偽りの英雄のヒーローアカデミア (ひよこ饅頭)
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第1話 プロローグ

新連載、始動!
書き途中の長編幾つもあるのに何やってんだって感じですが、FF7リメイクの記念に遅まきながらやっちゃいました……(汗)
そして私にしては珍しく完全一人称な文章!
全く書き慣れない……!(滝汗)
途中から、また普通に三人称の文章に戻ると思います。


「――……だからさぁ~、ここは危ないわけよ。お兄さんたちと一緒の方が安心だよ」

「そうそう、悪い奴らがいっぱいいるからねェ。怖い思いをするのは嫌だろう?」

「ついでにお兄さんたちが良いところに案内してあげるよ」

 

 目の前で見上げるほどの長身の男たちが先ほどから行く手を阻んで酷い猫なで声で煩く話しかけてくる。

 俺は薄暗い路地裏のど真ん中で、不良といって良いのか分からないほどにそれなりに歳食った成人男性三人組に絡まれている真っ最中だった。

 どうしてこうなったのかと頭を悩ませ、すぐにこんな道を選んだ自分が悪いと結論に至って頭が痛くなる。なるべく目立ちたくないという思いが先行しすぎた自分自身に、お前は馬鹿なのか……と思わず心の中で悪態をついた。こんな子供が一人薄暗い路地裏を歩いていれば、カモにしてくれと言っているようなものだ。

 正にネギを背負ったカモ状態。これは100%自分が悪い。

 無言のまま己を叱責して反省している中、それを怯えているとでも判断したのか、男の一人が徐にこちらに手を伸ばしてきた。

 瞬間、俺は反射的にその手を叩きはらっていた。

 パシッ……という軽くも鋭い音が薄暗い路地裏に響き渡る。

 一拍後、怒りに顔を歪めた三人の男たちに、俺はため息を抑えることができなかった。

 全くもって非常に面倒臭い……。

 相手は自分のことを弱い存在だと判断した上で声をかけてきたのだろうし、俺自身、自分の容姿が一見全く強そうには見えないことは自覚しているので反撃を食らって相手が苛立つのも分からなくはない。けれど残念ながら俺の中には『大人しくする』という選択肢はないわけで、加えて俺には三人の男たちを同時に相手取っても余裕で勝てるだけの力もあるわけで……。

 自分たちの目が節穴であることを呪え、と心底言ってやりたかった。

 とはいえ、そんなことを言えるような雰囲気ではないし、かといって変に大人しくして時間を長引かせるのも相手が可哀想だろう。

 俺は男たちが何かしらの行動を起こす前に、瞬時に愛刀を出現させた(・・・・・・・・)

 どこからともなく姿を現した、身の丈以上に長い美しい白刃。これならば、この狭い路地裏であれば容易に端から端まで一気に攻撃することができる。

 こんな狭いところで長い得物など逆に難しくないか、コンクリートの壁に刃が当たれば刃こぼれをしたり折れてしまうのではないかと思う人もいるかもしれないが、心配するなかれ、この白刃はそんな軟な代物ではない。相手がコンクリートであろうが鉄の塊だろうが岩石だろうが、この白刃はまるでバターを切るナイフのように容易く真っ二つに切り裂いてしまえるほどの強靭さと鋭さを兼ね備えていた。刃こぼれすることもなければ折れることもないし、実際、白刃を出現させたことによって既に壁の片側がすべらかに切り裂かれているのが見てとれる。因みに白刃には一切の摩耗は見られない。

 そんな常識離れした光景に、三人の男たちは誰もがギョッと目を見開かせていた。汚らしい顔に、更に油じみた汗が大量に滲み始める。

 非常に汚らしい。出来れば今すぐにでもどこかに行って視界から消えてほしい。

 心の中でぼろくそ言いながら、しかし同時に、見開かせた目を動揺にオドオドと揺らしている男たちの様子に、これでよく他人を脅せたものだと呆れを通り越して一種の感心すら胸に湧き上がらせた。

 

「お、おい、そんなのどこから……!?」

「いやいや、それよりも…! こ、こんな危ないものを子供が持つもんじゃないぞ~。良い子だから、お兄さんたちにそれを渡そうな~」

「……失せろ」

「……へ……?」

 

 こちらの声が聞こえなかったのか、はたまた聞こえていても意味を理解できなかったのか、目の前の男たちは一様に動きを止めて呆けた声を上げる。

 しかし、こんな男たちに気を遣うほど俺は優しくない。

 威嚇の意味を込めて持っている白刃を少し振るえば、白刃はまるで自身の手足のようにすべらかに動いて壁を尚も切り裂き、一人の男の頬の直前でその動きを止めた。あと数ミリでも動けば男の頬はパックリと切れて赤い液体を流すことになるだろう。男もそれが分かっているのか微動だにせず、ただ恐怖の色を浮かべてこちらを見つめていた。

 

「………もう一度言うぞ。さっさと俺の目の前から消え失せろ」

 

 口から零れ出たのは、俺自身でも低く凄みの効いたものだと思えるほどの声。

 それに気圧されたのか、男たちはビクッと大きく身体を震わせると、次には弾かれたように踵を返した。微妙に腰でも抜かしたのか、妙な態勢になりながらも小さな悲鳴を上げて我先にと路地裏の奥の闇へと逃げていく。

 どんどんと遠くなっていく三つの気配に、俺はもう一度大きなため息を吐いた後に持っていた刀を消滅させた(・・・・・)

 余計なところで時間を食わされたことに思わず顔が歪む。

 しかしここでぐずぐずしていてはもっと時間を食わされることになる。恐らく……というか確実に、遅くなっては面倒なことになるだろう。帰ってきた時に大騒ぎになるのも嫌なため、気を取り直してさっさと用事を済ませることにした。

 直立不動だった足を動かし、そのつま先を大通りへと向ける。

 本当は人混みの多い場所はあまり好きではないのだが、先ほどのこともあるため諦めることにする。さっさと用事を済ませて帰るのが吉だと判断すると、足早に歩を進ませて薄暗く静かな路地裏から光と音と気配がごった返す大通りへと足を踏み出した。

 ザワッと一気に耳を打つ数多の大きな音と大量の気配。襲いかかってくる大量の熱気に、思わず足を止めて小さく眉間に皺を寄せた。多くの人間が集まることで発せられるある種の威圧感に、思わず気圧されて半歩後ろに後退る。

 しかしその時不意に何かが感覚に引っかかり、反射的に足を止めて大通りの奥へと顔を向けた。人混みに塗り潰されている遥か遠くを睨むようにじっと凝視する。

 その状態が数秒、十数秒、数十秒と続いた後、漸くといったように唐突な変化が訪れた。

 

 

 

 キャァァアアァァアアァアァァアァアァアァアアァァァッッ!!!

 

 

 まず聞こえてきたのは空間を切り裂くような高い叫び声。

 大通りを歩いていた人間たちが何事かと叫び声が聞こえてきた方を振り返り、次々と顔色や表情を変えていった。

 

 

「どけぇぇぇっ!!!」

 

「きゃあぁぁっ!!」

「なんだっ!?」

(ヴィラン)……、(ヴィラン)だっ!!」

「きゃぁっ、何なのよ!!」

「逃げるぞ、早くしろ!!」

「ヒーローはどこにいるんだ!?」

 

 口々に騒音を撒き散らしながら、人間たちが我先にと怒声と破壊音が聞こえてくる方向から逃げ始める。怒声と破壊音は徐々にこちらに近づいてきており、度々上がる土煙も徐々にこちらに近づいてきているようだった。

 

「逃げろっ! 怖がれェっ!! 俺様に恐怖しろォォ!!!」

 

 汚らしい濁声を上げながら“それ”は周りにいた人間や建物を容赦なく破壊していく。

 誰もが助けの叫びを上げながら逃げ惑う中、俺だけはただ呆れながらじっと“それ”を見つめていた。

 大の大人が何を騒いでいるのか……。というか、こんな事に“力”を使うなんて馬鹿なのか?

 上空へと漂う土煙や時折飛ぶ瓦礫などが視界に映り、呆れを通り越してげんなりとさせられた。

 不良に絡まれるのが嫌で路地裏から出てきたというのに、またこれか。だから外に出るのは嫌なんだ。

 内心でぶちぶちと文句を言いながら、そっと周りへと視線を巡らせる。

 出来れば完全に巻き込まれる前にこの場を離れたいが、視線の先ではまるで肉食獣に襲われたヌーの群れの様に逃げ惑っている人間たちがおり、どうしようもない状況に思わず大きなため息が零れ出た。

 俺の身長はまだ成長途中ということもあって大人に比べれば大分小さい。よってこの人混みの中を同じように逃げればもみくちゃにされて最悪潰されかねなかった。ならばこの場を離れようと努力するよりも端によって嵐が過ぎ去るのを待った方が良いかもしれない。

 俺はこの場を離れることを諦めると、さっさと壁際に寄って、そのままのんびりと“それ”が近づいてくるのに任せた。

 やがて数分後に人混みを裂くように現れたのは、異様な体形の一人の男だった。

 二メートルに迫るほどの長身に、鍛えられた逞しい体躯。一見普通の体形に見えるものの、唯一腕の長さと太さだけが異常だった。両腕の長さが異様に長く足元にまで及び、肘から下が一気に大きく肥大している。しかし脂肪によって肥大している訳ではなく、大きな筋肉の起伏が皮膚の上からでもはっきりと見てとれた。加えて皮膚も硬質化しているのか、壁のコンクリートや地面のアスファルトを拳や腕で破壊しているというのに拳も腕も一切ダメージを受けている様子がなかった。

 

「俺が最強なんだ……!! 嘗めんじゃねェェぞおォォォっ!!!」

 

 何が気に入らないのか必要以上に喚き、怒声を上げて暴れ回っている。

 男との距離は今や目と鼻の先にまで近づいており、ふと男と視線がバチッとかち合った。

 あっ、これはヤバい……。

 

「………あ゛ぁん…?」

 

 こちらの存在に気が付き、男が動きを止めて濁声と共に鋭く見下ろしてくる。ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる男に、今日は厄日か……と内心で舌打ちを零した。

 しかしここで下手に動いては相手を刺激しかねない。

 どうしたものかと考え込む中、その態度が気に入らなかったのか、男のこめかみがピクッと小さく痙攣したのが視界の端に映った。

 

「……なぁに見てんだぁぁ、クソガキがぁぁ……」

 

 まるで威嚇する猛獣のように唸り声を上げ、大きな背を丸めて顔を近づけてくる。

 正直に言えば、こんな醜い顔をこちらに近づけないでほしかった。出来ればさっさと興味を失って顔を遠ざけてほしい。というか、今日はやけに醜い連中に絡まれないか?

 内心でグチグチと愚痴をこぼしながら、しかし当然のことではあるが、そんなことを正直に口に出せるわけがない。

 とはいえ、もしかしたら口に出さなくても表情にはバッチリとその心情が浮き出ていたのかもしれない。こちらの瞳を覗き込んでいた男の顔が一気に大きく強張った。

 

「……っ!! ……俺様をっ、そんな目で見てんじゃねェェっ!!!」

 

 どうやらこの男は俺に怯えてもらいたかったらしい。

 期待に応えられなくてすまん。でもぜんっぜん怖くなかったんだ、悪いな。

 心の中で軽く謝罪するもそれが男に届くはずもなく、男は怒りのままに再び暴れ始めた。長く太く大きな腕を振りかぶり、勢いよくこちらに振り下ろそうとしてくる。

 遠くから女の高い悲鳴が聞こえてくる。多くの人間が驚愕と恐怖の表情を浮かべ、俺と男を見開いた目で見つめている。

 しかし誰も動こうとはしない。逃げることも……、助けようとすることもない。ただ息を呑んで、身体を硬直させて、まるで唯の人形(マネキン)のように突っ立っている。

 周りの反応に俺は内心で大きなため息をつきながら、どうしたものかと呑気に考え、振り下ろされる拳をじっと見つめた。

 先ほどの路地裏のように対処することは可能だが、しかしこんな人混みでそんなことをしたら一層大騒ぎになりかねない。どこか他所で騒ぎが起こるのは敵わないが、それに自分が巻き込まれるのだけは御免蒙りたかった。

 取り敢えず避けるか……と片足を一歩分後ろに引いて身体の向きを変える。

 その時……――

 

 

 

 

 

「――……私がぁぁ、来たぁぁぁっ!!」

 

 

 突然の声と共に、俺と男が立っている場所を大きな衝撃が襲った。土煙が朦々と立ち込めて視界を遮り、次に土煙が晴れた頃には新たな影が俺と男の間に割って入っていた。

 影の正体は、全体的に蒼色のぴっちりとしたスーツを着込んだ一人の大男。

 大男は暴れていた男と俺のすぐ傍に立っており、振り下ろされようとしていた男の腕を片手でがっしりと強く掴んでいた。

 暴れていた男は勿論のこと、周りにいた人間たちも驚愕の表情を浮かべる。

 しかし、次に浮かべた表情は両者で全く違うものだった。

 

「…オ、オール……マイトォ……!?」

 

「……オールマイトだ」

「オールマイトが来てくれた!」

「きゃー、オールマイトぉっ!!」

 

 暴れていた男は焦りにも似た表情を浮かべ、街の人間たちは歓喜の笑みを浮かべて歓声を上げる。

 オールマイトと呼ばれた大男は堀が深すぎる顔に満面の笑みを浮かべると、男の腕を掴んでいる手に力を込めた。

 

「子供に暴力を振るおうとするなど言語道断! さぁ、大人しく降参しろ!!」

 

 大きな手で掴まれている男の腕がギリリッと軋んだ音を立てる。男は思わず情けない悲鳴を上げると、次には当然のように暴れ始めた。何とか掴まれている腕を取り戻そうともがき、掴まれていない方の腕を振り回す。

 オールマイトは尚も男の腕をしっかりと掴むと、もう片方の腕ですぐさま振り回されている男の腕を容赦なく掴み取った。両手で両腕を拘束し、一度身体を前屈みに曲げる。何をするのかと疑問に思う間もなく、オールマイトはその状態のまま勢いよく地面を蹴った。宙に浮かんだ両足はぴっちりと揃えられ、その足はそのまま男に向かって鳩尾へと綺麗に吸い込まれていった。しかし男は両腕を掴まれているため逃げることも、威力を殺すために身構えることもできない。

 ドロップキックにも似た蹴りが勢いよく男を襲い、男は成す術もなく白目をむいて泡を吹きながら意識を飛ばした。そのまま背中から後ろの地面へと倒れ込む男と、男の腹の上に何事もなく着地するオールマイト。

 完全に気絶してのびきっている男の様子を確認すると、オールマイトは漸く掴んでいた腕を離した。徐に男の腹の上から降り、次には周りに立っている人間たちへと目を向ける。

 オールマイトは拳を握った右手を頭上に突き上げると、輝かんばかりの濃い笑顔を満面に浮かべた。

 瞬間、爆発的な歓声が湧き上がる。人間たちは我先にとオールマイトへと駆け寄ると、次には口々に称賛や感謝の言葉を送り始めた。

 それは一種のお祭り騒ぎ。

 もはや人間たちの意識は地面にのびている男になど目もくれず、一心に自分たちを救ってくれた英雄にのみ向けられている。

 俺はそれを数秒間眺めた後、すぐにこの場を離れることにして踵を返した。

 こんなに大きな騒ぎになったのだ、もう間もなく警察がこの場に到着するだろう。男から攻撃されそうになった以上、早くこの場を去らなければ警察に捕まるとも限らない。別に捕まったところで痛む腹などないのだが、時間が無駄に消費されることは嫌だった。

 できるだけ不自然に見えない程度に身を屈め、人混みの間を縫うようにこの場から離れる。

 こういった時にはこの小さな身体は役に立つのだが、やはり早く身長を伸ばしたいとも思う。まぁ、大人になれば結構な長身になることは分かっているため焦る必要はないのだが、しかしいつ頃からあそこまで伸びるようになるのだろうか……。

 何とも呑気なことを考えながら、俺は用事を済ませることだけに集中することにして、さっさとこの場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日のスーパーの安売りで手に入れた食材を片手に、もう片方の手でポケットから鍵を取り出して目の前の扉の鍵を開ける。分厚い扉を身体で支えるようにして開けると、無言のまま靴を脱いで室内へと足を踏み入れた。

 無人で静かな空間が無言のまま出迎え、漸く慣れた家の空気が柔らかく包み込んでくる。

 俺は一つ小さな息をつくと、手に持った鍵をテーブルの上に置いて、すぐにキッチンへと直行した。

 まずは手洗いとうがいを済ませ、買ってきた食材を冷蔵庫の中へと突っ込んでいく。既に冷蔵庫の中に入っていた物と見比べ、今夜の夕飯の献立をあれこれと頭に思い浮かべた。

 とはいえ、一口に献立と言ってもなかなかに難しい。なんせ同居人(・・・)が胃を全摘出しているものだから、それを考慮しながら考える必要があった。

 基本、胃を全摘出しても食べられる食材の変化はあまりない。とはいえ、一回の食事でもよく噛んで食材を細かく刻む必要があるため、硬いものよりかは柔らかいものの方が良いとされていた。後は肉や魚や卵などのたんぱく質源を多くとること。逆にあまりとらない方が良いのは香辛料といった刺激物や野菜や海藻類らしい。

 となればメインは焼き魚にして、後は米とお吸い物でも作ろうか。魚は確か今日買ってきた食材の中に鮭があったはずだ。

 大体の献立を決めたその時、まるでタイミングを見計らったかのように玄関から物音と声が同時に聞こえてきた。

 

「――……ただいま~」

 

 間延びしたような声と、こちらに近づいてくる一人分の足音。

 暫くすれば、骸骨かと思うほどに痩せすぎな長身の男がキッチンに入ってきた。

 

「ただいま、セフィロス君」

 

 直接目を見て挨拶することに何か拘りでもあるのか、律儀にもにこっとした笑顔付きで帰宅の挨拶を再度繰り返してくる。俺もできれば挨拶を返してあげたい気持ちは山々なんだが、それをしては俺のイメージを壊しかねないので、心の中で謝りながらも無言のまま頷くだけで返しておいた。

 男は懐がとてつもなく広い人物で、俺の不遜な態度にも少しも気分を害した素振りを見せない。変わらぬ笑顔を浮かべたまますぐ近くの洗い場で手を洗うと、そこで何かを思い出したかのような素振りと共にまた声をかけてきた。

 

「あっ、そういえば、あの時は大丈夫だったかい? あんなところに君がいるとは……、それも襲われる寸前だったのを見て、流石の私も驚いてしまったよ!」

「問題ない」

 

 “あの時”というのは、100%先ほど大通りで巻き込まれた騒ぎのことだろう。

 何故この男がその騒ぎのことや、実際に俺が巻き込まれたことを知っているのかというと、その場にこの男もいたからに他ならない。それも、今の姿からは全く想像ができない存在として……。

 

「本当に大丈夫なのかい? どこか怪我をしたりなどは……」

「俺の事よりも自分のことを心配したらどうだ。実際にあの姿を晒して戦ったのはお前だろう」

「ま、まぁ、それはそうなんだけど……。私なら大丈夫さ! 私は“オールマイト”だからね!!」

 

 骨と皮しかないような細い腕でマッスルポーズを取って男が笑う。

 そう、このガリヒョロな男こそ、大通りで英雄だともてはやされていた大男“オールマイト”本人なのだ。

 つまり、俺は同居人であるこの男に暴漢に襲われているところを目撃され、ついでに格好よく助けられたと言う訳だ。

 では何故大通りで暴漢を退治した時の姿と今目の前に立っているこの姿がこんなにも別人かと思えるほどに違うのかというと、それはこの世界に存在する“個性”という能力が関係していた。

 “個性”……、それはこの世界(・・・・)の人間たちに宿っている力のことを言う。言うなれば……一種の超能力のようなものだろうか。昔は“異能”と呼ばれていた能力で、この世界に生きる全人類の約8割が、この“個性”を有しているのだという。

 因みに何故先ほどから“この世界”という言葉を使っているのかというと、そもそも俺はこの世界の住人ではなかったからだ。

 俺は元々はこの世界とは違う別の世界の人間で、そこで不慮の事故と世間では言われるものに遭遇して命を落とした。そして気が付けばこの世界で新たな人生を送っていたと言う訳だ。言うなれば、転生というやつだな。

 しかもこの新たな人生がまた波乱万丈というか奇天烈というか……。とにかくいろんな部分で普通ではなかった。

 まず一つに、この記憶と人格だろうか。

 普通、生きている人間は誰一人として前世の記憶も人格も持ってはいない。前の世界で時々『前世の記憶を持った少年』などのテレビ番組が放送されていたのを覚えているが、それも前世の記憶は同じ世界で生まれ育った人物のもので、人格については皆無。そしてその記憶も年を追うごとに薄れて消え失せるというのが通例だった。しかし俺にはバッチリと前の世界の記憶も残っているし、人格なんてそのままだ。これだけでも普通とは違うと言えるだろう。

 そして第二に、この世界での自分の容姿と名前だ。

 髪はサラサラのストレートで、色は白銀色。瞳は青とも緑ともつかない翡翠色で、何故か瞳孔が猫のように縦に長い。肌は多くの女性が恨むような輝かんばかりの色白。顔のパーツはどれも形よく、その配置も完璧で、自分で言うのもなんだがそこらの芸能人なんて目じゃないほどの美少年ぶりである。

 極めつけは“セフィロス”という名前。

 これは偽名でもなければあだ名でもなく、正真正銘の本名だ。

 そう、ここまで言えば俺の前世と同じ世界に生きる人であれば気が付く人も多くいるだろう。何を隠そう、何と今の俺は完全に彼の有名な『ファイナルファンタジー7』というゲームのラスボスことセフィロスそのものになっていたのだ!

