世話焼き男子とガールズバンド (れれれれ)
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始動編
第1話 睡眠は計画的に


 どうしても気に入らず、視点を整理して書き直しました。が、かなり文字数が膨れ上がってしまい。
 既読の方もよろしければどうぞ。かなり描写が変わっています。



「お~来とるやんけ!どうせだしこっちも見とくか」

 

 

 どうも、筑波昌太(つくばしょうた)です。受験生してました。

 今は絶賛ネットサーフィン中です。もう何時間経ってるんだろう、時計見たくねぇなあ。

 

 ふとYou〇ubeを開いたら新着動画があったのでそれを見ていたのだが、関連動画のとこにもいくつか気になる動画があるわけで。そのままズルズル抜け出せずにずっとネットを見ている。まあよくあるヤツだ。

 自分でもつくづく思うが、受験シーズンに根詰め過ぎたツケが大きすぎる。なにしろこのムーブをやらかしたのは今日だけではなく、ここ数ヶ月こんな調子なのだ。バカじゃねえのか。

 

 今までは学校があったおかげで健康な生活リズムが保たれていたんだなぁとここに来てはっきり理解した。中3の2月以降はたぶんどこの学校も自由登校になると思うんだが、俺は2月から今に至るまでずっとネットに入り浸っていたわけで。まあ何が言いたいかというと、だ。

 

 

 今年入って日光浴びたことないかもしれん。

 

 

 バカ、ほんっとバカ。何してんのマジで。ホワイトアスパラガスかよ俺は、なあ。こんなんなら志望校背伸びするんじゃなかったわ。

 志望校は栄星(えいせい)という高校。俺んちに近い三校のうちの一つである。が、この高校やけに偏差値が高い。いくつかは覚えてないけど確か60後半はあった。

 俺はどうしても通学距離を重視したかったので、どうあがいても第一志望校はここになってしまった。博打みたいなもんだったけど、現状を鑑みると大凶が出ちゃったみたいだね。

 

 …他の二校にすればよかったってか?まあ普通そう思うよな、でも両方とも女子高なの。なんで?そんな固まってることある?

 まあそうやって通学距離の短さをとった結果、猛勉強を強いられたんですわ。おかげで無事受かったわけなんだけど、払った代償がデカすぎる。

 

 

 代償はそれだけじゃない。まだわからんけど、ワンチャン人間関係がパーになった可能性があるのだ。…いやこれ改めて思うけど大凶どころか地獄じゃん。これからどうやって生きていくんだよ俺。

 

 別に俺はコミュ障とかってわけでもないから付き合いのある人もそれなりにいたんだが、勉強に集中するためその人らには予め言って距離を置かせてもらうことにしたのよ。

 それで今年2月に結果が出ました、受かりましたと。普通なら連絡入れるじゃないですか、その人たちに。

 

 でもなんか…今連絡して塩対応されたら死んじゃうなあって一回考えてしまいまして、今に至るまで結局連絡できていない次第でございます…はい。

 

 

 待って、弁明させて。だって距離置いてたってもう半年は経ってんのよ。そんだけの間連絡してなかったやつから突然メッセージ来たらお前ならどう思う?「何こいつ、誰だっけ…」ってならん?

 中学時代に大して仲もよくなかったヤツから大学生になって突然連絡来たら詐欺疑うでしょ、そんな感じ。

 

 いやぁ、なんか憂鬱になってきたな。なんて言って顔出そうかな…。もう明日入学式なんだよね、やだなぁ…今の俺日本で一番ブルーな自信あるわ。

 

 

 なんで今の俺の友達は実質パソコンだけです。愛と勇気は敵だ。

 パソコンつったらね、最近の俺には密かなマイブームがあってな。「ロックバンド」が今キテる。さっき俺が反応してたのもそのロックバンドのチャンネルなんだよ。えー、ろぜりあ?ってバンド。今更だけど読み方合ってんのかこれ。

 

 最近伸びてるバンドっぽいんだけど、G〇eeeeNよろしくメンバー情報が伏せられている。分かっているのはメンバーが全員中高生で、ボーカリストは女性ということ。俺と年齢層近いのにここまで注目されてるのヤバくないか。

 注目されている根拠?再生数見ろ、10万に迫ってるぞ。これが注目されてなかったら何なんだよ。

 

 

 俺は運よくこのバンドを発足当時に捕捉(激寒)できた、幸運な人種だ。まだそれから半年も経ってるか怪しいんだけど、その間の成長がすごくて俺はいつも感動していた。このムーブ完全に後方腕組みイキリファンじゃん。

 

 でも唐突に数週間もChanter(〇witterみたいなやつ)の音沙汰がなくなって、後方腕組みイキリファン…めんどくせぇな、xに代入するか。xこと俺は寿命が3000年くらい縮んだことがある。

 今こうして追っているあたりお察しだとは思うが、その後ちゃんと進化した音とともに戻ってきてくれたので俺を含めたxのみんなは不老不死になった、というすごいエピソードがなくもない。この人何言ってるの?

 

 xが復活に沸いたっていうのはマジ。当時俺が『不死鳥Roselia、最高。』ってツイートしたら同業にアホみたいにふぁぼられたから間違いない。リツイートもされて全然関係ない人にまで波及したのはすごかった。さすがxのみんなだ、最高。

 

 

 ここまで広がるとCDとか出さないのかというのはxのあいだでもちょくちょく話題になる。年齢層や伏せられている情報的にライブは厳しいにせよ、CDならまだ可能性はあるんじゃないかと。

 一部のxにはCD出たら破産するまで買うって言ってるヤツもいる。流石に自己破産だけはやめてくれ、同業からのお願い。300年地下行きなんて見たくないんだよ俺は。

 

 でも今のところRoseliaは淡々とMVの投稿やChanterでのツイートをしているだけで、なんというか有名になることにはそこまで執着してないのかなって感じがする。xは待ってるぞ、お前らのCDを。それだけは知っておいてほしい。

 とはいえ焦ってここで直接DMに殴りこむのはxとしてあるまじき行為。それは後方腕組みイキリファンじゃなくてただの厄介だ、去れ。散れ。

 

 

 …今更だけどxってなんだよ。さっきの自問自答といい深夜テンションがひどすぎるぞ俺。

 いい加減寝るか、入学式早々遅刻なんてボカかましたらマジのマジで死んでしまう。そうなった暁には汚名返上なんて不可能だろう。目覚ましセットすとこ。

 

 

 [5:45]

 

 

「…………ッスゥ〜〜〜…寝るか」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 はいやった~。当然のごとく起床事故だボケが!

 

 あのあと俺は結局8時前までガッツリ寝てしまい、超急いで飯かっ込んで髪バーーッやって歯ァ磨いてドアバァンとかする羽目になった。

 でも今は8時ちょうどくらいだし、どうせ高校まではチャリだしなので今からなら超ダラけながらでも十分に間に合う。よし、ちんたら行こう。

 

 ところでね、唐突に心理テストじみたことするんだけどね、まずお前はめっちゃ急いでる。戦闘機でも使わなきゃ間に合わないくらいに急いでる。そんなときにね、路傍にぶっ倒れてる人がいたらどうするよ?

 

 答え?知るか。

 

 

「あわわわわ…」

 

「……」

 

 

 どうしたんだろうなこの娘。ありえねえくらいアタフタしてんだけどどうしたの一体。もう「どうしたの」しか出てこねえ。

 角を曲がってすぐにピンク髪の娘が茫然自失としててこっちがびっくりしたよ。

 

 どうやら彼女は割と近くに佇んでいる俺にすら気づいていないらしい。ひたすら鞄や周囲へ視線を往復させている。

 なんかもう見てられないのでとりあえず挨拶してみる。

 

 

「…おはようございます?」

 

「ひゃあっ!」

 

「ひえっ」

 

 

 めっちゃ驚かれた。もしかして不審者だと思われたの俺?現役高校生(仮)が不審者呼ばわりされた事案なんて聞いたことないぞ。

 まあチャリ乗りながら声かけちゃったし、高圧的に見えたのかもしれんな。そりゃ悪いことをしたなと、今度はチャリから降りて聞く。

 

 

「えっと、どうしたんですか?慌て方が尋常じゃないですけど」

 

「あぁぁごごご、ごめんなさい…」

 

「へぇっ?なんで…いやまぁとりあえず深呼吸しましょう」

 

「は、はい…ひっ、ひっ、ふ〜っ…」

 

「あ、それラマーズ法っすね」

 

「あああああっ!!!!!」

 

 

 やべぇどうしよう、収まりがつかない。まさか深呼吸してって言ってラマーズ法の方やるとは思わなかった。どんだけ慌ててるの。

 さっきからスゲェ慌てている目の前の娘はピンク髪のセミロング。制服的に花女(花咲川女子学園)かな。…あれ?パスパレの彩ちゃん?んなわけ無いか…。

 

 

「ふぁあ、深呼吸、深呼吸…すー、はー…」

 

「うんうん、どうです?OK?」

 

「…ふぅ。うん、その…ありがとうございます。私、生徒手帳をどこかで落としちゃったみたいで」

 

「…生徒手帳?」

 

「はい」

 

 

 正直、言っていいか。マジであんな慌ててたんか?

 でもあれか、生徒手帳って学生証を入れるポケットみたいなのついてるよな。となると学生証も一緒に…あ、そりゃヤバいわ。

 

 

「それはつまり学生証も…?」

 

「そうなんです」

 

「あぁ〜…ここまでどれくらい歩いてきましたか?」

 

「えっと、たぶん数百メートルくらいだと思います…」

 

 

 微妙だなー。歩きで探して回って遅刻しないで済むかどうか…。急げばどうにかなるか?

 生徒手帳ならまだしも学生証を紛失したとなると面倒くさそうだし、できれば早いうちに見つけてあげたい。

 

 

「そうですねぇ、時間の許す限り探してみて、なかったらまた放課後ですかね」

 

「…探してくれるんですか?」

 

「ここまで聞いておいて見捨てるなんて非情なことできませんよ…」

 

 

 ふと不安になって、胸ポケットに突っ込んであるスマホを改める。普通にちゃんと入っとったわ。

 俺の乗ってるチャリはクロスバイクで、乗るとハンドルの位置が低いのでかなり前傾姿勢になる。そうなると振動でたまにポケットのものが落っこちることがあるのだ。怖いよな。

 

 俺の仕草を見ていたピンク髪の人も同じように胸ポケットを──

 

 

「あっ」

 

「ん?どうしました?」

 

「…ありました」

 

「えっ?」

 

「生徒手帳、ありました」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 いや、気まずかった〜。

 散々ないと思って探してたブツが胸ポケットに入ってるなんて思わんやん普通。まして俺の方はポケットとか全部改めた上で慌ててるもんだと思ってたし。

 

 これはあれですね、メガネでも似たような現象が見られますね。

 メガネを頭へスライドさせたはいいけど、しばらくするとそれを忘れて失くしたと思い込み、他人に在り処を尋ねてしまうやつ。

 傍から見たらただのマヌケだしすげえ恥ずかしいんだわ。まあ俺メガネしてないんだけど。

 

 さっきはそのメガネ現象を思い出してこっちがいたたまれなくなり、「あぁあそうですかそれは幸いです、それでは」つって無理やり離脱してきちゃったよ。

 

 

「ふえぇ…」

 

 

 つかさっきの娘マジで彩ちゃんに似てたなぁ。瓜二つまであるかもしれん。

 お前は知ってるか?パスパレ。Pastel✽Palettesって名前のアイドルグループだよ。冠番組も持ってるんだぞ、すごいんだぞ。

 

 

「ふえぇ…」

 

 

 今思うと慌て方とか仕草とかクリソツだったし、おまけにどえらい別嬪さんだった。両手の指先を合わせてちくちくやる仕草とか。

 …えぇ?でも本人なわけなくない?朝っぱらからアイドルに会うとかどんな奇跡だよそれ。

 

 

「ふえぇ…」

 

「……………」

 

 

 …あのさ。

 

 さっきからスルーしてたけどこの鳴き声なに?猫?

 言い忘れてたが、今は8時10分くらいでもう栄星の近くにいる。いやこの辺で野良猫が出るとか聞いたことないんだけど。もしかしたら引きこもってる間に湧いたかもしれんな。

 

 全く、誰だ一体。育てきれなくなったからってすぐ猫を捨てる不届き者は!

 

 

「ふえぇ…」

 

「は?」

 

 

 人じゃん。しかもまた花女の制服着てる。

 声のする方を覗いてみたら、青髪の娘がふえぇふえぇ言ってた。なんだろう、この庇護欲そそられる感じ。

 その人はサイドテールをふわふわさせながら、涙目でひたすらに周囲を見回している。あっ、目が合った。めが あったら ポ○モンしょうぶ!

 

 

「あの…ここってどこですか?」

 

「え、栄星高校のそばですね…あれ?栄星の人ですか?」

 

「いえ、そうじゃなくて…」

 

 

 少女はトコトコとこっちに近づいてきて質問してきた。栄星の人かと思ったけど違うのか。

 住所ならそこの電柱に書いてあるんだけども。もしかして記憶を失ってたり…はないか。それにしては受け答えしっかりしてるわ。

 相対してみて気づいたが、この人もやけに可愛い。意味もなく人の顔をジロジロと見るのが不躾なのはわかってるけど。

 

 

「それじゃあ花女ですか?ここからだと都電挟んで反対側ですけど」

 

「…遠い、ですか?」

 

「んー歩きだと微妙な距離じゃないかな」

 

 

 やっぱり目的地は花女らしい。迷い込んでここまで来ちゃったんかなたぶん。

 栄星は住宅街のど真ん中にあって、大通りからは少し入ったところだ。そのためまずは大通りに出られないとどうにもならないという、まあまあややこしい地形をしている。

 

 

「そうですか…。その、あぅう…」

 

「どうしました?」

 

「ついてきてくれませんか?花女まで」

 

「あぁ、道案内ってことですか?」

 

「はい…。私、一人だといつも道に迷っちゃうんです。マップ見てても気づいたら知らないところにいるし…」

 

「んーなるほど?」

 

 

 方向音痴ってことか。

 でもマップ見てればどうにかなりそうな気がするんだよな。大体そういう人はあまり目印を立てて道順を覚えたりとかしてないから、マップっていう目印があったらいけそうじゃん?

 

 物は試しと、俺のスマホでマップを開いて現在地から花女までの経路を表示させ、そのまま青髪少女に渡した。マップ曰くしばらくは栄星とは反対方向に直進らしい。

 

 

「じゃあ俺が一応ついていきますんで、まずはこれ見て行ってみてください。俺自身ここからの道はよくわからないんで」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 少女が進み始めたのを見て、俺も斜め後ろをついていく。

 

 それにしてもこの辺りには久々に来たが、閑かな住宅街に突然出てくる都内にしては広大な栄星の敷地が出てくるのは今見ても異質だな。

 都電の停留所とかバス停とかからも微妙な距離だし、電車通学するには不便な立地かもしれない。陸の孤島か? 

 

 …ってちょっと待て。あの少女は?

 

 

 えっ、消えた?

 

 

「はっ?」

 

 

 は?まだ後ろに栄星見えるんだけど、100m進んだかも怪しいぞ。どこに失踪する要素あんの?

 振り返ると、ちょうどT字路を越えたところだった。というかさっきのとこからここまで曲がり角がここしかない。恐る恐る覗き込んで──

 

 

「あっいた!」

 

「ふぇっ!?」

 

「はいはいウェイトウェイト。ウェイウェイ」

 

「ふぇ…?」

 

「え、なっ…なんで曲がったんすか?一瞬蒸発したかと思いましたよ」

 

「あ、あれ…?いつの間に…」

 

「ふぁっ??」

 

 

 住宅街に響く「ふぇっ」と「ふぁっ」の応酬。

 

 彼女も声をかけられて初めて気づいたらしく、何が起こったかよくわからないようだった。俺?わかるかこんなの。

 てかさっき渡したとき明らかにずっと直進だったよな?俺の目がおかしかったのか?

 …いや、合ってるわ。彼女の持ってる俺のスマホ覗いたら、マップパイセン戻れつってブチ切れとるわ。

 

 

「なるほど…ここまで来るともはや才能の域ですね…」

 

「うっ…ごめんなさい。どうしても治したいんですけど、どうにもならなくて」

 

 

 マップ見ても知らないうちに変なところにいるとか人生ハードモードすぎる。そりゃ治したいとも思うだろう。

 基本的な方向音痴の対策には目印を覚えるとか地図を書いてインプットするとかあるが、もはやそんなレベルではない。

 

 

「…いや、なにも全部治す必要はないのかも」

 

「えっ?」

 

「そうですね、例えば行きつけのカフェとか。そこに行くときに迷うことはあります?」

 

「いえ、十回に一回くらいは迷っちゃいますけど…大体は迷わず行けます」

 

 

 つまり、何回も通っていれば次第に迷う頻度が減るということ。道順を覚えることはできるが、そこまでに何回も刷り込みをしなきゃいけない。

 要するに方向に関してめちゃくちゃ不器用なのだ。

 

 逆に言えば時間はかかっても何回もやればある程度克服できる。それがわかっただけずっとマシだ。これでどこ行こうにも迷っちゃうとかだったら本当にどうしようもなかった。

 

 

「じゃあ回数をこなせばだんだん精度が上がってくるんですね」

 

「はい」

 

「それだったらなんだかんだどうにかなってますよ。猛烈に時間はかかってますけど、着実に迷う場所は減ってるんじゃないですか?」

 

「…あっ」

 

 

 じわじわとした変化というのは自覚が難しい。それが積み重なって大きな変化を生んでいても、自分のこととなると最初から最後まで全部見ざるを得ないから気づけようもない。

 アハ体験がさっぱりわからないのと同じだ。

 

 その点、客観的な視点は強い。過程を無視して最初と最後だけを冷静に比較できるからだ。おそらく、今回の彼女もそんな感じだろう。

 

 

「克服できてるってわかっただけでも儲けものですし…それに自分の意思に関係なく知らない土地に行けるって俺からしてみたらちょっと羨ましいですね」

 

「羨ましい…?」

 

「だってそれ旅好きには堪らないですよ。適当に放浪して新発見してってすごい楽しそう──ハハハ深夜テンションやべぇ。すいません忘れて」

 

「…そっか。楽しい、か」

 

 

 今勢いに任せてとんでもない失言をかました気がして大湿原。それきり青髪少女は考え込んでしまった。

 久しぶりの家族以外の人との会話に加えて、夜ふかししてしまったことによる深夜テンションのもつれ込みのせいで対人スキルが死んでる。もう今日はなるべく黙ってよう。

 

 

「あの、ごめんなさい…とりあえず早めに行きましょう。一応手繋いどきますね」

 

「あっ…うんっ」

 

 

 この後ちゃんと少女を花女まで連れてくることができた。よくやったぞ瀕死の俺。

 少女はひとしきり感謝してきて、やけにニコニコしながら去っていった。さっきとは全く違った雰囲気に思わずビビったのは内緒。

 

 まぁ寝坊はしたけどなんだかんだ時間あってよかったな、うん。あのまま二人とも放置してたら大変なことになってたよな。両方遅刻の危機だったし。

 とりあえず俺も早いとこ戻るか。ずっと押してきていたチャリに三度跨り、時間を確認す

 

 

 [08:25]

 

 

「ア゜ッ!」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 朝ちんたら行こうとか言ってたバカは誰だよ一体。しばいていいか。

 

 どうにか教室──1-Cだった──にはヘッドスライディングをして間に合ったんだが、その数秒後にチャイムが鳴って本当にギリだった。あと何故か初対面のクラスの面子に拍手された。誰か俺を殺せ。

 

 その後、担任の先生は爆笑しながら「今度からは席についてないと遅刻にするからな〜」って温情で見逃してもらった。いやあぶねぇ〜マジで。ありがとう先生、俺一生ついていきます。

 

 

 今は入学式が行われる栄星高校の体育館に来ている。バカみてーに天井が高い、何これ。

 つーかめっちゃ暑い。チャリ飛ばしてきたからそれはもう暑い。大粒の汗をダバダバかいてて風呂上がりみたいになってる。

 

 俺さ、この時期にチャリ乗るの嫌なんだよな。だって暑いじゃん。

 春は死ね(花粉症)、夏は死ね(暑い)、秋は夕暮れ(最高)、冬はつとめて(神)っていう文句が有名な文学知ってるか?

 知ってるって言ったお前は嘘つきだ、だってこれ俺が今考えたもん。タイトルは『呪草子(のろいのそうし)』。清少納言に土下座しろ、焼き土下座だ。

 

 

「んっ、君さっきヘッドスライディングで教室入ってきた人だよね?俺は宗谷修介。よろしく」

 

「筑波昌太だ、こちらこそよろしく。悪いな、汗だくで」

 

「気にしなさんな。高校なんて汗流してナンボでしょ?…まぁ、それにしたってか。雨にでも降られた?」

 

「窓から見える雲量0の空見ても同じこと言えんの?」

 

 

 整然と並ぶパイプイスは三列縦隊。ちょうど俺が座ろうとしたところには先客がいたので真ん中に座ると、宗谷が話しかけてきた。

 俺知ってるぞ、さっき真っ先に拍手し始めたのがお前だって。面白そうなヤツではあるが、どことなくかのパン大好きな健啖家さんを思い出す。

 

 

「じゃあ風呂上がりか。ちゃんと身体は拭いといたほうがいいよ、湯冷めするから」

 

「身体も拭かずに高校来て教室でヘッドスライディングとかバケモンだろ」

 

「ヘッドスライディングしてる時点でヤベーやつ扱いされかねないことにお気づきでない!?」

 

「うるさ」

 

 

 たまに湧く謎に上から目線のオタクやめろ。強くなれる理由をご存知でない!?

 だが話してみてわかった、こいつウマが合うわ。つーかやっぱり気質が白髪のヤツに本当に近い。今「しょーくん」って呼ばれても違和感ないかも。

 

 と思ってたら俺の目の前に座ってたスポーツ刈りでガタイのいいやつが振り向いて話しかけてきた。

 

 

「んー?何だ何だ、会って早々仲がいいな。知り合いかお前ら?」

 

「いや違うよ」

 

「違うのォ!?」

 

「うるさ」

 

 

 えっ怖…(畏怖)。普通に声量がおかしいし、それをこんな公衆の面前で平然と発揮できる肝っ玉もおかしい。

 あーほら見ろ、体育館にいるほとんどの人がこっち向いちゃったじゃんかよ。全集中 恥の呼吸だよ。てか担任の先生もまた爆笑してるじゃん。

 

 

「あー、俺は筑波昌太というんだが」

 

「宗谷修介です」

 

「諏訪健太郎だ、よろしく」

 

 

 よし、こいつ──諏訪とはよろしくしないようにしよう。お前ブラックリスト入りな。

 いやだってどう考えてもやべーじゃん。驚いたのはわかるけどそれであんなボリュームで叫びますか普通。えっ、ヘッドスライディングした俺と五分だろって?よしわかった、お前もブラリスブチ込む。

 

 

「俺らは会って5分も経ってないぞ。やけにウマが合う感じはしたが」

 

「わかる」

 

「マジかよ。俺は都外からここに来たん

 

 

『まもなく入学式が始まります。新入生の皆さま、静粛に願います』

 

 

「「「…」」」

 

 

 今、わかったことがある。

 

 コイツイジられキャラだ。

 

 




 よろしければ評価や感想等宜しくお願いします。

 '20.08.16 夜更かしのところをごっそり改訂。
 '20.10.26 改訂どころか書き直し。


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第2話 薄幸と薄暮

 
 更新が遅すぎて月1更新がデフォルトになってしまっている。毎度お待たせしてしまい恐縮です。
 最新話はもうちょい待って。


 筑波昌太です。

 

 入学式は疲労から寝落ちしつつもどうにか済ませ、放課後を迎えた現在は行きつけのとあるお店に向かっています。

 朝のあれやこれやをなかったことにすれば今日は平穏そのものであったので、このまま行けばひとまず恙無く終われそう──

 

 

「私の、スマホが…」

 

「単純に充電切れでしょ…。そんな空気淀むほどに落ち込まなくても…」

 

 

 ──なんて思っていた時期もありました。

 

 俺よりは年下と思しきこの少女は、黒のセーラー服に赤のリボンをたくわえたオーソドックスな中学生の格好をしている。が、ここいらではあまり見ないような出で立ちだ。

 

 聞くところによるとこの少女は鉄道を乗り継いでここまでやってきたらしい。そのため土地勘はゼロ。

 現在我々がいる都電の早稲田停留所までは今となっては文鎮と化したスマホを頼りに来たが、ここまで来てスマホの充電が死んだという。

 

 肩口で切り揃えられた薄青の白髪をふわふわさせながら、うんともすんとも言わなくなったスマホを手に尋常じゃないほどに落ち込んでいるのが現在の目の前の少女だ。

 

 たまたまここいらを通りかかったときにあまりに危なっかしい後ろ姿を見て思わず声をかけてしまったのだが、もしかしたらそっとしておいたほうが良かったかもしれない。

 

 

「そうなんですけど…せっかくここまで来たのに、また災いが私を…」

 

「災い?」

 

「はい。今日は朝ベッドから落ちたり、寝癖がひどい上にそれがすごく頑固でなかなか直らなかったり、定期は落とすし、おまけに地下鉄は人身事故で止まるし…もう踏んだり蹴ったりなんです」

 

 

 どんだけツイてないの。聞き返さなければよかった。

 

 

「今度の合唱コンでパートリーダーになったはいいんですけど、やっぱり自分に自信がなくて。気分転換になればと来たのに…」

 

「…」

 

 

 合唱コンか、懐かしい。

 俺は歌うことに抵抗はないから特段負の記憶もないのだが、それでも他のやつが全員そうだったわけでは当然なく、死ぬほど駄々をこねるやつが一人はいたもんだ。

 ひどかったのは床で打ち上げられた魚のごとくバタついて慟哭を上げてたヤツ。あまりの声量に窓が割れるんじゃないかと思ったし、いやそもそもそんな声量出るなら十分戦えるだろとか思った記憶がある。

 

 

「って、初対面の人にこんなこと言われても仕方ないですよね。ごめんなさい」

 

「…どうしてパートリーダーになったんだ?」

 

「え?」

 

 

 予想外の返答だったのか、少女は顔を上げ澄んだスカイブルーの瞳を大きく見開いていた。フリージアのような芳しい花の香りが鼻腔をつつく。

 どこか内気でオドオドとしている様子ではあるが、却ってそれが儚さや上品さを助長させているように感じた。

 

 …あっ、踏み込みすぎたか。初対面ってこと忘れてた。

 

 

「いや、俺も今までの合唱コンのこと思い出してさ。合唱コン見据えるにはえらい早いなと…あ、言いづらかったら無理しなくて全然構わんけども」

 

「いえ…もう聞いてもらっちゃったので。私の通ってる中学校はクラス替えがなくてみんな顔見知りなのと、この辺の高校に倣って音楽に力を入れているので」

 

「え、中学校でも音楽って力入れてんだ…俺の母校全然だったけど」

 

「パートリーダーになったのは、自分を変えたかったんです。意志薄弱で、ひとたび風が舞えば飛ばされてしまいそうなか細い自分を」

 

 

 と言いつつも先程とは打って変わって、毅然とした表情でそう言い放った。一瞬どこが意思簿弱やねんと思ったが、この分だと自覚していないのだろうか。

 

 

「私、行きたい高校があるんです。でもそこは所謂お嬢様学校で、一般家庭出の私にとってはすごく狭き門だと聞きまして。そのために能動的に動いて、少しでも実績を作っておこうと思った」

 

「確かに『生徒会長や級長を歴任した』みたいな実績は往々にして受験でも有利に動くからなあ…それで動いたはいいけど自信がないと」

 

「はい。私には力不足なんじゃないかって気がしてきて…」

 

 

 いや、違う。そもそも原因を履き違えているのだ。

 彼女自身は決して意志薄弱ではなく、むしろ一つ決意を固めればどこへも行ける程度の硬度はある。

 なればこそ、決意を鈍らせているのは意志の強弱ではない。

 

 

「俺はそうは思わない。謙虚なのは美点だと思うけど、それが過ぎりゃただの枷だ」

 

「なんでそう言い切れるんですか?」

 

 

 初対面の相手にも関わらずキッパリと言ってのけた俺に少女は心底不思議そうに聞き返してくる。

 くりっとした可愛らしい瞳は、真意を探ろうとこちらを射抜いている。

 

 

「本当に意思簿弱なら、さっき自分を変えたいと言った時の強い覚悟は感じ得ないだろうからな」

 

「…私は、今だって不安でいっぱいなんです。覚悟なんて…」

 

「いや、覚悟はとっくにできてるはずだ。あのときは間違いなく強い意志を感じた。それでも不安が収まらないのは…その自己評価が邪魔してんだよ」

 

「自己、評価…?」

 

「ああ。それが芯を霞ませている元凶。初対面の俺にすらわかるんだから本来なら何だって乗り越えられるくらいの強さはあるはずだ」

 

「…」

 

「今の君なら自分を褒めて肯定できればずっと伸びると思うんだがな。それができれば苦労はしてないんだよな」

 

「そう、ですね。私にいいところなんて…」

 

「はいそれ!『私なんて』って自分をこき下ろすの禁止!!」

 

「えっ!?」

 

 

 『言霊』って言うだろ。言葉は使いようによっては良いようにも悪いようにもなる、普遍的な想像を絶する武器になるのだ。

 それは歴史においてしばしば言論の自由が弾圧されている事実からも覗い知れること。

 何かと軽視されがちだけど案外馬鹿にできないもんだ。ネガティブな発言は自分を追い込んでしまうし、逆も然り。

 

 

「自分のいいところ一つでいいから言える?ちなみに俺は君のいいとこもうたくさん言えちゃうよ」

 

「ぅ…。その…」

 

「…厳しい?」

 

「あぅ…はい」

 

「そっか。それなら俺が君を肯定してやるよ。自分に自信が持てるまでな」

 

「こうてい…?」

 

 

 心理学とか習ったことないしよくわからんけど、コンスタンスに褒めて美点を自覚させてあげれば、最終的には自分に自信が持てるようになるんじゃないだろうか。

 そもそもこの娘の場合、一般的に美点とされることを美点と認識してない可能性が濃厚。自分の褒められるところがわかってれば自分をもっと推して行けるんじゃないかなあ。

 

 

「そ。言霊って馬鹿にできないんだぞ?まず君は人の目を見て話ができる」

 

「…えっ?それって当然なんじゃ」

 

「それができない人はできないんだなぁ。目を合わせてくれないと相手は不快感とは行かなくても不信感を覚えちゃったりするもんだ」

 

「確かに、そうですね。私のこと嫌いなのかな、とは思っちゃうことがあります」

 

「だろ?その点君はいつも目を合わせてくれるし、話し手としては俺の話聞いてくれてるんだなって喋ってて気分がいい。それはなかなかできることじゃない」

 

「そうなんだ…えへへ」

 

「あとさっきも言ったけど謙虚さを忘れず持ってるし、メンタルがカーボンナノチューブだし、一挙手一投足がなんかお上品だし、身だしなみきっちりしてるし」

 

「ぇへ…えっ?あの」

 

「あとこれマジでナンパでしかないから言うの迷ったけどどうせだし言っちゃうと、紛うことなき美少女でもある。さっきから通行人がたまに君をチラ見してるの気づいてる?」

 

「あぅ…!あっぁあの、もういいです…わかりましたから…!」

 

 

 可愛い。

 でも今の俺って傍から見たら女の子誑かそうとしてるチャラ男なんだよな。このまま褒め続けるのも体裁的にツラかったし早いとこわかってくれて良かったよ。

 

 

「まぁ、そんなに自分を卑下しないでさ。たまには自分を褒めて労ってやってくれないか?そのウィークポイントさえ克服しちゃえば君もう最強だから」

 

「はい、ありがとうございます。頑張ります…あなたのおかげで少しは自分を褒めてあげられそうです」

 

「そりゃ重畳。えー、また褒めてもらいたくなったらここに連絡しな、いくらでも褒めてやるから。それじゃ、俺はこの辺で…頑張れよ」

 

 

 ほな…(粒子と化して風に消える)

 朝のふえぇさんみたいに面持ちもまるで違うし、俺メンタリストの才能あるかもしれん。あ、嘘です嘘!冗談だから叩かないで!蹴るな!

 

 

「あっ…行っちゃった。名前、聞きそびれちゃったな」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「昌太くん」

 

「あぇ?あれ、つぐ?久しぶりだな…ってどした?そんな紫電纏っちゃって」

 

「さっきのこと詳しく聞かせてね?みんなも呼ぶから」

 

「えっ何さっきのって、見てたん?いやそれは話せばわかるしつかどこ行くねんこれ。待ってわかったごめん!歩くくらい一人でできるから!!俺の手握りながらちょっと皮膚つねるのやめろ痛え!!!」

 

 

 というわけでところ変わり(連行され)ましてこちら羽沢珈琲店に来ております。

 元から行くつもりだったからいいけどまるで状況の飲み込めていない俺。その向かいにニコニコしながら座っているつぐ(こわい)。

 

 この少女はつぐこと羽沢つぐみ。喫茶店の一人娘で、茶髪のショートボブと丸っこくクリッとした茶色の目が特徴だ。可愛い。

 家が喫茶店だけどブラックコーヒー苦手なつぐ可愛い。

 今はちょうど下校直後だったのか、真新しくパリッとした羽丘女子学園指定のねずみ色のブレザー姿だ。制服、パリッとさせたくて。

 

 

「今日は手伝わなくていいの?」

 

「お休みもらってるから。それより、なんで連絡くれなかったのかな?制服見るに受かったんだよね?栄星」

 

「大変申し訳ありませんでした」

 

 

 テーブルにガァン!と頭を叩きつけ可能な限りの誠意を示す。

 気まずいからつって連絡しなかったのは弁明のしようもないので素直に謝る。つぐを始めとした腐れ縁組はみんな内部進学だから俺ほど忙しくはなさそうだったし、すぐ連絡入れときゃよかったんだよな。

 やっぱ俺が悪いなこれ。

 

 

「ぅ…いいよっ、もー。よく分からないけどまたこうやって会えたし。だからもう頭上げて?痛くない?」

 

「ごめんなさい」

 

 

 つぐが良い子すぎて泣きそう、罪悪感で死ぬ。これだったら頭叩きつけたの無視してずっとツンツンしたまんまの方がマシだった。

 

 

「私はもういいけど、他のみんなともちゃんと話してあげてね。もうすぐ来ると思うから。心配してたよ?もしかしたら落ちたんじゃないかって」

 

「はひ…」

 

「…あともう一つ聞きたいんだけどさ。さっきの子って──」

 

 

「──昌?」

 

「あー…お久しぶりです…」

 

 

 俺に声をかけてきたのは例の腐れ縁組の一人である美竹蘭。

 いつもツンツンしてて口数も少ないほうだから誤解されやすいけど、友人を慮ってやれる強い子だ。

 きれいな黒髪を肩口まで伸ばしているのだが、知らんうちに赤メッシュを一筋入れたようで。カッコかわいい。

 

 

「何してたの今まで」

 

「…何か気まずくて…連絡できませんでした。申し訳ねえ!」

 

「その様子だともうつぐに言われたんだろ?ならもういいんじゃないか?」

 

「巴〜〜!心の友よ!」

 

「ジャ○アンかよ」

 

「昌太ー!久しぶりー!!」

 

「ぐえっ」

 

 

 俺が勝手に心の友認定した赤髪ロングの姉御は宇田川巴。

 見ないうちにさらに伸びたのか背丈が170近くあり、男の俺よりイケメン。他人の恨みつらみを決して吐かないさっぱりとした性格から皆によく慕われている。さすがイケメン。

 身長だけなら俺のほうが10cmくらい高いけどな!身長はな!

 

 それでも遊園地とかでもお化け屋敷だけは頑として行こうとしない。不思議だね。

 

 

 椅子に座ってる俺にお構いなしに飛び込んできたピンク頭は上原ひまり。

 本当に素直な子で、思ったこと全部顔に出るし嘘もつけない。ポーカーとかもめっちゃ弱くていつも唸ってる。ひまりにカマかけるのめっちゃ楽しい。

 ちなみに何とは言わんけどすごい。察しろ。なのにめっちゃスキンシップ多くて、これ俺試されてるのかな?っていつも思ってる。

 

 

「椅子に座ってるのにお構いなしじゃん…あれ?モカは?」

 

「いるよ?」

 

「へ?どこに…うぉっ、いつの間に反対側の椅子に…お、おっす〜?」

 

「おっす〜、久しぶり〜しょーくん。久々のひーちゃんはどうだ〜い?」

 

「何だその微妙に嫌な言い回し。おっさんか?」

 

 

 しれっと俺の隣の椅子に座ってたモカちゃんは青葉モカ。

 いつも白髪をわふわふさせて眠たげな目してるけど妙に鋭いときあるし、天才肌だから基本何でもできる。勉強もあんましなくていいらしい。ムカつく。

 スゲーマイペースで、乗せられてしまったが最後モカちゃんのおやつになってしまうので注意が必要。

 ちなみにモカちゃんの胃はブラックホール並みの容積を誇るという。

 

 

「それで、さっきの子は誰?知り合い?」

 

「俺が言うのも何だけど久しぶりに会って早々に話すことこれでいいの?」

 

「このことをほったらかす方が良くないんだよ、昌太!」

 

 

 未だに俺の胸に顔をうずめたままのひまりがくぐもった声でなんか言ってる。いい加減離れやがれコラ!と引き剥がそうとするもびくともしない。

 諦めた。

 

 

「なぜ。単に話聞いてただけなんだけど」

 

「それナンパじゃないのか?」

 

「違げーって。あの子が自分に自信持てないって言うからさ」

 

「…え?何でそんな話になったの」

 

「いや俺に聞かれても」

 

 

 押して駄目だったので今度はひまりの頭を抱えて引き込んでみる。なんかんむ〜〜〜って鳴いてるけどやっぱり離れる気配はない。いい加減観念しろ、お前は包囲されている。

 

 

「私途中から見てたけど口説いてるようにしか見えなかったよ」

 

「つぐはこう言ってるけど〜?」

 

「いやだって途中からじゃんそれ。最初から見てたらわかるけど初めのあの子の雰囲気もう死にそうだったからな?」

 

「そんなに?むしろよく気づいたなそんなの」

 

「いやあれはヤバい。容姿もあってスゲー目立ってたし」

 

「んむ〜〜〜〜〜っ!」

 

「なんて?」

 

「ひまりちゃん、そろそろ苦しそうなんだけど…。離してあげたら?」

 

 

 だって全然離してくれないんだもん。

 つぐに言われたとおり離してやったら、ぷはぁっ!とか潜水でもしてきたみたいに息継ぎをしてだいぶしんどそうだった。

 ごめん、ぶっちゃけちょっと楽しくてわかっててそのままにしてた。

 

 

「はぁ…でも昌太っ、その娘に…っは、可愛い、ってはぁっ…。ごめん昌太、ちょっと胸貸して…」

 

「許可得るの今更すぎる。いやそんなこと言ったけどさ、それだって問題解決のためだから他意はない」

 

「でも嘘じゃないんでしょ!?」

 

「近い近い。そりゃ嘘だったら意味ないし…というか実はお前元気だろ」

 

「それは…ごめん、普通にまだしんどい」

 

「あー、まあひまりって最近はスイーツとk」

 

「巴!それ以上は駄目だよ!!」

 

「ひまりちゃん…」

 

 

 まだしんどいのかよ、本当か?なんか言いかけた巴を口だけで牽制したし。

 座ってる俺に対面してだらーんと寄りかかってきたひまりをよそに俺は続けて言う。

 

 

「俺もあの子のことはよく知らんよ、だって今日が初対面だし。というか今更だけど何で俺こんなに詰問されてんや」

 

「「「「…」」」」

 

「何か言え。とにかくアレに他意はないからそれでいいだろ…」

 

「…まあ、いいけど。それより昌、また背伸びた?この半年くらいで」

 

「わかる?10cmくらい伸びたけど。たぶん今は180弱だな」

 

 

 伸びたは伸びたけど180ないくらいってめっちゃ微妙だと思う。実際今日栄星にいた新入生で俺より背丈高い人結構おったし。

 服のサイズも悩むし、中身長か高身長かで言われても悩む。あと2〜3cmくらい伸びてくれればちょっとは楽かもしれんのだがな。健太郎のヤツたぶん180はあるし今度聞いてみるか。

 

 

「そういう蘭はメッシュ入れたんな。似合ってんじゃん」

 

「ありがと。まぁ、せっかく高校生になったし。これからもみんなと、バンド…やりたいし。願掛けも込めてね」

 

「やっぱり蘭はみんなのこと大事にしてくれてるもんね〜。モカちゃんも蘭のこと大好きだよ〜。もちろんみんなのこともだけど〜」

 

 

 流れるようにゆるゆりし始める蘭モカを含めた幼馴染のこの五人は、実は最近流行りのガールズバンドを中学生のときから組んでいる。

 名を『Afterglow』という。夕焼けを意味するこのバンド名は、バンドを組むきっかけとなった原点を表していると蘭から聞いた。

 

 

 ルーツに立ち会ったわけではないとはいえ、俺としては『夕焼け』というバンド名は大変気に入っている。

 斜陽は雲を橙に照らし、地上に影を落とす。条件が揃えば雲間から光芒が地上に向かって差している、さながらシルクのカーテンのような情景を観測できたりする。

 薄明光線とか天使の階段とか言うらしいが、俺はそれを見るたび思わずスマホで撮影してしまうためアルバムは夕焼けだらけである。

 

 何が言いたいかというと、夕焼けは往々にして人々にインパクトを与える風景であり。

 『Afterglow』というバンド名を見るたびに、夕焼け自体の謎の郷愁とともに彼女ら自身の「夕焼けのように爪痕を残せる存在でありたい」という思いを感じられて。

 この心の涙腺をつつかれるような一種の感動を呼び覚ますエモい『夕焼け』が大好きだってことだ。オタク特有の早口。

 

 でも夕焼け過ぎて薄暗くなってくると無灯火のチャリが微妙にステルス性能発揮し始めるからきらい(豹変)。

 

 

「んむ?どしたの昌太、涙腺緩んでない?」

 

「何でわかるんだよ」

 

「雰囲気」

 

「…いや、Afterglowっていい名前だよなあって考えてたらなんかこみ上げてくるものがあった」

 

「んへへ〜そうでしょ〜」

 

「なんでひまりが…」

 

「まあ()()リーダーひまりちゃんだからね」

 

「今しれっと毒吐いたなつぐな」

 

 

 真っ先に反応したひまりに微妙な表情を見せる蘭。

 つぐの言うとおりリーダーはひまりになってるが、今のこの様子じゃ形なしである。

 とはいえ皆のこの反応はリーダーの資質が云々とかそういう話ではなく、雰囲気なのか知らんけど普段ちょろちょろリーダーを蘭だと間違えられていて、その絡みでのイジりである。

 

 それでもひまりは持ち前の明るさからAfterglowの精神的支柱としてむしろ大きな役割を果たしている、なくてはならない存在である。

 

 要するにひまりは不憫かわいいポジションなのだ。頑張れ。

 

 

「う〜!私がリーダーなのーっ!!」

 

「ハハハッ、ウチらのリーダーはいつだってひまりだぞ。もっと胸張ってくれ」

 

「…やっぱり巴って平気でイケメンムーブするよね。巴が男の子だったらほっとかないのになぁ」

 

「ありがとうと言いたいんだけど、それもう今までたくさん言われた」

 

「あぁ、嫉妬するくらいカッコよかった」

 

「昌太に言われるとなんかスゲー複雑だなこれ」

 

「なんで?いいじゃん頼もしくて」

 

「いや、そうじゃなくて…これ言ったのが昌太じゃない男だったらこうはなってなかった」

 

「なんで??」

 

「自覚してないの?このスケコマシ」

 

「なんで???」

 

 

 突然蘭からあらぬ誹りが飛んできた。

 まあ何はともあれ、疎遠になっていた幼馴染との久しぶりの顔合わせはかくして成ったのである。

 

 …なんでスケコマシなの?まさか薄幸少女の一件まだ尾を引いてるの?お願いだからもうゆるして。

 

 




 
 コメントでもご指摘を頂いていましたましろの学年について、一度は「このまま進める」と申しましたが、結局書き直しのついでに関連話とともに修正を入れることにしました。
 方針があまりにガバガバな手前大変申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
 


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第3話 唯一無二

 入学式のあった4月某日、午後4時。商店街を軽くふらついた俺は、第二の目的地へとチャリを走らせていた。

 

 

 というのも、その目的地に住まう少女はつぐみたいに目を離したらすぐ無理しちゃう系女子二号なのだ。

 

 別に安否確認くらいならメールなりなんなりすれば済む話だけど、前も言った通り受験に際して連絡は控えていたこともあり、今更メッセージだけで済ませるのもなんか嫌だった。

 

 あとはまぁ、ちゃんと顔を見ないと安心できないから。文だけならいくらでも繕えちゃうし、たぶん無理してても彼女は言わないと思う。

 

 

 なにしろ思考回路が俺に近しいのだ、それくらいはわかってしまう。

 

 彼女は誰よりも"優しい"。

 いつも自分を差し置いて、自分を抑え込んで周りを優先する。

 彼女にとってのバラモンはいつだって周りなのだ。そして自分自身はシュードラ。

 

 だからそうしたプライオリティを維持するためには自分の趣味すら捨てることを厭わない。

 

 

 だが俺に言わせりゃ、もう彼女は頑張りすぎた。無理をし過ぎた。

 そうしてもう自分を切り捨ててほしくないからこそ彼女にはもっと頼ってほしいし、我儘だってもっと言ってほしい。

 

 そのためにも俺は今日も彼女をこれでもかというくらいに、めちゃくちゃに甘やかしてやる。俺にできるのはそれくらいだから。

 

 

 とはいえ俺だって人に言うくらいだから無理はしないようにしてるよ。やりたくてやってるんだから、無理()してない。

 

 

 とまあ屁理屈もそこそこに、この鬱陶しい蒸し暑さから一秒でも早く逃れるため俺は余力を絞ってペダルを踏みしめた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おいすー」

 

「いらっしゃいま…あっ昌太!久しぶり!」

 

 

 うひゃー涼し。やっぱ冷房最高。

 俺は今、第二の目的地である「やまぶきベーカリー」に入店したところだ。

 

 

 で、ひまわり(ひまりに非ず)のような笑顔を浮かべながらこっちに駆け寄ってきたこのポニテ碧眼少女は山吹沙綾。

 このパン屋の娘であり、目を離したらすぐ無理しちゃう系女子二号。

 

 今日はいつも通りそのアッシュブラウンの髪をゴムで結い、その上からさらに黄蘗色のリボンを結んでいる。

 そして、学校帰りからそのまま手伝いをしてるのか花咲川の制服の上に薄い飴色のエプロン。かわいい。

 

 沙綾とはなんだかんだ小学生の時からの付き合いだ。元々親たちが知り合いで、その絡みでな。俺の知り合いの中では一番親しいし、最も気の置けない仲だと思う。

 

 

 ここで俺は徐ろに腰を少し落とし、沙綾の顔を両手で軽く挟んで視線を合わせる。

 

 沙綾は「ふえっ」と今朝のふえぇさんみたいな声を漏らしながらも俺と目を合わせてくれる。…身長差から若干上目遣いになってる上に顔も紅潮してきててすっごい可愛い。なんかこうグッとくる。

 

 

 もちろんただ沙綾を恥ずかしがらせたいわけではなく、こうして沙綾の反応を見ることでそのときの疲労状態もなんとなくわかるのだ。

 疲れてると露骨に視線そらしてくるから間違いない。

 

 反応を確認した俺は姿勢を戻しつつ、手はそのまま沙綾のほっぺをむにむに。やわっこいなー、一生触っていたい。

 

 

「…久しぶり、沙綾。元気そうじゃん」

 

「なんでこれでわかるんだろうなぁ…昌太もね。と言いたいところだけど、昨晩夜更かししたでしょ。クマできてる」

 

「…いやぁ、気づいたら朝6時で…」

 

「ダメじゃん、ちゃんと寝なきゃ。夜更かしは思ってる以上に身体に悪いんだからね」

 

「ウィッス」

 

 

 左手を俺の右頬に添えながら沙綾はそう言う。

 モカにも見抜かれたんだけどそんな分かりやすいかな。朝ちゃんと鏡見て目立たないのは確認してたんだけども。まこれから修正してくつもりだしモーマンタイ。

 

 

「それで、今日はどうしたの?」

 

「あぁ、普通に様子見に来たのとパン買いに来た。フォカッチャあるか?久々に食いたくてな」

 

「…んー、多分まだあると思う。確認してくるね」

 

 

 裏の在庫を確認しに沙綾がレジ奥へ引っ込む。

 実に不思議なんだが、ここのパンは俺が今まで食ったどのパンよりも美味く、幼少期からずっとお世話になっている。

 

 俺も真似してみようと完成品を基に勝手に家でパンを作ってみたことがあるが、やはりこうは上手くいかなかった。こうなってくると「ものづくり大国」の極致感あるよな。

 

 

 沙綾が在庫確認している間俺は暇なので、他にも少しパンでも買っていこうかと店内を見て回る。…ん?不自然にチョココロネだけ大量に残ってる…

 

 

「こんにちはー。…あっ、昌太くん?久しぶりだね」

 

「ん?おーりみりんか。その制服、花咲川だったんだな」

 

「そうだよ。沙綾ちゃんとはクラス一緒になったんだ」

 

「ほへ~そうなんか。沙綾をよろしく」

 

「ふふ、任されましたっ♪」

 

 

 今店に入ってきたのは牛込りみ。

 いつも店で会うときは私服姿だったからわからなかったがどうやら花女だったらしい。なるほど、チョココロネも多いわけだ…

 

 

 りみりんは黒髪でクセのあるボブ、こめかみあたりで左右に跳ねたクセっ毛がかわいらしく、くりっとした垂れ目もありおっとりとした雰囲気の少女だ。

 

 あとちんまい。さっきの白髪のお嬢様といい勝負だと思うけど、とかくちんまい。

 俺は178cmあるがりみりんは多分150あるかないかくらいだと思う。30cmくらいだから、かなりの身長差だ。

 そのこともあって知り合いの中では「小動物」というイメージが一番ピッタリだと思っている。

 

 で、なんでりみりんが来たことで俺がチョココロネの多さに納得したかというと──

 

 

「うわぁ~、チョココロネめっちゃある~!今日はいくつ買おうかな~…」

 

 

 ──彼女、無類のチョコ好きなのである。

 もはやジャンキーとすら言えると思う。関西弁出てますよりみりん。

 

 りみりんと顔見知りになったのもこれがきっかけで、隣でトレイにばかでかいチョココロネの山を作っている少女がいることに気付くと思わず瞠目し、なんか心配になって声をかけちゃったというもの。

 なかなかにシュールな馴れ初めだと思う。

 

 …こうしてみると本当にりみりんって属性盛りだくさんね。唯一無二だと思うよそれ。

 

 

「昌太、フォカッチャあったよ~…あっ、りみりん。いらっしゃい、さっきチョココロネ増やしといたけど足りる?」

 

「うん、ありがとう!」

 

「おーサンキュ。なんかチョココロネ多いなと思ったらそういうことな。りみりんと沙綾同じクラスになったんだって?」

 

「うん、二人とも1-Aだったよ。昌太は?」

 

「俺は1-Cだったな」

 

「昌太くん、その制服って栄星だっけ?いいところ入れたんだね、おめでとう!」

 

「ありがとさん、りみりんもな。そうだ、せっかくだし連絡先交換しん?今の今まで持ってなかったし」

 

「いいよ、私もちょうど言おうと思ってたんだ」

 

 

 さっきになって俺が栄星に受かったことをりみりんが知ったのも、そもそも俺とりみりんが連絡先を交換してなかったから。

 沙綾とも同じクラスらしいし、連絡先交換のタイミングにはちょうど良かったかもしれない。

 

 そして、話題は互いに出会ったクラスメイトの話になる。

 

 

「栄星ってどう?私全然校風知らないんだけど」

 

「そうだな、パッと見た感じ敷地はすごい広いな。グラウンド広いし体育館なんかなぜか二階席まであったし。あとは…気さくなヤツも多くて過ごしやすいと思う」

 

「へー、やっぱり評価高いだけはあるね。そうだ、クラスメイトって言ったらうちのクラスにもすごい人がいてさ」

 

「すごい人」

 

「うん。自己紹介のときすごいハキハキと…えっと、星の鼓動が…なんとかって」

 

「『星の鼓動、キラキラドキドキを見つけたい』…かな。その人、なんというか常にエネルギッシュで、純粋に何かを目指してるって感じで。そうやって自分を強く持ってる人、憧れるなぁ…」

 

 

 …りみりん、なんでこっち見ながらそれ言うの?ぼくよわよわだから。もやしよもやし。実際しばらく日に当たってなかったし的を射てるでしょこれ。

 

 

 それにしても、『星の鼓動』ねぇ。

 

 一見してキテレツなパワーワードにしか見えないが、りみりんをして「自分を強く持ってる」ように見える人が適当なことを言っているとは、ただその人のことを伝聞しただけの俺でも考えづらい。

 

 りみりんも沙綾も性格的に人の感情の機微には敏く、本気か否かってのは結構すぐわかるらしい。そんな二人がわざわざ俺に「すごい人」と話した。

 そもそもそれが冗談だったならその場で笑い飛ばされるのがオチだろう。そうしてすぐに記憶が風化するから、伝えるどころか記憶も残らないはず。

 

 

 それを鑑みるに、その人は本気で『星の鼓動』を希っている。

 

 

「いつでもエネルギッシュってなんか恒星みたいな人だな。…『灯台下暗し』なんて言うし、『星の鼓動』も案外近くにあったりしてな」

 

「?…昌太?」

 

「いや、言ってみたかっただけ。沙綾、これよろしく」

 

「はいはい、ありがとうございまーす」

 

 

 …もしかしたら、その『星の少女』だったら、また取り戻せるかもしれない。俺にはできなかったこともその人なら。

 かなり薄い情報量でもその人が恐らくは本気だろうことがわかるのだ。なら本人は、どれだけ強く夢を見ているのだろう。そう考えると少し身震いした。

 

 

 一目見てみたい。

 

 

 チョココロネの山があっただろう、今となってはまっさらな陳列棚を眺めながら俺はそう思った。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 とりあえず知り合いとの顔合わせという目的は達成し、フォカッチャとその他メロンパンとか色々買った俺は家のそばのスーパーへ向かっている。

 

 沙綾やりみりんと駄弁っていたらあっという間に午後6時。

 まだまだ短い日は落ち日差しがなくなったことで昼間の蒸し暑さが嘘のように捌け、もはやひんやりとすらしている。

 

 

 ちなみにだが、俺は今は一人暮らしということになっている。

 

 ややこしい話だが、今年入ってすぐに実家の近くに住んでいた親類が数年単位で家を離れることになった。

 そしてその間ずっと家を空けておくのも不安だからと俺たち家族に家を見ておいてくれないかとお願いに来た。

 

 

 これをいい機会と見た両親が擬似的な一人暮らしをしてみないかと、まあひねくれた言い方をすれば俺にその依頼を押し付けてきて今に至るわけだ。

 

 俺自身家事はできるし、一人暮らしに仄かな憧れのようなものもあったから丁度よかったけど。

 

 

 困ったらすぐ近くの実家に戻ればいいし、家賃や光熱費などはそのまま親類の名義になってるから俺の負担はゼロだしで俺は得しかしてない。

 実質タダで立派な一軒家を独り占めしてる状況なんだが、いいのかなこんないい思いして。

 

 

 昨日(というか今朝)に平然と奇声を上げていたのも、実質一人暮らしであんまり騒音を気にしなくてもよかったからだ。

 さすがにギターをアンプにつないでジャンジャン鳴らすとかになるとアレだけど。

 

 

 ただ唯一ともいえる欠点を上げるならば──普通に寂しい。

 

 

 これを始めてから大して時間経ってないけど、既に夜がキツい。

 一人暮らし始めてからはずっと引きこもってたせいでちょっと人肌が恋しくなってるのかもしれん。未だに誰も家に上げたことないのもあるかも。

 …今度誰か家に呼んでみようかな。

 

 

 割と俺寂しがりやなんかな…とか考えているうちに最寄りのスーパーについた。

 昼間はあちいあちいばっか言ってたくせに、夜の帳が降りたら降りたでヒンヤリした空気に軽く身を震わせるとかいう滑稽な真似をしながら自転車から降りる。

 ──わが相棒よ、ここで少しばかりお留守番だ。できるね?

 

 

「…」

 

 

 これ、間違いなく疲れてるわ俺。

 …とっとと買い物済ませよ。

 

 

「…昌太くん?大、丈夫…?」

 

「へっ?あっ、りっ燐子さん!?お久しぶりです」

 

「しょー兄!元気だった?」

 

「おぉ、あこもいたのか。奇遇だな、俺はこの通りピンピンしてるぞー」

 

 

 軽く憔悴してた俺に話しかけてきたのは、一つ上の白金燐子さんと一つ下の宇田川あこ。なんかこれ昼前の状況に似てるぞ、話しかけられてるの俺だけど。

 

 

 あこは巴つながりで、燐子さんはあこつながりで、こう…芋づる式じゃないけど。順々に知り合っていった。

 

 燐子さんは黒髪ストレートで黒目、まさしく深窓の令嬢って感じの雰囲気で可愛いよりは美しいが似合いそうな人。

 その黒髪と肌の白さのコントラストがなおのことお嬢様っぽい雰囲気を強めている。

 

 

 反してあこは紫髪のくるくるツインテールにくりくりした紅目で燐子さんみたいな系統の服を着てるけど、内からにじみ出てる純粋さが隠しきれてない。

 そのギャップが可愛くて一生見てられる。どーん!ばーん!

 

 

 二人とはNFOやる仲間で、たまにネット回線通して協力プレイとかする。で、腕前はとんでもない。

 ゲーム内でのギルドっていうプレイヤー同士の組織みたいなのはまた別なんだけど、フレンド同士ではありやっぱり親しかった。

 

 …今日だけで顔見知りにここまで会えるとは思ってなかったな。こりゃ僥倖──

 

 

 ──いや待って、ほんまにそうか?

 俺しれっとさっきスルーしたけど燐子さん「大丈夫?」って言ってたよな?しかもいつもこんなとこで吃んないのに、さも困惑してるかのような…

 

 

 …あれっ?これはーちょっと、まずいかもしれんですなぁ…

 

 

「…あの、燐子さん?聞い…て、ました?」

 

「…」(申し訳なさそうに首肯する)

 

 

 ア゜ッ!(死亡)

 

 

「しょー兄自転車と喋れるようになったんだね!すごい!」

 

「あ、あこちゃん、それ以上は…」

 

「…………いや、わざとじゃないのはわかってるので…ただ、できれば忘れてくれると…」

 

「う、うん。わかった」

 

「??? わかんないけどわかった!」

 

「でも…昌太くん、ちょっと疲れてない…?何かあった…?」

 

「えっわかります?」

 

「うん、ちょっとやつれてるかなー」

 

 

 実はさっき素直に感心されたのが地味にキテます。純粋さは時として何よりも強い毒と化す。学習しました。

 日本での死因ランキングにおいては、ガンに続いてこの“毒”がニ位なんだそうです。嘘です。

 

 

「あこにもわかるのか。俺ってそんなわかりやすい?」

 

「「うん」」

 

「…」

 

 

 …今度から気をつけよ。ちょっと侮ってたかもしれん…

 

 

「いやーその、俺一人暮らし始めたんすけどもう夜とか寂死にそうで」

 

「一人暮らしかー、ちょっと憧れるけど…やっぱり寂しいんだね」

 

「そうなんだ…いつから?」

 

「ここ1~2ヵ月くらいですね。その間ほとんど人と接触してなかったし、誰も家に上げてなかったのでたぶんさっき禁断症状が出ちゃったんだと…」

 

 

 自分から一人暮らしの提案に乗っといてこの体たらく。なんというか、色々と恥ずかしい話だ。

 大の男子高校生が自ら付き合いを絶っておきながら、あとになって寂しさに悶えるなど普通に考えて自業自得である。

 

 だがそんなバカみたいな話もこの二人は真面目に聞いてくれる。自業自得なのに…やっぱりいい人やあ(感涙)。

 

 

「んー、そんなに寂しいんだったら今度遊びにいっていーい?りんりんと一緒に!」

 

「!あ、あこちゃん…」

 

「え、ほんと?それは願ってもないことだけど」

 

「だってさりんりん!いこうよ!」

 

「…それじゃあ、お邪魔します…」

 

「ありがと~~~~本当にありがとう。また家帰ってから日取りは決めましょ」

 

 

 ということで寂死にしかけていた俺を憐れんで二人が遊びに来てくれることになった。や、本当にこれありがたい。これで向こう6兆年は生きられそう。

 

 このあとは3人で買い物した。そんとき俺の買い物かごにあこがめちゃくちゃお菓子ぶち込んできて可愛かった。流石に半分くらい戻したけど。

 

 

 …あと「お邪魔します」って言ったときの燐子さんの仕草。

 両手をキュッと重ね胸の前に持ってきつつ、顔を紅潮させながら流し目でこちらを見る仕草がとても良かったと、最後に付け加えておこう。

 

 




 

 今回もよかったら感想や評価など宜しくお願いします。
 


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第4話 飛んで火に入る春の虫

 
 皆様、お気に入り登録ありがとうございます。励みになります。



 高校入学から数日──明くる日の夕刻。

 俺は買い物に付き合ってほしいと沙綾に呼び出され、待ち合わせのため花女の校門のそばで待機していた。

 

 なんだかんだで花女の校舎とかは初めて見たが、エラい綺麗なところだな。

 栄星といい勝負なのかなー、どうだろう…過ごしてみないことにはわからないが。そうなると俺には一生わからないな。男だし。

 などと考えつつ、わかりやすいように比較的目につく壁に寄りかかってじっとしている。

 

 のだが、何しろここはさっきも言ったように女子校。その上この地域はなぜか女性率が高い。

 

 

 つまり、俺以外に、男が、いない。

 

 

 条件が悪すぎるのか、普段に増して俺に視線が集中しているのがわかる。

 ただ突っ立っているだけで変なヤツ扱いされるとは思えないが、それでも気になるもんは気になる。…これなんかの拷問か?

 

 

 だから念には念を入れて、俺の視線は地面に固定することにした。

 当然変にキョロキョロするとかいうタブーは犯すべからずである。それはバカの所業だ。

 あと視線が気になりすぎてあんまりそっちを見たくない。

 

 だったら見なければ事はすべてがうまく行くと、ソース不明の統計が示している。ダメじゃねえか、信じるなそんなもん。

 

 こうしてこう…視線で地面焼き切るさまをイメージして──

 ──んー、たぶんこれだと俺G〇dzillaになっちゃうかな、うん。陽電子砲かなんかでザギンを火の海にするやつ。

 そんでその後は無人在来線爆弾でバチコーンですよね。結局死んでんじゃねーか、ハハハ。

 

 

 …などと現実逃避をしているときだった。

 

 

「──もしもし、そこのあなた。何をしているのです」

 

 

 …静謐ながらにしてどこか凛とした、よく通る声が俺の耳に入る。

 父ちゃん母ちゃん、すまん。爆弾にバチコーンされたわ俺。塀の中で会おう。

 

 

 ◆◇◆

 

 

「──だから俺は待ち合わせしてるんですってば」

 

「そうですか。それでは速やかに移動しましょうか、警察まで」

 

「ダメだ聞く耳持ってくんねえ」

 

 

 校門で爆破されたGo〇zillaになってた俺に話しかけてきたのは、一瞬息を呑むほどの麗人。

 言うなればクールビューティの権化みたいな感じか。

 

 艷やかなライトグリーンの髪を腰のあたりまで伸ばしていて、垂れ目ぎみな目は髪に近い緑色。

 普通に見たら気が強そうではあるが、どこか危なっかしさも感じる。何でだ。

 

 

 よく考えなくても俺の周りって美少女ばっかだし、失礼な話にはなるけど目は肥えてるほうだと思ってた。でもこの人は俺の知り合いの誰とも違った系統の美少女。

 「肥えた目バリア」なんて何の意味もなかった。

 

 フンイキ的に風紀委員の人なのだろうが、さっきから待ち合わせしてるって言ってるのに全く耳を貸してくれない。

 いいじゃないかー少しくらい聞いてくれたって(かなりえずき)

 

 

「そもそも、待ち合わせするにしてもなぜわざわざあそこなのですか…。その時点でアナタの証言も眉唾ものにしか思えません」

 

「うん…まあ…それはそうなんですけど…」

 

 

 こうなってから薄々思ってはいたけど、やっぱりそうですよね。こればっかりは何も考えてなかった俺が悪い。

 なんでわからなかったの?頭足りてる?

 

 なぜか自ら火中に飛び込み、そのまま炙られながらもその中で策を弄そうとしていた愚かな虫こと俺は、この人の言うことにぐうの音も出なかったらしい。

 

 視点固定したからなんだよバカじゃねえの?お前もう手遅れだよバーカ。あそこに行った時点でもうバカの所業だよバーカ。

 

 

「…待ち合わせの相手は?」

 

「…まだ来てません」

 

「行きましょう」

 

「はぁっ本当!本当なんです!頭足りなくて考えが及ばなかっただけなんです!はぁ〜〜〜ちょっと待っ」

 

 

 ◆◇◆

 

 

「どうでもいいんですけど…仮に俺が変質者だったとして、自らその下へ乗り込むのって危なくないですか」

 

「やはり変質者ではないですか」

「だから仮につっとるやろがい」

 

 

 あの後、ちょっとろくでもない問答をしてからこの人が俺を連行しようとするという無益なループを5回くらい繰り返している。

 あの、僕もう大やけどなんで。もう許してくれませんか。

 

 

「はぁ…いつまでそうやってのらりくらりと言い逃れる気なんですか」

 

「そりゃこっちのセリフですよ…それで、俺は問題だと思うんですよ、これ」

 

「…?別に問題はないでしょう」

 

 

 腕を組み、首を軽く傾げながら風紀委員さんはそう言う。

 美人がこういう仕草すんのマジでズル…じゃなくて。なんでだよ、大アリだよ。

 

 

「いやいや。そこは先生とかに言いつけて対応してもらうのが一番よくないです?」

 

「今の状況でただ一人を追い払うのにそこまでする必要はないと思うのですが。まして歳もそれほど離れてはいなさそうですから」

 

「…はあ」

 

「それに、公衆の面前においてならば自分でも十分に追い払えるでしょうし、なにより最善最速でしょう。何が気に食わないのです」

 

「いや、気に食う食わないというか…わざわざ自ら敵陣に身一つで殴り込むような真似しちゃったら危ないでしょうよ。聡明そうなあなたならわかる話だと思うんですけど」

 

「…私が返り討ちにされるとでも言いたいのですか?だから言っているでしょう。問題はないと」

 

「そうだけどそうじゃなく…あーーもーーー」

 

 

 全然言いたいことが通じん。

 

 俺の言いたい「危ない」ってのは単にぶん殴られるとかそういうのじゃなくて、いやまあそれもだけど、そのー無理やりするヤツのことよ!破廉恥なやつ!

 さっきから俺が何言っても前者のこととしか思ってないのか似たような答えしか返ってこん。なんで?

 

 

 内容が内容だからあまりストレートに言いたくはないんだが…うーん。

 

 

「えっと…俺が言いたいのは、要するに変質者にそうやすやすと話しかけてはアナタ襲われますよって話ですよ。危ないってのは単なる暴力沙汰だけじゃなくて、…破廉恥なやつも。そこは大丈夫ですか?」

 

「…私が?なぜ?」

 

 

 やっぱストレートに言うのもアレだったからぼかしたけど、一応伝わりはしたらしい。でも疑問で返された。

 …こっちのセリフですよ、それは。

 

 

「なぜ?って…。あなただって女の子じゃないですか。変質者からしてみりゃ自分から近づいてくる子なんていい餌だと思います」

 

「…私に限ってそれはないかと。あなたのような変質者を少しでも放っておいてはむしろ他の方のほうが危ない。だからこそ私がこうして来ているのでしょう」

 

 

 …?なぜそうなる?自分に限ってそれはない?それに他の人のほうがよほど危ないと…。

 

 なんだ、さっきからこの変質者にとって自分など眼中にないとわかりきったかのような口調は。

 それはあまりに自己評価が低すぎるような…

 

 …ああ、なるほど…?そういう…

 

 

「だから俺は変質者じゃなく…いや今はそれはいいや。「自分に限ってそれはない」…?そんなわけないでしょう。むしろあなたが一番危ないと思います」

 

「え?」

 

 

 要するに、何故かめちゃめちゃ低い自己評価のおかげでこの人は「自分が対象になることはない」と断定しちゃってる。

 

 もちろんそんなわけはないんだが、それをそのまま言ったところでこの人には通じない。

 この人は、たぶん自分がありえないと思ったものはすぐに切り捨てられるタイプなんだろう。さっきからの会話でもそうだ。

 だからそうした俺の忠告だってバッサバッサ切られてしまう。

 

 今の彼女はファイアウォールやセキュリティとかが皆無なパソコンみたいなもんだ。ウイルスが入り放題、ハッキングもし放題。

 つまり今すぐにでも何かしら策を弄さないとヤバい。

 

 

 そう思った俺は、とりあえず考えうる中で今すぐできそうなことを実行してみる。

 正直これもバッサー行かれる可能性は大いにあるが、しないよりは全然いい、と信じるしかない。

 

 

「そもそも近寄ってこなくともあなたを放っておくなんてありえないと思いますよ。個人的な観点にはなりますが見たところあなたは周りと比べて佳麗さにおいて頭一つ抜けている。目を惹く美麗なライトグリーンの髪、澄み渡る明眸は魂を刺し、その麗容さは傾国を思わせる。そんな美貌を持ちながらにしてその危機感の薄さは危険極まr」

「…ッ!ちょっ、ちょっと待ってください!」

 

「ん?」

 

 

 その人から視線を外し、対抗打.exeを実行しようとぶつくさと自分が思っていたことを高速詠唱していたら突然止められてしまった。

 んー、もうすぐで一通り完了しそうだったのに…と思いながら視線を戻すと、顔を真っ赤にしてわたわたしてる風紀委員さんが…。

 

 

「な、なんなんですか貴方は突然!?口説いてるんですか!??」

 

「違います!…ン゛ンッ。だ、だからですね?貴女は良すぎる容姿と低すぎる自己評価とが離れまくっててそのうち厄介事に巻き込まれそうで心配なんですよ。仮にそうなったら寝覚めが悪りぃから…あーまぁ気をつけて!(ヤケクソ)それじゃ!」

 

「あっ、ちょっとっ!!どこへ…ッ」

 

 

 

 

 

 俺が思っきし口を滑らせまくったせいで、猛烈に居心地悪くなったので無理やり切り上げて逃げてきてしまった。

 

 俺のとった「対抗打」。とりあえず褒めちぎってその価値を理解させ、そしていかに危険かを力説する。

 いや、荒療治がすぎる。

 

 

 今思うとすげえ気持ち悪いこと言ってたなー俺…あの人には悪いことをしてしまった。あんだけ気をつけてたのに何してんのほんと…

 

 

 ──あっ。待ち合わせブッチしちまった。えっヤバどうしよ…あとで連絡入れ直さんと…

 

 

 

 

「…はぁ。「心配」って…お節介な変質者さんでしたね。ふふっ」

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ごめんごめん、遅れちゃった」

 

「…おう」

 

 

 結局あれから待ち合わせ場所を近くの公園に変更してもらうため、沙綾にLIGNE(リーニュ。なんかおしゃれだね)で連絡を入れた。んで、今ちょうどその公園の入り口そばにあるベンチで合流したところ。

 

 

 俺は女子校の校門とかいう四面敵だらけのとこでさんざ待たされて辛酸ベッタベタに舐めさせられてたんだからな!おこなんだぞ!

 

 

「どしたん?なんかあったの?」

 

「いやー、先生に雑用任されちゃってさ。ごめんね?」

 

「………………そか。や、気にしとらんよ?でもこれからあそこだけは待ち合わせ場所にするのやめよう。うん」

 

「…?昌太、あそこでなんかあった?顔色悪いけど」

 

「いや、大丈夫よ。ヘーキヘーキ」

 

 

 こんないい娘に理不尽な怒りぶつけるなんて俺にはできない。あれは変にそわそわしてた俺が悪いんだ。この聖女は悪くない。

 

 

 先生に雑用を任されたのもきっとその人当たりのよさからだろう。俺とは大違いだな、ほんと。

 

 ただそれで自分を蔑ろにしちゃうのはこちらの心が痛いからな〜。流石にそういうときは俺だっていくらでも手を貸すつもりだ。

 

 まあこの娘人当たりがいいのもそうなんだけど基本的になんでもソツなくこなせるタイプだからそんなときが来るかも怪しいんだが…。

 

 

 あれ、俺いらなくね?

 

 

「そういやさ、さっき校門おるときにライトグリーンでロングヘアの人とちょっと話したんだけど誰か知らん?名前聞きそびれちゃってさ」

 

 

 同じ高校ならばもしかしたらと、いつか謝るために事の内容はぼかしながらも探りを入れ話をそらす。

 会うことなんてないにせよな、変なこと口走ってそのままってのもなんか寝覚め悪いし。一応ね一応。

 

 

「ロングヘア…あー、その人は紗夜先輩かな。氷川紗夜先輩。あの人色々な意味で有名だからね、花女の人ならみんな知ってると思うよ」

 

「ヒカワサヨ…?なぜに有名なの?」

 

「紗夜先輩って風紀委員なんだけど、すっごい真面目だからさ。そりゃもう」

 

「ほーん」

 

 

 やっぱ風紀委員だったんだあの人。オーラだけでもわかるもんだなー意外と。

 …今でも思うけどやっぱあの人自己評価低すぎだよなー。本当危なっかしいと思う、俺のお節介アンテナもビクンビクン反応してるし。やっぱ忠告いれといてよかったか…?

 

 

「あと」

 

「?」

 

「Roseliaのギターも担当してて、その技術の高さもまた拍車をかけてるんだよね。このへんってガールズバンドが活発だしなおさらね」

 

「へぇRoselia…えっろっRoselia!?」

 

「えっ!?うっ、うん」

 

 

 Roselia。新進気鋭の、俺の最推しバンド。そのメンバーの多くは謎に包まれていたとはいえ…

 ──まさかこんな近くにメンバーがいたなんて…ッ!

 

 

 日差しの熱を帯びほんのりと熱い大地に膝をつき項垂れる俺。それを見てなにがなんだかわからず慌てふためくさーや。

 

 

 いっそ俺を殺してくれ。

 

 

 このあともちろん殺されることはなく、そのまま沙綾のお買い物に付き合うこととなった。

 【至急】黒歴史の記憶からの抹消方法【社会的地位の危機】。

 

 

◇◆◇

 

 

 新学期を迎え数日たったある日の放課後、今年も今までと同様に私は風紀委員として校内をぷらぷらしていた。

 弓道部もバンド練もない日は放課後にこうして30分ほど校内を巡邏するのが日課となっていた。そしてこのあとはギターの自主練習。

 

 いつもは特に気になることもないのだが、今日は校門のあたりへ差し掛かったときにふと違和感を覚えたのだ。

 

 

 ──なにやら騒がしい。

 

 

 もちろん普段も校門付近は喧騒に包まれているのだが、なんというか今日はひそひそ話の比率が多いように感じられた。

 

 少し近づいて生徒たちの目線をなぞってみると、その先には恐らくは高校生になったばかりであろう、真新しい制服に身を包んだ男子生徒が一人、校門横の壁に寄りかかっていた。

 あの制服は栄星だろうか。

 

 

 この花女や羽丘を擁する地域にはもう一つ、栄星という共学の高校が存在する。

 確か進学校ではないにせよ、特進コースになると偏差値は70前後あった記憶がある。

 

 

 周りの声を聞いてみると、どうやら皆がみな彼のその端正な顔立ちについて話しているようである。

 確かに彼は身長も高いし、顔立ちもいい。どこかでモデルでもやっていそうだ。

 

 

 しかし周りは気づいていないようだが、彼はやたらと不自然なまでにジッとしている。

 視線は地面に固定されたまま微動だにしないし、よく見たら吸盤のごとく壁にビッタリと、全身の筋肉がプルプル言わんくらいには力を込めて張り付いているようだ。

 

 はっきり言って不自然極まりない。

 

 察するに、彼は極度の緊張状態にあるようだ。それは不吉な予兆か、あるいはただの臆病者か。

 

 

 とにかく、接触してみないことにはハッキリしないことだけは確かだ。仮に彼がクロなら他生徒に危害が及ぶのは必至だ。

 

 そうなる前に私が、芽を摘んでおかなければならない。そうと決まれば──

 

 

「──もしもし、そこのあなた。何をしているのです」

 

 

◇◆◇

 

 

 …失敗した。

 

 彼と接触して程なくして、彼が単純に待ち合わせをしていただけで不審者ではないことがわかった。

 そして周りの目に晒されていたせいでとても緊張していたであろうことも。

 

 

 しかし早いところ勘違いという私の非を認めればよかったものを、変に意固地になってしまい彼に失礼なことをたくさん言ってしまった。

 

 今からでも謝りたいが、私が名前を聞く前に気まずさを感じたのか急に話を切り上げ逃げられてしまい、聞きそびれてしまった。

 

 

 実際の彼はお節介焼きでとても優しい人格者なのだろうと言葉のあちらこちらから感じられたことも、私の罪悪感をより加速させる一因となった。

 

 頭ごなしに変質者扱いした私に対しても危機感を感じ、小恥ずかしい言葉をかけてまで心配してくれたのだから。

 

 …顔が熱い。

 

 とにかく、そんな見ず知らずの彼のおかげで自分はまだまだ捨てたもんじゃないと思えたのは事実だ。実際少し気が軽くなったと思う。

 だからもし今後どこかで彼に会えたなら、まずは謝罪と──

 

 

 ──ありがとうを、伝えたい。

 

 




 
 今回もよかったら感想や評価等宜しくお願いします。
 


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第5話 激動

 
 笑顔の決闘者様、評価ありがとうございます。
 


「君がこないだ連絡くれた人かな?」

 

「あ、はい。筑波昌太です」

 

「ふんふん、それじゃ──」

 

「…はへ?」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 こないだ入学式済ませたばっかりなんですけどー、もう週末になっちゃいました!

 というわけで土曜日、朝ですよ。諸君起きなさい。こないだと違ってちゃんと起きた俺は一昨日に連絡を入れたバイト先の面接へ向かっていた。場所?CiRCLE。

 

 こないだ入学式の日に行ったときは特に確認もせず立ち去ってしまったが、帰宅してから改めて調べてみたら、かねてからの予想通りどうやらバイトを募っているらしかった。

 

 世のジンクス的なので高校生になったら出費が増えるって言うじゃん。一応それを気にして小遣いが欲しかったってのもあるけど、あとは音楽的知識が欲しいというのもある。

 俺の周りは何かと音楽に携わってる人が多いし、趣味も音楽に寄ってるしちょうどいいかなって。

 

 もちろんほかのバイト先も検討した。そういうリスクマネジメントって大事だと思うのね。でも俺にとっての音楽への憧れが意外と強かったらしく、結局一番CiRCLEが魅力的に思えたのだ。

 とはいえこれは落ちなかったらの話。落ちちゃったらおとなしく別のバイト探します。

 

 バイト先からは面接は今日ならいつでもいいって言われてるけどなんか休日なのに早く目が覚めちゃったので、こうして朝からCiRCLEに向かっている。早起きはー…えー、500円の得だから。いや違えわ、朝市か?

 

 Afterglowのメンツと会ったときちょっと匂ったが、実は俺はある程度は音楽の知識がある。やれギターやら、DTMやら。だからこそ誘われたんだと思うけど、たぶん。

 今回の面接ではこの経験を切り札として、自分の巧みな話術で牙城を崩す戦法で臨もうと思います。対戦よろしくお願いします。

 

 …と。いつも通りチャリ飛ばしてCiRCLEに着いたはいいが、なぜかこの間とはカフェスペースの風体が全然違う。

 

 

 …なんで足湯あんの?

