてだな……

 

「俺達が誰かなんて重要じゃないだろ? お前は捕まってここに転がってる。お仲間も全員同じだ。そんなお前に出来る事はただ一つだけ。俺の質問に答える事。返事は?」

 

「ふざけやがって……こいつを外しやがれ! 煉獄の炎よ、彼の者を焼き尽くせ!」

 

 髭男がなんか呪文ぽいものを唱えるが何も起きない。残念だったな。お前の魔法はもう封じられてるんだ。

 

「無駄だっつーの。一応ちょっと聞きたいことはあったけどなんとなく予想はつくんでやっぱ話さなくていいわ」

 

 俺としてはなんで未だにオーガのコスプレしてるのかちょっと聞いてみたかっただけ。恐らくはオーガに捕まってるって人質に思わせときたいとかそんなとこだろう。何のためかは知らんけど。

 

「ふん、俺達がなんで未だに鬼族の振りをし続けてるのか興味があるみてえだなぁ」

 

 おお……? ちょっとびっくりした。ちょうど考えてた事を言い当ててくるとは。話してくれるんならちょっとは優しくしてあげてもいいんだけどな。

 

「なんだ? 話す気になったか?」

 

「いいや、そいつは言えねえな」

 

 うわー、めんどくさいわ。ていうかなんか試されてるみたいで腹立ってきた。この期に及んで交渉出来るとでも思ってんのか? こっちが上って事を分からせてやる。

 

「ねえサリアスさん? ここで戦闘が起こったんだから悪党の一人や二人が死んでもそれは不可抗力だよね? ていうか死体が無い方がおかしいもんね」

 

「そうですねぇ。首領と思しき男は最後まで抵抗し続けたっていうのはどうでしょうか?」

 

 サリアスさんが意図を察して合わせてくる。というか俺は演技じゃなくて割と本気でそう思い始めてるので、これで喋らなかったら面倒くさいし本当にやっちゃうかもしれない。

 

 髭男は俺が本気だと気づいたのか、はたまた演技が上手かったからか、たまらずに話し始めた。

 

「分かった! 分かった話すよ! 俺たちの本当の目的は大義名分を得るためなんだ」

 

 ああん? 大義名分? 何を言ってんだこいつは。あんまり回りくどいとアリバイ作りの犠牲になってもらうぞ。

 

「旦那ァ、やっちまいますかい?」

 

「ああ! 待ってくれ! 俺たちの依頼人は戦争をしたがってるんだ! それで魔族が手を出したように見せて大義名分を得たいんだよ! 本当だ!」

 

 なんだこいつ。とんでもねえ事を言い出したぞ。

 

 じゃあ何か? こいつらが果ての集落をオーガのコスプレして襲撃したのは戦争を起こすためだってのか? 捜査の撹乱とかではなく? そんな話、信じられるかよ。

 

「はぁ? そんな訳の分からん事、誰に指示されたんだよ」

 

「会ったことはねえけど“クレイ”っていう……ッ」

 

 依頼主について言いかけた髭男は途中で黙り込むと、突如自分の首を掻き毟り始めた。

 

「ングッ……カッ……ハッ!」

 

「おいどうした!」

 

 髭男は俺の声に反応することもできずに、そのまま悶え苦しむと、顔を紫色にしてバタリと倒れ伏した。

 

「おい! 何が起きた!」

 

 ワイルズが慌てて近寄って髭男の脈を見る。そして力無く首をゆっくり横に振った。

 

「旦那、この男。死んでますぜ……恐らくは特定の言葉に反応するタイプの呪術か何かです。あっしがついていながら申し訳ねえ……」

 

「なるほど。口封じってわけか……」

 

 この男はそんな事になるとはつゆ知らず、依頼主の情報をペラペラと喋ってしまったのだ。

 

「てことはこいつが言ってたのは嘘なんかじゃなくて全部本当ってことになるじゃないか……」

 

 皮肉な事にこの男は自分の命でその情報が本当であると証明してしまったのだ。

 

「人間というのは恐ろしい事を考えますね……」

 

 ギュッと槍を握りしめるサリアスさん。魔族は同種族を大切に思う傾向が強いので尚更そう感じるのかもしれない。

 

 それにしても後は人質を街に連れ帰って終わりだと思っていたけれど、ちょっとそうは行かなくなった。戦争を起こさせないためにはもう一芝居打つ必要がありそうだ。

 



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優秀な部下は優秀な上司の夢を見るか?

 

「ひい、ふう、みい……あれ? なんか11人いない? 人質って10人じゃなかったっけ?」

 

 洞窟から人質を連れ出して人数を数えてみたら一人多かった。ていうか普通の村人の中に一人だけ異質な奴が混じってるから増えた分はすぐに分かった。

 

「ねぇ貴方はどこから来たの?」

 

 サリアスさんが目線を合わせて優しくその少女に語りかける。さながら迷子の子供に話しかける婦警さんだ。

 

「私は冒険者よ! 子供扱いしないで!」

 

「こんなちっこいのに冒険者?」

 

 俺が正直な感想を口にするとその女の子はキッと俺を睨みつけた。

 

「ちっこいって言うな! これでも私は中級冒険者よ。冒険者証はあいつらに取られて今無いけど……」

 

「ああ、もしかしてこれ?」

 

 さっき悪党どもを運び出すときに洞窟の中で拾った銀色に輝く冒険者証。悪党のうちの誰かのものだと思っていたけどどうも彼女の物らしい。

 

「ええっと……レイラ? これが君の名前か?」

 

「そうよ。それ、私のだから返してちょうだい」

 

 裏を見るとレイラと名前が彫ってある。どうやら冒険者というのは本当らしい。ただ、これがなければ本当にただの女の子にしか見えない。

 

「ほら。で、君はなんで捕まってたんだ?」

 

「依頼の最中にばったり出くわしたのよ。それでびっくりしてたら捕まっちゃったってわけ。ま、助けが来なくてもいずれは一人で脱出できてたとは思うけどね」

 

 そう大口を叩いてはいるが、彼女が捕まってから既に3日ほど経っていたらしい。本当に逃げ出せたとは思えないなぁ。このちっこさだし。

 

 いずれにせよこのちっこいのにかかずらってる場合ではないのだ。

 

 ここに捕まってた人達をメルスクまで連れ帰ってその事実を喧伝する必要がある。そうすれば果ての集落壊滅が魔族によるものではないと広めることができるから。だから村人をさっさと馬車に乗せて……

 

「ちょっとあんた。名前は何て言うのよ」

 

 うるさいなぁ。今段取りを考えてんだから邪魔しないでほしい。

 

「グレゴリーだよ。無駄話は後にしてくれないか?」

 

「無駄じゃないわ! これは重要なことよ。あのね、あいつらは日に一度、正午ごろに通信機みたいなもので連絡を取っていたわ」

 

「え、なんだって!?」

 

 そんな大事な事、なんでもっと早く言わないんだよ! もう正午はとっくに過ぎちゃったぞ! いやまぁ今さっき起こしたんでどうせ間に合ってないんだけどさぁ!

 

「てっきり魔界と連絡をとってるのかと思ってたけど、ほんとは人間だったみたいだし、誰と連絡してるのかは分からない……けれど、とにかく今頃()()()()()()()()って相手は思ってるかもしれないわ」

 

 まずいぞ。定期連絡が無かったことであのクレイだか何だったか、とにかく盗賊共の雇い主がここの異変に気づいたのは間違いない。

 

「マゴス君、もし君が奴らの雇い主でここの存在を知られたくなかったとする。それで突然連絡が途絶えたらどうする?」

 

「僕なら襲撃されたと見て全力で証拠隠滅にかかりますね。まだ公になっていない現状なら尚更です」

 

「よろしい。つまり我々はこんなとこでくっちゃべってる場合ではないって事だな」

 

「ねぇ。ちょっと、どういう事?」

 

 今頃、そのクレイとやらが証拠隠滅のためにここに兵力を向かわせてる可能性もある。こっちには非戦闘員が10人以上いるのにかち合ったら最悪だぞ。

 

「……仕方ない、盗賊共は置いていこう。村人は全員馬車に詰め込んでくれ。奴らの馬も失敬すればなんとか足りるでしょ。それでサリアスさん」

 

「なんでしょうか?」

 

「もしかしたらサリアスさんにものすごーく負担を強いることになるかもしれないんだけど……」

 

「はい、お任せください。私は貴方の護衛ですから」

 

 やばい。惚れそうだわ。

 

 そうなると後は魔王様に電話して偵察機の要請だな。俺は魔王シアター改、もとい携帯を取り出して電話をかける。

 

「もしもし? ギルスおじさん?」

 

 一応レイラが見てるので魔王という単語は出さない。

 

『はいはいギルスおじさんですよ。俺が出来るのはお前たちが行く先を使い魔で偵察するくらいだぞ。もうその準備はしてる。なんか他に出来る事あるか?』

 

 パーフェクトだ。流石は魔王様。ちょうどそれをお願いしようと思ってた。この魔王様(ひと)、強いだけじゃなくて頭も回るからほんと好き。

 

「いやそれで充分です。お願いしますよ、異常があったらすぐに知らせてください」

 

『分かった。何かあれば連絡する』

 

 それから超特急で準備を終えた俺達は、速やかに盗賊団のアジトを後にした。

 

 

 ーーー

 

 

 午後になって急に雨が降ってきた。

 

 雨でぬかるんだ街道をメルスクに向けて猛スピードでかっ飛ばす。街に着きさえすればこっちのもんだ。

 

「ねえ、そろそろどういう事か教えてくれても良いでしょ?」

 

 ぎゅうぎゅう詰めの馬車の中で、俺の隣にいたレイラが疑問をぶつけてくる。そういえばこいつは死んだ首領とのやり取りは知らないんだった。

 

 俺は事の顛末を簡単に説明してやった。

 

「……ってなわけで、今俺達は非常にまずい状況にあるんだよ」

 

「何よそれ……戦争したがってる人間がいるってこと? 信じられない……」

 

 ウブだなぁ。地球でもそうだったけど戦争すると金が儲かる奴ってのはどこの世界にもいるもんだぜ? このお子ちゃまに言っても分かんないだろうけど。

 

 ちょうどその時、例の携帯が震えだす。魔王様からだ。

 

「はいもしもし。ギルスおじさん?」

 

『名前を呼ぶのはいいんだけどおじさんは辞めてくれよ……そうじゃなくてだな。そこから5キロ程行った先に30名程の武装集団を発見した。そっちに向かってるぞ』

 

 やっぱり来やがったか。しかも凄い人数。こりゃ堪らん。

 

「了解です。また何かあれば連絡ください」

 

 通信を切って、外のサリアスさん達に声をかける。

 

「5キロ先から武装集団30名ほどが接近中。道を逸れてやり過ごそう」

 

「そんなに来てるの……? ねぇそれってデリウスの正規軍とかじゃないの? その……捕まってる人達を助けに来たとか」

 

 んなわけあるか。だいたいどうやって場所を見つけ出したんだよ。どう考えてもあのクレイって奴の手の者だ。まあ信じられないのはしょうがないか。お子ちゃまだし。

 

「馬鹿なこと言ってないでお前も手伝え。お前も冒険者なんだろ? 市民を守るのは冒険者の義務だぞ」

 

「……っ! 分かったわよ!」

 

 土砂降りの中、みんなと協力して村人を乗せた馬車を道を逸れた森の中に隠す。

 

「まずいな。車輪の跡が……」

 

 この雨のせいと人を乗せ過ぎたせいで街道にくっきりと轍が残っている。この車輪の跡をみたらよっぽどのバカでもない限りこの近くに隠れていることに気づくだろう。

 

「この雨さえ無ければ……サリアスさん。もしも気づかれた時には……」

 

「ええ、ここにいる方達には指一本触れさせません」

 

 くう〜最高にかっこいいなこの人。お嫁に行きたいわ。

 

「頼む、今はサリアスさんしか頼れる人が居ないんだ」

 

 マゴス君は大人数を相手にできるほど強くはないし、ワイルズさんも直接戦闘は1体1ができる程度。俺なんか論外だしな。

 

 くそう。今更後悔しても遅いけど、魔界を出るときに遠慮なんかしないでもっと護衛をたくさん連れてくるんだった。

 

 街道を見渡せる木々の間でしばらく息を潜めて待っていると、先の方から武装集団が走ってくる。全員が革製の防具を身に纏っていて、どう見ても正規軍ではない。

 

「……お前はあれがデリウス軍に見えるか?」

 

 隣で息を潜めるレイラがブンブンと首を横に振る。正規軍なら鉄製の防具のはずなので、どうやらこのお子ちゃまにも俺の話が本当だって分かったみたいだ。

 

 そうこうしているうちに武装集団が目の前の道まで走ってくる。そしてちょうど俺達が残した車輪の跡が途切れたところでピタリと足を止めた。

 

「くっそ……やっぱりバレたか……」

 

 リーダー格の男が部下に向かって何かを喚いている。やがて30人程いた集団が半々に分かれた。

 

「グレゴリー様……」

 

「待て、まだだ」

 

 半分になった集団のうち、片方がそのまま駆け足で先へ進んで行く。よし、これで半分に減ったぞ。だがしかし、残りの半分が周辺を探し始めた。見つかるのも時間の問題だな。

 

「サリアスさん、全員“コレ”で構わないから」

 

 立ち上がろうとするサリアスさんに俺はジェスチャーで首を横に掻き斬る動作をする。サリアスさんは無言で頷くと立ち上がって男達の方へ歩いて行った。

 

 

 ーーー

 

 

「あら、こんな所でどうなさったんですか?」

 

 私は気配を消して無法者に近づくと声をかける。男達は突然現れた私に驚いた様子で怒鳴り声を上げた。

 

「なんだ貴様は! どこから現れた!」

 

 この雨とはいえ、気配を消した私に気付けないのならそれほど強くはないのでしょう。グレゴリー様も心配しているでしょうしさっさと終わらせましょうか。

 

「もしかして馬車をお探しですか?」

 

 その言葉で男達の雰囲気が戦闘モードに変わる。でもまああまり意味は無いのだけれど。

 

「知りたければ私を倒してご覧なさい」

 

 そう私が言い終えると一番近くにいた3人が即座に攻撃を仕掛けてくる。筋は良いけれどあまりにも馬鹿正直すぎますね。

 

 私は槍を横に一閃するとその3人を纏めて薙ぎ払った。これで3つ。

 

「くそ! この女強いぞ! 後ろにも回り込め!」

 

 リーダーの男が部下達に指示を飛ばす。たしかに後ろに回り込むのは良い手だと思いますが、それは並みの強さの相手に対してのみ。私クラスだと全く意味が無い。

 

 後ろから斬りかかって来る男に最小限の動きで槍を突き刺す。これで4つ、あと11人。

 

 あまり時間をかけて散られても面倒ですから固まってくれている今のうちにこちらから仕掛けてしまいましょうか。

 

 私は、目の前にいる3人に急接近すると姿勢を低くして槍を薙ぎ払う。反応が遅れた3人の腹の辺りを同時に斬り裂くとそのまま右奥にいる事態を飲み込めていない2人に連続で突き刺す。

 

 これで9(ここの)つ。残るは6人。残った者はあっという間に数を減らされて完全に腰が引けてしまっている。

 

「撤収だ! みんな散り散りになって逃げろ!」

 

 リーダーの男はそう叫ぶと脱兎の如く逃げ出す。ふむ。良い判断ですね。ただしそれは相手が魔王軍四天王サリアスでなければの話ですが。

 

 私は逃げ出したリーダーの男に一瞬で追い縋ると足の腱を斬り裂いた。これでもうこの男は逃げられない。

 

 後に残った5人はそれを見てもう逃げ出せないと本能で理解したようだった。恐怖に顔を歪ませた者達が全員襲いかかって来る。

 

 ……まったく、上官の命令が聞けないのは酷いですね。全員が意図を瞬時に理解して行動できなければただの烏合の衆でしかない。

 

 まぁグレゴリー様が来る前の魔王軍がまさにそうだったのであまり偉そうには言えないですが。

 

 やがて襲いかかってきた5人全員を斬り伏せた私は、先ほど足の腱を斬ったリーダーの男のところに向かう。男はその一部始終を茫然自失といった様子で見ていた。

 

「……なぁ、あんた名前はなんて言うんだ? 冥土の土産に教えてくれないかな?」

 

 潔いのも武人として好感が持てますね。

 

「私の名前はサリアスです。それに別に貴方は殺したりしませんよ」

 

 リーダーならば知っている事も多いでしょう。それに部下は酷かったですがこの男は優秀なので殺すには惜しい。

 

「そうかサリアスっていうのか……世の中広いな。こんな強いお嬢ちゃんがいるなんてな……悪いが俺には家族がいるんでね……話すことは何も無いぜ!」

 

 男はそう叫ぶとガリっと奥歯で何かを噛み砕く。しまった! 毒か何かを仕込んでいたのか! そう気づいた私が慌てて近寄ったときにはもう遅く、男は既に息をしていなかった。

 

 ……家族がいる。きっとこの男は家族を人質に取られて無理やり従わされていたのでしょう。雇い主に恵まれないのは武人として辛かったでしょうね。

 

 私は自分の上司である参謀長を思い浮かべた。

 

 グレゴリー様。例え貴方がどこへ行こうとも私は一生ついていきますよ。貴方ほど優秀で部下思いな方は後にも先にもいないでしょうからね。

 



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一時的な解決

 

 サリアスさん強すぎじゃね? ちょっと四天王って存在を舐めてたわ。いや、決して軽く見てた訳じゃないんだけど実際目にするのと話を聞くんじゃ全然違うなって。

 

 一部始終を見ていた俺の感想はまあそんなところです。

 

 で、一部始終を見ていたのは俺の隣にいたレイラもである。

 

 大丈夫かなこの子? まだ小さいのにこんなもの見ちゃってショックを受けてやしないだろうか?

 

「……っ」

 

 ああやっぱりショックよね。なんてったって15人分の死体だもの。離れてても強烈だよな。

 

 この世界は人の命が軽いから冒険者なら死体くらい見たことはあるかもしれないけど、いきなりこんな殺戮劇見せられたら流石に衝撃が強すぎるか。はぁ……悪いことしたな。トラウマとか大丈夫だろか?

 

 まあそれはおいおい考えるとして、危険は去ったし後は街に向かうだけだ。俺は隠れていた場所から出ていって、サリアスさんの元へ向かう。

 

「お疲れ様、サリアスさん。怪我とか無い?」

 

「ええ私は大丈夫です。このリーダーの男だけ生かしておいたんですが……毒を飲んで自害したようです……」

 

 なんか喋ってんなとは思ってたけどそういう事か。

 

「……何も死ぬ事はないのにな」

 

「彼は家族を人質に取られて無理やり従わされていたようです。死ぬ間際にそんな事を言っていました」

 

「……そいつは胸糞悪い話だな。自分の部下を道具みたいに扱う奴がこの世で一番嫌いだよ俺は」

 

「ふふ、グレゴリー様の下で働ける我々は本当に幸せですね」

 

 なんだなんだ、急に褒められると照れるぞ。

 

「……まあこれからも部下は大切にするよ」

 

 なんか知らんけど好感度が上がった気がする。あんま褒められるとサリアスさんにいろいろ貢いじゃいそうだ。ま、それは冗談としても今回の働きにはちゃんと報いなきゃいけないな。

 

 

 ーーー

 

 

 俺達が街に近づく頃にはすっかり雨も上がって晴れ間がのぞいていた。

 

 馬車の中で窮屈そうにしている村人達には、魔族に襲われたのではなく人間に襲われたのだと言って回るように既に言い聞かせてある。

 

 この情報を更に拡散するにはどうするのが一番良いか。実はもう考えてある。あとは拡散してくれる人物との交渉が上手く行くかどうかだけだ。

 

「もうすぐ街に入りますけどどうしますか?」

 

「ああ、そのまま例の農夫がいる宿まで向かってくれる?」

 

 村人達をあの集落の生き残りの老人に直接引き合わせる。下手に軍やら衛兵を介すと公にされないかもしれないからな。まぁ俺の読みが当たっていればそれは無いけど念のためだ。

 

「じゃあサリアスさん、彼らの感動の再会がひと段落ついたら街の中央広場まで連れてきて。あ、俺はここで降りるよ」

 

 俺は返事も待たずに馬車から飛び降りる。予め説明しといたし、サリアスさんなら頃合いを見計らって実行してくれるだろう。

 

 さてとここからすぐの所にいつも居ると言っていたが、今日は居るだろうか?

 

 裏路地を抜けて目的の場所まで向かう。角を曲がったところにちょうど目的の人物は居た。

 

「やあやあ。テリー、そのお仲間さん達も。2週間ぶりくらいかな?」

 

「おや? 誰かと思えばグレゴリーさんじゃないか」

 

 俺が会いに来たのはこのテリーという少年だ。テリーはこの街のスラム街に住む孤児達のリーダーでかなりの情報通。そしてこの前、盗賊共の馬車を見つけるのにも一役買ってくれた。

 

「また仕事の話なんだけどやる?」

 

「どうだろ? 内容によるかな」

 

「君にとってはそんなに難しくないと思うよ」

 

 俺はざっとやってもらいたい事を説明した。

 

 果ての集落の拐われた村人達が生還した事。更に魔族じゃなくて魔族の振りをした人間に拐われていたらしい事。そして中央広場で祝賀パーティが行われるという事。

 

 この3つを街中に広めて貰いたいと伝える。

 

「ふーん。まあ出来なくは無いかな? 幾ら出す?」

 

「逆に幾ら欲しい?」

 

「そうだなぁ……金貨5枚」

 

 ほう、結構吹っかけて来たぞ。そんだけあれば一月は何もしなくても食べていける。だがこれは絶対にやって貰わなければならない事なんで、()()()()()()()()()

 

「そっか。ならこれでどうかな?」

 

 俺は彼らの目の前に金貨を10枚並べて見せた。彼らのギョッとした顔がちょっと心地良い。びびったか? 俺はな、今ちょっとだけ金持ちなんだよ。なぜならサリアスさんが依頼で稼ぎまくってくれたからな! 最低だな俺!

 

「グレゴリーさん。あんた本気で言ってる?」

 

「テリー、この仕事は迅速且つ念入りにやって貰いたいんだ。期限としては今日中に、それに街の人の半分が知るくらい広めてほしい。それをやってくれるならこの金を払うよ」

 

「乗った」

 

 おう、即答か。まあ倍の金額出すって言ってるからな。当前か。

 

「じゃあよろしく頼むよ。また何かあれば頼むかもしれない」

 

 それは君たちの今回の仕事ぶりに掛かってますけどね、と暗に告げておく。これなら張り切ってやってくれるだろう。

 

 さてと。交渉は無事済んだ事だし、後はパーティの準備でもしますかね?

 

 

 ーーー

 

 

 俺が中央広場にやってきた時には、既に再会を終えた村人達も到着していた。近づくにつれ、村人達の会話が聞こえてくる。

 

「んだんだ。こーれが人間だったんだよ〜、オーガでなくて。魔族の振りしてたんだよ、オラ達もビックリだべさ!」

 

「へー、オーガじゃ無かったんだな」

 

 よしよし、約束通り広めてるな。その調子だ。

 

「あっ! グレゴリー様」

 

 サリアスさんとマゴス君が俺を見つけてタタタと走り寄ってくる。

 

「これから私達は何をすれば良いでしょうか?」

 

「そうねぇ……ここにテーブルを持ってくるからちょっと待っててくれる?」

 

「テーブルですか? 分かりました。待ってます」

 

 俺はそう言って二人を待機させると近くにあった手頃な店に入る。やる事は簡単だ。金を叩きつけて店の食い物をあるだけ持ってこいと言うだけ。ついでにテラス席用のテーブルも借りてくる。結構重いことに気づいて、やっぱり二人にも来てもらえば良かったと反省する。

 

「手伝うわよ」

 

 そう後悔しながらテーブルを運ぼうとしていると、後ろから声がかかる。振り返るとあのちっこい彼女がいた。

 

「おお! ちっこいの!」

 

「レイラよ! レ・イ・ラ! あんた殴られたいの!?」

 

 おっと。心の中で呼んでたらついつい口からも出てしまった。

 

「悪い悪い。手伝ってくれるならぜひお願いしようかな」

 

 俺がお願いするとレイラは頷いてテーブルを持ち上げる。そして少しこちらを伺いながらこの小さい彼女は驚く事を聞いてきた。

 

「あなた、魔族を助けたいの?」

 

 !? うおい、まてまてまて。どこらへんを見てそう思ったんだ。普通は戦争を回避するためにやってるって思うだろ……じゃなくて落ち着け俺、動揺するな。

 

「ん? なんでそう思ったか知らんけど俺は戦争を止めたいだけだよ」

 

「ふーん、その割には随分と魔族の仕業じゃないって事を強調するなって思って」

 

 ぎくり。

 

「そりゃあそう強調しないと戦争になるからだよ。他意はない」

 

 嘘です。他意ありまくりです。めっちゃ魔族のこと大事に思ってます。

 

「ふーん。まあ別にどうでもいいわ」

 

 危ねえ。なんとかやり過ごしたけど焦るわ。それにしてもそんなに魔族に入れ込んでるように見えたかね? だったら改めないとまずいな。まぁこういう状況はそんな頻繁には来ないだろうから気にしなくても良いとは思うけど。

 

 広場に近づくと、テーブルを運ぶ俺達に気づいたサリアスさんが走り寄ってくる。

 

「グレゴリー様! それにレイラさんも。言ってくだされば私がお手伝いしましたのに」

 

「俺もそう思った。だから次はついてきてよ」

 

「次ですか? またどこかに行くんですか?」

 

「そう。また別の店に行くからさ。ところでマゴス君は?」

 

「彼は今、噂を聞きつけて集まってきた人達の対応をしています」

 

「ああそう? ならいいや。俺達だけで行こう」

 

 早速テリー達が噂を広めてる効果が出てきたかな? こりゃ急がなきゃな。

 

 俺達はその後三軒の店を順番に回って行って、最初の店でやった事と同じ事を繰り返した。違いがあるとすればサリアスさんがテーブルを持ってくれた事くらい。後は広場に戻って料理が運ばれてくるのを待つだけだ。

 

 広場に戻るとマゴス君が泡を食った様子で俺の元に駆け寄ってきた。

 

「グ、グレゴリー様! なんか軍の関係者までお見えになってるんですが! 僕は一体どうすればいいでしょうか!」

 

 早いな、もう来たのか。予定ではもう少しかかるかと思ってたけど来たんなら説明するしかない。

 

 そう思って向こうのほうを見ると立派な制服を着た軍関係者が既に拐われた村人達から直接話を聞いていた。初めは半信半疑だった軍人達だが、村人と話をしているうちに段々と険しい表情になっていく。

 

「中将殿……これは……」

 

「うむ。分かっとる。君、大至急本部へ行って事と次第を説明してきなさい。私も後から行く」

 

「は。承知しました」

 

 おっと。これは説明しなくてもいい感じかな? 村人達が忠実に言われた事を実行してくれたんで助かった。

 

 そしてこれでもう一つ分かった事がある。今回の事件の主犯であるクレイはやはり()()()()()()()()()()()という事だ。

 

 軍人が戦争をしたがっていて、クレイと結託している、あるいはクレイ自身が軍内部の人間ならば、噂を聞きつけてのこのこやって来たりはしない。何故ならなるべく長い時間魔族のせいにしておきたいからだ。という事は一応俺の読みは当たっていたという事だな。

 

「はぁ……無駄な出費になったな」

 

 このパーティーで村人が生還した事を大々的に広める事は保険のつもりであったので、軍が報復行動に出ないと決めたなら、恐らく決めるだろうけど、もうあまり開催する意味は無い。

 

「良かったんですよ、これで。お金ならまた私が稼ぎますから」

 

 そう言ってサリアスさんが俺を慰めてくれる。善意で言ってくれているんだろうが、俺のヒモっぷりとクズっぷりが際立つので素直にありがとうとも言いづらい。だってサリアスさんが稼いだお金、今日で半分くらい使っちゃたんだもの。

 

「ほんとに申し訳ない」

 

「どうせなら楽しまなきゃ損ですよ。私達も行きましょう?」

 

 そうだな、せっかくだし俺も楽しむか……そう思いながら俺はパーティー会場となった中央広場に向かってみんなと一緒に歩いて行った。

 

 魔王城に来ていた人間の使者は、集落壊滅の件はこちらの不手際であったと謝罪して帰って行った。そんな連絡が魔王様によってもたらされたのはその日の夜の事だった。

 



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3章 地盤を築こう
危機到来は突然に


 

「冒険者向けになんか始めるのが一番だよな。ここ冒険者の街だし」

 

 街に平穏が戻ってからというもの、俺はどうやって金を稼ぐかを考えていた。

 

「あの……魔王軍でもやっている労災保険? を冒険者向けに出してみるっていうのはどうですか? あれ、私達はすごく助かってますから需要はあると思うんですよ」

 

「あー、それはねぇ……」

 

 行く行くはやろうと思っているが、今はまだ難しい。まず第一に信用がいる。魔王軍でやった時は参謀長という信用力で推し進められたから良かったけど、ここ人間界ではただの変なおじさんでしかない。そんな奴に金を出す奴はいないだろう。

 

 第二にものすごく多くの人材が必要になるという事。冒険者の死亡率、負傷率を調べ、価格設定をし、加入者の審査をして保険の適用するかどうかも調査する。これはちょっと今の人員ではとても足りない。

 

「今はちょっと厳しいかな。もうちょっと簡単なやつがいいかと思ってるんだけど」

 

「うーん、そうですか……」

 

 シュンとするサリアスさん。ごめん、せっかく案を出してくれたのに。

 

 次にマゴス君が口を開く。

 

「グレゴリー様、これはクラウスの調査によるものなんですが、この街の回復薬はちょっと質が悪いみたいです。そこで回復薬の製造販売に手を出してみるのはどうでしょう?」

 

 それは有りだな。質の良い回復薬なら我々魔王軍が製造技術を持っている。製造法さえ知られなければ問題なく売れる。

 

「いいね。ただちょっと門外漢なんで分からないんだけど材料は何が必要なのかな?」

 

「えーと、きちんと調べなければ分からないですが難しいのは魔物の肝と何かの薬草くらいだったと思います。あとは普遍的な材料でできたと思いますよ」

 

「じゃあそれで行こう。もうちょっと調べて行けそうだったら場所借りて、グレゴリーのポーション製造所とか看板かけとけばそれっぽくなるでしょ」

 

「あ、私は魔物の肝だったら取ってこれますよ。依頼のついでにでも」

 

「おお、助かるよ。多分それが一番高級材料だろうからさ」

 

 よし、そうなったらもうちょっと人材が欲しいな。人間を雇ってもいいけど製造法を秘匿する関係上、最後の重要な部分は魔族にやってもらいたいんで魔族が一人は必要だ。

 

 俺は携帯もどきを取り出した。

 

「あ、もしもし魔王様? ちょっと相談があるんですが……」

 

 

 ーーー

 

 

 それから何日か経ってから俺は二人の魔族と共に冒険者ギルドの前にやって来ていた。

 

「で、ここに入って登録すればいいんでしょう? ちゃちゃっと終わらせて来るっすよ!」

 

 そう自信満々に答えるのはバートンというリザードマン。どっかの部隊の腕自慢なのだが、暇そうだったんで連れてきた。

 

「そうは言いますがねバートンさん……僕なんかろくに剣も振ったことないんですよ? 本当に登録できるのやら……」

 

 対照的に自信がなさげなのはカイルというドワーフだ。この男は技術畑の魔族なんで、戦闘はからっきしだ。

 

「大丈夫っすよ! だってグレゴリー様でも登録できたんだし余裕っす!」

 

「ちょっとバートンさん! 本人の目の前でなんてこと言うんですか!」

 

 本当だよこのトカゲ野郎、バカにしてんのか? いや確かにサリアスさんの助力無しじゃ登録も怪しかった気がするけど面と向かって言うやつがあるか。

 

 どうもこのバートンて奴、根はいい奴なんだけど馬鹿正直で考えが足りない時があるんで本当に連れて来て良かったか疑問が残る。腕は確かなんだけどな。

 

「おいバートン。カイルの試験の時にバレない範囲で手助けしてやれ。別に上級冒険者にしろって言ってるわけじゃねえぞ? 俺の言いたいこと分かるか?」

 

「うっす! そういう事なら了解っす! 任しといてください!」

 

 チャラい。チャラすぎるよバートン君。正直めっちゃ不安なんだが。

 

「とにかくほどほどにやるんだぞ」

 

 俺はそう言い含めると冒険者ギルドに入る。今日はトールが受付にいたんで、そこに向かった。

 

「よおトール。冒険者志望の奴を連れて来たんで登録して欲しいんだけど」

 

「ほー……その二人か?」

 

 なんだか非常に緊張した面持ちで俺の後ろを見るトール。やっぱりサリアスさんという前例があるし、見る目があるんでバートンが強いって分かっちゃうのかな?

 

「そうだよ。まあこのバートン、サリアスさん程ではないけどまあまあ強いから。よろしく」

 

「ああ、見りゃ分かる……クソッ、頭が痛くなって来た……!」

 

 トールは何か書類を書くと、奥の演習場に二人を連れて行く。すると他の人に任せたのかすぐに戻って来た。

 

「あれ? トールが見るんじゃないの?」

 

「いや、他のやつに任せた。ちょっとお前に確認したい事があってな。ここじゃなんだから奥で話そう」

 

 依頼を受けまくって貢献してるサリアスさんならまだしも何もしてない俺に? いったい何の用だろう? 疑問符を浮かべながら俺はトールに促されるままについて行った。

 

「まあ座ってちょっと待っててくれ」

 

 トールは案内すると一旦部屋から出ていく。

 

 その部屋は防音されているようでとても静かだった。ギルド内とは思えないほどだ。いや待てよ? こんな秘密の部屋で会話するほどの事が俺とトールの間にあるか? 俺がサリアスさん達の代表だから?

 

「よお、待たせたな」

 

 俺の疑問を打ち消すようにドアをガチャリと開けて、トールが部屋に入ってくる。手には見慣れない形状の箱を持っていた。なんだあれは。

 

「こいつが気になるか? こいつはな、()()()()()()()

 

 トールが空中にパッとその箱を投げる。すると箱は一気に展開してバラバラになって俺の手足に吸い付くようにくっついてきた。俺は何も出来ないまま、あっという間に拘束された。

 

「そいつは魔道具の一種だ。一度拘束すれば大抵の奴には破られない」

 

 手足を動かそうにも本当に全く動けない。やばい、これはやばいぞ。何故かは分からないがトールは俺を逃すつもりはないらしい。

 

「!? おいおいトール、冗談きついぜ……俺が何したってんだよ」

 

 精一杯虚勢を張りながらなんとか時間稼ぎをする。俺の見ている光景は魔王シアター改を通して魔王様も見ているはず。今頃は慌てて近くの誰かに連絡を入れてくれているだろう。そうすれば誰かが助けに来てくれる。それまで会話を引き延ばして時間を稼ぐしかない。

 

 しかしトールは俺と会話をするつもりがないらしく、淡々と事実を説明してくる。

 

「お前もこの部屋に入って気づいたかもしれんが、この部屋は外との繋がりを一切遮断する部屋だ。光は勿論、音波、電波、魔力波、全ての振動を遮断する。だからお前がいくら喚いても助けは来ない」

 

 何それ詰んでね? 詰んでるよね? それだとこの緊急事態に魔王様が気づいてない可能性がかなーり高い。

 トールの話が本当なら、この部屋に入った時点で魔王様とのリンクは切れているだろうが、魔王様にあぁそういう部屋なのかな? って流されてたら終わりだ。

 

 どうするん? 俺の話術だけでこの場を乗り切らなきゃいけないん? ちくしょう、やってやるよ! 伊達に口だけで生きてきたわけじゃねえんだぞ!

 

「なあトール。それじゃまるで俺が助けを呼ばなきゃならないみたいじゃないか。俺は善良な一市民だぞ? なんでこんな事する?」

 

 トールはフンと鼻を鳴らして俺を見下した。

 

「善良な一市民? ああ、確かに善良だな。それは認めてやる。あのお嬢ちゃんもかなり貢献してくれてるし、ギルドとしては正直助かってるよ」

 

「だったら───」

 

「だが一市民というのは嘘だな。それはお前自信もよーく分かっているはずだ。そしてそれはお嬢ちゃんも、今日お前が連れてきた二人もそうだ。違うか?」

 

「……」

 

 どうやってかは知らんがトールは俺達が魔族だと分かっているらしい。これは本格的にまずいぞ。

 

「目的はなんだよトール。わざわざこんなとこに連れてきて話をするってことは目的があるんだろ?」

 

「それはこっちのセリフだ。お前らあんな戦力を集めてこの街をどうするつもりだ。戦争でもおっ始めるのか? 正直に答えなければ今ここでお前を、殺す」

 

 やべえよトールのやつ。完全に目が逝っちゃってるよ。まじで殺す気だよ。いくら魔王プロテクションがあるからって動けないんじゃあって無いようなもんだ。

 

 しくじったな。油断してたのが悪いが完全に俺の失態だ。まあ今更どうこう言ったところで遅いけど。

 

 信じてもらえるかは分からないが俺は正直に話すことにした。

 

「……俺たちの目的はな。人間界を裏から操って勇者召喚をやめさせることだ」

 

 トールの眉がピクリと動く。

 

「それで……あの集めた戦力はほとんど俺の護衛だよ。ちょっと過剰に思えるかもしれないけどな。だから街で暴れたりする予定は無い」

 

 まぁその護衛さん達は今頃呑気に人間界ライフをエンジョイしてるんでしょうけどね。誰かそろそろ来てくんないかな? 俺、殺されちゃうよ?

 

「ならお前達は戦争を起こすつもりは無いってことだな?」

 

「ああそうだ」

 

 これはセーフか? セーフであって欲しいなぁ……感触的にはセーフなんだけど。

 トールは深い溜息をつくと何か呪文を唱えた。するとあっという間に俺の手足に絡みついていた拘束が解かれてまた箱状に戻る。どうやらセーフだったらしい。

 

「トール、お前いったい何者なんだ」

 

「……まぁ、そう思うよな。教えてやるよ。どうせ俺のことを調べたら分かることだしな……」

 

 そう言ってトールは自分の正体を語り始めた。

 



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勇者なんてなんのその

 

「俺にはな、真実の目っていう特殊能力が使えるんだ」

 

 真実の目? 聞いた事があるぞ。見たものの本質を見通す力。なるほどそれがあったから俺達が魔族だと分かったわけだ。だが俺の記憶違いでなければその能力は……

 

「トール、お前もしかして……」

 

「ああ、そうだよ。俺は()()()()。まぁ元だけどな」

 

 やっぱりそうだ。真実の目、この能力は勇者にのみ備わった力だ。

 

 確かに存在は知っていたし警戒もしていた。ただ、次の勇者が出現するまでは、まだ一年程あるのでそこまで気にはしていなかったのだ。

 

 それがまさかこんな所に元勇者がいるとはね。完全に油断してた。

 

「はぁそうか……元勇者ね。それは考えてもみなかったよ。だいたいの勇者は魔族領に突っ込んできて返り討ちにあって死ぬからな」

 

 無謀にも突撃してきて息が続かずに途中で討たれる。勇者の認識なんてそんなもんだから、元勇者なんて存在がほとんどあり得ないのだ。

 

「確かにそうだな。多分そんなの俺くらいだから安心していいぜ?」

 

 お? トールの奴。まるで俺たちの味方みたいな語り口じゃないか。今までの会話にそんな要素あったか?

 

「なあトール。ところで俺達はいつから仲間になったんだ? どうもお前の口からはそういう風に聞こえるけどな」

 

「そのつもりだぞグレゴリー、公言したことはないがお前達同様、俺も勇者召喚を止めたいと思ってるんだ。俺にも協力させろ」

 

 うわお。勇者が魔族に協力を申し出てきたよ。本気で言ってんのかこの男。いや、協力してくれるならこれ以上ないくらい重要ポストの人間だけど。

 

「俺が言うのもなんだけどお前、よく信じたなこんな話。俺が嘘を言ってる可能性は考えなかったのか?」

 

「だから言っただろ? 俺には真実の目が使えるって。使い方次第で言ってる言葉が本当かどうかも分かるんだよ」

 

 なーるほど。そりゃあ正直に答えといて良かったわ。下手に嘘ついてたらウキウキ人間界ライフが終了するところだったのか。危ない危ない。

 

「ならお前に嘘は吐けないな」

 

「ああ、くれぐれも裏切るような真似はしないでくれよ。俺も嬢ちゃん達と殺し合いなんてしたくないからな」

 

 それは分かったとしてもこの男、どうして勇者召喚を止めたいんだろうか? トールにはあまり関係がないように思えるが。そう思って問いただすと、これ以上無駄に突っ込んで無意味に死んでいく命を増やしたくないだけだ、とのこと。

 

「それに俺も騙されてたからな、奴らに。政府の連中が許せないってのもちょっとある」

 

「騙されてた? お前がこの国にか?」

 

 トールが言うには、召喚された勇者は皆、魔王を倒せば元の世界に帰れるようになると言われるらしい。それもあって、勇者は皆がむしゃらに魔王殺害を目指すのだ。

 

「あーなるほど。真実の目を使ったら連中の言ってる事が嘘だって分かった訳だな?」

 

「そういう事。まあこの能力をこんな特殊な使い方してるのは俺くらいで他の奴はまんまと騙されたようだがな」

 

 なるほどな。まあだけど人間が勝手にやってる召喚と、魔界の魔王になんの関係があるのかって冷静に考えたら分かりそうなもんだが。しかしそんなのはポンといきなり新しい環境に放り込まれたら“そういうものか”って思っちゃうんだろうな。

 

「っていうかお前さ、元の世界って……いや何でもない」

 

 俺はそこまで言いかけて口を噤んだ。

 

 もし、元の世界はもしかして地球なのか? なんて聞いて当たっていたら俺自身が転生者だと言ってるようなもんだ。

 俺はこの事実を誰かに伝えた事は無いし、今後伝えるつもりも無い。それをまだ完全な味方とも言えないトールに知られるわけには絶対にいかない。だから俺は黙っていることにした。

 

「元の世界に帰る方法はいろいろ調べたんだがな。やっぱり無理らしい。もうとっくに諦めたよ」

 

「そりゃ悪い事を聞いたな……」

 

 なんか勘違いしてくれたので適当に合わせる。しかしそうか……帰る方法はないのか。別に俺に未練はないんで気にはならないけどな。だいたい俺は死んでこっちに来てるからちょっと事情が違うし。

 

「気にすんな。俺はもうこの世界の方が長いんだ。それにこの仕事も結構気に入ってるしな。ま、俺についてはこんなとこだ。他になんかあるか?」

 

「そうだな。真実の目が使えるって事は随分前から魔族がいることには気付いてたんだろ? なんでほっといたんだ?」

 

 マゴス君やクラウス他、数名の魔族が諜報部の調査でギルドを出入りしてるのには気付いていたはずだ。

 

「ん? まあ今までみたいにお忍びで来てるくらいだったらわざわざ騒ぐほどのことじゃないからな。見て見ぬ振りしてたんだよ。だいたい俺はもう勇者じゃないから厄介ごとには関わりたくない」

 

 諜報部のみなさーん。どうやらバレバレだったみたいですよー。こりゃあ他にも元勇者が居ないか最優先で調査しなきゃな。他にもトールみたいなのが居ないとも限らんし。

 

「じゃあ今度はお前の番だ。お前は何者なんだ? 見たところ強くはないのにあの嬢ちゃん達に慕われてる。俺は不思議でしょうがねえよ」

 

 魔族って実力主義社会じゃないのか? なんてトールは首を捻っている。

 ここまできたら腹を括って全部話した方が得策だな。それでこの男を完全に味方に引き入れる。

 

 俺は魔王軍での自分の立場や、どうして人間界に潜入することになったのかを話した。魔王様の暇つぶし、というのだけは逆に信憑性がなくなるので言わないでおく。

 

「重要人物なんだろうとは思ってたがなるほど参謀長か……いや、なんで本人が前線に出てきてんだ? 普通後方で作戦とか考えるんじゃないのか?」

 

「うちは普通じゃ無いんだよ……」

 

 魔王様ー。勇者にも言われてますよー。やっぱりおかしいですよー。あぁ……そういやこの部屋の中、通信が切れてるんだった……そろそろ部屋を出た方がいいよな。

 

「そろそろ向こうの方に戻ってもいいか? 結構時間経っただろ? 他の奴が心配して待ってるかもしれん」

 

 この部屋に入って30分くらい経った。そろそろ魔王様も心配して連絡する頃かもしれない。というかよくよく考えたらやっぱり魔王様はスルーしてんなコレ。

 

「確かに。結構話し込んじまったな。なら最後に一つだけ……()()()()()()()()()()()?」

 

「……無いよ」

 

 ねぇそれズルくない? これで“ある”って言えば自分から白状する事になるし、“無い”って答えて仮に嘘だったらやっぱり真実の目で分かる。これじゃこっちだけ丸裸じゃん。

 

「ふむ、真か。悪いな。こっちも命がかかってるんでね。まあこれから仲良くしようや」

 

「はぁ……やり辛えなぁ。こちらこそよろしく。お互いなるべく誠実に行こう」

 

 俺は立ち上がってトールと握手をする。トールもその筋骨隆々の腕でがっしり握手を交わしてきた。

 

 冒険者ギルドのサブマスター、トールが仲間になったぞ! やったね! はぁ……他のみんなになんて説明したらいいのやら……

 



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邪魔者はすべからく排除するべし!

 

「最近ちょっと嬢ちゃんがよそよそしくなって俺は地味に傷ついてるぜ……」

 

 カウンター越しにそう耳打ちしてきたのは冒険者ギルドのサブマスター、トールである。いや、そんなこと言われても知らんがな。

 

「そりゃあサリアスさん含む全員に言ったからな。お前が協力者になったって。どう接したらいいのか正直分かんないんだろ」

 

 人間界に来ている魔族全員を集めて、あの密室での事の顛末を話したら阿鼻叫喚だった。

 諜報部はいったい今まで何を調査してたんだとか。グレゴリー様を一人で行動させるなんてバートンは護衛の自覚が足りないだとか。いやサリアスさんは一人で魔物狩ってエンジョイしてたから人の事言えないと思いますけどね。

 

 それで一時はトールを殺すべきか、なんて話にまで発展したけれど、結局はなんだかんだでみんなこの事実を受け入れてくれた。というか受け入れざるを得なかっただけなんだろうけど。

 

「嬢ちゃんが俺を見るときの警戒心剥き出しの目。精神がゴリゴリすり減っていくぜ……なんとかならんかね?」

 

 何度も言うけど知らんがな。

 

「まあそう簡単に信用は得られないだろ。嫌だったら積極的に協力してくれ」

 

「仕方ねえか。まあいいや、それで今日は何の用だよ。見たところ嬢ちゃんが依頼を受けに来たって感じじゃないよな?」

 

 サリアスさんはあの一件依頼、SPのようにぴったり俺にくっついている。なのでトールの言う通り依頼を受けに来たわけではない。

 

「ちょっと相談があってな。俺達で回復薬を売りに出そうと思ってんだけど、ここの回復薬ってあんまり質が良くないらしいじゃない? なんでかを聞きに来たんだよ」

 

 別に技術が足りないとか、材料費が高くて作れないというわけではなさそうなのだ。それは他の都市の回復薬が普通の品質、値段で売っている事からも分かる。なので、高くて質の悪い回復薬が売られているこの現状は尚更謎なのだ。

 

「簡単な話さ。利権だよ利権」

 

「なーるほど」

 

 トールによると、この街の悪徳業者と冒険者ギルドの現マスターは癒着していて、質の悪い回復薬をギルド公認にして高く売りつけているらしい。

 

「冒険者の街だってのに世も末だなぁおい」

 

「言うな……俺だってなんとかしたいんだ」

 

 しかし、そうなるとちょっと面倒だな。せっかく良いものを売りに出してもそのギルドマスターに難癖つけられてご破産、なんて事もありそうだ。と言う事はそのギルドマスターをなんとかせにゃならん訳だな。

 

「ま、ありがとう。後はもうちょっと調べてみるよ」

 

「あんま力になれなくてすまんな」

 

 さあ、それはどうだろうな。もしかしたら重要な役を担ってもらうことになるかもしれない。この時俺は、脳内である計画を描き始めていた。

 

 

 ーーー

 

 

「え? 今のギルドマスターを引き摺り下ろして代わりに例の協力者をマスターに据えるんですか?」

 

「そう。それでトールにうちの回復薬製造所を正式にギルドの提携店に認めてもらう」

 

 邪魔な奴がいるなら排除しちゃえば良いってな。悪い奴を引き摺り下ろすのに良心は痛まないしちょうどいいね。

 

「てことで諜報部の面々はそのギルドマスターの身辺情報を洗ってくれ。カイルは引き続き回復薬の製造実験。サリアスさんは俺の護衛。バートンは……適当に依頼でも受けててくれ」

 

 各々返事をすると自分の作業に戻っていく。そんな中、マゴス君が思い出したように書類を持って歩み寄ってきた。

 

「グレゴリー様、ちょっと良いですか?」

 

「どうした?」

 

「例の元勇者の件です。結論から言うと他にはもう元勇者はいないようです。詳細はここに」

 

 マゴス君は報告書を渡しながら他の人に聞こえないように小さな声で更に告げてくる。

 

「それでまだこれは調査中で判然としませんが、もう今代の勇者は召喚されてしまっているようです。この件に関しましては詳細分かり次第報告いたします」

 

 げ、もう召喚されてるだって。随分早いじゃないか。

 

「そりゃあ不味いね。またなんか考えないとな」

 

 周期的にはもう少し先かと思ってたけど既に召喚されているとはね。そいつがこの街に来て俺達を真実の目で見たらどう思うかね? 想像もしたくない。

 

「人員を最小限に減らした方がいいかもな……ま、とりあえずわかった。マゴス君は引き続き勇者に関する情報を最優先で集めてくれ」

 

「はい。勿論です」

 

 全く面倒だな勇者は。さっさと勢力を広げて召喚自体をやめさせたいもんだ。

 

 

 ーーー

 

 

 それから2週間ほど調査を進めて分かったことは、悪徳業者と冒険者ギルドのマスターは昔からの付き合いで、結構他にも後ろ暗いことをいくつもやっているということ。そしてギルドマスターの選出は序列でもう既に決まっているということだった。

 

「で、そろそろなんで俺がここに呼ばれたか教えてもらってもいいか? 居心地が悪いんで今すぐに帰りたいんだが」

 

 今日はこの魔族の前線拠点である借家にサブマスターのトールも呼んでいた。可哀想なことに唯一の部外者であるトールは針の筵だ。

 

「いやいや帰ろうとするな。これからの話はお前にめちゃくちゃ関係あることなんだ。だからみんなもそんなに睨まないであげて」

 

 今のトールは例えるなら女性専用車に一人だけ間違えて乗り込んでしまったおっさんである。唯一気にしてなさそうなのはチャラいバートンくらいだ。

 

「トール、単刀直入に言うとな。お前にはギルドマスターになって欲しいんだ」

 

「はぁ!? 俺がか? そいつは無理だぜ! 俺は序列でも高い方じゃないし、第一今のマスターが辞めるって言い出さなきゃ……」

 

「つまりその条件がクリアされればやるって事でいいな?」

 

 トールが全部言い終わる前に遮る。

 

「え? いやまぁそうなればな……」

 

「よーしみんな聞いたな。言質は取ったぞ」

 

 トールがあれ? 俺、地雷踏んだ? みたいな顔をしているが、ギルドマスターをやってもらうのはもう今ので決定したので覚悟して貰う。これでちょっとはあの時の意趣返しができたと思いたい。

 

「えー、それではクラウス君、説明どうぞ」

 

「はい。この2週間で分かったことですが、現在のギルドマスターであるサージェスはメナスポーション製造社のメナス会長と大変仲が良いようです」

 

 サージェスとメナスか。ああでも別に消える人間の名前なんて覚える必要無いかな。

 

「それでこのメナス会長の方ですが、偽の医療器具を国の医療機関に卸してるみたいですね。そしてその共犯の一人にサージェスがいるようです」

 

 クラウスによると他にもいろいろやっているみたいだが、その一点だけで十分だ。

 

「えーと、確か国家を騙すと良くて懲役20年、悪くて縛り首じゃなかったっけ?」

 

「仰る通りです。なので引き摺り下ろすのはそこまで難しく無いと思われます。問題はそこのトールをマスターに据える事ですね」

 

 クラウス君がチラッと問題の男の方を見る。トールはもう完全に開き直って頬杖をついていた。

 

「何度も言うがな。俺は序列が低い。3番目だから上2人を何とかしてくれないとどうにもならんぞ」

 

「分かってるよ。その2人には辞退してもらうつもりだ」

 

 アーネストとピルグリム。どっちも調査済みだ。後は集めた情報からこの二人をどう崩していくかだ。どっちも悪どい事はやっていないので、脅したりはしない。なので他の方法でご退場願うつもりだ。

 しかしトールは何を思ったか俺を睨みつけてくる。

 

「お前、まさか何か酷いことするんじゃ無いだろうな? アーネストさんは俺の恩人でもあるんだ。そんな事したらただじゃおかねえぞ……」

 

 俺ってそんなに悪い奴に見えるだろうか? その辺のチンピラと一緒にしないで欲しい。

 

「あのねえ、俺達は仮にも善良な市民ですよ? 悪人ならまだしも善人に酷いことはしないよ」

 

「嘘は言ってない……みたいだな」

 

 ほんとほんと、参謀長嘘つかない。ていうか何でもかんでも暴力で解決してたら参謀なんていらないし。もっとスマートに解決しますよ。

 

 とりあえず悪人達に引導を渡すのはもっと後でいいな。先にアーネストの方からなんとかしようかね。

 



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困っているなら助けますとも。

 

「こんにちは! アーネストさんは居りますでしょうか!」

 

 ドアをコンコン叩きながら家主の名を叫ぶ。やがてドタドタと近づいてくる音がしてドアが開いた。

 

「なんだね君は。何か用かね?」

 

「ええ私はグレゴリーと申します。最近ここに越してきた者ですが、あなたがアーネストさんでお間違い無いか?」

 

「その通り。確かに私がアーネストだ。それで用件はなんだね?」

 

 トールの恩師だとか言ってたから結構なお爺さんかと思ってたけど見た目はそうでも無い。普通の中年のおじさんだ。

 

「私の友人である冒険者ギルドのサブマスター、トールから言われて来ました。アーネストさんの悩みをどうか解決してあげて欲しいと。最近何かお悩みの事ございませんか?」

 

 実はめっちゃ調べて来てるし、最近アーネストさんがある事で悩んでいることも知っているけど、別に無いよとか言われたらどうしよう。そこはあんま考えてなかったぞ。

 

「なるほどトールから聞いて来たのか。ああ、確かに悩み事はあるよ。主に娘の病気のことでな」

 

 来た来た、待ってましたよ。杞憂だったな。

 

「ええ、ええ実は承知しておりました。我々、元々行商人のような事をしておりまして。医薬品も多数扱っております。それで何かお力になれるのでは無いかと思って、効きそうな物をいくつか持参した次第です」

 

 いくつか持って来たってのは嘘である。病気の詳細は分かってるんで、それに効く薬だけを持って来ている。後は診察してそれっぽいこと言って娘さんに薬を使えばそれで終わりだ。

 

「それはありがたい。是非娘の容体を見てやってくれ」

 

 アーネストさんについていくと家の二階で娘さんは苦しそうに横になっていた。時折咳もしていて、息をする度にヒューヒューと掠れたような音がしている。情報通り、どう見ても喘息だ。

 

「昔からこうだったんだが最近もっと酷くなってな。もう見てられないんだ。なんとかならないか?」

 

「これは……」

 

 めっちゃプロっぽい感じで診察をしながら、ふむふむなるほどと猿芝居をする。で、ようやく納得いったという表情で俺はアーネストさんに告げた。

 

「これは酷い喘息ですね。ですが我々、ちょうど良いものを持って来ております。そいつを使いましょう」

 

「おお、ありがたい」

 

 俺は鞄からデッカい箱状の装置を取り出した。本当は日本でも使ってるようなプシュってやるタイプの持ち運べるような小さな物が良かったんだけど、そんな技術力はこの世界に無いのでこんな大型になってしまった。

 

「この装置は、使うと薬が霧状に噴射されます。その霧を吸う事で患部に直接届くという代物です」

 

 装置を起動して娘さんを起こす。そしてなんだか分かっていない娘さんに吸口から吸わせると、だんだん辛く無くなって来たのか咳も治ってきた。

 

「凄く楽になったわ。どなたか存じ上げないけどありがとう」

 

「おお! セシア! もう良くなったのか!」

 

 勿論完治はしていない。用意したのは一時的にしか効かない薬なんで、対処療法的なものだ。治った治ったと小躍りするアーネストにその事について釘を刺す。

 完治したわけではないと分かったアーネストは気落ちしたが、それでも久々に辛くなさそうな娘の姿を見て、嬉しさのあまり涙ぐんでいた。

 

「その、こんな事を言うのはアレだが完全に治すことは出来ないのだろうか?」

 

「あると言えばまぁ、ありますが……」

 

「本当か! どうか教えてくれ! お礼は何でもする!」

 

 おお、乗ってきたか。娘思いの人みたいだからそうなるのも納得だわ。何でもするって言った事、忘れないでくれよ?

 

「水と空気がもっと綺麗な山頂で療養する事です。自然治癒に任せるしかないのですよ。その病気は」

 

「そうか……山か」

 

 なんなら移住するとか言い出さないかな。そうすりゃマスターを辞退して欲しいって説得する必要すら無くなるんだけど。

 

「山というのは具体的にはどこが良いのだろうか?」

 

 お! 本当に検討するのか? でも残念ながらどの山がいいかとかはよく分からないんだよな。軽井沢とか空気が綺麗でいいと思うよ、うん。

 

「申し訳ない。私ではそれは分かりかねます」

 

「お父様、まずは今日のお礼を先に……」

 

「おおそうだったな。失礼失礼、私にできる事なら何でもするよ」

 

「そうですね……ではもしも貴方が次のギルドマスターに選出されるような事があれば、それを辞退していただきたい」

 

 アーネストさんの眉が八の字になる。まあそりゃそうだよな。だって現マスターは辞める気配すらないんだもの。

 

「まるで近いうちにそんな状況が来るような言い方じゃないか。まあいいさ、私は元々それほどあの地位には興味がない。喜んで辞退するよ」

 

 よし! これで第一関門はクリアだ。後はピルグリムを落とせばいつでもサージェスを現ギルドマスターの座から引き摺り下ろせる状態になる。

 

「しかし君。私が辞退したとして次は一体誰がなるのだね? ピルグリムを推すつもりならやめておいた方がいいぞ。あの男は自分の趣味にしか興味が無い」

 

 知っていますとも。そっちも調べあげてるからな。もう一人のマスター候補、ピルグリムは重度の美術品マニアで、ギルドマスターの座を美術品集めのためだけに欲しているらしい事も把握している。

 

「ご安心ください。我々はトールにマスターになって貰いたいと考えておりますので」

 

「なるほどそれでか。あやつにギルドマスターの仕事が全う出来るかは怪しいところだが、君のような友人がいるならばなんとかなるかもしれないな」

 

 トールの奴、恩師に器じゃ無いとか言われてるし。まぁ俺もそう思うんで否定はしない。あいつは人を使ってどうこうって言うよりは自分で動いちゃうタイプだからな。

 

「それは私も同意見です。なのでその辺はしっかりサポートさせて頂きますよ」

 

「そうか。ならば私は現マスターがどういう風に辞める事になるのか心待ちにしておく事にするよ。サージェスの事は私も気に入らないんでね」

 

「期待なさっていてください。ですがくれぐれも他言は無用でお願いしますよ」

 

 せいぜい派手に花火を上げてやるさ。

 



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忍び寄る気配

 

 アーネストの攻略を終え、残るはピルグリムを説得するだけだったが、これが少しばかり面倒だった。

 

 このピルグリムという男、重度の絵画オタクで世界中から名画を集めているのだが、ギルドマスターになればそれがもっとやり易くなると考えている節があるのだ。つまりアーネストと違ってピルグリムはギルドマスターをやる気満々であった。

 

 ただで説得するのは難しいと考えた俺は魔王城の宝物庫で埃を被っていた人間界の名画を持ってきて、それを渡す事と引き換えにギルドマスターの座を諦めるよう迫った。

 

「どうですか、ピルグリムさん。それほど悪い条件ではないと思いますが」

 

「むむむ……しかし私はあのポストは以前から渇望していたのだ。それを諦めるとなると……」

 

「この絵を諦めてまでしがみつきたいポストですか? そのギルドマスターの座は」

 

 ピルグリムは流石マニアだけあって、俺が持ってきたこの絵の事は知っていた。

 

 ピルグリムが言うには、地球で言うところのゴッホみたいな奴が描いた絵で、人魔大戦中に人間界から魔族に持ち去られてもう二度と見る事ができない失われた絵画、という評判らしかった。

 

 まぁこんな事でも無ければ本当に二度と陽の目を見る事は無かったんだろうから間違いじゃ無いけど。

 

「まさかそれが持ち去られていなかったとはな。世の中何があるかわからん」

 

「私も見つけた時は大変驚きましたよ。まさかこんな場所にあるなんてとね」

 

 そんな評判が付いている絵画を、まさか魔王城の宝物庫から持ってきましたと素直に言うわけにもいかないので適当なストーリーを見繕った。

 

 元々その絵が保管されていた街の、ある古民家を取り壊す際に地下室から偶然に発見された、そんなストーリーだ。これにピルグリムはまんまと騙された。いや、一応絵は本物だから騙されては無いのか?

 

「貴方は大変な審美眼をお持ちだ。そんな方にこそ、この絵は相応しい。私はそう思って持ってきたのです。ピルグリムさん、ご承諾頂けないのであればこのお話は無かった事にさせて頂きます」

 

 まどろっこしいな。なんかこの絵は凄い価値があるんだろ? もうさっさと諦めて受け取ってくれよ。

 

「分かった、良いだろう。ギルドマスターの椅子に座ってもそれ以上の名画は現れんだろうしな……」

 

 そう言うピルグリムはめちゃくちゃ悔しそうな顔をしている。大丈夫かな? 土壇場でやっぱりギルドマスターやるって言い出したりしないだろうか? もしそうなったらお前のコレクションの大半を“失われた絵画”にしてやるからな。

 

「良いお返事が聞けて良かった。ではもうこの絵は貴方のものです」

 

 でもこの悔しぶり。ちょっとだけ脅しといた方がいいかな? ああでも酷い事はしないって言っちゃったしな。止めといてあげよう。

 

「ではお約束を違えませんようお願いします。勿論他言も無用ですよ。それでは」

 

 

 ーーー

 

 

 ピルグリムの説得を終えて家に戻る途中、ちびっこ冒険者のレイラにばったり出会った。

 

「よおレイラ! 久しぶりだな。最近元気か?」

 

 いつものツンツンした雰囲気は何処へやら、なんとなくレイラは元気がないように見える。

 

「ああ、あんた……と、サリアスさん。まあボチボチね。ていうかサリアスさん、ぱったり狩りを辞めちゃってどうしちゃったの? 噂になってるわよ?」

 

「ええとその、私は今はグレゴリー様の護衛をさせて貰っています」

 

 最近はバートンにばっかり依頼を受けさせてサリアスさんは俺につきっきりだ。今日も別に心配いらないと断ったのにピルグリムの家の前までついて来てくれた。

 

「あんたねぇ……街の中で危険があるわけでもなし、それを護衛? もうあれよ。そんなの人類にとっての損失よ」

 

 俺も最近はちょっと過剰かなと思いはじめていたのもあって何も言い返せない。しかしサリアスさんはそんな俺を庇ってくれる。

 

「そんな事もないんですよレイラさん。貴方だから言いますけど例の“クレイ”の件もありますし、心配のしすぎという事も無いですから」

 

「まあ確かにあの件があったわね……」

 

 正直あの集落壊滅事件のクレイよりも、召喚されたかもしれない勇者の方がよっぽど恐ろしいが、そんな事は教えられないのでこんな言い方をしたんだろう。

 

 するとそれまではふんふんと聞いていたレイラが、突然何かを考え込み始めた。

 

「そう言えば……いや、あれは流石に違うわよね……?」

 

「え、なんだよ。めちゃくちゃ気になる言い方するじゃん」

 

「え? いや、多分関係無いとは思うんだけど、こないだ街中で尾けられてた事があったのよ。気づいて反応したらすぐに居なくなったんだけど」

 

 俺はサリアスさんと顔を見合わせた。それって普通に危なくないか? だって見た目こんなちっこい子供を尾行するなんて、クレイとかは関係無く完全に事案だ。

 

「お前大丈夫だったのか!? それ誰かに相談したかよ!?」

 

「いやいや、わざわざそんな事しないわよ……別に1、2回あっただけでそれ以来何も無いしね」

 

 うーむ。関係無いとは思うがレイラに何かあったら寝覚が悪い。それにもし関係無かったとしても女の子が尾行されてたなんて普通に心配だ。うちから誰か護衛につけるか? いやしかし人員が……

 

「……なあお前、家は何処だっけ? 家族は?」

 

「心配してくれてるの? 優しいのね。でも大丈夫よ。ギルドの近くの宿だから他に人も居るし、そもそも私は冒険者よ? もし変なのが来ても返り討ちにしてやるわ」

 

 宿って事は多分一人暮らしだ。うーむますます心配だぞ。バートンに依頼を受けさせるのを止めてレイラの護衛に……あ、いやもっといい方法があるじゃ無いか。

 

「そうだレイラ。お前、パーティを組む気は無いか? ソロだと何かと辛いだろ?」

 

 バートンをそのままレイラと一緒に組ませちゃえばいいんだ。バートンは一応上級冒険者になれたくらいの実力はあるし、全く問題ない。

 いや、嘘だわ。あのバートンなんかと組ませるのってめっちゃ問題な気がしてきた。あいつ、強いは強いけどオツムはあんまりよろしくないからな。まぁ一応聞いてみるけど。

 

「バートンって奴なんだけどな? 腕はまあまああるんで……」

 

「え、あなたバートンさんとも知り合いなの!? それにその口振りじゃあなたの方が偉いみたいだし、バートンさんと言い、サリアスさんと言い、あなたいったい何者?」

 

 はい、魔王軍の参謀本部長です。うむむ……確かにこのままじゃまずいな。人間界での俺の立場を明確にしておく必要がある。なんか今の関係で違和感がない立場って無いかな……

 

「えーと、今度できる商会の会長かな? で、みんな俺の元で働いてる?」

 

「なんでちょっと疑問形なのよ……つまりあなたはお店の店長さんで、みんなは従業員みたいなもの?」

 

「そうそう、それでその従業員のバートンと組むか?」

 

「んー、ありがたいけど遠慮しとく。最近、ちょっと採取系ばっかりやってるから迷惑になると思うし」

 

 ありゃ? 断られちゃった。いい話だと思うんだけどな。しかし採取系?

 

「なんだってそんなお小遣い稼ぎみたいな事ばっかりやってるんだよ。お前中級冒険者だったよな?」

 

 中級冒険者は普通に魔物は狩れるくらいの実力はある。だからほとんど採取なんてやる必要はないはずだ。

 

「あー……ええと、私、あの時のサリアスさん見て自信なくしちゃったのよ。それでもういいかなって。もう戦い続けるのが正しいかどうかも分からないし」

 

 またまた俺はサリアスさんと顔を見合わせる。もしかしてアレか? あのサリアスさんが盗賊を15人くらい斬り殺したやつ。あれがトラウマになっちゃったのか? それだと申し訳なさすぎる。

 

「あー、冒険者辞めてうちで働くか? お前なら仕事は問題なく出来るだろうし」

 

 俺が頭を掻きながらそう申し出ると、レイラはクスッと笑った。

 

「ふふ、働くって言っても商会ってまだ無いんでしょ?」

 

「そうなんだけどもうすぐ出来るからさ。人を雇うつもりだから考えといてくれよ」

 

 変なの雇うより人となりが分かっている人間の方がこっちにとっても良いしな。

 

「そうね……それも面白いかもしれないわね。ありがとう考えとく」

 

 そう言うとレイラは手のひらをひらひらさせながら去っていった。

 



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よく分からない勇者の生態

 

「今日の近衛の動きにサージェスが勘付いてる様子は?」

 

「今のところ全くありません。奴はいつも通りまだ自宅にいます」

 

「メナスの工場の方に何か動きは?」

 

「平穏そのものです」

 

「病院の方も器具がすり替えらえたりとかは無い? これも大事な証拠になるからね」

 

「全くありません。昨日の夜の時点ではそのままでした」

 

「なら後は近衛が捜査に入ってそれでおしまいか。意外と時間が掛かったなぁ」

 

 サージェスをどう辞めさせるか。今回俺達は割とオーソドックスな方法を取った。奴の罪状を洗いざらい調べあげてそれを公権力に匿名で告発する。それが一市民でしかない俺たちに唯一出来た事だ。

 

 ただ大変だったのは公権力である近衛の内部にもサージェスの協力者がいた事。これを調べるのには骨が折れた。途中で気付かれては元も子もないので徹底的に調べあげたが、お陰で1ヶ月も掛かってしまった。

 

「じゃあ俺は奴の家の近くまで行ってサージェスが逮捕される瞬間でも見に行ってこようかね?」

 

 俺は壁にかけてあったコートを羽織る。外はまだ暗く、ようやく東の空が白くなり始めたばかりだった。

 

 

 ーーー

 

 

 まだ通りに人が居ないこの明け方の時間帯、サージェスの邸宅のすぐ近くに10名ほどの衛兵が息を潜めていた。

 

「よし、定刻だ。入るぞ」

 

 衛兵の一人がサージェス宅のドアをドンドン叩く。

 

「おはようございまーす! 衛兵隊のものですがー! サージェスさんは居りますかー!」

 

 やがて少しして家政婦がドアを開く。それと同時に衛兵隊はドアを大きく開けて中に押し入った。

 

「きゃっ!? 何ですか! あなた達は!」

 

「衛兵隊の者だ。ちょっと旦那さんに用がある」

 

 そのままずかずかとサージェスのいる寝室まで歩いていく衛兵隊。それに釣られるように家政婦もついて行く。

 

「旦那様ー! あの、旦那様ー!」

 

「えーと……ここだな」

 

 寝室を見つけ出した衛兵が寝室の扉をバンと開ける。中では騒ぎで目を覚ました、事態をよく飲み込めていないサージェスがベッドに横になっていた。

 

「近衛師団、第7衛兵隊の者です。国家に対する忠誠義務違反の疑いでお宅を強制調査します。また、近衛師団の権限で一時的に身柄を拘束させていただきます。これが師団長が発行した許可状です」

 

 有無を言わさず衛兵隊の隊長が許可状をサージェスの眼前に突き出す。突然の事態に、サージェスは何が何だか分かっていない様子だ。

 

「よし、連行しろ!」

 

 連れて行かれる段階になって漸く事態を飲み込めたサージェスは、今更になって喚き出す。

 

「おい! 貴様ら一体誰の差し金だ! こんな事してタダで済むと思ってるのか!」

 

「おい、早く連れて行け。近所迷惑だ」

 

 喚くサージェスに目もくれず、衛兵隊長は調査に取り掛かる。サージェスは自分が窮地に陥った事を理解し始めていた。

 

 

 ーーー

 

 

「おお、出てきた出てきた。可哀想にサージェスのやつ、パジャマのまんまだぜ」

 

 衛兵に拘束されて家から出てきたサージェスを遠巻きに見ながら俺はサリアスさんに話しかけた。

 

「長かったですね。本丸のサージェスは抑えているので恐らく他も順次調査に入ったと思います」

 

「さてと、じゃあいいもん見れたしもうちょっとしたらギルドに向かうかな。トールにも聞かせてやろう」

 

 後はトールをギルドマスターの椅子に座らせれば、ようやく回復薬の製造事業を始められる。そうすればやっと金の心配はしなくても良くなるな。全く、金を稼ぐってのは本当に苦労するよ。

 

 

 ーーー

 

 

 サージェスが捕縛されてから2週間ほどが経った。

 

 後日談としてはそんなに面白い話はない。まず、サージェスは死刑は免れそうだが一生シャバの空気は吸えないだろうって事。これはお仲間のメナスの方も似たり寄ったりだ。

 それで俺達は回復薬製造所を予定通り造ったし、トールも無事にギルドマスターの座についた。

 

 ああ、面白い話がひとつだけあったな。これはトールに勇者についての情報を聞き出した時のことだ。

 

「なんだって!? 勇者は一般人と見分けが付かないだって!?」

 

 冒険者ギルドの受付カウンターで俺は叫び声をあげた。

 

「馬鹿! お前静かにしろよ……! 誰も居ないからって……あのな、勇者は最初は普通の一般人でしかないんだ」

 

 トールが何か変なことを言っているが、さっぱり理解できない。あの強大な勇者が一般人と見分けが付かないなんて、そんなことがあるのか?