 いや、良いんだけどね……! 俺、前の世界では結構ゲームばっかりしてたし、中でも『ファイナルファンタジー・シリーズ』は全部プレイしてたし、FFキャラの中では“セフィロス”は三つの指に入るくらい大好きだったし! でも大好きだからこそ、“セフィロス”のキャラクターを壊したくないっていうか、俺なんぞが“セフィロス”と同じ容姿と名前を持つなど恐れ多すぎるっていうか……。好きなキャラを穢したくないって言えば分かってもらえるかな。

 あと、何気に原作の“セフィロス”みたいに何かの拍子に闇落ちしないか怖かったりもしているんだよな。この世界の俺は原作の“セフィロス”と違って宇宙人の細胞を埋め込まれたわけでもなければ、研究施設で育ったわけでもないから大丈夫だとは思うんだけど……。

 因みに、容姿以外の身体能力や頭脳といったスペックについては原作の“セフィロス”に比べると多少劣っていると思う。

 とはいえ、今の俺はまだ十五歳の子供。恐らく成長して大人になれば原作とほぼ同じになるのではないだろうかと思われる。

 割と普通な経歴であるはずなのに何でこんなハイスペックになっているのか不思議でならない。

 まぁ、今はそれは置いておくとして……。

 これだけでも十分普通でないことが分かってもらえると思う。

 後は自分の中の普通ではない部分としては、やはり先ほどもあった“個性”についてだろうか。

 “個性”とは先ほども言ったように、この世界の人類の約8割が持っている超常能力のことだ。大きく分けて三つの種類があり、それぞれ『変形型』『異形型』『発動系』に分類される。

 『変形型』は通常の人間の身体から、自分の意思で肉体を変化させる“個性”のことを言う。例えば自分の意思で腕を刃物に変えたり、自分の意思で身体を水のような液体にする……といったような感じだ。ここで重要なのは“自分の意思で肉体を変化させる”という部分だ。つまり、通常は普通の見た目をしており、一目ではどういった“個性”を宿しているのか分からない。逆に、一目でどういった“個性”を宿しているのか分かるのが『異形型』の“個性”だ。

 『異形型』は『変形型』と違い、生まれた時から常に“個性”が発動している。つまり、例えば熊の“個性”であれば常に二足歩行の熊の見た目をしている……といった感じだ。中にはグロテスクなものや人間離れし過ぎている見た目の者もいるらしく、差別対象となることも多くあると聞いたことがある。

 どうやら見た目で差別が生まれるのはどの世界でも共通であるらしい。……と、そんな皮肉はさておき。

 最後の『発動系』は“個性”の中でも一番スタンダードな種類で、宿している者の割合も一番多い“個性”だ。

 多種多様で、自分の意思で能力を発動させる。見た目は『変形型』と同じで、普通の人間と変わらない。また、『発動系』の“個性”は更に種類が細分化されており、『増強系』や『拘束系』といったものもあるらしい。

 因みに俺や目の前の男が持つ“個性”も、この『発動系』に分類される。

 この男の持つ“個性”は、名前を『ワン・フォー・オール』。『増強系』の“個性”で、簡単に言えば力などが格段に上がるらしい。それにより、“個性”を発動させると目の前のガリヒョロ男が一気にマッスルマンに変貌すると言う訳だ。他にも特殊な能力というか、他の“個性”にはない特徴があるらしいが詳しい内容はここでは割愛させてもらおう。

 そして、俺の持つ“個性”が、名前を『具現化(マテリアリゼーション)』。こちらは簡単に言うと、自分がイメージしたものを具現化する“個性”だ。

 それだけ聞けば便利で凄い“個性”のように思えるかもしれないが、実はそうでもない。

 まず第一に、具現化するためには鮮明で事細かなイメージが必要だ。そしてここで言わせてもらうと、俺は想像力が壊滅的によろしくない。

 これだけで大体の人は俺が何を言いたいのか分かってくれるだろう……。

 つまり、俺の壊滅的な想像力では、この“個性”で具現化できるものは非常に限られてくるということだ。

 そして第二に、何かをしたり作ったりするためにはそれ相応の何か……言うなれば代償が必要になる。俺の“個性”の場合は、体力や生命力といったものがそれに該当する。そうだな……、ゲームで言うところのHPやMPやスタミナのゲージがガリガリと削れていくイメージだろうか。

 つまり、この“個性”はものすっっっごく疲れるのだ。

 力を使えば使うほどゲージが削れていき、死にはしないが最終的には戦闘不能に陥る。セフィロス・スペックでも相当なのだから、具現化に必要な力がどれほど大きいのかはある程度想像できるだろう。しかも具現化するものが大きければ大きいほど消耗も激しくなるから、使う時には前もっていろいろと考えておかなければならない。

 だから俺は、できるならこの“個性”は使いたくない。誰かに“個性”について知られることも嫌だし、誰かに言うこともしたくなかった。唯一、俺の“個性”について知っているのは、この目の前のガリヒョロの同居人くらいだ。

 

「うん? どうかしたかい?」

 

 俺の視線に気が付いたのか、男が不思議そうに首を傾げてくる。しかし、俺の中には説明する言葉もなければ、説明する意思も存在しない。

 無難に『何でもない』と首を横に振ると、さっさと夕飯を作るべく男から視線を外した。

 

 



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第2話 物語の始まり

「――……ちょっとお話ししようか、セフィロス君」

 

 真剣な表情を浮かべて声をかけられ、反射的に足を止めて振り返る。

 椅子に腰かけた同居人と目が合い、その手に見覚えのある紙が握られていることに気が付いて、俺は取り繕う間もなく顔を大きく顰めさせていた。

 

 

 

 

 

 俺の同居人ことNo.1ヒーロー“オールマイト”――本名・八木俊典に話しかけられた俺は、テーブルを挟んで向かい合うように椅子に腰かけていた。

 男の手には見覚えのある紙。それだけで、この目の前の男が何を言いたいのか分かってしまい、俺はどうにも顰めた表情を元に戻すことができずにいた。

 男の手に握られているのは、数日前に俺が通っている中学校側から配られた提出書類。

 『進路希望書』。まぁ、読んで字のごとく、進路について志望高校を書いて提出する書類だ。

 『ご両親と相談して書いて提出するように』と渡されたこの紙は、しかしそもそもこの世界での俺には両親というものが存在しなかった。代わりに養父なら今目の前にいるのだが、この男が何を考えているのかは言われるまでもなく良く分かっているため、相談する気は毛ほどもなかった。

 

「……セフィロス君、これは一体どういうことかな?」

 

 男が持っている紙の表面をこちらに見せ、記入欄を指さしてくる。

 高校名を入れる場所は空欄。代わりに備考欄の所に『就職活動をして就職します。』という俺の字が刻まれていた。

 

「………書かれている通りだが?」

 

 内心ではどうしてバレたのかと焦りながら、しかし表情にはおくびにも出さずに短く返答する。中学を卒業したら働くつもりだときっぱりはっきり言えば、目の前の男は見るからに驚いたような表情を浮かべ、次には焦ったような表情を浮かべてきた。

 

「いやいやいや、ちょっと待ってくれ! どうしてだい!? 君は頭も良いし、どんな高校でも大体は受かることができるだろう! もしお金のことを心配しているなら、私にも蓄えはそれなりにあるから何も心配する必要はないんだぞ!?」

 

 懸命に言葉を重ねて思いとどまらせようとしてくるのに、思わず大きなため息が零れた。

 確かにお金の面で迷惑をかけたくないという気持ちも勿論ある。しかし、それ以前に俺が高校を受験したくない最もな理由は別にあった。それも、その理由には目の前の男が多いに関わっているのだからため息をつきたくなるのは当然のことだろう。

 しかし当の本人はそれに全くもって気が付いていない。今も、何故俺がこんなにもため息をついているのか分からないという表情を浮かべていた。

 

「………お前のことだ、どうせ“雄英高校”を受験してほしいと言うつもりだろう」

「…うっ…! それは、その……、………はい………」

 

 最初はどうにか誤魔化そうとしていたようだが、すぐにギブアップして正直に認める。首はガクッと垂れ、頭がテーブルに突っ伏してしまいそうになっていた。

 俺の言う“雄英高校”というのは正式名称は“国立雄英高等学校”。目の前の男が卒業した母校であり、偏差値も高い有名高校だった。

 養子に自身の母校に通って欲しいと願う気持ちは一見愛情深いものに思えるかもしれない。しかし、この男がこの高校を勧めるのは決してそういう理由などではなかった。雄英高校は、簡単に言えばヒーローを養成するのに非常に適した学校だった。

 ここでヒーローについて少し詳しく説明させてもらおう。

 まずヒーローとは、通称とかではなくてれっきとした職業だ。

 この世界に“個性”が出現した後、多くの人々が自らの“個性”を使ってあらゆる悪事に手を染めた。“個性”を使って悪事を働く犯罪者……通称“(ヴィラン)”。彼らを取り締まるため、各国は“(ヴィラン)”と同じように“個性”を使ってそれを治める組織を作り出した。それが“ヒーロー”という職業なのだ。

 まぁ、そもそもは“自警団(ヴィジランテ)”が元になっているという過去や、警察の下部組織或いは嘱託を受ける民間協力者という位置づけになっている現在の状況など、まだまだ細かい部分は多々あるのだが、話が長くなってしまうのでここでは割愛させてもらう。

 とにかく“個性”を使って犯罪者を取り締まる人々がおり、今ではそれは職業として認められ、“ヒーロー”と呼ばれている……。それだけ覚えていれば、普通に生活する上では十分だろう。

 とはいえ、それだけでは不十分である者も多々存在する。それはヒーロー業を行っている張本人たちや、そのヒーローを目指している多くの子供たちがそれに該当していた。

 テレビやネットなどあらゆる情報が溢れている現代において、ヒーローの活躍は否が応にも人々の目や耳に触れる。子供たちにとって、“個性”を使って格好よく犯罪者と戦う彼らの存在は、正に憧れの対象だった。言うなれば俺の前世での世界にあった『○○レンジャー』や『○○ライダー』、後は『アメコミ』のヒーローのようなものだろうか。この世界のヒーローもそれに似たスーツを着て活動しているし、2.5次元が完全な3次元で身近になったという感じだろう。

 そんなヒーローに憧れる多くの子供たちのために、この世界にはヒーローを養成するための数多くの学校が存在していた。

 先ほどの“雄英高校”もその一つで、数多あるヒーロー養成学校の中でもトップクラスの学校であると有名だった。

 イメージは……、やっぱり『東大』とかかな? これは完全な俺のイメージでしかないから、違うかもだけど……。

 と、そんなことはさて置き……、ここまで聞けばこの目の前の男が俺に何を求めているのか誰もが分かることだろう。

 つまり、この男は俺にもヒーローになってほしいと思っている訳だ。

 ある意味英雄になったことで闇落ちしたともいえる“英雄セフィロス”と同じ容姿と名前を持つこの俺に……。

 

「………断固拒否する」

「セ、セフィロスく~~~ん……っ!!」

 

 痩せすぎて落ちくぼみ過ぎた目から涙を流して情けない声が名前を呼んでくるが、ここは完全無視だ。

 何で好き好んで自分から闇落ちフラグを立てなきゃならんのだ。

 確かに俺も原作の“英雄セフィロス”は好きだよ? 無印での回想シーンとか『クライシスコア』での英雄時のセフィロスを見た時は、それはもう感動したし興奮したさ! 『あんな人が上司に欲しい』と割と本気で思ったものだ。戦う姿も格好良いし、『セフィロスが主人公のゲームとか出ないかな~』って思ったり、実際に『ディシディア』が出た時はいつもセフィロスをプレイしては何でもかんでもぶった切りしまくってたよ。セフィロスの姿で転生したと分かった時は、自分も原作みたいに格好よく戦って無双してみたいとも思ったさ!

 でも、ダメです。俺、闇落ちしたくないんです。

 第一、俺には『人を助けたい』というヒーローにとっては最も大切な気持ちが欠如しているので、ヒーローになるのは完全に無理だと思うんだ、本当だよ!!

 

「だ、だが、雄英はヒーローを養成するという点だけじゃなく、“個性”についての扱い方を教えるという面でも非常に優秀だ。セフィロス君が自分の“個性”を極力使おうとしないのは、使うと必要以上に疲れてしまうからだろう? 雄英に入れば、もっと効率よく“個性”を使えるようになるかもしれない!」

「……ぐっ……」

 

 まるで逃がしてなるものかとばかりに食い下がってくるのは非常に鬱陶しいことこの上ないが、確かに男の言葉も一理あって思わず言葉を詰まらせた。

 “個性”を持っていることがほぼ当たり前となっているこの世界において、例えヒーローにならないにしても“個性”はいろんな場面で大きな影響を与えてくる。自分に何ができるのか……という一つの評価や計りにもなるのだ、恐らく“個性”について聞かれる場面は今後多く訪れることだろう。

 “個性”について聞かれることはまだ構わない。だが、『“個性”を使うつもりはありません』『“個性”は少ししか使えません』と言ってみたとして、その後の他者からの評価などは簡単に想像することができた。

 『“個性”を正しく扱うことができる。』

 それは多くの人間が思っている以上に大きなアドバンテージになるだろう。

 

「確かに、セフィロス君にヒーローになってもらいたいという思いがあることは事実だ。しかし、例え雄英高校のヒーロー科に入れたとしても、誰もが実際にヒーローになれるわけじゃない。雄英高校のヒーロー科に入学したら必ずヒーローにならなければならないと言う訳でもないんだ」

「……………………」

「まずは“個性”の扱いを学ぶために、受験してみても良いんじゃないかな?」

 

 いつにない真剣な表情を浮かべて提案してくるのに、俺は反論の言葉も浮かばず黙り込んだ。

 確かに男の言葉には説得力があり、自分にはメリットしかないように思える。流されるままにヒーローにさせられる可能性もなくはないだろうが、こちらに強い意志があれば無理強いされることもないだろう。ならば“個性”を使いこなすために利用してもいいのではないか……。

 雄英高校はヒーロー業だけでなく他の職種に対しても大きな影響力を持っている。将来どんな職業に就くにしても、中卒よりかは断然有利になるはずだ。

 

「………俺は、ヒーローが好きじゃない。お前や他のヒーローたちの様に『人を助けたい』という気持ちも持っていない」

「分かっているよ。それでも……いや、だからこそ、セフィロス君にも少しでも分かってもらいたいんだ! 多くのヒーローや、ヒーローを志す同年代の子供たちと触れ合って、理解する機会を持ってほしい!!」

「……………………」

「それに、来年から私はヒーロー業の傍ら、雄英高校の教師として教鞭を振るうことにもなっているからね。学校にセフィロス君がいてくれれば、とても心強いんだ!」

 

 真剣な表情を崩して笑顔を浮かべてくる男に、俺は自分の身体から力が抜けていくのを感じた。どうやら自分でも気づかない内に少し緊張していたらしい。ほぅ…と小さく息をついて意識して身体から力を抜くと、改めて目の前の養父へと目を向けた。

 先ほどの言葉の通り、この男は来年、雄英高校の教師になることが決まっている。俺としてはこれを機に独り暮らしを始めようかと考えていたのだが、どうやらこの男はまだまだ俺を離してくれるつもりはないようだ。いい加減子離れしろよ……と思わないでもなかったが、それでも『心強い』と言われればやはり少なからず嬉しくなるわけで……。

 

「………考えておく……」

「ああ、考えておいてくれ!」

 

 苦し紛れに言ったセリフも、笑顔のままあっさり受け止められては少々ムッとする。

 子供っぽい自分自身に少し呆れながら、俺は男に一つ頷いて返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなことがあった数日後……――

 

 

「――……ねぇねぇ、そこの君~。お兄さんたち、今お金なくしちゃってさ~。ちょっと恵んでもらえないかなぁ~」

「てか、もう一緒に連れてっちゃった方が良くね? 見た目も十分可愛いしさ~」

「だな。折角だからお兄さんたちに付き合ってよ。楽しいところに連れて行ってあげるよ」

 

 おい、何だこのデジャブ……。

 学校からの帰り道、目の前で行く手を妨げている三人の男を無言で見上げながら、俺は先ほどから既視感を覚えて頭を痛めていた。

 途中でスーパーによってたから、普通の学生の帰宅時間は既に過ぎている。周りに人通りはなく、これで狙われたのだとすぐに分かった。

 というか、こんな既視感などお呼びじゃないんだが。何でこうも連日不良やらゴロつきやら何やらに絡まれるんだ。

 あれか、この整い過ぎているセフィロス・フェイスがいけないのか? いや、別に“セフィロス”の容姿をディスるつもりは毛頭ないけど……。

 にしても、これはひどすぎる。これは絡まれ過ぎて闇落ちする付箋ではなかろうか。

 そんな馬鹿なことを無言のままつらつらと考えていたのが不味かったのかもしれない。

 恐らく男たちの言葉を尽く無視する形になっていたのだろう、気が付けば目の前の男たちの顔がどれも怒りの形相に変化していた。

 

「……さっきから無視しちゃってさァ~、傷ついちゃうな~~」

「なめてんのかァ、クソガキがァァ……!」

 

 なめてません。いい歳した大人が十五歳の子供に絡むとかどういう神経してんだ……とは思うが、断じてなめてはいません。

 なんだ、無言が駄目なのか。何か言えば絡まれることもなくなるんだろうか……。

 

「なめてはいませんが、そろそろ帰っても良いでしょうか。あまり遅くなっては心配されますので」

「いやいや、帰られると思ってんの?」

「完全になめられてんじゃん、俺ら……」

「ちょっと礼儀を教えてやらなといけないな~」

 

 おい、何故こうなった。ちゃんと丁寧語で話したし、無視しなかったじゃないか!

 いや、落ち着け俺、第一不良に常識など通用するわけがない。

 幸い、この場には今人の目は一つもない。人目がなくて好都合なのは、何も不良たちばかりではないのだ。

 俺はこちらに放たれた一人の男の拳を難なく躱すと、持っていたエコバックを右手に持ち替えて左手に長刀を具現化させた。

 身の丈を越える美しい長刀・正宗。

 男たちの真横に移動すると、そのまま首元に長刀の刃を添えた。

 

「ひっ!?」

「貴様らに渡すものなど何もない。さっさと消えろ」

 

 この姿からも年齢からもかけ離れた口調とドスの効いた声で言い捨てる。ついでに首に添えていた正宗を少し動かして刃を首の皮膚に食い込ませた。

 瞬間、男たちの顔色が一気に蒼褪めたのが見てとれた。『ひぃ~~っ!!!』という情けない悲鳴を上げながら我先にと逃げていく。

 どんどんと遠ざかっていく背中に再び既視感を覚えながら、俺は無言のままその背を見送った。

 取り敢えず左手の正宗を消し、一つ大きな息をつく。

 その時、不意にポケットに入れていたスマホから軽いメロディーと振動が伝わってきて、俺は咄嗟にポケットを見下ろした。

 聞こえてきた歌詞のない協奏曲風のこのメロディーは、着信用に俺自身が設定したものだ。折角なら『片翼の天使』を着信用の曲に設定したかった。

 いや、やっぱり駄目だ。自分の名前を連呼される羽目になるから、流石にそれは恥ずかしい。やっぱりここは『JENOVA』の方が良いだろうか。

 まぁ、どれだけ考えたところで曲自体がこの世界には存在していないから、いくら考えたとしても意味がないんだけどね、コンチクショウ……。

 取り敢えずポケットからスマホを取り出して見てみれば、ディスプレイに『父』という文字がでかでかと表示されていた。

 その文字によって頭に思い浮かぶのは、ガリヒョロの方の養父の姿。

 確かあの男は今日は田等院に行っているはずだ。

 何かあったのかとスマホを操作して耳に近づければ、瞬間、聞こえてきた大音量に思わず反射的にスマホを勢いよく耳から離した。

 

『セ、セフィロスくーーーーんっっ!!!』

「ぐっ!? な、なんだ……、どうかしたのか?」

 

 いつにない状況に、再び恐る恐るスマホを耳に近づけながら電話の向こうへと声をかける。どうやら相手は屋外にいるようで、ザワザワとした外野の音が聞こえてきていた。

 

『セフィロス君、大変なんだ! (ヴィラン)が出てきて子供を人質に取っていてっ!!』

「……? なら、いつものようにさっさと倒せばいいだろう」

『それが制限時間を既に越えちゃってて……、“マッスルフォーム”になれないんだよぉぉ!!』

「……………………」

 

 恐らく非常に切羽詰まった状況にあるのだろう、スマホ越しに聞こえる男の声も外野の音も緊迫感に満ちている。

 養父はこれまでの度重なる(ヴィラン)との戦いによってオールマイトに変身できる時間が短くなっており、そのリミットを既に使い切っているということは何かしらの不測の事態が起こったのだろう。恐らく目の前で(ヴィラン)が暴れ、子供が人質に取られているのに変身できず助けることができないことに相当焦っているのだろう。それなりに距離のある場所にいる俺にわざわざ電話をかけてきたのが何よりの証拠だ。

 しかし、ここは敢えて言おう……。

 

「………で、俺にどうしろと?」

 

 男がいる田等院と俺が今いる場所はそれなりに距離がある。今から急いで向かったところで相当時間がかかってしまうだろうし、到底間に合うとも思えなかった。

 第一、田等院には男の他にも数多くのヒーローがいる筈だ。わざわざ俺に助けを求めなくてもそのヒーローたちが事件を解決するために動くだろうし、もしそのヒーローたちが解決できないような難事件だったとしても、俺が出しゃばるようなことではないと思った。

 しかし流石はヒーローと言うべきか、人命救助という名目の前では俺の感情など二の次、三の次であるらしい。

 

『頼む、救けに来てくれっ!!』

「No.1ヒーローが唯の中学生に助けを求めるな」

 

 切実な願いを一刀両断にぶった切る。

 というか、これは相当テンパってるな。これまでも俺のことを何かと頼りにするような素振りは見せてたけど、流石にこんな風に助けを求められたのは初めてだ。

 

「プロなら自分で何とかするんだな」

『あっ、ちょっと待っ……』

 

 プツッ ツー ツー ……

 

 まだ何か言っていたようだが、構わず耳からスマホを離して電話を切る。暫くスマホの画面を見つめた後、徐に頭上の空へと目を向けた。

 視線の先には青々とした空が広がっているが、時間的には徐々に夕暮れの赤に変化していくだろう。この時間帯ならば人通りも少なく、ある程度は目撃数も減るはずだ。

 俺は暫く空を睨んだ後、諦めて一つ大きなため息を吐き出した。

 正直に言って、今も全くもって気乗りはしない。ただ、子供が人質に取られていると言われては、どうしても多少は気になってしまう。

 それに俺は兎も角、“英雄セフィロス”なら一体どうしたか。英雄時の彼ならば、もしかしたら間に合わないと知りながらも現場に急行するんじゃないか、なんて……。そんな考えが頭を過ぎっては、セフィロスの名と姿を持つ俺が動かないわけにもいかないような気がした。

 俺は覚悟を決めると、周りに人の目がないことを確認して“個性”を発動させた。

 具現化させたのは背に広がる大きな翼。

 夜の闇のように広がる漆黒の片翼。

 とはいえ、ここはゲームなどではなく現実世界だ。当たり前ではあるが片翼で空が飛べるわけがない。

 漆黒の片翼がない左側の背には右翼と同じくらいの大きさの左翼が……しかし目には見ることのできない透明な翼を具現化させていた。これで問題なく空も飛べるはずだ。

 えっ、何で普通に黒の両翼を具現化しないのかって?

