なんとしてでも、推しは推しとして推したい! けどパンツは見たい! (黒マメファナ)
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【白鷺千聖】イエロールート(メインルート)
推しのパンツの色は?


 今から嘘みたいな本当の話をしよう。

 俺はひょんなことから、推しのパンツを見てしまった。

 そう推し。俺は応援してるアイドルのパンツを……知っている。あ待って待って、ものは投げないで。別に俺はガチ恋とかそんなんじゃないんだよ。一応ね。

 ひと昔前なら所謂トップオタ、なるものをやっているものとして推しに認知はされたいしなんならされてる。うん俺実は名前も覚えてもらってるんだ……じゃなくて、認知はされたいけどあくまでアイドルとドルオタという線を引きたいって話なんだ。

 だから、推しのパンツを見た件も、覗いたとかそういうのではない。事故だったんだ。

 ──推しの名前は白鷺千聖ちゃん。元子役で女優をやっていたけれど、何かの縁でアイドルと二足の草鞋を履きこなすような人物なんです。小柄なんだけどなんだかオーラがあって、トークイベントやMCでは割と突っ走りがちなメンバーを諫める役割もあるみたいだ。

 

「こんにちは、来てくれたんですね♪」

「そりゃあもう、この日は外せないよ」

「ふふ、バイトばっかりじゃなくて勉強もしなきゃダメですよ?」

 

 イベントではこんな感じ。これがオタクやってる中での優越感でもあるよね。前のやつとかが当たり障りのない会話をしてるのに、俺は……俺は!

 失礼、取り乱しました。同じ高校三年生なったばかりだからこういう話になるんだよなぁ。進路とかまだなんにも決めてないけど。

 ──けど、そのパンツの話があったのはそんな話をした直後のことだった。ライブはいつものように千聖ちゃんの定位置前を陣取って、待機していて、野外ライブに臨んだ。

 だけどライブ中、イタズラな風の妖精が春風を吹かせて……千聖ちゃんの衣装のスカートをバッチリ、捲り上げてしまったのだから。

 

「あ……?」

「──っ!?」

 

 もうね、思わず放心したよ。しかも、黒のアンダースコートならね、ここまで俺も呆けなかっただろうし、千聖ちゃんも動揺しなかったと思う。でも俺が見てしまったのは、その中にチラリと見えた……黄色だった。

 見間違いかとも思った。千聖ちゃんのカラーは黄色だし、衣装も俺が指に四本ずつの系八本で振っていたサイリウムの色も、黄色だったから。

 でもその見間違いでは? という疑念が俺を悶々と変態に姿を変えていった。

 あくまでオタクとアイドル、という差を俺は大事にしていたのに、その日から千聖ちゃんのパンツが頭から離れなくなってしまったのだから。

 

「──というわけで、以上が俺の最近の悩みなんだけど」

「けど? どうしたの?」

「ちょっと千聖ちゃんのパンツの色を聞いてきてよ──というのは冗談だよ、ジョーダン」

「そう? よかったぁ、私も幼馴染の両目を潰したくはないから安心したよ」

「……ヨカッタネ」

 

 それから一週間経たずくらいの頃、推しのパンツの色というバカ丸出しのことで物思いに耽っていたところで幼馴染に心配されて打ち明けたらこのリアクションである。理不尽なり。

 だけどこの幼馴染さん、俺は逆らえない事情がある。なんと白鷺千聖ちゃん(おれのおし)と同じ花咲川女子学園に通ってる、どころか中等部時代からの親友なんですって。

 

「それにしても、変態さんなんだから……千聖ちゃんの、パンツ、だなんて」

「見たのは偶々なんだよ……信じてくれよ」

 

 でもあの日から俺は、俺はどうしても、推しのパンツが見たいんだよ。

 あの時の気持ちを、え? 今のなに? まさか今のパンツ? え、でもまさかそんなことが、じゃああの黄色はなんだったの? っていうモヤモヤをなんとかして晴らしたいんだ! 

 

「でも、今日の千聖ちゃんがその時履いてたのと同じじゃなくないかなぁ?」

「それは……その時の色を聞き出して……待て、ゆっくり話し合おうじゃないかマイフレンド」

 

 すっと、トレイが彼女の頭の上よりも高くなった。命の危険が危ないし危ない。きっとあれだな、後頭部か側頭部辺りを強打すれば記憶が飛んでモヤモヤしなくなるとかそういうバイオレンスなことを言うつもりだなお前。

 

「ん?」

「かわいく首を傾げるな」

 

 この子、黙ってるとおっとり系でふわふわ女子って感じでかわいいし、スタイルもいいしアイドルやれよもうお前もさぁ! って言いたいほどだけど、如何せんバイオレンスなきらいがある。あと無駄にメンタルはゴリゴリのマッチョ。筋肉に換算するとその辺のボディビルよりマッチョ。

 

「女の子にそういうの、セクハラだし、千聖ちゃんが動揺するくらいだから、聴いたらデリカシーないと思うんだよ、私はね」

「まぁ……そりゃそうだけどさ」

 

 でもさ、目の前でかわいい推せる! ってペンライト振り始めて早一年経過する推しのさ、パンツを見ちゃったかもしれないわけだよ。

 だったらそれに対するイエスとノーが欲しいわけよ。あの日のパンツがイエローならギルティ、違うカラーならノットギルティなわけですよ。

 

「……でも、違うって言われたら何色だったんだろうって思わない?」

「……思う」

「変態さん」

「いやでも」

「変態さん」

「……すんません」

 

 そうですね! もう退路ないじゃん俺! でも見たい! ノットイエローなら何色だったのかまで知りたい! 探求心(ロマン)だけが俺の原動力さ! 

 ──と言いたいけど絶対に幼馴染さんに変態さんと罵られるだけなので黙っておこう。俺はマゾじゃないやい。

 

「んー?」

「なに」

「マゾじゃない……?」

 

 あの疑問符浮かべるのやめてもらっていいです? 待ってお前俺のことずっとマゾだと思って接してきたの? え、ひどくない? もう幼馴染やめたいんだけど。

 まぁ、幼馴染はどう頑張ってもやめられないので冗談としても、俺は彼女に千聖ちゃんのことを聞かないという鉄の掟があるため、そもそもパンツの色を訊き出すことは叶わぬ願いだった。

 それは単純、幼馴染さんが知っている千聖ちゃんはプライベートの千聖ちゃん。俺が知ってる千聖ちゃんはアイドルの千聖ちゃん。その二つの解離は悲しいくらいのクレバスを作っている。

 

「変わんないと思うけどなぁ」

「変わるさ。千聖ちゃんだって人間だもん」

 

 本当はオタクのことなんて汚物くらいな認識だとか言われても、そらそうだろくらいにしか思わない。だってオタクってキモいじゃん。キモいイコールオタクみたいなとこあるじゃん。かくいう俺もそのキモい人種の一端なわけだけど、俺はそれで十分だと感じてる。

 いくらプライベートで何を言っていても、俺はあくまでお客さんでしかない。自分だってバイトの休憩とかで客の愚痴を言うこともあるし、それと同じ。

 騙されてるとかじゃなくて、そういう線引きができるのが良いオタクってやつだ。

 

「オタクに良いも悪いもあるの?」

「あるだろ」

「じゃあ、悪いオタクって?」

「オタクにとって都合の悪いオタクのこと」

「えぇ……」

 

 ドン引きされてもそれが事実だからな。俺みたいな認知勢なんて一部のオタクから見たら害悪ここに極まれる、って感じだし。SNSで調べると俺みたいなやつに対する文句なんてそれこそ幾らでも湧いて出てくるし、所詮認知勢とか言ってるけど向こうは義務感のように業務をこなす気持ちで覚えてる、みたいなことを思ってる人も中にはいるようだし。

 

「オタクの世界にも色々あるんだねぇ」

「ホントな、元々クラスでも浮いちゃうような存在が集まってるのに何故かその中で自分達が弾かれたクラスのような()()を求めるような連中だからな、オタクって」

「矛盾してるね」

「まったくだな」

 

 だからと言って素早く順応したり適応したり友達作り上手いと身内から叩かれるという被害にも遭うという矛盾の連鎖が発動するのがこのオタク、特にドルオタ界隈の厳しさである。因みに俺の推しグループであるパスパレは古参がガチでうざい。俺もイベント参加時期的には古参(そっち)側なんだけど、特にボーカルでリーダーの丸山彩ちゃん推し勢が鬱陶しい。

 

「あー、彩ちゃん、前からアイドル研修生だったもんね」

「そうなんだよ」

 

 そんなオタトークになんだかんだ付き合って相槌を打ってくれるいたってパンピー幼馴染さんのバイト先のファストフード店でまったりしていると、とあるお客さんが店内にやってきた。

 ──その顔を確認した俺は素早く幼馴染さんとの相席をやめ隣の席で顔を伏せた。

 

「あら、今日もバイトかしら?」

「ううん、今日はお休み」

「お休みなのにここで食事? 栄養偏るわよ?」

「大丈夫だよ」

 

 まさかの千聖ちゃん(おし)のオフに出くわしてしまうとは。

 いや、この可能性は常に考慮してたんだよ。実は千聖ちゃん、近所に住んでるみたいだし生活圏被ってるしさ。でもね、やっぱりオフの千聖ちゃんはあくまでただの白鷺千聖ちゃんなわけであって、パスパレのベース担当の白鷺千聖ちゃんとはまた違うわけで、プライベートの千聖ちゃんと知り合いになったらオタ活がしにくい。なので俺はこうして身を隠すわけだけど。俺は認知勢だがプライベートでお近づきになりたいわけじゃない。ステージからレスもらいながらサイリウム振っていたいだけなんだよ! 

 

「さっきまで誰かといたの? カレシ?」

「えっ、一人だよ? どうして?」

「……おかしいわね、男の子と一緒だった気がしたのだけれど」

「きっ、気のせいじゃない、かな……?」

 

 おいこら嘘が下手すぎるだろ! そんなことしてるともう迷子になってもフォローしてやんないからな! この方向音痴!

 しかしそんなツッコミ兼罵倒を浴びせることもできずに、俺は千聖ちゃんがあからさまに誤魔化しにきている親友の言葉にそう、と相槌を打った。

 

「私になにか隠してない?」

「かくして、なんか……」

「ちゃんと目を見て言ってくれるかしら?」

「あ、う、ふえぇ……」

 

 もう限界だと思った俺は顔を見せないように立ち去ろうとした、その時だった。

 まぁいいわと千聖ちゃんの声がした。ここまでまじまじと近くでプライベートの彼女がいるのは初めての経験だったけど、やっぱりオフの千聖ちゃんは声のトーンが若干低く、華やかさはあるが俺がいつもオタ活をしてる時に感じるような雰囲気は纏っていなかった。

 チラリと隣を伺うと、千聖ちゃんはさっきまで俺が座っていたところに座って足を組んでいた。

 黄色のシャツに白色のスカート、そこから伸びる細くてキレイな脚の……ついつい太腿から先の、スカートに守られた部分が気になってしまう。こんなこと幼馴染さんに知られたらまた変態さんって言われるなぁ。

 

「そういえば、私、最近新しい下着を買ったのよ」

 

 ──なんですと!? 

 おニューの、パンツ……! そんな唐突でホットすぎて妖精たちが夏を刺激するようなリミットを越えた話題に俺は聴覚に全てを費やすことにした。え、こんなところでまさか千聖ちゃん、オフのすがたからネタバレみたいなことが待っているとは。あでも待ってやっぱりよくよく考えたらパンツの色とかガチのプライベートであって俺の求める千聖ちゃんではない気がするからやっぱり知りたくないよね、うんそうだよね! 

 

「これなんだけれど」

「あ……」

 

 やめろお前、その反応で俺は察しちゃうだろ! 

 結局、俺は目を塞いでなるべく耳も塞いでいたのに、あの時見たものが事実だということを知ってしまった。

 俺は推しのパンツをうっかり、見たんだな。

 

「いい反応をありがとう、やっぱり確信が持てたわ♪」

「え、えっと……千聖ちゃん?」

 

 立ち去っていく千聖ちゃん。ほっと一息ついて俺は身体を起こすと、目の前にスマホが置かれていた。

 ──そこにあるのは先程幼馴染さんに見せていたと思われる上下セットでひぃふぅみぃ……ってこんな高いのかと思わず値段を見てしまった黄色いショーツとブラの購入画面。

 

「こんにちは♪」

「え……えっと?」

「そんなまるで初めて会うような反応はやめましょう? いつもイベントに来てくれてありがとう」

「……はい」

 

 そのスマホの持ち主は勿論、俺の推しの白鷺千聖ちゃんで、すごくにこやかで、まるでお渡し会のイベントの時のような笑顔を俺に向けてきた。これがプライベートの千聖ちゃん、なら良かったんだけどなぁ。そんなわけないんだよなぁ。

 

「見たのよね?」

「何をでしょう?」

「コレ」

「暗がりだったので」

「別に私はライブ中に風が吹いてスカートがめくれてしまった時、とは言ってないわよ?」

 

 語るに落ちたよ、そもそもお渡し会やイベントの時にある机、つまりはオタクとアイドルを隔てる壁がどこにもない上に、すぐ近くに推しの顔があるとかある意味どんな拷問より辛いよ。息すらしにくいよ今の状況。

 

「やっぱり、見られていたのね」

「あの……ご、ごめんなさい」

「いいのよ、事故だったのだし、あのアンダースコート、少し小さかったのよね」

 

 ああ、推しの声が推しじゃない。辛い。

 いつもよりやや冷たさのある声でそんなことを淡々と呟かれ、俺は若干死にたくなってきた。推しはいつだって甘く元気な声を想像したいじゃん。こんなサバサバした口調とか望んでないんですよ。

 

「……私、嫌われているのかしら?」

「それはないんじゃないかなぁ……? さっきもすごく千聖ちゃんのこと熱弁してたし」

「そう」

 

 余計なこと言うんじゃねぇよぉ! お前さ、実際に誰かもわからん、どころか絶対手が届かない女に対してお金を貢いで、営業スマイルでメロメロになっちゃうゴミクズ厄介クソオタクに自分のこと熱弁されてたって聞かされて嬉しいと思うの? キモ、の一言で終わるでしょ!? キモい自覚はあっても推しからキモいと言われたら俺は明日からどうやって生きていけばいいのさ! 

 

「そうそう、今私、コレ履いているのよ」

 

 ──はい? イマ、ナンテ、ユッタノ? コレ、ハイテル? 

 コレってまさか俺が値段をバッチリカイガン! で凝視したあのショーツのこと? なんで今教えたの? なに? お金が目的? あれですか、脅されてお財布にされちゃうのかな? そんなことしなくても基本的にバイト代の99.99パーセントは千聖ちゃんにつぎ込んでるんですけどね? 

 

「ふふ、なぁにその反応……見たいの?」

「見た──っくはないです!」

「その嘘で誤魔化すの……無理じゃないかなぁ?」

 

 黙らっシャラップ! 見たいとか言ってうわキモとか言われたら俺は今すぐサイフを投げ捨ててこの場からいなくなっちゃうくらいにメンタルと心臓ヤバいんだから余計なことを言うのはやめてくださいお願いしますこんどカフェとかマジで全額奢るからさぁ! 

 

()()()()()()()……卑屈ね」

「でしょう? 困っちゃうんだよねえ……」

 

 え? ええ? 話に? 聞いた通り? なにその日本語、ワカラナイ。

 あーでもプライベートのだもんな、幼馴染さんとはプライベートな親友同士だから、お互いの交友関係について話すこともあるだろうね。そこで彼女は俺の名前を出して、千聖ちゃんは俺のことを知っていた……!? 

 

「ん、つまり認知してくれたのって……」

「あら、気付いていなかったのね?」

「……マジかぁ」

 

 どうやら俺は、白鷺千聖ちゃんガチ推しオタクには成れていなかったらしい。

 ──ただ自分の親友の幼馴染、それだけかぁ。思った以上に近いところに置かれていたという虚無感が俺の身体を包み、千聖ちゃんは立ち上がった。

 

「また、会ってくれるわよね?」

「……イベントだったら、どこへでも」

「ふふ、そうじゃなくて……もう、落ち込まないで?」

 

 まるでサンタさんが親だと知ってしまった子どもをあやすように、千聖ちゃんは俺の手に触れてきた。これまで何度も握手をして触れてきた千聖ちゃんの手。すべすべで、びっくりするくらい白くて、キレイな手。そんな手が俺の手を運んでいくから、つい視線が誘導されていく。

 その先に待っているものを、考えもせずに。

 

「え」

「……トクベツよ? これで元気出して」

「は……?」

 

 俺の手を捕まえた千聖ちゃんの手が、白いベールを捲り上げて俺の前にいつか見たものよりハッキリとその全貌を現した黄色を、あろうことか晒してきた。

 アングル的には幼馴染さんには背中を見せて、俺にだけ。何の意図があるのかと呆けたツラで推しの顔を見ると、人差し指を口に当てて、ウィンクをしてきた。

 ──ヒミツ? 俺とプライベートな秘密の共有? なんで? どうして? 整理整頓という言葉を忘れた俺の脳内が処理落ちして再起動状態になってしまう。

 

「今夜十時、連絡するわね……」

「は、え……」

「あなたに、興味があるの」

 

 ──俺は、推しのパンツを見てしまった。というか推しにパンツを見せてもらってしまった。いやこんな話秘密というかそもそも発信してもはい妄想乙の一言で片づけられるからな? 

 今まで、アイドルとオタクという次元の隔たりと相違ない壁に阻まれていた俺と、白鷺千聖ちゃん。

 でもやっぱり、次元の隔たりなんかないんだなと思い知らされる、始まりだった。

 認知厄介千聖ちゃん推しのドルオタが、望んでいたとは言えパンツを本人に見せてもらい、あまつさえ、連絡が来るという急展開に、俺は全く感情がついていってなかった。

 まぁでも、たった一言、俺は言おう。これは言わないと失礼な気がしたもんね、やっぱり。

 だから言おう、高らかに、ヒーローインタビューのように! 今のお気持ちは! 

 ──最高です! もうこれ優勝でしょ! 

 

 

 



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え、感想とか訊いちゃうんですか!?

 推しのパンツを見た害悪ドルオタですどうも。

 存分に罵ってほしい、いやマゾとかじゃなくてオタクとしての尊厳を保つためにこれはどうしても必要なんだよ。

 そわそわと風呂上りの状態で俺はベッドの上に置いてあるスマホが震えるのを待っていた。時刻は午後十時少し前、あと数分の時間を、まるで執行の時とじっと待つ死刑囚のような気持ちで正座していた。

 ──午後十時、十秒経ってワンコール。俺は間髪入れずにスマホを耳に当てた。

 

「もっ、もしもし」

『こんばんは、白鷺千聖です♪』

 

 あ、推しでそういう電話妄想してるとかそんなんじゃないからね? 千聖ちゃん本人だからね。

 いつもイベントで聴く声のトーンは、俺の気分を高揚させた。もはや条件反射なのではと思う。だっていつもイベント中テンション気持ち悪いからなぁ俺。

 

「……それで、どうして? 電話なんて……」

『番号は誰から訊いた、とかそういうのかしら?』

「いや、出処はわかってます」

 

 幼馴染さん一択でしょうどうせ。俺が訊きたいのはそういうことじゃなくて、どうして認知害悪厄介勢キモオタの俺に、殿上人であらせられる白鷺千聖様がプライベート回線を繋ぐということをしているのでしょうか、という質問なんだけど。ただし非通知なところはちょっとだけほっとした。

 

『単純よ、興味があったのだもの』

「興味って、便利な言葉ですね」

『そうね、イロイロ、想像できちゃうもの、ね?』

 

 ああやめて、そんな甘ったるい声出さないで耳が孕む。

 というか推しのボイスってお金払って買うものだと思ってたんだけど、これ通話料金だけでいいの? 今月のお給金全部つぎ込むとなんか新しいボイス聴ける? 

 

『根っからの貢ぎ根性なのね』

「推しには金をかけることがオタクとしての幸せですから」

 

 それが絶対ってわけじゃないけどしばしばオタクのマウントに使われるよね貢いだ金額ってさ。

 オタクというイキモノは常に誰かと自分を比較して優越感に浸ろうとする。俺だってそうだよ。認知勢のアイデンティティは、ただのモブじゃなくて名前を憶えてもらってる、というマウント意識なんだから。

 

『それを自覚していながら、やめないのね』

「やめたら今の楽しいを否定しちゃうことになりますから」

『敬語はやめましょう? いつもイベントではタメ語じゃない』

「イベントはイベントでしょう」

 

 俺は個人的に千聖ちゃんには認知されてるけど、白鷺千聖()()とお知り合いになった覚えはないです。あくまでウチの幼馴染さんの親友なので、いわば友達の友達じゃんか。俺はアイドルのケツを追いかける気持ち悪いオタク、千聖ちゃんは人気上昇中のアイドル。この埋めがたい差を埋めないことが、大事だと思うんだよね。

 

『見下げた向上心ね』

「日本語で遊ぶのやめません?」

 

 やめてほしいかな。千聖さんは俺のツッコミがたいそう面白かったかのようにくすくすと笑った。あ、笑った声はイベントの時とあんまり変わらないんだなぁ。

 でもやっぱり俺は別に千聖さんとの距離を縮めたいわけじゃないから。オタクとしてそんな姑息で最低な行為に手を染めるのはダメです。俺には俺の譲れないジャスティスがある! 

 

『それで、マジマジと見た感想は?』

「最高……じゃなくて、ああいういたずらはこれっきりにしてください」

『漏れてるわよ、本音』

 

 ──しまった! 見た瞬間は感情がついていかなかったけどまさか推しからパンモロというご褒美をもらって優勝したことがあまりに俺の中でまばゆい光を放ちすぎていたせいで! 脳内保存いたしまして、刻み付けて反芻して再び優勝して賢者タイムで罪悪感に駆られるまでが二時間前のハイライトですからねなにせ。この短い間に2Vしたんだよな、改めて考えるとキモいとか通り越して通報されてもおかしくない気がしてきた。

 

『ヌいたのね』

「……ノーコメントで」

『沈黙は時として雄弁だわ』

「詩人のようなことを言いますね」

『あら、素直にはなってくれないのね』

「多弁であることより沈黙することのほうが是とされるのが日本人の美的感覚ですからね」

 

 ちなみに推しを人に勧めるのに沈黙は金ではなく禁。引くまで押せ、引くくらいなら別にどうでもいい語って殺せ早口でがオタクがオタクであるためのスローガン。推しに対して無口なオタクはにわかと謗られても文句は言えないという風潮があるし。つくづくオタクって日本人の美意識からは程遠いな。

 

「感想が訊きたかったのならもう切っていいですか?」

『ハッキリと口にしてほしいわ。色、装飾、感情、あなたの口から全部訊きたいのよ』

「はは、言うわけないですよね」

『私は金より銀を美しいと思うわよ』

 

 そういう遠回しで詩人みたいな言い方をされると、千聖さんって案外ロマンチストなのかなと頭の隅っこで考えてしまう。多弁は銀、沈黙は金。昔はどっちのほうに価値があったんだろうね。今じゃ圧倒的に金なんだけど。

 

「なんで俺なんです?」

『ダメ?』

「気持ち悪いオタクですよ?」

『けれどあの子が黒いところを見せるヒトだわ』

 

 そりゃ昔からかかわりがあればそうでしょうよ。知らないことなんて身体のホクロくらいなもので、黒いところなんて黒だとすら思ってない。バイオレンスだとは思ってるけどそれ以上の感想はわかないよ。異性ながらおそらく親友といっても差し支えないレベルだし。あくまで恋愛対象じゃなくて気の置けない関係ってだけだからね。

 

『つまらないわね、もうちょっとオタクらしくどもってもごもご言ってくれたらかわいげがあるのだけれど』

「残念ですね」

 

 ちなみに内心は心臓バクバクで下向いてくちゃくちゃ言わせてるまであるよ。コーナーとぼそぼそ声で高速詠唱して差をつけるのがオタクの武器だから俺も例によって心の中ではあうあうもごもごどもっていますとも。でもキモいじゃん。パンピーにオタクの標準装備で立ち向かったら言葉の核兵器で滅びる定めなのよ。そうならないためには、生き残るために必要なものはパンピーに擬態することだよ。

 

『オタクの風上にも置けないわね』

「何度その言葉を聞いたことか」

『ああ、認知至上主義と古参って総じて嫌われるわよね』

「俺、どっちもですからね」

『そうね、オタ……ファンとの交流の場があった最初のイベントからいるものね』

 

 おいこのヒトあろうことかファンのことオタクって言いかけたんだけど、信じられない。ひどすぎる。まぁ別にプライベートでファンのことキモオタとかカスとか呼んでても一切問題ないけど。個人の感想は自由だもんね。千聖ちゃんって丁寧で神対応が特徴なんだけど、どう考えても現在のまま並んだら待っているのは塩対応間違いなしなのが悲しい。世の千聖ちゃん推しよ、どうやらマジであの神対応は営業だったらしい。

 

『あら、その推しからプライベートな電話をかけてもらっているのに文句を言うのね』

「望んでないですから」

 

 千聖さんはふう、とため息をつく。この人ホントに千聖ちゃんかと思う。いやパンツの話した時点で疑ってないけどさ。実は声のよく似た別人だったほうが俺の精神衛生上よろしいんだよなぁ。

 

『回りくどいのは嫌いなの』

「散々回りくどい言い回ししておいて? ……ですか?」

『ふふ、そうそう、その要領でいいのよ』

「じゃなくて」

『私はこういう言い回しをするけれどされると嫌なのよ』

「わがままですね」

『ええそう、私は強欲でわがままなの』

「俺の嫌いな女性のタイプですね」

『……かわいくない物言いだわ』

 

 ん? なんか千聖さんの声にヒリついた、火傷をしてしまいそうな温度を感じた気がした。いや気のせいか。いくら親友の幼馴染とはいえこんな浪費クソドルオタにシャイニングエンジェル千聖ちゃんが感情の熱を上げるなんてあるわけないよねぇ? 

 

「そもそもビジュアルがかわいいですかね俺」

『あなたデリカシーないのね』

「あいつにもよく言われます」

『直して』

「なぜ」

『欠点じゃない』

「そうじゃなくて、なぜ千聖さんに言われて直さなくちゃいけないのって言いたいんですけ──ど……あれ?」

 

 ええー、なに? 通話切れてるんだけど、なんで? 確かにデリカシーのない物言いをした。したさ。だってこれ以上千聖ちゃんを崩してほしくないし、これ以上千聖さんを知りたくなかったから。これはあれだよ、推しの解釈違い。パスパレの千聖ちゃんならパスパレの千聖ちゃんしか知りたくない。意外な一面は知りたくても本性とか裏とかそういうのまで知りたくないからね。

 ──だけどやっぱり、千聖さんからは熱量を感じた。謎すぎる。なんで俺が千聖さんの怒りを買わなくちゃいけないんだよ。

 そんなことを考えていたら、もう一度非通知で電話がかかってきて即座に応答する。

 

「も、もしもし?」

『明日、学校が終わったらすぐにファストフード店に来て』

「え」

『待ってるわね、それじゃあ──おやすみなさい』

 

 俺が何か返答する前に、いやなんでという前に電話は切れてしまった。

 なんで俺、推しに目をつけられたの? え、カツアゲ? 印税じゃなくて直接貢げってこと? それでグッズとかじゃなくてもらえるのが完全オフの塩対応とかいくら厄介オタクの俺でも嫌なんだけど。

 うんうん考えてもわからなくて、悩みに悩んで俺は幼馴染さんに電話をすることにした。

 

『もしもし、どうしたの?』

「いや、実はさ」

 

 それまであったことを彼女にすべて洗いざらい話すことにする。なるべく主観を入れずに、俺が実際に千聖さんに言われたことと俺の返答をざっくり、ただひたすらざっくりと説明した。

 

「それで、結局断る間もなく電話が切れたんだけど」

『うーん、デリカシーないね』

「持つ必要あるの?」

『あるよ、千聖ちゃんだってオフの時はただの女の子なんだから』

 

 ただの女の子があんなクソ回りくどくてややこしい言い方する? 意味わからんのだけど。

 ついに溢れ出た俺の愚痴に、幼馴染さんはひたすらに優しい声音でそれが千聖ちゃんって女の子なんだよ? と諭すような言い方をした。

 

『私だって、ほら、クラゲが好きなのって周りにあんまり理解してもらえないでしょ?』

「そうだなぁ……確かに」

『キミだってさ、自分がイベントでやってること、万人に理解されると思ってないでしょ?』

「思ってないね、オタク趣味だし」

 

 そういうことだよ、と一旦言葉を切って彼女はカップから液体を啜ってそれを机に置く音が電話口から聞こえた。すごい集音だ。

 どうやら夜のティータイムを過ごしているらしい幼馴染は、少しの間を置いて不安そうに問いかけてきた。

 

『千聖ちゃんのこと……どう思った?』

「めんどくさい」

『……そのくらいストレートなら、怒らなかったと思うなぁ』

 

 だってめんどくさいじゃん。いちいち回りくどいのに俺がそれにリズムを合わせると嫌がるし、俺が散々オタクだから推しのプライベートなんて嫌だって言ってるのに聞き入れてくれないしで正直印象最悪なんだけど。

 

『じゃあ電話してもらった感想は?』

「最高……じゃなくて、えーっと」

『変態さん』

「えっ、これもダメなの!?」

 

 ダメだよとバッサリ切られた。変態じゃないやい。誰だって推しの生ボイスが聞き放題だったらうれしいでしょ! 思ったのと違ったけど、それでもいつもサイリウム振ってる推しの声が耳元で一時間聞き続けられたという幸福を噛みしめてはだめだというの? 

 

『はぁ……もう』

「ごめん、なんか……」

 

 それでも呆れながらいいよ、と言ってくれるところ辺り、正直幼馴染さんは優しいというか甘いんだと思う。間違いなく彼女の甘やかされるがままに従ったらダメ人間になれる自信がある。ゆるふわ系ダメ人間製造機さんはどこまでも優しい口調で俺の話を聞いてくれる。

 

『それで、私一つ聞き損ねてたことがあるんだけど』

「え、なに?」

『……ファストフード店で最後、千聖ちゃんは何をしたの?』

 

 うげ、それかぁ。言わなきゃダメ……だよなぁ。

 彼女は妙に隠し事を嫌う。それは相互共に求めるもので、彼女も俺に隠し事はしないし、俺も彼女に隠し事はしない。そりゃなんだかんだで異性同士だし訊かれなきゃ言えないことの一つや二つくらいはあるだろうけど。

 

「あの時さ、俺にだけ見えるように、その……スカートを捲られて」

『え、見たの?』

「はい、バッチリ」

 

 あの白いベールが俺にだけその秘密の花園への道を開いてくれた。美しくて白い足、あまり普段は見ることのできない太腿、その先にある彼女のイメージカラーと同じパステルイエローでレースのついた、ピンクのリボンがかわいらしいショーツ。ううん我ながら気持ち悪いくらい記憶してるな。

 

『……それで? 感想は?』

「……五体投地?」

『変態さん』

「あっ、ですよね」

 

 いやだって、だってさ。千聖ちゃんはあくまで推しなわけで、アイドルだし顔の造形やスタイルはどう頑張っても平均値を大幅に上回ってるわけじゃん? そんな造形の整った女の子が覗かせる普段誰にも見せない秘密……ってめっちゃ興奮するでしょ。

 

『それ、女の子の私に言うの? それとも私はかわいくないってこと?』

「あの怒らないで正直に感想を言っただけだし、あなたもじゅーぶんかわいいからね?」

『……うん』

 

 あ、機嫌治ったな。そりゃあちょっとくらい誤魔化したほうが彼女的にはよかったんだろうけど、だってあれはそんなこと考える前に最高です! って言いたくなる絶景だったんだから。あとお世辞抜きにうちの幼馴染さんはかわいい。なんでアイドルやってないの? ってくらいかわいいからそこんとこ間違えんなよ! 

 

「というかそもそも感想を訊かないでくれ……変態以外の何物にも成れなくなる」

『もとから変態さんだけどね?』

「……うんまぁ言うと思ったけど」

 

 ともあれ、やっぱり千聖ちゃん(おし)は推しとしてちゃんと推していたい。千聖さん(プライベートのすがた)なんて求めてない。それが幾らプライベートの姿こそが本当の彼女だったとしても。

 それを否定しないとやっていけない陰キャクソゴミドルオタなのが俺だから。悪いことなんだろうけど、プライベートで知り合いになってオタクにすらなれないのは絶対に嫌だからな。

 

『それで、明日……私も一緒に行こうか?』

「いや、こうやって後で愚痴を言うと思う。そっちで付き合ってくれればいいよ」

『わかった、それじゃあ明日はおうちで待ってるね?』

「あ、え?」

『やっぱり電話より直接会って話したほうがなんか楽かな~って』

「そ、そりゃそうだけど」

 

 いやいや、まぁ別に彼女が家に来たり俺が彼女の家にお邪魔することはよくあることなので問題はない。幼馴染でめっちゃ家近いから本来夜間じゃなきゃ話があったら電話じゃなくて直接話すくらいだし。

 あの、ただですね、うちの親、最近帰りが遅いんですよ。

 

『うん、だからご飯とか作ってあげるね』

「ありがたい、最近コンビニ飯かファストフード店だから……じゃなくて」

『ん?』

「男女であることは気にしないと」

『あ~、変態さんだもんね』

 

 いやそういうことじゃないよね。そこ笑い話で済ませるようなことじゃないからね。

 そう言うと、彼女はまぁ大丈夫だよ、そんな長居するわけじゃないしと流されてしまった。いいのかそれで、まぁいいけど。所詮陰キャドルオタたる俺にまさか幼馴染でかわいい女の子に手を出せるような気概ないし。絶対二人きりで気まずい感じになっても何も起こらないし起こさない自信がある。推しのパンツに興奮してもリアル女子に対して興奮はできませんからね。

 

「ごめん」

『いいって、それじゃあもう寝るね……おやすみ』

「おう」

 

 結局、千聖さんと一時間、幼馴染さんと一時間通話をしたため、すでに時計の短針と長針が頂点を向いて、長針が通りすぎていったあとだった。

 やべ、SNSのチェックとかもしてないもんな。まぁいい、流し見して千聖ちゃんの投稿だけ全部いいねして寝るかな。

 ──あ、もちろん夢は推しのパンツを見る夢でした。あはは、もう変態さんでもなんとでも言ってほしい。脳細胞すべてが推しのパンツに染まったこの俺をなぁ! 

 

 



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俺んちくるの!?

 さて、どうしたらいいんだろうな。俺は憂鬱だよ。

 憂鬱とかいうレベルじゃないな。いや本来なら推しに会えるって時点でご褒美に近いんだけど、肝心の推しがなぁ……どうしたらいいんだろうなぁ。

 

「いらっしゃいませー」

 

 そんな声に招かれるように、俺は制服のままファストフード店へとやってきた。お腹も減ったのでおやつ代わりにナゲットとジュースを買って、彼女を探す。

 やや人目につきにくいところに俺をこの店へと呼びつけた相手はのんびりとアップルパイを食べていて、思わずため息が出てしまう。

 

「……推しを目の前にしてその顔はどうなのかしら、本当にオタク?」

「ナメないでください。推しのためならたとえ親が死んでも超ハイテンションで会話しますよ」

 

 それはそれでどうなのかしら、と呆れられながら、推し……のプライベートの姿、白鷺千聖さんの向かいに腰を下ろした。

 あ、でもやっぱり顔の造形は俺が推してやまない千聖ちゃんそのものなので、正直近いしいい匂いするからドキドキバクバク心臓が歓喜してる。だから俺って変態さんだとかマゾだとか言われるんだよなぁ。

 ──というか俺、このヒトのパンツ見たんだよなぁ。まだ頭から……いやたぶん一生頭から離れないだろうけど。

 

「どうしたの? パンツ見る?」

「はい! ……みません」

「返事と言葉が全く一致しないわね……」

「そういう矛盾を抱えた思春期男子なので」

 

 そりゃあねぇ、推しのパンツは見たい。でもそれを素直に認めるってのはねぇ……? ほら、ここで冗談混じりに今日は何色なんですか? くらい訊けたらいいんだけど。そもそも目の前の彼女が何を考えてパンツをみせてくれたのかすら不明だし。未知って怖いよね。

 

「今日は黒なの」

「……そう、ですか」

「リボンはピンクで、鼠径部のところが白の花の刺繍になってるのよ」

 

 いつもイベントで握手する度白くてキレイだなと思う指が、ドキっとする所作で彼女自身の下腹部から太腿の付け根、鼠径部の辺りを撫でた。数秒の静寂、なんとかリアクションを我慢していた俺に向かって、千聖さんは更に制服のリボンの辺りに指を当てた。

 

「ブラもお揃いだからココにもリボンついているし、このラインは白い花の刺繍になっているわ」

「へ、へぇ……」

「ふふ、面白い顔してるわよ?」

 

 嫌でも妄想させられてしまう。そのスカートを捲った先の光景を、リボンを解いて、制服を取り除いた先の光景を。

 推しなのに、目の前に座ってるのは紛れもなくただただ応援していたアイドルなのに……その様子にくすくすと笑う彼女に俺が抱いたのは紛れもなく興奮だった。

 どうしようもなく……ムカっとした。俺のアイドルを穢す悪魔に、正義かもわからない黒い感情が湧き出てきた。

 

「いい加減にしてください……! 俺は、あなたを……!」

「昨日の電話で私に酷い言葉を掛けたクセに、自分はそうやって怒るのね?」

「──っ! そ、それは……」

 

 だが、先に明確に怒りを吐露したのは千聖さんの方だった。その感情に触れてしまい脳裏に幼馴染の言葉が反芻される。

 ──千聖ちゃん(おし)千聖さん(すがお)があれど、それはどっちも白鷺千聖なんだ。そしてプライベートの彼女は紛れもなく、ただの女の子だ。酷いことを言われたら怒るし、嫌なことがあれば不機嫌になる。嬉しいことがあれば笑って、そうやって生きてるんだから。

 

「……ごめん」

「それだけ?」

「それだけって、他に何が」

「正直に私のパンツを見た感想を言わないと次のイベントは素の口調で対応するわよ」

「ガチ脅迫はやめてもらえますか?」

「嫌よ、昨日からずっと気になっているのだから」

「え、千聖さんって変態?」

「ふふ♪」

 

 あ、まじですいません。え、でも感想でしょ? 推しのパンツ見た感想を推しに言うの? 拷問? は? 今すぐ舌噛んで死んだ方がマシなんだけど。

 けれど俺にそんな度胸があるわけもなく、オタク特有の視線きょろきょろあうあうもごもごと時間を稼いでいく。

 

「ふぅん、コッチの方がいいのね? 次のイベントは今日も気持ち悪い笑顔ね豚さんって挨拶してあげた方がいいかしら?」

「あははは、勘弁してください」

「イベントで罵るのを? パンツの感想を赤裸々に明かすのを?」

 

 どっちもだよう! どっちもハードル高いんだよう! 言っても千聖さんはやめてくれなさそう。ちくしょうこのヒト絶対サドだ! というかそのサドにペンライト全力振りしてるオタク全員マゾなんじゃないかって疑ってやる! くそ俺もだ! 

 

「嫌だったかしら?」

「そんなこと……っ! あ、えっと、最高だった、じゃなくてそもそも、千聖ちゃんみたいなかわいい子のパンツ見れて嫌なわけないし、モヤモヤも晴れたし……あ、でも」

 

 こうしてオタクらしくもごもごと早口で言い訳に言い訳を重ねたミルフィーユを千聖ちゃんの前に積み重ねていく。

 結局のところかわいかったしえっちさもあって一生脳内メモリは色や形、あのベールや生足を忘れませんと、そういうことですねはい。

 

「変態はあなたじゃない」

「み、見せてきた方が言う?」

「……最初に見たのも、あなたじゃない」

 

 そうだけどさ。そうだけど結局スカートめくってパンモロ晒したのは千聖さんでは? ああ、ってかだんだん敬語が剥がれてきた。そもそも認知される前は敬語だったのにいつの間にか同年代だってわかった千聖ちゃんに勉強の話やバイトの話でいじられることが多くなってツッコミを入れてたらタメ語になってきて……あれ? 俺ってもしかしてイベントの時からマゾムーブしてた? 

 

「あれは確信してなかったし……そのせいでモヤモヤしてたけど」

「けれどあの子に自分の性癖を吐露してたじゃない」

「言い方」

「事実よ」

 

 ふん、と言われもしかしてウチの幼馴染さんのことを心配してた? 俺みたいなクソ変態ゴミドルオタが幼馴染でよくオタトークに付き合わされてることを知ってて、みたいな? 確かにそうすると見せてきたこと以外の辻褄は合うよね。

 

「見たらスッキリするでしょう?」

「まぁ確かに」

「何回ヌいたの?」

「いやそっちじゃなくて」

 

 性欲的な意味でのスッキリの話はしてないんだよな、これが。いやスッキリしたかしてないかで言ったらしましたけど。推しのパンツでヌかないやつはオタクじゃねぇ。そうやってノータッチとか言って紳士ぶっても推しはお前のことなんとも思ってないからな勘違いすんなよ! 

 

「まぁたかがオタクが私でヌいたくらいじゃ文句は言わないわね」

「キモいけど?」

「ええ、当たり前じゃない」

 

 見ず知らずの人にオカズにされてると思うとぞっとするわよ、想像してみてと言われて思わず想像してしまった。確かにぞっとするよね。そんな気持ち悪いオタクと握手して笑顔を振り撒かなきゃやってられないなんてアイドルは大変だ。

 

「わかったような顔しておいてあなたも同罪よ」

「で……ですよね」

「まぁ、見ず知らずの人ではないけれど」

「──っ!」

 

 はい条件反射で喜んだ。悲しきかな認知至上主義ドルオタの性というやつだ。推しに認知されることを生きがいとしている以上今の発言は極上の誉れとなる。騎士の称号を受け取った戦士のような顔つきになってしまう。我が人生はあなたに捧げます。

 

「なぁに? 推しとお近づきになれて幸せかしら?」

「いやそれは全く」

「……ムカつくわね」

「ごめん、マジで推しは推しで最高だしかわいいし天使だしぶっちゃけ二人きりでこんな長い時間話せてるとか家に帰った時に嬉しさで頭打って死なないか心配なくらいだけど、推しのプライベートにはいっさい興味ない」

「めんどくさいオタクね」

「オタクはめんどくさいしキモいんです~」

 

 ともあれ推しから白鷺千聖のオタクと認知されていることすら実は嬉しいことである。やはり認知勢にとって認知してもらえるということこそ至上の誉れ。まぁその認知やレスのためだけにダメって言われてても曲の静かなところで叫んじゃう厄介オタクも世間にはごまんといることだし、俺はまだレーティング守ってるからマシな方。

 

「どんぐりの背比べって言葉、知ってるかしら?」

「それがなにか?」

「非オタクから見たらどっちも同じキモオタよ」

「……それは泣くからやめて」

 

 わかってるよ! 幼馴染さんにも違いがわからないよと言われたことだからなぁ! パンピーから見たら奴らも俺も同類(オタク)であることに変わりはねぇもんなぁクソオタク! まったくその通りなのだっ! へけっ! 

 

「まぁいいけれど、私は訊きたいことは訊けたし」

「帰るの?」

「いてほしい?」

「そりゃ推しの尊顔を眺めながらコミュニケーション取るのに時間制限と引き剝がしなんてないに越したことないもん」

「ああ、あなたいっつも粘るものね」

 

 引き剝がしとは、握手会やイベントなどで直接推しに触れたり個別に会話できる時に列が滞らないように短い逢瀬を管理するスタッフのことである。オタクがにちゃあと笑う姿を一瞥もせず腕時計を見て、頃合いが来れば会話の途中だろうがなんだろうが肩を掴み出口へと追いやる。あれは本当に悪魔の所業にほかならない。たぶんオタクの九割は敵視してると思っていい。あれは悪。

 

「あれに負けないために体幹トレーニングしたからね」

「その努力の方向性をもっと自分のために使ったらどうなのよ……」

「やだな、自分のためだよ」

 

 千聖ちゃんのために、なんて俺は微塵にも考えてない。貢ぐのだってそうしたらそうしただけ千聖ちゃんに会えるからだし、ライブでペンライト振ってオタ活してる間めっちゃ楽しんでるだけだし。

 推しの懐が潤う、なんて所詮石を投げたら別の鳥にもあたったってくらいの副次効果に過ぎないよ。オタクが求めるのは推しと交流する楽しさやオタ活そのもの。これはよくパンピーが勘違いすることなんだけど、キャバクラじゃないんだから推しに金を払っているわけではない。推しのコンテンツに金を払うことでサービスをもらってるだけ。

 

「流石ね」

「それバカにしてるよね?」

「ええ」

 

 ええ、じゃねぇよ! けれどやはり時間という刻限は迫るけれど引き剝がされることのないこのプライベートな時間はなんだか幸せだ。本当にお金払わなくていいんですかね? ちゃんと貢ぐよ? 十秒千円くらいでいい? 

 

「その貢ぎ癖はなんとかした方がいいわよ」

「大丈夫、バイトの範囲だから」

「全く」

 

 くすくすと千聖さんは極めておかしそうに笑ってみせた。そして今度こそ立ち上がって、わざわざ付き合ってくれてありがとう、と言われてしまった。

 いやいや、俺の方こそこんな贅沢な思いをさせてくれて幸せでお腹いっぱいだよ。

 

「あ、そうね。まだ今日のご褒美はあげてなかったわね」

「え」

「流石にここだと恥ずかしいから……少しだけあなたの家に上げさせてもらえないかしら」

 

 恥ずかしいってあなたもしかしてまた? またパンツ晒すの? やっぱり露出癖の変態でしょ! と言いたかったけど俺も見たかったので我慢することにした。だってさっきのやり取りで気にさせられちゃうじゃん! そもそもそれから既に千聖さんの術中というなら素直に変態さんを認めますとも。

 ──あ、でもヤバい、今日は。

 

「きょ、今日は……流石に、コンプライアンス違反というか……モラルに反するというか」

「なんのはなし?」

「実は、両親がその……今日帰りが遅くて」

「……ふぅん、それでプライベートとはいえ推しを襲ってヤリたいと」

「そそそそそ、そんなこと言ってない! ただ俺は身の潔白と推しとオタクとしての線引きがというか」

「そうね、そこで我慢できたら……もっとご褒美をあげてもいいわよ。アイドルとして」

「あっ、アイドル……として!?」

 

 素っ頓狂な声が出てしまった。つまりはイベント関連の何かということだ。ここで完全に俺は舞い上がってしまった。冗談よ、それならやめておこうかしらとご機嫌で微笑んだ彼女に対し、テンションがあがって俺は、ついそこで地雷を踏んでしまう。

 

「あでも今日はアイツが家にいるから何にも起こせないや、忘れてた」

「──なんですって」

「ん?」

「アイツって……あの子よね?」

 

 頷く。千聖さんはすごい形相で、両親がいないということと幼馴染さんが家にいる、という二つの情報を曲解した答えを導き出してしまったようで、顔を青くしたり赤くしたり忙しない葛藤の末、一つの結論を出した。

 

「私もお邪魔させてくれるわよね?」

「え、でも」

「それとも、あの子とフタリキリじゃないと不都合な何かがあるのかしら?」

 

 そんなものあるわけない。そもそも幼馴染さんと俺は何度もしつこいかもしれないがフレンド以上の関係はない。フレンドであり、シスターのようでもあり、ファミリーでもあるみたいなイメージだ。

 異性だと、万が一部屋に二人で閉じ込められたならコトに及びかねないということをわかっている相手でもあるけどそこまでされないと恋愛とか身体の繋がりとかそういう生々しさを伴わない関係ということである。俺としても心地よい距離感だと思ってるけど。

 

「合理的だわ。あの子がいれば私には手を出せないしあの子にも手を出せない。そんな度胸もない。更にいくら家に三人とは言え私はあなたにご褒美をあげられるタイミングもある」

「そんなに見せたいの?」

「違うわよ」

「違うの?」

「あなた、私のこと変態だと思ってるでしょう」

「うん」

「正直なのは嫌いじゃないわ。けれどその両目で私を一生見れなくするわよ」

「ごめんなさい」

「わかればいいのよ」

 

 わかったんじゃなくてわからせられたんです。脅迫はひどい。というか千聖さんナチュラルに脅迫してくる怖い。

 ──というわけで、冷静に考えるととんでもないことなんだけど。推しが家にやってくるそうです。パンツを見せてくれる云々は流石に頭の悪い冗談だとしても、なんだかお怒り気味、おそらく一ミリでも親友がこんなキモオタ童貞クソイキリ陰キャに襲われる可能性を考慮した上の行動なんだろうとは思う。なんだかんだで幼馴染さんのとの友情を大事にしてる以上に、お互いがお互いを必要としてるみたいな相棒的関係が見て取れるし。

 

『ふえぇ……!? ち、千聖ちゃんが来るの……?』

「らしい。余計なことを言ったっぽい」

『うんすっごく余計だったけど、知らずに来た時の方が怖いだろうから結果オーライだよう』

 

 じゃあ前半の言葉いらなくない? あれ、俺がおかしい?

 

 

 

 



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丁度いい距離感がほしい

 時にオタクの諸君は推しが家に突然やってきたらどう思いますか? まぁ大概は喜ぶ、と見せかけてオドオドと視線が右往左往、上にも下にも向いての眼球運動会が開催されることは間違いないだろう。

 非オタクパンピーにはわからない話かもしれないがオタクにとって推しは恋人未満のオトモダチとか密かに想いを寄せている高嶺の花とはわけが違う。存在しているが実在はしない。あくまでイベントで会いにいくことでようやくオタクたちの目の前に現れる神秘で、幻想の存在なんだ。そもそも想像すらできないし、万が一そんなことになれば大抵のオタクは自分の正気を疑うしドッキリ企画のカメラを探し出すだろう。

 

「どっ、どうぞ」

「それじゃ、おじゃまするわね」

 

 現実逃避してしまいたいくらいだ。いっそこれが夢であってくれたらどんなに楽だろう。自分の家のはずなのに、彼女が隣にいるだけでまるで別空間のように感じられてしまう。

 白鷺千聖さん。推してやまないパスパレの千聖ちゃんとは雰囲気が違ってはいるが紛れもなく俺の推しだった。もしも二人きりだったら正気を保てる気がしない。具体的に言うと急に空を飛びたくなってベランダから飛び降りる。

 

「あ、千聖ちゃんいらっしゃい」

「ええ、あらいい匂いね」

「ご飯作ってるんだぁ、もうちょっと待ってね」

 

 千聖さんが来たことでにこにこといつもよりスマイル大目の彼女は俺の幼馴染さん。別に家族ってわけじゃないし家族のように育ってきたって程じゃない。なにせ一緒に寝たとかお風呂入ったとかそういう頭がアレでドテンプレなエピソードは今のところ俺の脳裏にはないからな。

 けど俺にとって恋とかそういうのを飛び越して信頼できる唯一無二の友達だし、彼女はきっと俺のことを心配半分信頼半分くらいの割合で傍にいてくれる優しいヤツだから、こうして両親が遅くなると知ったことで俺んちの台所に立ってくれる。

 

「いいわね」

「何が?」

「こんな風にあの子の手料理を食べれるなんて」

「千聖さんだって頼めばそのくらいしてくれるでしょ。そもそも俺だっていつもじゃないし」

 

 リビングの頑張れば四人くらい座れそうなソファの両端に座って、千聖さんは脚を組み替えながら、俺は肘を端につけ頬杖を突きながら推しとの個別トークを繰り広げていた。向き合ってじゃなくて大して中身を把握してるわけじゃないテレビをぼーっと眺めながらながらのキャッチボールに、千聖さんは少しだけ不満そうに何よと声を発した。

 

「もうちょっと犬みたいに顔を輝かせて鬱陶しいくらいに私の周りを回ってくれてもいいじゃない」

「どういう例えなのそれ」

「今の下着の柄まで知ってるくせに」

 

 いや教えてくれたの千聖さんでしょう。そもそもプライベートのあなたは言葉に棘がありすぎて近寄りたくないんだけどわかってほしいなぁ。

 俺、柔らかい物言いじゃない女性は苦手なの。実は知り合いにもう一人すごくトゲトゲしい言葉遣いするヤツがいるけど。

 

「どこの女よそれ」

「どこ目線よそれ」

「私に認知されることで悦び跳ねまわるクソオタクの分際であの子以外にも美人の知り合いがいるなんて不敬ね、今すぐベランダから飛び降りて死になさい」

「言い方ァ!」

 

 なんで更に切れ味増すんですかねぇ!? というか何故美人だと知ってるの? あれ、俺言ってないし仄めかしてもないわよね? 何千聖さんエスパー? テレパシーで俺の心読めちゃう系なの? それはそれで困っちゃうな。

 

「あら、図星なのね」

「……あ」

「ふふ、嘘はつけたほうがオタクとしてはいいと思うのだけれど」

 

 そりゃあね、俺も思うけどさ。突然そんなこと言われて俺が隠し事できるはずないじゃん。

 こちとら陰キャコミュ障ぞ? 特に自分でも不釣り合いだなと思うことに関しては、特に敏感なんだから。

 

「その美人の知り合いさんは、あなたを悦ばせるくらいの切れ味があると」

「どういうことなの」

「え、あなたドМでしょ?」

 

 違います。ドМって言うな。

 そもそも、知り合った経緯とかは千聖さんと同じで単なる幼馴染さんの知り合いっていう友達の友達繋がりなんだけど、あの人がどういう意図で俺に厳しい態度を取るのかどうかなんて知りもしないからなぁ。

 

「理由もわからない誹りを受けてるなんて、やっぱりマゾじゃない」

「違うからね?」

「しかもその子、私も知り合いよね?」

「知らないよ」

 

 名前をすっと出されて俺はびっくりした。まぁ学校もおんなじだしそんなこともあるだろうと納得することにした。

 ──ところでなんだけど、こんな風に推しが一緒のソファに座ってテレビを見てるってどういうご褒美? しかも他愛のない話をしてるなんて、俺は明日死ぬんですか? 

 会話が途切れて、CMが淡々と流れるが画面から視線を外し、千聖さんの方を見ると……いつの間にか二人分の距離が縮まっていた。

 

「ち、千聖さん……?」

「もう少し、構ってくれてもいいんじゃないかしら?」

「待って、近いって……」

「ファンサービス、してあげてもいいわよ?」

 

 真正面に推しのご尊顔があるんだけど、俺の頭がパソコンで言うならブラックアウトしてしまったよ。ファンサって、今現在めちゃくちゃファンサ貰ってるんでこれ以上となると……参ったな、来世の人生まで支払えばいいかな。

 

「というか、何する気なの……?」

「恋人ごっこ、とか?」

「殺す気ですね?」

 

 千聖ちゃんと恋人とか考えたこともないけど、彼女が想定しているものは距離感が近すぎて酸欠になっちゃいそうだよ。

 しかし千聖さんは可笑しそうにくすくすと笑い、本当にあなたは面白いわね、と少しだけ離れてくれた。

 

「なんでそんなに面白そうなの」

「だって……いえ、ふふ、それは自分で気付くべきことだわ」

「なにその意味深発言」

 

 あれだよ? 男って女性よりも感情の面が弱いからそうやって意味深な行動を繰り返されるとストーカーだったり襲っちゃったりとかしちゃうこともあるんだよ? 実は俺のこと好きなんでしょ、とか営業スマイル送ってたら言われたとか、千聖さんもそういう経験が全くないとは言わせないからね。

 

「そう、ね。けれどあなたは」

「勘違いくらいするよ……俺だって」

「……そう」

 

 女性と男性では何もかも違いすぎる。だから俺はその距離ってのが明確に示されたアイドル相手、千聖ちゃん相手なら楽しくお話ができたんだ。コミュ障キモオタがクラスの女子にはマトモに話せないのに推し相手には気持ち悪いくらい饒舌になるのがいい例だよね。俺とか。

 そうやって決められた線がなきゃ、たとえ千聖ちゃんのような推しだったとしても何も話せることなんてないよ。

 さっきよりも少しだけ重く感じる沈黙を、ご飯できたよ、という明るい声が遮った。ほっとしたよナイスタイミングだね。

 

「まぁ、聴こえてたからね」

「……そっか」

「ごめんね千聖ちゃん」

「いいのよ、あなたの心配も無理ないわ」

 

 えっと、お二人は何の話をしているのかわからなかったけれど、とにかく女性二人はやっぱり親友らしく強い繋がりを感じることができた。特に千聖さんは親友との食事を心から楽しんでいると感じることができた。楽しそうに笑う彼女は、やっぱりアイドルの時と変わんないんだなぁ。

 

「ごちそうさま、おいしかったわ」

「うん、またこういう機会があったら千聖ちゃんも誘うね」

「ええ、是非」

 

 まず比較的距離のある千聖さんを送って……これで家の位置を知ってしまうというオタクとしては最悪の一手を踏みながらもやっぱり女性一人に、しかも推しに夜道を歩かせるわけにはいかなかったので送っていきますけど家バレのお金はどこに振り込めばいいですかと相談した結果なんとタダでいいわよ、と言われてしまった。今度のイベントは何かプレゼントでも買おうかな。

 幼馴染さんと二人で見送り、今度は来た道を戻って彼女を送ってく。いつもよりも少しだけ遠い道のりを歩いていると、彼女はどう? と問いを投げかけてきた。

 

「千聖ちゃんのこと、まだ推せそう?」

「そりゃあ、千聖ちゃんは出会った瞬間から芸能界を引退するその時までずっと推してくって誓ったし」

「そっか」

 

 その誓いが今更ちょっとプライベートのあのヒトがこうして俺と沢山関わったって関係ない。白鷺千聖ちゃんは俺の推し。名前を憶えてもらって、そこらへんのオタクがするよりも一段階俺のプライベートにかかわる話を彼女からしてもらえる。神対応だけどその中でも更に良対応……所謂推しに推されてるという立場。それが揺らぐはずがない。それがたとえ幼馴染さんと関わっていて、それで知っていたとしても。

 

「顔までは教えてないんだけど……名前で判断したのかな?」

「かもな、あんまり耳にする名前じゃないしな」

「そうだね」

 

 短い道を歩いて、彼女の家の前で向き合う。

 幼馴染で、近い距離にいたと言っても思春期以降、彼女がここまで俺にかかわるようになったのは実に二年前から。最近は彼女の弟よりもまるで弟のように扱われている気がしてならない。いや弟くんは絶賛反抗期だから逆に構われない方がいいんだろうけど。姉ちゃんがバスタオル一枚でよくリビングで髪を乾かしてるって愚痴をこの間されたし。

 ──って、そうじゃなくて。そんな思考をしていたら、手を握られた。

 

「今日も、お風呂出たら電話してもいい?」

「いいけど」

「今日は寝不足にならないように気をつけるね。キミもあんまりSNSとかゲームとかしすぎちゃダメだよ?」

「わかってるよ」

 

 オタ活は一日置いたら置いてかれちゃうからそれは正直できない相談なんだけど、まぁ頷いておくことにする。逆らうとロクでもないことにしかならないし。

 けど幼馴染さんはどうやら俺が心配で心配で仕方ないようで手を握ったままじっと黙っていた。

 

「あ、あの……?」

「ご飯の前にね、千聖ちゃんに言われてた美人の知り合いって……誰?」

「あ、ああ……それは」

 

 そういえば言ってなかった。数ヶ月前に幼馴染さんがバイトしている時にファストフード店で話をしていたのを何度か見られていて、何故か問い詰められた挙句、パスパレのイベントに行ってることが気に入らなかったようで、敵視されたってだけ。

 

「え……大丈夫なの?」

「うん、誤解は解消したよ」

「そっか、よかったぁ」

「まぁその後も会ったら何かと絡まれるけど」

 

 因みに名前から察することができたけどパスパレのメンバーのお姉さんだったそうで。俺は推してないからと言っても全然理解してくれなかったけど、必死の説得によって納得してくれた。おかげでオタ活内容がバレてそれはそれで引かれてるけど。

 

「今度は私も一緒に行って、話してあげたほうがいい?」

「いやいや、そんなことまでしなくていいよ」

「でも」

「大丈夫、ありがと」

「……うん」

 

 なんでそんなにしょんぼりとするんだろうか。俺は少し首を傾げながらじっと彼女の体温を手先に感じていた。

 だが結局そのことは訊けずに、俺は彼女に手を振ってそっと離れた。短く、名前を呼ぶと彼女は控えめに手を振ってくれる。

 

「それじゃ」

「うん、おやすみ」

「おやすみ」

 

 隠し事は嫌だと言って、お互い嘘を吐かないと約束してはいるけど、それは決して明け透けという関係じゃない。訊けないことは訊かないし、言えないことは言わない。そういう線引き以外のところで無用な嘘を吐かないというだけ。だから幼馴染さんが今胸中に何を抱えていても、俺がそれを知ることはない。

 結局のところ俺はコミュ障クソオタクで、厄介ドルオタだから。距離や線引きが曖昧なままじゃ下を向いてろくすっぽしゃべれないくらいだから、彼女がそんな俺を気遣って明確な線を引いてくれただけで……俺は彼女に甘えてるだけなんだよなぁ。

 

「あなたは、結局あの子をどうしたいの?」

「どうしたいって言い方は、なんか変じゃない?」

「でもあなたとあの子は幼馴染だとか異性友達だとか、そうやって一括りにできるほど簡単ではないわよね?」

 

 あれ? なんかさっき送っていったはずのヒトの声がする。なんか反射的に返事をしちゃったけどこれっておかしなことだよね? 振り返るとやっぱり、俺の推しが目の前で微笑んでいた。今気づいたの? と言わんばかりに……あ、やべ怒ってる。

 

「千聖さん」

「ええ、あなたの推しで、あなたをちゃんと認知しているアイドルの、白鷺千聖よ?」

「……こっそりついてきたクセにそんなに怒る?」

「二人揃って気付かないのだもの、黙ってついていくのは退屈なのよ?」

 

 なんでついてきたの、という疑問を投げようとしたら、決まっているでしょう? と微笑みを崩して溜息をつかれた。しかも俺んちまでついていく気だ。まってまた送ってくの嫌なんで帰ってもらえます? そろそろ両親も帰ってくる頃合いだし。

 

「まだご褒美をあげてないわ」

「本気だったんだ、別に写真とかでもいいと思うんだけど」

「……撮れ、と言うの? 嫌よ」

 

 あー、確かに失言だったな。写真に撮るということはデータに残るということで、それは流石に避けたほうがいいよね。白鷺千聖ちゃんのエロ自撮り画像が流出とか笑えない。それで活動休止とかされたら俺は酸欠の金魚のように水面で口を開閉する勢いだよ。

 

「脳内メモリだけなら、オタクのあなたでは妄想と嗤われるのがせいぜいじゃない?」

「そうだね……悲しいことに」

 

 ところで俺、スキャンダルとか望んでないからね。その辺大丈夫だよね? 一般男性と自宅へ行き来とか週刊誌に乗っけられたらそれを苦に自殺とかするから。世の中は推しはあくまで推しとして推したいのであってマジで付き合いたいわけでも、なんならこうしてプライベートでお近づきになりたいわけでもないってことを理解してくれないから。ドルオタは推しにガチ恋なのがデフォルトだと思ってるのがパンピーの思考だから。

 

「それだけ、普通の人間には異性に恋心や下心以外のものを抱くのは難しい、ということよ」

「そっちの方が理解不能だよ、俺にとっては」

「認知至上主義の厄介キモオタだものね」

「キモオタとか言うな」

 

 また他愛のない話をしながら、断ることもできずに二度目の、幼馴染さんがいない静かな家に上げる。あそこまで我が家のようにくつろがせてもらったのに、挨拶しない方が失礼だわ、と言われちゃあね……確かに実は二人上げてました、なんて事後報告をするのは気が引ける。アイツが来てたことは知ってるけど。

 

「ところであなたは制服フェチかしら?」

「唐突にとんでもないこと訊くね」

「ドルオタが抱える病の一つじゃない、制服フェチ」

 

 ひっどい偏見をさらりと口にされた。いやまぁそうじゃなきゃアイドル衣装なんてああはならないと思うけどさ。そして制服の膝上のプリーツスカートが揺れるのは魅力的じゃないかと言われたら……そりゃあねぇ。

 

「それじゃあ次はどのシチュエーションでパンツを見るのがお好みかしら?」

「あの……ご褒美ってか尋問ですか?」

「あなたがとびっきり喜ぶ見せ方を演出してあげようとしてるだけじゃない」

 

 それが辛いんだけど!? 何をしたら推しに俺の性癖暴露しなきゃいけないの!? なんなの? 支払い!? 支払いが悪かったから取り立てられてるの俺? 因みに踏まれながらその振り上げた脚から見えるパンツ、とかなら勘弁してくださいね? 俺、マジでマゾじゃないからね? 

 

「自分から捲る、捲って見せるのを眺める、脚を開く……色々あるわよね?」

「もう……ホント、千聖さんの好きにしてください……俺に訊かないで」

 

 これはもう悲しみでむせび泣くしかなかった。結局意地悪なこと言ってごめんなさい、と慰めてもらうというカタチで……というかほぼ前回と同じシチュエーションで俺は推しのパンツ二着目を脳内メモリに保存することに成功してしまった。

 そして電話で幼馴染さんにそのことを洗いざらいしゃべって、また変態さん呼ばわりされることになる。

 ──というかいつも部屋に飾ってある女の子が両親の目の前で挨拶をしてにこやかに帰っていったせいで俺はその日とても大変な目にあったんだけど。まぁ割愛しておくか。とにかく千聖さんはしばらく家来ないでと懇願した。ホント、マジでもっと貢ぐんで両親に、やっぱりアイドルとそういう願望があったんだ、というリアクションを取られると流石に胃が耐えられないんで! 

 

「推しは推しであって、恋する相手じゃないって言っても信じてもらえないんだから」

「いいじゃない、私はちゃんと知ってるわよ?」

 

 ただしこの言葉は反則。もう身体に染み付いた認知至上主義の厄介ドルオタとして千聖ちゃんに自分のことを知ってもらうというのはこの上ない誉れのように感じてしまう病気なので!

 というか、週末のミニイベントが……困ったことに()()()()()()()()()なんだけど、俺は果たして耐えられるのだろうか。もう千聖ちゃんのところで当選しちゃってるんだよなぁ。

 



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推しとのツーショットは一生の宝物でしょ!

 週末、俺はとあるイベント会場にやってきていた。普段は就職フェアやらイベントがあるそのホールには個別のブースが五つ、ここで当選券を持っている人はなんとびっくり自分のスマホや持ち込みカメラで一枚ツーショットが撮れるよ、という究極のイベント。

 パスパレとしては初の試みであるためもの凄い倍率だったらしい。俺もバイト代のほぼ全てをつぎ込んでようやく一枚、推しである白鷺千聖ちゃんとのツーショットが撮れる、というところに漕ぎ着けた。

 

「どうしたの? 妙にテンション低くない?」

「い、いや……あはは、緊張かな」

「ツーショットだもんなぁ」

 

 違う、違うんだよ同志よ。俺はとんでもない代償を支払っていることに今更ながら戦慄しているんだよ。

 推しとのツーショット、これはまごうことなきご褒美だ。いくら一人分くらい距離が空いていようと接触禁止だろうと、これはオタクにとって生きることよりも大事なイベントと言っても過言ではない。しかも撮影前後に普段のイベントよりも密閉された空間でお話もできる。これ以上にオタクが歓喜し跳ねまわりその辺でのたうち回って死ぬイベントはそう多くはないだろう。

 テンションが低い理由は誰にも言えないけど今日は千聖ちゃんの対応が正直見えないところである。なにせ個室だ。撮影スタッフがいるにしても、俺にだけ! と言えば聞こえはいいけどつい最近知った()()()をしてくるのではと内心ビクビクしているのだった。

 

「こんにちは♪ やっぱり来てくれたんですね」

「そりゃもう、一生待ち受けにするためにね」

「一生は言い過ぎですよ」

 

 あーよかった。マジでビビった。ちゃんと千聖ちゃんだった。もしかしたらあの知り合ったプライベートの声で対応されたらどうしようかと思ったよ。

 そう、全ての白鷺千聖推しに喧嘩を売る発言だと思うんだけど、実は先日千聖ちゃんのプライベートと知り合いになりまして。

 そのせいで今日のイベントはドキドキのブラックボックスなわけで。

 

「どんなポーズにしますか?」

「じゃあハートとか?」

「いいですよ」

 

 二人で片手を出してハートマークを作るというまぁなんともアレなポーズだけど、ほら、認知されてて慣れてないと言い出せないじゃんこれ? 絶対に提案はされないだろうし。ここでもオタク特有のマウントですよマウント。

 ちなみにお触り厳禁らしいのでハートと言っても指先は触れない。手を前後にずらすことによって遠近法で絶妙にハートを作る。

 ──んー? でも近くない? おかしくない? 肩触れそうだし。

 

「……千聖ちゃん?」

「黙らないと触ってきたってスタッフに言うわよ」

「えぇ……」

 

 小声で物凄いこと言われた。なんだこの人。一瞬で推しのかわいいオーラが消失しここ最近で知った推しの素顔が現れてこれですよこれ。ナチュラルに脅迫してくるしやっぱりこうなるんじゃん! 

 スタッフさんにスマホを渡し、撮りますよと言われて慌てて前を向く。因みにこの間、千聖ちゃんは眩い笑顔のままだった。プロって怖いね。

 

「ちゃんと来てくれたのね」

「そりゃもう」

「ふふ、流石オタクね」

 

 そう言って千聖ちゃんはいちにのさんとスタッフさんが合図を出した瞬間に後ろに下げていた片方のハートをそっと前に出してきた。

 ちょん、と指先が触れて、俺の表情がスマホに残らないくらいのタイミングで。

 

「……え」

「サービスよ♪ 下着を二度も眺めたあなたじゃ、物足りないかも知れないけれど」

 

 いやいや、そんなことないしもはや心の中は優勝パレード行われてますけど。悲しきかなオタクの性。それが推しのイタズラだったとしても、嬉しくなっちゃうんだよなぁ。なんちゃってじゃない指と指が触れてるハートマークはキレイなかたちを生み出していた。

 

「それじゃあ、また次のイベントも……ほどほどにしてくださいね?」

「大丈夫、体力なら有り余ってるからね!」

「ふふ、じゃあまた会えることを楽しみにしています♪」

 

 これなんだよなぁ。この瞬間のために認知勢やってると言っても過言じゃない。

 普通のオタクにこんなことは言わない。また来てくださいくらいは言うけどここまで、特に()()()()()()()なんて絶対に言わない。言われないことを言われることでマウントがとれる。優越感に浸れる。そんなオタクの特性をよく理解して言ってるんだなってよくわかる発言だ。そして営業でもなんでもにやにやしたくなるのがオタク。

 

「ええー、いいですねぇ」

「推されてますなー」

「まぁまぁ、千聖ちゃんはそういうのちゃんとしてくれるタイプだから」

 

 パスパレはそれぞれの色がハッキリしてるからそれぞれイベントの客層が違う。まぁそのせいで厄介が湧きやすいかどうかにも関わる話なんだけど。千聖ちゃんはリアクションが上手。やっぱり女優だからかな? 髪型とか服とか細かいところに気付いてくれるし目を見てしっかりと対応してくれるので割と認知勢とか自己顕示欲高めなタイプやカレシヅラしたがりオタクが推しやすい。なので同担間の仲は残念ながらよろしくない。悲しい。

 

「おお! 新しいの買われたんですね? いやぁいいっスねぇ……思う存分弄りがいがありそうで……フヘヘ」

 

 大和麻弥ちゃんは丁寧応対を得意としながらオタトークが通じるタイプなので推してる人は一芸オタクが多い。あと専門用語使いたい人とかね。理解してくれると嬉しくなっちゃうから。あとここは同担仲良い羨ましい。

 

「セトモノ……? なるほど日本のヤキモノなんですね! そんなものが身近にあるなんて、羨ましいです!」

 

 若宮イヴちゃんはその妖精みたいな銀の髪と北欧系の神秘的な顔立ちから崇拝されてる節がある。食いつくネタも日本文化系でわかりやすいしオタク初心者に優しい設定だが如何せんイヴちゃん推しが危ない宗教キメてるので固定客しかいないのが難点。

 

「なになにー? へぇそんなのあるんだぁ、いいね♪ じゃあ今度あたしもやってみよっかなー」

 

 氷川日菜ちゃんはなんでもできちゃう天才でなおかつ無邪気って設定があるから超上級者かつドM向け。罵られたい人は彼女に失敗談を聞かせるとほぼ百発百中でそんなのもできないの? なんで? という精神攻撃が待ってる。同担間は割と罵られた自慢で盛り上がりやすい。羨ましくはない。

 

「あ! 来てくれてありがとう! そうそう、え? トチってた? うそっ!」

 

 丸山彩ちゃんはザ・アイドルって感じだからザ・オタクがいっぱい集まる。彼女が真の初心者ホイホイ。流行りもチェックしてる、知らないことは調べてくれる。なんなら休憩挟んで二回目とか行くとその話をしてくれる。熱心とか一途とか努力って言葉は彼女のためにある。ちょっとドジなのでどっちかというとサド向け。涙脆いので保護者ヅラも多い。それ故に言葉を選ばないと彩ちゃん推しが鬱陶しいので気をつけようね! 同担内でも界隈が別れるので界隈内は仲良いけど界隈間になると若干ギスギスしてるので界隈に所属しようとするならそれを踏まえないとまずいよ。

 ──以上パスパレの推し方でした。俺のブログより。ちなみにちょいちょいオタクをディスるので参考にはなるがムカつくという声を頂いています。うるせぇ! だからお前らも俺も厄介キモオタなんだよバーカバーカ! 

 

「流石千聖担トップオタ!」

「やめてよ……睨まれるんだから」

「そういえばSNSで彩担の人がキレてたよね」

「あー、ブロックしてやったとかスパブロ推奨みたいなこと呟いてた」

「どーでもいいよ。社交界じゃないし」

 

 極端な話、俺はパスパレ界隈に会いに行ってるのではなくてパスパレに、千聖ちゃんに会いに来てるので知ったことではない。スパブロでもしてくれればいいよ。オフ友はメッセージアプリで繋がってるし。

 というか毎度毎度、このイベントが終わった瞬間が一番嫌いだ。見渡す限りのオタクがオタクに対して好きだの嫌いだの言い合う。いっつも幼馴染さんに愚痴っちゃうことだけどさ、なんで集団生活に馴染めないオタクが集まると集団生活を良しとするんだろうか。

 

「ん? ごめん電話だ」

 

 そんな生産性のないことを考えていたら電話がかかってきた。バイトかな? 店長には千聖ちゃんに会いに行ってくるのでって言ってあるんだけど。そもそもバイトの面接の時に働く理由は千聖ちゃんに会うためって言ってあるし、それを了承してもらって雇われているので電話に出る義務は存在しない。

 

「……非通知」

「絶対に出ない方がいいですってそれ」

「非通知とかイマドキ()()()()()()()()()()だって」

 

 うんそりゃそうだ。だって実際、非通知にしなきゃいけない理由があるんだもんなぁ。俺は大丈夫と言いながら二人を置いて電話に出た。そういえば今休憩中なんだもんね、掛けれたことに疑問はないけど。

 

「……もしもし?」

『オタ活楽しんでるかしら?』

「お陰様で。ちゃんと待ち受けにさせてもらったよ」

『厄除け効果があるわよ』

「あはは、それは大事にしないと」

 

 予想通り電話してきたのは千聖()()だった。俺の幼馴染さんの親友で、近所に住んでる同年代の……俺の推しのプライベートモード。俺としては千聖さんと話すのは明日かそこらかと思ってたのに、こんなに早くかぁ。まだ千聖ちゃんと撮った写真に浸ってたいんだけどなぁ。

 

『今日はアレで終わりかしら?』

「ん? ああうん。残りは全部外れたからね」

『……そう』

 

 こういうところでも千聖さんは湿っぽい声を出してくる。いや演技だとわかってても後ろ髪引かれちゃうのが千聖ちゃん推しである俺なんだけど。

 いやでもどうしろと。そう思っていると湿っぽい声から一転、楽しそうにパーカーのポケットと呟いた。

 

「……もしかして」

『さぁ? なんのことかしら?』

 

 そこには紛れもなく、ちょっとくしゃくしゃになったチケットがあった。回収されるので当たり前だけど未使用。つまり会いに来いという脅迫に他ならなかった。ってかやっぱりナチュラルに脅迫してくる! 

 

『嬉しいでしょう? 』

「目的はなんですか?」

 

 問いかけるもくすくす笑いしかしてくれない。というかなんでそんなに楽しそうなんだろう。悪戯が成功した子どもみたいだ。これ以上問うても納得のいく答えは出られないだろうと思っていると電話口から騒がしい声がした。

 

『なになにー、千聖ちゃん誰と電話ー?』

『ひ、日菜ちゃん! どうしてここに?』

『んー、なんか楽しそうな声が聴こえてきたから』

 

 氷川日菜ちゃんだった。こっちはアイドルの時と声の感じは変わらず、千聖さんも別にメンバーに素顔を隠してるわけじゃなさそうだからちょっと安心した。パスパレって割とファン間で不仲説があってだね。そういうの怖くて耳を塞いでいたわけだけどこれからは鼻で笑えるぜ! ビバ脳内マウントライフ! 

 

『こらやめなさい日菜ちゃん! ああもう、もう切るわね、それじゃあ』

 

 それにしても千聖さんを振り回せるくらいなのか日菜ちゃん。やっぱり話した印象通りのパワフルさだ。陰キャにはめちゃくちゃ辛い。やっぱり陰キャの味方は千聖ちゃんと麻弥ちゃんだ。次点で彩ちゃん。

 ハプニングはさておき、目的もなにもわからないまま千聖ちゃん二周目に向かうことにする。ポーズとか決めた方がいいかもだけど何も決めずに並んでいった。

 

「あ、待ってましたよ」

 

 部屋に入ると早速神対応を食らう。名前を呼ばれてかわいらしく微笑まれて推さずにいられるというのか、いや、推さずにはいられない。

 反語を用いながら昇天していると、今回はポーズどうしますか? と問いかけてきた。

 

「考えてなかったよ」

「そうなんですか? それじゃあ無難にピースにしましょうか」

「う、うん」

 

 あれ、なんにも仕掛けてこない。そう思っているともう一人のスタッフさんがさっきのチケットを持ってきて何やら二人で話ながら個室を出ていってしまった。え、え? いったい何があったの? 

 

「やっぱり気付かなかったのね?」

「なにに?」

「白鷺千聖招待分って私のサイン入りで書いたのよ。その人が来たら少し話がしたいってカメラマンさんには伝えてあるわ」

「はい?」

 

 このヒトなんかサラリととんでもないこと言い出したよ? つまりVIP待遇券をもらっていたと。気付くわけないじゃん! そんなまじまじと見るもんじゃないのに。だからこそ実際に表のスタッフさんもスルーしかけたんでしょう。

 

「それで、話って?」

「特にないわよ?」

「えぇ……」

「でも、どうせ界隈だなんだとそういう話に辟易してるであろう貢ぎ根性丸出しのオタクくんに少しは気を紛らわせてあげようという私の配慮ね」

「……エスパーだね、まるで」

「わかりやすいだけよ」

 

 ふぅ、とアンニュイに溜息をつく千聖さん。というかアイドル衣装でその口調をされるとなんだか言い表せない感情だね。まるで未成年アイドルが飲酒喫煙してるところを目撃しちゃったってくらいの気まずさがあるよ。いや別に実際に見たわけじゃないけど。

 

「さて、来る前に一枚撮っちゃいましょうか。こっちを待ち受けにしなさい。ただしこのシートもつけてね」

「えっと、これってブラインドになるやつ?」

「ええそうよ。真正面からあなたが見せない限り周囲には見られないやつ」

 

 そう言って千聖さんは俺からロックを解除させたスマホをひったくり、もっと寄ってと言われる。戸惑うままに俺は千聖さんと椅子をくっつけて肩どころか脚が触れ合う超至近距離に推しを感じてしまう。心臓が今にも爆裂しそうなくらいに鼓動を速めてるんですけど。俺死にそうだよ千聖さん? 

 

「ほら、ちゃんといつものスマイルしてあげるから」

「え、あ……ってこれ本当に待ち受けにするの? やばくない?」

「ふふ、頑張らないとあなたがスキャンダルの種よ?」

「楽しそうに言うなぁ……」

 

 そう言って千聖さんが俺のスマホを頭の上に上げ、()()()()()()で写真を一枚撮った。ただしその手は触れ合ってるし、アイドルとオタクの距離じゃないしで万が一この写真を他のオタクに見られたら大変なことになるであろうものが俺のスマホのフォルダに刻まれていった。

 その後千聖さんがスタッフさんに普通のも撮ったけど、正直まだ現実味が湧いてこなかった。いつもの千聖ちゃんの笑顔に見送られて、間違って削除とかしないでくださいねと冗談交じりに言われ、そして待ち受けをハートから無難なピースに変えて、いそいそともらった保護シートを貼り替えた。

 ──オタクの言う推しに推される、というのはまだまだ序の口なのかもしれない。最近の彼女の対応を見るとどうしてもそう思えて仕方がなかった。

 え? 今の気持ち? ふざけんな! 優勝どころじゃねぇよ! いや絶対もうこれ一生の宝だ! というか千聖ちゃんめっちゃいい匂いした! 最高! もうこれで死んでもいい! やっぱパスパレ解散するまで死にたくない! 

 

 

 

 

 



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言葉の暴力がひどすぎるよね!?

 それはのんびりとファストフード店で幼馴染さんのお仕事が終わるのを待っていた時のことだった。ポテトを齧りながら、俺がSNSをひたすら巡回していると、視界に山盛りポテトの乗ったトレイが入り込んで、静かな川のせせらぎのような美麗でありながらどこか冷たさを帯びる声が、失礼しますと俺の独りの小さなオタ活に水を差してきた。

 

「何の用ですか風紀委員さん」

「その呼び方はやめてください」

「……先の質問には答えてくださいよ」

 

 俺は彼女のことを風紀委員さんと呼ぶ。なんか厳格な態度ときっちりした感じがそうだったってだけなんだけどなんと本当に風紀委員さんだったことを俺は後で幼馴染さんと推しに聞いていた。勿論学校も二人と同じところ。学年も同じ。俺がオタ活をするパスパレのメンバー氷川日菜ちゃんの双子の姉であるという彼女に……なんでか知らないけど俺は目を付けられてる。当然だけど学校が一緒じゃないし以前から関わりがあったわけじゃないのに。

 

「あなたが一人でスマートフォンを眺めていたので、何を企んでいるのかと」

「俺をテロリストか何かだと思ってます?」

「いいえ、変態でとても健全とは言い難いアイドルオタクだと思っています」

「うるさいな、合ってるよちくしょう!」

 

 これがなぁ、見た目()()は妹、日菜ちゃんにそっくりなのが余計にアレなんだよなぁ。そりゃちょっと背が高くてスラっとしてるとか細部に違いはあれど、正直話すまで違いがわからないレベルで似てる。黙ってれば間違えるくらいだ。

 

「なんですか、じろじろ見ないでください通報しますよ」

「いや、通報は言い過ぎじゃない?」

「先の質問にも答えてください」

「仕返しのつもりですか」

 

 あからさまなドヤ顔をされてしまった。なんなんこのヒト。思わずなんなんと言いたくなってしまうくらいにわけがわからない。というか俺はあなたが苦手なので楽しくお話とかできないんだけど。

 

「いや、なんでわざわざ俺のところに来るんだろうなって」

「……暇そうだから構いにきてあげたんです」

「うわー、余計なお世話」

「知り合いに話しかけてはいけませんか?」

 

 仲良かったら別にいいと思うよ。俺の場合だと幼馴染さんか推しの二択になるわけだけど。でも風紀委員さんとは仲良しこよしになった覚えもないので。

 まぁそんな言葉を全部ひっこめて別にダメじゃないよと言っておく。すると彼女はチラリと働く幼馴染さんの方を見てから、待っているのですかと問いかけてきた。

 

「そうですけど?」

「どうして。恋人ではないのに」

「今日はメシの予定がありましてね」

「二人でですか?」

「もう一人いるから三人ですね」

「どこの女ですかそれ」

「どこ目線ですかそれ」

 

 というか女確定なのやめない? 俺別に女性とも男性とも言ってないよね? そりゃあ幼馴染さんの親友なんだから女性に決まってるしなんなら俺の推しなんだから男性なわけないんだけど。

 

「彼女のような美人の幼馴染がいるのに他の女性にも尻尾を振るなんて万死に値しますので今からこの場で舌を噛んでいただきたいですね」

「言い方ァ!」

 

 なんで切れ味増してんの? おかしくない? 彼女は知ったことじゃないとでも言いたげにポテトを齧りながら視線を逸らしてくる。なんでこんなにまだ対して顔見知り程度の美人さんにキレッキレの暴言もらわなきゃいけないの? 俺マゾじゃないって再三言ってるんだけどね? 

 

「あなたはただでさえ、自分の幼馴染に対してとても薄情です」

「……そうですかね」

「そうです。もう少しその、アイドルにかける情熱や力を向けてみてはどうですか?」

「なんでそんなこと」

「ただのお節介です。知り合いですから」

 

 ちょっとむっとした。なんでそんなこと言われなくちゃいけないんだ。少なくとも()()()()()()()()()()()()()にお節介を焼かれるほどアイツに薄情だった覚えはない。もしも付き合ってて、とかならまだわからなくもない気がするけど。恋人ってわけでもないしつい最近顔を知っただけのヒトに口を出されるような関係でもない。そんな険悪な睨み合いをしていると、まるで何事もないかのようにトレイがもう一つ机に置かれた。サラダとアップルパイとホットティー。そしてまるで女王然とした優雅で余裕のある笑み。

 

「あら、やっぱり私というものがありながら他の美人さんと仲良くしているのね、今すぐオタクやめるか人生やめたらいいんじゃないかしら?」

「……あの、助けてはくれないんだね」

 

 そう言いながらもまるでご褒美かなにかか、俺のすぐ隣に座り楽しそうな、いや実に楽しそうな笑みを浮かべる美人さん。ええそうです俺の推し(ちさとちゃん)です。今日もかわいらしくも、プライベートなので大人で妖艶な雰囲気を纏わせて、仲良しなのねと言い出してきた。

 

「まさか」

「あら、随分楽しそうに罵られていたじゃない」

「あれを楽しそうだって言うなら千聖さんがこれまで罵ってきたことも俺を楽しませてくれるためだったと解釈していい?」

「ダメよ」

 

 それにしても今日は物凄く機嫌がいいな。鼻歌でも歌いそうなレベルだ。そんなに俺が弱ってると楽しいですかね。

 ──とまぁ推しとの戯れを終えてチラリと向かいを見るとあからさまに引いた顔をしていた。おいおい待ってくれよなんだその反応は。

 

「通報しますね」

「なんで!?」

「まさか自分が応援してるアイドルとプライベートで関わりがあるなんて……やはり日菜も!」

「うん結論が完全にどっか行ってますよね?」

 

 このシスコン嫌い。日菜ちゃんって確か学校違うんでしょ? 前になんかのインタビューで彩ちゃんと千聖ちゃん、イヴちゃんが同じ学校だから、みたいなこと言ってた気がするんだけど、関係ないじゃん。俺たぶんあなたに紹介されなきゃ日菜ちゃんとはお近づきになれないと思います。

 

「一応、私がいるのだけれど」

「メンバーのプライベートをドルオタに紹介する、もしくは自分のプライベートに男がいることをメンバーに紹介するバカには見えないからね」

「そうね、よくわかってるじゃない」

「そりゃ、千聖ちゃんのことだもん」

 

 しかしまぁ風紀委員さんは全然納得していないようで、信じられないという顔で俺を見てきた。確かに勘違いされてもおかしくないけど俺から千聖ちゃんのプライベートを漁ったんじゃなくてきっかけがあって千聖さんから近づいてきただけだからね。

 

「パンツを見られたことが原因だったわ」

「今すぐ自首してください。さもないと通報します」

「間違ってないけど言葉が足りてない!」

 

 このサド二人ホント相手するの疲れるんだけど! ちょっと、幼馴染さん早く来て! 俺そろそろ息ができなくなって死にそうだから!

 すると、短く、昔はちゃん付けで呼ばれていた俺の名前をくん付けで呼んでくるゆるふわ天使の声が聞こえて、助かったとそう思った。

 

「……楽しそうだね?」

「……えっと、なんで怒ってるの?」

「んー、教えたくない」

「そ、そっか」

「でも謝ってほしい」

「はい?」

「ごめんなさい、しよ?」

「え……はい、ごめんなさい……」

 

 その圧にシスコン風紀委員さんは勿論、彼女の親友も若干引き攣った顔をしていた。サドじゃないんだけどサドじゃないだけに言葉がナイフじゃなくてまるで真綿で首を絞めるような、甘ったるくてそして苦しい圧力を放ってくるのが俺の幼馴染なんです。あの、なんで謝るのか理由を訊ねたいんだけど絶対またあの笑顔を見ることになるのであきらめよう。

 

「二人も、あんまり()()()()()をいじめちゃダメだからね?」

「え、ええ」

「……申し訳ありません」

 

 相当怒ってるらしい目の笑ってない幼馴染さんはこの状況を一瞬で鎮火してみせた。いやそもそも千聖さんが楽しそうな顔で油を注ぎに来なかったら燃え広がることはなかったと思うんだけど、まぁ黙っておこう。俺は推しには甘いんだ。

 

「では、言い訳は後程伺いますので」

「尋問ですね」

「やましいことがあるのならそうなりますね」

「同席してあげてもいいわよ?」

「いらない」

「ドルオタが推しにいらないはあんまりだと思うわ」

「千聖さんは余計なこと言うから」

 

 風紀委員さんはそんな俺と千聖さんのやり取りを冷たい表情……なのかな? とりあえず表情筋があまり仕事をしない彼女だからいつもと変わることのない無表情で見つめていた。そして溜息を吐き、一度も振り返ることなく帰っていった。

 ──うーん、にしても脚キレイだよね。千聖ちゃんも思うけどなんでこうサド雰囲気出せる人は脚がキレイなんだろうか。

 

「きっとスパッツ履いてるからパンツは見えないわよ」

「パンツ見てたわけじゃない」

「嘘よ、今の顔はスカート捲れてパンツ見えないかなーって顔じゃない」

「変態さん」

「違うってば!」

 

 幼馴染さんはわかってて言ってるよね? なんなの? そんなに俺をいじめて楽しいですか? 自分は俺をいじめてもいいと? 

 ただし彼女が口にしたということは嘘なく俺のことをそう認識しているということでもあり、やっぱり悲しくなってきた。

 

「あ、今日は白よ」

「サラっと何を暴露してるの?」

「いえ、気になって推しのパンツが見たいということで頭がいっぱいの変態にしてあげようと思って」

「ひどいね!?」

「本当に千聖ちゃんのパンツの色で頭がいっぱいなんだ……変態さんだね」

「ちょっと待ってくれ」

 

 推しや風紀委員さんならまだいいけどお前に罵られると本当に心が抉られるからやめてほしい。俺は変態さんじゃないのでどうか縁を切らないでおくれ。なんなら土下座でもなんでもしますからぁ! 

 

「そんな顔しても……あ、私のパンツも教えないから」

「いや、それはいいよ」

「む」

「え?」

「いいもん、どうせかわいい子のパンツにしか興味ないもんね」

 

 なんで俺拗ねられてるの? え、嘘でしょまさか幼馴染さんまでパンツ見せたがりになったの? そんなことになったらこの世界が間違ってるとか意味不明なこと言って命を絶つ危険性が出てくるよ。そもそもその理論が本当だったら俺は幼馴染さんのパンツも気になって仕方がない変態になるからね。

 

「……ばか」

「なんで?」

「だって……もう、説明させないでよ」

「え、へ、なにが?」

「私を会話に入れてくれないかしら?」

「え、ってなにしてんの千聖さん?」

「ご褒美よ」

「なんの……ってあれ?」

「じ、じゃあ私も……!」

 

 まさかの幼馴染と推しに両腕を抱き込まれてしまった。え、なにこれ天国? この子たちは天使だった? 

 そんなことを思ってると幼馴染さんが、というか二人してまた圧力のある笑顔で俺を見つめてきた。

 

「鼻の下、伸びてるよ?」

「えっ、あ、これは違うから!」

「オタクの分際で二度も推しを蚊帳の外に置くなんて……ちゃんと介錯してあげるから安心して腹を切りなさい」

「変態さんなんだぁ」

「おかしいよねそれ」

 

 どういうことなのこれ。ご褒美のサンドイッチの筈なのに両側からキレ味のある罵倒と柔らかな、まるでゆったりと抉るような軽蔑の言葉を向けてくる。しかもなんか楽しそうだし。俺の安息は何処へ行ったのか。

 

「えっと……どういうつもりなの?」

「どうもないわよ? だから安心して」

「……じゃあ、どうして?」

「試練……かしらね?」

「む……」

 

 しかもなんか俺を完全に置いてけぼりにしながら会話してる。どうやら今回は千聖さんが有利……らしい。あれですか、仕返しのつもりかな? 推しに認知されないの辛いからやめてほしい。顔を右往左往させていると、左側の幼馴染さんが、ちょっとだけ悔しそうな顔でばかと罵ってきた。

 

「……理解できない」

「わかって」

「ノーヒントで? むちゃくちゃ言うね!?」

「ふぅ、たくさんヒントはあると思うわよ?」

「気づかなきゃ意味無くない?」

「やっぱりばかで、変態さんなんだ」

 

 ああ、完全に幼馴染さんが拗ねてしまわれた。つーん、とそっぽを向いた彼女をなんとかしようと親友さんである千聖さんに助けを求めるが、知らないわよとでも言いたげな目をされる。そんなこと言われてもさぁ、わかんねぇもんはわかんねぇんだよお。

 

「ちょ……ち、千聖さぁん」

「……そんな捨て犬の顔をしないでほしいものね、よしよし」

「は……なんてごほうび、ってぇ! 花音! 今抓った!?」

「知らない」

 

 めちゃくちゃ痛かったし手の甲が内出血してるんだけど!? どんな勢いで抓ったの!? しかし下手人は黙秘権を行使し、俺の問いかけには一切口を割ることはなかった。横の共犯者も同様で、先程のご褒美に関しては思わず手が出たと供述していました。

 

「……なんかさ、お前まで最近めんどくさくなってきてない?」

「ふぅん? そういうこと言っちゃうんだぁ……?」

「ごめんなさい……」

 

 幼馴染としましては、素顔はとんでもなくめんどくさくてまるで無邪気に笑い花の間で舞い踊る蝶々のような親友さんに悪い影響を受けたのではないかと心配してるんだけどなぁ。

 とは言え手伝ってるうちになんだか機嫌が戻っていると、余計にそう思うよ。機嫌の波がわかんないもん。



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推しに昔話をするのは気が引けるなぁ

 いつもの生活圏から少し出て、雑踏を見下ろせる喫茶店。俺は人を待っていた。いつものオタクスタイルよりも少し、ほんの少しだけ幼馴染さんに手伝ってもらって髪をワックスで固めて、買ったはいいけどカッコつける相手もいなかったがためにタンスに眠っていたシャツとジャケット、八分丈のパンツにこれまた靴箱に眠っていた背伸びしまくった靴を履いて、そわそわと。

 やがて、遅くなってごめんなさいと待ち人の声が聞こえてきた。

 

「お待たせ」

「いや、お仕事なんだし大丈夫」

「そう……ふぅん」

「なに」

「いえ、そういう服も持っていながらどうしてイベントに着てこないのかしら、と思って」

「オタ活でオシャレはしないよ、誰に見せるのさ」

 

 お相手は白鷺千聖さん。今日はお忍びなのでサングラスに帽子といったいかにもな風体。いつも思うんだけど芸能人のお忍びスタイルってギリギリ誰かわからないけど芸能人なんだろうなぁって雰囲気はあるよね。

 因みにオシャレを推しに見てもらいたい勢は一定いるんだけどその大半が空回りしてる。そしてだいたい芸能人の方がはるかにオシャレだし。そういうのは麻弥ちゃん担当に任せるよ。

 

「ところで、わざわざ呼び出して……しかもアイツが絶対来れないようなところに」

「いいでしょう、秘密のデートみたいで」

「デっ……!」

 

 なに赤くなってるのよ、と呆れられてしまった。いやいやだってさ。俺だよ? この童貞カノジョいない歴イコール年齢でありアイドルを年中追っかけてるキモオタの俺がですよ? こんなにかわいらしい女性とデートなんて口にしただけでもゼウスの雷霆に焼かれるくらいに不敬なのでは? いっぺん人類全部水底に沈めた方がよくない? 

 

「デートくらいでいちいちオーバーリアクションしないでくれるかしら」

「……逆になんか、慣れてる?」

 

 それは、なんて言うんだろう。別にアイドルは処女じゃないとダメとか男性経験あるのは許せないだとかそういうことを言ってるんじゃないけど。やっぱりこう、拗らせてるオタクとしては男性慣れしてるところを見ちゃうのはモヤモヤするね。

 

「私は女優よ? なんにでもなれる。それこそお芝居でデートしたことくらいあるし、キスもしたことあるわよ?」

「……あー、よくアイドルなのにキスシーンとかできてるよね」

「クレーム来るらしいわよ。私には届かないけど」

 

 お芝居のためとは言え、まるで恋人同士のように熱いキスをしなくちゃいけないんだから、女優は大変だ。しかもアイドルもやってるからキスするだけで事務所が燃える……あれ、これは事務所が考えナシなだけでは? 

 そんなことは頭から振り払って、じゃあ実際の役じゃなくて白鷺千聖さんとしてはどうなのと問いかけると、バカねと笑われた。

 

「そんな余裕あるわけないじゃない」

「意外、俳優さんから誘われたりとかないの?」

「あるわよ。興味ないもの。例えそっちの方が面白くても、興味のある人としかデートはしないわよ」

「ふーん……ん?」

 

 つまりそれは、逆を返せば俺は? デートって名前出したの千聖さんだよね? 興味ってどういう意味なのか測りかねるけどね。玩具としてかなやっぱり! 今もおろおろする様子を見て楽しそうに笑ってくるもんね! 

 

「それで、話ってなに?」

「少し、訊きたいことがあったのよ」

「本人には黙っておいた方がいいこと?」

「ええ、そうよ」

 

 とすると内容は必然、幼馴染さんに関することになる。と言っても俺から話せることなんてほとんどないよ。いっつも俺が話してるばっかりだし、なんなら中学の時は関わりなかったし。花咲川に行っちゃってから疎遠だったんだよ。

 

「そう、私が知りたいのはあなたたちが再会した後の話よ」

「なんでそんなこと?」

「興味があるのよ」

 

 うーん、興味かぁ。いくらなんでもない話とは言え推しにべらべらと過去を垂れ流しにするのはなんとなく嫌だなぁ。何より本当につまんないしそんなつまんない話を推しに聞かせるわけにはいかない。そんな躊躇いを顔に出していると千聖さんはつまらなさそうに相変わらずの自己評価ね、とため息を吐いた。

 

「わざわざそれを知りたくてここまで呼んだのよ?」

「アイツからは、訊かないの?」

「教えてくれないのよ」

 

 教えない。なんでだろう。そんな黙っていなきゃいけないような秘密とか俺はないと思ってたんだけど。純粋な疑問を抱えていると千聖さんはますます呆れたように頬杖をついた。画になりますね、その横顔。

 

「呆れたわ」

「言っちゃうんだ」

「いいから語りなさい。それとも次のライブでレス送ってあげないわよ」

「それはひどくない?」

 

 ちゃんと全力で黄色いペンライト振ってるから! お願いだからレスちょうだい。くれないと認知厄介勢としてのプライドすら折られちゃうんだからね?

 ──はぁ、仕方ない。つまらない物語を推しに聞かせることにしよう。あれは、パスパレが始動してからすぐのことだったなぁ。

 高校生になって、しばらくはなんの趣味もなくだらだらと帰宅部バイトなしという時間を浪費してる日々だった。そんな時、家の前でばったりと彼女に出会った。

 

「最初は久しぶり、みたいなありきたりな会話だったよ」

「そんな時間が空いてたならお互い変わっていたでしょう?」

「まぁね」

 

 中学の最初の方に会ったきりだった彼女は、なんというか女性として花開いた、みたいな印象があった。思わずもごもごしてしまうくらいには、幼馴染はキレイになっていて、最初はそれで終わった。

 その後色々あって、アイツが連絡先の交換をしたいと言ってきて。

 

「ちょっと待ちなさい」

「はい?」

「その色々が知りたいのだけれど?」

「え……色々は色々だよ」

 

 面倒だから割愛した感じなんだけど、千聖さんはどうやら納得が行かなかったようで、仏頂面になってしまわれた。

 でもなぁ、ホントに色々だよ。ファストフード店で働いてて、バイト終わりの彼女がやってきて……()()()()()()()()()なんだか楽しそうに、幸せそうに色々話してくれた帰りに連絡先を交換したんだよ。

 

「……カレシ」

「知ってるでしょ? もうバイトは辞めちゃったらしいけど」

「まぁ……話には聞いたわよ?」

「ならいいじゃん」

「……わざと話を逸らそうとしてるわね?」

 

 当たり前でしょうと苦笑いをした。俺は推しに楽しい話しかしたくないもの。

 いつだって、せめて俺の目が届くところでは推しの笑顔だけが見たい。楽しそうに笑う推しにいっつも癒されてるんだから。

 

「あなたたちは変な気を回しすぎなのよ。私は真実が知りたいの、誤魔化しなんて、私に対して暴力を振るってるようなものだと思いなさい」

「えぇ……むちゃぶり」

 

 推しになんかいつもとは毛色の違う脅迫をされてしまった。でも、俺はカレシのことをそこまで知ってるわけじゃないんだけど。

 そう言うと知ってることだけでいいのよ、なんて言われてしまう。最初から全部を知りたいわけじゃないんだね。

 

「あの子しか知らないこともあるもの」

「きっとね」

「そうじゃなくて、あなたの知ってることを知りたいの。あなたの主観を知りたいのよ」

 

 主観、ねぇ。主観を信用しちゃいけないというのはSNSの基本だよ千聖さん。というか俺がその主観をでっかくしがちなオタクだから。俺個人のことをまるでオタク全体として話がちなのがオタク。なのでパンピーに嫌われがちなのに気づかないのが憐れなオタク。

 

「そういうのいいわよもう。鬱陶しいわね」

「言い方ひどいよ」

 

 千聖さんに怒られてしまったので観念して続きを話はじめることにする。

 ──そうそう、それからしばらくして、俺はまたファストフード店でアイツと話をした。その頃の俺と言えばSNSで中二病の抜けきらない二次元専門オタクをやっていて、ちょろっと幼馴染さんが見たことあるなぁって言ったら話が止まらないやつだった。あれ今もだね、俺成長してないね。

 

「あなたの成長なんてどーでもいいわよ」

「はい」

 

 わあ、また怒られた。というかカリカリしてない千聖さん。カルシウム足りてます? そんなに芸能界の荒波はつらいですか。なんて言ったら絶対般若のような形相になるので黙っておこう。

 でも話すとやっぱりカレシさんに悪いかなぁって思うわけじゃん? だって幼馴染だしキレイになった、って言ってもどうしても昔の面影があるわけだからそんな付き合いたい、とか好きだ、とかそういう風には思わないんだけど、相手にとってはそうじゃないから。相手はアイツのことを本気で好きになって、本気で彼女の傍に立ってるんだから、それは尊重すべきでしょ? 

 

「そうね、確かにあなたの言うことは半分くらい正しいわね」

「半分なんだ、えっと」

「それであなたは距離を置こうとしたのね」

 

 正解です。俺はあの二人の恋物語にとってはモブ以下のなんでもないセリフのない空気みたいな役どころだし。

 俺はせいぜい推し相手に盲目になってお金をかけることが幸せとかいう恋物語には不釣り合いなキモオタだからさ。

 ──でも、アイツは俺を物語に入れてきた。ひたすらに関わろうとして、俺の話を聞いてくれた。

 

「ちょっと前の千聖さんみたいに」

「……そうね」

「あれ、認めるんだ」

「関わりたくて関わったのは事実だもの」

 

 まぁそれは置いておくとしてね。俺は取り敢えず悪いよと回避しようとしてたんだけどね。というか本人に直接言ったよ。正直、カレシさんに睨まれたくないよって。勘違いしがちな陰キャみたいに思われても仕方ない発言だよね。

 

「それで、今はそのカレシさんのこと、気にしないことにしたの?」

「うーん、俺としてはまだ気にしてるから時々、大丈夫って言うんだ。でも、嫌だって言われちゃうんだよね」

「あなたたちは嘘を吐かないって約束してるんじゃなかったかしら?」

「ああ、そうなんだけど、言いたくないことはお互い言わないし、嘘を吐かないだけで答えない時もあるよ」

 

 千聖さんはそういうことね、と納得してくれた。

 その話が高一の冬のことだった。カレシさんと最近一緒に見かけなくなったのが高二になってすぐのこと、どうしたの? って訊いたらバイト辞めちゃったって答えられただけ。ちょうど、なんだっけ? なんかのバンドに誘われた時期だったせいか、ちょっと明るくなってた。

 

「そしてその少し前に、あなたは私に出逢ったのね」

「うん。お披露目ライブも行ったし」

「……あれね」

 

 あの事件はすごい衝撃だったよね。口パク事件。アイドルが歌って踊って演奏する、次世代の輝き、みたいな売り文句で結局はアテフリなんだもんね、当時はよく燃える素材だったよね。半分以上が千聖ちゃんの名前で興味半分だった人と彩ちゃんを応援してたオタクばっかりだったなぁ。

 

「それであの日に見捨てなかったーってのが丸山担古参勢の口癖だから嫌になるよね」

「その話はどうでもいいわよ、オタクくん?」

「はい」

 

 次行こ次。まぁそんなこんなで俺は雨の中必死に次こそちゃんとやるって千聖ちゃんと彩ちゃんが手配りしてたビラを信じた俺はどっぷりハマって、幼馴染さんに語るようになった。細かいイベントに行って千聖ちゃんに話しかけてハマったんだよね。そして今に至ると。ほら、全然面白くなかったでしょ? 

 

「そうね」

「うわ、訊いといて」

「結局、あなたがあの子のカレシについてなんにも興味がないことがわかっただけ収穫としておくわ」

「千聖さんは何か知ってるの?」

 

 そういう口振りだったから思わずツッコんでしまった。すると、意外にも千聖さんは、呆れ顔であっさりと衝撃的なことを口にしてきた。どうやら親友である千聖さんは幼馴染さんによく相談を持ちかけられてたらしい。

 

「断れなくて告白受けちゃったけどどうしよう、ってね」

「……そうだったんだ」

「なんで知らないのよ」

「知るわけないよ」

「訊いてないから?」

「うん」

「本当、あなたの優しさはあまりに醜くて残酷ね」

 

 どうやらバイトをし始めた俺の幼馴染さんはそのカレシさんに一目惚れをされてしまったらしい。すごく押しの強い人で、でもちゃんと真摯で真面目で、まっすぐな人だったみたい。

 ──そのまっすぐさは、押し倒してゆっくりと首を絞めていくような、俺の優しさと同じ種類の残酷さがあったと千聖さんは話してくれた。

 

「周りにも隠せないくらいに真面目で、まっすぐだったらしいわ。だから花音を傷つけたの」

「……どういうこと?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 外堀を埋められたようなものだ。周囲に喧伝したことで断れない雰囲気を作られてしまった。それでも彼女は二度ほど、断っているらしい。その度に、同じバイトに辛い言葉を、いや発した本人にとっては何気ない優しさに近い言葉をかけ続けられた。

 

「何が不満なの、他に好きな人でもいるの? あんなに想ってくれるなんて羨ましい、そんな呪いの言葉に……あの子の心は折れたのよ」

「じゃあ、今は?」

「……恐らくもうとっくに別れているでしょうね」

 

 知らなかった。足許をガラガラと崩された気分だった。千聖さんがファストフード店で働いてる知り合い、いや彩ちゃんのことなんだけど。その彩ちゃんに訊いた話では()()()()()()()()()カレシくん相手に態度がよそよそしくなったらしい。

 そして春になるころにはカレシくんはバイトを辞めてしまった。それがメンタル的な話から来てるっていうなら、確実にフったのは幼馴染さんの方だよね。

 

「はぁ、成果なしの役立たずだったみたいで……ごめん」

「そうでもないわよ」

「え? どこが?」

「そこはわかりなさい」

 

 どういうことなの。まぁ、俺のクッソくだらない面白くもない話が何か千聖さんへの実りになってくれたならオタクとして喜ばしいけどさ。

 そうじゃなくて、どこがとか教えてほしかったなぁって思うんだけど。そこは気付かなきゃダメなんだね。

 

「はぁ」

「ため息つかないで」

「私はあなたがその頃のあなたがどう関わってるかわからなかったのよ? それを知ることができただけでも情報としては十分だわ」

「……そういうこと?」

「そういうことよ」

 

 千聖さんは意味ありげにウィンクをしてきた。まぁ俺どういうことなのかあんまりわかってないけどここは話を合わせておこう。取り敢えず千聖さんとしては知ってる情報にどう俺が関わっていたか、ということを知りたかったってのはわかったけど。

 

「もう一押し気付いてもいいと思うのだけれど」

「何を?」

「いいわよ、そっちはどうせ気付かないだろうと思ったもの」

 

 気付かないと思ったのにその問答したの? なんで? ひどくない? 

 そんなツッコミを躱して、千聖さんはわかってるわよ、と微笑んだ。ああ待って顔近づけてこないで。わかってやってるでしょ! 推しのご尊顔を近づけられたオタクは蒸発して死ぬんだよ!? 

 

「ご褒美が欲しいのでしょう? 欲張りさんなんだから」

「その言い方なんかアウトじゃない?」

「どこが?」

「どこがって……わざと言ってるでしょ」

「ふふ、どうかしら? 私、まだ処女よ?」

 

 ──頭がフリーズしそうになった情報なんだけど。それを聞かされてオタクはどうしたらいいんでしょう? 喜んでもキモイし何言ってもキモくない? そうなってしまった俺はそ、そうなんだ……みたいにどもることしかなかった。

 

「赤くなってるわよ?」

「ち、千聖さんがそういうこと言うからね……」

「ごめんなさい、見たいのよね……?」

 

 とっても楽しそうに、それでありながら妖艶さを纏った笑みで、千聖さんはスカートを少しだけつまんで、俺だけにその白い太腿も見せた。

 見たいです! じゃなくて……というか俺のこと本当に推しのパンツ見たい変態だと思ってるの? 見たいけどさ! 

 そして今日のオフっぽい、今までよりもポップでかわいらしい緑のストライプを目に焼き付けました。もういいよなんとでも言えよ! 恥ずかしそうに目を逸らして捲ってもらうっていう演技までついて俺の頭の中は変態チックな妄想でいっぱいだったよちくしょう! ありがとうございましたっ! 

 

 

 

 

 

 



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推し曲がバイト先で流れてるとテンション上がっちゃうよね

 だらだらとバイトをする。そうだらだらと。頑張って時間数稼いでるけどそれはあくまで推しのためアイドルのためオタ活のためであって別にこの業態が好きとかそういうのはいっさいないです。

 因みに俺のバイト先はなんとカラオケボックス。オシャレなバイトだったらほら推しに語れるじゃんって見栄を張った結果割と後悔してる。こんなの陰キャがやっていい仕事じゃねぇよ! 女の子多いし! 女の子多いし女の子多いし! でも時給はいいのでやめられないし止まらない。

 そんな辛くて肩身の狭いバイト先だけど、なんと癒しが最近できたのです! それが店内放送に流れるパスパレ! 推しアイドルだよ! オタク感激! 

 今日もそれを糧に、あとイベントのために! 大変なバイトだけどアイドルオタク、頑張りますっ! 

 

「おーい、手空いてる?」

「今から片付けるところですけど……?」

「三番にこれ持って行ってきて」

「りょうかいです」

 

 先輩の指示を受けてトレイに乗ったパステルイエローの、まるで彼女のようなレモンパフェを運んでいく。

 しっかしカラオケでやることと言えばドリンクバーで遊ぶかペンライト振りながらアイドル曲を流すかくらいの遊び方しかしたことないけど、案外食べ物とか頼む人いるんだよなぁ。

 俺は小部屋の前に立ちノックをして、失礼します、とドアを開けた。ここで熱唱とかしてると気まずいんだけどお客さんはぼーっとCMを見てるだけだった。後ろ姿と座り方がお上品でキレイなその女性がありがとう、と振り返った。

 とても、にこやかで楽しそうで、なんだか……そう、推しに似てる人だなぁって思った。

 

「きちんと働いているようで感心ね」

「ち……千聖さん? なんで?」

 

 因みに、というか当然だけどカラオケでバイトしてる話はしたけどどこで、とかいつシフトに入ってる、とかは一切話してない。しかも俺は高校の近くを選んだから若干生活圏から外れてる。千聖さんの生活圏に他にカラオケっていっぱいあると思うんだけど。

 

「なぁに? そのまるでここに来た理由がわかってないみたいな顔しちゃって」

「みたいな、じゃなくてまんまだけど」

「どうしてわからないのかしら?」

「いやわからないでしょ。あまりに謎が多いよ?」

「……はぁ」

 

 ため息!? 今ため息つきましたね? いやいや、そもそもどこにヒントや伏線が転がってたの? 迷宮入り確実の難事件じゃないの? 少なくとも俺は全く見当がつかないんだけど、フツーにわかるものなの? 

 

「ヒントをあげるわね、こんな推理すら必要ない事に頭を捻ろうとするおバカさんのためにわざわざ」

「お、お願いします?」

「──ホンットにバカね。ヒントすらないわよ。あなたの仕事ぶりを見に来てあげたに決まってるじゃない」

 

 え、ええ……マジで言ってるのそれ。それは認知厄介ゴミオタクにとってはあまりにもなご褒美なんだけどさ。

 あの、やっぱり冗談だと思ってしまうのは自己評価の高さ以前に千聖さんにはバイト先を教えてないってことなんだけど。因みに具体的な場所は幼馴染さんすらも知らないよ? 

 

「推理したのは私よ、あなたの性格とあの子への聞き込みからここだろうと場所を割り出したの」

「……して、具体的には?」

「私が最初に持ってる情報はカラオケボックスで働いていることだけよ。あの子から店の名前を聞いて、性格上絶対に私が利用することがないであろう場所を選ぶわよね? けれど合理性のないものをあなたは嫌うから高校の近くで働いているのではないかと考えたのよ」

 

 すご……というか完全に正確に性格まで把握されてるんだけど。すごいを通り越して若干引いた。俺にそこまでの興味示されると逆に引いてしまうよ。

 でも推理披露する千聖さんはとっても楽しそうで、初歩的なことよ、ワトソン君と締めくくられ、俺は思わず拍手してしまった。

 

「ホンモノっぽかった」

「探偵の役もやったことあるから、その時を思い出しながら言っただけよ」

「あ、でもよく今日働いてるってわかったね」

「あの子に訊いたのよ」

 

 

 そりゃそうか。バイトの予定はお互い知ってるし、千聖さんもそのくらい予想が付くか。

 ──じゃなくて、忘れてた。仕事中なんですよ俺。だからそろそろ戻らないと。ちゃんと働いてるってところ、推しに見せたいし。

 

「あらそうなの」

「うん」

「ふぅん? ここって個室、よね?」

「そうだけど?」

「こっち、座らない? サービスしてあげるわよ?」

「はい喜んでっ……って俺が仕事中なんだってば!」

 

 なんですかサービスって! なんかあれだよね、風俗とかそういう感じするよ。行ったことないけど! 