 

「もっとちゃんと分かるように説明しろ。なんで分からないんだよ?」

 

「だから、召喚された直後は本当に普通の人間で何の力も持ってないんだよ。俺自身もそうだったんだ」

 

 トール曰く、召喚直後の勇者は力も強くなければ特殊能力も使えないらしい。それがある日突然“覚醒”して強大な力を得るらしかった。

 

「じゃあ何か? お前も召喚直後は“真実の目”は使えなかったわけだ」

 

「そうそう。力も弱くて中級冒険者にしかなれなかったしな」

 

 何てこった。今、マゴス君に召喚された勇者についての情報を集めるよう指示してるが、トールの言を信じるならばほぼ何も分からないって事になる。ただ、覚醒前の勇者は真実の目が使えないらしいからそれだけはほっとする点か。

 

「それで? 見分けが付かないってのはどういう事だよ。お前は真実の目が使えるだろ」

 

「ところが分からないんだよ。ちょうど2代前にクリスって名前の勇者がいただろ?」

 

 ああ、たしかにそんな名前の勇者がいたような気がする。そいつは魔族領に突撃してきて途中で討たれて死んだ。一応後で確認しとこう。

 

「そのクリスがどうした」

 

「そいつはこのギルドで中級冒険者をやってたんだよ。でも俺が真実の目で見た時は勇者のゆの字も無かった」

 

「は、なんで?」

 

「そんなの分かったら苦労しねえよ……で、続きだがそのクリスがある依頼を終えて帰ってきた事があった。別に普通の討伐依頼だ。だけど帰ってきたときに物凄いオーラを感じたんだ」

 

 ただならぬオーラを感じ取ったトールが不審に思って真実の目で見たところ、はっきりとクリスの情報に勇者と明示されていたらしい。

 

「それでクリスはそのまま魔族領に突っ込んでいっちまった。その後どうなったかはお前の方が詳しいだろ?」

 

 いやいや謎すぎるだろ勇者の生態。ある日突然覚醒するとかどんなサイヤ人だよ。やっぱあいつら人間やめちゃってるわ。

 

「覚醒か……何か条件はないのか? お前ん時はどうだったんだよ」

 

「俺か? うーん、俺の時は……あ、俺の時は依頼を受けてはなかったけど、ちょうど魔物を殺し終えた直後だったな」

 

「なんだか釈然としないなぁ……じゃあ魔物を殺す事がトリガーになってる可能性が高いのか」

 

「ああ、そうかもしれない。あんま考えたこと無かったけど」

 

 ということは勇者の卵は冒険者稼業をやっている可能性が非常に高い訳だ。しかもここメルスクは魔界に一番近い冒険者の街。勇者の卵がここを目指していてもおかしくはない。

 

 ていうかなんでそんな大事な話を今までしないねん。こちとら勇者の情報を集めてるって言ったよな? 本当にこいつ、協力する気あんのか?

 

「あのな。お前は関係無いかもしれないけどこっちは死活問題なんだ。分かってることは全部話せよ」

 

 俺がイライラしているのに気づいたトールが慌てて弁解する。

 

「いやいや! そんくらいお前ら知ってるかと思ってよ。聞かれたら全部言ったさ。だいたいお前らだってどれくらい情報を持ってるのか俺に一切言わないじゃ無いか……」

 

 む。確かにそれを言われると反論できない。やっぱり味方とは言っても魔族では無いからどこか心の中で線引きをしてしまっていたのかもしれない。怒るのは筋違いか。

 

「確かに。もうお前とは一蓮托生。もう情報は全部共有すべきだな。イライラして悪かったよ」

 

「……まあきちんと確認しなかった俺も悪いんで気にしないでくれ」

 

 はぁ、しかしそうなると情報収集は難航するなぁ。ここで活動する危険性も爆上がりだ。またちょっと何か方策を考えなきゃならないな。

 

「じゃあトールはとにかくこまめに冒険者の情報を見てくれ。あんま意味はないだろうが何か分かったらすぐに知らせてほしい」

 

「あいよ。その代わりと言っちゃなんだがギルドマスターの業務を手伝ってくれると助かる。正直自分でもこの地位は器じゃないと思ってるんでね」

 

 ほう? 自分で器じゃないと思ってるなら、本当に実力がない人間よりはよっぽどマシだな。自分の力量を認識してる奴ってのは意外としっかり仕事はこなすもんだ。

 

 俺は多少気を良くすると、トールに別れを告げて家に戻った。

 



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ある休日のお話

 

「工場なんて言っても大きな機材はほとんど必要ありませんからね。結局はどの材料を使うかですし」

 

 そう話すのはあの技術畑のドワーフ族、カイルだ。ここにきてから2ヶ月近くの間、ずっと回復薬の研究開発をしてもらっていた。

 

「面積がそんなに必要無いのはいいな。後は何人雇うかだけど、1日に200本作るとしたらどれくらいの人が必要になる?」

 

「そうですね……ええと3人は欲しいですね。まずはそれでお願いします」

 

「分かった。ちょっとばかし時間が掛かるかもしれないけど使えそうなのを見つけてくるよ」

 

「お願いします。あ、それとグレゴリー様。一応これが出来上がった試作の回復薬です。飲んでみます? 効果は実感できないと思いますが」

 

 そう言ってカイルはガラス瓶に入った緑色の液体を見せてくる。中身は見えた方がいいという事でこんな瓶に入っているが、その見た目はさながらモンハンの回復薬だ。

 

「じゃあ一応飲んでみるかね」

 

 瓶を受け取り、蓋を開けてクイッと呷る。味はめちゃくちゃ苦いのかと思ったらそうでもなく、寧ろ甘めだ。

 以前、メナスの製造所で作られたあのインチキポーションを飲んだ時は水でも飲んでるのかと思うくらい薄かったのでそれと比較するとこちらの方が全然飲める。というか普通にイけるぞ。

 

「効果はよく分からんけどこの味なら売れるよ。間違いない」

 

「そう言って頂けると苦労した甲斐がありました」

 

 いやぁ、優秀な技術者がいてくれると助かるね。後は人員の確保と材料調達のルート確保だな。

 

 俺は一度カイルと別れてまずはレイラが滞在する宿に向かった。新しい商会が出来た報告と、うちで働く気はあるかの確認だ。

 

「よお元気? 前に言ってた商会が出来たんで、うちで働くか確認しにきたぞ。商会ってのは回復薬の製造所なんだけどさ……」

 

「……突然やって来て捲し立てるのやめた方が良いわよ。あんたの悪いとこね。最初から丁寧に話してくれる?」

 

 あん? 悪かったな早口で。こちとら忙しくてな。この後、市場にも行って材料の価格も調べなきゃならんのよ。

 

「ったく、しょうがねえな……」

 

 意外と簡潔に説明するのって難しいよねと思いながら回復薬製造所を作ることになった経緯を話す。勿論サージェスの犯罪を暴いたとかのドロドロした部分は無しだ。

 

「てことでメナスの製造所が()()潰れちゃったんで、だったら丁度いいから俺たちが参入しようってなったわけ」

 

「はぁ……それで()()アーネストさんとピルグリムさんがマスターを辞退して、()()あんたと仲のいいトールがギルドマスターに就任したのね。ほんと不思議ね」

 

 あれれ、おかしいですよ? なんかこの少女、陰謀論をぶちかましてきましたよ? 我々は清廉潔白なのに疑うなんてオカシイナー(棒)。

 

「そんな疑り深い君にある格言を教えてあげよう。“強者は運すらも手繰り寄せる”。いい言葉だろ」

 

「それ、誰が言ったのよ」

 

「俺が今考えた」

 

「……」

 

 ああやめて。お願いだからそんな虫を見るような目で見ないで。

 

「……とにかく、俺は脅したり騙したりの悪いことはしてねえよ。ちゃんと穏便に話は付けたさ」

 

「認めたわね……」

 

 えー? いいじゃん別に。ピルグリムなんて名画まで持ってったんだぞ? 正当な取引じゃんか。まぁレイラはその事実を知らないから正当な取引をしたかどうかは分からないんだろうけど。

 

「もうそんな話はどうでもいいだろ。で? どうすんの? 来るの来ないの? どっちなの?」

 

「行くわよ」

 

「あーあ! 超お得な就職先なのになー勿体ないなー絶対後悔するのになー、って来るんかい!」

 

 色々と難癖つけてきたからてっきり断るのかと思っちゃったよ。

 

「誰が行かないなんて言ったのよ。初めから行く気だったわ」

 

「あ……そうなの?」

 

「でも報酬はいらない」

 

「はぁ?」

 

 行くって言ったり給料はいらないって言ったり、レイラが何考えてるか全然わからん。

 

「その代わりにね、仕事の空き時間に剣術を教えて欲しいの」

 

「え、俺に?」

 

「あんたになわけないでしょ……勿論サリアスさんかバートンさんによ」

 

 ああなるほど。つまり金銭報酬ではなく、代わりに剣術の師匠が報酬として欲しいってことか。あれ? でもこないだ会った時はもう戦いたくないとか諦める的な事を言ってた気がするけど気が変わったんだろうか?

 

 俺がそんな風にはてなを顔に浮かべていると、レイラは俺の疑問に答えるように言った。

 

「やっぱり諦めないで頑張る事にしたのよ。だから剣術をちゃんと習おうと思って」

 

「なるほどね。そういう事なら勿論いいよ。あーでもサリアスさんは槍使いだからな。剣ならバートンの方がいいかもしんない。帰ったら聞いてみるよ」

 

「ありがとう。そういえば今日はサリアスさん、護衛には来てないの?」

 

「流石に四六時中俺につきっきりだと大変だろうと思ってな。今日はお休みして貰ってる」

 

 ちょっと街に出るくらい、そんなに危険もないという事はこの2ヶ月で分かったので、そういう時は護衛は付けないことにしたのだ。なので今日はサリアスさんは魔物狩りに出かけている。

 

「なら今は一人なんだ。これからのあなたの予定は?」

 

「えっと、市場に行って(くだん)の回復薬の材料の相場でも見に行こうかと思ってるけど」

 

 レイラは顎に手を当てて少し考え込むと、やがて立ち上がった。

 

「じゃあ私もついて行こうかな。今日は暇だし」

 

「ん? まあ別にいいけど」

 

 休日に可愛い女の子と市場に出かける。これってアレではないか? リアルが充実した人達がやるっていう、もはや陰キャからすれば伝説とも言える行為。いわゆる“デート”というものでは?

 

 レイラってちっこいけど可愛いからな。将来美人さんになるタイプ。やっべえ! なんか意識したらめっちゃ緊張してきた! 

 

「どうしたのよ。固まっちゃって」

 

 うるせえ! こちとら前世含めデートなんかしたことねえんだぞ! 固まって当然だわ!

 

 ……とまあ、そんな事を言っても何にもならないので、なんとか再起動をするとさっきまでの感じを思い出しつつ自然体で話す。うん、あれだ。妹と出かけてると思えばいいんだ。

 

 そういえば妹は元気にしてるだろうか? 俺が死んで悲しんでるかな。あんまり悲しんでないといいけど。

 

「いや、ちょっと考え事しててな。じゃあ行こうぜ」

 

 生前の事を思い出してちょっとセンチな気分になりつつ、俺は人生2回目にして初めてのデートに出かけることにした。

 



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過激な彼女と苛烈なデートを

 

 市場、特に生鮮市場っていうと汚かったり臭かったりであんまり良いイメージを持たないかもしれない。ここメルスクの魔物市場も例に漏れず、そんなゴミゴミした場所だった。

 

「いろいろ売ってんなー」

 

 なんだか分からない魔物の肉やら毛皮やら、置いてあるものは色々だが、全体の雰囲気としては日本の魚市場と変わらない。

 

「グレゴリーって市場は初めて?」

 

「ああ、中に入るのは初めてだよ。あんま用もなかったしな」

 

 冒険者なら売りに来るって事もあるかもしれないけど、俺は冒険者じゃないしなぁ。一応金色(上級)の冒険者証は持ってるけどさ……

 

「あなた、初めてなのに一人で相場を見にこようとしてたの?」

 

「え、そうだけど。なんかダメだった?」

 

 別に一人で来たって二人で来たって値段なんか一緒だろうよ。

 

「はぁ……私がついてきてよかったわね。あのね、ここで並べられてる物って全部値切るの前提の価格だからパッと見ても全然参考にならないわよ」

 

「え、マジで?」

 

 うわぁ。そういやここ日本じゃなかったわ。そうか、なんかそこかしこで店員と客が言い合いしてるのはそういう事か。いかん、世間知らずが露呈しそうだ。

 

「マジよ。それにそんなキョロキョロ物珍しそうに見回してたらカモられるわよ。お店の人って見てないようで意外と見てるんだから」

 

 ああ、あれだ。田舎モンが東京に出てきてキョロキョロ周り見回してクスクス笑われんのと一緒だ。くそう、なんか俺、醜態晒してばっかだぞ。

 ていうか思ったけど、どう考えてもこれデートじゃ無いよね? 市場での適切な買い方指導だよね? それとも世の中のリア充は市場での適切な買い方指導もデートに含んでるんだろうか?

 もうね、これがデートだったらサリアスさんが俺の護衛をしてたのもデートだって言っていいと思うんですよ。つまり俺とサリアスさんは常にデートをしていた……? 俺は既にデート童貞を卒業していたというのか……?

 

「ちょっと! 聞いてるの?」

 

 あっハイ、ちょっとデートの定義について考えすぎてトリップしてました。

 

「あーと、えーと、ちゃんと聞いてました。他に気をつけるべき点などはございますでしょうか? レイラ先生」

 

「そうね。後は財布スられないように気をつけるくらいかしら。ちゃんとスられにくいとこに入れてる?」

 

「流石に気をつけておりますです、はい」

 

「そう、ならよろしい。それで何の材料が必要になるのだったかしら? グレゴリー君?」

 

 こいつ、意外とノリがいいな。俺はメモ用紙を懐から出して見えるように広げる。

 

「ええと、“中型以上の魔物の肝”と“水華草”だそうです。どこらへんに売ってるか差し支えなければ教えて頂けると有り難いのですが」

 

「水華草は遠いけれど、魔物の肝なら直ぐそこに売っているわ。着いていらっしゃい?」

 

 レイラは俺の先生と生徒ごっこに合わせて芝居がかってそう告げると、まるで何かの組織の女ボスのような雰囲気を醸し出しながら奥の売り場へと歩いていく。着いていく俺もやはり生徒というよりは舎弟か何かのようだ。

 

「この店が一番()()わ。ここで見てなさい」

 

 ある店の前で止まったレイラは店番の元に歩いていくと値切り交渉を始めた。

 

 そこからのレイラの怒涛の剣幕は凄まじい物があった。やれ向こうの店の方が安かっただの、これは普通の物よりちょっと小さいだの、日が少し経ってるように見えるだの、最早難癖としか思えない言葉を次々とぶつけていく。挙句の果てにはこれで充分でしょとお金をカウンターに置いて、商品を勝手に持ってきてしまった。

 

「おいおい! 流石にそれは泥棒なんじゃねえの!? いいのかよ!?」

 

「あのね、本当に赤字だったら取り返しにくるから。来ないって事は何の問題もないの」

 

 レイラはそう言ってポンと魔物の肝を手渡してくる。たしかにちょっと離れたところにいる店番はもうこちらを見てすらいない。

 

「あ、ありがとう。で、結局幾ら払ったんだよ」

 

「半値に値切ってやったわ」

 

 はー、なんつー話だよ。たくましすぎるだろ。ていうか俺、ここで買い物する自信が全く無くなったわ。

 

「まぁ、慣れよ慣れ」

 

 ふふん、とちょっとだけドヤ顔をするレイラに割と真剣に尊敬の眼差しを送る。ちっこいお子ちゃまとか馬鹿にしてたけど今日限りでやめよう。

 

「お前凄えな。ちょっと感動してる」

 

 だから、相場を見にきただけで別に買うつもりはなかったんだよとかは言わないでおく。持って帰ったらカイルが何とかしてくれるだろうし。

 

「そ、そう? じゃあ次いきましょう次」

 

 素直に褒められるのは照れるのか、レイラはぷいと向こうを向くと歩き出した。

 

 そうやって楽しい買い物が続くのかとその時は思っていた。

 それは本当に突然のことだった。しばらく前の方を歩いていたレイラがツーと下がってきて隣に並ぶ。そんな彼女は少しだけ俯いていて、どこか小刻みに震えているように見える。

 どうしたんだよ、そう声を掛ける直前に彼女は小声で囁いてきた。

 

「……私達、尾けられてる気がする」

 

「……!」

 

 後ろは振り返らない。尾けてきている奴にまだ悟られない方がいいから。この間レイラが尾けられた事があったと言っていたがそれと同じ人物だろうか。

 

 今俺たちにできる事は二つ、今すぐ振り返って尾行していた者を追い払うか、もしくは泳がせてとっ捕まえるかだ。今後のレイラの安全を考えるならば後者一択だ。俺はレイラの手を握って小声で話しかけた。

 

「……そいつをとっ捕まえる。しばらくレイラは恋人のふりでもしててくれ」

 

 レイラは正面を向いたままコクリと頷いた。手を繋いでもカップルの振りをすればいちゃついてるようにしか見えないだろう。

 

「ギルス様……空いてる人員を至急手配して下さい。聞いていたら魔王シアター改で2回合図を……」

 

 魔王様が今も俺の目と耳にリンクしていると信じてそう小声で呟く。するとすぐに懐の携帯もどきがブーンブーンと2回震えた。よし、これでバッチリだ。ていうかあの人ほんとに暇だな……

 

「このままぶらぶら何周かするぞ……」

 

 俺はレイラの手を引いて市場を周回し始めた。どこのどいつだか知らねえが、可愛い女の子を尾けるなんてふてぇ野郎だ。とっ捕まえて正体を暴いてやる。

 

 しばらくウインドウショッピングを続けてたっぷりと時間をかけてから、もう一度魔王様宛に呟く。

 

「もう配置についていたら3回合図をください……」

 

 携帯もどきがきっかり3回震える。後ろを振り返る事は出来ないので分からないが、多分何人かが来てくれているんだろう。

 

「このまま大通りから帰宅します。狭い路地に入ったら詰めて捕まえてください……」

 

 みんな頼むからタイミングを合わせてくれよ? 俺は努めて明るく振る舞うと、いやーいい買い物だったな! とか、今度はどこに行こうか? とか、恋人らしい台詞を吐きながら、予定された進路を取る。レイラもぎこちない笑顔を浮かべながらなんとか合わせてくれている。

 

 大通りから路地に入ってしばらく行ったところで俺はバッと振り返った。その瞬間、建物の脇の道にサッと隠れる影が見える。

 

「あいつだ!」

 

 俺が叫ぶと、そこめがけてすかさず飛び込んで行ったのは応援に駆けつけてくれたであろうバートンとクラウス君。少し遅れてマゴス君が出てきてこちらに走ってきた。

 

「二人とも大丈夫ですか!? お怪我は!」

 

「俺達は平気だ。追って行った二人は大丈夫なのか?」

 

「おそらくもうすぐ捕まえられるはずです。待ってましょう」

 

 ようやく顔が拝めるな。何が目的かきっちり吐いてもらおう。しかし暫く待っているとバートンとクラウス君が手ぶらで戻ってきた。

 

「すみません……逃げられました.……」

 

 えー!? あそこまで追い詰めたのに!? そりゃないぜ!

 

「ありゃあかなりの手練れっすよ。俺っちを撒くなんてちょっと異常っすね。少なくともプロの類で間違い無いっす……」

 

 あの何にも苦労とか知らなそうなバートンが申し訳なさそうに項垂れている。確かにバートンを振り切るって事は相当やばい奴って事だ。

 

「なるほど……それならしょうがないな。駆けつけてくれて助かったよ。はぁ……しかし一体なんだってんだよ。レイラ、心当たりは無いのか?」

 

 話を振るとレイラはビクッと震える。可哀想に、レイラはまだ恐怖で震えているようだ。

 

「……っ! 分からないわ……でも実はあの後ももう一回だけあったのよ」

 

「あの後っていうのは、俺達に相談した後また別にってことか」

 

「そう、その時は街中じゃなくて依頼を受けてる最中に視線を感じて……」

 

 初めは気のせいだと思ったが、森の中で尾けられている感覚がしたのだという。そして見えざる相手に向かって半信半疑で誰何(すいか)したところ、気配が消え去ったのだとか。それでようやく確信したらしい。

 

 そんな話を聞いちゃったらもうレイラをこのまま一人で帰すわけにはいかんな。

 

「……おい、バートン。今日から数日間レイラの護衛についてくれ」

 

「うっす。了解っす」

 

「それでレイラ、お前どうせそのうち俺のところで働くだろ? だったら今の宿引き払ってうちに来いよ。住み込みだと思えば問題ないだろ」

 

 割と強引に誘ったが、精神的に参っていたレイラは反論せずにこくんと頷いた。

 

「よし、じゃあまあそんなとこだな。レイラ、それで大丈夫そうか?」

 

「ちょっとだけマシになってきたわ……その、グレゴリー!」

 

「なんだ?」

 

「ありがとう……」

 

 そう笑って言う彼女は少しだけ元気を取り戻したようだった。

 



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定例報告会

 

「じゃあみんな気になってるだろうからこの件からね」

 

 俺は魔族のみんなを集めて報告会を開いていた。

 

「今代の勇者に関する情報だけど、覚醒勇者が使う“真実の目”は常時発動型ではなく、意識して発動するタイプだという事が分かった」

 

 “真実の目”が常時発動型ではないと言うのは非常に大きい。何故なら視界に入っただけで、魔族だとバレる心配はなくなるからだ。

 それでも発動コストは掛からないらしいので一概に安全とも言いきれないのが悩みどころだが。

 

「よって冒険者ギルド及び周辺宿に無闇に近寄らなければ仮に覚醒勇者が出現したとしても見つかる可能性はほとんどなく、危険性は低いと判断した」

 

 まぁ、今日は早速レイラとバートンがパーティーを組んで依頼を受けに行っているので、全然守れてはいないんだけどね。こればっかりはレイラへの報酬なのでしょうがない。

 

「よって、用の無いものは無闇に冒険者ギルド、及びその周辺には立ち寄らないこと。この決定を持って我々は撤退しないことに決めた。以上。何か質問は?」

 

 そう言って見回すとみんなホッとしたような様子を見せる。そりゃあ色々と用意してきたのに全部投げ捨てて撤退なんてことになったら流石にへこむからな。

 

「無いね? それじゃ二つ目。レイラを尾行していた者、これの名前を仮にミスターXと呼称するけれど、このミスターXの情報は現状全く無い。よってレイラの周辺を洗ってミスターXらしい人物がいないかを探す。これ、最優先ではないけど俺が取り仕切るのでよろしく。クラウス君、悪いけどやって貰える?」

 

「はい、分かりました」

 

 もう諜報部に迷惑がどうとかは言ってられないので遠慮なくお願いする。

 そろそろ諜報関係の仕事ができる人員を増やさないと諜報部の二人が過労死しちゃいそうだ。

 

「なんかこの件に関することで質問はあるかな? はい、クラウス君」

 

「ミスターXですが、例の“クレイ”との関係性については調べた方がいいでしょうか?」

 

「一応調べてほしいけど、関係性は薄いんじゃないかと思ってる。もし関係があるなら俺達の周辺にも出現していないとおかしいからね」

 

「了解しました」

 

 現状はレイラの周辺にしか現れていないので、レイラ個人に関係がある人物の可能性が高い。

 というかクレイの方は、あれだけ派手に邪魔をしてやったのに何の音沙汰もない。そもそも眼中にないのか、それとも気づかない内に情報収集されちゃってるのかは分からないが不気味な話だ。

 

 まったく、問題が山積みすぎて人間界を裏から操るなんていったいいつの事になるのやら分かったもんじゃない。

 

「えーとじゃあ最後。これはいいニュースだな。えーと我々の回復薬製造所が正式に冒険者ギルド提携店として認められました」

 

 まぁ認められましたも何も、その為に色々手を回してきたんで当たり前と言えば当たり前なんだけどな。

 

 製造所自体はもう稼働を始めていて、回復薬を作り始めている。この前ギルドで試験的にちょっと配ったら、効果が高いってことで評判も良かった。正式にギルド内で販売出来るようになればかなり売れる筈だ。

 

 あぁそうだ。あとこれも言っとかなきゃ。

 

「あと一点忘れてた。製造所にレイラと他2人、計3人の人間を雇ったんで気を抜いて変身の秘術を解いたりしないように。勿論あそこでは魔族関連の話題も無しで。特にレイラは住み込みで働くので気をつけるように」

 

 はーい、と皆が答えたのを見て報告会を終える。

 

「じゃあ定例の報告会は終わり。各自、自分の仕事に励むように」

 

 さて、俺もトールのところに行かなきゃな。なんか俺に用があるとかで、約束した手前、行かんわけにもいかない。なるべく面倒じゃないといいんだけど。

 

 

 ーーー

 

 

「陸軍のリヨン中佐が新しい回復薬の事でお前と話がしたいらしい。だから今度会ってくれないか?」

 

 俺がギルドに手伝いに来たら、トールは開口一番そんな事を言った。

 

「それがお前の言ってた用事なのか?」

 

「ああそうだ。どうやらお前が作った回復薬の評判を聞きつけたらしい。是非軍にも卸して欲しいってな」

 

 いや、何が楽しくて敵国の軍隊を助けるような真似をしなきゃならないんだよ。絶対嫌だ。

 

「冗談じゃない! トール、お前俺たちの立場ってちゃんと分かってる?」

 

 こちとら魔族なのによくこの話を持ってきたな、トールは。

 

「いや、勿論俺は分かってるよ。だけど立場上あんま断れなくてな。だって提携先にお前のとこの製造所を選んだのは俺なんだぜ?」

 

 なるほどな。ギルドマスターが提携先を選んだのだからそっちに先に話が行くのは当然だし、トールが固辞する理由も無いのも当然だ。しっかし面倒だな、なんとか断れんものか。

 

「なぁそれって断っても大丈夫なやつ? 国家反逆罪とかで処刑されたりしない?」

 

「断り方によるだろ。なんかそれっぽい理由つけて断ってくれよ。お前ならなんか思いつくだろ? 参謀だし」

 

 こいつ……めんどくせえからって俺に全部投げやがったな。しょうがない、生産設備が足りないとか言って断るしかないか。

 

「で、俺はどうやって連絡とればいいの? そのリヨン中佐とは」

 

「来週のどっかで会いたいらしいぞ。お前どっか空いてる?」

 

「まぁだいたい空いてるけど、どうせなら水曜がいいな。その日なら一日中空いてるから」

 

「分かったよ。じゃあそんな感じで伝えとく」

 

 しかし軍人か……軍人は魔法使いとか多いから変に怒らせたりすると非常におっかない。ちゃんと資料を用意して丁重にお断りしよう。

 

 数日後、リヨン中佐から水曜日の午後に製造所で会いましょうという連絡が届いた。

 



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供給元を掌握せよ!

 

 トールから軍人と会って欲しいという話を聞いた次の日、俺は軍に回復薬を供給するかについて、魔王様に相談をしていた。

 

『え? 供給できそうなら供給したい? 正気かグレゴリー!?』

 

「いや、それも一つの手だなって思っただけですよ。無理強いはしません」

 

 軍に回復薬を供給するなんて話、最初は反射的に断ろうかと思っていたけど、人間社会に浸潤するなら売った方が断然良い事に気がついたのだ。

 

「相手国の物資の供給をこちらで握っておけば、いざという時に……っていう話です。そう考えるとむしろ陸軍向けには100%我々が供給したほうがいい」

 

 もしも戦争になったら、突然供給をゼロにしたり不良品を大量に納品するなんてことも可能だ。まぁそれだけじゃなく、他にも色々とやりようはある。

 

『いや……しかしなぁ……』

 

「魔王様。人間界を本気で裏から操るならばこれは良い契機になります。これはやるべきですよ」

 

『お前がそう言うならそれが正しいんだろうな……』

 

 どうも魔王様はあんまり乗り気じゃないらしい。まぁ確かに敵対勢力の軍事力を強化するなんて正気の沙汰とは思えないので心理的に抵抗があるのは分かる。しかしトータルで見ればこっちが得をしているのは明らかなのだ。俺はその事を魔王様に懇々と説いた。

 

「……という訳です。それでも中止した方がいいと言うならやめときますが」

 

『いや、人間界(そっち)での事はお前に一任してるからやってもらって構わない』

 

 この魔王様(ひと)も大概優秀だよな。並の上司なら中止にして終わりだけど、自分の部下を信じてゴーサインが出せるんだから。

 

「分かりました。ありがとうございます。必ずや、やって良かったという状況に持っていきますから」

 

『まぁそんなに気負わないでくれ。それじゃあ』

 

 よし、最近ちょっと当初の目標から逸れてたけどなんかやる気出てきたぞ。そうなったらまずは軍からどれくらい譲歩が引き出せるかだな。明日から忙しくなるぞ。

 

 

 ーーー

 

 

 それからリヨン中佐と会うまでの数日間、俺とサリアスさんの二人で軍の内情を探った。

 

 そうして分かった事は、軍に今まで回復薬を供給していたのは、俺たちが潰したあのメナスのポーション製造所で、軍には未だ大量にメナス製の回復薬が備蓄されていること。

 そしてあのメナス逮捕の事件が市中で噂になったせいで、現場の兵士から使いたくないという意見が少し出ていることだった。

 

「これさ、多分だけど軍の上層部は結構焦ってんじゃないかな? 備蓄が全部無駄になって、次の供給元も見つけなきゃいけないし」

 

「なんとなくそんな気がします。今はまだ噂段階でちらほら出てるだけですけれど、そんな不良品は誰だって使いたくないですものね」

 

「こりゃかなり良い条件で交渉できる気がするぞ」

 

 設備がなくて増産できないから金くれって言ったらくれるかも。いや、まぁ流石にそれはないと思うけど何かしら手助けしてくれるかもしれない。

 

 それによく考えたらメナスの製造所が潰れたんなら今までメナスが取引してた顧客は現在、全部供給元を探してるって事になる。これ、全部うちで引き受けたらめっちゃ儲けられるんじゃないか?

 

「サリアスさん。軍との話がまとまったらすぐにメナスが取引してた相手が今どうしてるか調査しよう。上手く行けば全部掻っさらえるかもしれない」

 

「! はい、分かりました!」

 

 

 ーーー

 

 

 それから数日後、やっと軍との話し合いが行われる日になった。(くだん)のリヨン中佐は約束していた通り、午後一番に製造所にやってきた。

 

「お初にお目にかかる。私は陸軍参謀本部補給課のリヨン中佐だ。本日はよろしく頼む」

 

 一応階級やら部署やらも調べていたんで驚きはない。俺は丁寧に自己紹介を済ます。

 

「お待ちしておりました。グレゴリーの回復薬製造所の代表をしておりますグレゴリーと申します。こんな狭いところでなんですが、どうぞこちらへ」

 

 借りた小さな製造所の会議室みたいな安っぽい客間に中佐を通す。これでうちの製造所に金が無い事は理解してくれたことだろうと思う。

 

「思ったよりも中は広いんだな。今従業員は何名かね?」

 

「私を含めないで4名です。最近やっとなんとか軌道に乗り始めたと言ったところですよ」

 

「ふむ、1日あたりの生産数は200本、と言ったところか?」

 

 おっと、ぴったりだな。ていうかこれ、多分向こうも相当調べてきてるぞ。ちょっと気を引き締めた方が良いな。

 

「よくお分かりになりましたね? 流石です。おっしゃる通り日産200本です」

 

 驚いた振りをして相手を褒める。こういうのも交渉では大事よね。

 

「……まあな、ところでグレゴリー君、君は回復薬を日産2000本作ってみたくはないか?」

 

 !? ……なんか世間話みたいな内容から突然本題に入ったぞ。流石にその流れで来るとは思っていなかった俺は目を見開いた。

 

「……と、仰いますと?」

 

(とぼ)けなくても良い。今日私がここに来た時点でそういう話が出る事は予想していただろう?」

 

 予想していたも何もそれをこっちからお願いしようかと思っていたくらいだ。でもそれで、はいそうですと認めちゃうのはちょっと(しゃく)だな……という事で、匂わせる程度に留める。

 

「それは勿論可能性としてはあるかもしれない程度には考えていました。何しろ現状では設備も人も全く足りませんからね」

 

「こちらが頼む以上、支援はあって然るべきだと君はそう思っていたわけだ。それどころかある程度の支援が無ければ供給できないと断るつもりだった。違うかな?」

 

「いえ、そこまでは申しておりませんが……」

 

 あれー? なんだか凄い断定口調ですよこの人。そりゃあその路線で行こうとは思ってたけどなんか決めつけるほどの判断材料が向こうにあるのか? それともはったりかましてるだけか? なーんかやだなぁ。

 

「現状のままではどう頑張っても供給できませんからね。ただ事実をありのままにお伝えしようと思っていただけです」

 

「事実……事実か。そういえば私も一つ大きな事実を持っているんだよ。なんだか分かるかね?」

 

「……いやぁ、見当もつきませんが」

 

 ……なんか流れ変わったな。まさか魔族とバレて……?

 

「前ギルドマスターのサージェスとメナスの悪事を書いた文書を近衛に送りつけたのは君だろう?」

 

 ああ、なんだそっちか……とはならないぞ!? なんでそれがバレてる? まさかピルグリムあたりがバラしたのか? なんかちょっと辞退するのを渋ってたし、情報を売っていてもおかしくはない。とにかく取り敢えずしらばっくれよう。

 

「いったい何のお話でしょうか? ちょっと分かりませんが」

 

「安心してくれたまえ。君の仲間は誰一人君を裏切っていないよ。分かったのは我々の調査によるものだ」

 

 うわぁ、困っちゃったなぁ。もう完全にバレてるよこれ。もう全部分かった上で頼みに来てるんだったらさっさと開き直った方が良いな。

 

「……差し支えなければ、いったいどうやって判明したのか教えて頂けると有り難いのですが。今後のためにも」

 

 俺が自分からゲロったらリヨン中佐は腹を抱えて笑い始めた。

 

「はっはっはっは!! 今後のためと来たか! 自分が何か処罰されるかもとは考えなかったのか?」

 

「私は処罰されるような事は一切していませんからね。むしろ褒賞を貰っても良いくらいでしょう」

 

「確かにな! 悪事を暴いただけだものな! いやぁ、素晴らしいよ君は! 肝が座っているじゃないか!」

 

 そうひとしきり笑ってからリヨン中佐は種明かしを始めた。

 

「筆跡だよ。あの匿名で送られてきた文書の筆跡と君がギルドで書いた登録書の筆跡がぴたりと一致したんだ。それで確信したよ」

 

「筆跡ですか……いや、それは流石に考えもしませんでした」

 

 よくまぁそんなとこにあった登録書の筆跡なんて見つけ出してきたよ。ていうかこの感じだとなんとなく俺が書いたんじゃないかと初めから疑ってたな。筆跡は決め手になっただけだ。

 

「まさか総当たりで探した訳じゃありませんよね?」

 

「勿論だとも。あの匿名の文書はよく調べてあって誰が書いたのかと噂になってな。それに広範囲に渡っていて内部告発の線も薄かった。そういう理由もあって我々軍部はそれを書いて得をする人間を探す方向に切り替えた」

 

 そりゃ得にならなきゃあんな細かく調べたりしないしな。俺でもその辺りを調べるわ。

 

「まずトールというサブマスターが候補に上がったが、すぐに無いと結論づけた。なぜならあの男にはメナスの悪事を暴くメリットが全く無いからな」

 

 確かにトールがギルドマスターになるだけだったらサージェスの悪事を暴くだけでいい。実際それだけだったら他の悪事を暴露すれば良かったんでそんなに苦じゃなかったのも事実。

 サージェスとメナス、二人纏めて葬り去る必要があったから面倒だったのだ。

 

「調査は難航したが、しばらくしてこの小さな製造所がギルドの提携店に登録された。それでピンと来たって訳だよ」

 

 後は俺が書いた登録書と匿名の文書を照らし合わせるだけだったという。

 

「いやぁこりゃ参りました。確かにある程度疑われるとは思っていましたが筆跡とは驚きです。次からは気をつけますよ」

 

 決定的な証拠が無ければ何も言ってこないだろとタカを括っていたが、筆跡は決定的な証拠だ。今回はいい勉強になったな。

 

「さて、それで話は戻るが回復薬を軍に供給する気はあるかね?」

 

 このタイミングでサッと本題に戻るあたり、この人は交渉が上手いな。

 

「勿論です。元よりそのつもりでした。ただし……という話です」

 

「分かっているよ。ところでメナスの工場はあの後どうなったか知っているかね?」

 

「国に接収されたそうですね」

 

「そこを使っていいと言ったら?」

 

「人を雇うのに少し時間がかかりますが問題ないです。ただ設備を一から導入し直すので多少コレが……」

 

 俺は指で輪っかを作って見せる。

 

「……それはいくら必要なのかきっちり算定してからでないとなんとも言えんな」

 

「そう仰ると思っていました。こちらが概算書になります」

 

 俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をリヨン中佐の前にスッと置いた。中佐は目を丸くしてその書類を奪い取るように受け取ると、ペラペラとめくる。たっぷり1分は微動だにせずその書類を見つめた後に、中佐は口を開いた。

 

「……お前、最初からこのつもりだったな?」

 

「中佐、そのつもりも何もこれは必然というものです。経過はどうあれこの結果に行き着くでしょう? だったら用意しておこうと思っただけですよ」

 

 軍が提示できるカードなんてメナスの工場しかない。それに仮にそうでなくてもどうせメナスの工場を(たか)る方向に持っていくつもりだったので、予め概算書を用意しといたのだ。別にそのつもりは無かったが、ちょっとだけ出し抜けたっぽいのでよしとする。

 

「結局、君の掌の上という事か……」

 

「いやそんな事はありません。筆跡でバレたのは想定外ですよ」

 

「どうだか……まぁとにかくこの概算書は持ち帰らせてもらおう。後日改めて返答する」

 

「分かりました。今後とも良い関係が築けることを願っていますよ」

 



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最優先の供給先

 

 リヨン中佐と話し合った後日、俺とサリアスさんで、今までメナス製造所と取引していた相手先に話を聞いて回った。するとやはり予想通り、どこも供給が絶たれて困っている状態であることが分かった。

 

「いくつかの病院は備蓄が無くなって回復薬を他の都市から買い付けているようですよ? この街の回復薬は今までずっとメナスが独占してきたので、他に作っている所が無いみたいです」

 

「はー、これはもっと最初から調べとけば良かったな。冒険者相手に商売するって言う頭しか無かったから盲点だったわ」

 

 メナスが独占してんのは分かってたんだから当然そうなるわなぁ。俺ほんと馬鹿だよな。ていうかこんなの目の前に札束落ちてんのに気づかないで蹴っ飛ばしてたくらい馬鹿じゃんか。

 

「メナスの工場を貰えたらこの人たちにすぐに話を持って行こう」

 

 まず間違いなく貰えるとは思うので今から話を持っていっても良いくらいだ。そうでないにしても月にどれくらい必要なのか聞いて回っても良いな。

 

 そんな風に聞き込み調査を続けていたある日の事、クラウス君がミスターXについて、と言うよりかはレイラに関する情報について報告を上げてきた。

 

「レイラさんについて分かったことがあります」

 

 割と真剣な表情で話し始めたクラウス君は次にこう(のたま)った。

 

「彼女の出身に関する情報は何も分かりません。分かったことと言えば、今から2年前にデリウスより更に南の国からここメルスクに来た、という事くらいです」

 

 まぁこれも彼女の自己申告ですが……と嘆くクラウス君。どうやらその情報も冒険者ギルドに保管されていた登録書に記載されていた内容で、適当に嘘を書いていても分からない代物のようだ。かく言う俺も出身地の情報はでっち上げだ。

 

「あー、て事はあれか? “何も分からない”が分かりましたっていうトンチ的な……」

 

「まぁその……つまりはそういう事です。すみません……」

 

 クラウス君が頭を掻きながら謝ってくる。俺自身もおふざけはよくするから、そういう茶目っ気は嫌いじゃないよ。

 

「なるほど。こりゃもうあれだ。出身に関しては直接聞いた方がいいやつだな。それで? レイラがここに来て2年の間に誰からか恨みを買うような事はしてないの?」

 

「彼女はああ見えて性格は温厚そのもので、誰かと喧嘩してたなんて噂すらありません。寧ろ諍いがあれば止めに入るくらいのいい子です」

 

 そうなると分かんねえな。あれかな? ミスターXは過激なロリコンさんとかかな? レイラってかなり可愛いしそういう変なのに付き纏われてる可能性も無きにしもあらずか。

 

 いや、それだったらもっと前から尾けられてる筈だからおかしいか。そもそもバートンによるとプロっぽいって話だったしな。

 

 困ったことに何も分からなくなったぞ。振り出しに戻るってのはこういう感じか……

 

「分かったよ。調査お疲れ様。ミスターXとレイラに関してはしばらく調べなくていいから。通常の業務に戻ってほしい」

 

 レイラとバートンが一緒に依頼を受けるようになってから、ミスターXは現れていない。優先度は下がったと言っても良いだろう。

 

「すみません。力不足で」

 

「いや、クラウス君で分からなかったらこの世界の誰にも分からないよ。本人を除いてはな」

 

 俺はそう言ってクラウス君を励ますと不思議度が増したレイラに想いを馳せた。

 

 

 ーーー

 

 

 数日後、リヨン中佐が許可証やら何やらの書類の束を携えて、製造所にやって来た。

 

「正式に許可が降りた。メナスの工場を使っていいし、君の提示した金額も全額出ることになった」

 

 中佐曰く、工場に関しては国有地であるから無期限の貸与という事になったそうだ。別にその辺はどうでも良かったのであまり気にしていない。

 

「それはありがたい。こちらとしても早く製造したいとちょうど思っていた所です。工場にはいつから入れますか?」

 

「君がこの書類を受け取った時点からだ。つまりもう入れるということだよ。内装を変えたいのであればもう今から出来る」

 

 そりゃありがたい。それじゃあカイルとちょっと見てくるかな。

 

「ならば私はここの研究者と一緒に工場へ視察に行きますよ。中佐はどうなさいますか?」

 

「私もついて行かなきゃならんのでね。ご一緒させてもらうよ」

 

「ああ、そうですか。ではご一緒に」

 

 何やら作業をしていたカイルと、リヨン中佐を伴って元メナスの工場に向かう。そろそろ呼び名も変えなきゃな。名前は何にしようか? 第二工場? それじゃ味気ないか。あとでみんなに良い名前がないか聞いてみよう。

 

「全く相変わらず馬鹿でかいな。この工場は」

 

 ようやく辿り着いたリヨン中佐が例の工場を見上げながらため息をつく。街外れの川沿いに建てられたレンガ造りのその建物は、今はしんと静まり返ってのっぺりと佇んでいた。

 

「いやぁ、ほんとに大きいですね。これって私が責任者になる感じでしょうか?」

 

 カイルが見上げながら呟く。俺はそんな彼の肩にポンと手を置いた。

 

「そうだよ。今日からここが君の城だ。君も男なら一国一城の主には憧れるでしょ?」

 

「いや、別にそんな事はありませんが……とにかく中を見てみないことには」

 

「それもそうか」

 

 カイルの言葉に促されるように俺たちは工場に足を踏み入れる。中は近衛に調査された跡があったが、機材などはそのまま捨て置かれた状態で残っていた。

 

「古い機械ばっかりですね。本気で大量生産するならこれじゃ全然だめですよ。全部撤去しないと」

 

 撤去費用も計上済みなんで、後は持っていって貰うだけだ。

 

「ここがこんだけ広かったら今借りてる第一工場の方はもう必要なさそうだな。あっちを住宅専用にでもするか? いや、もういっそのこと別の場所にデッカい家を買うってのも……」

 

 どうせ儲かるだろうし、もうちょっと待ってお金が貯まったら別の場所に馬鹿みたいに広い豪邸でも建ててやろうか。多分、こういうのを獲らぬ狸の皮算用って言うんだろうけどな。

 

「良いんじゃないですか? あの借家もいい加減引き払いたいですし。なんならここの方がマシな気すらしてきました」

 

 うんまあ確かにそれは言えてる。あのオンボロ借家よりはこの工場の方がマシだ。

 

「いずれにせよ、その野望のためには君の頑張りが不可欠なんだよ。てことで頑張ってくれ。人集めはこっちでなんとかするからさ」

 

「分かりました」

 

「そろそろいいかね?」

 

 一人で置いてけぼりをくらっていたリヨン中佐が腕組みしながら聞いてくる。おっと、忘れてた。

 

「お前たちがここの工場を使ってどう金儲けしようが知ったことではないが、最優先の供給先は軍だという事は忘れんでくれよ? 法律で決まってるからな」

 

「勿論ですよ。ちゃんと定期的に買って頂けるお客様を蔑ろになんてしませんとも」

 

 軍人を怒らせたら怖いからな。法律なんか無くても最優先で回しますよ。それにうちに依存してくれた方が戦略的にもいいしな。物資の供給元を魔族に握られてるという恐怖を味わうがいい! いや、もしそんな事になるとしたら戦争してる時だけどさ……

 

 



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策に嵌めたと思ったら自爆してたみたいな話

おまけ回


 

「最近どうよ?」

 

「どうよって……お陰様で充実した日々を過ごさせてもらってるわ」

 

 レイラが訝しげな表情でそう返してくる。俺は工場が新しく出来たことや、ミスターXについて分かった事なんかを伝えるためにレイラを呼び出していた。

 

「レイラって今は回復薬作るの手伝ってんだよな? で、その合間にバートンに稽古付けてもらってる」

 

「ええ、そうだけど?」

 

「これからは回復薬の製造はやらなくて良くなるから。その代わりに魔物の肝を獲りに行ってもらう事になると思う」

 

「別にいいけど……私が抜けた分はどうするつもりなの?」

 

「実は20人ほど追加で雇ったからさ。そっちはそっちでちゃんと専門にやってもらおうと思って」

 

 それを聞いたレイラが目を丸くしながら立ち上がる。

 

「20人! どうやってこの狭い工場にそんな人数入れるのよ!」

 

 あ、話す順序間違えたわ。あー、またなんかレイラにいらん事言われそう。

 

「言ってなかったけど、メナスのポーション製造所ってあったろ? あそこを貰うことになったんだわ。今後はそっちで製造するから」

 

「……聞いてないわよ」

 

 レイラのジト目が最近癖になってきた。そのうちなんかに目覚めそう。

 

「悪い悪い。まぁそういう事だからよろしく。それとミスターX……あー、あの例のお前を尾けてた正体不明のストーカーを俺達はそう呼んでんだけど、そいつに関しては何も手掛かりがない状態が続いてる」

 

「え? 調べてくれてたの?」

 

「なんだ、調べない方が良かったか?」

 

「いや、調べてくれてるのならありがたいわ」

 

 レイラとしては調べているのが意外だったようだが、ここまで来たら善意で協力しているというよりかは、最後まで付き合わせろという思いの方が強い。

 何しろミスターXにはこちらも出し抜かれているのだ。あの謎の人物の正体を暴かないとこっちの気が済まない。

 

「で、お前の評判とか評価をギルドで聞いてみたんだけど、意外な事にかなり良かったぞ。だから誰かに恨まれてるとかは無さそうだ」

 

「意外は余計じゃないかしら?」

 

「おっと失礼。それで、そうじゃなかったらお前の故郷からの刺客か何かじゃないかと疑ってるんだが、故郷の方でなんかやらかやらかしたとかは無いか?」

 

「無いわ、絶対に。そっちの方がよっぽどあり得ない」

 

 さいですか。まぁでもミスターX自体、ここ最近現れるようになったみたいなんで故郷からの刺客説は確かに無いか。

 

「じゃあもうさっぱり分からんわ。やっぱりあの時捕まえられなかったのが悔やまれるなぁ……」

 

「そうね……でもあれ以降、バートンさんと組んでるからかもしれないけど全く現れてないわ。だからそんなに気にしなくても大丈夫よ。ほんとありがと」

 

 ニコッと笑いかけてくるレイラ。こう真っ直ぐ言われるとちょっとドキッとするな。でもほんのちょっとだけな? ほんとだぞ?

 

「それに最近は剣の腕も上達したわ。そう簡単に何かされたりしないわよ。そうだ! 今度一緒に依頼でも受けてみる? 私の強さを見せてあげるわよ」

 

「えー、いいよ別に。俺がポンコツだもん。見たって強さなんて分かんないよ」

 

「ふうん、そう……私の事なんてどうでもいいんだ……」

 

 え、なんで断っただけでそんな責められなきゃならないんだよ。これじゃなんか俺がいじめてるみたいじゃねえか。というかお前、そんなキャラだったか? ああクソ! しょうがねえなぁ!

 

「分かった分かった! 今度行くよ。最近ちょっと忙しいから暇ができた時にでもな?」

 

 俺が慌てて発言を翻すと、レイラは舌をペロッと出してクスクス笑った。

 

「ふふ、冗談よ! でも行くって言っちゃたのは事実だから男なら自分の発言には責任持つわよね?」

 

 ちくしょう! やっぱり演技だったんじゃねえか! 俺の純情を弄びやがったな! だったら俺も仕返ししてやる!

 

「はー! 勿論演技なのは知ってましたけど? 俺の事が好きで好きでたまらないレイラさんの為についていってあげようかなと思っただけですけどぉ?」

 

「何よ! 女っ気が無いあんたの為に美少女であるこの私がひと肌脱いであげようって言ってんだからありがたく思いなさいよ!」

 

「別にぃ? ありがたくありませんけど! だって女っ気あるし! サリアスさん居るし!」

 

「うっわ! 自分のとこの従業員をそういう対象に含めるなんて一番やっちゃいけない事じゃないの!」

 

 確かに。そういうのってセクハラとかパワハラとかになるよね。いや本気でサリアスさんをそういう目で見た事は無いんだけどもさ。ええいやかましいわ!

 

「ああそうだよ、悪かったな! 仰る通り女っ気なんかありませんとも! そんな俺が可愛い美少女であるところのレイラさんについて行けるなんて幸せだなー! ありがたいなー!」

 

 なんか段々喧嘩っぽくなって来たけど、俺がそこまで言ったらレイラはプイと向こうを向いてしまった。

 

「まぁ、その、分かればいいのよ……」

 

 あれ? なんか急にトーンが下がったぞ? というかよく見たら向こうを向いてるレイラの耳が真っ赤だ。もしかしてあれか? 可愛いって真正面から言われて照れてんのか? さっき自分で自分のことを美少女って言ってた癖に。

 

「ねぇねぇ、レイラ。レイラはとっても可愛いよ。世界一可愛い」

 

 レイラがギョッとした顔で振り向く。だが、やっぱり顔は真っ赤だ。

 

「あんた……!」

 

「レイラは可愛いな〜。宇宙一可愛い。ほんとお嫁さんに欲しいくらいだよ」

 

「〜〜〜っ!!」

 

 揶揄われていると気付いたレイラが顔を真っ赤にしたまま口をパクパクさせる。

 

「ははは、照れてる照れてる。お前、顔真っ赤だぞ」

 

 ふ、勝ったな。なんで負けたのか明日までに考えといてください。

 

「あんたに言われたく無いわよ! あんただって顔赤いからね? 自分で鏡見てみなさいよ。もう帰る!」

 

 はぁ? 何言ってんだか……それに帰るって、お前が寝泊りしてるのってここじゃないんですか?

 

 俺がそう心で突っ込んでいるのを他所に、レイラはスタスタ歩いて部屋から出て行くと、勢いよくドアを閉めてしまった。

 

 一人残されて、改めて冷静になって考えてみると、実は結構恥ずかしい事を言っていたのに俺は気がついた。

 

「あぁぁぁっ!!! なんか勢いで嫁にしたいとか言っちゃったよ! 次に会う時どんな顔して会えばいいんだぁあああ!!」

 

 俺は一人、部屋の中で馬鹿みたいに悶えまくった。

 



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自分のお店を構えよう

 

 それからしばらくは平和な日々が続いた。

 

 新工場“アマル2000”は順調に稼働を始めたし、メナス製と違ってうちで作った物は評判も良かったので、売り込みをかけたらすぐに契約が取れた。

 

 レイラとは、あれからちょっとだけギクシャクしていたが、今は何でも無かったように元通りに戻ったし、ミスターXも相変わらず姿を見せていない。

 

 トールの方はと言うと、意外な事にそれほど大きなミスなくギルドマスターの職を全う出来ていた。

 

 つまるところ、忙しくはあったが予想外の事件とかは無く、平穏そのものだった。しかし、こうも何もないとけしからんと言う人物が出てくる。我らが魔王軍の長、魔王ギルス様だ。

 

『グレゴリー。最近スリルがなくてつまらん。なんとかしてくれ』

 

「いや、そんな事言われましても……」

 

 久々にかかってきた電話に出たら、割と無茶な要求が飛んできた。

 魔王様は相変わらず俺の目と耳にリンクして暇をつぶしていたが、近頃は平和すぎて暇つぶしにならないらしい。

 

『恋愛物はあんまり興味無いからもうちょっと派手な奴はないのか? あの中佐とやり取りした時とか結構スリルあって良かったぞ』

 

 恋愛物?? 魔王様が何の事を言ってるか分からんけど、リヨン中佐とのやり取りはマジで危なかったやつだから。決して楽しませる為とかではない。

 

「はぁ……あれは狙ってやったわけじゃないですよ。あんな事が頻繁にあったらこっちの身が持たないですって」

 

『そうだけどさぁ、暇なものは暇なんだよ』

 

 仕方ねえ。一応魔王様の暇つぶしも目的の一つだし、いくつか予定してた作戦を実行するいい機会か? もうちょっと時間をかけて練ろうかと思ってたんだけどな。

 

「じゃあかねてより計画していたある案を実行しますよ。その名も“この街の名士になろう作戦”を」

 

 いずれ人間界で影響力を持つならば、地盤を固めておく事は必要になる。その為には地域の行事に参加したり、手伝いとかをするのが遠回りのように見えて一番早い。

 

 特に効果的なのがこの街の商店街に店を出すことだな。色々な人と交流できて金儲けも出来る。一石二鳥だ。

 

 魔王様にその辺りをざっくり説明すると、ちょっと興味が出てきたらしい。

 

『へー、なんかよく分からんが面白そうじゃないか。是非やってみてくれよ』

 

 ゴーサインも出た事だし、実行に移すとするか。

 

「ま、その為には商店街に店を出す所からスタートなんですけどね」

 

『気の長い話だな。まぁ長く楽しめると思って我慢するよ』

 

 そうと決まったらちょいと下見に行こうかね? どうせ自前の店舗も欲しいと思ってたとこだしちょうどいいや。

 

 

 ーーー

 

 

「どうも初めましてカリウス会長。私はグレゴリーと申しまして、回復薬の製造販売をしております。本日はよろしくお願いします」

 

「お噂はかねがね。こちらこそよろしくお願いしますよグレゴリーさん」

 

 俺は商店街の中である程度目星をつけてから、商店街のある地区の町会長に会いに来ていた。

 

「さて、今日はどういったお話でしょう?」

 

「いえ、そんな大した話じゃないんですがね? 私どもは工場はあれど、通常の店舗は持っておりません。そこで今度どこかに店を構えたいと考えていまして」

 

「ははあ、なるほど。それでわざわざうちの所にまで来てくださったわけですか。いや分かりました。勿論グレゴリーさんなら何の問題もないですよ」

 

 メナスの作ってた回復薬が酷すぎて、普通に作っているだけなのに評価がうなぎ登りだ。

 

「ああそうですか? いやぁ我々、店舗を持った経験が無いものですから是非ともその辺りの事をご教授願いたいと思いまして、今日お伺いさせていただいた次第です」

 

 店をただ出すって言ったって何のノウハウも無いのにスムーズに店を構えられるはずがない。だからそういうのも込みで教えてもらいたくてわざわざ訪ねてきたのだ。

 

「私は回復薬の事はあまりよく知りませんが、あなたの作った回復薬はとても評判がいい。その店が出来るのならば我々の商店街にとってもプラスになります」

 

 おお、結構感触はいいな。この街にはここ以外にももう一つ商店街はあるけどこっちの方が良さそうだ。もう一つの方は忙しくて会えないって言われたからな。

 

「それでしたら今度ここかここの角の空いている───」

 

 俺は早速地図を見ながらどこに店舗を出したいかの交渉に入った。結局、カリウス会長は空いている候補地の中でも一番いい場所を貸してくれる事を快く承諾してくれた。さらに言えばノウハウを教えるための人材まで派遣してくれる事になった。

 

「いや〜今日は良いお話ができて良かった。ではまた今度伺いますから」

 

「ええお待ちしております。そうだ、最後にひとつだけ。この商店街に初めて店を構えるのならぜひ町会にも入っていただきたい」

 

 ああ、あるよねそういうの。商店街でやるお祭りとかも開催すんのかな? 多分手伝って欲しいとか言われるんだろうけどその為に来たようなもんだから寧ろちょうどいいな。

 

「勿論ですとも。ぜひ参加させていただきたい」

 

「そう言って頂けると助かりますよ」

 

 グレゴリー商会の第一号店を出店する目処が立った俺は上機嫌で家に戻っていった。

 

 

 ーーー

 

 

それからしばらく経った日、店舗を開く目処が立った俺達は、店舗の改装に取り掛かっていた。ほぼ居抜きで中身は変える必要がなかったけど、お色直しは絶対必要なんでね。

 

「ああ、マゴス君。それは壁に打ち込んじゃっていいやつだから。それとバートン、ちょっと曲がってないかその看板」

 

「え、どっちに曲がってるっすか?」

 

「右をもうちょっと上げて。そうそう、しっかり頼むよ。それはグレゴリー商会の第一号店の看板なんだから」

 

「やあどうもグレゴリーさん。せいが出ますね」

 

 改装工事をトンカチトンカチやっていると、町会長のカリウスさんが幼い息子さんと一緒に挨拶にやってきた。

 

「ああカリウス会長、ご無沙汰しています。そちらは息子さんですか?」

 

「ええ、まだ7歳になったばかりでして。今日、グレゴリーさんの事を話したら見にいってみたいって聞かなくて連れてきてしまいました」

 

 え、なんで? こんな小さな子が興味持つような要素、俺にあるか? そう思っていると、その男の子はカリウス会長の影からちょっとだけ顔を覗かせると遠慮がちに聞いてきた。

 

「おにいさんって冒険者なの? あっ、僕の名前はリュウトって言います」

 

 ちゃんと出てきて話しなさいと会長に怒られているリュウト君。多分この子、冒険者に憧れて気になって付いてきちゃったんだろうな。俺が冒険者でもあるって話は前にカリウス会長にしたし、回復薬自体そもそも冒険者向けだし。そう思うと可愛らしいものがあるな。

 

「初めまして。私はグレゴリーって言います。今度ここに回復薬のお店を開くことになりました。よろしくね」

 

 目線を合わせて割と丁寧に話したら、リュウト君はカリウス会長の影から出てきてお辞儀をした。そして目を輝かせながら宣言してくる。

 

「僕、大人になったら冒険者になりたいんです! どうやったらなれますか!」

 

 どうやったらも何も、登録だけだったら誰でも出来る。でもそういう事を聞きたいんじゃないんだろうな。俺みたいに名ばかりじゃなくてバートンとかサリアスさんみたいにバリバリ依頼をこなせるようになりたいんだろう。

 

 チラッとカリウス会長を見るとなんとも言えない困ったような顔をしていた。ははぁ、なるほど。その顔はあまり冒険者になって欲しいとは思ってない顔だな。実際、冒険者なんて安定した職ではないので気持ちは分かる。

 

 だったらこう答えるのが正解だな。

 

「冒険者になりたいんだったら沢山勉強しなきゃだめだよ。世の中には学ぶ事がいっぱいあるからね。だからお父さんの言う事をきちんと聞いて勉強するんだよ」

 

 思っていた内容とは全然違う答えだったのか、微妙な顔をするリュウト君。でもそれは正しい。本気で冒険者稼業で生きていくつもりなら勉強はそこまで重要ではないし、剣の腕でも磨いていた方がいいからだ。

 

「そうなんだ……」

 

「そうですよ。頭が良くないと一流にはなれません。それはどんな事でも一緒です」

 

 たまたまそばで話を聞いていたサリアスさんも俺の意図を察して合わせてくれる。バートンだけが、そんな事なくない? と言いたげな顔をしているがサリアスさんが黙らせる。

 

「分かった。なら僕、沢山勉強するよ!」

 

 よしよし、人の話を聞ける子は成長するよ。頑張って勉強しなさい。そしてそのままお父さんの後を継ぐなり何なり、もっと安定した職に就くといいよ。

 

 チラッとカリウス会長を見ると、会長はリュウト君に見えないようにこっそりとこちらに会釈していた。どうやら当たりだったみたいだな。

 

「さて、リュウト君も納得した事だし、中でも見ていきますか?」

 

「いや、今日は中までは遠慮させてもらいますよ。挨拶に来ただけですからね」

 

「そうですか。ではまた今度開店した時にでも」

 

「ええ、そうさせてもらいます。その時にはまた息子と一緒に来ますよ」

 



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困ったお客様

 

 店の開店準備に入ってから2週間、ようやく俺たちはグレゴリー商会の第一号店の開店に漕ぎつけることが出来た。

 

 開店のお祝いやら何やらの慌ただしい儀式を終えて、ようやく通常の営業形態に入る。すると、そこそこの人が回復薬を買いにくることが分かった。

 

 その多くはご近所さんだ。最初の開店祝いに来てくれた人達にお礼として回復薬を配りまくったのが良かった。

 

 貰った人達が調子が悪かった時に、そう言えば貰ったなという軽い気持ちで使ったら、目に見えて効果があったそうだ。

 

 本当はそんな栄養ドリンクみたいな疲労回復効果はあまり無いはずなんで、おそらくプラシーボ効果によるものだと思う。

 

 だけど、消費者がそう思ってくれているのならもういっか別に。ということでそのままにしておくことにした。

 

 別にこの世界に景品表示法があるわけでも無いし、疲労回復の効果が薄くても誰も文句言わんだろ。だってそもそもそんな効果があると銘打って売ってるわけじゃ無いんだし。

 

 とまぁそんなこんなで手頃な価格設定と、疲労回復効果を期待してか当初の予定よりもかなり多く売れた。いや、売れちゃったという方が正しい。

 

 なんで売れちゃった、なんてそんな嬉しくなさそうな表現をするかというと、ある所が文句を、と言うよりかは要望を出してきたからだ。

 

 いったいどこかと言うと、それはグレゴリー商会の最大のお得意様であるデリウス陸軍様だ。

 

「我らが軍上層部はこう仰せだ。回復薬が民生用と全く同じ効果というのは如何なものか、軍用にはもっと強力な物を納品してほしいとな。どうだ? 笑えるだろう?」

 

 そう冗談めかして告げるリヨン中佐は心底困ったという感じ。可哀想なリヨン中佐は少しやつれているようにも見える。

 

「正直意味が分かりませんね。どういう理屈ですかそれは」

 

 俺が両手でお手上げのポーズを取ると、中佐はどこか遠くを見ながら腹立たしげに舌打ちした。

 

「奇遇だな。私もさっぱり分からんのだよ。出来れば軍上層部に君が直接そう言ってくれると助かるのだが」

 

「勘弁してください。私がバラバラにされちゃいますよ」

 

 そんな意味不明な持論を展開してくる軍上層部なんて、絶対に気難しい爺さんに決まってる。そんな見えてる地雷を踏みに行くなんて馬鹿のする事だ。そんな自殺行為は絶対にお断りだね。

 

 リヨン中佐も俺の答えは初めから分かっていたようで、深いため息をついた。

 

「私もね、分からないなりに色々と考えてみたんだが、どうやらあの耄碌した爺さん連中。軍だけの特別感というかプレミア感が欲しいようなのだよ。ふざけた話だろう?」

 

 これはもう半分愚痴だな。この人は俺に愚痴を言いにきたんだ。それとやっぱり爺さんなんだな、軍上層部は。俺はそんなどうでも良い事を思いながら相槌を打った。

 

「なるほど。そうなると困りましたね。今のところ軍に納品している物と店で売っている物は全く同じですからね」

 

 というかそれだけじゃなく、冒険者ギルド内で売っている物も全部同じだ。でもそちらはあまり市井で評判にならなかったから軍が知る由も無かったんだろう。で、今回店で売り出して評判になったので、軍の耳に入っちゃったという訳らしい。はぁ……めんどくさいお客様だなぁ。

 

「そうするとアレですね、民生用を薄めて売る他ないですよ。現状の技術力ではこれ以上高濃度には濃縮出来ませんから」

 

 正直それ以外に方法は無い。研究開発で、もっと高濃度にする方法を模索する事は出来ると思うが、時間は掛かるしあんまりやりたくない。だっていったい誰が金を出してくれると言うのか。喫緊の課題でもないので前回みたいに軍が予算を付けてくれるとはとても思えない。

 

 だがしかし、その俺の提案にはリヨン中佐が難色を示した。

 

「いや、今更薄めて売り出してみろ。それでなんでそうしなければならなくなったのか市民が真相を知ったら大変だぞ。批判が軍に行くことになる。そうなったら今度は私がバラバラにされてしまうよ」

 

 濃度を半分にしたからって値段も半分にできるわけじゃ無いしね。容器のコストとか人件費とか掛かるし。そうなるとやっぱり文句は言われそうだ。

 

「確かにそれは困ります。軍としても中佐としても批判が行くのは避けたいでしょうしね」

 

 うーむ、軍と俺との間で板挟みになってるリヨン中佐がかわいそうだな。これはちょっと協力してあげた方がいいかも。

 

「分かりました。少しだけ時間をください。なんとか丸く収まるように考えますから」

 

「いや、ありがたい。もし上手く解決したら何かしらの礼はさせてもらう。私個人としてだけでなく補給課としてもだ」

 

「そうですか? まぁ上手く行くとは限りませんからそんなに期待しないで待っていてくださいよ」

 

 見返りを期待しつつ、リヨン中佐と約束したその日の午後、早速俺はアマル2000工場主任のカイルを呼び出して相談を始めた。

 

「かくかくしかじかで困ったことになったんだけど、もっと濃縮するってのは無理な相談だよな?」

 

「うーん……これ以上は厳しいですね。研究開発を進めれば可能だとは思いますが時間もかかるし、仮に出来たとしても飛躍的に濃度を上昇させるのは不可能です」

 

「だよなぁ……いや分かってたけどさぁ」

 

 予想通り難しいらしい。困ったな、どうしたもんか。いっその事、民生用は販売しない事にするか? 

 

 いや、もう店を持っちゃったし、機会損失甚だしいからそんなのは絶対にダメだ。うーむ、もっとなんかスマートな方法が絶対あると思うんだけどなぁ。

 

「軍人さん達にも困ったものですねぇ……規格を一つに絞ってるから安くついてるのに」

 

「全く、本当に困ったお客様だよ」

 

 結局、俺達はウンウン悩んだ末に何も良い案を思いつく事が出来ず、その日1日を終えた。

 



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差別化

 

「ねえねえちょっとちょっとカイル。俺良い事思いついちゃったんだけど」

 

「えっ? 思い付いたんですか? 昨日の件ですよね?」

 

 次の日、軍の無茶な要望を解決する良い方法を思いついた俺は、早速工場まで行ってカイルに意見を求めていた。

 

「えーとだね。説明の前に先に聞いときたいんだけども。例の回復薬からさ、疲労回復の成分だけ上手いこと抽出できたりしない?」 

 

「うーん、そうですねぇ……恐らく出来ると思いますよ。実際にやってみないと何とも言えないですが」

 

「もし無理そうならそういう材料集めて作るんでもいいんだけど」

 

「それなら確実に出来ますよ。材料を調べるのにちょっと掛かりますけどね」

 

「どれくらいの期間で出来る?」

 

「ええと……そうですね。ひと月は欲しいです」

 

「ほんとに!? そんなもんでいいの!?」

 

 死ぬほど時間が掛かるとか言われたら落胆してたけど、1ヶ月ならかなり早い方だ。だったら今から言う俺の考えは充分実現可能だぞ。

 

「えーと、順を追って説明すると……店をオープンしてから今まで結構な数の回復薬が売れたでしょう?」

 

「ええ、そうですねぇ」

 

「それで店で買った多くのお客さんはね、怪我の治療には全然使ってないらしいってのを思い出したわけ」

 

 あの回復薬のリピーターの多くが、疲れが取れるからという理由で買ってくれているのを思い出したのだ。

 

 当然の話といえば当然だが、一般市民は冒険者や軍人と違って日常生活で回復薬を使うほどの大怪我をする事なんてまずない。だから本来の目的で使うなんて状況がほとんど無いのだ。

 

「てことはだけど、今の回復薬を店で売るのはやめちゃって、疲労回復薬みたいなのを代わりに出せばいいんじゃないかって思ったのよ」

 

 どうせ怪我の治療に使わないんであれば疲労に特化した物を代わりに出せばいい。それで、既存の回復薬は軍専用にすればプレミア感が出るんじゃないかという寸法だ。

 

 もしそれでも軍のお偉いさんが今までと同じは嫌だとか言うんなら……ガワでも変えよう(あきらめよう)

 

「あぁなるほど。それなら向こう()も納得してくれるかもですね」

 

「だろ? それに疲労に特化した回復薬なら分かりやすいし街の人ももっと買ってくれると思うんだよね」

 

「ええ。ですが疲労回復薬をこの工場で作るのはスペース的に難しいと思いますよ。まぁ実際のところはやってみないと分からないですけど」

 

 うむ。確かにこのアマル2000工場は広いとはいえ、新しい生産ラインを増やせる程かというと、微妙なところがある。

 

「……となるとまた場所借りなきゃならないのか……まあいいや、その辺の事はこっちで何とかするからカイルは必要そうな材料をリストアップしてくれよ。採ってきてもらうか、市場で買うかするから」

 

「分かりました。そうとなったら思いつくやつを片っ端から挙げときますから任せてください。リストにしたらまた連絡します」

 

「おう、頼んだ!」

 

 とりあえず何とかなりそうな事が分かった俺は、しばらくこの件はカイルに任せることにした。

 

 

 ーーー

 

 

「へー、この店って2階はこんな感じになってるのね」

 

 ある日の午後、俺が1号店の2階で書類をまとめていると、レイラが店にやって来た。

 

「あれ? お前、今日の仕事はどうしたんだよ?」

 

「別にサボってやしないわ。午前中に必要分獲れたから今日はもう帰って来たのよ。私がいるとイヤ?」

 

「いいや? ただ珍しいなと思っただけ。そういやレイラってここに来るのは初めてだったっけ?」

 

「そうね、2階には来た事無いわね。開店の時に1階は見たけど」

 

 そうか、あの開店の日は忙しすぎてゆっくり建物全部を見て回る余裕も無かったのか。ならちょっくら説明しとくかね。

 

「結構いいとこだろ? 俺気に入っちゃってさ。最近はここで仕事してんだわ」

 

「そう聞いたからここに来たのよ。確かに静かね」

 

「商店街って普通うるさいだろ? だからか知らんけどここを建てた人は防音にこだわったらしくてな。全然外の音が聞こえてこないんだよ」

 

 1階は普通に外の音も聞こえるが、2階は本当に音が遮断されていてしんとしていた。

 俺は事務机から立ち上がって、そばにあった小さいソファに腰掛ける。レイラもポフッと音を立てて隣に座った。

 

「このソファも……ってレイラ、狭いよ。もっとそっち詰めろよ」

 

「貴方がそっち詰めなさいよ。ていうかこのソファ小さくない?」

 

「多分だけどコレ。超大きい1人用だから」

 

 そんな微妙なサイズのソファに無理して二人で座っている状態。レイラの太ももが俺の太ももにぴったりくっついているせいでぬくもりが伝わってくる。悔しい、レイラの癖にちょっとドキドキしちゃう。

 

「まぁいいじゃない、こういうのも。嫌だったらもっと大きいの買いなさいよ」

 

「あー、そうですねー本当ですねー」

 

 くっそ。もしや俺って男として認識されてないんじゃないか? 無害な人間だから無防備でも別に大丈夫だと思われてそう。そう思ったらなんか腹立って来たぞ。

 

「あのねぇ、一応俺は男なんですよ? 年頃の女の子がこんなにぴったりくっついてもし襲われでもしたらどうすんです?」

 

「へー、襲うの? 私を?」

 

「いや、襲わないけど……」

 

「心配せずとも、もしグレゴリーが襲って来ても普通に返り討ちに出来るわよ。私は貴方と違って現役の冒険者なのよ?」

 

 はい、そうでした。レイラは強いんでした。ついついレイラはか弱いというイメージがあって、そんな事を言ってしまった。それもこれもあの時市場でミスターXに尾けられて震えていたレイラが頭に残っているからだ。

 

「じゃあ問題ないか」

 

「そうよ。問題無いわ」

 

 うん? いやそうはならんよな? 問題ありまくりだよな? この状況、レイラにとっては気にならないにしてもD.Tの俺には刺激が強すぎる。そうだ、これを妹がしてると思えばなんてことは……いやいや俺の妹は絶対こんな事してこねえよ。もうどうすりゃいいのか分かんねえ。

 

 俺が何も出来ずに固まっていると、なんとレイラはあろう事か俺の左肩にコテンと頭を預けて来た。

 

「!?!!??!?」

 

 ちょいちょいちょいちょい!! どういう事!? 普通、好きでも無いやつにこんな事するか!? レイラって実は俺に気があっちゃったりするの!?