 

 

 いや、ここは道の駅かと。

 

 …で、その近くにはガラス張りの天板が特徴的な円テーブルと、複数のストライプなスツールという組み合わせが何組も設えてあるわけだが。

 

 

 そのうち3台くらいのテーブルには、…なんか、マカロンタワーが鎮座してる。

 

 

 なにこれ、えっ?お客さん頼んどいて食べ忘れた?そんなことある?

 あまりにも不自然すぎてサンプルかと思うでしょ。でもこれ甘い匂いするよ?たぶん本物だぜこれ…

 

 

 まっまあ、そうした一部のキテレツな空間に目をつむればこのカフェスペースは大変に素敵な場所である。これは間違いない。

 

 明るくまとめられたナチュラルなエクステリア群がおしゃれだし、広さもかなりのもんだ。こないだ沙綾と待ち合わせた公園くらいあるかも。

 ダイヤモンドガラスみたいに輝く川と整然と並ぶ木々という景色も相まって、いつまでも居座ってしまいそうである。

 

 

 いや、俺はカフェスペースに用があるわけじゃないんだ。でも誰が責任者だかわからんし、とりあえず近くにいた黒髪セミロングの女性に話しかける。

 

 

「あのーすいません、バイトの面接に来たんですけど」

 

「はい?あー君が。えっと、もう少しで済むから悪いけどエントランスでちょっと待ってて。終わったらまた声かけるから」

 

「了解です」

 

 

 どうやら責任者はあの人だったらしい。それならまあおとなしく待っとこうと、自動ドアをくぐる。

 

 …おお、中も綺麗だな。さすがに築数か月。ここでギターとか弾けたら気持ちよさそうだな、今度客としてでも来てみるか。

 

 手持ち無沙汰な俺は、壁に貼り出されているポスターやフライヤーをふらふらと眺めて回る。

 沙綾もポロッと言ってたけど、昨今はガールズバンドブームなんだと。俺も薄々感じちゃいたが、局地的なものだとばかり思っていただけに驚きもあった。

 

 ただまあ、これを見れば確かにそうなんだろうと思わざるを得ないな。だってここ女性率超高いもん。男はどこだ男は。花女門外(はなじょのもんがい)の変(勝手に命名)を思い出しそうで軽く慄いてるぞ俺。

 

 …と勝手に店の端っこで震えていたら、さっきの女性から声をかけられた。

 

 

「──お待たせ。さてと、それじゃ改めて…君がこないだ連絡くれた人かな?」

 

「あ、はい。筑波昌太です」

 

「ふんふん、それじゃ…とりあえず料理してみよっか」

 

「…はへ?」

 

 

 と言いつつ、黒髪セミロングの女性──月島まりなさんは俺をカフェスペースに連行する。

 アー、結局用事ここなんすね…

 

 

 ここ旅館かなんかなん?

 

 

 ◇◆◇

 

 

「あっはっは、冗談半分で言ったんだけど本当に料理できるとはねぇ」

 

「えっ冗談だったんすか?あんだけ有無言わさず連行しといて?ってかここなんなんすか。道の駅なのか旅館なのかはっきりしてくださいよ」

 

「ここはライブハウスだよ…。そう、冗談。だって履歴書の時点でもう採用決まってたもん」

 

「はーーーーー?????」

 

 

 僕の覚悟返してくれませんか?

 あのねー、まったく意味わからんと思うけど聞いて。俺もわかんない。

 

 ライブハウスにバイトの面接に来たら、カフェスペースで料理させられた。

 

 

 助けてくれ。

 

 

「じゃああの足湯と謎のマカロンタワーはなんなんですか?あれでライブハウス名乗るとか片腹痛くないですか?」

 

「…さっきからちょっと辛辣じゃない?足湯は、まぁ新たな試みで…マカロンタワーはサンプルだよ」

 

「あれ甘い匂いしましたけど?」

 

「…」

 

「…」

 

 

 なんで黙るの?

 いや、あれはどう見ても本物だった。匂いもそうだけどきめ細かな生地とか見えたもん。仮にアレがサンプルだったら技術革新モノだろ。

 

 …でも本物なら本物だって言えば良くないか?なんで黙るの?

 

 

「…まあそれはさておくにしてもですね。なんで料理なんです?」

 

「今ちょうどカフェに充てる人員足りてなくてねー、今日新人さんここに連れてきて無茶ぶりしたら料理できるかわかるかなーってなんとなく思って。いやー僥倖僥倖」

 

「それもう金輪際やめてくださいね。俺だったからよかったものを、パワハラとかなんとか言われても文句言えませんよ」

 

「はーい」

 

 

 力技が過ぎる。パワハラになりかねないのもそうだけど、俺の料理の腕が「料理できると思い込んでて実際は壊滅的」とかだったらどーすんだよマジで。

 

 ちなみに今俺が作ってるのは、適当にありあわせの材料を使ったペペロンチーノ。

 これはスピードがとにかく大事だから、こうやってどうでもいい会話をしながらとっとと作ってる。でもこれ作ったらどうすんの?食うの誰?適当に4人前くらい材料使っちゃったんだけど。

 

 

「それで、俺は採用でいいんですよね?何するんですか、仲居でもします?」

 

「しれっと旅館扱いしないでよ…そうだなー、こうやってカフェ手伝ってもらったりもそうだけど、受付とか楽器のセッティング、あと力仕事とかかな」

 

「…なるほど。でも料理って俺じゃなきゃダメなんですかね?月島さんはできないんですか」

 

「筑波くんほどじゃないけど、一応できるよ。でもねー、人手が足りないんだ…」

 

「もっと人雇えばいいじゃないですか。それで身体壊したら元も子もないでしょ」

 

「…いろいろあるんだよ、いろいろ…」

 

「…」

 

 

 聞かなきゃよかった。

 このあと月島さんとペペロンチーノ二人前食った。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…!美味しい…」

 

「うん…これ相当料理上手い人が作ったんだろうね、ニンニクの臭みもまろやかだし…」

 

 

 普段通り練習のためCiRCLEを訪れると、まりなさんに「新人くんがカフェの新メニュー試作したんだけど、食べてみてくれない?」と言われた。

 アタシも結構料理はするし、アドバイスくらいはできるかなと思って食べてみることにしたんだけど…。

 

 

「これは、ぜひまた食べてみたいわね」

 

「すごい新人さんですね…。専門店で出てくるものと遜色ないと思います…」

 

「やっぱり二人ともそう思う?」

 

「「…やっぱり?」」

 

「うん、これ私がたまたま新人くんに作ってもらったやつなんだけど、予想以上の完成度でね…。履歴書でもこんなこと書いてなかったからほんとびっくりして」

 

「…まずここはライブハウスなのだから、料理スキルが求められるなんて普通は考えないと思うのだけど…」

 

「まあ、そうなんだけど…一応私が隠れ味音痴だったことを考えて他の人にも食べてもらいたくてね。ありがとね、受けてくれて」

 

「いえいえ、むしろ良かったです。アタシももっと頑張らなきゃなぁ…」

 

「もうあなたも十分上手じゃない…でも確かにとても美味しかったわ」

 

 

 その新人さんって料理人でもやってたのかな?友希那がここまで褒めるなんて相当だし。

 これは新メニューに期待かな?楽しみだな~♪

 

 

 ◇◆◇

 

 

 CiRCLEで意味不明な面接(?)を済ませた日の午後。

 今日はこの間に一人ぼっちの俺を憐れんで遊びに来てくれることになった燐子さんとあこがウチに来る日である。というか今いる。

 

 

「本当来てくれてありがとうございます…」

 

「んーん!あこたちがしょー兄と遊びたかっただけだから!」

 

「うん…。久しぶりだし、ゆっくり話したかったから」

 

「ありがとう…ありがとう…」

 

 

 つくづく思うけど俺の知り合いって聖人ばっかだよな。そのうちカタルシスどころか肉体まで浄化されちゃうんじゃないかな。

 

 

「はい、緑茶とこないだのお菓子どうぞ。ごめんちょっと食っちゃったけど」

 

「えっ、食べちゃってよかったのに。だってしょー兄のお金で買ったんだよ?」

 

「あ、そう?そんじゃ食っちゃお」

 

「…お茶、おいしい…」

 

「静岡の川根茶って淹れ方で結構味変わるんですよね。今日は温度高めにして渋み出してみたんですけど」

 

「へー、お茶って淹れるの難しそうだよね」

 

「んや、意外と慣れればできるよ」

 

「目覚めの一杯によさそうだね…今度、教えて?」

 

「いいっすよ。また今度にでも」

 

 

 適当に買ったお菓子に合うか微妙だけど今日はなんとなく緑茶にした。気分的に。暇すぎてこういう細かいとこにも凝るようになっちゃったんだよね。

 料理とか楽しいよ、みんなやらない?

 

 

「あこってまだ中学生だよな。来年はそのまま羽丘上がるの?」

 

「うん。おねーちゃんもいるし!」

 

「まあそだよなあ」

 

「昌太くんは…栄星だよね?」

 

「あ、あのときの俺制服でしたもんね。栄星ですよ。──そうだ、燐子さんって花女でしたよね?ちょっと聞きたいんですけど」

 

「そうだけど…どうしたの?」

 

「いえね、入学式の日の朝に二人、花女っぽい制服着てた人と立て続けに出会ってですね。出会ったっていうか一方的に話しかけただけなんですけど、名前も聞かずに別れちゃって」

 

「それで、その人たちを知らないか…と」

 

「そうっすね」

 

「そもそもなんで話しかけたの?」

 

「二人ともすっげえアタフタしてたから」

 

 

 そういって燐子さんにその二人の特徴を伝える。するとなぜかあこは頬を膨らませて「む~」って言い始めて、燐子さんはどことなくムスッとしちゃった。なんで?

 

 

「…しょー兄また可愛い女の子たぶらかしてる…」

 

「それ他のヤツにも似たようなこと言われたんだけど…。俺そんな気サラサラないぞ」

 

「だからなおさらタチが悪いんだよ…?」

 

「なんで?」

 

 

 なんで?

 

 

「…ふぅ。一人目のピンク髪の人…本当に知らない?」

 

「えっ?いや知らない…と思う」

 

「たぶん、丸山彩さんだと思う。テレビにも出てるよ…?」

 

「はっ!?あの人花女だったの!?」

 

 

 燐子さんは落ち着くためなのか一口緑茶を飲んでから、とんでもないことをカミングアウトする。

 嘘でしょ、似てるとは思ってたけど。花女って有名人多いな…。あと前も言ったけどなぜかレベルが高い、もはやこの地域に何らかの恩寵があるとしか思えんくらいには。これトリビアになると思う。

 

 

「それで、青髪の人は──」

 

「──かのんかな、松原花音。あこドラマーだし、そのつながりでちょっとしゃべったことあるよ」

 

「うーん、さすがにその人は知らないなあ」

 

「ほんとしょー兄ってせわ焼きだよね」

 

「自覚はしてる、この上なく」

 

 

 丸山さんは有名人だったから知ってたけど、さすがに…松原?さんは知らんかった。いや、知り合いだったとしてもむしろ困ってたと思うけど。

 てか今あこドラマーって言った?てことはあこも松原さんもドラマーだったの!?知らんかった…いやでも巴もドラマーだし、あこみたいなお姉ちゃんっ娘だったらそう不思議でもないか。

 

 …世話焼きと言えば──

 

 

「そういえば、燐子さん。ギルド間の不和って今どうです?大丈夫ですか?」

 

「…?ギルド?」

 

「そんなことあったっけ?」

 

「えっ?いや去年の暮れくらいに俺に相談してきたじゃん。『詳しくは言えないけど解散の危機で~』って」

 

「…ッ!…それ、NFOの話じゃ…ないんだよね」

 

「おん?そうなの?」

 

 

 えっじゃあなんだろう。俺てっきりNFOのギルドでガタガタでも起きてんのかと思ってた。

 

 

 ここでざっくり説明しておくと、去年の11月くらいに燐子さんとあこが俺に相談事を持ってきたのだ。

 

 その相談事というのが『私たちのグループが解散の危機に瀕しているから助けてほしい』って感じのヤツ。

 みんな同じ目標を持って頑張ってたんだけど、リーダー格の人物がその目標へダイレクトに到達できる条件を以て引き抜かれそうになった。

 その人はいわゆるスカウトをすぐ受けずにそのまま保留にしてたら、他メンバーにバレて離散しそうになってるって感じだったかな。みんなして目標への思いは厚く、それもあってすれ違っちゃったんだと。

 

 この話を聞いた俺は『リーダー格の人物が保留したことに関してジレンマがあるかもしれない』とか言った記憶がある。で、言うだけ言ってそのあとどうなったかは知らなかった。我ながらなんとも無責任な話である。

 だからこそこの機会に確認しておこうと思ったんだけど、なんか歯切れが悪い。そもそもNFOの話じゃないって何?

 

 なにしろNFOってのは、どこぞのどう〇つの森みたいに方向性は違えどめっちゃ自由度の高いゲームなのだ。だからそういった人間関係のゴタゴタも十分起こりうるし、だからこそNFOの話だと思ってた。

 

 じゃあ燐子さんとあこはNFO以外にも何か所属してるグループがあるってこと?別ゲーの話?

 

 

「となると別のゲーム?さすがにそのへんは管轄外かもしれんけど」

 

「…ゲームでも、ないんだけど…」

 

「うーん、言っていいのかな?あんまり言いふらしちゃだめって言われてるんだけど」

 

 

 ゲームじゃないの?じゃあ俺わからんわ。てかそれってリアルで修羅場経験したってこと?…ヒュウ。

 

 

「…でも、せっかく助けてくれた人に隠し事するのも、不義理だと思う…」

 

「んんー…そうだよね」

 

「…あのね、昌太くん。聞いてほしい話があるんだけど」

 

「は、はい?なんでしょう」

 

 

 …な、なんだ。空気が変わった。どうしたんだろう、改まって。

 

 

「そのぉ、解散しそうになってたグループのことなんだけど」

 

「…Roseliaって、知ってる?そのバンドのことなの」

 

「えっ」

 

 

 えっ?

 

 

 




 
 今回もよろしければ感想や評価等よろしくお願いします。
 


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第6話 信じる

 
 たかちゅー様、なげわ様、評価ありがとうございます。
 


 前回のあらすじ。

 バイト面接で料理した。知らんうちに推しバンドに介入してた(らしい)。

 

 

「…なんやて?」

 

「簡単に言うと、昌太くんはRoseliaを助けてくれたの」

 

「…は?へ?」

 

 

 俺が知らないうちに俺の知らないところで俺が問題解決してたとか、『事実は小説より奇なり』にも程がある。『俺の知らないところで俺の推しを俺自身が助けていた件について』。ラノベじゃん…

 

 

「…や、Roseliaは知ってるかといえば、知ってる。どころか大ファンだ。発足当時から追ってるが…。えっ、解散しかけてた?マジで?聞いたことないけど?」

 

「しょ、しょー兄、落ち着いて。わけわからないのはわかるけど…あれ、わかるのにわからないの?あれ~…」

 

「ふ、二人とも落ち着いて~…。緑茶飲も?」

 

 

 …。あ゛ー美味え。

 やっぱ緑茶っていいよな。

 俺緑茶ってどっちかっていうと温かいやつのほうが好きなんだけど、貴様は?

 なんで温かいほうが好きかっていうと、冬にこれを一口飲むと体内が(ほの)かに熱を帯びるあの感覚あるじゃない。アレが本当に大好きなんだよね。

 ほら、俺って夏より冬のほうが好きだからさ。緑茶においてもそれは言えることで、夏に飲みがちな冷たい緑茶より冬に好んで飲まれる暖かい緑茶のほうが好きになるのは当然の帰結と言えるんだよね。

 確かにね?夏場の冷たい緑茶ののどごしも捨てがたいよ?夏場にピッタリな冷たい緑茶推しの諸君の言い分もよくわかる。

 なんでわかるかって?なぜなら俺は緑茶をワイドに愛しているだからだ。つまり同士なのだよ。

 というか俺はそうした同士諸君の意見を聞いてみたかっただけで、冷たい暖かいで線引きしてきのこたけのこ百年戦争みたいな(みにく)い抗争を起こそうとかそんな意図なんてないことは理解してほしい。

 ただ俺はその中でとりわけ暖かい緑茶が好きってだけだ。だからさっきから飛ばしてる口撃という矛を収めてくれると俺としては助かるんだよね。

 でまあなんで暖かい緑茶が優れているかっていうと──

 いやだから俺は両方好きなんだって!そういうくだらない線引きはどうでもよくて分け隔てなく愛してるの!いや優劣とかどうでもいいから──

 

 …あれ?なんの話してたっけ?

 

 

「…はふ。ごめんねりんr…あれっ!?しょー兄!?しょー兄がフリーズしちゃった!」

 

「…あれ、なんの話でしたっけ?緑茶?」

 

「なんで緑茶…!?去年の、11月のことだよっ…!」

 

 

 そうでした。窮地に陥ると現実逃避するクセどうにかしたほうがいいねこれ。そのうちマジで現実からドロップアウトしそう。

 

 

「えっと一応確認したいんですけど、二人はRoseliaの一員…でいいんですよね?」

 

「うん。あこはドラム、りんりんはキーボードだよ」

 

「…そうか。いや、うーん…正直俺が推しバンド事情に介入してたって未だに信じられんわ…でも確かにChanterの更新止まってた時期と被ってるしなぁ…」

 

 

 落ち着いた今よく考えてみると、Chanterの公式垢が更新されなくなったのもちょうど相談事が持ち込まれたときくらいだった。うーんそう考えると…?いや、でも気づけるわけなくないか?

 

 この間も言ったように、Roseliaはメンバー情報のことごとくが伏せられている。そのうえでいちいちメンバー内で不和が生じたことなんて公式垢で流れるはずもないのだ。やっぱ無理。

 

 

「でも今はちゃんと動画もアップされてますよね。ということは解決…?」

 

「うん。しょー兄のおかげで、みんなまた一つになれたよ」

 

「…それはよかった」

 

 

 過去の俺よ、よくやった。一時的とはいえ、なぜか知らないうちに自分の推しバンドの命運を握ることになっていたのだ。その重圧は相当な…

 …いや、俺けっこう気楽に問題にあたってたかもしれない。だって知らないもんその重大な事実を。そう考えるとまさしく知らぬ仏と言いますか…。

 

 

「まあどんな形であれ燐子さんとあこが俺を頼ってくれたのは素直に嬉しかったからなぁ…。もしかしたら騙したみたいになってたの気にしてるのかもしれませんけど、なんだかんだやりたくてやってるんで気にすることないですよ」

 

「──ありがとう。…やっぱり、優しい。でも…それに甘えてちゃダメだよね…

 

「りんりん?」

 

「…ううん、なんでも。それで、あの後なんだけど…」

 

「…聞かせてください」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 そして燐子さんとあこは、その後の展開を吶々(とつとつ)と語る。

 

 Roseliaのリーダー──湊友希那(みなとゆきな)さんがなぜすぐにスカウトを受けなかったのかという疑問点と、その答えとなりうるジレンマという要素の提示。

 それを聞いて可能性を感じた二人は、湊さんへ矛盾点をタネに発破をかけたんだと。大胆なことを…。

 

 そもそもこの問題の原因が湊さんのどっちつかずな態度だったので、発破を機に当の本人がスパッと決断してしまえばあとは早かった。

 

 真なる自分の想いを理解した湊さんは、スカウトを断りRoseliaとして目標へ進むことを決意する。そして後日のミーティングでその想いを吐露、すれ違いをどうにか解消したことで和解と相成った、らしい。

 

 強い結合って分離ありきだし、復活した時に音がよくなってたのも納得だ。とまあこのあとは特に大きなトラブルもなく、今日までバンドを続けてこられているというが。

 

 

 しかし、問題はここからだった。

 

 ここまでは特になんともなかった燐子さんだが、話し終えたところでじわじわと泣き始めてしまった。

 どうしたのか聞くと「あこちゃんは昌太くんを心から信じてたけど、私はできなかった」とか「昌太くんを()()()()()()()」とか、どこか要領を得ない。どういうことだ、俺を信じるとか信じないとか。

 

 

 俺がどうのってことは俺絡みなんだろうけど、なんのことかさっぱりわからない。…考えろ、何がおかしい?どこですれ違った?燐子さんは何を抱えているのだ?

 

 

 ちらとあこを見るも、アタフタしながらも首を傾げていた。ふむ、あこも何が何だかよくわからないらしい。

 

 ということはRoselia単位でなく、燐子さんが一人で何かを抱えているってことか。

 

 

 「話さなかったこと」が一因としてはありそうだが、別にそれ自体は十分理解できる。

 俺に真実を話すということは、「Roseliaの解散騒動」というとてもデリケートな情報を、外部の無関係な人間──完全に無関係かと言われると疑問だが──に漏らすということ。

 これが変に広がればまたRoseliaは面倒なことに巻き込まれる可能性が高い。慎重になって当然だ。

 

 

 だが、たぶんこれだけじゃ泣きだす理由には弱い。そして、これだけじゃ理由を察するには情報が少ない。

 …と、燐子さんが声を震わせながら、絞り出すように言った。

 

 

「今まで、私は…昌太くんのことを、心から信頼できてるって思ってた。…でも、私は…、決断できなかった…怖かったから」

 

「りんりん…」

 

「…いや、これはとてもデリケートな情報なんです。慎重になって当z」

 

「違うのッ!!!」

 

 

 この情報は非常にデリケートだ、だから話せなくて当然だと──言おうとして、それを遮るように燐子さんが慟哭(どうこく)を上げる。

 

 

「確かに…これは、とても繊細なこと。でも、だからこそ…信頼してた昌太くんになら、すぐに話せると思ってた」

 

「…いや、今こうして話してくれたじゃ──」

 

 

「──私は、()()()()()()()

 

 

「…!」

 

「いつも、まっすぐ向き合ってくれてる、昌太くんを…信じられていなかった私自身が、どうしようもなく許せない…!」

 

 

 ──「裏切ってしまった」。なぜこんな言葉が出てきたのか。

 おそらく事の発端は、このデリケートな情報をすぐに俺に口外する決断ができなかったということ。

 

 「疑ってしまった」と、燐子さんはこう言った。つまり、俺が誰かに口外することを少しでも考えてしまったということ。

 

 彼女は実に該博(がいはく)だし、頭もよく回る聡明な人だ。そして、同時にRoseliaを強く想っている。

 だからこそ、デリケートな情報を広げるリスクをよく知っているし、それによってRoseliaがまた離散することを危惧した。そうした責任感と危機感から、真実を話すことを躊躇してしまった。

 

 

 要するに。当時の湊さんが「バンド」と「目標」とで板挟みになっていたように、燐子さんも「バンド」と「筑波昌太」とのジレンマに悩まされていたのだ。

 

 

 そうして少しでも疑ってしまったことで、今度は自分が向けていた「信頼」に疑念が出てきた。解散騒動以前の「信頼」すら、揺らいでしまった。

 すっとまっすぐに自分を見ていてくれた人に対して、自分はずっと()()()()()()()。これが、彼女の言う「裏切った」ということ。

 

 

 そして、恩を仇で返すような真似をした自分自身が許せなくなった。

 「自分が許せない」という発言が、何よりの証拠だ。

 

 

 要するに、彼女は今までずっと、騒動以前から信頼を裏切り続けていたことを悟り、言いようのない罪悪感に苛まれているのだ。

 

 さっき呟いていた「いつまでも甘えていてはダメだ」という発言。

 たぶんこれは、「俺自身のやさしさに甘んじて、いつまでも偽物の感情を向けるという、恩を仇で返すようなことはもうごめんだ」という覚悟の表れだろう。

 

 

 

 …本当に彼女は、芯の強い人だ。いったいどれだけ悩んできたのだろう。

 

 ここまで想われて、嬉しくないはずがないじゃないか。

 

 

 

「──ごめんね、昌太くん。せっかく助けてくれたのに、ずっと隠してて…裏切るようなことしちゃって…」

 

「そもそも、話を聞く限りだと俺口を出しただけですし…いや、燐子さんは裏切ってなんかいませんよ」

 

「…でもっ。私は結局、甘えてただけ。信じられてなかった。昌太くんの、信頼を…裏切っちゃった…」

 

「…」

 

 

 彼女は、あくまでも「裏切ってしまった」という。でも俺としてはそうは思わない。本当に俺のことを()()していなければ、泣き出してしまうほど悩むことも、俺のまっすぐな態度に報いようとも思わないはずだ。

 ジレンマに悩まされつつも、燐子さんは俺と真摯に向き合おうとしてくれた。

 

 

「…燐子さん。失礼します」

 

「…っ」

 

 

 だから、俺は思う。

 本気で自分の気持ちについて悩んでいること自体が、逆説的に()()足りえるのではないか、と。

 

 この強い想いを信頼と呼ばずして、なんというのだろうか、と。

 

 

 俺は燐子さんの今にも散ってしまいそうな華奢(きゃしゃ)な体枢を、そっと抱きしめた。左腕で彼女の肩回りを支え、右手で黒い艶やかな髪を()くように撫でる。

 

 彼女は体勢を変えず、俺の胸元を軽く握りながら、そのまま俺に体重を預けている。

 

 

「…裏切った?そんなことないじゃないですか」

 

「違う、違う…私は…」

 

「さっきも言いましたけど、俺は裏切られてなんかいませんよ。だって、信じてくれたじゃないですか」

 

「…!」

 

 

 胸元で息を呑む音が聞こえる。俺の服を握っているしなやかな手が力む。

 

 

「信じてくれたからこそ、こうして話しているんでしょう?今まで、ずっと悩んでいたんでしょう?だから…」

 

「…」

 

「ありがとう。俺のことを、たくさん考えてくれて」

 

「…っぁ」

 

「ありがとう。たくさん悩んでくれて」

 

「…っく…ぅあぁっ……」

 

 

「──俺のことを信じてくれて、ありがとう」

 

 

「…んぅっ…あぁぁぅ…うぁああぁぁ…」

 

 

 ◇◆◇

 

 

『──そうして本気で俺のことについて悩んでいる時点で、逆説的にそれはずっと()()していたことの証左なんですよ』

 

『そうでもなければ、そもそも話すのを躊躇してしまったことに罪悪感なんて覚えないはずだ』

 

 

「…」

 

 

『そもそも口外を躊躇したのも、多分信頼がどうのというよりは燐子さんの危機管理能力の賜物(たまもの)だと思いますから』

 

『…だから、ありがとうございます。俺を、そんなに想ってくれて。嬉しいです』

 

 

「…っ///」

 

 

 あの後。私は優しく撫でられていたこともあってか安心してしまい、昌太くんの胸で思いっきり泣いてしまった。…恥ずかしい。

 でも、すごくすっきりした。ずっと抱えていたしこりがやっと取れたこともあるだろうし、久しぶりに思いっきり泣いたこともあるだろうし。

 

 

 それで、そのあともまた私たちはしばらく他愛もない話をしてから彼の家を後にし、あこちゃんと一緒に帰途についている。

 

 

「りんりん、なんかすっきりした?ろぜりあが復活してからもずっとどことなく顔色暗かったけど…」

 

「…うん、もう大丈夫。ありがとうね、あこちゃん」

 

「そっか。よかったね、りんりん!」

 

 

 実際、私は自分が昌太くんを知らずしてずっと裏切っていたかもしれないということを悟ってから、罪悪感という無限回廊に囚われてしまっていたのだ。

 今までは普段からおくびにも出していなかったし、演奏に影響が出てもいけないからと自己暗示しつつ問題を先延ばしにしてしまっていたけれど。

 

 しかし今日になって、その彼に事の顛末を話すことに。そしてそのあと罪悪感に耐え切れず、彼の目の前で泣き出してしまった。あまつさえ声を荒げてしまったし。

 正直、私はビクビクしていた。今までずっと口を噤んでいたのもあるけど、なにより自分の口から「あなたを裏切った」と言ってしまったのだから。

 

 

 でも彼はそんな私の想いを見抜いて、『むしろ真摯な想いの表れだ』って肯定してくれた。

 

 

 …嬉しかったなぁ。それにすごくホッとした。だって喪ったと思ってた()()が、実は然りと私の中にあったんだから。

 思えば、私は私の想いを誰かに理解してほしかったのかもしれない。そしてそれが本物だって、確認したかったのかもしれない。

 

 

 それで、私が泣き止んだあとも昌太くんはしばらく私の頭を撫で続けてくれたんだけど…。なぜかすごくドキドキした。胸がきゅーっと締まるっていうか…

 そういえば悩んでる時もそんな感覚があったような。…そもそも、なんで私はここまで深く悩んでいたのだろう。

 

 

 …あれ?

 

 

「それじゃあね、りんりん!またあした!」

 

「…!うん、またね」

 

 

 …と、気付いたらちょうどいつもあこちゃんと別れる交差点まで来ていた。

 またね、か。

 

 私にとってのRoseliaは、すでにかけがえのない居場所となりつつある。それは昌太くんとの関係も同じ。

 下手したらどっちも手放さなければいけなかったかもしれないし、今こうして「またね」って言える日常を維持できてるのは、本当に僥倖だったと思う。

 

 

 Roseliaは、私に新たな世界を見せてくれた。私を受け入れて、頂点へのメンバーとして認めてくれている。これが本当にうれしくて、そしてそれに報いようと自分を能動的に研鑽できる。

 お互いにお互いを高めあう関係は、かつての自分にはなかったものだ。そんな素晴らしい世界を教えてくれたRoseliaが、大好きだ。

 

 昌太くんは、いつだって私を見守っていてくれた。彼には、何回も救われてしまった。はっきり言って私は臆病だ。それでも彼は私の本質を見ていて、そして認めてくれる。

 

 

 そんな太陽みたいに暖かい彼が、大好きだ。

 

 

 …そっか。私、そんな彼にまた救われてしまったのか。これはますます『恩を仇で返す』ことができなくなってきたなあ。

 昌太くんのそばにいても、いいんだ。ふふっ、なんだか嬉しい。

 

 

 

 これからも、このかけがえのない日常を大切にしていこう。私はそう誓った。

 

 

 




 
 よろしければ今回も評価や感想等よろしくおねがいします。

 


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第7話 ハラハラ、キラキラ

 
 でっひーー様、評価ありがとうございます。

 また、お気に入り総数が50を超えました。本作のご愛顧、本当にありがとうございます。
 


「たけのこニョッキッキぃぃぃぃぃッ!!!!!」

 

「「「「うおおおおおぉぉぉぉぉッ!!!!!」」」」

 

 

「ちょっと待ってど初っ端から俺と読者を置いていかないで」

 

 

 高校生になって初めての週末をすぎ、今日はかの忌々しき月曜日。弊校こと栄星(えいせい)高校はもちろん通常授業です。

 俺もいつも通りに朝起きていつも通りにチャリ飛ばして高校に来たわけよ。そんでクラス入ったらこれやんな。そういうことだからニョッキッキについては俺も訳が分からん、すまんな。

 

 この高校さ、俺が偏差値的に背伸びしてやっとだったんだよな。

 だからそんな頭も悪くないはずなんだけど、どこにたけのこニョッキッキで雄々しい(とき)を上げるバカがいんの?もう酔っぱらった男子大学生のノリじゃん…

 

 勘違いしないでほしいのだが、栄星は男子校ではなく共学校。謎の鬨を上げる男どもを白々しい目で見る女子たちももちろんいる。あ、もちろん俺も傍観してるぞ。茫然と。

 それでも周りの目を全く気にしてないあたりマジで酔っぱらってる説あるなこれ。

 

 

「これ負けたやつマ〇ク奢りな!せーの」

 

「「「「「たけのこニョッキッキ!!!!!」」」」」

 

「「一ニョッキ!!」」

 

 

「「「「「だあああああっ!!!!!」」」」」

 

 

 うっさ。仲良しだねほんと。

 俺はそいつらを無視しつつ、一番左後ろの自席へ向かう。

 

 刹那、そのへんに放り出されていた誰かのカバンにつまづき、バランスを崩す。そのまま俺の頭部は前にあった机の縁へ──

 

 

「──っは!?このカバン誰の──」

 

 

 そういやあいつらなんかニョッキッキする前にカバン放り出してたわ!何してんあいつら許さねえマジぶっk──

 

 

 ◇◆◇

 

 

あぐッ──っえ?」

 

 

 思ってたより痛みが小さい…?いや、これは…

 

 どうやら俺は机に突っ伏して寝ていたらしく、周りを見てみると俺の席の周りがなぜか石灰だらけになっていた。

 …夢オチかよ。てかなにこの石灰…

 

 

「おうちゃんと聞いとけよー、ここ大事だからなー」

 

 

 …数学Ⅰの先生が俺にチョークを投げていたらしい。よく見たらめっちゃチョーク落ちてるわ、うん。

 でも俺にあたったの一発だけだよな?普通に20本くらい落ちてっけどもしかして全部外した?

 

 …あとで先生にこれからは普通に起こしてもらうよう言っとこ。隣の健太郎も巻き添え喰らってたみたいで昏倒してるし。これは本当にごめん。

 眉間にめっちゃくっきりと円く石灰ついてて俺ァブルっちまったよ…誤射なのにその威力は何なんですか先生…

 

 

 今は黒板に乗法公式が4つ書いてある。

 最初二乗の式見たとき単純に次数と係数とをかけるのかと思っちゃったんだけど同士いない?いや、小4レベルのこと高校生になってやるわけねえだろって話なんすけどね。ウッス。

 

 

 まあ、あれだな。今俺たけのこニョッキッキで雄々しい鬨上げるバカどもがいなかったことに心底安堵してるわ。でも夢って深層心理の表れだとか言うよな。俺の深層心理カオス過ぎませんか。

 正直夢で毎回毎回こんなにハラハラドキドキしてちゃ俺の身体が持たんわ。そういうのは漫画の世界とかで十分。

 

 

 漫画といえば、日曜日に本屋で漫画を眺めてたら猫耳ついたみたいな髪型の女の子がいて、思わず目で追ってしまったんだよ。たぶん年は近いと思う。

 …猫耳付きのカチューシャでもつけてたんじゃないかって?いや、あれは髪だった。ただ前例もなく例え先がないおかげでこう説明せざるを得ないんだけど、間違いなくあれは髪だった。

 

 髪の長さ自体は肩に届くか届かないかくらいの茶髪で、目は…いやそこまでは見てないな。髪型に目が行っちゃったから仕方ないじゃないか…

 

 その人はノースリーブの水玉カットソーに膝上くらいの丈のサスペンダー付きデニムスカートという服装だった。

 それがやけに身体のラインが出てて実に目のやり場に困った。生脚がまぶしかったッス。

 

 

 身体は本棚のほうを向けながらも目線だけで動きを追ってたら、彼女はヒョコヒョコと音楽雑誌コーナーのほうに吸い込まれていった。

 それを見届けた俺はそそくさと退店してしまったので、それ以降彼女がどうなったかは知らない。

 

 やっぱりブーム来てるんだねぇ…ガールズバンド。かのRoseliaもガールズバンドだっていうじゃない、びっくらこいたよねほんと。

 

 中にゃこのブームにあーだこーだと難癖をつけてるやつがいるらしい。

 が、大体そういうやつに限って女がどうの男がどうのと凝り固まったジェンダー観念に囚われた論法を展開している。長い人生、そんなくだらない先入観は捨て置いたほうが幸せになれますよ。

 ホラホラFIRE BIRD聞け?そらファンの仲間入りだ。

 

 

 などと脳内で「沼のほとりに立ってるヤツを深みへ引きずり込むオタクムーブ」をかましていたら授業が終わってた。あれ、数学…なんで三角関数書いてあるの?範囲飛び過ぎじゃね?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 さて、なんだかんだと放課後です。

 

 あの後先生に叩き起こし方について忠告に行くついでに謎の三角関数について聞いたら、雑談の話題に上がってサラッと公式を書いただけとのことでした。よかった、突然授業レベルブチ上がったんかと思った。

 

 あと俺の席周辺に先生によってぶちまけられた石灰はなぜか俺が掃除する羽目になりました。解せません。

 それでもまあそれ以外は普通に授業を受け、入学式のとき喋ったアイツらとくっちゃべりながらメシ食ってって感じで今に至る。

 

 えっ、部活?帰宅部だよ。なに笑ってんだこれも立派な部活動だぞ、なんなら公式戦あるから。春夏と帰宅甲子園あるから。ごめんさすがに嘘です。

 

 

 今日はたまたま数学の時間に寝てしまい石灰まみれになったが、俺は普段はちゃんと授業を受けているタイプである。俺の隣で昏倒してた健太郎はちょこちょこ寝てて、修介は俺と似たような感じ。

 …あれ?つーと今日昏倒してたのって誤射じゃなかったのか…?俺寝てたからわかんねえや。

 

 

 などと考えつつ、俺はチャリにつけたチェーンを外す。

 

 今日は何となく夜飯つくるのめんどくせえから、パンとかで軽く済ませようか。あと付け合わせに適当にウィンナーと野菜とか卵とか突っ込んでソテーにでもしよ。

 よし、そうと決まればやまぶきベーカリーだ。パン食うならとりあえずあそこ行っときゃ間違いない。

 

 品質で言ったら北沢精肉店もなぜかめっちゃいい肉が手に入る。しかも安い。

 あとはー…羽沢珈琲店に行ったら俺は必ずカツサンドを頼むんだが、あれもめっちゃ美味い。あそこ何頼んでもアツアツで出てくるんですよね、反則。グリーンカード4億枚くらいあげる。

 …あいやさすがにアイスとかは冷たいよ?

 

 こう考えるとやっぱり恩寵(おんちょう)あるよなこの地域。これネタに町おこししたら絶対うまくいくだろ、ガールズバンド文化も盛んに興ってるし。引っ越すならおススメですよここ。

 

 と、チャリなので結構あっという間に目的地へ着いてしまう。今17時くらいで微妙だけど沙綾おるかな。

 

 

「どうもー、沙綾おるかー」

 

「昌太、いらっしゃい。今日は何にする?」

 

「そうさな、無難に食パンとかもらってくわ」

 

「食パンね…はいこれ。今晩はパンにするの?」

 

「ん、そのつもり」

 

 

 沙綾は案の定制服にエプロン姿でちゃんとお手伝いしてた。最近ちゃんと休んでる?大丈夫だよね?

 などと沙綾と駄弁りながらパンを選んでいると──

 

 

「さーやー!いるー?」

 

「ぅおお!?な、何だ…あっ、昨日の本屋の」

 

「あ、香澄。いらっしゃい」

 

「…?あなたは…あっ、さーやの彼氏さんですか!?」

 

 

 は?

 

 

 ◇◆◇

 

 

「さっきはごめんね!さーやから聞いてた感じとそっくりだったからつい…」

 

「…なんでそっくりだったらかれぴっぴになるんだ」

 

 

 さっきとんでもない爆弾を投下してくれた昨日の猫耳娘。名を戸山香澄といった。

 すごかったぜ威力。だってあの沙綾が、油挿しサボってサビサビのブリキの人形みてえにギゴギゴしてたもん。見たことないよあんな沙綾…

 

 そのギゴギゴ沙綾曰く、こいつはどうやらこないだ沙綾とりみりんが言っていた「すごい人」と同一人物らしいが…

 なるほど、確かにね。わかる気はする。でも俺の思ってたのとはちょっとベクトルが違うかなーって。こう、俺が思ってたのはもっと、理知的というか。

 

 でも実際にはもう、「常にエネルギッシュ」だわ。完全に理解した。

 りみりんがそう言ってたけど本人を見るともうそうとしか言えない。ぶっ飛び過ぎて星になって「先生の次回作にご期待ください」ってなるやつじゃん。

 

 当時の意図とはズレてるけど、俺のした「恒星みたい」って例えはあながち間違ってなかった。うーんこの。

 

 

「香澄、お前昨日は本屋にいたよな?」

 

「?うん。駅前のでしょ?」

 

「ああ。そんとき気になったんだけどさ、その髪どうなってんの?猫耳?」

 

「違うよ、星だよ!」

 

 

 星?星なのか、そうか。もう星になってたのかこの人。

 「星だよ」って言われても、その髪の原理は全くもってわからないんだけども。どこの髪まとめてんだよそれ、やっぱ外付けじゃねえの?

 

 ちなみにしれっと名前呼びしているのは、本人にそうやって呼べってやまぶきベーカリー前で言われたから。

 

 そしてその香澄は、沙綾やりみりんと同じ花女の制服をふわふわとはためかせながら、チャリを押して歩く俺の横をトコトコと並んで歩いている。

 本人曰く「家の方向が同じ」らしいんだけど、大して知らん男にそうやって個人情報教えるのマジでやめたほうがいいよ。距離感ちけえよこの娘。

 

 あとそういう形而上の距離だけじゃなくて、物理的な距離もこいつは近い。俺の右側にチャリ、左側に香澄という並びなんだが、やけに距離が近いせいで気が気でない。歩道けっこう広いのにだよ?

 

 本当に大丈夫この娘?氷川さん以上に危なくない?

 

 

「…香澄、そうやって見ず知らずの男に個人情報ベラベラ喋るのはマジでやめたほうがいい」

 

「え?でも昌太くんは知らない人じゃないよ?」

 

「言い方が悪かったな、信頼できないヤツにやすやすと個人情報開示はすんな。そのうち喰われちゃうぞ」

 

「んー?私は昌太くんのこと信頼してるよ?それに私だってそれくらいはわかるし大丈夫だよ」

 

「…いや、こうやって面識薄いヤツとの距離感がめっちゃ近い時点でもう怪しいんだけど…」

 

「…やっぱりさーやが言ってた通り優しいんだね。心配してくれてありがとっ。気を付けるね!」

 

「お、おう」

 

 

 本屋で見たときは顔をよく見てなくて分かんなかったけど、香澄も例にもれずメチャクチャかわいい。

 アメジストみたいにキラキラ輝き出さんばかりの目と、すぐ顔に出る感情からくるくると変わる表情がとても愛嬌がある。

 

 あとこれは香澄に限った話じゃないんだけど、俺と女の子って大抵かなりの身長差があるから、隣同士並ぶと女の子を俯瞰(ふかん)することになる。そうなると上目遣い気味になるから…あとはお察しください。

 

 今少なからず俺が気恥ずかしいのも、本屋でかなりはっきりと身体のラインを見てしまったせいで軽く意識してしまってるからかもしれない。変態みたいで嫌すぎる…

 

 

「…?どしたの昌太くん、さっきから私の顔ずっと見てるけど」

 

「…いや、なんでも」

 

「?」

 

 

 ニコニコしやがって。かわいいなこいつ。

 こういう裏表ないとこがどこか人を惹きつける魅力を孕んでるんだろうなあ。一種のカリスマ力か。

 

 ふと香澄のほうへ視線を向ける。目が合う。相変わらずめっちゃニコニコしてる。なんでやねん、ずっとこっち見てたんすかあなた?

 

 

「昌太くんって、なにか楽器やってる?」

 

「楽器?ギターとかだな」

 

「ほんとっ!?手見せて!」

 

 

 そういって返答も聞かず、俺の左手がやわっこい手ににぎにぎされる。そういうとこだぞ香澄。

 ただでさえ近かった距離がさらに近くなって、シトラス系の…オレンジかこれ?そんな女の子特有の匂いが鼻をくすぐる。おい、腕から体温感じるんだけど。この娘パーソナルエリアってもんがないのか?ないんだろ?

 

 

「…むむっ、ちょっと硬いね」

 

「そりゃあなあ、ギターやってたらみんなそうなるぞ」

 

「そうなの!?それじゃあ私もそのうち…」

 

 

 「むむっ」なんてマジで言ってるヤツ初めて見た。せいぜい川平くらいでしょ常用してるの。

 川平以外にこんなあざといムーブされたらきっとムカつくんだろうなとか思ってたんだけど、ぜんぜんそんなことないね。可愛いからか。やっぱ正義は揺るがないのか。美少女ってズリー…

 

 …川平慈英は美少女だった?

 

 

「そのうちってーと…香澄もギターを?」

 

「うん、ランダムスターってやつ!」

 

「えっ、変態?」

 

「違うよっ!?」

 

 

 ランダムスターってのは、調べてもらうとわかる通り形からなかなかにイカツい。

 こうも特徴的な形になってくると座って弾くときに変な癖がついてしまいやすく、初心者はまず変形ギターなんて選ばないのだ。

 

 あと単純にテクニックがきもちわるい変態たちが好んで使ってるギターでもある。

 

 だから、変態。

 

 

「普通は初心者はそういう変形ギターって敬遠するんだよね、練習するときとかやりづれえからさ。よほど好きなんだなそれが」

 

「わかる?一目ぼれっていうか…『キラキラドキドキ』を見つけられるきっかけになったからかな。もうこれしかないと思ったんだ」

 

 

 …今後は顔を紅潮させながら「一目ぼれ」とか言わないようにしましょうね。死者が出る。

 

 どんな経緯があったかなんてわかりようもないが、『キラキラドキドキ』といい『星の鼓動』といいランダムスターといい、やはり彼女にとって星はトクベツな意味を持つようだ。

 まあすでにこいつ自体が星みたいなもんだけどな(?)。次回作にご期待ください。

 

 

「…やっぱり本物か」

 

「どしたの?」

 

「いや。…指を気にしてるってことは痛いのか?」

 

「うん。最近になって練習し始めたんだけど、指が痛くて…」

 

「そりゃいわゆる宿命ってもんだ。指先のケアしつつ我慢するしかないな」

 

「そっか~…ねっ、昌太くん」

 

「ん?」

 

 

「私のギター練習、見てくれない?」

 

 

「…いや、ちょっと待て。なんで俺なんだ?実は知識だけのハリボテかもしれんぞ俺。あとさっき言ったはずだぞ、もっと慎重になれって」

 

「んー、ギターのことはよく知ってるみたいだし…指先も硬いから、ずっと弾いてたんだろうなって」

 

「…」

 

「あと、()()()()()()心から信頼してる人だから。だから私も大丈夫だって思ってるんだよ?」

 

 

 …香澄、意外と人のことを見ていやがる。

 

 彼女が腕前の判断基準として挙げたのは知識と、指先の硬さ。

 俺がさっき話した知識は、ギタリストでもなければそうすらすらと出てくるものではない。

 そのうえで指先が硬いから、少なくともそれなりに知識を得られるほどにはギターを弾き続けているとわかる。だから腕前は問題ない。

 

 そして信頼性の判断基準としては「沙綾が心から信頼していること」を挙げた。

 確かに彼女は人づきあいにおいてはある程度一線を引くタイプで、そこを超えて親しくなる人は実はあまりいない。

 一週間か二週間の付き合いで、香澄は沙綾のそんな振る舞いを見抜いていた。これはとんでもないことだ。

 

 

「…香澄、観察眼すごいんだな。正直恐れ入ったよ」

 

「さーやのこと?なんとなくだよ」

 

「そっちもだけど、俺のギターの腕とかさ」

 

「そっちはさーやからちょっと聞いてた。えへへ」

 

 

 だからそのあざといムーブすんのやめろ!可愛いだけだから!

 なんだよ、真面目に解説したこっちが恥ずかしいじゃん。まあ確かに知識があって指先が硬くても惰性で続けてるだけの下手くそかもしれんし。

 …ん?でも沙綾の一線引くクセは見抜いてたんだよな…

 

 

「それで、どう?見てくれる?」

 

「…わかったよ。まあ頼られた以上断るつもりもなかったけど」

 

「んー、やっぱりさーやから聞いてた通りだ!ありがとう!」

 

 

 そういって香澄は腕と腕とがくっつきあっていた体勢からもっと近づき、正面同士でめっちゃくっついてきた。

 もはやこれ抱き着いてるレベルだろ!腕回してるか回してないかくらいの違いしかないぞこれ!

 

 香澄を引きはがしながら、今後の連絡のためLIGNEを交換する。そしてそれも終わると、彼女は満面の笑みでひとこと。

 

 

「これからよろしくね、昌太くん!」

 

 




 出会っちゃった!ということです。


 よろしければ今回も感想や評価等よろしくお願いします。


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第8話 情報戦


 まずはスクイッド様、アベンジ様、すき焼き風おにぎり様、評価ありがとうございます。
 そしておかげさまで評価バーに色がつきましたほか、お気に入りも100件を超えていました。本当にありがとうございます…!



「──もういい時間ね。今日は終わりにしましょう」

 

「お疲れ様〜☆」

 

「疲れた〜っ!みなさん、今日はそこのカフェでご飯にしませんか?」

 

「…私は、大丈夫です」

 

「私も構いません」

 

 

 全体での通し練習を終え、ふぅと一息つく。

 今でこそは放課後などにこうしてRoseliaで集まり練習に耽ることができているが、かつては私たちが抱えていた火種は多く、その脆さからしばしば衝突が起こっていた。

 

 その中でもとりわけ大きな『衝突』。解散の可能性すらあったそれは、裏でとある人物の助言を受けたことで一気に好転したというのは、先日白金さんが言っていたことだ。

 

 

 『禍を転じて福と為す』。降りかかる災難を利用し、逆に事態を好転させてしまうというこの故事成語を、その人物──筑波昌太は体現してしまったのだ。

 

 

『──そう。そんなことが…知らなかったとはいえ、私も配慮が足りなかったわ。ごめんなさい』

 

『い、いえ…気にしないでください。結局は私の…ただの、一人相撲だったんですから』

 

 

 先日白金さんは、この解散騒動の件について助言をくれたという筑波さんの存在と、その筑波さんに事の顛末を話したという事実を私たちに打ち明けた。

 

 

 解散騒動の話が広まるのは望ましくないことは確かだ。だから湊さんも『なるべくこのことは口外しないように』と言ったのだ。

 しかし私たちの中でも特に危機管理能力の高い白金さんはこれを重く捉え、そのために事が終わってもずっと悩みを抱えていたようだ。

 

 確かに、なんとなく今の白金さんはどこかすっきりしたというか、吹っ切れた様子である。普段にも増して、凪いだ海のように落ち着いた雰囲気をまとっている。

 

 

『確かになるべく言わないようにとは言ったけれど…燐子からしてその人は、信用できるのでしょう?それに、その人が事の収束に一役買ったのもまた事実』

 

『…はい。それは間違いないです』

 

『それならその人に顛末を話すのが筋、というものなんでしょうね。だから、そのとき打ち明けてくれて…ありがとう』

 

 

 そう言って当時の湊さんは締め括った。

 彼女のように、Roseliaの皆は筑波さんには一様に感謝している。もちろん、私も。私だってここがかけがえのない場所であることに変わりはないのだから、当然のことだ。

 

 

「カフェって言ったらさ、料理がすっごい上手い新人さんいるらしいじゃん?まだ見たことないんだけど」

 

「…ああ、あの」

 

「…新人さん?湊さんもご存知なんですか?」

 

「ええ、私も見たことはないのだけど…その人の料理は一度だけ食べたことがある。…とても、美味しかったわ」

 

「んー?りんりんは知ってる?あこは見たことないなー」

 

「私も、知らないかな…」

 

「湊さんにそこまで言わせるとは…その人は料理人でもやってらしたのでしょうか」

 

「アタシも友希那と一緒に食べたけど…正直、ありえると思う」

 

「…」

 

 

 湊さんは、今井さんのその言葉に黙って首肯する。

 彼女は知っての通り、私のようにとてもストイックな性格。それは他人に対しても同じだから、あまりストレートに褒めるということはしない人だ。

 

 そんな湊さんにここまで言わせるとは…気になるわね。少なくとも相当な実力者には違いない。

 

 そう考えながら、私はリハーサルスタジオをあとにした。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 今日はバイト先であるCiRCLEの初出勤日である。その業務内容は受付。月島さんから聞いた感じだと特に難しいことはなかった。

 

 電話予約を入れた顧客の情報がまとめられた名簿を基に、割り当てられたスタジオの案内とか料金の収受とかするだけ。

 暇なときは適当に掃除でも楽器のお手入れでも、受付さえちゃんとやってれば割と好きにしてていいらしい。

 

 力仕事とか言われてたから覚悟はしてたんだが、思ってたよりゆるいんだな。バイトってこんなもんなの?

 と思って月島さんにそう言ったら、「今は…今はね…」と昏い目で言っていた。ちょこちょこ闇が垣間見えますよね、こないだといい。

 

 

 というわけでざっくりと顧客を把握しておこうと名簿を眺めていると、気になる名前に目がつく。

 

 

「『Afterglow』に『Roselia』…ここの利用客だったのか…」

 

「Afterglowがどうしたの?」

 

「ん?いやこの名簿に書いてあって気になったから」

 

「そっかそっか。実は私たちここでいつも練習してるんだー」

 

「そうなのか、知らんかった──えっ誰?」

 

「もー、誰って何?私だよ、上原ひまり!」

 

 

 名簿と相対して俯いていた顔を上げると、目の前にニッコニコのわんわんピンクが一人。カウンター越しに手をついて乗り出し、俺と一緒に名簿を眺めていたようだ。

 すごくナチュラルに俺の独り言に滑り込んできて普通に会話させるコミュ力はさすがですね。てか近いです。

 

 

「昌太ここでバイト始めたんだね」

 

「ああ、今日からだけど。ほかの皆は?」

 

「ん?まだ来てないよ?とりあえず早めに手続き済ませとこうかなって」

 

「お前リーダーだもんな。そういうとこは素晴らしいと思う」

 

「"は"は余計だよ!でもありがと。今日はどの部屋?」

 

「今日は一番奥っぽい。ほい鍵」

 

 

 前を開けたねずみ色のブレザーと紺色のネクタイをふわふわ靡かせながら、体勢はそのままに会話する。

 いやだから近いって。さっきから俺の頬をひまりの絹みたいな髪がこちょこちょしてきててくすぐったいのよ。

 

 妙なこそばゆさを覚えながらも、さっき渡された料金のお釣りとともに鍵を渡──

 

 

「ねっ、しばらく受付暇でしょ?時間までちょっと話そうよ」

 

 

 ──そうとした俺の右手を、ひまりが両手でがっちり掴んできた。そしてそのまま俺をカウンター外へ引きずりだそうとする。

 どうやらさっき見てた名簿で次まで時間があることを悟ってしまったらしい。待ちなさい、俺は今仕事中なんだ。

 

 

「おい待てひまり、ウェイトだ。俺今バイト中なんだよ、サボるわけにゃいk」

 

「まりなさーん、いいですよね?」

 

「んー?あー君たち知り合いだったの?いいよいいよ、受付さえしてくれれば今日はいいからさ!」

 

「だって!ほらほら!」

 

 

 人の話を聞きなさい。

 というか月島さん、それ「サボっていいよ」って言ってるようなもんでは…。まぁ、そういうことならいいか。ここでひまりを突き放すのもなんかイヤだし。

 

 

「わかったわかった、行くから。まず鍵とお釣り受け取ってくれ」

 

「やったー!うへへ、早く来てよかった…」

 

 

 目的こっちだったの?早めに手続き云々はどうした、さっきちょっとでも感心した俺を返せ。

 

 テキパキお釣りと鍵を受け取ったひまりは、財布を仕舞うや否や俺をスツールに座らせ、俺の首に腕を回ししなだれかかってくる。いわゆるあすなろ抱き。

 こういうシチュエーションには疎いんだけど、これって男からやるもんじゃないのか。てかこの体勢さっきに増して近え…

 

 

「それで、なんでバイト先ここにしたのー?」

 

「…まあ、家から近いから。あとここで音楽の知識仕入れとけば、お前らを手助けできるかもしれんしな」

 

「…あーヤバい、今のすごいキューンって来た…んふ、嬉しいな」

 

 

 顔は見えないけどたぶんめっちゃへにゃへにゃになってると思う。もうこの猫撫で声でわかる。トリガーが何なのかはわかりかねているが、たまにひまりはこうなる。

 そして、彼女はそう言いながらさらに強く抱きつきつつ、俺の顔にめっちゃ頬ずりしてくる。

 

 

「でも、たまには自分のことも考えなよ?いつも人のことを気遣えるのは昌太のいいとこだけどさ、わがままでも言わないとそのうち倒れちゃうよ」

 

「んー?無理はしないから大丈夫だよ。それくらいはわかってる」

 

「ほんとー?まぁ、そう言うならいいけど…でも私たちならいくらでもわがまま言っていいからね!何なら言って!」

 

 

 いや、俺は本当にいい友を持ったな。

 みんながここまでの聖人だから、たまにふとそんなみんなに俺はちゃんと向き合ってやれているのか不安になるんだけど。

 と、俺が傷心的なフェーズに入りかけているのを察したのか。

 

 

「…大丈夫だよ。私たちは、君の優しさをわかってるから。だから、大丈夫」

 

「…ああ、ありがとう」

 

「うん、気にしないで。お互い様だよ昌太!というか私たちが貰いすぎてるまである!」

 

「…ふふっ。ひまりちゃんと筑波くん、本当に仲いいんだね。なんか胸やけしそうだよ…」

 

「月島さん…見てたんですか」

 

「いやぁ、ここでベタベタされて見るなっていう方が無理じゃない?」

 

「ぐぅの音も出ねぇ」

 

「ぐぅ!」

 

「ひまり?それわざわざ言うもんじゃないからね?」

 

「むふふー。あー楽し」

 

 

 『むふふー』。可愛いですね。こないだの香澄の『むむっ』とかみたいな美少女の特権じゃん。

 しかもこれを左耳元で言われたのでさらにビクンビクンしてる。息が…息が…

 

 頬ずりが止んだと思ったら、今度は左腕を首に回し直し、右手でやさしく俺の頭を撫で始めた。俺はされるがままである。

 

 

「筑波くんってほかのAfterglowのメンバーとは仲いいの?」

 

「そうですね。皆とはひまりのように4年来の付き合いです」

 

「でも受験のときにちょっと疎遠になっちゃったんですよねー。てか昌太、なんで合格したあと連絡くれなかったのー?」

 

「…いや、なんか気まずくて…」

 

「んー…筑波くんの言いたいことわかる気はするな。ずっと連絡してないといろいろ考えちゃうよね」

 

「まぁ、そうですけど。…寂しかったんだからね?」

 

「それは、ゴメン。本当に」

 

 

 その件については大変申し訳なく思っています。

 今更送っても迷惑かなとか詐欺だと思われんじゃないかなとかいろいろ考えちゃったんだよ…

 

 

「私としては今こうして話せてるから十分…って言いたいところだけど、ちょっと欲が出てきちゃったなー」

 

「欲?」

 

「そ。ほら、薬物みたいにさ。どんどん物足りなくなってきちゃうの」

 

 

 なんてことを耳元でぽしょぽしょと囁いてくる。別に俺は耳が弱いとかそんなことはないと思うんだけど、それにしたってゾクゾクする。

 …公衆の面前ではやめましょう!破廉恥ですっ!

 

 

「だからこれからはそのとき話せなかった分まで、いっぱい喋ろうね!」

 

 

 ひまりがそう言って俺から離れると、ちょうどほかのメンバーがCiRCLEに入ってきた。

 そのみんなは俺とひまりが近くにいたのを見て訝しがるような視線を向けてきたけど、俺はガンスルーした。知らないったら知らない。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「次はRoseliaか…なんか緊張するな」

 

 

 Afterglowをスタジオへ案内して数十分。次はRoseliaの予約時間が迫っていた。

 

 メンバーの全員と面識があるわけではないのにいろいろと首を突っ込んでしまったこともあって、なんとなく気まずい。

 もしかしたら「余計なことしたヤツ」とかとして戦犯扱いかも。…自分で考えといてアレだけど今ちょっと死にたくなった。もうやめようこれ。

 

 燐子さんから特にそういう話は聞いてないし流石にない…と思いたい。

 

 

「ん?筑波くんRoseliaのみんなとも面識あるの?パイプ広いねぇ」

 

「いえ、全員ではないんですけど…まあ、いろいろありまして。あと大ファンなので」

 

「あー、なるほど?Roseliaって一応情報伏せてるから素性もわからないもんね」

 

「そうですね」

 

「ま、そんなに気にすることはないと思うよ。鍵渡して部屋案内するだけだし」

 

 

 月島さんはそう言ってスタッフルームへ入っていった。そうだけどさぁ…やっぱ緊張するもんは緊張するよ。

 しかも単にファンなだけじゃなくて中途半端に顔見知り(しかもうち一人には後ろめたいことがある)だから…なんか、ね?

 

 

「すみません、Roseliaで──あっ」

 

「あっ」

 

「紗夜、私たちはあそこで──あら、見ない顔ね。あの新人さん?」

 

「あれー?お兄さん意外と若いね〜☆」

 

「えっ」

 

「あっ、しょー兄だ!」

 

「昌太くん…?バイト、始めたの?」

 

「「「「えっ」」」」

 

 

 ライトグリーンの長髪の美少女──氷川紗夜さんが俺に話しかけてきてから、一気に場がややこしくなった。いや、氷川さんは悪くないんだけど。

 

 まず銀髪ロングの人の「"あの"新人さん」とか茶髪ロングにウェーブかかったみたいな人の「"意外と"若い」って何?

 たぶんその「新人さん」に関して何かしら情報は得てたんだろうけど、それで意外と若いって評価につながる理由がよくわからん。

 

 あと俺の名前を聞いたときに燐子さんとあこ以外が「えっ」って言ったのも謎。これRoseliaの中で俺に関する情報錯綜してね?

 

 わからないことだらけだが、とりあえず今は予約時間が迫っていたので──

 

 

「それじゃあお部屋は2番になりますお会計はあとで大丈夫ですそれではごゆっくりー!」

 

 

 ──早口でまくし立てて問題を先送りした。2時間後の俺、任せた。

 あ、会計に関してはCiRCLEはそのへんフリーダムだから先払いでも後払いでも大丈夫です。

 

 





 長くなりそうだったので短めですが今回はここまで。

 今回もよろしければ評価や感想等よろしくお願いします。


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第9話 詰問


 ダウルダブラ様、麻野様、評価ありがとうございます。



「ひまり」

 

「…な、なに?蘭」

 

「今日はやけに早くここ来てたけど…何してたの?なぜか昌もいたし」

 

「昌太はー…ここでバイト始めたんだって。今日、から」

 

「…そうなんだ。で、何してたの」

 

「えー、っと…」

 

 

 筑波昌太のCiRCLE初出勤日。

 彼に案内されたスタジオ内で、ピンク髪を二つ結びにした少女が、肩の上で切り揃えられた黒髪に一筋の赤いメッシュを入れた少女──美竹蘭から詰問を受けていた。

 

 

 その原因は、Afterglowのメンバーが目撃した彼とピンク髪の少女こと上原ひまりの「距離」。

 まずなぜ他のメンバーがその光景に違和感を覚えたかというと、一つにはなぜかひまりがいつもよりもはるかに早くCiRCLE入りしていたことが挙げられる。

 

 人の時間に対する行動パターンは大きく3つに分かれる。

 余裕を持って行動する人、時間ピッタリになるよう行動する人、そして時間にルーズな人。

 中でもひまりは時間にルーズなタイプで、大幅に遅れることはないにせよだいたい数分は遅れてくる。

 

 そんな彼女が早入りしている時点ですでに「何かあった」と察せられるのだが──

 

 彼女らが見たひまりは、スツールに座している昌太のすぐそばに立っていた。というかもはやくっついているくらいだった。

 そして彼はなぜか全力で目を逸らしていた。それはもうマグロのように。アウトバーンを疾駆するスポーツカーくらいの速度は出ていた(?)。

 

 

 こうなれば「怪しい」どころか「確実に何かあった」と思われるのは必定だ。

 

 

「もう諦めたほうが賢明だよ。あのひまりが早入りしてる時点でもう怪しいってのに」

 

「…」

 

「しかもその場に昌がいたとなれば…ねぇ?ほら」

 

「…ぁぅ」

 

「ほら」

 

 

 「おら、キリキリ吐けや」と言わんばかりの据わった目で壁ドンをしながら、至近距離でガンを飛ばす。その目はさながら鷹のようである。

 あまりの威圧感にひまりも思わず声を漏らしてしまう。

 

 勘違いされがちだが、普段の蘭はここまでギリギリと威圧することはまずない。

 確かに口数も少なく表情も固めではあるが、その実彼女は心優しく誰よりも友達思いな娘だ。そのことはもちろんいつものメンツも承知している。

 

 しかし昌太の事となると、蘭はなりふり構ってはいられなくなってしまうのだ。このことを当の彼は知らない。そもそも見せない。

 

 

「も〜、蘭ったら本当にしょーくんのことが好きなんだね〜」

 

「んなっ」

 

「蘭、そこまで詰ると逆に話せなくなると思うぞ…」

 

「っ…ご、ごめん。ひまり」

 

「う、うん」

 

 

 そんな蘭にひまりがビクビクしているのを知ってか知らずか、モカと巴が援護射撃に入る。

 モカに半ばからかわれるように諭された蘭は、顔を紅潮させながらもひまりを開放する。

 普段の蘭しか知らない者が今の彼女を見たら、おそらく別人だと思われてしまうだろうくらいには可愛らしい様子だ。

 

 

「それで、ひまりちゃんはあそこで何してたの?」

 

「うー…えと、その…昌太が時間までちょっと暇っぽかったから、あそこまで引っ張り出して…」

 

「…うん」(顔真っ赤なひまりちゃん、可愛いなぁ…)

 

 

 ひまりは顔を真っ赤にしながら訥々と話す。

 今しがた口に出してみて初めてその距離の近さを自覚したのか、口調すら普段のコミュ力が鳴りを潜めていた。

 

 

「あぅ…えっと、昌太をイスに座らせて…後ろから抱きしめ、ました…はい…」

 

「「「「…!」」」」

 

 

 刹那、閃光走る。

 ひまりのあまりに刺激的な行動に、彼女ら4人の反応は様々だった。

 

 

 先ほどめちゃめちゃガンを飛ばしていた蘭は、一筋のメッシュやそのギターと遜色ないくらいに顔を紅くし、ギターを抱え込みながら俯いてしまった。

 

 蘭にちょっかいを出してからは静観していたモカは一見なんともなさそうだが、よく見たら目がぐるぐるしていた。

 いつもはフワフワしている彼女も、恋愛にはどこまでも奥手だった。

 

 巴はキャスターつきの黒い丸椅子に座りながら話を聞いていたが、話を聞いた途端はたと右手を口元に持ってきて、そのままぐるぐる回転し始めた。

 なんとも言えぬむず痒さにとにかく動かずにはいられなかったようだ。

 

 いつも通りに準備を終えたキーボードのそばで話を聞いていたつぐみは、蘭のように顔を耳まで真っ赤にしながらキーボードに手をかけつつしゃがみこんでしまった。

 つぐみや他の皆の心境を反映するように、キーボードからは「みょえ〜ん」とマヌケな音が出る。

 

 

 そのキーボードの変な音も相まって、なおのことスタジオ内は腑抜けた空気になる。そんな中、ひまりは続けて言う。

 

 

「それで、その後は…その状態のままで、会話して…昌太の顔に、頬ずりとか…」

 

「ひゃえ!?も、もういいから!!」

 

「は、はいっ!?」

 

 

 さらにヤバい情報が投下されそうなことを真っ先に察した蘭が、変な声を上げながらひまりを制する。…こいつ、どこまで…!と思いながら。

 

 続けてつぐみが、しゃがみこんだまま顔だけをひまりの方へ向けずっと気になっていたことを問うた。

 

 

「…昌太くんがここでバイトし始めるのは、知ってたの?」

 

「は、はい…この間、まりなさんがブツブツ独り言を言ってるのを聞いちゃって…」

 

「…」

 

「…昌太の初出勤日が、今日だって…言ってたから、早めに乗り込みました…はい…」

 

 

 ことの全てを洗いざらい吐いてしまったひまりは、壁に背中を擦り付けながらぺたんと女の子座りし、そのまま俯く。

 もちろん、顔は湯気が出そうなほどに茹だっている。

 

 

 このある意味で惨憺たる状況、もはや収拾などつくまい。

 

 

 モカと巴はくるくるグルグルしているし、ひまりとつぐは座りこんで顔を片手で覆ってしまっている。そして蘭は、顔を真っ赤にしたまま俯き微動だにしない。

 徐ろに、またもやキーボードから「んゅ〜」と…いや、これはつぐみの声だった。

 

 ──どうしてくれるんだ、ひまり。

 

 申し訳程度の恨み言を吐いたところでどうにもならず、挙げ句この空気は退室時まで尾を引いてしまった。

 そのため今度はこのギクシャクした空気は、昌太に大変訝しがられたらしい。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 なんか今日のアイツらの様子がおかしい。何があったの?

 

 

 先ほど俺は受付として彼女らから鍵を返却してもらったんだが、さっきはあれだけベタベタしてきたひまりすら俺とは目を合わせてくれなかった。

 

 泣いていいかな。

 

 

 しかもあまりにおかしいもんだから、とりあえずそのとき一番近くにいた蘭をとっ捕まえて話を聞こうと思ったんだわ。

 でも蘭は「ごっ、ごめん!」つって俺の手を振り切って逃げてった。

 

 泣いていいかな。

 

 

「すみません、会計を…」

 

 

 あのなあ、俺はお前らのことをずーっと見てきたんだぞ。や、ストーカーとかじゃなくて。友人としてね。

 そうやって適当に話はぐらかしてバレないとでも思ったら大間違いだぞ。

 

 …泣いていい?泣くよ?

 

 

「…すみません」

 

 

 というかねえ、スタジオって内容はわからなくても「あ〜、演奏してんなぁ」くらいは外からでもわかるんだよね。

 でも今日はそのお隣さんはまだしも奥の部屋から全然そういう音してなかったような気がする。

 

 …ぴえん。なんで話してくれねぇんだよォーーーーーッ!!!!!

 

 

「ッ!?あっ、あの…」

 

 

 …まぁ、こんなところで泣き喚いてても仕方ないんだけども。今度会ったらあいつらとっちめてやる。

 そもそもスタジオ来て演奏しないで何すんの?演劇でもしてたんか?

 

 あー、なるほどな?

 要はアレだろ、それに感情移入しすぎて泣いちゃったから顔見られたくなくて俺から逃げたんだろ。そうだろ?ねぇ?

 

 

「すみません!会計お願いします!!」

 

「でやあああはい失礼しました!!!!!」

 

 

 いかん、考え事に没頭しすぎてお客さんに気づかんかった。しかもよりによってRoseliaである。

 んー、少なくとも目の前の氷川さんには一言謝っておきたいんだけど…花女門外の変のことは他の人に聞かれたくないし。どうにか二人きりになれないかな。

 

 

「…はい丁度ですね、ありがとうございました」

 

「ちょっといいかしら?話を聞きたいのだけど」

 

 

 無理でした(笑)

 

 

 ◇◆◇

 

 

 問題を先送りにした2時間前の俺を恨みつつ、俺はRoseliaの皆さんに連行されカフェテリアの一角に来ている。

 もちろん月島さんから俺の貸出許可は得ている。俺は備品じゃねえんだぞ…

 

 イスは六脚あるが、せめてもの抵抗として俺は座らずテーブルのそばに突っ立っている。

 さすがに色々と息苦しくて座ってられないんです、燐子さんそんな目で見ないでください。悲しそうな表情をしないで…

 

 

「…それで、何用でしょうか?」

 

「まず、初めに…あなたは筑波昌太、で間違いないわよね?」

 

「はい、俺がそうですが」

 

「そう…私は湊友希那、このRoseliaのボーカルで、リーダー。この間、あなたの助言のおかげであの問題を解決できたと聞いたわ。その節は、本当にありがとう」

 

 

 そう銀髪の人──湊友希那さんが言うと、続いて皆も頭を下げてくる。…良かった、戦犯扱いはされてなかったらしい。本当に良かった。

 

 

「…いえ、当然のことをしたまでです。ですが、俺はちょっと口出ししただけ。実際に行動したのは燐子さんとあこです」

 

「それでもよ。もし燐子とあこがあなたに相談していなければ、どうなっていたかわからないから」

 

「そうですか…それならば素直に受け取らせていただきます。間接的とはいえRoseliaを救えて、嬉しいです」

 

「…ふふっ、本当に聞いていた通りの人柄なのね。燐子とあこが信頼するのもわかる気がする」

 

「本当にね〜。あっ、アタシは今井リサ。ベースやってるよ、よろしくね☆」

 

「よろしくお願いします。改めまして、俺は筑波昌太です。ここでバイトやってます」

 

「…氷川紗夜と申します。Roseliaのギター担当です。よろしくお願いします…あの、私からも一つ…いいですか?」

 

「っあー…えっと、今じゃないとダメですかね?」

 

「…?えぇ、できれば今のうちに」

 

 

 氷川紗夜。この間花女の校門で俺がナンパ紛いのことをしてしまった少女、その人だ。

 でもさっき俺が言ったように、そのことを他の人に聞かれるのは本当に望ましくない。っていうかこの人ナンパ紛いのことされたって人前で暴露する気?やめて!許して!

 

 

「…あぁ、そうですか…。その…」

 

「すみませんでした」

「ありがとうございました」

 

「「えっ」」

 

「えっと…な、なんで?」

 

「えっ、いっいえ…この間あなたが指摘してくれたおかげで、自分の欠点に気づくことができたので」

 

「おっ、おう?そうなんですか?」

 

「はい。むしろ私の方こそ謝らなければなりません。先日は申し訳ありませんでした…つい意固地になってしまい…」

 

「…えっと?よ、よくわからないけど…一件落着?」

 

「…どういうことかしら?」

 

「な、なにがあったんだろうしょー兄と紗夜さん…」

 

「…」

 

 

 今井さんと湊さんは困惑してて、あこは口を開けてほへーとしてる。

 が、燐子さんだけ何かを察したのか複雑そうな目でこっちを見てくる。えっ、感づいたの?嘘?

 

 

「……………昌太くん」

 

「…はい」

 

「あのときの…昌太くんだったの?」

 

「…感づいてらっしゃる?」

 

「えっと、あの校門でのことは白金さんにだけ話してしまって…その、すみません」

 

「い、いや…。まああんなこと話しちゃうと思うので…むしろ燐子さんにだけだった分全然ありがたい…」

 

「昌太くん?」

 

「ウッス。反省してます」

 

「…………なら、いいけど…」

 

「…りんりん?紗夜さん?」

 

「…アタシ、紗夜がちょっと赤面してるのとか燐子がほっぺ膨らませてるのとか、初めて見た気がする…」

 

「…私もよ」

 

 

 …そういえば、燐子さん氷川さんと同じ花女だった。そりゃ知っててもおかしくないわ…

 俺が反省の弁を口にすると、燐子さんはほっぺをぷくーと膨らませそっぽを向いてしまった。こんなときに言うことじゃないけどギャップ萌えがすごく来てます。

 

 あとさっきから他の三人置いてけぼりでごめんなさい。本当に、申し訳ないです…

 

 

「…私からも、一ついい?」

 

「…?はい」

 

「この間…ここで、ペペロンチーノを作ってはいないかしら?」

 

「えっ、何故それを…」

 

「…あっ、そうそう!アタシも聞こうと思ってた!実はアタシ、友希那と一緒にね──」

 

「──『新人さんが作った料理があるから試食してみてほしい』ってまりなさんに言われて、食べさせてもらったのよ」

 

「…えぇー…」

 

 

 月島さん、よりによってこの二人にアレ出しちゃったのか…。

 あのときは変な会話の応酬しながら作っでたせいで、正直質に自信がなかったものだ。予め言ってくれればちゃんとやったのに…!

