地上最強のゾイド (◆.X9.4WzziA)
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【第一章】導火線の七騎

 今晩も、双児の月は仲睦まじく夜の帳に浮かび、惑星Ziの大地を淡く照らし続けていた。月明かりは神の恵み、万人平等に与えられるもの。そう、例えそこに這いずり回るのがどうしようもない小悪党だったとしても……。

 断崖にそびえ立つ、分厚いコンクリートの城壁。

 その上空、闇の彼方から躍り出た虫らしきものが数匹。橙色したそれらは微かな羽音を立てつつ、城壁の向こう側へと降り立っていった。

 橙色の虫達は、いずれも胸が銀色の立方体のような形状であり、各面から頭部や羽・足・胴体が伸びているのがわかる。遠目には、地球の昆虫「蜂」によく似ていると言える。……だが大きさは比べ物にならない。背中には目の錯覚を起こしそうな位に黒づくめの者達が、一名ずつまたがっている。ならばこの蜂は、明らかに人の二倍以上はあるだろう。

 この惑星Ziにおいては金属生命体ゾイドなる生物群が跳梁跋扈している。小山ほども大きく運動性能に優れたものが多いため、Zi人は昔からゾイドを捕らえて使役し続けてきた。需要に対して供給は慢性的永続的に不足し続けたため、遂には人工的に作り出す者まで現れた。この橙色の蜂は人工的に作り上げられたゾイド「ブロックス」の一種で、俗に「ブリッツホーネット」と呼ばれている。

 さて橙色の蜂達が降下した城壁の向こう側。そこにはやはりコンクリート造りの薄汚れた建造物が何棟か建っている。見ればどの棟もガラス窓が所々破れており、玄関前には鉄屑が散乱している。どうやらバリケードの類だったらしいが、いつ頃か不明だが破壊されたようだ。そして地面も、もとは舗装されていたようだが至るところに弾痕や抉られたアスファルトが散乱している。

 止む羽音。棟と棟との間に伸びた歩道に、蜂達が次々に降り立つ。かくして騎乗する黒づくめの者達が颯爽と飛び降りた。

 ところで降り立った者達を、他の人間が見れば数秒も経ずして異様な光景に気付くことだろう。……黒づくめという異様な服装に対してではない。いずれも手足がやけに長く、両膝が人間とは正反対の真後ろに曲がった、まるで獣のような形状をしている。そして、彼らに体格の違いが全く確認できない。……耳を澄ませば、何となくその正体が窺い知れた。ひと気の感じられない一帯だからこそ察知できる、微かなモーター音。彼らはゾイドとは違う。単なる機械の、人形だ。

 彼ら機械人形は見る人が見れば世紀の発明だろう。彼らは惑星Ziの人間ではない只の工業製品であるにも関わらず、ブロックスとは言え金属生命体ゾイドを自在に操縦し、その上特殊部隊まがいの潜入作戦も今からこなそうとしている。立派な、兵士の代わりだ。……しかし殆どのZi人は「人とゾイドに対する侮辱的行為だ」と非難の声を上げるに違いない。人とゾイドが直に触れ合い気持ちを通わせることを至上とする彼らにとって、人の代わりを果たそうとする機械人形など唾棄すべき存在なのだ。だから未だ、こういう存在は国家規模の組織は愚か村や町レベルの自治体ですら導入されていない。

 そのような世間の評価など彼らにはどうでも良いことであった。黒づくめの機械人形達は目的地らしき棟の左端まで小走りに駆けていく。獣のような足での走行は人とは異質の軽快な雰囲気がある。

 かくして玄関前に集結した黒づくめ達。棟の表札には公用ヘリック語で以下のように記されていた。

「ゾイドアカデミー第5128研究所A棟」

 この玄関前も鉄屑が散乱している。自動ドアだったろうガラスの扉も完全に叩き割られていた。既に何者かがこの建物に乗り込んだ後なのだろう。それも一人や二人ではない、かなり大規模な集団によるものだ。……黒づくめの機械人形達もさして動揺する素振りを見せていない。

 さて黒づくめ達は顔を覆うゴーグルまで真っ黒だ。暗視能力に優れているのだろうか、ライトを照らしもしない。彼らは駆け足で上下に伸びた建物の階段にまでたどり着くと、勢い良く駆け下りていく。……何百段と駆け下りるまでに沢山の踊り場と扉を見かけたが、それらは全て無視した。

 やがて階段の終着点・この建物の最下層にたどり着いたところで、黒づくめ達はようやく立ち止まった。

 彼らの真正面を塞ぐ鋼鉄製の扉は、ドアノブの部分が後から増設したと思われる幾つもの電気錠で覆われており、厳重に閉ざされている。

 すると黒づくめの最後尾から現れた者が、奇妙な箱を差し出した。……人の頭二つ程度は収まりそうな鋼鉄製のアタッシュケース。特筆すべきはこのケースもまた真っ黒な表面をしているということだ。軽く光を当てた程度では照り返しもしない。

 そして最後尾がおもむろにケースを開いてみれば、この内部もやはり真っ黒。……黒、黒、黒。何もかも黒づくめ。だがそれは彼ら機械人形達の主人が入念に計画した証だろう。

 アタッシュケースが上下に大きく開かれる。すると他の黒づくめが懐から何やら取り出した。……ライターだ。鋼鉄製の頑丈な作り。予めテープが貼り付けられており、火を灯すと剥離紙が剥がされ、ケースの内側に貼り付けた。

 途端に、何十発もの銃声が鳴り響く。

 ドアノブを覆う幾つもの電気錠がたちまち吹っ飛んだ。

 黒づくめ達は一斉に扉を蹴破り、拳銃を部屋の内部に向ける。またある者は、ケースを両手で抱える一体の左右・後方に集結し5、6名ほどでスクラムを組むように立ちはだかる。

 扉の向こうもまた、真っ暗闇だ。辺りを包み込む静寂。

 だがそれも数秒で途絶えた。

 不意に、風切る音。

 暗闇の彼方から突如解き放たれたそれは、赤い閃光。抱えられたアタッシュケースのど真ん中に飛び込んだ。……スクラムは正解だった。赤い閃光の強烈な突進力は、ケースを構えた一体を吹き飛ばすように、まとめて押し倒した。だがそこに両脇で拳銃を構えていた他の黒づくめ達が覆いかぶさり、ケースはたちまち閉じられ、密封されたのである。

 

 橙色の蜂達は早々に、この打ち捨てられた施設の塀を次々に飛び越えていた。双児の月明かりは窃盗を成功させた彼らにも平等に降り注いでいる。

 編隊を組む蜂達。最後尾の蜂には、操縦席にまたがる機械人形の腹の部分に例のアタッシュケースがマウントされている。

 やがて見えてきたのは小高い丘。どうやら先程の塀の内側が見える位には高い。そしてそこには、彼らと同じ形状の蜂が一体、うずくまって待機していた。

 その一体だけは、パイロットである黒づくめがまたがる座席のすぐ後ろに、一名が余裕を持って腰掛けられる座席が取り付けられている。……座席の主らしきものは、この蜂の傍らでA3ほどはある板状の端末を両手で抱えて仁王立ちしていた。小太り、背の低い男性。着込んだベージュのトレンチコートだけはやけに清潔かつ高級感があるが、やや薄い頭髪も相まって覇気や才気の類は一切感じられない。凡庸な、だが大金だけは持っているだろう中年の男性。

 男が手にした板状の端末は、先程まで彼の滞在する丘の有り様を表示していた。……機械人形から送られる映像らしい。どうやらこの端末で機械人形を操っていたようだ。だが映像は、男が端末を操作することで消滅した。

 蜂達はこのコートの男からやや離れたところでゆっくりと着陸。続々と黒づくめの機械人形が降り立ち、男の前でひざまずいた。

 アタッシュケースを持った一体がうやうやしくそれを差し出す。

「でかした」

 コートの男は満足げに頷くと抱えた端末をその場に置き、代わりに両手でアタッシュケースを受け取った。……途端に、彼の表情が緩む。まじまじとアタッシュケースを見つめていた彼は不敵な笑みを浮かべながらつぶやいた。

「如何に『蠱毒』と化したゾイドコアも、飢えには勝てぬか。ライターの炎ごときに釣られるとはのう」

 読者の皆様もファンタジックな物語を多少でもご覧になっていれば、一度は聞いたことがあるのではないか。……百種の虫を同じ容器で飼育し、共食いさせる。最後まで生き残った一匹こそが超常の猛毒をその身に宿す、或いは強力な呪詛に用いられるなどと言われる。この秘技が蠱毒だ。

 どうやら男が配下の機械人形に捕らえさせた赤い閃光を放つ物体は、蠱毒の例えに相応な劣悪環境で育てられたゾイドコアの一種に違いない。共食いの果てに最後まで生き残ったが、餌を与えられることもなくずっと放置されたままだったから、ライターの炎ごとき僅かなエネルギーにも飛び付いてしまったのだ。

 ところが男がよこしまな感慨に浸っている時、奇妙な出来事が起きた。

 不意を突くノイズ。男も、他の機械人形も音の方角を睨む。

 先程、傍らに置いた板状の端末だ。

 男は拾い上げてじっと見つめる。

 簡素なデスクトップ画面を映し出していた端末は、急に暗転した。そして表示されたのは、公用ヘリック語の短文だ。

『開けてくれ』

 男は素っ頓狂な声を上げた。

 彼は見た目にも凡庸だが、このようによこしまな行動に打って出られる位の知恵は十分にある。しかし彼が直感で導き出した結論はその知恵をもってしても容易には頷き難い代物だ。

「まさか、ゾイドコアか?」

『そうだ』

 すかさず端末が文字を映し出す。

「馬鹿な……!」

 そう、つぶやくのが精一杯だ。音も光も完全に閉ざす、限りなく暗黒の素材で作られているだけに驚きが隠せない。

「何が条件だ?」

『開けてくれたら、貴様に仕えよう』

 その文字を見て、男は刮目した。

 男は逡巡した挙げ句、やがて板状の端末をその場に置いた。複雑を極めるケースのダイヤルキーを弄ると、ケースを両腕で持ち上げ、できるだけ遠くへと放り投げた。とは言っても高々5m程度だが、それでも距離を稼ぐだけマシだ。

 向こうでケースが地面に叩きつけられた音がする。その間にも男は自らが登場する蜂の座席に手を掛けた。いざとなったら飛び乗って、逃げる。逃げる必要がなかったとしても、この時点で十分過ぎるほど薄気味悪い。

 すると向こうで、落雷でも降り注いだのかという位の眩い閃光がほとばしった。たまらず男は両腕で遮る。

 強烈な熱量が、辺りに大量の白煙を漂わせる。

 その向こうで、男声の高笑い。

 コートの男はむせ返りつつもゆっくりと、遮る両腕の上から様子をうかがう。

 白煙の中から姿を表したのは、全身が金属の光沢で包まれた男の姿だ。金や銀といった在り来たりの色ではない。赤にも青にも黄にも緑にも、光の加減で目まぐるしく変化する、文字通り七色の光沢。言うなれば、虹色の魔人。

『助ケテクレテ感謝スルゾ。約束通リ、貴様ニ仕エテヤル。……何ガ、望ミダ?』

 一歩一歩、歩み寄りながら語りかけてくる。

 震え上がるコートの男。

「本当か? 本当か! 本当なんだな!?」

『本当ダトモ。俺モ[ゾイド]ノ端クレダ』

 おや、と男は我に返った。……完全にヒトの形状をしたゾイドなど、彼は知らない(それどころかZi人の中でそんな代物に出会ったことのある者がいるだろうか)。一見して傲慢不遜な虹色の魔人は、しかしながら自らをゾイドと言い切った。

「ならば聞け! 儂は……儂は! 地上最強のゾイドが欲しい!

 お前が何でも叶えると言うなら、証明してみせろ。お前が……地上最強のゾイドであることを!」

『ワカッタ。マズハ身体ヲ用意シヨウ』

 虹色の魔人はそう告げるとくるり、背中を向けた。すっと両腕を夜空に掲げる。

 途端に、丘の向こう一帯に立ち上がる光の柱。その周囲をつむじ風、放電が包み込む。……そして、地鳴り。

 コートの男は慌てて地面にへばりついた。これは地震の前触れか。

 一分も絶たぬ間に輝きは消失した。……辺りには白煙が漂い、クレーターとも見紛う大穴が地面に空いていた。

 そして大穴の中央に、電気の蛇をまといながら現れたるもの。

 巨大なる頭部を備えた、全身銀色の巨体。……だがこの異様な姿形は如何ばかりか。四本脚だが本来首がある筈の部分には、更に人の上半身のようなパーツが積み上げられている。一言で語り尽くすなら半人半馬の合成獣(キメラ)。だがその各部位は、いずれも太古より惑星Ziに悪名を轟かせた残虐の巨竜達のそれによく似ている。

 即ち上半身の部位は暴君竜ゴジュラス。ただし両腕は人のように長い。

 下半身は雷鳴竜ウルトラザウルス。長い尻尾を備え、脇腹や胸前には要塞の如き無数の大砲が備えられている。

 下半身の背部に屹立するのは幻剣竜ゴルドスの背びれ。

 そして上半身の背部には大飛竜サラマンダーが持つ網目状の翼。

 この四種の巨大なるゾイドが組み合わさった化け物を、コートの男も若い頃に学び舎で教わっている。……その名も、ケンタウロス。いや、ケンタウロスなる太古の竜は既存のゾイドのパーツを組み合わせて生み出されたいわゆる「改造ゾイド」。人工の存在だ。

(だがこちらは野に放たれて生み出された、文字通り野生のゾイドだ。野生のケンタウロス。言うなれば……)

 コートの男は絞り出すような声でつぶやいた。

「ケンタウロス・ワイルド……!」

 再び正対した虹色の魔人は豪快かつ不敵に笑った。

『成程、ソレガコノ身体ノ名前カ。良イ名前ジャアナイカ。

 トコロデ、最強ノ証ヲ示スカラニハ、倒スベキ相手ガイルノダロウ?』

 そう言われてはっと我に返ったコートの男。彼は慌てて板状の端末を拾い上げると、魔人の前に両手で掲げた。

「……そうだ、お前の言う通りだ!

 この星には人を後ろから殴って『我こそは地上最強』と騙るような紛い物で溢れ返っておる。

 しかぁし! そのような奴らとは一線を画する正真正銘の実力者も確かに存在する。

 ヘリック共和国上層部は不定期に、特A級の危険人物七名を認定しておる。……彼らはいずれもこの惑星Ziの頂点に迫る実力者だが……それだけではない。その誰もが、ひとたび決起すれば沢山の戦士がこの者に続くだろう。その時、惑星Ziは再び戦乱の世に逆戻りしてしまうに違いあるまい。

 即ち! 実力・カリスマともに圧倒的なこの七名を以て『導火線の七騎』と上層部は名付けた!

 この選りすぐりの七騎は上層部の都合で絶えず更新されている。最新の七騎は、こいつらだ」

 端末は遂に、とある人物と子飼いのゾイドを映し出した。……半袖の軍服を着る初老の男性。険しい顔に幾つもの刀傷が目印だ。彼の背後には四本の足で立つ萌木色した竜の姿。無数の背びれが刃物特有の鈍い光沢をたたえ、油の黒と血の赤で染まっている。

「まずは第一騎。

 ヘリック共和国軍にあって南方大陸を血の雨を降らせつつ平定した男。人読んで吸血将軍ラヴァナー。相棒はステゴゼーゲ『グリムリーパー』だ」

 次に映し出されたのは精悍な、しかしながらもう少しで中年の域に差し掛かろうかという男。パイロットスーツが筋肉によって膨れ上がっている。彼の背後には赤い角竜の姿が見える。

「続いて第二騎。

 こやつはゾイドバトルのグランドマスターだ。六大陸全ての大会を制した不世出の実力者、その名はアロン。相棒はレッドホーン『カーマイン』」

 徐々に早口になるコートの男。虹色の魔人も黙って端末を見つめている。

 続いて凡そきな臭い戦いの世界には似つかわしくない金髪の美少女の姿が映し出された。だが彼女もパイロットスーツを着用、何より見開いた琥珀色の眼の迫力は突出している。彼の背後には白銀の鎧をまとった獅子の姿が確認できる。

「第三騎。

 ゾイドバトルの名門ラナイツに生まれ、若干15才にして中央大陸の全大会を制覇した天才美少女、ギネビア。相棒は英雄王『アーサー』の名を冠するライガータイプ」

 ここで男は一旦、自らの唇をなめた。喋り続けて喉が渇いたのだ。

「そして第四騎」

 映像は男性らしき人物のシルエットを映し出した。背後のゾイドだけははっきりと表示されている。……全身赤く、頭部の大きい巨大な竜。巨体の各所には金色の球体が埋め込まれている。

「第四騎は上層部のトップシークレットだそうな。だからパイロットの姿は隠されたままだ。

 共和国が秘匿する特殊部隊『水の軍団』暗殺ゾイド部隊の実力者だという。東方大陸において要人をことごとく始末し、平定に尽力した男。その名はケンイテン、相棒はキメラゴジュラス『亢竜』」

 続いて表示されたものは……公用ヘリック語で「トップシークレット」と上書きされたシルエットの画像が二枚。

「第五騎、第六騎は何もかもひた隠しにされておる。……儂が『導火線の七騎』を知った20年以上昔から、ずっとこの状態だ。ただしどちらも北方大陸のどこかに潜んでいることだけはわかっておる」

 忌々しげに男はつぶやき、最後の画像を端末上に表示させた。

 何の変哲もない、Tシャツ姿の少年だ。しかしその額は何らかの印がまばゆく輝いている。そして彼の背後に控えているのは深紅の竜。その異形は形容し難い。背中には長い鶏冠が六本、桜の花びらのような翼が二本生えている。

「最後に、第七騎。

 この坊やは古代ゾイド人が持つ『刻印』の力に目覚めたそうだ。その力でゾイドバトルの世界に参戦し、既に幾つかの大会を制した。裏ではゾイドアカデミーの過激派を始末し、水の軍団も暗殺を諦めた超のつく危険人物。その名はギルガメス、相棒は魔装竜ジェノブレイカー。……おっと、此奴には魔女と渾名される古代ゾイド人の女がバックアップをしているから、そちらも要注意だ」

 全て紹介したところで、コートの男は息も絶え絶えだ。

 微動だにせぬままじっと耳を傾けていた虹色の魔人。

『ワカッタ。全テ始末シテヤル。

 トコロデ、貴様ノ名ハ?』

 ここに至って不意を突くように当たり前過ぎる質問が飛び込んだものだから、男は呆気にとられてしまった。

「儂は……儂の名はマノニア」

 頷く魔人。

『我ガ名ハ[ビスマ]。[マノニア]、貴様ノ願イハキット叶エテヤル。シバシノ日数ヲ待テ』

 そう答えるや虹色の魔人ビスマは両腕を左右一杯に広げる。金属質の肉体がまばゆく輝き、細かく分解していく。

 砂金のように分解したビスマの肉体。光の流れは背後に控えて微動だにせぬ半人半馬の合成獣の方へ、流れるように飛んでいく。

 たちまちこの銀色の巨体の頭部に光の流れが集結。それを迎え入れるように頭部の橙色したキャノピーが開く。

 頭部コクピット内に構築されていく魔人の肉体。光の粒はそれだけでは収まらず、アメーバが隙間に忍び込むようにコクピットの下方に沈み消えていく。

 いや、マノニアと名乗った男の側から見ていたら、首から胸、銅、そして手足と光の粒が入り込むことで、巨体の各所にも精気が宿りつつあるように伺える。勿論、目指すは腹部にある筈のゾイドコア収納部分に違いない。

 血流のように光の粒が全身を駆け巡ったところで、銀色の巨体の全身に埋め込まれた突起が唸りを上げて回転を始めた。翼を目一杯広げ、夜空に向かって数回、吠える。

 銀色の巨体が夜空を見上げるや否や、二本の右足で軽くステップを踏むように地を蹴った。怒涛の、跳躍。

 双児の月を目指すように両翼を羽ばたかせ、悠然と飛行を開始した銀色の巨体。その様子をマノニアはじっと見つめるよりほかなかった。



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【第二章】隠し刃

 頭を垂れる稲穂が、夕陽に照らされ黄金色に輝いている。とある平和な農村の、静かな夕辺。

 畦道を進むのは、人よりは大きな青い二足竜バトルローバー。常ならば背中には人がまたがるところだが、今日は刈り取った稲穂や農具ばかりを背負っている。その傍らで手綱を引くのが、本来ならば背中にまたがる筈の農民だ。

 地球に四季があるように、惑星Ziにも四季がある。ここは南方大陸の農村。ここ数年は豊作に恵まれている。……十数年前までは、ここも焼け野原と化していた。田畑は踏み荒らされ各所に焼死体の山がうず高く積み上げられたものだが、現在少し見渡した程度ではその名残を伺うことは出来ない。

 畦道のずっと彼方には、舗装された幅の広い農道がある。そして農道の終点にある広場に佇むのは、萌木色した竜が一匹。……四本の脚は折りたたんで誠に大人しくうずくまっている。兜を被ったような小さな顔には愛嬌さえ感じられる。しかしながらその背中には銀色の刃が交互かつ無数に伸び、見る者を威圧する。そして短めの尻尾の先端は、鋭い穂先を中心に二対四本の棘が左右に伸びる異様。人読んでステゴゼーゲ。かつて地球に生息していた剣竜ステゴサウルスによく似た風貌なれど、体格はその何倍もある紛れもない金属生命体ゾイドの一種だ。

 萌木色の剣竜は、眠っているのではないかと見紛う位に大人しくしていた。しかし夕刻となって人家へ引き上げる者達が増え始めると、皆が皆、この剣竜の脇や、少し離れた畦道を通るたびに挨拶している。そのたび剣竜はかすかに鳴いたり、尻尾を軽く降ったりして愛想よく応えているのが見て取れる。

「グリム、お疲れ様」

「おっちゃんは元気?」

 ジュニアハイスクール帰りの学生や、農作業帰りの大人達が、徒歩で、或いはバトルローバーなどを始めとする人よりは大きなゾイドを駆ってすれ違うたび、優しい剣竜は応えるのを決して欠かさない。

 そして、剣竜の主人がようやく戻ってきた時、夕陽は稜線の彼方に溶けて染み入ろうとしていた。

 農道の向こうから、夕陽を背に受けつつ一匹の二足竜バトルローバーが歩いてきた。その背に乗ってレバーを握るのは半袖のワイシャツ姿の青年、そしてそのすぐ後ろには遠目からでもよくわかるほど髪の白い初老の男性がまたがる二人乗り。バトルローバーの両手にはそれぞれ布袋が握られている。パンパンに膨れ上がった袋の形状を見れば、その中身は誰でもすぐ察することが出来た。……本が沢山、詰め込まれているのだ。

 その、初老の男性が右手を振りつつ声を掛けた。

「おう、済まなかったな」

 威勢のいい声だ。

 グリムと呼ばれた萌木色の剣竜はすっくと巨体を持ち上げると尻尾を逆立て、左右に小刻みに振ってみせた。すぐさま男性の顔に鼻先を近付け擦り付けると、男性の後ろからついてきたワイシャツ姿の青年にも同じように鼻先を近付けてきた。……少し荒々しい歓迎に青年も苦笑い。

「グリム、それくらいにしなさい」

 主人たる男性に声をかけられると萌木色の剣竜は驚くほど従順に顔を引っ込めてみせた。

 解放された青年は、自分が乗ってきたバトルローバーに目で合図する。……この小さな竜は両手で握った布袋をうやうやしく初老の男性に差し出した。

「ありがとう。来週末までには読み終えるよ」

 青年は首を横に振る。

「いやいや、折角ラヴァナーさんがお借りになるのですから、少しは融通を効かせますよ」

「そこは規則だからのう。それに締め切りがあるから頑張るのじゃ、何とかして読破するよ」

 和やかなやり取りが続いていたときのことだ。

 夕焼けの彼方を駆け抜けたそれは、一条の流れ星。

 萌木色の剣竜も、人よりは大きな二足竜も、同時に薄闇の帳を見上げた。……二足竜は硬直し、尻尾を逆立てたまま動かない。……いや正確には、動けない。

「どうした?」

 青年の呼びかけにもびくともしない。しかしながら、青く透き通った身体は小刻みに震えている。

「一体どうしたんだろう」

 青年は困惑しつつラヴァナーと呼んだ男性に意見を求めようとした。……だがこの時、青年はこの場が既にのっぴきならない事態に追い込まれていることを悟った。

 ラヴァナーも又、虚空を見上げていた。つい数秒前まで穏やかだったこの男性の視線には、今まで見たこともない強烈な眼光がほとばしっている。……青年は思わず過去の記憶を反芻したが、ラヴァナーという初老の男性がこんなにも殺気立った表情を見せたことなど今まで一度たりとてない。

「儂の、後ろに回りなさい。すぐにだ」

 ラヴァナーの口調はあくまで穏やかだったが、眼光とは余りに不釣り合いだ。

 青年と二足竜がラヴァナーの後ろに回り込んで数秒も経たぬ内に、夕焼けの彼方で星が再びまたたいた。

 瞬間、彼らの目前で凄まじい風圧。雑草が、稲穂がサラサラと音を立てる。……しかしその着地の瞬間は、驚くほど静かだったのだ。吸い込まれそうな静けさを打ち破ったのは、他ならぬ萌木色の剣竜だった。ひたすら低く、地鳴りのようにうなりを立てて風圧の彼方を睨みつける。

 そこに現れたのは銀色の巨体。農道一杯に四肢を広げて着地する。四本脚なれど、本来首がある筈の部分には暴君竜の上半身が伸びた実に、実に奇妙な格好。背中に広がる巨大な翼をそっと閉じる。

 暴君竜の頭部キャノピーが開き、内部から全身虹色の光沢に輝く人型の物体が姿を表しその身を乗り出すや否や、ふわりと宙に跳ねた。

 ラヴァナー達の前に身を屈めつつ着地した、虹色の怪人物。すっくと立ち上がった状態で傷一つ負っていないようだ。

『オ初ニオ目ニカカリマス。[ヘリック]共和国大将軍ニシテ『導火線の七騎』ガ一人、[ラヴァナー]殿』

 青年の方はこの魔人が発した謎の単語に首をひねるばかり。

 しかしラヴァナーの方はすぐに趣旨を理解したようで、忌々しげに溜め息をつくと、ちらりと首を背後に傾けて青年に伝えた。

「すまんが本は明日、借り直したい。

 万が一、本を傷めてしまっては申し訳ないからな」

 青年の方は唾を飲み込みつつ頷いた。……頷く以外にどうしようもなかったのだ。戦いを知らぬ彼でも、今や退っ引きならない局面を迎えていること位は理解できる。

 魔人の方を向き直したラヴァナーは決然と言い放った。

「この農道を進めば坂道がある。下ったその先に広がるのが『潰しが原』だ。

 お前は飛べるのだろう? 先に向かって待っていろ」

 魔人は鼻で笑うと異常な脚力でボールのように跳躍した。頭部座席に到達するや、すぐに橙色のキャノピーがフタをする。

 再び、稲穂や雑草がささやき合うがそれもわずか数秒、銀の異形はすぐさまこの場から消え去った。

 ラヴァナーは青年にそっと告げた。

「潰しが原の輝きが失せたら、警察に知らせてくれ」

 そういうが早いか、相棒たる萌木色の剣竜の左目の辺りに素早く回り込む。剣竜は巨体を今一度うつ伏せた。頭部のハッチが開き、中には腹ばいに近い状態でようやく一人乗れそうな座席が一つ、埋め込まれている。ラヴァナーは年不相応にもひらりと飛び跳ね、颯爽とこの頭部コクピットに乗り込んだのである。

 

 巨大なる金属生命体ゾイドが跳梁跋扈するこの惑星Ziにおいて、農作物を育てるということはそれ自体が挑戦の歴史であり、この星の都市の成り立ちとワンセットの問題であった。……金のある都市は城壁を作ってその中に農地をも確保した。金が無い都市は高所などできるだけゾイドに荒らされない場所に農地を確保せざるを得なかった。

 ラヴァナーのいた農地はまさに後者だ。長い年月をかけて農地として完成されたが、ゾイドの闖入それ自体を完全に無くすのは困難なため、要所に見張りとして人に使役されたゾイドが立つのである。

 彼はヘリック共和国軍の要職につく身だが、手が空けばよくこの任務に赴いていた。本来は下級兵士の仕事であるため部下からは「どうかおやめ下さい」と懇願されるが、一度決心したら耳を貸さぬ男だ。戦中も戦後も、継続してこの任務に励んでいた。そして何も事件が起きず暇な時は、近場の図書館で良く本を借り読書に明け暮れる日々である。……彼は政界への進出を真剣に検討しており、そのためにも勉強を欠かさない。見張りも読書も、彼の変わらぬ強い気持ちを象るものだ。

 ふと、古い記憶が蘇る。網膜に勝手に浮かび上がった光景を彼が忘れることはあるまい。沢山の敵兵を、彼らの家族を、処刑場に連行したあの日のことを。敵も自分も沢山殺した。違いは、最後に勝ったかどうか、それだけだ。

 首を真横に振ったラヴァナー。幻を追い払うと両手で頬を張って気を引き締める。馬の手綱を引くがごとく二本のレバーを握り締めれば、彼を乗せる萌木色の剣竜も軽快な速歩(はやあし)で緩い坂道を駆け下りていく。

 麓まで降り立った時、足元より広がる夕闇。その彼方で、淡々と夕陽が沈みゆく。あの稜線からこの足元に絡みつく静かな荒野こそが「潰しが原」だ。

 ついこの間まで世界規模の戦争が続いていた惑星Ziにおいて、死体の処理は悩みのタネだった。……ある時、彼らはおぞましいことを思いついた。ゾイドに潰させれば良いのだ、と。それがエスカレートするのは思いの外早く、すぐさま処刑法に取り入れられた。潰しが原もそんな由来の土地である。戦後、改名を求める動きがあったがラヴァナーはじめ現地軍人に反対され未だにこの名前がついている。当事者たる彼らは風化を恐れたのだ。

 さて銀色の巨体は、この潰しが原においてまるでもとからその場に建てられた由緒ある銅像かのように、背中に夕陽を浴びつつじっと立ち尽くしていた。……巨大な頭蓋の上部を覆うキャノピーの下で、両の瞳が薄暗い炎のように燃えたぎっている。そして鼻筋の辺りでは、あの虹色の魔人が輝きを抑えつつ腕組みのまま着席していた。……微かな唸り声が聞こえる。まるで深呼吸でもするかのように。

 一方、軽快な速歩(はやあし)のまま荒野に躍り出たのは萌木色の剣竜だ。淡々と、逸る気持ちなどある筈がないと誇示するかのようにそのペースを頑なに維持し続け、気が付けば坂道の入り口から数キロも離れたこの場にやってきた。こちらの瞳も真っ赤に輝き、目前に立ち塞がる銀色の巨体を厳しく睨みつける。

「待たせたな」

 そう、マイク越しにラヴァナーが語りかければ。

『イエ、我ガ願イヲ聞キ届ケテ下サイマシテ感謝ノ言葉モアリマセン』

 虹色の魔人も神妙な語り口でそう応える。腕組みをほどき、両腕を広げて伸ばすとレバーの手触りを確認するように握りしめた。

(とぼけた奴だ)

 訝しむラヴァナー。これから命の遣り取りをする者の口調とは思えない。

「……一つだけ、聞いておきたいが良いか? お前さん、今までに何度戦った?」

 そう、疑問を投げかけながら、萌木色の剣竜は足音さえ立てず一歩又一歩とにじり寄る。真っ赤な瞳は既に銀色の巨体に釘付けだ。

 よくよく銀色の巨体を観察してみれば、かすり傷程度のものすら確認できない。にもかかわらずこの堂々たる立ち居振る舞いは歴戦の戦士であるラヴァナーにとって大きな疑問だ。

 虹色の魔人は問いかけそれ自体に心が揺れる様子もない。ただ、一言。

「サテ。デモ戦ウコトヨリ喰ウコトノ方ガ、何十倍モ多カッタ筈デス」

 ラヴァナーは虹色の魔人ビスマの返答に眼を見張る。だがものの数秒も経ずして彼の胸につかえた何かが取れたのか、口元だけは不敵に緩んだ。

 剣竜の一歩一歩が徐々に加速していく。

 迎え撃つ銀色の巨体は四肢をやや広げ、腰を落とし、上半身を前傾させる。……背中には二枚の翼が見えるがこれは折り畳まれている。それとは別に背骨に添うように無数のヒレが伸びており、ユラユラとうごめいている。長い両腕は物を抱えるように大きく広げると手招きするような仕草を始めた。

 夕陽を遮るように、土煙が爆ぜた。吠える剣竜。四本の爪先がふわりと宙に浮いた。速歩(はやあし)から駈歩(かけあし)に転じたのだ。

 次々に土煙が爆ぜ、連なって地上の高波と化す。だがそんな中にあってさえ、真っ赤な瞳が放つ鋭い睨みは土煙を貫通し、彼方に立ち尽くす銀色の巨体を確かに捉え、逸らさない。

 迎え撃つ銀色の巨体は一見、余裕綽々かに見えた。しかし両者の間合いが一足一刀にまで縮まった時、はっと我に返ったかのように機敏に動く。バネのように持ち上がった上半身。右の前足を地面と垂直になるほど振り上げ、膝は鋭角に曲げる。脛で受け止めようというのだ。

 構えが完成した時には、既に剣竜渾身の初手は解き放たれていた。目前で渦巻く土煙。一見して鈍重に分類されるだろう剣竜の巨体は、荒野を薙ぎ払う勢いで時計回り。その尻尾より生えた凶器・二対四本の棘を浴びせるまでに三秒もかからない。

 轟音が、夕刻を回って静けさを取り戻そうとしていたこの潰しが原一帯をかき乱す。

 尻尾の一撃が決まるやまるでバネ仕掛けの玩具のように、剣竜の巨体は反時計回りに土煙を薙ぎ払った。

 銀色の巨体はすかさず右前足を降ろし、左前足を振り上げる。

 続け様に鳴り響く轟音。

 脛を地面と垂直に振り上げた銀色の巨体。

 数秒前を鏡にでも映したかのように、今度は左前足の脛に尻尾の一撃が命中していた。

 既のところ、両脛が抉られていたりといったダメージはない。……だがこの体勢にあって、尚も肩越しから背後の巨体を捉えて離さぬ剣竜の、真っ赤な瞳の執念たるや。

 左前足が振り下ろされ、足が完全に地につくまでには剣竜も再びバネ仕掛けのように体勢を戻しつつ、銀色の巨体の右方を駈歩で抜けていった。……その背中を横目で睨みつける銀色の巨体。足の接地と共に反撃を目指すべきところだ。両腕を伸ばしたり、尻尾で薙ぎ払ったり、いくらでも手はあるやも知れぬが、剣竜はとっくに後方へと抜け、離れてしまっている。

 だから無言で銀色の巨体は振り返る。そのたび、土煙が舞い上がって刺すような夕陽に照らされる。

 とっくに一足一刀の間合いを離れていた萌木色の剣竜も強敵の方角を振り返って睨みを返した。

 鼻で笑うラヴァナー。だがその眼差しに嘲りや侮りといった慢心を象徴する彩りは伺えない。

「やるじゃあないか、お前さん」

 頭部キャノピー内部でレバーを握りしめる虹色の魔人ビスマは、軽い溜め息を吐いて返す。

「素晴ラシイ、[視線フェイント]デスカ」

 眼を見張るラヴァナー。視線フェイントとは文字通り、視線を別の箇所に向けつつ実際には他の標的を狙うことである。

(まさか視線フェイントだと気付いた上で技にかかったつもりか?)

 一々調子が狂う敵だと、ラヴァナーは思う。その内に、いつの間にか自分自身も苛立ちが蓄積しているのではないかと彼は悟り、何度も首を左右に振って雑念を吹き飛ばした。

(グリム、彼奴め生まれたてのガキのくせに「策を弄すな」などと年寄りに説教しよる)

 そう、相棒に呼びかける。

 名前を呼ばれた萌木色の剣竜は器用にも口元を緩めた。……ゾイドも不敵な笑みとも取れる表情を浮かべることがある。人との付き合いが長くなると人の癖を憶えて真似することがあるらしい。

「洒落臭い!」

 ラヴァナーが、「グリム」と呼ばれた剣竜が吠えた。

 萌木色の剣竜は両の前足を怒らせ、大地を握り締める。背中より鋭い金属音が鳴り響くや、天を衝くほど逆立っていた無数の背びれが左右に割れ、翼のように左右に広がった。

 途端に、土砂が垂直に吹き飛ぶ。剣竜、怒涛の疾駆を開始。

 急速に詰まる間合い。銀色の巨体は首を傾け凝視した。先程の数合よりも加速しているのは明らかだ。右にすれ違うか、それとも左か。

 恐らくは決断するよりも遥かに早く、剣竜が間合いに踏み込んできた。とっさに右前足の脛を向ける銀色の巨体。炸裂と裂断を確約する金属音が断末魔のごとく鳴り響く。

 一気に間合いを離れた萌木色の剣竜。すかさず振り返る。

 銀色の巨体は右の前足を振り上げたままだ。振り下ろそうとしたところでグラリとよろめく。よく目を凝らさずとも、右の前足には灼熱でただれた真一文字の切り傷が彫り込まれているのがわかる。背びれの斬撃は、確かにこの得体の知れぬ敵を捉えていた。

「やれるぞグリム!」

 主人に応えで剣竜は甲高くいなないた。……ラヴァナーの戦歴は、南方大陸に派遣されるまでは鋼鉄の狼コマンドウルフなどを始めとした所謂「高速ゾイド」に搭乗して積み上げた。しかし脆弱な兵站によりしばしば弾丸の補充もままならなくなる南方大陸での戦いは、彼に現地特産ゾイドへの乗り換えを決断させた。結果、ステゴゼーゲ「グリムリーパー」なる相棒を得たラヴァナーは、銃砲の類を使わずすれ違いざまの斬撃のみで数々の武勲を上げることに成功したのである。

 ラヴァナーも歴戦の相棒たる剣竜も、今すぐにも第二撃を繰り出すべきとの判断で一致していた。

 だがレバーを押し込み、両足を踏み込む寸前で、銀色の巨体に異変が起きた。……巨大な頭部を覆うキャノピーが虹色に妖しく輝く。

 途端に、銀色の巨体の周囲が激しく発光、明滅を繰り返す。すると銀色の巨体の右前足一帯に、雷が蛇のごとく絡みついた。そして辺り一帯に吸い込まれるように、土が、砂利が弾け飛んでいく。

 ラヴァナーは突如警告音を発する目前のモニターを睨んだ。大きく表示された銀色の巨体の右前足には無数の光の粒が集結していくのがわかる。

 ものの、数秒のことに過ぎなかった。

 銀色の巨体は右前足を今一度振り上げ、そして強く踏み込んだ。……剣竜渾身の一撃による深手はいつの間にか塞がっているではないか。

 一体何が起こったのか。ラヴァナーも剣竜も目を瞠る。

(自己修復能力だ)

 ラヴァナーは理解した。だがこうも思った。

(だがいくら何でもこれは規格外だ。化け物か!)

 ゾイドにあって只の機械にないものとしてこの自己修復能力が挙げられよう。究極的には、大気を原子レベルで組み換えまでして損傷箇所に充てがうことで、完全に自己修復するのである。だが普通は人の怪我が癒えるのと同じように、相応の時間が必要なものだ。……銀色の巨体は、ものの数秒で中々の深手を完全に塞いだ。化け物以外の例えが難しい。

 混乱、そして苛立ち。ラヴァナーが必死で心中を抑えようとしているところで、銀色の巨体の主人はカラカラと笑い始めた。

「素晴ラシイ! コノ斬撃、コノ体デチャント受ケテミタカッタノダ」

 規格外の自己修復機能を備えた上での台詞か。

「ふざけるな!」

 再び、剣竜は強く地を蹴った。やるべきことははっきりしていた。如何に規格外の自己修復能力を備えようとも、続けざまの斬撃を浴びせて急所を捉えてやる。

 間合いが一気に縮まる。一足一刀の間合いにまで接近したその時、銀色の巨体は両腕を振り上げた。

 懐に飛び込もうとした剣竜の首を、ガッチリと捕まえるやすかさず放り投げる。

 とは言っても放り投げたその距離はせいぜい40数メートル程度だ。つまり剣竜二匹分程度しか飛ばしていない。……それ故か、地面に叩きつけられても剣竜はすぐさま起き上がってきた。

 やるべきことは、決まっている。今度こそ、今度こそ。

 そう、ラヴァナーが、相棒の剣竜が念じて立ち上がる様子を、銀色の巨体はじっと見つめている。

 おもむろに、銀色の巨体は右腕を高々と振り上げた。三本の爪を目一杯広げるや、手のひらを中心に発光、明滅が巻き起こる。土が、砂利が引き寄せられ、雷蛇が無数に暴れ始める。

 一体、何が起きているのか。この数秒後にどうなってしまうのか。……ラヴァナーも相棒の剣竜も、一つの覚悟と沢山の後悔を抱えながら、それでも突っ走るしかなかった。

 

 農道が眩しく照らされる。鋼鉄の狼が、獅子が、竜達が次々と駆け降りていく。そのあとに鋼鉄の鎧をまとった兵士が続く。

 ラヴァナーと親しかった司書の青年は、図書館に戻ると直ちに警察に通報していた。如何に歴戦の勇者ラヴァナーであろうと現れたそばから異常な動きを見せる銀色の巨体とその主人を間近で見て危険を感じないわけがなかった。警察署もすぐさま通報に応えた。

 かくしてヘリック共和国軍南方大陸駐屯部隊の面々と現地警察の合同チームが直ちに結成され、彼らは潰しが原に向かったのである。……しかし潰しが原は既に、夕陽も落ちてしまい何とも薄暗かった。

 サーチライトの輝きが次々と放射される中、剣竜ステゴゼーゲ「グリムリーパー」だった鋼鉄の塊が発見されるまで、そう時間はかからなかった。

 兵士も警察官も、そして同伴した司書の青年も、変り果てた姿を目にして声を失わざるを得なかった。……剣竜の頭部から尻尾の付け根あたりにかけて、杭でも撃ち抜かれたかのような太い穴が一本、貫通している。コクピットはその途中に確かにあった筈だということを、彼らは知っていた。



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【第三章】気さくな大男

 真っ暗闇の部屋はどうやら人一人が両手を広げられる程度には広い。……その中央には少年が立っており、真正面の壁面に浮かび上がったドア並みに大きなウインドウは、姿見のように彼の姿を映し出す。それを見た限りでは黒髪が意外なほど丁寧に撫でつけられているのだが、そこに彼自身の円らな瞳が向くと、少々照れ笑いを浮かべざるを得なかった。

 少年はネクタイを首にかけている最中だ。そこそこ、慣れた手付き。結び目を調整するとすぐ後ろの巨大な操縦席に寝かせていた紺のジャケットを翻した。ボタンを止め、襟を正すと「よし」と自分に言い聞かせるようにつぶやき、操縦席に着席したのである。上半身を固定しているハーネスが上方に開放されているが、降りる気配はない。

 少年は少し顔を見上げて天井に呼びかけた。

「ブレイカー? さっきの、ちゃんと見直したい」

 声に応じて姿見代わりの映像が消える代わりに、少年の顔よりは大きなウインドウが向かいの壁面に映し出される。

 映像は地方局のニュース番組だ。聞けば南方大陸の将軍が暗殺されたのだという。第一報を知ったのは朝食を摂っている真っ最中だった。今、見直してみると様々な人物がコメントしている。早々に大統領がコメントを発表していたのが印象的だ。深い哀悼、そして犯人逮捕に全力……当たり前といえば当たり前の発表ではあったが、その迅速さに事態の深刻さが伺える。たとえ少年が政治とは一見、無関係だとしてもだ。

「今日だけ……いや昼間だけでも良いから、何も起きないで欲しいよね」

 独り言とも、この部屋の持ち主に対して語りかけたとも取れるつぶやきではあった。

 そんな時、真っ暗闇だったこの部屋が急に明るくなった。そうなってみて初めてわかる。壁面は球の内部のような形状になっており、外部の様子を全方位に渡って映し出している。文字通りの全方位スクリーン。

 スクリーンの向こう側は薄暗く、照明と鉄骨が張り巡らされた天井とコンクリートの床が彼方まで続いている。その間、至るところに設置された柱は数名の大人が手をつないでも足りない太さ。そして左右にも分厚いコンクリートの壁。……因みに窓は、どこにもない。

 そして驚くべきは、10メートル程先に屈強たる兵士が数名、横並びになっていることだろう。全身をプロテクターで固めた彼らの視線は少年の側に向けられていない。つまり少年は彼らに「警護」されている。……南方大陸での暗殺事件は海を隔てた彼方の事件であるにも関わらず、各地で厳戒態勢を取らざるを得ない事態となっていた。

 するとスクリーンの左方から、紺の背広姿をした女性が現れた。背の高い、妙齢の美女。黒の短髪に黒のサングラスという出で立ちは一見して地味だがしなやかな体つきも相まって十分に目立つ。左後方には左右を人の数倍もある銃砲で挟まれたトレーラー付きのビークルが停まっており、彼女はそこから出てきたようだ。

「ギル、そろそろ」

 全方位スクリーン内部に音声が鳴り響く。左方の美女は手を振って合図した。

 少年の表情からは一瞬で陰りが失せた。

 さて美女の側から少年の滞在する全方位スクリーンの辺りを見てみれば、そこには巨大なる鋼鉄の竜が腹ばいのままじっとしているのが見て取れた。

 異形と言って差し支えはあるまい。全身深い紅色の鎧で包まれており、その背中はやけに長い六本の鶏冠と桜の花びらのような翼で覆われている。そして頭部だけでもこの美女の数倍はある。しかしながら出で立ちとは裏腹に誠に大人しくしており、背広の美女が現れたところで、竜はそっと、その首を持ち上げ胸を張ってみせた。

 晒された胸にも分厚い装甲が埋め込まれているが、中央部分の一枚が上から外れ、床へと続く道になる。

 その薄暗い内部から、先程美女に「ギル」と呼ばれた少年が姿を現した。神妙な面持ちでお辞儀する。

 美女の方はまるっきり意に介さない。面長の顔を見上げ、頭上の竜の頭に話しかけた。

「ブレイカー、ちょっと行ってくるわね」

 その名前で呼ばれた深紅の竜は、ヒヨコがささやくような鳴き声で返事すると先程自分の胸の奥から現れた少年を腹ばう両手で掴まえた。少年が明らかに想定していた風で苦笑する中、竜は鼻先で少年の頬にキス。それで大人しくうずくまるかと思いきや、竜は鋭い爪をさり気なく伸ばして彼の整えられた黒髪を少し掻いた。軽く跳ね上がるような感じになる。

「あっ、こら!」

 と怒ったのは美女の方だ。

 少年は苦笑いが止まらない。いつものボサ髪をこの美女に整えてもらったのは恐縮だが、違和感もあった。だがこの竜が髪をいじったのは少年の心情を察したからだけではなかろう。怒られた竜はそっぽを向いてしまった。我慢しているようでも嫉妬しているのは明らかだ。

 さて先程ギルと呼ばれたこの少年……ギルガメスはこの長身の美女エステルを師と仰ぎ、ブレイカーと呼んだ深紅の竜を生涯の友とした。この竜こそゾイドファン各位はご存知だろう、魔装竜ジェノブレイカーと言い伝えられた破滅的強さを誇る金属生命体ゾイドの一種ではあるが、友を得たゾイドはこのように大人しくも愛嬌たっぷりに振る舞うものだ。

 ふくれっ面の美女は少年の髪を手櫛で整える。頭頂は美女の肩くらいの高さで、整え直すという点に限ったら丁度良い位置関係ではある。少年は顔を見上げたりはせず、ひたすらじっとするのみだ。

 整えを終えた美女エステルはすぐに笑顔を浮かべるが、それも束の間。

 彼女は向こうで警護している兵士のもとに向かうと、深々と頭を下げた。兵士達は敬礼を返すと、たちまち数名が少年と美女の前後に立つ。

 兵士の案内に従い、彼らは歩き始めた。……いつの間にか、二人は手をつないでいた。少年は右手を、美女は左手を伸ばし、さほど力む様子もない。目前には竜が二、三匹は余裕を持って進める道路が左右に広がっている。

 彼らを見送る深紅の竜は、ひとまずは大人しく腹這って若き主人一行を見守った。……完全にリラックスして丸くなったりはしない。主人の危機にはすぐ向かう心構えだから。

 

 ギルガメス達は中央大陸のラナイツにやってきた。切っ掛けは一通の手紙。とある地域でゾイドバトルの興行のため滞在中だった彼らのもとに届いたそれは、宛先も本文も完全に手書きの古風な代物。封を破ってみて彼らは驚いた。……宛名は少年にとって憧れとも言える、とあるゾイドウォリアーによるものだった。それだけでも驚きだが、その内容は送り主が参加する興行のチケットと、招待状だった。

 これまでずっと、外部から届く手紙やEメールの類は興行への参加案内ばかりだったということもあり、少年は俄然、興味を抱いた。エステルは何らかの策略の可能性も疑って構えたものの(それは現時点でも変わらない)、愛弟子が見せる歓喜の表情は彼女の前では中々見せてくれない年相応の無邪気振り。彼女も納得の上でのラナイツ到着であった。

 さてギルガメス達はラナイツの試合場地下に構築された格納庫内を歩いている。彼も自分の相棒をこんな場所に留めるのは初めての経験だ。何しろゾイドはおしなべて大きい。地球の自動車のような運用をしているのにその数倍は巨大なものが多いから、駐車場に当たる格納庫も相応に大きくなってしまうため普及には程遠い。ましてや地下に作るなど……というわけだ。少年に縁がなかったのも当然だろう(※地上・地下に関係なく格納庫を多数保有・利用しているのは圧倒的にヘリック共和国軍である)。

 それにしても、と彼は驚きを隠せない。何しろ天井が高い。とある壁面に天井まで25メートルあることを示す目盛りが描かれていることに気付き、流石に溜め息をついた。周囲の他の区画には人もゾイドも滞在していないため、自分で吐いた溜め息はよく聞こえた。

 見かねてエステルがささやく。

「余りソワソワしないでね」

 肩をすくめた少年はすみません、と小声で返事すると肩の力を抜き、胸を張り直す。

 目指すところはすぐにわかった。ゾイド五匹分ほど先の柱より、より明るい照明の輝きが漏れている。すぐそばの標識もエレベーターを示すマークが描かれていた。

 すると灯りの中から、数名の兵士と共に飛び出してきた人物がいる。……少年が遠目に見ても、右手で彼の手を繋ぐ美女より背が高いことが容易にわかった。文字通りの大男。茶色のスーツを着ているが、腕周りや腿周りの筋肉はくっきり浮かび上がっている。黒い頭髪はさっぱりとしたスポーツ刈りだが頬や鼻の下には無精髭が目立つ。大きな瞳は少年のようだ。

 あっ、とギルガメスは思わず声が漏れた。

 大男も声に反応したようで少年達の方を振り向くと、文字通り子供のような笑顔を浮かべた。

「ギルガメス君、か!?」

「あ、あ、アロンさんです、か!?

 お手紙、ありがとうございます!」

 兵士達が道を開ける。一歩前に出た少年。深々とお辞儀する。すぐ後ろでも美女がたおやかに一礼して続く。

 アロンとその名を呼ばれた大男は平身低頭という言葉通り、腰の高さまで深々と頭を下げた。

「ギルガメス君、エステルさん、アロンと申します。今日はよろしくお願いします」

 頭を持ち上げた大男アロンは早速灯りの方に手を向けた。

 ギルガメスは驚きを隠せないまま、すっかり顔が紅潮してしまっている。……無理もない、この大男・アロンこそ、ゾイドバトルの世界でも数少ない「グランドマスター」の称号を持つ超一流のゾイドウォリアーなのだ。この称号を手にするためには中央、東方、西方、南方、北方、暗黒の六大陸全ての大陸級大会を、各一つ以上制さなければいけない。言わばギルガメスにとってヒーロー、雲の上の人であり、手紙をしたためた張本人でもある。

 早速師弟(と警護役の兵士数名)は、この大男に案内されてエレベーターに乗り込んだ。ゾイドの頭部以上に大きな籠は全面ガラス張りだ。

 早速大男アロンが話題を投げかける。

「ギルガメス君の活躍はここ中央大陸でも話題になっています。ゾイドウォリアーになる経緯からして劇的で、以降の活躍も度々報道されているんですよ」

 少年は引きつった笑顔とも泣き顔ともつかない表情を浮かべていた。褒められたものじゃあないとの自覚があったし、そもそも世間には秘密にしておきたいことが山程ある(自分自身が抱えてしまった秘密だけではない、例えば彼のすぐ後ろに立つ美女のこともそうだし、留守番の相棒についてもだ)。どこまで知られているのか、どの程度曲解されているのか、知りたい気持ちよりも知りたくない・知られたくない気持ちの方が明らかに強い。

 恐縮して頭を掻くくらいしか出来ない少年。見かねて美女が助け船を出す。

「今日はまたどうしてご招待頂けたのでしょうか?」

 ああそれだ、それを尋ねたかった……とでも言いたげな表情で少年は円らな瞳を見開く。

 大男アロンは微小を浮かべつつ淡々と語った。

「ゾイドバトルの若きヒーロー・ギルガメスは、魔装竜ジェノブレイカーとエステルさんに出会わなければ誕生できなかった……そう伺っております。

 悔しいかな、チャンスは平等じゃあないんです。私もそれを痛感する人生でしたから、各地を転戦するたびワークショップを何度も開催しました。そんな折、将来有望な若者の話しを伺いまして、是非ともゾイドバトルの本場・中央大陸の試合をご覧になって頂きたいと思ったんです」

 少年は話しを聞いていく内に、徐々に俯いていった。アロンの「チャンスは平等じゃあないんです」という言葉に頷かざるを得なかったし、だからこそ今日の招待には感謝以外の言葉が見つからない。

 こんな話しをする内に、ガラス張りの籠内が自然光で一気に明るくなった。大男アロンの表情も明るい。

「……そろそろ到着です。さあご覧下さい、ラナイツの第一試合場です」

 ガラス張りの籠が停止した。扉が開き、兵士と大男の後に続いて降り立った師弟は目を見張り、息を呑んだ。

 建造物の最上階に到達したのだろう、横に長い大広間は扉の向こうも高い天井も一面ガラス張り。そして至るところに談笑中の男女が確認できる。いずれも身なりが整っているため、どうやらここはVIP向けのロビーなのだろう。

 不意にエレベーターから現れた英雄達の姿に、彼らもどよめいた。

(アロンだ、初めて見た……)

 VIP連中も英雄アロンの姿を生で見るのは初めての者達が少なからずいる。そうかと思えば。

「アロン、今日も勝てよ!」

 などと庶民と何ら変わらぬ声掛けもよく聞こえる。そういったものに一々彼は、にこやかに手を振って応えるのだった。……すぐ後ろをついていくギルガメスは、アロンの堂々たる振る舞いに自分が持ち得ぬ様々な要素をひしひしと感じざるを得ない。

 ギルガメスはなるべくキョロキョロしないように心掛けつつ、エステルと共にアロン達の後に続いた。……だがそれでも、ガラスの向こうに見える風景には感動がひたすら先行した。このロビーはおそらく試合場の最上階だろう。ガラスの彼方を見れば山々の連なりと雲海が、直下を見ればガラスとコンクリートで外周を囲んだ、すり鉢状の試合場が確認できる。

 さてこの「ラナイツの第一試合場」、すり鉢状の形状こそ各地のゾイドバトル試合場と何ら違いがない。だがその規模が圧倒的だ。試合場内を人よりは大きなゾイド多数が地ならし中だが、このロビーからは彼らが米粒ほどまで小さく見える。試合場の直径は300メートル? 400メートル? いやもっとあるか?

 規模がこの通りなら試合場を囲む座席の部分も相当な造りだ。観客席が剥き出しの部分は見当たらず、完全にコンクリートと分厚い防弾ガラスで覆われている。観戦者はオフィスビルの窓から下界を眺めるような感覚でゾイド同士の激しい戦いを観戦することになる。その高さたるや、四、五階建てのビル位の規模はあるだろう。……ざっくり言ってしまえば巨大なすり鉢の上にコンクリートの筒を載せたような、そんな建物だ。その雰囲気は地球における古代ローマのコロッセオ(円形闘技場)によく似ている。

 そしてこの建物の地下深くに大量のゾイド格納庫を備えてある。来客用も勿論だが、この試合場を利用するゾイドウォリアー用の格納庫も多数用意されている(ギルガメス一行が先程まで滞在していた地下格納庫もそこにある)。

 ところでアロンは後方を一瞥すると師弟に話しかけた。

「興行開始までもう少し時間がございます。当試合場のオーナーにお会いになって頂けませんか」

 無論、断る理由はない。これほど立派な建物のオーナーはどんな人物か、少し気になるところでもある。師弟は頷いた。

 アロンの行く先は、ロビーを離れてすぐの一室だった。自動ドアの左右を固める兵士が彼の姿を確認すると、早速一人がカードキーをかざしパスワードを入力。

「失礼します。姫様、アロン、入ります」

 ノックしてアロンが、ついでギルガメスとエステルが入室。

 オーナーらしき人物は逆光を浴びつつも、すぐさま執務机を立つと落ち着いた足取りで彼らの前に歩み寄った。

 ギルガメスもエステルも軽く瞳を見開いていた。……灰色の、実に地味なブレザーにスカートの出で立ちに過ぎない筈が、誠に華やいで見える、ひと目には十代半ば位の美少女(そう、ギルガメスと世代が近いと思われる)。シニヨンでまとめた透き通る金髪とは裏腹に、大きく見開かれた琥珀色の瞳からは強烈な意志の強さが伺える。

 シニヨンの美少女は極めて穏やかに、深々と頭を下げた。

「アロン、ありがとう。

 はじめまして、ギネビアと申します。遠路はるばるお疲れ様でした。どうぞお掛けになって下さい」

 一行は案内されるがままに傍らのソファに腰掛ける。

 その間にもギルガメスは少し考えざるを得ない。このギネビアと名乗る美少女の堂々たること、仕草振る舞いは異なるが傍らの女教師に相通じる侮りがたい何かを感じさせてならないのだ。

 ギネビアとの会話は最初こそアロンが切り出した内容とよく似ていた。非常に珍しいギルガメスの経歴は誰もが言及してみたくなるのだろう。流石に今日二回目ということもあり少年はそこそこ落ち着いて流すことは出来た。……だがすぐその後、少年達は奇妙な申し出を受けた。

「ギルガメスさん、もしよろしければ、そこのアロンの試合が終わり次第、試合場に入ってみませんか?