 

 いやだが待て、早まるな。俺には経験が無いから判断がつかん! これでもし俺のこと好きなの? って聞いて違ってたら、俺はとんでもない勘違い野郎って事になる。そんな事になったら多分俺は恥ずかしさで死ぬ。

 

「あのーちょっとレイラさん? これはいったいどういう事でしょうか?」

 

「別にぃ?」

 

 別にぃじゃねえよ。こっちはD.Tだから勘違いしそうなんだよ。

 よし、今こそ前世の記憶を頼る時だ。思い出せ、前世でたくさん見て来たリア充達はどうしてた? リア充女共は男友達にこんなふうに気を許してたか? うん? おかしいな? 脳内検索してもなんも出てこないぞ?

 

 俺がリア充偏差値30くらいの頭脳をフル回転させてこの状況の答えを得ようとしていると、レイラが突然肩を震わせ始めた。

 

「ぷっ……クスッ……あははははっ! ねぇ今ドキッとした? もしかしてドキッとしちゃったの?」

 

 そのまま立ち上がってこっちを向いてケラケラ笑っているレイラを見て一瞬で冷静になる。あー、はい。これはアレですわね。からかってましたわね、この私を。

 

「てんめぇ……いい度胸してんじゃねえか……俺を怒らせたらどうなるか思い知らせてやろうか?」

 

「きゃーこわーい。逃げろー」

 

 そんな全く怖くなさそうな言い方で、レイラはドアの向こうに駆け寄っていくと、顔だけこっちに覗かせてあっかんべーをする。

 

「こないだのお返し! じゃあね!」

 

 それだけ言ってレイラはパタンとドアを閉める。そして階段をタタタと駆け降りていく音が微かに聞こえた。

 

「……」

 

 俺は窓の外の景色を黙って見上げたまま思った。俺のドキドキを返してほしいなと。

 




魔王「いったい俺は何を見させられているんだ……」


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栄養ドリンクみたいな何か

 

「どうですか……? なるべく甘くなるように調整してみたんですが」

 

 俺は、カイルから渡された試作の疲労回復薬をグビリと呷った。

 

 苦い飲み物に甘い何かを無理やり混ぜたような濃い味がする。なんとも表現し難い味……って程でもないな。ぶっちゃけ地球の栄養ドリンクみたいな味だ。これなら効果もありそうな気がする。

 

「味はそこそこだな」

 

 それになんとなく効果も感じられるような気がして来た。多分気のせいだけど。

 

「いやー良かったです。味はちょっと無理やり感あったんで、ダメって言われたらどうしようかと」

 

 ああ、やっぱり無理やりなんだ。でも日本で売ってたような栄養ドリンクと大差無いなので問題無いと思う。

 

「まぁ大丈夫じゃない? それで今までの回復薬と比較してコストはどれくらいかかるの?」

 

「その大きさでしたら材料費だけでだいたい3分の2程度ですかね」

 

 初期投資は仕方ないにしても、材料費が下げられたなら充分すぎるほどだ。よし、これで行こう。

 

「これ、もう2、3本貰ってっていいかな? リヨン中佐とその部署の人達に説明するのに使うからさ」

 

「ええ、勿論です。出来れば感想の方も教えて頂けると助かりますね」

 

 

 ーーー

 

 

「ふーむ、なるほど。これがその疲労回復薬か」

 

 リヨン中佐と補給課の面々は、俺が手渡した薄黄色の液体が入った瓶を興味深そうに見つめた。

 

「これは飲んでみても大丈夫なのかな?」

 

「ええ、勿論。そちらは差し上げます」

 

「そうか。ならちょっと失礼して」

 

 リヨン中佐は瓶をまるでファイトがイッパツな栄養ドリンクのCMみたいにラッパ飲みした。

 

「不思議な味だな。効果は……本当にあるのか?」

 

「そんなすぐに効果があったら怖いですって。それにそもそも疲れてないと意味がないですから」

 

「疲労は充分溜まっているはずだから意味無いはずはないんだがな。少し時間をおいてみるよ」

 

 カイルが時間をかけて作ったものなので効果はある、はずだ。

 

 ちょっと心配になって来たな。一度試供品として店で配ってみてから正式に決めた方が良いかもしれない。全然売れなかった、なんてことになったら痛い目を見ることになるし。

 

「ま、とにかく計画はさっき説明した通りです。それを、市民向けに売っている回復薬と置き換える。そうすれば現在の回復薬を軍専用として納品できる」

 

「そうか。いやしかし、今までと変わらないとなると上層部が納得するかは怪しいところだぞ」

 

「……それはガワを変えるか、名前を変えるかでなんとかなりませんかね? そもそもが無茶な要求なんだからこれくらいで納得してもらわないと」

 

「そりゃあそうだ。そう説得するのは私の仕事か」

 

 そうだそうだ。こっちは出された要求に最大限応えるのが仕事であって訳のわからん軍上層部の説得までは知ったこっちゃねえ。

 

「お互い苦労しますね。ただ、まだ何かいい方法があるかもしれませんから。良い案があったら聞かせてください」

 

「ああ、我々補給課でも何か考えてみるよ」

 

 リヨン中佐はそう言って残っていた疲労回復薬を飲み干した。

 

「あぁそうだった。ところで全然関係無い話で申し訳ないがちょっといいか?」

 

「なんです?」

 

「そういえば君は以前、果ての集落の住民を盗賊から助け出した事があったな?」

 

 あぁ、俺が魔王様に人間界に送り込まれて最初に遭遇した例の集落壊滅事件の事か。

 

「ありましたね。それがどうしました?」

 

「いや、どうもあの事件の調査が終了したらしくてな。ジャネット大佐が当事者のお前にも一度報告をしておきたいそうだ。今度空いてるか?」

 

 へー。あの事件について軍も一応調査とかしてたのか。むしろそっちの方が驚きだ。

 

 俺達もそれなりに調査はしてたけど、クレイについてはカスリもしないので事実上終了していたようなもんだ。だから軍の見解を聞いておくのも悪くないな。

 

「勿論空いてますよ。わざわざありがとうございます。では早速日程の方を───」

 

 

 ーーー

 

 

 中佐に代替案を提示をしてから暫くが経った。

 

 試供品として疲労回復薬を店に並べた最初の頃は、評判はあまり芳しくなかった。確実に今までの回復薬よりも効果があるはずなのにも関わらずだ。

 

 恐らくだけど、疲労回復に効果があると謳って売っているので無駄にハードルが上がってるんだろうと思う。そのせいで効果が感じられにくくなってるのかもしれない。

 

 しかし、発売時の値段は元々の回復薬の3分の2ほどに抑えられていると説明すると、それなら買うよと言ってくれる人が殆どだった。

 

 正式に発売を始めてからはじわじわと売れ行きが上がっていって、最終的には回復薬を売っていた頃と同じくらいの売り上げに戻った。

 

 軍上層部には、リヨン中佐の説得が功を奏したのか、当初の計画通り回復薬をほぼ軍専用にする事で納得してもらえた。

 

 これでやっとなんとか最大の顧客である軍の無茶な要求をいなせた。しかし現実は非情である。しばらくはゆっくり出来そうだとホッとしていたのも束の間、また問題が発生した。

 

「は……? 今度は疲労回復薬の方も納品しろって言うんですか?」

 

「いやもう本当にすまないと思ってる……! こういうことはもうこれっきりにするから頼むよ!」

 

 リヨン中佐は困りきった表情で俺に拝み倒して来た。増産は嬉しいくらいなんで別に構わないんだけど本当に買ってもらえるんだろうか。増産体制に入った瞬間、やっぱ買うのやめた、なんて言われたらたまったもんじゃない。

 

 俺がその事を確認すると、これから2年間は継続的に買ってくれることを約束してくれた。

 

「ありがとう! 礼は必ずするから」

 

「はぁ……まぁ2年間継続購入してくれるんならそれで構いませんので頭をあげてください」

 

 結局、グレゴリー商会は回復薬と疲労回復薬の両方を軍に納品する事になった。俺たちの苦労っていったい……

 



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デリウス軍自演説

誤字報告してくれた人ありがとう


 

「久方ぶりだな、グレゴリー君。わざわざ呼び出してすまないね。リヨン中佐から話は聞いているかね?」

 

 しばらく経ったある日、ジャネット大佐から呼び出された俺はトールと共に、なんちゃらコレクションの提督がいそうな、どえらい執務室に来ていた。

 

「ええ、何でもあの集落壊滅事件で報告したいことがあるとか?」

 

 俺がリヨン中佐から伝え聞いた通りに話すとジャネット大佐はバツが悪そうに答えた。

 

「まぁ報告したいことがある、というよりかはただ単に調査が完了したというだけなんだがな。今回は一応当事者である君にも伝えておかなければと思っただけだ」

 

 調査が完了したっていう言い方から考えて、これは何も分からなかったんだろうな。そうは分かっていてもズバズバ言えないので適当にお茶を濁す。

 

「それはわざわざありはとうございます。結局あの後、私が話した洞窟から新たに何か分かった事はあったんですか?」

 

「残念ながら君から知りえた情報以外には特に出てこなかったよ」

 

「あぁ、そうですか。それは残念です」

 

 実はあの日、村人を救出してからの出来事は全部正直には話していない。

 

 話した内容は、()()()()(嘘だけど)依頼で向かった先に盗賊団のアジトがあって、襲われた事(これも嘘だけど)。なのでそれを返り討ちにした事。それと、帰る途中でも盗賊団の仲間に襲われたので15人ほど退治した事だ。

 

 ぶっちゃけ、あの洞窟にたどり着いたプロセスが知られたらまずいのであって、他は正直に言っても何にも問題がないのでそれ以外は普通に話した。

 

 あぁ、そう言えばあの時洞窟に縛って置いてきた盗賊はどうなったかと言うと全部逃げられた。

 

 街に帰る途中で会ったクレイの手下の半分が洞窟に向かって行ったのは確認したのでそいつらと一緒に逃げたんだろうと思う。

 

 あの時魔王様の偵察機……じゃなかった使い魔に、洞窟に向かっていったクレイの手下を追跡して貰えば良かったけど、気が動転しててそこまで考えが及ばなかった。あれは割と致命的なミスな気がする。しかしそんな事を今更悔やんでもしょうがない。

 

「あの犯人共が通信機で連絡を取っていた相手 “クレイ” についてはどれほど調査しましたか?」

 

「詳しくは機密情報になるから申し上げられないが、実施した内容はほとんど無駄に終わったと言っていい」

 

 そう大佐は答えてくれたけど、正直あんまり信用してない。軍人は戦争が起こった方が色々と都合が良かったりするから隠してる可能性もある。

 

 まぁだからこそ嘘発見機のトールを連れてきたんだけど。

 

 その後、特に盛り上がることもなく適当に世間話をして俺とトールは引き揚げた。帰る道すがら、俺はトールの肩に手を置きながら顔を寄せる。

 

「で、どうだったの?」

 

「ん? ああ、別に嘘はついてなかったぜ。全部真だ」

 

 なーんだハズレ。まぁそんな簡単に当たったら面白くないか。

 

「ふーん。まぁ大佐クラスでも知らされてない可能性があるからまだ疑念が晴れたわけじゃないけどね」

 

 俺がちょっと残念そうにそう言うと、トールが不思議そうに聞いてくる。

 

「いやしかし、なんでお前は軍に対してそんなに疑り深いんだよ。前に部下でも殺されたのか?」

 

「いいや? 別に特に恨みは無いけど軍が一番疑わしいからなぁ。あの事件の主犯としては」

 

 戦争を起こしたい連中なんて軍隊か軍隊に関係ある団体くらいしかない。それにもう一つだけ疑っている理由がある。

 

「あの事件の解せない点が2つあってさ? あぁ別にコレ、話しても大丈夫な奴ね」

 

「了解」

 

「1つ目はさ、普通戦争起こしたかったら、わざわざ住民捕まえるか? 殺しちゃえばいいじゃないの」

 

 連れ去って洞窟に押し込んどく意味がさっぱり分からない。魔族が自国民捕まえて連れてっちゃいました、よりも魔族が自国民虐殺しました、の方がよっぽど開戦の理由としては強くなる。

 

「うーん……まぁ流石に殺すのは良心の呵責に耐えかねたとかか? ……いや、それは無いな」

 

「だろ? これから戦争やろうって奴がそんなの気にするわけがない。で、それは一旦置いといて、もう1つの疑問がこれだ。盗賊共がずーっとオーガの振りをし続けてたって話」

 

「ああ、なんかそんなこと言ってたな。……そういや意味が分かんねえな? なんでそんな事を?」

 

 俺達が盗賊どもを縛り上げた時、住民を連れてきてから何週間も経過していたのに、依然として奴らはオーガの振りをし続けていた。

 

 結局あの時はごちゃごちゃしてて有耶無耶になったけど、考えれば考えるほど摩訶不思議だ。

 

「で、まぁ俺はその二つの疑問を解消するある仮説を立てたわけよ」

 

 例えばあの村人達があのままオーガに捕まっていると思い込み続けたとする。そこに俺達ではなく、デリウス陸軍が颯爽と助けに現れる。オーガは即座に退治されて無事に村人は救出される。こんなシナリオ。

 

「で、そうなったらどうなると思う?」

 

「どうなるって……めでたいな?」

 

「そうそう、めでたいだろ? 国民はみんなこう思うだろうな。“最近戦争無くて軍なんて要らないと思ってたけど、やっぱり軍は必要だね!”ってな」

 

 何しろ魔族に捕らえられていた村人を全員無事に救出するのだ。信じがたい奇跡。軍の評価はうなぎ上りだろう。

 

「……まさか全部自演するつもりで?」

 

 トールは暫く考え込んだ様子で歩き続けた。

 

「もっと言うとな? そんな感じで国民がお祝いムードの時に、軍が予算増やして欲しいなって言い出したら断れるか? 少なくとも完全に無視は出来ない。そうなりゃめでたく()()()()()()()()()()()予算増額だ」

 

 一応辻褄は会う。でも自分で言っといてなんだけど、ちょっと飛躍し過ぎな感じはする。実際ただのマッチポンプならもっと上手いやり方はありそうだし。

 

「……けどお前、そうなるとクレイって奴は戦争をしたいわけじゃないって事にならねえか?」

 

「そうなんだよねぇ……」

 

 そこがちょっと難しいところなんですよね〜。でもそれは軍が戦争をしたいという前提に立ってるからおかしいと思うんじゃないだろうか? 

 

 例えば、あくまでも軍が戦争をしたがる理由は国内での権力や使える予算を増やすため。こういう前提に立って考え直したら、俺が考えた妄想も多少は現実味を帯びてくるかもしれない。

 

 ……まぁそれでもやっぱりこの説は無いな。もしも俺がデリウス軍だったとして、マッチポンプをやるんだったら住民や盗賊共は全部関係者で固めるからな。わざわざ何も分かってない民間人を使ったりなんて絶対にしない。

 

 うーん。なーんか惜しいとこまで来てると思うんだけどなー。何かが足りないんだよなぁ。何かが。

 

「で、まぁよく分かんないからこそ今日お前を連れてきたって訳だよ。そんなわけでこれからもこんな事を頼むかも分からん。その時はよろしくな」

 

 

 ーーー

 

 

 それからしばらく経ったある日、我らが町会長、カリウスさんがとある相談を持ちかけてきた。

 

「参りましたよ。あのロイスさんとこの脇から入れる細い道があるでしょう? どうやらあの先の空き家だった場所にちょっと怖い人達が入ってしまったみたいで」

 

 怖い人達というのはヤのつくお仕事とか足して20のお仕事とかそんな感じの人達の事らしい。

 

「そりゃ参りましたね。治安が悪くなりそうだ。何か策はあるんですか?」

 

 無論追い出すための策だ。誰が土地を買おうが法律違反では無いので正式な手続きで追い出すのは難しい。だから恐らくは非合法な手段を使って追い出す事になる。

 

「まだ何も思いついていない状況です。困ってしまったのでそういう方面に強そうなあなたの知恵を借りられないかと思って会いに来た次第なんですよ」

 

 そういう方面に強そうって……いったい俺はカリウスさんにどういう存在だと思われているんだろうか? 店に軍関係の人がちょこちょこ出入りするようになったせいだと信じたい。

 

「そんなこと言われましても……そうですね、他の勢力に頼るっていうのはどうでしょう?」

 

「いや、私こういう経験初めてでして。そういった組織とは無縁なのです。むしろグレゴリーさんはそういった組織はご存知ありませんか?」

 

 いやだからご存知無いよ。腕っ節の強い冒険者抱えてるからってそんな実力で排除しちゃえるような組織と面識あるとか思わないで欲しい。まさかデリウス軍ぶつける訳にもいかないしね。

 

 うーん、どうしようかな。ちょっと情報集めて大した事なさそうだったら俺達魔王軍で片付けちゃうか? 多分ちゃんと準備すれば追い出せるとは思うんだよな。ただ、その後の報復とかがめんどくさそうだ。

 

 つまりあれか。こっちの後ろ盾になってくれる団体を探せばいいのか。

 

「少し時間をください。色々考えてみます。勿論何もできないかもしれませんが」

 

「本当ですか! もし無事に解決できたならお礼は必ずいたします」

 

 なんかどっかで聞いたようなセリフだな。ああそうだ、回復薬の件でリヨン中佐から似たようなセリフを聞いたんだ。どうせなら今回、そのリヨン中佐の貸しを使ってもいいかもしれないな。

 

 カリウス会長に別れを告げた俺は、早速中佐に会いに軍の本部に向かった。

 

「───と、言うわけで、中佐の名前を貸してほしいんです」

 

 俺が事情を説明すると、中佐は腕を組んで難しそうに答えた。

 

「うーむ、君には借りがあるしなんとかしてやりたいが、私の一存では難しいものがあるな。そもそもあまり軍は治安維持には関与してないからな」

 

 むー、こりゃ期待外れだな。まぁ当然っちゃ当然か。なんか他の手を探すとしよう。

 

「そうですか……じゃあ他を──」

 

「ああ、いや待て。そういう荒くれ者に対して最適な団体を俺は知っているぞ。近衛師団だ。一人、上の立場の人間を知っているから紹介してやろう」

 

 なるほど近衛師団ね。よくよく考えたら街の治安維持を行ってるのは近衛だからそっちの方が専門家か。

 

「ならそれでお願いしますよ。私としても変なのに商店街をうろうろされるのは困りますから。追い出すなら徹底的に追い出したい」

 

「すぐに連絡を取るよ。君の空いている日時を教えてくれ」

 

 こうして近衛の幹部に会う算段をつけた俺は、家に戻って、どうやって荒くれ者共を追い出そうか考え始めた。

 



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4章 反社会勢力を追い出せ!
近衛師団


 

「マゴス君。悪いんだけどあのゴロツキ共についてちょっと調べてもらえる? あ、ごめんやっぱりいいわ。他の人に頼むから」

 

 マゴス君にギャングの調査を頼もうかと思ったけど、めちゃくちゃ疲れた顔をしてたので頼むのを止める。

 

 そういえば追加の人員を増やさなきゃなと思っていたのに忘れていた。いい加減、諜報関係の仕事ができる人員を増やさないとマゴス君達が過労死しちゃう。

 

「ちょうど人員を増やそうと思っててさ。良い機会だから増やす事にするよ。それでその増やした奴に頼むから」

 

「ああ、そうですか? それは正直助かります……」

 

 マゴス君が死んだ魚の目をしている……今度社員旅行的なのに連れて行ってあげよう。俺は心の中でそう固く誓った。

 

 ああそうだ。あとどうせなら追加の人員の希望を聞いてあげるか。

 

「ところで増やす人員についてだけど……諜報部に誰かめぼしい奴いないかな? なんか希望があればその人に来られないか聞いてみるけど」

 

 仲がいいとか悪いとかあるだろうし、職場環境はなるべく希望に沿ってあげたい。せめてもの償いだ。

 

「うーん、そうですね……だったらアイリスという子に聞いてみて頂けませんか?」

 

 マゴス君曰く、諜報の仕事で男だと都合が悪いこともあるらしくて、一人くらいは女の子が欲しいらしい。

 というか今までクラウス君と男二人でやらせてたのも辛かっただろうな。全く酷い上司だな、顔が見てみたいよ。

 

「アイリスちゃんね。分かった、ちょっと聞いてみるよ」

 

 俺は了解するとすぐに魔王様に連絡してアイリスちゃんを通話口に呼び出した。

 

「ああ、もしもし? 君がアイリスちゃん? 俺は参謀本部長のグレゴリーだけど」

 

『な、な、な、なんでございましょうか!? 私が何か粗相を!』

 

 いやいや、そんなわざわざ呼び出して怒ったりしないよ……なんで俺って直接会った事ない魔王軍の連中に、ことごとく怖いイメージを持たれてるんだろうか? 今度ちゃんと調べた方が良さそうだな。

 

 まぁそれは置いておいて、超テンパっているアイリスちゃんに事と次第を説明する。

 説明の最後にこれはマゴス君たっての願いなんだよと言ったら、彼女はスッと落ち着きを取り戻して、じゃあ行きますと即答した。

 

「分かったよ、じゃあそういう事で。また詳細は近いうちに連絡するから用意はしておいてね。それじゃあ」

 

 俺は通話を切ると、そっとマゴス君の肩に手を置いた。

 

「マゴス君、随分愛されてるじゃあないの。アイリスちゃんは君の彼女かい?」

 

「え、いや別にそんなんじゃないですよ。本当ですって!」

 

 ちょっと聞いてみただけなのにえらい否定してくる。

 

 ああそうか、自分の彼女を呼び寄せました、じゃあ公私混同甚だしいから否定するしかないのか。別に俺はそんな堅苦しいこと言わないから気にする必要は無いのに。

 

「別に隠すことはないさ。俺は仕事さえしっかりしてくれれば公私混同は気にしないタイプの理解ある上司だからね。ま、色々頑張ってな」

 

「いや、その……はい……分かりました」

 

「式を挙げるときは俺が仲人やってあげるよ」

 

 まだ俺結婚すらしてないから仲人出来ないけどな!

 

「いやいやいや! ()()そういうんじゃ無いですから! 違いますって!」

 

 ほう? ()()って言いよったよこの子。どうもそのうちそうなる気はあるらしい。

 

 マゴス君は自分から白状してしまった事に気付く事なく、違いますからと否定し続けた。

 

 

 ーーー

 

 

 次の週、近衛師団にいるリヨン中佐の知り合いと会う約束をしていた日が来た。

 

 紹介された人物に会うために、近衛師団の本部を訪れた俺は、そこで予想以上の歓待を受けて少し戸惑っていた。

 

「ようこそ近衛へグレゴリーさん! 待っていましたよ。早くお会いしたくて首を長くしていました。楽しみすぎてこんなものまで用意してしまいましたよ!」

 

 その人物にそう言われて奥のテーブルを見ると、デッカいホールのケーキが置かれていた。いやいやなんでそんなもん用意してんだ。二人じゃ食えねえよそんなの。

 

 まるで誕生日に学校のクラスでサプライズを仕掛けられた時みたいな気分だ。あれにちょっと似てる。

 

「えらい歓迎のされようで少々驚いていますがグレゴリー商会の会長をしておりますグレゴリーです。本日はよろしくお願いたします」

 

「ああ、いけないいけない。私とした事がまだ名乗ってもいなかった。私は近衛師団第5連隊長のアナンと申します。どうも本日はよろしくお願いします」

 

 連隊長って言うと軍で言うところの大佐か中佐クラスだ。まあつまりそこそこ偉いということだ。

 

「ところで……なぜこのような?」

 

 謎の歓迎っぷりの理由を聞くと、アナンさんは面白おかしく話してくれた。

 

 なんとアナン連隊長、この前までは連隊長ではなかったらしい。ところが俺の書いたあの匿名文書のおかげで、サージェス一味の大摘発と内部にいた裏切り者の処分までできたので、その事を評価されて大躍進したそうなのだ。

 

 なるほど。あの後、近衛内部でそんな動きがあったとは。

 

 そりゃあ俺を歓迎するのもよく分かる。結果としてあの文書は俺が書いたとバレてしまった訳だけど、それはそれで逆によかったのかもしれない。

 

 これだったら俺のお願いも聞いてくれそうだ。

 

「それはご栄達おめでとうございます。あれを調べるのはかなり骨が折れましたからお役に立てたなら光栄です」

 

 まぁ別にアナンさんのために書いたわけじゃ無いけど、恩を着せられるのなら着せとけの精神だ。

 

「あれからいろいろと上手く回り出して近衛も正常な組織に戻りつつあります。貴方のおかげですよ。ところで今日は何かお願いがあるとか?」

 

「ええ、実はちょっとばかし困っておりまして……」

 

 俺は商店街で起こっている問題を事細かく説明した。

 

「うむ、確かにそれは難しいですな。我々も法を犯していないうちから逮捕や捜査は出来ないですから、我々近衛が直接手を下す事は出来ません」

 

 だよねぇ。あんまりこの国の法律とか詳しいわけじゃないから分からないけど令状とかいるんだろうと思う。だがしかしちゃんとその辺は考えて来たのだ。

 

「そうでしょう? ですからお願いというのはですね───」

 

 俺は心に秘めていたある計画を誰にも聞かれないように小さな声で話して聞かせた。それを聞いたアナン連隊長はニヤリと笑う。

 

「それは……いいですね。それならば我々も気兼ねなく介入できそうだ」

 



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アイリスちゃんとゴンザレス君

 

「どう? アイリスちゃん。あいつらについて何か分かった?」

 

「ええ、そんなに多くはないですが、どういった組織なのかは分かりました」

 

 アイリスちゃんをメルスクに呼んでから1週間が経過していた。今回彼女に頼んだ事は、あのゴロツキ共の素性を調べてもらう事だ。

 

「えーと……ではまず名前からですね。大元の組織は“ヘルサイス”というそこそこ大きい組織のようです。生業は主に賭博、風俗、地上げ……まぁロクなものでは無いですね」

 

 “ヘルサイス”ね。なんか随分バカっぽい名前だな。それにやってる事もほとんど暴力団みたいなものだ。

 

 だがしかし、大元が大きい組織となるとめんどくさいぞ。下手に手を出して報復されても困ってしまう。こっちとしても穏便に済ませられるなら済ませたいんだけど、どうせ上手く行かないんだろうなぁ。

 

「本拠地は王都にあるみたいで、今回はこの街に進出したくて事務所を構えたようなんです。放っておけば酷いことになるのは間違いないですね」

 

「うわぁ、最悪だなそりゃ」

 

 そんな訳のわからん奴らが闊歩するようになったらうちの商店街は大打撃だ。俺達も商品が売れなくなる可能性が高い。これは絶対に阻止しなきゃな。

 

「ありがとう。そんだけ分かれば大したもんだよ。初仕事お疲れ様」

 

「いえ、私だけじゃなくてマゴス君にも手伝ってもらいましたから」

 

 ああ、そうなんだ。一応アイリスちゃんがこっちでの生活に慣れるまで、サポート役としてマゴス君を任命したけど仕事まで手伝っちゃうとは。これは愛か、愛だな。

 

「ほんじゃあアレだな。とりあえず最初は穏便に話し合いに行くとして、誰を連れてったらいいかだな。せめて護衛に2人は欲しいとこだけど」

 

 実際の所はうちの商会。いきなりぶっ飛ばしに行ってもなんとかなりそうなメンツは揃ってはいる。でも、いくらなんでもそれはあまりにも穏やかじゃないので一応筋は通すべきだ。

 

「サリアスさんならたぶん何も言わなくてもついて行ってくれると思いますよ。参謀長……じゃなかった会長を信頼してますから」

 

「今は誰も居ないからいいけど、人間がいるとこでは間違って呼ばないようにね。参謀長ってなんぞやって話になるからね」

 

「すみません、気を付けます」

 

 人間界では参謀長ではなく、会長と呼ぶか名前で呼ぶようにみんなに伝えてある。

 

 まぁ別に、もしうっかり呼んじゃったとしても、冗談でそう呼ばせてるんですよとか言っとけば俺のお茶目さがアピール出来るので、誰かやらかさないかなと実は思っていたりする。

 

「それはいいとして、もともとサリアスさんは連れて行くつもりだったよ。問題はあともう一人、強いのも条件としては必要なんだけど強面で威圧感ある奴が良いんだよな」

 

 サリアスさんが聞いたらちょっと不機嫌になりそうだけど、正直サリアスさんに威圧感は無い。たぶん出せるとしても殺気になっちゃうからちょっと今回必要なものとは違う気がする。

 

「今こっちに来てる人で威圧感のある人ですか? そう言われてみると居ませんね」

 

 そうなのだ。全然威圧感の無い良い職場なのだ。みんなはそんな職場を提供している魔王軍参謀長に感謝するべきなのだ。

 

「で、誰かちょうどいいのを呼ぼうかと思ってるんだけど、アイリスちゃんは魔王軍で誰か怖い奴に心当たりない?」

 

「それ、かなり答えにくい質問じゃないですか? そりゃ居ますよ? もちろん居ますけどそれを言っちゃうと……」

 

 いかん。これが無茶振りと言うやつか。

 

「ああ大丈夫大丈夫。アイリスちゃんが言ってたって言わないから。安心して言っていいよ」

 

 俺が慌ててそう伝えたらアイリスちゃんは、それならばという感じで話し始めた。

 

「新兵教官のガリスさんは怖いと思いましたね。ちゃんとやってたら怒られないんですけど、他の人が怒鳴られてるのを見たらこっちの胃までキュッてなっちゃいますよ」

 

 指導教官のガリス軍曹、別にオーガ族じゃないけど俺は心の中で鬼教官ガリスと呼んでいる。

 

 かなり背が高く、例えるならばあの有名なベトナム戦争の映画に出てくるハート◯ン軍曹みたいな口調で話す、生粋の軍人だ。

 実は、今回来てもらおうかと最初に頭に思い浮かんだ一人である。ただ、あの人はかなり忙しくてたぶんこっちに来る暇は無い。

 

「ガリスさん、たぶん忙しいから無理だと思うの。もうちょっと暇そうな奴が良いんだけど……」

 

「うーん……そうですね。見た目だけでいいんでしたら彼なんかいいかもしれません」

 

 

 ーーー

 

 

 ゴンザレス、というのがアイリスちゃんが指名した男の名だった。

 

 その男はマゴス君とアイリスちゃんの同期で、魔王軍に入ってから仲良くなったらしい。しかし、新兵教育期間を終えてから違う部隊に配属されてしまったので、最近はあまり会っていないようだった。

 

 そのゴンザレス君を呼び寄せて、今まさに話をしているのだが、なんというか会話が弾まなかった。

 

「デカイね君。マゴス君と同期なんだろ?」

 

「……ウス。そうっす」

 

 寡黙だ。絵に描いたような寡黙さだ。どうもこれは緊張してる感じじゃないぞ。元からこんな喋り方な気がする。男は黙って背中で語るのがポリシーみたいなそんなタイプ。

 

 俺は何というか大正時代の男みたいな珍しいものを見た気分になりながら、今回の計画と危険性、やってもらいたい事なんかをざっと説明した。

 

「───とまあ、そんなわけで君を呼んだんだけどどうかな。やれそうかい?」

 

「……ウス。やります」

 

 このガタイの良さならそこそこ強いだろうけどほんとに大丈夫だろうか。まあ何事も無ければただ突っ立ってるだけで終わるのでそこまで心配せんでいいか。サリアスさんもいるしね。

 

 とりあえずゴンザレス君とサリアスさんと俺の3人でヘルサイスとやらの元に直談判に行くとしよう。

 



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話し合いはおしまい!

 俺達はヘルサイスが買った土地を手放すよう迫るために、問題の建物まで来ていた。

 

「はいはいどーもこんにちはー。グレゴリー商会ですー。商店街の代表で来ましたー」

 

 そんな超適当な挨拶をしながらヘルサイスの事務所の中に入って行く。俺を先頭に右後ろにはサリアスさん、左後ろにはゴンザレス君の布陣だ。

 

 この話し合いは、一応平和的に解決しようとしましたよ、というポーズのためにやっているだけで、本気で解決するとは思っていない。だからまぁこんなのは適当でいいのだ、適当で。

 

「何だぁ貴様ら。礼儀ってもんがなっとらんなぁ! このリン・レイビン様に対してようそんななめ腐った態度取れたなぁ!!」

 

 いや誰だよ、レイビンって。知らねえよ。ていうかいきなり恫喝だよ。流石はヘルサイスとかいう恥ずかしい名前してるだけあるわ。昨今じゃ小学生でも恥ずかしくてこんな名前つけられねえよ。

 

 うん、ちょっと怖いけど、魔王プロテクションあるしサリアスさんいるし俺も任侠映画みたいな事やってみよう。一度やってみたかったんだよね。

 

 俺は奥にあったソファにドカッとふんぞりかえって、いきなり煽り全開で捲し立てた。

 

「おうおう! しけてんなぁ、この店は! 客に茶も出さねえのか! 礼儀どうこうはお前らの方が出来てねえんじゃねえのか?」

 

 噛まずに言えたのでよしとしよう。レイビンもまさか俺がこんな行動をするとは思ってなかったのか、一瞬呆気にとられる。

 

 レイビンはそんな俺を見て、コイツはただの商店街の使いで来たんじゃ無いなと思ったらしい。ドスの効いた声で探りを入れてきた。

 

「てめえ何処のモンだ……返答次第じゃ生かして帰さねえぞ……」

 

「あ? さっき言っただろ? 商店街の使いのグレゴリー商会だって。聞いてなかったのか?」

 

 まぁただの商店街の使いがこんな堂々とヤクザの事務所の真ん中でふんぞり返ってる訳が無いので、それはある意味正しい疑問かもしれない。

 

「そんなわけが───」

 

 レイビンが何か言う前に、カリウス会長に託された用紙を突きつける。

 

「これを見ろ。これな、今ならてめえらが買ったこの土地と建物を同じ金額で買い取りますよっていうありがた〜い紙切れだ」

 

 レイビンがバシッと紙を俺の手から奪い取ると、目を行ったり来たりさせながら読み進めていく。やがて読み終えたレイビンはニヤリと笑った。

 

「ほう? コイツを用意した奴は礼儀が分かってるじゃねえか。その誠意に免じて出て行ってやってもいいぜ。本当だ」

 

 あ〜この顔、ぜってえ嘘だわ。トールが持ってる真実の目が無くても嘘だって分かるくらいレイビンは怪しい顔をしてる。

 

 だいたいこういうヤクザ組織に一回金出したらそれ以降どうなるかなんて分かりきってる。

 

 なんのかんの言って金を出させて寄生虫みたいに延々と毟り取るに決まってるんだ。伊丹十三の映画で見たから詳しいんだぞ俺は。

 

「おい、いつそれがてめぇの物だなんて言ったよ」

 

 俺はレイビンから用紙を奪い取ると、呆気に取られているレイビンの目の前で、その紙をビリビリに破いてやった。こんな奴らにはびた一文出してやらねえ。

 

「いいか。お前らはもう既に失敗したんだ。素直に出てくなら許してやろうかと思ったが、もうそんな気は微塵もなくなった」

 

 話し合いなんて最初からいらなかったね。こういう相手には力で分からせるしかない。予定通り実力行使で行こう。

 

「金を払うなんてお前らの養分になるような事は絶対にしない。すぐにでもこの商店街から出て行け。さもなくば……」

 

 まぁ、どうなるかはまだ言うまい。わざわざ聞かせてやる事もないしな。

 

 ところがレイビンは俺が言い澱んだのを見て怖気付いたと思ったらしい。急に調子に乗り始めた。

 

「さもなくばどうするってんだ? まさか俺達をどうこうできるとでも思ってんのか? ヘルサイス舐めてるとどうなるか分からんぞ。うちの若いもんは血の気が多いからなぁ」

 

 レイビンが分かりやすい脅しをかけると、下っ端連中が急に勢いづいた。おいコラ! とか、分かっとんのか! とか口々に騒ぎ出す。

 

 おおこわ。でも魔王プロテクションがあるし、サリアスさんなら無傷で全部ぶっ殺せるのは確定的に明らかなので、身の危険を感じるほどではなかった。

 

 俺よりも、むしろこんな物騒な所に連れてきちゃったゴンザレス君が内心びびってるんじゃないかって心配なくらいだ。

 

 え、もしもサリアスさんが居なかったらって? そんな事になってたらまずこんな所には来てないから。

 

「はぁ……なんかどうでも良くなってきた。二人とも帰ろう。時間の無駄だったわ」

 

 俺が立ち上がって出口に向かおうとすると、下っ端二人が通路を塞いできた。

 

「ようコケにしてくれたなぁ! ただで帰れると思っとんのか!」

 

 うわ面倒くさ。俺は溜息を吐きながらチラリとゴンザレス君に目配せする。ゴンザレス君は無言で頷くと一歩前に出て、チンピラ二人をまるで暖簾でも押すかのようにグイと両脇に追いやった。

 

 超でかいゴンザレス君に押されたチンピラ二人は踏ん張る事も許されずに左右の壁に押しつけられる。俺はそんなゴンザレス君の脇の下をひょいと潜って外に向かった。

 

 それを見た他の下っ端が動き出そうとするのをサリアスさんが目線だけで止める。射竦められた下っ端を満足そうに眺めたサリアスさんはゴンザレス君と一緒に外に出てきた。

 

「覚えとれよ……」

 

 出ていく間際にレイビンが何か言っていたが、鼻で笑っておいた。予定通りいけばどうせ()()()()()()()()()()はずなのだ。ま、せいぜい今日の間くらいは覚えておいてやるさ。

 



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公権力の介入

 

「良かったのですか? あの証書を破いちゃっても」

 

 ヘルサイスの事務所からの帰り道、サリアスさんがちょっと心配そうに聞いてきた。

 

 カリウス会長から託された、建物を買い取りますよという証書。あの紙を破いて捨てるのは予定に無かった事なんで心配してるんだろう。

 

「あれね。一応会長によろしく頼まれただけで、俺自身にはあんまりその気は無かったから。むしろカリウス会長にはああいう連中には絶対金を出しちゃだめだって教えなきゃと思ってる」

 

 カリウス会長は今までああいう手合いとは関わりが無かったと言っていたから、対処法が分からないのはしょうがないと思う。

 

 俺は前世の記憶で、ああいう反社会的勢力には金を出しちゃダメだと知っていたから強行路線で行ったけど、その考えは異世界に来ても変わらないと思ってる。

 

「大丈夫なら良かったです。私としてはスカッとしたので気分が良かったですけど」

 

 俺が紙を破いた時に、サリアスさんが後ろでしてやったぜ、みたいな雰囲気を出していたのはなんとなく分かっていたので苦笑する。

 

 そういえば終始表情が変わらなかったゴンザレス君の方は大丈夫だったかな?

 

「ゴンザレス君は大丈夫だった? いきなり大変な仕事を頼んじゃって悪かったね。晩飯奢るよ」

 

「……ウッス」

 

 相変わらず無口だけど今日はちょっと照れも混じっているような気がする。

 

「いや〜あの二人組をグイっと壁に押し付けたとこなんて歴戦のガードマンって感じだったぜ。ありゃ向こうも相当びびってたな。頼もしい限りだよ」

 

 前にも言ったけどゴンザレス君は相当デカい。あの伝説のプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアント並みにデカいので、ああいう風に力で来られると多分その辺のチンピラ程度じゃ何も出来ない。今回連れてきて正解だったな。

 

「いや、そんなことないス……グレゴリーさんの方がカッコよかったス……」

 

「あら? ゴンザレスもそう思いますか? なかなか分かってるじゃないですか。ああいう風に堂々としてると相手も手を出せないんだなって私も今回良いことを知りました」

 

 堂々と出来たのはサリアスさんとゴンザレス君が居たからだけどね。居なかったら多分土下座してる気がする。まさに虎の威を借る狐状態だ。

 

「なんだなんだ二人して? そんなヨイショしても何も出ないぞ?」

 

「え、私には奢ってくれないのですか? ちょっと期待してたのに」

 

「いや、勿論全部終わったらいくらでも好きなとこに連れてってあげるよ。でもサリアスさん、まだ一仕事残ってるじゃない」

 

「ああそうでした! あんな連中、目をつぶっていても倒せるのでもう終わった気になっていましたよ。なんなら酔っていても倒せると思います」

 

 酔っててもって……そりゃサリアスさんからすればその辺のゴロツキ程度、楽チンか。

 

「まあとにかく計画の第一段階は無事に終わったんで昼飯くらい食べに行くか」

 

 そのままサリアスさんが行きたいというレストランに3人で向かって、オススメの料理を和気藹々(わきあいあい)と食べた。反社会的勢力の事務所から帰ってきた直後にはとても見えないだろうなとそう思いながら。

 

 

 ーーー

 

 

 日もとっぷりと暮れて、辺りが暗くなった頃。ヘルサイスが構えた事務所のすぐ近くで、俺達はじっとタイミングを見計らっていた。

 

「そろそろかな……集まってるといいんだけど」

 

 事務所には明かりがついていて、僅かに窓から光が漏れ出ている。どれくらい人数がいるかは分からないが、恐らくかなりの人数がいるはずだ。

 

「じゃあサリアスさん、一泡吹かせてきて。騒ぎが起きたら近衛に突っ込んでもらうからさ。怪我しないようにね」

 

「ふふ、心配は無用です。彼らの驚く顔が楽しみですよ」

 

「ま、びっくりするだろうね」

 

 まさかヘルサイスの奴らも、昼に話し合いに来た連中がその日の夜に襲撃をかけてくると思わないだろう。下手すると今頃俺達をどんな目に合わせるか、相談しあっているかもしれない。

 

「では行ってきますね♪」

 

 まるでその辺に買い物に出かけるかのような軽快さでサリアスさんは事務所に向かう。

 

 その後しばらく待っていると、建物の中から怒声が響き渡り、何か割れるような物音が聞こえ始めた。俺は向こうの建物の角にいるアナン連隊長に目で合図をした。

 

「突入だ! ヘルサイスの拠点を制圧しろ!」

 

 アナン連隊長の命令を受けた十数名の衛兵は、建物の中に突入を開始した。

 

 

 ーーー

 

 

「やっぱり大した事は無かったですね」

 

 私は事務所の床に転がって気絶しているヘルサイスのメンバーを見ながらため息をついた。

 

 グレゴリー様はかなり心配していたようですけど、正直言ってお話にならないくらい程度が低い連中でした。所詮はチンピラという事なんでしょう。これならあのクレイの手下の方がよほど強かったですね。

 

 そんな物思いに耽っていると、予定通り衛兵が突入してくる。

 

「衛兵だ! 市民の通報により全員拘束……ってなんだ。みーんな一人で片付けちまったのか」

 

 名も知らぬ衛兵が部屋の中で伸びている男達を見て呆れたように言い放った。

 

「誰も殺してませんよ?」

 

「見れば分かる。こりゃあこっちも仕事が楽でいい。よし! 全員捕縛しろ!」

 

 ちょっと緊張気味に入ってきた他の衛兵達は、肩透かしを喰らったような顔をして、ヘルサイスのメンバーを縛り上げ始めた。

 

 一応当初の筋書きとしては、反社会勢力同士の抗争が起きたところを市民の通報により近衛が制圧して、全員を捕まえるという事になっていたのです。

 

 けれどあまりにも弱くて全部私一人で倒してしまいました。どうせ私がやらずとも衛兵がやっていたでしょうから大した差は無いと思いますけど。

 

「サリアスさん、大丈夫だった?」

 

 衛兵の作業の邪魔にならないように部屋の外で待っていると、グレゴリー様が片手を上げてやって来た。

 

「実は危ないところでした……」

 

「えっ!?」

 

「嘘です。本当は余裕でした」

 

 私だってたまには冗談を言いたくなる時もあります。本音はグレゴリー様に構ってもらいたいだけなんですけどね。

 

「ああドキッとした……サリアスさんに何かあったら俺じゃ助けに行けんしなぁ」

 

 胸を撫で下ろすグレゴリー様を見てちょっとだけ反省する。

 

「本当にまずい事態なんて……」

 

 勇者が現れた時くらいのものです。そう言おうとしましたが、まだ近くに衛兵がいるので実際に口には出しません。

 

「ま、とりあえず帰ろうか。後は衛兵に任せればいいし」

 

「そうですね。もう夜も遅いですから」

 

 帰る途中、気になった私はふとグレゴリー様に聞いた。

 

「本当に近衛は必要だったんでしょうか? こう言ってはなんですけど私一人でも充分対処できたと思いますが」

 

 実際、私が全部無傷で片付けているので、そんなに間違ったことを言っているとも思わない。

 

「確かに倒すだけならサリアスさん一人で充分なのは分かってたよ。でもそれじゃ大元の組織から狙われちゃうからさ。近衛が介入したって事実が必要なんだよ」

 

 グレゴリー様は、そう言って私に丁寧に説明してくれた。

 

「つまり今回はね。グレゴリー商会の後ろには近衛がついてますよっていうメッセージをヘルサイスに送ったってわけ」

 

 グレゴリー様曰く、後ろが公的組織だと反社会勢力はかなり手を出しづらくなるそうなのです。

 

 私はこういう事は経験が無いので、なるほどそういうものかと納得するしかないのですが、グレゴリー様はいったいどこでそういう知識を得るのでしょうか? とても不思議です。

 

「ま、これで奴らもあの建物は手放すでしょ」

 

 2週間後、グレゴリー様の言った通り、ヘルサイスは本当にあっさりと事務所を売り払い、二度とこの商店街で姿を見せる事は無かった。

 



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あぶく銭はパーッと使うに限る

 

「じゃあカリウス会長。これ本当に貰っちゃって良いんですね? 後悔しませんね?」

 

「ええ勿論ですとも。元より解決して頂けたらお礼はするつもりだったのです。むしろ受け取ってもらわなければ困りますよ」

 

「じゃあこれ、本当に貰っちゃいますからね?」

 

 俺は目の前に積まれた札束を腕組みしながら見つめた。

 

 この前、衛兵隊が事務所を制圧した後、どうなったかと言うと概ねは予想通りだった。

 

 まずヘルサイスのメンバーだが、特に罪は侵していないので割とあっさり釈放された。しかし、無駄にタイミングよく現れた近衛の動きを見て、俺達グレゴリー商会と近衛は協力関係にあるらしいという事を察したようだ。ヘルサイスは報復行動を取ることもなくあっさり建物を手放すとどこかへ消え去った。

 

 あのヘルサイスの連中だってサリアスさんに手加減されたのは充分分かった筈だ。そんな歩く戦術兵器みたいな戦力がいるのに報復行動に出ようもんならどうなるかは身に染みて分かったはずなのでそんなに不思議はない。

 

 サリアスさんが手こずる事なく一人で殲滅したと知った時にはマイナスに転ばないかひやっとしたけど、どうやらプラスになったようで、今となっては逆に良かったかなとすら思っている。

 

 そしてここからが副産物というか予想外の出来事だ。

 

 なんとヘルサイスの奴ら、さっさとこの街から離れたかったのか、それとも本部からそういう指令が出たのか、なんとあの建物を安く売り払ったのだ。

 

 最初に奴らが買った値段の8割程度の値段で売ったようで、かなりお得に取り返せたらしい。購入したカリウス会長曰く、普通に売ればもっと高く売れるはずなので売却が待ち遠しいとのこと。

 

「面倒な奴らを追い払ってくれただけでなく、お金まで儲かってしまうのですからこんなに素晴らしい事はないです」

 

 そう言ってカリウス会長は、本来ヘルサイスに払うつもりだった金額と、実際に買い戻した金額の差額分を全部俺にくれた。その額なんと1000万デリウスリラ。価値としては日本円の1000万円と同じくらい。それがこの目の前のテーブルに積まれた札束なのだ。

 

「しかしですよ、これ商店街の皆さんから集めたお金なんでしょう? 本当に私が貰っても……」

 

「勿論全員に確認していますよ。反対する人は誰一人いませんでした。それくらい皆さん感謝しているという事です。どうか受け取ってください」

 

 まぁそれはなんというか随分気前のいい話だ。それくらいああいった反社会勢力に居座られると困るって事なんだろうけど。

 

「分かりました。そこまで言うなら有り難く受け取ります」

 

 俺が立ち上がるとカリウス会長も同時に立ち上がって握手を求めてきた。

 

「いやぁ良かった。これで私も心のつっかえが取れましたよ。これからもこの街に何かあったらお願いしますよ。グレゴリーさん」

 

 あれ? そんな話だったっけ? そういう期待も込めての1000万なのかな。会長も意外とちゃっかりしてんなぁ。

 

「ま、何かあったら一応考えてみますよ。私で解決できる範囲であればですが」

 

 そんなわけで、1000万リラという大金を手に入れて、ヘルサイス商店街事件は幕を閉じた。

 

 

 ーーー

 

 

「というわけでね。みんなでこの金パーッと使って旅行に行こうかと思うの」

 

「旅行、ですか?」

 

 俺はみんなを集めて、兼ねてより計画をしていた社員旅行計画を話して聞かせた。

 

「いやー、最近事件続きで休みもろくに取れずにみんな働き詰めだったでしょ? そういうのは雇用主としてはよくないなと常々思っていたわけですよ」

 

 うちは断じてブラック企業では無いのだ。そんな奴隷のような働き詰めは、この世界が許しても俺の倫理観が許さない。労基法違反はダメ絶対。

 

 ……とまぁ冗談は置いておいて、長期休みくらいあってもよくない? と思ったので、旅行にでも行って疲れを癒してもらうのも悪くないかなと、この計画を提案したのだ。

 

 パッと見たところ、感触はかなり良さそうだ。誰だってタダで旅行に行けるなら行くと言うに決まってるか。

 

「はい、じゃあ一応希望制にするんで聞きますけど、この中で行きたくない人居ますか〜?」

 

 誰も返事をしない。これは決定だな。

 

「じゃあみんな行くって事で、場所はどこが良いと思う? 特に意見無いなら俺がどっか適当な高級リゾート地でも選ぼうかと思って───」

 

「はいはい! 私は海沿いが良いです!」

 

「うまい飯が食えるとこはどうでしょう!?」

 

「湖畔のコテージなんて素敵じゃありませんか?」

 

 俺の言葉を遮ってみんなやいのやいの言い出す。結局この話し合いでは場所は決まらず、各自行きたい場所を調べてからもう一度会議で決めよう、ということになった。

 

 

 ーーー

 

 

「なあに? 私もその旅行に連れて行ってくれるの?」

 

 レイラにもその話をしに行ったら、少し嬉しそうに首を傾げて聞き返してきた。

 

「そりゃ勿論。レイラの他にも最初期に雇った人達は連れて行くつもりだよ。最近雇った人はまだ日が浅いから普通にお休みにするだけだけどな」

 

「ふうん、旅行ねぇ。良いじゃないの。喜んでご一緒するわ」

 

「了解。場所はまだ決まってないからさ。なんか行きたいとこあったら調べといてよ。最終的には多数決で決めるから希望通りいかない可能性の方が高いけど」

 

 個人的に海派と山派はきのこ派とたけのこ派くらい相いれないと思ってる。もし真っ二つに分かれたら2グループに分けても良いかも分からんな。

 

「それって絶対に案出さないといけないの? 私、そういうのはあんまり詳しくないのよ」

 

「ああ、いや別に出さなくても良いよ。みんなが選ぶとこのどっかに投票すればいいんじゃない? 俺もそうするつもりだし」

 

 俺だってあんまり詳しいわけじゃない。海か山かどっちか選べって言われたら、山だけど別に海も嫌いじゃない。

 というか旅行なんてみんなで行くのが楽しいんであって場所は関係ないと個人的には思ってる。一人旅行は知らんけど。

 

「そうなの。だったら気が楽で良いわね」

 

「じゃ、楽しみにしといて。今度の会議で決める時にまた呼ぶわ」

 

 後は一応トールに声かけとこうかな。あいつはギルドマスターの仕事が忙しくて無理なんじゃないかとちょっと思ってるけど、だからって言わなかったら言わなかったで文句言われそうだし。

 

 と、そんな理由で一応トールにも声を掛けにいった俺だったが、トールはとても悲しそうな表情で俺の話を聞いていた。

 

「忙しくていけない……もうやだこの仕事辞める」

 

「いや、辞めるな辞めるな。ちゃんとお土産買ってくるからさぁ」

 

「お土産……お前らだけバカンス楽しんで俺はお土産……」

 

 うわぁ、めんどくせえ。そんなこと言ったってしょうがねえじゃねえか。

 

「あー分かった分かった。今度暇が出来た時にお前だけで行ったらいいじゃん。その金くらいは出してやるよ」

 

「え、本当か! 本当だな! 言ったな! 絶対に忘れんなよ!」

 

「急にやる気になるじゃん……」

 

 ガバッとカウンターから起き上がったトールは目を輝かせて捲し立てる。金出すって言ったら急に元気になりやがったぞこいつ。まぁ一人旅行で満足するなら逆に良かったと思うとするか……

 



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5章 社員旅行
レジア湖畔にて


 

「いや〜、いいとこじゃないの」

 

 俺達はレジア湖という大きな湖のほとりにある、高級リゾート地に来ていた。

 

「結果的に皆さんがここを選んでくれて私も嬉しいですよ」

 

 どこに行くか決める会議で、初めはみんな思い思いの案を持ってきていた。しかし、このレジア湖に来る事を提案したサリアスさんのプレゼンがかなり良くて、結局みんなここにしようと心変わりしたのだ。

 

「だって綺麗だもんなぁ。それに上手い飯もあるし涼しくて過ごしやすいし。ほんとここにして正解だったよ」

 

 澄み切った青い湖に万年雪をたたえた緑の山々、そんな自然の色とは対象的に、赤いレンガで造られたホテル。まるでアルプスの少女ハイジの世界にでも入り込んだのかというような印象を受ける。

 

 料理も最高で、湖で獲れる魚や、森で採ってきた天然素材をふんだんに使った一級品は地球で食べるようなものと比べても遜色ない。

 

 滞在期間は1週間。その間は世の中の煩わしいことなんか忘れてゆっくり羽を伸ばすんだ。誰がなんと言おうと面倒事には首を突っ込まんぞ。最近はなんだか訳の分からない面倒事に巻き込まれてうんざりしてたからな。

 

 そんな、邪魔するなよオーラを俺が出していたからか、みんなも変に構ったりはせず、ほったらかしてくれたので割と思い通りのんびり過ごせた。

 

「あぁ、こういう何もしない時間って大切だよなぁ〜」

 

 滞在二日目の昼下がり、湖のほとりでハンモックに寝そべりながら、一人静かに揺れていると、突然湖の方から何か大きなものが飛び跳ねるような音が聞こえてきた。

 

「うおっ! なんだ!?」

 

 俺は慌てて飛び起きて音のした方に目を向ける。すると、確かに何かが飛び跳ねたのか、水面に大きな波紋が広がっていた。どうもかなり大きい生物だったみたいで、水面はかなり大きく波立っている。下手すると鯨くらいの大きさはあったんじゃないか?

 

 はて、と俺は首を捻った。このホテルのオーナーであるシリウスさんに確認した時には、湖には安全を脅かすような大きな生物は生息していないと言っていたからだ。

 

 このホテルは、湖を見て周る為のボートを貸し出しているくらいなので、それは本当なんだろうと思う。証拠に、今までにこの湖で何かが出たなんて話も全く聞いたことがない。

 

 とすると、なんかホテル側が知らないうちに変な魔物でも住み着いちゃったとかだろうか? 一応ホテルの方にも教えてあげたほうがいいかな? 俺は頭を掻きながら周りを見渡した。

 

「誰か今の見てた奴いないのか?」

 

 だが残念なことに、こんな場所に無意味に寝っ転がっているのは俺くらいのもので、目撃者は俺以外にはいないらしかった。

 

「みんなホテルの方にいんのか。あぁクソ、いったい何だったんだろうなぁ」

 

 興を削がれた俺は、腑に落ちないまま湖のほとりを離れてホテルの方へと戻っていった。

 

 

 ーーー

 

 

「なんかさ、デッカい生物がいるっぽいんだよなぁ、この湖」

 

「はぁ? レジア湖に?」

 

 ホテルに戻った俺は一番最初に目が合ったレイラにさっきの話を聞かせた。

 

「だいぶデカいみたいだったぞ? いや直接は見てないんだけど、こう音がね? ぽちゃんとかチャポンとかそんな可愛いもんじゃ無かったんだわ。バッシャーン! とか、ザッパーン! とかそんな感じ」

 

 寝ていた俺がびびって飛び起きるくらいだと言ったらレイラは眉を顰めた。

 

「そんな擬音で言われたって分からないわよ……あなた話盛ってない? ハクレンとかじゃないの? 知らないけど」

 

「あん? なんだよハクレンって」

 

「馬鹿ねぇ。昨日の晩ご飯に出てたじゃないの。魚の名前よ。なんかアレ、水面を跳ねるらしいわよ」

 

 ああ、あの美味い魚か! いやでもいくら大きいって言っても魚があんな大きい音と波紋を発生させるとは思えないんだよな……やっぱ魔物とかじゃないのか?

 

「うーん、なんかこう……そういう移動してくる水棲の魔物とか居たりしないの?」

 

 俺がそう言うとレイラはますます訝しげな表情を強めた。

 

「なんだか物騒な話になってきたわね……でも無いと思う。レジア湖って大河川に繋がってるわけでもないし、高い山に囲まれてるから移動してくるとかはちょっと難しいと思うのよね」

 

「はあん、そう。ま、現役冒険者のお前が言うならそうなんだろうな?」

 

「はぁ……その顔、全然信用してないわね……まぁ確かに水棲生物はそんなに詳しい訳じゃないから、もしかしたらいるかも知れないわ。サリアスさんが魔物に詳しいから聞いてみたらいいんじゃない? 何か知ってるかもしれないわよ?」

 

「そんじゃ、一応聞いてみるかね?」

 

 サリアスさんは魔物マニア(戦って倒したいだけとも言う)なので確かに詳しいかもしれない。俺はホテルのどこかにいるであろうサリアスさんを探すついでに、ホテル内を散策し始めた。

 

 そんなこんなでホテル内をブラブラしていると、カブトムシみたいな甲虫をツンツンして遊んでいるバートンを見つけた。ついでだからコイツにも聞いてみるか。

 

「おうバートン。何やってんだ?」

 

「ああグレゴリー様じゃないっすか。どうしたんすか? 流石にハンモックに一人で寝てるのも飽きちゃったんすか?」

 

「そんな事ねえよ、そういうんじゃなくてな。実は───」

 

 俺は湖での出来事をバートンに話して聞かせた。

 

「なんすかソレ! めっちゃ気になるんすけど!?」

 

 バートンは俺の話を聞き終えると、その話題に予想以上に食いついてきた。どうやらバートンの内なる少年の心に火を付けてしまったらしい。

 

「え、なに? お前そういうの好きなの?」

 

「あったりまえじゃないっすか!? こんなワクワクする事をそんな冷めた感じで淡々と話してるグレゴリー様のほうが異常っすよ!」

 

「お前ってほんといちいち失礼な奴だよな!」

 

 冷めた男で悪かったな。こちとらそんな少年の心なんてとうの昔に失ったわ!

 

「こうなったらあれっすね。謎を解明するまでは街に帰れないっすよ……大変な事になって来ちゃったっすねぇ……」

 

「いや、大変なのはお前の頭だよ。五日後には普通に帰るからな」

 

 神妙な顔をして何か大事件でも起こったかのようなトーンで言うバートンにツッコミを入れる。

 

「俄然やる気が出て来たっす! ちょっと色々調査して来るっすよ!」

 

 バートンは俺のツッコミをものともせずにピューとどこかに走り去っていってしまった。

 

 ……あれだ。もしあいつが日本人なら川口浩探検隊とかにハマってたね、絶対。

 

「あんまホテルの人に迷惑は掛けんなよ〜」

 

 とっくに何処かへ行ってしまったバートンに向かって俺は一人静かにそう告げたのだった。

 

 

 ーーー

 

 

 なんとなくホテルの外観を見たり近所を散歩しながらサリアスさんを探していると、夕方近くになってしまった。

 

 半日近くかけてようやく見つけることができたサリアスさんは、ホテルの書籍コーナーで何かの本を読んでいた。

 

「ああ、いたいた。サリアスさん、ここで本読んでたのか」

 

「あらグレゴリー様、ハンモックはもう飽きてしまわれたのですか?」

 

 なんかみんな似たようなこと言うな。

 

「いや飽きてない飽きてない。ちょっとサリアスさんに聞いてみたいことがあってさ。例えばだけど、この湖に水棲の魔物が居るとしたらどんなのが居ると思う?」

 

「魔物ですか? どうしてまたそのような事を?」

 

「いや、実はね───」

 

 俺は昼頃に湖で聞いた水を跳ねる音と、水面に広がっていた大きな波紋の話をした。

 

「で、レイラにその話をしたら魔物はサリアスさんが詳しいって言うからさ。聞こうかと思って探してたんだよね」

 

「なるほどそんな事が……でしたらグレゴリー様はちょうど良いところにいらっしゃいましたね? 今私が読んでいた本がまさにそういう内容でしたから」

 

 ほらコレですよ、と言ってサリアスさんに見せられた本の表紙には、“レジア湖に住む生物” と書かれている。

 

「へ〜、こんなの置いてあるんだ」

 

 本を受け取ってパラパラめくると、なんだかよく分からない魚やら水棲昆虫やら色々な絵が目に映る。その中にはレイラが言っていたハクレンも載っていた。

 

「あぁ、レイラにその話した時、このハクレンって奴じゃないかって言われたんだよね。へー、デカいのは超デカくなるんだな」

 

 本によると大きいものでは1メートルを超える大きさになるらしい。やっぱりあの音はこいつだったのかな? そう俺が無理やり納得しようかと思っていたら、サリアスさんが本の説明欄を指差して反論してくる。

 

「ハクレンですか? 確かにこの魚は繁殖期に水面を跳ねるようですけど集団で跳ねるみたいですよ? なので1匹が一回だけ跳ねるのは違うのではないでしょうか」

 

 本当だ。確かにそんなような事が書いてある。なんだよ、レイラの奴も適当だな。

 

「そうなると……他に大きいのはいなさそうだし、やっぱり魔物の類かね? なんかこの湖に移動して来そうな魔物に心当たりとかある?」

 

「そうですねぇ……うーん。移動してくるかはともかく、水棲の魔物ならばスピノシスなんかは有名ですかね〜」

 

 ほうほう、スピノシスね? 

 

「その魔物はワニの仲間で青い鱗が特徴なんです。かなり大きい上に凶暴なんですよ。ただやはり、移動してくるかどうかまではちょっと……」

 

 すみません、と謝ってくるサリアスさんを手で制す。

 

「いやいや、とても参考になったよ。ありがとう」

 

 なるほどね。もしかしたらそういう生き物がいる可能性もあるかもしれないのか。

 

 まぁスピノシス? とやらがいるかもしれないなら、オーナーのシリウスさんに一応教えてあげたほうが良いかもな。少なくともそんな魔物がいるならボートに乗る気にはなれないし。

 

 俺はサリアスさんに礼を言ってホテルのフロントに向かった。

 

「あの……フロントのお姉さん、ちょっといいかな?」

 

「はいグレゴリー様。何か御用でしょうか?」

 

 ほぉ、名前を覚えているとは感心だ。確かこの女性はオーナーのシリウスさんの娘さんだった気がする。

 

「いやあの……今から変な事言うけどね? 今日のお昼頃に湖のほとりでお昼寝してたんだけど、その時なんていうか……大きい生物が水面を跳ねたみたいでさ。この湖にはそういうデッカい生き物はいないって聞いてたから一応伝えたほうが良いかなーなんて」

 

 俺が頭を掻きながらそれとなく伝えると、フロントの女性はそれは大変だという表情で、すぐにオーナーに伝えると言ってくれた。

 

「ああそう? ありがとうね。まぁ実際に見たわけじゃないから何とも言えないんだけど……」

 

 まあこれで少なくとも湖でのボート貸し出しはやめるだろう。そう安心して部屋に戻ろうとすると、ホテルの入り口から、すごく驚いたような表情のバートンが駆け込んできた。

 

「た、た、た、大変っすよ!? グレゴリー様!」

 

「なんだなんだ騒がしいぞ」

 

 他のお客さんは居ないけど、フロントの人が居るんだからあんまりはしゃがないで欲しい。

 

「そんな事言ってる場合じゃないっすよ! 俺っち、見ちゃったすっよ!」

 

 お! もしや謎の生物の正体が割れたのか!? というか……

 

「お前もしかしてあれからずっと湖にいたの?」

 

 あれから半日近く経ってるんだぞ? いくらそういうのが好きだからってよくずっと見てられるもんだわ。

 

「そうっすけど……いや、そんな俺っちの事はどうでもいいんすよ! 真っ白な大きい見た事ない生物がザバーーーッ! って!」

 

 おお! 見れたのか! でも白? サリアスさんが言っていたスピなんちゃらは青い鱗が特徴だったはず。

 

「白かったのか? 青い鱗でワニみたいなのじゃなくって?」

 

「青い鱗でワニ? もしかしてスピノシスの事っすか? 全然そんなんじゃないっすよ! 白くて大きい生き物っす! 間違いないっす!」

 

「あ、そう。青じゃなくて白で大きい奴なのね?」

 

 うーむ、また振り出しに戻ったぞ。

 

 サリアスさんが言っていたスピノシスでないとすると、一体こいつは何を見たんだろうか? 疑問に思いながら、ワーワー言っているバートンをうるさいから静かにしろと黙らせて何とか部屋に向かわせる。

 

 そんな俺とバートンのやりとりを、何か思いつめたようにフロント係の女性は見つめていた。

 



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夜の林はなんでも怖く見える

 

「どうしましょう、お母様。お客様方はあと五日間も滞在するんですよ? その間、なんとかあの方達の気を逸らさないと見つかってしまうかもしれません」

 

 ホテルのフロント係であり、私の娘でもあるステイシアは、心配そうに私を気遣った。

 

「分かっています。しかし、あの方達に湖に近づくなとも言えませんからね」

 

 そんな事を言ってしまえば人間ますます気になるというもの。余計なリスクを負っては元も子もありません。何か方法を考えなければ……

 

「あの方達を湖から遠ざけるには理由が必要です。彼らがすんなり納得するような理由が」

 

 レジアの湖を代々守ってきた一族の者として、この湖の秘密を知られるわけにはいかないのです。

 

 もしあの方達が本気で湖を調べ始めたとしてもたったの五日。恐らくは隠し通せると思いますが、見つかるリスクが大きくなる事に違いはありません。

 

 しかし、と私は溜息をついてあのお客様の事を思い浮かべた。まさか半日近くも湖のほとりで寝続ける方が居るとは思いもしませんでした。

 

 あの方達の中でも一際独特の雰囲気を放っているグレゴリー様というお客様。もしかするとあのようなのんびりしたお方ならこの秘密を知った上で協力してくれるかも……

 

 そう淡い期待を抱きかけた私は、首を振ってそのような馬鹿な考えを頭から追い出した。

 

 そのような一時の気の迷いに振り回されるべきではないでしょう。とにかく今はあの方達の気を逸らす方法を考えなければ……

 

 

 ーーー

 

 

 レイラとサリアスさんを呼んで、バートンが見たという謎の生き物についての話を聞かせた結果、興奮するバートンとは対照的に、レイラとサリアスさんの反応は冷めたものだった。

 

「白い生き物って言われてもねぇ……そんな色の生き物なんて聞いた事ないわよ。バートンの事だし見間違えたとかじゃないの?」

 

「あー! そうやってすぐ疑うのレイラさんの悪い癖っすよ! あれは絶対新種っす! 間違いないっすよ!」

 

「でもバートンですしね……光が反射して白く見えた可能性も……」

 

「サリアスさんまで酷いっす! 本当に見たのに!」

 

 サリアスさんは相変わらずだ。しかし、レイラが出会った最初の頃なんか“バートンさん”と“さん”付けで呼んでいたのに、今じゃこの有り様である。

 いったいどんだけヘマをかませばあの状態からこんな扱いになるまで落ちられるのか。バートン、恐ろしい子……!

 

「だいたい俺っちは水の中は……!」

 

 バートンが何か言いかけるが、サリアスさんに物凄い形相で睨まれて口をつぐむ。

 

 恐らくバートンは自分にとって水の中はホームみたいなものだから、見間違う筈がないと言いたかったんだろう。だってバートンの種族は水辺に住むリザードマンなんだから。

 

 ただ、目の前には俺たちが魔族であるという事実を知らない人間のレイラがいる。バートンの奴、サリアスさんが止めなきゃ危うく自分からバラすとこだった訳だ。

 

 そういうところがイマイチな部分だって事をそろそろ自覚して欲しいもんだが。

 

「水の中は? 何なのよ」

 

 変なところで言葉を区切ったバートンに、怪訝な表情で先を促すレイラ。おいバートン、なんか上手いこと言えや。

 

「……水の中は泳ぐの得意っすから、見間違えるはずないっすよ……」

 

 なんだか苦しい言い訳だな。助け舟出してやるか。

 

「つったってお前、別に水の中に潜って見たわけじゃないんだろ? 岸の方から見ただけだろ? じゃあ見間違いかもしれんじゃないか」

 

「いや〜そうっすね。見間違えたのかもしれないっすね……ははは……」

 

 バートンはポリポリ頭を掻きながら、苦笑いで誤魔化した。誤魔化せたかは正直怪しいけど、レイラが突っ込んで聞いてこないのでとりあえずはセーフ。

 

「問題はあれね。バートンがいったい()()見間違えたのかって事よね」

 

「普通のスピノシスと比べて大きさはどうでしたか?」

 

 可哀想な事に、完全にバートンが見間違えたという前提で話が進んでいく。いや、自業自得だから別に可哀想ではないか。

 

「倍くらいあるように見えたっすけどもういいっすよ……この話やめにするっす……」

 

「スピノシスの倍……ですか?」

 

 あ、これはいかん。魔物マニアであるサリアスさんのスイッチが入っちゃったような気がする。サリアスさんの目が輝いておられるぞ。

 

 俺は先回りしてそんなサリアスさんを牽制した。

 

「おいおい、俺はやだぞ。こんなリゾート地に来てまで面倒ごとには首を突っ込みたくない」

 

 冗談じゃねえ。俺はここにいる間は一切面倒には関わらないって決めたんだ。

 

「相手は魔物よ? あなたが首突っ込んだって何の役にも立たないでしょ。だからグレゴリーは安心してお昼寝してていいわ」

 

 あれ? サリアスさんだけじゃなくてレイラまでやる気になってないか? おかしいな、ついさっきまでやる気が無かったじゃないか。

 

 やっぱり大きい生き物って聞いて、見てみたくなっちゃったんだろうか? そんな風に流れが変わった事に敏感に気づいたバートンが勢いづく。

 

「お! じゃあ我々でやるっすか! レジア湖に住む謎の生物の調査!」

 

「いいですね。せめて一目見るくらいしたいものです」

 

「無いとは思うけど、もし新種だったらギルドからお金貰えるんだった気がするわ。確か」

 

 流石現役冒険者達。ついていけねえぜ。

 

「あー、なんか俺は邪魔そうなんで部屋に戻りますね……どうぞ頑張ってください。さようなら……」

 

「心配しなくても正体が分かったらちゃんと教えてあげるっすから楽しみにしとくっすよ!」

 

 いや、要らないです。そっとしといてください。俺はそんなバートン達に呆れながら部屋を出て行った。

 

 

 ーーー

 

 

「グレゴリー、ちょっといいかしら?」

 

 その後、部屋に戻ってしばらくダラダラしていると、ドアをノックする音と共にレイラが訪ねて来た。“レジア湖に住む謎の生物の調査” のお話し合いはもう終わったんだろうか?

 

「どうした? まだなんかあんのか?」

 

「いや、あんただけ仲間外れにする感じになっちゃったから拗ねてないか心配になって見に来ただけよ」

 

 別に拗ねたりはしてないのでそれは過剰な心配だ。というか子供じゃないんだしそんくらいで拗ねたりはしない。

 

 でも、レイラってこう見えて結構そういう所には気がつくタイプだよな。前にレイラの過去を調べた時も、周囲に気遣い出来るいい子だって判明したし意外とマメだ。

 

「いや、俺はマジでのんびり昼寝とかしてたいだけだからそう見えたんならそれは全くの見当違いだぜ。心配しないでくれ」

 

「そうなの? だったら良かった。ねぇ、夕御飯までまだちょっとあるでしょ? それまでちょっと外を歩かない?」

 

 おい、待て。こいつは俺の話を聞いてなかったのか? 俺は部屋でのんびりしてたいって言ったよな? それに今日はホテル周辺とホテル内を歩きすぎてかなり疲れた。もう散歩とか正直勘弁。

 

「えー、もう今日はいいよ。歩き疲れた」

 

 俺がそう不平を言うとレイラは急にしおらしくなって上目遣いでこちらを見てくる。

 

「ふうん。こんな可愛い女の子が気遣ってくれてるのにその誘いを断るんだ……」

 

「えぇ……」

 

 ……なんかこの前もこんな感じの展開なかったか? 自分で可愛いって言っちゃうとことか。

 

 こういう頼まれ方すると断れねえんだよなぁ。ほんとずるいわ。まぁ飯まであとちょっとだし、それくらいまでなら付き合ってやるか。

 

「はぁ……分かったよ。ちょっとだけ付き合ってやる」

 

「ふふ、そうやって嫌々でも言うこと聞いてくれるとこ、あんたの良いとこよ」

 

「はいはい、分かった分かった」

 

 くそう。なんか手玉に取られてるみたいで悔しいぞ。

 

 レイラについていく形で部屋を出ると、そのままホテルの裏口を出て湖に向かう道を歩く。ちょうど俺が昼間ハンモックでお昼寝してた方向だ。

 

「なぁ、なんかごく自然にこっちの方に来たけど目的でもあるのか?」

 

 別に散歩道はこっちの湖方面だけにあるわけじゃない。ホテルの正面から行けるルートの方がきちんと整備されてて良いくらいなのだ。

 

「あんだけ話題に上がったんだから現地を見てみたいじゃないの。ついでよついで」

 

 散歩とか言ってたけど現場()を見たいだけやないかい! 

