落ちこぼれ職業の英雄創作《ヒーロークリエイト》~知りたがりと怖がりとお人よしにチートを添えて~ (葵 悠静)
しおりを挟む

プロローグ

毎日12時に投稿予定。


 創造世界マジエイト。多種多様な魔法と剣術があふれるこの世界ははるか昔強大な力を持った5人の魔術師によって造られた世界だと語り継がれている。

 

 この世界では5歳になるとその時に持ち合わせている潜在能力と伸び代をふまえて選定される職業の中から、一生を決める職業を決めることとなる。

 

 各都市、どんな小さな村でも必ず存在する選定の部屋。

 そこで執り行われる『選定の儀』

 5歳になった直後のたった数分で、自分の一生が決まる。

 

 それがこの世界の()()()だ。

 

 選定職業でその人間の価値が決まる。どんな一生を過ごすのか想像がついてしまう。

 高い魔法能力を持ち合わせているにもかかわらず『書き師』を選んだ私の人生など振り返るだけでも胃液がこみ上げる。

 

 いつの日からかそんな人生が、自分が、世界がたまらなく嫌いになってしまっていた。

 

 無意味に毎日を過ごす。ここに自分がいる価値とは何なんだろう。

 自問自答を繰り返し、笑顔を貼り付けて街を歩いていた。

 

 そんな時だった。彼に出会ったのは。

 

 食料品を買いに街に出る人でごった返している市場に、彼はぽつんと立っていた。

 小さな体にもかかわらず、周りの人にかき消されない存在感が確かにあった。

 

 真っ白な髪に目を引かれたのかもしれない。

 気づけば私は彼に近づいていた。

 

「こんなところでひとりでなにしているんだい?」

 

 彼の視界に入るように身をかがめて話しかける。

 

「さあ何をしているんでしょうね」

 

 返ってきた言葉は冷たく何も感情が込められていないように感じ取れた。

 それに合わせるように私の目を見つめ返してくる彼の目は、ひどく底冷えしていてやけに大人びている。

 

「お母さんとかはどこにいったんだい?」

「さあ?もういないんじゃないでしょうか」

 

 親に捨てられる子供は別に珍しくはない。一見平和そうに見えるこの街でさえ、路地裏に行けば今日を生きるために目をぎらつかせている子供がたむろしている。

 

 親が子供を捨てる理由は様々だが、大半はやはり『職業』のせいだ。将来に期待を持てないから捨てる。

 捨てられた子供は生きる術を自分で身につけるか、そのままのたれ死ぬかの選択肢しか残っていない。

 

 私はもう一度目の前の彼をよく見る。

 遠くからでも分かるような真っ白な髪に、幼いながらも整った顔。彼の目は青い色をしていて、覗き込めば吸い込まれそうなほどに美しかった。

 

 こんな町のど真ん中に一人でいることといい、身なりはどう見ても路地裏で暮らしているようには見えない。

 むしろ高級街の住人だといわれても違和感がないほどだ。

 

「あなた名前と職業は?」

「ドラフォノス・グラフォス。『書き師』です」

 

 青い目にドラフォノスという苗字。聞き覚えはあったが、それよりも職業の方に意識がいった。

 

「書き師かい。他に選択はなかったのかい?」

「ありましたよ。でも僕は好きでこの職業を選びました。それははっきり覚えている。この世界は知識であふれている。僕はそれを知りたい。残したい。だからこれを選んだんです。まあ気づいたらこんなところにいたんですけど」

 

 少年ははっきりと書き師という職業を自分の意思で選んだといった。そこに迷いはなかった。

 

「行くあてはあるのかい?」

「ないでしょうね」

 

 私は気付けば彼の手を握っていた。少年は訝しげに私の顔を見てくる。

 

「うちに来るかい?」

「いいんですか?」

「まあ一晩二晩くらいなら平気さ」

「…………」

 

 どうするべきか悩んでいるのか今後の自分の身がどうなるのか案じているのか少年は不安げに私を見上げていた顔をうつむいてしまう。

 

 そこで私は初めてその子の年相応な表情を見た。

 ずっと無表情だったその顔をくしゃくしゃにゆがめて、何もわからない現状に、こうなってしまった不条理に押しつぶされそうな表情を浮かべていた。

 

 そんな顔を見てしまったからだろうか。気づくと私は彼の握っていた手をそのまま引いて歩きはじめていた。

 

 どうして彼の手を引いて自分の家に連れて行こうと思ったのか、それは10年たった今でも分からない。

 彼の白髪に惹かれるように話しかけたからかもしれないし、同じ書き師という境遇に同情したからかもしれない。

 

 もしくは話しかけてからというもの、ずっと静かに少年はその大きな瞳から静かに涙を流していたからもしれない。

 

「……ありがとう」

 

 手を引いた小さな背後の気配から聞こえてきた小さくか細い声。

 

 お礼なんて言われる筋合いはない。

 これは私の勝手で、書き師という職業に絶望していない少年の目を見て、彼といればこの世界をまた少しは好きになれるかもしれないと、結局はそんな身勝手で引き連れているのかもしれないのだから。

 

 こうして私は一人の少年を自宅に招き入れた。それから二晩、一週間、半年と……気づけば10年も彼と一緒に生活を共にしていた。

 

 気づけば私は一見不愛想にも見える無表情が板につく子供を育てる一人の親になっていた。

 




なろう・カクヨムでも最新連載中です。
ハーメルン初投稿ですが、皆様の息抜きになれば幸いです。
よろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1節 いつもの日常

「グラフォス! あんたまた一人で外に出たんだって!?」

 

 町の本屋さん『ヴィブラリー』でいつものごとく店主の叫び声が辺り一帯に響きわたる。

 

「ミンネさん、お店では静かにしましょうって習いませんでした?」

 

そんな怒鳴り声に冷静に反応する白髪が目立つ少年。その手には少年にとっては持ちにくいであろうほどの大きさの装丁本が握られている。

 

「一体誰が私の血圧を上げてるんだい!」

「ここに立ち寄るのに何も買わない無銭常連客にでしょうか」

 

少年は店の前で大きく立ちはだかるミンネを横目に淀んだ瞳で店内を見つめる。

店内にいた客達は名指しされてないにもかかわらず、いそいそとミンネの横を縮こまりながら通り過ぎ、街中へと消えていく。

 

「あんな連中いてもいなくても変わらないよ! あんたに怒ってんの!」

「まあまあ、こうして何事も帰ってきてるんだからそれでいいじゃないですか」

「何かあってからじゃ遅いんだよ! 分かってんのかい!グラフォス!」

 

少年の名前が再び大声で街中に響き渡った直後、同じくらいの大きさで鈍い音が周りに響く。

 

「……今日受けたダメージの中で1番痛いんですが……」

 

ミンネの愛の鉄拳がグラフォスの脳天を突き抜ける。

今まで無表情を保っていたグラフォスも涙目を浮かべて、思わず頭を抑えた。

 

「まったくこれくらいじゃ足りないくらいだよ」

「勘弁してください、僕街中で死にたくないです」

「はっ、早く入りな。飯にするよ!」

 

グラフォスの必死な懇願を鼻で笑い飛ばしたミンネはその細身ながら長身長の体をグラフォスに巻き付けるように羽交い締めにする。

 

「ちょ!痛い痛い! 1人でこの距離なら歩けますから!!」

「知ったことか! ほらアンタらも見せもんじゃないんだ! 今日はもう店じまいだよ!」

「なんだ、今日はもう終わりか」

「まあミンネさんのあの鉄拳くらったらな」

 

ヴィブラリーの店前を陣取りにやにやしながら2人のやり取りを眺めていた少なくない群衆は口々に好き勝手言いながら、街の雑踏へと戻っていく。

 

ただみんな本屋の前にいたはずなのに、誰一人としてその手には本は握られていなかった。

 

「もう十分見世物ですよね……」

 

グラフォスはため息混じりに呟きながら、それが聞こえてないのか聞こえてないふりをしているのかなんの反応も示さずミンネに引っ張られて店内の二階へと足を運んだ。

 

グラフォスが街の本屋「ヴィブラリー」店主ミンネにひろわれてここ数年、これはほぼ毎日お決まりの光景であった。

 

 

 

街の本屋さん『ヴィブラリー』は、1階こそ本屋の体裁を保っているものの、2階に上がればそこは、ミンネとグラフォスの居住スペースである。

 

小さな小部屋が3つ。簡素なキッチンスペースが用意された部屋でグラフォスは質素な木製いすに座り、目の前のテーブルに置かれたミネストローネと固いパンを頬張っていた。

 

「ミン姉、このパン固くなってますよ」

「セールで安く売ってたんだよ、文句言わずに食べな」

 

店舗内以外でグラフォスはミンネのことをミン姉(みんねえ)、ミンネはグラフォスのことをフォスと呼ぶ。

 

口調こそ古臭いミンネだが、見た目は20代前半だと言われても疑わないほどの若々しさ、しかも他人目で見ればかなりの美人だ。姉と呼んでも何ら違和感がない。

 

店舗で愛称で呼ばないのは一応周りへの体裁だろうか。本を買う客など滅多に訪れない本屋だが、そこら辺は気にするようだ。

 

「フォス、食事中に本を読むなって何度言えばわかるんだい」

「大丈夫です。本を汚すような真似はしませんし、これは自作です」

「そういう意味じゃないよ……」

 

パンを片手間に本に体の八割を向けているグラフォスを呆れるように見つめパンをかじりながら、向かいの椅子に座る。

 

「全く仕事熱心と言うべきなのかねぇ」

「僕は生粋の書き師ですからね」

「それで、自称生粋の書き師様の本日の収穫はいかがなものなのかね」

 

からかうようにニヤついたミンネの言葉にグラフォスは若干不機嫌そうに顔を上げる。

そして未だニヤついたまま片手をグラフォスの方に向けてくるミンネのその手に、自分が今のいままで読んでいた本を開いたまま手渡す。

 

「ふーん、どれどれ? ……全部魔物書物に載っている魔物ばかりだねぇ。これのどこに命を張る必要があるのか……」

「そんなの僕だってわかってますよ、それに別に命を張ってるわけじゃないし……」

 

若干口をとがらせながらブツブツと言い訳にも思える言葉を吐くグラフォスを苦笑いで見ながら、ミンネはついさっき受け取ったばかりの本を返した。

 

グラフォスは本をテーブルに置くと、再び開いていたページに目を向ける。それはミンネに渡す前と何ら変わらない同じページが開かれていた。

 

それも当然だ。半ページは文字で埋まっているが、もう半ページは白紙のままだ。そしてその状態からここ一週間は変動がないため、ページをめくる必要が無いのだ。

 

そしてそこに書かれてるのはこの街のすぐ外、森の入口にいる魔物ばかり。

今更その情報が公開されてないなんてことはありえない。

 

「なんでそう意固地になって自分で書こうとするのかね」

「それが僕の仕事です」

 

ミンネは頬杖をつきながら傍から聞けば至極真っ当なことを言っているグラフォスに溜息をつきながら軽く笑う。

 

「よく書き師なんて仕事にそこまで熱中できるもんだね」

「ミン姉も書き師でしょ」

 

グラフォスははっきりと不機嫌をその顔に表すと、ずっと眺めていた本を閉じて自室へと向かった。

 

「あらあら逆鱗に触れちゃったかね」

 

扉を開けた時、そんな苦笑混じりの呟きが聞こえた気がするが聞こえないふりをした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2節 文字を書くためだけの魔法

 次の日、前日誰にも告げず森に出かけた罰としてグラフォスは店番を任されていた。

 

 店番といってもこんな朝から本屋に来る奴などいない。

 グラフォスは頬杖をつきながら店内にあった売り物である本をつまらなさそうにペラペラとめくっていた。

 

 自他共に認める本の虫であるグラフォスだが、ここにある本はとっくの昔に全て読んでしまっている。そのためつまらなさを感じてしまうのも仕方が無いことだった。

 

 誰も店に訪れないまま時刻は昼を回る。さすがに何度も目を通した本を閉じると、その代わりに焦げ茶色の装丁をした分厚い本を開く。

 

 しかしその本の中は真っ白で、それは昨日ミンネに見せていた本ともまた別物。

 グラフォスは退屈そうな顔を一瞬引き締めると前ページをちらりと覗き、再び白紙のページに戻した。

 

「『ブレインライト』」

 

 自分の体から極少量の魔力を削られる感覚。それに併せるように目の前の白紙のページの上に沿うように、黄金色に輝く羽根ペンが顕現する。

 

 そしてグラフォスの思考がある程度まとまった段階で羽根ペンが白紙の上を滑り、ひとりでに文字が書かれていく。

 

 当の本人は当たり前の光景のようにそこにはあまり目を向けず、相変わらずぼーっと視点の合わない目で外を眺めていた。

 

 今まで同じ魔法を見たことはないが、これはグラフォスが昔から、きっと物心がついた頃から使えてる魔法だ。

 

 自分のまとまった思考を読み取ってそのまま文字にしてくれるこの羽根ペン魔法は、下手な攻撃魔法よりもお気に入りだった。

 

 頭の中に浮かぶ空虚な妄想を取り留めもなく白紙のページを埋めていく羽根ペンを、ぼんやりと眺めるグラフォス。

 このまったりとした時間の流れを感じられる時が嫌いではない。

 

 しかしその時間は突如終わりを迎える。後頭部に激しい鈍痛をおぼえると同時に自分の顔が、目の前の本に突っ伏するのを感じた。

 それと同時に軽快に文字をつづっていた黄金色の羽根ペンはその場から霧散し、背後には人の気配。

 

「いったー……」

「グラフォス! 人前でその魔法は使うなって言ってるだろう!」

 

 顔を上げるといつの間にか目の前にはミンネが憤怒の表情で立っている。

 

「人前って誰も来やしませんよ、こんなとこ……」

「こんなとこだぁ?」

 

 事実グラフォスは店内に客がいないことを確認して、魔法を使用した。この店でグラフォスが店番をしている時に客なんて滅多に来ない。

 

 ミンネが居る時は彼女目当てで数人の人が店に訪れるが、それも客ではなくただ世間話をしに来た邪智な冒険者だ。

 

「そもそもなんで僕が魔法を使っちゃいけないんですか。別に街中で魔法を使っちゃいけないなんて法がある訳でもないのに」

「そんな得体の知れない魔法なんて見たことがないからだよ。何回も言ってるだろ、その魔法を見つけた目ざといやつがあんたにちょっかいをかけてくるかもしれないだろ」

 

 確かにそれはミンネにもう何度も言われている警告。

 グラフォスが彼女の目の入るところでこの魔法を使うやいなやどこにいようとミンネはこの鬼のような顔をしてグラフォスの前に飛んで駆けつけるのだ。

 

「こんな魔法見られたところで……」

 

 確かに同じように自分の頭の中のイメージを文字として表現する魔法なんてものを使う人は、見たことがない。

 

 ただ仮にこれがグラフォスのみが使えるオリジナル魔法だとしてもだ。こんな攻撃にも防御にも使えない魔法を求めて誰かが襲いにくるなんて考えられない。

 

 ただそれを今怒気を放つミンネに言うのはあまりよろしくない。彼女との10年の付き合いの直感がグラフォスにそう訴えていた。

 

「分かりましたよ、なるべく人前ではこの魔法は使いません」

「全く不用心な子だよ……今日は店じまいだ。上に上がってご飯にするよ」

 

 ミンネは深くため息をつくと、さっきまで放っていた怒気を霧散させ苦笑を浮かべながら2階へと戻っていった。

 

「あ、ミンネさん。明日は街に行ってもいいですか?」

「……また1人で郊外に出ないなら構わないよ」

「……善処します」

 

 グラフォスはミンネが浮かべる苦笑によく似通った笑みをその顔に貼り付けると、彼女の後ろをついて2階へと上がった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3節 いつものルーティン

「僕だってできるなら1人でこんな街の外なんて出たくないんですよ……」

 

 次の日、背中に大きなリュックを背負い、片手に豪勢な装丁をした本を開きながらブツブツと地面に向かって話している少年がいた。

 少年の無愛想な顔とは関係なく本の上をすらすらと軽快に羽根ペンが走っている。

 

 そこは街中ではなく鬱蒼と雑草が生い茂る郊外、森の入口だった。

 グラフォスはミンネと約束したその次の日に早速1人で街の外に出ないという約束を破っているのである。

 

「別に僕だって死にたがりじゃないわけですよ。冒険者にだってお願いをしているわけです。お、これは……」

 

 グラフォスは自分への言い訳を一旦やめ、今自らの手でむしった草をよく観察する。

 

「……なんだ、ただのヤモゴか」

 

 体力回復薬の主成分を担う薬草ヤモゴ、その用途は回復薬の作成からそのまま磨り潰して粉として飲むといった多様な使用法で用いられる。売価3マ。

 街の外に行く大人、果ては少年少女まで知っている今更な情報。

 

 グラフォスはそんな薬草に失望した目を向けながらもそれを腰につけたショルダーへと入れる。

 羽ペンはその情報を真っ白なページに書きたしていた。

 

「それはいらない。4年前に書いてる」

 

 グラフォスはつまらなさそうにそう呟くと、たった今書かれたヤモゴの記述は黒い文字として紙に浸透する前に霧散し、真っ白なページへと戻る。

 そしてグラフォスは次に書かれる文字を大人しく待つ羽根ペンを眺めながら、軽くため息をつく。

 

 今手に持っている自称雑草図鑑は4年前から1年にひとつのペースでしかその情報が追加されない。

 

 しかもこの本に載っている情報など市販されている本はもちろんのこと、冒険者であれば最低限の知識としてみんな保有している。

 

「まあこれも後付依頼を受ければお金にはなるし……。それでなんだっけ……そうそう冒険者が協力的じゃないから僕もこうやって……」

 

 グラフォスは思考を戻し再び目の前の草むしりに没頭する。たまに毟った草がヤモゴだった時はそれを無造作にショルダーの中へ突っ込む。

 そんな作業を真顔で続けながら今朝の出来事を思い返していた。

 

 

 

 グラフォスが街の外に出る前の習慣。それは街のギルドへと足を運ぶことである。

 ギルドに行くといっても、別に依頼を受けるわけではない。グラフォスも男だ。

 もちろんドラゴン討伐だとか、未踏ダンジョン攻略だとか興味がないわけではない。

 

 しかし彼の場合、その興味は冒険心というよりは知識欲を満たすための興味のほうが大きいのだが。

 

 グラフォスがギルドに赴くのはそういった人気高報酬依頼がなくなる日が昇りきった昼下がりのころである。

 

 その行動は、彼が無謀なことをしようと街の外に行こうとしているわけではないと自明する言い訳の行動の一環だった。

 グラフォスはその手には大きすぎる冊子を持ちながら、目の前の酒場臭すら漂う建物としては中規模の大きさのギルドへと足を踏み入れる。

 

「あらグラフォス君また来たの? この間はミンネさんに怒られなかった?」

 

 ギルド奥にある受付へと足を運ぶグラフォスを迎えるやたら童顔なギルドの受付嬢は笑顔かつ大きな声でグラフォスに声をかけながら、これまた大きく手を振りながら近づいてくる。

 

「もちろん誰かさんのせいでしっかりと怒られたし殴られましたよ」

 

 目の前まできたギルド嬢に大きなため息で返しながらグラフォスは挨拶を返す。

 

「だって誰かが一人で森に向かったことをミンネさんに報告しないと、もしグラフォス君が帰ってこないと、それはギルドの責任になるでしょ? 私は汚れ役を買って出てるの」

 

 あっけらかんとそう言い放つギルド嬢。

 グラフォスが一人で森に出向いたとき、ミンネに報告をしに行くのはきまって目の前のギルド嬢だ。

 彼女はグラフォスがギルドに赴くようになってからずっとその役割を担っているため、彼女にあまりいい印象を持っていない。

 

「にしてもどういう伝え方をしたらあんなにミンネさんが怒るようなことになるんですか」

「それは~ちょっと焦った風とか、困った風とか、楽しい風とか? ま、最近はミンネさんも反応悪くなってきたから楽しく……やりがいがなくなってきたんだけどね」

「それ言い直せてませんからね。報告で普通やりがいなんて感じないですから」

「そうかなあ?」

 

 そうこのギルド嬢はわざとミンネを不安にさせるような物言いで報告をするんだからたちが悪い。

 もちろん本当にピンチに陥った時なんてのは、数えるほどしかないが目の前のギルド嬢はあたかも毎回グラフォスが危険なところに飛び込んでいるような口ぶりでミンネのもとへと向かう。

 

 それだから毎回あんな大目玉を食らうのだ。だからグラフォスが街の外に出るたびに殴られるのは8割このギルド嬢が悪い。

 

 グラフォスはそう思っている。

 

「それで、今日もパーティ募集に来たの?」

「そうですね、あなたにかまっている暇はありませんでした。募集依頼をお願いします」

「足止めしてるって言ってくれた方が、お姉さんは嬉しいんだけどなあ?」

 

 ギルド嬢はやけに無駄に、体をくねくねさせながらグラフォスに抗議する。

 この仕草行動すべて計算された意識された行動だから手に負えない。

 

 周りの冒険者もそれをわかっているに違いないのに「今日もドリアちゃんはかわいいな」とかほざいているのだから余計にだ。

 

「さてと、悪ふざけはこのくらいにしてお仕事しなきゃ。依頼はいつも通りでいいの?」

「はい、内容は募集を受けてくれたパーティが受け持っている依頼への手伝い。冒険者必要等級は石から。報酬は依頼の最中に手に入れた物すべて。期限は今日一日。以上でお願いします」

 

 グラフォスは依頼料を出すくらいのお金しか持ち合わせていない。

 だからこそこの報酬くらいしか出せないのだ。もちろん場所によっては破格の報酬になりえるが、グラフォスの戦闘力を考えるとやはりこの報酬は物足りないレベルだろう。

 

 グラフォスの義務的な言葉を半分聞き流していたようなギルド嬢はすでに用意していたのであろう羊皮紙を胸ポケットから取り出し、内容を確認する。

 もちろん胸ポケットにそれをあらかじめ仕込んでいたのも計算である。

 

 現に羊皮紙を取り出す際に大きすぎる胸が少し揺れる光景を冒険者は見逃さず、鼻を伸ばしている。

 

「ほんとにグラフォス君はこういうの効かないよねえ」

「なんのことかはあえて触れませんが、子供にそういうのを求めないでください」

「発言は大人くさいのにね。お姉さんつまらない」

 

 彼女はすねたように頬を膨らませながら、掲示板にグラフォスの募集依頼を貼り出す。

 グラフォスはそんな彼女の後姿をジト目で見つめながら後をついていく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4節 ギルド嬢からの忠告

「グラフォス君、ギルド側の立場的にこういうことを言うのはおかしいかもしれないけど、ずっとこのパーティ募集は続けるつもりなの?」

 

 ギルド嬢は自分が貼った募集紙を眺めながら少し真面目な顔をしてグラフォスに問いかける。

 

「もちろんです。一人で森に行くのは危ないですし、それ以外の場所にも行ってみたいですから」

「んー、そういうことじゃなくて……。確かに薬草の採集とかで調薬師の人とかがパーティ募集依頼を出すことはあるけど、それは彼らに需要があるから受けられるのであって、もちろんグラフォス君に価値がないってわけじゃないんだけどね」

 

 ギルド嬢はそこで一度口を閉じると、困ったように彼に告げる言葉を探している。

 グラフォスはそれをただただ無表情で黙って待っていた。

 

 こういったやり取りは初めてではない。言葉こそ違えど定期的に告げられる警告。

 グラフォスは彼女の言葉をそう受け取っている。だから次にくる発言がなんなのかもだいたい予想がつく。

 

「書き師って職業は戦闘力がない人が一般的で、そういう人がパーティ募集を出しても冒険に連れて行くのはリスクが高いっていうか、護衛依頼とほとんど変わらないでしょ? だから依頼料を出すならもう少し報酬料も貯めて護衛依頼を出した方がいいんじゃないかなってお姉さん思うわけよ」

 

 最後はおどけたような口調で話すギルド嬢。

 

「確かに言っていることももっともだと思います。だけど護衛されて肌身にその危険を感じずに書かれた内容は真実味がないです」

「真実味かあ」

 

 確かにただ魔物の情報、魔法の情報、薬草の情報を事実として記した本。それが真実ではないとは言わない。

 

 ただその魔物と実際に相対したとき、その魔法を実際に目にしたとき、薬草の周りにどういったものがあるのか。

 

 それを知るには自分の身をもって知るしかない。だから護衛依頼ではだめなのだ。

 守られていてはそれを体感することはできない。

 

「確かに僕は冒険には全く向かない職業です。でもそれは僕の知識欲を止めるための言い訳にはならない。僕にとって興味のある知識を手に入れるために、危険を冒せと言われるなら、僕はその危険に飛び込みます。それでも命は惜しいです。だから少しでも危険を減らすためにパーティを組んでくれる冒険者を探しているんです」

「どうしても?」

「どうしてもです」

 

 グラフォスのそれは半分意地に近い。護衛対象としてではなく、一人のパーティメンバーとしてその知識を得たいのだ。

 

「そこまで言われたらお姉さんは何も言えないかな。でも危険を冒してまで冒険するっていうのは冒険者にも推奨していないからね? もしそんなことを君がするようだったら、その時は私も断固として反対します。……私グラフォス君に肩入れしすぎかなあ?」

 

 ギルド嬢は苦笑いを浮かべながら頭を掻く。

 

「ドリアさんは別に僕に嫌味を言っているわけではなく、善意で言ってくれているのはわかっているつもりなので。そこは感謝しています」

「ほんとにぃ?」

「ほんとですよ。ミンネさんへ報告しなければもっと素直に感謝できるんですけど」

「それは無理な話だね」

 

 彼女の軽快な笑いにつられてグラフォスも微笑を浮かべる。

 

「お、グラフォス君の笑顔ゲット! 今日はいいことありそー」

「人を一日占いの対象にしないでください。これ依頼料です」

 

 ギルド嬢に表情の変化を突っ込まれたグラフォスはその照れを隠すように、真顔で依頼料の銀の硬貨を一枚手渡す。

 

「なるほどね、グラフォス君はこういうのに弱いのか。はい1マラぴったし受け取りました。じゃ私は仕事に戻るけど、無茶だけはしたらだめだからね」

「パーティが見つかれば無茶しません」

 

 グラフォスのその言葉にまた苦笑いを浮かべながら、彼女は軽く手を振りながら受付へと戻っていった。

 グラフォスはそんな彼女に軽く一礼すると、ギルド端のテーブルへと向かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5節 いつも通りの返答

 ギルド端っこのテーブルに目立たないように小さく腰を下ろしてから、グラフォスの周りに特に何の変化もない。

 パーティメンバーはおろか、誰1人として彼に近づく様子は一切なかった。

 

 その間グラフォスはヴィブラリーから持ち出した既に三回は読んでいる本を読んでいたわけだが、その様子は閑散としながらも騒がしいギルドには全く似合わない光景だった。

 

 本を流し読みしながらたまに、五分に一回くらいのペースでグラフォスの募集依頼が貼りだされている掲示板のほうを十分ほど眺めていたが、この時間になるとそもそも掲示板に立ち寄る人のほうが少ない。

 

 立ち寄っている人がいたとしても寝坊して慌てたように余り物の討伐依頼をひっぺがしていく冒険者くらいのもので、グラフォスの依頼には目もくれない。

 

 そしてちょうど一時間後、グラフォスは開いていた本を静かに閉じるとゆっくりと立ち上がる。

 そして少し離れたテーブルで談笑をしている冒険者のもとへと近づいて行った。

 

「あの少しよろしいですか?」

「ああ? 俺らは今忙しい……なんだミンネさんとこの坊主かよ」

 

 忙しいと口走った冒険者は手に持っていた木製のジョッキを傾けると、その中身を豪快に音をたてながら飲み干す。

 

 昼間から酒を飲んでいるこの様子がいったいどこが忙しいのかはわからないが、大人にとってはこういったことも忙しい何かになるのだろう。

 

 都合のいいところで子供になるグラフォスであった。

 

「それで俺らに何の用だ?」

 

 酒を飲んでいた冒険者の周りに一人のいかにも魔法使いといった三角帽子をかぶった女性と、鎧をまとったごつい男性が近づいてくる。

 

 ちょこちょこ目に入っていたから気づいてはいたが、グラフォスがにらんだ通り彼らは三人で一つのパーティのようだ。

 

「言わなくてもわかるでしょう。あれよあれ」

「ああ、あれか。まったく坊主も懲りねえ奴だな」

「そう言ってやるな。少年なりに必死なのだよ。若いころというのは無謀に挑みたくなるものだ」

 

 三人の冒険者はグラフォスの奥に見える掲示板を指さしながらあきれたように話をしている。事情が分かっているのなら話は早い。

 

「僕のパーティ募集依頼を受けてくださらないでしょうか」

「受けねえよ」

 

 最初からそこにいた冒険者は若干不機嫌そうな顔で酒をあおりながら、しかしはっきりとした口調で即答する。

 その様子を見ながらも横に佇む二人も特に何か口を挟もうとはしない。

 

「……そうですか。わかりました」

 

 グラフォスは特に粘るわけでもなく三人に対して軽く頭を下げると、今度はグラフォスが座っていたテーブルから反対側にいる冒険者たちのもとへと向かう。

 

 カウンターの前を通るときにドリアさんに心配そうな目で見られていたが、あえて目は合わさなかった。

 

「すいません」

「なんだ? あ! お前はさっきドリアさんと親し気に話してたガキじゃねえか!」

「なに~、あんたこんな子供に嫉妬してんの? みっともないわよ」

「そんなんじゃねえよ」 

 

 グラフォスの存在に一瞬目を向けた二人だったが、すぐに彼に興味を無くして他愛のない話へと戻っていく。

 

 女のほうは軽装な見た目からしてシーフで、男のほうは大剣を持っているからおそらく戦士だろう。あまりバランスはよくなさそうに見える。

 

「あの、もしよろしければ僕を今日一日パーティ同行していただけないでしょうか」

「ん? ああ今日はもう店じまいだよ。ていうか今日は休暇日だ」

「休暇日までギルドに来ているのはどうかと思うけどね」

「ドリアさんがいるんだから休みでも来るだろうよ。酒も飲めるしな!」

「はあ、あほらし。それに付き合ってる私も私だけど」

 

 またグラフォスがいることを気にしない会話を始めたところでグラフォスは脈なしと判断して、その場を離れようとする。

 

「おお、ちょっと待てガキ。お前選定職業は何なんだ?」

 

 グラフォスに意識を戻した男が背中を向けた彼に声をかける。

 

「書き師です」

「書き師だあ!?」

「あんた書き師で冒険者になろうとしてるの? 無謀にもほどがあるでしょ!」

「別に僕は冒険者になりたいわけじゃないんです。この街の外にころがっている知識を収集したいだけで、それでパーティ募集をしているんです」

「はあ……」

 

 目の前の二人から深いため息が聞こえる。グラフォスにとってはよくされる質問で、質問の問いに対する反応はよくありふれた内容だ。

 

「そうか、まあがんばれよ。俺は力になれないけどな」

「さすがにねえ……何かあっても責任取れないし。私たちだって新米だから非戦闘職の面倒なんて見れる自信ないし」

「お気遣いありがとうございます」

 

書き師とは本来街の外へ出るような職業ではない。

 

() ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は街の本屋で一生を過ごすか、頭がよければ王城の図書館で暮らせるか、そういった生き方をする人がほとんどだ。

 

 それを知っているグラフォスもその二人の反応に特に落胆する様子もなく、先ほどと同じように軽く頭を下げると、ほかの冒険者のほうに向かった。

 

 その後討伐依頼が貼りだされている掲示板を眺めている冒険者、受付嬢と話していて何やら肩を落として歩いてた冒険者に声をかけたが、すでにその人たちは何度もパーティ依頼を直談判したことのある人たちだ。当然受けてくれるはずもなかった。

 

「しょうがないか……」

 

 グラフォスは口の中で小さくつぶやくと、元居た席にいったん戻ろうと足を進めた。

 

「おい坊主、ちょっと待て」

 

 しかしテーブルにたどり着く前に一番最初に声をかけた酒を飲んでいる冒険者に声をかけられる。

 グラフォスはその場で足を止めると、ゆっくりと声をかけられた方に目を向けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6節 冒険者からの警告

「悪いことは言わないからもうそういう真似はやめろ」

「ちょっとあんた、飲みすぎじゃない?」

「いや、酔ってなんかいねえ。こいつにはいつか一言言ってやろうと思ってたんだ」

 

 男はずっと手に持っていたジョッキをテーブルの上に置くと、止めようとしている魔法使いの手を払いのけグラフォスの前に立ちはだかる。

 いかつい顔つきに不機嫌さが増した凶悪極まりない顔面。目の前に立った男はそれ相応の迫力があったのだが。

 

「そういう真似とはどういうことでしょうか」

 

 グラフォスはその無表情を崩すことなく首をかしげて、世間話を始めるかのように男に話しかけた。

 冒険者は一瞬驚いたような表情をのぞかせたが、それもほんの一瞬。怒気に近い雰囲気をはらみながら彼に向かって言葉を続ける。

 

「そういう冒険者のまねごとをしようとしているところだよ。ちょっと前にうまくいったからって、調子に乗って何回も運にあやかろうとするんじゃねえ」

「五年前はちょっと前ではありませんよ」

 

 グラフォスは目の前の男の一言にわずかに無表情を崩し苦い顔をのぞかせる。

 それと同時に思い浮かんだのは約五年前の出来事のことだ。

 

 グラフォスのギルドでの一連のルーティンは生半可なものではない。それは五年間街の外に出るときは必ず行っていることだ。

 初めて街の外に出ようと決意した日。グラフォスは初めてギルドへと足を運んだ。

 そしてドリアに護衛依頼の出し方を教えてもらい、それと同時にパーティ募集依頼の出し方も自分で覚えた。

 

 最初のうちは書き師が街の外に出るという物珍しさからパーティを組んでくれる冒険者はまあまあいた。

 しかしそれも最初のうちだけ。書き師という職業であるグラフォスが戦闘で役に立つことなど皆無だ。戦闘中にその戦闘風景、相対している魔物の情報、見方が使用している技、魔法の数々をただただ自分が持つきれいな本に書き記していくだけ。

 それもすべて既出の情報だ。その情報がパーティメンバーの役に立つわけではない。

 

 そんな役に立たず、依頼先で危険な目にあうとわかっているグラフォスをパーティに入れようというもの好きはだんだんといなくなった。

 そして初めてギルドに足を踏み入れてから、一年後にはグラフォスとパーティを組もうという人は一人もいなくなってしまったのだ。

 

 もちろん最初の一年のようにうまく毎回毎回パーティ加入を引き受けてくれる人がいるとは思わない。ただ四年間ずっと一人で街の外に出ることになるとはその時のグラフォスには想像することができなかった。

 

「別に俺らは遊んでいるわけじゃねえ。それをお前はわかってねえ」

 

 昔の記憶を思い返し、苦い顔をしているグラフォスに容赦なくまくしたてる冒険者。グラフォスは意識を目の前へと戻した。

 

「それはわかっているつもりです」

「いーや、わかってない。冒険者は本気で冒険を仕事にしているんだ。そんな俺らの稼業に書き師のお前がのこのこと土足で踏み込んできて、いい気分じゃないやつもいるってのはわかるか?」

「…………」

 

 冒険者は確かに酒を飲んでいる時間と、ギルドにいる時間が長い体たらくな一面を見ることが多い職業だが、それでも遊んで暮らせる生半可な職業だとはグラフォスも考えていない。

 

「そんな書き師のお前がこれまでプライドを汚された冒険者に喧嘩売られなかった理由がわかるか? お前がガキだったからだよ」

「ガキ……子供」

「そうだ。でもお前ももういい年だろう? これからはそんな都合のいい言い訳は聞かなくなる。いつかぼこぼこにされるのは目に見えている。だからそうなる前にこういう舐めた真似はやめろって忠告してやってるんだ」

「僕がぼこぼこになろうが、街の外で魔物に襲われて死のうがあなたには関係ないように思えますが」

「あんたねえ」

「いやいい。こいつは変に頭が回る。自分が言っていることがいかにガキじみているかわかってるはずだ」

 

 女魔法使いのあきれたようにグラフォスを咎める声を男が止める。

 確かに言葉にした直後、自分のあまりの幼稚さに口を堅く閉じたグラフォスだ。自分が今いかに子供じみているかは身にしみて感じている。

 

「変に意地になっているんだろうけどよ。その意地は自分を殺す。冒険者は無茶をしない、無謀をしない、意地にならない。だ。別に死にたがりの集まりじゃねえからな。確かに俺はお前がどうなろうが知ったこっちゃないが、気にしてる人もいるんじゃねえのか?」

 

 男冒険者は三本の指をたてながら説明した後、その手で受付のほうを指さす。

 そこに目を向けると相も変わらず心配そうにこちらを見つめるドリアさんの姿があった。ほかの受付嬢も不安げな表情でこちらを見つめている。

 

「だからあんまり俺らの領域に手を出すんじゃねえ。そんだけだ」

 

 男は自分の頭をがしがしと掻くと、ジョッキを置いたテーブルに戻っていった。

 

「お気遣いありがとうございます。」

 

 グラフォスは小さく口の中で礼を言いながら男から視線を外す。そしてゆっくりとギルドの出口に向かって歩き始める。

 

「でも……」

「グラフォス君、今日もやっぱり一人で行くの?」

 

 駆け足音と共にかけられる声、振り返るとそこにはドリアさんが立っていた。

 

「そうですね。パーティにいれてくれるような人はいなかったので、仕方がないです」

 

 忠告を受けても街の外に行こうとするのはやめないグラフォス。酒飲みの冒険者が言うようにそれは確かに、ただの彼の意地かもしれない。

 

「それでも」

「グラフォス君?」

「冒険って別に冒険者の特権ではないと思うんですよね」

 

 グラフォスは少し冷たい口調でそう言い放つと、眉を寄せて渋い表情をのぞかせているギルド嬢に向かって一礼して、ギルドの外へと出て行った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7節 ボロボロの少女と回復魔法

 朝のやり取りを思い返したグラフォスは手を止めて、土にまみれている自分の左手を見つめる。

 

「まるで大人に怒られてすねて土遊びに興じる子供だな」

 

 きっと今日もヤモゴ以外に収穫はない。こんな毎日を繰り返しているだけでは何も新しい知識を手に入れることはできない。

 そんなことはわかっているが、これ以上一人で森の奥に行くのは危険だ。

 

「まああれもそろそろ形になってきたし、頃合いではあるとは思いますが」

 

 グラフォスは独り言をぶつぶつとつぶやきながら、ゆっくり立ち上がると右手に持っていた本を閉じる。それと同時にずっと紙の上で待機していた黄金色の羽ペンが霧散する。

 

「今日はもう帰りますか」

 

 土いじりを始めて数時間、空は赤みを帯び始めていた。

 

 グラフォスが森に背を向けてすぐそこに見える街へと歩き始めた瞬間、真後ろから草木がかき分けられるような音が耳に飛び込んできた。

 

「なんだ?」

 

 一瞬で振り返り、周りを警戒するグラフォス。ふと頭によぎったのは昼間に冒険者にいわれた冒険者にぼこぼこにされるということ。

 

 ただその可能性は現状を考えるとかなり低いか。

 

 そういう冒険者はグラフォスくらいなら草木に隠れるなんて真似をせずに堂々と襲い掛かってくるはずだ。

 

「ウサギか何かかな……」

 

 数秒か数分か、短くも長い時間警戒していたが音がした方から何かが出てくる気配はない。

 

「気のせいかな」

 

 しかし警戒を緩めることなく、グラフォスは森のほうを向いたまま後ろ歩きのまま街のほうに歩を進める。

 

 このまま走って街の中に入れる距離になれば、たとえ魔物が出てきても何とかなる。

 

 そう考えながらゆっくりと歩くグラフォス。

 

 できることならこのまま何事もなく街門までついてほしい。

 

 しかしそんなグラフォスの願いを裏切るかのように先ほどよりいっそう草木が揺れ大きな音を立てる。

 そして草木の陰から明らかにその陰とは異なる物体が飛び出してきた瞬間、グラフォスは手に持っていた本を素早く背中のリュックにしまい、別の本を取り出す。

 

「ん……あれは」

 

 しかしグラフォスはその本を開くことなく、手に持ったまま固まってしまった。

 

「ひ……ひと…だ。たす……けて……」

 

 森から出てきたのは全身土まみれ血まみれの奇妙な格好をした黒目と長い白髪が目立つ女の子だった。

 

「魔法学院の生徒か?」

 

 しかし身にまとった制服は見たことがない恰好をしている。いろいろな学校に関する本を読んできたグラフォスだが、その格好に見覚えはない。

 

「それに……」

 

 目の前の彼女から感じる高度な魔法の気配。目を凝らしてみると彼女の全身を包むように淡い緑色のオーラがまとっていた。

 

「自動回復魔法?!」

 

 本でしか読んだことないその魔法は、魔法を唱えてその魔力をまとっている間攻撃を受けても自動で傷をふさぎ、体力と生命力を回復してくれる魔法。

 

 もちろんそんな魔法が誰でも使えるはずがない。限られた技術を持ち、さらにそれなりの魔力量がなければ習得できない高等魔法だ。

 

 それをなぜ目の前の女の子が使えていて、そんな魔法が使えるのにも関わらず、こんなにボロボロなのか……。

 

「おね……がい……」

 

 深い思考に意識を持っていかれそうになっていたグラフォスの目の前で糸が切れたように倒れる少女。

 

 グラフォスはとっさに彼女に近寄ると思わず女の子の体を支えていた。

 近くに来ると余計に力強い魔法の気配を感じる。

 

「このまま放置するのはさすがにまずいよな……」

 

 思わず抱えてしまったが、これからどうするかなど全く考えてなどいなかった。こんな森の入り口に強い魔物がいるとは思えないが、じきに夜が来る。夜になって誰かに見つけてもらうのは困難だ。

 

 それに彼女の怪我は近くで見るとかなりひどい。魔法のおかげで徐々に回復はしているが、それでも横っ腹のあたりは何かに食いちぎられたのか、血にまみれた肉が丸出し状態だ。見ているだけでも痛々しい。

 

「しょうがない。もう少し我慢してください」

 

 グラフォスは眠っている彼女をゆっくりと地面に下ろすと、女の子の横で正座する。

 そして迷うことなく先ほどリュックから取り出した本を開くと、ページをめくりあるページで手を止める。

 

「『リリース』」

 

 そしてその魔法の情報が書かれた一節を指でなぞりながら唱えると、本に書かれていた文字が浮かび上がり、彼女の体の上に淡い黄金色をした魔法陣となる。

 

「『リリースエグジティング』『ホーリーパワー』」

 

 グラフォスの手にはいつのまにか魔方陣と同じ色をした羽ペンが握られており、魔方陣をなぞるように文字を書きなぐる。

 その瞬間魔法陣は中心から瓦解し、女の子の体に黄金色の光となって降り注いだ。

 

「うっ……これは……」

「目を覚まさせてしまいましたか。まあ急激な治癒は身体に少なくない痛みを伴いますからね。もう少々の我慢を」

 

 痛みに顔をゆがめながら目をうっすらと開けてグラフォスのほうに顔を向ける女の子。

 しかしその表情とは相対的に彼女の腹の傷はどんどんとふさがっていった。

 

「ちゃんと使えてよかった。ホーリーパワー、別名癒しの暴力。前見たときは損傷など到底治せそうにない魔法でしたから」

 

 グラフォス作の魔法図鑑ともいえる書籍に書かれているその魔法は、過去一度だけパーティとして参加した治癒師が使用していた魔法だ。

 

 その魔法は術者が注ぎ込む魔力に応じて、対象者の傷を癒す。

 つまり魔力量が膨大であれば膨大であるほど癒す力が強くなる中級魔法。

 

 そんな魔法にグラフォスは自分が待つ魔力の三分の一を注いだ。それによって彼女の全身の傷は欠損、傷跡も含めきれいさっぱりなくなっていた。

 

「あなたは……」

「僕はただの書き師です」

「かき……し?」

 

 女の子は感覚的にわかるのであろう傷が治ったことによる安心と不安を織り交ぜた複雑な表情をのぞかせながら再び意識を失った。

 

「とりあえずこれで彼女が死ぬことはなくなった……。でも放置するわけにもいかないか」

 

 グラフォスは開いてた本をパタンという音とともに閉じると、背中のリュックに背負う。

 そして両腕で目の前で眠る彼女を起こすと肩に担ぐ。

 

「軽いな……」

 

 それは運動をあまりしていないグラフォスでも重さを感じないほど、このまま手を放してしまえばぽっきりと折れてしまいそうなほどの軽さだった。

 見た目的には同い年くらい。この軽さは異常だ。

 

「まあ……あの人なら何とかしてくれるかな」

 

 結局グラフォスが頼れる人物など限られている。女の子に負担がかからないように注意しながらグラフォスは肩に担いだまま、街の中へと「ヴィブラリー」へと戻っていくのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8節 疑いと相談

「それでフォス、その子はどうしたんだい?」

「いえ、だからですね、森から出てきたというか、そこで拾ったというか……」

「ということはあんたは森に入ったということかい? 一人で」

「それは違います。あの子が森から出てきたんです」

 

 ヴィブラリーに帰ってきて、汚れたグラフォスと彼が抱えた女の子を見て、ミンネは血相を変えて女の子を二階へと運んで行った。

 

 それに後ろからついていく形だったグラフォスは今こうして女の子が無事であることを確認し、そしてその隣でかれこれ一時間ほど詰められている。

 

 もちろんグラフォスが連れて帰ってきた見ず知らずの女の子の所在を確認しているのもあるのだろうが、それよりもグラフォスがまた懲りずに街から一人で出たことを怒っている割合のほうが高い気がする。

 

「森から出てきたにしては怪我はしていないようだね。衰弱はしているみたいだけど」

「そうですね。けがはしてなかったように思えます」

「へえ、おかしな話もあったもんだ。森の中で着の身そのまま歩き回るなんて自殺行為だよ」

「多分この子治癒士だと思います」

「なんでさ?」

 

 ミンネが疑いの目でこちらを見つめてくる。

 グラフォスも隠していることはあるのだから、内心は結構動揺していた。

 

 ただあのリリースの魔法はミンネにも見せたことがない。ばれることはないと思うが……。

 

「森から出たときこの子自動回復魔法がかかっている状態でしたから」

 

 それに自分が使った魔法を見てすぐに回復魔法だと感づいたところもそれを裏付けている。

 

「自動回復魔法ねえ。そんな高等魔法を使えるようには見えないけどねえ」

 

 ミンネはグラフォスの話を半信半疑という様子で信じてくれたのか彼から視線を外し、今度は二人の隣で小さく寝息を立てる少女に視線を向ける。

 

 それにつられるようにグラフォスも目を向ける。

 出会ったときはグラフォスと変わらないくらい真っ白だった長い髪は今はほとんど黒くなっている。ところどころ白い部分は残っているものの、その黒髪は出会った時とはまた違う印象を抱かせる。

 

「ストレスであんな髪色になっちまってたんだ。相当な目にあってきたんだろうね」

 

 ミンネは彼女の細すぎる身体に目を見やりながら、その手で少女の幼さが残る顔の頬をゆっくりとなでていた。

 白髪から黒髪になったのは何も寝ている彼女に対して二人で髪を染めたからではない。

 

 ミンネの治癒魔法のおかげだ。精神をも正常に戻すその魔法がどんな代物か見てみたかったが、治療中グラフォスは部屋の中には入れてくれなかった。

 

 血まみれの服がミンネの服に変わっていたり、泥まみれだった体がきれいになっているから、ミンネが何をしたのかだいたいわかる。

 それでグラフォスを部屋に入れないというのは当然の理由だろう。

 

「それであんたはこの子を連れ帰ってきてどうするつもりだったんだい」

「いや、それをミン姉さんに相談しようかと」

「へえフォスともあろうものが何も考えなしに連れてきたってのかい」

 

 ミンネは少し驚いたように目を開くと、少しうれしそうに口を緩める。しかしその表情は一瞬だけですぐに真剣な顔つきに戻る。

 

「まあこの子がどういう子なのかわからないからね。まずはこの子の事情を聞かないことには始まらないね。話してくれるかどうかだけど」

「じゃあ少なくとも今日はここにおいてくれるってことですか」

 

「そらそうだろう。私を何だと思ってるんだい。こんな状態の子を外に放り出せるかい」

「ありがとう」

「子供がやらかしたことのしりぬぐいをするのは大人の役目さ。気にするんじゃないよ」

「しりぬぐいって僕は何もしていないんですけど……」

 

 あそこで森から出てきたこの子を放置することはできないし、あのまま連れて帰ってきたとしていても身体的状況から衰弱死してたかもしれない。

 

 すべて流れに身を任せた結果こういう事態になったわけで、グラフォスが原因で今の状況が生まれたとは思えない。

 

「細かいことはいいんだよ。フォス、あんたも今日は休みな」

「いや、でも……」

 

 ミンネの言葉を受け、思わず彼女に視線を向けるグラフォス。できるならちゃんと目が覚めて本当に無事だということ確認してからじゃないと、不安ではある。

 

 ミンネの魔法を信じていないわけではないが、ぶっつけ本番で使ってしまった自分の魔法がちゃんと効力はあったのか気になるところでもある。

 

「大丈夫だよ。今日は無理だろうけど明日にはちゃんと目が覚めるさ。明日きっちり事情を聞くためにも今日は休みな」

 

 グラフォスの不安をミンネは感じ取ったのかやけに優しい口調で話しかけてくる。

 

「そういえば……」

「どうしたんだい?」

「今日は殴らないんですね」

「なんだい、殴られたいのかい!?」

「おやすみなさい!」

 

 ミンネが腰を浮かせ握りこぶしを作っているのを見て、さっそうとグラフォスは立ち上がり部屋から飛び出していった。

 

「まったく……」

 

 ミンネは乱暴に開けられた扉を閉めながら逃げるように自分の部屋へ入っていくグラフォスの背中を眺める。

 そして再び静かに眠る少女の隣に腰かけるとその姿に今一度目を向ける。

 

「黒髪黒目の少女、それに森からぼろぼろで出てくる……いい予感はしないねえ」

 

 ミンネは顎に手を当てながらそう呟きながら、少女の隣で寝支度をはじめた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9節 つかの間の大脱走

「ふあああ」

 

 次の日の朝グラフォスは眠たげに肩肘をテーブルにつきながら、食卓についていた。

 昨日ミンネから逃げるように眠る少女の元を離れ、自室へと戻ったグラフォスだったが、一人の空間に戻ってきて一旦冷静になると、なかなか寝付くことができなかった。

 

 寝ることができないならやることは一つだ。今日その目で見たいろんな情報をまとめることにした。

 

 初めて間近で確認した自動回復魔法。魔法名を思い出せないのが心苦しいが、その魔法をかけられたときどういう状態だったのか、それを書き記すことはできる。

 

 それに見たことのない制服のような形の服。

 白いシャツにリボンがついていて、紺色のスカートはやけに短かったように思える。

 

 そしてなんといっても黒髪黒目の少女のことだろう。

 彼女はなぜ森から出てきたのか。グラフォスに助けを求めたのか。そのすべてが謎だった。

 

 明日になればその謎もわかるかもしれないという知的探究心をくすぐるその誘惑に、結局眠ることができず、本に向かい合った結果、眠りについたのは空が白みだしたころだ。

 

「結局眠れなかったのかい」

 

 あきれたようなミンネの声が耳に入ってくるが、うつらうつらとしながらパンをくわえているグラフォスの頭では処理できず、何も返事を返すことはない。

 

「あの子はまだ目を覚まさないみたいだね。フォス、今日はおとなしく店番だからね。店に出てもそんな腑抜けた面するんじゃないよ」

「ふぁい」

 

 パンを口に突っ込み咀嚼を繰り返すことで、無理やり意識を覚醒させる。

 昨日ミンネは少女が眠る隣で一夜を明かしたらしい。朝目を覚ましても隣の少女が目覚める気配は一切なかったらしい。

 

「よく眠りますよね、ほんとに」

「それだけ疲れてたんだろう」

 

 昨日森から飛び出してきた時の彼女の状態、服はぼろぼろで体も傷だらけ、憔悴しきった表情を見せていた彼女を見れば、全員が疲れのピークだと答えるのは間違いない。

 そんな彼女を起こそうとはさすがにミンネも考えなかったようだ。

 

「さ、あの子のことは置いといて今日もバリバリ働くよ」

「バリバリって、冷やかしの客しか来ないじゃないですか」

 

 結局今日も書店に置いてある何度も読み返した本を読んで終えるのだろう。

 そんなありきたりな日常をイメージしながらグラフォスは一階へと降りて行った。

 

 

 平凡は期待を裏切らない。

 

 そんな言葉がグラフォスの脳裏によぎる。

 午前中、客はゼロ。相変わらずヴィブラリーで自由気ままに読書の時間を楽しむグラフォス。

 

 それはこの店のいつもと変わらない日常風景だった。

 

 しかしその心境はいつもとは違い、気が散りまくりの状態だった。頭に浮かぶのは二階で眠っている少女のこと。いつ目覚めるのかと正直気が気ではならないが、顔には出さない。