 

 と思ったけどそもそも俺が初めに四人分材料使わなきゃよかった話じゃん。俺のせいじゃん。

 

 

「…んんー?どういうこと?」

 

「二人は…その新人さんが昌太くんだって、思ってるんじゃないかな…」

 

「…というかもう間違いないと思います」

 

「…はい、それは俺だと思います。確かについこの間作りました。えっと、気になってたんですが"その"新人さん、とは?」

 

「そのペペロンチーノが…とても美味しくて。Roseliaでその人のことをこの間話したのよ」

 

「うん。それでてっきり料理人さんだったのかなーと思ったんだけど、意外と若かったからさ」

 

 

 …なるほど?湊さんと今井さんの「見ない顔だ」のあとの言動はそういうことか。

 つまりなんだ、Roselia内で俺に関する情報は。

 

 ・花女門外の変の首謀者

 ・裏で問題に口出したよくわからん男

 ・料理で話題になった謎の「新人さん」

 

 …えらい交錯してまんがな。それに加えてこれ全部が俺のこととなると──そりゃめんどくせえわ。

 

 

「いえ、俺はただの高校生ですよ。正直想定してませんでしたけど、喜んでもらえたんなら本望です」

 

「…なんか、一気に気になってたことがなくなったなぁ〜…」

 

「…そうね。でもまさか、昌太がそこまでRoseliaに多く関わってたなんて…」

 

「えぇ…私も、まさか同じ人だとは…」

 

「でも、しょー兄ならやりかねないよね?」

 

「そうだね…」

 

「…なんですかその変な方向での信頼は」

 

「だって世話焼きじゃんしょー兄。こないだだってりんりんを…」

 

「あこちゃん…!そ、それはもういいから…」

 

「何?昌太、あなたまだ何か関わってたの?」

 

「いえ、気にしないでください」

 

「でも」

 

「気にしないでください」

 

「…わかったわよ」

 

 

 今度は湊さんがそっぽ向いちゃった。この人こんな仕草もするのか…

 なんかなぁ、俺が思ってたRoseliaって語弊を恐れず言うと「頂点へ盲進している」って、危なっかしいなぁと思ってたんだけど。

 こうして話してみると、みんな人間味があってちゃんとJKしてるんだなぁって。

 

 SNS上で絵とかがよくバズってる人って本当に人間なのか疑わしくなるけど、実際に姿を目にしてから存在を確認して安心する。そんな感じ。

 

 俺は推しのそういう一面を確認できてとても嬉しい。感動すらしている。

 

 

「…昌太?なんでニヤニヤしてるのかな〜?」

 

「いえ、なんでもないです」

 

「言ってくれないと気になるじゃないですか…」

 

「…推しバンドの色々な面を確認できて感動してるだけです」

 

「"だけ"って…。そうだったのね。いつもありがとう」

 

「…本当、筑波さんって何かとRoseliaとよく関わってますね…。合縁奇縁というか…」

 

「自分でもびっくりしてますよ」

 

 

 もともとは高嶺の花だったはずなんだけど、なんでこんないろんなとこで関わるようになっちゃったのかな。

 

 知らなかったとはいえRoseliaの一員である燐子さんとあこと知り合いだったわけだし、たまたま話した氷川さんに花女門外の変しちゃうし、たまたま俺の作ったペペロンチーノ食ったらしいし。

 

 正直俺は俺自身の情報がここまで錯綜する事態に人生で遭遇するだなんて思ったこともなかった。

 当たり前でしょ、普段一般学生としてすごしてるだけなのに。不思議だね人生って。

 

 

 このあとはリサ姉(そう呼べって言われた)に料理教えてほしいって言われたから連絡先を交換したら、流れで湊さんや氷川さんとも交換することになった。

 明日俺死ぬんじゃないかな…。

 

 





 三人称視点に挑戦。

 今回もよろしければ評価や感想等よろしくお願いします。


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第10話 勝てばなんとやら

 大変申し訳ありません、色々ありまして当話を誤削除してしまいましたため再投稿となります。
 内容に変更はない、はずです。恐縮です…。


「おい昌太、修介。聞いたか?」

 

「何をだ」

 

「駅前のマ○ク──そこの店員は、レベルが高い。ってな」

 

「…なんだそりゃ。『花女の生徒はレベルが高い』みたいにIQ低そうな噂だな」

 

「いや、昌太。こればっかりはガチだ」

 

「うっそだろ、修介もそっち側の人間だったの…?」

 

「いや違う。断じて」

 

「さっきから聞いてりゃ失礼だなお前ら」

 

 

 いつも通り同じクラスの諏訪健太郎と宗谷修介とともに教室で昼飯を食っていたら、健太郎が唐突に噂の話をし始めた。

 

 この間の「花女の生徒はレベルが高い」という、アバウトで頭の悪そうな噂話もこいつから聞いた。それに関しては元々知ってたわけだけど。

 これらは健太郎が野球部に属していて、そこでまことしやかに囁かれているものらしい。通りで男子校みたいに浮わついた噂になるわけだ。

 

 個人的に噂は大体ソースが曖昧だから、信じるだけ無駄なものだと思っている。

 そうでなくとも伝播の段階でどうしても尾ひれはついてしまうものであり、実態は大したことがなかったりする。「大山鳴動して鼠一匹」ってやつだ。

 

 …まあ、花女の噂に関してはマジなやつだったわけだが…。

 

 

「てかさあ、この学校だって大概レベル高いじゃん。何とは言わんけど」

 

「確かにな。それでなんでこんな噂が広がるんだか…」

 

「…飽くなき探求心。それなくして、どうして漢でいられようか」

 

「何言ってんのこいつ」

 

「昌太?お前は漢ではないのか?」

 

「いや、それって要するに健太郎の三大欲求の一が肥大化してるだけだろ。十把一絡げにするのは止めたほうがいいよ」

 

「修介?お前も?」

 

「いや、元より多種多様な人類を一括に論じようとする時点で既に道を誤ってる。だからこそ、まずはその違いを想定するべきだな」

 

「確かに…いやちょっと待て、論点ずらそうとしても俺は騙されないぞ」

 

 

 チッ、前はこれでコロッと行ったのに。タダでここに入ったわけじゃないってか。

 

 こいつはバカだがアホではない。先天的な出来は決して悪くないはずなのだが、後天的に身についた性癖が邪魔をしている。

 それでその性癖を「男ならみな持っているもの」と先天的なものとして語り始めるからめんどくせえ。

 

 だが俺たちはレベルが高いから、それを適当にいなしつつからかって遊ぶだけの余裕があるのだ。

 実に程度の低い争いである。相対的に見れば間違いなく全員バカだ。

 

 

「聞きそびれてたんだけど、なんで修介まで頭悪くなったの?」

 

「まるで俺は元から頭悪いみたいな言い草だなおい」

 

「実際に行って見てきたんだよ。そしたらガチだったってだけ」

 

「…えぇー、本当?」

 

「昌太も言ってただろこの間。『花女の噂はガチだった』って」

 

「まぁ…そうだけど」

 

「えっお前わざわざ見てきたの?人のこと言えんの?」

 

「うるせえな、たまたま通学路で見たんだよ。そのときちょっと見ただけで納得しちゃったんだよ」

 

「あぁーわかるぜそれ。俺も校門に行って見てきたけど、壮観だったな」

 

「やっぱお前バカだろ。自分からあんな男ゼロの空間に突っ込んで生きて帰って来られるわけねぇだろバカか?」

 

「…いやに実感の篭もった語り口だな?お前も同じ穴の狢だろ?おん?」

 

「違う違う。似たような環境で辛酸舐めたってだけだ」

 

「…本当か?」

 

 

 健太郎に訝しげな視線を向けられるも無視する。余計なこと言った。

 

 見ての通り、俺はこいつらに丸山さんや松原さん・氷川さんと話したことは言っていない。もちろん燐子さんと知り合いだってこともだ。

 あと沙綾にりみりんに香澄…いや多いな。

 

 もちろん俺が辛酸を舐めたのは似たような環境どころか全く同じ環境である。

 だがバカ正直に話せばあとが面倒なのは明らかなので、適当にぼかして伝えている。

 

 女の嫉妬は面倒臭いとよく言うが、それは男でも同じだ。男女に関わらず嫉妬は面倒臭い。

 流石に修介まで健太郎側につくと間違いなく面倒臭いから、面倒臭い。もう面倒臭すぎる。すごく臭ってる。

 

 だから予めそんな事態にはならないよう、あれこれ考えて情報を封鎖しておくしかないのだ。臭いものには蓋をしなければな。

 

 

「…まあこないだのはたまたま真実だっただけで、元々俺は噂なんて信じないようにしてるんでな」

 

「お堅いねぇ昌太は…。そこまで言うなら今日の放課後行くぞ」

 

「あん?どこにだよ」

 

「マッ○だよ。晩飯付き合え」

 

「なんでだよ…別にいいよ俺は」

 

「…俺もなんとなくイラッと来たから無理にでも連行しよう」

 

「あちゃ〜修介が寝返っちまったか」

 

 

 真実を見てきたという修介の証言すらバッサリ行ったせいで敵軍に寝返ってしまいました。

 んだよ、勝てば官軍負ければ賊軍ってか。俺は賊軍か。

 

 噂がどうこうはともかくとして、この辺のレベルが高いことは確かなのである。

 だから元から俺は他の噂ほどその真偽を疑ってはいなかったのだが、そんなことはこいつらの知るところではない。

 

 結局のところ俺は爆弾でバチコーンされ辛酸を舐めさせられた賊軍なのである。ああ、悲しきかな。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「──で?駅前の○ックつったか?」

 

「ああ、間違いない。昌太は行ったことあんのか?」

 

「いや、ないな。大体商店街で済ませてるしこっちにはほとんど用ないし。そもそも鉄道も使わない」

 

「思ってたよりローカルな生態してるんだな昌太って」

 

 

 健太郎の疑問に俺がしれっと答えると、修介にローカルなヤツだと言われてしまった。

 まぁ確かに?そもそも通学の時点で鉄道使う人多いしな?

 

 今は放課後の19時台。男三人で適当に駅前界隈をぶらぶらして時間を潰してから、例のマ○クに向かっている。

 

 

「今ふと思ったんだけどさ、今行ってもその人がいるとは限らなくねぇか?バイトなんでしょ?」

 

「いや今はいるはずだ。水曜と金曜の17時から20時のシフトらしい」

 

「なんでそこまで情報割れてんの?気持ち悪…」

 

「あの勘違いしないで、俺が調べたわけじゃないから」

 

「情報知ってる時点で弁明できないと思うよ…」

 

「…」

 

「…その人ってレジなの?」

 

「あ、あぁ…二人ともレジのはずだ」

 

「ふーん、そう…ん?二人とも?」

 

「あれ、言ってなかったか?その店員さん二人いるぞ」

 

「えっマジ?修介のときもおったんか?二人?」

 

「あー、うん。いたね」

 

 

 初耳学です。

 確かにレベルが高いとは言ってたが、別に一人とは言っとらんわな。ややこしいなぁ本当…

 

 

「──あぁ、あれだ。あそこのマ○ク」

 

「今はちょうどいい時間だし、いてもいいはずなんだが…」

 

 

 マッ○前についた俺らは、歩道を挟み少し遠くからガラス越しに中の様子を伺う。外はすでに暗くなっているため、明るい店内の様子がよく見える。

 もちろんレジにいるピンク髪ポニテさんと青髪サイドテールさんの様子も──

 

 

 ん!?

 

 

「…………………俺用事思い出したから帰る」

 

「あん!?いやいや、もうここまで来たんだから腹くくってこうや。狼狽するくらいの可愛さなのはわかるがな」

 

「…ここまで来て帰れるとは思わないことだね」

 

「いやちょっ、待って!あの人たちだけは!」

 

「何だよ急に!?ほら行くぞ!」

 

 

 ヤバい、今猛烈にヤバい。

 あの店員さんは間違いなく…丸山さんと、松原さんだ。マジかー、ここでバイトしてたんかよ…

 

 知ってのとおり、俺はこいつらには花女の人との関係を伏せている。なぜならそれがバレるとめんどくせえからだ。

 そんな状況で彼女らに変に反応されたら、少なくとも俺が顔を知られていることがバレるのは間違いない。

 つまり、嘘こいてたのがバレる。

 

 これだから噂は信じてねえんだよ!ガッデム!

 

 …いや、冷静になれ俺。バレなきゃいい話なんだ、これは。

 適当に髪下ろして制服脱いで目伏せてればたぶん彼女らにはバレないはずだ。そもそも話してたのはほんの数分だけ、顔を覚えられたとは考えづらい。

 そんな曖昧な記憶の中で、もっとも特徴的だったであろう制服や髪型を伏せてしまえば。

 

 …勝った。俺が官軍だ。

 

 

「わかった、わかったから。その前にブレザー脱がせろ。暑い」

 

「さっきからどうしたんだよ…早くしろよ」

 

 

 そう申し出てから俺はブレザーをリュックにブチ込み、軽くセットしてた髪を適当にかき乱す。こうしたことで恐らく髪は落ち武者みたいになったはずだ。そうだ、これでいい。

 

 

「何、なんで突然戦場に駆り出される兵士みたいな空気まとい始めた?もしかしてお前あの人と面識あんのか?」

 

「ない」

 

「即答も即答すぎて逆に怪しい」

 

 

 そうして覚悟を決めた俺は○ックに入店し、いつも通りダブチセットを頼もうと列に並ぶ。

 さっきは丸山さんがいたはずなのだが、一旦裏に引っ込んだのかレジは松原さん一人で対応していた。

 ちなみに一緒に来た健太郎と修介は俺の真後ろに並んでいる。

 

 

「いや、ピンク髪の人はどっかで見たことあるなくらいだし。青髪の人もこないだたまたま見たのがあの人だっただけだ」

 

「何も聞いてないんだけど…」

 

「緊張しすぎだろ。もしかしてどストライクだった?」

 

「もうそれでいい──」

 

「──ご注文、お決まりでしたらどうぞっ」

 

「アッハイ」

 

 

「えーっと、店内でですね、クーポン番号の──番をひとつで」

 

「…?はっ、はい」

 

 健太郎と修介に聞かれてもいない弁明をしていたらいつの間にか俺の番だった。まあ結構空いてるしな…

 そしてブレザーを脱ぎ髪型を崩しまくったのが功を奏したのか、一応はバレていないらしい。よかった。…訝しげにはしてるっぽいけど。

 まぁ、このまま行けばどうにか切り抜けらr

 

 

「あっ!きっ、君…あのときの男の子だよね!?」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 【悲報】ワイ、賊軍だった。

 

 

「くそぅ…なんであの人パッと見で見破れたんだよ…くそぅ…」

 

「どういうことか、説明してもらおうじゃありませんか…」(半○直樹)

 

「(どうせ困ってたから声かけたとかじゃないかな)」

 

 

 もう諦めた俺はブレザーを着、髪も整え直してU字型のソファみたいな席に三人でついている。詰めれば6〜7人くらい行けそう。密です。

 

 あのとき丸山さんはできた商品を席に運びに行っていたらしい。そして戻ってきたときにレジにいた俺(落ち武者モード)を見て一発であのときのヤツだと見破ったと。

 なんてことだ、顔なんか覚えられていないはずでは…

 

 反射的に声を上げてしまってから集まる視線を自覚し少し顔を赤らめた丸山さんは、『20時にはバイト上がるから、待っててほしいな』ってぽしょぽしょ俺に耳打ちして引っ込んでった。

 まるで彼女かなんかみたいなムーブだったが、そのさまを健太郎がすげぇ目で見てきていたのは記憶に新しい(修介はそうでもなかった)。

 

 また、丸山さんの反応を見て確証を得たのか松原さんにも似たようなことを言われた。もうダメだ。

 このときの健太郎の目はもはやメデューサみたいだった(修介はそうでもなかった)。

 

 

「いやぁ、まさか昌太があの二人と知り合いだったなんてなぁ。しかも一人はあの丸山彩ときた」

 

「おい」

 

 

 修介わかっててやってんだろ。すげぇニヤついてやがる。

 こいつは都合のいい情報を与えるとモカみたいに図に乗って、適当に場を引っ掻き回して面白がるタイプだ。普段は常識人なんだが。

 これだからバレたくなかったんだよ…

 

 

「入学式の日に言っただろ、人を助けたって。それがあの二人だ」

 

「本当ー?」

 

「貴様はちょっと黙ってなさい」

 

「一回話したくらいであんな距離感近くなるわけねぇだろ…!」

 

「それは俺も知らねぇよ!」

 

「どうせそのついでにナンパとかしてたんじゃないの?」

 

「黙ってろつったよな修介」

 

「それでたった一回で落とすなんて…やるね」

 

「ねえ黙れよコラ」

 

「お前俺のこと言えねえじゃねえかゴルァ!俺を三大欲求の一の権化みてぇに言いやがって!」

 

「そこまでは言ってねぇだろ俺!」

 

 

 このままこいつらに場を任せておくと、そのうち俺が稀代のナンパ師みたいになってしまうこと大請け合いだ。この間の羽沢珈琲店でのアレみたいに。

 だから俺も弁明しようとするが、間髪入れずに修介が適当に健太郎をけしかけるせいでもっとややこしくなる。

 

 こうなるのが目に見えてたから俺は抵抗してたんだよ。

 健太郎なんかけしかけられたせいでストローマン論法使い始めたし。だぁーっ面倒くせえ!

 

 あまり手を付けられず大部分が残っているポテトはもう冷めてしまっている。馬鹿が…

 それに気づいた俺は渋々ポテトを食いながら続けて言う。

 

 

「…いや、だから。あの日は寝坊してていっぱいいっぱいだったし、そんなときにナンパなんかしてお互いに遅刻とかマジでバカの所業だろ…」

 

「…やっぱりそうだったんだね」

 

「へっ?」

 

「やっほ。隣、いいかな?」

 

「あぁ…どうぞ」

 

「ありがとっ」

 

 

 俺が弁明してたら髪を下ろし花女の制服に着替えた丸山さんが声をかけてきたので、一つ内側へずれて座る場所を空ける。

 

 クソどうでもいい問答をしていたせいで、知らないうちに20時を回っていたらしい。

 数十分を棒に振った気分になり思わず苦い顔をしそうになるが、丸山さんに勘違いされそうだから我慢。

 …あれっ?松原さんは?

 

 

「あ、花音ちゃんならもう少しかかるって。えっと、改めまして。丸山彩です、よろしくねっ」

 

「…ッ!ぇー、筑波昌太と申します。栄星の一年です」

 

「……………同じく、諏訪健太郎です」

 

「…同じく宗谷修介です」

 

 

 こっ、これが現役アイドルの挨拶…!あまりの可愛さに見とれてしまい、俺は雑な挨拶を返すのが精一杯だった。健太郎なんかしばらく黙っちゃったし。

 なんというか…やっぱ直接見ると違うなぁ…

 

 

「昌太くん、でいいのかな。あのときはごめんね、私が一人でアタフタしてたせいで。ずっと気にしてたんだけど…」

 

「…それが一人相撲だろうと、俺がやりたくてやってるからいいんですよ。それでも、どうしても気になるのなら…」

 

「…うん」

 

「『ありがとう』って言ってもらえたほうが、俺は嬉しいです」

 

「そっか…それなら、ありがとっ。昌太くん」

 

 

 そう言いながら、丸山さんはふわっと笑った。

 うん、やっぱり丸山彩と言ったら笑顔だ。ドジっ娘なところもよく可愛いなんて言われるけど、個人的には笑顔が一推しなんだよな。

 

 

「それで…さっきは何を話してたの?」

 

「えっ?あーえっと、俺が入学式の朝の話で疑いかけられてたんで弁明してました」

 

「えぇっ!?だ、大丈夫だよ私は!昌太くんは本当に助けてくれただけで!」

 

「丸山さんが言うなら間違いないですね」

 

「お前さっきまであんだけ騒いでただろ、手のひらクルックルじゃん」

 

「まっ、俺はわかってたけどね」

 

「じゃあ適当に引っ掻き回すなよお前は」

 

「あの、私も混ぜてもらって…いいかな?」

 

「あ、どうぞ」

 

 

 数分して松原さんも来たのでさらに俺が奥へ詰める。俺の隣に座ってた丸山さんもさらにこっちに詰めてきてちょっと距離が近い。

 

 俺の左横の二人を健太郎はマヌケな表情で見ていて、修介はそんなバカみたいな顔してる健太郎をニヤニヤしながら見ている。

 正直俺もさっきとの落差がひどすぎて面白い。色々と素直すぎるわこいつ。

 

 …と、松原さんはそんな健太郎のバカみたいな視線に気づいたのか。

 

 

「…ふえっ」

 

 

 と言いながら、ちょっと顔を赤くして俯いてしまった。松原さんってやっぱり人見知りだったんだな…。

 その様子を見ていた健太郎は口元を手で抑えてこちらも少し俯いた。でもこれニヤついてるんだわどう見ても。気持ち悪。

 

 ただこのままだと埒が明かないので適当に話をそらすことにする。

 

 

「俺は筑波昌太と言います、栄星の一年です」

 

「……同じく、諏訪健太郎でし…です」

 

「ブフッ…ごめんなさい、同じく宗谷修介です」

 

「笑うなお前修介!てかさっきからニヤニヤしながら見てくんじゃねえ!」

 

「いやぁ、これはお前が面白いのが悪い」

 

「やっぱ馬鹿にしてんだろお前!!」

 

「…ふふっ、仲いいんだね。私は松原花音と言います、花咲川の二年生です。よろしくね」

 

 

 割と無理のある話題転換だったが、健太郎が変に噛んでくれたお陰でうまく行った。今回ばっかりはありがとう健太郎。

 

 

「花音ちゃんは道案内してもらったんだよね?」

 

「うん。昌太くん、あのときはありがとう。本当に助かっちゃった。遅刻とかはしなかった?大丈夫?」

 

「こいつ教室にヘッドスライディングしてきましたよ」

 

 

 と思ってたら余計なこと言いやがった。やっぱお前許さん。

 

 

「ブフッ!……ッ!ちょっ、それは…ハハハッ…」

 

「余計なこと言うな健太郎、せっかく適当にぼかそうと思ってたのに。修介は今更笑ってんじゃねえよ」

 

「…っはー、いやすまん。今考えたら意味がわからんくて」

 

「あれ野球部の俺からしてもめっちゃフォーム綺麗だったんだけど、お前野球やってたの?」

 

「ブハッ」

 

「あーまた笑っちゃったよこいつ。いや俺素人だよ」

 

「マジ?センスあるぞお前」

 

「何それ…」

 

「…ヘッドスライディング…!?まっ、間に合ったの…?」

 

「あー全然大丈夫でしたよ。気にしないでください」

 

「…いや、流石に気になるかな…前代未聞だし…」

 

「反論の余地もない…」

 

 

 よく考えたらヘッドスライディングしていようが結局は自分の席についてなきゃダメなわけで、むしろこれはタイムロスである。

 そりゃ誰もやらんわ。時間の無駄だもん。

 

 とかなんとか考えてたら、丸山さんがこっちにスススと寄ってきた。そしてまた俺の耳元に顔を近づけ…

 

 

『私のことは、名前で呼んでほしいなっ』

 

 

 不意打ちにもほどがある。

 顔がどうなってるのかわからなくなった俺は、思わずテーブルに突っ伏してしまった。

 それを見た健太郎はさっきまで大人しくなったのにまたやかましくなり始めた。あーあーうるせえよお前!

 

 

「…お前やっぱ丸山さんに何かしただろ!なんでそんなに距離感近えんだよ本当に!」

 

「ひぅっ!わ、私は大丈夫だよっ」

 

「うるせえ健太郎!さっき本人が何もされてないって言ってたばっかだろ!」

 

「おっ、また面白くなってきた」

 

「お前も少しは助けてくれねぇか!?」

 

「信じられるかよこれ見て!昌太お前そんなんじゃ松原さんにも手ぇ出してんだろアァン!?」

 

「ふぇっ!?えっと、その…」

 

「松原さん!?」

 

「そら見たことか!とっとと吐け!」

 

 

 …ん?今度は松原さんがこっちに…

 そしてさっきの…えー、彩さんみたいに、俺の耳元へ顔を…

 

 

『私のことも、彩ちゃんみたいに、名前で呼んで…ほしいな?』

 

 

 聞いてたんですか?

 彩さんも松b…花音さんもこちらを少し俯きながらチラチラ見てくる。顔真っ赤…。

 そんな二人の様子を見て健太郎がさらにいきり立つ。修介は放置しながらケラケラ笑ってる。もう収拾がつかない、助けて。

 

 …まあ、頼まれたなら言うしかないですよね?人の頼みは極力反故にはしないタチなので。

 二人にだけ聞こえる程度の声量で俺は言う。

 

 

「…彩さん、花音さん。よろしくお願いします」

 

「…!うんっ!」

 

「よろしくねっ」

 

 

 このあときっちり冷えっ冷えのダブチを五人で騒ぎながら平らげた。ま、まぁ?マ○クは冷めても結構美味いし?

 てか始終健太郎が騒いでたのもそうだけど修介が適当なこと言わなかったらもうちょっと熱いやつ食えてただろ。恨むぞ。

 

 そして21時を回ろうかという頃に彼女らとは店の前で別れた。その時連絡先教えてもらったから家帰ったらLIGNEしよ。

 

 あとその後に店の前で健太郎があまりに執拗にさっきなんて言われたか聞いてくるもんだから素直に白状したら、一発頭をはたかれた。

 

 

 もちろんやり返した。

 

 




 
 よろしければ今回も感想や評価等宜しくお願いします。


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第11話 春といえば

 
 お ま た せ し ま し た

 TK109様、Canopus様、霞花 悠馬様、エリシュ様、むら24様、ケチャップの伝道師様、カラシスパ様、評価ありがとうございます。
 またおかげさまでUA1万、お気に入り250件達成していたようです。ありがとうございます。
 


 あぁ、ついに来てしまった。俺は感じてしまった。

 

 

 先ほど鼻腔を伝うナニカを感じ、思わず鼻をすすってしまった。そして遅れて理解した。

 

 戦いが始まる。毎年のように起こる、人間と自然の抗争──いや、自然による人類の蹂躙が。

 もはや戦いなどと形容するのもおこがましい。それは一方的な鏖殺にほかならない。何しろ人間には目薬やマスクといった防衛手段しかないのだ。

 反撃の狼煙を上げられないのに、どうしてそれを「対等な戦い」と言えようか。

 

 ついに花粉の蔓延る季節(地獄)が本格的に幕を上げてしまったのだ。かくして戦いの火蓋が切られたのだ。

 花粉という弾を装填した火縄銃──もとい春は、我々をその散弾で射抜き、射抜き、射抜き散らす。まさしく長篠の戦いのように。

 

 ただ一方的に俺らがボコされるだけのあまりに理不尽な季節、春。だからこそ俺はお前が嫌いだ。

 

 

 って言うことを羽沢珈琲店で力説したら、失笑とまでは行かなくても皆して苦笑を浮かべていた。

 なんでだよ!?!?こんな季節あんまりだろ!?!?

 

 

「確かに花粉症はつらそうだけど…」

 

「あたしたち皆花粉症じゃないし。花粉症なのは昌だけ」

 

「ちきしょーーーー!!!!!」

 

 

 思わず場を弁えずに叫び声を上げてしまった。

 

 ふん、持たざるヌシらにはわからんのよ。この塗炭(とたん)の苦しみが。

 花粉症患者にとっては、スギやヒノキの花粉が飛ぶというだけで春は憎悪に値するのだ。なくてもいいなら即滅んでしまえと言ってしまうくらいには。

 

 俺は春だけだからまだマシだが、ひどいと秋も、あるいは年中この症状に悩まされる人もいるとか。

 嫌すぎる。俺だったら動物に転生して自然に生きることを考えるレベル。

 

 生活習慣病などと並んで現代病として悪名高い花粉症。もう二度と同じ苦しみを味わう者を出してはならない。

 さっきはああ言ったけど、正直苦しみ知らないんならもう一生知らないでいてくれって思う。こんなもんで毎年毎年苦しまないでくれ。これは当事者からのお願い。

 

 

「でも、春ってそんな悪いことばっかりじゃないと思うけど…」

 

「ほら、よく出会いと別れの季節って言うじゃん!甘酸っぱい感じして私は好きだけどなー」

 

「ひまりの言ってんのはアレだろ?第二ボタンがどうの言うアレだろ?普通甘酸っぱくはないだろ、さくらんぼかよ」

 

「さくらんぼみたいにぷちっとしてて可愛い?ふふーん、ありがとー昌太!」

 

「人の話聞けや」

 

 

 この子に皮肉なんてものは通用しない。

 さくらんぼに関してはただの比喩だが、仮に悪意を込めて言ったとして穢れを知らないひまりはストレートに受け止めてポジティブに解釈する。

 死ねどす総本家だって通用しないぞ。

 

 多少ムカつきはするが、この穢れを知らない笑顔だけは守らなくちゃいけないんだ。いいね、諸君?

 

 

「桜は?桜あるじゃん」

 

「巴さんや。花粉への憎悪を前に桜の魅力など塵芥にすぎんのだよ」

 

「憎悪が強すぎる…もはやこの世のすべてを憎んでそう」

 

「俺はそこまで真っ黒じゃねえよ蘭」

 

「ん〜?春ってイベント目白押しで楽しいけどな〜。ほら、期間限定のパンとか〜」

 

「言うと思った」

 

「まぁ確かに桜とかこの眠くなる陽気とかいろいろあるけど、それでも花粉症が嫌すぎて表に出たくない」

 

 

 確かに桜は被写体として本当にバエる。それは俺も否定しないし、むしろ全力で賛同する。

 それにモカも言ってたけど特有の食べ物もたくさんあるからな。たけのこに山菜、七草がゆとか桜餅とか。あ、天ぷら食いてぇ。帰りに惣菜コーナーで買ってこ。

 

 それでも俺にとっての花粉は春の象徴すらぶっ飛ばすくらいにはエ↑グー↓な存在なのだ。もう秋冬しか勝たん。

 

 その俺の言い草につぐは一言つぶやく。

 

 

「もったいないなぁ…」

 

「まぁ対策すりゃ出れんこともないけど。今どきイオンブロックがどうの言う、顔にスプレー吹きかけるやつとかあるし。便利だよほんと…」

 

「大丈夫それ?わさびとかじゃない?」

 

「毒霧かよ。何が悲しくて一人でプロレスしなかんのや」

 

「表に出られないのは本当にもったいないよな。春は特に見た目でもよく映える季節だし」

 

「うん。花咲川沿いの桜並木とかすごくきれいだよね」

 

「CiRCLEのカフェテリアの眺めもいいんだよねぇ。スイーツが進むよ…」

 

「…そうじゃなくてもひまりは」

 

「やめて!!」

 

 

 うん。まあ、ね。好きなことを自重してもろくなことないからね。

 「このつまみは酒が進む」つってる親父みたいでなんか嫌だが、ひまりの言うこともわからんではない。

 

 …あっ、忘れてた。CiRCLEつったら──

 

 

「そういやさ、なんでこないだ蘭は俺を振り切って逃げたんだ?正直泣きそうだったんだが」

 

「ッ!?いっいや、それは…」

 

「…」

 

「うぅ…その、ごめんね?」

 

「何が?」

 

 

 何が?なんでつぐが謝るの?

 さっきまでは普通に目線を合わせてくれてたのに、またあの時みたいに皆目をそらし始める。

 

 …何が?

 

 

「え…っと、あっあの日は急用ができて!」

 

「…それと目をそらすのはなにか関係が?」

 

「いやっ!何もないよっ!…ないです…」

 

 

 蘭に聞き返してたら突然ひまりがボリューム調整ミスったスピーカーみたいなデケェ声出すもんだから思わずそっちを向いたら、何故か尻すぼみな敬語で返してきた。

 ひまりさん?

 

 

「ひまり?お前か?お前がなんかしたんか?ん?」

 

「ひゃぁあぁ〜…何もっ、何も…してない、よ?」

 

「あっ、ああああ顎クイっ…!?」

 

 

 怪しい。確定でしょこれ。

 ちょうど左横に座ってたひまりに取り調べ中の刑事よろしく顔面を寄せて圧力(笑)をかけてたら、よわよわしい声を漏らしながらやっぱり目を全力でそらしてくる。

 ついでにつぐがなんか言ってたが聞こえなかった。

 

 くそぅ、あくまでシラを切るつもりか。

 

 

「はぁ、あくまでもシラを切るのか。まぁそこまで言うなら俺も深くは聞かねえけど…」

 

「そうしてくれると、助かるかなー…」

 

 

 珍しく俺の目の前に座ってるモカもどこかそわそわしながらそう言う。いつものおちゃらけた雰囲気はどっかへすっ飛んでしまっているが…。マジでどうした?

 

 

「…嫌われちゃうようなことしたんかな、俺…」

 

「それはないから大丈夫。皆大好きだから、昌のこと」

 

「お、おう?ありがとう?」

 

「蘭っ!?」

 

「…あっ」

 

 

 俺の斜向かいの蘭は顔を真っ赤にして突っ伏してしまった。

 気を遣って言ってくれたのはわかるが、そんなになるなら無理しなくてもいいのに…。

 俺がそんなことを言うと、蘭はくぐもった声で返答してくる。

 

 

「何かすまん。気を遣わせたみたいで」

 

「…別に気を遣ったわけじゃない」

 

「とにかく、何もないから!本当だよ!」

 

「わかったよ…」

 

 

 隣で顔を真っ赤にしながらひまりはそう念押ししてくる。本当に説得力がないが、まぁ本人たちがそういうのならもう触れまい。

 それになんでか知らないけどこれ以上聞いたら面倒なことになる予感がする。こういうときの第六感の精度はヤバいって相場が決まってんだ、素直に従っとこ。

 

 

「えーっと…ほら、中間考査近いし!」

 

「いやそれはたぶん全然関係ないけど」

 

 

 つぐが話題転換のためかそう言うと、突っ伏していた蘭の身体からスンッ…と力が抜けた。えっ、魂抜けた?

 

 それはひまりも同じだったようで、念押しするため乗り出してきていた体勢から一転俺の方へ──と思いきや、無理やり体勢を変え机の方へぶっ倒れた。

 何なんだよ、こないだは躊躇なかったじゃねえか。

 

 それを軽く怪訝に思いながら俺は続けて言う。

 

 

「何?また不安要素あんの?」

 

「授業、聞いてない…」

 

「蘭は別のクラスだからわからないけど、少なくともひーちゃんは黒板だけ写して話は聞いてなさそうだったよ〜」

 

「おい」

 

 

 お前ら中学校で散々苦労してきただろそれで。

 で、この惨状を巴やつぐ、モカに俺が助太刀するまでがテンプレ(天ぷらではない)。

 その甲斐あってか成績的にはみんな問題はないのだが、蘭とひまりは俺らがいなけりゃどうなってたか…。

 

 モカは腹立つことに授業さえ聞いてりゃどうにかなるタイプで、巴とつぐはコツコツやってるタイプ。ひまりと蘭は言わずもがな。

 まぁ良くも悪くも性格が出てますよね。ちな俺は巴とかつぐと同じ。

 

 

「羽丘ってどこまで範囲進むの?流石にめっちゃ進まれると俺は手に負えないぞ」

 

「栄星のほうがずっと進んでるんじゃないかな?えっと、数Ⅰはどこやってる?」

 

「ん?えー、こないだは集合と命題の前まで行ったな。あとは中間までおさらいとかするらしいが」

 

「えっ!?それって40ページくらいあるんじゃ…」

 

「だな。流石に俺もヤバいが、まぁどうにかする。つぐは?」

 

「私たちは…実数のところかな。たぶん20ページと少しくらい」

 

「…それなら大丈夫か」

 

 

 栄星は数学で言えば高1の時点で数Ⅱの半分くらいを終わらせ、高2で数Ⅲをサラッとやる。で、高3の残りの期間でずっと受験対策をするんだとか。

 やっぱりウチって箔がついてるだけあってやべぇんだな。これくらいがザラなのかと思ってたが。

 

 

「今年も、お願いね?」

 

「ん、任された。おう蘭にひまり、()()()見てぇか?」

 

「…」

 

「死゛に゛た゛く゛な゛い゛…」

 

「そこまでは言ってないんだけど…なら今年もやるぞ。ついてこい」

 

「…どこでだ?」

 

「あっ」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「うぅぐ…むずかしい…」

 

「日頃から積み重ねてくしかねえよ、こればっかりは」

 

 

 結局手頃な場所がわからなかったので適当に俺んちに招集。そしてリビングで屯して各々教え合っている。

 呻き声を上げたひまりがやってるのは倫理。ただ一回聞いただけでは理解が難しい分野で、それゆえ苦戦しているのだ。

 

 

 そういえば、みんなが俺んちに来た直後はさっきのモカみたいに妙にソワソワしてたが本当に何なんだよ。

 さっき聞くなって言われたことと関係あるのかないのかは知らんけど、そうやって態度に出されるとこっちも気になるからあんま表に出さないでほしい。

 

 …もしかしてちょっと掃除サボってたのバレたか?いや、違うんですこれは。パッと見はキレイだからセーフ。

 ほら梁とかちょっと指でなぞってもなんもつかんやろ。セーフセーフ。冷蔵庫の上もめっちゃキレイなんだぞほら見ろ!

 

 

「あ、緑茶いるか?とってくるわ」

 

「あたしも行く。一人じゃ持てないでしょ?」

 

「すまんな。助かる」

 

 

 家に来てからは黙々と勉強に勤しんでいた蘭が、俺の言葉に反応してついてくる。

 普段は勉強に関してはもう少し抵抗するんだが、今回は存外に素直だ。やっと腹を括ったか。

 

 

「緑茶って言ってたよね。どこのやつ?」

 

「あぁ、そういや蘭もいろいろ知ってたな。今回は川根茶ってのを買ってみたんだが」

 

「ふーん。渋いのが好きなの?」

 

「緑茶に関してはそうだな。羊羹とか大福とか甘いのも好きだから、その反動かな。渋みが強いほうが俺は好き」

 

「そっか。渋いのだったら狭山茶とかがもっと渋いと思う。あたしもよく飲むけど」

 

「へー、今度買ってみるわ」

 

 

 蘭は華道の家元の娘で、趣味もシブいところがある。

 

 Afterglowではギタボをこなす彼女は華道、ないしは花卉(かき)に精通している。花言葉とかもめっちゃ知ってるし…うんちくをスラスラ話してるとこは一回見てみてほしいわ。

 

 その一環で彼女の嗜みもかなり和に染まっているのだ。普段のパンクな装いの蘭しか知らない人には想像もつかないだろうがな。

 

 今更なんだが、やっぱり俺の周りには属性盛りだくさんのヤツが多い。てかみんなそうだわ。普段付き合ってて飽きないわけだよな。

 そもそも今のオタクは何にしたって属性を見出し愛でるスキルを持ってるから、属性がないなんてありえないわけなのだが。

 

 

「やっぱ緑茶はあの渋みあってこそだろ。あれなきゃ飲んだ気にならんわ」

 

「飲み比べでもしてみたらいいんじゃないかな。甘みとか香ばしさ重視の緑茶も捨てたもんじゃないよ」

 

「日本のお茶に関しては信用してるし、そうしてみるわ。海外のは甘くてキツかったが」

 

 

 俺がそのとき飲んだのはいわゆる甜茶ってやつだな。

 海外では緑茶といったらこういった甘い緑茶が主流で、実は苦いお茶というのはマイナーなものである。

 その証拠に日本のように甘くない緑茶はわざわざ「Non Sugar」とか「Unsweetened」って書いてある。

 

 これを知らずに海外で緑茶っぽいのを買うとめっちゃ甘いジュースみたいなやつだったっていう初見殺しが存在するから海外行くヤツは注意しろ。マジで。

 

 

「あ、新茶じゃん。これ渋みというよりは甘みとかが強いやつだよ」

 

「ワーオ。そしたらさっそく香ばしさ重視でやってみるか…?えーっと、どうやるんだっけ」

 

「低温でじわじわ抽出するほうがいいかな。やかんで沸騰させてから湯呑みで一旦冷まして、それから急須に注ぎ直す」

 

「ほう。ちょっとやりながら教えてくれん?」

 

「うん」

 

 

 さっきとは立場が逆だな。そう考えて思わず少し笑ってしまう。

 こういうときの蘭は本当に頼りになる。蘭の親がお茶を始めとした和への造詣が深く、だからこそ蘭の知識も確かなものだ。

 

 

「頼りにしてるぞ、蘭」

 

「…ッ!唐突に言うのはズルいって…」

 

「ん?どした?」

 

「…いや、なんでもない。ほら、そろそろいい温度だから。急須に注ぎ直して」

 

「あいよ」

 

 

 そうして湯呑みのお湯を急須へ注ぎ、40秒くらい待つ。

 今までは蒸らすとかよくわからなくてやってなかったからな。多少調べてやってはいたが、なんでも沸騰させときゃいいのかと思ってた。

 

 ちなみに急須は何故か実家にあったデケェのを了解を得て持ってきた。60号というサイズらしいが、たぶん1Lくらいは入るから6人分ならちょうどいい。

 

 流石にこんな大人数じゃないと60号は引っ張り出すこともないし、普段もっと小さいのを使っている。

 

 

「このあとはどうすんだっけ」

 

「2〜3回回して、少しずつ均等に淹れてく。いつものことだけど全部絞りきっちゃうから」

 

「まぁ、それはいつも通りだよな。今まで俺は直接沸騰させたお湯をブチ込んでたわけだけど」

 

「同じお茶でも低温でじわじわやるか高温でササッとやるかで味も違うからね。高温だと味濃くなるし、渋いのが好きなら高温でいいんじゃない」

 

「なるほどね。勉強になるわ」

 

 

 たぶんちょうどいいくらいに蒸れたので、いい加減回そうと急須を持つ。

 そのときに俺がトンチンカンな持ち方をしていたのか、蘭がまた一つ言ってくる。

 

 

「柄を右手で持って、左手で軽く蓋をおさえる」

 

「…こうか?」

 

「まぁ、それでもいいけど──」

 

 

 そう言いながら、蘭は俺の手を握ってちょこちょこと持ち方に修正を入れてくる。あ、これは楽だわ。変に力が入らない体勢というか。

 

 

「なぁ、蘭。ついでだしこのまま回し方とか注ぎ方とか教えてくれないか」

 

「えっ」

 

「ん?ダメか」

 

「いっ、いや…………いいよ」

 

「おっ、サンキュー」

 

 

 俺がそう言うと、みょーにぎこちない蘭が手を軽く重ねながら一連の動作をこなしていく。ちなみにやりづらいのかその前に俺の腕の間に入ってきた。

 うおぁすげえ。一応俺が急須を握ってはいるが、信じられないくらい洗練された動きで緑茶が注がれていく。俺が俺じゃないみたい。

 今の俺の気分?そうだな、『日本の技』みたいな動画で超絶技巧を見せられたときの気分。そのままじゃん。

 

 ボーッとそのさまを眺めていると、注ぎ終わるのはあっという間だった。

 

 

「いや、すごいな。ありがとう蘭、参考になった」

 

「……ん。ほら、早く持ってこ」

 

 

 蘭は少し手を強く握ってからパッと離してそう言った。…んー、やっぱさっきのぎこちなさは気のせいだったかな。今はそんな素振りは見せてないし。

 

 ちなみに緑茶はめちゃめちゃうまかった。流石にこの味を知ってしまったらあとには戻れないと思った俺が、もっと拘りを持つことを心に決めたほど。

 




 今回もよろしければ感想や評価等宜しくお願いします。


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第12話 Listen To My Story

 
 gacha様、ティアナ000782様、医道様、黒須透香様、評価ありがとうございます。
 また、更新が遅いにも関わらずお気に入り300件到達、ありがとうございます。時間がカツカツですがちまちま進めていきます。
 


「筑波くんって、かっかかか彼女いるのっ!?」

 

「はいィ?」(杉下○京)

 

「違うの…?」

 

「いやよくわからんのだけど、なんでそうなったの」

 

「えっと、この前の水曜日にCiRCLEで」

 

「オーケー理解した」

 

 

 CiRCLEのカフェテリアにて。相変わらず鼻をグズグズ言わせながら椅子についている俺は、目の前の少女によって投下された核爆弾に心底困惑していた。

 事の始まりは、一時間前に遡る。

 

 

 ◇◆◇

 

 

S.Kentaro『今日かわりにゲーム買ってきてくんね』

 

筑波昌太『ざけんなバカ』

 

S.Kentaro『代金はわたすし今度なんか奢るから』

S.Kentaro『カツ丼でどうだ』

 

筑波昌太『3日分で手を打とう』

 

S.Kentaro『多』

S.Kentaro『わかったよ』

 

 

 放課後、こないだのマックがある駅前でふとスマホを確認した俺。

 唐突に来た健太郎からのLIGNE曰く、今日発売の『俺死んでまうストーリー2』を買ってきてほしいとのことだ。

 タイトルから重大なネタバレしてんのやめろや。てかなんで続編出てるんだよ、クソゲー感ヤバいのに。

 

 ヤツは体育会系ではあるがゲームもそこそこにやるらしく、たまにそれに関して話すこともある。ただ俺はこんなゲームは知らない。何なんだよこれ。

 

 

 ついいつものノリでざけんなバカとは言ってしまったが、俺自身今日は暇なので別にタダで受けても良かった。まぁでも、もらえるもんはもらっときませんとなぁ(ゲス顔)。

 世の中は等価交換で回っているのだよ。

 

 ちょうど駅前界隈はゲームショップあるしちょっと寄ってけば買えるだろ。とっとと済ませて帰ろ。

 

 

「あっ…あのっ」

 

「へぁ?あっ、あなたは」

 

「この間お話聞いてくれた人ですよね…?」

 

「えっと、先々週のことなら自分ですね」

 

「そうですか…!改めまして、私は倉田ましろっていいます。この間はありがとうございました」

 

「筑波昌太です。あれからどうですか」

 

「順調です。合唱コンの練習も恙無く進んでますし…あの、都大会行ったら是非見に来てください」

 

「大きく出たねー。もし出られたら見に行かせてもらおっかな」

 

「はい、絶対ですよ」

 

「いい闘志だ、見違えたな」

 

 

 駅前界隈に佇む俺に、こないだの白髪お嬢様が声をかけてきた。名を倉田ましろと言うらしい。そういえば今の今まで名前聞いてなかった。

 前は空気が淀みまくってて淀殿になってたが、今日はどこか吹っ切れたというか…以前の弱さが鳴りを潜めたように見える。あのときしたアドバイスは実を結んでいるようで何よりである。

 

 この後どうせだしと倉田さんにCiRCLEに行かないかと誘われた。どうやらいつの間にか彼女はCiRCLEの常連になっていたらしく、そこでバイトしてるはずの俺は全く知らなかった。

 とはいえ一度受けてしまった以上は頼みごとは遂行しなきゃいけないので、CiRCLEに行く前に倉田さんを連れてゲームショップに向かう。

 

 件の『俺死んでまうストーリー2』は何故か入り口そばにデカデカと陳列されていて、見つけるのはそう難しくもなかった。

 …手に取ったそれを、倉田さんは訳がわからなさそうな表情をして見ていたが。気持ちはよくわかる。

 

 

「ゲーム、お好きなんですか?」

 

「人並みかな。これは頼まれて買ったから全然中身知らんけど…やっぱこれのタイトル意味わからんよな。俺も思った」

 

「あっ…いえっ、そんなつもりでは」

 

 

 どうやら彼女は素直な性格のようで、香澄みたいに結構はっきり表情に出る。ババ抜きとかできなさそうだなぁ…。

 ちょっとつっついてみたら面白そうだが、大した面識もないのにそんなことをするほど非常識じゃないのでやめる。

 

 駅前界隈をふらつく過程で、お互いのことを少し話した。こちらからは前会ったときにはもうタメ口だったが、結構絡んでるのにそのままなのもアレなのでお互いタメ口にしようと頼んだ。

 

 

「CiRCLEはよく来るのか?」

 

「うん。たまに練習してるんだ」

 

「ほへー、何?元からボーカルやってたん?」

 

「ううん、パートリーダーになる前は全然やってなかったよ。でも選ばれてからはどうにか勉強して頑張ってるんだ」

 

「ボーカルよくわからないのに立候補したの?勇者すぎん?」

 

 

 言いつつ、ようやっとCiRCLEに着いた。駅からは微妙に距離があり、歩くには人によっては長いと感じるかもしれない。

 お互い適当にアイスコーヒーを頼み、今まで謎のマカロンが鎮座していた席に座る。

 

 ちなみに今のCiRCLEカフェテリアは足湯の代わりに盆栽、そして各テーブル上にはアサイーボウルがある。いつも思うんだけどなんでむき出しで放置されてんのさこいつら…。

 

 相変わらず知らんうちに入れ替わってるし、まりなさんに聞いてもなんか黙っちゃうし。個人的にはCiRCLE七不思議の一に入ると思ってる。

 

 

「こないだから俺ここで働いてるんだよね、立地もいいからさ」

 

「そうなん…あっ」

 

「?」

 

 

 突然倉田さんの顔が赤くなった。今の話にそんな要素あった?

 少し声を漏らしたと思ったら目を伏せ、視線をせわしなく動かし始めた。というか泳いでいる。

 

 

「思い出したんだけど…つっ、筑波くん」

 

「な、何。どうしたの」

 

 

 そして冒頭の彼女による爆弾投下の場面に戻る。

 こないだ以上にしどろもどろになりながら彼女は──

 

 

「筑波くんって、かっかかか彼女いるのっ!?」

 

「はいィ?」(杉○右京)

 

 

 ──そう言い放った。つい右○さんみたいにねっとり返答してしまった俺は悪くない。

 今の俺は非常にマヌケな顔をしていることだろう。そんな俺の様子を見ながら倉田さんは続けて言う。

 

 

「違うの…?」

 

「いやよくわからんのだけど、なんでそうなったの」

 

「えっと、この前の水曜日にCiRCLEで」

 

「オーケー理解した」

 

 

 この前の水曜日とは即ち俺の初出勤日。たぶん彼女はラウンジで俺とひまりがいろいろやってたのを見たのだろう。

 そういえばAfterglowの俺に対しての態度が急変したのもアレからだな…あっ(察し)

 

 

「俺彼女はおらんのよ。いたらいいなーとは思うけど」

 

「そうなんだ…意外」

 

「俺そんなプレイボーイに見えるかな…」

 

「そ、そうじゃなくて…私を助けてくれたとき、いろいろ気を遣ってくれたから。いてもおかしくないかなって」

 

「あぁ…アレはただの癖みたいなもんだし、特に今までモテたとかはないからなぁ。しばらくはフリーのままじゃない?知らんけど」

 

「そうかなぁ…」

 

 

 倉田さんは猜疑心マシマシである。そんなに疑うところないでしょ…。今まで実績がないのが最たる証拠だ。

 

 

「何ならAfterglowのヤツらに聞いてくれてもいいぞ。俺と同じこと言うだろうから」

 

「えっ、あの人たちと知り合いなの…?」

 

「おう、全員とは中学以来の付き合いだぞ」

 

「…やっぱりいるんじゃないの?彼女」

 

「だからいないよ!!!!!」

 

 

 バン!と手のひらをテーブルに叩きつけて抗議する。本当にいたことないのに『彼女いないの〜?意外〜』ってずーっと言われるの社交辞令みたいでツラくない?俺は今ツラい。

 

 ここでコーヒーが来たので倉田さんに砂糖とフレッシュを一つずつ渡す。さっき話の流れで量は聞いといたから問題ないはず。

 俺は今日はブラックのままで飲むことにした。つぐならここでめっちゃミルクとか放り込むんだろうなあ。

 

 

「ほら、こういうさりげない気遣いとか…絶対キュンと来ると思うんだけどなぁ…」

 

「えっ?ギュンター・ラル?」

 

「あっ、いや…なんでもないよ」

 

「ほんとかぁ?」

 

 

 そうもずっと疑いの目を向けられても居心地悪いんだけど…。

 でもよく考えたら彼女童貞っていう主張も証拠能力としては微妙だよな。いよいよ悪魔の証明じみてきた。

 

 …彼女童貞ってなに?

 

 

「今日Afterglowここで練習してるだろうし、出てくるまで待ってみるか?もうすぐだと思うけど」

 

「えぇっ?いや、そこまでしなくても…」

 

「昌?」

 

「噂をすれば」

 

「誰、その子」

 

「ヒュウ↑」

 

 

 ちょうど蘭が声をかけてきたと思ったらスタンドを従えていた件について。

 えっ…なんか怒ってるとも違うような…こんな蘭は初めて見たかもしれない。というかそのせいで対処法がわからん。俺死んでまうストーリー…。

 

 あっ、蘭に続いてつぐが出てきた。助けてくれつぐ!というメッセージを籠めてガン見する。

 それに気づいた彼女はこちらにトテトテと寄ってきて言う。

 

 

「あっ、こないだ昌太くんが助けてた人じゃない?」

 

「は、はい。倉田ましろです」

 

「…美竹蘭」

 

「羽沢つぐみです。それで…昌太くん。なんで二人でいるの?」

 

 

 …つぐはやけに“二人で”を強調してそう聞いてきた。

 こっちもなんか蘭みたいになってる〜。こわいよぉ(失禁)

 

 

「あの、私から誘ったんです。お礼も込めて、ちょっとお話したいなって」

 

「…そうなんだ。それならいっか」

 

 

 俺の代わりに倉田さんが答えると、二人はすぐにその矛を納め──てはないなこれ。多少緩んだとはいえ倉田さんに対象が移った気がする。

 なんで?何が始まるのです?

 

 

「蘭〜?何してるの?」

 

「ひまり。いや、昌がいたから」

 

「昌くん、やっほ〜」

 

「オッス昌太」

 

「オッス。勢揃いじゃん」

 

「練習後だからね〜」

 

 

 遅れてひまり、モカと巴がこちらに来た。

 流石にこの三人は話を聞いていないこともあってか、蘭やつぐのようなアグレッシブさはない。

 Afterglowが全員揃ったのを見て、倉田さんはさっきのことを聞く。

 

 

「改めて、倉田ましろといいます。あの…つかぬことをお聞きしますが」

 

「うん、どしたのー?」

 

「筑波くんって、彼女はいるんですか?」

 

「…」

 

 

 あっ、まずい。あとの三人もどこかアグレッシブになった。

 …いやこれよく考えたら、今までの流れ知らないと倉田さんが恋敵嗅ぎまわってるみたいじゃない?

 これが、所謂アンジャッシュ状態…?

 

 えっ…やべぇ…誘導したの俺だし…

 

 

「それは、どういう…」

 

「あー待って、俺の話を聞いて」

 

「ちょっと黙ってて」

 

「聞いて!お願い!」

 

「…何?」

 

「あの、倉田さんはそういう意図はないから。俺の性格的に彼女がいないのが不思議なんだってさ」

 

「な、なるほど…でもなんでそういう話になったの?」

 

「えっと、この間は筑波くんの気遣いが心地よくて…それで不思議になって」

 

「…………そっか」

 

 

 ひまりがぼそっとそう漏らす。モカ以外はみんな倉田さんをじっと見ていて、当の彼女はどこか居心地が悪そう──

 

 ……。あれ?

 これ拭いきれてない?どころかちょっと威圧感が増してるような…俺説明したよね?矛を収めろ!デトロ!開けろイト市警だ!

 

 

「倉田さんは、まだ大丈夫だと思うなー」

 

「…モカがそういうなら。ごめん、倉田さん」

 

「い、いえ…私も変な質問をしちゃったので」

 

「昌太くんのことはどう思ってるの?」

 

「えっ?えっと…すごく、あったかい人だと思います。私が失意の底にいても、暖かく照らして導いてくれる、行灯みたいな人だと思いました」

 

「…本当に大丈夫?」

 

「……たぶんね」

 

「モカ〜!?」

 

 

 あの、俺に関していろいろ言ってくれるのはいいんだけどさ、本人のいないとこでやってくんない?めっちゃ恥ずかしいんだけど。

 

 ところでモカが諌めてくれた?のにやっぱり事が流れてないんですけど、どうなってるんですか。

 変に介入もできずただひたすらに傍観してるが、収集つくのかこれ。

 

 

「…本当に、筑波くんは彼女いないの?」

 

「そう言ってるじゃん…。なぁ?」

 

「う、うん!そうだよね!」

 

「えっ、知ってるよな?俺いないよな?」

 

 

 そうだよねってなんだよ、つぐみさんや。中学時代からの付き合いのお前らならわかっとるやろ。今更確認することでもないだろうに。

 正直今まで生きてきて、モテ期だなんだとかそういった萌芽すら感じたことはない。普通に過ごして、普通に生きてきただけなのだ。

 

 …いや、普通に生きてたらモテ期って来るもんなのか?もしそうだったら俺かなりの落ちこぼれやん。普通以下やん。

 

 

「この通り、俺は再三に渡って彼女はいないって言ってるんだがなかなか納得してくれない。俺別にモテないよな?」

 

「…マジで言ってる?」

 

「ひまり?今なんて?何だ今のは?」

 

「いやぁーーなんでもないなんでもない!!」

 

 

 つーことは俺はモテてたのか?いやぁ、でもそんなこと微塵も感じたことないしなぁ。

 …となると、考えられるのは──

 

 

「噂の段階ではいい感じだけど、実物を見て失望されてた、のか……」

 

「昌太ーー!?」

 

 

 いや、辛。それじゃしばらくどころか一生フリーじゃねえか。一瞬にして俺死んでもうたストーリーな俺に巴が名前を呼んでくる。やめろ、今は放っといてくれ!

 衝撃の真実に全俺が涙──!

 

 ガックリと頭を垂れ、今度は俺が失意のどん底に叩き落される。

 

 

「筑波くん…!?えっとその、そんなことはないと思うよ…?だって現に私が良く思ってるんだから」

 

「…倉田さん?そうなの?」

 

「うん。本当に失望してたら、こうやって声なんてかけてないよ。だから、気を強く持って」

 

「…おう、ありがとう」

 

「ねぇこれ本当に大丈夫なの?」

 

「自信なくなってきたなー…」

 

「えっ」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 あの後、Afterglowは倉田さんと少し話をしていたようだ。俺は相変わらず下を向いてたからよくわからんけど。

 ただ帰り際は結局誤解を拭えてない気がした。なんていうか、どこか訝しげだった。

 

 それは隣の彼女も同じようで…。

 

 

「筑波くん。本当にいないの?」

 

「何回聞くねんそれ。いないよ」

 

「…まぁ確かに、それは本当っぽいね。でもAfterglowのみんなは筑波くんとは真逆のこと言ってたよ?」

 

「えっマジ?何でだ…」

 

「…」

 

「…なんて言ってた?」

 

「それは、秘密かな」

 

「あ゛ぁんでだよぉ!!」

 

 

 本当のことを言ってるだけなのに、どうしてこうも歯切れが悪くなるんだ。ちゃんと俺の話を聞いてくれ。

 

 駅前まで倉田さんを送りに来た俺は、当の彼女と未だに禅問答を繰り広げていた。

 こうしてみるとやっぱりこないだとは大違いだな。失礼な話だが、当時の彼女はここまで能動的に絡みにくるような人には見えなかったのだ。やっぱり変わったんだなぁ。

 

 

「うーん、やっぱり倉田さんは変わったよなぁ…。前がひどすぎたのかな…」

 

「筑波くんもそればっかりだよね。…君のおかげなんだよ」

 

「ん?…いやまぁ、こないだとかほっといたら死んじゃうんじゃないかって思ったし」

 

「そんなにひどかったんだ…」

 

 

 そんなにです。

 当時はそんな彼女とここまで話すことになるとは、少しも思ってもいなかっただろう。不思議な縁だな。

 

 

「家は遠いのか?」

 

「うん。結構かかるかな、乗り換えも多いし」

 

「そっか。俺はここまでしかついてこれないけど、もう暗いし。気ぃつけろよ」

 

「うん。ありがとう、筑波くん」

 

「そんじゃな」

 

 

 土地勘ないあたりから察してはいたけど、結構遠くからCiRCLEに通ってるんだな。大変だなぁ。

 大切なウチのお得意様だし、これからもぜひともご贔屓にしてもらいたいもんだ。

 

 

「…『モテない』なんて、全然そんなことなさそうだけどな。ぽっと出の私でもわかったのに、鈍感なんだね。筑波くん」




 
 しれっと修正をかけて辻褄合わせをしたのはいいんですが、もしかしたらどこか見落としているかもしれません。気づいたらご一報ください。
 


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Poppin'Party結成編
第13話 ハイ・コントラスト


 
 お待たせしました、やっと書き上がりました。新章です。

 スーパー1様、松原悠斗様、ガスロ様、評価ありがとうございます。
 


 懐かしいな、この夢も。

 

 俺の目の前にはまだまだ幼さの残る少年少女。もちろん彼らに触れることは叶わない。これは夢なのだから。

 

 少年は背丈に合わぬ大きさのギターを、少女はカスタネットを携えジャカジャカと無造作に掻き鳴らす。

 正直今の俺にしてみれば見るに堪えないが、それでも優っている点はある。

 

 

 眩しい。

 

 

 突然場は明転し、いつのまにか少女のカスタネットはスティックになっていた。

 演奏の腕はかなり上がっている。それこそあの時に勝るとも劣らぬほどだ。

 

 

 やはり勝てないな、今の俺には。

 だって彼らは──

 

 

 眩しいくらいに笑っているじゃないか。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ヒロシです…

 高校の食堂で昼飯食ってたら、香澄からLIGNEで謎の住所が書かれたメッセージが飛んできたとです…

 

 なんすかこれ。チェーンメールかなんかか?

 本当にこの子はいろいろと無防備で心配になるな。こないだの『家の方向が同じ』といいさ、もうちょっと気を付けたほうがいいと思うの。

 

 ついでに言うと、このメッセージは前後のそれと何の脈絡もない。昨晩にした雑談の流れを考えても全く意味が分からない。

 この住所の説明が飛んでくる気配もないし…不親切すぎる…。

 

 これがマップの座標を共有したものとかだったらまだ理解できたかもしれないが、そうではなく住所と郵便番号を直接飛ばしてきてるのが猜疑心を加速させる。

 

 とりあえず扱いに困るし香澄に聞いてみよ。

 

 

筑波昌太『なにこれ』

 

Kasumi☆『ありさんち』

Kasumi☆『!』

 

 

 誰やねん。

 

 

筑波昌太『だれやねん』

 

Kasumi☆『わたしの友だち!』

 

筑波昌太『はあ』

筑波昌太『てか』

 

筑波昌太『本人にちゃんと言ったか』

筑波昌太『おれにアドレス送るって』

 

Kasumi☆『いってない』

 

筑波昌太『おい』

 

 

 おい、そのありさって人に確認取らずに俺にメッセージ飛ばしてきたんかよこいつ。

 そもそも誰だよありさって。俺の知り合いにそんな名前の人はいない。

 

 

筑波昌太『見なかったことにするから』

筑波昌太『住所は送信取り消ししなさい』

 

Kasumi☆『なんで?』

 

筑波昌太『なんでってなに』

 

Kasumi☆『住所わかるの?』

 

筑波昌太『は?いやしらんけど』

 

Kasumi☆『練習見てくれるんでしょ?』

 

筑波昌太『まっ』

筑波昌太『まってどういうこと』

 

 

 やべ、誤送信した。

 

 何を言っているんだ香澄は。これは理解できない俺が悪いのか?俺のせいなのか?

 確かに見るとは言ったが、なんでそれで俺に知らん人の住所送りつけることにつながるんだよ。つながりが全然見えてこない。

 

 

筑波昌太『わけわかんねぇんだけど』

筑波昌太『とりあえず今電話できるか』

 

Kasumi☆『いいよ!』

 

筑波昌太『俺からかけるわ』

 

 

 文章じゃらちが明かないと思った俺は、ひとまず香澄に電凸することにした。

 たぶんヤツは何か重大な情報を俺に伝えていないはずだ。だから俺も香澄が何を言っているのか理解できていないんだと思う。そうだと思いたい。

 

 ちょうど台湾ラーメンも食い終わったので、食器を返却口に放り込んでから食堂の隅で香澄へ電話を掛けた。

 

 

「もしもし。香澄、結局あの住所は何なの?」

 

『住所?…おい香澄、お前なにした?トーク履歴見せろ』

 

『えっ?は、はいこれ』

 

 

 香澄に電話をかけて早々に、知らない女の子の声が香澄にトーク履歴の開示を要求し始めた。どうやらあっちはスピーカーモードで通話に出たらしい。

 少しの物音の後に、深いため息が聞こえてくる。

 

 

『もしもし。筑波さん…でいいんですよね。市ヶ谷有咲と言います』

 

「あ、どうも。筑波昌太です。もしかしてさっきの住所って…」

 

『そうです、私の家です。その、プライバシーに気を遣ってくれたみたいで…ありがとうございます』

 

「まあ…当然のことですので」

 

 

 半ばげんなりしたような、疲れたような声色で市ヶ谷さんは感謝してくる。さてはこの人苦労人ポジだな?

 

 

『香澄、住所だけ昌太に送ったの?』

 

『ダ、ダメだったかな?』

 

『さすがに住所だけじゃ訳が分からないと思うな…』

 

 

 その後にまた知らない女の子の声(なぜか俺の名前を知ってる)、それに答えた香澄の声と…これはりみりんか?の声が届く。

 思ってたよりその場に人いるんすね。

 

 

「えーっと、市ヶ谷さん?こうなった経緯ってご存じで…?」

 

『あーはい、まず私の家って蔵があるんですけど──』

 

 

 

 

 

 市ヶ谷さん曰く、事はこうだ。

 

 彼女ら四人はバンド活動に向けて日々練習を重ねていて、そこに俺を呼ぶ流れになった。

 んで、その練習場所が市ヶ谷さんちの「蔵」なる場所なんだとか。

 

 練習場所の連絡はその時は香澄に任されたのだが、その香澄がめっちゃ雑に俺へ連絡をよこしてきた。

 そして事前情報なしじゃ到底理解できないそれを俺が理解できるはずもなく、俺がこうして電話する羽目になったと。

 

 つまりあの住所のメッセージは「招待状」だったわけだ。こんな不親切な招待状があってたまるかよ…。

 

 

「じゃあとりあえず俺はここに行けばいいんですね?」

 

『そういうことです。お手数おかけします…』

 

「いえ、説明ありがとうございました。助かります」

 

『絶対来てね、昌太くん!』

 

「わかったわかった、んじゃ切るぞ」

 

 

 実に回りくどくはあったが、とりあえず俺は市ヶ谷さんちに行けばいいらしい。

 顔すら合わせていない人の家にお邪魔するのは普通に抵抗があるが、まあ仕方ない。一度受けてしまった手前割り切るしかなかろう。

 

 

「それにしても、バンド…ね」

 

 

 ◇◆◇

 

 

放課後、言われたとおりに送られてきた住所──市ヶ谷さんちにやってきたはいいが。

 

 

「…これ、入っていいのか。てか蔵ってどの蔵だ」

 

 

 全くわからない。

 面識ない人の家ってだけで抵抗あるのに、そんな敷地を何も考えずにフラフラできるほど俺の心臓は強くない。

 というかこの現代社会において「どの蔵だ」なんて悩む日が来るとは思わなかったわ。

 

 表札には「市ヶ谷」と書かれているため、場所自体は間違いないはずなのだが。

 

 

「君が昌太?」

 

「ん?」

 

 

 俺が入り口のど真ん中で突っ立っていると、後ろから不意に声がかかる。

 グレーのギターケースを背負った花女と思しきその人物は、パッと俺の真横に来てオリーブ色の目で俺をじっと見つめてきた。

 

 …?どこかで見たことがあるような…気のせいか?

 

 

「…」

 

「…俺か?」

 

「うん」

 

「あー、俺は筑波昌太って言うんだが。ここの蔵ってとこに用事があってな」

 

「そっか。こっちだよ」

 

「えっ?」

 

「用事あるんじゃないの?」

 

「お、おう。じゃあよろしく」

 

「うん、私は花園たえ。おたえでいいよ」

 

 

 そうしてこれまた唐突に名乗ってきた彼女は花園たえと言うらしい。なんとなくリズムが掴みにくい人だ。

 しかもおたえて…まあ呼ぶけど。

 

 ふわりと腰にまで届くくらいの茶髪を翻らせながらずんずんと敷地へ入って行った彼女のあとを、多少狼狽しつつも追っていく。

 

 

 ここを一言で言えば、なんともシブいお屋敷である。

 現代建築によくあるコンクリの類いは一切なく、ぶっとい木柱に漆喰、瓦屋根という佇まいが何とも風流。

 またそこかしこに丁寧に剪定された植え込みや盆栽が据わっており、誰だかは知らないがここの住民はいい趣味をしてらっしゃる。

 

 

「ほら、ここの蔵。ここね、地下室があるんだ」

 

「地下室」

 

 

 市ヶ谷家ってかつての地主さんだったりする?

 母屋がすげぇ立派な時点でなんとなく思ってたが、離れである蔵に地下室があるとかもう何かしらの富は築いてますよねこれ。

 

 そんな俺をよそにおたえはやっぱりズケズケと、もはや自分の家か何かのように入っていく。

 ビジュアルだけなら氷川さんと同系統なのかなと思ったんだけどね。やっぱ人って見た目だけじゃないよね。

 

 

「来たよ」

 

「あっ、おたえ!昌太くんは?」

 

「ここに」

 

「おっす」

 

「蔵へようこそ、昌太くん!」

 

「なんでお前が言うんだよ…」

 

「こんにちは、昌太くん」

 

「もういたかりみりん。こんにちは」

 

 

 意を決して俺もついていくと、中にはおたえ含めすでに制服姿の4人が揃っていた。で、何故か香澄に歓迎される。ここお前んちじゃねえだろ。

 えー、二人がけの長椅子に座ってる金髪ツインテールの人が市ヶ谷さんかしら?あらかわいい。

 

 

「えっと、市ヶ谷さんですか?筑波昌太と言います、栄星の一年です。突然お邪魔して申し訳ない」

 

「お気になさらず…市ヶ谷有咲です。見ての通り花女の一年生で、えっと…同い年だから、敬語はなしでいいですよ」

 

「…それならお言葉に甘えて。俺もタメ口でいいぞ」

 

「ん、ありがと」

 

「あれっ!?私より打ち解けるの早いね有咲!もしかして知り合い?」

 

「「ちげーよ」」

 

「息ぴったりだね」

 

「お前と違って筑波さんは常識人だからな。勝手に私の家にズケズケ入ってこないし。それをやったお前を警戒してたのは当然だろ?」

 

「ブルートゥス、お前もか」

 

「あはは、なんというか…あの二人は不思議な人だから」

 

 

 りみりんそれフォローになってなくない?

 やっぱりおたえもそっち側か。りみりんの反応で確信した。そこで香澄とまとめて扱ってるあたりある種での同類なんだあいつら。

 

 

「最初は蔵って聞いてどんな環境なんだとは思ったが、なるほどいいとこだ」

 

「でっしょ~~?」

 

「だからここ私の家だから…なんでお前が威張ってるんだよ」

 

「香澄ってきつねなんだ。うさぎじゃないのか…残念」

 

「私は人間だよ!?」

 

「…『虎の威を借る狐』ってか。わかりづら…」

 

「「あー…そういう…」」

 

 

 とてもわかりづらいボケをありがとうございますおたえさん。…えっ?まさかそれ素で言ってんのお前?うさぎってなんだよ一体。

 

 

「それで、バンドって言ってたけど。パートとかはどうなってるんだ?」

 

「えっと、今のところはー…私が、ギターとボーカルで」

 

「私はギター」

 

「キーボードで」

 

「私はベースだよ」

 

「なんかやけにバランスいいな…」

 

「まぁ、偶然も偶然って感じだけどな」

 

「あとは…ドラムの人がいれば、完璧だね」

 

「…」

 

「おい、筑波さん?どうした?」

 

「…ああ、すまん。何でもない」

 

 

 ドラムか。ちょうどそのパートだけ空いているというとなんとなく作為的なものを感じてしまう。

 あまり打算的な思惑に巻き込みたくはないが、もしかしたら彼女たちなら…。

 

 

「昌太。ギター弾けるんでしょ?聞かせてよ」

 

「いいけど…ギター持ってないぞ」

 

「それなら私の貸すよ!」

 

「あ、マジ?助かる」

 

 

 もう答えは出したはずだったんだがな。

 おたえに声をかけられた俺は、ひとまず考え事は脳の隅へ押し込み練習に集中することにした。

 

 

「…」

 

 

 ──おたえのどこか見透かしてくるような視線に、居心地の悪さを感じながら。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 練習後の夜。戸山香澄と二人っきり。

 いや、違う。違うんだ。これは言葉の綾だ。

 

 

 単純に日が暮れるまで蔵で彼女らの練習に付き合い、その後俺は帰途についたわけだが。

 そんな俺の隣には、何故かあの日のようにトコトコと歩く香澄がいる。

 

 曰く、「家の方向が同じ」──このくだり前もやっただろ。

 何回もこれやってると香澄んちってめっちゃ近所なんじゃないかと思ってしまう。

 

 

 すでに日も暮れ薄暗い住宅街の路地の左端を、二人で駄弁りながら歩いていく。

 前と同様俺の右側には自転車。左側に香澄がいる。

 

 

 蛍光灯に円くぼんやりと照らされる、とうに夜の帳が降りた路地。徐ろにそのそばで立ち止まった俺は、香澄に気になっていたことを聞く。

 香澄は遅れてその光の円の真ん中で立ち止まり、こちらへ振り向く。

 

 

「なあ、香澄」

 

「どうしたの?立ち止まっちゃって」

 

「なんでお前、バンドやろうと思ったんだ?」

 

 

 元より香澄が何かを強く希って行動していることは、先日沙綾やりみりんから聞き及んではいた。

 だがそれを聞いてからずっと、その想いの丈を彼女の口から直接聞いて確かめてみたかった。そして、それが何故バンドにつながったかも。

 

 

「…私ね、最初にバンドのライブを見たとき、すっごい感動したの。私の『キラキラドキドキ』がここで見つかるかもしれないって」

 

「それは『星の鼓動』ってやつか?」

 

「うん。ほら、今だって金星が輝いてる。月は見えないけど、他にたくさんの星が輝いてるよね」

 

 

 そう言いながら、彼女は広がる青黒い夜の色を真っ直ぐと指さした。

 つられて俺もその先を眺める。ここは中心街に比べかなり暗いため、長らく見ていなかった星々がよく見える。

 

 

「ずっと前に明日香…えっと、私の妹と森で迷子になっちゃって」

 

「えっ、遭難?それは大丈夫──いや、ここでこうして話してる時点で無事か」

 

「うん。まあどこにでもあるような、ちょっとした森だったから。それで…今こうして見えてる星たちの光の話って知ってる?」

 

「あぁ。例えば地球から700光年離れてる星は、その光がここまで届くのに700年かかる。つまり俺らが見ているのは700年前の星だ、って話だろ。結構有名だよな」

 

「そう。だからこの星たちは私たちが生まれるはるか前から、こうやってキラキラと輝いてるってことだよね」

 

「そうなるな」

 

 

 何よりも速い光ですら数百年、数千年とかかる距離に数多の星は浮いている。

 だからこそ今見ている星ははるか昔の姿で、今現在の姿を観測しようと思えばまた数千年も待たねばならない。

 

 俺が挙げた例で言えば700年前。南北朝時代の"出来事"を文字通り目の当たりにできているとは、なんともロマンのある話だと思ったものだ。

 

 

「ずーっと、ここからでもはっきりと分かるくらいに強く輝き続ける星たち。森で迷子になったときに、たまたまそれを見たんだ」

 

「…」

 

「それで、はっきり感じたの。『星の鼓動』。空に目が、もしかしたら私の意識ごと吸い込まれてたかもしれないけど。ドックン、ドックンって」

 

「星の…鼓動」

 

「その出来事が今の今まで忘れられなくて、ずっと探してた。なんとなく『こうしなきゃ』って思って」

 

「そうしてたどり着いた答えが、バンドだった」

 

「実は花女に入学してから全部の部活に体験入部してみたんだけど、全然しっくりこなかったんだよね」

 

「は?マジかよ」

 

「うん、マジ。それでいろいろあって、ライブ見に行って。もうこれしかない!って確信したよ」

 

「そのいろいろって市ヶ谷さんちにズケズケ入ってってどうのってヤツじゃないよな」

 

「…星を辿っていったらつい…たはは…」

 

「星を…?」

 

「えっと、塀とか電柱とかに星のシールが貼ってあって。それを辿っていったら知らないうちに有咲んちにいて…」

 

 

 星のシールとな。どうやら香澄は星に関して強い縁があるようだ。星まみれじゃん…。

 

 

 『なんとなく『こうしなきゃ』って思って』。

 

 つまり、こいつは本能的なところで星たちの有様に感銘を受けた。

 そして星たちに憧れ、星たちのように強く輝きたくて。そうしてずっと探し続けた結果見つけたのが、バンドという答え。

 

 そういう意味で言えば『星を辿る』という表現もなかなか言い得て妙ではないだろうか。

 

 それにしても『ずっと』か。そりゃ想いも強いわけだ。

 

 

「だから、やっと見つけたから…私は絶対に諦めたくない!だからこそ、私はバンドで、キラキラドキドキしたい!」

 

 

 香澄はそう毅然と言い放つ。その眼は星のように強く輝いてすら見えた。

 

 俺はその眼の、彼女を照らす意思の眩さに思わず目を細める。

 本当に俺とは大違いだ。それは街灯の灯りと夜陰のように、まるで相反しているように感じた。

 

 

 だが俺は、より一層その星の眩さにかけてみたくなった。

 決意を聞いた俺は、一つ深呼吸をしてから言う。

 

 

「──香澄、頼まれごとを聞いてくれないか」

 

 



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第14話 暗雲

「今のところはこんな感じなんだけど、どうかな?昌太くん」

 

「は?かわいい」

 

 

 翌週、俺は香澄から現在進行形で作っているというポスターを見せてもらっていた。

 

 「花咲川新人音楽祭」。例年5月に行われる花女のイベントで、屋外ライブよろしく校庭に設けられるステージ上で一年生が歌ったり演奏を披露したりするもの。

 新人つっても半数以上は附属中学からの進学なわけだけど。

 

 

 女子高の行事ではあるが、男でも花女の生徒でもなくとも、チケットを持っていたり在籍生徒の同伴にて入場したりなど、とにかく繋がりを証明できれば入場できるらしい。

 でも俺は行ったことないからよくわからん。あ、現役JKは学生証あればいいらしいですよ。DK(男子高校生)さんはチケット持ってきてね。

 

 また高校生なら花女の生徒か否かに関わらず誰でも演奏できる有志枠もあり、当日に飛び入り参加ということもザラらしい。流石に運営に届け出るくらいはしないとダメだが。

 こうした校内イベント屈指のフリーダムさと開放感も人気の理由だ。

 

 

 知っての通り、東京都新宿区の花咲川や羽丘などを擁するこの地域はガールズバンドないし音楽の文化が根強い。

 そのため毎年例にもれず大変に盛り上がる行事なのだとか。

 実際に附属中や花女においては体育祭や文化祭などに並ぶ人気行事なのだ。…と市ヶ谷さんが言ってた。

 

 

「なに『Poppin'Party』って。天才じゃないのか。あとなんだこのイラストのゆるさは。天才じゃないのか」

 

「バンドの名前は有咲が考えてくれたんだよ!イラストはりみりん!」

 

「キラキラなんたらとかいう名前になったら困るからな」

 

「えへへ、ありがとう!」

 

「今どきのJKがあまりに多才すぎる」

 

「…それ、昌太が言う?」

 

「いや、俺はJKじゃなくてDKだから。なんかゴリラみたいで嫌だけど」

 

「あ、そういう感じ?てっきり昌太もJK(仮)なのかと」

 

「そのへんの14歳JC(仮)と一緒にするのやめろ。俺はそんな派閥じゃない」

 

「派閥なんてあるのかよ…」

 

 

 ポスターに描かれている謎生物(りみりん作)は、白くて丸っこくて香澄みたいに猫耳的なの生えてて、手足が短えやつ。

 

 こういうどこかマヌケなキャラクターを見てるといつも何となくニヤニヤしてしまうよな。ひ○にゃんの人形とか家に5体くらいいるからな、こういうストレートに可愛いやつ好きよ俺。

 

 そのひこに○んたちは俺の枕を囲っていて、寝るときの俺は毎晩ニッコニコです。ただ起きてみるとたまに何匹か足元に移動してることがあって普通に怖いです。

 

 

 バンド名にしたって半濁音の響きが可愛い。まともに発音するの「ti」くらいだから9割半濁音じゃん、ポッピンパーリィ。

 

 

「もう今から楽しみになってきたな。良かったら俺にもチケット用意しといてくれないか」

 

「当たり前だろ。むしろ昌太に見てもらわないと困るぞ」

 

「うんうん。なんたってアドバイザーだからね!ちゃんと私たちの成長を見てもらわなきゃ!」

 

「マジか、サンキュー。まあ毎回のように見てるけどな」

 

「蔵で演るのとステージで演るのじゃ、やっぱり違うと思うよ?」

 

「それはそう」

 

 

 音楽祭へ向けての準備は今のところ順調だ。

 実はポスター作りに加え、音楽祭のため彼女らことPoppin'Partyはオリジナル曲を披露することになっている。音楽祭はカバー曲の披露が大多数らしいのだが。

 

 彼女らはすでに高校生にして楽器を弾き、歌い、作詞作曲をし、バンド名の発案、イラスト作成などをやってのけているわけだが。万能人にでもなるつもりなのだろうか。

 

 

「それで、勧誘は済んだのか?」

 

「ううん、これから。やるんだったら明日かなぁ」

 

 

 俺が先日した頼み事──『山吹沙綾の勧誘』。

 元々沙綾はバンドをやっていて、そこではドラマーだった。現在ポピパにはそのドラマーの枠がちょうどないため、俺がフリーである沙綾を推した。

 

 聞くところによると、こないだのやまぶきベーカリーでも見たように沙綾とポピパの面々は普段から絡みもあるらしい。

 俺はそのことを知らなかったわけだが、まあちょうどよかったな。

 

 

「昌太。香澄ね、こないだ山吹さんちで泊まり込みで作詞してたんだよ」

 

「…へぇ。沙綾がそこまで協力するとは、本当に親しいんだな」

 

「有咲ちゃん、その日の晩すごく心配してたよね」

 

「し、してねーし!」

 

「ほんとに!?ありさー!」

 

「だぁーひっつくな香澄!」

 

「あぁ^~」

 

 

 俺は蔵のすみっこであぐらをかいて、さっきからずっとゆるゆりしている彼女らを生暖かい目で見守る。

 もはやあの一角だけ白い百合が大量に咲いているかのような錯覚すら覚えた。そう、かの空間は男の横槍を許さぬサンクチュアリなのである。

 

 そうして、俺はどうでもいい妄想をヌルい緑茶とともに嚥下した。

 

 

 …練習は?

 

 

 ◇◆◇

 

 

「昌太、ちょっといいかな」

 

「ん?」

 

 

 夕方、今日もすでに日が暮れようとしている。

 香澄とりみりんは先に帰り、俺も遅れて蔵から出ると、盆栽を見ていたと思しきおたえから唐突に声をかけられる。

 振り向くとおたえのちょうど真後ろで斜陽が照っており、眩しさに思わず顔をしかめた。

 

 

「あのとき、なんで山吹さんを推したの?」

 

「え、いやだからポピパに近くて俺も経験あるって知ってたから──」

 

「違う、そっちじゃない」

 

「は?」

 

「それは本音じゃない。なんで?」

 

 

 何故か沙綾を推した理由を聞かれ、俺はさっきも話したことをそのまま言おうとするとおたえに遮られる。

 …建前がバレた?もしかしてバレバレだったのだろうかと思ったが、香澄はともかくりみりんや有咲にもそういう様子はなかったはず。

 

 ふと、先日の彼女の視線を思い出す。あのどこか見透かされるような、直視できない視線。

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 俺が思わず口籠るも、おたえはまたもじーっと俺の目を見てくる。有無を言わさぬ迫力を孕んだ目線に、思わず俺は視線を外しつつも言う。

 

 

「悪いがそのことは、話せない。勘弁してくれ」

 

「…何も知らないんだよね?」

 

「は?」

 

「ううん、なんでも」

 

 

 普段はどこか遠くで見守っているような立ち位置だったおたえだが、やけにズケズケと踏み込んでくる。どういうつもりだ…?これも天然さ故か?