 

 ……嫌だなぁ。夜ってただでさえ怖いのに、薄暗い林の中を抜けるなんて何か出てきそうで余計に怖い。ほら、あの木の影なんて何かが動いてるように見え───

 

「!?」

 

 俺はレイラの手を引っ掴むと慌ててしゃがませる。何かがいるように見えるだけじゃない! 本当に何かがいるぞ!

 

 尋常でない様子の俺に何かが起こったと察したレイラは小声でどうしたのかと聞いてくる。

 

 俺は無言のままその何かの方向に向かって指を差した。俺の指差した方をレイラはそーっと伺うと、なんとも微妙な顔をして俺に耳打ちしてくる。

 

「……あれね、マゴス君ともう一人は最近新しく商会に入ってきた女の子よ……」

 

 え、なんだって? 俺は言われてそちらの方をそっと覗き込むように見ると、そこには確かに異形の者ではなく、マゴス君とアイリスちゃんが居た。

 

 ビビりすぎて最初はなんだか別のモノに見えたが、分かってから見ると結構ハッキリ二人が見える。というか……

 

「乳繰り合ってるわね。あの子達そういう関係だったんだ……」

 

「そうなんだけどレディがそういうこと言うんじゃないよ……」

 

 乳繰り合ってるってアレな? 密会して戯れてるって方な? 決して情事に耽ってたわけではないから彼らの名誉のためにもそこは勘違いしないように。

 

 つまりはマゴス君とアイリスちゃんは、けしからん事に誰にも見られてないと思って林の中でイチャイチャチュッチュしていたのである。

 

 この前アイリスちゃんを呼びよせた時に、マゴス君は別に付き合ってるわけじゃないみたいなこと言ってたけどやっぱり嘘でした。しっかりやる事やってますわ。

 

「というか良くやるわね。部屋から誰かに見られるかもって思わないのかしら……」

 

 それな。ホテルを出てすぐの所でそんな事するなんてバレない方がおかしい。そう思った俺はホテルの方に目を向けたが、そこである事実に気がついた。

 

 このホテルには湖の方を向く窓はただの一つも無いのだ。ライトアップの照明はいくつか見えるが、窓から漏れ出る明かりは全くない。そう言えば昼間に見て回った時も湖側には窓は無かった気がする。

 

 はて? 変な話だな。このホテルはレジア湖を売りにしているホテルだ。どうせ木々で見えないとは言っても、こっちの湖側を見る窓の一つや二つくらいあっても良いはずだ。なんで作んなかったんだろう?

 

 俺がそんな関係無いことを考えているとレイラが俺の腕をちょんちょんと突っついてきた。

 

「ちょっと……! あの子達、こっち来るわよ! どうすんのよ!」

 

「やっば!」

 

 すわ見つかったかと思っていると、二人はそのまま俺達には気付かずに、裏口からホテルの方へと戻って行った。

 

 完全に気配が消えてから俺達はどちらともなく立ち上がる。

 

「まぁ飯の時間だからね……普通に戻るよね」

 

「そうね……なんかとんでもないもの見ちゃったわね。私達」

 

「お前が散歩行こうなんて言うから」

 

「いや待って。どう考えてもあの子達のせいだと思うんだけど」

 

「ああ、やめだやめだこんな不毛な争い。俺は腹が減ったから先に戻るぞ」

 

 なんだか散歩どころでは無くなってしまった。この後どんな顔して二人に会えばいいか分からなくなっちゃったぞ。

 

 その後、俺とレイラ二人だけが気まずい雰囲気で晩ご飯を食べた。何かあったんですか? とマゴス君に言われて、お前のせいだ! と言わなかった俺を誰か褒めてほしいです。

 



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調査がしたくてたまらない!

 

「お客様、少しお時間よろしいでしょうか?」

 

 ご飯を食べ終えて部屋に戻ろうとしていると、フロント係のステイシアさんが話しかけてきた。

 

「ええ、いいですよ。どうしましたか?」

 

「実は───」

 

 彼女が言うには冒険者ギルドを通して湖に潜む謎の生物の調査をする事にしたので、調査が終わるまでは危険であるから湖に近づかないで欲しいという事だった。

 

 まぁ俺としては問題はない。自分から湖に何か居るかもよと言った手前、行かせろとも言えないから。

 

 しかしながら、それをよしとしない3人組がいた。自分達で調査する気満々だった冒険者組である。

 

「我々はメルスクで名を馳せている冒険者です。冒険者ギルドなど通さずとも言って頂ければ我々が調査しますよ。その資格は有りますから」

 

 一応冒険者は、緊急時対応としてその場の判断で討伐や調査を請け負っても良いということになっている。サリアスさんとしてはその方法で請け負いますよと言っているのだろう。

 

「そうっすよ。上級冒険者2人に中級冒険者が1人。普通に頼んだって調査にこんな人員が来る事は無いっす。我々に任せるっすよ」

 

「緊急時対応の時はどうするんだったかしら? 冒険者証を提示すれば良いんだったわよね?」

 

 レイラがそう言いながら銀色の冒険者証を懐から取り出して提示する。それを見たサリアスさんとバートンもああそうかという感じで金色の冒険者証を差し出した。

 

「はいこれでオッケーね。後は私達に任せて貰えばしっかり調査してあげるから」

 

 フロント係のステイシアさんはそんな流れになるとは全く思っていなかったようで、目をパチクリさせながら固まった。

 

「ええと……その、当ホテルといたしましてはお客様自身にそのような事をして頂くわけには……そのような事をさせたとなると私共の信用にも関わりますし……」

 

「いや、大丈夫よ。何かあっても別にホテルのせいにしたりしないわ。私達はただレジア湖に潜む謎の生物の正体を知りたいだけだから。二人ともそうでしょう?」

 

「ええそうです。まぁ水の中ですからもしかしたら何も分からないままかもしれません。その時は報酬は結構ですから」

 

 冒険者組としては、ただ知的好奇心を満たしたいだけで、金の問題では無いのでその辺りのことはどうでも良いらしい。せっかくの休暇だってのにようやるわ。

 

 まぁホテル側としても責任も取らなくて良いし、調べて何も分からなかったら調査費も浮くわけで、反対する理由もないから調査を頼んでくるだろう。

 

 そう俺は思ったけどステイシアさんは困り果てたような様子で返事を渋った。

 

「申し訳ありません……私の一存では決めかねますので、母……オーナーのシリウスに話して参ります」

 

「ああ、そりゃそうだ。まぁでも調査費用は一般の冒険者に払うのと同じ金額払ってくれればそれで良いからさ。面倒かけるね」

 

 俺が気にしないでくれオーラを出しながらそう言うとステイシアさんは頭を深々と下げて、奥の方へ走り去って行った。

 

「さて、じゃあ明日から早速調査開始っすね!」

 

「こら、またあなたはそうやって考えなしにすぐ突っ走るんだから。まずは湖の中の地形がどうなってるか調べてからですよ。確かここの書籍コーナーに調査資料があったはずです」

 

「へー、あそこってそんなものまで置いてあるの。それなら何か有益な情報が分かるかもしれないわね」

 

 そうやって明日からどうするかでわいわい盛り上がる3人に俺は思いっきり釘を刺した。

 

「楽しそうにしてる所悪いがあと五日しか無いんだぞ。ちゃんと分かってるな? それ以上の滞在延長は絶対しないからな」

 

「えー、ケチねぇ。ちょっとくらい良いじゃない」

 

 知らんな。例え、あとちょっとで分かりそうなんで延長してくれとか言いだしたとしても許さん。あくまで俺達は休暇で来てるんで滞在期間が終わったら帰るぞ。高い金も払ってるんだし、そこん所は譲るつもりは無い。

 

 そんなこんなでワーワー言い合っていたら、ステイシアさんがこのホテルのオーナーであるシリウスさんを連れてきた。

 

「大変長らくお待たせ致しました。早速ですが、お客様に湖の調査をして頂けると伺いましたが本当によろしいのですか?」

 

 シリウスさんは俺の反応を伺うように見つめて言ったが、残念ながら交渉相手を間違えている。

 

「ああ、失礼。やりたいって言ってるのは俺ではなく、こっちの3人なんで、交渉はそっちとやってください」

 

 俺が冒険者組、特にサリアスさんに目を向けてそう言うとサリアスさんは任されたと思ったか一歩前に進み出た。

 

「私達としては報酬の件は後で決めてもらっても構いませんよ? 調査が上手く行く保証もありませんから」

 

「いえ、その事なのですが……お客様は水中を調べる装備などはお持ちでは無いご様子。準備が万全では無いのにお任せするのは流石に申し訳ないと言いますか……」

 

 確かに理屈的にはそうだけど、ホテル側に損は無いんだし、てっきり頼んでくるかと思ったのに。随分嫌がるね。

 

「ですので当ホテルと致しましてはレジア湖に近づけないお詫びに……と言ってはなんですが、代わりに最高級のサービスを提供する準備が御座います」

 

 へー、そんな事までしてくれるのか。と、俺なんかはそう思ったのだが、納得しないのは3人である。まぁ完全にやる気だったのに出鼻を挫かれたらなんとしてでもやってやるという気になっちゃうのも無理はない。

 

「いえ、我々としてはどんな高級なサービスよりも未知の生物を知ることが出来る方が有意義なのです。ですのでお気遣い結構です」

 

 魔物マニアのサリアスさんがそう言うと冒険心溢れるバートンもそうっすよ! と続く。レイラだけは最高級のサービスというのにも心惹かれるようで、二人の反応に少しだけ戸惑っていた。

 

 多分、レイラの反応が普通であって、他二人がおかしいだけだと思う。そして、そう思うのは俺だけではなくシリウスさんも同じだったようで、驚きの表情を隠せずにいた。

 

「さ、左様ですか。そうまで仰られるならばどうぞ調査してください。私共といたしましても調査して頂けるのであれば助かりますから。一応サービスの方も準備はさせていただきますので……」

 

「分かりました。でもそれほど期待はしないでくださいね。期間も五日しか無いですし」

 

「はい、分かりました。どうかよろしくお願いいたします」

 

 という事で、サリアスさん達冒険者組はレジア湖の調査に乗り出す事になった。レイラなんか、その上サービスも受けられると分かって大満足のようだ。

 

 俺はシリウスさんが最後に頭を下げる間際に見せた苦々しい表情の方が気になって、その日眠りにつくまでその事がどうにも頭から離れなかった。

 

 

 ーーー

 

 

 うーむ、どうにもおかしい気がする。いや、何がってあのオーナーのシリウスさんの事なんだけどさ。

 

 今日、目が覚めてから改めて思い返してみると、最後に見たあの表情、凄く焦ってる感じだったんだよなぁ。何かそんなに困る事でもあるんだろうか?

 

「もしや何か隠してるとか……?」

 

 なんとなくそんな独り言を呟いてみるけどその言葉は壁の向こうに吸い込まれて消える。

 

 ちょっくら考えてみるか? でも現状の情報から推測できることなんてあまり無い。

 

 例えばシリウスさんは湖の中に何かが潜んでいるのを本当は知っているのに、黙っている説はどうだろうか? それならまぁ少しは納得がいくか。

 

 もしもそんな事実が広まったら、このホテルのイメージが崩れかねないから黙っている事は充分に意味がある。でもそれってもし宿泊客が湖で死亡するような事件が起こったら、魔物が居た、なんていう程度では済まされないくらいのイメージダウンになっちゃう気がするぞ?

 

 だからさっさと専門家にでも頼んで処理した方がよっぽど得なような気はするんだよなぁ。それに昨日、シリウスさんと話したときの事を思い返すと、魔物が居た事自体を否定するような感じでは無かった。だからその説はちょっと弱いか。

 

 じゃあなんか他にあるかね? 実は湖に何か人に言えないような財宝を隠していて調査されたら見つかっちゃうとか? うん、突拍子も無いな。だいたいそんなんだったらさっさと移動させろよって話だしな。

 

 はい、情報が無いんでこれ以上は分かりません。情報が足りてない状況でこんな事考えた所でいつまで経っても答えは出てこないんで考えるの止めた。

 

 すぐ陰謀論ぶちかましたくなるのは職業病みたいなもんだ。考え事してたらお腹すいたな。

 

「ふわぁ……今日の朝ごはん何だろな」

 

 下らん事は忘れて美味しい朝ご飯でも食べに行きますかね。俺はあくびをしながら着替え終えるとレストランに向かった。

 

 向かう途中でゴンザレス君とカイルという珍しい組み合わせにばったり出会った。

 

「あ、グレゴリー様おはようございます」

 

「……どもっす」

 

「ん、おはようさん。ていうか珍しいペアだな。君らって面識あったっけか?」

 

「いや、実は話すのは人間界(こっち)が初めてなんですけどお互い共通の趣味があるって分かってからすっかり意気投合しちゃって」

 

「共通の趣味?」

 

 身長2メートル近い大男と研究者肌の痩せた眼鏡の男が並んでるだけでも相当違和感があるくらいだ。そんな似つかわしくない二人の共通点ってなんだろうかと考えてみるけど思いつかない。

 

「うーん、想像つかないな」

 

「いや、グレゴリー様もお遊びになるやつですよ。ボードゲームです」

 

「ああ! もしかして闘棋?」

 

「そうですそうです!」

 

 闘棋ってのはまぁアレだ。地球で言うところの将棋とかチェスみたいなやつの事だ。

 

「僕らそこまで上手いわけじゃないんですけど、ちょうどレベルが同じくらいだったんで白熱しちゃって。昨日なんて気付いたらだいぶ遅くまでやっちゃってましたから。お陰で寝不足ですよ」

 

「……っす」

 

 そう言われてから気付いたけど二人共だいぶ眠そうだ。ていうか二人だけでそんな面白いことしてたのか。

 

「なんだよ。俺も呼んでくれりゃあいいのに。俺が闘棋好きなの知ってるでしょ?」

 

 前世では将棋大好き人間だったので、当然こっちでも似たような闘棋にはハマった。というかそういう前世の知識もプラスされてか負けなしと言っていいくらい強かった。

 お陰で誰もやりたがらなくなったのでやりすぎはダメって事を学んだけどな!

 

「いやいや! グレゴリー様相手じゃ僕らは全く歯が立ちませんよ! そんなの面白くないでしょう?」

 

「え? そんな事ないって。2人が闘ってるの見てるだけでも面白いからさぁ。また後でやるんでしょ? 呼んでよ。アドバイスくらいならするよ?」

 

 あんまりグイグイ行くとめんどくさい上司になっちゃうからこれでちょっと……みたいな反応されたらやめよう。俺は理解ある上司でいたいのだ。

 

「見てるだけでも良いんだったら……良いよね?」

 

 カイルが隣のゴンザレス君に確認を取る。ゴンザレス君も異論は無いのかコクリと頷いた。

 

「お! ありがとうな。闘ってる時は口も出さんし、俺は居ないものとして扱ってくれて構わないから」

 

 感想戦はバリバリ参加するけどな。ダメ出しもしちゃうかもしれない。

 

 ああ、こんな事ばっかしてるからみんな俺と闘ってくれなくなるんだろうなぁ……でも久々に楽しめそうだ。魔王軍はインドア派が少ないからこういう存在は貴重だ。

 

 俺は反対に超アウトドア派の冒険者3人組をふと思い浮かべた。よく調査なんか自分からやろうとするよなと本当に思う。

 

「ま、俺にとっちゃ湖の調査なんかよりはこっちの方がよっぽど面白いわ……」

 

 そんな俺のぼやきとも言えない独り言を耳ざといカイルは聞き逃さなかった。

 

「ん? 湖の調査って何かあったんですか?」

 

「あぁ聞きたい? まぁちょっと長くなるから飯食べながら話そうか」

 

 レストランに近づくと何やら良い匂いがしてくる。朝食はこういうホテルにありがちなビュッフェスタイルだった。まぁこの世界にビュッフェがあるか知らんけど、要は好きな物をセルフサービスで取ってくる形式のやつね。

 

 俺は適当に普通に朝食べるような物を取ってきていたけど、ゴンザレス君は魚をたくさん取ってきていた。

 

「朝からそんなに魚食べるの? よく食べられるね」

 

「っす……好きっす」

 

 そうかゴンザレス君は魚が好きなのか。そういえばこの魚もレジア湖で獲れたやつなんだろうか? そうすると明日あたりからこれも食べられなくなっちゃうかもしれないのか。何しろ漁師さんだって湖には近づけないだろうからね。

 

「……もしかしたら、明日か明後日くらいからは魚料理が出てこなくなるかもしれないから今のうちにたくさん食べとくんだよ」

 

「え? それってどういう事ですか?」

 

「ああ、それはさっきの話にも関係するんだけどね……」

 

 俺は、昨日からの一連の出来事について2人に話して聞かせた。

 



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上手くいかない調査

 

「───ということでその3人で湖の調査をする事になったわけよ。そうなると漁師さんも湖には当分近づけないだろうから魚も食べられなくなると思うのよね」

 

 パンをパクつきながら、俺がふたりに説明を終えると、カイルは呆れた調子で言い放った。

 

「はぁ……そりゃあ皆さんも物好きですねぇ。私なんかからすると、とても不思議に思えますよ。だってせっかくの休日ですよ?」

 

 カイルも、もろインドア派なのでどうやら俺と同じ意見らしい。やっぱりあいつらがおかしいんだよな? そうだよな?

 

 俺も前世で “せっかくの休日に家でゴロゴロしてるなんて勿体ない” なんて妹によく言われたもんだけどそんなん俺の勝手だろと声を大にして言いたいね。

 

「まぁ、あいつらにとってはそれが休暇なんでしょ。休日をどう過ごすかは個人の自由だからとやかく言わんけど」

 

 別にああしろこうしろと言うつもりは無い。まぁ、とにかく俺の邪魔だけはせんでくれって感じだ。

 

「そりゃあそうですね。でも……魚料理が食べられなくなるんだったら今のうちに食べておいた方がいいのかな……?」

 

 隣でムシャムシャ魚を食ってるゴンザレス君を見て、カイルがウーンと考え込む。

 

「俺は特に好きってわけでもないから食べようと思わんけど、カイルが好きなら食べればいいんじゃない?」

 

「そうですね。じゃあまだお腹空いてるし、ちょっと貰ってきますね」

 

 カイルがそう言って席を離れると無口なゴンザレス君が口を開いた。

 

「魚、保存出来ないすかね……それなら食べられるのに」

 

「あーどうだろうね。魔法使いが氷魔法使えば結構持つから、そうする事もあるみたいだけど、ここじゃ多分やってないかな?」

 

 海から離れた遠い所に運ぶ時は魔法で冷凍保存をするらしいけど、ここは湖が近いしそんな事をする必要もない。

 

「じゃあ明日以降獲れなくなるからといって、魔法使いを呼び寄せて氷魔法掛けてもらうかって言うと遠くて急にはここまで来れないだろうしね」

 

 何しろメルスクからここまで来るのに丸二日掛かったからな、このホテル。遠いからこそ環境がいいんだろうけど。

 

「……うっす」

 

「まぁ、今度美味しい魚料理の店にでも連れてってあげるから元気出せって。な?」

 

 そう言って俺はガックリしているゴンザレス君を励ました。

 

 

 ーーー

 

 

「調査って言ってもどうやって調査するっすか? 調査機器なんか何にも持ってないっすよ」

 

「え、あなた何も考えてなかったんですか? それでよく調査しようなんて言いましたね」

 

「流石バートンね。そう言えば泳ぐの得意って言うなら潜ってみたら? 案外あっさり見つけられるかもしれないわよ?」

 

「冗談きついっすよレイラさん……それ、仮に見つけた場合、頭からパックリいかれるかもしれないじゃないっすか……」

 

 私達冒険者組は広大なレジア湖を前にしながら腕を組んで考え込んでいた。

 

 ホテルの資料コーナーの調査資料によると、湖の北半分の深度がかなり深く、何か大きい生物がいるならばそこだろうという所までは分かったのですが、ここからが進展がありません。

 

 こういう時、グレゴリー様ならどうするでしょうか? 本当は意見を聞きたいところですが、邪魔をするなとおっしゃられていたので今回は自分たちで考えなければいけません。

 

「とにかく北側に観測ポイントを作りましょう。話はそれからです」

 

 ホテルは南側にあるので、湖を大きく迂回して北側に回る。南側に比べると北はほとんど手付かずで、木々が鬱蒼と生い茂っていた。

 

「この辺りはいいロケーションですね。ここらの枝を払えば湖の端から端まで見渡せますよ」

 

「うーん、確かにいい景色ね! 見てよ、ここからならあの山脈が水面に映って見えるわ! あいつも見にくれば良かったのに!」

 

 レイラさんが興奮しながら水面を指差します。確かに彼女の言う通り、水面が風で波立っていないとまるで鏡のように山脈が反射して映って見えます。

 

 興奮した様子のレイラさんがふと、我に返ったように考え込み始めた。

 

「でも……どうしてこっち側にホテルを建てなかったのかしら? ここからなら山も湖もとってもよく見えるのに」

 

 そう言われてみれば、確かにあのホテルの部屋からは、南にある山脈側しか見えません。折角の湖は北側になってしまうせいで部屋から一切見えないのです。

 

「あー、そういや何でっすかね? 日当たりの問題とかっすかね?」

 

「何言ってんのよ……ここに建てて湖側に窓つけたらホテルと同じ南向きになるじゃないの……ちょっとは頭使いなさいよ」

 

「あ、そうっすね」

 

 ふむ、レイラさんの言う通りですね。どうせこの辺り一帯は初めは人の手が入っていなかったのだから、どこに建ててもかかるコストは同じはず。そう考えるとすごく不思議な立地ですね、あのホテルは。

 

「うーん、地盤の問題とかなのかしらね? ま、考えてもしょうがないか」

 

「そうっすよ! 今の問題はどうやって謎の生物の調査をするかって事っす!」

 

 何も考えてなさそうなバートンがニコニコ笑いながら話します。もちろん私は考えていますよ? というかレイラさんも考えていると思います。

 

「レイラさんはどういう方法がいいと思いますか?」

 

「私? 私は取り敢えずバートンの見た生き物が本当にいるのかどうかの確認も兼ねて、餌を投げ入れてみようと思ってるわ」

 

 彼女が言うには細い紐に肉の塊を括り付けて、湖に投げ込んでみようという事らしいです。つまり、釣りみたいな事をしてやろうという事なんでしょう。確かにやってみる価値はありそうですね。

 

「ちゃんと紐はここに用意してきたわ。餌は現地調達だけど」

 

 そう言って、レイラさんは細い紐を差し出してきました。良いですね。バートンなんかよりもよっぽど頼りになります。では次は私の案を発表しましょう。

 

「私はですね。この板を使って映像を保存しようかと思っています」

 

 私は魔王シアター改と呼ばれるあの板をレイラさんに見せた。

 この板は魔王様の目と耳に景色と音を届ける機能も付いているはずです。だから魔王様にお願いして魔王城の方で景色を保存する機械に繋いで貰えば後から見返す事も出来るでしょう。

 

 もちろんレイラさんには魔王様が関係していることは伏せて話します。

 

「へー、その板ってそんな事も出来るのね。その、作った人は凄いわね? “ギルスおじさん” だったかしら?」

 

「ええ、とっても凄いお金持ちなんですよ? 頼めるかどうかちょっと連絡してみますね?」

 

 私は深呼吸して魔王シアター改の窪みを押し込んだ。

 

『ああ、なんだ珍しいな。サリアスから掛けてくるなんて。いったいどうした?』

 

「もしもし、ギルスおじさまですか? 実はお願いしたいことがあるのですが」

 

『……ちょっともう一回呼んでくれない?』

 

「はい? ギルスおじさま?」

 

 後で分かったことですが、この時魔王様は私におじさまと呼ばれてちょっと嬉しそうにしていたそうです。いったいどうしてでしょうね?

 

 

 ーーー

 

 

「じゃあサリアスさん、思いっきりやっちゃっていいわ」

 

「ええ、では投げますね」

 

 全ての準備を終えた私は、餌を括り付けた紐を力一杯ポーンと湖に投げ入れた。

 

 今、私たちがやっているのは、バートンに獲ってこさせたその辺にいた兎を解体して紐に括り付け、投げ縄の要領で湖に放り込む、という作業です。

 

 釣り針はついていないので釣り上げることは出来ませんが、バートンが見たという謎の生物が、肉食なのかどうかくらいはこれで分かるでしょう。

 

「ま、暫くは待つ感じになるのかしらね。それでその板切れは本当に景色の保存が出来てるわけ?」

 

 レイラさんが私の持っている魔王シアター改を不思議そうに見て聞いてきます。

 

「ええ、恐らく出来ているはずです。私の見ている景色と耳に入ってくる音が保存される形になりますけどね」

 

「へー、じゃあサリアスさんはずっと湖を見てなきゃいけないのね。大変じゃない」

 

 ……よく考えたらそういう事になりますね。もしかして私ったらかなりの貧乏くじを引いちゃったかもしれません。というかグレゴリー様はこれを毎日やっているんですよね?

 

 よくあんなに自然体でいられるなと思います。私なんか変に意識しちゃって挙動不審になってしまいそうですが。

 

 そんな風にボンヤリと、とりとめもない事を考えていると、手に持った紐に微かな反応を感じた。ちょんちょんと、何か探るように突っついているかのような感触。

 

「あ、なにか今……」

 

 私がそう声に出した瞬間、今度は強い力で一気に紐を引っ張られます。隣で見ていた2人も糸の張りでそれは分かったようです。

 

「来たわね!」

 

「あぁ! 釣り針があれば釣れたっすのにね!」

 

 私も負けじと引っ張り返しますが、強い引きはほんの一瞬だけで、その後はフッと引っ張る力が消えてしまいました。

 

「どうやら逃げたみたいです。取り敢えず引き揚げますね」

 

「そうっすね。さて、餌はどうなってる事やら」

 

 紐を手繰り寄せて引き揚げた餌には、何かが噛み付いたような痕がついていました。しっかり括っていたので、簡単に外れないと分かって諦めたのかもしれません。

 

「うーん、せっかく歯形がついたのに餌が小さすぎてよく分かんないわね。でも外れないと分かったら諦めるくらいの知能はあるようね」

 

「少なくとも魚の類ではないのは確実ですね」

 

「やっぱりなんか居るんすよ! この湖」

 

「どうします? もう一回やってみます?」

 

 私が再挑戦するかどうか確認すると、レイラさんはうーんと考え込むように唸ります。

 

「頭が良いみたいだから、二度目は警戒されて食いついてはこないと思うけど、一応やってみましょうか。と、いうことでバートン、あなたちょっともう一回獲物獲ってきてよ」

 

「ええ!? また俺っちが行くんすか!?」

 

「そうよ。だってあなただけ何にも案考えてなかったんだから。それくらいはやらないと。言い出しっぺなんだし」

 

「そうですよバートン。今度は歯形が分かるくらい大きいのを獲ってきてください」

 

 私達に正論をぶつけられたバートンは、もう一度獲物を探しに、森の深い方へと渋々向かっていった。

 しかし結局、バートンは満足出来るくらいの大きさの獲物を獲ってくることは出来ず、その日はそのまま解散となった。

 

 

 ーーー

 

 

「いやぁ、あそこに打っちゃったのはちょっと不味かったでしょう。いくら有利だからって言っても、もうちょっと考えないと」

 

「ん〜、自陣が堅かったからあれでいけるかと思ったんですけどね〜。確かにぬるかったですね、あの手は」

 

「まぁ勝てると思って気を抜いたらダメって事だな。次は頑張りたまえよカイル君」

 

 俺はポンとカイルの背中を叩いてレストランの席に座った。

 

 いや〜しかし今日は充実した一日だった。丸一日闘棋の観戦してたけど、時間を忘れるくらい見応えがあったな。それとゴンザレス君が強くて結構カイルが苦戦してたのが意外だったかな。

 

 俺達3人でムシャムシャ晩ご飯を食べながらさっきまでの勝負についてあーだこーだ言いあっていると、ふと視線を感じた。

 

 いや、俺は別にそういう戦闘のプロとかでは無いので視線を感じたのは本当にたまたまなんだけど、どうやらその視線はこのホテルのオーナーであるシリウスさんからのようだった。

 

 意外だったのはその目だ。目って結構感情が出ると俺は思ってるんだけど、シリウスさんも例に漏れず、感情が出ていた。なんだか不安でいっぱいという感じ。

 

 あれだ。多分湖の生物の件だろう。しかしそんなに湖の件が心配なんだろうか? 俺は少し引っかかりを覚えながらも、シリウスさんをちょいちょいと手招きした。

 

「はい、何か御用でしょうか? グレゴリー様」

 

「いや、用っていう用は無いんですけど、シリウスさんが何か言いたげな目をしてたもんで」

 

「あら、(わたくし)ったらそのような目をしておりましたか? これは失礼を……」

 

「大方予想はついてるんですけどね。湖の件でしょう?」

 

 俺が先に言い当てると、シリウスさんはちょっと困った表情で小さく申し訳なさそうに頷いた。

 

「お恥ずかしながら仰る通りです。本日の調査で何か判明しなかったのだろうかとずっと気を揉んでおりました」

 

 そう言えば、実際の所あいつらどうだったんだろうな? 何も言ってこないから何も分からなかったんだろうと勝手に思ってたけど。ちょうどいいや、聞いてみよう。

 

「いや、実は私も何も聞いていないので分からないんですよ。あそこのテーブルに座っている3人組に……あれ? レイラしかいないな」

 

 ちょっと離れた席に座っている冒険者組に目を向けると、さっきまで3人揃っていたテーブルには今はレイラしか座っていなかった。

 

「レイラでいいか。すみませんがあの彼女を───あ、やっぱりいいや。我々が行きましょう」

 

「えっ! いや、グレゴリー様にそのような……」

 

「いいからいいから。ああ、カイル。また後で部屋行くと思うから鳴らしたら開けてね」

 

「はーい、分かりました」

 

 そう伝言を残した俺は、さっさと席を立ってレイラがいるテーブルまで向かう。

 

「おう、ここ空いてる?」

 

「うわ! びっくりした! なんだグレゴリーか……空いてるわよ。2人は先に部屋に戻ったから」

 

 なんだとはなんだと言いたいところだが、そんな事より調査結果を聞くのが先だな。俺は席に座るとシリウスさんにも座るように促した。

 

「いえ、そんな、(わたくし)は結構でございます」

 

「いや1人だけ立ってるっていうのはこっちとしてもやり辛いですから。それにあなたのような美人を立たせたままだなんて私に常識が無いと思われます」

 

 俺たち以外にも客はいるのだ。座ってもらわないと目立っちゃって困る。執事みたいな感じの男だったら別にいいと思うんだけどね。

 

 俺の説得が功を奏したか、シリウスさんは空いている席に割と素直に座った。

 

「で? 何の用なのよ?」

 

「いや、アレだよ。湖の件は何か進展があったのか聞きに来ただけだよ。シリウスさんが少し聞きたそうにしてたからな」

 

 俺が事情を説明すると、何故かムスッとしたような表情のレイラは、今日あった出来事を説明し始めた。

 

「───とまあ、そんな感じで結局ほとんど分からなかったわ。明日はもっと大きい獲物を投げ込んでみようかと思ってるけど」

 

 それを聞いたシリウスさんは、険しい表情で頷いている。

 

「じゃあ、結局姿は見えないけど何かが居たって認識でいいわけ?」

 

 俺が確認も兼ねてそう聞くと、まぁそういう事になるわねとレイラは溜息をついた。

 

 可哀想なのはオーナーのシリウスさんだ。観光資源であるレジア湖に、何か得体の知れない生き物が潜んでいるのが確定したのだから。

 

「心中お察ししますよ、シリウスさん」

 

 黙り込むシリウスさんにそう声をかけると、大丈夫ですと返事をする。あんまり大丈夫じゃなさそう。

 俺が心配そうに覗き込むと、何故かレイラは余計ムスッとした表情でむこうを向いた。

 

「では(わたくし)はこれで失礼させていただきます……」

 

 レイラに気を取られてぐずぐずしている間に、シリウスさんは立ち上がってササっと奥に引っ込んでしまった。声をかける暇もない。

 

「あらら、行っちゃったよ」

 

「……ふーん、そんなにあの人が心配なのね。まるで口説いてるみたいだったわ」

 

「はぁ? どこが?」

 

 何を訳のわからんことを言ってるんだこのおたんこなすは。向こうは人妻だぞ。いや、独り身だったら狙ったかといえばそんな事もない。だいたい年齢差がありすぎる。それに別にタイプでも無いし、向こうだってそんな事は考えてもみないはずだ。

 

 そんなことをグルグルと頭の中で考えていると、なぜかは分からないけれど、俺は無性に腹が立ってきた。そのせいか、次に俺が発した言葉は思ったよりもぶっきらぼうになってしまった。

 

「あのさ。あり得ないから」

 

 思ったよりも冷たい言い方になってしまって、俺自身がビックリしていると、その言葉をぶつけられたレイラも同じだったようで、目をパチクリさせる。

 

「何よ……そんなに怒らなくてもいいじゃない。冗談なんだから」

 

「すまん。なんか思ったより言い方がキツくなった」

 

 怒ってるわけじゃないと俺は素直に謝る。聞いているのかいないのか、レイラは目を逸らしたまま立ち上がった。

 

「ごめん、その……部屋に戻るわ」

 

「おう……」

 

 あれ? これって俺が悪いのか? ここまでのやりとりに俺の落ち度あった? そんな事を悶々と考えていたせいで、レイラが軽やかな足取りで部屋に戻っていくことに、俺は全く気づかなかった。

 



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レジア湖の守り神

 

 今日は社員旅行の最終日だ。

 

 結論から言うと、湖の中に潜んでいる生物の正体は、最終日になっても分からずじまいだった。

 

「もうお手上げ。やっぱり短すぎよ、期間が」

 

 そう話すレイラは、もう完全に諦めたのかスッキリした表情をしている。サリアスさんもそれは同じようで、あまり悔やんでいる感じでは無い。

 

 問題なのはこの男である。

 

「グレゴリー様〜、頼むっスよ〜! あと1日だけでいいっスから〜!」

 

「ダメだって俺最初に言ったよな? 延長はしないって」

 

 遠くでこのやりとりを見ているオーナーのシリウスさんも少し困ったように微笑んでいる。

 

「明日の朝出発は変わらないから。我慢しなさい」

 

「えー、そんなぁ」

 

 駄々をこねるバートンを押しやりながらレストランに入る。今日がこのホテルで食べる最後の夕食だ。

 

「やっぱり今日も魚が出てきたな……」

 

 結局、夕飯の内容も最終日まで大きく変わることはなかった。

 現代日本人として育った俺からすれば、未知の巨大生物がいる湖で漁をさせるなんて危機管理がなってないと思ってしまうところだけど、ここは異世界。まあそういうこともあるのかもしれない。

 

 夕食を食べ終えて、デザートを待っていると向こうの席からレイラがスタスタやって来た。

 

「ねぇ、この後時間ある?」

 

「ん? あるよ。どうした?」

 

 3日前に言い合いをしたあの日から、なんとなく話しづらい雰囲気だったので、ちょっとだけ驚く。

 

「どうしてもあなたに見てもらいたいものがあるの。だからちょっとだけ付き合ってよ」

 

「いいよ。分かった」

 

 驚いていたのもあって、つい二つ返事で承諾しちゃったけれど見せたいものって何だろうか?

 

 

 ーーー

 

 

「なぁレイラ。どこまで行くんだよ」

 

「あとちょっと!」

 

 ここは深い森の中……ではなく、ホテルの北側にある湖に向かう散歩道。俺はレイラに連れられて、その真っ暗な散歩道をおっかなびっくり進んでいた。

 

 ランタンの明かりだと数メートル先までしか届かない。しかもこのランタン、光源が直で目に入ってくるせいで逆光みたいになっちゃって正直足元も覚束ない。

 

「ここってどこらへん? まだかかる感じ?」

 

「もう着いたわよ」

 

 そう言われて周りを見回すけれど、それらしい物は何もない。というかここがどこなのかもさっぱり分からんぞ。

 

「この辺かしらね……ほら、明かり貸して」

 

「は?」

 

 俺が承諾する間もなく、レイラは俺からランタンを奪いとると明かりを落とした。

 

「うわぁ! 真っ暗になっちゃったじゃねえか!」

 

「煩いわね。ちょっとすれば目が慣れてくるわよ」

 

「そんなわけ……って、おお本当だ……」

 

 レイラの言う通り初めは真っ暗だったが、少しすると周囲の様子がぼんやりと浮かび上がってくる。

 

 今まで気づかなかったけど、月明かりを反射した水面が少し先から目に飛び込んできた。そしてちょうど湖と同じ方向に、ホテルの部屋からも見える山々が朧げに映る。

 

 どうやらこの場所は湖の北端に位置する場所らしかった。

 

「こんなとこまで来たのか……しかし綺麗だな。山と湖がちょうど一緒に見える」

 

「ここに座るとよく見えるわよ」

 

 レイラが指差す倒木に、へぇと思いながら一緒に座る。夜なのに今日は月が明るいおかげで全体がよく見える。

 

「来てよかったでしょ?」

 

「うん? ああ、そうだな……」

 

 ふと隣を見てドキッとする。遠くを眺めて自慢げにしているレイラを何故か直視できず、目を逸らす。

 

 ……まぁ何故か直視出来ないってのは嘘だ。俺だって馬鹿じゃ無いからこの感情がどういうものかは知ってる。ただあんまり認めたくないってだけだ。だってレイラだしな?

 

 気づかれないようにレイラの横顔を見つめる。ああクソ、可愛いなぁ。今まで意識したことなんてあまり無かったのに。

 

「良い眺めでしょう?」

 

「ああ……本当にな」

 

 俺はレイラに分からないようにコッソリと身に付けていた魔王シアター改を取り出して、横に置いた。こんな時間だ。魔王様が見ている筈が無いとは思うけど、今俺が見ているこの光景だけは誰にも見せたくなかった。

 

 それからしばらくの間、黙って湖を見続けた。馬鹿みたいな話だが、俺は照れ臭くて声をかけられなかったのだ。

 

 まごまごしているうちにレイラが俺の肩を掴んでバッとこちらを向いた。え、いや、そんな急に来られるとお兄さんちょっと困っちゃう。

 

「しっ! 何かこっちに来るわ……!」

 

 え? っと思って耳を済ますと、湖のほとりの方からガサガサと音が聞こえてくる。レイラは俺の肩に力を入れて無理やり俺を屈ませると、腰の剣をサッと引き抜いた。

 

 良い雰囲気だったのに一瞬で空気が変わった。ド素人の俺は何も出来ずになすがままだ。レイラだけが音を立てずに物音の正体を探るために体を滑らせる。

 

 直後、ピーというかキーンというような甲高い高周波が辺りに響いた。恐らくガサガサしていた見えない相手が発した音だ。

 

 その音に呼応する様に、というか明らかに呼応して湖の水がぐわっと盛り上がる。

 

 次に見た光景に俺は息を呑んだ。恐らくそれは隣で見ていたレイラも。ゴゴゴと盛り上がった湖からザバァと姿を現したのは見たこともないほど大きな白い饅頭だった。

 

 いや、饅頭なはずはないんだけども第一印象はそうだったってだけ。ちゃんと見ると、それは何か大きな生物の頭部らしかった。

 

 水音に乗じて少し体勢を直すとガサガサしていた音の主も見ることができた。この1週間で何度も見た後ろ姿。それはホテルのオーナーであるシリウスさんの後ろ姿だった。

 

 隣で絶句しているレイラに小声で話しかける。

 

「……なぁ、見せたいものってもしかしてアレもなのか?」

 

 俺が白い大きな饅頭とシリウスさんを指差しながらそう冗談を飛ばすと、レイラは全力で首を横に振って否定した。

 

「んなわけないでしょ……! 私だって気が動転してるんだから……!」

 

 ちょっと場を和ませようと思ってそんな事を言ったけど、正直俺自身も混乱は収まっていない。

 

 だいたいなんなんだアレは。俺は魔物には詳しく無いけど、レイラの様子を見るにメジャーな存在じゃないらしい。ていうかどう見てもシリウスさんが呼び出してるし余計に意味が分からん。

 

 ……よくよく考えたらこれはスクープじゃないか? というか大スクープじゃねえか! この五日間の謎がひょんな事で解けちゃいましたよ! どうすんだこれ!

 

「どどど、どうしよう……! どうする!?」

 

「あなた、例の板は持って無いの……! 記録できる板……!」

 

 あー! そういやサリアスさんと魔王様が連携して魔王シアター改で録画みたいな事してたって聞いたな! そうだ! 俺も呼び出しボタン連打して魔王様を叩き起こそう! それで録画なりなんなり……あれ? 魔王シアター改どこやったっけ?

 

「そうだ、そこに……」

 

 今まで座っていた倒木の脇にポンと置いたのを思い出して、ちょっと屈んだ状態から手を伸ばす。そしてバランス感覚の無い俺は、変な態勢だったのもあって思いっきりよろめいた。あっ、アカン。

 

 ズシャア! ゴリッ!

 

 思いっきり顔から地面にブッ刺さった事で豪快に音を鳴らす。これでバレないわけがねぇ。すかさず茂みの向こうから反応があった。

 

「ッ! そこに誰か居るのですか!」

 

 レイラがめちゃくちゃ困ったように茂みの向こうと俺を交互に見る。いや本当にドジですまん。

 

「見つかっちゃったからにはしょうがねぇ……行くしかねえよ」

 

「そうね……」

 

 俺達は2人でガサガサとシリウスさんの元に向かって行った。

 

「グレゴリー様にレイラ様でしたか……まさかこんな所にいらっしゃったとは……いつから気付いていらっしゃったのですか?」

 

 でっかい白い饅頭型の生き物を従えてそう淡々と話すシリウスさんはどこか恐ろしい。

 

「いや、信じて頂けないかもしれないですが、本当にたまたまなんです。ただ二人で夜景を見にきていただけで……別に暴いてやろうというつもりは無かったんです」

 

 まぁ俺はね? という感じでチラッと隣に目を向けると、レイラも慌てて否定した。

 

「ちょっと! 確かに私達は謎の生物の正体が知りたくて調査をしてたけど、こんな事までは私も知りたくなかったわよ!」

 

 その剣幕たるや凄まじい物があった。なんというか私だけ売ろうとするんじゃないわよ! という感じ。別にそういうつもりで見たわけじゃないんだけどな。

 

 シリウスさんがそんなレイラの必死の訴えに反応する。

 

「ご安心ください。お二人をどうこうしようとは露にも思っておりませんから」

 

「だってよ。良かったなレイラ」

 

「あー! 何よ! あんたもビビってたくせに!」

 

 うるせえ。ビビっとらんわ! 武者震いだ武者震い!

 

 ……しかしこれで見られてしまったからには……という最悪の事態は避けられたみたいだ。シリウスさんは嘘を言うタイプじゃ無いっぽいから大丈夫だろう。というかそう信じたい。

 

「それでその……説明してもらえますよね?」

 

「はい……」

 

 一応そうは聞いてはみたけど、ちゃんと落ち着いて考えてみたら何となく全体像が分かってきた気がするぞ。

 

 もちろん細かい部分までは分からないけど、何というかこのレジア湖のホテルに来てからの小さい違和感みたいなのが一つ一つ繋がっていく感じ。

 

 まぁでもまずはそのでっかい饅頭の正体を聞いてからだわな。

 

「それで、そいつはいったい何なんです?」

 

「はい。この子はこのレジアの湖の守り神なのです。恐らく正式な種としての名前は付いておりません」

 

「……確かにそんな真っ白な生き物なんて聞いた事無いわ」

 

 魔物にそこそこ詳しいレイラが知らないという事は本当なんだろう。

 

「そして我々の一族は代々この “ムルクー” 。私達はそう呼んでおりますが、このムルクーを人目に付かないように隠してきました」

 

 人目につけば新種の生き物がどうなるかなんて分かったもんじゃない。良ければ学術調査の対象になって身体中いじくり回されるくらいで済むかもしれないけど、悪ければ殺されて解体されるのがオチだ。

 

 だからこそシリウスさん達は隠し続けてきたんだろう。しかしそうなると、これでひとつホテルの謎が解けたかもしれないぞ。

 

「……だからあのホテルには湖を見られる窓が全然無いんですね? それどころかこの景色の良い北側にホテルを造らなかったのも全てはそのムルクーを隠すため……」

 

 レイラが俺の言葉を聞いてハッとする。

 

「じゃあもしかして初めから全部知ってたどころかホテルの成り立ちからしてそもそもこの生き物の為に?」

 

「……まだ何も申しておりませんのにそこまでお気付きとは流石ですね」

 

 やっぱりか。代々と言うからには相当前から隠してきたんだろう。それもホテルが造られるよりも前から。

 しかし、時代と共に、隠すためにも生活するためにも何かしらの稼ぐ手段が必要になってきてしまったのだ。

 

 曰く、実際にシリウスさんのご先祖様も都市部に行って商売でも始めようかとは思ったそうだ。だがシリウスさんの一族はあまり人数が多くなく、そんな少ない一族を分けるのは得策ではないと考えたらしい。

 

「ホテルを建てるのは苦渋の決断だったようです」

 

 そりゃまぁそうでしょうね? 人の目に付かないようにするどころか、ホテル経営を始めて人を呼んじゃうだなんて。また随分と思い切ったことをしたもんだなと俺でも思う。

 

 理解できなくて俺が額にしわを寄せていると、そんな俺にシリウスさんがクスッと微笑んだ。

 

「意外と気づかれないものなのですよ? 隠そう隠そうとすると人は知りたがるものですが、開けっぴろげにしていると逆に大して気にならないものですから」

 

「そんなもんですか」

 

 確かにそうかもしれない。俺達魔族が冒険者登録して人間界で活動してるのとちょっと似てる。ある意味人の心理をついているのかもしれないな。

 

 ああいかん。話が逸れた。

 

「ちょっと話を戻しますが、その守り神ことムルクーは()()()()()()()()()?」

 

 わざわざ匿ってるからには普通の生き物のはずはない。何かシリウスさん達に利があるはずなのだ。

 

 俺がそう核心部分を訊ねると、シリウスさんは警戒感をあらわにした表情で言い淀んだ。

 

「いえ、特に何も……」

 

 そんな訳あるか。何も無いのに匿ってるなんてそっちの方があり得ない。そんな顔されるとむしろ気になっちゃうじゃないか。

 

「いくら何でもそれは無理があるでしょうシリウスさん。2、3日前から思っていたが、あなたは隠しごとはどうも慣れていないように見える」

 

 レイラ達が湖の調査を始めた時から、どうもシリウスさんは挙動不審だった。俺がその事を指摘すると、シリウスさんはとうとう観念したように語り出した。

 

「えぇ、おっしゃる通りです。この子には……万能薬のような物を生成出来る能力があるのです。万能薬と言うとちょっと語弊がありますが……」

 

 シリウスさんが言うには、このムルクー。身体を正常な状態に戻す効果がある物質を体内で作り出すらしい。この物質のすごい所はあらゆる毒物に効果がある事だ。

 

 商会(うち)で出している回復薬は、何針も縫うような怪我でも治す事ができるけど、毒物を解毒する効果はない。

 

 毒と言えば魔物が多く種類を持っているが、毒の種類なんて生物ごとに違うので、それぞれ狩りを行う敵に合わせて解毒薬を持っていくのが冒険者の中では常識だった。

 

 つまり、全ての毒に対応できる物質というのは万能薬と言っても言い過ぎでは無いのだ。

 

「随分ととんでもないのを作り出すわね。そのまんまるちゃんは」

 

 まんまるちゃんこと、ムルクーは相変わらずその巨体を少し揺らしながら、大人しく俺達を見つめていた。

 

「というか随分と大人しいですね。結構時間経ってるけど暴れたりしない。いつもこうなんですか?」

 

「えぇ。この子はとても利口なので私の言うことをよく聞いてくれます。ですが……最近困っていることがあるのです」

 

 凛としてそう告げたシリウスさんは、どうやら何か腹を括ったようだった。

 



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友達として?

 

「この子はあまりにも大きくなりすぎてしまったのです」

 

 言われてふとシリウスさんの奥に目をやる。まん丸お目々が可愛くてチャーミングだけど、確かにムルクーのサイズはデカい。多分7、8メートルはあるんじゃないかと思う。

 

 ただ、シリウスさんが言うには、こんなサイズになってしまったのはここ20年程のことらしかった。

 

「はるか昔から長い間、つい20年ほど前までずっと、今の半分くらいの大きさだったのです。ところが娘のステイシアが生まれた頃くらいから、どんどんどんどん大きくなって……」

 

 で、こんな2倍近いサイズになってしまったらしい。シリウスさんの言葉をそのまま信じるならば、ムルクーの寿命はとんでもなく長いようだ。だから成長期が今更やってきたとかかもしれない。

 

「ここ2、3年でようやく成長が止まったのですが、この大きさでは隠し通す事も難しくなってきてしまいました」

 

 今の半分の大きさだったらなんとかなったかもしれないけど、ちょっとした鯨ほどのサイズになってしまった今だと、そういう訳にもいかない。

 

 現に、今回湖の調査をしようとなった事のきっかけが、湖でザッパーンという派手な音を俺が聞いたからだ。これがもしチャポンとかパシャンだったら、そもそも気にはならなかった可能性もある。

 

 だからやっぱり、でかいのは問題があるんだろう。

 

「この子はとても利口でよく私の言う事を聞いてくれています。とはいえ、陽の出ている間ずっと潜っていなさい、とはとても言えません。ですからせめて人の気配がする時には浮かんでこないよう、言い聞かせました」

 

 人の気配がするというのは、湖の周りに人がいる時は勿論、ボートに人が乗っている時も、漁師が漁に出ている時も含まれる。そして、ムルクーはそのシリウスさんの言いつけを忠実に守った。

 

 だからこそ、ボートを貸し出すなんて大胆なことができたんだろうし、漁も続けられたんだろうと思う。

 

「今まではずっとこの方法で上手くいっておりました。ところが……あるイレギュラーが発生してしまったのです」

 

 シリウスさんは少しだけ恨みがましそうに俺を見つめた。

 

 ……あぁ、なるほどね。そのイレギュラーが誰だか分かっちゃったかもしれないぞ? どっかの誰かさんが湖のほとりで長時間ハンモックで寝てたんだ。それでうっかり露見しちゃったんだろう。

 

 確かにずーっとハンモックで寝てたら気配だって消えるし、ムルクーが誰もいないと思って浮き出てきちゃったのも頷ける。

 

 寝てるだけで面倒ごとに巻き込まれるとかそいつは天才かな? なんの天才だか知らないけど。

 

「はぁ……どうしてそんな所でお昼寝なんてしちゃったのかしらね……」

 

 レイラもそのイレギュラーが誰だか分かったようで、ため息をついた。

 

「……あのねぇ、この世に数ある趣味の中で、最も人様に迷惑が掛からない趣味が昼寝だと思うよ? それをお前、否定されちゃったら俺は他にどんな趣味を持てばいいって言うんだよ?」

 

 もうね、他に趣味らしい趣味なんて闘棋くらいしかないから。ところが闘棋は相手がいなくちゃ成り立たないんだなぁこれが!

 あーあ! 誰か俺の相手してくれる奴がいりゃあこんな事にならなかったのになぁ! ほんとに残念だ!

 

「いえ、勿論昼寝が悪いとは申しておりません。見つかってしまうのは時間の問題だったのです。ただ、一番初めがグレゴリー様だったというだけ。そしてこれも何かのご縁なのでしょう」

 

 ん? ご縁? なーんか嫌な予感がするぞ。

 

「ですからそんなグレゴリー様にお願いがございます。どうかムルクーが今後安全に過ごせるようにお知恵を拝借させては頂けないでしょうか……!」

 

 やっぱりだ。そんな急に言われても無理ですよ。いや、そりゃあ出来れば助けてあげたいよ? でもこっちは今初めて知った素人だ。それに部外者でもあるし、そんな簡単に良い方法なんて思いつかない。

 

 だいたい俺は前世の知識ブーストがあったから今の立場があるだけで、それが無かったらただのその辺のモブBだから。無理なものは無理!

 

「お言葉ですがシリウスさん。私はあなたが思っているほど大した人間ではありませんよ。この問題はあまりにも難しく、到底───!っと失礼」

 

 どうにかお断りしようと、言葉を選んでいると、手に持っていた魔王シアター改が突然震えだした。

 

 ……こんな夜遅くになって電話をかけてくる人物なんて一人しか心当たりがないぞ?

 

 というか魔王様まだ起きてるのかよ。って事は今までのやりとりも含めて全部見てたって事になるな……この電話も絶対この件に関してだ。出ないと後が面倒くさそうだ……

 

「えーと、すみません。ちょっと頭の上がらない恩師から連絡が来たので少し席を外させてください。その間レイラと二人でお話でもしてて頂けますか? すぐに戻りますから」

 

「え、えぇ分かりました……」

 

「え? 私がするの?」

 

 困惑するシリウスさんと、固まってしまったレイラを残して俺は少し離れた茂みの向こうに向かった。

 

 二人から会話が聞こえない位置にやって来たのを確認して電話に出ると、やっぱり相手は魔王様だった。魔王様は挨拶もそこそこに捲し立ててくる。

 

『おい見損なったぞグレゴリー。可哀想じゃないか。断らずになんとかしてやれよ。お前なら何とか出来るだろ?』

 

 えぇ……そんな。これで評価が下がっちゃうのかよ。じゃなくて……

 

「いやいや何言ってるんですか。だいたいこっちは部外者ですよ? そんな外野が何か言ったって当事者が納得出来るはずないじゃないですか。いくらなんでも難しいですよ」

 

『ん? お前その言い方じゃ何か案があるみたいじゃないか……あるんだな? よし言ってみろ。そして実行しろ』

 

 んぐぬ、しまった。ちょっと言い方を間違えた……いや、確かに魔王様の言う通りあるにはある。だけどなぁ……

 

「いや確かにありますけど……たった今思いついた穴だらけの案ですよ? こんな適当な案じゃ───」

 

『なんだよ水臭い。まぁとにかく言ってみろって。でないと判断がつかんじゃないか。な?』

 

 いや、判断がつかないとか言ってるけど、結局話を聞いたら、面白そうだからやってみろよ(他人事)ってなるに決まってるんだ。俺は魔王様の性格よく分かってるから。

 

 はぁ……でも言うだけ言ってみるのも有りか。どうせ最後に決めるのは俺じゃなくてシリウスさんだし。んで断られたら、これ以上は思いつかないやごめんね、って言えばいいんだ。

 

「なら時間もないですからザッとだけ説明しますよ?」

 

 俺はたった今思いついたこの案の概要を魔王様に説明し始めた。

 

 

 ーーー

 

 

「レイラ様はグレゴリー様とどのようなお知り合いでいらっしゃるのですか?」

 

 私は固まってしまったレイラさんに助け舟を出すつもりで、そう話しかけた。

 

「え、あぁ私? 別にあいつに雇われてるだけよ。それ以上でもそれ以下でもないわ。なんでそんな事を?」

 

 確かにチェックインの時にグレゴリー様以外はただの商会のメンバーという風に書かれていたが、私にはとてもそうは思えなかった。

 

「いえ……このような夜更けに、このような場所で夜景をお楽しみのようでしたので、てっきりお付き合いなさっているのかと……」

 

 一瞬固まったレイラさんは、我に返ると首を横に振った。

 

「いいえ? 別にそういうわけじゃないわ」

 

 ふむ、その反応からすると、グレゴリー様がレイラさんを誘ってここまで連れて来たという事になるのでしょうか?

 

 せっかくグレゴリー様が頑張ってレイラさんを誘ったかもしれないのに、私が邪魔をしてしまったのかもしれませんね。それは随分と申し訳ない事をしてしまいました。

 

 そんな風に心の中で申し訳なさを感じていたのだが、次の彼女の言葉でそれが誤りであると分かる。

 

「別に今日ここに連れて来たのだって、綺麗だから見せてあげたいなって思っただけだし。だから付き合ってるとかじゃ無いわ」

 

 せっかく旅行に来たのに見ないで帰るなんて勿体ないじゃない、と少しだけ(いきどお)るレイラさん。

 

 おや? と私は首を捻った。てっきりグレゴリー様がレイラさんを誘ってここまで連れて来たのだろうと思ったのに、そうではないと言うのだ。

 

 その上、こんなロマンチックで口説くには最高の場所に連れて来ておきながら、レイラさんには他意が無いらしい。そんなことが本当にあり得るのだろうか?

 

 私は訳が分からなくなって、ついこんな事を聞いてしまう。

 

「あの、レイラ様はグレゴリー様の事がお好きという訳ではないのですか……?」

 

 彼女はそんな質問が飛んでくるとは思っていなかったようで、目を見開いて飛び上がった。

 

「うぇっ!? なんでそんな話に! べ、別にあいつの事嫌いな訳じゃないわよ? けど……って言うかコレって答えないといけない感じなの!?」

 

「いいえ? 別にお答えにならなくても結構でございますよ」

 

 この反応。(わたくし)ピンと来ましたよ。恐らくレイラさんはグレゴリー様がお好きですね。そうでなかったとしても、かなり良く思っているのは間違い無い。

 

 少し私の好奇心に火が付いてしまいました。ちょっと確認してみなければ。

 

「……レイラ様。ちょっとお尋ねしますが、もしもグレゴリー様が何か大きな困難に遭遇していたとしたら、貴女は如何なさいますか?」

 

「え? そ、そうねぇ。多分何か手伝ってあげると思うわ。あいつが困るなんて私じゃとても力になれないと思うけど、それでも話くらいは聞いてあげたい……かな」

 

 そこまで素直に言ってからハッと我に返ったレイラさんは、勿論友達としてよ! と慌てて付け加える。まるで恋心を知られたくない町娘のように。

 

「ええ、分かっていますよ? では、例えばレイラ様に何か嬉しい事や楽しい事があった時、それをグレゴリー様に教えて差し上げたいと思う事は有りますか?」

 

「えーと……まぁ、あると思うわ。今日連れて来ようと思ったのがそんな感じだし……いや、友達としてだからね?」

 

 友達として。そう再度強調するレイラさん。でも、そんなに否定すると返って怪しいですよ?

 

「それでは次の質問です。とある女性がグレゴリー様と街中の喫茶店で楽しそうにお茶をしていました。レイラ様は───」

 

「そんな人いる訳無いわ。だってあいつ、女っ気全く無いのよ? いつも難しいこと考えて、悪巧みばっかりしてるんだから」

 

 私の言葉を遮って全否定してくるレイラさん。グレゴリー様に、そのような相手がいるという架空の話すら許せないのでしょうか? 

 もう答えは出ていますが、素直になれない彼女にちょっぴり意地悪したくて、先を続ける。

 

「───仮に、の話ですよレイラ様。もしもそのような方がグレゴリー様に現れたとしたら?」

 

「別に? 全く気にならないわ! あいつが誰とどうなろうが私の知った事じゃ無いし」

 

 どうだ、言ってやったぞという雰囲気を醸し出しているレイラさん。

 私が恋心を探ろうとしているのに気がついて、そんな答えをあえて彼女は言ったのでしょうが、それでは “私は意識しています” と言っているに等しい。

 

「本当に気になりませんか?」

 

「ええ、それはもう全く!」

 

「お友達なのに?」

 

「? 友達だから気にならないんじゃない」

 

 いいえ違いますよレイラさん。私は彼女に近づいて、耳元でそっと囁いた。

 

「本当にお友達なら、上手くいくように応援してあげるのではございませんか?」

 

 その一言で、彼女は自分の犯したミスに気づいたようで、顔を真っ赤にした。

 友達の立場に立って考えるのは難しいですよね? だって本当のところは貴女はそう思っていないのだから。

 

 私はあえて、その事には言及せずに、最後の質問を行った。

 

「では最後です。もしも……もしもレイラ様がこれからグレゴリー様に二度と会えない、というような事になったとしたら、貴女はどう思いますか?」

 

 真っ赤になっていたレイラさんは目を見開いて息を呑むと、今度は目を閉じて息を吐き出しながら、静かに答えた。

 

「……それはその時になってみないと分からないと思うわ。でも……きっと、ずっとずっと忘れられないんでしょうね。それこそお婆ちゃんになってもずっと」

 

「……お好きなのでしょう? グレゴリー様の事が」

 

「分かってるくせに……」

 

 そうであれば。私にも協力出来ることがある。そして、レイラさんを味方につけて、彼女の口からもグレゴリー様にお願いして貰ったら、もしかするとグレゴリー様も心変わりしてくれるかもしれない。

 

「幸いな事に、私は意中の殿方を振り向かせる多くの方法を存じております。ご興味はございませんか?」

 

 だから私はそんな打算ありありな言葉を彼女に投げかける。しかし、レイラさんはそれには興味を示さず、少しスッキリした表情で礼を言って来た。

 

「───私ね、そういう事は今まであんまり考えないようにしてきたの。でも……貴女のお陰でようやく決心がついたわ。ありがとうシリウスさん」

 

 その言葉に少し疑問を覚えながらも、何か力になれたのなら良かったと納得する。

 ただ、やはり少し強引すぎました。レイラさんを味方につけるのは厳しいようですねとそう思っていると、彼女は茂みの向こうに目をやった。

 

「あとね、心配しなくても大丈夫よシリウスさん。私から言わなくたって、あいつは最後には何だかんだで助けてくれるわ。いっつもそうなんだから」

 

 振り返って微笑む彼女は、まるで夫に長年寄り添ってきた妻のように私には見えた。

 



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オペレーション・タマちゃん

 魔王様に説明したら案の定、面白そうだなやってみろよって言われた。ったく他人事だからって……まぁ予想通りなんで驚きはしないけどね。

 

 そんなわけで二人の所に戻ってきたわけだけど、シリウスさんが凄く期待に満ちた目で俺を見てくる。勿論それはお願いしてきた張本人なのだから理解はできる。ただ、なぜかレイラも同じように見てきてるのは謎だ。

 

 なんだかよく分からないけど、とりあえずシリウスさんにだけは釘を刺しておこう。

 

「あー、先に言っておきますけどねシリウスさん」

 

「はい」

 

「よーく考えた結果、あなたに協力してもいいかもしれないと思い始めました。それに、少し前に思いついた案もあります」

 

 そこまで俺が言ったらレイラがシリウスさんの方を見て、ふふん、と得意そうな顔をした。

 

 なんだ? 俺が協力するかどうか賭けでもしてたのか? そんな事を少し考えたけど、シリウスさんの歓喜の声に思考を引き戻される。

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「ええ本当です。ただし! この案はさっき思いついたという事と、細部も詰めていない穴だらけの案なんだ、という事を理解して聞いてください」

 

 俺は、二人が聞く態勢に入ったのを確認してから魔王様に話した内容と同じ説明を始めた。

 

「そうですね。まぁまずは作戦名から言いましょうかね。作戦名は題して “タマちゃん作戦” です」

 

 俺は堂々とそう宣言したけど、二人はクエスチョンマークをたくさん頭に浮かべている。

 

 そりゃそうだろうな。二人はおろか、この世界の人間は誰一人として由来が分からないだろうから。

 

 いつだったか忘れたけど東京の多摩川にラッコだかアザラシだかが迷い込んだ事件があったと思う。そいつは“タマちゃん”という名前がつけられて一躍ブームになったので、覚えている人も多いんじゃなかろうか。

 

 あの事件が無かったらこの案は思いついていないから、それにあやかって作戦名にしてみたのだ。

 

 と、言う訳でこの世界の住人に分かる筈がない。まぁ名前に関して深く突っ込まれても困るから、もう概要に入っちゃおう。

 

「……ま、名前は置いておくとして作戦内容は単純です。そこのムルクーの存在を隠すんじゃなくて逆に世に広めるんですよ。観光資源にしてしまえばいい」

 

 俺が最初に聞いたときに思ったんだけど、隠す必要あるのか? ってな話。別に体内で万能薬を生成するという事実が知られたらまずいんであって、ムルクーの存在自体知られても平気な気がするのよね。

 

 しかしそんな事をシリウスさんがすんなり納得できるかは別だ。現に俺の話を聞いてフリーズしてしまっている。

 

「で、でもそうしたら冒険者に狙われないかしら……?」

 

 そんなシリウスさんに代わってレイラが聞いてくる。

 

「おいおい、レイラまで何を言ってるんだ。お前はトールの事を忘れちまったのか?」

 

「あぁ! なるほどこの辺はメルスクの……」

 

 レジア湖周辺はメルスクの冒険者ギルドの管轄地域だから、ギルドマスターの権限で好きに御触れを出せる。つまり、トールにレジア湖に住んでるムルクーは無害であるから狩猟しちゃダメよと言わせればいい。これで “冒険者に狙われるかもしれない問題” は解決だ。

 

 固まってしまったシリウスさんにそう説明すると、まだ考え込んでいる様子の彼女は絞り出すように言った。

 

「……ですが、冒険者はよくとも、心無い人間に狙われるかもしれません……」

 

 そうなんだよね。そこはまだ100%安全を確保する方法は思いついてない。80%くらい確保する方法は考えてんだけどね。

 

「その通りです。ですからそのリスクをどう減らすかで考えついたのが観光資源化するって話なんですよ」

 

 例えば狩猟が禁止されたとして、それでも無理やり害そうとする輩がいたとする。でもそれは違法行為であるから、やるにしても人目にはつかないようにしようとするはずだ。

 

 そうさせない為に“監視の目”を増やす。

 

「こんなに言うことを聞いてくれて、丸っこくてかわいい生き物なんて他に居ないですよ? マスコット化すれば観光客の増加間違いなしです。そして増えた客自身に見張って貰えばいい」

 

 あの多摩川のタマちゃんをどうにかしてやろうという人間は存在したんだろうか? いたとしてもあの衆人環視じゃ無理だったろうと思う。それと同じような状況を作ればいい。

 

「まぁそれで客が増えれば昼間の安全は確保できます。勿論増やせるかどうかはシリウスさん自身の手にかかって居るのをお忘れなく」

 

「……分かりました。それで仮に昼の安全が確保できたとして、夜はどうすればいいでしょうか?」

 

「……実はその点を逆に聞こうと思っていたところなんです。昼間は自由にさせる代わりに夜はジッと潜っててもらうって事は出来ませんかね? それだけで全然違うんですが」

 

 夜の間にレジア湖の深いところに潜んでいる生き物をどうこうするのはかなり難しい。というかほぼ不可能。だからそうして貰えるならばそうして貰いたい所。

 

「……恐らく出来ます。今、昼間でも出来ているのですから夜普通に水底で寝ていなさい、と言うのはそれほど難しい話ではありません」

 

 え、じゃあもうほとんど解決じゃない? 懸念してた夜もオッケーならもう安全と言ってもいいだろ。なんか他に抜けてるとこあるかな? パッとは思いつかないから一応聞いてみるか。

 

「どうですこの案は。意外といける気がしませんか? 何か他に気になる点はあります?」

 

 考え込むレイラとシリウスさん。そして暫く経ってからシリウスさんがゆっくりと口を開いた。げ、なんかあるのか?

 

「その……本当に、上手くいくのでしょうか?」

 

「そうですね……上手くいくかどうかで他に重要なのは、例の万能薬の存在は絶対に知られてはならないという点です。ですがまぁ聞いた限りでは部外者では私とレイラしか知らないですよね?」

 

 本当は魔王様も聞いちゃってるけど魔王様は良識ある魔族なので言いふらしたりはしないのだ。一応口止めはするけどね。

 

「はい、その通りです」

 

「なら上手くいきますよ。もし生態調査が必要だとかって話になったら、それもまたさっき言っていたギルドマスターに頼んで我々を指名してもらいますから。なぁレイラ?」

 

「ええそうね。きっとバートンあたりが喜んでやるわ。私だって手伝ってもいいし」

 

 サリアスさんだってきっと頼めば喜んでやってくれると思う。うん完璧だな。もし、それだけやったのに問題が起こったとしたら、その時はその時だ。そうなったらまたなんかいい方法を考えればいいんだ。何とかなるなる!

 

 夜遅くに考えてるからなんかテンションがおかしくなってきたぞ……これがいわゆる深夜テンションか。これ以上おかしくなる前に結論を得たいな。もしくは寝たい。

 

「まぁ決めるのは明日でもいいですよ。今夜ゆっくり一晩考えて───」

 

「やります!」

 

 まさかの即答である。えー……もう寝たいんだけど。これじゃ寝れないやんか。

 

「……えーと私が言うのもなんですけど、そんな簡単に決めちゃって大丈夫ですか? 後悔しません?」

 

 いや、ほらなんか今まで守ってきた家のしきたりを破壊する葛藤とか、今後上手くいくかどうかの不安とかそういうのに(さいな)まれて一晩悩むとこじゃないの、そこは。

 

「いえ、後悔はしません。きっと明日まで考えても結論は変わらないと思います。正直に申し上げますと、この案が上手くいくかどうかの確証はまだ持てておりません。ただ───」

 

 そこでシリウスさんはスッと姿勢を正した。

 

「グレゴリー様。貴方という人物に賭けたいと思ったのです。貴方ならばもしも何かが起こっても解決してくれる。そんな気がするのです」

 

 レイラが少しだけ嬉しそうに微笑んだ気がした。

 

「私は仕事柄、多くの人を見てきました。そのお陰か私は多少、人を見る目があるのです。ですから私はその勘を信じることに致します。どうかよろしくお願い致します」

 

 シリウスさんはそこまで一息で言うと、深く頭を下げた。

 

 いやぁそんなまっすぐ信頼を寄せられると困っちゃうね。俺はそんなに立派じゃないし、なんなら今さっき早く寝たいなとか思ってたくらいだ。中身は大した事ないから。

 

 ……でもまぁ悪い気はしない。そうやって褒められると有頂天になって、ちょっと手伝っちゃおうかなって気になっちゃうのも、いい感じに俺の適当な所だ。

 

「……分かりました。シリウスさんの決断を尊重します。ですが今日はもう遅いですから。詳細は明日また相談して決めることにしましょう」

 

「そうしますと……明日もう一泊なさいますか? 勿論お代は結構でございます」

 

「え、ほんとですか? それならお言葉に甘えて是非」

 

 金が掛からないなら一生ここにいたいくらい居心地がいいんで大歓迎だ。多分他の奴らも喜ぶだろ。

 そんな感じでいい感じに話が纏まろうとしてたらレイラが口を挟んできた。

 

「ねぇ、話の腰を折って悪いんだけど、どうしても分からないことがあるのよ……」

 

 なんだなんだ。まだなんかあんのか。そういうのはもっと早く言いなさいよ。纏まりかけの時に言うもんじゃありません。

 

「……どこらへん?」

 

「いや、名前についてなんだけれど、どうして “タマちゃん作戦” なの?」

 

「あー……そこね?」

 

 今そこに疑問を持っちゃうかー……それは俺の前世の記憶から拝借したネーミングだからだよ、なんて言えないのでどうしたもんか。シリウスさんまでそういえばそうですねって顔してるし。

 

「えーとね。別に深い意味は無いよ。ムルクーの見た目が丸い大きな玉みたいだったからそんな名前にしただけ。それになんか響きがいいだろ? タマちゃん」

 

 確かタマちゃん、流行語大賞にもなってた気がするからね。そういう意味でもネーミングセンスは完璧だ。

 

「……そうね、確かにムルクーよりは親しみがあっていいのかしら。あ、いや別にムルクーが悪いって言ってる訳じゃないけど……」

 

 目の前にシリウスさんがいるのを思い出して慌てて言い直すレイラ。しかし、ムルクーという名前にケチつけられたシリウスさんは対して気にしていないどころか、その意見に同調し始める。

 

「タマちゃん……タマちゃん……何故かこうしっくり来ますね。これからこの子をそう呼んでも大丈夫ですか? 可愛らしくてその方が親しみを持てます」

 

 おいちょっと待て。シリウスさんはしきたりとか慣例とかを打破する事に適応しすぎでしょ。一応ムルクーって名前は長いこと一族が呼んできた名前なんじゃないのかよ。

 

 というか、なんか思いつきでタマちゃん作戦とか言っちゃったけど、このままじゃこの生き物の名前がムルクーからタマちゃんに変わっちゃいそうだ。

 

「まぁ、いいのか……?」

 

 よく考えたらどうせここ地球じゃないし、商標もへったくれもねえか!