 

 今ミンネは二階にいるが、もし不安げな表情を顔に出してその瞬間を見られようものなら何を言われるか分かったものではない。

 しかし本当に相も変わらずここは暇すぎる。一度二階に戻ってご飯でも食べようか。

 

 そんな思考は突如、勢いよく階段を駆け下りる音で遮られた。

 

「ちょっとどこに行くんだい!」

 

 足音はちょうど二人分、一つは軽いトタトタという足音ともう一つは勢いがあるドタドタという足音。

 そして足音が近づいた直後グラフォスが座っていたカウンターの隣を一人の肌白い少女が駆け抜ける。

 

 一瞬目が合った瞬間に少女ははっとした表情を見せるが、そのまま足を止めることなく外へと駆け出していく。

 

「フォス!」

「わかってる!」

 

 そんな一瞬のやり取りの後に後ろからかけられた言葉にグラフォスはとっさに反応し、カウンターを飛び越えて走り出して店を飛び出した。

 

 お昼時の街はそれなりに人が多い。店を勢いのまま飛び出したグラフォスは一度立ち止まると、周りを見渡す。

 街の中心部へ続く方に目を見やると、ぶかぶかの明らかにサイズの合っていない服を着たまま、人をかき分けて走っている彼女の姿が見えた。

 

「なんで逃げるのかな!」

 

 グラフォスは気合を入れると、少女を追いかけて人を突き飛ばす勢いで彼女の背中を追いかけた。

 

 

 

 それから約十分後、街の入り口でグラフォスは息を切らして立っていた。その右手にはしっかりと少女の細い腕をつかんでいた。

 

「どうして……逃げるんですか……」

 

 息も絶え絶えに何とか少女に話しかける。ほとんど街の端から端まで走ったのだ。

 まるで病み上がりとは思えない元気の良さである。

 

「捕まったら……まずいと……思って」

 

 しかし少女のほうもグラフォスと変わらないぐらい息が切れていて、肩で呼吸をしている状態だ。

 

「別に……何もしませんよ」

「わかってたつもりなんですけど……ほとんど反射的に……」

 

 目が覚めた瞬間に反射的に逃げるなんてどんな精神状態なのだろうか。想像もつかない。よく見ると彼女の体は息を切らしているのとは別の理由で震えているようにも見えた。

 

 そんな彼女の様子を見て、グラフォスは彼女の腕をつかんでいた手をゆっくりと放す。

 さすがにもう走る気力は残っていなかったのか、少女は膝に手をついたままその場を動こうとはしなかった。

 

「すいませんでした……」

 

 少し時間がたち少女は少し冷静になったのか気を落としたように暗い表情で謝ってくる。

 

「まあいきなり知らない人がいたんじゃびっくりもしますよね」

 

 びっくりして街の入り口まで逃げられるというのは想定外でしかないのだが。

 

「あの……昨日私を助けてくれた方ですよね? ありがとうございます」

 

 少女はグラフォスのほうに向きなおすと、深く頭を下げる。

 グラフォスとしてもそんなに態度を変えられてしまうと、頭を下げ返すくらいしかできなかった。

 

「まあ半分は僕で、半分はあの家にいたおっかない姉さんですよ。だから一回戻りませんか?」

「戻っても大丈夫でしょうか……」

「大丈夫ですよ。少なくともうちは安全です」

「いえ……逃げてしまったので……」

「ああ……わかりました。もし怒られそうになったら僕が代わりに殴られます」

 

 まさか病み上がりの恐怖心丸出しの少女に向かって怒鳴り散らすなんてことはないだろうが、これはあくまでもグラフォスなりの冗談のつもりだった。

 冗談のつもりが目の前の女の子はおびえてしまっているわけだが。

 

「ま、大丈夫ですよ。戻ってからのことは戻ってから考えましょう」

 

 グラフォスは珍しく極めて明るい声色を心掛けながら何とか少女の気を紛らわそうとする。

 

「わかりました……」

「じゃあ帰りましょうか」

 

 グラフォスはそういって彼女のほうに向かって手を差し出す。

 

「え?」

「また逃げられても困りますから」

「もう逃げません!」

「じゃあ和睦のあかしということで」

 

 実際はまた追いかけっこをする羽目になったら、今度こそ追いつける自信がないからこその処置である。

 

 少女は渋々恐る恐るといった様子で差し出したグラフォスの手を握る。

 そんな彼女の歩調に合わせてグラフォスは街の中に戻ろうと歩き始めた。

 

「あ……」

 

 少女は小さく声をあげると、戻ろうと歩き始めていたその歩みを止める。

 

「どうしました?」

「……一つだけ聞きたいことがあるんですが」

「どうぞ?」

「ここはいったいどこなんでしょうか?」

「……へ?」

 

 グラフォスは珍しくその無表情を崩して彼女の問いかけに対して純粋にぽかんとした顔を不安そうな少女に向けていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10節 無知とおいしいごはん

「へえじゃあ本当に何も知らないんですね」

「すいません」

 

 二人を手をつないだまま街の中心部を歩いていた。人の往来が多い中二人を気にする人は特にいない。

 

 街を歩いている間少女の質問の意図を聞いてみると、ここについて、というより一般常識からなにまで何も知らないらしかった。

 

「ここはアウリント国のリンアという都市です」

「アウリント国……」

 

 グラフォスの説明を受けても困惑した表情を崩さない少女。そんな彼女の様子を見てグラフォスも少し困ったように眉を寄せて苦笑いを浮かべる。

 

「えーっと、まず一つずつ整理していきましょうか。この世界のことは何というか知っていますか?」

「いえ、知りません」

 

 普通の人が聞かれたらばかにしているかと怒りそうな質問にも少女は無知であると素直に答える。

 グラフォスは彼女の特徴と知識の少なさから一つの仮定を頭の中で思い浮かぶが、それを口に出すことはなく少女にこの世界の説明を始めることにした。

 

「この世界は『マジエイト』といいます。まあ世界の成り立ちは今詰め込んでも仕方ないので省きますね。それでこの世界には大まかに分けて五つの国が存在します。何か知ってる国とかあります?」

 

「国かどうかわかりませんが、フィーコーという場所から来たのは何となく覚えています」

「フィーコー? 聞いたことないな……。どんなところでした?」

「あんまり覚えてないですけど……お城からでたら森の中でしたし雰囲気は暗かった……です」

 

 グラフォスの問いかけにこたえる彼女の様子はどこか苦しそうに見えた。

 それを見てグラフォスは手を出して話を遮る。

 

「ああ、大丈夫ですよ。無理に答えなくても」

 

 きっとどこかの国の箱入り娘が家出したか、もしくは……。

 そこまで考えたグラフォスは早計に結論を出すべきではないと判断して思考を元に戻す。

 

「まあ国としては残念ながら聞いたことがありませんね。ここには四つの大国が存在しています。『セレナ』『アウリント』『ノーフェイ』『クリート』です」

「クリート……」

 

 グラフォスは指を折りながら数えていたため、彼女が小さくつぶやいたことに気づかずそのまま話を続ける。

 

「で、ここはアウリントです。まあ見ての通り木と山に囲まれた何もない国ですよ」

 

 グラフォスは苦笑いしながら周りを見渡す。街の外に出ても森が広がっているだけで、その森を抜けると西と東には大きな山脈が立ちはだかっている。

 

 街の中はそれなりに整っているため、にぎやかではあるが特筆すべき産業品も存在しない何の変哲もない街だ。

 

「人じゃないような方もちらほらいらっしゃるみたいですが……」

 

 そういう彼女の視線は仮面、被り物をしていないのであれば明らかに人ではない、顔が魚のようにのっぺらとしていて、上半身うろこまみれのその体を見せて歩いている者に引き寄せられている。

 

「ああ、ここは獣族と共存している国でもありますからね。人よりは少ないですけどちらほらいますよ。見たことなかったですか?」

「そう……ですね」

 

 そんなことを話していると、いつの間にか二人はミンネが待つ家ヴィブラリーに戻ってきていた。とたんに彼女は不安そうに家の入り口を見つめる。

 家出・脱走したことにそんなに忌避感を覚えているのだろうか。

 

「大丈夫ですよ。そりゃちょっとは怒られるかもしれないですけど、僕もフォローはしますし」

「……はい」

「それにミンネさんは基本優しいので。いろいろと聞かれるかもしれないですけど、そこはあきらめてください。怒られるのは代わりに僕がやります」

 

 フォローになっていないグラフォスの言葉を受けて彼女は小さく苦笑いを浮かべる。

 

「お、笑った」

「私笑ってます?」

「んー、少なくとも柔らかくなってはいますよ」

 

 グラフォスも小さく微笑むと彼女の手を再び握り直し、家の中へと戻るのであった。

 

 

 家の中に戻った少年と少女は二人とも目のまえに用意されたスープ、肉をかきこんでいた。

 黒い髪と白い髪を乱しながら皿の中のスープを一気に腹に詰め込む二人をミンネがあきれたように見つめながらパンを食べる。

 

「おかわり」

「たく、いつもに増して今日はよく食べるね」

「よくよく考えたら昼から何も食べてなかったですからね。朝もパンだけでしたし」

 

 グラフォスと少女が店に戻るとミンネは特に何も言うことなく二人を二階の食卓へと連れて行った。

 

 そして二人はミンネが作ったのであろう夕食のにおいと同時に空腹を自覚して、席に着くとそのまま目の前の料理にがっつく結果となったというわけだ。

 

「あんたはおかわりいらないのかい?」

 

 目の前の皿がなくなるとほぼ同時にミンネに皿を差し出したグラフォスとは別に、少女は少し迷った様子で殻になった皿の中を見つめながらパンをかじっていた。

 

「遠慮するんじゃないよ。ほらよ」

 

 ミンネは少女の前にあったからの皿を取ると、代わりにスープが入った皿を少女の前に置く。

 

「ありがとうございます……」

「あいよ」

「ミン姉それ僕の……」

「ちょっと待ちな」

 

 ミンネは自分の元に来るはずだったスープがなみなみと入った皿を眺める。見られていると気づいていないのか隣に座る少女はスープにパンを浸しておいしそうに頬を緩めながら食べていた。

 

 グラフォスは昼からだが、思えば少女はいつから食べていないのかわからない。少なくともグラフォスが運んでからはずっと倒れたままだったのだから、丸一日は何も食べていない。

 

「はいお待たせ」

 

 ミンネはグラフォスの前にもお代わりがつがれたスープを置く。

 しかしグラフォスはそれに手を付けることなく、目の前のスープと隣でスープで浸したパンをほおばる彼女を交互に見る。ふと少女の皿に目を向けるとスープは再びほとんどからになっている状態だった。

 

「これも食べます?」

 

 グラフォスは今しがた自分の目の前に置かれた皿を少女の方に近づける。少女は食べる手を止めると、パンを口に含んだままグラフォスのほうに視線を向ける。

 

「いいんですか?」

「なんかお代わりのスープ見たら、自分が結構お腹いっぱいだということに気づきました。ミン姉に渡すのもあれですし、食べていいですよ」

「……ありがとう」

 

 少女は自分の前に置かれたスープを飲み干すと、グラフォスが渡したスープを若干恥ずかしそうに受け取る。

 思いのほか自分ががっついて食べていることに気づき羞恥心でも感じているのかもしれない。

 

「へえフォス、やるじゃないか」

 

 ミンネがからかうようにグラフォスに笑いかける。

 

「うるさいですよ」

 

 グラフォスは照れを隠すように少し不貞腐れた様子でパンにかじりついた。

 

「これ食べな」

「ありがとう」

 

 ミンネから渡されたパンを受け取りながら、グラフォスと少女は食事を続ける。

 それをミンネは優しく微笑みながらパンをほおばっていた。

 和やかな雰囲気が食卓に流れていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11節 ミンネの正体

「……助けてくれてありがとうございました」

 

 テーブルの上に置かれていた大量の料理が空っぽになりミンネとグラフォスが食後の余韻に浸っていた時、突如少女は口を開き深々と頭を下げた。

 

「それと逃げてしまってごめんなさい」

 

 少女は頭を下げてうつむいたまま謝罪をする。

 

「まあ逃げちゃったもんは仕方ないからね」

「目が覚めてミン姉が近くにいたら逃げたくなる気持ちもわかりますよ」

「フォス? 私はそんなに怖いかい?」

「いいえとんでもないです」

 

 ミンネは最初困ったように苦笑いを浮かべながら頭をかいていたが、グラフォスの言葉を聞いて鬼の形相でグラフォスをにらみつける。

 

「まあばかなフォスはおいといて、逃げても今は無事にここにいるんだ。特にとやかく言うつもりはないよ。逃げた理由も聞かないつもりだ」

「え、聞かないんですか?」

 

 グラフォスは少し驚いた様子でミンネを見るが、無言の殴りによりそれ以上言葉を重ねることはなかった。

 

「それでもあんたのことがどういう人となりをしているのかは知っとかないとね。犯罪者ならすぐにでも出て行ってもらわないといけない」

「はい……」

「ま、ゆっくりでいいからあんたのことを教えておくれよ。その前に私たちのことを話した方がいいか。私はミンネ。何の変哲もない書店の店主さ」

 

「何の変哲もない? ミン姉嘘はつかない方がいいですよ。いくつもの高等魔法を平然と使えるくせに、こんなところで平々凡々と暮らしているエルフを普通だとは言いません」

「魔法が使えるなんて当たり前なんだから見せびらかしたって仕方ないだろう」

「使える魔法のレベルが異常なんですよ」

「……ミンネさんは人じゃないんですか?」

 

 グラフォスとミンネの軽口のやり取りの間に少女が恐る恐る尋ねる。

 ミンネは少女の問いに苦笑いを浮かべるとその長い金髪をかき分けて耳を出す。その耳は人の耳としては異様に長く、そして先が鋭利にとがっていた。

 

「まあ人かと聞かれれば人じゃないだろうし、獣族かと言われればそんな特徴的な見た目もあるわけじゃない。エルフはまあなんというか、半端ものさ」

「人であろうが、獣族であろうがなんであろうがミン姉はミン姉ですけどね」

 

 グラフォスはミンネの説明が納得いかなかったのか、少し不機嫌そうに口を開く。

 そんなグラフォスの頭をミンネは少し照れくさそうに笑いながらがしがしとなでる。

 

「そのエルフって何か問題があるんでしょうか?」

 

「ん? ああ、エルフは昔から半端者として忌み嫌われることが多いのさ。魔法能力はなまじ高いものが多いから厄介者として扱われることも多い。まあ私は例外で魔力も少ないし、魔法もそんなに多種多様のものが使えるわけじゃないんだけど……。まあだからエルフということを隠して、人族として生きている者が多いのさ。この子みたいに気にしない人もいるけど、エルフは避けるかさげすむ人がほとんどさ」

 

「そうだったんですか。すいません、無神経に訪ねてしまって」

「気にしなくていいよ。この耳を見ても驚かれなかったのは久しぶりだったしね」

 

 ミンネはかき分けた髪を下ろして再び長い耳を器用に隠しながら笑う。

 

「ま、私に関してはこのくらいでいいだろう。で、この子が」

「グラフォス。ただのグラフォスです。家名とかは特にありません。このミン姉さんに拾われて居候しています。居候仲間としてよろしく」

 

 グラフォスはミンネの続く言葉を遮るように口を開いた。そして最後まで一息で言い切ると、軽く頭を下げる。

 

「居候? お二人は姉弟ではないんですか?」

「僕がミン姉と姉弟!? それはないですよ! 僕はこんなに暴力的じゃ」

 

 グラフォスが最後まで言い切ることなくその脳天に問答無用の鉄槌が下される。

 

「いっつー……。僕何も間違ったこと言ってませんよね?」

「まあこの子もこんなバカだけどいろいろあるのさ。聞けるタイミングがあったら聞いてみな。ほらいつまでもうずくまってないでしゃんとしな!」

「誰のせいで……引っ張らないでください、痛い痛い痛い!」

 

 グラフォスは頭を抱えてぶつぶつと恨み言を言っていたが、ミンネに首根っこをつかまれて無理やり立たされる。

 

「二人とも仲がいいですよね」

 

 少女は少し口角をあげながら二人の様子を眺めていた。

 

「まあ長い付き合いだからね」

「そういえばそうですね。あ、ちなみに僕の出身とかはわかりません。気づいたときにはこの街にいてこのヴィブラリーにいたので。選定職業は『書き師』です」

 

 グラフォスはミンネの手を払いのけながら椅子に座りなおす。

 少女は気になることがいくつかあるのか視線をうろうろとさせていたが、結局口を開くことはなかった。

 

「まあこの子は不器用だからね。まあ話しかけてやっていろいろと聞いてあげな」

「……わかりました」

「そこ納得しちゃうんだ……」

 

 グラフォスは腑に落ちず小さくつぶやくと、二人は思わずそんな不貞腐れた様子の彼を見て笑っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12節 涙と焦り

「僕のことはもういいでしょう。終わりです終わり!」

 

 グラフォスがそう言い切ると、自然と二人の視線は少女に集まる。

 

「私は……鈴木緋音といいます」

「スズキ……」

「アカネ……?」

 

 あまり聞き覚えのない名前にミンネは眉を寄せながら、グラフォスは首をかしげながら彼女の名前を繰り返していた。

 

「もともと==の==というところで授業を受けていたんですけど、気づいたら大きなお城の中にいて……」

「ああちょっと待った。もともとどこにいたのかが聞き取れなかった。もう一回いいかい?」

 

 ミンネがアカネの話を中断して尋ねる。聞こえなかったのはグラフォスも同じだったため、よく聞こうと耳を傾ける。

 

「え、はい。私==の==というところに……伝わってます?」

 

 二人揃って頭にはてなを浮かべたような顔をしているため、アカネは話をやめて二人の反応をうかがう。

 

「いや、それが聞こえないんだよねえ」

「そうですね。ノイズが走ったような、いや言葉を発している限りそんな音が聞こえてくるのはありえないと思うんですが、何か魔法の効果に遮られている……とか?」

「そんな魔法聞いたことないけどね」

 

 二人は戸惑う中、その後何回かアカネに同じ話をしてもらったが、結果はすべて一緒で確かにアカネの口は動いているのだが、特定の部分でノイズが混じったような音になってしまい、何を言っているのか聞き取ることができなかった。

 

「このままじゃらちが明かないね。まあこの問題は後にしようか。実害があるわけじゃなさそうだしね」

 

 ミンネはあきらめたように前のめりになっていた身を後退させ、背もたれに深く埋もれた。

 

 聞き取れない言葉、場所? 言語? どうしても気になったグラフォスは隣のミンネの目を盗み、今の一連の流れを本に書き込んだ。

 少女はそんなグラフォスの様子に気づいていたが、特に突っ込むこともなく話を続ける。

 

「不思議ですね……。===だからかな」

「また聞こえなくなりましたね。やっぱり何かの条件で引っかかっているんでしょうね。その何かがなんなのかはわかりませんが」

「フォス。答えが出ないものにいつまでも悩むのは愚行だよ。答えがわかるヒントが出るまでは保留にしときな。その方がいい時もある」

「……はあい」

 

 グラフォスが彼女そっちのけで深い思考にはまりそうになっていたところを、ミンネの一言で現実に引き戻されて、意識を再びアカネのほうに向けた。

 

「えっと、それで……見たことないお城の中に同級生とかといっしょにいたんです。それで……いろいろとあって……逃げようと思って……気づいたら森の中にいたんです」

 

 きっと彼女は重要な部分をいくつも省いているのだろう。でもそれを特に問い詰めるようなことをしようとは思わなかった。話を続けるうちにアカネの体は震え始めて、顔がどんどんと強張っていった。

 

「それで……もうだめだと思ったんです。本当にもう死んじゃうんだと……そう思って」

 

 何とか話を続けようとしていたアカネの言葉は突然遮られる。彼女の体をミンネが優しく抱いたのだ。

 ミンネは優しくアカネの体をその細身な体で包み込むと、優しく頭をなでる。

 

「悪かったね、つらいことを聞いちまって。別に怖かったら話さなくてもいいんだよ」

「うう……ううう……」

 

 アカネは体を震わせながら嗚咽をこぼす。

 確かに精神の安定はミンネの魔法によって行われたため、アカネの精神状態は正常にまで回復した。しかしそれはあくまでも精神上の話だ。

 

 ミンネの魔法で彼女が歩んできた記憶が消えるわけではない。ストレスで髪の色素が抜けてしまうほどの経験を彼女はまだ記憶としてしっかりと覚えているのだ。

 

「頑張ったんだね」

 

 ミンネはそんな彼女にゆっくりと声をかけながら頭をなで続ける。彼女の涙は止まることなくむしろ勢いを増して、泣き声もどんどんおおきくなっていた。

 

 グラフォスはそんな二人の様子を見ながら少し居心地が悪そうに前髪をいじっていた。

 

 

 時間にすれば数分だろうか。目を真っ赤に泣きはらしたアカネはゆっくりとミンネの胸から顔を離し、自分の涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃになっているミンネの服をみてひたすらしきりに謝っているのが今の現状だ。

 

 そんな光景をグラフォスはどこか冷めた視線で見つめていた。

 もちろん彼女の心境は自分が察せられるレベルの体験をしてきたのだろうし、そこは本当にかわいそうだなと思う。

 

 しかしグラフォスは実際にそれを見たわけではない。この目で確認したわけではないのだ。基本的に自分の目で見た物しか信じない。

 

 そして彼女はグラフォスたちに何かを話したわけではない。彼の知識欲は満たせていないままだ。

 グラフォスはアカネがどこから来たのか、どういうことがあったのかそれに興味がある。

 

 よく言えば彼女のことをもっとよく知りたいのだ。まあグラフォスにとってはただの知識欲からくる興味ではあるのだが。

 

「それで、どうしてこの子に拾われたんだい? しかも森の中でさまよっていたってのに無傷だっていうじゃないか」

 

 え、ちょっと待ってほしい。

 その話題に突っ込むつもり?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13節 ごまかしと高等魔法

 グラフォスの思考はアカネの興味から一転焦りへと変わっていた。

 

「ミン姉、それは僕が昨日話したはずでは……?」

「この子からも話を聞いておきたいじゃないか。ああ別にフォスの話を信じていないというわけではないよ」

 

 ミンネはやはり疑っている。森の最奥にはこの街のほんの一握りのランクの高い冒険者しか討伐できないモンスターも存在しているという。

 もちろん実際に確認して戻ってきた冒険者が少ないから噂の域を超えないわけだが。

 

 グラフォスは実際に見たわけではないため、この話を信じているか信じていないかと言われれば信じていない。

 それでもそんな噂がある森から無傷で街に出てくるなど確かに疑われても仕方がない。

 

「え、無傷? 私あのときグラフォスむぐっ!!」

 

 気づけばグラフォスは立ち上がり、アカネの背後に回るととっさに彼女の口を自分の両手で押さえていた。

 

 これ以上ミンネに話の続きを聞かせるわけにはいかない。アカネは何も悪くないしただ事実を伝えようとしただけれど、グラフォスにとっては一大事である。

 

 仕方がない対処の仕方なのである。あくまでもグラフォスにとってはであるが。

 

「あの時アカネは意識がもうろうとしてましたから! 彼女は自己治癒魔法が使えるんですよ! だから何とか無傷で森を出られたんですよ! そうですよね!? ね!?」

 

 グラフォスのあまりの必死な様子にアカネは何かを感じ取ったのか、もごもごと何かしゃべりながらも必死で首を縦に動かす。

 

「あんたアカネちゃんになんてことしてんだい!」

 

 ミンネの激しい口調にグラフォスはようやく冷静さを取り戻し、今の現状を見返す。

 グラフォスは彼女の後ろから腕を回す形で、アカネの口を右手で押さえていた。

 冷静になると彼女が必死に何かしゃべろうとするたびに、温かい唇ともごもごと動く感触がくすぐったい。はたから見れば連れ去ってやましいことをしようとしている誘拐犯同然だ。

 

 自分が自ら追いやった状況のまずさに気付いたグラフォスは、急いでアカネの口から手を離すと彼女から少し距離を取る。

 

「すいません、つい……」

「いえ、大丈夫……です」

 

 アカネは若干涙目になり少し頬を赤くし、乱れた髪を直しながらもグラフォスの謝罪に返事をしてくれた。

 

 しかしミンネの不信感は最高潮のはずだ。

 勝負はまだ終わっていない。かといっていい弁明方法も思いつかないグラフォスはとりあえず口を開くことにした。

 

「まあミン姉、彼女は高等な治癒師。だから無事だったんですよ。そういうことです。僕も彼女のことはよく知らないですけどきっとそういうことです」

 

 我ながら論理のろの字もない説明すらできていないひどい内容だと思う。

 しかしここでミンネから目をそらしてしまっても余計に突っ込まれるに決まっている。ここは信じてくれなくてもミンネに折れてもらうしかない。

 

 わけのわからない思考の中数秒かはたまた一瞬グラフォスとミンネの視線はぶつかり合う。

 

「ふ~ん、怪しすぎるけどとりあえずそういうことにしておこうかい。アカネちゃんはこうして無事なわけだし?」

 

 ミンネは何かをあきらめたかのように大きくため息をつくと首を振った。

 ミンネが折れてくれたことにほっと一安心つくグラフォス。

 

 きっとミンネはグラフォスが何か隠していることに当然気づいているだろうが、追及することを何とか避けてくれたようだ。

 

「確かに高等な治癒士なのかもしれないね。アカネちゃんが自己治癒魔法を使っていたっていう部分が気になる。それは本当かい?」

「……はい、あまり記憶はありませんけどとっさにそういう魔法を使っていたと思います」

 

 意識せずに自己治癒魔法を使える。そんな治癒士の話は聞いたことがない。たいていの場合は長い詠唱を得て一時間継続するかしないかの魔法のはずだ。

 

 彼女の魔法のレベルは高等なんてものじゃないかもしれない。

 

 そんな考えがグラフォスの頭によぎる。

 もしくはグラフォスの知らないそういった簡易魔法が存在していて、それを使って生き延びたのかもしれない。

 

「とっさにねえ……。それはすごいことだよ」

「そうなんですか?」

 

 ミンネも同様の考えを抱いている様子だったが、魔法を使用したアカネ自身には自覚がないようだった。

 

「……ま、これ以上質問攻めにしても疲れるだけだろ! 本人がわからないことを根掘り葉掘り聞いても仕方ないしね。今日も良ければ泊っていきな。話を聞く限りじゃ行く当てもなさそうだしね」

「逃げてしまったのにお世話になっていいんですか?」

「終わったことはもういいんだよ! 甘えられるうちに甘えときな」

 

 ミンネはにかっと笑うと優しくアカネの頭をなでた。

 

「すいません、お世話になります……」

「ま、そのうち働いてもらうだろうけどね!」

「ここにはこれ以上働き手が増えても意味がないような気もしますけど……」

「あんたは余計なことを言わない!」

 

 ミンネはグラフォスの気の抜けた反論に一喝しながら、アカネの背中を押しながら部屋を出て行った。

 

「フォスはそこに残っときな!」

 

 そんな捨て台詞を残しながら廊下へと消えていったミンネとアカネを見送りながら、グラフォスはミンネの言いつけを守るため椅子に再度腰かけて大きく伸びをするのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14節 戦争と転移者

「あの子はたぶん転移者だろうね」

「転移者?」

 

 アカネを部屋に案内してから戻ってきたミンネの言葉はあまり聞き覚えのないものだった。

 

「フォスは聞いたことないか……。転生者のことはわかるかい?」

「ああ、話だけは聞いたことがあります」

 

 この世界では200年ほど前に裏世界と表世界の戦争が起こっていて、世界中で魔族があふれていた。

 表世界の住人である獣族と人族が裏世界の住人である魔族に追い詰めらている、そんな不利な状況ななか救世主のように現れたのが、別の世界からやってきたとされている18人の勇者。

 

 その勇者によって魔族を引き連れていた大魔術師を追い詰め、戦争は表世界の住人の勝利となった。平均寿命が短い人族にとってはおとぎ話のような話だ。

 

 しかしその勇者はこの世界に存在していたことを証明するかのようにその子孫が、数は少ないものの世界には存在しているとされている。その子孫が俗に転生者と呼ばれていた。

 

「もしかして別の世界からやってきた勇者っていうのが……」

 

「そう当時は()()()って呼ばれていたんだよ。あの子はこの世界の情報にも疎いし、魔法は使えるが肝心の魔法に関する知識はあまりないように見える。それなのにあの魔力の高さ、魔法行使力は異常だよ」

 

「でもそうだとしたらあの子一人が別の世界から訪れたってことですか? というかそもそも別の世界の住人がこちらの世界に来るなんてどうやったらそんなことが起こるんですか?」

「それは大魔術師様のみぞ知るってとこだろうね。私たちがいくら考えてもわからないだろうさ。まあ私としては100年前の再来ってのはあまり考えたくはないね」

 

 エルフは長寿だ。ミンネも見た目こそは20代のような若さを保っているが実際は何十年、下手すれば何百年も生きている。もしかしたら200年前の戦争もその身で体感しているのかもしれない。

 

 おとぎ話のような戦争の話をしているときのミンネはまるでその戦争を体験したかのような苦い顔を浮かべていて、そこには一切冗談が含まれていないように思えた。

 

「まあ転移者だからどうこうっていうのはこの際どうでもいいんだけどね。前回は世界中が魔族に押しつぶされているときに現れてるのに対して、今はいたって平和なもんだ。状況が違うのだから別にたまたまあの子一人がこの世界に紛れ込んじまっただけかもしれない。勇者じゃなくてただの放浪者なのかもしれない。まあこれはただの楽観思考だけどね。あんな戦争がまた起こるなんて考えたくもない」

 

 自分が住み慣れた世界、街から突如全く勝手も意味も分からない世界に転移してくる。

 

 確かにそんな状況なら不安に押しつぶされそうになるのも分からなくもない。

 それに加えて彼女は森の中で瀕死状態になっていたのだ。思い出して泣いてしまうのも無理はないかもしれない。

 

 グラフォスは自分がそういう経験をしていないため、共感はできなかったがさっきアカネを抱きしめたときにミンネはすでにそこまで察していたのかもしれない。

 

 そうだとするならばミンネの洞察力というか観察力はさすがだ。

 

「ところでフォス、あんたあの子とずいぶん仲がよさそうじゃないか」

「え?」

「手をつないで帰ってきたり、さっきはいきなり襲おうとしたりさ?」

 

 ミンネはいつのまにか真剣だった表情を崩してにやにやとしながらグラフォスに近づいてきていた。

 

「いや、あれはしかたなくですよ! 手をつないでたのは彼女が逃げないようにするためだし、さっきのだって別に襲おうとしたわけじゃ……」

「一目惚れってやつかい? アカネちゃんはかわいいからね。でもいきなり襲うのは感心しないね。私も目の前にいたっていうのに。せめて二人きりの時にしな」

「襲わないです!」

 

 グラフォスの必死の反論もむなしく、ミンネは話を聞こえていないふりをしているのか、にまにまとにやけ顔をしたまま中腰でグラフォスに視線を合わせていた。

 

「それに、別に惚れたとかそういうわけではないですよ。確かにアカネさんのことはいろいろと気にはなりますが」

 

 惚れているわけではないがアカネのことが気になるのは事実だ。正確にはアカネが持つ知識、境遇に興味がある。

 

 彼女はいったいどこから来たのか、どうやってここにたどり着いたのかとか、ほかにどんな魔法が使えるのかとか……。果ては彼女が転移者だとしたらいったいどんな魔法を使えば異世界から人を転移させられるのかとか……。

 

「ふ~んきになるねえ? ま、今はこのくらいで勘弁しとくかね。外野がわいわい騒いでこじれるのは私も嫌いだからね」

 

 ミンネは少し興味深そうに眉を寄せながらグラフォスの顔を見つめると、中腰だった姿勢からちゃんと立って大きく伸びをした。

 

 確かに指摘をされてみれば、アカネに対してグラフォスは結構大胆な行動をしてしまっているかもしれない。

 いまさらながらに自分の行動を思い返して顔に若干熱がこもるのを感じるのであった。

 

「顔赤くしちゃって。フォスも思春期だねえ」

「うるさいですよ。僕ももう寝ます」

 

 目ざといミンネがフォスの表情の変化に気づかないわけもなく、ニヤッとわらいながら赤くなった頬を指摘してくる。

 

 いつまでも軽口をたたいてくるミンネに少しむすっとした顔を見せると、グラフォスは立ち上がり自室へと続く廊下に出ようとする。

 

「ああ、フォス。ちょっと待った」

「なんですか?」

「明日はアカネちゃんにこの街のこと案内してあげな。長いこといるかもしれないんだ。知っていて損はないだろう」

 

「ミン姉……アカネさんのこともしっかり養うつもりなんじゃないですか」

「なんのことかわからないね。それに養うつもりはないね。しっかりと働き手という部分で対価はいただくよ。グラフォスよりひいきするつもりもないからね。ここではみんな平等なだけさ」

 

 ミンネはグラフォスから少し顔を背けると、照れくさそうに鼻を掻く。

 

 この人も大概わかりやすいな。働き手なんてこれ以上必要ないはずなのに。

 

 グラフォスはそんなミンネの様子と彼女の優しさに触れて、少し頬をほころばせながら自室へと向かった。

 

「ミン姉、おやすみなさい」

「ああおやすみ」

 

 明日も忙しくなりそうだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15節 結局はいつもの日常に戻る

「ということで今日は一日、僕が街を案内することになりました」

「はい、お願いします」

 

 翌朝、朝といってももう日も大分高く昇ってきたころまだ眠そうに目をこすっているグラフォスと、しっかりと頭を下げるアカネの姿がヴィヴラリーの二階にあった。

 

 寝起きだとしてもグラフォスはしっかりとその背中に大きなほとんど真四角になっているリュックを背負っていた。

 

 対するアカネはしっかりと髪を整えており格好はミンネから借りた服でなく、出会った時に来ていた制服をしっかりと来ていた。あんなにボロボロだったのに今は糸の綻びさえ見当たらない。ミンネがまた何かしたのだろうか。

 

 ちなみにミンネは一階で店番をしながら冷かしに来た冒険者の相手をしている。

 

「そういえば昨日も言おうと思ってたんですけど、僕に敬語は必要ないですよ。名前も呼び捨てで構いません」

「え、でもグラフォスさんも敬語ですし……」

「僕のこのしゃべり方は癖みたいなものです。僕に合わせる必要はないですよ。好きなようにしゃべってください」

「わか……った。頑張る。グラフォス……くん」

 

 アカネは若干顔を赤くしながら名前を呼んでくる。呼び捨てはなかなかハードルが高いようだ。

 

「呼び方も好きなように呼んでください」

 

 グラフォスはそんなアカネの様子を見ながら若干微笑みながら話しかける。

 

「うん。あ、グラフォス君も私のこと呼び捨てで呼んでいいから」

「わかりました。じゃこんなところでずっと立ち話もなんですし、早速行きましょうか。アカネ」

 

 グラフォスは若干慣れないながらも呼び捨てで彼女の名前を呼ぶと、そのまま一階に向かう。

 

「そんなあっさり呼べちゃうんだ……」

「何か言いました?」

「ううん、何も!」

 

 アカネも階段を降りるグラフォスの背中を追うように若干駆け足でついていく。

 そういえば誰かの名前を呼び捨てで呼ぶのって初めてかもしれないな。

 そんなことを思いアカネの方にちらっと目を向ける。

 

 そんなグラフォスの視線を感じたアカネは小首をかしげる。

 若干ぎくしゃくとしたやり取りを行いながら二人は一階へと降りた。

 二人のコミュニケーションはまだまだこれからである。

 

「へえこれまたべっぴんさんがいるじゃないか!」

「ほめても何も出ませんよ」

「ああ? がきんちょのことじゃなくて後ろの嬢ちゃんのことを言ってるんだよ!」

「がきんちょ……、こんな時間からここで暇をつぶしているあなたに言われたくないです」

「ああ!? 全くいつまでたっても口がへらないがきんちょだな」

 

 ミンネが座るテーブルの向かい側でひでをつき手に顎を乗せたままこちらを見てくる冒険者と言い合いをする。

 これもここでの日常の光景だ。ミンネはあきれたように二人のやり取りを眺めていた。

 

「え、えっと、グラフォス君はか、かわいいよ? あ、かっこいい……かな?」

 

 アカネは何を勘違いしたのかあたふたとしながらグラフォスにフォローを入れようとしてくれている。

 

「最後疑問形にされると僕は自信をなくしますよ。それに僕は別に落ち込んでいませんからね?」

「あ、ご、ごめんなさい!」

「何かわいい嬢ちゃん責めてんだ! てめえが謝れ、グラフォス!」

 

冒険者は鬼の形相でグラフォスをにらみつける。グラフォスはそれに対してわざとらしくため息を返すのみだ。

 それを見たアカネはさらにあたふたしてしまっていて、もはや収集がつけられなくなってしまっている。

 

 そんな様子を見てミンネは声を出して大笑いしていた。

 

「笑ってないでミンネさんも何か言ってくださいよ、そこの冒険者に」

「ほんっとかわいげのないガキだな!」

「二人ともそれ以上アカネちゃんを困らすんじゃないよ! ちゃっちゃと街に行ってきな」

「そうだそうだ、グラフォス一人で街にお使いに行ってきな!」

「あんたも何も買わないならさっさと依頼でも受けて稼ぎに行ってきな!」

「そりゃねえぜ、ミンネさんよ~」

 

 ミンネに便乗した冒険者も便乗した相手にしっぺ返しをくらい、情けない顔で彼女を見ていた。

 そんな冒険者の様子を見て満足したグラフォスは、店を出ようと歩みを再開した。

 

「フォス! これ持っていきな!」

 

 ミンネの声にとっさに振り返ると、冒険者の頭を超えて何か光るものが飛んできていた。

 グラフォスは器用に片手でそれをつかむと手を開いてみる。

 そこには若干色あせた金貨が一枚あった。

 

「1ガ……お返しします」

 

 グラフォスは金貨を中指に乗せると親指で弾くように飛ばし、ミンネのもとに返そうとする。

 しかしミンネは返ってきたそれを掴むことなくデコピンの要領で金貨をはじき返すと、見事にグラフォスの額にヒットした。

 

「いっつー……。どんな指の力してるんですか」

 

 グラフォスは額に張り付いた金貨をはがす。

 

「グラフォス君、額真っ赤になってるけど大丈夫?」

「多分大丈夫です……」

「まったくかっこつけてるんじゃないよ! 黙ってそれ持って行ってアカネちゃんにうまいもんでも食わしてやりな」

 

「……わかりましたよ。行ってきます」

「い、行ってきます!」

「あい、いってらっしゃい」

「嬢ちゃんに変なことするんじゃねえぞ!」

「あんたは何か買って帰んな!」

 

 冒険者とミンネのやり取りを背にグラフォスは金貨を当てられた額をこすりながら店を出た。アカネはミンネに向かって勢いよく一礼すると、グラフォスの後を追いかけるように店を出た。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16節 ミンネがくれた金貨と貨幣価値

「仲いいんだね」

 

 店を出てすぐグラフォスの隣に追いついたアカネは未だ不満げに赤くなった額をなでている彼に微笑みかけながら話しかける。

 

「まああの冒険者はともかくとして、ミン姉とはいつもあんな感じですよ」

 

 グラフォスはそういいながらも納得のいっていない顔でミンネに渡された金貨を見つめながら歩を進めていた。

 

「そういえばミンネさんから渡されていたけど……それは?」

「え? ……ああそっか。アカネはこっちの知識に疎いんでしたね」

 

 アカネは若干気まずそうにうなずきながらグラフォスが手渡してきた金貨を眺める。

 表面は若い聡明気な雰囲気のある男女が見つめあい手を顔の前で握り合っている。

 裏を返すと大きな滝の絵が描かれていた。

 

「ずいぶんと精巧に造られている金貨だね」

「それはこのアウリントで流通している通貨ですね。1マが銅貨、1ラが銀貨、1ガが金貨、1マラガが白金貨ですね。今言った順番で価値は大きくなっていきます。それは1ガですね」

「へー、そうなんだ」

 

「1マ10枚で1ラ、1ラ100枚で1ガ、1ガ10枚で1マラガです。一般庶民で使われている主流の通貨は基本1ラまでですね。マラガ単位になってくるとまあまあ名の知れた冒険者くらしか持ち合わせていないんじゃないですかね」

 

「え、それじゃあ、この金貨一枚って相当な大金なんじゃ……」

「まあ……そうですね。いつもの食事なら2週間は持つんじゃないですかね。結構余裕で」

「ええ!」

 

 今自分が持っている金貨の価値を知り、少し慌てたようにグラフォスに金貨を返す。

 

「そんな大金を投げて渡すなんてミンネさんはすごいね……」

 

「まあその分街探索を楽しんで来いってことなんでしょうけど。僕も一応稼いではいるんですけどね。ミン姉は受け取ってくれないんですよね」

 

 グラフォスはそういうとポケットから小さなポーチを取り出してその中から銀貨と銅貨をそれぞれ一枚ずつ取り出す。

 銀貨と銅貨には金貨の裏面と同じように大きな滝が流れる様子を描いた絵は刻まれていたが、表面は特に大した模様はなかった。

 

「金貨に刻まれている人は、何か有名な人?」

「この二人はこの国を造ったとされる大魔導師様ですね。まあいうなればこの世界を造った神様みたいな感じです。」

「神様なんだ……」

 

「創造世界マジエイトは四人の魔導師が造り上げたっていう伝承が残されているんですよね。そしてそれぞれの魔導師が国を造り上げた。世界の中央に位置するアウム様とリントー様が造ったのがこのアウリントという国、世界の南に存在するセレナ様が造ったとされているセレナ。そして北に位置しているのがフェイ様が造られたノーフェイ。それぞれの国の金貨以上の通貨にはそれぞれの国の創造主である魔導師様が描かれているらしいですよ」

 

「らしいっていうのは?」

「僕も本で読んだだけですから。実際にこの目で見たことあるのはこの国の金貨だけですからね」

 

 グラフォスはそこまで話し切ると、自らが取り出した銀貨銅貨と一緒に金貨をポーチの中にしまった。

 

 話しているうちに周りは徐々に人の多い市街地にでていて、人の行き交いが激しくなる。

 アカネは周りの大きな大人にぶつからないようによけるので必死だったが、グラフォスは慣れているのか特に気にすることもなく大人の間をすり抜けるように歩いていた。

 

「でもここまでくると白金貨も見せたいですね……」

 

 グラフォスはアカネが付いてきていることを確認しながら顎に手を当てて考える。

 

「でもそんな簡単に手に入るものじゃないんでしょ?」

「そうですね。僕では1年間死ぬ気で森にもぐっても手に入るかどうかはわからないですね」

「それだったらそんなに無理しなくても……」

「アカネは気になりませんか? 白金貨には何が刻まれているのか。どういった形をしているのか」

 

 グラフォスは人が途切れた道の端でふと足を止めて少し遅れていたアカネの方に向きまっすぐな目でそんなことを尋ねる。

 

「え、それは……まあ見てみたいかなっていう気持ちもあるけど」

「そうですよね。僕もちゃんとは見たことはないんで、この目でしっかりと見てみたいんですよね。これはいい機会ですよ」

「でもその方法が無茶をしないといけないんだったらやめた方がいいんじゃないかな?」

「一個だけ無茶をしなくてもいい方法があるかもしれません」

 

 グラフォスは無表情を崩し口角を少し上げる。それはいたずらを思いついたかのような彼には珍しい年相応な表情をのぞかせていた。

 

「いい方法って?」

「まずは、街探索の一環もかねてギルドに行きましょうか」

 

 グラフォスはそういうとギルドに向かって一直線に歩みを再開させる。

 アカネはそんなグラフォスの様子に戸惑いながらも急いで彼の後を追いかけるのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17節 お願いと誤解

 ギルドに着いた二人が向かった先は受付のドリアのところだった。

 

「あらグラフォス君じゃない。ミンネさんにはしっかりと怒られた?」

 

 受付嬢であるドリアはグラフォスの姿を見つけるや否やカウンターから出てきて、ほかの冒険者の邪魔にならないように二人をギルドの端のテーブルへと案内する。

 

「ええ、誰かさんのおかげできっちりと怒られましたよ」

「子供の無茶な暴走を保護者に報告するのは大人の義務ですから」

 

 ドリアはなぜか誇らしげにその大きな胸を張りながら言い切る。

 グラフォスはそんな調子のいい受付嬢の様子と彼女の強調された胸を見て鼻の下を伸ばしている冒険者に冷たい視線を向ける。

 

「それで? 今日はどうしたの? 君が私に話しかけるっていうのも珍しいけど、誰かと一緒にここに来るなんて初めてじゃない? それにこんなかわいい子を。何、自慢しに来たの?」

 

 ドリアはそういいながらあたふたと視線をうろうろとさせているアカネの方に顔を向け、優しく微笑みかける。

 

 その優しさに触れたアカネはより一層動揺してしまい、顔を赤くしてうつむいてしまう始末だった。

 

「あら、ほんとにかわいいお嬢ちゃんね」

「アカネをあなたの毒牙にかけるのはやめてもらっていいですか。それに別に自慢しに来たわけでもないので、真面目に話を聞いてください」

 

「毒牙って私そんなひどい女じゃないわよ! はあ、私は困っている子を安心させてあげようとしてただけじゃないの」

「そのほほえみで何人の冒険者が騙されたと思ってるんですか」

 

 グラフォスはあきれたようにため息をこぼしながら、魔性の受付嬢の視線を向けさせまいとアカネを守るように場所を移動する。

 

「私グラフォス君に何かひどいことした!? むしろ感謝してくれてもいいと思うんだけどなあ?」

「だからミンネさんに報告しなければもっと感謝するって言ってるじゃないですか」

「それは、無理ね」

 

「あのグラフォス君、私は大丈夫だから……このお姉さんに倒されないように頑張るから」

「ほらぁ! グラフォス君のせいでその子にわけわかんない誤解与えてるじゃん! 別に倒したりしないからね? 私は純真なただのギルドの受付嬢ですからね?」

 

 アカネの思わぬ解釈と弁明するかのようなドリアのやり取りにグラフォスは苦笑いを浮かべつつ、一つ咳払いをして二人の会話を止める。

 

「まったくドリアさんと話しているといつも本題に入れないです」

「私だけのせいじゃないと思うけど……まあいいや。ここは大人の余裕で受け流してあげます。それで今日は何をしに来たの? まさか二人で外に出ようってわけじゃないでしょうね?」

 

「それはまだ早いです。今日はただお願いがあってきたんですよ」

「へえ、グラフォス君が私にお願いってホントに珍しいじゃない。何々、お姉さんに言ってごらんなさい?」

「じゃあ遠慮なく。白金貨を見せてくれませんか?」

「……ん? なんて?」

 

 あまりの直球なお願いにドリアは自分の聞き間違いを疑いグラフォスへと耳を傾けて聞き直す。

 

「白金貨を見せてもらえませんか?」

 

 しかしグラフォスは再度同じことをはっきりと言葉にする。そこに悪びれる様子は一切なかった。

 

 あまりのストレートさに後ろにいたアカネですら緊張を忘れてぽかんとした表情でグラフォスを見つめていた。

 

「う~……グラフォス君はまともな思考の持ち主だと思ってたのに……」

 

 ドリアは言葉の意味を理解して思わず額にしわを寄せながら頭を抱える。

 

「いや、白金貨を見たいなって話をしてまして。ギルドって魔石の交換もやってますよね? だから白金貨くらいあるかなって」

「グラフォス君、それはさすがに厳しいんじゃないかな……?」

「そうよ、あったとしてもはいこれが白金貨です。てみせるわけがないでしょう!」

 

「ドリアさんなら見せてくれるかなって思ったんですけど」

「たとえ私がポケットマネーで持っていたとしても白金貨なんて見せないわよ! ギルドのお金なんてなおさら見せるはずがないでしょう」

 

 ドリアも少なからず自分の仕事に誇りを持っているはずで、それを軽視された発言に気を悪くしたのか頬を膨らませてグラフォスからそっぽを向いてしまう。

 

「まあ、やっぱりそうですよね。すいません、ドリアさんを信頼しているからこその頼みだったんですけど」

「うっ、それは嬉しいし私も別にグラフォス君を信用していないわけではないけど……それとこれとは話が別です」

 

 グラフォスに面と向かって真っすぐな意見を言われてしまい、ドリアはバツが悪そうに彼らの方に向き直る。

 

「もしかしてそれだけのためにギルドに足を運んだの?」

「そうですね。大半の目的はそんなところです。もちろんアカネにここを紹介するっていうのもありましたけどね」

「紹介って?」

 

 グラフォスの後ろを覗き込むように体を倒したドリアとアカネの目が合う。

 アカネは若干気まずそうにぐらフォスの隣に立つと軽くお辞儀をした。

 

「私この街にきたばかりで、それでグラフォス君に街を案内してもらってるんです」

「へえ、グラフォス君に悪いことされてない? 大丈夫?」

「大丈夫です! 突然手を引かれたり口を押さえられたりびっくりすることはあるけど、優しくしてもらってます」

「ちょっとアカネその言い方は……」

 

 誤解を招きかねないアカネのいい方にいやな汗をかいているのを感じながら目の前の受付嬢を見ると、案の定彼女は誤解をしたようで冷たい笑みをこちらに向けていた。

 

「グラフォス君、君はアカネちゃんにいったい何をしているの? 手を引いて口を押えて優しくって、それはまさか……」

「何を勘違いしているのかわからないし想像もしたくないし、僕はまだ僕は子供でそう言ったことは一切わからないので、とりあえず今日は失礼しますね!」

 

 グラフォスは一気に言い訳をまくしたてるとアカネの手をつかみギルドの入り口へと回れ右をする。

 

「グラフォス君どうしたの?」

「アカネ、あっちに確かおいしい屋台の店がたくさんあった気がするんだよね! こんな酒臭いところからは離れておいしいものを食べに行きましょう!」

 

 グラフォスは背中を刺すような鋭い視線から逃れるようにアカネの手を引いたまま早歩きでギルドの扉に向かって歩を進める。

 

「待ちなさい! アカネちゃんに変なことしたらだめなんだからね!」

 

 後ろからドリアの怒鳴り声がかけられるころには二人は駆け足になりギルドを飛び出していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18節 謎肉と子供

 ギルドを逃げるように出てきた二人はそのまま速足のまま近くの市場に入ると、流れるようにグラフォスはそこで串焼きを二本購入していた。

 

 街の真ん中にどでかく構えている噴水広場まで歩いてきた二人は近くにあった椅子へと腰かける。

 グラフォスは背中に背負っていたリュックを椅子のわきに置いて口の中に串を入れる。

 

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう」

 

 すでに一本目の焼き肉串をほおばっているグラフォスからもう一本の串を恭しく受け取ったアカネは恐る恐るといった様子でほおばる。

 

「これおいしい……」

「おいしいですよね。塩がよく聞いているのにそんなに油もしつこく感じない。何の肉を使っているのかわからないところも、好奇心を揺さぶられますよね」

「え、鶏肉じゃないの?」

 

 アカネは焼き鳥だと思って食べていた肉を何の肉かわからないと断言され、若干おびえた様子で手にもつ串肉を眺める。

 

「鶏肉にしては弾力があるんですよね。鳥皮ともまた違う感じのこの微妙な歯ごたえがくせになります」

「確かにそういわれてみればそうかも……。ホルモンにしてはぱさぱさしてるし」

「店主に聞いても教えてくれないんですよ。秘密の一点張りで」

「あ、聞いたことあるんだ……」

「もちろん、気になりますから」

 

 気になることがあれば相手がだれであろうが、何であろうが突っ込んでいくのがグラフォスである。

 これまでそれで得られた結果は少ないが。

 

「ま、さすがに魔物肉とかは使ってないとは思いますよ。ちゃんとした肉だと思います」

「そ、そうだよね」

 

 アカネはグラフォスの真顔で冗談か真面目に言っているのかわからない言葉に苦笑いを返しながら再び謎肉串を口に入れる。

 

「うん、やっぱりおいしい」

「それでどうでした? ギルドは」

 

 アカネが串を頬張る横ですでにグラフォスは肉を食べきっており、その手に残るのは何も刺さっていない木串のみとなっていた。

 それをくるくるとまわしながらアカネに尋ねる。

 

「え? どうっていわれてもなぁ……。グラフォス君の行動が気になって周りを見る余裕がなかったというか……」

「確かにそれはそうかもしれませんね。ドリアさんも騒いでましたし」

「あれは君も悪いような……」

「わかってますよ。さすがに僕も突っ込みすぎたなと反省しています」

 

 アカネの思わぬ返しにむすっとした表情で答えるグラフォス。

 そんな彼の様子をみて苦笑を浮かべながら先程訪れたギルドの様子を思い浮かべていた。

 

「なんかギルドっていうより、酒屋さん? なんていうんだろう。依頼受付とかがついでみたいな印象が強かったかも……」

「確かにこの昼にギルドにいるのはただの飲んだくれた冒険者か朝一のおいしい依頼を逃してふてくされてやけ飲みしている冒険者くらいですからね」

「そうなんだ……」

「朝一に行けばもっとまともな冒険者がいっぱいいるので、ちゃんとギルドっぽい感じはありますよ」

 

 グラフォスは説明するように話しているがかくいう彼も朝一のギルドなど数回しか足を運んだことはない。夕方などたいていの場合ミンネの説教を受けているため、いったことはない。

 

「まあ機会があれば朝一、夕方に行きたいですね」

「そういえばグラフォス君はなんであの時外にいたの?」

「あの時? ああアカネを助けたときですか。僕も外で情報収集をしているんですよ。僕は別に冒険者ってわけじゃないですからね。夕方にギルドに行く必要はないです」

 

 アカネは情報収集という物言いに違和感を覚えたのか、軽く首をひねり重ねて尋ねる。

 

「情報収集にしては高度な魔法を使ってた気がするけど……あんまり覚えてないけど私のけがはひどかったし……それがほとんど一瞬で治るなんて」

「まあ……それは……」

「あ、答えづらいことならいいの! ミンネさんにも隠してるくらいだもんね?」

 

 アカネは昨日ミンネにグラフォスが使った魔法のことを話そうとしたときの、彼の必死の抵抗を思い返し若干顔を赤くしながらグラフォスの言葉を止める。

 

「……昨日のその件に関してはほんとにすいませんでした。それにミン姉にも別に隠してるわけじゃ」

「あ、グラフォスだ!」

 

 グラフォスの弁明は途中で突如として辺り一帯に響いた子供の声に遮られる。

 

「ほんとだ! グラフォス兄ちゃんだ!」

「かわいいお姉ちゃんと一緒だ!」

「ナンパしてるのー?」

 

 一人の男の子がグラフォスたちが座っているところに近づいてきたかと思うと、周りには続々と子供が集まり、数十秒後にはそこには10人くらいの子供が集まっていた。

 

「ナンパじゃないし、急に集まってこないでください」

「えー、ここにいるってことはまたお話聞かせてくれるんじゃないのー?」

「そうだよー、そうじゃないならどうしてここにいるのさー」

「やっぱりナンパ―?」

「グラフォス君これっていったい……」

 

 和やかな空気が流れていたのが一変一気に騒々しい雰囲気へと様変わりしたアカネの周囲。

 驚きを隠すことができず、まだ肉が残ったままの串を手に持ち立ち上がると、おろおろしていた。

 

 しかしそんな彼女のことなど小さな子供が気にするはずもなく立ち上がったアカネのもとに一斉に子供たちが群がる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19節 昔話と選定職業

「お姉ちゃん、グラフォスと何してたのー?」

「え、何してたってお話を……」

「お姉ちゃんだけグラフォス兄ちゃんのお話聞いてたの? ずるーい、僕も聞くー」

「え、お話って、えっと……」

「ナンパされてたのー? 逃げた方がいいよー?」

「え、ナンパ!?」

「ほら! アカネが困ってるから! 離れてください!」

 

 グラフォスはアカネに一斉に話しかける子供と彼女の間に割り込むと、大きく手を振って自分に注目を向けさせる。

 純粋な眼が一斉にグラフォスの方に向く。

 

「たまにこの噴水広場で史実を基にした創作話を子供たちに聞かせてるんですよ。この時間はちょうど子供たちが帰る時間だから……うかつでした」

「あ、そうなんだ」

 

 グラフォスはため息をつきながらも、アカネを守るように両手を広げて子供たちの突撃を防いでいた。

 子供たちは容赦なく押しかけてくるため、グラフォスの重心はどうしても後ろに傾いてしまう。

 アカネとグラフォスは意図せず密着している状態になってしまっていた。

 グラフォスがその様子に気づく様子はない。興奮した子供たちを止めるので精いっぱいだ。

 

「あ、あのグラフォス君、私は大丈夫だから。あの、子ども好きだし……!」

 

 グラフォスの背中が完全にアカネと密着し彼女の頬が真っ赤に染まる。

 

「お姉ちゃん顔真っ赤ー」

「ほんとだー、グラフォスにいじめられたのー?」

「グラフォス兄ちゃん悪い子だー!」

「やっぱりナンパだー!」

「完全に僕のせいじゃない気がするし、君はナンパにこだわりすぎですよ……」

 

 めざとくグラフォスが広げている腕の下側からアカネの方に顔をのぞかせた子どもがその様子に突っ込みを入れる。

 子どもとは遠慮を知らないものだ。

 

 グラフォスは頭を抱えながらアカネの方に体を向ける。

 しかし振り向いた先のアカネの顔の近さに驚き、思わずグラフォスは上半身を逸らしながら一歩後ろに下がった。

 

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫! ぜ、全然大丈夫だよ!」

 

 冷静さを失っているアカネは顔を真っ赤にしながらなぜか両手で握りこぶしをつくり、ぶんぶんと振り回している。

 

 元気アピールのつもりなのかな?