 

 と思っていた矢先、おたえに思わぬ質問を投げかけられる。

 

 

「じゃあ、なんで昌太は山吹さんがドラムをやめたと思う?」

 

「…おい、なんでお前がそれを」

 

「いいから」

 

 

 俺は彼女らには「ドラムの経験者で同学年の人を知ってるから勧誘してみたらどうか」とだけ言った。一言も「やめた」などとは言っていないはずだが…。

 

 

「…。人のためなんじゃないか。沙綾はそういうやつだ」

 

「…そう。昌太の考えはきっと正しいよ。でも他方でそれは、間違ってもいる」

 

「なに?」

 

 

「山吹さんは、何のためにドラムを捨てたのかな」

 

 

 おたえは再度同じ質問を投げかけつつ、俺の横を抜け去っていった。…何者なんだ、アイツは。

 

 沙綾が、何のためにドラムを捨てたのか。

 

 一度は答えを出したはずなのに、そのおたえの問いかけは妙に脳裏に引っかかっていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「っ!ね、ねぇっ!…昌太くんは、どうするの?」

 

 

 羽沢珈琲店を出ようとする昌太を、香澄は思わず呼び止める。彼女自身、なぜ去りゆく昌太を呼び止めたのかはわからなかった。

 

 何となく、そうしないといけない気がしたから。何かはわからないが、とにかく彼女は違和感を感じた。第六感が警鐘を鳴らしていた気がした。

 

 

「…………考えさせてくれ」

 

 

 そうしてボソッと返答してから店を出ていく昌太を茫然と見送る。まだ中途半端にカフェオレが残っていた香澄は、そのまま再び元の席に座り直す。

 

 対面には、アイスのブラックコーヒーが入っていたグラスがポツンと残されていた。

 どうせ少し話すだけだからとお互いに軽く飲み物を頼んだだけなため、机上はスッキリしていた。

 

 

 香澄と昌太は、バンドに勧誘しようとしている山吹沙綾について先ほどまでここで話していた。

 一日前に昌太にポスターの進捗を披露し、そしてその翌日──つまりこの日に沙綾の勧誘をする旨を昌太に伝え、彼もこれを承知していた。

 

 そして今日、いざ勧誘しにいったところ。沙綾にはキッパリと断られてしまった。

 

 そのときの反応があまりに不自然だったため、昌太に連絡して詳しいことを直接伝えようとこうして落ち合っていたのだ。

 

 

 だが、その昌太本人もどこか様子がおかしかった。はっきりとはわからなかったが、なんとなく香澄は違和感を感じた。

 そうしてさっきも思わず昌太を呼び止めてしまった。…何なんだろうか?

 

 

 ふと、机の隅にあるカトラリーボックスの下敷きになった紙幣を一瞥する。五千円札だった。

 

 これは先ほど昌太が勘定にと置いていったものだ。だが、コーヒー一杯分にしてはやけに多い。普通は千円札、いや五百円玉もあればたくさんのはず。

 不躾なようだが気づいていた。昌太の財布には明らかに千円札がいくつか入っていたことを。

 

 しかし彼は何故か五千円札を置いていった。お釣りは取っておいていいとまで言ってだ。

 

 

 ──これか、さっきからの違和感は。香澄は一人会心する。つまり、彼はそんなミスにも気づかないくらい考え込んでいたということだ。

 

 勧誘したときの沙綾の反応を話す度、昌太は妙に考え込んでいた。彼はただ、沙綾を経験者でかつ私たちに近い存在だから推しただけだというのに。

 その振る舞いが香澄にとっては不思議だった。

 

 「沙綾が悲しげな表情をしていた」と言ったときが特に顕著だっただろうか。

 今までに見たこともないくらいの渋面を作りながら、機械的にコーヒーを流し込んでいるさまはとても普通ではなかった。

 

 

 香澄は持ち前の観察眼から、昌太は沙綾と少なからず因縁を持っていると見抜いた。だが、それがどういうものかは皆目検討もつかない。

 エアコンの風にはためく五千円札を見ながら、思わず考え込む。

 

 そんな彼女に声がかかった。

 

 

「香澄ちゃん?そんなに考え込んでどうしたの?」

 

「あっ、つぐ。んー、ちょっと不思議でね」

 

「…昌のこと?」

 

「ふえっ!?み、みんな!?」

 

 

 彼女に声をかけたのはつぐみ、蘭。香澄の座っている席の斜め後ろには、つぐみ以外のAfterglowのメンバーが揃っていた。

 香澄とAfterglowはCiRCLEで顔見知りになり、そして香澄のコミュ力からかなり親しくなった。今では皆と名前で呼び合うくらいの仲である。

 

 位置的に香澄が気づかないのは仕方ないにしても、彼女らには昌太ですら気づかなかったらしい。やはり全然周りが見えていないようだった。

 

 実はAfterglowの面々は、昌太と香澄がこの席に座る前から既に集結していて、事の展開を見守っていたらしい。

 自分よりも昌太のことを知っているだろうと思った香澄は、話の中身までは聞こえていなかったらしい彼女らにも流れを話すことにした。

 

 

「昌太、やけに考え込んでたけど…。もはや憔悴すらしてなかった?」

 

「私もそう思う~。少し前は元気そうだったんだけどな~」

 

 

 ひまりの言にモカが同意する。Afterglowは皆してとても不思議そうにしている。

 

 

「香澄、良かったら聞かせてくれないか?何があったか」

 

「…うん。さっきはバンドのメンバー勧誘しようとして失敗しちゃった〜っていう報告だったんだけど」

 

「…普通?」

 

「どうだろう…」

 

 

 そんなこと、バンドをやるならよくある話だ。考え込むようなことじゃない。

 確かに昌太は自他ともに認めるお人好しではあるが、かといってそういった些末なことで憔悴するような男ではない。だからこそ謎は深まる。

 

 

「そのとき、私が話す度昌太くんが妙に考え込むのが気になって。さっきもお会計にって五千円も置いていったし、変だなぁって」

 

「二人ともコーヒーとカフェオレだから、両方払うにしても五百円もあれば十分だよな」

 

「うん。どっちも二百円弱にしてるから、五千円は多すぎるね」

 

「持ってたのがそれしかなかったとかは~?」

 

「ううん。ちゃんと千円札もあったし、たぶん音的に硬貨も入ってたと思う」

 

「よく気づいたね香澄…」

 

「となると、やっぱり昌はそれだけ周りが見えてなかったってことか…。あたしたちに気づかなかった時点でおかしいけど」

 

 

 昌太の謎の視野の狭さに尚更Afterglowは不思議がる。元々彼は周りをよく見ていて、視野が狭いどころかむしろ少しの不調にすら鋭敏に気づくくらいだ。

 

 

「私は、過去に昌太くんはさーやと何かしらあったんじゃないかなって思ってるんだけど。皆は聞いたことない?」

 

「えっ、なんで?」

 

「だって、報告してたの沙綾のことだから」

 

「…沙綾を誘おうとしてたの?香澄」

 

「? う、うん。どうしたの?」

 

「…いや、何でも。あたしは聞いたことないかな」

 

「うーん…」

 

「モカちゃんも聞いたことないかな~」

 

「私も…」

 

「…聞いたことないな。あの二人小学生くらいからの知り合いらしいけど、ずっと仲よさげだったし」

 

「知り合い…か。うーん、わかんないなぁ…」

 

 

 沙綾と昌太は小学生からの付き合いで、ずっと仲は良さそうだった。

 香澄にとっては初耳だが、そうなるとなおさら渋面を作る意味がわからなくなってくる。怒りや驚き・悲しみではなく、なぜ渋面だったのだろうか。

 

 ──それは上辺だけの仲で、実はとても仲が悪いとか?

 

 そこまで考えて、香澄はかぶりを振る。

 

 なにしろ昌太と初めて会ったとき、沙綾とは恋人なのではないかと思ったくらいなのだから。

 二人以外誰もいなかった店内へ不意に突撃したというのに、あの距離の近さだ。それはありえない。

 

 

 昌太と沙綾は因縁がある、これは間違いない。しかしそれは単なる不仲とかいうものではなく、もっと拗れた何かだ。香澄はそんな予感がしていた。

 

 

「でも香澄ちゃんは、なんで昌太くんにそのことを報告してたの?」

 

「えっと、その人の勧誘が昌太くんの頼み事だったから──」

 

「頼み事…?」

 

 

 昌太の頼み事。

 そう言ったとたん、彼女らの顔は強張る。

 

 

「香澄。アイツはなんて?」

 

「えーっと、『山吹沙綾をバンドに誘ってほしい』って」

 

「…沙綾ちゃんを」

 

「ど、どうしたの?」

 

「あのね、香澄。昌太は、めったなことじゃ頼み事はしない人なんだ」

 

「…えっ?」

 

 

 その剣呑そうな表情の割には大したことはない、と香澄はまずそう思った。その真意を理解できなかった。

 それを察したモカが、加えて言う。

 

 

「つまり、しょーくんは規模を問わず何でも一人で抱え込む。たぶん自分が壊れようともそれは曲げないと思うなー」

 

 

 ここでようやく察することができた。

 

 今までおくびにも出していなかったが、沙綾に関して昌太はかなり深く思い悩んでいたらしい。

 普段は取ることのない頼み事という手段をとったことがその証拠だ。

 

 

 端的に言えば、昌太が危険な状態だという可能性があるということ。

 

 

 そこまで思い至って、香澄は心がしぼむような、どこか切ない感触を覚えた。

 

 

「でも、なんで昌太くんはそこまで…」

 

「関係があるかはわからないけど…沙綾ちゃんは、ドラムをやめてるんだ」

 

「…!」

 

 

 ここに来て、香澄は今まで知り得なかった事実をつぐみに告げられる。

 昌太はあくまで「経験者」としか言っておらず、今ドラムをやっているか否かには触れていなかった。

 

 

「知らなかったみたいだね…」

 

「そういえば、昌太くんは経験者としか言ってなかった…」

 

「わざとぼかして伏せてたの…?それならやっぱり、アイツは沙綾がドラムをやめたことに関して何かあるのかも」

 

「しょーくんは、ギリギリになっても人に核心を任せることはしないよ。そこまで背負わせるのは人に迷惑だとか思ってるからねー」

 

「それじゃあ…」

 

「…昌太の頼み事の核心は『沙綾がドラムをやめたこと』になるんだろうな。で、昌太はそれに関してずっと何かを抱え込んできた」

 

「それが本当なら、どうせ昌太のことだし『沙綾を止められなかったのは自分のせいだ』とか思ってるんじゃないかなぁ…」

 

「でもなんで昌太くんは、このことを香澄ちゃんに任せたんだろう…」

 

「…」

 

 

 Afterglowがそうして話している間、香澄は過去を思い返していた。

 思えば香澄は昌太と接しているときに、たまに彼がどこか遠いところを見ているような感覚に陥ることがあった。

 

 …そうだ、違和感はまだあったと思い至る。それは頼み事をしてきたあの晩。

 

 

「頼み事…あのときは…」

 

「…香澄?」

 

「頼み事をする前、昌太くんは突然立ち止まって…私になんでバンドを始めたのか聞いてきたんだ。あの時は全然気にしてなかったけど、今思えば雰囲気が突然変わったような…?」

 

「それで、なんて言ったの?」

 

「私は…『星の鼓動』の話をした。星を見て、キラキラドキドキして…それでライブ見て、もうこれしかないって思って…それで」

 

「…」

 

 

 皆が香澄の言うことを一字一句聞き逃さぬよう、黙って耳を傾けている。

 彼女らはどうしても手掛かりが欲しかった。そして昌太のことを助けたかった。彼がいつもそうしてくれているように。

 

 

「──忘れてたっ!私がやりたいことを思いっきり言ったら、昌太くんがやけに眩しそうにしてた!それ、で…」

 

「…?ど、どうしたの?」

 

「そのとき…全然、キラキラしてなかった。それなのに、その直後に頼み事をしてきたときは妙に落ち着いてて…今思えば、そのとき何かを切り捨てたのかな、と…」

 

「切り捨て、る…?人に頼むときに切り捨てるものって…」

 

「プライド、とか?」

 

「昌太は、基本的に自分の責任は自分でケリをつけたがる。その性格を考えると、ありえなくもない」

 

「…それって、つまり──」

 

 

 諦める。

 筑波昌太は、山吹沙綾に関する何かで、諦めた。

 

 

「諦めるって…」

 

「まあ、これはただの推測だし。元からアイツが全部話してくれれば良かったんだけど」

 

「そうも行かないんだろうねぇ…」

 

「…そっか。私、昌太くんに聞いてくる!」

 

「えっ!?ちょっ、ちょっと!?」

 

 



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第15話 「頼」

 沙綾が香澄の勧誘をキッパリと断った。

 その事実を知ったのは月曜の放課後、香澄本人からのLIGNEでのことだった。

 

 喫茶店を出てから、こないだ沙綾と待ち合わせした公園に来てぼーっと考え事。ベンチに身体を投げ出し虚空を眺める様は、傍から見ればただの廃人でしかないだろう。

 

 

「まさか、そこまで拒絶するとは…」

 

 

 一発で加入を決めるとは思っていなかったし、それくらいは想定内だった。しかし沙綾は断ったのだ。保留にしてくれ、とも言わず。

 特に引っ掛かるのが、拒絶するときに彼女がしていたらしい表情。

 

 

『それで、そのとき…すごく悲しそうな表情をしてた』

 

「…」

 

 

 これを聞いたとき、俺は激しく後悔した。

 正直、ずっと重い何かを抱え続けていたなんて思っていなかったのだ。時間がすべてを洗い流してくれるという、一縷の望みを信じていたから。

 それに気づけず今までのうのうと過ごしてきていた自分に吐き気がする。

 

 だからと見て見ぬふりをできるはずもなく、香澄にはもう少し粘ってみてくれとは言ってみたが…。

 

 

 ──なぜ俺が香澄に固執しているか。それは彼女が、当時の俺らの持っていなかった強い「意志」を持っているからだ。

 

 俺は弱い意志のために沙綾を止められず、その沙綾自身はそもそも自分の意志を捨てた。誰もが意志を蔑ろにしていた。

 だからこそ香澄なら沙綾を引っ張っていけるのではないかと考えたわけだ。

 

 そのために俺は香澄にバンドを始めた理由を聞いたのだ。そのおかげで、間違いなく彼女はキーマン足りうる人物だと確信を得られた。

 

 

 だが、もはやそれは盲信とも呼べるものだったのかもしれない。

 そもそもこうして事が行き詰まるなど考えてもいなかったのだから。

 

 

 そこまで考えたところで唐突に俺にでかい声がかかった。

 

 

「あっいた!昌太くーん!!」

 

「香澄?どうして…」

 

 

 その声の主は、戸山香澄。さっき羽沢珈琲店で落ち合っていた少女。

 もうあれから一時間くらいは経っているが、なぜ俺がここにいるとわかったのだろうか。いや、それ以前になぜ探しに来たのだろう。

 

 …置いていったお金が足りなかったとかか?置いていったのは覚えてるが、そのとき何を置き、何を話したか正直はっきりと覚えてない。

 

 

「はい、五千円!返しに来たよ!」

 

「これのためだけに来たのか?会計は?」

 

「五百円置いてきたから大丈夫だよ」

 

「いいのかそれで…」

 

 

 どうやら俺が置いていったのはお札、それも五千円だったらしい。よほど俺は考え込んでいたらしく全く覚えていない。

 当時頼んだのはお互いドリンク一杯くらいなものなのでこれは明らかに多い。気づいてくれて助かった。

 

 そして、香澄は唐突にこう言った。

 

 

「それで、昌太くん。何を抱えてるの?」

 

「はっ?」

 

「もう限界近いんじゃないの?ほらほら、全部吐いてスッキリしちゃいなよ!」

 

「うぉおちょっと待て、別に俺は何も」

 

 

 そう言いながら香澄はベンチに座ってる俺に覆いかぶさって、背中を擦ってくる。

 さっきまで何してたかは知らないが、気づかれたのか…。これからは尚の事気張らなきゃダメみたいだな。

 

 

「さーや…だよね?」

 

「…!」

 

「どうして一人で抱え込んじゃうの?私に頼んだみたいに、もっと皆を頼っちゃってもいいと思うけどな」

 

「…簡単に言ってくれるな。人に迷惑はかけたくないんだよ」

 

「私は嬉しかったよ、頼ってもらえて。私でも昌太くんの力になれるんだって。昌太くんもそうでしょ?」

 

 

 俺の前でしゃがみこんだ香澄は、下から顔を覗き込んでいつものニコニコ顔でそう言った。

 事情を知らないとはいえ、彼女はただの俺の都合で投げたことを全く苦ではないと言うのだ。本当にできたヤツだな。

 

 

「それは、まあ」

 

「うん。誰だってそうなんだよ。アフロの皆も言ってたよ?もっと頼ってほしいって。抱え込まないでほしいってすごく心配してた」

 

「アフグロが、か」

 

「私たちじゃ、力不足かな?」

 

「それはありえねぇよ。俺にはもったいないくらい、みんないい子だ」

 

「それじゃあ…」

 

「でも、生来から染み付いた貧乏根性が邪魔をする。頼りたくたって、周りのことを第一に考えてしまうんだ。自分が受け皿になって溜め込んでいけば、幸せだから」

 

「…っ」

 

 

 俺がそう言うと、香澄はその左胸に両手を添えて軽く俯いた。

 

 最大多数の最大幸福。俺が言ってるのはそういうことだ。

 俺さえ我慢すれば俺以外の人はきっと幸せになれる。だからこそ甘んじて負を受け入れ正を成すのだ。

 

 いつからか俺はこの原理を、これさえ遵守していれば平穏無事だと信じ込むようになっていた。

 

 

「…やっぱり、苦しいなぁ」

 

「ん?」

 

 

 彼女が何かを呟いたかと思うと面を勢いよく上げ、俺の手をひっつかみつつ顔をズイと寄せてくる。

 香澄はどこか苦しそうな表情をしていた。それはどこかあのときの沙綾のようで。

 

 

「あのね昌太くん、頼られるのは嬉しいよね?だったら、こうは考えられないかな?」

 

「なんだ?」

 

「『頼るのは幸せのおすそ分け』だって!私だって嬉しかったもん、間違いないよ。…皆、待ってるよ?」

 

「…」

 

 

 言ってまた彼女は悲痛そうな表情を浮かべる。そしてふと、思う。

 

 そもそも人に頼らなかったのは人の時間を俺の都合で奪いたくなかったから。そして、こんな顔を見たくなかったから。

 それなのに、頼らなかったことで悲愴感を与えてしまっては本末転倒ではないか。

 

 

「俺は、俺の都合で周りを振り回すのが嫌だ。自分の都合で抱え込んだことを人に丸投げしてるのが、無責任みたいで、何より迷惑でしかないと…それが本当に嫌だ」

 

「絶対迷惑じゃないよ!…ねぇっ、そうやって溜め込むことが、本当に周りを想うことに繋がるの?私はそうは思わない!だって、現に私が…私の心が痛いんだもんっ…」

 

「…」

 

「昌太くんは、一人じゃないんだよ?もっと自分のことも周りのことも、大切にしてあげてよ…」

 

 

 ここまで言われても、やはり人の時間を奪っている感触がして罪悪感があるのは事実だ。

 だが、頼らなかったせいでこうして人を追い込んでしまう罪悪感のほうが遥かに大きい。

 

 もしかしたら俺は周りを信頼しているようで、その実からっきしだったのかもしれない。“頼”なくして、それは信頼と呼べるのだろうか。

 

 

 …いいんだな、頼っても。香澄。

 

 

「…沙綾は、ドラムを一回やめてる」

 

「! …うん」

 

「でも、そばにいたはずの俺は止められなかった。寝耳に水だったんだ。それで勿論なぜドラムを捨てたか、本人に聞いた」

 

「…」

 

「だが、終ぞその理由を教えてくれることはなかった」

 

「えっ…昌太くんでも?」

 

「ああ。だから無責任な話だが俺も本当に知らないんだ、その動機は。でもそのときに沙綾が自分の意志を捨てたのは間違いない」

 

「と、言うと?」

 

「アイツは間違いなくドラムを楽しんでた。でも突然やめたんだから、そういうことだと思う」

 

「そっか…知らなかった。ごめんね、無理に聞き出したみたいで」

 

「いや、話したくて話してるんだ。気にするな。それにそのうち耳に入れることになった話だ」

 

「…うん、そうだね」

 

「俺は諦めて、見捨ててしまったんだ。自分にできることはないと。そうしてずっと見てみぬふりを通してきた俺自身が憎い」

 

「…」

 

 

 俺の懺悔にも香澄は黙って耳を傾けていてくれる。ズタズタの自尊心を携えた今は、それが心地よかった。

 

 

「それで、俺にはできなかったことだが…。沙綾をまた引き戻してやってくれないか、ドラムに。もうどこか辛そうなアイツを見てられないんだ。…頼む」

 

 

 頭を下げて懇願する俺。ここまでしっかりと人に頼み事をするのは初めてだ。香澄はどんな表情をしているだろうか、不安で仕方がない。

 そんな俺とは裏腹に香澄は言った。

 

 

「わかったよ、任せて!」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 あの後、俺はいつものように地蔵通り商店街に来ていた。目的は、沙綾との接触。

 

 結局香澄と初めて会ったあの日から沙綾とは顔を合わせていない。

 結局何一つ変わっていなかった現状とそれに対する大きな罪悪感を自覚してしまった以上、自分で動かない手は俺には残されていなかった。

 それに音楽祭までもすでに一週間を切ろうとしている。そろそろ行動しないとまずいだろう。

 

 

 何を抱えているかはもちろん知らない。それでも香澄に言われたように、助けるくらいはできるはずだ。

 勘というかなんというか、ポピパは沙綾にとってかけがえのない存在になりうるはずなのだ。そんな機会を棒に振ってほしくはない。

 

 

 そうあれこれと言い訳を作りながらやまぶきベーカリーの店内を伺うと、いつものポニテがヒョコヒョコしているのが見える。…沙綾はいるみたいだな。

 意を決して、俺は店内へ入る。

 

 

「…よう、沙綾。ちょっといいか」

 

「昌太?どうしたの?」

 

 

 怖い。怖いが、このまま放っておくのはもっと怖い。

 一つ深呼吸して問う。

 

 

「突然で悪いが…改めて聞く。なんで沙綾は、ドラムを捨てたんだ?」

 

「…! なんで、今になって」

 

「今になってもお前はときどき暗い顔をする。それが俺にとっては看過できないからだ」

 

「…ドラム、飽きちゃったからさ。別に暗い顔なんてしてないし、心配するほどじゃ」

 

「嘘だな。目が泳いでる」

 

「えっ!?」

 

 

 試しにカマをかけてみたらまんまと引っかかった。やはり、そんな生半可なものではないってことか。薄々感じちゃいたが。

 しかし、それがわかったところで俺にできることはあるのだろうか。考えながら言う。

 

 

「やっぱりか」

 

「…カマかけたの?」

 

「すまんな。沙綾の本心が知りたかった。それで、なんでだ?」

 

「…」

 

「俺には当時何があったかはわからない。でも、手助けくらいならできる。皆だって、それに俺だって助けてやれるはずだから──」

 

 

「やめてっ!!!」

 

 

「!?」

 

 

 沙綾が叫んだ。ここまで彼女が感情を表に出したのはいつぶりだろうか。

 何がキーだったのかはさっぱりわからないが、どうやら地雷を踏んでしまったようだ。

 

 予想外の展開に頭が真っ白になる。

 

 

「…ごめん。悪いけど、今日はもう帰って」

 

「沙綾…俺は」

 

 

「お願い」

 

 

 茫然自失な俺にできることはなく、おとなしく店を出る。

 自分としては最大限沙綾を慮りつつ、どうにか助けられないかと提案したつもりだった、のだが。

 

 どこで間違えてしまったのだろうか、俺は。

 明確に沙綾に突き放されたことは今までなかった。しかし今回はこれだ。もう二度と、彼女と笑いあえる日は来ないのか。

 

 

 そう考えると、俺は絶望の底へ叩き落されるような悪寒を感じた。

 

 

「昌太」

 

「…おたえか?」

 

 

 楽器店帰りだろうか、手に新品のピックをいくつか持ったおたえに話しかけられる。

 しかし今の俺にはとてもまともに会話ができるとは思えない。おたえには申し訳ないが、早いところ打ち切らせてもらうことにする。

 

 

「悪い、今はちょっと話せそうにないから──」

 

「大丈夫だよ。まだ終わってない」

 

「──は?」

 

 

 何がだ。

 そう言おうとしてまたおたえに遮られる。

 

 

「山吹さんは、ちゃんとわかってるから」

 

「…何を、言ってるんだ」

 

「ん。要するに諦めちゃダメってこと。昌太が諦めたら、もう全部取り返しがつかなくなるから」

 

「だが、俺は…」

 

「大丈夫だから。私を信じて」

 

 

 またこの間のようにおたえは俺の目をジッと射抜いてくる。

 だがそこに先日の薄気味悪さはなく、むしろとても心強いものだった。どうして断言できるんだ?

 

 

「なんで確信をもってそう言えるんだ。おたえは、何を知ってるんだ」

 

「覚えてないかな?私のこと」

 

「はっ?」

 

「前にも会ったことあると思うんだけど」

 

「…いや、悪いが」

 

「『SPACE』って言っても?」

 

「『SPACE』──! まさか…」

 

「うん、そのまさか」

 

 

 初対面からおたえに感じていた妙なデジャヴ。実際は過去に数回顔を合わせたことがあったのだ。

 おたえは『SPACE』というライブハウスでかつてバイトをしていたことがある。俺はこの性格だからたまに手伝いもしていたわけだが、そこで顔を覚えられたのだろう。

 

 

「悪いけど、さっきのちょっと見ちゃった。性格と素振りを考えると、あれは本心ではないかなって思って」

 

「そうなのか。本当にそうならよかったんだがな」

 

「…一応一週間はあるし、こっちでもいろいろ考えてみるよ」

 

「…すまん」

 

「ううん。私たちだって、山吹さんと演りたいからね」

 

「そうか…悪いが、俺は先にお暇させてもらう。また明日な」

 

「またね、昌太」

 

 

 正直、未だにわからないことだらけだ。なぜ沙綾が唐突に取り乱したのか、そして結局なぜドラムをやめたのか。

 意気は変わらず消沈していたが、おたえの「諦めちゃダメ」という言葉は妙に記憶に残った。

 

 

「──まぁ、そう思った理由はまだあるんだけど。でもこれを教えるのはまだ早いかな」

 

 



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第16話 決着(エンドレス)

 音楽祭当日。沙綾は、未だポピパにはいないらしい。

 あれから俺は今に至るまで一度も行動を起こせていない。おたえにああは言われたものの、どうしても突き放されるのが怖く終ぞ踏み込むことはできないままだった。

 

 

 今俺は、花女のグラウンドで設営の進むライブステージをボーっと眺めている。

 

 もちろん香澄たちも動いてはくれていたみたいだが、ここ最近はどこか様子がおかしいようにも見えた。

 なぜかは知らんが、度々彼女が何かを言いかけてはおたえに口をふさがれる場面を多々目にしたのでな。何かあったんなら言ってくれればいいのに。

 

 む、あの金髪ツインテールは…

 

 

「有咲」

 

「ん?…おー、昌太か」

 

 

 彼女とは練習の段階で名前呼びしあうくらいの仲になった。もとから自分だけ苗字呼びなのが気になってたらしいが。

 今はこの後のミニライブのため準備を進めているようだった。

 

 

「なぁ。昌太はさ」

 

「どうした」

 

「諦めたか?」

 

「…!」

 

「言っとくが、私たちは諦めてないからな。みんな山吹さんが来てくれるって信じてる。もちろんお前のこともな」

 

「…なんだ、突然」

 

「…二度は言わないぞ」

 

 

 そう言って、有咲はプイっと視線を逸らす。

 …確かに、俺はもうあきらめかけていたのかもしれない。今日を逃せば、今後の勧誘は難しいはずだ。

 

 だが、なぜ俺まで信頼するのだろうか。俺が動いても事態は動きようもないというのに。

 

 

「だがこればっかりは諦めずにやってどうにかなる話には思えない。特に俺は一回明確に突き放されてしまったし、俺が行くのは悪手だと思う」

 

「…本気で言ってるのか?」

 

「…ッ!おっ、おい!?」

 

 

 有咲は憤りを隠しもせず胸倉をつかんでくる。唐突のことで俺もまともに対応できなかった。

 そのまま有咲は、激情に任せ言葉を削りだす。

 

 

「お前はそうやって目を背けるのか?アイツが何のために身を切って、何を思って捨てたか知らないままなんて──…ごめん。取り乱した」

 

「…」

 

 

 ここは公衆の面前だ、当然人の目も集まる。それを自覚したらしい有咲は冷静さを取り戻した。

 翻って俺は茫然としていた。ここへ来てあのおたえの問いがフラッシュバックしたのだ。

 

 

『山吹さんは、何のためにドラムを捨てたのかな』

 

 

 先の有咲の言動も相まって、俺の本能がこれを見逃してはならないとガンガン警鐘を鳴らしていた。

 間違いなくここに何かある。目を背けるな、と。

 

 

「私に言わせれば、一度突き放されたくらいで諦めるほうが悪手だ」

 

「くらいってお前──」

 

「わかってる、お前らが抱えてるのがそんな単純な問題じゃないって。でも同時に、お前らの関係はそんな程度で終わっていいものでもない」

 

「関係…」

 

 

「ああ。昌太が本当に山吹さんを大切に思ってるなら、こんなとこで諦めてちゃダメだ。…大切なんだろ?山吹さんのことが」

 

 

 大切。そうだ、それは疑いようもない。そうでもなければこうも悩んでいない。

 だからこそ迂闊に踏み込めなかった。結局原因だって分からず終い。

 

 だが少し、こうも思った。「それがどうした」と。

 

 

「当たり前だ。沙綾だってお前らだって、みんな大切だ。一度だって失うのはごめんだ」

 

「……そうか。そのためなら百回でも千回でも一万回でもぶつかっていかなきゃ、絶対後悔するって、私は思う」

 

「一万回、か」

 

 

 一見して果てしない数だ。しかし、塵も積もれば山となるのだ。いくら多かろうて、行動しなければ達成なんて絶対にありえない。

 

 憔悴のあまり忘れていた。そもそも俺が悩んでいる理由はなんだ。大切なものを守りたかったからだ。

 それを前にして、原因がわかっているか否かなんて実際は些末なことなのではないだろうか。

 

 

「この問題のキーマンは私たちでも香澄でもない。昌太、お前だ。お前の行動で、すべてが決まる」

 

「俺が…?」

 

「…だからこそ、私──いや、私たちは。お前を信じてる」

 

「…」

 

 

 先ほどは特に気にも留めなかったが、一連の話を聞くとこの言葉の重みが大きく変わってくる。

 ふと奈落の底から掬い上げられる感覚がした。今までなかった高揚感を覚えた。

 

 幾度となくぶつかって、寄り添って、時には人の手を借りて訴え続ける。

 僅かでも積み重ねていけば、ゆくゆくは事態の打開に繋がるはずだと。俺の心中で根拠のない妙な確信を得ていた。

 

 

「山吹さん…沙綾はお前を待ってる。例の公園だ」

 

「何…?」

 

「私たちにはできなかったことだが…山吹さんを、連れてきてくれないか。あのドラムの席へ──どうか、頼む」

 

 

 この光景は、奇しくも俺が香澄に頼み事をしたときと重なった。

 …そうか、そうだったな。頼られるとやはり心地がいい。俺は一体何をナヨナヨと悩んでいたのだろう。

 

 大切な人を助けるのに、何を厭う必要があったのだろうか。

 

 

「わかった。任せろ」

 

「…任せたぞ」

 

 

 例の公園。ある時は俺が一度沙綾と待ち合わせをして、ある時は廃人のようにベンチにもたれ散らかして。

 そんな公園で今度は彼女と何を成すのだろうか。

 

 いてもたってもいられず、俺は全力疾走で公園へ向かった。

 

 

「…行ったか。『灯台下暗し』ってのは、まさしくこういうことを言うんだろうな。頑張れよ、昌太」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 音楽祭の一週間前、沙綾が昌太を追い出して数十分。沙綾は自分のしたあまりの仕打ちに深い罪悪感を覚え、店番を親に任せ裏手に引っ込んでいた。

 泣いてこそいないものの、それも時間の問題であろうことは表情が物語っている。

 もとより沙綾は昌太に大きな恩義を感じており、それが罪悪感の増大に拍車をかけていた。

 

 リビングにて椅子に座って項垂れる沙綾に、最近となっては日常茶飯事となってしまったいつもの声がかけられる。今日は香澄に加えて有咲もいた。

 

 

『…さーや』

 

『香澄…?ごめん、バンドの話なら──』

 

『帰らないよ』

 

『──えっ?』

 

『今の山吹さん、ほっといたら死にそうだし。見捨てていけないでしょ』

 

『…』

 

『昌太くんでしょ?』

 

『あはは…見られてたんだ』

 

『私たちじゃないけど、おたえが見てたらしいな。本当だったとは』

 

 

 悲痛な気分をごまかすように、力なく乾いた笑い声をあげる。

 それでもなおも沙綾はうつむいたままだ。

 

 

『私は…恩を仇で返しちゃった。とても昌太に見せる顔がないよ』

 

『…昌太くんは、かなり追い詰められてるみたいだった。さーやがドラムをやめた理由がわからなくて、助けてやれなかったって』

 

『そんなっ…私は!それじゃあ…』

 

 

 心外だとでも言わんばかりに椅子から立ち上がって、今度はどこか焦燥感を感じさせるような表情を浮かべる。

 後に続いた言葉はあまりにか細く、香澄と有咲は聞き取れなかった。

 

 

『山吹さん。私が思うに、山吹さんと筑波さんとではいろいろとすれ違いが起きてると思うんだけど…』

 

『私たちじゃ、力になれないかな?』

 

『私は間違ってたのかな、昌太…』

 

『山吹さん?』

 

『…ううん、何でも。わかったよ、香澄たちなら』

 

 

 

 

 沙綾の感じている恩義とは、母親のことである。

 

 彼女の母親である千紘はかつてはとても身体が弱かったが、今では年に一~二回ほどしか体調を崩すこともなくなり、常人と相違ない生活ができるようになっていた。

 

 これに至るまで手助けをしてくれたのが、昌太だった。

 

 

『昌太はお母さんが健康体になるまで、ずっといろいろ手助けしてくれてた。パン屋としての仕事もそうだけど、私生活でもね。そのおかげで余裕ができて、私も順調にバンド活動ができてた』

 

 

 しかし、問題はここからだった。

 

 

『でもね、そんな生活を続けてたら昌太への負担が大きすぎる。そうは思わない?』

 

『…そう、かもな』

 

『…』

 

『…だよね。でも当時の私は気づけなかったんだ、そんなことにすら』

 

 

 昌太はこれらを一人で抱え続けた結果、過労が祟りぶっ倒れてしまったという。もちろん病院送りである。

 その時には幸い千紘さんは現在のように健康体となっていたため、昌太へ然るべきケアをしながらもいつも通りの生活を維持はできたが。

 

 

『私がそのことを聞いたとき、一気に身体が冷えていく感覚がした。真っ先に昌太がいない未来を想像して──身震いした。一瞬世界が死んだのかとすら思った』

 

『…ッ』

 

『これは私がドラムに感けてて、昌太を止められなかったから。助けてあげられなかったから、こうなったんだって思った。だから、ドラムをやめた』

 

『…山吹さん』

 

『そんなことを馬鹿正直に昌太に言ったら、絶対気にしちゃうから。昌太にだけはこのことを話すわけにはいかなかったんだけど…』

 

『同じこと、言ってる…』

 

『…えっ?』

 

『昌太くんも、『さーやを止められなかった自分が悪い』って言ってたもん…』

 

『…昌太、も』

 

 

 自分が昌太を想っていたように、昌太もまた沙綾を想っていた。

 そのことを悟った沙綾は、昌太の名をつぶやくことしかできない。

 

 

『…要するに、『筑波さんを守るためにドラムをやめた』ってことだよな』

 

『…うん』

 

『はぁ…めんどくせぇ。本当に似た者同士なんだな…』

 

『ありさ?』

 

『いや。とにかく、私に考えがある』

 

 

 ◇◆◇

 

 

「沙綾あああああ!!!!!」

 

 先日、昌太が懊悩していた公園。そこへ件の昌太が、大声で名前を叫びながら全力疾走してくる。

 沙綾は有咲の言っていた通りこの公園にいた。それも、ちょうど当時昌太が座っていたベンチに。

 

 

 この件において有咲が問題にしたこと。それは、沙綾と昌太双方が妙に情報を小出しにしたり、変に気を使ってあまり踏み込まなかったりしたこと。

 別に誰が悪いということでもなく、複合的要因なのだ。この問題のどちらか一つがすでに解決されていたならば、ここまで事がこじれることもなかったろう。

 

 そして先日は沙綾が昌太を一方的に追い出してしまった。あのまま昌太が諦めてしまっていたら事は完全に潰えていたため、たえや有咲は必死に昌太を引き留めたのだ。

 

 このような拗れに拗れた問題に対して、有咲はこう言った。

 

 

 ──本音をぶつけ合ってしまえばいいんじゃないか、と。

 

 

「…昌太」

 

「沙綾。やるぞ、ドラム」

 

「私は…もうやめたの。もう、できないの」

 

「できないなんてことはない。今からでも遅くはないだろ」

 

 

 沙綾の肩に両手を乗せ、視線を合わせて語りかけるもやはり彼女は頑なに拒む。

 昌太はまだその理由は知らないが、知らないなりにどうにかならないかとあれこれ考えながら話す。

 

 

「でも、私がまたドラムを始めちゃったら──」

 

「なんだ?できることなら俺も手助け…」

 

「──昌太、また倒れちゃうでしょ…」

 

「ッ!お前、そのことを…」

 

「昌太が倒れたって聞いたとき、怖かったの。目の前が真っ暗になって、それで…昌太がいない世界を想像しちゃって、身震いがした」

 

「…沙綾」

 

 

 初めて沙綾が「核心」を昌太に話した。

 昌太はまさか自分が原因だとは露ほども思っておらず、彼女の独白に全身の毛を粟立たせる。

 

 そんな彼を傍目に、沙綾はベンチから立ち上がって叫ぶ。

 

 

「私は、もう昌太を失いたくないのッ!昌太がいないなんて考えられない!!あなたを失うくらいだったら、ドラムなんかやめる!!!」

 

「…」

 

 

 そう言い切ってから、沙綾は俯く。

 

 初めて聞く沙綾の本音。その思いの丈に昌太は思わず絶句してしまう。

 しかし、こちらだって負けてはいられない。震える唇を開いて、再度なるべくやさしく語りかける。

 

 

「沙綾。俺のわがまま、聞いてくれないか」

 

「…なに」

 

 

 昌太のわがままは、頼み事と同じように今まで言ったことはないくらいのレアなものである。

 だからこそ、昌太にしては聞きなれないワードに沙綾は顔を上げる。

 

 

「俺の勘でしかないが、あそこは──ポピパは、沙綾にとってかけがえのないものになると思う」

 

「…」

 

「それに、俺はドラムを叩いてるときの沙綾は本当に楽しそうでさ。ずっとお預けを食らってて寂しかったんだよ」

 

「寂、しい…?」

 

「ああ。だから俺としては、あの沙綾をもう一回見たい。またドラムをやってほしいんだ」

 

「…でも、それじゃあ…昌太は…」

 

「そうだな。だが俺は人に頼ることを覚えた。だから、俺はなるべく一人では抱え込まないと誓うよ。俺がキャパオーバーしたら助けてくれよ、沙綾」

 

「…っ!」

 

 

 元々昌太がぶっ倒れたのも、ろくにSOSも出さずに全てを一人で抱え込んでしまったことにある。適度に周囲を頼って労力を分散できていれば、こんなことは起きていなかった。

 

 香澄に人に頼ることを教えてもらってから、そのことを昌太は自覚していた。そのため問題の根幹を成す欠点をなるべく抑えて、本当の意味での「迷惑」をかけないと誓うことで落としどころとしようとしているのだ。

 

 

「でも沙綾を助けるのはやめるつもりはないからな。その辺はお互いさまってことで」

 

「私を頼ってくれるの、昌太?」

 

「ああ、それでもいいなら存分にな」

 

「…当たり前だよ!」

 

 

 つまり、これからは困難を二人で、みんなで分かち合っていこうと言うのだ。

 昌太を救えなかった過去に負い目を感じていた沙綾にとって、それは至上の幸福だった。勿論それは昌太にとっても同じことだ。

 

 

「絶対、絶対だよ?約束だよ?」

 

「もちろん」

 

「もう私を置いて行かないでね?」

 

「そのつもりだよ」

 

「…昌太っ!昌太ぁっ!」

 

 

 再度沙綾は昌太の胸に顔を埋め、嬉しさと感動とが綯交ぜになった感情を吐露する。

 斯くして、今に至るまでに引き摺り続けていた過去の記憶を、彼らは打破したのだ──

 

 

「──ん?LIGNE?」

 

「…どうしたの?」

 

 

 唐突に鳴り出すバイブレーション。音源は昌太のスマホだった。

 LIGNEのメッセージを確認した昌太は何やら冷や汗をかきはじめる。

 

 

「……やべぇ。早く行くぞ沙綾」

 

「えっ?何で?」

 

「お前の出番だ」

 

 

Arisa『次ポピパの出番だぞ!』

 

筑波昌太『ふぁ』

 

 

 ◇◆◇

 

 

 やっと5人揃ったPoppin'Party。彼女らの出番は熱狂のもとに終了した。次は有志枠だな、こっちも楽しみだ。

 沙綾がああやってドラムやってるのを見たのは…もうじき2年になるか?あの夢を思い出して泣きそうになってしまった。

 

 良かったなぁ、諦めなくて。

 

 

「昌太」

 

「おたえか、お疲れさん」

 

 

 舞台脇の関係者出入り口のあたりで感慨に浸ってたら、ギターケースを背負ったおたえが近寄ってきた。

 そういえばおたえに関して結局わからなかったことがあるんだが、この際だし聞いてみることにする。

 

 一週間前、沙綾に突き放されたあとにおたえに遭遇したとき。

 その際に投げかけた『お前は何を知っているんだ』という疑問を、何だかんだと彼女ははぐらかしていたのだ。

 

 

「なぁ、結局おたえは何を知ってたんだ?」

 

「あぁ。実はね、沙綾がドラムをやめた理由、知ってたんだ。私」

 

「そうなのか?」

 

「うん。SPACEで沙綾がバンドをやめるとき、廊下で一人で譫言みたいにつぶやいてたのをたまたま聞いちゃって。『こうしなきゃ、また昌太は倒れちゃう』って」

 

「…今それ聞くのはキツいなぁ。なおさらこれからは抱え込まないようにしなかんな」

 

「それがいいよ」

 

 

 当時の状況を聞いて、改めて一人で抱え込まないことを誓った。

 そんな俺を傍目におたえはいそいそと背負っていたギターケースを下ろし始める。

 

 

「昌太、はいこれ」

 

「えっ?これおたえのじゃねえの?」

 

「昌太のだよ」

 

「は?」

 

 

 なんでこいつが俺のギターを持っているのか。なんで今になってそれを渡してくるのか。

 色々とツッコみたいところはあるが、さらにそこへ爆弾が投下される。有咲によって。

 

 

「昌太〜、もうちょっとで出番だぞ」

 

「は??」

 

「有志枠とっといたから。行ってくれば?」

 

 

 行ってくれば?じゃねえんだよな。枠取られたらもう選択肢ないようなもんだろ。

 有咲に説明を求める視線を向けると、当の本人はおたえに詰問する。

 

 

「…おたえ、ちゃんと説明したか?」

 

「ん?したよ」

 

「有志枠取られたことしか聞いてねぇぞ」

 

「してねえじゃん…昌太、沙綾と一緒に一発演奏してこい」

 

「えっ、沙綾も?」

 

「…私も出ることになっちゃった。ごめんね?」

 

「いや、それ自体はいいんだけど…」

 

 

 止められなかったのこれ。

 まぁ、粋な計らいってやつなんですかね。ただ一言は欲しかったかな。

 

 

「はぁ…わかったよ。ありがとな」

 

「何が?」

 

「いや、なんでも。沙綾、この曲今も叩けるか?久しぶりにこれで合わせるぞ」

 

「…! うん…できるよ。沢山、やったもんね」

 

「…ああ」

 

 

 俺がスマホで見せた譜面を見た沙綾は、涙声になりながらそう言う。それは、かつての後悔の記憶。

 

 

「練習してる暇はなさそうだな。ぶっつけ本番で行くぞ」

 

「…うん、任せて」

 

「頼りにしてる」

 

 

『音楽祭有志枠、次のグループの入場です!』

 

 

 先のポピパや他の出演者のおかげで、観客は大いに盛り上がっている。本当に久しぶりだな。

 気を抜けば溢れそうな涙を堪えながら、ギターを携え沙綾と舞台に登る。

 

 

「宜しくお願いします。聞いてください──」

 

 

 それは、眩い思い出の記憶。

 

 隣の彼女とかつてのようにアイコンタクトを交わす。

 すべてを抱え、嘆きすれ違い。倒れても倒れても立ち上がり掴んだ今。

 記憶を歌に、ギターに乗せ演る。

 

 

 後に香澄の撮った写真には、彼自身でも眩しいと思ってしまうくらいに明るい笑顔の沙綾と、昌太が写っていたという。

 

 

「──『何度でも』」

 

 



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日常編
第17話 パンは世界を滅ぼす


 
 ※滅びません
 


 音楽祭の翌日。今日も休みなので、俺は朝っぱらからやまぶきベーカリーに来ている。

 で、こんなに朝早い(午前7時)にも関わらず、なぜか店の前にはもうモカがいた。開店まで1時間くらいあるってのに…と思ったが、俺も同じ穴の狢である。

 

 

 俺がステージに上がって(というか上げさせられて)からLIGNEにはさまざまなメッセージが届いた。

 

 珍しく湊さんからもメッセージが来ていたのだが、確認したら『火曜日付き合いなさい』とのことだった。

 とても『何にですか』とか本人に聞けそうにもなく、リサ姉を当たってみたら『練習のことだと思うよ〜』って来た。まあそうですよね。

 

 

「昨日はすごかったね〜しょーくん。蘭もギタボ同士シンパシー感じたのかいつになくニコニコしてたよ〜」

 

「普段はギタボなんてやらないからな…やったことあるのもあの曲だけだし」

 

「ギター自体久しぶりだったんじゃないの?」

 

「いや、割とコンスタントに弾いてはいた。家でだけど」

 

「え〜、弾いてたんなら言ってくれればよかったのに〜」

 

「ぶっちゃけ惰性でやってたし言うまでもないかなと思った」

 

 

 蘭の満面の笑み、見たかった。笑顔を溢すくらいならついこないだも見たばっかだけど、ニッコニコの蘭は久しく見てない。

 どうしよう、今日凸って絡みに行こうかな。

 

 

「てかなんでモカはこんな時間にパン屋来とんの?お前寝起き壊滅的に悪いのに」

 

「ん〜、なんとなく?」

 

「何、虫の知らせってか?」

 

「パンの知らせだね〜」

 

「そのままだろそれ」

 

「今日は珍しくスッキリ起きられたし、たまには一番乗りしてみるのも悪くないかな〜って」

 

「はぁ、そりゃ本当に珍しいな。てかそれにしたって一時間待つ?普通」

 

「しょーくんだって同じようなもんじゃ〜ん」

 

「ぐうの音も出ないな」

 

 

 但し俺の腹は鳴る。

 てかパンの知らせってなんですか。強いて言えばそれは腹の虫による知らせなのではないでしょうか。

 

 隣の健啖家モカちゃんはいつも通りふわふわした雰囲気をまとってパン屋の前に突っ立っている。

 今日は日曜なので私服姿で。ダボダボの灰パーカーにクソ短えショートパンツ…くっ、朝日と腿が眩しい…!

 

 それはそうと、たまに通る八百屋とか魚屋のおっちゃんが生暖かい目でこっちを見てくるのがめっちゃ気になる。あ、そういうのじゃないんで俺たち。

 

 

「よかったねー、しょーくん」

 

「ん?何か言った?」

 

「ん〜ん、なんでも〜。そういえば今日から新作パンが出るらしいよ〜」

 

「えっ、マジでパンの知らせあったん?ごめん疑って。で、どんなやつ?」

 

「え〜っとね〜、暗唱パンだって〜」

 

「おぉ…何か、こう…攻めましたね…」

 

 

 もっとなんか惣菜系で来るのかと思ったら、インベタのさらにインを来た。フッと脳裏を青いタヌキさんが過る。

 『暗唱パン、暗礁に乗り上げる!(激寒)』なんて新聞とかで見出しに出たら笑う自信あるよ俺。

 

 

「冗談だよ〜」

 

「は?」

 

「本当はじゃがバタチーズパンだって〜」

 

「は?神じゃん。100個くらい買うか」

 

 

 は?(驚懼)。は?(歓喜)。

 やっぱチーズって最高だよな。伸びるやつとかカレー作ったときなんかはバカみたいにブチ込んじゃうくらいにはチーズすき。

 それをじゃがいもと混ぜるなんて凶悪がすぎる。そんなことしちゃった日には世界が滅ぶ。

 

 

「え、じゃあ何?結局それ目当てで早起きしたん?」

 

「そうだよ〜」

 

「ヒュウ、情報通ですこと。それだったら早起きできたのも納得だな」

 

「パンのためならどこへでも行けるからね〜」

 

 

 モカならいつの間にか地球の裏に飛んでても違和感なさそうだよな、不思議だ。本当に。

 明日気づいたらシンガポールとかにいるんじゃねえかな。シンガポールってなんかパンあったっけ。

 

 

「フランスのこと考えてたらグラタンが食べたくなってきましたな〜」

 

「唐突に何?なんですか?こっちを物欲しそうに眺めても何も出ませんよ」

 

「じ〜っ…」

 

「出ないよ?」

 

「…」

 

「…」

 

「…じじ〜っ」

 

「…わかったよ。今度買い物付き合え」

 

「やった〜」

 

 

 俺はチョロくねぇ。絶対だ。

 

 このあともずっとモカと喋ってたら、知らないうちにかなり長い列ができていた。まさしく早起きは三文の徳を体感した瞬間であった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ん〜、おいひぃ〜〜♪」

 

「ヤバ、なんかクセになりそうだわこれ」

 

 

 流石に一人で100個じゃがバタパンを買うのは他の人に迷惑でしかないので4個に抑え、その他にいろいろとパンを買い込んだ俺。

 

 パン屋を出てモカと別れ、なんとなくCiRCLEの方へ歩いていたらりみりんを発見。手元に大量にパンもあることだし、試しに近くのCiRCLEのカフェテリアで餌付けしてみた。

 

 そしたらりみりんはハムスターみたいにパンを頬張り、筋繊維壊れたんかってくらい顔を綻ばせ始めた。

 何というか、ヒーリング効果がすごくてマイナスイオンを感じるわ。これは何度も餌付けしちゃうでしょ。

 

 

「そうだね、私もクセになりそう…」

 

「えっ?」

 

「このパンは世界を獲れるよっ!」

 

「あぁそっちね」

 

「?」

 

 

 首をコテン。ああ可愛い。

 

 パンで世界つったら、一応パンにも世界大会みたいなのはある。

 

 だがその一部門である「飾りパン部門」という名前からして、ここで競われるのはどっちかっていうと美術・芸術的な観点だ。だからこうした惣菜パンの世界大会は(多分)ない。

 例えば惣菜パン部門みたいなのがあったらワンチャン世界獲れるかもってのは俺も思った。

 

 

 この反応からしてお察しかもしれんが、ご存知無類のチョコジャンキーであるりみりんは普通にパンも好きらしいのだ。

 

 恐らく彼女が好きな食べ物ランキングを挙げたならば、1位チョココロネ、2位チョコチップメロンパン、3位チョコレートベーグルとかいう惨状になりかねないが、とにかく普通のパンも好んで食べる。

 

 そのため、たまにはチョコ系のパンではなくこうして別のパンを与えてみるとまた違った反応を見られて面白いですよ(ゲス顔)。

 

 

「気になったんだけど、りみりんって例えばパンダの顔したパンってなんの遠慮もなく食えるタイプ?」

 

「うぅん…できれば、食べたくないかな。可愛いともったいなくて…」

 

「わかる。俺もソーナノ」

 

 

 ちなみに俺は米粉パンが結構好きなので、パン派か米派かって言われたら両方って言う。

 ふくよかな口当たりと、主張控えめながらにしっかりと感じる甘みがなんともよいのだ。見かけたらぜひご賞味あれ。

 

 なんの話してんだ俺。

 

 

「これよく買えたね?私が行ったときにはもうなくなっちゃってて…」

 

「目が覚めちゃって開店の1時間前から店の前にいたからなぁ」

 

「それじゃあ今日発売だって知ってたんだ」

 

「いや、店の前でモカから聞いて初めて知った。だからたまたまだよ」

 

「私に声をかけたのは…?」

 

「それもたまたま」

 

「そ、そうなんだ…」

 

 

 そう、たまたまなんです。○ーフの石をかざしたら○ッシーになります。

 こんな会話をしつつも、変わらずりみりんはちまちまとパンを食っている。確かにどっかうさぎっぽさはある気がする。

 

 

「まぁたまたまではあるけど、これはお礼の一つとでも思ってくれればいいかな」

 

「うん。ありがとう」

 

「いえいえ、こちらこそ」

 

 

 沙綾とちゃんと向き合うにあたって、りみりんを始めとしたポピパの皆は色々と動いてくれていたらしい。

 公園で俺らが会うよう仕向けたのも有咲の作戦だったとか。あとから聞いた話だからどうしても伝聞調になっちゃうけど、つまりはそういうこと。

 

 音楽祭のあととかLIGNEとかでもう感謝はしたけど、これからはこうやってちょこちょこ恩返しをしていきたいなと思ってる。

 施されたら施し返す、恩返しだよ(大○田)

 

 

 ◇◆◇

 

 

 さて、ところ変わってここは羽沢珈琲店。すでに日は高く昼前となったところだ。

 朝に買い込んだパンは家に一旦留置して、また街へと繰り出した。

 

 まず店内に入って一番に目に飛び込んできたのは、一人カウンターに向かってノートを広げる少女。

 

 

「ハロー、ハゥアーユー?」

 

「うっさい」

 

「ひぃん」

 

 

 というか美竹蘭である。

 

 どうせ蘭のことだし歌詞でも書いてんのかなとか思ったけど、ちゃんと勉強してた。トースト片手に。

 勉強してるところに無神経に話しかけた俺が全面的に悪いけど、めっちゃぞんざいに扱われてぼかぁ悲しい。

 

 どうやら今は漢字をやってるらしく、隣の席からチラッと覗くと端正な字で「愚痴」とか「憂鬱」とかって無数に書いてあって軽くホラーだ。

 

 

「朝モカに会ったよ」

 

「…」

 

「音楽祭のときニッコニコだったんだってな」

 

「ッ!ちっちち違うからっ!」

 

「なにが?」

 

 

 俺が「ニッコニコだったんだってな」つったら蘭の使ってるシャー芯がバキッって折れた。大木が根本から拉げた音したけど大丈夫?

 

 というか俺が余計なこと言っちゃったせいで、蘭が顔を真っ赤にしてわたわたし始めちゃった。違うのに、俺は蘭の満面の笑みが見たかっただけなのに…!

 

 

「いや、単純に気になっただけなんだけど」

 

「…あのさ」

 

「うん」

 

「どこまで、知ってる…?」

 

 

 その「秘密を握った人物にどの程度情報を持っているか探りを入れる殺人犯」みたいな言動やめて。

 さっきの昏いノート見ちゃったせいでちょっとゾッとしたよ今。

 

 

「いや、俺が演奏してるとき蘭がシンパシー感じたのか満面の笑みだったってことしか」

 

「モカあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

「これアウトだったの!?ちょっと蘭ステイステイ」

 

「ひゃっ」

 

 

 素直に知ってることを白状したら蘭が荒ぶって店を飛び出そうとしたので、後ろから抱きついて止める。

 流石に二人分の荷物持って追っかけるのは、普段のチャリ通で膂力の伸びた俺でも厳しい。

 

 

「…昌。わかった、から…はなして…」

 

「ん」

 

「あたしは、音楽祭が楽しかっただけで…昌がギタボやってるの見てお揃いみたいで嬉しかったとかじゃないからっ」

 

「あーうん、了解」

 

 

 一転しおらしくなってしまった蘭。何か今とんでもないことまで吐いた気がするが、ゴニョゴニョしててよく聞こえなかったので適当に流すことにした。

 お互い元いた席に座り直す。

 

 

「それに、昌が心から楽しんでたから」

 

「えっ?俺普段からあんなんだったと思うけど」

 

「ううん、あんな昌は久しぶりに見た」

 

 

 そうなのか、自分のことなのにそんなこと知らなかった。

 いや、自分だからこそかもしれない。傍目八目というべきか。

 

 

「それで今までの昌が戻ってきた感じがして、嬉しくてさ。だから──」

 

「蘭?」

 

「──おかえり、昌」

 

 

 そう言い切って、蘭は慈愛の眼差しを交え満面に喜色を湛えた。

 彼女の想いが一気に入ってきて胸が一杯になるが、それ以上に。

 

 

「蘭の満面の笑顔が見れた…!我が生涯に一片の悔いなし!」

 

「えっ何…ふわぁっ、あああ頭撫でないでっ!勉強するから!もういいでしょ!?」

 

「えー、もう少しくらいいいじゃん。勉強だったら教えるし」

 

「…別にいらないっ」

 

「ぴえん」

 

 

 まぁ、勝手に教えるんですけどね。俺もランチ頼むか。

 

 




 
 昨今の連続投稿でふと気になったので、本作のニーズに関してアンケートで調査させていただきたく。
 よかったら気軽に票を入れていただけるとありがたいです。今後お話を書く際参考にさせていただきます。

 ゆるい日常が優勢となりますと、仮にシリアス要素が入ってきてもかなりマイルドになります。
 翻ってシリアスが優勢だった場合は現状維持か、あるいは頑張ってシリアス要素を増やしていくことになるかと思います。

 作者としましては前者のほうがノリノリで書けるのでこちらのほうが助かりますw


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第18話 春といえば(2)

 
 淡黄様、評価ありがとうございます!
 


「春だ、考査だ!第一回!チキチキ、全国の考査という考査を叩き潰せ〜!」

 

「いえーーーーーーい!!!!!」

 

「あこちゃん…?」

 

 

 音楽祭から数日。俺は狂った。

 そう、中間考査がマジですぐそこに迫ってきているのだ。このくだり前もやらなかったっけ。

 

 別に俺は勉強が苦手ってわけではない。だが栄星のテスト範囲は基本的にトチ狂った広さで、その面積はおよそ東京ドーム0.4個分くらいある。頭おかしいだろ。

 

 

「突然どうしたんですか筑波さん。そもそも高校から勉強をとったら何が残るんですか」

 

「えっ?祭り」

 

「それだったら別に学校じゃなくてもいいでしょう…」

 

「昌太って勉強苦手なの?」

 

「いや、そういうわけでは。ただ、その…範囲が、ね?」

 

「あっ」

 

 

 これだけでリサ姉は察したらしい。さすがの察しの良さである。

 冒頭で俺があげた世迷い言にあこは全面同意、リサ姉は苦笑い、燐子さんと氷川さんは頭痛が痛そうにしてる。

 

 湊さん?路傍にいたネコ撫でながらふにゃふにゃしてるよ。あんな湊さん初めて見たんだけど、めちゃくちゃかわいい。

 あれで隠し通せてると思ってるのもまたかわいい。

 

 

 ちなみになんで俺がRoseliaと一緒にいるかというと、今日が湊さんに呼ばれたその火曜日だから。

 どうせCiRCLEでやるんだろうけど、移動中に何するか聞いたほうが効率いいかと思って早めに合流したらこれである。

 

 俺と湊さん以外のRoseliaはその湊さん待ちで、結構暇だったために発したのが冒頭のアレ。その異常性は理解してるのでもう言わないでください。

 ただそろそろこのままだと話が進まないので、俺が湊さんに声をかけに行く。

 

 

「湊さん湊さん」

 

「ッ!なっ、なにかしら」

 

「じき10分ですけど、そろそろ行かないと時間押しちゃいますよ。名残惜しいですが、どうか」

 

「……………そうね、わかったわ」

 

 

 こころがくるしい。目に見えて湊さんはしょぼんとしてしまった。だがもう予約はとっちゃったし、こうするしかなかったんだ。ごめんなさい湊さん。

 

 

「ごめんなさい、待たせたわね。行きましょう」

 

「気にしてません」

 

「は、はい」

 

「「行こ行こ〜!」」

 

「ニャッ!」

 

 

 おー、俺の頭に乗っかってくんなニャンコよ…ってこいつ丸まって寝やがった!

 

 

「筑波さん、そのネコは…?」

 

「…なんか勝手に頭に乗ってきてそのまま寝やがったんで…まあこのままでもいいかなと」

 

「そう、ですか。本人が気にしてないなら私はいいんですが…それと筑波さん」

 

「はい」

 

「このあと、補習しましょう」

 

「へ?」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 氷川さんに言われて、この練習のあとは彼女とお勉強することになった。余計なこと言わなきゃよかった…と思ったけど役得な気がしてきたのでやっぱりいいです。

 

 ネコに関してはあのあとまりなさんに聞いたら、おとなしそうだし大丈夫だよって言ってた。本当にいろいろと緩いねCiRCLEって。

 

 ん?今何してるかって?

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 湊さんに頭(のネコ)を撫でられてる。

 結局あれからニャンコが俺の頭から降りてくれることもなく、練習中も頭に乗せっぱなしにせざるを得なかったのだが。

 

 ひとつ通しで練習するたびに湊さんが物欲しそうな表情をするので、こうして甘んじて撫でさせているというわけだ。

 ぬこは頭上でにゃふにゃふ言ってる。

 

 

「湊さんってわかりやすいですよね、いろいろと」

 

「…そうかしら?表情は固いほうだと思うのだけど」

 

「表情というかオーラの変わり方がわかりやすすぎますね。背後からでもわかると思いますよ」

 

「普通はわかりませんよそんなの」

 

「うんうん。昌太くらいだよ?そんなところまで気づくの」

 

「え?でもリサ姉も友希那さんのことならなんでもわかるでしょ?」

 

「あったりまえじゃん☆今の友希那は超ご機嫌みたいだね」

 

「全然、隠せてませんよね」

 

 

 ほら見ろ。もう開き直ったほうがいいと思いますよ湊さん。隠そうとしたって可愛いだけだぞ、いじらしくて。

 

 俺の頭に乗っかってるネコは黒くて目が青くて、なんとなく俺に似てる。俺も黒髪で目青っぽいし。

 だから遠くから見たら保護色的なアレで湊さんが俺の頭を直接撫でてるように見えると思う。

 

 

「ほら、ゆーきーなっ!そろそろ練習しよ?」

 

「やっ」

 

「『やっ』って…俺、湊さんはどこまでもストイックな人だと思ってたのに…」

 

「全くです」

 

「氷川さんが言っても説得力皆無じゃないですか?」

 

「何か?」

 

「いえ何も」

 

「あこ……見ちゃったの……紗夜さんが、マ○クですごい勢いでポt」

 

「宇田川さん。後で少しお話があります」

 

「やだああああ!!!!」

 

 

 実はぼくも見ちゃったんだよね。こないだ駅前のマ○クで氷川さんがポテトを前に破顔してるの。

 一瞬誰か分からなかったよ、あまりに普段の雰囲気と違いすぎて。

 

 

「…冗談です。湊さん、そろそろいいでしょう」

 

「わかったわよ。それじゃあもう一度通しでやってみましょう」

 

 

 湊さんがそう言うと、ずっと俺の頭に乗ってたぬこが膝に降りてきた。ただ栄星の制服が黒っぽいせいでこの毛玉がいるのかいないのかがすげえわかりづらい。

 

 その毛玉を撫でくりまわしながら通しで練習するRoseliaを眺める。

 今更だけどなんで俺呼ばれたのかな?ボブは訝しんだ。湊さんだけならまだしも、他のみんなもこの状況に疑問を抱いてないのおかしいだろ。

 

 さっきそれ聞かなかったのかって?ゆきにゃさんのアレで全部飛んだんだよバカ。

 

 

「…ふぅ。今度はいい感じだったけれど…あこ、Bメロは半拍だけ遅く入ってみてちょうだい。そうすればもっと上手くハマるはず…できるかしら?」

 

「はいっ!」

 

「そう、お願い」

 

 

 やっぱ音楽が絡むとそのカリスマ性は健在なんだけどなぁ。にゃんこが絡むと一気にダメになっちゃうねほんと。

 あっ、湊さんがまたこっち来た。とりあえずそれを見た俺は膝上の毛玉を献上しようとして──

 

 俺の頭を直接撫でられた。

 

 

「にゃーっ、にゃん」

 

「あの、湊さん?にゃんこはこっちなんすけど」

 

「にゃっ、にゃふ…あら、本当ね。気づかなかったわ…でもこの撫で心地、ネコと遜色ない。昌太、あなたにゃーんちゃんの素質があるわ」

 

「あってたまるか」

 

「おおっ、友希那ったらダイタ〜ン☆」

 

「そんなこと言ってないで助けてくれません?」

 

「あーっ、あこもしょー兄撫でたーい!」

 

「加担すんな」

 

 

 リサ姉は面白がって助けてくれないし、あこはむしろ乗っかってくるしで四面楚歌だ。助けてくれ。

 このあと燐子さんと氷川さんに救出されるまで、なぜか俺は二人にずっと撫でくりまわされていた。なんでさ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「音楽祭の筑波さんと山吹さんの演奏、拝見させていただきました。素晴らしかったです」

 

「おふッ、マジですか…。ありがとうございます」

 

「あの演奏は技術もそうですが、何より心が籠もっているように感じました。是非とも私も見習いたいところです」

 

「恐縮です…あのそれ以上褒められるとしんでしまいます」

 

 

 カフェテリアからこんばんは、筑波昌太です。

 十分前に練習が終わりまして、今は氷川さんと補習のお時間となっております。氷川さん以外は皆さん帰られました。

 

 先ほどは氷川さんと二人っきりになったと思ったら唐突に褒め殺しにされまして、狼狽えたわたくしは腹を踏まれたワンコみたいな声を出してしまった次第でございます。

 や、押しバンドのギタリストに散々褒め散らかされたらこうなるのも仕方なくない?

 

 ちなみに俺似のぬこは相変わらず俺の頭上でスヤァです。お前野良じゃねえのかよ、降りろ。頭が高いぞぬゃんこよ。

 あっおいちょっとネコパンチやめろ!俺が悪かったから引っ掻くな!痛えわ!

 

 

「そうですか?また今度演奏を聞かせてほしかったのですが」

 

「それは構いませんけど…いうて俺そこまでっすよ」

 

「ご謙遜を」

 

 

 氷川さんは執拗にネコパンチしてくる俺の頭上のぬこをチラチラ見ながらそう言った。

 

 どうやら勉強の他に晩飯もここで済ませるつもりらしく、氷川さんは焼鮭定食を頼んでいた。本当に何屋さんだよここ、頼めばタイヤのゴムみたいなグミとか出てくるんじゃねえかな。

 勉強が長引くかもしれないことを考え、俺もそれに乗っかってミートソースパスタを頼んどいた。

 

 

「…あの。その猫、本当に大丈夫なんですか?さっきから筑波さんを攻撃しているように見えるのですが」

 

「ハハハ、気のせいでしょう」

 

「本当ですか…?」

 

「にゃっ」

 

「ひゃっ…やっぱりこの猫、どことなく筑波さんに似てますよね。かわいい…」

 

「………………」

 

 

 さっきまで散々俺を攻撃してきたぬこは、不意に氷川さんの膝の上に移動してまたウトウトし始めた。そんな毛玉を氷川さんはすごい優しい笑顔を浮かべながら撫でてる。

 クソッ、羨ましいなコイツめ…。あっやべ、健太郎出ちゃった。

 

 というか俺が春特有の陽気で若干眠いのに、ここぞとばかりにウトウトしてんの見せつけるのマジでやめろ。これから勉強するのになおさら眠くなるだろうが。

 

 

「失礼しまーす、こちら焼鮭定食とミートソースパスタでございまーす」

 

「ありがとうございます」

 

「ありがとうございます。出てくるの早…ここって頼めばなんでも出てきそうですよね」

 

「さすがに万物は出せませんよー」

 

「じゃあタイヤみたいなグミあります?」

 

「…」

 

 

 何とか言えや。何でここの人はすぐに黙りこくっちゃうんだよ。

 店員さん(?)はそのまま失礼しまーすって逃げるように離れていった。こりゃ増えたな、CiRCLE七不思議の一。

 

 

「…!ど、どうしてこれが…」

 

「氷川さん?」

 

「い、いえ。何でもありません。何でも…」

 

「???」

 

 

 料理がやってきたと思ったら突然氷川さんの様子がおかしくなった。口では何でもないと取り繕いつつも、彼女の視線は一点に固定されている。

 

 焼鮭定食の内訳は白米、味噌汁、漬物に焼き鮭。そして──

 

 

「…にんじんのきんぴら?」

 

「っ!」

 

 

 あっ、ビクッてした。

 固定された視線、そして彼女のおかしな態度。あの、氷川さん?

 

 

「氷川さん?」

 

「…いえ、断じて違います。私がにんじんが苦手なんてありえません」

 

「そこまで聞いてないです」

 

 

 なるほどね。氷川さんって意外と可愛いとこあるんすね、むしろ安心しました。

 それにしてもにんじん…にんじんかぁ…

 

 

「…風味ですか?」

 

「いえ、別に苦手では」

 

「白状してください。風味ですか?」

 

「…………………はい。特有の匂いが、どうしても…」

 

「そうですか。突然ですが氷川さん、苦手はできるなら克服すべきだと思いませんか?」

 

「…!」

 

 

 俺が唐突に質問を投げかけると、このあとの流れを察したのか氷川さんは涙目で首をブンブン振って拒否してくる。

 こんな氷川さん初めて見た(n回目)。かわいい。正直めっちゃ嗜虐心そそられるけどここは我慢。

 

 

「大丈夫ですよ、無理やり単品で食わせるなんてしませんから。オーソドックスですけど何か別のものと一緒に食べてみましょうや。ほら、このパスタでもいいですし」

 

「…いいんですか?」

 

「俺今はそんなに腹減ってないんで。はい、どうぞ」

 

「……それじゃあ、失礼します」

 

 

 定食のメニューだとにんじんの風味をかき消すには能わないと思い、パスタと一緒に食ってみることを提案した。

 渋々といった様子で氷川さんは俺のパスタに手を伸ばす。気持ちはよくわかる。俺もそのにんじんのきんぴらみたいにトマト山盛りとか出てきたら絶望するもん。

 

 こんな変な状況でも氷川さんみたいな美女は様になってるからズルい。

 

 

「どうですか?」

 

「…くっ」

 

 

 俺がそう聞くと、氷川さんは微妙ににんじんの風味を感じたようで、持っていた箸を叩きつけるように置いてしまった。

 あんまりにもキツそうなので、代わりに氷川さんの隣に移動して俺が箸を持つ。

 

 

「少し、にんじんっぽい味はしましたが。まだ行けます…!」

 

「無理してませんか?アレなら代わりに俺が食べますけど」

 

「いえ、ここで折れては私の矜持に傷がつきます。ここで諦めるつもりはありません」

 

「…そうですか。そこまで言うなら…はいあーん」

 

「──あむっ」

 

 

 流石は氷川さん、こんなときでも自分にはどこまでも厳しい。

 そしてこの後は定食にも(箸は俺が持ってるから俺の采配で)ちょこちょこ手を付けつつ、山盛りあったにんじんを半分食べることに成功した。

 

 氷川さんは机に突っ伏したっきり微動だにしない。気を失ってないか不安になって背中を擦ってみたら、ちゃんと息はしてたから多分大丈夫。

 

 

「本当によく頑張りましたね。後は俺に任せてください」

 

「…はい。後は任せました、筑波さん」

 

 

 今世の別れみたいな文句だが、ただ単に俺が残りのにんじんを肩代わりするだけである。

 

 こうして苦手なものを食べた経験は、後に自信に繋がる。彼女がにんじんを克服する日も恐らくそう遠くはないだろう、多分。知らんけど。そう信じたい。

 

 ところで氷川さんってパンケーキに擦り潰されて入ってるにんじんとか、チキンライスに混じってるにんじんとかは大丈夫なのかな。

 もしまたにんじん嫌いの克服に協力することになったら食べてもらおう。

 

 

「「ご馳走様でした」」

 

「…すみませんでした。お見苦しいところを」

 

「とんでもない、苦手を見て見ぬふりせず受け入れて克服に努めた氷川さんが見苦しいわけ無いでしょう。やっぱりすごいですよ」

 

「いえ、私はそんな出来た人間では」

 

「ご謙遜を」

 

 

 そう言い放って、さっきも見たくだりに思わずお互い笑ってしまう。

 相変わらず自己評価が低いが、間違いなく氷川さんは尊敬に値する人なのだ。やっぱりそんな人が自分を卑下してるの見ると悲しいじゃん?

 

 

「やはり、あなたは私に私自身の可能性を見せてくれますね。本当に感謝しているんですよ?」

 

「そう、なんですか。全くそんなつもりはなかったんですが」

 

「ふふ、そうでしょう。あなたはそういう人でしょうから。だんだんわかってきました」

 

 

 そう言う氷川さんはいつになくニコニコしている。それもさっき毛玉を撫でていたときと勝るとも劣らない。

 あんまりその様子を見ていると見とれてしまいそうなので適当に目線をそらす。

 

 

「さて、そんなすごい筑波さんのために勉強を見てあげましょう。今度の中間考査の範囲を教えてください」

 

「ふぁい」

 

 

 不意打ちがすぎます氷川さん。また変な声漏れちゃったじゃないですか。

 このあとは二時間くらいぶっ続けで勉強を見てもらった。めちゃくちゃ教え方がわかりやすくて非常に助かった。

 これで俺は生きて帰れそうだ、本当にありがとう氷川さん。

 

 

 …ぬこ?また俺の頭に登ってきてからはずっと寝てたよ。マジで頭がたけえぞお前。

 

 

 




 
 アンケートのご協力感謝です。日常編、強。
 アンケを設置してから気づいたんですが、そもそもあらすじが『日常』なんすよね。

 …一応アンケはもう少し置いておくので、引き続きよかったら投票の方を宜しくお願いします。
 


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第19話 髪切ったことを頭切ったっていうヤツ クラスに一人はいる【説】

 
 マ田力様、評価ありがとうございます!
 


「暑いわボケァ!!引っ込めや太陽テメェ!!」

 

「どしたの急に」

 

 

 春です(n回目)。

 

 やっぱり春になるとジワジワと湿度と気温が上がっていって、次第にムカつく気候になってくる。本当にクソがつくほど鬱陶しい。夏とかじっとしてるだけで汗かくの理不尽すぎんだろマジで。

 

 んでそれに合わせて俺は数ヵ月に渡り放置していた髪をバッサリ行ったわけ。5ヵ月くらいは放置してたおかげで大変に伸び放題だった。

 それがまあまあ目にもかかってきていて、たぶん傍から見たらド陰キャだったと思う。その立ち姿は馬糞レベルと言っても過言ではない。いや過言だわボケ、過言すぎて過言の滝になった。

 

 

「あの、俺って馬糞みたいに醜かったりしますかね」

 

「本当にどうしたの…?んー、今までの昌太も良かったけど。今の昌太はより一層カッコよくなったから大丈夫だよ☆」

 

「わっほい」

 

 

 Wow、ウインクかわいい。

 

 まあそれはともかく、デビッド・○ッカムみたいなソフトモヒカンをキメた俺はウルトラスーパーデラックスギガンティック陽キャへの転生を果たしたのだ。

 何というかスゲー頭が涼しいし、視界もクリア。生まれ変わったような気分だ。

 は?別にハゲとらんわ。ソフトモヒカンつっとるやろ。

 

 

 もう察しはついてるかもしれんけど、なぜか今俺は制服姿のリサ姉と一緒に駅前にいる。

 

 個人的にリサ姉っていつも湊さんと一緒にいるイメージがあるから、単独行動してるとこに出くわしたときは目を剥いた。

 さっきは案の定俺が何を思ったのかバレ、ジト目のリサ姉に「今何か失礼なこと考えなかった〜?」って言われながら肋骨の溝ツツーッってやられて変な声を出してしまったのだがそれはそれとして。

 

 

「リサ姉は買い物にでも来たんです?」

 

「そうそう。本当は友希那も引っ張ってきたかったんだけど…」

 

「予定が合わなかったと」

 

「そそ。すごい残念そうにしてたなぁ…」

 

「なんか想像つきますね」

 

「でもちょっと前の友希那はあんな反応してくれなかったし、嬉しくもあったんだよね〜。あはは、変だよね?断られたのに嬉しいって」

 

「えっ、あの湊さんが?」

 

「あれっ、言ってなかったっけ」

 

 

 そもそもRoseliaの過去の事情はよく知らない。俺が知り合った頃にはもうほとんど終わってたし。

 こないだのアレといい湊さんは表情が固いのに表情豊かとかいう不思議な人ってイメージがついてしまったのだが。

 

 意外そうに問うたリサ姉にとりあえず首肯しておく。

 

 

「そっか。友希那はね、こないだまでは『歌しかない』って言うくらいにはボーカルに固執してたんだ」

 

「…へぇ?」

 

「意外って顔してるね〜?でも本当だよ。歌以外には興味がなくて、全部を冷たくあしらってたの。…アタシもね」

 

「…」

 

 

 嘘だろ、全く想像つか…なくはないか。この間もそうだが、少なくとも音楽に関して湊さんは寸分の妥協も許さない。

 それを考えると今の彼女はめちゃくちゃ丸くなってたんだな。

 

 かつては目標に関してひどく揺れていたようだし、少なからずそれが関係していそうではあるが。

 今更それを聞いたところでどうにもならんし、傷口を抉ることにもなりかねんからな。俺でもそこまで踏みこもうとは思わない。

 

 

「でも最近の友希那は昔みたいに丸くなって、余裕ができてきたんだ。誰かさんのおかげでね」

 

「…そうなんですか。猫と戯れてるときとかもはや別人じゃないですかアレ」

 

「あはは、かもね。でも可愛いでしょ?」

 

「普段の湊さんしか知らない人からすりゃヤバいとおもいます」

 

「でしょ〜?ほら、この写真とか。ほっぺ緩みまくっててすごい可愛いん──あっ昌太、ネクタイ緩んでるよ」

 

「えっ、おぉ…ありがとうございます」

 

「いいのいいの☆…んんー、形崩れちゃうなあ。ごめん、ちょっと結び直すね」

 

 

 目ざとく制服のネクタイが緩んでいることに気付いたリサ姉は、俺に対面して綺麗にネクタイを結び直してくれた。

 これ距離が近いな、フワッとシトラス系のいい匂いがした。

 

 一応ここ駅前のど真ん中だし、リサ姉美少女だし、嫉妬の目線の一つや二つ飛んでくるかと思ったけど思ってたより生ぬるい。

 前も言った気がするけど違うんです。

 

 

 初対面のときからなんとなく感じてはいたが、やっぱりリサ姉はバリバリに人がいい。

 こうしてなんの打算もなく人に気遣いできるあたり、もしかしたら俺と波長が合う人なんじゃないかなと思ってる。

 

 容姿だけで言うならファッショナブルな美少女、所謂「ギャル」というやつだが。聞くところによると手先は器用だし、家事も万能とかいう超家庭的な人らしい。

 このコミュ力や気回しの上手さもあって隙がない。Roseliaにこの人いなかったらヤバかったんじゃないかな…。

 

 

「つーかエラい慣れてますね。他人のネクタイ結ぶのって感覚違ってくると思うんすけど」

 

「あー、これは友希那のをいつも結んでるから…」

 

「は?マジすか。えぇー…」

 

「…友希那って音楽以外のことになると結構お茶目さんなんだよね」

 

 

 そのお茶目さんって「ユニークな部屋だね(笑)」みたいなもんですよね。波風立てずにやり過ごしたいときの「ユニークですね(笑)」とニュアンス同じですよね。ね?