 

「あー、じゃあもうそれでいきましょう! 今日からその子はタマちゃんで!」

 

 ムルクー改めタマちゃんは、シリウスさんに何度か新しいその名を呼ばれると、あまり今まで名前では呼ばれた事が無かったのか、嬉しそうにキュイキュイ返事をした。

 

 後に、地球から遠く離れたこの世界で“タマちゃんブーム”が巻き起こる事になるのはまた別のお話。

 



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6章 見えざる敵
最高の秘書


6章書き終わった


 

「それで……俺達が向こうに行ってる間、こっちじゃ何か変わった事はあったか?」

 

 ギルドのカウンターに乗り出した俺がそう確認すると、トールは唸りながら腕を組んだ。

 

「うーん……まぁ、あったっちゃあったかなぁ……」

 

「なんだよその微妙な反応は」

 

「いや、なんかお前らの方がよっぽどあり得ない事件に巻き込まれてて、それに比べりゃこっちの事なんて大した事ないっていうか日常の延長っていうか……」

 

「ああ確かに。俺らのは普通じゃないわな」

 

 まぁ旅行先で新種の生物に遭遇してあれやこれやと立ち回るなんて、普通はそんな事件に巻き込まれる事は無いんで最もな意見だと思う。

 

 あの後、タマちゃんの件はどうなったかというと、ほぼ計画通りに事態は進行してる。

 ギルドに対して新種の報告はすぐにしたし、狩猟を禁止する御触れも明日には出る。それと同時に生態調査もやる事になった。トールにバートンを指名して貰って、今度もう一度レジア湖まで行ってもらう事になっている。全部予定通りだ。

 

 ただ一つ、予定通りでないとすれば、シリウスさんの娘さんであるステイシアさんが俺達に付いてきちゃったことくらいか。

 

「けっ! 羨ましい限りだよ。俺なんかギルドマスターだってのに秘書どころか助手の一人もいないんだぞ? ほんと世の中間違ってるぜ!」

 

「だーかーらー、言ってんだろ? 秘書じゃなくて調整役だって」

 

 レジア湖とここメルスクじゃ結構な距離があるんで、シリウスさんは連絡を密にするために、娘のステイシアさんを俺に付けたという訳だ。

 

 しかしまぁこれがほんと凄いのよ。あなたほんとに調整役? って言いたくなるくらいの世話焼きっぷり。秘書通り越して実は専属メイドなんじゃねえのって言いたくなるくらい、徹底して俺に付き従っている。

 

 まだこっちに戻って来て2日しか経ってないのに、もう既に色々やらないといけない事とか覚えてくれている。なので凄く助かっているし、ありがたいのも事実。ただ問題があるとすれば……。

 

「俺が魔族だって知らない事なんだよなぁ……どうしたもんか」

 

 今だって、ステイシアさんに他の事を頼んだ隙にここに来てるくらいなんだ。この調子でぴったりくっつかれると、おちおち魔族関連の話もできやしない。

 

「ああん? そんなの些細な問題だろ。要らないなら是非ギルドに寄越してくれ。いつでも大歓迎だ」

 

 いや、だから調整役だから秘書として派遣とかは……はぁ、もう別にいいや。勝手に言わせとこう。

 それは置いといても実際問題どうするかはまだ考えていない。

 

「このままだとそのうちバレそうで怖いんだよ。どうしたもんか」

 

「別に俺っていう前例がいんだからいっその事ばらしちまったらどうだ? どうせ協力者増やさなきゃなんねえんだろ?」

 

「確かにそうなんだけどさぁ……」

 

 実際、バレても何とかなると思う。とはいえ、会って日が経ってない人間にバラすのはリスクが高すぎる。

 もしかしたら実は魔族に対して恨みを持っているかもしれない。せめてそういう思想の調査を終えて、特に何も無さそうなのを確認してからじゃないと。

 

 そんなような事をトールに言ったら、じゃあレイラちゃんには言わないのかよ、なんて返されてしまった。

 

「ああ、まぁレイラはね……」

 

 レイラと出会ってからもうかなり長い時間が経っている。それに前に過去を調べた時も、特に魔族に対して恨みなんかは無さそうだった。論理的に言えば別にレイラには教えてもいいはず。

 

「俺もよう、たまに分かんなくなりそうな時があってだな。こないだ嬢ちゃん(サリアスさん)に書類渡しそびれた事があったろ?」

 

「あったな、そんな事」

 

 この前、トールが中身を見られたらまずい書類をサリアスさんに渡そうと思って忘れた事があった。

 

 それでトールは、代わりにたまたま来ていたレイラに渡したらしいのだが、よくよく考えたらレイラって魔族関連のこと知らないじゃん、というのを後になって思い出したらしい。

 

 俺もまさかレイラから、“はい、なんかトールからあなた宛によ”、なんて軽いノリで、勇者候補に関する書類をポンと手渡されるとは思っていなかったので、かなり驚いた。もしもあれの中身を見られていたら、ガッツリ勇者がどうとか書いてあったので、かなーり言い訳に苦しんだ筈だ。

 

「レイラちゃんに言ってくれないと間違って俺の方からバラしちまいそうだよ」

 

「お前、ほんとにそれだけは気を付けろよ? マジで洒落になんないから」

 

 俺が幾分真面目なトーンで釘を刺すと、トールも反省しているのか、それ以上は何も言ってこなかった。

 

 そんな感じでレイラに言うか否かは適当にはぐらかしたけれど、俺の心の中ではほとんど決まっていた。レイラには俺が魔族である事は言うつもりはない。

 

 なんでレイラに教えたくないのかって? それはほら、あれだよ。あいつの事が好きだからだよ。

 怖くてしょうがないんだよ。事実を知った後、あいつがどういう反応をするかまるで想像がつかない。だから言わない。嫌われたくないから。

 

 これは論理的とは言えない決定だし、俺らしくはないと思う。実際、他の奴にレイラも協力者になってもらうべきだと理詰めで言われたら多分反論できない。

 

「おーっと、麗しの秘書様のお出ましだぞ……」

 

 俺の思考を断ち切るように、ステイシアさんがギルドに入って来た。粗野な奴ばかりしかいないギルド内に、突然華やかな雰囲気の女性が現れると目立つ目立つ。

 

「やっと見つけましたよグレゴリー様、ここにいらっしゃったんですね」

 

 ここの場所の事教えてないのによく分かったね君……。

 

「ああステイシアさん。ちょっと世間話してただけだからさ。ついて来させるのも悪いと思って」

 

「そんな事を仰らないで下さい。例え世間話でもお供致しますから」

 

「ああ、そう……」

 

 トールが能面のような顔を俺に向ける。そんなに羨ましがられても困るわ。こっちはバレないように必死なんだぞ全く……。

 

 

 ───

 

 

 はい、ステイシアさんにバレました。

 

 早いよ!? いくらなんでも早すぎだよ!? まだこっちに戻ってきてたったの3日だよ!?

 

 いや、やっぱり距離が近すぎた。流石に四六時中近くにいられると厳しいものがある。

 旅行に行く前はこんな秘書ができるなんて思ってなかったのも大きい。書類とか出し入れがめんどくさくて仕事場の普通の棚に置いといたのが良くなかった。勿論戻ってきて慌ててすぐに見えないところにしまったよ? でも一部だけそのままになってたんだよね。

 

 で、ステイシアさんがその書類を整理しようとじっくり見てるところに俺が戻ってきて、あっ……ってなって今に至る。

 最初しらばっくれようかと思ったけど、なんかステイシアさんの目が確信めいていたからそれはとっくに諦めた。

 まぁいずれにせよ俺がお馬鹿さんだったというだけの話なのだ。

 

「……」

 

「……まぁ、勇者に関するその書類について言いたい事はあるだろうけど、とりあえず座ってよ」

 

 勘弁して欲しいよ。なんだこの気まずい沈黙は。

 

「まぁね。こうなるかもってちょっと思ってた所はあるんだけどね。それにしても早かったな〜。3日か〜」

 

 ステイシアさんは相変わらず黙ったまま俺を見ている。

 

「そんな黙られるとちょっと困っちゃうなぁ。なんか言ってよ」

 

「……どうもおかしいとは思っていました。先日、バートンさんが“魔王様”という単語を口にされていたので」

 

 なぬ!? あいつ、やりやがったな。バートンのうっかりめ。どこで口滑らしたか知らんが後でとっちめてやる。

 

「それに、昨日ここでグレゴリー様がどなたかと通話されている時も“魔王様”という単語が聞こえてきましたから」

 

 あ、あれ? 俺もなの? 彼女の言う通り、昨日たしかに俺は魔王様に事務的な連絡をしていたし、“魔王様”っていう単語を口に出した。でもあの時はこの部屋には誰もいなかったのだ。

 

「まさか……あの時ドアの外で聞いてたのか!」

 

「ええ、たまたま外から戻ってきたときに聞いてしまいました」

 

 あちゃー。俺もうっかりだったか。これはバートンに文句言えんな。この部屋は防音仕様だから気にせず話してたけど流石にドアの前で聞き耳たてられたら聞こえるか。今度からは気をつけよう。

 

「“魔王”という言葉は発しても“魔王様”と敬称を付けることは普通ありませんからね。人間は特に」

 

 一応こっちではギルス呼びでいこうって気をつけてるつもりなんだけど長年の癖でつい魔王様って言っちゃうんだよな。最近は面倒だし別にいいかっていうのもちょっとあった。

 

「あぁそりゃ迂闊だったなぁ。いやぁ参った参った」

 

「……それにしても随分と落ち着いていらっしゃいますね? 私が告発するかもとは思わないのですか?」

 

「微塵も思わないね。あなたは賢い人だから」

 

 まぁバレちゃったけどたいして危機感は感じていない。何故なら俺はタマちゃんが万能薬を生成出来るという秘密を握ってるから。その秘密をこちらが握ってる以上、お互いが破滅するような行動は起こせるはずがない。

 

 勿論、全てを投げ打ってでも俺たち魔族に対してダメージを与えたいくらい恨みがある、っていうなら話は別だ。でも、この感じだとそれも無い。

 

「ふふっ、馬鹿な質問をしてしまいましたね? ……という事はこれでグレゴリー様と私達は対等になったと思っても良いのでしょうか?」

 

 今までは俺が一方的に秘密を握っていたけど、これでお互いがお互いの秘密を握っているという状況になった。多分彼女はそう言いたいんだろう。

 

「まぁ、そういう事になるかな。勿論そうでなくても君達の一族を見捨てたり、蔑ろにするつもりなんて無かったけどね」

 

 俺だってタマちゃん好きだしね。一応、名付け親でもあるし。

 

「母は極度の心配性なのです。人の弱みを握っておかないといつ裏切られるか分からないと思っている節がありますから……まぁ、人では無かった訳ですが」

 

 ははぁ、だからシリウスさんはステイシアさんを俺達につけたのか。連絡役としてだけじゃなく、俺達の弱みを探るのも一つの目的だったみたいだ。こりゃいずれにせよバレるのは時間の問題だったな。という事で、俺がやらかした訳では無いと思います!

 

 ま、それは置いといても、俺もどっちかって言うと人の善意とか好意とかを素直に受け入れられるタイプじゃないからシリウスさんの気持ちはよく分かる。逆に親近感が湧いて好感が持てるくらいだ。

 

「ならこれからは()()()()()をステイシアさんにお願いしても良いのかな?」

 

 俺は開き直った。そういう事とは、勿論、魔族に関連する事だ。そっちの書類の整理とかもやってくれるなら助かる。

 

「はい、()()()()()もお手伝いさせていただきます。言うまでもなく、グレゴリー様が私達一族の事をお忘れにならなければ、ですが」

 

 流石はステイシアさん、ここできっちりねじ込んでくるあたり(したた)かだ。でも、寧ろこういう利害関係がはっきりしてる状態の方が分かりやすくて俺は好きだな。

 

「そりゃあそうだ。頑張らせてもらうよ。なら改めてこれからよろしく頼むよ。ステイシアさん」

 

「はい、よろしくお願いします。それと……“さん”は結構でございます。ステイシアとお呼びくださいグレゴリー様」

 

 こうして、俺は最高の秘書を手に入れた。

 



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疑惑のマーロン製薬

 

 ギルドの秘密の会議室で俺とステイシアとトールの3人は顔を突き合わせていた。

 

「あのね。ステイシアには俺達の事全部話したから。そういう事でよろしく」

 

「いや、そういう事でよろしくって……本当に? 本当に全部話しちゃったのか?」

 

 トールが困惑しながら俺とステイシアを交互に見つめる。つい昨日、ステイシアにはしばらく話すつもりは無い、なんて言っといてコレなんで、気持ちは分かる。

 

「トール様。これからは全力でグレゴリー様にご協力をさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます」

 

「あんた、本気でそう思ってるのか?」

 

 トールがジッとステイシアの目を見つめる。多分今、真実の目で嘘かどうかを見極めてるはずだ。

 

「えぇ、勿論です」

 

「……オーケー、どうやら“本当”らしい。ったく、どうやって誑し込んだんだ? 昨日の今日で」

 

 誑し込んだとかそんな上等な話じゃなく、ただ単にバレただけなんだよなぁ……あんまり言いたくないけど。

 そうトールに本当のところを話したら、お前でもそういうところあんのなwとか言ってめちゃくちゃ笑われた。腹立つ。

 

 いや、俺の完璧な計算によると、どうせいずれはバレてたからね? 決して俺がアホだったとかじゃないから!

 

「はは、まぁそんなおっちょこちょいは置いといて、ステイシアさん。もしこいつの秘書が嫌になったら、是非代わりに俺の秘書をやってくれ。いつでも大歓迎だ!」

 

 なーに勝手に引き抜こうとしてんだか。彼女は渡さんぞ。

 

「ふふふ、もしもそうなったら是非お願いしますね♪」

 

 ステイシアがバリバリの営業スマイルでそう答えると、どう考えたって方便なのに、トールは鼻の下を伸ばして、でへへと照れ笑いした。やめろやめろ、いい歳したおっさんがやるとちょっと気色悪いわ。

 

「へへ、じゃあそういう事なら、忘れないうちに昨日話しそびれた事を話しとこうかな。まぁ別に秘密の話って訳じゃないんだけどよ」

 

「昨日話しそびれた事?」

 

「あぁ、こっちで起こった変わった事って奴だよ。お前達に比べりゃ、ほんっとに些細な事だけどな。あー、その前に……ちょっと取ってくるから待ってろ」

 

 トールは一度部屋から出ていくと、すぐにどこからか小瓶をいくつか携えて戻ってきた。

 

「コレな。お前らが旅行中、ギルド(うち)に回復薬の営業かけてきた奴が居てな? その時にそいつが置いてったポーションなんだわ」

 

 トールから小瓶を受け取って見てみると、随分と似ている。何がって、うちで出してるポーションに色がそっくりだ。せいぜい違うのは入れ物の形状とラベルくらいか。

 

「んで、(やっこ)さん、お前が売ってるポーションと効果はほとんど変わらないのに6割の値段で売れますって言ってたんだよ」

 

「うちの6掛け? それじゃお前、多分利益なんかほとんど無いぞそれ。赤字になると思うんだけど」

 

 うちの場合、4割も値下げしたら赤字になる。というかうちだけでなく、この業界はどこもそんなもののはず。だから6割の値段でいいよって言うのはちょっとおかしい。

 

「そうよなぁ……あ、その営業さんには一応考えておきますよって言って断ったんだが、そうしたら何本か試供品だって言って置いてったんだよ」

 

 それで気になってちょっと試してみた結果、効果にほとんど差は感じられなかったらしい。

 

「まぁ大雑把に体感した感じ分からなかっただけで、もしかしたら差があんのかもしれないから、その辺はお前の方で調べてくれ。という事で、それ全部お前にやる」

 

「分かった調べてみる。それで? その営業さんってのは、どこのどいつなんだよ」

 

「なんかマーロン製薬って言ってたかな。一応連絡先の住所を貰ったからそれも後でやる。この商会についてなんか知ってるか?」

 

 うーん、なーんか聞いた覚えがうっすらあるぞ。ちゃんと店の仕事場に戻って資料を見なきゃ分かんないけど、王都の方にそんな感じの名前の会社があった気がする。

 

「ちょっとパッとは出てこないな……まぁ取り敢えずわかった。それも含めて調べてみるわ」

 

 話を聞き終えて礼を言った俺はステイシアと共に、早速カイルがいるであろうアマル2000の工場に向かった。

 

「カイル、今ちょっといいか?」

 

 工場の事務室に入って手招きすると、事務机で何かの作業をしていたカイルは、立ち上がって駆け寄ってきた。

 

「グレゴリー様!……とステイシアさん。いったいどうなさったんですか? ここに直接来るなんて珍しいですね?」

 

「ああ、渡す物が出来たからな。店に持って帰るのも二度手間だったから直接持ってきた」

 

 机の脇に、トールから貰った例のポーションをずらっと並べる。カイルはそのうちの一つを手に取って興味深げに光にかざした。

 

「なんですか? これ」

 

「これはね。同業他社……いわゆる商売(がたき)のポーションって事になるかな?」

 

 俺は先ほどトールから聞かされた話を、そのままカイルに話して聞かせた。

 

「ええ! 大変じゃないですか! そんな値段で売られたらうちのは売れなくなっちゃいますよ! どうするんですか!」

 

「いやいや落ち着けカイル。だからこそ敵を知るためにこうしてお前のところに持ってきたんじゃないか」

 

 専門家であらせられるカイル様にポーションの中身を調べていただこうという訳だ。俺は素人だからそういうのはよく分からないしね。

 

「なるほど……つまり、うちのと比べてどれくらい効果に差があるか調べたらいいんですね?」

 

 即効性とか、効果時間とか、同じ回復薬とはいえ多少差があるはず。うちのより安い理由を探れたら他の顧客にもしっかり説明できる。

 

「ついでに成分も調べられたら文句無いね。やれそう?」

 

「成分はちょっと簡単にはいかないと思いますが……なんとかやってみますよ」

 

「ありがとう。お金が掛かるようだったら言ってくれ。すぐに用意するから。あ、あともう一つだけあるんだ」

 

 俺は懐から飴玉が入るような小さい巾着袋を取り出して、カイルに手渡した。今日ここに来たのは、これを渡すつもりでもあったのだ。

 

「……こいつはな、全ての毒を解毒できる優れ物らしいんだよ。あ、出どころは聞かないでくれよ?」

 

 俺がカイルに手渡したのは、タマちゃんから分泌された例の万能薬だった。実はレジア湖から帰って来る時に、シリウスさんからお土産に一つ手渡されたのだ。

 

 そして、詳しく調べる事を、つい昨日ステイシアに提案されたので了承した。俺が裏切る可能性が無くなったからこその提案だろうと思う。

 

「こいつの謎を解き明かしてほしいんだ。時間のある時でいいからさ。頼むよ」

 

 俺が怪しい笑顔でこそこそ話すと、カイルは可愛そうなものでも見るかのような目で、俺を諭して来た。

 

「……グレゴリー様。それ絶対騙されてますよ。どこの店でつかまされたんですか? 言ってくれたら私が代わりに返品して来ますから……」

 

「いやいや! 違うんだって! 確かに今、俺も言っててすごい思ったけど、決して騙されてるとかではないからね!?」

 

 さっきの言い方じゃまるで、騙されて偽物を買わされた可哀想な奴が知人に自慢してる、みたいな図でしかない。

 

「まぁ、やれという御命令ならばやりますけど……」

 

 あー、この目。全然信じてくれてないぞ。しかし、動物実験でも何でも、やってみればすぐ分かるはずだからとにかくやって貰わなきゃ。

 

「もう俺が騙されてる可哀想な奴って事で良いからとにかく成分を調べてくれ! どうせバレないだろとか言って捨てるんじゃ無いぞ!」

 

「捨てたりなんてしませんよ!」

 

 よーし、言質は取った。いい加減カイルの目が辛いから、おバカな上司はとっとと退散するとしよう。

 

 

 ーーー

 

 

「どう? あった?」

 

「いえ、アーロン工業は見つけたんですけどマーロンは見つからないですね」

 

 俺とステイシアは、店の二階のにある資料室をひっくり返して、マーロン製薬に関する情報を探していた。

 

「おっかしいなぁ。バロン製菓とアーロン工業はあるのにマーロン製薬は無いぞ」

 

 聞いた事があるような気がしてたのはこれが混ざったのかもしれない。俺の記憶力は案外適当らしい。

 

「……まぁこのリストも完璧って訳じゃないから多少漏れがあるのかもしれないけど……」

 

 しかし、直接のライバル企業になり得る製薬会社を調べ忘れただなんて、そんな馬鹿な話があるだろうか? 一応人間界に来ている連中はプロの面々なんだ。

 

「まだその会社が出来てから日が浅い、とかでしょうか?」

 

「あぁ、なるほど。それはあるかもね」

 

 しかしそうなると、この製薬会社について一から調べなきゃならない訳だ。うーん、誰かにやって貰うにしても人材が足らんなぁ。

 

「良ければ私がお調べしましょうか? そこまで難しい案件でもなさそうですから、私にも出来ると思いますが」

 

「あーじゃあお願いしちゃおうかな? 任せちゃって悪いね」

 

 この件をステイシアに託した俺は、しばらくこの件は綺麗さっぱり忘れる事にした。

 



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今後の方針を決めよう

 

 旅行から帰ってきて早々、やらなきゃ行けない事がいくつも出来たけど、全部他の奴に押し付けたら、意外と暇な時間が作れた。

 

 せっかく暇が出来たので、そろそろ次の目標について考えてもいいかもしれない。

 

 人間界(こっち)に送り込まれた当初は金が無かったので、しばらく資金集めをしていたら結構時間が経っちゃったのだ。

 もう立派な工場もできたし、店も社宅も出来た。当面の目標であった資金集めは、ある程度達成されたと言ってもいいと思う。

 

「さて、そうなると勇者召喚をどうするかだ……」

 

 一応勇者召喚自体は極秘で行われているので、分かっている情報はあまり多くない。

 

 せいぜい、召喚が行われる場所は王都の王城の中という事と、目的は魔王討伐であるという事くらい。後は召喚は王様主導で行われている、という程度か。

 

 このデリウス王国は王国というだけあって、王様が一番偉い、君主制の国家だ。

 

 当然、王様は勇者召喚を行使する権利も停止する権利も持ち合わせている。なので、王様に言う事を聞かせられたならば、召喚は簡単に止められるはずなのだ。理屈の上では。

 

 ま、言うは易し行うは難しだ。そんな簡単に出来るならこんな苦労はしてない。

 

 過去の報告書によると、王城は入り口の門を眺めてるだけでも咎められるくらい、警備が厳重らしい。これじゃあ外部から探るのにも限界がある。

 

 だから、王城の内部の関係者から情報を集める必要が必然的に出てくる訳だ。

 

 パッと思いつく方法で無難なのは買収だな。王城で働いている人間に金を握らせて協力者になって貰ったり、情報を流して貰ったり。オーソドックスな手法だけど、かなり有効だ。

 

 でも、これは慎重にやらないといけない。例え掃除のおばちゃんであったとしても、現状に不満を抱いていなかったら、懐柔するのは難しいからだ。

 

 王城で勤務してる奴なんて、金だけじゃなく、名誉だとか誇りだとかそういうのも理由になってるのが大半だと思うので、そこら辺はきっちり見極めないといけない。

 

 そういう買収以外の手段としては、普通に諜報員を雇う事かな。でもこれも簡単にはいかないと思う。何しろ人材の当てがない。まさか諜報員募集中! なんて張り紙を張って回るわけにもいかないしな。

 

 でも、魔界から人員を引っ張ってくるのも限界があるので、いずれは現地協力者が必ず必要になる。だから、そっちの方を先になんとかした方がいいかもしれない。

 

 うん、そうだな! 次の目標は現地協力者を増やす事にしよう。買収の方は運が良かったらする、ってくらいでいいや。

 

 そうと決まればどうしよっかな〜。まずは王都に拠点を構えたいとこだな。グレゴリー商会の支店として第2号店を建ててもいいかもしれない。

 

 メルスクからの輸送は厳しいから、小さい製造所も作ろう。第2号店は一応店の体裁は整ってる、って程度でいいんだ。

 

 それで、そこを活動拠点にして情報を集める体制を作りたい。ガワはそれで良いとして、問題はやっぱり中身だ。

 

「あーあ、そこらへんに手頃な諜報員でも転がってないもんかな〜」

 

 勿論、そんな事があるわけもなく、良い方法を思いつかなかった俺は、一旦考えるのを保留にして、気分転換に外に出かけることにした。

 

 

 ーーー

 

 

 商店街の中を適当にぶらついていると、色んな人に声をかけられた。ただ、顔を見た事があっても名前までは思い出せない人が大半だ。なんとなく会釈して誤魔化していると、大阪のおばちゃんみたいな人に捕まった。

 

「助かったわ〜。グレゴリーさん! あんな変なのにうろつかれたら商売上がったりになるところだったわ! うちなんて事務所があった所のすぐ裏よ? ほんと気になっちゃって夜も───」

 

 うん。今更お名前なんですかとか聞けねぇ。商店街に住んでる人みたいだけど覚えが無いよ。

 しかし、おばちゃんというのは世界が変わっても変わらないな……さっきからマシンガンみたいに喋り続けてるけど終わりが見えない。

 

「うちなんかまだ良い方よ? ロイスさんなんて首括る勢いだったんだから!」

 

「はは……それは大変でしたね。あ、リュウト君だ」

 

「あらほんと! カリウスさんのとこの……」

 

 おばちゃんと会話していたら、カリウス会長の息子さんのリュウト君を視界の端に捉えた。手を振るとこっちに気付いて近寄ってくる。

 

「グレゴリーさん。こんにちは!」

 

「こんにちは。リュウト君」

 

 彼は確か7才と言っていたから、地球でいう所の小学一年生くらいになるんだろうか? そのわりには凄く利口に見える。俺が小学一年生の時なんて遊ぶことしか考えてなかったけどな。

 

「ローラおばさんもこんにちは! お買い物ですか?」

 

 そうだ、ローラさんだ。リュウト君の言葉でようやく目の前のおばさんの名前を思い出した。ちゃんと覚えてるなんて凄いな。

 

「ええ買い物よ。あらやだ私ったら忘れてたわ! 早く行かなきゃ売り切れちゃう! 二人ともまた今度〜」

 

「はーい、また〜」

 

 おー、凄い。リュウト君がローラさんを撃退してくれた。

 

「ありがとう。助かったよ」

 

 俺がそう言うとリュウト君は背伸びしてコソッと言ってくる。俺はちょっと屈んで高さを合わせた。

 

「ローラおばさん。お話長いからね!」

 

「ふふ、本当だね」

 

 なんて賢くて可愛い子なんだろうか。君、うちの子にならない? こんな子供なら大歓迎なんだけど。そんなことを考えていたら、ふとレイラの顔が頭に浮かんだ。

 

 ……そう言えば、人間族と魔族の間には子供って作れるんだろうか?

 

 いやいや、やっべえな俺! 最近レイラのこと考えすぎでしょ。普通にキモいぞ。ゾッコンすぎて自分でもちょっと引くくらいだわ。

 思考を振り払ってリュウト君に、にっこり笑いかける。

 

「じゃあ、お父さんによろしくね」

 

「うん分かった! またね!」

 

 その後、リュウト君と別れてぶらぶらしていたら、リヨン中佐がいるデリウス軍の施設まで来たので、ついでに挨拶していくことにした。

 

 中佐がいつもいる部屋を訪ねると、今日はおらず、代わりに応対したのは彼の部下のヘルケさんだった。何度か顔は見た事があるが、あまり話した事はない。

 

「すみません。本日は中佐は所用で出ております。いつごろ戻るかも分からないと申しておりました」

 

「ああ、そうですか。ちょっと気まぐれに挨拶に寄っただけなんで気にしないでください」

 

 居ないなら帰ろうかなと思った俺だったが、ふと、そういえばギルドに来たという営業は、こっちの方には来てたりしないのかと思って聞いてみた。

 うちの最大の顧客を奪われたらたまったもんじゃないのでしっかり確認しておかなければ。

 

「営業ですか? いえ、特にそういった訪問は記録に残っておりませんが」

 

「ああ、そうですか? そりゃあ良かった」

 

 なーんだ、杞憂か。まぁ取り敢えずは来ていないらしいので一安心。しかし、他のいくつかの病院や診療所なんかには営業が来てるかもしれないので、その辺もちゃんと探りを入れといたほうがいいかも。

 

 俺はそう思いながら、ヘルケさんに礼を言って陸軍の施設を後にした。

 



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詐欺のような何か

 

 ステイシアが、ライバル企業のマーロン製薬について調べ始めてから何日か経ったある日。ステイシアは、とても困惑した様子で報告を上げてきた。

 

「どうもおかしいんです。いくら調べても何も出てこないんですよ。もしかすると存在しないかもしれません」

 

 ステイシアは方々に手を尽くしたらしいが、マーロン製薬について何も分からなかったのだとか。

 

「存在しないって……そんな事ある? だって現に営業が来てポーション置いてったじゃない」

 

 じゃあ、あのポーションはいったい何なんだよと言いたくなるけど、続きを聞いたらそうも言っていられなくなった。

 

「それはそうなんですが、あの時トールさんに貰った住所のメモを頼りに、連絡先に行ってみたんです」

 

 するとそこには営業所など存在せず、ただの宿屋があったらしい。

 

「うーん、まぁでも宿でしょ? そこにその営業さんは居なかったの?」

 

「居たらこうはなっておりませんよ。居なかったから問題なのです」

 

 ステイシアが宿屋の店主に聞くと、確かにそんな人間が泊まって行った気がするが、自分は何も聞いていない、という反応をされたそうだ。

 

「困ったね。本当に手掛かり無し?」

 

「一応外見などの特徴は聞き出しておきましたが……」

 

 店主曰く、その男はザ・営業、というようなスーツ姿に、お洒落な帽子(ハット)を被っていたらしい。

 ただ、この世界では帽子は珍しいようで、それで覚えていたのだとか。

 

「いや、分かったよ。そこまで調べてくれたんなら充分だ。ありがとう」

 

 しかし、だとするならば全く意図がわからないぞ? 営業をかけてきたのに全く情報が掴めないなんて、普通じゃ考えられない。

 

「もうちょっと調べたほうがいいかもしれないな……」

 

「ええ、気味が悪いですからね」

 

 まずは他のお客さんの所に営業が来てないかどうか辺りから調べようかな。陸軍の方には行っていないみたいだったけど、他の所に来てるかもしれない。

 

 俺達は、その後2日かけて納入先の病院や診療所を回ったが、残念ながらどこに行っても、そんな営業は来ていない、という返答しか得られなかった。

 

 

 ーーー

 

 

 謎の営業について手掛かりが無くて困っていたある日。マーロン製薬のポーションの成分調査を終えたカイルが、俺の元に駆け込んできた。

 

「グレゴリー様。ようやく調査が終わりましたよ」

 

「それで? どうだったの?」

 

「どうもこうも無いですよ! コレ99%うちのと同じです」

 

「はぁ!? じゃあ製造法が漏れてるってことか!?」

 

 なんてこった! この国、特許とか無いから製造法がバレたら為す術が無いんだぞ!

 そう焦った俺だったが、これはそういう問題では無いらしい。

 

「いえ、配合の比率まで完全に一緒なのは考えられません。恐らくこれは、うちの商品を買って詰め替えただけだと思います」

 

「マジ……?」

 

 俺はようやくそこで初めて、先日ステイシアに調べて貰った事をカイルに話して聞かせた。

 

「───って事があって、マーロン製薬については手掛かり無しなんだよ。カイルはどう思う?」

 

 話を聞いたカイルは露骨に怪訝な表情をした。

 

「なんか……詐欺とかじゃ無いんですかそれ? よく分かりませんけど……最近多いんですかね?」

 

「あー……俺のは違うからね?」

 

 多分、こないだ渡したタマちゃんエキスの件も詐欺に含んでるんだろうなと思ったけど、それに関しては深くは突っ込まない。

 とにかくこれまでの情報を統合すると、ライバル企業が、ただ顧客を奪いに来たという単純な話では無さそうなのは確かだ。

 

 これは、このまま無視しないほうがいいだろうと思った俺は、諜報部の3人とカイルを集めて会議を開いた。

 

「マゴス君はどう思うよ?」

 

「うーん……何というか、意図が読めませんね。そんな事をして何の意味が?」

 

 そうなんだよね。詐欺にしてもいったいどう騙して、どうお金を取るつもりなのかがさっぱり分からない。だからこそ気持ち悪さが増すというか。

 

「これが詐欺だとするならば冒険者ギルドがその対象になるのかと思いますが、そうにしてはあまりにも稚拙に見えます」

 

「連絡先も立派な営業所に見せておかないとおかしいですよね?」

 

 アイリスちゃんもマゴス君の意見に同意してコクコクと頷いている。

 

「カイルは技術者としてどう思う?」

 

「えーと、前にも言いましたが、ギルドに持ち込まれたポーションとうちで作っているポーションは材料も配合比率も全く同じです。違いがあるとすれば……瓶です」

 

「瓶ね。そりゃあ瓶は違うわな?」

 

 それも一緒だったらもうそれただのうちのポーションだし。

 

「ええ、ただあの持ち込まれた瓶は普通は採用しないような結構珍しいタイプなんですよ」

 

 うちで扱っているポーションの瓶は、コストを抑える関係から安価なコルク瓶を採用していた。

 ところが、ギルドに持ち込まれたあのポーション瓶は、料理で材料なんかを保管しておくような密閉瓶という物らしかった。これは開け閉めが容易でいて、密閉ができるので値段としては高くなるらしい。

 

「よくまぁ密閉瓶使って採算がとれるなぁと最初は思いましたよ。どうやら採算どうこうは関係無くなったようですが。私からはそれくらいです」

 

「いや、ありがとう。参考になった」

 

 しかし瓶か……そんなに珍しいものなら、出所が分かったりしないものだろうか? 

 考え込んでいたクラウス君も同じことを思ったようで、ポツリと意見を述べる。

 

「探し出すとするならば……目印は帽子(ハット)と瓶ですかね……」

 

「そんな所かね」

 

 見つけ出して真相を聞き出すとするならば、目撃証言を洗っていくしか無い。そうするとその二つが目印になる。

 

「店に買いに来たとかは無いですか? ……いや、それなら流石に分かりますか」

 

「一応店番やってた人達に確認してみるよ」

 

 まぁ本拠地に直接買いに来る事は無いんじゃないかと思う。そう言う意味ではギルドの売店も同じだ。仮にもし買っていたとするならば、ギルドの誰かが教えてくれたはずだ。

 そうなると、どこから俺達のポーションを手に入れたんだよという事になるけど、人づてに買われてたりしたらもう分からない。

 

「はぁ……ま、とにかくやれるだけやってみるか。マゴス君とアイリスちゃんは宿周辺での目撃証言を集めてみて欲しい。目印は帽子の男だからね」

 

「はい、分かりました」

 

「で、クラウス君はこの瓶がどっから出て来たのか探してくれ。そもそもこの街の物じゃ無いかもしれないし、見つけるのは相当難しいと思うけど一応頑張ってみて」

 

「了解です」

 

「ギルド周辺は俺とステイシアの二人でやるわ。トールにも、もう一回ちゃんと確認しときたいし。じゃあそういう事で。なんかあったらコレで連絡してね」

 

 魔王シアター改を取り出してひらひらさせる。みんなが頷いたのを確認して、その日は解散になった。

 



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孤児たちのリーダー

 

 ステイシアとギルドに行く前に、もう一つだけ手を打っておこうと思った俺は、久々に孤児たちを束ねるリーダーのテリーの元を訪れていた。

 

「おや? 誰かと思えばグレゴリーさんじゃないか。久しぶりだね?」

 

「やぁテリー。元気にしてたかい?」

 

 相変わらず路地裏の一角を占拠していた彼とその仲間は、今日は俺がステイシアを連れているのを見て冷やかしてくる。

 

「ヒュー、綺麗なお姉さんだね。彼女?」

 

「いいや、美人秘書ってやつさ。そう聞くと俺が偉く見えてくるだろ?」

 

 軽く冗談を言ったら、ステイシアがちょっと気を良くしたような感じで口角を上げた。

 

「へぇ。自分で言うあたり驕ってない感じがしていいね」

 

「そりゃあどうも。それで、俺がここに来たって事は……どういう事か分かるだろ?」

 

「まあね。また仕事をくれるのかな?」

 

 俺はテリーの言葉を聞くと、懐から、例のポーションが入っていた密閉瓶を取り出して、よく見えるように差し出した。

 

「こいつをね。探して欲しいんだよ」

 

 テリーに瓶を渡しながら、もしかするとこの街には存在しないかもしれない事も付け加える。

 

「ふーん? なんでこんな瓶を?」

 

「何? 理由を聞きたいの?」

 

「いいや? 遠慮しとくよ。僕らはお金さえくれればなんでも構わないからね」

 

 別に説明しても良かったけど、面倒くさいので聞かなくていいなら助かる。

 

「ま、俺達も独自で探してはいるから俺達が先に見つけちゃったら報酬は無しだ。もし君達が先に見つけたら“ここ”に来るといい。金貨5枚出すよ」

 

 俺は、そう言いながら社宅の住所が書かれたメモをテリーに渡した。

 

「やるやらないは自由だから。運が良ければまた会おう。じゃあな」

 

 

 ーーー

 

 

 その後、テリーと別れた俺とステイシアは、ギルドで帽子を被った営業についての目撃情報を集めた。すると、営業が被っていた帽子はかなり目立つ物だったようで、数人から話を聞けた。

 

「ええ、それは勿論覚えていますとも。かなり背の高い方でしたわね」

 

 そう答えるのはギルド職員の一人、シナリー嬢である。彼女はちょうど、営業がポーションを持ち込んで来たときに受付に居たようだ。

 

「なんというか凄く紳士的な雰囲気でしたので、とても良く印象に残っておりますわ。冒険者にはああいう方はいらっしゃいませんから」

 

 そういう意味では俺とステイシアも割と場違いであるので、あまり人の事は言えない気がする。

 

「ははは……因みに、それ以外に何か特徴はありませんでした?」

 

 シナリー嬢はうーんと首を捻って考え込むと、ちょっとして何か思い出したのか、ピンと人差し指を立てる。

 

「そうだ! 髭が立派な方でしたわ! イメージにぴったりの」

 

「ほうほう、髭ね……」

 

 彼女が言うにはその男は、立派なカイゼル髭を生やしていたらしい。

 紳士ハットにカイゼル髭。何というか絵に描いたような営業さんだ。明治時代の貴族風と言ったほうがより分かりやすいか。

 

「これなら簡単に見つかるのではないでしょうか? そんな見た目の人はそう多くありませんから」

 

「ああ、そうだね」

 

 ステイシアに一応同意した俺だったが、心ではあまりそうは思っていなかった。

 どうもおかしいような気がするのだ。ステイシアの言う通り、あまりにも “簡単すぎる” 。俺達の前に一瞬姿を見せてそれっきり消え失せた割には。

 

 その後、何人かに話を聞いた回った結果、そこそこの目撃情報が集まったが、どこからやって来て、どこに帰っていったかまでは相変わらず不明なままだった。

 

「トールはこの件どう思う?」

 

「……いや、よく分からん。だがとにかく何かおかしいって事だけは何となく分かるぞ」

 

 調べて分かったことをトールに話して意見を求めると、トールは腕を組んだまま、うーむと唸った。

 

「俺が貰った住所も偽物だったわけだし、このギルド以外には特に姿を見せていないのも変だ。どうも気持ち悪いな」

 

「目的が分からんのが一番怖いよな」

 

 人は、何かしらの利益や目的のために行動を起こす物だ。ところが、その男に限って言えばその目的がまるで分からないのだ。

 

「今のところさっぱり分からないから、とにかくトールも用心だけはしといてくれよ? 多分そいつの目的なんてロクでもないことだろうから」

 

「まぁお互いにな。何か分かったらすぐに連絡をよこすよ」

 

 取り敢えずの情報を集め終えた俺は、もう夕刻の良い時間であったから、他のみんなと情報を共有するべく、家に戻ることにした。

 そんなモヤモヤした気分で家に戻ると、同じくスッキリしない表情のマゴス君とアイリスちゃんが二人で話し合っていた。

 

「ただいま。二人とも早いね? 何か分かった?」

 

 そう聞くと、二人は困ったような表情で調査結果を話し始めた。

 マゴス君が話してくれた内容は、ほとんど俺とステイシアがギルドで得た情報と同じだった。

 

「人物像はより固まったんですが、いかんせん、どこから来てどこに帰っていくのかなどの情報が全く分からないんですよ」

 

「へぇ、そっちもそんな感じだったのか?」

 

 俺がこっちもそんな感じだったよと伝えると、マゴス君とアイリスちゃんがますます分からんという顔をして、首を傾げた。

 

「クラウス君の方は何か進展があったか聞いていますか?」

 

「いいや、何も。何か進展があったなら戻ってくるか、電話かけてくるかするだろうから確認はまだしてない」

 

 それでもあんまり遅いようだったら電話してもいいかもなと思っていると、来客を告げる呼び鈴が鳴った。

 

「ん? 誰だろう」

 

 みんながドアの方向に目を向けると、ドアに近かったステイシアが玄関の戸を開ける。すると、そこには薄汚れた格好をした見知らぬ少年が立っていた。

 

「一体何の御用ですか?」

 

 ステイシアが若干警戒した様子でその少年に話しかけると、彼は両手を上げて戯けたように笑った。

 

「そんなに警戒しないでくれよ。オイラはただの伝令さ。グレゴリーさんの家はここで合ってるかい?」

 

「合ってるよ。俺がそのグレゴリーだ」

 

 俺が部屋の真ん中から大声で返事をすると、その少年はホッとしたように要件を伝えた。

 

「いや〜間違ってたらどうしようかと……テリーの兄貴からの伝言だ。“瓶を売ってる店を見つけたよ” 以上だ」

 

 え? もう?

 

「……なぁ君。それは間違い無いのか?」

 

「さぁ? オイラには何とも。でもテリーの兄貴は下手な仕事はしないぜ?」

 

 俺達は顔を見合わせた。今朝がた依頼を持ちかけて、もう見つけたと言うのか。いったいどんな人海戦術を使えば1日で見つけられるんだ? とはいえ、もしかしたらクラウス君が先に見つけてるかもしれない。俺は魔王シアター改を手に取った。

 

「あー、もしもし? クラウス君? グレゴリーだけど」

 

『あっハイ。クラウスです。何か御用ですか?』

 

「あーいや、進捗はどうかなと思ってさ。瓶は見つかった?」

 

『いえ、まだ何も情報が掴めていない状況です。もう少し粘ってから戻ろうかと思ってた所ですが』

 

 まぁそうだよね。一日じゃ普通は分からない。

 

「そうなんだ。実はね、こっちでちょっと瓶に関する情報が掴めたんで戻って来てくれる?」

 

『え? わ、分かりました。すぐ戻ります!』

 

 ふーむ、どうやらテリー達の圧勝だったらしい。このスピードなら金貨5枚出す価値はあるな。これはちょっと本気で彼らを味方に引き入れることも考えたほうがいいかもしれない。

 俺は玄関のところにいる少年に向き直った。

 

「その場所まで案内してくれないか? 確認したら報酬を渡そう」

 

「兄貴の言ってた通りだな。すぐに案内するよ。兄貴も待ってるからな」

 



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上手くいきすぎると逆に不安になるもの

 

 案内役の薄汚れた少年に連れて来られたのは、このメルスクの街でもあまり活気の無い場所だった。寂れた住宅街の一角に小さな商店がポツリと一軒だけある場所。

 それを見下ろす位置にある、少し離れた坂の上にテリーは居た。

 

「やぁ、今日中に間に合ってよかったよ。もうすぐ店が閉まってしまうからね」

 

 もう時刻は夕方である。そろそろ辺りが薄暗くなってくる時間帯だ。この街の多くの商店がもう少し暗くなったら閉め始めるのでギリギリだった。

 

「おめでとうテリー。君は勝負に勝ったみたいだよ。ただ、これから見せてもらうのが探していた物かどうかによるけどね。早速答え合わせといこうじゃない」

 

「“あの瓶と同じ物を見つけろ” という依頼ならば完遂したという自信があるよ。是非見て来ておくれよ」

 

 テリーは家屋の壁に寄りかかりながら、坂の下の店を顎でしゃくった。

 

「テリーは行かないの?」

 

「遠慮しておくよ。僕みたいな浮浪児にウロウロされると店の人は嫌がるだろうからね」

 

 ふーん、そんなもんか。俺はそう思いながらステイシアと一緒にその店に向かった。

 店は骨董商のような出立(いでたち)で、古ぼけたガラス細工だとかよく分からん模様の皿なんかが所狭しと並んでいた。どれもこれも普段見ることは無いようなものばかりだ。

 

「おや、もう店を閉めようかと思っておったんだがね。君達はお客さんかね?」

 

 俺達が興味深げに品々を見ていると、恐らく店主であろう、熟練の職人のような見た目のお爺さんが少し驚いた様子で話しかけて来た。

 

「ああ、こんなギリギリに失礼。ちょっと探し物をしてましてね。ここにあるという情報を得たものですから」

 

「ほうほう、一体何をお探しかな?」

 

 ふむ、ガラス細工が沢山あって、店が閉まる前に探しきれるとは思えないし、このお爺さんに頼んで探してもらった方が良さそうだな。

 

「これなんですけどね?」

 

 懐から例の密閉瓶を取り出して手渡す。

 

「ははぁ! コイツは……確かにウチの商品だな。あんたこれをどこで?」

 

「とある知人から貰ったものでして。随分と素敵な入れ物だからどこで手に入れたのか探してたんですよ。じゃあこれは貴方が作ったもので間違いないですね?」

 

「そうじゃそうじゃ。いやはや、ワシの作ったものがそんなに喜ばれるとはなぁ。職人冥利に尽きる」

 

「同じものはまだ他にもありますか?」

 

「ああ、あるぞ。ちょっと待っとれ」

 

 店主のお爺さんは一度引っ込むと、店の奥から全く同じ形状の瓶を持ってきて見せてくれた。見比べてみると確かに同じ物のように見える。

 よし、出所はここで間違いなさそうだ。後は例の営業がここで買ったかどうかとそれに付随する情報集めだ。

 

「ということは、私の知人はやはりここで買ったということになるのでしょうか? 他の場所で売りに出していたりしますか?」

 

「いいや、ここだけだ。というかこれを買いに来た奴は覚えとるぞ。先々週だったかな、帽子が素敵な紳士の……」

 

 おっと、ビンゴか。いやいや、ちょっと出来過ぎてないか? そう少し不安になりながらも、とにかく今は情報集めに専念しなければと思い直す。

 

「ああ、それなら僕の知人で間違いないですね。髭がとっても素敵な人でしょう? 趣味が良いんですよ」

 

 より詳細な情報を得るために嘘八百を並べ立てる。知人と言った方が警戒も緩んでポロポロ話してくれるもんだ。

 

「おお! そうじゃそうじゃ! そうか、お前さんはあの彼の知り合いだったか」

 

「ええ、ええ。こんな隠れた名店の情報を独り占めしてるだなんて、彼も人が悪い」

 

「むふふ。そうかそうか!」

 

 よくまぁそんな口から出まかせがペラペラ出てくるもんだという表情でステイシアが俺を見ている。いやいや、これは円滑なコミュニケーションを図るための一種の方便だから。嘘が上手いみたいな謂れのない中傷はやめて欲しい。

 

「20個も買ったのには驚いたもんだが、配るのも含めてならば納得じゃ。運び込むのは大変じゃったから苦労が報われたようで良かったよ!」

 

 今このお爺さん、“運び込む” って言ったな? ステイシアもそれを聞いてハッとなっている。どうやらこのお爺さんはあの素敵な紳士ハットの御仁のお宅をご存じのようだ。

 俺は頭をフル回転させて、どうやったらその場所を聞き出せるかを考えた。

 

「“運び込んだ” という事は彼の自宅に直接持っていったんですか?」

 

「ああそうじゃ。重くて敵わなかったわい」

 

 腰がどうとか言っているので本人が直接持っていったのは間違いない。で、あるならば……

 

「実は───この瓶をもらったお礼に、彼にサプライズプレゼントを渡そうと思ってこの辺りに来たのですが、少し迷ってしまって……良ければ彼の家まで案内して頂けませんか? もちろんタダでとは言いませんから」

 

 親しい友達であるという雰囲気を出しながら、家まで会いに来た事にした。相変わらずステイシアが呆れたような顔をしているが、聞きだせりゃ何でもいいと思うのは俺だけかね?

 そんな事を頭で考えてたら、お爺さんはそれくらいでお金は取らんよ、と言って案内すると言ってくれた。快く引き受けてくれたのは、自分の作品が褒められて嬉しかったのもあるかもしれない。

 

 店を出たら、離れた坂の上にテリーの影がチラリと見えた。存在感を薄くしてこちらを伺っている彼に、まだかかりそうだとこっそりジェスチャーで謝ると、彼はすぐに引っ込んでいった。今日はもう引き上げるのかもしれない。悪いから今度報酬を渡す時、もう1枚くらい金貨を上乗せしてあげよう。

 それからしばらくお爺さんの後をついていくと、やがて家というよりは倉庫のような場所の前で立ち止まった。

 

「ここじゃよ」

 

「あーと……これは家ですかね?」

 

 俺が正直に思った事を口に出すと、お爺さんも肩を竦めて同意した。

 

「うーむ。家ではないのかもしれんなぁ。とにかく商品を運び込んだ場所はここで間違い無いよ」

 

 でーんと構える二階建ての建物の出入り口には、普通のドアは無く、代わりにでっかい両開きの扉があった。なんというか、大きなガレージと言った方が分かりやすいか。

 扉の隙間や側面にある小窓からは光は漏れておらず、中には誰もいないようだった。

 

「彼は今はいないようですね。また今度出直すとします」

 

「うむ。そうした方が良さそうじゃな」

 

 もう陽は落ちて、空を淡く橙色に照らすばかりである。とにかく場所は把握できたので、今日はこれで引き上げよう。

 

 

 ーーー

 

 

 夜も更けて、皆が寝静まった頃、俺はベッドに仰向けになりながら今日起こった事を考えていた。

 

 一日だ。何がというと、俺達が本格的にあの営業の男を探し始めてから家を特定するまでに要した時間がだ。たったの一日。本来ならば素晴らしい調査能力だと喜ぶところなんだろうけど、俺はとても手放しで喜ぶ事は出来なかった。

 

 あまりにも出来過ぎている。今のところの俺の感想はそんな感じだ。

 

 まず疑問点が二つある。一つ目は紳士服に帽子なんて目立つ格好で生活しているらしいのに、そんなに見つからないものだろうか、という点だ。

 普段からそんな姿で生活しているならば、もっと有名になっていてもおかしくない。だと言うのに、情報を集めた段階では、見たことがある、という程度の情報しか集まらなかったのだ。

 

 そしてもう一つは宿に関してだ。あの営業が実際に泊まっていたらしい宿。今日特定した建物が、本当に家として使われているのなら、あんな近くにある宿に泊まる意味は全く無い。そう考えると、あの家は寝泊りする場所としては使っていないのかもしれない。とはいえ、あんなところに倉庫だけがポツンとあるというのも変なので、やっぱり何かがおかしい。

 

 なんだか胸騒ぎがする。まるで、美味しい餌がぶら下げられているのを見ている気分だ。このまま飛びついて本当に大丈夫だろうか? 俺はうんうん悩みながら、そのまま眠れぬ夜を過ごした。

 



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侵入

 

 あの営業の自宅を特定してから3日間、俺達はあの手この手で、出入りする人物が居ないかを見張り続けた。しかし、紳士ハットの男はおろか、誰一人として姿を見せた者は居なかった。

 

「勘づかれましたかね? それともやはりあそこは家ではなくて倉庫か何かなんでしょうか」

 

 並行して、近所の人にあの家にはどんな人が住んでいるのかを聞いて回ったが、そもそも空き家だと思っていたようで、住人なんていないと言われてしまった。

 登記簿の情報を見ても、名前だけしか分からない人の所有物という事になっていて、足取りなんぞとても追えない。ますます謎が深まるばかりだ。

 

「他人の所有物をこっそり使ってる、とかでしょうか? にしては堂々としすぎな気がしますけど……」

 

 こっそり使っているなら、買った物を他人に運び込んで貰ったりしないとは思う。

 

「うーん、勘づかれて帰ってこないのか、必要が無くて帰ってこないのか……いずれにせよこのまま見張りを続けても埒が明かないな」

 

 そこで、今後どうすべきか方針を決めることになったのだが、方法は大まかに2通りあった。

 一つは、いったん撤退してもっと広範囲で情報を集めるという案。確率は低いが、もしかしたらこの街のどこかで情報を見つけることが出来るかもしれない。

 そしてもう一つは、あの家に侵入して正体を探ろうという案だ。過激だけれど、手っ取り早いしかなりの確率で正体が分かる。

 

 俺達の中でもかなり意見は割れていた。ちなみにすごーくモヤモヤするので、諦めるというのは最初から選択肢に無い。

 

「けど、そこまでする必要ありますか? 所詮はなんだか分からない男が一人居たっていう程度の話なんですよ?」

 

 クラウス君は慎重派らしく、侵入には反対のようだった。

 

「だけど現状何も無いからと言って放置はまずいと思うよ。実害が出てからじゃ遅いんだし」

 

「そうよクラウス。あんなセキュリティー皆無の家にちょっと入るくらい、なんてこと無いじゃない」

 

 マゴス君とアイリスちゃんは過激派のようで、侵入には賛成のようだ。反対派のクラウス君を何とか説得しようとしている。

 ……まぁ確かに二人とも過激だよね。何がとは言わないけど……

 

 それはいいとして俺自身はどうなのかというと、どちらかといえば慎重派だ。ここまでちょっと上手く行きすぎてる感じがしてるので、もう少し時間をかけてもいいかなと思っている。

 しかし、手をこまねいて見ているのはなんだか尺に触るのも確かだ。何しろ、目の前に家という情報源になり得るものがあるのに手が出せない。こんなにイライラする事は無かった。

 悩んだ末に、俺は侵入する事に決めた。

 

「じゃあね。ものすごく慎重に、万全を期して侵入する事にしよう。それこそクラウス君が納得するくらいに。これでどうよ?」

 

 要はバレなきゃ良いのだ。無人の家にこっそり侵入する方法なんていくらでもある。

 

「どうしても反対だって言うなら何か別の案を考えるけど?」

 

「いえ、グレゴリー様がそう仰るのなら我々は従うまでです」

 

「そう言ってくれると助かるよ」

 

 それから準備に3日を費やした。侵入時、魔王様の使い魔で周辺の偵察。周辺住民の動向の把握。顔が割れないように顔を隠す等、その他諸々の手段を思いつく限り用意した。

 その間、男が現れないか見張りは続けたが、結局現れないまま、時間だけが過ぎていった。

 

 そして今夜、ようやく実行に移すという日の昼頃に、レイラにお食事に誘われてしまった。

 

「ねぇ、今夜一緒に食事でもどう?」

 

 なんとも間の悪い話だ。よりによって初めてお食事に誘われたのが侵入する当日だと言うんだから。我ながら運が無い。

 

「いやごめん。今夜は予定があってさ。また今度で頼むよ」

 

 俺がそう断ると、レイラはため息をついて、やれやれという感じで告げてきた。

 

「知ってるわ。どうせまた何か悪い事を企んでるんでしょ? なんだかみんなそわそわしてるもの」

 

 おーっと、分かってて探りを入れるために誘ったのか。随分鋭いですね? というかみんなそわそわしてるの? それは困っちゃうな。

 今回は諜報部の奴らだけじゃなくて、こっちに来てるほとんどの魔族に役割を割り振っているので、多分慣れてない連中が挙動不審になってるんだと思う。恐らくバートン辺りだな。あいつは普段レイラと一緒に行動してるし。

 

「あー……そりゃ参ったな」

 

 俺が降参のポーズで認めると、レイラは割と真剣な表情で俺の目を見てくる。

 

「ねぇ、それは私には言えない事?」

 

 少し考えを巡らせる。きっとレイラに話したとしても秘密は守ってくれるとは思う。確かに今回の悪巧みは普通に法に反しているのですんなり理解はしてくれないと思うけど、それでも最初から丁寧に説明すれば分かってくれるはずだ。

 でも言えない。理由は前にも言った通りだ。俺はレイラに嫌われたくない。俺が法に触れる行為を行おうとしている事を知られたくない。少しでもレイラに良く見せたい。だからこれは、ただの俺のわがままだ。

 

「……ちょっと言えないかな。ごめん」

 

「どうしても……?」

 

「……悪い」

 

 俺の返答を聞いたレイラは大きくため息をついた。

 

「はぁ……程々にしときなさいよ?」

 

「あー……ほら、あれだ。チョイ悪の方が魅力があって良いとか言うだろ?」

 

 俺は笑いを取ろうと思って戯けた調子で軽口を叩いたけれど、レイラは少し寂しそうに笑っただけで、逆に俺の罪悪感が増しただけだった。

 

「その……言えないかもしれないけど、何かあったら相談してよね? 私でも力になれる事があるかもしれないから」

 

「いや、なんかすまん……」

 

 ……いや〜なんて良い子なんでしょうね? 罪悪感がパナイですよ? 他の人には嘘を言ってもなんとも思わないけど、レイラに嘘をつくのは最近精神的に辛くなってきた。

 

 このままズルズル引き摺ったってしょうがねえ! よし! 言おう! 今じゃないけど近いうちに必ず。そうだな、このゴタゴタが無事に終わったら伝えよう。それで受け入れてくれたなら俺はレイラに───。

 

 

 ーーー

 

 

「なんだかわくわくしますね♪」

 

 隣にいたサリアスさんが小さな声で語りかけてくる。もうあたりは寝静まっていて動く影は無く、月が少し出ている以外は真っ暗だ。

 

「いや、わくわくしちゃダメでしょ。これから窃盗に入ろうって言うんだから」

 

「そうは言っても私が入るわけではありませんからねえ」

 

 サリアスさんは、何かあった時のバックアップが主な任務で、実際に侵入してもらうのはマゴス君とクラウス君の二人だ。そういうわけでサリアスさんはのほほんとしておられるわけである。

 

「まぁこの感じじゃ何も起きないだろうからね……えー、グレゴリーから各員へ。周辺に異常無し。これより作戦を開始する」

 

 この辺りは住宅街なので夜は静かなもんだ。びびってほぼ全員動員したけど流石に大げさ過ぎたかもしれん。サリアスさんが気を抜いちゃうのも分かる気がする。

 

 侵入時間は10分を予定している。めぼしいものは片っ端から頂戴してきていいと伝えてある。後は待つだけだ。

 

 そう思っていたら、侵入役のクラウス君から通信が入ってきた。まだ作戦を開始して数分しか経っていない。

 

『どうした、何があった?』

 

『グレゴリー様。我々は嵌められたようです! 中はもぬけの殻です!』

 

 なんだって!? まさか侵入する事を事前に察知してたとでも言うのか!? いや、クラウス君は嵌められたと言っているけど、まだそうと決まったわけじゃない。もしかしたらただ単に使っていなくて、中身が何も無いという可能性も……そう思った俺だったが、次のクラウス君の言葉で完全に嵌められたと理解する。

 

『ただ一つだけテーブルの目立つ場所に手紙が置かれていました。宛先は()()()()()()()()()()()()! 我々は監視されているかもしれません! すぐに撤収します!』

 

 やられた! やっぱりおかしいと思ったんだ! クソッ! いつだって嫌な予感は当たりやがる!

 

「分かった! 各員へ、速やかにその場を撤収しろ!」

 

 今も誰かがどこからか俺たちを見ている。そんな妄執に駆られながら、俺たちは這々の体で家に逃げ帰った。

 



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「……やられたな」

 

「ええ、まさか全部罠だったとは……」

 

 あの家から持ち帰ってきた唯一のアイテムである俺への手紙。完全に出し抜かれた形になったが、内容も馬鹿にしていた。

 

「なーにが “ここにたどり着けた事をお祝い致します” だ。ふざけやがって……」

 

 どうも簡単すぎるとは思っていた。紳士服にハットだなんて、そんな分かりやすい格好でうろつけば馬鹿でもそこにたどり着く。これは誘導だ。どこの誰だか知らないが、俺達があそこに侵入することまで全て織り込み済みだったに違いない。

 

「ポーションの営業も、所属している製薬会社も全部全部嘘だったわけですか。私達を釣り出すための……」

 

「そういう事だな。いったいどんな奴だよ……」

 

 相手に心当たりなんてない。しかし、恐らく俺達のことをよく思っていない連中の仕業だとは思う。例えば商店街から追い出したヘルサイスだとか、ギルドマスターの地位から引き摺り下ろしたサージェス一派の残党とか。あとは本当にポーション製造の大手会社が目障りに思ったとか?

 ただ、どれを仮定したとしてもやり方が回りくどすぎてピンとはこない。

 ただ、ここまで用意周到に計画を立てて実行するのには個人の力だけで無く、組織の力が必要な筈だ。だから、何らかの大きな団体であるとは思うのだ。

 

「それで……本当に行くんですか? 指定された場所に」

 

「私は反対です! 危険すぎます!」

 

 マゴス君の言葉を遮るように、サリアスさんが叫ぶ。

 

「サリアスさんの気持ちも分かるけど俺は行くよ。どうも “お話がしたい” らしいからな。期待に応えてやらなきゃ失礼ってもんだ」

 

 手紙の続きにはこうも書かれていた。“今度場所を指定するのでぜひそこにきて欲しい。お話ししたい事がある” と。

 

 俺はさっきも言った通り、行くつもりだ。相手がどこまで俺たちの事を調べているのか知る必要がある。細心の注意を払っているし、相手が “話をしたい” とわざわざ言って来ていることからも、流石に魔族だとはバレていないと思う。でも何かを隠している事には気づいているかもしれないので、そこら辺を “お話しして” しっかり確かめたい。

 

「どうしても行くと言うのですね……?」

 

「サリアスさんもついて来てくれる? 何があるかわからないから」

 

 俺が言うと、サリアスさんはパッと顔を輝かせた。

 

「はいっお供いたします! あっいや、行かないに越したことはありませんが……」

 

 最近、ステイシアに秘書ポジションを奪われる格好になったサリアスさんは、あんまりそれを面白く思ってなさそうだった。だから久々に付いていけると分かって嬉しいらしい。

 

「サリアスさん。いつも助かってるよ。ありがとう」

 

 だから日頃の感謝も込めて、お礼を伝えたらサリアスさんは頬を赤らめた。

 

「あの、こんな場で急に口説かれても私困ってしまいます……」

 

「いや、口説いてない口説いてない」

 

 何をどうしたら口説かれてると思うねん。まぁこれはあれだ。サリアスさんなりの照れ隠しだなと思った俺は、適当に流して今後の事を決める。

 

「とにかく、いつ相手がその場所を指定してくるか分からないからサリアスさんは常に俺と一緒に行動してもらう。他の連中は一旦諜報活動は中断で。常に誰かに見られてると思って行動して欲しい」

 

 みんなが返事をしたのを確認して締めようと思ったら、バートンが、恐る恐る聞いてきた。

 

「あの〜、俺っちはどうしたらいいっすかね? レイラさんと狩りに行ってるの、中断した方がいいっすか?」

 

「あー、そうだなぁ……」

 

 サリアスさんとバートンはレイラと共に魔物を狩ってくるのが主な仕事だ。サリアスさんはそこを一旦離脱してもらうが、バートンの場合はそのままでもいいような気がする。 

 ……変にレイラに心配を掛けるのもあれだし、バートンにはいつも通りそのままの仕事を続けてもらおう。

 

 しかしレイラか……この作戦が無事に終わったら全部打ち明けようかと思っていたけど、どうやらそれはしばらくお預けらしい。

 

「レイラに怪しまれてもアレだから、バートンはいつも通りにしててくれ。お前だけ今回の件には関わらなくていい事にするからあんまりそわそわすんなよ?」

 

「うっす、了解っす!」

 

「お前は返事だけはいっちょまえだな」

 

 多分レイラに勘付かれたのはお前が原因だからな? しっかりしてくれよほんと。

 

 会議を終えて数時間後。店の二階で一人きりになったところで魔王様から電話がかかってきた。

 

『なぁおい、これからどうするんだ?』

 

「どうするんだと言われましても……」

 

 さっきの会議は聞いてなかったんだろうか? とにかく相手の出方次第だ。それまでは厳重警戒で過ごすしかない。相手の諜報力が未知数な以上、下手に動いてボロを出しても嫌なので、今はなるべく動かない方がいい。

 

「さっきも言った通りですよ。もしかして会議の時は聞いてませんでした?」

 

『いや聞いてた。そうじゃなくて魔族だって実はバレてて、脅された時はどうするんだって話だ』

 

 ああ、そっちか。そんなの選択肢は二つしかない。

 

「魔界に逃げ帰るか、口封じするかの二択です。前者は最悪の場合ですね」

 

 もし止められずに世間様に広く知られちゃったらしょうがない。全てをかなぐり捨てて魔界に逃げ帰るしかない。生きて帰れるだけ儲けもんだ。

 

「もしもそんな事になっちゃったならどうしようもないですよ……」

 

 そう答えたら、こっちに来てから出会った人々や、起こった事柄が次々と思い出される。

 この商店街の人達や軍の関係者、ギルドの面々。レジア湖のシリウスさんと娘のステイシア。もしも魔界に戻らなければならなくなったらシリウスさんとした、タマちゃんを観光資源化するのを助ける、という約束は果たせなくなるな……トールだってもう二度と会う事は出来ないだろう。それにレイラ───彼女だってそうだ。

 何も事情を知らないレイラを魔界に連れていくことなんて当然できないし、それは彼女も望まないと思う。だからもしも世間に知れ渡ったらそこで永遠のお別れだ。

 

 きっとレイラは裏切られたと思うんだろうな……今までずっと嘘をつかれていたんだ、って……なんか想像したら胃が痛くなってきたぞ。

 

『いいのか……? お前はそれで』

 

「……いいや、全然良く無いです。絶対にそんな事にならないようにしますよ。なんとしてでもね」

 

『おう……急にやる気になったな。まぁ本当にダメになるまではお前の自由にしていいぞ。だから気楽にな。それだけだ』

 

「はい、なんとかやってみます」

 

 その後、数日経って、例の手紙の主がもう一通手紙を送りつけてきた。そいつが予告していた通り、中身はとある場所で会いましょうという内容だった。

 



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クレイ

忙しすぎて死ぬ


 

 予定通り、各員に連絡をして態勢を整えた俺は、サリアスさんと共に、指定された地点に急行していた。手紙の主が指定してきた場所は川沿いの工業地区で、うちの工場に程近い場所だった。

 

「ここか……静かだな」

 

 その場所には周りの建物と同様に、何かの倉庫のようなものが建っていた。大きさとしては普通の一軒家に毛が生えたくらいだ。

 

「周辺に怪しい人影は無いです。視線も特には感じません」

 

 いつもは割と余裕そうなサリアスさんが、今日はいつになくピリピリしている。

 

「……入ればいいのかね」

 

 門を開けてそろりそろりと入り口に向かう。そして、出入り口の扉をノックして中に誰かいないか確かめる。返事は無い。

 

「なんだよ……いないじゃないか」

 

 これはもしやと思ってドアノブを回すと、案の定鍵が掛かっていなかった。

 

「お邪魔しまーす……」

 

 中に入ると、薄暗い殺風景な空間が広がっていた。調度品の類はほとんど無く、あるのは質素な樫のテーブルと椅子がひとつだけ。

 

「何が “お話ししましょう” だよ。どこにもいねえじゃねえか」

 

 俺が悪態をついていると不意に天井から男の声がした。

 

『待っていたよ。グレゴリー君』

 

「!」

 

 バッと、サリアスさんが短刀を引き抜いて俺の前に出る。サリアスさんでも気配に気づかないだなんて只者じゃないぞ! そう思ったけれど、よく聞くと声は天井につけられたスピーカーのような物から出ていた。

 すぐに平静を取り戻した俺は、天井のスピーカーを睨み付ける。

 

「随分な歓迎の仕方だな。姿を見せる気は無いってか」

 

『これがこちらのやり方でね。その方がお互い流血もなくていいだろう?』

 

 こいつ……どうやら実際に会ったら刺されるかもしれないという自覚はあるらしい。

 

「お前はいったい何者なんだ」

 

『おやおや、随分な剣幕だな。そうだな、本当は違うのだが分かりやすいだろうからこう名乗らせてもらうとしよう。私は “クレイ” だ』

 

「……!」

 

 クレイ。まさかここでその名を聞く事になるとはね。それは、果ての集落の住民を拐って、罪を魔族になすりつけた主犯の人物の名前だ。あれから影も形も無かったが、こんなところで出てくるとは。

 それに “クレイ” という名前が俺達にとって “分かりやすい” と知っていると言うことは、やっぱり気づかない内に俺たちの事は調べられていたようだ。確かに可能性として頭の片隅にはあったけど、いったいいつの間に……

 

「……お会いできて光栄だよクレイ。正確には直接会えてはいないわけだが」

 

『ああ、こんな形での面会になってしまって申し訳ないと思っているよ』

 

 この男。全く悪びれたように聞こえないのが凄いところだ。

 

「で? わざわざあんな回りくどい方法で俺を呼び出したんだ。それなりの用が俺にあるんだよな?」

 

『勿論だとも。だがその前に一つ確認をしておきたい。君はどうも私の事を嫌っているようだが、私は君に何か嫌われるような事をしたかな?』

 

 よくまぁいけしゃあしゃあと……集落を壊滅させた罪を魔族になすりつけたのはお前だろうが。俺がコイツを嫌いなのはそれが主要因だ。だけどそれは、自分は魔族であると自ら白状するようなものなので、言うことは出来ない。

 

「……俺達はお前の部下に襲われたんでね。嫌いにもなるさ」

 

 代わりにそれらしい理由を伝えると、クレイはさらっと何でもないことのように認めた。

 

『あれはちょっとした行き違いのようなものだ。謝らせて欲しい。それに君達に損害は無かっただろう? 代わりに私の部下は15人ほど殺されているのだ。それで手打ちにしてくれないかね?』

 

 自分の部下を殺されたのにケロっとした感じで交渉材料に使うあたり反吐が出る。

 

「知らないな。それと好き嫌いは別の話だ」

 

 そんな事まで強制されたらたまったもんじゃない。因みにお前を好きになることは金輪際無いと思う。

 そう伝えたら、クレイの奴も何故か妙に納得した様子を見せて、あっさりと次の話題に移った。

 

『確かに。ここで好き嫌いは重要では無いな。では今日君を呼んだ本題に入るとしよう』

 

 俺は開き直って部屋に置いてある樫の椅子にどかっと座って先を促した。

 

「どうぞ?」

 

『ふむ、君。私の協力者にならないか?』

 

「はぁ? 何だって?」

 

 こいつ、なんかとんでもない事を言い出したぞ? ただ、敵対の意思が無いというなら恐らく魔族とはバレていない。これでちょっとは安心できるかもな。まぁもしかすると、魔族だと知っていた上で利用しようとしている可能性もあるので、必ずしもそうとは言えないか。うーむ、確証が持てん。

 

『まぁそんな顔をせずに話を聞きたまえよ』

 

 俺が露骨に怪訝な表情をしていたら、その事についても言及してきた。どうやらマイクだけじゃ無くてカメラみたいなものまで仕掛けてあるらしい。

 

『これでも私は君の諜報能力は高く買っているつもりだ。今回ここに来るように仕向けたのは確かだが、それでももっと時間がかかるか、そもそもこちらのメッセージに気づきすらしないのではないかと思っていた』

 

 あの紳士ハットの営業はやっぱりコイツが意図的に仕掛けた罠だった。俺はまんまとそれにハマったわけだ。

 

『つまり今日ここにきた時点で君は私の()()()に合格したのだ。どうかね? 少し考えてみないか?』

 

 嫌なこった! なんでこんな得体の知れない奴の協力者にならないといけないんだよ。だいたいコイツの言う“協力者”ってのはいつでも使い捨てにできる手駒って意味だろ? 誰がそんなのになるかってんだ。内定辞退だこの野郎。

 ……しかしまぁ俺たちの事をこれ以上探らせないようにする為に、協力する振りはしてもいいかも知れない。

 

「そうだな。条件による」

 

『勿論報酬は用意しよう』

 

「……まさかと思うがお給金払いますって言うんじゃ無いだろうな?」

 

『当然だ。そんな下らん物じゃないさ。私は君より遥かに多くの情報を握っている。その中には君の知りたい情報もあるはずだ。それを少しばかり流す、というのはどうかね?』

 

 遥かに多く、というところでドキッとする。でもこんな奴、俺達が魔族であると知っていたらすぐに脅してきそうな気がするからまだバレていないとは思う。けれど、やっぱり確証が無い。

 

「……そんなあるかどうかも分からん物のために協力出来るかよ」

 

『そう言うと思ったよ。君はどうしてか私を嫌いなようだからな。そんな君の為に君が欲しそうな情報を用意した。もしも君が首を縦に振ってくれるなら、それを“前払い”で渡そう』

 

 ほう、太っ腹だな。受けてもいいかも知れないけどまだダメだ。何をするのかを聞いてない。

 

「……具体的に何をすればいいんだ?」

 

『今はまだ言えないな。ただ……手始めに軍部の動きを調べてもらいたい』

 

 ん? てっきりクレイは軍関係者だと思っていたけどそうじゃ無いのか? いや、あえて俺にそれを調べさせる事で、関係は無いと思い込ませるブラフの可能性も……

 

『最近陸軍内部で再編の動きがある。これについて、どのように再編するつもりなのかを探ってほしい。軍と付き合いがある君にとってはそれほど難しく無いはずだ。これはテストの延長だと思ってくれればいい』

 

 テストだって言うんならやってやってもいい。ただ、ぎりぎり及第点くらいを狙ってやるけどな。

 

「期限は?」

 

『今日から2週間だ』

 

 メリットは一応上辺だけは協力体制が作れると言う事。そうする事で俺達の秘密がバレていたとしても漏らさないでくれるかもしれない事。デメリットは一時的に、このいけすかない男の言いなりになる事くらいか。腹は立つが受けた方がいいな。

 

「……俺はあんたの部下になったわけじゃあないぞ? だが、協力体制を敷く事は吝かじゃない。だからそれを受けてやる」

 

『賢明な判断だ……たった今、君達の家の郵便受けに資料を入れておいた。君が喜んでくれるといいのだが』

 

「……ああそうかよ」

 

 くそ! 魔王様の使い魔(偵察機)は今俺がいるここの上空を旋回中だ。今から家の方に戻しても郵便受けに投函した奴の後は尾けられない!