 

 彼女の突然の奇行に戸惑いながらもグラフォスはいつまでも帰りそうにない子どもたちに再び目を見やり、再びため息をつくとわきに置いていたリュックの方に向かう。

 そして本がパンパン詰められてほとんど真四角になっているリュックから一冊の本を取り出すと、再び椅子に腰かけた。

 

「お話しするから、聞きたかったら行儀よく前に並んで座ってください」

 

 グラフォスがそういうと相も変わらずアカネに無邪気な質問攻めしていた子どもたちが一斉に彼女の元を離れ、座っているグラフォスの前に各々膝を抱えて座り始める。

 

 現状の理解に追いついたアカネは子どもたちから一呼吸遅れて彼らと同じようにグラフォスの前の地面に正座で座った。

 

「アカネは別に僕の隣に座ってくれていいんですよ?」

「ううん、私もここでいいよ」

「そうですか……。うーん、どうしようかな」

 

 グラフォスは手に取った本を開くとぺらぺらとページをめくり始める。

 

「そうですね。じゃあ今日は選定職業の話でもしましょうか。これは僕が造った話ではなくて、ヴィブラリーにあるものを転写したものですけど」

「「お願いしまーす」」

 

 子どもたちは行儀よく一斉にグラフォスにそういう。これはグラフォスの話が始まるいつもの合図みたいなものだった。

 

「むかしむかしこの世界には四人の偉大な魔導師がいました。四人の魔導師はとても優秀でそして魔法の才能もすさまじく、魔術も平気で使えました。剣術もそれはそれはたけておりました」

 

「僕知ってる! この魔導師ってこの世界を造った大魔導師様のことでしょ!」

「そうなのー?」

 

 子どもの問いかけにグラフォスは軽く発言した子に目だけを向け優しく微笑みながらうなずく。そしてそのまま視線を戻し続きを読み始めた。

 

「どんな魔法も魔術も使えて、剣をふるっても負け知らず。天才であった四人は、それゆえに何でもできてしまうことに退屈さを覚えるようになってしまいました。そんなあるとき、一人の魔導師がこんな提案をしました」

 

 グラフォスの話が始まるとともに彼の周りには子どもだけではなく、買い物帰りの主婦、外から戻ってきた冒険者も立ち止まり話を聞いていた。

 

「何でもできるのは退屈だ。どうせなら限られたものを使えるようにしよう。そしてそれを極めようじゃないか。と。ほかの魔導師もそれは面白そうだ、楽しそうだとその意見に賛成しました」

 

 徐々に日は傾き夕暮れの光がグラフォスの顔を射す。その光を特に気にすることなくグラフォスはページをめくり、続きを語る。

 

「四人はなんでもできましたが、そんな四人でもそれぞれ得意分野がありました。得意分野を極めたらもっといろいろなことができるかもしれない。まだ見たことない景色が広がるかもしれない。そんな期待を込めて四人はそれぞれ一つの得意なことを極めることをしました。そして他の技術は使わないように封印したのです。それを彼らは『選定職業』と名付けました」

 

 一度言葉を区切り顔をあげると人が流れる街中で子どもたちがきらきらと続きを待ち望む顔でこちらを見上げており、その後ろで立って話を聞いている大人たちはそんな子どもたちの様子をほほえましく眺めていた。

 

「そして得意なことのみを使うようになった彼らはその一つの技術をどんどん上達し、そして最後には極めてしまいました。極めた先に何があったのか。それはわかりませんが、魔導師たちはそれぞれ世界に残る偉業を成し遂げてこの世を去りました。そして魔導師たちの子孫はこれを教訓として、五歳になった者にそれぞれ伸びしろがある技術を見極める魔術を造りました。そしてそれを『選定の儀』として世界中に広めたのです」

 

 これが今の世界のルール。

 どの国でも必ず五歳になると『選定の儀』を受けるのだ。

 そしてそこで自分の()()()()()()を定められる。

 

「選定の儀を受け職業を授かった者たちはどんどん成功を重ねていきました。そして世界はより豊かにたくましく発展したのです」

 

 代表的な職業の数はだいたいわかっているが、その数は未知数と言われている。

 それぞれの国、どんな小さな町にも置かれている『選定の間』にある小さな球体に込められた魔術は今最高技術を持つ魔導士を集めても再現できないといわれている。

 

「一つの職業を極めた魔導師たちは言いました。どんな職業が選ばれようとも無駄な技術など一つもない。その技術を極めたものにとってそれは等しく平等なのだと。だから自分が持つ職業に誇りをもって堂々と生き、そして技術を極めなさい。その言葉を胸に今日も人々は世界を発展させるのです。……おしまい」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20節 子どもたちの夢と行きたいところ

 グラフォスは目を閉じながら本をぱたんと閉じる。

 一瞬彼の周りに静寂が広がるが、後方に立っていた大人たちの手をたたく音を皮切りに子どもたちも一斉に拍手をした。

 

 アカネも子どもたちと同じようにきらきらとした目をこちらに向けながら胸の前で小さく拍手をしていた。

 

「やっぱり選ばれるなら『剣闘士』だよな!」

「えー私は『魔術士』がいいなー」

「僕は『生花士』がいいな」

「生花士? 男なら剣か拳だろー!」

 

 拍手をやめた子どもたちは一斉に固まると各々なりたい職業を身振り手振りで話している。

 彼らも確か近々『選定の儀』があるはずだ。このころの話題など選定職業の話題しかないだろう。

 

「グラフォスも『書き師』じゃなくて『吟遊士』に選ばれればよかったのになー!」

「バカ! グラフォス兄ちゃんのお話聞いてなかったのか! 『書き師』も極めれば立派な職業なんだよ!」

 

「そういうことです。僕は好きで書き師を選びましたからね」

「ねえねえお姉ちゃんは何の職業なの?」

「え、私!? 私は……えっと……」

「はい、今日はここまで。もう暗くなるんだからまっすぐおうちに帰ってください」

 

 子どもたちに職業の話を振られ、あからさまにうろたえるアカネをかばうように彼女の前に立ったグラフォス。

 再びアカネに群がろうとしていた子どもたちを頭をなでたり、背中を押したりすることでそれを引き留めていた。

 

「えーなんでだよー、グラフォスのけちー」

「そうだそうだー」

「君たちの帰りが遅くなって怒られるのは僕なんですから。お話ならまた今度いつでも聞かせてあげるから、ほら帰った帰った!」

 

「約束だからねー?」

「今度はグラフォス兄ちゃんが作った話ね!」

「わかりましたわかりました」

 

 その言葉を聞きようやく子どもたちは帰路へと足を向ける。

 満面の笑みで手を振ってくる彼らにグラフォスは苦笑いを浮かべながら見送っていた。

 その隣でアカネもほのかに口角をあげながら子供たちに手を振り返していた。

 

「み〜つけた」

 

物陰からアカネのことを不穏な目で見つめるひとつの影がいたことに気づくこともなく……。

 

 

 

「グラフォス君、さっきはありがとう」

 

 子どもたちの姿が見えなくなったころ、二人は再び椅子に腰かけると話し始めた。

 

「さっきって何のことですか?」

「私が子どもたちに職業聞かれたとき、ごまかしてくれて」

「……ああ。まあなんてことはないですよ」

 

 自分の行動の真意を見抜かれていたことに少し照れを覚えたグラフォスは、それを隠すように苦笑いを浮かべながら頬を掻く。

 

「それよりももう日が暮れてしまいそうですね……。結局ミン姉にもらったお金もあまり使ってないですし……どうしましょうか」

「確かに言われてみれば、この串焼きを買ったくらいかな?」

 

 普段から外でお金を使う習慣がないグラフォスに加えて、この街の知識がないアカネ。

 そんな二人が急に大金を持ったとしても、一日で使えるほどの行動力があるはずもなかった。

 

「アカネはどこか行きたい場所とかありますか?」

「んー……」

 

 突如そう尋ねられ特に何も考えていなかったのかアカネは首をひねりながら考えるそぶりを見せる。

 少しの間悩んだアカネはグラフォスのわきに置かれているリュックに目を向けて、何かを思いついたかのように表情が晴れやかになった。

 

「どうしました?」

「グラフォス君っていつもそんなに本を持ち歩いてるの?」

「ええ、これは僕の財産ですからね。これだけは何があっても手放せません」

「本とかってヴィブラリー以外でも売ってるの?」

 

「いえいえ、ああいう一般向けの本は今時商売になりませんから。この街でああいう魔物書とか魔法書を売ってるのはうちくらいですよ」

「そうなんだ……。じゃあグラフォス君が持っている本もヴィブラリーのもの?」

 

「いえ、僕のは中身が白紙ですから違います。……ちょうどいいですから、よかったら行ってみます? まだやってるかどうかわからないですし、行っても楽しくはないかもしれませんが」

「行ってみたい!」

 

 アカネはその日一番の大きな声を出すと目を輝かせながら立ち上がる。そして大きな声を出してしまったことに恥ずかしさを覚えたのか、周りをきょろきょろすると顔を赤くしてうつむいてしまった。

 

「ほんとに楽しくはないとは思いますよ?」

 

 そんなアカネの様子を見ながらグラフォスもかすかに微笑みながら立ち上がると、リュックを背負う。

 グラフォスが持つ本に何か彼女の琴線に触れる部分があったのだろうか。

 

「グラフォス君が普段言ってるところが気になるなあと思って……。そ、それに表紙とかきれいだなと思って!」

「じゃあ行ってみますか」

「うん!」

 

 グラフォスは軽く伸びをして答えると、町はずれに向かって歩き始める。その後ろを恭しくついていくアカネであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21節 不気味な雑貨屋と似合わない名前

 日が沈み辺り一帯に暗さが目立ち始めたころ、二人は街の外壁に近い外れの裏路地を歩いていた。

 その場所が醸し出す雰囲気がより一層と夜の闇を際立たせている。

 

「あ、あのグラフォス君。本当にこの道であってるの?」

「あってますよ。もうすぐ着きます」

 

 暗い雰囲気の道を気にすることなくどんどん進むグラフォスに対して、アカネはやや及び腰になりながらおどおどとした様子でその道を進んでいた。

 しかしグラフォスから少しでも距離が離れると駆け足になり、離れないように近づく。

 そんなアカネの様子を気にすることなくグラフォスは目的地に着くと、足を止めてアカネの方に向いた。

 

「ここです。街の裏雑貨屋『シンボル』似合わない名前ですよね」

「そ、そうかな」

 

 目の前に小さく立つ家というよりは廃屋に近い店を見ながら、肩をすくめながらおどけたように話すグラフォスに対しておびえた様子のアカネ。

 

「大丈夫です。別に取って食われたりはしませんから」

 

 さすがに気になったのかグラフォスは彼女に一言そう声をかけると、躊躇することなく廃屋のような店の扉を開けた。

 

「今日は店じまいじゃ……なんだドラ坊か」

「その呼び方はやめてって言ってるでしょ。シン婆」

 

 店の中はさほど明かりがついていないからか、外よりもいっそう暗い雰囲気を携えていた。

 それに加えて商品であろう物がごみを捨てるかのように床の上に散乱している。

 

 極めつけはその奥で片づけをしていたのか手に水晶のようなものを持った老人がこちらを見ていた。

 その光景は不気味だった。

 

「ここが雑貨屋さん……?」

「なんだ、ほかにも客人がおったのか。これは失礼した」

 

 グラフォスに隠れるように店に入ってきたアカネの姿が見えていなかったのか、アカネの発言を受けてシン婆と呼ばれた老人は、手に持っていた水晶を近くの木箱の中に放り込んでこちらへと歩を進めて近づいてきた。

 

 今木箱の中で激しく割れるような音がしたのだが大丈夫だろうか?

 

「こんななりをしているが、れっきとした雑貨屋じゃよ。怪しいもんは何も売っとらん。すべて合法じゃ」

「よく言うよ……」

「なんじゃドラ坊? 何か言いたいことでもあるのか?」

「シン婆、見たことがないものが置いてますけどこれは何です?」

 

 グラフォスはあきれるようにため息をつきながら店の奥に進むと無造作に置かれていた焦げ茶色の卵を手に取って、シン婆へと見せる。

 

「ん? ああ、それはドラゴンの卵らしい。最近店に来た商人が売ってくれてな。安いから買い取った」

 

 シン婆は目を細めながらグラフォスが持つ卵を見ながら説明をする。

 

「本当にドラゴンの卵だとしたら国に提出しないといけないから違法だし、そもそも商人って裏商人でしょう? そんな人と取引している時点でまっとうな雑貨屋ではないですよ」

「本物かどうかわからんのだからいいんじゃよ。合法は合法じゃ」

 

 グラフォスの言葉を顔をしかめながら煙たげに言い返したシン婆は少し歩くと近くにあった売り物であろう椅子の上に腰かけた。

 

「それでドラ坊、今日はいったい何の用じゃ? といっても用件なんぞ一つしかないのじゃろうけど」

「そこにいる子、アカネが僕が持ってる本をどこで買ってるのか知りたいっていうから連れてきたんですよ」

「ほう、ドラ坊以外にも物好きがいたとはな……」

「だから呼び方……」

 

 グラフォスは再びため息をつきながら卵を元あった場所に戻すとアカネの隣に戻ってきた。

 

「お嬢ちゃんも書き師なのかい?」

「いえ、そうじゃないんですけど! グラフォス君が持っている本がきれいだなと思って、それで気になって……」

 

 最後の方は自分の言っていることに自信がなくなったのかしりつぼみになりながら手をわたわたとさせながらアカネはシン婆に事の経緯を説明した。

 

「なるほどのお。しかし今白紙本の在庫があったかのう」

「あんなの買うのなんて僕くらいしかいないんじゃないですか?」

「ドラ坊しかいないからめったに入荷せんのだよ。どうせ今持ってる本だってすべてのページが埋まってるわけじゃないのだろう?」

 

「それはそうですけど……」

「あのなければまたの機会でも全然……!」

「まあまあそう事を急くでない。『アトラント』」

 

 シン婆はアカネの言葉を手を振って途中で遮ると、その手を店の奥の方に向けた。

 そしてその手がほのかに灰色の光に包まれたかと思うと、店の奥の方からガタン!という音が響き、その直後ゆっくりと一冊の桃色の装丁をした本が宙に浮いてシン婆の手に引き寄せられるように現れた。

 

「おお、一冊だけ残っていたようじゃな」

 

 シン婆は目の前まで来た本を手に取るとその手にまとっていた灰色の光が消える。

 

「シン婆、その表紙に描かれている花はなんなんですか?」

 

 いつの間にかシン婆の隣に立っていたグラフォスが覗き込むように、シン婆が持つ本を見ながら尋ねる。

 

「さあのう。わしもこんな形の花は見たことない。ただ初代魔導師とかかわりがあるとかないとか言っておった気がするのう」

「どっちですか……」

 

 二人の会話が気になりアカネも恐る恐る本を覗き込む。

 

「え、これって……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22節 わからない言葉と信頼

 本の表紙にに描かれていたのは真っ赤に染められて先が糸のように伸びて広がっている一輪の花の刺繍だった。

 

「アカネはこの花が何かわかるんですか?」

 

 顔を見上げたグラフォスと思いがけず至近距離で見つめあうアカネ。

 彼女は一瞬戸惑った様子を見せると顔を真っ赤にしながら、一歩後ろに下がりながら口を開いた。

 

「これ私の住んでたところに咲いてた===に似てる……」

「……ん? ドラ坊、この子はいったい今何を言ったんじゃ?」

 

 アカネは普通にしゃべっていたがそれを聞いていたシン婆が首をかしげてグラフォスの方を見る。

 

「あー……またですか。アカネ、ゆっくりとしゃべってもらえます?」

「え、はい。=・=・=・=・=。あの、河川敷とかによく咲いている花で、私好きだから学校帰りとかよく眺めてて……その……あの、グラフォス君近いです……」

「あ、すいません。口元を見れば口の動きでわかるかなと思ったんですけど。『ブレインライト』」

 

 グラフォスはアカネの口元を注視しようと近づけていた顔を離し、中腰をやめる。

 そしてリュックから本を取り出すと黄金色の羽ペンを顕出し、顎に手を当てて何かを考え始めた。

 

「もしかしてまた伝わってない?」

「すまんな。とうとうわしの耳が遠くなったのかと思ったがドラ坊の様子を見る限り、そうでもないらしい」

 

「そもそも普通にしゃべっているときから口元の動きはまるっきり違う動きをしている。どれだけ近づいて聞きとろうとしてもノイズが走って途端に聞こえなくなる。何か別の言語を使用していて、それを無理やりこちらの言語に変換している? それができない独自単語のみがノイズになってしまう……? そんなことができる魔法があるのなら魔物とも意思疎通を図れるのでは……」

 

「ドラ坊、これドラ坊」

「……はい?」

 

 グラフォスは完全に自分の世界に入り込み、今見た事象と推測を本に書き写していた。

 しかしそれを止めるようにシン婆がグラフォスの肩をゆすり、ようやくグラフォスは周りを見る。

 

「お嬢ちゃんが困っておるだろうが。それと、まさかわしに魔法を使わせるだけ使わせておいて、何も買わないということはないじゃろうな」

 

 わからないことを追求しすぎるな。か……。

 確かにこれ以上いくら考察を重ねても真実など実際に使った人に聞かなければわからないだろう。

 

 そう判断したグラフォスは羽ペンを消しながら本を閉じてリュックにしまった。

 

「すいません。シン婆、アカネ」

「ううん、私は別に……」

「シン婆、その本買います。いくらですか?」

「別に誰も買わんからの。いつも通り5ラで構わんよ」

 

「在庫がないっていうから値上げしてくるかと思いましたよ」

「そうしたいのはやまやまじゃが、お嬢ちゃんにもこの店に慣れてほしいしの。特別サービスじゃ」

 

 グラフォスはそれを聞いて苦笑いを浮かべながらポケットからポーチを出すと、その中から銀貨5枚をとり出し、シン婆へと渡した。

 

「すいません! 私怖がっちゃって、その、失礼ですよね」

「構わんよ。当然の反応じゃしな。最初から怖がらなかったのはドラ坊ぐらいじゃよ」

「まあそんな危険な雰囲気もしないですしね。売ってるものはたまにまずいものがありますけど」

「ドラ坊は本当に失礼な奴じゃの」

 

 グラフォスの軽口に軽快な笑い声をあげながら答えるシン婆。

 その二人の間にはまたミンネとは違った信頼があった。

 

「お二人は長い付き合いなんですか?」

「そうじゃの……ミンネに連れられて来てからじゃから彼これ7.8年は経つかの?」

「そうですね。白紙の本を探していた時でしたからそのくらいですかね。どこにもそんなものなくて最後ってことでダメもとで入った店が大当たりでしたからね」

「ダメもととはどういうことじゃ」

 

「ミンネさんも忘れてて最後に思い出したくらいなんですから、ダメ元って言葉は何も間違えてないと思いますよ?」

「でもそれで本を見つけてからはグラフォス君はここに通ってるんだ……」

「そういうことです」

 

 

 その後三人は他愛のない会話を重ねながら店の中の怪しげな雑貨を物色していた。

 そして数十分が経つ頃にはアカネも雰囲気に怖がることはなく、見た目と反して明るいシン婆へと心を開いていた。

 

「それじゃ、そろそろ帰ります」

「いろいろとありがとうございました。あのお体に気を付けてくださいね」

「大丈夫じゃ、まだぴんぴんしておるわい。まだまだくたばる気はないぞ」

「今のは変な雑貨を仕入れて呪いにかからないでくださいねっていう皮肉ですよ」

「グラフォス君!」

 

 全く思ってもいないフォローを入れられたアカネが少し怒った様子で声を大きくして否定の意を込めて、グラフォスの名前を呼ぶ。

 

「すいません」

「ほっほっほっ、ドラ坊の委縮している姿などミンネといるときしか見たことなかったが、これは珍しいもんを見たわい! いい子を見つけたのドラ坊……」

「そんなんじゃないですし、別に委縮してもないですよ。ちょっとびっくりしただけです。僕らはもう帰りますから。シン婆、次来る時までには僕の呼び方変えてくださいね」

「考えておくわい」

 

 グラフォスは少しすねたようにまくしたてて別れの挨拶をするとそのまま店の外に出ていく。

 アカネもグラフォスとのやり取りを指摘され少し照れながらもシン婆に一礼して、グラフォスの後を追いかけようとした。

 

 しかし背中をつつかれるのを感じ足を止めて振り返るとそこには優しい笑みを浮かべたシン婆が立っていた。

 

「ドラ坊は、あの子は口も悪いし性格もひねくれておるが根はやさしい子なんじゃ。このわしが保証するから間違いない。きっとあの子は優しさと知的探求心でこれからも無茶をするだろうが、愛想をつかさずあの子のそばにおってくれると助かる」

 

「は、はい! グラフォス君は私を助けてくれたし優しいのは今日一日感じました。私じゃ力不足かもしれないけど、そばにはいたいと思ってます」

「ほっほっ、そうかそうか。ほんとにドラ坊にはもったいないの。気を付けて帰るんじゃぞ」

「はい」

 

 アカネは再び深く頭を下げると、今度こそ扉を開けて店の外へと出た。

 その足取りは心なしかどこか重いようにも見えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23節 記憶喪失と覚悟

 帰路を歩く二人の周りは街灯の明かりのみが照らされており、周りは真っ暗となっていた。完全に夜になってしまっていた。

 

「思った以上に長居してしまいましたね……」

「いろんなものが置いてたもんね」

 

 確かにシン婆と話していたのもあるが、大半はあの店の雑貨を触っていたことが原因だ。

 手に取るものすべてが普通だと聞かないようなものだった。

 いったいどこから仕入れているのだろうか。

 

「グラフォス君、私一つ気になることがあるんだけど聞いてもいい?」

「気になること?……ああ、だいたい想像はつきますけどいいですよ」

 

 アカネが少し様子をうかがいながら口を開いたのに対して、グラフォスは思い当たる節があるのか軽い口調で返事を返す。

 

「シンさんが言っていたドラ坊っていうのは……」

「まあそのことですよね。うーん、何から話せばいいのかわからないんですけど……まあいっか。簡潔に言うとですね、僕()()()()()んですよね」

「え?」

 

 あまりの軽い口調で放たれたカミングアウトに思わずアカネはその場で足を止める。

 それに合わせるようにグラフォスも二歩ほど先に行ったところで足を止めて振り返った。

 

「えっと……記憶がないって?」

 

「僕、5歳より前の記憶がないんです。正確に言うとこの街にいる頃より前ですかね。きっと魔法か魔道具か何かで消されたと思うんですけど。だから僕の記憶にはまったくないんですけど、僕が生まれたところって結構な名家だったらしいんですよね。『ドラフォノス一家』なんて呼ばれてるみたいです。なんか初代大魔導師の子孫だとか言ってたかな?」

 

「記憶が消されたって、それは大丈夫なの?」

 

「そんなに珍しいことでもないですよ? きっと僕が『書き師』を選んだから捨てられたんだろうし、そういった子供は別に珍しくないです。そういった名家生まれの子供とかならなおさらですけど。この世界は選んだ職業で人生の価値を決めがちですからね。書き師は一般的には魔法適正も剣術適正もない人がなる()()()()ですから、きっと失望したとかそんな理由じゃないですかね」

 

「そう……だったんだ」

 

 明るい雰囲気を保つグラフォスに対してアカネの表情はどんどん暗くなっていき、それを隠すように顔はうつむいていた。

 

「最初僕ただのグラフォスですって言いましたけど、本当は『ドラフォノス・グラフォス』っていうんです。これを知ってるのがミン姉とシン婆だけで、苗字を言うとややこしいことになるから普段は隠せって言われてたんですよね。だからあの時もあえて名字を言わなかったんです。だましてたみたいですみません」

 

「ううん……」

「あれ? でもシン婆いつもほかに人がいたら絶対にドラ坊なんて呼んでこないのに今日は何で普通にドラ坊って呼んできてたんだろう……」

 

 シン婆がうっかりミスでほかの人にグラフォスとドラフォノス家に関係があるなんてにおわせるはずがない。だってこれまでにそんなミスをしたことがないから。

 

 ならなぜ今日はずっと呼び方を変えずに呼んでいたのだろう。アカネが目の前にいたのに、気にしている様子がなかった……。

 

 またしても自分の思考の渦に取り込まれそうになっていたグラフォスはずっとアカネが黙っていることに気づき、慌ててアカネの方に目を向ける。

 

「え……?」

 

 アカネは泣いていた。長い髪に隠れて見えづらいが確かに彼女の瞳から大量のしずくが零れ落ち、それが地面に滴り落ちていた。

 

「ちょ……ちょ、なんでアカネ泣いてるんですか!?」

 

 わかりやすく動揺するグラフォス。今まで同年代とかかわりを持ったことがない。それどころか人との関わりも限られている。

 そんなグラフォスが目の前で泣いている女の子を前にしてどうしたらいいかなどわかるはずもなかった。

 

「僕何か気に障ること言いましたか? 傷つけちゃいました? ごめんなさい!」

 

 訳も分からず理由もなくあたふたしながら謝るグラフォスに、ゆっくりと首を横に振ってそれを否定するアカネ。

 

「ごめんね……私が泣くことじゃないんだろうけど……私ってちっぽけだなって思って……グラフォス君はつらい経験をしているのに、私一人だけつらいみたいな顔して落ち込んで、逃げたりしたから。グラフォス君はすごいなって……ちゃんと乗り越えられて」

「まあ……乗り越えるも何もそもそも記憶がないですからね……」

 

 グラフォスは困ったように頭を掻きながら少しずつ恐る恐るアカネに近づく。

 

「考えてみれば今日だって私グラフォス君に守ってもらってばっかりだったし、命を助けてもらったのに何もできてない……」

「それはこの街のこと何も知らないし仕方ないんじゃ……。そ、それに僕も運がよかったんですよ! 最初のころはミン姉に守ってもらってばっかりでしたし、最初はだれしもそんなもんですよ! 生きる知恵がないんだから仕方ないです!」

 

「…………」

「僕は今も苦労してないですしね! ミン姉のおかげでそれなりの生活ができているしきっと元の家にいた時より今の方が楽しいんじゃないかな! わからないけど、ハハハ……はははは……」

 

 涙は止まったようだがうつむいたままのアカネ。グラフォスの乾いた笑い声だけが夜の街に響いていた。

 

「ごめんねグラフォス君。困らせちゃって……」

「いえ、僕の方こそ変な話してすいませんでした」

 

 アカネの謝罪に対して謝罪を返すグラフォス。二人の間に一瞬気まずい空気が流れたが、アカネが勢いよく顔をあげたことでその空気は霧散される。

 

「アカネ……?」

 

 アカネはまだ涙でぬれているその目を両手でぐしぐしとこすって涙を拭きとる。

 そして再び見えたその表情はやけに真剣みを帯びていた。

 

 そんな覚悟を決めたかのような目で見つめられたグラフォスも思わず姿勢を正す。

 

「私決めた。この世界でちゃんと生きていくよ。グラフォス君の後ろじゃなくて隣を歩けるように、私がグラフォス君を守れるように。何ができるかわからないけど、精いっぱいこの世界で生きてみる」

「僕は守られる前提なんですね……。まあ心強い限りですけど」

 

「ごめんね……急に泣いて、こんな変なこと言っちゃって」

「いいですよ。僕はさっきより今のアカネの表情の方が好きです」

「へっ!?」

 

 アカネは出会ったころよりも何かに吹っ切れたのかどこか明るい表情をしていた。憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。

 

 彼女の心境にどんな変化があったのかはわからない。ただ自分の記憶喪失の話が何かのきっかけになったのなら、それでいい、そう思った。知識欲の塊であるグラフォスがそう思えるほどに今の彼女の表情は綺麗だった。

 

 まあ最後のグラフォスの一言でそのりりしい顔は崩れさって今は真っ赤な顔をして沸騰状態になってしまっているわけだが。

 

「あ、そうだ。アカネにこれ、渡そうと思ってたんでした」

 

 鈍感なのかわざとなのかアカネの顔が真っ赤になったタイミングでリュックに視線を移動させたグラフォスは、彼女の変化に気づくことなく一冊の本を取り出すとアカネに差し出した。

 

「え、これって……」

 

 何とか冷静さを取り戻したアカネはグラフォスから差し出された本を手に取る。

 それは先ほどシン婆の店で購入した桃色の表紙に赤色の花が刺繍されている本だった。

 

「シン婆に見せてもらった時からアカネに上げようと思ってたんです。結局今日は何も買えなかったわけですし、これくらいはしないとなと思って」

「え、でも私のために街探索をしてくれたのに、こんなものまでもらっちゃっていいの?」

 

「いいですよ。僕はまだ残念ながらストックがありますし、それにこの花アカネは何の花かわかるんですよね。余計にアカネが持った方がいいです」

「そういうことなら……」

 

 最初は戸惑いながら受け取っていたアカネだったが、完全に自分の手に渡り表紙を眺めているうちにどんどんと笑顔になっていた。

 

「ありがとうグラフォス君! 大事にするね!」

「大事にするよりは使い倒した方が本も僕もうれしいと思いますよ」

「じゃあいっぱい使う!」

 

 少し子供っぽい口調になっていて、完全に元気を取り戻していたアカネの姿に安心したグラフォスは思わず口を綻ばせてしまう。

 

「さあ、そろそろ本当に帰らないと! ミン姉に怒られる可能性大ですしね」

「うん、明日からお仕事頑張らなくちゃ!」

「そんな気合を入れるほどすることはないですけどね」

 

 そんな他愛のない話をしながら二人は歩みを再開させる。アカネは少し駆け足でグラフォスに追いつくと、その背中ではなく隣に立ちグラフォスの顔を見ながら歩いていた。

 

 グラフォスは行きと違った感覚に気恥ずかしさを覚えながらもそれでも楽し気に帰路を歩いていた。

 

 家に着いた二人は案の定ミン姉に怒られた。

 そしてグラフォスはアカネの目が真っ赤にはれ上がっていたことを問い詰められ、そしてちゃっかりとギルドでの白金貨の一件を報告していたギルド嬢の思惑通り、こっぴどく叱られるのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24節 抜け出しと変わった彼女

いつもお読みいただきありがとうございます。
明日08/29までは12時と18時に投稿します。
30日からは通常通り12時投稿となります。

では続きをお楽しみください。


 次の日、グラフォスはもう昼になろうかという頃にのそのそと起きると、いつもの準備を整えて一階へと降りる。

 

 この時間ミンネはいつも買い物かそれ以外の用事で街に出ているため、店には誰もいない。

 鍵は開いているのに誰もいないというのは不用心極まり行動ではあるが、そもそもこの時間普通の人であれば街の外に出ているか働いているかだ。

 

 それに加え売れないとわかっている本屋に入ってくる強盗などそういなかった。

 そしてグラフォスはその時間を見計らって何かから隠れるように外へと向かう。

 

 いつもこうしてミンネにばれないように街の外へと向かうのだ。

 毎回こっぴどく叱られるがそれでも懲りることがなく同じことを繰り返すグラフォスであった。

 

「……あ」

 

 しかしグラフォスは今日がいままでとは一つ違うことにその人物を目にしてようやく思い出す。

 

「あれ、グラフォス君どこかに行くの?」

 

 店の扉を開けると制服姿でほうきをもっていたアカネがいたのだ。

 

「えっとそれは……あ、アカネは何してるんですか? ミン姉に仕事を押し付けられたとか? 僕が抗議しましょうか?」

 

 わかりやすくアカネがいたことにうろたえて訳の分からないことを口走るグラフォス。

 そんないつもと違う様子の彼を見て違和感を覚えたのかアカネは首をかしげる。

 

「これは別に頼まれたとかじゃないけど、私も何かしないとなと思って。それで店の前をお掃除しようかなって。あ、ほうき勝手に使ってごめんね?」

「それは全然かまいませんけど……」

「あれ? グラフォス君どこかに行くの?」

 

 アカネは話をしている中でグラフォスが昨日も持ち歩いていた真四角のリュックを背負っていることに気づく。

 その質問にグラフォスはすぐに答えることができなかった。寝起きということもあり頭が回っていなかったのかもしれない。

 

「いやちょっと街に買い物にでも行こうかなと思いまして」

「そうなんだ! 気を付けてね。私はお仕事しているよ」

 

 純粋なアカネの笑顔と返答に若干の罪悪感に包まれるグラフォス。

 しかしここで退くわけにはいかない。かねてより森の中に足を踏み入れようと考えていたグラフォスは、ついに今日それを実行しようと決めていたのだ。

 

 彼女には悪いがここは騙されてもらおう。

 

 そう考えながらも後ろ髪を引かれる思いであったグラフォスはいつもよりもたどたどしい動きで歩みを再開した。

 

「あ、そうだ!」

「な、なんですか!?」

「ミンネさんが帰ってきてグラフォス君いないと心配するかもしれないから、しっかりと伝言しとくね」

「え!? それは大丈夫です!」 

 

 それはまずい。街の外に出るまでに万が一ミン姉が帰ってきたとして、アカネが伝言をした場合、間違いなく街の外に出ることはできない。

 彼女が自分を追いかけるときの速度は異常を期している。

 間違いなく街から出るまでに捕まる。

 

「大丈夫? ……なんで?」

 

 ここで何かおかしいと感じたのかミンネが若干眉を寄せながらグラフォスに問いかける。

 彼女から謎の威圧を感じたグラフォスは冷や汗をかきながら言い訳を考える。

 

「グラフォス君?」

「いや、ミン姉は僕がどこに行ったかなんてだいたい予想がつきますし、それならわざわざ言わなくても大丈夫かなあ……と」

 

 嘘はついていない。決して嘘はついていないのだ。

 グラフォスがミンネに黙って店を出るなんて行先は一つしかないのだ。それをミンネが予想できないわけがない。だから嘘はついていないのだ。

 

 そんな言い訳を自分にしつつアカネへの罪悪感を緩和させていたグラフォスであったが、そんな心中を知る由もないアカネはますます彼を疑うような視線で見つめてきていた。

 

「それでも心配するかしないかはまた別の問題でしょ? 私が言っても問題ないと思うけど……。やっぱりグラフォス君何か隠してない?」

「……いえ、本当に大した用事ではなくてですね……」

「グラフォス君、何でも話してほしいとは言わないけど、嘘はやだな?」

 

「…………ちょっとそこの森にでも行こうかなと」

 

 アカネへの罪悪感と最後の彼女の上目遣いに完全に敗北したグラフォスは小さな声で行先を告げた。

 グラフォスはこれ以上彼女の純粋な視線を直視することができず思わずアカネから目をそらしてしまう。

 

「一人で?」

「まあ僕友達いませんし、ギルドで募集依頼は出しますけど、まあ一人ですかね。きっと」

「一人で行くなんて危ないよ?」

「それでも行かないと知りたいことは何もわからないままですし」

「死んじゃうかもしれないんだよ?」

 

「何かを知ろうとして死ぬのは構いませんが、何も知らないまま死ぬのは嫌なんですよね。だから知識を得るために死んでしまうならそれも()()()()です」

「グラフォス君……」

「アカネ、このことはミン姉には」

「正座」

「……へ?」

 

 思わぬ言葉が聞こえたグラフォスは思わずアカネに目を向ける。

 しかしその瞬間感じた視線にグラフォスの全身に鳥肌が立つ。

 

 目の前に立つアカネの目は完全に座っていて、まっすぐとこちらを見つめていた。

 しかも感情が高ぶっているせいか全身から少なくない魔力を放出していたため、グラフォスは全身で彼女の威圧を受けていた。

 

 ……完全に怒ってらっしゃる。

 

 反抗してはいけないと本能的に察したグラフォスはジト目でこちらを見つめてくるアカネの様子をちらちらと伺いながら、その場で正座をした。

 

 この子昨日からキャラ変わりすぎじゃないですかね?

 昨日自分も何かすると決意し吹っ切れたアカネ。覚悟を決めた女の子の威圧は強いのだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25節 同行と緊張

 その後店の前で正座をさせられたグラフォスは、通行人の冷たい視線を感じながらこんこんとアカネの説教を受けていた。

 

「アカネさんそろそろ……」

 

 日も高く昇りはじめてグラフォスの足の感覚がなくなってきたころ、アカネの息も上がり説教がいったん途切れたところで、グラフォスは口をはさむ。

 

「……ごめん、ちょっと言い過ぎたかも」

 

 グラフォスの割り込みによって少し冷静になったのか、息が切れながらもアカネは少ししょげた表情をしてグラフォスに手を差し伸べる。

 謎の解放感を味わっていたグラフォスは彼女の手を取ると立ち上がる。

 

 しかしあまりの長時間正座をしていたせいで足の感覚が全くなかったグラフォスは、立ち上がったと同時によろめいてしまい、彼女の方に倒れこんでしまう。

 

「きゃ!」

「す、すいません。足の感覚がなくて……」

「大丈夫?」

 

 それから少しの間周りの通行人の生暖かい視線を感じながら彼女にもたれかかり、ある程度足の感覚が戻ったところで背中に背負っていたリュックをしょいなおす。

 

「じゃあ僕はこれで……」

「まだいくつもりなの?」

「大丈夫ですよ。死ぬつもりはありませんし、しっかりと怒られたんで今日は森の中まではいかないつもりです」

「そういう問題じゃないんだけど……」

 

 アカネはグラフォスの言葉を受けて何かを考えるようにうんうんとうなり始める。

 

「……アカネ?」

 

 いい予感がしなかったグラフォスは彼女の注意を引こうとするが、そんなことを気にすることなくアカネは何かを考え続けていた。

 

「……わかった! どうしても行くっていうなら私もついていく!」

「え? それは危ないですよ」

 

「そんな危ないことを君は独りでしようとしているんでしょ? というよりこれまでしてきたんでしょ? 今日からは私もついていくよ。私だって回復魔法が使えるし、何かの役には立つはず」

「アカネは森に行っても大丈夫なんですか?」

 

 アカネが森から出てきたときは精神的にも肉体的にもボロボロの状態だった。

 そんな目にあった森に改めて自らの足で行くことなどできるのだろうか。

 

 グラフォスの言葉の真意に気づけず、最初首をかしげていたアカネだったが、少し考えてようやく彼の言いたい意味に気づいたのか、少し気まずそうな表情を浮かべながら苦笑していた。

 

「多分……大丈夫だと思う。グラフォス君も一緒だし」

 

 彼女の手は若干震えているようにも見えたが、これ以上グラフォスが何を言ってもアカネはひかない気がする。

 グラフォスはこれから店に戻って一日店番をして過ごすか、アカネを連れて街の外に連れていくか、どちらの方がいいか天秤にかけた。

 

「……行きますか。二人ならギルドのパーティ募集に参加してくれる人がいるかもしれませんし」

 

 結果、グラフォスの知識欲の方が勝ってしまい、アカネを連れて行く方を選んだ。

 

「わかった! 私はこのままでも行けるよ。すぐに行くの?」

「じゃあ僕ももちろん準備はできてますから、まずはギルド行きますか……」

 

 そうしてグラフォスはアカネを連れて、ようやく店の前を離れてギルドへ向かうのだった。

 

 

 

「だめだったね……」

「だめでしたね……」

 

 ギルドに向かった時とは違い、少し重くなった足取りで二人は街の外を歩いていた。

 

 意気揚々とギルドに向かったグラフォスとアカネだったが、パーティ募集をした結果集まった人数はゼロ人だった。

 グラフォスも初めて一人以外で街の外に出るからと少しテンションが上がっていたのかもしれない。

 それゆえに今日こそはだれか同行してくれる人がいるかもしれないと考えてしまっていたかもしれない。

 

 しかし冷静になって考えてみれば当然である。

 書き師と『回復士(仮)』の実際は職業不詳という怪しすぎる二人組のパーティ募集である。

 そんな二人組の募集に参加するもの好きがこんな昼下がりにいるはずもなかった。

 

 グラフォスはため息をつき、物思いにふけながらアカネの方を見ると、彼女はもう気を取り直したのか、首にぶら下げた名前が刻まれた丸石のアクセサリのようなものを楽しそうに眺めていた。

 

「そんなにうれしいですか?」

「うん、まさか冒険者になれると思ってなかったし。それにお揃いみたいだし」

 

 グラフォスもポケットからアカネが持っているのと同じ形をした、ただこちらにはグラフォスの名前が刻まれている記章を取り出す。

 

「冒険者になればだれでももらえますよ。できれば銅等級くらいにはいきたいですけどね」

 

 グラフォスもそういいながらも、アカネの冒険者登録ができるとは思っていなかった。

 

 冒険者登録するときには必ず職業の提示が必要となるわけで、逆に言えば職業を提示すれば誰でもなれるものではあるのだが、アカネにとってはそこが一番の難関だった。

 

 しかし最早軽い気持ちのダメもとで回復士といったところ、それで通ってしまったのだからギルドのシステムを疑うまである。

 まあ何はともあれこれで晴れてアカネは回復士(仮)の石等級の冒険者になれたわけだ。

 

「さて、いよいよ森に入るわけですが、大丈夫ですか?」

 

 森の入り口というかわき道にそれていつもグラフォスが土いじりをしている場所に立つと、グラフォスは足を止めてアカネの方に顔を向ける。

 

 今日の当初の目的はいつもの土いじりではなく、森の浅い部分に入って魔物の探索をすることである。

 

 アカネがついてきたからといってそれをあきらめようとは思っていなかった。

 そうなるとグラフォスについてくるといったアカネもその道中に道連れにしてしまうわけだが。

 

 当のアカネはやはり怖さがあるのかさっきまでの明るい表情は消え去り、こわばった表情で無理やり笑みをその顔に張り付けている。

 

「アカネだけでも戻りますか? やっぱり僕一人で」

「ううん、大丈夫。私も行くよ。……手、握ってもらってもいい?」

「まあそれくらいならいくらでも」

 

 アカネが弱弱しく差し出した震える手を何の気なくそのまま手に取ったグラフォスは、一歩ずつアカネに合わせるように歩き始めた。

 

「まあそんなすぐに魔物も出てくるわけじゃないでしょうし、僕も何も考えていないわけじゃないですから、きっと大丈夫ですよ」

 

 空いている方の手でリュックから一冊の本を取り出してアカネに諭すように語りかけるグラフォスに対して、息を止めてしまっているんじゃないかと思うほど無表情で返事を返せないアカネは無言でこくこくと頷くと、二人は森へ一歩足を踏み入れた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26節 初戦闘と油断

 グラフォスにとっても新しい未開の地。

 ほかの冒険者にとっては通いなれた道かもしれないが、木々が一層と生い茂りよくわからない生き物の泣き声が響いている森の中は新鮮そのものだった。

 

 森の入り口だけでは決して感じ取れないような緊張感がある。

 グラフォスの手元で必死に羽ペンを動かして森の中の様子を記述している羽ペンに対して、彼の心中は決して穏やかではなかった。

 

 アカネがさっきから何も話してないし、なにより無表情のまま顔を真っ赤にして体をプルプルと震わせているのだ。

 

「アカネ、アカネ? 大丈夫ですか?」

「……ぷはあ!! な、なんか大丈夫みたい」

「本当に息止めてたんですか……」

「緊張しちゃってたみたいだけど、思ったより何ともないみたい」

 

 一気に息を吐きだしたアカネは照れくさそうにはにかむとグラフォスの方に向く。

 さっきまでの嫌な緊張感はなく、そこには和やかな空気が戻ってきていた。

 

 グラフォスが思っていたよりも、そしてきっとアカネが思っていたよりも森の中に入っても森に入っても大丈夫なようだった。

 

「ごめんね、変な気を使わしちゃって」

「大丈夫です……アカネ、こっちへ」

 

 談笑が始まりそうなほど和んだ雰囲気だった二人だったが、何かの気配を感じたグラフォスは一瞬で表情を引き締めてアカネの手を引っ張って木の陰へと連れていく。

 

「グラフォス君?」

「しっ」

 

 戸惑っているアカネに向かって口に指をあてて指示して一点を見つめるグラフォス。

 そんな二人の目の前、さっきまで二人が立っていた近くから大人と同じくらいの身長の木がのそのそと歩いてきていた。

 

「あれは……」

「ミニトレントですね」

 

 ミニトレントと言われた目の前で目的もなさそうにゆっくりと歩いている魔物は、木でできた体に局部を隠すようにツタが全身に巻き付いており、枝が四肢のように伸びていた。

 

 その顔はのっぺりとしていて何を考えているのかわからないほど表情を感じ取れない。

 実際何かを考えるほどの知能は持ち合わせていなかったような気がする。

 

 その特徴を記す羽ペンを一瞥しながらグラフォスは首をかしげながら、アカネの手を放してもう一冊青い装丁をした本をリュックから取り出す。

 

「ミニトレントは本来であればこんな森の浅瀬でいるような魔物ではないんですよ。もうちょっと奥に進まないといないはずですし、群れでいることが多いんですが……はぐれたんですかね。やっぱり自分の目で見てみないとわからないものですね」

 

 ミニトレントに聞こえない程度の声でアカネに説明するグラフォス。

 しかし片手はしっかりと今取り出した本を取り出してページをめくっていた。

 

「グラフォス君、なにかするつもりなの?」

「まあ僕の魔法がどこまで通じるのか。試してみる価値はありますよね。本当は最初はゴブリンあたりで試したかったんですが」

 

 そしてグラフォスは目的のページを見つけたのか、そこで手を止めるとミニトレントをまっすぐと見据える。

 

「『リリース』『ウインドカッター』」

 

 ミニトレントが二人のちょうど背後に立った時、グラフォスは静かに魔法を詠唱するとそれに合わせるように左手に持った本から黄金色の魔法陣が描かれて、一瞬で魔法陣は霧散し、一枚の刃のような形に姿を変えてミニトレントに向かって突っ込んでいった。

 

 気配に気づいた時にはすでに遅く、ミニトレントが振り返って黄金色の刃に枝を向けて反撃しようとした瞬間、その刃がミニトレントの上半身と下半身を真っ二つに切り裂いた。

 

「まだ弱いですかね。『リリース』『ファイアボール』」

 

 上下真っ二つにされているにもかかわらず、まだ反撃しようと動きを見せるミニトレントに向かって、グラフォスは新たに魔法を唱える。

 

 先ほどと同じように本から小さな魔法陣が顕出すると、その魔法陣は霧散すると同時に小さな球体となって魔物に向かって飛んでいく。

 

 そしてミニトレントに着弾すると同時にその体は真っ赤な炎に包まれて、一瞬でその体は炭となった。

 そして炎は周りの木に燃え移ることなく対象の魔物が死んだと同時に自然に鎮火した。

 

「すごい……」

 

 グラフォスが魔法を繰り出す中でただ隣で見ていることしかできなかったアカネは、一連の動きを見てただただ感動していた。

 

()()()にしては楽に終わった方ですかね」

「……本当に初めてだったの?」

「実戦闘を自分だけでやるっていうのは初めてですよ。シュミレーションはしてきたんですが」

 

 シュミレーション通りであれば最初のウインドカッターで魔物を殺すはずだった。

 しかし実際は次の手を打たなければミニトレントが持つ微弱な再生能力の特性によって、仕留めきることができなかった。

 

「実践をしないとわからないことは多いですよね」

「それでもすごいと思うけど……」

 

 今の戦闘内容をしっかりと記述しているグラフォスの横でアカネはただただ感心していた。

 

 はじめての戦闘ということもあり、二人とも気が抜けていたのかもしれない。

 二人が隠れる木陰の反対側から数本の枝が飛んできたのはそんな油断していた時だった。

 

「危ない!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27節 二度あることは……

 とっさのことで判断が遅れるグラフォスは、何とかアカネをその枝攻撃の範囲から突き飛ばした。

 しかしグラフォスは攻撃をよけることはできず、むしろ本をかばってしまったことで腕を貫通して攻撃を受けてしまった。

 

「くっ……!」

「グラフォス君大丈夫!?『オールヒール』」

 

 枝がグラフォスの腕から引き抜かれると同時に体勢を立て直したアカネが、グラフォスに対して濃い緑色の魔力を放出する。

 するとグラフォスの腕を貫通していた小さな穴は見る見るうちにふさがっていき、魔法が終わるころには彼の腕は元通りになっていた。

 

「ありがとうございます。油断してましたね」

 

 しかし二人が会話している間にも枝が伸びてきた方から5体のミニトレントがその姿を現す。

 

「やっぱり群れで行動していたんですか……」

 

 しかしグラフォスはミニトレントの行動に違和感を覚えていた。

 ミニトレントの知能はそこまで高いわけではない。しかし今の行動は計画性があったように思える。

 

 一体のミニトレントをおとりにして、魔法をわざと使わせるか姿を見せるようにして、そのあと油断した冒険者に向かって一斉攻撃をする。

 そんなことを考えられる知性がミニトレントにあるとは思えない。

 

「でも、今はそんなことを考えている暇はありませんね」

 

 魔力の残滓をたどってか、魔法が飛んできた方向からグラフォスとアカネの位置を把握しているミニトレントに対して隠れたまま戦うのは得策ではない。

 

 そう判断したグラフォスは素早く立ち上がると右手に持っていた本を片付けて完全に戦闘体制へと移行した。

 

「グラフォス君まさかあの中に突っ込むつもり?」

「そうしないとここから逃げれそうもないですからね」

「……そっか。ちょっと待って。『オートヒール』」

 

 アカネは何かをあきらめたかのようにため息をつくと、目を閉じて両手をグラフォスに向ける。温かい魔力が彼女の手から放出されると同時にグラフォスの体が淡い緑色の光で包まれた。

 

「これは、あの時アカネが使ってた自動回復魔法?」

「私にはこれくらいしかできないから」

「十分すぎますよ」

 

 グラフォスは彼女の謙遜に対して微笑みながら返すと、人間でいう腕に位置する枝を伸縮させているミニトレントに向かって近づいていく。

 

「さて、どうするか……」

 

 ミニトレントの腕として機能している枝は基本的に伸縮自在だ。

 グラフォスの身体能力ではそれをよけることは容易ではない。というか不可能だ。

 

 そして枝を切り落とせたとしても枝の再生スピードに関してはすぐに再生可能だ。

 そうなってくると枝を操っている本体である胴体をたたく必要がある。

 

 対応を考えている間もミニタレントはグラフォスに向けて枝を伸ばしてくるが、正確にグラフォスの位置を把握できていないのか、単純に命中率が低いのか先ほどのように体を貫いてくるような攻撃はなかった。

 

 体にかする程度であれば、多少の痛みは伴うもののアカネがかけてくれたオートヒールで即座に回復するため、ダメージはあってないようなものだ。

 

「やっぱり近づかないといけない。……となると、これしか手はないですよね。『リリース』『マルチシールド』」

 

 グラフォスはとうとう左手に持っていた本からも手を放し、両手を自分の体の前に持ってくる。しかし本は地面に落ちることなく、グラフォスが放出する魔力によって本はグラフォスの顔の真横の位置で開いた状態で維持していた。

 

 そしてその本から三つの魔法陣が顕出すると、それはグラフォスが掲げた両手に集まり、その後同じ数の黄金色の魔法盾となってグラフォスを守るように現れる。

 

 魔法を検知したからかミニタレントは一斉にグラフォスの胴体に向けて、枝を振りかぶってきた。

 しかしその枝たちはグラフォスの体に届くことはなく、目の前の魔法盾にすべて弾かれる。

 成す術をなくした枝は収縮してミニトレントの体へと戻っていった。

 

 グラフォスは攻撃を受けてもひびすら入らない魔法盾を見て安心するとともに、ゆっくりとミニタレントに近づいていく。

 

 一体ずつ処理したとしても背後に回られたら新たにシールドを詠唱する必要がある。その時間の間に枝で攻撃されたらよけようがない。

 となると五体同時に倒すのが一番効率がいい。

 

 グラフォスは自分の左手に浮いている本を再び手に取ると、ページをめくる。

 そしてあるページで止めるとまた手を離した。

 

「『リリースエグゼクティブ』『ファイアソード』『ボルトニングソード』」

 

 グラフォスの詠唱とともに本の上部に二つの魔法陣が描かれ、それが霧散するとともに二つの紅の火で形どった刃と、紫電で形どった刃が顕出する。

 

 グラフォスが詠唱するそれは岩等級の魔法冒険者であればだれでも使えるような石等級の冒険者でも使うことができる初級攻撃魔法。

 

 しかし魔力を込める量が違えばその威力も段違いとなる。

 

 グラフォスが大量の魔力を二つの刃に注ぎ込むことで、その刃は通常の魔法詠唱ではありえないほどの大剣の二倍はあろう程の刃へと変わる。

 

 グラフォスは二つの刃に向かって両手を向けると、刃はそれぞれ片方の手へと吸い寄せられるように近づく。

 そしてグラフォスは交差するように両手を構えると特に力を入れることもなく両手を横なぎにふるった。

 それと同時に淡い黄金色の光を纏った火の刃と雷の刃はグラフォスの動きに合わせるように交差し、そして五体のミニトレントの胴体を一斉に貫く。

 

 ミニトレントはしばし自分に起こった状況を理解できなかったのかグラフォスに向かって枝を振り回していたが、その枝まで火が、紫電が到達したときにようやくその動きを止めて、その直後存在すらもその場からなくなる。

 

 二つの刃がその場から消える頃にはグラフォスの目の前には炭となった魔物の残骸が残っているのみとなった。

 

「ふう……。はじめてにしては上出来ですかね」

 

 グラフォスは火剣の熱にやられてか、魔力の消耗によってか額にかいていた汗をぬぐい、さかだった髪の毛を整えると目の前の状況に満足した様子で微笑みながら眺める。

 

 グラフォスはちゃんと生き残りがいないことを確認すると、アカネの様子を確認するために木陰の方に体を向ける。

 

 しかし安心しきったグラフォスの表情とは裏腹にアカネはグラフォスではなくその奥をひきつった顔で見つめていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28節 それは創造される新たな魔法

「アカネ?」

「グラフォス君よけて!」

 

 アカネの言葉に疑問を返そうとした直後、グラフォスの左腕にすさまじい痛みが走り、意識が一瞬飛ぶ。

 それと同時に魔力によって浮遊していた本も地面に落ちてしまう。

 

 グラフォスの体に走り続ける激痛によって意識を強制的に戻され、痛みが走ったその場所に目を向けると、文字通りグラフォスの左腕はちぎり飛ばされそこから血が噴き出していた。

 

 そしてそれを認識すると同時にグラフォスの体にミニタイラントとは比べ物にならないほど太い枝が巻き付く。

 

「気配がなかった……」

 

 しかしそんなことを言っている場合ではない。足を踏ん張ってなんとか体を持っていかれることを防いでいるが、それがいつまで持つかは正直わからない。

 というよりも現状左腕がなくなった痛みに耐えるのが精いっぱいというところだ。

 

 どうする……! 一体何が残っていたというんだ……。ミニタレントの気配は完全に消失していたし、群れの生き残りが残っていたとは考えづらい。

 

 そもそもこの状況を打破するためには必要な本は地面に落ちている。

 つまり魔法は使えない。いやリュックから出せば多少は何か書いてあったか?

