加東圭子にサヨナラを。 著・加藤敬(フォトグラファー) (矢神敏一)
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1)中古カメラなら、新宿駅徒歩五分

著者紹介
 加藤敬:フォトグラファー 昭和32年生まれ。
 少年期をいわゆる軍国少年として過ごし、青年期には学生運動などに興じた。
 軍事評論家を目指していたが、大学在学中に写真家へ転向した。
 北極戦などで従軍記者として活躍したほかは、カールスラントの難民キャンプなどの取材で南方新聞賞を受賞している。

 現在、平京産業大学写真学科特別講師として教鞭を取っている傍ら、写真活動も行っている。


 それはあまりにも偶然の出会いだったように思う。

 

 ある日、新宿のとある中古カメラ屋で、仕事に使うカメラを物色していた。

 

ちょうど、奥まったところにあるスペースを通過しようとしたときである。なんだろうか、予感や第六感とでもいうのだろうか。急に胸騒ぎがして、私はその棚にあるカメラを見なければならないという衝動に駆られた。

 

 そこは、骨董品のコーナーだった。つまり、実用にはあまり適さないカメラ(もっと言えばアンティークとしての価値しかないようなカメラ)の売り場だった。

私はプロカメラマンだ。であるからして、私が求めるべきは純然たる実用のカメラであり、いわゆるインテリアとしての骨董品は私にとって一切の価値を持たぬものだった。

 しかし、私はなぜだかその棚の中にある、ひとつのカメラが気になって気になって仕方がなかった。

 

 私は恐る恐るそのカメラを見る。値札には店主の雑な走り書きの文字でこう書いてあった。

 

Leica Ⅱ (扶桑軍仕様? 銘板ナシ、一致ナシ、シャッター切れました) ¥123,000

 

 私はそれを見て、その胸騒ぎは明らかな高揚と確信に変わった。LeicaⅡ、私はそのカメラのことを終生忘れたことが無い。なぜなら、それは……。

 

 LeicaⅡ。カールスラントの片田舎にある工場で製造されていたそのカメラは、カメラ文明がプレ・モダンからモダンへと切り替わった象徴のようなカメラであった。まさに世界カメラ史上に残る名機であり、このカメラを知らない人は稀だろう。

 愛用者は世界中に在する。加東圭子という人物もその一人である。

 

 そして、加東圭子は、私にとっての死兆星でもあり、ベツレヘムでもあった。

 

 

 

 ウィッチと聞いて。読者らは誰を思い浮かべるだろうか。

 リバウの三羽烏、陸軍の英雄・加藤武子氏、外国に目を向ければ近代魔法航空戦闘額の祖であるエーリカ・ハルトマン氏、音速の女王シャーロット・E・イエーガー氏、さらにはアフリカの星ことハンナ・マルセイユ氏。

 

 数多のエースの名が挙がることだろう。しかし私はその中で、加東圭子の名を挙げる。

 

 彼女の公式撃墜数は23。個性豊かな面々の前では霞んでしまうが、しかし十分にエースパイロットであると言える。

 しかし、扶桑人は彼女の神髄を理解していない。かくいう私も、理解していなかった。あの時までは。

 

 私が彼女にほれ込んだのは、一枚の写真を見たときである。

 

 それは、アフリカの星、ハンナ・J・マルセイユ氏を撮影した写真であった。黎明薄暮の空を堂々と飛ぶ撃墜女王。その写真はマルセイユ氏の代表的な写真と言える。

 しかし私はその写真を見たとき、それを撮影したカメラマンに気を取られた。なぜなら、その写真は明らかに、広角レンズによって至近距離から撮影されたものであったからだ。

 

 詳しく言えばそれは、つまり共に飛んでいる同僚ウィッチによって撮影された写真であることを指し示している。

 私はびっくりした。ウィッチの中に、写真機を操る者がいたという事実に、私は打ちのめされた。

 そして何よりも、その写真はあまりにも美しかった。

 

 それはモノクロの写真だ。空の美しさなんて、モノクロフィルムには記録できない。彼女の上気した肌の色も、瞳の温度も、戦時中のモノクロフィルムには何一つ記録することができない。そのはずなのに、その写真からは強敵を軽々と撃墜し、そして信頼する同僚へ向けて親愛の情を見せる息遣いがなによりも伝わってくるのである。

 

 私はその時、手に持っていた当時最新鋭のデジタルカメラを投げ捨てたくなった。こんなこと自分の口から言いたくもないが、私の手ではその写真を撮ることができないということに、私はプロカメラマンのある種のカンで、気が付いてしまったからだ。

 そして私はそれを、許すことができなかった。

 

 私は加東圭子という人物に釘付けになった。私は見事に、彼女に憑りつかれたのだ。

 

 

 

 私はカメラ屋の店主に、これが欲しいと言った。すると、店主は苦笑いをした。

 

「そのカメラはね、ちょっとおかしいよ」

 

 店主はそう言いながらも、棚のガラス戸を開けるカギを持ってきてくれた。店主はそしてガラス戸を開けながら、私にこう言った。

 

「これはね、売りに来たモンがなにやら扶桑陸軍が使っていたカメラだというから高値で買い取ったんですよ。でもねえ、ロット番号が一致しないし、そもそも陸軍の偵察部隊はLeicaのカメラを正式採用していないんですよ」

 

 店主はそう言いながら、軍手をはめてそのカメラを取り出した。そのカメラはかなり傷が付いていて、厳しい環境で使用されたことを思わせた。

 

「しかし、そんなに怪しいカメラならなぜ高値で買い取ったんですか?」

 

 このカメラを見ながら、しかしそんな疑問が湧いてきてしまった。それに対し、店主は苦笑いをした。

 

「それがどうも、軍人が機材をいじった形跡があるのですよ」

 

 そう言いながら店主はこっそり私に耳打ちをしてきた。

 

「ここだけの話ですが、このカメラを引き取った時、シャッター幕に()()フィルム片が挟まっていました」

 

「あるフィルム?」

 

 店主は急に声を静めてそう言うものだから、私はその先が気になった。

 

「赤外線撮影フィルム、というやつなんですがね。まあ要するに、航空偵察なんかを行うためのフィルムです」

 

 航空偵察。私はここでピンときた。

 

「もしかして、ウィッチ……?」

 

 私がそこまで言うと、店主はシっ! と口元に人差し指を立てた。

 

「しかし、扶桑陸軍の航空偵察用カメラは……」

 

「ええ。現・タレルホの九九式写真機やFUKKOR、今のフコンのフッコール機なんかがそれにあたりますね」

 

「確かLeica(ライカ)は調達対象外でした。そりゃそうですよ。確かあの戦争では、カールスラントはかなり手痛くやられてましたから」

 

 私の言葉を店主は肯定した。だがしかし、店主は私の意見までは肯定しなかった。

 

「中に入っていたフィルム片は、35㎜用赤外線フィルムでした。これは当時、リベリオンで極秘裏に開発が進められていたもので、戦後しばらくたちますが未だに市場には出回っていません。純然たる軍事用です」

 

「では、本当に……?」

 

 私の驚きを、店主はただただ頷いて認めた。

 

 私は、そのカメラを手に取った。黒とシルバーの単調な組み合わせでシャープに作り上げられた、いわゆるシルバークロムというデザインは、バルナックライカのそれである。

 

「私の予想では、もしこれが制式のものであれば黒田邦佳(くろだくにか)さんあたりが使っていたのではないかと推測しています」

 

 私の耳はもはや彼の説明を聞いていない。なぜなら私は、とんでもないことに気が付いてしまったからだ。

 

「LeicaⅡ、シルバークロム、ウィッチ……」

 

 加東圭子氏のLeicaⅡも、シルバークロムであった。

 

 そのことに気が付いた瞬間、私は誤ってそれを取り落としてしまいそうになった。

 

「……やはり、あなたもその考えに至りましたか」

 

 先ほどまで黒田氏がどうのと言っていた店主は、やはり静かにそう言った。

 

「補足ですが、このカメラが持ち込まれた時、可動部に砂が付着していました。修復時に除去してしまったために現存はしていませんが」

“おそらく、()()()()の砂漠で付いたものでしょう”

 

 店主は言外に、私の考えが正しいであろうことを伝えてくる。

 

「主人、これがもし私にこのカメラを買わせようという策略であるなら、怒りますよ」

 

「何を言います。もし私がお客に吹っ掛けたいなら、私はこれを麗しの黒田嬢が潜入作戦の際に使用したカメラだと言い張りますよ」

 実際にはそんな作戦はありませんが、と店主は舌をチロリと見せながらそう言った。

 

「主人、これを買います」

 

 私は半ば反射的にそう言った。別に店主を信用したわけではなく、私がこれを彼女のカメラであるはずだと直感したからである。

 

「あなたも、加東圭子に見惚れた人間ですか」

 

 店主は半ば苦笑しながらそんなことを言ってきた。私はそれに、淡々と答えた。

 

「ええ。彼女は私の心を折った人ですから」

 

 

 

 私はこの時、戦場カメラマンとしてアフリカ中東部へ出張するように要請を受けていた。私はその回答を留保していたが、しかし私はプロカメラマンであるから、万が一のっぴきならない事由によって要請を受け入れなければならない状況になってもいいように用意を進めていた。

 具体的に言えば、戦場にもっていくカメラの調達だ。戦場というのは特殊環境下であるから、実は普通のデジタル一眼レフでは撮影に適さない場合がある。

 むしろ、例えばフィルムカメラの方が、撮影の際に都合がよい場合が多い。

 というのも、戦場というのは不意に政治的機密に遭遇しかねない場所であるからだ。もちろん、そういったものを記録し持ち帰るのがカメラマンとしての誇りではないかと思われる諸兄も居ろうが、しかしやはり、戦場で大切なのは自分の命である。

 

 もし万が一、機密地域(日本で言えば要塞地帯のような場所)にカメラを持って出歩いているのを警()に見とがめられたとしよう。

 この時、フィルムカメラであれば直ちにフィルムを引き出し感光させ、フィルムを無効化することによって身の潔白を証明できる。

 しかし、デジタルではそうはいかない。こういう時、潔白の証明や記録の物理的な所持という点で、アナログはデジタルに勝ることがある。

 これは、私のようなカメラマンには半ば常識である。(この知識はスラム街などを撮影する場合にも役に立つことがある)

 

 というわけで私は、扶桑最高峰のカメラメーカー、FUKONの旧型フィルムカメラを買いにカメラ屋くんだりまでやってきたわけだが、しかし手に入れたのは骨董品のLeicaだった。

 

 私は友人に事の顛末を打ち明けると、その友人(ここでは仮にエヌとするが)はいつものようにニヒルな苦笑いをした。

 

「彼女は君の運命の人だからね。無理もない話だ」

 

 彼はリベリオン製のスマートフォンを気障にいじくりまわしながら紙ストローに口を付けた。そして滴り落ちる結露を見ながら、半ば投げやりに結論を出す。

 

「行ってくればいいだろう、アフリカに。そのカメラを持って」

 

 彼はそう言って、ある物体を私に投げてよこした。

 

「なんだい、これは」

 

「加東圭子が愛用していたとされるフィルムだ」

 

 それはクーラーボックスの中に厳重に保管されていた。私は恐る恐るそのボックスを開けると、ドライアイスの煙と共にそれは姿を現した。

 

「コダクローム64、か。もう有効期限は10年以上前に切れてるはずだ」

 

 私がそう言うと、エヌは肩をすくめた。そんな彼に私はたたみかける。

 

「当然、こんなフィルムを現像している現像所も無い。貴重ではあるが無用の長物だ」

 

「俺は、今でもそのフィルムを現像できる技術と設備を持っている」

 

 私の抗議のような指摘に対し、彼は淡々とそう言った。

 

「これは依頼だ、加藤。かつて加東圭子が使ったフィルムで、かつて彼女が大空をかけたその地の今を、撮ってこい」

 

「二つ、言いたいことがある。一つは、加東圭子がコダクローム64を使用したという証拠がない」

 

 私はまるでネットの情報を鵜呑みにした学生の論文を添削するかのように、やはり淡々と事実の指摘を行う。

 

「私が知る限り、彼女が使用しているフィルムはそのほとんどがモノクロフィルムであり、カラーリバーサルフィルムであるコダック64を彼女が使用したという記録は残っていない」

 

「さすがは扶桑における加東圭子研究の第一人者だ。しかし、ならばこの話も知っているはずだろう。彼女には、ハンナ・J・マルセイユの秘密の姿を映したカラー写真を所有している可能性があるということを」

 

「根も葉もないデマだ。もし学生がそんなことを書いてきたなら、私は大学に何と言われようともその学生に落第点を付ける。なんならゼミから追い出してやってもいい」

 

「君ほどの写真家であり研究者である君から、尚早な断定の言葉を聞きたくはなかったね。事実、加東圭子がカラーフィルムを使っていたと思しき記述自体は存在する」

 

「大方、フジヒガシのフジの方と間違えたんだろう。扶桑人は昔から加東圭子に冷淡だ」

 

「加藤!」

 

 エヌはいつものふてくされた顔をやめ、真剣なそれで私に詰め寄った。

 

「行ってこい」

 

「ヤダね」

 

「お前は加東圭子に憑りつかれてる。だから第一線を退いて大学講師になんて成り下がったんだろう」

 

「後進の育成は先人の義務だ」

 

「アナーキストのお前が義務だって? 馬鹿を言うな、学生運動の時に自分で言った言葉を忘れたか。お前はきちんと授業を受けるべきだといった俺に、義務とは左足で蹴飛ばすものだといったんだぞ」

 

 彼は紫煙を燻らせながら強い口調でそう言う。

 

「サヨナラを言ってこい。加東圭子と、決別してこい。お前は、加東圭子に憑りつかれてる」

 

 それが、君の隣のゆりかごで揺られてた私からの唯一の助言だ、とエヌはそう言った。

 

「いってこい、アフリカに」

 

 私とエヌは、同じ日の同じ年に同じ病院で生まれた仲だ。お互い死にかけながらここまで生きてきた。私の心は、彼と同じだ。

 彼にそう言われては、私は動かざるを得ない。

 

「お前さんがそう言うんだ。間違いなかろうよ」

 

 エヌが返事をするより先に、私はクライアントへ電話をかけた。

 

 アフリカへ行きます、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃弾が飛び交い、そしてネウロイから発射されたであろう飛翔体がすぐそこに落ちてくる。そんな環境にいま、私は居る。

 クライアントの要請で場所を明かすことはできないが、そこはまさに最前線だ。

 

 私はここで、人生をか賭けた勝負をする。今までの私の人生のすべては、ここにある。

 




ライカⅡ(LeicaⅡ)
 LeicaDとも。帝政カールスラントのカメラメーカーであるライカが生み出したカメラ。近代カメラの祖とも言える、いわばフィルムカメラの原型である。
 いわゆるバルナックライカであるが、知名度や流通ではバルナックライカの完成形と名高いLeicaⅢシリーズに軍配が上がる。
 スローシャッタは無し、最高シャッタースピードは1/500である。

 なお、航空用ライカはそのほとんどがLeicaⅢまたはLeicaⅢcであり、LeicaⅡは制式では確認されていない。

 また、ライカDⅡという呼び方をされることも多い。(これはライカCの後継に当たるとされたため。正式名称ではない)

 現在ではそのほとんどが骨董品としての扱いを受けるが、一部において未だに使用されている。


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2)デジタル加藤/アナログ加東

 加東圭子氏の代名詞と言えば、「居合撮影」と通称される独特な撮影技法だろう。

 

 これに関しては自著による言及こそないものの、多数の目撃証言やその技法によって撮影された写真が残る。

 だが、この居合撮影の詳細、具体的に言えば方法について記述した文章は存在しない。残っているのはこういった類の証言のみである。

 

 

「加藤圭子は居合の要領で瞬く間にカメラを取り出すと、気が付かない間にシャッターを切り、そして気づいたころにはカメラはもうすでにその懐の中にあった。」(鈴木2013)

 

 

 この”居合の要領”というのは、要するに剣道における居合切りの要領と理解してよかろう。そしてこの部分に関しては当の本人が「居合の要領ヨ」と答えたという出典不明の証言(おそらく稲垣真美氏の手記と思われる)が存在している。

 

 長々と述べたが、つまりは決定的瞬間を逃さないための手法といえるだろう。

 面倒な話になるが、写真とは被写体だけでは成立しない。被写体を撮影する者が居なければ話にならないのだ。

 問題は、この撮影者が被写体に対し影響を与えてしまうという点である。

 

 この居合撮影はこうした被写体に対する影響の最小化に有効である。なぜなら、証言によればこの居合撮影では被写体は撮影されたことに気が付かなかったというからだ。

 

 

 

 しかし、私はプロカメラマンとして一つの疑義をここにはさみたい。というのも、本当にこの居合撮影は可能なのかというところが、現代の基準に照らし合わせると非常に疑わしいのである。

 

 せっかく、加東圭子氏が使っていたと思しきカメラが手に入ったのだ。試してみよう。

 