 一応これから協力関係を築こうと言っているクレイの目の前で、尾けてくれ、なんて電話は出来ないし、多分既にもうそいつは居なくなってると思う。

 クレイの尻尾を捕まえるのはそう簡単にはいかないらしい。

 

「用事は終わりか?」

 

『ああそうだ、帰る前にひとつだけ。これは私からの贈り物としての忠告なんだが……』

 

 そう勿体ぶったクレイは思いもよらない名前を口にした。

 

『あの時に捕らえていたレイラという少女についてだ』

 

 背中をゾワっとした冷たいものが駆け抜ける。なんでこいつの口からレイラが出てくるんだよ。

 

「どういう意味だ……?」

 

『そうか……やはり知らないか。私から言えることは、彼女があの洞窟にやって来たのは決して偶然では無いという事だ』

 

 クレイの言葉でレイラと初めて会った時のことがフラッシュバックする。俺がレイラと出会ったのはこのクレイが起こした事件の最中だ。“依頼の最中にばったり出くわしたのよ”───あの洞窟で捕まっていたレイラは確かにそう言っていたはずだ。でもそれが偶然ではなく意図された物だとしたら?

 

『頑張りたまえよグレゴリー君。彼女は不都合な真実を未だに隠している。それではまたな』

 

「あっ、おい!」

 

 それっきり、まるでテープがプッツリ切れたかのようにスピーカーは無音になった。

 

「グレゴリー様……レイラさんはいったい……」

 

 会話が終わった事でようやくサリアスさんが不安そうに口を開く。

 あの野郎……最後にとんでもない爆弾を残していきやがった。レイラが俺に隠し事? あのレイラが俺達に全く悟られる事なく? そんなことあり得るのか?

 いや、もしかするとそんなのは全部クレイのでたらめで、俺を不安にさせて楽しんでるだけの可能性もある。というかそうであって欲しい。

 俺はレイラのことで頭がいっぱいのまま、その場を後にした。

 



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7章 レイラの秘密
俺には関係の無い秘密


 

 昨日からレイラの事ばかり考えている。クレイはああ言っていたが、俺にはとてもレイラが隠し事をしているようには思えなかった。だからこの事は直接聞いてしまったサリアスさんと魔王様以外の他の連中にはまだ伝えていない。

 

「ふぉうしたんすか? グレゴリーふぁま?」

 

 飯を食う俺の手が止まっていたのに気付いたバートンが、頬をいっぱいに膨らませながら聞いてくる。特にこいつには知らせない方がいいな。いつボロを出すか分からん。

 

「……口に入ってる時に喋るんじゃないよ。何でも無いから気にすんな」

 

 そう答える俺を、隣にいたサリアスさんは少し心配そうに窺っている。昨日から俺が高い頻度で上の空なのがサリアスさんとしては心配らしい。

 そんなサリアスさんだが、実は……というほどでも無いけど、人間の事はあまり好きでは無い。だからクレイの話をを聞いて、“レイラさんはきっと隠し事をしているに違いない” くらいは言うかと思っていた。しかし、意外な事に彼女の口から出てきた言葉は真逆だった。

 

  “レイラさんが我々を裏切っているとは思えません。きっと隠し事があったとしても大したことでは無いと思います”

 

 俺がどう思うか意見を聞く前に、サリアスさんはこう進言してきた。人間界に来る前の彼女からは考えられない事だ。身近でずっとレイラに接してきたから、レイラを人間という大きな枠組に無造作に放り込むことは出来なかったんだろうと思う。

 それ以前にあの胡散臭いクレイを信じる方が嫌だったのかも知れないけど。

 

 そんなこんなで結局レイラが何を隠しているのかは全く分からないままだ。今日は、レイラの秘密を探りたくてバートンとレイラの二人を呼んで一緒に食事をする事にしたが、今のところどう聞いたら秘密を引き出せるかは思いついていない。

 

 なんか俺に隠し事してない? じゃただのバカだしなぁ。かと言って曖昧な聞き方をしてもなんか適当な世間話みたいになっちゃって秘密にたどり着く事はできないと思う。かなり難しいぞ。

 

 そもそもどんな事を隠してるのか方向性も定まらないのに聞き出そうって言うのが無理な話だよな。

 クレイは意図的にレイラをあの洞窟に来るように誘導したと確かに言っていた。だからそこら辺から考えた方がよさそうだ。でもいったい何の為に? クレイがわざわざ策を弄すような何かがレイラにあるって言うのか? いったいどんな……

 

 ああ、だめだ全然考えがまとまらない。どうやったら聞き出せるか考えようとすると、あのレイラがいったいどんな……という感じで思考が初めに戻っちゃうのだ。こんなんじゃ全然集中できない。

 

「はぁ……どうしたもんかな」

 

「何がどうしたもんかなの?」

 

「うひゃぁ!?」

 

 いつの間にか横にいたレイラに話しかけられて変な声が出てしまう。

 

「ちょっと、なんて声出してるのよ……」

 

「い、いや戻ってきたのか。気付かなかったもんだからびっくりしちゃってさ」

 

「別に驚かすつもりなんて無かったわよ。え、私ってそんなに影薄い? サリアスさん、気付かなかった?」

 

「いえ、私は気付いてましたけど……」

 

 サリアスさんってば、グレゴリー様本当に気づかなかったんですか? みたいな感じで俺を見ている。ただ普通にお手洗いから戻ってきただけのレイラに気付かないなんて、どうやら俺はかなりの“重症”らしい。

 

「あーいやなんかすまんな。ボーッとしちゃって」

 

「そうっすよ。グレゴリー様、なんか嫌な事でもあったんすか?」

 

 いやバートン、なんでお前が聞いてくるねん。俺とサリアスさんが謎の相手と話してきた事自体は知ってるだろ! 天然か? 天然なのか? それともわざとか?

 

「……まぁそんなとこだ」

 

「俺っちで良かったら相談に乗るっすよ!」

 

 できるか馬鹿! というかよく考えたらバートンの前でレイラから秘密を聞き出すとか無理だな! 俺はなんでこんな場をセッティングしたんだろう……馬鹿は俺だったわ。

 ええい! 撤退だ、撤退! 戦略的撤退だ!

 

「……すまんが、ちょっと頭が痛いんで先に戻らせてくれ。金は払っとくから」

 

「ちょっと大丈夫なの?」

 

「ああ、なんか呼んどいて悪いな。あとは3人で楽しくやってくれ。じゃあ」

 

 そう方便を言ったら、なんだか本当に頭が痛くなってきた気がする。結局何も進展が無いまま、俺はその場を後にして家に向かった。

 

 

 ーーー

 

 

 帰り道、雲の隙間から覗く星空を眺めながらぼんやり歩いていると、後ろから誰かが駆け寄ってくる音が聞こえた。

 

「グレゴリー」

 

 振り返ると心配そうな顔をしたレイラの姿が目に入ってくる。

 

「あれ? どうしたの?」

 

「どうしたの、じゃないわよ。病人を一人で帰らせるほど私は薄情じゃないわ」

 

「ああそうか……あとの二人は?」

 

「サリアスさんとバートンはもう少ししてから戻るって言ってたわ」

 

 サリアスさんがレイラと俺を二人きりにするのを了承したってわけか。らしくないな。いつものサリアスさんなら、引き止めて代わりに自分が来そうなものなのに。

 

「今日寒かったから体冷やしちゃったんじゃないの? ちゃんとあったかくしなきゃだめよ?」

 

 俺を心配してくるレイラを見て俺は全てを悟った。サリアスさんがらしくないんじゃない。サリアスさんはもうレイラを仲間だと信じきっているんだ。だから、ごく普通に仲間に頼むように俺のところに行くのを見送った。おかしいのは俺の方か。

 

「……どうしたの黙っちゃって。今日のあなたちょっと変よ?」

 

「その……ちょっとあってさ……ごめん。大丈夫だから」

 

 何故だか急に心が苦しくなった気がした。これは罪悪感だ。俺をこんなに気遣ってくれるレイラを疑ってたなんて我ながら酷い奴だっていうそういう罪悪感。

 それもこれも全部あのクレイとかいう悪党が悪いんだよ。疑うべきはあいつだ。そうに決まってる。もう俺はレイラを疑ったりなんかしないぞ。きっと隠し事があったにしても俺達とは直接関係ない事だろうし。

 

「なぁ……レイラ。何か俺に言ってない事って無い?」

 

 だからってわけじゃ無いが、言う気はなかったのにふとそんな言葉が口をついて出てしまった。あ、しまったと思った時には遅く、レイラは黙って俺の真意を探ろうと見つめている。

 

「……今日変だったのはそれのせい?」

 

「まぁ半分くらいは」

 

 後の半分はクレイの野郎のせいだな。

 

「もし、あるって言ったら……?」

 

「そうだな……」

 

 さっきまでの俺だったらなんとか聞き出そうとしたかもしれないけれど、今はもう不思議と気にはならなかった。というよりかは、それが何か人に言えずに困っているような事だったら協力したいとさえ思った。

 

「その……実はレイラが大きな病気をしてて近いうちに死んじゃうとかじゃないよな? そういうのだったら嫌なんだけど」

 

 レイラは一瞬キョトンとした顔をして、ついで声を上げて笑い出した。

 

「あっはっは! なんで私が死ななきゃならないのよ。全然違うわ! そんなんじゃないから安心して」

 

 そりゃそうか。我ながら変なことを聞いてしまった。

 

「まあなんか分かんないけどさ。本当に困ったりしたら頼ってくれよ。なんか俺でも出来る事があるかもしれないし」

 

「ふふ、ありがとう大丈夫よ。これは私個人の問題で貴方には関係無い事だし、もう終わったから」

 

「そうか」

 

 ならいいや。そう晴れやかな気分で歩いていると、気が大きくなってきて、今俺達の秘密を全て打ち明けてもいいかもな、なんてふと思った。けれど今日はもう遅いし、急に言われても混乱するだろうからちゃんと日を改めてしっかり時間をとって説明する事にしようと思い直した。

 

 それから俺達は黙ったまま前を向いて並んで歩いた。それは気まずさから来る沈黙では無く、お互い言葉にしなくても分かっているから何も言わない、そんな沈黙だった。

 俺たちの頭上を、星空がキラキラと瞬いていた。

 



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誕生日の約束

 

「いや〜待たせて悪かったな。最近私も色々と忙しくて」

 

「いえ、こちらがふらっと突然やってきただけなのにわざわざ会って頂けるだけでも有難いですよ」

 

 俺は軍内部で再編が行われるという情報の詳細を確認する為に、リヨン中佐のいる施設にアポ無しで訪れていた。こういうのはわざわざ約束をせずに気軽に何度も訪れるのが良いというのが俺の持論且つやり方だ。

 

「いやいや何を言うか。こちらは君に足を向けて寝られないからな。用事さえ無ければ飛んでいくさ。そう言えば先日もここに立ち寄ってくれたそうじゃ無いか」

 

 この前もふらっと立ち寄ったが、リヨン中佐は何かの用事で出掛けていて会えなかった。

 

「ええ、まぁあの時も特に用があるわけじゃ無くて近くまで来たついでだったんで気になさらないでください」

 

「いやいや。マメに来てもらえると仕事に関する話も気軽にできて我々補給課としても助かるよ」

 

 リヨン中佐がそう言って部屋を見回すが、今日は補給課の面々には用事があるのか、前に来たときに比べると半分程人が居なかった。

 

「……そう言えば今日は皆さんどうされたんですか? 随分と人数が少ないですけど」

 

「ん? うーんと、まぁこれは君にも関係のある話だし、どうせもうすぐ耳に入る事でもあるから別に構わないか……」

 

 そう言ってリヨン中佐は事のあらましを説明し始めた。

 

「国王陛下が事実上の軍縮を行うと決めてしまったのだよ。近々宣言がなされると思うが」

 

 なんだそれは。知らなかったぞ。もしやクレイが言ってた軍の再編がどうのこうのというのはこの事だったんじゃないだろうか。

 

「え! それは皆さん大変じゃないですか! またどうしたってそんな急に……」

 

「いや、ところが別に急でも何でも無くてな? 軍縮派のお貴族様がいるだろう? 前々からあれにせっつかれてはいたんだが、今回とうとう我慢できずに国王陛下がうんと首を縦に振ってしまったんだ」

 

「あー……なるほど」

 

 軍縮派のお貴族様がいる、という事だけは俺も知っていた。確かシャリーンみたいな名前で、この国の中でも結構な有力貴族だったはず。その人は、軍なんか維持してても戦争なんか起きないんだし、軍事費が勿体無いからさっさと経済に回せ、みたいな主張をしていた人だったと思う。ちなみに俺もそう思います。

 

「方針としては魔族に対する脅威度は下がったと判断して、魔族領沿いの戦力を減らそうという事になったらしい。まぁ主に我々メルスクの部隊という事だな!」

 

 リヨン中佐はあっけらかんと言い放ったけど、その言葉の裏には諦めと少しの怒りが垣間見える。

 しかし我々魔族にとっては嬉しい話だ。というよりは魔王様にとっては、か。元々今の魔王様の基本方針は、魔族側からは絶対に手を出すな、だったからその成果がこういった形で現れて、今頃は素直に喜んでいるかもしれない。

 

「その……心中お察ししますよ。というかそれよく考えたら、我々の商会には影響無いんですかね?」

 

 めちゃくちゃ他人事だと思って聞いてたけど、軍縮という事はうちの商会が納めている回復薬の受注数も減るという事にならないか? やべえ、全然他人事じゃ無いんだけど。

 

「まぁ契約は2年契約だからその間は変わる事は無い。その点は安心してくれ。だがまぁ2年より先は減るかも分からんな……まだなんとも言えんが」

 

「そうですか……」

 

「まぁ情勢が変わるかもしれんからそんなに気を落とさないでくれ。えーっとそれでなんだったか……ああ、そうだ。それで何故他の奴が居ないかなんだが……」

 

 リヨン中佐はそこまで言うと一瞬固まって少しだけ言い澱んだ。

 あれだ。多分みんな首切られるから再就職先探してんだ。可哀想に……

 

「……次の働き口ですか?」

 

「……まぁそういう事だ」

 

「国として職の斡旋はしない感じなんですか?」

 

「酷いだろう?」

 

 つまり、しないと言う事らしい。随分無責任な話だ。しかし俺はそこでふと思いついた。就職先を探しているのなら、うちの商会で雇えばいいんじゃないかと。

 どうせ近いうちに王都の方で商会の第2号店を出店するつもりだったのだ。その店を営業するのにもどうせ人を雇う事になる。だったらその予定を早めて今のうちにここの人達を雇ってしまえば中佐に恩も売れて一石二鳥だ。

 本当は優秀な諜報員が欲しいところだけど、そんなものがポロポロ転がってるわけも無いし、無い物ねだりしてもしょうがない。それに軍関係者の方が一般人なんかよりも遥かにマシだ。

 

「あの中佐。実はですね……」

 

 俺は王都に2号店を出店するつもりである事を中佐に話した。

 

 

 ーーー

 

 

「随分長かったですね。何か分かりましたか?」

 

 俺が話をまとめて施設から出てくると、サリアスさんが俺を見つけて駆け寄ってくる。護衛として来ていた彼女には近くの喫茶店で待ってもらっていたのだ。

 

「んまぁだいたい分かったかな」

 

 中佐と具体的な話を詰めていくうちに、実際どれくらい人員が削減されるのかとか、どことどこの組織が統合されるのかとかいった情報も聞くことができた。

 クレイに渡す情報はこんなもんで充分だろう。もっと調べてもいいんだけど、あの野郎のために素直に仕事すんのもシャクだからな。

 まぁそれは置いといてもこんなにうまい話があるなんてなぁ。捨てる神あれば拾う神ありって奴だ。

 

「? 何か随分と嬉しそうですね?」

 

「ん? やっぱり分かっちゃう?」

 

 実はあの後、結局話が進んで4人ほどリヨン中佐の部下を引き抜けることになったのだ。実際には会ってから決めるけれど、リヨン中佐の推薦ならば多分問題は無いと思う。

 そうサリアスさんに話したら、ちょっと呆れたように苦笑いされた。

 

「大丈夫ですか? まだ王都に店を構える場所も決まってないじゃないですか」

 

「あぁ、当分は1号店で修行してもらう事になると思うよ。まぁ何とかなるでしょ」

 

 確かに、最近行き当たりばったりだなぁとは思う。でもこういうのって即決しないと意味ないと思うんだよね。だからやっぱりしょうがないな!

 

「そうなると王都進出の件も加速させなきゃだし、あの野郎に渡す情報の整理もやらないといけないし、タマちゃんの生態調査の調整もしなきゃいけないし……」

 

 うん、忙しいね。この辺の件は他の人に丸投げってわけにもいかないし、ちょっと頑張るかな。

 

 

 ーーー

 

 

 そうしてなにかと仕事に追われる日々を送っていたら、レイラがふらっと店の二階の俺の元にやってきた。

 

「私ね。実は来週誕生日なの」

 

「え! マジで?」

 

 レイラが何の気無しに放った言葉に、俺は書類を書く手を止めて顔を上げた。

 

「おめでとう! いくつになるんだったっけ?」

 

「18よ」

 

 そうか18か。ただ、レイラの見た目じゃ正直全然そうは見えない。

 でも年齢といえば俺なんて前世も含めたら40超えのおっさんだ。ただ、体に精神が引っ張られるのかそんな気は全然していない。そういう意味では俺も結構見えない方か。

 

「……なんか失礼なこと考えてない?」

 

「いえいえそんな。滅相もございません」

 

「ならいいけど……ところで前にした約束って覚えてる?」

 

「え?」

 

 なんでしたっけ? え、なんでしたっけ!? 全然記憶にございませんが!

 

「まぁそんな事だろうとは思ったけど」

 

「はい……すんません」

 

 俺が必死に思い出そうとしているのを見て、しょうがないわねという感じで答えを教えてくれた。

 

「ほら、いつだったか私の剣の腕を見せてあげるって話したじゃない」

 

「……あー! はいはいあれね! 思い出した思い出した!」

 

 以前一緒に依頼を受ける受けないで言い合いをした時のことだ。レイラは確かにそんなような事を言っていた気がする。あの時はまた今度付き合うよと言って断ったが、結局あれから忙しくてすっかりうやむやになってしまっていた。

 

「あー……忙しくて忘れてたわ。ごめん」

 

「いや、確かにいろいろ大変だったからいいわよ別に。ただ、思い出したならやるべき事があると思わない?」

 

 これはあれですね。誠意を見せんといかんやつですね。

 

「……約束を果たすのは勿論のこととして、不義理を働いてしまったので、何か別にお詫びしなきゃいけないと俺は思うのですが、どうすりゃ良いですかね? なんか欲しいものとか有る?」

 

「別にお詫びは要らないわよ。ただ誕生日プレゼントの方は期待しとく。頑張ってあなたのセンスで選んで」

 

「はい、頑張らせていただきます……」

 

 それってつまり、誕生日プレゼントはお詫びの分も上乗せしろって事のような気が……まあいいか。

 しっかしレイラが欲しがるような物って何だ? なんかレイラって貴金属とか高級品とか貰って喜ぶようなタイプじゃないと思うのよね。新しい装備でも渡すか? それはちょっと女の子にあげるような物では無いか。俺のセンスが問われるなぁ……

 

「それで……来週末に一緒に簡単な依頼でも受けない? 忙しくなかったらでいいんだけど」

 

 うんうん考えてたらレイラからデート?のお誘いが来た。俺は予定も確認せずに即答した。

 

「ああ、いいよ。えーと8日後かな?」

 

「そうね。じゃ、そういう事で楽しみにしとく!」

 

 俺の返事に満面の笑みを浮かべたレイラは足取り軽くササッと部屋から出て行った。最近なんか知らんけど良い雰囲気だから嬉しい。

 何というか、ひょっとするとひょっとするんじゃないだろうか? それともDTの思い込みかな? 何しろレイラはみんなに対して優しいからな。

 

 でも本当に関係を進めるなら全てを打ち明けないとダメだ。そういう意味では今度の予定はちょうど良いな。どうせその辺りで時間を作ってレイラに全てを打ち明けようと思ってたんだ。その日の最後にでも全部話すとしよう。

 



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勇者疑惑の男

 

 次の日、トールから緊急の連絡があるから来て欲しいという連絡が飛んできた。俺はその伝言を持ってきたステイシアと共にすぐに冒険者ギルドに向かった。

 

「おう、結構早かったな。早速で悪いが例の奥の部屋に」

 

「分かった」

 

 来て早々ろくに挨拶もせずに奥に通されるとなるとよっぽどのことが起こったに違いない。俺とステイシアはトールの後を追ってそそくさと例の秘密の会議室に向かった。

 

「で、何があったんだ?」

 

「ああ、実は勇者を見つけちまったかも知れん」

 

「!」

 

 俺はバッと身を乗り出した。

 

「それはどれくらい確証があってそう言ってんだ?」

 

 トールは自身の目を指差しながら静かに告げた。

 

「この“目”で確認したからな。少なくともそいつ自身がそう思い込んでることだけは確かだ」

 

 トールが言うには、最近この街にやって来た、とある少年が非常に怪しいのだという。

 そいつは自分の事を勇者だと周囲に言って憚らないらしく、他の冒険者からも生暖かい目で見られているのだとか。

 

「まだガキなんで、もしかしたらごっこ遊びの延長なのかもしれんが、もしかすると本物かもしれん」

 

「お前の目でも分からないのかよ」

 

「俺の目は本人が本気でそう思って言ってたら、例えそれが間違っていても嘘だとは判定してくれないからな。そこら辺は微妙なんだ」

 

 トールの“真実の目”を使った嘘判定法は本人が嘘をついている自覚が無ければ反応しない。だから今回の件についていえば、その少年が勇者で無かったとしても、自分が勇者であると思い込んでる精神異常者だった場合には、本当であると判定されてしまう訳だ。

 

「『なんだ? お前は勇者なのか?』って冗談半分で聞きながら能力を発動させたら、『そうだよ』って返ってきて嘘じゃなかったからな」

 

「うーん……そうか」

 

 本物の勇者か、もしくは自分が勇者だと思い込んでるやべえ奴か。一応勇者だと仮定して動いた方が良さそうだ。

 

「そいつの行動パターンってどれくらい分かってる?」

 

「結構コンスタントに毎日討伐依頼受けてるぞ。ああそいつは中級だから、そのランク帯の依頼を満遍なくって感じだ。オフの日は知らん」

 

 悠長に調べてる場合じゃ無いと思ったトールが、すぐに俺達に知らせてくれたので、休みの日に何をしてるのかまでは分からないらしい。

 それは俺達の仕事だな。そいつの行動パターンを調べて、なるべく近づかないようにしなきゃ。

 

「後はそいつが“何を望んでいるか”もしっかり調べといたほうがいいぞ。その方が仮に覚醒した時に動きが読みやすい」

 

「ああそう言えば勇者って覚醒直後は頭おかしくなっちゃうんだっけ?」

 

「頭おかしくなるってのは言い過ぎだ」

 

 トールの長年の調査で分かった話だが、覚醒直後の勇者は自分の望みを叶えたい欲が膨れ上がるらしい。歴代勇者はそういう訳でなりふり構わず魔族領に突っ込んできたのだ。なぜなら魔王を倒せば元いた世界に帰れると思っているから。

 

「ま、俺は魔王を倒せば帰れるなんて信じて無かったからそうはならなかったんだけどな」

 

 トールの場合は逆に真実を知るために王宮に突っ込んでったらしいから皮肉な話もあったもんだと思う。

 とにかく“何を望んでいるか”を知ることが出来れば万が一の時に役立つ。

 

「ステイシア。今の話を踏まえてそいつの情報を集めて貰える? 安心して頼めるのがステイシアしかいないんだ」

 

 俺達の中で、唯一人間であるステイシアならば、仮に勇者が覚醒しても魔族が人間界に潜入してるとバレる心配がない。

 

「ええ、いいですよ。ただその間は他の事が出来ませんけど」

 

「……まぁ他の事はサリアスさんにでも頼むよ」

 

 全く最近ただでさえ忙しいのに、訳のわからん奴が居たもんだ。だいたい勇者ってのは自分の事は秘密にしとくもんじゃないのか? やっぱりそいつは偽物なのかな?

 

 とにかく、勇者疑惑の人物の調査をステイシアにぶん投げた俺は、他の連中に注意喚起するために、社宅の方に戻った。

 

 取り敢えず社宅にいた奴に冒険者ギルドに近づかないように伝えた俺は、喫緊の課題であるレイラの誕生日プレゼントについて考えていた。

 

「うーん……何が欲しいんだろ」

 

 女の子の欲しがるものなんてさっぱり分からない。これが花屋のお嬢さんとかだったら何となく分かったかもしれないけど、相手はバリバリの冒険者である。

 うむ、分からん。同じ冒険者の女性であるサリアスさんにでも聞いてみるか。

 

「サリアスさんが貰ったら嬉しいものって何がある?」

 

「あら、何か頂けるんですか?」

 

「あ、いや、そう言うわけじゃないんだけども」

 

 俺が否定したらサリアスさんはちょっとがっかりした顔をしながらも答えてくれた。

 

「うーん、そうですね。私なら最近流行ってるマロングラッセ入りのケーキがいいですかね〜。あのビューレ&マインの」

 

「ビュー……え、なに?」

 

 なんだか知らん単語が矢継ぎ早に出てきたぞ。マロンとか言ってるから栗が関係してるんだろうってことくらいしか分からない。何それ美味しいの、状態だ。

 

「ビューレ&マインですか! 私も食べたいです!」

 

 俺がハテナを浮かべているのをよそに、部屋の反対側で聞き耳を立てていたアイリスちゃんが話に加わってきた。聞くと、そのビューレ&マインというのは何か人気のお菓子屋さんで、本当に食べ物で美味しいらしい。

 

「へー知らなかった。有名なの?」

 

「え、グレゴリー様すぐそこにあるのに知らないんですか! それは損してますよ! 今から行きましょうすぐ行きましょう!」

 

「え? 今から?」

 

「こういうのは思い立ったらすぐ実行ですよ!」

 

 アイリスちゃんの剣幕に押し捲られた俺は、その何ちゃらという店にその場のノリで行く事になってしまった。普段なら部下の言動を嗜めているはずのサリアスさんが何も言わずにしれっとついて来ているあたり、本当に美味しいのかもしれない。

 

 その店は本当にすぐ近い場所にあった。社宅と1号店のちょうど中間地点くらい。そこから少し裏通りに進んだ所に存在していた。なんでこんな所に店を構えているのか謎だが確かに人気店らしく、数組のお客さんが店の中で商品を選んでいた。

 

「マロングラッセ入りケーキってのが欲しいんだっけ?」

 

 俺がそう聞くと彼女達はショーケースの中を目を行ったり来たりさせながら唸った。

 

「あ、でもイチゴのタルトもある……数量限定の……」

 

「マロングラッセも捨てがたいですけどイチゴのタルトも食べたいですね……」

 

「じゃあどっちも食べたらいいじゃない。日頃の感謝も込めて俺が出すよ」

 

 俺が放った一言は彼女達にとっては眼から鱗だったらしい。そんな欲に任せて2つも食べるなんて思いつきもしなかったのか、まさに天啓を得たという感じだった。

 

「そんな事が可能だとは……!」

 

「それは何とも罪深いですね」

 

「そんな大袈裟な。いいじゃん2個食ったって。という事でこれとこれを3つずつ───」

 

 そこまで言って俺はふと思った。俺たちだけがこんな美味しいと評判のものを独り占めして許されるだろうか? 日頃の感謝と言うんなら他の奴らにも買っていった方がいいんじゃないか?

 ええと、ひい、ふう、みい……俺含めて全部で10人か。ええい、今日は贅沢してしまえ!

 

「───いや、やっぱり10個ずつ下さい」

 

「みんなにもですか? 確かに私達だけじゃ悪いですものね」

 

「申し訳ありませんが商品はここに出ている分だけしか無くて……」

 

 よく見たら数が足りなかった。仕方が無いので種類はバラバラで適当に足りない分を購入する。

 ケーキ20個分を3人で分担して持って帰る。冷蔵庫なんていう上等な物は無いけど、魔法パワーによる保冷剤みたいな物はついてきたので、明日までは持つ。

 

 3人でわいわい言いながら、社宅の共有スペースでケーキを堪能していたら、続々と他の奴が集まってきた。

 

「なんかおいしそうな物食べてますね」

 

「お前の分もあるぞ。それも2つ」

 

「本当ですか? おっ! 色々ありますね」

 

 というようなやり取りがなされてどんどん人が増えていく。

 

「うーっす! 帰って来たっすよー! あーっ! ずるいじゃないっすか!」

 

「ただいま〜、あっ!」

 

 そうこうしていたら、バートンとレイラも仕事から戻ってきた。目敏いバートンが非難の声をあげるが、黙って残っているケーキを指差すとへりくだって感謝してくる。

 

「いや〜、有難いっす! 流石はグレゴリー様っすね! 太っ腹!」

 

 てっきとうな誉め方だな……

 

「あら、私のもあるの?」

 

 何故かレイラが遠慮がちに聞いてくる。なんで無いと思うんだ? そんな仲間外れにするわけないじゃないの。

 

「勿論。ただ、1人2個までだから食べすぎないように」

 

「逆に2個も食べていいのね? ありがとう」

 

 嬉しそうにケーキを選ぶレイラを見て何か忘れているのを思い出した。

 そうだ、レイラの誕生日プレゼント選びを考えてたんだ。だというのにいったいどうしてこんな事に……というかビューレ&マインのケーキをこのタイミングでレイラにあげちゃったら1週間後はまた何か別の店のケーキを用意しなきゃいけないじゃないか。

 

 もう無難なやつでいいや。プレゼント選びは一人でやろう……俺はちょっと複雑な気持ちになりながら、イチゴのケーキをちょんちょんつついた。

 



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人の振り見て我が振り直せ?

 

 勇者が現れたらどうするのかという方策は実はまだ詳しく決めてはいなかった。ただ、今まで通り倒してはいおしまい、で終わらせるつもりは無く、生かす方向で検討はしていた。

 

 俺が考えているのは遅滞行動と防御戦闘の組み合わせによる時間稼ぎ戦術だ。

 

 勇者が騙されていて突っ込んでくるのならば、何とか説得して味方に引きこみたい。勇者は魔族に対する恨みは特に持っていないはずなので、勝算は十分にあると思う。ただ、その為には時間を使わせて正気に戻ってもらう必要があった。

 

 ただ、言うだけは簡単なんですよ。問題はあの勇者相手に防御戦闘しながら後退なんて可能なのかって話だ。今までの勇者は実質不意打ちで片付けてきたみたいなもんだし、どの部隊も勇者とまともにやり合わないようにしてきた。だから正面からぶつかるとなるとかなり不安だ。

 

 かと言ってほっとけば真っ直ぐ突っ込んでくるしな……ほっといて好き勝手させる案も一応考えてみたけど、多分魔王以外に興味を示さなくて、真っ直ぐ魔王様の元に行っちゃうと思う。

 いくら魔王様が最強で負けないからって素通りは流石に避けたい。そんな事になれば俺や魔王軍の存在意義が問われるしね。

 

 しかし勇者覚醒が現実味を帯びてきた以上、いくつかのパターンで方針をちゃんと決めとかないとなぁ。はぁ……めんどくさ。

 

 

 ーーー

 

 

 あくる日。俺がアマル2000工場にたまたま寄ったらカイルが血相を変えて飛んできた。

 

「グレゴリー様。これ、やっばいですね! いったいどこで手に入れたんですか?」

 

「おいおいカイル。口調がバートンみたいになってるぞ」

 

 カイルのやつ、俺が渡したタマちゃんエキスの解析をようやく終えたらしい。これで俺が騙されてた訳じゃないと分かってくれたようだ。

 

「だってこれ、普通じゃないですよ! こんなの出回ったら、世の中ひっくり返るじゃないですか!」

 

「まぁそうなんだよね〜」

 

 完全な解毒薬だなんてどれほど欲しがる奴がいるか。今ある特定の毒に対応した解毒薬を提供している薬屋さんは軒並み廃業、とまでは言わないけど大打撃だ。

 

「ところでそいつの成分って少しくらい分かった?」

 

「いえ、ちょっと調べましたけど水を含んでいて少しアルカリ性に寄ってるってことぐらいしか……魔界(あっち)に帰ればもっとやりようはあるんですけど」

 

「うーん、そうか」

 

 ここの回復薬生産工場にはそんな立派な研究施設みたいなものは無いので、その辺は仕方ないのかもしれない。かと言ってカイルを魔界に帰すのは厳しい。結局は専門家が一人は人間界にいないといけないから入れ替わりで誰か来る事になる。それじゃあ意味が無い。

 じゃあこのエキス自体を魔界に送って誰かに研究させるっていうのはどうだろうか。でも俺の目が届かないとこで好き勝手されるのも嫌だな。なので却下。

 

 そうなるとなんか上手い方法は無いものか……ああ、そうだ。

 

「……もし魔界(あっち)と同水準の設備がここにあればもっと研究出来る?」

 

 俺の悪魔の囁きにカイルは顎に手を当てて考え込んだ。

 

「……うーん、ある程度まではいけると思いますが試料が足りないと思います。それだけの量じゃ完全に解析するのは難しいですよ」

 

「じゃあこれももうちょっと調達できるって言ったら?」

 

 俺はタマちゃんエキスが入った小瓶をチャプチャプさせながらニヤリと笑った。

 

「マジですか?」

 

「マジですよ」

 

 カイルがマジとか言うの珍しいな。それくらい興味あるってことか。

 

「……出どころは教えてはくれないのですよね?」

 

「残念ながらそれだけは言えないな。悪いけど」

 

 シリウスさんと約束しちゃったからね。

 

「産地なんかが分かればもっと早く進むと思ったのですが流石にダメですか……分かりました。それでも構わないのでやらせて下さい」

 

 未知の物に対する探究心からか、カイルはその条件で研究を続けることを承諾した。

 

 

 ーーー

 

 

 バートンをレジア湖に派遣したり、レイラの誕生日プレゼントを選んだり、対勇者の作戦計画を練ったりしていたら、あっという間に1週間ほど過ぎてしまった。もう早いもので、明日がレイラとの約束の日である。

 

 そんな日の夕方頃、ステイシアがプンスカ怒った顔で店の二階にやって来た。

 

「もう! 何なんですかあいつは!」

 

 普段冷静なステイシアの貴重なお怒りシーンかもしれない。珍しい事もあったもんだ。なーんて言ってる場合では無い。普段冷静な人が怒っているという事は凄く不安定だってことだ。いつこっちに飛び火するか分からん。何とかせねば。

 

「おお……落ち着け落ち着け。なーにがあったの」

 

 話してみ? と促したら、聞いてくださいよ! と怒涛の勢いで話し始めるステイシア。

 

「あの、ケイウスとかいうナルシスト野郎の事ですよ!」

 

 ケイウスってのはこないだトールから聞かされた勇者かもしれないっていう人物の名前だ。先週からステイシアに素性だとか行動パターンだとかを探るよう指示していた。

 

「そういえば一昨日初めて接触したとか言ってたね。それでその男はたった3日で何をしでかしたの?」

 

 接点を持って3日でここまで嫌われるとか、そのケイウスというのはよっぽどの事をしたに違いない。

 ステイシアは信じられません! という表情で訴え始めた。

 

「あいつ! 私に惚れられてると思い込んでるんです! それで私の事つけ回して来るんですよ!」

 

 要約するとこういう事らしい。一昨日初めて接触した日から、ケイウス君はどうもステイシアが自分に気があって話しかけてきたと思ったようである。その結果、ナルシストっぷりを発揮したケイウス君は「やぁ、子猫ちゃん」みたいな薄ら寒い感じで、ステイシアを見かけたら追っかけて来るようになっちゃったのだとか。

 ステイシアもステイシアの方で、別に気があるわけではないけど、任務の事もあるし、決定的に嫌われる訳にもいかなくて、仕方なく曖昧な返事をしていたらケイウス君、ますますエスカレート。お茶に誘うわデートに誘うわ根掘り葉掘り聞いてくるわで、アタックがどんどん強烈に。辟易したステイシアが愚痴りに来たのが今ココ、という事のようだった。

 ……ああ、これはあれですね。勘違い野郎って奴ですね。

 

「お前のその自信はどこから来るんだよって小一時間問い詰めたいです! これだからナルシスト野郎は!」

 

 おおこわ。でも、ステイシアみたいな美人さんに曖昧な返事されたら勘違いしちゃうのも分かる気がするなぁ。だからしょうがないね⭐︎

 ……なーんて言えば、仕事じゃなかったらすぐ断ってますよ! つって俺に怒りの全エネルギーが収斂して消し炭になるので絶対に言わない。俺もナルシストは別に好きじゃないしな。だから擁護はしない。俺の為に犠牲になってくれ!

 

「私はああいう自分大好きなナルシスト野郎は微塵っっも興味無いんです! いーや、あえて言いましょう。大っ嫌いです!」

 

「……まぁまぁ。でも確かに子猫ちゃん呼びはちょっとキモいな」

 

 そんな奴マジでいるんだなという感じ。俺が女の人をそう呼ぶ日は一生来ないと思うね。間違い無く。

 

「そうでしょう! ほんっとにあり得ない!」

 

 それからステイシアは、如何にナルシストがおかしいかという一般論を話し始め、次に自分の好みの男性像の話になり、一周回ってケイウス君の気持ち悪さをもう一度熱弁した。

 俺はその話に適当に相槌を打ちながら思った。件のケイウス君は普通に痛い奴だが、俺だって他人事じゃ無い。前世でもよく聞いた話じゃないか。ちょっと女の子に良くされたからって勘違いしてはいけないのだ。

 

 ぐぬぬ。なんかこう、荒れてるステイシアを見てたらすっげえ不安になってきた…… 人の振り見て我が振り直せとはよく言ったものだけど、俺自身は大丈夫だろうか? レイラに渡すプレゼント、こんなんで良かったのかな。うわぁ、なんかめっちゃ心配になってきたぞ……

 

 しかし、今更買い直すなんて、もうできやしないので、腹を括って明日を迎えるしかないのであった。

 



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そして幸せな日々は突然崩れ去った

 

「おはよう」

 

「おはようさん。誕生日おめでとう」

 

「ありがとう」

 

 朝、街の入り口でレイラと待ち合わせをしていた俺は、眠い目を擦りながら欠伸をした。今はまだ6時前で辺りは薄暗い。

 

「早いね。いつもこんな早いの?」

 

「そうね。というか普通よ。あなたが朝遅いだけじゃない?」

 

「いや、お前ら冒険者組が早いだけだから」

 

 とはいえ、確かに冒険者組でない他の連中も結構朝早いからそう言われたらそうかもしれない。

 ところで、その朝が早い冒険者組がもう一人来るはずなのにまだ来ない。どうしたんだろう。

 

「サリアスさん遅刻かな? 珍しい事もあるもんだ」

 

「え? ちょっと待って」

 

 手のひらを前に突き出して止まれの格好でレイラが聞いてくる。

 

「サリアスさんが来るの? 私、聞いてないんだけど」

 

 ありゃ? おかしいな。サリアスさん、自分から伝えておきますねって確かに言ってたと思うんだけど。もしかして話してなかったのか?

 

「え? サリアスさんから何も聞いてない?」

 

 ちょうどその時、通りの反対から噂のサリアスさんが慌てた様子で走ってきた。

 

「すみません、ちょっと用意に手間取ってしまって……」

 

「ああ、まだ時間前だし大丈夫だよ。そう言えばサリアスさんが一緒に来るってレイラが知らなかったらしいんだけど……」

 

 俺がそう言うと、サリアスさんはあっ! という顔をして謝罪し始めた。

 本当に珍しいな。あの完璧超人なサリアスさんでもそういう事あるのか。

 

「ごめんなさいレイラさん! 私ったら伝えるのをすっかり忘れていました。今日は護衛としてご一緒させていただきます」

 

「護衛? 私がいるのに何で?」

 

「いや、ほらいつもはレイラってバートンと二人のペアじゃん。でもそのバートンが今日は居ないだろ?」

 

 バートンはタマちゃんの生体調査をする為にレジア湖に行ったのでしばらく帰ってこない。

 

「で、サリアスさんに大丈夫かなって聞いたら私も行きますってなったわけよ」

 

 俺がそう言うとレイラが反論してくる。

 

「でも私、バートンが居ないここ数日は一人で狩りに行ってたわ。だから別に大丈夫だと思うんだけど。何よりこの程度のことにサリアスさんを付き合わせるのは悪いと思うの」

 

 それに対してそんなことありませんよ、という雰囲気でサリアスさんはニコニコしながら答える。

 

「いえいえ、私の事は気になさらないで下さい。それに、勿論貴方一人だけだったら心配はしていません。ですが今日は非戦闘員のグレゴリー様も一緒でしょう? まだ貴方の実力では戦えない人を守りながらの戦闘は難しいですよ」

 

 サリアスさんが理由を述べると、レイラはほんの一瞬だけ悔しそうな顔をして、すぐに元の表情に戻った。

 

「……分かったわ。なら早く行きましょう?」

 

 

 ーーー

 

 

 元々腕を見る、という話だったから倒す敵はいつも通りなのかと思いきや、今日は俺が居るからいつもよりも若干弱い敵を狙うようだった。

 

「じゃあ今日はどんな奴を狙うんだよ」

 

「ホーンブルクよ」

 

 名前を言われても分からないので聞くと、どうやら角が生えたイノシシみたいなものらしい。俺なんかからすると、危険そうに思えるけど、熟練の冒険者からすれば結構弱い部類に入るのだとか。

 

「ホーンブルクなんて狩っても本当はしょうがないんだけど、あなたが居るし今日はそいつで良いかなって。私だって一応はちゃんと考えてるのに……」

 

 どうもレイラはサリアスさんがついてきたのがまだ少し不服のようだった。

 まぁ成長したところを見て欲しいのに、超熟練者に見られながら戦うというのは緊張しちゃって嫌なんだろうと思う。

 

 午前中、森の中を探し回ったが何故かホーンブルクは見つからず、あえなく昼休憩になった。

 

「私の鞄頂戴」

 

「ああ、はい。そういやこの中って何が入ってんの?」

 

 割と重めの袋を荷物持ちさせられていた俺はレイラに渡しながら訊ねると、レイラは少し困ったような顔をして教えてくれた。

 

「その……お昼ご飯なんだけど、サリアスさんが来るなんて聞いてなかったから、二人分しか無いの」

 

 あれ? ちょっと待って。そういえば俺のお昼ご飯はサリアスさんが作ってくれるって言ってたな? そもそも今日ついてくる事自体言ってなかったんならそれも勿論伝わってないよな?

 そう思って振り返ったら、案の定サリアスさんがバツの悪そうな顔をしていた。

 

「サリアスさーん……もしかして?」

 

「そのぉ……はい。私も二人分作ってきてしまいました」

 

 うーむ、困ったぞ。ここには3人しかいないのに、飯は4人分ある訳だ。

 何となく気まずい空気になってしまったこの場を解決する方法はただ一つ。俺が2人分食うしかねえ。

 

「あー、なんか今日は凄く歩いたからー、とってもお腹が減ったなー、今なら2人分食べられるような気がするなー」

 

 それを聞いたサリアスさんは相変わらず申し訳なさそうな顔をしているし、レイラは若干呆れたような顔を見せている。

 ただ、こうなってしまったのは俺がきっちり確認していなかったのが原因でもあるので、ちゃんと責任は取らないといけないと思う。

 そうでなかったとしても美人二人が俺のために昼飯を作ってきてくれたんだぞ。食わなきゃ失礼ってもんだろ。

 

「という事で俺が二人分食べます! はい、解決! お昼にしよう!」

 

 適当な場所を見繕ってお弁当を広げる。どれどれ……ほう? レイラはオーソドックスなサンドイッチを作ってきたらしい。サリアスさんは……サリアスさんは何だこれ?

 

「サリアスさんは何を作ってきたのそれは」

 

 今日は随分大きな鞄を背負ってるなと思ってたけど、中から出てきたのはでっかい弁当箱、それも重箱の一段分くらいの箱が現れる。その中に色々な種類のおかずを詰め込んできたようだ。

 こういうのあるあるだと思うんだけど見ても名前はさっぱりわからないのよね。

 

「ちょっと張り切りすぎちゃいました」

 

「でしょうねぇ……」

 

「それ、本当に2人分……?」

 

 レイラの言葉で気づいたけど、どうも2人分以上あるように見える。

 

「その、張り切りすぎてしまいました……」

 

 張り切りすぎましたか。これあれかな? 俺1人で3人分くらい食わないといけないやつかな? 流石に3人前は無理だぜ。

 俺が困った顔をしていると、結局食べられるだけみんなで食べましょうという事になった。

 

 美味しそうなものを適当に取って食べる。レイラのサンドイッチは見た目通り普通に美味しかった。

 

「美味しいよ。ありがとうな、わざわざ俺のために作ってくれて」

 

「美味しい? 良かった。ちゃんと作れてたみたいで」

 

 しかし、本当にヤベーのはサリアスさんだった。何ですかこれ。あなたは帝国ホテルの料理長か何かしてたんですかと言いたくなるレベル。もしかしたらサリアスさんって天才なのでは? 完璧超人だとは思っていたけど、料理もここまで完璧にこなすとは思わなかったわ。

 

「これ、普通に金取れるんじゃないの? 今度飯屋でも開くか」

 

「ふふ、喜んでもらえて嬉しいです」

 

 俺は正直ちょっと引いていたが、レイラも若干気圧されているようだった。

 

「凄いわね……」

 

 ぽつりと呟いたレイラがチラリと自分の作ってきたお弁当に目をやる。

 サリアスさんのと自分のを比べて、ちょっと落ち込んでいるのかもと思った俺は慌ててフォローに回る。

 

「いやいや、レイラのだって普通に美味しいからね? サリアスさんが異常なだけで」

 

「ええ!? 異常ですか? 割と普通寄りに作ったと思いますけど……」

 

「これで普通!? 嘘じゃん!?」

 

 サリアスさん恐ろしい子……まだ底が見えないなんて。

 

 結局あれだけあったお弁当は全部食べ切った。ただ、レイラが最後の方は無言のまま、黙々とサリアスさんのお弁当を食べていたのが気になった。

 個人的にはサリアスさんの銀座で食う3万のディナーみたいなのじゃなくて、レイラの作ってくれたサンドイッチの方が庶民的で好きだぞって言いたいけど今は言わない。言うにしてもサリアスさんがいない時にこっそりとだな。

 

 そして俺はこの時、すぐにそう言わなかった事を、後に少しばかり後悔する事になる。

 

 

 ーーー

 

 

「やぁっ!」

 

 たった今、レイラがホーンブルクにトドメを刺した。俺の横でそれを一緒に見ていたサリアスさんが感想を述べる。

 

「ふむ。初めの頃に比べたら、彼女は格段に動きが良くなりましたね。ですがまだ少し甘いです」

 

 へー、あれでもまだダメなんか。正直今のレイラのどこが悪かったのかさっぱり分からない。やっぱり素人が見てもあんまり意味は無かったような気がする。いや、勿論見れて良かったけどさ。

 

「ふぅ、まぁこんなとこかしら」

 

「おつかれ! 正直言うと、すげえくらいしか感想が無い!」

 

 我ながらひっどい感想だが、仕方ない。例えるなら達人同士の剣道の試合でどっちの方が強いかみたいな話。素人からすればどっちも凄く見えるし、なんならあれは審判も凄いと思う。いかん、話が逸れた。

 

「すまんな素人で。こっち方面はさっぱりでさ」

 

「はぁ……近年稀に見る適当さね」

 

 そんなこと言ったってなぁ? 強いて言うならビュンビュン動き回るレイラはまさに戦う人、って感じで尊敬するって事か。サリアスさんとしてはまだまだらしいが、俺は一生分からないと思う。更に言えば、結構激しく動いていたというのに息が切れていないのにも感心する。流石はほぼ毎日山に入ってるだけはあるな。

 

 俺がそう言いかけたら少し離れた場所の茂みがガサガサと揺れ動く。

 

「うお! なんかいるぞ!」

 

 俺がそう声を上げた時には2人はとっくに臨戦態勢を取っていた。

 やがて姿を現したのはちょっと大きめのホーンブルクだった。いや、俺はそう見えたというだけで実際にはちょっと違ったらしい。レイラの呟きでそれは判明した。

 

「ドスブルク……大丈夫。やれるわ」

 

「いえ、今度は私がやりましょう」

 

 そう呟いた瞬間、サリアスさんはあっという間にそのイノシシもどきに肉薄する。彼我の距離は20mほどあったというのにだ。そしてその勢いのまま自慢の槍で貫いた。

 一瞬時が止まったように静寂が辺りを支配する。ドサリとイノシシの巨体が倒れ伏した音でもう一度時が動き出した。

 

「もう大丈夫ですよ。倒しましたから」

 

「……あれ? 終わった?」

 

 サリアスさんが安心させるように言うが、実際かかった時間は数秒というところだ。心配する時間すら無かった。気づいたら終わっていたと言う感じ。

 

「一突きで? そんな簡単に倒せるもんなの?」

 

「うーん。並の冒険者では難しいでしょうね。ただ、無駄に苦しませるのも可哀想ですから」

 

 出来るならそうやって倒した方がいい。わざわざ最後まで言いはしないけれど含む所はそういうことなんだろう。

 それは先程のレイラの戦闘を真っ向から否定しているのと同じ事だった。気づかれないようにチラッとレイラを窺うと、やっぱり思うところがあるのか、彼女は唇を噛んで地面を見つめていた。

 サリアスさんは無自覚なのかもしれないけど、これじゃあレイラが可哀想だ。どうやってフォローするか考えていると、何かゾワリとした空気がレイラの方から発せられた。

 

「あなたさえ……あなたさえ居なければっ!!」

 

 おかしい。何かがおかしい。それはレイラが急にキレた事がじゃない。空間をねじ曲げるかのように、彼女から“見えない何か”が発せられている事がだ。

 

「どういう、意味ですかそれは」

 

 サリアスさんが、恐らく無意識に、槍を構える。俺の懐で携帯がブルブル震え出す。俺は一歩も動けない。

 

 ───ある日突然───もの凄いオーラを感じて───

 

 いつかトールから聞いた言葉が頭を過ぎる。そんなまさかな。あり得ない。どんな冗談だ。

 

 俺が頭で必死に否定しているのを嘲笑うかのように、レイラは剣を構えた。何だこれは。なんで2人ともお互いに武器を向けあってるんだ?

 

 次の瞬間、レイラはサリアスさんに向かって、さっきのサリアスさんよりも早く、瞬間移動した。少なくとも俺にはそう見えた。ガキン! という鋭い音がして、レイラの振り下ろした剣をサリアスさんの槍が防ぐ。

 

「くっ……これは!」

 

 サリアスさんが押されている! あの無敵とも思える四天王のサリアスさんが! いつか聞いたサリアスさんの言葉を思い出す。

 

 ───私でどうにもならないのは勇者くらいのものですよ───

 

「止めろレイラッ! サリアスさんッ!」

 

 俺が叫んだちょうどその時、サリアスさんの持っていた槍がレイラの剣で弾かれた。運の悪い事にその槍はぽーんと真っ直ぐ俺に向かって飛んでくる。

 

「うわっ!」

 

 俺は思わず目を閉じて手で前方を覆った。そしてそんな行為が何かの役に立つはずもなく、槍は俺を───

 

 パリィン!

 

 ───貫く事はなかった。刺さる直前、何かが割れるような音がして俺の体が槍を弾き落とした。そして同時に俺の体から何か青いガラスの破片のようなエフェクトが散っていく。

 

「!?」

 

 一瞬自分でも何が起こったのか分からなかったが、そのエフェクトを見てようやく思い出す。これは魔王プロテクションだ。掛けた者の防御力が上がるという魔王の力。しかし、どうやらたった一発防いだだけでその力を使い切ってしまったらしい。

 

「あ……」

 

 派手な音とエフェクトで、戦っていた2人がこちらを向いた。サリアスさんが逃げてくださいと何とか絞り出すように俺に伝える。そして隣にいたレイラと目があった。

 レイラの目はまるで俺を見透かすかのように見ていて、そしてその後すぐに絶望に染まった。

 

「ま……ぞく……?」

 

 俺は悟った。レイラはたった今、勇者固有の力である“真実の目”を使ったに違いない。そして俺が魔族だと知ってしまったのだ。

 今のレイラは勇者に覚醒した直後なせいか話も通じそうに無い。そして頼みの綱のサリアスさんは武器を弾き飛ばされて無力化されてしまった。

 

 俺はここで死ぬのか? レイラに殺されて?

 

 改めて考えたら急に恐怖が湧き起こってくる。どうしてこんな事になっちまったんだ。俺はただ普通にレイラと狩りに出かけただけなのに!

 何かを言わなければと思うが、恐怖のあまりパクパク口が動くばかりで声がうまく出せない。

 

「っ!」

 

 そんな俺を見たレイラは何故か逃げるように急に踵を返して、森の奥何処かへと走り去っていった。

 



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薄い板ガラスの向こう側

 

 携帯が震えているのに気づいて我に返った。10秒か? 20秒? レイラが立ち去ってからそれくらい放心してたかもしれない。慌てて電話に出る。

 

『馬鹿野郎ボーッとしてる場合か! 早くサリアスを何とかしろ!』

 

 そうだ。サリアスさん……そちらを向くと、仰向けに倒れている状態で荒い息をしている彼女が目に映る。なんてことだ、早く治療しないと。駆け寄って自分の鞄からポーションを取り出す。焦って蓋が上手く開けられない。誰だよコルク瓶が良いなんて言った奴は。急いでる時に開けられないんじゃ意味無いじゃないか。

 

「サリアスさん。これを飲んでくれ……」

 

 なんとか蓋を開けて瓶をサリアスさんの口元に持っていく。頭を支えて一本分飲ませてから2本目を開けにかかる。蓋を開けながら傷を確認すると、見える範囲だけでも裂傷が3箇所もある。あの一瞬でサリアスさんをここまで追い詰めるなんてレイラはやっぱり……

 

「ケホッケホッ……はぁ…はぁ…うちの薬は良く効きますね……」

 

「サリアスさん! まだ動かないで! 傷にかけるから」

 

 2本目を斬られた部分にかけていく。これでおそらく出血は止まった。

 

「ありがとうございます……だいぶ良くなりました」

 

 そう気丈に振る舞うサリアスさんだが、どう見たって無理をしている。そこで先程胸ポケットに咄嗟に入れた携帯から魔王様の声が微かに聞こえてくるのに気がついた。しまった。音量を上げるのを忘れてた。

 

『あーあー、聞こえるか? やっと気づいたか! サリアスは無事だな?』

 

「はい、ご心配をおかけしました。私はもう大丈夫です」

 

『……まぁ、万全じゃ無いだろうが今は話を聞いてくれ。アレは間違いなく勇者だ』

 

 アレ。そう、アレだ。まだ頭が追いついていないが、どうやらレイラはただの人間じゃなく、勇者になってしまったらしい。あれは確かにその説得に足るだけのオーラを放っていた。

 

 レイラが勇者である可能性なんて今まで考えてみたことも無かった。しかし、思えばレイラは条件を満たしていた。出自が不明な事や、冒険者をしている事。そして魔界に一番近いメルスクに居た事なんかもそうだ。

 だからってそんなまさか……しかも最悪なことに、同時に俺やサリアスさんが魔族だと知られてしまった。

 

「こうなった以上、悠長にしていられません。俺もすぐに魔界に戻ります。それまで部隊の指揮はガリア師団長に───」

 

『おい』

 

 俺の言葉を遮った魔王様が確認してくる。

 

『もし本当に彼女が俺の元を目指したらどうするんだ』

 

「……」

 

 つまり、魔王様はレイラを殺すかどうかを問うているんだろう。そんなの勿論殺さないに決まってる。絶対にだ。だが、感情で言っていると思われるのだけは避けたい。

 俺の言葉を待つようにサリアスさんがじっと見つめてくる。

 

「……殺しはしません。正気を失っていましたから。この前考えた作戦がありますよね? あれを使います」

 

 勇者が正気に戻るまで時間を稼ぐ、という例のプランだ。これは勇者がどんな相手でも関係なく実行しようと思っていたプランなので、感情が入っているとは思われない筈だ……多分。あの時真面目に作っといた書類が証拠だと言えればいいが。

 

 俺の返事を聞いたサリアスさんは、寂しさと安堵が入り混じったような複雑な表情をしていた。なぜそんな顔をするのか、俺では推し量ることはできない。

 

『……分かった。すぐにワイバーンを手配する』

 

「お願いします魔王様。サリアスさん、立てそう?」

 

「ええ、大丈夫です」

 

 俺はサリアスさんに肩を貸しながら、急いで街の方に戻る。

 帰る道すがら、サリアスさんが思い出したようにぽつりと呟いた。

 

「あのクレイが言っていたレイラさんの隠し事というのはこれの事だったんですね……」

 

 少し落ち着きを取り戻したので考えを巡らせる。たしかにこれがそうだと言われるとしっくりくる。

 

「あの野郎……知ってたのか……」

 

 やはり、クレイの奴は諜報能力がかなりあるらしい。しかしいけすかない男だ。そこまで分かっているならなぜあんな微妙なヒントにもならないような事を言ったんだ? 俺たちがどんな風に対処するのか観察しているとかだろうか? そうだったら腹の立つ話だ。しかし、今はあいつの事を考えている場合では無い。レイラをどうするかが先だ。

 

「レイラが何を望んでいるか分からない。それが分かればある程度予測できるんだけど」

 

 覚醒直後の勇者は自分の欲求のみに従って行動する。あの時レイラがサリアスさんを攻撃したのはきっとサリアスさんに色々言われて鬱憤が溜まっていたからだと思う。

 

「だからレイラが何を考えているかが大事に───」

 

「私、本当は今日知っていて彼女の邪魔をしました」

 

 突然サリアスさんが俺の話を遮った。内容に驚いた俺は隣のサリアスさんの顔を思わず見上げる。

 

「え?」

 

「一緒についていく事を言わなかったのも、お昼ご飯で差を見せつけたのも、彼女の戦い方にケチつけたのも全部全部わざとなんです」

 

 おかしいとは思っていた。完璧超人のサリアスさんが大事な事を伝え忘れるなんてあり得ない。それに自分の言動で相手がどういう気持ちになるか分からないはずが無い。

 サリアスさんは今日わざとレイラを傷つけるような事を言ったのだ。

 

「なん……でそんな事を」

 

「貴方を人間である彼女に奪われたくなかったから」

 

 サリアスさんのはっきりとした物言いに、俺は黙ったままでいることしか出来ない。レイラが俺を好きだと、少なくともサリアスさんはそう言っていた。

 

「これが他の魔族だったとしたら私は少なくとも反対はしなかったでしょう。ところが彼女は人間です。私はどうしてもそれが許せなかった」

 

 隣にいるのに、なぜかサリアスさんがとても遠い存在に感じた。あれほどレイラと仲良さそうにしていたサリアスさんでもダメなのか。種族の差はそれほどまでに厚いものだというのか。

 

 なんとなく。なんとなくこっちの人間界にいる連中ならば、レイラと付き合ってもなんだかんだで認めてくれるんじゃないか。そんな淡い期待があっただけに、現実を突きつけられたようで目の前が真っ暗になる。

 

「レイラが俺を好きだなんてそう決まった訳じゃ───」

 

「いいえ、彼女は貴方のことが好きです。同じ……女だから分かります」

 

「……」

 

「それを知っていて申し上げます。グレゴリー様、以前からお慕いしておりました。私と結婚を前提にお付き合いしていただけませんか?」

 

 酷く事務的な口調での告白に、思わずサリアスさんの目を見る。その冷たい目はレイラを諦めろと雄弁に物語っていた。

 

「……困るよサリアスさん。こんな時にそんなこと言われても。それに俺じゃサリアスさんに釣り合わないって。もっと良い人探しなよ」

 

 レイラを諦められないなんて正直には言えない。今ここで俺が参謀の座を降ろされれば、あっさり勇者討伐の流れになるだろうから。レイラを死なせないようにする最善の手はこれしかない。

 嫌だな、サリアスさんとこんな駆け引きしたくないのに。

 

「……申し訳ありません。ご迷惑でしたね」

 

 恐らくサリアスさんは本気じゃなく、俺の真意を探りたくてこんな事を言いだしたんだと思う。そして聡いサリアスさんなら、俺がレイラを最優先に考えてそう答えた事には気づいたかもしれない。

 しかし、この分じゃサリアスさんはレイラを助ける協力は絶対にしてくれない。いや、サリアスさんだけじゃない。他の連中だって恐らくそうだろう。だから俺が、俺だけでやるしかないんだ。たった1人きりで……

 



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海の魚と川の魚

 

 事の顛末を聞き終えたマゴス君が深いため息をついた。

 

「信じられませんね。まさかあのレイラさんが……」

 

「レイラが急に強くなったようだ、っていうのはあの場を見てた全員の一致した見解だ。だからまぁ信じられないかも知れないけど、レイラはそういう事なんだと思う」

 

 夕方頃、なんとか街に戻ってきた俺は、集められる奴を全員集めて何が起こったのかという詳細を説明した。

 事前にサリアスさんが負傷した事は携帯で連絡していたが、話を聞くのと実際に目にするのとでは大きく違ったらしい。ボロボロのサリアスさんを見てみんな事態の深刻さを理解したようだった。そのサリアスさんはというと、今は自室で安静にしてもらっている。

 

「俺はこの後すぐに魔王城に戻らなきゃいけなくなった。万一に備えてこっちでも警戒は厳重にしてほしい」

 

 マゴス君が不安そうに口を開く。

 

「彼女が正気に戻って帰ってきたなら万事解決でしょうが、もし失ったまま戻ってきたら? ここにいる戦力だけではどうにもならないですよ」

 

 レイラが狂ったまま全てを破壊するべく戻ってきたらそれはもうおしまいだ。サリアスさんはダウンしてるし、バートンはレジア湖なのだ。他は戦闘は得意じゃない連中ばかりだから、戦うなんてもっての外。

 そもそも戦って欲しいとも戦えるとも思ってないけど……

 

「その可能性に備えて、全員街のどこかのホテルに一時的に避難してもらおうと思ってる」

 

 とにかく、この建物に留まり続けるのは危険すぎる。財産はともかく、せめて生命に危険がないようにだけはしなければ。

 

「他の従業員も全部家に返して工場と社宅は空にするし、店も臨時休業にするつもりだからみんなそのつもりで準備してくれ」

 

 みんなが慌ただしく作業を開始したのを見届けた俺は、自分も準備をしようとしたところで、スッと近づいてくるマゴス君に気づいた。

 

「グレゴリー様、ところで彼女が正気に戻るという確証はあるのですか?」

 

「……いや無い。トールっていう前例はあるけど、その一件がレアケースの可能性もあるからなんとも言えない」

 

 正直考えてなかった。いや、正確には正気に戻って欲しいという願望がその思考に至る事を邪魔していた。

 

「でしたらその場合、どのような作戦が───」

 

 マゴス君は俺に、どのような方策が今回の勇者に対して()()か、という事を淡々と語って聞かせてくれた。その中にレイラを正気に戻そうと試みる方法はただの一つも無い。俺はそれをただただ黙って聞いていた。

 

 俺は冷静に振る舞っていたけど、心の底では深い悲しみに包まれていた。ああ、やっぱりレイラを助けようと考える奴はここには居ないんだ。人間はあくまで人間で、魔族とは別。どこかに線が引かれていて、表面上では仲良くしていてもいざとなれば切って捨てる。

 何故だか急に景色が色褪せて見えた。

 

「───もういい。よく分かったよ。参考にさせてもらう。自分の準備を進めてくれ」

 

「はい。ありがとうございます!」

 

 善意で説明してくれたであろうマゴス君が笑顔で去っていく。そんな彼を見てふと嫌な考えが頭を過ぎる。もしかしたら俺の方がおかしいのかもしれない。

 

 転生者である俺はこの世界にとって言わば異物だ。俺の考え方は基本的に前世を元にしている。更に言えばその考え方は先進的で、この世界の考え方が遅れているのだとも思っていた。

 

 魔族と人間がいがみ合っているのはお互いを知らないからで、実際に会って話してしまえば良い関係は築ける。この考えに基づいて行動してきたのは前世の記憶があったからこそだ。

 

 でも、もしもこの世界にとってその考えが最善でないとしたら?

 

 姿形も生態も違う種族がいて、地球よりも差異があるこの世界。そんな世界でみんな一緒に生活するなんてそんな事が本当に可能なのか。

 

 この世界からすれば、人間と魔族が分かれて暮らすことこそがあるべき正しい姿なのかもしれない。見た目は似ていても海水魚と淡水魚が同じ場所で暮らせないように。

 

 そう思ったら急に見知らぬ異国にやって来たかのような気分になって、俺は逃げるようにその場を後にした。

 

 

 ーーー

 

 

「現在勇者に対する、ある重要な作戦が進行中だ。よってその作戦に沿って行動指針を作成した。不可解な点はあるだろうけれど、魔族の未来のためと思って実行してほしい」

 

 魔王城にワイバーンでひとっ飛びで戻ってきた俺は、勇者が魔族領に侵入してきた時に対応する3つの部隊の隊長に“時間稼ぎ作戦”の概要を説明していた。

 

「するってえと……つまり、攻撃するなって事ですかい?」

 

「いや、攻撃はしても良いけど当てるな、という事だよ」

 

「そりゃ参っちまいますなぁ……」

 

 3部隊の中でも一番最初に対応する事になるであろうカーグ隊長が困った顔で頭を掻いた。

 

「牽制攻撃だけってのは難しかないですかい? 下手をすると無視される可能性もある気がしますがね」

 

「うーん。僕もそう思うな」

 

 もう1人の隊長、ミルコ君もその意見に同調する。

 

「その場合はどうすれば良いのかな? 生捕りとかは試さないのかい?」

 

「そりゃ勿論可能であれば生捕りが最善だけど、多分無理だと思うから基本的には時間稼ぎに徹して欲しい」

 

「ま、いずれにせよワシらはお主の意見に従うまでじゃ。それが軍人というものよ」

 

 古株のグラン爺が一応承諾はしてくれたが、疑問に思っているのには間違いなさそうだ。

 

「そんな訓練はしていないのも、無茶な事を言っているのもよく分かってる。それでもこれは必要な事なんだ。どうか頼む」

 

 俺が頭を下げると3人とも慌てた。本当は上官がこういう事をするのは断れなくなるから良くないのは分かっている。しかしこの頼み事自体、私情がほとんどだから申し訳なくて頭を下げずにはいられなかった。

 

「近いうちに来る可能性は高い。だからそれまでに万全の体勢で待機していてくれ」

 

 ふと、この前夜にレイラと並んで歩いて帰った時のことを思い出す。“私の悩み事はあなたには関係の無い事だから”。確かにあいつはそんな事を言っていた。

 

 俺に関係の無い事。もしもレイラが自分のいた世界に帰るつもりだったら、確かに俺には関係が無い。そしてそういうつもりで言っていたのであればレイラは必ずここに来る。

 

 サリアスさんはレイラが俺の事を好きだとか何だとか言っていたけれど、あの夜にレイラと交わした言葉のせいで俺は自信を無くしていた。

 

 それからキリキリと胃が痛くなるような日を数日間送った。その間、どうか頼むから来ないでくれと俺は願い続けた。しかし、その願いをあっさりと打ち破るようにレイラは国境近くの魔族領に姿を現した。レイラが覚醒したあの日から2日後の事だった。

 



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転換点

 

 牽制攻撃ではとても勇者の侵攻を止められない。交戦後すぐに部隊長のカーグから上がってきた報告はそれだった。

 

 魔族領に侵入したレイラは街道に沿って徒歩で首都方面に進んでいた。

 

 それならばと、カーグは街道に近い林で待ち伏せして、まず生捕りが可能かどうかを試した。具体的には麻酔矢を放って気絶させるという方法だ。彼の部隊にはワイルズ率いる工作班がいるのでもしかしたら……と思っていたけど失敗に終わってしまった。

 

 報告によると、レイラに矢が当たる直前に見えない壁に弾き落とされたらしい。人間の魔道士がよく使う魔法障壁のようなものだそうで、下手すると全周を覆っている可能性もあるとか。

 

『勇者があっしに気付いてこっちを睨んだ時は終わったかと思いましたよ』

 

 結果的に攻撃を受けたレイラはひと睨みしただけだった。その後、すぐに無視してまた歩き出したから良かったものの、殺す意思があればあっさり犠牲者が出ていたかもしれない。

 

 はぁ……ただでさえ勇者化して強くなっているのに、魔法まで使えるようになっているなんて気が滅入る話だ。レイラがどんどん知らない何かになっていくようで、本当に正気に戻ってくれるんだろうかという不安で心が揺れる。

 

『あの様子じゃ、ちょっと攻撃したくらいではとても傷つきそうも無いと思いますがね?』

 

 確かに魔道士が使う魔法障壁ならば、半端な攻撃では通らない。飽和攻撃で貫通するくらいの事はしなければならないけど、貫通するということはレイラに不意の大ダメージが入るという事になる。それは絶対ダメだ。

 

「なら、貫通しない程度に障壁に当て続けるという方針でいこう。それなら恐らく無視はされないだろうから」

 

『了解』

 

 第二次攻撃はミルコ隊が請け負った。

 ミルコ隊が取った方法は、レイラが進む方向とは逆の方向から遠距離攻撃を仕掛ける事だった。もしも釣れたら煙幕を張って即離脱。無視されるようだったら、攻撃を続ける。これならある程度安全に戦える。

 

 ミルコ隊の精鋭が矢を射かけた所、予想通り攻撃は無効化された。攻撃を受けて立ち止まったレイラは、表情を変えずに、障壁に当たって弾かれた矢を拾うと全く同じように魔法で撃ち返してきた。

 警戒はしていた為、矢に当たって怪我をする者はいなかったが、危険だと判断して離脱。肝心のレイラは追っては来なかった。

 

『能力が未知数だから長々とは撃ってられないね。確かすごい速さで移動できるんだろう? 今は勇者の反撃の意思が希薄だからこの程度で済んでいるけど、もしやる気になったら……』

 

「そうだよな。やっぱり難しいか……これ以上どうしたもんかな」

 

 第三次攻撃は危険と判断して中止。しばらくは遅滞行動に努めるのみとした。

 俺は状況を説明する為に魔王様の元に向かった。

 

「状況は厳しいです。運の無い事に彼女……今度の勇者は例年よりも力を増しているようです」

 

 今現在も時間稼ぎをしているがほとんど効果は無い。レイラ自身がまだハエを追い払う程度の対応しかしていないから何とかなっているけど、本気でここ魔王様の元を目指そうとすればあっさり突破されるだろう。

 

「いったいどれくらい時間をかければ彼女が正気に戻るか、いや、そもそも本当に正気に戻るかも分からない。ですからもしかすると、止められないかもしれません」

 

 魔王様はそれを聞いてもたいして気にならないようで、ふーんと適当に返事をしてから突然思いもよらない事を言い出した。

 

「なぁお前、彼女の事はどう思ってる」

 

 急に話が変わって少し動揺するが堪える。

 随分と難しい質問だなそれは。こうなってしまった以上、本心をそのまま伝えるわけにもいかない。情ではなく、理性と打算で動いてると思ってもらわなければ。

 

「どうって……もしあの状態で味方になってくれるのなら魔族側にとってプラスになります。トールのような協力者が増える事になるんですから」

 

 俺としては満点の解答だと思ったけど、魔王様は納得しなかった。

 

「本当にそれだけか? どうもお前の今回の一連の動きはそれだけとは思えないんだがな」

 

 背中を冷たいものが駆け抜ける。

 やはり厳しいか。勇者に傷をつけるな、と言うのは流石にやり過ぎたかもしれない。情が入っていると疑うのも仕方が無いか。

 だからあえてわざと少しだけ隙を見せた返事をする。

 

「……勿論大切な仲間だとも思っていますよ。あれだけ長い時間を共にしたのですから無理もない話でしょう。ですが、それだけです。それ以上でもそれ以下でもありません」

 

「いいや、嘘だな」

 

 俺の苦し紛れの返答は、バッサリと斬って捨てられる。全く予想していなかった俺はしどろもどろになった。

 

「なん……で、です? いったい何だってそんな事言うんですか?」

 

 魔王様はジッと俺の目を見つめながら頬杖をついた。

 

「お前……自分では気づいていないのかもしれんが、彼女がいれば必ず彼女の事を目で追っていたぞ。見てたからよーく分かる」

 

「……!」

 

 え!? いや、そんな筈は……まさか無意識のうちに追っていたとでも言うのか。好きな子を目で追っちゃうとか物語の中だけの話だろ? でも確かに魔王様は俺の目を通して見てたわけだから本当かもしれない。何より俺自身が本当にレイラのことを好きなので、完全に否定出来るだけの確証が無い。どうする? シラを切るか? それとも───

 

「彼女を好きだと認めたら───無傷で制圧して捕まえてやるよ。俺様自身の手でな」

 

 俺は混乱した。好きだと認めたら? それでなんでレイラを止めてくれるって言うんだ。

 確かに無力化さえしてしまえば正気に戻るまでいくらでも待つことはできる。しかし、だからって乗っていいのかこの提案に。それとも試されてるのか。俺の参謀としての資質を。

 

「グレゴリー。お前も少しは分かってるんじゃないのか? 俺様の本当の目的を」

 

 魔王様の本当の目的。元々俺は、裏から操って勇者召喚を止める為に人間界に送られた。ところがこの話の流れだと、それは()()()()だと言っていることになる。

 

 いや、俺だって薄々は察していた。魔王様が掲げてきた、人間界とは争わないという目標。これの行き着く先は人間との融和だ。停戦協定を結んで正式に国交を結ぶ。本当のところはそのあたりが目的なんじゃないかと。

 

 だけど本当にそれだけか?

