SLAYER'S CREED 追憶 (EGO)
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Episode1 冒険の始まり
Memory01 運命が始まった日


遅くなって申し訳ありません。
ようやく始まりました、アンケート企画第二段。

とりあえずはプロローグ的な感じです。

本編よろしく一話目は一人称。誰の目線かは読んでくださればわかると思います。



 私にとって、その日はとてもおめでたい一日だった。

 一旗あげてくると勝手に意気込んで、声を荒げる親の反対を押しきる形で村を飛び出して、やっとの思いで街にたどり着いた。

 そのまま私と同じような年齢の人たちの流れに任せて、街に入ってすぐの建物、文字こそ読めなかったけど、きっと『冒険者ギルド』と書かれた看板を掲げた建物に入った。

 建物の中には昼間から楽しそうにお酒を飲んでいる人、真剣な面持ちで何やら話し合っている人、後は意気消沈してボケッとしている人。

 私と同じ只人(ヒューム)、長い耳と整った顔立ちが特徴の森人(エルフ)、寸銅な身体が特徴の鉱人(ドワーフ)、あとは一見子供にしか見えない圃人(レーア)と、村にいた頃にも見たことがある──今思えば、彼らも冒険者だったのだろう──人たちや、二足歩行の犬のような人たち──後で知ることだが獣人(パットフット)と呼ばれる種族だそうだ──と、そこにいる種族も、彼らが持っている装備にも統一性がなかった。

 ここは冒険者ギルド。一攫千金を求めてか、あるいは何か野望があるのか、自分の命を懸けて危険に挑む人たちが、様々な場から集まってくる場所だ。

 初めて来た街の、初めて来た場所ということで、私はキョロキョロと辺りを見渡して、ふと目があった森人の男性が微笑みを返してくれた。

 こちらは思わず硬い笑みで返してみれば、前を見ろと言わんばかりに手で示してくれる。

 慌てて前に目を向ければ、前に並んでいた人たちがほとんど捌けていて、何人かはそのままギルド端の掲示板の方に、何人かはギルド脇の建物を目指して歩き出していた。

 私は先程の森人さんに頭を下げると、「次の方、どうぞ」と凛とした女性の声で呼ばれた。

「はいっ!」と反射的に背筋を直して足早に受付に行けば、そこにはきっちりとした制服を着た女性がおり、三つ編みに結ばれた髪は手入れが行き届いているのか、艶々と輝いて見える。

 内心で「綺麗だなぁ」と気の抜けた事を思いながら、「よ、よろしくお願いしますっ!」と緊張で上擦った声が喉からこぼれた。

 受付さんは優しく微笑みながら「緊張しなくて大丈夫ですよ」と言ってくれて、こっちは思わずあははと乾いた笑みが漏れてしまう。

 こう、大人の女性というのはこういう人の事を言うんだろなと、わからないなりに思ったのだ。

 

「えっと、冒険者になりたくて来たんですけど……」

 

「わかりました。では、文字の読み書きはできますか?」

 

「できないです……」

 

 村から出てきたはいいものの、私は文字が書けないし、読めない。むしろ村でも読める人数の方が少ないくらいだ。

 心の中ではそう開き直るものの、目の前の受付さんは「かしこまりました」と頷いて、何やら書類を取り出した。

 

「では代筆いたしますので、口頭で構いませんから質問に答えてください」

 

「わ、わかりました!」

 

 そう、開き直った所でそれは受付さんの仕事を増やしただけだ。現に隣の人はつらつらと書類に筆を走らせて、次々と項目を終わらせていた。

 それを横目に申し訳なく思いつつ、私は受付さんの質問に答えていき、それを聞いた受付さんは流れるように文字を書いていく。

 そして一通りの項目が終わり、いよいよ冒険者にと思った瞬間──。

 

 バン!

 

 と、聞いたこともない音がギルドに木霊した。

 受付さんはビクンと肩を跳ねさせて驚きを露にするものの、とりあえず次の説明に行こうとするけど、

 

 バン!!