 

 

 というわけで私はアフリカはエジプト、カイロ市にやってきた。ここで飛行機を乗り継いで戦地へ征くのだが、トランジットの兼ね合いで少々どころでない隙間時間ができた。

 戦場へ行く前に、ここで腕試しとしよう。

 

 さて、ちょうどいい街角へやってきた。そこにおあつらえむきに花屋があり、アラブ人の女性が花を買っていた。

 

 私は腰に下げていたポーチから素早くカメラ・LeicaⅡを取り出すと、シャッタースピードを設定して、絞り(後述)を設定して、それからファインダーを覗きこんでピントを合わせて……。

 

 シャッターを切る。ここまで15秒。これがプロの数字である。

 

 しかし、この15秒というのは、その女性が私を見てヒジャブで顔を隠すには十分なタイム・ラグである。

 これでは、加東圭子氏がかつて成し遂げた金字塔には遠く至らないであろうことは明白だ。

 

 これではいけない。くしくも、ここは金字塔(ピラミッド)のお膝下であるからして、私はここであきらめるわけにはいかないだろう。

 

 

 次は明るさの調節の過程(シャッタースピードと絞り)を省略することにする。これは事前に数値を調整しておいて、あとはそのままという方法である。

 精度は劣るが、そもそもとしてこの完全アナログカメラに精度もクソも無い。

 

 また、ピント合わせはファインダーを覗きこまず、目測と手の感覚だけで合わせることにする。

 

 このLeicaⅡというカメラは少々特殊な「レンジファインダー」というタイプの機種であるのだが、この類はファインダーに付いた距離計によってかなり正確にピントを合わせることができる。

 それをあえて使わないというのはもったいないようにも思えるが、致し方ない。

 

 

 

 今度は路地裏で、女性が子供に何かを上げている場面に出会った。

 

 私は素早くカメラを取り出す。レンズを引き出し、目測で距離を測り、ピントを合わせる。

 明るさに関わる設定はいじらず、ファインダーで構図だけを少々確認して、シャッターを切る。

 

 今度は約5秒ほど。かなりの進歩だ。

 

 しかし、今度もやはり女性に気が付かれてしまった。彼女は怖い顔をしてこちらにやってくる。

 

「申し訳ないが、写真を削除してはもらえないだろうか。私はカールスラントの軍人である」

 

 被写体にばれ、挙句に削除まで要請されてしまった。これでは失敗である。

 

 

 さて、前にも申し上げた通り、フィルムカメラの利点はこうした状況においてその対処がしやすいというところである。

 私は目の前の女性がまさか軍人であるとは知らずにシャッターを切ってしまったわけで、これこそまさに不意遭遇戦とでもいえるだろう。

 

 この場合、私はLeicaⅡの中にあるフィルムを引き出して感光させることによって、誠意の表明、すなわち写真の削除をすることになる。

 

 だが、ここでひとつ、私は彼女引退してゴマカシを試みてみたくなった。

 

「お嬢さん、これはフィルムカメラというものです。つまり、今からフィルムに光を当てれば、写真はすべて消えます。よろしいですね?」

 

「結構」

 

 そう言われて、私は()()()()()()()()()()()()レンズを外し、そしてシャッタースピードを最低にセッティングした。

 こうすることによって、フィルムに直接光が当たり写真はだめになる。

 

 ……だが、読者諸兄らはお気づきであろうか。この場合、実は”彼女を撮影した写真”は無事である可能性が高いのである。

 私はレンズを外しフィルムに光を当てる前に、フィルムを巻いた。これにより、彼女の姿を映しているであろうフィルムは一つ横にズレているので、この写真の安全はほぼ確保されている。

 

 戦場でカメラを握るなら、これぐらいのクレバーさは必要だ。どんな手段を使ってでも写真を本国に届ける。それが戦場を駆けるカメラマンの最大の仕事である。

 

 さて、目の前の彼女はなんとかごまかされてくれたようだ。

 

「よろしい。以後気を付けるように」

 

 私は安堵した。この場でこのトリックに気が付いている人間は、私以外に誰もいない。そう思うと、なんだかちょっと「してやったり」という心持ちになってくる。

 

 だが、残念ながらこのトリックに気が付いたものが一人だけいた。その者は私の背後から静かに近づくと、肩をポンポンと叩いてこうささやいた。

 

「ダメじゃないですか先生、おイタしちゃ」

 

 優しい声でそう言ってきたその者は、いたずら気な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は彼女たちに連行され、軍の屯所までやってきた。もちろん、軍の機密であるウィッチを盗撮したというのが私の咎である。

 

 だが、私は軍警察に拘束されるなどということはなかった。それは、私のトリックを見破った少女が私をかばってくれたからである。

 

「盗撮の要件は、それがわいせつ使途であること。今回はそれに該当しません」

 

「私にもプライバシー権がある」

 

「公道上だからそれには当たらないわ。それに、この国には迷惑防止条例は無いの」

 

 そこまで言い切ってから、彼女は私の方を向いた。

 

「ねえ、()()?」

 

 私のトリックを見破り、そして私を擁護してくれている彼女は、扶桑軍の人間だ。

 

 

 そして同時に、私の教え子でもあった。

 

 

「星見君じゃないか。よく授業を覚えているじゃないか」

 

ゼミ(ソーシャルサイエンス実習)でも極限環境社会学Ⅰでも同じことをおっしゃっていましたから」

 

 星見咲奈君。私のゼミの卒業生だ。就職浪人をして苦しんでいたとは聞いていたが、公務員になっていたとは驚きだ。

 

「しかし先生、あんなウソをつかなくてもいいじゃありませんか。堂々としていろと仰ったのは先生では?」

 

「君、それは授業の内容を聞き漏らしているぞ。私は極限環境社会学Ⅱで『極限環境においては生存と使命の遂行のために倫理が意味をなさなくなる事態が発生する』と教えたはずだ」

 

「リリィに殺されると思いましたか?」

 

 星見君はけらけら笑った。

 

「大丈夫ですよ、先生。私たちは先生の命を頂戴しに来たのではなく、先生の護衛のために参りました」

 

 ねえ、リリィ。星見君が言うと、リリィと呼ばれたカールスラント軍のウィッチは苦々し気な顔だ。

 

「まさか保護対象がこんな男とは。君の言によれば素晴らしい男性とのことだったのだが」

 

「あら。世界で初めてデジタルカメラを戦場に持ち込んだり、南極戦線の一部始終を最前線で取材した戦場カメラマンの第一人者よ」

 

 星見君がそういうと、彼女は本当に渋々という顔で敬礼を見せた。

 

「リリー・デ・グロスマン准尉だ。Herr Kato、我々は従軍記者であるあなたを必ず護衛する」

 

 偶然か、不幸か。彼女はカイロから先、戦地での私に付き添い守ってくれる護衛担当であった。そしてつまるところ、良好な関係を維持しなければならない取材対象である。

 これはまずった。

 

「驚きました。いやはや、とんだ失礼を。どうかよろしくお願いします」

 

 私は扶桑人的な愛想笑いを浮かべて彼女に手を差し出すが、彼女はそれを一蹴した。

 

「規則に反していないというのであれば、私は貴様の行動を咎めたりはしない。だがしかし、規律に従わなかった場合はその限りではない」

 

 まるで凍てつくような言葉に、私は苦笑いしかできなかった。

 

「わかってますよ、プロですから。時にリリーさん。護衛は君ひとりかい?」

 

 私は話題を変えるためにこんなことを言った。しかし彼女の眼光は厳しくなるばかりだ。

 

「マスコミのくせにそんなこともわからないのか。そんなはずがないだろう」

 

 そもそも私は航空ウィッチではないから、基地までの空路を護衛できない、と彼女は言う。

 

「では、他のウィッチはどこに?」

 

 リリーは大きくため息をつき、呆れたようにあごで指した。その延長線上には、星見君がいる。

 

 彼女はにこっと笑ってこう言った。

 

「やだなあ先生。私ですよ、わ・た・し」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エジプト上空は快晴である。私は連絡機の中で星見君と隣り合っていた。

 

 彼女は即応待機ということで、その足にストライカーを穿いている。彼女は本当にウィッチであるらしい。

 

「大学を卒業してからかなり苦労をしたと聞いていたが、まさかウィッチになっていたとは」

 

 ウィッチの高齢化は全世界的な課題である。だが、だからといって大卒程度の人間がウィッチになるという話は聞いたことが無かった。

 

「私、実習の成績が悪かったじゃないですか」

 

「講座が優秀だっただけにとても残念だったよ。あそこまで実習が足を引っ張る学生というのも珍しかったね」

 

「ええ。ですから、ずっと考えていたんです。私に出来ることって何だろうって」

 

「それが、これかい?」

 

「その血筋であることは知っていました。最初は怖かったですが、意外と何とかなるものです」

 

 彼女は飄々とした笑みを浮かべた。

 

「それで先生。さっきは何をしてらっしゃったんですか?」

 

 彼女は、未だ私の手の中にあるLeicaⅡを見咎めてそう言った。

 

「加東圭子という女性を知っているかい?」

 

 私が問いかけると、星見君は少し考えた末に答えを出した。

 

「はい。扶桑陸軍第五十五期航空歩兵で、扶桑海事変などで活躍されたエースパイロットです」

 

「私はもう君の先生じゃないんだから、そんなに固くならなくて結構。しかし、正解だ。では、彼女の代名詞と言えば?」

 

 そう問いかけると、彼女の頭の中で私の作ったレジュメのページがめくられる音がする。

 

「えっと、確か居合撮影だったかと……。あっ」

 

「よく覚えていたね。その通りで、私は居合撮影の実証を試みていた」

 

 そういいながら私はLeicaⅡを取り出した。

 

「それは……?」

 

「加東圭子氏が使用していたのではないかと目されるものだ」

 

「そんなものを使って実験ですか、さすがは先生です。それで、結果は?」

 

「見ての通り失敗だよ。いやはや、加東圭子の背中は遠い」

 

 加東圭子氏なら、リリー准尉に嫌な顔一つさせることなく撮影を済ませ、飄々とした顔をしていたであろう。だが、私にはそれができなかった。

 加東圭子氏がどのようにしてこれを成し遂げたのかもわからない。

 

「先生ほどの方でも、難しいですか」

 

「私()()()だから、かもしれんよ」

 

「デジタルカメラの第一人者が、()()()ですか?」

 

 星見君は、いたずらっぽく口角を上げた。

 

「私はデジタルを追い求めたんじゃない。アナログから逃げたんだ」

 

 私はそう言うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連絡機は無事に※※※※基地(以後、前線基地)に到着した。だが、到着してすぐ、敵ネウロイから発射された飛翔体の接近警報が発令された。

 私は飛行機を降りてすぐ防空壕へと逃げ込む羽目になる。

 

 近隣陸軍基地のロマーニャ軍砲兵隊が応射を行うと同時に戦闘攻撃機隊が出撃。さらに前線基地からも制空隊と星見君率いるウィッチ小隊が出撃し、敵ネウロイ陸上型を撃破した。

 

 しかしながら前線基地は地上勤務者3人の犠牲を出し、またロマーニャ軍砲兵隊もFH70×3門及び後方勤務者2名を含む5名の犠牲者を出した。

 

 攻撃が止み防空壕から飛び出してすぐ、私は目の前に空いた大穴を見ることになる。

 

 それを前にして、私の身体は思い出した。ここは、明らかに戦場である。

 

 そして私は、ここで戦うのである。記者として。




・レンジファインダーカメラ

定義)光学視差式距離計が組み込まれており、測定距離に連動して撮影用レンズの焦点を合わせることのできるカメラ

特徴)写真を写すためのレンズと距離を測る/構図を得るためのレンズが別である。
 欠点:写真を写すためのレンズから得られる光を直接観測できる一眼レフカメラと異なり、ファインダーで見たものがそのまま写真とならない。
 つまり、構図が少しズレたり、あるいはレンズキャップの外し忘れに気が付かないなどのことが考えられる。

 利点:距離計による測定がその他のものと比べて正確に行えるとされている。
 また、一眼レフと違いレフ(ミラー)を必要としないため、構造の単純化・軽量小型化において有利である。
 またこの点はレンズの設計自由度の向上にも寄与している。


 LeicaⅡ(およびバルナックライカ)はレンジファインダーカメラの代表的な機種である。
 LeicaⅡは二眼式ファインダーであるため、距離測定用ファインダーと構図決定用ファインダーが異なる。(模造品のカンノンなどは単眼式であるため、ファインダーは共通)

 撮影には以下の工程が必要である。

1)カメラを取り出し、レンズの準備をする。
 (沈胴式レンズの場合はレンズを引き出す。レンズキャップを付けている場合は忘れることなくキャップを取り外す)
2)目視にて明るさを確認する。
3)明るさの設定を行う。
 (装填しているフィルムの感度を考慮し、絞り及びシャッタースピードを調節する)
4)測距用ファインダーを覗き距離の測定を行い、以てピント調節を行う。
5)構図決定用ファインダーを覗き構図を決定する。
6)シャッターを切る


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3)歴史に埋もれた5センチメートル

 戦場の空気は、どこも同じだ。そこは死と隣り合わせで、どことなく覚悟と葛藤が入り混じっている奇妙な緊張感が支配している。

 

 この基地も、そうだった。

 

 

 昨日の攻撃で設備はボロボロである。施設課の活躍で滑走路と居住区だけは手っ取り早く直されたが、作戦室などは資料を地下壕に押し込んでそこにただ天幕を張っただけだ。

 

 そも、航空基地は敵地上勢力の肉薄を想定していない。被害が甚大になるのは当然と言える。

 

 ただ、この前線基地では敵地上軍による遠距離攻撃は日常茶飯事らしい。また空襲もたびたびあるらしく、私は当地にやってきてまず防空壕の場所を完全に覚える羽目になった。

 

「しかし、先生は戦場慣れしてらっしゃる。避難訓練を繰り返す必要がなさそうなのはありがたいです」

 

 そう不気味なことを言うのは、扶桑政府担当者の小畑さんである。

 

「しかし、無茶はせんでくださいよ。政府嘱託の人間が負傷したなんて、大きなスキャンダルですからね」

 

 政府の人間はいつも小うるさい。彼らはそれが仕事なのだから仕方がないことではあるのだが、もう少し静かにできないのだろうか?

 

 

 

 そんなことを考えていると、ウィッチ達に出撃の命令が下ったようだった。私は滑走路に急ぐ。

 

 そこには、今まさに飛び立たんとする星見君の姿があった。私はここにきて、教え子が空を飛ぶんだという事実をやっと現実のものとすることができた。

 

「あまりぞっとしないね。教え子が戦争に行くというのは」

 

 こんな経験は大学教授をしているとなかなかないものだ。小中学校の先生方は常にこんな気持ちと向き合っていたのかと思うと、いたたまれなくなってくる。

 

「それは彼女が女だからか? 若いからか? それとも、身内だからか?」

 

 後ろから、そう声をかけてきたのはリリィ准尉だった。彼女もまた、戦闘装備に身を包んでいる。

 

「ああ、それは多分にあるだろうね。ここで教育者の矜持とやらを持ち出すつもりはないよ」

 

 私がそういうと、彼女は戦車を持ちながらフンと鼻を鳴らした。

 

「少女だろうとオヤジだろうと、ここでは何ら差別されない。人類が幸福を享受するために、我々はどんなカテゴリーに居ようとも、平等に命を差し出さねばならない。それが、人類が生存するということだ」

 

 彼女はそう言って私の肩に触れた。

 

 冷徹で規律に煩いいかにもカールスラント人としたリリィは、本当に無口で冷たい女だ。

 

 だが、彼女が触れたその手は、小さく震えていた。

 

 彼女は間違いなく人間だった。

 

 

 さて、星見君が離陸を始める。私はデジタル一眼レフ「フコンD5」に長望遠レンズFUKKOR 200-500㎜ F5.6を付けて撮影に臨む。

 

 世界最高級カメラに国内最新鋭のレンズで彼女の一挙手一投足を捉える。

 大きな魔方陣が生まれ、バックファイアが大きく噴き出る。そして彼女は瞬く間に速度を上げ、V1,VR、離陸。

 そこからは水平に飛んだかと思えば、一気に頭を上げて高空へと飛び上がった。

 

 彼女が履いているのはF-15EJ戦闘脚。高高度制空機らしいハイレートクライムである。

 

 私は彼女のコントレイルを、ずっとずっと見上げながら、無心にシャッターを切り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、ここらで今回の目的を整理しておこう。

 私は南洋外事新聞社の依頼で扶桑軍に随行し戦場の取材にやってきた。彼らが欲しがっているのは、すなわち「前線の真実」だ。

 

 この前線の真実というのは、別に戦争に隠れた巨大な陰謀でも、はたまた「戦争は女の顔をしていない」かのようなメッセージ性のあるものでもない。

 ただ単に、「今、前線では何が起こっているのか」ということだけが、私に託されている。

 

 今、前線では何が起こっているか。戦場のありのままの姿とはどのようなことか。カメラを携えながら考える。

 