 

 停戦協定を結んで勇者召喚を止めさせるだけなら今の情勢でいけば結構簡単に行くように思う。デリウス王国が頼んでもいないのに軍縮するくらいだ。魔界を脅威とは思っていないことの証左とも言える。

 だからこそ、それだけの為に人間界を操るのはちょっとオーバーすぎるような気がしていたのだ。

 

 何かあるはずだ。本当の目的はもっと別にあると思った方がいい。いや、別と言うよりかはもっとその先を見据えているのかもしれない。そしてそれは人間界を裏から操らないと達成できないような何かだ。

 

「グレゴリー、俺様の真の目的の為に協力してはくれないか? それにはお前が必要なんだ」

 

 俺はその言葉でカチリと全てのパーツがはまるような感じがした。

 

 ああ、そうか。だからこそ魔王様は俺を人間界に送り込んだのか。俺自身が直接行く事に意味があったんだ。

 

 ここが勝負どころだ。俺は腹を括った。

 

「……俺はレイラの事を愛しています。彼女を失いたくありません」

 

 真っ直ぐに魔王様を見て言うと、魔王様は不敵に笑った。

 

「フッフッフ、まぁ分かってたがな。約束通り彼女を傷一つつけずに無力化してやる。全部隊すぐに戦闘を中止して勇者をここに誘導しろ」

 

「え、いやしかし……」

 

 戦ってるみんながどう思うか。ただでさえ元々無茶な命令を出しているのだ。それを朝令暮改で変更するんだから、最悪理由を言わなければ納得しない者も出てくるだろう。

 

「“魔王様が最強格の勇者と直接一対一で闘いたいと言い出した” これならどうだ?」

 

「……ありがとうございます。助かります」

 

 レイラを救ってくれるどころか、戦闘バカを演じて“理由”まで作ってくれた。こんなに理解ある上司も珍しいと思う。こんなの一生ついていくわ。

 

「その……ところで本当の目的というのは何なのですか? 何となく予想はついてますが」

 

「それは無事全部うまくいった時に教えてやる」

 

 その返答で俺は俺の予想がそれほど間違っていない事を確信した。

 



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魔王と勇者の闘い

 

 魔王城の暗い廊下をカツンカツンと靴音が響く。音の主が大広間に入った時、玉座に座っていた魔王様は立ち上がった。

 

「よく来た。勇者よ」

 

 そう言って広間の入り口に立っている人物、レイラに不敵な笑みを見せつけてから名乗りを上げる。

 

「全ての魔族を束ね、この魔界を治める第92代魔王、ギルスとはこの俺様の事よ。よく覚えておけ」

 

 レイラは少しの間、黙ったまま魔王様を睨んでいた。そしてフッと笑うと静かに口を開く。

 

「……ギルスおじさんって貴方だったのね。ねぇ、あいつは今ここには居ないの?」

 

 あいつ、というのが今魔王の広間に続く扉の裏で、隠れて見ている俺の事を指しているのはすぐに分かった。

 バレているはずはないんだけれど少しだけビクッと俺は震えた。

 

「グレゴリーならばここには居ない。俺様とお前だけだ」

 

「そう」

 

 勿論これは嘘だ。俺は魔王様の指示でここにいる。だが魔王様に絶対に勝手に出てくるなと言われてるから、見つからないように息を殺す。

 正直、魔王様がどういう作戦でここにいろと俺に指示したのかは分からない。ただ、俺が居ない事にしておいた方が良いという判断をした魔王様を信じるしかなかった。

 

「途中で攻撃が止んだのは私をここに呼ぶ為?」

 

「貴様には関係無かろう……」

 

 ほとんど正解だけれど答えようとはしない魔王様。ちなみに他の魔族は魔王様が邪魔だと言って全て退避させている。この大きな城にいるのは魔王様と俺とレイラのたった3人だけ。

 

「確かに関係無いわね。どうせ貴方はここで終わりなんだもの」

 

 レイラは自身の剣をスラリと引き抜いた。

 

 クソ、かなり正気に戻ったように見えるけどそんな事は無いのか。レイラの奴、滅茶苦茶戦う気満々だぞ。

 

「ほう? 随分な自信ではないか。この俺様を倒せると本気で思っているのか?」

 

 レイラの言が気に障ったようで、魔王様がドスの効いた声で脅しかける。ところが当のレイラは臆する事なく言い放った。

 

「貴方こそ、私を見くびっているのでは無いかしら」

 

 その瞬間、レイラが光速で駆ける。一瞬で玉座まで到達したレイラは剣を思い切り振り抜いた。しかし、魔王様はその不意打ちとも思える攻撃を危なげなく防ぐ。

 ギャリギャリと剣を交差させながら、魔王様は不敵に笑った。

 

「ふはは! ぬかしおる! では戦って証明してみせよ!」

 

「私はッ! 魔王を倒してッ! 元の世界に戻るッ!」

 

 魔王と勇者の戦いが始まった。

 

 

 ───

 

 

 ハーッハッハ! 楽しくなってきたではないか! やはり戦いはこうでなくては! 

 グレゴリーには悪いが俺様がこの娘と戦いたいのは本音だ。あいつは忘れている。この俺様が本当に戦闘バカであるという事を!

 

 素晴らしい太刀筋。俺様に匹敵する速さ。ああ楽しい! 久しぶりだこのような高揚感は。流石は歴代最強格。このクラスだと四天王程度ではまるで歯が立たん! いいぞいいぞ。もっと打ち込んでこい!

 

 ……しかし何かが足りんな、この娘の剣には。決定的に何かが足りておらん。

 

 いいや、それが何かは分かっている。心だ。技術も力も伴っているがこの娘には心が足りん。本気で俺様を殺そうという意思が無い。

 それ故に分かることもある。つまりこの戦いは娘にとっては本心では無いのだ。

 

 ふふふ、まぁ本心では無いのは知っている。今までずっとあいつの目を通して見てきたのだ。それくらいは俺様でも分かる。

 先程は元の世界などと口走っていたが、本当は元の世界などどうでもいいのだろう。本当に望んでいることはもっと別にあるのだ。

 ……もっとも、あのバカはそれに気付いてないかもしれんが。

 

 ならば俺様が本気を出させてやろう! 否! 本気を出さざるを得なくさせてやろう! 勇者レイラよ、お前の本当の力を見せてもらおうか!

 

 俺様は一度大きく娘を突き放して距離をとった。

 

「グレゴリーの事だがな……」

 

 俺様が奴の話題を出すと、攻撃を続けようとしていた娘はピタリと動きを止めた。

 

「処刑する事にした」

 

 まぁ当然嘘なんだが。

 

「……何故?」

 

 娘が見るからに狼狽えているのが分かる。そして扉の裏に隠れているグレゴリーもそれは同じだろう。なにせ言ってないからな。驚いて飛び出てこなかったのだけは褒めてやろう。

 

「奴はお前を止めることが出来なかった。その責任を取らせる。それだけの事だ」

 

 これでグレゴリーは俺が嘘を言っていると理解できただろう。だが娘の方はどうであろうか? 俺様の元まですんなり来れてしまったからなぁ。本当に処刑されるかもと考えているだろうよ。

 さぁどうする、勇者レイラよ。このままではグレゴリーが処刑されるぞ。

 

「お前を殺す!」

 

 ブワッと勇者の力が増幅するのを感じる。ああゾクゾクする! この感じ。純粋な殺意。今までの勇者でもここまでの怒りを俺様にぶつけた奴は居なかった。それでこそだ勇者よ! もっと怒れ! 己の愛する男のために!

 

 だが甘いな。魔法を混ぜていても剣術には見覚えがある。貴様が習ったのはサリアスか、バートンか。いずれにせよ元を正せば俺様の剣だ。その剣では俺様は倒せぬ。

 本当に殺したい相手が絶対に殺せないと悟った時、貴様はどうする。

 

 ほう。まだ立ち上がるか。どこまで戦う? いつまで戦う? 無駄と知りながらそれでも戦うか。もう動きも鈍ってきて、剣を振るのもやっとだろうに。

 

 だが……いい目をしている。初めの濁った目とは大違いだ。その目に免じてそろそろ許してやろう。俺様も充分楽しんだ。

 

 だから勇者に最後の試練を与えよう。この試練を俺様が予想した通りに乗り越えたなら、この先どんな困難にぶつかったとしても乗り越えられるだろう。

 

 はぁはぁ息を切らして立っているのがやっとの娘に俺様は提案をした。

 

「恐ろしいか? 望みが絶対に叶わぬという現実が」

 

「……」

 

「そんな貴様が唯一取れる方法を提示してやろう」

 

 娘は黙ったまま息を呑んだ。

 

「───ここで自ら死んで見せろ。そうすれば奴を処刑せずに居てやる」

 

 それまで絶望に染まっていた娘の眼が希望に変わった。そしてしばし逡巡し、葛藤した後、ゆっくりと口を開く。そして震えた様子で訊ねてきた。

 

「……それは本当?」

 

「ああ、魔王の名において保証しよう」

 

「なら───信じるわ」

 

 そう呟いて、娘は逆手に持った剣を自らの首に突き刺した。

 

 

 ───

 

 

「やめろレイラッ!!」

 

 気づけば俺は、隠れていた扉をバンッと開け放って叫び声をあげていた。

 

 レイラを見ると、今まさに剣がレイラの喉元に突き刺さろうとしていた。それを瞬間移動した魔王様が寸前で止めているのが目に映る。

 

 ……あぁ良かった。とにかくレイラが無事と分かってホッとする。全く……そういう怖いのは本当にやめて欲しい。お陰で魔王様の言いつけを破って咄嗟に飛び出ちまった。

 

 しかし、本当に訳が分からないのはレイラの方だと思う。というか二重に分からないだろう。今まさに死のうとしていたら、死ねと言われた張本人に止められて、居ないと思っていた俺が出てきたんだから。

 

 なんだか分かっていないレイラに魔王様が大声で告げる。

 

「その心意気やよし! 他人のために躊躇する事なく、自らの命を捧げる事が出来る者はそう居ない! 勇者レイラよ、貴様の愛、しかと理解した!」

 

 あー……そういうね。見てくれこの魔王様の顔を。ほれ、お膳立てはしてやったぞ、みたいにニヤニヤしてやがる。いつからレイラが正気に戻ってるって気づいてたんだよ。

 

 魔王様に背中を押され、カランと剣を取り落としたレイラが、口をパクパクさせながら俺と魔王様を交互に見ている。今の魔王様の言葉で、レイラも自分が担がれてた事には気づいたらしい。

 

「えーと。その、もう正気に戻ってるよな? 大丈夫だよな?」

 

「ええお陰様でね……!」

 

 あ、大丈夫みたいだけど、別の意味で大丈夫じゃない奴だこれは。

 

「処刑っていうのは嘘だったのね!? 二人して騙したわけね!?」

 

 違うんだ。俺も騙されてたんだ。全てはそこの魔王様が一人でやった事なんだ。

 

「えーっと……言い訳をすると俺も騙されていたので……文句はあちらに……」

 

「それで? 言いたい事はそれだけ!?」

 

「はい、いやその、すいません……」

 

 くっそう! すぐそこで声押し殺して笑ってる俺の上司が憎たらしいったらありゃしない! 男ならガッと行け、みたいに煽ってくるし! あーこうなりゃヤケだ!

 

「レイラ! 俺もお前の事好きだ! 信じてくんないかもしんないけど!」

 

「そうね! 信じられないわ。私はね、貴方の為なら死ねるわ!」

 

 つ、強い。実際にさっき証明した分、レイラの想いの方がより強いのは明らかだし。俺は何も証明できるものが無い。

 そんな不利な状況の俺を見て、魔王様が援護してくる。

 

「そいつはな。勇者をどうやって助けようかしか考えてなかったぞ。本来であれば俺様の安全の確保を最優先にしなければならないのにも関わらずだ」

 

 そう言えばグレゴリーが参謀長になってからここまで来れた勇者は初だな。そう付け加える魔王様。冷静に考えたら最高にアホなことしてるな俺。

 それを聞いたレイラは満更でもなさそうな顔をしている。

 

「ふ、ふーん? でもまだ足りないわね。もっと証明してもらわないと」

 

「あっそう。じゃあ証明してやるよ」

 

 俺はレイラの手を引いて抱き寄せると唇を奪った。急な事にびっくりして固まるレイラを強く抱きしめる。やがてレイラもそっと俺の背に手を回した。

 少しの間キスし続けて、やがてゆっくり離れる。

 

「どう? これで少しは信じてくれた?」

 

 魔王様の目の前で勇者に口づけする魔王軍参謀。そんな奴は世界広しと言えど俺だけだろう。

 

「ずるいわ……」

 

「俺はレイラの為なら何だってする。だから……俺と一緒になってほしい」

 

「っ……」

 

 レイラが俺から目を逸らして言葉に詰まる。

 やはりそうか。レイラが悩んで、恐れているのはここだ。あの時俺を見て絶望に染まったのも、暴走してこんなところに来てしまったのも原因は全てこの一点にある。

 

「それは……俺が魔族だから?」

 

 こくんと頷くレイラ。

 

「……きっと誰にも祝福されない。誰にも理解してもらえない。違う種族が付き合ったり、ましてや結婚したりなんかすればこの世界に居場所は無くなる。私はそれがどうしても怖い……」

 

 俺の立場を利用してレイラを魔界に連れてきても肩身の狭い思いをするのは間違い無い。もしかすると、俺もろとも魔界から追い出される可能性もある。

 

 では逆に人間界で生活するのはどうか。俺が魔族である事を隠せば一応は生活出来る。でも、それは常に恐怖に怯えるような生活を送る事になるのだ。いつバレるか。いつ生活を追われるか。そんな生活を一生送るのはレイラも俺も耐えられない。

 

 勿論、今人間界にいる連中の協力があればバレずに生活することだって可能かもしれない。だが……そもそも魔族の側にも理解者はいないのだ。

 

 例え、俺とレイラが付き合って結婚したとして、いったい誰が賛成して協力してくれると言うのか。あの人間界にいた奴らですら、レイラを助けようとはしなかったんだ。

 つまり、誰の協力も得られない状態で二人きりで人間界で生活する事になる。それは……俺の弱さ的にも難しい。

 

「分かるよ。そんなのは無理だ、不可能だっていう気持ちは」

 

 俺は大きく息を吸った。

 

「だけどね。俺はそんな俺達の邪魔をする世界を────」

 

 レイラの手を握って目をじっと見つめる。

 

「───ぶっ壊そうと思ってる」

 

 レイラは俺の言葉の意味が分からなかったようで、ポカンとして聞き返してきた。

 

「それは……どういう意味なの?」

 

 俺はそのレイラの疑問に答えずに魔王様に顔だけ向けた。

 

「その疑問の前に、そろそろ答え合わせといきましょうか魔王様。俺を人間界に送り込んだ本当の目的は何なのかという」

 

 俺の憎たらしい上司は腕を組んでニヤリと笑った。

 



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魔王様の計画

 

 思えば俺が人間界に送り込まれた理由というのは何処かおかしかった。

 

 まず、勇者召喚を止めさせるという一つ目の目的。

 この目的だけであれば、わざわざ俺を直接送り込む必要は無い筈だ。なぜなら別に真っ正面から交渉して止めさせるのも今となっては可能に思えるから。

 

 そして二つ目。魔王様の暇つぶしの為に、俺に魔王シアターを持たせて人間界の様子を観察するというのもちょっと変だ。

 これも別に俺でなければいけない理由は無い筈だからだ。適当に誰か他の奴に持たせておけば良い。

 

 そうなると考える上で重要なのは、どうして俺でなければいけなかったのかという理由だ。わざわざナンバー2である俺を危険を承知で人間界に送り込む目的っていったい何なんだろうか。

 

 ここで俺独自の見解をずらずら並べ立てても良いんだけど、魔王様に聞いて答え合わせをした方が早いと思う。だから俺は魔王様に直球で聞く事にした。

 

「さあ聞かせてください、魔王様の真の目的を。俺の予想ではレイラにも関係ある筈です」

 

「私にも?」

 

「ふん、お前の事だからどうせ気づいているのだろう? だが、そこの勇者が分からんだろうから説明してやろう」

 

 そう言って魔王様は話し始めた。

 

 てっきり説明が始まるのかと思ったら、最初いきなり魔王様は俺の事を褒め始めた。

 俺が来る以前の魔王軍は酷いもので、軍と銘打っているがただの強者の集まりでしかなかった事。

 俺が来てからはあっという間に改善されて、一気に組織らしさを見せ始めた事。

 そして、みんな次に俺が何をするのかとても期待していた事。

 

 それは弱々の悪魔族が魔王軍に入って周囲の尊敬を勝ち取るサクセスストーリーだった。

 

「何よりもグレゴリーは心を掴むのが上手かった。変革を嫌う者は特に長命な種においては多い傾向にある。そんなジジイ連中にも慕われている事を考えればグレゴリーは俺様よりも人望があるかもしれん」

 

 そんなに褒められると照れるからやめて欲しい。これが誉め殺しというやつだろうか。隣のレイラは割と興味津々な様子で聞いてるから別に構わないけどね。俺の話でレイラが喜んでくれるなら嬉しいし。

 いやいや、そうじゃなくて説明はどこに行ったんだよ説明は。

 

「こんな良い変化は誰も経験した事がなかった。それ故に皆グレゴリーという男に何かを期待していたのだ。そして何を隠そうこの俺様もその一人だ。そこで俺様はグレゴリーにある任務を命じた」

 

 俺が人間界に送り込まれた経緯について説明する魔王様。勇者召喚を阻止するのと、魔王シアターで目と耳になるという目的。それは一番最初に俺が聞かされたのと全く同じ内容だった。

 レイラは黙ってそれを聞いていた。聞き終わったレイラが感慨深そうに呟く。

 

「あの板……そういう為の物だったのね? そういえばサリアスさんも持ってたわね」

 

 そしてレイラは自分が覚醒した時の事を思い出したようで、心配そうに聞いてきた。

 

「その、私が聞くのもなんだけど、サリアスさんって大丈夫よね? 私、あの時はどうかしてたわ」

 

「大丈夫だよ。あの後すぐ回復薬使ったからそんなに後には引かないと思う」

 

 実際には医者に診てもらわなければ分からないが、すぐに治療をしたのもあって再起不能というのはあり得ない。

 俺とレイラはゴホンと咳払いした魔王様に再度耳を傾けた。

 

「続けていいか? そのグレゴリーの任務だがな。本当の目的は別にあったのだ。その勇者召喚阻止と暇つぶしの件はあくまで建前としての理由、方便にすぎなかった。いや、暇つぶしはちょっとは本音だが……」

 

 ああ、むしろそっちは本音が混じってたんだ。まぁそうだよね。本当に暇そうだったし。

 

「そしてその真の計画は順調に……いや順調とは言えないか。まさかグレゴリーが惚れた女が勇者とは思わなかったからな。そこだけはちょっと想定外だ」

 

「ですが、俺がレイラに惚れた事は目的の範囲内だったって訳ですよね?」

 

「まぁそこの娘で無くとも人間ならば誰でもよかったがな。少なくとも仲の良い人間の友人くらいは出来たらいいと思っていたのだ」

 

 そして俺は魔王様の目論見通り、人間と()()()()()()。魔王様の目的の第一段階は俺の中から人間に対する悪感情を取り除く事。そしてそれは達成された。

 

 まぁ元々人間だった俺にそんな感情は特に無いんだけど魔王様はそれを知らないから仕方が無い。

 

 とはいえ俺も魔界で暮らしている時は人間なんてどうでもいっかと思っていた節があった。だから少なからず俺が人間界に行く意味はあったように思う。

 

「そしてグレゴリーが “彼女を好きで堪らないからどうか助けてくれ” と俺様に懇願してきたとき、次のステージに移行しようと決めたのだ」

 

 魔王様の言葉を聞いていたレイラがビックリして俺を見た。

 

「ばっ!? ちょっとあんた、本当にそんなこと言ったの!?」

 

「いや、そんな言い方はしてないけどね……」

 

 俺の言い訳じみた発言を聞いた魔王様がニヤリと笑った。

 

「ほーん? そうたったかぁ? どうも忘れてしまったなぁ。正確にはどうだったか。もっと堂々としていたような気がするがなぁ。勇者レイラよ、聞きたくは無いか?」

 

「……私にはね。聞く権利があると思うの。正直に言いなさい。なんて言ったの?」

 

 ぐぬぬ。なんだよ息ぴったりかよ。勇者と魔王が結託して俺の事をからかってくるんだが。

 

「はぁ……何だったけなぁ。レイラを愛しています、失いたくありません。とかだったかな……ねぇちょっとそこの勇者さん? 自分で聞いといて赤くならないで貰えます?」

 

 見ればレイラは真っ赤に茹で上がっていた。そんな恥ずかしいなら聞くなっての。俺だって恥ずかしいんだから。

 

「ククク、いかんな。つい面白くてからかってしまった。話を戻そう。そしてその次のステージこそが俺の真の目的なのだ。グレゴリー、お前はもう気づいているな?」

 

「魔界と人間界の境界線をぶっ壊す、でしょう?」

 

「まぁ間違いでは無いがな」

 

 そこで魔王様は真面目な顔になった。

 

「俺様はな。人間と魔族が共存できる世界を作りたいのだ。そしてそれが出来るのはグレゴリー、お前しかいないと思っている」

 

 やっぱりか。俺の予想は当たっていた。

 

 なるほどそれは国家と国家の対話だけではどうあっても成し遂げられない。何故ならそれは国境を取り除く事に他ならないから。つまりそれは一緒の国になりましょうと言っているに等しい。そんなのは両国のトップが強く望んでいないと不可能だ。

 そして現状、人間界のトップはそれを全く望んでいない。

 

「だからこそ人間界を裏から操る、なんて事を言い出したんですね。そうすれば無理矢理、形だけでも達成可能になる」

 

 トップさえ抑えればどうとでもなる。魔王様はそう考えたわけだ。勿論それで本当に上手くいくかどうかは分からないけれど、少なくとも前進はする。

 

「そうだ。そしてこの計画に協力をしてくれる者も本心からそれを望んでいなければ達成不可能だと俺様は考えたのだ」

 

 だからこそ俺自身が直接人間界に送り込まれた。そして俺が人間とどういう関係を築いているか魔王シアターで監視し続けたのだ。

 勿論暇つぶしもあったんだろうけど。

 

「そしてお前は俺の目論見通り、いや目論見以上に人間に心を開いた。今のお前ならば、彼女の為に人間と魔族が共存する世界を作りたいと思えるだろう?」

 

「なるほど……結局俺は魔王様の掌の上だったわけですか」

 

 つまり、最初から良い感じに踊らされていたらしい。でもレイラと出会えたんだから悔しいとかはあまり感じない。むしろ良かったとさえ思う。

 

「このような事、他の誰にも相談する事は出来なかった。仮にも魔族を束ねる魔王がそんな事を言い出してみろ。気が狂ったと思われる」

 

 だから俺様と貴様達は共犯だ。そんな風に魔王様は笑った。

 

「できない……できっこ無いわ、そんな事」

 

 突然、それまで黙っていたレイラが悲痛な声で絞り出した。それに魔王様がピクリと反応する。

 

「……何故だ勇者レイラよ? グレゴリーでは力不足か? この男ならやってくれると───」

 

「違う! 違うわ! 確かにグレゴリーならきっとそんな世界を一時的には作れると思う。でもきっとすぐにバラバラになる! 続きっこ無い!」

 

 そう叫んで目を閉じたレイラは自分の故郷、元いた世界の話を静かに始めた。

 

「……私の故郷はね、西と東の大きな国に挟まれた小国だったの」

 

 話によると、レイラの世界の西と東の大国は、しょっちゅう諍いを起こしていたらしい。そしてある時、二つの大国はとうとう戦争を始めてしまったのだという。

 ここまではどこにでもあるよくある話だ。

 

 しかし困ったのはレイラの故郷の小国だ。どちらかに付かなければ生き残れない。国内は真っ二つに割れた。

 

「私達家族は東寄りに住んでいたけれど、西側の国に付くべきだって主張してた。でも周りのみんなは東に付くべきだって」

 

 国の東側には東を支持する人達が多かったし、西側には西を支持する人が多かった。しかし、レイラ達一家は周囲とは逆の主張をした。それが正しいと信じてしてしまった。

 そしてレイラ達一家は次第に孤立していった。

 

「きっと目障りだったんでしょうね。私達一家はそれまで仲良くしてたはずの隣近所の人達に難癖をつけられて家を追い出された」

 

 そうしてレイラ達家族は家も財産も慣れ親しんだ故郷さえも追われ、国の西側に逃げていった。

 しかしそこで悲劇は終わらなかった。

 

「今度は西側の人達がね。私たちの事スパイだって言うのよ。おかしいわよね。私達は西側の国を支持したから家を追われたのに、いざ西に行けばスパイ扱いされるんだもの」

 

 もはやレイラ達にはどこにも居場所がなかった。失望したレイラ達は逃げるように祖国を後にした。

 

「それまで優しかったご近所さん達がある日突然、みんな敵になっちゃったのよ? 知り合いや友人だと思っていたはずの人達がみんな」

 

 その急変ぶりは恐怖でしかなかったと言う。

 

「同じ国家、同じ人種、同じ言語を話す、それまで仲が良かったご近所さん。そんな人達ですら、考え方が違うだけで、ほんの僅かな時間で敵になってしまった。だから───」

 

 俺も魔王様も何も言えなかった。

 

 でも俺もほんの少しだけ最近似たような事があったから共感はできる。

 

 サリアスさんやマゴス君とのやり取りが思い出される。みんなと同じ場所に立っていると思っていたら、自分だけが全然別の場所にいた、みたいなあの底知れぬ恐怖感。

 

 勿論レイラほど辛い体験では無いけど、俺なりにずっと考えていた事がある。だから差し出がましいとは思ったけど、少しだけ意見させて貰う。

 

「……きっとレイラもそのご近所さん達もどっちも自分が正しいと思ってたんだと思う」

 

 サリアスさんやマゴス君はきっと自分が正しいと思っているだろし、俺もまた同じようにそう思っている。

 

「そして……それはきっとどちらも正しいんだと思う。無責任な話だとは思うけどさ」

 

 どちらの言い分にも理があって、そしてどちらも完全には正しくない。世の中は矛盾に満ちている。

 

「だけど、それをどこかで受け入れなきゃいけないんだと思うんだ。みんな違う考えがあって当たり前だから」

 

 サリアスさんの考えも、俺の考えも。みんな違うのは当たり前。完全に一致させることなんて不可能なのだから、きっとどこかで受け入れなければならない。

 

「これは妥協、なんて言葉で表せるほど単純な問題じゃない。でも、じっくり話し合ってみんなでそうだねって歩み寄れるような世界に俺はしたいよ」

 

 なんだか気づけば青臭い理想論を語ってしまっていた。でもこれは俺なりに出した結論であって、俺の正しさでしかない。だからレイラには届かないかもしれない。

 

 レイラは少しだけ黙ったまま俺を見ていた。そしてぽつりと呟く。

 

「みんな貴方みたいな考えだったらいいのにね……」

 

 レイラはふぅと大きく息を吐いた。そして俺をまっすぐ見据える。

 

「私も、見てみたくなったわ。あなたの作る世界を。でもね───やっぱり難しいと思う」

 

 レイラは険しい表情でそう言った。そりゃそうだよな。当たり前だ。そんなの分かってる。

 

「けれど、それは私の正しさで、貴方の正しさじゃない。だからグレゴリー、証明して見せて。私の言った事が間違ってるって事を」

 

 ああ、良かった。それでも少しは届いたみたいだ。

 

「やってやるよ」

 

 正直自信は無い。それでも自分を奮い立たせる。

 

「俺がこの手で新しい世界を作ってやる」

 

 俺が堂々と周囲にレイラを好きだと言えるようなそんな世界を。

 



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積もる話

なんか説明ばっかしてる。


 

 俺は今までの話とこれからの話をしようと思って、魔王城にある俺の部屋にレイラを連れてきていた。

 

「一体いつ正気に戻ったんだよ」

 

 長らく見ていなかった自分の部屋のソファに座って、ポンポンと隣を勧める。レイラはポフっと音を立てて隣に座るとサラッと答えた。

 

「さっきよ」

 

「え? 本当に?」

 

「あの魔王様があなたを処刑するって言った時かしらね?」

 

 それはちょっと驚きだ。じゃあ魔王様は初めからレイラが正気に戻ってるとは知らなかったのか? もし戻らなかったらどうするつもりだったんだろう。というか何で分かったんだ?

 

「まず正気に戻ったって言ってるけど何をもって私がおかしいって言ってるの?」

 

「そりゃお前サリアスさんを……」

 

 あのサリアスさんを斬りつけた時みたいに自分の欲望にだけ従っている状態が狂った状態だろと説明すると、レイラはちょっと困ったように言い出した。

 

「つまり、欲望に忠実な状態って事?」

 

「そうなるね」

 

「実は今もちょっとそういうところあるって言ったらどうする? 流石にあの時よりは収まってるけど」

 

 俺はちょっと眉を顰めた。実はまだ危険な状態だったりするんだろうか。

 

「それって本当に大丈夫なの?」

 

「たぶんね。貴方が私の事好きって分かったら落ち着いたから」

 

 全く不思議な話だ。勇者化の影響が正確に分からない以上、しばらくは様子を見た方がいいのかもしれない。とはいえトールの例もあるしそんなに心配はしてないけど。

 

「怖い? 私の事」

 

 少し不安そうに訊ねてくるレイラ。その表情からは、俺に嫌われたく無いという思いがよく現れていた。俺はそんなレイラの不安を取り除くように伝える。

 

「怖いわけないじゃん。もしそうだったらこんなとこに連れて来て二人っきりにならないよ」

 

 よく考えたら部屋に二人だけなの結構やばいな。主に俺の理性の問題で。だってレイラ、こんなに可愛いんだもん。しかもその可愛いレイラと俺は両思いと来た。手を出さない方がおかしいよね?

 

 でもアレか。ガッついちゃうと嫌われるって言うしな。そういうイヤらしい事はしっかりお付き合いした上で時間をかけてやりなさいって誰かが言ってた気がする。

 

 あー、でも今なら押し倒してもレイラは抵抗しないような気がするんだよなー。でも本気で拒否されたら力で負けてるから普通にぶっ飛ばされそうだな。こんな時に何考えてんのよっ! ってな具合で。うん、それは心折れそうだからやめとこう。

 

 あ、いや、でもちょっとギュッてするくらいなら許されるんじゃないかな? それくらいはお互いの事を好きな男女ならアリなんじゃないかな? さっき魔王様の前で勢いでキスしちゃったくらいだし!

 

「ちょっと……なんか目が怖いわよ。どうしたの?」

 

 いかん。めちゃくちゃアホな事考えてたらレイラに怪しまれた。

 

「……今ね。もの凄く考えた結果、レイラを抱きしめる事にしました」

 

「はぁっ!? 何よ急に!? というかわざわざ言う必要ある!?」

 

「いやほら、いきなり抱きつくとびっくりするかなって」

 

 俺は言いながらレイラににじり寄った。レイラは困惑した様子を見せながら、おずおずと腕を広げる。

 

「……これでいいかしら?」

 

「オッケー。では失礼して」

 

 レイラをそっと抱き寄せる。女の子をちゃんと抱きしめるのはこれが人生で初めてだ。

 温かい。人間っていうのはこんなに温かいのか。しかもなんか柔らかいし良い匂いもする。こうしてると心が洗われていくような気持ちになるな。正直ずっとこうしていたいくらい。

 

「温かいわね。あなた」

 

「レイラこそ」

 

 俺とレイラはしばらく抱き合っていた。ただ、ずっとこうしてるわけにもいかないので、どちらからともなくスッと離れる。

 もうそろそろ止めとかないと、俺の我慢が限界に来てそのままベッドに押し倒しそうだからね。という訳で今から真面目な話に戻ろうと思います。

 

「えー、ゴホン。俺のわがままを聞いてくれてありがとう。あとちょっとだけ確認しときたい事があるんだけど……クレイの事で」

 

「クレイの事?」

 

 良い雰囲気だったのが180度変わって少しばかり残念そうなレイラに、クレイから聞いた話を伝える。

 

「実はこの前あいつの方からこっちに接触してきたんだ。それでその時あいつは“レイラが隠し事をしてる”って言ってた」

 

「あのクレイと会ったんだ。だから貴方は私に“何か隠し事してないか”なんて言ってきたのね?」

 

「そうだよ。あいつが言わなきゃ全く気づかなかったよ。ただ直接会ってはいないんだよね。声だけで」

 

 俺はあの工場近くの廃屋でのクレイとのやり取りをレイラに説明した。

 

「勿論ただそれだけをクレイが言ってきたのなら下らない戯言だと思って流したと思う。あんな奴を信じる理由は無いからな」

 

「でも……そういうわけにはいかない理由があったのね? クレイの言葉を信じざるを得ない何かが」

 

 レイラは頭の回転が早いから助かるな。

 

「そうなんだよ。なぁ、レイラ。俺とお前が初めて出会った洞窟の事覚えてるか? あの果ての集落の村人と一緒に捕まってた」

 

「……忘れるわけないわ」

 

 レイラが少し昔を懐かしむように遠くを見る。別にそんなに昔のことではない。せいぜい一年くらい前の事だけど、確かに人間界に行ってからは色々あったから懐かしく思える。

 

「あの洞窟にレイラを呼び寄せたのはクレイが手を回したからだと自分で言ってたんだ」

 

 実際にクレイが用意した賊に捕まって、洞窟に閉じ込められていたから信憑性があったのだと伝える。

 

 あの当時、俺とまだ出会う前からクレイはレイラに目をつけていたという事実に、ビクッとレイラは肩を震わせた。そしてあの当時を思い出すように考え込み始めた。

 

「確かあの時は……あまり良い依頼が無くて、それで受付のシナリーさんに勧められたのよ。あの洞窟の近辺での討伐依頼だったわ。それも長い期間かけて、数を揃えて最後にまとめて報告するタイプの」

 

 しばらく報告が要らない依頼だから連絡が無くても分からない。クレイはどうやってかは分からないが、それ以外の依頼を消し去って、レイラがそれを受けるように仕向けた。

 

「じゃあやっぱりあいつが手を回したのは間違いなさそうだな。そうなると次は何でなのかって事だ」

 

「それが私の隠し事……勇者だって事に繋がるのね?」

 

「ああ。多分あいつはレイラが勇者だということを最初から知ってた。そしてその事実を知った上で捕まえて監禁したんだと思う」

 

「いずれ勇者になる私を……どうしたかったのかしら?」

 

「そこが分からないんだよ。ただ、碌でも無い事だってのは想像がつく。無理やり言うことを聞かせるとか?」

 

 それでどうするのかは分からないけど、もしそんな事になってたらと想像すらしたくない。そしてそれはレイラも同じようで、ブルっと身震いさせた。

 

「たまに想像するの。もし貴方があの時来てくれなかったらどうなっただろうって事を。きっと碌でもない事になってたと思うわ」

 

「奴の事だからそうだろうな……実はな、今度そのクレイと会う事になってる」

 

 俺はクレイに協力をするフリをして、奴の正体と目的を暴こうとしていることを伝えた。そしてクレイに頼まれた物の期日が迫っている事も。

 

「私の知らない間に凄い事になってるのね?」

 

 その少し非難するようなレイラの目はもっと早く教えて欲しかったと訴えているようだった。俺は言い訳するように答える。

 

「本当は近いうちに……というかあの誕生日に言うつもりだったんだよ。こんな事にならなくてもな。それまでずっと言えなかったんだよ……嫌われると思ったから」

 

 俺の言葉にレイラは少しだけ考える素振りを見せて目を閉じると溜息をついた。

 

「そう言われたら……私も同じだから責められないわね。これが惚れた弱みってやつなのかしら?」

 

 レイラは自分が勇者であることも同じように伏せていたのだからお互い様かと納得してくれた。

 

「その、今まで黙っててごめん。もっと早く言ってればこんな事にはならなかったと思う」

 

「そうね、もし貴方達が魔族だって教えてくれてたら、きっと私も勇者である事を相談したと思うわ。でも、それは逆も同じよね……」

 

「そう……だな。もしもレイラが勇者だって話してくれたら、俺も全部打ち明けて何とか味方になってもらおうとしたと思う」

 

「でも、今だから言えるけど私はこれで良かったと思ってるわ」

 

「そうだな。魔王様には感謝しないといけないな」

 

 お互いの手を絡ませて見つめ合う。好きな相手と触れ合うと、こんなにも安心するのかと感動すら覚える。

 しかし、これでようやく胸のつっかえが取れた。

 

「はぁ、でもこれでやっと不安から解放された気がするよ。レイラに嫌われたらどうしようって事ばっかり考えてたからさ。最近は」

 

 俺がすっきりした顔でそう言ったが、レイラは逆に少しだけ躊躇うような表情を見せた。

 

「ねぇ……私はまだ不安に思ってることがひとつあるんだけど。貴方のことで」

 

「まぁ……そうだろうね」

 

 来た。俺が魔族だと分かった時にはいずれ必ず言われるだろうと思っていた言葉だ。

 

「見たい? 俺の本当の姿を」

 

 俺は、今も人間の姿になったままレイラと話をしていた。好きな相手なら尚更全てを見たいと思うだろう。

 

「見せてほしいわ。絶対に、嫌いにならないって約束するから」

 

 少しばかり動悸が早くなる。元人間の俺からしても魔族の姿はそんなに醜悪な見た目じゃないから大丈夫だと思うけど、レイラが同じように大丈夫とは限らない。

 

「分かった。用意するからちょっと向こう見てて」

 

 レイラがクルッと壁側に向き直ったのを確認して、俺はクローゼットにあった魔界で着ている魔族用の服を取り出した。

 そして人間用の服を脱いで変身の秘術を解く。少し浅黒い肌に小さな角、それに少し長めの尻尾。悪魔族の特徴だ。着替えてレイラに声を掛ける。

 

「もうこっち見ていいよ。ただ、驚かないでくれよ」

 

 レイラがゆっくり振り返る。俺の本当の姿を見たレイラは特に表情を変えてはいない。良かった。あまり驚いてはいないようだ。

 

「……ちょっと肌の色が違うくらいで今までとあんまり変わらないのね」

 

「悪魔族だからね。他の種族にはもうちょっと違うのもいるよ。忌避感とかある?」

 

「別に。そこまで見た目は変わらないから無いわ。むしろこのままの方が日焼けしてるみたいでいいくらいよ。貴方、あんまり外に出ないから白いんだもの」

 

 そりゃ手厳しい。でも良かった。これで受け入れられなかったら多分相当凹んでたと思う。

 

「触ってみてもいい? 角とか尻尾とか……」

 

「どうぞ?」

 

 レイラは近づいて俺の頭の角やら尻尾やらをすさすさと撫でてくる。俺は生まれた時からずっと付いてるんで珍しさなんて初めのうちだけだったけど、レイラからすれば初めてのことだ。角や尻尾の肌触りに興味津々だった。

 

「あの……そんな撫でても面白いもんじゃないと思うんだけど」

 

「そうなんだけど……なんか不思議だなあって。いつもは無いのに」

 

「そりゃ、変身の秘術ってのはそういうもんだからな」

 

 俺の尻尾を撫でながらレイラはぽつりと呟く。

 

「でも、たったこれだけなのにね……」

 

 その声はとても寂しげに部屋の天井に吸い込まれる。どうしてこの程度のことで。レイラの言葉にはそんな思いが込められていた。俺は何も言わずに黙ったままレイラの手を握った。

 



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間話 ただイチャイチャするだけ

ちょいエロ注意


 

 これは俺がレイラと一緒に人間界に帰ってきてからしばらく経った頃のお話である。

 

 レイラが勇者だと判明してからも、人間界に来ている魔族のみんなの態度はそれほど大きくは変わらなかった。少なくとも表面上は。

 

 これは俺と魔王様がレイラが味方になった事を、人間界に来ている魔族の連中に伝えたのも大きかったと思うし、レイラ自身が黙っていた事を一人一人謝って回ったのも大きかったと思う。

 

 ただ、俺とレイラが付き合いだした事は流石に誰にも言っていない。というか言えなかった。

 

 言えば、どうしてという疑問を持つ奴が出てくるだろうと思ったからだ。それにサリアスさんみたいな人間嫌いが拒否反応を示す可能性だってあった。

 それに別にわざわざ喧伝するような事でも無いのだ。

 

 だから外、というかみんながいる前ではレイラは普段通りそっけない感じで俺に接していた。

 

 その代わり、というよりかは反動なのか、俺と2人きりの時だけはレイラは結構デレるようになった。

 とは言ってもレイラ自身、恥ずかしいみたいで、自分から先に甘えてくる事はまずもって無い。

 

 そんなレイラがどういう感じでデレるのかというと、それはだいたい、1号店の2階にレイラがやってくるところから始まる。

 

「暇だったから来たわ」

 

「おう、いらっしゃい。もうちょっとだけ待ってな? これだけ書いちゃうから」

 

「分かったわ」

 

 レイラは、いつも俺の仕事がひと段落つくまで、部屋の隅にあるちょっと大きい1人用のソファに座って本を読み始める。

 そこが彼女の定位置だ。ここに来た時にはレイラは必ずそこに座る。

 

 部屋の中を俺のペンの音だけが支配する。その間、俺もレイラも別に何ともないですよ、という顔をして自分の作業に没頭する。

 けれどもそれはやっている振りだ。レイラは本に隠れてチラチラ俺の様子を窺っているし、俺もレイラが気になってしょうがない。なのでお互い全然集中は出来ていないのだ。

 

「終わったよ」

 

「そう」

 

 俺はペンを置いて立ち上がる。勿論魔王シアターをポケットから出して机に置くのも忘れない。ここからは俺とレイラだけの時間だ。

 

 俺が作業を終えても、レイラは決して喜んだような態度は見せない。そうなると、俺一人が馬鹿みたいにはしゃぐのもなんかちょっと悔しいので負けじと普通を装う。

 でもレイラがこれから起こる事に期待しているのは、あの狭いソファの右半分を空けていることからも明らかなのだ。

 

「何読んでんの?」

 

 聞きながら空けてあるソファの右側に座る。明らかに狭い。

 もしもレイラが真剣に本を読んでいたとしたら、ちょっと狭いからやめてよ、なーんて言ってくるところだろう。けれどそういうことは絶対に言わない。そして澄ました顔で質問に答えてくれる。

 

「剣術の本。どんな敵にどんな技が有効かとか指南書みたいなやつよ」

 

「へー、そうなんだ」

 

 まぁ聞いといてなんだが、本当は内容なんてどうでもいいのだ。多分レイラだって頭には入っていないだろうし。

 

「あ、今日も着けて来てくれたんだ」

 

 レイラの胸元にネックレスが光っているのが目に留まる。あの日、渡す事が出来なかったレイラへの誕生日プレゼント。それを先日、改めて渡したのだ。

 

 普段レイラはそれを外で着ける事は無いが、俺の所に来る時だけは()()()着けてきてくれる。その事実がまたたまらなく愛おしい。

 レイラの胸元のネックレスに触れようと、俺はゆっくり手を伸ばす。

 

「んっ……」

 

 胸に触れたところで、レイラがちょっとエロい声を漏らす。正直今すぐ抱きつきたいけどここは我慢だ。もうちょっと耐えればレイラのもっと可愛いところが見られるはずだから。

 

「レイラ……凄いドキドキしてない?」

 

 触れた部分から早鐘のような鼓動が伝わってくる。あれー? 運動したわけでもないのに何でだろうねー? みたいな感じで無知を装って指摘する。すると、レイラは真っ赤になってそっぽを向いてしまう。

 ここまで来ればあともう一押しだ。

 

「今日も可愛いよレイラ」

 

 耳元で囁くとキュー、と音が聞こえてきそうなほど顔が真っ赤になる。そんなレイラを充分堪能したところで、横を向いた状態の可愛い彼女に魔法の言葉を囁く。

 

「いつもの、しよっか?」

 

 すると、レイラは持っていた本をすぐ側のテーブルに置いて、するすると体勢を変える。そして俺の膝に対面で跨がるのだ。その間、相変わらず顔は見せてはくれない。

 だが、これでいつものポジション取りは完了した。やがてレイラが俺の胸に倒れ込んでくる。ふわっと良い匂いが漂ってきて、全身で柔らかさと温かさを感じる。

 やがてレイラはもじもじしながらポツリと呟く。

 

「きょ、今日は時間あるから……」

 

 つまり、たくさん出来ると言いたい訳だ。

 こんなに可愛いところを見せられるとむくむくと嗜虐心が高まってきて、へー、時間一杯したいんだ? なんて言ってついイジめたくなってしまう。でも、あんまりやり過ぎると拗ねちゃうから今日はやらない。

 

「そうだね。いっぱい出来るね。レイラ、こっち向いて?」

 

 言いながらレイラの腰に手を回す。レイラも顔をこちらに向けながら俺の首のあたりに腕を回してくる。彼女の瞳は潤んでいてこれから始まる事を期待しているのが丸わかりだ。

 

 やがて目を閉じた俺達はどちらからともなく唇を重ねる。レイラはギュッと抱きついてくるし、俺も同じくらい強く抱きしめる。まるでお互い触れ合う面積を少しでも増やそうとしているかのように。

 

 そうしてレイラの温もりを感じながら今度は舌に意識を集中させる。時には追いかけたり、時にはクルクルと周りを這わせてみたり、押したり押されたり。

 最初こそすぐに息が切れたていたが、鼻で息をする事を覚えたお陰で、長い時は一回で10分以上続くようになった。

 

 飽きないのかって? これが困った事に全然飽きない。俺達はこのちょっとイケナイ行為に明らかにハマってしまっていた。

 

 しかし、ここまでしているのにどうしてかセックスをしようという事にはならなかった。

 ちゃんと話し合ったわけではないから分からないけど、結婚してもないのに子供が出来たらまずいよね、というのが理由の一つだろうと思う。

 更に言えば、今の環境が生まれてくる子供のためにならないから敬遠しているというのも多分ある。

 

 記録によると過去に数例だが魔族と人間のハーフが存在していた事もあったようだ。だから子供が作れるらしいという事は分かっている。

 だけど、どの事例も幸せとは言えない一生を送ったようだった。

 

 俺もレイラも、自分の子供にそんな一生を送ってほしくないと考えるのは当然だった。

 まぁ現状結婚する事すら許されないからそれをなんとかするのが先ではあるけれど。

 

 あともう一つの理由として、肉欲を否定することで、俺とレイラの関係が純粋な愛である事を強く証明できるような気がしたから、というのもあるかもしれない。

 

 そういうような事も重なって、俺はまだDTです。そんな事がどうでもいいやと思えるくらい幸せなので、全然平気ではあるんだけど。

 

 窓から斜めに差し込んだ橙色の夕陽が部屋の奥を淡く照らす。幸せな時間というのはあっという間に過ぎ去ってしまうものだ。

 そっと唇を離すと、唾がツーっと二人の間に橋を作る。

 

「今日はもう終わろっか」

 

「うん……」

 

 とても名残惜しそうにゆっくりと立ち上がって、俺から離れていくレイラ。

 この部屋でしか俺とレイラが愛し合えない事を考えると、これでも足りないくらいだ。本当はもっと外でデートとかしたいけれど、互いの種族の違いがそれを許さない。

 

「レイラ」

 

 だからというわけでは無いけど、部屋を出て行こうとするレイラを後ろからそっと抱きしめる。ごめんね、という意味を込めながら。

 そしてレイラもそれが分かっているのか、いいのよと呟いて、俺の腕に手を重ねて体重を預けてくる。

 

「もう行くわね」

 

 離れるときにどうしても不安になってしまう。次に出来るのはいつなのか。いつまでこんな風に隠れて付き合わなければならないのか。本当にこんな世界を変える事が出来るのか。

 

「ああ、また」

 

 早く、人間と魔族が共存できる世界を作らなければ。俺はそう心に誓った。

 




勢いで書いた。


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8章 新世界
帰還後のサリアスさん


 

 俺とレイラがメルスクの街に戻ってきた日。突然サリアスさんがこれからは人間界では無く、魔界の方で仕事をしたい、なんて言い出した。

 

 レイラが覚醒したあの日から、サリアスさんとは何となくギクシャクした関係にあったから、そんな事を言い出した理由も一応見当は付いていた。

 

 きっと勘のいいサリアスさんは、俺とレイラがお互い想いあっている事には気付いてしまっている。

 

 ところが、あのレイラが覚醒した日のサリアスさんの口ぶりから考えて、人間とは仲良くするべきでは無いとサリアスさんは思っている筈だ。

 だから、真逆の考えを持っている俺が内心許せないのかもしれない。

 

 それでもサリアスさんは俺を正面から糾弾する事はしなかった。魔界に帰るなんて言い出したのは、逆に自分の方から身を引こうとしたからなんじゃないかと思う。

 

 俺としては自分の考えをサリアスさんに押し付けるつもりなんて無い。ましてやそれを理由に疎遠になるなんて、馬鹿げた話だとも思ってる。

 だから、その事を伝えるために、そして説得する為に一度腹を割って話し合う事に決めた。

 

 次の日、俺は1号店にサリアスさんを呼び出した。

 執務室の椅子に座った俺は、とても気まずい空気を感じながら、黙ってサリアスさんを見ていた。

 同様に、俺に呼び出されたサリアスさんも、長椅子に腰掛けてどこかそわそわと所在なさげである。

 

「理由を聞かせてもらえるかな」

 

 優しく言うつもりだったのに、どうにも詰問するような感じになってしまう。

 サリアスさんはやはりどこか気まずいようで、おずおずといった様子で理由を述べ始めた。

 

「昨日お話しした通りです。家の問題で何度か顔を出さなければならなくなってしまいました。急で申し訳ありませんが───」

 

 俺はそんなサリアスさんの言い訳を手で制して途中で遮った。

 

「ああ、その事についてだけど……実は確認させて貰ったよ」

 

 その言葉にハッとするサリアスさん。そして下を向いて目を逸らす。

 

「お父様であるグラスさんに直接確認したけどそんな問題は存在しないってさ」

 

 あの厳格な武家の当主であるグラスさんが、魔王軍の仕事を放り出して家に戻ってこいなんていう命令をサリアスさんに下す筈がない。

 だから、家の問題どうこうというのはサリアスさんのでまかせだ。

 

「勿論サリアスさんがお父様に責められるような聞き方はしてないからそこは安心して欲しい」

 

「そう……ですか。ありがとうございます」

 

「という訳で理由を聞かせて欲しいんだサリアスさん。多分俺のせいなんだろうってのは分かってるんだ。ただ……本当のところをちゃんと聞きたいんだよ」

 

 俺の懇願を聞いたサリアスさんは、目を伏せながら自分の事を責めるように話し始めた。

 

「私が……私が悪いのです。私はグレゴリー様に一生ついていくと決めたのに。それがあの一件以来揺らいでしまったんです……」

 

 俺は何を言うでもなく、黙ってサリアスさんを見続けた。

 

「その……今、魔王様はこの会話を聞いておられるのでしょうか?」

 

「聞いてると思うよ。聞かれたくない?」

 

「はい……出来れば」

 

 珍しい。サリアスさんが魔王様に聞かれたくないなんて明確に言うとは。

 俺は懐から魔王シアターを出すと、見えるように机に置いてサリアスさんに伝える。

 

「これで大丈夫だよ。もうこの会話は俺たち以外には誰にも聞かれない」

 

 机の上の魔王シアターを見たサリアスさんはやっと安心したように話し始めた。

 

「お話というのは……グレゴリー様とレイラさんの事についてです。もし違っていたら笑い飛ばして欲しいのですが、グレゴリー様は彼女を想っておられますか……?」

 

 疑問形ではあるけどそのサリアスさんの聞き方は、どこか確信しているようだった。

 

 なるほど。聞かれたら困るのはサリアスさんじゃなくて俺だ。

 魔王様の計画を知らないサリアスさんは、俺とレイラがお互い想いあってる事を魔王様に聞かれたら、俺の立場が危うくなると思っているのだ。

 

 つまり、サリアスさんは俺を気遣って、魔王様に聞かれたくないなんて言い出したのだ。

 それは言ってみればサリアスさんが魔王様よりも俺を優先してくれたという事で、その事実に少しジーンとなる。

 

 正直に言うと嬉しい。そこまで慕ってくれていたなんて今まで思ってもみなかった。

 そんなサリアスさんにはどうにか安心して貰いたい。しかし、人間嫌いのサリアスさんにあの魔王様の計画を伝えても良いものかどうか……。

 

 しかし、このままずっと黙っているわけにはいかない。結論が出ないまま、俺は正直に答えた。

 

「好きだよ。付き合うつもりでもある。こっそりとだけど」

 

「……」

 

 俺が認めるとサリアスさんは険しい表情のまま目を閉じた。そして絞り出すように口を開く。

 

「……彼女は人間です。人間は信じられません。どうか、考え直しては頂けませんか?」

 

「人間はどうしても好きになれない?」

 

 質問に質問で返されたサリアスさんは、少し困った顔ではいと答える。

 

「……私も努力はしたのです。父や祖父が言っていたほど人間は嘘つきではないのかもしれない。一方の主張だけを聞くのは良くないと。しかし、彼女は勇者である事を隠していました」

 

 サリアスさんの人間嫌いは家族に影響されているのが大きいように思う。

 武家であり、優秀な武人を輩出してきた家だけあって、敵である人間族を良く言う人物が周囲に居ないのだ。

 彼女の祖父に至っては、実際に人魔大戦で戦争をした経験があるから、それを聞かされて育ったサリアスさんが人間嫌いになってしまうのも頷ける話だった。

 

「レイラさんに隠し事があると言われた時、私はレイラさんを信じました。そんな訳が無い。そんなものはクレイの妄言だと」

 

「でも実際には違った。レイラは勇者だった」

 

 レイラは、サリアスさんが人間界で唯一気を許していた人間だったように思うので、恐らく俺や他の人から見るよりも裏切られたという思いは強かったのかもしれない。

 

「裏切られた、信じていたのに。私はそう思いました。もう一度彼女を信じるなんて事は出来そうもありません」

 

 俺は、そのサリアスさんの独白を聞くまでは、魔王様の計画を話せば納得してくれるんじゃないかと考えていた。けれど、甘かった。これはそんな浅い問題じゃない。

 

 俺は何とかしてサリアスさんを説得しなければならなかった。それが、俺を慕ってくれた相手に対しての最低限の義務だ。

 

「……サリアスさん。クレイからレイラの秘密の事を聞かされた日の事は覚えてる? 夜に四人で食事した」

 

「はい、グレゴリー様がレイラさんから秘密を聞き出そうとしたあの日の事ですね。良く覚えています」

 

 クレイに、レイラに秘密があると言われた日の夜の事だ。レイラを食事に誘ったけれど、あの夜はバートンも連れて行ったせいで、ロクに聞き出せなかった。

 

「あの日、頭が痛くて俺は途中で帰ったよね。それでそんな俺を心配したレイラが追っかけてきた。その時に……実は聞いたんだ」

 

 何か隠し事はないかと。聞いたのはたまたまだったが。

 

「それで彼女はなんと……?」

 

「レイラは“ある”って答えたんだ。ただ、俺には関係無い事だから心配するな、とも言ってた」

 

「そんな! 関係無いだなんて……!」

 

 反射的にサリアスさんはそう叫んだが、そこですぐにある事実に気付いた。

 

「そう。俺達がもし本当に人間だったら勇者の問題なんて関係無いんだよ。そこがそもそもの原因なんだ」

 

 つまり、レイラは俺達に迷惑をかけるつもりなんて本当は無かった。

 レイラはもし覚醒勇者になったら、素知らぬ顔をして戻ってくるつもりだったんだと思う。本当にそれが可能かどうかは分からないけれど。

 

「私達が魔族である事を隠していなければ……」

 

「そう。こんな大事にはならなかった筈だ」

 

 俺達が本当の意味で信用していないのに、相手からは信用してもらおうだなんて都合の良い話だ。

 そしてどうやらサリアスさんも同じ事を思ったらしい。まるで呼吸するのを忘れていたかのように、大きく息を吸い込んだ。

 

「……グレゴリー様に聞いて良かったです。私一人では気付けなかった」

 

「いや、俺とレイラが話した内容を伝えてないんだから当然だよ」

 

「いえ、その話を聞いていたとしてもきっとどこかで人間不信になっていたかと思います」

 

「じゃあ、これからもレイラと上手くやってけそう?」

 

「ええ、少し時間はかかると思いますが……それとレイラさんとお付き合いするというのも私からは何も言いませんし、聞かなかった事にします」

 

「あー、その事なんだけど……」

 

 サリアスさんなら絶対に大丈夫だと確信した俺は、魔王様の計画について話す事にした。

 

「……まず勘違いしないように先に言っておくけど、俺はレイラの事が本心から好きだ。その上で今からする話を聞いて欲しい」

 

「……?」

 

 俺は、俺が人間界に送られた本当の目的や、今現状どうなっているかを包み隠さず話した。

 

 サリアスさんは、最初こそ困惑した様子だったけれど、話が進むにつれて理解したようだった。

 俺とレイラがお互いを好きで、付き合おうとしているのを、魔王様が知っているどころか寧ろ推奨しているという事実に。

 

「最初にも言ったけど、俺がレイラの事を好きなのは俺の意思だから。それは間違えないで欲しい」

 

「それくらいは見れば分かりますよ……」

 

 一応納得はしてくれたみたいだけど、それはそれで問題あるような気がしてきた。だって見れば分かるって事は全然隠せてないって事だからな!

 しかし、そんなに好き好きオーラが出てただろうか? 後でどこら辺で気づいたかちゃんと聞いとこう。

 

「ですが良かったです。魔王様に知られてしまえばグレゴリー様の立場が……なんて思っていましたから。私の杞憂だったのですね」

 

 俺の話を聞いたサリアスさんはどこかスッキリした顔をしていた。

 

「ごめんね。要らん心配かけて」

 

「……ですが、どうして先にその話をしなかったのですか? 私、こう見えても口は固いですから、計画を聞けばレイラさんとの事も納得したように思いますが」

 

 先に魔王様の計画を話せば、レイラとの問題は魔王様も推奨してる事だからと言って、押し通せただろうと言いたいらしい。

 一応そういう方法もあるな、とさっきは思ったけれど、そんな事はしたくなかった。どうしてかと言うと、それはきっと俺を信頼してくれたサリアスさんを失望させたくなかったからだと思う。

 でも、それを正直に言うのは恥ずかしいのでちょっと言い方を変える。

 

「そりゃあ何でって……命令して無理やり納得しろなんてサリアスさんには言いたくなかったんだよ」

 

 俺のそんな返事を聞いたサリアスさんは、悪戯に成功した子供のような笑顔でフフッと笑った。

 

「知ってます♪ グレゴリー様がそういうお方だっていうのは。本当は直接聞きたかっただけなんです」

 

 ああそうか。こりゃ俺も一杯食わされたなぁ。

 

 ここに来た時と比べ物にならないくらい明るい雰囲気で、サリアスさんは笑顔を浮かべていた。

 



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遮断

 

 帰ってきて早々、サリアスさんと決裂しかけるなんてヒヤッとすることもあったけれど、俺が片付けなきゃいけない当面の課題はクレイをどうするかという事だ。

 

 恐らく奴はレイラが勇者である事を知っていた。これはほぼ確定だろう。そして知っていながら黙っていたと見ていい。その事を考えると、俺達が魔族だという事にも本当は気付いているのかもしれない。

 

 勿論俺の思い過ごしという可能性もある。俺たちが一般人であったとしても、レイラが勇者だという事実は非常にインパクトのある話だ。そういう意味で反応を楽しんでいる可能性もあった。いや、自分で言っててなんだけどそれは流石に楽観的すぎるか。

 

 何しろこの間レイラが勇者になった時に、安全のために社宅や工場からみんなを待避させた件がある。あの時はそれしか方法が無かったから仕方ないけど、もし俺達が魔族である事をクレイが知らなかったとしても、あれで何か勘付かれたと思った方がいい。

 

 俺たちが魔族だと気づいたクレイは果たしてどうするだろうか。予想される行動は二つ。普通に潰してくるか、知った上で利用するかだ。奴のことだから後者を選びそうだけど、猶予ができそうだなんて安心もしていられない。

 

 うーむ、やっぱりあいつは邪魔だな。まさに目の上のたんこぶ。どうにかしてクレイの尻尾を掴みたいけど、まるで方法が思いつかない。困った話だ。

 今俺に出来ることは、いつでも魔界に逃げ帰れるように準備をしておくくらい。

 

 明日、クレイが俺に頼んできた軍の内部調査の期限の日がやってくる。そこで何か成果が得られるように色々考えてはいるけれど、果たして奴がそれに乗ってくるかどうか。これはあんまり良い手じゃないからなぁ。望み薄だ。

 

 

 ───

 

 

 当日、俺は前回クレイと会話したオンボロ工場にサリアスさんと共にやって来ていた。一応考えられる手はいくつか用意した。上手く行くかは未知数だけど。

 

「じゃあ入ろうか」

 

「分かりました。先導いたします」

 

 一応上空には魔王様の使い魔(偵察機)が旋回中だ。勿論、今回は前回みたいな失敗は繰り返さないように社宅にも工場にも同じものを用意して貰ってる。

 ついでとばかりに蜘蛛型のちっちゃい使い魔もポケットに入れてきた。こいつを部屋に入った後でこっそり放つ。これで出て行った後も中の監視がバッチリ出来る。

 

 準備は万全だ。俺は自分に言い聞かせた。

 

「おーい、言われてたものを持ってきたぞ。いないのか!」

 

 部屋の中に入って俺が怒鳴ると、壁につけられたスピーカーからすぐに反応があった。

 

『分かっているからそう大声を出すな。まぁ座りたまえよ』

 

 呼びかけに対して間髪入れずに返事をしてくるクレイ。まるでずっと見てたかのようだ。

 いや、実際に見てたんだろう。どっからかは分からないけどこのオンボロ工場の外にも監視装置みたいなものがあるのかもしれない。気持ち悪いなぁ、人のこと言えないけど。

 

 気を取り直して前回と同じように樫の椅子に座った俺は、調査結果の書類が入った封筒をポンとテーブルに放った。

 

「これが頼まれてた件の報告書だ」

 

『ほう? 何か分かったか』

 

「後で自分で読んでくれ」

 

 これが第一の作戦だ。こうしてしっかり報告書を作ってここに置いておけば、奴はこれをどうにかして取りに来るはず。

 そこを使い魔を駆使して見張っておけば、後を尾ける事もできるかもしれないという目論見だった。

 

 しかし、クレイはそんな作戦はお見通しだと言わんばかりに言い放った。

 

『悪いがそこには取りに行けなくてな。書類の類は受け取れないのだ。今、ここでお前の口から説明してくれ』

 

「……ああ、そうかよ」

 

『それと今後も書類は必要無い。よく覚えておいてくれたまえよ』

 

 この野郎、わざわざ釘まで刺してきやがった。絶対に俺の方から辿れるようにはしないつもりらしいな。

 これで一つ目の作戦は失敗だ。しかしこうなると二つ目も上手くいきそうに無い。次のも似たようなもんだからな。

 

 俺は苦々しい思いをしながら軍の内情について簡潔に説明した。

 配置転換というよりはただ解雇するのが殆どだとか、それでも立場がある人達は辞めさせられないから、魔界との国境以外の駐屯地に異動になるとか。

 

 デリウス王国は何も魔界とだけ国境を接しているわけでは無い。

 魔界との反対側には人間の国家が二つある。

 デリウスの南西にある神聖セリア王国と南東にあるシズ王国。今のところ特にデリウスと関係が悪いわけではないけど、取り敢えずお偉いさんだけはそこに移ってもらってお茶を濁そうという事らしい。

 流石にお偉いさんはその辺の雑兵とは訳が違うので、簡単に首は切れないんだろうな、というのが俺の予想だ。

 

 そんな感じで俺が自分の見解も交えた説明を終えると、クレイは満足そうに鼻を鳴らした。

 

『ふん。まぁ良かろう。合格点だ。ご苦労だったな』

 

 はっ! なーにが “ご苦労だったな” だよ。この反応じゃ、どうせこいつは初めから全部答えは知ってたんだろう。それで俺がちゃんとした解答を持ってくるかどうかを試したんだ。

 

 あれ? しかし、そうなるとクレイってやっぱり軍関係者なんだろうか。

 この前はいかにも関係無いですよって態度を取ってたけどそれは嘘でやっぱり関係者なのか? いや、もしかしたらそれすらもブラフで実は本当に関係無い……あー! 腹立つなぁもう!

 

「……用が終わったなら帰らせて欲しいんだが」

 

 イライラしてきた俺がぶっきらぼうに言うと、奴はそんな俺の様子を見て楽しんでいるのか、まるで世間話でもするかのように言ってきた。

 

『まぁそんなに急ぐ事も無いだろう。特に予定は無いだろう? ゆっくりと話でもしようではないか。()()()()()()()()()なんかはどうだ?』

 

 サリアスさんがピクリと微かに動く。その目はその場にクレイがいたら斬り殺しそうなほどに鋭い。

 クレイの野郎、ぶっ込んできやがったか。望むところだ。

 

「はっ! よく言う。お前が言ってた意味がこの前ようやく分かったよ。お陰でこっちは色々と損害を被ることになった。……あのな、あんなヒントで分かるわけ無いだろうが」

 

 あくまで俺達が魔族とはバレていないものとして演技する。クレイが俺達が魔族だと気づいていたなら開き直っても良いけど、こっちからは絶対に隙は見せない。

 

『損害? ふむ。果たして何か被ったのかね? 勇者サマは死ぬでもなく魔界を満喫してお前の元に戻ってきたようだが?』

 

 身体の芯をヒヤッとした何かが駆け抜ける。

 

 ……こいつ、いったいどこまで把握してんだ? 

 レイラが勇者化してから街には一度も姿を見せてないんだぞ。普通の状態に治って帰ってきたのなんてつい数日前だ。

 つまり、このメルスクの街からでは、レイラが勇者になったなんて情報を得られるはずがないのだ。

 そうなるとクレイは魔界にも目があるって事になるんだろうか。

 

 スパイ。協力者。裏切り者。色々な憶測が頭の中を交差する。これはかなり厄介だな。

 一応勇者に関して聞かれた時の返事は用意してたけど、返答内容をちょっと変えよう。

 

「へー……流石情報通と豪語するだけはあるな。ああそうだよ。本人曰く撃退されたらしい。魔界で何があったかは言いたくないそうなんでちゃんとは聞いてない。あと、損害ってのは臨時休業で閉めてた分の事だ」

 

 魔界でも魔王軍関係者のトップはレイラが味方になった事を知ってるが、それ以外の下級兵士や一般人は撃退したという認識をしているはずだ。

 だからもし魔族の一般人の中にスパイがいて、クレイに情報を伝えていたとしても、今の俺の返事はおかしいと思わない。

 

 まぁ、もし魔王軍の幹部連中に裏切り者がいたらもう何も信じられないしおしまいだけど。いや、待てよ。だったらそれをこいつから引き出せば良いんだ。

 

「なぁクレイ。逆に聞きたいんだがな。魔界では一体何が起こったんだ? なんで勇者が無傷で人間界に戻ってこれた? 別に魔王が死んだって訳でもないみたいだし、知ってるんだったら教えてくれよ」

 

 もし俺達が魔族である事をクレイが知っていたらとんだお笑いだが、あくまで人間として興味がありますよ、という(てい)で聞く。少し間があって、クレイは答えた。

 

『……それはまずお前が勇者サマに聞くべきことではないかね?』

 

「……それもそうだな」

 

 うーん、躱されたか。いやしかしこの反応、クレイは俺達が魔族だとはやっぱり知らないんじゃないだろうか。俺の取り越し苦労? 