 

 いや、普段のポンコツさを相殺できるレベルで音楽におけるカリスマ性がすごいんだ。そういうことにしておこう。ポジティブシンキングで心を整える(長○部)。

 

 目下でふわふわなびくリサ姉の髪を眺める。油っ気もなく、つやつやと流れるさまはまさしく絹糸のようだった。

 くるくると巻かれた綺麗な髪を見て、ふと気になる。

 

 

「はい、オッケー☆バッチリだよ」

 

「ありがとうございます。気になったんですけど、女の人って髪切るんすか」

 

「ん?そうだねえ…二ヶ月に一回くらいかな?ほら、やっぱり毛先はどうしても傷んじゃうからさ。一回傷むと戻らないし、その辺はちょくちょく切らないとね」

 

「ほー…聞いたことはあったんすけど、やっぱりその綺麗な髪を維持するのも大変なんですね」

 

「あはは、ありがと☆洗うときのシャンプーとかトリートメントとかもそうだけど、水気を飛ばすときもいろいろ気を使うからねー。日焼けもするし、女の子は大変だよ」

 

「…俺男で良かったですわ。そこまでできる気がしませんもん」

 

「昌太は特に何もしてないの?」

 

「全然ですね。シャンプーとか適当ですし、日焼けとかも放置してます」

 

「そうなんだ…。でも髪なんかはそんなにゴワゴワしてる感じないんだけど…髪質かなぁ…」

 

 

 俺が何もしてないと言うとリサ姉がブツブツ独り言を始めてしまった。なんなのか知らないけど側頭部サワサワするのやめてください、くすぐったいです。

 とりあえず話題を変えるためこのあとの予定を聞くことにする。

 

 

「このあとって予定あります?俺本屋にでも行こうかと思ってるんですけど」

 

「んっ?あぁ、いいよ☆参考書とか買うの?」

 

「そうですね、進行ペースが本当に頭おかしいんで…」

 

 

 このへんの本屋つったら前に初めて香澄を見かけたあそこか。アレ駅前界隈の店だしちょうどいいわ。まぁそのために駅前来たんだけど。

 あれこれ考えているとリサ姉が唐突に声を上げた。

 

 

「あっ、友希那〜!」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 薄暮、というよりはもう夜。わずかに日光の残滓が見えるがほとんど落ちてしまい、ジワジワと気温が下がってきた。

 春になり気温が上がってきたとはいえ、夜になるとまだまだ肌寒い。寒気を感じ少し腕を擦る。

 これならブレザーを家に置いてくるんじゃなかった。昼に少し汗をかいてしまったためなおさら肌寒い。

 

 

「…くちゅんっ」

 

「湊さん?寒いんすか?ほらこれ着てちゃんと暖かくしといてくださいよ、この時期気温差激しくて風邪引きやすいんですから」

 

「そうだよ〜?それにボーカリストにとって喉は資本なんでしょ?ほらこれ飲んで身体温めなよ☆」

 

「………わかってるわよ。ありがとう」

 

 

 ──さっきからこれである。まるでリサがもう一人増えたような気分ね。別に心配するほどでもないのに…。

 

 放課後私はリサに買い物に行かないかと誘われたのだが、今日はすでにスタジオの予約を取ってしまっていたため断腸の思いで断った。

 そのときのリサの残念そうな顔がどうしても頭から離れなくて、練習を終えてからすぐにリサに合流しようと駅前に来たのだけど。

 

 私が見たのは、たまたま会ったらしい昌太と何やら話し込んでいるところだった。聞くと二人は本屋に行こうとしていたらしい。

 もちろんそれに私は同行して、今はその帰り。昌太は私たちを送っていってくれるらしい。本当に世話焼きね。

 

 

「私は大丈夫よ。そこまで心配されるほどじゃない」

 

「いや、風邪ってマジで怖いんですよ?今は健康体でもいつ表に出てくるかわからんし、人間なら誰もが罹るヤバい病気なんです。油断してたら足もと掬われますよ」

 

「うんうん。というか友希那、今日ブレザー着てたよね?」

 

「…家に置いてきたわ」

 

 

 確かに音楽以外のこととなると私はどこか抜けている。それは否定しない。

 しかしこれは流石に過保護すぎやしないだろうか。まるで要介護者を扱っているかのようだ。

 両隣にリサと昌太がいて、ことあるごとに世話を焼かれる経験、あなたにはあるかしら?私にはある、現在進行形で。

 

 ブレザーを家に置いてきてしまった私は、昌太の着ていたブレザーを羽織っている。私のと比べてもやっぱり大っきい。

 

 

「薄々感じてはいたけど、やっぱりあなたたち息ピッタリね。世話焼き同士相性がいいのかしら」

 

「それはないっすよ」

「それはないよ」

 

「…ほら」

 

「え?いやそもそも俺世話焼きでもないですし、それならリサ姉のほうがよっぽど気回るでしょ」

 

「そう?さっきのブレザー渡すのとかすごい自然だったけどなー。そもそもアタシは人の悩みなんてそんな綺麗に解決できないし。それで一体どれだけの娘を落としてきたのかなー?んー?」

 

「いやいやいや、それこそありえないっすよ」

「いやいやいや」

 

「……」

 

 

 …隙がなくて全然話に入れない。

 傍から見てれば二人が世話焼きで、相性がいいことなんてすぐわかる。岡目八目ってやつかしら。

 

 リサは基本的に人当たりがいいが、ここまで息ピッタリな相手は私でも見たことがない。今だってすごくニヨニヨしている、とても楽しそうだ。なんとなく嫉妬しちゃうわね。

 

 

「まぁ確かにウマが合う気はしますね。世話焼きではないですけど」

 

「うん、それは同感かな。でも昌太は世話焼きだよ、誰がどう見ても」

 

「は?いやリサ姉のほうが」

 

「それに関してはひとまず置いておきましょう。安心して、二人とも世話焼きよ」

 

「「いや違う」」

 

 

 なんでそんな頑なに認めないのかしら…。別に悪い意味ではないはずなのだけど。

 そんな二人の様子に少し首を傾げながら、ふとずっと感じていた違和感に気づいた。

 

 

「…今更だけど髪切ったのね、昌太。いろいろあって言い損ねてたわ」

 

「本当に今更ですね」

 

「スッキリしたよねー。アタシ的には短髪のほうがサッパリしてて好きかなー☆」

 

「髪?髪ですよね?髪の話ですよね?」

 

「ん〜??今どう思ったのかな〜?お姉ちゃんに話してごらん☆」

 

「え、嫌だ。嫌ですけどツンツンするのやめてください」

 

 

 …またじゃれ合い始めた。本当に知り合って一ヶ月くらいなのよね?私とそう変わらないはずよね?

 それなのにやたら距離が近いのは何なのかしら。お互い初見であそこまで距離を縮めに行ける性格ではないはずだと思っていたのだが。

 

 昌太はわからないが、リサは誰とでも話せるくらいのコミュ力はあっても流石にそこまでパーソナルスペースが狭いわけではない。よほど相性がいいのだろう。

 

 

「んん〜〜??」

 

「あの」

 

「…」

 

「ニコニコしてても可愛いだけですよ」

 

「んむっ!?なっ、何おうっ」

 

「ウェ〜イ意趣返し〜」

 

「む〜〜っ!!」

 

「あぁだっ痛え!痛えですちょっと鳩尾入ったッ!すいませんすいません!」

 

 

 やり取りを傍観していると、攻守が逆転して今度はリサがいじられ始めた。

 せっかくだし私も乗っておこうかしら。ずっと放っておかれてちょっとむくれてるとかではない。嫉妬でもない、決して。

 

 

「気づくのが遅いわよ、昌太」

 

「…友希那?」

 

「リサが可愛いなんて、周知の事実じゃない」

 

「ゆーきーなー!」

 

「ぶわっはは、違いない」

 

 

 ドヤ顔でそう言い放つと、元々赤かったリサの顔が更に紅潮した。ふふっ、トマトみたいね。

 こんな軽口の応酬なんていつぶりかしら。普段の私じゃ考えられないことだけど、さっきはごく自然にイジることができた。

 慣れないけれど、なんとなくこういうのも悪くないと感じる。

 

 

「はー、笑った。ところで湊さんって髪切るんですか?」

 

「私?そうね、気になったときに少し。と言っても特に私自身身だしなみに頓着していないし、本当に稀なことね」

 

「…頓着していない?マジで言ってる?」

 

「聞き捨てならないわね。それはどういうことかしら」

 

「えっ、聞こえて──いや、その割に普段の身だしなみのセンスいいなぁと」

 

「…そう。いつもの装いはただの好みだし、たまたまだわ」

 

「友希那は基本的に何を着ても絵になるからねー。羨ましいよ…」

 

「それはリサだって同じでしょう」

「それはリサ姉だって同じでしょ」

 

「うぐっ…またそうやって…っ」

 

 

 不意打ちを食らったリサは、また紅潮した顔を両手で覆い隠す。…初心ね。私が言えたことではないけれど。

 

 新学期に入ってから、リサは「もっと女の子らしさを磨け」と言って身だしなみに関するあれこれを強く推してくるようになった。

 元からその奔流はあったけれど、私が自分自身を見つめ直してからは特にそれが増えた形ね。

 

 今でも頓着のなさは変わらない。流石に清潔感くらいは気にしているが、それだけである。

 それでもリサに言われるがままにアクセサリーなんかを吟味するのは、意外と楽しかったりする。こんな私にも女の子らしい一面があったんだと少し安心したのは内緒よ。

 

 

「友希那、ちゃんとトリートメントとかコンディショナーとかつけてる?サボってないよね?」

 

「……………やってるわよ」

 

「「ダウト」」

 

「えっ、てかお手入れあんましてないのにそれって…。湊さんってメチャクチャ髪質よくないですか?チートじゃないですかそれ」

 

「本当だよ〜。これでちゃんとお手入れしたら鬼に金棒だと思うんだけどなぁ…」

 

 

 これ、遠回しに「髪が綺麗だ」って言われてるのよね…。

 容姿に特に拘りがないとはいえ、ストレートに褒められては流石に私も恥ずかしい。少し顔が赤くなっているかもしれない。

 

 お手入れをちょくちょくやらないのは、単に面倒だからというわけではない。断じてない。

 リサに言われて身だしなみに気を使い始めてから、妙に街中で見ず知らずの男に声をかけられる回数が増えたのだ。いわゆるナンパ。

 

 あしらうこと自体は簡単なことだけど、声をかけられるというだけでも割とストレスだし、おまけに歯が浮くような台詞を並べ立てられるのだから堪らない。

 かつては「孤高の歌姫」という二つ名が先行していたおかげかそんなことはなかったのだが、何故か最近はそれも薄れてきたらしい。

 

 そんなこともあって、男に褒められても大抵は少なからず不快な気分になってしまうのだ。

 …そう考えると、さっき昌太に褒められたときに何とも思わないどころか恥ずかしくなったのは不思議ね。なぜかしら。

 

 

「おー、湊さんが赤面してる。可愛い」

 

「うるさい」

 

「Oops」

 

 

 というか今の私、昌太のブレザーを着てるのよね…。

 …そう考えると更に恥ずかしく──っ!ブレザーの香りが鋭敏にっ…考えるな、考えちゃダメ!

 

 

「…」

 

「ありゃ、ブレザーで顔隠しちゃった。こんな友希那初めて見た」

 

「えぇ…突然どうしたんですか湊さん」

 

「話しかけないで」

 

「Oops」

 

「ふふっ。友希那かわいー…あっ、そろそろ家だよ」

 

 

 チラッと隙間から外を覗くと、確かに家だ。今更だがリサと私の家は隣同士で、幼い頃から付き合いがあった。

 だからお互いがお互いのことをよく知っている。

 

 家の前に来たところで、リサは先に家に入るようだ。私と昌太に言う。

 

 

「それじゃアタシはお先に。送ってくれてありがとねっ、昌太☆帰りは気をつけるんだよ?」

 

「言われなくてもわかってますよ。それでは」

 

「ん。友希那、また明日ね」

 

「えぇ、また明日」

 

 

 リサが帰宅し、今は私と昌太だけ。

 正直今昌太とサシで話すのは恥ずかしいけれど、このブレザーの感謝はしないといけない。

 …普段ならここまで狼狽しないのに。本当にどうしたのだろう。

 

 

「…昌太。これ、ありがとう。助かったわ」

 

「いえ、役に立ったんなら何より」

 

 

 そう言いながら、彼は目の前でブレザーを羽織った。

 至極当たり前な動作のはずなのに、やっぱり恥ずかしい。何でって…今の彼のブレザーには、私の匂いが…

 

 

「それじゃ、俺はこれで。失礼します」

 

「…っ!え、えぇ。また今度」

 

 

 柄にもなくビクッとしてしまった。当然世話焼きな彼にはバレていて、苦笑しながらも会釈をして去っていく。

 

 ふと、さっきまでのリサと昌太のやり取りを思い出す。会話には私も参加していたが、昌太とはリサほど距離は近くなかった。

 それがなんとなくもどかしくて、つい私は昌太を呼び止めてしまった。

 

 

「ちょっと待って」

 

「? はい」

 

「…名前よ」

 

「名前…?なんです?」

 

「私のことは、名前で呼びなさい」

 

「えっ」

 

 

 彼はリサをリサ姉と呼び、リサは昌太と名前呼び。後者に関しては私も同じだが、彼からの私の呼び方だけは名字だ。

 …別に寂しかったわけではない。ただの気まぐれだ。そう、気まぐれ。

 

 

「…なんですか、寂しかったんですか」

 

「なっ…!別に、気まぐれよ」

 

「冗談ですよ。それじゃあ()()()()()、また今度」

 

「…!えぇ、また」

 

 

 筑波昌太。やっぱり彼は、不思議だ。

 私はその背中が見えなくなるまで、ボーッと後ろ姿を見つめていた。

 

 




 
 まずは、知らないうちにお気に入り400件突破していました。ありがとうございます。

 そしてしれっとアンケを締め切りました。ご協力ありがとうございました。日常、強。
 これからはなるべく緩く、マイルドに行こうと思います。よろしければお付き合いください。

 よく考えたらおかしいところがあったのでサイレント修正しました。脊髄執筆するにはまだ早かった。
 


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第20話 遅起きは最悪の場合死に至る

 
 引っ張りに引っ張ってきた考査回です。展開おっそ。
 先日までに感想でしていただいた提案はもう少しだけお待ちください。私は約束は守るタイプです、信じてください。
 


「あー、数百年ぶりに目覚めたわ」

 

「冷凍保存か?霜降り肉じゃん、ウヒャヒャ」

 

「今のが深夜テンションの脊髄トークなのはわかったけど、霜降ってるのが微妙に食う気満々で嫌だ」

 

 

 健太郎が壊れてウヒャヒャとか言い出した。修理に出すか。

 という冗談はさておき、今日はみんなに恨まれてる可哀想な月曜日。

 中間考査を先週にひととおり済ませ、今日答案が3分の1くらい返却されたところだ。

 

 さっきはHRをやってたんだけど、昨晩ガッツリ夜ふかししちゃったおかげでメチャクチャ眠くて仕方無しにちょっと寝てた。

 んで寝起きに適当なこと言ったらその上を行くくらいに適当なこと言われた。こいつは徹夜明けらしい。寝ろ。

 

 

 この栄星という高校は、毎回の考査ごとに過去のものや今回のもの問わず珍回答を発表する謎の慣習があるらしい。

 

 流石に名前は伏せられるが、もちろん珍回答をした本人には伝わるためひっそりと恥をかかされることになる。

 そのため、この意味不明な慣習が赤点に対する抑止力として働いているという意味不明な因果が成立しているのだ。

 

 というか今回の日本史で杉田玄白のこと潜性遺伝って書いたの誰だよ。大声で笑っちまったじゃねえか。

 杉田玄白をしわで認識するのはいろいろと雑。もっとこう、あるだろ!

 

 

「チッ、蚊ァうぜえな。殺すか」

 

「血の気多すぎんだろ。お前も寝ればよかったのに」

 

「俺思うんだけどさ、ずっと前の人類はこんなカスみたいな虫とかいちいち気にしてなかったわけじゃん?」

 

「聞いてる?てかカスみたいて。まあそうかもな」

 

「そうなると蚊からしてみたら『最近の人類やけに過敏じゃね?』とか思ってるはずじゃん?」

 

「いやまず蚊にそんな思考回路はないし、あったとしても類人猿の時代から生きてる蚊がいねえよ」

 

「フハハ」

 

「ごまかすな」

 

 

 脊髄トークやべぇ。推定約500万歳の蚊とか嫌だわ普通に。

 古代生物ってサイズでかいがちだし、もしいたらプテラノドンくらいでかくなってそうだな。

 そんなバケモンに血吸われたらしわっしわになるだろ。杉田玄白みたいに。

 

 

「昌太ここまでどうよ?」

 

「あん?数Ⅰでケアレ・スミスやらかしてブチ切れた以外はまずまずだな」

 

「マジかよ。答案見せろ」

 

「ほらよ」

 

「は?87点じゃん。え、化け物?何お前」

 

「そんなか…?健太郎はどうだったんだよそんじゃあ」

 

「俺はこんなんだったわ。まあ平均超えてるしいいかなって」

 

「ほー…」

 

 

 正直あのトチ狂ったテスト範囲で平均超えしてんなら上出来だと思う。わかってたけど流石に馬鹿じゃねえなこいつも。

 

 そうして渡してきた数Ⅰ、日本史、地理の答案。

 日本史の答案を見ると、「杉田玄白」が答えとなるところに堂々と「潜性遺伝」と書いてあった。いやお前かよ、馬鹿どころか天才じゃん。

 

 

「お前この後暇?」

 

「いや、バイト」

 

「ふーん、凸るわ」

 

「やだよ帰れ。寝ろや」

 

「受け入れないとお前の胃を絞るぞ」

 

「何その…何?とにかくとっとと帰って寝ろや」

 

「じゃあ杉田玄白を絞るぞ」

 

「それだと特段俺に害ないんだけど?脅しになってないんだけど?」

 

 

 うわぁ、徹夜明けのヤツマジで話通じねぇ。いま自分が脊髄に従って活動してるの分かってないんだろうなあ…。

 この後健太郎を寮に押し込んだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 放課後。今はCiRCLEでバイトに入るためいろいろ準備しているところだ。

 準備つってもロッカーに荷物放り込んでブレザー脱いでクロムグリーンのエプロンつけるだけなんだけども。

 いやすっげえ楽。あと今日はCiRCLEで貸出してる楽器の手入れとかするだけだからすっげえ楽。テスト明けということもあって配慮してくれたらしい、ありがたい。

 

 とっととスタッフルームを出て、適当なギターを引っ張り出す。俺も大概テンションがおかしいらしく、変な独り言を漏らしながら手入れを進めた。

 

 

「ハァ〜ン、弦がボロッカスじゃねえかよ〜ん…」

 

「終わったあああああ!!!!!」

 

「うるせえ!!!!!」

 

 

 新しく巻いた弦の余りをチョン切ろうとしたら、唐突にバカでけえ声が聞こえて危うく指をチョン切りかけた。

 おい戸山香澄、何が終わったのかは知らんけどこんなとこで叫ぶな。ここフロントだぞ。

 

 

「昌太くん、今日はバイトなんだ!よろしく!」

 

「あいよ。あれ?てか香澄、いつもの猫耳は?」

 

「だから星だってば〜!朝寝坊しちゃってセットしてる暇なくて…えへへ」

 

「Bluetooth、お前もか…。なんか全然雰囲気違うなお前、ちょっと大人っぽく見える」

 

「ほんとー!?それみんなにも言われた!」

 

「ああ、だがさっきの言動で台無しだ」

 

「えぇーっ!?」

 

 

 相変わらずリアクションでかいなぁ。ちょっと話しただけで香澄の表情10個くらい見た気がする。

 ちょっと話したあとの彼女は黙って俺がギターをいじってるとこを見ているが、なんかむず痒い。普通によくある光景のはずなんだけど、猫耳がないだけでこうも違うのか。

 

 

「…てか、何が終わったって?」

 

「花女は今日が中間考査最終日だったんだよ」

 

「有咲か。俺らは今日からテスト返しなんだが、ちょっと遅いんだな」

 

「らしいな。だから多分それのことだと思うんだけど、こいつの場合は…」

 

「…えっ、ダブルミーニング?」

 

「かもな…まぁ私たちもちゃんと見てはいたし、あとは祈るしかないな」

 

「???」

 

「何もわかってねえみたいな表情してますけど」

 

「……」

 

 

 有咲マジでお疲れ、今度撫でてあげよう。どんな反応するかな。香澄もなんか撫でてほしそうにしてるけど無視する。ワンコかお前は。

 バンドやるにあたって成績悪いのって死活問題じゃないのか、知らんけど。

 

 

「有咲、まだ時間あるか?」

 

「ん?今日は30分くらい早く来ちゃったから待つつもりだけど」

 

「そか、じゃあ香澄。よかったらそのランダムスターもメンテしちゃうけど」

 

「ほんと?やってやって!」

 

 

 楽器に限らず道具のメンテは地味で億劫だって人は割といる。俺もたまにチャリのメンテ面倒になることあるし。チェーンの油引きなおすのとかあんまりやりたくないわ。

 

 

 最近カウンターそばに設置された、L字型のソファの直角になってるあたりに座って作業し始める。二人は適当に横並びになって座ってる。香澄、あんま近寄るな。ヘッド当たんぞ。

 

 とりあえず弦を取って、いつも引っ掴んでるネックのところをオイルつけたクロスでさらっと拭いてみた。

 …が、キレイすぎてワロタ。普段からここまでキレイにしてるならやることないじゃん俺。

 

 ランダムスターに一目惚れしたと言っても過言ではない出会いを果たした香澄、めっちゃギター大事にしてるわ。ちょっとニヤつくじゃん。

 

 

「えっ、今俺拭いたよね。クロス真っ白のままだが?」

 

「普段から調べながらいろいろやってるからね!」

 

「偉っ…おい有咲、ギターめちゃくちゃ大事にされてるぞ。良かったな、やっぱお前の目に狂いはなかった」

 

「んにゅっ、そそそそうかよ…ニヤニヤすんな!」

 

 

 不意打ちを食らった有咲は変な鳴き声を上げてそっぽを向いてしまった。

 気持ちはよくわかる。人からもらったものを大切にするってさ、つまりそれはくれた人のことも大切にしてるってことじゃん。うわぁ尊い(早口)。たぶん有咲もそれを察したんだろうな。

 

 指板がこんなに綺麗ならフレットでも磨いとこうかな。フレットって指板と弦の間にある金属のアレね。

 

 ネックにマステを巻きながら、今日まであったらしい中間考査の話をする。

 

 

「香澄は大丈夫だったのか、考査。俺全然見てやれなかったけど」

 

「んー、わかんないけど…たぶん大丈夫!」

 

「大丈夫じゃねえだろそれ」

 

「私も香澄の問題用紙見たんだけど…まぁ…」

 

「反応わるわる〜。あんまり成績悪いんじゃバンドにも影響出るんじゃねえか、今回悪かったら頑張れよ」

 

「うっ…頑張ります」

 

「…香澄、居残りで作ってた家庭科の課題すっぽかしてギター弾いてたの忘れてないからな」

 

「ひゃい」

 

「えぇ…(困惑)」

 

 

 …うん。本当にギター好きなんすね。大丈夫、引いてないから。流石にそこまで来るとやべぇだろとか思ってないから、ホントホント。

 ん?弾いてるのはギターだろって?うるせえよ。

 

 

「おっ、何の話〜?混ぜて混ぜて♪」

 

「もしかしてテストか?アタシらも今日だったんだよ」

 

「む、あんま見ない組み合わせだな」

 

「そのへんでたまたまね。元々商店街つながりで絡みはあったよ?」

 

「えっ、知らんかった」

 

「さーや、巴ちゃん!こんにちは」

 

 

 作業してたらドラマーの二人が横に座ってきた。俺の隣に沙綾、さらに横に巴がいる。

 まぁ普通に考えたらそうか。あの商店街顔見知りばっかだし、共同体としての意識もよそに比べたら高いからなぁ。なんで知らなかったんだか…。

 

 

「あれ、香澄…いつもの猫耳は?」

 

「星だってばーー!!!!」

 

「寝坊したんだってさ。俺もさっき聞いたわそれ」

 

「…そうなのか。ウチも今朝あこが危なくてさ、髪梳かすの大変だったんだよな。あこってくせっ毛だし」

 

「えー、起床事故起こしてる人多くねえ?俺も昨晩夜ふかししたせいで今朝寝ぼけてチャリ置いて高校行っちゃったんだけど」

 

「大丈夫なのかよそんな状態でバイトして…」

 

「案ずるな有咲、俺は生きてる」

 

「生死の心配はもとからしてねえよ」

 

「また夜ふかししたの〜?ちゃんと寝なきゃダメだよ?」

 

「ハイ」

 

 

 沙綾に久々にメッってされた、ウェへへ。

 ちなみに徹夜すると人は死ぬ、これはマジです。だってさっき傀儡みたいなヤツおったからな。諏訪健太郎っていうんですけど…知らんか、ハハハ。

 俺は4時間くらいは寝れないと昼間の意識がなくなるが、貴様は?

 

 

「巴ちゃん、羽丘も今日考査終わったの?花女も今日だったんだけど」

 

「ああ。ひまりが猛烈に唸り声上げてたな」

 

「…やっぱりどのバンドも得意不得意って如実に現れるんだな」

 

「あいつ…いやでもアフグロは俺も勉強見とったけど結構行けそうじゃなかったか?案ずるほどでもなくね?」

 

「羽丘は数Aの難易度設定を間違えたらしくてな…激ムズでたぶん平均点もかなり下がると思うけど、ひまりはそれを知らないっぽくてひどく狼狽してた」

 

「巴はそのことは言ったの?」

 

「いや、面白そうだから言ってない」

 

「やっぱたまに巴いい性格してるよな」

 

「何というか…幼馴染ってこんな感じなのか…?」

 

 

 こんな感じです。アフグロ内ではひまりがいじられる構図はよく見られる。だいたいモカのせい。

 ただそうなると唸ってたひまりもなんだかんだ出来たってことなんだろうな。良かったなひまり。

 

 

「蘭は?今回かなり勉強してるっぽかったけど」

 

「蘭ちゃん?店にもいつもに増して入り浸ってただけあって手応えあったみたいだよ」

 

「でやぁぁい!!ってつぐか…びっくりした」

 

「ひゃっ…ご、ごめんね?そんなに驚くなんて」

 

「…いや、俺もごめん」

 

「どっちかっていうと昌太の叫び声にびっくりしたよ」

 

「アタシも」

 

「サーセン!!!!!」

 

 

 弁明させてもらうと、マステ巻く動作って単調だからついのめり込んじゃうんだよね。そんで今しがた来たらしいつぐの声が背後からしたら…まぁ、ビビるじゃん?

 えっ俺だけ?いや座ってる俺らに合わせて少し腰落としてたおかげで耳元でしたんだよ、つぐの声が。普通死ぬだろ?

 

 

「さっきも似たような状況で指切りかけたし…マジで反省してる」

 

「いやどういう状況なのそれ。昌太さっきなんかやってたっけ?」

 

「沙綾が来る前だから見てないだろうけど弦の張り替えしててさ。んでさっきみたいにビビって弦の余りの代わりに指チョン切りかけた」

 

「切るって裂傷とかじゃなくてマジの切断かよ。怖え…」

 

「あーうん。そのへんはオージャポナイズムズカシイネーって感じっすね」

 

「何言ってんだ?」

 

 

 やっぱもっと寝ときゃよかったわ。口を開かば深夜テンション。帰れ。

 いい加減マステも巻き終えたので、研磨液をつけたクロスでフレットを磨く。これと指板、ボディ拭きだけでもいろいろと長持ちするようになるんすわ。

 ボディは余裕あったら後でやろうと思ってるけど、指板メチャクチャ綺麗だった時点でやらなくても良さそうではある。そしたら弦磨きか。

 

 …さっきから香澄が静かだと思ったら、また俺の手元をじーっと見てる。いや恥ず…うわ雑だな死ねやとか思われてないといいけど。

 あ、でもすげえ目キラキラしてるし大丈夫だこれ。

 

 

「そうか…蘭勉強頑張ってたしきちんと報われてほしいなー」

 

「そんなに頑張ってたのか、蘭ちゃん」

 

「…有咲がちゃん付けで呼ぶの可愛いな」

 

「なっ…うっ、うるせー!」

 

「昌太くん…?」

 

「えっつぐ?いや今のは…何でもないです」

 

「…むぅ。いいけどさ」

 

 

 ヤベ、よくわかんねえけど地雷原に足突っ込んだっぽい。

 ちょうど俺の近くの背もたれにしなだれかかってるつぐからの圧がヤバかった。アレは熱エネルギーに変換したら焼け死ぬレベル。

 

 

「まあ、あれだけ頑張ってた蘭が手応え掴めてるんならぼくはうれしいです」

 

「…あたしがどうしたの?」

 

「ぐっ…!…おう、蘭か」

 

「今もちょっとびっくりしてたよね」

 

「「してたな」」

 

「うるさいよそこ!」

 

 

 思ったんだけどさ、今来た蘭含めると周りに6人も女の子いるんだよね。何、俺死ぬの?駄弁りながらギターのメンテしてるだけなんだけど俺。理不尽すぎないか?

 

 

「勘違いしないでほしいんだが、俺はビックリ系のホラゲは耐性あるからな」

 

「何の意地の張り合いしてるの…あれ?っていうか香澄…」

 

「寝坊したんだって。今朝教室にスライディングしてたよ」

 

「この(くだり)何回目?っていうかそれ入学式のときの俺じゃん」

 

「昌太くんは…ヘッドスライディング、だっけ?痛くなかったの…?」

 

「それ言ったっけ…いや、意外とそうでもなかった」

 

「こないだ花音さんがつぐんちで言ってたぞ」

 

「あーなるほどね。そりゃ言ったわ」

 

「すごーい!綺麗になってる!」

 

「香澄は話の流れをぶった切らないでくれ」

 

 

 すごい綺麗にチョン切ったね今。綺麗に。

 しかし実際拭いてみるとエグいくらいに光沢が出てくるし、はしゃぐ気持ちもわからんではない。ただタイミングがいいけど悪い。

 

 

「そういえば昌太がギターのお手入れしてるの久しぶりに見たかもなー」

 

「私はそもそも弾いてるとこすらそんなに見たことないんだけど…昌太はもっと人前で弾こうとかないのか?」

 

「えー…まぁやってみてもいいかなぁとは思うけど。ただ単純にそんな場がない」

 

「…ソロだとこの辺はかなり、というかないかも。みんなバンドやってるし…でももしやるならまたギタボやって」

 

「それはー…まぁ前向きに検討するってことで」

 

 

 よし、フレット磨き終わった。とりあえずマステ引っぺがしてと…。

 次はボディ…ハハッ、クロスに汚れ一つつかねぇ。何だこれ。まあ予想はしてたけど…もうすることないし弦磨くわ、うん。

 

 

「テストで思い出したんだけど、栄星って考査ごとに場合によっちゃ恥かくよくわからん慣習あるんだよね」

 

「…なんなんだ?」

 

「珍回答かますと開示される。名前は伏せられるけど」

 

「うへぇ…それは怖いなぁ。ちなみに何があったの?」

 

「バビロン捕囚をパブロン捕囚とかパブロ捕囚とかって。頭痛が痛いみたいな感じだった」

 

「パブロンはまだしもパブロはゲームやりすぎだろ」

 

 

 スプ○トゥーンね。あれシャケに殺されるイメージしかないわ。もっと「塗るゲーム」とかいろいろあるだろうけど、一番印象強いのはシャケ。なぜなのか。

 てか有咲知ってるのねそれ。もしかしてやってる?

 

 

「ちなみに俺は何故かE.T.をE.T.C.と書き間違えた」

 

「ふっ、ふふふっ…E、T…ちょっと待って」

 

「何それズルくない?開示された?」

 

「当たり前でしょ…」

 

 

 蘭がツボった。この娘普段はクールだけど一回ゲラるとなかなか抜け出せないから、たぶん今回もしばらく戦闘不能になる。耐えろ、耐えるんだ。

 

 …よし、チューニングもオッケー。けど元から大部分きれいだったしあんまり違いわからんな。まあいいか。

 

 

「ほいメンテ終わり。見た目じゃ違いわからんけど多分少しは音違うと思う」

 

「ありがとー!ねぇここで弾いていい?」

 

「スタジオでやれ」

 

「学生服姿でギターのチューニングしてるの、なんか新鮮だったなぁ」

 

「えっ?みんな普段からやってんじゃん」

 

「昌太くんだからだよ。しかもブレザー着てないしね」

 

「髪がサッパリしたのもあるかも?一気に行ったよね〜」

 

「沙綾さん、あんまりさわさわしないでくれませんか。くすぐったいです」

 

「香澄と昌太見てて思ったけど、やっぱり髪型って重要なんだな。本当に印象がガラッと変わる」

 

「個人的に香澄の猫耳がないのはスゲー違和感あるわ。衣装違うならまだマシかもしれんけど制服姿だし」

 

「星だよーー!!」

 

 

 だから叫ぶなよ。

 さっき香澄だけ早く弾きたいのかもうスタジオ前に行っちゃったのだが、まだ予約時間の前だしもう数分は待ちぼうけだぞ。てかそれまだ中に前の人いるだろ。

 

 

 ちなみにこのあと俺は眠気のせいでパイプ椅子をはっ倒してしまいデカい音を出すミスを犯した。睡眠はちゃんと取りましょう、お兄さんとの約束ですよ。

 

 




 
 先日ここすきをいくつかして頂けていることに気づきました、ありがとうございます。どこが気に入られているかわかりやすくていいですねコレ。
 


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第21話 絨毯爆撃

 
(五体投地)
 


「アメリカでは豆腐がブームらしい」

 

「そのようですね」

 

「あ、やっぱり知ってましたか」

 

「ええ、新聞でたまたま目に入りまして」

 

 

 まだ5月頭だというのに、春麗らかな候を三乗くらいしたのかというくらいに暑い休日。

 

 今日も今日とて昼飯に適当に焼きそばでも作ろうかと思ったら、そもそも麺すらないというアホな事態に陥った。

 しかし一度飛び出た衝動を抑えることもできず、仕方なく近場のスーパーに出向いて買い出ししてたら氷川さんに会った。

 

 やはり遠巻きに見ても彼女は存在感が強く、一瞬で誰だかわかった。不思議なことに向こうも有象無象でしかない俺にすぐ気づいたらしいけど。だってすぐに目が合ったし。

 

 今日は休日だというのに彼女は学校帰りなのか制服姿であった。

 ギターケースを背負った制服姿の女子高生というだけでも割と存在感はあるわけだが、それを氷川さんがとなると…。

 

 もはや言うまでもあるまい。

 

 

「アメリカでもあんなヘルシー志向の食べ物ってウケるんすね〜。豆腐くらい味気なかったらあっちの人全部吐き捨てそうですけど」

 

「さすがにそれは偏見がすぎるかと…。それでも確かにある程度は人を選びそうではありますね。実際日菜も豆腐みたいな味気のないものは苦手ですし」

 

「…ひな?」

 

「あれ、言ってませんでしたか。私には妹がいるんです。最近はテレビでも露出が増えていてよく見かけるのですが…」

 

「えっ?…あぁ〜、えっ?パスパレの…?」

 

 

 推しバンドのギタリストから齎された唐突な推しの情報にひとつ驚き、続いて同じ名字に思い当たり納得し、そしてその事実を認識してまた驚く三連コンボ。

 

 確かに言われてみれば名字は同じだし、容姿も瓜二つだ。逆になぜ気づかなかった。

 まあ恐らくは真逆なイメージから、無意識下で勝手に二人を切り離して考えていたんだろう。知らんけど。

 

 俺から漏れ出た呟きに氷川さんは一つ首肯する。

 

 

「そうです。…そこまで驚くようなことでしょうか?」

 

「確かに言われてみればってとこではあるんですけど…こう、思ってたより近いなと」

 

「ああ、なるほど…。知り合いの血縁者がアイドルだと言われたらそうなるのも無理からぬことでしょう」

 

「特に日菜ちゃん含めたパスパレ、ファンなんです」

 

「守備範囲広くないですか?」

 

「そうですかね?たまたま気になったトピックを追ってるだけなんですけど」

 

「それは十分フットワーク軽いですよ」

 

 

 ここまで物理的に近いところに推しバンドやら推しアイドルやらがいるとなってくると、もはや合縁奇縁を通り越して奇々怪々くらいに思われる。

 どうもここまでトントン拍子過ぎて不気味ですらある。

 

 セルフレジでカゴに放り込んだ商品を精算しながら考えていると、氷川さんがふと切り出した。

 

 

「時に筑波さん。最近花女で気になる噂が流れているんですが、ご存知ですか」

 

「噂?」

 

「ええ、先ほどの『フットワークが軽い』で思い出したのですが。曰く、『駅前には身軽な鼓笛隊が出没する』と」

 

「聞いたことないですね。なんですか鼓笛隊って」

 

「私が聞きたいですよ。他には『鼓笛隊の一人がシライ/グエンをしていた』とか、『クマが出た』『頭がハッピーになった』なんていうのもあります」

 

「うわ、なんか信憑性が一気に低くなってきた…やっぱりかなり尾ひれついてるんじゃないですかそれ。シライ/グエンとか一般人にできるわけねえだろ…」

 

 

 考え込んでたらセルフレジに『バッグに商品を入れてください』って言われた。うるさいよ、少しくらい考えさせろ。

 

 いや、まずもって鼓笛隊がシライ/グエンなんかできるわけねえだろ。『クマが出た』に至ってはもう噂というか事件じゃねえか。

 こうしたぶっ飛んだ噂はクジラのようなデカい尾ひれがついていることがしばしばであり、信じるだけ無駄な例が多いのだが。

 

 しかし、そんな眉唾ものの噂を氷川さんが『気になる』と評した。

 

 

「そうですね、私自身この噂自体は信じるには能わないと考えています」

 

「でもさっき氷川さん『気になる』と言ってましたよね。多少は噂の裏付けでも取れてしまったのでは?」

 

「流石に鋭いですね。確かに噂は信じるには曖昧なものばかりですが、こうも言いますよね。『火のない所に煙は立たぬ』と」

 

「…なるほど。規模は小さくなろうが、少なからず火元はどこかに存在するだろうと」

 

「はい。どうやらこの噂、火元は駅前で行われたゲリラライブの様子らしいのです」

 

「ほう、ライブ…ライブ?どういう尾ひれのつき方したらシライ/グエンとか出てくんの?」

 

「それは私も気になるところですが、人づてに聞いてもそれくらいしかわからず…」

 

 

 精算を済ませた商品をエコバッグに詰め込み、スーパーの外壁そばに移動する。

 

 こういうときに役立つのはChanterだ。

 発信が簡単なため、気になることは20秒もあれば共有できる。そうした側面からその場にいた人たちによるつぶやきを漁れば、新鮮な情報を手に入れることも難しくない。

 

 『駅前 ゲリラライブ』『駅前 鼓笛隊』。何回か考えられるワードを入力し、結果を浚う。その間氷川さんは俺のスマホを覗き込んでじーっと眺めていた。

 

 

「あ、それっぽい動画上がってますね」

 

「そのようですね…見せてもらっていいですか?」

 

「もちろん」

 

 

 その動画は観衆の後方から撮られたもので、中心で何をやっているかはわかりづらい…というかもうほとんど見えない。何しろ中心の出来事がすべて観衆の頭たちに埋もれているのだ。

 

 だがそれでも収穫は十分だった。

 

 

「これは鼓笛隊というよりはバンドのライブのようですね」

 

「っぽいですねー…え、なんで一瞬足が見えたの?この動画かなりスマホ掲げて撮ってるはずなんだけど」

 

「…バク転、でしょうか」

 

「は??」

 

「あぁいえ…私にもわかりかねますが、考えられるとしたらそれくらいでしょう」

 

 

 動画内で始終ひょこひょこしていた、紅白に前後1:1に塗られた円筒上の何か──たぶん帽子なんだろうけど──や先ほど見えた赤のブーツからして、鼓笛隊というのはこの衣装のことを指していたのだろう。

 観衆の頭のせいで全く姿は見えないが。

 

 

「噂の真相は『駅前で鼓笛隊のような衣装を纏ったバンドによるゲリラライブがあって、うち一人がバク転をしていた』ってとこですかね」

 

「…そうですね、動画という物証がある以上はそう認めざるを得ないかと」

 

「…まだ何か引っかかりますか?」

 

 

 噂の火元は掴めたが、隣の氷川さんは却って深く考え込んでいるように見える。

 気になった俺が問うと、控えめにスマホを指さしてこう言った。

 

 

「えっと、先ほどのバク転のシーンをもう一度見せてください」

 

「あ、はい。ここが何か?」

 

「このシーンですが、一瞬だけ髪が映っています。色までは光の当たり方もあって判然としませんが…」

 

「…金髪、に見えますね」

 

「はい、私もそう思いました。このバク転をしている方とボーカルの方はタイミングなどを考えると同一人物でしょうから、結果女性だろうと推察されるのですが」

 

「なるほど?」

 

「女性でボーカルを熟しながらもバク転をやってのける体力、金髪、そしてこの声というと…実は心当たりがあるんです。花女に弦巻こころという生徒がいるのですが」

 

「このボーカルがその人と同一人物、と?」

 

「間違いないと思います。というのもこの方には花女ではもはや共通認識とも言えるくらいに有名な『花女の異空間』なる渾名がついていまして」

 

「異空間」

 

「彼女は言動から行動からぶっ飛んでいて、その姿を見るとさながら異空間に迷い込むようだと専らの噂──いえ、これはもはや事実でしょう」

 

 

 何かとことが肥大化しがちな噂すらも凌駕する実物の有様。ルー○ル閣下かな?

 曰くその弦巻こころなる人物は『校舎3階から飛び降りても無傷だった(事実)』『冗談を聞かれたが最後、琴線に触れればたちまち実現してしまう(事実)』など、挙げればキリがないぶっ飛びっぷりなのだとか。

 

 噂って事実にも負けうるんですね、初めて知りました。

 

 

「なんというか…誤解を恐れず言うとその人自体が“眉唾もん”じゃないすかそれ」

 

「…どうにも花女にはこういった常識の枠から外れた生徒が多く、しばしば手を焼いています」

 

「あっ」

 

 

 フッと脳裏を過るきらきら星とうさぎ。お前ら言われてんぞ風紀委員さんに。

 額に指先を当て頭の痛そうな仕草を見せる彼女の姿は、マジで苦労している人のそれであった。

 

 

「ところで、まだ気になることがあるんすけど」

 

「………なんでしょうか」

 

「これ見ても『クマが出た』って噂は意味わかんなくないですか」

 

「…本当に出たんじゃないですか、エサに飢えたクマが」

 

「シャレにならねえ…」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「炙りカルビ炙りカルビ炙りカルビ!」

 

「おーすげー」

 

「3回くらいだったらまだ行けるかな」

 

「3回でもすごくね??」

 

「昌太はできないのか?」

 

「俺ぇ?いやー、あんま自信がない」

 

 

 おたえの流麗な早口言葉に思わず感嘆を漏らす俺。

 なぜ早口言葉の話題になったかはさっぱり覚えていないが、今は有咲んちの蔵におたえとお邪魔している。ここにいるのは有咲、おたえ、俺の3人だけである。

 …なんでこうなったんだっけ?

 

 

 

 

 

 

『…?なんでインターホンが…おいうるせえ!連打すんなボケ!』

 

 

 目的だった焼きそばを食い充足感を覚えながらも猫野郎と戯れていたら、鳴る予定のないインターホンが死ぬほど鳴り始めた。

 そのBPM500くらいありそうなエゲツない密度の縦連は、俺の手をボコボコにしていた猫も俺の頭上へ逃げ込んでしまうくらいだった。俺も一瞬故障を疑った。

 

 

 今俺んちにいるこの猫は、例の俺に似ている(らしい)かの碧眼の黒い毛玉だ。

 そう、友希那さんや氷川さんに撫でくりまわされていたかの忌々しいぬこ野郎である。

 

 なぜかコイツはあの後帰途についた俺の後ろをついてきてしまい、結局そのまま見捨てるのもなんとなく憚られたためウチでお世話することにした。このことはまだ友希那さんにしか言っていない。

 というか俺は初見時に友希那さんがコイツをメチャクチャ可愛がっていたのを見ていたため、一応確認を取りに行ったのだ。すると。

 

 

『別にわざわざ聞きに来なくても良かったのに…でも、そうね。たまに会わせてくれると、嬉しいわ』

 

 

 うん、周りに人がいないタイミングで聞きに行って良かったな〜って思いましたね。信じられないくらい顔真っ赤だったし。

 でも素直に気持ちを伝えてくれるくらいには心を開いてもらえてると思うと嬉しくもある。

 

 ゆきにゃさんはさておき、この頭上で丸まってる毛玉にはサファと名前をつけた。眼がサファイアみたいだからサファね。

 我ながらすんごく安直に思われたが、名付けたときコイツはどこか満足げだったのでもう気にしないことにした。

 

 

 ……それもさておき。こうして現実逃避をしているあいだも断続的にインターホンはけたたましく鳴り響いている。

 もう2〜3分は放置してるはずなんだが、もしかして数人がかりでこんな嫌がらせしてる?人員の無駄遣いすぎるだろ。

 

 恐る恐るサファと共にインターホンのモニターを見てみる…も、普段の玄関前の景色はどこへやら、映っていたのはただのブラウン一色。

 やべぇ、こりゃ本格的に悪質ないたずら来てるかもしれん。インターホンのレンズのとこに紙ガムテでも貼られたでしょこれ。

 

 

 知らぬ間に身に覚えのない顰蹙でも爆買いしてしまったのかと恐れつつ、対処しないことにはこのクソうるせぇ機械音も鳴り止みそうにないので、仕方なく自分の目で確かめようと玄関へ向かう。

 

 

『…なぁサファ、お前だけでとりあえず見に行ってみてくんね?』

 

 

 頭はたかれた。

 気休めにもならない茶番を交えつつも扉から外を伺うと、存外原因はすぐにわかった。

 

 

『あ、出てきた』

 

『何してんだお前』

 

 

 頭にうさぎ乗せたおたえがいた。彼女は中腰になって執拗にインターホンを連打しまくっていたらしく、モニターに映っていたのはあのブラウンのうさぎだったようだ。

 

 ふーん、なるほどね。そっかそっか。

 

 

『サファ、ゴー』

 

『にゃー』

 

『うわっ。昌太ってネコ…あー待って喋らせて、わかったから痛い痛いイタタタタ』

 

 

 

 

 

 

「今更なんだけどさ」

 

「どうした有咲」

 

「なんで二人とも動物頭に乗せてきたんだ?」

 

「え?なんとなく」

 

「俺はおたえに唆された」

 

「人聞き悪いなぁ」

 

 

 あの後、俺にデコピンされたところを気にしながらもおたえは有咲んちに行かないかと誘ってきた。

 言いながらどこか恨みがましげな目線を俺に向けていたが、マシンガンみたいな音鳴らされてそれくらいの罰で済ませただけまだマシだったと思ってほしい。

 

 そして今こうして有咲と駄弁っている状況からも察せられる通り、俺らは互いに動物を連れ立って蔵に突撃したというわけである。そのとき有咲は盆栽眺めてた。

 

 

 俺らが早口言葉で盛り上がってた中、サファと例のうさぎ──おたえ曰く「オッちゃん」──は蔵の隅っこでゴムボールを蹴っ飛ばし合って遊んでいた。

 遠くから見たら変なボールが三つもぞもぞしているようにしか見えない。

 

 

「え、事実だろ」

 

「いやまぁいいんだけどさ…今に始まった話じゃないし…」

 

「…何?乗っかった俺が言えたことじゃないけどこれいつものことなの?」

 

「ああ…もう慣れた」

 

「でもかわいいでしょ?オッちゃん」

 

「それ関係ある?」

 

「まぁ、モフッたら気持ち良さそうだなぁとは…いや何でもねぇ、忘れろ」

 

「…ふーん?そうなんだ」

 

「サファ」

「オッちゃん」

 

「「ゴー」」

 

「ちょま、急に飛び込んで…わぁあ!」

 

 

 つい漏らしてしまったとばかりの有咲の貴重な本音に、俺らは示し合わせたかのようにそれぞれの毛玉を向かわせた。

 すげーモフモフしてふにゃふにゃになってる有咲を横目に、おたえはさっきの話題を再度持ち出す。

 

 

「さっき有咲も聞いてたけどさ、昌太はできないの?」

 

「いうて俺滑舌はそんなにだと思うけど…まぁ炙りカルビくらいだったら余裕のよっちゃんかな」

 

「そう?じゃあ言ってみてよ」

 

「おう。…炙りカルビアルビ被りタラバばかり!っしゃあオラァ!!」

 

「おいちょっと待て、マジで今の言えたと思ってんのかお前」

 

「おー、ちゃんと言えてるじゃん」

 

「これ私がおかしいのか?」

 

 

 ほどなくして毛玉を手懐け、膝上でうさぎを撫でつつ頭にサファを乗せたままの有咲がなにやらツッコんできた。

 や、俺ちゃんと言ったからな。アラビア数字って。

 

 

「いやアラビア絨毯って言ったぞ」

 

「そもそも元のワードすらわかってないじゃねえか。早口言葉以前の問題だよ」

 

「有咲はツンデレだもんね」

 

「何の話だよ!」

 

「今の話題の飛び方には流石に俺も乗り切れなかった」

 

「…乗られてたら私も反応できなかったよ」

 

 

 話の流れに乗って適当にふざけていた俺だったが、人間困惑するとふと素に戻ってしまうものである。

 賢者モードに入った俺をよそに、おたえは変わらず天然ムーブをかます。

 

 

「前々から思ってたんだけどさ、やっぱり有咲ってうさぎみたいだよね。そのツインテールとか…モフっていい?」

 

「どういうことなの…」

 

「ダ、ダメに決まって…うわぁこっちに来るなぁ!しょ、昌太っ!」

 

「…嫌なの?」

 

「当たり前だろ!」

 

 

 にじり寄るおたえ、逃げる有咲。膝上に乗せていたうさぎをそっとテーブルに置き(やさしい)、頭上の猫はほっといたまま俺の背中に張り付いた。

 俺を挟んでおたえを威嚇するさまはうさぎというよりは猫みたいだ。

 

 

 このあともずっと俺の周りをぐるぐるして抵抗していたが、いつの間にかサファと場所を代わっていたうさぎとともに結局モフられることとなった。南無。

 

 




 
 気づいたら一ヶ月経っていました。本当にお待たせしました。

 ガマガール様、ゴー☆太様、むにえる様、楽々雷天様、テブナンの法則LOVE様、敬称楽様、評価ありがとうございました!
 また放置期間中にお気に入りが500件突破していました。こんな更新間隔が不安定な作品を読んでいただき感謝の念に堪えません。

 たぶん次回から新章です。


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栄星体育祭編
第22話 貧乏くじ


 
 (土下寝)
 


「香椎の兄貴!レンコンがスられやした!」

 

「何…?カマシじゃねぇだろうな?誰だヤツのタマ取ったやつは…」

 

「それが…マメが切れてたみたいで…」

 

「何だオメェ、指詰めるか?おん?おめぇに敷展任しとったやろがい」

 

「す、すいやせん!」

 

 

 先程から裏社会の隠語が飛び交うここは、既に使われることのなくなった古く無駄に広い一室。

 少しのカビ臭さを孕むこの部屋の空気は、深刻な面持ちの男女数名によって非常に重苦しくなっていた。

 

 その空気を読めぬ闖入者によってもたらされた、レンコンがスられた──すなわち「武器が綺麗さっぱりなくなっていた」という情報。リーダー格の男は闖入者の男を詰りはじめ、もはや空気は最悪であった。

 

 引き戸のそばでヘコヘコと頭を下げている闖入者はレンコンの敷展、つまり武器の管理を任されていたらしく、香椎の兄貴と呼ばれた男はそいつに指詰めを迫っているのだが。

 

 

 ここ栄星の空き教室だぞ。

 

 

 香椎の兄貴とは体育祭実行委員長の香椎先輩。そして古く無駄に広い一室とはただの空き教室、深刻そうなフリをしてるヤツらは体育祭実行委員の面々。

 そう、この集まりは体育祭を運営する組織のものなのである。

 そもそもなぜ俺がこんなところにいるのか、事態は数日前にさかのぼる。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「そういえばお前こないだ花咲川にいただろ」

 

「は?何のことだよ」

 

「とぼけんなバカ」

 

「バカはおめぇだろ」

 

「さっそく話脱線してるぞ」

 

 

 音楽祭から数週間。

 俺はいつものように教室でいつものように普段のメンツと昼めしを食っていた。

 

 俺こと筑波昌太とクソ野郎こと諏訪健太郎が売り言葉に買い言葉で罵り合い、それを宗谷修介が諫めるのもいつものことである。

 始業式の日の健太郎は暑苦しくも好青年といった印象だったが、俺らはどこで道を踏み外してしまったのだろうか。

 

 

「逆に俺が聞きてぇんだけど、お前ら音楽祭来てたの?」

 

「当たり前だろ、花女の美女たちを合法的にお目にかかれる貴重な機会なんだぞ?」

 

「諏訪健太郎、あなたはバカだ」

 

「あ?それを言うならステージに上がってるお前のほうがもっとバカだろ」

 

「俺はお前みたいに性欲本位で動いてないから」

 

「はいはいどうどう。俺らはたまたまチケットが手に入ってな、どうせだし見に行くことにしたんだよ。この辺りじゃ有名じゃん、花女の音楽祭って」

 

「らしいな。俺は知らんかったけど」

 

 

 そういえば音楽祭前にこいつらからLIGNEで『明後日は空いてるか』ってメッセージ来てたな。そういうことだったのか…。

 またもや場を諫めた修介に続いて俺がそういうと、健太郎が心底意外そうな表情をする。

 

 この間有咲に聞いてから自分でも調べてみたんだが、テーマを音楽に絞って行われる合唱コンでない高校の祭事(長い)というのは全国的に見ても割と珍しいんだとか。

 加えて花女は女子高で、そのうえ地域に強く根付いている。その希少性を挙げればキリがない音楽祭が全国的に有名になるのは必定と言えるだろう。

 

 まぁ、俺は知らんかったけど。

 

 

「お前ギターあんだけ上手いのに知らなかったのかよ…毎年メディアでも取り上げられてるの見たことねぇのか?」

 

「ニュースとか新聞とかは頻繁に見てるんだけどなぁ。見た記憶がない」

 

「ふーん、不思議なこともあるもんだね」

 

 

 修介がそう呟いたところで、健太郎を呼ぶ声が教室の扉らへんから届く。そこには上級生と思しき男子生徒数名。

 ありゃ、あの一番前にいる人どっかで見たことあるな。なんつったっけ…

 

 

「すまん、ちょっと行ってくる」

 

「おういってら」

 

「あれは野球部の先輩だな」

 

「さっき声かけてた人見覚えあるんだけどなんでだろ」

 

「覚えてないの?あの人は野球部主将の香椎徹先輩。部活動紹介の時に見たでしょ」

 

「あぁ…たぶん俺そのとき死にかけてたかもしれんわ」

 

「…昌太って意外と興味あるないの差激しくないか」

 

「そんなことはない…はず。たまたまだろ」

 

 

 そう、たまたまだ。

 毎年この時期に新聞が消えたりテレビが死んだり、部活動紹介の日にチャリがパンクして猛ダッシュで高校に行く羽目になったりしたのも全部たまたまだ。

 なんか現象による干渉が疑われるような不運さだが、全部妖怪のせいだ。そういうことにしておこう。

 

 とか考えてたら今度はなぜか俺が健太郎に召集される。

 

 

「おーい昌太、ちょっといいかー」

 

「あん?…悪い、俺もちょっと外す」

 

「はいよ」

 

 

 言っておくが、俺は先輩たちとは全く接点がない。

 部活は帰宅部だし生徒会とかに入ったでもないしなので、まずもって上級生との接点がない。

 でもなぜか他校の上級生とは接点がある(あこ以外のRoseliaの皆さんとか)。今の俺を取り巻く人間関係は実に奇々怪々である。

 

 まぁそんなわけで、なんで今健太郎に呼び出されたのか俺には全くわからない。何考えてんだこいつやっぱバカなのか。そうなのか。

 

 

「えっと、お前が筑波昌太…でいいのか?」

 

「あぁはい、俺がそうですけど…何か?」

 

 

 香椎先輩が確認するようにそう言う。すでに嫌な予感しかしないが、話が進まないのでとりあえず先を促す。

 

 

「おぉ、お前が。そんじゃ、筑波には体育祭実行委員をやってもらう」

 

「は?」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 あとから知ったことだが、元々委員会の打診は健太郎に来ていた。そのために初めヤツが香椎先輩に呼び出されたのだ。

 だがその際クソ野郎が「適任者がいる」つって俺の名前を挙げやがったらしい。バイトで慣れてるだろうからだのなんだのと余計な理由付けまでして。

 

 つまりだ、俺は健太郎にこの役職を擦り付けられたというわけだ。

 

 ヤツはもちろんぶっ飛ばした。というかその場で変に断らずに顔を立ててやっただけ感謝してほしいくらいだ。

 

 

 そうして体育祭に向け、活動場所となっている空き教室にて仕事をこなすこと数日、今日はなんでか知らないが委員の一人が空き教室に入ってきて、突然皆がヤクザになった。

 

 冒頭の会話を翻訳すると、

 

 

『委員長!プリンタが動かなくなりました!』

 

『何だと、本当か?どうしてだ…』

 

『どうやらインクが切れてたみたいで…予備もないらしいです』

 

『マジかよ。予備もないんじゃどうすっかなぁ』

 

 

 って感じである。よく知りもしないのに無理やり隠語を使ってるせいで、たぶん本業の人が見てもわけわからん会話になっている。

 

 そもそも俺らが顔つき合わせて囲ってるのそのプリンタなんだけど。

 インクがねぇからさっき指詰め迫られた委員が先生に在庫を確認しに行って、結局なかったもんでそのままとんぼ返りしてきたわけだ。

 

 この意味不明な状況につい独り言を漏らしてしまう俺。

 

 

「学校でインクの予備蓄えてないってそれやばくないすかね」

 

「いやぁ気づいたらなくなっててな。ガッハッハ」

 

「ガッハッハじゃないですよ先生。明日から全校生徒に配るプリント類どうすんですか」

 

 

 指詰め委員についてきていたらしい委員会の顧問の先生が明朗に笑ってそう言ったが、もはや責任を放棄してるようなもんである。そんなテキトーな敷展してちゃ指詰めどころか絶縁待ったなしですよ。

 

 当初俺は高校初の委員会参入ということでビクビクしていたわけだが、体育祭実行委員会は割とこんな感じでゆるいところだった。

 今日はヤーさんだったが、昨日は高貴(笑)なお嬢様だったな。男女比7:3くらいなので大多数がオネェみたいになってマジで地獄だった。

 

 ちなみに空き教室は栄星高校のB棟──基本的には職員室に行くときや移動教室のときしか用がない──の端っこという位置取りで、その位置と委員たちのフリーダムさも相まって一部では「隔離病棟」と呼ばれているらしい。

 やめろ、俺もろとも十把一絡げにして患者扱いするな。

 

 

「つーことで筑波、経費は渡すから適当にインク買ってきてくれねぇか。あ、領収書よろしく」

 

「行く前提で注文追加してんじゃないよ。はいはい、わかりましたよ」

 

 

 こういったクソみたいな紆余曲折を経て、俺は放課後に委員会を放棄してシャバへカチコミに行くことになった。

 こういう買い出しは文化祭でやるイメージがあるが、なんで俺は体育祭の時点で先生にパシられてんだ。訳わかんねえ。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 栄星からインクが売られていそうな家電量販店のある通りへは、道中にラジオのブースみたいな設えがある。

 そこではラジオ番組の出演者を窓越しに見ることができる…のだが、今日は一段と人が多く集まっている。この広い歩道を埋め尽くさん勢いである。

 

 パシられてる途中だが、普段あまり見ないその光景が気になったのでとりあえず人混みをかき分けて最前列まで行ってみることにした。はいはい、ちょっとすいませんね〜。

 

 

『白鷺千聖と』

『氷川日菜の』

 

『『ぱすてる✽らじおー!』』

 

 

 なるほどね(悟りを開く)。

 今日は不定期にやっているぱすてる✽らじおの収録日だったようだ。最近はChanterのお知らせとかになかなか目を通せていなかったしラッキーだな。

 

 『ぱすてる✽らじお』。アイドルユニットとして活躍中のPastel✽Palettesメンバーである白鷺千聖さんと氷川日菜ちゃんによる、不定期のラジオ番組である。

 内容はパスパレメンバーの普段の出来事などの雑談、お便り読み上げなど。

 

 白鷺千聖さんは芸能界でのキャリアが長く、高二にして多くの実績を持つ女優さんだ。

 ハーフアップのブロンド髪と紅い目がトレードマークで、そのカラーリングはいちごを思わせる。…えっ、俺だけ?

 

 そして氷川日菜ちゃんはパスパレの発足とともに台頭してきたアイドルで、紗夜さんの妹。

 紗夜さんと同じ緑がかった水色の髪だけど、こちらがロングなのに対し日菜ちゃんはショートミディアム。それでも毛先がウェーブしているのは姉妹共通か。

 

 天才肌の日菜ちゃんはいつも彩さんとか千聖さんを振り回していて、千聖さんがいつも保護者役になっているのだが、見てる感じ今回は割とおとなしめな気がする。

 

 

『──いつもの変なポーズもそうだけど、この間の彩ちゃんも変だったわね』

 

『あーそうだね。ひとたびスマホを開いてはへにゃへにゃしちゃってさー』

 

『正直最初はちょっと気味が悪かったわ』

 

『ねぇねぇそこのリスナーのみんな!どうして彩ちゃんはそんなにへにゃへにゃしてたと思う?』

 

 

 唐突に日菜ちゃんが我々リスナーの方に目線を向けてそう問うてくる。

 彩さんが変だ変だ言われてるのもなんか可愛そうだが、これもいつものことなのでスルーするとして。

 

 へにゃへにゃになるってなんだろう。子猫の画像でも壁紙にしてたんじゃないか?この間も友希那さんがすごくゆるゆるな表情をしてて、何事かと思ったら案の定猫の画像見てたし。

 ちなみに俺は犬と猫とで優劣はつけられないタイプだ。あ、聞いてない?そう…

 

 

『子猫の画像を壁紙にしてた?ぶっぶー!違うよー!』

 

『彩ちゃんは、パスパレとして初出演した番組の収録後に皆で撮った自撮り写真を壁紙にしてるわよ』

 

『それで千聖ちゃんが軽く半目になってて、たまに壁紙を見ては変えてくれって言ってるよねー』

 

 

 ぱすぱれてぇてぇ。あと日菜ちゃんのぶっぶーがかわいい。

 さっきからこっちをチラチラ見てはニコニコしてるけど、俺を見てるのかと勘違いしちゃうからやめてほしい。

 いやその前になんで俺の考えてることわかったの。たまたまだよな、流石に。

 

 

『正解はー…えっと、千聖ちゃん。なんだっけ?』

 

『もう…えぇと、確か『感謝したかった人とまた会えた』って言ってたかしら。それでその人と連絡先交換できて…って話だったわ』

 

『あははっ、だそうです!』

 

 

 可愛いなぁ!やっぱりニッコニコしてる日菜ちゃんは最高だな!

 

 感謝したかった人ねぇ。個人的には彩さんは「地味な苦労をたくさん積み重ねてきた人」という印象がある。

 とりたてて大きな絶望もないが、かといって決して苦労しなかったわけではない。ずっと平坦で山谷のない下積み時代はそれはそれで辛かろう。

 

 むろん「谷」の経験が全くないと言いたいわけではない。あくまでそんなイメージというだけだ。

 要するに下積み時代に世話になった人がその「感謝したかった人」なんじゃないのかな。知らんけど。

 

 

 とにかく生の日菜ちゃんさんと千聖さんを拝めたことだし、名残惜しいがいい加減に離脱することにしよう。

 …ん?電話だ。集団を脱けだしてから名前も見ずに電話を取る。

 

 

「もしもし」

 

『あっ昌太か?俺だよおr』

 

「ハンバーグだよ!」

 

 

 クソ野郎からだった。虫さんトコトコしたので即切りした。このあともスマホがずっとバイブしてたがもう知らん、しばらく黙ってろ。

 

 

 

『…るんっ♪』

 

『日菜ちゃん?』

 

『んーん、なんでもな〜い!』

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…で?なんだよ、ここに呼び出しといて」

 

「いや、こないだの件について弁明をな。あと聞きたいこともあるし」

 

「はぁ」

 

 

 買ってきたインクを空き教室に吐き出した後、俺は健太郎と共に今やお馴染み羽沢珈琲店に来ている。

 いつの間にか静かになっていたスマホを見るとコイツから1那由多くらいメッセージが来てて軽く戦慄したので、仕方なくまた招集に応じた次第である。

 

 羽沢珈琲店は知らないうちに新たにバイトを雇ったらしく、店内では見慣れぬ白髪が躍っていた。

 メニューを指先で弄くりながら、視界の端でひょこひょこしていたその人物をふと見やる。

 

 

『らっしゃいャせー!何握りやしょうかー!?』

 

『イヴちゃーん!!』

 

 

「………………………」

 

「はぁ…やっぱりイヴちゃんは目に入れても痛くねぇ可愛さだぜ…」

 

 

 あの、大丈夫?つぐにそう言いかけたが、お冷とともに飲み下す。

 

 イヴちゃんこと若宮イヴ。彼女はパスパレのメンバーだが、先々週くらいからすでにここでバイトを始めていたらしい。

 普段はたまたますれ違ってたらしくて知らなかったけど…。やっぱり作為的な何かが働いているような気がする。

 

 俺らが来たときはつぐが応対したので、あの板前みたいな文句も言われることはなかった。こうして見ると言われてみたさはあるけども。

 

 

「さてはイヴちゃん見たさでここに招集したな貴様」

 

「そそそそそんなことはないじょ」

 

「はいダウト。なんでバレたか、3分後までに考えておいてください」

 

 

 某デカまる子の山田みたいになった健太郎はほっといてメニューを眺める。うん、今日もブラックコーヒーでいいか。

 

 イヴちゃんは北欧のフィンランドから日本に来た娘なのだが、日本語ペラペラだし、モデル業やアイドルを熟す傍らで部活もいくつも掛け持ちしているらしいハイスペック少女である。おまけに高校は花女だ。

 

 思うんだけどさ、全国的に有名なアイドルが普通にバイトしてるって凄いよな。駅前のマ○クドといいここといい、カンストしてる集客力のおかげでそのうちすぐには入れなくなってしまうかもしれない。

 

 

「地味に時間制限キツくね?それはそうと決まったか?」

 

「ああ。すいませーん」

 

「はーい、伺いまーす!」

 

 

 俺らのもとに来たつぐに俺はブラックコーヒー、健太郎はコーヒーフロートを頼む。

 なんとなくいそいそと動くつぐを眺めていると、ふいにこっちを向いて気恥ずかしそうに笑ってきた。

 

 

「…あの子も可愛いなぁ」

 

「は?目潰すぞコラ」

 

「何お前怖」

 

「少なくともつぐはお前みてぇな不埒なやつにだけは渡さん」

 

「お前あの子のなんなの?てか音楽祭のときのポニテの子といいお前の交友関係どうなってんだよ」

 

「俺に聞くな」

 

 

 単純な知り合いの男女比だったらどっこいなんだよ。たまたま普段絡みあるのが女の子率高いってだけで。そんだけですよ?ええ。

 

 

「まぁ聞きたかったことってのはそれだったんだけど」

 

「えぇ…」

 

「んでなんで俺がお前に委員会をなすりつけたかだったな。ほら、お前って細かいとこまで気が回るだろ?」

 

「…それは、まぁ…そうかもな」

 

「そうなんだよ、俺が認めてんだから胸張れ。でだ、正直俺はそこまで効率よく動ける気がしねえんだよ。要領がいいわけでもないしな。そこで代わりにお前を推薦したわけだ」

 

「んん、まぁ納得はできるけど…。いやお前だって言うほどでもねぇだろ。ましてリーダーシップというか求心力で言ったらお前のが上じゃね」

 

「いや求心力で言ったら香椎さんっていう絶対的リーダーがいるからいいんだよ。あそこで求められてるのはお前みたいなよく気が回るヤツで──」

 

「まさしくブシドー!ですね!」

 

「「へっ?」」

 

 

 ムサい男同士の低音ボイスに突然割って入る、よく通るソプラノ声。

 俺の斜め後ろに、ドリンクを載せたトレイを携えたイヴちゃんが立っていた。あっ、すごい目がキラキラしてる。かわいい。

 

 

「そのお互いをリスペクトするフェアな関係!まさしくブシドーに見る素晴らしい心意気です!あっ、コーヒーどうぞ!」

 

「おぅ?ど、どうも」

 

「ふぁっどどどどうも」

 

 

 こいつさっきまで良いこと言ってたのに台無しじゃねえか。この妙な耐性のなさもツテの細さの一因なのでは?

 健太郎はしんでしまったので、代わりに俺が応対する。

 

 

「あの、大丈夫なんですか?バイト中でしょうに」

 

「休憩を頂戴したので大丈夫ですよ!お隣失礼しますね」

 

 

 言って俺の右隣に座ってくるイヴちゃん。警戒心薄くない?

 流石に狼狽えた俺は健太郎に目配せするが、当の本人はコーヒーフロートの隣の亜空間にストローを挿しひたすらに空気を吸い続けていた。

 緊張のあまりストローを適切にコーヒーに挿すことすらできなくなった友人の姿に、俺は感涙を禁じ得なかった。

 

 

「それで、お二人はどんな話をしていらしたのですか?」

 

「あーそうですね、簡潔に言うと学校でコイツが勝手に俺を委員会に推薦しまして。その理由を聞いてたところです」

 

「なんかまだ刺々しいなお前な。悪かったって」

 

「わかっとるからまずお前はちゃんとストローをコーヒーに挿せ」

 

「やはりとても仲がいいのですね!ゴエツドーシューです!」

 

「それは真逆ですよ、えーっと…若宮さん」

 

「私のことご存知なのですか?」

 

「もちろん、ファンなので──というか今更なんですけど、そんな軽率に男の隣に座っちゃって大丈夫なんですか?」

 

「…?大丈夫ですよ?よく危機感が薄いとは言われてしまいますが、ちゃんと私なりに接する人は見極めているので!」

 

 

 ということは、さっきイヴちゃんは健太郎じゃなくて俺の隣に座ったから…。

 再び健太郎の方を見やると、今度はひたすら氷を吸い上げていた。俺は失笑とともに泣いた。

 

 

「おい、なんかお前の視線がむず痒いんだけど。なんか失礼なことでも考えてんじゃねえだろうな?というかさっき嘲笑っただろ!?」

 

「いいえ」

 

「こっち見て言え。イヴちゃんの方見てないで俺の眼見て言ってみろや」

 

「あっ。さっきここに座ったのはなんとなくこっちがいいなーと思っただけで…」

 

「……若宮さん、恐ろしい子…」

 

「へっ?」

 

「……………」

 

 

 先程のフォローの皮を被った死体蹴りみたいなイヴちゃんの一言で、ついに健太郎は物言わぬ屍と化してしまった。骨くらいは拾ってそのへんにばら撒いといてやるよ。

 

 このあとは一方的に名前知ってるのも気持ち悪いので(勝手な自己判断だけど)、とりあえず俺らからも軽く自己紹介をしてからお暇させてもらった。

 どうせイヴちゃんとの直接的な接点ここしかないし、そもそもファンとして推しのプライベートに深入りしすぎるのもアレだし軽くでいいんだよ。

 

 …そんなことしても今更だろって?馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前。

 

 




 
 お待たせしました(n回目)
 色々と忙しくて全く筆が進みませんでした、毎度毎度お待たせしてしまい恐縮です。これからは新章を少しずつ進めていきます。

 迅雷 駿河様、pepepe-様、ジム009様、Lankas様、評価ありがとうございます。
 


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第23話 アツい話題

 
 マイケル2525様、葦名一寸様、エネ様、武大563様、評価ありがとうございます!
 今回は短めです。
 


 

Pastel✽Palettes Official @PasPale_Official・10秒

新プロジェクト、始動!乞うご期待!

❐ 4    ↩ 41   ♥ 103   <

 

「ほう、楽しみだな」

 

 

 放課後、委員会明けのため既にかなり日が傾いてしまっている今日。商店街の隅でボーッとChanterのTLを眺めていると、ちょうど今しがた投稿されたのかパスパレ公式アカウントのツイートが流れてきた。

 もちろん即ふぁぼりつ(死語)。

 

 

「今まで番組やらドラマやらの出演予定はちょこちょこツイートしてたけど、なんだかんだで新プロジェクトとか銘打ってるのは初めてだな」

 

 

 某エ○ァンゲリヲンの映画予告染みた特報ムービーを見ながらつぶやく俺。

 

 冠番組を持つことになったときですら、こんな『新プロジェクト』と大々的に発表することはなかった。

 あのときは最初から『冠番組決定!イェーイ!!』という感じに中身は特に伏せていなかった上、なぜか文章が大変にはっちゃけていた。案の定あのツイートは日菜ちゃんの仕業だった。

 それはさておいて、だからこそパスパレ史上初の発表に俺は大きな期待を抱いているのである。

 

 ちなみにパスパレメンバーはChanterのアカウントを各々持っており、全員フォロワーは10万人を超えている。パスパレ公式垢に至っては20万人だ。

 みんな日頃から頻繁にツイートを重ねており、ファンはとりあえずChanterを始めてそれら6つを全てフォローしておけばホクホクできるのが素晴らしいところ。

 

 

「パスパレ公式垢だと舞台裏の風景とかほとんどツイートしてないんだよな〜。そういうのめっちゃ好きなんだけどもっと軽率に流してくれんかな。無理か、コンプラ的に」

 

 

 とはいえ言うだけタダとか言うしな。なんとなしにちょろっとさっき言ったことをツイートしておいたところで、微妙な空腹感を覚えた俺はたまたま近くにあった店へと足を運ぶ。

 

 

「おっちゃん、いつものコロッケくれや」

 

「はいよ…って昌太じゃねえか、ご無沙汰だな。山吹さんとか羽沢さんのとこには顔出してたのにウチにはなかなか来てくれないって娘が拗ねてたぞ」

 

「いやぁすみません、なかなか機会がなくて」

 

 

 やってきたのは北沢精肉店。やたら品質のいい肉をやたら安い価格で叩き売りしているそこらのスーパーも真っ青なヤベー店で、いつもいろいろとお世話になっている。

 ついでに言うとコロッケがばかみたいに美味い。どれくらいかというと、やたら辛口な評価が付きがちなG○○gleマップの口コミで星5つが煌々と輝いているほど。しかも投票者3ケタいるのに。ヤバい。

 

 

「今はぐはいないんですか?」

 

「おぉ、ここ最近なにやら忙しそうでな。今まで以上に家にいる時間も減ってるぞ」

 

「ほーん…やっぱソフトボールが忙しいんすかね」

 

「そこまで深くは聞いてねぇが…例年この時期は試合あるしなぁ。そうかもしれん」

 

 

 北沢はぐみ。ここの精肉店の娘さんだ。

 最後に会ったときから変わりなければだが、彼女は紅葉みたいな橙のベリーショートに同じ色の瞳。そしていつ見ても頭には二対のアホ毛をたくわえていた。

 ここらのソフトボールチームでエースって言われるくらいには運動神経が良い。はぐの体力無限にあるんじゃねえかって未だに思ってるくらい。

 

 

「ほい、ご注文の品な。またはぐみがいるときにでも来いよ」

 

「ありがとさん、そうしますわ」

 

 

 アッづぁッ!脊髄反射でコロッケ手放しそうになった、危ねえ。適当な壁に寄りかかってまたTL眺めながら食うか。

 …ん?『Pastel✽Palettes Officialさんがあなたのツイートをリツイートしました』

 

 えっ?