 まず最初に思い当たったのは、各国の人間が協力して事態に当たっているという事実である。

 

 目の前の扶桑人が、ロマーニャ語でカールスラント人に話しかけた。すると、カールスラント人はそれに対しリベリオン語で返答をする。それをたまたま聞いていたリベリオン人がロマーニャ語で口を挟むと、通りかかったロマーニャ人がこう結んだ。

 

「OK,アダチさんの提案でいきましょう」

 

 とてもきれいな扶桑語だった。

 

 

 

 基地内は多言語にあふれている。道に迷い出口を探していると、親切なリベリアンが「デグジットはこちらですよ」と教えてくれた。

 意味が分からず教えられた方へ向かうと、そこには「出XIT」と書かれていた。扶桑語とリベリオン語を混ぜた造語であろうか? 珍妙な洒落だと思っていたら、言った本人はどうにも大真面目である。

 

 恐ろしい言語的闇鍋がこの基地にはある。これはきっと、意思疎通を素早くかつ正確に行うための知恵なのだろうなと、私は思い至った。

 

 その「出XIT」を扶桑人・ガリア人・リベリオン人の集団が通りかかった。彼らは真面目な顔で何かを議論している。私はそれを、デジタルカメラで切り取った。

 

 

 

 ほかには何かないだろうか。例えば、天幕の中で参謀達が懸命になにかを検討している光景。薄暗く蒸し暑いところで、彼らは地図と向かい合いながら必死に考えを巡らせている。

 

 私はカメラをデジタル一眼レフ「Fukon D5」からデジタルミラーレスカメラ「タレルホExd」に持ち替えてその横顔を切り取った。

 

 さて、今私はカメラを持ち換えた。私はこの地にカメラを四個ほど持ち込んでいる。

 

 なぜそんなに持ち込む必要があるのかというと、それは「TPO」に合わせてカメラを使い分けるためである。

 

 「エニタイム・エニウェア」などという都合のいいカメラはこの世に存在しない。そう謳っているカメラがあるのは承知しているが、たいてい何らかの要素が欠落しているのである。

 もしそれを大真面目に信じて戦場にやってきてしまったら、取り返しのつかないことになる。最低限の保険として、せめて二機は機材を持ち込むのがよいだろう。

 

 例えば、この天幕の中は狭くて暗い。目で見る限りはそこまで暗くは感じないのだが、野外と比べるとそれは一目瞭然だ。

 だから暗闇にもある程度対応できるカメラを使う必要がある。

 

 それに加え、狭い。ただ単に暗闇であれば、私は先ほど使った「Fukon D5」という世界最高峰のカメラを使えばいいだけの話だ。

 しかし、狭い天幕の中で大きな図体のカメラを振り回しては邪魔になる。だから、ある程度暗闇にも対応しており、なおかつ小型である「タレルホExd」をここでは使用するわけである。

 

 これ以外にも、例えば軍事的にセンシティブな場所を私用で撮影するさいにはフィルムカメラを使うし、治安的に不安定な場所では「撒き餌カメラ」(安価で失っても惜しくない低級機材)を使う。

 

 これで計四つ。私はこの四台で世界を渡り歩いている。

 

 しかしそう考えてみると、改めて加東圭子という人物は偉大だ。

 

 彼女はたった一つの愛機「LeicaⅡ」だけで、世界を渡り歩いたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一通り基地の中を撮り終わると、私は基地の外へちょっとだけ出た。するとすぐ近くに無数の墓標が居並ぶ場所があった。

 

 その光景は異様だった。よく見ればそれは、当地で散った戦士たちの墓だった。

 

 そしてそこには、真新しい三つの墓標があった。

 

「西沢 綾乃(1995~)」

 

 墓標の一つには、そう書かれていた。私はそれを見つけると、思わずそこに頭を下げた。

 

「こんなものまで撮るのか」

 

 その時、後ろから声がした。その主はリリー准尉だ。

 

「そんなものまで撮って、何になる」

 

「わからない。だが、彼女が生きた証は、未来へと遺る」

 

 何度も繰り返した問答だ。そう言えば、星見君からも同じ質問を受けたことがある気がする。だから、

返事は早かった。

 

「遺して何になる」

 

 それに比べて、彼女の返答は遅く、それでいて予想通りのものだった。

 

「何のために、だとか、遺すか遺さないか、だとか、そんなことを議論する前にまず遺す。それが我々人類の使命だ」

 

「それがたとえ、死骸(むくろ)だとしてもか」

 

「もちろん。それが人類の後悔であり、存在意義であるからだ」

 

「わからんな」

 

 彼女はそう言いながら墓標に花を手向けた。

 

「一つ、聞きたい」

 

 彼女は墓標から目を離さずにそう言った。

 

「私の骸も、撮ってくれるか」

 

 それは予想外の言葉だった。だが私は、即座にうなずいた。

 

「当然。プロですから」

 

 それが私の使命だと、心得ている。

 

 

 

 

 

 

 

『それで、どうだい』

 

 友人エヌはわざわざ衛星電話で話しかけてきた。

 

「リリー准尉の作戦行動に帯同する許可を取った。明日からは最前線だ」

 

 そういうと、電話口の相手は嬉しそうだ。

 

『それで、加東圭子には迫れたかい』

 

「ダメだった」

 

 結局、居合撮影は失敗に終わった。加東圭子という壁は私の前に依然として高くそびえている。

 

『5秒、か。たとえば、レンズキャップをあらかじめ外しておくだけでも2・3秒は短縮できるだろう』

 

 5秒のうち、かなりの時間をレンズの準備に取られている。レンズキャップを外し、沈胴レンズを引き出すという作業。エヌの言う通り、これだけでも3秒は違うだろう。

 

「しかし、このレンズはズマール5㎝F2。こんなレンズを砂塵の多いこの場所でキャップを外したままにしていたら、どうなるか」

 

 加東圭子が使用していたとされるカメラ(ライカⅡ)に付属していたこのレンズ「ズマール5㎝f2」。

 基礎設計に秀でるもガラス部材が劣悪で失敗作の烙印を押された悲運のレンズだ。

 特にレンズ表面に自然と傷がつくことで有名で、そんなレンズを砂嵐吹き荒れる砂漠で放置すればどうなるかは明らかである。

 

『言われてみればそうだ。……そもそも、加東圭子は本当にズマール5㎝f2を使用していたのか?』

 

「それについては、実は証言がある。」

 

『ほう、というと』

 

「加藤武子、を知っているか?」

 

 加藤武子氏は、加東圭子氏と名前の似ている航空ウィッチである。不運なことに二人は同機であり、僚機であった。

 加東圭子氏はよくこの武子氏と自分を比較して意識していた。

 

 なにより、加東圭子氏がカメラを始めたのは、この加藤武子氏がカメラ趣味者であったからである。

 

 面白いことに、この二人の確執は表沙汰になることこそなかったが、各方面に重要な証言を遺している。これもその一つだ。

 

「彼女は加藤武子氏が使用していたカメラと自分のLeicaをよく比較していた。その中で彼女は『ビオゴンは明るくてうらやましいけれども』と発言している」

 

 ビオゴン、というのは武子氏が使用していたレンズである。正確にはカールツァイス・ビオゴン3.5㎝F2.8。

 

『待ってくれ、おかしいぞ?』

 

 そう、この発言は明らかにおかしいのである。

 

「まず第一に、35㎜レンズと50㎜レンズを比較しているというのが腑に落ちない点だ。もう一つ、なぜ加東圭子は武子の”ビオゴン”をうらやましがったのだろうか」

 

 ”明るいレンズ”の定義は様々であるが、一般的にはそれは「絞り」というもので定義される。

 

 この絞りの数値(先ほどからFで示されている数値だ)が小さければ小さいほど、それは「明るい」。

 

 ビオゴンはF2.8。(加藤武子)

 ズマールはF2。(加東圭子)

 

 たった0.8の差ではあるが、加東圭子のレンズの方が明るい。

 

『ということは、加東圭子はズマールを使用していなかった?』

 

「可能性としては捨てきれない」

 

『例えば、ズマールではなくエルマーを使っていたとは考えられないのか?』

 

 「エルマー」とは、ズマールの前に生産されたレンズである。

 

 このエルマーのスペックは

 

 エルマー 5㎝f3.5

 

 と、ズマール・エルマーと比較してかなり暗い。(といっても、f3.5ではあるのだが)

 

 もし加東圭子氏がこのレンズを使用していたとするならば、加東圭子氏の「ビオゴンがうらやましい」という述懐は正しいことになる。

 

「だが、ダメなんだ」

 

『なぜ?』

 

「加東圭子を撮影したとされる写真には、彼女がズマールのレンズを持っている姿が写されている」

 

 ズマールとエルマー。この二つの似たようなレンズは、しかし見る者が見れば一発で見分けることができる。それはあまりにも一目瞭然で、見まがいようがない。

 簡単な相違点を具体的に上げれば、レンズに付けられた刻印がかなり明確に違う。

 

『これは訳が分からないぞ』

 

「そもそも、彼女がうらやましがったビオゴンはライカ向け製品も存在する。そんなにビオゴンが良ければ彼女はそれを買ってきて付ければよかったんだ」

 

 頭の中で考えが堂々巡る。歴史的事実一個とっても、私は彼女のしっぽすら掴むことができない。

 

「彼女は何を考え、どうやって写真を撮っていたんだ。私はここにきて、これがさらにわからなくなってくる」

 

『あまり思い詰めるなよ』

 

 エヌの声は、本土で別れた時とは打って変わって心配そうだ。

 

「わかってるよ」

 

『死ぬんじゃないよ』

 

「お互いにね」

 

 追いかければ追いかけるほど、加東圭子の姿は遠い。私はこのアフリカで、彼女の肖像にたどり着けるのだろうか。




絞り
 レンズを通してフィルムまたは映像センサーに照射される光の量を調節する機構(穴)。
 穴の大きさを大小させることによって光量を調節するとともに、ボケ具合も変更する。


 穴の大きさが大きくする=絞りを開くと:明るくなる
 穴の大きさが小さくする=絞りを絞ると:暗くなる

 という関係がある。また

 絞りを開くと:ボケが大きくなる
 絞りを絞ると:ボケが小さくなる

 という関係を持つ。
(ボケが大きくなる=ピントが合っている部分と会っていない部分との差が激しくなる)
 このため、明るさを求めて絞りを開くとピントが合わせずらくなるという事態が発生する場合がありうる。


 一般に、絞りはF値で示される。

F値の数字が小さい=絞りが開かれている
F値の数字が大きい=絞りが絞られている

 と定義されている。


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4)カメラマンX(テレ旭系木曜夜8時)

 なお、本文中の記述は依然研究が進行中のものであり、現時点で何らかを結論付けるものではない。


 写真は一瞬を切り取るもの。

 

 それはあまりにも語弊のある流言飛語である。カメラマンとしては、到底容認することができない。

 

 

 写真機が切り取る一瞬。それは、時間軸における「点」ではなく「線」である。

 

 具体的に言うと、写真とは、フィルム若しくはイメージセンサ(光の情報を電子的な情報に変換するセンサ)が光に露出している間の一瞬を捉えたものである。

 

 では、どれだけの時間、センサ/フィルムは光に露出しているのだろうか。これは実は、状況によって異なるのである。

 

 この光に露出する時間のことを「シャッタースピード(SS)」と言う。このSSを変えると、センサ/フィルムに照射される光の総量が変わる。

 するとすなわち、写真の画の明るさが変わるのである。(そのほかの設定が同じであった場合)

 

 なのでSSはその他の設定やその時の明るさによって常に変化する。

 

 ではもっと具体的に、それがどれだけの時間であるか見ていこう。

 

 

 例として、良く晴れた真昼間を出そう。この時、写真業界でよく言われる言葉に「ISO400はセンパチ」というものがある。順を追ってかみ砕いていく。

 

 ISO400というのは感度のことだ。同じ光の量でも、感度が良いと明るく写り、悪いと暗く映る。

 

 ISO400という感度の時、センパチ(=SS1/1000秒、絞りF8.0)で撮影すると丁度よく撮れるというのが、この言葉の真意だ。

 これを見ればわかる通り、通常シャッタースピードは何百分の1秒から何千分の1秒という世界である。

 

 もっとも、例えば夜などであれば話は別だ。例えばバルブ(=長時間露光)という撮影法では、シャッタースピードは数十分の1秒から長くて数十秒となる。

 

 では、シャッタースピードが変わると、明るさ以外の面はどう変わるのか。

 

 シャッタースピードを遅くすればするほど、その間の出来事をすべて記録してしまう。例えば被写体が動いたらその動きをすべて記録してしまうし、もしカメラが動いたらその動きもすべて撮ってしまう。

 

 一般的な言葉に言い換えれば、「ブレ」が起きやすくなる。

 露出している間に被写体が動けば「被写体(動体)ブレ」、手に持ったカメラが動けば「手ブレ」……。

 意図的でない限り、できるだけ回避したいものである。

 

 

 

 さて、なぜ今そんな話をしているかというと、それは私がこの戦場で”やりたいこと”があるからに他ならない。

 

 

 

 マズルフラッシュ(砲焔)というものがある。

 

 日本語で書くと読んで字のごとくであるが、発砲の際に砲口で花咲くあの炎のことである。

 

 私は、ウィッチの射撃によって生じるあの焔を、きちんとウィッチが発射しているということが分かるように撮りたいのだ。

 

 一見簡単に思えるかもしれない。だが、これが割と難しい。

 

 あのマズルフラッシュが飛び出るのは、ほんの一瞬である。まずこの一瞬をきちんと収めるというのが難しいのだ。

 並のカメラだと連射しても焔が出た一瞬だけコマが抜け落ちている、なんてこともしばしばである。

 さすがに私の世界最高級カメラ「Fukon D5」であれば、一枚ぐらいはきちんと撮れてはいる。が、やはりションベンの終わりかけのようなみっともないものしか映っていないこともままある。

 

 この撮影に関して有効な策はないかと、実はエヌに相談を持ち掛けたことがある。すると、彼は極めて明快な解決策を提示した。それは、SSを下げるということである。

 

 焔が出るのが一瞬であるというのであれば、その一瞬の始まりから終わりまでを包み込むようにシャッターを開いてしまえばよい。理論上はこれで必ず撮れるはずである。

 

 事実、この方法によれば撮影の”勝率”は上がる。であれば、ここでもその方法を採るべきだ。

 

 

 

 だがしかし、ここに大きな問題がある。それが、シャッタースピードと明るさの関係である。

 

 SSを下げれば下げるほど、画面は明るくなる。

 

 例えばこの状況。ピーカン照りの砂漠だ。太陽の光が砂漠に反射してかなり明るい。

 

 この状況下では、ISO100の時、おおよそSS1/500程度は最低でも出したい。

 

 しかし、マズルフラッシュを撮影するためにSSを下げる。だいたい1/125程度まで下げなければ意味がないだろう。

 そうなると、ISO100の時、絞りはF32相当となる。

 

 だいたいのレンズはF22ぐらいまでしか絞ることができないので、つまりこれは実現不可能な数字ということになる。

 

 もっとも、現代においてはこういう時のために「NDフィルタ」というものが存在する。これはレンズを透過する光の量を一律に減じるものである。(であるから日本語名は減光フィルタである)

 

 ただこれは、加東圭子氏の時代にはなかった(あるいは一般的でなかった)ものである。当然、そんなものを使用したという記述もない。

 彼の時代で彼女がどう戦っていたのか。それが私にはわからない。

 

 

 

 さて実践だ。私は射撃訓練を行うリリー准尉の後ろにピッタリついて、その時を待つ。

 

 准尉がトリガーに指をかける。シャッターボタンを押し込む。Fukon D5のシャッターがけたたましい音を立てて何度も降りる。

 

 秒間12コマの連写性能がフルに発揮されて、その瞬間を確実に捕らえる。

 

 Fukon D5は所定通りの性能を発揮した。

 

 

 さて、画像を確認してみる。

 

 リリー准尉の凛々しい顔と、しっかり構えられた主砲。そして、そこから飛び出るマズルフラッシュ……。

 だが、マズルフラッシュが思ったよりショボい。

 

 あれ? こんなはずではなかったのだが。

 

 失敗したか、と今度はリリー准尉が撃つところを肉眼で確認してみる。

 

 すると、リリー准尉の持つ砲はマズルフラッシュが一般的なものより小さいように思えた。

 

 それに砲弾初速もそこまで早いようには見えない。目で追えるほどのものだ。

 

 

 作戦変更。

 今度は、彼女の姿と砲弾を同時に収めることにする。

 

 これまでとは打って変わって、今度はシャッタースピードを思いっきり上げる。そのためにも絞りもある程度開き、感度も大きく上げる。(撮影中に感度を変えることができるのが、デジタルカメラのいいところだ)

 

 ISO800、F8、SS1/8000。このFukon D5は最高シャッタースピードが1/8000であるから、これはこのカメラの性能限界での撮影ということになる。

 

 撮影位置も変える。弾と彼女の位置を考え、彼女より前に出た。

 

 次弾発射の指示。弾を装填。トリガーに指をかける。私もシャッターボタンに指をかける。

 

 発射!