 バカヤロウ、“セフィロス”と言えば黒の大きな片翼だろうが! 片翼っていうところが良いんだよ、両翼なんてありきたり過ぎるだろう。俺がセフィロスである以上、原作を崩すような真似は断じて許すまじ!!

 と言う訳で、人が来る前にさっさと行くとしよう。漆黒の右翼と透明の左翼を大きく羽ばたかせるのと同時に地面を強く蹴った。

 瞬間、フワッと身体が宙に浮き上がる。

 翼を何度も羽ばたかせてぐんぐんと高度を上げながら、俺はスマホをいじって田等院付近のニュースをネットで検索し、ナビのアプリを起動させた。

 (ヴィラン)の出現やヒーローの活躍が日常茶飯事のこのご時世、ネットニュースはいつでもあらゆる情報を目まぐるしく掲載している。数分もかからずにこれだと思わしき情報を見つけると、場所をナビアプリに登録した。

 場所さえ分かれば後は余裕だ。

 下手に公共交通機関を利用するよりも飛んでいった方が早い場合も多々あるため、このまま飛んで目的地に向かうことにした。

 

 

 

 

 

 とは言っても、間に合う訳がないんですけどね~。

 案の定目的地に到着した頃には事件が終わっており、今は警察と数人のヒーローが後始末に右往左往していた。

 因みに俺はその様子を遥か上空で眺めている。

 普通の人間だと良く見えないかもしれないが、俺はセフィロス・ハイスペックでこの距離でもきっちりはっきりと見ることが出来ていた。一人一人の顔の造形もばっちりだ。

 しかし、どんなに見てみても見知った顔はどこにもない。

 というか、俺を呼んだ張本人がいないとかどういうことなんだ。

 スマホでネット情報を調べてみれば、どうやら(ヴィラン)に人質に取られたのは一人の中学生で、その中学生を助けるために同級生の中学生が(ヴィラン)の元へ単身突撃。その後、二人仲良く捕まりそうになっていたところを、突如現れたオールマイトが(ヴィラン)を撃破し、無事に救出したらしい。

 電話では制限時間を使い切って“マッスルフォーム”であるオールマイトに変身できないと言っていたが、オールマイトの姿で救出したということはまだ制限時間が残っていたということだろうか。

 というか、本当にどこに……。

 途方に暮れて遥か上空で右往左往し、取り敢えずそこら辺を見て周ってみることにした。

 折角ここまで来たのだから完全な無駄足は嫌だったし、何だか意地でも見つけ出したくなってくる。翼を羽ばたかせ、随分と朱色になってきた夕暮れの空をそれなりに速い速度で駆け抜けた。地上に視線を走らせ、見知った人影がないか目を配る。

 それから、十数分後くらい時間が経った頃だろうか……。

 住宅街に差し掛かった頃、漸く見知った影を見つけて宙で制止した。

 目を凝らして見てみれば、どうやら今は“トゥルーフォーム”であるらしく、ガリヒョロの姿で一人の子供と何かを話しているようだった。真剣な話でもしているのか何だか緊迫したような空気がここまで漂ってきている気がして、何とも姿を現しづらい。

 ここは取り敢えず地上に降りて、話でも聞いてみるとしよう。

 俺は二人がいる場所からは少し離れた場所に降り立つと、並び立つ家々の影に隠れながら二人の会話を盗み聞いてみることにした。

 

「――……君なら私の“力”、受け継ぐに値する!!」

「……へ……?」

「なんて顔をしているんだ!? 『提案』だよ!! 本番はここからさ。良いかい少年……私の“力”を、君が受け取ってみないかという話さ!!」

 

 血反吐を吐きながら何やら叫んでいる男に、思わずギョッとする。

 っていうか、こんな住宅街で何を大声で言ってんだ、あのオッサンっ!!

 えっ、それ秘密じゃなかったっけ? 俺に話した時も、『絶対誰にも言わないでね』って念押ししてなかったっけ?? それなのに、いくら人通りがないからって住宅街のど真ん中で何言っとんじゃぁァァっ!!

 心の中で激しくツッコムも、当然彼らに届くはずがない。俺の心配を余所に、男はぺらぺらと世間には秘密にしている筈の自身の“個性”について目の前の子供に話して聞かせていた。

 前にも言ったように、この男が持つ『ワン・フォー・オール』という“個性”は『増強系』に分類される。筋力などの力などが格段に上がる“個性”だと言ったが、本当はもう少し複雑な“力”だった。

 『ワン・フォー・オール』は一言で言えば“譲渡”の“力”。何人もの人間に譲渡され、その力を蓄え、次に継承していく“個性”だった。

 あの男もまた『ワン・フォー・オール』を引き継いだ八代目であり、器である肉体が度重なる戦闘でボロボロになった今、次の九代目となる継承者たる人物を探していたのだ。

 つまり、この男は目の前の少年を次の継承者に選んだということだろう。

 だが…、しかし……。

 俺はチラッと男と対峙して何故か号泣している少年へと目を向けた。

 どこからどう見てもヒーローになれるようには見えないひ弱そうな姿。何故あの男がこの少年を選んだのかがさっぱり分からなかった。

 漸く話が終わったようで、離れていく二人に俺はやっと隠れていた影から出ることにした。

 帰宅するのだろうか、こちらに背を向けて去っていく少年の小さな背を男が独りでポツリと見送っている。

 その背に、俺は静かに歩み寄って男の横に並ぶように立った。

 

「………それで……?」

「っ!!?」

 

 こちらの存在に気が付いていなかったのだろう、声をかけた瞬間、横に立つ男の細い身体がビクッと大きく震えた。次には弾かれたように勢い良くこちらを振り返り、落ちくぼんだ目を目一杯広げてくる。

 

「セ、セフィロス君!? い、いつからここに……っ!!」

「つい先ほどからだ。……それで? 俺を呼んでおいて事件現場にいないとは、一体どういう了見だ?」

「うっ…、い、いや、セフィロス君は来てくれないと思っていたから……」

 

 チラッと目だけで男を見上げれば、男は再びビクッと身体を震わせてくる。

 No.1ヒーローがそんなんで良いのか。子供の睨みに簡単に怯むとか、どういうことだ。

 

「でも、セフィロス君が来てくれて嬉しいよ。ありがとうね」

「……ふんっ……」

 

 にっこりとした笑みを向けられ、気恥ずかしい感情が湧き上がってくる。顔も何だか熱く感じて、咄嗟に顔を背けて見られないようにした。

 しかし、相手には俺が恥ずかしく感じているのがバレバレなのだろう。頭上からクスクスと小さな笑い声が聞こえてきて、八つ当たりしたくなる気持ちが猛烈に湧き上がってきた。

 目の前の男に腹パンしてやりたい。何なら脛に蹴りをお見舞いしてやりたい。

 しかし俺はセフィロスだ、そんな子供のような真似ができるわけがない。例え今の実年齢も見た目も十五歳の子供だとしても論外だ。俺は大人の態度でグッと堪えると、明るい様子で声をかけてくる男の話に耳を傾けた。

 

「そうそう、聞いてくれよ、セフィロス君! 漸く後継者を見つけたんだぜ!」

「……先ほど話していた中学生か?」

「YES! 実はあの少年、先ほどの事件で……――」

 

 随分と興奮しているのか、少年のことや事件について矢継ぎ早にハイテンションに話してくる。それに無言のまま耳を傾けながら、俺は先ほどの少年の姿を再度頭に思い浮かべた。

 どう見てもどこにでもいるような、ヒョロッとしたひ弱そうな少年。猫背気味に立ち去っていったその姿は、どこまでも気弱さばかりが目立っていて力強さは一切見られなかった。

 あれが本当にヒーローになり得る存在なのか。この男がずっと探し求めていた人材であるのか。

 俺にはさっぱり分からなかったが、しかしこの男はNo.1ヒーローとして多くの人物を見てきた経験がある。もしかしたら俺には分からない何かがあの少年にはあるのかもしれない。

 俺は男の話をぼんやりと聞きながら、じっと少年が去った無人の道を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……それじゃあ、そろそろ帰ろうか」

「構わないが、俺の隣を歩くのは止めてくれ。ヘドロ臭い」

「ひ、酷いっ!!」

 

 




当小説の主人公君は『ヒロアカ』の存在は全く知らないので、原作知識は皆無です。
あと、オールマイトこと八木さんとの関係や馴れ初めなどは次回以降に書く予定なので、今しばらくお待ちください(深々)


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第3話 目指す指標

遅くなってしまい、申し訳ありません……(汗)
今話は『ヒロアカ』の主人公である緑谷出久に対して一部厳しめな文章がございますので、ご注意ください(深々)
また、当小説の主人公であるセフィロスの過去が一部語られますので、『そういったのは良いから』の方もご注意ください……(土下座)


 早朝6時過ぎ。

 通常は人っ子一人いない市営多古場海浜公園に、三つの人影がそれぞれ佇んでいた。

 一つは屈強で大柄な男のもの。残りの二つはどちらも小柄な子供のもの。

 もじゃもじゃ頭の少年が大柄な男が乗っている巨大な冷蔵庫を縄で動かそうとしており、もう一人の少年はそんな二人の様子を少し離れた場所から眺めていた。

 もじゃもじゃ頭の少年は少しでも冷蔵庫を動かそうと暫く奮闘し、しかし最後には力尽きて地面に倒れ伏してしまう。冷蔵庫の上の男はその様子を笑いながらスマホで連写しており、少し離れた場所から眺めていた少年は呆れたようにため息を零した。少年はやれやれとばかりに首を振ると、徐に足を踏み出して二人の元へと歩み寄っていく。未だ地面に突っ伏している少年を見やると、次には瞳孔が縦に伸びている翡翠色の瞳を冷蔵庫の上の男へ向けた。

 

「……本当にこの子供を後継者にするのか?」

「そうとも! この前も言っただろう?」

 

 男は少年の冷ややかな視線に気が付いているのかいないのか、満面の笑みを浮かべたまま『とうっ!』という掛け声と共に冷蔵庫の上から飛び降りる。逆に地面に突っ伏している少年は顔だけを上げて不安そうに大男と少年を見つめていた。黒に近い大きな緑色の瞳には不安だけでなく恐怖の色さえ浮かんでいる。

 再び大きなため息をつく少年に、大男はそこで初めて笑顔を引っ込めて不思議そうに首を傾げてきた。

 

「HEY、セフィロス君。君は一体何をそんなに気にしているんだい?」

 

 『全く分からない』といった様子で問いかけてくる男に、セフィロスと呼ばれた少年はジト目で男を見上げる。その目はまるで『逆に何故分からないんだ…』と言っているかのように冷ややかだ。

 しかし男はそんな目で怯むほど気弱な性格をしてはいない。

 逆にそんな辛辣な視線など吹き飛ばす勢いで『HAHAHA!』と笑い声を上げ、少年は呆れたようにもう一度大きなため息を吐き出した。

 

「……お前は、この少年がヒーローとしての素質を持っていると言っていたな?」

「YES! その通りだとも、セフィロス君! この緑谷少年は友人を助けるために一人(ヴィラン)に立ち向かったのだ! 実にFantastic! とても勇気ある行動だ!! 何より、彼はヒーローに憧れ、ヒーローになるための力を欲していた。だからこそ、私は彼に私の力を譲渡しようと決心したのさっ!!」

 

 両腕を広げて大声で力説する男に、セフィロスは煩そうに小さく顔を顰めさせる。一方、地面に伏していた少年は漸く上体を起き上がらせると、砂浜にぺたりと座った状態で少し照れたような表情を浮かべた。どこか浮かれたようなその姿に、セフィロスの顔が一層強く顰められる。

 しかし次には緑谷と呼ばれた少年から視線を外すと、身体の向きを変えて男へと真正面から向き直った。

 

「その話は初めに聞いた。彼が“無個性”であることも、それでもヒーローになる道を諦めきれずにいたことも。そして、そのヒーローを志す心があったからこそ、何かを考える前に人を助けるための行動を無意識に起こしていたということも……」

「そう! だからこそ、私は……」

「だからこそ俺は腑に落ちない。何なんだ、この体たらくは」

 

 セフィロスの外見を裏切る子供らしくない口調に呆気に取られていた緑谷は、唐突に投げられた鋭い言葉に思わずビクッと身体を震わせた。まさかこんなことを言われるとは思ってもいなかったのだろう、普段から大きな瞳が零れんばかりに見開かれている。

 しかしセフィロスは全くもって気にも留めなかった。

 彼自身、今から言う言葉はかなり厳しいものだということは自覚している。しかし、それを言わずにこのままぬるま湯のような状態が続くのであれば、そちらの方が大問題だ。

 セフィロスは一つ息をつくと、徐に目の前の養父から目を離して緑谷が引っ張っていた冷蔵庫へと目を向けた。そのままそちらへ歩み寄り、緑谷と冷蔵庫を繋いでいるロープに手を伸ばしてさっさと全ての結び目を解いてしまう。

 一体何をするのかと大男と緑谷が注目する中、セフィロスは一度気を引き締めるように小さく短い息を吐き出すと、次には右足を踏ん張って勢いよく左足を冷蔵庫へ繰り出した。

 瞬間、激しい金属音とも爆発音ともとれる衝撃音が響き渡り、冷蔵庫が大きくひしゃげて砂浜の奥へと勢いよく吹き飛ぶ。

 突然のことに緑谷が大きく目を見開かせる中、セフィロスは再び小さく息をつくと突き出していた左足を元に戻しながらゆっくりと緑谷と大男を振り返った。

 翡翠色の双眸が緑の大きな双眸へと向けられる。

 

「俺は今“個性”を使ってはいないが、それでもこれくらいのことはできる。だが、この子供はこの程度のこともできなかった。そんな子供が本当にヒーローになれるとでも?」

 

 どこまでも冷たい声音に、緑谷の細い肩がビクッと震える。咄嗟に男がフォローするために口を開くが、セフィロスはそれを許さなかった。

 

「俺は別に出来ないことを責めている訳ではない。お前は身体なら今から鍛えていけば良いとでも言おうとしたのだろうが、俺が言いたいのはそれ以前の問題だ。……その子供は“無個性”であっても諦めずにヒーローを目指していたと言っていたな。ならば何故身体くらい鍛えていない? 『ヒーローになりたい』『やってみないと分からない』……、そう口では言いながら、この子供自身がヒーローになることを諦めていたからではないのか?」

「……もしそうだとしても、今の彼はヒーローになるための力を得るチャンスを持っている。今その話をすることはナンセンスだ!」

「いいや、決して“無意味”などではない。俺はこの子供の性根について言っているんだ。……根性だけでやっていけるほどヒーロー業は甘くないことはお前が一番よく理解しているはずだ。逆に、根性があっても行動がそれに伴わなければ、それもまた同じことだ」

「た、確かにセフィロス君の言うことも一理あるが……!!」

「お前も、元は“無個性”だったにも関わらず、平和の象徴になることを諦めずに肉体だけでも鍛えようと努力していたのだろう? 俺にしてみれば、この一点だけでもお前とこの子供との差が目に見えるようだがな。……もう一度聞こう、お前は本当にこの子供を後継者にするつもりなのか?」

 

 シーンっと静まり返る空気。誰も口を開かず身動きすらせず、ただ空気だけがどんどんと張り詰めて重くなっていく。

 息苦しさすら感じられる緊張感の中、一番初めに動きを再開させたのは、やはりというべきかこの空気を作り出したセフィロス本人だった。

 セフィロスは一度大きなため息を吐き出すと、次には踵を返して緑谷たちへと背を向けた。そのまま町の方へ歩を進めて遠ざかっていく背中に、オールマイトは咄嗟に呼び止めようと声を上げた。

 

「ちょっ、ちょっとセフィロス君、どこへ……!?」

「話にならん。俺は帰る」

 

 背を向けたまま返ってきた言葉はどこまでも冷たく容赦のないもの。

 思わず黙り込む男に、しかしセフィロスは一切構うことなく長い白銀色の髪を靡かせながらさっさと砂浜を後にした。

 残されたのは、呆然とした様子の緑谷とオールマイト。

 いつまでも小さな背が去っていった方向を見つめる男に、緑谷は気まずい表情を浮かべながらも恐る恐る男を見上げた。

 

「……オ、オールマイト…、さっきあの子が言ったことは……」

 

 勇気を振り絞って口に出した言葉は、しかし最後まで紡がれることなく途中で力なく萎んで消えていってしまう。仕舞いには顔を俯かせてごにょごにょと口の中で何事かを呟くのに、男は漸く視線を外して緑谷を見下ろした。

 

「そう、だな……。君もいろいろ聞きたいことがあるだろう。君をここに呼んだ目的も踏まえて、まずは順を追って説明することにしよう」

 

 男は小さな笑みを浮かべると、まるで励ますように一度ポンッと緑谷の小さな背を大きな手で叩いた。

 話しが長くなりそうな予感に、オールマイトは取り敢えず負担がかからない姿に戻ることにする。大きく逞しい肉体から不意に蒸気のような煙が立ち上り始め、男の全身を覆っていった。

 そして数十秒後。

 徐々に煙が晴れて姿を現したのは、先ほどの姿とは一変した、まるで骸骨のように痩せ細った一人の男。

 “マッスルフォーム”から“トゥルーフォーム”へと戻ったオールマイトは、まるで一息つくかのように砂浜へと腰を下ろして胡坐をかいた。

 

「緑谷少年も座りたまえ。……さて、どこから話したものか……。まず、君をこの場所に呼んだのは、君の身体を鍛えて器を作るためなんだ」

「器を作る、ですか……?」

 

 言葉の意味が分からず、緑谷は男の前に腰を下ろしながら首を傾げる。

 オールマイトは一つ大きく頷くと、まるで教師のようにピッと人差し指を立ててみせた。

 

「“ワン・フォー・オール(私の個性)”はいわば何人もの極まりし身体能力が一つに収束されたもの。器である身体が生半可なものでは、受け取りきれずに四肢がもげ、爆散してしまうんだっ!!」

「四肢が!!?」

 

 最後には声高に宣言する男に、緑谷は想像もしていなかった事実にひどく動揺した。

 しかしよく考えてみれば男の言葉は尤もなことだった。

 男が言うには、この“ワン・フォー・オール”という“個性”は宿主の力を蓄積させながら今まで何人もの人間に受け継がれてきたのだと言う。つまり、今の“ワン・フォー・オール”は複数の人間の力が一つに集結している状態であるということだ。考え方……イメージを変えれば、一人の人間の中に何人もの人間がギュウギュウ詰めに詰め込まれている感じだろうか……。そう考えれば、強靭な肉体()でなければ内側から弾け飛ぶというのも納得できる話だった。

 冷や汗を流しながらも頷く緑谷に、オールマイトも満足げな笑みを浮かべた。

 

「理解してくれたようだね。……そう! だからこそ、この場を掃除しながら、身体を鍛えちゃおうって寸法なのさ!!」

 

 親指を立ててニッと白い歯を輝かせる男に、緑谷は思わず顔を引き攣らせた。

 この海兵公園は海流の関係で漂着物が多く、それに加えて不法投棄をする者も多いためゴミが海のように広範囲にわたって溢れ返っている。普通に考えて、一般人がゴミ拾いをした程度で綺麗になるレベルを優に超えていた。

 それを自分たちは今やろうとしている……。

 途方もないことに一瞬気が遠くなりそうになり、しかしふと新たな疑問が頭に浮かんできて、緑谷は表情を気弱なものに戻した。

 

「………あの、オールマイト……。その……、さっきの子が言っていたこと……、オールマイトも元々は“無個性”だったっていうのは本当なんですか?」

「うん、本当だとも!」

「ず、随分あっさりと……」

「HAHAHA! まぁ、別に君に隠す必要もないからね」

 

 こちらは勇気を振り絞って質問したというのに、男からは何ともあっさりと頷かれ、逆にこちらの方が困惑してしまう。しかし男は穏やかに笑うだけで、それだけでも懐の深さや人間的な器を見せつけられたような気がした。

 また、先ほどの少年が言っていたことは全て本当なのだということも理解する。

 オールマイトは自分と同じ、生まれつき“無個性”だった。そして自分のようにヒーローを目指し、しかし自分と違って前向きに将来を見据えて励み、身体を鍛えてきたのだろう。“ワン・フォー・オール”を引き継ぐ時も、自分とは違って器を鍛える必要もなく力を受け止めたに違いない。

 緑谷はセフィロスと呼ばれた少年から向けられた冷たい視線と鋭い言葉を思い出し、思わず両拳を強く握り締めた。掌にくっ付いていた細かな砂が押し潰されてジャリッと音を鳴らし、掌の肉に食い込んで鈍い痛みを伝えてくる。こんな事にすら痛みを感じてしまう自身の掌のか弱さに緑谷は無性に悔しさが込み上げてきた。

 けれど、それよりもまだ気になることが残っていた。

 そもそもあの少年は何者なのか、ということ……。

 緑谷が少年に会ったのは今日が初めてだ。この海兵公園で待っていると突然オールマイトと共に現れ、こちらが問う間もなくオールマイトから冷蔵庫を動かしてみろと言われてしまったのだ。

 

「オールマイト……。そもそも、あの子は一体誰なんですか?」

 

 一度ゴクッと大きく唾を飲みこみ、意を決して目の前の男へと問いかける。

 しかし、こちらに向けられたのは驚愕の瞳。

 オールマイトは呆然とした様子でこちらを見つめた後、次には細すぎる首が折れるのではないかと心配になるほどに大きく頭を傾げてきた。

 

「……あれ、説明してなかったっけ?」

「説明してもらってませんよっ!?」

 

 『まさか忘れてたんですか!?』と声を上げれば、オールマイトは片手を後頭部に当てて『HAHAHA!』と笑い声を上げる。誰がどう見ても忘れていたのだろうと分かる反応に、緑谷は思わず大きなため息と共に両肩をガクッと落とした。

 

「いや~、申し訳ない。すっかり説明した気になっていたよ!」

「い、いえ。別に良いですけど……」

「それなら、相当気になっていただろう」

 

 男はうんうんと何度も大きく頷くと、次には明るい満面の笑みと共に超弩級の爆弾を落としてきた。

 