 アロンは次の遠征を終えたら、是非貴方と試合したいと申しております」

 えっ、とギルガメスは素っ頓狂な声を上げた。降って湧いたような話しだ。歴戦のグランドマスターとぽっと出の少年が並び立つのは身に余る光栄だが……。

 そう思いながらちらりと彼の左側に着席したエステルに助け舟を求めると。

 女教師エステルは口元を緩めつつも、サングラスに隠れた切れ長の蒼き瞳は鋭利な輝きを放った。

「怪しげな台本をもとに演技するのでなければ、是非お願いします」

 シニヨンの美少女ギネビアはくすくすと微笑んだ。

「勿論、心得ております」

 ギネビアの右隣りに座るアロンはこの僅か数秒のやり取りを目にしただけで安堵の表情を浮かべていた……無理もない、エステルの伝えた「怪しげな台本」とはつまり演劇における次の悪役としてギルガメスが乱入することを意味していた。所謂抗争劇の開幕が狙いだ。興行の注目を受けたいがために昔からある手法ではある。どうやらアロン自身はこの手の茶番に反対のようだ。

 少々奇妙なやり取りも、終わればひと目には和やかに歓談が進んだ。

 ギルガメスはアロンの試合終了までにはブレイカーとともに入場口に集まり、アロンの招きによって入場することを確認した。興行開始の時間が迫ると、ひとまずは兵士によってVIP用の観客席まで案内されたのである。

 

「試合、見たかったんでしょう?」

 全方位スクリーンの左上にウインドウが開き、エステルが話しかけてきた。

 ギルガメスは相棒ブレイカーのコクピット内で、Tシャツに膝下丈の半ズボンといういつもの出で立ちに着替えているところだ。これから相棒を駆って試合場に乗り込む以上、操縦に問題がない服装にしたかった。「怪しげな台本」はなくとも、観客が相棒に対し華々しい立ち回りを期待しているのは理解している。全長23メートル、体重137.5トンの鋼鉄の竜に疾風迅雷の挙動を求めている以上、少しは披露しないと何ヶ月か先の集客に響くだろう。

 エステルの方は、VIP用の観客席で長い足を組みながら、頬杖ついて試合を観戦中だ。左腕にはめた腕時計型の端末は「サウンドオンリー」の表示。……彼女がやや退屈そうに見えるのは仕方がない。ついさっきまで、足下に広がるすり鉢状の試合場で激しい攻防が展開されるたび、愛弟子は年相応の子供のように円らな瞳を輝かせていた。

「見たかったです、そのつもりで来たんですから。でも見るより、試合する方がずっと好きです」

 サウンドオンリーの表示が解けて、いつもの出で立ちをした少年の両肩にハーネスが降りてガッチリと固定する姿が映し出された。今、彼女の腕時計型端末に映し出された愛弟子は落ち着いている。

 少年が額に指を当てて何事か念じると、額に青白い刻印が浮かび上がる。途端にこの球形のコクピット内に埋め込まれた計器類が明滅、目も眩まんばかりに明るくなる。……少年は相棒とシンクロを果たした。一切の損傷を共有する代わりに相棒は鬼神の如き戦い振りを見せてくれるだろう(もっとも、この時点ではこれから戦闘する羽目になるなどとは少年も相棒も露程も想定していないのだが)。

 少年はスクリーン前方に向けてひと声かけた。立哨する兵士二名の後ろ姿が映し出されている。

「すみません、そろそろお願いします」

 スピーカー越しの声を受けた二人は振り向き頷くと、すぐさま左右を確認し、手招いて誘導を開始する。

 ずっと退屈そうに腹這っていた深紅の竜が、おもむろに立ち上がる。首や翼、鶏冠や尻尾を軽く伸ばすとささやくように鳴きながら誘導に応え、区画の前を左右に走る通路まで出た。ビークルは左後方に置いたままだ。

 左右から伸びるレバーを握りながら、少年は尋ねた。

「ひとつ上の階、ですよね?」

 兵士達が返事する。

「そうです、扉は開けてあります」

「奥にゾイド用エレベーターがあるので誘導に従って下さい」

 少年の「ありがとう」という返事の声に合わせて深紅の竜も小気味よい鳴き声で応える。……兵士達は「魔装竜ジェノブレイカーが来る」「非常に獰猛なので要注意」と聞かされていたものだから、この対応には驚いている。おとなしい、兄弟のようなゾイド。それがこの場での印象だった。

 深紅の竜はゆっくり歩き出した。この場で強く蹴り込んで加速をつけたら、流石にコンクリートの床もぶち抜いてしまうだろう。軽いステップでこの場は済ませるつもりだ。

 さてここ「ラナイツの第一試合場」は地下に沢山の格納庫を備えている。すり鉢状……つまり円形の試合場の地下に、螺旋状のスロープを設置し、スロープの左右に格納庫を用意しているのである。だがこの格納庫はあくまで「お客様用」であり、試合に参加するゾイドや施設を警護するゾイド用には試合場の直下(つまり螺旋状のスロープより内側)に専用格納庫とゾイド用の巨大なエレベーターを用意している。形状ゆえに何周も回らざるを得ないスロープよりも、直線で昇降するエレベーターの方が早く到着するのは言うまでもない。ギルガメスとブレイカーはひとつ上の階にあるこのエレベーターに乗って上がるよう、指示を受けたのである。

 全方位スクリーン内部では右上に別のウインドウが開いた。テレビの映像だ。試合を生中継している。アロンの試合はメインイベントだから最終試合になるが、映像には彼と相棒の姿は映っていない。

(今のうちだ、早く行こう)

 少年はレバーを軽く捌いた。



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【第四章】赤潮

 エステルは感情こそ表さなかったものの、内心は気掛かりであった。護衛付きとは言え愛弟子を一人で相棒の元まで行かせるのは気が引ける(命を狙われている現実に変わりはない)。今回は厳重な警護にも助けられて、無事到着できたようだ。……彼女は胸を撫で下ろすと(勿論内心で)、足下で繰り広げられる試合の方に注目した。観客席のエリアは分厚い防弾ガラスで覆われているものの、試合場の様子は十分に確認できる。それに爆音は十分ここまで届いているため不満はない。あとはVIP席ゆえか観客の反応は若干おとなしいのが少々違和感がある位か(※ゾイドバトルの熱狂的なファンがしばしば暴走するのは彼女もよく知っている。彼らがVIPであることなどあり得ない)。

 興行は佳境を迎えようとしていた。……最終試合、満を持してアロンと相棒のゾイドが登場する段になって、防弾ガラスが一斉に開放された。それと共に観客が起立し、拍手と声援を始める。ひたすらアロン・コール。エステルは閉口したもののひとまず同じように起立し極めてソフトタッチな拍手と口パクの声援で合わせることにした。

 既に夕陽が焦がし始めた、すり鉢状の試合場。すり鉢の縁の一角にある鋼の扉がゆっくり開き、中からゆっくりと現れたのは赭色(そほいろ。赤土のような暗めの赤色)の角竜。全身は分厚い鎧で覆われており、鼻の部分には太い一本角が伸び、兜の錣からは四本の槍が、背中を始めとする各所に様々な銃砲が埋め込まれ、或いは設置されている。人呼んでレッドホーン。太古の時代からヘリック共和国の暴虐に反旗を翻す多くの戦士がこのゾイドを相棒とした、ある意味象徴的なゾイドである。……アロンが搭乗するこのレッドホーンは「カーマイン」の名前を持っている。

 角竜の頭部ハッチが開くと、更にその下に分厚い装甲が隠れており、それが開いてようやくパイロットスーツをまとったアロンの姿が現れた。愛想よく観客席の方に向けて手を振れば、空気も床も震わすアロンコール、カーマインコールが返ってきた。

 激しい声援の最中、サングラスの下に隠れたエステルの鋭い蒼き瞳は奇妙なことに気がついた。

(あのレッドホーン、全然手が加えられていないのね)

 ひと目には、よく見かける銃砲の類しか積んでいない。それに歩く様子を見た限り、速度を上げたりといった根本的な改造は施されていないように見える。無改造、無増設。そんな代物がグランドマスター愛用のゾイドなのか。

(良い教材になるかもね)

 彼女の柔軟な思考は、一連の事実に対し否定的な疑問を差し挟む余地などなかった。結果が全てであり、ここではどんな結果を示してくれるのか。それだけが彼女の興味だ。

 向こうの鋼の扉もゆっくり開き、中から銀色の鎧をまとった四脚獣が姿を現した。背中には巨大なガトリング砲と二門二対の大砲を背負い、肩や胸には無数の大砲を装備している。また肉切り包丁のように分厚い尻尾を持っており、恐らくその内部には様々な仕込み武器が容易に想像される。人呼んでガトリングフォックス、同系統のゾイド・シャドーフォックスに比べて大柄のためより多くの武装を搭載しており「走る武器庫」の異名を持つ。

 この銀色の狐も頭部ハッチが開き、中から若者が手を振るが返ってくるのは圧倒的なブーイング。若者も十分に想定していたようで仏頂面のままアピールを続けた。

 相まみえる二人と二匹が揃ったところで、国歌斉唱のアナウンスが流れた。エステルもあえて周囲を見渡すまでもなく、他の観客と同様に起立し、ヘリック共和国国歌の斉唱に付き合った。アロンも相手の若者も、VIP用観客席の最上段にあるギネビアを始めとした運営側の面々も追随する。

 斉唱を終えた観客は一斉に拍手と声援を送る。二人の選手もそれに応えるべく着席し、ヘルメットを被れば両者の頭上をハッチが覆う。

 すり鉢状の試合場全体にブザーが鳴り響く。縁に立つ角竜と狐は共に地を蹴り、坂道を駆け下りていった。

 

 この様子はブレイカーのコクピット内部でも映し出されていた。全方位スクリーン右上のウインドウは引き続きテレビ中継を映している。チラリ横目で見たギルガメスは軽い溜め息を付いたが、すぐに気持ちを切り替えたつもりだ。グランドマスターの戦い振りを直で見るチャンスを逸したのは、本音ではやはり残念だった。

 ゾイドでの軽い足取りとはいえ、格納庫よりひとつ上の階まで螺旋スロープを歩いての移動は数分かかった。……エレベーターのある鋼の扉は、延々と続くコンクリートの壁に埋め込まれた巨大な鋼鉄の扉が開放されていたのですぐわかった。深紅の竜が中を覗き込むまでもなく、数名の兵士がスロープ内に入って誘導灯を振り回す。

 扉の内部はだだっ広く、まばらながら人の声と、重機の音が聞こえる。少年が初めて見るようなゾイド数体が修理・調整の真っ最中だ。……黒光りする装甲を備えた獅子が数匹、整備されている。体格は我が相棒の胴体ほどしかないが、幾つもの銃砲を備えており想像以上に身軽なのかも知れない。全方位スクリーン上に注釈が入った。レオストライカー、ブロックスの仲間だ。アロンのレッドホーンといい、様々なゾイドが採用されているようだ。

 さて兵士の誘導に黙って従ったところ、奥の方にゆっくりと降りてくる籠のない巨大なエレベーターがいくつか、確認できた。着地点の側まで誘導された深紅の竜は、おとなしくじっと待つ。

 打ち合わせでは、どのエレベーターでも良いから乗って、最上階に到達すればそこで別の兵士が誘導し、すぐさま試合場に入ることができるという。

(ところで『上』はどうなっているんだろう)

 ギルガメスは全方位スクリーン右上に開かれたテレビ中継の映像を観ようとした。

 同じ頃合いで、深紅の竜はふと何事かに驚いた様子で首をもたげた。

 物凄く鈍い音が、竜と少年の主従がとどまる巨大な区画一帯に響き渡る。

 少年も、兵士や作業員なども驚いて顔を見上げた。

 次の瞬間、彼らはゾイドの雄叫びよりも騒々しくてかなわない警報音を耳にした。

 

 話しは前後する。

 レッドホーン「カーマイン」対ガトリングフォックスの一騎打ちは序盤早々から両者が激しくぶつかり合う展開となった。

 両者がすり鉢を下るやいなや、土煙がもうもうと舞い上がる。共に背中に搭載の銃砲を撃ちながら、一気に間合いが詰まっていく。……いや頭上からよく見ればわかる。銀の狐はいとも簡単に試合場の中央を突破した。角竜が中央に到達するにはもう十数歩必要だ。明らかに狐の方が速い。

 こだまする轟音。角竜の左の錣と、狐の左肩とが派手にぶつかり合う。反動で両者の間合いはやや離れた。

 チャンスとばかりに跳躍する銀の狐。

 一瞬、ぼんやり立ち尽くす赭色(そほいろ)の角竜。

 その頭上を己の全高三、四倍ほども高く跳躍、きれいな逆Uの字を描いて落下する銀の狐。着地点は角竜の背中か、頭部か。鋭い両前足の爪を振りかざす。

 ところが角竜は微動だにせぬまま狐が爪を振りかざしたところで音もなく一歩、前に出た。……たったこれだけで、呆気なく狐は標的を見失って着地。そこを風車のごとく、角竜の棍棒のような尻尾が振り回され、叩きつけられる。一発入ったところで、角竜はすぐさま間合いをギリギリまで詰めた。

 再び、両者の左の錣と肩がぶつかり合い、鍔迫り合い。

 両者の全身に埋め込まれた突起が唸りを上げて回転。火花が飛び散る中、不意に間合いを離し後退したのは狐の方だった。

(硫酸砲!)

 目を見張ったエステル。愛弟子が側にいれば喜々として語っていたに違いない。……正確には「高圧濃硫酸砲」。角竜の顎の下に隠されている。本来は対人用兵器とされているが、密着状態で敵ゾイドの関節部分に注ぎ込めば必殺性の高い一撃に早変わりする。

 真後ろに下がるゾイドを追撃するのは容易い。すかさず鼻先の一本角で追撃する角竜。数歩進んで一撃、数歩進んで一撃と玉を突き転がすかのように的確に命中させていく。

 苦し紛れに突っ込んできた銀の狐。角竜の錣の下をかいくぐり、狙うはその左脇腹。……ところが一見して絶好のチャンスを得た筈の銀の狐が突如、四肢をもつれさせ、地べたにへばりつくように倒れ込んだ。

 角竜の左前足が、狐の左後ろ足を踏みつけていたのだ。……透かさずの追い撃ちは更に意外なところから。左脇腹の装甲が開き、数発の射撃。狐の鼻先や前足から炎が上がった。定めた筈の標的から思わぬ反撃を喰らい、銀の狐はよろめきながら離脱するより他ない。

 一連の動きにエステルは感嘆することしきりだ。接近戦におけるこのえげつないまでの技の数々。これだけのアイディアがあるからこそ、アロンとレッドホーン「カーマイン」は標準の武装でグランドマスターにまで上り詰めたのだろう。

 これより先は一方的な展開となった。淡々と、しかし猛然と追撃する赭色(そほいろ)の角竜。一撃、また一撃と鼻先の一本角で小突くと、数歩分の間合いにまで突き飛ばしたところでこの場では初めて空を仰ぎ、吠え立てる。

 それを合図に角竜の背中、両肩などの銃砲群が一斉に狐目掛けて照準を定めるや、角竜は強く地面を蹴り込んだ。……突っ込むのではない。狐の外周を回り始めたのだ。

 もうもうと土煙を上げながら、角竜は狐の外周を回って走る、走る。その間、銃口・砲口は一発たりとも外れずに狐の分厚い装甲に命中していく。煙が、火花があちこちから吹き飛ぶ激烈。

 その有り様に観客席の至るところから手拍子と声援が飛び交った。

『「レッドタイド! レッドタイド! レッドタイド!」』

 言い得て妙とはこのことだ。レッドタイド……つまり赤潮に呑まれて窒息するがごとく、銀の狐は銃砲の渦に巻かれたまま倒れることも出来ずもがき苦しむより他ない。

 試合終了を知らせるブザーがここで鳴り響いた。相手の狐……ガトリングフォックスは絶え間ない攻撃に倒れることも出来ぬまま延々とダメージだけが蓄積している状態だ。ボクシングにおけるスタンディングノックアウトに近い状態であるため、運営が終了を宣言したのである。

 赭色(そほいろ)の角竜はブザーとともに速やかに離脱し、坂の麓まで下がる。入れ替わるように運営側の用意したゴーレム(人よりは大きな一つ目のゾイド。人に近い形状ということもあってよく使役される)十数匹が狐のもとに群がっていく。……横倒しに倒れる狐のすぐ下に集結し、見事にクッション役を果たすと、早速このすり鉢状の試合場から引きずって運び上げにかかった。

 それをじっと見つめていた赭色(そほいろ)の角竜。だが試合場内に鳴り響く「勝者、アロン」の音声を耳にするとようやくホッとしたかのように深く息を吐いた。

 頭部コクピット内から姿を現しヘルメットを外した大男アロン。汗びっしょりだが、笑顔も十分に眩しかった。

 

 その頃VIP用観客席・最上段のギネビア周辺では。

 シニヨンの美少女ギネビアは表向きには穏やかな表情で拍手を送っていた。かの純朴な大男が敗れ去るなど万に一つもあり得ないと確信していたかのように見える。

 ところがその端正な顔立ちを構成する眉間に一瞬、強烈な皺が彫り込まれた。視線は彼女の座席のテーブルに備え付けられたモニターにあった。ここラナイツの試合場のオーナーでもある彼女のもとには様々な情報が送られてくる。……たった今、彼女が把握した情報は有事でもない限り、あり得ないものだ。

(音速の数倍で近付いている、ですって!? 馬鹿な、今すぐに迎撃なさい!)

 端末上で、目線で、声で。

 だが入力し、動かし、声に出すよりも速く、天井よりも遥かに高いところから爆音が鳴り響いた。

 

 ずっと快晴が続いていたラナイツの第一試合場上空を、黒い影が包み込んだ。

 何割かの観客が空を見上げた。絶好の観戦日和を邪魔する無粋な雲を確認するつもりだった。だがその視界に飛び込んできたものは明らかに形を有する存在で、それが日差しの反射を伴いつつ爆音と共に上空から飛来してきたものだから、彼らは目を覆ったり、耳を塞いだりして身を守るより他ない。

 爆音は、試合場に残るアロンとカーマインのコンビも耳にした。いや正確には、彼の相棒たる角竜は外部から何かが飛来してきたことを把握した時点で試合終了直後であるにも関わらず激しくアラームを鳴らし、我が主人に頭部ハッチ内部への避難を促していた。……尋常ならざる事態を直感したアロンがハッチを閉じたその時、コクピット内部が、観客席が、垂直にかき混ぜるように激しく揺れた。観客席を覆う防弾ガラスが至るところでひび割れ、脱落し、観客の悲鳴が聞こえてくる。

 左右のレバーを握り締めて堪えたアロン。……揺れが収まった時、彼は先程の出来事が災厄の始まりに過ぎないことを悟った。

 彼らの真正面にもうもうと土煙が舞い上がり、立ち込める。……だがその中にあってさえ、飛来した巨大な物体の眩しい銀色は容易に把握できた。

 四肢を一杯に広げたその物体。四本脚であるにも関わらず、本来首がある筈の部分には暴君竜の上半身がまるまる埋め込まれた異形の持ち主。暴君竜の背中には、己が巨体よりも遥かに大きな骨組みだけの翼一対と垂直に伸びた背びれの連なりが生えており、帯電しながらそれらを時折はためかせて周囲の埃を飛ばしている。

 この凶悪な出で立ちの乱入者を目にしたアロンは人懐こい眼差しだけをギロリと動かし、足元から上へと見上げたがすぐに戻し、引きつった笑顔を浮かべた。

「姫様、ジェノブレイカーってこんなに大きかったんでしたっけ?」

 軽口を叩いてみせるが驚きは明らかだ。我が相棒たる角竜の全高が、この乱入者の足の長さに及ばない程だ。

 すると暴君竜の頭部を覆うキャノピーが開き、内部から全身虹色の光沢に輝く怪人物が姿を現した。

『オ初ニオ目ニカカリマス。[ゾイドバトル]ノ[グランドマスター]ニシテ『導火線の七騎』ガ一人、[アロン]殿』

 この得体の知れない人物の有り様を、コクピットの天井部分を覆うモニターを介して睨んだアロンは舌打ちするとハッチに当たる天井部分を開けて巨体を乗り出すやビシッと指差しした。

「よく知ってるじゃあねぇか、その言葉。つまり次の標的は『俺』ってわけだ。良いぜ、やってやる」

 すぐさまハッチを閉じるとコントロールパネルを弾く。

 目前のモニターにはシニヨンの美少女ギネビアが映し出された。……そのすぐ後ろで配下の者が騒々しく指示を出している。彼女らの部屋でさえも衝撃の影響は避けられなかったようだ。

「姫様、すみません。こいつを倒します」

 宣言するなり一方的に通信を切った。

 切られた方のギネビアは琥珀色の瞳をまじまじと見開きテーブル備え付けのモニターを見つめていたが、それも数秒。すぐに立ち上がって周囲の兵士や職員に向けて叫んだ。

「誰でも構いません、アロンを援護なさい!」

「姫様、すぐは無理です!」

 間髪を容れず、数名の職員が叫んだ。

 あのたおやかな美少女が鬼の形相でその方角を睨みつける。

「さっきの衝撃で、パニックオープンとパニッククローズがかかりました」

 

 同じ頃、この試合場の地下では。

 激しい警報音は鳴動を続けたまま。そして驚くべきことに、ブレイカーが乗り込む予定だった籠のない巨大なエレベーターが全て、急に速度を上げて降りてきてしまった。計器類はすぐに電気が落ちてしまっている。

「どうしたんですか!?」

「パニッククローズです! 上で何か起きています。地下はこの建物の心臓部ですから封鎖されたんです」

 ギルガメスは兵士の説明を聞いていま一度全方位スクリーン越しに高い天井を見上げた。あの時の音か……!

「上、行けないんですか!? こいつなら飛んで上に行けます!」

「それは止めて下さい! 最上階がどうなっているか、こっちではわからないです。天井をぶち抜いたりしたら二次災害とかでは済まなくなります」

 強烈な焦燥感が少年を襲う。すると全方位スクリーン上に矢印が示された。……さっき入室してきた鋼鉄の扉だ。こちらはエレベーターの停止に合わせて自動的に閉鎖されていた。

「それじゃあ、スロープはどうなってますか!?」

 尋ねられた兵士はハッとなってすぐさま扉の外に向かう。直ちに側に埋め込まれたスイッチボックスを開け、手動で扉を開ける。その真正面まで歩いて近付いた深紅の竜は自分が出られる幅が確保されるまでじっとしている。

「スロープは一般客の避難用にパニックオープンがかかっています。

 確かにスロープ、上がっていけば屋外には出られます」

 兵士の説明を聞いた少年は円らな瞳を輝かせ、竜も小気味良く一声さえずった。

「でも試合場に乗り込むには……」

「だからこいつ、飛べますから! 大丈夫!」

 深紅の竜は出口の幅が確保された時点で軽やかに躍り出た。

 スロープは天井や壁面に誘導灯が点灯している。まさしく避難経路と化していた。

「ブレイカー、歩いてる人もいるかも知れない。飛んでいくよ!」

 再び甲高く鳴いて応える。ゾイドの性分なのか、火急の事態を楽しんでいるかのような反応だ。でもそれはこのゾイドに限っては実に頼もしい。

 桜花の翼は左右をカバーするよう地面と垂直に畳んだ。背中を覆う六本の鶏冠は目一杯逆立て、前のめりの姿勢で左足を前に踏み込む。

 少年がレバーを押し込めば、深紅の竜は強く両足を踏み込む。鶏冠の先端より蒼い炎がほとばしり、かくして数m程も浮き上がりつつ、疾駆を開始。道幅は非常に狭いが、少年は(自分がちゃんとコントロールしてやれば壁にもぶつからず十分に進める)と確信していた。

 

 地上の試合場は阿鼻叫喚に包まれていた。

 この想像を超えた侵入者を前にして、ギネビアら運営は早々に避難指示を出した。……たちまち兵士が持ち場について誘導を開始する。しかしどの業界でもマニアはいるもので、侵入者をひと目撮影しよう、録画しようとギリギリまで食いつく輩が避難客の行列を外れて今一度観客席に戻ろうとした。連中を巡るせめぎ合いで一部の観客席は避難の遅れが生じていた。

「逃げて下さい! 逃げて下さい!」

「馬鹿野郎、伝説のケンタウロスそっくりじゃあないか! 撮らんでどうする!」

「本気のアロンとカーマインが見られるぞ!」

 怒号が観客席の片隅で鳴り響く。

 肝心の試合場ではこんな有り様など知ったことではなかった。

 睨み合う、銀色の巨体と赭色(そほいろ)の角竜。ものの数秒程度だが、当事者にとっても観客にとっても異様に長い時間が経過していた。

 不意を突くように、虹色の魔人がスピーカー越しに語りかける。

「弾薬ハ、足リテイマスカ? 試合後デショウ?」

 アロンは鼻で笑った。

 反時計回りににじり寄る銀色の巨体。

 それは角竜も同じだ。常歩(なみあし)で、しかし視線と銃口は釘付けのまま、ジリジリと。

 途端に、駆け始めたのは角竜が先だ。駈歩(かけあし)で渦を巻くように外周を回りながら急接近。その間にも、撃てる限りの銃砲が火花を吹く。

 銀色の巨体は一歩出遅れたのが明らかだった。踏み込んだ時には既に足元に縦断が炸裂していた。たちまち足元を中心に火の手が上がり、爆炎が吹き荒れる。

 遂に銀色の巨体を構成する前足が力を失い、地べたにへばりつく形になった。

 旋回しての銃撃をやめた赭色(そほいろ)の角竜。速やかに離脱し、すり鉢状の斜面に駆け上がる。

「大したことねぇなぁ!」

 モニター越しに叫ぶアロン。もっとも目はまるっきり笑っていない。

(手の内を隠している。舐めやがって……)

 そう確信しているからこその挑発だ。

「弾は足りてるか、だと? 悪いがゾイドウォリアーである前にゾイド乗りなものでね。

 試合用とは別に護身用をちゃんと用意しているのさ。

 ほら、立て! 立ってお前の本当の力を見せてみやがれ!」

 虹色の魔人はアロンの言葉を聞き終えると笑い出した。

「素晴ラシイ! ヤハリ[導火線の七騎]ハ一味違ウ。私モ遠慮ナク戦エル」

 そう言い放つとまるでバネ仕掛けのように銀色の巨体は起き上がった。四肢をまっすぐ、まるで椅子のように揃える。……途端に足首を覆うラッパ状の装甲内から光の粒が吹き始めた。

 ふわり、数m程も浮き上がった銀色の巨体。その胴体や、側面にマウントされた銃砲が、まるで魂を持ったかのように動き始めた。

 地上で、花火が炸裂でもしたのか。そんな激しい爆発音が炸裂した。そしてそれに合わせて、宙に浮いた銀色の巨体はぐるぐると旋回を始める。十秒、二十秒、三十秒……。

 ひたすら斜面を逃げ回る赭色(そほいろ)の角竜カーマイン。

 だが主人たる大男アロンには確信めいたものがあった。

(ガキっぽい。実に。ギルガメス君より、余程だ。ならば我慢比べ……!)

 ひたすら逃げて、逃げて……。

 やがてカチリ、カチリと銀色の巨体の銃砲は一切が空撃ちして何も発射されない有り様となる。

 それを見た角竜は鋭くいなないた。

「バーカ、弾切れだ!」

 怒鳴るアロン。このまま畳み掛けようと心に決めた、その時。

 銀色の巨体はの頭部を覆うキャノピーが虹色に輝き始めた。それと共に両腕を天にかざす。

 三本の爪で構成された両掌が稲妻を引き寄せていく。周囲に立ち込める土煙や砂利が発光、粉砕。光の粒が腰の周りに集まっていく。

 その間、わずか数秒。

 レバーを入れかけたアロンは強烈に嫌な予感を覚え、躊躇した。……それで良かった。たちまち、弾切れした筈の銃砲が再び火を吹き始めたのだ。足元で炸裂する銃弾。角竜は間一髪、すり鉢を駆け上がって逃げる。

「弾を補充したのか!? あんなので!」

『[補充]トイウヨリハ[再生]デスネ』

 ゾイド特有の自己修復能力を応用したのか。だがこの速さ、馬鹿げている。

 かくしてすり鉢を駆け上がって逃げに逃げる赭色(そほいろ)の角竜。……だがそれでも、逃げ切りさえすれば三度目は同じ手を喰いはしない。アロンはそう、確信していた。

 すり鉢の最上部付近まで角竜は逃げる。所謂高速ゾイドがやってのける操縦技術をアロンは難なくこなしていた。

(もう少し上だ! 上に逃げ切れれば……!)

 彼が打開策を直感して行く先の「すり鉢の上」を睨んだ時、大変なことに気がついた。すり鉢の上……つまり、防弾ガラスで覆われた観客席だ。そこには今やマニア共が群がり、自分達と異形の怪物との対決を撮影しようと防弾ガラスにへばりついている……!

 一瞬の躊躇。それでもアロンは最終的に決断したつもりだったが、秒レベルで間に合わなかった。角竜の胴体に数発の弾丸が命中(勿論、防弾ガラスにもありったけの弾丸が炸裂した。アロンがどんな判断を下しても同じ結果だったろう)。角竜はバランスを崩してすり鉢を転げ落ちていった。

 シェイク、シェイク。凄まじい衝撃は座席に完全固定された大男アロンの体を傷つけた。ヘルメットを被っているくせに、眉間が割れたようで額の辺りに血が流れている。胸も急に息詰まっている。肋骨が折れたか?

 だがそれでも、両腕・両足は無事なようだ。

「カーマイン、立てるな!?」

 アロンの雄叫びに、赭色(そほいろ)の角竜は低いがよく震える鳴き声で返す。にやりと不敵な笑みを浮かべるアロン。

 よろよろと起き上がる角竜。標的を探す。

 彼らが目指す標的は、対角線上のずっと端の方だ。

 銀色の巨体は右腕を高々と振り上げた。三本の爪を目一杯広げるや、手のひらを中心に発光、明滅が巻き起こる。土が、砂利が引き寄せられ、雷蛇が無数に暴れ始める。

 三本の爪に集まる光は、やがて長い槍の形状に転じた。

 アロンは悟った。こんな嫌なことを悟った自分に嫌気が差した。あの槍は昨晩、南方大陸の名将ラヴァナーとその相棒にとどめを刺したものと、きっと同じだ。

 それでも、するべきことは一つしかなかった。先程の転落でまともに使える銃砲は一つもない。……あとは、角竜の名前通りのことをするしかない。駆けて、駆けて、駆けて……!

 銀色の巨体は吠えることもなく無言で、この完成した長い槍を投じた。

 

「ギル、ギル、聞こえて?」

「エステル先生!? 無事ですか!」

 全方位スクリーンの左上にウインドウが開き、腕時計型端末越しに叫ぶ女教師の姿が確認でき、ギルガメスは歓喜の表情を浮かべた。彼女は避難中であること、どさくさに紛れてビークルを回収するつもりだということを伝えた。そして何より、得体の知れない侵入者が現れたことも。

「気をつけて。試合場には守備隊がいる筈だから、そこで引き継いで逃げられるなら逃げてきなさい」

 言葉に詰まった少年は一応の返事を交わした。きっと「アロンを助けるまでは逃げるわけがない」と読まれているに違いないが、表情にはなるべく出さぬようにして一旦通信を打ち切った。

 格納庫の出口から躍り出た深紅の竜は、そのまますぐ、地を強く蹴って飛翔に転じた。桜花の翼を広げ、六本の鶏冠を目一杯広げて。そのままここ、ラナイツの第一試合場の真上から入り込めば良い。

 夕陽に流されるように、深紅の竜は……太古の昔、魔装竜ジェノブレイカーと呼ばれた勇敢なこのゾイドは加速を緩めずに試合場に降り立った。地響き、土煙を上げ、若き主人ギルガメスの気持ちに応えるべく早速低く身構えた時、しかしこのゾイドは確信した。……確信してしまった。ゾイドコアの反応が、一つしかない。

 はるか向こうで、静かに地響き。……無残にも兜から尻尾まで串刺しにあった赭色(そほいろ)の角竜が、今まさに横転し、倒れ込んだところだった。



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【第五章】竜騎の決闘、パートワン

 六年前。

 ギルガメスの故郷アーミタのジュニアハイスクールは騒然としていた。程よく厚い雲の下、校庭には生徒・児童がひしめき合っていた。校舎の窓からも沢山の生徒が身を乗り出して注視している。それだけではない、子供達のさらに外周にはいい年をした大人達が集まり、二重三重の円と人垣を作っていた。彼らの多くもアーミタの住人だが、必ずしも生徒達の保護者ではない。近所の住人はじめ無関係な者もかなり含まれている。

 授業そっちのけの喧騒を生み出した人物はすぐに現れた。校舎の玄関から警護役の兵士数名に囲まれつつ、パイロットスーツを着たスポーツ刈りの大男が両手を高々と掲げながら躍り出た。愛嬌たっぷりの大きな目玉の持ち主を目にした者達は一斉に歓声と拍手で出迎えたのだ。

 ゾイドバトルのグランドマスター・アロンが片田舎と言って良いアーミタに来訪するなんて、この都市の住人は誰一人想像もしなかった。だがアロンは相当以前から、様々なメディアの場を借りて「現役中に六大大陸の全ての都市でワークショップを開く」と公言していた。……後進育成に邁進する彼の情熱は、若い時こそ「人気取り」と揶揄されたがグランドマスターの称号を得てからもその取り組みは継続しており、今や彼の信念は本物だと称賛されてやまない。アーミタへの来訪も予定通りであり、この後も近隣の他の都市へ来訪するつもりだ。

 ジュニアハイスクールの教師陣が司会進行を務め、講演は手短に済ませつつ早速ワークショップが始まった。内容は「ゾイドに乗ってみよう」という、タイトルだけ見れば本当に簡単なものだ。

 校庭には人よりは大きい程度のゾイドが数匹、用意された。いずれもジュニアハイスクールの生徒・児童が見たこともない種類のものだ。地球に生息する昆虫の姿に似たものもいれば、一般に普及している種類に近いものの、似て非なる形状が各所に見られるものもいる。こういった珍しいゾイドを見せられただけで、田舎町の少年少女は歓声を上げ、目をキラキラ輝かせている。

 その反応を見ただけで喜びを隠せないのが他ならぬアロンであった。色々な種類のゾイドを数秒、穏やかに乗り進めるだけでも実際は大変だ。彼は沢山の子供達に早いうちからゾイドに慣れ親しんで欲しかったのだ。彼はワークショップをやり始めてから数年経つが、表情こそ出さぬものの未だにイベント開始直後は反応に不安を覚えていた。だからアーミタの少年少女達の反応には手応え十分だ。

 さてそんな少年少女の中に、ギルガメスもいた。僅かに十歳。今以上に身体も小さく線も細い。他のZi人の少年少女に比べると小柄な体つきが目立つ。半袖のTシャツに膝下丈の半ズボンという出で立ちはこの頃から変わっていない。

 彼にあてがわれたゾイドは「ディノチェイス」という灰色の二足竜だ。屋根瓦のような頭部を持ち、短い手は両胸に引き寄せて構え、尻尾を地面と水平に伸ばしている。大人がまたがれる程度の大きさだが、ギルガメスには大き過ぎるくらいだ。

 ギルガメス自身は、ディノチェイスという二足竜は図書館のゾイド図鑑でしか知らなかった。だから今日は喜び半分、不安半分といったところ。既にこれくらいは大きなゾイドに乗っての簡単な試合は、何度もこなしている。そしてパイロット各個人とゾイドには相性があるということも……。それが不安の大きな理由だ。アロンはじめ今日のワークショップの関係者が「安全です、気性の穏やかなゾイドを揃えました」と声を張り上げようが、この場に揃えられたゾイドと自分自身の相性は未知数なのだ。

 十数匹の「人よりは大きなゾイド」が土で固められた校庭に腹ばい、その左隣りに少年少女が寄り添って立つ。

 司会進行の教師の合図で、一斉に子供達が飛び乗った。あるゾイドはすっくと立ち上がり、あるゾイドはふわりと浮かぶ。お約束の拍手が見学中の他の子供達や大人達から送られるが、それは数秒も経ずして悲鳴に変わった。

 一匹のゾイドが高々と宙を飛び、いともたやすく見学者の人垣を越えた。灰色の二足竜、ディノチェイスだ。

「えっ、なんで! なんで!?」

 もっとも狼狽えたのは乗り込んだ少年本人である。着席し、背もたれがあるからシートベルトも締めて、レバーを握り締めていざ、という瞬間、聞いたこともない鼻息を立てながらこの灰色の二足竜は跳躍し、猛然と駆け始めたのだ。

 すっかり青ざめてしまった少年。脳裏まで真っ白になってしまったが、とにかく身を乗り出しシートベルトの許す限り前屈みになってレバーを傾けにかかる。無我夢中。

 狼狽えたのは他の少年少女も、大人達も同じだ。……だがいち早く(殆ど数秒くらいで)冷静さを取り戻したのがほかならぬアロンだった。大暴れする二足竜の姿をひと目見てはっと息を呑んだ彼は、出番を控えていたゾイドをさっと見渡す。魚雷の先頭にトンカチがついたようなゾイド(※ヘルダイバーというシュモクザメによく似たゾイドだ)の背中に飛び乗ると、地面スレスレを飛んで一目散に追いかけていく。

 魚雷はたちまち二足竜の左後方にまで近付いていく。

 アロンはちらり、顔を見上げて自分よりはずっと高い位置にある二足竜のコクピットを凝視した。

 そこでは一人の少年が涙目で狼狽えていた。だがそれでも、とアロンは観察を続ける。この不運な少年はレバーを揺さぶったりボタンを押したりしてはいるが、デタラメに叩いたりといった乱暴な様子がない。……持てる技量の限りで何とか解決しようというギリギリの一線を、この気の遠くなるほど長い数十秒間でもどうにか維持しているではないか。

「君ぃ!」

 コントロールパネルを睨んでうつむいていた少年は、ドキッとして顔を持ち上げる。

 左後方から追いすがる魚雷。騎乗の大男が声をかけていることにはすぐに気がついた。

「君ぃ、ゾイドにもっと、もっと話しかけるんだ!」

 大男の言葉にはっと息を呑んだ少年。まるで天啓が下り、世界の理(ことわり)を悟ったかのような表情を浮かべた。

 瞬間、彼はシートベルトを外し、かなぐり捨てた。二足竜の背中にしがみつくほどの前傾姿勢を取ると。

「どうしたの!? 嫌なことがあったの? 痛いところがあるの? 教えて!」

 不思議なことが起こった。二足竜は少年の言葉に反応するかのように減速を始めたのである。それと呼応するように、少年の小さな胴体が被さったモニターはこの二足竜自身の状態を映し出す。……左膝の内側に異物の反応が見られる。ところがそれは、走ることによって奇妙に明滅している。反応が出たり消えたりしているのだ。

「もしかして、釘じゃない!? 膝を動かさないと、隠れちゃう?」

 ここで初めて、この二足竜は軽くうなってみせた。

 少年と二足竜のやり取りをすぐ後方で目にしていたアロンは事態を把握するや、懐から籠手のように分厚い手袋を取り出し、右手に被せる。手早く数回握っては広げ、中腰に構えると。

「君ぃ、少しだけ減速させてくれ! 俺が引き抜く!」

 言われるが早いか、早速少年は二足竜に呼びかける。

「走るの、少しゆっくり! そう、もう少し! もう少し!」

 軽くうなずくような仕草を示した二足竜。鋭角な上体が少しずつ持ち上がり、それに合わせて徐々に走る速度が落ちていく。

 その有り様にアロンはニヤリとなった。それはこのアクシデントがもうあと数十秒で収束する確信、だけではない。

 二足竜の減速に合わせて魚雷が後方から接近。膝が開く間にチョロチョロと見せる長い釘を、軽いパンチを繰り出すようにして鮮やかに引き抜いたアロン。

 それで満足したのか、二足竜は徐々におとなしく、荒々しさを捨てた軽快なステップに切り替えていく。

「ゆっくりでいいよ、ゆっくりで!」

 騎乗の少年はこのゾイドにひたすら、話し続ける。

 様子をずっと見ていたアロンは……この心優しい大男は二足竜の真横につけると少年に話しかけたのである。

「君ぃ、ゾイドウォリアーになりな。試合場で、待ってるぞ」

 はっと息を呑んだ少年。

 この窮地を救ってくれた大男がグランドマスター・アロンであることを、ギルガメス少年は初めて認知した。

 かくしてUターンした二匹のゾイドがワークショップの会場に戻っていく。二匹とも大人の駆け足程度の速さにまで減速していた。

 割れんばかりの歓声・拍手を受けつつも、他ならぬギルガメスはこの瞬間、かつて経験したことのない動悸、高揚感とともに強い決意が湧き上がったことを確信したのである。

 

 VIP用観客席は静まり返っていた。

 シニヨンの美少女ギネビアは席を蹴って、防弾ガラスの向こうに広がる阿鼻叫喚の地獄絵図をまじまじと見つめた。琥珀色の瞳を何度も、まばたき。だが目前に広がる光景が幻ではないことを悟るに連れ、項垂れ、肩を震わせ始めた。そして、こらえきれぬ嗚咽は頑なに声を潜めるものであった。

 ここまで彼女を助け続けた運営側の面々も項垂れたり天井を仰いだりしている。……この試合場が抱える最強の戦士が敗れ去った以上、次の行動を選び、指示しなければいけない筈だが、突きつけられた事実は現実に立ち返るきっかけを困難なものとしていた。

 それを可能にしたのは、この室内に続けざまに鳴り響いたアラームだった。

 はっと我に返ったギネビア。だが耳を傾けこそすれども、今更、手元の端末に確認はしない。防弾ガラスの向こうで今まさに動き出した次の戦いを知らせるものでしかないことはわかりきっていた。今一度、彼女は防弾ガラスの向こうに広がる光景を、食い入るように見渡す。

 

 すり鉢状の広大な試合場に、赭色の角竜レッドホーンが倒れ込んだ。鋼の巨体は兜から尻尾までが、まばゆい槍とも鉾ともつかぬ長尺の得物で貫かれている。辺りを包み込む静寂。鉄の塊に成り果てた巨体の各部位から、時折火花がこぼれ落ちる。

 風切る音が静寂を切り裂いた。この広大な試合場を、軽快に滑走してきた深紅の竜ブレイカー。だが、角竜の亡骸の足元に辿り着き、立ち止まればその足取りは鉛のように重い。

 深紅の竜は恐る恐る首を伸ばし、亡骸の状態を確認する。すると奇妙なことが起こった。……この歴戦の勇者を串刺しにした長尺の得物が突如、まばゆく輝いたのだ。

 映像に何らの処理を施す時間の余裕がなかったため、深紅の竜はすかさず頭部に右腕をかざした。眩しい閃光がパイロットの視力に悪影響を及ぼすことは、この優しき竜もよく理解している。

 遅れて全方位スクリーンの輝度が下がる。搭乗するギルガメスも右手をかざして閃光を防いでいたが、映像の処理を察知したところでかざしていた右手をレバーに戻し、前のめりになってスクリーンの彼方をじっと見つめる。

 鋼の亡骸を串刺していた長尺の得物が、眩しく輝いている。と、そこに気がついた時、すぐさまこの得物は無数の光の粒となって弾け飛んでしまった。

 深紅の竜はその有り様をじっと見つめている。……その胸部コクピット内に着席する若き主人ギルガメスもまた、全方位スクリーンの彼方で起きた出来事に対し、まばたき一つしない。

 すると彼方から、やけに落ち着いた、無機質な笑い声。

「サスガハ『導火線の七騎』。[ラヴァナー]サンモ素晴ラシイ腕前ダッタガ[アロン]サンモ勝ルトモ劣ラナイ」

 深紅の竜は声の聞こえてきた左方に首を、ゆっくりと傾ける。

 胸部コクピット内では竜の主人が自らの額に指を当てた。たちまち青白い刻印が浮かび上がりまばゆく輝く。少年と深紅の竜がシンクロを果たした証だ。……彼は円らな瞳だけを動かし、未成年らしからぬふてぶてしい表情で同じ方角を凝視する。

 彼方から舞い上がり、立ち込める土煙。その中から浮かび上がったのは銀色に輝く巨体。少年も深紅の竜も眼光鋭く睨み返す。

 四本脚で一歩一歩にじり寄る。だが本来首がある筈の部分には、暴君竜ゴジュラスの上半身が埋め込まれたまさしく異形。その背中には、己が巨体よりも遥かに大きな骨組みだけの翼が一対、そして無数の背びれが連なっている。銀色の巨体は所謂金属生命体ゾイド特有の常識的な姿からは完全にかけ離れた代物。 

 辺りに圧倒的な殺気が充満していく。だがそんなことなどお構いなしに、続く声。

「アナタノ腕前ハ? 『導火線の七騎』ガ一人……」

 声が途切れるよりも前に、地面が爆ぜ、衝撃が地面を震わせる。

 一直線に空間を切り裂いたのは、蒼い炎。六本の鶏冠を目一杯広げ、先端より噴き出す炎の勢いとともに地面を駆けた深紅の竜。怒りの速力は確実に200メートルは超えている筈の銀色の巨体との距離を、数歩も踏み込まず一気に詰めた。そして鼻先には桜花の翼二枚を盾の如くかざし、速く、鋭く、そして飛び切り重い体当たりを叩き込む。

 だが二枚の翼の向こうでは、とっくに静寂が漂っている。銀色の巨体は、長い両腕をがっちり十字に構え、受け止めていた。

 瞬間、両者の時間は硬直したかに見える。だが数秒も立たぬうちに青天霹靂の雄叫びが鳴り響いた。……他ならぬ深紅の竜の、胸部からだ。

 薄暗い胸部コクピット内部ではハーネスで全身固定された少年ギルガメスが、その有り様とは裏腹に円らな瞳を血走らせつつ、弓を引き絞るような姿勢でレバーを交互に繰り返し押し込んだ。精密正確なレバー操作とはまるっきり正反対の理性をかなぐり捨てた怒りの表情は人と獣の境界線をさまようかにも見える。

 盾代わりの桜花の翼を再び広げたと同時に繰り出される両腕。左、右と続けざまの袈裟懸け斬り。たちまち辺りに澄み切った金属音が鳴り響く。

 並みのゾイドならば×の字に切り裂かれていただろう、この二連撃。銀色の巨体の長い腕は小刻みに、機械そのものと言える動きで確実に受け止め、払っていく。

 だがそれしきで神速の攻撃は止まない、続けざま、爪先蹴りを叩き込む深紅の竜。左足、右足と鞭のようにしなる回し蹴りが放たれるたび、岩盤をえぐり出すような金属音が反響。

 そして金属音の裏では既に六本の鶏冠が逆立っていた。吹き出す蒼い炎。全身をひねる深紅の竜。反時計回りの空中回転は尻尾撃ちの予備動作。

 銀色の巨体は見過ごさず、左腕を目一杯突き伸ばし、宙に浮く深紅の竜を吹き飛ばした。

 深紅の竜が、200メートル以上先にそびえる外壁にまで弾き返される。だが圧力に囚われた最中でも、深紅の竜は巧みに体をひねり、体勢を整え、外壁の目前で両足を蹴り込み。まるで球技の壁打ちがごとく、深紅の竜は一目散に反撃に転じたかに見えた。

 再び響く、雄叫び。それは深紅の竜の胸部コクピットから。ギルガメスの理性なき怒りはますます留まるところを知らない。もう一撃、二撃か。あるいはもう十秒か、二十秒か。少しの切っ掛けさえあれば獣そのものへと変わってしまうかも知れない。

 ところがこの狂乱に没頭していた少年は、不意にはっと円らな瞳を見開いた。……胸が痛い、苦しい。

 奇妙なことが起きた。ずっと畳んでいた桜花の翼をふわり、真横に広げた深紅の竜。あくまで水平には伸ばさず、意味ありげな角度をつける。両足は大股に広げ、ピンと膝を伸ばす。逆立てていた六本の鶏冠はもはや垂直・水平にまで角度を広げた。

 あれほど加速し弾丸の勢いを得た深紅の竜が、急減速を開始した。両足の踵で滑り込むように着地するとすぐさま中腰になり、そのまま静かに地面を滑走していく。その速度も、人が全力で走り込んだ速度よりは速い程度にまで減速している。

 その頃、胸部コクピット内ではギルガメスが小刻みな呼吸で息を整えていた。レバーを振り絞っていた右手は離し、シャツの上から胸をさすっている。

 深紅の竜は、この若き主人を厳しく諌めたのだ。己の胸部を掴んでみせる行為がオーガノイドシステムのシンクロ機能によって主人に伝わり、彼は真意をすぐさま察した。……冷静に戦ってくれ、この痛みがちゃんとあなたに伝わっているのなら。怒りに任せて暴れたら確実に、死ぬ。

「ブレイカー、ごめん、ごめん……」

 ささやきながら少年はひとしきり胸をさする。

 この激戦の最中、深紅の竜はこの僅かなやり取りの中でも、甲高い鳴き声で歌うように応えてみせた。だがそれも数秒のこと。じっと己が胸元を見つめていた深紅の竜。おもむろに首を持ち上げると眼光鋭く、彼方に仁王立ちする銀色の巨体を睨みつけた。……それは胸部コクピット内に鎮座する少年も同じこと。しかしながら全方位スクリーンに映り込む宿敵を凝視する彼の円らな瞳は、血走るほどの苛烈さが失せている。

 目一杯水平に広げられた桜花の翼。すると両翼の裏側から二本の長剣が展開、ハサミのように組み合わさって一本の大剣と化す。六本の鶏冠は閉じかけた扇子程度まで角度を狭め、依然中腰のままホバリングを続けてゆっくり近付き間合いを詰めていく。砂煙は微か。あれほど金属音がかき鳴らされたこのすり鉢状の試合場は、数秒も経ずして限りない静寂に包まれた。

 かたや獲物の進行方向に仁王立ちする銀色の巨体ケンタウロス・ワイルド。

 頭部コクピット内に乗り込む虹色の魔人ビスマは近付いてきた深紅の竜をひとしきり、凝視。そのうち徐々に、首を傾げてきた。……深紅の竜はあの苛烈な戦い方をあっさり捨てた。代わりにどんな攻撃を繰り出すのかわからないが、驚くべきことがある。あの竜の動きはつい先程までと比べて驚くほどゆったりだ。なのに、着々と迫るこの圧倒的な殺気は先程までとは比較にならぬ。これから何が起こるというのか。

 不意に、風切る音。

 地を這う横薙ぎは、左の大剣から。破裂するような乾いた音は、銀色の巨体が自慢の爪を真横に払い、弾き返した証拠。次は、次は如何に。すかさずビスマはキャノピーの向こうに見える強敵を睨む。

 深紅の竜は左の大剣を引っ込めつつ、さっと潮が引くように間合いを広げた。

 ビスマは首をひねったまま、それでも接近を図る。応える銀色の巨体はらしからぬ、中途半端な踏み込み。

 左足が接地を完了するまでに、再び例の、破裂するような乾いた音が鳴り響いた。深紅の竜が繰り出したのは右の大剣。やはり地を這う横薙ぎが、巨体の左膝に襲いかかる。寸前でどうにか払い除けた時には、深紅の竜は先程と同じように間合いを広げている。

 何度も首をひねるビスマ。深紅の竜も我が分身も、一撃必殺の攻撃を多数、備えているのが明らかだ。ならば躊躇うことはあるまい。あいつも己も、僅かな隙をこじ開け、叩き込めば良いではないか。あいつは何故、攻めないのか。そして……。

 そして、己は。

 どうしたいのか、己は。

 踏み込むべきか、離れるべきか。

 撃つべきか、殴るべきか。

 掴むべきか、払うべきか。

 あいつも己も、何をするつもりかわからない。

(ドウシタコトダ!?)

 虹色の魔人ビスマはかつてない心理状態に愕然となった。

(コレガ「ぱにっく」トイウコトナノカ……!?)

 そんな心の隙をさらに突くかのように、さっと流れる一陣の風。

 気がつけば銀色の巨体は、数歩も下がっていた。

 風とともに、急速に間合いを詰めたのは深紅の竜。桜花の翼を目一杯広げて躍り出るが、しかし、斬りも突きもしない。

 二、三秒に過ぎぬ間が異様に長く感じられたまま、すぐさま深紅の竜も数歩後退した。

 下がる深紅の竜を目の当たりにしたビスマは何らの表情も浮かべず硬直したかに見える。……適切な表情が、わからないのだ。何しろ我が分身たる銀色の巨体は、単に間合いを詰めてきただけの相手に対し、無意味なまでの後退に甘んじていた。

 対する深紅の竜は眼光鋭く強敵を睨みつけるのを止めぬ一方、己が胸元に一瞥するほどの余裕を取り戻したかに見える。

 胸部コクピット内でギルガメスはしきりに息を整えながら、左右のレバーを捌く。力みは大分、失せた。

「そうだね、これで良い。これで十分だよね」

 少年が話しかければ、相棒たる深紅の竜も己が胸をさすって応えてみせる。

 ギルガメスはブレイカーの諌めを受けて、一撃一撃を確実に命中させていく方針に切り替えたのだ。神速の百撃、千撃も中々命中しないのが最初の攻防で明らかだ。このまま怒りに任せていては、遠からず隙を突かれて敗れるのが目に見えている。それよりは一撃を正確に、隙なく決めていくのだ。

(僕達が死なずに勝つのが最高の敵討ちだ。そのために怒りの心が邪魔なら、さっさと捨ててしまえ)

 そう自分に言い聞かせながら少年は一撃、一撃を繰り出していく。……たったそれだけの心の切り替えで、風切る音と、破裂するような金属音が続けざまに繰り返されていく。しまいには、数歩接近しただけで目前の宿敵は怯んで退くまでになってしまったではないか。

 対する虹色の魔人は未だこんな局面で浮かべるべき表情がわからないまま。たまりかねて、襲いかかる左の大剣目掛けて前のめり。払うだけじゃあない、あわよくば、掴む。掴んで手繰り寄せる!

 その時、魔人の耳元に吹き荒んだ風切る音は、そんな彼の思惑を容易に切り裂いた。

 バネ仕掛けの玩具のように、左腕を挙げる銀色の巨体。

 深紅の竜が繰り出す右の大剣を、巨体の左腕はガッチリと受け止めたかに見える。正確無比の反応、攻勢に転じるチャンスだ。

 ところが銀色の巨体は、石にでもなったかのように動かない。

 竜の大剣も、受け止められた左腕に切っ先が密着したまま、動かない。

 それが、二秒、三秒。

 おもむろに大剣を引き、桜花の翼を翻しつつ深紅の竜は下がる。

 銀色の巨体が間合いを図るべく動き出したのはもう数秒後。……動けなかったのだ。何故、風切る音がよりにもよって耳元に届いたのか。

 そこには、僅かな好機を狙って不用意なまでに前のめりになった銀色の巨体の姿があった。防御が間に合わなければ、橙色のキャノピーは粉々に砕かれていただろう。魔人は仏頂面してレバーを引き寄せるしかない。

 虹色の魔人の金属質の皮膚に発汗機能があるなら、今頃汗びっしょりである。

(マズイ、マズイゾ……)

 虹色の魔人ビスマは秒単位で決着しかねない攻防の最中、可能な限り思考を巡らせる。

(コノ赤イ奴……[ジェノブレイカー]ノ剣技、威力ハ低イガ[ホボ絶対ニ]防ゲナイ。コンナ技ガ、アルトイウノカ……)

 言うまでもなく魔装竜の異名を誇る深紅の竜が放つ一撃、弱いわけがない。銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドを一撃で切り捨てるほどではないだけで、並みのゾイドならば一刀のもと切り捨てるだろう。そういう技がひたすら命中し続けているのだ。勿論、深紅の竜は自慢の再生能力を発揮する余裕も与えず、淡々と、だが一撃を絶やすことがない。

 すぐさま数歩後退、前のめりの姿勢を戻しつつ、この数秒でビスマはひたすら思案を繰り返す。

 一方、十数歩先で水平に翼を、二本の大剣を広げる深紅の竜は余裕綽々。

 それは胸部コクピット内部の少年も同じこと。既に怒りや悲しみといった感情は伺えない。あるのは次の一撃を必ず命中させるという素朴で強烈な一心に過ぎない。そして。

(多分こいつは、一足一刀の間合いも知らない。僕達が負けるわけにはいかないよ、ねぇ?)

 天井を見上げて喋りながら、汗びっしょりの少年は両肩で汗を拭う。

 深紅の竜は己が胸部を一瞥し、もはや心配など無用と確信した。あとはこの優しい主人の操縦にひたすら応えるだけ。重心を下げ、桜花の翼をふわり広げ、次の一撃を狙うのみ。

 

 凡そ戦いというものに、予想のつかない事態などというものは殆どないと言えるかも知れない。偶然の勝利と思われるような場面でも、僅かな手がかりを辿ってみると実は確かな要因が明らかになることが多々ある。さてこれから起きようとしている出来事はどうなのだろう。偶然か、必然か。

 とっくに静寂と、僅かゾイド数歩程度の地響きだけが繰り返されるこのラナイツの試合場。その外部に広がる荒野の彼方から「それ」は確認できた。場内の惨事からどうにか逃げおおせた多くの観客は、それを確かに感じ取ったという。だが、彼らの誰もが、つい先程まで目前に迫っていた異形のゾイドの襲来を恐れる余り「それ」に気を配ることなど到底できる状態になかった。

 唯一、確かに「それ」を認知できた者は地下にいた。エステルである。彼女が愛用するビークルは、地下格納庫のとある区画に停めたままだから、観戦客が避難するどさくさに紛れて降りてきたのだ。エレベーターは停止してしまっているため、螺旋状のスロープを駆け足で降りてきた。途中、警備に当たる兵士の目をかいくぐっての駆け足は精神的にも疲れるものであったが、彼らよりも彼女の方が練度で圧倒的に勝っていた。

 スロープを駆け下りながら腕時計型の端末から信号を送れば、程なくしてスロープの下方からビークルが耳鳴りにも似たマグネッサーエンジンの起動音を鳴らしつつ、床すれすれをふわり浮かんで彼女の前に現れた。エステルはもはや地下には客の避難誘導を行なう一部の兵士しかいないと確信し、信号が届くと考えられる距離までは何とかして駆け下りたのである。これで相当時間を稼ぐことができた。

 ビークルは急減速しつつキャノピーをせり上げる。目前に止まったのとほぼ同時に飛び乗るエステル。……早速操縦しようとハーネスを自らの身体に下ろしたその時、通常でも尋常ならざる五感を持つこの美女の研ぎ澄まされた感覚が、奇妙な重低音と絶え間なく続く振動を感じ取った。彼女がすぐさま額に長い指を当てれば、たちまち刻印の青白い輝きが浮かび上がる。

 かつて、それと同じものを感じ取った記憶は、相当幼い頃。数十秒後に起きた自然現象を、勝ち気な美少女はひどく恐れたものだ。彼女が直面した沢山の戦闘以上にトラウマになりかねないものかも知れない。

「……地鳴り!?」

 

 重心を下げ、ジリジリと間合いを詰め始めた深紅の竜。気合いがみなぎるその有り様に突如もたらされた異変は、見た目には僅かな仕草に過ぎなかった。

 深紅の竜は、顎を僅かながら右に、左に傾けた。耳を澄ますようにも見える仕草は、この緊迫を通り越して死命を決しかねない局面で見せる仕草とは到底思えないが……。

 相棒が感知したものは、胸部コクピット内に着席する若き主人の耳元にも伝わってきた。

「ブレイカー、何これ? こんなの初めて聞いたよ」

 同じような仕草を、相対する銀色の巨体も見せたのを、少年は見逃さない。……ただならぬ嫌な予感が脳裏をよぎったまま、彼はすぐさま全方位スクリーン左側に広げられた真っ暗なウインドウに何が表示されるのか横目で確認しようとした、その矢先。

 地面を千人単位で踏みつけるような激しい音とともに、胸部コクピットが垂直に数メートルも跳ね上がったように感じた。慌てて少年は、左右のレバーを頼りに小さな身体を踏ん張ってみせる。

 すかさず、深紅の竜は地面にへばりついた。もともとは丁寧に整地されていた筈のここ、ラナイツの試合場の地面は今や上下左右に形容し難い動きで揺れている。深紅の竜自身も両手両足の爪を地面に突き立ててこの揺れに対抗してみるものの、100トンを超える巨体の持ち主であるにも関わらず、安定には程遠い。

 ギルガメス自身はこれほどの振動、かつて体験したことがない。行く手を阻む強敵の攻撃を食らった時、しばしばコクピット内部が大きく揺れることがあったが、こんなにいつまでも揺れが継続するようなことはなかった。

「もしかしてこれが、地震……!?」

 既にこの試合場を構成する各所で大混乱が始まっていた。非常階段などから地上への脱出を果たした観客達は、頭上から降り注ぐガラス片やコンクリート片の雨に晒される事態となった。一方、VIP用観客席で指揮を執るギネビアらは直ちに手近の机の下に潜り込んで凌いだものの、完全に空白の時間帯が発生してしまった。焦る一同だが、地震の揺れは天井や内装をいとも簡単に剥がしぶちまけてしまい、彼らが今一度指揮に戻る勇気を確実に削いだ。

 一方、銀色の巨体もまた腹ばいで地面にへばりついていた。……だが注意して欲しい。腹ばいになったのはあくまでも雷鳴竜ウルトラザウルスの四肢で構成された部分のみ。暴君竜ゴジュラスの上半身が埋め込まれた部分は垂直に立ち上がったまま。傍目にはこのゾイドが尻餅をついたかのようにも見える。

 5秒、10秒……。

 しばらくの間、銀色の巨体は長い両腕を八の字に広げてバランスを取っていた。四本の足は懸命に踏ん張り、長い尻尾も極力地面に設置。周囲に亀裂が走っていることもあり、上半身と下半身の雰囲気がまるで違う。

 やがて轟く、高笑い。

「千載一遇!」

 虹色の魔人ビスマの叫びは、勝利を確信する以外の要素が滲み出ていた。分身たる銀色の巨体も彼に追随し、空を見上げて吠え立てるが、そこには明確な温度差が見て取れる。

 両腕を空に向けて突き出す銀色の巨体。……防弾ガラスを張り巡らされた高い壁の上から覗く青空に、まるで祈りを捧げるかのように。

 たちまち両掌がまばゆく輝き始めた。左右三本の爪を目一杯広げるや、手のひらを中心に発光、明滅。引き寄せられる土や砂利、暴れ回る無数の雷蛇。

 爪に集まる光は、やがて長い槍の形状にまとまっていく。遂には眩しく輝く金色の投擲武器が完成しようとしていた。その長さたるや、手にする銀色の巨体自身の倍近くはある。

 その様子をまじまじと見つめる深紅の竜。うつ伏せのまま低くうなる。

 返事を求められた少年はその有り様を刮目して見つめていたが、やがて何事か口走った。

 その一声を耳にした深紅の竜は己が胸元をちらり一瞥すると、決意を秘めて真正面を見直す。

 対する銀色の巨体は四肢で地面にへばりついたまま、暴君竜を構成する上半身のみが大きくうねった。完成した投擲武器を大空に捧げるとそのまま左腕を前方に突き出し、右腕を後方に引き寄せる。

『受ケテミロ、[魔装竜ジェノブレイカー]。[ケンタウロス・アロー]!!』

 銀色の巨体を中心に、扇状の土煙が舞い上がった。巨体を目一杯傾け、右腕で投げ放たれた投擲武器。風を、土煙を切り裂き、唸りを上げ、一条の光と化して解き放たれたるその先に、うつ伏せたまま大地震をこらえていた深紅の竜の姿が確かに見えた。

 高々と舞い上がった土砂。地を蹴った深紅の竜。背中より伸びたる六本の鶏冠の先端より、たちまち吹き出す蒼い炎。桜花の翼は水平に保ち、地表すれすれを滑空するかのように突き進む。

 折り重なった金と蒼。そのまま両者は弾けることなく正反対に駆け抜けていき……。

 金色の投擲武器は、試合場を構成するすり鉢状の斜面に吸い込まれるように突き刺さった。斜面には無数の亀裂が走り、地震の揺れにも決して引けを取らぬ衝撃が、辺りをデタラメに揺らす。

 一方、投擲武器の軌跡を反対方向に追いかけてみれば、そこには先程勢い良く滑空に転じた深紅の竜が、のたうち回っている。……背中の鶏冠をよく見てみれば、左側の最も長い一本が、先端を削り取られたかのような傷を追っている。自らの進行方向があらぬ方向に進まぬよう、地面にへばりついて急減速を果たしたものの……。

 胸部コクピット内では、ギルガメスがハーネスを押しのけかねない勢いでエビ反り悶えている。純白のTシャツは背中が鮮血に染まっていた。オーガノイドシステムのシンクロ機能によって、深紅の竜が負ったダメージがパイロットにも再現されたのだ。

 金色の投擲武器ケンタウロス・アローは確かに魔装竜ジェノブレイカーを捉えた。……だが銀色の巨体は微動だにしない。依然、収まらぬ大地震の揺れが原因ではなかった。銀色の巨体は万力で締め上げるような音を発している。歯軋りしているのだ。

「……[つがい]カ!」

 口惜しそうに彼方を睨みつけると、そこには時代がかったビークルが一台浮かんでいた。天井部分は開放され、中から長尺の対ゾイドライフルを両手で構える背広にサングラスという出で立ちの美女の姿が確認できた。エステルだ。右足でコクピットの縁を踏みつける姿勢は空中では傍目には危険過ぎるものの、相手の動き次第ですぐの狙撃にも追走にも転じる余地があることを示すものだ。

 銀色の巨体は己が右腕を掲げてみせる。鋼鉄の三本爪を備えた手首には、不自然な硝煙がブレスレットのように漂っているではないか。手首を、爪を、機械的に揺さぶってみせると澄んだ金属音が聞こえ、地面に吸い込まれた。対ゾイドライフルの銃弾は、この強敵の右腕を確実に捉え、定めた照準を狂わせてみせた。

 頭部を覆うオレンジ色のキャノピーはひとしきりビークルの方を睨みつけるが、それさえも虚しさを感じたらしく、視線を数百メートルは先で悶える深紅の竜に向けた。

『アナタハ恐ロシイナ。[導火線の七騎]ノ中デ最モ強イカモシレナイ。ダガ、私モ約束シタ』

 銀色の背中に搭載された網目状の翼が目一杯広がった。己が体格の倍以上はある巨大な代物。帯電しながら羽ばたきを始めれば、辺りには煙幕が張られるように砂埃が舞い始める。

『[ギルガメス]ソシテ[ジェノブレイカー]、必ズオ前タチヲ倒シテ約束ヲ果タス』

 収まらぬ震動を力づくで抑えつけるかのように四本の足を踏みつける。

 砂埃は地上の荒波と化し、放射状に広がった。うつ伏せになって受け止めるしかない深紅の竜。ビークルも真上に逃げるしかない。

 あっという間にゾイド十数匹分にまで膨張した砂埃。その中から、解き放たれた銀色の巨体が飛び立っていった。飛来する流れ星を逆回しで見るかのように、閃光が青空の彼方へと突き抜けていく。

 ギルガメスが……少年主従が、この正体不明の敵が逃走していく姿を見届けた時、遅れて発生した大地震の揺れも落ち着いたのをようやく感じ取ることができたのである。



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【第六章】獣達の黄昏

 マノニアは血走った両眼で、ひたすら刮目し続けていた。

 縦幅が自分の身長ほどもあるスクリーン上で展開していた地獄絵図は、一応の収束を見せた。彼は大きく肩で息をつくと、寝間着姿の小太りなその身体をソファに預けたのである。目前のテーブルには食べかけのハンバーガーとスープが並んでいるが、すっかり冷めてしまったようだ。

 かの奇形的戦闘機械獣ケンタウロス・ワイルドの動向について、マノニアはこの巨大スクリーンで連日ずっと観察していた。……その内容は如何なる娯楽大作映画をも遥かに凌駕する上に、当面完結する可能性の低い代物だと言える。何しろ第一報からしてこうだ。

「ラヴァナー将軍暗殺 正体不明のゾイド襲撃?」

 ……余りにもセンセーショナルな代物だ。その時点では手がかりなどまるで見つからなかったが、だからこそマノニアはケンタウロス・ワイルドの仕業に違いないと容易に確信できた。

 ただ、第一報に対する彼の率直な感想は戦慄であり、恐怖だった。事実上、己の願いが人を殺めたのだ。そしてそもそも、自らの手で人を殺めた経験など今まである筈もない。起きた出来事の反動を妄想したマノニアはそれで頭が一杯になってしまい、数日は臥せらざるを得なかった。

 現状、彼の精神の負担はともかく、身体の調子は事件前から現在に至るまで健康そのものだ。結局のところ彼は空腹に耐えかねて自力で起きたに過ぎない。ただ食事を摂るついでに、銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドのその後の行動を探らないわけにはいかなかった。……その結果グランドマスター・アロン&動く要塞レッドホーン「カーマイン」の撃破という続けざまの戦果を見届けたものの、続くギルガメス&魔装竜ジェノブレイカー戦では彼の目にはさっぱり理解できない攻防の末に退散したものだから、身体の調子に反して精神は疲労困憊といったところである。

 ふとソファの後ろの方で微かなモーター音が聞こえた。マノニアはそちらをチラリ見て告げた。

「まだ食う。あとコーヒーを淹れてくれ」

 彼の座るソファより外周は暗闇と例えられるほど暗い。そして闇の中には黒尽くめの機械人形が起立したまま数体、待機していた。マノニアは空腹を思い出し、ガツガツとハンバーガーを頬張る。

 勢いよく食べながら、彼はふと思い出したかのように後ろの機械人形のうち一台に向かって声をかけた。

「新たな発注はないな?」

 A3サイズの板状端末を持った機械人形が自ら端末をいじって確認するが、追加された情報は見当たらない。機械人形が首を横に振ったのを確認すると、一安心した様子で頷いた。彼は当座の仕事より時間が欲しかったのである。

 惑星Ziはきっと貧富の差が激しいに違いあるまい。何しろこの星の住人はかなり多くの出来事について、ゾイドで解決し続けてきた。故に極端でも何でもなく、ゾイドを持つ者と持たざる者との間で劇的な格差が存在し得るのだ。ゾイドがなければ遠方への移動もままならなかったりする。貧富の差も生じるというものである。

 それ故に、例えばこの星の科学者はゾイドコアを培養し新たなゾイドを生み出す者の地位が非常に高くなるに違いない。彼らがその様になるためには優秀な頭脳も当然必要だが、研究の場を確保するだけでも相当広大な土地と施設が必要である。それが持てなければ持てる者の下につくしかなく、それすらできなければ実力など関係なく科学者としては二流以下のレッテルを貼られるだろう。

 マノニアはまさにそれであった。彼の操る機械人形はもともとゾイドの欠損した手足を補うための技術から生み出された。だがそのような技術を世間にきちんと評価されたならば、ゾイドアカデミーの施設跡地からゾイドコアを盗み出す暴挙などに打って出たりはしなかっただろう。

 そこに思いが至ったところで、彼は一瞬だが手元に残ったハンバーガーの切れ端をまじまじと見つめた。親の仇とでも言わんばかりに眼光を飛ばすと、おもむろにかぶりつこうとする。……その時だ、機械人形に持たせたままになっていたA3サイズの板状端末よりアラームが仕切りに鳴り出したのは。

 肩をすくめるマノニア。早速機械人形が板状端末を彼の目前に掲げてみせる。

 彼がハンバーガーの切れ端とスープの残りを強引に飲み込むのを待っていたかのように、眩しい虹色の肉体が映し出された。

『[マノニア]ヨ。ヒトマズ戻ッテキタゾ』

「ビスマ……今、どこにおるのじゃ」

『モウスグ、真上ダ』

 刮目したマノニア。すぐさま立ち上がると機械人形達に身振りで合図を送る。……たちまち暗い室内に電気が灯された。円状の壁面。今まで暗くて不明だった部分はソファがもう二、三個設置できそうなほど広い。だが舞台は締め切られたドアの外だ。大名行列のように前後に連なる機械人形を従え、マノニアは小太りなその体型から考えられないくらいテンポ良く歩き始めた。彼のすぐ目の前を、例の板状端末を抱えた機械人形がマノニアにも見やすいようにそれを掲げながら先導する。

 板状端末は非常に入り組んだ鳥瞰図を突っ切る白い好点を映し出していた。

「よくここがわかったな?」

『ソウイウ能力ヲ、コチラモ積ンデイルノデナ』

 板状端末の左下隅の方に、ワイヤーフレームで描かれた銀色の巨体が表示され、背中にズラリ連なる背びれ部分が明滅を繰り返す。この部分がレーダーの役割を持っているだろうことはマノニアにもすぐ想像がついた(細かい疑問はたくさんあるが、それは彼もひとまず思考の片隅へ放り投げた)。

 さほど長くない廊下の先にある鋼鉄の扉を開ければ、薄暗い電灯に照らされた吹き抜けの格納庫が広がっている。マノニア達はこの格納庫内に張り巡らされたキャットウォークに姿を表したのだ。さて格納庫内はこれからやってくる来訪者がどうにか一匹程度は収まる面積だが、天井は十分に高い。壁面各所には汚れや傷がこびりついており、年季を匂わせる。

 マノニアもZi人の技術者であるが故に、ゾイドを多少受け入れるくらいのスペースはご覧の通り自宅に確保していた。このマノニア邸は入り組んだ山岳地帯に構えられたものであるため、近付くには細い山道以外、空から侵入するしかない。

 さてこの格納庫の天井が唸りを上げて巨大な口を開けると、闇の帳には既に星の川が流れているのが確認できた(※騒動の現地との時差がかなり生じている)。だがその中に、一つだけ徐々に大きくなっていく光が確認できる。

 月明かり、星明りに照らされて、落下してきた銀色の巨体。四肢は前傾の姿勢、首から伸びる暴君竜の上半身だけは胸を張るように反り返っている。そして、目一杯に広げられた網目状の翼。自身の体格ほどもある二枚の翼には、網目部分に次々と眩しい光の膜が張られていくのが見て取れる。

 やがて光の膜が翼の網目全てを覆った頃には、銀色の巨体は舞い散る羽毛の如き急減速を果たしていた。翼を逆立てた状態でマノニア邸の天井入り口をくぐり抜け、ふわりと着地。流石に加減はまだまだ効かぬようで、鋼鉄の床を踏みしめた時には建物全体が地響きとともに揺れてしまい、マノニアもキャットウォーク上で尻餅をついた。

 光の膜が弾けて消失した。折りたたまれる網目状の翼。鋼鉄の床にへばりつくようにしゃがみ込む。直近の一戦で酷使された両腕はだらりと下げていた。

 暴君竜の頭部を覆う橙色のキャノピーが開放され、天の川の如き光の流れが躍り出た。辺りを漂うように飛び交うと尻餅から立ち上がったマノニアの前に集結し、やがて虹色の魔人の姿を構築したのである。

「おお、ビスマ……見事じゃった」

 魔人ビスマを最初に目にした時でさえ奇想天外と言えた。そこに、名だたる「導火線の七騎」を既に二騎、屠ったという実績が加わったのだ。既に得体の知れぬ生物などというレベルを超えて恐ろしさと神々しさが感じられる。

 だがマノニアがかけた労いの言葉に対し、ビスマの告げた言葉は意外とも言えた。

『両腕ヲ痛メタヨウダ』

 マノニアは待ってましたとばかりに傍らの機械人形に指示を出す。

 たちまち銀色の巨体の各部に機械人形が群がる。格納庫内各所のキャットウォークにも、待機していた機械人形が自らの視線を向ける。それと共に板状端末に銀色の巨体の各所を透視した映像が次々に送られてきた。

 殆どの映像はダメージなしを表していた。……ただ二箇所、両腕だけはビスマが訴えた通り、まるで毛細血管が張り巡らされているのかと見紛うほどに、至るところヒビや断線が確認できた。

(これが魔装竜ジェノブレイカーの実力なのか……!)