 

 今度はうまくいった。彼女の構えた砲から弾丸が飛び出るところを、このカメラははっきりととらえた。シャッタースピードを上げたことで、弾はきちんとその姿をとどめている。

 

 当初の計画とは異なるが、いい写真を撮ることができた。

 

 

「楽しそうだな」

 

 次弾を装填しながらのリリー准尉に、そう話しかけられた。

 

 今日は訓練のみで出撃は無かった。昨日帯同の許可をもらった私は、少々物足りなさを感じながら彼女の教練を撮影している。

 

「咆哮に興奮しない男子など居りますまい」

 

 私がそう言うと、心底呆れたような顔になった。

 

「時に、それはデジタルカメラだな」

 

「ええ、そうですが」

 

「どんな写真を撮ったのか、見せてもらおうじゃないか」

 

 彼女はそう言うと、半ば強引に私のカメラの再生ボタンに触れた。

 

「お気に召しませんか」

 

「いや、命知らずだと思っただけだ。戦場では、私より前に出ると貴様の方が先に死ぬぞ」

 

 何を言うかと思えば、そんなことだった。

 

「現場では遮蔽物に隠れて撮影しますから、大丈夫ですよ」

 

「私の弾に当たるぞ、と言ってるのだバカめ」

 

 彼女は大きくため息をつく。

 

「貴様には私の骸を撮ってもらわねば困るのだ。私より先に殉ずることは許さない」

 

「大丈夫ですよ。私、失敗しませんから」

 

 私は確固たる自信をもってそう答えた。彼女はとうとうやりあう気をそがれたらしく、小さく肩を落とした。

 

「写真の腕だけは確かなようだ。せいぜい頑張り給え」

 

 言外に秘められた批判の言葉を交わして、私はやはり大きく頷く。

 

「ええ、わかってますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「衛星電話は高いぞ」

 

 今日も電話をかけてきたエヌに、私はそんなことを言った。

 

『今や巨匠とも言うべき立ち位置に居る僕に、このぐらいわけないよ』

 

 エヌはまるで何かをあてこするかのようにそう言った。

 

『それで、どうだい?』

 

「わからんな」

 

『近頃の君はそれしか言わんね』

 

 思い返せばそうかもしれない。だが、私は本気でわからないのだ。

 

「アフリカの大地は、私の想像より明るかったんだ」

 

『ほう。では、SSを上げなきゃな』

 

「ああ。だが、LeicaⅡの最高シャッタースピードは1/500だ」

 

 この一言で、エヌは私の言いたいことを理解したようである。

 

『まさかお前、加東圭子がLeicaⅡを使用していたかどうか、それを疑っているのか』

 

 その通りである。そしてこの疑念には、それを生じさせるだけの確固たる証拠があるのだ。

 

 加東圭子のライカについての記述に、こんなものがある。

 

「前略)コンタックスはライカに比べてシャッタースピードに勝るが、しかしSS1/1250とSS1/1000にどれほどの違いがあるのだというのだろうか」(鈴木2016P16)

 

 これは、加東圭子氏が使用していたライカと加藤武子氏が使用していたコンタックスを比較した文章である。

 

『ライカは大陸系列。コンタックスは倍数系列。その違いが如実にでた面白い記述じゃないか』

 

 この記述自体は間違っていない。SS1/1250もSS1/1000も大した違いはない。問題はそこではない。

 

「通説では、加東圭子はLeicaⅡを使用していたとされる。では、繰り返しになるがLeicaⅡの最高シャッタースピードは」

 

『……1/500。君が言ったとおりに。まさか、では本当に?』

 

 もしこの記述が自分のカメラと加藤武子氏のカメラを比較していたとすると、つじつまが合わないのである。(注1)

 

「最高シャッタースピードが1/1000にまで引き上げられたのは、後継機種のLeicaⅢaから。であるとすると、加東圭子が使用していたライカは本当にLeicaⅡであったのか、怪しくなると思わないかい?」

 

 SS1/1000と1/500は、バカにできない差である。少なくともこの砂漠では、SS1/1000まで上げられなければ苦しい戦いがあるだろう。

 

「SSが上げられないのであれば、感度を減じるしかない。そうなると、問題がある」

 

『問題?』

 

「感度を減じたフィルムを使用すると、当然暗所での撮影は難しくなる」

 

 フィルムカメラにおいて、感度は設定で変えられるものではなく、詰めたフィルムに完全に依存するものである。

 

 そして、一度フィルムを詰めてしまえば、それを変更するのはかなり手間がかかる。

 

「仮にISO50のフィルムを詰めたとしよう。野外を撮る分にはそれでいいだろう。では、室内は?」

 

 彼女はよく、室内や天幕の中で将校や兵卒の写真を撮影していた。室内は野外に比べて明るさがガクンと落ちる。感度の低いフィルムで撮影するのは骨だ。

 

『しかし、それは光源を用意するなどで対処可能だ』

 

 通常、室内での人物撮影では、光源、すなわちライトなどで照らして撮影するのが基本だ。加東圭子氏がそうしなかったという証拠はない。

 

「では、飛行中はどうだ?」

 

『飛行中? 当時のウィッチなら飛行は昼間だけだろう』

 

 まだ全天候型ストライカーなど生まれる前である。ナイトウィッチでもない加東圭子氏は、普通に日の出ている明るい時間だけを飛んでいたに違いない。

 

「だが、忘れてはいないか? 加東圭子の写真の中で、一番有名なものを」

 

『一番有名なもの? それは確か……』

 

 エヌはそこで息を呑んだ。

 

 そう、加東圭子氏の撮影したもののなかで一番有名なのは、黎明薄暮の中、飛行中のハンナ・マルセイユ氏を撮影した写真だ。

 

「黎明薄暮ならウィッチは飛べる。だが、感度の低いフィルムではまだ明るさが足りない」

 

 刻々と変化する状況下で、彼女はそれにどう対応したのであろうか。

 

「考えても見てくれ。我々プロは、同じ状況下であれば違う感度のフィルムを詰めたカメラを複数持ち歩く。だが、彼女は一貫してLeicaⅡを使用していたとされている」

 

 おかしいと思わないか? 問いかけてみる。

 エヌは黙る。それは当然、我々の常識の埒外にそれがあるからだ。

 

「本当に、彼女はLeicaⅡ一本で世界を渡ったのか?」

 

 あの世界で一番美しい写真は、本当にそのようにして生まれたのか? 私の疑念は尽きない。

 

「明日、戦闘が行われるようだ。輸送は航空機で行うらしい。私も帯同する」

 

『確かめるのか』

 

「もっとも、結論は出なさそうだがね」

 

 それでも、私は進むしかない。私にかけられたこの呪いを、解くためにも。




注1:SS1/1000とSS1/1250の微妙な差にこだわるコンタックスを批判した文章と読み下すことも可能である。

加藤武子氏のコンタックス
 鈴木2013P16より、氏が使用していたコンタックスカメラは最高シャッタースピードが1/1250であるモデルと推察される。
 コンタックスにおいてSS1/1250であるカメラはI-7しか存在しないため、同氏使用のカメラは「コンタックスI-7+ビオゴン3.5㎝F2.8」であると考えられる


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5)Find!er

 日本を離れて三度目の大空は、戦場だ。

 

 扶桑軍キ501(三九式輸送機)に揺られてしばらく飛ぶ。隣には万全の装備に身を包んだリリー准尉が居る。

 

『敵地上部隊発見。地上部隊の報告通りの場所に居ますね』

 

 航空ウィッチからそう無線が入る。それを聞くとリリー准尉は立ち上がった。

 

 

 

「カトウ、貴様に一つ詫びておくことがある」

 

 ついに作戦が始まる。大昔の南極戦争を思い出して全身の血が煮えたぎっている頃に、リリー准尉はそう言った。

 

「今回の作戦は……。まあ、デモンストレーションなんだ」

 

「はぁ、するとつまりどういうことで?」

 

 理解が追い付かず、半ばおうむ返しに聞き返す。准尉は一瞬だけ不快感を露わにしたが、今回は自分に非があると思い直したのか元のただ怖いだけの顔に戻った。

 

「前線正面から逸走した小規模な集団の掃討が今回の主任務になる。だからウィッチは我々しかおらず、激しい戦闘も無いだろう」

 

 少し、拍子抜けである。だがそんなことでへこたれているようでは、カメラマンは務まらない。カメラマンたるものポズィティブな姿勢は忘れてはならない。

 

「そういう時でなければ撮れん写真もあります。問題ありません」

 

「そうか。それともう一つ詫びておくべきことがある」

 

 私の誠意などまるで無視して、彼女は二の句を継ぐ。

 

「なんです?」

 

「今日から戦場に連れて行くと言ったな。あれは嘘だ」

 

 私の急造的ポズィティブシンキングは5秒で瓦解した。今度ばかりは愕然とせずにはいられない。もう、戦闘地域はすぐそこであるらしいのに、なぜ戦地へと赴くことができないのか。

 目の前の彼女は悪びれる様子もなく、ストライカーを穿きなおしている。

 

「ひどいじゃないですか。期待したのに」

 

「だからすまないと言っているだろう」

 

 相変わらずこのウィッチは無表情である。が、だんだんと感情が読めるようになってきた。この表情は、まぎれもなく何の感情も無い時の表情だ。

 

「まあ、詫びと言っては何だが、貴様にはこれを渡しておこう」

 

 彼女はそう言ってインカムを渡してきた。これがなんのお詫びになるのか。

 

 私の予想ではもうじきこの飛行機は着陸する。なぜなら陸戦兵である彼女を地面に降ろさなければならないからだ。

 私は心の中にジャーナリズム精神が湧き上がってくるのを感じる。

 

 そうだ。飛行機が地面に接触したその瞬間、私は飛び降り戦地を駆ける。有無を言わさず戦地へ帯同させねばならない環境をつくってやるんだ……。

 

「私はこれでも矜持ある戦場カメラマンだ。貴方が何と言おうと、戦場に付いていきますよ」

 

 私はそんな胸算用を隠したまま、こんなことを言う。

 

 すると彼女は、無表情なまま少し眉をひそめた。

 

「別に構わないが、おそらく君は死ぬぞ」

 

「死ぬのが怖くて、シャッターなんて切れませんや」

 

 私にとっては、死ぬことより最高のタイミングでシャッターが切れないことの方が怖い。いくら脅されたとて、私は行く。その決意を目に宿すと、彼女は渋々といった態度でそれを了承してくれた。

 

「まあいい。来たくば来てもよいが、君は今の発言を取り消してもよい。忘れるな、君は人間だ」

 

 彼女はそう言いながら支度を終えた。

 

「では、またあとで」

 

 そしてそう言いながら、彼女の姿は大空へと落っこちた(・・・・・)

 

 

 

「……は?」

 

 私はあわてて高度計を見る。デジタルで示されるそれは未だ海抜1000メートル付近を行ったり来たりしている。この辺りの標高が少し高いことを鑑みても、地上までの距離は東京スカイツリーのそれを超える。

 

「そんなバカな。彼女は陸戦ウィッチだろう?」

 

 下を見ると、彼女は悠々と真っ白な落下傘に揺られて降下中。私はあんぐりと口を開けるほかない。

 

『彼女は2C9……HOHA(ノーナ)空挺戦闘脚を持つ、空挺陸戦ウィッチですよ先生』

 

 インカム越しに星見君がそう教えてくれた。

 

『カトウ。先ほどの見事な啖呵は聞かなかったことにするから、どうかその気概は明日に取っておいてくれ。今日は上空から私の活躍をとくと見るがいい』

 

 リリー准尉はだんだんとその姿を小さくしていく。私はなんだか、心の中に対抗心のようなものが芽生えたのを感じた。

 

「……小畑さん。パラシュートを」

 

「はあ?」

 

「昭和基地防衛線でも私は空挺師団に付き添って空挺降下した経験があるんだ。私にだってできらぁ!」

 

『先生、やめといた方がいいですよ。ホラ』

 

 星見君の言葉と同時に彼女のシールドが花咲く。そしてそこへ赤いビームが飛び込んできた。

 

『敵ネウロイによる対空砲火です。人間の先生が下りたら、たぶん途中で蒸発しますよ』

 

『そういうことだ』

 

 再び対空砲火。機体が大きく揺れる。

 

『先生、おとなしくしていてください』

 

 教え子に諭されてしまっては、教員としてカオナシである。が、ここでは彼女の方が”先任”だ。私は偉大な先輩の言うことをおとなしく聞くことを決めた。

 

 

 

 だが、ここで終わる私ではない。私の下ではこれから地上攻撃を行うウィッチが居り、私のすぐ横には飛行しながらシールドでこの飛行機を護ろうとするウィッチが居るのだ。

 

 彼女たちの任務が命を懸けて闘うことなら、私の任務はそのリスクを冒してでも写真を撮ることだ。

 

 三度目の対空砲火を前にして、私は懐からカメラを取り出した。

 

『先生、カメラでビームを見ちゃダメです!』

 

 星見君の警告は、私を心配してのことだろう。これを聞いて、私は彼女がよく勉強をしていると感心した。というのも、カメラのレンズ‐ファインダー越しにネウロイのビームを見れば、普通は失明待ったなしである。

 

 原理としては、虫眼鏡で太陽を見たときと同じことが起きる。(虫眼鏡で太陽光を集めて紙を焼いた実験を思い出してほしい)

 この場合、カメラが虫眼鏡で、哀れにも焼かれる紙きれが私の網膜である。

 

 星見君の警告をよそに私はカメラを構える。その時、ビームが星見君のシールドに再びぶち当たった。

 

 激しい閃光が迸る。私はそれを、目を背ける暇すらなく目撃した。

 

 

『先生!』

 

 

 星見君の悲痛な声が空に咲く。

 

 だが、私は大丈夫だ。

 

 視野ははっきりとしていて、目がくらんだような感覚も無い。

 

 これは別に、私が何らかの超人的な能力を持っているからではない。

 

 ミラーレスカメラは、集めた光を一度電子情報に変換し、そしてファインダーに据え付けられたモニターにそれを出力するというものである。

 

 ファインダーに映し出される光の強さは、そのモニターの性能に依存するわけで、当然人の目を焼くほどの出力などない。

 

 であるから、私は望遠レンズでネウロイのビームを見てしまったとしても、平気なのである。

 

「心配には及ばん。私を誰だと思っているのだね」

 

『こ、小うるさいけど単位をくれるおじさん……』

 

「妥当な評価をどうも」

 

 彼女の言葉を聞き流して、私は彼女にレンズを向け続ける。

 

「さあもう一度。来るぞ!」

 

 再び、ビーム。星見君がシールドを張る。頬からは若い汗が滴り、その表情はかすかに歪む。

 

 彼女の表情と、シールドと、ビーム。私はそれだけを切り取った。

 

『先生、大丈夫ですか?』

 

「もちろん。そんなことより、そこの起伏に対空ネウロイが居るぞ」

 

『……先生、正確な位置をスポット出来ますか?』

 

「私は観測兵ではないのだが……。どれ」

 

 私はファインダー越しに目標を探す。だが、このファインダーでは満足に目標を探せない。

 

 ミラーレスカメラの弱点として、間に電子処理を挟んでいるため、現実とファインダーとの間にタイム・ラグが発生してしまうというのがある。(これをEVF=電子ファインダーの諸問題と言う)

 

 このラグはかなりのもので、撮影こそ何とかなれど、このような観測には向かない。

 

 私はカメラを一眼レフ「Fukon D5」に持ち換える。一眼レフはレンズで集めた光がレフ(ミラー)を通して直接ファインダーに達するため、タイムラグが無い。(これを光学式ファインダーの利点と言う)

 

 だが、ミラーレスカメラのEVFに比べてデジタル一眼レフの光学式ファインダーは、少しばかり”暗い”。

 光を撮影者に合わせて補正しているEVFと、生の光をそのまま届けている普通のファインダーとの間には、雲泥の差がある。

 

 画面をさらうようにして必死に目を凝らさなければ、なかなか見にくい目標を見つけることが難しい。

 

「居たぞ、あそこの岩場だ。少し大きな起伏の奥にある岩陰に隠れている」

 

『リリィ!』

 

『わかっている!』

 

 インカム越しに発砲音。私は目標から目を動かさない。

 

『弾着まであと10、9……』

 

 リリー准尉がカウント刻む。私はシャッターボタンに指をかける。

 

『弾ちゃーく』

 

 その瞬間、私はボタンを深く押し込んだ。

 

『今!』

 

 秒間12コマの速度でシャッターが下ろされる。カメラは、弾丸が敵ネウロイへと吸い込まれる一瞬を逃さなかった。

 

 アッパレ、扶桑の技術。とはいえ、やはりもう少しコマ数は欲しいと思ってしまうのが、戦場である。

 

 カメラへの要求は、尽きることが無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「衛星電話は高いぞ」

 