 しかし脊髄反射で返事をしてしまった俺に千聖さんは妖艶な笑みで、いいからほら、と自分の隣を差した。というかさぁその場合サービスする側、確実に俺なんだけど。

 

「何するの?」

「ここはカラオケよ? 歌うに決まっているでしょう?」

「聴かせてくれるの?」

「アイドルは人に魅せて聴かせるのが仕事よ」

 

 いや思いっきりプライベートじゃん。ただしそれは口に出すことなくぼーっと千聖さんが選曲するのを眺めていた。流石に違う曲入れるかなーと思ったのにさ、思いっきりパスパレの曲入れてる気がするのは俺の気のせいだと思いたい。思いたいけど絶対今パスパレの曲入れたな? 

 

「ところで千聖さんって全部歌えるの?」

「ちゃんとボイストレーニングしているし、そもそも彩ちゃんの個人練習に付き合うことも多いもの」

「そうなんだ」

 

 ホント仲良さそうだよね。不仲説まで出てた彼女たちだけど千聖さんが時折他のメンバーを語る時は決まって優しい笑顔をしている。仲間として大事なヒトたちなんだなって思える。ところで歌うなら前奏でミックス入れた方がいい? よっしゃ行った方がいい? 

 

「ミックス?」

「あー知らなかった? パスパレじゃ使ってないもんね」

 

 最近は多様化して、そもそもアイドルバンドだからいいだろうとか主張する人がいたり、あからさまにオタクっぽいとか言っちゃう人がいたりして廃れてきてるよね。あーよっしゃ行くぞータイガーファイアーサイバーファイバーダイバーバイバージャージャー! 

 

「……ふう」

「ん? なに?」

「いえ、やっぱりあなたって重度のオタクよね」

「そりゃもう」

 

 一曲終わってそんなことを言われた。コールとかもちょっと前に隆盛を誇ってたアイドル風にしてみたけど千聖さん的にはやっぱりオタクっぽさが気に入らなかったようだ。今のコール声出すとこコーラスのとこばっかりだしね。

 

「踊らないだけマシだと思ったわ」

「あー、あれスペースないとできないしライブだと割と禁止に近いとこあるからね」

 

 オタ芸はあれだよ。今や一種の踊ってみたに近いよね。オタクっぽさをなくしてイメージアップを図ろうとした結果なんだろうけど、俺からすればオタクのクセにオタクらしさを否定してオタクのまま中途半端に脱オタなんて、無駄なあがきだよね。だってパンピーから見たら皆同じオタクだもん。キモオタはオタクである限りついて回る蔑称なんだから諦めようよ。中途半端なオタクは同類からも嫌われるものだよ。

 

「あなたのその美学はなんなのかしら」

「美学、なのかな? オタクの見え方なんて変わらないんだから取り繕うのを諦めてるだけだよ」

「ならどうしてあなたは、オタクであろうとするの?」

「千聖ちゃん推しだからだよ」

 

 考えるまでもない問いかけだった。俺は千聖ちゃんに惚れこんで……って言うと言い方が悪いけど、対応がよくて笑顔が柔らかくて、この子に会いに行きたい、応援したいって気持ちになった。それがドルオタってことなら深淵まで覗いてやろうと思って今こうなってる。オタクであることを否定するってことは千聖ちゃんを推したい、貢ぎたいって思いそのものを否定することになるからね。

 

「……バカね」

「そう思う時もある。大人になってから後悔するのかなって考えたことも何度も」

「ならどうしてやめないの?」

「青春してるから。俺にとってオタ活が青春だから」

 

 そのためにバイトを今頑張ってること。勉強を頑張ってること。全部ひっくるめて今しか味わえない楽しさだから。

 それに、なによりオタクは卒業できないらしいから。オタクになったら一生オタクなんだってさ。

 

「ふふ、あなたが私を推してくれてよかったわ」

「どうして?」

「あの子の幼馴染であるあなたを知った時、例えば彩ちゃんを推していたとしたら……妬いてしまうところだもの」

 

 ──その時の言葉は、なんだかいつもの千聖さんとは違った表情を伴っていた。詳しいところは何にもわかんないけど、明らかなのは呆れでもなく楽しいとかそういう感じでもないってところかな。

 

「まだわからなくていいわ……けど」

「……けど?」

「……今日は上も捲ってあげてもいいわよ」

「はい?」

「今まではショーツだけだったじゃない? 偶にはブラも見たいでしょう?」

 

 そりゃ見たい是非見たい! じゃなくってだよ! 今ちょっとだけシリアスな雰囲気入ったよね? 入ったよなぁ!? なのにそんな雑な話の逸らし方ありますかね?

 ツッコミを入れると見たくないの? と問い返された。見たいよそりゃね!? 

 

「そんな鼻息を荒くして……見せたら襲われたりしないかしら?」

「そんなことしない。推しに手をつけるようなヤバいオタクに見える?」

「さぁ? あなたは変態なのだしね」

「変態じゃないよ!」

 

 いやもう最近否定するのもなんか違うのかと思うけど。そうだよって言ったら余計にまずいよね? だから言わせてもらうよ、変態じゃないよ! ホントに推しに手を出すとかそういうことしないから! 

 

「あら、今の私はプライベートよ?」

「でも推しは推しでしょう」

「……朴念仁」

 

 んー? 今言葉を難しくしただけでバカって言いませんでした? なんで急に罵倒されたの俺? いくら推しでもその理不尽には抗議していく所存ですよ? 心配しなくても口だけじゃなくて実際に手は出しませんってば。だいたい女の子にやたらめったら触れたり二人きりになった()()で猛獣と化したら今頃先に幼馴染さんが危ないでしょう。

 

「はぁ……ホンット、バカね」

「ストレートに呆れながら言うの!?」

「バカよ、大バカ」

 

 なんで怒ってるの? さっきまでご機嫌だったのに急に……っていつの間にか二曲目を入れて歌い出した。これもアイドルソングだけどパスパレじゃないやつだった。これも練習したのだろうかってくらいに上手で、でもプライベートの千聖さんを知るとちょっと似合わない曲だった。

 ──片想いの相手、遠くで頑張るのを見守るだけ、そんな優しく明るいけど甘酸っぱい風が通り抜けるような歌詞を俺はぼーっと見つめていた。

 

「さて、仕事が終わったらまたこっちにいらっしゃい」

「え、なんで──」

「返事は?」

「……はい、喜んで」

 

 強制ですねわかります。曲が終わった途端にいつもの千聖さんに戻るんだからコッチはついていけてないんだけど。まぁでも推しに呼び出されてる以上、断れないんだけど。

 というかなんで俺、こんなに推しに構われてるんだろうか。去年は幼馴染さんにやたら構われるようになったなぁと思ったら今年はこれだもんね。認知されてるのは幸せすぎて頬が緩むレベルだけど、困っちゃうのは幸せすぎるせいか千聖さんが考えてることがわからないと怖いことかな。

 

「終わりましたよ……って、寝てるし」

 

 仕事をしながらそんなことをずーっと考えて、数時間後、終わって様子を見に行ったら千聖さんは器用に座ったまま寝息を立てていた。きっとこうやってロケとかで睡眠することにも慣れてるんだろうな、というのがうかがえる彼女のあどけない寝顔……じゃなくてカラオケボックスって鍵掛からないんだからね? これ危ないでしょ。

 ど、どうしよう。起こした方がいいよな? でも疲れてるんだったらかわいそうだし、セキュリティ的な意味で言うなら俺がいればいいわけだし。そもそも起こすのにどうしろと? 肩に触れようものなら俺が永眠してしまうよ。

 

「ち、千聖……さん?」

 

 呼んでみるも反応なし。それにしても、なんだか疲れてるような雰囲気を一切出さないのにこういう独りの空間で眠ってしまうところあたり、やっぱりアイドルであり女優って大変なんだなぁ、と月並みなことを考えてしまう。広い層に人気のある彼女は、まだ高校生……俺と同じ年の女の子なんだってことを、つい忘れてしまうけど。

 

「店長」

「なんだ? 帰ったんじゃないのか。歌ってくか?」

「ああえっと三番に入れてください。あとひざ掛け出してもらえますか?」

「三番……ほうほう」

「なんですその顔」

「いーや、アイドル追っかけしてるのに女か、と思ってな」

 

 失礼な! その追っかけてる相手なんだけどね! 言いたいけど言わずにただの知り合いですよと言っておく。変なことしたら通報するからなと冗談交じりに言われて、嫌な顔をしながら戻っていった。推しに手を出すほど俺は落ちてない。

 ひざ掛けをそっと千聖さんにかけて、空調の温度を上げる。推しが風邪引いたなんて言われたら困っちゃうからね。

 

「よし、これで──」

「朴念仁ね」

「──っ!?」

 

 なるべく千聖さんには触れないようにひざ掛けを調整していると、紫のキレイな瞳が俺を捉えていた。

 びっくり仰天、俺は思わず後ろに飛びのいてしまう。なんで、いつ起きたの? というか一言目で朴念仁ってどういうことなの!? 

 

「あなたが部屋に入ってきた時から起きてたわよ」

「狸寝入りか!」

「まさかスカートを捲ってみる度胸もないなんて……」

「あるわけないよね?」

 

 酷いね、寝てる推しの……いやそれ以前に女の子のスカート捲るようなことするわけないじゃんか。見たくないかって言われたらそりゃ見たいけど、見たいけどさ……! 捲っていいよって言われずに捲ったら犯罪だよ? 

 

「いいわよ」

「ダメでしょ!」

「捲っていいと言ったら捲る、あなたの理論に基づくとそうなるわよ?」

「そうだけど、そうじゃなくて」

 

 狸寝入りだったなんて損した。そう思って俺は一曲歌おうかとも思ったらまた千聖さんに隣を指定される。次はなにしてくるの? 大体店長から怪しいことしたら通報するって言われてるから今日だけはパンツは見たいけど見たくないからね? 

 

「しないわよ」

「狸寝入りしてたクセに」

「疲れて寝ていたのはホントよ? だから、少し枕になってもらえる?」

「枕って」

「肩か膝、どっちでもいいわよ」

 

 肩!? 膝!? その単語に俺の頭は一瞬でショートした。想像しちゃったじゃんか! 肩って、肩に千聖さんの頭がくるってことでしょ!? 膝は膝枕だよね? 待って待って、推しにそんなことを頼まれるって……どういうご褒美ですか? じゃなくてどっちでもいいって言うなら、俺が独断で決めてしまうからね。

 

「ひ、膝で」

「どうして?」

「え、だって寝転がった体勢の方がいいかなーって」

「……そうね、ならそうさせてもらうわ」

 

 そう言って、千聖さんは脚は椅子から投げ出したまま、頭を俺の脚に置いた。硬い枕ね、なんて言われてしまうけど俺は寧ろ千聖さんの体温や頬の柔らかさが足に伝わってどうしたらいいのかわからない状態なんだけど。

 

「手」

「え?」

「手を貸して」

 

 なんのこと? と思っていたら千聖さんに手を掴まれ、彼女の艶のあるキレイな髪に吸い込まれていった。

 え、えっ、待ってちょっと待って呼吸が、息ができないんだけど!? なんでって緊張とかそもそも推しの髪に触れてるって状況がもうキモオタである自分が自分を罰し始めてるから! 

 

「ふふ、甘えるのも……案外悪くないわね」

「……千聖さん?」

「今日、わざわざ会いに来た甲斐は、あったわ」

 

 会いに、そんなことを言われてしまうと、不覚にも俺は揺らいでしまうよ。俺はオタクで、厄介認知キモオタで、こうしてパスパレの曲が流れると歌詞を呟くより前にコールを呟いてペンライトを振ってしまうくらいのキモオタなのにさ。もしかしたら、なんてさ。オタクとしてあっちゃいけない妄想が搔き立てられるよ。

 ──それから一時間その静かな時間があって、あとの二時間は普通に歌ってから千聖さんを送っていった。パンツはまた今度ねって言われてしまったけど、正直あの一時間が十分なご褒美なのでチャラにしてほしいです。あとこれはナイショなんだけど家に帰ってから密かにズボンの匂いを嗅いでしまった変態な俺を神はお許しになるでしょうか。いや、ならないと思う。

 



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知りたいことと知られたくないこと

 本屋で立ち読みをする。本屋なんて普段はあまり立ち寄らないからあれなんだけど、今日は探し物をして、でも購入するのはなんとなく恥ずかしくて立ち読みをしていた。

 なになに、異性に髪を触れられても平気なのは好意の証? え、っと……つまり千聖さんは? いやいやそんなわけないでしょ。好意って言ってもそういう好意じゃないってところかな。

 

「……何を読んでいるのかと思えば」

 

 こんな恥ずかしい時に知り合いが現れるなんて俺もついてない。しかもツンとした表情がデフォルトの苗字に氷が入ってる氷の風紀委員さん。

 なにかと俺を敵視してくる厄介なお姉さんだ。同い年だけど。

 

「ついに美人二人に挟まれて勘違いしはじめましたか」

「うるさいです……ちょっと思うところがあったっていいじゃんか」

「よくありません。あなたのような男がいずれストーカー行為や盗撮、そういった犯罪行為を犯すのです」

 

 アイドルである妹をキモオタの手から守るために地獄の番犬と化した彼女はそう言って冤罪で俺に噛みついてくる。たぶん俺はもう門の前にいる扱いなんだろうなぁ……誤解が解ける日はいつ来るのだろうか。

 

「心理なんて、人それぞれです。もちろんパターンもあるでしょうけど、それが全てではないはずです。鵜呑みにしてしてしまっては逆に嫌われてしまいますよ」

「……はい」

 

 同じ人間は誰一人として存在しないのだから、型に当て嵌めると痛い目に遭う。風紀委員さんはそう言い切った。ド正論だと思う。けど俺にはそうしないといけない理由もある。本やパターン化に振り回されない方法はただ一つ、経験だ。俺にはその経験値が圧倒的に足りないから。

 

「もう一つありますよ」

「そうなんですか?」

「多面的に相手を見ることです」

「えっと……?」

「少し、お茶をしましょうか」

 

 風紀委員さんは穏やかな顔で俺を誘ってくれた。ヒントを教えてくれるってことなんだろうか。なんだかんだ妹想いだし実はいい先生タイプなのかも? そんなくだらないことを考えていたら睨まれた。やっぱこの人鬼教官とかになるタイプだ。

 

「私から言えるのはただ一つ、情報を集めることです」

「情報」

「そう、あなた一人の情報で判断するのではなく、他者の主観を取り入れて情報を精査することが重要です。自己形成や考え方には四つの分類がありますから」

 

 そう言って風紀委員さんは紙に十字の線を引いてローマ数字でⅠからⅣまでの数字を割り振った。これはジョハリの窓、というものらしい。

 Ⅰには、自分でも把握してかつ他者にも把握されてる開放の窓。Ⅱには、自分は把握してないけど他者には見える盲点の窓。Ⅲには自分は知ってるけど他者は気付いていない秘密の窓。最後のⅣは自分も他者にもわからない未知の窓。この場合で大事なのはⅡだと彼女は丸で囲った。

 

「この部分の見え方は人によって違います。だから相手の盲点の窓にヒントがつまっているのです」

「つまり……自分で気付いてないから隠しきれない、ってこと?」

「ええ」

 

 要するに今回で当て嵌めると、俺が見てる俺を見てる千聖さんだけでは不十分であって、情報が見えない。だから俺が迷う。それに俺に対すると千聖さんは情報を隠そうとすることもあるしね。だけど他の人から見たら俺が気付かないことに気づいてるのかもしれない。色んなヒトから見た白鷺千聖さんが必要ってことだよね。

 

「そういうことね」

「遠回りしましたね」

「なんのことでしょう?」

 

 くすくすと笑われてしまった。この人も十分サドなんだよなぁ。というか回りくどく話す時の心理をひとまず教えていただきたいですね。もっとさ、なんか色々あるでしょ。というか千聖さんも幼馴染さんもたまーにそういう話し方するんだよね。

 

「さぁ? 気になるなら本を読んでみたらどうでしょう?」

「それを否定したのはあなたでしょう?」

「ええ、そうやって間違えてしまうのを私は見ていますから」

「サド!」

 

 この人絶対性格悪いよ! ひょっとすると千聖さんよりサドじゃないかな? それについてヒントを貰いたくてノコノコついてきたんだけど。

 風紀委員さんはひとしきり笑ったあと、簡単なことでしょう? と言葉を投げてきた。

 

「簡単かなぁ……?」

「ええそれはもう」

「えぇ……」

「まぁ、あなたの場合は自分に当て嵌めて考えてみてはいかがでしょう?」

 

 自分が? 自分はどんな人に限らず長い時間会話してると疲れちゃう残念陰キャコミュ障なので、当て嵌めようがないんだよなぁ。あ、でも推しとのトークに当て嵌めてみたらいけるかも? スタッフに剥がされようとも話し続ける理由は当然……推しとの時間を楽しみたいからだけど。

 

「楽しいから、それで答えではありませんか?」

「うーん、でも俺と話していて楽しいんですかね?」

 

 確かに当て嵌めて考えてみるとそうなるけど待って欲しい。推しはトークも上手で笑顔が素敵なアイドルさん。それを完璧に当て嵌めると俺のようなキモオタに話をしていて楽しい、という構図になる。いやそうはならんでしょ。すぐどもるし、別にイケメンでもないし表情なんて意識してないからだらしないし、明るくもない。ゴミじゃん。一秒でも短くしたいよそんなやつ。

 

「……物凄い自己否定ですね」

「いやいや、他者から見た自分を分かってるだけですよ」

 

 学校では何故かドルオタなの広まってて男女共になかなか話しかけられることないし、そりゃ最低限のコミュニケーションは取るけど休み時間とかむしろボッチでいいよってくらいだし。こんなやつに楽しいからずっと話していたい、とか言うやつがいるなら正気か? と問いかけたくなる。

 

「なるほど……あなたの状況がなんとなく飲み込めました」

「え?」

「あなたはあなたを誇れないのね……アイドルの前以外では」

「……やめてください」

 

 その言葉は氷の槍を投げられたように心の底を貫き、冷やされていく。俺の事、あなたにわかってほしいわけじゃない。あなたのように自分にしかないアイデンティティを持って、それをどこでも堂々と誇れるような……眩しい人に。

 

「そう、見えますか?」

「イヤミですか」

「……いいえ。けれど、すみません」

 

 惨めにされて平気でいられるほど、俺はマゾじゃない。あなたのようなまっすぐな人に同情されて平気でいられるほど……俺は自分が好きじゃない。いつだって針の筵に座らされてる気分だ。

 

「……失礼します。お代は私が持ちますので」

「あ、ちょっと……」

 

 気まずくて沈黙したところで風紀委員さんは伝票を持って会計を済ませて出ていってしまった。こういう時に最近サイフなしで払えるようになった時代が憎いね。俺が準備をする頃には、彼女は店を出ていってしまった。

 

「氷川さん……」

「なにフラれてるのよ」

「痛っ、なに……って、千聖さん!?」

「あたしもいるよー!」

「ひ、日菜ちゃん!」

 

 やらかしたことで意気消沈したまま帰るかと思っていたら後ろから頭に手刀を受けた。振り返るとそこには俺の永遠の推しである千聖さんと、もう一人、パスパレのギター担当でさっきの風紀委員さんの妹でもある日菜ちゃん。二人ともどうやら仕事帰りだったようで、誘導されて別の席に座った。

 

「ねね! キミっておねーちゃんのカレシなの!?」

「違うわよ日菜ちゃん。落ち着きなさい」

「まーそっか、パスパレのイベントに来てる人だもんね」

 

 その言葉に驚いていると、あたし、面白い人の顔はみーんな覚えてるんだーとあっさりとんでもないことを口にしてきた。

 どうやらこの天才ちゃんは二度連続で来るか面白かった、または興味が出たオタクのことを覚えているらしい。それは知らなかった。日菜ちゃんのとこに割と認知勢がいるのは知ってたけど。

 

「というか日菜ちゃん? さん? はあんまり雰囲気変わらないね」

「どっちでもいいよー。あたしは千聖ちゃんと違って営業スマイル? すると疲れちゃうし、頭でぐわーって考えてしゃべれないもん」

「素なんだ……アレ」

 

 つまり思ったことしか言ってないのか……失敗談に追い討ちをかけてるの、狙ってなかったんだ。怖い……絶対サドだよこの子も。知り合うなら彩ちゃんとかそういうサド成分薄い子と知り合いたかった。

 

「それより、何を話していたのかしら?」

「そそ、あたしもそれが気になってたんだよねー」

「あ、えっと……その」

 

 やば、これ嘘ついてもバレるやつだ。と言ってもホントのこと言うのはまずい。千聖さんなら優しくいたぶるように教えてくれそうだけど、例によって俺はマゾじゃないので。

 

「なぁに? いつにも増して歯切れが悪いわね?」

「あー、うん。ちょっと……千聖さんには知られたくないことだったから」

「なるほど……そういうことなら訊かないでおいてあげるわ」

「え? いいの?」

「ええ」

 

 絶対気になることでしょう? なんでそこで引けるの? え? どういうこと? どうやら日菜ちゃんもそう思っていたらしく、首を傾げていた。しかし千聖さんはいつもの余裕を口許と口調に帯びさせたまま頬杖をついた。

 

「それに関しては私が思った以上に欲張りになってしまっただけだもの」

「……えっと?」

 

 千聖さんは意味深なことを言うだけ、ちっとも要領を得ない。やっぱり、まるでこの時間そのものを引き延ばそうとしているような、そんな感覚があった。日菜ちゃんはその言葉になにかを察知したのか、なるほどねーと笑い立ち上がった。

 

「あたし、先に帰るね」

「いいの?」

「うん、あ、そうそうキミ!」

「はい」

「次のお渡し会はあたしのとこにも来てね! それじゃ!」

 

 日菜ちゃんはそれだけ言うと楽しそうに去っていった。いや、あなたのところに行っても話すことないんだけど……嵐のように去っていく彼女の背を追いかけることはできなかった。

 

「千聖さんは……帰らなくていいの?」

「私と二人きりは嫌かしら?」

「そうじゃなくて……まぁ千聖さんがいいならいいけど」

 

 嫌なんてとんでもないよ。推しとこうしてゆっくり話せる贅沢なんて俺の身に余る光栄だけどさ。だからそれ以上の疑問を挟まずに俺はキレイな所作でカップを口に運ぶ千聖さんを見ていた。

 

「随分とこうして過ごすのも違和感がなくなってきたわね」

「そう、だね」

「まだあなたにとって千聖ちゃん(おし)でいられてるかしら?」

「大丈夫だよ」

「ならよかったわ」

 

 なんでそんなこと訊くんだろう。俺はずっと千聖ちゃん推しだよ。千聖ちゃんの笑顔と対応に惹かれて、話す度に受け応えが楽しくて、名前を覚えてくれてさ。今度のイベントだって勿論、楽しみで仕方ないんだから。少しだけ不安そうな顔をしていた千聖さんは俺の言葉に少し口許の力を抜いた……ような気がした。

 

「あなたは……やっぱりバカね」

「なぜ、脈絡なくない?」

「なくはないわよ、少なくとも私の中では⋯⋯ね」

 

 あざとウィンクをされてしまった。やべ、鼻血でそう。顔がいいんだからそうやって至近距離でウィンクとかしないで、心臓止まっちゃうでしょ。今のオタクの流行りは尊死だけど俺は古のオタクの魂を持ってるので萌死するんだからね? 

 

「さて、それじゃあ帰りましょうか。送ってくれるわよね?」

「……喜んで」

 

 立ち上がり、千聖さんは俺の隣をまるでスキップでもしそうなくらいのご機嫌で歩き始める。

 俺と過ごす時間が楽しいなんて、そんなことあるわけがない。風紀委員さんに言ったはずの自己評価が揺らいでしまうほどに、千聖さんの横顔は輝いていた。寂しい町外れの街灯がスポットライトであるかのように、俺の視線を注目させる。

 

「千聖さん」

「なぁに?」

「楽しそうだね」

「ええ……ふふ、とっても楽しいわよ?」

「どうして?」

「気付いているくせにそういう訊き方をするのね」

 

 いたずらに笑われてしまった。気付いているのに……ってことは、本当に? でも、どうして俺となんだろう。

 俺は別に楽しませるようなことを話せてるわけじゃないのにさ。というか千聖さんはなんでそんな楽しそうなんだろう。

 

「考えて、わからないのかしら?」

「……うん」

「まぁ、あなたはそういう人よね」

 

 なんだか、呆れられてしまった。楽しそうだったのに、怒らせてしまったかなと思ったけど、どうやら機嫌が悪くなるほどではなかったようで、千聖さんはそうね……と思案顔をしてみせた。どんな表情でも映える、ってのはずるいなぁ。

 

「少し、教えてあげてもいいかしら……」

「千聖、さん?」

 

 細い指がまさかの俺の指に絡まった。ちょ、ちょっと? 千聖さんそれはやばくない? そりゃ握手は何回かしたことあるけどさ、こんなガッツリなんて、俺の平常心が大丈夫じゃないからね? さては俺をまたもごもごさせようとして悪戯をしてるんだな、と思っていつも通りの楽しそうな顔を……あれ? なんか、雰囲気、違うくない? なにその顔、知らない。なんでそんな、そんな……そんな顔するの。

 

「……私は、私は、本当は……」

「──二人とも、何してるの?」

「……っ! か、花音……」

 

 千聖さんがなにかを言おうとした瞬間、幼馴染さんに声をかけられた。あれ、なんか肌寒いような、なのに火傷をしてしまいそうなくらいの……怒りを感じるんだけど。

 ──ってやば、今日も行くかもって言われてたんだった! 恐る恐るスマホを見ると着信とかメッセージがいっぱいになってた。なのに本屋に立ち寄ってからこんな時間まで……そりゃ怒るよね。

 

「ごめん、連絡しなくて」

「……心配したんだよ? 本屋さんにも探しに行ったのにいないし……ちょっと迷子になっちゃったし」

「それはホントにごめん」

「うん、無事だったから()()()もう大丈夫だよ」

 

 ん? 言い方が変な気がする。それは、ってまるで違うことが大丈夫じゃないような。

 ぱっと千聖さんが気まずそうに離れていった。あ、ああそういうこと。いやいや俺じゃない! 俺はなんにもしてないから! 誓って! 推しに手を出すなんて愚行は絶対にしないから! 

 

「どういうこと? なんで?」

「ええっと、俺からはなんて説明したらいいか」

「……今度、ゆっくり訊くからね」

「ええ」

 

 あれ? 幼馴染さんは誰に話してる? 二人? ああもうこういう時に返信先にアットマークでもつけてくれたら楽なのになぁ。けど話はそこで終わってしまって、千聖さんを送って彼女と二人で家へと向かうことになった。なんだろう……さっきはすごく、居心地が悪い。

 

「今日は泊まってくね」

「はい? なんで?」

「最近ずっと御両親に挨拶できてないし……それに」

「それに?」

「ううん、キミに話してほしいこと、いっぱいあるから」

 

 どうやら俺は彼女にも事情を説明せねばならないらしい。拷問だ、新手の拷問でしょこれ。何が楽しくて最近身近な二人の言動がわからなくて女性の行動による心理本を読んでいたら風紀委員さんに鼻で笑われて一緒にお茶をして、千聖さん……とついでに日菜ちゃんに偶然会って、家まで送ってった途中、だなんて言わなくちゃいけないんだろう。恥ずかしいからいっそ殺せ。

 

「……そっか」

「わ、っと……え、えっと……? なに、どうしたの?」

 

 俺の部屋で向かい合い、それを知った幼馴染さんは、首で頭を支えることをやめたように、俺の肩に置いた。表情は見えず、ただ彼女の風呂上りのしっとりとしたあたたかな髪から彼女が選んでくれた俺の家のシャンプーの香りがするだけの時間に、その距離に思わず両手が行き場を失ってしまった。疲れちゃったんだろうか、それからしばらく彼女はただ一言も話すことなく、俺にもたれかかっていた。

 

「……あげない。誰にもあげないから」

「え?」

「やっと……取り戻したんだから、もう絶対、絶対に……」

 

 つぶやいた言葉の意味は俺にはちっとも、ほんの一ミリもわからなかった。けれどやっぱり凍るような冷たさなのに、触ったら火傷をしてしまいそうなくらいの怒りと、何か別の感情だけは、痛いほど俺に刺さっていた。

 

 

 



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静かな夜と騒がしい朝

 幼馴染さんが俺の家に泊まった。うちの両親は久しぶりに会えたということもあって大喜びだった。しばらく俺の部屋にいたけど、眠くなったからと帰っていく後ろ姿がほんの少しだけ違って見えたよ。

 因みに俺は全然眠れなくて悶々としていた。欲情とかじゃなくて、千聖さんと彼女の間に流れた空気について。

 二人は親友だ。千聖さんにとっては女優でもアイドルでもない彼女自身として向き合える数少ない友人として。幼馴染さんにとっては、気の許せる友達として。

 それなのに……あの空気は一体。ケンカでもしてる? でもだったら少なくとも幼馴染さんはそれを隠し通すとは思えない。一応まだあの約束は生きてると思うし。

 

「どうしたんだろう……はぁ」

 

 こんな時にSNSでリアル情報が呟けるアカウントでも持ってたら多少は愚痴を吐き出せる場所があるのだろうか。でも幼馴染さんと推しが親友で云々とかマジでクソリプ上等ネタじゃん。俺だったら即刻嘘松って送るかブロックするもん。キモくない? 推しとリアルで知り合いでそれに関する愚痴とかキモさ最大級じゃん。そもそも推しのプライベートとか出したくもないよ。

 だったらこの愚痴を解消する手だてはたった一つだ。二人の共通の知り合いとかに頼るところなんだけど。俺が知ってる人は風紀委員さん、彼女はあまり二人と仲良く関わっているようではないし、後は幼馴染さんと同じファストフード店で働いていて、尚且つ千聖さんとも近い距離にいる人がいるんだけど……ダメだ。俺はあくまでアイドルとはアイドルとしての距離がほしい。幼馴染の友人とか、幼馴染の親友の仲間とかそういう括りでプライベートなお近づきはしたくない。

 

「……あ、いるじゃん。ものすごい最低な考え方だけど」

 

 ただしリスクがある。曲がりなりにもその子もアイドルだということ。風紀委員さんにバレたら確実に殺されること。相手の性格上ちゃんとした回答が得られる確証はないということ。推しじゃないし話すこともないからそれでいいやとかいう最低な状態だけど。そうなればひとまず、次のお渡し会までこの件は保留にしておこう。

 

「ようやく寝れそうだ……って、あれ?」

「あ……」

「まだ起きてたんだ」

「うん……眠れなくて」

 

 さっき眠いとか言ってたじゃん、というツッコミはあとにするとして、幼馴染さんはリビングのソファの上でなるべく明かりをつけることなく、自分で持ち込んだマグカップに紅茶を淹れて啜っていた。紅茶なんて飲んだら余計に寝れなくなる気がするけどそこは流石紅茶党、リラックスできるからと苦笑いをしながら、俺のために隣を空けてくれた。

 

「キミも、寝れなかったの?」

「まぁ……うん」

「そっか」

 

 理由はいつもの訊くな、というオーラを全面に出しておく。こうしていると全く普通だよなぁ。さっきのあれはなんだったんだろうというくらいに、いつもの幼馴染さんだ。

 ふんわりとした柔らかくて甘いホイップクリームのような雰囲気、頬に浮かべる微笑は、穏やかな風に運ばれる雲のようだった。

 

「最近」

「ん?」

「……千聖ちゃんと、仲良いんだね」

 

 仲良い、かぁ。まぁそうなるのかな。パンツを見てしまって、見せられて……そんな呆れてしまうくらいの出逢いがあったけれど。

 千聖さんのこと、幼馴染さんは嫌い……だったりするのかな。それはそれで、悲しいことだけど。

 

「嫌いじゃないよ……好き」

「うん、ならいいんだけどさ」

「ただ、千聖ちゃんは嘘つきだから」

 

 嘘つき、その言葉がなんだか俺の胸にも刺さった。確かにあの人は嘘をつく。彼女が嫌いな嘘を。でも演技って、女優って、アイドルってそういうものだっていう認識が俺にはあった。プライベートじゃないもう一人の自分を演じなきゃいけない。ああして応援し続けてもらうには嘘をつかないと生きていけないんだと思う。

 そうすると、いつの間にか本当の自分が嫌いになってしまうんだ。誰にも見せないように、奥底に閉じ込めてしまうんだ。

 

「違うよ」

「え?」

「キミが言ってることは……全然違うことだよ」

 

 しかし、その言葉が嫌だったのか、幼馴染さんは拒絶した。また怒りが彼女の横顔に浮かび上がった。

 ──やっぱり、何かあったんだ。二人の間になにかがあって、亀裂が走ってる。そういうことなんだ。

 

「千聖さんと、ケンカしてる?」

「ケンカ……ケンカ()してないよ」

 

 ただ、彼女に確認した通りケンカではない。ケンカではないけど何かが二人の間で亀裂を生んだ。俺はそれをなんとかすることができれば、また二人は親友になれるのだと思う。そう信じたい。幼馴染さんと話をしている時の千聖さんは、すごくリラックスしていて、穏やかな雰囲気を纏っている。飾らない千聖さんが、そこにはいる気がしたから。

 

「ねぇ……?」

「なに……ってなにしてんの?」

「いいから、少し……訊きたいことがあるんだ」

 

 俺が決意を新たにしていると、その膝の上に優しい空の色をした髪が、溢れ出した水のように散らばって、紫の……冬に咲く背の小さな花のような瞳が、俺の顔をじっと見つめていた。

 つい先日千聖さんにもこれしたな……なんて思いながら俺は彼女の言葉の先を促す。というか嫌だとか言えないじゃんこの状況。ナチュラルに選択肢を一択にするのやめない? 

 

「キミにとって千聖ちゃんはなに? キミは千聖ちゃんの……なに?」

「なにって……」

 

 勿論答えは決まったものだ。俺にとって千聖ちゃんは推しだ。それが千聖さんであっても、推しなことに変わりない。彼女がアイドルである限り、俺は推し続けると決めてるから。二つ目の質問も必然、俺は千聖ちゃんの厄介認知キモオタだよ。彼女に認知してもらうことが生きがいの、気持ち悪いオタクだよ。

 

「そっか、じゃあ……私は?」

 

 それも考えるまでもなく俺の中に答えはある。幼馴染さんは幼馴染だ。物心ついた時には一緒にいて、親に帰るよと言われるまで仲良く遊んで、外や家の中で、沢山の時間を過ごした、幼少期のかけがえのない友達であり、疎遠になってまた会ってからは俺の話をちゃんと聞いてくれて色々なことをして助けてくれる、家族以外では一番距離の近いヒト……って言えばいいんだろうか。一言で片づけられないよな。

 

「一番……うん、わかった」

 

 ふわりと、幼馴染さんは微笑んだ。何がわかったのかわからないんだけど、どうやらその回答でよかったようで、彼女は起き上がりまた紅茶を一口、俺にとっては眠れなくなりそうな香りのするそれを飲み干した。

 

「ふふ……えへへ」

「なに……どうしたの?」

「一番かぁって思ったら、つい」

 

 やめてよ! そうやって笑いものにするんだ。一番って言ってもそういう意味じゃないからね? 確かにほら幼馴染さんは幼馴染だから女として見れねぇんだ……みたいなことにならない塩梅に思春期もとい中二病真っ盛りの時期が一番疎遠だったんだから俺は一応そういう意識もあるんだからね? だからってまるで口説かれちゃって笑っちゃうみたいな反応されるとコッチもいたたまれなくなるのであってさっきの言葉撤回させてお願いだから! 

 

「キミは難しいね」

「難しいって……何が?」

「性格とか、考え方とか」

 

 え、嘘、俺自分で言うのもなんだけどかなり単純明快バカ丸出しだと思うんだけど。

 驚いた顔をしていると、幼馴染さんは微笑みながらそういうところだよ、と笑った。どういうところ?

 

「キミが単純だ、って思ってるところが、難しいところ」

「……ごめんわかるように説明して」

「やだぁ」

 

 やだぁじゃないよ。急にそんな甘え声出さないでいただきたい。割とその、ドキドキはしてるんだからな? というか改めてまじまじと見ると、美人になったよなぁ。小学校の時から男子には人気ありすぎて若干いじめられかけてた記憶があるくらいにはかわいかったけど。今はなんか……って変なこと考えてるな、深夜だからか。

 

「実はさ……寝れない理由があるんだあ」

「ん? 枕がカタいとか?」

「ううん……その、ね? 匂いが……」

「匂い?」

 

 我が家の匂いのこと? 住んでる人には無臭に感じるけど他の人からするとわかるという家の匂い? そう言うと幼馴染さんはちょっとだけ恥ずかしそうに首を横に振って、自分の髪をくるくると指で弄り始めた。はて? 

 

「シャンプーの匂い、キミと同じ匂いがするから……」

「……あ、えっと」

 

 まってまってなにこの空気! むりむりむりむり俺耐えられないんだけど? 恥ずかしいってかもうかゆい! 全身の肌が痒い! これが、これがリア充だけが知ってるラブコメの波動……というやつなのか、いや羨ましくないわこれだって痒いもんなにしたらいいの、え、俺どうしたらいいのねぇ! 心臓の音と時計の秒針の音がやけにうるさいなぁもう! 

 

「ご、ごめん……っ、も、もう寝るね……おやすみ」

「お、お、おっ、おやすみ……?」

「……うん」

 

 耳まで赤くして去っていく幼馴染さんは間違いなく、お砂糖とスパイスと、あと素敵なナニカでできているに違いない。そしてかわいい子に限ってあるあるの性格がひどいとかじゃないからね。強いてあげるとするなら感性が若干ズレてるところと方向音痴なところ。こんなのよっぽどじゃなきゃ気にならないでしょ。方向音痴はよっぽどだからやや気になるけど。

 ──キミにとって千聖ちゃんはなに? じゃあ、私は? ただ、この時の表情はなんというか、俺にとって冷たく、怖いものだった。直感的に怖いと感じただけなんだけどとにかく、怖かった。

 そしてもう一つだけ引っかかったことがある。教えてはくれないんだろうという確信はある。だって幼馴染さんは()()()訊かなかったんだから。

 

「お前にとって俺はなんなんだよ……花音」

 

 訊かないってことは何かあるってことなんだけど、その蓋を開けてしまえば最後、俺と彼女は二度と、元の関係には戻れない気がしていた。

 だったら俺はわざわざ蓋を開けるようなバカな真似はしないさ。変わるってことはその分痛い思いをするんだから。

 また悶々とそんなことを考えていたけど、どうやら今度は睡魔も一緒に考えてくれたようで、いつの間にか俺は眠っていた。次に意識がはっきりした時にはもう、小鳥のさえずりと朝の眩しい日差しが俺の五感を刺激していて、跳ねた髪を撫でつけながらリビングへと赴くと、すっかり身なりを整えたいつもの幼馴染さんが迎えてくれた。

 

「おはよ」

「……ん、はよ」

「随分呆けた顔ね」

 

 なんか、あれだな……気恥ずかしいな。朝起きたら家族以外の、しかも女の子が迎えてくれるなんて。両親は既に出かけたのか。休日だからこそ趣味に全力ってのもまぁ、俺の親らしいと言えばらしいけど。俺は目を覚ましてついでに寝癖を整えるために洗面所に行ってから、今一度違和感の正体を探りにそっとリビングを覗いた。

 

「うん、おいしいわ。こんなの彼に食べさせてるなんてもったいないくらいね」

「もう、そんなこと言っちゃダメだよお……」

 

 おかしくね? 幼馴染さんはいいよ。昨日泊ったんだからいても不思議じゃない。けど問題はなんかもう一人いることだよね? 今日もキラキラオーラ全開の推しですねはい。見間違いかと一瞬本気で思いましたとも。

 

「今日はオフなのよ」

「オフなんだ、休日にオフって珍しいね」

「望まぬ形だわ。本来のスケジュールに向こうの都合で穴を開けられたのだから……次はもうどれだけ頼まれたって出演しないわよ」

 

 なんでしれっと幼馴染さんが作った朝食を口に運んでるんだろうこのヒト。というかどうやって入ったの? 幼馴染さんは幾らなんでも他人の家のドアを簡単に開けるような人じゃないし。

 

「ご両親とすれ違ったのよ」

「それで……なるほど」

「そうそう、親御さんのありがたい伝言も預かってるわ」

「なに?」

「現実を見ろ、ですって」

「余計なお世話だ!」

 

 第一それを推し本人に預けるってどういう神経してんの!? 現実見た結果こうやって推しが家にやってくるんだよこの野郎!

 そうじゃなくて推しと良い仲になれるかどうかのワンチャンに関する話だったらもっと余計なお世話だ! 最初からそんなもん感じてないんだよ! 

 

「芸能人にはあなたよりイケメンで性格もよくて甲斐性もある優良物件なんて腐るほどいるのよ、とお母様から」

「うるさいなぁ!」

「まぁ事実ね」

「知ってるよ!」

 

 分かり切ってるじゃないか。性格はさておくとして顔なんて多少は整ってないと芸能人にすらなれないんだし、甲斐性はそりゃあるでしょうね。

 それに自分を比べようだなんておこがましいこと考えてすらないよ。それを今更突き付けられたって本当に余計なお世話だ。

 

「この現状で私が奪い取れたと思う?」

「うーん、そだね……でも」

「ええ、私だって本気になりたいの、負けたくないのよ」

「……私だって負けないよ、絶対に」

 

 ──はっ! じゃなくて、今はそんな両親への恨み言じゃなくて千聖さんがなんのご用事で俺の家で朝ご飯を食べてるのかってところだ。そこに戻ってくると幼馴染さんは若干呆れ顔で、千聖さんはあからさまなオーバーリアクションで呆れていた。

 

「出かけるために決まっているでしょう?」

「え、そなの? どこに?」

 

 お出かけですか。俺としては折角バイトもないんだし一日パスパレの曲聴きながらゴロゴロしてたかったんだけど。そう言うと先に幼馴染さんの頬が膨らんだ。

 曰く、元々連れ出す予定だったそうで、暇かよ。だいたい何処に行く予定だったのかと問い返すと、彼女はとんでもないことをさらりと言ってのけた。

 

「水族館」

「……お断りします」

「ふえぇ……なんで……!?」

 

 なんでもくそもないです。男女で水族館とかもうそれはデートと呼んで差し支えのないものですので。そういうのはあうあうもごもごせずにきちんとエスコートできる方と一緒に行ってくださいな。俺はやっぱりゴロゴロしてる。

 

「うぅ……千聖ちゃぁん」

「よしよし、かわいそうな花音」

「ずるいね、そうやって千聖さんを盾に使うなんてさ」

 

 だが推しだろうと誰だろうと、デートにはいきません。そもそも水族館なんてデートスポット、キモオタ陰キャの俺が行ってうっかり見目麗しいカップルとか見ちゃったらそれだけで蒸発しちゃうでしょうが。

 

「なら私と行く? お忍びデート」

「すいません金目のものはなんでも持っていっていいので帰ってください」

 

 あなたが! 軽々しく! デートって言っちゃダメでしょ! 全国ウン万人のオタクたちが発狂しますよ!? でも実際に聞いたらそのセリフは金出せってナイフ突き付けられてるくらいの恐怖しかないです。通帳と印鑑持ってくるからちょっと待っててね。

 

「デートじゃダメなのね」

「ま、まぁね……」

「それじゃあ、三人だね」

「それしかないわね」

「もっとよく考えてほしい」

 

 三人、三人か……三人なら、まぁ形としてはデートじゃないし会話してたらカップルとか気にならないでしょうし、まだいい……かな。

 でも少なくとも千聖さんはアイドルなんだからやっぱり俺と歩いてるところ見かけたらスキャンダルだよSCANDAL。どんな瞬間だって運命だって確かなものが一つだけあるんだよ。知らんけど。

 

「大丈夫よ、悪意のある切り抜きをされるされない以前に、水族館は基本的に暗がりなのよ? そしてフラッシュ撮影は禁止だわ」

「パパラッチはフラッシュ焚かないと思うけどなぁ……」

「それに私は隣にいるこの子を巻き込んだというなら、その会社は徹底的にわからせてあげないと気が済まないタチなの」

 

 言ってること怖いんですけど、そんなこと過去にあったの? そういうと幼馴染さんがまぁ……あったね、と苦笑いをした。なにそれ怖い。

 でもオタクなんて基本アイドルに幻想かパンツ求めてる人ばっかだよ? 正直俺が別のオタクの立場で、俺みたいな陰キャキモオタクが、たとえ幼馴染さんを経由してるとしても千聖さんと仲良くプライベートで水族館なんて羨ましすぎてSNS特定して燃やすまであるよ。

 

「うだうだうるさいわね、あなたの選択肢は二つよ。三人で行くかそれともデートか」

「ええ……」

 

 それは選択肢一つだよ千聖さん……結局家でゴロゴロするって選択をくれないんだからひどいんだ。

 結局、俺は三人で水族館に向かうことを選ばざるを得なかった。それにしても水族館とか何年振りだよ、確か五年くらい前だよ最後に行ったの。

 というかそもそも、なんで二人すっかり元通りなの? 俺の一晩なんだったの? おかしいでしょ!

 

 

 

 

 



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両手に花持ち水族館へ

 この状況はなんだろう。この感情はなんだろう。目に見えない視線(エネルギー)の流れが俺の身体中に刺さって抜けない。見世物は俺じゃなくて水槽のほうだろうが! 

 ほら見ろ、イルカがサービスしてくれてるんだから、そうそう、俺なんて見ても楽しくないだろ! 

 

「イルカさんだよイルカさん」

「ちょ、はしゃぐのはいいけど腕……俺の肩が」

 

 はい、見世物になってる理由は右腕に千聖さん、左腕に幼馴染さんがいるせいですね。わー俺ってば両手に花だなぁ、驚くほど嬉しくなくなってしまうのはなぜでしょう。目立つのは罪だからだよ。なんだかんだで悪目立ちする趣味を持ってるキモオタの俺にとってみれば目立つってのは一種の恐怖でしかない。ただでさえ出る杭は打たれちゃうのが世の常なのに文字通り今の俺はたたかれるし燃やされる。炎上だけは勘弁して。

 

「どうしたの? 随分顔色が悪いようだけど」

「いや暗いからわかんないでしょ」

 

 そうね、なんてしれっと言い出す千聖さんはいつもより楽しそうだ。幼馴染さんは楽しいが既に行動に出ているが千聖さんはやっぱり楽しいは表情に出ているのみ。落ち着いてるなぁ。

 

「なに達観してるのよ。折角の役得なのよ? もっと狂喜乱舞、転がりまわりながら全国のオタクに懺悔して私に貢ぎなさい」

「転がらないから」

 

 ごめんなさい全国の千聖ちゃんオタク! パスパレのオタク! 良識あるドルオタの皆様! 推しと美人の幼馴染に挟まれて水族館なんて行ってごめんなさい! これからも誠心誠意を持って千聖ちゃんにお金を使うことをここに宣言します! よっしゃ行くぞー! 

 

「私じゃなくて水槽を見なさい?」

「わかってるよ」

「本当かしら?」

 

 覗きこまないでくれますかね? 暗がりとはいえ推しのご尊顔をその距離で直視したら目が潰れてしまいます。眩しい笑顔が憎らしい! いややっぱり千聖ちゃんの笑顔はご褒美です! 

 

「ねぇ? 二人とも……水族館、だよ?」

「はい、すみません」

「そうよ、公共の場よ?」

「千聖ちゃん?」

「……はい」

 

 目が笑ってなかった気がする。まぁまぁ、こんなのいつものことだ。幼馴染さんのダークサイドは割と底なし沼のような恐怖がある。ただし今日はその鋭利な切っ先を千聖さんにも向けていた。つ、強い……人を振り回し楽しむことに定評のあるサド女王をいとも簡単に押さえ込んだぞ。小柄な日本のカブトムシが案外大柄な海外のカブトムシに勝てるということを知ったくらいの衝撃がある。

 

「イルカショーが観たいわね」

「意外だね」

「大人になってから、水族館なんて行かないもの」

 

 恋人なんていないし、別に好きなものがあるわけでもない。そうやって久しぶりの水族館に静かにはしゃぐ千聖さんはなんだか新鮮だ。と言ってみるけど自身もめちゃくちゃ久しぶりだもんなぁ……五年ぶりくらい?

 そんな千聖さんも幼馴染さんに誘われてようやく俺も両手が自由になった。あの状況色んな意味で心臓に悪いもんね、本当。

 

「とても気持ち悪い顔をしていたけれど……なに考えていたのかしら?」

「世界平和について」

 

 やば、千聖さんに気づかれた……けどここはテキトーに誤魔化しておこうはいオッケー。いくら気付かれようとも心のうちまでは俺の口から出さなければセーフ。ぶっちゃけ余裕っすわ。ドヤ顔で千聖さんを見下ろしていたら物凄い顔をされた上で、なんと幼馴染さんを呼びつけやがった。

 

「へぇ、なに考えてたの?」

「ち、千聖さん!」

「あら、さっきのように世界平和、だなんてテキトーな嘘をつけばいいじゃない」

 

 あの、ちょっ、ずるじゃないのかなそれ!? 俺と幼馴染さんの約束をそういう悪用するのはさぁ! ってかなんでそんなに怒ってるの? 笑ってるのに目がマジで怖いんだけど!? 

 

「……その、さっき二人が密着してたから」

「から?」

「や、柔らかかったなぁ……と」

 

 そうです、二人の胸部装甲に想いを馳せておりましたとも。腕にぎゅっDAYS♪ される度に気持ちと心臓がぎゅっDAYS♪ してたよ。今血圧測ったら高血圧症だと判断されちゃうくらいにね。というか二人揃って近いんだよ。キモオタなめんな、触れられただけで好きだと勘違いしちゃうじゃんか。

 

「どうせ公開してるスリーサイズほどないわよ」

「え? あ、そなの?」

「……バカ、変態、最低」

 

 ええ!? なんで!? いや推しのお胸の感触に口許緩ませちゃったら言われてもおかしくないけどなんで今の会話の流れで罵られたの!? 理不尽さに目を丸くしていたら幼馴染さんに苦笑いされてしまう。

 

「あれ、私のなんだあ」

「なにそのビックリ仰天の暴露話」

「ちょっと! 言わなくてもいいでしょう!?」

 

 そう言われてふと両者を見比べてしまうと、確かに、同じというには千聖さんの方が若干小振りに思える。しかし恋愛経験薄い童貞クソキモオタの俺からすれば女性特有の柔らかさだけでご飯食べれちゃうからなぁ。気にならなかったよ。

 

「……どうせ盛ってるのは私と彩ちゃんくらいなものよ」

「その爆弾発言は聞かなかったことにする」

 

 日菜ちゃんはサイズ通りでイヴちゃんはちょっと成長したので逆にやや梳き気味。麻弥ちゃんに至っては結構梳いてるらしい。いやだから聞きたくないってば。

 内情を暴露しないでよ。俺これでもパスパレのオタクなんだが? というか気にしていたんだ。割と千聖さんは自分に自信がある方だと思ってたんだけど。

 

「その話はいいから、次行くわよ」

「はーい。行こ」

「うん」

 

 千聖さんが自爆した気がするけどそれはさておき、次は大人気ペンギンコーナーへと足を運んだ。ここのブースはそれなりに明るいので千聖さんはお忍びスタイルになって俺から少し離れていた。んん、推しが遠い……。

 

「ペンギンさんって色んな子がいてかわいいよねえ……」

 

 俺としては未だにペンギンにさんをつけるあなたがよっぽどかわいらしいと思うんだけどどうだろう? いや、セクハラになるかもだし言わないけど。容姿やその他を褒められて嬉しいのなんてガチで但しイケメンに限る案件でしょ。にちゃぁと笑ってデュフフ、キミ、かわいいねなんて言えば間違いなく次に会話する相手はポリスメンだ。人間正しくなきゃ価値なし。俺らブサメン生きる価値なしの敗北者なんだよなぁ。

 

「俺、三種くらいしかわかんないんだけど」

「どの子?」

「あの……コウテイペンギン、だっけ? とアゴヒモペンギン、あとは……」

「うんうん、アゴヒモは合ってるけどあの子はコウテイペンギンじゃないんだぁ」

「え、そうなんだ」

 

 キングペンギンというらしい。幼馴染さんはこれがコウテイだよと画像を見せてくれたけどしょーじき違いが全くわからん。間違い探し? 首を傾げているとずい、と身を乗り出してきた。顔近いよ。

 

「コウテイペンギンは名古屋と白浜の水族館にしかいないんだよ? 飼育環境難しくてね、そもそも生息域が──」

 

 あわあわ、水族館好きの魂に火を付けてしまったようで。いつもはおっとり彼女なはずの口からフルオート射撃。理解できない単語が俺の足元に空薬莢のように零れていく。途中からほぼ聴いてない。

 でも、ふと俺が語ることに夢中になってる時……幼馴染さんはこんな気持ちなんだろうかなんて、そんなことを考えた。そうするとまるでヘッドショットをされたように目眩がして心臓が苦しくなった。

 

「彼、もう耳に入ってないみたいよ」

「……え、あ……ごめんね……?」

 

 いいよ、となんとかリアクションを取った。人の振り見て、ってわけじゃないけど、俺って普段から幼馴染さんにこうなのかなと思うと怖くて仕方ない。まるで彼女に常に銃を突きつけていたことを知ったようだ。それだけ興味のないことを延々としゃべられるってことが当たり前じゃないってことだよな。

 

「あの……本当に、ごめんなさい……」

「あ、えっと……」

「キミと来たの、初めてで……その、すっごくテンション上がっちゃって」

 

 謝ってほしいわけじゃない。なんなら謝るのは俺の方だ。俺は、彼女を楽しませたくて話をしていたということではないけど、それ故に彼女の感情を今まで完全に無視してきたことへの罪悪感が汗のように吹き出していた。やばい、こうなるとなんとなく視線を合わせるのも気まずい。

 

「ねぇ、千聖ちゃん……」

「あれはあなたのテンションを見ていつも気持ち悪い顔で推しについてベラベラしゃべってた罪悪感を今更ながら痛感してるところよ」

「なんだぁ……そんなことかあ」

 

 そんなことで済ませていいものか。いやいいはずないでしょ。

 けど幼馴染さんはすっかり安堵したようで、あの子はケープペンギンだよ、とまた気を取り直して解説を始めた。というかケープペンギンとは? 白黒だとフンボルトペンギンしか知らないんだけど。

 

「フンボルトはもうちょっと顔のピンクが多くて首のところの線がもっと広いんだよ」

「……そ、そうなんだ」

 

 あとは似た種類にマゼランペンギンというのがいるらしい。これは顔のピンクが更に少なくて首の線が一本多いらしい。まるで当然のように語られてるが知らんがな。

 更に言うとこのケープペンギンとやらはアフリカに生息している唯一のペンギンらしい。ケープ地方に生息してるからケープペンギン、まんまじゃん。

 

「このフンボルト属は比較的あったかいところの生息なんだけど、特にケープペンギンは都市部でも生息してるペンギンで、ヴァスコ・ダ・ガマが記録したことで歴史上で初めて人類に確認された個体なんだあ」

「へ、ヘぇ~」

 

 詳しすぎる。いや知ってたさ。幼馴染さんがペンギンとクラゲなど、水族館で一般的に見られる生物に並々ならぬ愛を注ぐヒトだってことはさ。なにせどうしてもクラゲと触れ合いたいとのたまいエチゼンクラゲに触れたヤツだ。幸い毒がそれほど強くない種類だったものの……腫れるとわかってても触れられずにはいられなかった、と供述した時の彼女の目は間違いなく狂気を孕んでいた。怖い。

 

「イキイキしてるわね、あの子」

「そりゃそうだよ」

「そうね」

 

 幼馴染さんはおっとりしててあんまり普段は自分の気持ちを表に出したりはしないけど、人一倍自分の好きなものに対して愛を持っているヤツだ。それを踏みにじることを、嘘をついて傷つけることを誰よりも許さない、そんなまっすぐなところがあるヤツだからね。

 

「私の自慢の親友だもの」

「俺の自慢の幼馴染だもん」

「……俺のってなによ、気持ち悪いわね」

「そっちこそ、私のってなに?」

 

 そしていくら推してやまない俺の最高の推しであろうが幼馴染さんに対して独占をしようとするのは許せない。俺の、なんて言うのはちょっと傲慢が過ぎるかなぁと思わなくはなかったけどここで押し切られて幼馴染さんとの時間がなくなるのは嫌だからね。徹底抗戦の構えです。

 

「……恥ずかしいんだけどなあ……」

 

 しみじみと呟かないで、俺も恥ずかしくなってきたから! すると千聖さんはふん、と鼻を鳴らしてきた。なにその勝ち誇った顔。別に負けてないし。俺は負けてない! どう頑張っても勝者なしだよこれ。早くそんな幼馴染さんの本命、クラゲを見に行こうよ。

 

「うわ~、やっぱりいつ見ても、癒される~♪」

 

 再び暗い屋内で色とりどりのライトに照らされるまるで宇宙を漂うように非生物的な見た目の透明なモノがふよふよと水流に流されていた。

 個体名はミズクラゲ。彼女曰く傘の模様からヨツメクラゲとも言うらしいこのクラゲは今俺たちが目撃しているように泳ぐのが得意ではなく流されて生活をするのが主らしい。雌雄異体、つまり見ればオスメスが見分けられるらしいけど……うーん、わからん。

 

「なによりもこのまあるくてキレイな半透明なのがいいよねえ……」

「わかる?」

「キレイ、という点においては」

 

 恍惚の表情してるところ悪いけど、あなたの親友若干引き気味だよ? あ、花柄の模様のヤツ見っけた。どうやらこれは胃らしく、個体によっては三つや五つの子もいる、とのこと。クローバーみたいですね。あれは三つ葉で四葉が幸運だけど。

 ミズクラゲの他にも、色んな種類のクラゲがいるみたいだ。幼馴染さんはそれを一種一種、一つの水槽をじっくりと観察し、恍惚の表情を浮かべていた。なんていうか、それ他所の……特に男に見せないでね。

 

「ん?」

「いや、あの」

「あろうことか幼馴染に手は出さねぇと言っておきながらあなたの表情にムラムラしたらしいわよ」

「違うよ!」

 

 違わない気もするけど俺が個人的にムラムラしたわけじゃないよ! なんとなくその……若干性的な、そうフェロモンのような色香を放ってたってだけなんだよ。ん? なんかどう説明しても俺は墓穴をせっせと掘ってるだけな気がするワン、ここ掘るワンワン。

 

「え、えと……パンツ、見る?」

「そういう扱いしないで!」

「ちなみに私は紺色よ」

「サラっと暴露しないでもらえるかな!?」

 

 言いたかったの? なに、やっぱり見せたがりの変態でしたか? それに便乗して幼馴染さんが私はみ……というところまで口に出して固まってしまった。いやホントに、ホントに知りたいわけじゃないからね? 推しのパンツは見たいけど幼馴染さんのパンツは見たいわけじゃないよ! 

 

「……私じゃ、ダメ? 魅力、ないよね……」

 

 そういう問題じゃないよね。魅力はあるよ、そりゃね。だって隣を歩いてるだけでなんとなーくカップルに見られたら申し訳ないなぁと思うくらい美人になったしかわいくなった。そんな清楚でかわいらしい彼女が恥じらいながらも見せてくれるシチュエーション、男として食いつかぬわけがあるまいて。なんか一瞬口調がバグったな。

 

「じゃあ、見たい?」

「そ、そういうのいいから……そろそろイルカショー始まるよっ!」

「……ヘタレね」

 

 この推しうるさいなぁ!? ヘタレて当然でしょ! だって相手が相手だよ? いや千聖さんならいいわけでもないけど。こう、正直にパンツが見たい! ってほど離れたところにいる女の子じゃないんだよ、彼女は。少なくとも推しとは違ってステージや机なんてものが存在しないくらいにはさ。

 

「バカ」

「え、なんで」

「わからないならもっとバカよ、バカ」

「え、あの、千聖さん?」

 

 しかし、千聖さんは途端に機嫌が悪くなってしまった。イルカショーの観客席に座って、これまた両手に花なのに右手の花がずーっとそっぽ向いてる。明るい場所に出たから近寄ってこないだけかもしれないけど、それにしてはムスっとしてる。

 

「私、助けてあげられないからね?」

「……助けてくれてもいいと思うんだけど」

「ダメ」

 

 厳しい。幼馴染さんが若干厳しい。普段はめちゃくちゃに甘いんだけどこう、千聖さんが絡むとその甘さが半減するのはなんでだろう。そんなことを考えながらぼーっと始まるのを待っていると、ふいに幼馴染さんの名前を呼ぶ声がした。

 

「え……」

「久しぶり、だよね。花音」

「どう……して……」

 

 幼馴染さんの目がこれでもかというくらい見開かれていた。声の主は、爽やかな青年だった。背が高い。きっと俺よりも五センチは高いだろう。スラっとしているのに筋肉質。腹筋が贅肉に隠れてる俺よりもちゃんと体型に気を付けてるんだなぁとわかる。服装がおしゃれだ。トレンドのトの字もないギリギリ幼馴染さんと千聖さんに見てもらったからなんとかなってるレベルの俺とは、もはや比べるべくもない。

 なによりもその彼が引き連れていた男女三人のグループはみんな華やかな印象があった。ウェイ系、なんて一言で片づけてしまうのは簡単だけど、それは明らかな敗北だと悟れるには十分すぎるくらい、みんながみんな、誰かに見られるのを当たり前とした佇まいをしていたとy

 

「なに? アンタの元カノとか?」

「まぁ、そうなるかな?」

「え、めっちゃかわいいじゃん! ねぇ、キミ今フリー?」

「あ、えっと……」

「ちょ必死かよ、流石にキモイからやめなって」

「ボクの前でそういうことしないでよね」

 

 最後の男の言葉とあの笑った顔でピンときた、道理で見たことがあったんだ。この男、あれだ。幼馴染さんの元カレさん。俺はほんの数回しか目撃したことなかったけど、確かにこんな感じの爽やかで優しそうなオーラあったよなぁ。いや、イケメンってすげぇな。というか完全に俺や千聖さんが空気だったのでせめて幼馴染さんに話しかけて一人じゃないよアピールしようとしたら、千聖さんに腕を掴まれ、相手に聞こえないように小さな声で……ってそれどうやってやるの。普通に耳元に近づけてないのに俺がちゃんと聞き取れてなおかつ怪しまれない話し方できるの? 役者って怖いね。

 

「今どうでもいいこと考えてたわね?」

 

 ごめんなさい、と俺は目線で謝ることにする。千聖さんみたいな高等テクニック持ってない、となると俺ができるのは声を出さずに話すことだけ。虚しい。というかなんでこの状況で千聖さんは静観しろって言い出したんだろう。

 首を傾げた俺に対して、千聖さんは知りたいことがわかるからよ、と前を向いたまま呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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私に足りなかった二つのもの

 私が()に出会ったのは高校一年の頃だった。当時私はクラスメイトと四人でガールズバンドをしていて、ドラムが楽しくて、バイトも初めて……そんな新しいことにキラキラ輝いていたところに彼はやってきた。

 ──十人に聞いたら九人は間違いなくイケメン、って言うんだろうなあ。それが、私が抱いた彼への第一印象。気さくで、話が上手で……優しい人だった。

 

「ボク、キミのことが好きだ、絶対キミを幸せにする。付き合ってほしい」

「……え」

 

 何度かプライベートでも顔を合わせることが増えて、少しに遠くにできたカフェに連れて行ってもらった日の言葉だった。

 一瞬で全てを飛躍したような告白に、私はフリーズしてしまった。それが春の終りくらいのこと。

 

「ごっ、ごめん……なさい」

 

 私には忘れられない好きなヒトがいた。今は疎遠になってるけど、今はそのヒトには片想いすら許してもらえなくなっちゃったけど、私はまだあきらめきれてなくて……だから勇気を振り絞って、断った。

 彼は断られるとは全く思っていなかったかのように、笑顔が凍り付いた。嫌な、寒気がしたのをよく覚えている。暖かい日差しだったのに、肌が粟立つほどに恐怖を感じたから。

 

「そっか」

「あ、あの……私」

「いいよ……今はね」

 

 今は、その言葉通り、私はどんどん首を絞められた。

 バイトの先輩が何気なく言った。断ったんだって? どうして? って。それを聞いた時、私は思わずトレイを落としちゃうところだった。

 その話を横で聞いてた男のヒトが他に好きな人がいるとか? と明らかに全部を知っているように問いかけてきた。目の前が、真っ白になるくらいの恐怖がそこにはあった。

 バイト先だけじゃなくて、クラスもバンドも、私を責める程ではないけれど、みんなが()()()()()()()()()()()()。あんなヒトに好かれるなんて羨ましい、何が不満なの? そんな呪いを日々浴びて、弱って、誰も頼れなかったところで、彼が現れた。

 

「ごめん、ボクが相談したばっかりに」

「……ううん」

「でもみんなに祝福されるのって、なんだか嬉しいね」

 

 祝福? 呪詛の間違いじゃないの? でも弱った私には何もできなかった。何も言えなかった。またここで彼を怒らせて、次は周囲に攻撃されたら、私はあっという間に潰されてしまう。私が充実してると感じた全てを奪った彼は私に手を差し伸べた。ボクがキミを幸せにしてみせるよって。

 ──それはまぎれもなく、ボクを選ばなければキミを不幸にするという残酷なまでの優しさだった。私に、断るという選択肢は……残ってなかった。

 

「うん、付き合うよ」

「本当? よかった! よろしくね……花音!」

 

 それが、私のハジメテのカレシ。そして私から本当の感情を奪った、勇気を奪った張本人だった。

 それが、今目の前にいる。目の前で、何もなかったかのように笑ってる。寒い、あの頃と同じ季節なのに、寒くて堪らない。

 助けて……そう思っても彼は声を掛けてくれない。うん、わかってる。彼はそこで話しかけれるほど外向きの性格じゃない。アイドルを、親友を追いかけるオタクさんで、その趣味だけに全部を懸けてる人。

 ──でも、私を助けてくれた人。彼がいたから、私は今、本当の感情を持ってるんだから。

 

「じゃあ帰ろう花音」

「うん」

 

 高校一年生の秋が終わる頃のこと、私はカレと手を繋いでバイト先を出て、送ってもらったところだった。最初は会いたくなくてバンドの練習をしてたのに、今度は彼にバンドそのものを潰されてしまった。彼の言葉で、私は捨てられて、新しいメンバーが代わりにいた。そんな絶望の中、カレがゆっくりと自分だけに依存するように、両親との遭遇を考えていた時の、環境を整えてる最後の段階だった。

 

「あれ、花音?」

「……え?」

「やっぱそうだ。久しぶり」

 

 そこにいたのは、幼馴染くんだった。物心ついた頃から一緒にいて、でも中学が別だったことと、()()()()()()()()()()()()疎遠になってしまった彼。私の想い人とバッタリ遭遇した。

 ──丁度、彼がいなかった時だったから、私は久しぶりだねと笑いかけた。相変わらずお話しするのは苦手みたいで、それがなんでか逆に安心した。

 

「な、なんか……お互い大人になった、な」

「だね」

 

 彼は背が随分伸びてて、声も低くなっていた。男の人になったんだ、という感慨とそれなのに微塵も昔の好きが……ううん、昔よりももっと確実で輪郭のハッキリした好きが溢れるのがわかった。

 たった一度あっただけ、それだけなのに、幼馴染くんはカレの鎖を吹き飛ばしてくれた。

 

「ホントに働いてる」

「えへへ、どう?」

「サマになってる……って当たり前か、もう半年やってるんだもんなぁ」

「キミもバイトしてるの?」

「いやぁ、どうにも気が乗らなくてさ。ほらラノベとか、アニメ見るだけだとそんなにお金いらないし……」

 

 バイト先にも会いに来てくれた。嬉しいし大好きだなあって気持ちがもっともっと大きくなった。いつの間にか私は、私の気持ちを取り戻しかけていた。

 ──それを明確に全部取り戻して、カレに別れを告げることができたのは、高校二年生になったばっかりにこころちゃんに勇気をもらって、ハロハピのみんなとの出逢いも原因の一つなんだけど。

 

「一年ちょっとぶり……くらいかな? なんか雰囲気変わったね」

「そうだね……キミは、あんまり変わってないね」

「あ、いい意味で?」

「そんなわけないでしょ?」

 

 本当の感情を彼に向ける。幼馴染くんが横でちょっとだけ肩を強張らせたのがおかしくて、それが勇気に繋がる。

 私はあなたが嫌い。自分の感情のために周囲を使うその態度が気に入らない。手に入ると思い込んでるその根性が気に入らない。私を下に見る、その眼が……大嫌い。

 

「冷たいな」

「そう? 返事してるくらいには優しいんだけどなあ」

「……なんだそれ」

 

 さしもの彼も不機嫌そうに声音が歪んだ。下にいるはずの私に口答えをされて気に入らないって、そんな雰囲気だった。一緒に遊びに来たグループのメンバーもその冷たいやり取りに不穏な気配を感じたみたいだった。やや離れ気味に彼を見守っていた。

 

「また独りでクラゲでも見に来てたのか?」

「ううん、会ったことあるでしょ? 私の大切なヒト、彼と一緒だよ」

 

 また隣で肩を強張らせた幼馴染くん。そうそうキミのことだよ? 私の大切なヒト。私の好きなヒト。

 そんな愛おしい幼馴染くんを背中に感じていたら、目の前の彼が悔しそうに口許を歪めていた。千聖ちゃんがすぐ近くにいたらイケメンなのに性格が破綻してるせいで台無しね、あんなのと顔面偏差値で比べてお似合いなんて言われても嬉しくないし、それくらいなら今すぐあなたに裸を見られて処女を散らした方がマシよ、なんて幼馴染くんに言ってそうだなあ。千聖ちゃんは役者なせいか表情と、あと口許をほとんど動かさずに声量を調整してまるでイルカさんが超音波を出すみたいに秘密の会話ができるってすごいスキルを持ってるんだよね、あれ真似したいけどできないよ。

 

「あんなオタクのどこが気に入ったんだよ」

「全部」

「……は?」

「全部だよ?」

 

 あ、えっと……隣で幼馴染くん聞いてるのすっかり忘れちゃってた。ふえぇ……どうしよう、流石にバレちゃって……なかった。なんか千聖ちゃんに横やりのタイミングレクチャーされてたよ。聞かれなくてセーフ? ううん、千聖ちゃんとの距離が近いからアウト。後で構ってもらわないとダメです。

 

「お前──」

「な、なっ、なぁ! もうすぐ始まるみたいだな!」

「そうみたいね、楽しみね、あなた?」

「待ってあなたの言い方おかしくない? 距離おかしくない? 計画と違うくない?」

「ツッコミ禁止よ、上手にできたらご褒美あげるって言ったのに、見たくないの?」

「見たい! じゃなくて!」

 

 ──うーんと、私怒っていいところなのかなこれ? いいタイミングで彼の話の腰を折ってくれたのは嬉しいよ? 嬉しいけどさあ……ずるい。

 すっごく密着してカップルのように仲睦まじい姿で、仲良く言い争ってる。いいなぁって顔になっちゃうよ。千聖ちゃん、前は応援してあげるわよ、なんて言ってたのに……いつの間にか本気になってみたいの、って私から幼馴染くんを盗ろうとするんだもん。ええっと、なんだかそわそわしてきちゃった。私もえいってくっつきたい。

 

「じゃあ、さよなら」

「どうして……ボクはまだ」

 

 彼はまだ何か言いたそうにしていたけど、チラリと後ろのお友達を確認して諦めたように去っていった。やっぱり私、嘘つきは嫌い。付き合ってた時も、裏では私の悪口を言ってたこと知ってるんだから。人の口に戸は立てられぬって言うでしょ? 

 

「だ、大丈夫?」

「ありがと」

「え、いや、えっと、お礼なら俺じゃなくて、千聖さんに」

「千聖ちゃん()、ありがと」

「あなたも難儀な男に目を付けられたものね」

 

 呆れたような、つまらなさそうな声と顔。最近、千聖ちゃんは私にもこんな顔をすることが多くなった。いくら私は役者としてじゃない千聖ちゃんと知り合って、それをほとんど意識せずに友達になったとは言え、彼女は初対面からいきなり素顔で話してくれるような人じゃない。

 本人も気付かないうちに、その壁みたいなものを乗り越えちゃってるんだと思う。そうした理由はもちろん……彼に会いたくて。彼と一緒にいたいから。

 

「ってか千聖さん、いつまでくっついてるの……」

「嫌かしら?」

「全然むしろご褒美ですありがとうございます! じゃなくて……恥ずかしいんです」

 

 幼馴染くんの鼻の下が伸びてる。むう、私がすると困った顔するくせに。千聖ちゃんにはデレデレするんだ。そんなヤキモチのまま、私も幼馴染くんの腕を抱き寄せた。ビクっと反応して途端に彼は戸惑ったように私の顔を見た。ごめんね、助けてあげることもできたんだけど、それじゃあ私が満足できないから。

 

「顔緩んでるわよ、また胸のことでも考えていた?」

「ちがっ、違いま……せん」

「変態さんなんだあ」

「それは違う!」

「どうせまた私と花音の胸を比べていたんでしょうね」

「比べてはないって」

 

 やっぱり朝、千聖ちゃんと話した通りだなあってことを痛感した。この水族館で幼馴染くんを二人で振り回してた時、今みたいに挟んで私と千聖ちゃんがコンビネーションを発揮してる時、彼はちょっとだけ安心したような顔をする。

 口には出さないでしょうけど、彼は私とあなたの雰囲気に気づいてると思うわよ。千聖ちゃんは紅茶を飲みながらそう言っていた。だから話し合って、なるべく二人が険悪な雰囲気にならないように決めた。千聖ちゃんのことは好き、だから仲が悪くなんてなりたくなかったから、すごくありがたい提案だった。

 ──でもね、私は彼をもう誰にも渡さないんだ。もう二度と。例え親友だったとしても譲れないよ。幼馴染くんの隣は……一番近くには、私だけ。

 

「イルカショーもこの年になっても楽しめるものね」

「うん、かわいいよねえ」

「いやあのさ……なんで俺を挟んで会話するの? というかなんで二人とも今日は近いの?」

 

 イルカショーが終わって、三人でまた魚たちが気ままに泳ぐ水槽の横を歩いていく。会話に入ってきた幼馴染くんが疑問符を大量に浮かべているけど、私と千聖ちゃんは答えることはなかった。含み笑いと誤魔化し笑いをしてる私たちを交互に見て彼は肩を落とした。うんうん、時には諦めることも大事だよ? 

 

「それにしても、さっきの元カレ……大丈夫そう?」

「どうだろうねえ……」

 

 千聖ちゃんと二人きりになったタイミングで心配そうにつぶやかれたけど、私は正直に首を傾げることしかできなかった。

 あのヒトは欲しい物は全部駄々をこねて手に入れてきたタイプだよ。愛されタイプって言うのかな? だから引き下がることを知らない。まるで自分が世界の中心だと信じて疑わない三歳児みたいに、泣き喚くだけだから。

 

()()()()()()()()、全面的に協力するわ。なにかあったなら私を頼りなさい」

「……ありがとう」

 

 友達なのだもの、当たり前じゃないと笑う千聖ちゃんは、頼もしかった。幼馴染くんにはほとんどなにも説明してないけど……まさかまだ付き合ってる、とは思われてないよね? バイトをやめたことは知ってたはずだけど。

 

「そのことなのだけれど」

「うん?」

「私が知りたくて、彼から情報を訊き出した時に……少し」

「え、知ってるの?」

「ええ」

 

 そんなことしてたんだあ、と言うと千聖ちゃんはもしもあなたがまだ迷惑しているようだったら力になってあげたいじゃない、と唇を尖らせていた。ありがとう千聖ちゃん。でもまさかこんなところで会っちゃうなんてなあ。もしかしたら私が水族館好きなの知ってたから、狙ってたのかもしれないけど。

 

「ところで」

「ん?」

「彼と何があったの? 中学時代に」

「あー、えっと……」

 

 気になるよねえ。絶対幼馴染くんはしゃべろうとしないだろうし、けど嘘は下手だもんね。

 なんて説明したらいいのかな。色んなことがきっかけだったと思うけど……一番は、アレ、だよね。

 

「また今度、ゆっくりお話できる時にするね」

「花音……?」

「ごめんね……私もまだ、あんまり、上手く話せる自信がないから」

 

 あの時のことを思い出すと、色んな気持ちがぐちゃぐちゃになって、収集がつかなくなっちゃうから。

 でもそれまでは家が近くだからとにかく顔をよく合わせて挨拶することが多かったのに、その日をきっかけに高校生になるまで顔を合わせることもなかった。

 当時はお互いケータイを持ってなかったから連絡を取る方法もわからなかった。

 

「お待たせ」

「随分と長かったね──ったい! なにするの!?」

「今の言葉のどこに踏まれない要素があったのかしら?」

 

 うーん、ごめんね。今のは私も擁護はできないかな。足の甲を思いっきりヒールで踏みつけるのは確かにどうかなあと思うけど。

 でもそんなことを言われちゃうくらいに長く待たせたことは事実だからちゃんと謝罪の言葉はかけておく。

 

「ごめんね」

「いや、お前が謝るのか……いや別にいいけどさ」

「デリカシーのない男に謝罪するほど、私の腰は低くないわ」

「自分で言わないでよそれ」

「踏まれたくないならもっと努力することね、オタクくん?」

「ま、まぁまぁ」

 

 言い合いを始めちゃった二人を制して、そこからは三人でゆっくりと家路についていく。千聖ちゃんを送って、少しの間だけの……二人っきり。

 ちゃんと私の歩幅に合わせて、少しだけゆっくり歩いてくれる彼の脚を見ながら、一歩一歩夢の終りに向かっていると、ふいに名前を呼ばれた。

 

「なに?」

「あのさ……あの男のこと、俺じゃ、何ができるかって言われたら、全然、なにもできないんだけどさ」

「うん」

「……今度は、ちゃんと教えてほしい」

「……うん」

 

 ああ、好きだなあ。ため息が零れそうなくらいに、私の胸の中に甘酸っぱくて、少し苦しい気持ちでいっぱいになった。幼馴染くんは精一杯の勇気を持って、その言葉を言ってくれた。勇気がなくて、助けて、とすら言えなかった私よりもずっと強い言葉をくれる。

 

「それじゃあ、頼らせてもらうね」

「いや、俺よりか千聖さんの方がずっと頼もしいかもしれないけど」

「あー、うん確かに」

「そこは嘘でもそんなことないよって言うところじゃないかな?」

 

 そんなこと言わないよ。だって私、キミには嘘をつかないから。言いたくないことや言えないことは言わないけど、それを隠すために嘘は絶対につかない。だから、そんなに落ち込まないで。

 ──私は、何があっても絶対にキミの傍にいるから。私は、キミから離れていかないから。

 

「それじゃあ」

「ああ、また明日、だな」

「うんっ」

 

 また明日、その言葉が私にはなによりも嬉しいことだった。明日は学校が終わって、バンドの練習が終われば、また彼に会える。その約束を幼馴染くんからしてくれたことが、私にはまるで宝物のように感じられた。

 大好きなキミの声が好き、大好きなキミの笑顔が好き、大好きなキミが好き。

 ──誰にもあげない。

 



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間違いは些細な嘘から

 推しと幼馴染さんの距離が最近、どうにも間違ってる気がしてならない。

 いや前者はパンツから始まった謎の関係ではあるし、後者はそもそも幼馴染なんだけどさ。そうじゃなくて、ええっとなんて言ったらいいの? 妙に相手を女性として認識してしまう行動が多くなってきたんだけどどうなのこれってことであって別にその俺ってモテてるぜとか言いたいわけじゃないんだけどさ。俺は水族館のことを交えながらそう相談した。

 

「エセモテ自慢なら男友達にでもしてください。それともそんな友達もいないくらいアイドルオタク生活充実している寂しいヒトでしたか」

 

 そして冒頭からこの切れ味である。これ俺泣いていいよね? いつも言ってるけどさ、そんなひどいこと言われて喜ばないからね? 切れ味抜群すぎて崩れ落ちるレベルだからね? 

 ファストフード店にて、お相手はいつものサドと暴言にステを振ってる風紀委員さん。これで実は不器用ながらも優しくて最近お菓子作りにハマってるとかいう俺からすれば思考が宇宙空間までぶっ飛ぶレベルのプロフィールをこの間ばったり会った妹の日菜ちゃんに教えてもらった。女子力あったんですね。

 

「ええと、とりあえず罵倒はさておきお返事をいただけませんかね?」

「あなたのような方とお付き合いなんて死んでもごめんです」

「そっちのお返事じゃない!」

 

 告白もしてねぇよ! なんでそんな切れ味マシマシにフられなきゃなんないの? ホントに意味わかんないんだけど、さては俺のメンタルを死の淵に追いやろうとしてるの? 追い詰めて殺せば妹に余計な虫がつかずに済むとか考えてるの? もしそうだとしたらシスコン以前に病みすぎててこれ以上会話もしたくないんだけどね? 

 

「では、ここからは真面目に」

「いつも真面目にしてほしいです」

「……結論から言うと、あなたは好意を持たれている可能性があります」

「え? えっ?」

 

 何を勘違いしていたのか知りませんがそれくらいで騒ぐなんてうんたらかんたらと説教が始まるもんだと思ってたのに、拍子抜けする返事が風紀委員さんの口から飛び出てきた。絶対じゃない、可能性がある、と強調したこともあるけどそれでも、風紀委員さんの目にもどうやらあれが男性に対する女性のアピールとして見えるらしい。

 

「二人とも魅力的な女性です。あなたのような良いところも発見できないアイドルオタクにその気持ちを持った経緯は、残念ながら私にはまったく、一ミリも理解ができませんが……そうとしか考えられない状況、というものがあることは事実です」

「う、うん……なんでそう攻撃してくるんですか?」

「あなた……二人に何をしたの?」

 

 風紀委員さんの目がすっと細くなった。誤解です! 俺はなんにもしてません! というか敬語じゃなくなると余計に怖いんだけど。俺はただ推しには推しとして、幼馴染さんには幼馴染として、俺が思う通りに接してただけなんだけど。それじゃあ俺が好意を持たれるには足らないんでしょ? 

 

「ええ足りません。あなたのような男性がモテるにはもうその女性の弱味を握ってるとしか……まさか!」

「まさかもなにもないですけど!?」

「いえ、あなたは持ってるはずです、彼女たちの弱味を!」

 

 風紀委員さんが迷探偵さんにクラスチェンジしてらっしゃる。真実はいつも五つ六つありそうな雰囲気である。俺の働いてるカラオケボックスを当ててきたホームズ千聖さんを見習ってほしいです。そんな雰囲気を醸し出していると、迷探偵さんはズバリ、と容疑者たる俺にキレイな人差し指を突きつけてきた。

 

「パンツです」

「は?」

「あなたは白鷺さんのパンツを見ていますね?」

「……ああ、うん確かに」

 

 脅迫の材料としては十分です! と風紀委員さんはパンツパンツ連呼しながら結論を付けた。いや美人さんがドヤ顔でパンツパンツ言っちゃだめでしょ。そもそもそれで脅されてるの俺の方だし。未だに電話とか断ろうとするとパンツの話されるよ? いや俺ちょっとのお金でいいとは思ってるけど明日のパンツだけじゃ生きていけないタイプなんで。

 

「では松原さんは、幼馴染としての恥ずかしい過去などで」

「それは知らないかな」

「二人とも違う……となると迷宮入りですね」

「早っ」

 

 もしかしてこのヒト、バカなの? お勉強ができるできないじゃなくて純粋にバカなんじゃないかと思ってきたよ。ほら日菜ちゃんも勉強は相当できるどころかやらせたらなんでもできるタイプだけど常識だけはどんなに頑張っても身についてないじゃん。あと良心とか、そういう人間性にかかわるとあの妹さん、相当欠陥品もいいとこでしょ? まぁこんなことシスコン迷探偵さんには口が裂けても言えないんだけど。

 

「もう、相談する相手間違えましたね」

「他に誰かいるのですか?」

「……いないけど」

 

 ちなみにイベントで日菜ちゃんに相談したけど全くこれと言っていいほど役には立たなかったよ。姉妹揃って……もう推しと幼馴染さんのことを知ってて俺が話せる人誰もいないんだけど。

 

「けれど、これだけは言えることよ……相手が自分に好意を持ってる、という想定でいるべきです」

「……ありえないでしょ」

「そんなことを言っていると、いつかあなたは大切なヒトを傷つけることになりますよ」

 

 流石に、笑える状況じゃなかった。その瞳はバッチリと何の感情も写すことなく、ただ目の前で狼狽える俺だけが写っていた。

 彼女は本気でそう言ってる。ありえないと思う。だって俺だよ? 彼女も言っていたけど顔が特別いいわけでも、体型がいいわけでも、性格がいいわけでもない。女性が俺に魅力を感じてくれるところなんて、どこにもない。

 ──キミにとって千聖ちゃんは、何? じゃあ私は? 不意に俺は幼馴染さんが俺に向けた言葉が頭の中で波紋を生んだ。

 

「私が何を言ってもお節介にしかならないとは思いますが……あなたは客観的に見ようとすると著しく自己評価が下がりがちです。偏見は瞳を曇らせることになりますよ」

「肝に銘じます」

 

 偏見は瞳を曇らせる、か。確かにそうだよな。オタクだからという偏見は、何も非オタが持つものじゃない。実のところオタクというものに身を沈めてる俺たちが一番、オタクに偏見を持ってる。レッテルを必死で貼って自分を守ろうとしてる。

 

「あら、さっきまで誰といたの?」

「風紀委員さん」

「……そう」

 

 風紀委員さんが席を立って十分くらいしてから、また同じ制服を着た女性が俺の向かいに座った。パステルイエローがパーソナルカラーで、まるで水晶のように透き通った紫の瞳を持つ、我が推しの千聖さん。というかなんで来た瞬間に俺が誰かと一緒にいたってわかったの? 

 

「どうしてもなにも髪の毛落ちてたわよ、机に」

「気づかなかった……ってかつまり誰といたかも」

「まぁ、この髪色では二択になってしまうけれどね、ワトソン君?」

 

 流石千聖さん。どこぞの迷探偵とはわけが違うね。けれど誰といたかまでわかったのなら次はどうして一緒に、って言葉になるわけで……結局また千聖さん相手に適当に誤魔化すことになっちゃうのかぁ。なんだか心苦しい。

 

「なんの話をしてたの?」

「大したことじゃないよ。イベントで日菜ちゃんのところに行ったからさ」

「……そういうことね」

 

 嘘ではないよ。風紀委員さんが俺に話しかけてきた理由はそれだから。向こうからすればいつの間にか知り合いになってるからさ。誤解を解くのにすごく時間がかかって、その流れでなんでイベントで日菜ちゃんのところに行ったかって理由を話して、ついでに相談したってだけで。

 

「俺としてはもう行くつもりもないんだけど」

「あら、どうして?」

「どうしてって、俺千聖ちゃん推しだからね。お金がある限り貢ぐ相手は推しがいいよ」

 

 もちろんパスパレはみんな魅力的なアイドルたちだと思う。その中でもひと際俺を惹きつける輝きを持ってた人が、千聖ちゃんだっただけだけど、俺はその惹きつけられたって時の気持ちをずっとこうして抱いていたいんだから。

 

「はぁ……相変わらずの貢ぎ根性ね」

「オタクですから」

「本当、救いようのないオタクだわ」

 

 くすくす、と千聖さんは可笑しそうに笑ってみせた。ううん、この笑顔だけで本当はお金が取れると思う。特にステージやイベントで見せる時よりも、背伸びしている感じのしない、白鷺千聖本人の素直な笑顔ってのがまたポイントだよね。それで、何か食べませんか? 俺が全額奢りますよ。

 

「いらないわよ」

「え、でも」

「そっちじゃなくて、お金の方よ」

「あ、そっちか」

 

 バッチリ買ってるじゃんって言おうとしたらそういうことではなかったらしい。相変わらずのアップルパイと紅茶だけだけど。

 アップルパイは揚がるの待ちのようで、1と数字の書かれたボードがトレイに置かれていたが、そのタイミングでお待たせ! とかわいらしくよく通る声がした。

 

「お待ちのアップルパイ……で、す……?」

「ありがとう彩ちゃん」

「う、うん……えっと、えっと……?」

 

 しまった。そういえば彼女のことを忘れてたじゃん。

 丸山彩ちゃん。パスパレのリーダーでボーカル担当。そのかわいらしい歌声でオタ……んん、ファンのみなさまのハートを鷲掴みにしてみせるピンク担当。清楚系ながら動きがかわいらしいところがまたオタク向けだよね。

 ──そうじゃなくて、そんな丸山彩ちゃん。なんと幼馴染さんと同じファストフード店のバイトだったりする。なんでアイドルなのに未だにバイトしてるのか非常に謎なんだけど、幼馴染さん曰くパスパレ以前からお世話になってるからせめて卒業するまで、だそうだ。パスパレのオタクたる俺としてはなるべくの接触は避けて通ってきた、特に千聖さんといる時は避けてきたつもりなんだけどなぁ。油断してた。

 

「ち、千聖ちゃん! どういうこと?」

「花音の幼馴染なの、彩ちゃんも顔を見たことくらいあるでしょう?」

「そ、そりゃそうだけど! この人、パスパレのイベントにも来てるじゃん! しかも千聖ちゃん推し!」

 

 うげ、なんで認知されてるのさ。これには厄介ゴミクソ認知勢の俺も苦い顔だ。俺はオタクとしての俺を認知されたいのであってプライベートな自分を認知されたいわけではないと何度も言ってるんだけど。

 そしてこれには千聖さんもびっくりだったようで、少しだけ目を丸くして慌てて取り繕っていた。

 

「ええそうよ。でもお互い仕事とプライベートを分けてるの」

「確かに」

「う、うう……納得いかない」

 

 そうそう、俺もちゃんと推し事とプライベートは分けてますとも。千聖ちゃんと俺、千聖さんと俺、どっちのやり取りもまったく違うものだからね。最近のイベントでは終ぞアイドルとしての千聖ちゃん以外に出逢わなかったし。

 ところで彩ちゃん、千聖さんの一瞬の動揺に気づかなかったのね、納得しにくい苦しい言い訳してることからも明らかでしょ。

 

「か、花音ちゃんは……知ってるの?」

「当然じゃない」

「むしろプライベートの繋がりのきっかけだし……ね?」

「ええ」

 

 彩ちゃんがすっごく怪しむような顔でこっちを見てくる。やましいことはない。パンツ見たことがあるのと、さっきの風紀委員さんの言葉がちょこっとだけ引っかかってるだけで。動揺してるわけじゃないから、平気平気。

 

「ねぇ千聖ちゃんって……好きなの? この人のこと」

「──っ!」

「最近、すっごく楽しそうだなぁって思う時あったし、ひまりちゃんもあれは恋する乙女のリアクションです、なんて言ってたよ」

 

 まさかのドストレートな問いかけが、まったく予想だにしない人物から投げかけられていた。やば、心臓がバクバクしてきた。思わず反応したせいだろうか、千聖さんのローファーのつま先が俺の足の甲に刺さってる。痛い、痛いです千聖さん。でも、さっきの話が話だけにその答えがすごく……気になってしまう。

 ──千聖さんははぁ、とため息をついて、まるで呆れたように眉根を寄せた。

 

「何を言ってるのかしら? 私が芸能人でいるために何を捨てて、何を諦めて生きてきたか、今更わからないほど彩ちゃんはバカではないでしょう?」

「そっ、そうだけどさ……!」

「ひまりちゃんが言った、だからどうしたの? 私以上に私を知る人なんて……いると思うの?」

「……それは」

 

 完全にお説教モードだった。強いなぁ、と思うと同時にどこかで安堵と、ほんの少しの落胆が俺の胸にやってきた。

 そりゃそうだ。俺だって幼馴染さんから聞いてる。千聖さんは芸能人であるために、女優として高みを目指すために、フツーの人が望むような幸せを全て捨てた。恋心なんてアイドルにもなってしまった今じゃ特に、白鷺千聖にとって障碍でしかない。考えなくても、当然の回答だったよ。

 

「千聖ちゃん……」

「勘違いさせてしまったのなら謝るわ……行きましょう」

「あ、うん」

「すっかりあの子の料理にハマってしまったわ、お腹は空かせておきたいじゃない?」

 

 幼馴染さんにも連絡していることは知ってたけど、まだ約束の時間には到達してない。そもそも今日は幼馴染さん、部活あるって言ってたしね。だからしばらくここでのんびりしようって提案だったんだけど……どうやら俺は思った以上に気を抜いてたみたいだ。彩ちゃんを振り切って、俺ははい、と千聖さんにアップルパイを手渡した。

 

「ありがとう。けど食べ歩くのはやめておくわね。行儀が悪いもの」

「そうだね」

「……?」

 

 これからは、今まで以上に気を付けなきゃね。なんだかんだですっかり、俺は千聖さんとの、千聖ちゃんのプライベートの時間を楽しんでる。推しだから、とかじゃなくて、俺は共通の知り合いを持つ友達だと思ってるから。それも言い過ぎかもしれないけど。

 ただ、それが千聖ちゃんの芸能活動の妨げになるのなら、俺は喜んでトカゲのしっぽになるさ。そう思ってすっと一歩離れたら、すごく威圧感のある表情に変わった。なんで!? 

 

「こっち」

「え、でも」

「私がいい、と言っているのよ? なにを躊躇うのかしら?」

「……うん」

 

 怖いんだけど、千聖さんホント、怒ると怖い。幼馴染さんもそうだけど何で普段穏やかで優しいヒトはこう、静かに冷たいのに火傷をしそうな熱を持って怒るんだろうか、その技術俺にも分けてほしい。なにに使うかなんて決まってないけど。

 

「ごめんなさい」

「ん? なにが?」

「こんな逃げるような感じになってしまって」

「あー、いいよそれは。だって千聖さんだって、勘違いされたままいても気分悪いでしょ?」

「勘違い……ええ、そうね」

 

 でも俺としてはむしろモヤモヤが半分解決してよかったって気分だ。幼馴染さんの方はまだ未解決だけど、少なくとも千聖さんの口から、間接的にとはいえ男女の関係を仄めかすような好意じゃないってことがわかったんだから。やっぱりだいたいこんな顔が恐ろしくいい推しと同じくらい顔がいい幼馴染さんの両方から好意を持たれてるなんて考えただけでも悪い気分になっちゃうよ。幼馴染さんの元カレも相当イケメンだしなぁ。

 

「千聖さん?」

「最悪だわ……本当に」

「え、うんそうだね?」

「こんなに……こんなにままならなくて悔しいと思ったことは、生まれて初めてよ」

「……ん?」

「私の欲しいものは……こんなに近くにあるのに……!」

 

 物思いに耽っていたら、千聖さんが物凄く、苦虫を嚙み潰したような表情になっていた。手を強く、痛いと感じるほどに握られる。そんなに嫌だったのかと俺は黙って受け入れることにして、そのまままた歩き出した。爪が食い込む痛みを左手に感じながら、それ以上どっちも会話をすることなく、家へと向かった。

 ──ん? よくよく考えなくても、これ二人きりか? まぁ大丈夫でしょう。俺は推しに手を出すほどゴミカスクソオタクになった覚えはないしね! 

 

 

 



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あなたにとって

 なんかミスったかなぁ、と思わなくはない。だって千聖さん、俺の家に来てからずっと……ひたすらに無言なんだもん。でも俺に心当たりがないせいで余計にビクビクしてしまう。いやだって、絶対原因なんか近いところに転がってるじゃん。なのにわかんないってこれはお説教パターンだよ。

 

「あの……紅茶、飲みます?」

 

 だがしかし嘘のつけない俺はこのように挙動不審になってしまうのである。隠し通すなんて無理無理、絶対無理。

 むしろよく話しかけたなってくらい自分を褒めてあげたいよ。

 

「そうね、もらうわ」

「う、うん」

 

 ちょっとだけほっとした。顔を合わせてはくれないけれど、返事をくれた。返事をくれるだけで取り敢えずは一安心だ。

 だけど、この悪い空気はなんとしてでも変えねばなるまい。俺はそう誓っていた。なにせ折角推しが家でくつろいでくれてるんだもん。こんな空気の悪い状態のまま放置はしたくない。

 

「隣、いい?」

「ええ」

「それじゃあ、おじゃまします」

「ええ」

 

 相槌は適当、というかどこか上の空に近い。けどずっと眉根が寄ってる。お腹痛いのを我慢してるみたいな顔で、どこか体調が悪いんじゃないかってことも考慮に入れておく。俺としてはそっちの方が原因がはっきりしていて安心できちゃうんだけどなぁ……ちゃんと薬もあるし。

 さて、ぼーっとテレビを見ている間に残念クソドルオタワトソンの推理タイムでもしようか。

 推察ポイント一つ目は彩ちゃんとの遭遇だ。あの時の表情は千聖さんにしては余裕が剥がれていた感覚があった。これはきっと俺と一緒にいるところをうっかり見られたことで、まずいと思ったんだろう。何せ男と仲良くご飯、なんてアイドルにとってみればスキャンダル以外のなにものでもないからね。

 推察ポイント二つ目は俺の左手にしっかりと刻まれた千聖さんの爪痕。直接的な意味で肌に感じた千聖さんの思考は、何やら爆発しそうなものをなんとか抑えているような、そんな印象があった。唇も噛んでいたようだったし、そこにあるのは怒りと、悔しさだ。俺にはその出所はまだわかってない。

 推察ポイント三つ目は今の放心状態だ。今ここに怒りの原因や悔しさの原因がなくてぶつけどころがない、そんな感じでもあるようだけど。

 以上のことから察知できるのは、千聖さんが彩ちゃんに俺といるところを見られて、その時の会話から何かが悔しくて怒りを感じた? あれ全然ダメだ推理できてねぇし。

 

「……何そんな隅っこでぼーっとしてるのよ」

「え、いやテレビを」

「嘘、全然目線合ってないわよ?」

「そ、そうだね……ごめん」

 

 よく見てらっしゃることで。気まずくて項垂れていると、千聖さんは無言で自分のすぐ右隣りをたたいた。え、なに、こっちこいってこと? その仕草はまるで甘えたいけれど甘えてると思われたくない猫の気難しさのようで、戸惑いながら俺は千聖さんのすぐ横に座った。

 ──すると、千聖さんはそっと俺の左手に触れてきた。

 

「……えっと?」

「痛かったわよね……ごめんなさい」

「まぁ、痛かったけど」

 

 痛かったよ。痛かったけど、それは千聖さんの痛みだと思うことにしてるんだ。やりきれなくて、苦しくて、それをどうにかして吐き出すために俺の左手が犠牲になった。だからこれは痛くて苦しくて当然なんだと思ってるよ。

 

「バカね」

「一応、千聖さんの気持ちを汲もうとした結果なんだけど……」

「変に優しくされても、嬉しくないわ」

「えー」

「言ったでしょう? あなたの優しさは、残酷すぎるわ」

 

 前に言われたことだったっけ。残酷な優しさ、幼馴染さんの話をしてた時のやつだね。あの時も言ってることがそれほどわかってないんだけど、そろそろわかるように説明……はしてくれなさそうだね。

 

「千聖さん」

「なぁに?」

「ずっと寄ってる」

「……あ」

 

 苦しそうな顔しないでよ。俺はいつだって推しの笑顔が見たいよ。そのためならなんにも俺に明かさないでいい、何も言わないでいいから……そのためなら俺はどこまでも優しくなれるからさ。この気持ちも、千聖さんは残酷だって言うんだろうけど……俺にはそれ以外の方法がわからないんだよ。

 

「もし、ほんの少し……」

「ん?」

「……私が推しであることを忘れてほしい、と言ったら?」

「どういうこと?」

 

 千聖さんはそんなことを言って、過去これまでにないくらいの距離で俺をじっと見つめてきた。俺には眩しすぎるご尊顔、でもその表情はまるで張り詰めた糸のようで。

 できる、とすぐに言えなかった。もしもそのまま、イベントにも来ないでほしいと言われたら……そんな風に思ってしまったから。

 

「無理よね」

「あ、ち、千聖さん」

「けれど、ありがとう。すぐにいいよと言われたら……あなたを嫌いになっていたかもしれないわ」

「え」

 

 それはよかった、と思うと同時に千聖さんの言葉に過剰反応してしまった。嫌いになっていたかもしれない。対人コミュニケーションにやや難のあるオタク並の感想だけど、嫌いになるところだったってことは、現状は……本人から否定されたはずの妄想が湧き出てしまった。いかんいかん、現実を見ろ。こんなんだからキモオタコミュ障とか言われるんだよ。

 

「はぁ……ごめんなさい、落ち着いたわ」

「よかった」

「ええ、これは……ちゃんとご褒美をあげないといけないわね」

 

 ご褒美、という言葉にすっかり調教されてしまった俺はドキっと心臓が跳ねるようだった。これまでのご褒美は基礎基本パンツですし、他には膝枕だし……男として喜ばないわけにはいかないわけでして。しかも推しのよさすぎる顔ときちんと整えられた肉体、キレイすぎる脚を覆い隠すベールたるスカートが捲られ、普段は見せることのない男のロマンが詰まったパンツ。推しが着用してるってことに意味があるのであって、結局同じパンツを購入したところでここまでの興奮、に近いこの湧きたつ喜びは感じないわけであって、ともかく推しは推しでちゃんと推してるんだけどそれはそれとしてパンツ見たいよねってこと。これは変態ですね、変態でサーセン。

 

「けれど、足りるかしら?」

「足りるって?」

「この間の、ちゃんとご褒美をあげられてないのよね」

 

 ああ、確かに。水族館の時のやつもなんだかんだでもらってないよね。見せてくれるって約束したのにちょっと残念だなと思って……いやいや、別に幼馴染さんのためなんだから千聖さんのご褒美がなくても頑張りますとも。

 

「こうなっては仕方ないわね。同じご褒美ばかりではその価値が下がってしまうものだし」

「あ、あの……俺は別にねだってるわけじゃ」

「わかってるわよ。私だってその覚悟はある程度してきたつもりだわ」

 

 人の話を聞いてくれるととても嬉しいんですけど。それ独り言だからね千聖さん。

 そりゃあ、そうやって俺が頑張ったことに報いようとしてくれるところはやっぱり千聖さんって優しいところもあるんだなぁ、普段はめちゃくちゃサドだけど、と思うよ? この思考がもう千聖さんに調教されてると言われたら最早何も言い返せないけど。でも流石にパンツ以上にアレなご褒美なんてないだろうからちょっとだけ待ってみる。

 

「……ブラも、一緒に見せたらいいかしら」

「ぶっ!?」

 

 なんかとんでもないこと言い出したんだけどこのヒト! 前にも下だけじゃなくて、みたいなことは言ってたけどさぁ! 大丈夫かな俺の推し、本格的に露出狂に目覚めてしまったんじゃないかと疑ってしまいそうだよ。もっとこう、アイドルらしい清楚さがほしいかな! オタク的にはさ! 

 

「私にスカートを何度も捲らせておいて、怖気づくのね」

「いや、ハードルの高さ違うんだけど」

「どう違うのよ」

 

 そりゃあアレだ。俺と千聖さんがこうして言い合いをするくらいにはプライベートとしての関わりができたきっかけにもあるように、女性のスカートは……もちろんそれを避けるためにスパッツを履いてみるだとかの方法はあるけど、捲れてしまえばそこに待っているのはパンツ、という男にとっての桃源郷だ。だがそれは捲れる()()でいい。あの日のイタズラな春風のように、その桃源郷を目にするチャンスは案外あるものだ……と思う。

 それに対してブラはよっぽどじゃないと見えないでしょ? それこそ胸元が空いてて覗き込んだら、とか、割と意図しないといけない部分があるよ。俺は人生で一度たりとも女性に着用されたブラジャーというものを見たことがないんだもの。ガードの硬い千聖さんならなおのこと、それは本人が服を捲るなりしないと見ることの敵わない楽園だ。

 

「考えなおそう? ブラを見せるって、上からだよね?」

「花女の制服はセーラー服なのよ? 下から捲った方が手っ取り早いわよ」

「それはアウトでしょ!」

 

 いやボタンを外されて鎖骨や谷間、肩のラインが見えるのもなんかダメだと思うけど、捲るということはナマの腰のライン、へそなどの部位を同時に見せることになるじゃん。それってまずくない!? アイドル衣装は割とへそ見せてることもあるけどそうじゃないじゃん!? それに俺の頭の中に浮かんだシチュエーションがよくない。ソファの上に膝立ちになる千聖さん、制服の上とスカートを同時に捲る……その動きが、っていやいやいや、なに妄想してるんだ俺、ここは良識あるキモオタとして、止めないと! 

 

「はぁ、なに葛藤してるかわからないけれど、見たいの? 見たくないの?」

「見たい! んだけど流石に俺の精神衛生上悪いんだよ!」

「随分と素直に言うようになったわね……?」

 

 そりゃね。隠すのもバカらしいくらいに見たいよ! というかこんなにかわいくて美人でとにかく顔のいい推しが自分の前でサービスショットを惜しむことなく出そうとしてるんだよ? 本物のカメラは諦めても脳内シャッターは超高速連写間違いなしだからね。

 

「早くしないとあの子が来て、またお預けになるわよ……どうせもう気になって頭がいっぱいなのでしょう?」

「うっ……そりゃ、そうだけど」

 

 あの、こんなこと今更言うのはなんだけど、千聖さんはそれでいいの? いやアイドルなんて、女優なんてこの状況に似たようなものだと言われたら俺は黙るしかないんだけどさ。

 名前を売って、顔を売って、それは貢いでくれる。応援してくれるファンへの返礼、今で言い直すとご褒美という形で応えてくれる。それと変わる状況ではないのだとしても。

 ──それは、()()()()()()()正解ではないよね? 

 

「……アイドルとして」

「うん。ホントはもっと前から言うべきだったんだろうけど」

 

 でも千聖さんが見せてくれるその景色は、やっぱり俺がテンションを上げてしまうのには十分すぎて、反論することもなかった。あとちょっと慣れてしまったというのも原因にあるよね。でも、それはまずいよ。確かにパンツが見たいか見たくないかで言えば断然見たい派だけど、それより前提として推しは推しとして推していたいって気持ちが強い。

 もちろんパンツを見せてきたくらいで今更推しに幻滅なんてしないけど、それでもアイドルとして見過ごせない行動を繰り返す推しは……オタクとしてちゃんと諫めるべきだったんだ。

 

「あなたは、本当にバカなのね」

「え」

 

 俺の勇気ある行動、だと自分で思ってたのに、千聖さんから返ってきた感情は……左手に刻まれた爪痕と全く同じものだった。

 いつもは呆れるか微笑みながらの言葉が、怒りを伴っていた。思わず肩が強張った。そして次の瞬間、俺は物凄い力で肩を押され、一瞬眩しいと思ったリビングの電気が、長い髪と紫水晶の瞳に遮られた。

 

「……千聖さん?」

「見なさいよ……素直に、オタクとかアイドルとか、そういう建前なんて捨てて見たいって言えばいいじゃない」

「え、ど、どうしたの……?」

 

 頬に、熱を持った水滴がぴちゃりと跳ねた。驚く間もなく、それが千聖さんの涙だということはすぐにわかった。

 なんで泣いてるの? なぜ千聖さんが、俺の推しが泣かなきゃならないんだ。風紀委員さんは、これを予言していたとしたら……でも俺にどうしろって言うんだ。

 そう戸惑う間もなく、千聖さんはとんでもない行動に出た。

 

「ちょ、千聖さん!?」

 

 つい最近夏制服になった千聖さんの紺色のリボンが床に落ちた。それだけではとどまらず、千聖さんはセーラー服の襟辺りにあったホックを外して、初めてプライベートで会った時

 に、スマホで見せてもらった黄色のブラジャーが、惜しげもなく俺の前に晒された。

 ──って冷静に状況説明してる場合じゃないよね!? 千聖さんついに錯乱して脱ぎだしたの!? 待って俺には既にキャパオーバーなんだけど。

 

「今触ったら襲われたって言ってやるわ」

「……ナチュラルに脅迫しないでよ、ねぇ……千聖さん」

 

 俺の制止を振り切った、それどころかスカートのホックにまで手をかけて、まるで最初からそこには千聖さんを締め付けるものがなかったかのようにストンと馬乗りになって下にいる俺の腰当たりにスカートはただの布と化して、黄色のショーツが露わになった。磁器のような白い肌、ほんのりと上気してるのか、流石の千聖さんも恥ずかしいのか肩や頬には赤みがさしている。

 

「私は、あなたのなんなの? これだけまだ接しても、私はアイドルのままなの?」

「……だって、千聖ちゃんは、推しで……」

「それじゃあ()はどうなるのよ。白鷺千聖は、どうしたらいいの?」

 

 ぐずぐずと千聖さんは子どものように泣きじゃくっていた。俺はもう感情の処理ができずに、放心するしかなかった。

 だけど、俺はそれを受け止めることができない。幼馴染さんに向けられた言葉と同質の、けれどもっともっと切羽詰まった、感情の波を伴っていた。

 

「そ、それじゃあ……千聖さんにとって俺ってなに?」

「こういうことをしてでも傍にいてほしい相手よ」

「──っ」

 

 淀みのない答えだった。震えてはいたけれどまっすぐな声だった。そして、上半身を起こした俺に、千聖さんは首に手を回して抱き着いてきた。

 これは確定、なんだろうか。風紀委員さんの言った通り、千聖さんが俺を? 本当にそんなことがあっていいのかな。

 

「……ごめん、千聖さん。俺は」

「言わないで……私は、私の気持ちを初めて、捨てたくないと思えたの。だから」

「……うん」

 

 ここで、千聖さんは矛盾した言葉を放った。彩ちゃんに俺のことを好きかと問われた時にきっぱりと否定してみせた言葉。そして今俺に抱き着いて泣きながら肯定ととれる言葉。どっちが本当の千聖さんなんだろうか。下着姿になるなんて捨て身なんだからフツーに考えれば後者が真実なのだろう。でも、それと同じくらい俺には腑に落ちないところがある。

 ──市場価値。俺の男としての価値が果たしてそこまであるだろうか、というところだ。結論から言えば千聖さんのような人がこんな半裸姿にならなきゃいけないほど、俺は魅力的とは言えない。幼馴染さんも風紀委員さんも、もしもこの質問をすれば頷いてくれるだろう。

 

「とんだご褒美になってしまったわね……ごめんなさい」

「ううん、大丈夫」

「私の気持ちを大事にしたいから……しばらくは」

「わかった」

 

 制服を拾って着替えながら、千聖さんはそうやって力なく、まるでただの少女のように笑った。

 嘘をつくメリットは感じられない。でも嘘ではなかったメリットも……あるとは思えない。俺はそんな迷いを抱えながら、幼馴染さんがやってくるまでの時間を千聖さんと手を繋いで過ごした。

 胸が痛い、俺は何か大きな間違いをしてる気がする。どうしてなんだろう。俺はただ、推しを推しとして推したいだけなんだけど。

 

 

 

 

 

 



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汗かいちゃったから

 色々わからないことはあるけれど、一応は千聖さんの口から内心を聞き出すことができた。一歩前進といえるだろう。だけど俺にはまだまだ難問がある。そう、幼馴染さんもまた千聖さんくらいに距離が近いことだ。そりゃ小さい頃は仲良しだったし、距離も近かったけどさ。もう俺と幼馴染さんはそんな無邪気になれる年齢じゃない。なのに距離感が近いんだよね。

 

「それじゃあ、ごちそうさま」

「うん、また明日ね」

「ええ」

 

 二人が手を振って別れるのを少し離れたところから見守り、ドアが閉められたところで幼馴染さんがくるりとターンした。ふわりと優しい香りがして、いつものかわいらしい笑顔で帰ろっかと()()()()()()()()()()

 ──えーっと? なにやってんすかね。意図がわからずに立ち止まると、今度は左手がさらわれた。

 

「手を繋ぎたかっただけだよ」

「そ、そうですか」

「うん……なんで敬語なの?」

 

 そんなの緊張しちゃうからに決まってるでしょ。手を繋ぐことってカップルだったり女の子同士だとあっさりしちゃいがちだけどそれを慣れてない人間にとってはすごく緊張しちゃうことだと思うんだ。何がって手を繋ぐということは常に触れ合ってるってことだ。手汗とか、握りながら歩かなきゃいけなかったり、握る強さだったり。

 とにかく、意識せずに手を繋いで歩くってのは案外難しいってことだ。

 

「手汗とか気にしないよ?」

「俺は気にするんだよ」

「神経質?」

「違う! 汗だよ汗、汚いでしょ」

「私は気にしないってば」

 

 コイツってやっぱり強引なところあるよね? おっとりな見た目に似合わぬ鋼鉄の精神力持ってるし、あの水族館の時も……威圧してきた元カレ相手に一歩も引かないどころか、一歩踏み出していくあの強さ、見習いたいところだよね。

 

「ふふ」

「なんで笑ってるの?」

「あれはキミが隣にいたから……負けたくないって思っただけだよ」

「俺が?」

「うん」

 

 あの間、俺はただ千聖さんに止められていただけですけどね。後は話の腰を折るタイミングとセリフをレクチャーされてたっけ。なんか予定とは違って焦ったけど、俺たちの言葉で相手との会話が途切れたのは事実だった。

 

「だから、いてくれてありがとう」

「俺は何も……」

「いいの、私がありがとう、っていいたいんだもん」

「そっか」

 

 ふわりと幼馴染さんは優しく笑う。よかった、一時期はなんだか様子がおかしかったけど、今はいつもの彼女だ。流石にね、三年ほどブランクがあったって一番近くにいるってアドバンテージとして表情から機嫌とか悩みがあるないとかは少し察知できたりする。幼馴染だしね。

 

「ねぇ」

「ん?」

「……千聖ちゃんと、なにかあったの?」

「えっ」

 

 だがそれは幼馴染さんも同様だったようで唐突にそんなことを呟いた。何かあった、あったとも。物凄いことがあった。でも彼女には教えられないし教えたくない。だって彼女の親友、まぁ俺の推しなんだけど……千聖さんが俺に半裸になったんだよ?

 

「言えないようなこと……あったんだ」

「あ、えっと、その……」

 

 はいその通りですけど幼馴染さんが言う言えないことがなんなのかが知りたい。俺の中には最悪から予想通りですまでとんでもない振れ幅のものが頭に浮かんだよ。違います誤解です。

 

「まだ何も言ってないけどなぁ」

「だ、だってさ」

「大丈夫、言わなくてもいいから」

 

 ほっとした。ここでどうしてもしゃべってと言われたらもうどうしていいのかわかんなくなっちゃうから。更に千聖さんが、まだ信じられないけど、俺に大きな感情を向けているということが幼馴染さんに伝わるのもなんか嫌なんだよなぁ。

 

「嘘ついちゃわなきゃいけないくらいなら……言わないでいてくれた方がマシだから」

「……ごめん」

「いいよ、大丈夫」

 

 静かな道に幼馴染さんの笑顔がぽつりと寂しく咲いた。なんで、幼馴染さんは傷ついてるんだろう。疑問に思うまでもなく原因は俺だ。鋼鉄の精神力を撃ち抜くほど酷いのかとショックを受けたくなるけど、どう考えても何故か打たれ弱くなってるだけだよね? 