 負傷させた強敵の実力を改めて思い知る。これがあの一見して誠に不可解な攻防の結果だというのか。

『我ガ能力ヲ用イテノ修復ハ、流石ニ激シク消耗スルノデナ』

「おお、おお、儂とこやつらがいくらでも面倒を見てやるぞ」

 気前良く応じるマノニア。機械人形達が道具を持ち出すまで五分とかからない。

 マノニアは機械人形達に指示を送ると、その場にパイプ椅子を二つ用意させた。一つは自分用、もう一つは恐れ多い願い事を受け付けて現在奮闘中の虹色の魔人用だ。……両手を差し出し着席を促すマノニア。彼にとって、虹色の魔人ビスマは既に立派な客人であった。

 ゆっくりと、手応えを確認するかのようにしながら着席するビスマ。その瞬間、パイプ椅子はミシミシ音を立てたが、流石に壊れるには至らなかった。

『コレガ[椅子]トイウモノナノカ』

 無理もない感想だ。本来は人の形をしていない以上、椅子に座る経験などなかった筈だ。

「人はこれで身体を休めるものじゃ。まあ、休む道具は椅子だけではないがな」

 興味津々で頷きを返す虹色の魔人。異様な風貌とは裏腹に、振る舞いは引き取ったばかりで周囲の変化に興味津々なペットのようだからおかしい。……勿論、それで和んで終わりというわけではない。

 機械人形が遅ればせながら、コーヒーを入れたカップを二つ用意した。受け取るマノニア、そしてビスマ。マノニアは(此奴、飲めるのか?)と内心首をひねったが、この虹色の魔人がおもむろにカップに右手をかざしたところ、液体はまばゆく輝きながら分解し、彼の右掌内に吸収されてしまった。恐らくは彼の分身たる銀色の巨体が傷口を塞いでみせる時と同様、コーヒーを元素だか原子だかのレベルにまで分解・吸収しているに違いない。その光景に驚きを隠せぬものの、とにかくマノニアは話しを切り出す。

「……さてビスマよ、ここまでの手応えはどうじゃ?」

 腕組みした魔人はポツリ、つぶやいた。

「実ニ、ヤリガイノアル仕事ダ。

 喰ウ以外ノ理由デ「ゾイド」ト戦ウノハ初メテダ。嬉シイ。

 ……[ラヴァナー]サンモ[アロン]サンモ相手ニトッテ不足ハナカッタ」

 その言葉にマノニアは一々頷いていた。ビスマが幽閉されていたあの研究所こそは蠱毒を作り上げるように、ビスマを始め沢山のゾイドコアを確保し、共食いを発生させ続けてきたのだ。……その軛(くびき)が外れ、別の動機で戦いに臨む心境はさぞかし新鮮だろう。

 だが、ここまで喋るだけ喋った末に、この魔人は何故かうつむいてしまった。

「ダガ、ダガ……[ギルガメス]ト[ジェノブレイカー]……彼ラハ恐ロシイ。

 殺気ガマルデ、感ジラレナイノダ! イヤ最初コソソレラシキモノガヒシヒシト感ジラレタガ、イツノ間ニカ……。

 他ノ二騎モ、俺ヲ喰ラオウトシタ[ゾイドコア]モ、アリ余ルホドノ殺気ヲ込メテ向カッテキタトイウノニ……。何カ違ウ生キ物ト戦ッテイルヨウダ」

 マノニアはコーヒーを啜る手を止め、ひたすら聞き入っているかに見える。しかしその一方で、彼は怪訝そうな表情をこれっぽっちも隠さない。……この魔人は事実上、ゾイドである。だがこの者の口から発せられる言葉は、古の武芸者が語る奇妙な哲学もどきと同レベルのものにしか聞こえなかった。非科学的な言葉の数々は、彼の職業柄もあって敬意を評するに値しない。

 小太りの中年が悪辣な笑みを湛える。

「ビスマよ、次に赴く時は儂を連れて行け。共に戦うことはできぬが、協力位はできる」

 魔人はこの雇い主の腹の中を探るという発想もなく、安堵して頷くだけであった。

 

 ラナイツの第一試合場にも夕暮れが覆い被さろうとしていた。

 空高くそびえる外壁はところどころ風穴が空き、分厚い防弾ガラスが砕けたまま。外壁の麓にいくつか設けられた地下格納庫の出入り口では、多数の兵士や人よりは大きな程度のゾイド達が群がっている。……少しずつだが、客達の所有するゾイド達が長い閉じ込めを終えて客もろとも外部への脱出を始めていた。地上の空気を吸ったゾイド達はそのずっと先で誘導灯を振り回す兵士のそばまで次々に移動を開始する。

 客用の格納庫は概ね無事で済んだが、施設内外での客の滞在は、この施設の運営側によって「極めて危険」と判断された。あの銀色のゾイドが再び襲いかかってくるかも知れない。そして、あの不可解な地震……。運営側は近隣の都市への避難を案内し、それは着々と進んでいた。しかしながら自前のゾイドで観戦に訪れた者は決して多くない。彼らを確保すべく、定期便やツアーなどで用意する輸送用のゾイドが少しずつ地平線の向こうから土煙を上げて訪れてきたところだが、その数にも限りがあった。

 さてギルガメスは全方位スクリーンで囲まれたコクピット内で着席しつつ、生あくびしながら映し出されたウインドウから垂れ流される報道番組をぼんやり眺めていた。……ウインドウの映像はともかく、スクリーン自体はまるっきり薄暗いため外部の様子などさっぱりわからない。この全方位スクリーン内に少年が留まっているのは、このコクピットの持ち主である深紅の竜が願ったからだ。相棒は、事態が動くまでは極力休息を図ってもらいたかったのだ。結果として少年は僅かな時間ながら仮眠を取ることができた。

 この優しき相棒は、つい先程まで激闘が繰り広げられたここラナイツの第一試合場のど真ん中に腹ばっている状態だ。少し離れたところでは軍警察らしき人物が至るところに群がっている。彼らはひとまずは大人しく彼らの求めに応じ、滞在していた。……軍警察の面々は、大半が試合場の端に寄せられた、ほんの数時間前までは赭色の角竜レッドホーン「カーマイン」だった鉄塊の外周に群がっている。ギルガメスはその様子をぼんやり見つめるよりほかなかった。援護が間に合わなかったことは無念だが、敗北の瞬間に立ち会わなかったことが己に相応の落ち着きをもたらされたのは皮肉なことだ。

 ふと、ギルガメスはハーネスで固定された上半身と、座席の隙間に右の掌を潜り込ませてみた。……Tシャツの中を触ってみて、傷口が塞がったのを確認すると、少年も竜も安堵の表情を浮かべる。

 彼と優しき深紅の竜は、戦う際は互いをシンクロさせる(※その理屈や理由については拙作「魔装竜外伝」などをご参照下さい)。竜が傷付けば、主人たる少年の身体にも傷が付く。先程の激闘で、深紅の竜の背中に伸びる鶏冠は強敵の巨大な槍によって少々ながらダメージを受け、それが少年の背中にも浮かび上がっていた。

 しかしながらこの竜こそは金属生命体ゾイド、自己修復機能を備えている。ひたすら大人しくこの場でうずくまっていたこともあり、数時間程度で修復を完了させた。少年は薄暗い天井を見上げて一言、語りかける。

「ああ、塞がったみたい。

 ブレイカー、良かった、良かったね」

 天井から甲高い声が聞こえるや、胸元を弄るような感覚に襲われ少年は吹き出してしまった。相棒が自らの顎を胸元に乗せて、撫でるように擦り付けてみせたからだ。……深紅の竜は、我が主人に対し甘えてみせることで感謝の気持を伝えたかったのである。何しろこの主人、いつだって自分のことより相棒の傷が塞がったことに歓喜の表情を浮かべるのだ。

 そうやって大人しくしていた深紅の竜が、突如として首をもたげた。唐突且つ試すように、首を様々な角度に切り替えて周囲の警戒に当たる。

 向こうから近づいてきたのは余りに無骨な男達の集団であった。ギルガメスと同等の少年もいれば、見るからに荒々しい青年、頬に切り傷のある老人など様々だが、いずれも見慣れぬ灰色のパイロットスーツを着ている。……ただ、共通して言えるのは程度の差こそあれ、皆やつれていることだ。彼らはギネビアの私兵であり、相応の高位につく者達でもある。

 肝心のギネビアは集団の先頭に立っている。彼女も既にお揃いのパイロットスーツに着替えているが、集団の中に埋没するどころか凛とした雰囲気が却って際立った印象を与える。シニヨンにまとめ上げた透き通るような金髪の清潔感が、男達のぎらつきを見事に抑え込んでいるのである。

 既にヘリック共和国によって完全統一された惑星Ziであったが、平和の維持には天文学的な人手と資金が必要であった。そこで共和国政府は一部の民族や富豪等が治める地域には、自治区としてある程度自由に運営していくことを許可したのである。私兵達もその一環で雇われたのだ。

 その一人ひとりを、深紅の竜はデータとして確実に記録するために奇妙な首の動きをみせたのである(※別角度からの映像を沢山記録できれば対象の特徴を掴み易くなる)。映像以外にも声とかちょっとした息遣いなども記録して、有事に備えるつもりだ。

(どうしようか……)

 ギルガメスは難しい表情を浮かべた。ギネビア達は挨拶をしに来たに違いない。……先程繰り広げられた激闘は、そもそもギルガメスの性分として避けるわけにはいかなかった。だが差し出がましいと指摘する者もいた筈だ。少年らはただの客人に過ぎない。まずそもそも会うべきなのか。会ってどんな話しをすべきか。

 助け舟はすぐにやってきた。集団の左脇を抜けていく時代がかったビークル。深紅の竜は甲高く鳴いて歓迎した。竜の右手で旋回しつつ着陸するビークル。キャノピーがせり上がり、中から紺の背広をまとった長身の美女が颯爽と躍り出ると、竜の方に向かって手招きする。

 すぐさま深紅の竜は腹ばいのまま胸を張り、中から手早く居住まいを正したギルガメスが現れた。

 美女エステルがサングラスを外して投げかける微笑みは、数時間振りに少年主従と顔を合わせることができた喜びが滲み出ている。……彼らは先の戦いが終わったあともすぐに会うことはできなかった。エステルは小回りの利くビークルを乗りこなしていることもあって、施設内に無数にある安全装置を解除すべく奔走した。余りにも規模の大きな施設のため、復旧にはゾイドやそれに匹敵する機械の助けが必要だったのだ。ギルガメスも手伝いを志願したが、流石に先程まで戦って事態を収めた英雄を駆り出すことにはラナイツの職員達も抵抗感があったようで、即座且つ丁重に断られてこの場での待機となったのである。

「お疲れ様」

 そう伝えるエステルの優しい響きに少年は声も出ず、コクリと頷くのみだ。だがそれはそれとして尋ねなければいけないことがある。

「そちらの人達は? ギネビアさんと……」

 エステルは優しげな雰囲気を変えず、集団の方に目配せをした。

「そう、ギネビアさんと彼女直属の兵隊さん……『獅侍の軍団』の皆さん」

 ハッとギルガメスは顔色を変え、背筋を伸ばす。

 集団から一歩前に出たのはシニヨンの美少女、ギネビア。沈痛な面持ちで深々と頭を下げる。

「ギルガメス様、先程は誠に……誠に、ありがとうございます。お陰様でひとまず正体不明のゾイドは退散しました。

 私共は応援に駆けつけることもできず、沢山のお客様の生命を危機に晒し、あまつさえ稀代のゾイドウォリアー・アロンを見殺しにする為体(ていたらく)。何とお詫びを申し上げれば良いか……」

 頭を下げたままのギネビア。両肩が小刻みに震えている。

 彼女のすぐ後ろで控える獅侍の軍団の面々も無念の表情を隠さない。ある者はギネビア同様肩を震わせ、ある者は唇を強く噛み……。

「いや、そんなこと!」

 ギルガメスは慌てて一歩前に出ると彼女に諭す。

「なってしまったことは仕方がないから、次に生かしましょう。アロンさんもそうすればきっと喜んでくれる筈です」

 そう言ってしまってからギルガメスは円らな瞳を見開いた。

(ギネビアさんは、アロンさんの死を本当に受け入れているのか……?)

 ギルガメスの両親・兄弟は自身が家出して間もなく無残にも殺された。それを知ったのは半年程も後のことだ(魔装竜外伝第12話・13話参照)。彼とて容易には受け入れることができなかったではないか。

 だがギネビアは、傍目にはあの頃の少年よりずっと気丈に見えた。ゆっくり頭を持ち上げると沈痛な面持ちこそ変わらぬものの、毅然とした表情で言い放った。

「はい。必ず、生かします。……生かして、みせます」

 ギルガメスはほっと胸を撫で下ろす。

 するとギネビアの後ろで待つ獅侍の軍団の先頭に並ぶ者が一名、一歩前に進んだ。白髪の老人。額や頬に古傷のある如何にも歴戦の勇者然とした人物だ。

「エステル様、ギルガメス様、お願いがございます。

 早めに、この地を立ち去っては頂けませんか」

 顔を見合わせる師弟。別に見返りを求めて戦ったわけではないが、それにしても気持ちの良い申し出ではない。アロンの葬儀だって済んでないのだ。

 老戦士もそこは織り込み済みの様子で話しを続けた。

「あの銀色のゾイドが『導火線の七騎』抹殺を狙っているのは明らかです。その一人であるギルガメス様を倒せなかった以上、必ずや再戦を目指してこの地にやってくるでしょう。

 ここラナイツより北には友好的な自治区がいくつもあります。定期便がまだ残っておりますので、是非ご希望のところへご出立下さい。私共が旅費をお立て替え致します」

 彼の申し出に対し、ギルガメスは即座に疑問を投げかけた。

「僕達が立ち去ったすぐ後に再びあの銀色の奴が来たら、どうするつもりなんですか? 人手は多い方が……」

 少年が言いかけたところで、老戦士は傍らのギネビアを一瞥した。少し困った風だ。

 ギネビアは琥珀色の瞳はまじまじと見開いたまま、コクリと頷く。

「既に……既に、軍警察の応援を要請しております。ご心配なく」

 老戦士の言葉に獅侍の軍団の他の面々が一様に驚きの表情を浮かべたのを、傍らのエステルは見逃さなかった。……だが彼女はそこを指摘するのを敢えて見送り、愛弟子と老戦士のやり取りに注視する。

 ギルガメスは憂いの表情を隠し切れないまま、それでも深々と一礼した。

「わかりました。ご武運を、お祈り申し上げます。

 あと教えて欲しいんですが、『導火線の七騎』って、何なんですか? あの銀色のゾイドのパイロットも言ってました」

 老戦士が語ろうとしたところ、ギネビアが軽く手を上げて制した。

「古来より、政治家や軍人、ゾイドウォリアーなどの間で度々そういう風説が流布されているのです。恐らくは、ヘリック共和国の上層部が発信源でしょう。

 いつの時代にも、当代きってのゾイド乗りとその相棒が七名、語られております。地上最強のゾイド乗りと、その相棒達……。彼らは尊敬される存在であり、成り上がりを目論む者にとっての目標的存在でもあるのです。

 私と相棒「アーサー」は去年より第三騎と語られるようになりました。ギルガメスさん、貴方達は今年になってから第七騎と語られています」

 はぁ、とギルガメスは怪訝そうな表情を浮かべた。自分と相棒が余所でそういう評価を受けていたことがそもそも困惑であり、そういうものを知らされぬままにアロンとカーマインに続いて戦っていたのだ。

 ともかくギルガメス達の次の行動が決まった。彼らはラナイツを今日の夕方にも立ち去る。定期便の用意と、一晩の宿の用意までをお願いすることになった。また、アロンの葬儀は日を改めて国葬になるだろうから、その際には連絡するとも伺った。間違いなくヘリック共和国が動いて国葬にしてしまうという。彼ごとゾイドコアを撃ち抜かれて死亡したレッドホーン「カーマイン」は今も軍警察の面々が調査中だ。

 一通りの話しを終えると、ギネビアと獅侍の軍団の面々は深々と一礼し、この場を立ち去ったのである。ギルガメスとエステルは速やかに軍警察の囲みに割って入り、せめてもの礼を捧げた。そしてその間にも、定期便の到着を告げる別の兵士が彼らのすぐ後ろで待ち構えていた。

 

 夕陽を浴びるコロッセオの如きラナイツの第一試合場のそばに、巨大なダンゴムシが一匹やってきた。グスタフだ。定期便の役目でやってきたのだ。後部には一台の客車と巨大な平台を何両も連結させて引っ張っている。

 深紅の竜ブレイカーは平台のうち先頭の、客車に隣接した一台にうずくまった。両腕にはビークルを抱えている。

 ギルガメスとエステルは客車の方に乗り込むことになった。少年は相棒たる深紅の竜に対し予め「少し我慢してね」と何度も語りかけ、鼻先にキスしてやった。しかしながら竜の方も先程の師弟達の会話に聞き耳を立てていたこともあって、納得はしている。

「窓際にする?」

「あ、はい」

 窓際なら自分の顔も見えて少しは大人しくしてくれるだろう……そう考えてのことだ。

「お腹、空いたでしょう?」

 エステルは言いながら予め作り置いていた具材の豊富なサンドウイッチを旅行鞄から取り出す。

 円らな瞳を輝かせるギルガメス。ラップを剥がして、早速かぶりつく。

 その様子に満足するエステルだったが、実のところ彼女は少年の視線を争い事から逸らしたい気持ちがあった。

(ギネビア達は軍警察に応援など要請していないのでしょう。それこそ面目、丸潰れだからね。ましてやギルガメスに応援をお願いすることもできない。『導火線の七騎』などというのが本当の話しなら尚更ね)

 エステルが守りたいものはごく限られており、それが果たせそうなのでひとまずは安堵していた。……もうすぐ、夜が来る。



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【第七章】真夜中の包囲網

 切り立った崖と崖との間を、貫くような夕陽。闇夜の帳はすぐそこまで迫っていた。

 崖の下にはよく踏み均された土の道が一本。悠然とそこを通過していく巨大な鋼のダンゴムシ・グスタフが一匹。客車と平台の連結は、それだけで定期便であることを証明するものだ。……惑星Ziにおいて全ての人が金属生命体ゾイドを持てるわけではない。持てない人が活用する移動手段として、こうした定期便は各地に普及していた。そしてその前後には、白い狼コマンドウルフが一匹ずつ随伴している。定期便は長旅になり易く、護衛役のゾイドが不可欠である。

 崖の下を駆け抜けていくグスタフ。やがて崖が左右に広がり、次の平地が広がったところで彼方に街の灯が無数に浮かび上がった。グスタフの目的地のようだ。……それは他ならぬ平台の上に載せられ専用の拘束具で括り付けられた深紅の竜ブレイカーが、待ちくたびれたとばかりに首をもたげようとした様子から見ても明らかだった。すぐに自重したのは、主人を困らせまいという気持ちがこのゾイドにもあるからだ。

 一方客車の中ではギルガメスとエステルが対面で座っている。うたた寝するギルガメス。それをサングラス越しにぼんやり見つめるエステル。二人が乗り込む客車の車輪が硬い岩盤に微かな轍を残す音だけが聞こえてくる。

 不意に、少年の左腕に括り付けた腕時計型端末がアラームを鳴らし始めた。ハッと目を覚ましたギルガメス。慌てて手首を押さえてアラームを止めると、ちらりエステルの様子を窺う。……彼女がうたた寝していると、少年は確信して疑わない。ほっと胸を撫で下ろした少年は窓越しに後ろを振り向きつつ、小声で端末に向けて囁いた。

「お疲れ様、もうすぐだね」

 深紅の竜はそれで十分満足できた様子で、うずくまったままの状態で尻尾の先端だけ左右に揺らしつつ、声を潜めてひと鳴きしたのである。……平時なら、少年と深紅の竜は眩しい夕陽を背に受けながら練習を終えて引き上げたものである。今は少しだけ、平時に戻ったのだ。それが深紅の竜には嬉しかった。今晩何が起こるかまるで想像もつかないから余計にだ。

 

 固く踏み均された道筋からゾイド数体分も離れたところに、青く透き通る装甲の二足竜がしゃがみ込んでいる。バトルローバーだ。じっと大人しくしており、小休止しているかに見える。

 道筋をたどるように、グスタフと護衛のコマンドウルフの一隊が駆け抜けていく。砂埃の波が打ち寄せる。バトルローバーは多少身体を左右に揺らすものの、ひっくり返ったりはせずじっとしゃがみ続けていた。

 やがて一隊が街の灯目指して遠ざかり、砂埃の荒波が収まっていったところでバトルローバーの懐から現れた者がいる。カーキ色したフード付きのマントを羽織っており、その正体は伺い知れない。その下から腕時計型端末を括り付けた左腕を伸ばし、顔に近づけると案外爽やかな男声でつぶやいた。

「18時着の定期便、通過しました。ジェノブレイカーも確認。

 ふぅ、やっぱりでしたね。では予定通り、そちらに合流します」

 

 灼け付く夕陽を背中より浴びるグスタフ。その行く手に再び岩山の連なりが浮かび上がった。麓から中腹まで複雑な形状の防壁が覆い尽くす。その所々に並び立つ櫓。窓から灯りが遠くからでも確認できる。

 城門は開放されていたが、辺りに群がるゴーレム(人に良く似た白い鎧のゾイド。人よりは大きい位のサイズ)がグスタフ達の誘導を開始する。入場が完了すると共にサイレンが鳴り響き、城門の閉鎖が開始された。

 城門の内側には台車を背後に引きずる大小様々なゾイドが雑然としゃがみ込んでいた。客車の窓越しに見つめるギルガメスは、それらがいずれも運送会社の所持するゾイドだと即座に理解した。普通、この手のゾイドは城壁外に放置されるものである。敢えて彼らが入場・待機している理由を少年は悟った。間違いない、これは少し遠くでこれから起こるかもしれない戦いへの、備えだ。

 少年らを輸送するグスタフは悠然たる動きは維持したまま、城壁内側に広がるターミナルに停まった。客車や台車には待ち構えていた兵士達が早速群がり、誘導を開始する。深紅の竜はビークルを両手に抱えたまま、赤子のようなよちよち歩きで慎重に舗装された地面を踏みしめた。既に少年は胸部コクピット内に、女教師はビークルに搭乗済みだ。

 彼らが案内されたホテルは小綺麗な高層建築だ。外周をコンクリートの塀で囲われている。さて門前まで案内されたところでいささか奇妙な光景に出くわした。……門の内側にはホテルの従業員達に加え、警備員が操作するゴーレム数匹が待ち構えている。兵士達は敬礼し、従業員達は右手を左胸に当て答礼する。整然とした、如何にも手慣れた光景。このホテルはヘリック共和国軍などの公的な軍事組織の要請があれば応じているのだろう。そしてそういう光景を間近に見られた事自体がこれから起こるやもしれない戦いを予感させるものだ。

 敷地内に踏み込めば正面にはホテルへと続く舗装された広い道が、左右にはゾイドを地下に格納するスロープが確認できる。深紅の竜なら翼を畳めば余裕で入れるだろう。左が入口、右が出口だ。

 警備員のゴーレムに誘導されるまま、地下の格納庫へ進んだ深紅の竜。首を傾げるような仕草を見せたのは再び地下に入り込む羽目になったことへの不満の現れだったが、スロープを降りていざ格納庫内に踏み入れたところで仰天する羽目になった。ホテルの従業員数名と、十名ほどの作業員が区画の隅で整列して待機していたのだ。随分仰々しい歓待に師弟は目を丸くする。

「さあさあお客様、旅の疲れを癒やして下さい」

 促されるままに降り立つギルガメスとエステル。荷物を従業員に預けると、相棒には大人しくするよう声をかけて踵を返した。ところが数歩進んだところで、聞こえてきたのは悲鳴ともつかない鳴き声。少年はぎょっとなった。

 腹ばう深紅の竜に作業員達が一斉に群がり、ホースで水をかけ始めたところだ。一応、言いつけのままに大人しくしていた竜ではあったが開始数分を経ずして情けない声を上げている。……間近で眺めていた少年はすぐに理解した。作業員達は如何にも手慣れており、届きにくいところにも手を抜かず、専用の洗剤を使いブラシで丁寧に擦っている(相棒の巨躯を洗い流すのは少年自身も度々するのだが、女教師と二人がかりの大変な作業だとよくわかっている)。要は、彼らの方が上手なのだ。

「大丈夫よ、あの子も少し羽根を伸ばした方が良いわ。行きましょう?」

 動揺する少年とは裏腹に女教師エステルは笑顔を浮かべながら彼の右手を引っ張った。

 

 そこそこ大きな浴場で湯船に浸かるギルガメス。……これが惨劇の後とは思えない位、ほっと一息ついてしまった。身勝手な生き物だな、といささか呆れている。

 そして浴場がやけに静かであることにも気が付いた。エステルが別室の浴場を利用しているからだ。いつもなら仮設風呂を利用しているため、近くで調理中の彼女の息遣いがよく聞こえてくる。時には異国情緒感に溢れる鼻歌混じりで調理に勤しむさまを間近で見ていたが、それもこれも仮設風呂を二人で交互に使っていたからだ。十数メートルも離れていないのに(あの人は今どうしているんだろう)などと妙な思いを馳せてしまう。

 そして、寝間着に着替えての食事。個室の座卓に用意された山の幸に舌鼓を打つ少年。明らかに肉類が多めなのは女教師エステルの要請らしく、対面に座る彼女はしてやったりとでも言いたげな表情を浮かべた。

 だがこの後、食べ進めていく内に少年は気が付いたのだ。女教師は、何か考え事をしているようだ。……いや、思い詰めているとでも言うべきか。彼女が食事を楽しんでいるようでも、時折手が、スプーンやフォークが止まっている。少し考えた少年は、何度目かの咀嚼を終えて飲み込むと意を決した。きっと、自分と同じことを考えている。

「ギネビアさんは、本当に軍警察に応援をお願いしたんでしょうか……?」

 切れ長の蒼き瞳が見開かれた。マジマジと少年を見つめた後、天井を仰いで溜め息をつく。

「ギネビアはきっと、軍警察の応援なんか、要請していない。

 して欲しくても、できないでしょうね」

 今度は少年が円らな瞳を見開く番だ。風呂上がりでまだまだ頬が火照っているにも関わらず、血の気が引いたように青ざめる。今この時間の平穏は、ギネビアが万全の体勢で反撃することに納得した上で獲得したものだ(軍警察のゾイド部隊が支援するなら、少年の相棒たる深紅の竜の火力に十分勝るだろう)。それが今、根底から崩されたのだ。

 少年の有り様をまじまじと見つめた女教師は唇を噛み締めた。

「ラナイツという自治区の当主でもあるギネビアの求心力は、彼女のゾイドウォリアーとしての抜群の成績と、彼女が抱える『獅侍の軍団』の強さに他ならないわ。それが昼間は、まるで役に立たなかった……。

 面目を回復するためには他者の応援無しであの銀色のゾイドを倒すしかないでしょう」

 そこまで聞いたところで少年は手にしたパンを頬張り、すぐさま立ち上がろうとしたが。

「待って! ギル、仮に貴方が加勢して勝ったとしても、代わりにギネビアが『無能』のレッテルを貼られることになるわ。

 彼女は自治区の当主としては異常な位、武力を蓄えているわね。いずれは武装蜂起するつもりなのでしょう。でもね、無能な当主に味方する者なんて、いると思う?」

 そこまで言われて、少年は肩を落として項垂れた。自分が悠長に食事をしている間に、多少ながら関わった人物が生命の危機に晒されるかも知れない。だからといって少年が加勢を申し出たとしても、彼女達は己が将来のために断らざるを得ない。限られた戦力で、ギネビアと獅侍の軍団は絶対に勝たなければならないのだ。

「……取り乱して、すみません。

 せめて夜が明けるまでは、忘れることにします」

 少年が絞り出した、精一杯の言葉。

(ごめんね……)

 女教師も項垂れ謝罪の言葉を呟くが、消え入りそうな囁きだ。覚悟していたとはいえ、結局は少年の優しい気持ちを傷付けてしまった。切れ長の蒼き瞳は軽く充血していた。

 少し冷めた食事が再開されると、少年は手が遅れがちな女教師に一々伺いつつ、片っ端から頬張っていく。無理して戯けるように。彼とて愛する女性の虚ろ気な瞳を見抜かぬ訳がなかったのだ。

 

 夜の帳はここラナイツの第一試合場をも包み込んだ。今宵も双児の月と星屑が輝き、淡く大地を照らす。

 その下で、この巨大なる建造物はあれ程の惨事が起きた直後でもできる限りの照明を点灯させていた。真夜中、灯りもない中でこの手の建物に激突する者が現実に存在する以上、最低限の責務である。

 だが日中に無残な事件が起きたこの建物の地下深くにも、多数の兵士が集結していることは傍目には誰も気付くまい。……とある広々とした一室には長机が幾重にも並べられ、そのいずれにも灰色のパイロットスーツをまとった兵士達が着席している。彼らの視線の先にあるのは、人の身体よりも大きなスクリーン。流れる映像は言うまでもあるまい、日中地上で大暴れした銀色のゾイド、ケンタウロス・ワイルドの姿だ。スクリーンの左にはあの老戦士が、右にはシニヨンの美少女ギネビアが着席している。ギネビアについて驚くべきは、彼女もまた灰色のパイロットスーツをまとっているということだ。

 老人が起立するとスクリーンには映像が浮かび上がる。昼間の戦いの様子をもとに、彼は熱心に語り始めた。

「……ここまで見ての通り、警戒すべきは尋常ならざる再生能力を持つことだ。部位を破壊した程度では秒単位で修復する。その上、弾薬や簡単な武器をも短時間で作り上げているのが明らかだ。これは最早「再生」を超えて「創造」の域に達している。

 ここに再三述べている通り尋常ならざる体格と、滑空・飛行までこなす抜群の運動能力が加わるのだ。文字通り、化け物に挑むようなものだ。

 だが、弱点もはっきりわかった。明らかに、このゾイドのパイロットは経験が浅い。例えば間合いを制する攻防にはまるっきり対応できない。それに度々、相手の攻撃をわざと受けてみて認識している。再生できるから喰らっても良いのか? そういうものではなかろう。もしものために本来は温存しておくべきなのだ」

 一同は皆一様に、難しい顔をしながらも傾聴していた。そもそもあの銀色の巨体が千年以上昔にヘリック共和国軍が保有していた決戦ゾイド・ケンタウロスと酷似しているのは彼らも承知している。だが、今彼らが挑もうとしているものは、本当にゾイドなのか? それが一層、悩ましく感じさせるのだ。

 老戦士がまくし立てるように喋り続け、一息ついたところでギネビアが起立した。

「獅侍の軍団の諸君、今晩はここに結集して頂き、感謝しております。そして私の不甲斐ない采配で多くの犠牲者を出してしまった挙げ句、皆の心まで苦しめたこと、何とお詫びを申し上げれば良いか……」

 そう話したことで、難しい顔をしていた兵士達は皆が身を乗り出したり起立したりして訴えた。

「姫様が悪いわけじゃあありません!」

「悪いのはあの銀色の奴です! 我らは皆、戦う準備ができています!」

 彼らの反応にギネビアは感極まったのか、胸ポケットから純白のハンカチを取り出し目元を拭う。

「ありがとう、諸君。ありがとう……。

 既に中央大陸内に、あの銀色のゾイドらしきゾイドコア反応が再び侵入したとの観測情報を得ております。彼奴の狙いはギルガメスと魔装竜ジェノブレイカーでしょう。だがそこは、我々の付け入る隙でもあるのです」

 そこまで話したところで、老戦士が替わりを引き継いだ。……彼は懐から何やら怪しげな瓶詰めを取り出した。

「これが何か、わかるか?」

 瓶詰めを目にした兵士達は皆一様に、息を呑む。その音を合図とするようにスクリーンには鳥瞰図が映し出された。

「そうだ、こいつをラナイツより北のこの地点に散布する。『導火線の七騎』全滅を目論む彼奴ならば、僅かな反応でも対応せずにはおれまい。

 そして作戦は……お主ら、皆がやりたかったであろう『アレ』だ」

 すると兵士達は皆一様に、先程までの殊勝な態度が嘘のようにギラギラした野獣のような雰囲気を湛え始めたではないか。反応に満足げな老戦士。しかし傍らのギネビアだけは浮かない表情のまま、再び起立する。一見無骨なパイロットスーツをまとっていても、やはり育ち故か、どこか優雅な、たおやかな振る舞いは改めて皆を魅了する。

「諸君、ヘリック共和国の圧政に惑星Zi全土が苦しんでいる中、私達ラナイツは武力を蓄え、決起の時を窺っていました。私自身もゾイドウォリアーとして精進し、諸君らの前に出ても恥ずかしくない実力をつけてきたつもりです。

 しかしこの度、正体不明のゾイドが現れ、ここラナイツの第一試合場は災禍に遭いました。その上、我が師匠アロンまでもが命を落としたのです。

 このまま座して動かぬのであれば亡くなった者達の無念も晴れず、我らが大願も成就できるわけがありません。よって決死隊をここに組織します。必ずや今晩中にあのゾイドを叩き潰しましょう」

 室内に歓声が、拍手が上がる。

 続いて老戦士が事前に用意した紙を取り出し、決死隊のメンバーを告げていく。驚くべきは選ばれた者は皆一様に歓声を上げたり勇ましくポーズを決めたりしていることだ。彼らは皆、死の淵に立つことを最高の栄誉と捉えていた。そして選ばれた者も選ばれなかった者も、万に一つだってこの決死隊は敗れる筈がないと確信していた。

 

「お疲れ様。調子はどう? ああこら、くすぐったいって」

 薄暗い、格納庫と言うにはやけに上品な作りで手入れの行き届いた一角に、深紅の竜ブレイカーは佇んでいた。尻尾を巻いて丸くなり、傍らにはビークルを抱えて見た目には誠におとなしそうだ。ギルガメスが顔を出してやると竜は待ってましたとばかりにはしゃぎ出し、鼻先を近付けて少年に擦りつけてくる。

「良さそうだね。これで一安心かな。

 明日は……起きたら、必ずひと駆けしよう?」

 若き主人の囁きに感激する深紅の竜。結局のところ、足の早いゾイドが一番喜ぶのは主人たるパイロットが乗ってやって、ゾイドと共に風を体感することに他ならない。

 お休みの言葉を告げる少年。深紅の竜は満足して再び丸くなる。少年はエレベーターを使って個室に戻った。

 個室では既に食器は片付けられ、後は向こうの寝室で休むだけだ。座卓ではエステルがノート大の端末を開きにらめっこしている。だが少年の気配に気がつくとおもむろに操作を打ち切り、端末を閉じてその上に普段自分が身につける腕時計型の端末を重ね置きした。

「どうだった?」

「元気元気、もう絶好調って感じでした」

 それを聞いて彼女は切れ長の蒼き瞳を細めた。

 その右隣りに、静かに腰を落とした少年。目一杯足を伸ばす。

 真正面、座卓の向こうの窓に広がるのは真夜中の山脈。双児の月、星屑、それに加えて見た目には法則性のわからないサーチライトの閃光がいくつも動いており、束の間の楽園を浮かび上がらせているかのようだ。……サーチライトはこれから起こる戦いを警戒してのものだろうから成り立ちは少々不粋だが、それでも引き寄せられる奇妙な美しさはあった。

「あれ全部、軍警察のゾイドが出しているんだからね。夜間外出禁止令が発令されているわ」

 左隣りから不意を打つような言葉を聞いて、少年は息を呑んだ。

 率直なところ、夜な夜な抜け出して応援に迎えないものか、彼は考えていたのだ。だがそれは極めて困難だ。サーチライトの量や動きを見て百やそこらでは利かないゾイドが警戒に当たっていることくらい、彼にもわかる。仮にここを切り抜けて応援に駆けつけたとしても、次は軍警察に追われる身になるだろう。これ以上追手を増やすのは沢山だ。

 悔しい。僕は何もできないのか。

 まじまじと、サーチライトの閃光が照らす夜空を見つめたその時。

 ふと、少年の左手の甲にそっと被さる、細長い指。

 はっと息を呑んだ少年。

 左の肩より石鹸の香り。軽い重みがかかる。

 円らな瞳を横目でちらりと見れば、愛する女性の黒髪が直ぐ側だ。だがその視線は決して窓の方を向かず虚ろ気なまま。

 少年は溜め息をつくと再び窓を向き直し、このまま時間の経過に任せた。

 

 青藍色に彩られた夜空を、双児の月に照らされながら銀色の巨体が悠然と飛行する。一切の負傷箇所に修理が施されたこのゾイド、ケンタウロス・ワイルドの意気揚々たること。四肢は折り畳み、上半身は前のめりの姿勢で、背中より網目状の翼を目一杯広げている。網目一つ一つは光の膜を張り、時折羽ばたくごとに光の粒がこぼれ落ちる。

 銀色の巨体の両手には何やら抱えているものが見受けられる。三本指の隙間から、橙色の蜂ブリッツホーネットが数匹、羽を折り畳んで縮こまっている様子が確認できた。となれば蜂達の背中に設けられた操縦席には……。

「寒い!」

 操縦席に座る唯一の人間が叫んだ。マノニアだ。不似合いなパイロット用のヘルメットを被り、トレンチコートをまとっているが、夜空の気温はその程度では寒すぎた。他の蜂達の操縦席には彼が従える機械人形達が着席している。

 マノニアは自らを握る爪と爪の隙間から地上を眺めて叫んだ。……叫ばざるを得ない心境である。

「大陸を横断して、もう陸地か!? 馬鹿げとる!」

 ケンタウロス・ワイルドは整備を終えて間もなく、マノニア邸を出発した。……そう、間もなくだ。その途中で海上を飛行して大陸を横断し、早々にこの地に再上陸を果たしたのである。

『[マノニア]ヨ、折角貴様ガ助ケテクレルト申シ出テクレタノダ、スグニデモ成果ヲアゲタイ』

「馬鹿者、儂は寒いんじゃ! 腹だって減るし、これでは手洗いも済ませられん!」

『フフフ、モウスグダ、モウシバシ待テ』

 するとこれだけはマノニアが確実に備えてきたA3サイズの板状端末が鳥瞰図を映し出す。盆地の中央に建てられたラナイツの第一試合場が確認できたが。

「ゾイドコア反応、薄いな……小さい奴ばかりじゃ」

 身体が小さければそれだけ、必要なエネルギーは少なくて済む。どうやら試合場とその周辺には、日中の宿敵に匹敵するエネルギーを発するゾイドが存在しないと考えられる。

 すると銀色の巨体は二度、三度と網目状の翼を羽ばたかせる。急減速、そして停止、空中浮遊。それだけでパラパラと、翼の網目から光の粒が弾けこぼれる。

 両手に抱えられた橙色の蜂達も数度、揺さぶられた。勿論、搭乗するマノニアと配下の機械人形もだ。

「馬鹿モン! そっとじゃ、そっと! あと前振り位、言え!」

 端末を両手で抱えながら叫ぶマノニア。

 だが虹色の魔人ビスマは何の返答もない。

 おやと訝しむマノニア。……すると板状端末がアラームを鳴らし、ワイヤーフレーム化された銀色の巨体を映し出した。その背中に伸びた巨大な背びれの連なりが、しなる程に揺れているのがわかる。

 そして、橙色のキャノピー内部がまばゆく明滅。……いやこの輝きはパイロット自身によるもの。虹色の魔人ビスマが両腕を組み瞑想にふけると共に、彼の全身が明滅しているのだ。

『……コノ先ダ。コノ先ニ複数、反応ガアル』

 魔人ビスマがレバーを構え直しつつ、首を傾けた向こうの稜線は明るく輝いている。

 だが狼狽えたのはマノニアだ。

「待て、複数って何じゃ! ジェノブレイカーが複数ってことか!? 馬鹿なことを言うな!」

『可能性ハ片ッ端カラ潰シテイク』

 網目状の翼を再び羽ばたかせた銀色の巨体。勿論、両手に握る蜂とそのパイロットのことなどお構いなしだ。

 

 闇の帳が揺らぐその下、果てしなく広がる荒野。なれど彼方の稜線が徐々に淡い輝きを強めているのは、いつかたどり着ける終点を明らかにしてくれているだけ心安らげるというもの。

 不意に、天を衝く地響き。もうもうと、辺りに立ちこめる土埃。……だが土埃は爆心から徐々に吹き飛ばされていく。土埃の中からぬっと伸びた網目状の翼がゆっくりと羽ばたけば、それだけで爆心が拡大するように、視界が明瞭と化していった。

 羽ばたきを終えた翼を構成する網目から、光の膜が失われていく。それと共に翼の持ち主たる銀色の巨体は握り締めた両手を空に掲げた。三本の指が開かれれば、そこには橙色の蜂達が数匹。その内一匹には青ざめた小太りの中年の姿も見える。

 銀色の巨体の頭部が明滅した。

『人トイウノハ本当ニ、不便ナ生キ物ダナ』

「大きなお世話じゃ!」

 数匹の蜂達は早速巨大な両手から解き放たれ、近場の丘の上を目指した。理由は言うまでもあるまい。マノニアの「自然の摂理」である。

 罵声を背に受けながら、ゆっくりと歩き始めた銀色の巨体。四本の足で一歩一歩、大地を踏みしめる姿は悠然ですらある。……十数歩も進めたところで、銀色の巨体は四肢をゆっくりと畳んでしゃがみ、胴部から伸びる上半身を傾けた。地球の機械で例えるならクレーン車や油圧ショベルのような、無機質な中に一抹のユーモラスさを感じさせる。

 上半身を地面と水平になる位傾け、その上で長い両腕をぬっと伸ばし地面を数度も引っ掻いたところ、中からぼんやりした輝きが露わになった。……立方体だ。ゾイドコアに匹敵する熱反応が確認できる。そして天井の一面には透明なケースが埋め込まれているではないか。

 頭部コクピット内部の虹色の魔人までもが、身を乗り出してそのケースを睨んだ。

 よく目を凝らしてみれば、ケース内部には赤い金属片が確認できる。

 たちまち虹色の魔人の体皮が明滅し鮮やかに発色するが、それもものの数秒。

『[ジェノブレイカー]ノ破片ダ!』

 

 橙色の蜂ブリッツホーネットの集団が到着した丘は相当に高く、銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドの姿も余裕をもって見下ろせる。だが主人たるマノニアはひとまずそんなことお構いなしだ。騎乗の蜂が地に降り立つとすぐに数歩も駆け、手近な岩の前に立つとズボンのチャックを下ろす。

 如何なる恐怖にもまさる最悪の事態から解放されたマノニアは情けない程脱力していた。

 だがすぐに別の恐怖が襲いかかった。……激しい衝撃。蜂達が降り立つこの丘も左右に揺れた。

「な、何事じゃ!?」

 早速板状端末に触れようとしたマノニアは、まずその前に他の蜂に搭乗する機械人形に消毒液をよこせと怒鳴った。すぐさまベタベタに両手に塗りたくり、こすった上で改めて端末を握り直しつつ、丘の彼方の様子も睨む。

 見れば先程まで銀色の巨体がいた辺り一帯が、爆煙に包まれているではないか。……驚きつつも端末を弄る。

「システムブロック(※ブロックスゾイドを構成する立方体のブロックの一種)か。それもかなりの中古品。立派な爆弾じゃ! ビスマ! どうしたのじゃ!?」

『[ジェノブレイカー]ノ反応ガ……』

 そこまで言われただけで、マノニアは全て理解した(彼は悪党だが無能とは言えない)。……おそらく先の戦闘で回収された深紅の竜ブレイカーの破片にエネルギーを注ぎ込み活性化させたのだ(システムブロックはそのためのもの)。その反応に釣られる者も、当然出てくるだろう。

「今すぐそこから離れろ! 罠じゃ!」

 だが彼の叫びは無数の爆音・銃撃音にかき消された。

 たちまち銀色の巨体を覆い包む爆炎、爆煙。

「何事じゃ!?」

 光の礫(つぶて)が稜線の彼方から放たれている。闇の帳に隠れたる刺客は月明かりを浴びて徐々にその姿を表し始めた。

 眩しき荒波が、四方八方から打ち寄せる。舞い散る砂が、土煙が、輝きに照らされ砂金のごとく吹き荒れた。

 躍り出たのはいずれも釣鐘状の光の盾Eシールドを頭部より解き放つ、巨大なる獅子の群れ。……先陣を切るのは全身空のように青い獅子。光の盾で頭部を覆いつつ、脇腹よりマウントされた巨大な銃砲を撃ちまくる。言わすと知れたシールドライガーの群れ。

 すると青い獅子達の脇から彼らの半分もない物体が、勢い良く螺旋を描くように現れた。いずれも透き通る黒い装甲をまとった獅子達だ。彼らはブロックスゾイドの一種、レオストライカー。ターンを切るごとに様々な光線・実弾をランダムに撃ち分ける。

 彼らに続いて押し寄せるのが純白の鎧をまとった獅子達。いずれも背中に巨大な三本のたてがみを寝かせていたが突如逆立て、刃のように振り下ろせば落雷の如き光線が宿敵目指して降り注がれる。一部地域ではワイルドライガーと呼ばれているが詳細は不明だ。

 これだけではない、図鑑にすら掲載されていない獅子達が一斉に、理路整然と襲いかかった。爆炎、爆煙。飛び散る火花。一発命中するごとに大地が揺れ、どっしりと構えている筈の銀色の巨体が大きく揺さぶられる。

 そしてそのはるか後方から悠然と現れた獅子が一匹。青い獅子シールドライガーより一回り小型ながら、全身白銀の鎧で固められた騎士のようなゾイド。背中には左に大砲、右にリボルバーが搭載され、その間に割り込むように何やら巨大な槍のようなものが折り畳まれている。だが何よりも奇妙なのは両前足の爪先に被せられた白銀の籠手。一部を除き、金属生命体ゾイドの武器は見せるだけでも相手に警戒させる役割を持つのだが、それをわざわざ捨てる理由は現状ではわからない。……この白銀の獅子は「アーサー」と呼ばれている。遠い星の民が伝承した太古の王者の名前だというがそれ以上の由来は定かではない。

 獅子の頭部には橙色したドーム状のキャノピーが被せられており、そこがこの白銀の獅子のコクピットである。月光、星影、そして銃撃の閃光に照らされ、透けて見える内部には灰色のパイロットスーツをまとったシニヨンの美少女ギネビアの姿が確認できた。頭部にはタオルを巻いた上でヘルメットを被っている。パイロットスーツもヘルメットもよく見れば細かい擦り傷が確認でき、使い込まれているのが明らかだ。そしてヘルメットの額や後頭部などには「International Master」及び略称の「IM」のマークが確認できる(彼女は若くして中央大陸のゾイドバトル大会を全て制覇したため相応の称号が与えられている)。

 ギネビアは胸を張り、四方のキャノピーに映し出された映像を睨む。……指揮を任された彼女は内心苛立っており、それが時折唇を噛み締めたりレバーを指で何度も軽く叩いたりといった動作につながっていた。すぐに気が付き、苦笑しつつやめるのだが収まる気配はない。

 原因は結局のところ、今ギネビアと相棒たる白銀の獅子アーサーが臨む配置そのものにあった。彼女は後方で指揮を執る……という名目で、実質『隔離』されている。それが、悔しい。自分こそが率先して師匠アロンの敵を討ちたいのに、お荷物のように扱われているのだ。彼女が当主である以上、仕方ないのだが悔しさは晴れない。

 それでも、キャノピーの向こうで着々と、あの忌まわしき銀色の巨体が全身に爆煙を帯びながら動きが半固定化されていく姿が見て取れる。一旦は何もかも忘れて配下たる「獅侍の軍団」に全てを託すしかあるまい。

「相手は怯んでいます。

 今こそEシールド・チャージを!」

 Eシールド・チャージ。その言葉を無線や映像より聞き取った獅子達のパイロットは一斉に鬨の声を上げた。それに釣られて、鋼鉄の獅子達も次々に雄叫びを上げる。青い獅子の群れが包囲網の先頭に立って急加速すると、彼らに続けとばかりに他の獅子達も飛び跳ねるように駆け始める。

 いくつもの光の盾が真横に連なる。まさしく光の壁。それが四方から襲いかかる。

 ことここに及んで事態を把握した銀色の巨体。四肢を今一度高らかに踏み直して体勢を安定させると、腹部の側面にマウントされた無数の銃砲が解き放たれる。

 天を衝く轟音、轟音。光の盾目掛けて狙い澄ました砲撃は、しかしながら押し寄せる獅子の群れを怯ませることすらできず、漂う爆煙すら一方的に突破された。

 そして、銀色の巨体の四肢を抑え込むように光の盾が衝突、電流と火花を散らす。

 絶叫する銀色の巨体。転倒もできず悶えるのみ。

 斯様な挙動も許すまじと、体格の小さな獅子達が次々に跳躍を試みた。光の盾を解き放った獅子達が、銀色の巨体の上半身に、腕に、肩に。釘でも打ち付けられたるのように銀色の巨体に突き刺さる。

 たちまち銀色の巨体の全身に、光の盾が楔のように打ち込まれた。最早全身、光に覆われていない箇所がほぼ無い状態は、言うなれば光の棺桶。銀色の巨体は咆哮を夜空に叩きつけるものの楔と化した光は容赦なくこのゾイドの全身を締め上げていく。

 獅侍の軍団が用意した秘策「Eシールド・チャージ」は、遂にこの禍々しき銀色のゾイド、ケンタウロス・ワイルドを完全に捉えたかに見えた。



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【第八章】相撃つ、銀

 夜の静寂(しじま)を金属質の絶叫が切り裂いた。

 真夜中の荒野に光の塔が構築されたかに見える。だがそれをより近くで観察すれば、全身銀色で彩られた巨大なる半人半馬が光の壁に覆われ、締め付けられていることがわかる。その異形をこの星の民が見れば口々に言うだろう。「ケンタウロスの再来か」と。この銀色の巨体こそ人呼んでケンタウロス・ワイルド。金属生命体ゾイドの一種らしい。地球の神話にも同名の生物が登場するが、この星のそれは雷竜の首の部分に暴君竜の上半身が生え、その上翼や背びれを備えるという禍々しい異形の持ち主。

 かたや光の壁を解き放つのは沢山の、鋼の獅子達。いずれもこの星では「ライガー」と俗に呼ばれる金属生命体ゾイドの一種。体格では銀色の巨体に大きく劣るものの、20を超える頭数で銀色の巨体を包囲するや、一斉に飛びかかった。いずれもたてがみ周辺から、人が直視すれば失明するほど眩しい光の波をほとばしらせると、頭部を中心に獅子の半身を覆う光の壁「Eシールド」を構築。一斉に銀色の巨体目掛けて体当たりを決行したのである。

 その結果が先程の絶叫であった。銀色の巨体は光の盾による一斉の体当たりによって、身体中を抑え付けられた。鋼鉄の皮膚が、軋む、軋む。こらえ切れずこの暴虐の生物は、傍観する双児の月を見上げて憎々しげに叫ぶより他ない。

 銀色の巨体の頭部を覆う橙色のキャノピー内では、虹色の魔人ビスマが悶え苦しみ頭上のキャノピー目掛けて絶叫を上げのたうち回っていた。言うまでもなくビスマの正体は銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドのゾイドコアである。銀色の巨体が喰らったダメージがビスマをも苦しめているのだ。

 呼応するかのように、銀色の巨体の全身に駆け巡る無数のひび割れ。四本の足、胴体、脇腹、腕……。Eシールドを展開した獅子達の頭部が激突した箇所を起点に、鋼鉄が時をかけて錆び付き腐食していく映像を超高速の早送りで僅か数十秒で垂れ流すかの如き急変が、今まさに銀色の巨体の全身に起き始めている。

 その有様を鋼の獅子達を操る「獅侍の軍団」の精鋭達も既に察知していた。

「いけるぞ! このまま抑え込め!」

「姫様、合図を送ります。ご用意を!」

 獅子達と巨体の攻防をはるか後方で睨んでいた白銀の獅子アーサー。応えて星空を見上げるとひと吠え轟かせるや、すかさず大地を強く蹴り込んで助走を開始する。

 獅子の頭頂部を覆うキャノピー内のコクピットでは、合図を受けたシニヨンの美少女ギネビアが今まさに前のめり、両肩怒らせてレバーを握り締めた。

「皆さん、今しばらくの辛抱です!」

 叫びつつキャノピーに映る巨大なる標的を睨むギネビア。琥珀色の瞳が爛々と輝きをたたえ始める。

 彼女の決意に応えるかの如く、白銀の獅子は雄叫びを上げながら徐々に駆ける速度を速めていく。速歩(はやあし/トロット)から駈歩(かけあし/キャンター)そして襲歩(しゅうほ/ギャロップ)へ。歩法を切り換えていくとともに土煙ももうもうと立ち込めていく。

 獅子の感情が高まるさまを、主人たるギネビアもひしひしと感じ取った。レバーを握りしめる両手の内、左手はそのままに、右手はコントロールパネルを撫でるような手付きでボタンを押しまくればキャノピー上に獅子の姿をしたワイヤーフレームが映し出された。……背負いの武器周辺数カ所が発光、そして明滅。

 すると白銀の獅子の背中で何やら不穏なモーター音が。後方に伸びる槍らしきものの先端が数度、回転。異常なしを確認するかのようだ。

 ギネビアはおよそ美少女がするとは思えない、何とも不敵な笑みを浮かべつつレバーを握り直す。

 

 不穏な敵方の動向は、他ならぬ虹色の魔人ビスマもケンタウロス・ワイルドの頭部キャノピー内部で確認したし、体感もできた。暴君竜ゴジュラスのそれを模したコクピットからの各種情報もさることながら、彼は人の姿をしているもののれっきとしたゾイドコアである。受けるダメージの程度も五感による察知も銀色の巨体が元来備える各種機能を通じ、直に認識できる。包囲網の外から迫る白銀の獅子の姿も、獅子が背負う槍らしきもののモーター音も、キャノピーに覆われた赤い二つの眼が照準を合わせ、背部より物々しく生える幻剣竜ゴルドスの背びれがうねってことごとく把握した。

『包囲網ノ隙間カラ、[アーサー]ガ狙イ撃チスル作戦、カ……。

 数ニ物ヲ言ワセル作戦ハ、卑劣デス。

 シカシ、考エ出シタノハ、見事デス』

 呟く魔人。依然、全身を駆け巡るひび割れは止むことがない。……現状では鋼鉄の皮膚のみだが、どこか一箇所でも崩壊し皮膚よりもっと弱い内部をさらけ出せば、連鎖に次ぐ連鎖によって瞬く間に全身バラバラとなるやも知れない。

 銀色の巨体は精一杯可能な限り首を傾けた(そう、巨体の首にも透き通る黒い鎧の獅子レオストライカーがEシールドを張って突き刺さっている!)キャノピーの下で明滅する赤い眼。

 全身に突き刺さる光の壁、壁、壁。

 後押しするように群がる獅子、獅子、獅子。

 いずれの獅子も地面を蹴り込み、Eシールドを浴びせてのしかかる。飛びかかった獅子達は鋭い爪を巨体の装甲に突き刺し、穴を掘るように頭部を押し当てEシールドを浴びせる。まさしく雁字搦め。

 だがある時、巨体の首がピタリと止まった。明滅していた赤い眼は見開くかのごとく輝き始めた。

 今一度、天を衝く雄叫び。

 獅子達に動揺はない。彼らには間もなく勝利を手にする確信が確かにあった。所詮は虚仮威しに過ぎぬと無視して一層、体重をかけてのしかかる。

 全身をよじらせる銀色の巨体。尻尾を地面に叩きつけ、四本脚で踏ん張る。踏ん張って、足の指先まで力を込める。しかし獅子達も負けじと十数匹掛かりで踏ん張り決して譲ることはない。

 不意に、硬い地表を走る亀裂。巨体に加えて獅子達までもが踏ん張った結果だ。

 巨体の右足・側面にのしかかる獅子達数匹が、バランスを崩した。予期せぬ亀裂に足を取られたのだ。一瞬、弱まるEシールドの包囲網。

 それは好機か、それとも墓穴か。銀色の巨体は幾重にもひび割れた右腕を、Eシールドを振り切りつつ高々と振り上げる。

 許すまじと再びのしかかる獅子達。

 勢いの許すまま、銀色の巨体はひび割れた右腕を地面に叩きつけた。

『ココニ、アルジャアナイカ……!』

 呟くビスマ。その真意は数秒も経ずして明らかになった。

 たちまち、鋼の獣達が暴れ回る地面が眩しく輝いた。銀色の巨体を中心に直径100メートルはある。

 次の瞬間、輝いた地面が光の粒となって粉々に砕け散り、吹き飛び、消滅していく。……銀色の巨体が持つ異常な再生能力の応用。地面を原子レベルまで分解したのだ。通常なら再生の足しに原子の粒で破損箇所をカバーするところだが、今はその必要はない。

 パニックが起きた。突如として今までガッチリと踏みしめていた地面に直径100メートルの大穴が開いたのだ。辺り一帯には僅か一匹を除いた全ての獅子達が集結している。巨体の膝にのしかかる獅子達が、バランスなど取りようもなく大穴に転落していく。

 両膝の拘束が消失した。銀色の巨体は己が上半身に喰らいついた他の獅子達には目もくれず、軽く身構えると背中より網目状の翼が目一杯広がる。

 大穴の陥没に呑み込まれるよりも早く、光の膜を貼った網目状の翼。ひとたび羽ばたき勢い良く夜空を泳げば、上半身に喰らいついていた獅子達も堪え切れず、大穴に叩き落されるのみ。

 かくして只一匹、夜空に舞い上がった銀色の巨体。その下半身……四本脚の胴体や側面にマウントされる無数の銃砲が、意志を持ったかのように動き始めた。

 

 包囲網のはるか後方より急迫する白銀の獅子アーサーは、攻防がここに至ったところで地面を削りながら急停止せざるを得なかった。

 白銀の獅子の頭頂部キャノピー内ではギネビアが懸命に相棒を操作する一方、事態の急変に息を切らし始めた。当初は早く仇を取りたい一心だった。ところが途中から配下の者達の無事を祈る一心となり、夜空に銀色の巨体が浮かび上がったところでコクピット内に次々と断末魔が響き渡る。琥珀色の瞳は濁っていた。

 ギネビアの決断は一応、正解であった。突如として大穴の空いた地面の下にことごとく叩き落された獅子達めがけ、無数の銃撃、砲撃が鳴り響く。……1分も要らなかっただろう。20匹を超える獅子達が無造作に転落し、絡みついたままでは反撃どころか動きようもない。そもそもこんな大穴に受け身も取れずに叩き落されては、その時点で搭乗するパイロットの生命も限りなく絶望的だ。

 ひとしきり、閃光に包まれる大穴。

 空中に浮かぶ銀色の巨体が、まるで宥めるかのように両手を広げた。銃口はピタリと発砲を停止する。

 大穴の底にのたうち回るのは、既に地獄の業火と弾け飛ぶ火花のみ。

 そして、地上に只一匹残された白銀の獅子も動かない。……動きようがなかった。既に宿敵は網目状の翼を羽ばたかせつつ目前に飛来してきた。

 ふわりと、着地。地響き。もうもうと舞い上がる土埃。浮かび上がる赤い眼。悪魔が、目の前に降り立った。

 白銀の獅子はすぐにでも飛びかからんと前足に力を込めたが、しばし硬直せざるを得ない。……躊躇したのだ。パイロットとの呼吸が合わない。

 それは常識的には当然と言えた。獅子の頭頂部キャノピーではシニヨンの美少女ギネビアが、琥珀色の瞳をひどく充血させている。20名を超える配下の者達が一瞬にしてその命を散らした。酷い仕打ちの張本人が今、目の前で仁王立ちしている。

 一方、双児の月明かりは徐々にではあるが、銀色の巨体が受けた負傷の数々を明らかにしていた。全身に毛細血管の如く張り巡らされた無数のひび割れ。未だ自己修復する余裕はないようだ。

 ギネビアは唇を強く噛んだ。決意で輝く琥珀色の瞳。

(まだ、戦う手立てはある。皆さん、私に力を。そしてイヴの御加護よ……!)