 今日も電話をかけてきたエヌに、私はそんなことを言った。

 

『今や巨匠とも言うべき立ち位置に居る僕に、このぐらいわけないよ』

 

 エヌはまるで何かをあてこするかのようにそう言った。

 

『それで、どうだい?』

 

「わからんな」

 

『近頃の君はそれしか言わんね』

 

 思い返せばそうかもしれない。だが、私は本気でわからないのだ。

 

「空の上から写真を撮ってみたんだ」

 

『ほう。それはさぞ気持ちよかろう』

 

「……ああ、確かに南極の空よりは対空砲火がマシだったね」

 

 電話口の男は大声で笑う。その声が時折大きく乱れ、不愉快なビープ音にも似た音色になる。

 

「どうした?」

 

『……ああ、衛星電話だから電波が悪いのだろう。で、飛んでみて何が分かった』

 

「ますます、加東圭子が分からなくなった」

 

 私がそう答えると、彼はこう応える。

 

『私は何が”わかったのか”と尋ねたのだが』

 

「わからないことが分かったのだよ。これは学術的に大きな進歩だ」

 

 相変わらず私たちはああ言えばこう言う。そのやり取りにいつもなら笑えたところだが、なぜだか今日はあまり口角が上がらなかった。

 

『それでなにが分からないんだ』

 

「どうやって加東圭子は大空で写真を撮ることができたのかということだ」

 

『詳しく』

 

「これは初めからわかっていたことなのだが、加東圭子が使っていたライカのファインダーでは、あまりに性能的に不足があるのではないかと思うのだ」

 

 加東圭子がどのLeicaを使用していたかについては未だ諸議論があることは先述の通りだが、いずれにしろあの時代のLeicaは概してファインダーが使いづらい。

 

 私の所有するFukonD5のファインダーと比べると、4分の1ほどのサイズしかない。まるで針の孔から景色を覗き見るような格好だ。

 

 覗き見る隙間が小さければ、当然見にくい。明るさは実際と比較してかなり減衰する。黎明薄暮下での使用は堪忍ならないだろう。

 

「あのファインダーでどのようにピントを合わせ、どのように構図を求めたのか。私にはまったくもってわからない」

 

『後付けのファインダーを使用していた可能性は?』

 

 たいていのカメラは、後からファインダーのアタッチメントを取り付けることができる。だがしかし、このファインダーにはピント調整機能はない。

 

「まずもって、彼女が後付けファインダーを使用していたという証拠がない」

 

 彼女は”撮る側”でもあったと同時に、多くの場面で”撮られる側”でもあった。だが、そのほぼ全てにおいて彼女はカメラと共に写り、そのカメラ=LeicaⅡはなんのアタッチメントも取り付けられていない状態であった。

 

「つまり、彼女は純然たる自己の能力で、以上に挙げた不利をカバーしていたということになる。……それも、戦闘行為を行いながら、だ」

 

『ふむ。まるで魔法か何かを使っていたみたいだね』

 

「ああ、全くそうだ」

 

 さすがは、私の竹馬の友である。私と同じ情報を適示され、私と同じ結論にたどり着いた。彼は正しく、私の生涯の友だ。

 私は愕然とした。私の友をもってしても、やはりこの結論からは逃れられないのだと。

 

「ああ、結局こうなるんだ。すべて日本でわかっていたことだ」

 

『何をそう悲観的になることがある。確かに加東氏の固有魔法その他については情報公開が進んでいなかったり、またそもそも情報自体が少なかったりして調査が困難だ。だがしかし、君は改めてその情報が必要だという実感を得たのだから、これから日本に帰り情報公開を請求……』

 

「そんなことじゃあない!」

 

 研究など、この期に及んでどうだっていい。私は、私が今直面しているあまりにも惨い事実に愕然としているのだ。いや、愕然とすることしかできないのだ。

 

「結局、私がここで証明したのは、羽も生えていなければ魔法も持たない私には、どのように研鑽を積んだところで彼女の足元にも及ばない、いや、彼女の神髄に近づくことすらできないという事実を、再び突きつけられただけにすぎん。いったい、私は何をしにアフリカに来たというのだ」

 

 なんて人生だ。自分で言いながら吐き気がする。

 

『……あまり思い詰めるなよ。私はそんなつもりで君をアフリカに送り出したんじゃあない』

 

「そういえば始まりは君の提案だったな。安心したまえ、自分のケツは自分で拭う」

 

『死ぬんじゃないよ』

 

「お互いにね」



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6)圧縮引き出し

 久しぶりの戦場は、やはり私の迷いや不安を弾き飛ばすには好都合だった。

 

 すぐそこで何かが爆ぜる。すぐそこで何かが息絶える気配を感じる。生き物ならざる何かが、意思を持って我々と命の遣り取りをする。

 ああ、現場から離れて早10年。戦場の狂騒は、変わってやなんかいなかった。

 

 

 

 カイロ市からほど近く。(とはいえ陸路で数時間の距離である)

 ここには、人智が自然を凌駕した景色がある。

 

 カッターラ大湿地。かつてここは、海抜マイナス100メートルという大窪地だった。加東圭子らがこの地を平定したのち、ここはブリタニアやリベリオンの資本により、その高低差を利用した海水力発電所に生まれ変わった。

 地中海から水路を伝い流れ込んだ海水は、下り落ちながら水力タービンを回し、そしてこの低地に流れ込む。サハラ砂漠の熱波を受けてそれは蒸発し、地中海へと戻る。

 

 これを考え付いたのは、リベリオンの伝説的大統領アイゼンハワーだ。まったくもって、人類とは愚かで、そして泥臭く懸命である。

 

 今、その大湿地はネウロイとの戦争の最前線になっている。

 

 人為的に海水を流し込んだ砂漠は、その湿気と塩分で鉄のカタマリたるネウロイを破壊する。それでもなお、ここに活路を見出す少数のネウロイが果敢に挑戦するが……。

 そうなれば、彼女たちの出番である。

 

 ここを突破されれば、北アフリカはネウロイのモノである。

 アレクサンドリア、そしてカイロは敵の手に落ち、スエズ運河は消失する。

 

 逆にここを守り抜き、そして反対にこちらから攻勢に打って出れば、北アフリカは人類の手に戻る。

 

 この大湿地を抜けた先には何があるか。そう、トブルクだ。

 

 トブルク。

 

 加東圭子に呪われた私にとって、この地はまさに約束の地だ。彼の地は、加東圭子がハンナ・U・マルセイユ氏やライーサ・ペットゲン氏、稲垣真美氏などと共に死守し、そして北アフリカ開放の起点となった町である。

 

 今、前線からはトブルクの町を見ることは適わない。

 

 だが、この戦場の向こうには、必ずトブルクがある。

 

 私の胸は、危なっかしく急いていた。そしてそんな私を、私は肯定したのである。

 

 

 

 

「本当に来てよかったのか」

 

 約束通り、今日はリリー准尉と共に戦場へ赴く日である。前回は半ば騙し討ち的にお預けをくらってしまったものだから、今日の興奮と活力は並々ではない。

 

 だから、彼女のそんな言葉を私は多少の不愉快間と共に吹き飛ばした。

 

「もちろん。これが、私が来た理由です」

 

「そうか」

 

 もちろん、たくさんの人々に止められた。

 

 政府担当者の小野さんは、私にこう告げた。

 

「ここから先は会戦地帯です。上空からの観戦とは異なり、文民である私は外務省から立ち入りを強く抑止されています。ですので、私はここで引き返します」

 

 基地を出てから最初の休憩地点で、彼はそう言った。

 

「そうですか」

 

「できればあなたもここで引き返していただきたい」

 

「それは要請ですか? 命令ですか?」

 

 私がそう尋ねると、小野さんは何も言わず唾を吐いた。

 

「こんな状況でも、取材の自由を守らねばならない私の立場を重んじていただきたいものです」

 

「申し訳ないとは思っていますよ。ですが、仕事ですから」

 

 彼は呆れる欧州人のポーズをとると、私に拳銃を預けた。

 

「あなたが死ぬと、外務省及び陸軍省の背広組の数人が首を吊り、少なくとも5人が物理的に腹を切ることになります。大変不本意ですが、どうかご無事で」

 

「もちろん。生還こそがジャーナリストたると心得ています」

 

 小野さんの胸中を想うと、大変心苦しいものがある。

 

 だがしかし、それを振り切ってここまでやってきたのだ。今の私には、成果を得る責務がある。

 

 カメラを握る掌が、じとっと汗ばんだ。

 

「今日はこちら側へくる敵が多い」

 

 リリー准尉は、表情を変えずにそうぼやいた。

 

「だから危険だと?」

 

 私がそう返すと、彼女ははじめて、私の前で笑みを見せた。

 

「いいや……。おそらく、他所で相当苦戦しているから、こんなところまで逃れてきたのだ。ここは我々が手を下さなくても、ネウロイが勝手に滅ぶ場所。そこまでネウロイが”後退”しているということは……」

 

 私の胸が、高鳴る。

 

「トブルクにも、行けますかね」

 

「可能性はあるだろう。だが、まずは目の前の敵だ」

 

 彼女たちが言うや否や、轟音が空を引き裂いた。

 

 それは星見君たちの飛行ウィッチ隊だ。まるでアフリカ隊を彷彿とさせるその威容は、あまりにも優雅である。

 

「よし、敵位置をスポットするぞ。協力したまえ」

 

 リリー准尉は無線機を握り、照準器を準備し……。とと、え?

 

「まさかとは思うが、敵を見つけるのは私の役目だとは言わないだろうね」

 

「そんなにバカでかいレンズを持ち込んでいるんだ。少しは協力したらどうだ。その方が、トブルクにも近づけるぞ」

 

 私の胸中を知ってか知らずか、そんなことを嘯く。リリー准尉はいやはや、中年男子をもてあそぶことに長けたウィッチのようだ。

 

 そしてつい先日、彼女の前で教え子に敵位置をスポットして見せたばかりだ。実力不足を盾にすることもできまい。

 

 私は渋々、この600㎜レンズを以て索敵を行う。

 

 だが、敵を見つけたは良いモノの、正確にその情報を共有することができない。

 

「あの……烏帽子(えぼし)みたいな岩の……ちょい右……」

 

「……もっと客観的に言えんのか。エボシとはなんだ。アニメか?」

 

「私は素人だ! ああもう!」

 

 私はついに短気を起こした。

 

 私はファインダーから目を離し、カメラを三脚に固定する。そしてライブビューボタンを押し込む。

 カメラに取り付けられた液晶画面に、先ほどまでファインダーに映っていた景色が映し出される。

 

「ここ!」

 

「うむ、わかりやすい。もっとも、私が双眼鏡で探し出した方が早かったが」

 

 私は思わず叫んだ。

 

「あんたはサイコパスか!」

 

「失礼な。君をからかうのが面白くなってしまった、18歳の女の子だ」

 

 この時、リリー准尉は初めて年相応の表情を見せた。私は腹いせにその姿をサブカメラで撮影する。

 だが、彼女はシャッターが切れると同時に表情を変えてしまった。

 

「撮らせると思ったか」

 

「撮らせなさいよ」

 

「い・や・だ。それよりも構えろ。爆撃が来るぞ。わざわざ特等席で見物させてやるんだ。好く撮りたまえ」

 

 私はいろいろな感情をこらえながら、元の任務に集中する。

 

 これから、星見君が敵へ爆撃を敢行する。

 

 さて、これをどのようにして撮るか。

 

 普通の航空機ならまだしも、ウィッチの身体は小さい。生半可な撮り方では、画面に映るゴミと見分けがつかなくなってしまう。

 さて、どうしたものか。

 

 思い悩んでいると、無線が飛んできた。

 

『先生。爆弾投下は超低空で行います』

 

「ほう。つまりどういうことだね」

 

『あまり高い高度から投下すると、爆弾それ自体を迎撃されてしまいかねません。ですので、低空から投下し、私たち自身をデコイにします。そうすれば、敵は私たちの迎撃に夢中になりますでしょうし、万が一意識が爆弾に向いても、低高度からの爆撃ですから敵に加害が及ぶ確率が高まります』

 

 彼女の報告をひとしきり聞いたうえで、私は一つ大事な確認をする。

 

「しごく当然のことを聞くが、爆弾は時限信管かね」

 

『もちろん。さらに今回はサービスで、いつもより低く飛ぼうと思います』

 

 まったくもって、よくできた教え子を持ったものである。

 

 低空で爆弾を投下するということは、自分が爆発に巻き込まれる恐れが高くなる。よって、爆弾を遅発信管とし、着弾から爆発までの間隔を設け、爆発加害距離から退避する余裕をねん出するのである。

 

 そして彼女の言に従えば、その瞬間を利用してうまく撮れと私に言っているのである。まったく、座学は本当に得意な教え子である。

 

 私はこのお化けのような望遠レンズを最大限までズームさせ、敵に狙いを定める。この時、いずれ星見君が通過するであろう場所を考慮しちょっとだけ上に隙間を開けておく。

 

 爆音が近づく。星見君がやってきた。

 

 我々の上空を通過し、敵へ向けて一目散に飛んでいく。だが、ここではまだシャッターは切らない。

 

 爆弾が投下される。

 

 着弾。信管が作動し、タイマーにより爆発までのカウントダウンが始まる。

 

 敵がやっと星見君に気が付き、攻撃の準備を始める。

 

 だがもう遅い。敵ネウロイの足元に放り込まれた爆弾が、今まさに爆ぜる。

 

 その刹那。

 

 ネウロイと星見君が、構図の中に対角の線で結ばれる。

 

 シャッターボタンを押し込む。電気信号が回路を通じモーターに指令を与え、レフ板があがる。

 CMOSイメージセンサに電流が流れ込み、レンズを通して集約された光の情報を記録していく。

 

 一枚、二枚、三枚。

 

 秒間最大10コマというスピードで、情報が記録媒体に送られていく。

 

 そして、4枚目の記録をセンサが始めたころ、爆弾が爆ぜた。

 

 閃光が迸る。私は思わず顔をそむけた。

 

「無茶をする」

 

「だれのせいだ」

 

 目の前をチカチカとさせていると、リリー准尉は私のカメラを奪った。

 

「どんな写真が撮れた」

 

 リリー准尉の表情は、最初、ほぅ大したものだな、とでも言いたげな顔だった。だが、次第に怪訝なそれに移り変わっていく。

 

「なにか?」

 

「ホシミ少尉はこんな低空を飛行していただろうか?」

 

 軍人として、私が写し取った光景に疑問を覚えたようだ。

 

 私はカメラを取り戻して画像を確認する。すると、確かに私の思惑通り、星見君はまるで極めて低空を飛行しているかのような格好をしている。

 

「少尉、いくら身内へのサービスとはいえ、やりすぎでは?」

 

 リリー准尉が無線でそう咎めた。だが、それに対する星見君の答えは、まるで歌っているようだ。

 

『あら先生。その分じゃ綺麗に撮れたんですね』

 

「ああ、お陰様でね」

 

 さすがは私の教え子である。彼女はすべてを理解していた。

 

「どういうことだ?」

 

「圧縮効果、さ」

 

 私はまるで、異世界に転生する三文小説の主人公のような口ぶりでそう言った。

 

「私に分かる言葉で言ってくれないか」

 

 彼女はただ不快感を表明する。現実は小説のようにはいかない。

 

「すなわち、被写体から離れたところから写真を撮ると、被写体と被写体との間が実際よりも少なく見える視覚効果を指す。例えば、報道写真でビルや橋に異常接近しているように見える写真を見たことはないかい?」

 

「……ああ、あの詐欺写真か」

 

「ああいった小ズルい写真を撮る時に使う技法だ。覚えておいて損はない」

 

「じゃあ、この写真も詐欺じゃないか」

 

 リリー准尉は口をとんがらせた。

 

「そうだね、そう言えるかもしれない。だが、写真なんてそんなものさ。これがもし、圧縮効果を使っていない写真だったら、それはそれはマヌケなものになると思わないかい?」

 

 そう言ってみて、自分でも想像する。豆粒ほどの星見君と、敵。それが十分な距離(ディスタンス)を取って対峙している……。

 軍事的に正しいが、絵面としては最悪だ。第一、何の記録にもならないだろう。

 

「ううむ……」

 

「要は、写真を見る側にリテラシーがあればよいのです」

 

 私はこんなことを嘯いて、リリー准尉の追求をけむに巻いた。

 

 無線の奥で、星見君が笑っているのが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人類の進撃は破竹の勢いであり、ついにカッターラ大湿地を超えることができた。

 

 私もリリー准尉に帯同し、押し上げた前線の先にある仮拠点にたどり着いた。ここで一夜を越え、明日はさてどこへ行くか。

 

 ここから数百キロの距離には、もうトブルクがある。

 

「ホシミ少尉率いる航空隊は、この付近の制空権を確保するために留まるようだ。我々は陸上ウィッチ隊は……、現状のところ特に大きくは決まっていない」

 

 そう言うと、彼女は私を試すような目線を向ける。

 