 

「キミは、優しいよ」

「そう?」

「うん……いっそ残酷なくらい」

 

 また、それか。残酷な優しさってなんだよ。俺はそんなの……いや、俺は知ってるよな。その残酷な優しさってやつがなんなのか。

 俺だって傷つけられたんだ。例えそれがどんだけ俺の過失だったとしても。

 

「ごめんね、嫌なこと思い出させちゃった?」

「まぁ……ちょっと」

「私ね、まだ千聖ちゃんに教えてないんだ……あのこと」

「そうなんだ」

「うん」

 

 それはよかった。ほっとしたよ。千聖さんに、というか幼馴染さん以外の誰にも知られたくないくらいの過去だよ。黒歴史ってやつ。俺と幼馴染さんが嘘をつかないって約束をして、今の関係に近づく直接の原因。俺が知る限りの残酷な優しさ。やり切れない嘘。

 

「ねぇ」

「な、なに?」

「わ──!」

 

 やり取りをしてるうちに、段々と彼女の家が見えてきた時だった。立ち止まった幼馴染さんは、繋いでいた右手の指を俺の左手の指の間に侵入させた。さっきよりもよっぽど密着し、サラサラの手の感触がする。思わず後ずさりをしてしまい、手を繋いでいた幼馴染さんが前に倒れ込む。

 

「か、花音……あぶなっ、ごめん思わず……!」

「ううん、ナイスキャッチ、だね」

「呑気に言うね!?」

 

 スマートにキャッチはできなかったけどね。おかげで幼馴染さんが俺に倒れかかる形になってるのをどうにか抱きとめてる状態だ。あまりよろしい感じじゃないよね、精神的にも。なんか幼馴染さんはやたらと楽しそうだし、実はサドだよねやっぱりお前もさ。あと離れてもらっていい? 

 

「このまま名前、もっと呼んで」

「なんで?」

「いいから」

 

 わけがわからないまま、俺はもう一回幼馴染さんの名前を呼んだ。本当は呼び捨てにするのは気が引けるけど、思春期になってまでちゃん付けで呼んでるのがカッコ悪いっていう思考に至って今の状況なんだよなぁ。

 

「もっと」

「は?」

 

 なに、一体何がどうなってるの? そう思うくらいまるで子どものように俺に縋りついてわがままを言い出した幼馴染さんに俺は目を白黒させるしかなかった。

 彼女は俺に名前を呼ばれたがってる、なんで? その意図が不明すぎるんだけど。もうちょっと解説してほしい。

 

「やだ」

「やなのに、わがままは言うんだ?」

「うん」

 

 なんか幼児退行してない? なんなのこの子。やだってなんやねん。

 俺はただ単純に名前を呼ぶことで幼馴染さんの何が満たされるのか、満足するのかが知りたいだけなんだけどな。それも説明を拒否するなんて。

 

「私はっ……私は、キミの幼馴染なんだよ? ()()()()なのに……私はなんで名前で呼んでくれないの?」

「……え?」

「私は幼馴染さんじゃないもん、私は……松原花音(わたし)なの!」

 

 は? なに、なにどういうこと? なんで急に幼馴染さんが泣き出したの? なんで怒ってるの? 何も理解できない。幼馴染さんのことが急に何もわからなくなってしまった。

 でもわかることもあった。同じだ。この熱さも怒りも、言葉だってさっき推しにもらったばかりのものだ。

 

「キミはいっつもそうだよ。私のことも千聖ちゃんのことも、記号にこだわって……なんにも見ようとしない……キミは酷い人だよ」

「それはお前だって」

 

 俺は幼馴染さんが俺のことを幼馴染以上の記号で呼ばないことを知ってる。俺と同じように名前を呼ぼうとはしない。なのにどうして幼馴染さんは怒ってるんだよ。意味がわからない。

 

「嫌がるのに? キミが言うじゃん。名前で呼ばれたくないって」

「そうだけど」

「私は違うもん」

 

 ──それは、凄く怖いことだよ。幼馴染さんを松原花音として見ること、推しを白鷺千聖として見ること、それは俺の中で何もかもが崩壊してしまうような恐怖を抱いてしまった。彼女たちをそのままで見ること……それは()()()と同じだから。

 

「俺は……あの子で思い知ったよ。俺が俺であり続ける以上、アレを繰り返すことしかできないよ」

「そんなこと……っ」

「じゃあ()()は理解できるの? 俺がしゃべってること、ドルオタの話に!」

「──それは」

 

 思わず口から出てしまった言葉に、幼馴染さんは目いっぱいに涙をためながら声を詰まらせた。

 なんだか俺がとんでもなく悪いことをしてる気がする。気がするだけじゃないんだろうなぁとは思うけどもう、俺も後には引けなかった。話を聞いてはくれるけど、理解してるわけじゃないから。

 

「理解、できてないよ……でも、でもキミの話を聞きたかった。自己満足かもしれないけど、キミが話をしてくれるのが、嬉しかったよ……?」

 

 そんな優しさなんて、いらなかった……わけじゃない。俺はその優しさに救われたから。でもそれ以上に、幼馴染さんに申し訳ないって気持ちが強かった。昔からそうだ。まだドルオタじゃない時から、ただアニメやラノベの話をし始めた時から、松原花音って幼馴染さんはわからないながらも話を聴いてくれていた。

 ──カッコ悪いな俺、そういうのもう……()()()()卒業しなきゃだよな。

 

「ごめん……これからは、そういうのいい」

「え……まって、なんで……!?」

「もう大丈夫だから」

 

 幼馴染さんの目が見開かれた。今度は彼女の方が、何を言ってるのかわからない、理解できないというように困惑と疑問で埋め尽くされた表情をしていた。

 昔は割と喜んでくれてた気がするけどな。わかんねーのに無理して聞かなくていいよって言ったよな、確か。

 でも、なんかおかしい。なんというか、幼馴染さんはバグってしまったようにその場に呆けるだけだった。

 

「やだ……やめて」

「……なに?」

「──っ、や、だ……やだ、よう……っ」

「花音!?」

 

 息が苦しそう。それが過呼吸だと気付くのに少しだけ遅れてしまった。前後もわからなくなってしまったように、フラフラとそれでも俺に倒れかかってくる。すごい勢いで肩が上下するのに、むせて止まらない。見てる方が痛くなってしまうくらいだった。

 

「ど、どうすればいいんだっけ、えっとスマホ、スマホは……」

「や、だ……いか、ない、で」

「……花音?」

 

 検索しようとしたら、その手を握られてしまった。行かないで? なにを言ってるのかわからないけど、過呼吸は強いストレスを感じると起きるんだった気がする。つまりひとまず彼女は俺のせいで強烈なストレスを受けてしまったってことで、それを取り除けるのも俺だけだ。ええっと、こういう時はもうどうこう言ってられないよな? 行かないでって言われたんだ、離れないって意思表示をすれば大丈夫だよな? 

 

「大丈夫、大丈夫だよ……花音」

「ち、ろっ、くん」

「ん、俺だ」

 

 めちゃくちゃ恥ずかしかったけど、抱き留める恰好だったまま、彼女の後頭部と髪を撫でる。背中に手を回してさすってあげる。

 すると効果はあったようで多少息が苦しさを帯びなくなっていった。相変わらず呼吸の吸うと吐くが激しく早いけど、ひとまずストレスは軽減できたらしい。

 

「スマホで止め方調べるから、手、放していい?」

「ん、わ、かった」

「あんまりしゃべんなくていいから」

 

 花音は小さく頷いて、俺の肩に顔を埋めた。苦しいことに変化はないよな、強制的に呼吸させられるんだ、相当負荷がかかるだろうし、激しい呼吸は急速に脳の酸素を奪う。時間が経ち過ぎたら頭痛だってするし辛いだろう。

 ──えーっとなになに? 過呼吸は体内の二酸化炭素が急激に減少することで引き起こされ、呼吸中枢によって呼吸が抑制されて息苦しくなる。この息苦しさを脱しようと更に呼吸をしようとしてまた二酸化炭素が減少、悪循環になる症状……じゃなくて、もうこの際概要はどうだっていいし、解決法はどこだよ! 

 

「あ、あった……ええっと、ストレスを和らげた上でゆっくり深呼吸させること……花音、ゆっくりだって」

「う、ん……すぅ、っ、はっ、あ……んっ」

「……だ、大丈夫?」

 

 こんな時になんですが、声がアレなんだけどどうしたらいいと思いますか男性諸兄? 元々さ、花音って甘い声質してるじゃん? それが若干……んっと、嬌声? っぽい高い声を上げられると精神的に悪いよね。ううん、この危機的状況の中俺の変態さ加減はいつも通りでした、なんだか脳内の推しに叱られたよ。なにピンチの親友に発情してるのよこの変態と冷めた目もされてそうだ。いや喜ばないからね。

 

「……変な、こと、考えて、ない?」

「いいからゆっくり吸って吐いて」

「あ、あとで……いい、わけ、きくからね」

「頑固だな、ほら」

「すぅ──っ、はぁ……はぁ……」

 

 ようやく、花音の呼吸が落ち着いてきた。手が凄く冷たくなってるけど、血中の二酸化炭素が減るとどうやら血管が収縮しちゃうらしい。なるほどね、と思いながら温めるように手を握ってやると、嬉しそうに微笑んだ。

 

「えへへ……やった」

「何がやった、だよ。いや俺が悪いんだろうけどさ……こんな苦しんだくせに」

「だって、ち……えっと、キミからぎゅーってしてくれて、大丈夫だよって名前、いっぱい呼んでくれたから」

 

 まだやや荒い呼吸をしているけど、どうやら精神的負担はなくなったらしい。鋼鉄のメンタルって言ってたけど、やっぱり俺が関わるとどうしてこう脆くなっちゃうのかね? というか焦ってわたわたしたせいもあって俺汗かいちゃったよ。もう夏近いのに外でこんなに長くいたら夜でも熱中症になる時代ですよ。

 

「私も汗、かいちゃった」

「気を付けろよ、血管が収縮してるってことはより冷えたら風邪引くんだからな?」

「そうなったらキミに看病してもらおっと」

「……お前さぁ」

 

 やっぱ鋼鉄のメンタルだわ。それどころかお風呂入りなよと言ってくるくらいにはメンタル最強だった。両親いるとはいえ仮にも異性を風呂に誘いますか? 二人で汗かいたからお風呂借りますって言ったら弟くんの精神衛生上や情操教育に悪くない? 

 

「大丈夫、最近目を合わせてくれないから」

「反抗期か」

「うん、私のことすぐブスとかノロマとか、そう言うことばっかり」

「まぁこんなかわいい姉ちゃんいたらそうなると思う」

 

 美人でかわいい姉ちゃんだ。歳がそれなりに離れてるせいもあって幼馴染さんは家じゃ無防備だろうし、思春期には毒すぎるんだろう。中学入ったら間違いなく羨ましがられて、あんなブスとか言っちゃうんだろうなぁ。いいなぁ若いって。

 

「かわいい……そっか、かわいい、かあ」

「どうしたの?」

「キミも昔は私にひどいこと言ってたのになあって思ってさ」

 

 知りませんね。あれですよ若気の至りってやつ。あのな? ラブラブだとかもてはやされたら躍起になって誰があんなヤツとって言いたくなるもんよ。あんなのと結婚するくらいなら豚小屋で一生過ごすわとか言ってた気がする。反省。正直幼馴染さんと結婚できる男性めちゃくちゃ羨ましいと思いますはい。

 

「……ばか」

「なんで罵倒した今?」

「ばかだなあって思ったから」

 

 というわけで、何も解決してないけどひとまずは最悪の事態だけは避けたらしいことを俺は帰り道を歩きながらそう思った。

 ──はぁ、なるべくなら頼りたくないんだけど、これは風紀委員さん案件しかないな。どれだけ罵倒されようがなんだろうが、今日のイベントは俺一人で消化するには重すぎるんだよなぁ。

 ああそうそう、幼馴染さん宅では弟くんに姉ちゃんのパンツ、見たいんだろって水色の布を渡された。ちげーよ! そのままのパンツが見たいんじゃなくて履いてるのがいいの! まだお子ちゃまにはこのどうしようもない性癖はわからんだろうがな! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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推しに推されるというか毎度押し倒されてるんだけど

 ──それは、俺が高校二年生になったばかりの頃。SNSで知り合ったヤツに教えられてアイドルグループというもののライブを見に行くことになった。とあることが重なって話題を呼んでるんだとか。

 曰く、現在ガールズバンドなるものが流行っている。アマチュアもプロも色んなグループがしのぎを削っている中生まれたアイドルとバンドの融合という新しい切り口である。

 曰く、女優の白鷺千聖がアイドルとしてそのメンバーになっているということ。

 そんなことを熱弁されたけど二次元に生きている俺からするとピンとこない話だった。ガールズバンドが流行りってのはお店とかでやたらと流れるから理解はできたけど、そもそも白鷺千聖って誰。なんか名前似てるの嫌なんだけど。

 

「千聖ちゃんのこと知らないの!? 子役からずーっとやってる女優さんだよ?」

「いや、俺ドラマとかこれっぽっちも興味ないし」

「はぁ……」

 

 そんな反応をされて俺は溜息をつかれてもなぁと頬杖をついた。興味なかったらダメなもんかね。オタクはこういう自分の思ったことしかしないからオタクなんだなと感じなくもないけど興味を惹かれない以上面白くないんだからねぇ? 

 

「というわけで、週末は見に行ってくる」

千紘(ちひろ)くんは、そうやってアタシを置き去りにしちゃうんだ?」

「……そういう言い方やめてよ」

 

 なんだかんだでもう四年も付き合ってるカノジョにそう言われちゃって、ちょっと嫌だなって思ったものの、恋人ってのはそういうもんだと諦めて埋め合わせのために手帳を開いた。バイトしなよって言われるけど、別に今お金がとか思ったこともないし。

 そんないつもの日常、いつものちょっとだけ退屈だった世界はあっという間に奪い去られるその、始まりだった。

 

「アテフリって?」

「要するに口パクってこと、演奏も歌も、予め録音したのを流してただけ」

「なにそれ、そんなのにお金を払わせてたの!」

 

 確かに、そういうのもわからなくないけど、アイドルなんてそんなもんでしょ。そうじゃなくて、俺が問題だと思うのは機材のトラブルなんてもので台無しにしたことだと思う。俺たちは楽しんでたよお披露目ライブそれが録ってるものだったとしても。

 

「わかんない」

「わかんなくていいよ」

「わかりたい」

「知らないよ」

 

 ウチのカノジョさんはどうしてこう、わからないことにも全力なんだろうか。いやいやおかげでいつも助かってるよ。ラノベとかアニメとか興味持ってくれてたし、なんなら一緒に視聴してくれたこともあるしね。そうやって中二病全開の時も、こうやって多少なり落ち着いた今も傍にいてくれる彼女が、俺は大切だなぁって思ってるからね。わかりたいならちょっとくらい説明はしてみるけど。

 

「うーん」

「わかんないでしょ?」

「そだね」

 

 まぁこうやって説明してもわかんないってなることも多い。でも今回の新しいものは大外れだったなと思っていた。このまま消えるようなジャンルだとそう思っていた。

 ──あの雨の日にチラシを渡されなければ、もしかしたら今でも流行っていくパスパレにあんなコンテンツ、なんて唾を吐いていたかもしれない。

 

「お願いします、パスパレ、ライブやります……!」

「……あ」

 

 それは白鷺千聖ちゃんだった。雨に濡れた手で必死に通りすがりに訝しまれながら……多少は張り付いたその、目のやり場に困ってしまう姿を見られながら、それでも必死に次こそはという思いを伝えていた。

 誘ってきたSNSのヤツはあれで愛想を尽かしてしまったらしく、断られてしまった。カノジョさんにも、やめときなよって言われた。それでも俺はあの雨の決意はそんな生ぬるいものじゃないと判断した。そして、真のパスパレの誕生を目撃した。

 

「ありがとうございました~!」

 

 ライブが終わって、帰り道。五人の少女たちがお見送りをしてくれた。雨に打たれていた彩ちゃんも千聖ちゃんもいた。手を振って達成感に満ちた表情をしていた彼女たちを見て、よかったと思っていると、千聖ちゃんが不意に俺の顔を見てあ、と声を出した。

 

「……来て、くれたんですね」

「あ、お……覚えて、いたんですか」

「ええ、はい……ありがとうございました」

 

 その万感の思いをこめた感謝の言葉に、俺は堕ちてしまった。この子は推せる、そんな風に感じることができた。

 この子のこと、もっと応援したい。そんな衝動に駆られるまま、俺はイベント情報や本人のSNSを追いかけるようになって……気付けばすっかりドルオタになってしまっていたのだった。

 

白崎(しらさき)、千紘……さん? ふふ、あはは」

「笑った! そうやって笑われるからバレないようにしてきたのに!」

「だって、あんまりにも似ているから……ふふ!」

 

 うっかり定期券に名前が書かれていて、それを知られた時には……今だと二つの意味でなんだけど、笑われてしまった。だからあんまり他人にも名前を名乗りたくないし呼ばれたくはないんだよね。特に幼馴染さんには昔ちひろちゃんって呼ばれてたから。千聖ちゃんとちひろちゃんってめっちゃ似てるでしょ。しかもちゃん付けされるとめちゃくちゃ女の子っぽい音だしね。俺としてはヒロって呼ばれるのが一番嬉しいところでもある。SNSの名前もそれだしね。

 これが俺と千聖さんが関わるきっかけ。千聖さんは丁度幼馴染さんから俺のことを聞いていて、パスパレで千聖ちゃん推しのオタクやってることも知ってたから、誰なんだろうって思ってたらしい。名前を認知されたのも、その名前が覚えやすかったから。でも、あの雨の日のことを確かに、彼女は憶えてくれていたんだ。すっかり害悪認知厄介キモオタに成り果てた俺にしてみれば、それだけで嬉しいことだ。

 

「あら、先に来てたのね」

「まぁ、多忙な千聖さんよりかは早いよ」

 

 あれから一年が過ぎた。なにやら色々と取り巻く環境が変わったような、そうでもないような。俺は退屈はしない日常を過ごしている。大切な幼馴染と、そしてプライベートで知り合ってしまった推しと。

 というかあんなことがあったのに、千聖さんは見た目ケロっとしていた。俺の方が若干目を合わせづらいんだけどなぁ。そう言いながらも呼び出されて推しの顔が見たくて来てしまうあたり俺もとんだマゾなのかもしれない。

 

「なぁに? 居心地が悪そうな顔ね」

「悪いんだけどね……この間のことで」

「気にしなくていいわよ。あの時はどうかしていたわ」

 

 どうかしていた、か。それじゃあやっぱり、あれもなかったことになってるのかな。

 ──それじゃあ私はどうなるの。白鷺千聖は、どうしたらいいの? そんな風に俺に抱き着いてきた彼女の言葉は、なかったことになってるらしい。

 

「それで、私は提案したいのだけど」

「なにを?」

「……今日、二人きりで少し過ごしたいわ」

「はい!? なんで?」

「なんで? 私はあなたになんと言ったか覚えてないのかしら?」

「え、どれ?」

「私はしばらくは私の気持ちを大事にすると決めたの。最低でも夏休みの間は覚悟しておくことね」

 

 自分の気持ちを大事にすることで相手に覚悟を強要するのはどうかと思うんだけど。でもどうやら、しばらく……少なくとも夏休みの間は自分の胸にある気持ちに嘘を吐かずに向き合うと決めてしまったらしい。その結果、こうしてアプローチをかけてきたというわけだね。推しに推されるというレベルを軽く通り越してる。正直困る。

 

「あの、幼馴染さんには?」

「もちろんナイショよ。だからこうしてバイトのない時に呼び出したじゃない」

 

 それでミスって彩ちゃんに動揺させられたせいであなたがそうして退路を断たれてしまったことに気づいてほしかった。いや気付いて振り返らないようにしてるのか。今日は彩ちゃんもいないし大丈夫だろうって計算なんだな。因みにいつもの如くナチュラルに脅迫をされることはわかりきっているためダメなんて言いません。

 

「すっかり、慣れてしまったわね。ここに来るのも」

「推しに慣れられるなんて、なんてコメントしたらいいのか迷うね」

「のたうち回って苦しんで死んでしまうくらい嬉しいって言えばいいわよ」

「よくないね」

「推しを独占できて嬉しくて飛び降りたい、というのは?」

「千聖さんは俺を殺したいの?」

 

 相変わらずの言葉の応酬が何故だか安心してしまう。あんまりにもいつも通りのテンションすぎてこの間の言葉が嘘なのかとか自分の気持ち、というものが俺が想定しているものと違うのではないかとかそういう余計なことを考えてしまうんだよなぁ。

 

「紅茶を淹れたら、隣へいらっしゃい」

「うん」

「今日はお土産も買ってあるのだから」

 

 手に持ってたのはケーキだったのね。紅茶にケーキ、ううんロイヤルな千聖さんにはめちゃくちゃ似合いますね、英語も堪能だし、これはもうクイーンオブロイヤルなのでは? 女王陛下って呼んだ方がいい?

 

「ふざけたこと言ってないで早くしなさい」

「はいはい、ただいま」

 

 コトンとカップを机に置いて、千聖さんにフォークを手渡す。ケーキかぁ。あんまり生クリームとか食べ過ぎるとくどくてダメなんだけど、と逡巡していたら、千聖さんに大丈夫よと口に突っ込まれた。

 

「……ほんとだ、甘さも控えめでくどくない、これは俺もイケるよ」

「でしょう? やっぱりここで間違いなかったわ」

「うん、おいしい」

 

 千聖さんは俺の反応に安心したように微笑みながら一口頬張った。あーっと、間接キスとあーんのダブルコンボをサラっとされてしまったことに気づいた俺はくどくない甘さ控えめの生クリームで胸やけしそうなんだけど。甘いよこれ、甘くて痒い。これラブコメアレルギーだ。

 

「千紘くん」

「──! はい!」

 

 初夏なのにカサつく肌を掻いていると急に、というか初めてプライベートの千聖さんに名前を呼ばれた。いつもは名前にさん付け、もしくはヒロくん呼びだったけど、この真剣な声音に俺は背筋を伸ばした。

 

「私は、あなたが好きよ」

「──そ、そっ、それは……以前のような興味がある、という意味で?」

「恋をしているの、あなたに」

 

 突然の……いや多分俺にとっては突然でも、千聖さんにとっては何度も何度も繰り返しシチュエーションを重ねてきて、万感の想いで口に出したんだろうと思うほど、ゆっくりとした口調だった。芝居がかってるわけでもない、飾らない素直な言葉。夢にも思わないよ。推しに告白されるなんて。

 

「返事は、いらないわ。この気持ちは……私がアイドルをするためには、芸能界で生き残るためには、捨てなければならないモノだから」

「……そう、だね」

「それにあなたは、付き合おうとは、言ってくれないでしょう?」

「……うん」

 

 わかっててくれてほっとしたけど、それでもやっぱりごめんね、千聖さん。俺は誰かを好きになるとか、カノジョとか、付き合うとか今は考えたくもないんだ。俺にあった四年という時間を全て……本当に全て無意味だと断じてきた、あの過去が過去にならない限り。

 

「ねぇけれど……二人きりの間くらい、止めなくていいわよね」

「な、なにを?」

「手を繋ぎたい、抱きしめて、抱きしめられたい。ずっとあなたに触れていたいという気持ちを、よ」

 

 抱きしめるのは無理だからせめて背中なら……と俺は譲歩した。お腹あたりに千聖さんの白くて、なんだか小さな手がベルトのように巻き付いて、彼女の体温が背中に伝わってくる。手に触れて重ねると、密着が強くなって、まるで我慢していたもの全てを吐き出すように、甘えられてしまう。

 

「おっきいのね、背中。あんがい姿勢もいいし、こういうところは変にオタクっぽくないわね」

「猫背は直してかないと怒られるからね」

「ふふ、言ったわねそんなこと」

 

 そうだよ。まだ最初の頃に千聖ちゃんに猫背は止めた方がいいですよって教えてもらってから頑張って矯正してたんだから。身長以上に大きくみられるようになって嬉しくて千聖ちゃんに報告もしたよ。そこからしばらくは二人でイベントの思い出話に花が咲いた。

 と、そんな時スマホが震えて、千聖さんがピタリと止まった。さっきまですごく笑顔だっただけに少し真顔が怖かった。

 

「んー? 次のイベント、移動手段はどうされる予定ですか? かぁ」

「次、というと遊園地の?」

「そう」

 

 パスパレ初の遠征ライブ。遊園地の運営と提供して地方に出てやってみようという試みなんだけど、まさか彼女から連絡が来るとは全く想像もしてなかった。このヒトは交友が狭いことで有名な子で、俺が知ってるのはSNSでの名前、あと顔も、一応挨拶くらいはしたことあるし。年齢が年下ってことと、危ないくらいパスパレに心酔してることくらいかな。

 

「女ね」

「女の子だよ、背は結構高くて大人びてたけど、中学生だったはずだよ」

「女オタは囲われるのが常でしょう? あなたも姫を守護する騎士の一人というわけね」

 

 それがなぁ。この子ガチすぎてみんなヒくんだよ。なにせ好きすぎてツインテールの髪色をツートンにしてくるくらいだし、それゆえに目立つし。ガチ恋勢よりガチだから界隈内ではパスパレのヤベー奴として知られてる。あとなんか最近ガールズバンドも始めたことを呟いてたね。

 

「その子なら知ってるわ。というかあんな目立つ子、認知できないわけないけれど」

「だろうね」

 

 やっぱり知ってた、箱推しだしなあの子と思いながら話を送られてきたダイレクトメールに集中する。特にまだ決めてない、と返事をすると即返事がきた。オタク並の速さ、俺でなきゃ見逃しちゃうね。

 

「え、マジか」

「どうしたの?」

「よければご一緒にどうですか、って。知り合いに頼んで交通費なしで行けるらしい」

「……死になさい」

「なんで!?」

 

 いや俺ぶっちゃけ交通費出したらグッズ買えねぇじゃんって死んでたからありがたすぎる提案なんだけど、当の推される側に痛烈に罵られた。理不尽では? 理由を問おうとしたら、この間同様、また押し倒されてしまった。

 

「その子、顔はかわいい子よね?」

「え? ああまぁ確かに」

「──っ! バカ!」

「ええ……?」

「わかりなさいよ、私はいつだってあなたへの想いでどうにかなってしまいそうなのよ」

 

 そんな必死な顔されても、俺には何が何だか。あの子とはオタ友……ですらないんだよ。ただSNSで相互フォローしてるだけ。いやまぁここまでガチでパスパレ推しであの子とマトモに話す人物ってそう多くはなくて、だいたいは千聖さんが言ってた騎士さんたちばっかりなんだけど。

 ──尽くされるより尽くす方が、貢がれるより貢ぐ方が性にあってまして……オタクですから。

 困ったように、そんなことを言ったあの子に共感したから共に貢ぎ隊をやってるわけですよ。千聖さんが嫉妬するようなことはなにも、なにもないんだから。

 

「……あなた、貢がれてるわよそれ」

「ええ? そう?」

「推されてるのね、その子に」

 

 ああめっちゃ拗ねてる。というか前だったら物凄い冷たい顔で罵ってたくせに俺に抱き着いて離れないんですけどこのヒト。待って、あなたサド成分どこにおいてったの? そして俺はサドでもないからちさ虐とかそういうの可哀想で見てられないタイプだからね? 

 

「ええっと、こうすれば……いいですか?」

「ええ……ふふ、推しの髪に気安く触れるなんて万死に値すると思いなさい。人生最後の贅沢として、今の幸福を刻みつけておくといいわ」

 

 髪を撫でてあげたらいつもの勢いで罵られた。にやけながら言われてもイマイチ迫力には欠けるけどあれなんだね、千聖さんは余裕がないとサドじゃないファッションサドだったことが判明した。なんだそれ、一瞬ときめいたよ。

 

 

 

 



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やけに女っ気の高いイベントだね?

 俺は貢ぎ根性丸出しの気持ち悪いドルオタではあるが、それすらも負けている人物が一人だけいる。それはまだ中学生って言うんだから驚きだ。

 とはいえ、それほどかかわりがあるわけでもなかったその子に、俺は何故だか一緒にイベントに行くことを打診された。いや、SNSで次のイベントの話してたしそのせいかもしれないけど。

 

「ヒロ様! お待ちしておりました!」

「ど、どうもパレオちゃん」

 

 本名は知るところではないけれど、パレオ、というハンドルネームは知ってる。向こうも俺のヒロ、ってハンネを知ってるけど、様とつけられてしまうとなんだか変な気分になってくるね。

 腰が低くて、丁寧な女の子だった。ただそれゆえに最初にパレオちゃんを囲ってた人たちは大体、この苛烈なまでのパスパレへの愛に離れていく。まぁなにせ彼女、割と相手にもそのガチを要求してくるところあるからなぁ。

 俺はそんなガチ中のガチ勢のお眼鏡にかなってるってことなのかな。

 

「というか、用意してもらった車って」

「はい! コチラです!」

 

 うん? どういうこと? なんで後部座席に謎の広々空間があるの? なんで? そんな驚きをしているといかがされましたか? とピンクと水色のツートンカラーのツインテールを傾けながら訊ねてきた。いやいかがされたもクソもないんだけど。

 

「ヒロ様になるべく、快適な空間を提供できればと思いご用意致しました!」

「快適、なるほどね」

 

 鼻息荒く、パレオちゃんは前のめり気味に内装についてつらつらと説明を始めた。いやえっと、セレブ気分がもう既に怖いんだけどパレオちゃん。パスパレ関連にめちゃくちゃ羽振りがいいなと思ったら庶民感覚じゃなかったか。

 

「さらに! モニターには各種パスパレのライブも写せます! 完備でございます!」

「おお、てかモニターでか」

「はい! サウンドは巨大ステレオ! ライブのような迫力間違いなしでございますよ!」

 

 セレブ感覚のオタクってこうなんだなぁと思った瞬間でした。でもパレオちゃんの雰囲気ってなんかお嬢様ってよりは、メイドっぽいよね。物腰の柔らかさとか言葉遣いとかあとお辞儀の仕方が物凄い丁寧。いや貢ぎ根性の話はしてませんともええ。

 

「ヒロ様はこちらを」

「これは……」

 

 手渡されたのは黄色いサイリウム。持ってしまえばもう止められない。俺とパレオちゃんは車の中で、叫んでサイリウムを振り回してオタ活に勤しんでいた。やっぱり俺も彼女も生粋のオタクだった。というか多分顔を合わせて会話したことのある異性の中で唯一俺と趣味の範囲で話が通じる人間なんだよね。いつもは推しが多少は理解してるけど幼馴染さんとか風紀委員さんは全くドルオタの話しても伝わらないんだよね。だから思わず楽しんでしまう俺がいた。

 

「やはりヒロ様はオタクの鑑のようなお方だと思います!」

「そうかなぁ」

「はい! なによりもアイドルにまっすぐですから」

 

 アイドルにまっすぐであることか。そうじゃなくて俺は極度の陰キャだからオタ活にまで人間関係だとかそういうのをとやかく指摘されたくなくて好きなやつと好きなように推してるってだけ。だから俺が守るのは向こうが決めたルールだけ。マナーとかそんなんは俺がやりたいようにしかしないし。フラスタとか興味もない。

 

「フラスタ、以前も参加していませんでしたね」

「そりゃあね、俺は俺個人で千聖ちゃん推しやってるから」

「界隈に興味はない、と」

「そう。ましてや界隈にお金を払う意味も感じないし」

 

 フラスタなんて俺が至上としている千聖ちゃんからの認知には遠いものだし。俺が主催すれば話は変わるだろうけど俺そんな人が集まるほどじゃないんだよねぇ。それならそのお金でグッズ買うかCDをもう一枚買うよ。

 

「素敵なお考えです」

「いや持ち上げなくていいよ」

「何故です? 素敵だと思ったから素直に言葉にしたにすぎません。オタクである以上、目指す姿はヒロ様のような方だと思っております」

「オタクとして、かぁ」

 

 きっとSNSで発信したら即座にブーイングが飛んできそうな発言だなぁ。

 彼女はきっとそういう常識にはとらわれない子なんだなっていうのがわかった。自分が信じたものに、惹かれたものに一直線に進むというのは、少し……いやかなり羨ましいな。

 

「パレオは、ただ不器用なだけです。髪の色を変えるのも、他に方法を知らないからなのです」

「そっか」

「けれど、表現することは好きです! だから不器用なりに精一杯、パレオが信じることを全力でやろうと決めているのです」

 

 なんていうか、しっかりした子だなぁ。俺が中学生の時はなんっにも考えてないただの陰キャキモオタクだったし。表現することについて考えるとか、そういうことは考えようともしてこなかった。

 いや今も、あんまり考えてないよ。ただみんなに流されてミックス入れて、コールするだけだもんなぁ。それ以上になにか表現することが必要だなんて思ったこともないよ。

 

「ヒロ様はそれでいいと思います」

「ってかなんで今日は様付けなの? 前はさん付けじゃなかった?」

「今日はお客様ですので」

 

 なるほどね、お客様対応だとこうなると。やっぱり物腰がお嬢様じゃないよね。現地につくまで俺とパレオちゃんは車内でライブを堪能し、終わりましたら連絡を差し上げますと言って別々に歩きだした。今日は流石に遠征なこともあって俺一人だから話し相手ほしかったんだけどなぁ。なんだかんだで一人が嫌な俺は寂しさを紛らわせるためにSNSのTLを荒らしながらとぼとぼと歩いていると、ふいに知り合いの顔が俺をバッチリと捉えていた。

 

「あれ? キミがどうしてここに?」

「……いやそれ俺のセリフなんだけど」

「あなたは誰かしら? 花音の知り合い?」

「えっと、キミは初めまして……だよね?」

「ええそうね、初めまして!」

 

 片方の女性は何を間違えることのない俺の幼馴染さん。あとは隣の少女には見覚えがあるようなないようななのでとりあえず握手をした。誰だろう? 金色の長い髪が素敵な、まるで太陽みたいな子。幼馴染さんの知り合いに確か……ああ、ハロハピのメンバーさんか! 

 

「私はね、千聖ちゃんに遊園地の入場チケットをもらったんだあ。せっかくだからって」

「あたしと美咲はそれに付き添っているの!」

「みさき?」

「ああ、えっともうすぐ来ると思うんだけど」

 

 首を傾げながら、それが千聖さんの策略だということにはとっくに気付いているさ。あのひと、予防線張ったな? この間パレオちゃんからの連絡を知った千聖さんは二人きりにさせてはならぬと判断して監視役に幼馴染さんを付けた。どこまで幼馴染さんが知ってるかは……わからないけど。

 

「ところで──今日は女の子と一緒に来てるって聞いたんだけど……ほんとう?」

「一緒だったけど今は別れてるよ」

「そっかぁ……行き道、ずうっと二人だったんだ」

 

 あの、あのですね幼馴染さん? なんでそんな底なし沼みたいなハイライトの消えた目をしてるの? 瞳孔開かれるとめっちゃ怖いんですよ。わかっててやってる? うんわかっててやってるねこの子は。

 

「そっ、そうだけど、キミらはよく俺より早く現地にいるね?」

「途中まで新幹線で、そこから車だったから」

「……新幹線、羨ましい」

「うん、こころちゃんが車両一つ貸しきっちゃって」

「……はい?」

 

 うーんなに言ってるんだろう。新幹線車両丸っと貸し切りって、パレオちゃんのリムジンみたいな車にもびっくりしたけどそれ以上のマネーイズパワーを見せつけられた気分になった。弦巻マネーイズパワーシステムで俺も超絶レベルアップを遂げたりしませんかね。とそういえばこのお嬢様はマジで世界に名だたる名家のお嬢様だったことを思い出した。豪邸、俺もみかけたことあるし。

 

「それで、今日はなにか楽しいイベントがあるのかしらっ?」

「パスパレのライブ……だよね?」

「うん、そうだね」

 

 そりゃ幼馴染さんは知ってるか。そもそもここまで来ることを決めた情報リーク元が千聖さんだもんなぁ。金髪お嬢様はそれを聞くとキラキラの瞳をさらに輝かせてきた。どうやらパスパレのライブに興味をお持ちらしい。

 

「ごめんごめん遅くなって……って、ああ、どうも」

「どうも? えっと、初対面?」

「ですよ。って言ってもあたしは話を聞いてて一方的に知ってましたけど……彼女から」

 

 そう言って黒髪の女の子は幼馴染さんを差した。黒髪さんは素朴な印象でなんか、ほっとするなぁ。というのも知り合いの女性がみんなみんな個性的だからな。幼馴染さんも推しも、風紀委員さんも……パレオちゃんもそっちの部類だし。

 

「パスパレのライブに行くわよ!」

「まだ早いよお、こころちゃん」

「今からは物販だから」

「ぶっぱんってなにかしら? たのしいこと?」

「全然楽しくはないよ」

 

 お嬢様が何やら楽しくないのにどうして行こうとしているの? と首を傾げていた。楽しくないけど推しのグッズが欲しいからだよ。千聖ちゃんは割と人気高めですぐ売り切れちゃうし、会場限定生写真がほしいし。生写真は一人頭五種くらいの二十五種ランダムだけどな! 生写真は何故トレーディング要素あるのだろうかと小一時間問い詰めたいところではある。なにせ当たらなければ何をするってオタクに交換を申し出なくちゃならない。それで交友が増える場合も当然あるんだけど、まったくもってあれの交流に意味を見出せない生粋のボッチコミュ障なんよこっちは! 

 

「それなら、あたしが一緒に並んであげるわよ! ただひとりで並んでるだけなんて、つまらないじゃない」

「まぁそうだけど」

 

 それは金髪お嬢様が並んだからって面白くなることではないでしょう。と思っていたら幼馴染さんと黒髪ちゃんも並び始めて、特に幼馴染さんが肩を寄せてきて、近くにあるカフェやら途中にあったアウトレットモールなどの名前を出して俺の方を見てきた。え、俺もついてくの? 別に三人で行ってくればいいのでは? 

 

「はぁ……ばか」

「なんで?」

「いや今のは、言っちゃだめなやつだったと思いますけどね」

「そうなんだ……」

 

 よくわからないけど黒髪ちゃんが言うにはそういうことらしい。わからないなりになんとなく俺がいなくちゃ幼馴染さんは納得しないってことだけは察したので、後でパレオちゃんに帰りは大丈夫そうだってことを伝えておこうかな。多分ご令嬢様と新幹線だなこれは。

 

「あそっか、それじゃあ帰りは一緒かあ」

「よかったですね」

「うんっ」

 

 そう花が咲くように笑ってから、幼馴染さんはピタっとまるでそこで時が止まってしまったように笑顔のまま凍り付いた。なに、どうしたの?

 首を傾げて見守ってるけど、彼女は凍り付いたまま動かない。

 

「えっと、アイツなにしてるの?」

「あはは……嬉しいんですって」

「一緒に帰るのが?」

「そりゃ──って花音さん顔怖いから、落ち着いて」

「美咲ちゃん?」

「ああもうわかりましたから、そんな顔しないでください」

 

 二人はなんの話をしてるんだろう。けど同じ高校の一つ学年が違うはずなんだけど、やっぱり同じバンドのメンバーってだけで随分と距離が近くて楽しそうだ。なんだかまた幼馴染さんの違う一面を見た気がしたよ。

 

「どうかしら?」

「何が?」

「笑顔だわ! 楽しくなってくれて嬉しいわ」

「ああ……うん、ありがとう」

「ええ、どういたしまして!」

 

 確かに、金髪お嬢様が来てくれなかったらこうして幼馴染さんの一面を見ることもなかったし、しゃべってもなかっただろう。ただ無言でスマホを眺めながら物販に並んでるだけだったはずの時間も、楽しく短くなっていた。

 これが幼馴染さんが言ってた、世界を笑顔にするバンドのリーダーってことか。

 

「あの」

「ん?」

 

 目的のものを購入し……何故か金髪お嬢様まで色々と買ってたけど、物販に並び終わった俺は列から出たところで黒髪ちゃんに話しかけられた。改まってどうしたんだろうかと思っていたら、黒髪ちゃんは幼馴染さんの名前を出した。

 

「アイツが、どうかした?」

「いえいえ、どうかしたとかじゃなくて……なんて言えばいいのかな、年下で別にそういうヒトもいないあたしの意見なんて無視してくれて構わないんですけど」

「う、うん」

「あのヒトはホント暴走しがちなところあるから、感情とか行動とか」

「ああうん確かに」

 

 なんかすげー前置き長かったけどそれは確かにそうだよね。時折一人でずんずん突っ走っていってちゃうんだよね。でも俺はそんな彼女に助けられてばっかりだからなぁ。学校が終わってまっすぐにファストフード店に行って、すると丁度入ったばっかりの幼馴染さんに会って、終わるまで待ってから一緒に帰る。そんな日常に俺は救われたようなものだから。

 俺の心を抉った嘘を癒してくれたのは、幼馴染さんとの日常と、推しのイベントなんだよね、なんだかんだ半々くらいだ。

 

「なるほど、花音さんが焦れるわけだ」

「え?」

「いえいえ、こっちの話です」

 

 黒髪ちゃんの言ってることはあんまりわからなかった。

 でも、彼女が幼馴染さんのことを思って色々俺に何か言ってるんだなってことは確かだよね。最近友人の友人と話すことが多いからみんな案外誰かのために色々と考えてるんだなぁってことが発見だったりする。

 ──俺は、あんまりそういうのないなぁ。あ、強いて言うなら推しや幼馴染さんが一秒でも多く笑っていられるようにってくらいかな。そんなこと言うとまた、千聖さんにはバカねって言われそうだけど。

 

「あー楽しかったぁ!」

「あたしもとーっても楽しめたわ! ああやってみんなで声をそろえるのって楽しいのね! 今度ハロハピでもやってみようかしら!」

「あーそれもいいかも」

「そうだね、考えてみよっか」

 

 結局、ライブはライブでこの三人と一緒に観てしまった。宿泊施設は流石に別々だったのでパレオちゃんの車で向かっていった。明日はたまたま会った幼馴染さんやそのバンド仲間と出かけるから帰りは大丈夫ってことを伝えたら、少しだけ迷ったような表情を見せてからではっ、と前のめりになった。

 

「パレオもお供します!」

「え、ええ!?」

「ぜひぜひ、ヒロ様のお友達や幼馴染様にもご挨拶をと思いまして」

「え、いいのかな……って、ごめん、その前に電話かかってきちゃった」

「お構いなく!」

 

 番号は当然のように非通知……もう非通知が通知みたいなもんだ。俺はスマホを耳に当ててると、もしもしと声が聞こえてきた。いつものプライベートの推しの声だった。今日はパスパレも近くで宿泊&打ち上げだって日菜ちゃんが言ってたんだけど? 

 

『そうよ、あなたもどうせ近くで宿泊よね? ホテルの名前を言いなさい』

「なんでナチュラルに脅迫口調なんですかね?」

「ひ、ヒロ様、脅迫されているのですか!?」

 

 いや違……わないけど、千聖さんはこれがデフォだし最近なんだか仄かに慣れてきた感じある。マゾじゃないよ。

 でもそんなパレオちゃんの声が聴こえたらしい千聖さんが、めっちゃくちゃ不機嫌そうな声音を出してきた。

 

『ふうん、ハロハピを侍らせていたと思ったら、今度はまた中学生とフタリキリなのね』

「いや違わないけど違う」

『通報した方がよさそうね、紗夜ちゃんにも報告しておこうかしら』

 

 なんでそこで風紀委員さんの名前が出てくるんですかね!? あのヒトなら嬉々として通報しかねないからやめて! 俺のそんな様子を、少しだけおろおろと見守っていたパレオちゃんがふと首を傾げた。

 

「カノジョさんですか?」

「えっ、あ、いや違うよ」

『そうよって言いなさい』

「いや言わないし」

「違うのですか? 確か以前、いらっしゃると伺っていたのですが」

『え……?』

「──あ、それは」

 

 しまったそうだった。パレオちゃんは初期からのパスパレオタクで俺とも繋がりがあったから知ってるんだ。あの子、がどういう子で俺との間に一体なにがあったのかは知らないけど、いたってことだけは知ってるんだ。そして千聖さんはいたってことすら知らない、と。

 地雷を踏みぬいた音がした。さて、俺は一体これから千聖さんになんと言われるのだろうね。当然、聞いてないわよ、って言葉は入ってくるだろうけどさ。

 

 

 

 



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なにがどうなってるのかわからないんだけど

 とりあえずホテルにやってきた俺は、場所を伝えるとすぐにやってきた千聖さんに鬼の形相で迫られた。これにはさすがに正座だ。まぁ確かにずっと隠してきたことだもんなぁ。俺は大人しくしていよう。

 

「さて、説明してもらおうかしら? ()()()()

 

 因みに隣には幼馴染さんが同じように正座している。流石茶道部だけあってキレイな正座を見せてくれる。俺は既に足が痺れてきてるよ。

 じゃなくてね、話それたね。なんで千聖さんがこんなにお怒りかはわかってる方もいると思うけど念のため。

 ──元カノさんの話がバレました、以上。

 

「当然、知ってわよね? 花音?」

「う、うん……そりゃ、もちろん」

 

 なにせ中学の時に付き合ったことを一番最初に打ち明けた相手が幼馴染さんだもん。そりゃ知ってるよ。中一の途中から高二の夏になってすぐまでだからなんだかんだで四年近く付き合ってたんだよね。その間リア充だったのです、えへん。

 

「爆発四散しなさい」

「今は非リアでオタ充なんだけど」

「オタ充って言い方気持ち悪いわね」

「オタクはキモいんです~」

 

 俺と千聖さんの、なんか最近では見られなかったほっとするようなやり取りを幼馴染さんがおろおろと見守っていた。大丈夫、ではないだろうけど。今は幼馴染さんがいるから千聖さんもいつもの白鷺千聖を繕ってるだけ……だと思う。

 たぶん、二人でいたらまた別の空気になるよねぇ、きっと。

 

「やけに中学辺りの話を誤魔化すと思っていたら二人揃って、私に隠し事、ええそうそんなに私、信頼されてないのかしら?」

「信頼じゃなくてしゃべるとトラウマで精神がガリガリ削れるからしゃべらなかっただけなんだけど」

「……それも含めて、気になるじゃない」

 

 やだよ。なんで推しにこんな大して面白くもないどころか俺の顔が引き攣るような話しなくちゃならないんだよ。あ、幼馴染さんがしゃべらなかった理由は知らないよ? いやもしかしたらしゃべったら千聖さんが俺に向かうことを知ってて黙っていてくれたのかもしれない。いや、流石幼馴染さんは頼りになるね。

 

「……まさかあなた」

「え、えへへ……ごめんね千聖ちゃん」

「はぁ、いいわよ。私の仮説の穴を埋めるだけの情報は得られたのだし」

「うん、たぶん合ってる。だから私は……もう二度と誰にも渡さないって決めたんだあ」

 

 二人は二人でなにやら俺にわからない話をしていた。なんのことだろうと思ったけど女性同士の話に秘密はつきもの、ということらしいのでじっと黙っていた。ところで千聖さん、と幼馴染さんもホテルまでご足労をかけましたがお帰りは大丈夫なのですか? 

 

「ええ、同じホテルだもの」

「……は?」

「あ、じゃあ千聖ちゃん私とも一緒なんだあ」

「ん?」

 

 ナニイッテルノカ、ワカラナイ。

 うん? つまりパレオちゃんが是非、と勧めてくれた宿泊施設……いやビジネスホテルでいいんだけどと言ったのにもう予約しましたと押し切られたこの豪奢な高級ホテルは、金髪お嬢様……の傍にいた黒い服のおねーさんたちがフロア丸ごと貸し切った場所と、事務所が頑張ってフロア全部貸し切った場所とイコールなわけですか? 

 

「私たちは下の階よ」

「こころちゃんは眺めがいいからって最上階だったよお」

「つまりスイート貸し切りなのね……」

 

 恐ろしい。つまり打ち上げも下のレストランでやってたってことか。うわ世間狭いな! 俺がゴロゴロしてる間アイドルたちがそろって会食してたわけね。千聖さんはそういうのに出席することで、また新しい仕事が増えるのよと腕を組んでベッドに座った。

 ふむふむ、アイドルってしばしば枕営業がどうのって言われるけど、一般的にはこういうかたちなんだろうか。

 

「当然そういうのもあるわよ」

「えっ」

「私たちじゃないわよ、他のアイドルの話」

「……ああ、なるほど」

 

 いや心臓飛び出るかと思ったよ。当の千聖さんは俺のリアクションが面白かったのか予想通りだったのか、楽しそうに微笑んでいた。なんか機嫌直ってるのはなんでか幼馴染さん教えてよ。と思ったらお説教タイムは終わっていたようで既に幼馴染さんも正座ではなくベッドに座ってスマホを触っていた。

 

「なあに? 心配したの?」

「……なんでそんなに嬉しそうなのさ」

「さぁ?」

 

 というか話が終わったなら散ってくださいな。流石に事務所のスタッフさんとかに見つかっても俺はうまく言い訳もできないからね。

 千聖さんは少しだけ名残惜しそうにしていたけれど、チラリと幼馴染さんの方を見てからそうねと微笑んだまま手を振って部屋から出ていってくれた。はぁ……なんとか今日は許してくれたけど、またいつか元カノさんの話をしなくちゃいけないのかなぁ……胃が痛くなってきた。

 

「大丈夫だよ」

「そうかな、って近いんだけど」

「そう?」

 

 そう、とか言いながら更に近づいてくる幼馴染さん。最近ホンット距離感おかしいからねキミ。いや前々から、具体的に言うと小学校卒業するちょっと前あたりからこういうのは多かった。そりゃ子どもの頃はずっと手を繋いでたり、遊び疲れて二人してソファで寝てたりしてたらしいけど、小学校は流石に男女って意識が強くなっていくにつれて一緒に遊ぶけど、みたいなところはあった。でも、手に触れてきてみたり、肩に頭乗せてきてみたり、そうやって思わずドキっとしてしまう行動が増えてきたのが、そのあたりから。再会してからしばらくはなかったんだけど、また去年の冬あたりから俺か彼女になんかあると俺に触れてくるようになったんだよな。

 けどまるで小動物かのように、嬉しそうに俺の首辺りに顔を埋めて甘えてくるようになったのは、ほんの最近からだ。

 

「あの、さ」

「んー?」

「俺、この状況で正解が見つからないんだけど」

「こう、だよ?」

 

 幼馴染さんに右手を奪われ、彼女の頭の上に強制的に置かれた。えーっと?

 困惑してる俺に向かって幼馴染さんは撫でてと頬を膨らませた。ええ、俺がなの? なんかそれラブコメだよふえぇ、って感じだよね。

 

「私のこと触るの、嫌?」

「嫌じゃないけど」

 

 その訊き方めっちゃずるくない? そんなの嫌っていうわけにはいかないじゃん。髪とかサラサラでむしろ恥じらいとかなかったらずっとモフりたいくらいに気持ちいんだけど。ただね、相手が異性の人間だからさ。こんな毛並みの犬とか猫がいたら俺多分離れないよ。

 

「その褒め方は、なんか……嫌だなあ」

「え、あ、ごめん」

 

 どうすりゃいいんだよこの場合。どう褒めればよかったんだろうね。俺のこの濁った語彙力じゃどうにもならないよ。後は気持ちいとか? そう思案していたら幼馴染さんはもう、と溜息をついてからなんにも言わなくていいからと目を閉じた。

 

「キミは、なんにも話さなくていいよ」

「それって」

「私が知ってる限りを千聖ちゃんに教えてあげるから」

 

 正直、それは甘えてしまいたいくらいの魔力に溢れていた。でもそれでいいのかと思うわけで。いや話せるかといえばトラウマだし頭ぐっちゃぐちゃになって話せなくなっちゃうんだろうけどさ。

 

「でしょ? 私が……助けてあげる」

「……ありがとう」

 

 でも結局、こうなるんだよね。俺は意志薄弱なダメクソオタクだからさ。こうやって幼馴染さんに頼り切ることしかできないんだよな。

 本当に俺は俺のことが嫌いだ。どうにかして変えたいと思ったこの逃げ腰も、なんか最近特にひどくなってく気がしてる。

 

「大丈夫、大丈夫だから……ね?」

「……っ、俺、やっぱりあの時から、止まったまんま、かもしれない」

「そんなことない……前までだったら、こうやって私に吐き出してもくれなかったもん」

「それだけ弱くなってるってことかな」

「ううん、違うよ……」

 

 いつの間にか抱きしめていたはずが抱きしめられていて、頭を撫でられていたはずが頭を撫でられ、俺は幼馴染さんに、花音に向けて情けない言葉ばかりぶつけていく。元カノさんになにもしてあげられなかった後悔。何かできている気でいてひどく冷たい顔でバカにされたあの時の言葉、全部が俺から幻想を奪っていく。

 こんな男、千聖さんだっていつかは幻滅して目を覚ます。幼馴染さんだって、またすぐに違う好きな人を見つけて俺とは関わらなくなっていく。風紀委員さんだって、パレオちゃんだって、みんなみんな……こんなキモオタの傍に好んで近寄るはずもない。

 

「キミはどんどん前に進んでるよ。悔しいけど、私だけじゃなくて……千聖ちゃんのおかげで」

「そう、なのかな」

「うん、キミが気付いてないだけだよ」

 

 気付いてないだけか。なんて今はとてもそんなこと思う気にはならなかった。まだここでその通り、所詮はキモオタなのだから身を弁えなさいって言われた方がああそうだよなって思っちゃうくらいだ。そのくらい今の自己評価は最低ランクだ。マイナス思考が俺の身体を満たしていた。こうやって幼馴染さんに優しくされればされるほど、そのマイナスは俺を縛り付けていく。

 

「……ん、あれ」

 

 ぐるぐると回る感情に追い回され、体力が尽きたのかいつの間にか寝てしまったらしい俺が意識を取り戻したのは既に鳥の鳴き声と朝日が差し込む時間だった。やば、結局お風呂にも入らないまま寝ちゃってたということに気づいて流石に今日も出かけるんだからシャワーくらいはと思って身体を起こそうとして腕が重たいナニカに引っ張られ、倒れこんでしまった。

 

「……はい? え、え、なにこれ、どういうこと?」

 

 腕の重みの正体に視線を動かすと、そこにはキレイなスカイブルーの髪が散らばっていた。もちろん俺の髪じゃない。そりゃそうだその髪は……ちょっとウェーブのかかったふわりとした髪は……幼馴染さんのものだから。

 この子、かわいらしい顔で俺の腕枕で寝てらっしゃるんですよ。あり得なくないですか? 優勝してない。いくら俺の幼馴染さんがこんなに可愛くてもこれは大問題ですよ。

 

「んぅ……ちひろくん?」

「か、花音……お、お、おはよ」

 

 バレないようにそっと腕を引き抜こうとしたら、紫の花がゆっくりと咲いた。まずいこれはまずいですよ! というかまさかこんな朝チュン展開なんて望んでないでしょ。お酒とか飲んだわけじゃないのに昨日の寝た時の記憶がすっぽり抜けてるんだけどどういうこと? だが不幸中の幸いなことに起きたことで腕にかかっていた頭の重さがすっと軽くなった。そのタイミングで腕を抜いて、俺はシャワー浴びてくる! とベッドから抜け出し……その足元にあったものを踏みつけてしまった。

 ──えっと? この紫色のはなんですかね? パンツじゃないねブラだね。あとスカートと上に来ていたはずの服やタイツもあるね。俺は頭の中で引き算をする。ヘアアクセサリーは枕元にあって、衣服が……あ、この子パンイチですね。逃げろ! 

 

「シャワー……? あ、わたしも」

「待て待て、俺が先に浴びてくるから、いなくなるまでそのまま起き上がるなよ! 絶対に!」

「なに……どうしたの?」

 

 どうかしてんのはお前なんだよなぁ! 多分昨日は泣きつかれて眠ったんだろう。メンタル崩壊しちゃったしな? それに寄り添ってくれた幼馴染さんには感謝しかない。そう、ここまでは感謝しかない。

 なに人のベッドにもぐりこんで一緒に寝てる上に服脱いでるの? あれなの? もしかして寝る時の衣服は少ない方がよく寝れるタチの種族なの? 

 

「はぁ……はぁ……アイツ、バカ野郎」

「バカ野郎はどっちかしらね」

「そりゃウチの幼馴染さんでしょ……ん?」

「おはよう、お寝坊さん。浴室は左手、トイレは右手よ」

 

 洗面所では千聖さんが髪の毛を整えていた。なんで推しもいるの? 待って昨晩一体なにがあったの? 千聖さん確か帰ったよね。そういうと彼女は溜息交じりに荷物を取りに戻ったのよ。着替えをねと言い放った。着替え、つまり寝間着ですか。

 

「ええ、私が来た頃には既にあなたは夢の中にいたけれど、残念ね、推しのパジャマが見られなくて」

「ええそれは本当に残念だった……んじゃなくて、状況説明してほしいんだけど」

「その前にシャワー浴びてきなさい」

「はい」

 

 浴室に逃げ込み、ほどなくしてシャワーの音にまぎれて、まだ寝ぼけ声の幼馴染さんと、それを優しく介護する千聖さんの声が聴こえた。いや起きたら二人がいた、というのには一度遭遇してるけどさ。まさか同じ部屋にいただなんて考えるだけで背筋がカタくなってきそうだ。焦りですっかり時計を見ることを忘れていたけど、朝食の時間まではまだ少しあるらしく、千聖さんは花音もいるのだから早めに上がりなさいよ、と言い残して洗面所からいなくなった。つまり幼馴染さんも昨日風呂に入ってないということは、先に寝ちゃって、後で千聖さんはお風呂に入ったってことか。

 ──この浴槽に、千聖さんが……ごくり。っていやいや、そこまで変態じゃないよ。いっくらドルオタって言ってもね。推しが入ったってだけでお湯も抜けている浴槽を特別に見立てることなんてできませんともええ。

 

「随分と長かったわね」

「おはよお」

「お、おはよ」

 

 浴槽は冷たかった。お尻が冷たくて心が虚無になったよ。賢者タイムってやつだね。そしてそのテンションのまま俺は着替えて幼馴染さんと入れ替わった。ふぅ、女の子のバスタイムは例えシャワーであってもちょい長めというのは相場決まってるからね。ちょっと時間があるよ。その間に、千聖さんと話をしておかなきゃ。

 

「……それで、状況説明はしてくれるんだよね?」

「いいわよ、と言っても私がこの部屋に来た理由くらいは、想像つくでしょう?」

「そりゃもう」

 

 きっと俺のトラウマをほじくりに来たってことくらいは寝ぼけない頭で考えれば想像つく。でも俺から訊き出す前に既にメンタルがやられて寝てたから、きっと千聖さんは幼馴染さんと話をしていたんだろう。

 

「ええ……あの子から聴いたわ、あなたの話」

「そっか」

「色々納得したわ、あなたがどうしてそこまで自分を貶めようとするのか、どうして──」

「──わかったんなら、いいでしょ?」

 

 例え推しの声で、推しの顔が楽しそうだったとしても、その罵倒だけは聴きたくない。しゃべってほしくない。

 そこまで知ってほしいとすら思わなかった。やっぱり、俺は千聖さんとの距離間違えてるよ。

 

「どうして?」

「俺と千聖さんは、ドルオタとアイドル。机ひとつ分、ステージ分のスペースが適切だったんだよ」

「……っ、それは、そんなこと……!」

「俺にとって千聖さんは……あくまで推してるアイドルですから」

 

 これ以上、踏み込まれたくない。これ以上、千聖さんが俺を好きだとか言ってアイドルとしてよくないことをしているのを、見ていられない。じゃあどうしたらいい? 答えはすごく単純なことだ。

 戻ればいい。単純に千聖ちゃんを推していた頃に、単純にキモオタをステージから見下ろしていた頃に。柵に、折り畳みテーブルに、分け隔てられたその関係が俺と千聖さんにとってのベストなんだよ。

 

「そう、そういうことを言うのね……今なら理解してあげられる。あなたの言いたいことも、言わんとすることも」

「うん、なら──っ」

 

 ──さよならだ。という言葉は紡げなかった。頬に乾いた、じんとした痛みが走った。冷房で冷やされた頬が、熱くなっていく。

 平手打ちをされたことを、俺は理解するまでに数秒を要した。それだけされた意味がわからなかった。

 

「……なんで?」

「あなたは何も見えていないわ。わからない? わかる努力をしないのに、私のことを語らないで!」

「ち、千聖ちゃん……!?」

 

 幼馴染さんが慌てたように駆け寄り……叩かれた俺ではなく、叩いた千聖さんの肩に手を置き、心配そうな顔をする。

 千聖さんもそこで感極まってしまったようで涙を溢れさせて、幼馴染さんに抱きしめられるまま嗚咽を漏らしていた。

 

「ちひろ……私は、あなたの推し以外には、なれないの……?」

「ち、さと、さん」

「あなたは、私の、オタク以外には、なってくれないの?」

 

 その言葉が重かったのか、痛かったのか。俺はベッドに座り込むことしかできなくなってしまった。

 そしてなにより、泣きじゃくる千聖さんを宥めていた幼馴染さんの表情がなにも写していないことが、怖かった。

 

 

 

 



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彼の今と昔

 出ていく時に、花音からカードキーを渡された。これで入ってきてって、あそこは一応彼の部屋なのだけれど……あの子はもう。

 着替えや化粧道具を手下げに入れて、私が二度目に部屋に入った時、既に彼は夢の中にいた。

 あどけない寝顔、けれどその表情は……あんまり晴れやかとは言えないもの。

 

「えへへ、いらっしゃい」

 

 あなたの部屋じゃないわよ。そう言いたいのを堪えて愛想笑いだけをしておく。私は彼女に、親友である花音に彼を取り合うカタチでは絶対に勝てない。今日だって、過去の話は私だけが知らないうえに追い出されるように部屋を出され、その間になんの話をしたのか知らないけれど……悔しかった。

 涙の中で花音の腕の中で安心したように眠っているということが。私では、彼はそんな顔をしてくれないのに。

 

「随分と優越感ね」

「ん、千聖ちゃんにはあげないよ? 私の」

「その眼、怖いからやめなさい」

 

 備え付けのケトルでお湯を沸かして、彼をベッドになんとか運んだ私と花音はまるで喫茶店にいるような雰囲気で、話を切り出した。あなたたちの中学時代に、一体何があったのか。どうして花音が悲しみ傷ついたのか、どうして彼は元カノさんとお付き合いをして、そして別れたのか。詳細を教えてほしかった。

 

「カンタンだよお、あのヒトは私から千紘くんを奪った。でも千紘くんについていけなかった、それだけ」

「それじゃあ簡潔すぎてわからないわ」

「……私ね、中学入ったばっかりの時に、フラれてるんだ」

 

 フラれたって言っても告白したわけじゃないんだけど、と続いたけれどその言葉は少し衝撃的だった。花音のことを拒絶したのか彼からだった。その事実は今の花音に依存している彼からすると……印象が違うわね。

 

「そんなことないよ……根っこは一緒。だって、昔の千紘くんね、ラノベとかアニメが好きだった」

「ええ、それは……聴いたことがあるわ」

 

 千聖ちゃんに出逢う前は二次元オタだったんだ、って言っていた。パスパレに出逢ってドルオタに転向した割には生粋ね、なんて笑ってあげたけれど、それが花音を拒絶したのと何か関係があるのかしら? せいぜい俺は二次元しか愛せないんだキリッ、くらいの中二病とかそういう痛々しい笑い話ではなくて? 

 

「その言い方は酷いよお……まぁ、確かに小学校高学年辺りからオタクさんだったせいで女の子は気持ち悪がってたから拗らせてたけど……」

「生粋ね」

「染まりやすいんだよ、自分でハマった趣味に」

 

 ああそういうタイプなのね。これが一般的な若者なら流行に染まりやすい味気もなにもない男になっていたのに、どうして自分の趣味にこう一直線なのかしら。まぁそこがかわいいポイントでもあるのだけれど。推されて悪い気はしないというか、もっと構ってあげたくなるタイプよね彼。

 ──話が逸れたわね、明後日へ。

 

「あ、うん。でも私はほら、昔から千紘くん大好きだから一緒にいたくて話を聞いてたんだけど」

「……そうなのね」

 

 おかしいわ、今サラっとマウント取られたわね。本当に昔から、それこそ仲良くなってお互いの話をし始めた頃から隙あらば自分……ではなく幼馴染の話をする子だったわ。しかも最近だとこうして私を牽制してくる始末だし。

 でも、ああそうね。今の彼もその状況ならきっと同じこと言うわよね。彼は、千紘は最初、花音がわかってくれてるんだと思っていた。けれどそうじゃないことに気づき始めて、わかんないなら無理に話聞かなくてもいいよと優しく断ったのね。

 それがひどく彼女を傷つけることも知らずに。

 

「それがすっごく悲しくて、寂しくて……でも私は諦めたくなくて話しかけてて、そんな時に、あの子が現れたんだ」

 

 その子は、中学からの知り合いだった。当時サッカー部で即レギュラー入り確実だった千紘を追いかけるようにマネージャーに……!? 待ちなさい今なんて言ったのかしら? それ花音の誇張表現とかではなくて? 

 

「え、うん。サッカー上手だったんだよ。すごい怪我しちゃってからやめちゃったんだけど」

「……だから無駄に」

「そう、筋トレは日課だーって」

 

 また話がそれたわね、ええ確かにサッカー部の新人エース、なんて言われたらモテるわよね。顔はフツーだものね。フツーというのは芸能人並にいいわけではないけれどブサイクではないのだから。

 

「うん、それで……オタトークができるカノジョが欲しかった千紘くんは、その子と付き合ったんだ」

「オタクだったのね」

 

 納得したように息を吐くと、花音は悲しそうに首を横に振った。まさか……()()()()()()だった? 

 その言葉を花音は肯定した。彼が良いと言っていた本を借りて、必死に付箋塗れにするくらいには彼を振り向かせるために必死だったらしい。

 

「でも、それじゃあ」

「うん……怪我でサッカーもやめて、高校も別になって、多分もう冷めかけてたんだと思う……それなのに、更に千紘くんは新しい趣味を見つけちゃった」

「……ドルオタ」

 

 ドルオタ、アイドルオタク。彼はSNSで誘われてパスパレの……私たちのお披露目ライブに向かった。そこで他のオタクと同じように落胆していれば、よかったのかもしれないわね。

 あの雨の日、私は彩ちゃんの熱意にあてられ必死にビラを配っていた。こんなの無意味かもしれない。こんな努力をさらけ出すみっともないことをして、それでも来てくれなかったらどうしようか、そんな迷いを抱えながら、最初に受け取ってくれた相手が、千紘だった。ライブの後、出迎えで同じ顔を見た時、私は本当に安堵したのをよく覚えている。千紘が私を推してくれるようになったのはそれがきっかけというのだから、運命というのは不思議なものね。

 

「決壊しちゃったんだ。ほら千紘くん、自分の興味ないものにはとことん興味ないでしょ?」

「オタクだものね」

「うん、カノジョさんは千紘くんに流行りのドラマとか俳優さん女優さんとかそういうのを薦めてたらしいんだけど全部断られてたんだって。それも不満だったみたい」

 

 確かに、それは彼にも悪いところがあるわね。自分の趣味は他人に理解してほしいけれど他人の趣味は興味ない。そんなの怒って当然よ。私だってムカっとしてしまうわ。

 そこで、二人は別れた。実はアニメにもラノベにも興味がなかったこと、サッカーをしてたから好きになっただけで今の彼にはなんのいいところもないただのクソオタクだと罵って、優しい嘘を全て手のひらを反す形で一方的に。

 

「……それで彼は、自己評価が延々と低いのね」

「うん。拗ねてるだけだよ……そんなことないのに」

 

 自分には価値がない。ただアイドルを追いかけることしかできない無能だと、自分自身を縛り付けている。そしてなによりそんな虚飾(メッキ)すらも剥がれた彼は嘘をつかれることを極端に恐れて、表向きはなにもなかったかのようにヘラヘラとドルオタをしてるのね。

 ──なによ。あなたの方が……よっぽど嘘つきじゃない。バカね本当に。

 

「それで、花音はその子が、千紘の元カノが嫌いなのね」

「うん、大嫌い。その程度で冷めちゃうクセに、私から彼を奪って飽きて捨てたなんてさ……許せるわけないでしょ?」

「顔が怖いわよ」

 

 自分が泣き喚いてでも手に入れたかったものをあっさり手に入れて、冷めたからいらなくなった。確かに花音からすれば許されたものではないわよね。

 そのタイミングで、電話がかかってきた。麻弥ちゃんからの電話でもしもし? と出ると少し焦ったようにどこにいますかと言われた。

 

「なにかあったの?」

『ああいえ、マネージャーさんが千聖さんがいないと』

「⋯⋯言ってなかったかしら」

「ち、千聖ちゃん⋯⋯」

 

 私としたことがうっかりしてしまっていたわ。マネージャーに花音のところにいることを伝えてもらえるように言うと、麻弥ちゃんは花音さんいるんスかと前置きしたうえでわかりましたと笑み混じりで語った。なによその含み笑い。

 

「なぁに? 麻弥ちゃん?」

『い、いえいえ。ジブンは応援してます……とだけ』

「麻弥ちゃん? 待ちなさい麻弥ちゃん!」

 

 切れたわ。本当に待って欲しい、どこまで広まってるの!? 私ちゃんと隠してたわよね? 日菜ちゃんかしら? いえでもこの間正しい認識を教えたところだし。いえ、そんなことよりマネージャーにも一応連絡をしておかなくては。麻弥ちゃんへの伝言だけではなにか嫌な予感がするわ。

 

「ええ、はい。友人の部屋に、上の階にいますよ。はい……違います。あなたまでそういうことを言うのはどうかしてます。マネージャーとして仕事をしなさい。またお説教が必要かしら? ええ、はい。悦ばないで、本気で気持ち悪いわね」

 

 至極声だけは真面目にからかってくる性格の悪いマネージャーと電話で一通り悶着した後もう一度部屋にやってきた時には、花音は既に彼の腕を枕にして、彼を抱き枕にしてすうすうと寝息を立てていた。寝ても醒めても独占欲の塊ね、本当に。

 

「でも、私だって……欲しいのよ」

 

 彼に名前を呼ばれたい。千聖さんでも千聖ちゃんでもなく。優しい声で、愛おしい声で、抱き締められたい。

 全部許してあげたいし、アイドルとして、芸能人としてこんな最低な想いを抱いていることをいいよと言って欲しい。

 ──あなたがいるから私はアイドルなの。ただの推されているというだけで、そんなに何度も下着を見せるほど軽くないわよ……千紘。あなたはそれをどう思っているかわからないけれど。

 

「……帰るのも面倒ね、お風呂入ってそれから考えるとしようかしら」

 

 せっかくユニットバスではないホテルなのだから浸かりたいという思いでお湯を張っておく。それをぼーっと眺めて、お湯に私の気持ちを、思考を浮かべていく。

 どうしてあんなオタクを、私自身でも驚いているのよ、これでも。言ってしまうと鼻につくかもしれないけれど私は引く手あまたなのよ千紘。あなたより顔が良い人にご飯に誘われるし、あなたよりも性格のいい人からアプローチされたこともあるわ。それでも、それでも私が惹かれたのはあなたなのよ。

 

「そうよ……あの日、私たちを信じてくれたあなただからなのよ」

 

 それがわからないなんて、本当に……ほんっとうにバカなんだから。知らないわよ。私だって永遠にあなたを追いかけたりしないわよ? あんまりひどいと、他の人に靡くわよまったく。

 湯船に浮かぶのはいつの間にか彼の顔だった。笑った顔、怒った顔、寂しそうな顔、照れた顔。普段はのほほんとしてるくせに、私に会った途端によく動くところが好き。認知厄介勢でもなんでもいいから、あと少し、あと少しなのよ。

 柵を越えて私を連れ出して、折り畳み机を引き剝がして私の手を取って抱きしめて。私を、推しじゃないところに連れていって。

 

「……我ながら、センチメンタルでロマンチックね」

 

 まさか恋をしてこんな風になるだなんて思いもしなかった。もっとリアリストだと自分で思っていたのに、こんなに頭の中が千紘でいっぱいになるなんて。

 彼の前で泣いてしまうだなんて思いもしなかった。それが逆に私の中で彼でいいのだって気持ちの整理になったからよしとしているのだけれど……流石に下着姿になったのはやり過ぎたとあの日のことを思い返すと恥ずかしくなってしまう。

 ぶり返してしまった羞恥は洗い流して、洗面所でドライヤーで乾かしながらやや眠くなってしまい本格的に部屋に戻るのが面倒になってきていた。

 

「もう……ここで寝ようかしら」

 

 けれど問題はベッドが多少大きいとは言え一人分しかないこと。既に千紘と花音が占領しているのでこれ以上は狭いかしら。けれど見た感じ二人とも寝相がよさそうね……いけるかしら。

 ここで私はすっかり彼と一緒に寝ると後で羞恥に悶え後悔することになるということにまで頭は回っていなかった。化粧を落として、しかもよりによって私は抱き合う二人を見て唇を尖らせ、千紘の背中に顔を埋めてお腹に手を回した。

 

「……ふふ♪」

 

 それが私が覚えている私自身の寝る前の記憶。目覚めたら丁度朝焼けがキレイな時間だった。目の前が暗くてなにかしらと考えてから慌てて離れてから、布団を出て伸びをしてから足元にブラジャーが転がっているのを見つけた。これは……ひょっとしなくても花音のよね? ああ、あの子寝る時いつも薄着だったわね。下手をするとパーカーとショーツだけで寝てるって聞いたことあるわ。

 どうしようか悩んだけれど二人は……まだ寝かしておくわ。朝食の時間に間に合えばそれでいいもの。

 

 

「さて、またカードキーを借りるわね、千紘♪」

 

 マネージャーに連絡して、って寝てるわ……使えないわね。さておき部屋に帰ってジャージに着替えて、髪を整えて、バッチリ朝のランニングの支度を整える。こうやって少しずつ体力づくりはしているのよ。誰にもバレてない……とは思うけれど。

 一時間ほどしてから汗を流して、私服に着替えていく。そこで歯磨きの用具を彼の部屋に置き忘れたことに気づき、そっと部屋に戻ってついでに歯磨きをしたところで。部屋が騒がしくなる。起きたのね。そして目の前に花音がいて……しかも半裸だから驚いたのね。ふふ、面白い寝起きね。

 

「はぁ……はぁ……アイツ、バカ野郎」

 

 いらっしゃい。乙女が身だしなみを……丁度終わったところだけれど、その場に入ってくるなんていい度胸してるじゃない、とは言わないでおいてあげて、バカ野郎はどっちかしらねと言ってあげた。朝イチに居るとは思わなかった私が罵倒しちゃうのもほら、かわいそうじゃない? でもそもそも花音に抱きしめられたまま安心して子どもみたいな寝顔をしていて私がやってきたことにすら気付かなかったのだからこのくらいは許されるわよね? そう思っていつもの対応をして洗面所を出たところでショーツだけの花音に出くわした。

 

「あ……ちさとちゃん、おはよ」

「ええおはよう花音」

「ちひろくんは……?」

「彼ならお風呂よ、とりあえず顔洗いなさい?」

「……ん」

 

 シャワーの音が聴こえたタイミングで花音を誘導する。なんて刺激的な朝なのかしら。花音が彼の家に泊まった時よくなにもなかったわねと思ってしまうくらいだ。

 そこで、かごに脱衣された彼の服が目に止まった……私も散々見られて、もとい見せているのだし、少しくらい。

 いえだめよ。相手が見せられて喜ぶという変態というある種の上下関係のようなものなのだからここで彼と同レベルに落ち込むのはいただけないわ。けど、ああどうしてこうも気になるのかしら。

 

「ふえぇ……いつの間に私、脱いでるの……!?」

 

 今気づいたのね。身体を隠し慌てて洗面所から出ていく花音を追うようにしながら私は彼に花音もいるのだから早めに上がりなさいよと言っておいた。あといくら私が入ったからって浴槽に発情しないわよね? そんなにバカじゃないわよね? 

 

「……あげないよ。千聖ちゃんにも、誰にも」

「彼はあなたのモノではないわ」

「私が一番、千紘くんに必要なのは推しでも鞭でも、オタク仲間でもないもん」

「それを決めるのは……彼自身よ」

 

 とは言うけれど……きっと私ではないのでしょうね。わかっている。過去の恋に傷つき臆病になったのなら、まず私はありえない。

 ──私は芸能人(うそつき)なのだから。演技というものは、どこまで行っても偽物。涙も、恋も、笑顔だって。

 だったら私がすることはひとつ。演じてみせるわ。あなたに恋して、あなたに失望して他の誰かと幸せになるまで……当て馬になってあげるわ。

 だから……さようなら、私の好きな人。あなたのことを千紘とは、もう二度と呼ばないわ。

 



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幼馴染さんはあくまで幼馴染さんなんだよね

 モヤモヤする。胸がすっとしない。

 千聖さんに頬を叩かれたことが、じゃない。それはいいんだ俺が悪いってことくらいは理解出来た。

 でも、それでも推しは推しのまま推したいんだ。しょうがない。嘘をついて恋人ごっこをして……それが千聖さんの幸せになるとは思えない。だからこれでいいんだって思える。問題はそっちじゃなくて、その後。千聖さんはあの涙の後、朝食前に何事も無かったかのようにいなくなってしまった。

 

「……ねえ千紘くん?」

「な、なにかな?」

「折角美咲ちゃんがこころちゃん連れ出してくれたのにこの状況の説明してくれてもいいと思うんだけど」

「ええっと……?」

 

 とは言え現在は別件でピンチなのでそんな暇はない! 幼馴染さんがお怒りなのです……ふえぇ、めちゃくちゃ怒ってるよお。

 あのですね、原因は多分、目の前でニッコニコ笑顔でパンフ持ってるあの子ですよね。

 

「花音さんの飼われている服から察するにこちらがオススメかと!」

「……うんありがとう、えっと?」

「パレオのことはパレオとお呼びください!」

「パレオちゃん……あはは」

 

 そうなんだよ、パレオちゃんが案内人として名乗り出ちゃって、それが幼馴染さんには不満らしいね。初めて来る場所、しかも俺が慣れてないとなれば必定幼馴染さん必殺スキルが発動するわけで。迷子ですよ迷子。そうなれば黒髪ちゃんに申し訳が立たなさすぎる。金髪お嬢様? 知らん。ともあれこのツートンメイド、パレオちゃんがいることで助かってるんだけどなぁ。

 

「ばか」

「なぜ」

「気遣いはできてもデリカシーがないから」

「……はい?」

 

 なにを言ってるのこの子。その様子にパレオちゃんも疑問だったのか、到着したお店で服を選んでる最中幼馴染さんの隙を見計らって、こそっと耳打ちを……って近い近い!

 

「あの、パレオ、なにか粗相致しましたでしょうか……?」

「いや……してない。むしろ迷子スキル持ちの幼馴染さんをエスコートできてて尊敬する」

 

 難解でございます、と唸るパレオちゃんに安心する。よかった、なんだかこうやって幼馴染さんの言葉に首を捻る仲間ができたのかと思うと嬉しい。そしてこのパレオちゃん。有能すぎてそろそろ俺からもなにか返さないといけないよね。

 

「なにか買う? 俺のお金の範囲で……ならなんだけど」

「え!? いえいえ! お気遣いいただき恐縮でございます……! ですがそのお金はヒロ様が推しのために汗水流して手に入れた推しのためのお金! パレオなんかにはもったいなさすぎます!」

 

 超全力で断られた。まぁパレオちゃんお金持ちっぽいし。俺の雀の涙じゃダメだよな。けどなぁ、俺は元々貢ぐことのほうが性に合うし、こう貰いっぱなしというのは居心地が悪いんだよ。

 

「……それでしたら」

「お、なんかある?」

「せ、僭越ですが……よくやった、と言ってもらえないでしょうか?」

「ん?」

「ああいえ、出過ぎた真似でした! お忘れくださいませ!」

 

 えっと? あせあせと俺から目を逸らすパレオちゃん。よくやった?

 ああなるほどね。なんだそんなことなら無料であげられるよ。しかもよくやった、だなんて上から言えるほど俺は偉くないから。

 

「ありがとう、パレオちゃん。飴もあげとくね?」

「──っ! パレオ、感激しております!」

 

 うーん、犬だ。犬系だよねこの子。こう小さなことでもはしゃいで喜んでくれるところとか、モフってあげたい。あげたいけど我慢しよう。彼女は犬系というだけだからね。女の子の頭モフったら通報されちゃうもんね。

 

「ああどうしましょうパレオには既にご主人様、チュチュ様が……! ああでもヒロ様をご主人様とお呼びする手も……! いけません、いくら魅力的とはいえ申し訳ございません、浮気者なパレオをどうか蔑んでくださいチュチュ様……!」

 

 気づいたら怖いことになっていた。チュチュさま?

 やっぱりパレオちゃんも変な子だなぁ。半分以上言ってる事の意味がわかんないんだけど、そのわかんないってのがヤバいんだよね。

 パレオちゃんはそこでショートしたらしくしばらく頭を冷やしてきますと外に出ていった。ああ、俺を一人にしないで……! 

 

「千紘くん、ちょっといい?」

「ん?」

「ねね、見て見て、どう? 店員さんにオススメされたんだけど」

 

 幼馴染さんに呼ばれてフィッティングルームの方を向くといつもと違う雰囲気の彼女がいた。語彙力ないからかわいいとか似合うくらいしか言えないけどかわいいし似合ってる。肩が出てる青白チェック柄の膝上ワンピースにウエストには大きなバックル。ヒールのサンダルと麦わら帽子が似合いそうな雰囲気だ。うんうん、今夏だもんね! 夏だしね!

 

「そ、そう……? えへへ、よかった。他にもね、色々あって例えばさ」

 

 褒められて嬉しかったらしい幼馴染さんはぴょこぴょこと跳ねそうな勢いで色んな服を持ってくる。あれあれ、さっきの不機嫌は? どこ吹く風といった感じで、かわいらしい服を見せてくれる。

 けど、なんでかな。全部スカート短い。夏の薄着でそれじゃあ……パンツ見えちゃうよ? 

 

「見たいの?」

「いや見たいわけではないよ?」

「千聖ちゃんのは見たがってたのに?」

 

 推しのパンツはそりゃね? 見たいよ。推しのパンツだもん。あと今朝のブラ踏んじゃった事件は忘れてないからね。そういうと、幼馴染さんは頬を赤らめて見られちゃったんだよね……と胸元を腕で隠した。

 

「待って見てない」

「嘘はダメって約束は?」

「いやマジで! 見てない!」

「……本当に?」

 

 嘘つかないって約束してるのに疑うなよ! 上体を起こす前に気づいたから見る前に逃げたんだよ! そういう意味だと下着よりヤバいもん見なくてセーフだったからあそこにあったブラはナイスプレーってとこだな! 

 

「あ……でも昨日の下着の柄、知られちゃったんだ」

「え、いやあの……あのですね……」

 

 なにそのリアクション。そんな真っ赤になって俯かないでよね!? 

 そりゃね? そうなんだけど、そこまで恥ずかしそうにされると俺まで思い出して照れちゃうわけで、あのあの、ごめんなさいお金なら払うんで!

 

「えっとね、怒ってないよ? だいじょうぶ」

「いやむしろ怒ってくれた方が俺の精神状態がいいまである」

「ふえぇ……!? や、やっぱり、そういう趣味が……」

 

 ありません断じてありえない。ここでいいよなんて言われると脳裏に推しのイタズラな笑顔が思い浮かぶだけで。それはそれでいよいよ推しのパンツ見すぎてて末期だなとか思うけどね? 

 そんなことを言っていると幼馴染さんがむっと頬を膨らませた。え、なに、なんか不満があるというの? 

 

「あるよ」

「え、あるの?」

「うん」

 

 あるんだ……そう思っていたらぐいっと手を引かれて、フィッティングルームに連れ込まれた。驚く間もなく、幼馴染さんはしーっと俺の鼻に指をあててきた。いやいや、なにしてんの? 狭い部屋に幼馴染さんに押し込まれて……って幼馴染さんもいるけど。というか何が狙いなの? 

 

「あの下着ね? 卸したての新品だったんだ」

「え、えっと?」

「……どうだった?」

 

 ど、どうだったって……感想訊いたらダメなやつでしょ。そもそもブラ単品でしか見てないしそれじゃあどう頑張ってもレビューしようがないしそもそもレビューしないからね。女性の下着に感想とか変態の所業でしょ! やったことあるけどさ! 

 

「そうだよね……見られないと、感想言えないもんね」

「う、うんそう、だから……」

 

 言い訳をしたところで気づいた。なんで幼馴染さんはわざわざ俺をここに連れ込んだんだろうか。それにはとある理由があるからではないのか。

 見ないと感想が言えない。それは逆を返すなら……()()()()()()()()()()()()()()と彼女が考えていたら、どうだろう。

 

「待って、待て待て、そんなことが許されると思うの? ねぇ、こうなったら俺のほうが立場危ういんだけど?」

「そうだよお、だから……静かにね?」

 

 ああ、やっぱそこまで織り込み済みだったってことか。幼馴染さんは俺をフィッティングルームの奥まで……入口から一番遠いところまで押し込んで、今日はね、と一歩俺から下がった。

 おかげで視界に膝下まで視界に入るようになって……ピンクのかわいらしいスカートをめくりあげて、黒色のそれをどうかなと見せつけてきた。

 ──レースで透けるように見えるような黒にピンクのリボン、それはまるで幼馴染さんの心なのではと感じていた。

 

「……なんかさ」

「うん」

「ピンク色とかかわいらしいカラーの中にある黒って……幼馴染さんの本性?」

「そうかもね」

 

 あっさりと、まぁ当然か。俺には嘘をつかないって言ってるもんね。俺の言葉ににこりとほほ笑んだ。

 やっぱり怖い子だよ。俺は前々からそれは感じていた。時折、彼女から冷気のような恐怖を感じることがある。その正体がきっと黒色の下着なんだろう。この子は天使なんかじゃないんだなってことがその下着に現れてる。

 

「……千聖ちゃんにはあげないよ」

「な、なにが?」

「キミの一番」

 

 ぞわっとした。確かに怖さがあるヤツだったけど……え、こんなに昏い目をするような子だっけ。キミの一番って、俺は……そっか俺は幼馴染さんの一番近くにいて、幼馴染さんは俺の一番近くにいる人だから。それが変わることを、恐れてるのかな?

 

「そっか」

「え?」

「だからそんな怖い顔するんだね」

 

 ふと納得してしまった。幼馴染さんは恐れてるから、怖いんだ。

 臆病で、怖くて震えていて、それでもそれが誰かに伝わらないように必死に……俺はそんな恐怖を彼女に強いていたんだな。

 ──俺のこと、ずっと好きだったんだね、花音は。

 

「……え、あ……」

「わかった。納得した……花音は俺のこと、ずっと恋人になれなかったから、そうやって怖いんだね」

「……う、うん」

 

 認めてしまえばこんなに楽なことはない。今までの幼馴染さんの行動全部がその一言に詰まっているから。

 だからこそ、俺は彼女を優しく、とっても優しい言葉で拒絶する。

 

「ごめん、俺はお前のこと、幼馴染さんとしか見られないんだ」

「……っ、なんで」

「なんで。それが俺にとって一番だからだよ」

 

 ずるい言葉だよな。俺だってそう思うよ。でも仕方ないじゃん。例え推しが俺のことを好きになったとしても推しはあくまで推しでしかないように、俺にとって幼馴染さんは幼馴染以外には見ようがないんだよ。どれだけ好きと囁かれても、それは俺にとって苦しいだけだ。だれかに好かれるようなヤツじゃないし、クソオタクだよ? 延々と推しに貢ぐだけのクソ野郎に、幼馴染さんみたいな子が惚れていいものじゃない。

 

「そんなこと……言わないでよお」

「ごめん、俺のわがままだ」

 

 店員にバレないようにフィッティングルームから出ていく。また、俺は傷つけて失望させて生きてく。

 どうしてこうなったんだろうか、俺は俺のまま……ただのオタクとして。それじゃダメなのかな。

 

「あ、ヒロ様……雨が」

「ホントだ」

「パレオ、傘買ってまいりますね!」

「……うん」

 

 独りにしてほしかったから、頷くことにした。雨に打たれるのもいいけど、そうしたらパレオちゃんに心配されてしまうよ。でもやっぱりちょうどよかった。きっと今の俺は、まるで雨に打たれたみたいな顔してるだろうからね。そうやって一人で放心していたら、どこかで見たことのある男が、幼馴染さんの手を引いていた。

 

「……え?」

「あっ……千紘くん……!」

「どけ」

「え、ちょ!」

 

 無理やりどかされて、俺は茫然とそれを見守ることしかできなかった。一体なにがあったのか全くわからないままで、幼馴染さんが一瞬だけ助けを求めるようにこっちを振り向いたことで漸く彼女が、なにがなんだからわからないうちに連れ去れていってしまったことに気づいてしまった。

 

「あれ誰、なに? なにがあったの?」

「なにぼーっとしてるのよ! 追いかけるわよ!」

「ち、千聖さん!?」

 

 なんでここに千聖さんがという疑問は後にして、俺は千聖さんについていく。正直何がなんだかわかってない。わかってないけどとにかく今は推しの必死な顔から緊急事態だということを察することしかなかった。

 

「あの男……! やっぱり見間違いじゃなかったわ」

「誰、だったの?」

「バカね! 水族館であなたもあのいけすかない顔を見たでしょう!?」

 

 超絶お怒りの千聖さんの言葉に俺は重く鈍りすぎてしまった頭でもようやく彼がなんなのか、そしてどうして幼馴染さんを連れていったのかがわかった。

 え、痴情の縺れにしてはすごい事件の予感がするんだけどこれ推しのパンツがどうのって話じゃなかったっけ!? 

 

「そんなの後でいくらでも見せてあげるわよ、花音が無事ならそれで!」

「いやあの、それは幾らなんでも自分の下着の価値がわかってないんじゃ」

「わかっているわよ。私が自らスカートをめくってどうぞとオタクに見せる価値なんてオタクの人生狂わせるくらだってことは私が一番わかってるわよ!」

 

 前例いるもんね! でもつまりはこれを放置しては俺のちっぽけだけど大事な人生が狂うくらいの事件ってことだよね。たぶん、千聖さんはそういうこと言ってるんだよね? 

 ええそうよって言ってくれるほど余裕がないから確認のしようがない。千聖さんが語ってくれたのはあれが水族館で見た幼馴染さんの元カレさんってこと、この間の遊園地でもなんならホテルでも姿を目撃していたこと。

 

「なにより陰キャで友達もいないボッチコミュ障の気持ち悪いドルオタに負けたってことでプライドをズタズタにされてストーカーになるようなゴミ男よ、なにするかわからないに決まっていたのに……! 私としたことが、周りが見えてなかったわ」

 

 俺のことで頭がいっぱいだったとのたまう千聖さん。待ってこんな状況なのに照れてしまったよ。俺もしかして緊張感ない? そして俺は今日の幼馴染さんの行動でこれにも気づけた。そっか、元カレを振ったのは、振れたのは俺が元カノさんと別れたからってのが根底にあって、幼馴染さんの元カレはそれを知ってたんだね。俺だけ今更この事実に気づいたよ。

 

「あ、千聖さん、パレオちゃんを置いてって……!」

「はいこれ、通話つながってるわよ」

「スマホ? えっともしもし?」

『はーい! パレオでございます!』

 

 なんで千聖さんがパレオちゃんの連絡先を知ってるのかはこのさい置いておこう。というかパレオちゃんどこにいるの? と問いかけると花音さんを追いかけていますです! と言った。

 

「え、行動早!」

『行動力と思い切りがパレオの強みですっ!』

 

 そう言ってまるで犬のような息を吐きながら……ええ、走ってるのね。走ってるのに息が切れないようにしゃべる方法知りたい。俺もキーボードやったらできるようになる? もしかして二面背面当たり前にできなきゃ無理? あ、じゃあできなくていいや。

 

「花音に」

「……ん?」

 

 あの、あなたもですか。そういうツッコミはさておき、千聖さんはちひ……と何かを言いかけて言葉を切った。代わりに深い深いため息を吐きながら花音に告白された、もしくは気づいたのねって言ってきた。

 

「どっち?」

「気づいた、ほうだけど……」

「……そう、そうじゃなかったら今すぐあなたの鳩尾にグーで殴るところだったわ」

「……殺す気?」

 

 ええそうよと言われてぞっとした。この人怖いよバイオレンス! だよ。暴力の記憶だよ。それから次は足を見て平気なのと訊ねられた。ああ知ってるんだっけ。平気平気。実は選手生命が断たれるほどじゃなかったんだ。ただ入院してる間に読んだラノベが面白すぎて前よりももっとオタクにのめりこむようになったらどうでもよくなっちゃっただけだから。

 

「……あなたって本当にバカなのね」

「ひど」

「最後の質問よ」

 

 こんな時に質問攻めってどういうことなのと思ったけど、ふとこんな時じゃなきゃダメだったのかもと思ってしまう自分もいた。

 だから俺は黙って千聖さんの声に耳を傾けた。

 

「花音と、付き合うの?」

「……幼馴染さんは、幼馴染だよ」

「そう」

 

 千聖さんに向けた断り方と同じもの。でも俺にはそれがすべてだった。千聖さんは推し。推しは推しのまま、推しとして推したい。でもパンツは見たいって思ってしまうところがオタクの悲しいサガだけど。さっきの幾らでも見せてあげるにも若干ウズっとしてしまった調教された俺もいることだし。

 そしてそれと同じようにどうあっても、幼馴染さんは幼馴染のままで俺も幼馴染さんの幼馴染でいたい。だから正直パンツは見たくなかったよ。男女ってことをどうしても意識しなくちゃいけなくて、それを取っ払うのは無理だからね。

 ──千聖さんはそれ以上なにも質問はしてこなかった。ただ一言、本当にバカなのねと悲しい目で言って、また幼馴染さんを追いかけることに集中していった。

 

 

 



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思っていたことと何もかもが違っていた世界

 緊急事態です。本当に緊急事態です。幼馴染さんが何物か、ああいや元カレさんなんだけど、その元カレさんに連れ去られていきました。出かけ先でなんでか知らないけどそんな事件が起きてしまうなんて、本当にお相手の行動原理が全く理解できないところにあるよ。

 

『こちらパレオでございますヒロ様どうぞ』

「……パレオちゃん実は楽しんでないかな?」

『そんなはずありません! パレオは純粋に、それは純粋なまでにヒロ様のお役に立てるという喜びに満ちておりますよ!』

 

 いやそっちじゃない。あの、俺じゃなくて本来の飼い主の元へおかえりください。中学生が飼い犬なんてパレオちゃんに首輪じゃなくて俺の手首に輪っかが嵌りますよ? あのというかそこまで緊張感ないのはなぜ? 

 

「相手が犯罪を犯すほど根性のある男なら私だってもう少し焦ってるわよ」

「いやすでに拉致やストーカーは十分犯罪かと」

「私が言ってるのは強姦や殺人といったのっぴきならない犯罪のことよ」

「ああ、そう……」

 

 あのね、幾ら通常モードとはいえね? 千聖さんは推しなんだから推しの声で強姦とか殺人とかそういうのやめようよ。

 口に出さなくていいことだと思うんだよ俺はさ。

 

『ただいま正面入口付近の駐車場で揉めていますですオーバー』

「私たちが到着まで監視に専念しなさいオーバー」

「あの? やっぱり遊んでない?」

 

 オーバーじゃないが。もしかして本人も知らない千聖さんの中に潜んでいたミリタリーオタクの性が顔を出してるのかな? ソ連軍歌とか歌わないでね? 

 あとパレオちゃんはそろそろご主人様増やすのやめようね。

 

『推しはご主人様足りえません! 敬愛すべき神に他なりません!』

「いいわね、ついてきなさいパレオちゃん」

『イエス・マム! 聖戦の勝利は常に女神たる貴女に──!』

 

 もうやだこの二人。シリアス時空に帰して。俺前回までの幼馴染さんに告られ断ってどうのっていうちょっと重い話をしたいよ!? あなたたちはシリアス保たないの? もうちょっと雰囲気変えてこ? 空気を読むことがオタクにとって必要なスキルだよ? 

 というかそもそもパレオちゃんって隠密スキルなさすぎでは? だって髪色ツートンツインテじゃん明かにオタクとして悪目立ちするための色してるじゃん。

 そう思っていると前方に前述の髪色が様子を伺ってる姿が見えて……うーん目立ってる。

 

「ちっ、千聖ちゃん……ほんものの千聖ちゃんです……すぅ」

「おいこらそこのドルオタ? 近くにアイドルがいたくらいでめいいっぱい空気を吸って同じ空気味わおうとするな? せめてその至近距離のご尊顔を脳内メモリギリギリ限界まで使って保存しておくくらいで留めとけ?」

「あなたも同類よ?」

 

 はい同類でした申し訳ねぇ。じゃなくて、今はそれより緊急事態なわけで、あんまり緊急感してないなこの二人のせいで。俺もギャグ時空に飲まれかけてる。

 幼馴染さんがピンチなことに変わりがないんだから俺がなんとかしなきゃ。

 視界の先には何やら言い合いを続けている幼馴染さんとその元カレさんが見えた。

 

「待ちなさいクソオタク」

「は……ってぇ!」

 

 ひ、ヒール! いや推しでもありえないんだけどヒールで足の甲踏んだな!? 止め方まだ色々あったでしょ! 恨みの視線を千聖さんに向けると、静かにしなさいようるさいわねと怒られた。くっそ理不尽だね、ありえないくらいにどうしたらいいのかわからないくらいなんだけど。

 

「な、なんで、行かないと……」

「落ち着きなさい」

 

 落ち着けないでしょ! 

 幼馴染さんのこと考えたら今すぐにでも、そんな逸る気持ちを千聖さんは毅然とした態度で諫めてくる。

 

「無駄な正義感を晒すのはいいけれど、殴られでもしたらそれこそ花音が悲しむわよ」

「け、けど……じゃあどうしたら」

 

 確かに幼馴染さんが悲しむことになったとしてもさ。それで怖い目にこれ以上遭わないならそれに越したことはなくない? ヒーローになりたいわけじゃないけど、ここは敢えて殴られにいけば……その隙になんとかならない? 

 

「バカね、大バカよ、バーカバーカバーカ」

「ヒロ様はもう少し、自分を大事になさってください」

 

 しかし女性陣の反応はけちょんけちょんもいいところだった。というかなんか小学生みたいな煽り方してくる推しがいた気がする。気のせいじゃない。なんとかなるかならないかと言ったらなるけど、そんなものを誰も求めてない、ということらしい。パレオちゃんが優しく教えてくれた。パレちゃん推せる。

 

「……は?」

「ち、千聖さん顔怖い」

「これだから陰キャ童貞キモオタは」

「ヒロ様、いくら静観すべしとは言え、緊張感持ったほうがよろしいのでは……?」

 

 うわーん! なんかパレオちゃんにまで辛辣なこと言われた! 俺の周囲には珍しいサド属性のない子だと思ってたのに! 

 千聖さんはごめんなさい。軽率でした。俺の推しは千聖さんだけです……と言っていてふと思ったんだけど推しって制限されるものだった? え、もしかして今、独占欲出された? 

 

「うるさいわね、あなたは私を推してるのでしょう? その推しの前で他の推しを作られて嬉しいと思うの?」

「う、嬉しくはないですね……」

「そういうことよ」

「ところであの……」

「いつもの呼び方でいいわよ、それか様」

「しれっとグレードアップしてるよ」

「千聖様は、いつまでこうして見ているだけなのでしょう?」

 

 様付けでいくんだ。他人に喋る時とイベントの時は千聖ちゃんだけどそれ以外の時の呼び方に困ったっぽいな。つくづく俺とシンパシーを感じる。流石は生粋のドルオタだよね。

 えっと、そうじゃなくて俺もパレオちゃんの疑問と同じものを感じてたんだけど。

 

「……これは助けるために追いかけてるわけではないのよ」

「そ、そうなんですか?」

「ええ、それに助けるにしても、おそらく既にいつもこころちゃんが傍にいる黒服さんたちも配してあるわ。後は私の指示一つ」

「え、ええ……」

 

 だから緊張感なかったんですね。既にあの男は詰んでると。幼馴染さんがカレと向き合うために。

 ──だって彼は加害者だけれど振り回された被害者でもあるのよ? そう溜息を吐きながら。

 

「被害者?」

「そう。あの子が一番嫌うものの、被害者」

「嘘、でございますね」

 

 幼馴染さんは……花音はずっと、嘘を吐いていた。付き合うという嘘。それからも恋人としての日々を作った嘘。それを俺が現れたことで急激に手のひらを返した。やり方とか今の行動とか性格上問題は多々ある人だけど、そういう意味で言うなら、まだあの二人の恋人関係は、終わったとは言えてないわけだね? 

 

「だからこれは、第三者が関わらず、なるべく花音自身で解決すべき、ってこと?」

「やっとわかったのね、コミュ障オタクくんには難しい考察だったかしらね?」

「けれどやはり男女ですし、既にこの状況、これ以上罪を犯すなら介入する、という体制でございますね?」

「そうよ、パレオちゃんは賢いわね」

 

 あれ? 格差がすごい。俺も褒めて伸ばされたいよ? すぐさま千聖さんには褒めたことあったかしら? と言われて黙ってしまえるくらい罵倒されてるけど。あれだよ、それだから俺は成長しないバカで陰キャコミュ障キモドルオタなんだよ。

 

「人のせいにしないで。元はと言えばあなたがカノジョさんのことを考えてなかったのが悪いんじゃない」

「……それは」

「それでいて私にまであの言葉を掛けて、どうしてか怒られた理由もわからないようじゃ成長がなさすぎてお説教する気にもならないわよ」

「はい……ごめんなさい」

 

 藪をつついて蛇を出す。言葉通り変なところ突いたら俺の過去がドバっと溢れてきた。だからめちゃくちゃ怒ってるし、今日一回も名前で呼んでくれないんですね? 今まではね、一回くらいは気まぐれで名前呼んでくれてたんですよ。似た名前ってのが嫌だからあんまり耳に入れてないけどね。でも今日はホントに一度も呼ばれてない。その代わりにキモオタだの罵倒が入ってくるくらいには、千聖さんは怒ってた。

 

「──と、お説教はしないって言ったんだったわ」

「え」

「してほしいの?」

「今日は流石に」

「……バカ、遅いのよ」

 

 え、なんでそんな悲しそうな罵倒されたの? 何が遅かった? やめてよ、俺に気づかせてほしい。今日お説教されなきゃ俺は一生このままだよ。

 ──お説教されないまま、一生千聖さんに名前を呼ばれなかった、なんて、俺は嫌だ。そう訴えていたらパレオちゃんに阻まれ首を横に振られてしまった。

 

「ヒロ様……今日は」

「でも」

「……ごめんなさい」

 

 謝らないでよ。向き合わせてよ。こっち向いて、俺とちゃんと話してほしい。俺が聞き逃したこと、遅くてもなんでも、ちゃんと言葉にしてほしい。ちゃんと千聖さんの言葉で聴かせてよ。その時は、推しじゃなくても、いいからさ。

 そんな漸くシリアスな雰囲気になったせいなのか、向こうも動きが始まったみたいだ。俺はそっとそれに聞き耳を立て、千聖さんやパレオちゃんもそれに続いた。

 

「……ごめん、私……」

「どうして、なんで……っあの時の言葉は、嘘だった?」

「──っ!」

 

 元カレさんの悲痛そうな声が聴こえた。こう冷静になると、彼はおかしなことは言ってないよね。彼にとって、幼馴染さんはそうまでして付き合いたいと思えるくらい好きだったんだろう。俺がバイト代のほぼすべてを推しに捧げているというところと違いはあるだろうか? 

 どっちも狂ってる、それが答えだから。

 

「答えて、花音」

「……うん」

「嘘を許せないと僕の手を払ったのに? キミは僕に嘘をついていたの?」

 

 それは仕方がない。そう言ってもおかしくない状況ねと千聖さんは言葉を発した。あ、もちろん前に見せてくれた俺とパレオちゃんだけに聴こえるほとんど唇を動かさないやつね。

 内容は俺がそうなんじゃないかなと思ったことほぼそのまんまだった。

 

「気づいていたのね」

「俺のことをずっと好きって気付いたから、なんとなくそうなんじゃないかなぁって」

「ええ、花音はあなたしか見えていなかったのに、彼が追い詰めたとはいえ嘘をついていたのよ」

 

 視野が狭い。俺もか、だけどなにより二人の平行線にしかならなかった状況が問題だったんだな。しかもある日を境に突然、俺が幼馴染さんにカノジョと喧嘩したことを相談した頃から急になんだから彼も納得できてないわけだ。

 

「うん……でもキミはそれを責められるの? 私に何個も何個も嘘をついたキミが」

「……花音、フラれたんだろ」

「話逸らすね、なんでそう思ったの?」

「だから言ったんだ。あのオタクはお前のことなんて見てない。言葉に耳を傾けてもない」

「私の質問は無視?」

「そっちだって」

 

 むっとしたけど確かにと千聖さんが頷いていた。見てるし聴いてるとは思うんだけど、だったらもっと何年か前に気づいてもよかったと思うわよと言われて言葉が返せなかった。そうだよね、だってずっと同じ感情を向けてたんだもんね。

 

「僕にとって花音が全てだった」

「私は千紘くん以外からそんな言葉は聴きたくない」

「それは無理だ」

「──私、もう戻りたいんだけど。こんなところまでついてきて……言いたいことはそれなの?」

「こんなところまでついていったのはお前だろ」

 

 フツーの痴話げんかになってきたね? 千聖さんももう安心しているようでゆったりと見守っている。過去を蔑ろにしてきた幼馴染さんを、親友を見守る目で。

 パレオちゃんは恋とはこうも面倒なのですねと達観したことを言っていた。ホントだよね。恋愛ってとんだ面倒だと思ってしまうよ。推しを眺めていた方がずっと楽だ。当たり前だけどさ。

 

「……私、キミのこと好きじゃないよ。キミが千紘くんのことを言ったように、私もキミのことをちゃんとなんて見てないし、聞いてないから」

「どうして……っ!」

「私は、もう私にも救えなくなっちゃったから……変だよね、フラれちゃったのに、それでも……千紘くんしかいないんだあ。誰にもあげないって思っちゃうんだ」

「花音……?」

「幼馴染さんは幼馴染でしかないんだって……他の何かには、なりたくないんだって……あはは、笑えちゃうよ……っ、わたしは、ずっと……幼馴染じゃない他の何かになりたかったのにさ……っ」

 

 おや? と様子を覗くと幼馴染さんは、花音はボロボロと涙を零していた。それに、元カレさんは何かを言おうとして口を閉じ、手のひらを開いて閉じて、また俯いた。

 ──俺は、こんなにあの子を傷つけたのか。他の何か、恋人、夫婦、そんな何かに憧れてずっと傍で幼馴染でいるという嘘を吐き続けた彼女は、ここで砕け散った。

 そんな何も言えなくなってしまう様子の中で俺は、ふと千聖さんと目が合った。

 

「なぁに?」

「……千聖さんも?」

「そうよ」

「何がでございますか?」

「ごめんなさい。パレオちゃんには聴かせてあげられないお話なの」

「かしこまりました」

 

 そういうことなんだね。推しは推しのまま推したい、なんて俺のエゴでしかない。わかり切っているようで、俺が全くわかっていなかった話。そもそも千聖さんは俺に推されている立場でいたかったわけじゃない。幼馴染さん……ううん、花音と同じだったんだ。

 

「僕は、僕なら……キミを他の何かにしてあげられる、と言っても?」

「……うん。千紘くんじゃなきゃ……嫌」

「……っ! どうして、あんなヤツを」

「わかんないよ。幼馴染だったら、誰でもよかったのかも。それとも、いじめられた小さい頃に私を守ってくれた人が別の誰かだったら、その人だったのかも」

「それなら」

「好きに、理由なんていらないよ……キミはいっぱい好きに理由をつけるけどね……私はそう思うんだ」

 

 もし、もしもあの日、ビラをくれたのが彩ちゃんだったら? 日菜ちゃんだったら? そんな彼女たちが千聖さんと同じように俺のことを覚えていたらどうなってた? 花音の言葉を聞いて俺はその重さを知ることができた。

 

「千紘くんはタイミングがよかっただけ……でもそのタイミングがよかったから、私は好きなんだ」

 

 それが花音が元カレさんに向けた最後の拒絶の言葉だった。彼はそっかと一言声を発して。急に連れ出したこと、ここまでストーキングしてきたこと。嘘を沢山ついていたこと、全てを謝罪していた。花音もそれに対して、私もごめんねと謝られた彼は、応援はしてやらない。けど僕が惚れた女をフッたことくらいは後悔させてやったらいいよと、笑った。

 

「うん……ありがと、ふふ」

「やっと笑ってくれた」

「キミのそういうところは、嫌いじゃなかったから」

 

 花音はそれから、彼が去っていくのを見送っていった。俺は、それがどうにも納得いかなかった。なんでだろうね。本当にただただ単純に納得がいかなかった。なんで急に二人が仲直りしてるの? どうしてあんなことをされた花音が笑ってるの? それに対して千聖さんがまたバカねと溜息を吐いていた。

 

「だから言ったでしょう? ストーキングしてきた時はどうしようかと思ったけれど、それほど問題ではなかったって」

「けど」

「あなたの気持ちなんて知ったことないわよ。特に花音と相手からすれば」

 

 冷たい言葉だった。でもそれは紛れもない真実だった。俺の気持ちは俺しか救えない。花音の気持ちでは花音しか、千聖さんは千聖さん。全部、一人で回ってる。全部、独りで完結してる。

 ──やっぱり人間って独りなんだなと強く感じてしまうようで、俺はとてもやりきれない思いを感じた。

 

「パレオちゃん」

「はい」

「……やっぱり今日、送ってってくれる?」

「はい、もちろんでございます……ヒロ様」

 

 花音と一緒にはいたくない。もちろん、千聖さんとなんて論外だ。

 二人が俺のことを好きだとお互いに知っていたという事実、そして誰も俺が維持しようとした関係を大切だなんて思ってもないところ。なにより独りであることが寂しくて泣いてしまいたくて、それが惨めで嫌だったから。

 ──家に帰ってから、俺は散々に泣いた。どうしたらいいかもわからずに、まるで赤ん坊みたいにわんわんと。

 

 



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俺が向き合うべきものは

 帰り道は、ほとんど無言だった。千聖さんからは勿論、花音からの連絡も来なくて、パレオちゃんに話しかけられ、それに答える静かな……行きからは比べものにならないくらい静かな帰り道だった。

 それがライブの余韻とかならよかったんだけど、そうじゃないからなぁ。

 

「はぁ……」

 

 帰ってきてもこのため息。ファストフード店……だと知り合いが来ちゃうから近くの喫茶店で、時間をただただ浪費していた。

 そんな時、いらっしゃいませー、と言う店員さんの声が一際明るくなった。常連さんになればあんなかわいい子にああやって出迎えて貰えるのはいいよなぁとかテキトーなことを考えていたけど、その店員さんが続けた名前に俺は顔をあげた。

 

「紗夜さん、ブラックでいいですか?」

「ええ、あとあの男との待ち合わせですので」

「はい──ってえぇ!? さ、紗夜さん!?」

 

 待ち合わせ? そんなことした覚えもなにもないんだけど。間違いなくその声、その顔は風紀委員さんだ。

 いつも通りキリっとした表情はクールビューティー。けれど俺に向けてくる言葉はいつも寒風が吹きすさぶ。

 

「お待たせしました」

「待ってません」

「そう、それはよかったわ」

「そういう意味じゃないんですけど」

 

 というかここの常連さんなのか。次からは足を運ぶのやめよう。やがて無言だった彼女はブラックコーヒーの香りが運ばれて、それを一口含んでから、探しましたよと口を開いた。

 

「……探したって」

「言葉も理解できなくなりましたか」

「なんでって意味ですけど」

「話し相手を求めているでしょう? ライブやイベントの後は」

 

 その習性はあるけど、風紀委員さんがだからって探す理由には繋がらない気がするんだけどそこんとこどうなの?

 そんなリアクションに彼女は少し無言になった後で、ゆっくりと顔を近づけてきた。なに、近いよ。

 

「……なにかありましたか?」

「え」

「いえ、この質問は嘘をつかせてしまいますね……少し、移動しましょう」

 

 ブラックコーヒーを飲み干してから着いてきてと言われ、俺は戸惑いながら俺の分まで会計を済ませてしまった彼女に着いていく。ずんずんと進んで、やがて一軒家にたどり着いた。表札は氷川とあって……!? ここは氷川さんのおうちでは? 

 

「どうぞ、あそこに比べたら粗末なものになってしまいますが」

「え、えぇ……」

 

 なんで俺、ここに連れられてきたんだろう。何もわからない。しかも彼女の部屋に。風紀委員さんの髪からする良い香りと、飾り気のない部屋にある参考書よりもたくさんの楽譜や教本でいっぱいの本棚とギターが目に止まった。

 

「ど、どうして?」

「さては両方に告白されましたか?」

「……な!?」

 

 ズバリストレートに言い当てられ、俺は驚愕のリアクションをしてしまう。ここで嘘をつけない自分が憎い。風紀委員さんに聞かれたら間違いなく罵倒罵詈雑言の嵐だというのに。それを覚悟していると、やはりそうでしたかと納得した上で……頭を撫でられた。なぜ? 