「彼の名前はセフィロスと言うんだが、歳は少年と同じで、ぶっちゃけて言うと私の自慢の息子だよ!」

「む、息子っ!!?」

「あっ、でも血の繋がりはないんだけどね。いわゆる養子という奴さ」

「養子っ!!?」

 

 次々と明かされる予想外の事実に、開いた口が塞がらない。

 オールマイトが養子を迎えたという情報は聞いたことがないし、そもそも息子がいたという情報すら聞いたことがなかった。

 

「し、知りませんでした……。いつから養子を迎えていたんですか?」

「う~ん、四年程前かな」

 

 オールマイトはそこで一度言葉を切ると、当時のことを思い出しているのか、どこか懐かしそうな笑みを浮かべた。

 

「と言っても、出会い自体は五年ほど前なんだけどね。……五年前、銀行を襲った複数の(ヴィラン)が近くにあった孤児院に逃げ込むという事件が起きたんだ。近くにいた私と他の何人かのヒーローたちがすぐに駆けつけたんだが……、そこでセフィロス君と出会ったんだよ」

 

 何でもない事のように話すオールマイトに、しかし緑谷は話を聞きながらも頭を混乱させていた。

 確かに銀行強盗は意外とよくある話である。悪事を働いた(ヴィラン)が現場から逃げ、近くの建物に逃げ込むというのもそう珍しいことではない。

 しかし熱狂的なオールマイト・ファンであり、これまでオールマイトが解決した事件は全て調べ上げて覚えていると自負している緑谷自身ですら、今オールマイトが語った事件は初耳だった。

 

「……銀行強盗が孤児院に…、ですか……? それも五年前の事件……。僕、そんな話、初めて聞きましたけど……」

「ああ、それは当然さ。実は事件に巻き込まれた孤児院の子供たちの精神的負担や孤児院と周辺住民との関係性に配慮して、この事件については一切マスコミには公表しなかったんだ。事件を解決したヒーローや警察関係者たち全員に緘口令が出され、被害を受けた銀行側や孤児院の人たちにも他言しないよう要請したのさ」

「そう、だったんですか……」

 

 思わぬ事実に驚きながら、しかし緑谷は納得して一つ小さく頷いた。

 この世界に“個性”というものが生まれ、“(ヴィラン)”という存在が出てきてから、この世界の犯罪率は急激に上昇している。オールマイトがヒーローとしてデビューしてからは犯罪率も急激に下がってはいたが、それでも決してゼロになったわけではない。ヒーロー飽和社会と呼ばれる現在ですら(ヴィラン)は当然のように現れ、尊い命を奪われる人々は後を絶たなかった。そのため、単なる事故や自殺だけでなく(ヴィラン)が起こす事件によって親を奪われ孤児となる子供も多く発生しており、ちょっとした社会問題になっていた。

 (ヴィラン)被害にあった子供たちは周囲の目や(ヴィラン)に対する反応が普通の孤児たちに比べて非常に敏感であると、昔テレビで言っていたことを思い出す。

 緘口令を出して情報漏洩をこれだけ完璧に防いでいたのだ、恐らく五年前に事件に巻き込まれた孤児院も、そういった子供たちが多く保護されている場所だったのだろう。

 と、いうことは……。

 

「じゃ、じゃあ、もしかして……、セフィロス君は親を(ヴィラン)に……?」

 

 先ほどもあったように(ヴィラン)被害にあった子供たちはあらゆる部分において敏感である傾向が強い。そのため、(ヴィラン)被害にあった子供たちは一つ処に集められ、彼らを対象とした専用の施設に保護される場合が殆どだった。事故や自殺などで親を失った子供たちと同じ場所で保護するというのは滅多に聞かない。

 しかし緑谷の予想に反して、オールマイトは神妙な表情を浮かべながらも首を横に振ってきた。

 

「いや、セフィロス君は(ヴィラン)被害者ではないよ。……とはいっても、少し特殊と言えば特殊なんだが……」

 

 オールマイトは少し躊躇うような素振りを見せた後、すぐに何かを思い直したように真っ直ぐに緑谷を見つめて口を開いた。

 

「……これはあまり口外しないでほしいんだけど……、………セフィロス君は“無個性”だと思われて親に捨てられた子供なんだ……」

「……えっ……!?」

 

 言われた言葉の意味が分からず、心も理解することを反射的に拒否する。しかし頭蓋の奥に納まっている脳は持ち主の心そっちのけで言われた言葉を分析し、否が応にもその意味を緑谷に知らしめてきた。

 瞬間、湧き上がってきたこの感情が何であるのか、緑谷自身にも分からない。

 ただ胸が苦しくて、呼吸が不規則になるほどひどく息苦しくなった。

 

「セフィロス君の元々の親は有名な科学者だったらしくてね……、常に世間からの目や耳があり、少しの醜態や気の緩みが今後の人生に大きな影響を与えてしまうほど注目されている人たちだったらしい。セフィロス君は五歳になっても“個性”が出現せず、ご両親は世間の目を気にしてセフィロス君を孤児院に捨ててしまったんだそうだ」

「そんな! で、でも……、子供を捨てるだなんて、それこそ世間に非難されるんじゃ……」

「それが、ご両親は“個性”が出現してからセフィロス君を世間に出そうと考えていたらしくてね。幸か不幸か、セフィロス君の存在はずっと周囲から隠されていたんだよ。……だから、彼らはこれを幸いとでも思ったのかもしれないね」

「……そんな………」

 

 あまりのことに思わず言葉を失う。しかし同時にある疑問が脳裏に浮かび上がった。

 先ほどの話が本当ならば、セフィロスは緑谷と同じ“無個性”ということになる。しかし、それでは先ほど起こったことについて説明がつかなかった。セフィロスが冷蔵庫を蹴り飛ばした後、彼本人が言っていたはずだ、『俺は今“個性”を使ってはいないが……――』と。

 一体どういうことだ…と思わず首を捻る中、オールマイトも同じところに思考が行きついたのだろう、骸骨のような痩せこけた顔に苦笑めいた表情を浮かべてきた。

 

「……ああ、少年が気付いた通り、今のセフィロス君にはきちんと“個性”がある」

「えっと、それじゃあ……セフィロス君も誰かから“個性”を貰ったってことですか?」

「いいや、彼が持つ“個性”は彼自身のものだ。……ただ、発生する時期が遅かった……、それだけだよ。セフィロス君本人の話によると、七歳になった頃に自然と出現したらしい」

 

 苦笑を深めて何とも言えない表情を浮かべる男に、緑谷は咄嗟に口を開きかけ、しかし声として出す前にそれを喉の奥へと呑み込んだ。

 “個性”が出現したのなら、何故本当の両親にそれを知らせて帰ろうとしなかったのか……。

 咄嗟にそう聞きそうになり、しかしよくよく考えてみれば、それも当然のことであると思い至った。

 “個性”が出現して、それを両親に伝えることができ、なおかつ両親がそれに喜んで迎えに来たのだとして、果たして誰が自分を捨てた人間の元に再び戻りたいと思うだろうか。

 親に愛された過去があり、親をひどく恋しがる幼い子供であったならそれもあり得たのかもしれない。しかし緑谷が感じた印象的に、セフィロスという少年はとても大人びた雰囲気を持っており、いくら七歳という幼い子供であったとしても自分を捨てた親を恋しがるような人物には思えなかった。

 

「セフィロス君を始めて見た時、私は彼に大いなる可能性を感じたんだ! だからこそ彼を養子に迎えようと決心したのさ! ……まぁ、セフィロス君本人には何度も断られて、実際に養子に迎えられるまでに一年もかかっちゃったんだけどね」

「い、一年も……!? それもオールマイトの子供になることを断るだなんて、僕には考えられません!!」

「あはは、ありがとう、少年」

 

 男は軽く笑ってはいるが、オールマイトの熱烈的なファンである緑谷にとってはとんでもない一大事だった。

 緑谷に限らず、オールマイトのファンであれば誰でも彼の子供になりたいと思うだろう。彼からの誘いを断るなど考えられない。

 一体全体何故断るという選択肢が出るのかと頭を悩ませ、ふと一つの可能性に思い至った。

 

「……もしかして、引き取る当初はセフィロス君はオールマイトのことをオールマイトだと気づいていなかったとか……?」

「いや、普通にセフィロス君は私がオールマイトであることを知っていたよ。というか、セフィロス君に初めて会った当時はまだ普通の姿も“マッスルフォーム”と同じ感じだったしね」

「っ!!」

 

 またもやあっけらかんとした口調で投下された爆弾に、緑谷は大きな衝撃を受けた。

 男の言葉が本当であるなら、正にヒーロー・オールマイトがキラッと白い歯を輝かせながら『私の息子にならないかい?』と大きな手を差し出している光景が脳裏に鮮やかに浮かび上がってくる。

 何それ羨まし過ぎる……っ!!

 緑谷は自分の想像した光景に大ダメージを受け、思わず内心でセフィロスに対して羨望の声を上げた。これを断るなんて本当に信じられない。

 それとも、セフィロスというあの少年はヒーローに一切興味がないのだろうか……。

 

「あの……、セフィロス君は僕と同い年なんですよね? えっと、セフィロス君は雄英高校の入試は受けるんですか?」

「Yes! 受けてくれるって!」

「……それじゃあ、ヒーローに興味がないわけじゃないのか……」

「いや、実は彼はヒーローには全く興味がないんだ。雄英高校の入試を受けるのも、私が必死に説得したから仕方なくだろうし……」

「え? そう、なんですか……?」

 

 雄英高校は偏差値がトップクラスの最難関高校だ。仕方なく受けるようなレベルの高校ではない気がするが…と頭を悩ませながら、しかし緑谷は気持ちを切り替えてグッと拳を強く握りしめた。

 血は繋がっていないとはいえ、オールマイトの息子が自分と同じく雄英高校を受験すると聞いて、胸に熱い何かが込み上げてくる。

 同時に、セフィロスから向けられた冷たい視線と言葉が再び頭に蘇ってきた。

 ヒーローになりたいという気持ちは今も変わってはいない。

 オールマイトのようなヒーローになりたい。自分のことを認めてくれたオールマイトに後悔はさせたくない。

 この感情は今も同じ熱量で胸の内で爛々と燃え上がっている。

 しかし今はそれに加えてもう一つの思いが強く胸の内に湧き上がってきていた。

 

「オールマイト、鍛錬を始めましょう! ご指導、よろしくお願いしますっ!!」

 

 緑谷は大きな双眸に強い意志を宿らせると、目の前の男に深々と頭を下げた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ジュゥゥ…と肉が焼ける音がキッチンに広がる。

 俺は薄力粉を軽くまぶした肉がフライパンにくっつかないように軽く揺すると、そのままフライパンをIHコンロの上に降ろして包丁を手に取った。まな板の上に載せた野菜を手に持ち、一口大に斜めにぶつ切りにしていく。根野菜は熱が通るのが遅いから一度軽く水を含ませて耐熱容器に入れて電子レンジに放り込み、一度フライパンの中の肉をひっくり返してからまな板に向き直ってキャベツを細かく千切りにしていった。

 今夜の献立は白飯と生姜焼きと根野菜の煮物。

 千切りにしたキャベツを平皿の外側部分に盛り付けると、次はタレ作りに移る。その際電子レンジがチンッと軽い音を鳴らしてくるが、今はそちらに手を伸ばす余裕はなかった。

 冷蔵庫から引っ張り出したのは摩り下ろした生姜と醤油と砂糖と酒。

 それぞれ分量を量ってボウルに入れ、箸を使って手際よく混ぜていく。左手の小指を軽くタレにつけると、そのまま口へ移動させて小指を濡らすタレを舐め取った。

 う~ん、個人的にはもう少し生姜を効かせた方が良いけど、これ以上味を濃くしたら胃に負担がかかるかもしれないしな~……。仕方ない、このくらいにしておくか。

 肉の状態を確認すれば、丁度良い焼き加減。

 ボウルの中のタレを一気にフライパンの中に流し入れると、フライパンを軽く揺すりながら肉にタレを絡ませていった。タレが熱せられたフライパンによってジュゥゥッと音をたて、熱が加わったことで一気に食欲を誘う香ばしい香りが漂ってくる。

 生姜の良い匂いに満足すると、俺はIHコンロの火力を下げてフライパンを置くと、そこで漸く電子レンジへと手を伸ばした。鍋を出して温めた根野菜を全てぶち込み、ダシの素と醤油と砂糖とみりんと酒を順に入れていく。

 最後に落し蓋をして一息ついたところで玄関から大きな物音が聞こえてきた。

 ドアが開き、一拍後に閉まる音。続いて一人分の足音が徐々に近づいてくるのを聞きながら、俺はフライパンをIHコンロから離して中に入っている肉を皿へと移し入れた。リビングの扉が開く音が聞こえてくるもそちらには目もくれず、フライパンを傾けて中に残っているタレも皿の上に垂れ入れる。

 そこで漸く顔を上げれば、丁度リビングに入ってきた男とバッチリと目が合った。

 

「ただいま、セフィロス君」

「………おかえり……」

「えっ!?」

 

 帰宅の挨拶から数十秒後、少しの間を空けて言葉を返せば、途端に男から驚愕の表情と声を向けられる。その大きすぎる反応に、驚愕の理由は理解できるものの釈然としない思いが込み上げてきた。

 確かに俺は今までこういった挨拶に対してきちんと返事をしてこなかった。というのも、原作の“セフィロス”が誰かの挨拶に返事をする姿がなかなか想像できず、“セフィロス”のイメージを崩すような言動をとりたくなかったのだ。

 しかし、そんな自分が今何の予兆もなく挨拶に返事を返した。誰がどう考えても、相手が驚くのは無理もないことだろう。

 普段共に住んでいる者であれば、尚のこと……。

 

「セ、セフィロス君!? どうかしたの? 何かあったのかい??」

 

 予想通りというべきか、案の定というべきか、男は何かあったのかと問いかけてくる。しかし男の心配に反して別段何かがあったわけではなく、ただ少しだけ今後について考えを巡らせただけだった。

 俺はこの世界に転生してから四年後……つまり四歳の頃にこの人格を目覚めさせた。それからはずっと、この姿と名に恥じない言動をしていこうと心がけてきた。つまり……、いうなればずっと『セフィロス・ロールプレイ』をしていたわけだ。ただ正直に言うと、俺は未だにちゃんとしたイメージを持てずにいた。

 原作のモノホンの“セフィロス”には、大きく分けて二つのイメージがある。

 一つは、言うなればラスボスになる前の“英雄・セフィロス”。そしてもう一つは、原作無印以降の“ラスボス・セフィロス”だ。

 どちらも非常に格好よく魅力的ではあるのだが、いかんせんどちらも正反対な部分が多くあり、またどちらも子供の外見では違和感ありまくりなイメージ(性格)をしていた。そのため、俺はこの人格が目覚めた四歳の頃から今までの十一年間、ずっと“英雄・セフィロス”と“ラスボス・セフィロス”の中間あたりの言動を続けていたのだ。

 しかし、ずっとこのままと言う訳にはいかなくなった。

 なんせ、あのヒーロー育成高校である雄英高等学校のヒーロー科に入学することになったのだ、こんなあやふやな状態でずっといるわけにはいかない。ということで、俺はこれからは二つの中間という曖昧なものではなく、“英雄・セフィロス”のイメージの言動を取っていくことに決めたのだ。

 

「……別にどうもしていない。雄英高校に入学するのであれば、これからはそれなりの言動を心がけるべきだと考えただけだ」

「な、なるほど……。というか、雄英高校の偏差値は79で倍率も例年300を超えるのに、入試に合格するのは当然なんだね……」

「なんだ、当たり前だろう」

 

 男からどこか呆れたような言葉を投げかけられるが、俺からしてみれば逆に『何を当然のことを言っているんだ』という心境だ。それだけ、先ほどの男の言葉は俺にとっては愚見でしかなかった。

 俺が“セフィロス”であるのは、この容姿だけではない。身体能力は勿論のこと、頭の出来も“セフィロス・スペック”なのだ。

 つまり、自分で言うのもなんだが俺は滅茶苦茶頭が良い。

 大抵のことは一度聞いただけで、一度見ただけで頭に記憶されて理解できる。この“セフィロス・スペック”のおかげで、俺は勉強の復習などしなくても試験の点はいつも満点が取れていた。改めて“セフィロス”恐るべし、である。

 まぁ、それは兎も角として、“セフィロス”である以上、ワザと手を抜かない限り雄英高校の入試で不合格になることはまずないだろう。そして俺がセフィロスである以上、ワザと手を抜くなんて原作の“セフィロス”に申し訳ないことを出来るはずがない。

 よって、俺は雄英高校に合格して通うことになるだろう。

 ならば、それ相応の言動を取っていかなければ、やはり原作の“セフィロス”に申し訳なかった。

 しかしそんな俺の裏事情など知るはずもなく、目の前の男は純粋に俺の変化に喜び感動しているようだった。

 

「……いや、嬉しいな。セフィロス君はそういう子なんだって思ってはいたんだけど、やっぱり返事してもらえるのは嬉しいものだね」

 

 うん、正直すまんかった。俺も本音はずっと返事したかったんだけどね。原作の“セフィロス”のイメージを崩したくなかったんだよ、許してくれ。これからは“英雄・セフィロス”のイメージでいくから、少しは気さくにできるんじゃないかな!

 養父の言葉に心の中でひたすら謝罪しながら、俺は生姜焼きとキャベツの千切りが載った二つの皿を手に取る。リビングのテーブルの上にそれぞれ置きながら、改めて男を見上げた。

 

「……それで、また出かけるのか?」

「あ、ああ、……夕飯を食べ終えたらまた出かけるよ」

「そうか」

「……緑谷少年、必死に頑張ってるよ」

「……………………」

 

 男の言葉に、緑谷出久という少年と初めて顔を合わせた時のことを思い出す。

 オールマイトに認められたと浮かれていた、貧相な身体つきの少年。

 あれから一度も会わずに7カ月ほど経つが、どうやらあの子供は諦めずに肉体作りに励んでいるらしい。

 

「この前、少年が僕が考えたプランを守らずにオーバーワークしていたことに気が付いたんだけど……」

「……ああ、『目指せ合格アメリカンドリーム・プラン』とかいう奴か」

 

 言われて、そういえば7カ月ほど前にこの男が必死に頭をこねくり回しながらプランだてをしていたことを思い出す。あのヒョロヒョロな体型を短期間で何とかしようと随分と悩んでいたようだったが、どうやら当の少年がそのプランを破っていたらしい。

 しかし、破られた本人は怒るでもなく何故か嬉しそうな笑顔を浮かべていて、俺にはどうにもそれが解せなかった。しかも、心なしかその笑顔の矛先が自分にも向けられているように思えてならない……。

 

「………なんだ……」

「いや、オーバーワークをしていたことを注意したんだけどね、その時、緑谷少年がなんて言ったと思う? “オールマイトみたいなヒーローになりたいんだ”って言ったんだよ」

 

 まるで嬉しくて仕方がないようにニコニコとした笑みを浮かべてくる。

 だがなるほど、つまりこの男は『あの少年は遥か未来を見据えて頑張っているのだ』と俺に伝えたいらしい。

 『努力できることは、それ自体が才能である』とは誰の言葉だったか……。

 思わず前世での世界に思いを馳せる中、不意に男の表情が少し変化したことに気が付いて反射的に思考を引き戻した。

 

「それから、『セフィロス君に認めてもらいたいんだ』とも言っていたよ」

「……………………」

 

 続けてかけられた言葉に、だが俺はそれには無言で返した。

 恐らく目の前の男は、俺にも緑谷という少年を認めてもらいたいと思っているのだろう。そしてできるなら、力になってやってほしいとも思っているのかもしれない。

 しかし認めるかどうかは実際に今の少年の姿を見てみないと何とも言えないし、例えその努力を俺が認めたとしても、その少年に力を貸してやるかどうかはまた別問題だった。力の貸し方にもよるし、第一緑谷自身も自分と同い年の子供にあれこれ口を出されたくはないだろう。

 ここは一つ、何か具体的なことを言われる前に話を終わらせてしまおう。

 

「……認める認めないはさて置き、まずは雄英に入学できるかどうかが問題だろう」

「ま、まぁ、それはそうなんだけど……」

「なら早く行ってやれ。さっさと夕飯にするぞ」

 

 まだ何か言いたそうにしている男を無視して、俺はさっさと踵を返してキッチンへ向かう。男が後ろをついてくる気配が伝わってくるが、それも今は無視だ。

 鍋に歩み寄って落し蓋を取れば、中では根野菜がぐつぐつと煮えて食欲をそそる香りを漂わせている。

 俺はその香りを楽しみながら器にそれらをよそうと、未だすぐ後ろにいる男へと問答無用で器を手渡した。

 

 



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第4話 小さな接触

 遂に迎えた雄英高校の一般入試の実技試験日。

 緊張や期待に胸を膨らませている多くの少年少女の群れの中、俺は一人だけ冷めた目で目の前の建物を眺めていた。

 目の前に佇んでいるのは、学校とは思えないほどの立派な建物。全体的なフォルムはまるで英語の“H”を思わせて、もしやヒーローのHをイメージしているんだろうか……と内心で乾いた笑みを浮かべる。

 とはいえ、ここでいつまでもぼーっと突っ立っている訳にはいかない。

 なんせ先ほどから多くの女の子たちからチラチラと好意的な視線を頂いているのだ。

 これは考えるまでもなく整い過ぎた“セフィロス・フェイス”がもたらした賜物だろう。

 しかし申し訳ないことに俺は熱狂的な原作“セフィロス”ファンであり、『セフィロス・ロールプレイ』を心に誓った男。俺の言動は全て原作に沿ったものであり、どんなにキラキラした熱い視線を送ってもらったとしても、それに応えてあげるという選択肢は俺の中には皆無だった。なんせ向けられる視線に笑顔で応えてファンサービスする“セフィロス”の姿など一瞬も想像できん。

 ごめんね女の子たち、“セフィロス”はそんなチャラ男じゃないんだ!