 

「グラフォス君! ちょっと耐えて! 『リペイアヒール』」

 

 グラフォスが体力と思考の限界に挑んでいる狭間でアカネの声が耳に飛び込んでくる。

 直後先ほどまでの刺すような痛みとは違った魔力供給過多による鈍痛がグラフォスの全身を駆け巡る。

 

 痛みによって神経をそちらに割かれたグラフォスの体は一瞬足の力が抜け、それと同時に左右反転するとともに、目の前の魔物をその目にとらえる。

 

 痛みが消えるとともに左腕に違和感。ちらっと目を向けるとそこには生身の左腕がまぎれもなくグラフォスの左腕が生えていた。

 

「……ありがとう、アカネ!」 

 

 完全に欠損した四肢を修復する魔法など聞いたことがないが、今それについて考察をするのは無粋。

 話を聞くことなんて生きて帰ればそんな時間はいくらでもある。

 

 グラフォスはすぐに意識を切り替える。

 今は視界に入ってしまった目の前の化け物を何とかしなければいけない。

 

 それはミニタレントの数倍のでかさを誇っており、パッと見る限り全身に8本以上の枝を触手のように操っていた。

 

「ジャイアンントタレント……!!」

 

 考えろ、考えなければ死ぬ。ここから5秒後には全身に枝が突き刺さって死ぬ。

 幸いなのはミニタレントと同じく命中率がそこまで高くはないところか。

 ただし枝の数は増えているから攻撃は食らっている。

 加えてグラフォスの体は未だに太い枝に巻き付かれて身動きが取れない。

 少なくとも片手が使えなければ今のグラフォスではどうすることもできない。

 

「グラフォス君を離して!!」

 

 思考の隙間、またアカネの声が聞こえる。視界の端にアカネが全身でグラフォスを掴んでいる枝に向かって体当たりをしているのが見えた。

 そのあとに枝から伝わる鈍い衝撃によって、一瞬グラフォスを掴んでいた枝の拘束力が弱まる。

 

 ここ……しかない!!

 

 グラフォスはこれまでの人生で出したことのない力を発揮し、両腕を無理やり枝から引き抜く。

 その際に枝の樹皮と腕の摩擦によって、肉がえぐれたような気がするがさっきまでの左腕がちぎれた痛みに比べれば全然ましだ。

 

 血を垂れ流しながら両腕が枝の拘束から解放されると同時に、アカネの体がジャイアントトレントが放った別の枝によって遠くへ弾き飛ばされる。

 

「アカネ!!」 

 

 その後再び訪れる身体へのすさまじい圧迫感。しかし両腕は自由になった。チャンスはアカネが作り出してくれたここしかない。

 

 ジャイアントトレントはいきなり突っ込んできたアカネに多少気を取られたのかグラフォスへの攻撃が雑になっていた。

 ここでアカネへ追撃させるわけにはいかない。

 

 グラフォスは引きずられる体を支えながら、何とかリュックから一冊の本を取り出す。

 特に何も考えずにやみくもに取り出した本は真っ黒な装丁の本。

 よりによって何の記述もされていないまっさらな本だった。

 

「既存の魔法がないなら……」

 

 ジャイアントトレントはさっきの不意打ちがよっぽど癪に障ったのか、アカネの方を注視している。

 しかし吹き飛ばされた衝撃で地面に落下したアカネの意識はあるように見えない。

 

 このままではアカネがたこ殴りにされるだけだ。正直オートヒールも切れかけているこの状況でアカネがやられるとグラフォスの勝機もゼロとなる。

 

()()()()()しかないですよね。『ブレインライト』。こっちを見ろよ、化け物!」

 

 グラフォスは左手でほんの一ページ目、真っ白なページを開くとともに右手で黄金色の羽ペンを顕現。

 それと同時にグラフォスは全身から体内の魔力を大量に放出する。

 

 羽ペンは現れると同時にジャイアントトレントの顔の周りを一周して左手に持つ本の上にペン先を携える。

 

 この羽ペンに攻撃力は皆無だ。しかしジャイアントタレントの気を引ければ十分。

 アカネの攻撃ですら気を割かれる注意力散漫な魔物だ。目の前をちらついた魔力の塊を見逃せるはずがない。

 

 グラフォスの読み通り、のっぺりとした顔をこちらに向けたジャイアントタレントの対象はアカネからグラフォスへと戻る。

 

 しかしそれに合わせてグラフォスを引っ張ろうとする枝の力強さは増す。

 

「でも、もう遅い」

 

 グラフォスは全身から力を抜く。その瞬間枝が入れていた力によってグラフォスの体は宙に浮きあがり、ジャイアントタレントの頭上まで持ち上がる。

 

 ここからが本番だ。地面にたたきつけられるまでに、無数の枝の攻撃が来るまでに魔法を造り上げなければならない。

 

 グラフォスは脳が焼き切れるような熱さを錯覚しながら、これまでヴィブラリーで読んだ本の数々を思い浮かべる。

 それと同時に本の上に浮かんでいた羽ペンがすさまじいスピードで真っ白なページを黄金色の文字で埋めていった。

 

「我創造す。火の剣を持ち、炎をまといて迫る脅威をただ、無秩序に打破せよ。燃え上がる炎はその身を灰塵と化して再生することを禁ずる。『リリースクリエイト』『炎上《バーニング》大剣』」

 

 静かな声だが、森に響く凛とした声での詠唱。

 魔力をまとっていることもあってかそこにいつもグラフォスのけだるそうな雰囲気はなく、先ほどまでの必死な表情でもなくただ厳正な、無表情で冷たい雰囲気が漂っていた。

 

 そして詠唱とともに左手に支えられるように宙に浮いた本の上部から羽ペンによって書かれた文字が宙に浮きこれまでで一番大きい魔法陣を構成する。羽ペンはそれを補助するように欠けているようにも見える魔法陣の隙間を描いていた。

 

 そしてそれと同時にグラフォスの中から多量の魔力が放出される感覚が襲う。

 

 完成された魔法陣は羽ペンとともに瞬く間に霧散し、本の上に火で模った剣が顕出する。しかし本がその火を受けて燃えることはない。

 

 顕現した刃は音もなくグラフォスの右手に吸い寄せられるように近づいていく。

 

 グラフォスはそれを握ることなく、火剣を右手に沿えるように定着した後、ただ大きく右手を振りかぶると、無造作に縦に、目の前の眼前に迫った魔物を切り裂くためだけにその手をふるった。

 

 その手の動きに合わせるように火の剣は動くと、縦に振りかぶった瞬間大きく炎を纏いそれが刃となり、ジャイアントトレントへと鼻先に向かう。

 

 しかしジャイアントタレントも生命の危機を感じたのか一瞬で他方に伸ばしていた枝を目の前の炎を防御するために炎の刃の前に一斉に集められる。それはグラフォスを掴んでいた枝も例外ではない。

 

 グラフォスを手放すことなく強引に動かされた枝によって、グラフォスの体は大きく傾き重力が襲い、掴まれているのとは別の圧迫感がグラフォスの全身に集中する。

 しかしここで魔力を切らすわけにいはいかない。

 

 グラフォスは顔をゆがめながらも右手に携えた炎をまとった火の大剣を消すことなく、集められた枝に向かって振り下ろす。

 

 そして集められた枝の塊と炎の刃がふれた瞬間、枝は炎に包まれて一瞬で灰と化した。

 それはグラフォスを掴んでいた枝も同様で目の前に炎が迫った瞬間、グラフォスの体が炎で包まれてその後唐突な浮遊感が訪れる。

 

 グラフォスが顕出した炎がグラフォスの体を燃やすことはなく、体にまとわりついていた太い指のような枝のみが灰塵へと帰していった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29節 絶体絶命と赤青落下

 グラフォスはしばしの浮遊感ののちに地面にたたきつけられ、それと同時に全身の魔力が消失、それに合わせるように左手に浮いていた本は遠く向こうへ放り出され、右手に添えるように顕現していた大剣も霧散する。

 

「グラフォス……くん。『パーフェクトヒール』」

 

 全身を打ち付けた鈍い、それでいて激しい痛みは頭上から降り注いだ淡い緑色の魔力によって即座に消えていく。

 魔力の発生源を視線で追うと、アカネが地面にひれ伏しながらも両手をこちらに伸ばしていた。

 

 一定範囲の味方を一斉に癒す高等回復魔法。

 しかしその魔力はすぐに薄れ、魔力が完全に消え去ると同時にアカネは目、鼻、口から血を吐き出し完全に意識を失った。

 

 魔力切れ……。あれだけの高等回復魔法を続けざまに使っていれば当然だ。普通の人間であればもっと早い段階で魔力切れを起こして気を失っていたに違いない。

 

 しかしここまでアカネが耐えてくれたからこそグラフォスは生きながらえることができた。

 アカネがいなければ最初の左腕を失った時に出血多量で息絶えていたに違いなかった。

 

『グガアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 静寂が訪れたのは一瞬だった。目の前から聞こえてきた腹の底から恐怖が湧き出す叫び声が森全体に響き渡る。 

 

 グラフォスは消耗している気力を無視して、その場で飛び起きた。

 

「うそでしょう……」

 

 あれだけの魔力をぶつけても、魔法をぶつけても、苦肉の最善策をこうじてもまだ、目の前の魔物は、ジャイアントトレントは残った5本の枝を振り回していた。

 

 グラフォスの魔法によって灰と化した枝はたったの3本。本体はおろかその枝すらすべてを断ち切ることはできなかった。

 3本の枝が復活する様子はない。黒ずんだ根元から枝が生えてくる様子はない。

 しかし残りの5本でも脅威だというのに、目の前の化け物は地に根を生やし、そしてその太い胴体から新たな枝を生成している。

 

 枝が一本奴から生えるごとに周りの森の木が一本枯れはて死んでいった。

 新しく生成された枝は既存の枝に比べて先端が鋭くとがっていた。

 目の前の魔物はグラフォスの魔法を()()()()()のだ。

 刃は鋭くとがっていたほうが相手に刺さると。

 

 グラフォスは勘違いをしていた。

 目の前の魔物はジャイアントタレントなんて生易しいものではない。

 

 五年に一度、いや十年に一度出現するかどうかの周りの自然が持つ魔力を吸収し、すさまじい再生力と、戦いの中で知性を得て進化を繰り返すギルド指定討伐対象ユニークモンスター。

 

「タレントキング……!!」

 

 こんな森の浅瀬に決して存在してはいけない魔物。こんな魔物がうじゃうじゃいたらとっくにこの街リンアは魔物の手によって滅んでいる。

 

 どうしてこんなところにユニークモンスターが……。

 

 グラフォスは一瞬我を忘れて思考を放棄しかけたが、目の前の化け物が作り出した5本の枝と既存の枝、計10本の枝を網のようにねじり掛け合わせ始めた行動を見て、頭を無理やり回転させる。

 

「『リリース』『アトラント』」

 

 冷静に何とか背中から落ちていなかったリュックから一冊の本を取り出すと、魔法を詠唱。

 その後地面に落ちていた青色の装丁をした本と、黒色の装丁をした本を手元に手繰り寄せる。

 

「これがあったところで、ですが……」

 

 タレントキングの目標はグラフォスただ一人。幸いにもアカネには意識がいってないようだ。

 

「やらないよりはましですね。『リリース』『マルチシールド』」

 

 グラフォスは先ほど顕出した3枚のシールドよりも多い5枚のシールドを自分の体を守るように縦に配置する。

 タレントキングはそれを見て何を思ったのか大きく口をゆがめて口角をあげる。

 

「こっちは必死だというのに、何がそんなに面白いんですかね……」

 

 グラフォスは両手を前に向けてなるべく強度を保てるように、目の前の魔法盾に魔力を注ぎ込み続ける。

 

『グガアアアアアア!』

 

 タレントキングは自分が持ちうるすべての枝を絡ませてねじって造り上げた一本の枝、枝というには太すぎる一本の木のような太さを持ったそれをグラフォスの体向かって真正面からついてきた。

 

 十分な速度と強度を持った一本の大木はグラフォスが造り上げた魔法盾をいとも簡単に突破していき、その速度を落とすことなく四枚の盾を破壊する。

 

「やっぱり、足りませんか」

 

 これで終わりか。

 この世界の知識を知ることもなく、こんな森の中でアカネまで巻き込んで自分の生涯は終わってしまうのか。

 

 そんなどこか諦めに近い感情を抱きながら、グラフォスは冷たい視線で目の前まで迫ったタレントキングのそれが五枚目の盾を突破するのを見つめる。

 

 そしてその直後その大きく太い枝はグラフォスの心臓を無慈悲に()()——

 

「『一閃』!」

 

 ——ことはなく、グラフォスの体に到達する直前で、大きな大木にも似た枝は真っ二つに断ち切られた。

 

 そして自分が助かったことを察知するとともに、視界に入ったのは真っすぐ光を浴びて反射する刀身を振り切る赤髪の女性の姿だった。

 

『グガアアアアアア!!』

 

 しかし突然入り込んできた女性を気にする余裕はない。

 真っ二つにされたことによって一塊になっていた10本の枝は分かれ、その衝撃に痛みを感じているのかタレントキングは枝が分かれるとともに無造作にその枝を振り回し始めた。

 

 グラフォスも赤髪の女性もその猛攻を避けるので必死だった。

 

「あ、くそ、暴れるんじゃねえ!」 

 

 不意打ちは成功した赤髪の女性だったが、枝の数による攻撃を最初こそは何とかしのいでいたが、その細い刀身ではさばききることができず、少なからずダメージを負い始めていた。

 

「くっ……そがー!」

「『ストップ』! トキトが勝手に突っ走るからこういうことになるんでしょう! このおバカ!」

 

 この緊迫した状況でどこか気が抜けるような突っ込みのような声が、森の奥から飛び込んでくる。

 最早突っ込みのついでとも思える投げやりにも聞こえた詠唱と同時に、タイレントキングの枝は空中でまるで時が止まったかのように、その動きを止めていた。

 

「シャルが走るのが遅いのが悪いんだろう!」

「あなたはまたそうやって……! いいわ、そんなことはあと! あと3秒後に魔法の効果が切れるわ! それまでにトキトはその子を何とかして!『パワー』」

 

 声が聞こえた方から姿を現したのは、大きな水晶のようなものが付いた杖を片手に持つ青髪の女性だった。

 

 その女性は片手で気絶しているアカネを脇に抱えるように持ち上げると、グラフォスの方に近づいてくる。

 そちらに気を取られているとグラフォスの体が持ちあげられるような一瞬の浮遊感に襲われる。そのあと鎧の堅い感触が横っ腹にあたり、鈍い痛みが走る。

 

「ちょっと痛いだろうが、我慢しろよ! シャルいつでもいいぜ!」

「『フライ』!」

 

 持ち上げられると同時に、赤髪の女性と青髪の女性は同時にジャンプする。

 状況が理解できずに頭が混乱しているうちに今度は体全体が浮くような浮遊感に襲われ、一気に全身に重力が襲ってくる。

 

 思わず目を閉じたグラフォスだったが、次に目を開けたときには森を抜けだしていてすぐ下に枝の動きを再開させたタレントキングが恨めし気にこちらを見上げていた。

 

 何が起こったのかまったくもって理解はできなかったが、なんとか危機は脱出できたみたいだ。

 そして全身に風の抵抗を受けながら四人は上空を飛んでタイレントキングから、森から離れていた。

 

「あの、助けてくれた……でいいですよね? ありがとうございます」

「礼を言うのは後にした方がいいぜ」

「え?」

「私ね、通常詠唱の魔法がちょーっとだけ苦手なのよね」

 

 青髪の女性は気まずそうに眉にしわを寄せながら苦笑いをグラフォスに見せる。

 

「というと?」

「このフライの魔法、もう切れちゃうのよね」

 

 女性がてへっといいそうなほどはにかんだ直後、突然先ほどまでの安定した浮遊感がなくなり、一気に体が下降する。

 

「ちょ、ちょっと、えーーーー!?」

「坊主、舌かむんじゃねえぞ!」

 

 青髪の女性は空中で反転するとアカネを守るように背中から落ち、そして自分を守るように片手で後頭部を抑える。

 そして赤髪の女性とグラフォスも自分の顔を守るように両腕で顔を覆った。

 

 数秒後、四人は森の外すぐそこで地面に激突して派手に砂埃をあげていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30節 報告と帰還

 空中から自由落下した四人は街道のわきで揃いもそろって大の字で寝転がっていた。

 

「くそー、坊主のせいでうまく受け身取れなかった」

「僕のせいなんですかね」

「そうよ。人のせいにしちゃだめよ」

 

 早々に立ち上がったのはやはりというべきか一番耐久力がありそうな鎧を着ている赤髪の少女。

 

 そんな赤髪少女を非難しながら青髪少女も立ち上がり、お尻、背中についている砂を払っていた。

 

 相手と会話はできるもののグラフォスは未だ地面に倒れたままだった。

 

 アカネに関しては落下時に相当の衝撃を受けているはずにもかかわらず、目覚める様子はなかった。

 

 青髪の少女がうまく衝撃を和らげてくれたからか、彼女の疲労が思っているよりもひどいからなのか。恐らくその両方だろう。

 

「まあそんなことはどうでもいいんだ。問題はあのバケモンだな」

 

 赤髪少女はにらみつけるように森の方に顔を向ける。それに合わせて青髪少女も眉を寄せながら森に目を向けていた。

 

 確かにグラフォスたちはタイレントキングから逃げおおせたわけだが、それは自由になったわけではない。むしろあんな魔物がこんな森の浅瀬に腰を据えているとなると、森には入れる冒険者の数はぐっと減ってしまう。

 

「どうしてあんなところにユニークモンスターがいたのかしらね……」

「とりあえずギルドに報告しねえとな。ぶっ倒れてるところ悪いが坊主たちにも来てもらうぜ」

「それは全然かまいませんが……あなた達はいったい?」

 

 グラフォスはよくギルドに顔を出すが赤髪も青髪の少女も見覚えがなかった。

 こんな目立つ赤い鎧を着ている人がいれば、一度は目にしたことがありそうなものだが。

 

「私はシャル。職業は『呪術士』よ」

 

 青髪の少女は微笑みながら手に持っていた水晶玉のようなものが先端についた杖を見せてくる。

 

「俺は芳賀時兎《はがときと》。職業は『刀剣士』だな。まあシャルと同じで見たまんまだな」

 

 シャルに続くように赤髪の少女がその鎧に隠された小さな胸を張って、名乗る。

 

「僕はグラフォス。隣で伸びちゃってるのはアカネです」

「そうか。まあ詳しいことは街に戻ってもしまた会うことがあればでいいだろ。とりあえず戻るぞ」

 

 トキトはよほど急いでいるのか若干焦るような口調で街に戻ることを促す。

 もちろんあの魔物をこのまま放置するわけにはいかないため、グラフォスも痛む体に鞭を入れて何とか立ち上がる。

 

「坊主は歩けそうか。そっちの嬢ちゃんは……無理そうだな」

「大丈夫ですよ、僕が背負って運びます。アカネは軽いですし」

「あら、前にもこういうことがあったの?」

「まあ、そうですね……」

 

 グラフォスは返事を濁しながらアカネに近づくと、リュックを前に持ってきて代わりにアカネを背中へと抱える。

 

 ミンネのところに来てからはまともな食事をとっているアカネだったが、それでも軽すぎるくらいにグラフォスは持ち上げることができた。

 

「じゃあギルドに行くぞ」

「はい」

 

 最後にもう一度森へと目を向けるトキトの声をきっかけに四人は街へと戻るのであった。

 

 

 

 街に戻った四人はギルドへと真っすぐ向かう。 

 顔面血だらけの少女を背負う少年と派手な装備をしたトキトとシャルは街に入るなりそれなりに注目を浴びてしまっていた。

 

 しかしトキトはそんなことを気にする様子もなくギルドにたどり着くと押し開けるというよりは、けり破る勢いでギルド内に足を運ぶ。

 

「おい、あれ……」

「ああ、万年岩等級パーティのトキトだろ?」

「ああ依頼達成率2割以下って噂だぜ」

「今日はシャルも一緒なのか」

「この街に戻ってきていたのか」

「書き師の坊主も一緒じゃねえか」

「あーシャルちゃんにののしられたい」

 

 ギルドに入るなり注目を浴びたトキトに向けられる視線は意外にも冷たいものばかりだった。

 目立つにしても、見る限りよさそうな鎧を着ているから有名な冒険者なのだろうと思っていたが、周りの聞こえてくる会話を聞く限りあまりいい噂ではない方で有名みたいだ。

 

 グラフォスもそんなトキトとシャルと一緒にいるわけだから、注目を一緒に浴びるが当のグラフォスもトキトも気にする様子もなくギルドの受付嬢に近づく。

 

「トキトさん、シャルさん戻ってたんですか!」

「ああついさっき戻ってきたばっかだな」

「今回は依頼は達成できたんですよね? 護衛任務でしたしお二人の実力を鑑みても難しい依頼ではなかったと思うんですが……」

「それがね……またトキトの馬鹿がやらかしちゃったんだ」

「え?」

 

 トキトが受付に立つなり近づいてきたギルド嬢は、親しげに会話をし始めた。

 どうやら二人は護衛任務を受けた帰りらしい。

 そんな三人の話をグラフォスは盗み聞ぎするような形で静かに聞いていた。

 

 というよりもさすがにアカネを支えていて、腕や体への負担がピークに達していたのだ。

 話しかける余裕はなくアカネを落とさないようにするので精いっぱいだった。

 

 そんなグラフォスに気づくはずもなく三人は会話を続ける。

 

「あの場面に遭遇したらシャルも同じことしてるだろ。それに否定もしなかったじゃねえか」

「それはそうだけどね」

「えっと、なにがあったんですか?」

 

「ん? まあ護衛依頼の途中に迷子の子を見つけてな。到着までの日付に余裕があったから親を見つけてからでもいいかって言ったら、拒否したんだ」

「だからちょうどそのまま村にいた冒険者に護衛依頼を押し付けて、トキトと二人で迷子の親探しをしてたってわけ」

「別に押し付けたわけじゃねえよ。頼んだら快く引き受けてくれたじゃねえか。両方にとって有益な話だった。それだけだ」

 

 シャルの言い分に不満があったのかトキトはむすっとしながら事の経緯を説明する。

 

「そんなことはどうでもいいんだ」

「そんなことって……。トキトさんこのままだと本当にずっと岩等級のままですよ? お二人の実力ならもっと上に行けるのに」

「本当にそれはどうでもいいんだよ。それより大事な話がある」

「グラフォス君!」

 

 完全に会話の蚊帳の外になっていたグラフォスの耳に聞きなれた声が耳に飛び込んでくる。

 声がした方に目を向けると鬼気迫った表情で近づいてくるドリアの姿があった。

 

「どうしたの!? ぼろぼろじゃない! それにアカネちゃんも……!」

「ああ、ちょっといろいろありまして……」

 

 ドリアに言われてグラフォスは改めて自分の姿に目を向けるが、確かに言われてみればボロボロだ。

 腕を無くしたときに一緒に持っていかれた服は肩から下がちぎれているし、いつも着ている白いローブは泥まみれの砂まみれで、乾いていない血もこびりついている。

 

 トキトが目立っていたのもあったが、グラフォスのこのボロボロ具合も街で目立ってしまっていた要因の一つかもしれない。

 

「いろいろって……」

「あんたもちょうどいいや。恐らく、いや絶対にギルド指定の緊急依頼を出す必要がある話がある。聞いてくれ」

「え、それってどういうことですか?」

「と、とりあえず上に行きましょうか」

 

 トキトの発言に動揺するドリアとギルド嬢であったが、少し冷静になると四人はギルドの二階にある応接室へと案内された。

 

 ギルド嬢がすんなりとトキトの話を信じるあたり、彼女らはギルドの信頼は高いのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、そして腕の痛さに耐えながらグラフォスはトキトとシャル、そしてギルド嬢たちの後ろをついていった



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31節 ギルド指定緊急依頼と目覚め

 応接室でギルド嬢に森であった一件を話すと、途端にドリアたちはあわただしく一階へと戻り、そして数十分後にはトキトが宣言した通り、ギルド指定緊急依頼が発行されることとなった。

 

 依頼内容はもちろんタイレントキングの討伐依頼。

 

 冒険者たちは最初半信半疑だったが、夕方だというのにギルドがあわただしく動き始めたことから、それに合わせるように冒険者も慌てるように装備の調整をしに向かった。

 

 こういったギルドから発行された討伐依頼の場合、その報酬はとてもおいしいものが多くまた複数のパーティが合同となり挑む、レイド型になるため死ぬ確率が低い。

 

 もちろんその分成功率は低いのだが、危険度が低いと踏んだ冒険者は挑戦することが多いのだ。

 

 そしてそんなバタバタしている一階とは別に二階ではシャルによるアカネの治療が行われていた。

 

 治療といってもほとんどの怪我はアカネ自身が極限状態の中でかけたパーフェクトヒールによって消えているため、魔力の供給が主な役割だ。

 

 そしてグラフォスはというと、特に手伝えることもないため、一階で自分を討伐依頼に入れてくれるパーティを探そうとでも思っていたのだが……。

 

 どういうわけか二階の隅っこ、治療の邪魔にならない場所で正座をさせられていた。

 

 本日二度目の正座である。

 

 しかし今回目の前にいるのはアカネではなくドリアである。

 

「あの、ドリアさん? どうして僕は怒られ待ちな体勢になっているのでしょうか」

 

 怒られ待ちというかもうすでに視線で怒られている。確かにギルドに来たときグラフォスは、森の中に入ることはドリアには伝えていなかった。

 

 しかしよくよく考えてみてほしい。別にギルドの受付嬢に自分の行き先をいちいち伝える必要はないのである。

 冒険者登録をしているのだから自分の命は自己管理して当たり前というものだ。

 

 しかしそんなことを今目の前で仁王立ちで腰に手を当てて、ものすごい視線でにらんできているギルド嬢に言うと、きっとグラフォスの命はいとも簡単に散ってしまうのだろう。

 

 そんな予感がするほどに目の前のドリアは怒っているようだった。

 

「本当に、体はなんともないのね?」

「本当に大丈夫ですって。傷一つありません」

 

 グラフォス自身ありえないことだと思うのだが、あの死闘を乗り越えたというのにグラフォスは傷一つ体に残っていない。

 それもこれも今倒れているアカネのおかげではあるのだが。

 

「それで? どうして森の中に入ってタイレントキングに遭遇したのにもかかわらず、すぐに逃げてこずに、ましてや戦いに挑んだのかお姉さんに教えてくれる?」

「お姉さんって自分で言いますか、こんなときでも」

「こんな時にそういう茶化しはいらないから」

 

 グラフォスのいつもの軽口をドリアは冷たい口調で遮る。グラフォスがケガをしたことはドリアには伝えていないし、戦闘したというのも詳細は省いている。

 

 トキトの方に助けを求めるように視線を向けるが、彼女はこういう空気は苦手なのか居心地が悪そうに腰に下げている刀の鞘で手遊びしていた。

 

 要するに見て見ぬふりである。

 

「別に僕も戦うつもりはなかったんですよ。でも戦わなければ森から逃げることもできなかったんです。だから仕方なくです」

「トキトさんたちがたまたまこっちに帰ってなかったらどうなってたかはわかるよね?」

 

 ドリアが言いたいことはグラフォスにも十分に理解できた。というか実際にそうなりかけた。

 トキトがあの時いなかったら、あのタイミングよりも遅く駆けつけていれば間違いなくグラフォスはあの太い枝に腹を貫かれて死んでいた。

 

 きっとそのあとにアカネも殺されていたに違いない。

 

「そもそも森に戦闘力のない二人が入ったっていうのが問題なの。冒険者でもそんな無茶はしない。冒険っていうのは無謀なことに挑戦するっていう意味ではないの——」

「グラフォス君! 大丈夫!?」

 

 これは長くなりそうだなと、そんな無礼なことを考えながらドリアの話を聞いていたグラフォスだったが、そんな彼女の説教は突如部屋に響いた少女の声で遮られる。

 

「ちょっと! まだ動いたら危ないわよ!」

 

 魔力切れから回復して目が覚めたアカネは飛び起きるように立ち上がると、グラフォスの姿を探していたのかきょろきょろと部屋の中を見渡していた。

 

 そしてグラフォスの姿を見つけるや否や、グラフォスの方に走り出す。

 しかし回復したばかりの体では満足に体を動かすことができず、そのまま足がよろめきグラフォスの体に抱きつくように飛びついた。

 

「うっ……! アカネ、そんな心配しなくてもあなたのおかげで僕は無事ですよ」

「よかったぁよかったよぉ!」

 

 いつものアカネであればすぐに顔を真っ赤にしてグラフォスから離れるのだろうが、今は安心と混乱が大きすぎるのか泣きながら顔をグラフォスの胸にこすりつけていた。

 

「アカネこそそんな急に動き出すと危ないですよ」

「私は全然……」

 

 泣きじゃくりながら返事を返すアカネ。グラフォスもいつもと変わらない泣き虫な彼女の姿を見て、どこか安心感を覚えていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32節 たまたまと怒りの鉄槌

「……アカネ、そろそろ離してくれます?」

 

 それから数分アカネはグラフォスの胸にしがみつきながらひたすらに泣いていた。

 グラフォスとしてはアカネがしがみついていることは多少しか気にならなかったのだが、それ以上に気になったのは周りの生暖かい目線だった。

 

 トキトとシャルはもちろんのことさっきまで怒っていたはずのドリアまでそんな視線をグラフォスとアカネに向けている。

 

 アカネはグラフォスの言葉を受けてようやく彼の胸から顔を離すと、涙目のままゆっくりと周りを見渡し現在の状況を把握する。

 

 そして理解したと同時に顔を真っ赤にしたアカネはグラフォスから飛びのき、グラフォスと同じように正座をするのだった。

 

「あ、あのすいません! 私グラフォス君が無事なのがうれしくてつい……!」

「いいのいいの。その気持ちは同じ冒険者である私にもすごくわかるしね」

「目の前でイチャイチャされるのはたまったもんじゃねえけどな」

「トキト!」

 

 気にするなと気を使うシャルに対して、ストレートに本音をぶちまけるトキト。

 そしてそんなトキトをとがめるシャルといった森の中で見たような光景にグラフォスは思わず苦笑いを浮かべる。

 

「この青髪の人がシャルさん、アカネの魔力を回復してくれた方。赤髪の方がトキトさん。僕が死にかけたのを助けてくれた人です」

 

 グラフォスはアカネがこれ以上混乱しないように、トキトとシャルの紹介をする。

 

「そうだったんだ。この度は助けてくれてありがとうございました」

「別にたまたま通りかかっただけだ。気にするな」

「そうね、()()()()魔力の放流が大きい場所に言ったら助けれただけだからね」

 

 アカネの深いお辞儀に対して、トキトはぶっきらぼうに手を振りながら返答する。

 

 しかしそんなトキトの言葉を引き継ぐようにシャルはトキトの言葉を訂正するように言葉を重ねる。

 そんなシャルの言葉をトキトはどこか照れを隠すように頭をガシガシと掻き、聞こえないふりをしていた。

 

「この子たち預かってもいいかしら。トキトさん、シャルちゃん」

 

 そして四人の会話が終わるタイミングを見計らったかのようにタイミングよくドリアがトキトとシャルの方に体を向けて話しかける。

 

「別に俺は構わねえけど?」

「私も別にいいわよ」

 

 トキトとシャルはドリアがわざわざ尋ねてきた真意がわからず首をかしげながら返答する。

 二人はきっとドリアがまだこの部屋で説教の続きをすると思っているのだろう。

 しかしグラフォスはそれが違うと直感していた。

 

「それじゃ、グラフォス君、アカネちゃん。行こっか」

 

 ドリアはさっきまで怒っていた顔が嘘のように満面の笑みでグラフォスとアカネに向かって両手を向ける。

 

 しかし今度は逆にそれが恐怖を醸し出していた。

 

 アカネはドリアの真意に気づいていないのか、きょとんとした表情で何の疑いもなく彼女が差し出した手を握る。

 グラフォスはその手は取らずに諦めたようにゆっくりと立ち上がった。

 

「あの、ドリアさん。行くってどこに行くんですか?」

「行くところなんて一つしかないでしょ? あなたたちの家に送り届けるのよ。また勝手にどこかに行かないように」

 

 後半のドリアの言葉はほとんどグラフォスに向けて言われているようなものだった。

 グラフォスは完全にあきらめたのか大きくため息をつくと、アカネの手を引いて歩き始めたドリアの後ろを重い足取りでついていった。

 

 そんな二人の様子をトキトとシャルは不思議なものを見るような顔で見送っていた。

 

 

 

「この馬鹿が!!」

 

 グラフォスとアカネの脳天にげんこつが降り注ぐ。二人が頭を押さえ痛みでうめいている目の前には、鬼の形相で怒りで顔を真っ赤にしたミンネが仁王立ちで立っていた。

 

 それは家に戻ってすぐのことだった。ドリアは真っ先にミンネのもとに向かったが既にミンネは怒り心頭のご様子だった。

 きっと報告されるまでもなくある程度の予想はついていたのであろう。

 しかしドリアの報告を聞いたミンネはさらに顔を真っ赤にさせた。まさに怒りのピークである。

 

「勝算も何もないのに森の中に二人で入って、ユニークモンスターに出くわしただって!? あんたたちはいったいどれだけ私に心配させれば気が済むんだい!」 

 

 きっとミンネはいつものように森の入り口でまたグラフォスが土いじりをしている。ひどくても森の中に入ってこそこそと植物採集をしている。 

 それくらいの認識だったのかもしれない。まさかユニークモンスターにあって死にかけただなんて考えもしなかったのだろう。

 

 しかし真正面から心配をしていたと突き付けられたグラフォスはさすがに反論することはできない。

 アカネに関してはさっきから完全にミンネの怒った様子に委縮してしまっていた。

 

「グラフォス、あんたまさか本当に無計画で森に入ったなんて、ばかなこと言わないだろうね」

「……もちろんです。ある程度の算段は立ててできる限り死なないようにしてから、森に入りました」

 

 ミンネはグラフォスのその言葉を受けてしばし無言でいたが、その後アカネの方に線を移す。

 

「アカネ、あんたはどうしてグラフォスを止めなかった? あんたがいればどうにかなると、本気でそう考えていたのかい?」

「ミンネさん、アカネは僕は止めようと」

「グラフォス、あんたは黙ってな。私はアカネに聞いてるんだ」

「私は……」

 

 アカネは言葉を発しようとするが、それ以上言葉が続かない。しかしミンネはそれ以上問い詰めることなく、アカネの言葉を静かにじっと待っていた。

 

 そしてゆっくりとアカネが口を開く。

 

「……私自身攻撃力があるわけでもないし、あるのはせいぜい回復ができると思ってます。でも私も何かの役に立てるって……グラフォス君の役に立てる、役に立たなきゃいけない。そうしなければ彼の隣に立つ資格はない、ミンネさんとグラフォス君に助けてもらった意味がないって思ったんです」

 

 ミンネはアカネの言葉を受けてまた静かにその言葉の真意を確かめるようにアカネの目をじっと見つめた。

 その間アカネもうつむくことなく、ミンネの目を見つめ返していた。

 

 時間にして体感としては数分、実際には数秒のどこか緊迫した空気が場を支配していた。 

 そしてミンネはすっと目を閉じ、大きく息を吐き出す。

 

「わかった。二人が覚悟決まっているんならこれ以上は言わない。でも! 今日のことを許すわけじゃないからね!」

 

 グラフォスはそんなミンネの言葉を意外に思っていた。もっとこってり絞られると思っていた。

 

 グラフォスとアカネの言葉を信じてくれたのか、単純に何度言ってもいうことを聞かないことにあきれてしまったのか、その判断がグラフォスにはつかなかった。

 ただ前者であればいいなとグラフォスはそう無意識に思っていた。

 

「ドリアちゃんも毎回悪いね。ご飯でも食べていくかい?」

「いえいえ、仕事の一環ですから。今日は帰ります。明日から忙しくなりそうですし」

 

 ずっと入り口で立っていて静かに三人の様子を見守っていたドリアは軽く一礼すると店を出て行った。

 

「あのミン姉……心配かけてすいませんでした」

「ミンネさん、ごめんなさい」

「そういうことはドリアさんと助けてくれたっていう冒険者に言うんだね。私に礼なんて必要ないんだよ。さ、ご飯にするよ」

 

 ミンネは先ほどまでの憤怒の表情が嘘のように優しく二人に微笑みかけると、二階へと向かっていく。

 グラフォスとアカネはどこか気まずさを感じながらミンネの後をついていくのだった。

 

 そしてご飯の時間もそのあともミンネが森に行ったことに関して怒ることはなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33節 店番と乱入

 次の日、グラフォスはいつものようにミンネに言われて、店番をしていた。

 しかし実のところグラフォスは店番に身などはいっていない。

 

 グラフォスが店番にやる気を示さないのはいつものことなのだが、今日はいつもに増してやる気を感じられなかった。

 

 というのも、昨日あんなにも激しい一日を過ごしていたにもかかわらず全く眠ることができなかったのだ。

 

 あの時起こった出来事、出てきた魔物、アカネが使った魔法、そしてグラフォス自身が行使した魔法を本に書いていると、だんだんとその時の緊迫感と知識で本のページが埋まる興奮に襲われ、全く眠れなくなってしまったのだ。

 そして朝まで一睡もすることなく白紙のページと向き合っていた。

 

 現在の天気は晴れ。実によく晴れた昼下がりで店の中に温かい日差しが差し込む。

 それが余計にグラフォスの眠気に拍車をかけ、グラフォスは肩肘をつきながら手元に本を開きながらも、うつらうつらと舟をこいでいた。

 

「ちょっといいかしら」

 

 そんなさぼっているといっても過言ではないグラフォスの耳に聞き覚えのある声が飛び込んでくる。

 

 何とか重たい瞼をあげそちらに目を向けると、店のカウンターの方に近づいてくる青髪の少女、シャルの姿があった。

 

「……シャルさん。どうしたんですか?」

「ごめんね、疲れているところに。まあ店にいるのに眠ってるのはどうかと思うわよ?」

「それは僕も思います」

 

 グラフォスのあくびをしながらの返答に戸惑ったのかシャルは苦笑いしながらカウンターの前に立つ。

 

「素敵な店ね」

「どうも」

「今日はグラフォス君に話を聞きたくて来たのよ。昨日はちゃんと聞けなかったしね」

「僕にですか?」

 

 シャルが何を聞きたいのかグラフォスは全く見当がつかなかった。昨日の戦闘についてはシャルとトキトにはきちんと伝えているし、それ以上に必要な情報が何かあっただろうか。

 

「昨日君が使ってた魔法。あれは何?」

「……見てたんですか」

 

 シャルの直球的な一言に一瞬グラフォスの思考は停止するが、すぐに冷静になり何とか返答を返す。

 

「まあ見てたっていうか、感じたっていう感じかな? 今まで検知したことない魔力の流れを感じたからね。それでたどり着いてみれば女の子は倒れてて、男の子が頑張ってるところでしょ? それならあの魔力の流れはグラフォス君がやってたことなのかなって推測したところ」

「そういうことですか。特に何もおかしなことはしてませんよ。普通の魔法しか使ってないです」

 

 グラフォスは外を歩いている人に聞こえないように、声のボリュームを落としながら話を続ける。ちなみに今この店もとい家はアカネしかいない。

 ミンネは朝からどこかに出かけていた。

 

 ミンネには普通の魔法を使えるということすら話していない。どうせ知られても何か言われるに決まっている。それならばれない方がまだましというものだ。

 

「そっかー、秘密なんだ。お姉さんに話してみれば? 楽になるかもよ」

「お姉さんって、そんな歳変わらないでしょう」

 

 目の前でやけに楽しそうに微笑みながら話しているシャルの雰囲気からは、確かにお姉さんといったような感じはするが、実際の顔立ちは若くとてもグラフォスと歳が離れているとは思えない。

 

「私は18だけど、グラフォス君はそれより下じゃないの? もしかして意外と童顔で同い年? まさか年上とか?」

「僕は15歳です。やっぱりそんなに離れてないじゃないですか」

「3歳は結構な差だと思うけどなあ? まあいいわ。それでもう一つ話があるんだけど」

「さっきの話だけじゃなかったんですね」

 

「さっきのは確かに本題だけど、こっちはついでかな。グラフォス君とアカネちゃん、二人は緊急依頼受けるつもりは?」

「ないですよ。死にに行くようなものです」

 

 口ではそう言っているグラフォスだが、実際のところ依頼は受けないとしても遠くから戦闘を観察できればいいな、何なら端っこくらいからちょっかい出せないかなくらいは考えていた。

 

 しかし依頼を受けるとなるとそれはまた別だ。自ら死にに行くような真似を、ましてやアカネを巻き込むなんてことはできない。

 

「へえ。私たちと一緒に行かない? って誘われたらどうする?」

「正気を疑います」

「そうも言ってられないのよ……」

 

 グラフォスは首をかしげ、シャルが大きくため息をついたと同時に店の外から激しい足音が聞こえてきた。

 

 その足音はどんどん近づいてきており、そしてそれが店の前で止まったかと思うと店の扉が勢いよく開かれた。

 

「おい坊主! 冒険に行くぞ!」

 

 そこには真っ赤な鎧をその体にまとい、刀を腰に差して汗だくながらも満面の笑みで扉を開け放つトキトの姿があった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34節 魔法陣と呪術

 気づくとグラフォスは修練場、もといギルドの裏庭にシャルと向き合う形で立っていた。

 

「どうしてこんなことに……」

 

 勢いよく店に現れたトキトは、グラフォスの話を聞く前に彼の手を引っ張り店の外へと連れだした。

 

 グラフォスは必死に自分が戦力外であることを伝えたが、トキトは「あの魔物の枝を灰にしたのは坊主だろ? じゃあ問題ない!」と言って聞かず、それでも抵抗しているとなぜかギルドに連れてこられたのだ。

 

「ドリア! 修練場借りるぜ!」

「え、トキトさん!? それにグラフォス君も? どういう組み合わせ? それにうちに修練場なんてものはないですよ!」

「それなら裏庭でいいや!」

 

 そうして現在の状況が出来上がったわけである。

 

「ごめんね、グラフォス君。トキトって言いだしたら納得するまで聞かないのよね」

「はあ……」

 

 トキト曰く「近接職と魔法職だと実力が分かりにくいだろ? だからシャルと戦ってみな」とのことである。

 

 グラフォスは現状の状況に諦めを覚え、何とか持ってくることができた本を左手に持つ。

 それは昨日のことを書いていた本であった。

 

 まあ、実験したいこともあったしちょうどいいのかな。

 

 グラフォスはそう考えることで今の状況に折り合いをつけると、ゆっくりと本を開きあるページで開く。

 そのページは昨日グラフォス自身が使用した炎を纏った大剣のことを詳細に記載したところだった。

 

「へえ、本を使って魔法を使うんだ? というよりもやる気になってくれたのね」

「だってやらないと一生ここにいなきゃいけないんですよね」

 

「よーし、ルールは簡単だ! お互い撃てる攻撃魔法は一発だけ。支援魔法はいくらでも使ってよいこととする! まあちょっとシャルに有利な内容だけど、シャルも別に呪術を連発できるわけじゃねえし、攻撃力に関しては皆無だしな。大丈夫だろ」

 

「本当に話を聞きませんね……」

「こういう子なのよ」

 

 シャルとグラフォスはトキトの唯我独尊ぶりに苦笑いを浮かべつつも、お互いに見つめ合い臨戦態勢に入る。

 

「じゃあよーい……はじめ!」

 

 トキトは掛け声とともに片手を振り上げ、そして大きく振り下ろす。

 

 グラフォスはそれを横目で流すように見ると、シャルの方に意識を集中させる。

 シャルは杖を構えているものの何かしてくるような気配はない。

 

「何もしてこないのであれば、遠慮なく僕から行きますね」

 

 どうせほとんどばれているのだ。これ以上シャルとトキトに自分の手の内がばれても彼女らなら下手に言いふらす真似はしないだろう。 

 相手が動かない状況を十分に利用させてもらおう。

 

 まずは実験その一。

 

「『リリースクリエイト』『炎上《バーニング》大剣《たいけん》』」

 

 グラフォスが詠唱すると同時に本の文字が浮き上がり黄金色に淡く輝き始める。

 

 しかし文字が魔法陣に変換されそうになったところで、それは霧散し本の上から黄金色の塵を降らせただけだった。

 

「……なるほど?」

「へえ、何か見たことない魔法の使い方をするのね。失敗しちゃったように見えるけど」

「シャル! お前も早く戦えよ!」

「まあグラフォス君がどういう魔法を使うのか見てみたいじゃない?」

 

 シャルは余裕しゃくしゃくと言った様子で未だ動く気配がない。

 グラフォスは動かないのであれば好都合と判断し、もう一度口を開く。

 

 魔法名の詠唱のみでは魔法は発動されない。魔力の消費量も少ない。

 それならこれはどうだろう。

 

「我創造す。火の剣を持ち、炎をまといて迫る脅威をただ、無秩序に打破せよ。燃え上がる炎はその身を灰塵と化して再生することを禁ずる。『リリースクリエイト』『炎上《バーニング》大剣《たいけん》』

 

 昨日発動した時と一字一句違わぬ長文詠唱を口ずさむように軽い口調で詠唱するグラフォス。

 

 しかし本の上に顕現した黄金色の文字は魔法陣の形を造ったものの、炎の大剣を出現させる前に力をなくしたように、先ほどと同じく霧散してしまった。

 グラフォスはそれを見ながら、また考えを巡らせる。

 

「ちょっと待って……。今のって魔法陣……?」

 

 戸惑いにも驚きにも似た声を聴いたグラフォスがシャルの方に顔を向けると、シャルは今見た光景が信じられないとでもいうように目を見開いてグラフォスが持つ本と、グラフォス自身を交互に見つめていた。

 

「おいシャル! いい加減にしろよ! まじめにやれ!」

「トキト! ちょっと黙ってて!」

「なんだよ……」

 

 二人のやり取りを耳にしながら、グラフォスは次の詠唱準備へと入る。

 

 魔法名の詠唱はダメ。長文詠唱したとしても顕現しない。ただし魔力の消費量は昨日ほどではないものの消費している感覚はある。

 あと足りないとすると……。

 

 グラフォスは目を閉じ、自分の思考にさらに集中できるよう両耳を手でふさぎ、周りの音までも遮断する。

 本は魔力で浮いているためグラフォスの左手に寄り添ったまま。

 

「うそ……魔力だけで物体を浮遊させてるの?」

 

 シャルが何か言っているが聞こえない。それよりも今は集中だ。

 

 グラフォスは思考を巡らせ記憶を思い返し、昨日の情景を思い返した。

 