 

「辛かったのね」

「……え、え?」

「自分にはドルオタとしての想いしかないのにどうして、そんなことを考えていたのでしょう?」

 

 なんで……わかっちゃうんだよ。こんなキラキラと、しっかりした自分を持ってる人に。俺は風紀委員さんが、紗夜さんが羨ましいよ。俺にはドルオタとして気持ち悪く推しを推すことしかできないのにさ。

 

「ええ、だから私はあなたを助けるのです」

「……意味が」

「私にはギターしかないと思っていたから」

 

 ギタリストとしての技術と練習量、それだけが紗夜さんの心の支えだった。そこに誇りや矜恃なんて前向きなものはなにもない。

 日菜ちゃんへの憎しみと自分への怒り。それだけが紗夜さんを動かしていた呪いだったことを聞かされた。

 

「けれど湊さんに、Roseliaに出逢い、日菜と向き合い……私にはギター以外にもたくさんのものがあると知りました。私の音があると、知りましたから」

「それは」

「あなたは昔の私ととてもよく似ているわ」

 

 だから放っておけなかったのかもしれません。そんな紗夜さんの言葉はこれまでの凍てついたものからは考えられないくらい暖かくて優しかった。

 まさか紗夜さんがそんな大きなものを、重たいものを抱えてるなんて知らなかったよ。ただのシスコン毒舌さんだとしか。

 

「でも……俺の手に残ってるものなんて、紗夜さんのギター程良いものじゃないと思うんだけど」

「どうして?」

「え?」

「あなたは、オタクとしてペンライトを振る時、どのように感じますか?」

 

 そりゃ、楽しい。楽しいし、なんというかスッキリする。推しを推す、という行為に俺はいいようのない高揚感とか達成感とかそういうものを感じてるよ。

 紗夜さんはそれがあたなの手に残っているものですと微笑んだ。

 

「楽しい、高揚する、自然と笑みがこぼれ、応援できることを誇らしく思う……それが、あなたにとってのオタ活、ではありませんか?」

「そう、だね」

「それが良いものでないはずありません。あなたは、どんなあなたも愛してあげるべきです」

 

 花音の幼馴染としての俺、千聖ちゃんを推すオタクである俺、二人と友達になった俺、二人が恋人になりたいと願った俺。

 どんな俺も等しく俺で、そこで良いものや悪いものを作ってしまうことがよくなかった。なんでだろう、その言葉はすっと俺の中で確かなものとなって胸に滑り落ちてきた。

 

「俺に……できるかな」

「できるかではなくやる」

「は、はい」

 

 相変わらず厳しいけど、紗夜さんは俺に前を向かせてくれた。どうして、最初は妹に近づくキモオタくらいにか感じてなかったのに、こんな……部屋に案内してまで俺のことを? 紗夜さんはそんな俺の言葉にふっと微笑みを浮かべて、決まっているじゃないと楽しそうに爆弾を投げてきた。

 

「放っておけなくて、気付いたら……あなたと話をするのが好きになっていたからよ」

「へ、ええ? それって」

「勘違いしましたか? 以前にも言いましたがあなたのような男と恋人なんて死んでも御免ですと」

「ひどくね!?」

 

 ちょっと待ってほっこりしたし確かにちょろっと勘違いしましたけど、いくらなんでも酷すぎでは? あくまで話し相手ってことねはいはい。別に俺はいいけど、それで他の人に勘違いされても知りませんからねと言うと気にしないと言い切られてしまった。

 

「別に連れて歩く人のステータスをいちいち気にするほど、私は落ちぶれてはいませんよ」

「さらっとステ低いって言ってない?」

「そういうところがダメなのよ。そこですぐさま自分が低いからそう言われたのだと思わないようにしなくては」

 

 話はそこで終わり、俺は紗夜さんに見送ってもらって氷川家を後にした。変わるのってすごく大変だと思うんだけど、わざわざ俺のために声を掛けてくれたってことを大事にした方がいいよなぁ、なんて考えて振り返った瞬間なんか仁王立ちしてる人がいた。

 まるでアイドルの出待ちだな、みたいなテキトーなこと考えるけど、この人がアイドルで俺がそのアイドルのオタクなんだよなぁ。

 

「さぁて、じっくり話を聞かせてほしいものね」

「……俺のセリフなんだけど」

 

 推しに出待ちとかご褒美かと思うんだけど、なにせ千聖さんがアイドルモードじゃないからなぁ、どうだろう。俺としてはあの時話してくれなかったことをちゃんと聞かせてくれるんだったらいいんだけど。

 

「私じゃなくてあなたの話を聞くのだけれど」

「そうやって逃げるんだ?」

「は? 今日態度でかいわね」

「……ええ」

 

 理不尽なり。とはいえ夜に立ち話もなんなので一応家に上げることにした。今日は遅くなります、じゃないんだよなぁ。千聖さん来る日は例外なく早く帰ってきてほしい。特に最近はそう思うことが増えた。推しと家に二人きりって正直心臓に悪い。スキャンダルとか起こして干されたらそれだけで俺、息ができなくなるからね。

 

「はい、おいしい紅茶らしいけど」

「いただくわね」

「う、うん」

 

 あーあ、前回のことがあるせいでめちゃくちゃ空気が悪い。ホントに最悪の空気でマジで今日ほどオタク辞めたいと思うことは一生に何度あるだろうってくらいだ。でも、せめて最低限、向き合うことだけはしなくちゃいけない。例えその結果にこれからずっと塩対応されようと……あ待って想像したら泣けてきたやっぱ無理。千聖ちゃんに塩対応されて認知勢としても敗北したらガチで自殺しかねないよ。俺にとってオタ活は生きる糧、千聖ちゃんの笑顔がカロリーなんですはい。

 

「はぁ……」

「な、なんで溜息」

「この後に及んで……よりによって私の態度に気づいておきながらそういうことを言うなんて」

「でも……俺は」

 

 そう、俺は千聖ちゃんの、パスパレのオタクなんだ。それ以上でもそれ以下でもないしなれない……そう思ってたんだ。

 でもそれは違った。紗夜さんにそれを教えてもらった。きっと今の自分にはなれないようなものでも、きっとなれる。オタクの時の俺もオタクじゃない俺のこともいつか好きになれる日が来るって。

 

「俺……やっぱり千聖さんとは恋人にはなれません」

「どうして?」

「俺が俺のことを好きになれないから」

 

 でもそれは今じゃない。今すぐ好きになれって言われたって土台無理な話なんだ。だって俺だし。こんなドルオタって趣味がなければロクに会話もできないコミュ障陰キャボッチの俺のこと、どうあっても好きになる要素がないからね。でも、それでもそんな欠点だらけでダメな俺のことをずっとまっすぐに見てくれた幼馴染さんがいた。ステージの上と下っていうもどかしい距離を壊したいって思ってくれた推しがいた。

 変わりたいって女の子のために、俺が下を向いてるのはダメなことを紗夜さんから教えてもらった。

 

「だから……変わりたい」

「……そう」

「うん、変わりたい。花音のために、千聖さんのために」

「私はもういいわ」

「よくない、そうやって諦めないでよ」

 

 やっぱり、千聖さんはそうやってわかったフリして身を引こうとしてたんだ。

 やだよ、嘘つかないでよ。俺は嘘が嫌いなのわかってるでしょ? そう言うと千聖さんはわかってるわよ、けど、と悲しそうに下を向いた。

 

「わかるでしょう? 私の人生は嘘で満ち溢れてる。女優として、アイドルとして、全て……演技(ウソ)なのよ」

「そんなの」

「当たり前? なら今ここであなたを好きと言ってそれが嘘でないという保証はどこにもないわ。私が、()()を好きでいることを、確定してくれるモノがないのよ!」

 

 溢れたような叫び声、俺は言葉を失ってしまった。

 思ってたよりずっとずっと、おっきな感情だ。花音の時にも思ってたけど、やっぱり俺や元カノさんが持っていた好きなんてちっぽけなものなんだなと思い知らされるには十分すぎるほど、千聖さんが吐き出した感情は、黒く重たかった。

 

「……だから私は、千紘に好きになってもらえるだけの資格がない。芸能人(うそつき)である以上、千紘に手を伸ばしてはいけないの」

「そんなことないよ」

 

 そうだよね。俺だって嘘をつかれるって思った人と付き合うのは嫌だよ。だって前例が前例だよ? 何年嘘をつかれたんだろう? 何年、俺は彼女の本当の気持ちをわかってあげられなかったんだろうって何度も何度も後悔した。後悔したからこそ、それでもオタ活をして千聖ちゃんに笑顔を向けられて嬉しくなる自分が赦せなかった。認められなかった。

 

「……どうして?」

「千聖さんは、嘘つかないでしょ?」

 

 はっと目を見開かれてしまう。そんなびっくりするほどのことじゃないと思うけどなぁ。考えたら普通のことでしょ。そんな風に俺を嘘で傷つけるだなんて悲しい表情をしてくれる千聖さんが俺を好きで、もし付き合ったとして、元カノのように嘘で傷つけるだなんて思えない。そもそも千聖さんって冗談じゃないくらい優しいしね。ほら、親友のために怒れたり、俺が不甲斐ない性格してるから、俺のために怒ってくれたりとか。

 

「……なんでそんな急に、わかっちゃうのよ」

「今まで、見ないようにしてきただけなのかも」

 

 でも千聖さんが俺のことを好きだと言って、それから色んな見方が変わった。そして紗夜さんの忠告や花音のあのシーンは、俺にとってその見た景色の色を全部変えちゃうくらいの衝撃だったよ。

 

「バカ、遅いのよ……バカ」

「ごめん、全然……なんにも気付かないで」

「私も……意地を張って、嘘をついていたわ。あなたのこと、二度と千紘だなんて呼ばないだなんて……諦めて、それで……私は」

 

 ああ、そんな優しくて残酷な嘘をつかせてしまったのは俺だ。俺が千聖さんに、優しさを凶器に変えさせてしまった。

 なら、俺はそんな残酷な優しさをもう与えないように、与えられないようにするしかない。

 

「あのさ、千聖さん」

「……なぁに?」

「今から、バカみたいな、優しくもないこと言うね」

「ええ」

 

 これは花音にも伝えなきゃいけないことだ。

 俺はまだ変われない。けど時間をかけて、それでも……それでもいいならって俺はなんか調子乗んなとかオタクのクセにって言われるかもしれないけど。自分を好きになるってことはきっと、こういうことでもあると思うから。

 

「好きでいて、振り向かせようとしてくる千聖さん、すっごくかわいかった。俺はまだ全然自分のこと好きじゃないし、応えられなんかしないけど……俺のこと、追いかけていてほしい。いつか、俺が自分を好きになれた時、その時また返事するから」

「……嫌よ、ふふ」

 

 言葉とは裏腹に千聖さんは涙を浮かべながらも笑ってくれた。そして、もたれかかってきて……なんか前だけじゃなくて後ろにも体重がかかってる気がする。このフローラルで上品な香りは、嗅ぎなれてる時点でアレだけど、ウチのさいかわ幼馴染さんではありませんかね? 

 

「いつの間に?」

「千紘くんにお話しがあるからお邪魔してもいいですか? って連絡したらいいよって」

「……あ、そう」

「千聖ちゃんをフったところあたりから、いたんだ」

「早かったね」

 

 ってことは花音も軒並みさっきの話聴いてたってことね。まぁ二度説明しなくて済むからいっか。

 そう、花音。ただの幼馴染さんじゃない。俺のことずっと好きでいてくれた人。俺はあなたにも同じことを言ってもいいよね?

 

「だめ」

「え?」

「……って言っても、私はキミといられるわけじゃないよね」

「うん……ごめん」

「謝らなくていいよお……酷いくらいに優しい時よりも、ずっと、助かってるから」

 

 優しくない方が花音や千聖さんを救ってる、なんておかしな話だけど。俺はそうやって二人の涙を止めることができた。また三人でわいわいできる日々が始まるんだってことに俺はほっと一安心だった。

 

「なに勝手に終わってるのよ」

「へ?」

「そうだよ、終わってないよお」

「え、は?」

 

 あの、二人とも? これでハッピーエンドめでたしめでたしじゃないの? そう思っていたけど当たり前だよね。二人にとって俺はなんとしてでも振り向かせたい相手。そして、二人の関係は親友であり恋敵、ライバルみたいなものだから。

 

「さて、一緒に寝ましょう千紘?」

「は……い、一緒は、その」

「ふうん……そういうえっちなことで釣るの、よくないと思うよ?」

「更衣室に連れ込んだ人のセリフとは思えないわね?」

「あの、え?」

「……ねえ千紘くん? お風呂入ろ? 幼馴染だもん、昔はよく入ってたでしょ?」

「入ってないよねぇ? そういう幼馴染じゃなかったよねぇ俺たち!」

「忘れちゃったんだあ……」

 

 一体何が始まるって言うんです? 大惨事大戦だ。

 あのね、正直疲れるから誰か代わってほしい。ホントね、贅沢かもしれないけど。だから俺はまだこんな贅沢ができるほど自分を認められないんだってば! というか帰れ! 二人とも今すぐ家から出てってくれるかなぁ!? 

 

 



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パンツが見たい!

 ──あれからそれなりに経った。と言っても、夏が冬になるくらいだけど。

 俺はあの後、パスパレのイベントで知り合った近くのコミュニティを見つけて、フットサルを始めて、そこで仲間との交流をし始めた。自分を好きになろう計画の第一歩だね。

 ただ、そこで大きな問題が起こってしまったんですよ。そう、俺にとってはとっても大きな問題。

 

「もう無理大学のレベル落とす」

「ええ……頑張ろうよお」

 

 そう、元々そんなに地頭のよろしくない俺なんだけど、バイトとイベントの合間に幼馴染である松原花音に勉強を教えてもらってて、そこでなんとか中程度の成績を維持していた。ノートの取り方が壊滅的に下手っぽくて、花音が解読して、足らないところを教科書から保存してくれるって寸法でね。高校違うのにホントそれは助かってた。

 ──でも、そこにフットサルが入ったせいで勉強時間を削ったんだ。あれだよ、結果二学期中間は至上最悪の結果を叩き出して、花音にも千聖さんにも、ついでに紗夜さんにも説教をされた。マイフレンズ厳しすぎん? 

 

「そもそもだよ? 先生の話をちゃんと聞いてたらさ、このノートにはならないと思うんだけど……?」

「う……そうですね」

「ちゃんと受かろうって気……ある?」

 

 目が怖い。マジで目が怖いんだけど、いやいつものだよねぇ……花音はいつもこうやって俺を脅してくる。すると不思議に頑張ろうって気分になるんだから俺ってやっぱマゾっ気あるかもしれないと思い始めてきた。変態じゃないよ。

 今日も学校から帰ってきたら速攻で花音に捕まった。やだぁ! 昨日届いたBD見たい見たい! 

 

「叩き割るよ?」

「やめて! 泣くからね!?」

 

 目がマジだし花音は俺に絶対に嘘を吐かないので割ると言ったら割る女である。なんて悪な女なんだろう。そんなダジャレを言ってる場合じゃなくて。

 それはさておき、頑張ろう。授業中も時折千聖ちゃんに想いを馳せてる気持ち悪いオタクだからね、こういう時くらい本気出さなきゃ。

 

「そうよ、推しが泣くわよ」

「……茶化しに来たんなら帰ってもらっていいですか?」

 

 優雅にヒトんちで紅茶飲んでるところ悪いんだけど、何しに来たの千聖さん?

 そう、推しは推しでも千聖さんには普通に接そうと努力はしている。まぁ推しだし顔がいいし声がいいしでふとした瞬間ペンライト振り回しちゃうんだけどさ。こういう状況なら悪態の一つくらいはつけるようになったよね。

 

「あら、帰っていいの? 今日のパンツみたくないのかしら?」

「あのね千聖さん毎日見てるみたいに言わないで(ちょうみたい)

「……千紘、くん?」

 

 あ、やば本音も一緒に出ちゃった。でも毎日は見てないです本当です信じてくれよ! 

 制服のスカートヒラヒラさせないで気になっちゃうじゃん! 目線が思わず千聖さんの太腿に引き寄せられていたら、花音が頬を膨らませて、俺の左腕に抱き着いてきた。おお……柔らかい。

 

「どう?」

「最高……じゃなくてなにしてるの?」

「集中してくれたら……ぶ、ブラくらいなら……見せてあげられるよ?」

 

 待ってそれじゃあ股間に意識が集中しちゃうからホント。

 後千聖さんが、胸部に若干のコンプレックスのある俺の推しが明らかに不機嫌そうな顔するからさ、離れてくれるかなぁ……? 

 ──とまぁ、こう、謎にほっこりした三角関係も継続中だった。まだまだ、俺は俺のこと好きにはなれてないけど。少なくとも三人でいる状況で、俺の顔面がとか、陰キャだからとかそういう遠慮はなくなってたらいいなぁって思う。

 

「花音、交代しましょうか」

「え?」

「ご飯作る間、私が教えるわね」

「えっちなことしないでね?」

「しないわよ」

 

 千聖さん、なんと花音にまで信用がない。そりゃね、会った時から散々パンツ見せられてきたことを知ってるだろうし、ちょっとした時にパンツ見せてくれるっていう謎の日常が続いてるからそう言いたくなるのもわかる。でも待ってほしい。俺最近実は花音のパンツも見せられてるんだけど人のこと言える? 

 

「いいから、真面目にやるわよ」

「どの教科?」

「保健体育……というのは冗談だとして、数学にしましょうか」

 

 わーい数学だー。俺数Bの範囲が壊滅的なんだけど。そう言うとベクトル苦手だものねと煽られた、そうだよ! 現実の感情やらなんやらのベクトル苦手だようるさいなぁ! 

 だから私が教えてあげるのよ、とノートにめちゃくちゃ几帳面な字で、まるで板書してるんじゃと思うくらいキレイに公式やらを色を変えてわかりやすくまとめている。

 

「どう? 少しはわかりやすいかしら?」

「少しどころじゃないよ、すごい」

「でしょう?」

 

 芸能人として活動しながらも単位を確保している秘密はこういう纏め方力なのではないのかと思わせるものだった。というか推しに勉強見てもらえるとかご褒美すぎて捗る。あ、妄想じゃなくてね。

 

「頑張りなさいよ、大学」

「同じ大学行くの、千聖さん」

「どうかしらね、芸能人として忙しいし、単位取れるかどうかわからないもの」

 

 花音は同じ大学行く気らしいし、だからこうやって鬼のように勉強させられてるんだけど。

 千聖さんはその様子を羨ましいわね、とちょっとだけ寂しそうに笑った。最近また仕事が増えたらしくて、千聖さんとはあんまり会えてない。だからこそイベントやラジオの公開収録なんかには欠かさずに足を運んでるけどね。

 

「それで、今日のご褒美見る?」

「……見せてくれるの?」

「目、ギラついてるわよ?」

 

 それはしょうがない。推しのパンツは見たい。でもなぁ……変態になりたくないんだよね。いやね、パンツ見たいとか言ってる時点でアレかもしれないけどさ、花音もどんどんとそういうことするようになってさ……逆に悶々としちゃうんだよね。

 

「ヌけばいいのよ」

「サラっととんでもないこと言ったね?」

「事実じゃない」

 

 推しとか幼馴染を前にして堂々とヌくって宣言するのってどうなの。その返しで千聖さんが私でヌいてる人なんて幾らでもいるわよとか言い出した。いやそれ気持ち悪いって前に言わなかったっけ。

 千聖さんはそんな言葉まだ覚えていたのね、なんて驚きの口調で言われた。

 

「あの時私は言ったはずよ。()()()()()()()()オカズにされるのはゾっとするわよって」

「俺は見ず知らずではない、とも言いましたね」

「ええ」

 

 だからそれはつまり逆を返せば……ヌいていいってこと? と言ったら推しをオカズにしないってなんなの? 性欲ないの? と煽られてしまった。

 えっと、つまり……ああまだわかってないらしい。千聖さん、答えプリーズ。

 

「ヌきなさい、私で」

「あ、そういうこと……?」

 

 強制だった。推しにオカズを指定されるのってどういう気分? なんとも言い難いしなんなら言葉にできない気分。千紘のベクトルは既にこっちに向いてるけれど、とにやにやしながらスカートひらひらさせられてるし、ああもうこのヒトやっぱりサドだ。

 

「英語でもいいわよ」

「千聖さんは何教えたらいいのかわかんないって言ってたじゃん」

「じゃあ……ロシア語?」

「受験科目だったらよかったね」

 

 そんな適当なこと話していると、花音にもうすぐできるよお、と声を掛けられた。ううんしまった、千聖さんの言動に振り回されてすっかり揺れるスカートが気になってしまう。変態さんって言われてもしょうがないなこれは。

 でも実際のところ制服姿にエプロンつけてる花音も反則級のかわいさしてるのよ。家庭的JKって需要あるんだってね。

 

「……えっちな目、してない?」

「してない」

「してもいいよ?」

「よくない」

 

 お前までそう言うこというんだな! 二人揃って俺に対するその性的なアレに対するハードルが低すぎるんだけど、俺はこれにどうしたらいいの? いやそれに対する答えなんてわかりきってる気がするけどさ。

 

「カラダに訴えかけるのも、また一つよね」

「やめてほしい」

 

 とまぁあれ以来二人は色々な方法で俺を篭絡……篭絡かな? しようとしてくる。その中でも一番効果があった、というか反応がよかったのがやはりパンツらしい。やっぱり俺って変態かもしれない。

 

「今日は黄色よ、新品だけれど」

「わ、私はピンクだよお」

「……食事中に暴露しないでもらえます?」

 

 そしてご飯を食べて俺は花音と千聖さんを送っていく。いつものように千聖さんを先に送っていって、そして花音と来た道を戻っていくって日常。

 二人きりになった瞬間、花音はぎゅっと俺の腕を抱いて恋人同士のように甘えてくる。

 

「泊まりたいなあ」

「ダメ」

「えー」

 

 えーじゃないです。一応花音の気持ちを知って、なんとか努力してる最中なんだけど未だにこの好きって気持ちを前面に出してくるのは慣れない。特に千聖さんはあれはあれでツンデレの気質があるけど、花音はハートが飛び交ってくる。

 

「じゃあ、またねのキス?」

「そんなことした覚えないんだけど」

「今日から」

「あはは、帰れ」

 

 いじわると言われようとなんと言われようと、俺はまだ花音と恋人になった覚えはないからね。一応まだ幼馴染なのです。

 けどやっぱり花音はそんな関係がもどかしいようで、不満そうな顔をしてくる。

 

「じゃあ幼馴染やめよ(こいびとになろ)?」

「やだ」

 

 受験が近づいているせいか、秋あたりは収まっていたアプローチが復活してる。もうすぐクリスマスだということも関係してるのかもね。

 ただ、もしこれで俺がうっかりどっちかと付き合っちゃったらなぁ、今のままならクリスマスは三人でわいわいできそうだから……その時くらいまでは引っ張ってもいいかなぁと思ってたりする。

 

「じゃあ、また……明日?」

「わかった、また明日」

「……うんっ」

 

 花音を送っていき、お風呂に入ってベッドでだらだらとしていると、知らない番号から電話がかかってきた。

 ううん、誰だろう。ただワン切りとかじゃないし……ちょっと嫌だったけど恐る恐る電話に出た。

 

「……もしもし?」

『リアクションが他人行儀なところを見ると番号を登録してないのね』

「教えてもらってないからね」

『そうだったかしら』

 

 千聖さん、絶対に電話する時非通知設定にしてるじゃん。そう返事をするとしばらく間が空いてから、ああそうだったわねとまるで遠い過去のように呟いた。ついつい非通知にするのを忘れていたそうで。

 

『面倒なのよ、イチイチ設定するの』

「だからって、俺キモオタだから推しの電話番号入手して悪用するかもよ?」

()()はそんなことしないわ。それに』

「それに?」

『好きな人のスマホにライバルの名前はあるのに私の名前がないなんて許せないもの』

「なにそれ」

 

 思わず笑ってしまった。じゃあありがたく登録させてもらうよと言ったらちょっと待っててと千聖さんはなにやらスマホを操作しているようだ。使ってないからログアウトしたのだけれどとか、パスワードこれじゃないのねとか聞こえてくる。

 千聖さんの格闘を聞かされてから少し、俺のスマホに通知が届いた。SNSのフォロー通知。鍵のついたアカウントで、名前は……レオン? 

 

『私よ』

「……え、なんで」

『返事いらないわよ、すぐ解除するから』

 

 じゃあなんで? と思ったらダイレクトメールが届いた。メッセージアプリのQRコードだ。え、えっ……これ、もしかすると。答えは分かり切ってはいたけれど恐る恐るそこにあった白鷺千聖、という名前のアカウントを友達登録する。

 

『登録したわね?』

「う、うん」

『これからはこっちでも連絡するわね』

「……わかった」

 

 ついに、ついに……いやガチ恋勢じゃない以上どう喜んだらいいのかわからないけれど推しの連絡先を入手してしまった。しかも千聖さんから他愛のない話をしてくれるとか。公式アカウントのアレで満足してるオタクたち、すまんなオタク、すまんなガチ恋、俺は千聖さんにおはようって言ってもらっておやすみって言ってもらうわ。なんなら返事もらえるからな! 

 ところで幾らお支払いいたします? 月五万くらい? もっとほしい? 

 

『でたわね、貢ぎ根性とマウントお疲れさま』

「オタクだからね」

『あなたは……いつまでもそうね』

 

 多分このオタク気質は一生変わらないよ。例え千聖さんに好きだと言われようと、もしもこれで恋人として付き合ったとしても、俺は千聖ちゃんの害悪厄介認知勢オタクはやめられないし、やめるつもりもない。いつまでもイベントに顔出して他のオタクにマウント取るし、ライブでは汗掻き喉をからしながら黄色のペンライトを振るよ。

 

『千紘らしいわね』

「握手会とかお渡し会とか、ちゃんとアイドルとして対応してる千聖さんも相当だよ」

『内心キスしたいくらい嬉しいわよ』

 

 ちょ、それはドキっとするからやめてください。そんな優しい口調で……これだから女優はさ。

 焦っていると千聖さんはふふ、と柔らかく笑った。

 

『……あ』

「どうしたの?」

『空を見なさい』

「ん? なにが……?」

 

 何があるんだろうと思ってカーテンを開けると、薄暗かった部屋に大きな満月が白光を部屋に差し込ませた。

 これのことなのかな? 感嘆の声を上げた俺に対して何が見えたの? と千聖さんは問いかけてきた。

 

「月が」

『月が……どうしたの?』

「どうしたって、月がきれ──」

 

 ──ってあぶな! いくら俺でも月がキレイですねって言ったら愛していますって意味になることくらい知ってるよ!? わざと言わせようとしたでしょ今! 

 そういう誘導尋問には引っかからないからね。身構えていた時だった。

 

月がキレイね(すきよ)

「……え、あ……えっと」

『ふふ、顔が見られなくて残念だわ。かわいらしく赤くなっているのでしょう?』

 

 からかってくるね! そりゃもう今耳が熱いくらいなんですけどね。でも確かにキレイな月だった。俺は今、千聖さんと同じ空を見上げて、同じものを見てるんだなぁっていう感慨も一緒にやってくる。なんかこういうの、いいな。

 ――ああ、今すごく、俺のことを好きでいられてる。そんな気がするよ。

 

「ねぇ千聖さん」

『なぁに?』

「正直に気持ち悪いこと言っていい?」

『いいわよ』

「千聖さんのパンツが見たい(カレシになりたい)

『なら今からウチに来る?』

 

 今日じゃなくていいよ。明日でも、次に会えた時でもいいから。

 俺はやっぱりなんとしてでも、推しは推しのまま推したいって気持ちがある。千聖ちゃんを千聖ちゃんとしてオタクとしてペンライトを振っていたいんだ。

 ──でも、けどね、正直パンツは見たいよ。今まで見た千聖さんのパンツの色とか、下手すると全部覚えてるまであるよ。それはオタクとしてとか推しの、とかじゃなくて……いや前はそういう言い訳してたけど、白鷺千聖さんのパンツが見たい(すきだ)なぁってふと思ったんだ。

 

『つまりは私がスカートを捲った先にあるものを鼻息荒く見たいってことね』

「いや、まぁそうだけど」

『変態ね』

「見せてくる千聖さんに言われたくはないよ」

 

 変態なんだと思う。でも千聖さんだって同じくらい変態だと思う。すぐスカート捲るし、シチュエーション違いと言えば膝を立てて座って見せる、向かいに座った状態で捲る、膝枕してくれて顔の向きを変えた時に脚をちょっと開くとか。色んな方法で色とりどりのパンツを目撃してきた。黄色、白、黒、緑、青、紫、ピンク、後は赤色なんてものあったし。なんか意匠の凝ったものなのとか言って画像で解説しながら現物見せてくれたり、色々、ホントにこの数ヶ月で千聖さんのパンツを見てきた。推しのパンツを、これでもかというほど堪能してきてるんだよね。

 

『なにが言いたいのよ』

「ううん、いや別に……次はどんなシチュエーションかなぁって」

『そうね』

 

 とんでもない会話を、推しと繰り広げていく。楽しみにしていなさい、とか言われて俺は苦笑いをしてしまうけど、俺はそれが楽しみでしょうがなくなっているんだ。

 こう宣言した以上、千聖さんはとんでもない、所謂勝負下着で来るのだろうか、それとも案外普通かな。ああもう妄想が止まらなくなってきちゃったな。早く千聖さんに会いたいな。会って、推しのパンツが見たい! 

 

 なんとしてでも、推しは推しのまま推したい! けどパンツは見たい! イエローEND! Thank you for reading.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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推しの生誕を祝おう! 声高らかに!

 春になり、俺も大学生になりました。

 そんなおめでたい春の日に俺は……イベント会場へと足を運んでいた。いや、待ってほしい。この春イベは大事なんだよ。なにせ、なにせ今日は今日だけは風邪引いてでも、出なきゃいけないんだよ! 

 

「みなさん! 今日は集まってくれてありがとうございますっ」

 

 そう、白鷺千聖ちゃんのバースデーイベント! 推しの誕生日を祝わなくてなにがドルオタか! なにが認知厄介勢か!

 とまぁ大学生になってすぐ、こうして推しのイベントにやってきたわけです。直接……ってわけじゃないけど、推しにおめでとう、って言えるなんて最っ高のイベントだぜ! 

 パスパレはパスパレで追ってるけど個人イベントは基本的に千聖ちゃんだけ、時折彩ちゃんのイベントとかに誘われて行くけど。やっぱり俺は推しに99.99%を注ぎ込むんだよ。

 

「グッズいっぱい買いましたね」

「まぁ、推し単独イベントはよりサイフの紐緩いしね……」

 

 彩ちゃんがゲストで来てくれて、色々なトークが聞けて、二人で歌ってくれたりもして、色んな企画に俺も一緒に来てくれたパレオちゃんも大満足そうだった。連番して二人でわちゃわちゃしたり、仲がいいところを存分に見せてくれたしね。

 

「ん? あー、ちょっと待って電話だ」

「……もしかして」

「そのもしかして」

 

 パレオちゃんがちょっと離れてくれる。覗き見防止フィルターを張ってある俺のスマホに電話を掛けている相手の名前はもちろん……ちょっと前にできた俺のカノジョさん。ただしほぼ誰にも言えない秘密のカノジョさんだ。

 

「もしもし」

『もしもし』

「……なんで怒ってるの?」

『怒っているように聞こえる、ということはなにかやましいことがあるのね千紘?』

 

 やましいことって言ったらここでこうやってあなたと電話してることだよと言ったら確実にへそを曲げられるので口を噤んでおく。

 ──はい、電話の相手は白鷺千聖さんです。ウチの彼女は千聖さんなんです。

 

「千聖さんは怒ってる時の口調わかりやすいから」

『千聖……さん?』

「え、いや……あの」

『千紘、いつになったら慣れるのよ』

 

 棘のある声がする。別に呼び方に対してはそれほど怒ってるわけじゃないんだろうけど、約束したことができてないから咎めてるって感じなんだよね。

 特にこの、電話になると余計に慣れないよ。しかも一応、俺の推しでもあるんだからね。

 

『もう一度ちゃんと呼んでみなさい』

「ち……千聖……」

『千聖よ』

「うん」

 

 千聖さんは今度は満足そうに名乗ってくれる。告白……にしてはアレなことを言ってから数ヶ月、千聖さんはまるで何もかもが変わったかのように俺と恋人としての時間ややり取りを求めてくるようになった。

 ──なにが一番びっくりしたって千聖さんが甘えてくる。ぎゅってしてとかキスしてとかめちゃくちゃ甘えてくるところね。変わらないところはパンツ見せてくれるところ。相変わらず見せたがりの変態認定が抜けないところだよ。

 

『ところで千紘』

「なに?」

『オタクとして推しの誕生日を祝う気持ち悪い千紘は見れたのだけれど、カレシとしてカノジョの誕生日を祝う気持ち悪い千紘は見れてないわよ』

「どのみち気持ち悪いんだ……」

 

 そりゃそうよと千聖さんはちょっとだけ楽しそうに笑う。いやいや当然さ、カノジョの誕生日にカレシとして何もしないわけないじゃん。推しは推しとしてブヒブヒとお祝いするけどそれとは別にちゃんとカノジョさんをお祝いしたいって気持ちはあるよ。

 

『それじゃあ楽しみにしてるわね、終わったらどうしたらいいのかしら?』

「え、今日?」

『……今日じゃなきゃいつするのよ』

 

 えっと、今日はてっきり事務所とかパスパレメンバーとかでお祝いすると思ってたんだけど違うの? 

 どうやら千聖さんはちゃんと予定を空けていてくれたらしく……というかよく空けれたね。

 

『千紘が全然プライベートで会ってくれないもの』

「い、いやそりゃそうでしょ……」

『私は、あなたの恋人なのだけれど?』

 

 うわ、今度こそ明確にお怒りになられた。そう、千聖さんはこういうとこあるんだよなぁ。

 一応俺から告白っぽい変態発言をしたわけだけど、あくまで推しは推しとして推したいってのが俺の意見であってアイドルとして活躍する千聖ちゃんを応援するオタクでありたいって想いがあるから、どうしても付き合っているっぽい雰囲気を出さないようにしてるんだよ。

 

『どうせ帰り、パレオちゃんの車でしょう? 私も乗せてもらうから待っているように言っておいて』

「え、ちょっと千聖さん! うわ……切れた」

 

 後が怖い……というかケーキとか用意したかったのにできてないんだよね。いやまぁオタクとして個人的にお祝いするケーキはパレオちゃんと二人で計画して予約したんだけど。それは二人で食べる用だし……ああもうどうしよう。

 

「──というわけでパレオちゃん、いいかな?」

「パレオは構いませんっ……千聖ちゃんが、車に……おなじ空間に」

 

 おいこらオタク。推しアイドルとの同空間を想像して勝手に昇天するな。けどまぁある意味最強のプライベート空間だからいいのか……いいのか? パレオちゃんいるからまぁ自重はしてくれるだろう。なにせ千聖さんだ。幾らなんでも二人きりでもないのに俺にくっついて離れないとかそういうことはしないだろう。

 

「ごめんねパレオちゃん。しばらく会えていなかったから、許してくれるかしら?」

「いえいえお構いなく! 存分に!」

 

 ──と思っていた時期が俺にもありました。車に乗り込んで発進した瞬間に千聖さんは弾けた。一瞬誰だと思うほどかわいらしい小動物がそこにいた。そうなんだよね千聖さんって小柄なんだよね、普段は堂々としてるせいか芸能人オーラのせいかそうとは思えないんだけど、小さな身体いっぱいにくっついてきて、さっきから千紘、千紘って俺の名前ばっかり呼んでる。語彙力すら失ってるよこの人。

 

「千聖様もこうなると、すっかり女の子でございますね……」

「普段からもう少し恋人らしくしてくれていたら、ここまで甘えなくてよくなるのよ?」

「……あのね、それはさ」

 

 言い訳をしようとしたらむっとされてしまった。あの、そんなに睨まないでいただけます千聖さん。俺が悪かった、悪かったから! ああもう、かわいいなこんちくしょう! といつも折れて俺もこうなると甘やかすんだけどさ。

 

「千聖さ……んん、千聖、はアイドルなんだし、普通は難しいよ」

「けれど、私は千紘の恋人になれたのよ? なのに放置されてばかりだわ」

「ヒロ様は過剰すぎるきらいがありますし、そもそもヒロ様はヘタレなので」

「そうね」

 

 そうねじゃないそうねじゃ。ただパレオちゃんの言葉はある意味的確なのかもしれない。千聖さんのこと呼び捨てにすらできてないし、なんやかんや恋人としての愛の育みは一応順調……というかそもそも付き合う前にキスとかしちゃってるから今更というのもあって順調なんだけど、それも千聖さんが俺の家に来て初めて成立するし。だから実はデートに一度も行ったことがないんだよね。

 

「デートに行ったことがない、というのは致命的だと思います」

「そうよ、飽きて別れを切り出すわよ」

「それはないでしょ」

「そこばっかり強気じゃ意味ないのよ」

 

 あと俺に飽きて別れを切り出すって的確にトラウマ抉ってくるのやめて。それはないとは言ったけど今心臓バクバク言ってるからね? 俺、千聖さんにまでそれされたら女性不信になりかねないからホントにやめてね? 

 

「冗談よ冗談」

「言っていい冗談と悪い冗談があると思う」

「今日は赤色よ」

「……それは、冗談?」

「ヒロ様……その視線の動きはさすがのパレオも軽蔑したいところです」

 

 うっ……それを言わないでくれませんかねパレオちゃん。確かにすーっと目線が千聖さんの美しいおみ足の方に誘導されてしまったけどこれは千聖さんの視線誘導(ミスディレクション)であってオーバフローされちゃったんだよ。

 

「パレオはこれですよ」

「対抗してこないで」

「パレオ、ヒロ様が満足できるサービスを提供することをモットーとしているので!」

 

 髪の毛を指したパレオちゃん……いや、それが知りたいわけじゃなくてね? ううん、なんて言ったらいいのかな? 色々ツッコミたいことあるんだけど、えっととりあえず俺が言いたいことはただ一つだ! 

 

「パレオちゃん」

「なんです?」

そんなカンタンに色とか教えちゃダメだよ(ごちそうさま)!」

「千紘?」

「痛いっ!?」

 

 しまったつい本音が! 千聖さんがめちゃくちゃ怒ってる! そりゃそうだ、カレシが他の女の子の、しかも中学生のパンツが髪色と同じツートンの恐らくボーダーだったからと言って喜んでちゃダメだよね! でもだからって爪が食い込むほど腕を握るのはどうかと思うんですよごめんなさい! この通り反省してるから! 今度から千聖さんのパンツだけに興味を示すから! 

 

「……嘘だったらもっと怒るわよ」

「うん……ごめんね」

「……それでいいんですか」

 

 いいんだよ、だって千聖さんが納得してるんだから。というかなんで千聖さんといいパレオちゃんといい花音といい、こうパンツの色を自己申告してくるんだろう。なにこれがトレンドなの? そんな変態的な社会になっているっていうなら俺は明日からどうやって生活していけっていうんだ。

 

「そんなわけないでしょう」

「だよね」

「私はただ……好きな人に、私で興奮してほしいだけよ」

「それは乙女心? それとも変態?」

「乙女心、でございますね」

 

 いやいやいやいや、乙女心が爆発してパンツ見せるの? なにそれ超嬉しい……じゃなくて問題でしょう!

 だけど千聖さんはそういうことよ、とか言って誤魔化してくる。パレオちゃんはパレオちゃんでパレオは乙女心ではなくご主人様への忠誠のようなものですとか言い出した。それはそれでなんだかアッチ方面の妄想を中学生でするという最低な男が出来上がるのでやめなさいマジで。そんなことを言っている間にもう見慣れた景色になってきたな。

 

「そういえば例のケーキ、おうちにお届けしておきましたので、どうぞお二人で」

「えっ、ちょっと待ってパレオちゃん?」

「ケーキ? それは嬉しいわね、千紘が?」

「はい! ひと月も前から計画していたんですよっ」

 

 それは計画してたけどさぁ! だから言ったじゃんか、それはオタク臭バリバリの痛ケーキなんだってば! というかパレオちゃんも中身知ってるよね? ヤバイことくらいわかんないのかな? わかんないんだね? 

 

「それでは、ヒロ様、千聖様、良い夜を」

「ありがとうパレオちゃん……さて、行きましょうか♪」

「ええ……うん」

 

 はは……どうしたらいいのかな。もう、なんとでもなれという思いで俺は千聖さんをリビングに招く。そのタイミングでパレオちゃんからの連絡には、冷蔵庫にお入れしてありますので、とのこと……ん? ところでなぜパレオちゃんは俺の家に入れるのだろうか? 気にしちゃだめか。

 

「どんなケーキなのかしら?」

「えーっと……その」

「ん?」

 

 それは小さないちごのホールケーキ。ホワイトチョコレートには千聖ちゃんお誕生日おめでとう! という文字……そして、その中央には千聖ちゃんの写真を模写してもらっていた。しかも以前の撮影会のツーショット、もちろん通常版。

 さて、これを見た普通の恋人はどう思うだろうか? 普通なら呆れるか別れるかの二択なんだよな。

 

「……これは」

「えーっとね、これは……」

「そういうことね。まったく……パレオちゃんもあなたも」

 

 ──だが、千聖さんは普通の恋人じゃない。これを見て呆れることはあれど嫌うことはない。というかこれをするという意味を知っている。気持ち悪い……くらいは思うだろうけど、それがオタクってものなんだという理解がある。それだけで俺はすっかり安堵した。

 

「それで、誕生日プレゼントなんだけど……」

「なぁに……あ、ふふ、かわいらしいわね」

「あとさ次、空いてる時でいいから、俺とデートしよう。行先とかは言ってくれたら、俺一人の力じゃ無理だけど連れていける。だから」

「……ええ」

 

 そう言って、犬のぬいぐるみを千聖さんはぎゅっと抱えて微笑んだ。本当にかわいらしいんだよね、こういう時の千聖さんって、本当に最高だよ。俺、この人のカレシでよかったって思える一瞬だ……と思ったら、次の瞬間には俺は押し倒されていた。

 ──なんで? 

 

「ところで、赤、なのだけれど……ほら」

「ず、ずいぶん……派手なやつだね?」

「でしょう? 結構値段も張るのよ、これ」

 

 そう言って千聖さんはワンピースをめくり、上のボタンを外してブラとショーツを惜しげもなく見せてくれる。うーんと、それって所謂……しょ、勝負下着、というやつでは? しかもカラーは情熱のレッド、これはつまり? 

 

「ええ、勝負下着よ。誰かさんが一向に手を出してくれないから、この間買ったばかりの新品なの」

「……手を、出しても?」

「なに言ってるの? 私は千紘のなに?」

 

 推しです。と反射的に答えそうになって慌てて口を噤んだ。違う、違うんだ。多分、この答えは間違ってる。というかこれは一度間違えてる質問でもあるよね。

 ──なら正解は、もちろん推し以外ならこれしかない。

 

「千聖は、俺のカノジョだよ。世界で一番、大事で好きな人」

「なら……いいじゃない。このままじゃ処女を拗らせてしまうわよ、私」

「それは困るね」

 

 改めまして、誕生日おめでとう千聖さん……じゃなくて千聖。

 俺は、推しとしてのあなたも、恋人としてのあなたも、いつもいつまでも愛しています。そしてなにより大事な千聖に愛してもらえることが、今はとてつもなく幸せだ。

 これからも、大好きだから、どうか一緒にいてくれたら嬉しいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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【丸山彩】ピンクルート(サブルート)
推しのパンツが見えた!?


 推しのイベント! 俺にとってのご褒美がやってきた! 今回は新曲のリリイベで、トークとミニライブ、それと購入した分推しと個別に握手ができるって寸法だ。オタクとしてこんな推しと近づけるイベントにでないことがあろうか、いやない。

 しかも何がって俺、推しに認知されてるから。そうだよそんじょそこらのオタクとはキモさがダンチなのです。

 

「あ、ヒロくん! 来てくれたんだ!」

「外すわけないよ」

「えへへ、いつもありがと! 今日は何枚?」

「二十枚くらい? 次のイベントとプレゼントに迷ってさ」

「えー、受験生大丈夫?」

 

 これです! 見なさいオタクくん! 認知勢は厄介とかなんとか言うけどこの対応の差なんです。

 まぁここまで認知勢と非認知勢で対応が変わる人物はパスパレだとウチの推しくらいなもんだけどね。最初の方にみんな一通り回ってるけどやっぱ推しは推し! 格別なのです! 

 ちなヒロくんとは俺のことだがSNSの名前で、本名は白崎千紘、なんだか白鷺千聖ちゃん

 に似てる名前だねと推しからは言われております。俺もそう思う。

 

「大丈夫、幼馴染に見てもらってるから」

「へぇ……あ、かの……」

「ん?」

「ううん! なんでもないっ」

 

 今幼馴染さんの名前言いかけた? またトチった? そういう目で見ると推しはうう、ごめんと目線で謝ってくる。はいかわいい。最高でーす! 

 というわけでこう認知勢としては優勝してるオタクなんですが、これがSNSでは嫌われ者だったりする。

 俺の推しは結構長い間、それこそ小学生高学年頃からアイドル研究生として事務所に所属していたらしい。その時代からのロリ……もとい古参ドルオタから俺の認知勢による自慢レポにクソリプを送りつけてきたのが始まりだった。あれよあれよという間に燃えに燃えて、しばらく別アカウントでの生活を余儀なくされるほど大変だった。オタクってキモいよぉ、ふえぇ。

 

「あ、ヒロさんこんにちは!」

「パレオちゃんどうも」

「はい!」

 

 けどそんな俺を救ってくれたのがこのツートンツインテ少女、パレオちゃん。オタ仲間として仲良くしてくれて、俺が当時探していたフットサルのコミュニティも紹介してくれた優しい子だったりする。身長が高く大人びているが今年中二になったばっかりだとか。

 

「前半戦いかがでしたか?」

「最高かな。というか逆に受験生なのに積み過ぎって怒られたよ」

「羨ましい限りですね」

 

 そうだよね。だってお客である以上積めば積むほど収入になるしね? 制限する必要がないんだけど、こうやって窘められるくらいには普段の頻度と積み方がアレってこと。まぁ俺の場合別の理由があるんだけど。

 

「この後ライブまで時間ありますし、ご飯でもいかがですか?」

「んー」

 

 どうせボッチで牛丼辺りだと考えてから正直飛びつきたいくらい嬉しい内容だね。どうしようか。パレオちゃんこう見えて……といってはなんだけどかわいいから本人が意図せずにすぐ囲われるんだよね。ツートンツインテですぐ目立つし。

 ちょっとだけ悩んで、俺はいいよと返事をした。誘われて断るなんて失礼なことをしてはいけないことを俺は去年で散々学んだので。

 

「どうする? お昼だから軽め?」

「そうですね、蕎麦なんてどうでしょう?」

「いいね、決まり」

 

 そんな風に話しているとスマホから軽快な短音がメッセージを通知してくれる。こういう時には音を分けている俺としてはその音にちょっとだけ大丈夫かなと思いながらロックを解除した。

 

『さっきはごめんね!?』

 

 内容はこんな感じ。もっと絵文字とか顔文字だらけだけど。その後に小型犬が涙を流して震えているスタンプが送られるから、大丈夫だよと返事をしておいた。SNSでサーチするクセが移っちゃってるなぁ。気を付けよ。

 

「幼馴染さんからですか?」

「ううん、友達」

「そうですか」

 

 花音からは終わった頃に連絡が来るからね。友達って言うとアレだよねフレンドなんてフットサル仲間か花音繋がりの女の子くらいしかいないけど。あともうひとり……友達? 紗夜さんはただのシスコンなので知らない。

 

「随分と、半年程で雰囲気が変わりましたね」

「そうかな?」

「はい、明るくなりました」

 

 嬉しい事を言われた。うん、俺もそう思ってきたところなんだよね。もう別れたばっかりの頃みたいな俺はどうせキモオタなんだから、みたいなメンタルではなくなった。だからこそこうやってパレオちゃんと二人でご飯なんて行けるんだけどさ。絶対別れたばっかりの頃だったら俺なんかが、って断ってたと思う。

 

「ヒロさん」

「んー?」

「神戸のライブはどうされますか?」

「あー流石にスルーしちゃった」

 

 その会話は蕎麦を注文して舌鼓を打っていたところだった。

 神戸ってめちゃくちゃ遠いんだよねぇ。流石に交通費も宿泊費もでないもん。ええーとか言われたけどそこはホラ、俺だって一応この春から受験生なわけですよ。フットサルにバイト、オタ活で忙しい俺がそれでも大学通おうとしたらそれこそ遠征にまでバイト代は懸けれない。

 

「やっぱり。でしたら是非、パレオと連番致しませんか?」

「れ、連番って、相方は?」

「ですから今、誘っているのです」

 

 連番て。お相手そこら中にいるでしょ。そう思ったけどパレオちゃんから更に交通手段用意宿泊施設用意という格別とかいうレベルじゃない条件を叩きつけられた。殴られてる。女オタに貢がれてないこれ? 

 

「新幹線だよね?」

「はい。往復の新幹線と会場まで車も」

「破格……すぎない?」

()()()が金銭面を理由に諦められるのは、勿体ないと思います」

 

 パレオちゃんはすごく真剣に俺をまっすぐ見てそう言った。思わず蕎麦を思いっきり飲み込んでしまう。

 というか新幹線往復隣同士、車の席同じ、会場連番って俺パレオちゃんの囲いにブロックされそうだね。

 

「そんなのっ、構いません! パレオは真にオタクとして、同じドルオタとして語らう相手や尊敬できるヒロ様が全力でオタ活できるようにしたいので!」

 

 構わないって、まぁ確かに俺が友人だと思ってる人にパレオちゃんのガチ囲いはいないけどさ。姫を守るナイトさま方に嫌われると割と鬱陶しいんだよね。

 けどまぁそんな体裁とか小さな意地よりもなによりも優先されるのが推し事。俺はありがたく提案を受けることにした。

 

「ところで、なんで様付け?」

「あ……えっとなんというか、おもてなしをするお客様、という感じがしてつい」

「そうなんだ」

 

 物腰がお嬢様じゃなくてメイドですねそれ。だけどパレオちゃんは様付けがしっくりくるようでヒロ様、と呼ばれてムズムズする。姫プじゃなくてまさかの囲われてる? 因みにお昼代はパレオちゃんが一括で払われてしまった。電子マネーカードにギリギリ上限の金額入ってた気がするんだけど……お金持ち怖い。

 

「それではまた、お帰りも是非ご一緒できればと思います」

「そうだね」

「はい!」

 

 女の子一人で帰るにはちょっと心配だし、と思って了承した。かわいい後輩に懐かれてしまった感じだ。中学の時、部活やっててマネージャー……えっと元カノじゃない方のマネージャーね。その子がああいう雰囲気だったなぁと思い出した。卒業式の時はもう辞めてたのに学ランのボタンパクられたし、今思えば懐かれてたんだよね。

 そんなどうでもいい過去回想をしているとスマホが鳴った。もうトーク&ミニライブ始まるってのに大丈夫なのかと周囲をちょっとだけ気にしながら確認する。

 

『終わったら、ファストフード店行くよね?』

 

 行きますとも。ウチのかわいい幼馴染さんが頑張ってるからね。

 相手に行くことを伝えるとちょっとお話してもいいかなと送られてきた。いいけど、なんかあったの? まさかコレがバレたとかじゃないよね? 

 そんなことを考えながらいいかなってか話しかけてくるでしょとOKのスタンプを送り、しばらくしてからステージの音楽が変わっていく。

 進行のスタッフさんがパスパレの名前を呼んで五人が舞台袖からやってきて、オタクとなって歓声を上げる。

 

「彩ちゃーん!」

 

 推しの名前を叫ぶと彩ちゃんはパっと俺の方を見てちょっとだけ照れ笑いをしながら手を振ってくれた。はい勝った。優勝ですよこれは。

 今日は野外でちょっとだけ風が吹いてるこのステージで寒そうだけど大丈夫かな。けどトークはつつがなく進行し、そしてライブが始まる。と言ってもCDの曲を披露するんだけど、パスパレはアイドルとバンドの融合、聴くのと見るのだとちょっと臨場感や迫力が違うのが特徴だ。

 

「それでは聴いてください!」

 

 盛り上げ盛り上がる。ちょっと時折風が吹いてそのヒラヒラとスカートが揺れるところでオタクがざわめく。今日はアンダースコート見える率高いよね。俺の推しは踊るから割と回ったりすると見えちゃうんだけど、今日は日菜ちゃんとか千聖ちゃんも見えたっぽかった。

 

「……っ!」

 

 間奏中、バッチリ目が合った瞬間にスカートがめくれて、彩ちゃんがちょっとだけ慌てて抑えた。うーんこの時期に野外する事務所ってクソだな。それともそういう路線? どのみちだけど。別にごちそうさまでしたとか思ってませんよ。ちょいちょいレス飛んでくるけど刺々しい。やめて、後の個別トークが辛いから。

 

「見たの?」

「そこでどう答えたら彩ちゃんに怒られずに済む?」

「嘘つくか見たら、かなぁ?」

 

 それどっちも怒るんじゃないですか。うわーん、結局頬を膨らませて次の周、普通の対応するからと言われてしまった。ひどくない? 推しに塩対応されるとか俺に死ねと? しかも俺だけじゃないのに俺だけ。

 

「あ、初めまして~!」

「やめて」

「えー、どうしたんですか? あっ、ごめんなさい、もしかして前来たことありましたっ!?」

「こんなひどい対応ある!?」

 

 マジでやってきた。これがアイドルの実態ですよ! 別にパンツ見たわけじゃないじゃん! 男なんだからスカートひらり翻して走り出されたら心の中でフゥフゥ、ってコール入れたくなっちゃうじゃん! 何しても許される年頃なんだよ! それとも気持ちが風になれたら彩ちゃんにきっと伝わるの? 世界で一番推してるんだけど? 

 

「むぅ」

「いやごめんって」

「後でポ……あ」

「おい」

 

 相当怒ってるせいでそんなポロっとミスをしていた。幸い小さな声だったから誰にも訊かれずに済んだっぽいけど。

 それからは怒って対応したらまずいと言われたのかちょっとスマイル少なかったけどいつもの対応をしてくれた。他の人にもやってるんなら俺も文句ないけどさ。絶対認知してる人に初めましてってぶっこんできたの俺だけだよね? そんなオンリーワンはマウントも取れないよ? 

 

「それでは帰りましょうか」

「うん、パレオちゃん最寄駅は?」

「車です」

「……はい?」

「迎えが来ているので、コチラです」

 

 帰りはオタクでぎゅうぎゅう詰めの電車ではなくパレオちゃんと思ったよりも広々スペースの車で快適な、しかもMVとか見ながらの楽しい帰り道となった。流石に汗掻いたし一旦家に帰ってシャワーを浴びて、オタクの勝負服、ライブTシャツとコラボパーカーをキャストオフ、そしてただのインナーシャツとアウターシャツ、そしてカーディガンをプットオンして再び出かけた。

 

「あ! 先輩! こんばんは~」

「ひまりちゃん、こんばんは」

「花音さん呼びましょうか?」

「いやいいよエビバーガーのセット、あ、ポテトはエルで、後白ブドウジュース」

「はい!」

 

 幼馴染の後輩ちゃんである上原ひまりちゃんが応対してくれる。先輩とか呼ばれてるけど高校一緒じゃないよもちろん。羽丘ってところらしくて、パスパレだと日菜ちゃんと麻弥ちゃんが通ってるところ。

 というかここが芸能事務所にかなり近いお膝元のせいかパスパレメンバーの出没率が異様に高い。そもそもこの辺に住んでる気もする。

 

「お待たせしました~。ポテトは後からお持ちしますね」

「ありがと」

「ごゆっくりどうぞ!」

 

 ポテトは揚げたてをくれるらしい。常連で知り合いが多いということの特典だ。ジュースを飲みながらSNSをチェック、なにやら気になる発言をしてる人がいたけど、リプライが見れない……ブロックされてるのか。まぁそれはいつものこと。でもね、俺はブロックされても正直しょうがないところがあると思うんだ。

 

「ポテトお待たせ」

「花音、ありがと」

「うんっ」

 

 ポテトを届けてくれた幼馴染さんに手を振って、ポテトを齧っていると。あーもう食べてると声がした。いやいいじゃん。俺のお金だし、わざわざLサイズにしたんだからと両手の空いていないその子に向けて一本、ポテトを差し出す。

 

「ん~!? あっつ」

「できたて」

「さ、先に言ってよぉ!」

「ごめん、飲む?」

「飲む!」

 

 あ……そっちはLじゃない。そう言うまでもなく大分飲まれた。ひど、この子めっちゃ俺に容赦ないよね? なんなの? サドなの? 

 一通り落ち着いたらしい彼女は向かいの席に座る。お疲れと声を掛けるとそっちも推し事お疲れと笑みをこぼす。

 

「なんでビミョーな顔してるの?」

「いや……何て言うか、推し本人(あや)に言われるとなぁって」

「えー、そういうもの?」

 

 そういうものなんだよ。

 眼鏡をかけて、控えめな化粧をしている、アイドルとして活動してる最中はツインテの髪を下ろしたキラキラの美少女。丸山彩がここにいた。

 彩は彩ちゃんのプライベートの姿。雰囲気や会話していてさほどの違いはないが、やっぱりアイドルモードよりフツーの女の子っぽいので俺は呼び分けてる。待って物は投げないでください。そうだよね、推しとプライベートで知り合いなんて本来なら死罪に値するよね。でも違うんだよ! 別に知り合いたくて知り合ったんじゃなくて幼馴染さんのバイト仲間で友達だったからなんだよ。

 

「千紘くんもう一本」

「自分で食べてください」

「冷た!」

「はー、推しだからってプライベートまでチヤホヤすると?」

「ひど!」

 

 最初こそチヤホヤしましたよ。話しかけてくれるし本名呼んでくれるし最初は勝ち確! ってテンション上がったよ? でもプライベートで会ってそろそろ一年になろうというこの頃に彩の残念さやドジを目の当たりにして、こう普通にフレンドとして過ごすとつい、彩が推しであることを忘れそうになってこの対応になる。

 

「はい」

「結局くれるんだ」

「お疲れの気持ち」

「ありがとう?」

 

 それにしても今日は呼び出しを受けたんだけど、まさかあのことですか? そう思って彩を見ると、小動物のようにポテトを咀嚼した後で、思い出したかのようにふくれっ面になった。やっぱ小動物、げっ歯類みがある。

 

「私のスカート覗いてニヤニヤしてた」

「ニヤニヤはしてないでしょう」

「してたもん! ゼッタイ!」

 

 というかステージからそこまで見えるもんなの? まぁ即座にレス送ってくれるくらいには見えるんだろうけど。当てずっぽうで言ってるよね? それよりも俺、二回ほど個別トークの時にトチられてるんだけど。

 

「うっ……あれは」

「バレても知らないからね。俺は無関係ですーって言い張って別の子推すから」

「ひ、ひどいよ~!」

 

 後でポテト奢ってって握手しながら言われたコッチの気持ちにもなってほしい。流石にヒヤっとしたもん。そうやって一通りのイベントの話を推し本人として、花音に彩送ってくねと声を掛けた。

 

「送ってくれなくても別に……」

「俺の気持ちの問題だからいいんだよ」

「……うん」

 

 また次のイベントやレッスンの話を聞きながら、彩の頑張りを身近で感じているとすぐに彩の家が見えてきた。それじゃあ、と彩はちょっとだけ名残惜しそうに手を振ってくれる。ファンサ? とか茶化すと怒る彩はやっぱり推せるなぁ。プライベートでもアイドルとしても。そんな時だった。イベント時からずっと吹いていた春風が急に突風を吹かせた。

 

「きゃ──あっ!?」

「……あ」

 

 ふわりと、ピンク。かわいらしい意匠の入った赤いリボン、やべガン見してしまった。慌てて抑えるも時既に遅し。脳内メモリに激写保存、明日の夢週刊誌の一面は確実であることだろう。

 

「見っ……見た、よね?」

「……見えた」

「変態! バカ! サイテー!」

「えっ、ええ……」

 

 今から嘘みたいな本当の話をしよう。

 俺はひょんなことから、推しのパンツを見てしまった。

 そう推し。俺は応援してるアイドルのパンツを……知ってしまった。

 ひと昔前なら所謂トップオタ、なるものをやっているものとして推しに認知はされたいしなんならされてる。うん俺実はプライベートでも付き合いがある……じゃなくて、認知はされたいけどあくまでアイドルとドルオタという線は大事に、プライベートの友達としてもって話なんだ。

 だから、推しのパンツを見た件も、きっちりわかる通り事故だ。

 ──推しの名前は丸山彩ちゃん。長い間芽が出なかったけど今や人気アイドルとして活躍中の人物なんです。ふわふわしててかわいらしくて、トークイベントやMCではかなりの確率で噛むかトチるドジっ子なんだけど。

 とは言えパンツを見てしまったという急展開に、俺は全く感情がついていってなかった。

 まぁでも、たった一言、俺は言おう。これは言わないと失礼な気がしたもんね、やっぱり。

 だから言おう、高らかに、ヒーローインタビューのように! 今のお気持ちは! 

 ──最高です! もうこれ優勝でしょ! 

 



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え、言い訳なんて聞くの?

「それで……事故で」

「そっかあ」

 

 その日の夜、俺はご飯を作りに来てくれた花音に事情を説明した。というか俺の表情が完全に死んでいたらしくどうしたのと切り出してくれた。ありがとう、おかげで言える。

 ドン引きされようとなんだろうとうっかり彩のパンツを見ちゃったことに変わりはないわけで。これで推し事に支障が出たら最悪俺廃人になるよ? 

 

「それは、私がフォローできることはないかなあ……」

「いや、いやそこまでしなくても大丈夫! 花音にはただでさえ世話になってるのに、そのくらい自分でなんとかするよ」

 

 これは遠慮とかじゃなくてマジで自分でなんとかしなくちゃいけないことだと思う。彩はプライベートの時はもうなんていうか本当にただの女の子だから。アイドルとして扱うよりもこうやって友人として接した方がうまくいく。だからって花音に頼るのは今後のアイドルとオタクの距離に支障が出る。推しは推しとして推したいんだもん、パンツを見ようとなんだろうと俺の推しは彩ちゃんだ。

 

「んーでも、千紘くん、口利いてもらえる?」

「……そこなんだよなぁ」

 

 問題は多数、俺の中だけで処理できるかどうかと言うとまず言葉を交わしてくれるかどうか怪しいってところはあるよね。拗ねると大変なんだよなぁ彩って……でも今回は俺も悪かったし、きっちり謝らないと。

 

「今日は置いといた方がいいよお」

「やっぱり?」

「うん」

 

 ゆるーく頷いてくる幼馴染さんに俺ははぁと溜息を吐いた。推しとプライベートで知り合うとこんな思わぬハプニングが起こるとは……ううん思い出しただけでご飯三杯くらいいけそう。こういう変態的思考がもうダメな気がするけど。

 

「変態さんだったんだ……千紘くん」

「あのね花音、男はみんなパンツ見たいもんだよ」

「それは言い過ぎじゃないかなあ」

 

 でもパンツにロマンを感じる男性が多いのもまた事実である。というか俺はロマンを感じる。溢れている。

 でもまぁ彩と同じく女性である花音にそれが伝わらないし気持ち悪いと思うのは当然だよね。これからはなるべく控えますはい。

 

「じゃあ、さ」

「うん?」

「千紘くんは……私の、パンツも見たいの?」

「……えっと」

 

 正直言えば見たいって脊髄反射しそうになった。危ない危ない、そうやって思考していくことが人間が人間である第一歩なのだろう。

 だが見たくないわけではない、だけど花音に嘘はつかないと決めている。さてどうすりゃいいこれ? 

 

「見たいって言ったら見せてくれるの?」

「えっ……えっと」

 

 よし、質問を質問で返すという無粋極まりない行動には出たけどなんとか誤魔化すことに成功した。外道? 鬼畜? いいんだよウチの幼馴染さんは天使だからそのくらい許してくれるの! 

 

「千紘くんが……望むなら」

 

 おっと? おっとお? 全く予想外の展開になって俺はフリーズしてしまった。

 恥じらいで耳まで真っ赤になった花音、そんな花音がそれでもとスカートを両手に握りしめていた。あれなにこのシチュエーションエロくない? じゃなくてヤバくない? 俺だって男だよ? いや、アイドルにブヒブヒ言ってる汚らしい豚さんですけども! 花音にパンツ見せてもらって、アレな雰囲気にならないわけないよね? 

 

「花音? 落ち着こ? 淑女の貞節を忘れないで」

「だめ……そうだよね、かわいい子のパンツ見たいもんね」

 

 しょんぼりが明後日の方向へ行ってる。違うよ、俺は花音がかわいくないからパンツ見たくないとか言ってるんじゃなくてパンツ見たいって俺が言ったら見せてくれるみたいなそういうはしたないことするのをやめようねってことだからね? 後それを見てしまった後の展開次第では俺は親に殺されるのでやめてほしい。

 

「私のこと、嫌い?」

「嫌いじゃないよ」

「好き?」

「好きだよ……でも」

「……そっか」

 

 好きとは言う。でも、俺はまだ関係を幼馴染から踏み込めないままでいた。

 花音に告白されたのは、元カノと別れて半年経ってからだった。その関係がいくら嘘だったとしても、俺は……元カレから花音を守る方法がわからないままだから。

 

「ごめんね花音……」

「いい、それでもいいから抱きしめて」

 

 花音の傷を、俺は癒してあげられないんだ。

 お互いに別の恋で傷を負ってしまった俺たちは、まるでその傷を舐め合うようにして名前だけは恋人として一緒にいた。でも、中身は花音の片想いのまま。お互いに吐いてしまった嘘がお互いの関係を苦しめていた。

 

「私はね……千紘くんになら、なにされてもいいよ」

「それは」

「わかってるよ、そういうことできないんだって。でも……私はそうだから」

 

 この関係は、彩どころか周囲には内緒である。周りはただ付き合ってるとだけ。でも多分俺は……段々とわかってきたことがあった。

 ──俺の花音への好きは、花音が俺に向けるむせ返るほど甘くて、苦くて、なにもかもがごちゃまぜになった好きとは根本から違うものなんだなって。

 パレオちゃんや紗夜さん……なにより彩との関係がそれを教えてくれていた。

 

「でも……わがまま、帰る前に一回だけ……」

「……いいよ」

 

 頷くとするりと花音が俺の首に腕を回してくる。細くて白い腕、潤む瞳はまるでパンジーの花のような可憐さと、残酷さがあって、俺は背中に手を回して彼女を受け止めた。

 唇が触れ合う。半年で積みあがったキスの数はもう数え切れるものじゃなく、俺が唯一花音に許してる、恋人としての触れ合い。

 

「ん……」

「送っていくよ」

「うん」

 

 初めてのキスは甘酸っぱい味がした。それは確かに覚えている。だけど、いやそれを覚えてるからこそ、花音とのキスは……甘いのに物凄く雑味でいっぱいで、いつも吐きそうになる。いっそ前みたいに自分のこと嫌いでいられた方が、こんなに残酷な優しさなんて、まるでゆっくりと心臓にナイフを突き立てていくような慈悲をかけなくて済んだのかな。

 

「……っ!」

 

 花音を送っていった帰り道、そんなぐるぐると頭が痛くなるような思考を巡らせていた時に着信音がした。通常誰かからの電話はしゅわどりなんだけど、パスパレボリューションズは彩だけに設定している着信音だ。

 

「もしもし?」

『……もしもし』

 

 うわめっちゃ不機嫌そうだ。でも電話をしてくれるくらいには冷静になってくれてドルオタとしては感謝感激雨あられなわけで、また胸に詰まって吐きそうだった感情が彩の声を聴いてすっとなったから意図せず弾んだ声でどうしたの? と問いかけた。

 

『言い訳』

「はい?」

『私のパンツ見た言い訳をして』

「……風のせい」

『ガン見した』

 

 うっ、確かに。ガン見しました思わず。まだ覚えてるよ色も装飾も、と言ったらまためちゃくちゃに怒られるし、多分バカ正直に最高でしたなんて言ったら思いっきり電話切られるだろうということもあって慎重に言葉を選んでいく。

 

「ほらあれだよ、咄嗟のことで」

『えっち』

「そういう言い方しないでよ」

『花音ちゃんいるくせに』

「……そういう言い方しないで」

 

 ズキリと胸が痛んだ。嫌なヤツだな俺って、本当に最低だ。

 そこで素早くそうだねごめんって言えない俺は、なんというか女誑しみたいだ。オタクの敵でしょ、リア充とウェイ系と異性関係がルーズなヤツ。あれねセフレとか作っちゃうやつね。俺はなんだかどんどん最後のヤツに近づいている気がする。なんでかはおいおい説明するとして。彩がそうじゃなくて! と話題を変えてきた。え、パンツの話じゃないの? 

 

『そっちは千紘くんじゃなかったらもっと重要だったけど、今はそれより千紘くんのSNS、燃えてるよ?』

「は? なんで?」

 

 待って今日は確かに彩ちゃんに対して風が強かった話をしたら次の周回で初めましてと言われた話は投稿したけど、それ以上になにか燃えるようなこと、そう思ってSNSを付けたら通知が物凄いことになってた。あー、またこれか。アホみたいに重いのでログアウトして逃亡用アカウントで覗く。

 

「あー……こっちかぁ」

『そう、なんか巻き込みでリプされたからなんだろうと思ったらさ』

 

 そう、彩の公式のアカウントの方にリプを飛ばしたんだよ、その呟きにぶら下がって暴言の嵐だ。すげぇことになってる。

 しかも内容は彩ちゃん関連じゃなくて、パレオちゃんとご飯に行ったことが原因みたいだった。

 女オタオタって嫌われるんだよね知ってる。厄介認知勢な上に女オタオタとかマジかお前状態である。違うよ! 

 

『パレオちゃんとご飯行ったの?』

「誘われたからね」

『ふーん』

 

 その時に二人で歩いて蕎麦屋まで行ったのがパレオちゃんの囲いに見つかったらしい。まぁあのツートンツインテじゃ目立ちたくなくても目立つよなぁ。彩ちゃん担当のオタクは俺のこと嫌いなヤツ多いし、そもそも彩ちゃん相手に認知されようとする行為そのものが悪という風潮まである始末だ。千聖ちゃん担当見習え、アイツらみんな認知勢で同担拒否ばっかだからな? 

 

『私は誰とご飯行こうが自由だとは思うけどさっ、花音ちゃんがかわいそうだよ』

「花音には言ってあるよ」

『……いいって言ってるの?』

 

 花音は基本束縛嫌いなんだと。というか俺に嫌われたくなくてびくびくしてるだけとも言うけど。本来の花音は嫉妬深くて独占欲が強いタイプだってのは今更彩に言われなくたって知ってるよ。というか関係ない会話の途中で花音の話しないでって再三言ってるよね? 

 

『あ、ご、ごめん』

「……いいけど」

 

 しまった、なんかイライラして彩に当たっちゃった。推しなのに、友達なのに。

 話を戻して、部屋に戻ってマジマジと自分の炎上してるSNSを眺める。対応めんどいなぁ……というかみんなのパレオちゃんなのにどうとか言われてもむしろ囲われてるの俺の方だし。

 

「なんか、この思考が敵を増やす原因な気がしてきた」

『千紘くんすぐマウント取るもんね』

「……うわ今すっごい刺さった」

『ありのままの事実だよ』

 

 うるさいなぁ!? そうやって彩はすぐ俺のことド正論でいじめてくるんだけどそれ楽しいの? 即座にうん割とと言われてしまい、俺は言葉を失ってしまう。俺の推し、実はプライベートだと割かしサドだった模様。もう一人サド枠いるから正直もうお腹いっぱいだよ。あの人の毒舌が一番いじめだもん。

 

「これ、放置が正解かなぁ」

『鍵の方、パレオちゃんと連絡できるの?』

「前に炎上したからメッセージアプリ教えてもらってる」

 

 その際ちゃーんとお互いのSNSは不干渉ということになったよ。彩は神戸のライブのことを心配してくれたんだろう。推されてるな俺……ふっ、すまんなオタク、推しから来てほしそうにされるオタクってそうはいないよな。

 

『あ、そうだ』

「なに」

『神戸ライブの後、泊まるところ一緒だったよ』

「マジか」

 

 確かに彩に泊まる場所話したけどさ、パレオちゃん……まさか狙った? そんなわけないか。とはいえ運命の悪戯? まぁ嬉しいからいいんだけどさ。

 彩は終わったら千紘くんのところ遊びに行こうかな~とか言い出した。スキャンダルになるのでやめましょう。

 

『アイドルじゃなきゃ友達として接してくれるって言ったのに!』

「そうじゃない」

 

 俺は確かにアイドルとしての彩ちゃんとは別に、こうやって知り合った友人として彩と話をしていて楽しいとは言った。彩がそれでいいなら友達として接するとも。でもそれができるのは俺だけで、彩を知らない人からすれば、前の俺のようにあ、彩ちゃんが! ってなるわけじゃん。体裁を気にしようよってことね。

 だけど彩は納得がいかないようで、むう、と唸った。

 

『私は千紘くんとお話しがしたい!』

「電話でよくない?」

『やだ!』

「わがまま……」

『だって!』

 

 だってじゃないが。幾ら友達として、とは言えそのプライベート感の薄い宿泊施設で、というのはちょっと軽率だと思うよってこと。

 ──俺が心配してるのは、俺のせいでずっと願っていた彩の夢が断たれること。まだまだ二年目だよ? 一年でうなぎ登り、鯉が竜になる勢いだったとは言えまだまだ二年目、記念イベントだってちゃんと行くし……というかこのために最初神戸パスしてたし、俺は彩のこと、彩ちゃんのこと応援してるんだから。

 

「俺は彩の夢に頑張る姿があったから、自分のことをもっと好きになろうって思えた。辞めちゃったスポーツを始めよっかなってきっかけにもなった」

『……うん』

「そんな彩が俺のせいで干されたりしたら……嫌だから」

 

 ここで嬉しいからって甘やかしていいよ来て話そうよ、なんてことも言えるんだけど、そんな優しいだけの言葉で結果として彩が傷ついたらなんの意味もない。

 俺はいくら優しくなくたって、厳しくたって、彩が夢に向かう姿にペンライトを振っていたいから。

 

『ふ、ん……もうっ、千紘くんはホンットに私のこと好きだね!』

「好きだよ?」

『──っ! えへへ……じゃあ、そろそろ寝るね』

「うん」

『おやすみ~!』

 

 おやすみって言う割には物凄く元気な声だったけど寝る気あるのかな? 夜更かししたらまた千聖ちゃんに怒られちゃうよ?

 とはいえ彩の元気な声に当てられて俺もなんだか目が冴えてしまってるよ。やっと下火になってきたSNSのアカウントを再ログインして、チェックする。フットサル面子は別アカウントに連絡してきてくれて、パレオちゃんからもメッセージが来ていた。

 大丈夫、そんなこと気にして縮こまるほど、俺はもう俺のこと嫌いじゃないから。

 

「ふふ……やっぱり寝る気ないじゃん」

 

 知り合いや友達の温かい言葉によかったと思っていると、彩ちゃんのSNSが更新された。目が冴えちゃって寝れないのでゲーム中……という投稿にいいねを付けておいた。リプライ送ったら燃えるのわかってるし。

 そしてすぐさま千聖ちゃんに見つかって彩、ちゃん……? とにこやかな顔文字がついてる。あーあ怒られる。どうやら千聖ちゃんは撮影が長引いて今終わったようだ、タイミングが悪いね。そっちにもいいねしておこう。時に千聖ちゃん、実はそのタイミングでわざとなのかどうなのか知らないけど、おねーちゃんと夜ポテト! とかいうアイドルとしてあるまじき投稿してるメンバーいますけど。

 

「賑やかだなぁ、パスパレって」

 

 だから推せるんだよね。こうバンドって括りなのか大失敗から始まったスタートだからなのかわからないけど、メンバーがすごいほのぼのしてるんだよね。

 一歩一歩積み上げてきたものを感じて、激動の一年を迎えようとしているパスパレ、そのリーダーと知り合いになって、パンツを見てしまった。それが新しくて慌しい日常と涙と笑顔に包まれた始まりの日だった。

 

 

 



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独りでいないということ

 黙々、モグモグ。バイトが夕方で終わった俺は軽食代わりにポテトとコーラで優勝していた。おいしい、俺的にはこのパリパリ感がいいんだよね。今日も揚げたてで最高です。

 そんなことをスマホ片手に感じていると向かいにキレイな脚がチラリと見えた。

 

「……ん?」

「性犯罪者さんどうも、通報するのでそのままで」

「なんで?」

 

 誰キミ、というまでもなく知り合いだった。こちら氷川紗夜さん? 知ってる? 知ってるよね? いいよね説明省くよ? 

 けど相変わらず通報するとかなんとか言いつつ俺の向かいに座ってくるところ辺り、まぁ友人未満にしろ知り合いくらいにはなれてるとは思う。

 

「まったく、人の脚を……あんな、舐めるような目線で見ないでください、鳥肌立ちました」

「見てない」

「感じました、目線を」

「そう……ごめんなさい?」

 

 納得してないけど謝っておいた。この人は毒舌がデフォルトだからね。けど今回は思わず脚を見たことに恥じらいを感じてるのは事実らしい。ごめんって、良いおみ足過ぎてついね。紗夜さんってスラっとしててモデルみたいだし無駄な脂肪とかないし、眺めるのは最高だよね正直。

 

「ところで、白崎さん」

「んー?」

「こ、ここのクエスト……一緒にやりませんか」

「……いいよ」

「そっ、そんな目で見ないでください!」

 

 そう言われましても。さっきまで毒舌吐いてたくせにスマホ差し出されてもねぇ。というか薦めたの俺ですけどハマりすぎじゃない? 基本無料ゲームなんだけど、とは言ってたけど課金してないとしたらかなり効率的にやってなきゃこんなにできないけど。

 

「……実は」

「え?」

「ほ、ほんの少し……このキャラがいたら攻略が楽になると……白金さん、友人に教えられまして」

「なるほどなぁ……」

 

 お堅い風紀委員みたいなイメージのあった紗夜さんだけど、シスコンだし、ああやって騒ぐオタクというものは好きではありませんとか言ってたくせにどうしてかこう、一緒にゲームをやったりポテトを追加で頼んでシェアしながら雑談をする仲にはなっている。日菜ちゃんの双子のお姉さんだから顔立ちが恐ろしく似てるせいでオタクとしてはビクビクする時もあるけど。

 

「別にあなたのステータスが低くても気にしませんよ」

「はー、低くないし」

「……自惚れは身を滅ぼしますよ……ふふ」

 

 半笑いで言うな! この人も大抵サドっ気が強い。ウチの幼馴染といいどうしてこう俺をいじめて喜ぶ変態が多いんだこの辺。もっとひまりちゃんとかパレオちゃんみたいなかわいらしさをください。

 

「そういえば」

「んー?」

「次の神戸、どういう手段で向かうのですか?」

「あー、新幹線」

「お金よくありましたね」

 

 ゲームをしながらだらだらと話していく。それはなんか大いなる力が働いたからセーフなの。紗夜さんにそう伝えるとどういうことですかと怪訝な顔をされた。知らないよ。

 そういう紗夜さんはまたコッソリライブ見に行くんですか? 

 

「ええ、ついでにバンド仲間と観光でもと考えています」

「あー、お菓子おいしいですもんね神戸」

「……ええ」

 

 紗夜さん実はお菓子作りが趣味だったりする。意外だよね、でもバレンタインにもらったチョコおいしかったんだよなぁ。あ、俺はそこらへんのオタクと違って親以外にもちゃんともらってるんだ! 今年は花音、紗夜さん、パレオちゃんと彩からもらった。数で負けていても推しからの手作りチョコというめちゃくちゃなパワーを持った究極のチョコがあるから無敵なのだ。ホワイトデー大変だったけど。

 

「ですからよければ一緒に、と思いましたが難しそうですね」

「そうだね、物販並ぶし俺前の日から行くよ」

 

 パレオちゃんがそう言ってた。前の日乗り込んで、ご飯食べて即就寝。朝早く起きて朝食摂って整理券取りにダッシュという寸法だ。んで帰りはまた一泊してからのんびり帰ってくるって手筈だ。

 

「つまり学校が終わったら即新幹線ですか」

「そういうこと」

「……そう」

 

 ん? なんかあったのかな。紗夜さんはほんの少し俯いていた。だがその真相を探る間もなく、千紘くんと元気よく名前を呼ばれてすごい勢いで振り返った。ぱっと花咲く俺の推し。今日もかわいいね! 

 

「あ、紗夜ちゃんも」

「どうも、丸山さんはレッスン終わりですか?」

「うん! シフト出しておこうと思って」

「お疲れ様」

「うんっ、あ千紘くん一本ちょーだい!」

「はいはい、自分で取ってよ」

 

 ちょーだいて口を開けるな。鳥のヒナみたいだなんて失礼なことを思い浮かべながら結局一本つまんで彩に差し出す。食べ終わってからありがと、とスタッフルームに消えていく彩の後姿を眺めながら紗夜さんは首を傾げてとんでもないことを言い出した。

 

「付き合っているの?」

「ぶっ──つ、誰が誰と!?」

「丸山さんと白崎さんが、よ」

「付き合ってないよ?」

 

 だいたい俺紗夜さんにも花音と付き合ってることを教えてるはずだけど。紗夜さんはマジで忘れていたようで、そうでしたねと思い出したように言った。というかそんな雰囲気出てた? 彩と? それは今後のために気を付けた方がいいやつだよね? 

 

「そうですね、先ほどの二人のやり取りを傍から眺めていたら……すごく気の置けないものだと感じたので」

 

 ポテトのくだりや別れ方と言われる。そうなのかな、だって俺としては……なんと言ってもオタクに嫌われそうだが例えば、紗夜さんにも今はいってポテト渡せるよ?

 そうしたら紗夜さんは嫌ですと断ってきた。ひどくない? 

 

「誤魔化さないでください」

「なにが」

「あなたは……内に秘めていることが多すぎるわ」

 

 そんなことないよ。ただのほほんと、時に気持ち悪くドルオタをして生活をしてるってだけだよ? 紗夜さんはすごく悔しそうな顔で俺を見つめてくるけど……まさか紗夜さんが知ってるってことは、ないよね? 

 

「んっ、ポテト冷めるよ」

「……いただきます」

「千紘くん紗夜ちゃん、そっちおじゃましてもいい?」

「ええ、構いません」

「紗夜さんがいいなら俺も」

 

 彩がやってきて、紗夜さんと日菜ちゃんの話をしていく。時折俺も参加して、基本は向かいから眺めていると、俺の隣にもアップルパイと紅茶の乗ったトレイが置かれた。え、誰だろうと見上げて、俺はえっ、と思考がフリーズした。

 

「楽しそうね、私も混ぜてもらえるかしら?」

「どうぞ、楽しいかどうかは判断を委ねますが」

「え、ええ……ち、千聖ちゃん……だよね?」

 

 パスパレのベース担当白鷺千聖ちゃん。花音の親友で俺の名前に似てる人。ここではこれ以上の説明はしない。だから俺は千聖ちゃんのプライベートがものすごく近くにあることを知っていたけれど接触をしようとは思わなかった、推しでも推しじゃなくても、女優でアイドルの彼女はそれだけで遠巻きに見ていたい存在だしね。

 

「プライベートでは初めまして、かしらね」

「そうですね」

「あら、あなたも随分イベントの時と雰囲気が違うのね」

 

 わーいまさか千聖ちゃんにまで認知してもらえてるなんて光栄だなぁ。俺、千聖ちゃんと個別で話したのは一度だけ、言葉を交わしたのは再公演の時併せて二度目なんだけど。

 幾ら花音から俺のことを聴いていたとしても早くない? 名乗ってすらないよ? 

 

「写真を見せてくれたことがあったのよ……パスパレが始まってすぐの頃」

「花音……!」

 

 つまり再公演とその次のイベントの間ってことか……タイミング良すぎる、というかアレか、花音が俺がパスパレにハマってる話をしたなこれは。あとイベントの時と雰囲気が変わるのはイベント中はオタクとしてオイオイフウフウ言ってるからでは? 

 

「そして、今ハッキリと繋がったわ。彩ちゃんがコソコソ連絡を取ってる相手、花音の幼馴染でありカレシ、炎上しているオタ……ファン、この三つは全てあなたね」

 

 ビシっと指を向けられる。探偵だ、というか千聖ちゃんって探偵の役もやったことあるんだっけ雰囲気がそれっぽい。

 後ツッコミたいことが二つ三つあるんだけどとりあえず彩が俺と連絡してるのが既にバレてるということはよくわかった。彩が物凄く青い顔してるよ。

 

「彩ちゃん、どういうつもりかしら? アイドルとしての思い入れが人一倍強いあなたが、こんなスキャンダルじみたことを」

ファストフード店(ここ)で、たまたま会っちゃって……仲良くなって」

「仲良くなったらダメじゃない」

 

 あ、お説教が始まった。紗夜さんも付き合いきれないとばかりに黙々とポテトを食べ始めた。ルールとか風紀とかそういうのは厳しいよね、やっぱり雰囲気からもう風紀委員(さよ)さんって感じだ。

 

「食べますか?」

「……なんで?」

「餌付けしたい気分なので」

「犬じゃないが」

 

 そんなむっと怒り顔しながらポテトを差し出されても嬉しくないし人をペット扱いすんな。けど食べるわん。

 お説教タイムは花音がバイト終わってやってくるまで続いた。千聖ちゃんと出かける用事があるのかと思えばただアップルパイと紅茶がほしくて花音の顔が見たかっただけらしい。

 

「花音、本格的に気を付けた方がいいわよ」

「……うん」

 

 そしてこの会話を聴くに、親友にすらこの関係の真の意味を知らせてはいないらしい。また寂しくなって俺を求めるのに、どうしてその渇望を外に向けられないんだろう。わかってる、理由なんてわかってるよ、俺のせいだって。俺がいるから、花音は周囲に自分の嫌いな嘘というものを吐き出し続けなければいけないんだ。

 

「千紘さん」

「ん? どうしたの紗夜さん」

「……また一緒にゲームしましょうね」

「うん」

 

 紗夜さんはこれまでにないくらいかわいらしく手を振ってその場を去っていった。そんなに一緒にゲームするの楽しかったんだろうか。

 彩も名残惜しそうに別れて、千聖ちゃんと一緒に帰っていった。あれはお説教延長戦だな。

 

「帰ろっか」

「うん」

 

 バイトであった他愛のない話を聞きながら、花音と手を繋いで帰っていく。お互いに会話もなく、迷いようのない道をまっすぐ歩いて、彼女の家の前についた。

 手を離そうとすると、花音は手をほんのわずかに握りしめた。名残惜しい、もっとずっと一緒にいたい、花音のいつもの言葉たちが直接手から伝わってきた。

 

「月曜は、暇でしょ花音」

「ん、部活あるけど……」

「また誰かにバイト先まで連れてってもらえば……帰り道くらいは一緒だよ」

「……千紘くん」

 

 俺ってなんでこう甘いんだろうね。本当に、花音のこともっとちゃんと考えてあげなきゃいけないんだけど、口から出るのは幼馴染の延長のような、なあなあの優しさ、ぬるま湯のような風邪でも引いてしまいそうな言葉ばかり。

 

「じゃあ……おじゃまさせてもらうね」

「うん」

「だいすき」

 

 ごめんね、花音……俺のこと、そんな風に好きでいてくれるのに俺は中途半端な気持ちしか向けられないなんて。

 花音を送っていった帰り道はいつだって、なんだか空虚だ。そんな空虚な帰り道でスマホがメッセージを受信した。

 

「パレオちゃん?」

 

 珍しい人からメッセージが来た。ヒロ様大変です、と来てからすぐに画像が送られてきた。SNSの呟き……というかまだ炎上収まらないのね俺のアカウント。

 すると中身は俺のことについて、俺が丸山彩ちゃんのストーカーで更に別の彼女の友人に付きまとっている犯罪者、という記事だった。ナニコレ? 流石に異常事態なのでパレオちゃんに連絡を取る。

 

『あ、あの今からお会いしながら話って、できますでしょうか』

「その方がよさそうだね」

『はい、今ご自宅でしょうか?』

「うん」

『あ、えっと、差し支えない範囲で近くまでお迎えにあがりますが』

「あー……いいよ、家の住所送る」

『……かっ、かしこまりました!』

 

 めんどくさいし、近くになんてコンビニくらいしかないし。

 住所を手で打って送ってから、ものの数分後に……パレオちゃんは迎えに来てくれた。家近いっすね。というか今日は初めて見た女子制服姿の黒髪パレオちゃん。こっちが地毛なのかな? 

 

「これ、どういうこと?」

「個人のブログのようです」

 

 なるほどね、個人のブログ。俺もなんか気持ち悪い長文握手会の特徴みたいな毒吐きのやつ書いたことあるからわかるけどああいうのかなぁと思って再度眺めてみる。文章からは怒りが滲み出ているよね。

 

「というかそもそも俺のストーカーしてんのかコイツ」

「……そちらはパレオが全力で解決致します」

「男が男にストーカーって……はぁ」

 

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって言うのかなこれが。俺の彩ちゃんへの馴れ馴れしさが気に入らない、みたいな呟きが散見される。当の本人ブロックされてますがね。なにやっても気持ち悪い、こんなヤツがいるから民度が下がるだの言いたい放題だ。

 んで俺のストーカーして個人情報の特定をしようとした折に俺が彩ちゃんが働くとされるファストフード店に頻繁に出入りしているのを見たと。そんで別の女と出ていくのを見かけて更にキレた、と。

 

「陰湿だな」

「陰湿です」

「別の女ってのは花音のことかな」

「きっとそうですね、ヒロ様は恋人さんを待っていらっしゃいますよね」

「まぁそれが目的でファストフード店に出入りしてるからね」

 

 それを曲解されたと。目に映るものはその個人によって違うのだと言っていたのは誰だったかな。同じものを見ていても、その実知っていることの差で全く違った見え方がする。それが今回よく表れていると思う。

 彩に会うのは偶然以外のなんでもないし、花音は俺の恋人……一応は恋人だ。これもまぁ見た人によって情報が違うってことだよね。

 

「あ……あの」

「ん?」

「後悔……していらっしゃいますか?」

「何を?」

「パレオと……パレオがヒロ様をあの時ご飯に誘わなければ、こういうことにはならなかったと思われますから」

 

 しょぼんと項垂れるパレオちゃん。ああ、確かにね。でも俺も燃えそうな気がしてたのにああして一緒にご飯を食べた。それはパレオちゃんが俺と一緒で最高に自分のためだけにオタクやってるからなんだよね。

 他人を気にすることなく自分が信じたオタクというものの為に推しにペンライトを振って、声を出して、俺の場合は認知を求めている。パレオちゃんはかわいいを表現するために髪色まで変えて、色んなことをしている。

 

「だから俺は、パレオちゃんと仲良くなれて、なによりあの日があったから神戸のライブにまで行けるんだよ? 後悔するわけないじゃん」

「ヒロ様……ありがとう、ございます」

 

 だからこれからもオタ仲間としてよろしくねパレオちゃん。あとこのストーカーのことも……こっちは俺じゃなんともしようがないからさ。

 パレオちゃんは屈託のない笑顔でヒロ様のオタ活を阻むものはなんであれ排除いたしますと言い放った。うん? なんか圧迫感のある笑顔だね……? 

 

「それでは……あの」

「ん?」

「お、オタ活以外でお会いしたい時は……連絡したら、よろしいでしょうか?」

 

 え、うん。大抵はバイトかフットサルってことも多いけど、フットサルだったら夜前には終わるしバイトも休日は夕方までって決めてるから。後は休みの日だったり花音を迎えに行ってるから居場所なんてすぐバレちゃうけどね。

 

「それじゃあ、またね」

「はい!」

 

 ドライブをしながらの話し合いが終わり、俺はまた家の前へと戻ってきた。既に両親も帰ってきているようで、俺はやっぱり独りじゃないってこういう時大事なんだな、なんてことを思いながらその日は眠ることにした。

 

 

 



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ツートン癒し効果ってヤバいから気をつけろよ

 そしてついにやってきたライブ当日、俺とパレオちゃんは一旦ホテルに戻っていた。

 もう物販は並んだのでトレーディングを開ける作業をするため、どっちの部屋にするかってちょっとモゴっとしたけど俺の部屋で集まった。

 

「ヒロ様はやっぱり無限回収ですか?」

「お金なくなるから無限ではなくて有限だけど」

「なるほど、でしたら私は一枚ずつでいいので被った分はお任せください!」

 

 そう言って彩ちゃんの缶バッチが四つ、ブロマイドが五枚になった。やったぜ! 後は今回のタオルとTシャツも確保して、ブレードもバッチリ購入。まぁ曲によってはピンクのサイリウムが火を噴くわけですが。

 そしてパレオちゃんは缶バッチとブロマイドコンプでにこにこだ。今回の限定ブロマイド、絶対プレミアつくからなぁ。時に全イベントブロマイド全コンプって変態が俺の向かいにいるんだけどどう思う? 売るとねなんと百万近くだってさ。それ全部ガラスケース入りで飾ってある、百万の劇場と名付けたくなったけど大いなる力によって止められた。なんかお揃いのフレーズは愛のフレーズだし未完成に輝き見つけて鼓動合わせて意思(こころ)掲げそうだもんね。

 

「さて、お昼どうする? 流石に別にする」

「……嫌です」

「え」

「パレオは今回、ヒロ様と連番ですから、一緒に行動するんです」

 

 あの、前回のくだり忘れたのかな? と思ったけどえっともしかして今回はオフで会う予定とか……無理か燃えてるもんね今。

 そう思って俺はわかったと言っておいた。そもそもホテル内で済ませればいいのでは? 

 

「いいえ、おいしいところ既に下調べ済んであります!」

 

 優秀過ぎるなこのエセメイド! そしてまた奢りと……なんかあの一件以来マジでパレオちゃんがアイドルじゃなくて俺に金使うんだけどなんの意図があると思う? 疑念を少しだけ抱いているとパレオちゃんはヒロ様に気持ちよくオタ活していただくためですと言い切った。それは前に聞いたね。でもパレオちゃんはそこに更に付け加えた。

 

「そこに、ほんの少し……ほんの少しだけわがままを言うと、ヒロ様が幸せそうにオタ活をしている姿を、お傍で見ていたい、という……パレオの願望です」

「……パレオちゃん?」

「迷惑だとおっしゃるなら止めますので」

「そんなこと……コッチが迷惑かけてて、いいのかなって思ってただけだから」

 

 パレオちゃんはいえそんな、と首を横に振った。迷惑じゃなくて、こうして一緒にオタクができる相手が欲しかったんですと笑顔を放った。まぶしい笑顔だった。まぶしくて、どこかさみしい笑顔は、それまで分かり合う相手がいなかったということでもあった。

 

「パレオは、パスパレのオタクとして全力でかわいいを表現し始めてからいつでも、たくさんの人に囲まれてきました」

「うん」

「けれど、かかわるたびにパレオは……()は満たされない渇きに苦しみました。みなさん、私が同志だからではなく、女だから笑顔を貼り付けて、あまつさえ……推しに背を向けて私を誘うのです」

 

 手に届かない推しよりも手の届く女オタ。特に拗らせた女ドルオタはびっくりするくらいかわいいのが多いこともあるうえに趣味に引かれない貴重な人材、モテないキモオタたちはこぞって婚活するわけだ。婚活とまではいかなくとも童貞捨てるくらいはしたいと思うのかな。

 

「ああいうのはもう……うれしくなんかない。私は女に見られたくて化粧をして、髪色を変えてかわいいを表現したんじゃない。私は……!」

「ただオタクでありたかった……だよね?」

「はい……!」

 

 俺だってそれがわかってたわけじゃない。ただ、丁度女性に関してそうやってがっつこうとか思わなかった。タイミングよかっただけにすぎない。だけどそれが、パレオちゃんの……パレオちゃんの奥にいる誰かの心を揺さぶった。

 

「だからヒロさんと関わった時、彼ならと思いました。それは私がのちに出会った……彼女、ちゆさんとの出逢いにも似ていました」

「ちゆさん?」

「パレオのご主人様、チュチュ様です」

 

 どうやらパレオちゃんはパスパレに背中を押された夢を追いかけた人のうちの一人だったらしい。そのバンド云々の話はさて置くとして、彼女は歌うように、だからこそと俺に笑顔を向けてくれた。あなたは私がすべてを懸けてもいいと判断したのです、と。

 

「すべて」

「はい……あなたが、教えてくれたことです」

 

 推しにすべてを懸ける。すべてって言っても99.99%くらいだから全部じゃないけど。

 パレオちゃんは俺を推してるってことなんだろうな。オタクとして、その心が許す限りに貢いであげたいって思ってしまうくらい、彼女の琴線に触れたんだとか。だから、こうして今は一緒にいる。その貢ぎ根性の中にその笑顔を傍に見たいという見返りを求めながら。

 

「つまるところ、パレオちゃんは俺オタクでもあるってことか」

「はい! オタクは資金と体力があれば兼任できますから!」

「……強いなぁ」

 

 参った。ここまで本気になってるのに俺が無碍にしたり変に縮こまってたらパレオちゃんに返せるものも返せない。いつも彩ちゃんやパスパレがしているみたいにきちんとファンサしてかないと。

 ──あはは、前の俺だったらこんな風に俺が貢がれる立場になるだけで拒否反応起こしていただろうなぁ。自分を好きになろう計画、ちゃんと一歩一歩進んでるみたいだ。

 

「じゃあ、ごはん期待することにする」

「絶品間違いなしでございますよ!」

 

 パレオちゃんとライブに挑むためのモチベーションはこれで間違いなく確保できた。俺はもう炎上とか嫉妬に負けるようなメンタルじゃなくなった。ここで折れたら俺だけじゃなくてパレオちゃんの思いも否定することになるからさ。

 

「……いいのですか?」

「うーん、SNSってホントは得意じゃなかったし、俺はもうこんなのに頼らなくても……大切な人がたくさんいるから」

 

 そしてここで俺のヒロのアカウントは終わりを告げた。フットサルメンバー用の鍵のかかったアカウントでパレオちゃんをフォローしておく。もういいんだ。あんなに人がいなくたって推しは追いかけられるし、情報は入ってくる。固執する必要なんてどこにもなかったんだ。

 

「セン、ヒロ……?」

「そう、センヒロ、本名が白崎千紘だからさ」

「……あ、よ、よろしいのですか?」

「え、うん。よろしく」

「は、はい……千紘さん! 改めまして、鳰原れおな、と言います。よろしくお願いいたします」

 

 パレオちゃん……れおなちゃんは満天の笑顔を咲かせてくれた。ここで本当に、俺とパレオちゃんはオタ仲間に、それ以外の何かになれた気がする。

 そこから先は一切周囲が何を見てこようと何を噂されようと、パレオちゃんと俺は声が枯れるかと思うくらいに叫んで筋肉痛になりそうなくらい腕を振って、汗を掻いて、盛り上がった。プレミア席ばんざい! 

 

「はぁ……さいっこうでしたね!」

「新曲熱かったなぁ! めっちゃ盛り上がったぁ」

「汗かきました! もうなんか泣いちゃいそうでした~!」

 

 ホテルに帰っても俺とパレオちゃんはひたすらにライブの余韻に浸っていた。とっくにシャワーは浴びて、髪を下ろしてい寝間着姿で笑みを零していた。彩ちゃんからもレスガンガンにもらったし、新情報も盛りだくさんだった~! パスパレでドラマ作成はちょっと笑ってしまったけど。

 

「ドラマ、どういったものなんでしょうか?」

「ってかメンバーも驚いてたよね」

「ですね」

 

 彩ちゃんなんか口を大きく開けて一瞬だけ俺を見てからみんなを見て驚いたようにリアクションを取った。サプライズだったのか、千聖ちゃんと麻弥ちゃん若干顔ひきつってたけど大丈夫なのかな。

 

「なにはともあれ、これで来月の一周年への熱が逆に高まりますね」

「だなぁ」

「ああ、今からワクワクしてきました」

 

 結局その日はなかなか寝付けることができなかった。紗夜さんや彩に連絡しようとも思ったけど、結局、その興奮を落ち着ける相手に選んだのは穏やかで、やさしいふわっとした雲のような幼馴染だった。

 

『気を付けて帰ってきてね』

「うん、ありがと花音」

『ふあ……っん、えへへ……』

「眠たいなら寝ていいよ」

『ううん、せっかく千紘くんの声聴けるんだもん……勿体ないよ』

 

 花音の言葉は甘ったるくて、切なくて。俺は心の中でごめんねとつぶやいた。どんどん離れていく。俺が自分を好きになる度に、自分らしさみたいなものを認めていく度に、花音から心が離れていってる。

 ──当然だよな。俺はずっと自分が嫌いでその自己評価みたいなものを花音に依存していた。だから花音が好きでいてくれることがなによりうれしかったし、それが自分の本当の気持ちじゃなかったとしても、花音が笑ってくれればよかった。

 

『千紘くん?』

「ん? どうした?」

『だいすき、えへへ……言いたくなっちゃった』

「……そっか」

 

 もう、それじゃダメなんだ。俺にとって、俺の価値は花音だけじゃなくなったから。もちろん、花音が笑ってくれることは大事だしこれからも大切だ。けど、そのために残酷で優しい嘘を吐くのはもう、ダメなんだ。

 結局寝落ちしてしまった花音の寝息を聴きながらおやすみと言って電話を切って寝たのは夜中だったのに、朝早くには起きてしまって自動販売機のある場所までやってきていた。

 

「はぁ……」

「あれ? 千紘くん?」

「……彩、おはよ」

「おはよ!」

 

 どれにしようかなとだらだら悩んでいると、推しに声をかけられるなんてめちゃくちゃラッキーじゃないですか? しかも寝間着姿である、かわいいなぁ。

 ただちょっと疲れと寝不足で鈍い頭ではひゃっほいすることもできない。まぁだから糖分摂取しようと自販機まで歩いてきてるわけだけど。

 

「……大丈夫? 寝れてる?」

「彩こそ、こんな朝早くに」

「私はいつもこのくらいに起きてるから」

 

 おいマジかまだ五時半だけど。そこからランニングしてなんだりでアイドルとしての習慣をつけてるらしい。

 やっぱ彩はすごいな。本当に尊敬するし……やっぱり彩がこうやって頑張ってるのを知ったから、俺も頑張らなきゃなってなったわけだしさ。

 

「私、ちゃんと頑張れてる?」

「どうしたの?」

「ほら、教えてもらったけどさ、千紘くんアカウント消しちゃったんでしょ? どうしてこうなっちゃうのかなぁって考えててさ」

 

 自分がもっと頑張ればそうならなかったのかもしれないって? それはないよ。だってオタクなんて通常生活で抑圧されてるものをSNSやイベントで解放してるような輩ばっかりだよ? だからマウントを取ってマウントを取られることがなにより嫌で、無駄にマナーって言葉で同一になろうとする。ドルオタなんてそんなもんだし、だからこそ彩がどうあっても俺はこうなったと思うよ。

 

「でも」

「別のアカウント、ちゃんとあるし彩の投稿は全部見てるから」

「そ、そっか」

「さて、誰かに見られる前に」

「そうだね」

 

 ほっとしたような笑顔を浮かべて彩はくるりとターンして戻っていった。ふぅ、もこもこのパーカーとカラーがお揃いの寝間着の短パン、そこから見える健康的な生足……見てるだけで正直脳内メモリが許容量をオーバーしてしまいそうなくらい保存していたけど、流石にバレなかったかな。一応ね、前にいっかいパンツ見ちゃった時にそういうのバレないように気を付けてるんだよね。つい視線は寄せられちゃうけど。

 

「何かありましたか?」

「うわ……お、おはよ、パレオちゃん」

「はい! おはようございますっ」

 

 びっくりした、急に後ろに立っていたパレオちゃん、髪を下ろしてこれまたかわいらしい寝間着に身を包んだ彼女はパッと笑顔で挨拶を返してくれる。昨日の話があったせいか、連番したせいか、随分と距離が近くなった気がする。

 なんというかその分懐かれてる割合が増えてる気がする。メイドじゃなくて……ああうんこれ以上はやめておこう。

 

「ヒロ様がお望みならば……その、ペットでも……!」

「思考を読んだうえでヤバいこと言うのやめようね?」

 

 パレオちゃんがなんかキャラ迷子……迷子? なのかな? とにかく初期の丁寧対応メイド対応がだんだん崩れていってるのは確実だった。いやまぁその分笑顔のキラキラ度合いが上がってるからね、いいんだけどさ。

 

「にしてもパレオちゃん早起きだね?」

「今日はなんとなく……気分が高揚してしまって」

「そっか」

 

 部屋に戻ろうとした時に、パレオちゃんにもう一度呼び止められた。

 じっと見上げられ、パレオちゃんのキレイな瞳に俺が映っていた。どうしたの、そう問いかけようとしたら、大丈夫ですか? という言葉が先にやってきた。

 

「何か……嫌なことがありましたか?」

「……嫌なこと、なのかな」

「眠れないくらいストレスを感じるのは、ヒロ様の心が抵抗なさっている証拠です」

「パレオちゃん」

 

 中学生の女の子にそんなことを言われちゃうなんて、というかそんなに顔に出てたんだなぁ。手を握りながらパレオちゃんは心の底から心配そうな顔をして、無理はしないでください。プライベートあってのオタ活ですよと諭される。

 

「ありがと」

「ごはんの時間まで少しありますから……その、差し出がましいかとは思いますが、パレオが癒して差し上げます」

「え、ええ……いいよ」

「いけません、パレオにとってヒロ様はとても大切な人です。あなたの力になることがパレオにとっての喜びなのですから」

 

 他にもなんだかんだと問答はしたものの結局パレオちゃんに押し切られ、俺は自分の部屋ではなく隣の部屋に引き込まれた。

 癒す……って、癒すっていったいどんなことが待っているのだろうと理性で抵抗する準備をしていると、パレオちゃんはベッドの上に座って、どうぞと自分の太腿を手で示した。

 ──ひ、膝枕、ですか? やっぱり抵抗したけど何度か問答していると強引に膝に寝かされる。

 

「いかが……ですか、あ、一応……頭の向きはアチラで」

「……うん」

 

 なにこれ超あったかいし超柔らかいし超いい匂いするんだけど。なにこれ。長くてきれいな指、女の子にしては大きな手で頭を撫でられ、いかがですか? といつもよりも静かにといかけられる。

 

「ほっとする」

「よかった」

「……でもこれ、恥ずかしいな」

「大丈夫です。ここはパレオとヒロ様しかいらっしゃいません。どうか、このままパレオに甘えてくださって……いいのですよ?」

「……年上は俺なのに?」

「年齢は関係ありません。パレオの、小さなわがままです」

 

 その、何故かちょっとだけ胸を締め付けられるような声に俺は何かを言おうとしたのか、言ったのか……わからなくなってしまった。

 よっぽどいい安眠枕だったらしく、気づいたら枕はパレオちゃんではなく普通の枕で、紅茶の匂いに起き上がると、ソファに座っているパレオちゃんが、二度目のおはようございます、とほほ笑んだ。

 

「え……俺」

「ぐっすり寝ていましたよ」

「今何時?」

「もうそろそろ八時になります、丁度よかったですね」

 

 朝ごはんの時間だ、と思った。二時間ちょっと眠っていたらしい。なんかすごく気持ちのいい入眠をして、気持ちのいい目覚めをした気がする。パレオちゃんは安眠にいいのか……ってダメダメ、こんなの今日だけにしとかないとね。

 

「またお疲れでしたら……僭越ながら、パレオが癒して差し上げます。ヒロ様に最高の癒しを、届けますね……」

 

 ああ、うんこれダメだ。俺ダメになるわ。

 こうして距離が近くなった結果、パレオちゃんは人をダメにする系メイドになった。俺に対してお金とかじゃなくてそういうサービスまで貢ぐなんてほんとにそれでいいのオタク!?

 

「はいっ! パレオ、今最高にハッピーです!」

 

 ただこれは……なんというかパレオちゃんのこの守りたい笑顔を見てしまえば、断れそうにはない。

 あと起きた時に枕からめちゃくちゃいい匂いがしたからちょっと嗅いじゃったのも絶対黙っておこう。

 



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クラゲって肉食でなんならかなり獰猛なんだよね

 私ね、千紘くんのことが好き。

 カレシがいたのに、花音はそうやって俺に告白をしてきた。当然俺は断ったさ、俺にもカノジョがいたからね。でも、花音はそれでも、嘘つきと一緒にいてほしくないと俺に訴えかけてきた。

 ──じゃあ花音は、今のカレシに嘘をついてるんじゃないの? そんなひどい言葉が言えたら、どんなによかったのだろう。

 

「お待たせ花音」

「ううん、大丈夫」

「そう、じゃあ行こうか」

「うん」

 

 きっかけは些細なことだった。そもそも形だけとは言え付き合って半年ほど、その中で二人は一度だってデートってものをしたことがなかった。俺が断り続けていたのもあるんだけど。

 

「デートをしたことがない……正気ですか?」

「驚きです……」

 

 俺はそのデートのちょっと前くらいにいつものファストフード店でパレオちゃん……えっとオタ活中じゃないかられおなちゃんか、れおなちゃんと紗夜さんにそのことを打ち明けた。一緒に事情として幼馴染っていう安心感から抜け出せなくて、怖くて、結局片想いをさせてしまっていることも、一緒に話した。

 

「なるほど、それで二人はややぎこちないのね」

「納得しました」

「俺のせいなんだけどさ……」

 

 そして、怖がりなのは向こうも……いや向こうの方がよっぽど怖がりだ。いつだって俺のこと気にして、デートなんて迷惑がかかるかも、なんて言って絶対誘ってこない。そういう子だ。

 けど、それじゃあいっつも花音を悲しませてばっかりで、俺はそれはそれで嫌なんだよ。

 

「ならば千紘さんから誘うのが良いと思います!」

「だけど、俺が誘っていいのかな」

 

 俺は花音に気持ちが薄い。というか恋愛感情じゃないことを色々な人と関わることで理解してしまった。そんな俺がデートに、だなんていいのだろうか。勇気がないんだよ結局さ。このまま、なあなあに関係を続けていくという怖さが、俺を臆病にしていた。

 そんな風に下を向いた俺に厳しい言葉をかけてくれるのは紗夜さんだった。

 

「進めるも壊すも、まずは行動あるのみよ」

「そうですよ!」

 

 流石行動で苦しかった過去から抜け出した紗夜さんの言葉と行動で今の世界へと進んだれおなちゃんの同意は説得力が違うなぁ。

 行動あるのみ……か。人生は選択肢の連続だからと紗夜さんはポテトをかじりながら言った。そうだよね、停滞してるだけじゃダメなんだよ俺にとっても、花音にとっても。

 

「誘ってくれてありがとう」

「ううん、いいよ。よくよく考えたらいつも俺は花音にもらってばっかりだから」

「そんなことないよ?」

「そうかな」

「そんなことない。千紘くんにはいっぱいもらってるから」

 

 そんなこと言われてもなぁと思い当たらないプレゼントたちに疑問符を浮かべていると丁度イルカたちがファンサをしているところだった。こういうの見るとはえーお前らもアイドルなんだなぁって思う。水槽の端に近づいて子どもからイチャイチャとしてるカップルを笑顔にしてるんだもんね。

 

「イルカさん、好きなの?」

「いや、水族館なんてそれこそ小さい時とか元カノとしか行ったことないなぁって思ってて」

「そっか」

 

 元カノさんと行った時は、なんか二人きりってのが気恥ずかしいし他のヤツに見られたくないって思いでロクに楽しくもなかった気がする。おかげでめちゃくちゃカノジョが不機嫌になって大変だったことも一緒に思い出したよ。嫌な思い出だな、忘れたかった。

 

「じゃあ、さ……今日は私が、キミに楽しいって思い出をあげる」

「花音」

「水族館なら任せて……ね?」

 

 花音はそう言って俺の手を引いてくれる。もう誘っただけで嬉しそうだったのに、意気揚々と俺に水族館の生き物たちを説明してくれる。特に花音が好きなのはクラゲとペンギンで、この二つは特に説明に熱が入っていた。

 

「ふう……いっぱいしゃべったら、ちょっと疲れちゃった」

「すごい丁寧な説明でわかりやすかったよ」

「えへへ、よかった」

 

 今はクラゲの場所で休憩を兼ねていた。ふわふわと泳いでるのか浮いてるのか流されてるのか、わからない状態のクラゲを花音はうっとりとした……ううん、なんというか視線がアレなの。恍惚って言ったらいい? とにかく何か質の違う視線を感じてしまう。

 

「あ、あの花音?」

「ん?」

「……自覚ないやつか」

「な、なにが……えっ?」

 

 わからなくていいよ、というかそのままでいて花音は。時々花音は男性にとって毒のような存在になりえるよね、触れると腫れてしまう毒を持った、クラゲみたいに。でも痺れるような、甘い毒を持ってる気がする。

 

「ねぇねぇ」

「どしたの?」

「甘えても……いい?」

「……いいよ」

「やった♪」

 

 断れるわけないよね。上目遣いで、おずおずとしながらもがっちりと俺の腕をその腕の中に抱き込んでおいて、許可なんて取ってないでしょこれもう一種の脅迫だからね。

 二の腕の辺りに頭をこすりつけて甘えてくる()()()を俺は髪に指を通して受け入れていく。

 

「……すき」

「ありがと、花音」

「うん」

 

 ちょーっと、いやほんのちょっとだけ人目を憚らなかったかなぁとは思った。けど、俺は止める気には全然ならなくて……ほんの少しだけ泣いてしまった。暗がりだからバレてない、とは思うけど。

 一通りイチャイチャとしてから、俺と花音は予定通りイルカショーのために席を確保した。二人とも着替えは持ってなかったからあんまり濡れないところを確保して、待ち時間に花音が水筒のお茶を飲みながら肩に頭を預けてきていた。

 

「私ね……千紘くんとこうしてのんびりするの、幸せだなぁ」

「花音は日向ぼっことか好きだよね」

「うん、紅茶とおやつがあったらもっと好き」

「花音らしい」

「千紘くんがいたら、もっと」

「……今日はいつもより言葉が多めだね」

 

 そうかなぁと花音がほほ笑んで、俺をその紫の宝石の中に閉じ込めた。

 そして、始まってみんなの視線がモニターに吸い寄せられた瞬間、クラゲを眺めていたものに似た色を放つ表情のまま、花音は俺にキスをした。

 

「今日……夜ごはんなにがいい?」

「花音の……好きにしていいよ」

「わかった♪」

 

 俺は、やっぱ最低だなぁって思う。

 思っても、花音を振り切れない自分だからなぁ……幼馴染はやっぱりクラゲのように毒を持ってる。そして、クラゲは肉食性。その刺胞毒で麻痺させ、大きな口で飲み込んでいく生き物……花音はそう言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうも、氷川紗夜です。現在私は同じ学校に通う丸山彩さんとRASのキーボード、鳰原れおなさんと水族館にやってきているわ。

 ──誘ったのは私ですが、丸山さん、レッスン等は大丈夫ですか? 

 

「紗夜ちゃんこそ」

「私はちゃんとお休みをしましたから」

「や、休んだんですか……パレオもですけど」

 

 鳰原さん……ええっと髪の毛の色を変えている時はパレオさん、と呼ぶべきね。パレオさんもサラリととんでもないことを口にしたわね。まぁRASは昼はみんな忙しくて夜から練習が始まることもしょっちゅうらしいし、大事を取って、ということらしい。私は……今頃湊さんたちは、練習しているでしょうね。

 ですがこれは私にとって、いえ、三人にとって重要な……覗き見になろうとなんであろうと重要な一日なの。Roseliaのみんなに熱弁したら納得してくれたことだし。

 

「私たちの目的は一つよ、丸山さん、パレオさん」

「そう、ですね」

「……うん」

 

 白崎さんは罪作りですね全く。なにより丸山さんがここにいるのが本人には青天の霹靂ではありそうですが。中学生を誑かしているなんてやはり通報した方がよかったかしら。

 当の犯罪者は現在恋人である松原さんとなにやら楽しげに会話をしていたところでした。イルカショーを見て、お土産を買って帰る……といったプランかしら。そう思っていたらショーの始まりの時刻になりモニターに映像が映し出された。

 

「……あ」

「どうかして……っ」

 

 その隙を狙ったように、松原さんが、彼にキスをした。丸山さんがそれを見ていて上げた……なんの感情が籠められているのかは定まらない表情で上げた声だった。ズキリと胸が痛んで、私もきっと丸山さんと同じ顔をしているのだとすぐにわかった。

 そのまま松原さんが耳元で何かを話していて……時折白崎さんの身体が強張っている。なにをしているのかしら? 