 俺は視線を送ってくる数多の女の子たちに心の中で謝罪すると、それらの視線から逃げるように足早に入試会場へと向かった。

 

 そして辿り着いたのは大きな講堂。

 開始時間が差し迫っているせいか多くの席がすでに埋まってきており、俺も近くの席に腰を下ろす。

 座る席が決まってなくて良かった……。

 心の中で安堵の息をつく中、不意に会場内が薄暗くなり始め、目の前のステージだけが明るく照らされた。

 

「――……今日は俺のライヴにようこそー!!! エヴィバディセイヘイ!!!」

 

 いつの間にいたのか、ステージに一人の男が立っており何やら激しく騒いでいる。

 というか、なんだあの髪型凄いな。前世での世界では原作“セフィロス”も一時期前髪についてプレイヤーたちにおちょくられてたけど、今ステージに立っている男はその比じゃない。金色の長髪が重力に逆らって上空に長く伸びており、どうセットしたらこんな髪型になるのか非常に気になるところだ。

 ……と、そんな事よりも話を聞かねば。

 俺は慌てて思考を切り替えると、変な頭の男によって繰り広げられる非常に砕けた言葉での説明に真剣に耳を傾けた。途中突然発せられた受験生からの質問にも、男は砕けた口調で分かりやすく解答している。

 それらに耳を傾けながら、俺はこれからの実技試験の内容を頭の中で整理していった。

 まず、自分たちはこれから指定された各演習会場に向かい、10分間『模擬市街地演習』とやらを行うらしい。演習内容は、演習会場に現れる“仮想敵”を“個性”を使って行動不能にし、ポイントを稼ぐというもの。この“仮想敵”には四つの種類があり、それぞれ0ポイントから3ポイントが割り振られているらしい。つまり、ポイントを多く稼ぐためには0ポイント以外の“仮想敵”を多く倒す必要があるということだ。因みに、他人への攻撃や妨害は禁止であるらしい。

 まぁ、ヒーローを目指すのなら当然だな。

 俺は受験票に目をやり、そこに書かれているアルファベットを見やった。

 演習会場が幾つあり、一つの会場に何人の受験生がいるのかは知らないが、どうやらこのアルファベットのつく演習会場が今回自分に割り当てられた場所らしい。

 そこまで考えて、ふとある考えが頭を過ぎった。

 

 あれ、これって俺が本気出したらヤバいやつじゃね……?

 

 当たり前のことではあるが、学校側から用意されている“仮想敵”の数には限りがある。無限に湧き出てくるものでは決してないだろう。

 ではここで想像してみよう。

 原作セフィロスが何の遠慮もなく本気でこれらを殲滅しにかかった場合、一体どうなるか?

 答え:数分で施設ごと壊滅する。

 

 ……………………。

 

 ……いやいやいや、これは流石にあかんでしょう! いくら手を抜くのは原作セフィロスに対して失礼だとはいえ、これじゃあ多くの受験生たちが泣いてしまう! これはもう絶望ものだ!

 『お前たちに絶望を贈ろうか』……?

 言ってる場合か!

 これは本当に本気を出すわけにはいかないぞ……。でも、やっぱりこの姿である以上“セフィロス”に恥をかかせるようなことはできないし……。

 外面では腕を組んで物静かに瞼を閉じているようなポーズを取りながら、内心では『う~ん』と唸り声を上げて頭を悩ませる。

 暫く思考をこねくり回した末、俺は苦肉の策を取ることにした。

 題して『本気は出さないけど、手を抜いてるわけじゃないよ』作戦!!

 この際ネーミングセンスなんてどうでも良い、実際に口に出さないのだからノープロブレムだ!

 どういう作戦かというと、積極的に“仮想敵”を倒すようなことはしないが、最低限自分が動かなければならないような場面では手を抜かずに動く、というものだ。

 考えてみれば、実際の原作セフィロスも英雄の時には割とそういうこともあったんじゃないかと思うのだ。『クライシスコア』ではザックスの獲物を取っちゃって早々に敵を倒してしまう場面もあったが、そもそも原作の『FF7』での世界では他のソルジャーや神羅兵たちもワンサカいたわけで、そんな中でセフィロスが呼ばれる任務となればそれこそ激戦区か、他のソルジャーたちでは手に負えないようなどうしようもない状況でのお助け任務ばかりだっただろう。ならば今回のこの行動も許される、はず……!

 苦しい言い訳とは言うな、俺自身分かってるさ! しかし受験生たちの涙と俺の中の“セフィロス”への情熱とを天秤にかけた場合、これがギリギリのラインなんだ。

 まぁ、不合格になるために手を抜く訳じゃないから、このくらいなら許されるだろう。そう、手を抜いてるわけじゃないんだ、あくまでも本気を出していないだけで……。

 

 ……………………。

 

 ……うん、やめよう、不毛過ぎる……。

 とにかくあんまり目立ちたくもないし、これが妥当な落としどころであることは変わりない。これ以上の策も思いつかないし、これで良いということにしておこう。

 ちょうど説明が終わったらしいステージ上の男の最後の言葉を聞き終えると、俺は一つ小さな息をついてさっさと椅子から立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切島鋭児郎はやる気と闘志に燃えていた。

 待ちに待った雄英高校の一般入試試験。最初は一体どんなことをやらされるのかと少し不安に思っていたが、内容を聞いた今では誰よりも多くのポイントを稼いでやろうと気合を入れていた。

 ザッと周りを見渡せば、自分と同じ多くの受験生たちが今か今かと開始の合図を待っている。しかし中には明らかに緊張しているような者もおり、切島はそれらに引きずられないように一度パンッと両側から挟むように両頬を叩いた。湧き上がりそうになっていた緊張を吹き飛ばし、一つ大きく深呼吸する。

 適度な緊張感は必要だろうが、それでうまく動けなくなっては意味がない。

 よしっ!と心の中で気合を入れ直す中、ふと白い何かが視界を横切ったことに気が付いて切島は反射的にそちらへと視線を走らせた。

 しかし白い何かの正体を視界に入れる前に、“それ”は唐突に切島の鼓膜を震わせた。

 

『――……ハイ、スタートー!』

「「「……へ……?」」」

 

 突然何処からともなく聞こえてきた間の抜けたような声。

 切島を始め、誰もが思わず呆けた表情を浮かべる中、まるでそれを急き立てるように同じ声が再び響いてきた。

 

『どうしたぁ!? 実戦じゃカウントなんざねぇんだよ!! 走れ走れぇ!! 賽は投げられてんぞ!!?』

「「「っ!!?」」」

 

 聞こえてきた声は間違いなく先ほどの講堂で演習内容を説明していた男のもの。

 もう試験は始まっているのだと瞬時に理解すると、多くの受験生たちはすぐさま行動を開始した。切島もまた、急いで演習会場内へと走り込む。

 演習会場はまるで一つの街そのもののようで、とてつもなく広く大きい。この疑似市街地のどこかに倒すべき“仮想敵”がいるはずだ。まずは標的を探さないとな……と街中を駆けながら切島は周りに視線を走らせた。

 その時、不意に白い何かが再び視界を掠め、切島は走る足はそのままに白い何かが見えた方向を振り返った。

 周りで同じように走っている受験生たちを抜け、視線の先にあったのは一つの大きな建物。突起物も何もないように見える長方形のビルに、あろうことか一人の少年が軽い身のこなしで高く跳躍し、時折ビルの側面を蹴るようにしながら一気に屋上まで飛び登っていた。

 

「……うわ、マジかよ。一体何の“個性”だ?」

 

 今まであまり見たことのない動きに、思わず小さく言葉が零れ出る。

 しかし幸か不幸か、その余裕はすぐに吹き飛ばされることになった。

 突然横の建物の壁が勢いよく吹き飛び、瓦礫を撒き散らしながら大きな何かが目の前に飛び出てくる。反射的に駆けていた足に急ブレーキをかけながら見てみれば、そこにいたのは戦車のような見た目の機械ロボットだった。

 形状からして恐らく2ポイントの“仮想敵”だと思われるそれに、切島はすぐさま自身の“個性”を発動させた。

 切島の“個性”は“硬化”。全身をガチガチに硬化させることのできる『発動系』の“個性”である。そのため、相手からの攻撃に対する防御力は高く、また硬化した部分は刃物のような鋭利さを持つため攻撃することも問題なく可能だった。

 切島は肘から下の両腕を硬化させると、攻撃される前に勢いよく機械ロボットへと右手を繰り出した。大きな刃物のようになっている切島の右手は易々と装甲を突き破り、機械ロボットを瞬時に戦闘不能に陥らせる。切島はすぐに右手を機械ロボットから引き抜くと、すぐさま周りに視線を走らせた。

 機械ロボットと対峙する中で、切島の耳は多くの戦闘音を正確に聞き取っていた。

 思った通り、いつの間にか周りには多くの機械ロボットが溢れており、多くの受験生たちが己の“個性”を駆使して果敢に機械ロボットに挑んでいた。先ほどの切島と同じように上手く立ち回っている者もいれば、恐怖に呑まれて逃げ惑う者もいる。

 切島は手際よく近くにいる機械ロボットに駆け寄り攻撃して戦闘不能にしながら、何度も忙しなく周りに視線を走らせていた。

 それは次の標的を探している訳ではない。それよりも、上手く立ち回れず怪我をする者がいないか常に周りの様子を警戒していた。

 いくら危険に思えても、これはあくまでも学校という場所が設けた演習だ。受験生の一人でしかない自分がこんな心配をする必要はないのかも知れない。しかしいくらそう思ったところで、湧き上がってくる不安はなくなることはなかった。

 

「――……きゃあぁぁぁあぁぁあぁっ!!!」

「っ!!」

 

 また一体の“仮想敵”を倒す中、不意に聞こえてきた叫び声。

 反射的に声のした方を振り返ると、自分が立っている場所から10メートルほど離れた場所に、一人の少女が二体の“仮想敵”を前に尻もちをついているところが目に飛び込んできた。少女の顔は恐怖に染まっており、ここからでも全身が震えているのが見てとれる。とても二体の“仮想敵”に対処できるとは思えなかった。

 切島は大きく顔を歪ませると、次には強く地を蹴って駆け出した。

 この距離では間に合わないかもしれない。しかし、そうは思ってもこのまま諦めるようなことはしたくなかった。

 徐々に少女との距離が縮まっていく中、不意に“仮想敵”の一体が右腕のアームを頭上に振り上げてくる。

 そのまま少女へ振り下ろすつもりなのだと分かり、切島は走る足はそのままに未だ硬直して呆然としている少女へ声を張り上げた。

 

「にげ…っ!! ……っ!!?」

 

 逃げるように促す言葉は、しかし最後まで紡がれることなく途中で切れた。

 切島が最後まで言い切る前に、突然上の方から大きく鋭い何かが二体の“仮想敵”へと勢いよく襲いかかっていった。大きな衝撃と共に土煙が舞い、切島は勿論のこと、襲われていた少女も思わず驚愕の表情を浮かべる。

 二人の視線の先では二体の“仮想敵”は朦々と立ち込める土煙に覆われており、それが晴れて姿を現した頃にはまるで土塊のようにボロボロと崩れている状態だった。近くに駆け寄ってよく見れば、どちらの“仮想敵”も細切れになっており、その一つ一つがまるで刃物で切断されたかのように真っ直ぐな断面をしている。

 一体何が起こったのかと切島と少女が困惑の表情を浮かべる中、不意に小さな影が頭上を走り抜けたことに気が付いて切島は反射的に頭上を見上げた。

 瞬間、視界を素早く横切ったのは一つの小さな人影。

 影を追うように反射的に視線を走らせれば、その人影の正体は演習開始時にビルに飛び登っていた少年であることが分かった。彼の手には白く細長い何かが握られており、こちらには目もくれず建物から建物へと跳躍して素早く移動している。

 切島は暫く呆然と遠ざかっていく姿を見つめた後、次には思わずニッと口の端を引き上げて笑みを浮かべた。

 一体どうやったのかは分からないが、もしかしなくても先ほど二体の“仮想敵”を倒したのはあの少年だったのだろう。そう考えれば、自分と同じように他者を心配し助けている人物がいることに単純な喜びが湧き上がってきた。同時に、自分が感じていた不安も行動も間違っていなかったのだと自信を持つ。

 切島は気を取り直して未だ尻もちをついている少女を助け起こしてやると、次にはグッと強く拳を握り締めた。

 

「よし! 残り時間、頑張るぞっ!」

 

 自身に気合を入れ直し、再び戦闘音が多く聞こえる方向へと駆け出す。未だ多くの“仮想敵”とそれに応戦する受験生たちがいる場所まで辿り着くと、躊躇うことなくその渦中へと飛び込んだ。

 “個性”を発動させ、容赦なく襲いかかってくる多くの“仮想敵”と対峙する。

 それからははっきり言って無我夢中だった。

 多くの“仮想敵”を倒し、負傷した受験生たちを助け、正直今自分が何ポイントまで稼いだのか覚えていない。ただ自分に出来ることをひたすら行っている中、まるでそれを邪魔するかのように突然“それ”は現れた。

 最初に聞こえてきたのは大きな破壊音。続いて地震のような地響きが発生し、次の瞬間、前方の建物が勢いよく吹き飛んだ。

 多くの瓦礫を撒き散らしながら姿を現したのは、体長何十メートルかも分からぬ巨大な機械ロボット。

 高層ビルと同じくらいある巨大な“仮想敵”の出現に切島は流石に顔を大きく引き攣らせた。他の受験生たちもそれは同様で、次の瞬間には我先にと踵を返して退避を始める。

 あの“仮想敵”は、倒しても0ポイントのお邪魔虫。当然倒そうと考える者は誰一人としていなかった。

 切島もまた、すぐさま踵を返すと“仮想敵”とは反対方向に駆けだす。0ポイントであるため倒しても意味がないのは勿論だが、何より今の自分ではあの大きさの“仮想敵”をどうにかできるとは思えなかった。

 しかし、“仮想敵”は出現時に一つのビルを丸々破壊しており、大きな瓦礫を数多く周辺に撒き散らしている。雨のように降り注いだ瓦礫は容赦なく周辺にいた全てを襲い、受験生たちも少なからずその瓦礫の被害にあっていた。身体の至る所から血を流す者。足を引きずりながらも何とか逃げようとする者。中には瓦礫の下敷きになり動けなくなっている者もおり、切島はできる限り下敷きになっている受験生たちを助けてやりながら“仮想敵”から逃げ続けた。

 しかし逃げる途中で何度も下敷きになっている者を助けているため、街中を闊歩する“仮想敵”との距離はみるみるうちに縮まっていく。

 言いようのない不安と焦燥を感じながら、切島は既に目と鼻の先まで近づいていた“仮想敵”を見上げた。

 その時……――

 

 

 

「――……約束の地へ沈め…」

 

「……っ!!?」

 

 微かな声が聞こえたと思ったその時、大きな白銀の何かが空を縦に穿ち、瞬間、この場の全てが静まり返って停止した。巨大な“仮想敵”は動きを止め、“仮想敵”を見つめていた切島や受験生たちは何が起こったのか分からず足を止めて硬直し、静寂によって空気すらも凍り付く。誰もが無意識に息を殺して固唾を呑む中、一拍後、不意に一つの小さな白銀が緩やかな動きで上空から“仮想敵”の目の前の地上へと舞い降りてきた。

 白銀の正体は、端整な美貌の一人の少年。

 長い白銀の髪がまるで天使の羽根のようにふわりと靡き、その左手には異様に細長い刃が握り締められている。

 異様な少年の突然の登場に誰もが呆然となる中、しかしそれを遮るかのように再び新たな変化が訪れた。

 新たな変化の主は巨大な“仮想敵”。

 今まで不自然なまでに停止していた巨大機械ロボットが、不意にギギィ…ッという軋んだ音を鳴らし始める。よく見れば巨大な機体の中心に一直線の亀裂が走っており、軋んだ音と共に徐々に機体が左右でズレ始めていた。ズレは時間が経つにつれてどんどん早く大きくなっていき、次の瞬間には力尽きたようにズレるだけでなく前と後ろに傾き倒れ始める。

 

「……うわっ、うわっ、に、逃げろっ!!」

「倒れるぞ!!」

「な、何がどうなってるのよーっ!?」

 

 こちらに倒れ込んでくる右側の機体に、受験生たちは悲鳴を上げて再び逃げ始める。切島も咄嗟に踵を返して逃げようとし、しかし突然頭上から舞い降りてきた謎の少年が微動だにしていないことに気が付いて咄嗟に少年を振り返った。反射的に足を踏みしめて立ち止まり、少年に向けて逃げるように声を張り上げようとする。

 しかし、それよりも早く少年が動いた。

 白銀の少年は冷めた翡翠色の双眸で頭上から倒れ込んできている“仮想敵”の機体を見上げると、振り向きざまに左手に持つ細長い白銀を大きく鋭く振り払った。

 瞬間、幾つもの白銀の何かが出現。

 目にもとまらぬ速さで機体へと飛んでいき、次の瞬間、こちらに倒れ込もうとしていた機体が凄まじい破壊音と共に細切れに吹き飛んだ。

 

「……な……、……はっ……?」

 

 一体何が起こったのか分からず呆然と立ち尽くす。しかしそれは切島だけではなく他の受験生たちも全員が呆けた表情を浮かべて動きを止めていた。

 バラバラと細切れにされた機体の成れの果てが落ちてくるも、その小ささから当たってもあまり痛くはない。一体何をどうすればあんな巨大なものがこんな細かくなるのかと不思議でならず、その非現実的な現象に思考がついていかなかった。

 切島は未だ一人ポツリと立っている少年に目を向ける。一瞬どうしようかと悩み、しかし意を決して呼びかけようと口を開いた。

 その時……。

 

『――……終了~~~!!!』

「「「っ!!?」」」

 

 突然響いてきた大音声に、切島は思わずビクッと肩を跳ねさせた。咄嗟に周りを見渡せば、周りにいた他の受験生たちも困惑した表情を浮かべたり安堵の表情を浮かべたりしている。どうやら10分経ったようで、実技試験の演習が終了したようだった。

 理解すると同時にドッと安堵が湧き上がり、一気に疲労感が伸し掛かってくる。流石は雄英高校の入試試験だと言うべきか、そのハードさに切島は思わず大きく息を吐き出した。

 再び周りを見渡せば、いつの間に来ていたのか、学校の職員たちが転んでいる受験生たちを助け起したり怪我人の治療を始めている。その光景に『本当に終わったんだ』と改めて実感しながら、そこでふと先ほど0ポイントの“仮想敵”を倒した少年に声をかけようとしていたことを思い出した。

 再び口を開きながら、少年がいた方へと振り返る。

 

「……あれ……?」

 

 しかしそこには既に誰もおらず、少年の姿はどこにもなかった。動いた気配も何も感じなかったのに……と思わずキョロキョロと周りを見回す。しかしどこにも少年の姿は見えず、切島は釈然としない気持ちを抱えながら、ふと視線を右側へと移した。

 そこには細切れにされることなく放置された“仮想敵”の左側の機体が周りの建物を巻き込んで倒れ伏している。

 もしあの少年が倒れ込む右側の機体を粉砕してくれなければ、今自分が立っている場所も同じような状態になっていたのだろう。自分であれば“個性”を使えば無傷だったかもしれないが、受験生の中には大きな機体に押し潰されて重傷者が出ていたかもしれない。遅まきながらそのことに思い至り、切島はゾッと血の気を引かせた。

 そんなことにならず本当に良かったと安堵する一方で、再びその白色の少年のことを頭に思い浮かべた。

 

(……雄英に入学できたら、また会えるかな……。)

 

 あれだけの力を持った人物が不合格になるとは思えない。ならば自分がこの入試に合格すれば、またあの少年に会えるかもしれない。

 もし会えたら今度こそ“仮想敵”をどうやって倒したのか聞いてみようと考えながら、切島は号令をかける学校の職員の声に従ってそちらへと駆け出すのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 雄英高等学校の一般実技試験から数日後……――

 雄英高校の職員専用会議室の一室にて、多くの教師が一堂に会していた。

 長く伸びるテーブルを囲むように教師たちが席につき、一心に部屋の前方にあるモニターを見つめている。大きなモニターの画面には演習中に録画した各演習場での映像と実技総合成績表が並んで映し出されていた。

 彼らが注目しているのは3つの名前。

 1つ目は総合得点1位の“爆豪勝己”。

 2つ目は総合得点8位の“緑谷出久”。

 そして3つ目は、総合得点2位の“八木セフィロス”だった。

 

「“爆豪勝己”……。救助P0で1位とはなぁ!!」

『1P』『2P』(仮想敵)は標的を補足し近寄ってくる。後半、他が鈍っていく中、派手な“個性”で寄せ付け迎撃し続けた。タフネスの賜物だ」

 

 実技総合成績表の隣に映る映像が別のものに変わり、一人の少年が派手に戦っている場面が映し出される。少年は好戦的な笑みを浮かべながら、ひたすら爆発を起こして多くの“仮想敵”を次々と行動不能に陥らせていた。

 

「対照的に“緑谷出久”は敵P(ヴィランポイント)0で8位。アレ(・・)に立ち向かったのは過去にもいたけど……。ブッ飛ばしちゃったのは久しく見ないね」

「思わず『YEAH!(イヤー)』って言っちゃったからな!」

 

 続いて映し出されたのは緑谷が0ポイントの“仮想敵”を倒す映像。

 緑谷は驚異的な跳躍を見せたと同時に“仮想敵”を殴り飛ばし、しかし次の瞬間にはまるで力尽きたように地面へと落下していた。

 “仮想敵”を倒す前の行動と“仮想敵”を倒す前後、そして倒した後のちぐはぐさに多くの教師たちが困惑や訝しげな表情を浮かべていた。

 

「しかし自身の衝撃で甚大な負傷……。まるで発現したての幼児だ」

「妙な奴だよ。あそこ以外はずっと典型的な不合格者だった」

「細けえことはいんだよ! 俺はあいつ気に入ったよ!! 『YEAH!(イヤー)』って言っちゃったしな!!」

 

 誰もが微妙な表情を浮かべる中、一人の男だけがやけに声を上げて熱く語っている。

 しかし他の教師は意に介さない。この男がうるさいのは日常茶飯事であり、つまり通常運転なのだ。

 何はともあれ、ここで注目すべきはうるさく騒ぐ男の存在ではなく、多くの教師たちが口にしている“敵P”と“救助P”という言葉だった。

 実はこの演習で見られるポイントは“仮想敵”を倒して得る“敵P”だけではない。演習中、影で多くの受験生たちの行動を観察していた審査員たちによる審査制で得られるポイントもまた存在していた。

 その名も“救助活動P”。

 読んで字のごとく、誰かを救助した際に得られる隠しポイントである。

 つまり、今回の演習は“敵P”と“救助P”のトータルで合否を判断される仕組みになっていた。

 