「つまるところ、これからしばらくの行動は、ウィッチたる私に一任されている。さあ、どこへ行こうか」

 

「あまりからかわないでくれませんか。さもなくば、私はトブルクと口にします」

 

 そう言うと、彼女は声を殺して笑った。

 

「やはり、貴様の目的はトブルクか。面白い」

 

 そう言うと、彼女の眼は遠くを見つめる。その先には、西の空。すなわちトブルクがある。

 

「私も、そこへ行きたい理由がある」

 

「そんな理由で行けるものなんですか? 貴女は軍人でしょう」

 

「ショッピング・イン・バザールだよ」

 

 私の疑問に、彼女は何ともないように答える。

 

「ショッピング・イン・バザール……。アフリカ戦線の伝統ですね」

 

「知っていたか。勉強熱心なのはいいことだ」

 

「もちろん。これでも、大学教授ですから」

 

 ショッピング・イン・バザール。これこそ、加東圭子の功績である。

 

 指揮系統が混乱したアフリカ戦線において、多国籍のウィッチ部隊を率いて上層部の許可を得ず独自の極秘作戦行動を取った。これがショッピング・イン・バザール。

 これらの作戦は、当然公的な記録には一切残されていない。しかしながら、加東圭子が遺したアルバムの中に、その作戦を記録した数枚の写真が記録されていたことから、私の知るところになった。

 

「なるほど。今からあなたはショッピングに行く」

 

「ああ。もちろん、直属の上司の許可は取っているよ。”カメラマンの好みに合わせるように”とね。私の今の仕事は、貴様の護衛だ」

 

 そう言って彼女は地図を広げる。おそらくリベリオン軍の作成した北アメリカ沿岸部の地図だ。

 

「貴様の行きたいところを指させ」

 

 私は一縷の迷いなく、その地を指さした。

 

「もちろん、トブルクへ」

 

 

 

 加東圭子は、トブルクの地から北アフリカを取り戻した。

 

 我々は、今まさにトブルクの地を取り戻す。

 

 アフリカの、それも加東圭子がかつて取り戻した地を踏んで、思うことがある。

 

 それは、加東圭子は軍人であるということである。

 

 彼女は優秀なカメラマンであった。だがしかし同時に、北アフリカをほぼ独力で取り返した名将でもある。彼女は、同時期にその二つの仕事をやってのけた。

 

 まさに、二刀流を達成した大谷翔平……。いや、アイススケートでオリンピック金メダルを獲得し、のちに野球でもオリンピック銀メダルを獲得したエディ・アルバレスと言った方がふさわしいか。

 

 それも、第二次ネウロイ大戦期という現代技術の黎明期に、すなわち物的・質的欠乏の中彼女はやってのけた。

 

 改めて、加東圭子という人物の偉大さに圧倒される。

 

 彼女の手元にあったのは、整備もままならないストライカーユニットと短機関銃、そしてバルナックのLeicaと50㎜程度のレンズ。そして、己の頭脳のみ。

 

 遠い。あまりにも遠い。

 

 トブルクに行けば、なにか彼女に近づく術があるだろうか。私の頭の中は、そんなことでいっぱいだった。

 

 もうすぐ、アフリカの夜が明ける。

 

 そうすれば、私にとって最後の”こたえさがし”が、はじまる。




・望遠レンズと圧縮効果

 圧縮効果とは、切り取る場面から撮影位置が離れれば離れるほど近影と遠景が重なり合う視覚効果のことを指す。
 一般に望遠レンズを使用したときに起こる現象と認知されるが、レンズによる光学現象ではないため、広角レンズで撮影しそれをトリミングしても同じ効果を得ることができる。

(50㎜レンズで撮影した写真をトリミングして100㎜レンズで撮影した写真相当にしたとしても、理論上100㎜レンズで撮影した写真と同様の圧縮効果を得ることができる)

 長方体に近い立体を撮影する場合には、これによってアスペクト比が変わる。これを利用して、間延びしない構図を作り出すことができる。
 現代の撮影においてはかなり多用されることの多い効果である。

 なお、トリミングが事実上難しいアナログ撮影で、50㎜レンズしか持ち合わせていない場合、この圧縮効果を十分に引き出すことは難しい。


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7)戦場の女神(扶桑製、若しくはカールスラント製)

 扶桑製の軽トラに乗って、前線仮拠点からトブルク空軍基地跡地を目指す。

 

 軽トラを運転するのはリリー准尉だ。

 

「扶桑の自動車は砂漠で急に壊れたりしないのがよい。ただし、性能は平凡だ。もう少し誉あるカールスラント車を見習いたまえ」

 

 彼女はそんなことをまるで口笛を吹くかのように軽く口を叩きながら、じゃじゃ馬のように暴れるハンドルを涼しい顔で繰っている。

 

「本当にあなたしかいないんですね」

 

「アフリカには陸戦ウィッチを回さないのが通例だ。ここは人類の戦場だからな」

 

 ここに居るのはあくまでも基地警備の補助と要人警護が目的だ、とリリー准尉は言う。

 

「今思えば、加東圭子が闘ったトブルク=キュレナイカ戦線もそうだった。航空ウィッチ4人とハンナ・マルセイユ元大佐の私設護衛陸戦ウィッチ一人」

 

「アフリカはいつも、ギリギリで戦っているんですね」

 

「ああ。だが、それも今日で終わる」

 

 砂ぼこりの向こうには、朝日に照らされる街が見える。我々は太陽を背にして、あの街へと向かうのだ。

 

 

 

 そう、約束の地。トブルクへと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば、トブルクの町には何もなかった。

 当たり前である。なぜなら、人類はとうに避難したか、踏みにじられた後なのだから。

 

 我々は先に、ベースキャンプの設置も兼ねてトブルクの空軍基地へ向かった。

 

 ここは加東圭子氏が隊長を務めた、統合戦闘飛行隊「アフリカ」が所在したところである。

 

 もっとも、その名残などは、あるわけがないが。

 

「それで、航空部隊はどうしている」

 

 私がそう問いかけると、リリー准尉は鼻で嗤った。

 

「なんだ、航空支援が無いと不安か?」

 

 からかう様な笑みを見せた。なんだか、このやり取りにもすっかり慣れてしまって、私も乾いた笑みが出てしまった。

 

「どうした?」

 

 そんな私を不思議に思ったか、彼女は怪訝な目線を投げかけた。

 

「いえいえ、ちょっと思っただけですよ。ここに航空ウィッチでも居れば、画になったのになぁと」

 

 そういうと、彼女は面白いくらいに不機嫌な顔になった。

 

「なんだ、私では不満か」

 

 そう言うと、彼女は滑走路の上で仁王立ちをする。

 

「なんのマネです?」

 

「私を撮ればよかろう」

 

 私はついつい破顔してしまった。

 

「その仏頂面をですか?」

 

「写真を撮られるのは昔からニガテでね。特に、ヒトに黙って隠し撮りをするような人物から撮られるのは、特に」

 

 彼女はベェっと舌を出した。私はすかさずレンズを向けるが、そのころにはもう彼女は無表情になっている。

 

「撮らせんよ」

 

「はいはい、わかってますよ」

 

 もうとっくに、慣れたものである。

 

 

 

 

「まあ、冗談はともかくだな」

 

 滑走路上で佇む彼女の写真を撮影し終わると、彼女はいろいろと事情を教えてくれた。

 

「カッターラ大湿地を我々人類は制しただろう」

 

 彼女は地図を指し示しながらそう言う。

 

「ええ。……手ごたえのない進軍でしたが」

 

「まったくもってその通り。どうやら、敵は西南方向へ潰走したようだ」

 

 トブルクのあたりから、その長い指をつつつーと内陸の方へ伸ばす。

 

「なるほど。それで敵が少なかったんですね」

 

「ああ。現在、人類はトリポリなどから逆上陸し、内陸へ逃げ延びた敵の追撃を仕掛けている。ここトブルクはまぁ……、現在のところ空白地帯となるわけだな」

 

「航空戦力も、南西方向へ?」

 

「そのはずだ」

 

 ということはきっと、星見くんもそちらへ行ったに違いない。と言う顔をすると、彼女は無言で頷いてくれた。

 

「ということは……。我々は、ここトブルクを独り占めできるというわけだな」

 

「ああ。……敵でも潜んでいない限りは、な」

 

 彼女は極めて意地の悪い笑みを浮かべた。

 私はどう返したものか言葉に窮してしまい、適当に愛想笑いを浮かべる。

 

「冗談だぞ」

 

「わかってますよ」

 

 そんな軽いやり取りをしつつ、私たちは飛行場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 またもや扶桑製の軽トラに乗りこみ、我々はトブルク市街地を目指す。飛行場からトブルク市街は、少々の距離があった。

 

 道路……、と呼べるものは当然のことながら、既に風化してしまっている。我々は町がありそうな方向へ向かって、適当に車を走らせている。

 

「一応、ロマーニャの砲兵隊がカッターラ大湿地を越えて南部への支援砲撃に備えるらしい。もっとも、前線が押しあがる速度が速すぎて、全然追いつかないとボヤいていたが」

 

「ここまで人類の進撃が速いとは。やはり勝因は逆上陸でしょうか?」

 

「ネウロイはずっと、カッターラ大湿地の攻略で戦力をすり減らしていた。そこへ脇腹を食い破られるように人類の攻撃を受けたのだから、当然の結果として敗北した。実に痛快で、明快な勝因だとは思わないかい?」

 

 彼女はやはり口下手なのか、取り留めもなくしゃべりながら最終的に「イチイチ私に言わせるな」とばかりに黙り込んでしまった。

 

「しかし、一面どこを見ても砂と岩だらけですねぇ」

 

 すっかりしゃべらなくなった彼女に何事かを言わせようと、私は会話を続ける。

 

「ああ、でも見えてきましたね。あれが街じゃないですか?」

 

 その道路とも呼べない砂地の向こうに、建物のようなものが見えてきた。

 その町は砂ぼこりの向こうに、しっかりと在った。

 

「ああ、見えてきましたね。トブルクです」

 

 トブルク。それは間違いなくトブルクだ。加東圭子が居た面影がまるで残っていない飛行場に比べて、こちらはわずかばかりでもその面影があるはずだ。という期待が私の胸を躍らせる。

 

 思わず顔がほころぶ私を見ながら、ハンドルを握る彼女は少し笑った気がした。すかさず彼女に目線を向けると、彼女はもう笑ってはいなかった。

 

 相変わらずリリー准尉は隙が無いなあ、などと呆けたことを考えていると彼女は急ハンドルを切り車を横転させる。

 

「伏せろ!」

 

 彼女が私の上に覆いかぶさる。次の瞬間、衝撃が私の身体を襲った。

 

「うおお!?」

 

 そんな格好のつかない声を出して、私は弾き飛ばされた。思わず、中古市場でとんでもない価格になるLeicaⅡを護る様に受け身をとる。肩からぶら下げていたFukonD5に付けていたレンズが、壊れる音がした。

 

「ああ! これだから純正じゃないレンズは……」

 

 などとぼやいていても仕方がない。私は状況の把握に努める。

 

「何がありました」

 

 リリー准尉に近寄る。だが、彼女からの反応は鈍い。まさか、と思って助け起こしてみると、彼女は頭部にけがを負っていた。

 

「准尉!」

 

「静かにしろ。敵は攻撃結果の評価をしている最中だ。うまくいけば、やり過ごせる」

 

 彼女は自分で布をキズに当てながら、そうつぶやいた。

 

「敵、ということはネウロイですか」

 

 私も声をひそめながらそう問いかける。彼女は小さく頷いた。

 

「油断した。やつら、トブルクの町に潜んでいたんだ」

 

 彼女はため息をついた。

 

「つまり、敵の脇腹を食い破った……、と油断している人類の、脇腹を食い破ろうと?」

 

「ああ。……敵はどちらの方へ進軍している?」

 

 そう問われて、私は軽トラの残骸から少しだけ頭を出す。

 

 砂ぼこりの向こうで、何かがうごめいているように感じた。カメラのレンズを使って覗いてみようと思うが、残念ながら今の攻撃でデジタルカメラを喪失してしまった。手持ちはLeicaのみ。これでは、望遠レンズを望遠鏡代わりにすることはかなわない。

 

 一生懸命に目を凝らしてみると、なんとなく敵の動きが見て取れた。敵は砂色を身にまとい偽装してはいるが、なんとなく我々から向かって左……。すなわち、西方へ向かっている様子が見て取れた。そしてその隊列の形状から、それが若干南に傾斜しているという事もなんとなく想像がつく。

 

「ご想像の通り、西南です。ありゃあ、逆上陸部隊の裏をかくつもりでしょうなぁ」

 

 あのネウロイが進んだ先には、逆上陸の後、破竹の進撃を続けている……、と思わされていた陸上部隊がいる事だろう。そして、そこにはそれを支援する星見君たちもいるはずだ。

 

「いち早く、通報しなくては……」

 

 彼女はそう言うと、残骸の中から衛星電話を探し出した。そしてそれに手を伸ばして……。

 

 そして不意に、その手をひっこめた。

 

「どうしました?」

 

「今日日、ネウロイの中には電子戦型も存在する」

 

 彼女は息を殺してそうつぶやいた。

 

「ここで電波を使えば、最悪の場合こちらの存在を気取られてしまう恐れがある……」

 

 そう言うと、彼女はハッとしてこちらを振り向いた。

 

「そういえば、貴様のカメラは通信機能があったな」

 

「ええ。FukonカメラにはWifiとBluetoothが標準装備ですが……。一応、機内モードにはしています」

 

「念のため、今すぐカメラの電源を切ってくれ」

 

「構いませんよ。どうせ今や無用の長物ですから」

 

 レンズが無いと何もできないのがレンズ交換型カメラの短所でもあり、長所だ。

 私はFukonD5から電池を抜き、同時にスマフォの電源も落としておく。

 

「で、どうやって通報するんですか?」

 

 そう問いかけると、彼女の顔がどんどん険しくなる。

 

 それは明らかに、葛藤している顔だった。

 

 こんな状況を、私は南極で経験した覚えがある。それは、軍人としてなすべきことの内、どちらを優先させるかを悩んでいるときの顔だ。

 私は、彼女の葛藤がなんであるかに思い至った。

 

 次の瞬間、私は考えるまでも無く、彼女に向けてLeicaのシャッターを切っていた。

 

 ファインダーも覗かず、ピントも適当。当然、露出設定もおぼつかない。ただ、彼女の顔に向けてシャッターを切った。

 

「こんなときに、なんだ」

 

 不服そうな目線を向ける彼女に、私は私は意地悪な笑みを返した。

 

「私は今、自分のやるべきことをしています」

 

 そして私は、彼女に頷いた。

 

「あなたもどうか、あなたのすべきことを」

 

 覚悟はできている。私は彼女に、そう伝えたかった。

 

 彼女の顔が少し明るくなる。どうやら、私の覚悟は彼女に伝わったようだ。

 

「岩場に隠れながら、通信機材を移動させるぞ」

 

「ええ。少しでも頑丈な建物に避難するんですね?」

 

「ああそうだ。急ぐぞ!」

 

 私は、使い物にならなくなった機材のいくつかを、メモリーカードを抜いたうえで投棄した。そして、負傷した彼女の代わりに荷物を担ぐ。

 

「さぁ、人類の一員として恥じない行動をしようじゃないか」

 

 急転直下、私は生と死の狭間に追い落とされた。

 

 それがなぜか、私にとても不健全な高揚感と充実感を与える。

 

「ええ……。ここは、人類の戦場です」

 

 加東圭子も、こんな心持ちだったのだろうか。




戦場カメラ

 かつて、戦場のカメラと言えば丈夫で壊れず、取り回しも好いLeicaカメラであった。
 しかし、扶桑製カメラの勃興に伴い、戦場に帯同するカメラとしてはより堅朗性の高いFukonFシリーズなどに切り替わっていった。
 特にFukonF2は南極などの極寒地においても驚異の生存性を見せ、各国の報道関係者はこぞってこのF2を調達したと伝えられている。これが、現在まで続くFukon神話の始まりである。

 一般に、極限地での生存性はデジタルカメラよりフィルムカメラの方がよい。電子接点はどうしても、寒さや砂塵などに弱いからである。


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8)ポジティブ・ネガティブ

 「空が震える」とは、このようなことを指すのだろうな。という状況が続いている。

 

 それはすなわち、敵ネウロイによる砲爆撃が至近に降り注いでいるという事を意味している。そしてこれは同時に、リリー准尉が作戦本部への通報をつつがなく終わらせたという事も意味している。

 

「電波は既に全て遮断してある」

 

 息も絶え絶えに彼女は語る。

 

「これでしばらくは延命できるだろうが……」

 

 既に、身の回りには瓦礫が散らばっている。今現在籠城中のこの建物も、そうしばらくは持つまい。

 

「どうやら、ここが我々の墓場となりそうだ」

 

「そのようですね」

 

 私はそう答えて、その場に穴を掘った。建物の中であるとは考えられないほどに、その床はよく穴が掘れた。もっとも、海外では特段目づらしいことではないので、そこまで驚きはしないが。