 ヘルメットの微妙な傾きを直し、ハンカチで目元を拭う。

 するとキャノピー内側にウインドウが浮かび上がった。映像上の宿敵をきちんと見るのは実際には初めてだ。……だが、と彼女は息を呑む、これは人物に相当するのだろうか? 全身虹色に輝く金属質の皮膚。頭髪のたぐいどころか、顔のディテールだって見当たらないように見える。

『オ初ニオ目ニカカリマス、[ラナイツ]ノ当主ニシテ[導火線の七騎]第三騎、[ギネビア]様。オ手合ワセ願イマス。

 コレ以上ハムヤミニ素人ヲ巻キ込マヌヨウ……』

「お黙りなさい、下郎!」

 間髪を入れず、怒鳴るギネビア。小柄な身体が、唇が、小刻みに震えている。

「彼らの忠義をわからぬ貴方は化け物にも劣る。即刻倒してみせる」

 言うが早いか、ギネビアは左右のレバーを殴りつけるように前方に倒す。

 岩盤が、爆ぜた。高々と跳ね飛び散る土砂、石ころ。

 地上の流星と化した白銀の獅子アーサーの勇姿は、双児の月が追いかけ照らすよりも速い。

 迎え撃つ銀色の巨体は上半身の重心を少しずつ下げながら身構える。

 一斉の地響き。驚くべきことに獅子の跳躍と巨体の踏み込みは完全に一致していた。獅子の右前足と巨体の右腕は空中ですれ違い。

 魔人ビスマは獅子の跳躍を見た瞬間、確信した。

『オ互イ、当タラナイ』

 事実、お互いの爪の軌道は刀のように緩やかな弧を描いている。すれ違って体を入れ替えてから次の攻撃が重要に違いない。

 銀色の巨体はキャノピーの内側にある赤い眼を光らせ、首を傾ける。

 白銀の獅子が描く右前足の軌道は、我が右手の外側を抜けていくかに見えた。そろそろ、巨体の肘辺りをすれ違う。

 そこでようやく、ビスマは疑問を抱いたのだ。

『何故コノ[ゾイド]ハ両腕ニ防具ヲハメテイルノダ?』

 獅子の右前足に被さる白銀の、籠手。

 その下から突如姿を現したのは、金色にまばゆく輝く鋭利な、爪。

 一閃。鋼鉄の皮膚が、噴出するかのように撒き散らされる。

 装甲が、ごっそりと削り落とされた。

 すれ違い、獅子が着地。土埃も目立たず地響きも微か。

 一方、踏み込みを完成させた巨体の足元からは土砂が高々と舞い上がった。

 それを合図に、巨体の負った傷から噴出したのは大量の、油。ゾイドの体液だ。人に例えるなら、流血。

 振り向く二匹の獣。思わぬ手負いの巨体に比べ、獅子の何と涼し気なこと。

「間合いも満足に、読めないのかしら?」

 ギネビアは鼻を鳴らして言い放つ。冷ややかな態度とは裏腹に、琥珀色の瞳は怒りでみなぎっていた。

 すぐさま次の一歩を踏み込む銀色の巨体。だが体格の大きさも相まって一拍以上の遅れが明らかだ。踏み込んだ時には既に、高々と跳躍した白銀の獅子が目前にまで迫っていた。

 二度目の、すれ違い。又しても、宙を切る右腕と右前足。お互い刀のような軌道で、着々と鍔迫り合う寸前まで急接近。

 キャノピー内部の赤い眼が、己が右腕を睨みつける。爪が出るのなら必ずその瞬間が隙になる筈だ……そう確信していた。それなら全力で掴んでやる。

 すれ違いの、始まり。

 巨体の右腕そばをすり抜けていく、獅子の爪先。

 何も起きない。右前足の爪を隠す籠手は、そのまま。これはどういうことなのか。

 そう感じた瞬間、赤い眼はその目で見た。

 獅子の、左前足だ。肘を曲げ、L字の軌道。巨体の右腕目掛け、突き立てられる獅子の爪。

 鈍い音と共に、巨体の右腕がえぐられる。

 銀色の巨体が悲鳴を上げることもできず辛うじて振り向いた時には、早くも獅子が次の攻撃を繰り出さんとゴムまりのように跳躍を開始していた。

 白銀の獅子、飛翔。銀色の巨体が見上げる程、高く。

 落下と共に、背中に折り畳まれた槍が風を切り裂き前方に展開。咆哮にも似た唸りと共に鋭利な螺旋を描く。火花散らし、炎の蛇が引き寄せられ、たちまち幾重もの炎が絡みついた。その有り様、まさしく神槍。

 両腕を振りかざす銀色の巨体。降り注ぐ獅子の神槍。

 巨体の頭部を覆うキャノピーの目前に迫った時、鋼鉄が激しく削り落とされる音がこだました。

 空中で、停止する神槍。そして白銀の獅子。

 飛び散る、炎。掴み取った巨体の両腕。

 だが神槍の穂先は唸りを止めず、ミシミシと音を立てる。

 神槍ごと獅子を放り投げた銀色の巨体。

 空中で数度回転しながら、獅子は着地。すぐさま身構え、神槍を背中に折り畳みながら宿敵を睨む。

 対する銀色の巨体は両腕を前方にかざしつつも、一歩踏み込むのをぐっと堪らえた。……両手の爪がくすぶっている。先程の炎を受け止めた結果だ。削り込まれた右腕の傷も、先程の包囲網で負ったひび割れも、再生する気配はない。

 再生どころではなかった。

『読メナイ、馬鹿ナ……』

 白銀の獅子アーサーの動きも技も破壊力も、読み切れない。それが反撃に転じるのを躊躇させた。

 対するシニヨンの美少女ギネビアは言い知れぬ高揚感に包まれつつある。……思いの他、大したことがない。間合いも駆け引きもわかっていない。力づくでどうにか受け止めてはいるが、これは時間の問題だ。

「軍団の皆さん、そしてアロン。もう少しです、もう少しです。

 覚悟なさい、下郎!」

 声を合図に、獅子の疾走、そして跳躍。

 爪が、腕が、何度もすれ違う。

 そのたびに鋼の皮膚が削れ、油が噴出する。

 間に合っていない、巨体の対応。何度目かの攻防を経て、次こそはと両腕を大きく開き身構え前のめり。

 だが狙い澄ましたかのように、対峙する白銀の獅子はピタリと動きを止めた。

 微動だにせぬ獅子。その有り様に、白銀の巨体も見合うかのように動きを止めてしまった。

 一歩、踏み込む白銀の獅子。

 相対する銀色の巨体は後ずさり。

 訪れた数秒の静寂。……どちらが均衡を破ったかわからない。気がつけば獅子も、巨体も、右手に駆けた。地表に円を描く二匹。

 

 ところで魔人ビスマの命の恩人マノニアは、この攻防を見下ろせる程高い丘の上にいるにも関わらず、人よりも大きな橙色の蜂の一隊と共に岩陰でガタガタと震えていた。前哨戦たる獅侍の軍団と銀色の巨体が戦った時点で幾度となく鉄片が吹っ飛んできたからだ。それでも例の板状端末の一辺を岩陰から出して撮影するのだけは怠らなかったが。

 鉄片の噴出もすぐに収まり、気がつけば決戦の火蓋が切って落とされていた。それでようやく岩陰から首を出してみたところ、繰り広げられる攻防は劣勢。

「何じゃあこりゃあ……。当たらないとか、かすらないとか、そういうレベルじゃあない。ビビっとる。腰が引けとる」

 その時、自らが駆る橙色の蜂がアラームを鳴らし始めた。背部のコクピットからだ。そそくさと蜂の側に駆け寄りコントロールパネルを覗き込む。……辺り一帯にはゾイドコア反応が見当たらないものの、北方の山岳地帯周辺には大小様々なゾイドコア反応が集結しうごめいている。理路整然とした動きにはマノニアも既視感があった。

(地元の軍警察の連中じゃ。静観しとるのか)

 銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドがラナイツを超えて他の民族自治区にまで侵入を試みた場合を想定しているのだろう。だからといってギネビア達に加勢までしない辺り、如何にも軍警察のやることだ(民族自治区の長が死ねば、後のヘリック共和国の領土拡大に都合が良い)。

 となれば、早めに形勢を挽回できなければ「ギネビアに加勢する」と称して乱入する可能性だってある。急がねばなるまい。

「ビスマ、この馬鹿者!」

 板状端末越しに怒鳴る。

 端末は微動だにしない虹色の魔人を映し出した。形勢とは裏腹に、表情は全くわからない。

『[マノニア]……?』

「お主、ギルガメスとジェノブレイカーを倒すのを諦めたか!?」

『イヤ、ソンナコトハナイ、ソンナコトハ……』

 表情こそわからぬものの、口調には動揺がありありと窺えた。

「良いか、軍警察が隙あらば貴様を倒さんと集結しておるのじゃ。急げ、負けたら全て終わりじゃ!

 そいつをジェノブレイカーだと思え! ジェノブレイカーだと思って全て出し尽くせ!」

『助言、感謝スル』

 激しい攻防の最中、この板状端末を介した会話だけは誠にゆっくりと時間が経過していた。

 

 依然、グルグルと回り込む獅子と巨体。二種類の重い足音が辺りにこだまする。真夜中の決闘に関わらず幽玄の灯りに照らされたかのように見えるのは、少し離れたところで陥没した大穴から吹き出る業火の勢いが収まらないからだ。

 傍目には互角に見えるかも知れない形勢だが、実際には白銀の獅子アーサーが攻防を支配したまま着々と時間が経過していた。獅子が走れば巨体も走る。獅子が止まれば巨体も止まる。……しかし銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドは、そこから乾坤一擲の反撃に転じることができない。爪と爪とが際どくすれ違うたびに装甲がえぐられ、油が噴出するのは目に見えていた。

 白銀の獅子アーサーも明らかにそれを察していた。だからこそ十分に間合いを離しつつ、軽やかに駆ける。……駆けるが、攻めるぞ攻めるぞと見せかけて、すぐに停止する。銀色の巨体も慌ててブレーキを掛ける。この繰り返しで、十分だ。

 パイロットたるシニヨンの美少女ギネビアはほくそ笑む。

「ご覧なさい、アーサー。この狼狽えよう!

 あの大きなゾイドが受けた傷は、かすり傷程度に過ぎないのにね……。

 たった一撃が怖くて、どんどん消耗していくのよ。勿論、とどめは……」

 応えて、唸り声を響かせる白銀の獅子。

 対する銀色の巨体はその有り様をひと睨みするや、不意に傷付いた両腕を左右に開く。

 下半身部分の四本脚を垂直に揃えるや、足首を覆うラッパ状の装甲からたちまち光の粒が噴出。そして、跳躍。自身の全長十数匹分も一気に後退する。……全身に埋め込まれた突起が唸りを上げて高速で回転。左右に開かれた両腕を中心に発光、明滅が繰り返される。辺り一帯に雷蛇が絡みつき、砂利が、土が引き寄せられる。

 ギネビアの琥珀色の瞳は怒りがみなぎった。

「この期に及んで再生!? 許すものですか!」

 両腕のレバーを押し込めば白銀の獅子はたちまちの全力疾走。銀色の巨体特有の異常な再生能力だけは使わせてはいけない。

 銀色の巨体・頭部キャノピー内では虹色の魔人が力強く頷いた。

『ヤハリ、突ッ込ンデキタ……!

 勝利ヲ得ルニハ、危険ヲ覚悟シナケレバイケナカッタノダ』

 両腕を構える銀色の巨体。たちまち雷蛇が雲散霧消。再生を中断した証だ。

 双児の月が、たかだかと舞う土煙を照らす。襲歩(ギャロップ)で追撃する白銀の獅子は、一気に己が全長四、五倍程度まで間合いを詰めた。そして高々と、跳躍。

 土砂が爆ぜた。銀色の巨体が四肢を目一杯踏ん張ったのだ。

『[ジェノブレイカー]モ[アーサー]モ、ギリギリノ間合イデ技ヲ仕掛ケテキタ。

 コチラモ同ジコトヲスレバ、良イ!』

 力を貯める。急速に、縮まる間合い。そして、荒々しい一歩と共に飛び散る土砂。

 繰り出される巨体の右腕。

 その真横すれすれを、やはりすれ違っていく白銀の獅子。右前足の、籠手が開放。内側から解き放たれた、金色にまばゆく輝く鋭利な爪。

 爪が今まさに何度も削られた巨体の右腕に届く、その寸前。

 鞭のようにしなったのは、巨体の左腕。風切る音と共に、今まさに突き刺さらんとする獅子の爪先目掛けて解き放たれた。……だがその目の前には、他ならぬ銀色の巨体の右腕が道を塞いでいる。

 およそこの世のものとは思えぬ、鈍い響き。

 瞬間、真横に吹っ飛ばされた白銀の獅子。地面に叩きつけられ、横転すること数回。何のダメージも受けなかったかのように、すぐさま立ち上がって身構える。

 だがそこで、白銀の獅子はバランスを崩して前のめりに崩れた。頭頂部キャノピー内のシニヨンの美少女が咄嗟に両腕のレバーを引き寄せ、どうにか踏ん張る。

「アーサー、どうしたのです!?」

 キャノピーの内側にウインドウが開き、損傷箇所を明らかにした。

「……右手、なの!?」

 見れば、獅子の籠手は脱落、金色の爪は付け根から根こそぎへし折れている。

 ギネビアはキャノピーの向こうを厳しく睨みつけた。

 銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドは今まさに、上半身を目一杯地面と平行に下げていたところだ。左腕で、掴んだのは三本爪と長さが特徴的な、この巨体の右腕そのもの。……銀色の巨体が振るった左腕は、まさに自らの右腕ごと白銀の獅子が繰り出す右前足の爪をへし折ったのだ。

 銀色の巨体はさも当然のように、拾い上げた己が右腕の切断面を、本体側の切断面に向けて押し当てた。たちまち火花が飛び散り、傷口を中心に雷蛇が、砂が、土埃が引き寄せられる。このゾイド特有の驚異的な再生能力は健在だ。たちまち真っ二つの傷口が塞がっていく。

 焦る、ギネビア。キャノピーの向こう側を怒鳴る。

「そんなデタラメな、戦い方……! アーサー!」

 認めるわけにはいかなかった。再生できることを前提に自らを破壊するなど。……ここまでこの化け物に臨んだ全ての者達は、命が潰える覚悟をせざるを得なかったのだ。だがこのゾイドにはそんなもの、無用だ。死を恐れる必要がない者が命を弄ぶのが、彼女には許せなかった。

 白銀の獅子も、応えて吠えた。へし折れた右前足で地を蹴って、再度の飛翔。双児の月を背負い、シルエットと化す。

 見上げる、銀色の巨体。赤い眼が明滅、橙色のキャノピー内で、魔人ビスマはシルエットが打ち出す次の手立てを探る。

『次ハ左ノ爪……ソレシカナイ。見エ見エノ攻メ、裏ガアル……』

 果たして、シルエットが飛来する僅か数秒の内に秘策が解き放たれた。鈍い音と共にうごめく、獅子の背中。

 落雷のような破裂音が立て続けに鳴り響く。闇夜を炎が切り裂いた。

 だがそれを待っていたかのように、銀色の巨体は前足を高らかに踏み降ろす。舞い上がる、土埃。地響きが破裂音を消し去った。

『成程、機関砲!』

 そう、ここまでギネビアは、相棒たる白銀の獅子の背中に搭載されている機関砲の使用をずっと控えてきた。遠くから飛び道具を撃ち合うのでは勝ち目がないとわかり切っていたからだ。それをこの期に及んで、至近距離の騙し合いにおける切り札として繰り出したのだ。

 だが銀色の巨体は察知していた。土埃と共に一歩、踏み込んで機関砲の射程から巨体を外す。

 頭上を、左肩を、背負いし網目状の翼すれすれを、硝煙に絡みつかれながら機関砲の無数の弾丸がすり抜けていく。

 すぐその後を追うように、急速落下する白銀の獅子。左前足は既に籠手が開放、金色の爪が顕わ。

 獅子の左前足が、爪が、ピンと真っ直ぐに伸びて降り注ぐ。

 だが強烈な爪の一撃は、命中する寸前で、真横からしなる斬撃を受けて吹き飛ばされた。銀色の巨体が解き放った再生右腕の一撃は、三日月の軌道で振り抜き、獅子の左手首ごとへし折ったのだ。

 勢いを削がれ、落下する白銀の獅子。だが敏捷なネコ科に酷似したこのゾイドは地面に叩きつけられる寸前で宙を回って華麗に着地。すぐさま銀色の巨体の腹目掛けて躍り出た。……背中に折り畳まれていた神槍が、前方に展開、咆哮の唸りと共に描くは鋭利な螺旋。火花散らし、炎蛇が引き寄せられ、たちまち幾重もの炎が絡みつく。槍の穂先の向こう側には、この化け物のゾイドコアが隠されている……!

 獅子の勢いに応えるかのように、四本脚を力ませる銀色の巨体。だらりと下げていた左腕の掌が発光、明滅、無数の雷蛇が暴れ回りつつ槍の形状に変貌を遂げていく。片腕だけで作ったからか長さは然程でもないが、ここまで数多の勇敢なゾイドを葬ってきたあの投擲武器と何ら変わりがない。

『「ケンタウロス・アロー]!』

 魔人ビスマの掛け声と共に、鞭のようにしなった左腕。手中にある投擲武器の穂先が、獅子の背中に宿る神槍の穂先先端目掛けて食らいつく。

 衝突、二本の穂先。螺旋と螺旋の鬩ぎ合い。炎蛇と雷蛇が激しく絡み合い、噛み付き合う。

 両前足の爪や指がへし折れた状態で、白銀の獅子は踏ん張る。もう一歩前進できれば勝てる筈なのだ。

 一方、銀色の巨体は残る右腕を、左腕で構築された投擲武器の最末端に添える。……たちまち投擲武器はまばゆく発光、巨大化していく。

 遂に本来の長さ・太さにまで達した投擲武器。それを合図に、神槍の穂先に亀裂が走った。

 地響きは、やけに鋭い。両の前足で大きく踏み込んだ銀色の巨体。たった一歩。それだけで「破竹の勢い」の言葉通り、神槍は穂先が、柄が、粉々に砕かれていく。

 白銀の獅子は前のめりになって倒れ込んだ。丁度、宿敵の目前だ。

 素早く身を屈めた銀色の巨体。長い右腕を伸ばし、倒れて立てぬ獅子の右後ろ足をむんずと掴む。

 そして、目の前に吊り下げる。……獅子の頭頂部キャノピーには、事ここに至って亀裂が幾条も走っていた。

 コクピット内部で逆さ吊りのギネビア。小さな身体は何度となくハーネスの限界まで揺さぶられた。この状況になって初めて、彼女は悟った。全身の骨折、打撲。ヘルメットのシールド部分にもヒビが入り、額から鮮血が流れている。体格の劣るゾイドで長時間戦ったツケは大きく、彼女の心身を著しく消耗させていた。

 虚ろな琥珀色の瞳で宿敵のコクピットを探すが、天地がひっくり返った状態では見当たらない。

 すると突然、キャノピー内側にウインドウが開いた。……全身虹色に輝く者の姿。しかし顔の形位しかわからず、目や口などは見当たらない。嗚呼、イヴはこの期に及んで何と気味の悪いものを見せるのか。

『見事デス、[ギネビア]サン。ヤハリ[導火線の七騎]ハ強イ。

 一ツダケ、教エテ下サイ。……貴方ノ部下達ガ敗レタ時、何故、貴方ハ逃ゲナカッタノデスカ?』

 その言葉に、シニヨンの美少女は全身が沸騰した。

『ふざけたことを! 私はいつも、逃げられなかった! 逃げるわけにはいかなかった!

 でも、支えてくれた人達もいた! だから、だから……』

 吊り下げられた白銀の獅子の全身に埋め込まれた突起が唸りを上げて回転を始める。……全てでは、ない。なけなしの力で、獅子はもがく。

 虹色の魔人はその有り様をまじまじと見つめ、そして呟く。

『[無限、装填]』

 銀色の巨体の胴体や下半身の側面部分より伸びた無数の銃身・砲身が、捕食を開始した触手のように動き出す。もがく獅子目掛けてすぐさま照準を合わせると、爆音が鳴り響き、火花がほとばしった。十秒、二十秒、三十秒……。

 たちまち辺りに硝煙が立ち込め、それをかいくぐるかのように無数の鉄片が飛び散っていく。しばしば稲妻が爆音の中心目掛けて駆け抜けていくのが確認できた。それが「無限装填」と魔人が呟いた由来だ。原子レベルから銃弾・砲弾を生成し、無限に装填・発射し続けるのだ。

 何分経ったか、わからない。だが爆音が止み風に押し流されるように硝煙が散っていくと、銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドがその右腕に吊るしていた筈の白銀の獅子アーサーの姿は完全に、消失していた。……いやただ一つ、右後ろ足の部分だけは残っていた。だがそれも銀色の巨体が手を離し、地面にそれが落ちた瞬間、粉々に砕けてしまった。

 銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドは双児の月を見上げて吠えた、ひとしきり。それは自身の勝利を祝うものなのか、敗者を弔うものなのか。



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【第九章】義と、愛の対価

 双児の月は黙して語らず、じっと地上を照らすのみ。そこに如何なる惨劇が繰り広げられようとも。

 夜更けの空を見上げる銀色の巨体ケンタウロス・ワイルド。ひとしきりの遠吠えも飽きたのか、視線を目前に下げ、長い両腕をだらりと降ろす。この巨体もやはり金属生命体ゾイドの一種、全身を包む鋼鉄の皮膚にはその行く末を物語るかのように地獄の業火が映り込んでいた。

 視線の彼方には、その身の何倍もある大穴がぽっかり地表に空いている。そこはつい先程ラナイツの精鋭「獅侍の軍団」の操る鋼鉄の獅子達が尽く叩き落され、無残にも爆発炎上したのだ。その炎は未だ消える様子がない。

 そして大穴の手前では、ラナイツの女領主ギネビアと、彼女が駆る金属生命体ゾイド……「アーサー」の通称を持つ白銀の獅子が果敢にも銀色の巨体と激闘を繰り広げ、そして敗れ去った。敗者は文字通り粉々になるまで粉砕され、棺桶に入ることも許されなかったのである。

 やがて訪れた静寂は幾分疑わしいものであった。

 不意に、聞こえた微かな羽音。……傍らから忍び寄ってきたのは橙色の蜂ブリッツホーネットの群れ。ふわりふわりと巨体の胸の辺りにまで近付く。中央の一匹の背中には黒づくめの機械人形が搭乗・操縦しており、主人はその後ろの座席だ。

 その主人・マノニアは激しい口呼吸が止まらない。小悪党と言える彼ではあったが、目前で二十名を超える人間がものの数分で命を散らし、遺骸も残らないなどという無残を通り越して苦笑いしか浮かばない光景を目にしたのは流石に初めてだ。

「……お、おおっ、見事じゃ、見事じゃビスマよ!

 よくぞ『第三騎』ギネビアとアーサーを葬ったな!」

 騎乗のまま顔を見上げ、そう告げるのが精一杯だ。

 するとおもむろに、銀色の巨体の頭部を覆うキャノピーが持ち上がった。すっくと立ち上がった虹色の魔人ビスマ。得体のしれぬ金属質の皮膚を持ったこの人物の表情は読み難い。だが今この場で彼から発せられた言葉を聞けば、多くの者が絶句し数秒も経ずして声高に反論するより他ない筈だ。

『[マノニア]ヨ、早速[ギルガメス]ヲ追撃スルゾ』

「はぁっ!? お主、何を言っておるのじゃ!」

 素っ頓狂な声を上げるマノニア。魔人は一向に意に介することなく北の彼方に浮かぶ地平線を指差した。

『[ギルガメス]ハ北ノ境界ヲ越エタ。コノママ追イカケル』

「待て待て! 待て待て待て待て!」

 慌てて両腕を高々と持ち上げ静止を促すマノニア。

「流石にちょっと待て! 急ぎ過ぎじゃ!

 お前の能力なら今や境界付近に軍警察のゾイド部隊が多数集結しているのも承知しておるじゃろう? 全部倒してから通るつもりか?

 それにお前は傷も癒えていないじゃろう。まず治せ。治して万全の状態で臨め。そして奴らの裏をかけ」

 事実、マノニアが常備する板状端末により、ラナイツの境界付近に軍警察らしきゾイドコア反応が多数集結していることを把握できていた。……軍警察は妄りに自治区に立ち入らない。だが彼らの管轄に近付いたら大暴れするのは間違いあるまい。

 魔人は数秒とは言え少考してから返事を告げた。絞り出すような声だ。

『……ワカッタ。迂回シテ自己修復デキル場所ヲ探ソウ』

 ほっと胸を撫で下ろすマノニア。小太りで運動不足気味の彼にはやや心臓に堪えるものだ。

「とにかくじゃ、ギルガメスとジェノブレイカーに再戦するからにはより万全な状態で臨むぞ。そのための策も、ちゃんと用意しておる」

 コクリと魔人は頷くのみだ。只ひたすら指定された標的と戦うことにのみ使命と喜びを感じる魔人ビスマにとって、マノニアの申し出は今の時点では理解の対象外に過ぎなかった。

 

 いともあっさり見開かれた、ギルガメスの瞼。90度回転した薄暗い部屋が視界に広がる。厚いカーテンの隙間からぼんやり漏れる星屑の淡い輝きに戸惑いを隠せない。まだ夜も明け切っていなかった。

 どうしようか、身を起こそうかと迷い身体をひねろうとしたところで、少年は背中から引っ張る力を感じてはっと息を呑んだ。恐る恐る左手を背後に回す。……手探りで、Tシャツの後ろの裾に引っかかった滑らかな手触りに辿り着くと、彼は溜め息をついた。

 愛する女性が、すがるように裾を掴んで寝息を立てていた。……二人して右向きで、少年はいつの間にか遠くを気に掛け、彼女は言いしれぬ不安を露わにしていた。彼女の方がずっと大人で、背も高く、手足も長くしなやかなのに。

 少年は小さな体躯をそっとひねって起き上がった。彼女の長い指が裾から外れても、寝息はそのままだ。

 星明かりを頼りにベッドを見下ろせば、ジャージ姿の彼女が胎児のように横たわり、右腕だけを伸ばしているのがわかる。そんなに寝相が悪くはない筈だが、今晩はタオルケットが脇に押しやられていた。……少年は手を伸ばしかけたものの一瞬は躊躇。だがそれも数秒、すぐに意を決して彼女の右手を撫で掴み、そっと自らの右頬に当てる。

「エステル先生、そんなに心配しないで下さい。僕は、前よりは、ずっと……。

 でも、それでも……他にもっと良い方法、あったんじゃあないかと思うんです」

 そう囁くと、微かに寝息を立てる彼女の身体に改めてタオルケットを掛けてやるのだった。

 

 薄暗い格納庫内。深紅の竜は退屈そうにうずくまっていた。真夜中は狩りの時間。彼らの心を掻き立てる。しかし今しばらくは、偽りの闇に包まれたこの場で待機するしかない。Zi人の考える難しいことはわからないが、我が優しき師弟が疲れ気味なのはよく理解していた。古来より獰猛、凶暴と語り伝えられた深紅の竜は、そうであるからこそ信頼する主人をよく気遣う。主人の調子が良くなければ自らも全力を発揮できないからだ。

 そんなことだから、向こうから聞き慣れた足音が聞こえたところでこのゾイドは尻尾が垂直に立ち上がった。分厚い水晶に覆われた両眼をまばゆく点滅させる。

 姿を現した少年はいつも通りのTシャツに膝下丈の半ズボン。それに灰色のパーカーを引っ掛けている。彼は遠くからでもよくわかるように右の人差し指を口の前に立てて「シーッ」と声を立てた。

 行儀良く腹ばいでかしこまる深紅の竜。その真正面に少年が辿り着くと、両手を目一杯広げてやるのが「よし」の合図。竜は待ってましたとばかりに自分の鼻先を少年の小さな頬に擦り付けた。

「おはよう、ブレイカー。少し運動したいんだ」

 主人がどうしたいのか、深紅の竜はすぐに理解した。走ることが出来ないからそれ以外の運動を……例えば腹筋とか背筋とか、例えばキャッチボールとかを粛々と進めたいのだ。きっと夜明けとともにここを出立するに違いない。……いいとも、お安い御用だ。では何から始めよう? 深紅の竜は鼻先を少年から離すと少し小首を傾げてみせた。

 

 エステルはようやく重い瞼をこじ開けた。くすぶりつつある朝焼けがカーテンの隙間から漏れてきたところで彼女は息を呑んだ。ひどい寝坊!

 咄嗟に身を起こし、辺りを見渡す。自分が見慣れぬホテルの一室で就寝していたことを把握。……愛弟子は、何処?

 すぐさま寝室の扉を開けば、客間中央の座卓で顔を伏せたまま眠っている少年の姿がすぐに目に入り、ようやく彼女は我に返った。ただ、愛弟子は既に着替えていたし、ボサボサの黒髪が濡れている。きっと寂しがり屋の相棒を慰めたついでに軽く運動し、シャワーを浴び直したのだろう。

 彼女はと言えば今日は寝坊してしまおうと決めた筈なのに、実際に起きてみると中々の慌て振りだ。苦笑いするしかない。

 只、寝坊を決め込んだのは決して穏やかな理由ではなかった。夜間外出禁止令が出ていたのだ。……昨晩、近所で死闘が繰り広げられた。その一方はラナイツの女領主ギネビアと彼女が率いるゾイド部隊「獅侍の軍団」。もう一方はビスマと名乗る怪人物が操るケンタウロス・ワイルドなる正体不明のゾイド。昨晩中にほぼ決着はついただろうが、それを外部の人間が正確に把握するためには夜が明け切る必要があった。

 さて愛弟子はひどく落ち込んでいた。ギネビアという多少なりとも縁のできた人物に危機が迫っている。手助けもせず指を加えてみているつもりなのか? 如何に当事者が納得していることとは言え……。

(貴方は大事なところで優しいものね)

 初対面のゾイドが辛さを訴えたからと言って損傷の苦痛を全て被ってしまうような、そんな愚直さが中々抜け切らない。それは他ならぬ師匠であり、これからも続く長い旅路の同行者である彼女にとって常に心配ではある。だがそれは、今まで敵を屠り生き延びることに徹する余りところどころ壊れてしまった彼女の心を白日の下に晒すことでもある。

 彼女は寝間着姿のまま客間に入ると、顔を伏せて寝入る少年の真正面に立った。しばらくは無言でその姿を見つめていたが、ふと首を左右に振って、座卓に乗せておいたノート大の端末を開く。電源は入ったままだ。

 知りたい情報を把握した彼女。眉一つ動かさずそっと端末を閉じると、着替えるために今一度寝室に戻った。

 

 既に日差しはそこそこ高い。清々しいように見えて、時折のそよ風が焦げ臭い匂いを運んでいた。

 深紅の竜は舗装された道の上で腹ばいになったままじっとしていた。両腕でビークルを抱えている。時折青空を見上げたり周囲の町並みを見渡したりしては溜め息をついている。

「ブレイカー、もう少しだからね」

 胸部コクピット内から我が優しき主人の声が聞こえてきた。竜は気乗りしないトーンの下がった鳴き声を返しながらも、ひとまずは真正面を向き直して静粛にする。

 ギルガメス一行は開門を待つべく大通りにやってきた。しかし先着は多い。昨晩一行も輸送したグスタフの定期便を始め、流通業者の操縦する様々なゾイドが既に大通りに集結していた。やむを得ず開門までは整列して待つことになったのである。

 深紅の竜の左右でゴーレム数匹が小走りに駆け抜けていく。右手には大人の身体ほどもある誘導棒が握られている。少年はレバーを握り直した。

 案の定、サイレンが鳴り響く。

『お待たせしました、外出禁止令が解除されました。

 只今より開門します。誘導員の指示に従いゆっくりお進み下さい』

 深紅の竜は文字通り、飛び跳ねるように立ち上がる。それでも着地は丁寧で、民家二軒分ほどある巨体がふわりと爪先から着地する様は見事というより他ないが、そんなところに自身の秘めたる抜群の運動能力を敢えて駆使する辺り、抑えきれない感情がありありと伺えた。

 さていざ開門・誘導が始まってみても、少しずつの前進は牛歩と言っても差し支えない。何しろ左右でちょこまか動くゴーレムの方が速いのだ。流石に胸部コクピット内にも相棒の溜め息が聞こえてきた。

「ブレイカー、我慢、我慢。今だけ辛抱だよ」

 不満にかこつけて甘えるように深紅の竜がひと鳴き返す。

 すると全方位スクリーン左方にウインドウが開き、抱え持つビークルのパイロットが語りかけてきた。映像を見れば、普段は開放しているビークルの座席後方から、今まさに鋼鉄の屋根とキャノピーが競り上がり、天井を覆いつつあるところ。漆黒のパイロットスーツに身を固めたエステルは着席したまま腕組みし、右手で頬杖している。何やら浮かない顔。

「ギル、ブレイカー、こんなの今のうちだからね。

 門を抜けたらちょっと大変と思うから、そのつもりでね?」

 彼女の言葉に応えるように、深紅の竜は気忙しそうに首を左右に傾け始めた。……竜は、地響きを気にしている。

 城門をくぐり抜ける少し前から、地響きは鋼鉄のコクピット内部にまで伝わってきた。心臓を微かに震わす異様な重低音が全く止まない。

 いつしか少年は、自らの胸を擦っていた。

(大丈夫、ブレイカー、大丈夫だよ)

 そう相棒に向けて囁いているつもりだが、実際に不安なのは何より自分の方だと自覚した。……相棒も若き主人の心情を察知した様子で、右手で胸部コクピットを覆う鋼鉄のハッチを軽く押さえる。

 果たして城門の前に広がる荒野は砂塵が吹き荒れ、土煙が立ち込めていた。外周を広く見渡せば、快晴の青空と土や砂の黄色の二層で構成された異様な空間が待ち構えている。そして、至るところに見える誘導棒の赤い輝き。劣悪な視界の中、ゴーレム達が門外でも誘導を行なっていた。……そして肝心の、視界不良の原因となる連中は塵や煙の向こうでうごめいている。左から右へ突っ走っていく黒い影が延々と続き、ところどころサーチライトらしきもので黄土色の闇をかき分けているのが窺える。

 深紅の竜は姿勢低く警戒しながら、誘導に従い一歩又一歩と前進を始めた。後続がいるから、とにかく前に進まざるを得ない。

 この視界不良、沢山のゾイドが走り始めたのが原因である。物流を担うゾイド(それも10トン〜100トンを超えるようなものばかりだ)が一斉に動き出した結果だ。

「夜間外出禁止令が解けて色々な都市が一斉に開門したわ。あちこちで停泊中のゾイドが動き出した筈だから、しばらくはこんな感じでしょうね」

 ああやはり、とは少年も思った。実のところ夜間外出禁止令のたぐいは故郷アーミタでもたまにあった。だが田舎だったこともあり、天気を弄っているかの如き有り様にお目にかかることは滅多に無い。

 だが言いしれぬ不安は、依然止まぬ地響きもあって決して落ち着くことがない。ともかくも少年は左右のレバーを握り締める。

 深紅の竜の目前に、二匹のゴーレムが誘導棒を真横に伸ばして停止を促す。竜は大人しく従った。

 左方から、大小三十匹程のゾイドの集団が駆け抜けていく。竜もいれば獅子や狼、芋虫などもいて様々だ。貨物を引いているものも多く、うち何匹かは速度を落として深紅の竜達が並ぶ行列の左側面を通過していく。目的地は少年らが宿泊したあの街だ。

 集団が駆け抜けきったところでようやくゴーレム達の誘導棒が上がり、ゆらゆらと揺さぶられる。

 レバーを傾ける少年。応えて深紅の竜も軽やかな調子で駆け始めた。先程真正面を横断した集団の後方を追いかける形だ。深紅の竜以下数匹が続くものの、次の集団はあっという間に砂塵を巻き上げ押し寄せてくる。……徐々に歩行の速度を上げていく深紅の竜。その遥か後方で、二匹のゴーレムは再び誘導棒を真横に降ろした。

 さて深紅の竜は軽快に歩行を続けている。……あくまで、このゾイド基準では「歩いている」程度に過ぎない。

 一方、前後を進むゾイドの多くは貨物を積んでいることもあってか、懸命に駆けても速度が上がらない。こちらは両手で抱えられる程度のビークルを乗せているのみ。少しその気になっただけでも千切れそうだ。

 にわかに相棒の調子が良くなってきたことを少年も感じ取った。やはり、このゾイドは走るのが大好きなのだ。

「エステル先生、頃合いを見計らって突っ走りたいです」

 全方位スクリーンのウインドウ越しに少年が提案する。

「オーケー、ギル。タイミングは任せるわ……おや」

 依然、腕組み・頬杖したままのエステルは両腕を解いた。手早くコントロールパネルをいじるとモニターに別のウインドウが開かれた。

 その様子が全方位スクリーン側でも確認できた。少年も眼を見張る。

 進行方向から別の土煙が立ち込めている。……やはりゾイドの一団だ。連中も三十匹かそこらくらいはいる様子。……その様子をモニター越しに観察するエステル。

 向こうからの一団は、深紅の竜達の左側面をすれ違いざま駆け抜けていくようだ。……ゾイドは一概に巨大で重量もあり、高速で接触した時の損傷は計り知れないため、進行方向から別のゾイドが走ってきたら普通は割と大袈裟に距離を取るものだ。だがこの日は夜間外出禁止令を開けて混雑していたこともあり、土煙などによる視界不良が甚だしい。かなりギリギリの距離で両集団は回避を図ったが、それは思いのほか無難に達成されるかに見えた。

 数にして六十匹を超える鋼鉄の獣達が、唸りを上げてすれ違っていく。爆発と見紛う程の土煙が絡み合い、足元を濁流の如き砂塵が駆け抜け、精々数分程度の邂逅は呆気なく終わりを告げるかに見えた。

 女教師の蒼き瞳が切り裂くような眼光を解き放ったのはその時だ。

「跳ねて!」

 不意打ちの叫び。少年の背筋に電気が駆け巡る。だが躊躇することなく、少年は左右のレバーを目一杯に下げた。

 土煙の中から躍り出た深紅の竜。日差しに飲み込まれる程高くまで跳ね上がる。その最中に両翼を、六本の鶏冠を羽ばたくように広げつつ、竜は地上の異変を睨みつけた。

 土煙の外へ、弾き飛ばされ横転する獣が数匹。……一方、土煙の側には幾条もの鋼鉄の鎖が確認できる。先端には人の数倍もある銛(もり)らしき形状の武器が確認できた。恐らくゾイド猟用。

 少年の円らな瞳は見開かれたまま、瞬きする余裕もない。

「何なんですか、これ……」

「銛ね。銃砲よりは安いもの」

 地上ではたちまち鋼鉄同士の激突音が鳴り響く。殴られ、裂かれ、砕ける音が入り乱れる最悪の不協和音。それとともに、立ち込めていた土煙もたちまち風に流されていく。

 慎重に、減速して着地した深紅の竜。……両腕に抱えたビークルはそのままだ。事態を把握しない限り各個で動くべきではない。竜は辺りを見渡す。映像が、全方位スクリーンにも反映される。

 ギルガメスは惨劇の有り様に声を失ってしまった。目の前では鋼鉄の狼コマンドウルフ同士が喉笛を噛みつきながらと転がり回っている。向こうでは鉛玉の芋虫モルガ数匹が、一回り以上も大きい芋虫キャタルガに覆いかぶさり噛み付いている(※粗筋にも記載の通り、本稿ではワイルド系ゾイドは全てキットの実寸×72倍で登場します)。あちらでは角竜と猛牛が、こちらではダンゴムシと帆を持つトカゲが。いずれも勝手に組み付き合いもつれ合う泥臭い戦闘を演じている。

 向こうから鋼鉄の破片が飛んできた。深紅の竜は首をひょいと動かして難なく躱す。だがその反対に余裕などとうに吹っ飛んでしまった様子で周囲を見渡すのを止めない。

 それもその筈、竜の胸部コクピット内部で、少年は息を呑んだままだ。

「どれが、襲ってきた奴らなんだ……!?」

 奴らの氏素性がそもそもよくわからない状態ではある。野党なのかテロリストなのか、それとも他の何かなのか。だがこの際そんなことはどうでも良かった。連中はギルガメスの前後にいたゾイド(大半は民間の輸送用)と個々に組み付き合ってしまった。今やこの場では、奴らと民間のゾイドが入り乱れてしまっており、区別の仕方がわからない。誰を倒し、誰を助ければ良いのか……!?

 ゾイドの体色? そんなもの、持ち主が好き勝手に塗装している。

 武装の有無? 危険が横行する惑星Ziだからこそ民間のゾイドにも相応の武装が許可されているのだ。

 犯罪者なら顔を隠している? 一々ゾイドのキャノピーまで近付いて確認するつもりか。

「どうしよう、どうすればいいんだ!?」

 一回、深呼吸する程度の時間ながら、少年の脳内では凄まじい時間が経過していた。猛烈な消耗、憔悴。……その果てに、少年は閃いた。

「開門を待っていた時、僕たちの前にいたゾイドは……!」

 その最中、全方位スクリーン左上にウインドウが開いた。エステルが身を乗り出している。

「ギル、逃げるのよ!」

 だが彼女の言葉は少年が同時に叫んだ言葉でかき消されてしまった。

「コマンドウルフ! 両肩に星のマーク!」

 深紅の竜は躊躇せず、少年の発した少々不完全な言葉に素早く反応した。[まず、両肩に星のマークが付いたコマンドウルフを助けろ]そういうことだ。任せろとばかりに強く地面を蹴り込めば、たちまち土砂の柱が吹き飛ぶ。両腕に抱えたビークルはきゅっと握りしめたままだ。

「ギル、ギル、聞こえて!?」

 エステルの二言目でようやく少年は我に返った。

「エステル先生!?」

「ギル、ブレイカーを止めなさい! さっさとここを……」

 だが彼女が言い終わる前に、深紅の竜は少年が覚えていた「両肩に星のマークが付いたコマンドウルフ」を見つけてしまった。魔装竜ジェノブレイカーの仇名で呼ばれたこのゾイドにとって、周囲を見渡した程度で様々なゾイドの特徴を見抜くことなど造作もないこと。十数歩程も先で横転したまま動かないコマンドウルフの前に立ったのである。間違いない、両肩前方の装甲に星のマークがある。ところどころ銃創があるが、ゾイドコアは生きているだろうか? パイロットは? 一方、エステルの呼びかけも気になる。早く応えねば。……だが、とにかく。

「大丈夫ですか!」

 マイク越しに大声を放つ。

 銃撃、砲撃が鳴り止まぬこの辺りを包み込んだ、一瞬の静寂。

 程なく、鋼鉄の狼の頭部を覆う橙色のキャノピーがぼんやり輝いた。

(ゾイドの方は、生きてる! パイロットは?)

 身を乗り出す少年。深紅の竜も一歩踏み込む。

 鋼鉄の狼コマンドウルフはヨロヨロと胴体を起こし、うつ伏せになった。軽い、地響き。それをかき消すように、乾いた破裂音が静寂を引き裂いた。……コマンドウルフの、背中に積んだ大砲が解き放たれたのだ。

 深紅の竜は両手でビークルを抱えたまま横っ飛び。

 ギルガメスは真っ青だ。今の時点では『もしかしたら敵だったのか』などという考えにすら辿り着いていない。

「ま、待って下さい! 僕達は……」

 深紅の竜が手を差し伸べようにも砲撃はかなり正確だ。一歩も近付けず、竜は反時計回りに一歩一歩距離を離さざるを得ない。その間にも、狼の頭部キャノピーが開放された。中から現れたパイロットスーツ姿の中年男性は対ゾイドライフルを両腕で握り締めながら怒鳴った。額が割れているのか流血が確認できる。そして、蒼白の表情。パニックに陥っているのか。

「失せろ、テロリスト!」

 男性は滅多矢鱈にライフルを撃ちまくる。対ゾイドライフルはゾイドと言えども関節などの急所に命中すれば致命傷になり得る危険な武器だ。深紅の竜はすぐさま両翼を前面に翻して凌ぐより他ない。

「ギル、ギル、聞こえて!? 逃げるのよ!」

 砲撃、銃撃の冷水を浴びせられた少年は、事ここに至ってようやく女教師のアドバイスをちゃんと聞き、理解した。

 地面が爆ぜる。一歩、又一歩。深紅の竜が強く蹴り込み、一気に加速を付ける。……足元を、追いかける無数の銃弾、砲弾。たちまち地面が砕け抉れていく。しかしながら深紅の竜は表面上は何とも軽やかな動きで蹴り込みから滑走に転じると、入り乱れたこの辺りから一気に加速。程なく、離脱に成功した。

 

 荒野を見渡せば、至るところで炎が、煙が上がっているのがわかる。恐らくは何らかの武装勢力が夜間外出禁止令明けで市外に出たゾイドの群れに対し、同じように接触して被害を追わせたに違いない。理由は……何だろうか。

 だがそんなことより。少年は唇を強く噛み締めていた。円らな瞳に涙が浮かぶ。手を差し伸べてみたら噛みつかれるなどあの場では思いもよらなかったが、あんな事態に巻き込まれた一般人に、正確な判断などそもそもできるだろうか。

(何が「もっと良い方法」だ! ギルガメスの馬鹿野郎……)

 すると再び全方位スクリーン左上にウインドウが開き、愛する女性が語りかけてきた。

「ギル、ギル、今度は聞こえているわね?」

 少し疲れた様子のエステルは苦笑いを浮かべていた。

 一方ギルガメスの声は消え入るようだ。「はい」の一言もかすれてしまい聞き取り辛い。

「ギネビアという有力者が亡くなったから、チャンスとばかりに反対勢力がテロを仕掛けた……そんなところかしらね。私達ではどうにもならないわ。そういう立場の人達にまとめてもらうしかないわね」

 少年はコクリ、コクリと頷くことしか出来ない。

 女教師は笑顔のまま溜め息をついた。

「……例え何十億だかのこの星の民があなたを殺しに来ても、私はあなたを守るわ。

 あなたに嫌われても、絶対にね」

 充血した円らな瞳でウインドウ越しに女教師を見つめる。

 向こうの彼女は腕組みも頬杖もせず、座席にもたれかかったまま淡々と告げていた。切れ長の蒼き瞳も心持ち、充血していた。

 駆ける、深紅の竜。六本の鶏冠を目一杯広げ、その先端からは蒼い炎を吹き出して、軽快な滑走。

 彼方から、又別の土煙が見えてきた。……よく見るまでもない、土煙の中には無数の赤い閃光が見える。横長の、パトランプ。軍警察のゾイド部隊だ。奔走する一般ゾイドを襲撃する武装集団を鎮圧すべく、動き出したようだ。竜とビークル、それぞれのコクピット内でラジオの音声が響き始める。

 次の行き先を目指し、深紅の竜はひたすら滑走。面倒事も一段落したからか、微かに鼻歌が聞こえてくる。だが朝日は昇ったばかりだ。



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【第十章】狂戦士が影を踏む

 惑星Ziがヘリック共和国によって完全統一されて久しい。この星には今も様々な秘境が残されているが、共和国政府やその直轄機関はそういったところを狙い、極秘裏に様々な施設を建設している。軍事施設、研究所などがその多くを占めており、共和国による今日の平和を維持するための様々な活動が日夜行なわれている。

 彼の地では未だ、満天の星空が天幕を覆っていた。その直下、周囲を山々に囲まれた丘にそびえ立つドーム状の施設。天文台だ。だがその外周は数十メートルはあろうかというコンクリートの塀で囲われている。ここもヘリック共和国の建設した施設である。塀の上からはサーチライトの閃光が幾条も放たれ地上を、闇を照らし途絶えることがない。……肝心の建物の方も、所々見受けられる鉄格子付きの窓からはいずれも灯りが漏れている。さながら不夜城の様相を呈していた。

 さてその一角。眩しい位の電灯が連なる廊下を、ゆっくり進む車椅子。乗っているのは白衣の老人だ。てっぺんが禿げ上がった白髪に親指ほども分厚い眼鏡が狂気を醸し出す。

「わざわざ来てくれて嬉しいよ。しかし、どういう風の吹き回しかね?」

 その少しあとを音もなくついてくる者が一名。恐ろしく背の高い、水色の軍服・軍帽、そしてマントをまとった男。馬面にこけた頬、瞳は落ちくぼんだ上にヤモリのように大きい。何より眼光の鋭いこと。あまりある才気と風格がうかがえる。

「今更だな。『導火線の七騎』が二人、敗れた。立て続けにな。

 ひいては天文の動向が気になる」

 車椅子の老人は頷くと、廊下の途中に設けられた鋼鉄の扉。側面に何やら機械付きのパネルが埋め込まれている。老人が前に乗り出しパネルに顔を近付けると眼鏡を外しつつ、右手を掲げながら囁いた。

「惑星Ziの平和のために」

 パネルからカメラが開いて顔を覗く。光線が放射され、顔や右手をなぞっていく。生体認証。指紋、声紋、虹彩、顔……他にもなにかやっているかも知れない。だがそれも数秒。鋼鉄の扉はゆっくり開放された。

「後ろの方は儂等のボスだ」

 そう、パネルの方に告げる老人。

 異相の男はパネルの方に一瞥したものの、それ以外は自然体で車椅子のあとに続いた。

 十数メートルほどの薄暗い廊下を抜けると、薄暗いドームの天井が広がっている。あの深紅の竜がまるまる一匹収まるほどの規模だ。……その中央には竜の胴体ほどもある望遠鏡が設置され、夜空に睨みを利かしている。この望遠鏡の中央部分には子供の体格に匹敵する鏡が無数に埋め込まれており、性能も注ぎ込まれた予算も計り知れない。現状の惑星Ziにおいて遠い宇宙の果てに思いを馳せる者が果たして何人いるのか疑わしいが、一方ではこのような施設も密かに……そして各地に建造されていたのである。

 老人と男はドームの内壁を伝って彼方の扉に移動した。生体認証の儀式を老人が一通り済ませて二人が入室してみれば、無数の筐体、モニター、コントロールパネルがひしめき合った、見た目以上に窮屈な研究室が広がっている。絶え間なく聞こえる電子音。カタカタと何らかの端末を叩く音も。そんな中、白衣を身にまとった老若男女十数名の動きが何とも慌ただしい。……皆、車椅子の老人以上にその後に続く異相の男を見掛けて震え上がるほど背筋を正す。だが男は一向に意に介さず右手を軽く上げて、暗に「持ち場に戻ってよし」のサインを送るのみ。それで科学者たちも恐縮しつつモニターに向き直した。

 研究室の端から端へ。異相の男が案内されたモニターはちょっとした映画館のスクリーンほども広い。……車椅子の老人は左腕に装着した腕時計型端末を弄ると、モニターに映像が浮かび上がった。少し青みがかった背景に、無数の光点が浮かび上がる。それを我々地球人がじっくり見れば、太陽系によく似ていると気付くだろう。太陽を示す巨大な光点を中心に、数えて二番目。Ae、Se、二つの衛星が傍らに寄り添うこの星こそ惑星Ziである。そしてその外周に様々な惑星が並び、更にそこから離れた位置に無数の白点が散りばめられている。

 幾つかの白点が、度々明滅している。そして、奇妙なうごめき。

「外縁天体群に動きがあった。エネルギーの移動が多数、観測されている。

 今すぐ何かが起きるということはない。今すぐは、な」

 要望とは裏腹に、老人は巧みに指を動かして腕時計型端末を操作する。

 外縁天体と説明されたうごめく白点の群れをじっと睨みつつ、しきりに頷く異相の男。

「時間の問題……と考えて良いか?」

 車椅子の老人は声も立てず口元だけを緩めた。

「儂等は望遠鏡やら、わざわざ使って空の向こうを睨んでいるのだ。

 当然あちらさんも覗いているだろう。わかり辛ければ印をつける。今、その段階だ」

 異相の男は表情を変えない。只、車椅子の老人を一瞥するのみ。

 そこに不意を突くように割り込むアラーム音。異相の男はすぐさま口元に左手首を寄せる。彼の腕時計型端末から発せられたものだ。

「私だ。……わかった、すぐ戻る」

 異相の男は眉間に皺を寄せる。

「三人目だ。ラナイツのギネビアだ。その上、ケンイテンが脱走した。既に中央大陸に上陸したようだ。……邪魔をしたな」

 水色のマントを翻す異相の男。

 車椅子の老人は分厚い眼鏡の下の瞳を丸くする。

「資料はロブノルに送信を済ませておる。

 この件以外は儂も案外、暇だよ。電波が許す範囲内でならいつでも、この直後でも話せるぞ」

 老人の申し出を耳にした異相の男は無言で、だが誰の目で見てもわかるよう確実に頷く。そして。

「『惑星Ziの、平和のために』」

 敬礼を交わす二人。異相の男は当然として車椅子の老人もこの時は驚くほど背筋がピンと伸びていた。

 

 満天の星空がうねり、歪む。そして突如、幾重にもひび割れ。

 ひびの中から網目状の翼が美しい翼竜の姿をしたゾイド・プテラスが躍り出る。翼竜はすぐ目の前の空のひびに吸い込まれた。すると星空がぼんやり、暗くなっていく。

 暗転の正体は、夜空を包み込み、天文台に被さるほど巨大な鋼鉄の海亀。四本のヒレ、短めの首と尾が確認できる。人呼んでタートルカイザー。『ロブノル」とも呼ばれている。これも金属生命体ゾイドの一種であり、ヘリック共和国が秘匿する特殊部隊「水の軍団」の移動拠点でもある。そして天文台に来訪した異相の男こそ軍団のリーダーであり「水の総大将」と呼ばれる。

 水の総大将と水の軍団こそは、ギルガメスを執拗に付け狙う宿敵である(魔装竜外伝参照)。それが何らかの理由で再び動き始めたのである。

 

 乾き切った荒野をスケートのように滑走する深紅の竜。鋼鉄の鎧が日差しを浴びて眩しく輝く。一歩又一歩と踏み込み蹴り出すたび、砂利が爆ぜ塵が舞う。左右より桜の花弁にも似た翼を広げて舵を取る。背中より逆立つ六本の鶏冠は先端より青い炎を吐き出し、荒野を颯爽と突っ走る姿は彗星の如し。

 深紅の竜は、傍目には実に気分良く滑走しているかに見える。しかしその実、聡いこの竜はチラリちらりと遠方を見渡していた。……左手には稜線が、右手には海岸線が広がる。稜線の至るところから空を焦がすほどの煙が上がり、彼方の空は黒煙で濁っている。数キロやそこらでは利かぬ彼方の煙が何であるか、竜は既に悟っていた。これは強力な兵器をデタラメに使った結果、至るところで火事が起きている。

 さてこの深紅の竜は、両手に時代がかったビークルを抱えていた。左右を無骨な銃器で挟み込んだ鋼鉄の棺桶。おもむろに、その屋根が開いた。中から面長の美女が顔を出す。風になびく黒の短髪。切れ長の蒼き瞳はひと目には眼光鋭いが、今この場では優しく細まっていた。視線を下げ小首を傾げる深紅の竜。

「お疲れ様。貴方のペースで良いからね」

 竜は美女の申し出に小気味良く一声鳴いて応えた。たったその一言を聞いただけで、竜はとても嬉しそうだ。

 ビークルの屋根が閉じると美女は尻餅をつくように着席、長い両足を組んだ。彼女の全身は漆黒のパイロットスーツで固められていた。ビークルは複座式で、彼女は右側、左側にはフルフェイスのヘルメットが置かれている。そして正面、コントロールパネルのモニターにはウインドウが開かれており、その向こうには難しい表情を浮かべる少年の姿が映し出されていた。

「すみません」

「ふふっ、気にしないで」

 頭を垂れる少年に対し、美女は映像越しに笑顔で応えた。

 映像の向こうにいた少年は、上半身をハーネスで固定されており、両腕にはそれぞれレバーが握られている。外周は少年が両腕を広げても届かない位には広い、球の内側のような空間。壁面には外部の様子が全方位に渡って映し出されている。そして丁度少年の真正面にはウインドウが開かれており、そこには先程の美女の笑顔が鮮明に表示されていた。

 ここは深紅の竜の胸部に埋め込まれたコクピット内。丁度コクピットを覆うハッチの手前に竜が抱きかかえたビークルがあって塞いでしまっているため、少年が伝えたいことを美女が代わって伝えたのだ。……不思議なもので、少年は相棒の竜に対してコクピット内から音声や映像を介して意思を伝達することができるのだが、要所要所では少年はわざわざハッチを開き、丁度真上にある竜の顔に向かって直接話しかけることがある。それが彼なりの気遣いらしい。

 さて蒼き瞳の美女は座席にもたれかかると腕組みの右手で頬杖をつくいつもの仕草で告げた。

「ギルも、ブレイカーもお察しの通り、左手に見える煙は皆、テロによるものよ。ギネビアという有力者が亡くなったものだから、反対勢力がこぞってテロに加わったみたいね。遠からず軍警察に鎮圧されるとは思うけれど、火の粉に敢えて近付く理由もないわ」

 その名を呼ばれた少年は唇を軽く噛む。溜め息を我慢するかのように。

 深紅の竜はと言えば、分厚いガラスに覆われた紅い瞳を時折カッと見開くかのごとく爛々と眼光をほとばしらせた。彼ら金属生命体ゾイドにとって主人であるパイロットに仇なす奴らは全て敵だ。あとは近くにいるか遠くにいるか……その程度の話しである。

 美女は頬杖をしたままモニターの向こう側に映る少年をまじまじと見つめていたが、ふと。

「このまま北へ突っ走りましょう。目指すは北方大陸。……どうかしら?」

 え、と声を出したのはギルガメスだ。しかしながら予想外という風には見えない。ほんの少しだが表情が華やいだようにさえ見える。

「望むところです。

 もし『導火線の七騎』という話しが本当なら、他にそう呼ばれている人に会ってみたい。できれば話し合って、共闘したい。でも……すぐ近くにはいない気がします」

 美女は切れ長の蒼き瞳を細めた。

「多分ね、『導火線の七騎』というのは優れた者をひとまとめに呼ぶありがちな表現に過ぎないんじゃあないかしらとは思う。『十傑』とかね。

 ただ、ギルやアロンさんみたいにしょっちゅう旅してる者でない限り、近くにいてすぐ協力関係を築けるような者を指名するとは思えないわ。

 だとしたら、中央大陸に残りの『導火線の七騎」がいる可能性、ぐっと下がるでしょうね。そこで、このまま北へ行くなら勢いで大陸を渡ってみるのも悪くないなと思ったの」

 映像を介して二人は頷き合った。

 実のところ「導火線の七騎」なる序列が何を意味するのか、この師弟は把握しきれていない。そもそも見つけるのが大変であり、運良く見つけられたとしても共闘できる保証もないし、下手をすれば敵対の可能性だってある。……それでも師弟はこの地から離れることを選択した。テロを始めとする事件に巻き込まれる可能性もあり、身動きが取れなくなる前により遠方に行きたいという気持ちは共通だった。

 それなら、話しは早い。ビークルを抱えた深紅の竜はひたすら駆ける。……若き主人は昨晩、起きたらひと駆けすると約束してくれた。そこそこ邪魔が入ったが、気丈な我が主人は己の前では優しいままだ。だから、応えて駆ける。必要なら戦う。深紅の竜は甲高くひと鳴きし、踏み込みに勢いを乗せた。

 

 完全統一された惑星Ziにおいても余り変わらなかったことは結構ある。大陸間の移動もその一つだ。大半のゾイドが空を飛べない以上、海上輸送用の船舶型超大型ゾイド(300m程度)に積載するしかあるまい。問題は一部の空を飛べるゾイドで、民間の場合ヘリック共和国政府による「非常に難度の高い」免許の取得が必要だ。それ以外にも一回の飛行ごと申請が必要になるなど厳しいルールが設けられている。……完全統一とは言っても我らが深紅の竜を例に上げるまでもなく、尋常ならざる能力を持つゾイドはまだまだ各地に潜伏しており、共和国政府の管理外にあると考えられる。それらが行方不明(最悪は悪用)になる可能性を極力減らすため、こうした厳しい制限が課せられているのだ。

 さて師弟と深紅の竜は、超大型ゾイドが寄港できる大きな港を目指すこととなった。深紅の竜と同程度のゾイドが幾つも載せられる船舶型超大型ゾイドは寄港できる港も相当限られてくる。一行は大陸北端を目指した。

 ようやく左方の稜線から黒煙が見えなくなってきた頃、右方の海岸線側では紺色のキャンパスに雲と潮の白色が踊りうねり駆け巡る。海面は時折顔を覗く太陽に照らされ敷き詰められた銀紙のように鮮やかに煌めいた。

 深紅の竜はと言えば、足跡一つない砂浜を砂煙上げながらひたすらの滑走。後方には足跡というよりは轍(わだち)と言うべき跡がくっきり残っている。

 いつしかこの竜は奇妙な高揚を感じていた。彼方には若干の起伏こそあれど天と地を分かつ一本の線を境に、果てしなく広がる世界が竜をひたすら誘って止まない。……その手を伸ばせば、もしや届くのではあるまいか。

 ふと、竜は自分の胸元に埋め込まれたコクピットに視線を落とす。

 コクピット内部のギルガメスも、丁度顔を見上げたところだ。彼も竜と同じように、世界の広がりを目の当たりにして心癒される思いだ。だから相棒の反応を伺うべく全方位スクリーンの天井越しにチラリ見上げた。……その様子は電気信号の形で竜の視界にも伝わってくる。視線が直に触れ合うわけではない。にも関わらず、竜は軽くいななき、少年は笑顔を返した。時間の共有を確認できた嬉しさはこの上ない。

 一方、竜が両腕で抱えるビークル内では長い足を組んだ美女エステルが右手で頬杖したまま溜め息をついていた。少し寂しげな苦笑い。……人とゾイドの主従関係は時に男女の間柄より強固な絆と化すことがある。そうだとわかっていてもこんな表情を浮かべざるを得ず、彼女は唇を軽く噛むしかない。

 さて二人と一匹が様々な思いを抱く間も一本の線は果てしなく彼方に広がり、その先が見える様子はない。……ふと竜が足元に視線を落とせば、先程まで舞い上がっていた砂煙がいつの間にやら波飛沫に取って代わられている。膝下辺り位までは深くなった海面を得意の滑走でかき分けながら直進する中、少しずつ満ちる潮はいつの間にか辺り一帯の砂浜を覆い始めていた。

 深紅の竜はおもむろに、海岸線の向こうをチラリ観る。

 海辺には時折、銀色のシミのような影が浮かび上がる。それらは水飛沫を上げつつ軽快に飛び跳ねるため奇妙な姿形もよく分かる。例えば長い胴体の持ち主。例えば幅の広い羽根の持ち主。いずれも地球の生物で例えるなら硬骨魚類、エイのような軟骨魚類によく似ている。前者はウオディック、後者はシンカーと呼ばれる。古来から主な活動領域を水中に定めたゾイドの一種だ。水辺を行き来するゾイドは地球の水棲動物に似た形状のものが多い。

 とある銀色の魚が海面に浮かび上がると頭部を覆うハッチが開き、中から野暮ったくボロを重ね着した人物が姿を表した。必ずしも無風ではなく海面はやや揺れているが、この人物は何ら動じることなく背伸びすると、ヘルメットを被ったまま辺りを見渡した。ゴーグルには機械の明滅が確認できるから、辺りを哨戒したのだろう。……彼らの所属ははっきりしないが、軍警察が派遣した者か、近隣漁村の自警団のそれか、どちらかであろう。前述の通り大陸間の移動に厳しい制限がかかっている以上、密航者も後を絶たないから彼らが駆り出され、日夜警戒に当たっているのだ。

 ふと、視界の彼方が揺れた。自然に右手を広げて伸ばした方角だ。それは余りに唐突な、水柱。

 ハッと身を乗り出した少年。すぐさま全方位スクリーン左方にウインドウが展開。ワイヤーフレームで描かれた鳥瞰図が戦況を明らかにする。

 美女の方も険しい表情を浮かべながらコントロールパネルを叩けば、モニターには同様のウインドウが展開。彼女も又食い入るように戦況を睨む。

 海面に浮かんでいた銀色の魚はすぐさま頭部ハッチを閉じて潜航の開始。頭部を振り下ろして海中に突っ込むと、その勢いで尻尾が海面と垂直に伸びる。轟き、水立ち上がる水柱。

 波の音と共に揺れる海面。打ち寄せる潮の白濁は、怒涛の勢いで駆ける深紅の竜の足元にも絡みつく。

 深紅の竜は滑走を止めず、ただ紅い瞳をギロリと睨みつけたまま滑走を止めない。……安易な様子見の停止は命取りに繋がるからだ。十分に距離を取りつつ、相手方の動向を紅い瞳で睨みつけながら駆け込む深紅の竜。

 その最中、竜の胸部コクピット内で少年は起伏に乏しい鳥瞰図をひたすら凝視。……彼方に白い点が三つほど。中央の赤い点を取り囲む。

 少年はチラリ、鳥瞰図から視線を外して全方位スクリーンで彼方を睨む。だがそこには海面の紺と潮の白ばかりが広がるのみ。攻防は海中深くで起こっているのか?