 

「あれは……多分足触ってますね、千紘さんの」

「脚……って」

「ここです」

 

 パレオさんが自分の太腿の辺りを指した。なるほど……結構きわどいことをしている気がしますが、あの二人なんだかイルカショーそっちのけでイチャイチャとしているわね? 私にもそういう恋人同士ですることとか、そっちの知識はほとんどないからいまいち二人のしていることがわからなくて首を傾げた。

 

「紗夜ちゃんって……やっぱり」

「……彩ちゃ、彩さんはおわかりなのですか?」

「……えっ、もしかして通じるの私だけ?」

 

 どうやらそのようなので解説してくださいむっつりピンク(まるやま)さん。顔が赤くなっている丸山さんは、なんでこの二人なんだろう……千聖ちゃんがいればなぁとため息を吐いた。白鷺さんは一応以前出逢っていたので連絡はしたのだれれど興味ないわと一蹴された。まぁ白崎さんのことなんて彼女からすれば丸山さんが一線を踏み越えない程度にしか監視しないわよね。

 

「む、むっつりじゃないもん……」

 

 そんなことより、松原さんは望む答えが得られたのかするりと離れていった。なんだったのだろう……あの子はやはり、私は怖いと思ってしまうわね。それはパレオさんも感じているようで、難しい顔をしていた。

 

「パレオは確かにヒロ様、千紘さんに対して……好意、持っているんだと思います。けれど千紘さんがパレオにその愛しているという感情を向けてくださらなくても、千紘さんが幸せならそれでいいとさえ思います」

「……すごいわね」

「けど……けどダメなんです。あのヒトは千紘さんを苦しめる……そう思ってしまうんです」

 

 浅ましい嫉妬からくるものだと、パレオさんは思っているのね。けれどその感覚なんとなくわからなくもないから、私は黙っていた。

 やがてショーが終わり、白崎さんと松原さんは立ち上がり仲睦まじい姿を見せながら歩いていく。

 きっと今日のご飯の話でもしているのかしら。話し合いながら……けれど向かっている先に違和感があった。

 

「……方面が違うわね」

「どうしてだろう?」

「あ、建物に入ったみたいですけど……?」

 

 ここは、と見上げると十八歳未満は本来立ち入ることのできない場所だった。煌びやかな装飾のあるビルのようなお城のような建物……所謂、ラブホテルというやつだった。

 普通に、何の感慨もなく……あの白崎さんが。ドルオタとしての自分に誇りをもっていてなおかつどこか明るいムードメーカーのような雰囲気のある優柔不断が売りの白崎さんがなんの迷いもなく松原さんとホテルに入った? 

 

「ありえないわね……」

「あの時、なにか言ったのかな?」

「まさか……脅迫ですか?」

 

 いくら松原さんでもそんなことは考えにくいとは思うけれどただ……それ以上は憶測でしかない。だから私たちはここで追跡を諦めるしかなかった。

 悔しいけれど、これ以上は私には手に負えないわね。白崎さんのあの時の言葉に嘘は感じられなかった。

 感じられないというかそもそも白崎さんは物凄く嘘が下手だ。だからこそ、信じられなかった。

 

「俺……花音のこと、どうしても幼馴染としか見れないんだ」

「恋人……ですが?」

「うん。お互い不安定でさ、しかも花音、元カレがストーカー化しちゃって……俺が守らなきゃって思ったんだよね」

「そんなことが……」

 

 白崎さんは悲しそうな顔で当時のことを話してくれた。元々松原さんは昔から彼を思っていて、けれど自分の軽率な、真綿のような優しさが彼女を傷つけて、別の女性とお付き合いをしてしまったこと。そこで離れた間に松原さんは追いつめられるまま迫られ付き合った。けど二人はまた出会い、同時に白崎さんが別れてしまったことで彼女のすべてが崩壊して、一方的にフった形になった。

 

「ホントはね、ずっと後悔してるんだよ、花音もさ……だから一度向き合わなきゃいけないんだけど」

「相手は、ストーカーですよ?」

「うん。だから向き合わせられなくて、俺が花音を盲目にした」

 

 優しさのナイフで、俺が花音の眼をくり抜いたようなものだとわざと抉るような言葉で私たち二人を()()()()()()()()

 自分はどうあっても松原さんを手放せないから。彼女をダメにしたのは自分だから責任は取るという意味を込めて。

 

「朴念仁とはこのことだわ」

「えっと……?」

「私が、そして彼女が、あなたのそのどうしようもなく優しさで人を傷つける癖があることくらいわからないわけないでしょう?」

「です! それにもう、私も一度抉られました!」

 

 鳰原さんの口添えで更に立場の悪くなった白崎さんは、口をもごもごとさせてでも、と煮え切らない態度をとる。そういうのはいいの。傷つく覚悟なんて最初からできているわ。それこそあなたに松原さんがいると知って、その気持ちを自覚した日……私は家に帰って一人で泣いたのだから! 

 

「ありがと、二人とも……」

「謝るくらいなら私と幸せになってほしいわね」

「私は……えっと千紘さんが幸せならそれで」

「そうじゃなくて、俺は一度、この絡まった糸を切っちゃおうと思う。そのためのデートでもあるんだ」

 

 なるほど、相談というのは口実で、勇気が欲しかっただけなのね。

 だから私は背中を押した。終わらせるための初めてのデート。そして最後のデート。私たちはそれを見守るために……内緒で、とはいえついてきたはず。

 

「……なにがあったの? 白崎さん」

 

 だけどこの日から、私がいくら連絡しても、パレオさんや丸山さんがいくら連絡しようと返事はなかった。

 同時に、ファストフード店にも来なくなった。パレオさんと丸山さんはもうすぐに控えたパスパレの一周年イベントにも出る気はないのかと肩を落としていて、このまま終わってしまうのかという落胆は私にもあった。

 ──彼は選択肢を間違えた? そう思っていた時だった。

 

「花音?」

「あ、千聖ちゃんいらっしゃいませ? どうしたの?」

「白崎さんを出しなさい。呼び出して、今すぐ」

「……千聖ちゃん?」

 

 それは天使の福音か悪魔の呼び声か。

 松原さんの親友でもある白鷺さんが、丸山さんを連れて烈火のような怒りを露わにして松原さんの前に立ちはだかった。

 ──雨の日の午後、事態は急展開に告ぐ急展開を迎えていた。

 

 

 



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後悔するとしても、行動あるのみ

 俺はやらかした。いや、逃げられなかったと言ったほうが正しいのかもしれない。

 水族館から出て、俺は花音に捕食されてしまったんだよ? 紗夜さんにもパレオちゃんにも合わせる顔がない。

 というかもうそれが断れなかったってことが、めちゃくちゃショックだった。あれだけ啖呵を切っといてこれか、と。オタクとしてどころか男として最低だ。最低最悪でホントに嫌になった俺は、ファストフード店に行かなくなった。SNSも見なくなったし、このままだとイベントにも顔を出せないだろうというところだった。

 

「……電話、花音?」

 

 それはショックを受けて半ば放心状態の俺のもとに毎日やってきて俺を捕食する花音からの電話だった。噛みつかれた首や背中が痛むようだった。だけど出なかったらどうなるかもわからない状態で、俺は少しだけ声のトーンを落として電話に出た。

 

「もし、もし」

『白崎さん? 千聖だけれど』

「ちっ、千聖……ちゃん?」

 

 まさか花音のスマホから千聖ちゃんが電話をかけてくるなんて。びっくりしながらもしかしたら花音になにかあったんじゃないかと警戒して千聖ちゃんの出たわという声を聴いていた。誰かほかにいるのかな。というか今花音はバイト先だよね? 

 

『いいから、何も訊かずに今すぐファストフード店に来なさい』

「……えっ、ええ」

 

 何も訊くなって言われてもそれは無茶ぶりでしょう。だって気になるような発言ばっかりだよ? その状態で来たら説明されるよね? ね? 

 しかもその先なにか言う前にもう電話は切れていた。ええ、もう行くしかないじゃん。いや多分俺が来ないと始まらないんだろうけどさ。せめて何が待ってるのか教えてくれたっていいことない? 

 だいたい千聖ちゃんなんてプライベートなんて一度しか見かけてないのになんで呼び出されなくちゃいけないんだろう、いろんな文句や不満が出てきてはいたけど。なんだかんだいいながら俺はファストフード店へとやってきた。

 

「遅かったわね」

「……なにがって、彩?」

「私もいますよ」

 

 パレオちゃん……はいないっぽいけど、紗夜さん、彩、千聖ちゃんがその席にはいた。後はスマホを貸した花音は……まだバイト中かな? 

 俺はひとまず座ってポテトでも食べなさいと千聖ちゃんに言われて大人しく紗夜さんの隣に座り、揚げたてっぽいポテトに口をつけた。

 

「……えと、いったいなにが」

「何が、ではないわ」

「紗夜さん」

「話を聞かせてほしいのは私の方よ」

「私も!」

 

 え、彩も? そりゃ確かに紗夜さんには事情を説明していたんだからその後なんにも反応しないってなると確かにあれだけどさ。彩はあんまり関係なくない? 

 そういうと、彩はちょっと迷ったようなそぶりを見せて、紗夜さんと顔を見合わせた。なに、なになに? どうしたの? 

 

「……私と丸山さん、そして鳰原さんは、あなたたちがホテルに入っていくのを見てるのよ」

「えっ、ちょっと待ってそれって」

 

 ストーキングしてたってこと? そう問いかけると気まずそうに彩は目をそらしてきた。彩とか紗夜さんはいいけどさ、パレオちゃんはまだ十三歳だよなにしてんの? いや十八歳未満は立ち入り禁止のホテルに入っちゃった俺が言うことじゃないけどさ。

 

「そのまま、あなたとは連絡が取れなくなるし、私は事情を知っていたのにどうしたんだろうと……心配したのよ」

「……ごめん」

 

 紗夜さんの声がだんだんと歪んでいく。ごめんね紗夜さん……ちょっと迷ったけど向かいの千聖ちゃんがやりなさいと目で訴えてくるからまるでキレイな川のせせらぎのような、背中に流れる髪を撫でつけた。

 

「どうして……?」

「それは」

「断れなかったのでしょう? あの子の毒にやられた、というわけね」

 

 千聖ちゃん……うんなんか雰囲気違うから千聖ちゃんって言うと変な感じするから千聖さんで。千聖さんはため息をつきながら頬杖を突いた。

 彩はすごいしょんぼりとしてる。紗夜さんもちょっと泣きそうになってるし、きっとパレオちゃんもだ。ああやっぱり俺はたくさんの人を傷つけてるな。

 

「それで、あなたは責任を取ろうというわけね」

「断れなかったから」

「……バカね」

「千紘くんは、いつもバカだよ」

「彩?」

 

 彩がとんでもないことをしれっと口走っていた。いつもバカって、ひどくない? 紗夜さんもそれには同意しますとか言っちゃう始末だし……なんでそんな二人とも嬉しそうなんだよ。俺のことを、最低だとか、ののしったりはしないの? 

 

「最低だとは思っています」

「うん、結局断り切れずに、まさかイベントも来るのやめるの?」

 

 それは……パレオちゃんがいるから。あの子を悲しませるくらいなら、俺は喜んでオタ卒するよ。でもそれはダメらしい。俺がうなずこうとしたら紗夜さんに脇腹をつつかれた。ひど、人のこと散々にキモオタだとか性犯罪者だとこの間パレオちゃんと初対面の時にはついにロリコンって言いだしたくせに。

 

「いいのよそのままの()()で」

「……紗夜、さん」

「いくらキモオタだろうと妹に手を出しかねない男だとしても、ロリコンでも、白崎千紘はあなたでしょう?」

「なにそれ」

 

 なにその迂遠な告白は。それで俺がいいって言うわけないじゃんか。ただでさえ、花音のことが解決してないのに。それに、俺は紗夜さんのことまだなにも知らない。知る気がなかったともいうんだけど、俺はもっと外に目を向けないとダメそうだから、取り合えず友達からでいいかな? 

 

「わ、私も!」

「彩はもう友達だし俺の最高の推しだよ」

「推し……最高の……えへへ」

「なに絆されてるの彩ちゃん? 私、まだいいって言ってないわよ?」

 

 彩の保護者がここにいらっしゃった。千聖さんは目を閉じて腕を組んで、彩にお説教モードに入っていたけど、俺の顔をちらりと見て説教を切り上げた。

 花音のこと、これからのこと。千聖さんもアドバイスしてくれるのだろうか。

 

「私は口を出すだけよ?」

「そうですか」

 

 なんだか楽しそうな気がするんだけど気のせいですかね千聖さん? そんなことを考えていると千聖さんはじっと考えごとをしてから、ひとまずはと彩の方を見た。彩が身構える。いやまた説教タイム始まるの? 

 

「な、なに……?」

「今日は……オレンジ、だったかしら?」

「──っ!?」

 

 謎の発言に彩の謎のリアクションに紗夜さんと俺が首を傾げた。どういうこと? なんのオレンジ? だが、彩は大慌てでスカートを抑えて……まさかオレンジってまさかのまさかですか? 

 

「ええそうよ、オレンジのチェック柄よね?」

「な、なんで知ってるの!? 見えた!?」

「ええ着替えてる時に」

「……あ、そっか。って千聖ちゃん! なんで千紘くんがいるのに!」

 

 そうですよなんで俺がいるのに唐突に下着の色の話をしだしたんですか。おかげでちょっと想像しちゃったじゃん! 紗夜さんがむっとしたように足踏んでくるし! ここで紗夜さんまで感化されて下着の色言わないだけマシかな!? 

 

「オタクは推しのパンツを見てなんぼよ」

「初めて聞きました」

「特にイベントではなく私服で出てくるタイミングを虎視眈々と狙うのが真のキモオタというものよ!」

「いやスパッツ履きましょうイベント中くらい」

 

 履かないわよと返された。え、俺としてはああいうイベント時でも完全防備だと思ってた。違うの? 

 彩はえっと……と目をそらす。あ、そうなんだこれからはローアングル狙いしようかな。

 

「ふん」

「痛いよ紗夜さん!?」

「通報しますよこの変態さん」

「推しのパンツは見たいよ?」

「死んでくださいこのっ、性犯罪!」

「痛からっ!」

 

 脛は、脛はやめてください紗夜さん! 

 俺は紗夜さんの肉体言語によるわからせられてしまいそうだ。千聖さんがかわいいわね紗夜ちゃん、なんて和やかに言ってるんだけど助けてほしいなぁ。

 

「うーんそうね……あなたがいじめられている顔、見てると楽しいわね♪」

「千聖さんもサド側なの!?」

 

 知りたくなかった驚愕の事実なんだけど。というかそろそろいいですかね? 話が進まないんだよこのままじゃさ。オレンジの意図を教えてくださいよ。彩がめっちゃ見てくるけど気にしなーい気にしなーい。

 

「簡単よ、推しのパンツと幼馴染の呪い、あなたが大事に大事に脳内保存するのはどっちかしら?」

「……推しのオレンジ」

「バカ! えっち!」

「見たいもんしょうがない!」

 

 開き直ってやった。あのだんだん本格的に気になってきた。幾らか払えば追加コンテンツでパンツ公開される? そのギャラリーどこで解放される? そして千聖さんは目の前ににんじんをぶら下げてきたんだ。

 ──お前は一体何者なんだと。訊かれるまでもない質問なんだよな。彩ちゃん推しの厄介認知キモオタだよ、覚えておけ! 

 

「そうよその意気よ……ほら、彩ちゃん」

「え、なに?」

「ここでパンツを見せるのよ」

「なんで!?」

「ご褒美よ。白崎さんがオタクである以上ご褒美にはそれ相応であるべきだわ」

「だからって私がスカートめくってみせるの? そんなの見せたがりの変態さんしかしないよ?」

 

 えーっと、千聖さん、何を言ってるんだろう。どこからか毒電波拾ってきたのかと思うくらいにパンツゴリ押ししてくる。見たいけどいやそうまでして見たいわけじゃ……ああでもいや、気になってきちゃったな。

 

「……紺色よ」

「対抗しなくてもいいよ?」

「見たくないかしら?」

「正直見たい」

「……ふふ、正直すぎるわね?」

 

 そう言って紗夜さんは少し失礼しますとトイレの方に向かった。あのちょっとドキっと期待してしまった自分がいる。うーん、男として贅沢させてもらってるなぁ。あとそういえばいつも脱いでるのに花音の下着は気になってないや。あんまりありがたみがないから? 違うな全然余裕がないからだな。

 

「お待たせしました、はい、後で消しますので私のスマホだけで」

「……なに、してるの?」

「スキニーでしたから、ここでめくることができませんでした」

 

 いやだからそれに対してなにしてるの? って俺は問いかけたんだけどもしかして紗夜さんは日本語が通じないのかと思うからやめようね。

 紗夜さんのスマホの画面にあったのは紺色のパンツ。多分トイレで撮影してきたんだと思う。よくよく見たら紗夜さん、耳まで赤かった。

 

「彩ちゃん、アイドルで相手が推しなのにファンサで負けているわよ」

「……そんな変態じゃないもん」

「もう見られてるのだから一度も二度も同じよ」

「同じじゃないよ~!」

 

 彩、あのね? そんな無理に見せないでいいからね? あとそろそろ花音が来る時間だから雰囲気をシリアスにしておきたいよね? 俺今からとびっきりひどいこと言う予定なんだからさ。

 

「千紘くん……」

「花音、お疲れさま」

「うん」

 

 ぞわっとするほど暗い目をした花音がやってくる。さっきの楽し気な会話が聞こえたせいか、それともまた別の理由か。

 ひとまず席を移動する。二人の空間を作り出し……と言ってもスマホが通話状態になってるんだけど。紗夜さんの番号に繋がってる。

 

「浮気?」

「浮気だね」

「……そっか」

「うん」

 

 先制攻撃だったのか、俺があっさりと肯定すると花音は下を向いた。そもそも、たとえ幼馴染という呪いであっても、恋人という呪いであっても……ましてやカラダのつながりという呪いを受けても、それでも俺は花音にはハッキリ伝えなくちゃならない言葉があるんだ。

 

「俺は……花音が」

「聞きたくない」

「でも」

「聞きたくないよ! なんで? どうして私が……私、わたしが……っ!」

 

 ズキリと胸が痛んだ。花音の紫色の瞳、毒の色と同じ、けれど宝石のようにキレイな瞳から涙が零れ落ちた。

 幼馴染だからだよ。俺にとって松原花音は、いつまでもずっと……幼馴染さんのままなんだ。

 昔から一緒にいてくれて、お互いにないものを補い合って、そして成長して価値観が合わなくなって離れていった。そういう悲しい幼馴染なんだ。

 

「私は……嫌い?」

「好きだよ」

「じゃあ……だったら……」

「俺は()()()()()()()()()()()()

「……っ! やだ、やだよお……」

 

 ごめん、俺はもう花音を傷つけることしかできない。傷つけることでしか嘘をつかずにいられない。

 そして、俺の推しはさ。いつもどこでもまっすぐ進んでいくんだ。夢に向かって、希望にむかって。俺もそれに憧れて自分というものに向き合って頑張っていこうと思えた。今日だってそんな推しに倣って……ただただ前に進むよ。

 

「別れよう、花音。今まで……嘘をつき続けてごめん」

「……ちひろ、くん……」

「しばらく、家に来なくていい。気持ちの整理がつくまで、会うのはやめよう」

 

 甘えたい時、気持ちが溢れた時、寂しい時、悲しい時、嬉しい時、幸せな時、花音はいつも同じものを俺にくれた。同じものを分けてくれた。だから俺から最初で最後の俺からのお別れと……ほんの少しの愛を込めたコレを送るよ。

 ──触れ合い、しっとりと数秒の静寂。涙の味がして、もう泣かないでと抱きしめてあげたいのをぐっと堪えて俺はじゃあねとその場を離れた。

 

「……お疲れさま、千紘くん」

「彩……お疲れって、フォローなら傷ついてるほうにするもんだろ?」

「ううん、千紘くんはすっごく頑張ったもん」

 

 彩は背伸びをして、俺の頭を撫でてくれる。頑張ったねと彩は慈愛に満ち溢れた表情をしてくれる。

 ああ、やめてよ。堰き止めてるんだから。花音をフっておいて、推しに慰めてもらうなんてカッコ悪すぎるし、最悪すぎる。だから俺は女誑しとか言われるんだ。こんなふうについつい甘えちゃうなんて……本当に最悪だ。

 

「おれが……俺が、花音を、傷つけたんだ」

「うん」

「泣かせた」

「うん」

「本当は、本当はアイツともっともっと、愛しあえたのかもしれないのに」

「うん」

 

 涙雨の中、彩は俺を家まで送ってくれた。ずぶぬれになってしまって、俺は放っておけなくて帰ろうとした彼女を押し留めた。

 風邪ひいたら、俺は更に傷つく。俺のせいだってなっちゃうからさ。

 

「……先、いいの?」

「うん、俺は着替えあるからさ」

「そ、そっか」

「タオルとか後で置いとくね」

 

 やがて彩がシャワーを浴びてる間に千聖ちゃんがどうぞと傘を差しながら彩のジャージを渡してくれた。釘を刺されたけど匂いは嗅ぎません。というかそんな変態的行為をするほど精神面に余裕がないんだけどね?

 

「……ごめん、ごめんね花音」

 

 ソファに座ってぼーっとしてるとまたあの顔を思い出して、また視界が歪んでしまう。幼馴染として一緒にいたかった。恋人とかじゃなくて、二人でくだらないことで笑いあえる関係を、崩したくなかった。

 俺が立ち直れたのは花音のおかげだ。花音が愛を届けてくれたから、俺は大丈夫だった。花音という安心を地盤に彩との関係、フットサル仲間や紗夜さんやパレオちゃん、そんな人間関係が出来上がっていたんだから。

 

「千紘くん」

「あや……あはは、ごめん止まんなくて」

「ううん、泣いていいよ」

「や、やめて……それは」

 

 ジャージ姿の彩に抱きしめられ、俺は戸惑う。彩は確かに友達だ、なんていったけどそれ以上に推しなんだから、触れ合うのはせめて握手くらいにしときたい。

 だけど彩は俺のことを離そうとはしなかった。泣かないで、なんて言葉はかけられずただじっと俺を慰めてくれる。

 甘えちゃだめなんだよね。ダメなんだけど、彩の甘い匂いに誘われて俺はひたすら彼女に無言で頭を撫でられ続けた。

 ──すっかり暗くなって彩はジャージ姿、これは泊りだよね。なんて言い訳しよう。と思ったのは、やっと涙が枯れてきた頃だった。

 

 



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どうやら桃色天使は小悪魔だったみたいです

 とりあえず落ち着いてシャワーを浴びる前に事情を説明したら親に女性とオタクの敵だと言われた。はいそうですごめんなさい。

 風邪引いたらどうしようなぁとか思いながらちょっとだけ熱めの……あれ? 浴槽張ってる。確かあったまりたいから、って彩が言ってたような。

 ──その浴槽にピンクの髪が浮かんでいた。

 

「……まぁ、俺もあったまりたいし」

 

 誰に対する言い訳なんだろうね。なんか落ち着いたら逆に推しが家に泊まるって状況に落ち着かなくなってきたんだよ。

 変態なのかな、だいたい前世でどんな徳を積んだら推しが入ったお風呂にはいれるって状況になるんだろうね。その未知が俺をおかしくしていると言っても過言ではないと思う。

 追い焚きをしてちょっと熱めにしてるうちにシャワーで洗っておいて……いざ。

 

「……ここに、彩ちゃんが」

『んー? なんか言った~?』

「ぶはっ!? あ、彩?」

 

 脱衣所に彩がいた。なんでこんなところにいるの? 扉の向こうからはスマホ洗面台のところに忘れちゃっててと苦笑いする声が聞こえた。そっか。それにしても流石に熱かったかな。あったまって気持ちいけど流石にね。

 

『……あの、さ』

「ん?」

『ううん、なんか……私の後に千紘くんがお風呂にいるんだぁって思ったら、なんか恥ずかしくて』

「……あー」

 

 ごめん、コッチはよくわからないテンションになってました。変なことしないでねと言われても彩がこんな近くにいることの緊張でおかしくなるんだけど、俺、生まれたままの姿なわけで。扉が開けられたら彩に全部見られちゃうよ。あと熱くなってきた。

 

「あ、彩? 俺、そろそろ出ようと思うんだけど」

『……あっ、ご、ごめん!』

「話なら……出てからゆっくりするから」

『うん……じゃあリビングで待ってるね』

 

 彩はどうやらしゃべりたかったらしい。俺もおんなじだ。誰かとしゃべっていたい。この不安でどうしようもない時間が、俺は苦しいから。

 落ち着いたって言っても、また思い出すだけで目頭が熱くなっちゃうよ。大切で、誰よりも近いところにいたあの子を、泣かせてしまったんだから当然だよ。

 

「彩さ」

「うん?」

「さっき慰められてた時にも思ったことなんだけど、言っていい?」

「え、う、うん……なに?」

 

 火照ったからだを冷やすように水分補給をしながら彩の隣に座って、まだ痛む心を預けているとやっぱりそうだなーと思ったので思い切って打ち明けることにした。抱きしめられて、顔が胸元に埋まった時に思ったんだよこれ。

 

「ジャージの下、すぐ下着?」

「……えっち」

「いや、シャツないんだったら貸そうかなって意味で」

「私、いつもこんな感じで寝てるよ」

「え」

 

 普段はブラトップだけど、と言い出した彩の胸元をつい見てしまう。つまり、ジャージのファスナーを開けるとそこには……千聖さんの言っていたオレンジが拝めるのか、ごくり。

 流石に視線が下を向きすぎていたようで、彩は恥ずかしそうに俺を押しのけ、距離を取った。

 

「見過ぎだよ、視線がえっちだもん」

「……欲求には逆らえなかった」

「正直ならなんでもいいわけじゃないんだけど?」

「だよね……ごめん」

 

 怒ってる。彩がお怒りだ。一応謝罪をしながら離れていく。まぁ流石にそうだよね、そうなるよね。

 軽率なことを言って気まずくなったこともあり紅茶を淹れなおそうと立ち上がった時だった。彩が俺の裾を引いた。

 

「彩?」

「……千聖ちゃんにね、言われたの」

「なにを?」

 

 この状況で千聖さんが彩に教えてもらったっていうのが不安で不安で仕方ないんだけど。俺のその嫌な予感を肯定するように、彩はえっとねと顔を真っ赤にして千聖さんのトンデモ理論を語り始めた。

 

「千紘くんは……私のパンツ見て、嬉しかったんだよね……?」

「う、うん……まぁ」

 

 優勝したとか言わない方がいいよねこれ。というか雰囲気がなんといかピンク色だ。彩のカラーの話じゃなくて、そっちは今日オレンジらしいから。ダメだ思考も願望と欲望に支配されてきた。

 

「見たい? この下……」

「それはよくないと思う」

「見たいのか見たくないのか……はっきりして」

「み、たい……けど」

 

 そりゃね? 推しの下着とか見たいに限るでしょ。ましてやコッチは一回見ちゃったんだから。そういうハプニングとか期待しちゃうもんだよ。男なんてみんなそんなもんだ。彩もいつかカレシとかできても引いちゃダメだよ? 

 

「平気」

「そっか」

「だって、私は……千紘くんになら、見せてもいいかなって思ってるから」

「……は?」

 

 そう言って、彩は思いっきりジャージのファスナーを下ろし始めた。

 慌てて目をそらそうとするものの、やだ、見ててと言われて恐る恐る目を開ける。お風呂あがりなのか、羞恥なのか、熱を帯びた胸元、そこからチラリと見えたオレンジが、どんどんと俺の目に晒されていく。

 

「彩、なんでこんな……って」

「触って」

 

 は? え? 一体彩は何を言ってるの? 脳の処理が追い付かない。けど彩に手を取られて、気づけば胸に手が触れていた。開いた手から彼女の体温と鼓動が伝わってきて……俺はあっけにとられていた。

 

「私……千紘くんが思ってるような、真面目で明るいだけの女の子じゃないよ」

「……なに言って」

「わかってたでしょ? 私が、キミを好きだってことくらい」

 

 それは……薄々は気づいてたよ。最初はもちろん、ただ彩がそういう元気な子だからと思ってた。でも関わっていく中で彩はすごく俺に若干のスキンシップを求めてくることが多くなった。

 俺に会った時手を振るだけじゃなくて手に触れてくることが多くなった。肩に触れてくることが多くなった。

 

『あ、おはよーございますっ、なんちゃって』

『俺は出勤じゃないけど』

『あーポテトいいな、ちょーだい』

『口じゃなくて手を使ってよ』

 

 こんな感じ。その様子は紗夜さんに付き合ってるの? と言われるくらいだもんね。もしかしたらなんて思わなかった時はなかった。でもほら俺はオタクで彩はアイドルなわけじゃん? だからさ、そういうことを考えずにいつでもアイドルとオタクの距離に戻れるように頭からその可能性を振り払ってたんだ。

 

「傷心中のキミを狙って、こうして身体を触らせちゃうくらい……ずるいんだよ?」

「いいの? 俺はもうそういうことも……花音としたんだよ?」

「でもキミは白崎千紘くん、でしょ?」

 

 それは……それはずるいなぁ。確かにずるいよ彩は。そんなことを言って、俺を絆そうとしてくるなんて、ずるすぎる。

 今の俺はそんなずるくて最悪な言葉たちに勝てるほど強くないのに、彩は俺を俺として見てくれる。他の誰でもない……オタクとしてではなく、白崎千紘として。

 

「でも、いいよなんて言わない」

「え……?」

「私とキミは恋人じゃない。キミはまだ私のことを好きではいてくれてない。それなのに……えっちなことはしたくない」

「……うん」

「サービスはしてあげちゃったけど……おしまいだから」

 

 納得はしたものの、彩は加えてずるいから何かあったりしたらまたこういうのあるかも、と妖艶に微笑まれ、俺はドキドキしてしまう。彩ってなんか元気な子だとは思っていたけど、こんな顔もできるんだって、ちょっと新しい扉を開いてしまった感じがあるよね。

 

「……はいっ、脳内保存した?」

「そりゃあもう」

「千紘くんになら……オカズくらいにはされてもいいよ」

「そういうこと言わないでよ」

 

 すごい至近距離で微笑まれて、麗しいお腹やら普段は絶対に見られないブラとかが見えてコッチはドキドキしすぎてていくら払えばいいのか頭の中で勘定し始めてるんだからね? 

 ファスナーが戻っていくのにも、なんだか目線で追ってしまって彩に笑われた。ちょっと今日の彩はなんというかアダルティだ。こんな方面で売り出されたら何人のオタクの扉を抉じ開けるのだろうね。

 

「……なんでそんな慣れてないみたいな反応なの?」

「慣れないからね」

「え……」

「……アイツとしてる時はそんなの見てる余裕もなかったよ」

 

 だってほぼ襲われてるような状況だからね。って解説させないでやめて。

 とにかく暗い中が多かったしそんな風に裸体をまじまじと見る機会なんてないし、そもそも彩は俺が推してる丸山彩ちゃんなんだからね? 

 

「そっか」

「今日本気で泊まるの?」

「えへへ……もうお母さんに言っちゃった……ごめんね」

「わかった」

 

 本気じゃないのかと思ってただけだから大丈夫だよ。と報告しておく、まぁ俺の場合推しに夜這いをするなんてできるわけのないチキン野郎なんであれなんですが。

 彩から夜這いをされる可能性もないから安心だ。さっきの発言として俺が彩の恋人にならい限り俺はどうやら彩とカラダの関係にはならないらしいから。

 

「……でも、ドキドキしちゃった」

「え」

「男の人に……その、胸触られたの、初めてだから」

「……その言い方もずるくない?」

「ずるいよ、私はずるい女になるって決めたもん!」

 

 これからは積極的になっちゃうねと、またファスナーを、今度は胸元が見えるくらいまでおろしてくる。暑かったらしくふうと息を吐いてから俺を上目遣いで見てくるんだけど俺これ今日自己発散するのに推しが一つ屋根の下にいるっていう犯罪的状況が成立している。えっと、幾らほしい? 

 

「お金じゃないよぉ」

「いや推しに貢ぐというとお金かなぁ、と」

「私はそれより時間が欲しいなぁって思うなぁ」

「時間……」

 

 それはすごく意外な発想だった。時間かぁ、それは俺にはできない発想だ。場合によってはお金と同等かそれ以上の価値のあるもの。

 だけど、俺の時間が推しにお金を貢ぐ以上の価値があるのだろうか。そんな疑問に彩はやや怒ったような顔で答えてくれた。

 

「違う」

「違う?」

「私のファンに求めてないよ」

「……あ」

「千紘くんの時間がほしいのっ」

 

 推しとかオタクとかじゃなくて彩はひたすらに俺を求めてくれる。だからお金じゃなくて時間をほしがる。二人の時間、いや二人じゃなくても俺がいて彩がいて、ファストフード店で繰り広げられる時間が彩にはなによりも大事なものだったんだな。

 

「できる限りは」

「……うんっ、ありがと」

「時間あげるとどうなるの?」

「それはね……推しとしてじゃない、私でキミをいっぱいにするんだ」

 

 ぐい、と彩に引っ張られ、俺は彩の膝の上に頭を乗せた状態になって、そんな俺の驚き顔を彩は楽しそうに見ていた。

 なにこれ絶景。パレオちゃんは絶対に視線を向けさせてくれなかったけど、というか彩って思ったよりもあるよね。

 

「えっち、触ったくせに」

「……触らせたくせに」

「そういうやらしい目で見るから千紘くんは変態さんって言われるんだよ?」

 

 おっしゃる通りです彩さん。というかホント絶景ですね。ついでに柔らかいしいい匂いもするし彩に頭を撫でられたりしてる。なにここ天国なのかな? すると彩は天使ですかね? 

 俺の魂を連れていってくれる天使なのだろうか。

 

「言い過ぎ~」

「いやだってここエデンだよ、楽園だよ~」

「……エデンだったら私とキミしかいなくなっちゃうね」

 

 おっとここで彩が天使からイヴにクラスチェンジした。イヴちゃんはパスパレのキーボードだよ? 言ってることがヤバすぎるよ? これはもう禁断の果実に口つけて今という風は何を伝えるために俺のもとに吹くのか考えちゃうやつだよ。

 というか時折天使アヤエルが小悪魔になるんだけどこれがプレミア会員特典ですか。

 

「プレミア特典いいね。千紘くん専用で」

 

 俺専用……ヤバなにそのオタク的に最高すぎて浄化されて窒素になりそうな素敵な響きは。ドルオタ必殺のマウントがこれ以上なく気持ちよく取れるんだけど。自慢したい、この発言をICレコーダーかなんかに保存してゆくゆくは目覚ましあたりに使いたい。千紘くん専用だよ、みたいな。なにそれ別のところが目覚ましちゃう。

 

「すぐえっちな方向になる」

「痛っ……ごめん」

「なんか今日一日で私にセクハラするの慣れてない?」

「ハードル下がったからなぁ」

 

 というかセクハラって言わないで。ハラスメント推しにするとかプレミアム剥奪どころか出禁をリアルに想像するから。そう言ったら意地悪な顔でイベントでしたら出禁だからねと彩に宣告された。いや彩ちゃん(おし)にセクハラはしないけどね。

 

「それじゃあ、毎週特典あげる」

「毎週……特典」

「今週からってことで……ほかの子に見せたらだめだよ?」

 

 そう言って、彩は俺に自分のスマホを手渡してきた。なになに……えっと? このオレンジのさっき見たブラとお揃いな感じの素敵な布と眩しいくらいの太腿はなんですか? え、これ彩? え、え? 

 

「……さっき、お風呂で撮ったんだ」

「えと、えーっと?」

「後で送ってあげるね?」

 

 あの、脳が追い付かないんだけど。どうしたらいいのかなこれ。

 あ、鼻血出そう。のぼせちゃったかなさっきお風呂あつあつだったからね。うーん、というか完全に俺はこのアイドル最中と通常形態は天使でかわいいのに二人きりの時には小悪魔系になっちゃう彩に完全に捉えられてしまったらしい。というかこんな本性隠してたんだ彩って千聖さんが言ってた通りむっつりなんだなぁ。

 

「うれしいでしょ?」

「うれしい」

「でも恥ずかしいのも事実なんだからね」

「ここまで先手を打って……恥ずかしい?」

 

 なるほどこれはやっぱりむっつりだ。

 というかこの楽園はいつ閉園します? そろそろ親が帰ってくるからイチャイチャしてたら殺される。

 新境地を開いて俺を堕とそうとするなんて、知られたらそれでも俺が殺される。だからまたねと彩を客間に押し込めて俺は自室に戻っていった。

 ──うん、客間と俺の部屋が遠くてホントによかった。なんでとか言わないでねわかって。あそこまで推しに性癖の扉を抉じ開けれられて我慢できるわけないよねぇ!? 

 

「千紘さん!」

「パレ……れおなちゃん」

「よかった……! もう会えないかと……」

「ごめんね」

 

 翌日、俺は幼馴染さんのいないファストフード店へと足を運んだ。しばらくバイトを休むということは千聖さんが教えてくれたので、けれどドキドキしながら入り口をくぐるとまずれおなちゃんが迎えてくれた。ちょっとだけうるってしてるっぽい彼女が抱き着かん勢いで手を広げていくから頭を撫でながら制御する。ステイステイ、甘えてくるのはNGでお願いします。

 

「はいっ……我慢します」

「えらいえらい」

 

 パっと笑顔になるれおなちゃん。かわいいけどなんでペット感すごいのかなこの子。くうんとか言いそうと思っていたらくうんってマジで言いやがった。完全にペットじゃん。

 そんないつの間にか飼い主になっていることに対しての感想はさておくことして、いつものように揚げたてポテトを頼んで座った。

 

「あ、おはよ~」

「おはよ~じゃなくてさ、俺は客なんだけど」

「そうだよね、いつもお客さまだもんね~」

「はいはい」

 

 そんな時、彩がにっこにこ顔で近づいてきた。一緒に千聖さんと紗夜さんも来ていて、俺は二人にも挨拶をしていく。二人が注文をしている間に、いつものように彩が今日も揚げたて? と訊いてくる。はいはい、揚げたてだよ。

 俺は口を開けた彩にポテトを向けて、食べさせた。

 

「んーっ、ありがと♪」

「頑張ってね、彩」

「はーい! 彩、頑張りまーすっ」

 

 こうして、俺と天使で小悪魔な彩はオタクとアイドルってだけじゃない関係を本格的に得ることになった。

 プレミア会員になったので、まぁしょうがないね! すまんなオタクども! 彩ちゃんの太腿は最高にいい匂いしたよ! 

 

 

 

 

 

 

 

 



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祝え! 推しがアイドルとなった瞬間を!

 このプレミア特典すごいよ! 流石俺専用のサービス! 

 ──はい、全国のパスパレオタクたちこんにちは。推しに推される男白崎千紘です。テンション高いうえにキモくてすまんな。俺は今週のログインボーナスを貰ったところです。黄色でした。しかも今日は追加でちゃんと見に来てね、とあった。そりゃ行くって。彩が頑張った一年間を祝いにさ。

 

「お迎えにあがりました」

「おはよパレオちゃん」

「はい!」

 

 スカートの端をつまんで軽くお辞儀をするのは自称メイド兼ペットで俺の囲いもこなしているパレオちゃん。お飲み物も中で用意してあると車の扉を開けてもらい恭しいお辞儀をされて意気揚々と車内へ。

 

「中学生をメイド気分で侍らせて……最低ね」

「……パレオちゃん? なんでこの人ここにいるの?」

「紗夜様は妹である日菜ちゃんの応援に行かれると伺ったので、でしたらとパレオが提案させていただきました」

「そういうことよ」

「中学生侍らせて女王様気どりはどっちですかね!?」

 

 スラリとしたスキニーに包まれた美しい脚を組んで、けど上は珍しくシャツにパーカー……ってこれコラボパーカーで下は日菜ちゃんのキャラTシャツなんだけど。え、この人オタクですよね? 同類でしょ俺と。しかもそのポーチの中身あれでしょ。絶対ブレードでしょ何このオタク、紗夜さんの戦闘スタイル初めて見たけどガッツリオタクじゃん! 

 

「ドルオタが喚くわね」

「ほぼお揃いの服着てるあなたに言われたくはないね」

「同族嫌悪はそれくらいにしませんか……?」

 

 パレオちゃんが何気に毒を吐いていた。同族嫌悪ですねはい、だって服装ほぼ同じだもんね。

 クールな紗夜さんがガッツリ日菜ちゃんTO張ってるって噂は本当だったんだなぁ。日菜ちゃん推しはみんな姉以上のガチはいないって認めてるらしい。まぁ認知度、対応、全部において究極のロイヤリティだもんね。

 

「ところで女オタオタは発生しないの紗夜さん」

「私、いつも一人か他の女性と連番するので」

「なるほど」

 

 けれど古参ではない。いや生まれた時から一緒という意味では最古参ってレベルじゃないけど、日菜ちゃんがアイドルやってるときは仲が悪かったって話を聞いた。だからイベントに堂々とオタクしに来るようになったのも今年かららしい。そうだよね去年見かけなかったもん。

 

「ところで紗夜さん席どこなんですか?」

「プレミアよ」

「うわ」

 

 マジのガチだ。いや俺やパレオちゃんもそうなんだけどさ。今日は三人バラバラだけど、俺はそこそこ、パレオちゃんがめちゃくちゃ積んでるんだよね。紗夜さんはなんか積んでるイメージないけど? 

 

「私は日菜が応募したものが当たるのよ」

「闇を感じる」

「……確かに」

 

 それはずるい。身内ずるくない? というかプレミア会員特典にソッチ系もほしいなぁと思った瞬間だった。彩的にはその会員特典はオタクと推しじゃなくて彩と俺、って括りで使いたいらしいから無理そうだけど。

 

「紗夜さんも物販並ぶの?」

「当然よ、タオルとブレードとTシャツと缶バッチよ」

「……うわぁ」

 

 紗夜さん、俺が言うのはいいと思うんだよ俺オタクだしさ。でも紗夜さんが言うとなんかアレだねなんともいたたまれない気分になっちゃうね。どうしてだろう。パレオちゃんはいつも通りタオルとブレードと大量にブロマイドと缶バッチ。俺はパレオちゃんに甘えてタオルとTシャツのみ。

 

「甘えてるわね本当に」

「いいのです。トレーディングはパレオの財力がものを言うのでっ」

 

 中学生ができていいことじゃないんだけどね。

 ところでなんかいつの間にかパレオちゃんと紗夜さん、フツーに知り合いになってませんか? そんなに仲良かったっけ? 

 

「なに言っているのかしら」

「パレオと紗夜様は以前からお知り合いのようなものです」

 

 納得いかないけどどうやらRAS……パレオちゃんの所属しているグループのマネージャーさんはそもそもRoseliaに敵対心があるらしく、だからお互いのことを知っているらしい。バンドの好き嫌いは彼女個人には関係ありませんと紗夜さんはあっさり言っちゃうけどね。

 

「ところでマネージャーさん、って?」

「チュチュ様です。パレオのご主人様です」

「え……通報するやつ?」

 

 マネージャーさんか、パレオちゃんをメイドのようなペットのような、そんな感じでご主人様とか呼ばれてる変態さんは。あ、俺もか。

 ──それはさておき、いい歳した大人がさ、中学生侍らせてるってどうなのよ。

 

「チュチュ様は同い年ですよ?」

「ついでに言うと生意気さはありますがかわいらしい女の子よ」

「……あそう」

 

 なるほどそういうことね、完全に理解したわ。

 どうやらアメリカで飛び級をしているらしく、学年的に現在は高校二年生に相当するらしい。日本にはない制度だからピンとこないけど。やっぱりすごいことなんだろうなぁ。

 とか雑談をしてる間にやってきましたドーム! 普段は野球場なんだけど周囲に遊園地みたいな施設もあるし、なんか子どものころは連れてってもらうとワクワクしてた思い出あるなぁ。

 

「……と言いつつ、既に魂がジェットコースターにいるわよ」

「そ、そんな……だってアニバーサリーライブなんだしオタクとしてまさか推しグループよりあんなチャチなジェットコースターに心惹かれるとかありえなくない? そもそもジェットコースターで絶叫求めたいなら富士山のところとか中部あたりにめっちゃ怖い絶叫あるわけであんな子どもでも乗れそうなものに目を輝かせるほどじゃないでしょ」

「ヒロ様がコーナーで差をつけられています……」

 

 そんな引いた目しないでくれるかな? しかもヒロ様ヒロ様ってかわいらしくメイドなのかペットなのか曖昧な懐き方してくるパレオちゃんに引かれるといつもより二倍くらいダメージはいるんだけど。

 

「紗夜さん?」

「さて、パレオさん。これからどこで並べばいいんですか?」

「無視!? 毒舌通り越して無視ですか!?」

「あちらですね、ご案内しますね紗夜様!」

 

 パレオちゃんにまで無視された。というかパレオちゃんって案外サドだよね。紗夜さんは言わずもがななんだけどメイドとかペットとかSMで言うとどちらかと言えばマゾ側に位置するよねパレオちゃんのキャラ。おかしいよねこれじゃあブタと女王様だブヒ。

 

「オタクは皆等しくブタですよヒロ様」

「私は少なくとも千紘をそういう目で見ているから安心しなさい」

「安心できないね!?」

 

 パレオはどうです? と問いかけパレオさんはどちらかというと白黒の方がイメージ強いので、と俺を置き去りに会話してくる。ひどい、この二人が合わさると俺が徹底的にいじめられるんだけど助けて彩。

 

「物販もすごい人数ね……」

「流石にアニバーサリーライブですから……倍率も過去最高値でした」

「……うーん俺って豪運だったんだな」

「そうね」

「紗夜さんは推しに推されてる状態だけどね」

「うるさいですねこのブタさん」

「そのネタはやめてくれません?」

 

 紗夜さんに抗議をしたもののあっさりとやめませんと言われてしまった。

 ──とまぁこんなわいわい三人で並んでるけど、よくよく考えてほしい。目立たないわけがない。

 片やツートンツインテの豪遊パスパレ箱推しガチ勢。しかもかわいい。そして片や日菜ちゃんと同じフェイスというある意味誰も勝てない日菜ちゃんガチ勢。そしてクールビューティー。そこに挟まって会話してる俺は誰だよあの女オタオタってなるわけよ。目立つよね。そして知ってる人は知っている。それがアカウント消した彩推し大悪党ヒロだということに。

 

「流石に気にしなくなりましたね」

「気にしてたらオタクできないよ」

「松原さんのアレは気にしてオタク辞めようとしてたけれど」

「……その話する?」

 

 今日の紗夜さんはとことん俺をいじめる気ですね? けれどまだ事情を完全に説明されていないのよと眉を吊り上げられてしまい、人混みの中で話すのはとっても気が引けるんだけど、このタイミングくらいなんだろうなと話をした。

 

「……あの日、俺はアイツを泣かせたくないって思っちゃったんだ」

 

 変わりたくない。変わらずに、花音のことを笑わせたいなんてバカみたいなわがままを抱えて、俺はとっても大きな失敗をした。キスをされ、毒のような甘さを流し込まれて……頭がどうかしてた。花音の好きにしたらいいだなんて思ってしまったんだ。

 

「それで」

「うん……帰りにホテルに向かって……あとは、わかるでしょ?」

 

 俺はもちろん抵抗はした。問いかけっていう雑なものだけどね。

 本当にそれで花音は満足なの? そうすれば……花音は傷を癒せるのって。返事はなかったよ。ないまま、ひたすら花音に貪られた。アイツが腰を振るのを、ただただぼーっとどこか遠くのことのように見てたんだ。

 

「中学生の前で、そんな細かいことまで言わなくていいのよ」

「あ、ごめんパレオちゃん」

「いえ……癒せるわけがないのに、求めることしかできなかったのかな、と考えていました」

 

 身体で埋まる関係なら最初からそうしてるよ。でもそれじゃああまりに、あまりに愛とは程遠いものだったんだ。花音が求めてるのはそういう欲求じゃなかったのに、曖昧でロクでもない俺を好きになったせいで、歪んだ。だからこれは俺が犯した罪への罰なんだって、受け入れたんだ。

 

「そんな破滅思考……」

「どうかしてたと思う」

「けれど、よかった……」

 

 千聖さんが助けてくれたからね。あの時、呼び出してくれなかったらこうして彩推しとしてアニバーサリーライブにも行けなかった。紗夜さんものパレオちゃんにも顔を合わせれなかった。なにより彩が抱き留めて、泊まってくれたあの会話があったからこそ、俺はまたオタクとして彩を推しのまま推していられるんだと思う。

 ──でも、やっぱりまだ俺の中にはあるんだ。花音を泣かせて、愛せなくて、なのにこんな風に楽しんでていいのかなって。そんなことを言ったらパレオちゃんに手を握られ紗夜さんに足を踏まれてしまった、なんでそこで踏むの? 

 

「痛っ」

「あなたは……あなたは誰? 前にも言ったはずよ」

「さ、紗夜さん……」

「紗夜様の言う通りです。どれだけあなたが過ちを犯しても、同じである必要はないのではありませんか?」

 

 そう、そうなんだよね。彩にも、たぶん千聖さんにも言われると思う。特にあの二人は芸能人だから人一倍そういうのには敏感そうだもんね。

 俺は、白崎千紘。松原花音じゃない。だから花音の苦しみを全部背負わなくていい。花音の悲しみを全部背負わなくていい。俺は俺で幸せになってもいい。二人はいつだって、それを見ていてくれるんだから。

 

「つらくなったらいつでも頼ってくれていいんですよ? またパレオが癒して差し上げますね……♪」

「私だって、話を聴くくらいするわよ。どうにもならない時くらいは」

「……ありがとう」

 

 本当にありがたいよ。こんな風にパレオちゃんがいて、紗夜さんがいて。

 彩がいて千聖さんがいて……本当だったら、花音もいてくれたら、それだけでよかったんだけどなぁ。

 そこからはずっと、また明るくてバカみたいな話ばかり続いた。まるでいつもファストフード店で起きるようなくだらない会話たち。俺にはそれがまるで最高の宝物のように感じていた。

 

「それじゃあまた」

「はい!」

「お互い楽しみましょう」

 

 グッズを買った後はいつもの倍くらいに感じる開演前の熱気に少しだけ呑まれながら待っていた。

 それまではスマホでパレオちゃんに招待されたグループに入って連絡を交わす。紗夜さんと三人のグループ。場所が日菜の目の前だわと送られてくる。嬉しそうでなによりですね。かくいう俺もセンターなんで、彩ちゃん真ん前なんですけど! 

 そんな神席によるテンションを文字に起こしていると周囲が暗くなった。スマホの電源を落として……よし! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──数時間後、俺は清々しいまでの疲労感に襲われていた。叫んだし手を振った。死ぬほど盛り上がった。彩ちゃんがMCで泣いた時なんか自然と涙が零れてしまったよ。彼女たちは失敗から這い上がってきた。その歴史のようなセットリストだった。

 

「色々あったことを思い出しました~」

「色々……そうね」

 

 紗夜さんもしんみりしていらっしゃった。紗夜さんだけはイベントじゃなくてリアルの色々を想像してる気がするけど。ちなみに後でTL辿った時の話だとWonderland Girlでガチ泣きしてたお姉さんがいらっしゃったそうで。なにしてんのこの日菜ちゃん限界オタク。

 

「この後行くところがあるのだけれど、いいかしら?」

「どちらへ?」

「これよ」

 

 俺とパレオちゃんが首をかしげていると紗夜さんはすっととんでもないものを出しきた。バックルームパス……流石身内。今日も日菜ちゃんのMCで呼ばれてましたもんね。もはやパスパレ名物になりつつありますさよひな。

 

「俺たちはないから秋葉原辺りで時間潰してるよ」

「です! 行ってらっしゃいませ!」

「……ええ、それじゃあまた後で」

 

 これで二人きりになってしまったわけだけど、パレオちゃんと俺はライブの余韻に浸りつつ秋葉原でグッズショップ巡りをする。ライブじゃなくて通常販売もされてるからね。でも次のライブの情報も出たからなぁ。次はさっき会話にチラっと出てきたけど富士山の辺りまでいかなきゃだ。

 その話が出たのは紗夜さんが合流した夜ご飯での話だった。パレオちゃんが焼肉にしましょう! と言ってまた俺を置いてけぼりに予約して焼肉になったわけだけど

 

「送迎、宿泊施設の確保はお任せくださいね!」

「ありがたいです!」

「ありがとうございます、パレオさん」

「私としては翌日にショッピングもしたいのだけれど」

「あ~、確かに、近くにアウトレットモールあるんだっけ?」

「そそ! 泊まる場所のすぐ近くだーってスタッフさん言ってたよ」

 

 なんか紗夜さんが後で人が増えますと言って連れてきたメンツが後半三人である。

 俺の見間違いでなければさっきまで俺がブヒブヒオタクやってたアイドルたちだと思うんだけど気のせいかな? 気のせいじゃないよね? 

 そう思っていたら遅くなりましたー! と新しい声がした。

 

「あ、もう食べ始めてる感じですか?」

「いいえ、今から注文するところよ」

「いっぱい動いたから、お腹がすきました!」

「あたしも~、お腹ぺっこぺこ!」

「こら日菜」

 

 はい、二人追加。俺は夢を見てるのだろうか。そう思ってパレオちゃんを見たらパレオちゃんは既に限界化してた。そりゃそうだ。俺は推しのプライベートを知ってるからこう動揺するくらいで済んでるのであって、きっと推しが隣で腕組んできてたら発狂して体力消し飛んで死んでるよ。

 

「こら彩ちゃん、おさわり禁止よ」

「それ千紘くんに言うべきじゃない?」

「俺は触れてる立場なんだけど」

「パレオちゃんってさーそれ染めてるの?」

「は、はい! こ、ここここれは、じ、自分なりのかわいいを、表現してるのであって」

「それ、ジブンも聞きました! いやぁすごいっすよねぇ……なによりキレイにツートンになっていて……」

「サヨさんは、着替えてしまったのですか?」

「ええ、流石に……あの恰好で街に出歩くのは恥ずかしくて」

「えーいいじゃん! おねーちゃんのオタクスタイル!」

 

 アイドルと打ち上げが始まってしまって、既にオタクは呼吸困難寸前です。パレオちゃんも昇天しかかってる。これがファンサですか。

 この空気の薄いまま、俺たちはパスパレのアニバーサリーライブ二次会に挑むことになった。はっきり言おう、死んだな俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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一周年から始まるものたち、終わるものたち

 何を間違えたのか、俺とパレオちゃんそして紗夜さん、三人での焼肉食べ放題のはずが、とても華やかなものになっていた。いや、パレオちゃんも紗夜さんもね、見目麗しいのに変わりはないんだけどさ。すごい打ち上げに巻き込まれている気がしなくもないんだけど。

 

「麻弥ちゃんそっちのタレ取って~」

「はいです!」

「日菜、ちゃんと自分で焼きなさい」

 

 二席とって四人ずつに分かれているんだけど、片方に紗夜さんと日菜ちゃん、そして麻弥ちゃんとイヴちゃん。そしてこちらにはパレオちゃんと千聖さんと彩がいた。えっとプライベートだから彩、って呼んでもいいよね? 

 

「いつも彩、でいいよ」

「よくないわよ」

「今日は、どっち」

「……まぁ打ち上げなのだし、いいけれど」

 

 パレオちゃんが向かい、千聖さんが斜め前、隣で俺にちょいちょい抱き着かれては千聖さんに怒られてるのが彩です。うーん推しが隣の席で一緒に打ち上げとか心臓がヤバいです。それはパレオちゃんもどうようなのか、死ぬほど笑顔が凍り付いてる。

 

「パレオちゃん、緊張させてしまってごめんなさいね」

「い、いえっ……すぅ」

 

 ふわりとエンジェルスマイルを間近でされ、パレオちゃんは息を吸い込んだ。オタクって悲しい生き物だよね。なんとなく今日だけは紗夜さんがうらやましい。あそこでフツーに溶け込んでるんだもんね。なんなら麻弥ちゃんイヴちゃんとも共通の知り合いトークしてるし。

 

「う……紗夜様やヒロ様がうらやましいです……っ、パレオは今神々しさや色々でもう息もできないのですが……」

「俺も困ってるは困ってるからね」

「私相手は慣れてるでしょー?」

「そうじゃなくてね」

 

 そうじゃないんだよ、そうじゃないんだよ彩……俺は彩は彩でちゃんと対応するけど実はそれ以上にドルオタ精神が発動しちゃうから、彩ちゃんとご飯って気分になって息ができなくなるわけよ。わかってくれとは言わない。隣の卓もこの卓もアイドルって時点でオタクは空気が薄く感じてしまうんだよ。

 

「んー、わかんないや」

「いいんだよわかんなくてさ……」

「そうよ彩ちゃん、オタクの思考はオタクでないと読み取れないものよ」

「は、はい! 千聖さま……ちゃんの言う通りでございます」

 

 おいオタク? パレオちゃん? しれっと千聖様って呼ばなかった? そんなご主人様勝手に増やしまくっててチュチュ様とやらに怒られてもしらないからね? 俺は知らないよ? 

 そんなこと言っている俺にまるでアルコールでも入っているかのように、彩が絡んでくる。今日はいつになくテンションが高いね? 

 

「今日のライブどうだった?」

「え、あ……最高だった。ホントに一年、追いかけてきたんだなぁって思った」

「……そっか」

 

 あの日、お披露目ライブに誘われて機材トラブルでアテフリ発覚、最悪のスタートを切ったパスパレ……今でも、ううん一年経った今だからこそアテフリがどうのって言ってパスパレを中傷する書き込みもたくさんある。でも、そういうやつは知らないんだってマウントを取れるから俺は大丈夫なんだ。

 

「お願いします……っ! ライブやります!」

 

 必死な顔、雨が降ってるのに……必死にビラを配る彩ちゃんの行動力が、そのあとライブが終わって見送りをしてくれた彩ちゃんのほっとしたような本当に嬉しそうな顔を、俺は知ってるから。

 

「いつも、見ていてくれてありがとう」

「彩……ちゃん」

「うん、()()()()、一年間ついてきてくれてありがと! これからも、いっぱい応援してね」

「……もちろん」

 

 間近にいるのに、なんなら腕を抱き込まれてるのに、そこにいたのは一年間いつだって推し続けたアイドルの顔があった。

 うわ、なんだろ、ダメだ……視界に水があふれてきた。自然に泣こうとか泣かないとかそういう暇もなく、気づいたら涙を流していた。

 

「わ、ち、千紘くん!?」

「よかったわね、とびきりのファンサもらえたじゃない」

「わかります……そんなこと間近で言われたらパレオも大号泣する自信あります……!」

 

 だよね、俺泣いてるもんね。もう言葉も出ないくらいに泣いてるもん。なんか今までたくさん推してきたこと、ファストフード店でばったり会ったこと。全部が重なって、あの時の一瞬一瞬頑張ってきた彩の全部が、今日の彩なんだなって思ったら……ダメになっちゃった。

 

「……キミは私の世界一のオタクだよ。私が認めてあげる」

「そんな、いちばんなんて……っ」

「いやぁ、ジブンもそう思う時あります。間違いなく、あなたは彩さんの一番のオタクでした」

 

 麻弥ちゃんにまで言われちゃって、というかどこまで公認なのさ。彩ちゃん担当気持ち悪いオタクとして、これ以上にないくらいのご褒美をもらってる気がするよ。

 ありがたいことだけど、それ以上に申し訳なさもあるよ。中には研究生時代から応援してくれてる、いわゆるファン一号もいるだろうにさ。

 

「謙遜なんていらないのよ、彩ちゃんが一番って言ったらあなたが一番なのよ、いい?」

「……それで、いいのかな」

「いいの! ファンに順位をつけちゃうのもホントはダメなんだろうけど……千紘くんはプライベートでもイベントでも私を一番に応援してくれてたから」

 

 夢にまっすぐな彩をずっと応援した()()でこんな特典がついてくるなんて、ホント俺の人生はどうかしてるよ。

 彩はまだ涙が止まらない俺の頭を微笑みながら撫でてくれる。うわ、もうこんなファンサやばすぎでしょ。

 

「私は、夢を与えるためにアイドルをしてる……って教えたことあったっけ」

「……うん、前に」

「そう、だからキミは私にとって最高のオタクなんだよ、それはパレオちゃんも」

「パレオも、でございますか?」

 

 彩はうんっ、と笑顔を弾けさせる。俺は彩の話を聴いて、それじゃあ俺も頑張る姿を報告できたらな、なんて考えて……正直続けたかったけどきっかけを失ってたサッカーを、結局フットサルになっちゃってるんだけど、再開した。パレオちゃんはパスパレの姿を見て、自分にも心を通わせる誰かと思いっきり演奏がしたくてRASのプロデューサーであるちゆさんって人からのオファーを受けた。

 それが彩にとってファンから、オタクからもらえる最高のお返しなんだ。自分がかつてアイドルに夢をもらったように、アイドルとして誰かに夢を与えたい。それがアイドル丸山彩としての想いなんだなぁ。

 

「それとは別に、千紘くんには特別なものをあげてるけどね……?」

「な、なんだろう……」

「パンツあげたの彩ちゃん?」

「あげてはないよ」

「パンツ?」

 

 ちょっと千聖さん? 彩と千聖さん以外の全員が固まったんだけど。そりゃね、流石にいくらなんでも推しのパンツが云々の話は寝耳に水でしょう。俺だってパレオちゃんや紗夜さんに言ってないんだもん。

 

「どういうこと千紘」

「あの、顔が怖いんだけど紗夜さん?」

「そうです! パレオもそんな話伺っていませんが」

 

 えーなんか紗夜さんまでは予想してたけどパレオちゃんまですごい怖い顔してるんだけど。おかげでイヴちゃんが戸惑いながら麻弥ちゃんと俺を交互に見ていて、麻弥ちゃんは苦笑い、日菜ちゃんはげらげら笑っている。

 

「あら……なるほどね」

 

 千聖さんはすごく面白そうに傍観者である。失言した張本人のくせに。

 けれどもそんなのどこ吹く風なのか、千聖さんはきれいな所作で肉を食べてみせた。知らぬふりって一番タチ悪いと思うんだけどなぁ。

 

「まぁまぁ、これは流石に私と千紘くんだけのヒミツ……ってことで!」

「納得できると?」

「紗夜ちゃん……わかりやすいね?」

「おねーちゃんだもん」

 

 紗夜さんってわかりやすいの? 俺そんなこと思ったこと一度もないんだけど、え? 俺だけ? 千聖さんが小さな声で乙女の嫉妬くらい受け止めてあげたらどうかしらと言われた。あー、うん、それは……その、どうしたらいいの? 

 

「デートです」

「デートしましょう」

「……モテモテだね?」

 

 しません。というかパレオちゃんまで最近アレだよね? 囲いからガチ恋勢にランクアップしてるフシあるよね? 前は俺が幸せならそれで、みたいなこと言ってたでしょ? けれど当のパレオちゃんどころか周囲にそれはないとツッコミを入れられてしまった。

 

「お傍にいられる方法はどうしてもこれしかないので!」

「ええ……そっか」

 

 なんてリアクションしたらいいのかわかんなくなったんだけど。どうやら俺の囲いでガチ恋勢が湧いているらしい。あれだね人生三回はあるとか言われるやつではなかろうか。花音のことがあったのに紗夜さんにパレオちゃんだなんて。

 

「……む」

「彩?」

「ふーん、と思ってさ」

 

 え、なんでちょい不機嫌そうなの? ああ、推しが……推しにそっぽを向かれた! どんなことがあろうと推しは推しのまま推したいのに! 推しに推されなくちゃ厄介認知勢キモドルオタって称号にやっと謎の誇りすら持てるようになったのに! 

 

「私の今日のパンツ知ってるくせに、そうやって紗夜ちゃんとかパレオちゃんにデレデレするんだー、と思ってさ」

「……え、あれ今日履いてるの?」

 

 あ、しまった口が滑った。うわやばい、紗夜さんが鬼のような形相になってる。これは通報待ったなしですね、ごめんなさい許してください。

 でもまさか朝送られてきた、今日のログインボーナス、というかわいい白のショーツがまさかの勝負下着……ライブのね、だとは思わないじゃん? 

 

「彩ちゃん、吹っ切れたのね」

「千聖ちゃんに教えてもらった通りだよ」

「いやなに教えてるの千聖さん」

 

 もしかして千聖さんは見せたがり露出狂の変態なのかな? そしてその露出狂から教わった俺をオタクとして留めておく方法がそれだったの? 師匠間違えてるよそれ。なんならそんな変態的方法がなくても、俺は彩のあの時間があれば十分だったんだけど。

 

「実物も……見たい?」

「見る? じゃなくて見たいって言われたら見たいに決まってるじゃん見ないけどな!」

「不純異性交遊はよくありません!」

「そうです! ヒロ様、不健全です!」

 

 見ないって言ってるよね? なんなのこの人たち。

 そんなこんなでごちゃごちゃ言いながら、わいわいと一時間くらい食ったり騒いだりして、解散となった。と言っても全員がパレオちゃんの車に乗って……って全員乗ってもスペースあるリムジンみたいなの怖いよね。

 そして麻弥ちゃんが降りて、千聖さんが降りて、日菜ちゃんと紗夜さんが降りて、イヴちゃんが降りて、俺と彩とパレオちゃんだけになった。

 

「あのさ……後で、電話してもいい?」

「え、いいけど?」

「うんじゃあまた後で」

「うん」

 

 彩はそう言い残してヒラヒラと手を振った。俺とパレオちゃんが残されて、って俺が最後なのか。少しの間、パレオちゃんと二人きり。なんだか怒涛の一日で、俺にとってはこの日すべてが夢みたいだったんだなって。

 

「千紘さん」

「ん?」

「ごめんなさい……」

「なんで謝るのさ、パレオちゃん? 今日も色々とありがとうって俺が感謝するくらいなんだけど」

「いえ、そうではなくて……その」

 

 近くによってきて、ほんの僅かに手が触れるか触れないかというところで、車が止まった。多分俺んちについたんだなってことはわかるんだけど……パレオちゃんをこのままにしておいていいのかな。

 

「パレオちゃん」

「はい」

「また……ファストフード店でね」

「……わかりました」

 

 すっと、パレオちゃんは車から降りて、それではと頭を下げてから手を振ってくれる。ごめんねパレオちゃん。俺から手を繋ぐみたいなことは、できないから。

 それが本当に淡い気持ちだったんだとしても、俺はまだ……それにちゃんとした言葉で返事ができるほど、傷は癒えてないんだ。

 

「……千紘くん」

「花音……どうして?」

「車の音、聞こえたから……もしかしたらと思って」

 

 なんとか頑張れてはいるけど、俺にはまだまだ問題があるんだ。今まで逃げ続けてきたのは俺がオタクとしてパスパレの一周年にすべてを懸けたかったから。その先になにが待っていようと、今日だけは夢の中でいたかったんだ。

 

「ちょっとだけ……付き合えるか?」

「……うん」

 

 俺は花音を家に招く。両親はいるから、多分そんなことをして嫌われるなんてことはしないだろうけど、花音も強硬手段には出られないってこと。ここで、最後の話し合いをするんだ。逃げるように別れちゃったけど、きちんと話して、そして俺は今日で、花音との関係に終止符を打ちたい。

 

「花音……まずはこの間のことごめんね」

「ううん……千聖ちゃんにもすごく怖い顔で怒られちゃった」

 

 あなたは彼を壊してしまいたいの、と千聖さんはあの後、花音を宥めつつも泣き止んだ彼女に厳しい言葉を向けられたらしい。そこで、花音はこの一周年ライブが終わったタイミングまで待とうという判断になったのか。ありがとうございます千聖さん。

 

「私、キミを留めておくことしか考えてなかった。千紘くんが私の傍にいればなんでもいいって、自分のことばっかりで……」

 

 そんなこと、俺だってそうだ。花音のことわかろうとしなかった。幼馴染は幼馴染だって、ずっと考えてて、花音の気持ちに応えようなんて思ってもなかった。ずっと、片想いをさせてきた報いだとすら思ったよ。

 

「そっか」

「お互い後ろ向きなことばっかり考えすぎたのかもね」

「……そうだね」

 

 恋に対して、想いに対して俺も花音もあんまりにも後ろ向きだった。だからこうなった。今じゃそんなこと思うよ。

 お互い傷ついたからこその関係だったとしても、俺は花音ともっと前向きにいられたらよかったと思ってるくらいだから。

 

「えーっと、じゃあ花音」

「なぁに?」

「俺からの気持ちを、受け取ってほしい」

「……え」

 

 俺は花音に、一番大事な幼馴染さんに向かって両手を広げた。おいでと俺ができる精いっぱいの勇気で、精いっぱいの感謝で、言葉よりも……花音がいつも俺のぬくもりを求めてくれたことを思い出して。

 少し戸惑いつつも、花音は俺の腕の中に納まってくれた。スローモーションのようにゆっくりふわりと甘い香りを残して、俺に甘えてくる。

 

「千紘くん……」

「ありがと……俺の大切な幼馴染さん(かのん)

「うん……うん」

 

 きっと、これで簡単に俺を幼馴染として見られるわけはないとは思ってる。でも、リセットはできないけど、また新しくスタートはできる。

 だから俺はそのスタートした関係に、花音の幸せがあればと願うよ。

 ──きっと、俺はキミに恋をしていた。いつだって一緒に笑ってくれていた花音のこと、俺はちゃんと……愛していたよ。

 

「えへへ……またいっぱい泣いて、ごめんね?」

「ううん、これからも泣いてくれていいよ。俺が全部……は自信ないけど、受け止める」

「そこは自信持ってほしいなあ……」

 

 それは無理。なにせ俺は気持ち悪いオタクだからね。

 これからも自信はなくても、推しを推すために、そして俺のことを見ていてくれる誰かのためにもっともっと俺を好きになっていければって思うんだ。

 そのためには、ひとつ、確認しなきゃならないことがあったりするんだけど、それはこれから頑張るしかない。なにせ相手が相手なんだから。

 

「……もしもし?」

『あ、やっと電話掛けてくれた~』

「ごめん」

『いいよ、私もお風呂ゆっくり入れたし♪』

 

 彼女は、俺の推しでありまた友人でもある彩のこと、彩が俺にしてくれることの正体を突き止めなくちゃいけないんだから。

 でもやっぱりパンツは見たいのでできれば触れたくないとか思っちゃうのがオタクの悲しいサガなんだ。その血の宿命的な。

 

 

 

 

 

 

 

 



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どうあっても推しには推しとして貢ぎたい

 私は人の巡り合わせというものに救われている、と常々感じていた。大きな出逢いは三つある。最初の出逢いはパスパレとの出逢い。

 アテフリが機材トラブルで発覚した時はすごく悲しかった。裏切られた気持ちになった。けれど、それでもあの雨の日に彩ちゃんからもらったチラシを信じた二度目のライブで、私は枯れるほど涙を流した。彩ちゃんに顔を覚えてもらって、私は最高に幸せだった。

 

「かわいいなぁ……」

 

 それから私は私なりの方法で自分のかわいいを表現しようと思い色々調べてみた。すると、推しのカラーでメッシュを入れる、というのがあって私はこれだと思った。

 自分なりのかわいい、この長い髪を生かす方法、そこでパレオが生まれた。

 

「ツートンってすげー」

「染めてんのか……」

「でもかわいい」

 

 そう、かわいい。それが私にとってなによりうれしい褒め言葉だった。

 ──だけど、それを私にだけ言うというのがどうしても許せなかった。パレオちゃんパレオちゃん、と私に微笑みかける、パスパレのオタクのはずの人たち。いつの間にか囲いが出来上がって、でも仲良くなろうとした人はすぐに私のグッズの集め方やプレミア席の取り方に引いていってしまった。

 

「マジかよ」

「中学生だろあの子」

「親の金でしょ」

「うわボンボンか」

「やだな」

 

 そんな陰口が嫌で、もしかしたらパスパレすらも嫌になってしまいかねなかった。私は、私の活動に理解をしてくれる人を探していただけなのに。

 だから、()は私にとって、救いでもあった。

 

「ヒロです」

「パ、パレオです」

 

 千紘さん、当時は本名なんて知らなかったからヒロさんと呼んでいた彼と出会ったのは少し後のことだった。

 彼は、自分が今まで見た中で誰よりも、私がかかわった人の中で誰よりも、推しに真摯な方だなぁというのが正直な感想だった。

 なにより千紘さんは私の活動を見ても引かないどころか被ったグッズとかあったら交換してほしいと申し出てきた。

 

「俺彩単推しだからさ、迷惑じゃなきゃ……」

「か、構いませんが……」

「やった! 無限回収したかったんだよね」

「無限……素敵な響きです」

 

 まぁ俺バイトに限界あるから無限は無理だけどとほほを掻く彼とならオタ活ができる。私はそう思って彼の後をついて行くことに決めた。イベントはエンカウントできるようにして、グッズを渡したりして仲良くなり、ゆくゆくは一緒にイベントに行けたらなぁって思っていた。

 だけど彼の周囲に私がいることで今度は千紘さんの肩身が狭くなっていって、私は離れようとさえ思った。けど、離れたくなかった。今考えればこのころからもう、私は彼に惹かれていたのかもしれない。

 

「あなたがれおなね! アタシがちゆよ、よろしく!」

 

 そして三つ目の出逢いが、()()()のご主人様でもあるチュチュ様との出逢い。

 この出逢いがあったことで、パレオはRASのパレオとして一緒に演奏を、同じ景色を共有できる仲間を得ることができた。

 パレオはとっても幸せです。それなのに……私はどうして、寂しくなってしまう時があるんだろう。

 

「あ、千紘さ……」

「えへへ~、千紘くん今日もポテトだね~」

「食べたいなら食べれば」

「えー! 冷たくない? ほらほら、千紘くんの推しですよ~」

「……彩」

 

 ──仕方ない。千紘さんにとって推しは何よりも大切なもので、それは私にとってもそう。

 だから本当はその姿に胸が痛くなることなんて、あっていいはずがないのに。推しやオタクという垣根を超えた関係を見る度に、私は泣きたくなってしまう。

 

「……あら、今日も推しのストーキングかしら?」

「違うよ、花音待ち」

「あなたは」

「いいの、俺もアイツも、区切りはつけたんだから。ポテト食べる? まだ揚げたてだけど」

「いただいてもいいかしら」

 

 それに、氷川紗夜さんも、ゆったりとお話しをされている二人の姿がなんだか邪魔できなくって、私はどうしたらいいのかわからなくなってしまって。

 なんだろうこの気持ちは、私は……どうしたらこの気持ちが救われるのだろう。

 

「それって……恋、とか?」

「恋……パレオが、千紘さんに……?」

「ご、ごめん。私も、したことないからようわからんけど」

 

 元気が無さそうだった、と練習終わりに言わた私はマッスーさんに半ば無理やり連れてかれる形で、チュチュ様を除く四人で近くのラーメン屋さんに来ていた。マッスーさんとレイさんはあんまりピンと来てないようで、ロックさんだけがそうリアクションを返してくれた。

 

「えっと、ますきさん……わかります?」

「恋ってなぁ」

「うーん、私もそういう気持ち感じたことないから」

「とにかく、お前はそのチヒロってやつとどうなりたいかってことじゃねーかな」

 

 どうなりたいか。どうなりたい、なんて決まっている。

 彼が思うようなオタ活ができるようにしてあげたい。そして……その時の彼を、ほんの少しだけ、独占していたい。アイドルに、彩ちゃんに向ける横顔を、ほんの少しだけ。

 そんな浅ましい、千紘さんのオタクになると宣言したのにこんなひどい感情を打ち明けた静寂を破ったのは、レイさんだった。

 

「確かめてみればいいよ」

「レイ?」

「彼の前でライブをするってのはどう?」

「ライブ、ですか?」

 

 そう、とレイさんは頷いた。パレオが一番素直になれるのはライブをしている時だからと。

 好きなものを好きと言える勇気、楽しいも嬉しいも、全部が詰め込めるのがライブ。マッスーさんもロックさんも、それだな、とうなずき合った。

 言葉にするのが難しくても、私たちには音楽がある。だから音楽で伝えたらいいんだ。

 

「千紘さんに、私のライブを……」

 

 決めた時点で私は、半ば決めていたのかもしれない。

 白崎千紘さんへの本当の気持ち、あの方の傍で自分はなんという名前で呼ばれたいかを。

 ご主人様として、パレオと気安く呼んでいただくのか、アイドルは違う毛色の推しとして、パレオちゃんと呼んでもらうのか……それとも。

 

「れおなちゃん?」

「は、はいっ! って、ち、千紘さん!」

「珍しいね」

 

 皆様に相談してから数日後、制服姿で髪色も変えずにファストフード店でぼーっと色々と考えているとまさかの千紘さんに声を掛けられてしまった。

 びっくりしすぎて声が裏返ったのが面白かったのか、ちょっとだけ苦笑気味な彼の微笑みにドキっとしてしまう。ああしかも、千紘さんに本名で呼ばれるのは未だに慣れないなぁ。

 

「ち、千紘さんは、あの、どうして……?」

「バイト暇すぎてさ、早上がりしてさ」

「そうだったんですね……あ、お疲れ様でございます」

「ありがと……だけどそんなオーバーじゃなくていいよ」

 

 慌てて立ち上がろうとしたらやんわりと抑えられてしまった。そのうえ、相席いいかな? だなんて……うう、今すぐ着替えて髪色変えてお傍に立たせていただきたいくらいになんだか落ち着かない。

 

「相変わらずのメイドっぷりだね。でも今はその恰好でしょ?」

「……気遣いいただきあありがとうございます」

「そういうのじゃないって」

 

 この格好で畏まられるとむずむずしちゃうからさ、と言われてしまい私はそういうことならと引き下がった。

 ──どうしよう。私、どう接したらいいんだろう。基本的にこの姿で千紘さんに会うことなんてないからどうしたらいいのかわからない。

 

「あ、あのお買い物パレ……私が」

「いやいいよ。自分で行ってくるから」

「あう……」

 

 いつから私はこう、尽くさないとやっていけないようになってしまったんだろう。ううん、日頃の行いでしょうかね。

 そわそわとしてしまう。私、何もしてませんよね? 何もしてないのがもう辛い。千紘さんには何かしてあげたいのですが。

 

「どうしたの?」

「いえ……」

「いやなんかそわそわしてるから」

 

 しかもバレてる。恥ずかしいけどバレてるならと打ち明けると、噴き出されてしまう。本当に貢ぎくせがあるよね、なんて言われて、だってと唇を尖らせてしまう。私にとって千紘さんには貢ぐものなんです。

 

「貢ぐものって……」

「お財布扱いでもこの際構いません」

「言い切らないでもらえる?」

 

 そう言われても奢られるくらいなら財布だとかATMとか言われた方がマシです。特に千紘さん相手だとお金出されるとなんだか落ち着かないどころか、逆にお財布出してるのを見るだけでモヤモヤしてしまうと言うのに! 

 

「じ、重症だなぁ……」

「推しを前にすれば当然の欲求では?」

「あの、いくらなんでも俺、彩のプライベートにまで財布出したりしないからね」

「え」

「え?」

 

 驚かないでくださいよぉ……え? じゃないんですよぉ。

 私が特殊みたいな……特殊なのかな。でも、彩ちゃんに99.99%を注ぎ込んでいるのが千紘さんのアイデンティティなんですよ? そんな0.01%をなるべく0にしたいと思うのが私なんですっ。

 ──ってそうじゃなくて、私は千紘さんに言わないといけないことがあったんでした。

 

「そ、そういえば……千紘さん」

「ん?」

「来週末の夜……空いてますか?」

「……来週末?」

 

 うわ、ドキドキしてきちゃった……まるでデートのお誘いみたいで。

 と思ったら何があるの? と身構えられてしまう。あ……あの、しまった。用事を先に言わなくちゃいけないんだった。

 

「あの実は、RASのライブがあって……その、来ていただければ」

「俺に? 俺ロックバンドとかわかんないんだけど」

「わからなくても……その、千紘さんに聴いてほしいんです」

「俺に……か」

 

 ちょっと迷った後、千紘さんはわかった、と言って微笑んでいた。その瞬間ドキドキが更に強くなった。どうしよう、すごくうれしくて、なんか泣いてしまいそうだった。でも、こんなにあっさり許可してくれるなんて。

 

「俺も興味があったから」

「興味……ですか?」

「そ、れおなちゃん……パレオちゃんのこと、知りたくて」

 

 知りたい……だなんて。そんなことを言われるとどうしても、胸が高鳴ってしまう。私だって推しに認知されたいんです。微笑んでもらって、私の存在をあなたのお傍に、置いておきたい。そして、その笑顔で是非……れおな、と呼んでほしい。

 

「──あ」

「どうしたの?」

「いえ……」

 

 気付いてしまった。私は彼にれおなと呼んでほしい。後ろではなく隣で、手を繋ぎながら……私も、最大級の笑顔でお返事がしたい。

 私は……千紘さんの、恋人になりたいんだ。パレオとしてではなく、鳰原れおなとして、彼の傍にいたいんだ。

 

「なっ……それは、マジ、なの?」

「……はい」

 

 その日の夜、チュチュ様のご自宅でもあるスタジオで練習してから、ご主人様でもある彼女に相談することにした。

 チュチュ様のことはもちろん、感謝しているし、今でもご主人様はチュチュ様だと思っている。けれどだからこそこの気持ちに嘘をつけなかった。

 

「恋、そう……まぁそういうのもあるんでしょうけど」

「もちろん、RASのキーボードとしてのパフォーマンスに妥協はしません。ですが……」

「当然よ! RASにとってパレオの音は必要不可欠よ」

 

 そう言ってくださるチュチュ様にありがとうございますと頭を下げ、その上で……私はチュチュ様のキーボードメイドではなく鳰原れおなとして、玉出ちゆさんをまっすぐに見据えた。

 

「パレオは、今の生活を彼にも捧げたいんです」

「パレオ……」

「この胸の温かさを、少しでも……千紘さんの笑顔にしたいんです」

 

 だからこそ、今回のライブだけは……私は千紘さんのために弾きたい。千紘さんに自分の想いを伝えるために使わせてください。

 とても個人的で、最悪なお願いだった。チュチュ様にしてはあまりに身勝手なお願いに、彼女は眉を顰めた。

 

「その意味、わかってるの?」

「はい」

「……それはアタシが目指すRASの音ではないわ」

 

 わかってる。重々承知している。

 けれど、それでも……私は千紘さんのためにキーボードで全部を伝えたい。そのくらい、好きになっちゃったんだもん。そんな想いを乗せるのも、チュチュ様の心を動かすのもやはり、音楽だから。

 

「少し、聴いていてください」

「パレオ?」

 

 スタジオに入り、キーボードのスイッチを入れる。不器用なら不器用なりに、パレオの伝え方がある。

 思うままに指を滑らせていく。(パレオ)の音楽をチュチュ様に、そしてその先にいる、彼の元へ! 

 今までで一番集中していってる気がする。どんどん、楽しいが溢れてくる。走馬灯のようにパスパレと出会ってからの時間が流れて、彼と出会ってからの時間が流れて、チュチュ様と出会ったあの頃へと続いていく。音楽が、私の世界を作っていく。

 

「はっ……はっ……いかが、でしたか?」

 

 どのくらい弾いていたんだろう、どのくらい私はチュチュ様に聴かせていたのだろう。汗が後から後から溢れてくる。でも楽しい。もっと弾ける、そんな気がした。ああまるで、昨日までの自分とは違うように自分の弾きたい音が明確に見えていた。

 ──それを、チュチュ様も感じてくださったようで、驚きの顔をされていた。

 

 

「──パレオ」

「……はい」

「そう……だったわね。あなたはいつも、自分の中にあるものを爆発させて音楽を奏でてきた」

「はい……っ!」

 

 チュチュ様のため、RASという音楽のために。パレオは自分の中にあるものを燃やしてエンジンにしてキーボードを弾いてきた。それはいつもオタクとしての自分と同じで、かわいいを表現するために内にあるモノを薪のようにして燃やしてきた。

 ──今はそれが千紘さんだっただけ。でも意識するのとしないのでは、音に違いがでる。迷いのない、まっすぐな音だったわとチュチュ様は少しだけ寂しそうに後ろを向いた。

 

「勝手にしなさい。ただし! パレオはRASのキーボード! それだけはなにがあっても譲れないわよ!」

「……はいっ、チュチュ様!」

 

 あとライブの後にチヒロってやつに会わせなさいと言われて二つ返事をした。元々三人に相談した時にはライブ後にRASの皆様にも紹介する予定だったから。どんな人なのか、みなさん興味があるようなので。

 けれどご主人様はチュチュ様一人でございます……と言っても最近のパレオは説得力がないかもしれませんが、チュチュ様に奉仕したいという気持ちと千紘様に捧げたいという気持ちは別物なのですよ! 

 

「ああ……早く週末にならないかなぁ……」

 

 ベッドに寝ころびながら、私は星を見上げてた。

 この恋が例え、成就しないものだったとしても……それでもいい。私が千紘さんが好きという気持ちを表現して、聴いてほしいだけ。もちろん失恋は悲しいし……きっと泣いてしまうけれど。

 ──私は千紘さんのこと、幸せになれるように応援してあげたい。それがきっと推しと呼んだ相手へ、パレオができる唯一で、絶対の誓いのようなものだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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推しが夢をかなえたら

 ガールズバンドが人気だとは知っていたけど全く興味の外のジャンルだったからスルーしてた。してたけどこれはすごいなぁ。

 パレオちゃんからお誘いを受けた日から少しでも知っておこうと動画なんかを漁って通信料のかからないファストフード店で視聴していた時、何を見ているの? と向かいに山盛りのポテトが乗ったトレイが置かれた。

 

「紗夜さんお疲れさま、委員会?」

「ええ……それで?」

「ああ、丁度これ」

 

 そこにはすごい楽しそうにギターを弾いてる紗夜さんの姿があった。概要欄に見たことある人がいたから見たらめっちゃカッコいいんだなぁってことを再確認したんだよ。ギタリストってのは知ってたけど……なんだっけ、Roseliaってスゲーバンドだったんだ。

 

「……どうして今更ガールズバンドを?」

「それがパレオちゃんに誘われてさ」

「RASのライブに、ですか?」

 

 そうだよ? と言ったらRASは今人気急上昇中の新進気鋭だそうで、チケットを確保するのは大変なことだということを教えてもらって飛び上がりそうだった。俺、パレオちゃんに取り置きもらってるんだけど。

 

「はぁ……そういうことね」

「ちなみにRoseliaは?」

「当然、目指しているのは頂点なのよ」

 

 日菜ちゃんガチ推し勢はストイックさんなのでそこは一緒らしい。というかオタクとしての面とは違いすぎてそのギャップで頭がおかしくなりそうだったんだけど。なにこのイケメン女子。しかも更にすごいのが、普段はこの通り表情筋はそれほど動かない紗夜さんなのですが、ライブ中はカメラに向かってウィンクだの、果ては投げキッスしていた。誰? 

 

「そ、それは……っ!」

「それは?」

「……今井さん、ウチのベーシストがカメラ入ってる以上ファンサはある程度必要だ……と」

「ほうほう」

 

 ちなみにパレオちゃんはもっとすごかった。あんな頭振ったり、果ては背面弾きだのなんだのってやりたい放題だった。バンドによってもこう、パフォーマンスやファンサが違うんだなぁってのも見てわかった。

 ──これから行くRASは汗かきそうだなぁ。まぁパスパレでもめちゃくちゃ汗かいて声出すしそこはかわらないか。

 

「というかこの環境でよく今まで触れずに来たわね」

「確かにね」

 

 幼馴染の花音がドラムやってるのは当然知ってたけど、紗夜さん、パレオちゃんと後知り合いと言えばひまりちゃん、彼女もバンドやってることを初めて知ったよ。流行とはいえすごい人口だよね。しかも人気バンド紹介みたいなのに花音もひまりちゃんいるし、なんならひまりちゃんはリーダーとか紹介されててびっくりした。

 

「興味が狭いわね……本当に」

「オタクだからね」

「そうね」

 

 しかも一点特化型だから。何回か花音に誘われてもバイトとか優先にしちゃってたから。

 でも、あの時のパレオちゃんは断れないよね。

 真剣な表情で、初めて……だと思う。あんな風に俺にまっすぐ自分を伝えようとしてくれるのは。いつもはさ、ホントにメイドさんみたいに後ろに控えてくれるようなところがあるのに、あの時のパレオちゃんは正面から来たから。

 

「……そう」

「うん」

「それじゃあ……私が誘っても、千紘は来てくれるの?」

「……えっと」

 

 一応は日程によるってことになってるけど。紗夜さんはいつだってまっすぐ俺を見据えるじゃない。だからパレオちゃんの気持ちにはまだ薄々というか確信には至ってないってところだけど、俺は紗夜さんの気持ち、知ってるつもりだよ。

 

「自惚れるわね」

「違うの?」

「違わないけれど」

 

 唇を尖らせて、紗夜さんは脈なしは辛いわよと不満を口にした。ごめん、紗夜さんは確かに魅力的で、そんなあなたに想われるなんて光栄すぎるけど。

 俺にとって紗夜さんはこうやって出逢ったらしゃべって、いじられるのがちょうどいい距離だなって思っちゃうんだよ。

 

「……バカ」

「だからごめん、って」

「結果のわかりきった答えだけれど……それでも、私は今泣きたいくらいに胸が痛いのよ?」

 

 俺だって、誰かに好きだと言われてそれを無碍にしなくちゃいけないなんて胸が痛いよ。でも俺は花音と同じ失敗はしたくない。アイツを振って、泣かせて決めたんだ。後ろじゃなくて、前を向いて進んでいこうって。

 誰かに想われない自分はもう……嫌いじゃないからさ。

 

「強くなくていいのに」

「紗夜さんはそう言うよね」

「なにかが変わったら……私にもチャンスはあったかしら」

 

 さぁどうだろう。それはわかんないけどきっかけとかなんて些細なものじゃない? その些細なものに振り回されちゃうのも嫌だなって思うけど。

 少なくとも俺はあの雨の中、千聖ちゃんからチラシを受け取って、千聖ちゃんに認知してもらったら、今頃は彩ちゃん推しじゃなくて千聖ちゃん推しになってるって自信はあるけど。

 

「軽薄ね」

「運命がね」

「推しのパンツを見て興奮するあなたは軽薄よ」

 

 う……それはさ。女性にはわからないかもしれないけどスカートの先にあるそのパンツって布に無限大な夢を見てしまうものなんだよ。アドベンチャーなんだよ。

 けど軽薄というか変態なのはそろそろそうかもと思ってきましたごめんなさい。

 

「それじゃあ……私も見せてあげると言ったら? 見るの?」

「前に見せてきたじゃん」

「あれは……その」

 

 そりゃね、紗夜さん美人だし見たいか見たくないかと問われたら見たいけど見る? と訊かれたら見ないですからね。

 でもあの時のやつは脳内保存してありますけど、男ってそういう生き物です。

 

「まったく、誰にでも下着の話していると嫌われるわよ」

「誰にでも言うわけ」

 

 相手が紗夜さんだからだよ、と言うと少しだけ寂しそうにバカねと言われた。俺は紗夜さんのこと大事な友人だと思ってる。紗夜さん自身がそれを嫌がってるかもしれないけど、俺は、あなたのことが好きだから。

 

「……ありがとう」

「ひどい男でごめんね」

「本当に」

 

 ふふ、と微笑んでくれる紗夜さん。フってしまった辛さはあるけれど、それ以上に関係が壊れなかったことに安堵してる。

 今度のイベントはまた三人で行こうね。三人で行って、笑い合って、そうやって楽しくオタ活できたらなぁって思うんだ。

 

「それじゃあ私はもう行くわね」

「送っていこうか?」

「いいわよ、待っているんでしょう?」

 

 バレてたんだ。いや俺は今までも花音待ちでいっつもここにいたけどさ。幼馴染さんを待つ時はいいけどこれはバレないようにって思っていたのになぁ。

 そんなことを思いながら紗夜さんの後ろ姿を目で追っていたら、お待たせ~と声を掛けられた。

 

「ごめんね、ちょっと長引いちゃって」

「ううん、暇つぶしはできてたし」

 

 暇つぶし? と首を傾げた彼女に俺はさっきまで紗夜さんがいたからさと笑いかける。

 彼女とは彩のこと。俺は最近、彩待ちをして一緒に帰ることが多くなった。前に電話した時に独りで帰るのは心細くて親を呼んでたんだけど今月はそうもいかなくなっちゃったらしくて、だったら可能な限りは一緒に帰ろうよと提案したんだ。

 彩ちゃん(おし)を送ってって、二人きりにで話したいなんて邪な考えじゃなくて、あくまで彩の言葉に俺ができることを探したかっただけ、とは言えファンサもらってるから言い訳無用なところはあるけど。

 

「というかだいぶお仕事増えてきたね?」

「うん! 今はレギュラー番組も……あー深夜枠だけどあるし!」

 

 そうだね放送初日から毎日SNSと二窓しながらリアタイして翌日の朝に録画したのを見てから帰ってきてもう一回字幕付きで止めたり戻したりしながら見てるよ。

 だから最近パスパレのレギュラー番組放送の翌日はバイトを入れてない。なによりも推しが大事だビバ推しライフ! 青春には胸を張ってくもんだし、イチニのサンで前を向いて常識は吹き飛ばすもんだよ。

 

「バイト続けて大丈夫なの?」

「うん、お世話になってるし……あと千紘くんにも会えるしっ」

 

 付け加えなくてもいいからねそんなこと。別にこう送ってく道くらいファンサなくてもやってけるからねいくらなんでも。

 いや確かにクソオタクだけどさ。いくらこの状況で彩にファンサを求めたりしないよ。というかファンサ目的で送ってるわけじゃないし。

 

「ううん、ファンサする」

「どうして」

「私が、千紘くんにしてあげたいから」

 

 ──ものすごい殺し文句がとんできた。オタク俺、無事死亡と速報が流れるレベルである。ぎゅっと手を握られ、隣を歩く髪を下ろしたアイドルが、俺に、俺だけにレスをくれる。暗がりでもわかっちゃうくらいにキラキラとしたその顔に俺の心臓が跳ねて、止まってくれない。

 

「千紘くんはさ」

「ん?」

「……今から二人だけの場所に逃げようって私が言ったら、どうする?」

 

 少しだけいたずらなような、けどなんだか冗談で流せないような雰囲気で彩は笑顔のままそう呟いた。このまま手を引いて二人だけの世界に、か。

 そんなの決まってる。俺は彩のことが大事だからね。

 

「遠慮する」

「どうして?」

「彩には夢を叶えてほしいから」

 

 誰かに夢を与えるアイドルに、そしてアイドルスターに。彩の夢はまだまだ道半ばだ。その夢を諦めさせるような選択を俺は取れない。たとえその人生が幸せに満ちたとしても。

 このまま二人で逃げて、結婚して子どもができて……きっと幸せだろうけど。

 

「そっか」

「もちろん、そう思い詰めるくらいに辛いなら、俺が背中を押してあげる。手を引っ張ってあげる。それが……オタクだから」

 

 ──俺は彩ちゃん推しのキモオタだから。彩ちゃんには夢を叶えて、たくさんの人の夢になって、いつかはステージの上で万感の想いを込めて歌って、たくさんの涙と惜しまれる拍手に包まれながらマイクを置いてほしい。アイドルに捧げた人生が、本当に幸せでしたとステージの上で言ってほしい。

 

「じゃあ、その時は」

「……え?」

「キミが迎えに来て」

「えっ」

 

 それって、なんて言う間もなく、俺は彩の腕によって強制的に視線を下げさせられ、踵を上げた彼女との距離が、ゼロになった。

 長い睫毛、大きな瞳が間近で閉じられ、吐息がまじりあう。

 

「……は」

「……え、えっ、ちょ、ちょっと待って」

「ムード台無しだよ?」

「ムードって……! いやいやそれ以前に色々おかしくない!?」

 

 いくらファンサって言っても……キ、キ……うわ! ヤバめっちゃ感触残ってる! え、どうしようワイドショー!? パパラッチに撮られてアンチにパンチされちゃうよ!?

 混乱した俺を見て彩は苦笑いをする。まるでそんな驚くこと? って顔されても困るし驚くよねフツーさ。

 

「私、これでも伝えてきたつもりだったんだけど……アプローチ足りなかったかな」

「い、いつから……」

「キミにプライベートを区別してもらったあの時から」

 

 そ、そんな前から……? 嘘でしょ俺全然気づく……わけないわ。あの時の俺なんて自分の失恋と花音で手一杯で正直オタ活もロクにできてない時期だったし。イベントには参加してたけどさ。情報が一歩遅れてたりした時期だ。

 

「……あー、なんかスッキリしたー!」

「俺はモヤモヤしてるんだけど」

「えー、でも私が千紘くんに対してしてきたことが何かはわかったでしょ?」

 

 まぁ……確かに。なんで距離近いのかなって思わないこともなかった。というかまさかアレがそのサインだったの? 

 彩はたくさん心当たりがあるらしくどれ? と首を傾げていた。

 

「ホラあの……ポテトの」

「あーうん。千紘くんに食べさせてほしかった」

 

 両手がふさがってても開いてても絶対口開けるもんね彩。それで俺が一本ポテトを向けて、それをおいしそうに食べる彩。このくだり、アプローチの一環だったんだ。もっとわかりやすいと好きでもない人にパンツ見せないよとか言ってきた。なんでそっちは気づかなかったんだろうなちくしょう! 

 ──とまぁ色々と納得したんだけどあなたアイドルでしょうなにやってるんですか。

 

「アイドルだって人間……ってことくらいキミにもわかるでしょ?」

「そりゃ……そうだけど」

「好きになっちゃったんだよ。私だって、ダメだなぁって思ってたし千聖ちゃんにもマネージャーにも絶対に付き合っちゃダメって言われてた。そんなのわかってる、けどっ……好きになっちゃったんだもん」

「あ、彩……」

「……もうちょっと、話、してもいい?」

「……うん」

 

 外ではなんだからって……俺は彩の家に上げてもらい、部屋できっかけを教えてくれた。

 そのきっかけはなんてことのない、俺と同じだ。あの日、あの雨の日、チラシを受け取った俺がライブのお見送りにいた。それが全部の始まり。

 最初は嬉しい、あの子が()()()()()丸山彩のファン一号だって思っただけだった。

 

「ファストフード店で会ってもその気持ちは一緒だった……けど」

「けど?」

「ほら、キミに愚痴っちゃったことあったでしょ?」

 

 最近じゃいっぱい聴かせてくれるようになったけどね。あれか、イベントなんてまだできなくて、地道に活動するしかなかった時、広報すれば中傷のリプライが届くようなあの頃、彩は俺にポツリとそれが辛いって漏らしたんだった。

 

「その時に確か、彩が頑張ってきた話を聴いたんだよね」

「うん。それで、キミはその努力は、してきたことは無駄じゃないって教えてくれた」

 

 彩ちゃん俺、フットサル始めたんだ。驚かせたくて個別握手会のイベントで俺は彩にそう言った。その時、彩は目を見開きそれから大粒の涙を零したのをよく覚えてる。

 余談だけどその真後ろは研究生時代のガチ古参だったのでめちゃくちゃSNSでお気持ち表明された。知らんがな。

 

「あの時嬉しくて嬉しくて……! 暗い印象のあったキミが、自分を好きになりたい、なって私に頑張ってるんだっていいたいって言ってくれた時に、私は恋をしたんだ」

「……そんなの」

 

 そんなの誰だってできることだ。彩の頑張りを聴いて何かをしたいって思える人は俺なんかよりたくさんいるはずだ。

 ──それがたまたま俺が最初だっただけ。たまたま、俺がそれを聴いていたからできただけ。でもその偶然が彩に俺という存在を深くしていった。

 

「だから……おじゃましても、いいかな?」

「え……っと?」

「どうぞ……って言って」

「どう、ぞ?」

 

 すると彩は俺の脚の間にやってきてまさかの俺に背中を預けてきた。真ん前にいい匂いのする頭が、彩の頭があって、彩の体温が伝わってくる。

 頭が弾けそうなくらいにショートしていて、でも彩は嬉しそうに微笑みながら俺の手を握ってきた。

 

「私は、キミのココにいたい」

「……それは」

「中心に、私を……丸山彩を入れてほしい」

 

 心臓が熱く跳ねた。俺はあくまで彩ちゃんは推しで、でも彩は一緒にいて楽しくてちょっとドジだけど誰よりもまっすぐですごいストイックなところもあって、いろんなことに挑戦していて、かわいくて尊敬できて……誰よりも、好きな人だ。

 

「……無理」

「……無理、かなぁ」

「うん無理だ。だって……」

 

 彩はいつだって俺を見てくれた。日常の些細な一コマにやってきてポテトをねだる姿、アイドルとして歌って踊って、合間に俺を見つけて微笑んでくれる姿。握手会でたまにプライベートネタを言っちゃいそうになる姿。俺はそんな彩をこれからもたくさん、たくさん見つめていくんだ。それは紛れもない、一つの気持ちだから。

 

「……もう、いるから」

「え……?」

「彩は、もうここにいる。俺の一番真ん中で、キラキラ躍ってる」

「そっか」

 

 今度は俺から、彩がくれた気持ちを返していく。身長差のせいで上を向かせてごめんと思いながら、ゆっくりと確かめるように。

 ああ、認めちゃえばこんなに腑に落ちることはない。なんで彩ちゃん推しってだけじゃなくてプライベートの彩に目が離せなかったのか。それは、彩のことを好きだからだ。

 

「でも、付き合うのはダメ」

「ダメ……?」

「そんな目で見てもダメ、こういうのも今日だけにしよ」

「……いじわる」

 

 意地悪じゃないよ。俺だって今グワーッとした気持ち全部ぶつけたいよ。抱きしめて好きだーって言いたい。身体の奥から気持ちが溢れてくるよ。

 でも、付き合うのはダメ。俺は彩の夢を叶えてほしいって言った。その気持ちは嘘じゃないホントだ。スキャンダルで活動が制限されるなんて許せない。

 

「じゃあ……私の夢がかなうまで、待ってて」

「うん」

 

 今日までってことで、彩は今日だけだからともう一度だけ秘密を共有した。

 うん、これでいい。きっと後悔することになるだろうけど。俺はあくまでドルオタだからね。

 ──なんとしてでも推しは推しのまま推したい! 推しが叶える夢の果てを、ペンライト振って応援したいんだ。

 

「あ、今日のパンツ見たい?」

「見たい!」

 

 そんないちゃいちゃが終わり、名残り惜しいけど玄関まで見送ってくれた彩からの最後の言葉に思わず条件反射をしてしまった。

 え、あ、これは……だからこれは違うんです! 決して、決して変態とかじゃなくて! でも、それでも好きな女の子のパンツだよ!? 見たいに決まってるでしょうが! 

 

 

 

 

 

 



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たとえ推しが推しでも、パンツは見たいんだ!

 彩が夢を叶えた時、その時は恋人になる。そう決めたことは秘密にするのかと思っていたら既に花音、紗夜さん、パスパレメンバー、そしてパレオちゃんは知るところだった。隠していてもしょうがないって。

 

「だいたい千紘くんは隠し事下手でしょ?」

「……そうだけど」

 

 まぁこの辺は言ってもいいんだろうけど。彩はちょっと納得がいってない俺にだけ、紗夜ちゃんとパレオちゃんは、諦めきれなくなっちゃうでしょと説明された。

 そっか、そうだよな。俺は女の子二人をフってることになるんだ。

 

「こんにちは千紘くん」

「どうも、わざわざ時間を作ってもらって……」

「そういう他人行儀なのはいいわよ」

 

 とある日の昼下がり、俺は近くの喫茶店でとある女性と待ち合わせていた。目深の防止にサングラス、お忍び雰囲気抜群のその女性の名は、白鷺千聖さん。俺と似た名前を持つ彼女は彩との約束以来、こうしてたまに愚痴を聴いてくれる友人、という間柄になった。

 

「それで……何を話そうかしら?」

「色々、整理をつけたくて」

「そう」

 

 彩と半ば恋人、のような関係になってから、様々な苦しいことがあった。

 ──あなたに好きな人ができても、それでも言葉にしたかった、とRASのライブに行った帰り、俺はパレオちゃんに告白された。いつものツートンじゃない、パレオちゃん……れおなちゃん本来の髪色の彼女に、思わず俺も泣いてしまいそうなくらい苦しい告白を受けた。

 

「ずっと、ずっと好きでした……! 千紘さんのこと、大好きでした……っ!」

 

 当たり前だけど断って、そのあとチュチュって子に散々罵倒されたよね。ウチのれおなを泣かせんじゃないわよって。というかあのメンツ怖いんですよ。ますきって人も怖かった。あんなんヤンキーってかレディースじゃん。暴走族だよ。

 

「フられても私、オタ活の時に千紘さんの隣は譲りませんから」

「……れおなちゃん」

「ところで今週末の撮影会どうされるおつもりですか?」

「どうしようね」

 

 それでもれおなちゃんはいつだってパレオちゃんとして傍にいてくれることを選んだ。きっとあの子も後悔することがたくさんあるだろう。けど、俺はその後悔をさせないようにはできないってこともわかっていた。俺がなんとかして、例えば楽しませようとすればするほど、好きって感情に彼女は圧し潰されそうになる。失恋ってそのくらい苦しくて、相手と心が通っていたらいるほど重たいことなんだから。

 

「そうね、ちゃんとわきまえているじゃない」

「……そりゃ、ガラにもなくモテたし、フったりフラれたりしてますから」

「ふふ、彩ちゃんは常々千紘くんはモテなくていいんだけどなぁ、なんて言っているけれど」

 

 れおなちゃんは大切なオタ仲間だ。それがあったとしても一度そういう関係を望んだ以上、俺は彼女の幸せに必要以上に関与しちゃいけない。千聖さんはそんな風に俺を諭してくれていたのもあるね。

 

「そういえば……紗夜ちゃんとのその後は訊いてないわね」

「日菜ちゃんから聞かないんですか?」

「そこまで野暮ではないわよ。日菜ちゃんも私も」

 

 そっか。そうだよね……紗夜さんは、紗夜さんはあっけないほどいつも通りだからね。でもどうやら彩曰くあれは虎視眈々と千紘くんを狙ってる目だよ、なんて言ってた。靡かないから大丈夫だよ。

 

「紗夜ちゃんはそこまでメンタルが脆くないわ……強くなった、というべきだけれど」

「そうだね」

 

 俺に心配されるようなメンタルはしてなさそうだ。いつだって凛としていてクールで大人で、でも時々変なところでかわいさのある、それが紗夜さんって人だからね。いつまでも尊敬できる人だと思う。

 でもやっぱり狙ってるってのはないと思う。

 

「私はあなたの頑張る姿に、純粋に胸を打たれたわ。だから……その頑張るきっかけを与えてくれた丸山さんに勝てるはずないわ」

「……勝つとかじゃ、ないと思うけど」

「ええそうね。ごめんなさい嫌な言い方だったわ。でも千紘……丸山さんと同様に、あなただって、誰かに素敵だって思われるような姿を見せられるってことは、覚えておいて」

 

 そんな風に微笑んだあの人が、まだそうやって横から狙ってるだなんて思えない。いや俺が思いたくないだけかもしれないけど。

 だからこそ、俺は今でもファストフード店で会うと一緒の席でいつもみたいに話すんだから。

 

「サラっと口説かれているじゃない」

「口説かれてる?」

「ええ」

 

 ──と紗夜さんとの心温まるエピソード語ったらそんなことを言われた。待って俺どこの部分で口説かれてた? 困惑していると千聖さんが全部よ全部って言われた。全部!? 

 ガッツリ狙われていたらしい。いいよ靡かないもん。靡かないからこそこうやってまだ紗夜さんとお話しできてるわけだし? 

 

「なんて甘い自己評価かしら」

「彩がいるから」

「惚気ないでちょうだい」

「……ごめんなさい」

 

 怒られた。相手は一応アイドルなのよ? と言われるけどわかってるよそれは。一応はつけてあげないでほしい。彩はアイドルですよちゃんと。その辺はオタクとして区別してますからね。

 

「そうね、そうなるわね」

「なんでそう聞き分けのない子に譲歩したみたいな反応されるのかな俺」

「え?」

「えっ?」

「……花音のことだけれど」

 

 おいおい千聖さん? 露骨に話そらし過ぎでは?

 けど千聖さんは表情を一切動かさずにもう一度だけ花音のことだけれどと口にした。ヒエ、目が全然笑ってない。笑ってないのに慈愛の微笑みなんだけど。わかりましたわかりましたから花音の話でもしましょう。

 

「花音は……花音はなぁ」

「なにか問題あったの?」

「なんか結局ぎこちなくなっちゃって」

 

 それは花音の親友でもある千聖さんに相談したいことの一つだった。

 あれからずっと、花音とまともに会話はできてない。前はちょいちょい来てくれてたご飯も当然無くなったし……俺は結局、花音を傷つけただけなのかな。そう思うとじわりと胸が痛む。あの時、やっぱりダメだと思ってても、アイツの傍にいてあげるべきだったのかな、なんて。

 

「そんなことないわよ」

「……そう?」

「ええ、だって花音は言ってたわ。自分も前を向いて、みんなを笑顔にできるようになったら、今度こそ笑顔であなたの幼馴染でいたい、って」

 

 そっか、と俺は千聖さんの微笑みに返事をした。幼馴染でいたい。そう思ってくれてるなら俺も安心できるよ。

 今はまだ前を向けなくても、いつかは……もう花音はその優しさを外にむけることができるのなら、それ以上に安心なことはないよ。

 

「教えてくれてありがとう千聖さん」

「いいのよ。これは花音のためでもあるのだから」

「千聖さんみたいな人がいてくれてよかった」

 

 これは本当に心から思うことだ。よくない別れ方をしたせいで前のように関われなくなってしまった俺と花音にとって、千聖さんは架け橋のような存在だった。感謝しかないよ。千聖さんはいいのよ、としか言わないんだけど。

 

「私にとって、親友を助けてあげることは自然なことだから、特別感謝されることじゃないわ」

「なんかそれ、カッコいいね」

「ふふ、ありがとう」

 

 千聖さんの微笑みはまるで木漏れ日のような柔らかさがあって、なんというか安心してしまうね。それが何か包み隠すようなことがあったとしても俺は見抜けない気がする。千聖さんはこうやってとっても頼りになるし正直彩ちゃんじゃなくて千聖ちゃん推しでもありだったなぁと思うまであるけど、プライベートでは一番警戒しちゃうタイプかも。

 

「そういう時のためのパンツよ」

「千聖さんはパンツをコミュニケーションツールかなにかだと思ってるの?」

 

 そしてそのコミュニケーションツールを彩に教え込まないでください。おかげで最近は画像フォルダがパンツとかブラでいっぱいで鍵付きのところに移動させたところなんだから。ええそうです俺が推しをオカズにするゴミカスオタですどうも。

 

「ところでその肝心の彩ちゃんとはどうなの?」

「どうなのって?」

「どこまでいったの?」

「んぐっ!?」

 

 とんでもない爆弾発言に俺は噴き出してしまいそうになるのを抑えてしまう。

 とこまでいったのってあの? あのですね千聖さん? 俺と彩は付き合ってないんだけど? アイドルである以上まだお付き合いはしてないんだけど。

 

「そうね」

「うん……わかってなかった?」

「けれど結局好き同士でしょう? 我慢できるものなの?」

 

 純粋な疑問としてそんなセンシティブなこと訊いてこないでもらえます!? どこまでもなにもその約束をした日にキスして以来なにも、なに一切手を出してませんけど? あくまで彩は彩として接して、彩ちゃんは推しとして認知厄介ガチ勢ドルオタムーブかましてるだけなんだけどね? 

 

「つまらないことに拘るわね」

「付き合ったらダメって言ったの千聖さんでは?」

「逆に付き合わなかったらなにしてもいいわよ」

 

 よくないよ? なに言ってんだこの人。付き合ってないのになんでイチャイチャしてはるんですか? ってなるじゃん? なんないの? なんなのこの人! 

 しかもどうやらこの人、俺の話を聴きに来たという真の目的は彩との惚気を聴きにきたらしい。さっき惚気ないでって言った! 矛盾してる! 

 

「あれは紗夜ちゃんの話を聴いていたからよ」

「それは別ものなの?」

「ええ」

 

 どうやら千聖さんの中では別ものらしい。よくわかんないけど、そういうことにしておこう。

 それで、本当に何もないからね彩とは。そうやって注釈すると千聖さんはへぇ、と信用してないような目つきで薄く微笑まれた。

 

「とか言っておいて、時々一緒に帰っているでしょう? 知ってるわよ」

「……それは、彩が心配で」

「家に上げてもらってるわよね?」

「ストーカー?」

「へぇ……そうなのね」

 

 うげ、カマかけられた。最悪。語るに落ちるとはこのことだったようで……そうだよね千聖さんが知ってるわけないよね。

 でも言ったからには千聖さんも知るところになるんだよね。はぁ、語るしかないのかぁ。

 

「教えたくなかったんだけど」

「そうよね……カノジョとのプライベートだものね」

「カノジョじゃない」

 

 やけにからかってくるな。あれか? サドか、サドなのかな? 

 あんまりしゃべりたくないんだけどなぁ。当たり前だけどこの世界は壁に耳あり障子ありだからね。

 でも、まぁ千聖さんは絶対口が堅いんだろうからいいんだけどさ。

 ──どれをピックアップするか……あれは、そうだな確か富士のイベントの翌日にアウトレットモールに寄った翌日のことだったかな。

 

「いらっしゃ──千紘くんだ!」

「声がでかいよ彩」

 

 いつものように彩がバイトしてるのを知ってたし一緒に帰りたいとかかわいいお願いをされてしまったのでこうやってバイト終わりにこうして甲斐甲斐しく通っていた。

 いつものようにポテトとジュースを頼んでちょっとだけ待つことにする。

 

「終わったよー」

「お疲れさま」

「うん……ポテトちょーだい」

 

 はいはい、と彩なりの愛情表現でもある口を開けて俺の持ってるポテトをねだってくる。

 その意図を気付いた今、もう疑問に思わず与えて、嬉しそうにする彩の顔がかわいくて胸が締め付けられるようだった。

 

「えへへ」

「帰る?」

「うーん、もうちょっとっ」

 

 彩は周囲に誰もいないことを確認した彩は俺の隣に座って、腕にまとわりついてくる。すっかり甘えてくることが多くなった彼女は俺の腕の匂いとか嗅いでくる。

 あの、あの? 彩さん? 