 

「墓穴を掘っているのか?」

 

 彼女の軽口に、私は「まさか」と答えた。

 

「メモリーカードを埋めるのです。電子媒体は衝撃に弱いですから、少しでも離隔します」

 

「なるほど、そりゃあいい」

 

 彼女はそれを鼻で嗤った。

 

「作戦本部はなんと?」

 

「大慌てて、ここへ援軍を送ると……」

 

「ハハァ、彼らもまんまと裏をかかれたってわけですな。その慌てる顔をカメラに収めたくなかったかと聞かれると、否定はできませんね」

 

「まったく、ブンヤは趣味が悪い……」

 

「これはお手厳しい」

 

 私は話し相手をしながら、メモローカードを埋め終わる。

 

 手元には、LeicaⅡ。フィルムカメラだけが残った。

 

「それは埋めないのか」

 

「ええ。最後の最後まで、これは写真を撮り続けます」

 

「データがダメになってしまわないか」

 

「Leicaは頑丈ですから。撮影ができない状態になっても、中のフィルムは無事かもしれません。さすれば、我々の骸を回収しに来た者たちが、これも一緒に回収し、未来へつなげてくれるかもしれません」

 

 その言葉に、彼女はこんどこそ呆れた笑いを見せた。

 

「願望に願望を重ねた論だ」

 

「そんな願いを聞き届けてくれるのが、Leicaですから」

 

 そう、それが加東圭子のLeicaなのだ。と、私は今でも信じている。

 

 もっとも、これが加東圭子の使用したものであるのか、結局わからずじまいなのだが。

 

 惜しむようにそれを見つめる私に、リリー准尉は唐突に語り始めた。

 

「私にとっても、トブルクは重要な場所だった」

 

 だから、焦ってしまったのだ。もう少し慎重に、状況を見定めてから街に入っても遅くはなかった……。そう訥々と語る彼女の方は、齢相応に震えていた。

 その横顔からは、16才の少女らしい、あどけなさが見え隠れした。

 

「貴様はたしか、伝説の第31統合戦闘飛行隊……”ストームウィッチーズ”を追いかけていたのだったな」

 

「ええ、私は加東圭子を追いかけて、ここへ来ました」

 

「なら、知っているはずだ。私の祖母の名を」

 

 彼女の言葉に、私は耳を疑った。

 

「私の祖母は……。ライーサ・ペットゲンだ」

 

 彼女はくたびれた顔をこちらへ向けた。

 

「お笑いだろう? かつてハンナ・マルセイユと共に空を駆けたウイングの末裔は、地を這う陸戦兵だ」

 

「立派じゃないですか」

 

「ありがとう。だが、私はそう思わなかった」

 

 彼女は力なく首を振った。

 

「私は空を飛びたかった。陸戦ウィッチが劣った身分だとも思わないし、航空ウィッチが素晴らしいとも思わない。だが、私は祖母のように、偉大な者と共に空を駆ける存在でありたかった」

 

 そして彼女は、肩を落とす。

 

「トブルクに行けば。祖母の約束の地に行けば、なにかが吹っ切れる気がしたんだ。……それが、このザマだよ」

 

 笑えるだろう? と彼女は言いかけて、その言葉を飲み込んだ。

 

「そうか、貴様も似たような理由か」

 

 彼女は始めて、私に慈しみのような視線を投げかけた。それは同類相哀れむというべきか、そんな感情が複雑に絡み合ったそれであった。

 

「お察しの通り、私は加東圭子に呪われている」

 

 私はLeicaⅡを取り出した。もうすでに崩壊しかけている建物の隙間から、陽光が差し込む。そこに、このカメラをかざしてみる。

 

「私の勘違いでなければ、だが」

 

 リリー准尉はそう前置きしてから、この話の核心を突いた。

 

「カトウ・ケイとカトウ・ケイコはとても響きがよく似ている」

 

 その通り、と私は答えた。

 

「これは運命だと思いました。名前のよく似た彼女は、私と同じ道を歩き、そして私のはるか前方に立っているのです。報道写真界の寵児と呼ばれた、この私の!」

 

 自慢ではないが、これでも功績を残してきた方だ。

 

 長きに渡った人類最大の戦争、南極戦の取材を筆頭に、様々な現場を渡り歩き、撮ってきた。ピューリッツァ賞受賞時には、扶桑最高の戦争カメラマンとまで呼ばれた。

 

 この私でさえたどり着けないような場所に、加東圭子はいるのである。

 

「どうして彼女はあんな写真を撮れたのか。どうして彼女はあの境地にたどり着くことができたのか。それが分かれば、私はもっと高みへ至れる。そう考えたのですが……」

 

 アハハ、と笑い声が聞こえた。リリー准尉のものだった。

 

「同じだな、我々は」

 

「ええ、まったくの同類だ」

 

「なら、はじめから仲良くしておくのだった」

 

 彼女は、ちょっと残念そうにそう言った。

 

「だが、私は今やっと、吹っ切れたかもしれん」

 

 彼女は、差し込む陽光を忌々し気に見つめながら、そうつぶやいた。

 

「あなたは、至りましたか」

 

「ああ……。結局のところ、最高の仲間と共に戦うことができれば、それでよかったんだ」

 

 きっと彼女の脳裏には、星見君の姿があることだろう。

 

 あのコントレイルに背中を預けながら、人類の戦場で地を這う。きっと、ただそれだけでよかったのだ。

 

「皮肉なものだ。若さゆえの悩みが解決に向かおうとしているこの時に、私は生涯を閉じようとしている」

 

「生涯をかけた問いに決着がついたのですから、それはそれでいいじゃありませんか」

 

 

「ああ、悪い気分じゃない」

 

 彼女は、口元から垂れた血をぬぐうと、私の方に向き直った。

 

「そう言えば、私の骸を撮ってくれるという約束だったな」

 

「ええ、そういえばそうでした」

 

「貴様がそのカメラを最後までとっておいたのは好判断だ。これで貴様は、私との約束を果たすことができる」

 

 彼女は両手で手早く身なりを整えると、今にも崩れ去りそうな瓦礫にその背中を預ける。

 

 そして、その表情を幽かな微笑みで充たした。

 

「撮ってくれ」

 

 私はカメラを向ける。彼女は微笑みを絶やさない。レンズに向けて、いや、レンズの先にある私に向けて、彼女は微笑んだままでいる。

 

 その瞬間、私の脳は激情に駆られたように激しく脈動し、その鼓動が視界をまるで火花が散る様にチカチカと明滅させた。

 

―――悔しい―――

 

 そんな感情が、私をこの慟哭の渦に突き落とした。

 

 視界はもはやぐしゃぐしゃで、何も見えない。

 

 耳元では常に、砲爆撃の音がする。

 

 私はなにも見えぬまま、なにも感じ取れぬまま、シャッターボタンを押し込んだ。

 

 わずかな作動感と、舌打ちのように静かでささやかなシャッター音が微かに手に伝わる。

 

「ああ、撮れた」

 

 この写真がどんな出来上がりになっているか。私にはもはや、確認する術は残されていない。だが私は、この写真がどんな写真になったか、手に取るようにわかる。

 数十年物間、写真業界の最前線で戦い続けた経験と、技術と、そして勝負勘が、私に告げている。

 

 自分は、今まさに、今生で最も素晴らしい写真を撮った。

 

 加東圭子の呪いを、解いた。彼女にサヨナラを告げた。

 

 いや、もはやこの考え方自体が愚かだったのである。

 

 彼女はずっと、私に導きを与えていたのだ。

 

 彼女はずっと私に寄り添い、希望を与え続けていてくれたのだ。

 

 私にかけられていたのは、呪いなんかじゃない。加東圭子の祝福だったのだ。

 

 それを今、あともう少しで事切れるという今、やっと理解できた。

 

 なんと素晴らしいことだろう。

 

 そしてなんと愚かしいことだろう。

 

 全てを理解できたというのに、これを書き残す時間すらない。

 

 私は今、ただただ悔しいという想い以外に、この両手に感情を抱けない。

 

「よかった。()()()も、至ったようだ」

 

 彼女は片足をずりながらにじりよると、私の手を取った。

 

「私達は本当によく似ている。()()のかかりかたも、後悔のしかたも」

 

「ええ、本当に」

 

 リリー准尉は無線機の電源を再び入れ、受話器に向かってこう語りかけた。

 

「こちらは敵に包囲されている。脱出は不可能。友軍による爆撃処分を望む」

 

 そう言って、彼女は受話器を放り投げた。

 

 爆音が激しくなる。

 

 瓦礫がまるで生きているかのように蠢き、不安定に揺れる。

 

「ブッキョウではライセがあるんだったか?」

 

「ああ、その通りだ」

 

「では―――」

 

 彼女は私の手に、その手を重ね合わせた。

 

「ライセでは、友人として巡り合おう」

 

「ええ、こんどは自由な空の上で」

 

 次の瞬間、ひときわ大きな轟音が耳を苛む。そして視界がくらむように開ける。

 

 私はついに、全てを覚悟した。




ポジティブフィルム
 リバーサルフィルムと呼称するのが一般的。
 現像済みのフィルムを灯りに透かした時、実際の明るさや色をそのまま得ることができるという特徴を持つ。

ネガティブフィルム
 ネガ、などと呼称される。
 フィルムには実際の色や明るさを反転させたものが記録されており、そのままでは実際の色や明るさを得ることはできない。
 現像・焼き付けの際にこれを更に反転して実際の色や明るさを得ることができる。

 なお、映画撮影や資料保存などにおいては、ネガフィルムをネガフィルムで撮影してポジ像(実際の色や明るさが記録されている状態)を得ることもある。


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9)素晴らしいカメラとは

 轟音の後、砂ぼこりが晴れた。それでも私は、五体満足で生きていた。

 

 驚いて上を見上げると、爆風で空いた穴から驚くべき人物が顔を覗かせていた。

 

「先生! リリー!」

 

 それは紛れもなく、星見君だった。

 

「最後の最後でウィッチが助けに来るなんて、()()()()()じゃないですか?」

 

 星見君は、そう飄々と軽口を叩きながら、その眼には涙を浮かべていた。

 

「先生、逃げましょう」

 

「それはできない、星見君」

 

 私は隣を見ながら、小さく首を振った。

 

「私も、彼女も、負傷している。脱出は困難だ」

 

 特に、()()()の負傷は思った以上にひどかった。意識に問題が出ているのか、その眼が少し虚ろになってきている。

 私のみであれば、彼女に抱えられて脱出することはできるだろうが……。

 

 せっかくできた友を、ここで見捨てることなどできない。

 

「このままでは君まで犠牲になってしまう。それは、君を受け持った教師としてあまりにも度し難い。教え子には、一分でも一秒でも長く、生きていて欲しいのだ」

 

「でも……!」

 

 彼女は今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 

「先生は教えてくださいました。撮影とは、ただシャッターを切ることに非ず。その写真を家に持って帰るところまでが撮影である、と……!」

 

 そう。これは紛れもなく私の言葉だ。そして、私の信念だ。

 

 写真家とは、撮った写真を持ち帰り、それを記事に起こし、市民に向けて公表するまでが使命。決して、討ち死にしてはならないのだ。

 だがしかし、私はこうも思う。

 

 私も写真家である前に、人間でありたいと。

 

「星見君」

 

 私はLeicaⅡと、掘り返したSDを彼女に向けて差し出した。

 

「私の遺志を」

 

「いや……。イヤです、先生!」

 

「聞き分けてくれ、星見!」

 

 私は声を荒らげる。彼女はハッとして、LeicaⅡを見る。

 

「君は本当に、座学が得意で、実習が苦手だった……。そんな君の特性さえ、今は愛おしいよ」

 

 彼女はSDを受け取った。そして、ポケットにそれを仕舞い込む。

 

 そして最後。私は片方の手でLeicaを差し出し、もう片方の手でリリーの手を強く握った。

 

「これが……。私の、答えだ」

 

 だから、頼む。

 

 そう、告げようとした瞬間だった。

 

「バカヤロウ!」

 

 頭上からドロップキックが降ってきた。

 

 それは聞きなれた声であり、この場には、どう考えてもいるはずのない声だった。

 

「それは自分のその手で、扶桑へ持ち帰れ!」

 

 その声の主は私の胸倉をつかむと、そう怒鳴ったまま私を平手打ちにした。

 

「……南極で今のお前と同じことを言った俺に、そう言ったのはお前だったな」

 

 その声の主は、友人・エヌだった。

 

「立て、加藤」

 

 彼は無理やり私を起き上がらせて、そして詰め寄った。

 

「あの時のお前の言葉を、そっくりそのままくれてやるよ。なんて言ったか、覚えているか?」

 

 全身が、カッと熱くなったような気分になる。まるで、細胞の一つ一つが、あの時の興奮を覚えているかのように。

 

「「俺とお前で組んだ時の生還率は、100%」」

 

 声をそろえて言い終わって、私は腹の底から笑いがこみあげてきた。

 

「ああ、そうさ。いつだって俺たちは、二人で一つだった」

 

「お前一人なら帰れんかもしらんが、俺がいれば帰れるだろう?」

 

 自信満々に嘯く彼の自慢げな面を、私は思わず張り倒した。

 

「当たり前だ、相棒」

 

「よし、また走ろうじゃないか。今度は雪原ではなく、砂原だがな」

 

「これもまた、オツだね」

 

 私たちの拳が重なり合った。次の瞬間、私はリリーを助け起こしていた。

 

「星見君、彼女を連れて脱出を」

 

「し、しかし……」

 

 星見君は難色を示す。マニュアルではこの場合、民間人である我々の避難が優先されるからだ。

 

 そんな生真面目な彼女に、私はいつもの問答であるかのようにこう答えた。

 

「おいおい、この間の授業を忘れたかね。『このような場合、統計上現場の判断を優先させた方がその場での生存可能性が高まる』と、私は確かに述べたはずだが……」

 

 座学が得意な君にしては、珍しい聞き洩らしだね。と、私はお道化てそう答えた。

 

「そんなの、教科書に書いてありましたっけ?」

 

「扶桑に帰ってから、意地でも加筆してやるさ」

 

 そう返して、彼女は初めて笑みを取り戻した。

 

「わかりました。リリーは、必ず基地に返します」

 

「君”も”だよ。星見君」

 

「ええ、もちろん」

 

 彼女はそう言うと、リリーの身体を抱えて空中に浮かび上がった。

 

「じゃあ先生、またあとで」

 

「うむ。またあとで」

 

 私の言葉に満足したのか、彼女は速やかにこの場から離れた。

 

「さて……」

 

 私は隣を見る。

 

「走るか」

 

「ああ」

 

「死ぬんじゃねえぞ」

 

「お互いにね」

 

 言い合ってから、私たちは攻撃が吹き荒れる街路へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 執拗な攻撃は町を出ても続いた。

 

 遮蔽物が無くなることを懸念したが、幸いにもこの砂漠は起伏に富んでおり、特に問題は無かった。

 

「それにしても、なぜここに?」

 

「徐々に思い詰めた様子になる君に対して、若干の責任を感じてね」

 

 彼がそう言ったので、私は思わず笑ってしまった。

 

「まったく、航空券は高いぞ」

 

「なんてことはないよ。今や、私は売れっ子カメラマンでね。扶桑に帰ったら、アイドルやら女優やらの撮影が待っている」

 

「羨ましい限りだよホント」

 

 砂漠の上を走りながら、私たちは息も絶え絶えにそんな会話を繰り広げた。

 

「……そういえば、最後の衛星電話は少々電波状況が悪かったな」

 

「お察しの通り、あの時にはもうすでに、近くまでやってきていた」

 

「なんだよ。早く言いたまえ」

 

「驚かせようと思って」

 

「まったくもって無駄な配慮をありがとう」

 

 私はこの男の頭を小突いてやりたくなる衝動にかられた。だが今はそんなことをしている余裕はないので、後頭部に向けて平手を向けるくらいにとどめた。

 

「それで、呪いは解けたか?」

 

「呪い? なんのことだ」

 

「加東圭子の呪いだよ! それを解きに、アフリカくんだりまで来たんじゃないか」

 

 彼の言葉に、私は大笑いで返した。

 

「呪いじゃなかったんだよ、あれは」

 

「なにぃ!?」

 

「だから、サヨナラをアフリカで言う必要も、無かったんだ!」

 

 ところどころ敵からの射線が通る位置に差し掛かった。攻撃が一層激しくなる。

 

「扶桑に帰ったら、死ぬほど話してやるさ!」

 

「まったく、続きが気になるよ! 死ぬんじゃねえぞ!」

 

 興奮のままに叫び声を上げながら、私はまたもや思い出し笑いがこみあげてきた。

 

「こんな風に、アニメ映画があったな!」

 

「ルパンか? 俺はそれよりも、南極戦を思い出すよ」

 

「あの時も、こんな風に君と逃げた」

 

「セリフは逆だったけどな」

 

「ああ。そして、砂じゃなくて雪だった」

 