 視線を鳥瞰図に戻した時、白い点はあっけなく消失していた。……辺りにふわふわと漂う赤い点。

 すると鳥瞰図に釘付けになった少年の不意を突くように、雲間から覗く光。我に返った少年が視線を戻す。

 銀紙を敷き詰めた海面に、突如として解き放たれた乱反射。

 次の瞬間、海面が深く、沈んだ。潮の濁りが渦潮の螺旋を描き、それは突如として天を衝く大槍と化した。大空の紺色を容易く貫くと海面に打ちつけ、そのまま乱反射する海面を波飛沫を巻き上げながら突き進んでくる。……進行方向は、北北西。その先には前傾姿勢で海面を滑り駆ける深紅の竜が確かにいる。

 猛追する潮の大槍を横目で睨む深紅の竜。

 胸部コクピット内・全方位スクリーンには別のウインドウがすぐさま開かれ、この潮の大槍に包まれた謎の物体の形状をワイヤーフレームで明らかにした。……それは複雑な、余りに複雑な形状。ひと目見て、どれが顔で、腕で、足なのかもわからない。ただ一つ、ひと目で分かるのは異様な形状の尻尾があること。

 だがその映像の上に、ある数値が赤字かつ大きく被さって表示されたことにより、少年も美女も目を剥いた。秒を数えるカウンターだ。この謎の物体が深紅の竜に追いつくまで、最長でも一分以内だという。

 美女エステルはすぐさまフルフェイスのヘルメットを被りながら声をかける。

「ギル、ブレイカー、聞こえて?

 迎え撃つ、良いわね?」

「はい、先生!」

 やはり同意するように小気味良く鳴いた深紅の竜。姿勢をぐっと低く下げる。背中の鶏冠は先端より吹き出る青い炎が弱まり、桜花の翼は目一杯広げて急減速の開始。左足を前方に突き出して滑り込む要領でブレーキを掛ければ、真正面に水の壁が垂直に吹き上がる。

 時計回りに振り向きながらの急停止。自身に浴びせられる水の壁にも何ら動じることなく深紅の竜は姿勢を戻し、桜花の翼を畳んで備える。足元を見れば、足首が半分ほども浸からない浅瀬に止まったのを確認できた。

 勢いが急激に失われるのをビークルのコクピット内で体感したエステル。ヘルメットのシールドをすぐさま下ろす。

「一旦、後ろに回るわね」

 深紅の竜が両手を離すと甲高いエンジン音とともに銃器に挟まれたビークルはふわりと浮き上がり、時計回りに竜の背後へと移動する。ゾイド同士の戦いにおいてビークルや巨大ゾイドの三、四分の一もない小型ゾイドがしばしば勝敗を決する手掛かりになることは、常にあり得る。例えば密着して絡み合う二匹の巨大ゾイドから十数メートルほども離れた位置から放たれる一発の銃弾が死命を決するのは別段、珍しいことではない。この時点では接触まで一分程度の余裕がある。今のうちだ。

 一方、胸部コクピット内では少年が自らの額に指を当てる。青白い刻印がたちまち浮かび上がり、まばゆく輝く。今一度シンクロを果たした少年と深紅の竜。生死は一緒と誓った証だ。円らな瞳に宿る輝きが全方位スクリーンの彼方の敵を斬りつける。

 カウントが、30を切った。

 潮の大槍、急迫。着々と引き裂かれていく紺色のキャンパス。

 重心を再び下げる深紅の竜。

 師弟はそれぞれのコクピットでレバーを握り直す。

「ゼロになったら貴方達のタイミングで良いから、飛んで!」

 全方位スクリーンのウインドウ越しに、頷く少年。

 カウント、10を切った。少年は呼吸を整える。できれば吐き出すタイミングでレバーを全力で押し込みたい。

 3、2、1、そして0。

 軽く息を止めた少年。

 潮の大槍が、弾けた。

 高々と上がる水柱。

「いくよ!」

 足元を浸す海水が、爆ぜる。深紅の竜は両の爪先で鋭く蹴り込んで紺色のキャンパスに躍り出た。既に己が全長の数倍は跳んでいる。……目指すは弾けた潮の大槍が吐き出すだろう謎の物体。必ずやそれは、我が相棒たる深紅の竜の軌道に真正面からぶつかってくる筈だ。刮目する少年。

 ところがほんの2、3秒ほど前に潮の大槍から弾き出された物体を目の当たりにして、少年は「えっ」と声を上げてしまった。これは銀色のガラクタ、ではない。ひと目見て少年はすぐさま悟った。先程まで金属生命体ゾイド・ウオディックやシンカーであっただろう鋼鉄の塊ではないか。……いや、本当に死んでいるのか? 生きていたら? コクピットは? ゾイドコアは?

「斬れーーっ!」

 迷いを振り払うように、美女が吠えた。全方位スクリーンの向こうで映る彼女の声も、形相も凄まじい。

 はっと我に返った少年。レバーを握る右腕を、すぐさま弓引くように振り絞る。それが合図だ。桜花の翼を翻す深紅の竜。右翼の裏側から二本の長剣が展開、先端で重なって一本の大剣と化す。

 袈裟斬りの、大剣一閃。

 真っ二つになった鋼鉄の塊は道を開けるように、空駆ける深紅の竜の両側に逸れながら失速していく。

 少年は思わず左右を見た。見ずにはおれなかった。……全方位スクリーンに映り込んだ鋼鉄の塊は、いずれも頭部ハッチと胴体に抉れた痕跡がある「水棲ゾイドだったもの」の寄せ集め。

 たちまち少年の心臓に、脳裏に、様々な思いが去来する。覚悟もままならぬまま決断した時はいつもこうだ。

 揺さぶられる少年を叱咤激励するように、深紅の竜は吠え、美女エステルは叫んだ。

「来るわ、次!」

 再び少年は刮目、全方位スクリーンの真正面を食らいつくように睨みつける。

 既に深紅の竜は跳躍の頂点に達し、下降に転じていた。竜が見下ろす海面からは、再び潮が泡立ち、弾け出す。……自由落下のまま、竜は姿勢を整える。桜花の翼を左右に広げ、六本の鶏冠を目一杯逆立てつつも視線は絶対外さない。

 その直下より、遂に竜を目掛けて突き出された潮の大槍。怯むことなく右の大剣を翻し、蒼い炎を背負って急速落下する深紅の竜。……竜の紅い瞳も、少年の円らな瞳も、大槍の中に切っ先が隠れていると確信した。

 天を衝く潮を、横薙ぎに切り裂く大剣。その瞬間、紺色のキャンパスは激しく震えた。

 竜の後方に離れて浮遊するビークルのコクピット内で、美女エステルは凄まじい形相とは裏腹に、心中はハラハラしっ放しだ。愛弟子は……彼女の愛する戦士は優しいのだ。それが相棒たる深紅の竜を奮起させ勝利に導くこともあれば、立ち所に危機に陥ることもある。自分さえ良ければ……などという気持ちには中々なれない。それが時にたまらなく愛おしく、ときにたまらなく不安にさせる。冷静な戦況分析に割り込んでくる、消せない(消してはならない)ノイズを抱えたまま、彼女はビークルのモニターを睨む。

 弾ける潮。飛沫となって霧散する。その中から姿を現したのは、鋭利な爪。それらが何本も立ち並び、一揃いで刃物のような形状と化している。手首には大砲。……大砲!?

「ギル、離れて!」

 叫ぶエステル。だが彼女の声をかき消すように数発の砲声が鳴り響く。

 巨体をひねって躱す深紅の竜。それでも砲弾は胴や肩にかすり、浮遊のバランスを崩した。大剣の切っ先をこの得体の知れぬ敵から引き戻しつつ再度の浮上を図ろうとするが、そこに先程の、鋭利な爪が何本も立ち並んで刃物状と化した二本の手が続けざまに振り下ろされる。

 辛くも錐揉みしつつ距離を取る深紅の竜。

 後を追うこの二本の手の本体は、鮮やかな緋色の鎧をまとった暴君竜。大きい。深紅の竜の倍ほどはある。両腕は長く鞭のようにしなっている。頭部は深紅の竜を胴体ごとひと呑みにしかねないほど大きい。背中には数本の背びれが生えて絶えずクルクルと回転する忙しなさ。長い尻尾には数本の大砲がマウントされている。

 だがこの暴君竜の最たる異様は全身至るところから漏れる様々な輝きだろう。赤や青、緑色の輝きが息吹のごとく明滅し絶えず深紅の竜を睨んでいる。その輝きの漏れる箇所を幾つか凝視すれば、Zi人ならば気付く筈だ。……至るところに垣間見る黒や銀などの人の大きさ以上はある立方体。その各面に開けられた穴が明滅しているのだ。一方、緑色の輝きを目で追ってみれば、至るところに複数のゾイドの顔によく似た意匠が確認できる。顔がそこにあるなら緑色の輝きは、眼だ。

 エステルは驚愕を鎮めるべく深呼吸に努めた。……彼女は古代ゾイド人だ。冷凍睡眠のたびに植え付けられる最新ゾイドの情報が、過去に同種のものを間近で見ていなくとも余りに鮮明な状態で記憶の淵から引っ張り出されるのだ。

「ギル、ギル、そいつは……」

 愛弟子に話しかけようとしたその隙に、飛沫を上げて駆ける緋色の暴君竜。幽鬼のようにフラフラと、だがひとたび加速すれば無駄がなさすぎて機械仕掛けの玩具と見紛うような足取りで急迫。今一度、浮遊する深紅の竜目掛けてその長い両腕を振り下ろした。

 深紅の竜は左右の桜花の翼を真正面にかざす。鐘を叩き割るような轟音を響かせつつも、緋色の暴君竜が振り下ろす両腕をがっちり受け止める。盾と化した翼で受け止めれば先程のような不意打ちは喰らいにくい。

 拳闘の構えのような姿勢で、少年は左右のレバーを押し込む。カッと見開く円らな瞳。次に打つべき手を探り出そうとしたその時。

 不意に、空気が勢い良く漏れる音。……緋色の、頭部だ。コクピットを覆うハッチが、開いた。

 えっ、と少年も美女も声を漏らす。

 その最中、緋色の頭部から肩、そして腕部を伝い、呆れるほど軽快に駆ける男の影。上半身は素っ裸、異様に手足が長く、頭髪もシルエットでわかるほど伸びている。それが軽快かつ怒涛の勢いで緋色の指先まで辿り着くと跳躍!

 瞬間、全方位スクリーンの画像が乱れた。同時に少年が額に感じた、骨を割られるような強烈な痛み。

 緋色の暴君竜の主人は、深紅の竜の鶏冠の上に飛び乗っていた。右腕には鉄の棒。面構えは若者だろうがやせ細っており、顔は無精髭で覆われている。そして血走った眼差しに宿る狂気。

 この長髪の狂戦士は見られていると承知しているかのように大きく口を開けた。

「聞こえているかぁ? ギぃぃルガメスぅぅー。

 水の軍団・暗殺ゾイド部隊、ケンイテン(乾為天)す、い、さーん。

 これなる相棒・キメラゴジュラス『亢龍』とともに貴様をぶっ殺ーす。惑星Ziの、平和のために!」

 毒気に当てられた表情で、少年は全方位スクリーンの天井を、ズキズキと痛む額を抑えながら凝視せざるを得なかった。

 



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【第十一章】追撃は止まず

(もしブレイカーに乗っている貴方の足元に、絶対殺すしかない敵が現れたとして、貴方は躊躇わず踏み潰せる?)

 女教師エステルが『実際には口にしたことがない』問い掛けだ。

 彼女は太古の時代に歴戦の勇者でもあったから、残酷な局面はいくらでも目の当たりにしたし、心当たりもあった。……だがそれらを愛する弟子に質問としてぶつけたことは、未だない。理由は簡単、彼に迫る追っ手が既に存在していたからだ。彼女と出会って間もない頃から、追っ手はしばしば悪辣な手段で少年に迫った。そればかりか、追っ手は彼の家族を無残に始末した。今後も生きている限り、追っ手が途絶えることはあるまい。現実でもう十分、ひどい目にあっているのに座学でも教えるのは流石に躊躇われた。

 だが、と改めて彼女は思う。そう判断するのは結局、自分が嫌われたくないからに過ぎないのではないか? いつも最悪の、吐き気を催すようなどす黒い未来ばかりを突きつける色気の欠片もないつまらない女。そう思われるのは目に見えている。愛弟子が不満を漏らすこともなく今日までついてきているからこそ、今改めて問い掛けるのは怖くて仕方がない。

 では今、この場はどうすべきか?

 深紅の竜ブレイカーの頭部、額に生えた鶏冠の上に、長髪の若者が仁王立ち。上半身素っ裸でやせ細り、無精髭で顔が覆われたこのケンイテン(※乾為天と書く。六十四卦の第一卦、天が二つ重なり非常に勢いのある状態を意味する。彼は地球移民の多い東方大陸出身である)と名乗る若者は、呪詛を唱えるかの如く深紅の竜を罵りつつ得物の棒で滅多矢鱈に竜の鶏冠を殴りつける。絶叫、そして哄笑。震える紺碧の空。

「痛いか、ゾイドコアに響くか!」

 狂気の振る舞いを食らった深紅の竜の胸部コクピット内では、全方位スクリーンに激しいノイズが稲妻のように駆け巡っている。鉄の棒で一撃が振り下ろされるたび、何度も。

 そして座席には、一撃を食らうごとに頭部を揺さぶられる少年ギルガメスの悲痛な姿。深紅の竜の頭部に逆立つ鶏冠は感覚器官が集中している。そこに振り下ろされる狂戦士の一撃が、ノイズとなってスクリーンをかき乱し、オーガノイドシステムのシンクロ機能によって少年の頭部に突き刺すような痛みとして再現されているのだ。たかだか鉄の棒の一撃と侮ってはいけない。少年主従は今、目潰しや鼓膜破りに等しい衝撃を喰らい続けている。

 衝動に駆られる。両手を離したい。離して、頭を抑えたい。……だがそんなことをする暇があるなら。

 ギルガメスは吠えた。レバーを握りしめた両腕を、前面に円の盾を作るが如く大きく回す。

 応えて深紅の竜も、吠える。瞬間、首を軸に素早く回転。傍目には螺旋を描いたかにも見える。

 ところが長髪の狂戦士は予想通りといった風にふわりと跳躍。空中で宙返りしつつ軽やかに、竜の鶏冠に着地。すぐさま竜は再び首を螺旋に揺さぶるが、狂戦士は完全にタイミングを読み切っているかの如く軽やかに跳躍と着地を繰り返す。そして相変わらずの哄笑、哄笑。

 不快極まりない均衡を打ち崩したのは一発の銃声。竜の背後・左手より、旋回しつつ躍り出たビークル。先端より放たれた対ゾイドライフルの銃弾は、しかしながらこの狂気の沙汰を演出した緋色の暴君竜の両腕がゆらりと動いて弾かれた。その隙に、狂戦士は暴君竜の両腕に着地しつつ要所でとんぼ返りを混じえ、軽快かつ怒涛の勢いで駆け上がっていく。

 あっという間の出来事だった。軽快怒涛の勢いのまま、狂戦士ケンイテンは緋色の暴君竜キメラゴジュラスの頭部コクピット内にするりと逃げ込んでみせた。まるっきり息を切らした様子もなく、狭苦しいコクピットに勢い良く座り込むと不敵な笑みを浮かべる。

「今のは挨拶代わりだ、魔装竜ジェノブレイカー、そしてギぃぃルガメス!

 貴様らに殺された同胞の仇、今こそ討ってくれる! 惑星Ziの平和のために!」

 呪いの言葉はどうにか胸部コクピット内でも聞き取れた。しかし全方位スクリーンには鬱陶しいノイズが亀裂のように残っている。……敵は、どこだ? ノイズをかき分けるように少年は円らな瞳を凝らしたところ。

 眼前に、陽射しを遮る巨大な塔がそびえ立った。いや違う、これは。

 突如として鳴り響いた轟音は鋭く、そして高らか。

 真正面にかざしたままだった桜花の翼二枚の境い目に、振り下ろされたのは暴君竜の右腕手刀。垂直に叩き込む唐竹割りは、それだけで深紅の竜をひざまずかせ、翼の境い目にわずかながら隙間を作った。……海面に広がる波紋。この凶悪な暴君竜が手応えを感じ取った瞬間。

 叩き込まれた右腕手刀がすぐさま引き抜かれる。鞭を振るうように暴君竜の右腕がしなり、唐竹割り二撃目、そして三撃目。掘削用の重機が地面に叩き込まれるように、鋭い轟音が響き渡る。

 堪え切れず、ついた膝を持ち上げようとする深紅の竜。だがその頭上より、暴君竜の残る左腕が掌で叩くように振り下ろされた。そのままがっちりと深紅の竜を押さえつけ、右腕手刀でひたすらの唐竹割り、乱れ打ち。余りに強引、しかし余りに正確。立てない深紅の竜。両腕までも波飛沫を上げつつ海面につくしかない。土下座のような、屈辱の瞬間。

 それと共に唐竹割りの轟音も、既に五撃目。深紅の竜は、ひれ伏すような姿勢ながらも紅い瞳で頭上の敵を睨みつけたまま好機を伺う。しかしこの怒涛の連撃、どこまで耐え切れるのか?

 胸部コクピット内のギルガメスも同じ心境だ。依然衰えることなき闘志も、内心の恐れも。

 耐えられるのはあと何秒か? 何撃までか?

 その間に援護の一射が間に合うか?

 様々な要素を考えながら、全方位スクリーンを食い入るように睨みつける。

 見つけた、わずかな隙を。緋色の暴君竜は一撃のたび、徐々に左足が前に出ている。

(ブレイカー? こいつ、前のめりになってる、だから……。タイミングは、僕に任せて)

 深紅の竜は己が胸元を一瞥し、ささやくように一声鳴いた。

 続く、手刀の乱れ打ち。その間にも少年は手早く汗を拭い、レバーを握り直す。……彼が声をかけてから三度目の手刀が振り下ろされた時。

 突如、ひざまずく深紅の竜を水飛沫が覆った。……自ら地面にへばりついたのだ。

 緋色の暴君竜が喰らった強烈な肩透かし。今まで四つん這いながらも反発していた宿敵の巨体はぐらりと不意に沈み、その勢いでつんのめった。強烈な右腕手刀は虚しく空を切る。

 叫ぶ少年。深紅の竜も応えて吠える。大人しく寝かしていた背負いし鶏冠六本の先端が、蒼い炎を吐き出す。波飛沫と共に竜が繰り出す体当たりは右肩から。ガッチリと暴君竜が踏み出す左足の脛を捉え、そのまま横転させてみせる。

 蹴り込む深紅の竜。抉れる海面。……乾坤一擲。そう確信していた。

 ところが彼の真正面に広がる全方位スクリーンは、突如として紺碧の空と海ばかりが広がる光景を映し出したのである。標的は、消えた。緋色の暴君竜は、どこに。

「ギル、左!」

 凛とした……だが確実に狼狽の色が交じる女声がコクピット内に響き渡る。エステルだ。彼女の駆るビークルは緋色の暴君竜の後方に回り込んだところ。攻撃も回避も容易な位置は限られていた。だがわずか十数秒程度で速やかに、少年の期待通り忍び寄るように回り込んだその時、想像を超える事態の急変を目の当たりにしたのである。

 彼女の叫びが轟いてから一秒も経ずして、少年の左の耳元で飛沫の上がる音が聞こえた。凍りつく少年。

 瞬間、容赦ない振動がコクピットを垂直に揺さぶる。

 何が起こったのか。少年は全身を強張らせて縦揺れの衝撃に逆らいながら、左右を見渡す。

 少年の視界内に強敵の姿は見られない。まさか。

 すると全方位スクリーンは盛んに後方への矢印を点滅させた。すぐさま振り向いた少年。

 強敵は馬乗りになって、竜の背中に覆い被さっていた。

 途端に遠間合いから銃声、数発。エステルが駆るビークルが放ったものだ。緋色の暴君竜は余裕綽々で銃弾を払い除ける。暴君竜の頭部コクピット内では長髪の狂戦士が不敵な笑みを浮かべている。

「古代ゾイド人の女、弾を節約している暇はないぞ?

 受けてみろギぃぃルガメス!

 亢龍、マグネイズ・デスロック!」

 狂戦士の絶叫。

 瞬間、少年は経験したことのない激痛を覚えた。喉元だ。喉元を鋭く締め上げねじ切ろうとする、余りに野蛮な痛み。オーガノイドシステムのシンクロ機能が伝えるこの痛みは首絞めによるもの。

 首だけではない。右腕も、捻り上げられるような痛みが高圧電流のごとく駆け巡る。

 今まさに、深紅の竜に覆い被さった緋色の暴君竜は、右腕で竜の右腕をひねり、左腕で竜の首をグイグイと絞め上げている。

 一方、緋色の暴君竜の全身に埋め込まれた立方体がまばゆく発光。部品と部品の隙間から斬りつけるような閃光がほとばしる。ブロックスゾイドを構成する各ブロックは莫大なエネルギーを貯蔵しており、たった一個でも若干のパーツを加えただけで長時間の飛行すら可能だ。今はその貯蔵されたエネルギーが一気に放出され、この絞め上げに力を加えているのだ。両者の鎧が擦れ合い、火花が至るところから飛び散る。

 悶える、ギルガメス。首と、右腕に赤い痕が浮かび上がる。これぞシンクロ機能の負の効果。今や少年を窒息・脱臼寸前まで追い込んでいる。

 残虐非道の秘術を放つ長髪の狂戦士ケンイテンは勝利を確信したのか声高らかに嘲笑った。

「痛いか! しかし貴様らに敗れた我が同胞の無念はこんなものではないぞ!

 ギぃぃルガメス、貴様の首は、東方大陸平定のために俺が始末した千を超える王族・軍人にもまさる価値がある。例え水の総大将様が休戦を申し入れようが、俺は許さん! このままマグネイズ・デスロックでジェノブレイカーと共にくたばれ!」

 少年の視界は薄闇がかかっていく。意識が、遠のきかけているのだ。

 防ぐ方法は二つしかない。一つはシンクロを断つ。しかしその代償に相棒は首にすぐには回復不能なダメージを負いかねない(※ゾイドは頭部に脳などの器官を持たないため致命傷にはならないが、相当な重症に変わりはない)。だから、もう一つの方法。……だが少年は、そこに考えが至ったところでこんなに苦しんでいるにも関わらず、悔しさを滲ませた。

(そうやって当てにするしかないのか、僕は!)

 果たして、空気を震わす破裂音が一発、もう一発。すぐさま叩きつける轟音が続く。エステルが駆る時代がかったビークルから解き放たれたものだ。対ゾイドライフルでの狙撃に加え、ビークルの両側を挟むように取り付けられた銃器から発射された無数の熱弾が、妖しい曲線を描きながら暴君竜の背中に襲いかかる。

 爆炎に次ぐ爆炎。暴君竜の背中一帯に降り注がれる熱弾の嵐。緋色の暴君竜は流石に人工ゾイド、動揺の色など更々見せない。だが爆破の衝撃は確実にこの執念深いゾイドの絞殺力を弱めた。

 咳き込むギルガメス。力が弱まり、呼吸ができるようになったようだ。

 全方位スクリーン左上にウインドウが開く。エステルだ。ヘルメットのシールドを全開にして浮かべる表情は見るからに青ざめている。

「ギル、大丈夫!?」

 少年は必死の作り笑い。後を引く強烈な痛み……だけが理由ではない。彼女は、この場も窮地から救ってくれた。ひ弱な、僕を。

 だが笑顔を懸命に返すその最中に、不意打ちのごとく強烈な痛みが再び喉元に突き刺さった。苦悶の表情に逆戻り。

 緋色の暴君竜・頭部コクピット内では再び長髪の狂戦士が高笑い。だがその眼光たるや狂気の輝きが失せ、どす黒い闇色に包まれている。

「今更、手放すか。今度こそ絞め落としてやる」

 落ち着き払った声とともにレバーを捌けば、暴君竜は今一度両腕を強張らす。再び深紅の竜の喉元が、右腕が絞め上がる。軋む、火花が飛び散る、鋼鉄の鎧が削れていく。

 再び襲いかかる強烈な苦悶。だが少年の円らな瞳は苦痛で歪みながらも、消え入りそうな声で天井に向けて何事か囁いた。

 果たして女教師エステルが次の一斉掃射を行なわんとボタンに指をかけたその時。

 標的の下半身が爆炎で包まれた。

 何事か。エステルは切れ長の瞳を刮目。

 緋色の暴君竜が全体重と全出力を以て抑え込むその真下で、うごめいたのは深紅の竜の背中に生える六本の鶏冠。一斉に蒼い炎を吐き出しつつ花開くように広がったのだ。

 そして、グラグラとうごめく暴君竜の巨体。

 ここに来て初めて、狂戦士の笑顔が消えた。

「貴様、まさか!?」

 女教師も身を乗り出しモニターの向こうに向かって叫ぶ。

「ギル、待ちなさい! 待って!」

 相憎、少年の方には返事する理由も余裕もなかった。体重を乗せるように思い切り強く左右のレバーを引く。

 六本の鶏冠より一気に噴出する蒼い炎。強敵が背中からのしかかっている今、地面を蹴り込んで加速する余地もない。だが最早こうなれば、噴射の勢いだけで十分だ。

 かくして緋色の暴君竜キメラゴジュラスを背中に積んだまま、深紅の竜ブレイカー、飛行開始。超低空。最初は海面に奇妙な紋様が描かれるが、それも数秒。安定すれば一気の加速。己の倍はある鋼鉄の塊を背中に積んでいるため本来の飛行速度は出せないが、我が相棒の出力はご覧の通り。損傷こそ受けたものの急激なエネルギーの減少には至っていない今がチャンスだ。

「早めに、振り飛ばしますから」

 作り笑いを再び浮かべる余裕はない。少年はレバーを強く押し込んだ。

 海面を蒼い軌跡が吹き飛ばし、彫り込むように灼いた。

 エステルは唖然とした表情で見つめるよりほかなかった。だがすぐに気を取り直し、レバーを握り締める。

(ギル、どうしたの? 何を考えているの?)

 しかし感情をどこかに荒々しくぶつけている暇はない。すぐさまビークルは追尾を開始する。

 

 小高い丘の上に広がる窪みに、橙色の蜂ブリッツホーネットの群れが腹ばって集結している。真上から見ればタンポポの花のようだ。

 その中央に居座る一匹には、背中の操縦席にトレンチコートを着た小太りの男が座っている。マノニアだ。右手にはエナジーバー、左手には水筒。ボリボリと咀嚼の音。彼は食事中だ。数日間程度の栄養補給アイテムは機械人形に常に携帯させている。

 何本目かのエナジーバーをかじり終えたマノニア。水筒で流し込み終えると早速A3ほどはある板状の端末を引っ張り出した。

「ビスマよ、どうじゃ。彼奴らの足跡、お主でも掴めないじゃろう?」

 端末越しに話しかける。

 聞き慣れた男声は返ってこない。おやと首を傾げたマノニア。だが数秒もせず端末の画面が明滅。文字が踊った。

〈ゾイドコア反応がない。何故だ?〉

「夜間外出禁止令が出ていたのじゃ。ギルガメスとて人の子じゃ。何もなければルールくらい守る。

 南の方角から、じきにすっ飛んでくるのは目に見えている。既に密偵を沢山放っておるからの、網にかかるのは時間の問題じゃ。

 ……ところでお主、声は?」

〈レーダーや自己修復などを除いて機能を停止している。こちらのゾイドコア反応を察知されてはまずい〉

 あくまでも端末を介し、公用ヘリック語による返事を表示していた。

 なるほどとマノニアは合点がいった。強大・大型のゾイドはゾイドコア反応も目立ち易いものだ。こちらの反応を先に察知されて逃げられてはつまらない。

 すると不意に、端末上にウインドウが開かれた。それも複数だ。マノニアは厳しい表情で凝視。

 複数のウインドウは緋色の暴君竜を背負ったまま飛行を続ける深紅の竜を表示。ウインドウを一枚一枚伝っていくように映し出される。

〈ゾイドコア反応あり〉

 画像を押しのけるように、再び端末上に文字が踊った。

 マノニアは不敵な笑みを浮かべた。ゾイドを名乗る魔人が動き出す合図。あとは勝手にやらせよう。

 ところがこのすぐ後。マノニアははっと目を凝らした。ウインドウを伝っていく機体が映し出されている。それは時代がかったビークルの姿。……それにはギルガメスとブレイカーのコンビにとって絶対的に重要な人物が乗っていることを、マノニアも把握していた。

「万全を期すぞ、フフフ……。この辺りの『密偵』は回収じゃ」

 すっくと立ち上がったマノニア。それを合図に他の蜂達に搭乗していた黒尽くめの機械人形達もカサカサと動き始める。

 機械人形達はいずれも背中に奇妙な箱を背負っていた。……箱の一面は細かな網状になっている。そこに黒い粒が一つ、又一つ、羽音を震わし収まっていく。これらこそマノニアが言うところの「密偵」である。金属生命体の一種だが、ゾイドとは流石に呼べないだろう。その形状は橙色の蜂ブリッツホーネットによく似ていた。いずれも簡単な改造が施されており、視界に捉えたものを映像としてマノニアの端末に送信する。

 完全な回収を見届けるまでもなく、マノニアの搭乗した橙色の蜂は浮上を開始した。機械人形達の搭乗するそれらもあとに続き、その更にあとに「密偵」蜂が機械人形の背負う箱を追いかけていく。いずれは勝手にはこの中へ飛び込んでいくだろう。

 その容姿故に威厳の類は全くもって期待できない男だが、このときとばかりは邪悪という表現がぴったりな笑みを浮かべた。

 

 海原から砂浜へ。

 緋色の暴君竜を背負ったまま、飛行を続ける深紅の竜。この背中の邪魔者は、依然として首絞めの左腕を離さない。だから胸部コクピット内でギルガメスが浮かべる苦悶の表情もそのままだ。

(振りほどくには相応しい場所を見つけるしかない)

 唯一の好材料はこの優しい相棒が十分にメンテナンスを施されていることだ。エネルギーも十分。だから鶏冠の炎から吐き出す蒼い炎も全開である。……絡みつく緋色の暴君竜も今や振り落とされまいと必死だ。

 そして、微妙な蛇行。暴君竜の主人は先程、ゾイドの腕伝いに生身で襲撃するという暴挙を実行に移しているのだ。直進では飛行が安定してしまい、仕掛けてくる可能性もある。

(あとは……あとは……)

 遂に、手頃な岩山が若干だが見えてきた。海岸線まで辿り着けたのである。

 どこでも良かった。かすってしまえばどうにかなる。深紅の竜は巨体を右に傾けた。蒼い炎は手近な断崖に吸い込まれていく。

 遂に岩盤が削れる音、数秒。音が止んだかと思ったら、又数秒。全方位スクリーンには右上にウインドウが開かれ、ワイヤーフレームの鳥瞰図で「可能な限り断崖にかすれるルート」が映し出されていた。ゾイドは頭が良い。こういう計算も容易くこなす。

 激突、三度目。……遂に、蒼い炎は本来の勢いを取り戻したかに見える。爆音を轟かせ、倍以上の加速を取り戻した。そしてそのはるか後方では地響きが聞こえたようだが、とっくに遠ざかってしまったため状況が把握できない。だが今はそれで、十分だ。再び、咳き込む。

 少年はここで初めて、右手をレバーから離し、軽く胸をさすった。懸命に息を整えるとすぐにレバーを握り直す。

 辺りは岩山が林立している。曲芸のように避けて通るのは無理だ。相棒の計算に従いできる限り直進できるルートを見定める。蒼い炎が徐々に弱まる。桜花の翼を目一杯広げ、減速の開始。

 やがて彼方に開けてきた丘陵では、土煙が舞い上がった。両足揃えて滑り込み、そのまま何百メートル進んだのだろう。完全に停止すると、深紅の竜は大きく一息ついた。その上でゆっくりと腹這いになり、凶悪な攻撃から解放されて楽になった右腕でポンポンと軽く胸部コクピットハッチを叩く。

 空気が漏れる音と共にハッチが開いた。中から現れた竜の若き主人はフラフラと、歩くのもままならずその場に倒れ込む。あっと息を呑んだ深紅の竜は両腕の爪で囲いを作ってやり、受け止めてやることに成功した。

 竜の爪にもたれかかったギルガメスは疲労困憊。玉の汗をかき、呼吸を整えるのをしばらくやめることが出来なかった。

「ブレイカー、ごめん」

 声だけは絞り出したが、顔を上げることさえままならない。……只、相棒の爪は冷たくて気持ち良い。少年はいつしかすがるように胸板を爪に押し当てていた。

 まじまじと、その有様を見つめる紅い眼。

 不意に、少年の背中にひんやりとした感触。

 驚いた少年はそこでようやく、振り向くことが出来た。

 深紅の竜が、鼻先を少年の背中に押し当てている。爪に加えて、熱冷ましの追加だ。愛撫は、優しい。

 少年の口元はようやくほころび、少しずつだが落ち着いていったのである。

 魔装竜ジェノブレイカーはオーガノイドシステム搭載ゾイドだ。ゾイドコアを劇的活性化し神がかり的戦闘能力を発揮するが、その代償に一切の苦痛をパイロットが負わなければいけない(※軽減の役目を果たすユニットは所持していない)。

 強敵キメラゴジュラスの秘技「マグネイズ・デスロック」は並みのゾイドでは脱出不可能だ。深紅の竜は受けるべき激痛をシンクロする若き主人が負い続けることで耐え抜き、どうにか危機を脱した。しかしその代償はご覧の通りだ。……それを理解しているから、深紅の竜は主人に忠誠を誓い、又優しく慈しむ。

 ささやかな休息はやけに長く感じられた。だがそれも深紅の竜が突然、首をもたげたことで終わりを告げた。

 ひんやりとした感触が急に遠ざかり、少年は事態の急変を悟った。

 深紅の竜はすぐさま長い顎で、少年を抱える両手の前に更なる囲いを作る。……頭上からかすかに、唸り声が聞こえる。その声色から彼は察した。かなり、焦っている。

 本当に、目と鼻の先だ。深紅の竜がもう一歩、腕を伸ばせば届く距離。そこに突然ほとばしった閃光。辺りには落とし穴と見紛うほどの大穴がポッカリと開いた。

 白煙を漂わせつつその場に降り立った者を、竜と少年は遠目では知っている。全身七色の金属的光沢を発する、言わば虹色の魔人。風が凪ぐ。しかし虹色の魔人は動じる気配さえも見せず、仁王立ち。

『間近デオ会イスルノハ初メテデスネ、[ギルガメス]サン。ソシテ[魔装竜ジェノブレイカー]」

 ありえないことが起きてしまった。人の姿を見つけることがそもそも困難なこの場で、よもや虹色の魔人ビスマが突如として姿を現すなどとは少年主従も思いもよらなかったのである。

 



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【第十二章】あどけなき狂気

 ギルガメスの小さな身体は、巨大な影とそれを作り出す長い顎と両手に覆われ、束の間の安全を保っている。だがそのすぐ外には悪魔が忍び寄っていた。魔人ビスマ。全身虹色の光沢で輝く得体の知れない人物は、人もゾイドもろくに見当たらないこの岩場に突如として姿を現したのである。まさしく神出鬼没。まさしく絶体絶命。

(どうしよう、どうすればいいんだ!?)

 少年の後悔が止まらない。一応、彼もナイフを持っている。ゾイド猟用のナイフであり、相棒に秘められた力を引き出す鍵でもあるそれは、普段は相棒ブレイカーの胸部コクピット・座席の下に閉まっている。……取りに戻るのは極めて困難だ。

 いやそもそも、今の少年にこのナイフを武器として使いこなすのは無理だ。最愛の女性に手ほどきを受けてはいるものの、経験が足りなさ過ぎるという。

〈武器があるからと軽率な行動に出るくらいなら、仕舞っておいた方が遥かに良いわ。今はゾイド乗りとしての腕前に磨きをかけなさい。

 いつかゾイドでは解決できない局面に当たった時、こういうのの勉強をした意味がきっと、わかるから〉

 そう、彼女は教えてくれた。

 そこまで思い出した時、少年ははっと我に返った。

 彼の優しい相棒は、少年を囲う両掌の親指に当たる部分(三本指の内、最も短い一本)を招くように動かしている。……額に指を当てる少年。疲れ切っているため刻印の輝きは大分弱いが、それでもしっかりと明滅できる。

(わかった、タイミングを図って、どちらかに掴まるから)

 刻印の力によるテレパシーを受けて、相棒の親指は動きを止めた。かすかにでも鳴いて相槌など打ってしまったら悟られるから当然だが、確かな意思疎通は出来たに違いない。あとはタイミングだ、タイミング……。にわかに鼓動が高鳴るのがわかる。いつしか少年が右腕でTシャツの左胸辺りを鷲掴みして気持ちを張った、その時。

『待ッテクダサイ』

 魔人ビスマの落ち着いた声が辺りに響き渡る。驚いた少年。相棒が作ってくれた両掌の囲いの隙間から、ちらり覗いてみる。

 腕組みして仁王立ちの魔人がふと、右腕を上げた。

「[ギルガメス]サン、私ノ使命ハ『導火線の七騎』ヲ破リ、私自身ノ地上最強ヲ証明スルコト。

 丸腰ノアナタヲ攻撃スルノハ、重大ナるーる違反デス」

 少年は溜め息とも深呼吸ともつかぬ息を漏らしかけ、慌てて両手で口を覆った。

 つまりどういうことなのか。彼自身、今まで度々命の危険に晒されてきた。我が相棒たる深紅の竜を破るには、パイロットであり主人であり、そして無二の親友でもある少年を始末するのが手っ取り早いのは誰の目から見ても明らかだ。それを敢えて避けるというのか。いやそもそも、この得体の知れぬ魔人の言葉を信用して良いのか。

 ふと、己が吐息を耳にして悟る少年。自分の呼吸が少し早くなった。動揺し、混乱し掛けているのだ。努めて静かに深呼吸すると。

「つまり、僕がブレイカーに乗っていなければ戦わないってこと?」

 両掌の囲いの隙間から言葉を投げかける。

 魔人の全身は妖しく明滅した。

「ソウデス。生身ノアナタヲ倒スノモ、アナタガ乗ッテナイ[ジェノブレイカー]ヲ倒スノモ意味ガアリマセン。

 万全ノ状態ニアル、アナタ達ヲ倒シテコソナノデス」

 その有様を、少年は囲いの隙間から円らな瞳を凝らして見つめていた。

 訪れた沈黙。一秒が十秒にも百秒にも感じさせられる。

「わかった。僕は連れと合流したい。

 そちらはもう三歩、下がってくれないか?」

 魔人は大きく三歩、さして躊躇もせず、表情も変えず後退した。

 その間、少年は額の刻印に指を当てて相棒と交信する。

(ブレイカー、ごめん。少しでも情報を聞き出したいんだ)

 深紅の竜は自らが囲う両掌をまじまじと見つめて溜め息を漏らした。……少年は勇気ある決断をした。竜にしてみれば非常に怖く、危険な決断である。この虹色の魔人の能力は依然不明だ。しかしこの場で即座の決着が見込めない以上、少年の決断以上の選択肢はあるまい。幸い、この若き主人も不意打ち対策のため、魔人に三歩の交代を約束させた。だから深紅の竜も決断した。有事の際は、必ず我が主人を守るのだ。

 深紅の竜は両掌を、勿体つける位ゆっくりと開放する。

 中から現れたボサ髪の少年。高鳴る心臓、乱れる呼吸、すくむ足。それでも胸だけは堂々と張った。

「向こうに、連れのビークルの反応を確認している。そこまで一緒に行こう」

 

 遥か彼方で起きたこの邂逅は、エステルの想定を間違いなく超えていただろう。そんなことなどつゆ知らず、彼女はビークルのエンジンを吹かす。調整されたマグネッサーエンジンの起動音は地球で利用される電気自動車程度かそれ以下の騒音に過ぎない。それだけに、外界の静けさはコントロールパネルを睨む彼女の不安を強烈に駆り立てる。

 彼女はコントロールパネルを手早く弄った。モニターに自動運転を告げるメッセージが表示されるのを確認すると、彼女は被っていたヘルメットを無造作に外して右の座席にそっと置く。そして襟元を少し緩めると、特大の溜め息。

 腕組みしつつ右手で頬杖するいつものポーズで物思いに耽る。この間も無論、愛弟子と相棒たるゾイドの捜索はレーダーによって虱潰しに行なっている。当然のことだ。……だがそれはそれとして、彼女は彼女なりに、この僅かな時間を使ってでも心を整理させずにはおれなかった。

 私は、愛する男と付き合いの長い友達が生き延びてくれさえすれば、それでいい。それで良かったし、そうするより他ない人生だった。

 でも彼は、そうは考えそうにない。目の前で苦しんでいる人がいれば、できる限り助けたいのだ。

 相反する気持ちが衝突には至らぬものの、ずっともやもやと淀み続けている。

 出会って間もない頃は残酷な現実を突きつけて納得させることもしばしばあった。たった二人と一匹で生き延びる手段は限られていることをわかってもらいたかったからだ。……だが今や愛する男は、着々と実力を身につけつつある。多少の荒波に揉まれてもびくともしない心と身体を。

(要らないんじゃあないかしら、私)

 何気ない一言が呪詛と化して全身を駆け巡り侵食していく。強烈な悪寒。

(いや、いやいやいや)

 慌てて彼女は首を何度も横に振った。彼にも、自分自身にも嘘をついていることくらいわかるだろう。

 だがそれだけに、彼女は思い悩む。どう接すれば良いのか。

 自動運転を続けたままビークルは飛行を続ける。コクピット内部は依然、静かなままだ。

 ふと、ビークルのコントロールパネルがアラームを鳴らす。

 切れ長の瞳をカッと見開き長い両指でコントロールパネルを弾くエステル。

 据え付けのモニターは鳥瞰図を浮かび上がらせ、はるか遠方に「人の反応」を捉えたという。……だが詳細を確認して、彼女は落胆のため息を付いた。

「ゾイドコアの反応は、ないのね。……ブロックスの、群れ? 尚更、違うわ」

 言うまでもなく、愛する男は巨大なゾイドに搭乗している。目下の宿敵が操るブロックスも、分離して群れるほどの規模ではない。恐らく現地人だろう。

 ビークルは虚空をそのまま直進して向かう。エステルは溜め息をつきつつ、次の反応を完治するまで背もたれにしなやかな身体を預けた。

 

 同じように鳥瞰図を睨んでいた者がいた。マノニアだ。

 彼もまた、橙色の蜂ブリッツホーネットを自動運転に切り替え戦況を睨んでいたのだ。A3大の板状端末を両手で握りしめてずっと凝視していたのだ。ところが人の反応を示す光点が横切っていくのを確認したところで、少々太ましい十本の指はワナワナと震え出した。そして遂に、堪え切れず伏せていた顔を持ち上げて高々と笑い始めた。しかしながらその笑い声には清々しさは微塵も感じられない。

「打って出るぞ!」

 合図を受けて、橙色の蜂の群れは鮮やかに散開する。

 さてマノニアは例の板状端末をコクピットにマウントさせてモニター代わりにすると一転、困難な実験に臨む科学者のように神妙な面持ちとなった。

「レアヘルツ砲、用意せぇ」

 ボソリと呟く。

 橙色の蜂達は、一斉に身体をくの字に抱え込むように曲げる。

 蜂の胴部・先端より伸びる突起が何やら人の腕の長さほども延長。驚くべきことに、このくの字の姿勢のまま一切減速していない。搭乗する黒尽くめの機械人形は黙々と主人の指示に従い、曲芸的な飛行を継続中だ。マノニアの搭乗する蜂も同様に動作してはいる。事前に一連の動作をボタン押下数回程度で実現するよう仕込んでいたからだが、当の操縦者本人は大分顔が引きつっている。

 さて板状端末の鳥瞰図が、白い光点を再び捉えた。画像拡大、更に拡大。……直に見たわけではないが、ゾイドバトルの試合映像で何度も目にしている。若き英雄ギルガメスを導く蒼き瞳の美女が搭乗する、あのビークルだ。

「よーしよしよし、狙い通りじゃ。

 儂の長年に渡る研究成果を披露してやる」

 マノニアの胸には去来するものがあった。一介の技術者に過ぎないこの小太りの中年にとって、のし上がるには「ゾイドを凌駕する研究」を積み上げるしかなかった。例えば安価且つ小型で人同様の細かな動作をこなすものとして機械人形を作り出した。彼らに限らず、ゾイドを持てない技術者は常にゾイドに対抗することを想定した技術の積み重ねが必要だったのだ。蜂達の異様な発射体勢でこれから解き放たれようとしている攻撃もその一環だ。

(儂の研究では古代ゾイド人……とりわけ額に「刻印」とやらが光る奴らの身体は極めてゾイドに近いことがわかっておる。ならば、こいつは効く。間違いなく!)

 板状端末は全ての蜂達が準備完了したことを伝えた。ほくそ笑むマノニア。

「レアヘルツ砲、照射」

 派手な爆音も、閃光もなかった。……だがマノニアは自らが搭乗する蜂の胴部先端から研究通りの音がすることを確認し、板状端末に映る配下の上方に異常が見当たらないことを確認し、不敵な笑みを浮かべるに至ったのである。

 ところでレアヘルツとは、惑星Zi各地で確認されている電磁波のようなものだという。それを浴びればゾイドは例外なく身体に変調をきたし、やがて死に至る。その絶大なる効果故に、レアヘルツ発生地帯は惑星Ziの各大陸をものの見事に分断しているのだ(初出はアニメ「機獣新世紀ゾイド」)。

 それほどのものが一介の民間技術者に過ぎないこの男よって遂に解き放たれたのだ。

 

 我に返ったエステル。上半身はいつの間にか前のめりになって、コントロールパネルの上に倒れ伏していた。

 ほんの数秒前、唐突に視界が暗転した。馬鹿な、失神したというのか。

 すぐさま、両手をコントロールパネルの上について上半身を起こそうと試みる。……その時、猛然と襲いかかってきた後頭部の痛み。視界が何重にもブレる眩暈。そして強烈な吐き気。体を持ち上げたくとも、両腕に、胴体に、全く力が入らない。

 座席の上で、身を捩らせながら悶える彼女。この間にも全身から冷や汗が噴出、悪寒が、痙攣が駆け巡る。パニックに陥る瀬戸際でも、彼女は懸命に思案した。健康体である彼女の全身を襲ったこの異常は、何か。

(……レアヘルツ!?)

 口伝で。座学で。そしてコールドスリープ時の睡眠学習で。度々教わってきた症状に酷似している。

 そこに気がついた時、彼女は一連の症状に至った原因にも即座に気がついた。……苦悶と共に彼女を責め立てる後悔の念。今の彼女は一つ、大事な装備を外していた。そう、ヘルメットだ。

 レアヘルツによる攻撃は戦況を根本から崩しかねないから、彼女がよく着用する背広やパイロットスーツには防護処理が施されている。しかし幸か不幸か、ヘリック共和国によって惑星Ziが統一されてしまった今の時代において、こんな掟破りを働く者はいない。愛する男を二度も奪おうとしたあの宿敵でさえ使わなかった。悪夢のような時代の遺物として、忘却の彼方に放り込まれていたのだ。……ありはしないと思っていた、その結果がこの体たらく。

 苦痛に歪む切れ長の蒼き瞳から、いつしか薄っすらと溢れる涙。歪む唇を、ぐいと噛み締める。

(どうにかしないと。……ああ、あなた!)

 朦朧とする意識の中、彼女はどうにか長い指でコントロールパネルを弾く。自動操縦のまま、手近なところへの不時着。もはやそれしかあるまい。

 

 有事には深紅の竜に先行、外周を固める支援兵器として活躍するこの時代がかったビークルは、木の葉を落とすように複雑な軌道で減速。岩場だらけだった辺りをさらに抜け出した平原に、滑り込むように不時着を果たした。岩を削り、砂を撒き散らし……最低限の安全対策以上のことは出来なかったと言って良い。

 やがてビークルの外周に、次々に着陸する橙色の蜂ブリッツホーネットの群れ。搭乗する機械人形が次々に降り出しビークルを包囲していく。彼らの両腕にはショットガンほどの長さはあるが銃口の見当たらない得体の知れない筒が握られている。先程の蜂の群れが使ったのがレアヘルツ「砲」ならこちらはレアヘルツ「銃」である。

 最後に到着した蜂の上からマノニアが飛び降りた。ここまでご覧の通りの小悪党ながら小太りであり凡そ戦いには向いていない体型の持ち主故に、一挙動ごとはスムーズなようでも必ず間が空く。例えば蜂から飛び降りたところで次にすべき行動を一寸考える妙な緩慢さが隠せない。それ故か、彼の周囲には常に数匹の機械人形が護衛する。この場でも彼らを伴いながら、先に包囲した機械人形達より外周からビークルを覗き込んでいるところだ。

 マノニアの浮かべる笑顔は何とも悪辣。

「調べはついておる。

 ギルガメスには常に付き従う女がいる。魔装竜ジェノブレイカーをもビビらせる怖い女じゃが、かのクソガキは女に惚れておる。ならば目指すは唯一つ!」

 戦乙女の如き彼女の闘いぶりを知っていればこのような発想は中々生まれなかっただろう。マノニアは美貌の女教師エステルを人質にしようと考えたのだ。

 ビークルの上部を覆うハッチ付近に数体の機械人形が群がる。いずれもしばらくはハッチの縁に両手をかざしていたが、ふとそのうち一体が動きを止めた。両掌から毛糸並みに細長い触手が十数本も伸び、鍵穴らしき部分に侵入を果たす。

 十数秒程度で空気を漏らす音が聞こえた。ハッチが競り上がるように開いたのだ。

 たちまち開いた箇所に機械人形が群がる。この一瞬のチャンスに乗じて、脱出や反撃に転じられるわけにはいかない。

 だがそれは杞憂に過ぎなかった。ものの数秒で、機械人形の群れは左右に分かれ、マノニアを招くように道を作り出す。その先に見えるものを確認したマノニアは下卑た笑みを浮かべつつ、歩を早めた。

 二体の機械人形に両肩を抱きかかえられ、引き摺り出された黒衣の美女。完全に気を失っており、項垂れている。いきなり殴られたり蹴られたりといった可能性はまずない。

 真正面に立ったマノニアは意識のない彼女の顎をくいと持ち上げる。小太りなこの男の身長は決して高くはなく、この動作をするだけでも顔を見上げなければならない。だが意識の有無という絶対的優位の前にはさほど問題にならない。

「これがビスマでも勝てぬクソガキの『女』か」

 面長の、白磁のような頬を軽く叩くが反応はない。すぐに鼻や口元に手をかざすが微かに息が漏れるのは確認できた。こそ泥が戦利品を眺めるかの如き下衆い笑みを浮かべる。

 だがそれにしても、美しい顔立ちだ。いつしかマノニアは、黒衣の美女に魅入っていた。顔から、細長い首へ。そして……首元。強烈な苦しみ故にパイロットスーツを緩めたのだろう。ハッと、男は息を呑んだ。首から鎖骨、そして……胸元。深い谷間が下品な男の視線を盛んに誘っている。

 一瞬の躊躇。だが咳払いすると「役得じゃ、役得」と呟き右手を伸ばす。

 漆黒のパイロットスーツの上から軽く弄っただけで、男の面構えは親なら勘当を言い渡され友人なら絶交されるだろう、何とも下品な笑みを浮かべ、声を上げた。

「この役得、最高じゃ! ……いや、待てよ」

 この程度で甘んじて良いのか。「導火線の七騎」にも選ばれるほどのゾイド乗りであるあのクソガキを精神的に破壊せねばなるまい。

「そうじゃ、マノニア! この程度で我慢してはならん! もっと、もっとじゃ!」

 意を決して、依然気を失ったままの美女の胸元に手をかける。

 だがそのずっと背後の方で、砂利を蹴る音が急速に近付いてきた。……すぐさま群がる機械人形。だがそのいずれもが払いのけられ叩き落され踏み台にされ、いつのまにか卑猥な笑みを浮かべたままの中年男性の背後に躍り出た。

 直ぐ側の機械人形が反応しマノニアが振り向くよりも早く、メキと鈍い音が辺りに響き渡る。

 天国に誘われていた男の脳裏を襲う衝撃は、まさしく地獄へ転落する激痛だ。ぎゃあと悲鳴を上げ、マノニアはその場に倒れ込んだ。

「な、な、何者……」

 長髪の狂戦士、仁王立ち。上半身は素っ裸のまま、右手には鉄の棒が握られている。……マノニアはこの男こそ水の軍団暗殺ゾイド部隊の戦士であり「導火線の七騎」第四騎とも称されるケンイテンであることを知らない。ケンイテンは群がる機械人形に鉄の棒の先端を切っ先のごとく向けて牽制すると、倒れたままのマノニアの頭部を踏みつける。

「おぅガラクタ共、それ以上動いたらどうなるか、わかるよなぁ?