 

 

 ◇◆◇

 

 

「マヤさん、何を見ているんですか?」

 

「Chanterっす!今ちょうどパスパレでエゴサしてみたら気になるツイートが出てきまして」

 

「えっ、私それ見たかな?」

 

「どれどれ!?…あー、これついさっきだから見てないんじゃない?」

 

「彩ちゃんはパスパレ関連のツイートはだいたい把握してるものね」

 

「さすがにそれは頭パンクしちゃうよ!?」

 

 

 ここは都内にある事務所保有のレッスンルームの一室。マヤと呼ばれた少女を取り囲むようにChanterを各々眺め談笑しているのは、かの有名な新進気鋭、Pastel✽Palettesの面々である。

 現在はその始動が発表されたばかりの『新プロジェクト』に向けた練習の最中だ。

 

 公式垢を通してエゴサをしている、赤ぶちのメガネをかけた少女は大和麻弥。茶髪のボブにオリーブ色の瞳を持ち、普段はキャスケットに白のタンクトップ、オーバーオールのサロペットといったラフな格好をしている。

 高いビジュアルを持ちながら見た目に無頓着なところがあり、しばしば千聖に怒られているというのはファンの間では有名な話である。

 

 

「『もっとパスパレの練習風景とか見たいナー(チラッチラッ)』…だって。確かにみんな個人のアカウントでしかそういうのやってないよねー」

 

「同感です!公式でも私たちのオフショットをツイートすればもっと人口に膾炙できるのではないかと!」

 

「か、かいしゃ?」

 

「広く知れ渡るって意味よ、彩ちゃん」

 

「…ぁ、あーっ!知ってる知ってる、なますだよね!」

 

「知らない人の反応かと思ったけど本当に知ってたんだね」

 

「私だってやればできるもん!」

 

「みんな知ってるわよ」

 

「んにゅっ」

 

 

 現在パスパレは日本の若年層を中心に支持されていて、その姿はテレビで多く見られる。

 だがパスパレとしてのオフショットは意外に少ない。日菜が漏らしていたように個人垢では積極的にツイートしているが、それはあくまで個々人の日常。

 先程パスパレに関知されたファンのようにパスパレの日常をもっと見てニコニコしたいという声が多いのは事実だ。

 

 

「あははっ、変な声ー。ねー麻弥ちゃん、さっきからすごい集中してるけどどうしたの?」

 

「えっ、あぁいや。この人どこかで見覚えがあるなあと思って、不躾ながらツイートを遡らせてもらってたんです」

 

「あー、SHOWTさん?エゴサしてよく出てくる人だから名前覚えちゃったんだよね」

 

「この人フォロワー多いわね…5万人…」

 

「一紙半銭、ですね!」

 

「それ逆だよ、イヴちゃん…」

 

「この人は以前にギターを弾いてる映像をツイートしてすごいバズってたんすよね。ジブンもそのときに拝見しましたがつい見入ってしまいましたね」

 

「へぇーっ。あっ、この人Roseliaも追ってるんだ!おねーちゃんのこと知ってるかな!?」

 

「さすがにそれはどうかしらね…。ほとんどの人は情報伏せられてるから」

 

「そうっすね〜。とりあえずさっきのツイートはリツイートしておいてと…」

 

「それじゃさっそくなんか撮る!?さすがにここだとネタバレしちゃうからちょっと移動してさ。私撮るよ!」

 

「行こ行こー!」

 

 

 ◆◇◆

 

 

「えぇ、もうツイートされてんじゃん…まだコロッケ食い終わってないんだけど」

 

 

 俺が何となくツイートことが数分で現実になった件について。

 今まで公式に捕捉されたことなんてなかったんだけどなぁ、まぁ言ってみるもんだな。

 リツイートの直後に日菜ちゃんによる超ハイテンションなツイートが公式垢で流れてきて、それから数分経って写真が上がった。

 

Pastel✽Palettes Official @PasPale_Official・5分

それいいねーーーーーーー!!!!!!!!!(ひな)

❐ 31    ↩ 509   ♥ 1,512   <

 

 

 上がった写真はどっかの室内にある自販機の前で撮られたもので、自撮りしている彩さんとイヴちゃんの後ろに、スゲー冷たそうなポ○リを携えた日菜ちゃんが忍び寄っている図だ。日菜ちゃんめっちゃ悪そうな顔してる。

 正直喜びよりは困惑のほうがでかいが、それでも俺らはこういうのを求めてた。現にその写真ツイートはもう5,000リツイート行ったし。

 

 あと一口分となったコロッケを口に放り込みながら、日菜ちゃんと写真とをリツイートしてこの急転直下な展開にツイートを残しておく。

 

 

SHOWT @shoWave_・21秒

それいいねーーーーーーー!!!!!!!!!(しょー)

❐ 189   ↩ 153    ♥ 631     <

 

 

 なんで20秒で200弱もリプ来てんだよと思ったけど全部フォロワーの同志からだった。

 どれどれ…。『よくやった』『英雄じゃん』『素晴らしい功績だ』『おまえ神かよ』『SHEROWT』『SHGODWT』…

 

 ハンネといえど仮にも人の名前で遊ぶんじゃねえよ。『SHEROWT』はまだしも『SHGODWT』とかなんて読むんだよこれ。

 

 

 このアカウントのフォロワー数は現在5万人ほどいるが、6〜7割は過去にしたとあるツイートの恩恵である。

 受験勉強中に気分転換にギターを弾き撮りしたやつをろくな編集もせずにChanterに放り投げたら、気づいたら5万くらいリツイートされてた。

 むろん当時の俺はたまげにたまげまくって文字通り魂がゴートゥーヘヴンしかけた。

 

 では残りはというとほとんどがそれにくっついてきた同志たちだ。一度バズったことで名前も若干知名度が上がって、興味本位で俺の垢を見に来たパスパレやRoseliaファンがフォローに来たのだ。

 それまでもちょこちょこそれ絡みで変なこと言ってちょっとツイート伸びたことあったし、同じファンたちにはもしかしたらすでに知られてたかもしれんけど。

 

 ニコ○コとかY○uTubeとかやってないのにフォロワー数5万とはこれ如何に。

 …久々にギター弾き撮りしようかな、最近仕事漬けだし気分転換にでも。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「冷たっ!って、あーーっ!!何もコメントせずにツイートしちゃった!!!」

 

「あっはっはっはは、ごめんごめん」

 

「何してるのよ日菜ちゃん…上がった写真がただの喜劇みたいになっちゃってるわよ」

 

「ですがコメントなしでもすごい伸びですね。見たことない伸びです」

 

「SHOWTさんが即座にリツイートしてくれましたからねー。確かあの人のフォロワーはジブンたちのファンも多いって言ってた覚えがあります」

 

 

 リツイート数はあっという間に5,000を突破。Chanterのトレンドにも入るくらいの恐ろしい速度だ。全員ちょっとした気まぐれのようなものだったため、ここまでとは思っていなかったのだ。

 レッスンルームに戻る傍らで、思わぬニーズの多さやその伸びに各々驚きを隠せないでいた。

 

 

「でも、そっか…こういうオフショットでもファンのみんなへの感謝のひとつになるんだね。ちゃんとこういうのもノートに書いとかなきゃ…ってあれ、もう全部のページ使っちゃったの忘れてた…。とりあえず携帯のメモ帳に書いとこ」

 

「いつも思ってたんだけどさ、いつも挟んでるそのルーズリーフは使っちゃだめなの?結構余白あるけど」

 

「あー、これ?これはちょっと、()()だから」

 

「ふーん?そうなんだ」

 

「これだけ待ってくれている人たちがいる以上、早くこれをモノにしなければいけませんね。これからも練習頑張りましょう!」

 

「はいっす!…って、千聖さん?どうかしたんすか?」

 

「いえ、待ってくれている人で思い出したことがあって。スタッフさんが噂話くらいで話していたのだけど──」

 

 

「この新プロジェクトが、弦巻さんの耳に入ったって話」

 

 




 
 こんなに設定盛って大丈夫かなぁ…(白目)
 


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第24話 無茶振りとしわ寄せ

 五月だ!土曜日だ!

 

 

「此度の招集に応じてくれたこと、心から感謝申し上げる」

 

「…………」

 

 

 委員会だあああああ!!!!!

 どこぞの軍隊よろしく月月火水木金金の体制が敷かれているこの体育祭実行委員会に休みなんかあるわけねえだろボケが!というわけで土曜日も出勤である。

 中学校のときの実行委員ってここまで忙しくはなさそうだったんだけどなぁ。この馬鹿げた仕事量は先生たちの仕事全部ぶん投げられてる説すらある。

 

 ちなみに現在アジト(いつもの空き教室)には香椎委員長と俺以外に市川くん、中戸さん、八田くんの五名がいる。委員長以外は俺と同じ一年で、ここにいない残りの委員は別の仕事にあたっているらしい。

 

 

「本日もいつものように通常業務に…と言いたいところだが、ここで一つお知らせがある。良い方と悪い方どちらが聞きたい?」

 

「委員長、一つなのに良い方もクソもあるんですか?」

 

「うるさい市川、発言を許した覚えはないぞ。罰として本日、これ以降の一切の発言を禁ずる」

 

 

 いや聞いてきたのそっちでしょうが。理不尽すぎる。

 市川くんは唇を噛みながらいかにも不服ですといった面持ちだが、さらに発言を重ねればまた理不尽な懲罰が飛んでくるため仕方なく黙っているようだ。

 

 

「この情報が吉と出るか凶と出るかは貴様ら次第だ…精々馬車馬のごとく励むがよい」

 

「何言ってんすか」

 

「口答えするな八田。お前はいつ私に口答えできるほど偉くなった?身の程を弁えろ、下郎風情が」

 

 

 無○様のパーフェクトぱわはら教室始まったな。

 なんで委員長は秒を噛むごとに加速度的に高慢になっていってるんだ。このような悪ふざけは今に始まった話ではないが、今日はそのテーマがまるでわからない。

 

 

「此度、体育祭にて新たな演目の追加が発表された」

 

「「「「なッ!?」」」」

 

「そしてその演目とは昼休憩に行われるミニライブだということだ」

 

 

 会長から突然発表された伝達事項は皆を一様に驚愕に染め、絶句へ追い込んだ。

 

 元々体育祭当時のスケジュールは全員の討論によってベストな状態に仕上がろうとしていた。が、ここへ来て上からの無理な注文が入った。

 そして当日の実行委員は基本出ずっぱりである。組み上がっていたスケジュールではまともな休憩の時間は昼休憩くらいなものになっていた。

 

 しかし、ミニライブの追加という横槍によって僅かな休憩時間すら潰れ仕事に駆り出される可能性が出た。これらの意味することとは──

 

 

「──ふざけんじゃねえ!労働基準法を遵守しろ!」

 

「被雇用者の最低限の権利を保証しろ!」

 

「労働環境の改善を求む!不当な扱いを受けた被雇用者たちよ、立ち上がれ!今こそストライキの時!」

 

 

 ストライキである。なるほど、さっきから何やってんのかと思ったら横柄な企業とそれに反駁、決起する被雇用者たちの構図か。わかりづれぇよ、悪ふざけが社会的すぎる。

 ちなみに俺はここまで一言も喋っていない。

 

 

「いや真面目な話、この急な変更は本当に申し訳ないと思ってる。俺も実は詳しくは聞いてないんだが、突然顧問の先生に『ミニライブを追加しろ』と指示されてな、我々としては従わざるを得ないのだ」

 

「ミニライブって言われても…。誰が出るんですか?」

 

「中戸さんに同意だ。周辺校は音楽活動が盛んだが、栄星は勉学に力を入れているためそこまででもない。校内で募るには無理があるかと」

 

「それがな市川、校内じゃないらしいんだ。なんとも校外から──」

 

「──あぁ、そこからは俺が説明させてもらおう」

 

「出たな魔王…いや、先生」

 

「まあ聞けや、香椎委員長さん。その要望は俺らのさらに上からのお達しなんだよ。それも校長のはるか上でな、お前らどころか俺ら教師陣でもお手上げなんだよ」

 

「なっ…!?まさか先生のバックに黒幕が存在したとは…!」

 

「そのノリいつまでやるの?」

 

 

 市川くんノリノリだね君。先生も説明してたのに素でツッコミしてるし。

 しかし校長以上の黒幕が一高校に介入してやることがミニライブの実施って、やってることが大きいのか小さいのかよくわからん話だ。ただそのしわ寄せ全部俺らに来るんだよな。ふざけんな。

 

 

「…話を戻すが、さすがにこんな事態に陥って『よくわかんないけどとりあえずやってね』なんてそれこそクーデターもんだろ。だからさっき校長さんを詰ってきた」

 

「詰るって…。それで何と?」

 

「あぁ、校長いわくこれの仕掛け人は──()()だそうだ」

 

「弦巻ィ!?」

 

「うおっ、なんだ筑波。お上さんのこと知ってんのか?」

 

「いや知りませんけど」

 

「は?」

 

 

 “弦巻”。その名を馳せた『弦巻グループ』はまず不動産会社として成功を収め、その地盤を足がかりに他産業にも進出。

 後に弦巻の持株会社を中核に、子会社や孫会社にて不動産業やホテル・リゾート事業など様々な事業を手掛けるようになり、巨大コンツェルンへと成長した。

 

 現在弦巻という名は世界規模で高い知名度を誇っているらしく、そのきっかけは弦巻を統括する社長が世界長者番付にてマイク○ソフト創業者をも凌ぎトップ3にランクインしたことらしい。

 あまりの富や影響力から、英語圏では畏怖を込め『TSURUMAKI』と呼ばれている。

 

 

 恐らくさっき先生が言ったのもこの弦巻のことだろうが、だからこそそんなビッグネームの介入には首を傾げてしまう。

 何しろ彼らはやろうと思えば国をも動かしてしまえるのだ。何故そのような権力を持ってわざわざ一般校の行事に介入してきたのだろうか、と。

 

 

「弦巻──かの『弦巻グループ』のことで、間違いないんですね?」

 

「あぁそうだ、中戸。俺ももちろん聞き返したが間違いないとのことだ」

 

「なんでそんなビッグネームがここみたいなしがない高校に介入してきたんすかね。なんの脈絡もないような気がしますけど」

 

「いや、もしかしたらあれじゃないか?こないだ何故か弦巻のご令嬢がウチの校門のとこに来てたやつ。というか逆にそれしかない」

 

「え、なんすかそれ。知らないですよそれ」

 

「あぁ、お前その時はインク買いに行ってていなかったんだろ。ここ留守にしてるときに来てただろ、確か」

 

 

 委員長の話した心当たりを聞いてすぐさま脳内を検索したが、全く持ってそんな記憶はなかった。が、先生曰くそれはちょうど俺がインクの買い出しに行ってるときに起こったらしい。

 なるほどね。はいはい。

 

 

「いや知らね〜!」

 

「ですが弦巻の一人娘が訪問したくらいでこんなことになるとは、にわかには信じがたい話ですね。もしかして栄星って何らかの政治的な思惑で建立されたとかじゃ…」

 

「あー中戸さん、その線は薄いと思いますよ。な、八田?」

 

「えっ!?…おぉ、悪い。ボーッとしてた。弦巻さんが来たときの話だよな?ちょうど彼女が栄星の校門に来てたときそのそばに俺もいたんだが、確か『素晴らしい学校ね!ここでライブしたら楽しそうだわ!』って言ってた」

 

「「「「「絶対それじゃねーか!」」」」」

 

 

 でもお嬢が来ただけでこんなことになるって一体何なの?TSURUMAKIの権力を一人娘が(ほしいまま)にしとんのか?

 こないだだって花咲川でそんなのやったばっかじゃん。弦巻さんも花女生だしその場にいたはずだろ。

 

 

「それで結局そのライブで何するんですか?」

 

「あぁ…さっき香椎も言いかけてたけどな、外部から()()()を呼ぶんだそうだ。確か…パス、パスカル?とハロウィンみたいな名前のバンドだった」

 

「たぶんそれパスパレとハロハピです先生」

 

「あぁそれそれ。よく知ってるな市川、俺こういうの疎くてなぁ」

 

「えっパスパレ呼んだんすか!?」

 

「そういや筑波はパスカル知ってるんだっけか。呼んだというか、話を聞くに向こうも巻き込まれた臭いんだよな。だから言葉を選ばずに言うとパスカルもミニライブにくっついてきたってことだ」

 

「は?どういう…ちょっと確認とっていいすか?」

 

「ん?別に構わんが…誰にだ」

 

「あぁまぁ、()()()です」

 

 

 流石にちょっと意味がわからない。

 『ミニライブにくっついてきた』というのもそうだが、さっき先生はパスパレをバンドとして計上していた。が、そもそもパスパレはバンド活動をしていない。

 唯一麻弥さんはかつてスタジオミュージシャンとして活動していた経歴があるが、確か他のメンバーは音楽活動をやっていないはずだ。まあやっててボーカルくらいか、CDはあるし。

 

 一ファンとしてはツテを濫用するようであまり気乗りはしないが、今後の委員会に響いてくる可能性が高いのでウラをとっておきたい。

 ポケットに突っ込んであったスマホでその関係者に電話をかけながら、俺は廊下に出て適当な壁に寄りかかる。

 

 

『もしもし、丸山です。珍しいね?昌太くんから電話してくるなんて』

 

「いえ、ちょっと聞きたいことがあって。今時間大丈夫ですか?」

 

『うん、どうしたの?』

 

 

 ()()()である。間違ってはいない。

 

 

「コンプラ的なアレがあったら伏せてもらっていいんですけど、栄星高校でなんか案件来てませんか」

 

『あー…うん。あれっ、この情報ってもう解禁だったっけ』

 

「あーまだだと思いますよ。俺は例のアレをねじ込まれた側で、今しがた軽く説明されたので」

 

『ねじ込まれた』

 

「俺今栄星の体育祭実行委員やってまして、さっきその話が突然ウチに降りてきて阿鼻叫喚なんですよね。それで今後に響いてくるから一応確認を、と」

 

『えっ?それほんと…?』

 

「えぇ、端的には弦巻さんの仕業と聞いてますけど」

 

『あー…そうらしいんだよねぇ。私たちも一週間くらい前に──』

 

 

 ◇◆◇

 

 

『スタッフさんが話していたのだけど…この新プロジェクトが弦巻さんの耳に入ったって噂、知ってる?』

 

『『えっ』』

 

『『?』』

 

 

 新プロジェクト始動をSNSで告知した日のこと。千聖が話の流れで思い出し口火を切ったのは、スタッフによるとある噂話。

 ただ耳に入っただけで噂になるやべー存在こと弦巻こころ。彼女と同じ花女に通う彩とイヴはそれだけで何かを察したかのように反射的に声を漏らしたが、翻って羽丘生の日菜と麻弥はいまいちピンと来ていないようだ。

 

 

『弦巻さんって名前は聞いたことあるけど、なんでそんなことが噂になってるの?』

 

『普通はそう思うよね…』

 

『ココロさんは“言ったことが大体現実になる”ことで花女では有名なんです』

 

『…つまり、それを聞いて何か起こるんじゃないかってことですか?』

 

『まぁただの噂でしょうし、弦巻さんの琴線に触れなければ特に気にすることも──』

 

『──ちょっとごめんね、伝えたいことがあるの』

 

『お、お疲れ様です。どうしたんですか?マネージャーさん』

 

 

 麻弥の懸念に自身の見解を話していた千聖を遮り、レッスンルームに入ってきたパスパレのマネージャー。濡羽色のポニーテールを腰元まで伸ばしていて、切れ長の目に堅く決められたスーツが如何にもできる人という雰囲気を醸している。

 しかし当の彼女は普段のクールさを喪い、少し狼狽えているようだった。彼女は冷静さを忘れなければ容貌通りのできる人なのだが、一度崩れると彩のように取り乱してしまうフシがある。

 

 とはいえそんな不測の事態などそうそうあるものではなく、挨拶した彩も少し驚いている。

 

 

『またオファーが入ったのだけど、これがちょっと…予定を繰り上げなきゃいけなさそうで。一先ず早いうちに伝えておきたいのよ』

 

『予定を…?そのオファーとは一体?』

 

『ライブよ。栄星高校って知ってるかしら』

 

『あの羽丘以上の進学校ですよね?』

 

『そう。そこの体育祭でライブをやるから一緒に演ってくれないかと、かの弦巻さんからオファーが来た』

 

『『『『『えっ』』』』』

 

 

 そりゃ驚く。何しろ先程ちょうど話題にしていた名前が飛び出したのだから。

 

 ここでいう"弦巻さん"とは弦巻系列の会社全体を指す。

 弦巻はその莫大な富で様々な業界を援助したり、適宜仕事を委嘱したりと、経済の停滞や市場の寡占を防いでいる。なまじ影響力が大きいだけに、これだけの企業が油断すると平気で経済なんて倒れてしまうのだ。

 芸能界も割とその恩恵に与っていて、そのよしみで"弦巻さん"なんて呼ばれていたりする。

 

 閑話休題。

 

 

『でも、なんて栄星でのライブのオファーが弦巻さんから来たんだろうねー?栄星に頼まれるならわかるけど』

 

『私も弦巻さんからとしか聞いてないから裏事情はよくわからないけど…それよりもスケジュールよ。そのライブでは是非()()()()()()出てくれと言われたようなの』

 

『バンド?でもそれって今日…』

 

『そうね。でも何故か先方の耳には入っていたみたい。はぁ、一体どうやって…』

 

 

 こめかみに手を当て嘆息するマネージャー。

 

 この日発表された新プロジェクトとは、パスパレの「アイドルバンド」としてのリスタート、それに付した特番の制作である。

 パスパレはデビューから一年も経たないうちにブレイクし、その地位を盤石にしてきた。この勢いを無駄にしないためにもここで新たな手を打ち、他のアイドルとの差別化を図らねばならない。そこで提案されたのが「アイドルバンド」という道。

 

 昨今のガールズバンドブームは日本全国に波及し、各地でその波に乗り様々なグループが活動している。

 その中でもアイドルの要素を持つガールズバンドというのはもちろんいるのだが、明確にアイドルとバンドの両刀を表明したグループは過去類を見ない。

 この新プロジェクトは、昨今の世相に乗るとともにその新たな在り方の開拓を狙ったものとなっている。

 

 因みに特番はバンドとしての初ライブまでを映すドキュメンタリーを予定しているらしい。

 ファンの要望も厚い『パスパレとしての舞台裏』は歴も浅いことから露出が少なく、そうしたニーズに応えた形だ。

 

 

『その体育祭までは、生徒たちの自主性を重んじてスケジューリングも2ヶ月と少しくらい用意されてる。お披露目ライブはその前にやっておきたいから…1ヶ月半くらいになるかしら』

 

『なるほど…。一から練習して一、二曲ギリギリでマスターできるかくらいてすかね。結構タイトではありますね』

 

 

 このオファーを出した弦巻側は、厳しいスケジュール繰りをさせてしまった代わりにハコの確保やライブの宣伝を請け負ってくれるという。

 ライブの宣伝は可及的速やかに進められることになっているが、過去に数回ライブ自体はやっているため、バンドとしての活動開始が悟られることはない。

 

 麻弥はスタジオミュージシャンとしてドラムの経験があり、機材オタクな側面もあることから他のパートの楽器についても何となくわかる。その経験ゆえの発言だった。

 他メンバーの担当パートは彩がボーカル、千聖がベース、日菜が(おねーちゃんと同じ)ギター、そしてイヴがキーボード。

 

 

『…問題は、完全に音楽経験のない私よね』

 

『イヴちゃんはピアノの経験あるんだっけ?麻弥ちゃんはドラマーだし、彩ちゃんは研修生時代にたくさんボーカルの練習やってるし。あたしはおねーちゃんのギターいつも見てるからなー』

 

『大丈夫?もしツラかったらスケジューリング変えてもらうようにするけど』

 

『いえ、問題ありません。女優としての矜持にかけて、最高の状態に仕上げてみせる』

 

 

 どうあれ結局スタッフ間でまことしやかに囁かれていた弦巻さんの噂は、かくして現実となってしまったのである。

 

 

 ◆◇◆

 

 

「──なるほど。そりゃまた…」

 

『結局何で栄星なのかはわからずじまいだったんだけどねー』

 

「あ、それは弦巻のお嬢が何故か栄星の校門来て『ここでライブしたら楽しそう』って言ったかららしいです」

 

『…流石に弦巻さんだなー』

 

 

 さすが世界のTSURUMAKIだ、まさかガチでパスパレにも介入していたとは。こんな形でネタバレを食らうとは思ってなかったが、このことは来るべき日までそっと自分の中にしまっておくことにする。

 つかそもそも弦巻のお嬢はなしてウチに来たんだ。冷やかし?

 

 

「とにかく情報ありがとうございます、こちらはまぁ…どうにかしときますので。それでは」

 

『あはは〜…よろしく。またねっ』

 

 

 電話を切ってまたアジトへ入り直すと、皆が一様にこちらを見ていた。よほどこのライブの真偽が気になるんだろうと思った俺は、特に気にせず本当だったということだけ伝えた。のだが。

 

 

「筑波さん。よく考えたらパスパレの関係者って、何で連絡先持ってるんですか?」

 

「…親のコネです」

 

 

 大嘘である。

 

 

「ん?何でそこで目を逸らした?誰に電話したんだ?」

 

「関係者です」

 

「その関係者はどこの誰なんだ」

 

「関係者です」

 

「おい落ち着け市川!お前そんなにアイドルに傾倒してたのか!?」

 

 

 実はドルオタだったらしい市川くんが何かを察知してめっちゃ詰め寄ってくるのを、香椎先輩が羽交い締めにして抑え込むという光景。

 

 結局このあとはミニライブ前提のスケジューリングをしたが、なんだかんだ阿鼻叫喚であることに変わりはなかった。

 このアホみたいな状況をどっかに吐き出そうとChanterを開き一言。

 

 

 『体育祭実行委員、修羅場なう』…と。

 

 




 
 島とか大型客船とかポンと用意できちゃう弦巻がどんなことしてるかとか考えてたら、いつの間にか平気で国一つ潰せるヤベー企業になってた。
 


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第25話 ハッピー!ラッキー!!スマイル!!!イエーーーーイ!!!!

 
 タイトルのIQ、いいとこ12
 


 こないだのミニライブのアレといい、七月の体育祭は前途多難である。

 というのも、俺はそのミニライブについて演者さんたちとの情報伝達をするよう言いつけられたのだ。だがそれに当たってすでに困ったことがある。

 

 ハロハピ、どこの誰ぞ?

 

 こないだのパーフェクトパワハラ教室から始まった阿鼻叫喚ミーティングではしれっと名前が出てきていたが、俺はそのハロハピとやらを知らない。市川くん曰く最近出てきたバンドらしいのだが。

 バンドということなので、とりあえず香澄に聞いてみた。なんでって?パッと名前が浮かんだから。

 

 

筑波昌太『Hey, Kasumi』

筑波昌太『ハロハピって聞いたことある?』

 

Kasumi☆『はろはぴ』

Kasumi☆『?』

Kasumi☆『へりこぷたーのあの子?』

 

 

 それハロルドや。

 とにかく、そのハロハピの人とは何かしら連絡手段を獲得しておかなければマズい。

 

 うーん、参った。どうしよう。

 

 

「ん!?おい筑波!」

 

「あ?どうした市川」

 

「今日もいるぞ、弦巻のご令嬢!最近になってまたよく来るようになったけどどうしたんだろうな」

 

「あーマジ?何でだろうな」

 

 

 ドルオタらしく(失礼)はしゃぎまくっている市川くんだが、個人的にお嬢とは噂が噂なのであんまし関わりたくない。悪い人ではないと思うけど…なんかこう、俺の感性だと苦労しそうで。

 

 

「市川、俺今日はもう上がるわ。演者さんと連絡手段確保しなかんでそっち当たるわ…」

 

「あー、大変だな…マジで。頑張れよ」

 

「お互いにな。お疲れ」

 

 

 まぁ一応バンドだってことはわかってるし、当たるならCiRCLEが順当だろうな。あそこはここらのガールズバンドがよく贔屓にしてるとこだ。いつも受付おるからわかる。

 それでもハロハピなんて名前見たことないんすけど。店員の風上にもおけんやつめ。ガールズバンドじゃない説はあるけどそれだったらマジでお手上げ。まりなさん知ってるかなあ…。

 

 駐輪場からチャリをとってきて校門を抜けようとしたところで、目の前に何かが立ちふさがる。

 

 件のお嬢だった。

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 完全に俺の目を見ている。全く身に覚えがない。加えてなぜかは知らないがすごく目をキラキラさせてニコニコしてる。別に悪い気はしないがむず痒い。

 身に覚えがないので横をすり抜けようとするが、再びお嬢が立ちふさがる。

 

 避ける。三度立ちふさがる。

 また避ける。四度立ち

 

 

「何なんですか!?何用ですの!?」

 

「やっと話してくれたわね!あたしは弦巻こころって言うの!あなたの名前を聞かせて?」

 

 

 質問したの俺だよな?一瞬で主導権あっちに持ってかれたけど。

 なるほど、これが花女の異空間ね。氷川さんが言ってたことわかる気がする。

 毒気を抜かれてしまい、敬語も忘れて質問に答える。

 

 

「…………筑波昌太だ。誰かを待ってるのか?何回かここに来てるみたいだが、用事があるなら呼んでくるぞ」

 

「あなたが昌太ね!ううん、それには及ばないわ。だってあなたを待っていたんだもの」

 

「はい?」

 

 

 トテトテとこちらに近づきながらそう宣うお嬢。なんかスゲー近いんだけど、ここらの女子ってパーソナルスペースバグってんのかな。

 

 チラとお嬢の後ろ、ちょうど校門の影になってるとこに人影が見えた。が、すぐ目を逸らした。

 スーツに身を包んだ女性でサングラスをしていたが、明らかにヤバい。『手出したらわかってんだろうな』とでも言わんばかりだ。

 

 …なるほど、これぞ弦巻。

 

 

「はぐみや花音から話は聞いてるわ。なんでも泣いてる子を忽ち笑顔にしちゃうとか!素晴らしいわ!」

 

「あ、あぁ。言っちゃ何だが、疑わないのか?俺が嘘こいてるかもしれないだろ」

 

「ふふっ、やっぱり聞いてた通りね。大丈夫よ、笑顔で溢れてる人に悪い人はいないんだから」

 

「え?」

 

「はぐみも花音も、あなたのことを話しているときは皆笑顔だったわ。それに、あなたを見てると安心するもの。これで嘘なはずがないわ!」

 

「…そうかい。今まで待たせて悪かったよ。俺に用があるのはわかったがどうしたんだ?」

 

「そうね──

 

 

 ──あたしと付き合ってくれないかしら?」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…」

 

 

 知ってたよ〜ん。知ってましたよ〜ん。

 言葉足らずなアレは単に家に来てくれというお誘いだった。期待なんて一ミリもしてない。

 

 件のハロハピ──正式名称を『ハロー、ハッピーワールド!』という──はお嬢こと弦巻こころがリーダーを務める新興のガールズバンドだった。

 俺もちょうど彼女らには用事があったので渡りに船だった。

 まあよく考えたら弦巻の名で体育祭に介入してきたのにライブにお嬢がいないわけないわ。単純に消去法で考えたらハロハピにお嬢がいそうなことくらい分かる。

 

 そんで今はその弦巻家におるわけだが、これ何かの城郭とかではなくて?

 

 

「ここがあたしのお家よ!遠慮せずに入ってちょうだい!」

 

 

 だよね。申し訳程度に表札あるもんな。

 入らんことには始まらないので言われるがままに入る。言い方アレだけど日本○研の焼肉のたれ宮殿を思い出す装いだ。

 

 ここへはト○タのセンチュリーらしき車で連れてきてもらったのだが、静音性が高かったにも関わらず耳朶を衝いていたスキール音は何だったんだろう。

 チラッと運転士さんを見たらおかしなくらいハンドルグルングルン回しとるもんで血の気が引いた。公道はサーキットじゃねえよ。

 

 

 ハロハピはいつも弦巻家のスタジオ設備で練習を重ねているらしく、よくここに集まっているとか。今日も例に漏れず練習をすると言っていた。

 何故かは知らないが距離感バグってる系お嬢はさっきからずっと俺と手をつないでグイグイ引っ張ってくる。この数十分でひどく懐かれたらしく俺は困惑していた。

 

 というかスピードが速い!性差あるはずなのについていくのがやっとって何だよ一体!

 そんなありえない速度でだだっ広い廊下をダッシュしていたために、曲がり角から出てきた人影に気づく暇もなかった。

 

 

「わぷっ」

 

「どわぁッ!?」

 

 

 その影に衝突し俺の方に跳ね返ってきたお嬢。当然真後ろを疾駆していた俺にぶつかりかけるが、咄嗟に両腕で受け止め──。

 ──跳ね返る?

 

 

「あっ、ミッシェルじゃない!」

 

「クマーーーーーッ!!!!?」

 

 

 

 

 

「──以上が現時点でのミニライブ概要です」

 

「ふふ、とても儚い話をありがとう。麗しい子猫ちゃん」

 

「儚い計画ってヤバいと思いません?」

 

「お仕事が早いのね。これでもっと多くの人を笑顔にできるわ!」

 

 

 現時点でのミニライブについて確認をとってもらったところで、ハロハピの面々は三者三様の反応を見せている。

 

 なんか気障ったらしい言い回しをしているのは瀬田薫さん。この面子唯一の羽丘生で、その雰囲気はオペラの王子然としている。女性なのだが下手な男よりイケメンムーブが板についている。

 やはりというか瀬田さんは羽丘では根強い人気があるとかなんとか。ケッ。

 

 

「でもその日、ちゃんと晴れてくれるかなー?」

 

「あぁ、それに関しては問題ない。雨になったとしても少なくともライブは室内でできる用意がある。お流れになる心配はないということだ」

 

「おーっ、段取りもバッチリなんだね。すごいすごい!」

 

「大丈夫よ、その日は絶対晴れるわ!」

 

「えっ?まさか天気操作したりは…しないよね?しませんよね?」

 

 

 俺の補足にはしゃぎまくっているのは北沢はぐみ。

 最近家を空けがちになっていたのはこのバンド活動に携わっていたからだったようだ。

 ちょっと見ないうちに変わったかと思ったが無邪気なとことか無限の体力とかといい何も変わってなかった。二本のアホ毛ももちろん健在である。

 

 

「ありがとうございます、ありがとうございます…本当に助かります…」

 

「この数日でよくここまで詰められたね。大丈夫?」

 

「…へへっ」

 

「昌太くん!?」

 

 

 死ぬほど腰が低く、なおかつ死ぬほど苦労してそうな黒髪の彼女は奥沢美咲。

 聞くところによると作曲の大半を彼女が担っているほか、弦巻さんとはぐ・瀬田さんを指していう『3バカ』を取りまとめたりと縁の下の力持ちどころではない、なくてはならない人材。

 

 現にその青みがかったグレーの瞳は濁りきっている。怖い。

 

 因みにさっき曲がり角でお嬢がぶつかったクマことミッシェルの中の人も彼女らしいが、ミッシェル自体はバンドの六人目のメンバーとして3バカに認識されているという。説明したのに通じなかったらしい。んなアホな。

 

 あと一人は花音さん。何でここにいるのあなた。

 

 

「ただアレなんすよね、設営の時間があまりになさすぎるとかは改善の余地ありなんすよこれ」

 

「え?十分じゃない?」

 

「はぐみ、常識的に考えて5分じゃ設営は無理じゃろ。三億人くらい動員したらわからんけど」

 

「それはそれで遅そう」

 

「黒服さんなら3分で設営できるわよ?」

 

「は?」

 

「あー、筑波さん。黒服さんは本当に仕事が早いので不可能ではないと思いますよ。目の当たりにすればわかるんですけど」

 

「あはは…私もアレ見ちゃってからはなぁ」

 

「嗚呼、あれは実に儚い仕事ぶりだった」

 

「そ、そうすか…。そこまで言うならこのまま上に打診しておきます」

 

 

 扉のそばに控えている黒服さんに確認を取る意味で目線を送ると、表情を変えずにサムズアップ。

 黒服さんの労働力は一般People三億人に比類することがわかったひとときだった。誰得。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「気になったんですけど、何で奥沢さんってここいるんすか?言っちゃなんですけど、その常識人ぶりが似つかわしくないというか」

 

「あたしもそう思いますよ、本当に。色々あったんですけど、概ね筑波さんと似たような経緯ですね。巻き込まれたんです」

 

「…ハハッ」

 

「ははは」

 

 

 弦巻邸に何故かある自販機、そのそばで死んだ目をして乾いた笑いを上げている俺と奥沢さん。その手には烏龍茶が握られている。

 彼女はどこかダウナーというか、いつも一歩引いた視点でモノを見てそうというか。お嬢やはぐ、瀬田さんとはいろいろと真逆な性質だと思った。花音さんは…うん。

 

 

「元はあのキグルミ着てバイトしてただけなんですけど、気づいたらこんなことになってたんですよね。何が起こったかわかりませんでした」

 

「めっちゃわかりますそれ。俺は何故かお嬢に捕捉されてて、高校に凸されて気づいたらここにいたんですよね。ずっとこっち見てるもんだから何の用か聞いたら突然自己紹介されて会話の主導権握られた」

 

「あーわかりますわかります…。いつもだってこころが突飛なこと言い出して話題があれよあれよとすっ飛んでいくんだから。もはや暴れ馬ですよあれは」

 

「説明してるときもそうだったなー。はぐとか瀬田さんとかが適当に乗っかるもんだから加速度的に脱線が進むんすよね」

 

「そうなんですよ。手綱を握りながら話をまとめて曲に落とし込んでっていつもやってるんですけど、もう頭がすっとびそうになるんです。あんなの一般人でしかないあたしには本当に難しくて…」

 

「…ヘヘッ」

 

「へへへ」

 

 

 干上がったアラル海よりも乾いた笑いが出る。

 というか一般人には到底不可能なその処理をやってこれてる時点で、逆説的に言って奥沢さんは一般人じゃないのでは…とか思ったが、何となく口にはしない。

 

 

「元々あたしって変化をあまり好まないタチなんです。現状維持でユルユルと生きるのがあたしなりのやり方だった」

 

「…あっ」

 

「お察しのとおりです。こころたちと絡むようになってからはもはやそんなことも言ってられない生活があたしを待ってました。毎日のように自分の常識を疑うような生活なんて、とても現状維持とは言い難い」

 

 

 と言いつつ奥沢さんはどこか嬉しそうな表情をしているように見えた。

 俺としてもお嬢は花女の異空間という異名に負けず劣らずのぶっ飛んだ人という印象がある。

 が、それでも彼女には意図せずとも柵を越え人々を笑顔にさせられるカリスマ性があった。俺も校門で身を持って体験したばかりだからよくわかる。

 

 それでもなんであんなに懐かれたのかはよくわからんけど。正直誰に対してもあんなんだったらそのうち悪いやつに捕まっちまうと思うぞマジで。

 

 

「でも、それが思いの外楽しかったんですよね。いつもいつも振り回されて苦労ばっかりしてるはずなのに」

 

「お嬢にはそれだけのカリスマ性というか、柵を一瞬で乗り越えてしまう何かがありますよね。俺も一瞬で毒気を抜かれてここに連行されましたし」

 

「そうですね、あたしもそう思います。こころはぶっ飛んでいるように見えて、その実何があっても揺るがない柱を持ってるんですよ。知らないうちにそれに中てられて…そうですね、ファンにでもなっちゃったみたいで」

 

「ファン?」

 

「はい。何だかんだ周りを振り回しつつもあたしには新しい世界を見せてくれましたから。我ながらチョロチョロだと思いますけどね、ははは…」

 

「奥沢さんにそこまで言わせるはな。はぁ、噂とあのぶっ飛びようでお嬢とはあんま関わりたくないとか思った自分が恥ずかしい…」

 

「あ、それは無理ないと思います」

 

「えっ」

 

「まぁ、しんどいものはしんどいので…」

 

 

 何だかんだハロハピのことをよく想ってるのはわかった。それでも彼女にこんな死んだ顔をさせるハロハピってあまりにハイリスクハイリターンすぎんか。ジェットコースターか?

 

 

「気になってることがあるんですけど、お嬢って誰でも手引いたりスゲー近づいたりとかするんですか」

 

「えっ?あー、そうでもないですよ。やっぱり腐ってもご令嬢なんで、一線は一応弁えてるようですし。おまけにこころって人の本質を見抜くのに長けてるので…」

 

「んんー…。そうすか」

 

「何かあったんですか?」

 

「いえね、その凸のときとか初めて弦巻邸に入ったときとかやたら距離近いなーって思いまして。単純に大丈夫かなぁって思って」

 

「そういうところじゃないですか?」

 

「えっ?」

 

「あーごめんなさい、言葉足らずでしたね。たぶんこころは筑波さんの根っからの善良さを感じたんじゃないかなと。それにはぐみとか花音さんの話も聞いてたみたいですしね」

 

 

『ふふっ、やっぱり聞いてた通りね。大丈夫よ、笑顔で溢れてる人に悪い人はいないんだから』

 

 

 そういやなんかそんなこと言ってた気がする。そんときは『いや別に俺はお嬢ほど笑顔ではないが?割と真顔だが?』とかバカみたいなこと考えてたけど。

 

 というかお人好しだという自覚はあるけどそこまで笑顔ばっかりというわけでもないんだよな。俺だって聖人君子じゃないんだから散々人を泣かせたことがあるし。

 ちょっと前の燐子さんとか、こないだのさーや然り。

 

 

「俺はそこまで出来た人間じゃないんだがな」

 

「こころは」

 

「ん?」

 

「…こころは、あの通りの感覚派です。さっき言った本質を見抜くというのも直感みたいなものらしいんです。以前にも似たようなことってありませんか?感覚派の人にすぐ懐かれるみたいな」

 

「あー…まぁ」

 

 

 パッと思い浮かぶのはモカとか香澄か。

 そういえばモカはアフグロの面子ではすぐに懐かれたし、香澄もそんなんだった。誰に対してもあんな感じだと思ってたしそれ自体は特に気にも留めなかったんだが。

 

 知ってるか?そうやってすぐに懐かれるたびに、俺は距離を詰める早さに危機感を覚えてるんだぜ…?

 正直マジで余計なお世話だと自分でも思ってるけど、もはや一つの癖みたいなものになっちゃってて全然治らない。

 

 

「やっぱり。感覚派の人って、得てして人の感情の機微に聡かったりするじゃないですか」

 

「確かに」

 

「言ってたんです、こころが。『一緒にいて何となく居心地がいい』って。たぶんその他の感覚派の人たちも、そんな感じで居心地の良さを感じてるんじゃないかと。それこそが筑波さんの善良さの証拠なんじゃないかなー…なーんて」

 

「クハハッ、そうだといいですけどね」

 

 

 そうして駄弁りつつチビチビと烏龍茶を飲み進める。

 このあとは奥沢さんとミニライブの情報伝達のために連絡先を交換した。花音さんに伝えてもよかったんだけど、伝手は多くて損はしないだろうし。

 

 さて、次はパスパレの方に顔を出さなきゃいけないわけだが。こっちはこっちでどうすりゃいいかわからん。

 そのへんよくわからんからとりあえず彩さんにLIGNE飛ばしといたところで、今日は弦巻邸をお暇させてもらった。

 

 

 だから送ってもらうのはいいけどセンチュリーで頭○字Dし始めるのやめてもらっていいですか?

 とか考えつつ、遠心力にぶん回されて壁に頭をぶつけるのであった。

 

 




 
 ガイドライン公開の影響で好きだった作品がゾロゾロ死んでて震えています。二次創作である以上仕方ないことですが辛いもんは辛いです。
 


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第26話 るんっ♪るるるんっ♪

 
 不定期投稿です(鋼の意思)
 


 ハロハピとの邂逅から数日。週末の休日ということで本来なら家でゆっくりしているところだが、なぜか俺はパスパレの所属事務所に赴いている。

 先日彩さんには、体育祭でいろいろ連絡事項があるからと予定の合う日を教えてもらうようLIGNEでメッセージを送っていた。が、まともな時間が今日しかないという。休日出勤万歳!ちくしょう!

 

 

 そのパスパレの事務所はとにかく大きく、何階建てだかもわからない高さのビル一棟がまるまるそれらしい。蒼穹に染まるガラス張りの外壁が煌々と照っていて目が潰れる。

 ここならソーラービーム1ターンで撃てそう。

 

 …などとビルに関して感想を述べるのはいいが、そろそろ現実逃避もやめにしようか。

 

 

「ねーねー!キミってこないだラジオ聞いてくれてたるんっ♪ってする子だよね!?名前は?名前はなんていうの?事務所にはなんで来たの?スカウトされたの?ねーねー!」

 

「うぇえ…?ぇーと」

 

「うんうん、声質もいいしカッコいいしるるるんってするしキミをスカウトした人はわかってるよね!あ、あたしのこと知ってる?氷川日菜!よかったら応援してくれると嬉しいな!って、およ?もしかしてギターやってる?お揃いだね!あたしもおねーちゃん見て始めてさー!楽しいよね!ねーねー」

 

「えー、そのー…ウッス」

 

 

 やせいの ひなちゃんが あらわれた!

 

 唐突に現れた推しな上に、その推しに返答も許さないレベルでマシンガントークを投げつけられ脳がオーバーヒート寸前である。そうでもなかったらこうもしどろもどろにはなっとらん。

 しれっと手を握られたときにギタリストであることを看破されたが、まぁそれはそれ。

 

 

「えっと、日菜ちゃ…氷川さん。俺はスカウトされたんじゃなくてパスパレに用事があって──」

 

「んむー、その呼び方るんってしないー!日菜ちゃんでいいのに!…というか、あたしたちに?それじゃあキミがしょーたくん!?わあぁ、やっと会えたね!おねーちゃんとか彩ちゃんとかから話は聞いてるよ!んー、まさかあのときるんってきた子がしょーたくんだったなんて!るらるんってきた!ねーねー、今度一緒にセッションしようよっ!ねーねー!」

 

 

 ──悪化した!ちょっと返事しただけで数倍悪化した!

 いや、目の前でかわいいが暴れてるのはいい。別にそれは問題じゃない。頬を膨らませてみたり、キョトンと首を傾げてみたり、目を輝かせてはしゃいでみたりとたった数十秒でコロコロ変わる表情が愛くるしいがそれは問題じゃない。

 

 このままじゃ話が全く進まなうわやめろ手を握るな!恋人つなぎしようとすな!それ以上惑わすな!うわぁ手小さ…指ほっそ…

 日菜ちゃんさんに指を抜かさせないようガードしながら言葉を紡ぐ。

 

 

「日菜ちゃんさん、それは願ってもないことなんですけど…今日はもう時間が」

 

「んー?あっ、そっか。今からだもんね!じゃああたしと行こうよ!場所わかるからさ!」

 

「え、それはちょおい引っ張らないで!指通そうとするな!!」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ここだよ!ってあれ?まだみんな来てないのかな…一緒に待ってよ?」

 

「…ういっす」

 

 

 結局抵抗も実らず日菜ちゃんさんに恋人つなぎ(一方的に握られてるだけ)させられてしまった。あれ?前にもこんなことあったような…。

 そんな頭痛がアイタタする記憶はとりあえず置いて、会議室らしき部屋で日菜ちゃんさんとほかのパスパレメンバーが集まるのを待つ。

 

 現在、十畳ほどの広さの会議室にはテーブルを囲うように椅子六脚が置かれている。

 そして部屋の隅には学校の教室にありそうな縦長のロッカーがあるのだが、そこはかとなく妙な気配と視線を感じたため一度も近づいていない。

 もりのようかんの○トム出てくるテレビじゃないんだから…。

 

 

 この状態でも頑として日菜ちゃんさんは手を離してくれない。

 パスパレファンにハンカチを咥えてキーッ!と妬まれそうなシチュエーションだが、いざ巻き込まれてみるとそれどころではないのがよくわかった。たぶん心臓4cmくらい縮んだ。

 

 ちゃんと抵抗はしたからな!してこれなんだよ!

 

 

「あの日菜ちゃんさん」

 

「んー?どうしたのしょーたくん」

 

「この手は」

 

「これ?握り返してくれていいんだよ?」

 

「いやその、ぼくにはすぎたものかなーと」

 

「えー、いいじゃーん。つなごうよー」

 

 

 日菜でいいのにー、なんて言いながら日菜ちゃんさんは手をニギニギし続ける。俺がよくねぇんだなあ!このままじゃほかのファンに刺されるから!

 でもそうなるとすでに彩さんとかイヴちゃんとかと知り合ってる俺って…。まだ準備期間とかで情報が未解禁のRoseliaのみなさんとも顔見知りで…あっ、やめようこれ。死んだ。

 

 

 今更なんだけどさ、なんで俺が連絡網の形成に奔走させられてるんだろう。

 

 ライブをやるなら演者との連絡手段は用意しておかなければならないものを、ろくにそのへんのパイプも用意せず放置されてる時点でさ。

 そもそもこれ顔合わせる意味ある?メールでよくないか?

 

 という旨を先公にメルったところ、

 

 

『お前は所詮…先の時代の敗北者じゃけェ…!!!』

 

 

 と返信が来た。要するに尻拭い全部押し付けられたらしい。

 ハハハ、そうですか。許さん。

 

 

「んふふ」

 

「ん?どうしたんですか日菜ちゃんさん」

 

「え?やっと握り返してくれたからさー♪るんってきたよ!」

 

「………」

 

 

 やべ、メールにムカついたせいで無意識に握っちゃってた。すぐ力を抜くとやっぱり日菜ちゃんさんが「握ってよー!」と隣で駄々をこね始める。かわいい。

 

 

「おはようございまー…えっ!?昌太くん何で日菜ちゃんと手つないでるの!?」

 

「どうも彩さん…いや離してくれないんすよ日菜ちゃんさんが…」

 

「しょーたくんが握ってくれないのー!」

 

「え、えぇ…?どういうこと…?」

 

 

 彩さん、困惑。

 大丈夫、俺も意味わからん。お嬢といい何でみんな手つなごうとしてくるんだろう。

 んなことを考えているとほどなくしてイヴちゃんが入ってくる。

 

 

「おはようございます!お久しぶりです、ショータさん!」

 

「ひ、久しぶり〜…」

 

「あ、イヴちゃん」

 

「どうしました?アヤさん」

 

「…これ見てもなんとも思わないの?」

 

「え?仲睦まじくていいと思いますよ?」

 

「そ、そう…あれ?これ私がおかしいのかな?」

 

「いえ、それが普通です。ところで大和さんと白鷺さんはまだなんすかね?」

 

「マヤさんはもう三十分前に着いたと連絡がありましたよ?」

 

「え?でもあたしたちが来たときは誰もいなかったよ?ね、しょーたくん」

 

「…まさかアレじゃないですよね?ロッカー」

 

 

 そう言いながら例の変な気配がするロッカーを指差した瞬間、ガタンッ!と音を立てて揺れた。

 「ぴっ!」と声を漏らしビビる彩さん。日菜ちゃんさんが全く驚いてないのは予想できたけど、イヴちゃんもちょっと首を傾げるだけで済んでる。意外と肝座ってるよね。

 

 …俺?うん。まぁね、平気でしたよ?えぇ。つい反射的に日菜ちゃんさんの手握ったりしてないから。してないしてない。ほら、ビックリフラッシュとか最強だから俺。

 

 イヴちゃんがそのロッカーを平然と開け放つと、案の定そこにいたのは麻弥さんだった。

 

 

「フヘヘ…助かりましたイヴさん。興味本位で中に入ったら出れなくなってしまって、携帯も外でしたので…。あなたが筑波さんですか?こんな形での挨拶ごめんなさいっス。大和麻弥と申します、よろしくお願いします!」

 

「栄星一年の筑波昌太です。…本当だったんですねそれ」

 

「アハハ、お恥ずかしいことに…」

 

「…麻弥ちゃん、また狭いところに挟まっていたの?いつもほどほどにしておきなさいと言ってるじゃない…まして今日に」

 

「おはようございます、千聖さん。面目ないっす」

 

 

 最後に会議室に音もなくやってきたのは白鷺千聖。彼女は未だに(一方的に)繋がれている手を一瞥して目を細めつつ、どこかぶっきらぼうに俺に挨拶した。

 

 

「…白鷺千聖よ。あなたが栄星の人よね?」

 

「えぇ。栄星一年の筑波昌太と言います」

 

「そう。…あなたが、例の…

 

 

 さっきと同じように名乗ると、ボソッと何かを呟いた後にツカツカと空いているイスへ向かっていってしまった。…あまりよろしくはしたくなさそうな雰囲気だな。初対面だよな?

 何かをしたというのであれば、未だに日菜ちゃんさんに握られているこの手だろうが。俺からではないにせよ、押し切られているだけお前も悪いということだろうか。

 

 

「…千聖ちゃん?」

 

「どうかした?彩ちゃん」

 

「ぅ、うぅん。何でもない」

 

「そう。ギリギリに来ておいて悪いのだけど、早いところ始めましょう。時間が押しているのよ」

 

 

 そのぶっきらぼうさに違和感を覚えながらも、特に従わない意味もないので素直に話を進める。

 ハロハピにしたものと同じ説明を彼女らにも済ませ、長居することもないだろうとそそくさとお暇させてもらおうとしたら、白鷺さんに声をかけられる。

 

 

「筑波くん、少し時間いいかしら?」

 

「え、はい。構いませんが」

 

「そう。場所を移しましょうか」

 

 

 時間がないと言っていた上に、彼女が少なからず嫌悪感を抱いているであろう俺を呼び止めるとはどういうことなのだろうか。

 無論考えてもわかるはずなどなく、少なくとも浮ついたそれではないのだろうと呑気に考えながら白鷺さんについていくと、事務所内の人気のない廊下で立ち止まる。

 

 

「いくつか確認させてちょうだい。あなたは今日はあくまでも学校の用事で来たのよね?筑波くん」

 

「ええ、それは知ってのとおりでしょう。さっき説明したことが全てです」

 

「次。あなたは彩ちゃんや花音──松原花音と知り合い、という認識でいいのかしら?」

 

「そう、ですね。知り合いです」

 

「日菜ちゃんと手をつないでいたのは?」

 

「それは俺にもよくわかりませんよ。抵抗してもすり抜けて握ってくるので諦めました」

 

「…はぁ。まぁ、それはそうよね。他には?イヴちゃんとも顔見知りだったようだけど?」

 

「若宮さんは知り合いの店でバイトしてるんです。たまたまですよ」

 

 

 さっきから詰られるのは交友関係が中心。確かに白鷺さんの周りにはやけに俺が最近知り合った人が多い。しかしもちろんそこに何らかの打算があるわけではない。

 それに関しては俺が言ったようにたまたまでしかないのだが。

 

 

「…例えそれでみんながあなたを認めても──」

 

 

 ◆◇◆

 

 

『──私は、あなたを認めない。これからは必要以上に私たちに近づかないでちょうだい』

 

「──ぇ」

 

 

 飲み物を買おうと自販機へ向かっていたところ、廊下の曲がり角から聞こえてきた千聖ちゃんの声。その拒絶としかとれない言葉に私は思わず声を漏らしてしまう。

 

 説明も終わり帰ろうとする昌太くんを呼び止めた千聖ちゃん。その用件を盗み聞きする気はさらさらなかった。

 もちろん気にならなかったといえば嘘になる。あの二人は今日が初対面のはずで、千聖ちゃんは昌太くんについては私とか花音ちゃんの話でちょっと聞いたくらいだろうから。

 

 でも、だからこそわからない。関係の浅い千聖ちゃんが、どうして…?

 

 疑問を覚え立ちすくんでいると、用件を済ませ戻ってきたらしい千聖ちゃんに見つかってしまった。

 

 

「彩ちゃん?盗み聞きだなんて感心しないわね」

 

「あ、えっと…ごめんなさい。たまたま通りがかったら聞こえちゃって…」

 

「…冗談よ。でもまぁ、ちょうどいい機会だし言っておくわ。彼には気をつけなさい」

 

「どうして…?昌太くんとは初対面なんだよね?私だって何回も助けてもらって──」

 

「──それが危ないのよ。彼にどんな裏があるかわからないでしょう?下手に恩を売られて、それを盾に強要されたり…とかね」

 

「ま、まさか…昌太くんに限ってそんなこと…」

 

「人は見かけによらないものよ。これからは彼に近づくのは控えることね」

 

「う、うん…?」

 

 

 状況についていけず曖昧な返事をする私をよそに、千聖ちゃんは会議室に戻っていく。

 

 昌太くんはそんなことをする人ではない…と思う。でもさっき千聖ちゃんと昌太くんは関係が浅いと言ったが、私だって彼とそんなに深い付き合いというわけではない。

 だから千聖ちゃんの言うことを一概に否定もできないのだ。

 

 そもそも千聖ちゃんはなんの根拠もなしにあんな忠言をするような性格ではない。忠告をするからには何かワケがあるんだろうけど、そこまでは私にもわからない。

 

 ──昌太くん、あなたは一体…?

 

 

「彩ちゃーん…あれ?どうしたの?」

 

「あ…日菜ちゃん」

 

 

 私がなかなか戻らなかったからか、千聖ちゃんと入れ替わるように日菜ちゃんが私を追ってきた。

 日菜ちゃんなら何かわかるかな。独特の感性からくる表現は私にはわかりづらいけど、直感はいつも冴えてるし。何なら見た目じゃわからないマネージャーさんのトチる性質もすぐ見抜いてたっぽいからなぁ。

 

 

「ねぇ、昌太くんとは今日初対面なんだよね?」

 

「んー、まぁそうなるかな?なんで?」

 

「さっき千聖ちゃんに『彼はどんな裏があるかわからないから気をつけろ』って言われて…どうすればいいかわからないの」

 

「ふ〜ん?それならさ、聞いてみればいいじゃん!」

 

「えっ?」




 
 大変お待たせしました。長期間放置してしまって本当に申し訳ない。

 作者が執筆をサボっている最中に関わらず拙作を評価してくださった方、ありがとうございます。履歴が吹き飛んでしまいどなたに新しく評価いただいたかわからなくなってしまったため、このような形でのお礼となってしまうことをご了承ください。


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第27話 嘘でしょ…

 

 すみませんでした

 


「日菜ちゃん」

「なにー?」

「『聞けばいい』って…こういうことなの…?」

「そだよ? やっぱり一人でいるときって気が抜けちゃうし、これが手っ取り早いでしょ!」

「うぅ〜、大丈夫かなぁ…」

 

 軽率に日菜ちゃんに相談したのは間違いだったかもしれない。

 

 私と日菜ちゃんが見ているのは私のスマホ。あの後日菜ちゃんは帰っていく昌太くんに接触(物理)して、彼の胸ポケットに通話状態にした日菜ちゃんのスマホを忍ばせたというのだ。

 その通話相手は私。つまり今は彼が何か話せば、日菜ちゃんのスマホを介して私のスマホで聞くことができるという状態なのだ。

 

 …というかこれ、ただの盗聴なんじゃ…。

 

『──外に出たついでにスーパー行って足りないやつ買い出しして…』

 

「しょーたくん、スーパーに行くみたいだね。ご飯作れるんだ?」

「一人暮らしで自炊してるってこの間言ってたよ。軽いのしか作れないって聞いたけど…」

 

 普通は懐に通話状態のスマホを忍ばせたところで、これからどうするかとか今何をしているかとかがわかるわけはない。

 私だってそう思ってたから、倫理的にアレでもそこまで強くは言わなかったんだけど。

 

 でも昌太くんはやることを口に出して整理するクセがあるらしくて、これから何をやるか見事に筒抜けになってるんだよね…。

 うぐぐ、さっきすぐにやめなかった罪悪感が…! でも気になっちゃう…!

 

『あ〜、なんで今日に限って雲一つないんだ…! 暑すぎる…』

 

「あつそう…(小並感)」

「えっ、今日ってそんなに気温高いかな? ちょうどよくない?」

「もしかしたら自転車で来てるのかも…。私が最初に会ったときも乗ってたし」

「…なんか詳しくない? しょーたくんについて。話し始めてからどれくらいなの?」

「えっ!? そ、そんなことないと思うけどな…えっと、一ヶ月経つか経たないかくらい…?」

「どんだけ話してるのさ。あたしももっとしょーたくんとお話したい〜」

 

 でもそれを言うなら日菜ちゃんも今日が初対面なんだよね。千聖ちゃんとの温度差すごくないかな? 千聖ちゃんは妙に警戒してるけど、日菜ちゃんは逆に妙に懐いてるというか…。

 なんというか両極端すぎて、全く参考にならない。

 

「本当に日菜ちゃんって今日初めて昌太くんに会ったの?」

「ん〜、直接見たのはこないだのラジオ収録のときなんだよね。そのときにはおねーちゃんにしょーたくんのことは聞いてたんだけどね」

「紗夜ちゃんが?」

「うん。でもなんでか知らないけど馴れ初めはいくら聞いても話してくれないんだよねー。顔赤くしてすぐに話題変えてくるから…」

「え? 紗夜ちゃんだよね??」

「そうだよ。それでしょーたくんを初めて見たときるんっ♪って来て、つい口に出しちゃってさ。『あの人がおねーちゃんを赤面させたんだ!』って」

「し、信じられない…」

 

 同学年なうえに紗夜ちゃんの立場上話す機会は何回もあったんだけど、いつも生真面目で恋愛とかそういう俗なモノが入る余地なさそうだなーって思ってた。そんな紗夜ちゃんが恥ずかしがる馴れ初めって一体…何したの昌太くん…。

 …あっ、取り締まられたことはないからね!? ほんとだよ!?

 

「あとはー、リサちーとか?」

「リ、リサちー…?」

「あー、あたしと同じクラスなんだけどね。リサちーもリサちーでしょっちゅうしょーたくんの話しててさー。お預け食らってる気分だったよ…」

「あはは…」

 

 もっちーんとほっぺを膨らませながらブー垂れる日菜ちゃん。

 普通なら日菜ちゃんがここまで人に興味を持つことはなかなかないはずなんだけど、やっぱりおねーちゃんパワーかなにかかな。

 

 人への興味が薄いのは紗夜ちゃんも似たようなもので、それも一因ではあると思う。でもそれは逆も然りで、紗夜ちゃんを惹くどころか普段見せない一面を引き出すような人となると…。

 

『お、昌太じゃん。ギターなんか背負って、学校帰り? 今日休みなのに』

『おー沙綾。そう、例の委員会でな…ちょっと…』

『あー、お疲れ様。…なんかあったの?』

『えっ? あぁ、いやぁ…仕事量増えそうだなあと』

 

「さーや? 彩ちゃんは知ってる?」

「ううん、私も知らないかな」

 

 流石に私でもそこまでは知らないよ、日菜ちゃん…。

 なんだか日菜ちゃんの中では私と昌太くんの関係がかなり密接になってる気がするけど、まだそこまでではない。…と思う。

 

『なーにー? また抱え込んでるの? もー、昌太ってば…』

『わかってる。でも今回のはそういうのじゃなくて…あー、まぁ倒れるほど重度ではないとは言える』

『…まぁ、いいけど。ぜっっったい、無理はしないこと! いい?』

『ありがとう、沙綾。今回のも突然降って湧いてきたものとはいえな、絶対成功させたいんだ。無理のない程度に頑張ってみるわ』

『うん』

 

「…え? もしかしてしょーたくんって倒れたことあるの?」

「言葉の綾…とかではなさそうだよね」

 

 さあやって子、すごく昌太くんのことを心配してるのが声色でよくわかった。それもあって、モノの例えとして引っ張り出された『倒れる』という言葉にも、いやに真実味があった。

 …それに、本当に邪な気持ちがあったんなら、『絶対成功させたい』なんて──

 

『ところで昌太。そのスマホ…そんな色のスマホ、使ってたっけ?』

『え? あれ、確かに知らん色だ…』

 

「うげっ、ヤバっ! 彩ちゃん通話切って! 早く早く!」

「うぇっ!? う、うんっ!」

 

 思考の渦に沈みそうになった途端、突然スマホをすり替えたことがバレそうな流れになって、いつも以上に慌てて通話を切った。

 

 経緯はちょっとアレだけど、昌太くんの本音をちゃんとここで聞けたのはよかった。自分が確認できたんだからこれでいい…はずなのに、でもまだモヤモヤする。なんでだろう…?

 

「…あれ? でも日菜ちゃん、この作戦って自分のスマホをそのまま持ってかれちゃうかもしれないよね? よかったの?」

「んー? しょーたくんならるらるんっ♪ってするから大丈夫だよ。絶対」

「へ、へぇ…?」

 

 結局後日に日菜ちゃんの言ったとおり、スマホはすぐに帰ってきた。一回会っただけで昌太くんのことしっかり見抜いたの? …そんなわけないよね?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 それからも練習は何回もやったし、全体練習もやった。けど、どうしても胸のつかえが取れない感じがしてどうしても身が入らなかった。

 そのおかげで、今もなお披露する曲に関してはほとんど覚えられていない。はぁ…、ここまでぐだぐだなのも久しぶりだなぁ。

 

 

 こういうときに役に立つのは、普段から気づきをまとめて持ち歩いているノート。今みたいに目標を見失いそうなときや、なんだかモヤモヤするときとかに見返して、活力をもらうんだ。

 

 自分はそんなに要領がよくないから、日頃からこうして勉強していないとたちまちみんなに置いていかれてしまう。だから、日常のふとした瞬間でも勉強なんだ。

 ひとりレッスンルームに残った私は、いつも通り気づきノートを開く。すると、ちょうど挟まっていたのか一枚のルーズリーフがはらりと床に落ちた。

 

「ぁ…」

 

 ちょっと前に日菜ちゃんに聞かれたけど、これは私にとってお守りのようなもの。

 ルーズリーフには走り書きで簡潔な感想が、あとは多くの余白をたくさん使って『差し入れです』と矢印とともに書かれているだけだけど。

 

「ふふっ、懐かしいなぁ」

 

 

 まだデビューする前の、研修生だった頃。長らく事務所には所属しながらも、なかなか芽が出なかった私は、レッスンルームが使えないときも近くの公園でよく自主練習に励んでいた。

 取り柄なんてなにもないことがわかっていたから、自分には誰にでもできる練習しかない。それでひたすら練習してもちっとも花開けず、半ば心が折れそうになっていた。

 

 

 でも、そんな先の見えない研修生生活を送っていたある日。自主練習が終わってみると、自分の荷物のそばにスポーツドリンクが置かれていることに気づいた。

 

『あれ? あんなの今日買ってないよね…? 誰かの忘れ物かな』

 

 私は普段水筒を持ってきているから、自販機とかでは飲み物を買うことはない。だからこそ最初は誰かが忘れていったものなのかと思った。

 でも、よく見てみるとペットボトルのそばには紙が添えられていて、そこにはこう書いてあった。

 

『通行人です。たまたまあなたを目にして、思わず見入ってしまいました。流石に話しかけるのは憚られまして、書き置きででもこの興奮を伝えたかったので、ルーズリーフにて失礼します。代わりといってはささやかすぎますが、差し入れもどうぞ。応援してます』

 

 結露で濡れたその紙は、はじめての自分のファンからのメッセージだった。スポーツドリンクもキャップを開けてみると、初めて開けるとき特有の「カシュッ」という音がして、本当に差し入れとして置かれていることがわかった。

 その時のスポーツドリンクは、生温くて、とても塩辛かったのをよく覚えている。

 

 

 次の週はさすがにあんなことはないだろう、あれっきりだろうと思っていたのだが、その日も練習を済ませてみるとまたスポーツドリンクが置いてあった。

 そして、例によってそばには感想が綴られたルーズリーフ。この日のスポーツドリンクはキンキンに冷えていた。

 

 それからも毎回同じ曜日に自主練習を済ませると決まってスポーツドリンクとルーズリーフの一式が置いてあって、規則的すぎて怖くもあったけど、気づけば週に一回の楽しみになっていた。

 そして涙もろい私は、毎回それを読んではひとり泣いていたものだ。私の努力を陰ながら応援してくれているのが、文を通してよくわかったから。

 

 初めてファンのことを意識して練習し始めたのもこのあたりで、機械的になりつつあった練習にもより身が入るようになった。

 私のファン一号さんも、次第に感想に交えてアドバイスも書いてくれるようになったから、それも助けになったんだろうなぁ。

 

 

 毎週のように必ず起きるから、ある日は自分の荷物のそばを注視しながら練習したことがある。スポーツドリンクとルーズリーフが置いてあるのは、決まって私の荷物の横だったからだ。

 

 それでも気づいたら練習に熱中してしまい、荷物からは視線を外してしまうのだ。

 その隙を突かれて例のモノを設置され、挙げ句ルーズリーフに『環境に惑わされないパフォーマンスに感激した』なんて書かれたもんだから、顔から火が出そうだった。

 

 

 そうして練習をこなしていると、ついに私にもデビューの話が舞い込んできた。それがパスパレだった。

 

 それからはパスパレとして練習場所を確保できるようになって、あの公園での自主練習は自然となくなっていった。

 それでもファン一号さんとの日々を忘れたくなくて、日頃からつけていたノートにルーズリーフを挟んで持ち歩くようになったのだ。

 

 

 今思い返せば、あのときファン一号さんに見つけてもらえていなければ、今の私はいなかったんじゃないかと思う。あの人は恩人で、今一番感謝したい人だ。願わくば、直接話をして、直接感謝したいと思う。

 まあファン一号さんが今も見てくれてるかはわからないんだけど…。

 

「…あぅ、すごい時間経っちゃってる! 感傷に浸りすぎた…」

 

 なんてルーズリーフを眺めてたら、知らないうちに日が暮れていた。ヤバっ、結構時間もカツカツなのに…! えっと、昌太くんにもらった資料ってどこやったっけ〜!?

 

「…あっ、あったあった──あれ?」

 

 

 資料を見て、ふとある部分が目についた。

 ここは…そう、昌太くんが直接書き込んで説明してくれたところだ。彼が筆記用具をいちいち出すのがめんどくさそうだったから、私のボールペンを貸して…。

 

 

 この、筆跡って…?

 

 

 ノスタルジーにぼやけていた脳が急速に明瞭になっていく。

 いまさら見間違えるはずもない。私を変えてくれた、あの筆跡。急いでさっきのルーズリーフを引っ張り出す。

 

 資料の筆跡とルーズリーフのそれは、とても似ているような──いや、同じにすら見えた。

 ありえない、でも間違いない。だって、あのクセのある文字はっ!

 

「…ぅあ」

 

 

 ようやくルーズリーフを引っ張り出すと、すぐに見比べる。

 まさかこんなに似ていて、他人の空似ということがありえるのか?

 

 

「ファン…一号、さん」

 

 

 よもやそれが、最近になって知り合った彼だなんて、どんな天文学的確率なのだろう。それこそありえるのか?

 しかしそれは、目の前の文字がすべてを物語っていた。

 

 

「そっか、そうだったんだっ…あははっ、ぅあぁあ…」

 

 

 ファン一号さん…いや、昌太くん。

 キミは、ずっと見ていてくれたんですね。あの日々から、変わらず──!

 

 




 
 初回投稿から一年経ったってのに未だ三十話も更新してない怠け者がいるらしいっすよ。
 次回もなる早で…。ウッス…。
 


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第28話 本心

 
 むんっ!
 


「むむむ…」

「どうしたんですか? マヤさん」

「いえ、少し引っかかりまして…。先日昌太さんが持っていたギターケースに見覚えがあるんです」

「見覚え…ですか? マヤさんとショータさんは今日が初対面でしたよね?」

「むー、そうなんですけど…」

 

 件の千聖と昌太のいざこざから一週間後のある日。

 麻耶は昌太が持っていたギターケースが妙に脳裏にこびりついていて、それをどこで見かけたかも思い出せずモヤモヤしていた。

 

「そういえば、ショータさんは赤色のギターを弾いてましたね」

「赤? なんで知ってるんですか?」

「いえ、一度花咲川で演奏をしてたんですよ。そのときに見たことがあったので…」

「なるほど…。あっ」

 

 赤いギターといえば、麻耶にも思い当たる節があった。

 それはChanterでのとある投稿。

 

「もしかしてこれでしょうか…?」

「あっ、確かにこんなギターでした! ボディがそっくりです!」

「ギターケースも同じものに見えますね。SHOWTさんってジブンたちと同年代だったんですか…?」

 

 たまたま持ってきていたギターのおかげで、程なく身バレしてしまう昌太。

 SHOWTというファンを年は近くとも年上だろうと思っていた麻耶やイヴにとって、この事実は驚きを隠せなかった。

 

「何してるの? もう練習始まるわよ?」

「おっと、ごめんなさい千聖さん。ちょっと調べものをしていまして…」

「チサトさんチサトさん! Chanterでよく見るSHOWTさん、実はショータさんだったんですって!」

「えっ?」

 

 SHOWTは、Chanterではその演奏技術はさることながら、パスパレやロゼリアなどのコアなファンとしての一面もまた有名だったりする。

 その姿勢のガチさはもちろん両グループのメンバーにも知れ渡っている。ネット社会怖。

 

「…そう。早く行きましょう、ただでさえスケジュールが押しているのだから」

「はいっ!」

「あぁっ、ちょっと待ってください〜!」

 

 だかその一方、真摯さが他のファンの模範例として扱われているのも事実。

 猜疑心を抱いていた千聖にとって、この事実は少なからず動揺を与えることとなった。

 

(そもそも、これは本当に疑念なのかしらね。はぁ、なんでこうも私は乱されているの…。自分がわからないわ)

 

 

 ◇◆◇

 

 

 例の日から半月。ムカつくような快晴のもとを歩く俺の空模様はドス曇りと言う他になかった。

 元々こっちにそんな気はさらさらないとはいえ、にべもなく突っぱねられたことはさすがに堪えたようで、あの後すぐに会った沙綾にはひどく心配されてしまった。

 

 いや、アレがまるで何も知らない赤の他人の言葉であれば、俺だってまだ飄々としていられたはずだ。

 自分の中で知らないうちにファンとしての驕りみたいなのがあったのかもしれない。こっちが真剣に応援し続けているのだから、向こうも受け入れてくれるだろう、みたいな。

 

 

 だが、される側にとってみればファンなんて数多にいるわけで。

 言い方は悪いが、その一人ひとりの性質なんて知ったことではないわけだ。そもそも彼女──白鷺さんとは初対面。俺がファンだろうがなかろうが、元より俺に対する色眼鏡なんて持ち合わせていない。

 

 だから、あの一方的な宣言だって理解できないものではない…はずなんだが。

 

「クソ、ままならねぇな」

 

 切り替えの利かない不器用さに、ガリガリと頭を掻きむしってしまう。こうもあれこれ考え込んでしまうということは、どこかで不服だと思っているということだ。それがどれだけ傲慢なことか。

 こんな驕りは幻想だと割り切らなければいけない。諦めなければいけないのに考え込んでしまう。実に度し難い。

 

 それでも今日は、無理にでも切り替えなければいけなかった。何しろこれからはハロハピのもとへ向かわなければならないのだから。

 

 

 知っての通り、ハロハピは笑顔が信条! を体現したようなバンド。というかパフォーマンス集団とかいう表現のほうがしっくりくる。

 そんな彼女らだから、こんな陰気くさい顔を見せることはできない。

 

 それに、ハロハピを率いる弦巻こころは人情の機微にやたらと敏い。

 彼女を前にして、そもそもこんなにゴチャゴチャと考え込んでしまうことを抱えたくなかったのだが、抱えてしまった以上はどうしようもない。

 

「あら、昌太っ! …よく来たわね!」

「おー、来たぞー」

 

 …そら見たことか。早速お嬢は俺を見て少し表情を曇らせた。

 今日はいつになくイライラしているのもあって、こないだのようなイニD送迎は遠慮していたのだが、結局こうなった。

 

 お嬢から目を逸らすと、ひとまず彼女はそっとしておいてくれるようで、いそいそとバカでかい邸宅へと先導していった。

 本来なら俺が彼女らをサポートしてやらなきゃいけないのに、その実はおんぶに抱っこだなんて、本当に笑えねぇ話だ。

 

 自分の情けなさに、知らず俺はまたガリガリと頭を掻きむしったのだった。

 

 

 

 

「昌太!」

 

 そして用事が終わったあと、たまらずといった様子でお嬢が声をかけてくる。

 彼女はさっきまでもどこかソワソワしている様子だった。自分に我慢を強いてまで押さえつけなきゃいけないなんて、お嬢はどこまで善良なんだろうか。

 

 ここまでも彼女が俺をあれこれ慮ってくれている以上、無下にできるわけもない。ここでバッサリ無視して罪悪感すら覚えないような下衆だったらいっそ良かったのに、とすら思ってしまった。

 それくらい今は自分のお人好しさが恨めしいよ。

 

「…どうした、お嬢」

「わかっているんでしょう? あなた、今苦しそうよ」

「苦しくなんかない。これが普通なんだよ」

「でもしょー君、元気なさそうだよ? 今までだってそんな顔…」

「ぐっ…はぐみ。…これは俺の問題なんだ」

 

 無駄だとわかっていても、こんなときに無様に口がよく回る。あわよくばこのまま逃げ出して、一人で抱え込めてしまえば楽なのに。

 いや、これが悪い癖だというのはよくわかっている。他ならぬ彼女たち──香澄たちポピパが教えてくれたことだ。

 

 やはり、俺はこと人付き合いに関してはどこか不器用なのだろう。ハロハピはポピパのみんなほど親しくないし、引き際がよくわからない。深入りしていいのか、逆にさせていいのか。

 

 花音さんと目が合う。白鷺さんをまた思い出しそうで露骨に目を逸らすと、彼女もまた何かに気づいたような素振りを見せた。

 

「ねえ、昌太くん」

「違う」

「っ…。それがもう、答えみたいなものだよ…」

 

 ノータイムで否定して、すぐにしまったと後悔する。花音さんも一瞬悲しそうな表情を浮かべていた。これではただの八つ当たりだ。

 

「昌太くんが苦しそうにしてるのは、千聖ちゃんのことなんだよね?」

「……」

「…千聖? 花音、今君は千聖と言ったかい?」

「えっ? う、うん」

「それなら、私も力になれるかもしれない。千聖とは幼馴染だからね。だから…話してくれないか?」

 

 四人に詰め寄られて、思わずさっきから静観している奥沢さんの方を見る。

 

「あー、もう諦めちゃったほうがいいと思いますよ。あの三人に花音さんまで加わっちゃえば、もう止まりませんし」

「え」

「それに、もう筑波さんにはたくさん世話になってますから。いろいろ背負ってもらっちゃってますし、たまにはあたしたちにも肩代わりさせてくださいよ」

「…あーもう…わかった、話しますから…ちょっとそんな詰め寄らないで…」

 

 訂正しよう。お嬢のみならず、俺はみんなの底のない善良さがわからん。

 

 

 

 

「──というわけだ…本当にこれだけだ。はぁ、勘弁してくれ…」

「ふむ…千聖がねぇ…」

「千聖ちゃん…」

「やっぱり、昌太ってやさしいわね」

「そんなことはねぇよ…自分の不甲斐なさにイライラしてるだけだ」

 

 女の子たちの前で自分の汚点になりつつあることを暴露しなきゃいけないって、一体どんな罰ゲームなんだよ。死にてぇ…。

 椅子に座って項垂れ、頭を抱える俺。なぜかお嬢はちょっと嬉しそうにしてる。

 

「はぐみはそうは思わないけどなー」

「まぁ、そうですね…」

「は? …どこがだよ」

「しょー君っていつも自分を下に見ちゃうよね…。もっとグイグイ行くぐらいがちょうどいいのにー」

「要するに。筑波さんは自分が諦めることで、幕を引こうとしているんですよね。あんまり納得してないけど、無理やり自分を納得させることで」

「そうね。それでそっとしておけば、千聖も変に悩まないで済むと、そう思ったのでしょう?」

 

 …いや、ちょっと待て。

 それじゃあ俺はただの聖人じゃないか。そんなんじゃない。ただガキのように、ただ白鷺さんが言ったことを受け入れられなかっただけだ──と弁明してみても。

 

「…昌太くん。今言ったことも、実は根っこは同じなんだよ?」

「えっ?」

「だって、全部自分のせいにしてるじゃない」

「…!」

「そうだねぇ。全ては千聖さんに筑波さんが影を落とさないように…ってところでしょうかね。不満とか全部自分の中に押し込めて…どれだけ大事にしてるんですか」

「い、いや…大事にって…まぁ確かにファンとしては…」

「むぅ…。だからっ、昌太くんは千聖ちゃんに迷惑をかけたくなくて、謂れのないこと言われても甘んじて影に徹しようとしたんでしょ!? もう!」

「なんでそんなカリカリしてるんすか…」

 

 わけもわからずポコポコと怒りだす花音さん。

 別に自分がそこまで影響力があるとも思ってないし、それこそ傲慢な気がする。とはいえ万が一ということもあるわけで…。

 

「んー、それだったら今更じゃない?」

「ふぅ…。うん、私もそう思うな。たぶん千聖ちゃん自身あんまり自覚はしてないと思うけど、よく昌太くんのこと話してるもん。…多少、忌々しげだけど」

「は?」

「えぇ…それはそれですごいですね。まぁとにかく、あたしからしても今更そんなこと言われても困っちゃうと思いますし、悩むのも不思議じゃないかなーと」

「…でも、全部我慢しちゃうのはよくないよ? 千聖ちゃんのこと考えてるのはわかるけど…」

「だから言ってるじゃない! 昌太はやさしいって」

「やっぱり変わらないね、しょー君」

「ちなみにですけど、全然傲慢とかではないですからね。千聖さんが突っぱねた理由はよくわかりませんけど」

 

 なんだか、肩透かしを食らった気分だ。

 心のどこかで不服だと思っているのはわかっていたが、なぜそれを押してまで自分を納得させようとしていたのか、確かによくわかっていなかった。

 嫌なら嫌と言えばいい。そして烙印を押されたことに不服を申し立てればいい。でも俺はそれすらしないで、すんなり受け入れて押し込めようとしていた。

 

 ひとえにそれは、白鷺さんを惑わせたくなかったから。そう言われて、すんなりと納得してしまった。

 何しろ、俺は白鷺さんを始めとしたパスパレをずっと追ってきたファンなのだ。彼女たちに勇気をもらったり、助けてもらったりしたことなんて枚挙に暇がない。

 

 似たような理由で、今知り合った彼女らとも何かあればしれっとフェードアウトする覚悟はあった。

 あくまでもアイドルとしての皆は幕の向こうの存在だし、自分なりに線引きはして付き合うつもりだった。めんどくせえけど、これは俺の矜持みたいなものだから譲れない。

 

 …俺の思っていたことがことごとく覆され、本質が赤裸々に暴露されていくのがあまりにこっ恥ずかしいので、まあ今は置いといて。

 

「さっきも言ったけど、千聖ちゃんが昌太くんを憎からず思ってるのは確かなんだよね」

「…そのことなんだが、私に任せてくれないか?」

「薫くん?」

 

 さっきからずっと考え込んでいた瀬田さんだったが、白鷺さんのその言動には思うところがあるようで。

 

「あぁ。短い間ではあるが、私も昌太の人となりはそれなりに理解したと思っている。そんな君を千聖が突っぱねるのは、間違いなく訳があるだろうからね」

「任せるのはいいけれど、どうするつもりなの?」

「今からでも聞いてこよう。何、悪いようにはしないさ」

 

 そう言うや否や、善は急げと瀬田さんはすぐにどこかへ行ってしまった。あの、俺の意志は…。

 とはいえ、あの発言に何かウラがあるなら、不躾ながらも俺も知りたいと思ってしまったのも事実。ならまあ、任せるしかないのだろうが。

 

 

「それにしても、俺って周りのことばっか考えて生きてる気がする…」

「今更ですか?」

「今更だよねー」

「ゲッ」

「逆になんでそこまで自分を蔑ろにしちゃうのかな…?」

「本当よ。昌太ってお人好しでしっかりしてるのに、すごく臆病だもの。人を傷つけるのを、すごく怖がってる気がするわ」

「…弁明のしようもありません」

 

 みんなの容赦ない禁止カードに大ダメージを受ける俺。特にお嬢には隠してしまいたい自分の本質をパッと見抜かれてしまう。

 まぁ、真っ直ぐな物言いはすごい助かるしいいんだけど…。それにしたって本当に恥ずかしいんだが。今の俺顔真っ赤じゃないかな。

 

「でも、人を傷つけないなんてことはありえないのよ。傷つけちゃっても、それを乗り越えればまた笑顔になれるじゃない! だから怖がることはないわ!」

「うん。昌太くんも、きっと今までだって何回も傷ついてきたよね? でも今はどう? その傷つけあったみんなとは」

「みんな、さらに仲が良くなって…気のおけない仲になったというか…」

「雨降って地固まるとも言いますからねー。昔っからずーっと、人ってみんなそうあってきたんですよ。きっと」

「あめふって…? んー、ほらっ! 今までだっていっぱい怪我とかしてきたじゃん、だから大丈夫だよ! たぶん」

「それはちょっと違うと思うけど」

 

 …あー、顔が熱い。男の照れ顔なんて誰得だよマジで。

 穴があったら埋まりたい…砂風呂があったら浸かりたい…。

 相変わらず項垂れていると、花音さんがとてとてと近づいてきた。

 

「千聖ちゃんのこと、心配?」

「心配、というか…。あの言葉以上の意味なんてあるのかな、と」

「…そっかそっか。ふふ…。あのね昌太くん、千聖ちゃんって実はすごく不器用なんだよ」

 

 なんて、花音さんは俺の耳元で小悪魔じみた笑みを浮かべて囁いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「やぁ、千聖。悪いね、急に呼び出して」

「本当よ。もう戻っていいかしら?」

「まぁまぁ、そうつれないことを言わないでくれよ。すぐに終わらせる」

 

 割と久々に薫から連絡が来たと思ったら、急に会って話ができないかだなんて。全く、人を何だと思ってるのかしら。

 しかもこういうときに私も何ら予定がないのが腹立つわね。なんで薫は私のスケジュールを把握してるのよ…。

 

「単刀直入に聞こうか。昌太のことだ」

「っ…! なんでアンタが…。はぁ、そういえば──ハロハピ…だったかしら? 今度共演することになってたわね…」

「あぁ、そのつながりでね。私も聞いたんだよ」

「それなら、別に話すことなんてないわよ。そもそも関係ないじゃない」

 

 なんで本人じゃなくて薫が来たのかはよくわからないけれど、今彼について聞いたところで考えが変わるわけでは──。

 

「あぁ、一応言っておくが。ここへ来たのは私の独断だよ、ちーちゃん」

「なっ…!? …っ、その呼び方はやめなさい」

「フフッ、すまないね。…彼は、自分を殺していたよ」

「…は?」

「本気で考えていたよ。烙印を押されようが、君のためにね」

「ち、ちょっと待ちなさいっ!」

 

 突然聞かされたそれに、一瞬頭が真っ白になった。まるでそれが本望ではないと、そこまでは望んでないと言うかのように。

 …いや、違う。元から私は彼に…思うところ、があったのだ。だったら、これが本望でなくて何なの?