 

 先程と同じ音が響くと、不意打ちを受けた受付さんは「ひっ!」と小さく悲鳴をあげて身体を跳ねさせた。

 すぐさま平静を装うけれど、額には汗が浮かんでいて、口の端ッこがひきつっている。

 かなり無理して笑っているなぁなんて事を思っていると、受付さんの隣の人が彼女に耳打ちで何言か囁くと、「し、失礼しますね!」と言って足早にどこかへと行ってしまった。

 

「あ、あの……?」

 

「はい、後は私が引き継ぎます。えっと、書類の記入は終わっているから、認識票ですね!」

 

 突然の放置という事態に目を丸くしていると、すぐさま代わりのスタッフさんが受付に座り、書類をざっと確認してにこりと微笑んだ。

 ま、まあ、冒険者になれればそれで良かったから、話が進む分には構わない。

 

「ではこれを。絶対になくさないで下さいね」

 

 いくつかの注意事項を聞き終えて、頭から煙を噴いていた私を他所に、代わりのスタッフさんは白磁の認識票を取り出して、それを差し出してきた。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 長い長い説明を聞き終えて、だいぶ気力を削がれながらもそれを受け取った私は、ふらふらと受付を後にした。

 そのまま併設された待合室──というより酒場?──の手頃な座席に腰を降ろして、目を回しながら机に突っ伏した。

 念願の冒険者になれた、けれど問題はここからだ。

 誰かに声をかけて一党に加えてもらうか、自分から話しかけて一党を組んでもらうかしないとならない。

 初めての冒険をたった一人でなんて、それこそ自殺するようなものと、先程のスタッフさんに釘を刺されてしまった。

 初めて来た街に知り合いなんて居るわけもなく、同じ村から飛び出してきた人なんて誰もいない。誰がどう見ても一人っきりだ。

 

「あ~、どうしようかなぁ……」

 

「もし、一ついいだろうか」

 

 突っ伏して気の抜けた声を漏らす私に、声をかけてくる人がいた。

 喜びのあまりがばっ!と勢いよく顔をあげると、そこには先程目があった森人の男性がいた。

 彼は私の手のひらに納まっていた白磁の認識票を見ると、「ふむふむ、なるほど」と何やら納得したように頷いて、

 

「よければ、一党を組んではくれないだろうか。見たところ、武闘家か、あるいは剣を買う前の剣士と見えるのだが」

 

 と、興奮したように早口になって告げてきた。

 本来なら警戒したり、話を詳しく聞くべきなのだろうけど、この時の私は文字通り疲れていたから、

 

「あ、はい!えっと、父に武術を教えてもらっています!よ、よろしくお願いします!」

 

 そうやって即答して、頭を下げたのだ。

 今思えば、この森人さんが優しい人で良かったと思う。

 玄人(ベテラン)が新人から金目のものを奪い取る事があるなんて話、この時は欠片も知らなかったから……。

 なんて言い訳にもならないけど、結果的にはこれが私に起きた一つ目の良いことだった。

 

「よし!まずは一人目、いや、私たち(・・)を含めれば三人目か」

 

「私、たち……?」

 

 森人の男性の言葉に首を傾げると、彼は「ああ、そうだったな、申し訳ない」と呟いて、誰かに向けて手を振った。

 その合図を待っていたのか、その誰かはゆっくりと席を立つと、二本の杖を片手で担いでこちらに歩いてくる。

 身長は二メートル近く、ローブで見えにくいけどがたいがいいのがわかる。

 頭巾のお陰で顔はわからないけれど、杖を握る手は毛で覆われていた。

 

「……えっと?」

 

 そして私の目の前で足を止めたその人は、ゆっくりと頭巾を脱いで顔を見せてくれた。

 只人のそれとは違う、毛に覆われた顔から伸びる長い鼻とピンと立った耳、そして優しげな光がこもった瞳と、それとは対照的に鋭い犬歯。

 

「はじめまして、獣人とお会いするのは初めてですかな?」

 

「あ、はい。ごめんなさい……」

 

 優しく笑いながら頭を下げてきた獣人さんに合わせて私も頭を下げると、獣人さんは「どうぞ」と告げて杖を森人さんに渡した。

 

「ん……?」

 

 親しげにしている様子から昨日今日の関係には見えないけれど、私は遠慮なしに質問を投げ掛けた。

 

「あのお二人だけ、なんですか……?」

 

「ええ。一党に必須な前衛がかけておりまして、あと一人か二人ほど身繕いたいところですが……」

 

 私の質問に獣人さんが頷くと、困ったように頬を掻きながらギルド内を見渡した。

 

「私も、彼も、先日冒険者になったばかりでして。固定の一党と呼べるものがないのです」

 

「手頃な依頼は確保したのはいいが、いつもつるんでいた者たちが他の依頼に出てしまってな。まあ、声をかけておかなかったこちらに非があるのだが……」

 