 さて、このクソアマがギぃぃルガメスの女か。チビデブ、やるじゃあねぇか。

 ギぃぃルガメスを倒すためにはやはり心をぶっ壊すしかねぇようだ。都合よく、最高の材料が置いてあったぜ。……おいチビデブ、こういうのを何て言うか、知ってるか?」

 頭を踏みつけられたまま身体も起こせぬマノニアは恐怖に怯える表情しか浮かばない。

「何だ、知らねぇのか。『善は急げ』って言うんだよ!」

 言いながら強く頭部を地面にめり込ませるほど踏みにじる。悲鳴を上げるマノニア。

 だがそんな声になどお構いなしに、長髪の狂戦士は依然意識の戻らない黒衣の美女の胸元に傷だらけの手を掛けた。

 

 延々と岩場が続く。打ち寄せる波と潮風によって長年に渡って削り込まれたようだ。その一方で人が歩ける程度の道も確保されている。成り立ちが気になるところだが、そこに興味を抱く心の余裕など今の少年にありはしなかった。

 先行する虹色の魔人ビスマの背中をギルガメスはじっと見つめる。妖しい光沢がうねる皮膚。巨躯であることは間違いないが、体つきには強烈な違和感が感じられてならない。人体については義務教育で習った程度の知識しかない少年だが、骨格レベルでZi人とは違った作りに思える。

 いや、そんなことより。責務を果たすのだ。言葉遣いをどうしようか一瞬は躊躇しつつ。

「教えて欲しい、ビスマ……お前は一体何者なんだ」

 虹色の魔人は振り向かずに答えた。

「私ハ[ゾイド]デス。……不思議、デスカ?」

 少年には俄には理解できないままだ。彼の学んだ範囲では等身大で人に近い体つきのゾイドなど、今まで聞いたこともない。……いや待てよ、待て待て。こういうゾイドも現存する、ということではないか。とにかく今は、そう考えることにした。少年は頭をフル回転させて、次に紡ぐべき言葉を慎重に選ぶ。

「お前は、どこからやってきたんだ?」

 虹色の魔人はちらりと後方を一瞥。じっと少年の表情を伺うとふと立ち止まり、自分の腕を天に向けて伸ばすと、空に向けてまっすぐ指を突き出した。

「コノ空ノズット、ズット上デス」

 魔人の告げた故郷に、少年も竜も奇妙な声を上げそうになり、慌てて我慢した。つまり宇宙から来たということなのか。少年主従は思わず顔を見合わせる。

 ところで惑星Zi完全統一を果たしたヘリック共和国において、所謂「宇宙開発」はどの程度進んでいると考えられるだろうか? 筆者の想像では「何もしていないわけではないが、まだまだ重要度は高くない」といったところだ。油断のならぬ強国が大体消滅した以上、宇宙開発を通じて他国に力を誇示する必要性は薄い。だが一方で、共和国軍が団結するに足りる仮想敵も必要だ。宇宙空間を泳ぎ、彼方の星に余裕を持って着陸・開発するのは食いっぱぐれた軍人の矛先をかわすには丁度良い材料になるのではないか。

「カツテ私ハ、大キナ翼ヲ持チ、星ノ海ヲヒタスラ泳イデイマシタ。

 アル時、私ハ流レ弾ニ当タッテシマイ、コノ星……[惑星Zi] ニ墜落シマシタ。

 私ハコノ星ノ民ニヨッテ捕マッテシマイマシタ。

 彼ラハ私ノ身体ヲ奪イ、他ノ沢山ノ[ゾイドコア]ト共ニ幽閉シマシタ。

 ……ソコニハ食料ナドアリマセン。私ハ他ノ[ゾイドコア]ヲ食ベ続ケテ、ドウニカ生キ残リマシタ。

 遂ニ私ダケニナリ、飢エガ頂点ニ達シタ時、私ハヨウヤク助ケラレタノデス」

 少年も竜も、魔人の話しに声を失ってしまった。

 聞いたことがある。これは蠱毒という奴だ。宇宙空間らしきところを彷徨っていた一介の金属生命体がいきなり受けたこの仕打ちは何なのか。

 すると少年の後方から深紅の竜がそっと鼻先を近づけてくる。彼はすぐに気がついた。竜は荒々しく乱れそうな鼻息をずっと我慢している。この魔装竜ジェノブレイカーと呼ばれた深紅の竜も、魔人ビスマの境遇に腹を立てたようだ。このゾイドにも心当たりが大いにある。ぶちまける当てのない怒りの矛先。少年は鼻先にキスをしてやり、そっとなだめた。

「そうだったんだ……。大変だったんだな。

 それで、その助けてくれた人は?」

「コノ先ニ、イマス。私ハ彼ニ恩返シスルタメ、戦ッテイルノデス」

 えっ、と少年は声を上げた。

「いや、ちょっと待って。まさか『導火線の七騎』を倒すのは、その人に依頼を受けたから!?」

「ハイ」

 そいつが一番の悪党だ。少年は絶句した。

「それ、利用されているだけじゃあないか! 最初からそういう目的で解放されただけだよ」

「ハハハハハ」

 虹色の魔人は笑い出すと立ち止まり、あとから続く少年の前に振り向いた。

「[ギルガメス]サン、人間ハ素晴ラシイ生キ物デスネ。

 ……[愛]ト言ウノダソウデスネ。アナタニハ愛スル者ガイル。

 [友]モイルノデスネ。ソコニイル[魔装竜ジェノブレイカー]ハアナタノ大事ナ友達。

 戦ワズニ済ム証シ、ソレガ[愛]ヤ[友]ダ。

 シカシ[ゾイド]ハ、ツガウコトハナイ。友モ本来ハ持タナイ。生マレ落チテカラ死ヌマデ孤独デス。

 ヨッテ[ゾイド]ガコノ世界ヲ生キ抜キ、ヨリ優秀ナ遺伝子ヲ遺スニハ、戦ウ以外ニ方法ハアリマセン。戦ッテ沢山ノ情報ヲ仕入レ、己ノ能力ヲ高メルシカナイ。……幽閉サレタ時、悟リマシタ。

 『導火線の七騎』ヲ倒シ我ガ地上最強ヲ証明スルノハ、[ゾイド]トシテノ宿命デアリ、当然ノコトナノデス。ソシテ、最高ノ機会」

 相対する少年は、二の句が継げない。同じ言葉を紡ぎ出す者なのに、まるで理解が出来ない。……唇を噛む。首をひねる。そして。

「でも……でも、僕とお前はこうやって会話できているよね。

 戦わなくても、少し話すだけでも、色々なことがわかるよね。そこに人とかゾイドとか、関係ないだろう? 血みどろの戦いをしなくても済むことは一杯あるだろう!」

 虹色の魔人は少年の言葉にひとしきり、耳を傾けるような素振りをしていた。

 だがこの時、魔人と深紅の竜は一斉に、進行方向に首を傾けた。

「マズイ。先ニ行キマス」

 そう告げるなり、虹色の魔人は全身を目映く輝かせる。瞬時に虹色の光球に姿を変え、猛然たる勢いで彼方へ飛んでいく。

 少年もまた、魔人の有り様を見ている余裕などなかった。彼の小さな身体を、深紅の竜が巨大な爪で鷲掴みし、そのまま胸部コクピットへ放り込む。

 わっと声を上げて尻餅をついたところに竜の爪が強引に押し込んできた。……少年は悟った。我が相棒はひどく焦っている。

「どうしたの、ブレイカー。教えて」

 着席する少年の両肩にハーネスが降りると同時に、既に起動していた全方位スクリーンがウインドウを開く。……鳥瞰図に示された白い光点。これはビークルだ。そこに群がる無数の光点。そして、その外周から猛然たる勢いで近付いてくる赤い光点。

「これは……ブロックス!? そしてこの赤いのは、まさか……!」

 左右から伸びるレバーを少年は力強く握り締める。

 

 岩場に打ち捨てられたまま立ち上がるチャンスを見いだせぬ機械人形達が、一斉に首を傾けた。

 まばゆい虹色の閃光が、辺りを真っ白に照らす。その明るさ、人ならば目くらましに等しい。

 地表に弾ける放電。

 長髪の狂戦士ケンイテンは既のところで背後に振り向き、両腕で鉄の棒を構えた。そこに叩き込まれる虹色の光球。放電に怯む素振りも見せぬ狂戦士。だがここがキリの良いところと悟ったのか、握りしめた鉄の棒でどうにか光球を横にそらすとトンボ返りで間合いを取る。

 虹色の光球はすぐさま元の魔人の姿に戻るやその場で足蹴にされていたマノニアの襟首を両手で掴んで引き摺り起こす。

「[マノニア]! 貴様、何ヲヤッテオルカーーッ!」

 助かったと思ったところから不意に浴びせられた怒涛の罵声に、小太りの中年は悲鳴を上げる。

「ひ、ひ、ひ、ひぇーーっ!?」

「貴様、[ギルガメス]ノ女ニ手ヲ出シタノカ!? 重大ナるーる違反ダロウガ!」

 目前に迫る憤怒の魔人。

「ち、ちが、違う! 違うんじゃ! 手をかけようとしたのは、彼奴じゃ! さっきの奴じゃ!」

 その有り様をじっと見つめたまま依然、地に伏したままの機械人形達に砂埃が襲いかかる。強風。吹き飛ばされたりどうにかしがみついたりして抵抗する中、微動だにせず立っている魔人の頭上からぬっと追い越す鋼鉄の三本指。……深紅の竜だ。先程の強風もこのゾイドが怒涛の勢いで急いだ結果、発生したのだ。

 三本指は黒衣の美女を抱え上げた機械人形達をおはじきでもするように飛ばし、すぐさま美女の柔らかな身体を掴んだ。それが、右腕。残る左腕はすぐ側に打ち捨てられたビークルをがっちり掴み、そして一歩、大きく後方に跳ねて下がる。

 竜の爪の中で、黒衣の美女エステルはうめき声を上げた。目を覚ましたのだ。が、レアヘルツ砲の後遺症は厳しく、切れ長の瞳を開けるよりも前に両手で額を抑える始末。

 そこに、光が差し込む。どんなに薄汚れた現実でもこれだけは美しい陽射し。

 美女を守る鋼鉄の爪は、竜の胸元の前で開かれたのだ。一方、竜の胸部コクピットハッチも開き、ギルガメスが躍り出た。

「先生!? エステル先生!」

 ハッチから竜の爪まで伝うとしゃがみ込んだままの美女の前に、自らも膝を付ける。

 愛する女性は呆然とも、朦朧ともした状態だ。少年はオロオロとし出す。どうすれば良いのかわからない。

「ギル、ちょっと」

 小声でささやく。

 何と言ったのか。思わず前に乗り出した少年。

 その胸元めがけて、美女エステルはゆっくりと、狙いすましたように倒れ込んだ。

 ハッと声を上げた少年。彼女の思いのほか華奢な身体を、両腕で抱きしめて受け止める。咄嗟だった。恥じらう余地など一瞬で失せた。

「……ありがとう。ごめんね」

 ささやく美女。

 少年が感極まったその時、二人の頭上で深紅の竜が威嚇の唸り声を上げる。

 彼方で巻き起こる砂嵐。……いやその中心をよく見れば、砂が球状になって様々なものを引き寄せている。激しい放電。そしてその中に垣間見えるのは無数の、緋色の鉄塊。

 一分はかからなかった。そこに姿を表したのは、さっきギルガメスとブレイカーを窮地に追い込んだ緋色の暴君竜、キメラゴジュラス。頭部コクピットから姿を表した長髪の狂戦士ケンイテンが大声で叫ぶ。

「ギぃぃぃルガメス、決着を付けてやる! 惑星Ziの、平和のために!」

 少年はすぐさま抱きしめたままの美女とともに相棒の胸部コクピット内に戻る。……とにかく間合いを離さないと。そして、愛する女性を抱えたままでは強く戦えない。チャンスが欲しい、チャンスが。

 その時、突如の飛来物は雲間から。深紅の竜の前に、防波堤のごとく姿を表したのは半人半馬の合成獣によく似た銀色の機体。上半身は暴君竜ゴジュラス、下半身は雷鳴竜ウルトラザウルス。背中には幻剣竜ゴルドスの背びれと大飛竜サラマンダーの翼を備えた銀色の機体。その名もケンタウロス・ワイルド。地響きを立て砂埃を巻き上げながら、雄叫びを上げて仁王立ち。

 銀色の機体の頭部キャノピーに飛来した虹色の光球。内部に吸い込まれていくと共に、虹色の魔人が搭乗を果たした。

「[ギルガメス]サン、コレハ私ガ倒シマス。

 サテ『導火線の七騎』第四騎……[ケンイテン]サン。マズハ私ノ相手ヲオ願イシマス」

 挑戦の意思を耳にした狂戦士は舌打ち。すぐさま頭部ハッチを閉じた。

 ケンタウロス対キメラゴジュラス。暴君竜の系譜にある異端の両者は、この青空のもとで構えるや否や。……耳をつんざく激突音。戦いの幕は既に上がっていた。



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【第十三章】竜騎の決闘、パートツー

 紺碧の青空の下、岩場にへばり付くように腹ばう深紅の竜ブレイカー。左手には時代がかったビークルを鷲掴み、右手は己が胸部ハッチを庇うべく覆っている。……忙しいのは両腕だけではない。両足も、尻尾も、背負いし六本の鶏冠も桜花の翼も、きっと数秒か数十秒後には迫るだろう後退の機会に備えて押さえつけたバネのごとく力を貯めているところだ。両足の鋭い三本爪が、滑らかに動いて何度も足場を確かめる。

 その間にも、彼方では脳が割れんばかりの轟音が幾度となく鳴り響く。そのたび、深紅の竜は忌々しげに向こうを睨みつける。

 彼方で繰り広げられたるは、超弩級の巨竜二匹が今まさに火花散らせつつお互いを叩き合う死闘の光景。……かたや緋色の暴君竜、深紅の竜を一度は窮地に追い込んだキメラゴジュラス「亢龍」。操るは水の軍団暗殺ゾイド部隊の実力者ケンイテン。かたや銀色の巨体、特A級の危険人物「導火線の七騎」を既に三騎、消滅させたケンタウロス・ワイルド。操るは虹色の魔人ビスマ。

 二匹の攻防は傍から見れば素人の喧嘩のようにも思える奇妙な光景だった。

 まずは両者の長い腕が十分に届く近い間合いで睨み合い。成り行きが作らせたこの異様な近距離から、両者の豪腕が一合又一合、張り手でも放つかのように繰り出される。ケンタウロス・ワイルドの三本爪が、キメラゴジュラスのナタのような爪が、互いの頭部を、首を、胸を捉えるたび火花が飛び散り轟音が潮風を震わす。

 両者とも、一度たりとて防御の動作をしていない。……できないのだ。このゾイドとしては相当な近距離は、一歩後ずさる僅かな隙を捉えられ、一方的に攻め込まれるのが目に見えている。

 その有り様を深紅の竜はじっと凝視し続けるより他ない。とにかく、己が胸部コクピット内部で今まさに繰り広げられる混乱が収まらないことには動きようがなかった。我が主人よ、お前の女は大丈夫か。深紅の竜は右手で庇う己が胸部ハッチを何度もちらりと見る。

 胸部コクピット内部では、今まさにギルガメスとエステルがなだれ込んだところ。男らしく抱きかかえたいところだったが彼女は頭一つ分も背が高い。抱えるどころか自分の小さな身体をクッション代わりにしつつ、どうにか頭をぶつけるのだけは防いだ形。情けない。焦りに自己嫌悪が上乗せされ、彼の心はへし折れそうになるが。

「ギル、ごめん。

 あなたはとにかく、席に座って」

 そう言いながら彼女は腕立ての要領でどうにか上半身を持ち上げる。追随する少年。

「あの、せ、先生は?」

「座って」

 この期に及んでも、彼女の声色は落ち着いていた。

 意を決して少年は操縦席に着席する。たちまち上半身を覆うハーネス。両側より伸びるレバー。だがその時、突如の生暖かい感触に少年は不意を突かれた。……少年の両膝に顔をうずめてすがりつくような体勢で彼女がしがみついてきたのだ。ひゃっ、と少年は悲鳴を上げる。

「……ごめんなさい。ペダル、踏める?」

 少年は「はい」とどうにか返事する。彼女の紡ぐ僅かな言葉の「間」に、彼女自身が懸命にこらえ、抑え込んだ心の乱れが容易に読み取れる。少年は唇を噛み締めた。

(男だろう? ギルガメス。

 愛しているんだろう? 胸を張れ)

 その気持はこのコクピットを預かる深紅の竜にも届いた。……少年が気持ちを切り替え、すぐさまレバーを捌きペダルを踏んだところで、竜はふわりと後方に一歩、又一歩、静かに跳躍して足音も抑えつつ後ずさる。

 深紅の竜が後退する間も、緋色の暴君竜と銀色の巨体との殴り合いは継続していた。……戦況は気になるところだが、今はそれどころではない。

「……大丈夫ですか?」

 少年の履く膝下丈のズボンの布越しに、彼女の荒い息遣いが伝わってくる。だがそれも先程よりは幾分、落ち着いてきた。彼女はゆっくり、顔を持ち上げる。

「ありがとう、少しは落ち着いたかしら……」

 頭上で見つめる少年の円らな瞳は目一杯涙を溜めてしまい、今にも決壊しそうだ。苦笑いを浮かべるエステル。

「ごめんね。でも、そんな顔しないで。

 それよりギル、あそこのデブに気をつけて」

 エステルはここまでの大まかな顛末を話した。そして推測の域を超えないが、恐らくあの男……マノニアは、レアヘルツを照射する武器を持っているに違いないということを。

「レアヘルツ砲!? なんでそんなものをあんな奴が持っているんですか!」

「わからないわ。でもケンタウロスもレアヘルツ砲も用意できるのだから、あのデブは金やら何やら、相当な背景があるのは間違いなさそうね」

 二人が話している間にも、彼らを乗せた深紅の竜はあの二匹の攻防から百歩やそこらでは届かない位置にまで後退できた。呼吸を整える深紅の竜。……金属生命体ゾイドに呼吸という概念はあるか? 公式に明言はないが、近い要素はあると筆者は想像する。電気や各種燃料を始め様々なものが体内を循環している筈だからだ。

「この辺で乗り換えるわ」

 エステルの提案に、ギルガメスは「えっ」と思わず声を上げた。いちいち表情の変わる愛弟子に彼女は苦笑する。

「もう落ち着いたから、大丈夫よ。

 それより、彼奴と戦うつもりなんでしょう?」

 切れ長の蒼き瞳を投げかけられて、少年は一瞬躊躇したかに見えた。だがそれも数秒のこと。申し訳無さそうに、だがしっかりと頷く。円らな瞳に淀みはなかった。

「……すみません」

 微笑みを返したエステル。両腕を踏ん張り、ゆっくり体を持ち上げる。着席したままの少年の小さな身体を伝うように。……不意を突かれた少年は息を呑んだ。切れ長の瞳が円らな瞳の真正面に辿り着いたところで、彼女はもたれ掛かるように少年の小さな身体を抱きしめる。そして、呆気に取られた少年の左の頬に、己の頬を重ねてきた。汗臭い室内にふわりと香る石鹸の匂い。

「良いわ、見届けてあげる。ヤバくならない限りは……ね」

 耳元に囁くように告げて抱擁を解いた彼女の笑顔を目の当たりにして、少年は恥ずかしそうに俯きかけ、だがすぐ気を取り直しコクリと頷いてみせた。

 再び開いた竜の胸部コクピットハッチの前には、既にビークルが用意されていた。エステルは軽快な足取りで飛び移る。……その間にも、考えていたことがある。

(あなたは本当、他人に優しいわよね。例え自分の命が危険に晒されていても。

 私なら、さっさと逃げるわ。あなたやブレイカーさえ無事ならどうでも良いことだもの)

 当の少年は残り香を少し追いかけたところで(スケベ野郎!)と自らの頭を軽く小突いて雑念を振り払うと、気を取り直してレバーを握り締める。

(ごめんなさい、エステル先生。ヤバいときはお願いします。必ず従います。

 ビスマとは、できることならもう少しちゃんと話してみたい。僕には彼が踊らされてるようにしか見えないんです)

 胸部コクピットハッチが閉じるとすぐに、映像を表示。全方位スクリーンを構成する一角に戻る。すぐさま少年は、真正面の彼方で繰り広げられる別のゾイド達が織りなす非常識な攻防の数々に視線を投げかけた。

 

 蜘蛛の子を散らすように、橙色の蜂の群れが次々に飛び立っていく。この蜂・ブリッツホーネットのパイロットはいずれも例の、黒尽くめの機械人形。地上には二匹の蜂と二体の機械人形、そして一名の中年男性がその場で這いつくばってもがいている。マノニアだ。つい先程、虹色の魔人ビスマが自らの半身ケンタウロス・ワイルドに乗り込む際、その場に打ち捨てられたのだ。

「くそっ、何なんじゃあ彼奴は……」

 ぼやくマノニア。あの虹色の魔人は命の恩人に対し、絶対服従どころか自分の思い通りにならないと驚くほど高圧的だ。その一方で、これから殺そうとする相手に対する気味悪いまでの( うやうや)しさは一体何なのか。

 苛立つマノニアを、機械人形は二体掛かりで蜂の上にマノニアを乗せて押し込み、すぐさま垂直離陸を開始する。

「ええいビスマよ、少し後ろで待っておる!」

 残る一匹も飛び立ったところを銀色の巨体はほんの僅かながら一瞥したが、その巨大な顎には早速緋色の暴君竜のナタのような爪が襲いかかっていた。

 ハイレベルの「ど突き合い」は既にピークを迎えている。銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドと緋色の暴君竜キメラゴジュラスがお約束かのように交互に繰り出す殴打は、一発命中するたびに火花飛び散らし、両者とも大きく巨体をしならせている。

(コレハ体力ヲ消耗スル……!)

 銀色の巨体の頭部コクピット内で唸る魔人ビスマ。……一見、誠に馬鹿げた「ど突き合い」。だが交互に繰り返される殴打の応酬は誠に淀みないが故に、退くことも前に出ることも容易ではない。その上、目前に立ち塞がるこの緋色の暴君竜は表情らしい表情が一切伺えない。ダメージが在るのか無いのか。疲れているのか。等々、ちょっとした表情が隙に直結するのがゾイド同士の戦いだ。それが察知できないのは緋色の暴君竜が人工ゾイド・ブロックスだからなのだが現状それを知る余地はない。

(エエイ、切ッ掛ケヲ作ラナケレバドウニモナラン!)

 思案の最中、顎を打ち抜かれた銀色の巨体。左から右へ、巨体が揺さぶられるところまでが想定の範囲内だ。銀色の巨体は右腕の三本爪をぐっと握り締める。ここでほんの数秒でも力を溜め、加撃のタイミングをずらしつつもっと重い一撃を加えてやる。

 ところが銀色の巨体が右腕を握り締めてこらえるや、相対する緋色の暴君竜の全身から火花が吹きこぼれた。こちらも繰り出す予定だった次の一撃を急停止したのだ。だから全身のブレーキに激しい摩擦がかかっている。

(読マレテイタ!?)

 そう事態を把握した時には、銀色の巨体の右腕は力の溜めを既に終え、ピンと伸び切ろうとしていた。すぐさま己の全身に埋め込まれた突起も唸りを上げて回転し、火花が吹きこぼれる。我が爪の一撃を止めないと……。

 緋色の暴君竜は全身でブレーキを掛け続け、右腕を自らの顎付近にかざしてみせる。

 そこに自らブレーキを掛けて勢いを殺してしまった銀色の巨体の爪が伸びてしまう。受け止めるのは簡単だ。

 スッポリと、ボールがグローブやネットに収まるかのごとく、銀色の巨体が中途半端に放った右腕は緋色の暴君竜がかざす右腕にすっぽりと収まってしまった。火花も弾けやしない。

 暴君竜の頭部コクピット内で、長髪の狂戦士ケンイテンが気味の悪い笑顔を浮かべている。

「どうした、反撃の切っ掛けを作りたかったか? 読めてるんだよ!」

 言うが早いか、緋色の暴君竜は強く踏み込む。足元で土砂が舞い上がる中、暴君竜は目下の敵の右腕を手繰るように急接近。二歩目までは呆気に取られてしまって遅れを取ってしまった銀色の巨体。三歩目にしてようやく首を傾けて暴君竜の動きを追い始めるが、そこに至るまでには背後に回り込んでしまった。タコが這うように銀色の巨体の下半身を構成する雷鳴竜ウルトラザウルスの胴体の上にまたがると、右腕は今掴んでいる銀色の巨体の右腕をひねり、残る左腕は首元に絡みつく。

「亢龍! マグネイズ・デスロック!」

 緋色の暴君竜の全身各所に埋め込まれた立方体がまばゆく発光。放出されるエネルギーがこのブロックスゾイドの力と相まって銀色の巨体をグイグイと締め上げる。

 

 常ならば人っ子一人いない筈の、この海辺の岩場の遙か上空。

 超高度の雲の上にて、鋼鉄の海亀が浮遊していようとは戦いの当事者も気付くまい。……海亀に形こそ似てはいるものの、常識外の巨大さ故に十やそこらでは利かぬゾイドを腹部に積載している。タートルカイザー「ロブノル」、ヘリック共和国の特殊部隊にしてギルガメスの宿敵・水の軍団の移動拠点である。

 その頭部、ドーム状の艦橋中央。円錐状に盛り上がった箇所の頂上に水色の軍服・軍帽を身にまとった男が着席している。馬面にこけた頬、ヤモリのように両目を見開く異相の男。水の総大将その人が天井のスクリーンを睨んでいる。そこに映し出されているのは数匹のゾイドの頭頂部。この移動拠点が今まさに撮影しているものだ。あくまでも空高くからの撮影ではあるが、地形もゾイドも、付近の人物までも驚くほど鮮明に捉えている。

 さて水の総大将は表情を崩さない。やがてケンタウロス・ワイルドとキメラゴジュラスが激突するさまを見るに及び、じっと腕を組んだ。

 円錐の中腹には高官らしき軍服の者達が十数名も着席して任務を遂行している。するとその内の一人、見たところ初老と言って差し支えない高官が手を上げた。

「総大将、ケンイテンがギルガメスの一味や謎のケンタウロスを倒した場合、処遇は如何なさいますか?」

 その方角を見遣る異相の男。

「大殊勲を上げても罪を減じる可能性はない。この者は脱走者だ。

 それに他の暗殺ゾイド部隊の勇者が命をかけている中、此奴は悪ふざけで殺戮を続けた。それを軽くするわけにはいかない」

 その時、天井のスクリーンが映し出す光景にドーム内の兵士や将官は歓声を上げた。緋色の暴君竜が銀色の巨体の背中に絡みついた。必殺のマグネイズ・デスロックが発動すると、彼らは確信した。

 ところが異相の男だけは無言のままスクリーンを見つめるのみだ。

「悪ふざけの代償は、どこまでも高く付くぞ」

 

 虹色の魔人ビスマの頭部に眼球や口腔のディテールは存在しないが、あれば絶叫しただろう。

 一方、長髪の狂戦士ケンイテンは気味の悪い笑顔を浮かべながらレバーを絞り込んでいる。

「どうした、声もないか?

 つまらねぇな、だったら早く死ね。お前の次はギルガメスとジェノブレイカーだ」

 その言葉を耳にして、虹色の魔人はまるで人が鼻を鳴らすような音を立ててみせる。

 銀色の巨体は絞め上げられる最中、おもむろに左腕を空にかざす。……たちまちその三本爪の内側に光の粒が集まり出すと、雷蛇が絡みついて槍の形状を作り上げていく。

 だがその最中、背後から絡みつく緋色の暴君竜が大顎を開く。鮮烈な噛み付き。銀色の巨体の爪から金色に輝く槍がすっぽ抜けた。真後ろに、己の背中を伝うように落ちていき、虚しく地面に突き刺さる。

 まるで墓標のように、荒れ果てた岩場に煌々と輝く金色の投擲武器。

 長髪の狂戦士はちらり横目で見てほくそ笑んだ。

「ははっ、足掻け足掻け。

 全ての可能性を潰してやる。絶望のまま死んでいけ」

 銀色の巨体の背中から、時折火花が飛び散り放電が幾条も伸びているのが確認できる。背負い込まれた網目状の翼を懸命に開こうとしているのだ。しかし翼の上には緋色の暴君竜が密着し、その機会を許さない。逃げながら振りほどくのは最早不可能である。

 遠くからその光景を目の当たりにしていたギルガメスは、思わずハーネスで固定された上半身の許す限り目一杯に身を乗り出した。

 その有り様を把握した深紅の竜は自らの胸部に埋め込まれたコクピットハッチに軽く触れ、たしなめる。……シンクロによってその感覚が伝わったため、少年は深呼吸して落ち着くよう努めた。

(そうだギルガメス、何を動揺しているんだ。

 ビスマは気になる。でも、とんでもない敵でもある筈だ)

 するとその時、少年は僅かな異変に気がついたのだ。……銀色の巨体の胴体や下半身の側面にある無数の銃身・砲身がジリジリと動いている。

「砲身が……こちらに、向けられている? なんで!?」

 二対一で銀色の巨体を殲滅する作戦なら、対抗策として大いに有り得るだろう。……だが今の深紅の竜は只の観戦者に過ぎない。ともかく身を守るのが先だ。深紅の竜は両翼を前方にかざす。

 一方、銀色の巨体の背後に回る緋色の暴君竜にはさしたる動揺は見られない。砲身をこちらに向けられるわけがないのは明らかだ。頭部コクピット内でモニターを睨む長髪の狂戦士は嘲笑う。

「何をトチ狂ってるんだよ!」

 虹色の魔人は相手にせぬまま一声、叫ぶ。

『[無限、装填]』

 腹部の銃身・砲身から一斉に解き放たれた爆音、火花。

 銀色の巨体が備える銃身・砲身は、一斉に自らの足元めがけて解き放たれた。間欠泉でも掘り起こされたかのごとく岩盤が弾け、砂塵が真上に噴出する。その衝撃たるや今この場に並び立つ、100トンを超える超重量のゾイド二匹が爆風で吹き飛ばされそうだ。

 長髪の狂戦士はコクピット内で踏ん張りながらモニターの向こうを睨む。……銀色の巨体の背後に己の相棒が絡み付いて首を絞めるこの状況、この敵を盾にしたも同然ではある。だからこそあの虹色の魔人の真意がすぐにはわからなかった。

 ありったけの銃撃・砲撃は、途切れる兆しも見えない。その最中、銀色の巨体は四本脚の内、両の前足を高々と振り上げた。振り下ろす勢いのまま、強烈な蹴り込みは足元の岩場を鋭く蹴り込んだ。

 無限装填による尋常ならざる爆風に、銀色の巨体が自ら繰り出した蹴り込みの力が加わった瞬間、合計200トンを優に超える鉄の塊はふわり、宙に浮いた。数メートルも浮いてはいないが、これで十分だ。そのまま爆風の勢いで真後ろに吹き飛ばされる。

 長髪の狂戦士はようやく事態を、そして虹色の魔人が描いた真の狙いを理解した。このまま数十メートルも吹き飛ばされれば、そこには先程銀色の巨体が落とした金色の投擲武器が、地面に突き刺さっているではないか。

 爆風の勢いであっという間に吹き飛ばされる二匹の巨竜。

 緋色の暴君竜は銀色の巨体にしがみついたまま。……必殺のマグネイズ・デスロックは完璧に決まっていた。だからこそ、簡単には振りほどくことができない。ひとしきりレバーをガチャガチャと乱暴に弄っていた長髪の狂戦士。やがて文字通り狂ったかのごとく高らかに笑い始めた。

 二匹の巨竜はそのまま、地面に突き刺さっていた金色の投擲武器ケンタウロス・アローに引き寄せられていく。

 緋色の暴君竜が晒す背中に投擲武器が突き刺さるや、瞬く間に電流の蛇が這い回り、地獄の業火が暴君竜のコアブロックを融解させる。爆発、四散に至るまで数秒も持たなかった。……しかし爆発の時間自体は決して短いものではない。どうにか着地した銀色の巨体は、すぐに四本の足と一本の尻尾でこの岩場に踏ん張らざるを得なかった。銀色の巨体に引けを取らない巨大なブロックスゾイドが粉々に砕け散るには相応の時間がかかっていた。

 

 無論この結末は、遙か上空に漂っている鋼鉄の海亀タートルカイザー側でも確認されていた。頭部のドーム状の艦橋内では沢山の兵士や将校が、天井の超巨大スクリーンにてこの光景を目にしていたが、ひと目には大逆転と言えるだろう結末に一同は静まり返っていた。只一人、水の総大将と呼ばれる異相の男を除いて……。

「『ロブノル』は手筈通り、南へ移動を開始する。総員、持ち場につけ」

 無表情で指示を送る異相の男。

 鋼鉄の海亀は流れ行く雲のごとく、ゆっくりと動き始めた。

 

 紺碧の青空を、黒煙と火の粉が穢していく。その一方、果てからも徐々に流れ雲が漂着しつつある。着々と曇天に塗り替えられていくその有り様。時は確実に刻まれ、事象は変化していた。

 目前の一部始終を、深紅の竜は両翼を前方にかざしたままその下からじっと凝視していた。翼のすぐ裏側には銃器に挟まれたビークルがふわりと浮いている。

 銀色の巨体が備える銃身・砲身の向けられた先がそのすぐ足元だということに、この賢い竜はすぐ気付いた。もし狙撃の恐れがあるなら咄嗟に跳躍すべきだが、十分な距離を確保できていた以上、この程度の防御で十分と判断し、事実その通りの結果となった。

 深紅の竜の胸部コクピット内で、ギルガメスは何度も何度も、深呼吸を繰り返す。次は僕の番だというその事実が、いやが上にも彼の心臓を揺さぶる。

 その様子をエステルもビークル据え付けのモニターから覗いていた。軽く眉間に皺を寄せる彼女だったが、やがて視線が少年と重なった。全方位スクリーン側も、彼女の顔はウインドウを通して映し出されている。……軽く頷き合う、二人。難しい言葉で語り合える時間帯ではなかったが、これで十分だ。

 不意を突くように、彼方で轟く雄叫び。銀色の巨体だ。背中は炎上し、依然として煙や火花を背負っているが、金色の光の粒が着々と引き寄せられている。強力な自己修復機能がこの異形のゾイドの破壊された箇所を怒涛の勢いで修復しているのだ。

『[ギルガメス]サン、オ待タセシマシタ』

 穏やかな口調で虹色の魔人ビスマが告げる。先程までの激闘の余韻も満身創痍も感じさせない。

 その声を耳にしたところで、銃器に挟まれたビークルは消えるように深紅の竜から遠ざかっていく。……全方位スクリーン左上に表示されたウインドウでは愛する女性が手を軽く上げている。釣られて笑顔で手を振ろうとした少年は息を呑み唇を噛んだ。彼女は口元こそ緩めてはいるものの、あの切れ長の蒼き瞳は鋭い眼光の中に憂いの濁りが混じっているのが明らかだ。

(何とかします。何ともならない時は……お願いします)

 少年はウインドウが閉じられたところで視線を中央に戻すとゾイド胼胝のできた両掌で今一度顔を覆う。再び掌を退けた時、円らな瞳はスクリーンの向こうに厳しい眼光を投げかける。左右から伸びるレバーを引き寄せるように握り締め、軽く息吹く。

 自らの胸元を一瞥した深紅の竜。囁くように軽く鳴いて応えると、視線を戻し一歩又一歩、牛歩のごとく進み始めた。

 さて目前には先程の無限装填により依然マグマの如く焼けただれた大穴があり、そのすぐ先に銀色の機体が仁王立ち。両肘を腰まで引き付け、両腕は逆手に構える。掌には既に光の粒が引き寄せられ雷蛇がうねっている。そして気になるのは胴体や下半身の側面にある無数の銃身・砲身。どれも先端に光を宿している。……遠間合いからでも迎撃するつもりなのは明らかだ。

 決心と共に少年は生唾を飲み込んだ。

「ブレイカー、行くよ!」

 応じて吠える、深紅の竜。

 吹き飛ぶ岩盤、天を衝く。第一歩は左の前足を、右へ。反時計回り。目指すは左側面に回り込んでの斬撃乱れ打ち。すぐさま背負いし六本の鶏冠を逆立て、先端より蒼い炎を吹き出す。

 その軌跡を真横から、銃弾・砲弾が櫛の歯と化して襲いかかる。

 ますます前傾となった深紅の竜。十数歩の蹴り込みを経て、地面スレスレで浮き上がった巨体。そのまま腹ばいで滑り込むように旋回。追いすがる弾丸は、竜の軌跡に遅れて続く蒼い炎を切り裂くのが関の山。

 この動きをまるで想定していたかのように、銀色の巨体も又左回りにジリジリと旋回を開始。両腕を逆手に構えたままキャノピーの下に妖しく光る二つの目で竜の動きをじっと凝視。その間にも、深紅の竜と銀色の巨体の距離は縮まっていく。

「翼の、刃よ!」

 右の桜花の翼を水平に開くやその内側から双剣が展開。切っ先が重なって一本の大剣と化す。その勢いのまま、反時計回りに渾身の斬撃を浴びせる決意。

 その有り様を、銀色の巨体の頭部コクピット内でじっと凝視していた虹色の魔人は遂に叫んだ。

『[ケンタウロス・アロー!]』

 逆手に構えた両掌を合わせる銀色の巨体。光の粒が瞬く間に凝縮されるや、巨体は両腕を左右に目一杯広げた。

 空中に、水平に描かれた一条の閃光。眩しい輝きを伴い実体化したのは金色の投擲武器。神前に捧げるように両手で掴んだその時。

 澄み切った金属音が、雷鳴が、同時に轟き辺りを震わす。

 少年は円らな瞳で刮目し、深紅の竜は紅い瞳で鋭く睨んだ。

 右の「翼の刃」から繰り出された渾身の水平斬り。だがその切っ先を受け止めたのはあの金色の投擲武器だ。矢尻とも槍の穂先ともつかぬその先端は刃こぼれ一つせず、火花のみが吹きこぼれている。

 そして投擲武器を握り締める銀色の巨体は文字通り、両手で槍を握る自然な構えで微動だにしない。

 尚も吠える少年。左のレバーを強く押し込む。

 深紅の竜は姿勢を一切変えず、ただ左の桜花の翼のみ水平に広げる。右の大剣がバネ仕掛けの玩具のように勢いよく離れるや、返す刀で左翼の下からも双剣が展開、大剣と化して銀色の巨体めがけて浴びせ掛ける。

 それがまるで予想通りとでも言いたげに首を傾ける銀色の巨体。穂先から右の大剣が離れると、すぐさまバネ仕掛けかと見紛う反応で金色の投擲武器の「石突き(※槍や薙刀などの柄の、地面に突き立てる側をカバーする部品)」側を振り抜く。

 辺りに澄み切った金属音が鳴り響く。左の大剣も、投擲武器の「石突き」によりガッチリと受け止められた。

 色めき立つ少年。だがすぐに我に返ると、短く息を吐き出しレバーを捌く。深紅の竜もそれに応えて速やかに数歩、真後ろに飛び跳ねて後退。

 その間も、少年主従は目下の強敵に対し観察を怠らない。……銀色の巨体は堂々たる構えだ。先程構築した金色の投擲武器は依然、両腕で水平に、胸元辺りで構えている。

(まさか)

 嫌な、閃き。

 少年の相棒も己が胸元に鼻先を近づけ、囁くように鳴いて訴える。

 少年はコクピット内の決して高くはない天井を見上げた。

(君も、そう思う?)

 強烈な、既視感?

 いやそんな生易しいものではない。

 銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドが、金色の投擲武器「ケンタウロス・アロー」を水平に構える、その姿。

 これは、鏡だ。

 そこに浮かび上がっているのは、わが心優しき相棒・深紅の竜ブレイカーが両翼の大剣を水平に構える姿そのものだ。姿形は全く違うのに……!

 一方、彼方で微動だにせぬ銀色の巨体。頭部を覆うキャノピーの下では赤い二つ目が明滅。着席する魔人ビスマの金属質の皮膚は、うねって怪しい輝きをまとう。

『[ギルガメス]サン、ソシテ[魔装竜ジェノブレイカー]、コレガ先ノ戦イカラ、私ガ導キ出シタ[答え]デス。

 貴方達ハ素晴ラシイ! ダカラ貴方達ノ戦イ方ヲ、私ハ真似マス』

 魔人が宣言するが早いか、金色の投擲武器が(しな)る。

 臆することなく、深紅の竜も桜花の翼を翻す。

 

 後見の美女、そして中年男性は、それぞれが駆る機体上で展開をじっと凝視するより他ない。

 戦闘態勢に転じた深紅の竜。その遙か後方で、地面すれすれを浮かぶビークル。

 着席するエステルはパイロットスーツの乱れを既に直し、ヘルメットも被り直したところ。その間にも揺れ動く形勢を、据え付けのモニター上でじっと観察している。……愛する者の前では聞き分けたつもりでも、その裏ではいつでも介入できるよう準備ができていた。

(まあ、まだどうこういう状況じゃあないけれどね。でも、そうなった時はごめんね)

 彼女は彼女で、ただひたすらに愛する者とその友達だけを守る決意だ。

 マノニアの方は、ひときわ大きな岩山の裏側で橙色の蜂ブリッツホーネットの一隊と共に身を潜めていた。介入などという大それた事は考えていない。あの危険極まりないレアヘルツ砲を用意していても、だ。

(パワーが足りん! 数秒でコロリならまだしも……)

 自身も橙色の蜂の座席につくと、例の板状端末を睨む。 端末上に、次々に開くウインドウ。そのどれもが、彼らのいる岩場では撮れる筈がない角度での撮影。例の『密偵』蜂によるものだ(※第11章参照)。

(思い通りにならぬなら、せめてデータじゃ)

 傍らでは黒尽くめの機械人形達が相変わらずカサカサと動き回る。ここまで駆ってきた蜂を整備していたが、それも終わろうとしていた。

 

 澄み切った金属音は余りに鋭い。数キロ先で耳にしても頭の天辺から足の爪先に至るまで一気に痺れてしまう。

 激しい音を介した戦いが、そこでは繰り広げられていた。

 深紅の竜、跳躍。銀色の巨体の真正面に躍り出て、両翼の刃を一振り、もう一振り。

 そのたび銀色の巨体も微動だにせず、ただ水平に構えた金色の投擲武器を淡々と合わせていく。

 右の刃が迫れば、穂先を。

 左の刃が続けば、石突きを。

 数合目にして深紅の竜は、火花と共に競り合う刃を引き離すその勢いで、一旦は数歩程も後退。

 胸部コクピット内の少年は困惑の色を隠せない。一切の邪念も無駄な動きもなく、奇麗に繰り出した筈の「翼の刃」が、ものの見事に弾き返されている。しかも……と少年はしっかりレバーを握った己の両腕を見つめる。感じるのは「軋み」だ。シンクロによって感じ取る痛みのパターンとしては余り経験がない。

(力負けしているのか)

 対する銀色の機体は宿敵の後退を確認するや、再び金色の投擲武器を水平に構え直す。

 そして下半身を構成する四本脚がゆらり、一歩を踏み締めた。間合いを詰めて、圧力をかける狙い。

 意図は少年にもすぐ理解でき、だからこそハッと短く息を吐いた。

(怯むな、これからだろう、ギルガメス!)

 応えて地を蹴る深紅の竜。左に数歩も進んで加速をつけたところで、両足が宙に浮いた。跳躍? いや、滑空だ。ホバリングで素早く大回りするつもりだ。

 銀色の巨体は察知したのか、ぐっと腰を落とす。たちまち四本脚のラッパ状した裾の装甲部分から光の粒が溢れ出した。銀色の巨体もホバリングで旋回、開始。あくまで合わせていくつもりなのか。

 ヘアピンのような鋭いカーブを決める深紅の竜。ホバリングの勢いのまま強く地面を蹴り込んだ。銀色の巨体はまだ竜が迫る方向に旋回し切れていない。

 曇天を背に、躍り出る深紅の竜。翻す、左の翼。

 やはり、澄み切った音。この一撃にも、投擲武器の石突き部分が合わせられた。何たる正確無比。……だが、それが狙いだ。

 深紅の竜は今まさに動きを止められた左の「翼の刃」の切っ先に力を込める。そのまま、反動の逆回転は反時計回り。その間に右の「翼の刃」は振り抜か……ない。振り抜いたのは、長い尻尾。鞭のように(しな)って、銀色の巨体の頭部に迫る。

 その動きを銀色の巨体の赤い眼はじっと凝視。一切の表情を変えず、猛りもせずにすっと、得物たる投擲武器の穂先側を己が顎に引き寄せる。

 鈍い轟音。深紅の竜が繰り出す尻尾を、見事なまでの平行に受け切った投擲武器。軋む余裕も与えぬまま、銀色の巨体は投擲武器ごと押し返す。

 吹っ飛ぶ深紅の竜。だがその間にも両翼を広げて体勢を立て直す。腹這いの、着地。辺りの岩場に亀裂が走り、丘が崩れる中、透かさず竜は立ち上がる。

 その足が、止まった。

 深紅の竜は紅い瞳で睨みつける。

 数十メートルも先で、銀色の巨体が金色の投擲武器を両手で握り、穂先を向けて構えていた。

 このまま深紅の竜が突っ走れば、確実に串刺し。

 銀色の巨体が一突きした場合、深紅の竜は果たして掻い潜って迫れるだろうか。

 それははっきりせぬまま、深紅の竜は左後方に一歩、下がる。追いかけるように投擲武器の穂先が向く。又一歩、さらにもう一歩。

 すぐに漂う静けさを、早々に切り裂く者がいた。魔人ビスマは全身虹色の光沢をますます鮮やかに発光させながら。

「凄イ! 凄イ! ヤハリ貴方達ハ凄イ! 受ケ切ルノガ精一杯ダ!

 デモ、コンナモノジャアナイデショウ?

 貴方達ノモット凄イ技ヲ、見セテ下サイ、サア!」

 胸部コクピット内でギルガメスは円らな瞳をカッと見開いた。唇がワナワナと震えている。……何たる挑発、何たる煽り。実際のところ少年自身はこの手の挑発に弱いことは自覚している。だからこそ、ここは何としてでも自分の気持ちを抑え込みたいところだが、動揺の色は隠せないままだ。

 すぐさま全方位スクリーン左上にウインドウが開く。愛する女性が被るヘルメットのシールドを上げつつ訴える。

「ギル、ギル、聞こえて? 駄目よ、乗ったら」

 奥歯を噛みしめる少年。レバーを徐々に動かす。細かな動きで我が相棒の間合いを強敵から離そうとする狙いだ。

 だがそこに割り込むように右上にウインドウが開いた。虹色の魔人ビスマの姿。目や口はない筈なのに、不敵な笑みを浮かべたかのように見える。

『来ナイナラ、コチラカラ行キマスヨ』

 少年の唇から発せられた震えは、既に両腕にまで移っている。

 ビークルのモニター上でもそれが感知できたから、エステルは囁いた。

「待って。そのままよ、そのまま」

 囁きながらビークルの操縦桿に手をかける。愛する男は素直なようでいてかなり強情だ。逆撫でるような表現を使わぬよう、なだめる言葉にも気を遣う。

 さてこの激闘の渦中、ギルガメスは「再び」思い知らされたのだ。……彼ら主従とそびえ立つ銀色の巨体が繰り広げる決闘など、この世界では余りにちっぽけな出来事に過ぎないことを。

 突如として響き渡った重低音。少年の心臓を突き、一瞬で頭の天辺まで突き抜けていく。

 少年は凍りついた。全身を伝う汗の温度が何十度、下がったのだろう。

 同じ異変をエステルも感じ取っていた。ビークル据え付けのモニターに覆いかぶさるように叫ぶ。

「ギル、ギル、聞こえて!?」

 だが彼女の声が届くよりも早く、少年は決断していた。

「ブレイカー、跳ねて!」

 標的の動きに、魔人ビスマは惑わされた。……自らの分身・銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドが構える穂先の向こうにうごめく闘志の塊が、一瞬にして氷点下まで凍りつきながら遠くへと跳ね跳んで退いていく。

『逃ゲルノデスカ!?』

 困惑、そして絶望一歩手前の失望。だがここで割り込んだ鋭い一喝が虹色の魔人を現実に引き戻した。

「この馬鹿者がーーっ!」

 銀色の巨体の遙か後方では橙色の蜂ブリッツホーネットの一隊が既に浮遊していた。先頭の蜂に乗った小太りの中年男性が勇ましくも怒鳴りつける。

『[マノニア]……!?』

「お前はそこで踏ん張れ!」

 辺りの岩場一体が鼓と化した。鈍い響きだが、脳や心臓にゼロ秒で到達する衝撃。人の数倍もある岩が垂直に数メートルも跳ね上がる。

 既に跳躍を果たした深紅の竜。透かさず背負いし六本の鶏冠を目一杯広げ、蒼い炎を噴射させて空中浮遊の体勢に移る。大剣は畳んで桜花の翼の裏側に収め、この翼を地面と水平に構えながらバランスを取った。

 胸部コクピット内のギルガメスはすっかり青ざめた表情で、全方位スクリーン越しに真下を見つめる。空中に浮遊することで地面の揺れによるダメージから逃れる予定だった筈だ。……だが今、少年の五体は激しく揺さぶられるような感触が抜けない。きっと、外の空気さえ激しく震えている。

 消耗する状況の中で、全方位スクリーン下方で火花の明滅が見えた。時代がかったビークルが急接近してくる。スクリーン左上でずっと表示されていたウインドウは深々と腰掛け直したエステルの姿を映し出していた。ヘルメットのシールドを上げた彼女も少し息切れしている。だがそれでも浮かぶ笑顔は眩しくて……少年は胸を撫で下ろした。だが厳しい表情を完全に緩めることなど、到底できなかったのだ。依然、継続する事態の急変を把握すべく少年は全方位スクリーンを隅から隅まで見渡す。その上で、呻き声ともつかぬ吐息が自然と漏れてきた。

 こうしてギルガメスは昨日に引き続き二度も、地震を経験した(尚、この辛く苦い経験はこの時点でまだ終わってはいない)。地球で起きれば「大地震」「巨大地震」に分類されるだろう規模のものを、だ。

 同様の経験者は未だ地上にいた。……銀色の巨体は雷鳴竜ウルトラザウルスの胴体で構成された部分が地面にへばり付く状態で完全に硬直している。ラナイツの試合場で地震が起きた時と同じだ。

 だが銀色の巨体は既に慣れたとでも言いたげに余裕綽々でいる一方、恨めしそうに空高くを睨んでいる。言うまでもない、宿敵・深紅の竜がそこにはぼんやり浮かんでいる。

 激しい揺れはきっと、揺れ始めてから既に三十秒程度は経過したに違いない。それ以外の目安もないままに、虹色の魔人は告げた。

『[ギルガメス]サン、モウ一合』

 深紅の竜はその方角をじっと睨むが吠えるどころか唸りもしない。

『モウ一合』

 再び叫ぶ魔人。

 竜の主人から返事は、ない。

 その最中に揺れが弱まりつつあることを魔人は体感した。この揺れならば立ち上がり飛翔に転じることができる。

『無視ナサイマスカ! モウ一合!』

 背中より折り畳まれていた網目状の翼が羽化を果たした蝶の如く広がる。翼の網目部分に宿った電気の膜。四本脚で踏み付け、岩場にクレーター並みの跡を残しつつ、銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドは飛翔の開始。

 たちまち深紅の竜が浮かぶ高度まで浮かび上がると、銀色の巨体は金色の投擲武器を振りかざしつつ、歓喜の雄叫びを上げた。

『サア、モウ一合!』

 彼方で漂う深紅の竜は押し黙ったまま、紅い瞳でじっと睨み返す。

 それは先程まで激しい闘志で燃え上がっていたとは思えぬほどに冷ややか。

 その温度差に躊躇した銀色の機体は、この深紅の竜の振る舞いによってようやく事態の急変が継続していることを悟ったのだ。岩場の先に広がる海はどす黒く濁り、果てしなく続く白波を巻き上げて迫ってくる。それが二波、三波と発生し、水平線の彼方まで続いている。紺碧の空は灰と砂利の雲で覆われ陽が差し込む兆しは閉ざされたかに見える。

 津波が、発生していたのだ。既に両者の五体にはピシャリ、ピシャリとぶつかる音がする。先の地震で吹き飛んだ小石と、近付いてくる波飛沫によるものだ。

 深紅の竜は右手で自らの胸元を弄る。……胸部コクピット内で、若き主人は肩を震わせていた。動転。未経験の、この世の終わりかと見紛う災害を目の当たりにしたのだから無理もない。

「ギル、ギル、聞こえて? 大丈夫?」

 ウインドウを介して愛する女性がしきりに声をかける。……少年は頷くのがやっとだ。

 きっと大丈夫だ、立ち直ってくれると深紅の竜は信じた。それがひどい期待だということは承知の上で。……本当に許せないのはそういった気持ちをまるで理解しない生物が近付いていることだ。だから深紅の竜は相当に腹を立てている。

 無論、銀色の機体にはそんなことなどどうでも良かった。

(コノ状態デ戦エバドウナルカ? モット凄イ技ヲ発揮シテクレマスカ?)

 心が踊った。

 目一杯広がる網目状の翼。金色の投擲武器を両腕で握り直す。

 雄叫びを上げる。無慈悲な、鬨の声。

 その時のことだ。依然空中で浮遊する彼らの足元で、拍手の如き破裂音が鳴り響いたのは。

 信号弾の煙が、足元で漂っている。ゆらりゆらりと、二匹に絡みつくように。

(コノ一帯ニ、Zi人3名、ゾイド二匹、ソレ以外ノ生物ガイルノカ)

 足元を見渡す銀色の巨体。

 この期に及んで滑稽に振る舞う様子を、再び一喝したのがあの小太りの中年男性だった。A3大の板状端末越しに怒鳴る。

「撤退じゃ! 第三者がおる!」

 この両者の激闘を長時間監視できる程の装備と肝っ玉を兼ね備えた者がいるとしたら、それは相当な水準の兵士に違いない。

『シカシ……!』

「援軍もそうじゃが、そもそも足跡を辿られたら野望も終わりじゃぞ!

 お主は既に『導火線の七騎』も四騎、倒したのじゃ。胸を張れ!

 今後の策も用意してある、今は黙って退け!」

 すぐさま銀色の巨体の傍らに橙色の蜂の群れが寄ってくる。

 未練がましそうに深紅の竜を一瞥。網目状の翼を羽ばたかせると火花がパラパラとこぼれ始めた。

 かくしてその場を飛び立った銀色の巨体ケンタウロス・ワイルド。蜂の群れがあとに続く。

 曇天を背負い呆然の深紅の竜。怒りの眼差しは宿敵が彼方に消えるまで決して逸らすことがない。

 その意志だけはどうにか受け継いだギルガメスが虚ろげに全方位スクリーンの彼方を見つめる。

「ごめんなさい、ブレイカー、先生」

 ウインドウの向こうで、愛する女性はヘルメットを取ると首を横に振った。……十数秒後には次の行動を決めなければいけない。この第三者に対してどう行動すべきなのか。切れ長の蒼き瞳に憂いは消えないが、今は災厄が遠ざかったことだけがとにかく嬉しくて……口元は少し、緩んだ。

 竜の胸元にまで近付いてきたビークルを、深紅の竜は両手で抱える。

 この世の終わりのような光景を、過去に何度も目にはしていた。忘れかけていた一切の感情は、今の主人が見せた動揺を目の当たりにして、忌まわしきものだと深紅の竜は確信した。

 足下では、いよいようねる白波とどす黒く濁った海水が戦場だった岩場を埋め尽くそうとしていた。

(つづく)



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【第十四章】導火線の謎

 紺碧の青空はとっくに(すす)と砂粒に汚されて、灰色のまだら模様に染め上げられていた。

 天地の間で深紅の竜がふわり、浮かんだまま微動だにしない。じっと彼方を見つめていたがそれも束の間、ひとたび息吹いてその場に居着く気持ちを断ち切ると、長い首を地上に向けた。

 足元ではうねる白波とどす黒く濁った海水が、先程まで戦場だったこの岩場を着々と覆い尽くそうとしていた。今一度、そのまま視線を彼方に向けてみれば、水平線が二重に見える。

 いや、そんなことがあってたまるか。深紅の竜は紅い瞳で鋭く睨む。……これは水位が上がっているのだ。海面はますます白波を飛ばし、天を衝く勢いで荒れ狂いながらこちらに迫っている。地球でのデータで恐縮だが、津波の速度は水深10メートル付近で時速30〜40キロに達するという。常人の全力疾走程度では到底逃げ切れない。ここ惑星Ziでも同程度の脅威が発生すると考えるべきだ。

 深紅の竜が自ら感知した情報は、速やかに己が胸部コクピットと、自らが両手で握り締める時代がかったビークルのコクピットに送られる。

 全方位スクリーンの解き放つ輝きがやけに眩しい胸部コクピット内で、呆然たる表情を浮かべたままのギルガメス。勝機を見出だせぬままの戦闘中断に加え、天啓が下ったとしか思えない二度の大地震、そして津波の発生。……少年は自分自身が然程信心深くないこと位は自覚しているが、だとしてもだ。まるで裁かれているようにしか思えぬ天災の連続は彼をひどく動揺させるには十分であった。

 そこにアラームが不意打ちの如く鳴り響く。険しい表情のまま全方位スクリーンを見つめれば、浮かび上がったウインドウには各種数値が施された津波の映像が表示されている。

 少年が我に返るためには、数秒程の時間が必要だった。才気煥発を謳われておかしくない人物の反応としては、不自然に遅い。

 だが彼の反応よりも遥かに速く、全方位スクリーンの正面下方で激しい動きがあった。……そこにはビークルが映っている。我が相棒たる深紅の竜が両手で握り締めているものだ。するとその、上部を覆うキャノピーが突如として迫り上がった。中から躍り出たのは物干し竿のような対ゾイドライフルを両手で構えた黒い短髪の美女。漆黒のパイロットスーツをまとっているが、ヘルメットは脱ぎ捨てていた。切れ長の蒼き瞳がねじ伏せるような眼光を解き放つ。

 対ゾイドライフルの銃口は足下の、とある岩場に向けられていた。

「そこの方! 先程は私の身内を助けて下さってありがとう。

 でも、さっさと出てこなければ撃ちます。

 それとも波に呑まれたいですか?」

 凛とした響きは押し寄せる津波の足音さえも阻んでみせた。

 程なく、岩場の影からおずおずと姿を表した者がいる。……いや正確には「者達」だ。

 青く透き通る鎧が美しい、人一人が跨がれる程度には大きな二足竜バトルローバー。そしてその尻を叩いて押し出したボロ布をまとった人物。だがボロ布が強風ではためき、その隙間から濃紺の制服が覗いたところで少年はあっと声を上げた。

「あ……貴方は!?」

「その節は、ありがとうございました。

 今回もご迷惑をおかけします。本当にすみません」

 ボロ布から表した顔は優しい顔立ちながら、立ち居振る舞いは誠に精悍。やはりヘリック共和国軍警察官の証たる濃紺の制服・制帽を折り目正しく着こなしていた。

 この若者はアリルという(……が、ギルガメス達に名乗ったことはまだない)。軍警察に所属するらしいがその一方でキャムフォード宮殿(ヘリック共和国大統領官邸)に繋がりがあるなど正体は杳として知れない。但し、現時点であからさまに敵対するような態度は見せないし、初対面の際は重要な情報を提供するなど非常に助けられたというのが実際のところだ(「深紅と紅蓮の決闘」参照)。

 そのような得体の知れぬ人物だからこそ、激闘のすぐ近くまで忍び寄ることに成功できたのかも知れない。結果的に、ギルガメスにとっては幸いだった。理不尽なことが続き胸が張り裂けそうだったから、新たな興味の対象が姿を表してくれただけでも平静を取り戻すには十分な切っ掛けと言えた。

 

 浮遊し北へと先を急ぐ深紅の竜。その足元では泡立つ白波とどす黒い海水が、イナゴの如く辺りの岩場を埋め尽くしていく。それでも竜の現時点での飛行速度の方が圧倒的に速いが、竜は意識して速度を緩めないよう心掛けた。この津波という恐るべき自然現象を、我が胸部コクピット内の若き主人に見せ続けるのは躊躇われる。優しき竜としては、戦闘以外の要因で主人が精神的に消耗しないことを願うばかりだ。

 さて先程まで深紅の竜は両手に時代がかったビークルを抱えている状態だったが、今の時点でビークルは左手で鷲掴みの状態。右手には小さな二足竜バトルローバーとその主人たる軍警察官の若者を掌に載せている。……その若者はといえば、腕時計型の端末より飛び込んできた通信の対応に追われていた。

「こちらアリル。現在、ギルガメス一行と接触中。『四本脚のゴジュラス』は逃走しました。

 ……は? 現地消防と合流した!?

 自分も、ですか。了解」

 意識して声を大きく伝える。若者アリルが心掛けたのは至極簡単な理由だ。……向こうのビークルにて着席し頬杖をついている美女は微笑こそ浮かべているものの、切れ長の蒼き瞳は眼光鋭くこれっぽっちも隙を見せない。こちらが何か不用意な行動をすれば一秒も間を置かず傍らの対ゾイドライフルを構え、一発で仕留めるだろう。こちらも射撃の腕前に自信はあるが、それ故に「容易には敵わない」と想像がつく。ならば、警戒心を解いてもらうためにも晒せる手の内は晒してしまった方が良い。

「すみません、北の港に津波が押し寄せたそうです。

 私の所属部隊は現地の消防隊に応援することになりました。誠に申し訳ありませんが……」

「だってさ、ギル」

 美女エステルは微笑みを、そして斬りつけるような眼光を絶やさぬまま自分をビークルごと抱えてくれる竜の胸元に向かって声を掛けた。

 胸部コクピット内部の少年は肩をすくめた。

「……え!? そうなんですか。

 ブレイカー、アリルさんをそこまで連れて行くの、良いかな?」

 自分の一存で決めるのは躊躇われる。大事な友達にも同意を求めた。

 深紅の竜は小気味良く鳴いて返事とした。……が、この時に小首を少し傾け、右手に掴む二足竜と若者の顔を覗き込む。……言葉は話せないが非常に頭の良いこのゾイドは、若者に見返りを求めたのである。

 少し驚いた若者アリルは、やはり彼も一廉のゾイド乗りなのだろう。すぐに察したのか両手を叩いて喋り始めた。

「ありがとう、ゾイドさん。代わりに少し、知ってることを話すよ。

 ギルガメス君、僕達は連続殺人事件を追っている。さっき、君達の戦いの場に忍び込んだのもそれが理由さ。

 ご存知の通り、被害者は『導火線の七騎』として讃えられているのが共通点だよ」

 刮目した少年。

 空気が漏れる音と共に胸部コクピットハッチが開く。

 深紅の竜は自らの胸元目掛けて小声ながら鋭く鳴いて注意喚起。正体不明の人物に気を許し過ぎないよう、また高速での移動が求められるため強風波浪に煽られぬよう警戒しなければいけない。エステルの方も頬杖を止めてハッチの奥を注視する。

 薄暗いコクピットの中から現れた少年ギルガメス。いつ爆発してしまうかわからない感情を抑え込むべく、懸命に息を整え平静をどうにか保ってるところ。何しろ不可解な事件が立て続けに起こっている。

「……その『導火線の七騎』ですが、アリルさんは全員ご存知なんですか?」

 おやと若者アリルは目を丸くした。傍目には非常に簡単な質問に見える。

「第一騎はラヴァナーとステゴゼーゲ『グリムリーパー』。

 第二騎はアロンとレッドホーン『カーマイン』

 第三騎はギネビアと『アーサー』の名を冠するライガータイプ。

 第四騎はケンイテンとキメラゴジュラス『亢龍』。……まさかここまで全員亡くなられるとは思いませんでした。

 第五騎、第六騎が不明。

 第七騎がギルガメス君と……」

 甲高く深紅の竜が鳴いた。若者アリルは目を細める。

「そうですね、ブレイカーさんだ」

 だがそう呼ばれた当の本人の表情は沈み切っている。

「僕も、先生やブレイカーも『導火線の七騎』のことは昨日初めて聞いたんです。僕達は、何も知らされないまま命のやり取りをする羽目に陥っていました。

 アリルさん、その『不明』ってどういうことなんですか?」

 若者は決して慌てる素振りは見せないものの、返答に窮した。

「いや、僕も本当に知らないんだ……」

 対する少年が納得する筈もない。

「世界最強クラスの実力者四組みが、僅か三日で亡くなりました。

 僕は二度戦ってどうにか生き延びているけれど、『彼奴』は確実に強くなっています。次に戦って、勝てるかどうか……。

 僕個人の考えですが、もし可能なら、第五騎・第六騎と協力して立ち向かうことも考えなければならないと思います。

 でも今の状態では話し合うことすらできません。このままでは死ぬのを覚悟で正面からぶつかるしかない……そんなのは嫌です! こんな理不尽なことで死にたくないです」

 表情は沈んだままながら、語気強く、前のめり気味に少年が語り続けたその時。

「その第五騎と第六騎って、お役人さん的には存在を認めたら不味い人達……なんじゃあない?」

 間に割り込んだエステル。腕組みし右手を頬に添え、切れ長の瞳を細める。

 彼女との距離は数メートル以上も離れているのに、彼女自身からは気迫がひしひしと伝わってくる。口元には微笑みをたたえているにも関わらず、だ。

 若者アリルは頭を抱えてしまった。二つの気迫に囲まれた格好である。やがて特大の溜め息を吐くと、竜の掌の上で強風に煽られながらもゆっくり立ち上がる。姿勢を正し胸を張り、そして両手を広げて降参のポーズを取りつつ。

「知らないのは本当です。信用して下さい。

 仕事上、必要以上のことを知るのは決して許されないのです」

 喋っている間、若者アリルは決して女教師エステルから眼差しを外すことはない。傍目には睨み合いにも見える。

 かたや竜の右手側、かたや左手側。その間に挟まるような微妙な位置に立たされ、質問した当の少年は狼狽えている。想像以上に険悪な雰囲気になってしまった。

 かように困惑の表情を隠さない愛弟子に対し、横目でチラリ見た女教師は軽く目配せ。頬杖を止めて起立する。

「わかりました。それだけでも十分過ぎるくらいです。ありがとうございます。

 他にも教えて頂きたいことがあるのですが……」

 

 ギルガメスは再び相棒の胸部コクピット内に引きこもった。上半身をハーネスが固定するが、今しばらくは相棒に運転を任せることにしていた。それより、やらなければいけないことがある。額に指を軽く当てれば、たちまち刻印の青白い輝きが浮かび上がる。古代ゾイド人の証とされる刻印。深紅の竜が少年によく懐く理由でもあるという。

「すみません、喋り過ぎました」

 額に指を当てたまま、虚空に向かって話し続ける。テレパシーだ。

 一方、ハッチの閉じられたビークル内部でも。

「良いわよ、全然気にしてない。

 貴方なりの考えが聞けて、嬉しかったくらいよ。ふふ……」

 エステルが同じように額に青白い刻印を浮かべ、指を当てている。……あの若者に聞かせるのは良くないと判断して、この形式での会話を選んだ。 

「何か……手掛かりが掴めたんですか?」

「まあね。わかったことは二つ。

 一つはさっきも言った通りよ。……今現在『第五騎』『第六騎』と呼ばれている方達は、人によっては神と崇める程の実力者かもしれない。けれどヘリック共和国としては、存在して欲しくない連中なんでしょう。そこで彼らは『不明』という形で情報規制をずっと続けているのでしょうね。

 そこで気がついたのがもう一つ。共和国側としては、優れたゾイド乗り同士で争ってくれた方が、この星を支配するのに都合が良い筈よ。何しろ自分達に矛先が向かないからね。

 よって『導火線の七騎』は格好の材料。どんどん宣伝したいところなのに、一部は何故か頑なに伏せられたまま」

 そこまで話しを聞いたところで、少年も円らな瞳を見開いた。

「もしかして『導火線の七騎』は共和国側では決められていない……?」

「あくまで私の勝手な読みだけどね。

 何者かが『導火線の七騎』という情報を発信し続けていて、それを知った共和国が情報規制をかけ続けている。……七騎の間で同士討ちするよりも、情報規制の方がメリットが高いと考えているのね。そういう考えで今日まで来ているのかも。

 色々確かめるためにも、北方大陸に向かわざるを得なくなったわ。当てが結構、あるからね」

 そう彼女が呟いたところで、少年はふと気がついた。懐かしさで遠くを見るような、声質の和らぎ。

「心当たりがあるんですか?」

「少し、ね」

 

 一方、若者アリルはと言えば相棒の二足竜バトルローバーと共に深紅の竜の右腕に載ったままじっとしている。二足竜はうずくまり、若者は胡座をかいて相棒に寄っかかったまま。

 彼は腕時計型端末をいじって状況把握に努めている。師弟が何らかの会話をしているだろうことは十分に想像できているが(※この師弟の様々な背景について、ある程度把握している)、末永く協力関係を維持する上で余計な詮索は無用というものだ。

 面倒事は増える一方である。先程もギルガメス少年の師を名乗る美女と、そういう会話を続けていた。

「マノニア、ですか?」

 若者は咄嗟に聞き返してしまった。

「そう呼ばれていたのでしょう?」

 美女は自らとその愛機を左手一本で抱えてくれる深紅の竜の、開放された胸部ハッチに向けて声を掛けた。……ハッチの縁にしがみついて中腰を維持している少年は「はい」と大きな声で返事した。

「ビスマがそう呼んでいたんです」

 あの四本脚のゴジュラスのパイロットのことか。……既に軍警察では「第一騎」ラヴァナーが、戦いの前に全身虹色に輝く怪人物と接触したとの情報を掴んでいる。但し名前などは最初の事件からまだ三日も経過していないこともあり、情報は慢性的不足の状態である。

「あのゾイドのパイロットに同伴者がいたんですね。伺った特徴をもとに早速本隊に調査を依頼します」

「えっ、全然情報、ないんですか?」

 拍子抜けした風に少年が声を出すと、若者は恐縮して頭を掻いた。

「申し訳ありません。でも名前も風貌も伺った。若干でも映像、あれば頂けますか?