「……それから、あの『0P(仮想敵)』を倒したのがもう一人いましたよね」

「ああ、こいつ……。“八木セフィロス”だな」

 

 一人の教師がチラッとモニターの実技総合成績表を見やり、モニターの画面を操作している教師へと声をかける。声をかけられた教師は一つ頷くと、自身の手元を操作してモニターに映し出されている映像を別のものに変えた。

 次に映し出されたのは白銀の髪を靡かせた一人の少年。

 少年は緊張した様子も怯えた様子もなく、ただ淡々と建物の屋上を移動しては時折手に持つ刃を振るって一撃で“仮想敵”を倒していた。

 

「……ふむ、彼は素晴らしいな。『0P』を倒すだけの“戦闘力”は勿論のこと、ヒーローには欠かせない“情報力”“機動力”“判断力”を全て備えている」

「『0P』を倒した後の判断も良かったですね。……あのままでは二次被害が起きていました」

「それも想定した上で攻撃したっぽいしな……。全く大した奴だ」

 

 目まぐるしく動く映像を見つめながら、教師たちがそれぞれ思ったことを口にしていく。

 彼らの会話を聞きながら、今は“トゥルーフォーム”になっているオールマイトだけはセフィロスが映っている映像の隣に並ぶ実技総合成績表を見つめていた。

 2位の欄に記載されている“八木セフィロス”という名前と、その隣に並ぶ“敵P”と“救助P”それぞれの数字。セフィロスの得点は“救助P”が圧倒的に多く、一方で“敵P”はそこまで多くはなかった。それはセフィロスの実力を知るオールマイトからすれば違和感を覚える点数だった。それだけで今回セフィロスが大分手加減したのだろうことが分かる。また、他の教師たちは“救助P”を多く稼いでいることを高く評価しているようだったが、オールマイトからすればそれは逆に大きな不安を感じるものだった。

 確かにヒーローを志す以上、誰かを助ける行動は必要不可欠なものだ。しかしオールマイトはセフィロスの行動が一拍も二拍も遅いことに気が付いていた。

 演習中のセフィロスは常に高い場所に立ち、全体の状況を把握するよう動いていた。そしてその中で誰かが“仮想敵”に襲われていたり、誰かの戦闘に巻き込まれそうになっていて初めて助けに入っていたのだ。

 対象との距離や移動速度から遅れている訳ではない。セフィロスは相手が窮地に陥って始めて行動を開始しており、それまでは例えどんなに危険度が高かったとしても助けに動こうとはしていなかった。言い方を変えれば、未然に防げる危険をワザと防いでいないということである。

 セフィロスとしては『これは試験だから』と思っての行動だったのかもしれない。しかし幼い頃からのセフィロスを知っているオールマイトからすれば、その冷静過ぎるセフィロスの行動は非常に危険なもののように思えた。

 

「――……それで、どうしてここにあなたがいるんですか?」

 

 無言のまま悶々とセフィロスに対して思考を巡らせる中、不意に教師の一人に声をかけられる。ハッと我に返って顔を上げれば、他の教師たちも一様にオールマイトへと目を向けていた。

 ここは雄英高校の教師専用会議室。いくら近々教師に就任するとはいえ、男はまだ教師ではない。よって男は現段階では未だ部外者でしかなく、どう考えてもこの場にいてもいい存在ではなかった。

 オールマイトとてそれは十分理解している。しかし彼が今この場にいるのは、それを分かっていてもなおどうしても彼ら教師たちに伝えるべきことがあったからだ。

 どう説明すべきかと迷う中、唯一オールマイトがこの場にいる理由を知っている人物が代わりに片手を挙げて口を開いた。

 

「すまない、彼がここにいるのは僕が許可したからさ! みんなに話したいことがあるらしくてね」

 

 高い声で溌剌と話すのは小さな人……ではなく、大きなネズミ。成猫と同じくらいはあるだろう大きさの白いネズミが器用に椅子に腰かけてこの場にいる全ての教師たちを見つめていた。

 何を隠そう、このネズミは唯のネズミではない。“ハイスペック”という“個性”を発現させたネズミであり、この雄英高等学校の校長を務める根津校長だった。

 

「それじゃあ、説明よろしく!」

「……はい、ありがとうございます」

 

 オールマイトは一度根津に軽く頭を下げると、改めてこの場にいる全員へと目を向けた。

 今から言う言葉は、この場にいる全員からの信頼を失いかねない危険なものだ。しかし、“それ”を言わずしてこのまま無言を貫くことはできなかった。第一、そんなことをしてはそもそもセフィロスを引き取って雄英高校の入試を受けさせた意味がなくなる。

 オールマイトは一度深く大きく深呼吸すると、グッと拳を握りしめて覚悟を決めた。

 

「……私がここにいるのは、君たちに話しておくべきことがあるからだ。……私は今回、実技演習の審査員たちにある子供を合格させてほしいと頼んでいた」

「「「……っ!!?」」」

 

 男の言葉に、この場が一気に静まり返る。まさかそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかったのだろう、誰もが驚愕の表情を浮かべてオールマイトを見つめる。

 しかしオールマイトはそれを一切気にすることなく話を続けた。彼らの反応は最初から予想していたことであり、今更二の足を踏むようなものではなかった。

 

「……とはいえ、私が頼むまでもなく、その子は無事合格評価を貰えていたんだけど……」

「ということは、その子供はこの表の中にいるんですね? どの子供ですか?」

「………君たちが注目していた少年の一人……、“八木セフィロス”君だよ」

 

 男の言葉に、誰もが一様にモニターに映っている実技総合成績表の“八木セフィロス”という文字を見やる。しかしいくら見つめたところで、何故“平和の象徴”とまで謳われる男がこの子供に肩入れするのか分かるはずもない。教師たちは互いに顔を見合わせると、また一様に男へと視線を戻した。

 

「あなたがそんな肩入れをするなんて信じられませんが……。この“八木セフィロス”という子供とは一体どういった関係で?」

「彼は……私の養子だよ」

「養子っ!?」

「えっ、養子なんて引き取ってたのかよっ!!」

「……自分の子供だから、合格させようとしていたと?」

 

 誰もが驚愕の声を上げる中、一人の教師が冷たい視線と言葉を男に投げかける。

 オールマイトはそれにどう答えるべきか少し迷った後、取り敢えずはこれだけははっきりさせておこうと頭を横に振った。

 

「いや、厳密には違う。だが、そもそも彼を引き取った理由の一つが、雄英高校に入学させるためというものだったことは事実だ」

「……一体どういうことですか?」

 

 何を言いたいのか理解できず、この場にいる教師たち全員が困惑や訝し気な表情を浮かべる。

 オールマイトは一つ深呼吸をすると、次にはまず順を追って説明することにした。以前緑谷にも話したセフィロスとの出会いについての説明を教師たちにもそのまま話して聞かせる。しかし、セフィロスが何故そもそも実の両親に捨てられて孤児院にいたのか、その理由だけは口に出さなかった。気軽に話せるような内容ではないし、今この場においてはセフィロスが捨てられた理由は話す必要のないものだ。今はそれよりももっと重要なことを話さなければならない。

 彼らを混乱させないためにも重要なことだけ手短に話そうと心がけるオールマイトに、教師たちは大人しくそれに耳を傾けた後にそれぞれ顔を見合わせた。

 

「……ふむ、そんなことがあったとは知らなかった…」

「なるほど、演習中でのあの冷静さは幼少期の過去が原因だったのかもしれないな……」

「けれど、それと今回のことと何か関係が?」

「実は先ほど話した内容は“一般的な事実”の話なんだ。つまり、『そういうことになっている事実』ということだ……」

「“一般的な事実”?」

「真実はそれとは少し異なっている。……先ほどの話では、(ヴィラン)を倒したのは我々ヒーローたちということになっていたが、真実はそうじゃない。(ヴィラン)は私たちが孤児院に着いた頃には既に倒されていた。……倒したのは、当時まだ10歳だったセフィロス君だ」

「「「……っ!!?」」」

 

 教師たちは一様に驚愕の表情を浮かべ、中には大きく息を呑む者もいた。それだけ先ほど男が口にした言葉は意外なものだった。

 孤児院を襲った(ヴィラン)がどれほどの力を持っていたのかは分からないが、10歳の子供が……それも複数人の(ヴィラン)を一人で倒すこと自体が信じられない事だった。

 

「それに、私が驚いたのはセフィロス君が一人で複数の(ヴィラン)を倒したことだけではない。……あの時、(ヴィラン)は全員重傷を負っていた。それをやってのけたセフィロス君は、何の表情も浮かべていなかったんだ」

「「「……………………」」」

 

 張りつめた声で語られた内容に、教師たちはもはや言葉もなく黙り込んだ。

 “(ヴィラン)予備軍”という言葉が教師たちの頭に浮かび上がる。

 生まれ持った性格や育った環境、或いは発現した“個性”の影響によって(ヴィラン)となる確率が普通の人間よりももともと高い者たちがこの世の中にはある一定数存在する。そんな彼らを自分たちは総じて“(ヴィラン)予備軍”と呼称していた。

 もしやこの“八木セフィロス”という子供もまた“(ヴィラン)予備軍”なのではないか……。

 男の説明を聞きながら、この場にいる誰もがそう思い巡らせた。

 普通、どんなに多感な性格であったとしても、10歳くらいの子供であれば他者を傷つける行為は非常に恐れるものだ。それが故意によるものにしろ無意識によるものにしろ、実際に他者を傷つけてしまった場合、殆どの子供が自分の行動に怯え恐怖を感じてしまうだろう。しかし男の話によると、当時のセフィロスにはそういったことが一切なかったのだという。

 怯えも恐れも怒りも、拒否反応すらない。あるのはどこまでも無機質な光のみで、背中に多くの幼い孤児たちを庇って立ちながら、ただガラス玉のような翡翠色の瞳を倒れ伏す(ヴィラン)たちに向けていたらしい。

 

「……セフィロス君はとても強い力を持っている。このまま放っておけば、(ヴィラン)となって多くの人々をその力で傷つけてしまうかもしれない。だから私は、彼を引き取り手元に置くことにしたんだ」

 

 当時、オールマイト自身ですら赤く染まった細長い異様な刀を持ち立ち尽くすセフィロスを見た時は驚いた。顔どころか瞳にすら感情を浮かべぬセフィロスの様子に恐怖すら感じた。

 しかし、セフィロスが自分の家族である孤児院の教師や子供たちを守るために刃を振るったことは紛れもない事実。

 他者を守るために苛烈になったのであろうセフィロスを、オールマイトは決して(ヴィラン)にさせたくはなかった。

 

「私は彼を(ヴィラン)にさせたくはない。そのためにも、この雄英高校でヒーローである君たちの下で、ヒーローとは何かを近くで見て感じてほしいと考えているんだ。……どうか君たちの力を貸してほしい」

「「「……………………」」」」

 

 最後に深々と頭を下げる男に、教師たちは再び互いに顔を見合わせた。彼らの顔には未だ濃い困惑の色が浮かんでいるものの、しかし一方で決意のような強い光も彼らの双眸には宿っていた。

 元々ヒーローである雄英高校の教師たちは、立派なヒーローを育成していきたいという思いだけではなく、多くの子供たちを立派に導いていきたいという思いも誰もが等しく持っている。その中には“道を踏み間違えさせない”という意味合いも当然入っているのだ。

 男からの突然の告白も、その話の内容は十分驚愕するものではあったが、実際にズルでその子供が合格したのでなければ何も問題はない。自分たちがすることに何も変更はないのだと互いに頷き合うと、それぞれ微笑やら苦笑やらを浮かべながら未だ深々と頭を下げている男へと声をかけた。

 

「オールマイト、顔を上げて下さい。あなたの気持ちは十分に伝わりましたから」

「まぁ、普通に合格したのなら何も問題はないわけだしね。問題児なら、それはそれで腕が鳴るわ」

「いや、問題児って……。ある意味、問題児かもしれんが……」

「私はその子供の力に興味があるな。……10歳で既に複数の(ヴィラン)を倒すとは……、一体どこまで自分の“個性”を使いこなしているのか……」

 

 和気あいあいと再び騒がしく話し始める教師たちに、オールマイトはやっと下げていた頭を上げる。暫く呆然と教師たちを見つめた後、次には骸骨のような顔に柔らかな笑みを浮かばせた。感謝の言葉を口に出し、再び教師たちに頭を下げる。

 その姿はどこからどう見ても一人の子供を持つ親そのもので、教師たちは今まで見たことがなかった英雄の姿に微笑ましそうに笑い合った。

 張りつめた空気が大きく緩み、和やかな空気が会議室を包み込む。

 しかしただ一人、長い髪と首に巻き付けた白い包帯のような布で口元を隠した教師だけが、ひどく冷めた目で実技総合成績表の“八木セフィロス”の文字を見つめていた。

 

 




今話に出てくる実技総合成績表ですが、セフィロスがいることによって、緑谷の順位が8位になっております。
デクくん……ごめんよ………orz


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第5話 出会い

最後の更新から2年以上が経ってしまった……。
長くお待たせしてしまい大変申し訳ありませんでした……(土下座)
そしていつもより内容が短い……っ!!
話が進まない……orz


 灰色のブレザーに赤色のネクタイ。ズボンは黒に近い紺色で、どれもが新品でピシッと糊が効いている。

 緑谷は早朝家を出る前に母親から言われた言葉を頭の中で反芻させながら、浮き立つ感情そのままに表情筋をだらしなく緩ませていた。

 今自分が着ているのは、憧れ続けたあの雄英高校の制服。そして家を出る間際、制服を着た自分の姿を見つめて『かっこいいよ』と嬉しそうに言ってくれた母の笑顔が頭に浮かび、一気に気分が高揚する。

 一年ほど前までは欠片も想像すらできなかった現在に、緑谷は嬉しさを噛み締めながらこれからの高校生活に胸を躍らせていた。

 

 緑谷はヒーロー“オールマイト”に後継者と定められ、彼の元で身体を鍛え、“個性”を与えられ、雄英高校の一般入試試験を受けてなんとか合格するに至った。

 幼い頃からヒーロー“オールマイト”に憧れ、自身もヒーローになることを夢見て、しかし自分には“個性”がないことを知ってずっと悶々とした感情を抱いていた。

 しかし今では憧れの存在に導かれ、やっと夢のスタート地点に立つことができたのだ。全てはこれからであることは重々承知しているが、どうしても浮き立つ感情を抑えることができなかった。

 緑谷の自宅から雄英高校までは電車での移動であるためある程度時間がかかる。その間にできるだけ気持ちを落ち着かせようと思うも、結局は高校の門に辿り着いた今でも一切落ち着くことはなかった。

 しかし本当にいつまでも浮かれている訳にはいかない。その最もたる原因の顔が二つ頭に浮かび、緑谷は思わずゴクッと大きく生唾を呑み込んだ。

 頭に浮かんでいるのは、一つは幼馴染のものであり、もう一つは実技試験の時に出会った眼鏡の少年のもの。どちらも怖いイメージしかなく、――眼鏡の少年に関しては受験に受かったのかも分からないが――同じクラスになることだけは避けたかった。

 何はともあれ校内へと入り、目的の教室に向かう。

 校内はどこもとても広く、綺麗で、ここが学校だとは思えないほどだった。辿り着いた目的の教室のドアも大きく、見上げるほどに高い。これは一人の力で開けられるんだろうか……と少し心配になってくるほどだ。しかし耳を澄ませてみれば確かに扉越しに小さく多数の話し声が聞こえてきて、緑谷は湧き上がってきた緊張そのままにゴクッと大きく生唾を呑み込んだ。うるさく鳴り響く自身の鼓動を感じながら、手汗をかいて小刻みに震える手をゆっくりとドアに伸ばす。怖い人がいませんように……と心の中で願いながら、そっと開いた扉の隙間から恐る恐る中を覗き込んだ。

 瞬間、目に飛び込んできた“それ”に緑谷は速攻で気が遠くなった。

 

「――……机に足をかけるな! 雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないと思わないか!?」

「思わねーよ! てめー、どこ中だよ、端役が!」

 

(ツー)トップッ!!)

 

 緑谷の目に飛び込んできたのは正に危惧していた二人の人物が対峙している光景。幼馴染が机に足を乗せ、それについて眼鏡の少年が説教をしている。

 まさか自分が恐れる人物No1とNo2が同じクラスであることを知り、緑谷は早くも家に帰りたくなってしまった。さらば、僕の平和な高校生活……と心の中で哀愁漂うメロディーが流れ始める。

 しかし幸か不幸か、それは長くは続かなかった。

 

「………どいてくれ」

「……え……?」

 

 突然背後から聞き覚えのある声が聞こえてきて、思わず後ろを振り返る。

 瞬間、自分の後ろに立つ人物と目が合い、緑谷は大きな緑色の瞳を更に大きく見開かせた。

 

「……あっ、セ、セフィロス君!?」

「……ああ、緑谷出久か。……とりあえず、無事に合格できたようで何よりだ」

「う、うん、セフィロス君も……」

 

 後ろに立っていたのは、また会いたいとずっと思っていた少年。海浜公園で初めて出会い、その時に厳しい言葉を言われ、それからは全く会うことがなかった人物。実は試験当日も密かに彼がいないか探していたのだが、残念ながらその時は姿さえ見つけることができなかった。

 しかし今彼がここにいるということは、彼も無事に試験に合格して入学したということなのだろう。

 そして何より、道を空けるように言ってきたということは、彼も自分と同じクラスなのではないだろうか。

 

「あっ、えっと……セ、セフィロス君も、1-A?」

「ああ」

 

 勇気を振り絞って尋ねた問いかけに返ってきたのは、どこまでも感情がこもっていない平坦な声。

 しかし緑谷は、肯定された事実に大きな歓喜を湧き上がらせた。

 養子とはいえオールマイトの子供であり、現在自分のことを認めてもらいたい人物の内の一人である彼が同じクラスであることが単純に嬉しかった。思わず頬の筋肉が緩み、だらしない表情を浮かべてしまう。

 目の前のセフィロスが無表情のまま小さく首を捻る中、不意に二つの声が緑谷の鼓膜を勢い良く打った。

 

「――……君は、あの時の少年っ!!」

「――……あーっ! やっぱり、いたぁーーっ!!」

「っ!!?」

 

 一つは聞き覚えのあるものだが、もう一つは全く聞き覚えのないもの。

 一体何事かと反射的にそちらを振り返れば、先ほど幼馴染と言い争っていた眼鏡の少年ともう一人、こちらは赤毛を逆立てた少年がこちらに駆けてきていた。眼鏡の少年は赤毛の少年の大きな声と行動に、思わず赤毛の少年を驚愕の表情で見つめながらこちらに向かおうとしていた動きを止める。しかし赤毛の少年は眼鏡の少年や緑谷には目もくれず、一直線にセフィロスの前まで駆け寄っていった。

 

「やっぱり合格してたんだな! また会えて良かった! あっ、もしかしたら覚えてないかもしれねーけど、俺、実技試験の時に一緒の試験会場にいて……!!」

「………。……ああ、あの時の……。……しかし、確かお前の髪は実技試験の時は黒色だったと思うが……」

「っ!! そうっ、そうなんだ! 入学を機に心機一転で髪染めたんだよ! ……っと、悪い、自己紹介がまだだったな」

 

 暫くのマシンガントークの後に漸く我に返ったのか、赤毛の少年は無意識に乗り出していた身体を慌てて元に戻す。一つゴホンッとワザとらしく咳払いすると、次には人好きするような満面の笑みを浮かべた。

 

「俺の名前は切島鋭児郎。えっと、同じクラスなんだよな? これからよろしく!」

 

 満面の笑みはそのままに、切島と名乗った少年がセフィロスへと右手を差し出す。誰がどう見ても握手を求めているその行動に、しかしセフィロスは少し不思議そうに小さく首を傾げた。

 長い白銀の髪がサラッと揺れ、頭の動きに従って肩から滑り流れる。

 セフィロスは暫く自身に差し出されている手を見つめた後、徐に自身の手を伸ばしてそっと切島の手を握り締めた。

 

「……八木セフィロスだ」

 

 セフィロスが口にしたのはそれのみ。

 不愛想にしか思えないその返答に、しかし切島はニカッと笑顔を弾けさせた。繋がった白い手に更にもう片方の自分の手を重ねて握り込む。

 まるでテンションが上がってはしゃぐ子供のようにブンッブンッと繋いだ手を激しく振る切島に、緑谷は戸惑いと共に目の前のセフィロスと切島を交互に見つめた。

 その視線に気が付いたのか、不意に切島の赤い眼がこちらに向けられてドキッと心臓が跳ねる。思わず視線が右往左往する中、突然再び背後から新たな声が響いてきた。

 

「――……あっ、そのモサモサ頭は……地味めの……!」

 

 驚いて振り返ってみれば、そこには実技試験の時に同じ試験会場にいた少女がホッとしたような笑みを浮かべながら立っていた。自分が無事に試験に受かったことを純粋に喜んでくれている少女の様子に、その優しさと可愛らしさにムズムズとした羞恥にも似た感情が湧き上がってきて顔は勿論のこと全身が熱くなる。恐らく全身が真っ赤になってしまっているだろうことが分かる。

 しかし幸か不幸か少女はこちらの様子に気が付いていないようで、まるで仲のいい友人に接するようになかなかに近い距離で親しげに話しかけてきた。

 

「今日って式とかガイダンスだけかな?」

「うっ、えっと……その……」

「先生ってどんな人だろうね。緊張するよね」

「そっ、そそそそそそう、だね……!」

「……ん……?」

「……? ……ど、どうしたの、セフィロスく……――」

 

「――……お友達ごっこしたいなら他所へ行け」

「「「っ!!」」」

 

 不意に隣に立っているセフィロスが何かに気が付いたような素振りを見せ、それに気が付いて咄嗟に声をかけようとする。しかし問いの言葉は最後まで紡がれることなく、その前に今まで聞いたことのない低い男の声が聞こえてきて、緑谷は思わず開いていた口を閉ざした。少女も男の声に反応して緑谷と一緒に扉の外の地面へと視線を向ける。

 瞬間、中年の男が何故か寝袋に包まった状態で地面に横たわっているのが目に飛び込んできて度肝を抜かれた。

 これはどう見ても変質者だ。

 突然のことに誰もが動きを止めてこの場が静まり返る中、男は寝袋から出てきて立ち上がると、あろうことか自分がこのクラスの担任であると言い出した。

 この雄英高校に在籍している教師たちは全員が元ヒーローだ。クラスの担任で教師であるというのなら、この男も元々はヒーローだったのだろう。しかしこれまで多くのヒーローを調べ研究し記録してきた緑谷は、この男の姿に全く覚えがなかった。