 森人さんはそう言いながら一枚の紙を取り出して、「洞窟を探索して欲しいそうだ」と一言付け加えてくれた。

 文字が読めない私にとってはありがたい。

 

「ともかく、最低でもあと一人。できるなら斥候(スカウト)技能を持った方が必要ですな」

 

「……スカウト?」

 

 森人さんと獣人さんの会話についていけず、思わず首を傾げてしまった私に、獣人さんが解説してくれた。

 

「斥候。わかりやすく言えば、誰よりも速く敵を見つめ、罠を見つめ、不必要な危険から仲間を遠ざけつつ、仲間を導く役目を持つ人のことです」

 

「そんな人、いるんですか?」

 

「むぅ。それがわかれば苦労しないのだが……」

 

 獣人さんの説明をある程度理解した私が問うと、森人さんが苦虫を噛み潰したような表情になり、辺りを見渡した。

 この場にいる大半が冒険者であることはわかるけれど、誰がその斥候というものなのかがわからない。

 

「こうなれば、最終手段を使おう」

 

 森人さんが真剣な面持ちでそう言うと、ちらりと受付の方へと目を向けた。

 

「時間は有限だ。手っ取り早く聞きに行くとしよう」

 

「森人が時間は有限とは、面白い事を言いますね」

 

「……?」

 

 二人の息のあった言葉の掛け合いについていけず、私はまたも首を傾げた。

 ただまあ、せっかく声をかけてくれたんだからとりあえず──。

 

「私が行きます!」

 

 今度は私の番だと気合いを入れて、受付の方へと歩き始める。

 私の接近に気付いた受付さんは、申し訳なさそうな表情になると、小さく頭を下げてきた。

 

「え!?あ、あの!?」

 

「先程はいきなり席を外してしまい、申し訳ありません」

 

「あ、いえ。気にしてませんよ?」

 

「……ありがとうございます」

 

 突然の謝罪に多少狼狽えながら、私は顔の前で手を振りながら言うと、受付さんは再び頭を下げた。

 そしてすぐに顔をあげると凛とした表情に変わり、「では、ご用件を」と早速本題に。

 

「あの、冒険者の方で斥候をこなせる人を探していまして……」

 

「斥候技能のある冒険者の方、ですか……?」

 

 私の要望に困り顔になった受付さんは、身体を乗り出してギルドを見渡すと、「あ、彼なら」ととある人を示した。

 掲示板を前に仁王立つ一人の男性──の背中。着ている服は遠目でも高そうな印象があるのだが、黒い髪を適当にうなじの辺りで一纏めにして、どこかがさつな印象も受ける、何だか不思議な人。

 

「あの人、です……?」

 

「はい。最近冒険者になった、あなたと同じ白磁等級の方です。斥候兼戦士、と言った感じですかね」

 

 私が首を傾げると、受付さんは背中を押すように言葉を続けて、「どうでしょうか?」と確認してきた。

 ちらりと森人さんと獣人さんの方に目を向ければ、任せると言わんばかりに頷いてくる。

 いきなり会った私をここまで信頼してくれるのは嬉しいけど、何だか緊張してきちゃうよ……。

 私は一度深呼吸をすると、件の人物に向けて歩み寄っていく。

 

「あ、あの~?」

 

「なんだ」

 

 突然声をかけられたのが嫌だったのか、酷く機嫌が悪そうな声で帰した彼は、ゆっくりとこちらに振り向いた。

 夜空みたいに蒼い瞳と、口許にある大きな傷痕が特徴とも言える、それ以前にものすごく整った顔立ちをした只人の男性。

 年は私よりも少し上かななんて思いながら、ふと彼の視線が向いている方に気付いてしまった。

 顔を見ていたのは一瞬の事、彼の視線はすぐに私の身体に向いて、まるで値踏みするようにじっと見つめてきているのだ。

 村の男の人みたいに変な感じはしないけど、何だか心地が悪くて思わず足を半歩下げてしまう。

 そんな私の様子に気付いてか、男性は素早く言葉を放った。

 

「よく鍛えられているな。それに、俺の故郷では余り見ない髪の色だ」

 

 そう、突然褒めてきたのである。

 ただ村の人たちみたいに鼻の下は伸びていないし、何よりお父さんみたいに真剣な目をしてる。嘘ではない、と思う。

 

「え?えと、ありがとうございます……?」

 