 

「ん~」

「変態っぽいね」

「変態じゃないよ!」

 

 いや、匂い嗅がれたら誰だって変態ってリアクションしたくなるでしょ。俺は悪くない。

 そんなこと言ったら、彩は俺の肩に頭を乗せてきた。その時に髪からふわりと香る甘い匂いをちょっと嗅いでしまう。

 

「……ね? 変態じゃないでしょ?」

「そ、そうだね」

 

 ねぇ彩、それは同意じゃなくて脅迫って言うんだと思うよ。でもねわかるよ。好きな人の匂いってつい嗅いじゃうんだなって。そしていい匂いだ、好きだなって思っちゃうものなんだなってことは今身に染みて感じたよ。

 

「好き……えへへ」

「あ、ごめん」

「ううん、私も好き」

 

 やば、やばばば。息するのどころか心臓止まってた絶対。え、なに? なにこの生き物かわいいね! 俺の推しだわ! 推しに好きって言われたよ!? 好き、好きってああいつもイベントまでせこせこ来て十秒のために何十枚も貢いでくれてありがとうってそういう意味ね。なるほどなるほど! ってドルオタ精神が出てきてる! 

 

「……ばか」

「あの、ホントに今のはごめん……処理しきれなくて」

 

 ああ、怒られた。腕に掴まってはいるけど彩はぷいっと顔を背けてしまう。

 あれなんだよ、彩に好意を向けられてるって事実が正しく認知できてないせいでこうなっちゃうんだよ。決して無碍にしてるわけじゃないから。

 

「もう帰ろ」

「……うん」

 

 けど彩はそうやって立ち上がって、一緒に夜道を歩いていく。うう、気まずい……やらかしたなぁ。無言で数分の道を歩き、あっという間に彩の家の前まで来てしまった。何か言わないと、でもじゃあなんて別れ方は寂しいと思った時だった。彩はずんずんと家に進もうとする。あの、彩さん? 手、繋いだままなんだけど。

 

「ん!」

「え?」

「んっ!」

 

 俺を引っ張ってくる。え、なに、もしかして部屋にってこと? でも、怒ってるんじゃないの? 

 彩は怒ってるけど、と言いながら俺を見た。眉が吊り上がっていて、頬が膨らんでる。こんなに怒った彩を見るのは初めてのことだから狼狽えてしまう。

 

「あ、あの……」

「怒ってるから、来てって言ってるの」

「え……でも」

「来ないと機嫌直してあげないから」

 

 それは困る。押し切られてる気がしなくはないが彩の部屋まで引っ張られた。正座をして腕を組んだ彩を見上げる。

 なんならここでちゃんと土下座をしよう、そう思っていたら彩の頭の位置が俺の高さまで来て、抱き着かれてしまった。

 

「あ、彩……? えっと?」

「……我慢できなくなっちゃった」

「え?」

「昨日のデート楽しくて、楽しくて……いっぱい恋人みたいにできたせいで」

 

 デートって、あの時こころちゃんやら奥沢さん、花音と千聖さんにパレオちゃん紗夜さん、日菜ちゃんってすごい大所帯だった気がするけど……いやでもなんか二人きりで服選んでもらったり、選んだり、今使ってる新しいスマホケースなんて彩がほら色違い! って言ってプレゼントしてくれたものだし。

 ──そんな風に振り返っていたら、彩の気持ちがわかった気がした。そのせいか、戸惑ってどこにいったらいいかわからなかった手が彩を包んでいく。

 

「大好きだよ、彩」

「知ってる」

「今でも彩ちゃんのことは推しだし、応援してる」

「……うん」

「でも、彩は好き」

 

 伝えきれてなかったんだよねきっと。いっつも俺が伝える好きはドルオタとして推しに向けるものだったから。でも俺は純粋に彩が好きなんだ。

 もうそうやって言えるくらいに、彩が好きでいてくれる俺のことを、ちゃんと認められるくらいには。

 

「千紘くん……」

「ああごめんごめん、泣かないで、彩」

「ううん、嬉しくて……私、私やっぱり……キミが好きでよかったなぁって」

 

 そんなことで安心してもらえたら、俺だってもっと伝えたくなる。言葉で好きって、言葉だけじゃなくて、手とか……唇とかで。

 彩に触れて、彩に触れられて、俺は……彩も、気持ちをたくさん共有できるんだから。それを我慢するなんて、きっと無茶なことだったんだなって、思ってしまった。

 

「……ヤったのね」

「ヤってはないです」

 

 ちょっと長くおしゃべりをし過ぎたせいか、空はだんだんと青から橙に変遷しつつあった。──楽しそうで申し訳ないんですが、そこは流石に思いとどまりましたよ。だけど千聖さんは澄ました顔で時間の問題ねとか言い出した。

 

「……あれから二週間くらい経つけど、まだ部屋で二人きりにはなってないし」

「なったら?」

「彩は泣かせられない」

「うふふ、そう、そうよね」

 

 ごちそうさま、とか言われてもどっちの意味か捉えかねるんだけど。千聖さんはこれまで見た中で最高に楽しそうな笑顔を浮かべて奢ってあげるわよと伝票を持って立ち上がった。

 俺がごちになってんじゃんかやっぱり。

 

「さて、後は頑張ることね」

「は?」

「──()()()()?」

「ん?」

 

 手を振り去っていく千聖さんを見送ってなんのことだと思って窓の外に視線を合わせると……おおうびっくり、なんかいた。

 口をへの字にして眉を吊り上げてるかわいいかわいい俺の推しがそこには立っていた。

 

「あ、彩!? いつから?」

「ちょっと前、千聖ちゃんも千紘くんも連絡返ってこないと思ったら……! 推し変? 浮気?」

 

 いやなんで浮気よりも先に推し変疑惑が浮上するのかな!? あ、俺オタクだった! でもどっちもないから安心してください! 俺はオタクとしても恋人としても彩一筋だから! 目移りはしないからさぁ! 

 

「ホント?」

「ホント」

「ふうん、じゃあ今からデートしよ」

「でー……このままおしゃべり的な?」

「ううん、千紘くんち、最近挨拶できてなかったからさ」

「……え」

 

 あの……今夕方、両親、いつも通り結構遅くまで仕事。お茶やお菓子を出すのも俺しかいないし、なんなら夕ご飯コンビニの予定だったんだけど。

 ──そういうと彩は流石アイドル、とでもいうべきキレイなウィンクをしてみせた。

 

「じゃあ私が作ってあげるよ。リクエスト何がいい?」

「え……ちょ、ふ、二人きり……になるんだけど」

「問題あるの?」

 

 あるかないかと言われたらあるようなないような。でも彩は強引にほらほら、いちゃいちゃする時間なくなっちゃうよ? と俺を引っ張っていく。

 やっぱり彩は強い。いつだってまっすぐで信じるものに向かって眩しいくらいに輝いている。そんな、そんな彩を応援できるのが、俺は幸せだ。

 ──推しだけど、パンツが見れちゃうような関係。俺はそんな彩に出逢えて、オタクでいて恋をして、いつだって眩い未来が見えているような気がした。

 

「ふふーん、今日は気合入れたふわふわピンクだからね、楽しみにしてね、千紘くん♪」

「超楽しみ」

「素直な変態さんだ」

 

 だって、やっぱり。いくら推しだったとしても、パンツは見たいよ。

 ──推しだったとしても、俺は丸山彩に恋をしてるから。キラキラの笑顔を浮かべて俺の傍にいてくれるキミのことを、世界で一番愛してるからさ。

 

 なんとしてでも、推しは推しのまま推したい! けどパンツは見たい! ピンクEND! Thank you for reading.

 

 

 

 

 

 

 

 



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【氷川紗夜】ブルーローズルート(DLC追加ルート1)
ドルオタはストーカーと似て非なるものらしい


 夏休みに入った! と言っても俺は俺でせっせと推しに貢がなきゃならんのでバイトをして、夜になったら幼馴染さんを迎えにいくという日々を過ごしていた。同い年の幼馴染さん、松原花音は非常に方向音痴だから暗くなると家までの道がわからなくなるので彼女の両親にもウチの親にもよろしくと頼まれている。

 

「あ、千紘くんお疲れ様」

「うん」

 

 まぁでもこのふわっとした笑みを見るとほっとするのが少なくない年月を過ごしてる幼馴染って間柄なんだろうなぁ、なんて考えてるから面倒ではない。あと彼女がいるからポテトを熱々で食べれるって特典もあるしね。

 

「……あと一時間くらいあるな」

 

 そういう時は決まって推しのライブ映像を見ながらポテトをつまむに限る。心の中でコールを入れたり、ここはレス送ってもらったけかぁ、みたいなことを考えながらちょっとニヤニヤしていると、後からやってきていた隣の女性にじっと睨まれてしまう。

 キモイオタクですみませんね。でも別にエロいもん見てるわけじゃないからしょうがないと割り切って無視していると、あなた、と声を掛けられた。

 

「はい?」

「いつも丸山さんや松原さんがいる上がる時間までここにいますよね?」

「へ……?」

 

 丸山さん、とは俺の推し丸山彩ちゃんのこと? え、いや確かに話してたよ。プライベートでバッタリ出逢ってたんだよ。それが何か? と疑問に思っていたら……ってあれ? この顔なんか見たことあるんだけど……氷川日菜ちゃん? いや俺の知ってる日菜ちゃんはこんなピリピリした雰囲気纏ってる印象ないし、なんなら彩と同じ花女の制服だから違うはずだ。そっくりさん? 

 

「もしやあなたが最近花咲川の辺りをうろついているというストーカーね?」

「いや違いますけど」

「言い逃れは通用しないわよ」

 

 ええ……違いますけど。なにこの日菜ちゃんのそっくりさん。思わず口に出すと眉間の皺をますます深くしてきた。え、なんか地雷に触れた? 家族構成や私と日菜にかかわる話まで知っているのねと言われた。知りません。え、なになに? 俺がますますストーカー扱いされてない!? 

 

「語るに落ちたわね! これで──!」

「え、なにそのゴツイやつ? スタンガン?」

 

 バチバチいってるんだけど!? なんで女子高生がそんな物騒なもん持ってるの!? やはり弦巻さんに相談しておいて正解だったわ、とよくわからない独りごとを呟いた日菜ちゃんのそっくりさんが振り上げたその時、まってえ! とちょっとのんびりな制止する声が聞こえた。

 

「か、花音!」

「松原さん?」

「待って紗夜ちゃん! この人は……私の知り合いだから……っ」

「知り合い?」

「う、うん」

 

 ほっとした。どうやら騒ぎを見に来てくれたようだ。グッジョブ幼馴染さん。よかった……危うく感電するところだった。

 ということで、事情を説明され落ち着いたらしい彼女は、先ほどは失礼しましたと頭を下げた。

 

「最近ストーカー被害があり……少し気が立っていました」

「ね、熱心ですね」

 

 キリっとした雰囲気を持つ彼女は氷川紗夜、という名前だと幼馴染さんが教えてくれた。氷川、で顔がそっくりってことは姉妹だったんだということにようやく気付いた。そういえば日菜ちゃんのプロフィールや発言でたまに出現してたな。双子のおねーちゃんがいるってこと。つまり彼女こそがその双子のおねーちゃんさんなわけだ。そっくりさんもおねーちゃんさんも呼び方がめんどいので雰囲気と発言から俺の中では風紀委員さん、と名付けよう。

 

「ところで、日菜を知っている、というのはどういうことでしょうか?」

「え、いや……俺、パスパレのオタクだし」

「パスパレの?」

 

 また眉が吊り上がったんだけどこのヒト地雷埋まりすぎでは? パスパレの何がいけないのかとビクビクしていると日菜推しですか? と質問が飛んできた。いえ、彩ちゃん推しです。単推しです。

 

「つまり……けれど丸山さんがここで働いていることは知っていますよね……まさかっ」

「どうしてあなたは俺を犯罪者にしたがるんですかねぇ!?」

 

 話してるだけでガンガン精神削り取られてくんだけどこの人マジでヤバいな!? この勘違いおばけの風紀委員さんを説得にとんでもない時間はかかった。けど丸山さんのストーカー予備軍という扱いになってしまった。違うんだって、彩と彩ちゃんは俺の中で別物の扱いになってるんだってば……! 

 

「わかりました」

「なにが……?」

「白崎さん、あなたを監視させていただきます」

「……へ?」

「ファストフード店であなたが本当にストーカーではないことを確かめる、と言っています。わかりましたか?」

 

 いやわかりたくない。ぜんっぜんわかりたくないからね。

 しかもそれ、俺がストーカーされてるまであるよ? そうですね美人のストーカーなんて信じてもらえないですよねこんちくしょう。というかなんでそんな俺を敵視してくるのこの人? あれかな? もしかして妹がアイドルだからドルオタに厳しいとかそういうのかな? 

 

「た、大変だったね……」

「まぁしょうがない。オタクは嫌われる存在だから」

 

 オタクってのはどうしようもなく異質で異常なんだよ。趣味も他人に合わないのばっかりだし大抵欲望に忠実だから嫌われやすいしね。

 それでも趣味ってのは本人の嗜好そのものであってさそう気持ち悪いからって変えれるもんじゃないんだよね。アイドルを追っかけてるのだってそうだよ。

 

「……千紘くん」

「ああ、ごめん」

 

 心配そうな声を出されて俺は咄嗟に謝った。

 こう考えるのは、元カノのこと引きずってるせいもあるのかなぁ。ダメだな、こんな後ろ向きじゃあ。顔も暗くて態度も暗い、画面見ながらにちゃあと笑う俺が風紀委員さんの目に映れば……そりゃあキモイでしょう。でも、それが俺だなんて開き直るつもりはないにしても、どうしていいのかなんてわかったもんじゃないし。

 

「千紘くん……は、キモくないよ」

「……花音」

「だって、私は……」

 

 俺の手を掴んで一生懸命にフォローしてくれる幼馴染さん。こんなこと言ってくれるのは彼女くらいだ。まぁ中学時代疎遠になったとはいえ、幼馴染だからなぁ。このキモさに慣れてるみたいな部分もあるんだろうけど、それでも俺はその言葉にちゃんと救われてる気がした。

 

「ありがと」

「……うんっ」

 

 こんな風に俺をフォローしてくれる幼馴染さんだけど、彼女の方が傷はでかかったりする。なにせ……まぁいいや、こんなめんどくさい話、今はいらないよな。元カレがちょっとアレなだけだし。というか……あ、この話、風紀委員さんにするかどうか……するかぁ。

 

「あ……今日、千紘くんのおうち、行ってもいい?」

「どうした?」

「……ご飯、まだでしょ? 私もだから」

 

 一緒に食べようってことね、なるほど。大したものないけど、そして俺が大したもの作れるわけないことくらいは知ってるか。そうすると料理担当は自然と幼馴染さんになるわけで。なんか申し訳ないね。

 

「ううん大丈夫。簡単なものしか作れないけど」

「その簡単すらできなくてコンビニ弁当なんだけどね」

 

 ウチの両親は帰りが遅いことが多く、また帰ってきても夜を抜くことが多い。朝は充実してるんだけどね。でも健全に三食を必要としている男子高校生としては夜飯どころか場合によっては夜食も必要なわけで。

 

「ダメだよ、栄養偏っちゃうよ?」

「……わかったわかった」

「もう、わかってるとは思えないんだけど」

 

 わかってるって、お前がふわっとしてるくせに強引で頑固なところがあるってことは。

 おじゃまします、とか言うクセに、慣れた手つきでエプロンをつけて冷蔵庫を開ける彼女のスカートに、ついなんかこういうのフツーのキモオタにはないよなってマウント取りたくなった。かわいい幼馴染が制服の上にエプロン着用で晩飯を作ってくれる世界、素敵だね。

 

「なんか……えっちなこと考えてない?」

「考えてない」

「……嘘ついてない?」

 

 嘘は吐かないよ。だって俺は幼馴染さんとの約束があるからね。ただこのルールの穴をついてえっちなことは考えてないけどやましいかやましくないかと言われたらやましい視線は送ってた。

 

「パンツとか見ちゃだめだよ?」

「スパッツには興奮しないよ」

「……え?」

 

 そう言って幼馴染さんは何を考えたのか俺に見えないようにスカートをめくり、ほっと息を……ってスパッツとか履いてないの? そう問うたら熱いじゃんと言われた。それでいいのか!? おたくの制服スカート膝上丈ですよねぇ!? 

 

「まぁ女子校だから……」

「その一言でいいのか」

 

 みんなそんなものだよと言われ、じゃあ風紀委員さんもなのかな……と想像してしまう。あの人、なんか下着のレースとか嫌いそう。かわいいとかそういうのに興味なくて、隠せてればなんでもいいです、みたいな感じがしてくる。

 

「……千紘くん?」

「な、なに怒ってんだよ花音」

「今、紗夜ちゃんのパンツのこと考えてたでしょ」

「な、なんでわかるんだよ!」

 

 エスパーかなにかですか? 何にも口に出してないのにそんなピンポイントにわかるとかすごい能力だなぁ。俺にもほしいよ。

 幼馴染さんは変態さん、と俺を罵ってくる。変態さんじゃないです。だってああいう人って下着どういうの買うのとか思わん? 

 

「そういう想像をするから変態さんなんだよお」

「……そういうもん?」

「うん」

 

 うんって……まぁそっかわかった。俺はそれ以上の追及をやめて、幼馴染さんの料理に舌鼓を打った。

 ──ってかやっぱり料理上手だよなぁ。美味しいんだが? そんなことを言って照れる幼馴染さんとの夕飯を楽しみながら、俺は今日出逢ってしまった美人のことばかりを考えていた。厄介なヒトに目をつけられたなぁ、と。

 その考え通り、俺は彼女と顔を合わせることが多くなった。

 

「いいですか白崎さん」

「はい」

「オタク、というものの一般的イメージはご存知ですよね」

「そりゃまぁ」

「しかもドルオタとなると一般人から見たらストーカーのそれと大した差を見出すことはできません」

 

 いつも通り彼女のバイト終わりを待機していると、風紀委員さんが向かいの席にやってきてトレイを置いた。Lサイズのポテト……しかも二つも。

 言ってることキツいなぁ。俺はポテトを摘まみながら話半分で聞いていた。

 

「……聞いていますか?」

「それなりに」

「それなりでは意味がありませんっ、きちんと聞いていただかなくてはいけません」

 

 あのね、俺が冤罪だってわかってるのに信用できませんって向かいに座るの意味なくない? しかもグサグサ刺さるようなことばっかり。

 しかし風紀委員さんは俺の倍くらいのスピードでポテトを食しながらお説教のようなそうでないような言葉をつらつらと並べていく。ポテト好きなの? 

 

「す……好きじゃ、ありません。こんな添加物の塊のような……っ!」

「ひょいひょい食っててよく言うね?」

「う……いつもは一人だったから油断していたわ」

 

 どうやらフライドポテトが好きな様子。風紀委員さん以外に舌はジャンキーなんだ。ところでウチの幼馴染さんにポテト受け取る時によろしくと言われたんだけど、どういうことなの? そう質問を追加すると風紀委員さんはまたもや気まずそうな顔で俺から目をそらした。

 

「き……気付かれていたなんて……」

「ん?」

「なんでもありません。そ、そもそもあなたがストーカーでないと言うのならそれを証明すべきです。具体的には──」

「具体的には?」

「──真犯人を探す、とか」

「えっ」

 

 まってまって、真犯人を探す!? 俺とあなたで!? 

 それには大反対だよ。さっきまで話半分に聞いてたけどそれだけは聞き逃せない。だって相手はストーカーだよ?

 

「ええそうですが」

「相手がヤケになったらどうするのさ」

 

 そういうのは専門家に任せるべきだよね。子どもで、ましてや風紀委員さんにいたってはそのストーカーの対象の女子高生だよ? 危ないに決まってるじゃん。

 けれどあなたの疑惑が晴れませんよと言い出す風紀委員さん。なんでそんな頑固なのさ。

 

「いいよ、いいよそれで」

「……はい?」

「別に俺がストーカーでいいから、そういうのはやめよう」

「どうして?」

 

 どうやら相手は男性ってことは目撃情報から確定してるらしいから、そうすると風紀委員さんのことを女性だと認識したら力で無理やりねじ伏せることなんて簡単だっていう発想になる。そうなったら俺は守り切れる自信ないし、目の前で風紀委員さんがケガしたり……もっと最悪なことが起こるなんて考えたくもない。

 

「……それは」

「というかそのためにここに通ってたんですね」

「ええ……」

 

 ごっついスタンガンの件といい、このヒトは責任感みたいなのが強いのかな。でも危なっかしいところもある。

 別に俺は風紀委員さんと友達でもないし、ついこの間知り合ったような人だけど、他の生徒の……そして幼馴染さんのために頑張ってるヒトは放っておきたくはない。俺だって幼馴染さんのこと心配だし。

 

「白崎さん……」

「評価を改めてくれますか?」

「いえ」

 

 いや今のは見直してくれるところでしょ! ちょっとふわっと俺の名前呼んでからのいえ、の落差は一体なに!? そう思ったら風紀委員さんは俺のその顔がよっぽど面白かったのか、楽しそうにくすくすと笑い始めた。なに? なんなの!? 

 

「ふふ……」

「ひどくない?」

「それでは、契約成立……ということで、犯人捜しのようなことはしません。その代わり……連絡先を交換しましょうか」

「うん……?」

「連絡できた方がなにかと便利でしょうから」

 

 いいけど、と言うとメッセージアプリの情報を交換した。氷川紗夜、という名前と紺色でネックのところに薔薇があしらわれたギターのアイコンをした新しい友達が、俺のところに追加された。俺は今のアイコンピンクのペンライトだったっけ。

 

「よろしくお願いしますね」

「うん」

 

 正直よろしくしたくなかったけど、こうして俺は風紀委員さん……紗夜さんと知り合った。

 氷のように冷たいかと思えば、時折火傷をしそうなくらい熱いヒトと出逢った。最初は正反対で何もかも分かり合えないと思った。けど自分のことが嫌いで嫌いで仕方がないっていう共通点のある彼女。

 ──当時はまだ、日菜ちゃんのことを素直に応援することも、それどころか日菜ちゃんのことも認められなかったけど、目まぐるしく変わっていく彼女とのファーストコンタクトだった。

 ちなみにそのすぐ後、俺が提供した情報でストーカー……まぁ花音の元カレなんだけど、彼の問題は解決したのだった。教えるかどうか迷ったけど言っておいてよかったな。

 



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結局は私も同じ穴の貉なのね

 ストーカー騒ぎが収まった後も、私は彼とファストフード店で出会えば同席で他愛のない話をするような仲を保っていた。

 彼はまだ私がオタク嫌いだと信じて疑っていないようね。いえ、ああいう手合いの男が好きか嫌いかと言えばそうなのだけれど、それが一般人から見た偏見からくるものではなく、実体験だった。もっと言うなら実体験になった、と言う方が正しいかしら。

 ──私は日菜と向き合うと決めた日から、白崎さんの言葉もあってパスパレのライブやイベントに参加している。そんな秋の日のことだった。

 

「こんばんは」

「紗夜さん。どうも」

「ええ」

 

 もはや日常と化した白崎さんを真正面においての雑談。日常的に行っていることだったからその変化にはすぐ気づくことができた。

 肘に充てられた包帯、大怪我というほどではないけれどきっとあの下は随分擦り切れているというのが想像できるものだった。

 

「ああこれ? いや相手があんまりにも危ないプレーするからさ、ちょっとスパイク当たっちゃって」

「……体育の授業、ではなくて?」

 

 スパイク、という言葉に体育でそんなもの履かないわよね? と疑問が湧いてきた。白崎さん、認知厄介ドルオタという嫌われ者の称号を持つほどアイドルにのめり込んでいる彼がスポーツをしているだなんて想像もできないけれど。

 

「ん? ああちょっと前からフットサルやってるんだ」

「……運動不足ですか」

「違うよ! 趣味!」

 

 趣味……? と首を傾げるともしかして俺が運動できないと思ってるの? と苦笑いをした。運動ができると言うオタクの八割は多少と認識を改めるべきだわ。その返しに白崎さんは多少だよと訂正してきた。

 

「中学はサッカー部だったからね」

「卓球部のイメージありました」

「……それは偏見」

 

 いけないいけない。そういった偏見はよくないわよね。けれど白崎さんがサッカー少年だったなんてイメージつかないわね。

 ──まぁ、ケガでダメになっちゃったから。そんな風に白崎さんは自嘲気味に笑った。

 

「途中でさ、結構なケガやらかして……選手生命にはなんも異常がなかったんだけど、入院中に読んだラノベが面白かったってのもあるんだけど……怖くなって」

「怖く」

「はは、ビビりすぎでしょ? でも頑張って努力して上手になって、レギュラーとかになったりしてさ。その先にあるものが退屈な入院生活だったって思ったら、嫌になっちゃってさ」

 

 その気持ちに……私は軽薄だとか、そんなことでだとか、いつもような憎まれ口は叩けなかった。

 私だって簡単に色々なものを諦めて、嫌になってきたから。何をしてもすぐ日菜がまねをして、日菜に追い越されて、私はそのたびにすべてを捨ててきた。努力した先にあるものがなんなのかもわからないまま。

 

「……それが」

「うん。最近さ、またやろうって頑張ろうって思ったんだ。そうしたら……こんな自分でも好きになれるかなーってさ」

「……そう」

 

 まるで鏡を見ている気分になってしまう。だって、私も今は私の音を好きになるために頑張っている。変わろうとしている。それを見せられているようで……嫌な気持ちにはならなかった。似た者同士なんだ、ということが私の心を緩ませた。

 

「試合とかもしているのね」

「そそ、次の土曜で」

「何処でやるの?」

「えーっと近くの運動公園で……って、なんで?」

「いえ」

 

 そう、ちゃんと覚えておいたわ。土曜は練習を休むことにしましょうか。

 私は帰って素早く今井さんに連絡をした。

 思えばこんな勝手でプライベートな理由でお休みをするのは始めてだから、緊張してしまうわね。

 

『もっしもーし、どしたの紗夜~?』

「今井さん。今度の土曜の練習なのですが……」

『うん、どうしたの?』

「その……」

 

 えっと、なんて言えばいいのかしら? 当然だけれど今井さんは白崎さんのことを知らない。いくら日菜でもアイドル活動で認知したオタクのことを教えてるとは思えないし。けれど、どうしたものだろうか。長くなるけど説明を? いえ、ここで別に白崎さんのことを教える意味はないし、簡潔に今必要な情報を伝えることにしましょうか。

 

「今度の土曜に白崎さんという知り合いの男性が所属しているフットサルの試合を観に行こうと思うので」

『……紗夜?』

「どうかしましたか?」

『待って今……白崎さんっていう? 知り合いの男性って言った?』

「はい」

 

 何か問題があっただろうか。確かそんな穴を開けては困るほどの打ち合わせはなかったはずだけれど。

 ダメならばRoseliaを優先します、と付け加えると今井さんは途端に慌てたような口調になった。

 

『いっ、いやいや、ごめん紗夜! そっち優先でいいから!』

「……はい?」

『え~、マジで? ちょ、ちょっとごめん、アタシ、友希那にも報告してくるからっ、じゃ!』

 

 切れてしまった。慌ただしいけれど、本当に何があったのかしら。

 まぁそれはそれで明日の練習の時に事情を聴いてまた決めればいいと判断し私は帰路についた。

 ──それが翌日、あんな騒ぎになるとは。

 

「白金さん」

「は、はい……あ、氷川、さん」

「よければ一緒に行きませんか」

「……はい」

 

 同じ学校に通うメンバー、白金燐子さんに声をかけ一緒に目的地を目指すのだけれど、白金さんの視線がやたらとせわしない。私の方をちらちらと見ては、何かを言いたそうにしている。様子がおかしいわね。

 

「白金さん?」

「ひゃ、はい……」

「私の顔に何かついていますか?」

「あ、あの……えっと、その……今井さんから、聴いた、話なんですけど……」

 

 今井さんから? 昨日から一体何があったのだろうかと首を傾げて白金さんの言葉を待つ。彼女はあまり他人と言葉を交わすことが得意ではないから、ここは大人しく待つことにする。こういう時白崎さんは私が何かを言う前には既に会話を始めてくるから所謂オタク気質にも色々いるのだなとわかる瞬間よね。

 

「──お、おめでとう、ございます」

「……ごめんなさい、話が見えないわ」

 

 なぜ今井さんから聴いた話のリアクションで私が祝われるのかしら。まったく意味がわからなくて困惑していると、白金さんが慌てたように違うんですかと問い返してくる。何が違うのかしら。

 

「こ、恋人が……できた、と、今井さんから」

「……なぜ?」

 

 なぜそうなっているの?

 ──ああ、もしかしてあの時の。やっぱり言葉が足らなさ過ぎたかしらと白金さんに誤解であることを伝えておく。まったく、私が男性の名前を出してその人の活躍する姿を見に行きたいからって……そうね、私でもそれだけ聴けば勘違いするかもしれないわね。

 

「ともかく恋人ではないわよ今井さん」

「う……だって紗夜が、わざわざバンド休んでまで試合観に行きたいなんていうからてっきり……早とちりだったよ」

 

 余談かもしれませんがスタジオにやってきたらあの湊さんまで一緒になってお祝いムードだった件については……なんでしょうね、なんてツッコめばいいのかわからないから保留にしておきましょう。今井さんや宇田川さんに至ってはどうやら恋バナとやらをする気満々だったようで、とても残念がっていた。

 

「えーでも紗夜さんが男の人と仲良しなの意外ですねー!」

「確かにね~、紗夜ってば男なんて……みたいなこと言ってそー」

「……失礼ですね」

 

 いくら私でもところ構わず男を嫌うような面倒な性格はしていないわ。特に白崎さん相手にそこまで嫌悪するようなことはないのだもの。

 ──というと今井さんがまるで蘇るかのようなテンションでなにそれ、とキラキラした目を送ってくる。

 

「なによ」

「もしかして……付き合う手前、的なー?」

「違います」

 

 そんなにキラキラするようなことだったかしら? と思ったけれど、今井さんと宇田川さんはいい雰囲気なんじゃないの、と言い合っている。

 私としては、そんな雰囲気になった覚えはないし……なにより一つ、それを妨げる要因になるものがあった。

 

「お待たせ」

「うん、帰ろっか……」

「おう」

 

 幼馴染の松原さん。彼と彼女とあのストーカーの関係は私には計り知れるものではないけれど、あの二人の絆は少しだけ特殊だなという思いはある。特殊で、他者がおいそれと入ることのできない、二人の空間がある。他にも、彼には抗いようのない最上の女性がいるのだから。

 

「あ、千紘くんだ!」

「彩、お疲れ」

「お疲れさまー……あ、ポテトだ」

「また?」

「えへへ~」

 

 丸山さん。彼女は白崎さんにとって推しでありながら、どうやらファストフード店で出会って、別の関係を築いているようだった。

 私は、そのどちらでもない。どちらでもなく、ただ彼にとって話しをするだけの知り合い。それ以上の関係ではないし私にも白崎さんにもそれ以上の気持ちはない。

 

「……そっか」

「ええ、だからあまりそういう言い方は……彼に失礼よ」

「紗夜、さん?」

「あこ……いいから。ごめんね紗夜、練習しよっか」

 

 幼馴染、推し、そういう名前のある関係を彼は好む。じゃあ私は? 私は彼の中でどういう名前になっているのだろう。

 まさかまだ、日菜のそっくりさんだなんて名前ではないのか。そんなことを考えると急になんだか白崎さんとの距離が、暗く寂しいものに感じた。

 

「……私は、別に」

 

 誰への言い訳なのか、私にもわからなかった。けれど、その日のギターはとても、悲しい音が鳴っていた気がした。

 少しだけ、私の世界を濡らす雨がまた降っているような、それでいてこの炎のような気持ちに私はまだ名前をつけられないままでいた。

 

「さーよ!」

「今井さん?」

 

 帰り際、今井さんが私に声をかけ、ちょっと寄り道してかない? と提案してきた。恋バナならできませんよと返した私に対して、今井さんは困り顔をしてそんなんじゃないって、機嫌なおしてよーと軽口をたたいた。

 

「でも、紗夜はなんでその白崎さんって人の試合を観に行きたいなんて思ったの?」

「……純粋な興味です」

「フットサルに?」

 

 それは……違う。純粋に興味が出たのは、白崎さんに対してだ。彼は私に似ている気がしたから、彼はどうやって自分のことを好きになろうとしているのか、どうやって自分の生き方を褒められるようにしているのか気になっただけ。それだけのこと。それを遠くから見つめて、知りたいと思ったことを正直に伝えた。

 

「私もまだ、日菜と向き合って、自分の音と向き合うと決めたばかりですから」

「そっか……似てた、ってこと?」

「単純に言えば、そうなるかもしれませんね」

 

 似てたから興味が出てきた。その程度のことなのかもしれない。けれどその先になにがあるのかはまだわからない。何も得られないかもしれないし、もしかしたら練習をした方が有意義な時間になることも考えられる。

 

「でも……紗夜は行くんだ」

「ええ」

「約束したわけでもないのに」

「私が勝手に行くだけですから」

 

 そう、私が勝手に観に行きたいと思っただけ。応援したいわけでも、ましてや彼のようにレスが欲しいわけでもない。オタクとしての活動なら日菜を追いかけるので忙しいし、いつもの姿では逆に目立つこともあってシュシュやらTシャツやらペンライトやらを買ってしまったし……そういう財産的な意味でも彼に貢ぎたいわけじゃないもの。

 

「紗夜ってさ」

「なにかしら?」

「……ううん、なんかあったらアタシに相談してよ!」

「ええ、頼りにしています」

 

 そう約束をして、私は土曜を迎えた。時間になって、グラウンドにはポツリポツリと人が観戦に来ていた。アマチュア同士だからそこまで人は少ないのね。

 ──だからこそ、私はすぐに彼を見つけることができた。お揃いのユニフォームではないけれど、仲間と何か談笑をしていた。私はその彼をじっと見守っていた。

 やがて試合が始まり、攻撃と防御が入り乱れていく。相手チームは個人個人の能力が高めなようで、あっという間に相手チームに一点が入った。

 観方はサッカーと同じでいいかどうかはわからないけれど、ボールを蹴って網状のゴールに叩き込む、という基本的なものは変わっていないはずだと見守る。

 

「──さんやっぱカッコいいよね~」

「相手チームに比べたらだめだよー」

 

 ふむ……確かに、相手のフォワードをしている人はイケメンと呼ばれる顔立ちをしている。細いながらも脚回りはいい筋肉がついているし、プレーも光るものがあってとにかく目立つ。さっき点を入れたのもその彼だった。

 

「千紘っ!」

「……あ!」

 

 相手チームの応援をした女性が声を上げた。先ほどのイケメンの彼に出されたパスをインターセプトをした少し体格の大きめの方がすぐさま白崎さんにパスを渡した。そこからのスピードは凄まじいの一言だった。

 二人、白崎さんともう一人があっという間のパスワークで敵陣まで切り込み、そして白崎さんの左脚がボールを鋭く蹴り、ゴールネットを揺らした。

 あっという間の時間だった。みんなとハイタッチして肩を組まれゴールを喜び合う白崎さんが、ふと私の方を見て驚いたような顔をした。

 

「──紗夜さん、見てた!?」

 

 なんて、少年のようにキラキラした表情なんだろう。この人は本当に、サッカーを……たとえフットサルだったとしても、こんなに好きでいるんだ。一度は諦めた、恐怖したものをこんなにも嬉しそうに自慢できるものなのだろうか。

 

「カノジョかな?」

「今の人もカッコいいよねっ」

 

 なにより……ああ、私にだけ、彼はあの笑顔をくれた。レスポンスをくれたのだ。それがまるで今までの全部の彼への気持ちに答えをつきつけていくようだった。

 心臓が痛い。心臓が破裂しそうなくらいにドキドキしてしまうのだろうか? そんなの決まっている。今まで感じたことのない気持ちも、私は素直に認めることができた。

 

「もう一点、千紘!」

 

 声が自然と出る。それまで静かに見守っていたはずの私に隣の女性が少し驚いたように私を見た。カノジョではないけれど、それでも私は彼にとって、特別なんだ。

 誰でもない、紗夜さん、であっていいのだから。

 ──私は、白崎千紘が好きだ。とっくに扉の前にいて、きっかけという鍵を今手に入れたというだけ。純粋な好奇心が開いた扉の先にある彼の少年のような笑顔に、私はあっという間に恋に落ちてしまったのだった。



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これぞ藪をつついてなんとやらだね

 ひょんなことから知り合った紗夜さんとも気付けば半年以上の付き合いになっていた。色々あった時、例えば花音の関係とかでも俺は紗夜さんを頼った。いつの間にか紗夜さんのことを風紀委員さんとは呼ばなくなって、紗夜さんは一番俺のことを理解してくれるんじゃないかって思っていた。

 

「結局、断ったのね」

「……うん。花音の傷は舐め合っちゃダメなんだと思うから」

「あなたの傷も」

「そうだね」

 

 何につけても紗夜さんを頼ってしまって、申し訳ないなと思った時もたくさんあったけど決まって彼女はいいのよと優しく微笑んでくれた。というか初めて会った頃よりも随分まあるくなりましたよねと思う三年生の春でございます。

 

「丸く……体重は増えていないけれど」

「そっちじゃなくて」

「わかっています。千紘は冗談が通じないわね」

「紗夜が冗談言うとは思ってないからね」

 

 時間にすればたった半年ということなのかもしれないけど。その半年で紗夜と俺の距離は目に見えるかたちで縮まっていた。最近じゃファストフード店じゃなくて大容量のポテトが食べられるファミレスか紗夜行きつけの喫茶店ばかりに通う始末だ。

 今日もその羽沢珈琲店で優雅な休日を過ごしていた。

 

「……それで? 神戸ライブどうするのよ」

「あーあれ? 俺……」

「またパレオさんを頼ろうと言うのね」

「うぐっ」

 

 図星です! 図星ですぅ! 

 だってパレオちゃんがさ、是非是非! とかかわいらしく誘ってくるもんだから結局断り切れなかったんだよね。紗夜はそんな俺に対してあからさまな溜息をついてそんなのだからあなたは女性関係に失敗するのよ、と言い出した。

 

「ひどい言い方する」

「松原さん相手に折れかけたくせに」

「それは……」

「あなたがもしあそこで私に何も言わなかったらどうなっていたのかしら?」

 

 ──どうなってたんだろうね。いやもしもの話なんて意味がないと思ってるからあれなんだけど、ちょっと考えたくない。ずるずると付き合っちゃって、結局アイツを傷つけたんじゃないかって思うと、プライドとか紗夜にもしかしたら呆れられるんじゃないかって怖さを克服してよかったと思うよね。

 

「まぁいいわよ。その代わり私も一緒でいいか訊いておいて」

「わかった」

 

 パレオちゃんと紗夜と一緒に行くのか……なんだか周囲に女性ばっかりでまた面倒なことを言われそうだな。そう思うだけで何もしないし俺のプライベートだから関係ないんだけどさ。そんな無駄なポジティブを発揮していると千紘くん! と明るい声が響いてきた。

 

「紗夜ちゃんも、お疲れさま!」

「あれ、レッスン終わったの?」

「うん! 千紘くんいるかなぁって思って寄ったんだ~」

 

 声の主は推しでもある丸山彩ちゃん。まぁプライベートだから俺は彩って呼んでるんだけど、その彩とは普段はファストフード店でエンカウントすることが多い。だけど珍しいところに来てるね。千聖さんやウチの幼馴染さんも常連だからホントに珍しいかどうかで言ったらそうでもないんだろうけど。

 

「推されてるわね」

「おねーちゃんさんには負けるけど」

「姉だもの」

 

 でたでた、推しでマウント取ってこないでくださーい。この日菜ちゃんガチ勢のオタクさんはこうやってことある度に俺に対してオタク的マウントを取ってくる。それをする目的はキモオタ的な理由じゃなくてただ俺をいじめたいだけらしい、サドすぎる。身内以上に強くなれるオタクおる? おらんでしょ。

 

「紗夜ちゃんと千紘くんって仲いいよね、付き合ってるの?」

「付き合ってません」

「まぁ恋愛感情はないし、オタ仲間かな?」

「……ふん」

「痛った!?」

 

 足踏んだ! 今足踏んだでしょしかも思いっきり! めっちゃ痛かったんだけど。講義するけど紗夜はつんとそっぽを向いて知らんぷりしてくる。ひど! 肉体言語に訴えかけるのはサドとかじゃなくてただの暴力だって常々言ってる気がするんだけど! 

 

「うるさいわね……そんなに言い切ることないじゃない」

「なんて?」

「うるさい、と言っているのよ」

「痛っ、また!?」

 

 ほら見て! 彩が苦笑いに変わってるんだけど? この微妙な空気どうしてくれるんだよ! ねぇこっち向いてもらえます!?

 彩はそんな俺と紗夜の様子にもう一度だけ引いた様子でな、仲良し……なんだね、と呟いた。

 

「こんな推しを追いかけるために年下の女の子に貢がれることをよしとするドルオタと仲良しだなんて勘弁してもらいたいわね」

「……あ、あはは。だって千紘くん」

 

 だってとか言われても、そもそも紗夜は俺のこと嫌いすぎじゃない? この間もさ、ファストフード店で彩としゃべってたら後で物凄い罵倒してきたし、俺のことことある度に犯罪者だのなんだのってさ。

 

「紗夜ちゃん……」

「な、なんですか」

「えっと……もうちょっと素直になったら、どうかな?」

 

 俺が彩に愚痴を言うとなにやら紗夜に曖昧な言葉をかけていた。なんなんだろう。諫めてくれてるっぽいからまぁいいか。ありがとう彩! 流石俺の推しだ! 笑顔が素敵で明るくてかわいい! 

 

「……ばか」

「え?」

「どうせ、ほとんど笑顔にならないし明るくもないしかわいくもないわよ」

「はい?」

 

 なんかぶつぶつと言ってる。確かに笑顔にならないしどっちかっていうとクール系だから彩とは大違いだけど。

 んん? これはどう言ったら不機嫌が直るのでしょう? 考えるよりも思ったこと言った方がよさそうだな。

 

「紗夜はカッコいいからね?」

「……そう」

 

 それに俺は紗夜の笑った顔あんまり見たことないけど、その分見せてくれた笑顔は正直彩にも劣らないくらい素敵で幾ら払えばいい? ってくらいだったよ。ほら、いつも試合観に来てくれた時のとか。

 

「へぇ……いつも試合……なるほど?」

「なんですかっ」

「ううん、やっぱ仲良しだなぁって」

「丸山さん……からかっているなら怒りますよ」

 

 きゃーと全く怖がっていないように彩は俺の方にやってくる。あの、あのですね彩……俺には紗夜が修羅に見えるんだけど。なんでそんなに怖がってないの? 俺脂汗出てきたくらい怖いんだけど。熱い! 灼熱の怒りを感じるよ! 

 ──普段はこんなんだけど、俺がゴール決めて紗夜にガッツポーズするとすごいいい笑顔してくれるんだよ。恥ずかしいから言わないけど、ドキっとするくらい素敵な笑顔でさ。

 

「紗夜ちゃんはいつも観に来てくれてるの」

「だいたい。ほら大きなライブだったりその直前だったりしなかったら」

「ふ~ん?」

「なに?」

「いいなぁって思って」

 

 いいなぁってどういうこと? 彩に問いかけると私はレッスンとかあるから無理だもん、となにやら悔しそうに言われてしまった。紗夜はそれに対して何故かドヤ顔。勝ったと言わんばかりの顔だった。何に勝ったのか知らんけど。

 

「というか丸山さん、千紘にくっつきすぎでは?」

「えっ?」

「えっ、ではありません。アイドルなのだから男性との距離感には十分注意すべきではありませんか?」

「……ダメ?」

 

 ダメじゃないですこんな近くに推しのご尊顔があるなんて最高です。あ、おかわりなら奢りましょうか? なんならケーキ食べる? そんな風に甘やかしているとまた足を踏まれる。だから痛いってば! 

 

「なんなの紗夜!」

「知らないわよ」

「怒ってるなら足でじゃなくて直接言ってもらえる?」

「怒っているわ」

「そうじゃなくてね?」

 

 なにに対して怒ってるとか原因を訊いたのであって怒ってるのは見ればわかるよ! 俺が知りたいのはそのもっと根深いところなんだよ! だが何故かそれは彩にやめた方がいいよと言われてしまった。え、なに? そんな闇が深いの? 

 

「ある意味? ね?」

「そうですね」

「え……なんか、ごめん」

「謝ることはないわ。むしろ誇るべきところですから」

「だって」

「あの、二人して俺で遊んでない?」

 

 遊んでるんでしょう俺のこと。二人だけにしか通じていない言葉遊びのようなもので、彩と紗夜はなんか妙な笑みを交わし合った。同学年とは聴いてたけどこんなに仲良しなんだね二人は。そう言うと二人して趣味が合うからと返事をした。趣味が……? ごめん全くそうは思えないんだけど。

 

「ふふ、わかんないだろうけどね」

「ええ、千紘にはわからないでしょうね」

 

 わからないよ? わからないからこうやって、疎外されてる気がして仕方ないんだけどね? というか俺がいるのに、なんで二人で会話してるの? 三人で会話しようよ! 

 けれど二人は顔を見合わせた後に無理と口を揃えて俺をいじめてくる。ひどくない?

 

「なんで二人して……」

「……面白いから?」

「そうね」

 

 俺を面白がるとかこの人たち鬼畜かな? どうやら本当にウマが合うのかな、と思うのである。ねぇねぇ楽しい? うん楽しいんだろうね! 俺は楽しくない! 

 そんなこと言ってると彩がそろそろ帰るね、と立ち上がった。送ってこうか? 

 

「ううん、まだ暗くないし大丈夫」

「……わかった。気をつけて」

「うんっ、ありがとね!」

 

 手を振って、推しが帰っていく元気な後ろ姿を見送っていく。ホントに俺がいたから寄っただけなんだなぁと思うとなんだか自然とにやけてしまう。だってプライベートの推しが俺を見つけてお店で時間潰してくれるんだよ? ファンサがすごいよ。

 

「そうですね」

「どうしたの?」

「なにか?」

 

 いや、なんか怖いなぁと思ったんだよ。気のせいかもしれないけど、怒ってる? 怒ってないならいいけど、もしそうならちゃんと伝えてくれると嬉しいなぁと思っただけで。

 紗夜は自分の眉間に指をあてて、それからふっと笑いだした。情緒不安定ですか? 

 

「ごめんなさい。自分でも気づかない間に怒っていたみたい」

「気づかない間って」

「そんなに怒るつもりはなかったのよ」

 

 そんなに怒るつもりはなかったって、まぁ今の顔見てればわかるけどさ。

 なんかね、前に言ってたけど紗夜はまだ自分の気持ちっていうのをコントロールできてないんだってさ。どういうことなのか全くわけがわからないけど。

 

「そうね、コントロールが難しいのよ。気を悪くしたらごめんなさい」

「ええ、謝んなくていいよ。気を悪くなんてしないし」

「……ありがとう」

 

 なんで怒ってたんだろう。本人にも無意識だったからわかんないのかな?

 紗夜は俺の話をたくさん聴いてくれて、本当にこの半年くらいめちゃくちゃ助けてくれた。俺はそれに対して何も返せてない気がするから。何か嫌なことがあったり、悩んでることがあったりするなら……俺の力を貸してあげたいんだもん。

 

「千紘は、返せてないなんてことないわよ」

「そう?」

「ええ。もうたくさんもらっているわ」

「そんなこと……あった記憶ないんだけど、あったんだ?」

 

 紗夜はもう一度だけええ、とうなずいた。本人がそう言ってるなら……そうなのかな? でも、そうだったとしても何かあったら俺に話してほしい。

 俺が勇気を持って紗夜に手を延ばしたことで、紗夜が俺の手を取ってくれたことで、今の自分が好きになれてるんだから。

 

「それじゃあ……少しだけ、聴いてほしいことがあるの」

「なに?」

 

 あっさりと紗夜はそうやって言うから俺はちょっと興味を持って身を乗り出してみる。きっとそんなに大したことは言ってくれないだろうって雰囲気だったからちょっとだけノリ軽めにね。

 

「実は私……好きな人ができたの」

「は……えぇっ!?」

 

 す、好きな人……!? 紗夜が? ちょっと脳の処理が追い付かないんだけど? え、あの妹激推しドルオタ根性の表面クール風紀委員さんが? 好きな人できたの!? 一体どころでどういう経緯で!? 

 

「できた……というより、しばらく前からいるのよ」

「えっと、それは片想いでってこと?」

「……そうなるわね」

 

 それは、思ったより真面目な話だった。しばらく前からってことは結構長い間片想いしてるってことだよね。紗夜に確認したら少し間をおいて、そうねと肯定した。その顔はちょっと憂いているような、けれどキラキラしているような感じがした。

 ──ああ、本当に紗夜は恋をしてるんだなぁって思える表情だった。

 

「そ、そっか」

「どうしたの?」

「いや、うん……なんでもない」

 

 うーん、なんか、なんて言ったらいいのかわからない気持ちだよね。羨ましい、に似た感情って言えばいいのかな。これもなんだか少し違う気がするけど。

 こうやって一緒にしゃべってるとわかるんだけど紗夜はすごく素敵な女性だ。仲良くなってくれて、色んな表情を見せてくれるようになって、ますますそう思うようになった。なんかモヤモヤする。なんでだろ、もしかして……あれだな。

 

「どれですか?」

「うーん。なんか、失礼なことしてるんじゃないかって思ったんだ」

「……はい?」

 

 いやだってさ。俺はそんな片想い相手のいる紗夜をこう、なんて言ったらいいのかな、独占してるわけじゃん? だからこそ罪悪感があるわけだよ。

 ほら、俺としゃべってる時間あったら片想い相手とおしゃべりしてた方がよくない? 距離縮めようよ。

 

「……ばか」

「え?」

「わからないの?」

 

 え、なにが? と問うまでもなく、紗夜は怒ったように伝わらなかったなんて思いませんでしたとキツい言い方をした。

 伝わらなかった、ってえ? 紗夜はもしかして……いやもしかしなくても、片想い相手との時間、ちゃんと作ってた? 

 

「はい」

「……ってことはつまり」

「当然じゃないですか。他に好きな男性がいるのになんで千紘とおしゃべりする時間をとらなくちゃいけないのよ」

 

 うわ……まさかの相談事だった。

 初めて紗夜から相談されたと思ったら、その内容はなんと紗夜が俺のことを好きだったってことだった。人生で三度目となる告白は、なんとアイドルの姉でもある氷川紗夜さんからだった。

 



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雨は降ってないけど地は固まったね

 返事はすぐに、なんていいませんからと紗夜はまだちょっと怒ったように言い残していった。一度目は元カノさんから。中学入ったばっかりの俺はサッカー部のマネージャーだった彼女に部活が終わった後に一緒に帰る仲だった。そんな彼女から実は、と打ち明けられて……舞い上がってオッケーした。初めて女の子に明確に好意を持たれちゃったもんだからさ。

 二度目はつい半年くらい前に、幼馴染の花音から。ずっと、ずっと好きで、キミの傷を分けてほしい。そう涙の告白をされた。でもこの好意は紗夜に相談していて、そうなのかもと二人で結論づけたものだったから、俺も冷静になれた。そして、初めて女の子の告白に舞い上がることなく冷静に首を横に振った。

 ──そして三度目、今度はその相談に乗ってくれた紗夜から。

 

「紗夜、紗夜……かぁ」

 

 まさか俺のことが好きだった、なんて……しかも花音に告白される前に。

 もちろん嬉しいし心が温かくなる。いつも一緒にいてくれた彼女に告白をされたんだ、嬉しくないわけがない。でも、少しだけ引っかかるものがあった。

 

「あなたがゴールした時、私に向かって声を掛けてくれたでしょう? あの時にハッキリと自覚したの……私は千紘が好きだって」

 

 それは……それは、あの子が俺にくれた理由とほぼ同じだったから。最初に恋をしたのはゴールをした時だと、俺は一度目に告白されているから。すると嫌でも思い出すわけだよ……あの日の、もうついていけないと別れを切り出されたあの時を。

 

「はぁ……」

 

 トラウマっていうのはそんなに簡単に克服できるようなものじゃないし、かと言って俺の人生なんて特に他人から理解されるようなものじゃない。告白されても、付き合っても、俺は彩ちゃんに対して貢ぐことをやめないから。断言してもいいくらいにそれは確実なことだった。

 

「あ、千紘、くん……」

「どうしたの花音……とその人は?」

「どーも、キミが白崎くん?」

「はい……あなたは?」

 

 どーしようと思いながらも夜まで働く花音を待っていると、そんな幼馴染に案内されてなんだかギャルっぽい……じゃなくて派手な見た目をした羽丘の制服姿の女の人が楽器を背負って立っていた。どちらさまでしょう? と首を傾げていると座ってもいい? と言われた。どうぞどうぞ。

 

「んしょ……っと。えーっと自己紹介からかな? アタシは今井リサ。Roseliaでベースやってて、まぁ紗夜のバンド仲間ってとこかな?」

「え、えっと、白崎千紘、です……」

「うん♪ いつも紗夜がお世話になってますっ☆」

 

 パチンとウィンクを飛ばしてくるギャルさん……じゃなくて今井さん。彼女の自己紹介通り、どうやら紗夜と同じバンドのメンバーらしい。紗夜曰く頂点を目指してどうのって言っててなんかカチっとしたバンドなのかと思ったけど、すっごいノリの軽そうな人が来たね。

 

「あの、それで……なんで?」

「あーそうそう。なんでキミのことを知ってるかは紗夜繋がりってのはわかってくれたと思うけど、どうして会いに来たのか、だよね?」

 

 まぁ、おおよその察しはついてるけどね。なんせ昨日告白されたばっかりですから。きっとバンド練習をしていたであろう今井さんは、俺の顔を見て察しの通りだけど紗夜に相談されてね、と優しい声を出した。

 

「告白、断るつもりだったりしない?」

「……どうしてそう思うんですか?」

「んー、アタシって人の顔色ケッコー伺っちゃうタイプだからさ……なんか紗夜に告られたーって割には、嬉しそーじゃないじゃん?」

 

 その通りだね。俺はどちらかというと断ろうと思ってる。

 紗夜とは今のままでも十分に心地よい距離感を保てている。それをわざわざ変化させたいとは、俺は思わないし……やっぱりトラウマがあるからね。

 

「そっか。紗夜がもしかしたらって言ってたから、確認しに来たケド……ごめんね、おじゃましました」

 

 紗夜には俺の元カノの話もしてたからね。そう思うと、もしかしたらそれが理由でずっと告白できなかったのかな。それは申し訳ないことしちゃったな。気付けずに暢気に友達だと思ってたんだから。

 

「そんなことがあったんだ」

「……あ、彩?」

 

 今井さんがいなくなって少しぼーっとしていたら、いつの間にか俺の後ろに推しがいた。俺が推してやまない推し、丸山彩が。

 なんだか少し圧力のある笑顔をした彩は俺の隣に座ってきて、ポテトを自分の指でつまんで食べた。そして何も言えない無言の中一本をゆっくり食べ終わり、俺に向かってとんでもないことを言ってきた。

 

「なら私と付き合わない?」

「……は? えっと……?」

「私も千紘くんのこと好きなんだけどなぁ、って」

「は!?」

 

 素っ頓狂な声が出てしまった。いやいや、当たり前だよね? 推しに告白とかあれですかね、夢でも見てるのかな?

 けれど夢にしては彩の表情はキレイなものじゃなくて、マグマのような嫉妬心や、奪ってやろうという熱量を感じた。

 

「あ、彩?」

「ほら千紘くん、私のこと推してくれるでしょ? オタクなら……一度くらいは夢見たことあるでしょ? ほら」

 

 彩は俺の腕に抱き着いてくる。なんなら見せてあげようか、なんて言いながらスカートまで持ち上げて、俺に凄みすら感じる笑みで迫ってきた。

 あ、彩……だよね? 俺の知ってる彩じゃない。アイドルとしてでもなく、俺の友人としてでもない彩の顔がそこにはあった。

 

「やめてよ」

「どうして?」

「……どうしてって」

「やめてって、キミは別に紗夜ちゃんのカレシじゃなくて、しかも断ろうとしてるんでしょ? 私はキミが好きだから、恋人に立候補してるだけだよ?」

 

 それでもそんな急に腕にくっついてきたり、挙句にパンツだなんて。

 そりゃあ見たいか見たくないかで言ったら見たいよ。推しのスカートの中だよ? ついつい気になっちゃうよ。でも今それを見せられて、喜ぶわけじゃないんだ。

 

「どうして?」

「だって……俺は」

「俺は?」

 

 ──俺は。あれ? どうして、俺は……今あの人の顔が思い浮かんだんだろう? どうして、彩に迫られて断る時に咄嗟に……紗夜の顔が思い浮かんだんだろう。いつもは無表情に近い彼女が、俺には楽しそうに笑ってくれる。試合を観に来てくれて誰よりも俺が活躍すると大きな声で喜んでくれる……俺の。

 

「俺は……紗夜が大切なんだ。紗夜が……好き、だから」

 

 そうだ。いつだって相談に乗ってくれた紗夜。厳しくてひどいことばかり言うけど、優しい紗夜。思い浮かぶのはいつもあの人の笑った顔だから。

 花音に告白された時に思い浮かんだ顔も、彩に迫られた時の顔も、何か面白いものを見つけた時も、新しいイベント情報が出た時も、嫌なことがあった時も、俺の頭に浮かぶ人は……紗夜なんだ。

 

「ほら、もう答え出てるんだよ」

「……彩、あの……もしかして」

「好きなのは……ホント。キミがよければ一緒にいてほしいのも」

「彩……」

「でもっ、キミが一緒にいたいのは私じゃない……でしょ?」

 

 うん。ごめん……あくまで彩は彩、推しは推しとしてただオタクとして応援していたい。確かに一瞬だけパンツが見たいとは思ったけど、それで推しが推せないって言うんだったら、俺はパンツなんて見たくないよ。

 ──そして、俺が好きなのは、あくまで紗夜だから。

 

「トラウマだって大丈夫だよ。紗夜ちゃんだって同類みたいなものだし、ドルオタのキミを見てるんだから」

「……そうだといいけど」

「もう! 自分のことを好きになるーって言うの、どこ行ったの!?」

 

 そりゃ言ったけど……いざ男女の好き嫌いになると、別方面で怖くなっちゃうんだよ。いくらなんでもそっちは経験値浅いからあっという間に元通りの自信ない俺に戻っちゃう。そんなことを言っても彩はダメ、と厳しい口調で俺を叱咤してくれる。

 

「私は、頑張るキミを好きになった! 紗夜ちゃんだっておんなじだよ?」

「だったら」

「でも千紘くんを好きになったってことも覚えてて? 私や紗夜ちゃんは、出逢ってからこれまで色んな千紘くんを見てきたんだから」

 

 色んな俺……か。そうだよね。彩と紗夜は特に俺のしょうもないオタクなところとか、後ろ向きなところとか見てきてるもんな。そのうえで彩も……紗夜も、俺を好きだと言ってくれるんだ。

 

「──千紘」

「さ、紗夜……」

「ほら! 後は頑張ってね!」

 

 きっと今井さんやら彩から連絡をもらってたんだろうな、というのはわかった。紗夜はなんだか焦ったような表情をしていて、帰りがけだったのに急いで戻ってきたようだった。俺が何か言おうとしたら彩はさっさと帰ってしまったようで、俺と紗夜だけが取り残された。

 

「……座って、千紘」

「う、うん……」

 

 そこから歩いて紗夜の家へとやってきて、俺は紗夜の部屋で座る。気まずいなぁ。今井さんからの情報はやっぱり断る気だったって言うのだろうし、たぶん彩の気持ちには気づいていただろうから……紗夜が何か誤解をしてないことを俺は祈るしかないんだよね。つまり俺から話を切り出さなくちゃいけないんだ。

 

「あのさ……紗夜。ここで、返事をしてもいいかな?」

「はい……覚悟はできています」

 

 あー、やっぱりそうだよね。でもここで潔く覚悟はできていますって言うところはやっぱり紗夜ってカッコいいよね。いつだってそうだよ。

 紗夜はいつもこうやって言い訳とか縋ったりせずに俺の前にいてくれる。俺と同じように自分のことが大嫌いだったのに。そういうところもまた、俺と紗夜が惹かれ合った原因なのかもしれない。

 

「えっと、ごめん。返事をする前に少し質問していい?」

「……ええ、構わないわ」

「うん。あのさ、紗夜は……俺のオタ活についてどう思う?」

「どう、と言われても……私だって同じ穴の貉じゃない。それを今更どうしろとは言わないわ」

「じゃあ、そこでオタクしてる俺は……キモくないの?」

「私が好きになったのは白崎千紘であってフットサルでカッコよかった千紘じゃないわ」

 

 ──まっすぐだなぁ。紗夜はいつもまっすぐだ。

 こうやって俺を包み込んでくれるくらいの優しさと、俺のことをまっすぐ見てくれるだけの目がある。今の受け答えだけでも、俺がいかに怖がりすぎていたかがわかるよね。

 

「……ありがと、紗夜」

「ええ」

「今井さんから聴いてると思うけど……あの」

「……覚悟はできていると言ったはずよ」

「えっとね……それが、驚かないでほしいんだけど。俺は……俺も、紗夜と一緒にいたい」

「……え」

 

 紗夜はびっくりしたように俺の顔を見た。冗談じゃないよ? 俺は自分だけで考えた結果断ろうと思っちゃったけど、彩の言葉を受けて、彩の告白を受けて、俺は考えを改めることにしたんだ。怖いよ、正直まだまだ怖いけど……それでも、紗夜が好きって気づいたから。

 

「紗夜のことが好きなんだ。だから……なんかすぐに意見変えちゃってるやつだけど……」

「そんなの、気にすると思うの?」

「いや、いつもの紗夜なら」

「ええ、なんでそうやって独りで考えようとするのよ。最初の質問を、最初にしてほしいのはいつだって私なのに」

 

 そう言って、紗夜は俺の隣にきて……両手を広げてきた。ハグしたいってことなんだろうか。

 おずおずと俺も両手を広げて紗夜を受け入れる。

 首元辺りに紗夜の頭があって、ちょっと下を向いただけで柑橘系なのかな、そういう系の匂いがした。

 

「……好きよ、好き。気付いたあの日からどうしようもなく、千紘が」

「紗夜……俺も、紗夜が好き」

「──っ」

「さ、紗夜……」

「ご……ごめんなさい」

 

 紗夜が俺の顔を見上げて、感極まったように涙を浮かべていた。慌ててぬぐおうとする紗夜を、俺は今度は自分から抱き寄せていく。

 恋ってこんなんなんだなぁ。俺があの子としてきたのは本当に、子どもの遊びのようなものだったんだなと感じることができた。

 だって、こんなに……こんなにも彼女の涙で胸が苦しいと思うなんて、幸せそうでいてくれることが、こんなに胸がいっぱいだなんて、思わないから。

 

「恋人で……いてくれますか? 千紘……」

「もちろん……俺の方こそ、お願いしたいくらいだよ」

「千紘……!」

 

 こんなに、こんなに紗夜が俺のことを好きでいてくれることも、なにもかもが幸せだ。

 ──俺と紗夜はその日は一度だけ最後に、キスをした。これからもよろしくお願いしますという意味を込めて、甘い口づけだった。

 

「というわけで」

「お、おめでとうございます……! ヒロ様も紗夜様も、幸せそうでなによりです!」

 

 それをオタ仲間のパレオちゃんにも報告するとなんだか夢見るようにうっとりとされてしまった。まだそういう経験がないのかな? まぁパレオちゃんは理想の男性像とかで苦労しそうだしね、と言ったら私もヒロ様みたいな人とお付き合いできたらいいです! と笑顔で言われて紗夜が拗ねてしまった。

 

「千紘」

「なに?」

「……私のパンツ、見たい?」

「はえ?」

 

 神戸のライブ終わり、一緒の部屋で泊まった紗夜は、俺にそんなことを訊いてきた。いや、見たいけど。どうやら以前彩のパンツを見たことを教えてもらったらしく、その時の興奮していたという様子に嫉妬したらしい。あとパレオちゃんの爆弾発言の反動もあるよね。

 

「付き合ってまだ少しなのに……こんなのはしたないかしら?」

「俺はご褒美すぎて頭おかしくなりそうなんだけどね」

 

 紗夜は推しじゃないし、推しは推しで推してるけどさ。

 ──それでも、パンツが見たいって言えるのは紗夜だけだよ。そう、色んな表情を見せてほしいし、俺だって……一緒に寝るって聞いたときからちょっとドキドキしっぱなしだったんだからさ。覚悟は? と訊いたらやっぱりとっくに覚悟はできています、とほほ笑むんだから、紗夜はカッコいいよね。

 

 なんとしてでも、推しは推しのまま推したい! けどパンツは見たい! ブルーEND! Thank you for reading.



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【鳰原れおな】ツートンルート(DLC追加ルート2)
推しであり推されてるんだよね


 パレオちゃんと初めて会ったのはほんの些細なことからだった。そもそも同じ最初期からのパスパレオタクなんだし、SNSではそれなりのフォローがいるんだから嫌でも知ることになる。でも実際に会うまで俺にとってのパレオちゃんへの印象はそんなに良いものではなかった。

 なにせ囲いもいるオタ姫だもん。純粋にオタクやってる身としてはいっそ邪魔とすら思っちゃうわけで……女オタオタもオタクの醍醐味とか言うヤツもいるけど俺にはそれがよくわかんないし出会い目的ならマッチングアプリでもダウンロードしたら? ってなっちゃうんだよ。

 

「あの!」

「はい……って、あなたは」

 

 だけどやっぱりそれなりに同じイベントに出ている俺とパレオちゃんがすれ違うままにいられるわけもなく、俺はグッズ交換を申し出るために歩いているところで彼女に話しかけられた。

 ツートンという目立つ髪色をする女性にしてはちょっと身長高めのかわいい女の子、鳰原れおなちゃんに。

 

「ヒロです」

「パ、パレオです」

 

 俺は全然興味がなかったから知らなかったことなんだけど、パレオちゃんは当時からグッズやらなんやらにとんでもないお金をかけているような子だった。所謂富豪オタク。嫌われるオタク四天王の一人でもある。ちなみに四天王最弱は認知勢、俺のことだけど。

 でも他人の資金に妬むのも僻むのも間違ってると思うし、他人のオタ活なんてそこまで気にしてない俺としては彩ちゃんのグッズを他のメンバーになんでも交換してくれるという破格の条件を出したパレオちゃんを嫌う必要なんてなかった。

 

「こんにちはヒロさんっ」

「パレオちゃん」

 

 それをきっかけにSNSでも繋がって以来、パレオちゃんはイベントがあると決まって連絡をくれて、顔を合わせるようになった。他のオフでも会うメンバーからはちょっと羨ましいって言われたっけ。まぁ後輩に懐かれてるようなものだと思って接してれば俺としても相手が女性だってのを意識せずに済むからね。

 

「千聖ちゃんグッズ、増えてきたんですね~」

「そそ、パレオちゃんのおかげだよ」

「お役に立てたなら光栄です!」

 

 なによりパレオちゃんのおかげでグッズ収集率が上がったのが俺の中でポイントだった。なんとトレーディング系は等価で千聖ちゃんになるという最強の取引を結んでくれたんだから、ほら、仲良くなるに決まってるでしょ? オタクには実益は必須。人間関係も実益で考えるのがオタクなわけだし。

 ──ただ、それで仲良くなると気に入らないと感じるのが在宅してたり対してパレオちゃんのオタ活は引いてるくせに寄ってくる囲いたち。彼らナイト様方は突然現れた千聖担当厄介認知ドルオタである俺を嫌っていたメンバーと結託して女オタオタだと叩き始めた。

 

「はぁ……」

「大丈夫? それ……」

「SNSで言ってるだけのキモオタどもだよ? 俺が気にするわけないし」

「そ、そっか……」

 

 幼馴染さんにはそう言ったけど、そのアンチが俺が彩ちゃんの働くファストフード店に入り浸ってるってことまでリークされて更に炎上した。知らないやつからも散々罵倒されて面倒なのは事実。正直ここはグッズの収集を抑えてでもパレオちゃんと会わないようにして鎮火を待つって手もあった。というか直前までそうしようとすら思ってた。

 

「パレオちゃんは……」

「はい?」

「なんで俺と関わろうとするの?」

 

 ただ、もうオフで会うのはなるべく控えたいって言う前に、ちょっとだけ興味が出た。パレオちゃん自身に興味が出たことで、俺はそんなことを訊いみたくなったんだ。

 ──俺にかかわるとパレオちゃんにどんなメリットがあるんだろう。俺はパレオちゃんに何もしてあげられてない気がするんだよね。

 

「……パレオは、イベントのためにたくさんお金を使います。ウィッグの手入れやかわいいを表現するためにも、それなりに」

「うん」

「そんなパレオの推し方を、異常だと、理解できないと言って離れていってしまうのです。実際、SNSではあんなにたくさんの方が見てくださっても、イベントに来るとヒロさんくらいにしか、会ってないですし」

「そっか……」

 

 寂しそうな響きのある言葉に、いつの間にか俺は次のイベントでもって言って別れてしまった。叩かれるってわかってる。わかってるけど……あの一瞬の会話で、彼女を蔑ろにしてまで周囲を伺う意味なんてないと考えていた。

 そう思ったら、なんかSNSの顔を伺うなんて意味が分からなくて、肩身が狭いとかそういうことを考えなくなった。

 

「いいんですか……?」

「パレオちゃんとオタ活することを考えた方が、楽しいからさ」

「……そうですか」

 

 ふわりと、ほっとしたように笑うパレオちゃんに、俺はなんて言ったらいいのかわからなくなってしまった。もしも俺のせいでパレオちゃんにまで最低なことを言うようなヤツが現れたら、俺はこの選択を後悔する。なのに、そんな顔で微笑まれて……どうしたらいいんだろうな。

 

「ヒロさんは、暖かいですね」

「冷たいよ。多分」

 

 それ以上に怖がりだから、パレオちゃんっていう俺が大切なオタ仲間すら切り捨てようとするくらいには、オタ活が原因でカノジョに捨てられたっていうのにこうやって楽しんでるところ辺りも、俺が怖がりで冷たい人間って証明だよ。

 

「……カノジョさんと、お別れしてしまわれたのですか?」

「うん、捨てられちゃった。オタ活が原因でさ」

 

 こんなみっともない話を年下の女の子にしちゃうなんて俺もバカだなーって思ったんだけど、そういえば仄かにカノジョがいることを匂わせていた以上、これがチャンスだと思った。今思えば全く俺らしくない選択だったと思う。

 

「でしたら! せめてヒロさんが寂しくないようにいっぱい笑ってオタ活したいです!」

「……ありがと」

 

 健気なことを言ってくれるパレオちゃんへの感謝も込めて、俺はその後もパレオちゃんと関わり続けた。関わり続けてやがてヒロさんが、いつの間にかヒロ様になって、プライベートでも関わるようになって一年が終わった。そして、野外ライブであの事件を目撃する。

 ──そう、俺は推しのパンツを見てしまうあの事件が始まる。

 

「……ううん」

「あ、千紘さん。こんにちは」

「パレ……れおなちゃん、こんにちは」

「はい! えっと……どうされたのですか?」

「え、いや、別に?」

「何か悩まれているようでしたので」

 

 言いにくい。まさか推しのパンツを見ちゃったのかどうなのかって悩んでるとは彼女にバレたくない。というかれおなちゃんは中学生の女の子なんだよ? パンツでうんうん唸ってるとか教えたくもないよね。

 

「あ、花音さん。千紘さんは何を悩んでるのでしょうか……?」

「えーっと……千聖ちゃんの、パンツを見ちゃったかもって」

「……パンツを」

 

 わー! 何言ってくれてんのそこの幼馴染さん? れおなちゃんがドン引きしてるよね? そうやって言ったら幼馴染さんはにっこりを微笑んで片づけ途中のトレイをすっと胸のあたりまで、持ち上げてじゃあ私にはどうして話したの? とほほ笑む。あの、すいませんでした。お前にならいいかなー、と思って。

 

「よくないよ……ばか」

「ごめん」

「もう」

 

 れおなちゃんがそのやり取りにあはは、と苦笑いをしてからそういえば、と俺に話題をさらりと振ってくる。次のイベントの話、パレオちゃんと連番で神戸ライブなんだよね。俺一人じゃ到底行けないライブではあったけど、ここはパレオちゃんのセレブパワーでなんとかしてくれた。持つべきはオタ友。迎えに来てくれる時間やなんやかんやを伝えてれおなちゃんは俺に深々と頭を下げてそれではまた、と黒髪ツインテをなびかせて去っていった。

 

「ふうん。随分と貢がれ……もとい懐かれているのね?」

「……は?」

 

 まさかあんなにかわいらしいオタ友ができるなんてなぁという感慨に耽っていたら、後ろからそんな声が聞こえてきた。推しの声……だよなと振り返るとホントに推しだった。え、えっ? なに、なになんでここにいるの? 

 ──推しの名前は白鷺千聖さん。幼馴染さんの親友であり、春休みに出逢ってしまったプライベートの姿。

 

「珍しいですね、ファストフード店は俺がいるから行かないって言ってたのに」

「そうだったかしら?」

「……なにが目的ですか?」

「あなたに朗報を届けに来てあげたのよ」

 

 そう言って千聖さんは俺にひょい、とスマホを見せてきた。ひいふうみい……え、下着って上下セットこんなにするの? うわ高いな。

 でもそれが何を意味するのか……ちょっと考えたらわかることなんだけどね。だって俺が見たかもって思ってたパンツの色が一緒なんだもん。

 

「悩んでいるようだと花音から訊いたのよ。だから答えを教えてあげに来たの」

「……それは、嬉しいような嬉しくないような、ですね」

 

 千聖さんは意外と冷静なのね、なんて評しながら俺の向かいに座った。そりゃあ、見た瞬間は焦ったし悶々としたけど、今はすっかり答えが知れてしまったんだからね。後見たからって俺は千聖さんにガチ恋になるわけでもないし、俺は推しは推しとして推したいから。

 

「ところであの子……れおなちゃん、だったかしら」

「やっぱり認知してたんですね」

「目立つもの」

 

 そうだよね。ツートンカラーの髪色なんて認知するに決まってるよね。そんな風にうなずいていると千聖さんはカノジョ? とか訊いてきた。冗談でもやめてよ、あくまでパレオちゃんはオタ友兼後輩みたいなもんなんだから。第一中学生を恋愛対象にする高校三年生……変な噂が出ても知らないよってレベルじゃん。

 

「確かに」

「でしょう?」

「でも彼女大人っぽいし、別に隣に並んでいても不自然ではないと思うのだけれど」

「そんなこと」

 

 俺はパレオちゃんをそんな目で見たことないし、だいたい自分でメイドを名乗るくらいの子だよ? そりゃあオタクなカノジョが欲しいと思ったことは一度や二度ではないけれどさ。やっぱり俺はパレオちゃんはパレオちゃんだし推しは推し、幼馴染さんは幼馴染さんでそれ以上は見れないかな。

 

「そう」

「うん。まぁ俺としてはそもそも今はカノジョとか考えてないんですけど」

「どうして?」

「……あはは、そりゃオタクだからですよ」

 

 そう、オタクだからね。話を合わせられるのも、理解できないと怒りの表情を見せられるのも……もう二度とごめんだ。サッカーやってない俺に価値がないとか言われても、もうああやってケガでただ病院で寝てるだけの生活も絶対にごめんだ。

 それだったら今の身軽な状態でただただ推しを推すだけの人生が一番いいよ。恋人なんて足枷でしかない。

 

「オタクだからって、なんでも諦めるのかしら?」

「……それは」

「しかもそれをいつもは明るい顔して話す推しにするなんて……どういうことかしら?」

 

 ぐうの音も出なかったし千聖さんはめちゃくちゃ怒っていた。プライベートで知り合ったのはつい最近だったにしても、こんなに怒った顔を見るのはもちろん初めてだった。いつもは穏やかでにこやか。怒る時も基本的に笑顔を崩さない千聖さんが明確に、つまらなさそうに怒りを向けてくるのが、余計に怖かった。

 

「私にとってみれば、まさしくつまらない理由よ。それにまるでそのつまらない人生を歩もうとしてるのはアイドルのせいだって言われてるようじゃない」

「……ごめんなさい」

「彩ちゃんを見習いなさい。彼女は努力をまるで当たり前のようにこなすわ。いつもいつだってめいいっぱい、ファンに夢を届けようとしているのに」

「うん」

 

 そう、そうだよね。オタクだからってあんまりにもすべてを捨てるのはアイドルに対して冒涜ってわけだね。

 ──千聖さんはもっと色々やってみようとか思わないのかしら、って唇を尖らせてくる。やってみたいこと、かぁ。

 

「どうして千聖さんは、俺のことそこまで怒ってくれるの?」

「私は……親友の幼馴染であるあなたが、私の親友の枷になっている姿を放っておけないだけよ」

「……千聖さん」

 

 やっぱり千聖さんは友達想いで優しい人だ。そのために千聖さんは俺がただのオタクであるということが許せないんだなってのは感じた。

 ただのオタクだということが、幼馴染さんをどう傷つけるのとかどう負担になってるのか、なんて俺にはわからないけど。

 

「なんか……こんなに響いたのは初めてかもしれない」

「それはよかったわ」

 

 なんだかプライベートの千聖さんに出逢って、今日ほどよかったなぁと思ったことはなかった。

 俺のやってみたいこと、燻ってること、色々探してみたい。そんな風に身体に活力が満ち溢れていくのだから。

 



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推しなのに、この気持ちは?

 鳰原れおな、漢字は令王那なんだけど読んでくれる人が少ないし字面がかわいくないから基本的にはひらがなで書くことが多い。

 地味で目立たず、真面目で成績優秀スポーツ万能のカッコいい委員長、それが鳰原れおなとしての……所謂私のリアルの顔。最初、ウィッグもつけてないこの姿で普通にヒロさん……千紘さんに会いに行ったときもすごく驚かれたっけ。

 

「あ、れおなちゃん」

「千紘さん」

 

 いつものファストフード店でスマホを触っていると揚げたてのポテトをトレイに乗せた千紘さんがやってくる。白崎千紘、という名前が推しの白鷺千聖ちゃんと似ているせいか千紘さんはやめてよ、と言われて、すみませんと頭を下げる。怒らせてしまったのだろうかと少しだけ顔色を確認するが、どうやら怒ってはいないようだった。

 

「はい、ポテトいる?」

「い、いただいでも……?」

「え、いらなかった?」

 

 千紘さんからたかるわけには! と断ろうとしたものの、それとは逆にくう、とお腹が鳴ってしまう。

 ──は、恥ずかしい……! 割とくいしん坊で背ばかり伸びた自分がこれほど恥ずかしいと思ったことはないです。だけどやっぱり、千紘さんは変わらない優しい表情で、はい、と私の前にポテトを差し出してくれる。

 これは……口を開けた方がいいのでしょうか? 少し恥ずかしい気もしますが、言わばこれは推しからの供給! そう思うと勿体なく感じてきました。

 

「んっ、あつあつ……です」

「おいしいでしょ? うちの幼馴染さんの塩加減は絶妙だからね」

「はいっ」

 

 ふふ、と笑われるのは少し恥ずかしいけれど、彼が笑ってくれると自然とこちらも口許が緩んでしまう。同時に、一本食べてしまったことでますます空腹感が増してしまい、また腹の虫が鳴ってしまった。うう、図々しい虫です。

 

「いいよ。れおなちゃんがいるのわかっててエルサイズなんだから」

「……あ、ありがとうございますっ」

「うん」

 

 同級生にはカッコいいと言われてしまう私、真面目だからと遊びにも誘われることのない私、でも、時間をかけてここにやってくると私はそんな縛られた鳰原れおなから、本当の自分になれる気がする。

 

「へぇ、れおなちゃんって委員長なんだ」

「はい、真面目にやってます!」

「きちっとしてるもんなぁ」

 

 きちっとなんて……私には勿体ない言葉だった。でも普段なら謙遜の言葉がでるのに、嬉しさばかりが勝ってありがとうございます、なんて言ってしまう。鼻についていないだろうか? そんなことばかりが気になってしまう。

 

「どうしたの?」

「ああいえ……こんなつまらない私の話ばかりでいいのかなぁ、と」

 

 髪も黒い、この姿のせいかどうしてもネガティブな方向に感情が揺れてしまう。

 私は、千紘さんのお傍にいてもいいのだろうか。この間もまた千紘さんのSNSが炎上して、ついに彼はアカウントそのものを消してしまった。私とご飯を食べに行ったせいで……そう思うと押しつぶされるような痛みを感じてしまう。

 

「つまらないって、れおなちゃんの話が聞けて俺は嬉しいけどね」

「嬉しい……ですか?」

「うん、嬉しいよ」

 

 千紘さんがはにかんでいて、胸が暖かくなる。この気持ちを形容するものを私は持ち合わせていない。チュチュ様(ちゆ)のように、支えてあげたい、そのためにこの私の全てをかけても構わないって気持ちと同じようでまた違って、推しのように、声の限り応援して、これからの活躍への期待を込めて貢ぎたいって気持ちとも、同じようでやっぱり違う。

 

「って、こんなこと言ってたらまた炎上しそう。アカウントももうないけど」

「……そもそも、どうしてこんなことに」

「れおなちゃんはかわいいからね」

「かわいい……パレオは、かわいいですものね」

「パレオちゃんでもれおなちゃんでも、かわいいでしょ……なんて言ったらキモいかな」

「いっ、いいえ!」

 

 ほんの少し漏れ出た千紘さんの言葉に、思わず私は勢いよく首を横に振っていく。

 かわいい、とほぼ不意打ちの状態で言われてしまった。いつもこのつまらない姿じゃ、カッコいいとかクールとか、そんなことばかりだったのに……千紘さんは。

 

「そうそうれおなちゃんは、今度どっか予定空いてる日ない?」

「へ? え、っと……?」

 

 ドキっと心臓が跳ねた。この誘いかたってもしかして……そんな私の緊張なのか期待なのかわからない胸の痛みを肯定するように実はねとスマホを差し出してきた。そこには水族館のイベント情報があり……って、パスパレとコラボ!? 知らなかった! 

 

「い、行きます! 年パス買いましょう!」

「え、イベ期間一ヶ月くらい……」

「暇な時は毎日でも行きますっ!」

「うわぁ……」

 

 なんなら千紘さんの分の年パスも買いますよと言うと流石にそれは申し訳ないなぁと困惑されてしまうけど。申し訳ないなんて思う必要はありません。私は千紘さんのオタ活を全力で、全身全霊で応援していますから! 

 

「応援ってか貢いでると思うんだけど」

「私の応援するということはコレですから!」

 

 これでもちゃんと家のお手伝いとかをして、チュチュ様たちとRASとしての活動で手に入れたお金です! それを推しに貢いで還元する。お金はあくまで貯めるものではなく推しに貢ぐものというのがパレオのモットーなので! 

 

「というか車も今や平然と乗せてもらってるけど……あれはおうちが豪邸なの?」

「いいえ、チュチュ様がお嬢様なのです」

「えっ!?」

 

 そうなんですよね。よくお嬢様だと勘違いされますが私の家は一介の……と言ってはおかしいかもしれないけれど、地元には人気の干物屋さんなんです。長くやっているので大きな日本家屋で暮らしているんだけど……どうやらそうは思われないらしい。

 

「チュチュ様に頼んだら運転手付きで貸していただいているのです」

「……すごいね、チュチュって人」

「はい! パレオの愛しのご主人様ですっ!」

 

 問題なのはチュチュ様は中々人懐きの良い性格ではないせいで、コンシェルジュの方ですら部屋には入れたがらないのですが。なので基本的に身の回りのお世話もパレオがしていたりします。チュチュ様のおうちはそのままスタジオでワンフロアどころかマンション全部が珠手家のものだったりするのです。

 

「うわ……なにそれ」

「ですから、チュチュ様に移動手段を確保してほしいです~って言ったら紹介してくださったのです!」

「す、すげー」

 

 こんなことを言っては普通は引かれてしまいそうなものですし、実際何人にもの方にはお嬢様なの? と問われて答えて引かれた経験があったので、これまで自分からは話してこなかったのですが、やはりまたパレオちゃんの秘密が紐解かれたなと千紘さんは笑ってくださいます。

 

「無限の資金源はれおなちゃんがその指で稼いでたんだね」

「そうなんです。チュチュ様に差し上げます、って言ってもチュチュ様はお金に頓着しないので……というか実はRASのお財布を握っているのはパレオだったりするんです」

「……え?」

 

 懐疑的な目をされてしまいますが、それを私用に使うことはありませんとも! いえ、いえいえ、ときどーき、いえ、ちゃんとチュチュ様にご許可をいただいてそこからグッズを買い漁ることはありますけれども! チュチュ様は実は丁寧で、優しい方なので、両親を説得して学校がない日などは住まわせていただけるくらいには心が広いので! 背は……ちょ~っと小さいですが。

 

「なるほど……れおなちゃんのご主人様は相当できる人なんだね」

「音楽に関しては特に!」

 

 日常生活の話を除けばチュチュ様は完璧と言えます! 日常生活の壊滅さを除けば! 

 ──といいますが現在集まっているRASのメンバーはそれなりに音楽以外が壊滅している方が多いので、気になるかどうかでいえば相対的に気になりません。

 

「はぁ……今日はたくさんしゃべってしまいました」

「なかなかれおなちゃんの周囲も個性的だね」

 

 駅で別れていく。本当なら千紘さんを家までお送りしたかったのですが……流石に車がないなら立場が逆だからねと散々に釘を刺されてしまった。そして本当に逆に送られてしまって、ちょっと悔しいけれど、その分千紘さんとたくさんお話しができたのはよかったなぁと思う。

 

「……ああ、幸せだなぁ」

 

 スマホには千紘さんとのやりとりが詰まっている。それは私にとって言葉通り、口許が緩むくらいの幸福感に包まれていた。一緒に推しのことを話せる、一緒にイベントに行けるような同好のヒトができただけでもうれしいのに、その人がまた推せる……というのがもう私にとって最高の瞬間だった。推しは推しとして推しているけれど、一緒に推しを推してるのもまた推しなんです! 

 

「そういえば……この間推しのパンツがどうのって」

 

 千紘さんが興奮気味に……というのはなんだか語弊がある気がするけれど、千聖ちゃんのパンツを見ちゃって先日それを本人に認められた、ということを千紘さんの口から聞いてる。

 ──やっぱり、男性たるもの女性のショーツというものに興味があるんでしょうか。もしかしたら、ここで私が家に帰ってスカートを捲って……その下のピンク色を姿見に映して撮影したら……千紘さんは私で……? 

 

「な、なに考えてるんだろう……私」

 

 なにこれ、なんでこんなこと考えちゃうんだろう。頬が熱くなっていくのがわかる。すっごく恥ずかしいこと考えてた。しかも、私なんかに興味を持ってほしいだなんて、そんなの推しをただ推していくオタクとして最低だよ。

 

「──それはきっと、考え方を変えれば素敵な気持ち、なのかもしれないわよ?」

「えっと?」

 

 それを思わず相談してしまった相手はファストフード店で優雅な……ファストフード店だというのに優雅に見えてしまうくらいに背筋がキレイに伸びたまま紅茶とアップルパイを机に置いていた白鷺千聖ちゃん……いえ、千聖さんだった。

 

「きっと()()は中学生だからと一歩引くでしょうけれど、そのオタクであるない以前に何かしてあげたい、と思う気持ちはきっと、とても大切なものよ」

「……そうなんでしょうか」

「ただパンツは撮影しちゃダメよ。何かの拍子に流出したら困るでしょう?」

 

 崩れない鉄壁の微笑にちょっと怖さすら感じてしまったけれど、この人はもしかするとこの私の名前のない気持ちに名前をつけられているのだろうか。

 その答えもその微笑の中にあるのだろうか。

 

「そうね……私がお願いすることを聞いてくれたら、いいわよ」

「な、なんでしょう……」

「──花音を。私の親友を助けて」

 

 それは、とてつもなく張り詰めた真剣な言葉だった。助ける……その言葉の真意はさておくとして一つ、わかったことがあった。

 ──私はどうやら、とんでもないところに足を踏み入れてしまったらしいです。



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これはオタ活ではなくデートでは?

「わぁ~! すごい、すごいですよ千紘さんっ!」

「えらいはしゃぎようだね……」

 

 なんと水族館でパスパレのコラボグッズが販売する、ということで普段ならリア充いっぱいの世界に足を踏み入れることも憚られるためグッズだけ買ってさっさと退散というところだが、今回はパレオちゃんも一緒ということもありこうして今までは敬遠気味だったリア充イベントを満喫している。中学生とデートとか恥ずかしくないのかと問われたらこう言おう。

 ──リア充感出るならそれでいい。プライドだとかロリコンだとかは二の次です! 

 

「水族館、家族以外と来るの初めてなんです~!」

 

 とまぁそんな俺の打算とかそういうのを知らず無邪気なJCパレオちゃん。今日はいつもよりも大人っぽく纏めて、テンションはパレオちゃんそのものなのに黒髪である。オタクモードじゃないからなんだろうけど並んでも違和感ないのはちょい悲しいな。

 

「イルカさんです~! かわいいなぁ……!」

「そうだね」

 

 イルカにさんをつけるキミがかわいいんですが。どうなんでしょうか。

 というかパレオちゃんって普段は同級生にカッコいいと言われることが多いらしい。クールで頭が良くてスポーツ万能、だなんてまぁ確かにかわいいとはならないよね。いやこの顔を見たらかわいい以外のリアクションできないけど。あと、俺が年上ってのもその要因なのかな? 黒髪メガネでも十分かわいいと思います。

 

「千紘さん?」

「ん?」

「もう、どこ見てるんですか~、イルカさんを見てくださいよお!」

 

 う~ん、満点! 何がとは言わないけど満点! もういいやロリコンで! 

 そんなロリコンたる俺は開き直ってパレオちゃんの隣に立ってはしゃぐ彼女について歩く。周囲もそんなかわいらしいパレオちゃんに微笑ましい顔をしていく。

 

「楽しい?」

「とっても!」

 

 当初の目的を忘れてしまいそうなくらいにパレオちゃんは屈託のない笑みで応えてくれる。

 それだけのことだけど、デートってこんなに楽しいもんなんだなぁって思ってしまうよ。こういうと元カノとは楽しくなかったのかと言われそうな気もするけど、楽しくなかったんだよね……実際。

 

「千紘さん、どうかしましたか?」

「いや、ちょっと昔のことを思い出して」

「元カノさんですか?」

「うん、まぁ……」

 

 そんなによろしくない思い出なのでこれ以上は掘り起こさないでいただきたいのですが。

 パレオちゃんもそれほど興味がないのは助かったというところだけども、けどほんの一瞬だけ表情がちょっとだけ変わってたのも、つまらなかったってことなんだろうか。

 

「パレオは、パレオとは……楽しいですか?」

「え、うん。楽しい」

「……よかった」

 

 もちろん、楽しいに決まってる。じゃなきゃこんな前はつまらなかったぁなんて感慨出てこないし。それじゃあもっともっと楽しみましょうと言われて、なんとパレオちゃんが俺の手を引いてくる。なになに? やっぱりテンションはパレオちゃん、見た目はれおなちゃんだからどうしていいのかわかんない。

 融合した結果、新しいパレオちゃんが生まれてしまったのかもしれない、なんて余計なことを考えていると、自分のしたことにようやく気づいたらしく、恥ずかしそうに離れていく。

 

「テンションが上がってしまって……つい」

「いいけどね」

「今後は、控えますから」

 

 いやだからいいんだってと付け加えるとでも、と少し下を向く。いつもだったらハッキリといえ、推しはノータッチですからくらい言ってきそうなものなんだけど……って推されてることに慣れ始めてきたな危ない思考だこれは。

 

「千紘さん?」

「ああごめん、行こうか」

「……あ」

 

 気にしてるって言うなら俺から気にしないであげればいい。そう思って手を取るとパレオちゃんはびっくりしたような顔をしてから、おずおずと握り返してくれる。こんな子が普段はクールなんだからびっくりだよ。

 

「えへへ……なんだか、こういうのは緊張、しちゃいますね」

「言わないで、緊張で手汗出る」

「ふふ」

 

 笑われたし。けど、まぁ俺もドキドキしちゃうんだけど。なんせ中学生とはいえ彼女は顔面がとびきりいい。いやホントにね、お前がアイドルやれよって思うくらい顔面偏差値が高いんだよね。そんな高偏差値が真横にあるんだからドキドキもしますって。

 

「次はあっちかな、行こうか」

「はいっ」

 

 そんな風にドキドキはしつつも気を取り直して水槽を眺めながらパレオちゃんと話を弾ませていく。魚群やら、細かい水槽に入ってるちょっと珍しかったり、逆に近くで獲れたりする海洋生物たちを見ていると、パレオちゃんがポツリと呟いた。

 

「私、元カノさんや松原さんがうらやましいです」

「なんで?」

「千紘さんと過ごす時間が本当に楽しくて、彼女たちはこんな時間を過ごしていたのかなと思うと余計にそう思います」

「多分、楽しいって思ってくれるのパレオちゃんだけだと思うけど」

 

 そう苦笑いをしてしまう。キラキラ目で俺との時間が楽しいとは言うけれど、たぶん元カノも、幼馴染さんも俺との時間が楽しいとは思ってないだろうと思う。逆に元カノに至っては別れた時に散々罵られたし、我慢の連続だったんだろうなぁってのはわかってるけど。

 

「パレオにとってはうらやましいです贅沢です」

「贅沢って」

「元カノさんとは趣味が合わなかっただけかと思います。価値観が合わない、というのはとても……一緒にいて辛いでしょうから」

 

 それはパレオちゃんの実体験、ってことかな? 彼女はいつだって、同じドルオタの中でも価値観が合わないことに苦しんでいた。だからこそ、その価値観を共有できる俺と一緒にいて楽しいと思えるし、そんな価値観の合う相手と話している時間が長い、もしくは長かった元カノさんや幼馴染さんを羨ましいと思える。それだけのことだよな。

 

「……次行こうか」

「え……あ、はい……?」

 

 ちょっと頭が冷えてきた。かわいい女の子と二人きりでの水族館、しかも手を繋いでいるというシチュエーションにちょっと体温を上げ過ぎていたみたいで、価値観が合うという事実は冷や水のようで、丁度よい心地よさがあった。

 まるで温度差で結合が緩くなったように、するりと手が離れていく。けれど俺はそれをさして気にすることなく、次はなんだろうと思ったことそのまま口にしていく。

 

「ペンギンさんですね」

「ペンギン、は幼馴染さんが好きなんだよね」

 

 彼女はペンギンとクラゲが好きらしい。俺と一緒には行ったことないんだけど、やけに熱を上げて語ってくれたのを思い出した。なんでも色々種類があって見分けるのは簡単なんだとか……って全然わかんないんだけど。スマホで調べながら模様を見て確認していると、パレオちゃんに袖を引かれた。

 

「もし」

「ん?」

「松原さんに、水族館に誘われたら……千紘さんはどうしますか?」

「どう、かぁ」

 

 断る理由がないしあの子どうしようもなく方向音痴だしそりゃ心配だからついて行きたいと思うのは自然だ。なんだかんだで幼馴染さんは元カノにフられて心が折れてた時に支えになってくれた三本柱の一だからな。

 

「三本?」

「そう」

 

 再会した幼馴染さん、推しとしてそこにいてくれた千聖ちゃん、そして一緒にオタ活をしてくれたパレオちゃんの三人のこと。だから実はとっても感謝してるし、俺の中では特別な存在だ。きっと千聖ちゃんだけでもダメだったし、幼馴染さんだけでもダメだった。三人いてくれたから俺は今もこうして笑っていられるんだと思う。

 

「パレオも……なんですね」

「当たり前じゃん。特別だよ」

 

 価値観が合ったってだけじゃそこまで仲良くなろうとすら思わないよ。いくら推しとして貢いでくれるくらいに俺にとってあまりに都合が良すぎたとしても、俺はそれを心から信じることができるのは、あの時の俺を救ってくれてるから。

 

「そんな、パレオはなにも……!」

「そっか、パレオちゃんは覚えてないのかも」

 

 何気ない一言だったもんね。

 フられて、オタクが理解できない気持ち悪いって泣き喚かれて、それなのにイベントに来てしまう自分が嫌で嫌で仕方がなくて、そんな時にパレオちゃんに帰り一緒にどうですかと誘われて自虐を大量に吐き出した。でもパレオちゃんは嫌な顔ひとつせずに聞いてくれて、あろうことかその膝を叩いて、どうぞと微笑んだんだ。

 

「あの時はただ頭を撫でてくれて、辛いなら甘えたっていいんですってパレオちゃんは言ってくれたから」

「……その気持ちは、今も変わってません」

「パレオちゃん?」

「ですから……少し、ほんの少しでいいから、千紘さんの世界にパレオを……置いてくださいませんか?」

 

 手を握られる。今度はおずおずとではなく、けどさっきよりも不安そうに。今にも泣きそうなくらいの彼女の感情の出所がわからず、俺は少しだけ困惑してしまう。俺の世界にパレオちゃんはもういるよ。こんな近くにいるのに、一体どうしたんだろう? 

 

「パレオが傍にいたいんです。傍で、あなたの苦しいこと、辛いこと……全部、パレオに預けてほしいんです」

「えっと……?」

「それが、パレオの望みです」

 

 それは、ちょっと前に聴いたパレオちゃんの願いとはまた違ったものだった。前までのパレオちゃんなら、一歩引いたところから俺の推し活を支援してくれて、俺のことを推しだなんて言って笑っていた。踏み込んでこなかった。だけど今の彼女の表情と言葉は確実に、その引いていた一歩を踏み込むものだった。

 泣きそうなくらいに顔をくしゃくしゃにしてるのに、不安そうなのに、俺を見つめる瞳はまっすぐで、どこかにしまってあった気持ちが溢れて止まらなくなしまう。自分でもいつの間にかしまってあったらしい気持ちが引き出されていく。

 

「俺はそれじゃ嫌だ」

「……そう、ですか」

「苦しいことや辛いことばっかりパレオちゃんに押し付けて甘えたくはない。嬉しいことや幸せなことも、パレオちゃんに預けていくから」

「千紘さん……?」

「だから、傍にいて」

「……ぜひ」

 

 冷やされた感情がまた熱されていく。今度はもう冷めてくれないくらいに熱くて、俺はパレオちゃんへの気持ちを強めていく。

 ──俺はこれまでの人生で、誰かを想うってことをサボってたんだなってわかった。幼馴染さんが傍にいて、元カノがいたのにも関わらず……俺は自分の気持ちがなかった。だからフられたのかもね。

 

「……あの」

「ん?」

「よろしければ……次のRASのライブに、千紘さんを招待させていただきたいのです」

「俺を?」

「はい」

 

 つつがなくデートが終わりグッズを買った後の車での提案にパレオちゃんを知ることができるチャンスだと感じた俺はお願いしますとこちらから頼んでおく。

 手はあれからずっと繋いだまま今は俺の膝の上にある。今までとは決定的に違う距離感のパレオちゃんの楽しみにしていますねという笑顔を見ながら音楽をする彼女のこと、もっともっと俺からもパレオちゃんに踏み込んでいくことにした。

 

「演奏するパレオちゃんが見られるの、楽しみにしておくね」

「はいっ! パレオの全身全霊、120%をかけて!」

 

 いつもオタ活をするときに傍にいてくれたパレオちゃん。俺のただただ気持ち悪くもある推し方を、素敵だと笑ってくれたパレオちゃん。

 後輩のようにかわいらしく懐いてくれたれおなちゃん。俺の中で場面ひとつひとつが一つの感情で、糸で結ばれていく。

 もしも彼女が今のように一歩踏み込んでくれなかったら、わからなかった気持ちだった。ただオタクとしての俺を支援してくれるだけの彼女には、そう思わなかった。

 

「ねぇパレオちゃん」

「はい」

「俺、今度こそオタクじゃいられなくなるかも」

「そんなっ、もっと、もっとパレオと一緒にオタ活しましょうよ! お金ですか? チュチュ様に掛け合ってもっといいバイト紹介いたしましょうか!? それともそれともっ、よろしいのでしたらパレオが養うこともできますが!」

「お金の問題じゃないかなぁ」

 

 いやだってね、やめないんだろうけどさ、今度こそ俺はあの界隈の中で最低最悪のコンボを決めようとしているんだから。

 認知勢という厄介オタクの代名詞、その上にこの称号がつき、俺は過去最悪のドルオタに進化する。

 ──認知厄介女オタオタ、ってね。俺はパレオちゃんのことが、鳰原れおなちゃんのことが好きだって、気付いちゃったから。



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推しは推しかもしれないけど

 パレオちゃんへの気持ちに気付いて、少し経ったある日のこと。どうしても意識せずにはいられないということはあるけど、なによりもパレオちゃんの態度があまりにアレでいつも通りだったせいでなんとか普段通り関わることができていた。

 

「海老がピンチという、その時にですね! なんとなんと、大きな蟹が──」

 

 ただ、パレオちゃんともれおなちゃんとも一緒にいることが多くなったのは事実だった。駅までの道を歩きながら他愛のない話を聞いているところだった。ちなみにアニメの話らしいけどなんなのかはサッパリ想像もつかないのはナイショである。

 

「あ……」

「ん?」

「……もう駅かぁと思いまして」

「まぁすぐだからね」

「そうじゃなくてですね」

 

 しゅんと項垂れながられおなちゃんは名残惜しそうに手を繋いでくる。こういう時は本当に意識しすぎちゃってしょうがないんだけどね……でもれおなちゃんの体温が伝わってきて、もっとしゃべっていたいんだろうなぁって思うと、なんていったらいいんだろ。人目とかなかったらぎゅっとしてしまいたいくらいの吸引力がある。

 

「……でも明日のライブ、来ていただけるのを楽しみにしてます」

「行くよ絶対」

「はいっ、ですので……今日は」

「うん」

 

 ここで引き留めるのは明日のれおなちゃんによくないし、ここで留まるのは明日の自分にとって損しかしないことをわかってるから彼女はまた明日、と寂しそうに手を振ってくれる。

 明日はRASのライブで、キーボードを弾く彼女を見られるということもあって少しワクワクしながら眠りについたのだった。

 

「──今更だけどごめん、こんなこと頼んで」

「いいよお。確かに初めての時は私もどうしたらいいのか全然わからなくて大変だったし」

 

 翌日、俺は幼馴染さんと待ち合わせて一緒にライブハウスに向かう。ライブハウスで聴く、という経験をしたことがないから不安だったけどライブハウスで演奏した経験もある幼馴染さんがいてくれたら安心だと俺が頼み込んだのだった。その時はありがとうよろしくねって言っちゃったけどよくよく考えたらそれで済ませちゃいけない気がしたけど、当の幼馴染さんはいつものようににこにこと微笑んでくれるだけだった。

 

「ところでさ」

「ん?」

「……告白はしないの?」

「そんなつもりはないよ……相手、中学生だよまだ」

 

 相談してたから幼馴染さんは当然俺の恋愛のことも知ってるんだけど。そもそもなるべく彼女には隠し事とかしないし嘘は絶対つかないって決めてることもあるからね。

 けど幼馴染さんはでも言って後悔した方がいいんじゃないかなあと少し悲しそうに空を見上げた。

 

「私は、少なくとも言ったほうがよかったなあって思ってるもん、ずっと」

「……ずっと?」

「うん」

 

 元カレ……じゃなさそうだという雰囲気を感じてそれ以上の詮索はやめておく。藪をつついて蛇を出すことはしたくないのでね。そんなことを言っているうちにあっという間にライブハウスに、って割と人いるんだね。

 

「うん。結構いるよ。最近人気急上昇バンドだから」

「へぇ」

 

 ハコもおっきいのにすぐいっぱいになっちゃうらしいし、すごいよねと言う幼馴染さん。ハコ……とは? と疑問符を浮かべてそれがライブハウスのことだとわかったのは中に入ってしばらく経ってからだった。

 

「おー」

「ね? こんな広いところ中々ないんだよ?」

「そうなんだ……」

 

 後ろを振り返りながらいいよねえ、と呟く幼馴染さん。やっぱ彼女もバンドガールの一人なんだなあと思い知らされる。

 同時に、羨ましい。俺にもかつてこんなに夢中になれるものがあったはずなのに、今じゃただアイドルに貢ぐだけのブタさんだからな。

 

「あ、出てきたよ!」

「ホントだ」

 

 ツートンカラーを初めて見る黒と白にしたパレオちゃんが出てきた。おお、カッコいいのにかわいいって特殊なやつだ。というか……ほかの人たちがやや怖そうなの大丈夫かな? ギターのヒトはちっさくてかわいらしくてネコミミヘッドホンの子はもっとちんまい……ってあれがパレオちゃんの言うチュチュ様か。

 後は黒髪のキレイなお姉さんと金髪のあからさまなヤンキーみたいな人は雰囲気あるな……こんな中でパレオちゃんは大丈夫かな、そう思った瞬間だった。

 

「──!」

 

 ビリビリと身体が震えるような感覚だった。圧倒的な迫力と力強さ、そして……俺が思ったのは、楽しそうだなということだった。

 パレオちゃん、すごく飛んで跳ねてかわいくてついつい目で追ってしまう。

 

「……すごいね」

「うん、すごい」

 

 背面で弾いたり、弾いてない間もくるくる回ったり。すごいパフォーマンスが目を引く。それだけ音楽が好きで、かわいいを表現することが好きなんだなぁってことがわかった。

 ──目を奪われる。パレオちゃんに、そしてこの音楽の世界に。引きずり込まれていく。

 

「そっか……これが、キミの」

「……花音」

「すごいね。キラキラしてる……」

 

 うん、キラキラしてる。俺の好きになった人はすごくキラキラしていて、ふと俺に気付いて満面の笑みで手を振ってくれて……すごく、なんというか好きって気持ちが溢れていくようだった。

 胸が苦しくなる。彼女はすぐ近くにいるようで、遠くの存在なんだなと思い知らされた。

 

「お待たせしました!」

「大丈夫」

 

 ライブが終わってしばらくした頃、迎えに千聖さんと一緒に花音が先に帰っていって、俺は言われた通りグッズショップの辺りで待っているとパレオちゃんが駆け寄ってくる。わーっと抱き着かれるかという勢いだったけれど、ぴたと止まった感じで、そこもまたかわいらしくて笑ってしまう。

 どうしてこうれおなちゃんの時はちょっと控えめなところがあるのにさってところもまた笑えるポイントだ。

 

「あなたがパレオの……なんだったっけ?」

「推しですチュチュ様!」

「……だそうね」

「ちゅ、チュチュ……さん?」

 

 そんな俺とパレオちゃんの二人で笑みを交わしている時間に表れたのはチュチュさんだけじゃなくて、ほかの三人も……RASが勢ぞろいだった。

 え、え? なんでここに? というか間近で見るとレイヤとマスキングはやっぱりヤンキーだよ怖いんだけど。

 

「なるほどな、お前が」

「えっと……」

 

 マスキングさんがじろりとこちらを睨みつけるように見てくる。ひえ……ちょっと待って俺なんか目をつけられるようなことしましたっけ? 後ろではその様子をちょい苦笑いをしているロックさん。いやいや笑ってないで助けて。もしかして彼女もコッチ系なの? 

 

「ふーん、ほらパレオ」

「わっ」

「言うことあんだろ?」

「……はい」

 

 言うこと? マスキングさんに押し出されたパレオちゃんは恥ずかしそうに、けれど覚悟を決めたように頷いた。

 いつものように俺の手を握って、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「今日のライブ、いかがでしたでしょうか」

「カッコよかった。RASってあんなにビリビリくるもんだったんだね」

「はい」

「あーでも」

「でも?」

「パレオちゃんはかわいかった」

「それはよかったです……」

 

 ふわりと、ほっと安心したようにパレオちゃんは笑ってくれた。カッコいいって言葉にちょっと不安そうな顔をしたけど、本当にパレオちゃんは……彼女はかわいいことに誇りを持っているんだなってことがわかる。

 

「実は……ですね。今日はチュチュ様に許可をいただいてRASのために弾かなかったのです」

「……どういうこと?」

 

 RASのためではない、ということはどういうことだ? いつだってチュチュ様の求める音楽を、全力でぶつけて表現することがこれまでのパレオでした、とまたゆっくりと言葉が紡がれていく。パレオちゃんの言葉であり、れおなちゃんの言葉。彼女のすべてが詰め込まれた言葉を俺は頷いて聴いていく。

 

「でも今日だけは、どうしてもパレオの、私の……想いを伝えたくて」

「……想い?」

「──ずっと、ずっと好きなんです。千紘さんのことが、大好きです……!」

 

 そっか、と納得がいった。あの元気な姿は、弾けるような笑顔は……俺への想いを伝えたくて、だったんだ。いつも跳ねてるけど今日はまた一段と輝てたぜ、とマスキングさんに補足され、俺はなんとか声を絞りだした。緊張する。というかRASのメンツ勢ぞろいなのに告白しくるってパレオちゃんの度胸がすごいよ。それに俺も応えるように、手を握り返していく。

 

「俺もだ。俺も、好きだよ」

「千紘さん……でも、私」

「いいじゃん。別に俺はアイドルじゃない。だいたい推してくれるのすらパレオちゃんだけだし、一人だけならガチ恋でもいいんじゃないかな?」

「……でしたら、その言葉に……甘えてしまってもよろしいでしょうか」

 

 まるで泣き笑いのようなくしゃりとはにかむパレオちゃんに、これが片想いじゃないって事実が俺の鼓動を速めていく。さっきまで気になっていたパレオちゃんの後ろの四人も気にならないくらいに二人の世界が創られていく。そのままぎゅっと抱きしめたい衝動に駆られて、パレオちゃんもそっと腕を──

 

「──んんっ」

「はっ、す、すみませんチュチュ様!」

 

 そんなラブロマンスと二人だけの脆くも儚い世界はネコミミヘッドホンの少女の咳払い一つで崩れ去ってしまう。

 そしてチュチュさんは俺の前にやってきて悪いけれど、と若干険のある表情をされてしまう。

 

「パレオを」

「はい?」

「ウチのれおなを泣かせるんじゃないわよ。彼女はRASにとって必要なの! それをアンタに譲ってやるんだから、感謝しなさい!」

「チュチュ様~、別にRASはやめたりしませんよ?」

「そうじゃなくて!」

 

 ──チュチュ様、ちゆは私を暗闇から救ってくれた。私に光を見せてくれた。だから、私がずっとずっと、お仕えするんです。

 そう言っていたパレオちゃんだったけど、彼女もまた、パレオちゃんのことを大事に思ってる人の一人なんだ。

 

「そうだぞ! パレオはな、めちゃくちゃかわいくて……えっととにかくかわいいんだ! そんなコイツに好かれてるってこともっと誇れよ!」

「ますき……相手年上だよ?」

「あ!? マジか!」

「三年生ですってパレオさん言ってたじゃないですか~!」

 

 え、この人たち全員年下なの!? うっわまじか……あとチュチュさんとパレオちゃんがトシが一緒なのは知ってたけど……見えない。特に一つ下らしいレイヤさんとマスキングさんは特に見えない。

 

「千紘さん、でよかったよね」

「はい?」

「RAS、カッコいいって言ってくれてありがと。また、遊びに来てね」

「……はい」

 

 その言葉とロックちゃんのお辞儀を最後に四人は先に帰るからなと去っていく。チュチュさんだけはまだ終わりじゃないわよ! とか言ってたけど強制的に、そしてまた二人きりになった。今度は邪魔のされないくらい、二人きりの世界に。

 

「賑やかだね」

「はい! みなさんとっても個性的で、楽しいですよ!」

「そっか」

「はい……ところで、どちらに向かわれてるのですか?」

「駅だけど……?」

「もう終電ないですよ?」

 

 はい? と俺はパレオちゃんを振り返る。調べてみるとマジだった。九時でもう終わりじゃんか! ライブはいつもチュチュ様のおうちでお泊りなんです! と屈託のない顔で笑うパレオちゃんだが、じゃあどうするのさ。終電がない、チュチュ様のおうちは使えないってなるともう俺の頭の中にはそんなに選択肢がないんだけど。

 

「なにがあります?」

「ビジホか、漫喫?」

「漫喫はパレオ泊まれませんよ~?」

 

 ビジホも親の許可がないと泊まれないということで、俺は自分の顔が青ざめるのがわかった。つまり選択肢は一択じゃない? というかそもそもライブでこの時間までっていうのもアレじゃない? そっちの年齢制限って大丈夫なの? 

 

「十時前ですのでギリギリオッケーですね」

「そうなんだ」

 

 忘れがちなんだけどパレオちゃん十三歳なんだよね……四つ下なんだよな。あれ、なんだか急に恋人同士とか付き合うというのに躊躇いを感じるようになってきた。四つってハードル高くない? それは俺もまだ子どもだから? 

 ──そんな風におろおろしていたら、パレオちゃんはむっとしたように手をにぎにぎしてくる。

 

「そこで泊まる? と言ってほしいです」

「……え、でも」

「やましいこと、したりしませんよね?」

「う、うんもちろん」

 

 想いを伝えあって即、だなんてノリがそもそも認知厄介キモオタの俺にあるわけないし。なんならこの触れ合いだけでやや満足してるところまであるのにさ。

 それなら、大丈夫ですねとパレオちゃんは足を進めていく。大丈夫って、俺の家? 

 

「ちゃんとご両親に挨拶しませんと! カラーは……イエローとピンクでいいですかね!」

「いや地毛かな……流石に」

「地毛……うう、それは……お義父さまとお義母さまに会うのに、失礼ではないでしょうか?」

 

 確かにパレオちゃんからすると推しカラーで正装するのは当然なのかも。でも両親からしたら突然やってきた女の子が黄色とピンクのツインテがやってきた方がびっくりするって。そしてなにやらお父さまとお母さまの響きになにか含みがあった気がするがはて……? あと俺のイメージカラー黄色ともう一つピンクなんだ。

 

「あ、いえ……確かに黄色は千聖ちゃん正装する千紘さんから来ていますけど」

「ん?」

「ピンクは……パレオの、カラーです」

「……そっか」

 

 うーんかわいいね! 推されてるだけじゃわからなかったパレオちゃんの色々な表情が見れて、俺はすごく幸せな気分を味わってるよ。

 結局折れて黒髪優等生モードの彼女を父さんと母さんに紹介して、何事もなく一夜を乗り切ったのだった。ロリコンじゃないから囃し立てないで。というかこんな魅力的な子がまだ十三歳なのが悪いんだよ! と口に出せるようになるのは、もう半年ほど先の話なのですが。

 ──とりあえず、彼女が泊まった時の話を端的に表すとオタクに推しとして推されるのはいいけど、別にパンツが見たいわけじゃないからね! 

 

 なんとしてでも、推しは推しのまま推したい! けどパンツは見たい! ツートンEND! Thank you for reading.