 顕現したものは火属性の大剣。敵にそれを向け接触の瞬間に炎を顕現させてダメージを与えた。 

 相手がたとえ再生能力を持つ敵だとしてもそれは切断部分を隅に変え、再生することを許さない。

 

 グラフォスの集中力が極限まで高まる。グラフォスはゆっくりと目を開けると静かな口調で唱えた。

 

「『リリースクリエイト』『炎上《バーニング》大剣《たいけん》』」

 

 そうすると左手に浮いていた本から文字が、そこから魔法陣が生成される。

 そしてその魔法陣から大剣の形を象った火が現れ、グラフォスの右手にゆっくりと近づいていった。

 

「へえ、こりゃすげえな」

「うそ、偶然じゃなくて本当に魔法陣を使った?」

 

 トキトの楽しそうに口角をあげる顔とシャルの共学で口が開いてしまっている間抜け面が目に入るが、今のグラフォスにとってそれは些細なことでしかない。

 

 グラフォスは右手をシャルの方に向けるとそれと同時に、火の大剣の矛先がシャルの方に向く。

 

「行け」

 

 ただその一言を発しただけで、火の大剣はグラフォスの手元を離れシャルの体めがけて直進した。

 直進する最中に剣から大量の炎が噴き出し、それはとぐろのように大剣に絡みつく。

 

「ボーっとしてる場合じゃねえぞ! なんとかしろ!」

「そ、そうね!『止《し》』」

 

 シャルはトキトの声で我に返ると、眼前まで迫ったグラフォスが放った大剣に向かって杖を振る。

 

 するとさっきまでの勢いが嘘のように、まるで氷像のように大剣は空中で完全に動きを制止した。それはまるで大剣の部分だけ時間が止まっているように見えた。

 

 しかしシャルが大剣を避けるように一歩後ろ下がると同時に、グラフォスが大剣に魔力を注ぎ込み、大剣は勢いを取り戻し再びシャルに向かって動きを再開する。

 

「私の呪術が一瞬で!? 『速《そく》』」

 

 シャルは驚きながらも自分の頭上に杖を掲げると、水晶玉を回すように杖を振る。

 そして次の瞬間大剣がシャルと接触すると思われたが、すでにそこにはシャルの姿はなかった。

 

 瞬時に左手に移動していたのだ。グラフォスもシャルが高速で移動したことに気づき、大剣の向きを変えようとするが、グラフォスの動作がシャルの速さに追いつくことができなかった。

 

 シャルは無言でそしてさっきまでの微笑みを顔からは消し、いたって真剣な表情でグラフォスの方に近づいてきていた。

 

 しかしグラフォスはシャルの姿を追い切れていなかった。

 こちらに近づいてきていると思っていた時にはすでにシャルはグラフォスの左手に立ち、大きく杖を振りかぶっていた。

 

「ごめんなさいね。私にも意地はあるのよ」

「まだ負けたって言ってませんよ。『リリース』『マジックシールド』」

 

 勝ち誇ったように微笑むシャルに向かってグラフォスは咄嗟に詠唱し、杖の軌道範囲である自分の頭を守るように、軌道を予測して出現させた。

 しかしシャルの微笑みは消えることはない。

 杖はそのままグラフォスに向かって振りかぶられることはなく、大きく方向転換し空に向かって突き出される。

 

「『連・槍・雨・速(れんそううそく)』」

 

 グラフォスが杖とシャルの目線につられて上空に目を向けた次の瞬間、グラフォスの周りに大量の槍が降り注ぎ、グラフォスの全周囲を埋め尽くす。

 

 そしてまだ上空には大量の槍が待機している状態。

 つまりこれ以上少しでも攻撃するそぶりを見せれば、グラフォスの脳天めがけて上空の槍が降り注がれるというわけだ。

 

「どうかしら?」

 

 シャルはおどけたようにウインクをしながらも、その額にはうっすらと汗をかいている。

 それを見たグラフォスは炎を纏った大剣を消失させ、こう宣言した。

 

「参りました」

 

 突如始まった模擬戦はシャルの勝利で幕を閉じたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35節 魔法と魔術

「ちょっとあれって魔法陣よね!? 私()()()()()んだけど!」

 

 グラフォスが一息つく間もなく、シャルはグラフォスの周りに突き刺さっている、さらには上空に待機していた槍の雨を杖一振りで消失させるとものすごい形相でグラフォスに迫ってくる。

 

「僕が基本魔法を使用するときは魔法陣は顕出しますね」

「それが普通じゃないってことは気付いているんだよね?」

「もちろん。でも僕の魔法は()()()()()()です。その域には到底到達していません」

 

 魔法と魔術の違い。今更だがグラフォスは自分が使っている魔法について考える。

 

 魔法を使用するときは通常であれば魔法陣など出現しない。魔力の放出と魔法名に合わせて、それに応じた魔法が使用されるだけだ。

 対して魔術は一つの魔法を極限まできわめて高みに至ったものが使える物といわれている。

 

 魔法陣を用いて検出される魔術は通常の魔法とは違い凄まじい威力を発揮して、その魔術ひとつで国の一つや二つは征服できるといわれている。

 

 魔術を使える人間なんてグラフォスの間近にはもちろんいないし、世界中を探したとしてもその数は限られている。

 グラフォスの魔法陣を用いた魔法は、威力も効率もそんな高みには全く至っていない。

 

 だから魔術ではないのだ。たまたまグラフォスが使用する魔法が魔法陣を描いて出力されるだけなのだ。

 

 グラフォスはシャルにも自分の考えをまとめるように、そのことを話した。

 てっきりこの話をすれば納得してくれるだろうと踏んでいたグラフォスだったが、帰ってきた反応は意外にも頭を抱えてからの盛大な溜息だった。

 

「理屈ではそうなのかもしれないわね。理屈というかグラフォス君の中ではね。でも一般的にはグラフォス君が使うそれを見たとき、魔術を使えるんだって思うわよ」

 

 グラフォスは自分が使用している魔法が特別だなんて思っていなかった。

 ただ確かに客観的に見れば、魔法陣を用いた魔法というのは異常、はたから見れば魔術にも見えるかもしれない。

 

 だからミン姉は人前で魔法を使うなと言っていたのだろうか。

 

 ミンネに言われているのはブレインライト、羽ペンで文字を書く魔法のことだけだが、確かにこの魔法も人前で使わないに越したことはない。

 

「まあ僕にとって周りの評価はそんなに気になりませんけど」

「君が気にしなくても周りはめちゃくちゃ気にするのよ……」

「おーい、そろそろ話は終わったか?」

 

 シャルとグラフォスの会話が堂々巡りになりそうになっていた時、タイミングよくトキトが間に入ってきた。

 

「それでシャルがグラフォスに勝ったから、坊主は俺たちについてくるってことでいいよな?」

「そんな話してませんよね?」

 

 グラフォスは無理やりここまで連れてこられて気づいたらシャルと戦う羽目になっただけで、勝利条件等の話は全くなかったはずだ。

 

「それにこれで僕を連れて行っても役に立たないってことはわかったんじゃないですか?」

「なにいってるの! あんな大魔法を使ってるのにぴんぴんしてるじゃない! 役に立たないわけないわ」

 

 グラフォスの言葉に鼻息荒く反論したのはまさかのシャルであった。せっかくの美人画台無しになるほどに、興奮しているようだ。

 

「シャルのお墨付きだ。じゃあ間違いねえな! 坊主、ここまで言われていかないとは言わないよな?」

「ほんっとうに強引ですね……。アカネとミンネさんに相談してからでもいいですか?」

 

 と口では言っているが、グラフォスの心はトキト達についていく方にほとんど傾いていた。

 シャルのサポート性能は今の戦いで十分強いとわかったし、トキトの攻撃力も問題ないだろう。

 死ぬリスクが下がるのであれば緊急依頼にはむしろ参加したいくらいだった。

 

 ただアカネに言わないとミンネにおかしな形で話が伝わるかもしれないし、ミンネには心配していると面と向かって言われたばかりだ。

 昨日の今日で何も言わずに危険にとびこむのはさすがに気が引ける。

 

「アカネは何かできるのか?」

「回復魔法が使えます。正直僕よりすごいと思いますよ」

「私の回復だけだと心もとないし、いいんじゃない? ついてきてもらっても」

「連れて行くかどうかはわかりませんよ」

 

 こうしてほぼ無理やりといった形でグラフォスはトキト達とあのタイレントキングの討伐に挑むこととなった。

 

 不安なのはミン姉の説得だけか……。

 

 

 

 グラフォスがヴィブラリーに戻ると、強制連行されたグラフォスの代わりにアカネがカウンターで背筋をぴんと伸ばして姿勢よく座り店番をしていた。

 

 その周りでは冷やかしであろう客がアカネを取り囲む形で談笑をしている。

 グラフォスはそんな冷やかし常連客を追い払い店から追い出すと、事の経緯を話した。

 

「私も行く!」

 

そしてアカネは開口一番何の迷いもなくそう言い放った。

 

「即決ですか……。森にピクニックに行くわけではないんですよ?」

「それはちゃんとわかってるよ! でもグラフォス君がまたあの魔物に立ち向かうのに、私だけ何もしないっていうのは……」

 

 アカネの言葉は徐々にしりつぼみに小さくなっていき、最後の方は何を言っているのか聞き取れなかった。

 

 しかしアカネも今回の討伐依頼に参加するということが危険であるということは理解しているようだ。

 そのうえで、グラフォスについていきたいといっている。

 

「……はあ。わかりました。僕も行くって言っちゃっているようなものですからね。回復魔法は重要ですし、ついてきてもらってもいいですか?」

「うん!」

「それともう一つお願いが……」

 

 グラフォスはそこまで言うと一度口を閉じる。お願いしていいものか迷っているようにも見えた。

 

 アカネはそんなグラフォスの様子をめずらしく思い、首をかしげながら続きの言葉を待つ。

 

「ミン姉を説得するのを手伝ってほしいんですよね。といっても同席してくれるだけでも全然いいんですけど。昨日の今日だから納得してくれるとは考えにくいんですけど……」

「そう……だよね。わかった、私もミンネさんを説得できるよう頑張ってみるね」

 

「何、私がなんだって?」

 

 突如二人の会話に割り込んできた声に思わず二人は合わせたように同時にびくっと体を震わせる。

 

 そしてゆっくりと声がした方、店の入り口に顔を向けるとそこにはほほえみながら立っているミンネの姿があった。

 

「ミンネさん!」

「ミン姉……」

「店先でその呼び方はやめなっていっただろ、グラフォス。そんなミスするなんて珍しいじゃないか。何か内緒の話でもしてたのかい?」

 

 ミンネは何が楽しいかにやにやと笑いながら店の中に入ってくる。 

 対するグラフォスとアカネは全身に冷や汗をかいてその表情は凍り付いていた。

 

「ミンネさん、話があるんですけど……」

 

 グラフォスはゆっくりと覚悟を決めたように口を開く。

 もう少し心の準備をしてからか話す内容をまとめてからミンネに話そうと思っていたが、こうなってしまっては仕方がない。

 

「話ねえ……。その前に店じまいだ。ご飯にするよ」

 

 ミンネはグラフォスの言葉を受け一瞬思案するような表情を見せたが、店内に流れ始めた重い雰囲気を消し飛ばすように明るい口調で、その手に持った食材を手にかざすのだった。

 

 グラフォスとアカネはそういわれて初めて外がすでに日が沈みかけていることに気づき、自分たちが思いのほか空腹であることに気が付いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36節 沈黙と親心

「それでフォス、話っていうのは?」

 

 ご飯も食べ終わって一息ついていたころ、唐突にミンネは思い出したように話し始めた。

 

 グラフォスは思わず姿勢を正してどう話を切り出そうか考える。

 

「フォス、別に私は何を言われてもすぐに否定はしないよ。とりあえず話してみなよ」

「グラフォス君、大丈夫?」

「ええ、大丈夫。その話っていうのは……」

 

 そしてグラフォスはゆっくりと口を開き話し始めた。

 

「ミン姉、僕攻撃魔法が使えるんです」

「え?」

「……へえ?」

 

 アカネが考えていたような話の内容ではなかったから驚いたようにグラフォスを見ていた。

 対するミンネは眉をひそめるだけでグラフォスの続く言葉を待っていた。

 

 グラフォスはこれまで魔法が使えることを黙っていたこと、アカネを助ける時、魔物に襲われたとき、そしてトキトに連れて行かれた時に魔法を使って戦ったことを話した。

 

 ミンネに緊急討伐依頼を受けることを話すには、グラフォスがちゃんとした魔法が使えるということを伝えるのは、必須条件だ。

 

 そうしなければ経緯がちぐはぐになるし、そもそも自分が何もできないのに危険な魔物討伐に参加するということを許してくれるはずがない。

 

 そしてグラフォスはゆっくりとこれまでのことを話し終えたところで一度口を閉じ、ミンネの反応を待つ。

 

「話ってのはそれだけかい?」

「いや、どちらかというとこれからが本題なんですが……」

「それなら先に全部話しちゃいな」

 

 ミンネはグラフォスに先を促すように腕を組み、背もたれに深くもたれかかる。

 グラフォスは頭の中である程度言いたいことをまとめると、再び口を開いた。

 

「僕は魔法を使えます。そしてタイレントキングの情報が欲しいです。もちろん僕だけだと適うなんて思いませんし、面と向かって戦おうなんて考えませんでした。でもトキト達と、それにアカネもついてきてくれると言ってくれています。彼女らと一緒なら死んでしまう可能性は僕一人で行くよりも、限りなく低いです。それなら僕はトレントキングと戦って魔物のことを、この世界のことを知りたい」

 

 グラフォスは最後まで力強い口調で言い切ると、今度こそミンネの返答を聞くべく彼女の目をじっと見つめる。

 しかしミンネはなかなか口を開くことなく、腕を組んだまま目を静かに閉じてしまった。

 

 何かを考えているのだろうが、何を考えているのか長い付き合いであるグラフォスでも考え付かなかった。

 

 そもそもミンネは性格的に思ったことをそのまま言葉にするタイプだ。グラフォスに対しては特にそれが顕著だ。それだから彼女がここまで悩んだ様子を見せるをグラフォスは、あまり見たことがなかった。

 

 テーブルを挟んで二人の間で重たい沈黙が流れる。

 

「わ、私もグラフォス君の役に立つように、皆の役に立つように回復魔法を使います。私の持っている全魔力を持って全力でグラフォス君を回復して守ります」

 

 最初に沈黙を破ったのは意外にもアカネだった。

 

 これまで隣でグラフォスの話を聞いていたアカネだったが、グラフォスの説得を後押しするように、言葉を紡いだ。

 それをミンネはかみしめるように目を閉じたまま何度もうなずきながら、話を聞く。

 

 そしてアカネが話し終え、再びその場に沈黙が流れる。

 実際は数秒だったのだろうが、何分にも思えるほどの長い時間が流れる。

 

 そしてミンネはゆっくりと目を開けると、グラフォスとアカネの顔を交互に見つめ、深く息を吐き出すと口を開いた。

 

「私は何も言わないよ。グラフォスとアカネで決めたんだ。しっかりと活躍してきな」

 

 反論されると思って身構えていた。しかし返ってきた言葉は全肯定するような内容だった。

 

 思ってもいなかった返答に知らず知らずのうちに固くなっていたグラフォスの体は一気に弛緩して間抜けな表情をのぞかせる。

 アカネの方を見ると同じように驚いたような、気が抜けたような顔をしていた。

 

「なに、止められると思ってたのかい?」

「まあ……そうですね」

「フォスのことさ。どうせ止めたところで行ってしまうだろ?」

「そんなことは……」

 

「あるね。あんたは気になることとか手の届く距離に新しい知識があれば、どんなにその場所が危険だろうが突っ込んで行っちまう。だから私がとめたところで何かしら理由をつけて、たとえ一人だろうがフォスは森の中に、タイレントキングに挑んでただろ」

 

 ミンネの眉間のしわはなくなり、快活に笑いながらそう言い切る。

 

「じゃあ魔法のことは?」

「フォス、あんた本気で気づいていないと思ってたのかい?」

 

 ミンネはもはや若干呆れたようにグラフォスを見ながら立ち上がると、グラフォスとアカネが座っている後ろに回る。

 

「最近はなかったけど、ここ一年くらいほとんど毎晩フォスの部屋からおかしな魔力が流れていて、何度も部屋が光っては消えてってしてたんだ。魔法の練習をしているっていうのは私じゃなくても気づくだろうさ。まあ必要になったらいつかは話してくれるだろうって思ったから、あまり追求しなかったんだよ。あんまり私をなめるんじゃないよ? フォスのことなら()()()()()()()()()()()()つもりだよ」

 

 ミンネの口調は決して怒っているようなものではなく、体の内側に染み込んでくるような、そんな温かさを持っていた。

 

 それを聞いたグラフォスは混乱にも似た動揺した様子を見せ、アカネは逆にほっとしたように肩をなでおろしていた。

 

 そんな対照的な二人の動作を見てミンネはますますおかしそうに笑うと、後ろから座っている二人を抱きしめる。

 

「まあ一つだけ言うことがあるとするのであれば……ちゃんと死なずに帰ってくるんだよ。これは絶対だ」

 

 ミンネから諭すように言われたその約束の暖かさ、そしてミンネが包み込んでくれる体温で、二人は心も体も優しく暖まっていくのを感じ、それをかみしめるように受け入れていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37節 落ちこぼれと自信過剰

「ほらこれ持っていきな!」

 

 翌日、森に行くための準備を終えたアカネとグラフォスが一階に降りると、ミンネがにこの弁当箱をもって待ち構えていた。

 

「ミン姉、僕たち別にピクニックに行くわけじゃないんですから」

「ミンネさんありがとうございます!」

 

 グラフォスはあきれたように、そしていつもの口調でからかいながら、アカネはあまりに嬉しかったのか頬を染めながらそれぞれ差し出された弁当箱を受け取る。

 ミンネはアカネには普通に手渡していたが、グラフォスにはその手に持った弁当箱で頭をはたいてから渡していた。

 

「いっつー……中身がぐしゃぐしゃになったらどうするんですか」

「なんだい、文句言いながらも楽しみにしてるんじゃないか」

「そういうわけじゃないです。行ってきます」

 

 ミンネからの仕返しのようなからかいに不貞腐れながら、それでもしっかりと弁当箱を受け取ってからグラフォスは店の外へと向かった。

 

「行ってきます!」

「あいよ、いってらっしゃい。帰ったらご飯も用意してるからね。寄り道せずにまっすぐ帰ってくるんだよ」

 

 アカネもグラフォスの後を追いかけて、そしてグラフォスが扉を開けると同時に一緒に店の外に出るのだった。

 

 

 

 外はまだ陽が昇り始めたばかりの朝早い時間だった。グラフォスにとって陽が真上に上る前に外にいるというのは新鮮すぎることだ。

 顔を出し始めた陽の光を浴びてグラフォスは一度立ち止まると、伸びをして大きく欠伸をする。

 

「グラフォス君緊張してないの?」

「そうですね。あまり緊張はしてないです。まあ自分が討伐依頼に参加できるっていう実感がないだけかもしれないですけどね」

 

「おーい、準備できてるか―!」

 

 グラフォスとアカネが他愛のない話をしていると、遠くの方から大声で叫びながら土ぼこりをあげながら近づいてくる人影があった。

 

「おはようございます!」

「もう少し落ち着いて、周りに目立たないように来ることはできないんですか。トキトさん」

 

 二人の目の前で急停止したトキトは満面の笑みで片手をあげて挨拶を返す。

 そして少し遅れて、こちらはのんびりと歩きながらシャルが現れた。

 

「グラフォス君もっと言って聞かせて。私が言ってもちっとも効果ないから」

「ほんとに嫌ってんなら考えるけど、二人ともそんな感じじゃないだろ? だから俺は俺のままで行かせてもらうぜ!」

 

 グラフォスとシャルの嫌味を大笑いで返すトキト。彼女の心には少したりとも響いておらず、反省する気はさらさらないようだ。

 

「それじゃ行くか!」

「もうすぐに森に行くんでしたっけ」

「あれ? ギルドにまずいかないといけないじゃなかったっけ」

「アカネちゃんが正解ね。まずギルドに行って受注処理をしないとね。それと今日の討伐パーティでレイドを組むかもしれないから、その打ち合わせもあるかもしれないわね」

「まあ俺はこの4人で挑みたいけどな!」

 

 トキトはそういいながら早速ギルドに向かって歩き出していた。

 そんなせっかちなトキトを見て三人は顔を見合わせて同時に苦笑いを浮かべると、トキトについていく形でギルドへと向かうのだった。

 

 

 

 朝一のギルドはまさに街の中の戦場だった。

 依頼掲示板の前では冒険者が押し合いへし合いしており、カウンターも回っていないのか数人のギルド嬢が走り回っている状態である。

 いつもギルドに来ると話しかけてくるドリアも今日はてんてこ舞いの状態でグラフォスたちが来ていることすら気づいてなさそうだった。

 

「これはすごいね……」

「なんだ? ギルドに来るのは初めてか?」

「いえ、いつも来るときは昼過ぎとかでしたから比較的落ち着いている時間帯しか着たことがなかったんですよ」

「そうなのね、それならこのバタバタも新鮮かもしれないわね」

 

 周りをきょろきょろと見まわしているグラフォスとアカネとは対照的に、トキトとシャルはやはり慣れているのか特にギルド内の様子を気にすることもなく受付へと真っすぐ足を運んでいた。

 

「あれ、僕たちは掲示板で依頼紙を取らなくていいんですか?」

「ええ、私たちが受ける緊急討伐依頼は複数パーティ合同、つまりレイド推奨の依頼。そういう場合は受付で言えば依頼紙をもっていかなくても受理してくれるのよ」

「そういうこったな」

 

 シャルが丁寧にグラフォスたちに説明しているかたわら、トキトはそれを聞いているのか聞いていないのかあいまいな返事をしながらカウンターへと進む。

 

「この四人でギルド指定討伐依頼を受けたい」

「グラフォス君!」

 

 たまたまカウンターでせわしなく近寄ってきて対応をしてくれたのはドリアだった。

 

 ドリアはトキトとシャルを見た後、グラフォスが目に入ったのか目を見開いてあからさまに驚いていた。

 

「どうも、ドリアさん」

「あのトキトさん、彼に戦闘は……」

「ん? ああ坊主か? まあ身長は小さいけど、こいつは強いから安心していいぞ」

 何か言いたげなドリアをよそにトキトはあっけらかんとそう言い放つ。

「グラフォス君が強い……? そうなの?」

「いいえ、まったく」

 

 ドリアの当然の質問にグラフォスは特に表情を変えることなくトキトの言葉を否定する。

 

「……トキトさん、シャルさん。二人を守ってくださいね。依頼は受けられますけど正直グラフォス君とアカネちゃんには荷が重いと思うけど……」

「それは俺とシャルが決めることだな」

「そうね。私たちが連れて行って問題ないと判断したから連れて行くのよ」

 

「そうですよね。すいません、出過ぎたことを言いました。依頼を受ける人はすでに何名かあちらのテーブルに集まっています。できれば皆さんで合流して森に行ってほしいんですが……」

 

 ドリアは頭を下げた後、説明をしギルドは地にあるテーブルを指さすのだが何かその言い方には含みがあるように聞こえた。

 

 グラフォスたちがそちらに目を向けると、6名ほどの人が一つのテーブルでたむろしていた。

 その中で特に目立つのは純白の鎧を付けたきざ風な見た目をした男だった。

 ギルド内では必要ないだろうにその手にはすでに抜刀された槍を構えている。

 

「なんかすごい人がいるね……」

「槍が自慢なんですかね。今回のトレントキングにはあまり有効だとは思えませんが……」

「まああれだけ自信ありそうなんだしすげえ槍の使い手なのかもな。戦ってみたいな!」

「そうだといいけどね……」

 

 四人中シャルだけが不安そうにそう呟き、それぞれが目立つその人の印象を話すとそのままカウンターを離れてそのテーブルへと近づく。

 

 近づいてくるグラフォスたちに気づいた6人は話を中断し、こちらを向くと真っ先に槍を持った男がグラフォスたちの方に歩み寄ってきた。

 

「もしかして君たちも依頼に参加するのかい?」

「ああ、よろしく頼むぜ」

 

 トキトは快活に笑いながら握手を求めて片手を出したが、男はそれを握ることなく品定めするような視線でグラフォスたちを嘗め回すように見つめていた。

 

「ふうん、そこの赤い鎧の彼女は使えそうだけど、ほかの君たち三人は……うーん、職業は何なんだい?」

「剣闘士だ」

「呪術士よ」

「か、回復士です?」

「書き師です」

 

「書き師だって!? それに剣闘士と呪術士のコンビって……まさか『万年岩等級』の二人かい? 君たち本気で森に入るつもりなのかい?」

 

「ええ、トキトさんたちに頼まれましたし、僕自身少しは役に立てるかなと」

「もちろん、森に入るためにこの依頼を受けたんだしな」

 

 それを聞いた槍の男は頭を抱えわざとらしくその場でよろけて見せる。

 それを見たグラフォスの反応は皆無だったが、隣のアカネが突然のオーバーリアクションにびっくりしたのか体をびくっと震わせていた。

 

「高難度の依頼を受けているというのに子供のお守りはごめんだよ」

「ああ? お前グラフォスの実力何一つ見てねえのに、なんでお守りだって決めつけるんだよ」

 

 男の言葉に反応したのはグラフォスではなくトキトだった。さっきまでの笑顔はその顔にはなくイラついているのか、にらみつけるように男を見ていた。

 

「トキト、落ち着いて。グラフォス君の強さは周りに見せびらかすようなものではないわ」

「君たち内輪だけで彼を持ち上げているだけじゃないのかい? 子どもだからってあまり甘やかしていると後々公開するのはそこの白髪の彼だよ」

 

「グラフォス君はそんなこと!」

「アカネちゃんも落ち着いて。あなたの言い分はよくわかったわ。それなら私たちはあなたたちのレイドには参加しない。別行動するわ。それでいい?」

 

 アカネもさすがに怒ったのか一歩出て声をあげた瞬間、それを制するようにトキトたちと男の間にシャルが割って入ってそう言い放った。

 

「ああ、僕としてもそうして欲しいものだね。この依頼はこのモブザック率いる『ドラゴンスピア』の晴れ舞台になる重要なものだからね。子供のお守りなんてしていられないんだよ」  

 

 彼、モブザックと名乗る槍の男の行動を後ろの人間がだれ一人止めないと思ったら、どうやら6人で一つのパーティだったようだ。

 今まで彼ばかり目に入っていてあまり目に入らなかったが、後ろの5人を見ると彼と同じような顔でばかにしたようににやつきながらこちらを見ていた。

 

「そうなるといいわね。じゃあ私たちは反対側のテーブルで待たせてもらうことにするわ」

 

 シャルは言い終わるや否や、モブザックに背を向けて彼らがいるテーブルとは反対側のテーブル目指して歩いていく。

 

 やはり彼の言い方に思うところがあったのかシャルの足取りはどこか怒っているようにも見えた。

 そして残りの三人も彼らを一瞥するとシャルに続いて彼から踵を返す。

 

「ほかのパーティが参加してくれるといいけどね! 精々頑張って生き残ることだね」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38節 作戦と出発

「どこにでもああいうのはいるんだな」

「そうね、ちょっとでも成功すると冒険者ってのは調子に乗っちゃうもんなのよ」

「やな感じです……」

「まあ言っていることは間違いないかもしれないですけどね」

 

 モブザック達と別れた後反対側のテーブルに着いた四人だったが、グラフォスたちのもとに人が集まることはそれ以降もなかった。

 原因としては今四人が視線をやりながら話をしている彼が原因である。

 

「あそこに参加するくらいならこっちに参加した方が楽できるよ。向こうは死ぬ可能性が高いからね。なんせ万年岩等級、依頼達成率2割以下のコンビと書き師のお守りだ! あっちにはいかない方が身のためだよ」

 

 そんなことを飽きもせずにギルドに人が来るたびに、ギルド内全体に聞こえるように言いまわっているのだ。

 そのためモブサックの方に人が集まるばかりで、ほとんどの人がグラフォスたちのテーブルには見向きもしていなかった。

 

「もうこれ以上待っても無駄だろ! 俺たちだけで森に行こうぜ!」

 

 トキトはずっと椅子に腰かけて貧乏ゆすりをしていたが、ついに我慢できなくなったのか勢い良く立ち上がると、ギルドの扉に向かって歩き始めた。

 

「まあトキトにしては我慢した方かしらね」

「待ってください。作戦とかは考えているんですか?」

「ああ? そりゃ考えてるに決まってるだろ! そうだろシャル!」

「すぐ人任せなんだから……。説明するからトキトはとりあえず戻ってきなさい」

 

 シャルはあきれたように言いながら、トキトをテーブルへと呼び戻す。トキトは渋々といった様子で頭を掻きながら三人の元へと戻ると、再び椅子にドカッと腰かけた。

 

「作戦って四人で動く用のものなんですか?」

 

 確かにアカネの言う通りシャルが作戦を考えているとしてもそれが多人数用の、4人以上集まる前提で考えられている作戦だとしたら、現在状況では作戦は活きない形となってしまう。

 

「そうねえ、4人以上のものももちろん考えてたんだけど、何となくこうなるんじゃないかって思ってたのよね。私とトキトって変に知名度があるしね。だから一応4人用の作戦も考えてるわ」

 

 シャルは苦笑いしながらギルドを軽く見渡していた。

 指定依頼を受けるパーティは相当数いるようだが、やはりグラフォスたちの方に近づいてくるパーティは一つもない。

 

 トキトとシャルは案外こういった状況になれているのかもしれない。

 

 そんなギルドの様子を見ながら考えるグラフォスだった。

 

「まあ作戦といってもそんなややこしいものではないわ。あまりややこしくするとトキトは理解できないだろうし」

「よくわかってんじゃんか」

「そこは否定しないんだ……」

「それで作戦というのは?」

 

「ええ、まず戦法としては基本不意打ちで行くつもりよ。真正面から戦っても戦力差は私たちが負けてる可能性が高いからね。まあグラフォス君とアカネちゃんの戦力が把握しきれていないからあくまで予想なんだけどね。それで不意打ちする方法だけど私が索敵の術を使えるから基本魔物感知が引っかかったら木陰に隠れる。そして魔物が射程範囲に入った瞬間に、それがトレントキングだろうがなんだろうが、私が行動を止める術を使う。その間にアカネちゃんは魔法の待機、そしてグラフォス君とトキトが攻撃役で突っ込む。こんな感じね」

 

「あの、私オートヒールが使えますけど、それはグラフォス君とトキトさんが行動する前にかけた方がいいですか?」

「オートヒール?」

 

 シャルは聞いたことがないのかアカネの問いかけに首をかしげて答える。トキトはそもそも話を聞いていないのか、未だグラフォスたちの印象操作する言葉を投げているモブザックの方をにらみつけていた。

 

「アカネは対象者の傷を自動で癒してくれる回復魔法を使えるんですよ。事前にそれをかけてもらってた方が、アカネの魔力効率もいいですし、ある程度の怪我をしてもすぐに回復するのでいいですよ」

「なにそれ、聞いたことないんだけど」

「僕もアカネ以外に使ってるのは見たことないですね。文献で知ってた程度ですから」

「そんなにすごいのかな? 私最初から使えたけど……」

「君たち本当に何者なのよ……」

「話は終わりか!? とりあえずシャルが相手の動き止めたところを俺とグラフォスでぶったたけばいいんだろ! それで回復はアカネがしてくれる! 完璧! よし行くぞ!」

 

 トキトは両手をたたき自分に活を入れると立ち上がり、今度こそギルドの外に出て行ってしまった。

 

「トキトさんっていつもあんな感じなんですか?」

「そうねえ、昔から一直線というか無鉄砲というか、それでいてお人よしだから依頼を達成できないのよね。悪い奴ではないから安心してね」

「それは何となくわかる気がします」

 

 トキトが出て行った方を見ながらアカネとシャルは苦笑いを浮かべると、彼女の後をついていくように歩き始める。

 しかしグラフォスは何か気になるのか周りをきょきょろと見渡していた。

 

「どうしたの、グラフォス君」

「いや、朝から何か視線を感じるんですよね……」

「朝から? 私は特に感じなかったけど……」

「ギルドではこんだけ私たちのことが言いふらされてるんだから多方から見られてはいるわよ?」

「……そうですね。僕の気のせいかもしれません、行きましょうか」

 

 グラフォスは最後ちらっともう一度だけ周りを見渡したが特に気になる人物はいなかった。

 

「早くいくぞ!」

 

 ギルドの扉を開けて大声で呼びかけたトキトを追いかけるように三人はギルドを出て森へ向かうのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39節 かませ役と新手

「じゃあ索敵呪術を使うわね。『捜《ソウ》』」

 

 シャルが杖を構えてそう唱えると杖に着いた水晶が淡い光を放つと同時に、グラフォスの足元に微弱な魔力が流れるのを感じる。

 

「この魔力は魔物には感知されないんですか?」

「頭のいい魔物なら感づくかもしれないけど、それでも広範囲に魔力を流しているから魔力元は特定されにくいわよ」

「そうなんですね」

 

 グラフォスはすでに片手に本を構えており、今シャルが言った情報を黄金色の羽ペンが必死に本にかきこんでいた。

 

「その羽ペンもすごいわね。グラフォス君が何か指示してるわけじゃないんでしょ?」

「指示はしてないですけど、書いてほしいことは頭で思い浮かべる必要はありますよ。書き師ならみんな使えると思ってましたけど、ミンネさんが言うにはそうでもないみたいですね」

「そんなの使ってるやつは見たことねえなあ」

 

 トキトも三人の方を向き後ろ歩きで歩きながら、頭に手を組みグラフォスが使う羽ペンを興味深そうに見ていた。

 

 本来であればこの魔法もミンネに他人に見せるなと言われているが、ここにいるのはすでにこれ以上の魔法を見られている相手ばかりである。

 

 いまさらこれを隠したところでもう遅いというものだ。

 

「その子もグラフォス君の相棒って感じだね」

「相棒……ですか。これに意思はありませんけどね」

 

 グラフォスが冷たくそういうと羽ペンの動きが一瞬止まったような気がしたが、今は普通に動きを再開しているからきっと気のせいだろう。

 

「それにしても魔物感知しないわね」

「まあ普通こんなところに魔物はいませんからね。いたとしてもゴブリンか、それ相当の魔物くらいですよ。その魔物もトレントキングにおびえて表に出てこれないのかもしれません」

「暇だな!」

「平和が一番だよね」

 

 森に入った当初はあった緊張感がほぐれてきて、そんなのんきな会話をしながら四人は森の中をどんどんと進んでいた。

 

「もしかしたらあのドラゴンなんとかってパーティがもう仕留めちゃってるのかもしれないわね」

「それは却下! 俺が暇すぎるからな」

「そういう理由ですか……」

 

「ん? 三人ともちょっと待って。何か索敵に引っかかった。え、すごい勢い……」

 

 シャルに言われて三人は足を止める。シャルもその場で足を止めて目を閉じて感じているであろう魔力の流れに集中している。

 

「……まずい! トキト、二人を抱えて思いっきり横に飛んで!」

 

 シャルがそう言った瞬間トキトはグラフォスとアカネの横っ腹を抱えるようにつかみ、木々が生い茂る脇道に思いっきり飛び込む。

 シャルもそれを見届けることなく三人とは反対方向へと思いっきり飛んでいた。

 

 その直後だった。

 先ほどまで四人が立っていたところに激しい砂埃が立つと同時に、激しい雄たけびが上がった。

 

「あれって……」

「新手かよ」

 

 砂埃が晴れ、そこに四つ足で立っていたのは全身銀の体毛で覆われたオオカミのような魔物の姿だった。

 その魔物は何かを足で押さえつけているように見える。

 

「助けてくれええええ!!」

 

「あれ、ジャイアントウルフ!?」

「それに槍の人も!」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!『止《シ》』」

 

 相手の正体を見極めようとするグラフォスたちをよそにシャルの行動は早かった。

 飛び込んだ木陰で素早く体勢を立て直すと、右手に持っていた杖を両手に構えてそのまま魔物に向かって振りかざす。

 

 その瞬間、以前見たトレントキングのように目の前の大きな体格をした魔物はその場で動きを止めた。

 

「ちょっとしかもたないからそいつから早く離れて!」

 

 シャルがそう叫ぶと魔物の足に押さえつけられていた人物がのそのそとよろめきながら、立ち上がり魔物から離れようとする。

 

「おいおいどこに行くつもりだ?」

 

 トキトは魔物を警戒しながら槍の男に近づく。

 

「こ、こんなやつがいるなんて聞いてなかったぞ! 森の浅瀬にいる魔物討伐だから受けたんだ!」

 

 男はひきつった顔をしながら睨みつけるようにトキトを見る。

 

「別に俺も隠してたわけじゃなくて知らなかったんだけどなあ」

「トキト! 警戒して! アカネちゃんは全員にオートヒールをかけて!」

「わかりました! 『オート』きゃっ!!」

 

 アカネが全員を対象にしようと手を向けて魔力を放出した瞬間、彼女の足元から氷のつららのようなものが大きく突出する。

 

 間一髪でトキトがそれに気づきアカネの首根っこを掴むことで、何とかよけることができたが、その結果オートヒールの詠唱はキャンセルされてしまった。

 

「ひいいいいいいい!!」

「あ、ちょっと! 何しに来たのよまったく!」

 

 男はその手に持った長槍を構えることなく、その魔法を見るなり森の出口に向かって走って逃げて行ってしまった。

 発現した氷のもとをたどると、それはジャイアントウルフの足元から突出した氷へとつながるように氷の道ができていた。

 

「うそ、属性持ちなの……」

「シャルさんの呪術が効いていないんですか?」

「いや違うな」

「ええ、私のあの呪術はあくまで対象の動きを拘束するものなのよ。だから魔法を使う属性持ちの相手とは相性が悪いの。体の動きを止めてても魔力操作ができる相手とかは特に、ね」

 

 シャルは淡く水色に全身を発光させているジャイアントウルフを横目に見ながら悔しげにそう話しながらも、次の呪術の準備をしていた。

 

 しかしジャイアントウルフは体が動かない中魔力の流れでグラフォスたちの動きを感知しているのか的確に、シャルを狙って氷を次々と地面から突出させていた。

 これでは魔法も使えなければあの魔物に近づけそうもない……。

 シャルは攻め手にかけていて、ジャイアントウルフの魔法を止めようにも魔力が感知されるため、攻め手にかけていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40節 抜刀と無鉄砲

「魔法も呪術もダメとなると俺しかいねえよな!」

 

 トキトは勢いよく飛び上がるとそのまま空中で腰に差した刀を引き抜き、両手で握り上段に構える。

 

 グラフォスはというと、ジャイアントウルフの特徴を本に記載しているのに集中していた。

 

 もちろんすぐに戦闘に入れるように脇には魔力で羽化した別の本を用意しているが、魔力の流れが薄いからかジャイアントウルフはグラフォスの方には攻撃を仕掛けてきていなかった。

 

『グガアアアアアアアア』

 

 トキトがジャイアントウルフに切迫する瞬間、シャルの呪術効果時間が終わり魔物の身体的拘束が取れる。

 

 激しい咆哮と共にその場の空気が振動しトキトの全身に冷気が襲い掛かってくるが、彼女はそれをうけて、上段に構えていた刀を突くような形に持ち替える。

 

 対するジャイアントウルフは口を大きく開けて、トキトが飛び込んでくるのを待ち構えている。

 噛み千切るつもりだろうか。

 

「『刺突《しとつ》』」

 

 これまでの彼女からは想像できないほどの小さくしかし確かに周りに響く声で静かにそう唱えると、トキトはジャイアントウルフの口内に向かって刀を突きだしながらそのままジャイアントウルフの口の中に体ごと突っ込んでいった。

 

 完全にトキトの体がジャイアントウルフの口内に隠れた直後、獲物を捕らえた魔物はトキトを入れたままその口を閉じる。

 

 ジャイアントウルフのガチンッという歯と歯が重なり合った音の後に訪れるわずかな静寂。

 

 次に動き出したのはまたもやジャイアントウルフだった。

 しかし様子がおかしい。魔物は口の中にいるはずのトキトを咀嚼するわけでもなく、周りにいるグラフォスたちへ攻撃するわけでもなく、その場の地面に体を打ち付けるようにのたうちまわり始めたのだ。

 

 ジャイアントウルフの口端からは液体が大量に流れている。しかしそれは赤色ではなく、緑色の魔物独特な血の色をしていた。

 

「いったい何が……」

「まさかトキトさん、中に入ったはいいけど出られなくて暴れてるってことはないですよね?」

 

 グラフォスは十分な情報を書ききったのか羽ペンの動きを止めて、若干呆れたような表情をしながら暴れまわっているジャイアントウルフを見つめる。

 

「あー……残念ながら可能性は高いわね」

 

 シャルに関しては頭を抱えてうめき始めてしまう始末である。

 二人ともトキトの身が危ないとは考えていないようで、唯一彼女の心配をしているのはアカネだけのように思える。

 

「何やってるんですか……。シャルさん、さっきの呪術は使えますか?」

「使えないこともないけど、短時間での同呪術の詠唱は水晶への負担が大きいわよ。この後私は使い物にならなくなるかも」

「それは困りますね」

 

 どうやら呪術は杖の先端についた水晶を媒体として発動しているようだ。どういう原理かはわからないが、今度ゆっくりと聞かないと。

 

 グラフォスはそんなことをのんきに考えながら、本を片手に構えてゆったりとした足取りで暴れているジャイアントウルフへと向かっていく。

 

 そこに一切の緊張感は見られない。トレントキング・ミニトレントと相対した時もそうだったが、グラフォスは戦闘に対する危機感が低い。

 

「『リリース』『ウォールシールド』トキトさん! 聞こえてますか? こいつの口こじ開けられますか?」

 

 グラフォスはジャイアントウルフの目の前に立つと、黄金色の半透明の壁を目の前に顕出させて、口の端からそして全身から冷気を放出しグラフォスを殺めようとしているジャイアントウルフの攻撃を防いでいた。

 

 そしてまるで世間話をするようなノリでジャイアントウルフの体内にいるトキトに向かって話しかけていたのだが、当然トキトから返事があるわけがない。

 

 しかしジャイアントウルフの動きが一瞬止まる。それに合わせたようにぐらふぁすに攻撃を繰り返していた冷気、つららも出現しなくなった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41節 無茶苦茶と血まみれ

 次の瞬間、ジャイアントウルフの背中から一本の刃がとびだす。

 その刀身は緑色の血まみれになりながらも鈍く赤い光を放っている。 

 

 ジャイアントウルフは当然すぐに動きを再開し、のた打ち回り傷口を自分が顕出させている氷でふさごうとしているが、刀身はそんなことはお構いなく円状に魔物の背中を切り裂いていく。

 

 そして最初の切り口と円状に切った最後の切り口が合わさった直後、刀身は再びジャイアントウルフの体の中に隠れる。

 刹那、ジャイアントウルフは体をびくっと震わせると三度その動きを止める。

 

「うおおおおおおりゃああ!!」

 

 直後円状に切り口が入った背中をけ破って飛び出してきたのは、こちらも緑色の血まみれのトキトの姿だった。

 

 トキトはそのまま半回転してさかさまの状態で宙に浮かぶと目の前にぽかんとした表情で立っていたグラフォスを見つけ、にやりと笑う。

 

「坊主これでいいか!」

「僕は口をこじ開けてくださいって言ったんですけど……」

 

 トキトはそのまま後方に下がり次の攻撃に備えるが、ジャイアントウルフもバカではない。

 思い切り開いた傷口をそのままにするはずもなく、背中に氷の膜をまとい傷口を無理やりふさぎ、そしてトキトを威嚇していた。

 

「僕はがん無視ですか。まあそっちの方が都合がいいので構いませんが」

 

 完全にグラフォスから背を向けた状態のジャイアントウルフを少しふてくされた様子で一瞥したグラフォスだったが、すぐに気を取り直して手に持つ本のページをめくる。

 

「『リリース』『ウインドボール』」

 

 グラフォスは手を止めるとそのまま詠唱を開始する。それと同時に本に五つの小さな魔法陣が浮かび上がる。

 

 もちろんそんな魔力の流れをジャイアントウルフが見逃すはずもなく、全身の毛を逆立ててそこからつららのように大量の氷を飛ばしていたが、それはすべてグラフォスが出している壁に防がれる。

 

 ウォールはマジックシールドよりも物理的耐久は強い。

 分類上ジャイアントウルフが放つ氷攻撃は魔法になるのだろうが、ダメージは物理的だ。それであればウォールが破壊されることはそうそうない。

 

 グラフォスはその場から動くことなく、本を持っていないもう片方の手の指それぞれに魔法陣を集結させる。

 

 そしてその魔法陣が霧散すると、黄金色の塵を残しながらグラフォスの指には風が凝縮されたようなピンポン玉ほどの球体がくっついていた。

 

 グラフォスはそれを横目で確認すると、ジャイアントウルフの方に視線を戻し、まるで手についた水滴を払うかのように無造作に手を払い、五個の風球を飛ばす。

 

 風球は一瞬制御を失い地面に落下しそうになるが、すぐにグラフォスの眼前まで浮き上がり、そして目の前の壁を通り抜けるとジャイアントウルフめがけて、突っ込んでいく。

 

『ガアアアアアアア!』

 

 ジャイアントウルフは風球をよけようとするが、風球は器用にジャイアントウルフの噛みつき、ひっかき、氷全てをよけながらただ一点を目指しているように見えた。

 

「援護するぜ!」

 

 トキトも攻防に加わり、ジャイアントウルフの体を切りつけていく。

 トキトの攻撃によりジャイアントウルフの動きがひるんだ一瞬のすきを狙って、風球はまるで意志を持っているように全球が一点に突っ込んでいく。

 

 それはトキトが破った、今は氷の膜でおおわれている円状の背中の切り傷だった。

 五個の風球は迷いなく背中を覆っている氷を突き破ると、そのままジャイアントウルフの体内へと入り込んでいった。

 

「トキトさん、離れていた方が良いですよ。」

「あいよ!」

「膨らめ」

 

 トキトがグラフォスの言うとおり、刀を振ることをやめジャイアントウルフから距離を取ったことを確認すると、体内に入り込んでいった風球に向かって命令するようにただ一言そう言い放った。

 

 直後、ジャイアントウルフの胴体が急激に膨らみジャイアントは目やら鼻やらから緑色の血をふきだしていた。

 

「……威力が足りないですか。トキトさん、お願いします」

「離れろって言ったりやれって言ったり、せわしない奴だな!」

「トキトさんには負けますよ」

 

 トキトはグラフォスの返しににやっと笑って返すと、まっすぐジャイアントウルフの横っ腹に向かって走る。

 

「『一閃《いっせん》』」

 

 そして刀をただ横なぎにしかし目に負えないほどのスピードで振り切ると、直後ジャイアントウルフの全身がはじけ飛び、大きな魔石のみがその場に残るのみとなった。

 その代償としてトキトは全身に緑色の血を浴びることとなったのだが。

 

「お疲れ様でした」

「……グラフォスよお、俺も一応女だぜ? なんか言うことがあるんじゃねえのか」

「……? かっこよかったですよ」

 

 トキトは全身に水浴びをしたようにその赤い鎧までも緑色にしながらグラフォスを睨みつけていたが、グラフォスはトキトの言っていることが理解できなかったのか、とりあえず思った感想をそのまま口にするのであった。

 

「トキトさん、けがはないですか!」

「けがはねえけどよお……あ、アカネちゃん。体をきれいにする魔法とか持ってないの?」

「そういうのは……」

「『ウォーター』」

 

 勢いよくトキトに近づいたアカネに向かってすり寄るように近づいてくるトキトだったが、突如シャルが放った魔法により今度は頭の上から真水をかぶり、全身水浸しの状態になる。

 

 そしてなぜか近くにいたグラフォスも二次被害にあい、特に血まみれになっていたわけではないのに、水浸しになってしまった。

 

「……おい」

「……僕にもかかってるんですが」

「二人とももうちょっと真剣に戦うべきよ。見てるこっちがひやひやするわ。これくらいで勘弁してることに感謝してほしいくらいよ」

「けっ。さっぱりしたぜ、ありがとさん」

 

 シャルの説教にトキトはふてくされながらその場に座り込み、まるで犬のように全身を震わせる。

 

 よくあんな重そうな鎧を着たままあんな全身運動ができるな。

 

 グラフォスも頭を軽くふりながらトキトの様子を見ていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42節 異常と再会

「それで、どう思う?」

 

 血だまりの中にぽつんと落ちていた魔石を拾いながら、シャルが三人に向かって問いかける。

 主語のないといかけではあったが、グラフォスたちはすぐにそれが何を射しているのかを察した。

 

「まあ、あきらかにおかしいよな」

「こんな浅瀬にあんな魔物が出現する可能性は限りなく低いですよね」

「トレントキングに、さっきの大きな狼……森で何かが起こっているとか?」

 

「そうよねえ、おかしいわよね。人目に付きやすいところにわざと出現してるとか? でも何のメリットがあって?」

「そもそもこんな街の近くの森にあんな魔物が出現しているってことが問題な気がしますが」

「それもそうねえ」

 

 各々が思ったことをそのまま口にするが、それぞれが感じている違和感の解決にはならない。

 

「まあ何が出てこようが、ぶった切ればいいだけの話だろ」

「さっきみたいな不意打ちでトレントキングに遭遇するのはごめんですけどね」

 

 グラフォスの言葉にほかの三人は苦笑いを浮かべながら歩きを再開させる。

 グラフォスは歩きながら先ほどの戦闘を振り返っていた。

 

 銅にも火力に欠けるグラフォスの魔法。基本的に魔法の威力はその魔法に対して使用している魔力量と魔力の練密度に比例する。

 魔力量は問題ないレベルで注いでいるはず。

 それなら問題は練密度の方だろう。

 

 でも先ほどの戦闘では火力の足りない魔法をジャイアントウルフにぶつけてしまったものの、トキトのカバーによってうまく倒すことができた。

 

 パーティを組もうと依頼をひたすら出していたグラフォスだったが、実際にパーティで行動した数は数えるほどしかない。

 しかもパーティを組んでくれていた時期、グラフォスは今のようなリリース魔法は使用することができなかったため、他人と連携するということを知らなかった。

 この戦い方は案外ありかもしれない。

 

 一人深い思考に陥るグラフォスだったが、前を歩くシャルの足が止まったところで現実に意識が引き戻される。

 

「どうしました?」

「隠れるわよ」

「また魔物か?」

「そうね。距離は遠いみたいだけど……逆にこの距離で感じる魔力ってことは相当な大物かもしれないわね」

「本当にどうなってるんだろ……」

 

 アカネがシャルの言葉におびえながら木陰に移動するのを横目に見ながら、グラフォスも同じように自分の体が隠れるように木陰へと身を隠す。

 

「いよいよ本命のキングが現れたか?」

 

 グラフォスの隣にしゃがみこみ、浮きだった声でしゃべるトキトの顔を見ると彼女は笑いを抑えきれないのか、口角をひくひくと震わせていた。

 

 この人の戦闘能力は高いけど、頭の中が戦闘狂なのが残念だな。

 

 グラフォスはあきれながらトキトから視線を外すと、森の小道へと目線を戻す。

 しばらく警戒しながら待機していると、遠くの方から何かを引きずるような音が徐々に近づいてきていた。

 

 そしてその音がなくなったかと思うと、ビュンという音とともにグラフォスたちから少し離れた場所に太い枝が迫ってくる。

 

「動かないで!」

 

 反射的によけようとしたトキトを制するように小さな声でシャルが警告する。

 トキトは立ち上がることなくそのまま警戒体制へと戻すと同時に、飛び出してきた枝はグラフォスたちのところに到達する前に森の奥に戻っていった。

 

『マダタリナイ』

 

 森に重低音な声なのか音なのか聞き取りづらい音が響く。

 直後、グラフォスたちが隠れていた木の葉が見る見るうちにかれはてていき、四人を隠すほどに大きかった大木は、一瞬で先ほどまでの陰もないほどに小さくしぼんでいた。

 

 そしてそれは姿を現す。

 

 森から突き出すほどの巨体を揺らし、道など見えなくなってしまうほどに根と葉を敷きつめた全身。

 茶色く太い胴体には黒ずんで炭のような色をしている穴が三個ほど空いていた。

 

「でやがったな、化け物……」

「あの時のトレントキング……」

「間違いないわね」

 

 グラフォスたちの前に悠々とした足取りで姿を現したのは、以前グラフォスたちが仕留めそこなったトレントキングの姿だった。

 

 短い期間で再び相まみえた存在。しかし目の前に現れたトレントキングは、以前の大きさが小さく見えるほどに大きく成長していた。

 枝に限っては、以前グラフォスを攻撃したときに束ねていた10本分の枝の太さを一本一本がその太さになっていた。

 

「とんでもねえな」

「一体どれだけの自然魔力をため込んだんでしょうね」

「話し込んでいる暇はないわよ。しゃべれるくらいの治世があるってことは、私の索敵呪術の魔力源にも気づくかもしれない。一気に仕掛けるわよ」

 