 

「そ、そんなこと突然聞かされたって…。だから何だと──」

「──それは千聖が一番よくわかっているんじゃないか?」

「ッ…」

「不器用な千聖でも、彼に抱いているそれが何なのか、わかるんじゃないかい?」

 

 …はぁ。

 やっぱり薫は鼻にはつくけど、腐っても私の幼馴染。私のことをよく理解している。…腹立たしいけれど。

 吐き捨てるように悪態をつくと、視線で続きを促してくる。

 

「…わかってるわよ、そんなの」

「……」

「私自身、彼を嫌っているわけではない。そもそも筑波くんが邪な人だなんてもう露ほども思ってないわよ。…汚名を着せちゃったことは、申し訳ないと思ってる」

「…そうかい」

「えぇ。でも、彼に対する…嫌悪感、なのかはわからないけれど。それは拭えてない。…わからないのよ、自分でも。本当に情けない話だけれど…」

 

 考え込むと頭の中がぐちゃぐちゃになって、徐ろに額に掌底を当てて、くしゃりと握りこむ。

 これは…そう。今まで体験したことがない気持ち。憎悪でも、怒りでも、悲しみでもない。でも何か心を煮やすこの気持ちが何なのか、今の私にはわからない。

 

「でも、彼に対する不信感とかはもうないし、むしろクソ真面目でこっちが不安になってくるくらいなのは本当。…彩ちゃんや花音が懐くのも、よくわかるわ」

 

 彼はドがつくお人好しで、周りがよく見えていて、ちゃんと人を導いてあげられる。

 真面目が余って考えすぎてしまうのが玉に瑕だけれど。…その一端を自分が担っているのだから、私は意地が悪い。

 結果的に彼を追い詰めたのは他でもない私自身だ。だから、私自身がケリをつけなきゃいけない。

 

「彼のことをそこまで理解しているなら、私から言えることもほとんどないが…。そうだね、最後に一つだけ」

「何よ」

「彼が一念発起したら、ちゃんと向き合ってあげてくれよ。ちーちゃん」

「うるさい。わかってるわよ…かおちゃん」

 

 去りゆく背中に意趣返ししてやると、肩がビクッと震えるのがわかった。ふふっ、いい気味。

 …それにしても。

 

「はぁ。これは、いよいよちゃんと向き合わなきゃいけなさそうね」

 

 本当に、度し難い。

 

 




 
 
 これ書くの久しぶりすぎてどっかでボカやってそう。怖い。
 おまけに急ごしらえなので、ミス見つけたら誤字報告とかで教えてくださると助かります。
 


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第29話 微睡み

 
 ところで誤字報告ってどこから見れるの
 


 本番を三週間後に控えた今日は、初めての栄星での合同練習だ。

 むろん俺も仮ステージの設営やブッキングなどに駆り出されている。それもあって、まだ昼過ぎだというのに肉体的にヘロヘロになっていた。

 

 ちなみに今日は休日だ。クソ。

 だがそれはハロハピやパズパレを始めとした運営陣や、協力してくれる先生方、また黒服さんなども同じことなので、俺だけが文句を垂れるわけにもいかない。

 

「んごご、腰が折れるッ…」

 

 先日ハロハピのもとで丸裸にされて以来(語弊まみれ)、白鷺さんのツンケンしていた態度も少しは軟化した気がする。気がするだけだが。

 それでも少なからず未だに尾を引いているのは事実で、俺としては進展を望みたくともなかなか踏み出せないでいる。

 

「あ゛ぁ、水筒…水筒が消えた…」

「わっ!? 昌太くん、後ろ後ろ!」

「ン゛? …あぁ、彩さん。どうもどうも…」

 

 ゾンビみたいな呻き声を出しながら水筒を探していると、気づかないうちに後ろにいた彩さんの足元に転がっていったらしい。

 彩さんは珍しくポニーテール姿で、赤いハチマキをリボン代わりに結っているようだった。

 

 手渡された水筒のお茶をを浴びるように飲む。

 

「あっついね〜。…大丈夫?」

「ぶっちゃけ割としんどいですけど、昼休みが過ぎればどうにかなります。…たぶん」

「そ、そっか。私も手伝うから、言ってね?」

「ありがとうございますー…」

 

 棒になった脚を無理やり引き倒して、これまた持参した弁当を強引に引っ張り出す。

 その隣にぽすっと座った彩さんは、意を決したように切り出した。

 

「あ、あのさっ」

「はい?」

「これは、私のわがままなんだけど…」

「わがまま?」

「…このままじゃ、嫌だな。私」

 

 主語がなくても、彩さんが何を指して言っているかはすぐわかった。あのときのことを唯一知っている人だから少しは覚悟してはいたが…。

 わざわざわがままだなんて前置きするあたり、あくまで強制はしたくないという彩さんの優しさが見える。

 

「私はパスパレの中では昌太くんとの付き合いは、その…長いし。千聖ちゃんとも少しだけど長く付き合ってるからわかる。二人が絶対わるいひとじゃないって」

「…はい」

「でもその二人が少しすれ違っただけで、ずっと仲違いしたままなんて…あんまりだよ」

「やっぱり彩さんって、真っ直ぐな人ですよね」

「ぇ…そ、そうかな?」

 

 そして「わがまま」と前置きしておきながら、仲違いしたままは嫌だからと仲を取り持つように行動を起こした上に、俺に対しては真っ直ぐに思いを伝えられる彩さんは、やっぱり強い人だ。

 少し紅潮した頬をそのままに彩さんは続ける。

 

「んんっ。と、とにかく…それは二人も同じことだと思うの。昌太くんだってこのままは嫌でしょ?」

「…そうですね」

「だよねっ! 千聖ちゃんだっていつもは昌太くんに対してやけにツンツンしてるけど、同じことを考えてる」

「あれだけバッサリ言われたんですけどね…」

「う…で、でも。あれだって千聖ちゃんが誤解したまま動いちゃっただけで…。今はもうそんなこと思ってないよ」

 

 その件は、薫さん(名前で呼べと言われた)からも聞き及んでいる。

 白鷺さんの幼馴染だという薫さんの言うことだから疑ってはいないが、今まで見てきた白鷺さんのそれとはやはりかけ離れているものだから、よほど俺が逆鱗に触れたんじゃないかと今でも思ってしまう。

 

 俺は続きを促すように首肯する。

 

「む、あんまり信じてないなー? 大丈夫だよ、千聖ちゃんだってそこまでにぶちんじゃないもん」

「それはそうでしょうね」

「うん。でも、少しでも歩み寄れれば元通りになるはずなのに、少しの誤解のせいで──誤解に縛られて、足踏みしちゃってるんだ」

 

 そう言いながら、彩さんは髪を結っていたハチマキを解いて、そのまま頭に巻き直した。

 

「だからっ、こうやって結び直してぱぱっと仲直りしてほしいの! これが私のわがまま! ──なんて、そんな簡単なことじゃないのはわかってる。それでも二人には仲良くいがみ合っててほしいなって私は思います!」

 

 そう締めくくった彩さんの表情は、難しいと言いつつ、その成功を疑わないものだった。

 今しがた解かれた流麗なピンク髪を一撫でしながら、彩さんに中てられた俺はこう宣言した。

 

「ありがとうございます、彩さん。それなら、見ていてください──」

 

 ──今日、俺は度し難い自分にケリをつけてきます。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 夕方。

 

 ここ栄星高校には、全く人気がないのに自販機やベンチが置いてある謎のスペースがある。

 今日一日を終えクッタクタのクタになり、少しゆっくり休もうと在校生のみが知るここへやってきたのだった。

 水分補給自体は水筒で事足りているので、適当に微糖のコーヒーを買った。

 

 パスパレとハロハピは先ほどまで行っていた合同練習の感想戦、というよりは反省会と課題の洗い出しのため、もうしばらくは栄星に残るようだ。

 他人事みたいに言っているが、俺も彼女らのブッキング担当みたいな位置に知らないうちに据えられていたため、しばらくしたら戻らなければいけない。

 

 …のだが。

 ベンチに腰掛けて缶を開けた途端、とてつもない睡魔に襲われた。心地よく差し込む斜陽もあって、抗いきれないまま俺は夢の世界へフリーフォールしてしまうのであった──

 

 

 

 

「──んぐ」

 

 …あれ? 寝てた? やべ、何時だ今…。

 

「随分な重役出勤じゃない。いいご身分ね、筑波くん?」

「ブフッ!!!」

「ちょっ、コーヒーこぼすわよ」

 

 微睡みから覚めてみると、隣から飛んでくるのはツンツンした皮肉。そう。俺が腰掛けていた隣に、白鷺さんもまた座っていたのである。

 幸いまだ眩いくらいに斜陽は差していて、コーヒーもまだぬるいようだ。結露がぴちゃりと床に落ちて煌々と輝いている。

 

 眠気覚ましにヌルいコーヒーを一口嚥下する。

 

「いざ起きてみれば突然ジタバタして…あなたってこんなに落ち着きがなかったかしら?」

「…なんでここに」

「探しに来たに決まっているでしょう。苦労したのよ? ここを探し当てるの…。それに、もう始まっちゃってるわよ。反省会」

 

 そう言いつつも、のんびりと俺の隣から動こうとしない白鷺さん。

 寝起きのせいかあまり頭が働かないが、今めっちゃ急がなきゃいけないのはわかる。とっとと立ち上がろうとして──

 

「だから落ち着きなさいよ。起きたばかりで状況がつかめていないのはわかるけど、コーヒーだってまだ飲んでないじゃない」

 

 ──左手を引っ掴まれ、そのままベンチに引き戻された。

 左に座っている彼女を見ると、夕日に躍る美しい金髪とこちらを覗くルビーのような眼があまりに幻想的で、思わず魅入ってしまった。

 

 俺かボーッとしているのに気づかないまま、白鷺さんは立ち上がりながら続けて言う。

 

「今から行ってもきっともう遅いでしょうし、それならいっそゆっくりしましょう。ひどくお疲れのようだし」

 

 迷う様子もなく俺と同じ微糖のコーヒーを買い、そのまま俺の隣に戻ってくる。

 そのまま缶を開けてくぴっ、と一口飲み下したあたり、本気でゆっくりするつもりのようだ。

 

「…ちょっと甘い」

「いつもはブラックなんですか」

「えぇ、いつもはね」

 

 流石、現役女優兼アイドル。このままCMにして流してしまえば映えてしまいそうなくらい、彼女は夕日にも負けない存在感を放っていた。

 

 白鷺さんはふいっとこちらを一瞥して、神妙な面持ちで切り出した。

 

「それじゃ、お話しましょ? 筑波くん。私はあなたに用事があるの」

「…奇遇ですね。俺もです」

 

 

 ◇◆◇

 

 

「昌太くんがいない?」

 

 そんな彩ちゃんの声が耳に入る。

 ここは栄星高校の大会議室。斜陽が差しオレンジ色に染まったこの教室で、先ほどまで行われていた合同練習の反省会が行われる…ことになっていたのだが。

 

「どうしたの?」

「千聖ちゃん。それがね、昌太くんがどこかに外したまま三十分も戻ってきてないらしくて…」

「お手洗い…でもなさそうね」

「あいつのカバンもあるんで、帰ってはいないはずなんですけどね…」

 

 実行委員の人いわく、少なくとも彼が学内にいるのは確かだという。

 今はすでに17時を回っていて、あまり遅れると日も暮れてしまうのだ。というか、今の時点で結構暗い。

 

 しかも彼はこのミニライブ関連で中心的な立場のようで、いないとかなり困るとは実行委員さんの言。

 

「香椎せんぱーい! 筑波のヤツがどこ行ったか知りませんか?」

「あれ、いない? さっきちょっと休憩したいって出ていったけど」

「休憩って…どこにだ?」

「今誰も手が空いてないのよね? 八田くん」

「ぽいなー。中戸さんも?」

「うーん、ちょっと忙しい…」

 

 なぜか誰も彼の行方をしっかりと知らない様子。

 誰が悪いとかではないが、こうなると柄にもなく彼が心配になってくる。もっと前、初対面時だったらこんなこと思いもしなかったんでしょうけど。

 

 …なんだか知らないうちに懐柔されたみたいでムカつくわね。

 

「…ちょっと聞きたいのだけれど」

「はい、何ですか?」

「一応彼がいなくても反省会くらいは回せるのかしら?」

「そうですね。あとで結果だけ共有できればいいので」

「そう、ありがとう」

 

 そろそろ彩ちゃんと花音が見ていられないくらいソワソワし始めた。

 はぁ、仕方ないわね。

 

「なら、私が探しに行ってくるわよ。その間に反省会は始めてもらって結構よ」

「えっ…! それは申し訳…」

「そうは言ったって、実行委員さんにも予定はあるのでしょう? それに、ただでさえ人手が足りないのにそれ以上削っちゃマズいわよ」

「そ、それは…」

「それに、私は練習内容くらいならもう頭に入ってるし、そう忘れはしない。あとで課題点を教えてくれれば、あとは自分でできるわ」

 

 私がつらつらとメリットを並べ立てると、実行委員さんはそのほうがちょうどいいと考えたようで、結局私が彼を探しに行くことになった。

 

 実はこれは打算込みの提案で、他の皆は大会議室から出ないことがわかっていて、おまけに学校内には他に一部の先生方除いて誰もいないこともわかっているから、彼と話すのにはうってつけだろうと思ったのだ。

 

 少しの罪悪感を抱えながら校内を闊歩していると、ちょうど良さそうな自販機とベンチのあるスペースがあった。

 基本的にこの手の建物は、階層が違っても同じ棟なら構造も同じ場合が多い。

 その経験に従って、大会議室のある一階から最上階の四階までこのスペースを虱潰しに探してみたら。

 

「…いた。何を呑気に寝ているのかしら、この男は…」

 

 僅かな心配も杞憂に終わったようで、程なくして四階で筑波くんが眠っているのを見つけた。

 筑波くんがいなかったことで大会議室はそれなりに剣呑な雰囲気になっていたというのに、そんなことは露知らずコーヒーを片手にすやすやと寝息を立てている。

 

 寝顔だって、ムカつくくらい穏やかだ。といっても少しクマが出来ているのが見えるが。

 

「まさか、ちゃんと寝てないの? …ちゃんと寝てないのにあんな激務、こなせるわけないじゃない…」

 

 なぜか少し胸が締め付けられる感覚が過ぎった。

 …そもそも、彼がこんなに疲れ果てたのも、元はといえば私のせいかもしれないのだ。そう考えて、一気に別の罪悪感が押し寄せてくるのがわかった。

 

 元から打算があったとはいえ、このまま起こして反省会へ合流させようとは、どうしても思えなかった。

 このあと程なくして彼が目を覚ますまで、私は隣に座ってじっと見守り続けるのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「──なんて偉そうに口火を切ったはいいけれど…」

 

 さっきまでの皮肉屋はどこへやら、急にしおらしくなる白鷺さん。

 再び立ち上がってこちらに向き直ると、勢いよく頭を下げた。

 

「…ごめんなさいっ…!」

「んなっ」

「何も知らない私がにべもなく突き放して、挙げ句烙印まで押して…! あなたをそこまで追い詰めてたの、知らなくて…っ」

「ちょ待って待って待って」

 

 こっちもある程度覚悟はしていたが、正直ここまでガチで謝られるとは思ってなくて、思いっきり面食らってしまった。

 確かにゴチャゴチャと考えてはいたけど、かと言って死ぬほど思い悩んでたわけでもないのだ。

 

 俺も動転してしまって、ガッツリと白鷺さんの肩を掴んでやめさせようとした。

 

「確かに悩んでましたけどそんな死ぬほどじゃないっていうか、ももももういいですから!」

「嫌っ! あなたが許してくれるまでやめないっ!」

「なんで!?」

「だって現にクマできてるじゃない!」

「嘘でしょ!? これたぶん白鷺さんのせいじゃなくて単に生活習慣の乱れっていうかぁッ!!」

 

 冷静になってみれば茶番にしか見えないくらいに騒ぎ立てるが、今周りの階には誰もいないため、誰かが来ることもなかった。

 結局お互い疲れ果てて、またベンチにもたれかかることになる。

 

「はぁ、はぁっ…筑波、くん?」

「はぁ゛…はい?」

「…私ね? 初めてあなたに会ったときから、何というか…ずっと、胸が厶カムカしていたの」

「へ、へぇ…ムカムカ?」

「そ。それで、ね…。さっきあなたを眺めていて、やっとこのムカつきが何なのか、やっと理解したわ」

「…何だったんですか」

「嫉妬よ」

「へっ?」

 

 嫉妬。

 普通に考えて、白鷺さんが俺に対して抱くようなものではない。白鷺さんにとって、俺の何が羨ましかったというのだろうか。

 

「わからないって顔してるわね? でも私は、確かに嫉妬してた」

「嫉妬…」

「…あなたならもしかしたら知ってるかもしれないけれど。私は長らく芸能界に身をおいて、今まで生き残ってきたわ」

「はぁっ…知ってますよ。もちろん」

「それで嫌でも思い知らされたの。芸能界は良くも悪くも等価交換が全てだって」

 

 白鷺さんは続けて、あそこにいる以上、タダなんてものはありえないと言う。

 そんな環境に多感な子供の頃から居続ければ、やがてスレてしまう。いつしか彼女は、無意識のうちに冷めた目でモノを見るようになったのだとも。

 

 それでも、パスパレと出会ってからはそれも大きく変わったらしい。

 

「変わったと言ってもね、たぶん奥底ではまだ燻ってたんだと思う。冷めた私がね」

「……」

「でもあなたは、彩ちゃんや花音を始めとして、みんなに無償の愛を運び続けた」

「無償の愛って…大げさですね」

 

 思わずフフッと笑ってしまう。すると、どこか不服そうに唇を尖らせて抗議してきた。

 

「大げさなんかじゃないわよ。実際あの子達にとっては──いえ、これはやめておきましょうか。…とにかく、その無償の愛のあり方は、私のそれとは真逆なのよ」

「真ぎゃ…まぁ、はい」

「私にとっては…それがすごく眩しくて。憧れちゃったの」

「……」

「これが私の嫉妬。はぁ、本当に自分が度し難い…最初からあなたのこと妬んで、ちょっかい出してたってわけ」

 

 そう締めくくって、再びコーヒーに口をつける。

 白鷺さんが知らず俺に嫉妬していた。

 俺とてあの発言の裏を知りたいと思っていたが、その内実がこういうことだとは思いもしなかった。

 

「白鷺さん」

「あぁ、もうそれ面倒くさいでしょう? 名前でいいわよ、千聖で。私も名前で呼ばせてもらうわ」

「…じゃあ千聖さん、あのとき、俺結構我慢してたみたいです。無意識のうちに」

「みたい?」

「全く自覚はないんですけど。あのときの俺、突っぱねられても弁明もなにもしなかったじゃないですか。なんでだと思います?」

「なんで、って…」

 

 コーヒーで舌を湿らせる。

 別に大したことでもないのだが、千聖さんは深く考え込んでいる。

 

「『千聖さんの手を煩わせたくなかったから』だそうですよ」

「なっ…! あなた、それはもう優しさとかじゃなくてただのヘタレよ…」

「そうですね、『人を傷つけるのを怖がりすぎてる』とも言われました」

「…よく見てるのね、その人」

「え?」

「いえ。確かにそうだなって思っただけ」

 

 顳顬を押さえ、呆れたと言わんばかりに首を振る仕草を見せる千聖さん。

 まぁ彼女に言わせれば、押して押し切られるだけの人間なんて芸能界じゃすぐ食われちまうのだ。だからまぁ当然と言える。

 

「私が言えたことじゃないけれど、あなたもっと強く出ないと損するわよ…。周りに恵まれてるからまだいいでしょうけど…」

「あ、それも言われた」

「あらそう。ならこれも蛇足だったわね」

「はぁ、でも本音聞けて安心しましたよ。嫌でしたもん、今になって付き合いやめるの」

「そりゃそうよ。どこの誰に人の交友関係に口出せる権利があるというのかしら…はぁ…」

「…も、もう気にしてませんからね」

 

 お互い残りのコーヒーを一気に飲み下す。

 あれこれ話してはいたが、経った時間はせいぜい二十分かそこら。空の赤みは増したが、まだ日は落ちきっていない。

 

「くぁ…」

「まだ眠いの?」

「昨日ロクに寝てなくて…これだけ忙しいならちゃんと寝とけばよかった」

「…ならもう少し寝ていきなさい。私もここにいるから」

「え、でも反省会が」

「どちらにせよもう遅いでしょう。ミイラ取りがミイラになったって、私も一緒に怒られるわ」

 

 そう言っていたずらっぽい笑みを浮かべる。

 正直今はあまり動きたくないのでありがたい提案だ。ここはお言葉に甘えさせてもらおうか。

 

「そうですね…それならお願いします」

「あら、意外とすんなり受け入れるのね」

「今更でしょう。それだけ眠いんですよ…」

「そ。…おやすみ」

 

 千聖さんの挨拶を聞きながら、すぐに俺は再び襲ってきた微睡みに身を任せた。

 その後千聖さんも眠ってしまったらしく、俺たちを探しに来た上で肩を寄せ合って眠っていたのを見た彩さんの叫びで目を覚ますことになった。

 

 こっそり写真も撮っていたようで、それを見た千聖さんにほっぺを引っ張られていたのは記憶に新しい。

 

 




 
 シリアスパートとっとと終わらせてわけわからん話書きたい。胃が痛いわ。
 たぶんこの章は次回で終わりです。
 


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第30話 お披露目

 
 作中のスケジュール勘違いしてて一話追加で挿入するハメになったので初投稿です。
 


 都内の大型ドーム。

 六月半ばの今日は、ここでパスパレからかねてより告知のあった『重大発表』がお披露目となるライブが開催される。

 もちろん俺は現地参戦である。当たり前だろ。

 

 連番を募ったりしたわけではないのでここへは一人で来ている。すでにドーム前の駅には人がごった返していて、列車の遅延すら発生している事態だった。

 そのおかげでここへ着く頃にはとっくに開場時間はすぎていて、めちゃくちゃ急いで入場する羽目になった。

 

 

 今朝起きたら千聖さんから『目にモノ見せてやるわ』と物騒なLIGNEが来ていた。

 意外と彼女は要領がよくなかったらしく、ベースの習得にも四苦八苦していた。たぶんそれを見て俺がやたら心配げにしていたからだろう、見返さんと言わんばかりの宣戦布告だった。

 

 あと彩さんからも来てたな。彼女にしては珍しく『見ててね』と一言だけのメッセージだった。

 普段はもっとたくさん飛んでくるのだが、今回はやはり相当の覚悟と気合があると見た。

 

 

 それはそうと。

 開演まではもう十分を切っているのもあり、すでにドーム内にも人が多く陣取り、ザワザワと喧騒がひしめいている。

 ドームに横たわるステージを前にして、放射状に座席が伸びている配置。こんなバカでかいハコすら高い倍率をもって簡単に埋め尽くしてしまうのだから、本日の主役の知名度には恐ろしさすら抱く。

 

 既に開演までは五分を切った。

 俺は立場というチートのせいで重大発表が何なのかを既に知ってしまっているが、それを抜きにしてもライブ前特有の五感が研ぎ澄まされていく感覚はいいものだ。

 とはいえ正直言って俺も記憶をすべて消し去って、ゼロの状態でこのライブに臨みたかったのだが、ないものねだりをしても仕方がない。ファンすら知り得ないことを知っといて記憶消したいとかどんな贅沢?

 

 周りを見渡すと、俺の隣席にも知らぬ間に同業者が来ていた。

 …来ていた、のだが。

 

「むむっ、あなた! 前のライブにもいらしてましたよね!? 奇遇ですね〜!」

「あれ? 確かにいらしてましたけど…。よくわかりましたね」

「モデルさんみたいだなーって思って覚えてたんです。背も高くて目立ちますから!」

 

 目立つという点で言えば君には負けるよ。

 隣のこの女の子、現地は皆勤賞なんじゃね? ってくらいいつもいる。なぜ俺がそんなことを知ってるのかというと、理由はこの子の髪の色である。

 

 ツートンカラーというのか、たいていいつも二色に塗り分けられていて、これが目立つ目立つ。それも左右で別とか生半可なものではなく、海岸とかにあるオーソドックスなパラソルのような、二色が等間隔にないまぜになったような配色なのだ。

 しかもこれがライブの度に配色も変わる。色はパスパレメンバーのイメージカラーからとっているようで、仕上がりはいつもビビッドになっている。

 

 髪型は腰あたりまで悠々と届くツインテール。そして髪色は…今回は彩さんと日菜ちゃんさんカラーか。

 背が高いって言われたけどこの子も女の子にしては結構身長高いんだよね。おたえといい勝負くらいか?

 

「実際モデルやってます」

「本当ですか!?」

「嘘です」

「えぇっ!? イヴちゃんと一緒じゃないんですね…」

「いやごめんなさい、そんなマジで信じ込まれるとは思わなかった…」

「言ってるじゃないですか、目立ってるって」

「お互い様っすねそれは。ちなみに今日は彩ちゃんと日菜ちゃんカラーなんですね」

「パスパレの重大発表なんて初めてですから。この色に乗せてはっちゃけようかと!」

 

 雑にからかうとコロコロ表情が変わって楽しい。こういうストレートに表に出るとこちょっと彩さんっぽいかも。

 ちなみにこの子も例によって例のごとくめっちゃ顔がいい。君こそモデルとかビジュアル系の仕事向いてると思う。

 

 

 そうしてしばらく雑談をしていると、ブザー音が響き渡り、照明もすべて落とされる。開演の時間だ。

 一斉にサイリウムが灯され、歓声とともに光の海を成した。

 

『いくよっ、みんな!』

 

 暗闇のステージから聞こえてくる彩さんの声。薄らと灯されたスポットライトには、朧気にステージへ歩みを進める五人の影が。

 幾度となく聞いた歌い出し、今までも何回もライブでやってきた『しゅわりん どり〜みん』だ。

 

 "Yeah!!"とファン共々斉唱すると、初めて全員はっきりと姿が現れる。以前ならばインストを流していたか、あるいはバックバンドによる演奏があったが、今回は違う。

 パスパレの面々は楽器を手に、歓声をも巻き込み、彼女ら自身の手でライブを彩り始めたのだ。

 

 かくしてパスパレは大歓声のもとに、バンドとしての再始動を告げたのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 パスパレの再始動は瞬く間に全国を駆け巡った。

 ただでさえ世はガールズバンド時代。既に名を馳せているアイドルグループがそこへ参入したともなれば当然のことだろう。

 

 体育祭を前日に控えた今日は、先日のライブをもってようやっと仕上がった特番が放送されているところだ。本人たちも生で出演するとのことだった。あっ、彩さん噛んだ。

 

「この間は堂々としててかっこかわいかったのに…」

「やっぱりそれが彩ちゃんらしいとこだと思うんですよ、私」

「うん、ね。やるとは思ってたしむしろやってくれとすら思った」

「それにしても、皆が自分で演奏してるのに気づいたときは度肝を抜かれましたよ。とても二ヶ月のクオリティとは思えません…!」

 

 もちろんアレからライブは大盛況のまま終わりを迎えた。周りは見たことないくらいUO(オレンジ色のめっちゃ明るいサイリウム)が輝いていて、太陽がそのへんに墜落してきたのかと思った。

 いくらなんでも普段からこうというわけでもなく、どいつもこいつも勢いに任せてへし折りまくったようだった。隣にいたツインテの子も全部折ったって言ってた。

 

「UO全部折ってたもんな」

「そりゃ折りますよぉ! あのときの髪色もああでしたし、おまけに数多のガールズバンドが鍔迫り合いして鎬をガリガリに削ってるところにパスパレも殴りこんでくるとか興奮なんてもんじゃ収まりません!!」

「…俺もその興奮味わいたかった。記憶消してもう一回見たい…」

「ふふん、あの衝撃は一生忘れません」

 

 

 隣のツインテの子、今いるんだけどね。

 

 ここは東京駅八重洲口そばのヤ○ダ電機。所要でここを通った俺が売り場のテレビでやっていた特番を眺めていると、同じようにしてそばに佇んでいたらしい彼女に気づかれたのだ。

 いつもみたいに派手な髪色ではなかったうえにメガネをかけていたため一瞬誰かわからなかったが、千聖さんみたいな紅の瞳と髪型でピンときた。

 

 もう散々顔を合わせている(こっちは知られてるとは思ってなかったけど)とのことで名前も教えてもらった。鳰原令王那、というらしい。鳰原とはまたケッタイな名字だ。

 千葉の鴨川住まいらしく、ときたまこうして都内へやってきているとか何とか。ちなみに安房鴨川へは東京駅からだと特急でも2時間かかる。遠い。

 

 いくら顔を合わせたことがあるとはいえ、さっきまで名前も知らなかったようなやつにそこまで話していいのかとさっき聞いたが、彼女は目をしばたたかせると、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべ、

 

『SHOWTさん、ですよね?』

 

 って囁かれた。当然おれはちびった。

 

『えっ?? なんで???』

『一番はあの限定のキーホルダーがついたカバンです。…あんなレアなグッズの露出は気をつけたほうがいいですよ?』

 

 これで()()()()ですね、だなんて言ってみせる。彼女の強かな一面を垣間見た瞬間だった。

 

 

「ショーさんショーさん。明日栄星であるライブ、私も行ってみたいです」

「あぁ、学生は学生服さえ着て来れば誰でも入れるから。今の服装で栄星まで来ればいいよ」

「本当ですかっ! 調べても調べても入れるのかちゃんとわからなくて…。恩に着ます!」

「はいよ。まあパスパレも来るとはいえ一高校の体育祭だしなぁ。さすがに都外からの来客はあんまり想定してないか…」

 

 ちなみに鳰原さん、中学生らしい。しかも一年生。これでこないだまでランドセル背負ってたってマジで?

 

「パスパレの練習風景ってこんな感じなんですね〜! 今までこのあたりはブラックボックスみたいになってて、何もわからなかったですよね…」

「やっぱりそう思う?」

「はい、みんな思ってたと思います。もしかしたらこうしてオープンになったのもあのツイートのおかげかもしれませんね」

「だとしたらヤバいじゃんそれ…筆頭株主か何か?」

 

 確かに公式に捕捉はされたけど、そもそもみんなが思ってたことなんだから元からこういう構想はあったんじゃないかと思っている。俺が考えるようなことをお上さんが考えないわけもない。

 

「あれっ?」

「どした」

「いえ…この練習してるところって、栄星高校ですよね?」

「あぁ、確かにそうだけど…ん? おい」

「…いますよね?」

「うん、間違いなく映ってる。俺が

 

 テレビで絶賛放送中のシーンとは、パスパレが栄星の一教室で合わせ練習をしている風景。そこには日菜ちゃんさんのギターを借りてお手本を見せている俺の姿があった。斜め後ろだけど。

 おい、カットするって話だっただろ。何フツーに流してくれちゃってるわけ? 全国区やぞこれ。

 

 ちょっと背筋が薄ら寒くなって周りを見渡しても、さすがにこっちを見ている人はいない──

 いやいるわ。かたや吸い込まれそうな黒髪を持つ眉目秀麗な鳰原さん、かたやその鳰原さんに散々目立つと言われた俺。

 

「ちょっと居座りすぎたかもしれん、すでにちょっと注目浴びてるぞ俺たち。やっべ☆」

「えっ!? し、ショーさんが目立つからですよ!」

「お前もじゃい! とりあえず離れるぞ!」

「はいぃっ!」

 

 さっきの番組に映っていた俺と今の俺は、全くもって格好が同じだ。だからあんまり流布されるともっとヤバい。

 とにかくこの場を離れたかった俺は、鳰原さんの手を引っ張ってエスカレーターを駆け下りていった。いい子は真似しないようにね!

 

 

 ◇◆◇

 

 

「とりあえずここまで下ってくりゃ大丈夫か…? ごめん、引っ張っちゃって。疲れたりとかは…してないな」

「あ、はい。それは大丈夫です」

 

 男の俺があまり気も使わずにダッシュしたというのに、鳰原さんは息一つ上がっておらずケロッとしていた。というかあんまり無理に手を引っ張らなくても普通についてきてたような…。

 今は東京駅八重洲口の改札。ちょうど通勤ラッシュで人がごった返していて、もはや注目とかそんなレベルではない。ここならまあ問題はないだろう。

 

「さて、鳰原さんはもう帰らなきゃだよな? どうせ俺も方向は違えど電車には乗るし、途中まではついてくよ」

「ありがとうございます。あっ、その前にICカードのチャージだけ──」

 

 言いながらポケットに手を突っ込んで、不意に表情が強張った。

 

「…あれ?」

「ん?」

「い、いえ。確かにここに入れてたんだけど…」

 

 続いてずっと肩にかけていたスクールバッグをまさぐるが…。いよいよ鳰原さんの顔が青白くなっていく。

 

「ない」

「え? …まさか」

「…はい。財布が…ないんです」

 

 しまった、さっき走ったときか…ッ! 反射的に、弾かれたように周りを見回す。当然それらしきものは落ちていない。

 待て待て待て、財布がないって…。鳰原さんの家は鴨川だぞ? 千葉の外房、それも先っちょに近いくらいの都市。快速などを乗り継いでも三時間弱はかかる。

 

「…やべぇ。ひとまず、探してみるか。鴨川までとなるとあまり時間がない」

「は、はいっ…」

 

 しかしさっき来た道を探してみても、財布は見当たらない。既に誰かに拾われたか、あるいは…。

 彼女の親に迎えに来てもらおうにも、鉄道では時間的に往復はまず不可能だ。

 

「ない、か。親に車で迎えに来てもらうとかは?」

「両親ともペーパードライバーで…」

「うおー、マジか…。申し訳ない、俺が走ったばっかりに」

「いえ、ショーさんは悪くありません。これは単なる事故なんですから」

 

 そう言ってもらえるのはありがたいが、このままでは彼女は八方塞がりだ。連絡手段こそあるが、それでも少なくとも一晩はどこかで明かさないと帰れない状況。

 しかし彼女は目麗しい女子中学生だ、このまま放っておくのはありえない。となると、俺がどうにかするしかないわけだ。

 

「そしたら…俺んち来るか?」

「えっ、ショーさんの…ですか?」

「鴨川までの片道料金くらいなら渡したって大したことないんだがな。どうせ明日もこっち来るんだろうし、そっちのほうが楽だろうと思ってな。ちなみに俺は一人暮らしだから問題は…いや、それはそれで問題なのか…」

 

 当たり前だがこの提案にはさしもの彼女も逡巡を見せる。

 忘れているかもしれないが、俺は実質一軒家を恣にしているようなもんだ。だから部屋は余りまくってるし、十人来ようが二十人来ようがどうにかなるくらいには余裕がある。

 

 だからといって泊まりなんて、あいつらならまだしも鳰原さんはまだ関係も浅い。迷うのも無理からぬことだと思う。

 しかし他にちょうどいい対処法があるかと言われるとそれはそれで悩ましい。

 

「…わかりました。お世話になります」

「俺が言うのも何だけどいいのか?」

「今更、ですよ。それに今日もいっぱい気にかけてくれましたから。あなたなら信じられます」

「…そりゃどうも。じゃあきっぷ買ってくるから、親に連絡でも」

「もうしました!」

「早っ」

 

 

 ◇◆◇

 

 

『昌太くん、見てた!?』

「八重洲口の○マダでちょっとだけ見ました。噛んでましたね」

『んぐっ、何でそこだけ…というかなんで家電屋!? お家じゃないの?』

「ヤマ○に用事があったんですよ。マイクとかに使うコード累がほとんど劣化で終わってて…」

『あっ、そっか。昌太くんのお仕事はまだ終わって──わっ、ちょちょちょっと携帯取らないd』

 

 ところ変わって俺の家。

 鳰原さんを引き連れて帰ってくると、まず俺は詳しいことはあとでと言いながら、道中で買ってもらった下着類と俺のジャージを握らせて風呂へと放り込んだ。彼女は今絶賛入浴中である。

 

 その後に狙いすましたかのように、特番を済ませた彩さんから電話が来て、今通話しているというわけだ。

 

『昌太? 昌太よね?』

「千聖さん?」

『ええ。ライブから顔を合わせられていなかったけれど…ちゃんと目にモノ、見せてやったわよ』

「現地で見てましたよ。最高でした」

『ふんっ、私だってやればできるんだから。心配なんて不要よ…はい、お返し』

『なんで日菜ちゃんに渡したの!?』

 

 彩さんのスマホがたらい回しにされているようだ。スピーカーモードになっているのか声こそ聞こえるものの、どんどん音源が遠ざかっているような気がする。

 

『しょーたくーん! あたしも頑張ったよ! 褒めて褒めて!』

「素晴らしいパフォーマンスでしたよ。教えたことちゃんとモノにしててえらい!」

『ふふーん! また今度セッションしようね! はいこれ返すね』

『それ私のー!』

 

 日菜ちゃんの声には終始エゲツない風切り音と足音が入っていた。どこで何してんの?

 

『お疲れ様です昌太さん! ジブンとも今度セッションお願いしますっす!』

『喫茶店にも来てくださいね! もっとショータさんとお話したいです!』

「あ、はい」

 

 相変わらずうるさい物音とともに麻耶さんとイヴが一言ずつ話すと、そのまま彩さんに返ることもなくプツンと切れてしまった。

 連絡してきたのは彩さんだったというのに、ついぞ当の本人とはロクに話さないままだった。

 

 

「ショーさん、お風呂いただきました」

「はいよ」

 

 それと同時に鳰原さんが風呂から上がってきた。

 髪はすべて下ろされていて、ほこほこと湯気を立てながらタオルで丁寧に髪の水気をとっている。

 洗面所に置いてある化粧品とかも好きにしていいとは言っといたから、たぶんそのへんのケアも済ませてきたんだと思う。

 

「化粧品とかリンスとかも充実してて、ホテルに来たのかと思いましたよ〜」

「量だけはあるんだよな。…よくわからなくてもうほとんど使ってないけど」

「むっ、あんなにあるのに勿体ない…」

「本当だよ…まぁ今日使ってくれてよかったよ」

 

 いわゆる高校デビューを目論んで適当に買ってみたはいいんだが、元々そんなに外見に頓着するようなタチでもなかったせいかあまり長くは続かなかった。

 

 しかし沙綾とかひまりとかは、俺が気を使い始め三日坊主に倒れる遥か前からずっと気を遣い続けているようで、毎日時間をかけていると聞いた覚えがある。

 要するに女の子はみんな努力し続けて維持してるわけだから、彼女持ちのヤツはもっと褒めてあげたほうがいいですよってこと。俺はいねーから関係ないけどな(半ギレ)。

 

 

「洗面所から出たら彩ちゃんの寝そべり人形がこっち見て置いてあったんですけど、これどうしたんですか…?」

「え? 置いといた。なんとなく」

「な、なんとなく…ショーさんのことですから、全員分あったり…?」

「あるよ。持ってこようか?」

「本当ですか!?」

 

 彩ちゃん人形をぎゅむと抱きかかえ、喜びを全身で露わにする。本当にパスパレが好きなんだな。

 自室から持ってきた全員分の寝そべり人形を一列横隊に整列させながら、どうしてそんなにパスパレにのめり込んでいるのか聞いてみた。

 

「私、かわいいものにこだわりがあるんです。パスパレはいつもいつも違うかわいさを見せてくれて、何というか…追っかけがいがあるんです。だからいつも現地にも行きますし、CDやグッズも集めるんです」

 

 パスパレはまさしく可愛いの王道を往くようなアイドルだった。その上ほかに埋もれることのない魅力をも併せ持っていたがゆえに、今のような知名度を得たのだ。

 

「でも、この間のライブはまさしく新境地でした。あの時のみんなはかっこよかった。可愛さだけを求めて追いかけていたのに、そのかっこよさに心を打たれたんです。もうやめられそうにはありませんね」

 

 そう言って、寝そべり人形と同じ体勢をしながら笑った。まだ頬が紅潮しているのもあって艶めかしい…が、体勢で全部台無しだった。しかもうぇへへ〜なんてニヤニヤしてたし。

 

「…ん、携帯鳴ってないか? ほれ」

「おっと、気づきませんでした…もしもし」

 

 そろそろ二十二時も三十分を回ろうかという夜。やけに遅い電話だなと思いながら、録っておいた特番をもう一度見返そうと準備していたら。

 

「本当ですか!? ありがとうございます!」

「なんだって?」

「財布が駅に届いてたみたいです。しかも中身も全部そのままって!」

「マジか! よかった〜」

 

 どうやら鳰原さんの財布が無傷で東京駅に届けられていたらしい。

 流石に今から取りに行くには夜遅すぎるので、明日体育祭が済んでから一緒に取りに行くことになった。まだ東京まで行く運賃用意できないからね。

 別に俺が東京駅までついていく意味はないが、どうせだしついでに遊びに行こうと思ったのだ。

 

 そしてその後は時間の許す限り特番を見返し、明日に備えて早めに寝た。

 ちなみに俺が映っていたシーンはあそこだけではなく、いくつものシーンにガッツリ映っていた。おいマジで勘弁してくれ。

 

 




 
「おれは もともとここでパレオを出すつもりはなかったのに いつのまにかお泊りしていた」

 な… 何を言っているのか わからねーと思うが
 


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第31話 栄星体育祭

 
 評価の投票者数が増えているとまず心臓が縮み上がるらしい(ハメ作者㊙️情報)(評価本当にありがとうございます)
 


「ガハハハ、テメーなんか短距離走でこう…ちぎって、ポイだ! ポイ!」

「あぁ? 出来んならやってみろやぁ〜〜、そっちがその気なら俺は、ゲ、ゲェ〜ってやってポォーだオラ! 三倍だ三倍!」

「味方じゃないの? あんたたち…」

 

 七月。いよいよ腹立たしいことに蒸し暑くなってきた今日、ついに本番を迎えることになった。

 実行委員たる俺はクラスの並んでいる列から外れて、司令台そばの本部テントで忙しなく業務に励んでいる。

 雲一つない青空という枕詞が校長挨拶で遺憾なく発揮されるレベルの蒼穹、ぶっちゃけ炎天下で暑いので今ばっかりは実行委員で良かったと思う。陽炎が見える見える…。

 

 もちろん保護者と学生限定で一般の来場もあるし、そもそも普段の体育の授業が男女別であるうちの高校は、漢が己の運動能力を誇示できる好機でもある。

 さすがに冒頭のような意味不明ないがみ合いをしているやつはそうそういないが、そうでなくともどこか彼らの面持ちは固い。頑張れ男子(他人事)。

 

 その一助になればだなんて一ミリも思っていないが、俺の顔見知りにも今日が体育祭であることはそれとなく伝えてある。来るかは知らんけど。

 少なくともパスパレとハロハピはそのうち来るんだから、せいぜい頑張ってみるがいい。

 

 鳰原さんとは一緒に栄星のあたりまで来たあと、近くのコンビニで一般に開放される時間まで暇を潰してもらうことにした。

 俺にも仕事があるため結構長い間この辺に拘束してしまうことになるが、特に彼女は気にしていないようだった。むしろ『ついでに聖地にも行ってきます!』とか息巻いてるくらいだったから、俺もあまり気にしないことにした。

 

 

 今日のタイムテーブルは、各学年の男女混合リレーの後に、順次学年種目、そして早めにミニライブ。昼休憩を済ませたら綱引き、借り人競争、そしてシメは部活対抗リレーである。

 最後のリレーはなぜか実行委員の枠もあって、俺も走らされることになっている。いらねー。

 

「健太郎は全部出るんだよな? 一から十まで全部」

「死ぬわ。いうて学年リレーと学年種目、綱引きと借り人競争と部活対抗リレーだけだぞ」

「いや全部やん。流石運動部…」

「そりゃここでアピールしないでどこでするんだよ。パスパレも来るんだぞ!?」

 

 ブレないね君。

 

「逆に昌太は出るのか?」

「リレーは出るな。あと借り人」

「お前チャリ通だしな。足だけは早いもんな」

「つぶすぞ」

 

 インドア派のヤツにそれ言ったらマジで殺されるぞ。

 とりあえず全力出しとけばいい短距離走とは違って、他のスポーツは力の使い方を知らないとド下手くそになってしまう。いわゆる調整力ってやつ。

 普段から運動してないと調整力もカスだから、一向にスポーツがうまくならないって寸法ね。当たり前だね。

 

「…にしてもお前」

「みなまで言うな。言われんでもわかっとる…!」

「なんでそのまんま映ってたんだよ本当に…」

「知るか」

 

 思いっきり顔をしかめながら吐き捨てるように言う。

 

 今の俺は体操服姿だから、よほどあのシーンで俺を凝視でもしていなければ気づかれやしないだろう。

 しかし栄星のやつらからしてみたら母校が映るシーンだったし、そこで出てきた栄星の生徒が見る限りでは俺しかいなかったのだ。だからかここの生徒からはずっと視線を感じる。

 

 正直こんな形でも憧れの彼女らと同じ画角に映っていたのは嬉しいが、リスクがでかすぎるだろ。

 珍獣を見るような視線を送られるのはいくらなんでも耐えられん!

 

「俺だってなんも聞いてねえんだよ! そもそもちゃんとカットするって言われてたし」

「あぁ…ハメられたんだな。もう後戻りできねえぞそれ」

「クソが!」

 

 俺に委員会を押し付けた引け目があったのか知らないが、顔を出していた健太郎は、リレーが控えているので早々に本部を離れていった。

 

 

「お疲れ様です、筑波くん」

「お、お疲れ中戸さん。次一年リレーだけど出ないんだっけ?」

「はい、わたしは学年種目だけ出て終わりなので。あとは本部にいようかと思ってます」

「そっか。嫌だよね、あっついの」

「本当ですよ…」

 

 同じ実行委員の中戸さん。圧迫会議のときもきっちり発言していた、同学年の真面目ちゃんだ。

 黒縁メガネをかけていてパッと見地味に見えるけど、例によって整った顔立ちだ。ゼンノロブ○イに似てるかも。

 

 そんな彼女はうげ〜っと顔をしかめて、手で扇ぐように風を送っていた。

 

「わたしインドアで、体力もあんまりないんです。だから…あら?」

「昌〜〜〜〜太〜〜〜〜く〜〜〜〜んっ!!!!」

「ガフッ!!」

「筑波くん!?」

 

 後ろからきらきら星が飛んできて俺の内臓が星になった。内蔵先生の次回作にご期待ください。

 きらきら星の正体はもちろん戸山香澄。六月を迎え、衣替えしたのか半袖の学生服で突っ込んできやがった。腰でぐりぐりすな暑い暑いやわっこい。

 

 どうでもいいが学生が入場する際はドレスコードが学生服と決まっており、校内にいる他校の生徒はみな学生服姿である。

 

「ぷはっ、なんか久しぶりだね! 最近全然CiRCLEにいないと思ったら実行委員だったんだ」

「沙綾から聞いてない?」

「忘れた!」

「…はぁ゛、はあ゛っ…。おい香澄、邪魔だろ。は〜な〜れ〜ろ〜…」

「やだやだ〜っ」

 

 中戸さんと同じくインドア派の有咲、走ってきたのか死にそうなほど息切れ。

 一番来なさそうだった有咲がいるってことは、他のポピパもいるんだろう。実際奥で沙綾とりみりんがこちらへ歩いてきているのが見える。

 

「沙綾、おたえは?」

「あれ、いない? 私はさっきから…見てないけど」

「私も見てないよ?」

 

 沙綾がちょっと目を見開いた。さては何かに気づいたな? ちょっと詰め寄ってみようとしたら、ポンポンと肩を叩かれた。

 

「やっほ、昌太」

「おた…え、何やってんだ。中戸さんの手使っちゃって」

「え? なんとなく」

「おいおたえ、仕事してるんだから迷惑かけちゃだめだろ…ほら」

「あー、ごめんなさーい」

 

 さっき肩を叩いたのは、おたえによって操られた中戸さんの手。おたえは背が高めだから、ちっちゃい中戸さんに覆いかぶさるのは簡単だったようだ。

 それにしてもちっとも反省してなさそうな声色である。当の中戸さんは俯いてふるふると震えていた。

 りみりんが心配気に声をかけると。

 

「だ、大丈夫ですか…?」

「あっ、あのっ! ポピパの皆さんですよねっ!?」

「ひゃいっ!!」

「そうだよっ! 昌太くんに誘われてさ、ライブも気になるから来たんだ〜!」

「か、感激ですっ!」

 

 胸元で重ねられたりみりんの手を引っ掴んで、中戸さんはすごく表情を輝かせている。

 どうやらポピパのファンだったらしく、さっきまでとは見違えて饒舌になっていた。

 

 中戸さんと話し始めたポピパ。唯一俺のそばにいた沙綾は、苦笑いしながらも何でもなさそうに話し始める。

 

「ね、昌太。時間押してるんでしょ? 今のうちに行ってきちゃいなよ」

「え? うわマジだ。じゃすまんがあとは任せた」

「うん。…あ、ちょっと待って」

「ん?」

 

 言うや否や、沙綾は俺の耳元に口を寄せて──

 

「頑張ってね。応援してるから」

 

 流し目で微笑みながら、そう囁いた。

 

 

「なんか…沙綾、正妻の余裕?」

「え? 制裁?」

「ううん、なんでもない」

 

 

 ◇◆◇

 

 

 フィールドは太陽に灼かれ、象るラインは陽炎に燃える。

 滴る汗の音すら聞こえそうな静寂、スタートラインに佇む戦士が望むはただ一つの栄光のみ。

 

 無機質な音声は待つことを許さず、高々とギャラルホルンを吹き上げる。

 

『On Your Marks. Set──』

 

 ──さぁ、ラグナロクの始ま

 

「キンッッッッモ!!!!!」

「うわぁ! 突然暴れるな!」

「アッ、すんません名前も知らない先輩」

 

 これは俺が今考えた『死ぬほど誇張したさっきの学年対抗リレーの様子』の一端である。が、脱線してなんか自分で自分が無理になって考えるのをやめた。体育祭始まったばっかなのに世界終わったし。

 

 チャリ通で日頃から吐くほどペダルを踏み抜いてぶち壊した脚は伊達ではなく、スタートダッシュが遅れた割にバトンを渡すのは一番乗りだった。が、最終結果は3位。普通だな!

 ぶち壊れたのがペダルなのか脚なのかは想像に任せる。

 

 

 現在は二年生が学年種目を行っているところだ。これと次の三年の学年種目が終わればいよいよライブだ。

 ステージの設営はとっくに済んでいて、あとは楽器さえ用意すれば誰でもブチかませる状態に仕上がっている。

 

 ドラムやキーボードにマイクなどの設営は、俺からの進言で本人たちが直前に進めることになった。

 ハロハピはそれすらパフォーマンスの一部に変えてしまえるし、パスパレにしてもついこないだお披露目したばっかりな状況だ。そんな中でメンバーがいそいそと楽器持ち出し始めたら面白いでしょ、絶対。

 

 話がずれたが、要するに今となってはライブが終わるまでライブ担当としての仕事はないってことだ。

 委員長の香椎先輩にも「雑用は俺たちに任せて、お前は自分の作り上げたライブを楽しんでこい」って言われて本部を追い出された。それに関しては俺何もしてないんだけどな。

 

 今追い出されても本気でやることがなくて暇だったため、白熱した学年種目を繰り広げる二年生の皆さんを傍目に、俺は設営の済んだライブステージへと足を運んでいるのだった。

 

 

 まだライブまでは時間があり、ステージのそばにはまだ人も疎らにしかいない。

 のだが、ステージの目の前で佇んでいる外部生の人がめちゃめちゃ目立っている。何しろオーラが違うのだから。

 まぁ氷川さんなんですけど。

 

「おや、筑波さん。お疲れ様です」

「お疲れさまです。もうここにいるんですね…他のメンバーは?」

「今井さんと宇田川さんはグラウンドへ学年種目の観戦へ。どうやら知り合いがいるようですね。湊さんと白金さんはあちらに」

「あ、全員来てるんですね」

 

 言われて端っこを見ると、確かに二人が固まって佇んでいた。あの一角だけやっぱりオーラが違っていて、ステージじゃなくてあの二人を遠巻きに眺めている人もいる。

 

 まだ冬服のままだが暑かったのかブレザーを片手に掛けている友希那さんは、ワイシャツに濃い青のプリーツスカート姿。

 燐子さんはすでに夏服へ衣替えしていて、上下一体のワンピースではなくオーソドックスな薄青のセーラー服姿だった。

 

「うわっ、遠巻きに見るとオーラが全然違ぇ」

「ほかの皆さんもそうですが、あのお二方は特にビジュアルが清廉ですし。一人でも十分人目を引くのですから、二人集まれば…何でそこで私の方を見るんですか」

「いや…氷川さんもそうでしょうよ。遠巻きに見てる人いますよ」

「あぁ…。いえ、私のこれは怖がられているだけでしょう」

 

 んなわけあるか、と心の中で呆れる。まだマシになったとはいえ、自己評価が若干ズレているのは相変わらずだ。

 

 さっきから自分のことを棚に上げているが、この人も大概美形。たぶん本人は目つきが悪いからとか何とか思ってそうだが、それすらもスパイスになっているということを彼女はわかってない。

 なんて口に出して言ったら口説いてるみたいだから言わない。

 

「それはあなたも大概よ、紗夜。いい加減自分への評価くらいちゃんと把握してほしいわね…」

「湊さん…。それならあの方は? 目を見開いて硬直していて、いかにも恐れを抱いている表情ではないですか」

「いやあれは恐れっていうか畏れでは」

 

 俺のボヤきに、友希那さんに続いてこちらへ来た燐子さんもうんうんと頷く。

 硬直って言われると何か死んでるみたいで嫌だね。死後硬直。ただあの人は同族の香りがしたし、死んでるって表現もあながち間違いではないかもしれない。

 

「ライブですか? 今日の目玉は」

「そうよ。リサとあこがほかの競技も見たいというから、ついでに早めに乗り込んだだけ。あとはまぁ…あなたも出るでしょうから」

「私もそんなところです。日菜が見に来いと聞かなくて…。栄星にはあなたくらいしか知り合いもいませんし、今井さんたちのように応援する用事は()()()()ないですね」

「私は、えっと…ライブもそうなんだけど。…や、やっぱり何でもないっ」

 

 燐子さんはこちらをチラッと見てから、慌てて言葉を濁す。何よ顔赤くしちゃって。

 燐子さんはわかるが、友希那さんや氷川さんもライブだけ見に来たのかと思った。何しろストイックの鬼とも呼べる二人だし。

 

「まぁライブまではまだ一時間弱あるんで、ゆっくりしていってくださいよ。今日暑いですし、校内も一部開放されてますから日陰で涼んだりとか。ね、友希那さん」

「なっ、何で名指しなのよ」

「まだ冬服ってどう考えても暑いでしょ。友希那さんってたまにズボラなとこありますからまさかとは思いましたけど…」

「むっ…わ、わかってるわよ。でも…夏服を、かなり奥へ仕舞い込んでしまって…場所がわからなくなったのよ」

「要するに面倒なのですね、湊さんは…」

「友希那さん、夏服くらいなら一緒に探してあげますから…。衣替え、しましょう…?」

「わ、わかったから。ジリジリと近寄らないでちょうだい」

 

 じわじわと隅へ追いやられる友希那さん。あの分なら衣替えもすぐ済むだろう。

 それを見届けると、なんとなく友希那さんの頭を一撫でしてからこの場をあとにした。

 

 

「〜〜〜っ! あ、あの男っ…! 昌太!」

「顔真っ赤ですよ」

「うるさい…」

(いいなぁ)

 

 

 ◇◆◇

 

 

 人っ子一人いない校舎内。この棟の一階部分は概ね開放されていて、誰でも入れるようになっている。

 一応一番の奥地にある例の謎スペースにも行くことができるので、休憩がてら足を運んだのだが。

 

 化粧だけを済ませたらしい制服姿の千聖さんが、窓のそばのベンチに座ってすやすやと眠っていた。

 先日と違うのは、立場が逆であること、今が昼前であること、手はコーヒーを持たず上腿で重ねられていることか。

 

 

 このスペースは棟の突き当たり部分にあり、廊下のほかは特に出入り口も存在しない。そして基本的に日はよく差すものの、窓が一辺にしかないためにあまり明るくなく、日中でも明度のコントラストがはっきりしている。

 何が言いたいかというと、写実派の絵画のような光景が今目の前にあるということだ。

 

「…んんぅ。ぁ、いけない…あら、昌太」

「おはようございます、千聖さん」

「えぇ。ふぅ…ここへ来るとどうも眠くなっていけないわね」

 

 俺が端っこで佇んでいると千聖さんが目を覚ました。寝起きにあまり強くないのか、目をくしくしと擦りながら柔和な笑みを浮かべている。

 

「座れば? …ちょうどこの前と逆ね」

「ちょうど俺も同じこと考えてましたよ。スヤスヤと寝てるとこまできれいに反対だなと」

「私のあなたへの態度も…かしらね? ふふ」

 

 ライブ前のLIGNEや昨日の通話ではああだったが、最近の千聖さんは一気に距離が近くなったというか、険悪だったのが嘘のように態度が軟化した。

 ぶっちゃけ俺としてはあまりの変化にやりづらさが先行している。

 

「実はね、あれから花音に怒られちゃったのよ」

「え? でもそんな素振りは…」

「そりゃあなたの前では慎んでるわよ、花音()ね。それで、そのときは私が誰にもあなたとのことを話さなかったせいで『そんなに私が信用できないんだ〜…』って痛いところをちくちく突いてきたのよ。あんまり花音らしくないやり口で本当に困ったわ…」

「でも花音さんって元来のおっとりさに見合わない一面ありますよね」

 

 『千聖ちゃんってすごく不器用なんだよ』って言われたときとかな。普段は変な道通ってふえぇって言ってるのに、一体その内に何を飼っているのやら。

 意外と千聖さん以上に底の見えない人かもしれない。

 

「そうね…あの強かさには私も何度も──と、この話は湿っぽくなってしまうわね。要するに、その…いつも通りでいいのよ。私に対しては」

「は!?」

「わからないとでも? あなたって結構隠すの下手くそよね。お人好しでバカ正直で…前も言ったけどそのうち悪い人に引っかかりそうで心配だわ」

「は…へ、へへへ…人を見る目はあるんで大丈夫ですよハハハ…」

「その目がなかったらとっくに死んでるわよ」

 

 えっ、俺ってそんなに弱い存在なの? 社会に放り出したらすぐ死ぬくらいのお人好しに思われてんの俺!?

 社会的地位アリと同等くらいじゃん…と思いながらちらと右に視線をずらすと、頬を紅潮させながら頬杖をついてジト目でこちらを見つめる千聖さんが目に──入ったと思ったらそっぽを向かれた。

 

「私だって慎むの大変なのにこの男は…」

「え?」

「な、何でもないわよ」

 

 何かを振り払うようにスクッと立ち上がると、そのままずんずんと廊下へ歩み行ってしまう。

 と、ふと立ち止まり。

 

「…このあとのライブ」

「はい?」

「ちゃんと見てなさいよ。見逃したら承知しないから」

「もちろん」

 

 当たり前だと返すと、ひとつ頷いてそのまま去っていった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ふえぇ…」

「…」

 

 さっきはあれだけ感心してたのにこの人は…!

 千聖さんが去ってからしばらくして俺も校舎を脱出し、ライブが三十分後に迫った今もなお徘徊を続けていたのだが。

 

「あっ、昌太くん! 助けて〜!」

「なんで駐車場にいるんすか…。しかもここ栄星の端も端なのに…」

 

 俺が徘徊してなかったらこの人どうなってたんだ。

 特に意味もなく、本当にたまたまこのクソ端にある駐車場までわざわざ足を運んでみると、特有の鳴き声を上げながら半泣きの花音さん。

 

 ここは教職員向けの駐車場であり、こんな昼間に車で出入りする人はいない。つまり今のここは全く人気がなく、体育祭真っ只中のグラウンドと比べると不気味なまでに静かなのだ。

 そのせいで心細かったのか知らないが、俺を見てガチ泣きしそうになっている。

 

「ふえぇ〜ん!」

「あ〜泣かないで泣かないで。もう大丈夫ですよ〜」

 

 というかガチ泣きしてしまった。

 はるか昔に沙綾の妹の沙南をあやしていたときを思い出しながら、めちゃくちゃしがみついてくる花音さんを撫でる。元気かな、純と沙南。

 

 普段はこうやって、なんか守りたくなるようなほわほわした空気感なのに、ふとした瞬間に小悪魔っぽい表情で囁いてきたり、痛いところをちくちくとつっつきながらぷくーっと頬を膨らませたり。

 あと普通にここぞというときの肝が据わっている。あれ、花音さんがよくわからなくなってきたぞ。

 

「ふぇ…もっと撫でてぇ…」

「はいはい…。そろそろステージ行くんですよね?」

「うん。本当はもっと早めに行きたかったんだけど、歩けど歩けどステージから遠ざかってる気がしたし、最終的にはこんな誰もいないところに…。ぐすっ」

 

 よほど堪えたらしい。

 まあ無理もないだろう。ここは人も来ないくせに道路からも微妙に離れていて、ノイズの一つも聞こえてこないのだ。

 キーン、というどこから聞こえてくるのかもわからん謎の音が響くのみである。夜に来たら本当になんか出るんじゃないかと思う。

 

 こういう臆病なとことか寂しがりやなとことかが守りたくなる一因なんだろうな。

 とか考えながらずっと撫で続けているが、逆にぴえ〜とさらに泣き出してしまう。逆効果じゃねえか!

 仕方ないので空いていた左腕で花音さんを抱きしめると、やがて落ち着いたのか泣き止んだ。

 

「あったかい。えへ、また助けられちゃったな」

「…何か、花音さんってほっとけないですよね」

「え? そ、そうかな?」

「あぁいや、見てられないとかそういうわけではなくて。なんというか、守ってあげたくなるというか。庇護欲がそそられる」

「守…そ、そうなんだ…。えへ」

 

 ニヘラと嬉しそうである。

 …これって遠回しに危なっかしいって言ってるようなもんでは? いや俺にそんなつもりはなかったし、花音さんもそう捉えてはなさそうだし…いいか別に。

 

「じゃあ早いとこ行きましょ。ライブ始まっちゃいますよ」

「う、うんっ!」

 

 このまま後ろを追従してもらってもはぐれるので、花音さんの手を引いてステージへ向かう。

 彼女は何やら感触を確かめるように手を握り直し、やはりどこか嬉しそうにしていたのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 さて、ライブ五分前である。

 香椎先輩に本部を追い出されてからなんか色々あった気がするが、これでも一時間前後しか経っていない。

 

 花音さんをちゃんとハロハピに合流させると、俺は実行委員の権限を使うわけでもなく観客席の後ろに立つ。

 別に実行委員なんだから舞台袖にいても文句は言われないだろうが、最後尾でもちゃんと観客席から見たかった。

 

「ここでいいの? 昌は」

「ん? まあ舞台袖でもいいんだがな。やっぱりライブはここから見てこそだろ」

「ふっ、言えてる」

「蘭こそここでいいのか? ほかのみんなもいるんだろ」

「うん、ひまりと巴は真っ先に前の方に行ったよ。つぐみとモカは…どこだろう」

「別行動でもしてたのか?」

「そ、みんな見たいものがあったらしいから」

 

 腕を組んで真っ直ぐ前を見据える蘭。友希那さんといい蘭といい、音楽に対して貪欲なのは実に似ている。

 蘭たちも来ているということは、俺がしれっと声をかけたみんなが来ているということ。やはりこのライブは皆の興味を大いに煽るものだったようだ。

 

「忙しかったのはわかるけど、たまにはつぐのとこにも顔出してあげなよ。この間すごい寂しがってたんだから」

「え? マジ? そりゃ悪いことしたな…なら今度行くか」

「おやおや〜? それは蘭自身のことなのでは〜?」

「え、ちょ…モカ!?」

 

 知らぬ間に俺の後ろを陣取っていたモカが、背中からひょっこりと顔を出してニヤニヤと蘭をイジる。

 ワーワーともみくちゃになる二人を尻目にステージに目を戻すと、すでにライブの下準備は盤石となり、今にも始まらんとしていた。

 

 二人がそれに気づかないようなので、もう始まるぞと言いながらモカの腕を引っ張り寄せると、なおさらモカのしたり顔と蘭のしかめっ面が深まった。なんで?

 

 

 先鋒はハロハピだ。練習でもそうだったが、彼女らの爆発力はハコを盛り上げ温めるのに最適なのだ。

 めちゃくちゃアドリブが多くて毎回どうなるかよくわからんけど、まあ…大丈夫だろ!

 

 と、思っていたんだが…。

 

「昌…これは?」

「…コッペパン」

「しかもこれは上質な米粉パンですな〜。ほんのりと香る甘みともちもち食感が美味なり〜」

「なっ…何これっ!? 訳わかんないでしょ!?」

「う〜ん、どうしてこうなった」

 

 ハロハピのライブが始まるや否や、ステージの方から何かが大量に射出された。俺の顔面に降ってきたそれを剥ぎ取って見ると、個別に包装された米粉パンだった。

 いや意味わかんねえよ! 普段の練習でもここまでじゃなかっただろ! というか片付けどーすんだよ、全部俺たちがやんのか!?

 

 しかしあまりに荒唐無稽だったそれも、最終的にはすべてが場の盛り上がりに変換され、一曲終わってみれば知らないうちにみな盛り上がっていた。

 

「まさか、あれをばら撒いたのも手始めに注目を引くため…?」

「いやあれなんも考えてないと思う。参考になんかしちゃだめよ蘭ちゃん」

「むぐむぐ〜」

「モカお前まだ食ってんの?」

 

 このハロハピのことをバンドではなくパフォーマンス集団と形容したほうが相応しいと言ったのは覚えているだろうか。

 その例えはこのように音楽の枠組みを外れた演出で観客を楽しませる姿勢から来ている。お嬢の尋常じゃない身体能力でステージをバク転や三重飛びしながら駆けずり回ったり、さっきみたいにパンを射出してみたり。

 

 むろん音楽もおざなりになるわけでもなく、むしろそれとサーカスじみたパフォーマンスが融合した未知のバンドこそが、彼女ら『ハロー、ハッピーワールド!』なのだ。

 

「訳わからないけど、なんか心惹かれるのがわかる…。全く参考にはならないけど」

「バンドっていう枠にとらわれないライブづくりは、確かに俺としても眼を見張るものがあると思ってる。参考にはならないけど」

「確かにそうだね〜。参考にはならないけど〜」

 

 そして、ハロハピの出番もいよいよラスト。

 見事場を盛り上げてくれた彼女らは、思惑通りライブを温めるのに大いに貢献してくれたのだった。

 ハロハピが舞台袖に引いていくと、間を開けずに彩さんがステージに出てきた。

 

『みんな、盛り上がってるー!?』

 

 彩さんのその問いに、観客は耳を劈くほどの歓声で応えた。

 

『次は私たち、Pastel✽Palettesの番ですっ! 今回は先日お披露目したバンドとしての私たちが、皆さんを夢の世界へ招待します! 置いていかれないように、ね?』

 

 言うや否や俺と目を合わせて、ウインクを飛ばしてきた──ように見えた。

 え、何? めっちゃ可愛い…痛ぇ! 腕つねるな蘭!

 勘違いなのか何なのかはさておき、これにも観客が大きな歓声を上げた。普段のあがりっぷりが嘘のように、今の彼女はアイドルだった。

 

 その後千聖さんにも同じようにウインクされ、再び蘭とモカに抓られながらもライブは大成功のうちに幕を下ろしたのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「お疲れさまですショーさん! 最後のリレー、すごくかっこよかったですよ!」

「よせやい照れるだろ」

 

 とか言ってるが、俺は昨日の鳰原さんの身体能力バケモン説忘れてねえからな。息一つ上がってないのはどうかしてるって。

 今は栄星の校門。すべてのタイムテーブルが終了し撤収もひととおり済んだので、ここで鳰原さんと落ち合って東京駅へ向かうことにしたのだ。

 

 しばらく校門で突っ立ってかのライブの感想を語り合っていると、道路に沿ってこちらへ歩いてくる見覚えのある姿が見えた。

 

「沙綾。今帰り?」

「うん、あっちのコンビニ寄ってから帰ってるとこ。…見ない子だね?」

 

 ジトッと半目で鳰原さんの方へ視線をスライドさせる沙綾。見ない顔なのは当然だろう、ちゃんと知り合ったのは昨日なのだから。

 …しかしそうなると初対面はいつになるんだ? 一応もっと前からお互い認識はしてたんだが。

 

「えっと、鳰原令王那です。ショー…筑波さんとは…何でしょう? 友人?」

「…同士? まあ友人でいいんじゃない?」

「…ということです。よろしくお願いします」

「えっ? えー…山吹沙綾です。どういうこと?」

「パスパレ繋がりで知り合ったからな…言葉にしようと思うとちょいむずい」

 

 幼馴染さんは依然難しげな表情を崩さないまま、何故か鼻をスンスンと鳴らす。

 スン、と真顔になった。そのまま聞いたことのない平坦な声で俺に問う。

 

「…昌太。今日これから予定は?」

「東京駅に行ってしばらくぶらついて、それから帰りかな」

「そう。それならこっち戻ってきてからでいいから、私の店来て」

「え? 遅くなるかもしれんけ」

「いいから」

「…お、おう? わかった」

 

 それだけ聞いて、ツカツカと沙綾は帰っていった。

 …何だ? あんな沙綾は初めてだ。怒ったときだってあんな感じではない。鳰原さんがいるのも忘れてしばらく茫然としてしまった。

 

「…あの、ショーさん? 大丈夫ですか? 山吹さん」

「沙綾とは長い付き合いだが、それでも今のは初めてだ。…とっとと行ったほうがいいなあれは」

「そう、ですよね。私もそう思います。…こんな時にまで付き合わせてしまって申し訳ないです」

「約束したことだしな。今更一人で行かせるのも気が引けるだろ」

 

 ひとまず鳰原さんと俺は早いところ東京駅へ向かい、彼女の財布を回収した後に別れることとなった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 何で私はあの場を逃げるように後にしてしまったのだろう。

 校門で昌太と話していた女の子。…鳰原さん、と言ったか。綺麗な黒髪をツインテールにまとめた、可愛らしい女の子だった。

 

 何故か彼の周りには女の子が多い。もちろんそれに思うところがないわけではないけど、それでもその女の子たちはみんな私も知っている人だったから、心は穏やかだった。

 

 でも鳰原さんは私も知らない、彼の新たな女の子の知り合い。そんな子に私は大きく乱されてしまったのだ。

 ──彼女から、彼と()()()()がしたのだ。シャンプーかはわからないが、芳しいそれ。このことが指し示すのは即ち…。

 

 こういうときばっかりすぐ解答にたどり着いてしまうのはなぜなのだろう。すぐにその意味を理解してしまって、昌太にも雑な態度を取ってしまった。

 

 

 なぜか、今の私はどうしようもなく焦っている。何に対してなのかはわからない。そして胸を覆い尽くす寂寥感。

 今日はすでに閉められた店内のカウンターでぼんやりと佇む。こんなにわけのわからない感情でぐちゃぐちゃになるのは初めてで、自分自身戸惑いを覚えている。

 

 彼が絶対来てくれるのはわかっているはずなのに、えも言われぬ焦燥感に胸が痛む。目の前の世界を覆い尽くす茜色に、ツーッと涙が流れているのすら気づかなかった。

 

「すまん沙綾。待たせた」

「…っ! 昌太…」

「ん? えっ何で泣いてるんだ!? 大丈夫か!?」

 

 前触れもなく開け放たれた扉に胸が跳ねて、それから寂寥感は…温かい何かに変わったような気がした。

 あんなにぶっきらぼうに言ってしまったのに変わらず私を心配してくれて本当に…そっか、今私うれしいんだ。

 

「昌太。…鳰原さんと昨晩、何したの?」

「…っ!? ど、どういう」

「誤魔化さなくていいよ。もうわかってるから。匂いで」

 

 匂いと聞いて得心が行ったのか、少しだけ彼は目を見開いた。

 どうせ彼のことだから…と思いつつ、ちりと心は痛む。

 

「…鳰原さんが財布を落として帰れなくなったから、俺の家に匿っただけだ。彼女の家が遠くてとても帰れる状況じゃなかったしな」

「それだけ?」

「あぁ、誓ってそれだけだ」

 

 すると、やっぱり私の心がひどく休まる感じがする。…鳰原さんと何かあったら何なの? そもそも何で私は匂いを察しただけでこんなに…。

 未だぐちゃぐちゃの頭とは裏腹に、口は勝手に言葉を紡ぐ。

 

「ねぇ、昌太。今の私ね、すごいぐちゃぐちゃなの」

「ぐちゃぐちゃ…?」

「そう。…昌太のせいなんだよ」

 

 自分の口が勝手に紡いだその言葉は、妙に心にストンと落ちる。

 カウンターから出て、仁王立ちする彼の元へ歩み寄る。お互いの身体が当たりそうだ。彼の背は高いから、自然と私が上を見上げる形になった。

 あれだけぐちゃぐちゃだった頭は、おかしなくらい鮮明に自らの思いを紐解いていく。

 

 彼の匂いに包まれて、爆発しそうなくらいドキドキしてる。顔に熱が帯びていく。それなのにすごく安心しているのもわかる。さっきはあれだけ──

 

 ──そうか。私、嫉妬してたんだ。

 彼と一番長い付き合いのはずの私じゃなくて、まだ関係の浅い彼女に取られちゃうんじゃないかって。

 

「でも、不思議なの。今の私、すごく安心してる」

「…沙綾」

「ふふっ。ね、ちょっと腰落としてくれる?」

 

 これは、私をぐちゃぐちゃにしてくれた朴念仁への罰だ。今度は君がぐちゃぐちゃになっちゃえ。

 なんてささやかな仕返しとともに、素直に腰を落としてくれた君の頬にキスをした。

 

 

 私、君が好きみたいだ。

 

 

 




 
 これで本当に終わりです。意地でも一話で章を終わらせようと思ったら一万二千字。
 最近沙綾がヒロインでめっちゃ可愛いSS作品が増えてて(体感)、僕はすごく嬉しい。推しは沙綾と丸山です。
 


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日常は続くよどこまでも編
第32話 攻勢



 ☆あけましておめでとうございます☆



「おまたせ〜…わっ、すごいクマ。どうしたの? それ」

「寝れなかっただけっすよ」

「昨晩に? 体育祭で疲れてたでしょう、なんで寝れないのよ」

「寝れなかっただけっすよ」

「答えになってなくない…?」

 

 日曜日。明日は体育祭の振替休日のため、全く特別感はないが実質二連休となっている。

 

 で、そんな貴重な休みに俺は何をやっているのかというと、こないだの特番についていろいろ話すことがあると、事務所が千聖さんと彩さんをよこしてきたのだ。

 なんでスタッフとかじゃなくて演者たるアイドルを寄越すのかがよくわかんないんだけど。忙しいんじゃないの?

 

 CiRCLEのカフェテリアでボーッとしていた俺へ駆け寄ってきた彩さんと千聖さんは、俺の顔を見てギョっとしていた。

 

「あなた、また何か変なことしてないでしょうね…? 寝なくていいの? 別に話したいことは後日でもいいから」

「大丈夫っすよ、ええ…それには及びませんよ…」

「えっ、その割にはすごい目が虚ろに見えるんだけど」

 

 いやいや、スゲー輝いてるだろ。寝れなさすぎてギンギンに覚醒しとるわ。

 だから彩さん、あまり近くから目を覗き込んでくるな。なおさら寝れなくなる。

 

「いや確かに筋肉がちぎれるほど疲れてたんですけど、いろいろあって寝れなかったんですよ。それだけっす」

(『いろいろ』のあたりで何かあったわね、これ)

(私もそう思うな…)

 

 原因はお察しかとは思うが沙綾の件である。

 正直記憶が飛んでよく覚えていないのだが、沙綾んちで彼女に頬にキスされたのちに『ほら帰った帰った』と言わんばかりに追い出されたのだ。

 

 そんなことされたら寝れるわけねえだろ。どう受け止めればいいの?

 女の子にあんなことされたの初めてなんだけど、もしかして女の子って異性にキスするのが普通だったりする?