 思わず困惑の視線を向ける緑谷や他のクラスメイト達に、しかし男は少しも気にした素振りすら見せずに自分が入っていた寝袋から体操着を取り出した。

 

「早速だが、体操服(これ)着てグラウンドに出ろ」

 

 有無を言わせぬ強い声音で指示する男に、緑谷は勿論のこと他のクラスメイト達も『入学式はグラウンドでするんだろうか……』と思いながら慌てて着替えるべく動き出す。

 誰もが自分の荷物を漁る中、ただ一人セフィロスだけが男に歩み寄って声をかけた。

 

「先生、一つだけよろしいでしょうか」

「……お前は…、八木セフィロスだな。どうした、さっさと準備をしろ」

「準備はこれから早急に行います。その前に一つだけ。……これからは先ほどのような行動は慎んだ方が良いかと思います。先ほどのように女子生徒の後ろの床に転がった状態で登場すれば、悪くすれば“教師が女子生徒の下着をのぞいた”と問題になりかねません」

「ひぇっ!?」

 

 セフィロスと男の会話が聞こえたのだろう、先ほど男の前に立っていた少女が頬を真っ赤に染めて反射的にお尻部分のスカートを両手で押さえる。

 ぴょんッと飛び退って男と距離を取る少女に、男は初めて気まずそうな表情を浮かべた。

 

「……あー、それは悪かった。心配しなくても下着は見えてなかったから安心しろ」

 

 どこかフォローするような男の言葉に、少女は未だ真っ赤になってスカートを両手で押さえた状態ながらもコクコクと何度も首を縦に振る。

 ものすごく気まずい空気が教室内に漂う中、誰のものかも分からないため息の音が響いて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体操着に着替えてグラウンドに出た1-Aのメンバーに待っていたのは、個性をフルに使って行う体力テストだった。

 中学校の保健・体育の授業でもあったであろう体力テストは、しかし各々の個性については使うことを禁止して行われていた。しかしそれでは個性を使っての現在の自身の限界を把握することはできない。個性を含めての今の自分の限界を知らないというのは、ヒーローにとっては致命的だ。ヒーローになるのなら、入学式やガイダンスといった行事に出る時間的余裕は存在しない。

 体力テストは『ソフトボール投げ』『立ち幅跳び』『50m走』『持久走』『握力』『反復横跳び』『上体起こし』『長座体前屈』の八種目。

 総合成績が最下位の者は除籍処分にすると言い渡したためか、生徒たちは死に物狂いで各種目に取り組んでいた。各々、己の個性を時に工夫しながら最下位にならないように努力していた。

 まぁ、除籍処分というのは口からの出まかせで嘘だったのだが、この言葉のおかげで生徒たちは今の自分たちの限界を知ることができただろう。

 

(……いや、個性を一回しか使わなかった奴と、まったく使わなかった奴がいたか。)

 

 このクラスの担任教師となった男……相澤消太は生徒たちの数値を記録した用紙を眺めながら二人の男子生徒に視線を移した。

 個性を一回しか使わなかったのは、もじゃもじゃ頭に気弱そうな態度が目立つ男子生徒、緑谷出久。

 そして個性を一度も使わなかったのは、白銀の長い髪を背に流し人形のような整った容姿を持つ男子生徒、八木セフィロス。

 どちらもまったく個性を使っている様子がなく体力テストを受けていたが、二人の結果は真逆だった。

 緑谷出久は個性を使った『ソフトボール投げ』以外の七種目全てが最下位。一方八木セフィロスの方は『握力』と『ソフトボール投げ』以外の六種目全てが一位だった。

 『握力』は障子目蔵に次いで第二位。『ソフトボール投げ』は、最初は最上位の麗日お茶子と同じく数値が“(無限)”で同一一位だったが、数十分後に投げたボールが(そら)から戻ってきたため最終的に二位となっていた。

 全種目の総合得点での順位は、当然八木セフィロスが最上位である一位。個性を最大限使っているメンバーの中で個性を使わずどうやってこの結果をたたき出したというのか……。そのずば抜けた身体能力に、実際にこの目で見ている相澤自身ですら未だ信じられない心境だった。

 しかし、いくら結果の数字が良くても『“個性”での限界を知る』という第一の目的を達成できていない以上、このままにしておくわけにはいかない。

 相澤は自身の武器である捕縛布で拘束していた爆豪勝己を解放すると――何やら緑谷出久と因縁があるらしく、緑谷が『ソフトボール投げ』で“個性”を発動した時に暴れたため拘束したのだ――、生徒たちに後片付けを指示してセフィロスを呼んだ。

 丁度ストップウォッチなどの小物系を片付けようとしていたセフィロスがこちらを振り返り、無表情のままこちらに歩み寄ってくる。

 相澤は目の前まで来た人形のような少年を見下ろすと、生徒の体力テストの結果が記載されている紙と、それをまとめているクリップボードをヒラヒラと振ってみせた。

 

「八木、何故“個性”を使わなかった? 俺は“個性”を使って体力テストを行うように指示したはずだぞ」

 

 学校に提出された生徒情報によると、この八木セフィロスという少年が持っている“個性”は『具現化(マテリアリゼーション)』。自身の体力と引き換えに、イメージしたものを創造することができるという能力。

 この“個性”を使えば、いくらでももっと上手いやり様はあったはずだ。

 意図的に“個性”を使わなかったのか、はたまた上手い活用方法が思い浮かばなかっただけなのか……どちらにせよ今後のことを考えれば注意深い指導が必要になってくるだろう。

 友人にも『不気味だ』『威圧感がすごい』と言われたことのある眼でじっと見下ろす相澤に、しかしセフィロスは一切動じる様子もなく無機質な翡翠色の瞳を真っ直ぐにこちらに向けてきた。

 

「申し訳ありません。しかし今回行ったのは体力テスト。そして俺の“個性”は発動すれば体力を消耗します。なら“個性”を発動させるよりも、体力をコントロールしながらテストを受けた方が良いだろうと判断しました」

 

 そして返されたのは淡々とした声音と理路整然とした言葉で、相澤は思わず言葉を失って黙り込んだ。未だ十五歳の少年でしかないというのに、この思考回路や口調や落ち着きようは何だというのか。まるで大人と……それも経験をそれなりに積んだ大人と話しているような感覚に、相澤は顰めそうになる表情筋を何とか抑えながら一つ頷いて返した。

 

「……そうか。だが今回は“個性”を含めた己の限界を知るためのテストだった。お前の判断は正しいだろうが、第一の目的を考えれば不合格だ。これからは、何が一番の目的であるのか……裏の意図なども考えながら判断しろ」

「……分かりました……」

 

 こちらの指示に一切反論することなく大人しく頷いてくるセフィロスに、本当に男子高校生かとツッコみたくなる。

 まるで感情のない人形のようなセフィロスの様子にだんだん心配になってきながら、しかし相澤は一切そういった感情は面に出さずに片付けに戻っていいと言葉をかけた。

 セフィロスは何も言わずに一度小さく頭を下げると、さっさと踵を返して未だ片付けをしている生徒たちの下へ歩み寄っていく。

 だんだん遠ざかっていく小さな背を暫く見つめた後、相澤もまた小さなため息と共に踵を返した。グラウンドを出て真っ直ぐに職員室に向かう。

 しかしその道中、大きな影が目の前に現れたことで相澤は咄嗟に足を止めた。

 

「相澤くんのウソつき!」

 

 相澤の目の前に現れたのは、パッツパツのスーツに身を包んだオールマイト。

 高身長で体格も大きなオールマイトは目の前に立つだけでも相当な圧迫感がある。

 オールマイトは上等でいて伸縮性はあまりないスーツの布の中で太い腕を折り曲げながら、右手の人差し指をビシッとこちらに向けてきた。

 

「『合理的虚偽』って!! エイプリルフールは一週間前に終わってるぜ!」

 

 冗談めかしく指摘され、思わずイラっとして黙り込む。しかしピクリとも表情を動かさなかったためか、こちらのちょっとした苛立ちは相手には伝わらなかったようだ。オールマイトは先ほどまでの高いテンションを落ち着かせると、指を突き付けたまま言葉を続けてきた。

 

「君は去年の一年生……一クラス全員除籍処分にしている。『見込みゼロ』と判断すれば迷わず切り捨てる。そんな男が前言撤回っ! それってさ! 君も緑谷君(あの子)に可能性を感じたからだろう!?」

「……。……君も? 随分と肩入れしてるんですね……? 先生としてどうなんですか、それは……」

 

 瞬間、オールマイトの大きな両肩がギクッとばかりに小さく跳ねる。

 恐らく図星をつかれたのだろうその反応に、一気に男に向ける視線が冷めたものになった。

 先ほども言ったが、それは一教師としてどうなんだ……。

 教師としての心積もりや在り方について言いたいことが山のように頭に浮かぶも、しかし今はそれよりも言いたいことがあることを思い出して相澤は誠に遺憾ながらもそちらを優先することにした。

 

「“ゼロ”ではなかった、それだけです。見込みがない者はいつでも切り捨てます。半端な夢を追わせることほど残酷なものはない」

「……………………」

「それよりも、あの八木セフィロス……でしたか、あの子供はどうなんですか?」

「セフィロス君? どう、とは……?」

 

 相澤が何を言っているのか思い当たらないのか、オールマイトは先ほどとは打って変わってキョトンとした表情を浮かべて小さく首すら傾げている。

 しかし相澤からすれば、それこそが問題な様な気がした。

 

「先ほど少し話しましたが、まったく子供らしくない……まるで冷静な大人と話しているような感覚でした」

「……………………」

「確かに子供らしくない子供はいるでしょう。だが、八木の場合はそれとも違う。一体どんな育て方をしているんです?」

 

 まさか相澤からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかったのだろう、オールマイトは困惑したように『どんな育て方と言われても……』と言葉を濁して考え込んでいる。

 暫く無言の時間が過ぎた後、何をどう考えたのか、オールマイトは先ほどとは打って変わって明るい満面の笑みを浮かべてきた。

 

「確かにセフィロス君は少々子供らしくない部分はあるけど、でもとても素直で良い子なんだよ。今回雄英高校に入学したことで、ヒーローを志す同年代の子供たちとの交流も増えるだろう。彼はとても聡い子だから、きっと今の環境が彼に良い影響を与えてくれることを信じているよ!」

「………子供たちや環境に任せるだけでなく、あなたもきちんと教育してください」

「うっ、わ、分かっているよ。頑張るとも!」

 

 きちんと釘を刺せば、オールマイトは再びビクッと両肩を跳ねさせながらも何度も頷いてくる。

 少々頼りなさは感じるものの、一気に色々言っても何にもならないだろう。逆に相手を混乱させて面倒なことにもなりかねない。

 相澤は一つ大きなため息を吐くと、今回はこのくらいにしてさっさとこの場を後にすることにした。

 職員室に向かう自身の背にオールマイトの視線が突き刺さっているような気がしたが、相澤はそれを無視して振り返ることはしなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 美しい朱金色に染まる夕方頃……――

 雄英高校での一日を無事に終えた子供たちがワイワイと楽しく会話をしながらそれぞれ帰路についている。

 賑わいを見せる学校の通学路で、幾つもの小さなグループを作って会話しながら歩く子供たちの間を縫って、一人誰とも連れ立つことなく歩く子供がいた。

 長い白銀の髪や白皙の肌を夕日色に彩らせ、自身に集まる多くの視線をものともせずに歩を進めるのは、今日から雄英高校に通うことになったセフィロス。

 周りにいる子供たちはこの後学校から出された宿題に取り組んだり、或いは自分の趣味や楽しみの時間を過ごしたり、中には家には帰らずに友人と一緒にちょっとした遊びの時間を過ごすのかもしれない。しかしセフィロスにはこれから買い物と夕食づくり、その後にも他の家事や宿題といった作業も待っている。彼の頭には友人を作るということも“遊びたい”といった欲求も欠片もなく、ただ『今夜の献立は何にすべきか……』という献立のレシピのみが目まぐるしく浮かんでは消えるを繰り返していた。

 まずは最寄りのスーパーに寄ろうと、住宅や人通りの少ない閑散とした道を選んで進む。

 しかしそんな彼の視界に、不意に一つの小さな影が映り込んできた。

 

「きゃんっきゃんっ!」

「っ!!」

 

 聞こえてきたのは甲高い大きな鳴き声。

 思わず足を止めて自身の足元を見下ろせば、そこには黒い毛並みに青空の様な鮮やかな瞳を持った子犬がこちらに駆け寄って見上げていた。ハッハッと笑っているように口を開けて小さな舌を出しながらじゃれついてくる子犬の姿は非常に可愛らしい。

 セフィロスは翡翠色の瞳を驚愕に見開くと、一度周りを見まわしてから再び子犬に視線を戻した。

 

「……お前は……」

 

 そこまで言い、しかし口を閉ざして黙り込む。

 セフィロスは徐にその場にしゃがみ込むと、子犬に手を伸ばして小さな頭を撫でた。

 

「……どうした? 迷ったのか?」

 

 一応聞いてはみるものの、子犬が言葉を話すはずもない。また子犬は首輪も何もつけておらず、誰が見ても野良犬であることは明らかだった。

 子犬は撫でるセフィロスの手に自らも頭を擦りつけながら、小さな尻尾を千切れんばかりに激しく振っている。セフィロスが手を離そうとすればきゃんっきゃんっと鳴いては擦り寄ってきて、こちらにじゃれついてくる。どこか必死さすら感じられる子犬の様子に、もし立ち去ろうものなら何度も鳴いてはしつこく後をついて来そうだ。

 セフィロスは暫く子犬の頭や背中を撫でてやりながら考え込むと、次にはどこか諦めたような小さな苦笑を顔に浮かべた。

 

「……仕方がない、俺と一緒に来るか?」

 

 こちらの言葉は分からないだろうに、子犬はまるで返事をするように元気よく一鳴きする。

 セフィロスはクスッと小さく笑うと、子犬に両手を伸ばして優しく抱き上げた。

 

「ほら、行くぞ。……まずは風呂と食事だな。お前の名前は何にするか……」

 

 腕の中に抱きかかえられていても変わらずじゃれつこうとする子犬を撫でて落ち着かせながら優しく言葉をかける。スーパーに向かっていた足を別方向に向け、セフィロスは一度家に帰るために歩を進め始めた。

 

「………子犬のザックス……、か……。まさかこんなことになるとはな」

 

 セフィロスの顔には苦笑が浮かび、しかし翡翠色の瞳には柔らかな光が宿って楽しげに細められている。

 セフィロスは先ほどとは違い少し軽い足取りで家に向かって歩を進めていった。

 その夜、同居人であり養父であるオールマイトと子犬に関して一悶着あるのだが、今のセフィロスには知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……えっ、このワンちゃんどうしたの、セフィロス君!?」

「飼うことにした。ここはペット可だから問題ないだろう?」

「そ、そうだけど! えっ、どういうこと!?」

「世話は俺がするし、金のことが心配ならバイトなりなんなりして用立てる。心配するな」

「いや、お金のことは大丈夫だし飼うのは別に構わないけど……ちゃんと説明して!」

 

 



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第6話 強さ

漸く続きを更新することが出来ました……。
毎度のことながら長らくお待たせしてしまい大変申し訳ありませんでした……(土下座)


 雄英高等学校はヒーロー育成学校の中でも屈指の名門高校である。

 ヒーロー育成に特化したヒーロー科のクラスが二つ。他にも普通科、サポート科、経営科が三クラスずつあり、それらのクラスですらヒーローに関連する知識を学ぶことができる。

 クラスや学科問わず、雄英高校の全教師がプロのヒーローであることも大きな特徴の一つだろう。また雄英高校のヒーロー科はオールマイトをはじめとした多くの人気ヒーローを輩出しており、偉大なヒーローになるためには雄英高校の卒業が絶対条件であるとも世間ではまことしやかに囁かれている。

 しかしいくらヒーロー育成に特化した学校であろうと、学校である以上、勿論教えるものはヒーローに関するものばかりではない。国語や数学や英語など、普通の学校では当たり前のようにある授業も必修のカリキュラムに含まれていた。

 セフィロスや緑谷出久などが雄英高校に入学して二日目には授業が始まり、午前の授業は普通の授業が全てを占めていた。

 そして昼休憩を挟んで午後の授業。

 ヒーロー科の生徒たちにとっては待ちに待ったものであろう授業が今始まろうとしていた。

 

 

 

「わーたーしーがー!! 普通にドアから来たっ!!!」

 

 授業開始のチャイムが鳴って暫くの後、1-Aの教室の扉が勢いよく開かれ、ヒーロースーツに身を包んだオールマイトが大声と共に姿を現した。目の前に大スターであるスーパーヒーローが現れたことで、1-Aの生徒たちの殆どが喜びの騒めきを上げる。

 オールマイトは黒板の前まで大股で進んでいくと、次には大きな身振り手振りや時折ポーズを決めながら今回の授業について説明を始めた。

 

「今から行う授業はヒーロー基礎学! ヒーローの素地を作るため、様々な訓練を行う科目だ!!」

 

 そう、これこそがヒーローを目指す子供たちがヒーロー科のクラスに入る一番の醍醐味と言えるだろう。

 ヒーローを目指す者にとって、ヒーローに必要なノウハウを身をもって体験して学べるというのは非常に有意義なことだ。加えて多種多様な場面を想定して繰り広げられる授業内容は、実戦の経験に勝るとも劣らない。

 

「早速だが今日はコレ!! 戦闘訓練!! そしてそいつに伴って……こちら! 入学前に送ってもらった“個性届”と“要望”に沿ってあつらえた戦闘服(コスチューム)!!!」

「「「おおおっ!!!」」」

 

 オールマイトが話す度に生徒たちが騒めきを上げ、“戦闘服”という言葉に雄叫びにも似た声が上がる。

 オールマイトがリモコンを操作すると何もなかったはずの教室の壁が突如動きだし、大きな四角のケースが並んだ棚が現れた。それぞれ番号がふられたケースの中には恐らく先ほどオールマイトが言っていた戦闘服が入っているのだろう。

 この戦闘服というのは“被服控除”というシステムによって作られるもので、入学前に生徒が自身の“個性届”と“身体情報”を提出することで学校専属のサポート会社が戦闘服を用意してくれるものだった。因みにそれらの情報と一緒に“要望”の資料を添付すれば、イメージ通りのデザインになるだけでなく、要望に応じた最新の技術や素材を駆使した便利で最新鋭の戦闘服を用意してもらえる。生徒たちにとっては正に夢の戦闘服だろう。

 各々、戦闘服に着替えてグラウンド・β(ベータ)に集まるよう指示を出すオールマイトに、生徒たちは興奮したように声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数分後……――

 各々自分が希望した戦闘服に身を包んだ生徒たちが続々とグラウンド・βに姿を現す。

 彼ら彼女らの姿は正にヒーロー……いや、中には少々(ヴィラン)のような見た目の者もいたが、どちらにせよ誰もが普段とは全く違う姿をしていた。

 生徒たちは互いのヒーロー姿を見やって楽しそうに感想などを言い合っている。

 何とも微笑ましい……まさに学生らしい彼ら彼女らの姿にオールマイトも厳めしい笑みを浮かべながら、早速とばかりにこれからの授業の内容を説明し始めた。

 今回のヒーロー基礎学の授業内容は屋内を想定した対人戦闘訓練。

 設定としては“(ヴィラン)がアジトに核兵器を隠しており、ヒーローはそれを処理しようとしている”という非常にアメリカンなもの。

 生徒たちはそれぞれクジでチーム分けされ、ヒーローと(ヴィラン)に別れて戦闘訓練を行う。ヒーロー側は制限時間内に(ヴィラン)を捕まえるか、核兵器を回収すること。そして(ヴィラン)側は制限時間まで核兵器を守るか、ヒーローを捕まえることがそれぞれの勝利条件となる。

 因みにこの1-Aは生徒数が21名おり、一つのチームだけ三人メンバーになるため、この三人チームの相手を務めることになったチームには何かしらの優遇処置が設けられることになっていた。

 そして栄えある第一回戦は、ヒーロー側が緑谷出久と麗日お茶子のAチーム、(ヴィラン)側が爆豪勝己と飯田天哉のDチームだった。

 二チームが対戦を行っている間は、他の生徒たちはモニターでその様子を観察することになっている。

 一体どんな戦いが見られるのかと誰もがワクワクした様子でモニターを見つめる中、しかし映し出されたAチームとDチームの攻防は予想外に凄まじいものだった。

 いや、この場合は緑谷と爆豪の戦闘が凄まじかったと言うべきなのかもしれない。

 爆豪は先日の体力テストの時にも緑谷に対して凄まじい敵愾心を見せていた。それは今この時も変わらずで、むしろ更に激しくなっている様にすら見える。

 何が彼をこんなにも怒らせているのかは分からない。しかしこれはもはや授業などではなくただの喧嘩だった。

 モニターを見つめている生徒たちは爆豪のあまりの剣幕と威力の高い攻撃の数々に驚愕や焦りの表情を浮かべてモニターを見つめている。対する緑谷は見る見るうちにボロボロになっていき、彼らを止めようとしないオールマイトに生徒の多くが困惑の表情をオールマイトに向けた。

 もはや止めた方が良いのは誰の目から見ても一目瞭然。しかしそれでもオールマイトは爆豪に軽い忠告はしても決して戦闘自体は止めようとはしなかった。

 下の階層で戦闘を繰り広げる爆豪と緑谷、そして上の階層で核兵器デザインの風船を守る飯田と、それを奪おうとする麗日。

 誰もが固唾を呑んで見守る中、最後は爆豪を相手にしていた緑谷が下の階層から上の階層へ攻撃を放ち、そのタイミングに合わせて麗日も飯田に攻撃。その後、攻撃に怯んだ飯田の隙をついて核兵器デザインの風船に麗日が抱き付いたことでAチームの勝利に終わった。

 しかし、ほぼ無傷であるDチームに対してAチームは疲労困憊と重症状態。AチームとDチームは、ヒーロー側のDチームが『勝負に負けて試合に勝った』といった状態になっていた。

 緑谷は保健室へ緊急搬送され、無傷の爆豪と飯田、そして疲労困憊の麗日だけがクラスメイトの前で今回の戦闘訓練の講評をオールマイトから受けることとなった。

 誰の対応が一番良かったか、逆に悪かった行動は何か……など、一人一人の行動について分析され評価されていく。総合評価が一番良かったと評された飯田は感動したような態度を見せ、幾つか注意点を指摘された麗日は気まずそうな表情を浮かべる。