 早速上に連絡します。ここからは人海戦術。わかるのは速いと思いますよ」

 

 やり取りを思い出していた若者。やがて意を決すると、左腕を自分の胸元と水平に構える。腕時計型端末で連絡を取るつもりだ。要件は多い。喋りながら整理しよう。

 腕時計型端末のモニターは地図を映し出している。……表示されているのは、ずっと陸地だ。しかし足元を見れば、既にうねる白波とどす黒く濁った海水が埋め尽くしている。至るところから海水が流入しているため、勢いが深紅の竜の飛行速度よりも速く感じられる(※両手に人を抱えているため高速での移動は自重するだろう。現状では時速100キロ程度も出せていないと思われる)。

 すると、遠い彼方から心臓を狙い撃つ落雷の音。

 身体がすくむ若者。左腕に巻きつけた腕時計型端末の上に、雨粒が一滴、二滴。……雨足が滝と化すまでものの数秒もかからない。

「うわっ、いきなり来たか」

 まとっていたボロ布からフードを引っ張り出して被る。

 灰色の雲は既に紺碧の空を分厚く覆い尽くしていた。夕立は絨毯爆撃と化した。

 深紅の竜の胸部コクピット内でも異変はすぐに察知された。全方位スクリーンを覆い尽くす水滴。すぐに解像度が上がって視界不良は回避されるが、パイロットにとってもゾイド自身にとっても結構なストレスであるのは間違いあるまい。少年は両腕を天井や左右にぐっと伸ばしてストレッチ。気を紛らし、どうにか己の心を落ち着けようとする。

 その時のことだ。右方の、水平線。……遠目にもよくわかる高波。だがそれが左右に果てしなく続き、脈動のごとく隆起しているように見える。この場では雨音に全てがかき消されているが、間近に寄せればどんな音が聞こえてくるのだろう。これが津波なのか。

 少年が目を凝らしている時、全方位スクリーン左上にウインドウが開く。

「ギル、ギル、聞こえて?

 北北東に監視所があるわ。そこに人の生命反応ありよ」

 たちまち両目を見開いた少年。彼の視線に合わせて別のウインドウが開き、拡大映像が表示される。

 映像は、まるで海の上に一軒家を建てたように見える。たちまち映像がワイヤーフレーム化されると左右に堤防が伸びていたことが明らかになった。水かさが急激に増して浸水を許してしまったのだ。

 すると全方位スクリーン左上にもう一つウインドウが開く。若者アリルだ。

「ギルガメス君、音です! 音、拾えますか!?

 ギリギリまで放送とサイレンを鳴らした職員がまだ残っているんです」

 それを聞いた少年が相棒に指示を出すより速く、全方位スクリーン内では豪雨、強風、津波に隠されかけていたサイレン音を鳴らし始めた。少年は天井を見上げて呼びかける。

「ありがとう、ブレイカー。

 じゃあ、北北東に向かいます」

 応えて吠える深紅の竜。桜花の両翼を水平に広げ、背負いし鶏冠を目一杯広げると蒼い炎を目一杯吐き出し、彼方へ急行を目指す。敵は津波、そして豪雨。決して抗うことは許されぬ、ある意味ではゾイドを遥かに凌駕する驚異だ。

 現状、深紅の竜がもどかしいのは両手が塞がっていること。わが優しき主人がずっと悩んでいる。ひしひしと伝わってくる。……己が胸部コクピットを撫でてやり、なだめてやりたいが、今は無理だ。

 あの強敵ケンタウロス・ワイルドと交戦するたび発生している地殻変動は、もしや彼奴と交戦したからではないかと少年は思い悩んでいる。そんな馬鹿げた話しはない。科学の難しい話しはわからぬが、大自然なんてものはあちらの勝手な都合で、平気でこちらを殺すものだ。だからこそ、右手に居座る若者の願いを聞き入れた。優しい主人に立ち直ってもらうためならどんなことだってやり遂げる。

 風を断ち切り、雲を切り裂き、雨粒を弾き飛ばし。やがて全方位スクリーン内ではかなり明瞭なサイレン音を捉え始めた。

 同様のサイレン音は、深紅の竜の両手に載った二人と一匹にもよく聞こえている。……音の方角を見れば、建築物の屋上部分だけが、波打つ海面の中にポツリ佇んでいる。津波に遭っていなければコンクリートの簡素且つ小さな作りの監視所とひと目でわかっただろう。フェンス部分に屋根付きのスピーカーがいくつも取り付けられており、そこからサイレン音が出続けている。

 そして、その中央。作業服がズブ濡れのまま仁王立ちする老人らしき人物が一人。こちらに気がついたのか、しきりに手を振っている。どうやら彼がアリルの言っていた職員で間違いあるまい。

 ヘルメットを被ったエステルは準備万端。

「私が行くわ」

 そうビークル据え付けのモニターに声を掛けたところ。

「いや、まずは僕達に行かせて下さい。先生は万が一、拾い損ねた時に助けて下さい」

 愛弟子の円らな瞳は決意で鋭く輝いている。それが嬉しい。

「……わかったわ、外周を回っているから自信を持ってやりなさいね」

 言いつつヘルメットのシールドを降ろすと、ビークルの天井を覆うキャノピーがせり上がる。いつでも手を伸ばせる体勢を確保しつつ、竜の左手からビークルが飛び出した。

 その有様を横目でチラリ見つめつつ、深紅の竜は急上昇。背負いし鶏冠が一際大きく蒼い炎を吐き出す。

「先生、真上から近付きます」

 真横から近付く手もあるだろうが、勢い良く突っ込むわけにはいかない。さりとて減速して近付いたら風雨や津波に飲み込まれかねない。

 さて監視所屋上で手を振る老人は、どうやら自分を助けに来てくれたらしいゾイドが近付いてきたことを確信すると、手を振る動作も大きくなる。だが急上昇する折れ線グラフのごとく屋上に接近された時、足元が滑った。転倒。たちまち転がってフェンス部分に身体をぶつけてしまった。

「ギル、気をつけて! 風圧、強過ぎるから!」

 その有様にビークルで外周旋回中のエステルが声を上げる。

「ああっ、すみません!

 ブレイカー、ゆっくりだ。ゆっくり降りるよ」

 不意の指摘に驚く少年。そのたった数秒で全身から冷や汗が噴出する。今まで赤の他人を救助する経験など殆どなかった。

 冷や汗のままに左右のレバーを絞り込む。

 応える深紅の竜。左右の翼を広げたまま両足を八の字に広げ、鶏冠より炎を消すと、所謂マグネッサーシステムの浮遊力のみでジリジリと降下していく。全身に埋め込まれた突起が唸りを上げて高速回転し、火花が吹き零れる。強風にも負けずバランスを維持したまま降下するために全身でブレーキを掛けているのだ。

 フェンスにしがみついた老人は、一旦は強風が止んだのを確認して立ち上がってみたものの、すぐに別の風圧でしゃがみこんでしまった。垂直に降りてくる深紅の竜。風圧は想像以上に大きい。

(このまま降りたら吹き飛ばしてしまう。どうしよう、どうすれば良いんだ?)

 見かねたエステル。ビークル据え付けのモニターに向けて声をかけようとするが、その時。

「ブレイカーさん、親指を少し貸して下さい」

 アリルだ。あの軍警察の若者だ。ずっと深紅の竜の右腕に掴まれたまま様子を窺っていた。

 主人より先に声を掛けられた深紅の竜はすぐさま自分の胸元を見て判断を仰ぐ。

「アリルさん? どうするんですか?」

「僕の相棒に掴ませる! ウインチを積んでいるんだ」

 叫んだ若者の目の前で、囲いを作っていた竜の右手の親指が頷くように上下に動いた。同意の印だ。

「ありがとう、任せて下さい。ブレイカーさんは止まっていて下さい」

 ここまで大人しく深紅の竜の右腕内でうずくまっていた、透き通った青い鎧の二足竜バトルローバーが身体を起こした。……両手を使うゾイドはその一点においてやや人に近く、常に特殊な立場にあると言える。山程もある超重量級も、人より大きな程度の超小型も共通して、いざという時には劇的な技巧的動作をやってのける。勿論、その両腕によってだ。

 竜の親指(三本爪の内一番短いもの)にしがみつく二足竜。その間に若者アリルはボロ布をめくる。濃紺の制服の懐から現れたフック。それを二足竜の座席の下に隠されたウインチのロープにくくりつける。あっという間に支度は終わった。

 かくてふわり、空中に静止する深紅の竜。時折全身の突起から火花が吹き零れるのは変わらない。一方、己の身長程も下には、津波に呑まれつつある監視所の屋上が見える。……水平線が、徐々にそびえ立ちながら近付いてきているのがわかる。急がないと……そう少年が考えるよりも速く、高らかな掛け声が聞こえた。

 勢い良くダイビング。追いかけるロープ。

 人の体二つ分を割ったところまで急降下するや、ここで急減速。結果、若者は羽毛ベッドの上に飛び込んだがごとく悠々と大股で着地した。

「おじさん、歩けるかい!?」

 明るい笑顔で声をかけると。

「大丈夫じゃ! そこで待っていてくれ」

 数歩、老人が頑張ってくれれば良い。あとは自らが前に出ればどうにかなる。若者は確信していた。前に出る老人。数歩目で滑って転倒しそうになったその時、若者が全身を広げて近付いてきた。……若者の身体にしがみつく老人。

「引き上げて!」

「ギル、上がりなさい!」

 若者がウインチ引き上げの合図を送るその一方で、女教師が深紅の竜に向かって叫ぶ。膨張する水平線は目を凝らさずとも見える距離まで忍び寄っていた。

 かくして二足竜のウインチは引き上げを完了した。深紅の竜は両手で宝物を抱えるように、若者と老人そしてゾイド一匹を確保している。そのすぐ足元で、濁った海水は呻き声のような轟音を上げながら監視所に覆い被さっていた。既にサイレン音は止んでいた。

 その有り様を全方位スクリーン越しながらずっと間近で見つめていた少年ギルガメスは深く深く、溜め息をついていた。……汗びっしょりだとすぐ悟った。きっとあの若者より疲れ切っている。

(敵わないな)

 異質の強さを、少年は見た。

 

 暴風雨が吹き荒れる中、高台で十数体ものゾイドが呆然と津波の脅威を見つめていた。そのうち数体は鋼鉄の狼コマンドウルフ。その足元では複数の兵士・作業員が入り乱れている。

 高台の足元から港の方角を見れば、どうやらコンクリートが透けて見える程度の浸水で済んでいるようだ。一部の堤防や監視所などは津波に呑まれてしまったが、そこでどうやら踏み留まれたようだ。勿論、今の時点での話しだが……。

 ふと鋼鉄の狼の内一体が、彼方で何かを見つけたようだ。たちまち遠吠えの開始。それを合図に沢山の人員が高台の縁に集結する。

 その様子は、急ぎこの海原を飛び進む深紅の竜の視界にも映り込んできた。全方位スクリーン上で確認したギルガメスはホっと思様子で軽く溜め息をつく。

「アリルさん、あの辺で良いですか?」

「うん、構わない。

 まずは降りて、この方を引き渡さないと。救助最優先さ」

 淡々と語る若者。ずっとまとっていたボロ布は老人に貸し与えており、軍警察の濃紺の制服が露わ。深紅の竜自身が雨避けとなってはいるが、とっくにズブ濡れ一歩手前くらいになっている。

 返事をしながらひとしきり、何かを考えていた若者アリル。やがて思い立つと、彼らを抱えてくれる深紅の竜の胸元に向けて語りかけた。

「ギルガメス君、この天候にこの災害だから、しばらく船便は出ないと思う」

 えっ、と胸部コクピット内で身を乗り出した少年ギルガメス。

「そんな! それじゃあ北方大陸には……」

「一応、この災害なら緊急避難と言い張る手もある」

 えっ、と少年は奇妙な声を上げた。

 見かねてエステルが映像に割り込む。

「災害に避難する名目で海を渡っちゃえって言ってるのよ」

「そこまでは、言ってません」

 澄まし顔の若者。『第五騎と第六騎』の件といい、面倒なやり取りにはさしものギルガメスも苦笑いを浮かべた。

「ブレイカー、できる?」

 天井を見上げて話しかけると甲高い鳴き声を上げて愛想よく応えてみせた。激闘はあったが、それで餌を確保しなければならぬほど疲れてもいない。

 よし、それなら。全方位スクリーン越しに師弟は頷き合う。

 ギルガメスは確信していた。ケンタウロス・ワイルドは……魔人ビスマは、すぐに接近してくるに違いない。ならばそれよりも先に、打てる手は打たなければいけない。

 暴風雨の中を、深紅の竜は勢い良く飛び進む。高台は目前なれど港を侵食した海水が退く素振りは伺えない。

(つづく)



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【第十五章】名無しと名捨ての山

 雨足の勢いは苛烈の極みに達しつつあった。

 先の戦場たる岩場から、大分離れたこの辺り一帯はひと目には平らかな平原地帯。なれどふた目をよく凝らせば至るところに亀裂が走った荒涼たる大地が広がっている。……亀裂の中をよく観察すれば、ぼんやりと妖しい輝きが確認できることに誰もが驚くだろう。それらは金属生命体ゾイドが解き放つ目の輝き。彼らは大小を問わず亀裂の中に潜んで雨露を凌いでいた。

 ふと、とある一角の亀裂がざわめいた。

 たちまち亀裂から飛び出してきた、ゾイド数匹。いずれも背中や脇腹などに銃砲を積んでいない、野良とか野生とか言われる者共。それらが慌てて雨宿りを諦め遁走に至ったのである。

 恐らくは最後だろう四つん這いの蜥蜴とも鰐ともつかぬ一匹が亀裂から這い上がるや、恨めしそうに雨雲の彼方を見上げて睨んだ。

 雨雲の中枢から、不意に轟く爆音。

 落雷が降り注ぐように姿を現した禍々しい物体に、先程の四つん這いは遁走を再開せざるを得なかった。……このゾイドのそれなりにはあるだろう戦闘経験を振り返ってみても、ここまで奇妙な姿の同族は見たことがない。全身銀色に輝くその物体は彼と同様に四本脚でありながら、首には本来ある筈の顔の代わりに暴君竜ゴジュラスの上半身が生えており、その背中に網目状の翼が広がり光の膜を張りながら羽ばたいているのである。化け物だと確信した以上、下手に縄張りを争う考えはなかった。

 そんな雑魚どもの妬みなど一向に気にすることなく、銀色の巨体は緩やかに亀裂の中へと降下していく。その後に続くのは何匹もの橙色の蜂達だ。

 亀裂の下は存外に深く、広い。不意に、辺り一帯を震わす地響き。亀裂内部の壁面が揺れる。

 内部にすっぽりと収まった銀色の巨体。今の状態で頭頂から地上まで十数メートル程度の余裕があり、遠目では確認できないだろう。さて亀裂は前後にも伸びており、どこまで進めるのか見当もつかない。……だが足元はどうか。人間数体分もの幅があろうかという濁流が勢いよく流れており、降り立ってキャンプを構えようなどと考える者はおるまい。

 すると銀色の巨体に追随してきた橙色の蜂達が、次々に亀裂内部の壁面にへばりついていく。最後の一匹だけがふらふらと何かを探すかのように彷徨っていたが、やがて見通しを立てた様子でガッチリと、とある一角にへばりついた。削れた岩がパラパラとこぼれていく。そのすぐそばには2、3平方メートルほどの横穴が広がっていた。

「やむを得んわ、この雨ではな」

 小太りの男が横穴に降り立つ。マノニアだ。無法の旅路は既に何度も往った身だから、日常生活の常識が通用せぬ事態に陥った程度ならば今更腹を立てたりはしない。今回は横になれる場所と用を足す場所の確保……それさえどうにかなれば良い。

 その間にも例の黒尽くめの機械人形達が、橙色の鉢達の整備に取り掛かる。壁面にへばりついたまま大人しくしている蜂の全身を器用に伝い、ぶら下がり。傍目にはハラハラさせられるが、マノニアには別段驚きもしない光景のようだ。

 マノニアは旅行用のカバンを引っ張り出すと寝袋と水筒、そしてエナジーバーを取り出す。咀嚼の音を立てる度に、味覚を感じられることへの喜びが湧いてくる。

 するとそこに、ふわふわと舞い降りてきた虹色の光球。輝きはそのままにたちまち人の形に変貌を遂げた。直立の姿勢でマノニアの真正面にふわりと降り立つ。虹色の魔人ビスマには、微塵の疲労も損傷も伺えない。

 マノニアは最早驚きもしなかった。エナジーバーを頬張りながらも労いの言葉は忘れない。

「見事だったな。しかしジェノブレイカーだけは手強いようだな」

 立ったままの虹色の魔人は妖しく明滅しながら呟く。

『数値ヤ言葉デハ、言イ表ワセナイモノヲ感ジル。[導火線の七騎]ニハ共通シテ感ジラレルモノダガ、[ギルガメス]ト[ジェノブレイカー]ニハソレガ一際強ク感ジラレテナラン』

 はあ、と感心とも溜め息ともつかぬ息遣いでマノニアは聞き入るよりほかない。彼も相応に切れ者だが、ゾイド操縦の腕前は然程ではない。だが少しは年を食っている故か、不世出の実力者が時々口にするこの手のオカルト的強さの尺度にも一応の理解はあった。

『……時ニ[マノニア]。ソコノ[魂]ノ無イ[ゾイド]共ニ、俺ノ知ラナイ武器ガ搭載サレテイルナ? アレハ、何ダ?』

 小太りな小悪党の顔が見る間に強張っていく。だがそれ以上の激変はない。

「ああ、それは音波砲じゃ。護身用に積んでおる。

 下手に弾薬を買い漁っていては簡単に足がつくのでな。音の攻撃なら電気代だけで済むのじゃ、安いものじゃろう?」

 内心、マノニアは強烈に焦っていた。橙色の蜂達に密かに隠し持たせていたレアヘルツ砲の存在を、いつどうやって見抜いたのか? 性能まで把握しているのか?

 立ったままの虹色の魔人は人ならば感心でもしているかのような溜め息を漏らした。目も口もないのに関わらず。

『成程……。人間ハ不便ナモノダナ。俺ナラバ弾丸ナド[無]カラ作リ出セルノダガ』

 そう呟くと、おもむろにその場にしゃがみ込む。

 直後、虹色の魔人の見せた奇妙な仕草の方がマノニアをして驚愕に値した。……虹色の魔人は坐禅を組んだのである。グローバリーⅢ世号が惑星Ziに仏教を伝えたかは不明だが、少なくともマノニアには門外漢の分野である。

「何じゃ、その座り方は」

『ソノ前ニ、[椅子]トイウモノヲ教エテクレタ貴様ニ感謝ダ(※第六章参照)。[ゾイド]ハ座ラナイシ座レナイカラナ。……試シテミテワカッタ。座ッテ落チ着ケバ、驚クホド思考ガ捗ルデハナイカ。

 ソコデ座リ方モ工夫シテミタ。ソレガコノ格好ダ。……[ギルガメス]ト[ジェノブレイカー]ヲ今度コソ倒スタメニハ、俺モ更ナル[進化]ガ必要ダ。ソノタメニ俺ハ[瞑想]スル』

 魔人の全身がたちまち眩く明滅を始める。

 マノニアは呆気にとられたままその一部始終を見守っていた。食べかけのエナジーバーを口に放り込むことを思い出すにはしばし時間が必要だった。この眩しさで仮眠が取れるかという疑問に至るのはもう少し後のことである。

 これも一種の収斂進化と言うべきか? このヒトの形をした分身は本体を強化するため、瞑想という形でプラン構築を試みるに至った。ケンタウロス・ワイルドというこの金属生命体ゾイドは自分の意志で、且つごく短時間で更なる進化を果たそうとしていた。

 

 北方大陸・ラカフートの第一埠頭は凪いでいた。

 埠頭の端には首の長い四足竜がうずくまったまま、じっと水平線の彼方を見つめていた。鉄仮面を被ったかのような威圧的な風貌とは裏腹に、鉄色の胴体は丸っこく奇妙な愛嬌がある。これは一般にはブラキオスと呼ばれるゾイドの一種。水陸を自在に行き来できるので港湾部では重宝される。

 四足竜が被る鉄仮面の内部には赤に青に、奇妙な電子機器の明滅が確認できる。この竜は警戒中だ。視線の先に広がる水平線の彼方から、時折船がやって来る。大半はずっと向こう、南方に浮かぶ中央大陸からの船便への対応。これが殆どだ。残るは主に密輸など、良からぬことを考える連中の侵入阻止。余裕がある時は天候の変化も注意深く観察している。

 だが流石に今日は何事も起こり得まい。……この竜のコクピットは背中に設置されており竜自身が横目で主人たるパイロットの様子をある程度観察できるのだが、この男ときたら制服と防寒着を座席に引っ掛け両足はコントロールパネルの上に投げ出している。見た限り寝てはいなので幾分マシではあるが、来訪者などないとでも決めて掛かっているようだ。それもその筈、ここ第一埠頭で受け入れる予定の中央大陸からの船便は、今日は全て渡航中止となっていた。

(地震だ、津波だとなりゃあ来るのを期待する方が馬鹿げているさ。しかし……)

「おい、起きているか?」

 不意にコントロールパネルが鳴動し、天井を覆うキャノピーにウインドウが展開。皺の深い老人の顔を映し出す。男はさして驚く素振りも見せないが、ともかくは姿勢を戻した。

 うずくまるブラキオスの遙か後方から、同じ格好の四足竜がゆっくり近付いてきていた。

「起きてますよ勿論。でもね、こんな日は気も乗りませんよ。

 で、来るってのは本当なんですか……?」

「ああ、軍警察からの連絡では遅くとも19時までには到着する見込みだそうな」

 滅茶苦茶な話しだ。男は呆れ果てた気持ちを隠さない。

 ヘリック共和国軍は北方を始め各大陸侵略に当たり、大量のゾイドを早急に運搬する必要から、多数の高速貨物船を建造した。「最後の大戦」後、それらの多くは民間に払い下げられて大いに活躍し今日の大陸間物流の礎となったが、それらとて40〜50ノット(時速約74〜92キロ)程度である(※それでも地球の貨物船やフェリーなどと比べたら圧倒的に速い)。……さてここ、ラカフートから中央大陸の北端部まで、3千キロ以上あるのだ。これから来るという「お客さん」が40ノット程度の貨物船で向かっているとしたら、到着まで二日は確実に掛かる。

 折しも中央大陸では昨日、今日と災害級の地震が発生したという。津波があれば緊急出港の可能性もある(転覆を警戒し沖合に避難する)。もっともそれが異常に速い到着予定日時設定につながるとは考えられない。大体、そんな事態になれば地球のクジラやイルカに良く似た金属生命体群がパニックに陥って貨物船と衝突することも考えられるだろう。いずれにしろこれもお役所仕事という奴で、例え到着する確率が限りなく0に近くともその場には待機していろということだ。

 不意に、鳴り響くアラーム。コントロールパネルの向こうからもだ。男は大きく目を見開かざるを得ない。来る筈のない奴が到着する。大きな溜め息を吐きつつ気持ちを切り替え、凝りに凝った両肩をぐるぐる回す。

「信じられないけれど、どうやらおいでなさったようですね」

「……なぁに、しばらくは眺めているだけさ」

 老人の返事は何を意味するのか。男が納得するまで少々時間がかかった。

 水平線の彼方は着々と夕陽が落ちようとしていたところだ。その陽射しを遮るかのように黒雲が漂い、豪雨のカーテンが張り巡らされている。ところが不意に、豪雨が切り裂かれた。

 その様子を天井部で開かれたウインドウ越しに見つめていた男は刮目して身を乗り出した……乗り出さざるを得なかったのだ。彼は船がやって来るものだとばかり思っていた。そういうものから凡そかけ離れたものが、今まさにこちらに近付いてきている。

 豪雨の中から姿を現したのは二枚の翼と六本の鶏冠を背負った深紅の竜。鶏冠より蒼い炎を勢い良く噴出し、海面より十数メートルも上を弾丸のごとく飛び進んでいく。両手にはビークルらしき物体を抱えているが、それ以外にさして重量物を抱えているようには見えない。

「何だこれ!?」

「儂も見るのは何年振りかな。お偉いさんの要請で、中央大陸からゾイドの能力を頼みに渡ってくることがあるのさ。大体は密航者の逮捕や暗殺が使命と相場が決まっておる。もっとも今来てるのは、まるっきりの民間人だがね」

 まるで映画みたいなことを言うな、この爺さんは……男は訝しんだ。だが少なくとも事実は小説よりも奇なり。男が搭乗するブラキオスが鉄仮面の下で様々なセンサーをまばたくように明滅させれば、この弾丸のように飛び進む深紅の竜の移動速度がすぐさま測定されていく。ワイヤーフレームで描かれた深紅の竜。すぐそばで浮かび上がった数値は、凄い勢いで低下している。男が目にした時、数値は時速300キロを割った。

(今ようやく300を切ったということは、ここまで相当な速度を叩き出していたに違いない。いつ、出発した?)

 距離÷時間=速度。所要時間さえわかれば簡単な計算ではっきりする。だがそのために色々調べ直す余裕はなかった。

 天井スクリーンにもう一枚開かれたウインドウ。「サウンドオンリー」の表記がある。

「すみません、係の人! 着陸したいので誘導して下さい」

 随分、若い「男の子」の声だ。だが坊やと言い捨てては失礼極まりなさそうな凛々しさが、声だけでもひしひしと伝わってくる。……しかし、着陸だと。

「着水にしなされ。ここラカフートに滑走路はないのでな。船も出ないから気楽におやりなさい」

 男が何か口走るより速く、老人の方が答えを返した。

 目を丸くする男。するとウインドウの向こうの老人は軽く瞬きしてみせた。……どうやら老人の経験に委ねるよりほかなさそうだ。

 すると「サウンドオンリー」が表記されたウインドウの奥から笑い声のようなものが聞こえた。

「わかりました、やってみます」

 笑い声をかき消すかのように、朗らかな返事。

 地球の話題で恐縮だが、海上自衛隊の飛行艇USー2の着水に必要な距離は310メートルだという。時速90キロの状態から着水するそうだ(※巡航速度は時速480キロ、最高時速580キロ)。飛行するゾイドがどの程度の距離から着陸・着水できるのか、素人の筆者には全く以てわからない。だが少なくとも、310メートルよりは絶対に長い距離を確保せねばならない筈である。

 さて水平線の彼方では。

 桜花の翼を羽ばたき広げる深紅の竜。両足も八の字に。真正面から見れば文字通りの×の字。両腕はぐいと腰に引き寄せ、尻尾はピンと伸ばして。力む全身。高度が下がっていくごとに、海面が波打ち飛沫が舞い始める。背負いし六本の鶏冠から解き放たれたる蒼い炎は既に糸のように細くなっていた。そしてそれが途切れた頃に。

 荒々しく鉋(かんな)で削り出されたようだ。舞い上がる飛沫は留まるところを知らず、そのまま深紅の竜は勢いに任せて滑走を続けた。……停止したところで深紅の竜は大きく息を吐いた。

 竜の胸部コクピットハッチ内では同じように、ギルガメスが肩で大きく息を吐いていた。全身、汗びっしょり。全方位スクリーン左上にウインドウが開き、ラカフート第一埠頭の先端からここまで500メートルを割ったところだと教えてくれた。

 ウインドウがもう一枚開いた。エステルだ。優しく微笑んでくれる。彼女は言うまでもなく竜が抱えるビークルの中だが冷や汗一つかかず余裕綽々。

「お疲れ様。上出来よ」

「もっと早めに着水した方が良かったですか?」

「三人揃って五体満足でしょう? 十分よ。それより、お迎えよ」

 鉄仮面の四足竜二匹が早速海面に飛び込み、深紅の竜のもとにゆっくり向かってくる。

 そのうちの一匹を駆る男の方は溜め息をつきっ放しだ。とんでもないものを見てしまった……それが正直な感想である。只、男はやってきたこの深紅の竜を、映像では何度も目にしていた。それはゾイドバトルの興行だ。何しろ勝ちまくるので配当は低いが、大負けした時は取り敢えずこいつに賭けてウサを晴らすようにしている。勿論、この非常識な上陸を思えば興行に参加するような目的で来たとは思えないが、そこは社交辞令と、有名人への憧憬を抱きつつ挨拶した。

「ゾイドバトルのギルガメスさんですか? 北方大陸にようこそ」

 スピーカー越しに伝わってきた。少年は苦笑せざるを得ない。

 深紅の竜は氷上を滑るように一歩一歩優雅に踏み込んでいく。夕陽は既に沈んでいた。

 

 惑星Ziはヘリック共和国によって完全統一されて久しい。ここ北方大陸も同様である。だが統一がなされても大陸をまたいでの犯罪者侵入・逃走、密輸などの犯罪は日常で普通に起きていたため、管理局が取り締まりを継続している。

 ここラカフートの第一埠頭も同様だ。……コンクリートの広場で腹這いじっと待つ深紅の竜。そのすぐ手前には銃器に挟まれたビークルが置かれている。深紅の竜はかなり抑えめに溜め息を吐き続けている。金属生命体ゾイドの溜め息ではあるものの、苛立ちは誰の耳にも伝わってきた。無理もない、入管の職員が数人がかりでゾイドの体内各所に違法な物品を突っ込んでいないか点検する規則なのだ。コクピットは無論のこと、装甲の裏側や銃口まで点検される。勿論人の手だけではなく、嗅覚に優れた人よりは小さな犬型ゾイドなども用いられる。

 こういう時、職員の傍らにはギルガメスが常に帯同している。今日もそれは変わらない。

「ブレイカー、お願い。我慢してね」

 職員達の挙動は一概に素早いが時にひどく乱暴だ。苛立つ深紅の竜をギルガメスは必死に宥める。それで延々と時間が経過していく。

 一方、その間に書類と面談の手続きはエステルがさっさと済ませてきた。……例の地震で船の出入りが一時的にせよ激減したので、これらの面倒ごとは思いの他あっさり終わった。エステルは案内された管理局の古びたビルから出たところで自身の腕時計型端末を覗いてみると、15分も掛かっていないとわかる。何しろ法的に認められた輸送手段を使っての上陸ではないため、一々面倒な書類を書くことになるかもとは思っていた。だが案内された審査室のブースで面会した管理局の職員は、開口一番伝えてきた。

「軍警察から大体の事情は伺っております。一つ、これだけは教えて下さい。行き先は?」

「ルシラッド山です」

 一瞬、広々とした審査室がざわついた。

「……目的は?」

「古い友達に会いに行きます」

「それが終わったら?」

「まっすぐ、こちらに戻ってこの大陸から立ち去ります」

 不意に職員が視線をそらす。どうも他の職員のサインを伺ったようだ。さり気なくそれを済ますと、他の雑多な質問に移り……それらにも何ら戸惑うことなく、手続きは無事終了した。但し職員はもう一言だけ、言葉を添えたのだ。

「ご武運をお祈り致します」

 エステルは……この美貌の女教師は深々と一礼した。旧友に会うというのに死地に向かう者への手向けの言葉を頂いたその真意を、彼女は眉一つ動かさずに受け入れたのだ。

 

 鋼鉄の壁で守られたラカフートを出て更に一時間ほど、深紅の竜は荒野を駆けた。……門をくぐる直前、竜は振り向いて海の方角を見つめる。海岸線をなぞるように無数の照明が確認できる。向こうは漁港だろうか。

 深紅の竜はすぐに正面を向き直した。我と我が主人の行く先は、暗闇が覆うこの荒野の彼方にある。大丈夫、今日の夜空は満天の星が彩ってくれている。恐れることは何もない。

 ビークルを抱えたままひたすら駆けて、やがて小高い丘の上に辿り着くとゆっくり、腹這いになった。ついた溜め息の大きなこと! 胸部コクピットハッチから少年が出てくる時、彼は驚き肩をすくめた。

 惑星Ziの屋外で野宿するなら高いところを確保する必要がある。ゾイドが真夜中も闊歩するからだ。当座の安全は確保した。竜は身体を休め、少年がこの相棒の全身に油入りのカートリッジを差して労い、その間に女教師が食事を用意し……。つかの間の休息は、のんびりしたいつも通りの野宿となった。師弟はビークル後部トレーラーで食事し、早めに寝るつもりだ。

 深紅の竜も今晩はこの場で夕食だ。ビークルに積んでおいた食用コアブロックにかじりついた。頬張って、口内の消化器官(※禁じ手の攻撃を解き放つ箇所だ)からエネルギーを照射して火で炙るようにしながら食べるのだ。一個かじれば腹八分目以上の補給にはなる。このゾイドにしては十分に味わいながら口内に溶かし、完食するとビークルを抱えられる位置まで近付く。その上で蹲り、ようやく脱力した。

 周囲の温度が下がっていったところで、竜の鼻先に少年が近付いてきた。Tシャツの上に灰色のパーカーを羽織っている。

「ブレイカー、今日は本当にお疲れ様」

 吐息が大分、白い。竜は心持ち首をもたげるとか細く鳴いてキスをねだる。少年は竜の鼻先に自分の頬を重ねてやると。

「何が起こるかわからないけれど、頑張るよ。ブレイカー、君の力を貸して……」

 深紅の竜はささやくような鳴き声で相槌を打った。

 

 ビークル後部のトレーラー内は既に消灯していた。それでも朧気な星明かりが強化ガラスの窓から差し込んでくる。戻ってきた少年はシャワーを浴びるように星明かりを見つめていた。

「ギル、そろそろ」

 後ろで声がしたところで少年は返事し、シャッターのスイッチを押した。星明かりが完全に閉ざされる前に毛布を引っ掛けた寝袋に収まる。……寝袋の右隣りにはふた周りほど大きな寝袋がもう一枚。既にエステルが包まっていた。

 暗闇に目が慣れるよりも早く、ガサゴソと右隣りで音がする。

 どうしたのだろう。少年はぼんやりとしたまま右手を寝袋から伸ばした。

 ヒヤリとした感触は自分の右手にも、そして左の頬にも感じ取れた。……エステルだ。愛する女性が覆い被さるように顔を近付けている。切れ長の蒼き瞳が湛える眼光が闇の中でも冴え渡ってしまい、少年ははっきりと捉えることができてしまった。

 彼女の瞳は潤んでいた。

「どうしたんですか……?」

 思い詰めた彼女の表情に少年の胸も締め付けられる。陽射しの下ではきっと見せたりはしない筈だ。

「ごめんね。いつも……いつも、嫌な思いばかりさせて……」

 唇は震えていた。その余り、もう一言を告げることができないまま、時間が止まった。

 彼女の吐息が漏れるに及んで、少年はようやく微笑みを返した。凡そこの年頃には不相応な大人びた表情を、今なら作ることができる。

「僕は貴方に出会えて良かった。その気持ちは絶対に変わりません」

 一瞬、切れ長の蒼き瞳が見開かれ、すぐに細まる。ひとしずくが落ちると共に、乾かしたばかりの黒髪が夜の帳のように降りてきた。偽りまみれの朝が来るまでもうしばらくの時間はあった。

 

 突き抜けるような青空は、いつまでも見ていられた。

 荒野を滑走する深紅の竜。両腕にはビークルが抱えられている。昨日の長距離飛行に疲れたか、今日は両足をハの字に広げた状態でホバリングし、重力に任せるように滑っていく。砂塵も土埃も、余り舞わない。日照時間が決して長くないためか地面が湿っているようだ。

 竜の胸部コクピット内で、ギルガメスは始終苦笑いを浮かべていた。表情とは裏腹に額に浮かぶ刻印の輝きは太陽光のように力強い。それだけしっかりとシンクロできている証だが、伝わってくる相棒の僅かな動きによっては奇妙な感情を抱かずにはおれないこともしばしばだ。……我が相棒はご機嫌にも鼻歌を唄っている。コクピットに乗ってないと気付かない程の微かな息遣いだが、研ぎ澄まされた今の状態で聞き耳を立てればよくわかる。こんな来たこともない土地で余裕綽々だ。それが心底羨ましい。

 ふと全方位スクリーンが映し出す地平線を、ウインドウが囲む。徐々に拡大された地平線は蜃気楼でぼんやりしているが、その先にはやけに横に長い隆起が確認できる。すぐに画像に矢印がひかれ公用ヘリック語で「ルシラッド山」の文字が踊った。

「山、というよりは山脈に近いのかな?」

 すぐさま全方位スクリーン左上に別のウインドウが開く。エステルだ。サングラスを下に傾け視線を少年の方に向ける。

「真横から見ればね」

 彼女が映るウインドウのすぐ下にワイヤーフレームの地図が表示された。……直進する深紅の竜を示す赤い光点。そのずっと北の方角に、巨大な円形の隆起を見つけ出した。形状について少年の第一印象は。

「切り株……なんですか?」

「まだヘリックどころかZi人もいなかった大昔、生えていたみたいね。化石化して今は山と呼ばれているわ。山の外周はレアヘルツが放出されているから、これ以上のことは近付いてみないとね」

 近付けない程のレアヘルツなどというものは一部の例外(例えば第十二章のマノニアなど)を除き、Zi人の手で作り出すのは現時点で不可能とされる。どうやらここにも古代ゾイド人の遺跡らしきものが存在するようだ。

 彼女が語る以上の威圧感が数分も経ずして待ち構えていた。何もなかった筈の荒野、そして地平線の彼方に、巨大な映画のスクリーンのような薄暗い影が広がってきた。巨大過ぎて接近と共に端から端まで見渡すのが困難になるのは時間の問題だった。

「これが、ルシラッド山……」

 気が付けば、辺りには大小様々な岩が転がっている。いや待てよ……一つ一つを観察するギルガメス。

(ゾイドの……死骸!)

 所謂金属生命体ゾイドの死に至る過程は様々だが、例えばゾイドコアの活動が完全に停止したまま放置されるとやがて石化する。そうして朽ち果てたゾイドの死骸が、この場には至るところに転がっているのだ。五体満足なものは見当たらない。石化前に相応の解体・略奪があったのだろう。

 ギルガメスの胸中がカッと燃えかかったその時、不意に風切る音。

 シンクロによって伝わる痛みは微小と言える程度のものではあった。右手の甲に、チクリと虫に刺されたかのような感触。

 その痛みを裏付けるかのように、右手を頭上にかざす深紅の竜。……おもむろに、手首を返して甲を見ればそこには鋼鉄の矢が突き刺さっていた。左の爪で引っこ抜いてみたが大人の体の半分程も長い。

「ギル、ブレイカー、気をつけて!」

 深紅の竜は両手でビークルを抱えたまま両翼を前方にかざす。しかし少年は戸惑ったままだ。それを諭すかのように深紅の竜は荒い息吹をひと吐きすることで、この若き主人に心情を伝えた。……少年の額に浮かぶ刻印が、明滅。

(……ブレイカーの装甲に刺さる、矢!? 弓も弦も、ゾイドの身体の一部から作り出しているのか)

 恐ろしく強靭な、ゾイドをも射殺せる弓矢。そしてそれを射掛ける実力者がいる。

「『立ち去れ』」

 そこかしこから声が聞こえてきた。すぐ近くにはいない。ずっと遠く……ゾイド二、三匹分も離れたところの「ゾイドだった石ころ」の影に、感じ取った生命反応。

「ルシラッド山の住人の方ですか!? お話しを伺いに来たのですが……」

 スピーカー越しに怒鳴るギルガメス。

 だが彼の呼び掛けはむしろ負のエネルギーに変換されて帰ってきた。鋼鉄の矢が一斉に雨あられ。

 すかさず腰を落とす深紅の竜。足首に刺さったら面倒だ。

「『立ち去れ、立ち去れ』」

 声と共に、矢のスコールが続く。

 すると深紅の竜が己が胸部に鼻先を近付けてきた。……少年は竜の考えを察した。

 途切れる気配もない矢のスコール。風を切り刻む羽音の流れを、ねじ伏せるように泥の大波が高々と舞い上がった。深紅の竜、渾身の踏み込み。続けざま、右の桜花の翼を翻す。返す刀で左の翼を大きく突き出しにじり寄った。

 石ころの裏に隠れた者達は、動かない。だが確実に、矢の流れは断ち切られた。飛び道具は間合いを詰められたら弱い。

 一瞬漂う静寂を、逃さなかった者がいた。竜の両腕に抱えられたビークルのキャノピーが開き、エステルが躍り出た。深紅の竜は慌てて右手をかざして壁を作るがそんなことはお構いなし。

「エステルと申します。こちらは愛弟子ギルガメスと相棒のブレイカー。皆さんに教えて欲しいことがあって海を渡ってきたのです」

 石ころの向こうは初めてざわめいた。

「『何を知りたい』」

「導火線の七騎について!」

 息を呑むような声と共に、再び漂う静寂。

「『名捨て様に、相談するか』」

「『名無し様にもお伺いを立てんと』」

(名捨てと、名無し……?)

 少年も魔女も竜までも、首をひねる。奇妙な名前の有力者が二人はいるというのか。

 心持ちだがこの場が穏やかになりかけたその時。地の底から響く振動。地上まで一気に駆け上がるかのようだ。

 まさか、三回目の地震か? 深紅の竜は驚いて両足を踏ん張るが、すぐに見当違いな読みであると察した。上下に激しく揺れる、あの感触がない。

 そんな安堵の気持ちは一瞬にして崩壊した。少年は悟った……喉元を締め上げるような殺気。

 地を蹴る深紅の竜。飛翔。湿った土が後を追う。

 辺りの地面が陥没。数メートルも地面が下がると共に、柔らかい土が噴水のように舞い上がった。

 深紅の竜は助走なしの跳躍でも100メートルやそこらあっけなく飛んでみせる。高々と空を舞ったところで、主従は地面でうごめくものを両目に焼き付けた。

 土砂の噴水が、止まらない。その中から撹拌するように高速で回転し、現れたものがある。……二本の、角。

「『ああ、名捨て様!』」

『オ主ラ、見事デアッタ……遠クヘ離レロ。アトハ、俺ガヤル』

 土砂の……地の底から響く声。

「『悪い奴ではないかもしれません』」

『ソノ心配ハ無用ダ。……俺ノ遺伝子ガ、アイツヲ倒セト言ッテイルカラナ』

「『わかりました、貴方がそう仰るなら』」

「『名捨て様、ご武運を!』」

 奇妙な声を聞くに及んで、石ころの影に潜んでいた者達は姿を表すと共に一斉に遠ざかっていった。皆、分厚いコートやジャンバーを羽織り、毛糸の帽子を被って防寒の用意を怠っていない。この荒野のどこかに潜み住み着いているのだろうか。そしていずれも長尺の弓を握り締めたまま。連中は遠ざかりはするものの、100メートル程も駆け足で退くや辺りに石ころの影に隠れた。援護する気満々だ。

 その様子を確認しながら、ふわりと地面に降り立つ深紅の竜。二本角の主が、地の底から全身を地上に引き摺り出したのとほぼ同時だ。……舞い散る土砂が一時的にせよ視界を悪くしているが、深紅の竜が紅い瞳を凝らして睨みつければ、その姿は自ずと明らかだ。

 深紅の竜と同等……いやそれ以上の、上背。だがその正体は四肢で大地を踏み締める四足竜。思いのほかずんぐりとしている。見た限り背中には飛び道具の類いが搭載されていたようだが今は根本からへし折れてしまったままのようだ。一方、全身泥まみれの中にあって、腰の辺りにベルトらしきものが轟々と音を立てながら回転する様が際立つ。そしてこの奇妙な胴体を守るように、首の周りには鎧武者のような襟巻きがついている。すると襟巻きからは二本角が、そして鼻先からは殺意に溢れた角度の一本角が伸びており、その焦点が深紅の竜を捉えて離さない。

 何だこの威容は。圧倒される少年。すかさず自らの頬を張って相棒に気持ちが伝染するのを防ぐよりほかない。

 少年の気持ちを見透かしたかのように、泥まみれの角竜はひと吠えして牽制する。地の底から響くその声に少年は声を失っていた。ここにも、喋ることができるゾイドがいたのだ。

『サッサトコノ場ヲ立チ去レ。サモナクバ……』

 土が、踊った。

 深紅の竜は横っ飛び。ビークルは、抱えたまま。

 滑り込んだ巨体が地面をえぐる。……竜は透かさず腹這い、両腕のビークルを抱えたまま通り過ぎた災厄を睨む。

 僅かに己の体格一匹半分先に、そいつはごく短い尻尾を伸ばしたまま忽然と佇んでいた。轟々と、腰のベルトが音を立てて回転をやめない。そのままゆらり、こちらに向けて時計の針が早回しするように方向転換を開始した。

 胸部コクピット内のギルガメスは全身で目一杯強張ったまま。レバーを握り締める両腕がガクガクと痙攣している。

(ビークルが……飛ばせない!)

 敵が突進してきた瞬間ビークルを遠くに投げ飛ばすことができれば、自らが身軽になれるだけでなく二対一に転じることができる。だが泥まみれの角竜が解き放つ突進力はその機会を全く許さない。早速全方位スクリーン左上にウインドウが開き、ビークルのパイロットたる愛する女性の美貌が映り込む。

「ギル、とにかく離れる機会を見出しましょう。それからよ」

 はいと返事する猶予も与えられなかった。

 再び土が、踊った。角竜が繰り出す電撃的突進、二発目。

 深紅の竜も再び横っ飛びの回避。それが精一杯、見切る余裕もないかに見えた。

 だが裏腹に、胸部コクピット内で少年は気合と共にレバーを腰の位置まで引き付けるように全身強張らせる。

 応えて吠える深紅の竜。横っ飛びに強力なブレーキをかけるように左足で踏み込んで軸とする。翻す左の翼。内側より二本の長剣が展開、切っ先で重なり一本の大剣と化す。左の翼の刃から放たれたる渾身の回転斬り。標的はすぐ真後ろ。

 少年は確信した……怒涛の勢いで駆け抜けていく角竜の尻を叩けると。だから真後ろ目掛けて反時計回りを果たした時、想定していたものとは全く別のものが視界に入ったために少年は声を失ったのだ。

 同じように唸りを上げつつ反時計回りを果たした角竜の姿が、そこにはあった。振りかざす二本角が雄叫びの如き唸りを上げて回転している。二匹の竜が、少年が、角が、大剣が、叫び、吠える。そして角竜のベルトはこの間も轟々と唸り声を上げたまま。

 踏ん張る深紅の竜。全身に埋め込まれた突起が悲鳴を上げながら回転、隙間から火花が舞い零れる。

 一方角竜も又、全身の突起が高速回転するものの、深紅の竜に比べれば余裕綽々は明らか。

『見エ見エノ策ダガ、持チコタエルトハ大シタモノジャアナイカ』

 胸部コクピット内でギルガメスは踏ん張る。相棒とのシンクロによって軋む肩、痺れる腕。たった二合でこれ程に力量差を思い知らされたことはかつてない。

(どうしよう、どうすれば良いんだ!?)

 その時起きた思わぬ事態には少年も竜も、視線が釘付けとなってしまった。竜が抱えるビークルのキャノピーが、突如開いた。……中からエステルがすっくと立ち上がる。漆黒のパイロットスーツを着用していること以外全くの丸腰。

「お願い、[名無し]に会わせて! 『エステルが来た』と伝えてくれればきっとわかる筈よ」

 そう訴えかけられた角竜は、激しい鎬合いの最中にあって刮目するように灼けた瞳を爛々と輝かせる。

『小賢シイ』

 ますます唸りを上げる二本角。悲鳴を上げかけた少年が必死に歯を食いしばったその時。

 少年も竜も、そして美貌の女教師も不意に感じ取った。強烈な、耳鳴り。耳に冷水を浴びせられるかのような。だがその直後に、耳の奥まで届いたのは異常に澄み切った振動。そこに、言葉が続く。

《[名捨て]、そこまで》

 そう告げられた[名捨て]と呼ばれる角竜は虚空を睨む。まるでそこに誰かがいるかのように激しく気色ばんだ。

『[名無し]! 俺ノ遺伝子ヲ疑ウノカ!?』

《私の遺伝子は彼らに会いたがっている》

 澄み切った声が止まると共に、地面が垂直に2、3メートルも揺れた。深紅の竜と泥まみれの角竜が堪え切れず、ようやく鎬合う剣と角を離す。

 途端に数歩も後退した両者。すると先程まで小競り合った柔らかな土の荒野が、突如として泡立ち、撹拌し、土砂が噴水のように湧き上がった。

 全方位スクリーンの真正面に広がる異様な光景に対し、ギルガメスはハーネスの許す限り前のめりになって凝視する。これは一体どんな超常現象なのか。……しかし動揺しているのは少年ただ一人のようだ。

『会イタケレバ、来イ』

 そう告げるなり、土砂の噴水の中に飛び込んだのが泥まみれの角竜だ。……滝壺に飲み込まれるように土砂に流されていく。しかしながら短めの四本脚で軽くバランスを取った姿には一片の迷いも感じられない。

「ギル、私達も……」

 美貌の女教師も愛弟子に促しつつビークルに乗り込んだ。すぐさま上半身をハーネスが押さえつける。

 その間にも、深紅の竜はビークルを地面と垂直になるよう抱え込んだ。完全密着してできる限り固定するためにはやむを得ない。……キャノピー内部も天地が90度傾いたが機内の女教師は大きな揺れにも眉一つ動かさない。

 その様子を全方位スクリーンのウインドウで確認した少年は意を決した。両腕のレバーを勢い良く前に倒す。

 甲高く鳴いた深紅の竜。助走も程々に、土砂の噴水に飛び込んだ。土塊が弾け、空に舞う。

 中に飛び込んで数秒も経たぬ内に、少年は土砂の噴水の内部が想像したものとまるで違うことに気付いた。……土砂の中に、一本の穴が貫通しているのだ。そして、穴の壁面である土砂だけが激流のように流れているのである。それならこの土砂の流れに従ってみるまでだ。

 深紅の竜は早速六本の鶏冠を逆立てた。先端より弾ける蒼い炎。桜花の翼は広げず角度調整程度に留めた。腰を落とし、氷上を慣性のみで滑るようにして、土砂の流れに身を任せる。

 流れ行く土砂の彼方は暗闇が続く。深紅の竜は紅い瞳を煌々と照らす。流れを見失うわけにはいかない。

 やがて彼方に浮かび上がった光点は一番星のように眩しい。深紅の竜は尻尾で舵をとって空間が開けたときの様々な対処に備える。

 一気に開けた空間は、天・地・壁面、鋼鉄の間。天井には電灯が点いており、壁面をぼんやり照らす。壁面は磨き込まれており、電灯の反射がやけに眩しく感じられる。

『コッチダ』

 己の体格にして五、六匹程も前に、泥まみれの角竜は仁王立ちしていた。ゆったりとした挙動で真後ろに振り向く。角竜の二本角は深紅の竜に匹敵する長さだが、それを備えて振り向ける程度にはこの部屋は、広い。

 地響きと共に進む二匹の竜。数分も経たぬ内に、行く先は明かりが途絶えた。その先には岩盤が見える。

 不意に、少年は身震いした。強烈な動悸。彼はすぐさま己が左胸を抑えつつ、同じ衝撃を我が相棒も感じていることを悟った。

「ブレイカー、大丈夫?」

 少年の言葉が助け舟だ。深紅の竜は己が胸部コクピットハッチを、すがるように軽く掴む。

 この主従は恐ろしくも神秘的なものを目の当たりにした。……岩盤には竜が一匹、いや正確には竜の頭部と胴体、それに右腕だけとなった代物が埋め込まれていたからだ。それだけでも深紅の竜に匹敵する大きさ。全身が黒鉄の鎧をまとったこの竜は頭部が分厚い強化ガラスらしき何かで覆われているが、幾本ものヒビが走ったまま補修もされていない。大きな顎は剣の如き歯を上下に何十本と揃えていたようだが、今は既に何本もへし折れてしまっている。そして右腕は熊手のように攻撃的な形状ながら、今は力なく垂れ下がっている。

 この時少年は、全方位スクリーンのウインドウ越しに、愛する女性の表情を見てしまった。……戦場においては文字通り鉄の女として振る舞う彼女が、今やこの上なく放心し切ってしまっている。切れ長の蒼き瞳が今や光を失って濁り、虚ろ。

「先生!? どうしたんですか先生!」

 その時、岩盤から声が聞こえた。

《懐かしい脳波だ。再び君に、会えるなんて……》

 黒鉄の竜の頭部を覆う強化ガラスの下で、瞳が赤々と灯り、明滅した。

「ギル、ごめんなさい! ビークルを……!」

 少年が理解するよりも早く深紅の竜がすぐに応じてビークルを鋼鉄の床にそっと下ろす。主人たる少年もそれで納得したのは、愛する女性の取り乱しようが今までにないものだったからだ。あとはこれが罠でないことを祈るのみ。

 ハッチが開く。飛び出す漆黒のパイロットスーツ。怒涛の勢いで駆ける美女。目前に立ちはだかる泥まみれの角竜の足元も鮮やかにかいくぐり、息を呑む間に熊手のような右手の前に到達した。

 そして、ひざまずく。肩の震えが止まらない。

 すると頭上から、熊手のような手がぬっと伸びてきた。その殺意に溢れた構造からは考えられない繊細な動きで、美女の黒髪をかき上げ、頬に伝わる涙を拭う。

 美女は鋼鉄の指にすがりつく。

「こんな姿になってるなんて。でも、再び逢えて良かった。貴方、今はやはり……」

《今は[名無し]と名乗っているよ。ふふっ、おかしな名前だよね?》

 泥まみれの角竜は、二人の有様を見て溜め息をついた。こういう場面が苦手のようだ。しかし、先程までの殺気だった挙動はとっくに収まっていた。

 そして、更に遠くから見つめる深紅の竜。

 胸部コクピットハッチの少年は目頭が熱い。込み入った話しはこれから聞くとして、あの二匹の竜……黒鉄の奴と、泥まみれの奴の姿は、ジュニアハイスクールの教科書で見覚えがあったのをようやく思い出した。相棒に搭載のデータベースを閲覧しようかと一瞬思ったが、今は思い留まった。太古の昔にどんな通り名で呼ばれていようとも、今この場では「名無し」と「名捨て」という名前で親しまれていることは間違いなかったからだ。

(つづく)



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【第十六章】王のゾイド

 暗闇の中を照らす淡い輝きは、張り詰めた空気を徐々に解きほぐしていった。

 ギルガメスの心中も同様だ。愛する女性がどうやら旧友らしき者と再会し、感極まって涙を流している。既にそれだけで相当優しい気持ちになれたのだ。魔女とも鉄の女とも呼ばれる女性が何のためらいもなく隙だらけの姿を晒す……そのような場面は少年との旅路でもそう中々お目にかかれたことがない。

 只、気になるのは旧友の方である。人ではない、というのは今更だ。岩盤に身体の半分程が埋め込まれた黒鉄(くろがね)の竜。頭部を覆う強化ガラスはひび割れ、無数にあっただろう鋭い歯は何本もへし折れたまま、残る熊手のような右腕を差し伸べるくらいしかできない。しかしながら器用なもので、熊手を構成する四本の指はそれだけで人の数倍も長く、生身の人間など握り潰せる程大きな掌ながら、慈しむように愛する女性の頬を撫で擦っている。

 その様を傍らで見つめる内に、少年は悟った。……意味もなく、身体が熱い。

(良いことなのに、脳みそを掻きむしられるような気分!)

 彼女と旅を続ける内に、同じような気分を経験したことは何度かある。だがその余り自分の心身に変調をきたすようなことは今までなかった。明らかに、彼女は少年以外の男など眼中になかったからだ。だがその前提がかなり揺さぶられている。

 少年が言いようのない感情に悩まされるこの時間は、意外な者が割り込んで解放されることとなった。

『オイ、[名無し]!

 積モル話シガアルナラ、俺ハ席ヲ外ス。サッサトヤッテクレ』

 傍らで引っ込んでいた泥まみれの角竜が、焦れた様子で声を挟んだ。

 黒鉄の竜は露出している右眼の眼光がぼんやり和らいでいる。人ならば朗らかな笑顔を覗かせるのだろう。

《ああ、すまない[名捨て]》

 ところが黒鉄の竜が返事をするや、次の矛先は少年が搭乗する深紅の竜に向けられた。

『オイ、赤イノ。

 オマエモダ、コッチニ来イ』

 声を上げる少年。深紅の竜は肩をすくめた。

 確かに黒鉄の竜と美女とで積もる話しはあるのだろう。だがそれも含めて本当にこの竜との会話が必要な者は、今この自分の胸部に乗り込んでいる。到底譲れない。……するとそれを承知していたかの様子で、すぐさまぶっきらぼうな物言いで言葉を続けた。

『……アア、ソウダ。オマエ、主人ハ置イテイケヨ』

 深紅の竜は紅い瞳の輝きを強めた。この人語を操る角竜の意図がわからない。黒鉄の竜は快くここまで招いてくれたが、他の者達は一体どういうつもりなのか。それ次第では、主人を下ろすのは最悪の選択となる。

 そのやり取りを横目で眺めていたエステルは、見かねて声をかけた。

「ブレイカー、大丈夫よ。……ギルを置いて、行ってきなさい」

 数秒の沈黙。程なく瞳の輝きを弱めつつ腹這いになった深紅の竜。胸部コクピットハッチが開きギルガメスが姿を現すや、くるりと背後を振り向く。……予想通り、見下ろす深紅の竜が鼻先を近付けてきた。キスまみれだ。

「あははっ、大丈夫だよブレイカー。心配しないで」

 冷たい金属の鼻先で撫でられながらも、少年は円らな瞳を竜から反らさず、やがて口元だけ動かしてみせた。

(何かあったら刻印で呼ぶからね)

 有事には額に宿して相棒とのシンクロを果たす刻印は、ギルガメス少年に秘められた様々な超能力を導き出す源でもある。……深紅の竜は少年の唇の動きを理解すると、囁くように一声鳴いてようやく鼻先を離した。

 奇妙な光景ではあった。深紅の竜が自らの体格を大きく上回る泥まみれの角竜の後を畏まって付いていく。この広々とした鋼鉄の間はどこまで続くのか想像もつかないが、少なくとも二匹の竜が進めばその方角にはぼんやり明かりが灯される。そして二匹が進むに連れ灯された明かりも次々と消えていく。もうこの先は、あの角竜を信用するほかあるまい。

 少年は先程深紅の竜が床に置いたビークルの場所を一瞥しつつ、岩盤の方を振り向いた。

 岩盤に半身が埋め込まれたこの、黒鉄の竜を改めて見上げる。大きい。少年は溜め息を漏らした。我が相棒の倍はあるのではないか?

 ところが少年の姿を見つめた黒鉄の竜は、やがてクスクスと貴婦人のように遠慮がちな笑い声を発した。

《ふふふ、用心深いね。エステルも良い彼氏に恵まれたようだ》

 えっ、と少年は変な声を上げてしまった。このゾイドの人物評とは凡そ正反対だ。

 すると彼の傍らに、いつの間にかエステルが寄り添ってきた。

「[名無し]、からかわないで……」

 彼女は少年の頭一つ分も背が高い。ちらりと見上げ盗み見た彼女の表情は何ともバツが悪そうで、頬も耳も真っ赤に染め上げている。こんな彼女の姿など一度だって見たことはなかった。

 一方の黒鉄の竜は、真っ赤な瞳を夕焼け雲のようにぼんやり輝かせている。湛えた光だけで、この如何にも蛮勇を振るいそうな竜が実際には相当に温厚だと確信できた。

《ああエステル、ごめんね。

 改めてお初にお目にかかるよ、ギルガメス君。僕は今は[名無し]と名乗っている。エステルとは千年前に主従であり、友達でもあった。

 ゾイド分類学上では、僕は[デスザウラー]という種なんだってさ》

 その言葉を聞いて、少年は背筋がピンと伸びた。……初めて見た。大悪竜デスザウラー。ジュニアハイスクールの歴史と道徳の授業では必ず習う、最悪の化け物。露骨なまでの悪者扱いは流石に少年も辟易し大いに疑問を感じたまま今日まで来たが、まさか目にする機会があるとは思わなかった。そして逸話の大半が盛り過ぎだろうと確信していても、こうして目の当たりにすると畏怖の念は簡単に生じてしまうのだ。

 黒鉄の竜は少年の心中を読んだのか、どうか。一息つくと。

《そして……[導火線の七騎]第五騎とも呼ばれている》

 ハッとなった少年。すぐさま、美女と顔を見合わせる。彼女もまた切れ長の瞳を見開いたまま、コクリと首を縦に振った。

 彼女の予想通り(※第十四章参照)、「導火線の七騎」第五騎は一部の人にとっては神と崇められる程の存在であった。そして他の一部……例えばヘリック共和国上層部にとっては存在自体が誠に都合が悪い。デスザウラーなどというゾイドは「最後の大戦」までに完全に滅ぼした筈なのだ。決して存在してはならぬゾイドの名前が伏せられるのはある意味当然のことであった。

 少年は眼前にそびえる黒鉄の竜に、納得する一方で首を捻る。

(間違いない。このゾイドこそは、共和国側がひた隠しにしないと都合が悪すぎる奴だ。……だからこそ言える!「導火線の七騎」は共和国側から発信された情報ではない。でもそれなら、一体誰が、どうやって情報を隠したのだろう……)

 ところがにわかに緊張の色を増した会話の最中、黒鉄の竜の真下より呼びかける声が聞こえた。複数の、多分少年とはそう年も離れていない子供達の声だ。みんなこの地方のものらしき、ゆったりとした民族衣装をまとっている。

「[名無し]様、[名無し]様、お供え物をお取り替えに上がりました」

「お客様が入らしていたのですか? 申し訳ありません、椅子とお茶をご用意しました」

 よく見れば黒鉄の竜が埋め込まれた岩盤の片隅には小さな祭壇が設けられている(竜が視線を心持ち傾ければ十分視界に入る辺りだ)。祭壇は小さいが、いくつもの野菜や果物が並べられており見る者を飽きさせない。

《みんな、ありがとう。少し大事な話しをしているから向こうで遊んでいてね》

「わかりました、[名無し]様」

「お客様、こちらにどうぞ」

 子供達はすぐさま祭壇の供え物を交換し、師弟には椅子とテーブル、そして湯気が立つコップ二つが用意された。師弟も子供達も恐縮しっぱなしだ。

「お邪魔しました、[名無し]様」

「ご用がございましたらいつでもお呼び下さい」

 子供達はややぎこちないお辞儀とともに、岩盤を沿って……黒鉄の竜の足やら尻尾やらが埋まっているだろう左の方角へと立ち去っていった。向こうは真っ暗闇だ。

 岩盤より露出している右腕を軽く振って見送りつつ、黒鉄の竜は語る。

《……ここ、ルシラッド山周辺は土地柄もあって「最後の大戦」では終結まで反乱軍の拠点だった。地上で、弓を使う人達に出くわしただろう? 彼らの親はここに落ち延びてきた者ばかりだ》

 そうだったのか。唸る少年。ゾイド相手に文字通り弓を引くなどという一見無謀な迎撃を躊躇なく実行に移せる(そして少年主従以外の相手ならば高確率で成功していたに違いない)のには、それなりの理由があったのだ。

「……もしかして、[名無し]さんは彼らのリーダーなんですか?」

 早速問いかける少年。少し脱線しそうだが、とにかく何か話してみることにした。

《ハッハッハ、彼らよりずっと昔からここに住み着いていただけだよ。

 ギルガメス君、僕自身は彼らを率いて大それた事をしようなんてこれっぽっちも考えないさ。まず僕の身体は大きく傷ついてしまったまま、やはり損傷著しかったここ・ルシラッド山の遺跡を守るメインシステムと融合したんだ。僕が動き出せばメインシステムは崩壊し、あの子達も只では済まない。

 そして、もう一つ。僕は[導火線の七騎]の秘密を[大体」知っている。その結果、僕はひとつの結論に達したんだ。[導火線の七騎同士は決して戦ってはならない]ってね》

 穏やかながら、その口調には底しれぬ絶望感が垣間見えた。……少年は黒鉄の竜の語りを文字通り瞬き一つせず五感全てを使って聞き取ろうとしている。

「それは、どういうことなんですか?」

 ひたむきな表情を浮かべる少年。黒鉄の竜は真っ赤な瞳を輝かせた。

《君は[狂皇」の伝説を知っているかい?》

 狂皇。一体何だろう。

 黒鉄の竜は少年が首をひねる姿をじっと見つめると、おもむろに右腕を天井に向けてかざした。

 もともと薄暗い鋼鉄の天井は照明が完全に落ちてしまった。ところが暗闇が覆い隠すよりも早く、別の輝きが支配したのだ。……浮かび上がった超巨大映像は、真夜中に荒れ狂う嵐の海を描き始めた。まるで彼方より荒波が押し寄せてくるのではないかと錯覚させる鮮明な映像。少年の足が竦む。

《……大昔の話しさ。

 気がふれた王様がね、惑星Zi全土を手中に収めようと企んだのさ。だが他の国家は頑強に抵抗した。

 手をこまねいた狂皇は化け物を作り出した。それが[王のゾイド]さ》

 少年は「えっ」と声を上げた。上げざるを得なかったのだ。黒鉄の竜が語るお話しはジュニアハイスクールの授業では教わった覚えがない。しかし[王のゾイド]という仇名だけは授業で教わらずとも亡き両親や年寄りなどから何度も聞かされている。

 果たして超巨大映像は、荒波の中に忽然と姿を表す山のような物体を映し出した。……映像はピンボケがひどく、正確なディテールはそれだけ見てもよくわからない。だがこれだけは見逃さなかった。山の頂上には二つの眼光が解き放たれ、頂上には真っ赤に灼けた一本角が高々と掲げられている。よく聞かされた「王のゾイド」の姿形は、そういえば……。

 嵐の海の反対側からは、今少年の目の前にいる黒鉄の竜とよく似た容姿の竜が何匹も現れた。空からはやはり真っ黒い大きな翼の飛竜が飛んできた。もう既に十や二十では効かぬ数の巨大な竜の群れが、空から海から集結し、「王のゾイド」とされる赤い一本角目掛けて雄叫びを張り上げ向かっていくところだ。

 群れる黒鉄の竜達は、次々に首を振り上げた。いずれの背中にも、無数の光の粒が火花を散らしながら吸い込まれていく様子が見て取れる。空を覆い尽くす大きな翼の飛竜達も又、両翼に埋め込まれた鋸のような刃が焼け付いている。

 次の瞬間、光の槍が、赤い熱の円盤が滅多矢鱈に降り注いだ。嵐の海はその瞬間、文字通り消滅した。尋常ならざる高熱が海水を蒸発させ、海底さえも夜空の下に晒した。

 瞬間、辺りにもうもうと立ち込める水蒸気。黒鉄の竜達が、大空を羽ばたく飛竜達が一斉にその彼方を食い入るように見つめたその時、やはり、やはりその中から現れたのだ。禍々しい血の赤色で輝く一本角の姿が。

 一本角の見えるピンボケ画像は彼方を、そして大空をひと睨み。一瞬動きを止めると、大口を開けてひと吠え。

 次の瞬間、今まさに鋼鉄の壁と化して向かっていく竜達・飛竜達を襲った異変。……怒涛の勢いで走り飛ぶ彼らの姿が瞬く間に真っ白に豹変していく。そして、亀裂。ひび割れ、粉砕する竜達。

 何だこれは。何を見せられているのか。天井を見上げたまま、おののく少年。ゾイドはこんな風に死ぬものなのか。……そう心に呟くのが精一杯だったその時、隣りで溜め息とも咳払いともつかない声が漏れ聞こえ、少年はハッとした。

 隣に座る美女は切れ長の蒼き瞳をカッと見開き天井の映像を見つめている。いつも通りの、鉄面皮。だがその唇からは、隠し切れぬ感情がいつしか自然と漏れ聞こえていた。

「[王のゾイド]は、文字通り化け物というに相応しいゾイドだった。ギルガメス君、鳴き声だけで鋼鉄を粉砕するゾイドなんて聞いたことがあるかい?