 シャルはそういいながら物音をたてないように動きながら、杖を構える。

 

「シャルさんが呪術を使用した後、私が回復魔法をかけるので一瞬三人とも動かないでくださいね」

「了解」

「いつでもいいですよ」

 

 トキトは刀に手をかけ抜刀の準備をする。

 グラフォスはリュックから本を取り出し、今持っている本と入れ替えるとページを静かに開いてトレントキングをまっすぐと見据える。

 

「死んじゃ駄目よ」

「私が死なせません」

「心強いじゃねえか」

「…………」

「いくわよ。3・2・1『止』」

 

 

 再びトレントキングとの戦いが始まる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43節 効かない攻撃と有効打

 もはや見慣れたシャルの呪術によって真横に迫っていたトレントキングの動きが止まる。

 

「『オートヒール』」

『コレシッテル』

 

 アカネが魔法を詠唱し四人の体が淡い緑色の魔力で包まれると同時に、トレントキングが言葉を発する。

 

 そして一瞬の間の後、トレントキングは当然のように枝を動かし、その巨体につけた何本も同時にグラフォスたちの方へとすさまじいスピードで近づけてくる。

 

 攻撃準備をしていたグラフォスとトキトだが、思いがけない魔物の攻撃により回避行動を余儀なくされる。

 アカネとシャルもばらけるようにその場から飛びのく。

 

「呪術が効いてないぞ!」

「私の魔力を体内に取り込んで呪術の効果を無効化したのよ! 奴の吸収能力を甘く見てたわ」

 

 もう場所がばれてしまったトキトとシャルは体制を持ち直した後、怒鳴りあうような声のボリュームでそんな話をしている。

 グラフォスは砂埃とともに近くに飛んできたアカネを支えるので精いっぱいだった。

 

「ごめんグラフォス君、ありがとう」

「謝るか、感謝するかどっちかにしてください」

「ありがとう!」

「……行きます」

 

 グラフォスとアカネは相変わらずどこか気の抜けるような会話をしていたが、アカネの声は心なしか震えているように感じた。

 

 グラフォスはそんな彼女を安心させるようにアカネの頭を軽くたたくと、次の攻撃モーションに入っているトレントキングと向き合う。

 

「とりあえず止めれば何とかなりますかね。『リリース』『フィンガーアロー』」

 

 グラフォスは本を吸うページめくると、手を止めて静かに詠唱する。

 本から現れたのは十個の魔法陣。

 

 グラフォスは魔法陣の出現と同時に本から手を放し、すべての指先をトレントキングの方に向ける。

 魔力の放出によって宙に浮いている本から出現した魔法陣はその形を保ったまま、グラフォスの両手の指にそれぞれ吸い付くように張り付く。

 いつものように魔法陣が霧散することはなかった。

 

「『リリースエンチャント』『パラライズ』」

 

 グラフォスの詠唱とともに一瞬魔法陣から黄金色の静電気が流れると、直後魔法陣の中心からそれぞれ二本ずつ指の大きさと変わらないほどの小さな矢が射出される。

 

 射出の直後魔法陣が霧散する中、グラフォスの指から飛び出していった小さな矢は小さく静電気のような放電をしながら、真っすぐとトレントキングへと向かっていく。

 

 トレントキングはその矢が胴体への接触を避けようとしたのか、それとも当然の防衛反応か四人に向けていた枝をグラフォスへと集中させると一斉に攻撃を開始する。

 

「それが狙いなんですよ」

 

 枝は小さな矢を払おうとぶんぶんと振り回していたが、こちらに関しては小回りが利く矢の方が有利だった。

 

 枝の攻撃をよけ続けると、枝の上部に向かって飛び一斉にそれぞれが枝に突き刺さる。

 その瞬間トレントキングの動きは一瞬止まり、同時に枝の猛攻も止まる。

 矢からは黄金色の電気が流れているのかぱちぱちと音を鳴らしている。

 トレントキングは静電気のような放電によりその体を動かせなくなっていたのだ。

 そしてそのまま枝を押し込み地面に固定すると、その場から動かなくなった。

 

「俺の出番だな! 待ちわびたぜ! 『紅蓮斬』」

「『ファイアエンチャント!』」

 

 グラフォスの後ろからトキトが飛び出すと笑みを浮かべながら刀を上段に構える。

 そのすぐあと、シャルがトキトに向かって杖を振ると、彼女が構えた刀の刀身に赤い炎がまとわりつく。

 

「待ってろよー!」

 

 トキトは叫びながら動けないでいる木の枝に上ると、それを駆け上がり本体へと急速に近づいていく。

 

 そして本体の真下まで来ると大きく飛び上がると、一気に刀を振り下ろした。

 トレントキングの頂点から切り下された刃は、トキトが落下する勢いのままトレントキングの本体の体を切り裂いていく。

 

 しかし地面に降りる直前でエンチャントが切れたのか、トキトの刀にまとっていた炎は見る影もなくなり、それと同時に弾かれるようにトキトの体がトレントキングからふっとばされる。

 

 吹っ飛ばされたトキトはすぐに体勢を立て直すが、それはトレントキングも同じ。

 最後まで真っ二つにされず、かろうじて体がつながっているトレントキングはつながっている箇所から見る見るうちに再生をし、元の状態に戻る。

 

 といっても体は燃えているし、再生のために相当量の魔力を使ったからかその体は先ほどよりだいぶ小さくなっていた。

 

「ち、もう少しだったのにな」

「さて、どうしましょうか」

 

 グラフォスが出現させた矢も消えさり、トレントキングの枝にも再び自由が戻る。

 

 二人は睨むようにトレントキングを見つめていたが、対する奴はまだまだ余裕だという表情でこちらを見つめてきていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44節 一進一退と繰り返し

 両者のにらみ合いは一瞬のことだった。

 

 即座にトキトが刀を構えなおし、トレントキングへと切迫する。

 トレントキングもそれに応戦する形で、枝を振り回しトキトの刀をかわす。

 

 属性付与がされていないトキトの刀ではトレントキングの皮とは相性が悪く、やはり傷を多くつけられているのは、トキトの方だった。

 

 しかし重傷を負わない限り、アカネの回復魔法によってトキトの怪我はすぐに回復する。

 

 そんな進展が見られない攻防が続けられていた。

 

「グラフォス君、さっきのエンチャント魔法、トキトにかけてあげられない?!」

「やったことはないですが……」

 

 他人に向けて自分の魔法を使用したことはない。あくまで自分が使用する前提でしか魔法を発動したことはなかった。

 

 まあそれはこれまでそういった相手もいなかったということもあるのだが……。

 グラフォスはあまり自信がなさそうにページを数枚めくると、本を構える。

 

「『リリースエンチャント』『ファイア』」 

 

 グラフォスは片手をトキトの方に向けて唱える。

 

 本から黄金色の文字が浮かび上がり、魔法陣を形成しようとするが、すぐにその文字たちは霧散して意味をなさなくなる。

 

「……『リリースエンチャント』『リーフ』」

 

 グラフォスは一瞬思案するような表情をのぞかせるがすぐにもう一度魔法を唱える。

 

 しかし結果は先程と同じ。

 

 トキトの刀に何かの魔法属性が付与される様子は見られなかった。

 

「無理みたいですね」

「そうなのね……」

 

 グラフォスはこの結果をある程度予想していた。

 グラフォスの魔法を使用するには使用する魔法に対する知識とイメージ力が一定量必要だ。

 

 自分に属性付与する感覚ならばこれまでのシュミレーションと実験からある程度のイメージをつけることはできる。

 

 ただしこれまで誰かに対して自分の魔法を使用するということに関しては、やったことがないどころか、()()()()()()()()()()()

 

 ぶっつけ本番でしれっと使えてしまうほど簡単な魔法ではなかった。

 

「俺が押し切ればいいんだろ!」

 

 トキトはシャルとグラフォスのやり取りが聞こえていたのか、その額に汗をにじませながら、より一層刀の振りを激しくさせる。

 

 トレントキングの枝が数本切り落とされるようなことはあるものの、それはすぐに回復する。

 

 しかし体内に保有している魔力の消費が激しいのかトレントキングの体はどんどん小さくなっているように思えた。

 そしてトキトも同様に傷を負う。

 

「『ヒール』」

 

 しかしトキトの腹がえぐれるたびに、腕が折れるたびにアカネの回復魔法が詠唱され、トキトの傷は一瞬で回復される。

 

 それは通常のヒールでは考えられないほどの回復量だった。

 

「僕も一つやるしかないですよね」

 

 進展しない状況にグラフォスも動き始める。

 やはりトレントキングに有効なのは炎。それは前回の戦いでも十分に証明されている。

 それならば今使える炎の魔法で最大の威力を叩き付けるしかない。

 

 グラフォスが攻撃している間にトキトに技の準備をしてもらって、一気に追い込みをかける。

 

 トレントキングの大きさは前回と同じかそれよりも小さくなっているくらいにはなっていた。

 

 前回と同様の攻撃でも同じように通じると、グラフォスはそう考えていた。

 

 新たに記載したページをめくり、前回の戦闘、そしてシャルと模擬戦をしたときのイメージを強く頭に思い浮かべる。

 

「『リリースクリエイト』『バーニング——』

『ソレハダメ』

 

 グラフォスの詠唱途中でトレントキングは魔力の流れの変化に気づいたのか、枝の一本をグラフォスの方に伸ばす。

 

 トキトも魔物のとっさの方向転換に対応できず、グラフォスはまともに攻撃を食らってしまう。

 

 高く上空に打ち上げられるグラフォス。

 

 一瞬で頭の中をかき回され、激しく揺らされる感覚に襲われ正常な思考などできるはずもない。

 

「グラフォス君!!」

 

 かすむ視界、揺れる頭の中でかすかに悲痛な面持ちでアカネが叫んでいるのが目に入る。

 

 あーこれはだめなやつだ。失敗したなあ。バカの一つ覚えで同じ魔法を使ったつけが回ってきた。

 

 耳に三人が必死に自分の名前を呼ぶ声が入ってくるのを感じながら、それを処理できずグラフォスはただただそんなことを考えていた。

 そして戦闘していた場所から幾分か遠く離れた場所でグラフォスは地面に激しくたたきつけられ、何回転かその場を転がりまわり、そして目の前が暗転した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45節 違和感と老人

 目が覚めると体を拘束されているような違和感を覚える。

 

「ん?」 

 

 自分の体をよく見ると、包帯で全身をぐるぐる巻きにされているようだ。

 体の身動きが不自由になるほどへたくそにまかれた包帯。

 

 先程つけたばかりなのかまだ体温に慣れていないそれは、ひんやりと冷えていてむしろ寒いくらいだった。

 なおかつグラフォスの体にほとんど傷などついていなかった。何のための包帯なのか全く理解ができなかった。

 

 グラフォスは自分の体の惨状を見て、ため息をつくと包帯へと手を伸ばす。

 別に怪我をしていないんだからこの包帯をしている意味もない。

 包帯をとりながら、改めて周りを見渡し今の状況を考える。

 

 どうやら木造の家の中らしい。ベッドらしきところに寝かされてはいるが、そこに布団のようなものは見当たらない。

 ベッドの隣にはグラフォスの物である白ローブや本が入ったリュックが置かれている。

 他に特に物が置かれているような感じもなかった。

 

 それに家の中は実に狭く、グラフォスが寝かされていたベッドだけで家の3分の2は消費している状態だった。

 

 そんな家の中を見て違和感しかない。なんだかちぐはぐな、人が住むには住みにくそうな、それにあまりに生活感がない。そんなふうに見えて仕方なかった。

 

「どうしましょうかね……」

 

 包帯を取り終えたグラフォスは乱雑に横におくと、自分の体を改めて確認する。

 あのトレントキングの攻撃が直撃したというのに、落ちた後転がったような記憶があるのに、異常なほどにグラフォスの体はきれいだった。

 打ち身一つ確認できないことに首をかしげながらも、それでもグラフォスは冷静だった。

 

「とりあえず書きますかね」

 

 むやみに外に行くのはよくない。

 もしこれが違法奴隷商とか盗賊とかの仕業だった場合、起きたことがばれると売り飛ばされる、あるいは殺される可能性がある。

 まあ周りの物もとられていないし、治療までしてもらっているようだからその可能性は限りなく低いだろうけど。

 グラフォスは隣に置かれていたリュックから本を取り出して、真っ白なページを開く。

 

「『ブレインライト』」

 

 黄金色の羽ペンを顕出させながら考える。

 書かなければいけないことは山ほどある。先程のトレントキングとの戦闘。

 シャルの呪術について、そしてトレントキングをどう倒すか。

 しかしそんな思考は家の扉を激しく開く音に遮られた。

 

「グラフォス君!」

 

 耳に飛び込んでくる聞きなれた、意識を失う前まで聞こえていた声。

 扉を大きく開いてグラフォスの方に飛び込んできたのは、涙目のアカネだった。

 

「アカネ? どうしてここに……って痛いですよ」

「大丈夫だよね? 本当に大丈夫なんだよね?」

 

 アカネはグラフォスの言葉も聞こえていないのか必死に体を触ってきて確認している。

 何が大丈夫なのかはわからなかったが、グラフォスは自分の体に傷一つない理由がなんとなく理解できた。

 

「アカネが治してくれたんでしょう? 大丈夫も何も、傷一つありません。ありがとう」

「よかったあ……」

 

 アカネはよほど安心したのか、もたれるようにグラフォスにもたれかかってくる。

 自分が魔法を使っただろうに心配しすぎなような気もするが……。

 

「アカネ? 大丈夫ですか?」

 

 あまりのアカネの必死さに逆にグラフォスが心配をしてしまう始末である。

 グラフォスはアカネにむやみに触れないように両手をあげて、周りをきょろきょろと見渡していた。

 アカネがいるということは一緒にトキトとシャルもいるはずだが、まだその姿を確認できていない。

 まさかアカネも森の中で二人とはぐれてしまったのだろうか。

 

「ほっほっほ。仲がいいのはいい事じゃな。無事そうで何よりじゃ」

 

 開け放たれた扉から現れたのは、トキトでもシャルでもなく杖を突いて腰の曲がった面識のないおじいさんだった。

 グラフォスとアカネの様子を見ながら現れたおじいさんは、微笑ましいものを見るように笑顔でこちらへと近づいてきた。

 

 はたから見ればアカネがグラフォスに抱き着いているように見えなくもないかもしれない。

 そんな状況になっていることに今更気づいたアカネは老人と目の前にあるグラフォスの体を交互に見て、そして顔を真っ赤にして焦ったようにグラフォスから離れた。

 

「ごめんねグラフォス君!」

「家、僕は大丈夫ですけど、そちらの方は?」

「なに、大したものではないよ。ここの近くに君が吹っ飛んできたからね。何かの縁だと思って招待したのだよ」

 

 おじいさんは朗らかに笑いながらそう話す。

 見た限りでは悪い雰囲気はないし、グラフォスを助けてくれた人ということだから盗賊の類でもないのだろう。

 

「ありがとうございます。看病もしてもらったみたいで」

「まあ看病する必要もないくらいそこのお嬢さんが治してしまったがな」

「そんな私は……」

 

 褒められているのにアカネは苦虫をかみつぶしたような苦渋の表情で下をうつむいている。

 そんなアカネの様子に首をかしげながらも目の前に座る老人に気になることを尋ねることとした。

 

「この子のほかに一緒にいた人とかいませんでした? 赤い鎧をつけた男みたいな女の人と、杖を持った女性らしい女の人なんですけど」

「グラフォス君その言い方は……」

「ほっほ。他の人も外でいるよ。君のことを心配していたみたいじゃったの」

 

 アカネは何か言いたそうにしていたが、グラフォスはそれを気にする様子もなくすっと立ち上がると歩き、外に出る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第46節 集落と滞在

 外は家が五軒ほど隣接して立ち並んでいる、村というには小さい集落のようなところだった。

 

 そしてその集落の中心にある広場のような場所で複数の子供を追いかけている赤鬼……トキトがいた。

 一見すればそれはまるで子供と戯れる優しいお姉さんだが、その追いかけている表情が問題だった。

 

 まるで親の仇、魔物を追い回すような、そんな顔をして必死に子供を追いかけまわしていた。

 あれは遊んでるんじゃなくて遊ばれてるんだろうなあ。子供たちは笑顔だし。

 あれだけの戦闘をしたというのにまだあれだけ走り回れるとはさすがだ。

 

 グラフォスはそんなことを考えながら周囲を見渡すと木陰に座り、呆れたようにトキトと子供たちの様子を見ているシャルの姿があった。

 目が合う形でグラフォスに気づいたシャルは、若干疲れた様子をにじませながらも手を振りながらこちらへと近づいてくる。

 

「無事なようで何よりです。倒したんですか?」

「まさか。グラフォス君が飛ばされてからすぐに撤退したのよ。撤退したっていうよりは君を追いかけたと言ったほうが正しいかしら」

「僕のことはほっといて、討伐してくれてもよかったのに」

「そんなことしたら隣にいる子に一生恨まれるわ」

 

 シャルが笑いながら指さす方を見ると、アカネが真っ赤な顔をしてふくれっ面でグラフォスの方を見つめていた。

 

「いや、でも倒せるならそうした方が良いんじゃ……」

「私はそんなことしません」

「いやでも……」

「はいはい。正直あのまま押し切るのは難しかったのよ。三人ともグラフォス君が直接攻撃を食らって少なからず動揺していたしね。それで離脱して追いかけたら、トレントキングも魔力回復を優先してくれたからここまでたどり着いたって感じね」

「そうなんですね」

 

 まあ実際討伐が終わっていなくてどこかほっとしたところもあるグラフォスである。

 トレントキング討伐の目的はもはや知識収集だけではなくなっている。二度も遭遇したにもかかわらず、倒し切れていないしむしろぼこぼこにされているのだ。

 できることならグラフォスも倒す瞬間に立ち会いたかった。

 

「それよりここは?」

「さあ、私たちも森の中はある程度把握しているつもりだったけどこんなところがあるなんて知らなかったわ」

「まだ森の中なんですね」

 

 てっきり森の外に出ているのかと思ったが、どうやらまだ森の中にいるらしい。

 いわれてみれば森から抜けたにしては周りにうっそうと生い茂った木が生えすぎているような気もする。

 

「これからどうしますかね……」

「トレントキングを追いかけるに決まってるだろ!」

 

 子供との追いかけっこが終わったのか話にトキトが割り込んでくる。

 息は切れていて汗だくだが、その顔はやる気に満ち溢れていた。

 広場にいた子供はまだ走り回っていたが、先程のような笑顔ではなく無表情だった。

 

「今から森に戻るのですかな?」

 

 トキトの提案に悩んでいると、横から話を聞いていた老人が四人へと声をかける。

 

「今からだと夜になってしまう。夜は魔物の姿が見えづらく、危険性が一気に高まる。よっかったら今晩くらいはここに泊まっていったらどうじゃ?」

 

 確かに老人の言うとおり、日は沈みかけており間もなく夜が訪れようとしていた。

 この中を夜に慣れていないグラフォスとアカネを連れて歩くのは難しいだろう。

 

「お言葉に甘えるのもありだけど……三人ともちょっとこっちに来てくれる?」

「爺さん、ちょっと相談してくるぜ」

「ほっほ。わしのことは気にせんでええぞ」

 

 てっきりその提案を受け入れると思っていたグラフォスだが、トキトとシャルは何やら含みを持たせたいい方で笑っている老人から離れて、集落のすみへと移動する。

 

「どうしたんですか、シャルさん」

「ちょっと気になることがあるのよね」

「気になること?」

「アカネちゃんとグラフォス君は感じない? ここの魔力の流れ」

 

 シャルに指摘されグラフォスは魔力を感じようと集中してみるが、特に変わったような印象はない。

 アカネも同じように魔力を感じ取ろうとしているようだったが、首をかしげているあたりピンと来ていないようだ。

 

「特に何も感じないですね」

「そう。あまりにも全体に流れすぎているのよ。人それぞれ持っている魔力の量は当然違うわ。だから街に行けば魔力の流れも全然違ったものになる。でもここは全員の魔力が均等すぎるのよ。この場所自体に流れている魔力に合わせるように、一定。気味悪いほどにね」

「トキトさんもそう思います?」

「あ? 俺には魔力とかそういうのは感じられないからな。ただここの奴らはおかしいなとは思うぜ。第一子供の足が速すぎる」

 

 さっきからしかめ面をしているトキトに向かってグラフォスは問いかけるが、トキトからは素っ頓狂な返事が返ってきた。

 最後の子供に関してはトキトの主観が入っているように思えて仕方ないが。

 

「ここにはなにかあるってこと?」

「正直微妙なところね。住んでいる人は普通ぽいし」

「でもあのおじいさんの言っていることも事実ですよね。これから森に行くとしても僕は役に立てないと思います」

 

 話しているうちに日は完全に落ち、あたりは暗くなり始めている。

 これ以上暗くなると魔物の捜索おろかそこに立っている木の根に躓いてしまうほどだろう。

 

「まあ警戒しつつ一泊させてもらうってところかな」

「野営するしかないわね」

 

 意見がまとまった四人は再び老人の元に戻る。

 

「話はまとまったかの?」

「ええ、お言葉に甘えてここで一泊させてもらうことにしたわ」

「よろしくな」

「かまわんよ。ただ四人が入れる家となると……」

 

 老人は困ったように周りを見渡すが、既に子供たちの姿もなく四人が入れるほどの大きさの家も見当たらなかった。

 

「トレントキングがまだ近くにいるかもしれねえからな。俺たちは護衛の意味も込めて、野営するよ」

「いいのか?」

「ええ、僕を拾ってくれた恩返しだと思ってくれれば」

「そうか。それならごはんくらいは用意しよう。うちに来ればいい」

「飯だ!!」

「トキトはしゃぎすぎ!」

「そういえばおなかすいたかも……」

 

 グラフォス以外の三人は老人の後をついてグラフォスが眠っていた家へと入っていく。

 しかしグラフォスは今の老人の返答に違和感を覚えていた。

 

 ユニークモンスターが近くに出るかもしれないっていうのに、それに対する返答が一切なかった。

 

 あくまで野営することへの確認だけ。魔物に関しては一切聞くことはなかった。

 こんな所に住んでいるから魔物の存在に離れているのかもしれないが、それでもユニークモンスターが気にならない住人はいないんじゃないだろうか。

 それによく見てみればこんな森の中に集落を作っているというのに魔物の侵入を防ぐような壁もなければ見張りの人すらみかけない。

 

 後でちょっと三人にも聞いてみよう。

 今はそれでぬぐえない違和感をごまかしながら、グラフォスも老人の後をついていくのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第47節 氷の料理と温かい食事

 老人に連れられるような形で家の中に入ると、ベッドの隣の小さな机の上に食事が用意されていた。

 

「すまんの、いつも一人じゃからそんな大したもんが用意できんのじゃよ」

「準備が早いな!」

 

 トキトの言う通り、老人から離れていたのはほんの数分。グラフォスたちが完全に目を離したすきに食事の用意をして元の場所に戻ってくる。

 そんなことが可能なのだろうか。

 用意されている食事は人数分の白パンと麺類のようだった。

 

「まあ遠慮せずに食べてくれ」

 

 小さな机を囲むような形で五人が座るが、さすがに狭すぎて互いの肩が触れ合ってしまっている。

 正直に言うと食べづらくてしょうがない体勢だった。

 

 しかしそんな状況でもトキトは特に気にしていないのか、隣のシャルに腕が当たるのも構わずに目の前のパンを手に取る。

 シャルの反対側に老人が座っているのだが、そっちの方にはうでどころか身体すら当たっていないのは、トキトなりの気遣いなのだろうか。

 

「なんだこれ、めちゃくちゃ冷たいな!」

「うちの特産品でな。凍らせているんじゃよ」

 

 パンを凍らせている? 

 あまり聞いたことない調理法にグラフォスは首をかしげながらも、自分は目の前のパンには手を付けずにトキトが食べる瞬間を眺めていた。

 

 しかしトキトがそのパンを口に含んだ瞬間、ガキっという音とともにトキトは口からパンを出す。

 トキトが持っているパンは小さな歯型が付いただけで、ひとかけらもかけることがなかった。

 

「なんだこれかったいな!」

「トキト! 失礼でしょ!」

「ほっほっほ。構わんよ。そんなに堅かったかの」

 

 老人は笑いながらトキトの言葉を受け流すと、自身もパンを取り口に含む。

 そして一瞬の間の後にものすごい音を発しながらかみ砕きながら、氷漬けのパンを飲み込んだ。

 

「コツを掴めば食えるもんじゃよ」

「ほんとかよ……」

「すごい……」

 

 老人は次にこちらも小さな皿に入った麺類に手を付ける。どうやら何かフォークとかスプーンを使うのではなく、手づかみで麺を掴んで食べるようだった。

 そしてこちらも口に入れるとそのあと氷をかみ砕くような音が口の中で響いている。

 

「まさかそれも凍ってるんですか?」」

「うちの食事は凍っているのが基本じゃからな」

 

 一体どういう生活環境で育てばそんな習慣が身に着くのだろうか。

 

「……せっかく用意していただきましたが、僕には食べられそうもないので、一足先に外に行っておきますね」

「じゃあ私も……」

 

 グラフォスは老人が用意してくれた氷漬けの料理を食べることをあきらめて、外に出ることとした。

 アカネも食べられないと判断したのかグラフォスと一緒に外に行くようだった。

 

 外に出る前、トキトとシャルの方をちらっと確認するとトキトはまだ老人が用意した料理を食べるのにこだわっているのか、パンと格闘していた。

 そんなトキトを見守るようにシャルもその場に座ったままだったが、食事に手を付ける様子はなかった。

 まあ子どもを見守るお守り役といったところだろうか。

 

 

 

 グラフォスとアカネが外に出て集落の端で野営の準備をしていたところ、トキトとシャルも外に出てきた。

 

「トキトさん、どうでした?」

「どうも何も全然食べられなかったよ。温めても口の中に入れてもあの氷溶けやしねえ」

「まああの氷は魔法で作られているぽいものね。食べられる方が不思議だわ」

「そうなの!?」

「なんで教えてくれねえんだよ!」

 

 アカネとトキトはシャルの突然の暴露に驚いたのか、目を見開いてそれぞれ反応を示していた。

 グラフォスはというと野営の準備が終わり、特にすることもなかったのでリュックからミンネが用意してくれた弁当を取り出していた。

 

「まああれだけ食事から魔力があふれてたらさすがに気づきますよね」

「そうね。トキトが馬鹿力で本当に食べようとしたらさすがに止めたけど、そんな感じでもなかったからね」

「言ってくれてもよかったじゃねえか」

「魔力の流れ、全然気づかなかった……」

 

 トキトとアカネは二人とも違う理由で落ち込んでいるようだったが、落ち込んでいる姿は実にそっくりだった。

 

「それで、どう思いました?」

「食事のことなら話したじゃねえか」

「そうじゃなくて、この集落のことですよ。食事もそうですけど、こんな森の中にあるのに見張りもいなければ防壁もないんですよ? それなのに魔物に襲われている様子もない。おかしいと思うんですよね」

「まあおかしいとは思うけれど、これだけ魔力が張り巡らされている場所だから魔物も近寄れないのかもしれないわね」

「でもトレントキングとかは好んでこういう場所に来そうだけど……」

 

 アカネの言う通り、トレントキングは魔力を取り込めば取り込むほど強くなるため、シャルの言う通りこの場所が魔力にあふれているのであれば、ここは格好の餌場に違いない。

 それなのにトレントキングがグラフォスたちを追いかけてくる様子はないし、トレントキングどころか夕刻から魔物を一体も確認していなかった。

 

「まあ他人の俺らが首突っ込んでも仕方ねえだろ。ここの人たちは困ってないみたいだしな。気味悪いっていうなら一晩休んで、朝一にさっさと出ていけばいい」

 

 トキトはグラフォスの隣にドカッと座りこむと、グラフォスの弁当を横からつまみ始めた。

 そんなトキトの発言と態度にほかの三人の緊張も弛緩し、グラフォスはアカネにもう一つの弁当を手渡した。

 

 アカネは弁当を開くとそれをシャルと一緒に食べるようだった。

 その光景を見ている合間にトキトはバクバクとグラフォスの弁当を食べている。

 確かによく考えてみれば朝から4人とも何も食べずにここまで来たのだ。腹が減っていて当然だ。

 

「それはわかるんですけど、さすがに食べすぎですよ」

「あ? この弁当が旨いのが悪い」

「なんて理不尽な……」

 

 アカネとシャルは二人で分け合いながら楽しそうに食べ、トキトとグラフォスは獲物の奪い合いのようににらみ合いながらミンネが用意してくれた弁当を食べるのであった。

 

 

 

「……フォス君! グラフォス君起きて! 大変なの!」

 

 アカネの悲鳴にも似た呼び声にグラフォスはゆっくりと目を覚ます。

 あの後四人で見張り兼野営をしていたが、どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 

 周りはすっかり明るくなっていた。

 そして寝ぼけた思考のままアカネの方を見ると、アカネは集落の方を指さして何か必死に訴えかけてきている。

 

「村の人たちが……それだけじゃないの!」

 

 グラフォスは意識を完全に覚醒させ、ゆっくりと起き上がると家が立ち並んでいる集落の方に目を向ける。

 

 グラフォスの目に入ったのはまるで先ほどまで行動していたかのような人々の、というか昨日まで普通に会話をしていた集落の人々の氷の彫像があちこちに並んでいた。

 人だけではない。集落の住人、家、物全てが氷漬けになっていたのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48節 緋音と音緒

 あまりの見たことがない光景にグラフォスの眠気は吹っ飛び、その場で立ち尽くしていた。

 

 直後、昨日氷漬けのパンを食べていた老人の頭が砕ける。

 

「なっ……」

 

「せっかくこの私が、私自らがおぜん立てしてあげたっていうのに、どうしてあんたは死んでないわけぇ? ねえ緋音ーー、答えなさいよー」

 

 頭のない老人の氷像の陰からゆらりと歩きながら姿を現したのは、アカネが着ている物と同じ制服を身にまとった青髪の少女だった。

 しかし少女というには周りにはなっている魔力があまりにおぞましくゆがんでいて、すさまじい冷気を放っている。

 

「音緒ちゃん……?」

「アカネ、彼女の知合いですか?」

「うん、元居た場所の同級生なんだけど……」

「私を放って勝手に話をしてるんじゃないわよ!!」

 

 アカネがネオと呼んだ少女が片手をふるうと、氷の刃が飛来してくる。

 グラフォスはアカネを抱えてとっさに横っ飛びによけた。

 

「私が魔法を使ってあげてるんだから、よけてるんじゃないわよ……」

 

 そんな理不尽なことをさも当然のように口走る彼女は、もともと整っていた顔なのであろうが、こちらに向けてくるネオの目の下には深いクマができていて、目がうつろになっている。

 動いているのにまるで生気を感じられない。

 

「まあいいわ……。緋音、私たちから逃げ出したと思ったらこんなところにいたのね。また男を引っかけてちやほやされてるわけ? この私を差し置いて、さぞかし気分がいいでしょうねえ!」

「私はそんなこと……」

 

「いっつもそう。私のことはだれも認めてくれない。私は全世界に認められる存在なのよ。私が存在していることをみんなが、全人類……いいえ生物全員が知るべきなのよ。それなのに、今この世界で私のことを認めてくれるのはクリート様だけ……」

 

 自分の手を見つめながらぶつぶつとしゃべっているネオは唐突にこちらから意識がそれたように感じられた。

 クリートとはいったい誰のことだろうか? さっきから胸につけた記章を大事そうに触っているが、それが関係しているのか?

 

「音緒ちゃん、どうしてここに……」

 

「なに? 私がここにいたら悪いわけ? まあいいわあ、教えてあげる。私優しいから。私は表世界の各国の視察をしてたのよ。そしてこの街に来たら、緋音とそこの白髪と少年が楽しくガキと話しているのが目に入ってね? たまたまよ、本当にたまたま。でもこれは何かの啓示だと思って、あの時あなたを殺しそこねたし? せっかくだからそこの坊主もろとも一緒に殺してあげようと思ったのよ」

 

 さっきまでうつむいてぶつぶつとしゃべっていたのに、今度はアカネに向かってやけに自信ありげな表情で話している。

 情緒が不安定すぎるような気がするけど、あの子は大丈夫か?

 

「私は考えたわ。どうしたら一緒に殺してあげられるか。魔物を放ってみたり、わざわざこんな場所まで作って、食べ物で毒殺しようとしたり。それなのに……」

「こんな場所って、この場所は音緒ちゃんが作ったってこと?」

 

「そうだって言ってるでしょう? 私が広場を作って、魔法で家を作って、人を創造したの。すごくない? 私ってやっぱり天才でしょ? それなのに結局魔物は言うこと聞かなくなるわ、人が作る料理は氷まみれだから食べられたもんじゃないわ……さんざんよねえ。もっと私の望む世界になるべきだと思うのよ」

 

「どうしてそんなに……」

「あんたが嫌いだからに決まってるでしょう!? いっつもいっつも私が必死に苦労してしもべにした男を横からかすめ取るような真似をして。向こうにいたころから嫌いで、いつか痛い目に遭わせてやろうと思っていたのよ!」

 

 ネオが顔をゆがめながら叫ぶと、その感情に呼応するように周りの家が、人が木っ端みじんに砕けていく。

 魔法で人を作り、動かしていた。そんなことが本当にできるとするのであれば、いやこの目で見たのだから間違いない。それは可能なのだ。

 一体どんな魔法を使ってそんな芸当が可能になるのか、実に気になる。

 

「しょうがないし、めんどくさいし、あんたごときを殺すために、こんなに頑張った私をあんたは認めるべきだから、私直々に殺しに来てあげたってわけ。感謝してよね?」

 

 一見すれば無邪気に笑っているように見えるネオの目は一切笑っていない。冷たい瞳でアカネのことを見つめている。

 

「私は、殺されない」

「はあ? 何生意気言っちゃってるわけ? 私が気持ちよくなるように殺してあげるって言ってるんだから、潔く死になさいよ! どうせ友達も仲間もいないんだから、あんたが死んだって誰も困らないでしょう!? それなら私があんたを殺して私が気分良くなる方がよっぽど合理的ってもんじゃない!?」

 

 ネオの感情はヒートアップしていき、それと同時に彼女の周りの魔力もどんどん凍りづいていく。

 彼女はおそらく氷に特化した魔法士。アカネが攻撃されたとしても、アカネ自身は回復手段しか持ち合わせていない。

 

「あの、怒っているところ申し訳ないんですけど、そろそろ僕も会話に混ぜてもらっていいですかね。できれば人を造る魔法について詳しくお伺いできると助かるんですけど」

 

 ネオの周囲に大量の氷のつぶてが浮かび上がり、今まさにアカネに攻撃を仕掛けようとしていた二人の間に、グラフォスが割り込むように歩を進める。

 

 そしてあまりの場に合わない言葉に、思わずアカネとネオは二人そろって口を開けてぽかんとした表情をのぞかせていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第49節 割り込みと近接戦

「あんた急に出てきて何言いだしているわけ?」

「いや、話している途中に割り込むな的なことを言われたんで、僕としてはおとなしく待ってたんですけど、さすがにもういいかなって」

 

 グラフォスは右手に本を構えて羽ペンで何か書き込みを行いながら、ネオと会話をしていた。

 

「あんたあたしのことなめてんの? それともその子にしっぽ振ってたら何かいいことでもあるわけ?」

「別に損得関係なしに仲間が危なくなってたら助けるのは普通じゃないですか」

「グラフォス君……」

 

 アカネは涙声でグラフォスの背中に話しかける。グラフォスはさも当然といった様子で無表情のままネオと相対していた。

 

「あんたたち私を差し置いていい雰囲気になってるんじゃないわよ! そういうのが一番腹が立つのよ!」

 

 ネオはそう叫ぶと、周囲に発現させていた氷のつぶてを一斉にグラフォスの方に飛ばしてきた。

 

「詠唱なし……」

 

 今のどこを見ていい雰囲気と判断したのかまったく理解できなかったグラフォスは一瞬首をかしげるが、そんなことを言っている場合ではない。

 

「『リリース』『ウォール』」

 

 グラフォスは本を手に持ちそれ自体を向かってくる氷のつぶての方に向ける。

 すると魔法陣がグラフォスの体の何倍もの大きさに広がり、壁を形成する前に氷のつぶてと相打ちとなり、魔法陣と氷のつぶては両方とも霧散した。

 

「なによそれ!」

「やっぱり発動途中に強制的にキャンセルされると魔力消費が激しいですね」

 

 当然だが魔法は発動しているときが一番魔力の消費が激しい。

 それを途中で妨害されると、魔法を形成するために使用していた魔力が周囲に漏れて、通常の倍以上の魔力を消費するのだ。

 

 しかしこれくらいの魔力量の消費であれば、グラフォスの魔力保有量からすれば大した問題ではない。

 

「いろいろと聞きたいことがあるんですけど、そんなことも言ってられないですよね。『リリース』『ファイアソード』『ライトニングソード』」

 

 グラフォスは本を元の位置である体の横に戻すと、手を離して魔力を浮かせる。

 そして魔法陣の顕出と同時に火を纏った片手剣と雷を纏った片手剣がグラフォスの手元に出現する。

 

「へえ、魔法剣なんて使えるのね。でも素直に攻撃なんてさせてあげるわけがないじゃない! 私がいつだって一番なのよ!」

 

 グラフォスが二本の剣を手に持った瞬間にネオは両手を頭上に掲げ、氷の塊を造り上げると、それをグラフォスにぶつけようと投げてくる。

 

 しかしグラフォスはファイアソードをふるい、それをいとも簡単に両断するとそのままライトニングソードをネオに向けてふるった。

 

「距離が足りない……」

「なあに? その攻撃は。ほんとに私と戦う気があるわけ?」

 

 グラフォスがふるったライトニングソードの攻撃範囲ではネオに当たらない。

 ネオは当たらない攻撃を見て余裕そうに笑っていた。

 

 相手の方が射程距離が長い。というよりもこれまでの攻撃を見ている限り、遠距離の魔法を好んで使用しているように見える。

 

「それならこっちが近づくしかないですか……。あまり自信はないんですけどね」

「グラフォス君、待って。『オートヒール』『ヒーリングシールド』」

 

 グラフォスが何かしようとしていると感づいたアカネが後ろからグラフォスに向かって魔法をかける。

 

 するとグラフォスの体にオートヒールを使用した時よりも分厚い緑色の魔力がまとわれた。

 

「ありがとうアカネ。助かります。『リリースサポート』『パワー』『スピード』『フライ』」

 

 グラフォスがアカネの方をちらっと見ながら詠唱を開始すると、本から三つの魔法陣が出現する。

 

 その魔法陣はグラフォスの体に巻き付くように移動すると、そのまま霧散する。

 その直後緑色の魔力に交じって、グラフォスの体を黄金色の魔力がまとわれた。

 

「緋音! あんた私には回復魔法使わなかったのに、その男には使うのね! どういうつもりよ!」

 

「グラフォス君は……仲間だから!」

 

「……へえ言ってくれるじゃない?」

 

 アカネの悲鳴にも似たそんな言葉を聞いたネオの額に目に見えて血管が浮き出ていた。

 

 今の発言で完全にぶちギレてしまったようだ。

 ネオは完全に目が座った状態でアカネとグラフォスをまっすぐ見据えると、先ほどグラフォスに向かって投げた物より大きい氷の塊を二つ自身の頭上に出現させる。

 

 しかしそれを黙ってみているグラフォスではない。

 グラフォスは軽くジャンプすると、その体は宙に浮きそのまま空中を蹴り、ネオの方へ高速で近づく。

 

 ほぼ一瞬でネオの頭上に到達したグラフォスは、そのスピードに乗った勢いのまま手に持った二つの剣を頭上に掲げそのまま振り下ろす。

 

 ネオが投げる前に氷の塊はグラフォスの手によって切り刻まれ、その姿がかき消える。

 

 そしてグラフォスはそのままネオの腕を切り落とそうと速度を増して地面に向かって落下する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第50話 膠着と激変

「なめてんじゃないわよ……!」

 

 ネオは一瞬青ざめた表情を見せたが直後顔を真っ赤にして、無表情で落下してくるグラフォスをにらみつける。

 

 グラフォスの剣はネオの腕には届かない。

 

 グラフォスは剣に何か阻まれたまま、体を半回転させると足を地面につける。

 ネオの方を見ると、ネオは両手をクロスさせていてその手には氷でできた短剣を握っていた。

 どうやらグラフォスの剣が接触する寸前に、短剣を出現させ攻撃を防いだようだ。

 

「今度は私の番よね?」

 

 ネオは力任せにグラフォスの剣を押し上げると、グラフォスの懐に向かって勢いよく飛び込んでくる。

 

 しかしグラフォスはそれをジャンプして空中に浮かぶことで回避すると、ネオの背後に立ち、逆にネオの背中めがけて二本の刃を突き出す。

 

 ネオは飛び込んだ後グラフォスがいなくなったことを瞬時に察知して、勢いのまま地面に転がる。

 そしてすぐに体勢を立て直すと、グラフォスに向かって短剣をたたきつける。

 

「別に近距離戦闘が苦手なわけではないんですね」

 

 グラフォスは必死に剣を体の前に構えることで、ネオの攻撃を防御すると攻撃に転じる。

 

「あたりまえでしょ。この私に苦手な物なんてあるはずがないわ」

 

 そう答えるネオの顔には自信が満ち溢れている。

 

 それから二人の一進一退の攻防が始まった。

 魔法属性の相性と回復魔法をかけてもらっているグラフォスの方が有利なように見えた。

 

 炎の剣で氷の短剣を溶かしたり、雷の剣で短剣の刃の部分を両断する。

 

 しかしそのたびに一瞬でネオは氷の短剣を再び顕出させ、グラフォスに奇襲を仕掛ける。

 

 浅い攻撃はすべてアカネがかけた魔力によって包み込まれるように防がれる。

 グラフォスの体に攻撃が通ることはあっても、それでできた傷もオートヒールですぐに回復する。

 

 攻防を見ている限りではグラフォスの方が有利なように思えたが、彼の方にも問題はあった。

 

 圧倒的にネオよりも基礎体力が低いのだ。

 

 サポート魔法で自分の能力を強化しているといっても、それは基本的にただの補助効果だ。

 

 近接戦では体力があるものの方が当然持久力に長けていて、有利となる。

 そんな近接戦に持ち込んでおきながらグラフォス自身の体力は、そして運動神経も圧倒的に戦士よりも劣っていた。

 

 グラフォスの攻撃は時間が経過するごとに雑になっていき、ネオの攻撃も通りやすくなっている。

 

 しかしネオの魔力量もグラフォスよりは圧倒的に低い。

 氷の短剣を出現させられるのにも限度があった。

 

 お互いの限界を感じ、自然と一度距離を取るような形となる。

 理由は違うものの二人とも息が上がっていて、顔から大量の汗が噴き出していた。

 

「はあ、はあ。これではらちがあきませんね」

 

 グラフォスとしては短期決戦で彼女を戦闘不能にまで持っていきたい。

 しかしそれをするには魔法詠唱の時間もなければ、近接戦で決着をつけられるほどの体力も残っていなかった。

 

 次の攻撃に関してグラフォスが必死に頭を巡らせている最中、対するネオはどこか上の空で何かをぶつぶつとつぶやいていた。

 

「どうして私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないわけ? 私こんなに頑張ってるのに……誰も私を認めてくれないじゃない。ほら見て、大事な大事な手だってこんなことになっているっていうのに……」

 

 誰に見せるわけでもなく頭上に掲げてうつろな目で見つめている彼女の手は、ネオが言う通り皮膚がはがれ血が滲みだして、それが垂れてきていて掲げている手の真下にあるネオの顔にぽたぽたとかかっていた。

 

 グラフォスの炎の剣を受けているときに焼けただれたのかもしれないし、そもそも氷をその手で握りしめているのだから短剣を振るう瞬間に皮膚がはがれていたのかもしれない。

 

「あーあ、私の綺麗なきれいな顔も血と汗で台無し。私ほんとはここまで頑張らないのよ? でも頑張らないと誰も認めてくれないから……こんなに頑張ってるのに……どうして誰も私を認めてくれないのよ!! もっと私に感謝しなさいよ! 私を認めなさいよ!! 私のことをもっと見てよ!!」

 

 ネオは突然激高すると、その場に膝から崩れ落ち号泣し始めた。

 血まみれの手で顔を覆っているため、彼女の顔はどんどん血にまみれていくがそんなことも気にしないぐらい、ただただネオは泣いていた。

 

 唐突な彼女の変化にさすがのグラフォスも戸惑うしかない。

 しかし戦闘中に敵そっちのけで泣き始めるというあまりに異常な光景に、彼女が次にどんな行動に出るのかわからず剣は構えたままだった。

 

「いったいなんなんですか。もしかしてこのまま引き下がったりしてくれませんかね」

 

 グラフォスは戸惑いながらもそう彼女に話しかけると、激しくふるえていたネオの肩が不自然なほどに突然止まる。

 

 

「ごめんなさいね。この子ったらすごく情緒不安定なのよね」

 

 

 一瞬誰がしゃべったのかわからなかった。

 それくらいに不自然な変わりようだった。

 

 目の前に座る彼女がしゃべっていると理解できたのは、こっちに向けた口元が動いていて、それに合わせて声が発せられていたからだ。

 

「んーー、よいしょ……」

 

 ネオはさっきまでとは一風変わった調子でその口元に笑みを浮かべたまま大きく伸びをして、ゆっくりと立ち上がる。

 

「待たせちゃってごめんなさいね? じゃあ続きを始めましょうか?」

 

 そういってネオは、いや目の前の女は血まみれのままの顔をこちらに向け微笑み、そして短剣を構える。

 

 その動作やしぐさ、言葉全てが気味が悪いほどに妖艶に映っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第51節 二重人格と近接戦

「どうしたの? 攻撃してこないの? じゃあ私から行くわね」

 

 あまりのネオの急変ぶりにグラフォスが動けずにいると、微笑んだままのネオは姿勢を低くして、そのままグラフォスの方に突っ込んでくる。

 そこで意識を戦闘に戻したグラフォスは両剣をクロスさせることでネオの攻撃を防ごうとする。

 

 しかしネオはそこからさらに姿勢を低くして、グラフォスのガードの下をかいくぐり、グラフォスの腹を両手に握った短刀で切りつけた。

 

「ぐっ……!」

「『リカバリーヒール』!」

 

 グラフォスは鮮血をまき散らしながらも即座にネオから距離を取り、追撃を免れる。

 直後背後からアカネの回復魔法が放たれ、深くえぐられたグラフォスの腹が傷のない状態に戻る。

 

「ごめんなさいね? 私魔法は苦手だけど、近距離戦ならあの子よりも自信があるの」

 

 あまりの違いに人が変わったかのように錯覚するが、姿かたちはさっきから何も変わっていないネオのままだ。

 ただ雰囲気や言動が違いすぎている。

 

「二重人格……?」

「なんですかそれ? というか彼女は昔からあんな感じだったんですか?」

「そんなことないよ! あんなの見るの初めて」

「あらあら、私を置いて話をするなんて、寂しいじゃない。私も混ぜてくれるかしら」

 

 その瞳に嫉妬のようにも見える視線を交えたネオが再び突撃してくる。

 防御してもリーチの長さを読まれてよけられて、攻撃される。

 それなら突っ込んできた勢いを利用してこちらから攻撃を仕掛けるしかない。

 

 そう判断したグラフォスは今度は両剣を防御に使うのではなく、ネオが突っ込んでくる方向を予測して剣を突き出した。

 

 それはあえて真正面ではなくグラフォスから見て斜め前の方向。

 

 ネオが横にそれるような動きを見せて、そちらに移動すると予測して剣を突き出した。

 

 しかしグラフォスの攻撃が当たることはない。

 

 ネオはニヤッと笑みを浮かべるとそのまま横っ飛びに大きくジャンプした。

 しかしネオの武器は短剣である。それであればリーチが足りず彼女が攻撃してもグラフォスには当たらない。

 

 そう思った矢先、ネオは空中で片手に構えている短剣をグラフォスの顔面目掛けて投擲してきた。

 

 しかし距離に十分に猶予がある。

 グラフォスは突き出した炎片手剣を無理やり引き戻すと、短剣に向かって剣を振るい、それを叩き落す。

 

 しかしその瞬間どうしても視界にぶれが起こり、グラフォスは一瞬彼女から視界が外れる。

 

 ネオにとってその一瞬は十分な物だった。

 

 地面に足を付けたネオは片足で再びジャンプして、今度はグラフォスの背後に回り込む。

 そして着地する勢いとともにもう片方の手に持っていた短剣でグラフォスの背中を切りつける。

 

「『パーフェクトヒール』」

「させてあげない」

 

 アカネが再び手をかざしてグラフォスの治療を行おうとするが、ネオの猛攻は止まらない。

 魔法が放出される前にネオは地面を蹴り、アカネへと切迫する。

 

「こっちも……させませんよ!」

 

 歯を食いしばりながら痛みに耐えたグラフォスは自らの体を半回転させて、その勢いのまま雷剣をネオに向かって振り切る。

 

 しかしネオもその攻撃に気づき、グラフォスの攻撃が当たる寸前で大きくその場にしゃがみ込み、その勢いで浮いた髪が少し縮れ切れる程度のダメージしか与えることができなかった。

 

「あら、乙女の髪の毛を痛みつけるなんて悪い子ね」

 

 そういいながらものんきに笑っているネオは、しゃがみ込んだばねを生かして、グラフォスの方へ跳躍する。

 

 しかしグラフォスも学んでいる。彼女から距離を取りながらギリギリの攻撃範囲のところで、大きく態勢を崩しながら両剣を再び振るった。

 

「それは愚策というものよ。ぬかったわね」

 

 それでもネオは笑う。

 

 空中に浮いているはずの彼女はどうやったのかさらに宙を蹴って、グラフォスの攻撃範囲より上空へと舞い上がったのだ。

 

 グラフォスは勢いのまま剣を振るったため、そのまま地面に腰から着地する。

 腰に追っている激しいダメージと地面に激突した痛みにより一瞬息が詰まるような感覚を覚える。

 

「じゃああなたに何の恨みもないのだけれど、私のために死んでね?」

 

 ネオは空中で体を半回転させると、落下する勢いのままグラフォスの心臓めがけて短剣を突き出す。

 

 グラフォスの切迫する瞬間、突如その場にキーンという音が響き渡り、グラフォスの真上に赤い影が落ちてくる。

 

「間に合った――!!」

 

 グラフォスの体をまたぐようにして現れたその影は、ネオの短剣を彼女が持つ細い刀身で受け止めていた。

 ネオは一瞬顔をゆがませて不快そうにしたが、短剣を押し出すことはなくそのまま体を半回転して、グラフォスと彼女から距離を取って着地する。

 

「大丈夫か?」

「なにやってたんですか……トキトさん」

 

 グラフォスをまたいでいた足をどけて手を差し出すトキト。

 その手を握り立ち上がるグラフォス。

 トキトはグラフォスの手を握ったまま、ネオの方へと刀を向ける。

 

「俺とも楽しいことしようぜ、お嬢ちゃんよ」

 

 ネオに向けるトキトの笑みは実に強く誇らしそうなものだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第52節 知識欲と承認欲

「『パーフェクトヒール』」

 

 トキトとグラフォスの全身に淡い緑色の魔力が降り注ぐ。

 グラフォスの背中の傷は癒え、少なくないケガを負っていたトキトの傷も癒える。

 アカネの方に視線を向けると、その瞳には確かな怒りが込められていた。

 

 アカネの気持ちはよくわかる。仲間が何度も何度も怪我を負っていたら、負わせている相手が目の前にいたら、その敵を恨みたくもなる。

 

「でも、アカネにそんな顔は似合いませんよ」

 

 グラフォスはトキトの手を離し、アカネの方へと体を向けて無表情で、でも優しい口調でそう言い放つ。

 

 アカネははっとしたような表情を見せると、自分の頬を触りそしてその顔を赤らめて弱弱しく笑った。

 

「グラフォス君はいつだって、グラフォス君だね」

「『速』『力』『飛』きゃ!!」

 

 アカネの背後から現れたシャルがトキトに呪術をかける。

 しかしその途中で杖についていた水晶が完全に木っ端みじんに砕け散ってしまった。

 

「もうこんなときに!」

「いや、シャル十分だぜ。やるぞ、グラフォス」

 

 トキトは何度か手を広げ握りを繰り返すと、再び両手で刀を構えてネオと相対する。

 グラフォスもアカネの返答に困ったような笑みを返しながら、意識を切り替えて再び彼女の方へと剣を構える。

 

 魔法剣の維持には魔力を注ぎ込む必要がある。これ以上戦闘が長引くとさすがのグラフォスの魔力量でも、魔力切れが発生する恐れがあった。

 

「あらあら、なんだか仲がよさそうだけど……気持ちが悪い」

 

 ネオはトキト、グラフォス、シャル、そしてアカネの顔をじっと見つめずっとその口元に浮かべていた笑みを消して、光のこもっていない目をこちらに向けてくる。

 

「でも、さすがにこれは分が悪いかしら。思ったよりも戻ってくるのが早かったわ。残念ながら私の出番はここまでね」

 

 ネオはそういいながら四人から距離を取るように後ずさりを始める。

 

「逃がすかよ!」

「『オートヒール!』」

 

 シャルの呪術によって、身体能力が底上げされたトキトはアカネの緑の魔力を纏いながら、一瞬でネオへと切迫する。

 

 しかしそんなトキトの足元に大きな魔法陣が描かれる。

 

「うわっと!」

 

 魔法陣の上にいるのは得策ではない。

 さすがにそれくらいはわかっている、いやただの直感かもしれないが、トキトはその場で急停止すると同時に後方へと大きく飛びのく。

 

 そしてトキトとネオの間に描かれた魔法陣の中心から小さな芽が芽吹く。

 

「まさか……召喚術!?」

 

 芽だったのは一瞬のこと。周りの大地がひび割れ、水分がなくなったかと思おうとその芽はどんどん育ち、枝を伸ばし、そして……それが姿を見せた。

 

「トレントキング……」

 

 地面から生えてきたのはトレントキングそのもの。まさかユニークモンスターを召喚できるというのか……。

 

「お楽しみはこれからよ」

 

 ネオは楽しそうにくすくす笑いながら、両手を地面に向ける。

 再び地面に描かれる魔法陣。

 

 ネオに攻撃を仕掛けようにも今一歩でも動けば、トレントキングのあの太い枝で一瞬にして体を貫かれる。

 四人とも動くに動けない状態になっていた。

 

 そして魔法陣から湧き上がるようにゆっくりと姿を見せたのは、見覚えのある薄青色の体毛に覆われた巨体。

 その口からはよだれが垂れており、おぞましさを演出しているがこちらに流れてくる空気はひどく冷たい。

 

「ジャイアントウルフもですか……」

 

 しかも二体。それはトレントキングを守るように両脇に一体ずつ配置されており、こちらをにらみつけてきていた。

 

「氷属性が付与されているのはきっとおまけね。本当にやさしいお方。いつだって私のことを考えてくれている。そう、私の出番は終わったけれど、何も諦めるわけではないわ。私を、私たちを認めない者なんて滅びてしまえばいいのよ」

 

 ネオはそういうともはや必要ないと判断したのか両手に持っていた短剣を地面にたたきつけて、割ってしまう。

 

「あなたはいったい、何者なんですか」

 

 グラフォスの率直な問い。目の前の状況を恐れるでもなく、怖がるわけでもなく、その場から逃げようとするでもなく、ただ気になるから、その一点でかけられた問いだった。

 

 そんなグラフォスの反応を見て、ネオは眉をしかめる。

 

「あなたこの状況でまだ私のことが気になるのね? もしかしてあなたは知識におぼれているのかしら。あの方を差し置いて知識欲に満たされようと、知識欲におぼれようとそんなふうに思っているのかしら。それは、ひどく不快だわ」

 

「知ろうと思うことはそんなに悪いことですか。僕は目の前に知らないことがあるなら、どんな手を使ってでもそれが何なのか知りたい。それはそんなにおかしいことですか」

 

 グラフォスは至極当然のように、真面目にネオと会話をする。

 ネオはそれを見てさらに口元をゆがめる。

 

 豹変してから一番負の感情が見え隠れしているようにも見えた。

 

「いいわ。あなたのその度胸に免じて教えてあげる。私は五大欲求『承認欲』の権化、ナギネオよ。私たちは満たされたくて満たされたくて仕方がないの。あなたならこの気持ちわかってくれるのかしら? でも残念。知識欲はいらないの。あの方だけで十分なの。だから早く私のために、私たちのためだけに、死んでね?」

 

 ネオは再び妖艶な笑みを浮かべると、急速に上空へと上がる。

 本格的に逃走するようだ。

 

「逃がすわけにはいきませんよ。まだあの方についても召喚術についても、何も教えてもらってない。全部教えてもらいます」

「もう遅いわ。遅すぎる」

 

 グラフォスは両手に持った片手剣を握ったまま両手を握る。

 

 炎の剣と雷の剣は融合するように形を合わせると、雷を纏った炎の剣が完成する。

 グラフォスは一点をただ見つめて、どんどんと上昇してその姿が小さくなるネオだけを見つめてその剣を構える。

 

「あなたの土俵に立った僕が間違ってました。行け」

 

 グラフォスは上空に向かって掲げた剣の柄を軽く押し上げた。

 それだけで紫電を纏った片手剣は、すさまじいスピードでネオの方へと向かっていく。

 

 ネオも当然逃げるようにスピードを上げる。

 

 一瞬鮮血が空中に弾ける。

 

「あらやだ。落とし物をしちゃったわ。まあいいわ。私のお土産、楽しんでね?」

 

 地面に何かが落ちると同時に遠く離れているはずのネオの声が間近に聞こえ、直後魔法剣が霧散するのが見えるのと同時に、ネオは上空から姿を消す。

 

「……逃げられましたか」

 

 グラフォスはただ残念そうに目の前に落ちたネオの片腕を見つめているのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第53話 一般級と王級

「とりあえずこれだけでも回収を……」

 

 グラフォスは目の前に落ちてきた彼女の腕を拾おうと手を伸ばす。

 

「危ない!『フライ』トキト!」

 

 グラフォスの目の前に突如迫る大きな枝。

 枝は一瞬で目の前の腕をからめとると、グラフォスからそれを大きく引きはがす。

 その直後グラフォスの視界が激しく揺れると同時に、横っ腹に鈍痛が走る。

 

「トキトさん?」

 

 高く宙に舞う中でトキトがグラフォスに向かって刀の柄を突き出していたことが理解できた。

 しかしトキトのすぐ頭上には二体のジャイアントウルフの牙が迫っている。

 

「『斬帰《ザンキ》』」

 

 ジャイアントウルフの牙がトキトの体に食らいつこうとする瞬間、トキトの視線はすでに二体の姿をとらえていた。

 

 目が鋭く光る。そして刀の柄を素早く持ち直したトキトの動きに呼応するように、赤い刀身が怪しく光る。

 そしてトキトは突っ込んだ勢いを片足で殺し、二体に向かって刀を横なぎにふるう。

 

 周りに響いたのは肉を切り裂くような音ではなく、硬いもの同士がぶつかり合った時のような鈍い音。 

 ジャイアントウルフは即座に自分の体に氷を出現させ、トキトの攻撃を防いでいた。

 

 しかし衝撃までは殺せない。

 

 トキトの攻撃を空中で食らった二体は、横っ飛びに飛びながらトレントキングの方に戻されていた。

 

 そしてグラフォスも地面に足をつける。

 直後頭に再度鈍い痛みが走る。

 

「馬鹿かお前は!! 死にてえのか!」

 

 頭上から聞こえてくるのはトキトの怒号。

 顔をあげるとトキトは肩を揺らしながら顔を真っ赤にしてこちらをにらみつけてきていた。

 

「それについては後でいくらでも謝ります。でも、今は、あっちが問題です」

「んなことわかってるけど……んな!?」

 

 トキトとグラフォスが再度三体の魔物の方に目を向けるとそこには異様な光景が広がっていた。

 

 トレントキングが高くネオの腕を掲げ、それに二体のジャイアントウルフがくらいついていたのだ。

 

 トレントキングの全身に血しぶきがかかる。

 それにもかかわらずどこかトレントキングは恍惚そうな表情で、頭上から降り注いでいる血を浴びていた。

 

 あの腕はネオの、召喚者の一部。

 召喚術は本で読んだ限りでは、召喚者に絶対服従になると記載されていたが、呼び出す対象があまりにも召喚者との戦力に差があると、ああいうふうに制御できなくなってしまうのか?