 しかしそんな中、爆豪だけは無言のまま静かに立ち尽くしていた。緑谷に負けたことがそれほどショックだったのか、まるで心ここにあらずといった様子で周りの声や視線すら気が付いていない様子である。

 しかし他の生徒たちの戦闘訓練もあるため、授業は引き続き進んでいく。

 次の戦闘訓練はヒーロー側が轟焦凍と障子目蔵のBチームで、(ヴィラン)側が尾白猿夫と葉隠透のIチーム。

 この二回戦目は一回戦目とはまた違った意味で強烈だった。

 勝利したのはヒーロー側であるBチーム。

 その勝ち方が正に圧倒的だった。

 Bチームが勝った理由はただ一つ、轟焦凍の“個性”によるものだった。

 轟焦凍の“個性”は“半冷半燃”。身体の右側で対象を凍らせ、身体の左側で対象を燃やすという強力なもの。

 今回は右側の凍らす“個性”で(ヴィラン)チームや核兵器ごと建物を凍り付かせ、全てを無力化して勝利を収めた。

 誰もが言葉を失い目を奪われる中、自身の戦闘訓練が終わってからずっと声を発することすらしていない爆豪もまた食い入るようにモニターを見つめていた。大きく鋭い三白眼を更に大きく見開かせ、その顔には大きな焦燥の色が浮かんでいる。次にはグッと眉間に深い皺を刻んで顔を俯かせる爆豪に、しかし誰もがモニターに意識を奪われて気が付くことはなかった。強く強く拳を握り締め、血が出るのではないかと思うほどに強く唇を噛み締める。

 無言のまま微動だにせずに緊迫した空気を纏わせる爆豪に、不意に白銀の細い影が音もなく彼の隣に立った。

 静かに隣に並び立ったのは八木セフィロス。

 セフィロスは軽く腕を組み、目はモニターに向けたまま小さく口を開いた。

 

「どうした、緑谷出久や轟焦凍に気圧されでもしたか?」

「……っ!!」

「負けても良い。悔しく思うのも、気圧されるのも良い。……だが、もしこのまま終わりたくないのなら、考えることは止めないことだ」

「……………………」

「負けたのなら、どうしたら勝てるのかを考えろ。臆したのなら、その臆した力を理解して自分のものにすればいい」

「………自分の、…ものに……?」

 

 そこで初めて爆豪が小さいながらも反応した。眼光鋭い深紅の瞳をセフィロスに向ける爆豪に、セフィロスもまた翡翠色の瞳のみで爆豪を見やった。

 

「己を高める方法は、鍛錬を積んだり自分で戦い方を考えるだけではない。いや、逆にそれだけでは限界がすぐに来るだろう。重要なのは、周りから何をどこまで学べるかだ」

「……………………」

「別に他者に教えを乞えと言う訳ではない。自身が認めた力ならば、それを見て分析して学び、最終的に自身のものにできれば大きく成長できるだろう」

 

 セフィロスの言葉に、爆豪は無言のまま何も言わない。しかし先ほどまでの切羽詰まったような表情は既に無く、何かを考え込むように瞼を伏せ、次には再びモニターに目を戻した。その横顔は先ほどとは打って変わり静かで落ち着いたものになっている。

 セフィロスは爆豪の様子を確認すると、次には自身もまたモニターに目を戻した。

 暫く無言のまま共にモニターを見つめた後、徐に踵を返して長い白銀の髪を靡かせながらこの場を後にする。

 モニターの中では既に戦闘は終わっており、しかし爆豪はセフィロスには目を向けず、ずっとモニターを見つめ続けていた。

 続いて戦闘訓練を行うのは八木セフィロスと峰田実のCチームと、八百万百と口田甲司と砂藤力道のFチーム。

 オールマイトが引いたクジに従い、ヒーロー側がFチームで(ヴィラン)側がCチームとして戦闘訓練を行うことになった。

 対戦チームがそれぞれ決まったことで、生徒の誰もが小さな騒めきを上げて好奇心に輝く目を二人の人物に向けた。

 視線の先にいるのはCチームの八木セフィロスとFチームの八百万百。昨日の体力テストで驚異的な身体能力を見せた八木セフィロスと、推薦枠入学者の一人である八百万百である。

 一体どんな戦いを見せてくれるのか……と生徒たちの期待は大いに高まっていた。

 

「Cチームは三人チームのFチームと対戦だから、優遇処置が適用される。よって、この中から一つ好きな物を選んでいいよっ!!」

 

 大袈裟な身振りでオールマイトが示したのは、いつの間に用意したのか、大きなテーブルの上に並べられた多くの機械。

 監視カメラや赤外線の防犯システム、設置型の罠、などなど。中には侵入者を妨害するものだろう小型のロボットもテーブルの横に鎮座していた。

 

「う~ん、そんなこと言われてもどれを選んだらいいんだ? ……八木、どれが良いと思う?」

 

 多くの機械に目移りしながら、峰田が困ったようにセフィロスを見上げる。

 しかしセフィロスは少しも興味がないようで、変わらず軽く腕を組みながら、素っ気ない視線を峰田に向けた。

 

「どれでも構わん。お前が好きな物を選べ」

「ええっ! そ、そんなこと言われても……」

 

 途方に暮れて言葉を途切らせる峰田に、しかしセフィロスは無言を貫いている。

 どう考えても助言は見込めない様子に、峰田は半ばやけくそになりながら一つのアイテムを指さした。

 

「えぇぇいっ!! じゃあ、もう、こいつだぁぁっ!!」

 

 峰田が選んだのはテーブルの横に鎮座している小型ロボット。

 確かに三人もいるヒーローを抑えるために頭数を増やすというのは有効的な手段だろう。

 オールマイトも無言のまま笑顔と共に大きく頷き、まずは(ヴィラン)側であるセフィロスと峰田がロボットを連れてヒーローを迎えるべく準備に入った。まずはロボットを建物の一階から三階にかけて巡回させ、セフィロスと峰田は核兵器という設定の風船がある五階に陣取る。

 峰田は暫く自身よりも大きな核兵器デザインの風船を見上げた後、次にはチラッとセフィロスを振り返った。

 セフィロスは軽く腕を組んだ状態で目を閉じており、壁に背を預けるように立っている。自分と同じ歳とはとても思えない落ち着き払った大人っぽい立ち姿に、峰田は思わずマジマジと観察するようにセフィロスを眺めた。

 戦闘服に身を包んだセフィロスは、ヒーローというよりかはどこか物語に出てくる戦士のような出で立ちをしていた。

 漆黒の革のロングコートに、両肩と両手首にのみ装着した白銀色の金属防具。コートの下には腹回りだけ防具を着けており、白皙の素肌に直に黒革のベルトを交差させて防具と繋げている。女よりも細いのではないかと思うほどに細いくびれから腰にかけては幾つもの宝玉のような色鮮やかな玉がはめ込まれた白銀の装飾が巻き付いており、両足には太腿辺りまであるロングブーツを履いていた。マントをたなびかせる、まるでアニメに出てくるヒーローのような戦闘服を身に纏っている峰田からすれば一ミリも理解できないデザインである。

 

 

 

「――……峰田実」

「っ!! な、なんだ?」

「そろそろFチームがビル内に侵入する頃だ。こちらも迎える準備を始めるぞ」

「いや、そう言われても……どうすれば良いんだ?」

 

 セフィロスに準備するよう促され、しかし峰田は何をどうすべきなのか皆目見当もつかなかった。

 昨日あった体力テストの光景を頭に思い浮かべてみるが、クラスメイト全員の様子をつぶさに観察していたわけではないため、クラスメイトそれぞれがどういった“個性”を持っているのか未だ詳しくは分かっていない。自分の“個性”はトラップとしては非常に有効ではあったが、果たして相手のチームにどこまで効果があるかは分からなかった。もし相手チームの誰かが轟焦凍のような“個性”を持っていた場合、とても太刀打ちできないだろう。

 しかしゆっくりと瞼を開いたセフィロスは、翡翠色の瞳を真っ直ぐ峰田に向けると、どこまでも余裕の表情で小さく首を傾げてきた。

 

「お前の“個性”はトラップ効果に優れている。上手く使えば一気に相手を戦闘不能に陥らせることも可能だろう」

「でも、相手がどんな“個性”を持っているかも分からないんだぜ!?」

 

 不安と焦りが湧き上がり、思わずバタバタと手足をばたつかせる。

 どんな“個性”を持っているかも分からない相手が三人……しかもその内の一人は推薦枠から入学してきた秀才だ。とても自分の“個性”が役に立つとは思えない。

 しかし焦燥も露わな峰田とは打って変わり、セフィロスはどこまでも冷静な態度を崩さなかった。

 

「敵……ではないか、……ヒーローが来るとすれば上下前後左右。それらに一つ一つ対処策を講じていけば良い」

「うえっ、それって全方向じゃねぇかっ! 第一、前後左右は分かるけど、上下ってどういうことだよ!?」

「つまり天井や地面から攻撃してくる可能性もあるということだ。まぁ、天井からの攻撃の確率は低いとは思うが……。とにかく、まずは後ろの対処からだ。峰田実、お前の“個性”は確か頭の丸い球体だったな。それをあの窓を塞ぐように敷き詰めてくっ付けることは可能か?」

「も、もぎ過ぎると頭から血が出ちまうけど……そのくらいなら、多分大丈夫だ」

「なら頼む。その間俺は……いや、“私”は他の方面を警戒しておこう」

 

 何故か一人称を言い直しながら周りに視線を向けるセフィロスに、峰田は思わず小さく首を傾げる。しかしここは言う通りにしておこうと思い直すと、峰田は頭についている団子をもぎ取って後ろの壁にある窓を塞ぐようにくっつけていった。

 峰田の“個性”は『もぎもぎ』。頭についている団子のようなものをもぎ取ることができる“個性”である。

 このもぎ取ったボール型の物はとても粘着力があり、“個性”の主である峰田以外のものには全てくっ付き離れない。トラップなどには使えるものの、戦闘向きでは決してない“個性”だ。

 一体これでどうするつもりなのか……と頭上に幾つもの疑問符を浮かべる中、もぎ取った球体で窓を隙間なく埋めた、その時……――

 

 

 

「……っ!!? な、なんだぁぁっ!!?」

 

 突然目の前の球体たちの反対側から幾つもの衝撃を受けて、峰田は思わずビクッと大きく全身を跳ねさせながら驚愕の声を上げた。

 どうやら外側から幾つもの小さな何かが窓に体当たりしようとしていたようで、その全てが窓を塞いだ球体に阻まれてくっ付いていた。しかもそれらはどうやら生きているようで、くっついたまま離れられなくなったことに混乱したのか、バタバタと激しく抵抗している。よくよく見ればそれらはどうやら大量の小鳥のようで、その正体とあまりの迫力に峰田は恐怖を感じて数歩後ろに後退った。

 しかし息つく暇もなく、次の急展開が峰田とセフィロスに襲いかかった。

 鳥の群れの襲撃から一拍ほど後、突如部屋の奥からロッドを持った八百万と口田が一列になって飛び出し、それと同時にセフィロスの真下の地面が勢いよく崩れた。地面から大きな影が飛び上がり、峰田が驚愕のあまり全身を強張らせて悲鳴を上げる中、セフィロスはすぐさま反応して白銀色の長刀をどこからともなく出現させた。

 地面を突き破って出てきたのは砂藤。

 そのままセフィロスに襲い掛かる砂藤に、しかしセフィロスは出現させた長刀の身幅でその拳を受け止めた。

 

「な、なんだぁっ!!?」

「口田さんと砂藤さんの攻撃が防がれた!? それでも、ここは一気に攻めるのが最良!!」

「……〈シールド〉」

「……なっ……!?」

 

 口田と砂藤の奇襲が防がれたことに動揺しながらも攻撃を続行しようと突撃してくる八百万と口田に、セフィロスは刀を強く薙ぎ払うことで砂藤を吹き飛ばし、そのまま刀を持っていない右掌を八百万たちに向けて一つの言葉を発した。

 瞬間、セフィロスと八百万たちの間の空間に透明な壁が出現し、八百万たちのこれ以上の突撃を防いだ。

 よくよく見れば、その透明な壁は六角形のガラスが連なって出来たもののように見え、壊そうと攻撃すると、連なった六角形がキラキラと光を反射するようにきらめくのが見てとれた。

 何が起きているのか分からず驚愕と困惑の表情を浮かべて思わず動きを止める八百万たちに、セフィロスは攻撃の手を緩めず右手の人差し指を八百万たちに向けた。

 

「〈グラビガ〉」

「「「……っ……!!?」」」

 

 セフィロスが言葉を紡いだ瞬間、黒い巨大な球体が八百万たちの頭上に突如現れ、次には急激に膨らんで八百万たちに襲い掛かる。

 重力を宿すその球体は八百万たちを包み込むと、次には三人全員が地面に倒れ伏していた。

 

「峰田実、球体で三人を拘束しろ」

「っ!? ……へっ、……あ…なに……?」

「三人が起き上がる前に、お前の球体でそれぞれ拘束してほしい。できるか?」

「……お、おうっ!」

 

 セフィロスに言われ、峰田は慌てて頷いて八百万たちに向き直る。両手で頭の球体をもぎ取ると、次々と投げつけて三人の全身を地面に引っ付けて拘束していった。

 三人ともが完全に身動きできなくなった時、戦闘終了の号令が響き渡る。

 勝利したのは“(ヴィラン)”側のCチームで、峰田は少しの間呆然とした表情を浮かべた後、次にはやっと状況に頭が付いてきたのか、ぱぁぁっと顔を輝かせて両手を頭上に突き上げた。

 

「……や、やった…! やったぞ、八木っ!!」

「そうだな。これもお前の“個性”のおかげだ」

「……!! そ、そうだよな! 流石は俺様だぜ!!」

 

 今までになかった柔らかな笑みと共に言われた言葉に、峰田は驚いた表情を浮かべたものの、次には嬉々とした笑顔と共に大きく胸を張る。見るからに得意げな峰田の様子にセフィロスは再び小さな笑みを浮かべると、次には小さく息を吐いたと同時に表情をいつもの無表情に戻し、未だ地面に伏している三人に歩み寄っていった。左手に持っていた長刀を消し去ると、片膝をついて屈み込んだ。

 

「手荒なことをして、すまなかったな。大丈夫か?」

「だ、大丈夫だ……。け、けど、これってどうやったら取れるんだ……?」

「そうだな……。峰田実、これを取れるか?」

「え? …あっ、……お、おう!」

 

 セフィロスに名を呼ばれ、峰田も慌ててそちらに駆け寄る。未だ苦しそうに地面に伏している三人に引っ付いている紫色の球体を掴むと、次々と剥ぎ取ってポイポイとその辺りに投げ捨てていった。

 数分後、全ての球体を取り払って漸く自由になり、三人ともが地面に座り込んだまま安堵の息を吐き出す。

 続いて小さくよろめきながら全員が立ち上がり、セフィロスは無表情のまま立ち上がった三人の全身にサッと視線を走らせた。

 

「目立った怪我はないようだが、大丈夫か? 歩けないようであれば、ストレッチャーを持ってこさせるが」

「い、いや、大丈夫だ……」

「ええ、一人で歩けますわ。お気遣いいただき、感謝いたします……」

 

 セフィロスの問いに砂藤と八百万が首を横に振り、口田も二人に同意するように無言のまま何度も頷く。

 しっかり両足で立っていることから彼らの言う通り身体は問題ないようだったが、しかし負けたことは事実であるためその表情は三人ともがどこか暗かった。

 

「……そうか。それなら、そろそろ行こう。もし途中で気分が悪くなったりすれば、俺が運ぶから遠慮なく言うと良い」

 

 セフィロスも三人の表情に気が付いたのだろう、軽く頷いて一言だけ言い添えて終わる。

 顔は無表情で自身の勝利に喜ぶでもなく、相手チームに手を貸して気遣う姿には相手への労りすら見えるようである。

 先ほどまで力いっぱい自身の勝利を喜んでいた峰田は、どこまでも大人でスマートなセフィロスの姿に思わず冷めた目をセフィロスに向けていた。

 

(………イケメンかよっっ!!!)

 

 峰田の胸の内にだけ、彼の激しい嫉妬の怒声が響いて消えていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 全てが美しい朱金色に染まる夕方時。

 人がまばらになっている住宅街から少し離れた道に、一人の少年と一匹の子犬が並んで歩いていた。

 目の色と同じ青みがかった水色の首輪をつけた可愛らしい子犬と、跳ねるような足取りと激しく揺れる尻尾を見つめながら歩を進める白銀の少年。

 何とも楽しそうにピョコッピョコッと歩く子犬を見つめる中、不意に子犬が立ち止まったことに気が付いて少年……セフィロスも足を止めて子犬が見つめる前方に目を向けた。

 

「……あ……?」

「お前は……」

 

 そこにいたのは、大きな三白眼を驚愕に更に見開かせて立っている爆豪勝己。

 ランニングでもしていたのか、ノースリーブに七分丈のズボンを着て、全身から大量の汗を流している。

 

「……てめぇ……、こんなとこで何しとんだ」

「犬の散歩だ。お前は自主練の走り込みか?」

「……まぁ……。……つーか、犬なんて飼っとったんだな」

 

 爆豪が興味深げにじっと子犬を見つめる。

 子犬は何が楽しいのか数回甲高い声で鳴くと、次には千切れんばかりに小さな尻尾を激しく振っていた。

 

「ザックスという。つい最近飼い始めたんだ。……撫でてみるか?」

「……いや、いい……」

「それは残念だ」

 

 素気無く断る爆豪に、しかしセフィロスは少しも残念そうではない表情と声音ですぐに引く。

 爆豪は少しの間何かを考え込むような素振りを見せた後、次には意を決するように真っ直ぐにセフィロスを見つめてきた。

 

「……一つ、テメェに聞きたいことがある」

「なんだ?」

「テメェの個性、ありゃなんだ?」

「……? ……何、とは?」

「まんまの意味だ。クッソなげぇ刀出したかと思ったら、次は意味不明な黒い塊を出しやがる。それもその塊りに触れた奴ら全員が地面にぶっ倒れて起き上がることすらままならなかった。……一体何しやがった……」

 

 まるで警戒心の強い猫のように鋭く見つめてくる爆豪に、セフィロスは細い顎に長い指を添えて少し考える素振りを見せた。

 伝えるかどうか悩んでいるというよりかは、どう説明すべきか悩んでいる様子である。

 そのため爆豪もイライラしながらも大人しく待っており、暫くすると漸くセフィロスが顎から指を離して爆豪を見やった。

 

「俺の個性は“具現化(マテリアリゼーション)”といって、イメージしたものを具現化するものだ」

「イメージを……具現化……」

「そして、それは何も物だけではない。お前たちが考える……一種の魔法的現象も、俺が明確にイメージすることができれば具現化できる」

 

 炎を放つことも、水を出現させることも、雷を落とすことも、風を巻き起こすことも……セフィロスが具体的にイメージすることができ、なおかつ必要なエネルギーがあれば全て具現化することが可能だった。

 

「とはいえ、無限に具現化できるわけではない。俺を起点にしたものでなければ具現化はできない」

 

 それがこの個性の限界であるのかどうかはセフィロス自身も分からない。もっと想像力があれば、もっともっといろんな物や事象を具現化できるのかもしれない。しかし、少なくともセフィロス自身は“セフィロス”を起点としたものでしか明確なイメージを持つことができなかった。“セフィロス”が扱う物、“セフィロス”が放つもの……“セフィロス”を起点にすることによって漸く具体的で明確なイメージを持つことができ、そこで初めて具現化することができる。

 身体の脂質から無生物を創り出すことができる同じクラスメイトの八百万百の個性“創造”と似て非なるものであり、他者が思うより扱いにくい“個性”だった。

 

「だからこそ、個性に頼り過ぎるべきじゃない。まぁ、これは俺に限った話ではないがな」

 

 個性を重要視するこの世界では、如何に強く役に立つ個性を持っており、如何にその個性を使いこなせるかが重要になっている。

 しかし、では個性だけが全てかと問われれば、それは決してそうではない。

 個性というものは決して万能ではない。いくら強力な個性だとしても、できることには限りがあり、また時と場合によっては完全に役に立たないということもある。個性に頼りきってはできることもできなくなる可能性すらあった。

 

「お前もそれを理解しているから、こうして努力しているのだろう?」

 

 走り込みをして身体を鍛えている爆豪に当然のようにそう声をかける。

 爆豪は虚を突かれたように大きな三白眼を更に大きく見開かせると、次には横を向いて唇を大きく歪ませた。

 見るからに態度の悪い爆豪に、しかしセフィロスは少しも表情を動かすことなく小さく頷くのみだった。

 

「さて、これでお前の疑問には答えられただろう。俺はそろそろ帰らせてもらう」

「いや、待てや」

「……? まだ何かあるのか?」

「てめぇ、つえーだろ。丁度いい、勝負しろや」

 

 爆豪の思いもよらぬ言葉に次に目を見開いたのはセフィロスの方だった。今までにないほどの真剣な表情を向けてくる爆豪に、セフィロスもまたマジマジと爆豪を見つめる。

 形のいい薄い唇が徐に開き、しかし紡がれたのは拒否の言葉だった。

 

「断る」

「なんでだよっ!!」

「悪いがそんな時間は俺にはない」

「あ゛ぁ゛ん゛……!?」

「家に帰ってやるべきことが多くあってな。それに、勝負であれば授業で対戦することもあるだろう。外では激しい戦闘はできないし諦めろ」

「チッ!!」

 

 まるで幼い子供に言い聞かせるように言われ、爆豪が途端に不機嫌そうに唇を尖らせながら鋭い舌打ちを零す。

 しかし納得はしたのかこれ以上何かを言ってくることはなく、セフィロスも一つ頷いて踵を返した。

 

「それでは、またな。あまり無理せずほどほどにしておけ」

「ケッ、余計な世話だ……!」

 

 返ってくるのは、どこまでも捻くれた言葉のみ。

 しかしその声音には棘はなく、セフィロスは小さな笑みを浮かべると子犬を伴って家の方向に足を踏み出した。

 背中には未だ爆豪の鋭い視線が突き刺さっているのを感じていたが、セフィロスは一切振り返ることなく歩を進め続けた。

 

 



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