 狂皇の軍隊と[王のゾイド]は世界各地を焦土と化し、遂に反乱軍のアジトまで乗り込んだ。

 ところがここで、狂皇達は思いも寄らないトラブルに見舞われた」

 叩きつける荒波を踏み潰し、岩壁を砕きながら上陸する一本角。

 海岸に群がる大小様々な竜や獣を、二度、三度と吠え立てる。たったそれだけで文字通り砂のごとく粉砕。嵐の夜空を見上げて更なる勝利の美酒に酔わんと貪欲な雄叫びを上げた、その時だ……一本角の頭上が真っ白に輝いたのは。

 天井で繰り広げられた激闘は、純白に飲み込まれ、ゆっくりと暗転していく。

 辺りが静寂に包まれかけたが、それを破ったのはやはり黒鉄の竜の軽妙な語り口であった。

《ギルガメス君、ジュニアハイスクールの授業で教わったことはないか?

 大昔、惑星Ziには月が三つあった。そのうち一つが消滅した。彗星が激突したと言われている。その結果、破片が惑星Ziに降り注いだ。狂皇も王のゾイドも消滅、この星は滅茶苦茶に壊され人々は滅びの危機に直面した……というのだけど、本当のところはよくわかっていないんだ》

 そう呟くと、黒鉄の竜は今一度天井に指を向ける。暗転していた天井には、少年の相棒たる深紅の竜がワイヤーフレームの状態で浮かび上がった。

《例えば君の相棒ブレイカーくらい大きな隕石がこの星に降り注げば、2〜3キロ四方が破壊されると考えられる。ブレイカーがざっと1万匹分程の面積だ》

 指を向けられた映像は、小さく圧縮される深紅の竜の姿と、それを中心に描かれた凡そ百倍の巨大な円を描き出した。……ブレイカー程の大きさの隕石で、これだけの破壊力があるというのか! でもそれが本当だとするなら……。

《ふふっ、察しが良いね。月が粉々になって破片が片っ端から降り注いだりしたら、実際はもっと悲惨なことになっていたかもしれないよね。月は大きいもの。

 詳しいことはヘリック共和国のお偉いさんがデータを完全に封印してしまっている。だから……例えば、粉々になった月の破片が大気圏外でどれだけ消滅してどれだけ降り注いだのか……なんて込み入った話しはさっぱりわからない。だからこの言い伝え、かなり眉唾だと僕は思う。宇宙から何か飛来して、相当ひどいことになったのは間違いないみたいだけど、真相はわからないままだ。

 さて……こんな出来事から数年経ってどうにかZi人が滅びの危機を脱した頃、とある天文台で奇妙な電波を受信するようになった。

 その内容に首をひねった学者達が共和国軍にそれを伝えると、数日後には電波が受信できなくなっていた。どうやら共和国軍側で妨害されるようになったらしい。……だけど妨害前の電波が伝えるものはとっくに学者どころか世間に漏れていた。電波の内容は、世界各地に散らばる不世出の実力者を指し示していたんだ。誰もが思ったものさ、「ヘリックが嫌がる名うてのゾイドとゾイド乗りの名前が上がっている」ってね。これが「導火線の七騎」が世間に流布した瞬間さ。

 さてこの電波は、未だに飛んで来ている。それに時折帯域が変わったりするから、短期間だけど妨害されないまま受信できてしまうことが度々起こる。まあ、イタチごっこだよね。こういう出来事が果てしなく繰り返されて、電波の内容は一部の権力者や学者達に漏れて伝わるようになったんだ。

 実は僕も、この電波を受信できる。妨害もある程度は無効化できるよ》

 黒鉄の竜はそう告げると、熊手の一本をピンと伸ばして指差す。

 その先にあるのは銃器に挟まれたビークルだ。キャノピーが開いたままのビークルはスリープ状態になっており、メインモニターも暗転している。それが突如、眩しく明滅を始めた。

 少年も美女も、息を呑む。

 砂嵐のようなノイズ。徐々に徐々に、嵐から遠のくように雑音が止み始めた。

 声が、聞こえる。男の声? 女の声? わからない。

 懸命に耳を済ませる少年。やがて聞こえた鮮明な音声は、今や百戦錬磨の少年ギルガメスを一瞬で心胆寒からしめた。

『……第七騎 ギルガメスとジェノブレイカー。

 以上 導火線の七騎』

 自分の名前を呼ばれただけでこんなに肝が冷えるとは思わなかった。それほど無機質で抑揚のない声だったからだ。だがその直後に、声は続いた。

 

『……地上最強 導火線の七騎 ここにあり。

 対立を許すなかれ。結束を許すなかれ。

 第一騎 不在。

 第二騎 不在。

 第三騎 不在。

 第四騎 ケンイテンとキメラゴジュラス「亢竜」。

 第五騎 観測不能。

 第六騎 観測不能。

 第七騎 ギルガメスとジェノブレイカー。

 以上 導火線の七騎』

 

 今一度、先程と同じく少年主従の名前が呼ばれ、繰り返される。

 黒鉄の竜は相変わらず、その厳つい容貌とは裏腹に、何とも爽やかな声で喋る。

《ふふふ、まだ最新の情報に更新されていないようだね。もっとも更新されたらそれはそれで気持ち悪いんだけど。

 因みに昔、僕や[名捨て]の名前が呼ばれていた時期があった。その瞬間の妨害は本当に激しすぎて、僕でも容易には無効化できなかった。僕らが生存していることが世間に伝わるのは余程、嫌だったんだろうね。

 僕らも探されるのは嫌だから、こうしてレアヘルツに囲まれたルシラッド山に隠れるようになった。するといつしか、僕らの名前が『観測不能』に変わっていったんだ》

 そう言いながら今一度ビークルを指差すと、音声は途切れた。訪れる静寂。顔を見合わせる少年も美女。自然に溜め息を漏らす。どこの誰かもわからぬ者達に、人知れずどこかでその名を呼ばれ続けているというのは、決して気分の良い話しではない。それでは、この電波を発信している者達とは?

 彼の様子を少年の頭上ちらりと観察していた黒鉄の竜。首を捻る少年と、全てを理解した様子で腕組みしつつ頷く美女の姿が視界に飛び込む。

《……ギルガメス君、これ、宇宙から飛んできているんだよ》

 唐突に告げた一言に少年は思わず声を上げた。

「う、宇宙!? 何ですか、それ? まさか共和国の軍事衛星とか、そんな奴ですか……」

「そんなご立派な代物じゃあ、ないわ」

 美女が口を挟む。彼女はこういう時、苦笑いを浮かべたりはしない。

「ギル、遠い宇宙の彼方には私達を遥かに凌駕する高度な文明の栄えた星が沢山、あるの。

 もし狂皇が惑星Zi全土を手中に収めたら、次は彼らに牙を向けるかもしれない。だから彼らは先手を打った。月が一個、破壊される程の天変地異は彼ら……外宇宙の住人達が企てたと考えられるわ」

 少年はポカンと口が空いたまま。突拍子もない、スケールが大き過ぎる話しだ。だが彼女や黒鉄の竜の話しが真実だとするならば。

「じゃあ何故、この奇妙な電波が[導火線の七騎]を伝えてくるんですか?」

《お前達を監視しているぞ、という脅しなんだろうね》

 黒鉄の竜が、熊手のような右腕で少年の顔を指差しながら言い放つ。

《狂皇に匹敵する最悪の支配者が、再びこの星に生まれるかもしれない。

 そこで宇宙の彼方に住む彼らは、この面子が潰し合ったり手を組んだりしたら容赦しないぞ、生まれるのは狂皇の再来だ、あいつと同じように血祭りにあげるぞ……なんて、そんな意味で情報を伝え続けているのだと思う。

 そしてこの声が伝える『導火線の七騎』とされる者達の内容は日々更新されている。……向こうの星は物凄く遠いんだよ? 何光年離れているのかってレベルさ。どうしてそんな事ができるのか不思議でならないんだけどね》

 途方も無い話しを、ずっと聞かされている。この少年……ギルガメスに限ったことではない。将来なりたい職業に宇宙飛行士を挙げるような少年少女は惑星Ziには多分、いない。それほど縁遠い世界なのだから、黒鉄の竜が述べる話題には面食らうしかない。

 ともかく「導火線の七騎」の由来はどうにか理解した。理解した上で、確認したいことがある。

「その『更新』された情報で、既にご存知ですよね、[名無し]さん?

『導火線の七騎』と称される者達が、たった一匹のゾイドによって次々に倒されました。そのゾイドとはケンタウロス。パイロットらしき人物は……ビスマと名乗る鋼鉄の皮膚を持った怪人物です。

 彼は『導火線の七騎を倒すのはゾイドの宿命だ』と言っていました」

 岩盤に埋め込まれたままの黒鉄の竜は表情豊かに首を捻る。

《そうか、そんな事を言っていたんだ。納得したよ。

 今日まで『導火線の七騎』同士でトラブルらしいトラブルなど無いに等しかった。小競り合いや結託はどこでもあったけれど、まあ大抵は丸く収まっていたものさ。怪電波がどうとかいう以前の話しで、これほどの実力者同士がぶつかりあったら大変なことになるのが目に見えていたから、お互いずっと自重し続けていた。やがて時が経つに連れ、『導火線の七騎』という言葉は単なる世界最強クラスの戦士達の通称として、せいぜい上流階級でのみ語り継がれるに留まっていったのさ。

 ところがこんな、宇宙の人達が名指しした戦士達を、片っ端から潰して回る奴が現れた。連中はきっと、自分達の予想を遥かに超える化け物が現れたと考えるに違いない》

 再び、黒鉄の竜は熊手のような右腕を天井に向けてかざした。

 暗黒に、散りばめられた白点。真夜中が訪れたようだ。これはもしかして空の彼方……宇宙空間なのか?

 白点の輝きは様々だ。眩しいものもあれば、薄暗くぼんやりしたものもある。少年が顔を見上げてじっと観察していた時だ、妙な現象が目についたのは。

 それも又、何気ない白点に過ぎなかった筈だ。それが瞬きするように明滅した。目を見張る少年。

 再び輝きを取り戻した白点の位置は、少し右にずれたかのように見える。

「まさか……星が、動いた!?」

《流石は超一流のゾイドウォリアー、見逃さなかったね。

 映像はこの遺跡から撮影したものだよ。動いた星は、どうやら小惑星のようだ。

 これが撮影された時間帯に、ここ惑星Ziの地上では君達とケンタウロスが二度目の交戦を繰り広げていたのが確認されている。状況によっては隕石として、この星に飛んできたんじゃあないかと思う。

 だが、それはどうにか阻止された。……起きたでしょう、地震?》

 えっ、と少年は上擦った声。例の「地震」は「隕石の飛来を防ぐために発生した」とでも言うのか。傍らの美女はこの件について何か知っているのではないか……ちらり、面長の端正な顔立ちを覗き込む。

 エステルは何ともばつの悪そうな表情を浮かべていた。腕組みしつつ、大きな溜め息。

「確かに起きたわ。でもまさか、そういう繋がりだったとはね。ギル、ごめんね。怒らないで聞いて欲しいのだけれど……。

 古代ゾイド人は惑星Ziの至るところに遺跡を造って潜伏しているわ。遺跡には様々な防衛機能が備わっている。……レアヘルツだけじゃあない、地震も、その一つよ。大きな地震は軍隊もそうだけど、軍隊が本来守るべき民衆にまでダメージを与えられるから。

 でも、今日まで滅多なことでは使われていないわ。古代ゾイド人はZi人同士が勝手に殺し合って滅んでくれる分には大歓迎だからね。

 ところがどうやら、そうも言っていられなくなった。原因は貴方達と、宇宙由来のビスマそしてケンタウロス・ワイルドとの戦い。宇宙の住人が警戒の基準とした筈の[導火線の七騎]を圧倒するゾイドが大暴れしている。このまま放置していると、隕石が叩き込まれるかもしれない。だから……」

 戦いをやめさせるために、地震を起こしたというのか。

 ギルガメスは、押し黙った。余りにも壮大な話しではある。いつの間にか俯いていたところ、視線を感じる。……愛する女性が切れ長の蒼き瞳に憂いの陰りを浮かべてじっと見つめているのがすぐにわかった。

「ありがとうございます。一番良いタイミングで話してくれて、嬉しかったです」

 顔を持ち上げ、落ち着いた口調で応える。彼女は少し安心した様子で少年とは反対に少し、俯いた。

 愛する女性の抱える不安を取り除きつつ、少年は思案する。結局の所、宇宙からの監視は逃れ得ない。ならばこちらは、どうにかしてあちらの逆鱗に触れるような展開(要は虹色の魔人ビスマと戦うことだ)を避けるよりほかない。でもそんなことができるのか?

「[名無し]さん、この遺跡は地震を発生できるんですか?」

 黒鉄の竜が真っ赤な瞳で少年の顔を覗き込む。

《できるけれど、このルシラッド山一帯では無理な話しだね。ここの遺跡は僕が融合しても完全には直り切らなかったから、きっと耐え切れないと思う。

 幸い、レアヘルツ発生装置は全て正常、絶賛稼働中さ。侵入は無理。ケンタウロス・ワイルドといえどもレアヘルツは防げないようだから、こういう奥の手を考える必要は今のところ、ないと思うよ》

 ならば少しは時が稼げるかもしれない。一番マシな対策を少しでも考える必要がある。

 その時、黒鉄の竜の真っ赤な瞳が何度も明滅した。

《……エステル、遺跡外部から君のビークルや端末に向けて誰かがずっと電波を送り続けているようだね。遺跡側で遮断しているけれど、取るかい?》

 切れ長の蒼き瞳は見開かれた。早速左腕に巻いた腕時計型端末を睨む。発信者の名前は刮目を継続するに足りる相手だ。「ヘリック共和国軍警察」の肩書と所属部署、そして「アリル」の名前。

 

 そういえばこの間、泥まみれの角竜とやむなくついて行った我らが深紅の竜はどうしたのか。

 きっと格納庫か何かだろう、だだっ広いが天井はそこそこ低い空間(さっきの黒鉄の竜がどうにか歩ける程度には高い)。その中央で二匹は腹這っていた。よりにもよって対面で、だ。どちらが先に座ったかは定かではない。だが気がつけば、二匹は表面上はおとなしくしながらも、一度たりとて視線を反らすことなく睨み合っていた。

 何なんだ、この状況は。深紅の竜は苛立ちが止まない。このいけ好かない角竜は、見かけ上は灼けた瞳でこちらを睨み続けてはいるものの、実際には四肢も胴体も力みが一切感じられない。何たる余裕綽々! まるで何百合交えようが絶対に勝つ自信があるかのようだ。

 ふざけやがって……紅い瞳で睨みつけつつ、この場で一戦交えてやろうかという気持ちを深紅の竜はぐっと堪えた。ここで感情の余り暴れでもしたら、我が優しき主人が困り嘆くのは目に見えている。我慢だ、じっと我慢だ。

『大シタモノジャアナイカ』

 不意打ちのように、地の底から響くような声が投げかけられた。小首を傾げるような仕草で睨む深紅の竜。視線の彼方の角竜は、動いた様子も動く気配も感じられない。

『主人ガイルトイウノハ、羨マシイモノダ。[ゾイド]ヲ強クシテクレル』

 まるで心を見透かされたかのようだ。紅い瞳が投げかける眼差しの中に、奇妙な好奇の色合いがにじむ。そもそも人語を喋るようなゾイドというものに出会った試しがない。どうしたら喋れるようになるのか? そんな漠然とした疑問が心に浮かぶ。

『人ノ言葉ヲ、喋ッテミタイカ?』

 又、そうやって見透かすように語りかける。苛立ちは依然止まぬ深紅の竜。だがそれ以上に、このどうしようもなく強い角竜が投げかけてきた囁きは、悪魔的魅力に満ちている。

『ザット、百年ダ。百年モ生キ続ケルコトガデキレバ、知ラヌ間ニ喋レルヨウニナッテイル。精々、頑張ルコトダナ』

 百年だと。随分、長いな。だがそれだけ長生きできるのなら……と考えた深紅の竜はあることに気付き、はっと息を呑んだ。伏せていた上半身を持ち上げる。鋼鉄の皮膚の下から滲み出るのは底知れぬ絶望感と、一気に沸騰仕掛けた怒りの熱。

 だが爆発寸前の深紅の竜を、泥まみれの角竜は一笑に付した。

『フン、気付イタカ。百年モ生キタ頃ニハ、人ナド大抵ハ死ンデイル。下ラナイ仕組ミダ』

 そう告げた角竜は鋼鉄の壁面の彼方を、しばしじっと見つめる。

 余りにも、遠い彼方。目の当たりにした深紅の竜はひとまずぐっと堪えた。この尋常ならざる実力者である角竜の主人は、恐らく……。

 ゆっくり腹這いに戻す深紅の竜。強敵に対する視線こそ外しはしないが、少しは敬意らしき感情も湧いたつもりだ。角竜もその意を汲んだのか、灼けた瞳の輝きを弱めてみせた。

『アル[ゾイド]ト殺シ合ッタコトガアル。

 俺ノ角ハアイツノ両足ヲ捉エタ。ダガ、アイツハ俺ノ首根ッコヲ捉エタ。……ソノママ、三十日ダ』

 三十日間、互いの急所を捉え続けたというのか。そしてそのまま踏み込めなかったと。

『ドチラガ先ニ言ッタカハ忘レタガ、[モウ止メヨウ]ト声ヲカケテ、ソレデ終ワッタ。ソノ戦イハ、ソレデ良カッタノサ……。

 ダガナ、決シテワカリアエナイ敵ニ出会ッタ場合、ソウハイカナイ。均衡ヲ破リ、或イハ圧倒的不利ヲ打開スルタメニ俺達[ゾイド]ニ必要ナモノハ……ワカルナ?』

 深紅の竜はコクリと、頷いた。ああ、わかるとも。いや、思い出させてくれたと言うべきか。己をいとも容易くあしらった目前の角竜が改めて教えてくれたのだ。自分には、それがある。それを、大事にする。

 だがその時、おとなしくしていた泥まみれの角竜は不意に鎧武者のような錣(しころ)を持ち上げたのだ。つられて唸りを上げる二本角。灼けた瞳の輝きがみるみる強まっていく。

『妙ナ電波ダ。サテハ[名無し]、レアヘルツヲ弱メタナ。

 イヤ待テヨ、何ダコノ気配ハ……』

 

「お忙しいところ申し訳ありません」

 ビークルのモニターは各種計器が居並ぶ物々しい背景を映し出す。その中央で濃紺の制服・制帽を身にまといながらも優しげな顔立ちの青年アリルは深々とお辞儀をした。

 つられてエステルもお辞儀して返す。

「いえ、こちらこそ。それよりいきなりご連絡を頂いた、ということは……」

 向こうでは黒鉄の竜が熊手のような右手の指一本を口元に当てて「静かに」のポーズを決めている。やけに可愛い。竜を見上げていた少年は苦笑いしかけて慌てて口を塞いだ。

「はい、マノニアについてです。上官からの許可も頂きましたので、話せる範囲でお話し致します」

 アリルは淡々と話し始めた。

 近年、ヘリック共和国政府に不満を持つ一部の上流階級が、武装勢力や技術者を裏で支援する事例が増えているという。マノニアも又、支援される側の人物だ。彼はゾイドが戦場で欠損した手足を組み立てるのを生業としていたらしい。だがもともとフットワークは軽く、それに野心もあった。

「上流階級の依頼を受け続けていく内に、例の四本脚のゴジュラスを見つけ出したと思いますね、今のところは……。

 既に自宅も特定しました。今日の夕方にも家宅捜索の予定です。ただ、自宅に引きこもっているなんて思えません」

 そう告げると美女の後ろからモニターの向こうを覗き込む少年に視線を向ける。

「ブレイカーさんの力で無事に海上を飛行して北方大陸まで辿り着けたのなら、四本脚のゴジュラスはきっとそれより早く到着するでしょう」

 そう、青年警察官から告げられた少年の円らな瞳は一気に険しくなった。

「つまり、追いつくということですね」

 青年警察官は頷き返す。

「マノニアの基盤は軍警察の方で徹底的に抑えます。

 ですが申し訳ありません、それ以上の支援は今すぐにはできそうにありません」

「いえそんな、十分ですよ……」

 師弟は深々とお辞儀する。

 先程まで「戦わない」選択肢をギリギリでも考えるつもりだった。だが事実上、外堀は埋まったようなものだ。

 あとは雑多な会話が少々続き、やがて無線は途切れた。辺りを包み込む静寂。

 岩盤に埋め込まれた黒鉄の竜は、「静かに」のポーズを決めていた右腕をゆっくり降ろした。

《エステル、それにギルガメス君。僕はこの通りの身体だから戦い自体に協力はできないけれど、それ以外で貸せる手はできるだけ貸すよ》

 少年は竜が埋め込まれた岩盤を見上げながら深々とお辞儀する。

「ありがとう……ございます」

 その時だった。黒鉄の竜は熊手のような右腕を不意に自身の右目の後ろにすぐさま押し当てる。

 

 一方、向こうの区画では泥まみれの角竜が天井を見上げている。

 それに釣られる深紅の竜ではあるまいが、このゾイドはこのゾイドで強烈な違和感を覚えた様子で、首を左右に降ったり傾けたりし始める。

『赤イノ、オマエハオトナシクシテイロ』

 そう告げた角竜は暗闇の彼方へと駆けていく。

 どこへ行くのか。深紅の竜が凝視すると、左右を囲む鋼鉄の壁が一斉に開かれた。たちまち噴出する瀑布のような砂の流れ。激流と化して角竜を背中の上まで包み込むと、角竜自身もその勢いに乗じるように両の前足を蹴り込んだ。……行きの便をつい先程目の当たりにしていた深紅の竜は呆気に取られる。

 

 突き抜けるような青空の彼方に、網目状の翼が浮かんでいる。優雅にさえ見えるこの浮遊物体は、突如としてその巨体を屈め、降下に転じた。

(つづく)



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【第十七章】稲妻よりも速く

 超弩級の切り株の如きルシラッド山にも穏やかな日常があった。真っ平らな山頂の中央部は乾き切った岩や砂で覆われているが、縁にはところどころ、ささやかな畑らしき箇所が確認できる。

 その一角で走り回る子供達。皆笑顔を浮かべてはいるが、その手には奇妙な棒を抱えていた。……弓矢だ。そして皆、分厚い手袋をはめている。

 標的となる巨岩に円を描く。一射、又一射。男女関係なく、年長者ほど確実に的の中央を貫いていく。彼らにとって弓矢は単なる娯楽ではない。外界と半ば隔絶されたこの山の住人にとって、銃砲は簡単には入手できぬもの。そこで弓矢だ。弓弦も矢尻も、蹴散らした外敵たる金属生命体ゾイドの死骸を解体、切り出し削り出すなどして作り上げたものである。……良質の素材で作り出した弓矢を優秀な戦士が射れば、分厚い装甲でも十分に刺さる。物陰からキャノピーや関節部分などの急所を狙えば十分に脅威だ。だから彼らは弓矢を覚えるよう若いうちから仕込まれているのである。

 次は僕だ、いや私だと我先に弓矢を構える。そのたび岩が削られる音が何度も辺りに響き渡る。

 そのすぐ後ろで待機する子供達が巨岩の的を真剣な眼差しで見つめていたその時、異変が明らかとなった。

「何だろう。キラキラ光ってる……」

 突き抜けるような青空の、ずっと彼方。視力の良い者が揃った子供達はすぐに的を射るのをやめた。光る物体をまじまじと見つめ、輪郭を見極めようとしている。

 青い天幕からいつしか浮かび上がったそれは紛うことなき異形。ゆらり羽ばたく網目状の翼は光の膜で覆われ、金色の粉が後を引く。翼を背負うは全身銀色の四脚獣かに見えるが、よくよく目を凝らせばその首から上には暴君竜の上半身がそびえ立つ。異形の巨体は切り立った崖を駆け下りるが如き勢いで青い天幕を落下していく。全身を彩る銀色は、既に地上のあらゆるものに対しその禍々しき姿を明らかにしていた。

 銀色の巨体は前足を前面に突き出し、大海に飛び込むが如き姿勢で急降下している。そして轟いた爆音。

 噴火か、それとも着弾か。白煙が膨れ上がって荒野を覆い尽くす。遅れて駆け巡る地響きは、山頂で固唾を飲んで見守る子供達の足元をさらった。

 気が付けば皆、尻餅をつくか転ぶかしていた。先に身を起こした数名が周囲を見渡せば、どうやら全員転んだだけで意識を失うほどの事態には陥ってないとわかった。だが、一息つく余裕はない。

 彼方で、雄叫び。ふもとの方だ。先程白煙が膨れ上がったあの辺り。

 立ち上がった子供の内一人があっと声を上げた。素っ頓狂なその声に他の子供達もつられて立ち上がる。

 飛来したあの銀色の巨体が四本の足を頼りに起き上がった。背中より生えたる網目状の翼が眩しく輝くと、電流の膜を一面に張り巡らす。そして羽ばたき、数度。たったそれだけで、立ち込めていた白煙が散らされ押し流されていく。

 再び、雄叫び。遠雷と形容するには余りに鋭く、子供達の耳を、胸を突き抜け震わせる。

「どうしよう、どうしよう」

「早く名無し様にお伝えしないと」

 子供達は右往左往するより他ない。

 

 銀色の巨体が握り締める両掌から、飛び立つ橙色の蜂。いや掌だけではない、銀色の巨体の全身至るところから飛び立つ蜂達。ブリッツホーネットだ。

 掌から飛び立つ蜂の背部。黒尽くめの機械人形に運転を任せ、その後ろにはトレンチコートの小太り中年マノニアが例によってふんぞり返っていた。しかしその両手に板状端末はなく、コクピット前面にマウントされている。持つべき両手はヘルメット越しに両耳を塞いでいる状態。おまけに凄まじいしかめっ面。

「やかましいのう……せめて合図くらいしろ」

『ソレハ済マナカッタナ、フフフ』

 板状端末越しにその姿を表した虹色の魔人ビスマ。のっぺらぼうに近い造形ながら口元に当たる部分は何か動いたようにも見える。

「しかしこれで出てくるものか? この遺跡、想像以上の鉄壁じゃぞ。

 ここから放たれるレアヘルツは何万メートル上空をカバーしているか想像もつかぬ。地下のゾイドコア反応など全く確認できん。どれだけ分厚い装甲で覆われているのやら」

『ソコデ[デモンストレーション]ダ。オマエハ高ミノ見物ト洒落込ムガイイ』

 言うではないか。苦笑するマノニア。

「よーし、黙って見ていてやる。

 地上最強のゾイドが儂のもとに帰ってくるのを期待しているぞ」

 橙色の蜂達が、速やかに銀色の巨体の元を離れていく。巨体は振り返る素振りも見せない。

 おもむろに、巨体の頭部を覆う橙色のキャノピーが眩しく輝いた。内部のコクピットには虹色の魔人ビスマが着席している。……両腕を振り上げる魔人。両腕を振り上げゆっくり大きく弧を描きつつ、レバーに手を添える。そして、地の底から響く雄叫び。

『[無限、装填]』

 銀色の巨体の腹部や下半身側面にこれでもかと埋め込まれた銃身・砲身が一斉に火花を吹いた。

 間近で耳にすれば確実に鼓膜と心臓を痛めるだろう、響き渡る発砲の重低音。

 彼方で土砂が高波のごとく吹き上がった。標的は切り株のようなルシラッド山のふもと。澄み切った空気が震え、山全体が小刻みに揺れ始める。たちまち空高く舞い上がる砂埃は増殖するカビの映像を何倍にも早送りしたかの如き勢いだ。

 弾幕は、途切れる兆しを見せない。

 

 岩盤に埋め込まれた黒鉄の竜は、自身の右目の後ろに熊手のような右掌を押し当てると、押し殺すような声で呟いた。

《来ちゃったか》

 竜の足元に居並ぶ師弟は顔を見合わせる。遂にあの銀色の巨体が追いついたというのか。

「どの辺にいるんですか!?」

 身を乗り出すギルガメス。見上げる程巨大な黒鉄の竜にも決して負けない勢いで話しかける。と、彼の足元がぐらりと揺れた。少年はハッと息を飲みつつバランスを取る。よもや銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドの銃撃・砲撃の衝撃が地下深くまで到達するとは、一体どれほどの衝撃なのか。

 黒鉄の竜は熊手のような右掌を右目の後ろに押し当てたまま何やらブツブツ呟く。……遠くでサイレンと機械音声の避難放送が聞こえてきた。

《今、ここの住人達にも避難させるよう基地内のシステムに指示を出したよ。……ひとまずは『避難』だね。立ち向かって歯が立つとも思えないけれどね》

「私達が行くわ」

 そう返事したのはエステルだ。すぐさまギルガメスも彼女の美貌を見上げ頷く。

 だが黒鉄の竜は熊手のような右手を掲げて二人を制した。

《待ってくれ、エステル。それにギルガメス君も。

 あいつが、戦いたがっている。先にやらせてあげてくれ》

 

 ついさっきまで空を覆い尽くしていた青色は、今や砂煙が渦潮の如くうねり地平線の彼方まで汚されてしまっている。銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドが解き放つ「無限装填」の業火はルシラッド山の色彩を確実に奪っていった。雷雲の中に放り込まれたかのごとく、弛まなく続く銃砲の余りに苛烈な発射音がひたすら鳴り響く。

 ふと、銀色の巨体の背びれが揺らめいた。

 両腕を左右に広げる銀色の巨体。自らの備える銃砲に号令を掛けるように。

 ピタリ、鳴り止んだ重低音。

 只々砂塵のみがうねり、辺りは静寂を取り戻すかに見えた。

 ところが耳を澄ませば澄ますほど、地の底からはっきり聞こえてきた。岩を砕く爆裂のテノール。

 銀色の巨体は暴君竜の上半身を空高く反らし、両の前足を高々と振り上げる。溜めの時間は一秒もない。踏みつける轟音は澄み切っていた。銀色の巨体、跳躍。

 と、同時に。先程まで銀色の巨体が仁王立ちしていた地面が十字にひび割れた。

 跳躍する銀色の巨体を追いかけるように、唸りを上げて回転する二本のドリル。岩が、砂が天を衝く。

 U字に近い放物線を描きつつ、数百メートルは後方へ遠ざかった銀色の巨体。着地の間際、頭部コクピット内の魔人ビスマは彼方の地面をじっと凝視。

 亀裂が走った地面の中から姿を表したのは泥まみれの角竜だ。二本のドリルらしきものは鎧武者のような錣(しころ)から伸びた長大な角。全身に埋め込まれた突起が、そして腰を覆うベルトが唸りを上げて回転。撒き散らした火花が辺りに溢れる。辺りが砂煙で覆われていても、撒かれる火花と中心に光る灼けた瞳の輝きは苛烈なまでに強敵を射抜く。

 銀色の巨体はゆったりと地上に舞い降りた。羽ばたく網目状の翼には光の膜が張られている。

 橙色した頭部キャノピー内では虹色の魔人ビスマが全身を妖しく輝かせる。奇妙なうねりは純粋な感情を表していた。

『凄イ、神出鬼没デスネ。[導火線の七騎]第五騎、いやそれとも第六騎……』

 旧知の友にでも会ったのかという口調で、朗らかにこれから殺すべき相手に語りかける。

 泥まみれの角竜は会話に応じる気配もない。ただひたすら、灼けた瞳を投げかけるのみ。

 未知の強敵に心躍らせる虹色の魔人ビスマ。彼が駆る銀色の巨体も軽やかな動作で地面に着地しようとしていたが、ふとその時、奇妙なことに気がついた。

『コレハドウイウコトダ。イツノ間ニ……イツノ間ニ、相手トノ距離ガ100メートルヲ切ッテイル?』

 余りにも当たり前のことだが、強敵との間合いは極力離すべきだ。それが人間同士でもゾイド同士の戦いでも関係なく。この未知の強敵相手でも当然のごとく、着地の時点で1キロ以上の間合いが維持できる想定だった。

 何が起こったというのか。そう、疑問を抱きながら着地した瞬間。

 銀色の巨体の左翼を、閃光が駆け巡った。

 立て続けの、爆発。

 視線を己が左翼に移した銀色の巨体。

 泥をスコップで掘ったかのように、左の前足・後ろ足が綺麗にえぐれている。

 だがそれよりも、さっきまで目前にいた筈の泥まみれの角竜は。

 角竜は、どこへ。

 左右を見渡す銀色の巨体。だが再びの爆発が右翼で起こった。

 今度は、軽く視線を下げるだけの銀色の巨体。それで十分過ぎた。

 頭部キャノピー内で虹色の魔人が瞬くような明滅を繰り返している。その仕草を一言で表すなら「驚き」だ。「恐怖」と言い換えても良い。

 すぐさま視線を真正面に戻した銀色の巨体。

 真正面に、泥まみれの角竜が仁王立ちしていた。頭部の二本角には煤と、銀色の破片が付着している。

『攻撃!? 二回モ……! 三十秒モ、経ッテナイ……』

 悶絶の言葉は外にも漏れた。だが泥まみれの角竜は一向に無反応。

 角竜の足元が、ぶれた。

 

 鋼鉄の天井に映し出された超巨大映像を、ギルガメスは刮目して見守っていた。

 気が付けば、胸が苦しい。ずっと息を止めていたようだ。己の胸を軽く擦る。と、首にも違和感。ずっと天井の映像を見続けていたから凝ってしまったようだ。もとより少年には視線を外すなどという選択肢はなく、少し首を揺さぶって違和感を抑えるのみだ。

 超巨大映像が描くものは少年の常識からかけ離れたものだ。あの銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドが少しでも動いた瞬間には、既に泥まみれの角竜がその真横を走り抜けてしまう。しかもその度、角竜の二本角は銀色の巨体の側面を深々と抉っているのだ。そして銀色の巨体が振り向いた頃には角竜も既に振り向き次の一撃を余裕綽々で狙い澄ます。こんな攻防が十数合も続いている。

 息を呑むより他ない少年。二度に渡っての交戦でも、かの銀色の巨体がここまで為すすべもなくやられたりはしなかった筈だ。文字通り、次元が違う。……だがこの違いはどうして成り立つのだろう。

《ギルガメス君、良いところに目をつけたね》

 そう、頭上から告げられて少年は妙な声が出た。

 岩盤に半身が埋め込まれた黒鉄色の竜は熊手のような右手で口元を抑えている。人ならば笑いを堪えるか口を隠すかのような仕草。

「な、何も話してないのにどうしてわかるんですか!?」

《僕も随分長いこと生きたからね。ちょっとした息遣いとか、その程度でも相当わかっちゃうのさ。それがゾイドというものさ。

 実際には[名捨て]の運動能力もそこまで大したことはない。ヘリックのデータベースによれば最高時速100キロ程度しか出せないそうだよ。……でも彼奴は、一秒以内でその時速100キロを余裕で叩き出せる。実際にはもっと出せているだろうね。

 いくら音速で動けても相当な助走が必要なのと、いきなりそこそこの速度で動けるのとではどっちが有利か。難しいところだけど、今のところはご覧の通りさ》

 そういうことだったのか。唸る少年。彼ら主従が角竜相手にまるっきり歯が立たなかった原因が見えた気がした。相手ゾイドのちょっとした動きを冷静に観察し、導き出した僅かな隙を完璧に捉える能力を備えているのだ。もしかしたら、この角竜が忌まわしい戦いに終止符を打ってくれるかもしれない。いやが上にも高まる期待、だったが。

「でも……」

 話しに割って入ったのは傍らで腕組みしつつ頷くエステルだ。素直な愛弟子と比べて表情は思いの外、険しい。

「既に十合を超えているわね。

[名捨て]が命を弄ぶようなゾイドには見えないわ」

 頭上を覆う黒鉄の竜はゆっくり頷いて返した。

《そうだね、あのケンタウロス・ワイルドとやらはどうにか直撃を交わしている。流石に『地上最強』を名乗ろうとするだけのことはあるね》

 その時、この非常識にだだっ広い鋼鉄の間のずっと彼方から噴射音が聞こえてきた。振り向くギルガメス。その音は少年が毎日のように聞き続けて耳慣れた音だ。……彼方の暗闇から、蒼き炎が浮かび上がった。

 風圧で少年のTシャツが、女教師の背広がはためく。深紅の竜だ。既に視界に飛び込んできた時には減速しており師弟の目前ではふわりと羽毛が地に落ちるように着地してみせたが、巨体故にそよ風程度ではすまない。

「お疲れ様」

 そう、少年に声をかけられると高々数十分程度のお別れだったにも関わらず、何年振りかの再会と見紛うほどはしゃぎながら両手でガッチリ彼を掴み、顔に鼻の先端を何度も押し当ててきた。ある程度の予想はできていても少年は大いに面食らう。

「やめて、やめてブレイカー!

 今、[名捨て]が戦ってる!」

 少年のたった一言で、過激なスキンシップをあっさり封印した深紅の竜。鷲掴みの両腕を鼻先から離すと、握り締めた少年の円らな瞳をまじまじと見つめる。

 すぐさま少年の傍らに寄り添ったエステル。巨大な深紅の竜にも怯む素振りすら見せず、サングラスを下に傾け斬りつけるような眼光を解き放った。

「ブレイカー、どっちに転んでも良いようにして」

 美貌の女教師が醸し出す只ならぬ雰囲気。深紅の竜もすぐさま我に返ると、鷲掴みにした少年の頭上で一声鳴いた。……腹這いになると、胸部コクピットのハッチが開かれる。

 

 地の底から響く竜二匹の足音が、心臓を蜂の巣にするほど響き渡る。

 何拍か置いて鋼鉄を削り出す轟音が鳴り響き、その都度束の間の静寂が辺りを包み込もうとするが音の主人達はそのような機会など許す筈がない。再び、三度と蜂の巣の踏み込みが繰り返される。

 そして又しても、相まみえる二匹。既に土煙は縦横に立ち籠め視界は劣悪を極めているが、両者の眼光は土煙を貫く熱量を解き放って有り余る。……だが、何合目かを終えて両者を観察すれば、かたや疲労困憊、かたや泰然自若。

『……凄イデスネ』

 疲労困憊、銀色の巨体。金属生命体ゾイドではある。しかし全身で深呼吸の如き仕草を何度か繰り返す様は、それ以上の間の取り方を持ち得ないのが明らかだ。巨体を支える四本の足は目前の二本角に何度も削り取られて鈍い鋼鉄の地肌を顕にしている。

 このような相手の反応を前にしても、泰然自若の方は無反応。灼けた瞳を一切逸らさぬ泥まみれの角竜。だがふと、思うところがあったのか本当に、ほんの僅か、視線を外した。

 反応しない銀色の巨体ではなかった。吸い込まれるように両の前足を振り上げんとするその時、灼けた瞳は既に視線を戻していた。……結局、足を振り上げることもできず虚しく泥が弾けるのみ。

 角竜の顎が、微かに曲がった。見る角度を変えれば、笑ったかのように映ったかもしれない。

《今カラオマエノ、右ノ前足ヲ貫ク》

 予告攻撃だ。

『何ッ……!?』

 まだ今の体を獲得して三日も経たぬ銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドにとって(又その本体ビスマにとって)予告攻撃など当然ながら初めての経験であり、それが極めて侮辱的だという考えに至る筈もない。すぐさま、両腕を振り上げる。右の前足を狙うとまで言われて、防ぎ止める策が浮かばぬ訳がない。

 だがその両腕は既に振り下ろすチャンスを逸していた。全身に電気が駆け巡ったかのように、銀色の巨体は硬直を余儀なくされている。

 右の前足……腿の付け根辺りに二本角の右一本が深々と突き刺さっていた。ドリルの如き回転音が静寂の中にこだまする。

 するりと、二本角が抜けた。淡々と、泥まみれの角竜が下がっていったのだ。その間も、灼けた瞳は銀色の巨体から反らすことはない。巨体の方は金縛りにでもあったかのようだ。

《貫イテシマッタナ。

 次ハ左ノ前足ダ。左ノ前足ヲ貫クゾ。シッカリ防ゲヨ》

 虹色の魔人ビスマののっぺらぼうのような表情が、両目を見開いたかのようにうねった。

 呼応して雄叫びを上げる銀色の巨体。長い両腕が、鞭のようにしなる。とにかく少しでも早く目前の強敵の体に触れて止めるしかない。

 肩や手首に埋め込まれた円柱状の突起が唸る。両腕がピンと伸び切り、鉄挺(バール)の如き三本爪が目一杯開かれた。

 パン、と鋼が爆ぜる音。

 銀色の魔人は両腕を前方に目一杯伸ばしたまま、硬直。

 鉄挺の如き三本爪はガッチリと閉じられ拳を形作っている。

 いや、これは空振り。両腕が超弩級の圧力を完全に受け止めることも、反対に根本からへし折れることもない。

 代わりに響く回転音はここまでの激闘を思えば余りに静か。

 銀色の巨体は視線を下げた。

 左の前足に突き刺さった二本角。角竜の左の角は、銀色の巨体の左前足・脛を地面と平行に貫いていた。

 またしてもするりと、二本角が抜けた。後ずさる、泥まみれの角竜。

 銀色の巨体は両腕を振り上げようとする。再び開かれた両腕の三本爪。ところが後ずさる角竜目掛けて振り下ろす前に直立のバランスを大きく崩してしまった。すぐさま四肢に力を入れて踏ん張るが、傷口から油が噴出し、足部に埋め込まれた突起が悲鳴にも似たモーター音を鳴らしている。

 泥まみれの角竜は相変わらず尻を見せることもなく粛々と遠ざかっていた。だが数歩か、十数歩か、意を決して蹴り込めばたちまち急迫するに違いない微妙な間合いを確実に維持している。

《マタ貫イテシマッタナ》

 一方、転倒をどうにか堪えた銀色の巨体。橙色した頭部キャノピー内部では、虹色の魔人ビスマが揺さぶられたまま握り締める両腕のレバーを頼りに肩を怒らせ踏ん張っている。のっぺらぼうのような魔人の口元が波打つようにうごめき、やがて極めて簡単な言葉を紡いで形とした。

『何故デスカ』

 腹の底から絞り出した声に、泥まみれの角竜が微かに首を傾げたかに見えた。

《何ガダ》

『何故、当タッテシマウノデスカ!?

 貴方ハ私ノ半分カ、三分ノ一程度ノ速サモナイ筈ダ。ソレナノニ、私ハ何モデキナイナンテ……』

 泥まみれの角竜は溜息のような声を漏らした。それだけで、辺りに立ち籠める砂埃が軽く吹き流される。

《……オマエ、ココニ来ルマデニ[ゾイド]ヲ何匹、[人]ヲ何人、殺シテキタ?》

『エッ』

 橙色の頭部キャノピー内では、虹色の魔人が全身を濁流に混ぜた絵の具の如くうねりながら明滅させている。

『エエト、[ゾイド]ハ……』

《馬鹿野郎》

 鋭い一喝。肩をすくめて硬直した虹色の魔人。

《救イ難イ馬鹿ダナ。アノ赤イノト主人ノ坊ヤノ方ガ断然マシダ。

 イイカ、[ゾイド]ノ[スペック]ナンテモノハナ、百デモ千デモ殺シ続ケレバ、勝手ニ上ガッテイクモノダ。数エ切レナイ後悔ト引キ換エニナ》

『ソ、ソウナノカ……トイウコトハ……』

 泥まみれの角竜はこの会話中も、目前の幼稚な強敵を凝視してやめない。だがことここに及んで、再び大きなため息をついた。橙色のキャノピー内にうごめく妖しい輝きが訳のわからない生気に満ち溢れつつあることを把握したからだ。

《無駄ナ時間ヲ費ヤシタヨウダ。

 イイカ、今カラオマエノ真正面ヲ貫ク。コレデ終ワリダ、シッカリ防ゲヨ》

 灼けた瞳が、土埃を焦がす。

 我に返った銀色の巨体。橙色のキャノピーが虹色に彩られ、三度両腕を振り上げるが。

 その動きが、ピタリと止まった。

 己が足元を見つめ直すまでに何秒か、費やした。恐ろしく気が遠くなる数秒。

 銀色の巨体を構成する胴体部……雷鳴竜ウルトラザウルスの胴体部を模した下半身であり且つ、銃砲やミサイルポッドが大量に埋め込まれた急所中の急所。そこに、まるで最初からあったのではないかという佇まいで密着していた角竜の頭部。完璧過ぎる一撃は、錣(しころ)から伸びる二本角も鼻先から伸びる一本角も、銀色の巨体の胴体部を捉え深々と貫いていた。

 やや遅れて続く無数の爆発音。銃弾・砲弾を無数に詰め込んでいる箇所故に連鎖爆発し始めたのだ。

 遂に天を仰ぎ、絶叫した銀色の巨体。ここまで無敵を誇っていたケンタウロス・ワイルドが今や自己生成し溜め込み続けた膨大なエネルギーによって自らの五体を炎上させた。地獄絵図は何秒も、何十秒も続いている。

 角竜の胴体部に巻かれたベルトが、地響きのような音を立てて回転数を急速に速めていく。それに加えて鼻先から伸びる一本角の計三本が突き刺さったそれぞれの傷口から、破裂した水道の如き勢いで電流そして油が噴出を開始。

 そして、角竜の右足。鋼の削れる音がその爪先から鳴り響く。銀色の巨体の左前足を踏みつけ、動きを封じていた。やがて角竜の右足を中心に、荒野に放射状の亀裂が入る。

 もがく銀色の巨体。四肢の内三本はどうにか振り上げ、地面に打ち付けること位ならできる。しかし左の前足だけは釘でも打ち付けられたかの如く持ち上げることすら叶わない。絶叫に錯乱が覆い被さる。

 

 遥か遠くの岩陰では、橙色の蜂達が腹ばいのまま密やかにしている。黒尽くめの搭乗者達はその足元にしゃがみ込んでいた。……マノニアと配下の機械人形達は打ち震えていた。彼方の戦場から時折飛んでくる岩石や鉄片は高みの見物程度では済まされなかったのだ。

 マノニアは例の板状端末をじっと睨む。が、やがて握り締めた両腕が病的な痙攣に襲われた。彼らの交わす会話など拾うことはできないが、戦況は彼程度でも十分に理解できる程の非勢である。

「何なんじゃ、これは……」

 惑星Ziの至るところに野良状態で隠れ潜むゾイドがいること位、彼も知っている。その殆どが、弾薬など持たず常に飢餓状態にあり、本来の力を発揮できないことまでわかっていた。あそこで戦っている泥まみれの角竜も、形状だけ見ればヘリック共和国が持ち込んだ決戦ゾイド・マッドサンダーだとひと目でわかったが、全身の汚れぶりから長らく未整備状態だと把握できた。これは楽勝ではないかと高をくくっていたが、蓋を開けてみたらどうだ。

 マノニアが目の当たりにする戦いはゾイド同士のそれとしては余りにもレベルが高すぎ、そして異質なものだった。……だがそれでも、今までなら結局はあの虹色の魔人ビスマと彼の分身ケンタウロス・ワイルドが勝利を手にしていたのだ。それが今や、法則が崩壊しつつある。

 もし仮にケンタウロス・ワイルドが敗れた場合「地上最強のゾイド」という称号を手にするのは一体。

「本人の意志など知らんわ。じゃが、彼奴を止めれば確実にそう、呼ばれるじゃろう」

 呟いたマノニアは、ぐるり周囲を見渡した。

 悪辣なこの小太り中年男性にも忠誠を誓う者達がいた。黒尽くめの機械人形達は一斉に跪く。下僕の反応は素早く、それが彼に不敵な笑みを浮かべさせる。

「今しばらくの辛抱じゃ」

 だがその直後、彼方で轟いた絶叫そして轟音に、マノニアと配下の機械人形達はひれ伏すこととなる。

 

 絶叫は止まらない。

 両腕を高々と振り上げる銀色の巨体。薪を叩き割る程の勢いで、自らの下半身を貫いた泥まみれの角竜の錣(しころ)目掛けて振り下ろす。轟音、又轟音。しかし並のゾイドならたちまち首がへし折れるだろうこの一撃にも、角竜はびくともしない。

 ならば。銀色の巨体は両腕を振り上げ、弧を描く。幾条もの稲妻が集結し、完成した光の槍「ケンタウロス・アロー」。両腕で握り締めて力強く振り下ろす。

 二度、三度と繰り返される渾身の一撃。だが何度目かが命中したその時、弾け飛んだ光の槍。破片は溶ける氷のように消失した。

 角竜の錣(しころ)を駆け巡る放電は人の血脈のごとく無限に分かれて角竜の頭部を覆い尽くし、光の槍をも通さない。

 二本角の回転数は既に最高潮に達していた。鼻先から伸びる一本角を加えて計三本による莫大なエネルギーの注入。傷口から噴出する電流や油も止まる様子はない。

 事ここに至った虹色の魔人ビスマ。銀色の巨体の橙色した頭部キャノピー内で辺りを見渡す。もともと怪しげにうねりながら発色発光する全身は既に脈動する勢いで変化を繰り返している。この場から離脱もままならず、自己修復も追いつかない状況が、まるで鼓動が高鳴るような現象を引き起こしているのである。

 人の面なら何とも言えぬ仏頂面を見せただろうこの虹色の魔人がふと、溜息を漏らしたかに見えた。

 奇妙な行動に出た。座席から尻を浮かすと両足を組んで座り直す。両掌を腿の上に重ねた形は紛れもない「法界定印」。地球では古来より伝わる瞑想の構えである。

『時間ヲ、確保セネバ』

 人ならば瞑想と言える。ゾイドにこの言葉が当てはまるのかは、わからない。だがこの魔人は既に座ることが自らを強くすると確信していた。数秒間で何億何兆もの演算を果たすのが狙いだ。巨大過ぎる全身に然るべき措置を施すにはこれ以外に方法があるまい。

 銀色の巨体、不意に、沈黙。奇妙にも、橙色したキャノピー内部は沈黙が侵食していき完全無音の異様な空間が形成された。僅か数秒のことではあったが、明らかにこの空間内の時が止まったのだ。そして。

 銀色の巨体の頭部を覆う橙色のキャノピーが光を迸らせる。その内側で消え入りそうだった赤い両眼が煮えたぎる溶岩のように輝きを取り戻した。

 絶叫の音色が、野太くなった。単なる痛みに留まらない、強烈な意思の表現。

 音色が変わって数秒も経たぬ内に。轟く爆音。激突する二匹を中心にたちまち広がる衝撃波が砂塵を吹き飛ばす。

 

 はるか地下深くでも、衝撃波は十分に感じ取れた。揺れる、鋼鉄の天井。パラパラと、石か鉄片らしきものが落ちてくる。それとともに衝撃波の影響が、天井の映像を真っ白に覆い尽くした。

 全方位スクリーン内部のギルガメスは刮目。斜めに傾けていた背もたれの上から飛び跳ね起きた小さな身体。……だがそれ以上に、不意打ちのように揺れるスクリーン内部に気が付いた。我が相棒が動揺している。百戦錬磨の深紅の竜が心乱される展開とは一体。

「ブレイカー、大丈夫だよ」

 すぐに天井を見上げて声を掛ける。

 呼応してこの薄暗い室内が軽くミシミシと揺れた。巨大な我が相棒が片手で胸部を握り締めているのだ。事あるごとに、深紅の竜はこの仕草をする。優しい主人に何らかの意志を伝えたい時だ。シンクロ中だと感触がモロに胸を揺さぶる。もう付き合いも長い少年にはシンクロしていなくとも、すぐに真意を理解した。

「大丈夫だよ、ブレイカー。大丈夫、大丈夫」

 何度も、何度でも優しく声をかけてやる。……だがその裏腹で、他ならぬ自分自身が強烈な不安を隠せないことを思い知らされる。

 我が相棒は恐れている。天井が映し出す真っ白な映像の彼方で起きた状況を、人を遥かに上回る視覚で瞬く間に把握できてしまったに違いない。一体、何が起きたというのか。

 

 視界を真っ白に覆い尽くす衝撃も、泥まみれの角竜には然程問題にはならなかった。……少なくとも、この瞬間は。着々と、己が認知する映像が鮮明になっていく。

 知恵者ぶった小賢しい敵を、死の淵に追いやった筈だ。そいつの下半身を自慢の三本角で突き刺した今、どんな状態に陥っただろうか。未だ逃れようともがいているか、それとも諦めてぐったりしているか。頭上に視線を投げかけ、灼けた瞳でギロリと睨みつける。

 角竜の視界に入り込んだのは銀色の、長大な腕。左腕だ。……節々から火花が、電流が、白煙が激しく噴出しており、いつ爆発してもおかしくない。それが、角竜の錣(しころ)の真上に叩き込まれていた。そこで角竜はようやく気付いたのだ。錣(しころ)から発せられた鉄壁の放電が風にでも押し流されたかのように消えていたことを。

 こいつは、自らの左腕を犠牲にEシールドを吹き飛ばしたのか。

《ダガ》

 角竜は動揺には至らない。

《コイツノ腕モ死ンデイル!》

 今一度、停止した二本角を回転させるのだ。三本角でエネルギーを注ぎ込むのだ。

 自らを奮い立たせたその時、頭上でメキメキと何かを捻り潰すような音が聞こえた。

 銀色の巨体ケンタウロス・ワイルドは半壊状態となった左腕の手首を、右手でガッチリと掴んでいた。その瞬間だ、音が鳴ったのは。……左腕の手首を力任せに引っ張る。鈍い音、弾けるような音、様々な音と共に、引っこ抜いた左腕。

 馬鹿な。俺は、何を見ているのだ?

 自らを壊したのか。壊した腕で、こいつは。

 恐ろしく鈍いが、十数キロ先まで轟いて必ず心臓を突き刺す音が鳴り響く。銀色の巨体は、半壊した左腕を引っこ抜き、あろうことか棍棒のような凶器として滅多矢鱈に殴りかかった。下半身に深々と突き刺さった三本角のすぐ後ろに強敵の頭部がある。殴りつけるのには絶好の位置ではないか。一発、もう一発。

 凶悪な衝撃は角竜の錣(しころ)を乗り越え、胴体内部に埋め込まれたゾイドコアまで達した。人ならば脳天を何度も棒で殴られるのと同様の衝撃を食らっている。

 踏ん張る角竜。悲鳴のような歯軋りを立て、四肢に力を入れる。中でも右足は一層の圧力でのしかかる。その爪先は銀色の巨体の左前肢を踏みつけたまま。そしてその下の地面には放射状の亀裂。

 不意に亀裂が、陥没。

 沈む、地面。たかだか大人二〜三人分程度ではある。だがゾイドの足回りほども大きな地盤沈下は角竜を前のめりにさせた。

 その時だ、再び捻り潰すような音が聞こえたのは。

 銀色の巨体が四肢をねじる。メキメキという音と共に左膝から始める火花。己が巨体を強引に二度、三度とひねり上げ、最後は思い切りよく全身で一歩下がった。

 ちぎれた、左足。その勢いでスルリと、突き刺さった三本角が引き抜かれる。

 そうはさせじと前に出る角竜。その頭上を閃光が覆い被さる。……目前には網目状の翼が空を覆うように広がっている。網目の部分にはあっという間に光の膜が覆い、巨大な翼二枚が完成した。

 たった一度の羽ばたき。それだけで光の粒が辺りに降り注がれる。角竜の三本角や錣(しころ)にも触れて引き起こされる小爆発の連鎖。頭部を揺さぶって堪える角竜。硝煙が立ち籠める中、それでも灼けた瞳でその先に逃れた敵を懸命に追うが。

 既に銀色の巨体は数百メートル後方、そして上空まで逃げ切っていた。……響き渡るは歓喜の声。

 橙色の頭部キャノピー内部では魔人ビスマが口もないのに天を向いて笑うような仕草を見せる。その一方で左腕、左足は泥のように濁ったまま。窮余の秘策はこの魔人の身体にも影響を出したかに見えたが。

『凄イ! 凄イ! 凄イ!

 私ニココマデサセタノハ貴方ガ初メテダ!』

 濁り切っていた左腕、左足が眩しき輝き虹色のうねりを描き出した。

 呼応するように、銀色の巨体に引き寄せられていく光の粒。本来持っていた左腕、左足の形をたちまち作り上げていく。まるで溶けた氷細工が逆再生で元の形に戻るようだ。

 

 二重、三重のフィルターに掛かった状態での現状認識ではある。……鋼鉄の天井に描かれる映像を、相棒たる深紅の竜の視覚を経て、その胸部コクピット内部の全方位スクリーンを通じてようやく目にしている状態だ。だがそれでも、映像の光景はずっと凝視していたギルガメスに対し、奇妙なうめき声を挙げさせるに至った。

(何だよ、これ)

 声にもならない声を上げたことに気付いた少年は、すぐにも自らの口を両手で抑えた。相棒に、今の正直な気持ちを伝えたくはなかったからだ。

 だが少年が恐れるよりも前に、全方位スクリーンの裏側でミシミシと音が聞こえた。……我が相棒が、恐れている。若き主人にすがるように、己が胸部を握り締めている。

 その有様を横目でチラリ見ていたエステル。

 返す刀で、岩盤に埋め込まれた黒鉄の竜の様子を伺う。

 かつて大悪竜デスザウラーとして恐れられた黒鉄の竜「名無し」の口が、右腕がかすかに震えている。

 美貌の、そして孤高の女教師は無言で傍らの時代がかったビークルに向けて手をかざす。競り上がるキャノピー。

 

 大地に落ちた鋼鉄の左腕、そして左足。それらを鋼鉄の四脚が踏みつけると、粉々に崩れ去った。

 すぐさま駆ける角竜。ほんの数秒前まで、掛け替えのない勝利と幾許かの安らぎの時を手中に収めかけた筈だった。それが、一瞬でふいになった。だが、まだ「ふいになった」だけではないか。再び引き寄せれば良い。今までずっとそうしてきたから生き延びることができたのだ。走れ、もっと走れ。

 光の翼は風に流されるように離れていく。ゆらゆらと漂うさまは地上の角竜を嘲笑うかのようだ。それもほんの数秒のこと。

 角竜が全力で疾走しても一分程度は確実にかかる距離まで、光の翼は逃げおおせた。そして、悠然と着地。震える荒野。跳ね上がる土砂。砂一粒一粒に至るまでまでやたらに弾け、共鳴している。

 仁王立ちした銀色の巨体。網目状の翼から光が弾け飛び、折り畳まれる。

 橙色のキャノピーが虹色に包まれ光り輝くさまは妖しく眩しい。

 内部で瞑想に耽っていた魔人は妖しい輝きのまま「法界定印」の構えを解き、レバーを握り直す。

『ヤハリ[導火線の七騎]ト戦エテ良カッタ!

 私ハサラニ進化スル!』

 両腕を埃まみれの空に向けてグイと突き出す銀色の巨体。両掌がたちまちまばゆく輝き始める。左右三本の爪を目一杯広げるや、手のひらを中心に発光、明滅。引き寄せられる砂埃、暴れ回る無数の雷蛇。

 その有様は金色の投擲武器「ケンタウロス・アロー」を作り出すかに見えた。だが巨体の両腕は扇を開くように左右に開いてみせる。これは弓の形だ。

 知るか、そんなこと。角竜はひたすら駆ける。大丈夫だ、あと三十秒も経ずして奴の懐に飛び込める。

 その時、何か弾ける音。

 全力疾走の角竜が感じ取った強烈な振動。この土壇場で感じ取った強烈に嫌な予感は、百戦錬磨の角竜をして四肢を踏ん張っての急停止という安全策に切り替えざるを得なかった。目前で岩が、土が弾けて壁と化す。

 そこで初めて角竜は気付いたのだ。左手をチラリと見遣る。……己の肩が見える。それはあり得ないし、あってはならないことだ。

 銀色の巨体から泥まみれの角竜の左肩にかけて、レーザーメスで切り取ったかのような一本線がいつの間にか刻まれていた。

 目前の宿敵は、あの長い両腕でまさに強弓を解き放ったかの如き堂々たる「残身」或いは「残心」の姿勢。

 何だこれは、何を見せられているのか。百戦錬磨の角竜がその生涯で滅多に味わうことのなかった動揺を今まさに感じている。金属生命体ゾイドが、人が扱うような武器を使っている。それも誰かに与えられたのではない。自らの手で作り出したのだ。そしてその武器は、およそ非常識な速度で我が鎧を弾き飛ばした。

『我ガ進化ノ証。[ケンタウロス・ゴーガン]』

 死闘の決着を促すかのように、一陣の風が砂埃を押し流した。

(つづく)



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