 まぁだからって放置はできない。どっちにしろこいつを見つけ出してどうにかしなきゃならないのは一緒だ。どう転んでもあんまりやる事は変わらない。

 

 もうこれ以上突っ込まれても嫌なので、クレイの攻勢が弱まった所ですぐに切り出す。

 

「そろそろ帰らせてもらおうと思うが、最後に一つだけ」

 

 ちょっと忘れかけていたけど、俺は用意していた望み薄の第二の作戦を発動した。

 

「俺からお前に連絡を取りたい場合はどうすればいいんだ」

 

 要するに、なんらかの連絡手段が無いと困る、だから寄越せ! という事だ。

 連絡手段が有ればそれを利用して上手いことクレイにたどり着けるかもしれないと思ったのだ。だがクレイは動じるでもなく答えた。

 

『ここに来たまえ。来ればいつでも相手をしてやろう』

 

「いつでも? 真夜中でもか?」

 

『必要ならば』

 

「……ああそうか。助かるよ」

 

 何だこいつ、暇か? いや、本人がずっと見張ってるわけじゃなくて部下とかに見張らせるんだろうけど。

 しかし、クレイが見てない隙にこの廃屋をこっそり調べようかと思ってたのに、ずっと見張られてるならそれも出来ない。これでこっちから何か調べるのはこれで殆ど不可能になった。

 

『ああ、帰るのならその書類は持って帰ってくれたまえよ。置いていかれても困るからね』

 

「……」

 

 俺はバシッと引ったくるようにテーブルから書類を取ると無言でその廃屋を後にした。

 



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世の中には優先すべき事がある

 

 クレイとの駆け引きに失敗した日の夕方、俺はレイラ他数人を集めて、報告をしていた。

 

「結論から言うと残念ながら上手くいかなかった」

 

 俺が少し意気消沈しながら言うと、他の連中にもそれが移ったか悲しそうに項垂れる。

 

「まぁ、しょうがないわよ。きっと貴方でダメなら他の誰でも上手くいかないわ」

 

 レイラはそう慰めてくれたが、そんな事は無いと思う。俺よりも優秀な奴なんてたくさんいるからな。あーいかん、こんな事を考えるとか結構凹んでるのかもしれない。

 

「奴はかなり警戒心が強いみたいでさ。そう考えるとそもそも接触してきたのも不思議な気がするよ」

 

「何か手は有りませんかね……クレイが我々を魔族と知っているかどうかも分からないのは流石に厳しいものがありますが」

 

 マゴス君が眉間に皺を寄せてそんな事を話す。

 

「いっそ無視するというのは……流石に不味いでしょうか?」

 

「考えてもどうにもならないからって事?」

 

 俺がそう聞くとサリアスさんがそうですと頷く。うーむ、たしかに悩んでもしょうがないけど、無視はちょっとね……代わりに優先順位を下げるってのはアリな気がする。事実、どうにもならないし。

 

「こちらとしてはどうにかして正体を暴きたいところだけど、現状向こうのほうが何枚か上手だから、しばらく保留にするっていうのは良いかもしれない。どう思う?」

 

「もう少し従順なフリをして従っていれば、奴もボロを出すかもしれないわ。それまで耐えるっていうのは良いと思う」

 

「僕もそう思います。レイラさんの言う通り、隙を見せるまで時間をかけた方が良い」

 

 マゴス君がそう言いきった事で、なんとなくそれが良いような雰囲気になって来た。

 俺はポンと手を叩いて結論を出した。

 

「よし分かった! じゃあ……そうするか。また何か他に良い手が浮かんだら相談するよ。ありがとう」

 

 解散を宣言すると、マゴス君はまだ用事が残っているからと先に部屋から出て行って、残ったのは俺とレイラとサリアスさんだけになった。

 

 部屋内に沈黙が流れる。黙っているサリアスさんをレイラもまた黙ったままじっと見つめる。どうもレイラは何かを言おうとして躊躇っているようだった。

 

 気まずい沈黙。一応レイラには、サリアスさんに魔王様の計画を話した事は伝えた。それにレイラの事も許してくれたみたいだよっていうのも。それを聞いたレイラは、その時には少し嬉しそうにしていたのだ。

 

 その筈なんだけど、あれは一体なんだったんだというくらい今の雰囲気は悪い。悪いというかピリピリしている。本当になんでか分からない。

 

「えーっと……サリアスさん。話したことは一応レイラにあの後伝えたんだけど……」

 

「そうですか」

 

 サリアスさんは俺の方を見ずに答える。まさに一触即発。ピリピリとした空気が流れているのには触れずにレイラが付け加える。

 

「昨日の夜、確かに全部聞いたわ。それでその、サリアスさんは()()()()()()()()()?」

 

 いいのっていったい何が? そう俺は思ったけどそんな事はとても聞ける雰囲気じゃない。

 気圧されてる俺をよそに、サリアスさんはレイラから目を逸らさずに答える。

 

「ええ、勿論です。貴方に斬りつけられた件は許しましたし、もうそんな事は無いと信じられます。それ以外の事も特にわだかまりはありません」

 

「いや、そうじゃ無くて」

 

 え、その話じゃないの? なんて思ってレイラを見ていたら、突然レイラはバッとこっちを見た。うお、なんだ。

 

「ちょっとグレゴリー? 貴方が居ると話しにくいのよ。しばらくサリアスさんと二人きりにさせてくれない?」

 

 おっと、そうか。俺のせいで話しにくかったのか。

 

「あー、こりゃ気づかず失礼。邪魔者は退散するとしますかね」

 

 そそくさと部屋を出て行く俺に対して何も言わない二人。決闘でも始まりそうな雰囲気に、本当に二人きりにして大丈夫なのかと一瞬不安がよぎる。

 

 とはいえ、武器を持ち出してきてどうこうという感じではないから恐らく平気だ。話し合いで何か決着をつけるんだろう。

 

 話の内容も後でサリアスさんかレイラに聞けば、全部は無理としても少しは分かるだろうし。俺はそんなふうに軽く考えながら二人を置いて部屋に戻った。

 

 あの後、結構二人は長いこと話し合っていたらしい。夜になって、いったい何をそんなに話していたのかとレイラに聞きに行ったら、少しくらい教えてくれるだろうと思いきや、完全にはぐらかされてしまった。

 

「別に? ただの他愛もない話よ。でもやっぱりサリアスさんは良い人ね。魔族とか人間とかは関係なくね……ああ、ちゃんと仲直りはしたから心配しないで」

 

 他愛もない話で2時間も話さないと思う。だから恐らく何か大事な話をしてたと思うけど、どうも俺には言いたくないらしい。

 これ以上突っ込んで聞いてはいけない気がしたので、納得いかない顔をしながらも切り上げた。

 

 うーむ、しかしそう言われると気になってしまうのも人間というもの。レイラはダメだったけど、サリアスさんならちょっとくらい教えてくれるかもしれない。そう思った俺は、今度はそっちに聞きに行った。

 

「知りたいですか? それはちょっと困ってしまいましたね。乙女の秘密です。ただ、レイラさんはやっぱり優しい方ですね。彼女にならグレゴリー様を任せても大丈夫だと思えましたよ」

 

 サリアスさんも残念ながら内容までは教えてくれなかった。ただ、二人ともお互いを褒めあっていたから本当に仲直りはできたんだと思う。

 二人の雰囲気からただの世間話でなかったのは確かだけど、どうせ分かりゃしないので今回は一応それで納得する事にした。

 

 

 ───

 

 

「ああ、わざわざ来てもらって悪いね」

 

「改まって用事なんてどうしたのよ?」

 

 俺はレイラから勇者についての詳細を聞こうと思って、1号店の2階に呼び出していた。

 

「召喚された時の事についてちょっと聞きたいなと思ってさ。まぁ座ってよ」

 

 部屋の隅にある一人用の大きめのソファを勧めて、俺はペンを手に取った。

 レイラはポフっと音を立てて座りながら快諾した。

 

「ああ、なるほどね。いいわ、何から話せばいい?」

 

「そうだな。まずは召喚された場所についてからかな。どんな場所だった?」

 

「そうねぇ……白い柱が沢山ある部屋だっていうのが第一印象ね。かなり広かったから多分王城のどこかだと思うんだけど」

 

 ふーむ、前にトールに聞いたのと一緒だな。俺は紙にさらさら書きながら、顔を上げずに質問を続けた。

 

「なるほど。それで、もしかしてその部屋には神官みたいな格好の人と偉そうな貴族みたいな格好した人が何人か居た感じ?」

 

 俺が聞くと、まさにその通りだったようでレイラは若干驚いた顔をしていた。

 

「えっと、そうよ。なんで知って───ああ、トールさんが元勇者って言ってたわね、そういえば」

 

「その通り。あいつに聞いたんだよ」

 

「そういえばメルスクに戻ってきてからギルドに行く用事がなくて会ってないわ。今度話聞きたいわね」

 

 レイラが勇者化してから、実は俺もまだトールには直接会っていない。あいつもあの期間のことは何が何だかよく分かってないだろうから、直接会って話さなきゃなと思っていたところだ。

 

「ちょうどいいや、明日行くか。一緒に」

 

「またずいぶん急ね。私は別に構わないけど」

 

 バタついていたのもあって、工場の再稼働は明後日からという事になっていた。だからどうせ明日は暇なのだ。

 それに、どうせレイラには勇者化の様子を見る意味でしばらくお休みして貰う事になっている。いずれにせよ今まで通りの仕事をやって貰うつもりも無い。何せ勇者だし。

 

「じゃあ決まり。明日行くって事で」

 

「いいわ」

 

 ふむ。じゃあオッケーだな。いや全然オッケーじゃない。まだ聞きたいことは沢山あるんだ。

 

「あと聞きたいことはね。召喚されてからメルスクに来るまではどうしてたのかって事」

 

 俺の質問にレイラが少しだけ首を傾げる。

 

「逆に聞くけど、貴方はどこまで私の経歴について知ってるの? 前に調べたんでしょ?」

 

 前にミスターXが出てきた時にレイラの出自を調べた事があったけど、ほぼ何も分からなかった。今から2年程前に南方にある国からメルスクにやってきたというギルドにあった登録書の記録、それだけ。そうレイラに伝える。

 

「ああなるほどギルドのね……知っての通り、あれはデタラメよ。ちょうど今から3年くらい前に私は王都で召喚されたの」

 

 別に何か特別な日、という訳ではなかったらしい。そして、召喚されてからしばらく王都でこの世界の事を学んでからメルスクまで遠路遥々やってきたという。それ以降はずっと冒険者として活動していたようだ。

 

「その、最初に反発とかしなかったの? だって急に召喚されたんだろ?」

 

「確かにそうだけど、右も左も分からないのよ? 私を召喚したあの人達の言う事を聞かなかったら何されるか分からないわ。だから仕方なく従ったのよ」

 

 確かに俺も同じ状況ならレイラと同じように、まずは言う事を聞いたと思う。状況が分からないと人は慎重になるものだから。

 

「そうか、分かったよ。じゃあ召喚されてからメルスクに来るまでの期間はどんな生活送ってたんだ? トールは王宮の中にいたって言ってたけど」

 

「私もそんな感じよ。教育係?として教会の神父さんみたいな人が私についたわ。それでこの世界の事を教えてくれたの。私の役目と魔王についてもその時に」

 

「へー、その人は今は?」

 

「知らないわ。王都を出てからはずっと一人だし、連絡もしてないから」

 

 最初ちょっと面倒を見た後は完全にほったらかしか。不思議な話だ。もし俺が王様なら手厚く面倒みるけどね。それで従者とか旅のお供とか付けると思う。決してヒノキの棒を渡してはいおしまいなんて馬鹿な真似はしないはずだ。

 

 だいたい召喚するのにもコストは掛かるだろうに、なぜデリウスの王様は勇者をそんなに冷遇するんだろうか。どうも不可解だ。その辺のこともしっかり調べなきゃいけないな。

 

「なるほど分かった。そうするとレイラはこっちに来てからずっと覚醒するのを待ってたって事になるのかな?」

 

「半分くらいは当たりね。でも貴方と出会って、元の世界に戻らなくても、いや戻りたくないなって思っちゃったのよ。だから覚醒しても魔王討伐に行くつもりは本当は無かったの」

 

 最初は元の世界に戻ろうと思っていたけど、最近はそうでも無かったということらしい。ところがレイラが覚醒した後におかしくなって、サリアスさんを斬りつけた時点で全てが狂った。

 

「あの時、貴方の顔を見て、あぁこれで全部終わりなんだって思ったわ。それで、だったら魔王を倒して元の世界に戻ろうと思ったのよ」

 

「ああそれで……正直俺もあの時はレイラに殺されるかもと思ったよ」

 

 そんな事私がするわけないじゃないとレイラが憤る。でも、あの時のレイラは正常な状態では無かった。それを思い出したのか、自分でも説得力が無いと思ったらしく、言い訳のように付け足してくる。

 

「……あれは本当の私の意思じゃないわ」

 

「分かってるよ。もうあの時の事はとやかく言わない。それはいいとして、へーそうか。俺がいたから元の世界に戻るのやめたのか。ふーん?」

 

 自然と口角が上がる。だってそれって元の世界か俺かっていう二択で俺を選んでくれたって事だからな。嬉しくないわけがない。

 

「……何にやにやしてるのよ。そんなに嬉しい?」

 

「嬉しいよ。当たり前じゃん」

 

 俺が即答したらレイラもちょっとにやにやしだした。なんだよ、レイラも人のこと言えないじゃないか。

 

「ふーん? そんなに私の事好きなんだ?」

 

「好きだよ。この世界を変えようと思っちゃうくらいには」

 

 こんなドストレートに言うのは俺のキャラに合わないんだけどな。でもこういうのってなるべくしっかり言葉にして伝えたほうがいいって何かで読んだ気がするから、これからも言いまくっていこうと思います。

 

「私だって好きよ。貴方のためならなんだって出来るわ」

 

 なんとなく熱い眼差しで見つめ合う俺とレイラ。いかんいかん。このままだと空気がどんどんピンク色になっていく。理性を、理性を呼び戻さなければ。

 

「コホン……待て待て。この流れは良くない気がする。今日は真面目な話を聞こうと思って呼んだんだから」

 

「そ、そうね」

 

 ちょっと冷静になった俺は、レイラに渡そうと思っていた物があったのを思い出した。あの誕生日の日にレイラに渡すはずだったプレゼントだ。

 机の引き出しを開けて小さな赤い箱を取り出す。そして、立ち上がって近くに行くと、レイラに手渡した。

 

「そういや渡そうと思ってたの忘れてたよ。はいコレ。誕生日プレゼント」

 

「あ、そう言えばそんな話もあったわね。すっかり忘れてたわ」

 

 元々はレイラに何か頂戴と言われて用意した物だ。俺のセンスに任せるとか言われたので苦労したが、前世の知識に従って無難な物を選んだ。

 

「……へー、貴方にしてはやるじゃない。こういうセンス無いと思ってたのに」

 

「おいおい、俺をなんだと思ってんだ。ちょっとくらいはあるわ」

 

 俺が選んだのはシルバーのネックレスだ。沢山ある中からコレだ! と思うものを選んだつもりだ。まぁ一応店員さんにもこれって女の子に合いますかね? って聞いたけどな!

 どうもレイラの反応を見るにお眼鏡に叶ったようだ。良かった良かった。

 

「ねぇ、付けて?」

 

 立ち上がったレイラが箱を手渡しながら背を向けてくる。

 

「ああ、いいよ」

 

 俺がネックレスを取り出してレイラの首に回したところで、こんな事をレイラが言い出した。

 

「私の世界にはね、男性が女性にネックレスを贈るのは愛しているから結婚しましょう、っていうプロポーズの意味があるの」

 

 ネックレスを付ける手が一瞬止まる。そりゃすごい偶然だな。

 

「……じゃあピッタリの贈り物って訳だ。さすが俺。いや、本当は誕生日プレゼントのつもりだったからピッタリって事は無いか。ま、結果論だな」

 

 軽く冗談を言ったが、少し動揺しているらしく、上手く付けられない。手間取っている俺を揶揄うように、更にレイラは続ける。

 

「それでもう一つあってね。そのネックレスを相手の男性に付けてくださいって女性からお願いするのは、私は貴方に身も心も捧げますって承諾する意味があるの」

 

 えっ!と驚いた拍子にネックレスの接続部がカチッとはまる。レイラもそれが分かったのか、笑いながらクルリとこちらに振り向いた。

 

「どう? 似合ってる?」

 

 笑いながら少し顔を赤らめるレイラはネックレスなんて無くても充分可愛かった。

 

「あ、あぁ綺麗だよ」

 

「……大事にしてね?」

 

 レイラが後ろの方で手を組んで、上目遣いにそんな事を言ってくる。俺はもう理性を完全に投げ捨てた。

 

「普通贈った側が言う言葉だぜ? それ」

 

 言いながらレイラを抱きしめる。そんな俺をレイラはクスクス笑いながら揶揄ってくる。

 

「真面目な話はしなくていいんだ?」

 

「そんなのより今はもっと大事な事がある」

 

 俺はレイラを抱きしめながらそのままソファに座り込んだ。結局その日、暗くなるまで思う存分イチャイチャし続けた。

 後にこの狭いソファでイチャイチャする方法が確立されていくのはまた別のお話である。

 




しかしこの2人、イチャイチャしすぎである。


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シナリー嬢

 

 翌日、俺とレイラはトールに会うためにギルドに向かった。

 ギルドのカウンターにいたシナリー嬢は、入ってきた俺達を見つけると慌ててトールを呼びにいった。おおかたトールがそういう風にしろとシナリーさんに言い含めていたんだろう。

 やがてトールがドタバタと慌てたように出てくる。

 

「おお、やっと来た! 今日はレイラちゃんも一緒なのか」

 

「お久しぶりね。トールさん。ふーん……」

 

 レイラはジッとトールを見つめて何かに納得している。もしかすると、今レイラは勇者の“真実の目”を発動させているのかもしれない。

 一方のトールはというと、まだ能力を使っていないらしく、レイラが勇者になった事には気づいていないようだ。

 

「? まぁ元気そうで何よりだ。それはともかくグレゴリー!」

 

「なんだよ」

 

「ここんところ何があったのか聞きたいんだが……奥の部屋で」

 

 トールはそう言ってチラリとレイラを伺いながら、親指で後方を指差す。その目は、なんでレイラを連れてきたんだ、ゆっくり話も出来ないじゃないかと言いたげだった。トールの奴、まだレイラが勇者だと気づいていないらしい。

 

「急にしばらく会えないかもなんて連絡よこすから一応これでも心配したんだぜ。俺は」

 

「ああ、それに関しては悪かったよ」

 

 レイラが覚醒した日にトールにはしばらく俺達と接触しないようにとだけ伝えて、詳しい説明はしていなかった。

 そして、魔界での一件が片付いて戻ってきた時には、伝言でもう大丈夫だと伝えただけだったので、トールとしては何が何だか分からなくて、やきもきしていたんだと思う。

 

「奥の部屋空いてるだろ? そこで全部話すよ。レイラも関係ある話だから連れてきたんだ」

 

「へー、そうなのか……?」

 

 俺のちょっと含みのある言い方に少し疑問を覚えたのか、トールはその時ようやく初めて“真実の目”でレイラを見たようだった。そしてトールはそのままの姿勢でピタッと固まる。

 どういう風に表示されているのかは分からないが、多分情報のところに勇者だとかって出てるんだと思う。

 

「あわわ……」

 

 レイラを指差して、口を開けてパクパクさせ始めたトールに、片手をあげたレイラは大したことなさそうに言った。

 

「ま、そういう事だから。私も聞かせてもらうわ」

 

 動揺してフリーズしているトールを押しやりながら、俺はギルドの奥へと向かう。

 

「はいはい行った行った。全部今から説明してやるから。な?」

 

 

 ───

 

 

 俺がここ最近起こった出来事について、かいつまんで説明するとトールは感慨深げに呟いた。

 

「はー、しっかし驚いた。まさかレイラちゃんが勇者とはねえ……盲点だった」

 

「黙ってて悪かったわね」

 

「いやぁ、俺は直接関係あるわけじゃないから別に構わねえけどよぉ」

 

 ふむ、トールがそう言うなら別にいいか。そもそも謝罪に来たわけでは無いしな。勿論ほったらかしにしてた事は謝ろうと思ってたけど、そんなのがぶっ飛んじゃうくらいのネタだったので、どうやらそれはスルーしても良さそうだ。

 

「まぁそういう事でレイラは俺たちの協力者になったから。今までみたいに隠す必要は無くなったんでそこんとこよろしく」

 

「ああ分かったよ。まぁいつかは隠す必要が無くなる日が来るとは思ってたけどな。勿論こんな形になるとは思ってなかったが」

 

 そりゃそうだろう。俺だって予想もしてなかったんだから。

 

「しかし……そうなるとあいつはどうするんだ?」

 

「あいつって……ああ、ケイオス君?」

 

「そうそう。もう勇者は分かった訳だし見張ってる必要無いよな?」

 

「あぁ、その事なんだけどな?」

 

 実を言うと、勇者疑惑のあったケイオス君の事は3日前まですっかり忘れていた。ステイシアに、“レイラさんが勇者だったのならあのナルシスト男は探る必要なくなりましたよね?” と言われてようやく思い出したのだ。

 

 確かに要らんなとその時はそう思ったんだけど、よくよく考えたらあいつが勇者の可能性は実はまだあるのだ。

 

「実は同じ事をステイシアにも言われて納得しかけたんだけど、ケイオス君が勇者の可能性はまだあるなって思い直したんだよ。だってレイラは3年近くも前からこの街で活動してたんだから」

 

 2、3年後に次の勇者になる奴が今この街で活動していてもおかしくない。もしかしたらそれがケイオス君だという可能性も充分ある。

 

「……確かに。今から3年後、いやもっと近いかもしれないが、あのケイオスが勇者になる可能性はあるかもな」

 

「だろ? まぁ当分先だろうけど。周期的に」

 

 勇者召喚は2、3年に一回だから、そのくらいの猶予はあるのだ。

 

「じゃあ、あのケイオスはこれからどうするんだ? ずっと見張っとくつもりか?」

 

「いやほっとく。いずれにせよ先の話だから。また勇者が出現する時期が近づいてきたら考えるよ」

 

 ステイシアもケイオス君に接触するのを嫌がってたんで、もう当分探んなくていいよと言っちゃったのだ。代わりに今、彼女には王都に2号店を出す計画を練ってもらっている。

 

「ま、伝えたい事はこんなとこかな」

 

「ふーん、そうか。ああ、一つ俺から聞いてもいいか? これはレイラちゃんに聞きたいんだが」

 

「だってよレイラ?」

 

「どうぞ?」

 

 レイラが先を促す。それを受けてトールは半信半疑といった様子で問いかける。

 

「あー……レイラちゃんは魔法は使えるようになったのか? 勇者に覚醒してから」

 

「ええまぁ、使えるようになったわ」

 

「今はどうだ? まだ使えるか?」

 

「そりゃあ使えるでしょう?」

 

 レイラはトールに疑いの目を向けながら、その場で指の先をピンと立てると、ボソリと何かを呟いて火を灯した。別に何ということはない発火の魔法だ。

 

「普通に使えるわよ。どうして?」

 

 火をかき消しながら、なんでそんな事を聞くのか分からないという態度のレイラに、トールはちょっと首を傾げながらぶつぶつと独り言を呟き始めた。

 

「うーん……まだ時間が経ってないからか? それともやっぱり俺がおかしいのかね……」

 

「おいなんだよはっきりしないな、ちゃんと説明しろって」

 

 俺の言葉で、トールは渋々と言った様子で説明し始めた。

 

「実はな……俺は魔法は使えないんだ。いや正確には使えなくなった、か」

 

「え? いやだってお前……」

 

 真実の目はさっき普通に使ってたじゃないか。そう言おうとして俺は思いとどまった。あれは魔法じゃないのかもしれないと思い直したからだ。

 トールも俺の様子を見てその考えに思い至ったのか、わざわざ教えてくれた。

 

「ん? ああ、“真実の目”は別だぜ? あれは多分魔法じゃねえから。詳しくは俺もよく知らんが」

 

「へー、そういうもんか……じゃあ魔法を使えなくなったってのは?」

 

「それはな……」

 

 トールが言うには、勇者になった直後はレイラのように色々魔法が使えるようになったというのに、しばらくしたらまた元に戻っちゃったらしい。なんだそりゃ。

 

「そんな事あんの? お前が呪文忘れちゃったとかじゃなくて?」

 

「……お前は俺の事を馬鹿にしすぎだ。なんつーか魔力を通す回路が途切れちまったって言うか、閉じちまったって言うか……」

 

「ふーん、じゃあ私も覚悟しといた方が良いのかしら? 別に借り物みたいな物だし、無くなったって構わないけど」

 

 確かに急に与えられた物なんだから、急に無くなるという事もあるのかもしれない。

 

「まぁ他に例が無いから分かんねえんだよ。俺が特殊体質なだけかもしれないしな。まぁもし使えなくなったのなら教えてくれ。俺も答えを知りたい」

 

「分かったわ」

 

 二人の話が終わったところで俺は最後に切り出した。

 

「ああトール、俺からもひとつだけ聞いときたい」

 

「なんだ?」

 

「シナリーさんって居るだろ? 受付の」

 

「ああ、シナリー嬢がどうした?」

 

「彼女、ここに勤めてからどれくらい経つ?」

 

 このギルドで受付嬢として長年勤めているシナリーさん。嬢というにはかなりお年を召しておられるが、みんなからは親しみを込めてシナリー嬢と呼ばれている。彼女無くしてはこのギルドは回らないと言っても過言では無い。

 

 しかし、はっきり言うと俺は彼女の事を疑っていた。実はクレイの協力者なのでは無いかと。

 

 クレイがこの街で勇者の情報を得るなら、誰から教えてもらうのが一番か。そう考えた時に自然と名前が上がる。全ての冒険者の動向を把握できて、且つ不審ではない人物。

 何しろ最初は俺が協力を仰ごうかと思っていたくらいなのだ。結局その役はトールになったので、その案はたち消えになったけど。

 

 勿論それだけでシナリーさんがクレイの協力者だと確信に至った訳ではない。最初はせいぜい2割くらい。

 ただ、魔王城でレイラから聞いた話の中でチラッと名前が上がったので、疑いが半分くらいの割合まで上昇したのだ。

 

 レイラが盗賊団のアジトに誘導された件で、レイラは確かに言っていた。他に良い依頼が無くて、シナリーさんに勧められた依頼を受けた、と。その結果、レイラは監禁されることになった。

 シナリー嬢はレイラが盗賊団のアジトに誘導された件で確かに一枚噛んでいた。

 

 それに加えてどうもクレイは俺たちの事を知りすぎている気がする。探っている様子は全く無いのにだ。

 だけど、探る必要も無いくらい俺達に近いところに目と耳があるとすれば。

 

 俺はしかし、この事をトールに伝えるべきか迷っていた。

 

「……おい、そりゃどういう意味だ? シナリー嬢が何だって言うんだ?」

 

「……いーや、何でもない。悪い、忘れてくれ」

 

 一瞬で険悪な表情に変わったトールを見て俺は誤魔化すことに決めた。こいつに長年一緒に仕事をしてきたシナリー嬢を疑えと言うのは酷だと思ったのだ。

 

「嘘だな。俺に嘘は通じないぞ」

 

 はー……人が気遣ってやってるのにコイツときたら。

 

「……知らない方が良い事もあると思うよ、俺は」

 

「いいや。知っておいて良かったと思うことの方が経験上多かったね」

 

 こんな事は今までに何度もあったと言いたげなトール。こいつも自分の能力のせいで結構難儀な人生を送ってそうだなと思いながら、俺は仕方無しに説明する事にした。

 

 俺が自分の見解を説明し終えると、それまでじっと聞いていたトールは途端に立ち上がって叫んだ。

 

「バカ言うな! あり得ねえ!」

 

 これである。だから言ったのに。俺がジト目でそんなトールの顔を見つめていると、トールはバツが悪そうな顔をして黒いソファにヘナヘナと座り直した。

 

「あのさぁ。そうと決まった訳じゃないって言ってるでしょう? 疑ってるのは半分くらいだって」

 

「……しかし、しかしなぁ」

 

「まぁとにかく気にしなさんな。別にお前に何かしてもらおうってつもりは無いから。今まで通り誰にも言わず、たまに俺の頼みを聞いてくれりゃそれでいい」

 

 もしシナリー嬢の事を調べるとするならばトール以外にやって貰う。そりゃあ “冒険者の情報を横流ししてますか?” とかトールに聞いて貰えば1発で分かるけど、そこから先に辿っていくのは他の人にやって貰わないといけない。だから、どうせなら最初からトール抜きでやった方がいい。

 

 これならトールもスッキリはせずとも納得するだろう。そう思っていたら、トールは逆に何故か青ざめた表情をしだした。おい、まさか……。

 

「……お前、もしかしてシナリー嬢に俺達の事を言ったのか?」

 

 俺の低い声を聞いたトールは弾かれたように弁解を始める。

 

「言ってねえよ! 言ってねえ! 神に誓ってそこは大丈夫だ!」

 

()()()って事はどこかは大丈夫じゃない訳だな?」

 

「はい……」

 

 トールは白状した。どうもトールの奴、俺が頼んだ書類、新人冒険者の詳細リストを作る時に、手が回らなくてシナリー嬢に支援をお願いしたらしい。

 

 その詳細リストというのは、普通のギルドの登録書よりも遥かに細かく書かれていて、ギルドの通常の業務では絶対に作られないような代物だ。

 

 あらかじめそういう書類を作っておけば、勇者が出た時にもオタオタしないだろうと思ってちょこちょこ作ってもらっていたのだ。

 

 しかし、もしシナリー嬢がクレイに通じていたら、俺達グレゴリー商会が新人冒険者、すなわち勇者について情報を集めているという事がクレイに筒抜けになっていることになる。

 

「……まぁ確かにバレないようにやれって言ったわけでも無いしな……しかしお前、そんなこと頼んでシナリー嬢には何か疑問を持たれなかったのかよ」

 

「いや、疑問に思われないように“冒険者の生存率アップの為に今度から詳しく記録することにした”ってそれっぽい理由を伝えたから特には……」

 

「はーん、なるほどね」

 

「だったら……大丈夫なんじゃない?」

 

 トールを哀れに思ったかレイラが割って入る。

 

「もしもシナリーさんがクレイの協力者だったとしても、私達、というよりかはグレゴリー商会が勇者の情報を集めたがってるとは思わないと思うわ」

 

「そうか? 俺とトールが協力関係にあるのはシナリー嬢は勿論知ってる筈だぜ? 当然疑うんじゃないか?」

 

 俺がそう言うとレイラは少し考える素振りを見せてからトールに尋ねた。

 

「ねぇ、トール、貴方が元勇者である事をシナリーさんは?」

 

「あー……知ってる筈だ。かなり前にだが伝えた事があるからな。忘れてたりしてたら分からないが」

 

 ふんふんと頷くレイラ。

 

「そう。だったらトールが個人的に興味があって情報を集めてる事にすれば良いんじゃない? 元勇者が次世代の勇者を気にかけるのは別におかしくないでしょう?」

 

 なるほど確かにそれはそうだ。というかトールが俺達魔族側についた時にそんなような事を実際言っていた気がする。

 

「確かに本当の事だから悪くなさそうだ。ただ、最近急に集め始めた事に対しての理由が要ると思うぞ」

 

 何しろトールはずっとこのギルドで働いていたのだ。今まではやっていなかったのに、今更になって急に集め始めたのはどうしてなんだと疑われたら意味が無い。何かきっかけが無いと余計な詮索をされてしまう。

 トールが考え込むように、唸りながら腕を組んだ。

 

「うーん……ギルドマスターになってやる気に満ち溢れたとかはどうだ?」

 

「……お前、いつもギルマスの仕事は面倒だとかやりたくねぇだとか色々ぼやいてるじゃねえか。却下だ」

 

 何がやる気に満ち溢れただ。日頃の自分の言動をちゃんと顧みろってんだ。だいたいその愚痴は下手すりゃシナリー嬢が一番聞いてるんじゃないか? あくまでもシナリー嬢に信じてもらわなきゃならないんだぞ。

 

「他になんか無いの? なんかあるだろ」

 

「無いな!」

 

 諦め早。俺が呆れていると、レイラが尚も助けに入る。

 

「その、これからが大事なんじゃないかしら?」

 

「というと?」

 

「さっき新人冒険者の生存率アップのためって言ってたでしょう? だったらその為に他にも色々やったらいいと思うの。ギルドって結構放任主義でしょ? 私も冒険者になった時あっさり放り出されてびっくりしたし」

 

「ああ、なるほど。つまり新人冒険者の講習会とか、先輩冒険者との交流会とかやったらいいじゃないって事ね」

 

 確かにこのギルドには研修制度みたいなものはさっぱり無い。一応俺も冒険者になっているから分かるけど、最初にちょろっと説明されたらそれで終わり。手取り足取り教えるのが正しいとは言わないけど、もう少しなんかあってもいいんじゃないかとはずっと思っていた。

 

「そうそう。それで、そういうのを積極的にやれば、トールは本気で新人冒険者の事を気にかけてるんだなってシナリーさんも思うんじゃ無いかしら?」

 

 そうすれば、俺達グレゴリー商会が情報を集めてるとはクレイも思わない。レイラはそう言いたいようだった。

 うん、ありかもしれない。まぁこの世界の住人がどう思うかは知らないけど、やっぱり研修会みたいなのは欲しい。別に強制にしなきゃ良いんだし一応有りますよ、みたいなゆるい感じでいけばいい。

 

 そこまで考えた俺がレイラの案を推そうと思ってトールを見たら、我らがギルドマスター様はいやに真剣な顔をして俺を見つめてきた。なんだ、この案になんか穴でもあんのか?

 

「……なあ、グレゴリー。これは大事な事なんだが……それって俺、めっちゃ忙しくならない?」

 

「「……」」

 

 いや、今回のことが無くてもそれくらいはやれよ。俺とレイラは呆れた。

 

 結局なんやかんや説得して、俺たちグレゴリー商会も協力するからという言葉を俺から引き出したトールは、渋々納得してその案を実行に移す事を約束した。

 

 まぁここまで色々考えたは良いけど、別にシナリー嬢がクレイに通じてると決まったわけでは無いのだ。だから、もしかすると全くの無駄骨かもしれないという話はあるんだけど。

 



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この街に何も無くはないはず

 

「私共のような右も左も分からぬ軍人を雇っていただけるとは大変有り難く───」

 

「ああ、もういいっていいってそういうのは。全く知らない仲って訳でも無いんだし。まぁとにかく座ってよ」

 

 今日、俺はグレゴリー商会で新しく雇う事になる元軍人さんと顔合わせをしていた。彼は補給科のリヨン中佐の元部下であり、俺が補給科にお邪魔した時には何度か会ったこともあった。

 

「まあ一応自己紹介ということで、俺は会長のグレゴリーだ。よろしく」

 

「私はデリウス陸軍メルスク……いや、今はもうただのカーターですね。よろしくお願いします」

 

 もうなんかいきなり暗い感じである。

 

「……まぁ自己紹介なんて今更か。リヨン中佐からは聞いてるか知らないけど先に言ってしまうとね。紹介された4人は雇うつもりだから。カーター君含めて全員ね」

 

「はい。私も中佐もその事には大変感謝しております」

 

「ところでうちの業務内容はどの程度知ってる?」

 

「回復ポーション類の開発、製造、販売、辺りでしょうか。今度王都にも二店舗目を出す、という風に聞いておりますが」

 

 まぁ当然知ってるか。一緒に仕事してたんだし。一応確認しただけだ。

 

「そうそう。君達には王都で販売やら営業やらをやって貰いたくてね。カーター君はどうかな? 嫌だってんなら何か考えるけど」

 

 カーター君はふむと一瞬だけ逡巡した様子を見せて質問に答えた。

 

「喜んでやらせて頂きます。他の3人も王都で働けるというのならば喜ぶでしょう」

 

「へー、王都になんか思い入れでもあるの?」

 

「私とケニスとサルトンは王都に実家があるのです。マイクだけは実家がメルスクですが、彼はいつもこの街に対して愚痴を言っていましたから。“ここには何にも無い” と」

 

 む、何にも無いことはないんじゃないかな? 美味しいケーキ屋さんとかあるし? いや、他にパッとは思いつかないけど。

 

「なるほど、ありがとう。君は随分と落ち着いてるね。仲間を気遣う余裕もある」

 

「有難うございます。ただ、仲間を気遣うのは元軍人としては当然であります。他の者も口には出さないかもしれませんが同様に心配しているはずです」

 

 カーター君はそんなかっこいい事をキリッと言って締めくくった。

 

 やっぱり軍人さんというのは仲間を気遣うもんなんだろうか。そう思いながら残りの3人とも面接をしたけど、ケニスとサルトンは緊張でガチガチになっていて他の仲間を気遣う余裕は無かった。そしてマイクに至っては王都に行けると聞いて舞い上がっていたので、そんな話が出てくるどころか素振りも見せなかった。

 結局、仲間を話題に出したのは4人の中ではカーター君だけだった。

 

 うん、彼を新入社員のまとめ役にするのが良さそうだな。色々気が付きそうだし。

 

 

 ーーー

 

 

 そうして少し経った頃、そう言えば最近なんか忘れてるなと思ったらバートンだ。レジア湖のタマちゃんの生体調査にあいつを送り出した後、こっちで勇者騒動があったんで、すっかり失念していた。

 

 それにしてもあいつは一体何をやってるんだ。あれから結構経ったけどまだ終わらんのだろうか。電話でも掛けてみるか。

 

 そう思った俺だったけど、先にちょっと確認しておきたいことがあったので、ステイシアに話を聞いた後にバートンに電話をする事にした。

 

「ステイシアって小型の通信機みたいなの持ってたよな? それでシリウスさんと連絡取ってるって認識でいいの?」

 

「ええそうです。元々私はお母様との連絡役として派遣されてきたので。それがどうかなさったのですか?」

 

 勿論連絡役としてだけで無く、俺達が裏切らないかどうかの監視も含めてステイシアはシリウスさんに送り込まれた。本人がそう言ったわけじゃ無いので、俺が勝手にそう思っているだけだけど。

 

「いや、ステイシアはシリウスさんに俺達の正体の事を話したのかなと思ってね。ちょっとレジア湖に行ってるバートンに連絡しようと思ったんで一応確認だけ」

 

「ああ、その事ですか。迷ったんですが、母がどう思うか予測が付かなかったのでまだその事は話してはおりません」

 

「そりゃあ助かる。別に広めて欲しいわけじゃ無いんでね」

 

「はい。それに伝えるとするならば私からでは無く、グレゴリー様からの方が良いかと思いましたので」

 

「そうだな。その方がいい」

 

 気が利くなぁ。あんな山奥のホテルで眠らせとくには惜しい人材だ。付いてくるのを断らなくて良かったぜ。案外シリウスさんもそう思って俺に彼女を付けたのかもしれないな。

 

 会話を終えてステイシアと分かれた俺は、魔王シアターを取り出してバートンに電話をかけた。

 

「もしもし? バートン?」

 

『あ、ビックリした〜グレゴリー様かぁ。ギルスおじさんかと思ったっすよ〜』

 

 俺だったらタメ口で良いと思ってるらしいなコイツは。まぁ本当に別にいいんだけど。

 しかし、ギルスおじさん? こいつが魔王様をそっちの名前で呼ぶって事はそこに他に誰か居るのかね?

 

「俺で悪かったな。まぁいいや、そっちはどうだ。いつまで経っても連絡が無いからこっちから連絡したんだよ。そろそろ調査は終わんないのか」

 

『もうほとんど終わったっすよ〜、実は明日あたりグレゴリー様に連絡しようかと思ってたとこっす』

 

 本当かー? 実は結構早めに終わってて今まで遊んでたとかじゃ無いだろうな?

 まぁあの勇者騒動のゴタゴタがある時に帰ってこられても困った事になっていたと思うので、ちょうどいいタイミングだったとも言えるか。ラッキーな男だよ、ホント。

 

「お前、ちゃんと“タマちゃんは安全です”って書いただろうなぁ? そうじゃなきゃお前を送った意味がないんだからな」

 

『大丈夫っすよ〜。ちゃんとオーナーのシリウスさんにも目を通してもらったっすから〜。あ、ちょうど今隣に居るっすから代わるっすか?』

 

 ああ、やっぱり隣にいたのか。なら久しぶりだし代わってもらおう。

 

「そうか。じゃあ頼む」

 

 やがて使い方を説明するバートンの声が少し聞こえた後、シリウスさんが電話口に出る。

 

『あら、これは今聞こえているのでしょうか?』

 

「聞こえていますよシリウスさん。お久しぶりですね」

 

『これはお久しぶりで御座います。グレゴリー様。こんな小さな板でも随分とはっきり聞こえるのですね?』

 

「ええ、我が社の優秀な技術班が作った物ですからね。性能は文句無しです。そちらはお変わりありませんか?」

 

『ええ、お陰様で平穏そのものです。ところで娘は……ステイシアはグレゴリー様のお役に立っておりますか?』

 

「いやぁ彼女はとても優秀ですね。いつも助けられておりますよ」

 

 俺が明るくそう伝えたら、シリウスさんは幾分かホッとしたような感じで、安堵の声を漏らした。

 

『そう言っていただけると幸いです。本人もそのような事を申しておりましたが、なにぶん自己評価ですので私としては心配で」

 

 シリウスさんは随分と心配しているが、彼女はしっかりやってくれている。あ、でもそういやケイオス君の調査はめっちゃ嫌がってたな。まぁそれは言わないでおいてあげよう。

 

「ご心配なさらないでください。本当に助かっていますから。ところでそこのバートンの調査報告書はご覧になられましたか?」

 

『ええ、拝見させて頂きました。その……とても個性的ですがよく纏まっていると思います。これならば安全であると思う人が増えて、却って良いかも知れません』

 

 個性的……あいつ、いったいどんな報告書を書いたんだ。ホントに大丈夫かな? やっぱりバートンに行かせたのは不味かっただろうか。まぁでも内容なんてあって無いようなもんだし危険じゃないってことが分かれば別にいいか。

 

「ははは……個性的なのは許してやって下さい。それで……ちょうどいいですし今後の計画について軽くお話しさせて貰っても?」

 

『ええ、構いません』

 

 咳払いひとつした俺は、タマちゃん作戦の第二段階にあたる計画を簡単に説明した。

 

 概要はこうだ。バートンが報告書を持ち帰ってギルドで精査した後、トールがお触れを出す。勿論内容はタマちゃんを狩猟してはならない、という物だ。

 その後、俺達で少しだけ噂を広める。この間ギルマスからお触れが出されたレジア湖の新種の生き物は、とってもキュートで可愛いらしいよと。

 

 良い感じに噂が広まり始めた段階で、俺達が店を出してる商店街の人達を連れて、シリウスさんの所に団体旅行に行く。そこで触れ合い体験、とまでは言わないけどみんなにはしっかりタマちゃんの可愛さを目に焼き付けて帰ってもらおうと思う。

 帰りのお土産にタマちゃんグッズなんかも持って帰って貰ったら尚良いかもしれない。

 

「そんな感じで何度かツアーみたいな事をやるつもりですが、軌道に乗れば我々が手を回さずとも観光客は増えるかと思います」

 

 俺の予想ではうまく行くはず。後はタマちゃんをどうにかしてやろうという輩が出てこないように、しっかり見張っておけばいい。

 

「というわけで、その前にタマちゃんを人に慣らさせて、しっかり躾けておいてください」

 

『色々と考えていらっしゃるのですね。やはり』

 

 そりゃあそうよ。そこはしっかり押さえとかないと秘密をばらされちゃうかもしれないからね。ステイシアに。

 

「勿論ですよ。なにかあったらステイシア経由でご連絡ください」

 

『そうさせて頂きます。実は私も色々と考えておりまして、考えが纏まったら少しだけお願いするかもしれません』

 

 ほう? 何をお願いされるんだろうか。まぁできる範囲で叶えてあげよう。

 俺は了承の意を伝えて電話を切ると、早速カリウス会長の元に団体ツアーの話をつけに向かった。

 



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お嬢様がやって来る

 

「んー困った」

 

 俺は社宅の一室の椅子でひっくり返るように天井を見上げて唸った。

 

「いやー困った困った」

 

 そんな聞いて欲しいオーラを出している俺に、チラと目線を上げて一応訊ねてくれるアイリスちゃん。

 

「……何かお困りなんですか?」

 

「いやぁ! よく聞いてくれたねぇアイリスちゃん!」

 

 うわぁ、絶対めんどくさい奴だ。口には出さないがアイリスちゃんの顔にはそう出ている。

 

「あのね? 勇者にふさわしい仕事って何だと思う?」

 

 俺がそう聞くと事情を察したアイリスちゃんが、どうして俺がそんな事を言い出したのか言い当てた。

 

「あー……レイラさんの今後の仕事をどうしようかって話ですか?」

 

「そうなのよ! 仮にもあの勇者にね? その辺の冒険者でも出来るような仕事をしてもらうってのはいかがなものかと思ってね?」

 

 アイリスちゃんはちょっと上を見て、んーと考えると、あぁそういえばという感じで答えた。

 

「今、経理が少し足りなくて増やしたいそうですけど」

 

 む。そうなのか? それは増やさんといかんな。担当はクラウス君だったかな。足りないなら言ってくれれば増やすのに。ただ、レイラを経理に充てるかってのは別の話だ。

 

「レイラなら多分出来ると思うけど、事務仕事する勇者ってのは如何なものかと思うよ、俺は」

 

 あれだけ剣術を頑張ってたのに、これからは事務な! ではあまりにも可哀想だ。もうちょっと戦闘スキルが活かせるような仕事は無いものかと思うんだけど。

 

「と、すると勇者としての資質を活かす方向で考えているわけですか……」

 

「そうなんだよねぇ。でもあんまり良いの思いつかなくてねぇ。なんか無いかな?」

 

「そうですね……各地のギルドの高難度依頼を片付けて回るっていうのはどうです?」

 

「あ〜それはねぇ」

 

 確かにそれは俺も考えた。各地方の冒険者ギルドを回って、溜まっている高難度依頼をバッサバッサと斬り捨てる。勇者となったレイラなら多分余裕だ。

 でもそれはつまり長期間離れ離れになるという事。それは嫌だ。レイラ分を補給できないと俺が耐えられない。だから却下。

 

「ちょっとダメかな〜。いざっていう時に戦力として近くにいて欲しいんだよねぇ」

 

 アイリスちゃんは俺とレイラが付き合ってることは知らないので、それっぽい理由をつけて拒否する。すると彼女はめんどくさいなぁという顔を尚も崩さずに次の案を絞り出した。

 

「レイラさんは魔法が使えるんですよね? だったら魔法関係の仕事に就いてもらうっていうのはどうでしょうか。それなら一応この街で仕事が出来ると思いますよ?」

 

「ほうほうなるほど」

 

 魔法関係か、それなら毎日会えるし良さそうだ。しかしそれを聞いて、俺はこの前トールから聞かされた例の話をふと思い出した。もしかしたらレイラもトールのように、ある日突然魔法が使えなくなるかもしれないという奴だ。

 

 俺がその事をかいつまんで伝えるとアイリスちゃんはあっさりと、じゃあ分かりませんね、ご本人と相談なさったらいかがですか、と言って自分の仕事に戻ってしまった。さもありなん。

 

 しかし、アイリスちゃんから案を引き出せたのは大きいぞ。俺が言い出したと思われると他の連中に色々勘繰られそうだからな。というわけで、その案を携えた俺はレイラに相談しにいくことにした。

 

「で、レイラは魔法関係の仕事とかやってみる気あったりする?」

 

「魔法? 別に無いわ……」

 

 あら、残念。興味無しか。

 

「何よ。して欲しかったりするわけ?」

 

「いいや? 別にどうしてもして欲しいわけじゃないんだけど、何かレイラのスキルを活かせるような仕事が無いかなって考えててさ」

 

「ああ、私の他の仕事探してるとか言ってたわねそういえば」

 

「そうそう。んで魔法に関する仕事はどうかなぁと思ってね? それなら一緒にいられるし。あ、いや別に各地の強敵を倒して回りたいとかあるんだったらそれでもいいけど」

 

 なーんて口では言っているが、本当は遠くには行って欲しくない。離れ離れになるのは嫌だ。

 そんな俺の思いが顔に出ていたか、ちょっとだけ間があってからレイラは口を開いた。

 

「……魔法ね。まぁせっかくだしちょっとやってみても良いかもしれないわね。具体的にはどこで働くとか決まってるわけ?」

 

「いいや全く。ただこの街じゃ魔法関係の仕事は引く手数多だからさ。探せばすぐ見つかると思う」

 

 一応メルスクは魔族領に最も近い最前線の街なので普通の街と比べると軍関係、魔法関係の仕事は多いのだ。まぁこれでも昔に比べたらだいぶ減ったらしいけど。

 

「あの“急に魔法が使えなくなるかも”っていう例の話もあるし、俺もこの話を勧めるべきか結構迷ったんだけどな」

 

「そう。でも聞いたらなんだかやりたくなってきたわ。もし魔法が使えなくなったらその時に別の仕事を探せばいいんだし。やってみるわ」

 

 俺がどうしようか悩んでいたのがアホらしくなるくらいレイラは即断即決だ。まぁそんな動じない所も好きなところなんですけどね。

 レイラの仕事探しはとりあえずそういう方向で進めることになった。

 

 

 ーーー

 

 

『すまない、グレゴリー!』

 

「……どうしたんですか急に」

 

 あくる日、魔王様からの電話に出たら開幕謝られた。びっくりした俺は少し剣呑な感じで返事をしてしまう。

 

『その……そっちに行くと言い出したんだ、彼女が』

 

 魔王様の本気の謝罪トーンを聞いた俺はピンと来てしまった。俺たちが人間界で面白おかしくやっているのを絶対に知られてはならない、とある人物が頭に浮かぶ。

 

「それって“カ”から始まって“ス”で終わる感じの方ですか?」

 

『そうだ……すまない。本当に』

 

「……なんとか引き留められませんか?」

 

『彼女がこうと言い出したら誰にも止められないのはお前が一番よく分かってるだろう』

 

 脳裏にその人物の顔が浮かぶ。面白そうな事があれば必ず首を突っ込んでくる魔王軍四天王の一人。そして周りに与える影響など省みず、全てを巻き込んで好き勝手動き回る台風のようなお人。その名はカナリス・エメラルド。

 俺自身も魔王軍に入ってから何度も振り回された。いや、これは面倒な事になったぞ。

 

『勇者を城まで通して直接対決したのが不味かったのだ……しかも全員城から追い出したのがな……あれでどうも人間界の活動に興味を持ったらしい』

 

 あのレイラの一件がカナリスさんの面白そうな事探知レーダーに引っかかってしまったようである。

 

「そりゃあもうどうにもならないですね……」

 

 カナリスさんのお父様は魔王様の恩師だ。勿論立場的には魔王様の方が偉いのだが、世の中立場だけで決まらないのが常であるように、魔王様もカナリスさんのお父様には頭が上がらなかった。

 そうなると当然御息女であるカナリスさんにもなかなかあれこれ命令できなくて、しかも良い家の出だけあって能力はかなりあるので、気づけば四天王にまでなってしまったのである。

 

『それにほら、彼女は普段誰がどこで何してるかとかあんまり気にしないだろう? ところがお前がこの前の騒動に関わってるって知ったら尚更な』

 

 あぁそうか。カナリスさんは俺が人間界に来てるのを今まで知らなかったのか。

 

 魔王軍に入って、俺が色々改革を始めた頃からカナリスさんには俺の仕事を引っ掻き回された。 “この(わたくし)カナリス・エメラルドが手伝ってあげると言っているのに断るなんてどういうおつもりですの?” とか言ってな。

 

 まぁそのお陰で魔王軍の食堂はかなりクオリティの高い物が出来たっていう話はあるんだけど……そういうのもあって当時は結構可愛がられた。俺としては寿命が縮む思いだったからやめて欲しかったけどね……。

 

『彼女が素直にお願いを聞いてくれるのはお前くらいのもんだ。帰ってくださいってお願いしてダメだったら、諦めてそっちでどうにかしてくれ』

 

 何とまぁ無茶な事を言う。どうせあの人は面白い事以外、お願いなんて聞きゃあしないのだ。つまり、帰ってくれなんてお願いをしたって時間の無駄。

 こうなると、何もしなくて良いですよ、って言った方が効果的かも。面白くないなって思ったら自発的に帰るかもしれないから。多分無理だけど。

 

「はぁ……しょうがないですね。それでカナリスさんはいつこちらにいらっしゃるんですか?」

 

『ワイバーンは使わないで徒歩で向かったから2週間はかかるはずだ。もしかしたら途中で何かに引っ掛かってもっと遅くなるかもしれんが』

 

 旅の途中でも面白い事があるかもしれないからと言って、徒歩で向かったそうである。なんとも彼女らしい話だ。

 

「分かりました。どうにかしますよ」

 

 ただでさえクレイに見張られてるかもしれないから警戒しているというのに、カナリスさん(あんなの)が来たらどうなるか分かったもんじゃない。とにかくじっとしてて貰わないと。それが可能かどうかは……いや、ダメそうだな。ほんとにどうしよう?

 

 俺は憂鬱な気分になりながら、嵐がやってくる事を伝えるためにみんなを集めに向かった。

 

 

 ───

 

 

「みなさんに重大なお知らせがあります」

 

 俺が沈痛な面持ちで集めた面々にそう告げると、これはきっと良いことでは無いなとみんなに緊張が走った。

 

「カナリス・エメラルドさんが約2週間後にここに来ます」

 

 みんなの反応は大まかに二つに分かれた。カナリスさんの傍若無人っぷりを知っている人とそうではない人。前者は色めきだってざわざわしだすが、後者は疑問符を頭に浮かべている。

 

「知らない人の為に説明しようと思う。とは言っても魔族組は流石に名前は聞いたことあると思うけど」

 

 俺はカナリスさんを知らないグループに向かってどんな人物であるかを説明した。

 サリアスさんと同じ魔王軍四天王の1人であるとか、とても活発で明るくてちょっと?強引なお方であるとか。本当はもっと赤裸々に語ってやりたいところだけど、仮にも四天王だし、魔王様の恩師の御息女であるから一応オブラートに包む。

 

「そんなに……何かこう、凄いお方なんですか?」

 

 知っているグループの尋常でない反応を見ながら、そう聞いてきたのは比較的魔王軍での日が浅いマゴス君。言葉を選んで言ったつもりのようだが、あんまり隠しきれていない。

 

「マゴス君は会ったこと無いか。まぁ強烈な方だからね、会えばわかるよ」

 

「遠巻きにチラッとだけ伺った事はあります。凄く上品そうな方だなとその時は思ったのですが……」

 

 そうなんだよねぇ。見た目はね、良いんだよ。ホント黙ってれば良いとこのお嬢様なんだけど喋り出したら残念みたいな。

 

「会えばね、分かるから」

 

「あれ? でも貴方って参謀長なのよね? そのカナリスさんより偉いんじゃないの?」

 

 嫌なら帰ってもらったらいいじゃない。そうレイラが至極もっともな疑問をぶつけてくる。隣のステイシアも同じことを思ったようでそうですよね?と頷いている。

 

「……肩書きが偉いからって必ずしも命令できる訳じゃないってケースはあるじゃない? これはそういうケース」

 

 だって魔王様ですら強く言えないのだ。俺なんてもっと命令できる気がしねえよ。できるのはせいぜいお願いくらい。こちらのほうを是非やっては頂けないでしょうか? 出来れば手伝って頂けると私としては大変助かるのですが……みたいな感じ。

 俺のその微妙なニュアンスでレイラはカナリスさんがどういう人物であるかを何となく感じ取ったようで、眉を顰めながらも納得したようだった。

 

 質問が無くなったところで俺はもう一度全員の意識を集める。

 

「はいはい! という事で方針を説明します。カナリスさんは大変優秀な方でいらっしゃいますが、人間界での繊細な業務にはちょっと向かないかな、と思います。なのでこちらの生活に慣れるまで、敢えて暫くはカナリスさんには仕事は振りません」

 

 これで飽きて帰ってくれないかな、と俺は心の中でうっすら期待していた。流石に四天王としての威厳の問題もあるので、仕事の邪魔だから帰らせたいとは言えない。だから表向きの理由はそんな感じにしておく。

 

「だから皆さんも慣れるまではあんまりカナリスさんに仕事の話はしないように」

 

 連絡会が終わった後、サリアスさんに私も頑張りますからと励まされたけど、この件に限って言えば多分誰にもどうする事も出来ないので、やっぱり苦労しそうだなと俺は思わずにはいられなかった。

 



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帰ってきたバートン

 

「ただいまっス〜」

 

 数日後、ようやく任務を終えたバートンがレジア湖から戻ってきた。数人が声を聞きつけて集まってきて、口々に労っている。

 

「おう、ご苦労さん。お前晩飯はどうした?」

 

「途中で食ったっすよ。ちょっと遅くなったのはそのせいっすね」

 

 時刻は暗くなって幾ばくかという頃、飯がまだなら一緒にと思ったんだが、やっぱりコイツはちゃっかりしている。

 

「そうか。じゃあ土産話でも聞かせてくれよ。ああその前に調査報告書だけ先に見せてくれ」

 

 シリウスさんに“個性的”という評価を下された報告書が一体どんな出来なのか、俺は気になって仕方なかった。

 

「良いっすよ〜」

 

 ガサゴソと鞄から報告書を取り出したバートンがどうぞと俺に紙束を手渡してくる。みんながわいわいとバートンから話を聞いている隅で、俺は受け取った報告書をペラペラとめくった。

 

「なるほどね……」

 

 シリウスさんが個性的、という評価を下した意味が1発で分かった。

 知らなかったがバートンの奴、実は絵心のある男だったらしい。そこかしこにまるで図鑑のようにタマちゃんの細部が描かれていた。

 こういう報告書では絵とか図は大切だ。何しろ分かりやすいからな。だから絵が上手い学者ってのはどこでも重宝されるもんだ。さかなクンとか良い例だろう。

 

 俺がバートンの意外な一面に驚きながら報告書をペラペラめくっていると、最後のページにはデフォルメされたタマちゃんの絵なんてものまで出てきた。可愛い。

 

 いやしかしこのフォルム、どっかで見たことあるような……あぁアレだ。おっ○っとだ。あのお菓子のパッケージに描いてある鯨の絵にそっくりだ。なんか思い出したら食べたくなってきたなおっ○っと……もう2度と食えないけど。

 

「どうなさったんですか?」

 

 俺が絵を見ながら遠い日本に想いを馳せていると、黙り込んでいた俺を心配してか、喧騒から離れたサリアスさんが話しかけてきた。

 

「ああいやちょっとね。見てくれよ、このバートンの絵。あいつ中々絵が上手いみたいでさ。ビックリしちゃったよ」

 

 俺が報告書を指し示すと、それを見たサリアスさんは、目を丸くしてちょっと驚いた様子だ。

 

「あら可愛らしい。これをあのバートンが?」

 

「そ、あのバートンが」

 

「へぇ……」

 

 意外だよね、なんて話をサリアスさんとしていたら、バートン本人が土産話を中断してみんなの肩越しにこっちに話しかけてきた。それに合わせて他の連中の視線もこちらに向く。

 

「グレゴリー様! 報告書はどうっすか? 俺っち今回は結構頑張ったと思うんすよ!」

 

 ふむ、確かにこれは結構な労力だと思う。褒めるとすぐ調子乗るからあんまり褒めないようにしてるけど、今日くらいは褒めてあげよう。

 

「正直凄く出来が良くて驚いてる。なんかボーナスの一つでもあげなきゃいかんな、これは」

 

 それを聞いて、本当っすかー!? やったー! なんて喜んでいるバートン。

 普段あんまりバートンを褒めない俺が、ここまで手放しで褒めるのは他の連中にしても意外だったようだ。みんな俺の手の中にある報告書がそれ程の出来なのかと気になるようである。

 しょうがないので、みんなのいるテーブルまで行って、報告書を開いて置いてやった。

 

「ほら、汚したりクシャクシャにしたりするなよ?」

 

 みんな顔を突き合わせてペラペラとめくりながらほー、とかへー、とか言い合っている。バートンは鼻高々といった様子だ。

 

 いやーしかし、こんだけ絵が上手いんだったらなんか別のところで活躍出来そうだけどな? 漫画とか売り出したら普通に売れる気がするぞ。いや、漫画は流石に飛躍しすぎだけど、魔物図鑑とか作ったら案外良いかもしれない。トールが今度やる新人研修とかに合わせて。

 

「ねぇ、ちょっとグレゴリー」

 

 考え事をしていたら、小声でレイラが話しかけてきた。

 

「どうした?」

 

「私の事っていつ説明するの? バートンってまだ私が勇者って事は知らないんでしょう? 私から言っても良いわけ?」

 

 あぁ。そうだった。バートンは向こうに行ってたから魔王城で一悶着あったことは一切知らないんだ。うわー、一から説明すんのめんどくせー。まぁいいや、とりあえずぱぱっと事実関係だけ説明しとくか。

 

「おい、ところでバートン。全然話は関係無いんだが、実はレイラが勇者だったらしくてな? こないだ覚醒したんだわ」

 

「はぁ? 何言ってるんすか?」

 

 バートンに頭大丈夫かって顔をされた。あのバートンに。屈辱だ。

 

 

 ───

 

 

「グレゴリー様、あの完全解毒薬についてなんですが」

 

 そう持ちかけてきたのはタマちゃんエキスの解析を任せていたカイルだ。あれからコツコツ解析を進めていたのは知っていたが、ようやく何か進展があったらしい。

 

「なんだい?」

 

「まだ確証は得られていませんがどうやらあれは生物由来のもののようです。何かの生き物から抽出されたとしか思えない」

 

 おおっと流石はエリート研究者のカイル。あの万能薬がタマちゃんから採れたという事は教えてないのに当ててきおった。

 

「ふむふむ、それで?」

 

「それは水棲生物ですね? そして私の予想では貴方はそれを知っている。違いますか?」

 

 殺人事件の犯人をズバリ言い当てるかのような言い方に若干気圧される。

 

「ノーコメントで」

 

「ふふふ、私ピンときてしまいましたよ。レジア湖でバートンさんが描いたっていう絵を見た時にね。あのタマちゃんがそうなのでしょう?」

 

「むむむ」

 

 勘のいい奴め。いや普通に気付くか。だって時期的にも俺があの万能薬を渡したのってレジア湖から帰ってきた後だしな。

 研究して貰ってる関係上いずれは分かることだし、そのうち言うつもりだった。だがこの短期間で気付くとは流石だ。

 

「いいかね? カイル主任。その事実はマジのマジで最重要機密だから絶対に他言は無用だぞ。知ってるのは俺と現場に居合わせたレイラとお前の3人だけだから」

 

 俺が真面目な顔をして言ったらカイルの奴はニンマリして囁いてきた。

 

「3人ですか……! それはなんとも高揚感がありますね……こう、最高機密とか言われると子供心がくすぐられるような……」

 

 色々秘密の多い職場だが、カイルは普通の研究者という事もあって、あんまり機密情報には関わる機会は少なかった。そのせいか、秘密とか機密とかそういった類のものにはどうやら憧れがあるらしい。その気持ちはとてもよく分かるよカイル君。

 

「まぁカイルは口が堅いからちゃんと全部教えとくよ」

 

 俺は万能解毒薬、もといタマちゃんエキスを研究するに至った経緯について順を追って説明した。そして俺がこのタマちゃんエキスに何を期待しているのか、という事についても話す。

 俺が話し終えたら、カイルはようやくモヤモヤが晴れたといった感じのスッキリした顔をした。

 

「ははぁ、なるほど。そんな理由があったとは。確かにこのエキスを量産できればタマちゃんを狩る理由がほとんど無くなりますもんね」

 

「だろ? 勿論量産は金儲けの為っていうのはあるんだけど、タマちゃんの安全確保にも繋がるから一石二鳥ってわけよ」

 

 俺が発案したレジア湖観光地化計画で一番気にしなきゃいけない事は、タマちゃんが万能薬を作れる事を知られてはならない事だった。

 当然そんな簡単に知られる訳は無いんだけど、万が一っていう事もある。そうなった時に、世の中に万能薬が出回っていれば、タマちゃんが狙われるリスクも減るわけだ。そういう効果も期待して、俺はカイルにタマちゃんエキスの解析を頼んでいた。

 

「という事で、頑張ってもらいたいわけよ。だから何か足りない物があったら遠慮せずすぐ言ってくれよな?」

 

「そうですねぇ……足りないってわけじゃないんですけど、レジア湖に行って水質を検査したり、周囲の環境の調査もしたいですね。あとはタマちゃんの食事とか、エキスが一度にどのくらいの量作られるかとか、それから───」

 

 研究者らしいっちゃらしいけど、本当に遠慮する事なくカイルが色々言ってきた。そんなカイルを押し留めて、現地調査は今はちょっと忙しいからまた今度な、と断ったらカイルは悲しそうに仕事に戻っていった。今度の団体ツアー第一陣と一緒に行かせてやろうと思う。

 

 



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暴風カナリス

 

「グレゴリー様も王都に一度は行かれますよね?」

 

 ステイシアが王都に二店舗目を構える件で俺にそんな事を聞いてきた。

 

「うん、まぁ流石に自分の目で確認したいからね」

 

「そうですよね。私も、もうほとんどこっちでやれる事は終わったのでそろそろ王都に下見に行きたいなと思ってまして」

 

「そしたら王都に行く日程も決めなきゃいけないな」

 

 辺境のメルスクから王都へはかなり遠い。徒歩だと3週間近く掛かる。

 街と街を繋ぐ乗合馬車があるからそれを上手く使えばもう少し早く王都に行く事は出来るけど、定期的にいつも出てるわけじゃないから途中の区間が安定しない。

 最速は自分で馬を買って乗っていく方法だろうけど、俺は馬なんて乗れないのでそれは却下。

 

 もっとマシな交通機関がありゃあ良いんだけどなぁ。魔法で動く機関車みたいな物は無いものか。

 まぁそれは置いといて、実際いつ行くかだ。

 

「なるべく早く行きたいとは思ってるんだけど、カナリスさんがもうすぐ来るからどうしたもんかなって」

 

「あぁ、そうでしたね」

 

 あの人をこの街に置いて王都に行くのはかなり不安だ。というかそもそもカナリスさんが素直に待ってるビジョンが見えない。絶対 “私も参りますわ” って言うに決まってる。

 

「なら、カナリスさんが来る前に先に出発してしまえばいいのではないですか? 居留守じゃありませんけど」

 

 普通ならそう思うところなんだろうが、そう上手くいかないのがカナリスさんなのだ。

 

「ここに来て俺が居ないって知ったら、あの人の事だから追っかけて来る気がする。もしくは俺不在のメルスクで好き勝手やるか。そうなったらどんな結果が生まれるか俺には想像もつかないよ」

 

 俺が苦々しい顔をしてそう言うと、ステイシアは眉間に皺を寄せた。そしてふと思ったのか控えめに伝えてくる。

 

「あの……その方は本当に味方なんですか?」

 

 確かに。言われてみれば敵に対処するとき並みに頭を使っている気がする。あれ? そう考えたらあの人ってマジで味方じゃ無いんじゃね?

 

「うーん、味方の筈なんだけどなぁ……ま、そんなわけで王都に行くのはしばらくは様子見かな? もしくは俺を置いて先に行って貰うってのもありかもしれない」

 

「はぁ、そうですか」

 

 口では様子見だなんだと言ったけれど、カナリスさんがやって来たら、なし崩し的にずっと居座ることになるような気がする。というか多分そうなると思う。そうなったらもう王都に一緒に行く事を想定しといた方がいいかもな。はぁ、先が思いやられる……。

 

 

 ───

 

 

 そうこうしているうちにとうとうその日がやってきた。

 ある日の午後、突然懐の魔王シアター改が震えて誰かが呼び出していることを告げた。俺はいつも通り魔王様だろうと思って電話に出る。

 

「はい、もしもし?」

 

『聞こえるかしら、カナリスよ。これはグレゴリーさんで合っているのかしら?』

 

 うげ、とうとう来たか……。

 

「えーと、多分間違ってるんじゃないですかね」

 

『あら、やっぱりその声グレゴリーさんじゃありませんの。(わたくし)、今街の入り口の前に居るのですけれど、あなた迎えに来てくださる?』

 

「どっちの入り口ですか? 北? 南?」

 

『魔界から来たのだから北に決まっているじゃありませんの。変な事をお聞きになりますわね?』

 

 いやいや、俺達がこの街に初めて来た時は怪しまれないようにわざわざ遠回りして南門から入ったんだぞ。そういうとこ全然気にしてなさそうなんだよなぁこの人。

 

「はいはい、分かりました北門ですね。今から向かいます」

 

 俺はステイシアにお茶の用意だけしておいて欲しいと頼んで、一人北門に向かった。

 行ったらすぐに分かった。勿論カナリスさんは変身の技を使っているからいつもと姿は違うのだが、カナリスさん自慢の金色の長髪はそのままだった。そこを変える気は無いのかもしれない。

 

「どーも。お久しぶりですね、カナリスさん」

 

「あなたどちら様?」

 

 分かんないよねー。カナリスさんと違ってオーラ無いからねー。

 

「グレゴリーですよ……さっき行くって伝えたでしょう」

 

「冗談ですわ。その覇気の無いところは相変わらずですわね」

 

 変身していてもって事なのか、それとも前会った時からって事なのか、はたまた両方なのかは分からない。とにかく俺はため息一つついて踵を返した。

 

「覇気なんか無くて結構ですよ。とにかく案内しますからついて来てください」

 

 歩き出した俺に、一応素直についてくるカナリスさんだったがこのお嬢様、周りをキョロキョロしすぎである。

 

「あら、神聖セリアの教会がありますわね。滅びてしまえばよろしいのに」

 

「あんまり街中でそういう事言わないでくださいよ。誰が聞いてるか分かりませんから」

 

 デリウスの南東の国家である神聖セリア王国。この国は宗教国家で、布教のためにデリウスにやって来てあちこちに教会を建てているのだ。そしてそのうちの一つがここメルスクにも存在していた。

 

「忌々しい。アレが居なければ先の大戦もあそこまで酷くはならなかった筈ですわ」

 

 もはや人間ですらなく、物扱いである。

 

「後で聞きますから。今はおとなしくついて来てください」

 

 まぁカナリスさんが教会を嫌うのもよく分かるのだ。というか俺だって嫌いだし。

 何が嫌ってこの宗教、教義が酷いのだ。ざっくり言うと、人間こそが神によって選ばれた種族であるから魔法が使える。だからこそ、その魔法で世界を平定しなさい、というイカれた教え。

 

 この宗教が無ければあの人魔大戦ももう少し早く停戦に持ち込めていたはずだ、という結論が出ている。だから、この事を知っている魔族はみんなセリア教を蛇蝎のごとく嫌っていた。

 

「ここです。着きましたよ」

 

「意外と大きいですわね」

 

「そりゃあ頑張りましたからね」

 

(わたくし)を除け者にして楽しくやっていたということかしら?」

 

「いえいえ。たまたまカナリスさんにお伝えする機会が無かっただけです」

 

 扉を開けて入ると社宅の中は妙な空気に包まれていた。みんな共有スペースから退散して各自の部屋に戻ったかのかもしれない。

 多分ステイシアが他の連中にカナリスさんが来る事を伝えた結果なんだろうが、いつもと違うせいでこっちも変に緊張してくる。

 

「荷物を運んでくれるボーイはおりませんの?」

 

「ここはしがない安宿ですから。全てセルフになっております」

 

 これが冗談なのは、そこそこ長い付き合いなので分かる。しかも分かった上で上手く返さなきゃいけない。カナリスさんの冗談を適当に流したり無視したりすると、途端に機嫌が悪くなるから大変なのだ。

 

 俺の返答に少しだけ気を良くしたカナリスさんは、奥の共有スペースにソファを見つけてそこに優雅に座った。初めて来たようには全く見えないのがこの人の凄いところだ。

 

「お茶を頂けるかしら?」

 

「お待たせしました。紅茶をお持ちいたしました」

 

 うおっ! びっくりした。俺がステイシアを呼ぼうと思ったら、ちょうど見計らっていたのか、ステイシアが紅茶を持ってスッと奥から出てきた。

 

「こちらレジアのサレスティーです。カナリス様のお口に合えば良いのですが」

 

「ありがとう、いただくわ」

 

 俺がびっくりしてるのを他所に、カナリスさんは顔色ひとつ変えずにステイシアが持ってきた紅茶を啜った。持ってくる方も持ってくる方だけど貰う方も貰う方だわ、俺には到底ついていけねえよ。もう俺黙ってようかな。

 

「あなた、お名前は?」

 

「ステイシアと申します。今はグレゴリー様の秘書をやらせて頂いています」

 

「ふーん……という事は当然(わたくし)達が人間ではない事も知っておりますわね?」

 

「はい。存じております」

 

 ちょ! 黙ってようかと思ったけど流石にこれはひとこと言っとかなくては。

 

「カナリスさん! もし彼女がその事実を知らなかったらどうするつもりだったんですか!」

 

 俺が少し声を荒げると、カナリスさんは涼しい顔でもう一度紅茶を啜った。

 

「何を仰るかと思えばグレゴリーさん……ズボラな貴方がこの方を側につけて気付かれない筈がないではありませんの」

 

 ぐぬぬ……実際にソッコーでバレた身としては一ミリも反論ができねぇ。縋る思いでステイシアを見たら申し訳なさそうに目を逸らされた。悲しい。

 めざといカナリスさんはそれを見て全て察したようで、目を細めてフッと笑った。

 

「どうやら本当に()()ようですわね。その少し抜けているところも相変わらずですのね?」

 

「ええまぁ、お陰様で相変わらず元気にやらせて貰っていますよ」

 

「その分だとどうせこちらでも仕事が山積みなのでしょう?」

 

「……まぁ、はい」

 

 いや確かに仕事山積みだけどさぁ! なんだろう。このなんとも言えない懐かしい感覚は。あぁそうだ、これはオカンに叱られてる時の感覚だ。ああ、日本の家族はみんな元気かなぁ。

 

「聞いておりますの?」

 

「聞いていますよ」

 

「なら結構。あの時のように(わたくし)が貴方の仕事を進めますわ」

 

 蘇る魔王城での記憶。カナリスさんがまるでブルドーザーのごとく仕事を推し進めた結果、俺は関係各所に頭を下げて回ることになったのだ。嫌だなぁ、でもこうなったらもうカナリスさんからは逃げられない。

 どうせこうなると思ってたんだよ。だからこれは想定内、完璧に予想通りだ。嘆かわしいのは回避不可能という点だろうか。とにかくこうなった以上、予定していた通りカナリスさんには王都についてきてもらおう。

 

「……実は一つ、先延ばしになっている案件があります」

 

「よろしい。聞かせなさい」

 

 俺は王都に二店舗目をオープンする件で、現状どうなっているかとか、この先どうする予定であったかなどを話して聞かせた。

 

「──という事で、王都に行く予定だったのですが、カナリスさんを放っておくわけにもいかず、やむなく延期をするつもりでした」

 

「なるほど。大まかには理解しましたわ」

 

 そしてカナリスさんは紅茶の残りをグイッと呷るととんでもない事を言い放った。

 

「1週間で王都に行く支度をなさい。その間(わたくし)も自分の準備を進めておきますわ」

 

 ほーら始まった。1週間後に王都に行くつもりだよこのお嬢様。まだこの街どころか人間界の事もロクに知らないってのに。

 

「カナリスさん。まだここでの生活に慣れていないでしょう? どこかでボロを出さないか心配ですよ。せめてもう少し時間をかけましょう」

 

「1週間もあれば充分ですわ。だいたい貴方がそれを言うのはおかしいのではなくて?」

 

 チラッとステイシアの方に目線を送るカナリスさん。はい、もう仰る通りでございます……。

 

「もしもそんなに心配ならばステイシアを貸してくださらない? 分からなければ彼女に聞きますわ」

 

 む。まぁステイシアなら安心か。よく気がつくしね。ただ、そのまま永久に貸し続けることになりそうなのが怖いところだ。

 

「ステイシア。頼めるかな?」

 

「分かりました。どうぞよろしくお願いいたします。カナリス様」

 

 そんなこんなで1週間後に王都に行くのが決定してしまった。これから殺人的に忙しくなりそうだ……。

 




8章終わり


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