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おまわりさんは怠惰でいいよ

パレオ誕生日です。遅刻しました☆


 パスパレの白鷺千聖ちゃん担当で厄介認知勢の気持ち悪いドルオタ、それだけで白崎千紘というパーソナリティはおおよそ75%が埋まると言っても過言じゃない。実際にアルバイトも、服の値札に頭を悩ませながら買い物をするのも、体型を頑張って維持してるのも、髪の毛をいい感じにいじくるのも、全部が千聖ちゃんに生理的な嫌悪感を抱かせないためにしていることだ。いや体型維持そのものは残りの25%であるフットサルにも関係してることなんだけどね。

 そんなクソキモドルオタの俺には現在、とんでもなく大きな秘密を持っている。それは、もうすぐ大学生になろうというのに中学生と付き合ってるということだ。おまわりさんぼくです。

 

「千紘さん、お迎えにあがりました!」

「お、おお……おはよう、パレオ」

「はい、おはようございます!」

 

 それが彼女、ぱっと見た目ですぐに覚えられるツートンカラーのツインテールが特徴のかわいらしさ全開少女、パレオちゃん。本名は鳰原(にゅうばら)令王那(れおな)と言うんだけど、彼女的には基本的にはパレオと呼んでほしいらしいから、基本はパレオかパレオちゃんって呼んでる。

 

「それでは出発致しましょう!」

「おー」

 

 もはや慣れ親しんでしまったパレオちゃんのご主人様、チュチュさんからの借り物である推し活カーに乗り込み、長距離移動をし始める。新幹線という手もあったらしいがパレオちゃん的にはこの移動時間にパスパレのライブを流せるというメリットが捨てられないらしい。俺も捨てられない。

 

「……それと」

「それと、他にも目的が?」

「パレオ的には、道中ふたりきりというのが捨てがたかったので……えへへ」

 

 はい天使、パレオちゃんマジ天使。ふたりきりじゃなくて運転手さんいますよーとかいうのはこの際関係なく傍にやってきて肩に頬を押し付けてくるパレオちゃん、かわいいがすぎるが。付き合い始めてからそこそこ経ったから言えることではあるけど、パレオちゃんのためならロリコンの誹りを受けたって構わないし女オタオタと呼ばれようが気にしない。

 

「俺も、これなら新幹線よりお得だって思うからいいんじゃないかな?」

「……あ、千紘、さん……」

 

 ちょっとロマンス的にキスをしてみて、だいぶ慣れてきたなぁと思う。パレオちゃんも心なしかそんな不意打ちにトロンとした顔をしていて、そんな雰囲気がピンク色になったところで、若いカップル、広い車内、ふたりきりの空間、何も起こらないはずもなく。

 

「う……ううっ、あやちゃん……こっちまで泣けてきちゃいますぅ……」

「周年ライブは神、何度見ても神としか言えない」

「それな、です〜」

「この千聖ちゃんがちょっとうるっとしてるところがなぁ……!」

「わかります〜、普段の千聖さんを知ってるとより、きますよね〜」

「……まぁ悔しいけどそう」

「そこでスンってなるところが千紘さんらしいと言いますか……」

 

 この空間で若いカップルがヤることと言ったらそう──パスパレのアニバーサリーライブを眺めててぇてぇに浸ることしかない。むしろそれ以外に何も思いつかん。あやちさてぇてぇなぁ。

 ちなみに幼馴染さん、花音の親友である千聖さんとパスパレで俺の永遠にして不朽の推し、千聖ちゃんは俺の中で未だ別物として扱いたい気持ちが強いため微妙な顔になる。

 

「ところで、本日は珍しいですよね?」

「何が?」

「本人がやってくるとはいえ、ヒロ様がこのような都心圏外のミニイベントに行きたがること、ほぼないじゃないですか」

「ん? ああ確かにね」

「限定グッズも、パレオを頼りにされるか通販されますのに」

「まぁそっちのが便利だからね」

 

 ならどうして、とでも続けたくなるようにライブ映像ではなく俺をじっと見上げてくるパレオちゃん。対して俺は()()()()()()()があり、それを彼女に知られるわけにもいかないので話がそれるように受け答えをしていく。

 

「デートも兼ねてるから、かな?」

「さ、さすがに……それは、オタクとしてどうかと思います……」

「不意打ちでちょっと照れてる、と」

「なら……デートらしいのも期待して、よろしいのですか?」

「それは……例えば?」

「例えば、画面ではなく……パレオだけを見てくださる、とか」

 

 それだけじゃなくてパレオちゃんと手を繋いで買い物やら、ご飯やらは期待してもらっていいと思う。というかやっぱりオタクとか言いつつもふたりきりの時は自分を見てほしくなっちゃうものなんだろうか女の子って。そしてパレオちゃんが恋人らしさを求めて来る時にはいつも思うんだけど、この子は本当に中学生なのだろうか。中学生の時の同級生ってこんなにかわいかったっけ? いや元カノとか比べ物にならんくらいかわいいと思う。パレオは最高にかわいいからね。

 

「わがままなパレオを、千紘さんは、かわいいとおっしゃるのですね」

「まぁ、かわいくないパレオいないし、俺の中に」

「うう、そこで呼び捨てはずるいです」

「ほら、ガチ恋勢へのご褒美をあげないとね、おいで」

「……千紘さん、最近は本当に女の扱いに慣れてしまってきていますね」

 

 (パレオ)の扱いに、だけどね。付き合ったはいいものの最近は受験やらでバタバタしてたから、こうしてゆっくりと二人で過ごせるのも久しぶりだったりするから、その分待っててくれたご褒美はちゃんとあげないと。膝の上にやってきたパレオを抱き寄せると素直に甘えてくれる。ああもう本当に、俺ロリコンでいいです。そう思えるくらいにパレオが愛おしかった。

 

「今日は、そのまま現地にお泊りなので」

「うん、そうだったね」

「ちょっとだけ、気合を入れておきました」

 

 短めのスカートをめくり、頼んでないのに黒くてちょっと大人っぽいパンツをあらわにするパレオ。懺悔しますが俺は中学生にパンツを見せられて喜ぶ変態です。いつものかわいいを基調としたパレオちゃんのパターンとは全く別種の、あるいは少女ではなく女性としてのパレオちゃんの成長、羽化を見てしまったかのような──もうこれ優勝でいいよ。はい優勝、おまわりさんぼくですけど合意なのでセーフですよね? 

 

 

 


 

 

 

 

 

 ──はっきり言って、今回の限定イベントのグッズは大当たりの部類だと思う。ブロマイドも缶バッチもカメラマンの腕がよかったのかすごく映え映えだった。千聖ちゃんマジで透明感があって、ああもうマジで、神はここにいたのかというような、自分で持ち歩いてるブロマイドのケースとファイルを本気でそろそろ収納から神棚に移動させようか悩むレベルだ。

 

「レートは甘く見積もって四倍くらいでしょうか」

「えぐいな、現地でよかった」

「現地でなくてもパレオがおりますよヒロ様♡」

「いや、パレオちゃんに頼りきりはよくない」

「そんな! 自分で歩かなくてよろしいのですよ? パレオがずっとずっと、推して差し上げますから〜♪」

 

 いやダメにしてこようとするな。積極的に推しをダメ人間にしようとしてくるの怖すぎだろ。

 そんなパレオがご機嫌な理由はグッズの当たり具合もそうなのだろうけど、やっぱりミニイベが終わった夕方からゆっくり現地を観光というかデートできていることなのだろう。

 

「正直パレオ、千紘さんと腕組んで歩けるだけで蕩けそうなくらい幸せです!」

「俺はパレオがそれだけで幸せそうで幸せだよ」

「‥……それなら、パレオは安心です」

 

 デートと言ってもイベントがあったビルの近くにある大きな駅周辺の街中や駅の中にある商業施設を歩くだけで、これなら都心から出た意味がないかのように思えるが、そうじゃない。

 そもそもパレオと一緒に駅を歩くことも少ないからっていうのが大きな理由だ。そもそも冒頭で言ったけど、中学生と付き合ってるってバレたら通報されかねない案件だから大多数の人間には秘密にしてるんだよね、パレオとの関係を。

 

「その点出先ならほぼ気にする必要ないから」

「四年の隙間は、遠いですね」

「……うん」

 

 俺だって、もっと堂々とデートしたい。パレオは俺のカノジョですよって言っていたい。でも、高校生が──しかもよりによってあと一週間もすれば高校生でなく大学生になる俺が、一週間経ってもまだ中学生のパレオと付き合ってるというのは、何よりもパレオにいらない世話を掛ける。俺なんて批難されてロリコンと揶揄され、石を投げられるだけで済む。

 ──でもパレオは、パレオは俺という最低なロリコン男に騙された()()()()()な女の子になってしまう。パレオが泣きながら好きだと、傍にいたいと告白してきたそれを、かわいそうってとんでもなく無責任な言葉で片付けてしまう。そんな無責任さから、俺は彼女を守ってあげたいと思った。

 

「それじゃあそろそろ、ホテルに戻ろうか。レストランも予約してるし」

「はい」

 

 一通り楽しんで、イチャイチャして、それからレストランへとやってきた。髪色そのままでいいよと言われたせいなのかご機嫌そうにツートンカラーのツインテールを揺らしながら隣を歩いて、ホテル内のレストランのエントランスにパレオが入ると、パンッと乾いた破裂音のようなものがした。

 

「──え?」

「せーっの!」

「パレオちゃん、お誕生日おめでとう!」

「え、えっ……ええええ!?」

 

 まぁ正確には日付が変わる四時間後になるんだけど、俺がこのイベントを知った時にチュチュさんにこっそり頼んで、パレオちゃんの誕生日を祝ってくれるサプライズのパーティを予定していたのだった。ゲストには彼女は来てくれなかったけれど、そこには恐らくパレオが泣き崩れそうになるだけのサプライズが待っていた。

 

「パレオさん、いつもイベント参加してくれてありがとうございますっ!」

「フヘヘ、ジブンもささやかながらサプライズのお手伝いをさせていただきました」

「パレちゃんへのプレゼントもあるよ!」

「あ、え……そんな、こんな、こんな贅沢なこと、も、もしかして夢……?」

「あら、夢ではあるんじゃないかしら? オタクがアイドルに囲まれて誕生日を祝ってもらえるんだもの」

「喜んでくれて嬉しいなっ! でも、これを考えたのは千紘くんだから!」

 

 今日ほど、今日ほど本気で俺がパスパレのオタクの風上にも置けないくらいアイドルとプライベートで知り合いであることを感謝した時はなかったよ。そしてパレオがパスパレみんなに認知されてることも。

 というか千聖さんに相談して、最初は千聖さんだけがお祝いしてくれる予定だったのに、彩が割り込んできたと思ったらあっという間に、こんな贅沢なサプライズパーティになったんだから彩の発案でしょう。

 

「千紘さん……パレオ、パレオは……私は」

「ほら、いいんだよ、一日前とはいえ誕生日なんだから、贅沢してさ」

「パレちゃんのために用意したケーキあるよ!」

「とっても大きなケーキです!」

「わぁ……」

「ところでこれ、私たちだけで食べられるのかしら?」

「さ、さぁ……チュチュさん、やりすぎだよ」

 

 まるでメリーゴーランドのような装飾がつけられた──これ何号ケーキ? 俺の両腕に収まりきらないくらいの直径のケーキが中央には置いてあった。十四本のロウソクが飾られており、淡いパステルカラーのピンクと水色、黄色、緑、紫で埋め尽くされた配色が、パレオのかわいいと好きが詰め込まれているようだった。

 ──息を吹きかけ、一つ一つを消し、そして拍手が場を満たした。

 

「こんな、こんな幸せでいいんでしょうか……!」

「いいよいいよ! 誕生日おめでとうパレちゃん!」

「おめでとうパレオちゃん!」

「あ、ありがとうございます……っ!」

 

 すごく嬉しそうで幸せそうでよかった、と頷いていると後ろから咳払いと肘で突かれる。そこにいたのは千聖さんで、どうしたんだろうとそちらに目を向けると小さな、俺にしか聴こえない声で表情と口をほぼ動かすことなく話しかけてきた。その能力なんなの。

 

「よかったわね」

「本当に、よかった」

「ふふ、あなたは……そんな顔をするのね」

「え、どんな顔?」

「教えてあげないわ」

 

 え、めっちゃ意地悪言われて落ち込んでしまった。こうプライベートは幼馴染の親友として頼りさせてもらってたのに。

 千聖さんはそんな俺の抗議に対して意に介さずに、パレオに抱きついているイヴちゃんと日菜ちゃんを引き剥がしに向かったことで、入れ替わりでパレオがやってきた。

 

「千紘さん……っ!」

「楽しそうで、なにより」

「こんな楽しい誕生日パーティは、初めてです!」

 

 よかった、本当に。俺の初めてのサプライズはとんでもなく大成功を収めたことがパレオちゃんの顔でよくよく伝わった。誰かのために何かをするって経験が足りなくて、どうしようかと散々頭を悩ませていたから、正直ほっとしてる。

 ──だけど、パレオは急に不安そうな顔をして、俺は首を傾げた。

 

「どうしたの?」

「あ……い、いえ」

「ん?」

 

 ただ答えは得られず、パレオちゃんは彩のところに行ってしまった。まぁとりあえず、俺は満足感に浸りつつはしゃぐ少女たちを眺めてほっこりしていたのだった。

 よくよく考えると気持ち悪いけど、時々は彩とか千聖さんとかが話しかけてきてくれるからまぁ空気にならずには済んだかもしれない。

 

「はぁ、食べたねパレオちゃん」

「はい」

「……なんか、元気ない? なんか、嫌だった?」

「あ、いいえ! 嬉しくて、幸せでした! とっても、とっても……」

 

 とは言いつつ、ホテルの部屋に戻ってもパレオちゃんの表情は決して晴れているとはいえなかった。

 もしかして、なんかやらかしたか? それともパレオちゃん的には推しに誕生日を祝ってもらうのが解釈違いだったか? そんな風にオロオロしていると、パレオは泣きそうな顔に見えた。

 

「──パレオ、先にお風呂いただいてもよろしいですか?」

「あ、あーうん、行ってらっしゃい」

 

 そのままお風呂に入ってるのを待っている間、考えていたけどわからなくて、わからないままパレオちゃんが──ウィッグを外して腰くらいまで届くんじゃないかってくらい長い黒髪を降ろしたパレオちゃんが、なにやら刺激的な姿で表れた。

 下着がスケスケ、というか、パンツ紐だ。面積も少ないそのピンクのパンツとおそろいな感じの胸以外は半透明の上は、えっと確かネグリジェだっけ、そんな格好だった。

 

「ぱ、パレオ……ちゃん?」

「パレオは、私は……確かにドルオタです。どうしようもなく」

「うん……」

「ですから、パレオは、()()()()あのパーティでとても幸せでした」

「……なら」

「同時に、ドルオタであると同時に──私は、千紘さんの、恋人です」

「うん」

「ですけど……私は恋人に誕生日を祝ってほしいと思うのは、私だけを見てほしいと願うのは、わがままでしょうか?」

 

 その言葉に泣きそうな、けれど必死な顔で、パレオは、れおなちゃんは俺に抱きついてくる。

 ──恋人として祝ってあげてない。確かに、俺から、俺だけの気持ちでおめでとうは言ってない。俺は、パスパレのみんなを使って言わせただけだ。恋人としては、なんにもしてあげてないにも等しかった。

 

「ごめん、れおなちゃん」

「……千紘、さん」

「俺は、なんてバカなんだろうな……これで、これがプレゼントだなんて本気でバカなこと考えてた」

「……そう、だったのですね」

 

 でも、それじゃダメだった。それじゃ、彼女は満足しなかった。

 パレオが、れおなちゃんが求めていたのは、俺からのプレゼントであり、俺からのお祝いだった。だから、だからこそ、彼女は不満げだったし悲しげだったのだ。

 ──これだけなのですか? 本当は、そう言いたくて仕方がなかったんだ。

 

「明日も」

「はい?」

「明日も、デートしよう。帰りは遅くなっちゃうけど」

「は、はい……!」

「そして、改めてお祝いするよ……車の中でもいいなら」

「もちろんです! 帰りは二人でケーキを食べたいです!」

「うん、わかった」

 

 でも俺のミスを彼女はこうやって笑って許してくれる。明日への期待に変えてくれる。

 安堵した彼女が離れたことで、入れ替わりでお風呂に入って、ハーフパンツとシャツというラフな格好で戻ると既に彼女の髪はツートンに、黄色とピンクに変わって、恐らく散らばったり引掛かかったりしないようにお団子でまとまっていた。

 

「ちひろさんっ」

「わ、ところで聞きそびれたんだけど……その格好は」

「パレオなりの、覚悟……というか、ホテルのお泊りということだったので、パンツの色(シチュエーション)を変えてみたいと思いまして」

 

 すごい、パンツの色って書いてシチュエーションって読むんだ、勉強になるなぁ。というか変わってるの色だけじゃなくて、何もかもなんだけど、パンツがギリギリ隠れないくらいのネグリジェは夜の街明かりだけでもスケスケの透明感があり、彼女の腰回りやお尻周りのシルエットをより、俺に意識させていた。

 

「パレオの誕生日なのに、いいのかな?」

「むしろこの上ないプレゼントです……千紘さんの愛をいただけるのですから♡」

 

 日付が変わるタイミングでパレオを抱き、唇から愛を分け合う。翌日のデートでアクセサリまで買ってしまって、これが千紘さんからの首輪なんですねとか言うと本気で犯罪じみてきてしまうのでやめてほしい。ああもう昨晩のことを考えれば犯罪者でいいや、もうロリコンでも変態でも最低犯罪者でもなんとでも呼びやがれとヤケになりそう。おまわりさん、どうか俺のことを見つけないでくださいね。

 

 

 

 




パレオの呼び方が安定してないのは恋人とオタ友の狭間だからという解釈でお願いします。


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【松原花音】スカイブルールート(FD追加ルート)
幼馴染で、一番距離が近いからこそ


 ずっと一緒だった。あまりにずっと一緒で、ずっと遊んでる時間が長かったから、これからも一緒だと信じて疑っていなかった。けど、小学生の頃色々あって私は花女の中等部に進学することになって、離れ離れになった。それでも、ずっと一緒だと思っていた。

 

「千紘くん、なに読んでるの?」

「……別に、なんだっていいでしょ」

「そ、そっか……そうだよね」

 

 けど、小学生の高学年頃から彼は表紙にかわいらしい女の子のイラストが大きく描かれた、なんだか長いタイトルの小説を読みだした。それがライトノベル、というジャンルだということを知ったのはそれから少ししてからだった。

 

「その本、面白いの?」

「お前には関係ない」

「……ごめん」

 

 図書館で会うたびに私は話しかけたけれど、進学先が別れたら急にこんな風に棘のある態度を取られてしまう。ううん、その原因も知ってた。卒業前、クラスの女の子はみんな寄って集って……一部の男の子もだったかな、彼をオタクだと言って気味悪がったせいだ。

 それまでサッカーが上手で足が速くて人気者だった彼は、一瞬でそのレッテルによって多数の裏切りを見てきたから。

 

「あの、それさ」

「そういうのいい」

「──っ」

 

 それでも私はなんとか一緒にいたくて、千紘くんから話が聞きたくて、読んでるものについて問いかけようとした時だった。

 今までよりも冷たくて鋭い声が私の身体を縫い留める。それ以上進んでくるなと言われているように、ナイフを突きつけられるような声で。

 

「どうせこんなの女子から見たらキモイだけでしょ。わかりたくもないくせに無理して聞かなくていいよ」

「そんなこと……私」

 

 うまく声が出ない。泣きそうだった。でもそれ以上に私も他の子たちと同じだと思われてることがつらくて、悔しくて、私は唇を噛み締めた。ウザそうにどこかへ去ろうとしてしまう千紘くんに掛ける言葉もないことが、でも本当に無理して話題を探そうとしてる浅ましい自分が、どうしても許せなくて。

 ──その時だけ神様は、私に踏み出す勇気をくれた。千紘くんを傷つけるだけじゃなくて、一緒に傷つく勇気を、その時だけは。

 

「キモくないよ」

「……は?」

「だって……私は、私ね……千紘くんが、好きだから」

 

 好きだから知りたいんだよ。好きだからキミのことを知りたい。キミが好きなものを知りたい。そうやって共有して話を聞いて、ずっと一緒にいたい。そうやって自分が頑張らないと、キミと一緒にいられないんだったら私は、頑張るから。

 ──絶対、絶対……誰にもあげないから。

 

「これが、中学の頃の千紘くんに告白した話なんだ」

「……サラリと重たいわね」

 

 それから何年かが過ぎた頃、私は親友の白鷺千聖ちゃんとカフェでお茶をしていた。お話に上げるのはもちろん私の大好きな幼馴染くんのこと。白崎千紘くん、なんだか名前が似てるわねって千聖ちゃんに笑われる。確かに似てるね、そっくり。

 

「それで、そのカレシが?」

「か、カレシじゃ……ないよお。幼馴染だもん」

「両想いじゃないの?」

「わかんない。私の片想い、だと思うけど」

 

 高校生になって、私の通う花女の高等部からちょっと離れた共学に通う千紘くんとはなんとか疎遠にならずに済んでる。バイトするんだって言ったらバイト? お前が? 迷子にならない? とすごく心配されて、今でも時間があるとファストフード店に来てポテトを食べる人になってる。そういうところはもしかしたら……なんて考えちゃうんだけど、あの人知り合いにはすごく優しいところあるから。

 

「惚気を吐き出すならせめて付き合ってからにしなさい」

「で、でも千紘くん……最近パスパレにハマってて」

「……あら、そうなの?」

「しかも千聖ちゃん推しだー……って」

「ふふ、なにそれ」

 

 私はまだ親友が千聖ちゃんだよとは教えてない。なんか目の色変えられたら妬いちゃう自信あるし、なにより千聖ちゃんから認知もらってるんだぜって興奮気味に教えてくれた時はいよいよこれは千聖ちゃんに釘を刺さなくちゃいけない時が来たのかなあって。

 

「……別に取らないわよ」

「ホント? 千紘くん優しいしそれなりにカッコいいとこもあるし普段はすごくオタクなクセになんかふとした時にそれっぽくないとこ出してくるしなにより──」

「花音、花音?」

「ん?」

「オタク特有の早口出てるわよ」

「……私は違うもん」

 

 でも絶対千聖ちゃん千紘くんのこと知ってるでしょ? 今さっきの名前聞いたリアクションも実は知ってたけれど余計なことは言わなくていいから初めて聞いたってテンションにしておこうかしらの反応だもんね? 

 

「そうね……ごめんなさい」

「謝らなくていいよお、アイドルさんだもん。お外で男の人の話をしたらまずいもんね」

「ええそれがわかるならもう少し配慮してもらえるかしら?」

 

 こんな風に私と千聖ちゃんはとっても仲良しさんです。仲良しさんですよ。

 苦々しい顔をしていた千聖ちゃんは追加でケーキを注文して、私も一緒に注文しておく。やがて届けられたケーキと紅茶のおかわりを順に口につけてから、千聖ちゃんははぁと溜息をついた。

 

「……ようやく売れ出したところなのに不用意にいつも来てくれるオタ……ファンのことを外でベラベラしゃべるわけにはいかないじゃない」

「たとえ私でも?」

「ええ、それがプロなの」

 

 ちょっと納得できないところはあったけど、芸能とかは私の知る世界じゃないから千聖ちゃんの言葉に頷いておく。アイドルに男の影はあってはいけない。確か千紘くんもそんなこと言ってた気がする。

 

「俺は気にしないけど……いやちょっと寂しくなるかも。ただそうじゃなくて、それを是としない雰囲気があって、もしかしたら推しが干されるのかと思うと歓迎はしたくない」

 

 アイドルは清楚でなければならない。それがなんで処女じゃないといけないとかいうのに繋がるのかは全然理解できなかったけど、好きな人に好きな人がいたら悲しいってこと? と問いかけたら違うと怒られた。

 

「似たようなものよ」

「そうなの?」

「誰だって……本気で向き合ってほしいものでしょ、自分に」

「うん」

 

 人と人との関わりだから営業であることを知られすぎてはいけないのよと千聖ちゃんが片肘で頬杖を突きながらまるで愚痴のようにつぶやいた。

 うーん、つまりアイドルはみんな私が千聖ちゃんとお話するように見せなきゃダメってことなのかな? 

 それはつらいよね……どっちもお仕事には変わりないのにアルバイトの接客はいわば営業で、アイドルはそれであっちゃいけないだなんて。

 

「でも」

「うん?」

「彼が、そういう気持ちで、気にしないと言ってくれたのは少し……嬉しいわね」

「あげないよ」

「いらないわよ」

 

 そんなこと言ってもしも、ふとした時に千聖ちゃんが彼のこと気に入っちゃって恋のライバルになったら勝てる自信がないんだもん。相手は彼の推しで……こういう言い方はオタクのヒトによくないってわかってるけど私よりも優先して会いに行っちゃう人なんだもん。

 

「オタクはその辺きっちりしているから、恋愛の好きと推しへの好きは別のはずよ。ガチ恋じゃなければ」

「それは違うって」

 

 推しは推しとして推したい、というのが彼の言葉だからね。それでも好きな男の子が夢中になってる女の子って存在がもうなんだかむっとしちゃうんだよ。私ってどうやら嫉妬深いらしくて。

 

「そうなのね」

「うん。中学の時もね、部活のマネージャーがすっごくアピールしてきたんだって。告白もされてたみたい」

「へぇ……というかサッカー部というのが意外だわ」

「ケガで中学の途中からやってなくて今はフットサルだけどね」

 

 部員も結構いたのに一年生の時からユニフォームもらってたからそれなりに実力はあったみたい。その入院前に告白されてたみたい。その時の私は……今考えたら本当に重たくて、嫌な子だったなあって思っちゃうんだよね。

 

「なにしたの?」

「えっと……病院で泣いちゃって」

「そう」

「いかないでって、ちょっと過呼吸気味になって」

「……そう」

 

 流石の千聖ちゃんもドン引きしちゃってて……ごめんね。

 でも、ちゃんと断ってくれてて……くれててって言い方もちょっとアレかもしれないけど、カノジョじゃないし。

 

「だから付き合いなさいよ」

「だからそういうのはまだだってばあ」

「まだってなにがよ」

 

 呆れられてるよお。でもまだなんだよ……なんとなくだけどまだなの。そんなことを言っていたらだから他の女にとられそうになるのよと鋭い言葉を胸に刺されてしまう。それはダメだよ、私が千紘くんのカノジョになるなんて。

 

「なんなのよ……まったく」

 

 そうやって溜息をついた千聖ちゃんはそろそろ帰るわよと立ち上がった。

 そうだった、帰らないと。今日は千紘くんのご両親が、といっても時期が時期でいつも遅くなっちゃうんだけど、そういう時は千紘くん夜ごはんが壊滅するから。

 

「……なんで付き合ってないのよ」

 

 なんで? だってこれは私が勝手にしてるだけだもん。恋してるとかそういうの抜きで幼馴染として心配なんだもん。

 また呆れられるんだけど、私は何かおかしいのかな? 千聖ちゃんはそれ以上は何も言わなかった。

 

「……それじゃあ」

「ええ」

 

 別れてからちょっと歩くとスマホが鳴って今どこ? と連絡を入れてくれる。もう家の前だよおと返事をした。

 彼が家から半ば飛び出すように出てきたのはそれからすぐのことだった。びっくりしたような顔で私の前に来てから、ちょっとだけ怒ったような顔でおかえりと呟いてくれる。

 

「花音はすぐ迷子になるんだから俺が迎えに行くってば」

「ううん、大丈夫だったでしょ?」

「……もう」

 

 ほら、と促され通い慣れた白崎家におじゃまする。家に彼しかいないシンとした空気に、電気がついて私はリビングに荷物を置かせてもらう。冷蔵庫に何があるかなと確認すると鶏肉でおばさんの字でこれを使ってねと書いてあった。私向け、だよね千紘くん料理できないもんね。

 

「なんかあった?」

「うん。唐揚げにしようかなって」

「お、うまそう。じゃあ作ってる間米洗っとくよ」

「お願いね」

 

 任せとけと笑う千紘くんとシンクで隣り合わせで料理をする。それだけで幸せでまるで今夫婦みたいだなんて勝手に思って舞い上がってしまう。

 ──やっぱり好きだなあ。ずっと、それこそ幼い時から思っていた気持ちは間違いもなにもなく、もっともっと大きく確かな気持ちになっていた。

 

「はい、キャベツ切って」

「おう」

「指切らないようにね?」

「わかってるって」

 

 大丈夫かなあとちょっと注意して見ていると、千紘くんは拗ねたような顔しながら切るくらいならできると千切りにしていく。

 よかった。傷になったら私もしかしたらおろおろしてどうしたらいいのかわかんなくなっちゃうから。

 

「……ねぇ千紘くん?」

「ん?」

「ううん……ちょっと、疲れちゃった」

「友達とカフェじゃなかったの? ナンパされたとか?」

 

 ご飯を食べ終わってリビングでのんびりテレビ番組見ながら、千聖ちゃんに付き合うことがどうのって言われたことを思い出しながら、少しだけ距離を詰めてみると千紘くんはそう言いながらすっと手を伸ばしてくれて、私が嫌がらないことを見計らってから抱きしめて甘やかしてくれる。

 中学の頃から、私がちょっと嫌なことがあったりして愚痴を言うとそっと抱きしめてくれるようになった。まるで年下の妹をあやすように頭を撫でながら。

 

「……ありがと」

「花音は」

「ん?」

「なんでもない。気を付けてよ?」

「うん」

 

 きっと彼が言うのは高校入ってすぐに告白された時のことを指しているのだろう。あの人は私の大好きな彼を侮辱した。オタクだと吐き捨てたからもう二度と会いたくもない。でもあの人は周囲を埋めて私を孤立させようとして……それを守ってくれたのは千聖ちゃんと彼だったから。きっともう二度とそんなことがないようにって心配してくれている。千聖ちゃんがしきりにカレシ、と言うのも多分、そういうことがあったからなんだと思う。

 

「今日、泊まったらダメ?」

「え……母さんとおばさんがいいって言ったらね」

「うん」

 

 何かをする勇気なんてない。ないけど、私は彼と一緒にいたい。誰にもあげたくない、勇気はないけどもしも、もしもの話だけど求められたら……私はなんだってしてあげるって覚悟はある。パンツ見せてって言われるなら今すぐこのスカートを捲って、スカイブルーのショーツを見られたって、構わないくらいに。

 

「いいって」

「いいのか……うちもいいって言われたけど」

「うん。じゃあ……どっちが先にお風呂入る?」

「──っ、か、花音からどうぞ!」

 

 キミがいいって言ってくれるなら一緒でもいいのになあと思いながら、私は使い慣れてしまった彼の家のお風呂を使わせてもらう。

 流石に一緒に寝る勇気はないから、寝るのは客間でだけど。

 



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幼馴染さんは幼馴染さんなんだよね

 俺の幼馴染さんは、俺のことを好きと言う。初めて言われたのは中学に上がったすぐの頃だった。自分がオタクでそれを貶されることが当たり前だと思っていたのにそれでも一緒にいてくれる彼女に、理解できないんならそれでいいって突き放すように言った。

 ──でも彼女は、理解したいと言ってくれた。オタク趣味は全然わからないけど、好きな人のことを理解したいと。そんな告白から数年が過ぎ、俺と彼女は高校三年生になろうとしていた。

 

「いらっしゃいま……あ、千紘くん」

 

 日課のようにファストフード店に行くと幼馴染さんは手を小さく振って微笑んでくれる。いつものようにポテトを頼むと揚げたてのを用意するから待っててと言われて席に着いた。定位置のような四人席の端っこでスマホにイヤホンを指してパスパレのライブ映像を流す。

 後から来たポテトをおつまみに心の中でコールをしていると、いつものように勝手に誰かが向かい側に座ってきた。

 

「相変わらずどこでもオタクなのね」

「……紗夜さんだってオタクじゃない」

「失礼な。私は良識あるファンです」

 

 嘘だっ! いや良識はあるけれどもイベントに行くと日菜ちゃんTシャツにタオルとペンライトでいっつもオタクやってるでしょ! 普段のクールな雰囲気からは想像もできないほどオタクじゃんあなた! 

 

「ところで、次のイベントは何枚積んでるのですか?」

「え、三十枚」

「……数枚抽選券譲ってあげる、と言ったらいりますか?」

「え、どうしたの?」

 

 日菜が物凄い勢いで買ってきて……と苦笑いをする紗夜さん。日菜ちゃんはそれくらいおねーちゃんと握手したいのでは? 

 けれどそこまで必要ないのよと困り顔をされれば、頷くしかない。俺にとってはメリットしかないしね。

 

「押し付けるようで申し訳ないけれど」

「いやいいよ。もし俺も余るようならオタ仲間に譲るし」

「彼女ね」

「うん」

 

 その彼女は無限回収してくれるから。紗夜さんがオタクだということがわかってからというもの、ここ三人で一緒にイベントに行く仲間みたいなもんだ。これを言うとウチの幼馴染さんは唇を尖らせて拗ねてしまうんだけど。でもイベントには中々行きたがらない……って普通行きたがる子はいないだろうけど。

 

「友人がいるからでは?」

「友人? ああ彩ちゃん?」

「……はい?」

 

 紗夜さんがなに言ってんだコイツみたいな反応を返してくる。友人って……幼馴染さんの友達関係まで逐一把握してないんだけどなんの話?

 そんな風に首を傾げると、思わぬ答えが返ってきた。

 

「──私のことよ」

「へ……は?」

「こんばんは、紗夜ちゃんも」

「ええ」

 

 信じられないものを見るような目で紗夜さんの隣にやってきた女性を見る。あの? あのあの、この方はもしかすると、いえもしかしなくても……白鷺千聖ちゃんだよね? パスパレのベース担当の四月六日生まれで牡羊座、身長は152センチと小柄、血液型はB型で趣味はカフェ巡りとショッピングで、友人と一緒に行くことが常だとか。

 ベースの経験はそれまでなし。故に指先が固くなるほどに練習を重ねる努力家の一面もあり、アテフリ事件では一番の有名人だっただけに真っ先に炎上ししばらくブログを閉鎖するという事態にまでなった。

 

「……固まってしまったわね」

「推しが突然目の前に現れれば、オタクというのは大抵こうでしょう」

「難儀なものね」

 

 目を擦ったものの、幻影や夢といった類ではなく、本物の千聖ちゃんだった。

 というか、つまり幼馴染さんの友人って……俺の推し(ちさとちゃん)だったの? そんなの聞いてない! いや別にそうだったからお近づきになりたいってわけじゃないんだけどさ。

 

「素直になったらどうでしょうか」

「素直だよ、この上なく」

 

 どうでしょうかと意地悪く紗夜さんが笑ってくる。俺は推しは推しのまま推したいの! 決して友人関係、ましてや恋人とかなんて、もしもなれるのだとしてもお断りしちゃうくらいにはオタク拗らせてるんだから。

 

「ある意味ベストなオタク……なのかしら」

「気持ち悪いオタクとも言いますが」

 

 確かにと千聖ちゃんがうなずいてくる。本来のオタクならここで千聖ちゃんがこんなこと言うなんてーと推しに失望するのがデフォルトなわけですがしかし、俺は訓練されたオタクなので、このくらいじゃダメージは受けないのだ。それに千聖ちゃん腹黒疑惑は以前からあるわけだしね。

 

「腹黒……と言ったかしら今」

「ひっ」

 

 ほらね、やっぱり千聖ちゃんの素顔がこれですよ。ちなみにソースは同じパスパレの日菜ちゃんから。あの子は千聖ちゃんのことをよく怒ってるとか物真似をするときもこれが楽屋の千聖ちゃんでーとトークで度々言うから噂されていたことでもある。だがファンには一切その顔は見せない。プロ根性ってすごいね。

 

「あれ、千聖ちゃん……! ど、どうして?」

「あら花音。小腹がすいたから寄っただけよ」

「なんで千紘くんと同じ席に……」

「紗夜ちゃんが男の子といるから少し興味を持ったら彼だったというだけよ」

 

 ──なるほど、オタクと知って近づいたとなると体裁が保てないからあくまで紗夜さんのお友達がたまたま親友の幼馴染でありまた自分を推してくれるオタクだ、という言い訳を作ったのか。これで俺が誰かに突っ込まれても同じ事情を説明すればオッケーってわけだ。しかも俺から見たら紗夜さんといたら声を掛けられた、となるので全く嘘はついていないんだ。この一瞬でそこまで組み立てられるのか……すごいな千聖()()は。

 

「ふふ、ちゃんとわかっているわね」

「ええまぁ。千聖さんとは初めまして、ですから」

「敬語なくてもいいわよ」

「……じゃあお言葉に甘えて」

 

 そんな口裏を合わせてることがまるわかりのやり取りに、幼馴染さんはむう、と頬を膨らませて俺の隣にやってきた。見えない机の下で怒りながら手を握ってくるんだけど……これは俺はどう反応すればいいの? 

 

「ところで花音」

「……なあに」

「ふふ、拗ねないでちょうだい」

「私も、白崎さんとは単なるイベント仲間で、万が一の可能性もあり得ないので誤解されているようなら訂正させていただきます」

「言い方」

 

 紗夜さんはそうやっていつも俺をいじめてくるんだから。オタクの中ではマシな方でしょ? って一回言ったことがあるけど、オタクの中で考えている時点で終わっていますねって返す刀でバッサリと斬られたこともある。

 幼馴染さんはでも、仲良しなんだもんと俺にくっつきながら言ってくる。あの、恥ずかしいんだけど……? 

 

「だって、オタクさんのイベントって言うから安心してたのにいつの間にか紗夜ちゃんとか、パレオちゃんとかと仲良しになってるし、その上千聖ちゃんや、最近彩ちゃんにもよく話しかけられてるの、知ってるんだから」

「……おっしゃる通りで」

 

 俺は嘘や隠し事が苦手とういこともあり、花音の前でなるべくそういうのはやめておこうと決めてる。彩ちゃんのことだって黙ってたわけじゃなくてなんか最近常連のせいか声を掛けられるなー程度だからだし。別にやましい……とは思ってたわ絶対これ他のオタクに殺されるって思ってたわ。

 

「ついに千紘くんって呼ばれ出したのも知ってるから」

「あら、彩ちゃんには随分好かれたのね?」

「からかわないでもらえる?」

「この間はポテトをあげていましたよ」

「ちょっと!?」

 

 なんでこう暴露されまくるんだろうか。というかあれは彩がおなか減ったって言ってたからあげただけで別に他意はない。大体あの後紗夜さんだって揚げたてはおいしいのよねとか言って食べたくせに! 

 

「彩ちゃんのこと……呼び捨てなのね」

「あ……やば」

「千紘くん?」

 

 地雷を踏んだらしく幼馴染さんからとても恐ろしいオーラが立ち上ってきた。ちょっと待ってほしい言い訳を聞いてほしいんだけど!

 ──千聖さんと同じ理論なんだよ。彩ちゃんは彩ちゃん、アイドルの彼女に向ける呼び方であってそれをプライベートでも呼ぶのはなんか違うなって彩に相談したらじゃあヒロくんじゃなくて千紘くんって呼ぶから彩って呼んでいいよって彩が言ったんだって! 

 

「聞いてもないのに早口でまくしたてましたね」

「オタクだもの」

「オタクですからね」

「そこ二人ひどくない!?」

 

 二人はあれだね、サドっぽいね揃いも揃って。幼馴染さんにもその気があるし、やっぱり彩とかパレオちゃんのような人材は必要だったってことだね。別に俺はマゾじゃないんだぞってところをちゃんと示せるから。

 

「というかそろそろ帰らないと」

「……うん」

「いい時間ですし解散しましょうか」

「そうね」

 

 勝手に集まってきたんだけどね、と言いたいのをぐっとこらえて俺はトレイを片付けながら後ろを不満げについてくる幼馴染さんと手を繋いだ。最初は普通に手を繋いだつもりだったのに、振りほどかれ指の間に彼女の指がしっとりと絡まってくる。

 

「……花音」

「帰らなくちゃ」

「うん」

 

 本当は帰りたくないくせに、そうやって無理して笑っちゃうから後で困ることになるんだよ()()はさ。

 あの時のストーカー事件の話もそうだし、あれのせいで一回バンドやめちゃったんだからそこはちゃんと直してかないと。

 

「それなら……千紘くんだって」

「ん?」

「サッカー辞めたの、私がいるからでしょ?」

「……違うよ」

 

 怖かった。俺が二度とケガを嫌がったのが理由だって思ってるし実際そうなんだけど、確かにその理由もあったのかもしれない。ケガをしたせいで花音はびっくりするくらい俺の行動に敏感になった。泣き虫で、怖がりな花音のために、そんなカッコつけた覚えはないけどそうなったのかも。

 

「そっか……私も千紘くんも、怖がりだもんね」

「言えてるな、お化けも絶叫マシンも苦手だし」

「だから逆に一緒に水族館とか喫茶店でのんびりするのが好き」

「うん」

 

 歩調が合ってるのかも。俺と花音は小さい頃から一緒に遊んでた仲で、中学が離れてもこうしてずっと一緒にいる。

 その居心地の良さを崩したくはなかった。俺も花音も、今の関係が心地よくて……お互いの気持ちを知りつつ、恋人には発展してこなかった。ずっと友達以上恋人未満で、もう高校も最後の一年が目の前に迫っていた。

 

「じゃあねまた明日」

「うん……」

 

 手を振る。この別れの一瞬に寂しそうな顔をされるとどうにも去りにくくなってしまうけど、何度か振り返って最後に手を振る。

 ──だけど今日は、三度目に振り返った時に待ってと言われ立ち止まった。

 

「どうした?」

「あのね……今日、電話しても、いい?」

「いいよ。できるようになったら連絡する」

「うん、ありがと……っ!」

 

 この花が咲いたような顔がまたかわいいんだよね。小動物のような愛らしさのある、ふわりとした笑顔を浮かべた彼女はご機嫌で家に入っていくのを見計らって、俺は帰路について、先に湯船に浸かってゆっくりと思考をしていく。

 彼女のことが好きか嫌いかで言えば、好き、なんだと思う。俺自身あんまり自分で恋をしたという経験がないからわからないけど。傍にいるとドキドキすることがある。くっつかれたりするとどうしても。

 ──けど俺はこの関係を維持し続けることを選んでいる。幼馴染さんの、花音の言葉が今もあるかないかで言えばある……と思う。多分、きっと。自信ないけど。

 

「はぁ……なんだかなぁ」

 

 踏み込む勇気がないんだよ。そもそも、一昨年の夏頃にあった告白事件が完全にその機を逸してしまう原因だった。あの時俺は告白しようとすら思ってたのになぁ。

 ずるずると先延ばしにしていて、もう高三になるんだ。いい加減はっきりしておきたいって気持ちはある。あるけど断られて関係がギクシャクすんのが怖い。あの事件以来花音は少し変わった気がするし、中学の時、仲がいいと思い込んでたマネージャーからの告白を断った途端に冷たくなったし。

 

「やめやめ、考えるのやめた」

 

 今の関係が心地いいから、それでいいんだと勝手に結論をつけた。これ以上考えててものぼせるだけだ。まとまらない。

 風呂から上がって、メシを食べて、部屋に戻った俺は早速連絡を送る。それからもしもしと嬉しそうに電話に出る花音が、また俺の口許を緩めてくれる。

 

『なんで笑ってるの?』

「いいや、なんか機嫌良いなと思って」

『そ、そう……えへへ。嬉しいことがあったんだあ』

「なに?」

『……千紘くんの声が聴ける』

「それ?」

『うん。私にとっては大事なことだもん』

 

 ならいつでも聴かせてあげる、だなんてセリフは恥ずかしくって言えない。そんなことを言ってくれる花音が好きだ、なんてことも。だから俺はいつまで経っても花音を幼馴染さんとしか呼べないでいる。

 でも今はそれでいいんだ。推しが推しであるように、幼馴染さんは幼馴染さんで。今でも十分、俺の一番近くにいるのは花音だけだから。

 

 

 

 

 

 



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推しは……イエロー

 推しはいつだって俺を笑顔で迎え入れてくれると思い込んでいた。

 俺のために、だなんてそんなことは言わないけれど、それでも俺が来てくれたらいつでもキラキラした笑顔で俺の名前を呼んでくれるのだと思い込んでいた。

 

「それで? 申し開きはあるかしら?」

「……ないです」

 

 でも推しだって人間なわけで怒る時は怒るんだなぁなんてことを今更ながら理解した。まったく笑みのない、俺をただひたすらに同じ調子で詰る推し……白鷺千聖さん。

 足を組み替えて、怒りを露わにするその姿はまるでイベントの時のような対応はなかった。

 

「ま、まぁまぁ千聖ちゃん、わざとじゃなかったんだし」

「彩ちゃんは黙ってて」

「……ハイ」

 

 彩がそうフォローしてくれるけど千聖さんのその一言ですごすごとバイトに戻っていってしまう。相当お冠なんです彼女。俺のせいなんだけど。

 事故といえば事故なんだよ。でもそれに対して悶々としていたことに対して千聖さんは怒っているらしい。

 

「そうよ。私が許せないのは推しのパンツを覗き見て、挙句その妄想でヌいてるところよ」

「ヌいてはない!」

「そういう見え透いた嘘なんていらないわよ。最低ね」

「ひどくない!?」

 

 イベントの時、たまたま翻ったスカートの中に黄色いものを見た気がした、それが彼女の下着だった。きっかけはそれだった。

 言いがかりだ、と主張するんだけど千聖さんは一向に聞き入れてはくれない。オカズに使ったと断じる根拠はどこにあるのさ! ちなみにホントに使ってないからね。そもそも千聖さんに言われて疑念が確信に変わったくらいだし。

 

「それで、推しのパンツを見た感想は?」

「わざとじゃ」

「……そうじゃないわよ。ほんっとうに、あなたは何もわかっていないのね」

「な、なにが……?」

 

 オタクの上に乙女心のわからない唐変木(バカ)なんてもう救いようないわよ、と千聖さんが俺を罵ってくる。わかんない、わかんないよ。だって俺カノジョとかいたことない典型的なキモオタだし。フットサルとかやってるけど別に活動的なだけでオタクはオタクでモテたことないけどイジメみたいなのには遭遇したよ残念ながら。

 

「オタクだからと諦めてる時点で最悪ね」

「さっきから千聖さんは何を怒ってるの?」

「……埒が明かないわね」

 

 まってまって、話ズレてきてる気がするんだけど? 納得いかなさすぎて流石に推しが相手だろうとなんだろうと抗議の構えを出すと、千聖さんは一貫してるわよと睨み返してくる。怖いんだけど、こんなレスいらないよ。

 

「私はあなたが見たことを怒っているんじゃないわ。態度に怒っているのよ」

「は……どうして」

「まず、私の顔を見て逃げようとしたこと。次に、私に問われて下手な嘘を吐いたこと。最後に、それに対して言い訳ばかり積み重ねること」

「……だって、それは」

「わかってるのよ、わざとじゃないことくらい」

 

 でもそれを下手な嘘で隠そうした。説明責任を逃れようとした。それに対して千聖さんは怒りを抱いているようだった。

 だって、とまた言いたくなってしまうけど、この態度がいけないんだと。俺はそこでようやく言えてない言葉があることに気付くことができた。

 

「……ごめんなさい」

「遅いけれど、言いたいことはわかってくれたようね」

「うん、まぁ」

「で?」

「で、とは?」

「感想は?」

 

 あなたは俺を殺す気ですか。

 感想ってなに? ごめんなさい以外に感想求められても仕方ないんだけどね? 俺次は何を問われているの? どの方面の誠実さ? 

 

「そう、そんなに私のパンツを見たのは嫌だったと」

「え、いや」

「どうだったの?」

「えっと……あの」

 

 最高です! ってヒーローインタビューのように高々と右手を掲げて優勝していいの? いいならやるよ? ヌくほどの衝撃じゃなかったけどなんだか他のオタクに勝っちゃった気分だもんね。キモオタとして散々に叩かれても仕方がない発言かもしれないけど推しのパンツが見たくないか見たいかで言えば見たいんだよ! 

 

「そう」

「なんにも言ってないよ?」

「伝わったわ」

 

 以心伝心したくないところで伝わってしまったらしい。いらんところで推しと心を通わせても嬉しくはない。これはガチ。だって今全然嬉しくないもんね。

 推しに変態だってことがバレるのは勘弁してほしいんです。

 

「え? 私は花音から話を聞いて知っているわよ?」

「はい?」

 

 なんてことを言うんだこの人は。というか幼馴染さんは俺とのエピソードなにしゃべってるの? そもそもあの子にそんな変態的エピソードを語れるほどのことはしてない……はずなんだけどなぁ。

 

「中学三年生の時」

「え、なに?」

「初めてR18のレーベルに触れ、思わず二巻も購入、現在もカバーをかけて本棚の端にある」

「……っ!?」

 

 な、なぜそれを!? というか幼馴染さんが知ってることにも驚きなんだけどストーカーかなあの子は? ともあれ、本棚までチェックされているということがわかったので今後はそういう本はなるべく別の場所に仕舞っちゃおうか。

 

「最近のオカズは……」

「待ってもういい! もういいから!」

 

 そんなことまで知ってるなんてホント、これからは気をつけようかな! 直近のオカズ……と考えたところで顔が青くなった。あれだ、アイドル枕営業ものだった。推しになんてもん教えてんだ花音は。

 

「度し難いわね。私が枕していたら興奮するのかしら?」

「泣くから冗談でもやめて」

「流石にダメかしら?」

 

 いや当たり前でしょ! そういうのは非現実だからヌけるの! ってなに力説しようとしてるんだ危ない! 

 しかし千聖さんは腕を組んで、すっと足を組み替えた……ごくり。

 

「視線がやらしいわよ」

「うっ、そ、そんなこと……」

「まぁわざと誘導したのだけれど」

「なんてこと!」

 

 くすくすと悪戯が成功したとでも言いたげな笑みを浮かべてくる。こんなご褒美もらえるの、世界中であなたくらいよと言われるとなんにも言えなくなってしまう。ちょっと嬉しくなってなんかいないんだからね! 

 

「はぁ……あの子が、花音が怖くなる理由もわかるわね」

「あの……あの?」

 

 すっと腕を組んで寄せて上げて上半身を倒してくるからむ、胸元と肩にピンク色が……と視線が誘導されたところで、後ろに鬼が立っていた。

 か、髪が逆立っているかと思うくらいににこやかなまま、花音がトレイを俺の頭より高く持ち上げて千聖さんの後ろに立っていた。

 

「……ちひろくん? 私の理性が保ててる間に、言い訳してね?」

「いや、これは! 違うんです!」

 

 恐怖! それは気づけば笑みを湛えて目の前に立っているもの! キレイな花には棘があるように! 美しく透明なまま無害そうに漂うクラゲに、毒があるように! ゆっくりと確実に、笑顔で迫ってくるんだ! 

 

「コホン……後で私が見せてあげるから千聖ちゃんで発情したら……ダメ」

「なにを?」

「……下着」

 

 は? なに言ってんだコイツ。 別にパンツやブラ紐が見たくて推しの目の前に座ってるんじゃないんだけどわかってる? わかってないね?

 それを幼馴染に頼むほど俺だって変態じゃないからな? 人並みに興味がないわけじゃないけどさ! 

 

「……ばか」

「なんで罵倒された?」

「バカだからよ」

「千聖さんに訊いてないんだけど?」

「幼馴染が来た途端に推しに向かって随分な態度ね?」

「け、喧嘩はダメ!」

 

 ケンカじゃなくて聖戦です。俺は幼馴染さんは幼馴染として接している。千聖さんは親友に近づく男を皆殺しにしたい。お互いに正義があって、だから俺たちは争いがやめられないんだ。それがどんなに愚かな行為だったとしても……! 

 

「カッコよく言ってるけど……それってキミが一方的に虐殺されるよね?」

「そりゃ推しに手は上げられませんからね」

 

 推しはジャスティス! アンタが悪いんだ! って吠えても所詮このキモオタ! って種割られて殴られて終わりだよ。

 あれ、これ聖戦じゃなくて征伐では? 俺が征伐される方で。

 

「もう……もうすぐ終わるから、待っててね」

「ええ」

「おう」

「今のは私に向けたのよ」

「なんでそうなるの? 俺、迎えに来てる立場なんだけど」

 

 ──なんだかこうして、推しとプライベートで会ってケンカばかりしている気がする。お互いに松原花音っていう知り合いがいるせいなのか、千聖さんはこんなキモオタに花音は渡さない、みたいな雰囲気で俺としては別にそんなつもりないからというんだけどこうやって結局お互いの意見が通らなくてケンカになるんだもん。

 

「それじゃあまた明日」

「うん」

「また明日、千聖ちゃん」

「……千紘くん?」

「俺には言ってないでしょうが」

「そうね」

 

 結局別れ際までこんな言い争いである。ついでについてきた彩もこれには苦笑いを禁じ得ないらしく仲悪くない? と花音に問いかけていた。そういえば彩は同じく花音という繋がりがあるのに仲は別に悪い感じしないよ? 俺を敵視してないからなんだけど。

 

「私は別に嫌う理由なくない?」

「まぁ、確かに」

「イベント、全然私の方来てくれないけどね~」

「千聖ちゃん推しだし」

「私のことも推してよ」

 

 残念ながら二推しを決めれるほど経済的余裕はない! 決めてもいいなら彩ちゃんなんだけど、そもそも俺彩推しに嫌われてるんだよね……なんでだろ。一応パスパレ古参だから更に古参……つまり研究生時代から追っかけやってるオタクからすると新参でブイブイ言わせてる俺が気に入らないみたいだけど。

 

「そう、なんだ」

「あ、知らないよね」

「オタク界隈もね、色々とあるんだよ」

「SNS上だといつも大変そうだもんね」

 

 お、そこを認知されてるとは思わなかったからちょっと嬉しくなった。そうなんよ、最近はほら、日菜担ぶっちぎりトップだけどSNSはやってない紗夜さんや富豪オタで囲いが多数いらっしゃるパレオちゃんとイベント行くからあの不名誉な称号もらってますしね。

 

「不名誉?」

「あれでしょ、女オタオタってやつ」

「おんなおたおた……?」

 

 女オタオタ、所謂女性オタクの追っかけってことね。イベント会場を出逢い場かなにかと勘違いした結果、自分の趣味嗜好顔面を顧みずに女性のオタに近寄りワンナイトやお付き合いのチャンスを感じようとする輩のこと。別に女オタは趣味嗜好がオタクの人間が好きなわけじゃないからね。理解はあるけど付き合う人間はオタクだと嫌な子、幾らでもいるからね。

 

「な、なるほど……」

「紗夜さんがいい例だよね」

「いっつも罵倒されてるよね」

「あれはあれであの人なりに仲良い人にしかしないんだなぁってわかってるから一緒にいられるけど」

 

 それでも付き合うのは無理です死んだ方がマシって言われてるからね。いや言い過ぎでしょとは思ってる、正直なところね。紗夜さんの好みの男性は社交性があってそれでいて静かな時は静かであるか、それともとびぬけて騒がしくて自分が黙ってても大丈夫な同じ年から年上の人らしいです。ごめんなさい俺は社交性が絶望的なんです。友達いないし。

 

「私は頑張る人かなぁ」

「彩はダメでしょ、アイドルだし」

「アイドルでも片想いはいいんだよ?」

 

 なにそれ初耳だわ。恋愛禁止を前面に押し出してたひと昔前のアイドルがそうやって言ってたもんと彩はなんだか楽しそうに言いだした。

 まぁ人間だもんね。俺はいいと思うよ。別に俺は千聖ちゃんにカレシがいたとしても応援し続けられると思うもん。枕とかはちょっとヤバいけど。

 

「ん? ってかその発言だと片想いして……」

「さぁ? どうだろうねっ! じゃあ花音ちゃん、また明日」

「うん……」

 

 彩が家の前で手を振って、二人きりになる。そのタイミングで花音はそっと俺の手を握ってきて、さっきのこと、まだ怒ってるのかなと横目で彼女の反応を確認する。すると彼女はさっきの千聖ちゃんとのやりとりさ、と口を開いた。大丈夫、ホントに嫌ってのケンカじゃないよ。俺にとって千聖さんはあくまでプライベートの推しってだけだから。

 ──俺は千聖ちゃんは推してるけど、幼馴染さんを守るプライベートの千聖さんとはウマが合わないみたいで、それも不安にさせてる原因なんだろうけど。

 

「千聖ちゃん……別に私を守ってるわけじゃ、ないと思うな」

「ん?」

「わかんないけど、きっと……」

 

 幼馴染さんは遠い目をする。それは彩がさっき訳ありのような笑みをした時にも見せた表情だった。

 それを問おうとしてすぐに彼女は、明るくなったよねと曖昧な言葉を投げてくる。

 

「明るく?」

「千紘くん。中学の時より」

「……そう?」

「昔に戻った、気がする……」

 

 小学生ってことかな? 未だに高校じゃボッチキメてますけどね。ドルオタに価値なしなんだよねきっと。まぁオタバレしちゃった俺が悪いといえば悪いけど、スマホのロック画面も壁紙もストラップもスマホケースも全部千聖ちゃんだからね。ノートPCの壁紙もだし、リアルに教えるトーク用のSNSアプリのアイコンも、全部全部千聖ちゃんだ。こんなんでオタバレしない方が不思議だね。

 

「でも、前の千紘くんなら、隠してたかな……って」

「そうかな?」

「えっちなライトノベルも、ブックカバーの下に更に普通のタイトルのカバーつけてたし」

「……もう本棚のアレのことは忘れて」

 

 そっちは今でも隠すよ? というか家でしか読まないから勘弁してほしいんだけど。

 でも、前までならそうやって堂々とスマホのロック画面とかにはしなかったよ、と指摘される。まぁ、確かにね……スマホカバーも付け替えるもしくは買わなかっただろうし、ストラップも祭壇行き、クラスメイトに教えるアカウントなんてまず間違いなく顔写真か風景にしてただろうね。

 

「私がホントに下着見せてもいいよ、って言ったら……見たい?」

「み……見たいわけない」

 

 いや実際は見せてくれるなら鼻の下伸ばして見ると思うよ。嘘をつくのが下手すぎるけどここは認めちゃいけない気がしたから否定しておく。いやまぁ俺が嘘ついてるかついてないかなんて花音はわかっちゃうから意味ないんだけど、ここはプライドの問題で。

 

「……そっか」

「わかってほしくなかったけど」

「別に私はキミがえっちで変態さんでも、いいんだけどなあ……?」

「ありがと、フォローとして受け取っておくね」

 

 子曰く男は皆変態だそうだ。どこの先生かは知らないけど偉大な言葉だと思う。金言というやつだ。だからそれを認めてフォローしてくれる幼馴染さんは本当にいい子だよ。まぁでもわざわざ見せてくれなくても実は幼馴染さんは割と家でガードが緩いところあるし。これは悟られないように頑張ってるところでもあったりする。

 

「それじゃ……あ」

「ん?」

「明日は……ご飯作りに行くから」

「りょーかい。寄り道はしないでおくよ」

「うん。花女で待っててくれてもいいけど」

「パス。カレシ面したくないし噂にもなりたくない」

「……そっか」

 

 確かに彼女の迷子スキルを考慮すると花女の前で待つのが理想なんだけどそれはダメ。女子校はそういう噂が立つの早いって聞いたことあるし、それで松原花音の幼馴染で伝わればいいんだけど確実に松原花音のカレシで噂が流れるからね。

 ──何度もしつこいようだけど、花音は幼馴染。幼馴染は幼馴染のままでいい。今が幸せなんだから、そういう火があるからこそ立ち上るような煙は、周囲にはなるべく見せなくていいんだよ。俺の気持ちは俺と花音が、花音の気持ちは花音と俺が知ってれば、それでいいんだ。

 



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いつの間にか男女比がすごいことに

 こんなオタクで推しのパンツに顔を赤くしたり青くしたりする俺だけど、後輩系女子には好かれやすいのではないかと思う時がある。同輩? 同期組みんな俺のこといじめることに特化しすぎてるからなぁ。けど後輩組は違う。俺の癒しを突き進んでくれている。

 いつものようにファストフード店に顔を出すと、それを実感できるのだった。

 

「いらっしゃいませ~、あ、せんぱい!」

「こんにちは上原さん」

「もう、ひまりでいいですよ~!」

「はいはい、ひまりちゃん」

 

 上原ひまりちゃんは何故か先輩って呼んでくれる。曰く異性の年上を気軽に呼んでみたかったそうな。バイトのヒトにしなよと言ったけどどうやらバイトは基本的に名前か苗字呼びを徹底されているらしい。

 

「あれですよ、指示を的確にするためなんですっ」

 

 なるほどね。名前じゃなくてせんぱい、だと誰のことだよってなっちゃうからってことね。故に渾名も禁止と。でも俺は全くのお客さんだもんね。お客さんをバイトの先輩の知り合いだからってせんぱい呼びはあれな気がするけど。

 

「え、嫌でした?」

「別に違うけど」

「あーよかったぁ! もしも嫌がられてたらどーしよーかと思いましたよ~」

 

 そういって屈託のない笑みを浮かべるひまりちゃん。快活で明るくて、あれだね。キモオタには眩しすぎて灰になりそう。とはいえいつまでもしゃべってるわけにはいかないので、いつものでいいですか~? と問われ、今日は気分的にシェイクも頼んでおく。普段はそんなに甘いの好きじゃないけどチョコ味が好きだったりするんだよね。幼馴染さんはなんか変な味しない? とか言ってたけど。

 

「あ、ヒロ様」

「……いたのね」

「はい!」

 

 ちょうど暇だったこともあり、揚がるまでひまりちゃんと雑談をしてからいつもの席に座ろうとすると先客がいた。けれど知り合いのため俺はその向かいに座るとこれまたひまりちゃんに負けないくらいの屈託のない笑顔を見せてくれるピンクと水色のツートンツインテ少女。その正体はオタ仲間の一人でもある鳰原れおな(パレオ)ちゃん。もう一人の後輩系女子でもある。

 俺の同種なので暇つぶしにはパスパレのライブ映像。ただし彼女の方はタブレット端末のカバーをスタンドにしてワイヤレスイヤホン、これだけでとんでもない値段らしいことを紗夜さんから伺ったが考えるのやめたくなるよね。

 

「あのっ!」

「ん?」

「こ、こっちで一緒に観ませんか?」

「いいの?」

「どうぞどうぞ!」

 

 片耳のイヤホンを手渡され、パレオちゃんのすぐ隣に座る。おお大画面ってそれだけで観ごたえがあるよね。俺もよくテレビ画面でペンライト振るからよくわかる。

 ただちょっと腕を上げるにはパレオちゃんとの距離が近いので心の中だけにしておく。心の中は黄色一色ですとも。ただ何故かちょいちょい視線を感じる。ポテトとシェイクをおつまみにオタ活してるのをパレオちゃんに見られてるんだけど。

 

「パレオちゃん?」

「へ、は? え?」

「肩とか当たってた?」

「い、いいえ!」

 

 慌てたようで手を振るパレオちゃん。なんか挙動不審なんだけど? 普段のパレオちゃんはなんていうかこう……あ、元から割と変な子かもしれない。そもそもヒロ様が障碍なくオタ活できるならどれだけでも貢ぎますって言い放つような子だしなぁ。オタクに貢ぐな推しに貢げよ。

 

「推しには貢いでいますし、パレオからすればヒロ様も推しのようなものです!」

「ええ……」

 

 理解し兼ねるのだが。けど言葉通り俺が届かなかったところ、例えば遠征だとかに支援をくれるのは助かってる。彼女がいなかったらきっと行くに行けずに泣いたイベントもあっただろう。けどそれは嬉しいんだけど、本当にいいのかなぁって思ってしまう部分もある。つくづく推すことに慣れていても推されることには慣れないんだよね。

 

「ん~」

「どうかしましたか?」

「いや、足らないからバーガー頼めばよかったかなぁって」

「でしたら買いに行って参りましょうか?」

「いいから座っててもらえます?」

 

 嬉々として恐らく電子マネーが入っているであろうスマホを持ちながら立ち上がろうとするな。俺が隣にいるんだからここで立ち上がると、目の前にパレオちゃんの長くてキレイな足が……ごくり。

 

「なにしてるの……?」

「うわっ……って彩か」

「なんでそんな残念そうなの」

「あ、あ、彩ちゃん……っ」

 

 おいこらオタク、そんなに喉詰まらせると窒息するぞ。いや別になんでもないです女子中学生の絶対領域を間近で目撃して血走った目で生唾ごくりなんてしてませんともあっはっはっは! ごめんなさい通報はしないでくださいお願いしますこの通りですから。

 

「あ、パレオちゃんこんにちは」

「は、はい! こんなところでお会いできて光栄でございますっ!」

「今日もバイト?」

「違うよー、お仕事帰りにちょっと寄っただけ」

 

 お仕事、というだけで彼女は自分とは全く違った世界に身を置いてる存在なんだなと認識する。なにせ彼女はアイドルだ。彩、だなんて雑に呼び捨てを許してもらってる俺だけど、こうなるとやっぱりこんな風に部活もなくバイトと趣味に時間とお金を使っているようなオタクとは違うわけで。

 

「どうしよっかな、花音ちゃんと一緒に送ってもらってもいい?」

「というか帰り一人は止めた方がいいよ、最近ストーカーがどうのって紗夜さんが言ってたし」

「ありがとっ。じゃあちょっとだけなら……何か食べようかな?」

「ダメよ」

 

 彩がお腹減っちゃって~と言うとそれに素早く反応した厳しい声の主に、あなたもいたんですね、と苦笑いをした。パレオちゃんは……ああそっかキミはプライベートで会うのは初めてだもんね。

 

「また新しい女を侍らせて、クズもいいところね」

「毒舌キツいんだけど」

「紅茶と彩ちゃんの飲み物、なにか買ってきてちょうだい」

「俺が!?」

「オタクは推しに貢ぐのが幸せでしょう? ほら」

「今はプライベートでしょうが!」

 

 千聖さんも一緒にいたんだね。パレオちゃんは完全にフリーズしてしまう。もしも~し、ダメだ返事がない。

 まぁそんなオタクは放っておいて俺はバーガーを買うつもりだったので千聖さんからお金をもらって、彩は自分で行くからと二人で注文に行くことにした。

 

「彩さん! いらっしゃいませ」

「ひまりちゃん……って今日ひまりちゃんと花音ちゃんがシフト一緒?」

「です」

 

 その言葉を聞いて彩がチラリと俺を見る。マジで? そもそもパレオちゃんを駅まで送ってってからなんだけど。ひまりちゃんって確か商店街の方でしょ? 確認したところ迎えとかは来ないらしい。マジか……まぁ俺が一人で来た道戻れば解決なんだけどさ。

 

「いいんですか?」

「まぁ一人で帰って変なのに襲われたりしたら嫌だし」

「おー、言うねぇ」

 

 あのね、いくらコミュ障陰キャボッチキモオタでもね、人並みの感性くらいはあるよ? 例えば知り合いの女の子が一人で夜道帰るの怖いって言われたら、じゃあ一緒に帰ろうかってなるわけだよ下心とか関係なく。

 

「ないの?」

「ないよ」

「ないんですか?」

「なんでひまりちゃんまで訊くのかな?」

 

 いやひまりちゃんはあったら困るでしょ。あとそんなことを口に出したら俺は後ろでポテト揚げてる子の持ってるさっきまでポテト揚げてた機材で殴られるから嘘でも言えないから。というか殺意ある笑顔してるよ既に。

 

「やらしいことしちゃだめだよ?」

「しないよ、そんな度胸あると思う?」

「ううん」

 

 そんな嬉しそうに首を横に振るな。ないよどうせ! しかも実のところひまりちゃんのキャラが得意か苦手かでいったら苦手なんだよね……ちょっと申し訳ないけど。ほら、めっちゃリア充っぽい雰囲気出てるじゃん? 紗夜さんとおしゃべりしてた茶髪の子にも思ったし若干普段の彩にも思ってる。リア充は苦手なんだ……! 

 

「私も?」

「ほら、なんか……その」

「彩さんはそうかも」

「ほら」

 

 割とファッションとかダサいって言われがちなんだけど……と苦笑いする彩。ダサいんだ、と上下を見返すけど、普通じゃない? いや基本幼馴染さんに選んでもらってる俺が言うのはアレな気がするけど。

 

「リサちゃんがおしゃれだから」

「ファッションリーダーですもんね~」

「後は燐子ちゃん?」

「燐子ちゃんの好きなやつ、ちょっと人を選ぶけどね……」

 

 知らん名前が出てくると空気になる。はいこれコミュ障の特徴ね。テストに出るから覚えといて。特に女性のファッションの話をしてるのに、俺が割って入れるわけないじゃん。棒立ちだよ。

 

「せんぱいが置いてけぼりになってる……」

「まあ、千紘くんだし」

「オタクだもんね」

 

 やかましいわ。オタクだし女性関係のスキル皆無ですけど! そうじゃなくてね、そもそもガールズトークに割って入る男に人権はないのでは? 俺大人しく席に戻って……と思ったら千聖さんとパレオちゃんがおしゃべりしていた。パレオちゃんすんごい前のめりで目をキラキラさせてますね……オタク、鼻息荒くなってんよ。

 あれ、もしかしなくても俺の居場所ないのでは? 

 

「どんまい」

「……男のオタ仲間、近くに住んでる人いないのかな」

「あはは」

 

 最近特に空気が薄い。知り合う人知り合う人みんな女子なんだよ……男は? 男友達ほしい、あ、一応フットサルメンツは仲いいけどみんな住みバラバラなんだよね。まぁみんな隣県なんだけど。だからこそフットサルの時にしか集まんないんだよ。

 

「え、せんぱいってフットサルやってるんですか?」

「うん。趣味のサークル的なやつだけど試合とかもやってるよ」

「試合! 観に行きたいです~!」

「そんな楽しいもんじゃないと思うけど……」

 

 わかんないとスポーツって割とつまんないところあるよね。だから誘ったりはしないけどさ。あ、でもなんか紗夜さんは前の試合来てくれたっけ。あれはちょっと嬉しかったし、後で大体のルールは調べてきましたからってドヤ顔してたかな。

 

「それ、ホント?」

「うん」

「……む」

「なに?」

「なんでもない」

 

 なんでもないって顔してませんけど。ひまりちゃんと彩はああ、と残念そうに笑う。なに? なんなの? 俺なんかそんな残念なことしてます? その質問に答える人は誰もいなかった。

 と、そこで出来上がりを花音が持ってきてくれる。というかここ駅前なのに随分暇だけど、大丈夫なの? 

 

「いいんですよ、暇だから彩さんもまだ働けるし千聖さんが来ても平気なんですから!」

「ああ……なるほどね」

 

 なんか納得してしまった。確かに、千聖さんとか彩いても話題にすらならないよね。いや知ってる人は知ってるけどここに近づいたオタクは問答無用で嫌われもの行きだからね。

 それが俺のことなんだけど。仕方ないじゃん幼馴染さんの職場なんだからさ! 

 

「それで千紘くんって嫌われものなんだ」

「それだけじゃないわよ。この人のブログはオタクへの悪意に満ちてるわよ」

「SNSは最近大人しくなりましたけれど……」

 

 わーい推しにブログ認知もらってるーと素直に喜べないんだけどこの状況。なんで俺アイドル二人とオタ仲間一人にフルボッコでいじめられなきゃいけないの? 俺はマゾじゃないっていつも言ってるんだけど! 

 

「というわけで、今日は更に人数増えたね」

「ハーレムね、よかったわね」

「嬉しくない」

 

 まずはパレオちゃんを送っていく。駅までってのが若干心配だったんだけど、大丈夫です! って黒髪メガネの本人曰く地味モードになってるけど全く隠せてないかわいいオーラ前回の笑顔で敬礼をした。本当に大丈夫かそれ。

 

「それでは失礼いたします! よい夜を~!」

「おやすみなさい」

「はいっ」

 

 千葉住みなんだよなぁ……なんだかんだでここにいるから忘れがちなんだけど。とまぁ全員で見送ってそれから次は彩を、そして千聖さんを送っていく。ここまでは慣れてしまった。なんだかんだで千聖さんともひと月近い付き合いになってしまったし。

 

「パスパレのオタクなのにメンバーのおうち二人も知ってるんですね」

「三人だよ」

「え?」

 

 前に紗夜さんも一緒に送ってったことあるからね。日菜ちゃんと住み一緒でしょ姉妹だし。そう言うとひまりちゃんはきょとんとしてから何故紗夜さんとも交流があるのかを訊ねてくる。ああ、そういえばひまりちゃんは俺と紗夜さんが一緒にいるとこ見てないっけ。あ、でも紗夜さんには口止めされてるんだよなぁ。

 

「パスパレのオタクなのバレてから知り合いなんだよ。ほらよくポテト食べに来るでしょ?」

「なるほど」

「一時期敵視されてたよね~」

 

 幼馴染さんがすかさずフォローしてくれる。そういえばされてた。あれは知り合ったタイミングが悪かったとしか言いようがないけど。まぁ彩とか花音の悪質なストーカー疑惑が晴れてからはなんとなく付き合いがあるってだけで……というか一応俺に初めてできた異性のオタ仲間なんだよね。パレオちゃんの方が一緒にイベント行ってる期間そのものは長いけど。

 

「って、ついてくるの?」

「うん。独りで帰るの不安じゃない?」

「まぁ確かに」

 

 幾ら俺が男だって言ってもね、夜道に独りってのは案外怖いし寂しいもんだよ。ついてきても咄嗟に幼馴染さんのことを護れるかどうかって言ったらまぁ無理なんだけど。話し相手として一緒にいてくれるのはこの上なく心強いよね。

 

「二人は、付き合ってはないんですよね?」

「ないね」

「うん」

 

 気の置けない雰囲気、俺から見てもあると思うし訊かれるだろうとは思ってた。俺は花音の気持ち知ってるし、花音も俺の気持ち知ってると思うけど、結局臆病者同士だからさ。なんとなくこの居心地のいい関係のまま落ち着いてるんだよね。

 

「私にも幼馴染がいるんです。五人ずっと仲良しで、一緒にバンドもやってて」

「そうなんだ」

「はい! だから二人の関係がすっごくいい感じなんだなっていうのはよくわかります」

 

 幼いころから知り合いの仲良し五人組が高校も一緒でバンドやってる……ってのはなんか羨ましいな。

 でも、とひまりちゃんは俺と幼馴染さんに向きなおって、それからなんと俺の手に触れてくる。え、なになんなの? 

 

「──え?」

「こういうふうに、なっちゃいますよ?」

「……っ!」

 

 花音を見ながら、ひまりちゃんはにっこりと微笑んでからそれじゃあ! と家の前だったようで元気のいいひまりちゃんに戻って手を振っていく。

 なに? なんなの? え、今の一体どういうこと? 俺理解できてないんだけど!? 幼馴染さんはすっごく怖い顔をしていて、答えは教えてくれそうにない。ひまりちゃんは、何が言いたかったの? 

 

「……あげないもん」

「えっと……?」

「ばか」

 

 なんで今罵倒されたのか、その意味もわからず、俺は結局しゃべり相手にすらなってくれなかった幼馴染さんを家まで送っていくことになった。

 ──動き出す。停滞していた関係は、時間を経て錆びついていた俺と花音の歯車が軋む音をたてながら回り始めていた。様々な関係を経て、俺と花音は変わることを余儀なくされていることに、まだ俺は気づくことなく、暢気に首を傾げるだけだった。

 



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だからリア充にはなれない

 俺と幼馴染さんは歪な関係なんだと思う。その一番の理由としてスキンシップが多いこと。甘えるように寄ってきたり、逆にどうしようもなく怒ってるのになぜか寄ってくる時もあるけど、そんな幼馴染さんを抱きしめた時に感じる気持ちは紛れもなく幼馴染だから、とかずっと一緒にいたから、というのからは遠く遠く離れたもの。幼馴染さんのちょっとあったかめの体温とか、髪から香る匂いだとか、ドキドキしてしまう時がある。

 

「ん……えへへ」

「なに」

「ううん。いつもいつも申し訳ないなあって」

「嘘でしょ。そんな頬緩ませといて?」

「ふふ」

 

 今日もご飯を食べ終わってから少しの時間、手に触れてきた花音をちょっと躊躇いながらも抱きしめて、彼女の不満やバイトや学校の疲れ、みたいなのを取り除いていく。慣れちゃいけないとは思うけど、慣れてきてしまっている自分が怖い。なるほど、リア充がやたらと雰囲気が軽くてボディタッチが多いのはこういう経験から来てるのか。滅ぶべし。

 

「あのね」

「うん」

「水族館行きたいなあ……って思ってて」

「二人で?」

「もちろん」

 

 そんなことを考えながら離れていくと幼馴染さんはちょっとだけかわいらしく微笑みながら首を傾げた。そういえば最近行ってなかったもんな、ということを思い出し、スケジュール帳を取り出す。はい、と彼女に手渡すと何故か俺を背もたれにして自分のスケジュールとの照らし合わせをしていく。

 

「あ、この日でどうかな?」

「いいよ」

「じゃあ決まり……ありがとね」

「平気、静かなところは好きだし」

 

 オタクだから騒がしいところはライブくらいしか好みません。でもこの時期だともしかしたら人多い可能性があるんだよね。静かなんだけどカップルが密集している感じ。家族連れとかなら許せるんだけどさ。

 ──とかなんとか言いつつ、当日は楽しみでそわそわしてしまう。家の前で待ち合わせて、二人で駅まで歩いていく。

 

「むう……」

「え、なんでいきなりふくれっ面なの?」

「駅で集合したい」

「……なんで?」

 

 デートだもん、と言われてちょっとドキっとしてしまうが大別すればこの状況がどう頑張ってもデート以外の名前がつかないのでそこはスルーしておく。いやいや、そもそも前もそう言って迷子になったからじゃなかった? 

 

「んー」

「忘れてたのか」

「……えへへ」

 

 かわいく笑えば許されるかって? 許したくはないけどそれ以上何も言えなくなるのが俺なのです。花音にめっぽう甘いんだなぁとは思う。思うけど結構泣き虫で、寂しがりで、こう言ったらめちゃくちゃ失礼だけどドがつくほどにめんどくさいんだよね。だから結局なあなあで許しちゃうんだよ。

 

「じゃあ今度頑張ってみる」

「結果が見えたような気がした」

「わ、わかんないよ……っ?」

 

 いや絶対迷子になる。俺は今そう確信したね。

 しばらくはわいわいと迷子になったトークをしていると、あっという間に慣れ親しんだ水族館へとやってきた。中学の時と高校上がったばっかりの時は今よりも二人とも多少は暇だったから頻度高かったんだよね。きっかけは迷子になるから、と俺がついてったことなんだけど。

 

「うわ……きつ」

 

 そして水族館はやはり人が多かった。家族連れももちろんいるけど、どうやら間が悪くカップルイベントやっているらしく……隣の列が前から来てカップル、カップル、カップル、お独りさま飛ばしてカップルという状況です。列並びながら腕組んで身体くっつけてんじゃねぇこの野郎! 

 

「……カップルがダメなの?」

「そりゃ。目の前でイチャイチャされたら唾吐きたくなるでしょ」

「ならないよ……?」

 

 ならないの!? なんで!? リア充は爆破されて然るべき存在だよ! 羨ましいかそうじゃないかでいうとそれをステータスにされている気がしてムカつくからだ。別に恋人がステータスだなんてこっちは思ってねーかんな、ばーか! 

 

「自慢でもされたことあるの?」

「フットサルで別のチームのやつに」

「そ、そっか……」

 

 あのイケメンいけ好かないんだよね。いっつも女性ファンにキャーキャー言われてるし、それでマウント取ってくるのが一番許せん。お前の趣味嗜好バラしてやりたいと何度思ったことか。まったくひどい男だよ。

 

「趣味嗜好……? えっとなにか訊いていいのかな……?」

「大丈夫」

 

 なんかどっかのガールズバンドの追っかけやってるの。ぶうぶう言いながらペンライト振ってるんだって。要するに俺の同類なんだよ。

 ともあれ、俺はそういうのがいるから嫌いなの! 

 

「……うーん」

「なに?」

「多分、水族館にいるキミも同じこと思われてるよ……?」

「ん?」

 

 そう言われて考えてみる。そうかな? いや多分俺が外からそのことを見たらキレるわ。カップルだって思うね。花音が普段の二割増し笑顔でイルカやら模様のキレイな魚やら、ペンギンやらクラゲに目を輝かせて話しかけてくるんだから。

 

「今気づいたんだ……」

「だって付き合ってないし」

「……そうだね」

 

 幼馴染さんだし。この内側の状況を知ってる俺からすると暗いところがそんなに得意じゃない花音が手を繋ぎたがったり、腕組んだりしてくるのは自然なことだし、気分が高まってキスとかそのままホテルで、とかないじゃん。ありえないじゃん。

 

「あ、見て見て、下から……あがって……?」

「ちょい待ち」

 

 キスとかホテル云々とかは流石に口に出せないから、黙って歩いているとイルカの水槽前で指をさした花音を押し留める。この子なんのためらいもなくしゃがもうとしませんでしたか? 今のキミの服装わかってる?

 

「千紘くんじゃないんだから……イルカさんはパンツ見ても喜ばないよ?」

「一言余計だね」

「私のパンツじゃどうせダメだろうけど」

 

 キミ実はあれでしょ、この間の千聖ちゃんのパンツ見えちゃった! のくだり、怒ってるんでしょ! というか今また思い出したね? 俺が藪を突いて蛇を出したことになるんだろうね! 俺は純粋に心配してたのに! 

 

「そうじゃなくて、飼育員さんとか……ほら今いるじゃん」

「……千紘くんは?」

「は?」

 

 なに言ってんのコイツ。千紘くんは見えない位置にいますけど。幼馴染さんはそうじゃなくて、と俺に一歩詰め寄ってくる。あの、あの!? 一歩詰め寄られたらそもそも手を繋いでる状態なんだから俺までイチャイチャカップルの仲間入りになってしまうじゃないか! 

 

「……私のパンツ見えたら、嬉しい?」

「ちょいちょい、自分で何言ってるかわかってます?」

「わかってるよ? それ、知りたいんだもん」

 

 知ってどうするの? 言いふらすの? 俺を貶めるつもり? 

 花音はじりじりと口を開かない俺との距離を更に縮めようとしてくる。なに、ホントなんなの? しかもじっと俺の方見上げてくるし。イルカ見てほしいんだけど。

 

「教えて」

「なんで」

「知りたい」

「……なんで?」

 

 それ知ってなにになるの? イルカそっちのけで俺と花音はじっと見つめ合う。真剣な表情をしている彼女はなにかに焦っているような雰囲気があるんだけど、それが一体なんなのかはわからないままだった。

 

「だって」

「うん」

「千聖ちゃんのは……喜んでたから」

 

 最高でした! じゃなくて、千聖ちゃんのパンツ見て喜んだのとそれと花音のパンツ見えたら嬉しいかどうかって別問題だと思うんだけどどうだろう? 

 けどどうやらそこが幼馴染さんの中ではイコールで繋がってるらしい。

 

「見たい?」

「……それには答えられない」

「どうして?」

「恥ずかしいから」

「……ふうん、そっか……うん、そっか」

 

 その答えでよかったようで、幼馴染さんは次行こうよ、と今度は腕を組んでくる。腕組まれるとね、彼女の柔らかくてふわりとした腕の感触、なにより時折感じるのは……ちょっと固い、ワイヤーっぽい感触。

 

「ペンギンさん」

「だねぇ」

「今日もかわいいなぁ……えへへ」

 

 うっとりとしてるのはいいんですが抱き込まれるとよりその感触が鮮明になってるんだけど。あの俺だけかな、めちゃくちゃ居心地悪いんだけど! これでドギマギしてることバレたらアレでしょ、またパンツの話の二の舞になるでしょ! そういうのはもういいから! 

 

「ふふ」

「……やっぱりペンギンは好き?」

「うん。でも、なによりもこうやって一緒にキミがいることが、嬉しい」

 

 さっきまでの理不尽なまでの問い詰めはどこへ行ってしまったのやら、甘々の表情で上目遣いをしてくる。さっきの問いはもういいのかな? よくわかんないけど、やっぱりあれでよかったのね。

 

「次はクラゲ行こ?」

「はいはい、もうキラキラしてるね」

「……えへへ」

 

 ホントにクラゲが好きだよね、あの流線型のフォルム、まるで空に浮いてるように泳ぐ姿、それが好きなんだって。

 やってきたクラゲの水槽の前に立って……ってだからその顔やめましょう。

 

「え?」

「いや……なんでもない」

 

 その妙に艶っぽいのどうなの? こう言うと俺が変態みたいになるけど、だってなんだか恍惚の表情なんだもん。あんな顔で下からのぞき込まれたらヤバい自信がある。詳しくなにがヤバいとか言えないよ。

 

「でね、このミズクラゲは──」

 

 でも俺の方を向く時はいつものふわふわスマイル。それに相槌を打っているところが水槽に映っていて、なんだか唾を吐きたくなってきた。なにリア充みたいな顔してんだよ、なにそれでちょっと優越感出てんだよって思ってしまう。

 俺だって、マウント取ってんじゃんか。やっぱりオタクなんて醜いんだな。

 

「千紘くん」

「ん?」

「答えはわかってるけど……言っていい?」

「……花音」

 

 幼馴染さん……花音は俺の肩に頭を乗せるようにして、また真剣な表情をしていく。この雰囲気は何度か味わっている。じわりと口の中が苦くなるような感覚がするような、それでいて答えがわかっているのになぜ……という思いが強かった。

 

「好き」

「えっと……ごめん」

「うん」

 

 知ってた、と花音は微笑む。じゃあどうして、と言おうとすると彼女は言わないといけなかったから、と謎の言葉を紡いでいく。クラゲを瞳に映し、透明なその身体に絵を描くように言葉をゆっくり声にしていく。

 

「忘れられないように……千紘くんが、どこにも行かないように」

「俺が、どこにも」

「──キミは、ズルい人だから」

 

 ズルい、それが何を指してるのかわからない。けど、俺はその時の透き通る紫の瞳がすごく苦手だった。そのアメジストで、まるで俺の中身をすべて見透かされているかのような、肌寒さまで感じてしまう。

 

「私、わがままなの知ってるでしょ」

「うん。あと俺に対してだけ優しくない」

「キミが優しくないから」

「俺が?」

 

 うん、と花音はからかってるような顔で笑ってくる。そういうところが優しくないんだよ、いじめてくるし。けど彼女はいじめてないよお、と俺の腕に頬をくっつけてくる。ちょ、今日外でのスキンシップ多いんだけど? 

 

「そう?」

「そうだよ」

「今日は……わがまま隠せないだけ」

「なるほどね」

「好きだもん」

「うん」

 

 好きだから触れ合いたい、そう思ってることは知っていた。

 俺にとって花音に触れることは彼女が求めるからにすぎない。でも、花音は違う。一つ一つ、指先一つに意味がある。

 好きだから、構ってほしいから、ヤキモチを妬いたから、そんな意味を持ってる。それを俺が受け止め切れてるかどうかで言えば……ない。

 

「イルカショー見て帰ろ」

「おっけ」

 

 だから俺にできることは、俺にできる範囲で応えてあげることだけ。

 本当は、もっと応えたいって気持ちがある。でも花音は()()()()()()()()()()()()()()()から。好きと言って俺にごめんと言われることこそを大事にしている気がするから。それ以上先には進めない。付き合って、とは一度も言われたことがないから。

 

「花音」

「ん?」

「……いや、いつも断ってごめんね」

「いいよ、伝えることが大切だから」

 

 好きだ、という一言。花音と同じ言葉が紡げたら、どんなにいいんだろう。

 幼馴染をやめたくない。そしてなにより俺は、付き合ったとしてオタクをやめることは絶対にできないから、これでいい。このままでいい。

 幼馴染はあくまで幼馴染だから、いくらパンツが見たかったとしても、俺がなんとしてでも推しを推しとして推している限りは、二人が幼馴染をやめることはないんだ。

 

 

 



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推しのオタクではいられなくなる日

 推しは推し、のはずなんだけど最近それが崩れ始めた気がする。何がってイベント以外で会えるんだもん! 今日も俺の向かいに座ってきて、またライブ映像見てにやけているのかしら? とつまんなさそうにヒトのポテトを食ってくる。

 

「……いいじゃんオタクだもん」

「公共の場でライブ映像片手にニヤニヤするオタクがいるからコンテンツそのものが害悪扱いされるのよ」

「それを俺に全責任負わせるのずるくない?」

 

 ちょっとむっとしてしまう。いくら千聖さんが気軽に接触できるオタクだからってさ、そういうのを俺だけに押し付けるのはよくないと思うんだよ。

 いくらプライベートでの発言だったとしても、俺にとってはそれ以上の意味を持っちゃうんだから。

 

「けれどあなたを見てパスパレって気持ち悪いんだ、って思う人間がいるのは事実よ」

「……そうかもしれないけど」

 

 なんか今日、やけに千聖さんがとげとげしい。いつもはいじめてくるような、いたぶって遊ぶようなサディスティックな印象なのに、ただただ不機嫌で当たり散らされているような不快感があった。

 

「……千聖ちゃん?」

 

 だが花音が出てきたところでそのトゲが霧散していく。ただ少しだけ荒れた雰囲気を残して、千聖さんはもう今日は帰るわとその場を立ち去っていってしまう。

 ──何があったのか幼馴染さんは知ってる? そんな目線での問いかけに彼女は首を横に振った。

 

「……そっか」

「うん……千聖ちゃんらしくないね」

 

 確かに、いつも余裕のある彼女らしくないというか、なんかホントにただ八つ当たりをされた気分だ。俺、あんまりヒドいことしてないもんな。確かにいつもライブ映像片手に幼馴染さんを待ってるから、気持ち悪いか気持ち悪くないかで言ったらぶっちぎりにキモイんだけどさ。

 

「どしたの?」

「彩ちゃん」

「千聖さんが」

 

 もしかしたら彩なら何か知ってるのかも? という淡い希望を抱きながら訊いてみるが彩もんー、と腕を組んでから昨日一緒にラジオ収録した時もそんな雰囲気なかったけどなぁと首を傾げていく。

 

「……女の子の日?」

「わかんない」

「それ、俺に聴かせないで」

 

 そういうの話題に出されるだけでなんとなく気が引けちゃうんだけど。想像もつかないけどめちゃくちゃイライラしちゃう人もいるってことは知識として知ってるんだけど、やっぱりどれくらい痛いかとか不快感があるのかとか全然察することなんてできないんだからさ。

 

「花音ちゃんのそういう時とか把握してないの?」

「……確か眠いんだっけ常に」

「うん」

 

 普段からふわふわなんだけど、そのふわふわにふらふらが追加されたら察せる時があるくらいかな、幼馴染さん相手でも。それに気付けなくて家でご飯作ってくれた後に時折人の肩で寝てくるから頑張って気付けるようにはしてるけどさ。

 

「後は、千紘くんは私の常備薬知ってるから。どうしてもって時は買いに行ってくれるよ」

「確かにそれはありがたいね」

 

 そりゃね、俺にとって幼馴染さんは最も長く近くにいた存在だから。いつしか起こっていた男女の身体の変化も、対応できてしまう部分があるんだよね。

 だけどそれはあくまで幼馴染さんだけであって、千聖さんのことを気付けってのは無理があるよな。

 

「千聖ちゃん……大丈夫かな?」

「わかんない」

「俺に八つ当たりしないでほしかった……」

 

 一回でそれが収まると思って流したのだが、その数日後、バイト終わりに花音を迎えにいったときにも、千聖さんはイライラと俺を見つけるなりトゲのある言葉を、ただただ俺が詰られるだけの時間が続く。たとえ推しに会えるという嬉しさがありつつもまるで拷問のような時間に、俺はただ耐えることになった。

 ──そして更に翌週のこと、またもや俺の前に現れた千聖さんがこれ見よがしに溜息をついてくるのだった。

 

「……なに?」

「なんでもないわよ」

「そう」

「どこ行くのよ」

「独りにしてください」

 

 流石の俺も三回連続はムカっとしてしまう。いくら推しといえどね、ただ散々に罵倒されて平気かって言ったら全く平気じゃないし好きなはずなのに顔見るだけでイラっとしてしまうわけなんだよ。でも推しにそんな感情向けたくないし、自分の中の自分がめちゃくちゃに推しなんだから受け止めようとかめんどくさい聖人にでもなりたい願望があってごちゃ混ぜで吐きそうなくらいに気持ち悪くなる。

 

「推しに会えたのにそういう態度なのかしら?」

()()()()には会いたくなかったよ」

「……どういうこと?」

 

 だけど、だけどもう我慢の限界だった。追いかけてこようとする千聖さんに俺は、ついに俺は推しに敵意の目を向けてしまう。冷たくて、きっと俺が千聖さんだけじゃなく幼馴染さんを始めとした知り合いにされたら首を吊りたくなるくらいに鋭利な刃物のような言葉で対応してしまう。

 ケンカ腰にケンカ腰で対応したらどうなるかってもうケンカになるだけだよね。そんなことわかってるはずなのに、思考じゃなくて感情が先に出てきてしまう。

 

「俺、推しである千聖ちゃんに会うのは楽しいし認知してくれるの嬉しいし幸せだけどさ、千聖さんには会っても最近トゲばっかりだし笑ってもくれないし、トゲトゲしい言葉ばっかりでちっとも楽しくないよ」

「私は楽しませようだなんてこれっぽっちも考えてないわよ、プライベートなのよ?」

「……だからなに? プライベートなら気持ち悪いオタク叩いてストレス解消していいの?」

「別にストレス解消だなんて、自意識過剰じゃないのかしら?」

「……は?」

 

 この人本気でそんなこと言ってるの? 冗談じゃない。自意識過剰? 最高に腹が立つ言葉が返ってきて、俺はカッとなってしまう。

 けど相手を見て、すっと頭が冷えていくのを感じた。そう、相手はあくまでプライベートだけど推しで、白鷺千聖ちゃんなんだ。ストレスだってあるだろう、芸能界にストレスがあるかないかでいえばあるよと彩も言ってたし、花音も最近ちょっと余裕がないかもって学校での様子を教えてくれたし。

 

「……はぁ、いいですよ別に」

「なにが」

「俺が千聖さんのストレスに向き合う……とか言わないけど、愚痴くらいなら聴ける。当たるんじゃなくてそっちの方が俺だって気分悪くなることないし」

 

 誰にも努力とか苦悩を見せないのはいいんだけどさ、そうやってただただ俺に八つ当たりするくらいなら愚痴の方がマシなんだよ。だから落ち着いてほしい。今の千聖さんは見てられないくらいに荒れてるから。

 ──だが千聖さんは、今度は何故か千聖さんが決壊してしまう。

 

「わからないわよ! ただ消費するだけのオタクに何も求めてなんて!」

「……千聖さん」

「その目で私を見ないで!」

 

 それは悲鳴のようだった。何があったんだろう、何が千聖さんをそこまで傷つけているのだろう。それは何もわからずに、千聖さんの瞳からは大粒の涙が零れていく。その涙は……瞳の色は、あの時の彼女を思い出させるものだった。

 

『──だって……私は、私ね……千紘くんが、好きだから』

 

 あの時、彼女は理解することを拒絶されてそう食い下がってきた。その時と千聖さんが何故か重なって見えてしまう。どうしてかはわからないけれど、ストレスをなんとかしたい、でもなくわかってほしい、でもなく……()()()()()()と言っているような気がした。

 

「千聖さん」

「……なによ、放っておいてほしいならそうするわよ」

「ううん。さっき言ったよ」

「……なにを」

「俺は、推しに笑っていてほしい。俺がなんとかすると笑ってくれるなら、俺が千聖さんを笑わせてあげたい」

「……千紘」

 

 なんか泣き崩れてしまった。え、なんで? なに? これどういうこと? 俺も誰か助けてほしいんだけど! おろおろとしているとそろりと花音が事務所の扉を開いてくれる。様子伺ってくれてたんだね、幼馴染さんありがとう。

 

「俺、千聖さん先に送ってくよ」

「……うん」

「ごめん」

「いいよ……きっと千聖ちゃんも、千紘くんの助けが必要だろうから」

 

 流石、ちょっと寂しそうにしながらも状況を素早く理解してくれる幼馴染さん。彩じゃこうはいかないと思いつつ、俺は千聖さんに手を差し伸べた。ちょっと戸惑ってから千聖さんは手を取って俺の力を使って立ち上がる。

 お店を出て、しばらくしてから千聖さんはまるでそれまで意識を失っていたかのように手の力を込めて何かを訴えかけてくる。

 

「……ねぇ、千紘」

「ん?」

 

 顔を上げた彼女はひどい顔をしていた。メイクは崩れ、目許が真っ赤になっていた。前髪が崩れ、それをうまく隠すようで、その奥の紫色の瞳は、まだ光を失ったようにくすんでいた。だが、だがそれゆえにひどく弱々しいながら、俺の推しじゃない本当の白鷺千聖がそこにいる気がした。

 

「……わがまま、言ってもいいかしら? 推してくれるあなたに、最低なことを」

「今日は特別に理不尽なことじゃなきゃいいよ」

「それじゃあ──」

 

 ──その言葉は、俺の思考を完全に麻痺させるには十分すぎる破壊力を持っていた。だがそれはタイミングが完璧すぎて、今日は運命を司るカミサマに意地悪をされているのかと思うくらいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、千聖ちゃんは大丈夫だったの?」

「わかんない。憔悴しきってて話はできそうじゃなかったし」

「そっか」

 

 その日の幼馴染さんとの帰り道、やっぱり話題はそっちになった。親友が幼馴染に叫ぶなんてものを目の当たりにした、なんていうんだから納得ではあるけど。でもこれは事実だ。彼女を送り届けるまで無言だった。気持ちを整理する時間がほしいんだと思う。

 

「でもごめんね」

「ああいいよ」

「今度は千紘くんの好きなもの作るからね!」

 

 両親揃って会社に泊りという惨劇にご飯を作れなかったことを悔やむ花音。まぁあの両親も花音がいるから平気でしょ、とばかりにそれをするわけなんだけど。ただ花音は花音でおばさんが体調を崩してしまったらしく、そっちを優先するとのことだった。家に呼ぶとは言われたがそれは断っておいた。変わりに好物を作ってと頼むと笑顔で了承してくれる。

 

「それじゃあ……千聖ちゃんのこと、千紘くんだけが背負う必要はないんだよ?」

「わかってる。()()のこと、頼りにしてるよ」

「……うん」

 

 そう言って別れて……溜息を吐いた。ああもう、嘘つきだな俺は。頼る気なんてないくせに、そんなことを言って花音を安心させようとする。

 本当は、もう、俺だけが背負わなくちゃいけなくなってるのに。

 

()()()()

「おかえり、千紘」

「あ、お風呂入れた?」

「ええ、ゆっくり温まれたわ」

 

 ──それじゃあ、千紘の家に泊めて。千聖さんはそう言った。虚ろな瞳で、いつもの強気でサドっぽい雰囲気もなにもない、縋るように。俺はそれを断ることなんてできなかった。運命のいたずらなのか、丁度両親が会社に泊まると言った日に、俺は千聖さんと二人きりの空間に帰ってきてしまった。

 

「ふう、お待たせ」

「そんなに急がなくてもよかったのに」

「いいの」

「……ありがと」

 

 えっと、今更なんですがしおらしい千聖さんってレア中のレアどころかもう星4をはるかに上回る破壊力だよ。しかも風呂上りで丈あまりの俺のジャージを着てる。フェス限なんてレベルじゃない。最強無敵の推しの誕生である。あ、やべオタク出しちゃった。

 

「お金取るわよ」

「どうぞ」

「……冗談よ」

「それは知ってた」

 

 お風呂で独りゆっくり温まっていたせいか千聖さんは幾分かいつものトーンを取り戻していた。いやいつもより柔らかな印象すらあるけど。

 つまりこれでやっと何があったのか訊きだせるってことだね。訊きだすというよりは話してくれるの待ちってところか。

 

「……くだらない理由よ」

「そうなの?」

「ええ、くだらなさすぎて、プライドが邪魔して誰にも言えなかっただけだもの」

 

 プライド、時に一番正常な思考から最も遠くなっちゃうやつだよねプライド。よくわかるともオタクはプライドをズタボロにされた負け犬の集まりなのにその中でより強いプライドを持ってしまうんだからより醜いんだよ……じゃなくて。

 

「そうよ、まさか……自分が恋に落ちるだなんて考えもしなかったのだから」

「……は?」

 

 その言葉に俺はフリーズしてしまう。はい? 恋? 推しが……推しが。いやいや、推しにね好きなひとができたり恋人ができてもそれはあくまでプライベートであって推しが推しである限りは推していこうというのが俺のオタクとしての矜持であり握手した推しの前で堅く誓ったことでもあるのだからそんなんで俺に夢見させてくれよとかガチ恋キモオタの思考は発揮しませんけど。

 

「……オタクね」

「う……すいません、バグった」

「はぁ、なんでこんな男を好きなったのかしら」

「さぁ……へ? え? ワンモア」

「オタクね」

「そっちじゃなくて!」

 

 わかってて言ったでしょ今。ちょっと待って? ちょっと待ってね千聖さん! 俺にも心の準備があるんだからね!?

 深呼吸をする。待って俺凄い体験してる気がする。嘘でしょ、夢? 夢である気がする。夢ならばどれほどよかっただろうね! 

 

「……な、なんで八つ当たりされたの俺?」

「千紘があまりに理想とはかけ離れていたからよ」

「理不尽じゃない? じゃあえっと、イライラしてたのも?」

「それは……あなたが他の子と楽しそうに話すと」

「嫉妬だったんだ……じゃあえっと?」

「……花音の気持ち、知っていたのよ」

 

 あ、先回りされた。えっとつまり? なんでかわからないけどいつの間にか俺に惹かれてて? 花音の気持ちを知ってるのにそんな気持ちを抱くことが気持ち悪くなってしまって、でもそんなことにも気づかず彩とか花音とかとヘラヘラしゃべってるクソオタクを見るとモヤモヤしてた、と。

 

「ええ、あとは自分がアイドルで女優なのに、というストレスも」

「……そりゃ俺にはどうしようもないわけだ」

 

 俺にできるわけない。全部の感情が俺に向けられてるんだもん。あとは千聖さん自身にきてるのもあるけど、それは千聖さんがなんとかしなきゃいけないんだし、怒りや嫉妬以上に重くて大きな感情だもんね。

 

「それでもただの女としての私が叫ぶの……白崎千紘が、好きって」

 

 推しが推しの顔を投げうって、俺に覆いかぶさって、唇まで塞がれる。それだけじゃないぬるりと舌が入ってくる。ソファに押し倒され、彼女は熱を帯びた声で、顔で、俺にすべてを破壊する一言を放つのだった。

 

推し(わたし)のパンツ……見たい?」

「……えと、パンツで済む?」

「さぁ? 履いてないもので済むのなら、そうなんじゃないかしら?」

「はい?」

 

 まさかの透明とは恐れ入った。

 ──推しは推しとして推したいはずだったのに。その推しとオタクの壁を推しからあっという間にハンマーで殴り壊し、飛び込んできてしまった。推しとオタクからただの女と男になってしまったのに、二人きりで何も起きないわけなんてないんだよ。俺は、この日から最低の、オタクとすら名乗れない、ナニカになってしまった。

 



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曇天、暗転、愛はなく

 目覚めの朝、というにはあまり心地よさのない曇天だった。バイトがなくてよかったと思うような休日、こういう日は一日ゲームか家でライブ映像垂れ流しながら……と思ったところで腕に何か乗っていることに気付いた。

 

「……ん」

「ん? あ、そうだった」

 

 狭いベッドだもんな、俺が床で寝るとか言ったんだけどいつの間にか一緒に寝ていたらしい。疲れて気付いたらってやつだ。

 ──ところで彼女は仕事とかないのだろうか。こんな時間までのんびり寝ていて、起こそうとは思ったけどガッツリ相手が裸なのでなんとも起こしにくい。

 

「……はぁ、推しなんだけどなぁ」

 

 隣で寝てるのはオタクにとっての絶対神、推しメンである千聖さん。他のオタクにバレたら間違いなく殺されるしスキャンダルで千聖ちゃんが業界から干されることになれば俺が死ぬ。推しのことを一生推していたいのに!

 

「ん……」

 

 そんな風に最悪の未来に震えていると目がゆっくりと開いていき紫色の宝石が俺を捉えてくる。そして自分のおかれてる状況を把握したらしい千聖さんは、柔らかい笑みでおはようと俺に顔を寄せてきた。

 

「お、おはよう……」

「もう少しぎゅっとしていて。そうしたら起きるから」

「え、あ、はい」

 

 そういえば千聖ちゃんは朝割と早く起きるけど五分くらいはぼーっとしちゃうんですって何かのインタビューで言ってた気がする。低血圧というやつなんだろう、俺は仄かに家のシャンプーのする千聖さんを言われた通り抱きしめていく。

 

「あの……服」

「なあに? 恥ずかしいの?」

「そりゃもう」

「うふふ、このまま……もう一回する?」

 

 俺は全力で首を横に振る。しません、確かにあの時俺は千聖さんの……しかも直前で初めてだからとかいうとんでも爆弾発言をくらった上にサークルが同じオタ友にもらった一個を使って千聖さんが満足しなくてコンビニ走ったけど。だからって俺がそんな風に一回したら二回も三回も一緒だなんて思うわけないでしょ! 

 

「私がそんな軽い女に見えるの?」

「あ、いや……決してそういうわけでは」

「じゃあ、どうして受け入れたの?」

「……それは」

 

 それに関して明確な答えは出ない。俺は幼馴染さんこと松原花音を想っている。それは事実で、変わらないけれど俺は千聖さんを振り払うことができなかった。振り払えれば、俺はちゃんとオタクだったのだろうか。中途半端にプライベートの千聖さんにかかわったが故なんだろうか。それとも、俺がただ単に女なら誰でもいいクズだったのか。そんなことを考え、言葉を継げないでいると、千聖さんは首に腕を回して、唇を押し付けて、重ねてくる。

 

「……バカ」

「ごめん」

「ここまでして……ここまでしておいて、逃げようとするなんて……」

「だって、どうしたらいいのかわかんないんだよ。あの時の千聖さんと、その前、泣いてた千聖さんも怒ってる千聖さんも、全部……俺には──っ」

 

 また唇を塞がれる。それどころか舌が入ってきて、言葉が全部奪われてしまう。笑ってる千聖ちゃん、オタ活が高じすぎてて呆れたように俺を窘める千聖ちゃん。くだらないとややサディスティックに笑う千聖さん。ちょっと子どもっぽいところもある千聖さん。あの日の雨のような涙を降らせる千聖さん。そして……俺に縋りついて、愛してほしいと喘ぐ千聖さん。その全て、俺にとっては全部白鷺千聖という、()()()()()()()()

 

「やめて!」

「……千聖さん」

「私は私なの! あなた以外の愛なんていらない! あなたに愛されたいのに、どうしてそんなヒドいことが言えるの?」

「それは……」

「千紘」

 

 千聖さんは縋りついてくる。愛がほしいと叫びをあげる。それは推しを推すものとしての距離を保った愛ではなく、触れて、穢してほしいとすら思っているのだろう。わかってはいるけど……それは俺には不可能だ。だって俺は推しは推しという特別な感情以外のものは抱けない。どんだけ、それこそこんなコトまでしでかしても、その思いは変わることがない。

 

「……だから、それでもいいなら」

「それでもいいなら慰めてくれるの? ふざけないで……っ! そんな優しさなんていらないのよ、傷つけたっていいから、ひどくたっていいから……私をあなただけのものにしてよ」

 

 悲痛、哀願、曇天の空に彼女の鈍色の感情が俺の頭を殴ってくる。朝から、こんな気持ちをこんな悲しい気持ちを押し付けられ、押しあてられ、俺にどうしろって言うんだよ。責任を取れとでも言うの? 違うんだ、責任感じゃ千聖さんは満足しない。彼女が求めるのは、そういうのじゃない。

 

「千聖さん……」

「千紘、いや……どこにも行かないで」

「どこにも行かないよ。着替えて待ってて、朝ごはん作るから」

「……うん」

 

 俺は間違えてるのかもしれない。いや間違えている。でも、それでも俺は彼女がアイドルでいられなくなってしまうことの方が怖い。俺が支えることで、俺が彼女を愛することで……俺が犠牲になることで千聖さんがまた笑顔でステージやドラマの舞台に立てるのなら、俺は踏み台になる。

 

「なに作ってるのかしら?」

「目玉焼き、これだけは作れるから」

「焦がさないでほしいわね」

「焦がさないって、ほら!」

「あ……ふふ、まったく」

 

 朝食を一緒に食べて、これからどうする? と問いかけると無言で俺に抱き着いてくる。あの、できたらお仕事があるかどうかだけお教え願えないでしょうか? どうやらそれも拒否しているようで、さてはサボりか? 

 

「まぁ、いいけど」

「……ごめんなさい」

「いいんだよ。でもせめて連絡しといた方がいいよ」

「そうね……ありがとう」

 

 本来、オタクならこういう時にもサボるなんてって言うべきところなんだろうけど生憎俺はもうオタクとは呼べないゴミになり下がった。その証明のように鏡を見たら鎖骨の下あたりに赤黒い虫刺されのようなアトがあった。

 

「私も背中についてるわよ」

「……そっか」

「気にしないで。つけてとねだったのは私なのだから」

 

 俺が千聖さんの肌にアトをつけただなんて一週間前の俺が知ったらまず間違いなく俺を消しにくる。きっと並行世界の俺まで現れかねない勢いだ。ありとあらゆる全ての俺が俺を消しに来るという謎のSFを妄想していると千聖さんに腕を引かれた。ところで帰る気ないですよねその恰好。

 

「なんで俺のパーカーとTシャツなの……自分の服は?」

「下はパンツだけよ」

「訊いてないし聞きたくなかった」

 

 そうやって言うのにパーカーを捲って薄桃色のそれを見せられた。いや知りたくないってば。だけど千聖さんはお構いなしである。元々会話的にそういうタイプだけど恋愛ごとになると特に顕著なようで、引くことを知らぬように押してくる。押してだめなら押し通してくる。

 

「それよりも」

「うん」

「昨晩の感想を聴いてないわ」

「……よく覚えてないです」

「ふうん」

 

 怖いんだけど、なに? と思ったらおもむろにパーカーとシャツを脱ぎ捨てだした。は? なにやってんの? 千聖さんが本格的に頭おかしくなったの? 現れる薄桃色のブラにドキドキが止まらなくて固まってると更にブラのホックを外しだした。

 

「ま、まままま、なにしてんの!?」

「なにって、覚えてないって言うから」

「そこまでして感想を知りたいもの!?」

「しょ、処女だったのだから……当然でしょう?」

 

 恥じらう千聖さん、ちょーいいね……じゃなくてだよ。その感想を訊こうとするともれなく俺が爆発四散するんだ。恥ずかしいとかそういう問題じゃなくてそれをじっくりねっとり観察するっていう自分に自分の身体が耐え切れない。あれだよ、自爆するしかねぇってやつ。

 

「お、落ち着こう千聖さん?」

「落ち着くのはあなたよ千紘」

「なんでそんな冷静に服が脱げるんだ!」

 

 ──とまぁこんなやり取りだけど、いつも通りの千聖さんが傍にいてほっとしたのは事実だった。俺が真のオタクやめて偽ゴミにわか勢になるだけで千聖さんの精神が安定するなら、それでもいいと思ってる。

 華奢で白い肩、細くくびれた腰、しっとりと微笑む桜色の唇、紫色の花。花音と同じ三色菫(パンジー)を思わせる、キレイな彼女。

 

「パンジーの花言葉は、知ってるかしら?」

「さぁ」

「私を想って、よ」

「……そっか」

「黄色のパンジーはね」

「ん」

「つつましい幸せ……ふふ」

 

 ただの少女のように千聖さんは微笑む。その白い背中に腕を回して抱き締めるとまた彼女は花を咲かせる。蜜を垂らして、俺を誘ってくる。今までの全てを解放するように俺に摘み取ってとねだってくる。逃げられない、逃げられるはずもない。俺は養分だ。千聖さんという花を咲かせるための、養分だから。

 

「……帰りたくないわ」

「でも」

「ええ、わかってるの。けれど、すごく幸せな時間だったから……ね?」

 

 結局、千聖さんが昨日と同じ服で玄関の前に立ったのは、夕方頃になってからだった。まだ曇天の空を見上げて、それから千聖さんは最後に踵を上げ、優しいキスをしてから手を振って俺に背を向けた。それを見送っているうちに今更冷静になって、玄関であるにもかかわらずしゃがみこんでしまう。なんてことをしたんだ俺は。忘れたいのに忘れられないその後悔を抱えきれずにうずくまっていると、ふと誰かが俺の前に立っていた。

 

「……か、のん」

「──嘘つき」

「そう、だね」

 

 冷たい目だった。信じられないものを見るような目だった。千聖さんとすれ違ったのだろうか、だとしたら想像くらいつくだろう。昨日と同じ服で俺の家から出てきたということの意味、花音に嘘をついていたということくらい当たり前にわかる。

 

「キミはそんな風に優しくないクセに……優しいフリをするんだ」

「優しいフリをしてるつもりもなかったんだけど」

「昔からそうだよ。優しいフリして、傷つけるんだから」

 

 優しい嘘が苦手な俺はいつだって残酷で、人を傷つけるようなことしかできない。花音はそう言ってるんだ。俺の優しい嘘に傷つけられ続けた彼女は、そうやって俺を詰ってくる。そして、今度はその傷を俺に返してくる。

 

「千紘くんなんか、嫌い」

「……花音」

()()()()()のことなんか嫌い。嘘つきは、大嫌い」

「──っ!」

 

 そう言って、花音……幼馴染さんは俺から優しさすらも奪っていく。クラゲのように獰猛に、触手のように腕を身体に絡ませ、毒を流し込み、その大きな口で俺を貪ってくる。だがそこに愛情なんてものは存在しない。あるのは食欲と、俺を侵す毒の味のみ。

 

「全部嫌い、ほら、結局キミだって……気持ちいいから断れなかっただけでしょ? 千聖ちゃんに優しかったんじゃなくて、千聖ちゃんを、推しと繋がれて気持ちよかったんでしょ? 誰でもいいんだ、誰だって気持ちよければそれでいいんだよ。嘘つき、嘘つき……ウソツキ」

 

 毒の味は抗うことのできないくらいに甘い。快楽という毒に侵され、いつしか彼女の紫色(シイロ)だけが俺の目に映る。ドロドロに煮詰まった欲望と愛情だったものを俺から奪い取り、恍惚の息を漏らして……松原花音は俺を嘲り、嗤う。

 

「はぁ……はぁ……ほうら……気持ちよかったでしょ?」

 

 千聖さんの愛すらその唇で奪ってくる。鎖骨の下にあったものも、胸の下にあったものも、二の腕についていたものも、首筋のソレも。刺され、痛み、喘ぎ、また俺の口に毒を流し込んで、なにもかもを曖昧にしていく。

 

「さようなら……最低な幼馴染くん。もうキミは……()()()()()()()()()()()()?」

 

 この日、俺は本当に何にもなれなくなった。幼馴染さんの復讐を受け、感情全てを食われ、貪られ、全てを丸裸にされた。

 ──残されたものはちっぽけな虚栄心。千聖さんや彩と関わったことで感じた他のオタクへの優越感、パレオちゃんや紗夜さんと仲良くなれたことで感じた優越感、オタクとしての醜いまでの心の奥底で感じていた()()()()()()()()()()()()()()という俺自身が嫌悪していた感情だけだった。

 

 



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雨のち晴れ、ラッキーカラーはイエロー

 雨が止まない。

 ニュースではどうやら梅雨入りしたらしい。ずっと雨が降っていて、あれから空が青色だったことを見たことがなかった。

 ──今日は、本当はパスパレのお渡し会があったはずだった。でも、俺は家に引きこもっていた。もうファストフード店にも行ってないし、バイトと学校と家の往復だった。

 

「……バイトも、やめようかな」

 

 正直、バイトだってパスパレのために始めたものだし、オタ卒するならもう必要なんてない。そもそも、ホントにバイト代もパスパレにつぎこんでるくらいだし。

 俺はオタクというもので生活していたんだなってことが身に染みてわかる。人間関係だって、生活リズムの中にあるものだって、全部全部、自分がオタクであることを前提にしたものだ。それを失った今、俺は中身のない空っぽであるような気さえした。

 いや、空っぽは元々か。殻だけはいっちょ前に作り上げて、結局それを破壊されて何も残らなかったのがいい証拠だ。

 

「──千聖さん」

 

 めげずに、千聖さんはあれから毎日、電話を掛けてくる。でも俺はとても出る気になれなくて、サイレントマナーにしてあるスマホをそっと、裏返しにした。

 ごめん、とじくじくと胸が痛んだ。一度も会えてない、なんなら二度くらい居留守を使った。

 そして逆に花音からは、全く連絡が来なくなった。言葉通り、もう俺はアイツの幼馴染にすら、本当になんにもなれなくなってしまった。

 

「ダサ……なにやってんだろ」

「全くでございますね」

「今更じゃない」

「……は?」

 

 明かりの消えたスマホを見つめながらの独りごと……のつもりだったんだけど、いつの間にやら両脇に人が立っていた。家には俺一人しかいないのに、そこにはおはようございます! と笑顔を浮かべるツートンツインテールが特徴的な子と、腕組みで憮然とした表情をするクールなアイスブルーの女性が、俺の言葉に返事をしてきた。

 

「なんで……?」

「不肖パレオが、ちゃーんと千紘さんのお母さまから鍵を預かりまして、堂々と侵入させていただきました!」

「……は?」

 

 確かに五月辺りは折角だからと送っていったパレオちゃんに夕飯を一緒にどうですか? と言っていたし、なにやら妙に仲良くなってたなとは思ってたけどまさかそういうレベルだったの? 