 

「三体の魔力が急激に上昇しているわ……」

 

 シャルは目の前の光景を気持ち悪そうに見つめながらそう呟く。

 

 確かにトレントキングは血濡れになっているくらいの差は見られなかったが、ジャイアントウルフの体毛はどんどん水色になっているようにも見えた。

 

 もしかしてネオはここまで想定して腕をわざと切り落とさせたとでもいうのだろうか。

 そんなに頭がいいようには見えなかったが、トキトを見ればわかるように戦闘において先天的なセンスを持ち合わせている者は少なからず存在する。

 

「どういう理由であれ、彼女はやはり情人ではありませんね」

「なんにせよ、早く止めた方がいいってことだろ!」

「僕も手伝います」

 

「ごめん私は魔力切れ起こしそう……」

「わ、私は……」

「シャルはゆっくり休んどけ。なーに、今までの総集編だろ? 任せとけ、ぼこぼこにしてやる。なあ坊主?」

「そうですね。アカネ、回復は任せましたよ」

「うん!」

 

 トキトはグラフォスに問いかけたと同時に腕に夢中になっている三体の中心地へと駆け出す。

 グラフォスもその様子を見ながら再び本を構える。

 

 先ほどの自分にかけた体力上昇の魔法はまだ持続している。魔力もまだ残っている。まだ全然戦える。

 

「正直リベンジマッチは望むところですからね」

 

 あの魔物たち、とくにトレントキングに関しては痛い思いばかりをさせられている。

 

 ここで一矢報いることができるのであればそれは本望というもの。

 

「この考え方だと僕は死ぬ前庭みたいになってしまいますね」

「グラフォス君は殺させないよ」

 

 グラフォスの独り言に力強く答えるアカネ。

 そんなアカネへの返答を頷きで返すグラフォス。

 

「遠慮なく俺から行かせてもらうぜ。『一閃《イッセン》』からの『凄烈斬《セイレツザン》』」

 

 トキトは腰を低くすると刀をトレントキングの根元に向かって一閃する。

 その後大きくジャンプすると未だに腕に食らいついているジャイアントウルフに向かって、素早く刀を二度振るう。

 

 それぞれの魔物はトキトの攻撃が切迫する瞬間に身をよじってよけたため、かすり傷程度の傷しか負わせることができなかった。

 

「ちぃ!」

「『リリースクリエイト』『炎上《バーニング》大剣《たいけん》』」

 

 出し惜しみをする必要は一切ない。そしてあの身軽なトキトであればこれを使っても避けてくれる。

 グラフォスはそんな確信をもって冷たい目線を魔物たちに向けて魔法を唱える。

 

 本から浮き出た魔法陣から顕出するは巨大な炎を纏った大剣。

 

 まだトキトが攻撃範囲内にいたがグラフォスは気にすることなく大剣を振るう。

 

 トキトが大きく跳躍した直後に魔物が炎に包まれる。

 それと同時に大剣が地面にぶつかった衝撃で砂埃が舞い、魔物たちの姿が隠れる。

 残るは炎の揺らめきのみ。

 

「これくらいじゃやられてくれませんよね」

 

 グラフォスの魔法が消失すると同時に、晴れていく砂埃。

 

 完全に目の前が見えるようになると、そこにはトレントキングを壁にし、自身は氷で防御を固めているジャイアントウルフたちの姿があった。

 

 トレントキングには多少攻撃は効いているようではあったが、致命傷ではない。

 そして食事の邪魔をされたからか、奇襲を受けたからか三体の魔物は気が立っている様子でこちらをにらみつけてきていた。

 

 駆け出し冒険者と岩等級冒険者の即席パーティ。

 それに対するはギルド指定討伐魔物、ユニークモンスターのトレントキングに、金等級魔物のジャイアントウルフ。

 

 誰が見ても絶望的な戦いが幕を開けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54節 免れぬ死と許されない死

「前から思ってたけど、グラフォスの技名、わけわかんないよな」

 

 跳躍してグラフォスの横に降り立ったトキトのそんな一言が耳に入り、さすがのグラフォスもむっとする。

 

「そんな顔できるんならまだいけるな!」

 

 トキトはニヤッと笑いかけると、再び魔物に向かって突撃する。

 もしかして今のはトキトなりの激励の言葉だったりするのだろうか?

 もしそうだとしたらあまりにもへたくそすぎる。

 

 戦闘中とは思えないほどの軽いやり取りを終えた二人はすでに次の攻撃の準備に入っている。

 

 グラフォスが本を構える中、トキトは果敢に刀を振るい攻撃を繰り出している。

 

 しかし魔物もそれを素直に食らってくれるはずがない。

 逆にトキトの攻撃を軽々とよけると同時にジャイアントウルフの凍てついた空気が口から吐き出される。

 

 シャルがトキトにかけたサポート呪術はまだ有効時間内。

 トキトは一切の油断を見せず、それを冷静にかわすとまた攻撃に転じる。

 

「『リリース』『ライトニングアロー』『ファイアアロー』」

 

 トキトが跳躍する瞬間を狙って、グラフォスもタイミングを合わせるように魔法を放つ。

 

 紫電の矢と紅い炎を纏った矢が顕現し、入り乱れながら魔物へと向かっていく。

 こちらは数が多いからかジャイアントウルフとトレントキングにヒットはしているが、それでも大したダメージを与えることができていない。

 

 しかしすでに三体の魔物に対してトキトとグラフォスが、地面に膝をつけていない、まだ立っていることが異常であった。

 

 本来であれば中規模なレイドパーティを組んでやっと倒せるかどうかの魔物である。

 そんな魔物と相対しながらも、トキトとグラフォスはほぼ互角に若干押されながらもまだ戦える余力を残していた。

 

「くそ、隙がねえ!」

「さすがにこのままだときりがありませんね」

 

 きりがないどころか先にトキトの体力、グラフォスの魔力が底をついて一瞬で食い破られて負ける。

 後ろにいるシャルもアカネもさすがにもうそこまで魔力の量は残っていないはずだ。

 

「シャル、俺にかけてる呪術はあとどれくらいもつ!?」

「あと10分ってところかしら」

「……上等じゃねえか」

 

 トキトはシャルの返答に口では余裕そうに答えるものの、その顔にはそれほどの余裕は見られない。

 トキトも内心焦っているのかもしれない。

 

「何か手はないのか!」

「少しだけ、少しだけ考える時間をくれませんか?」

「グラフォス君なにかあるの!?」

 

 何かあるかと問われれば、何もない。

 打開策も必勝法もまるで考えていない。しかしそれを見出さなければこの戦いに勝つことはない。

 

 勝てなければ死ぬ。

 

 それだけは実にシンプルで明確に出ている答えだ。

 

「俺はそういうの苦手だからな。任せたぞ、グラフォス!」

 

 トキトは再び駆け出す。

 しかしジャイアントウルフもトレントキングもいつまでも防戦一方というわけではない。

 

 トキトが三体のもとにたどり着く前に一体のジャイアントウルフがトキトが走る先に氷を張り巡らす。

 

 トキトはそれをジャンプすることでよけるが、ジャンプした上空のその先にはもう一体のジャイアントウルフが大きく口を開けて待っていた。

 

 突如目の前に現れたジャイアントウルフの牙をトキトはよけることができない。 

 とっさに刀をその構内に向かって突き出すが、ジャイアントウルフは空中とは思えないほどの華麗な身のこなしで、首を傾けその攻撃をよける。

 

 勢いのままにジャイアントウルフの真横に到達するトキトの腕。

 

 ジャイアントウルフはその腕を容赦なく食いちぎった。

 

 高く上空に舞うトキトの刀。その柄の部分にはちぎれたトキトの手がまだ柄を握ったままくっついている。

 

「あが……!?」

 

 回復の暇は与えられない。

 

 ジャイアントウルフが食いついてきた衝撃と、痛みによる体のねじりによってトキトはあおむけになり、地面へと落下していく。

 

 しかしトキトの体は地面に着地する前に再び宙に跳ねると同時に、鮮血が辺り一帯に飛び散る。

 トキトの落下地点から大量の根がトキトの体めがけて突き出してきたのだ。

 

 そして一切の防御ができなかったトキトは串刺し状態になる。

 鎧なんてあってないようなものだった。

 

 そして血まみれの根が引き抜かれ、おびただしい量の血だまりができている血の海の中に落ちるトキト。

 

 地面に転がった彼女の全身は穴だらけで腕がない、そんなトキトが動けるはずもなかった。生きていられるはずがなかった。

 

 それでもまだ彼女の手が持つ刀はまだ戦う意思をなくしていないかのように、宙に舞っている。

 

 そんな惨劇が目の前で行われる中、グラフォスはその光景を、ただ一点を見つめ、無表情で眺めて、思考を続けていた。

 

 少なからず動揺はした。しかしそんな動揺すらも今この瞬間には許されない。

 トキトが稼いでくれている一秒を無駄にするわけにはいかない。

 

 それにグラフォスには確信があった。

 

 あんな状態になってもきっとトキトは大丈夫。

 グラフォスの後ろには最高の回復士が存在している。彼女はいつだってグラフォスが死ぬことを許さなかった。

 

 きっとグラフォスだけではない。誰か大切な人が、仲間が、友達が、自分の目の前で死ぬことは耐えられない。

 そんな優しくて純粋な子が、目の前の状況を見逃すはずがない。

 

 そしてある意味無慈悲で、慈愛に満ち溢れた癒しの風がグラフォスの真横を優しく吹き抜けていく。

 

「『リペアヒール』」 

 

 後ろから小さく、しかしはっきりと力強い詠唱が聞こえてくる。

 

 トキトの体に食らいつこうとしていたジャイアントウルフたちが、彼女の魔力によって弾き飛ばされる。

 

 濃い緑色の球体に包まれたトキトが宙へと浮かび上がる。

 

 見たこともない、でも絶対に大丈夫だと確信が持てる。

 

 そんな魔法を放ったアカネの前では

 

「だめ……そんなの……私が、私が治す。『リカバリ―』」

 

 何人たりとも死ぬことは許されない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第55節 復活と創造

 トキトの体が緑色の球体に包まれて、宙に浮かび上がる。

 地面に滴り落ちていた血が球体の中へと吸い込まれて、トキトの体の中に戻っていく。

 

 そして球体がはじけ、再びトキトが地面に足をつけたとき彼女の体のどこにも傷が残っていなかった。

 

 しかしその一瞬の隙を魔物が見逃すはずがない。

 

 トレントキングは枝を伸ばし、ジャイアントウルフは再びトキトの体めがけててとびかかる。

 

「しゃら……くせえ!!『回転斬』」

 

 トキトは真上に落ちてきた自らの刀を軽くジャンプしてそのままつかむと、ジャンプした勢いで身をよじって刀を振り回す。

 

 ジャイアントウルフはそれをよける形となり、トキトから距離を開け、トレントキングの枝はトキトまで攻撃が届かない。

 

 そんなトキトの奇跡的な復活からの攻撃に転じた瞬間も、グラフォスは考え続けていた。

 

 ここで既存の魔法をぶつけても結果はきっと今までと同じ。

 あの魔物たちにそれが通用するとは思えない。

 それであるならば、一度目トレントキングと相対したときのように魔法を創造するしかない。

 

 でも創り出す魔法がどれがいいか。それが重要となる。

 

 グラフォスの後ろから回復魔法がトキトの方に飛んでいく。

 トキトも復活して善戦しているようだが、それでも傷を負うのは避けられない。

 

 それをもう限界であるはずのアカネが必死に回復魔法を飛ばして、トキトの傷を癒している。

 

 そんな二人が必死な状況の中、それでもグラフォスは二人を信じて考え続ける。

 三体の魔物を同時に倒せるような魔法。今の魔力量でそんな魔法が造り出せるのか?

 

 そもそも今までそういった魔法を使ってきてまともに勝ててきた試しがない。

 

 うぬぼれるな。

 

 グラフォスはトキトの方に目を向ける。

 トキトは未だに縦横無尽に魔物の周りを駆け回り、攻撃を繰り出している。

 

 攻撃がほとんど当たることはないが、回避力もそれなりに高い。

 アカネがカバーできるほどのダメージしか受けていない。

 

 グラフォス一人ではこの戦いに勝てているはずがない。

 

 あの三体の魔物どころか豹変したネオに襲われたときにトキトが助けに来てくれなければ死んでいた。

 これまでだってそうだ。

 

 アカネがいなければ最初にトレントキングと相対したときに、ぼこぼこの穴だらけにされて間違いなく死んでいた。

 シャルがいなければ、トレントキングから逃げることができず同じように死んでいた。

 

 グラフォス一人ではここまで生きていくことはできなかった。

 グラフォス一人で戦って勝てる相手であるはずがない。

 

 自分はあくまでトキトをサポートすればいいのだ。

 しかし自分にはエンチャント魔法を他人に付与することができない。

 

 一番なのは敵の動きを止めること。

 敵の動きを止めれば攻撃されることもなければ無防備になるから、こちらからは攻撃し放題。

 

 それがわかっているからこそシャルも敵の動きを止める呪術を使用していたのだ。

 グラフォスはそれ系統の魔法を思い浮かべる。

 

 敵の動きを見せる魔法は『ストップ』と『止』しか見たことがない。

 でもあれでは属性もちのジャイアントウルフには効果が薄い。

 もっと相手の動きを阻害するような魔法が必要だ。

 

 イメージしろ。

 

 グラフォスは目をつぶり、ひたすら魔法のイメージを構築する。

 これまで自分が収集してきた情報と創造力を集約させる。

 

 以前にも味わったこの脳が焼き切れるように熱くなる間隔は嫌いではない。

 知識の集約をしている実感がある。

 

 自分が『ヴィブラリー』でいた時間は決して無駄ではない。

 そしてグラフォスは静かに目を開け、魔力で浮いていた本を左手に持つ。

 

 黄金色の羽ペンが本の上を走りだし、そして唱える。

 

「我創造す。いかなる敵もそれには抗えず、攻撃の余地を与えず。闇はすべてを飲み込み、今、理を記す書より放たれる厳槌《いかづち》から決して逃げることは許されず。仲間を苦しめた罪の重さを知れ。『リリースクリエイト』『重力《グラビティ》本《ほん》』」

 

 羽ペンが白紙のページに文字を書き終えるとほぼ同時に、グラフォスは本を閉じてそれを思い切り振りかぶり、放り投げる。

 

 グラフォスが投げた本は黄金色の光を纏いながら放物線を描き、三体の魔物の中心地に落ちる。

 

「開け」

 

 グラフォスの一言で地面にぽつりと落ちている本は、まるで意思を持っているかのように黄金色の文字が光っているページが開かれる。

 

 そこから、魔物たちを囲うように四方と上空、地面に巨大な魔法陣が描かれる。

 そして次の瞬間、真っ黒な球体が三体の魔物とトキトを覆っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第56節 限界と魔力切れ

「うお!なんだこれ!」 

 

 トキトからすれば突然周りをドーム状に覆われ暗闇の中に放り込まれたのだ。

 驚いて当然である。

 

 しかしトキトの攻撃が阻害されるような感じではない。

 

 そしてジャイアントウルフとトレントキングにとっては例外である。

 突然現れたドーム状の暗闇に閉じ込められ、そして一気に体の自由を奪われる。

 

 急激にちょうどドームの中心地に落ちている本に吸い寄せられるような感覚に襲われたのだ。

 

 ジャイアントウルフは必死に抵抗して地面に爪を食い込ませるが、それすらもつめをはがしどんどん吸い寄せられていく。

 

 ならばと氷の冷たいブレスをあたりかまわずまき散らし始めるが、その魔力すら逆流し、ジャイアントウルフの体内へと戻っていく。

 

 トレントキングは即座に地面に根を張ったため、引っ張られていない。上半身が傾いているくらいで効果は薄いように思えた。

 

 しかしジャイアントウルフが十分引き寄せられたところで再び異変が起きる。

 

 本から紫電がジャイアントウルフ、そしてトレントキングを縛るように幾本も飛び出してきて、魔物たちを縛り付けるように体に巻きついてきたのだ。

 

 見た目的にはかなり細く耐久度がなさそうな形をしているが、トレントキングは伸ばしていた枝ごと胴体に巻きつかれ一瞬で身動きが取れなくなっている。

 

 そしてジャイアントウルフに限っては引き寄せられる力と、紫電の拘束によってほとんど身動きが取れない状態だ。

 

 これで三体の魔物の攻撃手段は封じられている。

 

 ジャイアントウルフは自分が放ったブレスが逆流したことで、体内が軽く凍りついたのか苦しそうに息をしている。

 

「トキトさん! いまです!」

「グラフォスの仕業か! やっぱりやるじゃねえか。あとは俺に任せときな!『襲舞絶斬《しゅうぶぜつざん》』」

 

 トキトはグラフォスの声が聞こえてきた方向に向かってにやっと笑うと、ほとんど本にくっついてしまっているジャイアントウルフに向かって刀を構える。

 

 そしてそれは一瞬であった。

 

 一度致命的なダメージを受けているはずのトキト、鎧などぼろぼろでほとんど意味をなしていないそれを着ている彼女は、もうすでにサポート魔法の効果は切れてしまっている状態になっていた。

 

 それでも彼女のスピードは凄まじかった。

 

 勢いよく地面をけったトキトはジャイアントウルフに切迫すると、そのまま中段に構えていた刀を振り切る。

 

 しかしジャイアントウルフの皮膚は意外と固くできているのか、刃が貫通することはなく、そして切り裂くこともなく、浅い傷をつけるのみで終わる。

 

 しかしトキトはそれだけでは終わらない。

 

 動けないでいるジャイアントウルフとトレントキングの周りを縦横無尽に駆け回ると、その体を幹を切りつけていく。

 トレントキングに限っては伸ばしている枝を切り落とせるほどのダメージは与えていた。

 

 それはまるで周りが激しい重力に襲われて身動きが取れないなか、一人その重力の中で踊っているようにも見えた。

 

「これでもまだ押し切るには攻撃力が足りませんか……」

 

 トキトが圧倒的に有利な状況になったものの、倒しきるまではいかない。

 このままではグラフォスの魔力が切れて魔物たちに再び自由が戻れば、トキトは劣勢に追い込まれる。

 

 今度はトキトだけではない。そのあと他の三人も確実に殺しに来るに違いない。

 

 グラフォスは再び考える。

 ここで自分も攻撃に加わる必要があるが、攻撃魔法を繰り出した瞬間にあの重力のドームは消えてなくなることになる。

 それでも紫電の痺れ効果によって少しの間は攻撃の足止めができるかもしれない。

 

「かけるしかない。そして持ちこたえてくださいよ。僕の魔力」

 

 一日に三回も創造魔法を使用したことがない。というか初めて使用してからそんなに月日もたっていない為、シュミレーションも検証も何もできていない。

 

 それでも今それをやらなければあの魔物に勝つことはできない。

 グラフォスは少し遠くに落ちていたリュックを引き寄せると、その中から一冊の本を取り出した。

 

「『ブレインライト』」

 

 そしていつものように白紙のページを開き、羽ペンを顕出させる。

 本は大量にあるし白紙のページもいくらでもある。

 

 幸いグラフォスは魔力量だって普通の人の何十倍も持ち合わせている。

 後はグラフォスの体が、頭が、耐えられるか。創造できるか。ただそれだけ。

 

「我創造す。如何なる硬体も貫き、再生を持って癒しを受けることは許されず。想いを乗せた風はいかなるものにも邪魔されず、ただ一点に目の前の敵の意志を打ち砕け。『リリースクリエイト』『翡翼《ジェイドウイング》大弓《たいきゅう》』くっ……」

 グラフォスは魔法の詠唱を終えて、本に魔法陣が浮かび上がると同時に地面に膝をつく。

 

 鼻や口からは血が漏れ出している。 

 体の中が空っぽになりかけている虚無感に襲われ、自分の体なのにそれは鉛のようにまるでいうことを聞いてくれる様子がない。

 

「これが……魔力切れ……」

 

「グラフォス君もトキトも頑張ってるのに私がへたってる場合じゃないわ!『バーニングエンチャント』! トキト、グラフォス君やっちゃって!」

 

 朦朧とする意識の中、後ろからシャルの力強い言葉と詠唱が聞こえ、グラフォスは意識をはっきりとさせる。

 

 そして本から浮かびあがった魔法陣から巨大な弓が顕出されると同時に、シャルがかけた魔法によってトキトの刀身が大きく燃えあがった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第57節 それはいずれ語られる英雄の一撃

 トキトが刀を掴み、トキトの全身が燃え上がる。

 一瞬あまりの火力にトキト自身も灰と化すのではないかと思われたが、エンチャント魔法の効果によって、トキト自身にダメージが入っているような感じではない。

 

 そして魔物がそちらに気を取られている瞬間に、グラフォスは片膝でたち、三体の魔物めがけて大きく弓を引き絞るような動作を取る。

 

 その動作に合わせて、本の上に大きく顕現した弓の弦が引き絞られていく。

 

「……いけ」

 

 かすれた声で血を吐きながら、限界まで引き絞った状態で指を開くグラフォス。

 瞬間、弦が跳ねると同時に大きな矢が出現し、まっすぐと勢いよく重力ドームの方へと向かっていた。

 

 そして重力ドームに矢がふれた瞬間、矢は三本に分かれ、ドーム状に広がっていた魔法陣は大きな音を立てて霧散する。

 

 魔物の体に自由が戻ったのも一瞬。いや、本から射出されていた紫電によって体の自由を奪われていたため、まだマヒ状態のようになっていてうまく体を動かすことができていなかった。

 

 矢は急加速すると三体の魔物の上空に上がる。

 

「射せ」

 

 そしてグラフォスの一言を待っていたかのように、三体の魔物の胴体に、トレントキングに限っては頂点から矢が突き刺さる。

 

 ジャイアントウルフの胴体を貫通して、大きく体を曲げる二体の魔物。口からは冷気と共に苦しそうなうめき声をあげている。

 

 そしてトレントキングは頂点から幹にかけて大きく二つに断絶させられていた。

 しかし三体ともかろうじて息があった。このままジャイアントウルフは息絶えたとしても、トレントキングは再生能力を用いて回復されてしまう。

 

 しかしグラフォスは一切の心配をしていない。

 

 赤く燃え上がり、熱量により髪が逆立ったまま視線だけは冷たく魔物たちを見つめるトキトの姿。

 

 そんな彼女の姿が目の前にあるのに不安になる要素がどこにもなかった。

 

「トキトさん、頼みます」

 

 グラフォスは自分の口にじゃりっとした感触があることに気づき、自分が地面に突っ伏していることに今更ながら気づく。

 

 当然と言えば当然。魔力がかすかすの状態で、立っていられる人間など存在しない。

 意識があるだけでも十分に異常なのだ。

 

 普通の人間であれば、血反吐を吐き鼻血を垂れ流し、血の涙を流しながら気絶している。

 以前のアカネが実際にそうなっていた。

 

 しかしグラフォスは自分が気絶することを許さない。

 

 それも当然。今から目の前で見たことがないようなことが行われるというのに、そんな興味深いことが繰り広げられるのに気絶して、それを見逃すなど何があっても許される行為ではない。

 

 グラフォスはもはや気力だけで意識を保っていた。

 

 そしてそんなグラフォスの期待に応えるように、トキトは大きく刀を振り上げる。

魔物たちも抵抗しようとしているが、まひのダメージと先程のグラフォスが放った矢のダメージが大きく弱弱しく立って防御の構えを見せるのみだった。

 

 そして魔法を使用しないはずのトキトの口から静かに言葉が紡がれる。

 

「咲け。彼岸の花『紅蓮裂花衝《ぐれんれっかしょう》』」

 

 トキトはその場を動くことなく、大きく頭上に掲げた刀を振り下ろし刀身を地面に突き刺す。

 

 そしてトキトの体を纏っていた炎が全て刀へと流れていき、そしてそのまま地中へと流れていく。

 

 グラフォスの倒れている地面からも熱量を感じるほどの激しい熱。

 しかしグラフォスはそれを感じて痛いとは思わず、むしろ暖かい、優しいけれどどこかせつない。そんな感覚を感じていた。

 

 三体の魔物のうち最初に変化があったのはトレントキングだった。

 

 トレントキングの根から胴体が突然大きく燃え上がったのだ。

 燃え上がった炎は鎮火することもなく、むしろどんどんトレントキングの体全体を包み込むように駆け上がっていく。

 

 トキトはそれを確認すると静かに刀を地面から引き抜いた。

 

 するとトキトを中心をした周りの広範囲に断続的に曲線を描いた炎が地面から吹き出す。

 

 その噴出した炎を魔物はよけられるはずもなく、ジャイアントウルフ、トレントキングともどもに体が炎に包まれていた。

 ジャイアントウルフは必死に氷を体にまとってカバーしようとしているようだが、そんな弱弱しい魔力ではトキトの攻撃にかなうはずがなかった。

 

 その炎の攻撃は遠目から見るとシン婆の店で見た、アカネにプレゼントした装丁の本の表紙に刺繍されていた、あの赤い花のように見えた。

 

「あれは……」

「きれい」

「大満足です」

 

 それぞれがトキトが放った攻撃を見て思い思いに言葉を発する。

 

 アカネは息をのみ、シャルはうっとりしたように、グラフォスは満足げに微笑みながらその光景を見ていた。

 

 誰も見たことが無いような魔法、攻撃。

 おとぎ話でしか聞いたことが無い、それこそ英雄のみが使えるといわれているエンチャント魔法を応用した大規模大火力の攻撃。

 

 それは無慈悲に敵を排除し、味方には優しさと力強さと興奮を与える、そんな攻撃。

 

 トキトは英雄になりえる存在なのかもしれない。

 ぶっつけであんな攻撃が使えるなど、いくらシャルとの信頼性が高いからと言って、いきなりあんな攻撃はできない。

 

 ギルドの奴らは見る目が無いな。

 

 噴き出た炎が収まり、上空からきれいな紅色をした雨が降り注ぐ中心に立つトキトを見て、グラフォスはそんなことを考えていた。

 

 そしてもちろん攻撃の中心地にいた魔物たちの姿は跡形も残っていない。

 

 三回目にしてようやく、グラフォスたちはトレントキングとの戦いに勝利という形で幕を閉じることができたのだ。

 

 全員ぼろぼろである。

 トキトは自分の刀から炎が完全に消え失せた瞬間に、その場で膝をつき、シャルもたっているのがやっとといった状態だ。

 

 グラフォスに至っては、魔物が消えたこと、トキトが使用した攻撃を確認したことに満足したのか、その顔に笑みを浮かべながら血まみれの状態で気絶している。

 

 アカネがそんなグラフォスのもとにゆっくりと近づくが、魔力消耗の影響で気絶している人間に対して回復魔法は使えない。

 アカネの魔力を譲渡しようにも、これ以上アカネも魔力を使用するとぶっ倒れるに違いなかった。

 

 アカネはふとグラフォスの傍らにある無造作に開いている本に目を向ける。

 

 グラフォスは気絶していて、魔力もほとんど残っていないはずにもかかわらず、そこには本の白紙のページにせわしなくペン先を動かす黄金色の羽ペンの姿があった。

 

 アカネはそんなグラフォスの興味への執着心に思わずくすりと笑いながら、彼の方に身を預ける。

 

 何はともあれ四人は絶望的な、勝てるはずのなかった戦いに勝利をした。

 楽な戦いではなかったし、一度トキトに至っては死んでいるが今は全員生きている。

 

 それだけの事実があれば十分だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58節 起床と帰ってきた日常

 嗅ぎなれた紙の匂い。

 

 グラフォスの意識が戻ってから最初に感じた物がそれだった。

 ゆっくりと目を開けると見知った風景と、最近知った女の子の姿が目に入る。

 

「アカネ……」

 

 寝ている感触は毎日感じている当たり前の布団の感触。 

 グラフォスはそれらの感覚を経て、今自分が自室で寝かされていることに気が付いた。

 

「ん……グラフォス君……」

 

 アカネは寝ているグラフォスの体に頭を預けるようにして、眠りこけている。

 眠っているその表情は安らかで、でもどこか不安そうで眉間にしわが寄っていた。

 

 一体どれくらい眠っていたのだろう。

 アカネも魔力かつかつで疲れているはずなのに、ずっと隣にいたのだろうか。

 

 グラフォスは体を起こしながらそんなことをぼんやりと考える。

 

「フォス!!」

 

 どこか穏やかな気持ちでアカネの寝顔を眺めていると、突然グラフォスの耳に聞きなれた声が飛び込んでくる。

 突然の大声にグラフォスの肩が跳ね、声の主の方を見る。

 

「ミン姉……」

「なに、びっくりしてるんだい。もしかしてアカネちゃんに何かしようとしたんじゃないだろうね!」

「してませんよ!」

「うん……? ミンネさん……?」

 

 目ざとくびっくりしたグラフォスの行動に目ざとくミンネが突っ込むとグラフォスもそれに応戦する。

 

 そんな二人のやり取りの中アカネがゆっくりと目を覚ました。

 

「おはようございます。アカネ」

「……グラフォス君! 大丈夫!?」

 

 アカネはグラフォスと目があい、状況を理解するとその目を大きく見開き、グラフォスの体をペタペタと触り、安否確認をしてくる。

 

 あれ、こんな展開前にもあったような……?

 

「ぼ、僕は大丈夫ですから、アカネの方こそずっとついててくれたんですか?」

「そうだよ! アカネちゃんに感謝しなよ。この子も疲れてるはずなのに丸一日眠っているあんたについててくれたんだから」

「私は! あの時何もできなかったから、これくらいは当然だよ!」

「それはないでしょう」

 

 グラフォスはアカネの謙遜に苦笑いで返す。

 

 あの戦いでアカネがいなければ少なくともトキトは死んでいたし、グラフォスも無事ではなかった。

 アカネがいなければあの戦いに勝つことは間違いなくなかった。

 

「積もる話もあるだろうし、フォスも気になることが山ほどあるんだろうけど……」

 

 そんな二人のやり取りを見ながらミンネはあきれたように笑いながら、話しかけてくる。

 

 確かにあの時聞けなかった、知りたいことは山ほどある。アカネのことを知っていた様子であるネオとのことや、ネオが言っていたあの方とか……。

 そもそもあんな満身創痍の状態でどうやって街まで戻ってこれたのか。

 

「その前に腹、減ってるだろう? 二人とも飯にするよ」

 

 ミンネの言葉にグラフォスとアカネは二人そろってお腹を鳴らすのだった。

 

 

 

「それで、私がフォスとアカネちゃんに出かける前に何言ったか、忘れたわけじゃないだろうね?」

 

 二人ともミンネのご飯にがっつき、腹が満たされくつろいでいたところ、不意にミンネからそんな一言を投げかけられる。

 

 グラフォスとアカネの顔が曇る。

 

 もちろん忘れてなんかいない。 

 ミンネは出かける前にグラフォスたちに「死ぬんじゃない」と言われた。

 ふたを開けてみれば確かに生きて帰ってこれている状態ではあった。

 

 でも今は元気になってるとはいえ、きっと帰った直後はアカネはボロボロでグラフォスに至っては血だらけで気絶している状態だった。

 

「全く二人とも……」

 

 グラフォスとアカネはそろって身を縮こませながら、うつむいたままミンネの続く言葉を待っていた。

 

 きっとグラフォスたちが思っている以上にミンネに心配をかけたに違いない。一晩帰ってこなかったわけだし、帰ってきたと思ったら二人ともボロボロ。

 

 怒られて当然だ。

 

 グラフォスはそう思い、ミンネの怒りを受け止めるつもりでいた。

 

「よく帰ってきたね。よくやった」

 

 しかしそんな二人の考えに相反してミンネの口から続く言葉は、とても優しく体全体を包み込んでくれるようなそんなものだった。

 

 そしてグラフォスとアカネの頭に優しく大きな、でも細いミンネの手が乗せられる。

 

 撫でられているわけでも殴られたわけでもない。

 ただ頭に手を乗せられただけなのに、その手はとても暖かくて、ミンネの感情が伝わってくるようなそんな感覚を覚えた。

 

「ミン姉、心配じゃなかったんですか?」

 

 グラフォスはあまりの予想外のミンネの行動に思わず顔をあげて、そんな問いを投げかける。

 その瞬間ミンネの表情が豹変する。

 

「フォス、あんたはバカなのかい!? 心配しないわけがないじゃないか! 一晩帰ってこなかったんだよ? あんたたちは! 朝送り出したことを死ぬほど後悔したし、私も森に出向こうとした。まあドリアちゃんに止められちゃったけどね。それで帰ってきたと思ったら、アカネちゃんは気絶寸前フラフラの状態で、フォスは気絶してるじゃないか。心配しすぎて私が先に死んじまうかと思ったくらいだよ!!」

「そ、そうですよね」

「グラフォス君のばか」

「す、すいません」

 

 立ち上がって物凄い剣幕で顔を近づけてきたミンネと、あきれたようにこちらを見つめるアカネの両方から責められるグラフォスである。

 

 確かに昨日のミンネの言動を受けて心配をしなかったのかなんて質問は愚問すぎた。

 それはグラフォスでもわかった。まあ分かったところで発言してしまっているので、もう後の祭りではあるが。

 

「まあそれでも」

 

 ミンネはグラフォスとアカネから手を離し、自分の椅子に深くもたれかかりながら言葉を続ける。

 

「あんたたちは家に帰ってきたじゃないか、ちゃんと。私との約束したことは守ったわけだ。話は聞いているけど、実際はもっと凄惨で絶望的な経験をしてきたんだろう? それこそ死んでしまうんじゃないかってくらいの。それでもあんたたちはちゃんと帰ってきた。私からすればそれだけで十分よくやったって、そう思えるのさ」

 

 ミンネははにかむように二人に笑いかけ、そして照れくさそうに立ち上がると、二人の後ろに回り込み雑に頭を撫でた。

 

「さて、私は片付けするからね。お二人さんはお好きにどうぞ」

「ミン姉」

「なんだい?」

 

「ただいま」

「ただいまです!」

 

 

「あいよ、おかえり」

 

 

 今ようやく本当にあの戦いが終わった。

 

 グラフォスはいつものように軽く返してくるミンネの姿を見て、本当の達成感に包まれていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59節 あの後とこれから

「それであの後どうなったんでしょうか」

 

 ミンネが食器等の片づけを行い、グラフォスとアカネが水を飲みながら落ち着いていたころ、思い出したようにグラフォスがアカネへと話しかける。

 

「私もぼんやりとしか覚えてないんだけど、あのあと他の討伐パーティ……あの槍の人が率いていた人たちだったと思うんだけど、その人たちが来てくれて、なんとかグラフォス君たちを担いで町まで戻ってこれたっていう感じかな」

「なるほど……」

 

 確かにあの時ギルド指定の討伐依頼を行っていたのは何もグラフォスだけではない。

 

 少なくないパーティが森の中にいて誰一人あの広場を見つけられないというのもおかしな話だ。

 

「それにしても戦いが終わった後に来るなんて、タイミングが良いですね」

「なんか突然目の前に開けた場所が現れたみたいだったって言ってたよ。シャルさんが言うには、あそこに不可視の結界魔法でも展開されてたんじゃないかって」

「あの均等な魔力の正体はそれですか」

 

 シャルが言っていた場所全体の均等な魔力についてはその魔法展開がされていたことが原因。

 

 人までも同じ魔力量を保有していたのは、あれはそもそも人ではなくてネオが魔法によって造り出した物だから同じ魔力を持っていた。

 

「そういえばトキトとシャルさんは?」

「あの二人はギルドの二階に運ばれたみたい。シャルさんもトキトさんも気は失っていなかったから、今はどうなっているのかはわからないけど……」

 

 どうやら二人もなんともなく無事なようだ。

 

「あの二人は僕が起きたとき周りにいなかったようですけど何してたんですかね?」

「あーそれは……二人に直接聞いた方が良いかも」

「そうですか?」

 

 アカネが何かを思い返したのか応えづらそうにしている様子を少し首をかしげてみていたグラフォスだが、確かにまだギルドにいるかもしれないし、いなくても街中を探して二人に聞いてみればいい話だ。

 

「『ブレインライト』」

 

 グラフォスはおもむろに手に抱えたままになっていた本を机の上に置くと、記載を始める。

 

「そういえばグラフォス君気絶してもそのペンは動いてるままだったけど、何を書いてたの?」

「……全く記憶にありませんね」

 

 アカネの苦笑した顔をちらっと見て、グラフォスは首をかしげながら開いた本の前のページを開く。

 

 そこにはあの時のトキトの戦闘の様子や、シャルとアカネが使った魔法、ネオが行ったことなどが詳細に描写されていた。

 

「無意識であれは残すべきだと、そう判断したんでしょうね」

「すごいね……」

「まあこれはさておき、ネオが言っていたあの方とはいったい誰のことなんでしょうか」

「それは……」

 

 グラフォスの純粋な問いにアカネは眉をしかめてつらそうな表情を一瞬のぞかせる。

 

 まあもともと彼女はネオの同級生のようだし、あの方についても心当たりがあるのかもしれない。

 

「まあ辛いことを思い出すなら、気が向いたときでも構いませんが」

 

 気を使うということを最近覚えたグラフォスである。

 

 本当は気になって、知っているのであればすぐにでも聞きたかったが、アカネが離せないというのであれば、問い詰めても彼女のストレスにしかならない。

 

 それならば話せるときに話してもらった方が、内容も素直に頭に入ってくるというものだ。

 

「ううん。今話すべきだと思う」

 

 しかしアカネから返ってきた言葉は、案外心強くそしてグラフォスの問いに答えようとするものだった。

 

「大丈夫ですか?」

「音緒ちゃんがいってたあの方についてもそうだけど、私と音緒ちゃんの関係とか私がいた場所についてとか、今後のことを考えても今はなすべきだと思う」

「そうですか」

「それにグラフォス君とミンネさんになら、話せるんじゃないかなって」

「私がどうかしたのかい?」

 

 アカネが硬い笑顔を浮かべながら話しているところに、ちょうど片づけを終えたのか手を拭きながらミンネがグラフォスたちの体面にある椅子に腰かける。

 

「アカネが昔話をしてくれるそうですよ」

「昔話ってそんな大したものでもないけど……」

 

 グラフォスのわざとおどけた口調でミンネに説明する様子をアカネは苦笑いしながら否定する。

 それに対してミンネが浮かべる表情は固いものだった。

 

「フォス、あんたアカネちゃんに無理言ったんじゃないだろうね?」

「そんなことしません。僕だって気くらい使えるんです」

「ほんとかい?」

「ミンネさん、グラフォス君が言っていることは本当です。私自身が話すべきだと思って……」

 

「ほんとミン姉は僕を何だと思ってるんですか。僕は話さなくても大丈夫っていったけど、アカネが話したいっていうから、じゃあ僕は遠慮なく話を聞こうと思ってるだけです」

 

 変などや顔のようなものを浮かべて話すグラフォスにミンネは無言の鉄槌を振り下ろす。

 

「私も聞いていいのかい?」

「二人がいたから今ここに私がいる。だからミンネさんにも聞いてほしいんです」

「わかったよ」

 

 アカネの力強い言葉にミンネも大丈夫だと考えたのか、アカネをまっすぐ見つめ彼女が話し始めるのを待つ。

 

 アカネは目を閉じ胸に手を当てると、大きく深呼吸をする。

 

 そして目を開くとグラフォスの顔とミンネの顔をゆっくりと見渡し、そして静かに口を開いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60節 鈴木緋音の場合(1)

 私、鈴木緋音は日本の都会の郊外にある高校に通う普通の高校2年生でした。

 何か特質した才能があるわけでもなく、明確な将来の夢があるわけでもない、本当に何の変哲もない学生だったんです。

 

 学校自体も部活が特に強いわけでもなく、全員が異常なほどに仲がいいわけでもなかったです。

 ただ私のクラスにいじめがあったのは事実で、私自身に降りかかってこないことであれば気にしないと、そう思いスルーしていました。

 

 今思えばひどい話だと思いますけど、もしやり直せるって言われても私も同じ対処をしていたと思います。

 いじめられる側になるのはいやだったから。

 

 そんなある意味普通の学校で普通に過ごしていた私ですが、そんな日常は突然終わりを迎えました。

 

「うお!なんだこれ!」

「扉があかない!」

「これはまさか……」

 

 ある日の授業中、あれは数学の時間だったかな? 私たちの教室の床を覆い尽くすような魔法陣が突然現れたんです。 

 

 この世界でも魔法陣って優秀な魔術師しか使えないみたいですけど、私がいた世界では魔法陣なんて、オカルト、だれもそんなものが存在しているなんて思わない世界だったんです。

 

 だからみんな訳が分からず混乱して、寝ていた人もその周りの喧騒に叩き起こされて、それからパニックになって、やけに冷静な人もいましたけど大半はそんな反応でした。

 

 もちろん私も大多数の中の一人です。友達と顔を見合ってこれからどうなってしまうのか、誰かのいたずらなのか、そんなことを考えてたような気がします。

 

 とにかく永遠のようで一瞬で時間は過ぎ、気づいたときには大きな部屋の絨毯の上で全員が座り込んでいました。

 

「よく来てくれたな!君たちこそが邪悪な光を払う闇の勇者だ!」

 

 全員何が起こっているのかわからない中で、そんな声を投げかけられました。

 

 私たちがいた世界では異世界に召喚されるとか、転生されるとかそういうお話は多く創られていて、そして多くの人に親しまれていました。

 

 もちろん私もそういうお話は読んだことはあったし、うすうすと自分が置かれている状況を理解し始めました。

 

 ああ、これはクラス転移ってやつなんだろうなって。

 

 でも全くうれしくはなかったです。普通に学生をしてそこそこの贅沢をして、友達と普通に遊んで一日を終わる。

 

 そんな毎日私は満足していたんです。それをいきなり別に世界に無理やり召喚してきて、勇者だなんて言ってきて、きっとこれからどこかの国の王様の命令で、世界中を旅して、殺し合いをして、戦争に参加して、そんなことをしなければいけないんだろうなって、そう思ってました。

 

 でも現実は甘くありませんでした。

 想像していたよりももっとひどかったんです。

 

 少し気持ち的に落ち着いてきて、周りを見る余裕ができたんです。

 まず声をかけてきた者。

 どこぞの貴族か騎士か、はたまた王様自身かと思ったのですが、その人はパッと見金髪のやんちゃなお兄さんというような印象で、服装も特にそういった特徴をした格好はしていませんでした。

 

 でも明らかにそれは人間ではありませんでした。なぜなら目の前で手を広げてこちらに笑みを向けてくるそれは、顔に目が5つあったんです。

 

そして広げている手のひらにもそれぞれ一つずつ、眼球がついていてぐるぐるとこちらをなめまわすように、見つめてきていました。

そんな化け物の目とあったような気がして、思わず私はその目から逃げるように視線をそらしました。

 

しかし次に目に入った光景の方がもっとひどいものでした。

 

ひどく焼けただれた犬のような顔をした何か、全身がぼこぼこと膨れ上がっていて、どこからが顔なのか服を着ているのかわからないような、そんな何か。

 

目立っていたのはそんな化け物たちでしたが、それ以外にも人間らしい恰好をしている者は一人もいませんでした。

 

もしかしてここは異形種しか存在しない世界なのかもしれない。

周りのみんなも普通の人がいないことに気付いたのか、だれも立とうともしゃべりかけようともしません。

 

いつも教室で元気にはしゃいでいる男子たちもこの時ばかりは見たことが無いくらいに静かでした。

 

そんな中、私たちの中で立ち上がった人がいたんです。そしてその人はどんどん目がたくさんついている人のような化け物へと近づいていきます。

それは数学の授業をしていた、普段はおとなしそうな先生でした。

 

「何のつもりですかこれは。私たちを解放してください」

 

 先生は足を震わせながら手で拳を作りながら、必死に恐怖に耐えている様子で、ただしとても力強く目の前の化け物に向かってそう言い放ちました。

 

 化け物は何がおかしかったのかにやにやと笑うと、突然先生の顔を両手でつかみました。 

 

 一瞬でした。

 

 先生の頭がなくなったんです。

 

 化け物の手を合わせる音だけがその時は、広間に響いていました。

 

「勇者じゃないものは必要ないんでな。そのまま紛れ込んでいればいいものを……」

 

 化け物は手についた先生の血を汚い物でも払うように降ると、先生だったモノが地面に落ちていました。

 

 誰も悲鳴も倒れることもありませんでした。あまりに理解できない光景に唖然としていたのと、恐怖のあまり誰も声を出せなかったのかもしれません。

 声をあげたら殺される。そう直感的に判断したのかもしれません。

 

 私は何も考えることができなくなっていました。ただ目の前に転がった先生の体を見つめていました。

 

「戦いなさい。そして強くなりなさい」

 

 誰もが絶望的で、何も考えられなくなり、ただ呼吸をして血の臭いだけがその場を支配していた時、その声は不意に耳に入り込んできました。

 

 周りに立っていた化け物、そして座り込んでいた私たちもそちらに顔を向けます。

 あれは自然にというよりはほぼ強制的に向かされていたのかもしれません。

 

 それはそれほどの存在感を放っていました。

 

 大広間の一番奥に静かにたたずむ黒いシルエット。

 その姿が見えない距離ではないはずなのに、その人のような何かの姿は影のようにぼんやりとしていて、はっきりと顔を見ることができませんでした。

 

 そんな曖昧な情報しかないのに、それはあまりにも圧倒的な存在感を放っていました。

 まるでずっとそこにいたような、それでも突然そこに現れたようなそんな矛盾した存在でした。

 

 その影は顔が見えないはずなのに、確かに笑ったように見えそしてこちらに手を向けてきました。

 怖かったです。

 