 

「その『いろいろ』のところを詳しく教えなさい」

「帰って寝ていいすか」

「逃げちゃダメ! 教えてくれるまで帰さないよっ!」

「横暴だ〜…」

 

 ずっと布団で寝転がってただけだから、身体はある程度休まっても脳はエゲツない疲労を抱えたままだ。そのせいで今もちょっと気を抜いたら世界が海色に溶けそうである。

 正直もう何も考えたくねぇ。これ逆に言えば話せば帰してくれるってことだよね? じゃあいっか、別に。

 

 フリーズした俺を見て、彩さんが不安げな声を上げる。

 

「昌太くん…?」

「昨日(頬に)キスされたんすよ、キス」

「は? (唇に)キスされたの?」

「なんか幼馴染にされて…」

「ぇ…えっと、女の子?」

「そう。それでどう受け止めていいかわかんなくて寝れなかったんですけど。なんですか、女の子って異性にキスするのが普通なんすか?」

「いやいや、好きじゃなきゃそんなもがもが」

 

 彩さんが何か言いかけて、千聖さんに無理やり口を塞がれている。何してるんだろ、刑事ドラマの読み合わせ?(痴呆)

 

「待ちなさい彩ちゃん。その幼なじみ、確実に彼のこと好いてるわよ」

「う、うん。そうでもなきゃキスなんて…」

「でも、彼はそれを挨拶や親愛の証として考えようとしている。それなら、そのままの方が都合が良いと思うの」

「うぅん…? えっと、進展のジャマができるってこと…?」

「そう。それもあるけれど…私たちも、できるかもしれないわよ。それも…」

「…っ!」

 

 千聖さんがぽしょぽしょと喋りながら唇に指を当て、それを見て彩さんが赤面…あら^〜。てかかなり攻めた内容のドラマだな。いつやるんだろ。

 

 超絶美少女のくんずほぐれつを傍目に眠気と闘う俺。実に意味不明な空間である。

 読み合わせが終わったのか、千聖さんが話を続ける。

 

「そうね、海外でもあるじゃない。親しい間柄の人と頬にキスし合って挨拶する文化が。たぶんそれと似たようなものよ」

「ぅ、うんうんっ! たぶんその子も仲がいい証みたいな感じでしたんだと思うよ!」

「まぁ、確かに。話には聞きますよね、そういう文化」

 

「全然疑ってないよ…?」

「それだけ眠いんでしょうね。今回ばっかりはちょうどよかったわ」

 

 そういやあったなそんな文化。

 もしかして沙綾って俺のこと好きなんじゃねとか思ってたけど、やっぱり自意識過剰だったわけか。マジかよクソ恥ずかしいじゃんそれ。

 

「人生の汚点になる前に自意識過剰だったってことに気づけてよかったですよ。ありがとうございますほんとに」

「う、うん…」

「…気にしちゃダメよ」

 

 でもそう考えると沙綾以外のみんなとはあんまり親しくないってことにならない?

 アフグロのみんなとか特に仲いいと思ってたんだけど…え、それこそ自意識過剰? ヤバ、死にたい。誰か殺してくれ。

 

 なんて思ってたらまた目が冴えてきた。割と今背筋冷えっ冷えだから当然といえば当然だけど。

 

「なんか死にたくなってきたんでお話聞かせてもらっていいですか? 現実から逃げたいので」

「なんでっ!?」

「え、だってキスしたことない人とは親しくないってことになりません? 仲いいと思ってた人からされたことなくて、それこそ自意識過剰だなって…死にたい…」

「大丈夫よ、キスが一つの表現方法ってだけだから。それがなかったとしても仲が悪いということにはならないわよ」

「マジで!?」

「すごい食いつき」

 

 マジで!? なんだ、ビックリした。これでみんなにさげすまれてるとかだったら本気で自害を考えてた。

 なぜか気まずそうな千聖さんは、早々に話を切り上げて本題に入った。

 

「まぁ、それはそれとして。お話だったわね? 特番は見たのでしょう?」

「見ましたよ。なぜか俺が映ってましたけど」

「だよね。カットするって話だったみたいだけど…」

「何なんですかあれ。晒し上げ? 公開処刑? だとしたら調子乗りすぎましたすみませんって伝書鳩お願いしていいすか」

「今日の昌太、やたら悲観的ね…。心配はいらないわ、むしろ昌太のことは気に入ってるみたいよ」

「なんで」

 

 普通にファン視点だとただのノイズだろ俺。パスパレの特番見に来たのになんで男見ないといけないのってなるでしょ。

 俺自身はそういうのはあんまり気にしないタチだが、ファンだって一枚岩じゃない。ノイズがちょっと混じってただけでノイズリダクションで殴打してくるヤツだっているかもしれない。

 

 俺知ってるんだぞ。パスパレのファンではなかったけどその手の話題にお気持ち表明してる厄介者がいること。

 

「あら、その調子だと特番の反応までは見てないみたいね?」

「え? 見れるわけないでしょうよ、どうせ袋叩きにあってるんすから」

「ううん、それが好評なんだよ。ほら」

「えぇ…? 『日菜ちゃんにモノ教えられるとかどんなオバケやねん』『彩ちゃんのドジに完璧に対応してるこの男子生徒ナニモン?』『いくらなんでも薄暗い校舎にビビりすぎだろwwww』──うるせぇよ!!!!! だれがビビりじゃコラ!!!!!」

「そこ?」

 

 ビビってねえよバカ!!!!! アホ!!!!!

 

「とにかく、意外とネガティブな意見は少なかったみたいね。それと、お上さんはあなたの演奏技術を買ってるみたいよ? ねぇ、SHOWTさん」

「………あの、サイコホラーみたいなの体験させるのやめてくれません? 鳥肌めっちゃ立ちましたよ今」

「キミのギターを何回も見てたらビンと来ちゃうよね…」

 

 前も鳰原さんに看破されてたもんな。俺SNS向いてない説ある。やめたほうがいいのかなこれ、保身のためにも。

 ちらりと通知を切っている例のアカウントを見ると、現在進行形でフォロワーが増えていた。ヒエッ…。

 

「もしかして特番の男≒SHOWTって等式できてます?」

「うん」

「ギャア」

 

 まぁあのアカウントが身バレしたところで、元からネットリテラシー皆無垢みたいなとこあったから、ダメージ自体は大したことないと思う。

 それならそれで開き直り、本名と紐づけていろいろ発信するのも悪くないだろう。

 

「今後どうするのかは知らないけれど、あなたが気に入られているということはひとまず頭に入れておいてほしいのよ」

「へ、へぇ…。気に入られるとどうなるんすかねこれは」

「…また呼ばれるんじゃない?」

「絶対に呼ばないでくださいって言っといてくれません? あんまり目立つの嫌なんですけど」

「手遅れよ。諦めなさい」

 

 今後は夜道に気をつけなければいけなくなった。

 推しに共演しないのを諦めろと言われるよくわからない状況に、歓喜なのか恐れなのかわからないが身体が打ち震えるのであった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「…えっ?」

「ひーちゃん?」

「いや…カウンター、見てみて」

 

 やまぶきベーカリーへやってきた私とモカ。先に店へ駆け寄った私が中を伺うと、妙な違和感を覚えた。

 

「溶けてるねぇ、さーや」

「えっあんな沙綾ちゃん初めて見た」

 

 目線の先には、カウンターに身を投げだし、両腕を前に伸ばしてどこかをボーッと見つめている沙綾ちゃんの姿があった。その頬は心なしか赤い。

 それを見たモカはズケズケと店内に入って沙綾ちゃんのもとへ向かった。

 

「珍しいね〜、さーやがボーッとしてるの」

「ふぇっ!? な、なんだ…モカか」

「どうかしたの? 沙綾ちゃん」

「う、ひまり…なんでもないよ? そのー、暇だったから」

「さーやって隠すの下手くそだよね〜。しょーくんみたい」

「んぐっ」

 

 あからさまに昌太の名前に反応を見せた。ついでに顔はさらに赤くなる。

 すいっと目を逸らした沙綾ちゃん。明らかにおかしい。厄介ごとの匂いを嗅ぎ取った私は、スキを見逃さずにすかさず詰め寄る。

 

「えっなになに!? 昌太と何かあったの!?」

「い、いや…何もないから」

「もう潔く観念しちゃったほうがいいと思うな〜」

「そ、そうだよっ! そんな隠そうとするなんてよほどでしょ!?」

「むぅ…わ、わかったから」

 

 頑固な面のある沙綾ちゃんにしては割とあっさり引いた。てっきりもう少し粘るかと思っていた私は少し驚いた。

 すでに顔が真っ赤な沙綾ちゃんに、私もモカも嫌な予感を覚える。

 

「この間、ね? 昌太が栄星の校門で話してた女の子がいてさ。知らない子だったんだけど、シャンプーの匂いなのかな…それがおんなじだったの」

「…え?」

「それに気づいてなぜか我を失っちゃったんだけど…気づいちゃったん、だよね。私が昌太を好きだってことに」

「なっ」

「うちに来た昌太を詰問してるときに気づいてさ…そのまま勢いで、キッ…キスまでしちゃってっ…! もうあれから何も手に付かないの…!」

「ななななな」

 

 

 

 

「ヤバいよっ!」

「…突然呼んどいて何? 訳わかんない…」

「何かあったのか? やたら切羽詰まってるみたいだけど」

「沙綾ちゃん、昌太が好きだって気づいたって…」

「ええっ!?」

「つぐらしからぬでっかい声出たね〜…まぁモカちゃんも声出そうになったんだけど」

「あ、ぅ…ごめんなさい…」

「…え? マジなの?」

「さっき聞いてきたんだよ〜」

 

 あの爆弾発言を聞いて店を飛び出してきた私たちは、とりあえずみんなをつぐの店に招集した。

 で、すぐにさっきの話を共有。するとやっぱりみんな驚いていた。

 

 

 はっきり言ってこれはヤバいなんてもんじゃない。

 沙綾ちゃんは昌太と一番付き合いが長い同年代の女の子で、いわゆる幼馴染というやつだった。私たちも付き合いは長いけど沙綾ちゃんには及ばない。

 

 もともと沙綾ちゃんが彼を少なくとも悪くは思ってないことだってわかってたし、何なら受験で離れ離れになってすごい寂しがってたのも知ってる。

 でも沙綾ちゃんがそれを自覚するのはもっと先だと思ってた。元から近い距離がゆえに気づくのも遅れるんじゃないかと踏んでたから。

 

 でも見知らぬ女の子がトリガーになって一気に慕情を昇華させてしまった。完全に油断してた…! 許すまじ見知らぬ女の子!!

 

 まぁ、何が言いたいかというとだ。

 

「ついに一番の強敵が恋を自覚してしまった…!」

「…ぶっちゃけ、沙綾に勝てる? あたしたち以上に気心知れてて、性格も似てて、息もぴったりで…」

「私、自信ないなぁ…」

「確かになぁ…。しかも親同士顔見知りなんじゃないか?」

「…む〜」

 

 その女の子と同じ匂いがしたっていうのもすごい気になるけど、それよりも沙綾ちゃんが()()キスまでしちゃったって…まさかそんな大胆に出るとはつゆほども思ってなかった。

 

 彼がたらしで朴念仁だってことは知ってるけど、それでもみんな彼とは離れたくないのだ。こんなとこで蹴落とされるわけにはいかない。

 

「…でもさ。アイツって鈍感も鈍感だし。気づいてないってことはないの」

「さすがにそれはないんじゃないか…?」

「んー、でもありえなくはないんじゃないかなー。元から好意には鈍いというか、『好かれるはずがない』って決めつけてるとこあるしねー」

「だったら、やっぱり…私たちももっとアプローチしなきゃ。それこそはっきり気づいてもらえるくらいには」

 

 むんっ、とつぐが意気込む。

 そういえば、前に私もこんなこと言って昌太にアプローチをかけたことがある気がする。抱きついてみたり、時には思い切ってほっぺをぐりぐりしたこともある。

 でも、結局は私が耐えきれなくて…。彼もそのときはかなり意識してくれたみたいだったから良かったけど、ドキドキして心臓が爆発しそうだった。

 

 おっきな手とか、厚い胸板とか、制服からしたお日さまの匂いとか。そんなの堪能しちゃったらドキドキして当然でしょ。

 でも不満を挙げるとすれば、こっちが思いっきり抱きついても遠慮してるのか控えめにしか抱き返してくれないこと。たまには思いっきりギューッてしてほしい。…今度言ってみる? いいかも。えへへ。

 

「ひーちゃん? ひーちゃ〜ん」

「ふぁ、ひゃいっ!」

「…どうしたの、急に口元ふにゃふにゃにしちゃって」

「な、何でもないよっ! うん!」

 

 やば、口元緩んでたっぽい。顔あっつ…。

 とにかく、彼がどう思ってるかを聞かないことには始まらない。しかしどうすれば振り向いてくれるかはわからない。

 我ながら面倒な人を好きになってしまったなと、どこかぽわぽわした頭で考えるのだった。

 





 自分でも書いてて何いってんだこいつって思った
 ↑さすがにちょっと加筆しました


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第33話 花吹雪

 
 ☆良いお年を☆



「昌太、ちょっといいかしら」

「今行きます」

 

 CiRCLEでのバイト中、友希那さんに声をかけられる。

 Roseliaの他のメンバーはスタジオ内に残っているようで、出てきたのは友希那さん一人であった。

 

「今のRoseliaはメンバーの仔細を伏せている。これはあなたも知っているわよね」

「えぇ。クラスの奴らもRoseliaは知っててもやっぱり謎の多いバンドとして扱ってましたよ」

「そうでしょうね。でも私たちはそろそろ…それを明かしてライブもやっていこうかと考えている」

「…ついにですか」

 

 おいおい、このタイミングでかよ。こりゃガールズバンド旋風もさらに激しくなりそうだな。

 Roseliaは、その高い技術力に裏付けされた旋律ですでに名を馳せたバンドだが、ガールズバンドとは認識されていない。メンバーが何者なのかもわからないのだから当然である。

 

 元々友希那さんは孤高の歌姫としてすでに名のある歌手だったためか、ボーカルとして彼女が参加しているのでは程度の噂はある。というか彼女ほどのボーカルなんてそうそう居ないし、これだけは確定視されている。

 

「バンドを組んだ直後はまだまだ音の粒も揃わない状況。だからまずは足並みを揃えることに集中したかった、それ故にメンバーも伏せていたわ」

「…次のステップへはライブの場数を踏まないと進めないだろう、と?」

「やはりお見通しのようね」

「友希那さんが一番知ってると思いますけど、練習とライブはまるで違いますから。いくら練習をしまくったとしても、ライブでの臨機応変なパフォーマンス力が養われることはない」

「その通り、流石によくわかっているわ。いえ、だからこそ私はあなたに惚れ込んだのだけど…」

 

 やめろ、勘違いするようなこと言うな。

 彼女はこういう気恥ずかしい発言をなんの躊躇いもなく言い放つきらいがある。たらしか?

 しかもあまりにド直球で、その上に不意打ちでくると来た。リサ姉がそれにあてられて赤面してるとこ見たことあるんだからな。

 

「でもまだ決めたわけじゃない。あなたの知見を聞きたいの」

「俺の?」

「えぇ。あなたは長いことファンとして私たちを追ってきたと言ったでしょう? だからファンの間の空気感とかにも詳しいんじゃないかと思ったの」

「あぁ…なるほど」

「友希那〜、何話してるの?」

「リサ。この間話したことよ」

 

 てっきりスタジオにいるものかと思っていたが、リサ姉は知らぬ間に表の自販機のもとへ向かっていたらしい。俺の後ろにある入り口からやってきた彼女は、俺の横について話を聞いていくつもりのようだ。

 

「あぁ、ライブもやるよ〜ってやつ?」

「はい。ちなみにリサ姉はどうなんですか」

「ん? アタシは特には心配してないかな。みんながいるし」

「…そうですね、俺もそう思います。ベーシストさんの腕はすでに一級品ですからね」

 

 心配してないと言いつつちょっと眉を曇らせるリサ姉。

 この人はかつてブランクがあったらしく、自分が足を引っ張っていないか常々気にしていることは普段の様子から知っている。

 友希那さんに聞こえるように言ってもどうせ呆れるだろうから、ぽしょっと耳打ちして本心を伝えた。

 

「ひゃぅっ!? 突然囁かないでよ…! 恥ずかしい…」

「すみません。でもまぁ本心ですから」

「う、うん。ありがと」

「…そろそろ聞かせてもらえるかしら」

 

 耳を赤く染めるリサ姉、ちょっとムッとしてる友希那さん。リサ姉を取られたとか思ってるのかもしれん、やりすぎたかな。

 

「むしろ遅すぎるくらいですね。友希那さんが実力面で申し分ないと思うなら、今すぐにでも正体を晒してもいいくらいだとは。友希那さん、投稿したMVありますよね」

「ええ」

「コメントは見たことあります? 『Roseliaの生音を浴びたい』って声ばっかりですよ」

「…なるほど、それなら急ぐくらいでも良さそうね。ありがとう、参考になったわ」

 

 琥珀色の瞳を細め微笑みながら感謝した友希那さんは、踵を返してスタジオへと戻っていった。

 そのさまにリサ姉が「おぉ…」と声を漏らす。

 

「え? なんすか」

「あぁ、ちょっとね。やっぱり友希那はキミにはかなり心を許してるんじゃないかなーって☆」

「いや、あの人割とああやって笑ってるでしょ」

「最近はそうなんだけどね、それでもあんなに柔らかく笑うことってそうそうないよ。昌太の前以外では、ね」

「あんまりからかわないでくださいよ」

 

 もちろん悪い気はしないが。そもそも音楽以外のことにあまり興味を示さないような彼女のことだから、なんか別の理由でもあるんだろう。知らんけど。

 ほら、前にサファが乱入して一緒くたにされて撫でられたことあったろ。それの延長線上とかな。

 

「む〜、信じてないなー?」

「そういうわけではないですよ。単に勘ぐるほどのことでもないでしょってだけです」

「そんな難しく考えて人付き合いしてるわけではないと思うよ? そもそもそれができるほど友希那って器用じゃないもん」

 

 確かにそれは否定できない。

 例えば意志疎通の際にも、本人はここんとこ割と気をつけてはいるようではあるが、それでもまだまだ言葉足らずなフシがある。それを見るたび不器用だななんて思ってしまうわけだ。

 

 Roseliaの面々も友希那さんのその性質なんてとっくに承知しているだろうから、今更バンド内のトラブルの心配はしてない。ただ友希那さんをよく知らない人からしてみればまあ言わずもがなな訳で…。

 

「確かに不器用だなとはちょくちょく思いますけど。ぶっちゃけ不安で、バイト中に友希那さんがいるときはつい気にかけちゃいますし」

「ほら、そういうとこ。友希那も昌太の優しさをなんとなくわかってるんだよ、きっと。不器用なりにね」

 

 そう言うと、リサ姉はスタジオへと戻っていった。

 まぁ好意的に見られていて仲良くしてくれるならありがたいなー、だなんてこのときの俺は軽く考えるのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ねっ、友希那」

「…何よ」

「昌太のこと、どう思ってるの?」

「なっ…! 今はいいでしょ、そんなこと」

「顔赤いよ」

 

 スタジオへ戻ってから、隅っこでじーっと楽譜を眺めていた友希那に声をかけてみる。

 さっき昌太に言ったことは事実なんだけど、彼は話半分で聞いてる感じだった。友希那がここまで心を開いてるのがどれだけすごいことか、あまり理解できてないのかも。

 

「別に、普通よ。何を勘ぐっているのか知らないけど、そういう目では見ていないから」

「ん〜? そういう目って? アタシは彼のことどう思ってるか聞いただけなんだけど」

「くぅっ…」

「それにさ、友希那から名前呼びしろって言うとか今までなかったでしょ? その時点で普通じゃないと思うんだけどな〜」

 

「リサ姉がすごいニヨニヨしてる」

「うん…楽しそうだね」

「何をしてるんですか…」

 

 この感じだと、もしかしたらもう落ちちゃってるかもなぁ。あるいはもうひと押しか。

 たぶんさっきムッとしてたのも、昌太が友希那を差し置いてアタシと話してたからだろう。…もう、乙女の耳は不可侵なのにな。

 

 まぁ気持ちはわからないでもない。友希那に下心無しで接してきて、その上邪念のない世話を焼いてくるなんてね。

 

 今まで友希那に近づいてくる男はたいてい何らかの下心を持っていて、あしらうたびにいつも鬱陶しげにしてた。だから男への態度もより一層雑になるし、アタシもそれっぽい男は早めにご退場願っていた。

 

 けど昌太は別格だった。やたら女のコの知り合いが多いが、彼自身は広げたくて広げたわけではないらしい。つまりはよほどの人格者なんだ。初めは節操なしなのかななんて思っちゃったけど。

 

 それに彼は友希那のポンコツなとこをよく見てるけど、それでも態度を変えずに、むしろ嬉々として世話を焼いている。

 たぶん友希那自身もウィークポイントを見せている自覚はあると思う。それだけに、いつまでも態度を変えずに接してくれるのは評価が高かったのだろう。

 

「…少なくとも、悪くは思っていない。むしろもっと見ていてほしいと思ってるわ。彼のスキルも一級品だし、見る目もある。それに私に対して物怖じもしないし、逆に下心もない。接しやすくてついつい頼ってしまうわね、彼には。やたら女の知り合いが多いのは少しムカつくけれど、それでも気づいたら彼を目で──ん゛んっ! …まぁ、そんな感じね」

「おぉう? やっぱり高評価なカンジ?」

「別に、普通よ」

 

 無理があるでしょ。顔をほんのり赤らめてもにょもにょしてるのは可愛いけど。普段はここまで口が回らないのに五倍くらいの文量で返ってきた。

 こりゃ友希那、完全に手遅れだね。目で追っちゃうレベルとか、アタシもさすがにそこまでとは思わなかった。

 

 まぁ、アタシ自身も彼なら大丈夫かななんて信頼はある。友希那曰く彼とアタシは似た者同士らしいし。

 それでも似た者同士に関しては友希那と昌太も大概だと思う。

 

 …平然と人を惑わすコトばっかり囁いてくるとこ、とかね。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ほら、見てくださいよこれ。案の定すごい伸び」

「私も学校で見たけど…ここまでとは思わなかったな」

「当事者の皆さん自己評価低すぎません?」

 

 例の相談の翌日、早速Roseliaはメンバー情報を解禁した。

 するとガールズバンド旋風真っ只中の世間が騒然。当然このあたりも騒がしくなった。

 

 どれくらいかというと、俺が高校に登校すると、あまり喋らないクラスメイトに街なかで号外を配るノリでRoseliaのことを聞かされたくらいだ。

 そんなざわめいてる中で俺がRoseliaと知り合いだなんて口が裂けても言えなかった。

 

「ううん、そうじゃなくて…。なんというか、実感がないっていうか…」

「まぁ数字は確かにすこいことになってますけど。Roseliaがガールズバンドじゃなかったらこうはなってなかったでしょうなぁ…」

「…ちょっと恥ずかしい」

 

 横で俺のスマホを覗き込みながら、少しもじもじする燐子さん。

 今俺はバイトの休憩中で、燐子さんと隣り合ってラウンジのソファに座っているところだ。

 

 何故か休日だというのに燐子さんだけめちゃくちゃ早く来ていて、曰く早めに他のメンバーを待つという。燐子さん、いくらなんでも二時間前は早すぎると思います。

 ということをさっき本人にも言ったのだが、今みたいにもじもじしながら『う、うん…ちょっと、ね…』って言うだけだった。何がちょっとだ。二時間ってちょっとって言える時間なの?

 

 話を戻す。

 お祭り騒ぎの様相すら呈する世間だが、大騒ぎになっている理由は他にもある。そのビジュアルの麗しさだ。リプライ欄を見るとそれがよくわかる。

 

 何しろ高い演奏技術を誇ることですでに名を馳せていたバンドが、今度はアイドルにすら比肩する高いビジュアルを引っさげて殴りに来たのだ。むしろ騒ぎにならん理由があるか?

 

 リプライの中には当然燐子さんに言及しているのもあって、本人がもじもじと恥ずかしそうにしているのも十中八九それが原因だろう。

 「清楚」「深窓の令嬢みたい」といった俺が普段から思ってることを代弁しているものばかりで、頷きすぎて首が取れそうだ。が、彼女のおっきいモノにばっかり言及してるやつお前船から降りろ(即ブロック)

 

 燐子さんは普段から露出の少ない服を好んで着ている。それは注目を浴びるのが苦手だからなのだが、ただでさえ端正な顔立ちと吸い込まれそうな黒髪におっきなモノという抜群のビジュアルを持つのだ。嫌でも注目を浴びてしまう。

 特に下卑た視線にはすごく敏感なようで、たまに気分を悪くしてしまうこともある。

 

 こんなこと直接聞けるわけもなく、あくまでも推測の域を出ないところもあるが。少なくとも人目を浴びることが苦手なのは確かだ。

 

「…まさかとは思いますけど、燐子さんが注目を浴びるのが苦手ってことを友希那さんが知らないわけないですよね」

「うん、大丈夫だよ。ちゃんと理解してくれてるし、今回の公開も確認してくれたから…」

「そっか、よかった」

「Roseliaの一員になったからには、私の都合で邪魔しちゃダメだもん。だから、もう覚悟は決まってる」

 

 俺をしっかりと射抜く視線には覚悟が宿っていた。

 別に俺とて不能とかではなく、よくあるヘテロだ。だから彼女の色香にはときどきクラッときてしまう。その点で言えば下卑た視線を向けるやつらとは何ら変わりない気がするのだが、なんで俺と仲良くしてくれてるのだろう。

 聞けるわけないけど。

 

 …などと考えている間、俺はじーっと彼女の顔を見つめていたようで、燐子さんは耐えきれなくなったのか持っていたトートバッグで顔を隠してしまった。

 

「あ、ごめんなさい」

「う、ううん。昌太くんなら、大丈夫…。だけど、ずっと見られると…ドキドキしちゃうから…

 

 少し下ろしたバッグの端っこから顔を覗かせ、ちらりとこちらを伺う燐子さん。最後の方は聞こえなかったけど。

 さすがに不躾だったかと思ったが、気を悪くした様子は本当にないらしい。危ねえ…。

 

「…気にしてる?」

「え?」

「私が、視線が苦手だってこと」

「あ」

 

 言いながら少し眉を曇らせる。

 俺が首肯すると、「やっぱり…」とぽしょりと漏らしていた。顔に出ていたらしい。

 身体ごとこちらに向けてすすすと近づいてきた燐子さんは、続けて言う。

 

「確かに、私は視線が苦手で…昌太くんの目の前でも気分が悪くなっちゃって、介抱してもらったこともあるけど。見知った人なら、大丈夫なの」

「そういえば…」

 

 あのときはゲームのイベントに行きたいからと、同伴を頼まれたんだっけか。

 人混みにまみれて気分が悪くなってしまったとき、燐子さんは『視線』を感じたと言っていた記憶がある。舐め回すようなというか、下卑たとあうか…。

 

「というよりは、視線を感じても大丈夫な人とだけ…『見知った人』になるの」

「じゃあ、俺は」

「うん。嫌な視線にも敏感な分、嫌じゃない視線もわかるから…。いつも、気を遣ってくれてるの…わかるよ」

「…そうでしたか」

「私が本当に嫌なのは、私をモノみたいに見てくる視線。何をしてきてもおかしくない、怖い視線が…たまにだけど、ある」

 

 は? 人をなんだと思ってやがる、そいつ。

 思わず顔を顰め握りこぶしを作ってしまうが、燐子さんはふるふると首を振りながら、拳を両手で包み込んできた。

 

「それに比べて昌太くんのは、なんというか…温かい、というか。嬉しいんだ」

「え?」

「いつも気を遣って、見守ってくれてて…それで、もっと頑張りたくなっちゃう…そんな視線。嫌なわけないよ。だから、どうか気に病まないでほしいの」

 

 どこか懇願するような目で、手を取ったままそう言う燐子さん。

 俺はというと、大丈夫って言われて気が緩んだのか、グンと彼女の端正な顔が近づいたことでこんなときに内心めっちゃ取り乱していた。白磁の如き肌、長いまつ毛、宝石みたいに輝く瞳──

 

 変な思考を展開する本能をタコ殴りして、理性をフル動員する。

 

「…遠慮しないでいいのに。顔、赤いよ?」

「そういう燐子さんこそ…」

「…と、とにかく。本当に遠慮しなくていいから…。でも、どうしても気になるなら──」

 

 流し目でこちらを見据えながら、微笑んで言う。

 

「──見ててほしいな。私が、ライブで…頑張ってるところ…!」

 

 




 
 放置してた期間が長すぎて設定を忘れたので一から読み返そうとしましたが、恥ずかしくて直視できませんでした(問題発言)
 齟齬はないかとは思いますが、何か気づいたときは報告してくれるとありがたし。


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第34話 イェーイ!あなたを詐欺罪と器物損壊罪で訴えます!理由はもちろんお分かりですね?あなたが皆をこんなウラ技で騙し、セーブデータを破壊したからです!覚悟の準備をしておいて下さい。ちかいうちに訴えま

 
 〜お前誰だっけという人のためのあらすじ〜
 
 体育祭した
 


 東京駅から鉄道で約三時間、千葉県某所。夏休みを迎えた健太郎と修介、そして俺はここの海岸へやってきていた。

 天気は快晴、日を遮るものなどこの砂浜にはありもせず、砂たちがとてつもない熱を孕んでいるせいで異常に暑くなっている。

 

 それもあってか、空気が熱を持ちすぎて海パン姿の俺たちを灼きに来ている。これだから夏は嫌なんだよ…。

 

「来たはいいけどどうすんの? 帰る?」

「バカ言えよ昌太。海来たらすることといえば一つだろうが」

「…それとは?」

「ナンパです」

「「は?」」

 

 言うや否や海の方へ全力ダッシュする健太郎。頭をしばいて止める暇すらなく、俺たちは見送るしかできなかった。そしてあっという間にゴミみたいに小さくなっていった…。

 

「あー。海の家もあっちの方にあるみたいだし、行ってみる?」

「そうするか…何やってんだよアイツ…」

 

 そうして海の家の方へ歩き始めて数分。

 ようやくウッキウキで女の子に話しかけている健太郎が見えてきた。

 

「…ん?」

「どうしたの?」

「いや、なんか…女の子の方…」

 

 あの水着姿の女の子、既視感がある。

 一房に結われたローズブラウンの髪はゆるやかに肩へ下ろされていて、ゆるやかなカールを描いている。そして青の双眸は困ったように歪められ──。

 

「死ねオラァ!!!!!」

「ぶべぁ!!!!!」

 

 その少女が山吹沙綾だと気づいた瞬間、俺は健太郎に向かってドロップキックをかましていた。

 俺の姿を認めると、なぜか彼女はばふっと顔を赤くした。

 

「えっ、昌太!?」

「沙綾…だよな。どうしてここに?」

「こっちのセリフなんだけどな…。私はポピパのみんなで遊びに来たんだよ。昌太…も、そんな感じ?」

「あぁ、まあな。で、こいつが何か粗相をしなかったか?」

「あはは…大丈夫だよ。でもちょっと強引だったかな?」

 

 倒れ伏した健太郎を足蹴にしながら沙綾から事情聴取してみると、案の定。そのへんのくぼみに蹴っ飛ばして砂風呂にしてやった。

 

 所在なさげにもじもじしている沙綾は、まさしく目に毒であった。普段見られない真っ白な肢体が露わになっている水着姿はかなりセンシティブ。

 スタイルの良さも相まって、目を向けると思わず声を漏らしてしまった。

 

 当の沙綾は、顔を赤らめたままボーッとこちらを見つめていた。が、おもむろにこちらに近づくと、吸い寄せられるようにぺたぺたと俺の身体を触ってくる。

 この格好でゼロ距離に近づかれ、俺は動揺を隠せなかった。

 

「お、おい!?」

「…ぁ、ご、ごめんっ」

 

 距離が近づいたことで、視線もつい彼女の唇を追ってしまう。ぐっ…!

 

「どうしたの…?」

「いや、なんでも」

「そ、そう? それにしても、昌太ってこんながっちりしてたっけ? 脚とか」

「チャリ通のせいだろうな…」 

「そっか。その…かっこ、いいよ?」

 

 エ!? 沙綾ってこんな直球勝負する子だっけ!?

 なんというか、元来彼女は一歩引いてモノを見ているタイプだったはずだ。確かに頑固なところもあるが、人を慮りすぎる質からあまり自分をさらけ出せていなかったフシがあった。

 いや分析してる場合じゃねえ。顔がめちゃくちゃ熱い。

 

 沙綾は未だに顔を赤らめて何やらもじもじしている。

 上目遣いでこちらを射抜くその様は、何かを期待しているようで。

 

「…沙綾も」

「っ」

「すっげぇ可愛い」

「ぁ…ありがとう…」

 

 こういう言葉を期待してるのかと思い切って言ってみたが、沙綾は頬を覆い隠してそっぽを向くばかりだった。え、違った!?

 くそ、それじゃ恥ずかしがり損じゃねえか。こんなこと面と向かって言うなんて慣れてないから、心臓がバクバクうるさい。きっと彼女同様に顔がさらに真っ赤になってるに違いない。

 

「まさかあんなストレートに来るなんて…! 今まではっきり言われたことなんてなかったのに…っ」

「…?」

 

 なにやらぶつぶつ呟いている。怖い…。

 

「おい修介…よく見たらあの娘…」

「今更気づいたの? 音楽祭で昌太といっしょに出てた人でしょ」

「…やってもーた」

「自業自得だよ。たしか幼なじみなんでしょ?」

「え、俺殺される? 死を覚悟しといたほうがいい?」

「何か言ったぁ?」

「いえなんでも」

 

 こいつ、このまま生き埋めにしといてやろうかな。沙綾に手を出そうとしてたって考えるとめっちゃムカついてきた。

 別に何しようが自由ではあるが、沙綾には手出すなよお前。

 

「てかお三方、もう俺腹減ったから出してくんない? まだ全然遊べてないんだけどー」

「海の家で昼めし食べようよ。あのアホはほっといて」

「あ、あぁ…。そうするか。沙綾は?」

「ふぇっ!? ぁ、私も行くっ。みんなも連れて行くから先行ってていいよ」

「わかった。じゃあまた後で」

「え、ちょっとおい俺は!? 放置!? 俺に死ねと!? おい、おーーーーーい!!!!!」

 

 

 ◆◇◆

 

 

「はふぅ…本当にびっくりした…」

 

 香澄の鶴の一声でとんとん拍子に決まった海水浴。まさか場所も時間もかぶって昌太と出くわすなんて思ってもいなかった。

 未だに心臓がバクバクしてる。最初にからかったのはこっちだけど、それでもあんなドストレートに褒めてくれるなんて思ってもいなかったから。

 

 火照った顔をごまかしたくて、みんなを呼んでくるという口実を盾に、いったん昌太たちとは別れた。友達と一緒だったみたいだけど、バレてないよね…?

 

「さーや? どうしたの、ちょっとのぼせてない?」

「ひぇっ!? なんだ、香澄か…。んー、ちょっとね」

「おい、まさかとは思うが…」

「…うん、そのまさか」

「どんな確率だよ!? もはや昌太がこっちに合わせてきてるとしか…」

「んーん、本当にたまたまみたいだったよ。もし本当にそうだったらあらかじめ連絡してくれると思うし」

 

 モンモンと考え事をしながらみんなを探していると、背後から香澄に声をかけられた。

 私が変な声を出して反応してしまったものだから、それだけで香澄と一緒にいた有咲は察してしまったらしい。

 

 私がここまで防御力が低くなるのは、おおよそ昌太関連に限られると、賢い有咲にはすでに察知されているからだ。

 最近私がどこかぎこちない理由も、きっと有咲はわかっている。

 

「ま、まあ…そうか。あんなお人好しがそんなだまし討ちみたいなマネ…」

「昌太くん? 来てたの?」

「うん…海の家行くって言ってたよ」

「ほんと!? 行ってくる!」

「あ、おい!」

 

 昌太が海の家にいると聞くや否や、香澄はすぐに海の家へ走り去ってしまい、残るは私と有咲だけ。

 落ち着きのない香澄に有咲がひとつため息をつく。

 

「りみりんとおたえは?」

「ん? 海の家。私がどっか行った香澄をひっ捕らえてくるからってみんなには先に行ってもらった」

「あ、あはは…。そっか」

 

 そう言いながら、未だ火照りの引かない顔を手で扇ぐ。

 夏の暑さもあってかなかなか熱は引いてくれない。こんなんじゃもう昌太と顔合わせられないよ…。

 そのさまをじーっと見ていた有咲は、不意に「なあ」と声をかけてくる。

 

「…なぁ。どんな感じなんだ? 恋って」

「えっ!?!?」

「ぁ、かかか勘違いすんなよ! ほ、ほら、私ってそういうのとは縁遠かったし! だから、その、気になって…」

 

 一瞬で有咲への警戒レベルが跳ね上がった。

 だが有咲は本当に興味本位で聞いたようで、踏み入りすぎたと思ったのか声色が尻すぼみになっていた。

 

「ごめん、デリカシーに欠いてた。今のは忘れてくれ」

「んーん、いいよ。教えてあげる」

「え?」

 

 びっくりしたのは本当だけど、もう有咲にはとっくにバレていることだ。今更繕ったところで意味はない。

 それに、箱入り娘の有咲には、女の子として一度は経験するだろうこの幸せを教えてあげたかった。親友として、恋愛の先輩として。

 

「恋、はね…。もうその人以外目に入らなくなるの。気づいたら目で追っちゃって、ふと目が合うと一気に顔が火照って…。胸がきゅーってなってさ」

「…」

「手を繋ぎたいけど恥ずかしくてなかなか踏み出せなくて、でもいざ繋ぐとすごく嬉しくなる。そのたびに思うの。あー、好きだなぁ、って」

 

 いろいろ口で言ってはいるけど、それよりも私の表情が恋が何たるかを雄弁に語っていると思う。

 女の子にこんな表情をさせちゃうのが恋の怖いところなんだよ、って。

 ずっとこちらに視線を送っていた有咲が、きゅっと胸元で手を揉み込む。

 

「やっぱりそれが恋なんだな。最近の沙綾ってそんな顔する回数が明らかに増えててさ」

「えっ!? ほんと!?」

「ああ。私からしてみればかなりわかりやすかったけどな…案外他の人にはバレてないっぽかったぞ」

 

 やば、全くわからなかった。そりゃ有咲にはバレるなぁ…。と、ふと有咲は顔を曇らせてぼそりと呟く。

 

「正直、羨ましい。私はこんなんだからさ、小学生の時は男の友人とかがいなかったんだ。だから私には…」

「有咲もきっと来るよ。恋に落ちる瞬間がさ」

「私にも、か。そんな時が来たら、きっと槍でも降るだろうな」

「あはは、そんなことないってば。有咲かわいいし」

「ななな、なっ…!?」

 

 有咲に限らず、みんな引く手あまただと思うけどね。私が顔を合わせたことのあるバンドの人たちは、みんなビジュアルで売ってますと言われても得心のいくようなかわいい子ばっかりだし。

 なんてことを漏らしたら、有咲に白々しい目で見られた。解せない。

 

 そんな軽口を叩き合いながら、私たちは燦々と太陽の照る砂浜を歩いていった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おい、ここの海の家って何が食えるんだろうな」

「近えよ暑苦しい。砂くらい落とせよ」

「え?」

「え? じゃなくて…。まあオーソドックスに焼きそばとかサザエのつぼ焼きとかじゃない?」

「あぁ、いいなぁそれ。なおさら腹減ってきた…」

 

 やっぱり置いてくればよかったかなこいつ。

 海の家の前で、さっき埋められてたせいでついた砂を落とすアホを待つ傍ら、小屋の中に目を向ける。

 案の定人だらけではあるが、まだ昼には早い時間ということもあって入れなくはなさそうだった。

 

「私さっきメニュー見たけど、枝豆もあったよ」

「いやチョイス渋いな──え?」

「よっ、昌太」

「おたえかよ…急に入ってくんなビビるだろ」

 

 急に割り込んできておっさんみたいなチョイスをしてみせたおたえ。腰まで余裕で届く艷やかな髪をお団子にしていて、水色のフリフリのついた水着を着ていた。

 砂を落としていた変態が思っきしこっちを向いたので裏拳をかましておいて、やたらそわそわしている彼女を諌める。

 

「ねっ、早く入ろうよ」

「いやほかのみんなは? 待つんじゃないの? てか腕に抱きつくなお前」

「いいじゃん。席とっとけばさ」

「とか言いながら胴体に抱きつこうとするな! お前のパーソナルスペースどうなってんだ!!」

 

 こいつどっからこんなパワー出てんだよ! 年頃の男と力比べで拮抗しやがって!!

 お前見てくれがずば抜けていいんだから洒落になんねーって!!!

 

「おい健太…あれ? どこ行った?」

「友達? もう入ってったよ」

「だからお前はクソなんだよクソが! お前もいい加減諦めろ、余計な体力使わすなお前」

「昌太が受け入れてくれれば終わるよ」

「なんでそんなこだわんの?」

 

 何故かアホどもに見捨てられ、合流して強引に逃げることも叶わなくなった。

 そしておたえはやけに胴体にこだわってくる。こいつの行動の読めなさは今に始まったことではないけど、それにしてもなんでなんだよ。

 

「おたえちゃ〜ん! 置いてかないでぇ〜!」

「あ、りみ──おっ」

「ちょっ、急に力抜くな──」

 

 全力で取っ組み合いをしているところにりみりんの声が聞こえてきて、それに反応したおたえが力を抜きやがった。

 当然俺が反応できるわけもなく体勢を崩してしまい、彼女の両手首をひっつかんだまま海の家の壁に押し付けてしまった。

 

「いたっ…ッ!?」

「あっぶねっ!?」

 

 そう、壁ドンである。

 鼻先が触れ合いそうなくらいに近づくと、彼女の長い睫毛や瑞々しい唇とか普段目につかないところまで見えてしまう。

 おたえがもそもそと細い手首を動かそうとしているが、体重までかかっているのに抜け出せるわけもない。

 

 ──なんて言ってる場合かァーッ!

 

「わ、悪いおたえ。大丈夫か?」

「ぁ…う、うん。大丈夫」

「はぁ、はぁ…あれ、昌太くん? 何でここに?」

「よ、ようりみりん。いや俺も友達に誘われてさ」

 

 慌てて手を離すと何故か切なそうな声を漏らすおたえ。

 気まずさが先行し、どうにか空気を変えんと体よくやってきたりみりんにことのあらましを話す。

 ちなみにりみりんは白地に朱色の水玉模様が入った水着姿だ。

 

「そうだったんだ。えへへ、ちょっと恥ずかしいな…」

「ウッ!」

「昌太くん?」

「ナンデモナイヨ…おいおたえ、今度は何だ」

「………」

 

 今度は俺が左手首を鷲掴みにされた。無言で俺の顔を見つめてくる。

 

「べっつにー」

「なんだよ…」

「みんなはまだ来てないのかな?」

「私とりみしかいないよ。でもすぐ追いつくんじゃないかな、香澄たちのことだし」

 

 と言いつつ手は離さない。

 

「ねぇなんでこれ離さないの?」

「…私に壁ドンしといてりみに鼻の下伸ばしてたのが悪い」

「言いがかりも甚だしいわ。てかあれは事故だって…」

「あれだけ熱く私を求めてきたのに…浮気?」

「人の話聞いてくんない?」

「ほぇ? 壁ドン?」

「りみりんは知らなくていいよ」

「さっき昌太がねー」

「おい」

 

 何を言っても離す気はないらしく、俺はもう諦めて掴まれている左腕をぷらぷらと振り始めた。りみりんは不思議そうに俺たちの腕を見ている。

 すると砂を蹴る音が聞こえてきたと思ったら、胴体に衝撃が──

 

「昌太くーん!」

「ホァアア!!!」

「むむ」

「痛い痛い! おたえはどさくさに紛れてつねるんじゃねえ!」

 

 

 

 

「お前ら、なぜ見捨てた?」

こいつ(健太郎)連行しただけだよ。あそこに放っといたほうがめんどくさいでしょ?」

「確かに。よくやった」

「もぉぉぉお邪魔すんなよぉ〜〜〜〜!!!!」

「うるせえ」

 

 先ほどあれだけ死守していた胴体には香澄が飛んできて、未知の感覚で星になった。一方で可愛く唸りながら俺をつねってきたおたえ。カオス。

 今は席の都合上ポピパとは離れているが、その間もずーっとおたえに何とも言い難い視線を向けられ続けている。

 

「お前なぁ…やるとは思ったけど、そのカッコで抱きつくとか、お前…」

「えへへ、ごめんなさーい」

「…? どうしたのおたえ。ずっと昌太たちの方見てるけど」

「んー…なんかちょっとムカッてきた」

「??」

 

 ちなみに香澄は有咲に説教されてる。貞操観念緩すぎだからね、仕方ないね。

 

「…なんかあの子ずっとこっち見てないか? もしかして俺のこと見てる?」

「自意識過剰も大概にしとけよ脳内お花畑野郎が」

「なんか修介がすげー辛辣だわ今日」

「お前修介めっちゃ振り回してんだから当然だと思うけど」

「まあそれは置いといてだ…お前何した? 告白?」

「いやーマジで置いてくればよかったかなー」

 

 おたえの視線をなぞってか沙綾もこちらを見てくる。その表情は『お前、何かしたのか』とでも言いたげなジト目だった。

 おちおち飯も食ってられんわこんなん。一応首を横に振っておく。

 すると沙綾は頬杖をついてさらに目を細めた。何も口には出していないが、『ふぅ〜ん…?』と言っている気がした。さらに首を振っておく。

 あ、ため息ついて視線外した。

 

「お前まさかあの子と表情だけで会話したの? 夫婦?」

「誰かこいつを黙らせてくれ〜。はぁ…お冷とってくる」

「あ、サンキュ」

 

 言いながらグラスがたくさんおいてあるカウンターへ向かい、人数分水を注いでいると、横にはさっき表情で会話した沙綾が。

 

「…なんかしたでしょ」

「さっき首振ったろ。なんもないって」

「何もなければいくらおたえでもあんなことしないってば。もう、私がいながら他の子ばっかり…

 

 何か言いながらも、沙綾はちょっとムッとしているようだった。それを見た俺は、去り際に──

 

「まぁ、なんだ。悪かったな」

「──っ! …ずるいよ」

 

 頭をひと撫でしておいた。マジですまん。

 

 

 

 

「も〜っ! なんであんな人好きになっちゃったんだろもー! でも好き!」

「さーや?」




 
 SS書いてる人ってほかにもなにか特技や趣味持ってるのがデフォルトなんですかね(自分で毎回挿絵まで描いてる人を見ながら)
 


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第35話 す。裁判も起こします。裁判所にも問答無用できてもらいます。慰謝料の準備もしておいて下さい!貴方は犯罪者です!刑務所にぶち込まれる楽しみにしておいて下さい!いいですね!

 
 評価50人ありがとうございます!!!!!
 感想もやたらたくさん来て作者感激。わたくしが口下手なので最近は返信を控えてますが、すべて読ませてもらっています。
 


 こんなにドキドキしたのはいつぶりだろうか。

 昌太にはあれこれ言ったけど、もちろんあれが事故だってことくらいはわかってる。

 それでも──

 

「もっと落ち着いて食べれないの?」

「仕方ないだろ腹減ってんだから」

「お、ここにレモンが」

「おい昌太お前それどうするつもりだ? 徐ろに俺の目の前持ってきて──まさかそのまま搾ホグァア! 案の定やりやがったなお前!!」

「ひゃははは、ざまーみやがれ」

 

 また彼をちらりと盗み見る。

 さっき昌太に壁に押し付けられたとき、初めて覚える感覚が身体を駆けずり回った。なんというか…ゾクゾクする感じ。

 

 自分でもよくわかってないんだけど、身じろぎすらできなかったときが特にそうだったかも。

 一方的に壁に押し付けられて、大きな手で私の手首をがっちり掴まれて、『あぁ、私…昌太から逃げられないんだ』って思って──

 

「──〜っ!?」

「およ、おたえ? どうしたの?」

「…なんでもない」

 

 危ない危ない、あのときを思い出してまたゾクゾクしちゃった。

 …どうにも、まだ我に返りきれていない節があると思う。どこかふわふわした感覚があって、夢と現実の境が曖昧になっている。

 

 男の子にあんなことされたのはもちろん初めてのことだった。だから壁ドンされればいつもこうなる可能性は否定できない。

 それでも私の中では、彼じゃなきゃこうはならないという確証めいた何かがある。なんでだろう。

 

 

 たぶん、私は少なからず彼が気になってたんだと思う。思い返せば、存在感のある彼を自然と私は目で追っていたような気がする。

 例えば、かつてSPACEでバイトしてたとき。彼は人一倍各所を駆けずり回ってた。バイトでもなく単なるヘルプのような立ち位置だったのに、人の役に立とうと躍起になっていたのだ。

 

 うん、このときの昌太はよく覚えてる。言っちゃなんだけど、ヘルプの彼はあまりSPACEの事情にも詳しくなかったと思う。だから仕事が捗らなかったって誰も文句は言わないのに、それでも彼はやっていた。

 やりきったかが信条だったSPACEのオーナー──都筑オーナーは、やはりというか毎回全力投球の彼をいたく気に入っていた記憶がある。

 

 

 それからしばらくして、今度は有咲んちで彼と再会したんだったな。

 あのときの彼は、SPACEで見たときとは打って変わってすごく内向的に見えた。私も謎のヒロインXみたいな立ち回りで彼をアシストして、結果として丸く収めることができていたけど。

 

 そのときもやはり彼は悩みと真剣に向き合って、あれこれ動いていた。彼にとって沙綾がどれだけ大事な存在なのかがよくわかる一幕だった。

 

「…むぅ」

 

 …なんかモヤモヤする。

 ともかく、思い返してみると私にとって彼が目を引く存在だったのは間違いない。

 そうでなくとも色眼鏡なしで私と向き合ってくれる男の子は彼くらいしかいないし、たぶんSPACEの出来事がなくても私は彼を気にしてたと思う。

 なんでって? 昌太がいつも嫌な顔ひとつせずに私に付き合ってくれるから、かな。

 

 

 …自分がいわゆる天然というものなのは理解している。

 気づかないうちに周りを振り回すことも珍しくなく、人付き合いもたいていはあんまり長持ちしない。

 

 別に自分のこの性分を恨んだことなんて一回もないけど、それでもいつも彼みたいに律儀に付き合ってくれる存在は貴重だな、なんて思う。

 彼の優しさに触れるたび、じんわりと心が暖かさに沁みていく感覚がとても気持ちいいのだ。

 

 それに、彼は私と同じギタリスト。話すにも困らないし、曲に対するアプローチも近いから、好きな曲を共有することもできる。

 

 

 …少なからずどころか、かなり気にしてたな。彼のこと。

 無理やり押し付けられてゾクゾクしちゃうなんて、私にはMの才能があるのかもしれない。彼限定かも、だけど。

 

 ただの事故でこうなるなら、本気で彼に求められたら…どうなっちゃうんだろ。そっと左胸に手を添えると、どくどくと心臓が暴れているのがわかった。

 今度はちらりと沙綾に視線を投げる。ふふ、きょとんとしてる。

 

「ダメだなぁ…沙綾の気持ち、わかってるはずなのに」

 

 気を抜いたら落ちちゃいそうだよ、私。もしかしたらもう手遅れかもだけど…。

 まあ、それも吝かではないかな。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 日も暮れかけ、空が紫に染まる頃。着替えた俺たちはポピパも巻き込んでBBQと洒落込んでいた。

 

 あの後はバレーボールをしていたらしいポピパの流れ弾が頭にブチ当たって海に叩き落されたり、レモンの報復に俺の目を狙って執拗に海水をぶっかけられたりといろいろあった。

 そして、まあこれだけ動けば腹も減るわけで。

 

 BBQの用具はどこから調達したのかといえば、全て海の家で融通してもらえた。食材も込みで。

 ただし食材というのが全く処理がされておらず、たとえば定番のかぼちゃであればかぼちゃがまるごとトレイの上で存在感を放っている。1/2個とかじゃなくてまるごとである。正直どうかしてると思う。

 

「…昌太くん、かぼちゃまるごとなんて…処理したことある?」

「いや、一人暮らしなのにまるごと買っても食うにも困るし…。知識としてはやり方は知ってるけどやったことはないな」

「う、うん…だよね…」

 

 それはもう困惑に困惑を重ねているりみりん。

 誂えたようにタネやワタを削ぎ取るためのスプーンや、やたらイカつい出刃包丁、切れ味がカスだったときのためか砥石など、割と充実している。

 そこまでやるなら最初からある程度は処理しといてくれ。

 

 ただし流石に肉は牛肉・豚肉ともに生肉の状態だった。牛とか豚の屠殺からやれとか言われたら発狂してた自信がある。

 仮にそこからやらせてたら砂浜が血だらけになるだろうけど。グロいってもんじゃない。

 

 まあともかく、BBQとか以前に下準備が必要なわけだ。

 俺自身は普段から自炊はしてるから、こういうのには慣れている。だが今集まっているメンツがどれだけ料理ができるのかいまいち把握できていない。

 

 沙綾ができるのは知ってる。沙綾の母親──千紘さんに代わってしばしばメシ作ってるって言ってたし、何ならお相伴に与ったこともある。美味かった。

 あとは…どうなんだ? なんだかんだ料理に関しては話したこともないし、未知の領域である。

 

 などと考えていると、沙綾と有咲の声が聞こえてきた。

 

「諏訪くん、何その持ち方!? 指切っちゃうよ!」

「いやだってニンジャとかクナイ逆手で持ちがちだし…」

「いやもうクナイって言ってるだろ。これ包丁だぞ」

 

 あいつ何やってんの?

 

「おい、なにやってんだお前。普段料理しないの?」

「え、逆にお前はすんの?」

「するけど?」

「マジかよ、俺いつもそんな気力なくてな〜」

「まぁ、確かに気分乗らないときもあるけど…昌太は毎日してるんだっけ?」

「まぁ。そっちのが収支を細かく把握できるし、何より安く上がるしな」

「オカンか?」

 

 なんだよ、節制して小遣い捻出するくらいやるだろ。

 とにかくお前は包丁持つな、力仕事とか火の番とかやっとけと言いつけておく。

 

「沙綾は言わずもがなだしな。有咲は料理できんの?」

「それなりにはな。ばあちゃんの手伝いとかしてるし」

「有咲の作る煮付け、すごい美味しいんだよ。今度作ってもらったら?」

「マジで!? やるじゃんか有咲」

「べ、別に…これくらいは…」

 

 デレデレありさ。

 沙綾のお墨付きもあるし、有咲の腕は確かなのだろう。安心して任せられそうだ。

 

「で、さりげに俺の後ろを陣取ってるおたえさんや。料理はどうだい?」

「あ、気づいてた? 私もこう見えて結構できるんだよ、お弁当だって作ってるし。りみも私と同じくらいできると思う」

「うん。私もたまにお母さんのお手伝いするから…。でも有咲ちゃんとか沙綾ちゃんほどはできないかな」

 

 やっぱり女の子って多少は料理とか嗜むもんなのかな。結構平均レベルが高いように思える。

 

「修介は?」

「俺はあんまできない。包丁も触っても週一とかだし…」

「その時点で包丁逆手で持つ健太郎よりはよっぽど上等だわ」

「しれっとディスらないでくれる?」

「あのな、運動部で寮ぐらしのお前こそ自炊すべきなんだぞ。代謝真っ盛りでなおかつ学生、しかもアスリートという身のお前は何よりも安く、何よりも多くのエネルギーを摂らなきゃだろ。身体が何よりの資本なんだからよ、自分で管理できなくてどうすんだよ。大体な──」

 

「お、おぅ…流れるような説教…」

「あはは…昌太、あんまり他の人の不養生とか我慢できないタイプだからなー。誰よりも世話焼きだし。私もああやって怒られたことあったっけな〜」

「沙綾ちゃんが?」

「うん。ロクに寝てないことすぐに見破られてさ、怒られちゃった。でも私に言わせれば──」

「沙綾?」

「──…ううん、これは今話すことじゃないかな。それよりも、早く準備しよ! 日が暮れちゃう!」

「う、うんっ!」

 

 

 …いけね、またやっちまった。

 見かねた有咲にちょんちょんと肩をつつかれ我に返った。悪いな健太郎、だがアレは本心なんだ。

 さて、ここまでで全員の料理の腕は把握できた──と言いたいところだが、まだ一つ懸念材料が残っている。

 

「昌太くん! 私かぼちゃ切りたい!」

「おい香澄。なんか嫌な予感がして聞いてなかったが、料理は?」

「できない!」

「おい」

 

 いつもの猫耳がない香澄は、にぱーっと笑いながらそう言い切った。

 料理しないのにいきなりかぼちゃの処理するのはヒノキの枝でラスボスに突っ込むようなもんだろ。

 

 ぶっちゃけかぼちゃの切り分け自体はコツさえつかんでいればそこまで難しくはないと思う。

 だが厚い皮をブチ抜くためにまあまあ力を入れないとダメだし、要点を抑えていないと変に包丁が刺さって抜きづらくなったりもする。そういった点ではやはり慣れているに越したことはない。

 

「でも得意料理はあるよ?」

「え、何?」

「肉じゃが」

「…意外すぎる…めっちゃ家庭的じゃん」

「でしょ? あっちゃんに教えてもらったんだ〜。何ヶ月も練習したんだよ?」

 

 あっちゃんってこいつの妹だっけ。未だに会ったことはないが、どんな人なのか全く想像がつかない。

 香澄に似てはっちゃけるタイプとかだったら嫌だぞ。俺には御しきれないと思う。

 

「でもなんでそれだけできるんだ?」

「いつか好きな人に振る舞ってあげたくて…やっぱり女のコなら憧れるんだよねぇ、そういうの」

「ふーん、そんなもん?」

「うん」

 

 やっぱ香澄って猫耳がないと妙に大人っぽいんだよな。気のせいかはわからないが、普段と比べるとちょっと落ち着いてる気がする。

 

 香澄は人の機微に聡かったり、人を慮ってやれて、持ち前の明るさで引っ張っていけるという一面がある。だから直情的というか、今を全力で生きるタイプだと思っていたんだが、案外将来設計みたいなのも彼女なりに抱いていたらしい。

 意外じゃなかったといえば嘘になる。

 

「そうだ。昌太くん、()()()()()()()()()? 私、肉じゃがだけは自信あるんだよ」

「…ん?」

「昌太くん?」

「あぁ、いや…ま、いつかな」

「私はいつでもいいからね」

 

 今の香澄の発言にどこか引っかかりを覚えたが、別に大したことではないかと思いとりあえず返事だけしておく。

 

「それで、かぼちゃ切りたいんだっけ? やり方わかる?」

「え? こう、真っ二つにすればいいんじゃないの?」

「バカ、危ねえぞそれ。ヘタは避けないと下手したらケガする」

「へただけに?」

「俺も言ってて思ったけど触れないでくれるとありがたかったかな〜」

 

 反応されると俺がダジャレ好きなおっさんみたいになるからやめろ。たまたまだっての。

 

「真っ二つにするのはそうなんだが、ヘタは避けるんだよ」

「えっと、こう?」

「…………一緒にやるか?」

「うんっ」

 

 だからってヘタと平行に真っ二つにしようとするな。ヘタどうすんだよ。

 とりあえず他のメンツにはやることを指示しておいて、俺は香澄とかぼちゃの処理に集中することにする。

 

 説明のためにと香澄の後ろに回り、彼女の右手に被せるように包丁を握って、切るところを指す。

 

「ほら、ここ。この辺から真下に切り落として、後でヘタをくり抜くの」

「ぁ…う、うん」

「…何? どした?」

「な、なんでもないよ! ここから切ればいいんだよね!」

「お、おう?」

 

 なんだその声。

 別に真っ二つにする前にヘタをくり抜くこともできるが、包丁の扱いに慣れてないと力加減が普通に難しい。どっちかといえば先に真っ二つにするほうが楽だろう。

 今度は左手でかぼちゃを押さえる。

 

「力要るから押さえとかないと危ないぞ。まあ今回は俺が押さえとくから、切ってみ?」

「ぁう…」

「…なあ、さっきから大丈夫か?」

「えと…はい。き、切るね?」

「いいよ」

「(これ、あすなろ抱きみたいで…なんかドキドキする)」

 

 香澄がちょろちょろ変な鳴き声を上げているが、なんともないと言うのでスルー。

 そのまま包丁に力を入れて、かぼちゃを真っ二つにした。

 あとはタネとワタをこそげ取って、ヘタとってから薄切りにすればいつものかぼちゃになる。

 

「ま、これだけやっとけば後はいいだろ」

「真ん中のもそもそも取ったし、水洗いもしたし…」

「ヘタのある方ちょうだい。薄切りにしようぜ」

「うん」

 

 もそもそて。

 本当なら少し蒸しておきたいんだが、レンチンはできんしな。硬いけどまあいいだろ。

 長々と喋って喉かわいたな。お茶飲も。

 

「それにしてもー…こうして肩を並べて二人で包丁握ってるとさ、なんか夫婦みたいだよね! 私たち!」

「ブフゥーーーーッ!!!!!」

「わっ!? どうしたの!?」

「バッ、お前…変なこと言うなよ急に」

「えー、でも憧れるでしょ? こういうの」

「お前割と乙女っぽいとこあんのな…」

「ないと思われてたの!?」

 

 さっき好きな人にどうこうとか言ってたせいで、知らないうちに敏感になってたんだろう。香澄の夫婦発言には含んだ緑茶を吹かざるを得なかった。普通にありだと思っちゃっただろ。

 

 やっぱりなんかこいつ今日おかしい気がする。なんでこんなに匂わせ的なことばっか言ってくるんだ? さっきもスルーしたけどだいぶ匂わせてたよな。わざとか?

 

「てかそれわざとやってんの? さっきから」

「え? なにが?」

「あぁ、わかった。もういいや」

 

 天然だったわ。

 嘘、香澄って天然のジゴロ…!?

 

「それは昌太が言えたことじゃないよ」

「うおっ!? …気配消して近づいてくんなよおたえ…わざと?」

「うん」

 

 お前は養殖かよ。

 おたえはおたえでさっきからやたら俺の背後を陣取ってくる。心臓に悪いからやめてほしい。

 

「おたえっ! 私かぼちゃちゃんと切れたよ!」

「うん、()()()。えらいえらい」

「えへへ〜」

「んじゃ、私は海鮮系の食材もらってくるから。…昌太」

「ん?」

「後で、ちゃんと構ってあげなよ」

「…ん?」

 

 言うだけ言って海の家へ向かってしまった。構うって何に?

 その答えは周りを見回すとすぐ見つかった。

 

「…………」

 

 沙綾だ。ほっぺ膨らませてこっち見てた。なんで?

 わけがわからんが、とりあえず言われたとおりにしとこう。会釈だけ返しておく。

 去り際、おたえが沙綾と何か話してた気がするが、流石にここからは何も聞こえなかった。

 

()()()、だからね。沙綾」

「…ん。ありがと」

 

 ひとまずここは食材の用意に集中することにして、俺はかぼちゃの薄切りに励む。

 俺の横で同じようにかぼちゃを薄切りにしている香澄の横顔を盗み見ると、なにやら妙に楽しげだった。それだけかぼちゃを切りたかったということなのだろうか。どんなこだわりだよ。

 

 その後無事に肉類やかぼちゃを始めとした野菜、おたえがもらってきた海鮮系の食材を用意でき、つつがなくBBQを楽しむことができたのだった。




 
 実は海に行く構想は去年末に浮かんだやつで季節外れもいいとこだなと思っていたのですが、寝かせすぎて一周回って季節が追いついてしまいました。


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第36話 お前は自分で自分を騙している。もしかしたら、自作自演なのか!?テメーのやっていることは!

 
 初めて誤字報告いただきました。ありがとうございます。素で誤字ってるの気づきませんでした。
 


 千葉の外洋を望む立地にある、小綺麗な旅館。

 リフォームを経ているのか、建物は古さを感じながらも清潔な印象を受ける。

 海水浴場からほど近いこの旅館に、俺たちとポピパのメンツがやってきていた。

 ぼそりと沙綾が呟く。

 

「まさか宿も一緒だとはね…」

「なぁ昌太、本当に合わせに来てないんだよな?」

「安心しろ有咲、俺たちも全く知らなかったから」

 

 ここの宿は俺が適当にとったのだが、向こうは沙綾がここをとったらしい。どんな巡り合わせだよ。

 

「ねぇねぇおたえ、もしかして知ってた? このこと」

「え? なんで?」

「だって『後で』構ってあげなよって言ってたじゃん」

「やっぱりたまに鋭いね、香澄。昌太が言ってた宿と私たちが泊まる宿、名前一緒だなと思って」

「え、そうだったの?」

 

 まぁ、確かに。

 あのあと会釈だけしたとはいえ、ちゃんと構ってやれる暇があるのかというと疑問だった。宿が同じなら、まぁ時間は確保できるだろう。

 と言っても何をすればいいのかは皆目検討もつかないわけだが。

 

「ま、とりあえずチェックインしようよ」

「あぁ」

 

 ここで突っ立っていても仕方ないので沙綾の言葉でとりあえず中に入り、とっととチェックインを済ませることにする。

 宿を取ったのが俺と沙綾だったので、二人でカウンターに向かう。

 

「ようこそお越しくださいました。()()()()ですか?」

「えっ」

「ちちち違いますっ! えっとその、()()別で…」

「えっ」

「おや、これは失礼いたしました」

 

 と言いつつ、どこか微笑ましさを滲ませた視線を送る女将さん。

 てか()()って何? 俺は一瞬で置いてけぼりにされた。

 そんな俺を傍目に、沙綾と女将さんがいそいそとチェックインを済ませていく。

 

「お連れ様…って?」

「あれはな、香澄ちゃん。たぶんカップルだと思われたんだろ、あの二人。くっそ、なんであいつばっかあんなおいしい目に…!」

「カッ…!?」

「む〜〜〜〜〜」

「おたえちゃん…?」

「なんか、初々しいな…本当に似たもの同士というか…」

(昌太…影響力あるな…)

 

 外野がうるせえ。てか健太郎、いつの間に香澄のこと名前呼びしてんの?

 そら俺たちはずっと一緒に行動してたようなもんだし接点もできようが、あいつが女の子の名前呼んでると邪な何かを感じるな。哀れ、日頃の行い──。

 

 このあとはルームキーをもらって、各々の部屋へ向かうために一度解散。

 今回は贅沢にも俺たちは一人ずつソロで部屋を取っている。そのため同室の人を気遣う必要もない。ヒャッホゥ!

 

「おぉ…素朴だが確かな高級感が…」

 

 ルームキーをかざして解錠し扉を開けると、鼻をくすぐるイグサと潮の香り。模造品ではなく、本物の畳が敷き詰められていて、手触りもいい。

 さすがに海の畔に建っているだけあって、オーシャンビューも一級品だ。しかもこの宿は驚くことに各部屋に露天風呂があり、オーシャンビューを望みながら檜風呂に浸かることができる。悪魔的すぎる。

 

 いそいそと荷物を広げていると、スマホからLIGNEの通知音がした。

 

Kasumi☆『これすっごいよ!』

Kasumi☆『すっごい』

Kasumi☆『うみ!』

 

 BBQのあとに新しく作られたポピパと俺らのグルに、香澄がメッセージを部屋の写真とともに連投していた。

 言わんとすることはわかるが、お前作詞してるのにその語彙力の崩壊っぷりはどうなんだ。

 

 BBQをしている時点で日は暮れてしまっていたが、今もまだ日光の残滓がわずかに空を照らしていて、幻想的な風景になっている。

 だから海も真っ黒というわけでもなく、まだ辛うじて視認はできている。

 

 でもなぁ、夜の海って真っ黒すぎて不気味だよな。月明かりがあればいいだろうが、新月とかだと悲惨。

 一度写真を撮るために暗くなるまでずっと海岸に居座っていたことがあったが、近くのホテルに戻るまでの道があまりに暗く、とてつもない恐怖の中猛ダッシュで逃げ帰った記憶がある。

 

 いや別に怖くはないけど。怖くねーし!

 ちょうど帰り道上り坂だったからトレーニングがてら走っただけだし!?

 …誰に言い訳してるんだろう。

 ま、幸いにも今日は満月だ。新月よりはマシなことは間違いない。

 

 そうして海を眺めながらボーッとしていると、また手元のスマホから通知音が聞こえる。今度は健太郎だった。

 

 

『肝試ししね?』

 

 

 ◇◆◇

 

 

「お前ガチでぶっ飛ばしていい?」

「え、でも怖いの平気なんだろ?」

「あぁ平気だよ! 肝試し(テメェ)なんか怖かねぇ!!」

「じゃあいいじゃん」

「お前は今…人道に(もと)る行いをした──」

「どっちかっていうと今の昌太のほうが怖いんだけど…」

 

 あれから完全に日が暮れ、夜の帳が降りた。

 そんな中俺たちは旅館のそばにある散策路の前に集まっていた。健太郎の鶴の一声であれよあれよと言う間に肝試しする方針が固まっていき、俺が反対する間もなく今に至る。

 

 肝試しは夏の風物詩。ほ○怖などを始めとした怪談を扱う特番も多く放映される季節でもある。だから夏は嫌なんだよね!

 健太郎の提案にまず乗っかったのは香澄だった。

 

「お前がすぐに乗っかりさえしなければ…」

「ほぇ? でも夏と言ったら肝試しじゃない? やっぱり一回はやっておきたいよね〜!」

「ふざけんなマジで…」

 

 未だにストレートにしている髪を揺らして楽しそうに話す香澄。

 その後に(俺の性分を知ってるはずの)沙綾やおたえも乗っかり、民主主義の圧力を通じて、俺の反対意見は無言のうちに封殺されたのである。

 前髪をガシガシと引っ掻いていると、ふと香澄が顔を曇らせた。

 

「…もしかして、嫌だった?」

「え?」

「だって、その…」

 

 …なんでお前がそんな悲しそうな顔すんだよ、ただ俺がゴネてるだけだってのに。

 そういえばそういうヤツだったな、お前。さっきのBBQのときに再確認したはずだったんだが。

 

 …はぁ。

 

「…いや、別に? こんなもんちょっと肝冷やせば済む話だしな。あー楽しみだなーーーーー!!!!!」

「ぁ…そ、そっか。えへへ、よかった〜」

 

(アレ、どう見てもやせ我慢だよな…?)

(有咲は知らないんだっけ? 昌太が暗いところとか怖いの苦手なの)

(昌太のこと詳しいね、沙綾。でも律儀に来てくれるあたり、やっぱり昌太ってお人好しだ)

 

 そうだよやせ我慢だよ悪いか!

 安心させるために頭を撫でながらヤケクソ気味に叫ぶと、香澄はいつもの調子を取り戻してくれた。

 本当は絶対にやりたくないけど、水を差すわけにもいかない。ここは腹をくくるしかないだろう。

 

 ちなみに例の散策路だが、昼に来れば森林浴にはうってつけのスポットではある。

 だが夜になった今の散策路はというと、入り口がわずかに街灯に照らされている以外は光源がなく、一歩進めば漆黒の闇。はっきり言って何が出てもおかしくない状態になっている。

 

 …やっぱり帰ろうかな。

 

「さすがにこれを一人は酷だからよ、くじ引きで二人一組になるぞ! 適当にこれ引いてけ!」

「健太郎さん、キモいっす」

「なんで!?」

「いや…うん、やっぱいいや」

「なんで!?」

 

 だって『この機会にポピパとお近づきになろう』って魂胆が丸見えだもん。

 結局くじ引きをした結果、健太郎は奇跡的に修介と組になっていた。

 

「ちきしょー! 俺のお近づき計画がーッ!!」

「キモないか? この男」

「ごめん、流石にそれはちょっと気持ち悪いかも…」

「ウグッ、ありがとう!」

「一から十までキモいなお前な」

 

 珍しく見せる沙綾の蔑んだ表情にも反射的に感謝していたキモ男。たぶん警察に通報したらキモすぎ罪で逮捕されると思う。

 他の組は、沙綾とおたえ、香澄とりみりん。そして俺の相方は──

 

「よろしく。昌太」

「有咲、か」

「な、なんだよ。不満かよ、私じゃ」

「いや、どれくらい耐性があるのかなと…」

「あぁ…ま、普通くらいかな。怪談聞いてもいい感じに背筋が冷えるくらい」

「…うん、そっか」

「なんで傷ついてるんだよ…」

 

 背筋が冷えるだけで済むマ?

 俺なんか怪談聞いた日には、頭洗うときも目に何が入ろうとお構いなしに目開けてないと落ち着かんし、家中の電気つけてないとおちおち家の中も歩いてられんぞ。

 一人で住むには広すぎることもあって、電気つけてないと二階になんか湧きそうで本気で寝れなくなる。

 

 ずっと目をそらしていたことだが、女々しいことにこの手のことには耐性がまったくない。体育祭の前にさらっとお嬢に指摘されてたけど、どうやら俺はドがつくほどに臆病らしい。

 なんでかと言われても、俺にもよくわからない。生まれ持った性分と言うしかないか。

 

 こんなときは男が女の子をエスコートするのが理想なのだろうが、俺の場合はたぶん一歩歩くことすら叶わずに隅っこで震えているくらいしかできない。

 本当に情けない。涙が出る。

 

「いや、情けないなって…」

「気にしてるのか?」

「そりゃそうだろ。なんでこんな臆病なんだろう俺…」

「…」

 

 じーっとこちらを見つめてくる有咲。一つため息をついた。

 

「あのなぁ、そんなことで強がっても仕方ないだろ。確かに女々しいとかなんとか言うやつだっているかもしれないけど…」

「有咲?」

「でも、前に学んだばっかだろ? 一人で全部やる必要なんてないって。誰かに引っ張ってもらえばいいんだよ」

「あっ」

「だから、そ、その…私がいるから大丈夫だってことだ! 今更そんなことで見損なったりしないし…いちいち気にするなよ」

「…た、頼りになるなぁ! 有咲ぁ!」

「ふ、ふんっ。いつまでもウジウジされてちゃ仕方ないから言っただけだ」

 

 ポピパの中では比較的絡みが薄いほうだった有咲だったが、俺とか下手な男よりもずっとさっぱりしていて、とても頼りになる女の子だった。

 ありがとう神よ…! これなら行けるやもしれん──!

 

 

 

 

 ──やっぱ無理!

 

「昌太…本当に苦手なんだな…」

「ぎゃあッ!! なんか物音したって!!」

「大丈夫だぞー、私が落ち葉踏んだ音だからなー」

 

 散策路内部。

 はじめに乗り込んでいった健太郎と修介ペアがとっとと帰ってきたせいで、次の番だった俺たちがすぐに乗り込むハメになった。

 …のだが、予想以上に周りが真っ暗で、散策路と有咲以外もはや何も見えない状態。外界から俺たちだけがシャットアウトされた感覚すら覚える不気味さだ。

 

「有咲? いるよな…?」

「いるいる。はぁ…だいぶ怖いシチュエーションだってのに、昌太があんまりにも怖がるもんだから却って冷静になっちまった」

「マジで!? それは何よりだアッ!!」

「風の音」

 

 有咲が後ろから両手でぐいぐい俺の背中を押してくれてるもんだから進めているが、このままだと有咲の姿がよく見えないため、声しか彼女の存在を確かめることができない。

 かといって彼女が前にいても足が竦んで動ける気もしない。割と八方塞がりの中、俺たちは暗闇を進んでいった。

 

 進むこと数分…いや数時間? 数年? 有咲が不意に声を荒げた。

 

「痛ッ…!」

「はぇ!? あ、有咲!?」

「ぅ、だ…大丈夫だから──痛っ」

 

 俺の背中から手が離れ、彼女がしゃがむ気配がした。

 

 ──何かが起きた。

 そのことを察し、竦んだ脚を無理やり動かして彼女の方を向く。

 

「お、おい…? どうした?」

「…ごめん、昌太。足、ひねった…っぽい」

「なっ…!?」

 

 しまった。

 有咲はずっと俺の背中を押しながら歩いていて、体勢としては不安定な状態だった。おまけに真っ暗で足元が見えなかったもんだから、木の根でも踏んでひねってしまったのだろう。

 

「私は、しばらく…動けそうにない」

「だ、だったら…」

 

「だから、先に行け。昌太」

「は?」

 

 ざわり、と漆黒に染まる木々が音を立てる。今、なんて言った…?

 

 夜目が利いてきて、彼女の表情もうっすらと見えてきた…が、かなり苦痛に歪んでいるように見える。

 

「こうなりゃ、私はただのお荷物だ」

「置いていけ、と?」

「どうせ、出口までは…そんなにないだろう。私はしばらく、じっとしていれば…痛みも引くはずだ…」

「バッ…バカ言うんじゃねえ! こんなとこに置き去りにできるわけねえだろ!」

 

 バカ言うんじゃねえ。

 口からまろび出たこの言葉は、正しく今の心境を現していた。有咲は痛みに堪え、ごまかすように叫ぶ。

 

「バカはどっちだ! いいから行けよッ!! 元から無理を押して来てんだろ!!!」

「だからって…!」

「だったら、ずっと…ここにいるのか? こんな暗闇で?」

 

 確かに周りは真っ暗で、一秒でも早く脱出したいのが本音。

 今でも恐怖で足が震えているのがわかる。

 

「っ…」

「見てた感じ、お前…こういうの、過敏になるくらい、苦手なんだろ。だったら…無理すんなよ」

 

 その時、有咲の辛そうな表情が、さっきの顔を曇らせた香澄と重なった気がした。

 

 ──情けねえ。

 何回自分のワガママでこんな表情をさせれば気が済むんだ。

 

 自分の不甲斐なさを顧みて、須臾(しゅゆ)にして怒りがこみ上げてきた。

 

 ここでこいつを置いていくのはありえない。

 こんな苦しそうな有咲を放っていくなんて人間としてどうかしているだろう。

 それに、ここで男を見せなくていつ見せるんだ──筑波昌太。

 

「ふざけんじゃねえ!」

「は…!?」

 

 誰に向けた言葉か。そんなこともわからないまま、恐怖を振り払うためにも、激情に任せて叫び散らかす。

 

「無理してんのはどっちだ! そこまで俺はヤワじゃねえッ!」

「なっ、おま…! こっちがせっかく心配してやってんのに──!」

「あぁ心配には及ばねえよ! こんなもん何ともねえわ! お前絶対に置いていかねえからな!!」

「やせ我慢もいい加減にしろ! あんな姿見せられて心配しないわけないだろ! いいから行けよ!!」

 

 こんなときだってのに、お互いムキになって言い合い始める俺と有咲。

 いかん、言い合いになっていたら世話がない。一つ深呼吸して、彼女の手を無理やり取ると、続けて言う。

 

「…誰がお前の言うとおりにしてやるか。お前は俺が絶対に連れて行く」

「──っ! 昌太、手…震えてる、のに」

「悪い、有咲。そこまで心配させてるとは思わなかった。でも置き去りにしろってのは、違うだろ…」

「ぁ…私も、軽率だった。ごめん」

 

 確実に伝えたくて、今度は両手を取り、ペタンと女の子座りをしている彼女により近づく。

 

「有咲、さっき言ったよな。『引っ張っていけばいい』って。次は俺の番だ」

「…っ! でも、まだ…」

「あぁ。有咲の言うとおり、こんな状況になってもまだ怖いよ。でも──」

 

 言いながら、彼女の両膝裏とほっそい腰に腕を回して持ち上げる。いわゆるお姫様抱っ──うわ軽…。

 

「ちょまっ…」

「──有咲がいるから、へっちゃらだ」

「ぅ…!? ぁ、あはは…やせ我慢もここまで来れば上等、だな…」

 

 ちょうど木々の隙間から差した月光が俺たちを照らす。さっきまで真っ暗だったのは月が雲に隠れていたからだったようだ。

 

 

「つっても怖いもんは怖──ハァアッ!? なんか動いた!!」

「…台無しだよ、いろいろと。ほら、連れて行ってくれるんだろ? なっさけない()()()

「うるせえよ…」

 

 なんて憎まれ口をたたきながらも、有咲は俺の首に手を回して身を預けてくるのだった。

 

 




 
 今更見てる人いないと思うけど今頑張って一から書き直してるから更新はもうちょっと待って♥


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