「暑いかわりに、寒かった」

 

「日差しは……。同じくらいキツイね」

 

「あの時はどうやって逃げ切ったんだっけな」

 

「どうだったかな。忘れちまったよ」

 

「おいおいそれじゃあ、回顧録の執筆に差し支えるだろう」

 

「構わんよ。君が覚えているだろう?」

 

「私も忘れたよ!」

 

 もはや、どちらがどちらの声であるかもわからないような会話を投げ合いつつ、アドレナリンだけで先を目指す。ずっとずっと、太陽と反対の方向へ。

 

「なんでこっちに逃げるんだ?」

 

「さぁ。あの時もこっちに逃げたから?」

 

「そう言えばそうだった。そんでもって、こうしてゲラゲラ笑いながら走っていたら……」

 

 その時、前方から砲撃音。

 

 回り込まれたかと、歩みを止めた。

 

 だが、それは敵ではなかった。

 

「こんなふうにびっくりして立ち止まったら、そこに居たんだ」

 

「ああ……。戦場の、女神が!」

 

 それは、ロマーニャ軍の砲兵隊が擁する、FH70だった。

 

「民間人を発見! 保護!」

 

 扶桑語の指示が飛ぶ。扶桑軍人がこちらに駆けつけてくると同時に、背後からの攻撃が収まりつつある気配を感じた。

 

「お迎えに上がりました。もう、大丈夫です」

 

 その言葉を聞いて、我々は奇声を上げて飛び上がった。

 

 そしてネウロイの方に向かって向き直ると、あらん限りの力でこう叫んだ。

 

「俺たちの勝ちだ!」

 

「丸腰の人間二人、食べることもできない腰抜けネウロイめ!」

 

「お前らなんかに、俺たちが殺せるか!」

 

 一通り敵を罵倒し終わるころには、攻撃はやんでいた。

 

 私たちはそのまま砂上に倒れこと、ここでやっと口を閉じた。

 

「まったく……。年甲斐も無く頭に血を昇らせた」

 

「右に同じく。年は取るもんじゃないね」

 

「違うだろ。年相応に落ち着くべきだと私は言っているんだ」

 

「まったく教授クサイことを言うようになったよお前は」

 

「しかたがないだろ。教授なんだから」

 

 私の言葉に、彼は黙って拳を重ねた。

 

 私も、拳を重ね返す。

 

「どんな年の重ね方をしても」

 

「このコンビは不滅だよ、相棒」

 

 それを言い終わると、アドレナリンが切れたのか身体全体が痛み始めた。

 

 傷もかなり負っているのか、かなりの痛みだ。

 

 同時に眠気にも襲われた。

 

 私たちは二人そろって意識を手放し、そのまま基地へと移送された。

 

 意識を取り戻したころには、扶桑へ帰る算段が整い終わっていた。




世界イチのカメラ・Fukon
 Fukonのカメラがなぜ世界一と評されるまでになったのか。
 諸々論点が出尽くすことはないが、一番大きな要因の一つに生存性が挙げられる。
 良いカメラとは、素晴らしい描写性能を持ったカメラでもなく、各種機能をてんこ盛りにしたカメラでもない。
 どんな環境においても、撮影者が壊れるまで壊れず、家に帰ってデータを取り出すまで中の画像が壊れない。
 それが、最高のカメラの条件である。
 そして、21世紀の今、そのカメラの条件に合致するのは、Fukonだけである。

 かつてはLeicaのカメラなども、このような理由で最高のカメラと呼ばれたことがある。現在でも一定の堅朗性、部品生産の持続性などから、最高のカメラの呼び声は続いている。


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10)写真概論Ⅰ-1「写真を撮る、ということ」

 私史上最高の写真、は結局のところお蔵入りとなった。

 

 撮影に失敗したわけではなく、ただ単に出版社が食いつかなかったというだけである。

 

 あの写真はひとつのポートレート写真としての価値はあったが、報道写真としての価値はそこまで認められなかった。それに、一人の少女が戦士として血を流している姿というのは、この人間社会に在ってはあまりにも都合が悪かった。

 

 それをあえて報じようなどという反骨精神は、今や業界から消え去って久しい。

 

 もっともそれでよかったと思っている。この写真は、私と彼女達だけの、かけがえのない一枚だ。

 

 きっと、加東圭子も、そう思ったに違いない。

 

「しかしまさか、そこのリリー氏が軍をやめて扶桑まで来るとはね」

 

 私はエヌのラボにやってきていた。そして、そこには星見君とリリーもいた。

 

「星見さんは休暇というから話は分かるが、リリーさんまでいらっしゃるとはね」

 

「軍は辞めた。私は私の自由意思に従って、扶桑へ至った」

 

 そう話す彼女の口調は固い。が、厳しいのは口調だけで、その表情は柔和だった。これはきっと、まだ扶桑語に慣れていないだけだろうと、私はそう思う。

 

「それで、だ。加藤」

 

 エヌは私に詰め寄った。

 

「君がたどり着いた答えを、教えてもらいたい」

 

「元からそのつもりだよ」

 

 私がそのあっけない結論を言おうとする前に、星見君が待ったをかけた。

 

「その話をする前に、お呼びしたい人が居るんです」

 

 彼女がそう言うと、ラボの扉が開いた。

 

 そこには、驚くべき人物が立っていた。

 

「稲垣真美と、申します」

 

 その小さな老婆は、さらに小さくお辞儀をした。その姿は折り目正しく、彼女が由緒正しい軍人であったことを彷彿とさせる。

 

「かつては第三十一統合戦闘航空団……アフリカに、所属しておりました」

 

 まごうことなき、加東圭子の僚機である。なぜ彼女がこんなところに、と呆けた顔をしていると、星見君が口を開いた。

 

「真美おばあちゃんは、私の祖母なんです」

 

「祖母ぉ!?」

 

 私とエヌは驚いて飛び上がった。

 

 その横でリリーが涼しい顔をしている。

 

「なんだ、知らなかったのか」

 

「先生にはお伝えしていなかったんです。まさか、加東圭子研究をなさっていたとは知らなくて……」

 

 星見君はやってしまった、とばかりに首をすくめながら、稲垣氏に目線で何かを促した。

 

「お二人がケイさんの撮った写真を探しているとお聞きしたもので、今日はこれをもってまいりました」

 

 彼女が差し出した写真。それは、カラーフィルムで撮影された彼女のポートレートだった。

 

 私はそれを一目見て、いやこの場に居る誰もが、この写真の撮影者が誰かを理解した。

 

「これはもしや、加東圭子氏が撮影されたものですか?」

 

「はい。ケイさんが私の為に撮ってくれた、大切な一枚です」

 

 退色が進み判別が困難になっているものの、それは確かにカラーリバーサルフィルムで撮影された写真だった。

 

「そういえば、ウワサがあっただろう!」

 

 エヌは興奮気味に私に詰め寄った。

 

「ホラ、あのウワサだ。加東圭子がリバーサルフィルム・コダクローム64で撮影した写真があるという、あのウワサだよ!」

 

 私は言われて思い出した。私がアフリカに行くかどうかでもめていた時に、彼の口から飛び出したものだ。そして私は、加東圭子が使ったかもしれないコダクローム64を持って、アフリカへと挑み、あの写真を撮った。

 

「やはりアレは本当だったんだ。加東圭子は、コダクローム64で撮影をしていたんだ!」

 

 大発見だ。だが、加東圭子研究の第一人者であるこの私はどうしてか、こんな途方もない真実を前にしても、心が揺さぶられることは無かった。

 

「どうした。なぜ君はそんなにも冷静なんだ」

 

「それは、ね」

 

 私はエヌに向かって微笑みを浮かべながら、その写真を稲垣氏へお返しした。

 

「稲垣さん。この度は大切な写真を拝見させていただき、ありがとうございます。よろしければ後身の研究に役立てたいと思いますので、今度また改めてお伺いさせてください」

 

 稲垣氏が快く了承してくれたのを確認してから、私はエヌに向き直った。

 

「彼女がどんな機材を使っていたか、なんて。彼女がどんなフィルムを使っていたか、なんて。あまりにも些細な問題だったからだよ」

 

 私はその結論の正しさを、この写真の奥で笑みを見せる彼女を見たことで、更に補強することになった。

 

「なんだ、もったいぶらずに教えてくれよ」

 

 逸るエヌに、私は一つの問いを投げかけた。

 

「ここで星見君のグラビアを撮る。と、考えてくれたまえ」

 

 そう言った瞬間、星見君が赤面し硬直する。

 

 私はそれを見届けてから、エヌに問いかけた。

 

「さあ、どうする?」

 

「そうだね」

 

 エヌは防湿庫に保管されていた中から、カンノン社の一眼レフカメラと、135㎜の望遠レンズを取り出した。

 

「まずは中望遠程度で遠くから狙い、様子をうかがう」

 

「それから?」

 

「しばらくすれば、カメラを向けられるというシチュエーションに慣れてくる。その頃合いを見計らって、105㎜、80㎜……と、だんだん広角のレンズに変えていき、彼女との距離を詰めていく」

 

「そして?」

 

「私と彼女の、この場の信頼関係が構築されてくる。そうしたらレンズを標準から広角に切り替え、更に近寄っての撮影を……」

 

 そこまで言って、彼は何かに気が付いたようだった。

 

「まさか」

 

「さすがは扶桑きっての写真家だ。やはり気が付いたか」

 

 私は乾いた笑い声を出すことしか、できなかった。

 

「そう。加東圭子は、心で撮っていたんだよ」

 

 

 

 私がたどり着いた恐るべき真実。それは、加東圭子はカメラマンであると同時に、軍人であり、記者であり、戦士たちの()き友人であったということである。

 

 私を呪った、加東圭子撮影のあの写真。黎明薄暮の空を悠々と飛ぶハンナ・U・マルセイユ。

 

 モノクロの画面の中に、彼女の勝気な表情も、上気した肌の色も、仲間を信じる瞳の温度も、平和を取り戻した空の色も、全てを落とし込んだ一枚。

 

 なぜ、彼女にそんな写真を撮ることができたか。

 

 それは、マルセイユが加東圭子を信じていたからに他ならない。

 

 写真を撮るときに必要なこと。

 

 それは機材であったり、媒体であったり、光源であったり、技術であったり……。だが、それは表面的なことに過ぎない。

 

 写真を撮るうえで一番大切なこと。それは、被写体との信頼関係だ。

 

 写真家とは被写体にとって観察者だ。そしてこの観察者は残念なことに、常に観察対象に対し影響を与え続ける。

 

 私のアフリカでのアプローチは、観察対象に影響を与えないように、自分を極力無に近づけうというものだった。そしてそれは、ことごとく失敗した。

 

 それに対して加東圭子のアプローチは全くの逆である。彼女は被写体たちと緊密で強固な信頼関係を築いた。だから被写体たちは、加東圭子に対し自らその美しさを許したのである。

 

 それが「居合撮影」とも呼ばれる彼女の撮影スタイルにもよく表れている。

 

「加東圭子は居合の要領で瞬く間にカメラを取り出すと、気が付かない間にシャッターを切り、そして気づいたころにはカメラはもうすでにその懐の中にあった。」(鈴木2013)

 

 彼女のこの魔法のような技術を解体すれば、それはあまりにも簡単なことだった。

 

 加東圭子と信頼関係を結んだ被写体たちは、加東圭子がカメラを取り出しシャッターを切ったッとしても、それを特段警戒することはなかった。なぜなら、加東圭子を信じ切っていたからである。

 そしてもし、加東圭子の行動に気が付いたとしても、彼女達は特段気にも留めないか、笑って受け流すくらいで済ませただろう。

 

 居合撮影のタネは、彼女が撮影をしても咎められることのない心理的環境づくりの成果だったのである。

 

 そしてこれらのことは、写真家としてやっていくのであれば、当然に知っていることだった。

 

「いくらストリートフォトのまねごとをしてみても、答えにたどり着かないわけだ。加東圭子のアプローチは、ストリートフォトのそれではなく、我々がポートレートを取る時にごく普通にしているそれだったのだから」

 

 私はゲンナリという顔を見せる。その面前で、エヌも同じ顔をしていた。

 

「なんだい、あまりにも当然の事を見逃して、我々はアフリカまで行ったのか」

 

「まさに灯台下暗しだよ」

 

 私は肩をすくめることしかできない。

 

「答えは全部、ここにあったんだ」

 

 私は胸の奥を指さした。

 

 加東圭子は私を呪っていたんじゃない。

 

 私にとっての”あたりまえ”を、思い起こさせようとしてくれていただけだったのだ。

 

 そして私はそれに気が付かず、四苦八苦していただけだった。

 

「彼女がウィッチだとか、Leicaのどのモデルを使っていたかだとか、レンズはなんだとか、フィルムはなんだとか……。全ては、どうでも良いことだったんだ」

 

「加東圭子はカメラマンである前に記者でありウィッチだった。だから、戦士たちの心に入り込むことができたんだ」

 

「ある意味で彼女は、巧みなコミュニケーションと誠実さで、写真を撮っていたと言える」

 

「本当に、基礎のキじゃないか」

 

 エヌは疲れたようにそこに座り込んだ。

 

「なるほど。それに君のウデは気が付いていた。だからあんな写真が撮れたんだ」

 

「ああ。その通りだ」

 

 私は改めて、リリーの方へ向き直った。

 

「リリー、ありがとう。君のおかげだ」

 

「礼はいらない。我々は友人だろう」

 

 彼女はまた、私に美しい笑みを見せた。それがなによりの証明だった。

 

 

 

 

 稲垣氏は用事があるとのことで、早々にその場を辞された。

 

 帰り際、彼女は私にこう言った。

 

「ケイさんも、貴方と同じことをおっしゃっていましたよ」

 

 私はその言葉だけで胸がいっぱいだった。

 

 

「それで、だ」

 

 エヌはお茶を入れながら私に尋ねた。

 

「これからどうするんだ?」

 

「そうだねえ」

 

 私は手の中にあるLeicaⅡをもてあそびながらしばらく考えた後で、ふいにそれを星見君へと差し出した。

 

「もし君さえよければ、これをもらってはくれないかい?」

 

 星見君は驚いてお茶を吹き出しそうになった。

 

「待ってください先生! これは貴重な……」

 

「ほんのお礼だよ。教え子の君に助けてもらったばかりか、大切なことに気が付くきっかけまでくれた。感謝してもしきれない」

 

 そう言って、私は彼女の前にそれを置いた。

 

 彼女は暫くそれをしげしげと見つめた後で、私にこう聞いた。

 

「いいんですか?」

 

「ああいいさ。だって……」

 

 私はチラッとリリーの方を見ながら、こう答えた。

 

「機材が何であるかは、さしたる問題ではないから」

 

 彼女は、大切にします、といってそれを大事に仕舞い込んだ。

 

「それに、今回の件で良く思い知った。私はやはり、前線に出ているときが一番調子がいい」

 

 私がそう言うと、エヌは苦笑いで返した。

 

「まったく、私がいつも言っていたことじゃないか」

 

「ああ。今回ばかりは君が正しかった。全面的にね」

 

「それじゃあ、復活するんだな? 戦場カメラマン・加藤敬が」

 

 彼の問いかけに、私は短く答えた。

 

「ああ。もちろんだ」

 

「それなら、護衛が必要だな」

 

 間髪を入れず、リリーがそんなことを言い出した。

 

「……なんのことだ?」

 

「わたしはやはり、あなたが再び戦場へ出ると、そう考えていたよ。予想は的中したようだ」

 

 彼女はそう言うと、彼の前に立ちふさがって挑戦的な顔を見せた。

 

「前に約束しただろう。私の骸を必ず撮ると」

 

「ああ、それはそうだが」

 

「その約束は、まだ有効だからな」

 

 私はここで、やっと彼女の意味していることが分かった。

 

「おいおい、もしかして私の撮影についてくるつもりじゃなかろうね」

 

「当然、そのつもりだが? 私は軍を辞め、フリーランスの傭兵としてあなたを警護しよう」

 

「おいおい冗談だろう!?」

 

 うろたえる私に向かって、リリーは嘯いた。

 

「安心しろ。私と君が組んだ案件の生還率は、100%だ」

 

「これは一本取られたな」

 

 エヌはそう言うと、無責任に笑った。

 

 私は狼狽して、どうしようかと必死に頭を回した。そんな私に彼女は、こう言った。

 

「あなた以外に私の笑顔を撮られるのは我慢ならなくてね。これからも()()()()撮るんだ。いいだろう? Herr Kato」

 

 それを満面の笑みで言われてしまっては、私はもうどうすることもできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで私は、アフリカへと帰ってきた。

 

 隣には新しい私の相棒となった、リリーがいる。

 

 彼女はいつも通りの陸戦兵装に身を包み、常に私の隣にいる。

 

 その姿はまるで、マルセイユ専属護衛であったマティルダ氏を思い起こさせる。

 

 今日もアフリカでは敵弾と人類の英知が交じり合う。

 

 ここで私は、私たちは、生きている。



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