 そのままなにもされていないのに押しつぶされてしまうような、経ってしまえば一瞬で全身の骨が砕けてしまいそうな、そんな圧迫感に襲われていました。

 

 そして激痛が全身を駆け巡ったんです。

 

 どんな痛みだったかも覚えていないほどの、それでも絶対にこれまで味わったことのないような痛みでした。

 もちろんついさっきまで普通の高校生だった私がそんな痛みに耐えられるはずもありません。

 

 気づけば、地面に倒れていて意識も遠のいていきました。

 薄れゆく意識の中で周りにいた同級生たちの大多数が同じように倒れていくのが見えました。

 

「強く、強くなりなさい。そして私を満足させてください」

 

 また優しい音色でも、恐ろしく感じる声が耳に飛び込んできます。

 私たちは何の反応をすることもできず、そのまま気を失いました。

 

 今思えばこの時に私たちは力を与えられたのかもしれません。

 

 元の世界には魔法はおろか人を殺すための剣術なんて習っている人などいなかったのですから。

 

 そしてそんな力を与えられていた私たちに待っていたのは、地獄でした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第61節 鈴木緋音の場合(2)

 意識が戻り周りを見渡すと、私たちは召喚された大広間ではなく森の中に移動させられていました。

 私は気絶していた同級生たちの中でもかなり遅く目が覚めたようで、周りの多くの同級生たちはすでに起き上がって、それでも恐怖に満ちた表情で黙って立っていました。

 

 どうやらあの時気絶しなかった人もいるみたいで、手のひらに眼球がはめ込まれている化け物曰く気絶した時間が長い人ほど、強力な職業が与えられているといっていました。

 

 強力な職業っていうのはその時は何のことかわからなかったけど、グラフォス君が子供たちに話しているおとぎ話を聞いて、職業は元の世界でいうスキルみたいなものなんだなと理解することはできました。

 

 音緒ちゃんは一番最後くらいに起き上がっていたので、相当強力な力を持っているのかもしれません。

 

 でも自分にどんな力が備わっているのか全く理解できませんでしたし、分かりませんでした。

 勇気のある学級委員長が恐る恐る口を開き、化け物にそのことを訪ねていました。

 

「自分で戦って確かめてみろ」

 

 化け物はいやな笑みを浮かべながら、冷たくそう言い放つと自分の手から何かを出しました。

 

 それは豪華な飾りや見たことが無い紋様が描かれたどこか不気味な雰囲気を放っている大きな扉でした。

 

 そしてどこからか現れた剣や、斧、杖、盾など考えうる武器が私たちの前に投げ捨てられるように地面にばらまかれました。

 

「戦って価値を示せ」

 

 そうは言われてもいきなり剣を持って戦うなんてことができるわけがありません。

 目の前の扉も当然と言えば当然ですが、何かしてくるわけでもなく私たちはただ戸惑い、その場に立ち止まり続けていました。

 

 しばらく誰もその場を動かず、化け物がいらいらし始めたのか険しい表情で両手を私たちに向けてきました。

 

 殺される。直感的にそう思いました。

 

 その時でした。クラスの一番の人気者の男の子が地面に落ちている大剣を拾って、走り始めたのは。

 

「このくそがーー!!」

 

 半分涙声で、そして大きなだみ声を発しながら大剣を大きな扉に向けて突き立てた瞬間、扉から、いやあれは扉からはみ出した大剣の刃から目が開けていられないほど眩しい光が漏れ出しました。

 

 次に目を開けたとき、そこには男の子がだらりと大剣をおろし立っている姿だけがありました。

 大きな扉の姿も化け物の姿もどこにもなかったんです。

 

 一瞬私は、いや恐らく他のみんなも今なら逃げられる。

 そう思ったに違いありません。

 

「ほう、なかなかやるじゃねえか。その調子で生き延びろよ」

 

 しかしそれはただの錯覚、妄想に過ぎなかったのです。

 姿は見えないのにどこからか聞こえる眼球の化け物の声。

 

 そして森の奥から代わりに姿を現したのは、大量のゴブリンたちでした。

 

 ゴブリンは先程の扉とは違います。

 私たちを見るや否や見境なく手に持った棍棒を振り回して襲い掛かってきたのです。

 

 私を含め多くの同級生は必死に地面に落ちていた武器を拾い、わけもわからずその武器を構えゴブリンの衝撃に備えました。

 しかしゴブリンは武器を持ったものを襲わず、反応できなかった男を棍棒で殴打し、宙へと弾き飛ばし、女は服を剥かれて襲われていました。

 

 ゴブリンに知識はないと思ってましたが、そんなのはただの創作されたものの中だけの話だと思い知りました。

 ゴブリンたちは明らかに武器を持っている者たちを避けて攻撃していたから。

 

 そこからはただただ必死でした。

 私自身何の武器を使っていたのかも覚えていません。

 

 扉を消し飛ばした男の子が、女の子を襲っているゴブリンを切り倒し、そしてその周りにいた人たちが弾き飛ばされた男に追撃をしようとしているゴブリンに、襲い掛かっていました。

 

 私もがむしゃらに、剣が折れれば地面に落ちている斧を拾って振り回し、斧が持てなくなれば、盾を持って突撃しました。

 

 周りの人たちは剣にいろいろな、氷や雷を纏い攻撃をしていましたが、私はただただ非力な力のままでしか敵を攻撃することができませんでした。

 

「大丈夫!? 鈴木さんは僕が守るから!」

「俺が盾になるんだよ!」

「危ないから下がって!」

 

 いつも学校にいたころも何かと理由をつけて、私が何かしようとすると手助けしようとしてくれていた男子たちが、こんな時でも私のことを助けてくれようとしていました。

 もしかしたら経験したことない戦闘でテンションがおかしくなっていたのかもしれません。

 

 そのころにはゴブリンだけではなく、オーガやトロールらしきものの姿、見たことのない魔物の姿もあり、その場は混乱を極めていました。皆なんで剣を振っているのかわかっていなかったと思います。

 

 そんな状況の中で私だけ守られているわけにはいかず、私も魔物の中に突っ込んで腕の感覚がなくなるまで剣をふるい続けました。

 

 でもやっぱり魔物に私の非力な攻撃が通じるわけもなく、無意味に全力で手あたりしだい武器を振り回していたせいで、私の体力は限界にきてました。

 

 そんな時でした。突然腕に足に、疲労とはまた別の激痛が走ったのは。

 

 私は足と腕が引き裂かれるような痛みを感じながら、意味も分からないままその場に転びました。

 

 地面は大量の魔物の死体が転がっていて、血の臭いがひどかったです。

 でもそれよりも自分の体に走っているこの痛みを探ることが先決でした。

 

「あ。ああ……ああああ!!」

 

 自分の体に見た私は言葉を忘れた廃人のように、ただただ泣き叫ぶことしかできませんでした。

 

 私の左腕と右足は魔物によって食いちぎられていたのです。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第62節 鈴木緋音の場合(3)

 ちぎれた足、腕から噴き出る血は止まる様子がありませんでした。

 血が失われていき、体温が下がっていく中で変に私は冷静になっていました。

 

 ここで終わりか、大したことない人生だったなって。そう考えていました。

 気づいたんです。これまでの人生大したことなかったなって。

 

 特に何かに熱中するわけでもなく、いじめを止めるようなヒーローになるわけでもなく、そして何も成し遂げていない。

 

 そんな人生に価値があったんだろうか? 何か一つでも何か成し遂げたかった。

 将来の夢がなくても、何となくでも生きていれば何か成し遂げられたかもしれないのに。

 

 ああ、まだ死にたくないな。どんな世界だろうと自分が存在していることに変わりはないんだから、生きていたいな。

 

 そう考えたときでした。

 

 直感的に回復魔法の使い方が頭で理解できたんです。

 自分の中にある魔力の使い方も感覚的に理解できました。

 自分の中にある魔力をひねり出して、腕と足に意識を集中させました。

 

 温かい感覚に包まれると同時に、先ほどとはまた違った激痛に襲われました。

 私は知らなかったんです。人体を無理やり回復させると痛みが伴うなんてこと。

 

 でも確かに腕と足は生えてきました。10秒も立たないうちに、私は立てるようになっていました。

 

 私が使える力はこれなんだって。みんなを回復させることなんだって、その時初めて理解しました。

 

 剣を振り回すような筋力も、光を放つようなそんな攻撃もできないけれど、だれかの怪我を治すことはできる。

 

 それなら私にできることは一つだけ。

 

 ただひたすらに誰も死なないように、みんなを治すことが私の役目だと、そう思いました。

 

 それからは武器を持つことはしませんでした。

 ただただけがをした人を治す、それだけを意識して魔法を使っていました。

 

 幸いゴブリンに襲われていた人たちも致命傷には至っておらず、たとえ致命傷に至っていたとしても、死んでいなければ回復できる。

 その一心でただただ回復し続けました。

 

「よくやった。初日にしては上出来だ」

 

 眼球の化け物が手をたたきながら再び姿を現したとき、周りで暴れている魔物はもういなくなっていました。

 

 全員頭がひしゃげるか、バッサリと胴体を切られているか、何らかの理由で地面に倒れ、死んでいました。

 それでもみんな眼球の化け物が姿を見せるまで、ただ手に持った武器を振り回していたんです。

 

 もう敵がいないことに気づかないほど、自分が生きるためにただただ必死だったんです。

 

 みんなそれに気づいたとき、ようやく血にまみれた汗で持っているのか持っていないのかもわからないほど滑る武器を地面に捨て、そしてその体も地面にへたり込みました。

 

「終わった……」

 

 誰かのその一言で周りから安堵の声が聞こえてきました。

 思い思いに思ったままのことを口に出している。そんな印象でした。 

 でも私まで休んでいるわけにはいきません。

 

 私の役割は誰かの怪我を治すこと。

 

「ケガしている人、いませんか?」

 

 私はひたすらにそう声をかけて、森を抜けてすぐ目の前にあった大きなお城に戻るまでひたすら誰かが負ったけがを治していました。

 

 私も役に立とうと必死だったんです。守られているだけじゃ、攻撃のできない私だと役に立たないから。

 

 

 お城の中では普通のご飯が出てきて、普通に食べさせてもらいました。

 味はよく覚えてないし、みんなの疲れのあまりあまりしゃべれないのか終始無言でした。

 でも私には一つ気になっていることがありました。

 

「あの……森に行く前にいた広間に行くことって……できますか?」

 

 意を決して給仕をしていたカエル顔のメイドのような恰好をした化け物に声を掛けました。

 

「どうされました?」

「先生を……先生を治さないと」

「先生……ああ、でもあれは……いいでしょう。ついてきてください」

 

「緋音ちゃんどこか行くの? 僕もついていこうか?」

「大丈夫。私一人で行けるよ」

 

 そんなやり取りをして私は化け物に案内され、私たちが召喚された大広間へと足を運びました。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 そんな場違いな言葉をかけて部屋を出て行った化け物を横目に私は必死に先生が倒れた場所に向かいました。

 

 でも先生はいなかったんです。跡形もなくその姿はなくなっていました。

 

「なんで……?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()かもしれない。でも体がないならどうしようもない。

 

 もしかして先生は死んでなくてどこかにいる? 昼に見たあれば幻?

 

 そんなことも考えましたが、間違いなく床に敷かれている絨毯には大量の血を吸い込んだ跡があります。 

 それが幻なんかではないと物語っていました。

 

「血が、血があればなんとかなる……? いや、なんとかしなきゃ『パーフェクトヒール』『オートヒール』なんとか……『ヒール』私が治さなきゃ『ヒール』『ヒール』私が何とかしなきゃ『ヒール』」

 

 きっとその時の私の思考はおかしかったんだと思います。

 

 私は完全に乾ききっている絨毯に染み込んだ血に向かってひたすら回復魔法を詠唱していました。

 

 でも血から人が戻ってくることはありません。

 私の魔力はむなしく絨毯に染み込んでいくだけです。

 

 結局私は魔力切れで倒れるまで絨毯に向かってただひたすらに魔法を詠唱していました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第63節 鈴木緋音の場合(4)

 目が覚めるとまだ大広間に私は寝転がっていました。

 

「大丈夫ですか?」

 

 その時は気づかなかったんですが、どうやらカエル顔のメイドが私に魔力を分け与えて、何とかなったみたいでした。

 

 そして何とか諦めのついた私はカエル顔のメイドに引っ張られるような形で食堂へと戻りました。

 

 

「あいつがいないってまじかよ!」

「逃げたってこと!?」

「はあ、そんなのずるくない!?」

「そうか、その手があったのか……」

 

 食堂は私が出ていく前とは雰囲気が変わっていて、みんな何やら焦っている様子でした。

 会話の内容は誰かがいない、逃げ出した、そんな内容ばかりが飛び交っていました。

 

 誰がいないのか、まさか自分が逃げたと疑われているのかとも思いましたが、私が戻っても何の反応も示さないところを見ると、そういうわけではなさそうです。

 

 周りを見渡すと確かに一人いない人物がいました。

 

 あのクラスでいじめられていた男の子の姿がどこにもなかったんです。

 今思い返してみれば確かに森の中で戦っているときも姿を見た記憶がありません。

 

「もしかしてみんなが気絶しているときに……?」

 

 もしかしたら私たちが気絶しているときにいち早く目覚め、そしてそのままどこかへ行ってしまったのかもしれません。

 でもあんな魔物が大量にいる森の中に逃げたとしても、生き延びられるとは思えません。

 それにあの化け物がそんなに簡単に逃がすとは思えませんでした。

 

 みんなは逃げるという手があったという事実に動揺しているように見えました。

 確かに目が覚めて早々戦闘になったあの時の状況を考えれば、みんな生きることに必死で、逃げるなんていうことは思いつかないかもしれません。

 

「これから逃げようとしても、俺らがもちろん止めさせてもらうけどね?」

 

 結局大量に食べ物を口に含んだままそういった眼球の化け物の言葉によって、その場は落ち着きました。

 その日はそのまま各自に与えられた個室へと足を運び、休むこととなりました。

 

 そしてそれから三日間、朝起きて食事の後は森の中に放り出され、ひたすら一日中魔物と戦う。ただひたすらに戦う。私は回復をする。

 そんな生活が続いていました。

 

 でもそんな戦いの中でも変化はありました。

 

 みんなが自己回復という手段を覚え始めて、私の役目が格段に減ったんです。

 

 回復の必要がなくなれば、私の存在価値はなくなる。

 

 もちろんみんなの戦闘技術は無理やりでも向上していて、怪我をする回数もどんどん減ってきているように思えます。 

 

 私は焦っていました。

 

 それと新しくなった日常にもみんな順応してきているように思えました。

 一日目はさすがに疲労困憊といった様子の皆でしたが、人とは恐ろしいもので生活が様変わりしても慣れてきてしまうものなのです。

 

 もしかしたら諦めて順応しようとした結果なのかもしれないけど……。

 

 少なくとも最低限の、いえそれ以上の食事と住むところは与えられているわけで、着ている制服だって、私たちが寝ている間に誰かがきれいにしているのか、どれだけ汚れたりボロボロになったとしても、次の日にはまるで新品のようにきれいになって部屋に置かれてあります。

 

 そんな生活に慣れてきて、みんなに余裕が出始めて周りが見えるようになってから、戦うことができない私の姿がみんなの目につくようになりました。

 

 最初は何かと守ってくれていた人たちも、私の戦闘能力のなさに愛想をつかしたのか、カバーをしてくれる回数がどんどん減っていきました。

 

 そして三日目には私は自分のために回復魔法を使う回数が増えていたのです。

 戦えないから怪我をする。けがをしても自分で治せる。

 周りはそれを見て私が攻撃を受けても問題ないと判断する。

 私は攻撃手段を持ち合わせていないから何も言えず、ただ回復するしかない。

 

 そんな悪循環が続いていました。

 そして状況はもっと悪化していきます。

 

「あんた、何のためにここにいるわけ?」

 

 三日目の森での戦闘が終わり、私がへたり込んでいるとき、ふいに真上から冷たい声がかけられました。

 

「ちょくちょく見てて、学校の時でも思ってたけどさ、男に守ってもらうばっかで、何様なつもり?」

 

 声の方に目を向けると腕を組んで冷たい目でこちらを見下ろしてくる音緒ちゃんの姿がありました。

 

「私はそんなつもりじゃ……」

「はい、私に口答えしない。うーん、決めた。明日から私もあんたのこと可愛がってあげるから、楽しみにしといてね」

 

 悪魔のような笑みを浮かべながらそんなことを言った音緒ちゃんは周りにいた女の子を引き連れて、お城へと戻っていきました。

 

 音緒ちゃんは学校で、いじめを行っていた主犯格の一人です。 

 可愛がってあげるなんて言葉がそのままの意味のわけありません。

 

 直感的に次のターゲットが私になったんだとそう思いました。

 

 人は非日常に溶け込めるように日常を探し求める。

 彼女にとっては誰かをいじめている、そんな事実がありふれた日常だったのかもしれません。

 

 そんな日常のはけ口に選ばれた私。

 戦闘でも役に立たない、足を引っ張っている私を助けてくれる人はいない。

 

 次の日から慣れ始めた環境にまた新たな地獄が生まれたんです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第64節 鈴木緋音の場合(5)

「あんただけ全然動いてないんじゃない? 私がもっと動かしてあげるわよ」

 

 次の日から森での戦闘が終わったあと、必ず音緒ちゃんに絡まれるようになりました。

 戦闘後だというのに彼女は全然疲れている様子もなく、私に氷魔法をぶつけてきます。

 

 私に避ける術もあるはずもなく、まともに食らいそれを自分で治します。

 学校で行われていたいじめなんかよりもひどくて、それも当然で相手は攻撃性のある魔法も持っていて、武器も持っているんです。

 

 それなのに私が死にそうになればなるほど、彼女は、音緒は楽しそうな表情を見せてくるんです。

 

「今日はこれくらいにしてあげるわ。明日も楽しみにしときなさい」

 

 私が一方的に攻撃を受けているあいだ、周りの同級生が私のことを助けてくれるわけがありません。

 それを責めることもできない。私が今までやってきたことだから。

 

「大丈夫?」

「立てる?」

 

 でも彼女がいなくなったあとは、男子が話しかけてくれます。

 でもそんな男子の私を見つめてくる目が私にはどうしようもなく気持ち悪く思えて仕方なかったんです。

 

「ほら、もっと立ち向かってきなさいよ? 今日も私の勝ちね!」

 次の日も私が勝てるはずがないのに、そんなことをいいながら氷の刃で私の肉体をえぐってくる。

 

 それは森の戦闘だけではなく、城の中でも続きました。 

 でも私はすぐに回復するから誰も気づかない。

 

「なんでそんなに弱いのにまだ立っているわけ? さっさと倒れなさいよ!」

 次の日も私には回復魔法しかないから、立ち続けるしかないから、ひたすら自分のためだけに回復を続ける。

 

 このころには誰もめったにケガなんてしなくなっていました。

 森での戦闘でもけがをしているのは私だけ。でもそんな私を助けてくれる人は誰もいない。

 だから私自身で何とか生き延びるしか方法はない。

 

「ちょっと今日はいい話があるのよ。あんたたちを守ろうとしてた男たち。私が気づかないとでも思った? ちょーっとたのしいことしてあげたらもう近づかないってさ」

 

 私はそれを聞いていてもたってもいられなくなりました。

 急いで城に戻って男の子たちの怪我を治さないと。

 そう思って私は城に向かって走ろうとしましたが、彼女に手を掴まれてそれを阻まれます。

 

「なに、どこ行こうとしてるのよ。今日の訓練がおわってないでしょ?」

 

 そして始まる一方的な攻撃。

 私のことはいい。私はすぐにでも直せるからいい。

 

 でも彼らがどうなっているか。私のせいで彼らまで死なせてしまっては、私がここにいる価値がなくなる。

 誰かを治すことができるのが私の役目だから。

 

「はあ、何よその目は。心ここにあらずって感じの目は! 私ともっと向き合いなさいよ。私をもっと見なさいよ」

 

 その日の攻撃は今までで一番苛烈なものでした。

 

 でもそんなのどうだっていい。

 

 やっと訓練と称したいじめが終わって、城の中に戻って男の子たちを探しました。

 彼らは普通に特にけがした様子もなく食堂でご飯を食べていました。

 

「大丈夫ですか!」

「緋音ちゃん……」

「悪いけど近づかないでくれるかな」

「僕たちも死にたくないし」

 

「怪我なら私が……」

「大丈夫、自己回復で治るから、大丈夫だよ」

 

 冷たい目を向けてそう言い放ってきた男の子たちは私の前から逃げるように、食堂から逃げていきました。

 でも私はそんなことよりも彼らに怪我がなくてよかったとそう思いました。

 

「いたっ! ちょっと緋音、回復魔法私に使って!」

 

 次の日の森での魔物との戦闘中、珍しく音緒ちゃんが魔物からの攻撃を食らって腕にけがを負っていました。

 

 私は少しうれしかったのかもしれません。

 音緒ちゃんがケガをしているのに、誰かの回復をできる。けがを治せるという事実に喜んでしまっていたのかもしれません。

 

「なにやってんの、ぐず! 早くしなさい!」

「ご、ごめん……『ヒール』」 

 

 それはいつも通りの魔法。

 

 私が私自身を直すときに使っていたいつも使っていた回復魔法。

 たしかに魔力が減る感触はありました。でも彼女の音緒ちゃんの腕の切り傷は、治る様子がありませんでした。

 

「な、なんで!?『ヒール』『パーフェクトヒール』『ヒール』」

 

 いくら魔法を使っても一緒。これくらいの怪我ならば、一瞬で治せるはずなのに、一向に彼女の傷口がふさがる様子はありません。

 

「はあ、もういいわよ。『自己回復』これくらいの怪我も治せないなんてほんと役立たずね」 

 

 呆れたような音緒ちゃんの声が聞こえてきて、私は彼女のそばから吹っ飛ばされました。

 

 それは魔物からの攻撃ではなくて、彼女の周りにいた同級生の私に向かっての攻撃。

 私は派手に地面に体をこすりつけましたが、そんなことは大して気になりませんでした。

 

 むしろいい実験機会が与えられたとすら思ってました。

 

「『ヒール』……なんで」

 

 私は突然回復魔法が使えなくなったのかもしれないと思いました。

 でもそれは違いました。

 

 自分に対して使った魔法はいとも簡単に私の怪我を直したのです。

 

 それは今まで食らってきたどんな攻撃よりも、罵倒よりもきついものでした。

 私は誰かを回復することでしか自分の価値を証明することができない。

 

 それなのに、いつの間にか私は私のためだけにしか回復魔法で体を直すことができなくなっていたんです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65節 鈴木緋音の場合(終)

 誰かの役に立つことができない。

 

 そう気づいた次の日からは自分でもいうのもあれですが、ひどい状態でした。

 軽いけがであれば自分を直すこともしませんでしたし、多分生きる気力がなくなっていたんだと思います。

 

 そんな状態が一週間ほど続いて、私は今の状況に耐えられなくなりました。

 もっと誰かの役に立てるところに行きたい。自分の価値を証明できるところに行きたい。

 

 ……いえ、こんなのはただの後付けの理由にすぎません。

 ただこの場から、惨めな自分から逃げ出したくて仕方がなかったんです。

 

 そう思い始めてから行動は早かったです。

 その日の昼にいつも通り音緒ちゃんの攻撃を耐え忍んで、皆と一緒に食堂でご飯を食べて、普段通り自室にこもって、そして深夜まで私は起きたままでいました。

 

 誰かに悟られては意味がないから。きっと今の私が逃げ出そうとして、それがばれれば一瞬で殺されてしまうだろうから。

 それだけは避けなければなりませんでした。

 

 そして深夜、さすがに慣れてきたといっても毎日何かに襲われて戦い続けているので、眠るのは早かったです。

 誰も起きていない時間帯を見計らって自室から抜け出しました。

 

 荷物自体は制服しかなかったですし、その制服の回収もまだされていなかったので、着の身着のまま出ることができました。

 

「どこかおでかけですか?」

 

 心臓がひゅっと何かに掴まれる思いでした。

 廊下を歩いているとあのカエル顔のメイドに見つかってしまったんです。

 

「ちょ、ちょっと眠れなくて歩こうかなと……まずかったですか?」

「……いえ、でも城の外には出ませんように。外は危ないですから」

 

 話してみれば見た目が異形だというだけで、ここの魔物たちはずいぶんと理性があるように思えました。

 

 それでも目の前にいきなり現れたらびっくりするほかありません。

 何とか言い逃れできた私は、大分訝しげな眼で見られていた気はしましたが……とにかく食堂の奥の調理場にある裏口から城を出ることができました。

 

「どうしよう……」

 

 城を出たはいいものの、まだ城壁が待ち構えていますしこれを抜けるには正面を通り抜けなければいけませんし、それを抜けたとしても森を抜けて安全な場所まで行かなければいけません。

 

 それにこんな魔物だらけの世界で自分のようなものに安全な場所があるのか、それすらわかりませんでした。

 

「とにかく歩かないと」

「君もフィーコーから離れてしまうのかい?」

 

 いざ意を決して城門の方へ向かおうとしたその時でした。

 

 本日2度目の人との遭遇。

 でもそれは先程までとは全く違い、声をかけられた瞬間にとてつもない圧迫感に襲われ、私は声がした方に振り返ることすらできませんでした。

 

 殺される。純粋にそう思いました。

 

「まあ君はここでいるよりも外に行く方が成長するのかもしれない」

 

 振り返ることもうなずくことも許されず、その場を動くことができませんでした。

 でもいつまで待っても死の瞬間が訪れる気配がありません。

 

「私はとめない。でも君にこの森を抜けられる覚悟があるかな?」

「は……い……」

 

 何とか絞り出すように言えたのがこの二文字。

 姿は見えなかったけれど私はこの感覚を知っていました。

 

 一日目に姿を見せて、私たちに力を与えたあの異様な存在感を放つ何者か。

 それがいま私の背後に立っている。そう直感しました。

 

「ほう、私と会話をするか。なかなかに素晴らしい。……おっと、見送りの子が来たようだ。ふむ、あの子も承認欲求が高いらしい。私は失礼するとしよう」

 

 唐突に圧迫感が消えたと同時に、激しい足音が近づいてきました。

 

「あんた私がかまってあげてるっていうのに、何逃げようとしてるのよ!」

 

 それは音緒ちゃんの声でした。

 その声が耳に入ると同時に私は走り出しました。

 

 捕まったら殺される。

 元同級生に対してこんなことを思うのはおかしいかもしれませんが、直感的にそう悟ってしまったのです。

 

 私の直感は間違っておらず、後ろから激しい氷の刃が迫ってきていました。

 それは私の腕や横腹をかすりましたが、そんな痛みなんてそのころにはもう慣れていたので、気にせずただただ走りました。

 

 城門はなぜか開いていてそれすらもなぜか気にとられている余裕はなく、走り続けました。

 

「いつか絶対に殺してやるから待ってなさい!!」

 

 音緒ちゃんがなぜそんなに私に執着するのかわかりませんでしたが、確かに背後からそんな怒号が聞こえ、それ以降私を折ってくる足音はありませんでした。

 

 足を止めたときには、気づけば私は森の中で一人立ち尽くしていました。

 

 真っ暗な森の中でたった一人。あの時周りで戦っていた同級生は誰もいない。

 私一人でこの森を抜けなければならない。

 

 もちろん不安もありましたが、それよりは安堵感の方が強かったように思えます。

 やっとあんな惨めな思いをしなくて済む。

 

 そう考えて笑ってすらいたかもしれません。

 

『ケケケケケケ』

 

 でも魔物が大量にいるこの森でそんなことを考える余地など、立ち止まっている余裕なんてあるはずがありませんでした。

 

 気づけば周りには複数のゴブリンに囲まれていて、一方的に攻撃をされていました。

 

「『オートヒール』」

 

 そこからはただ必死に走り続けました。

 

「『ヒール』」

 

 攻撃されても足を止めることなく、ただ必死に足を動かしました。

 疲労で何度も転びましたが、私の回復魔法があれば関係ない。直せる。

 ただその一心で走り続けました。

 

「『ヒール』」 

 

 周りが白みだし日が昇り始めたころ、私の体力は限界を超えていて、魔力量も底を尽きかけていて、ろくな回復ができていない状態になっていました。

 それでも走り続けましたが、いつまでたっても森に終わりが見えませんでした。

 

 そして私の目の前に現れた大きな扉。

 

 それは転移初日に出くわした魔物であの光を操る同級生が一刀両断した扉の魔物でした。

 

「なに……通して……」

 

 ここで足を止めれば私は走れなくなる。

 

「『オートヒール』」

 

 全身がよろめきかけましたが、何とか倒れずに魔法をかけました。

 扉が動く様子はありません。

 

 これならよけられる。そう思い扉の横を通過しようとしました。

 十分に距離はとっていたはずです。それなのに私は突然の無重力感におそわれ、気づいたときには地面に顔をつけていました。

 

「うっ……」

 

 扉の魔物の方に目を向けると、さっきまで固く閉じられていたその扉はいつの間にか大きく開いて、大きな闇がその姿を見せていました。

 

「嫌……」

 

 私の体は引きずられるようにその扉の闇に引き寄せられていきます。

 

 手を地面にこすりつけ、何とか抵抗しようとしましたがそんな力も私には残っていませんでしたし、私の筋力では到底抵抗できないほどの吸引力を、その魔物は持ち合わせていました。

 

 そして私はあっけなく魔物の扉の中に吸い込まれ、一瞬意識が飛びました。

 

 次に地面にたたきつけられ目が覚めたとき、先程までの日が昇っているのに薄暗いそんな森の中ではなく、暖かい日差しが差し込む先程よりも格段に明るい森の中にいました。

 

「にげ……なきゃ……」

 

 今思えばあの扉の魔物はどこかに転移させて味方を分断させる、そんな能力を持っていたのかもしれません。

 

 私は転移された場所からアウリント国のリンアの森に転移させられたのだと思います。

 

 でもその時の私にそんな思考力があるわけもなく、ただただ魔物から逃げなければという考えでいっぱいでした。

 

 そして開けた場所に出たら、グラフォス君がいて、その時初めて普通の人を見てものすごく安心しました。

 

 あとはグラフォス君が知っている通りです。

 

 これが私がここにいる理由で、ここにたどり着いた経緯です。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第67節 相談と報酬

「もしも僕がこの街を出て、世界を知る為に旅をしたいと言ったらどうします?」

「ついていくけど?」

 

 ギルドに向かう道中にグラフォスが何の気なしに聞いたその言葉に、アカネは迷うことなくそう返す。

 グラフォスはあまりのアカネの迷いのなさに驚き、目を見開いた。

 

「あ、いや、もちろんグラフォス君がよければだけどね!」

「森に行った時から思っていましたが、アカネは強いですね」

 

 何を勘違いしたのか慌てふためいているアカネの様子をグラフォスはほほえみながら見ていた。

 

 アカネと初めて会ったときはぼろぼろの状態だった。

 いつ死んでもおかしくないほどに傷を負っていた。

 

 アカネがこの街にたどり着くまでの話を聞いてよりそう思うのかもしれないが、森で、外でそんな目にあってもアカネはグラフォスが森に行こうとすれば、街から出ようとすればついてこようとしてくれる。

 

 本当なら家の中に、街に引きこもってもなんらおかしくはない。

 それなのに外は危険だと知っていても、ついてきてくれると言ってくれているのだ。

 それはグラフォスにとって、きっとアカネが思っている以上に心強いものだった。

 

 そんな話をしているといつの間にかギルドの前にたどり着く。

 重い扉を開けると、真っ先に目に入ったのはこちらに向かって駆け寄ってくるドリアの姿だった。 

 

「二人とももう大丈夫なの!?」

「はい、だ、大丈夫です」

「顔が怖いですから。そんなに焦らなくてもここまで歩いてこれてるので、元気ですよ」

「そっかー、よかった。……て顔が怖いって何よ! こんなに可愛い顔してるのに!」

 

 ドリアは焦ったような表情から一転、頬を膨らませて腰に手を当ててグラフォスを見下ろす。

 

「自分でかわいいって言ってたら世話無いですよ。それよりも、話聞いてたんですね」

「当然じゃない。トレントキングとジャイアントウルフ、しかも二体と遭遇するなんてそんなのだれが想定できるのよ……。あの時止めればよかったとどれだけ後悔したか……」

 

 トキトあたりがギルドに一部始終を報告してくれたのだろうか。 

 ドリアはグラフォスが思っている以上に、状況の把握をしていた。

 それであればそれほどまでに心配するのもうなずけるかもしれない。

 

 それでもギルドに入ってくるなり必死な表情で迫ってくるのは勘弁してほしいものだが。

 周りからの注目の視線が痛い。

 

「ご心配おかけしました」

 

 いまだうんうんうなっているドリアに向かって丁寧にお辞儀をしているアカネ。

 

「あ、ううん。ちゃんと帰ってこれたからいいのよ。そうじゃなきゃ私がミンネさんにぶっ飛ばされてただろうし」

「でしょうね」

「何を他人事みたいに……ごほん。それよりもグラフォス君、この間白金貨を見たいって言ってたわよね?」

「ああ、そんなこともありましたね」

 

 森に出向く前、アカネに金銭価値を教えるという口実でドリアに白金貨を見せてくれと迫ったことを思い返す。

 それもつい最近の出来事のはずなのに、それ以降いろいろなこと、具体的に言うと死にそうな目にあいすぎて、ずいぶんと前のことのように思える。

 

「二人ともこっちに来てくれる?」

 

 ドリアに連れられて向かったのは、なんてことないギルドの受付だった。

 

「ちょっと待っててね」

 

 そういうとドリアはギルドの奥の方に引っ込んでしまった。

 

「なんだろうね」

「さあなんでしょうね。お金に関係することなのは間違いないでしょうが」

 

 そうでなければ何の突拍子もなしに、あの件を口に出してくるとは思えない。

 ドリアが根に持つタイプで何回も言ってくるタイプにも見えない。 

 ドリアはすぐに戻ってきたが、特に何か増えているようには見えなかった。

 

「ドリアさん、あの……」

「はい、これ。今回の報酬」

 

 ドリアはそういうとグラフォスとアカネの方に手を差し出す。

 その手の上には噴水のような背景の前で手を合わせる男女の姿が彫られた白金貨があった。

 

「これってまさか……」

「これ1マラガですか?」

「そうよ」

「でも僕たちのは依頼として処理されないんじゃ……」

 

 グラフォスたちが倒したトレントキングとジャイアントウルフはギルドから出されている依頼とは別のもので、特に討伐依頼も出されていない。

 

 だから依頼報酬はないと思っていたのだが……。

 そういえば森の道中で出会ったトレントキングは討伐されたのだろうか。

 

「そうね、確かに依頼としては受理されていないから依頼達成の報酬というわけではないわ。でも討伐した魔石はまた別でしょ?」

「魔石……」

「そう。トレントキング一体とジャイアントウルフ三体分の魔石をしっかりと受け取っているから、全部合わせて2マラガ。トキトとシャルが1マラガ受け取って、残りはあなたたちの分よ」

「そういえばシャルさんがフラフラしながら、あの時集めていたような……」

 

 意外とちゃっかりしているシャルである。

 まあそれがあったから今こうして白金貨のマラガ貨幣とご対面できているわけだが。

 

「そういえば本来の討伐依頼はどうなったんですか?」

「ああ、それは他の複数パーティがちゃんと討伐してくれてるわよ。といっても話を聞く限りだと、グラフォス君たちがだいぶ弱らせてくれていたから達成できたといっても過言じゃないんだけど……。依頼達成の方針についてギルド長に文句言ってやろうかしら……」

 

 しかめ面をしてぶつぶつとドリアは何かを考え始めたが、どうやら本来討伐すべきだったトレントキングも討伐できたらしい。

 

「まあこんな街の近くにある森にユニークモンスターが二体も出るなんて考えられないから、グラフォス君たちが相対した人物の調査含めて、まだ森は警戒中だけどね」

「そうですか」

「そ。それよりも念願の白金貨を見た感想は?」

 

 そういいながらドリアはグラフォスに白金貨を手渡す。

 白金貨は金貨よりも一回り大きな円形で、感覚的に金貨よりも少し重いくらいだった。

 

「まあ……思ったより普通でしたね。特に思うことはそれくらいです」

「き、きれいだよ!」

「グラフォス君らしいというかなんというか……アカネちゃんも大変ね」

 

「おーい、グラフォス! やっと起きたんだな!」

 

 グラフォスが冷静に白金貨を見つめ、アカネが慌ててグラフォスの発言をフォローをしていて、ドリアがその様子を呆れたように苦笑いを浮かべている変な構図が出来上がっていた。

 

 そんなグラフォスたちに向かって声がかけられる。

 

 声がした方に振り返るとギルドの扉を大きく開け放ちながら、手を振っているトキトと、その後ろで申し訳なさそうな笑みを浮かべているシャルの姿があった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第68節 再開と聞きたいこと

 もう少しみんな静かに出迎えたり話しかけたりはしてくれないものだろうか。

 グラフォスは頬杖をつき、目の前に座りこちらをにやにやと見つめているトキトを不機嫌そうに見つめる。

 

「ごめんね、トキトのばかが突っ走るから止める暇がなかったの」

「まあいいですけど……」

 

 ギルド全体から注目を浴びるほどの音量でトキトが話しかけてきた後、四人はギルドの中の丸テーブルに腰かけて、ギルド内からの注目からは逃れられていた。

 

「それで聞きたいことがあるんですけど」

「おう、俺もあるぞ!」

 

 グラフォスが話しかけてきたところ、トキトはジョッキを傾けながらそう返答する。

 ちなみにジョッキの中身に入っているのはオレンジジュースであって、決して酒ではない。

 

 それなのにこのテンションの高さだというのだから恐ろしい。

 それにしても聞きたいこととはなんだろうか。

 

「トキトさん、けがはもう大丈夫なんですか?」

「けが? ああ、あれならアカネが治してくれた時にほとんど治ってたしな。そのあとの記憶はあんまり覚えてないけど、今怪我してないんだから大丈夫だったってことだろう」

 

 なんだその判断基準……。

 

「グラ君が気絶した後一番元気に動いていたのがトキトだからね。ほんとに体力バカなんだから」

「確かにそうだった気がする……」

「ばかとはなんだ、ばかとは!」

 

「褒められてるんですよ」

「そうなのか! シャルも素直じゃないな!」

 

 シャルはきっと皮肉気味に言ったのだろうが、その口調は優しいから本当にほっとしていて、嫌味としては言っていないだろう。

 

「そんなことよりシャルさん、グラ君ってなんですか?」

「え、なんかあんな戦いを一緒にしたからもっと仲良くなってもいいかなと思って」

「名前の呼び方でそんなのは決まらないとは思いますが……」

「確かにそうだな……。二人とも俺らのことも呼び捨てで呼べよ!」

「だから名前で……」

 

「駄目だったかな?」

「駄目じゃないですけど……」

「よかった!」

「ちなみにアカネはなんて呼ぶんですか?」

「アカちゃん……?」

 

 それはなんというか別の意味に聞こえるし、紛らわしいんではないだろうか。

 そう思いながらアカネの方を見ると、アカネもなんだか複雑そうな表情をしていた。

 

「それはちょっとないか。アカネちゃんは短いから略す必要ないでしょ!」

「僕の名前に失礼ですよ」

 

 まあそれほど名前に執着があるわけでもないので、何と呼ばれようが別にかまわないが。

 

 そんなことよりもこうやって落ち着いて話していると他に聞きたいことがあるというのに、つい横道に話題が逸れていってしまう。

 

「それより、僕とアカネが目が覚めたとき二人は近くにいなかったみたいですけど、どこにいたんですか?」

「ああ、あれな……」

「あれねえ……」

 

 シャルはともかく珍しくトキトも顔をしかめてばつが悪そうな表情を浮かべている。

 

「あの時魔物が入ってこないか監視をしてたでしょ? トキトが体を動かしたいって言って、あの偽集落の外に出て行っちゃったのよね」

「そこでたまたまあの女を見つけて危ないから声をかけようとしたら、魔物をけしかけられた」

「それで二人に声をかける間もなく、戦闘していることに気づいた私が助けに入ったってわけ」

 

 トキトが顔をしかめているのはバツが悪いからではなくて、けしかけられたことに対する不満を思い返して顔をしかめているだけっぽかった。

 

「まあそれなら仕方ない……ですかね」

「そうだよね」

「トキトが突っ走らなきゃあの子と遭遇しなかったし、最初からあの戦いは回避できたかもしれないから、申し訳なかったとは思うけどね」

「まあ最終的には間に合ったしいいだろ!」

 

 トキトは楽観的だが、シャルは意外と気にしているようだ。

 

 確かにシャルの言うとおり、トキトが森に出ておらずネオと遭遇していなければ、ネオとの戦闘はもっと楽なものになったかもしれない。

 しかしそれはすべて結果論だし、さすがに体操がてら森の中に走りに行ったら人、しかも敵と遭遇するなんてことはあまり想像つかない。

 

 まあ体を動かしたいから安全な場所から離れるという思考回路は全く理解できたものではないが。

 

「トキトの言うとおり、なんとかなりましたしそんなに気にすることでもないですかね」

 

 確かにネオにぼこぼこにされたのは事実だが、逆に得たものもある。

 

 もっと楽に押し切れる戦闘になっていたら、ネオは何も言わずに去っていた可能性がある。

 少しでも新しい情報が拾えることはいいことだ。

 グラフォスはそう思う。

 

「そういえばトキトが話したいことってなんですか?」

「ああそれな」

 

 グラフォスが一番聞きたかったことは、なぜあの時二人がいなかったのかということだ。

 特にどんな理由であれば怒ったりするつもりはなく、ただ単純な興味としてそれが知りたかった。

 

 確かにアカネが言い渋った理由もわからなくはない。人づてに聞けば違った風な受け取り方をしてしまい、不満に思う人もいるかもしれない。

 それよりもグラフォスの興味はトキトの話の内容に移行していた。

 

「俺たち四人でパーティを組まないか?」

 

 トキトの口から飛び出した言葉は、グラフォスが想像もしていないものだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第69節 回答と仲間

「トキト話にはもうちょっと脈略ってものを……」

 

 トキトの突然の提案にシャルはまた呆れたような口調で説教を開始する。

 

「あのよくわからないんですが、パーティって……」

 

 パーティが何かはわかっている。わかっているも何もさんざん依頼を出して断られてきたのだ。

 しかし高い回復能力を持つアカネは別として、書き師であるグラフォスをパーティに入れるメリットは限りなく少ない。ないといっても過言ではない。

 

 それをトキトはわかっているのだろうか。

 

「これはシャルも了承済みのことなんですか?」

 

 もしかしたらトキトが暴走して勝手にそういっているだけかもしれない。

 グラフォスはそう考えて戸惑いながらもシャルに確認を取る。

 

「ええ。あの森での戦闘全てを通して、私とトキトだけだと間違いなく死んでたと思うし、実際にトキトは一回死んでいるようなもの。相性も悪くないみたいだし、優秀な冒険者を逃す手はないでしょ?」

「でも僕は『書き師』ですけど……」

「あんな誰も見たことが無い魔法を使えるんだから、職業なんて関係あるか」

 

「私は回復しかできないけど……」

「その回復力がすごいのよ。グラ君だって魔法陣を介した魔術を使えるのに、この街でいるなんてもったいないと思わない?」

 

 グラフォスとアカネも突然の勧誘に戸惑ってはいるが、その提案は願ったりかなったりだ。

 

 グラフォスはあの森での出来事を通して、もっと世界を見たいと思った。

 アカネはそれについていくといった。

 

 二人でも普通の魔物程度であれば特に苦労することもなく、勝利することができるだろう。

 しかし今回のように突然強い魔物と遭遇した場合、どちらかが死んでしまう確率は上がってしまう。

 

 だがそれもトキトとシャルがいるなら話は別だ。

 

 トキトの攻撃力は言わずもがなだし、グラフォスができないサポート魔法が使えるシャルも貴重だ。

 確かに考えれば考えるほど、攻撃型のトキト、サポート型のシャル、そして万能型のグラフォス、回復型のアカネ。

 

 それぞれがそれぞれできない部分を補い、遠距離でも近距離でも対応ができるバランスの良いパーティかもしれない。

 

「まあすぐにっていうのは難しいわよね。もともと明日までこの街でいるつもりだったから、それまでに決めてくれればいいわよ」

「今日グラフォスが来なければ、もう街を出ようと思ってたけどな!」

「トキトは余計なこと言わない。焦らせるだけでしょ」

 

「行きます」

 

 グラフォスの答えはとっくに決まっていた。

 こんな機会を逃す理由が見つからない。

 

 しかし思わず口に出した後で、アカネの方に目を向ける。

 彼女の意志を聞かずに先に答えてしまった。

 そんな罪悪感からアカネの様子を確認したのだが、そんな心配は不要だったようだ。

 

「私はさっきグラフォス君に言ったことは変わらないよ。どこに行くとしても私はついていく」

 

 グラフォスの目を見つめるアカネの顔は優しいほほえみを携えたもので、やる気に満ち溢れているように見えた。

「えっと……そんな即答してしまってよかったの?」

「もちろん。戦闘バランス的の相性はいいですし、別に人間関係にも問題がありそうな感じではなさそうですし、僕としてはむしろこちらからよろしくお願いしますっていう感じです」

「それなら決まりだな!」

 

 トキトは最初から答えがわかっていたかのように、ギルドの受付へと進む。

 

「トキトもああ見えて結構不安がっていたのよ。珍しく断られたらどうするかなーとか弱弱しいことを言っていたわ」

「それは……意外ですね」

「全然わからない……」

 

 そんなトキトのことを話していると、彼女は受付からドリアを引っ張り出して三人が座るテーブルへと戻ってきた。

 

「グラフォス君、トキトさんたちとパーティを組むって本当!?」

「まあ、そうなりました」

「そっかー、よかったねえ。ついにあのグラフォス君がパーティ結成かー」

 

 ドリアは感慨深そうにグラフォスの頭を撫でようと手を伸ばしてくる。

 というかちょっと涙声に聞こえるし、目がうるんでいる気がするがきっと気のせいだろう。

 

 グラフォスはそんなドリアの魔の手を器用に首だけ動かしてよけ続けていた。

 

「なんでよけるのよ!」

「グラ君って結構な苦労人なの……?」

「パーティ結成するだけでギルド嬢を泣かせるなんてなかなかやるじゃねえか!」

「グラフォス君大変だったんだね……」

 

 何やら新しい仲間にいろいろと勘違いされているようである。

 そんなに大変ではなかったし、グラフォスは一人で行動するのが嫌いなわけではない。

 だから決して苦労をしていたわけではない。

 

 ドリアが大げさすぎるのだ。

 

 グラフォスは顔をしかめながらそんなことを考えていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第70節 英雄創作《ヒーロークリエイト》

「そういえばトキトさん。パーティを組むとなれば名前登録が必要ですけどどうします?」

 

 グラフォスがトキトとシャルに謎に同情され、そんな状況を見てアカネが綿綿と慌てている奇怪な状況の中、そんな光景を生み出した発端であるドリアが突然仕事モードになって、トキトにそう尋ねる。

 

「そうか、名前か! 何がいいかなあ。何かいい案とかあるか?」

 

 さすがにパーティ名となると、トキトも突っ走って勝手に決めたりはしないようだ。

 グラフォスは少し考えると口を開く。

 

「『四人パーティ』とかじゃだめなんですか?」

「グラフォス君それは……」

「まんまだな!」

「グラ君って魔法名詠唱の時も思ってたけど、ほんとにネーミングセンスがちょっと……あれなのね」 

 

 シャルは苦笑いしながら言葉を濁してくれたが、自分にネーミングセンスがないことくらいグラフォスも気づいている。

 魔法に大事なのはイメージ力だ。もちろん名前も大事だが、イメージできることが一番だ。

 

 大剣を模した魔法を顕出するのであれば、大剣と名前についていたほうがわかりやすいに決まっている。

 

「自分の魔法にそこまでこだわりもありませんしね……」

 

 まあ試しに出してみただけで、それが本当に決まるとは思っていない。

 ここまでひかれるとは考えてもいなかったが。

 

「グラフォス君、パーティ名っていうのは名前を付けるっていう意味があるだけじゃなくて、そのパーティのモチベーションにもつながるし、生存率も上がる可能性があるの。もちろん名前が有名になればその名前自体が権力になることもある。それくらい名前は大事なんだよ?」

 

 ドリアはグラフォスに諭すようにそう話す。

 確かにかっこいい名前を付けているパーティは多いし、ほとんどがそうだ。

 

 『ドラゴンスレイヤー』なんて名前だったりしたら、これまでドラゴンを何体も倒してきたのかと、実際にそうでなくても何かしら関係があるんだろうなって思ったりもする。

 

「私たちを象徴する名前ってことよね」

 

 シャルの発言を受け、グラフォスは再び頭を回す。

 

 グラフォスたちのパーティを象徴する名前……。

 トレントキングを討伐したのだから、トレントハンター……? 

 いや多分これも却下されるだろう。

 

「なかなか思いつかないものだね……」

「そうだなあ。『クロックスタート』とかどうだ?」

 

 今日もトキトのネーミングセンスが光っている。

 どういう意味なのかは全く分からないが。

 

「どういう意味なの?」

「俺たち戦闘をする中で結構相手の動きを止めたり、足を止めたりする攻撃が多いだろ? まあそれがなかったら勝てなかったわけだし。だから敵は止めるけど、俺たちは止まらねえ! 的な?」

 

 確かに逆説的な意味としては理にかなっているような気がする。

 ただシャルとアカネはなんだかしっくり来ていないような表情をのぞかせていた。

 

「だめかあ。じゃあもう万年岩とかでいいんじゃね?」

「それ自分で言っててむなしくならないの?」

 

 思考をやめたトキトのセンスが格段と落ちる。

 しかしグラフォスはトキトの言葉を聞きながら思考を続けていた。

 

 確かにこれまでの戦闘からとるのもありか……。 

 これまでの戦いで思い出されるのはどうしたって、仲間の姿だ。

 

 グラフォスが死にかけたときに、トキトが死んでしまった時にとんでもない魔法を使ったアカネの姿。

 

 どうしようもなくピンチの時に苦手だという通常魔法を使って敵の動きを止めたシャル。

 

 そしてトレントキングとの戦闘で炎の花を咲かせたトキトのあの姿。

 

 自分が負けたときのものは特に記憶に残っていない。

 いや、残ってはいるがそれよりも仲間の姿が印象的すぎて薄れている。

 あの時彼女らはグラフォスにとって英雄だった。

 

 おとぎ話や昔話に出てくる英雄の姿とどうしようもなくかぶって見えたのだ。

 

「……ヒーロークリエイト」

 

 グラフォスは英雄になりえない。そんなおこがましいことを望んだりもしない。 

 ただ自分は世界を見て、できることならこの世界の理すべてを知ることができればいい。

 そう考えているだけだ。

 

 でもほかの三人は違う。アカネの魔法はトップクラスのパーティを超えているし、シャルのサポート魔法も然りだ。

 

 そして何よりあの戦闘でのトキトは間違いなく英雄の姿だった。

 

 この三人であれば英雄になりえるかもしれない。

 

「ヒーロークリエイト?」

「どういう意味なの?」

 

「……三人は僕の英雄です。これから僕たちが世界にとっての英雄になるのかどうかは知らないし分からないですけど、少なくとも僕にとっては、すごい存在なので、できることなら皆さんを世界の英雄にしたいなっていう……」

 

「英雄を創りあげるか……なんかよくわかんねえけどかっけえな!」

「確かにこっちはなんだかしっくりくるわね」

 

「私にとってもグラフォス君は私の英雄だからね!」

 

「いいじゃねえか、英雄を従える書き師っていうのも!」

「そういう意味で言ったんじゃありません」

 

 グラフォスとトキトが言い合いしている間にシャルがドリアが差し出したパーティ申請書に『ヒーロークリエイト』とかきこんでしまっていた。

 

「いいんですか?」

「みんな納得してたしね。こういうのは決めちゃった方がいいのよ」

 

 グラフォスは自分が提案したパーティ名が採用されたことと、アカネに自分のことが英雄だといってもらえて、少しうれしさを感じていた。

 

「じゃあ始めようぜ! 俺が英雄になる旅をよ!」

「俺たちが、でしょ」

「私は皆さんのお役に立てるよう頑張ります!」

「僕は英雄になんてなれませんしね」

 

 口々に今の思いを口にしながらギルドを後にする。

 

 

 これは一人の書き師が英雄を創りあげる物語。

 小さな町の英雄なのか、はたまた世界を救う英雄なのか。

 それは今はだれにもわからない。

 

 グラフォスにとって一番重要なのは世界を知ることである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==============

第一部完結しました。

ここまでお読みいただいた方は本当にありがとうございます。 

拙い文章で読みづらい箇所も多々あったと思いますが、精進します。

第二部ですがグラフォスたちはとうとう街を出て旅に出るわけですが、もちろん

ミンネが簡単に了承してくれるはずがありません。

第二部のテーマは『師弟対決』です。

ここまで毎日投稿してきましたが、ストックが0のためもしかしたら数週間更新がないかもしれません。

更新が再開された際には、また覗いてくれると幸いです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。