 

「違うわよ」

「はい! 千紘さんがなんだか様子がおかしいと先日相談されまして、それでしたらパレオが解決してみせます! と言ったら預かったのです」

「私はそれをパレオさんから聞いて付いてきただけよ」

 

 なるほど、納得はしたけどだからって何かが解決したわけじゃない。というかそもそも俺が抱えてるものはそんな様子がおかしいからってパレオちゃんや紗夜さんが来て解決するようなものじゃないから。

 だが、そう言うとパレオちゃんは、ふっといつもとは違う雰囲気の、どちらかというとオフの鳰原れおなちゃんに近いテンションで知っていますと微笑まれた。

 

「ダメですよ~オタクが推しと繋がるなんて」

「しかもその翌日に不貞……いっそ清々しいほどのクズさですね」

「……なんで」

 

 なんで知ってるのかという問いかけへの答えに、そもそもパレオちゃんが母さんに鍵をもらいにいった経緯が含まれていた。

 ──その日、ファストフード店に俺を待っていた千聖さんの目の前にやってきたのはほかでもない花音だったのだから。

 

「松原さんがすべてを暴露しました。そして」

「──私たちが千紘さんを狙うからこうなるのだと。千紘さんは、誰にもあげないと」

 

 鳴かぬなら、殺してしまえ……花音はどっちかというとそういうヤツだ。千聖さんに鳴くというなら、すべてを壊そうと思った。幼馴染であることも、誰かのものになるくらいなら、その全てをなかったことにしようとしたんだ。

 

()()()()()()()()()?」

「……なにが」

「千紘は、それを相応しい罰だとでも思っているの?」

「そうでしょ……だって俺は」

 

 結局千聖さんとの関係にも名前を付けられないまま、花音にも同じことをした。まるで心臓にナイフを突きつけられるような強迫もあった。だけど、千聖さんだけで終わるはずだったソレを、花音にも。

 

「だからって、独りになろうとしないでくださいよ……」

「そうよ。そういう時にこそ、私やパレオさんを頼るべきよ」

「……でも、こんなの」

 

 こんな汚いもの、誰かに相談しろだなんて……無理だよ。そんな風に俯いて二人の優しさが眩しくて、膝を抱えて伏せる。それだけのことをした。それだけのことをさせてしまうくらいに彼女を追い詰めた。だから……そうまた閉じこもろうとした俺を、けどパレオちゃんは抉じ開けてくる。抱き締めて、泣きそうな顔で俺を包んでくれる。

 

「これ以上、あなたがあなたを傷つける必要なんてないんです。前を向きましょう。立てないというのなら、ひっぱり上げますから」

「どうして、そこまで」

「千紘さんが、だいすきだからです……っ」

 

 大好きだから……まっすぐで、キラキラと光を放つその言葉は痛いくらいに俺の心に刺さってきた。その好きは、千聖さんと同じものだった。花音と同じだったはずのもの。なのに、どうしてパレオちゃんの好きは、こんなにもキラキラしているんだろう。

 

「届かないってわかっています……けれど、私は……パレオはっ、千紘さんが好きです」

「……パレオちゃん」

「パレオにとって、千紘さんがいつもの笑顔で、幸せそうにオタ活をしているのをそっと支えて、その時間をちょっとだけ共有したい。それが叶うなら、パレオはなんだってします! パレオにとって千紘さんは()()()()()()()()()()()()なんです!」

 

 後半はもう、ほぼほぼ涙声だった。だけどその涙が、震えた声とまっすぐな気持ちが、言葉が、なにものにもなれないと思った俺に、新しい名前をくれる。推しを推すオタクだけじゃない、幼馴染だけじゃない。俺はまだ、こんなにも俺に名前をくれるヒトがいるんだから。

 

「パレオちゃん……ありがと」

「はい……」

「紗夜さんもありがとう」

「同じ穴の狢なので」

「……って紗夜さんもなのか」

「フラれるのはわかっていますが」

 

 そんな淡々とした言い方もなんだか紗夜さんらしいなぁ。ただやっぱり嫉妬とか思いが届かなかった遣る瀬無い気持ちももちろんあるようで、泣き出してしまったパレオちゃんを抱きしめながら撫でていると不機嫌な顔をされてしまう。

 

「なんて贅沢なモテ期なんだろうな」

「本当ね」

 

 中学の時からずっと花音がいて、パレオちゃんに紗夜さん、極めつけは千聖さんなんだから。美人でかわいい子だらけの上にまさか推しにまで惚れられるとは俺の人生はなにが起こってそうなってしまったんだろうか。

 

「それで、お渡し会、まだ間に合うわよ?」

「……行こうか。それがパレオちゃんにとっての俺なら」

「ちひろさ~ん」

「一応、こんなことするのは今日だけだからね」

「……今日だけだとしても、嬉しいです~」

 

 めっちゃ俺の肩に顔を埋めてくるんだけどこの子。それを見てちょっとだけ羨ましそうな紗夜さん。やったぁモテてるぜひゃっほいって気分にならないところが残念である。いつものようにパレオちゃんが用意してくれた車に乗って、パレオちゃんがお化粧直しをしている間は、紗夜さんが傍にやってくる。

 

「これが、お気に入りのパンツです」

「……ごめん、俺頭がどうかしそうなんだ」

 

 一応ね、女性関係で痛い目見て傷心中のような勢いなの。それなのに俺は何故紗夜さんのタンスの中に入ってるパンツのラインナップを延々を聞かされているのでしょうか? そう問いかけると紗夜さんは至極当たり前のことのように、だってパンツ好きなんでしょう? と首を傾げてきた。

 

「どういう認識なんだそれ……」

「パレオのもご覧になりますか? フリーですよ!」

「見ません」

 

 化粧直しが終わったパレオちゃんまでノってきた。更に重ねて今日は千紘さんを想ってのイエローでございますよとか言ってくる。なんでそういうの言っちゃうの? もう俺パレオちゃんのスカートを純粋な目で見れなくなったんだけど。

 

「……色が被りました」

「……はい?」

「パレオさんと同じ色です」

「お揃いですね!」

「いやお揃いですねじゃなくて」

 

 こんな感じのやり取りをしているうちにすっかり毒気が抜かれてしまった。笑ってもいいんだなって気持ちにしてくれる。でも気持ちには応えられないって罪悪感で胸が締め付けられるけど、それすらも許されて、笑顔に変えてくる二人に好かれて……嬉しかった。

 

「千聖さん……今頃はもうイベント中かな」

「そうですね、時間的にはもう」

「電話やらなにやら無視したのだから、相当怒ってるでしょうね、きっと」

「うわぁ……」

 

 パレオちゃん、そのうわぁはどういううわぁなんでしょうか。そりゃね、どうしたらいいのかわかんないんだから無視するでしょ。どのツラ下げて推しと話せると思ったのか。花音とのことを知っていたってことも知らなかったんだから。

 

「そうじゃなくても、ちゃんと返事はするべきよ」

「紗夜さんの言う通りですよ?」

「ですよね」

 

 でもさぁ? 俺にどうしろって言うんだよ。またあんな風に不安定で泣いちゃう推しなんて見たくないんだけど。推しには笑っていてほしいよ。俺なんか路傍の石ころのような扱いでいいから、あんな顔は二度と見たくない。

 

「……千紘さん」

「それだったら尚更かと」

「……そういうもの?」

 

 あなたは女心というものが全く理解できていないのねと紗夜さんに煽られる。わかってないからこんなことになったんだけどね。そして紗夜さんの気持ちにも、パレオちゃんの気持ちにも、なんなら千聖さんの気持ちにも気づけなかったんだし多少の反省はしてるよ。

 

「その言い訳はせいぜいお渡し会でしなさい」

「そうですよっ! 怒られてきてください!」

「はい」

 

 そんなこんなで送り出されて、俺はいつもの流れで千聖ちゃんに会いに行く。千聖ちゃんは俺の顔にちょっとだけ驚きながら、笑顔をくれる。そのままアイドルとして、オタクに対して話しかけてくれるのかな……なんて思った俺がバカだったんだけど。

 

「……来て、くださったんですね」

「うん……ごめん」

「いいえ、それだけで嬉しいんです。顔を見れただけで」

 

 スタッフさんからすれば何言ってるんだコイツらはって感じなんだろうけど、その隠された言葉の意味と、千聖()()の安堵に俺も顔を綻ばせ……って痛ぁ! 今めっちゃ叫びそうになったけどこのアイドルめっちゃ俺に爪立ててきたんですけど!? 

 

「……まだ来ますよね?」

「ハイ、それはもう」

「……ふふ♪」

 

 ごめんなさい、本当にごめんなさい俺がバカでした。でもアイドルモードのシャイニングスマイルのまま脅してくるってどういうことなんでしょうね! なんかもう千聖ちゃんに会ったらここに来るまでうじうじ悩んでたのどっか吹っ飛んだよ! 流石推しパワーというべきか。意味は違うけど。

 

「あ、()()()()!」

「どうも彩ちゃん……逃げてきちゃいました」

「うんうん、千聖ちゃん楽屋でもめっちゃ怒ってたもん」

「……だよね」

 

 これは後ろで声が聴こえないからこそできる会話である。そしてスタッフに聴かれても問題ない程度なんです。千聖ちゃん認知厄介勢筆頭としての顔の広さがこんなところで役立つなんて思いもしないわけなんですが。

 

「ところで、ホントなの?」

「事実です」

「うわぁ……」

「そのリアクションめっちゃ傷つくんだけど適当に改変してレポしていい?」

「ダメだよ!?」

 

 彩ちゃんにもやっぱりそのことを指摘されて、そして千聖ちゃん二週目に入るわけなんですが、入ると……あれ? スタッフさんはどちらに?

 ──そう思うと脇でイヤホンしながらスマホいじってた。職務怠慢ですかね? 

 

「私がお願いしたのよ」

「千聖さんはどんなパワーを持ってるんですか」

「無能事務所のエースとしての、かしら」

「うわぁ……」

 

 言い切ったよこの人。そして、イベント中に会いたくない人ナンバーワンであるプライベートモードの千聖さんです。いや何がって豹変の仕方が怖い。彩を見習ってほしいくらいですよ本気で。

 

「は?」

「え?」

「オタクとしても浮気かしら?」

「違います」

 

 そもそも浮気になるんですかね。一応なるのかって納得した流れを口に出したら殺されそうだ。黙っておこう。

 だがオタクとして千聖ちゃん以外の子に浮気をするつもりは一切ないから安心してほしいです。そして、オタクじゃない俺としてはまだ、その件を保留にしてほしいんだ。

 

「……あの女を選ぶの?」

「親友でしょうが」

「親友でもなんでも、あの子がやったことは許せることじゃないわ」

「それ、たぶんアイツも思ってるよ」

 

 お互いに奪った、と思ってるんだろうから。その縺れちゃった糸をほどけるのは、きっと誰でもない俺なんだからさ。

 そう言うと千聖さんははぁ、と息を吐いて素早くスマホを取り出して操作した。え、なに? 

 

「ご褒美よ」

「……ええ」

「せいぜい見られないように気をつけなさい……ふふ♪」

 

 それは今のアイドル衣装のスカートを捲り、また黄色だ。黄色のショーツが見えている自撮りだった。なんかアンダーの黒パンが半脱ぎになってることで余計にいかがわしさがあるんだけど。でも、そんないつも通りの千聖さんのノリで、また元気になったのは事実だった。あ、元気になったってそういう意味じゃないからね! 

 

 

 

 

 

 



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曇りのち雨、ラッキーカラーは紺とピンク

 梅雨入り宣言以降、まるで示し合わせたように鈍色の空が続く日々。雨季がないとダメってのはわかってるんだけど、じめじめされるとなんだかなぁという気分になってしまうのは、人間のわがままなんだろうか。

 そんな曇り空の中、俺は紺色の傘を畳んで手に持ちながら行きつけのファストフード店へとやってきていた。

 

「あ! 先輩だ! いらっしゃいませ!」

「ひまりちゃんは元気だね……見習いたい」

「見習ってくれていいですよ~?」

 

 やっぱやめとこ、というと元気に出迎えてくれていたひまりちゃんはどっちですか~? とおどけまじりに頬を膨らませる。花音は……まぁいないよな。いたらいたで気まずいことこの上ないけど。そしてこの状況はアイツの精神衛生にいいわけじゃないし。

 

「花音ちゃん、最近誰とも話さずに帰っちゃうから」

「そっか……」

「いっつも暗くて……だからかな、私は、なるべく花音ちゃんのこと、敵みたいに扱いたくないな」

 

 休憩中の彩の言う通りだと思う。確かに千聖さんや、パレオちゃん、紗夜さんから見て花音は許せないことをしたと思う。でも、そうだとしてもそうやって多人数で花音ひとりを排斥して、それが正義だって言うなら俺は……俺が独りでいた方がマシだ。

 

「千紘くんはあんまり口出ししない方がいい……のかな。私もあんまりそういう友達の恋人が、とか経験ないからわかんないけど」

「さすが生粋のアイドル」

「ほめ言葉……として受け取っておくね?」

 

 あれ、本気で褒めたつもりだったのになんかやらかしたっぽくて彩が怒り交じりの笑顔だ。えっと、なにがまずかったのだろう。私だって、と彩はアイドルらしからぬ怒り顔になって、俺のポテトを奪い取ってくる。

 

「私は、アイドルだし、アイドルになりたいけどさっ! もうっ、千聖ちゃんがキミに怒るのもわかる気がする」

「……千聖ちゃんも彩ちゃんも、みんなアイドルだよ。それで俺は」

「ドルオタでしょ。わかってるよ……千紘くんの言いたいことくらい」

 

 でもそれじゃあダメなんだよ、と彩は少し泣きそうな顔をする。どうして? そうすることが正解だろうなんて部外者で消費者である俺が言うことではないけど、それでも、彩はそれが自分にとっていいものだと信じていたんじゃないの? 

 

「記号で呼ばれて嬉しいなんて人はいないよ」

 

 その言葉は俺に深く突き刺さるようだった。俺はあんまり自分の名前が好きじゃない。そもそも千聖ちゃん推しなのに名前が似すぎてるっていうのが自分の中であまりにマイナスポイント過ぎるから、ドルオタでもなんでもいいって部分がある。だけど、それは俺が特殊なだけ。

 

「私は、丸山彩でいたい。少なくとも千紘くんにとって、数いるアイドルの一人じゃ……嫌だから」

「……彩」

「って、ここまで言えばさすがの千紘くんもわかっちゃうよね」

 

 否定しないのか。そんなわけないよって明るく笑い飛ばしてはくれないんだ。こんなに人から好意を向けられて、嘘であってほしいと願ったことはない。それは千聖さんが俺に涙を流してまで、そして自分の純潔を捨ててまで伝えてきた感情と、同じだから。同質とかベクトルが一緒とかじゃなくて()()()()()()だから。

 

「マジなの……?」

「うん……まじ」

「どうして?」

「それはフラれた方が縋り付くときのセリフだと思うんだけどな~?」

 

 いやだって、パレオちゃんは俺の中に他のオタクとは違う光を、彼女のご主人様であるチュチュ様やもっと前、彼女がかわいいを素直に伝えてみたいと考えるきっかけとなったパスパレと同じような光を見た、と理由を語ってくれた。紗夜さんはシンプルにフットサルをしている俺が輝いていたからと語ってくれた。この二人の理由はなんとか呑み込めたけど、千聖さんと彩はまるで理解できない。俺はオタクとしてアイドルと話していただけなのに。

 

「キミが頑張る人だったから」

「……え?」

「フットサルの話とか、バイトの話とか、キミは頑張れる人なんだなぁって思ったから」

 

 それだけ? と首を傾げた俺に対して彩は、それだけが大事なことなんだよと笑顔を見せてくれる。彩にとってはそれだけのことがアイドルとしてじゃなくて、ただ丸山彩として俺に笑顔を見せたい。頑張ってるところを見てほしいって思うきっかけだったと告白された。

 

「……わからないと思う。私だって、わかんないもん」

「でも、頑張ってる人ならいくらでも」

「うん。でもアイドルとしての私ともバイトしてる時の私とも関わりのある男の子って、千紘くんだけだよ?」

「じゃあ、もし他にいて、それが俺より魅力的だったら?」

「そりゃあ、きっとその人を好きになってたんじゃないかな?」

 

 でも、それが恋なんだよと彩は笑う。出逢いというものは大事で、もしなんて意味はなくて、現実にその条件にあてはまったのが俺だったから俺を好きになった。花音だって千聖さんだって、なんなら紗夜さんやパレオちゃんも、同じだったんだと思う。

 ──もちろん、俺だってそうだ。

 

「うん、だから千紘くんは、千紘くんの選択に任せちゃえばいいんだよ」

「……そっか、彩は、知ってるんだね」

「というかわからない人はいないと思うな」

 

 うわ、俺だけが隠してるつもりだったって言うのは恥ずかしいな。まさか俺が()()()()()()()()()()()()()()()ことを、みんな知ってるだなんて。でも、それが納得できるかできないかは別だよ、と彩は……俺に手を差し出した。

 

「えっと?」

「握手! して!」

「わかった」

「──ごめんね」

「え……っん!?」

 

 握手した手を引かれ、バランスを崩したせいで彩と顔の距離が縮まり、それを待ちかまえていた彩によって唇が塞がれてしまう。一秒、二秒、ここでようやく状況を把握したことで逃げようとしたのに彩は俺の首を抑えてきて、三秒が経過する。

 そしてさらにそこから二秒経過したところで彩はその力を緩め、俺は新鮮な酸素を求めながら彼女との距離を素早く空けた。

 

「……千聖ちゃんは」

「はぁ……ん? なに?」

「子役の時、キスシーンもしたことあるんだって。初めてなんて特に気にしてなかったらしいから、ファーストキスはその時の男の子じゃないかな」

「さ、さぁ……」

「でも私は……初めてだったよ」

 

 そ、そういうことね……彩って結構負けん気が強い一面があることはアイドル活動の姿勢から伝わってくるところだけど、こういうことでも発揮されるんだ。びっくりするほど、アイドルの彩ちゃんのような元気でかわいい感じじゃなくて、女性の色香を感じる表情だった。

 

「ねぇ? 私と付き合おうよ」

「は? 何言って……」

「だって私と付き合えば、キミの推し(ちさとちゃん)を推しのまま推せるし、キミの幼馴染(かのんちゃん)は幼馴染のままだよ?」

 

 なんてことを言いだすんだ、と思ったけど、それが決して自分のためだけに言ってるわけじゃないってこともわかった。彼女は、自分が悪者になったとしても俺をこの泥沼から引っ張り出そうとしてくれてるんだ。ひどいことだったとしても、それが未来の俺のためならと残酷な選択肢を突き付けてくるんだ。

 

「あはは、そんな優しくないよ。ただまるでどっちがカノジョになるかって()()で争ってるみたいでそれが許せないだけ」

「彩……」

「パレオちゃんだって紗夜ちゃんだって、千紘くんの幸せのために一生懸命なのにさ、なんで千紘くんを傷つけてる二人しか選択肢じゃないの? 私だって……千紘くんが好きなのにね」

 

 その言葉に、俺はとてつもない痛みを感じた。俺もその二人に選択肢を狭めていた一人だ。二人の純潔を奪ったのだから、そのどちらかは責任を取らなきゃ……そんな風に考えていた。そんな俺の決意をまるで毒で侵し、溶かすように。熱に当てた飴細工のように溶かしてするりと逃げ道を用意してくる。

 

「……ありがとう、彩」

「千紘くん……」

 

 でも、でもね。それじゃあ雨は止まない。逃げ道をくれる人がいたから逃げたんじゃ、俺はいつまで経っても同じことを繰り返す。誰かを傷つけて、誰かに傷つけられて、痛みの雨が降る雨季とカラカラになるまで何もない乾季が繰り返されるだけ。そんなのは、天気で十分だ。

 

「俺は……逃げれるからって逃げるようなヤツじゃなくて、彩の好きになった頑張る俺のままでいたい」

「……でもそれじゃあ」

「うん。彩とは……付き合えない」

 

 なんてことをしてるんだ。相手はあの彩なのに、どうしてこんな……そんな風に自分で自分を殴りつけたくなるくらいの言葉だった。いつも元気をくれた彩、きっかけはファストフード店でばったり会ったこと。バイト先だなんて知らなくて、花音を迎えに行った時に同じタイミングで出てきた子が彩だった。最初期のイベントは個別ブースがなくて五人全員というのが通例で、特に雨の中チケットを手売りしていた千聖ちゃんと彩ちゃんは俺のことをよく覚えてくれていた。

 

「私のストーカー……とかじゃないんだよね?」

「違う違う! 断じて彩ちゃんにお近づきになりたかったとかそういうのじゃない!」

「うん、私の幼馴染くんだしねえ」

「それに千聖ちゃん推しだし」

「……む」

 

 そんな出会いから、彩は俺に気軽に、まるで友達のように話しかけてくれた。そんな彩のことをアイドルとドルオタとしてではなく友達同士のように感じていたのは、事実だった。そんな彩と恋人になったら、なんて考えたことがないかといえば嘘だ。彩はそれくらい()()()()()()()()()()

 

「俺も彩が好きだよ」

「だったら」

「でも俺は彩を独り占めしたいわけじゃない。応援して応援されて、そういう俺にしかなれない彩の特別になりたい」

「……そっか」

 

 触れたいと思った。泣きそうな彩に触れて、慰めてあげたいと思った。だけどそれじゃあもうダメなんだ。今触れたら彩にもっと未練を残すことになる。逆に彩を悲しませることになるんだから。だけど彩はんっ、と俺に向かって両手を広げてくる。いや、だって……そんなことしたら。

 

「慰めてよ……」

「でも」

「どっちにしても、私は絶対忘れない。たとえ会わなくなっても、十代の頃にアイドル辞めてもいいくらい好きな人に出会ったことも、こんな風にフラれたこともぜっっったいに忘れないから」

「……彩」

 

 こんなところで誰かに見られたらどうしようと思いつつも、外は雨がひどくなっていたせいか、狙いすましたかのようにそこは二人だけの空間になっていた。晴れていたらまだまだ明るい時間帯なのに暗くなっていて、店内の優しいBGMを聞き流しながら、俺は思った以上に小柄な彼女の体躯を腕の中に押し込んでいった。

 

「忘れない……絶対忘れないから」

「ありがとう……彩」

 

 彩が曇天に優しい雨をくれた。でも俺の胸を突き刺すような優しさだった。そのせいか雨はなかなか止まず、俺は傘を持ってない彩を同じ紺色の中に入れて隣を歩いて帰ることにした。

 

「泣いてたの、バレちゃってたみたい。店長に帰れって言われちゃった」

「でもそのおかげで濡れずに帰れてるよね」

「千紘くんと相合傘でね」

「その言い方はやめてよ」

 

 わざと彩は俺にカラダをくっつけてくる。まさか彩にこんな小悪魔めいた一面があるだなんて、と最初は驚いたけどよくよく考えたらこれ、人の揚げたてポテトをねだってくることの延長線上にあるんだってことに気づいた。

 

「つまり……あれが始まったあたりから」

「うん。私に乗り換える気になった?」

「それは……ごめん」

 

 というか何度もフラせないでほしいんだけど。俺だってすごい良心の呵責を覚えながらなんだから、というとだったら諦めていいよって言ってくれればいいんだよと言い出した。なんというか、彩はメンタル強いな。昔は花音が強い、って思ってたけど。そう笑っていたらまた彩はまっすぐな瞳で俺をじっと見上げてくる。

 

「……なに?」

「ううん。キスしたんだなぁって思って」

「思い出させないでもらえる?」

「ところで千紘くんの初キスって誰?」

「……花音だけど」

 

 中学生の時、入院してたそのお見舞いに来てくれた花音がうとうとしてるから帰らせた方がいいだろうなぁと肩をゆすったら寝ぼけた花音にそのまま……という事故が俺の初めてのキスでしたね。

 

「うらやましいな」

「花音が?」

「うん。もちろんこういう風に千紘くんに会えたのはいいんだけど、もっとたくさん、長い時間キミを好きになってみたかった」

 

 そういってまた少し泣きそうになった彩を……と、そこから先のことは割愛させてもらうことにする。そしてそこで、やっぱり俺は彩のこと一瞬でも好きだったんだなぁって思ったってことを浮き彫りにされた。パレオちゃんや紗夜さんに怒られそうだけど、たぶん俺が人生で二番目に女性として明確に意識したのは間違いなく彼女だと思う。

 

「一番がよかったな~」

「一番だったらどうだったの?」

「……うーん、行先が千紘くんの家だった、とか?」

「そろそろスキャンダルでオタクに殺されそう」

「夜道には気を付けてね」

 

 シャレになってないからやめてくださいませんかね。

 というか危なかった。ここで俺が彩の純潔まで奪ってたらそれこそこっから先の展開がシャレにならなくなるところだった。そこは彩も同じ心のブレーキを持ってて助かったよ。だが、この一日だけでたぶんキスした回数は千聖さんも花音も越えてしまったので……うん、この事実は墓場まで持っていくことにしようかな! 

 

 

 



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カラオケは密室だけどちゃんとカメラもあるんだよ

 千聖さんを傷つけた。花音を傷つけた。パレオちゃんを傷つけて、紗夜さんを、彩を傷つけた。だから人間関係ってイヤなんだ。傷つけて、傷ついて。答えのわからない間違い探しみたいなことを繰り返していく。そして俺はいつも間違えるんだ。

 彩を泣かせた。もう彩が俺の名前を呼んで人懐っこい笑みでポテトをねだることもないだろう。

 紗夜さんやパレオちゃんは、これからもオタ仲間だと言った。言ったけど、一度恋愛感情を持ってしまった以上、知ってしまった以上、今まで通りにはいかない。

 千聖さんもあれからずっと姿を見てない。花音にも、会ってない。

 

「はぁ……」

「センパイ、ため息多いですよ~?」

「色々あるんだよ……」

「推しがプロデューサーあたりとホテルから出てくるもしくは入ってくるのを見たとか」

「やめろ、冗談でもホント勘弁して」

 

 バイト先の後輩に冗談交じりにそんなこと言われて俺は耳をふさいで首を左右に振った。そんなの想像もしたくない。いやでも枕営業は何より千聖さん自身に否定されたし確かに血が……という思考を強制的にシャットダウンする。あの事を思い出すと芋づる式に花音の下りを思い出すからアウトなんだよね。

 

「なにかあったんですか、ホントに」

「いや、リアル関係だよ」

「オタクなのに、ですか?」

「ムカつく言い方だけど、そうなんだよ」

 

 オタクなのにオタ活以外で悩むなんて、とは俺だって思うけどだって! だって俺は……そのオタ活関連の人物がリアルにくいこみ始めてるのが問題なんだよなぁ。千聖さんといい彩といい、どっちかというと紗夜さんやパレオちゃんもオタ活関連だったんだけど。

 

「おい白崎、これ八番まで頼むわ」

「はーい」

「八番さん顔面偏差値高めの女子集団だったんで……逝ってらっしゃいセンパイ」

「やめてくれ……」

 

 返事をして、それから失礼しますメガ盛りポテトとドリンクを四つ分、持って入ると、そこにはかわいらしい歌声でちょっと昔のアイドルソングを踊りつきで歌うかわいらしいツートンツインテの子がジャンプして──ブワリとめくれ上がったスカートからピンクと白のしましまが。

 

「見たわね」

「見たね」

「見ましたね」

「もっと見ますか?」

「な、な……なにしてんの!?」

 

 顔面偏差値高め女子軍団の正体は、オタ活関連人物でありながらリアルにくいこんできた四人組だった。というかもっと見ますかってなんですかね? 見ないからね? 近づいてこないでね? 

 ──じゃなくてそれ以前になんでこんな遠いところのカラオケに来てるの? 

 

「みなさんの情報を元にパレオが特定しました!」

「有能な従者を得て頼もしい限りだわ、はいパレオちゃん」

「こ、ここここれは……お、推しに、あ~んしてもらえるっ!?」

 

 おいこらそこのキモオタ。推しもなにもそもそも箱推しだから横の彩も推しでしょう。だがアイドルにあ~んしてもらうといううらやまし……んんっ、けしからんご褒美をもらったパレオちゃんは千聖さま~と懐いていく。オタク? なにやってるのオタク? 

 

「じゃあ次は私だね!」

「み、ミックス打ってもよろしいでしょうかっ!」

「……パレオさん」

 

 紗夜さんが終始ポテトへの手を止めないながらドン引きしている。その行動に俺がドン引きだよ。パレオちゃんは止められないから俺はそっと立ち去ることにした。

 ──だけど、そこで誰かに肩を掴まれた。もう振り返らなくてもわかってる。千聖さんだよな。

 

「あたりね。ご褒美でもあげようかしら」

「このバイトを平穏無事に終わらせてください」

「……ほかに言うことはないの? せっかく、会いに来てあげたのに」

 

 ふん、と腕を組んでそっぽを向かれてしまう。千聖さんはどうしてこう、素の表情のさらに素を見せるととってもかわいいんだろう。拗ねていじけてしまうところがなんだか愛らしくてついつい笑ってしまう。

 

「ありがとう」

「げ、元気出たかしら? それとも……今日のパンツを見せた方が」

「うん元気出たからパンツはいらないかな!」

 

 スカートの裾をつまむのはやめていただいてもよろしいでしょうかお嬢様。あなたは自分のパンツをなんだと思ってるの? 俺のやる気のブーストドリンクはパンツですか? 一パンツで十回復するんですかね? 

 

「今日は黒なの、ちょっとセクシーめにしてみたのだけれど」

「どういう意図で?」

「もちろん……千紘に見せるためよ」

 

 見せなくていいんだけど。なんでそんな俺のことをパンツが見たい変態みたいな扱いするのさ! パレオちゃんも紗夜さんも見せてくるし。というか俺としては紗夜さんが見せてくるってのが衝撃すぎて未だにびっくりが胸の中に残ってるくらいなんだからね。

 

「いいじゃない。男のロマンとしてはどうなのよ」

「え……っと」

「なによ」

 

 最高ですよああちくしょう! それをここで口に出せたらどんなにいいことでしょうね! 無茶言わないでほしい! だいたい千聖さんだって見せるのは素直に言うと恥ずかしいでしょう? と反論するとなんと首を横に振ってきた。

 

「それで私があなたにとって推し以外になれるなら……触られても平気よ?」

「……ちょ」

 

 一歩近づかれ、壁際に追いやられる。さ、触るって、なにを? パンツを? それってパンツのどこ触らせるつもりなんですかね? 思わず想像してしまい鼻の奥が熱くなるような錯覚があった。

 

「想像したのね」

「してません」

「いいのよ? クロッチを触りたいなら……そっちでも」

「え、あの!? いや!」

 

 その騒ぎのせいかセンパイどうしたんですか~と後輩がやってきて、その状況に表情を固めた。そりゃそうだよね、冴えないキモオタセンパイが小柄だけどえらい美人さんに壁ドンされてスカートの端を持って俺に触らせようとしてるんだから。そりゃフリーズするでしょ。

 

「あの子は?」

「俺の後輩」

 

 ついでに二学年下だけど高校も一緒の後輩ちゃんだったりする。なんでも誰にもバレないようにバイトしたかったらしく、知り合いを通じて俺に相談を持ち掛けてきたんだ。ちなみにオタクのことが嫌い。なので俺も例外なく嫌われているのでありますよ。ンン、当然でありますな! 

 

「嫌われて……ねぇ?」

「へ、あ……っ!?」

 

 なに考えてんの!? としか言いようのない。なにせこのアイドルで女優でもあるこのヒト、俺の首を掴んでほぼ無理やりキスしてきた! とっさに離れようとするけど、クソこのヒト力強くないですか!? 案外非力って彩から聞いたんだけど嘘だったのかアイツ! 

 

「ぷはっ、なにしてんの?」

「ふふ、しばらくぶりに欲しくなったのよ……それじゃあまたバイト終わりに、ね?」

 

 数秒間たっぷり貪られ、小悪魔的表情でまた八番ルームに戻っていく千聖さん。うわ、ほんとに何考えてるのあの人。俺が別に後輩にキスするところ見られても恥ずかし! うわ死にたいからもうこのバイトやめようかなってくらいで済むけどさ。千聖さんは唯一といっていいほどパンピーにも名が通った女優さんなんだからね? スキャンダルで強制ドボンで責任感じて自殺するしかねぇ……! ってなるじゃん。

 

「せ、センパイ……今のって」

「あの、ごめん。このことなんだけど、どうにか他言無用で!」

「ここ二ヶ月くらいで何があったんですか……?」

 

 う、やっぱ説明要求はされるよね。まぁ確かに五月あたり、俺はこの後輩ちゃんの恋バナにまったくついていけなかったんだから。それが急にこれだ。おかしいと思って当然だよな。観念してその展開を教えると、やっぱりあれ白鷺千聖さんだったんですねと言われた。

 

「……うん」

「センパイは、千聖さんと付き合いたいじゃないんですか?」

「そんなこと考えてオタクやってるヤツなんていないよ」

 

 追っかけやってるとそう思われるのは知ってるけどさ。実際そんなこと考えてるやつ一握りもいないと思うよ。地下アイドルならまだしも……いや去年までの状況を踏まえてパスパレがどっちだったかは議論が噴出するとは思うんだけど。少なくとも冠番組もある、ちゃんと個人の活動もグループの活動もある、という状況から鑑みるとプロと言ってもいいでしょう。ちょっと贔屓目に見た感想だけど。

 

「わかんないです」

「なにが?」

「流行りでもないものにそんな熱心になれる理由が」

「俺からするとすぐ終わっちゃう流行りをなんでそんな熱心に追いかけれるのかって思うけどね」

 

 やっぱりパンピーとオタクの間には越えることのできない溝があるよなぁ。でも、それはオタクかオタクじゃないかって名前じゃなくてもそうなんだって、俺は知ってしまった。みんな越えられない溝がある。千聖さんにも、彩にも、花音にも、パレオちゃんや紗夜さんにも。俺はみんなに名前をつけて、勝手にわかった気でいた。溝を埋めた気でいた。彼女だってそうだ。後輩ちゃんという名前を付けて、勝手に俺が決めた枠の中で納めている。そうじゃない部分を見ないようにしている。

 

「そうじゃないですよ」

「ん?」

「センパイはいつだって、オタクかオタクじゃないかで溝を作ってるじゃないですか。だからそう感じるんですよ」

 

 まるで拗ねたような言い方をする後輩ちゃんは、その名前が溝を生んでるんだと教えてくれた。もっと素直に相手を見ることができれば、そうはならなかったんだって。俺は無意識に同じことをしていたんだな。

 ──オタクだって言われ続けて、名前を作って溝を掘られてたはずが、いつの間にかそれを理由に溝を掘る側になってしまっていたんだった。俺がやられて嫌だったことを、いつの間にか自分でしていたのか。

 

「ごめん……()()

「いいんですよ。白崎センパイは、どーしようもないオタクなんで」

「今その言い方をするかぁ?」

「しますよ」

 

 もう一度だけごめんと言って後輩ちゃん、有沢と一緒にバイトを終えて、そのまま帰っていく彼女を見送った。八番では未だにあの四人が……と思うとなんだかちょっと緊張してしまうね。

 あれだ、ラノベとかなら所謂ヒロイン総出演のハーレムだ。なにせ全員に一度は告白されてるんだから。おかげで胃がキリキリしてるのはやっぱりハーレムなんてこの現代日本の倫理観では無理だってことくらいかな。

 

「お待たせ──」

 

 ──そして歴史は繰り返す。往年のアイドル曲を振り付きで踊っていて、その最後のジャンプでめくれ上がるスカート、やけに大人っぽい白のレース。あれだよね、彩って案外アレな下着を着けてらっしゃるんですね……じゃなくて! 

 

「見た!?」

「見たわね」

「見ましたね」

「そんなに見たいなら!」

 

 見せないでいいです。スカート持って立つなシット! と目線で訴えるとおずおずと着席する。というかなんでみんな今日そろいもそろって……よりによって普段はスキニーの紗夜さんまでスカートなんですかね? 

 

「見せやすいので」

「脱ぐ枚数少なく済むじゃない」

「すぐさまご期待に応えることもできます!」

「私はそんなつもりないからね!?」

 

 前半三人はホントなに言ってるんだろうね! 特に二人ほどすごくナニカを連想させる物言いしてたんだけど。

 そもそも、千聖以外の三人はフった気がするのに立ち直りというかめげてないんだね、というと千聖さん以外の三人がほぼ同じ意味の言葉でお答えしてくれた。曰く、フラれたのと好きなのは関係ない、と。

 

「しかもまだお相手がいないというならば引く理由にはならないわね」

「私がいるのに?」

「千聖さんとはお付き合いをしていないと、千紘さんは否定されますので」

「そうだよ。お互いに同意がないと恋人じゃないよ?」

「くっ……彩ちゃんまで」

 

 物量に負けてる。ごめんね千聖さん……俺もここで千聖さんと付き合ってますとは言えない状況だからさ。恨みがましくこっちをみないで。ちょっと泣きそうな顔するのやめて。推しの涙とかいう最終兵器使おうとしないで。踏みとどまろう? 

 

「さぁさぁ、それはさておき、千紘さんも歌いましょうよ~!」

「いいね、千紘くんの歌、私も聴きたい!」

「結構うまいんですよ、彼」

「はいっ!」

「……紗夜ちゃん、パレオちゃん? サラっとマウント取ってくるのやめてもらっていいかしら?」

 

 いいけど俺もアイドルソングしか歌えないからね? オタ仲間二人は知ってるのでどうでもいいとして、パレオちゃんは現役アイドルの前でよくアイドルソング歌えるよなぁと思いながら眺めていた。紗夜さんは結構古めのバラードを歌いがちなのも知っている。めちゃくちゃ上手いのはさておくとしてね。

 

「……私だけ見せてなかったわね」

「見せてくれなくていいです」

 

 千聖さんのも直で見たわけじゃないし……と思ったら向かいに座っているせいもあり見えた……というよりわざとチラ見せされた。ムカつくけど男として歓喜せざるを得ない。そう思っていると紗夜さんは何を思ったか唐突にスマホをカメラにしてスカートの中を撮り始めた。そして……少しなにかを操作して俺のスマホが震えた。

 

「見て」

「いやです」

「じゃないと直接触ってもらうわよ」

「ぜひ拝見させていただきます!」

 

 これはセクハラじゃないんでしょうか? セクハラは男から女だけじゃなくて女から男でも成立するはずなんですよね童貞いじりとかさ! そうは思いつつも結局抗えなくて紗夜さんのライトグリーンが映し出された画像を開いてしまうんだけど。ああごちそうさまです……って言ったら怒られそう。

 

「オカズならパレオが毎日でも貢ぎますが!」

「わ、私……は、流出が怖いから、無理」

 

 前のめりにならんでください。そんなにパンツばっかり見せられたら前のめりになるのは俺の方なんでやめてもらっていいですかね。

 とりあえずでも、そんな騒ぎのせいですっかり、俺はいつもの俺に戻されてしまったことに気づいたのは最後に二人きりになってから千聖さんにバカみたいにキスされた時なんだけどね。

 

「気をつけなさいね」

「なにを?」

「……あの子は、執念深いわよ」

 

 わかってるよ千聖さん。きっと俺はまた間違える気がするから先に謝っておくと、いいわよとまたキスをされて、それを最後に千聖さんちの前で別れて、家に戻っていく。

 気を付けてってナイフとかじゃないよねと思いながら夜道を歩いていった。

 ──そして、家の前にはナイフこそ持ってないけれど、いつもの明るくてふわっとした雰囲気を完全に失った幼馴染さんだった彼女がいた。

 

「家、上がる?」

「……うん」

 

 これが最後のチャンスだ。花音と話し合う最後の。嫌われたっていい、殴られたって……さすがに殺されるのは勘弁してほしいけど、なんならまたアレをしたっていい。俺は、花音と話がしたかった。

 幼馴染という名前がなくなった今だからこそ、俺は花音の本音が訊きたいから。

 



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好きだからわがままになりたい

 ──全て叶わないくらいなら、全て壊してしまえばいい。

 あの雨の日、千紘くんは私に嘘をついた。本当は千聖ちゃんを家に上げたのに、それを隠した。そして、二人はまだ愛ですらないそれを貪りあった。

 許せなかった。私のことをずっと幼馴染としていた彼を、そして応援すると言った口で彼に愛してると囁いたであろう千聖ちゃんを。だから私は、全てを壊した。千紘くんに不貞を働かせて、幼馴染ですらない、オタクですらない。ただ下半身に正直になったケダモノとして貶めた。

 

「それで話ってなあに?」

「……花音」

 

 それから数日後、千聖ちゃんに呼ばれて私はファストフード店で恋敵と向かい合った。彼女も気づいたのだろう、千紘くんは決してあなたのものじゃないということを。それじゃあ、戦争を始めようね。口火を切ったのは、千聖ちゃんの方だった。

 

「千紘から連絡がこないの」

「うん」

「もしかして……」

「うん」

「──私、嫌われたのかしら?」

「……うん?」

 

 ここから糾弾される、と思っていたのになんか、なんか違う。千聖ちゃん……もしかしてなんにも気付いてない? 私のこと気付いてないのかな? え、でも千聖ちゃんなんだからそのくらいの予想は立てれると思うんだけど。

 

「だって! 今まで一度たりとも既読無視はされなかったのよ? それが急に……ねぇ花音なら何か知っている?」

「……え、ええっと」

 

 ふえぇ……千聖ちゃんが、いつもの千聖ちゃんじゃないよ? 恋は盲目なんてよく言ったもので、純粋に千紘くんから連絡がこなくておろおろしてる。あの、連絡こなくしたの私だって気付いて? 気付かないとお話しが進まないんだけど。

 

「あんまり褒められた方法じゃないし、危険だけれど……アレをやるしかないわね」

「アレ?」

「パンツよ」

「ん?」

「パンツを撮って送るの。それなら既読無視することもできないはずだもの」

 

 なんかおかしなことまで言い始めた。パンツ? ううん、なんか頭痛くなってきちゃった。

 ──でも、そんな純粋でかわいらしい恋心が、私の気持ちに再び火を点けた。なんで無視されるのか知ってるよ。そんな風に挑発めいた口調で私は千聖ちゃんに言葉を向ける。

 

「え?」

「私だもん。私が千紘くんを壊しちゃったから」

「……何を言ってるの、花音」

「わからない?」

 

 なんだっけ、なんとか姉妹、だね? そういう言い方あったよね? と口にすると千聖ちゃんの顔が青ざめていくのがわかった。同時に、どういう流れで千紘くんを壊したという結末になったのかを察知したみたい。

 

「花音……!」

「なんで被害者みたいな顔ができるの? あなたが悪いんだよ? あなたが……私の千紘くんを奪った」

「奪った……? 千紘は誰のものでもないわ! それを、あなたの勝手な感情で壊したって言うの?」

「恋なんて勝手な感情でしょ?」

 

 すごく身勝手な感情だ。好きだから独占したい、汚したい、穢されたい、独占されたい、犯したい、どんな気持ちも恋という魔法の前には素敵な色を付ける。私の幼馴染だったのに、千聖ちゃんのせいでなにもかもおかしくなったんだよ。

 

「もう、千紘くんに近づかないで、千紘くんは私のものだから」

「それを決めるのは花音じゃない、千紘自身よ」

「じゃあもう、連絡のこない千聖ちゃんは、少なくともありえないね?」

「──っ!」

 

 その言い合いはパレオちゃんと紗夜ちゃん、また恋敵とも呼べる二人によって止められた。この二人も排除しとかないと。後は……彩ちゃんもかなあ。ダメだよ千紘くん? 私を見てくれるなら、私が一番近くにいるって言ったのにそうやって浮気をするから、ぜーんぶ壊されちゃうんだよ? ゆっくり、ゆっくり壊していく予定だった。それなのに、それから二週間ほどが経って、状況は……驚くほど変わってなかった。

 

「千紘さんのバイト先、ですか?」

「ええ」

「千聖ちゃん、知らないの?」

「教えないんですよあの人」

 

 シフトを出しに行ったら、たまたま四人がなにやら相談をしているようで私は盗み聞きをしていた。どうやら千紘くんのバイト先に突撃しようとしているものの誰も場所を知らなくて困っているようだった。私だけが知ってる、そんな優越感にふふ、と声を漏らして笑っているけれど、パレオちゃんがなにやら少し大きなタブレット端末を取り出していた。

 

「まずは情報を精査しましょう。千紘さんからバイト関連の話、何か聞いていますか?」

「そもそもバイトやってるところ想像しにくいわよね」

「た、確かに……ちょっと難しい」

 

 うん、そうなんだよね。でもオタ活をするにはバイトは必須ということで千紘くんはバレにくいバイト先を探したんだよね。

 と、次に手を上げたのは紗夜ちゃんだった。ここで重要なのは千紘くんはそうそう嘘はつけない、ということだった。だからこそ、こうして千紘くんの発言をまとめて推理しようとしてるんだろうけど。

 

「時給の話で深夜手当、という言葉が出てきたから深夜までやっているもしくは24時間の可能性があります」

「おおーなるほど」

「コンビニとかかなぁ?」

「いいえ、たぶん普段から知り合いが少ない、という条件が付くわね」

「うーん、するとコンビニはないかなぁ?」

 

 みんな、すごいなあ。そこまで行くと飲食、表に出るような接客業……高校生がバイトできる軒並みが候補から外れていく。そしてその条件が達成できる上に、たぶん千紘くんは最大のヒントを言ってるはず。そういううっかりさんだから

 

「──! あ、パレオ、わかっちゃいました!」

「ホント!?」

「はい! 千紘さんの財布ってポイントカードとかほとんど入ってないんですけど、何故かカラオケの会員ポイントカードだけ持ってるんですよ!」

 

 そうなんだよね、もっと言うと千紘くんはその手のサービスとかに詳しい。当たり前だよね、そこで働いてるんだから。

 パレオちゃんの情報にみんな盛り上がっていく。でもこれだけじゃ情報不足なのも事実だった。なにせそのチェーン店、近くにたくさんあるから。

 

「いっぱいあるね」

「そ、そうですね」

「まぁどこでも見かける部類ですし」

「ここは、もう千紘の行動原理を推察するしかないわね」

「心理トレースですね!」

 

 諦めない。ここで私なら後日ストーキングしちゃえばいいやと思っちゃう部類なんだけど、どうやらこの四人は今日、そこに行きたいらしい。わかんないなあ、そこまで頑張っても、千紘くんは千紘くんでしかないのに。

 

「短絡的に行けばここが一番近いですね」

「だけど彼は誰かに会うことは避けるわ」

「特に推しである千聖さんに会うのは避けるかと」

「すると……高校の近く?」

 

 そう考えるのが妥当でしょうね、と言った千聖ちゃんはもう答えを見つけているかのような雰囲気だった。

 千紘くんのめんどくさい性格上、誰にも会わない場所を選ぶはず。でも高校の最寄り駅と自分の最寄り駅、その圏内で芸能事務所や千聖ちゃんのお仕事の範囲外になるだろう場所に千紘くんのバイト先はある。

 

「ココね」

「なるほど」

「彼らしいですね」

「では確かめに行きましょう!」

 

 そう言って意気揚々と四人は千紘くんのバイト先に向かっていってしまった。どうして? どうして私が何もかも壊したはずの千紘くんを、そうやって丁寧に直そうとしてくるの? イベントに行ってしまって、またオタクになっちゃって、どうやら彩ちゃんも加わってまた新しい名前を付けてもらって。どうして? なんでみんな……千紘くんを見捨てないの? どうして……? そんな風にぐるぐる考えて、口に出してしまっていたら、ひまりちゃんがいつの間にか隣にいた。

 

「だったらなんで、花音さんは先輩のこと、まだ好きって顔してるんですか?」

「ひまりちゃん……」

「ホントの花音さんはどっちなんですかっ、先輩が好きなのか、それとも嫌いなのか」

「……それは」

 

 好きだよ。でも、私以外に優しい顔をする千紘くんが嫌い。私が千紘くんの一番傍にいたのに! 私が一番長く千紘くんを見てきたのに、好きだって言い続けてきたのに! 恋人じゃなくても、すごく、すごく幸せだったのに、それをあの子たちが壊したんだよ? 

 

「……違います。花音さんは、先輩のこと見てなんかいませんよ」

「そんなこと!」

「少なくとも今は、先輩のことなんにも見えてませんから」

 

 ひまりちゃんはまっすぐに私を見る。透き通ったその目に映った私は、とても濁って歪んだ顔をしていた。

 ──涙があふれてくる。こんな醜く歪んでしまった愛情を抱いていたら、千紘くんだって愛想が尽きるよね。私、いつからこんな風になっちゃったんだろう。

 

「長すぎたんですよ」

「長すぎた……」

「蘭が教えてくれたんですけど、水って常に流れてないとどう頑張っても濁ってダメになっちゃうんですって。停滞しすぎちゃったんですよ」

「……そっか」

 

 雨も降らずにじめじめっとしたところにずっと放置された水たまりのような関係、それが私と千紘くんの関係だった。でも、それが間違いだったんだ。ひまりちゃんは、続けてでも千紘さんは変わろうとしてますよ、と優しい声を掛けてくれる。

 

「先輩はずっと、花音さんのこと気にしてますよ。今ですよ……変わりたいなら、今しかないですっ」

「……変わる」

 

 それは、すっごく怖かった。だってそれまでずっと幼馴染だったから。千紘くんはずっと幼馴染で、それがあるから私は彼とずっと一緒にいられたのに。

 ──でも、もうそれじゃダメなんだ。これからも一緒にいるためには、幼馴染じゃ、ダメなんだ。

 

「私……千紘くんのおうちに行ってくる」

「え、大丈夫ですか? 迷子になりませんか?」

「多分っ、大丈夫……!」

 

 大丈夫、大丈夫。私は変わるんだ。迷子にならずに彼の家まで、そうじゃないと私はずっと、ずっとこの気持ちの行先がわからないままだから。

 雨の降りそうな空を気にしながら歩き続ける。すっかり暗くなって、それが怖かったけど、私は一人で歩き続けて……そこに見知った家を見つけた。

 それから少しして、千紘くんがやってくる帰ってくる。私を見つけて、少しだけ迷ったような顔をしてから、優しい声で家、上がる? と訊いてくれた。

 

「……うん」

 

 ひまりちゃんの言った通り変わるなら今しかなくて、きっとこれが最後のチャンスなんだろうと思う。千紘くんとの関係を変える最後のチャンス。嫌われたっていい、今ここで千聖ちゃんのことを好きって言われても……えっちされても、って思ったけどそれは流石に嫌だなあ。でも私は、千紘くんとお話しがしたかった。

 幼馴染って名前がなくなった今だからこそ、千紘くんに本音で話せる。それを聞いてほしい。

 ──ああでも、まずは……甘えたい。もう壊したいだなんて思わない。ただ純粋に、千紘くんのあったかい腕の中で私の壊れちゃった気持ちを全部、洗い流したい。そう思って飛び込むと、戸惑いながらも包んでくれる。

 

「……放置してごめん」

「ううん。私こそ……ごめん」

「お、落ち着くまで……こうしてる?」

「……? うん」

「そ、そっか」

 

 ちょっと心臓のドキドキが多い。なんでそんなに緊張してるんだろう、と思ったらそっか。最近で密着したのが……アレをした日だったから、なんか千紘くんはかわいいなあ。ああ、千紘くんがソレでも、落ち着いてくれるならいいって思ってることが伝わると、急に私はわがままになってしまう。ほしい、ほしい、千紘くんがほしい。いっぱいごめんねと大好きを伝えたい。

 そんなわがままに振り回されて、千聖ちゃんのあの言葉が思い浮かぶ。千紘はパンツで喜ぶわよって言ってたっけ。

 

「今日ね……何色だったっけ」

「確認しなくていいよ? なんで見せる前提なの?」

「え……だって仲直り、するんでしょ?」

「仲直りでパンツを見せる風潮が花音の中の文化なの!?」

 

 そんな驚かれても、私聞いたことあるよ。男の子のストレスはおっぱいを揉むといいとか、キスは免疫を上げるから健康やストレスにもいいって。パンツも元気になるんでしょ? それにほら……漫画で仲直りえっちって言葉もあったし。

 

「それ、恋人同士ですることじゃない?」

「……あ、今日は黒だったあ」

「話を聴いてほしいかな!」

 

 こういうのは雰囲気と勢いだよ? というと千紘くんは諦めたようにおいでと両手を広げてくれる。

 ──ああ、やっぱり大好き。ごめんね、千紘くん。もうキミの幼馴染にはなれなくなっちゃったけど、私は幼馴染になれなくなったからこそ、いっぱい伝えたい。ずっと、私はキミが好きなんだ。最初はね、一緒にいたらそれでいいって思ってたけど、中学生の時、入院したキミにキスした時からもう、ホントはダメになってた。大好き。愛してる。いっぱいいっぱい、私のことを受け止めてほしい。あ、でもその答えは、疲れたから明日の朝にしようね? 

 

 



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好きだから選べない

 梅雨晴れの朝。それは蒼を強調する夏の空だった。カーテンの隙間からそんな空と元気に照り付ける太陽をみながら、俺は少しだけひんやりしすぎたクーラーの温度を下げた。ふと隣を見ると、夢じゃなければ昨晩一緒に寝たはずの彼女がいなくなっていて、帰ったのかな? とリビングに出た。

 

「おはよお。キッチン使わせてもらってるね?」

「あー、うん、おはよ」

 

 そこにはエプロン姿の花音がいた。幼馴染として何度もこんな場面に直面しているせいか麻痺してたけど、改めてそういう目で見ると花音がこうしてキッチンに立ってるのは一種の贅沢な気がしてならない。

 

「いただきます」

「いただきます……」

 

 サラダを頬張り、エッグトーストを齧る。ポタージュスープまであって……ってこれはさすがに昨日の残りものだけど、朝ご飯を適当に済ませるもしくは食べない俺としてはこれ以上ない贅沢のような感じがあった。

 そんな優雅な朝ご飯を笑顔で食べる花音、それは俺から全てを奪って壊そうとしたあの時とはまるで違った顔で、ちょっと身構えてしまうけど。

 

『ごめんね、千紘くん……すき、だいすき、だいすき……っ、()()()()

 

 ──あの時の声が、頭から離れない。なんで、なんで花音は()()()()()()。そして、千聖さんの顔もよぎって、俺はどうしたらいいのかわからなくなってしまった。迷子だ。いつもは迷子だった幼馴染を見つけては送っていた俺が……ここにきてどうしようもない迷子になってる。ああどうしよう、どうやって話を切り出せばいい? よくわからない気まずさにチラリと花音を伺うと、首筋に赤黒いアトを見つけてしまい余計に気まずくなってしまった。

 

「ん? あ……これ?」

「ご、ごめん……俺、いつの間に」

「覚えてないんだ? 私がつけてってお願いしたんだけど……」

「そ、そうだったんだ」

 

 ほっとした。いやアトを付けたって事実に変わりはないんだけど、というか千聖さんとの関係も宙ぶらりんなままなのになんてことしてんだって話なんだけども! やばい一ヶ月前の俺なら間違いなく付き合ってもないのにそういうコトする男とか全員もげろとかましてやアイドルにそういう妄想することすらもげろって部類だったのにいつの間にか俺、二重でもげる人種になってる。

 

「ねえ、千紘くん?」

「は、はい!?」

「私のこと、嫌いになった?」

「え?」

「だって、私はキミを、壊そうとしたんだよ?」

 

 突然そんなことを訊いてこられて戸惑ってしまう。壊そうとしたって事実はやっぱり許したって言えない。あれでだいぶ俺だって精神的にめんどくさいことになって……パレオちゃんや紗夜さんを傷つけた。千聖さんを傷つけた。

 でも、そうだったとしても、俺が()()()()()を嫌いになんてなれないよ。

 

「……もう、幼馴染じゃいられないよ」

「幼馴染は、いつまで経っても幼馴染だよ」

 

 どんなに間違っても傷つけても嫌っても、小さい頃からずっと一緒だったって事実は絶対になかったことにはならない。一番近くにいたって事実は、消せないんだよ。

 だからまだ幼馴染扱いしてあげれるとか、そういう次元の話じゃない。俺と花音は死ぬまでずっと、幼馴染だよ。

 

「ううん、それじゃあ……嫌だ」

「え……?」

「千紘くんは……選ばなくちゃいけないんだよ。幼馴染をやめるか、それとも、推しを推すのをやめるか」

「……そんな」

 

 あまりにも残酷な言葉だった。俺はもうどっちかを捨てなきゃいけない。楽しかった今の関係を手放さないといけないんだ。いやそもそも俺がどっちかを選んだとしてもう片方がそれまでの関係を維持してくれるとは限らない。

 ──俺は、恋人なんていうもののために、なにもかも失うことになるかもしれないのに。

 

「ごめんね……千紘くん。でももうダメなんだ。私は、キミの幼馴染のままじゃ、嫌なんだあ……」

 

 だから、ごめんねなのかと俺はやっと花音の言葉に納得した。千聖さんもそうだ。

 これが彩とかパレオちゃん、紗夜さんだったなら、好きという言葉にごめんねという言葉が付随する意味もわかる。それは俺が断るとわかっててそれでも口にしてしまうからだ。俺にわざわざ断らせることを彼女たちは謝ってしまう。だけど千聖さんと花音だけは違う。自分の好きって言葉がなにもかもを壊すことを、知ってたから。

 

「これでさ、すっきり千聖ちゃんとケンカもできて、なんだかほんわかとした取り合いみたいなことができればいいんだけど、千紘くんだってもうそんなことで逃げるほど……自分のことが嫌いじゃないでしょ」

「二人のせいでなりかけたけど」

「でも、三人のおかげで取り戻した」

 

 そうだ。これで俺が俺のことを嫌いだったらここまで拗れることもなかったかもしれない。俺に誰かを恋人にするなんて精神力がなければ、その薄氷のような関係を続けることができたかもしれない。それで、いつかの未来で、その相手をゆっくり選べただろう。だけど、現実に俺は誰かを受け入れるほどの精神的余裕を持ってしまってる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ヒトを好きになれるのに……あれだけ自分のことを好きになろうと頑張ってちゃんとそうなったのに、それが裏目に出るとか……笑えない」

「……千紘くん」

「好きなんだよ花音のこと」

 

 花音が目を見開く。そうなんだ。俺はずっと花音が好きだった。幼馴染としてではなく恋愛的な気持ちをずっと持っててそれを幼馴染ってのを理由に考えないようにしてきた。でも間違いなく……病院で初めてキスをされた日から、俺は花音が好きなんだ。

 

「けどさ……いつの間にか、ホントにいつの間にかさ、単に推しだったはずの千聖さんが俺の心の中心にいたんだよ。極めつけはあの雨の日の告白だけど……俺はあの時返事ができなかったけど、思っちゃったんだ」

 

 ──千聖さんにとってドルオタ以外の何かでありたい。推しじゃなくて、一人の女性として、千聖さんの名前を呼びたい。あの気持ちは花音に抱いていたものと同じで、だからこそ口に出せなかった。俺が一番壊れそうになったのは、花音のせいでも、千聖さんのせいでもないんだ。俺が、二心を持ってしまったから。

 

「そっか……」

「どっちも好きになっちゃったんだよ……千聖さんとも花音ともこんな風にさ、朝ご飯食べて、なんか一日のんびり過ごしてみたり、デートしてみたり、そんな日々を過ごしたいって思っちゃったんだよ」

「ち、ひろ……くん」

 

 ごめんって謝らなきゃいけないのは、俺の方だ。好きだったのに、ずっと言えなくてごめん。一緒にいてくれたのに、幼馴染ってことを理由に踏み込めなくてごめん。それなのに、まだ好きって気持ちを失えないんだ。俺は、花音が大好きなんだ。

 

「……ばかね」

「へ?」

「そんなの私はとっくの昔に気づいていたわよ。だから、千紘に謝るのよ」

 

 あれ? なんかどこからともなく花音以外の声がする。ここにはもう花音と俺しかいないはずなのに、と思ったら客間の扉を開けて、仁王立ちをしている千聖さんの姿があった。私の分はないのかしら? と問いかけてパンはないよおと、ちょっとだけ黒い笑顔で微笑む花音。まさか……花音が? 

 

「うん、千紘くんが起きる前に招いて、本音を訊きだそうと思って」

「なのに朝ご飯は抜きにさせられたのだけれど」

「サラダとポタージュと紅茶はあるよお」

「いただくわ」

 

 野菜ばっかりじゃないと文句を言いながらもお腹は減っていたようで咀嚼し始める千聖さん。なんというかレタスを食べてる姿は優雅なんだけど小動物みが強い。あああれ、小学校の頃学校でうさぎ飼ってたことを思い出したよ。

 

「なによ。私が普段はしゃべらないのにぶうぶう怒るって言いたいのかしら?」

「そこまで言ってないよお……あってるけど」

「花音?」

「なあに?」

 

 怖、このふたりって親友同士ですよね? 中学生の頃素敵な出会いをした唯一無二でしたよね? 女の友情も熱情の前には塵と化すなんて儚いなぁ、とつぶやいたら千聖さんにそのワードを私の前で使ったら不機嫌になるからやめときなさいとわざわざ自分で忠告してきた。え、なんで花音も特に否定しないの? マジなの? 

 

「え、うん」

「うん……ってなんで?」

「語る必要、あるのかしら?」

「ごめんなさい」

 

 反射的に謝ってしまうくらいには不機嫌だった。ひえぇ、理不尽なり。だがそれはさておくとして、俺は改めて二人と顔を合わせる。花音が少しだけ寂しそうに首肯し、俺は千聖さんに向き合った。

 

「俺は、千聖さんが好きです」

「本当に、そうなのね」

「うん。アイドルとして俺の名前を憶えてくれて、天使の笑顔で対応してくれる千聖ちゃんじゃなくて……なんかちょっとトゲがあって俺のことすぐ貶してくるかと思ったらパンツ見せてくる変態で意味のわからない千聖さんが好きなんだ」

「……褒めてないわね」

 

 そりゃあもう。この際だからって貶すだけ貶してますとも。だけど俺はそれでも、そんな風に貶したとしても……俺は千聖さんが好きだから。

 なにがあっても推しは推しのまま推したいけど、それとは別にちゃんと千聖さんを想う気持ちがあるんだ。

 

「それは、他のオタクには通じないわよ」

「そうだね」

「それでも……そう、想ってくれてるのね」

 

 だがこれはこれで困ったことになってる。さっきも言ったけど、俺はどちらかを選べるほどの精神的余裕がある。というか花音に一回折られてから背中を押されて、腕を引っ張られて作ってもらったともいうけど。つまり、俺はどちらとも関係を変えなければならないってことである。最悪の場合俺の周囲の人間関係が恋愛感情で構成されている以上恋人を除いてぼっちになるということでもあった。

 

「それはいいと思う」

「むしろそうするべきよ」

「ええ……だって」

 

 浮気かと言われたらなんとも言えなくなっちゃうけどさ、俺にとってみれば紗夜さんもパレオちゃんも彩もみんな大切な人だ。恋とかじゃないんだけど、俺がここまで自分のことを嫌いにならずに済んでるのはみんなのおかげだから。その恩にすら報いてない気がして。

 

「煮え切らないわね」

「優柔不断、よくないよ?」

「いや、いやホントに! 絶対答えを出すから!」

「信用ないわね」

「これはわかるまで……しちゃう?」

「いいわね」

「よくない!」

 

 いやもう本当に出てって! 今日は俺独りで考えるから。というかなぁなぁには絶対しない。俺はどっちも好きだけど、どっちかはきちんと泣かせるから。ごめんねって俺も一緒に泣くから安心してほしい。

 

「……というわけで、ココに逃げてくるんですか」

「だって! あの子ら怖いんだもん」

「先輩って女性関係、結構ルーズですよね」

「ひまりちゃんまで!」

 

 それから後日、俺はひまりちゃんに泣きつくとまさかのひまりちゃんにまで裏切られた。いやしょうがないですよねとか言われても! 俺ってこれまで全くと言っていいほどモテてこなかったんだよ? オタクだしキモイし挙句は幼馴染がベッタリだからね! 

 

「絶対最後のせいだと思うんですけど」

「俺も最近そうじゃないかなぁって思ってきた」

 

 なにせ花音だからなぁ。花音はどうだったんだろう。結構、ああいやかなりかわいいし街を歩けばナンパされかねないところではあるんだけど。あ、でも俺がいたところで一緒か。パッとしない俺なんか置いて遊びに行こうぜ! とか言って逆鱗に触れるオチが見えるけど。

 

「逆鱗、とは?」

「前にあったんだよ。ひまりちゃんがバイトする前に」

 

 その人は花音のことが好きで好きで仕方なくってどうしても、どんな手を使ってでも恋人にしようとした。その過程で俺のことをあんな暗くて陰キャな見るからにキモオタはほっといて、って言っちゃったんだよ。その時の花音の顔は……正直フォローされたはずの俺が怖いと思ったレベルだったな。

 

「き、キレたんですか……? 花音さんが……?」

「そ、でも結局そのせいで花音はバンドを辞めなくちゃいけなくなった。外堀はスゲー埋められてたらしくてその当時のバンドメンバーは寄ってたかって謝れの一点張りだったらしいよ」

 

 それが一年の終わりくらいだった。そして二年生になってすぐ、花音は家にあった最後のドラムを売ろうとして迷子になった。それでとある少女に巻き込まれて、今も楽しそうにバンドができてる。俺を庇ったせいでって当時はめちゃくちゃ後悔したけど、それを聴いてほっとした記憶があるよ。

 

「駅前でストリートライブをした……ってそういう事情だったんですね」

「まぁそのバンドの子には俺も会ったことないんだけど」

「こころちゃんなら、知り合いですよ~」

「マジか」

 

 花咲川で花音や千聖さんの一個下ってことは知ってたんだけどまさかひまりちゃんまで知り合いだなんて。商店街の近くの住みらしくよく出会うらしい。そんな雑談をしているとそろそろ休憩終わりですから、とひまりちゃんは最後にくるりと振り返ってまぁ、頑張ってくださいと月並みかつテキトーな励ましをもらった。

 

「どうしてもダメなら私でもいいですよ~」

「あはは、ありがと。元気出た」

「本気ですよ」

 

 えっ、と今の言葉を訊き返そうとしたものの既にそそくさとひまりちゃんはバックヤードに行ってしまった。呆けているところでどうしたの? と花音に声を掛けられ、いやと首を振った。ま、まぁ冗談だよ……な? こんなこと確認してまた藪から蛇を出すようなことはしたくないし、真実は一生闇の中なんだけどさ。

 

 



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幼馴染の終わり

 ──それから半年が経ち、世間ではすっかり冬がやってきていた。来た、と言っても雪とかは降るわけではなく、暖房の効いた部屋でのんびりと……そう非常にのんびりとした日常を過ごしていた。

 

「もう無理大学のレベル落とす」

「ええ……頑張ろうよお」

 

 これがのんびりとした日常になるくらいには、元々そんなに地頭のよろしくない俺なんだけど、バイトとイベントの合間に花音に勉強を教えてもらって、そこでなんとか中程度の成績を維持していた。ノートの取り方が壊滅的に下手っぽくて、花音が解読して、足らないところを教科書から補完してくれるって寸法でね。高校違うのにホントそれは助かってたんだけど、さすがに受験はまた違うんだよね。

 

「一緒の大学行こうねって約束したのに」

「だって……レベル高くない?」

 

 夏休み前に口約束でいいよ! って言っちゃったけどさ。模試の判定見て驚愕だったよ。ノートの取り方を指摘されても俺だってどうしてここまで下手になるのかわかんないね! たぶん別のこと考えてるんじゃないかなって言ったらもう少しでBD叩き割られるところだった。俺の癒しが! 推しが! 

 

「癒しであり推しならここにいるじゃない」

「千聖さんは何しに来たの?」

「茶化しに」

「私はアメとムチのアメ係よ」

「私だけでできるもん」

 

 あのあの? お二人でバチバチモードはやめていただけます? アメとムチって千聖さんアメで叩いてくるじゃん。いやムチで優しくなでてくるような花音も十分ヤバいんだけどあなたたち役目交代しません? 

 

「仕方ないわね。今日はちょっとご褒美にというわけで気合を入れたのよ」

「……っ!」

「あら、いい反応ね♪」

 

 白のレースが眩しい紺色のショーツが俺の前にさらされた。なんだろうね、花女のセーラー服から覗く白い太股から見える秘境って感じがすごい。なにがってもうなんかすごい、最高、優勝。富士山山頂から見る初日の出って感じ。ただ反応がサディスティックなのでやはりアメで殴ってくる。

 

「いいわよ……ちゃんと勉強ができたら、顔、入れる?」

「か、かお……っ」

 

 ソファーに座ってる千聖さんに対して俺が床に座っているのでスカートを捲って見せられただけでもかなりアングルがアレなのに、さらに脚をゆっくり開かれるもんだからちょっと鼻息が荒くなってしまっていると太股をえい、とシャーペンで刺されて痛みが襲ってくる。

 

「痛い! 言葉で咎めてよ」

「変態、鼻の下伸びてる」

「仕方ないわよ、千紘はコレには抗えないんだから」

 

 抗える男いる? おらんくない? 嘘でしょノーマル性癖持ちで目の前でかわいい女の子にパンツ見せられたら興奮するでしょ? 俺がおかしい? いやおかしくないはずだ! ただややマゾヒズムに歪んでるのは認めるところであると思う。だって満場一致だし。

 

「んんっ、ほらあ……あとちょっとできたら……ベッド、行こう? パンツだけじゃなくて全部見せてあげるから……ね?」

「ぜ、ぜんぶ……!」

 

 耳許で脳が蕩けそうなくらいに甘いボイスで囁かれ、脳内余すところなく真っピンクにされてしまう。腕を掴まれ肘はもにゅんと柔らかで、でもややワイヤーの硬さとおそらく真ん中のリボンであろう感触がして、手は太股に挟まれてしまった。

 

「ちょっと花音。昇天してるわよ」

「ああ、千紘くん!?」

 

 勉強で熱を上げていた俺の頭はさらにピンク色の波動で完全にオーバーヒートしてしまった。ちょっとさすがに無理、とソファーに頭を乗せて天井を見上げながら手を振ると千聖さんが隣に座って、花音がちょっと名残惜しそうにしながらおやつにしよっかと立ち上がった。あ……水色だ。

 

「見たわね」

「……チラリと」

「どうだった」

「最高だった」

「変態」

 

 言いたいだけでしょ。それにしても今日は水色と紺色って、相変わらず仲良しですねというと頬をつままれた。痛い痛い。けどこれは幸せで贅沢な痛みということは重々承知なので甘んじて受けていると、結局大学受験、大丈夫そうなの? と心配そうに伺ってきた。

 

「千聖さんもおんなじところなんだっけ」

「ええまぁ、その方が便利なのよね」

「じゃあ余計にがんばろ。推しとおんなじ大学とかマウント取りまくりだ」

「なら数学は私が見てあげようかしら?」

 

 お手柔らかにお願いします。少し見せてもらったけど千聖さんってスゲーノートの取り方上手なんだよね。芸能活動してるのにちゃんと単位足りてるって時点でもはや尊敬ものなんだけど、なのに俺よりフツーに判定いいのは本当にもうなんていうか授業に対する姿勢の違いだよね。

 

「もうすぐクリスマスね」

「やーっと二学期が終わる」

「イブのイベントは来るわよね?」

「そりゃもちろん」

 

 そりゃあさ、個人的感情としては千聖さん個人と過ごしたいんだけど、ほらやっぱりアイドルなわけだからね。それに俺は花音とも過ごしたいし、だったらもう不公平なく紗夜さんやパレオちゃんなんかに声をかけて盛大にクリスマスパーティーでも過ごそうかと思ってるし。

 

「それ、夜通しの予定かしら?」

「たぶん?」

「なら、私は彩ちゃんに声をかけてみるわね」

「うん」

 

 今年はどうやら寒波が来るらしく花音はホワイトクリスマスになるかもよってわくわくしたよう微笑んでたなぁ。いや笑えない絶対寒い。ホント暑いのも寒いのもイベントで野外に出る民としては地獄もいいとこでしょ。凍え死ぬっての。そんなこと言ってる間に花音がおやつタイムだよおとチョコケーキを持ってきた。

 

「うわ、美味しい」

「紅茶も完璧、さすが花音だわ」

「えへへ」

 

 どこかの有名店のチョコケーキらしく花音は一度食べたいねって千聖さんと話していたものらしい。甘いのがそんなに得意じゃない俺もこれはいける。クリームが甘さ控えめで、チョコもちょっぴりビターだ。甘くないふわふわクリームに、ビターなのにでもミルクも配合されてるのかやっぱり甘さが後を引くチョコレート。なんだか俺を挟んでる二人のようで、少し笑ってしまう。

 

「終わったら数学よ。私は今日、そこまで長くいられないのだから」

「じゃあ私はお夕飯の準備しとくねえ」

「私の分も?」

「そりゃあもちろん。食べてから行くでしょ?」

「ええ、じゃあお願いね、花音」

「うんっ」

 

 ああ、この時間がもっともっと、ずっと続けばいいなぁ。夏くらいまではギスギス感が強かったのに、いつの間にかまた親友同士に戻っていて、仲良く俺を取り合っている。ほのぼのとした三角関係だった。思わずその関係に甘えたくなるくらいに、居心地のいい関係になってしまっていた。でも、おしまいにしなきゃいけない関係なんだ。

 

「それじゃあごちそうさま」

「またねえ」

 

 数学地獄から抜け出し、ご飯も食べ終わり、千聖さんが帰っていく。この後もまた勉強かぁ、とちょっとげんなりしながら見送っていると、頑張りなさいとほっぺにキスをされた。うん、頑張ろうって思えてしまうところあたり俺って単純だなぁ。

 ──だが、花音が戻っていった隙に、千聖さんは俺の名前を呼んできた。

 

「千紘」

「ん?」

「……パンツ見たい?」

「……遠慮しとく」

「そう……わかったわ。じゃあね、千紘」

 

 うん、じゃあね千聖さん。俺は夜闇に彼女が消えていくのをずっと見守っていた。ずっと変わらず、千聖さんは千聖さんのままだ。推しは推しのまま推してるけど、それとは別に、千聖さんって大切な人ができたんだ。大好きだった。厳しくて優しい千聖さんが、俺は大好きだったんだ。

 白い息を吐いて、やっぱ日が暮れるとちょっと冷えるな、なんて思いながら部屋に戻ると突然花音が飛びついてくるのをちょっとカッコ悪いけどドアに背中を預けて受け止めた。

 

「わっと……花音?」

「えへへ……独り占めしよっかなあって」

「千聖さんに怒られるよ?」

「かなあ」

 

 けど拒否することもなく俺は花音を抱きしめる。やがて満足したらしい彼女は続き頑張ろうねと笑いかけてくる。うげ、もうよくない? 帰ってきてからずーっと勉強してる気がしてきたんだけど。

 

「だめ、ただでさえ判定厳しいんだから。取り返さないと」

「はい……」

 

 スパルタである。割と千聖さんの方が俺を気遣ってペース配分してくれるところがあるけど花音はひたすらに俺を振り回してくる。甘えんぼで、ずっと一緒にいてくれた幼馴染で、今はこうして、想いを通じ合わせてる。

 

「ねえ」

「ん?」

「千聖ちゃんと何を話したの?」

「なんも。パンツ見たい? って言われたからもういいよって遠慮しといただけ」

「……そっかあ」

 

 こつんと頭を寄せられる。勉強中に甘えたいって意思を示されるの、実はすごい珍しいことで何か嫌なことでもあった? と訊こうと思ったら、全部をその唇に吸われてしまった。

 ──花音は独占欲がすごい。千聖さんも十分すごかったけど、なんだろうな、花音はずっとずっと幼馴染でだからこそ我慢してきた部分がいっぱいあったんだろうな。それが崩れて以降は求められるし、貪られる。それもまた愛情なんだなって気づいたのは秋が深まる頃だった。

 

「花音」

「……っ、あ、ご、ごめん、千紘くん……また」

「いいよ。おいで、花音」

「……ちひろ、くん」

 

 あの秋の日、花音と千聖さんの三人でデートに行った時に、俺たちの前に現れた懐かしいような懐かしくないような、花音を怒らせたあの男が迫ったことがあった。壁際に追い詰め、腰を抱いたその瞬間、俺は思ったし、そのまま口に出していた。

 ──コイツに触っていいのは、コイツが触れられてもいいって思ったヤツだけなんだよ! って。我ながらつっかえつっかえでカッコ悪かったし、殴られて痛かったし恥ずかしかった。でも、そんな独占欲じみたものが俺の中にもあって、その名前が愛情だって気づいたから。

 

「泊まりたいなあ」

「ダメ」

「えー」

 

 散々甘えまくっていつもの発作のようなものがなくなった花音だったが今日はさらに甘え声を出してくる。えーじゃないです。花音のこと好きを前面に押し出しての甘え方はまだまだ慣れてない部分もあるから、もうちょっと待ってもらっていいかなと思う。けどどうやらそうはいかないらしい。

 

「いつもみたいにご褒美に、しよ?」

「そんなことした覚えないんだけど」

「今日から」

「あはは、帰れ」

「いじわる」

 

 いじわると言われようとなんと言われようと、俺はまだ花音と恋人になった覚えはないからね。壊れかけてたけど一応、まだ俺と花音の関係に名前を付けると幼馴染でしょうが。

 だが、それこそが花音の一番の不満であるため頬が膨らむ。はいはい、むくれないむくれないと宥めていく。

 

「絆してご褒美とやらで疲れてそのまま泊まる……が流れなのは知ってるからね」

「む、バレてる……」

「当たり前でしょう」

 

 これで一線はまだ踏み越えてない、って言うならまだしもね? もう散々抱いたんだからいいでしょってあなたたち俺のこと何回襲ったんですかね? 確かに六月の拗れた時に千聖さんとは一日中ダラダラと、花音とは仲直りという名目で朝まで、散々抱いたけどさ。いい加減婚前交渉どころか付き合う前からこういう淫蕩生活はよろしくないと思うんだけどどうかな花音? 

 

「確かに、えっちなのはよくない……んしょ」

「俺に跨り、脱ぎながらのクセによく言えますね!?」

 

 びっくりの言動のちぐはぐさなんだけど。ああおかげでチラ見だったはずの水色にピンクのリボンがかわいらしいふわふわとした下着姿が露わになっちゃってる。これでドキドキしなかったらヤバいやつだけど、もう俺は、これ以上は誘惑されないんだからな。

 

「んー、じゃあ幼馴染やめよ?」

「……そうくる?」

「うん」

 

 む、バレてる気がする……まぁしょうがないか。俺としてはクリスマスイヴのイベントまで引っ張りたかったんだけど、たぶん千聖さんにもバレてる気がするんだよね。と言っても決めたのはつい最近のことでまた迷うかもしれないしなんなら……あ、いやここから先は最低男まっしぐらだからやめておこう。

 

「服を着たら返事をします」

「……やだ」

 

 やだって言いましたかこの人!? 露出狂なの? 千聖さんもそうだけど俺の周囲の人マジで好きな男にはパンツを見せたり教えないとしなきゃいけない文化圏からやってきてるのかな? だけど頑固な花音は動く気配がないので、そのままの体勢から上半身を起き上がらせ、花音を抱きしめた。

 

「幼馴染、やめてもいい?」

「……いいよお」

「ごめん、ずっと、宙ぶらりんにして」

「十年くらい待った」

「それは盛りすぎ」

「ふふ」

「あはは」

 

 ほらな、花音を泣かせてしまった。もう俺は二度と、彼女を幼馴染さんと呼んでた頃には戻れなくなった。涙を流し俺の方に顔を埋めて泣きじゃくる彼女をひたすら抱きしめていく。花音も俺の背中に手を回してひたすらに、声を上げて泣いていた。

 

「……クリスマスイベント」

「うん?」

「私も一緒なら……いいよ」

「わかった」

「ナンパされちゃわないように守ってね、千紘くん」

「はいはい」

 

 ──多分このオタク気質は一生変わらない。例え花音の前だろうと、俺は千聖ちゃんの害悪厄介認知勢オタクはやめられないし、やめるつもりもない。いつまでもイベントに顔出して他のオタクにマウント取るし、ライブでは汗掻き喉をからしながら黄色のペンライトを振るよ。

 

「そこは変わらないままかあ」

「ドルオタだから」

「変態さんだけど」

「おい」

 

 でもまぁ、花音の言う通り俺ってかなり変態なんだと思う。でも千聖さんだって花音だって同じくらい変態だからね。すぐスカート捲るし、捲らなくても色んな方法で色とりどりのパンツを目撃してきたんだから。黄色、白、黒、緑、青、紫、紺、ピンク、赤、水色ってバリエーション豊富。時にはなんか意匠の凝ったものなのとか言って画像で解説しながら現物見せてくれたり、透けるやつとか履いてきたりさ。色々、ホントにこの数ヶ月で二人のパンツを見てきた。好きな人のパンツを、これでもかというほど堪能してきてるんだよね。

 

「つまり?」

「いや別に……次はどんな刺激的なんだろうなぁって」

「どうしようね」

 

 とんでもない会話を、幼馴染だった彼女と繰り広げていく。楽しみにしてて、とか言われて俺は苦笑いをしてしまうけど、俺はそれが楽しみでしょうがなくなってることに気づいた。

 こう宣言した以上、花音はとんでもない、所謂勝負下着で来るのだろうか、それとも案外普通かな。ああもう妄想が止まらなくなってきちゃったな、なんて言うと花音はバカと言いながら俺にキスをしてくれた。

 ──ああ、俺は大好きな人と過ごす大好きな日常は、刺激に満ち溢れてるんだ。これからもずっと。

 

 なんとしてでも、推しは推しのまま推したい! けどパンツは見たい! スカイブルーEND! Thank you for reading.

 

 

 

 

 



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カレシである俺にしかできないこと

松原花音誕生日おめでとう!(祝う気は多少ある)


 俺は、俺たちはたくさん傷ついてきた。たくさん傷ついて、傷つけて、悲しませた。その先でどうにか遠回りを経て幸せへのスタートを踏み出したのが冬頃だった。そんなこんなで季節が巡り大学生になったばかりの現在にいたる。

 ──俺は推しのイベントに参戦していた。そう、推しだよ。花音と付き合ってもパスパレのオタクは辞められるわけもなく、俺は結局こうして尊き推しと握手&おしゃべりをしに来ていた。

 

「あ、来てくれてありがとうございます♪」

「そりゃ、千聖ちゃんのためなら遠征もなんのその!」

「ふふ、それは嬉しいですけど、大学の生活も大事ですからね?」

「……だね、バタバタしてるよ」

 

 ちょっと胸が痛む。もちろん推しである千聖ちゃんにそういう意図がないことなんてわかり切ってはいるんだけど、それでもどうしてもズキリと胸が痛んだ。そんなくだらない自分勝手な理由で、そんな顔を一瞬でもしてしまうのも、また俺の悪いところだ。

 

「そうですか」

「じゃあ、また来るね!」

「はい、待ってます」

 

 けれどその顔に気づいただろう千聖ちゃんも、特になにも言うことがなくお客様対応で終わっていく。実際、こうして個別対応してくれるようなイベントにやってきたのは久しぶりのことであって、以前は勉強やらなんやらで忙しくて参戦数を減らしていった。特になんの発信もすることがなくなったSNS上ではいなくなったことを喜んでいるヤツもいた。同担拒否の千聖推し勢ならまだいいんだけど、彩推し勢とか日菜推し勢とパレオ囲いたい勢なぁ。最後のに至ってはもうイベント来るなカスと言いたい気持ちもある。何しにイベ来てんだよカス。

 

『嫌われものでございますね~』

『当然でしょう? 千紘のような厄介認知勢が好かれるわけないじゃない』

『ですが! パレオはどこまでもヒロ様とご一緒しますよ!』

『まぁ、話し相手が必要でしょうから、付き合うくらいはしてあげるわよ』

 

 ──でももう俺のことなんて誰も覚えてなんていない。ボッチだし、半年近くのブランクがあったせいかそんな幻聴まで聴こえてしまうほどだ。もうあの二人はいない。パレオちゃんはきっと探せばどこかにいるだろうけど、紗夜さんは高校卒業と同時にすっぱりとオタ卒してしまった。パレオちゃんも今年は高校受験だから参戦数は減るかもしれませんと口にしていた。

 

「……結局強がったはいいんだけど妙に寂しくてさ」

「うーん、だからって握手会で私に愚痴るのやめない?」

「彩ちゃんだしいいかなぁって」

「だから私のファンに嫌われるんだよ?」

 

 それはそうかもしれない。だけど今は名もなきオタク、名無しに戻ったオタクなので俺としては嫌われようがもう知ったことじゃない。そもそもボッチキメるって心に決めてるからいいんだよ。

 

「なら私が慰めて──っていうのは?」

「燃やしていいの?」

「そういうところ、ヒロくんって最低だよね」

 

 にこやかな顔で怒られた。ごめんなさい、と謝りながらスタッフさんに引き剥がされる前に立ち去っていった。というか彩ちゃんというより、知り合いとしての彩なのが余計に怖かった。どうしようかな、彩ちゃんのところにはもう行けなくなった。

 ──というか、俺にとって推しのイベントはこんなに気分が明るくならないもんだったっけ。そう思ってしまったからには俺もいよいよオタ卒の時が来たのかもしれん。

 

「まぁ……アイツのカレシで、アイツを独り占めしてるんだから、フツーは辞めなきゃだよな」

 

 大学ではかわいい新入生がいるってあっという間に噂になっていた。そして常にその隣で構われてる冴えないモブ顔の俺のことも。おかげさまで一ヶ月もの間言われたい放題だ。花音は一躍新入生のアイドル扱いで、俺はそんなアイドルに近づく不届きもの。まるで去年くらいと状況がまるで変わってない。俺はどこだろうと厄介オタクここに極まれり、だな。

 

「しかもなんでかドルオタなのバレてるしな……はぁ」

 

 いやイベ出没率がえぐいし変な意味で有名人だったから、知ってるやつがいてもおかしくはないんだよ。だけどそれと花音のカレシとなにが関係あるんだよって言いたい。スゲー言いたいんだけどそれを結び付けるのがフツーなのかもしれない。つり合いってやつだ。

 

「確かに、つり合いはとれてないだろうな……」

 

 明日にはそんな花音の誕生日パーティをするっていうのにこうしてドルオタしてるんだから言われれば本当にその通りだ。きっと、もっと一緒にいてくれるようなヒトの方がアイツのことを幸せにしてあげられるんだろうな。大切にしてあげれてない、ってきっと詰られるんだろう。まぁだから隙あらば話しかけていく猛者がたくさんいるんだろうな。

 

「はぁ……っと、切り替えよ」

 

 なるべく楽しまないと、特に推しである千聖ちゃんはそういうのしっかりしないと()()()どんだけ怒られるかわかったもんじゃないから、そう思ってブースに並んで自分の番が来ると……もうどうやら俺の決意は手遅れだったということを察した。

 

「ず、ずいぶんな塩対応ですね?」

「──え?」

「チョーシこいてすいませんでした、怒らないでください」

 

 で、でたー! プライベートモードと化した千聖さんがにこやかな笑顔で腕を組んでいらっしゃった。お説教ですか、そうですか。とはいえまぁまぁ俺の態度も悪かったし、久しぶりに会ったのに完全オタク対応したからキレられるのは割と予想の範囲内だったりする。マゾじゃないやい。

 

「またそうやって……アイドル衣装で千聖さん(プライベート)対応するのやめない?」

「いやよ。こうでもしないとお説教できないじゃない」

「しなきゃいい……わけないですよね」

 

 とはいえ長い時間話すとアレなので後で連絡するからせいぜい推しを出待ちして喜びのたうち回りなさいと言われなんと手を振るのではなく手を払うようにして追い出された。最後の最後まで塩対応……ちょっとへこんだ。でもこれを共有する仲間ももういなくなってしまった。

 

「パレオちゃんはどうしたのよ」

「一緒じゃないよ。というか、一緒でどうするのさ」

「家まで送ってもらおうと思ったのに、連絡したら来るかしら?」

「……来ないんじゃない? 俺がいるんだし」

 

 そのまま待っていると本当に千聖さんがやってきて、パレオちゃんに連絡していく。その横顔を眺めてため息がつきたくてつきたくてしょうがなくなってしまう。

 ──結局、何か変わったのかな。あの時は確かに、確かにこれから起こるだろう花音との刺激的な毎日に期待していた。それでも最初は幸せだったよ? 花音が俺を振り回してくれる毎日が、愛してくれる毎日が幸せだった。でも受験勉強から合格して、大学に通い始めて、新生活に追われてる間にそんな期待していたほどの毎日なんてないことに気づいてしまった。隣を歩いていてもいつも居心地が悪くて、花音を守れない自分がどんどん、嫌いになっていくような感覚がしていた。

 

「だからって私を、推しを逃げに使うのはどうなのかしらね」

「……そう、だよね」

「千紘はそれを選んだのよ? 後悔してどうするのよ」

 

 乗り慣れたパレオちゃんの車の中でもひたすらにお説教される。その間にある微妙な距離にも、無言で近づくことも声を掛けることもしてこないパレオちゃんとの距離も居心地が悪い。俺は、こんな人間関係がほしくて花音を選んだわけじゃないのに。

 

「バカね」

「バカだよ、俺は」

「そうやって理解したフリをしてるのだからもっとバカよ、今のあなたは……っ」

「千聖さん」

 

 泣きそうな顔をしないでよ。まだ、縋ってくれた方が嬉しかったのかもしれない。彩のように冗談交じりだろうと茶化してくれた方がよかった。でも、そんな風に千聖さんのそのままの感情を受けてしまったら俺は、この胸の内にあるものを吐き出してしまいたくなるじゃないか。

 

「……千聖さん、お説教の途中ですがヒロ様をお借りしてもよろしいですか?」

「ええ、いいわよ」

「では──覚悟をしてください」

「え」

 

 ──手を振り上げられ、頬を張られると思い目をつぶった俺だった。だが、思ったような痛みが頬に広がることはなく恐る恐る目を開けると、そこにはひかえめにちょこんとスカートを捲るパレオちゃんの姿が……ってなにしてんだぁ!? 

 

「あら、かわいらしいわね」

「お褒めにあずかり光栄です! パレオももう大人の階段上るシンデレラですので下から覗かれてもふさわしいショーツをと思いまして」

「パレオちゃんのパンツを下から覗く王子様は即座に通報してね!」

 

 その言葉通りピンクのフリルがかわいい純白の……って実況するのもヤバいのですぐさまスカートを元に戻していただけますでしょうかパレオさん? あなたどこかで包み隠す意味のパレオが語源なんですって言ってませんでしたか、ちょっとくらい包み隠してくれます!? 

 

「私今日タイツ履いてきちゃったのよ、ほら」

「朝寒かったですもんね」

「アンタもめくるんかーい!」

 

 お説教モードどこいきました? 俺はお説教されてましたよねぇ! ロングスカートをめくってカーキ系のタイツを見せてきた千聖さんに怒濤のツッコミに勤しんでいるとやっぱり色まではなかなかね、と首を捻っていた。

 

「タイツ脱ぎます?」

「確かにその手があったわ、ねぇ千紘?」

「な、なに?」

 

 千聖さんのうっとりスマイルは危険、ちい覚えてるよ。千紘くんはかつてちいちゃんと呼ばれていた過去もあったりする。そんなことはどうでもいいんだ俺の気も動転し始めてきた。でも千聖さんはロングスカートをたたんでパンツは絶対に見せないようにしながら膝をたたんで頭をそこに乗せてポージング、俺に訊ねてきた。

 

「脱ぐのと破るの、どっちが好み?」

「は……へっ?」

「千紘さんはおそらく目の前で脱いだ方が興奮するかと、マゾですし」

「そうね、マゾだもの破るなんて度胸ないわよねぇ?」

「マゾって言うな二人揃って!」

 

 周知の事実かのように会話するのやめて! 花音にもことあるごとにだってМでしょ? って言われるんだから! でも確かにタイツは無理やり破くのより脱いでもらうほうが好きかもしれない! やっぱり俺はマゾなのか……わからなくなってきた。

 

「これが推しの前で暗い顔をした挙句会話を打ち切ったバツよ」

「マジで脱ぐ気?」

「目を逸らしたら……そうね、パレオちゃん」

「はい」

「スマホでコレを動画にして、送ってしまうというのはどうかしら?」

 

 カノジョがいるのにコレは相当怒られるわよ? と極めて楽しそうに言ってくる。笑いごとじゃないんだけど、俺は目を逸らさないという意思を伝える。いい心がけねと笑う千聖さんだけれど……その頬はちょっと赤く染まっていて、流石に恥ずかしいんだろうか。だがその数秒後にはそんなことを考える余裕もないくらいの衝撃が俺の視神経を駆け巡った。

 

「おお……」

 

 ──と、同性のパレオちゃんが唸るほど美しく、かつどこかエロティシズムを感じる所作だった。手をスカートの中に差し込み、ゆっくりとおしりをもちあげ、脚を上げながらするすると透けないほど色の濃いタイツが爪先に移動し、千聖さん本来の美しい白が俺の視界を満たしていく。横に座っているから撮影中のパレオちゃんからすると丸見えなんじゃなかろうか。かくいう俺からも手前の足が持ち上げられた瞬間にチラリとワインレッドが視界に入ってきた。

 

「しょ、っと……ふふ、顔真っ赤ね?」

「こ、こんなの見せられて、ならないわけないでしょ」

 

 どうだった? と問われるともう優勝でしたとかそういうレベルじゃないんです。しかも肝心のパンツは結局見せてこないとかいう高等テクニックやめません? パレオちゃんが羨ましい……じゃなくて! 本音の漏れ出る感じがすごいことになった。でも生殺しなんて前の千聖さんはしなかったよね。

 

「本当なら見せてあげたいし触ってほしいけれど」

「ノータッチで」

「見たいは見たいのですね」

「まぁ、それはさておくとして……でも、千紘は線を引いたのでしょう?」

 

 線を、そうだ線を引いた。パレオちゃんも千聖さんも、俺に告白してくれて、なんなら千聖さんはパンツどころか裸まで見てしまったようなヒトだけど。

 ──俺の恋人は花音だ。幼馴染さんだったあの子は幼馴染さんじゃなくて恋人さんなんだ。そう言うと千聖さんはパレオちゃんを見ながらホラねとため息をついてきた。え、なに? なんなの? 

 

「言った通りでしょう?」

「で、ございますね」

「……なにが」

「恋人さんって名前をつけて、()()安心しようとしてるわよ」

 

 あっ、と声を上げてしまう。俺の悪いクセ。幼馴染さん、推し、そんな風に名前を付けて関係を決めて安心する悪癖。いつの間にか、いやあれだな。大学入ってからだなこれ。学ばないオタクでどうもと自虐するのも、いや自虐はずっとか。

 

「……花音が、何か言ってた?」

「ええそれはそれは、惚気を交えながらたっぷり二時間コースよ」

 

 だよな、あんなことがあったとはいえ、二人は親友同士、たとえ大学が別だろうと二人はいつまで経っても仲良く喫茶店で長話をするイメージはある。その通り、どうやら最近の俺の様子を千聖さんは花音から聴いていたらしい。

 

「愚痴っていたわよ。守ってくれないって」

「俺が、守る方なのか」

「あの子にとって、千紘と一緒にいること以上に価値あるものなんてないわ。それを守るのはどっちなのかしら?」

 

 それは、俺だ。俺にしかできないことだ。花音の居場所を、一番安心できる場所を守ってあげられるのは俺にしかできない。なのに、俺はそんな努力から逃げて、恋人って名前だけに安心しようとして、あまつさえ離れようとしていたなんて。というか毎日通う大学先で花音に向けられる目がストレスだったんだろうな。気にしなければ気にもならない視線を、俺は必要以上に気にしようとしてたんだな。

 

「オタ活と同じでございますよ、千紘さん!」

「同じ、か」

「ハイ! あなたの思うがまま、まっすぐ、害悪認知厄介勢なところを見せてこそ、ヒロ様ですから!」

 

 その単語に妙な懐かしさを感じて笑ってしまった。そうだな、俺はドルオタで千聖ちゃん推しの害悪認知厄介勢だ。誰になんと言われようと舌を出して貫いてきた汚名だ。それがただ幼馴染で花音のことが好きな恋人になっただけ。というかコッチの称号こそ誰かに言われたくらいで変えようとなんて思えるものじゃないんだよな。

 

「浮気も考えておいてほしいけれど」

「推し浮気にキレた千聖さんが言う?」

「ええ、だって……見たいでしょう?」

「見たいけど見ない」

「……そうね、そうだったわね」

 

 スカートをヒラヒラされるけど俺は首を横に振った。いやマジで惜しいと思ってるし絶対後悔するよ? でも、もうなぁなぁの関係はやめたくて決めた選択だから、それを振り出しに戻しちゃだめだと思うんだ。いや二人の色知っちゃったんだけど、それはノーカンにしてほしい。

 

「それなら、ちゃんと抱き締めてあげなさいよ」

「そうです。千紘さんのハグなんて、パレオからしたら最高すぎるご褒美なんですから!」

「私なんてもう一晩絶対離れられなくなる自信あるわね、むしろ今してもいいのよ?」

「ちょ、目がマジなんだけど! たすけて、助けてパレオちゃん!」

「……助けたらご褒美?」

「こっちもダメだった!」

 

 なんとか拒絶をして、俺は到着した瞬間に花音の待つ家へと駆けこんだ。おかえりと嬉しそうにやってくる花音に向かってただいまという言葉では足りないのはもうわかってる。だから俺は汗臭いだろうとかさっきまでの浮気認定まったなしの時間とかそういうのを一旦全部忘れて、待ってくれていたカノジョを腕の中に収めていった。

 

 

 




後編に続く。今日中には投稿します


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カノジョとして私にできること

日付変わってしまった敗因:前後編になったこと。


 久しぶりのイベント、楽しんでるかなあ? そんな風に私は時計を眺めながら彼の帰りを待っていた。もちろん、そこには彼の推しでありかつて深く繋がり合った関係までいった千聖ちゃんや、まだちょっとだけ狙ってる感じのある彩ちゃんがいて、パレオちゃんもいるってなるのは妬いちゃうけど。

 

「……最近は私の方が、ヒドいことばっかりしてるもんね」

 

 大学では私がまるでアイドルみたいに扱われていて、いっつも側にいてくれてるはずの千紘くんは空気以下の、それこそ私に付く悪い虫さんみたいな扱いで。そんな嫉妬や憎悪を向けられた彼は、ひと月経つ前にはもう昔に戻っちゃったみたいに、優しく私を突き放してきた。

 

「サークルの新歓でしょ? そういうの顔出すのが大事なんだから」

「未成年なのにお酒出されて……えっちなことされちゃうかもよ?」

「お前は……どこでそういう知識を仕入れてくるんだよ」

「千紘くんの部屋にあったやつだよ?」

 

 慌てながら、実際やったら犯罪だから大丈夫だよって千紘くんは言ってたけど、新歓で先輩が私の身体を見て近くに寄ってきたり、肩とか触ろうとしてきたり、この後ホテルどうとか言われたよ。彼には言ってないけど。あと全部興味ないしカレシいるんでって追い払ってあげたけど。

 

「すっかり強かになったわね、花音」

「まあ……私の千紘くんを軽んじる最低な男のヒトっていうのには慣れちゃったし」

「でも隙を突いてくるのね」

「守ってくれないんだもん」

 

 言えない、というのも私がまだまだ変われてない証拠なんだけどね。だってそれは実質的に千紘くんを盾にする行為なんだもん。客観的に見たらそんなにイケメンでもないしオタクだし、釣り合ってないから寝取りやすいって思われちゃって、余計に当たりが強くなりそうだよね。

 

「あのヒトのステが低いって扱いが我慢ならないわね」

「紗夜ちゃん」

「こんにちは」

「卒業以来ですね」

 

 そんな話をしていると、近くの席で注文を終えた紗夜ちゃんがとてもかわいらしく唇を尖らせていた。みんな忘れられないんだなあ……って何年も何年も積み重ねて拗らせちゃった私が言えることじゃないんだけどね。

 

「あのヒトが低いのは自己評価でしょう」

「まぁそうよね。でも確かに、花音に今度こそ嘘を吐かせたくない。そう思ってしまってるのかしら」

「そのために自分が優しい嘘を、というのは全く成長が見られませんが」

 

 そうなんだよね。もっとわがままになってほしいんだよねえ。なんならもう大学でもいちゃいちゃしてればいいと思うし、パスパレを、千聖ちゃんを応援したいっていうなら堂々とイベントに行けばいいと思うよ。

 

「そんな器用じゃないでしょう。白鷺さんが相手なら尚更」

「あはは、えっちなことしちゃったからねえ」

「……それはそれで無責任よ。私だって会いたいのに、わかってないなんて」

 

 ふふ、だからそんなに器用じゃないんだってば。そんなところも好きだなあって思っちゃえるんだけど。

 ──そんな千聖ちゃんの言葉もあってか、千紘くんは今日のイベントに行った。明日が私の誕生日なのにってしきりに訊ねてたけど、それは明日の予定、でしょ? イベントに帰ってきてからでいいよおって見送った。嘘じゃない。だって私の知ってる大好きな笑顔をする千紘くんはいつだって、好きなことをしてキラキラしてる千紘くんだから。

 

「ただいまー」

「あ、おかえり……!」

 

 出迎えると、千紘くんは優しい笑みとあったかい腕の中で包んでくれる。ちょっとびっくりしたけど、嫌とは絶対に思わない。汗臭いとか、そういうのも気にならない。むしろ好きなヒトの匂いは好き。好きなヒトに包まれるのは、大好き。

 

「ちょっとだけ遅くなった」

「ううん、大丈夫だよ」

「お風呂もう入った?」

「うん」

「じゃあ、先お風呂にしようかな」

「うん」

 

 そう、そして私と千紘くんは今、一緒の部屋で暮らしてる。前から泊まらないだけでそういう感じだったんだけど、大学進学をきっかけに千紘くんの両親が元々ほぼ一人で生活させていたことや私の両親が通うのは大変だろうって言ってくれたことが重なって親公認で近くのマンションに。こんな都合がよくていいんだろうかって思ったり、結局これは二人で生きていけてるわけじゃないんじゃないかって思ったりしたけど、それから先がどうなるかは私たち次第だよね。後、大学入ってから思うのは同棲してるっていうのは私のことを狙ってくるヒトたちを牽制しやすいなあってことくらい? 

 

「ふぅ、さっぱりした」

「千紘くん、パレオちゃんから連絡来てるよ」

「ん? なんか忘れ物でもしたかな、ちょっと読み上げてもらっていい?」

「はあい」

 

 冷蔵庫で冷やされたお茶を取り出してる千紘くんに言われて机の上にあったスマホのロックを解除する。そのままメッセージアプリを開いてパレオちゃんと書かれたかわいいアイコンの場所をタップする。そこには無事着きました、おやすみなさいという言葉と久しぶりに話せてとても嬉しかったので幸せのおすそ分けです、と動画が添付されていた。

 

「──っ!? それってまさか」

「……千紘くん?」

「あの、あのね花音……いやなに言っても言い訳になるんだけど俺は横のアングルでしかそれを見てないんだよ!」

 

 その動画はパレオちゃんの車の中で千聖ちゃんがわざわざゆっくり見せるようにタイツを脱いでるというものだった。パレオちゃん視点であるだろうその隣で目線が下にある千紘くんもいて、真正面から撮影しているためその下にあったワインレッドのショーツが惜しげもなく晒されていた。

 

「目線が変態さんだよ?」

「……それは認める」

「あ、また画像が……今度はパレオちゃんかあ」

「見せなくていいよ、察した」

「見せないよ、変態さん」

 

 でも続けて今日見せたものですってメッセージが添えられてるから見たんだよね? 訊ねると目を逸らしながら見ましたとか細い声でお返事がきた。

 ──んー、そっかあ。なるほどねえ。

 

「脱ぎ始めるなよ」

「……流石にわかる?」

「お前の行動はね」

「えへへ~、カレシさんだもんねえ」

「って言いながら脱いじゃうんだよなぁお前は!」

 

 そこも大正解♪ 私は私のことを知ってくれる大好きなカレシさんと一緒にいられて幸せだよ。そう言うとそういうのは服を着てから言ってもらえますと怒られてしまった。えっと……今日はシないの? 

 

「日付変わったら誕生日だよ?」

「だからなに?」

「プレゼントほしいなあ」

「逆じゃない?」

「赤ちゃんだよ?」

「まだ早くね!?」

 

 冗談だよおと笑う。まだ早いもんね、まだ。その言葉が聞けただけでも嬉しくて、さっきまでちょっとヤキモチ妬いてたの、全部吹き飛んじゃった。服は着ないけどね、だって今日はそのつもりでお風呂上りでも気合入れてるからね。

 

「そういうのはもっとムードがほしいというか?」

「本音は?」

「隠れてるのを捲られてるのが好き」

「……うーん、変態さんだね」

 

 拗らせちゃってるんだね。でもそれはホラ、去年千聖ちゃんとか私がさんざんパンツ見せちゃったせいもあるからそういう性癖の責任は取らなくちゃ。遠慮されちゃうけど、私は別に、確かにまじまじと見られると恥ずかしいかもしれない。でも、千紘くんになら、変態さんの目で見られてもイヤじゃないよ。

 

「だから、もっと私を見ていてね? いーっぱい独占していいから」

「花音……ありがとう」

「ふふ、だって私は千紘くんが大好きだから」

 

 ハジメテは、彼を壊すために利用した。本当は痛くて泣いちゃいそうで、でも怒りが私の涙をひっこめて。二回目は心が痛かった、何度も何度もごめんねと謝って、でも千紘くんは怒ることなく、抱き締めて名前を呼んでくれた。それから先はもう、痛いと思うこともなく、日付変わる前には起こしてねと言い残して私は彼に包まれたまま眠りについた。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 ──時刻は十一時半を回ったところで、俺は隣ですうすう寝息を立てる花音に目を向けた。こう見ると去年の春から初夏にかけての二ヶ月の間にあった怒濤の事件に比べて苦しそうな表情が減った。

 

「……ん、う……おはよお」

「おはよ」

「んふ……ふふふ」

「どうしたの?」

「起きたら、千紘くんがいるのが……幸せだなあって」

 

 代わりに目に見えて増加していったのは柔らかく甘い笑顔、幸せの笑顔だった。さみしがりで甘えんぼうで、独占欲が強くてちょっとだけ意地悪で。ずっとずっとそばにいてくれた俺の大切なヒト。そんな彼女の誕生日が目前に迫っていた。

 

「ほら、せめて服着てお祝いしようか」

「ん……パンツどこお?」

「俺が探すんだね……」

 

 本人じゃなくて脱ぎ散らかした下着が迷子になってしまったようで布団を捲って探すと、紫色に白の刺繍が入ったソレを発見し、ちょっとだけ持ち方に気を遣って渡す。こう布の状態だとまだ平気なんだけど、どうしても花音のスタイルや白い肌がコントラストになってたり着替えの瞬間を見せられると違った感情が湧くんだよなぁ。だから衣擦れの音だけが耳に入ってくるようにする。

 

「着替えたよ~」

「まだ頭、寝てるな」

「そんなこと……ふぁ、ないよお?」

 

 とか言いながら背中に抱き着いて頬をこすり付けてくる元幼馴染さん。猫かよ、そう思っていたらそのまま正面にやってきて甘えてきたからよいしょと抱えてリビングへと運んでいく。今日の寝巻は色々見えそうなのはわざとですかね? 

 

「うん」

「変態さんですか?」

「千紘くんが?」

「なんでそうなるの」

「そういえばね」

 

 露骨ゥ! 話のそらし方が雑すぎて逆に俺が悪いのかなって思ったよ! でも花音はそんなことおかまいなしとばかりに俺を背もたれにして、スマホの画面を見せて……上下セットフツーに四桁するようなソレの色を訊ねてきた。

 

「プレゼントはこれがいいんだけど、何色がいいと思う?」

「なにこれ」

「ベビードールっていう下着だよ?」

「そ、そう」

 

 その前の検索欄のところにセクシーって文字が見えるのは気のせいでしょうか、そして全体的にスケスケだったり布面積が小さかったり、なんならものによっては大事な部分丸見えなんだけど、これは果たしてパンツって言えるの? 

 

「でも、裸とどっちがコーフンする?」

「断然こっち」

「だよねえ……ねね、何色がいーい?」

 

 なんでそんなノリ気なんだろうか、しかもそれが誕プレってそれでいいのか。ツッコミを入れるともちろんだよと明るく微笑まれる。どうしてと問いかけようとしたところで唇を奪われた。それはもうたっぷり数秒、数分もの間。

 

「──っはぁ、だって……こんなえっちな格好しちゃう女の子だって、千紘くんだけには知ってほしい」

「か、花音……」

「千紘くんだけの私がほしい。誰も知らない、あなただけの私が」

「そ、っか」

「それが、私が本当に求める誕生日プレゼントだよ」

 

 それが、それがきっとスカートに隠されたその奥にある、誰にも見せないし見えないはずのパンツを見せるってことにつながるんだろうか。千聖さんもそういう特別を、アイドルの千聖ちゃんでも、幼馴染さんの親友の千聖さんでもない、俺だけの白鷺千聖を求めたんだろうか。確かに、たぶん俺が千聖さんのことを急にパンツ見せてきてその反応を見て楽しむようなサドで変態チックで、でも甘えたがりで寂しがり屋で、かわいいところもある女の子だよだなんて別のヒトに伝えても妄想乙で終わりだろうからね。

 

「やっと気づいたの?」

「……いやぁ、気づけないよそれは」

「ちょっとだけ、千聖ちゃんがかわいそうだなあ……って思っちゃった」

 

 今度一日くらい貸してあげようかなとか言い出した花音にそれだけはやめてねと伝えておく。俺だってまだあの時の気持ちを失ったわけじゃないよ、千聖さんに迫られたら好きって気持ちが再燃しちゃいそうなくらいだからね。だからこそ、ちゃんと早めに区切りをつけないとさ。

 

「うん、それは大事だね……あ、でもね」

「なに?」

「千紘くんが。どうしても辞めたいって思わない限りは、パスパレのオタクでいてあげてね?」

 

 フツーならきっと、自分がいるのに他の女の子のおっかけしてるなんて最低なカレシもいいところだろう。実際にそういう陰口をたたかれてるのは知っていたし、俺も漠然と付き合うってそういうものなのかと様式的な恋人に囚われていたけど。

 

「ならさ」

「んー?」

「花音の予定が合うかぎりは……一緒ってのは、ダメかな?」

「……私も?」

「俺が、一緒にいたいから」

 

 もちろん花音にオタクになれって言うわけじゃないけど。どうしても離れている間に何かあったらって思うとどうにも明るく楽しめないんだよね。ホラ俺って大学でも嫌われものじゃん? だからって俺をダシにしてくるヤツなんて幾らでもいるわけで。

 

「守ってくれるの?」

「……自信はないけど」

「ん、わかってるよお……だから、一緒にいる、ね?」

 

 ああもう、俺には勿体ないくらいのカノジョさんだ。でも同時に俺だけにしかその勿体ないくらいのカノジョさんとしての顔をしないってことも理解してる。抱き締めるとあったかくて幸せが胸に広がっていく感覚がした。そしてしばらく目を閉じてそのあったかさを共有していると花音のスマホが振動し始める。

 

「あ、日付変わったねえ」

「……誕生日おめでとう、花音」

「ありがとお……えへへ」

 

 なんとなくの流れで抱き締めてたけど奇しくも千聖さんのアドバイス通りになったね。それから誕生日のケーキと千聖さんがプレゼントよって手渡してくれた紅茶の香りに頬を緩ませながら俺は二人きりで彼女の誕生日を祝った。

 

「千紘くんからは?」

「そりゃもちろん、クラゲのぬいぐるみだよ」

「わあ、かわいい……おっきい……」

 

 うーん俺だけに見せてるからセーフ! そのうっとり表情でおっきいは本来ならアウトなのでやめようね花音! そう言うとかわいらしく首を傾げられてしまった、くそうこういう時ばっかりは無自覚なのかよ! 

 

「……あー、えっと……変態さん」

「健全な男子なので」

 

 プラスで黒色のスケスケヒラヒラのベビードールなるセクシーランジェリーも購入することになった。

 ──その後、届いたソレでベッドにやってきた花音との夜は忘れられるようなものではないと同時に恋人なんだなぁと考えさせられる脳内保存の新たなバリエーションになってしまった。

 

「千紘くんが望むのなら……大学でもえっちなの履いてきてもいいよお?」

「いいや、それはやめとく」

「そう?」

「……俺だけが見れるなら、大歓迎だけどね」

 

 もう、花音のパンツがただただ見たいだなんて思う時期はとっくに過ぎた。今は俺だけが独占できる花音が見たい。俺だけが松原花音のスカートの中を知っていたいんだ。そんな気持ち悪くも浅ましい独占欲を伝えられた花音は輝くようなスマイルで俺にそれを美しい言葉で返してくれた。

 ──私も、愛してるよ。たったその一言がちゃんと俺から伝えられるようになるのは来年の誕生日くらいかもしれないけど。

 

 

 

 




パンツパンツうるさいけど、パンツコミュニケーションに頼らない方法もいくらでもあるけど、この物語は普通に恋愛してると思う。
アイシテルの一言が言えないのにパンツ見たいが言えるオタクくんさぁ……とにかく、松原さん誕生日おめでとう!


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