 思わず照れて笑いながらお礼を言って、改めて彼の顔を観察した。

 蒼い瞳と口許の傷痕はともかく、よく見れば小さな傷痕も残されていて、それなりの場数を踏んでいる事がわかる。

 そうやってじっと見ていると、不意に彼と目があってしまい、思わず目を逸らしてしまう。

 考えてみて欲しい。こちらから声をかけたとはいえ村にいた人たちとは比較にならないほど顔の整った人と対面しているんだよ、そりゃ照れる。

 そうやって私が黙っていたからか、男性の方から声をかけてくれた。

 

「━━で、俺に声をかけた理由は」

 

「その、実は、私たち、これから『洞窟探検』に行くんです」

 

「そうか、頑張れよ」

 

 変に緊張してしまい、歯切れ悪く言うと、男性はたったの一言でそれを断じて視線を掲示板の方に戻してしまう。

 負けじと尻尾のように揺れる髪を引っ張って意識を戻してもらうと、再び言葉を投げ掛ける。

 

「なんだ。俺の髪はドアノブではないんだが……」

 

「実は、組んだ一党パーティーの中に『斥候』と『前衛』が欠けていまして……」

 

 彼の反応に多少申し訳なく思いながら話を進めると、彼は森人さんと獣人さんの方に目を向けて、目を細めた。

 

「そこで俺に声をかけた、と」

 

 彼は確認するように問いかけると、ちらりと受付の方にも目を向けて、仕方がないと言わんばかりに苦笑を漏らし、「わかった。付き合おう」と返してくれた。

 

「本当ですか!?」

 

 私が思わず問い返すと、男性はさも当然のように頷いた。

 

「何を驚く必要がある。頼まれたなら、手伝うさ」

 

「ありがとうございます!二人とも、大丈夫だって!」

 

 私は勢いよく頭を下げて、待合室にいた二人に向けて声をかけると、二人は嬉しそうに笑っていた。

 そのあと、今度は見ず知らずの男性の戦士さんが声をかけてきて、その人を交えた一党で依頼に向かうことになったのだ。

 

 

 

 

 

 双子の月に照らされた草原。

 本来なら洞窟に潜って、すぐに帰れる筈だったのに、私は、私たちはそこにいた。

 突然盗賊に襲われて、そのまま拐われてしまったのだ。

 そして、私たちを拐った盗賊団は今、

 

 ──全員が血の海になった草原に倒れ、誰一人として生きてはいなかった。

 

 その光景を作り出した斥候さんは、酷く疲れた様子で捕まった私たちを解放して回り、最後に私を助けてくれた。

 洞窟で勝手な行動した挙げ句、私ではなく彼が死にかけた。

 結果的に彼は拐われずに済んだんだけど、私たちの誰よりも疲れ、傷付いている筈だ。

 

「斥候さん……」

 

「……」

 

 私が声をかけても返事はなく、私を縛る鎖を黙々と外していく。

 突然解放されて倒れそうになった私を支えてくれて、どこからか持ってきた毛布を被せてくれた。

 真っ直ぐと見つめてくる蒼い瞳から逃れるように顔を俯かせると、不意に声をかけられた。

 

「少しいいか……」

 

「……はい」

 

 彼に呼ばれて顔をあげてみると、そこには無表情で左手首から短剣を生やした彼がいた。

 私は見たこともない武器に一瞬驚きはしたものの、すぐに察して身体から力を抜いた。

 殺されたって仕方がないことをしたのだ、彼が何をしようと受け入れるつもり。

 あまり知識はないけれど、盗賊団を壊滅させた腕があるのなら、きっと苦しませずに終わらせてくれる筈。

 そう、終わらせてくれる筈だったのに──。

 彼が左手を閃かせると反射的に目を閉じてしまい、彼が何をしたのかを見られなかった。

 だが、聞こえてきたのは首を貫く音でも、身体を貫かれた痛みでもなく、「ブチッ!」という糸か何かを斬った音だった。

 その次に感じたのは、私の髪が後ろで纏められ、何かで結ばれたことだ。

 

「……?」

 

 恐る恐る目を開けると、そこには微笑する斥候さんがいた。

 後ろで纏められていた髪が、だいぶ短くなっていることを除けば、先程と同じだ。

 

「この髪型のほうが似合っている」

 

「え……」

 

 髪紐が千切れて以降そのままとなっていた髪が、誰かの髪紐で止められている。

 目の前には髪紐が必要ないほど短髪になった彼がいて、私の髪は後ろで纏められいる。

 つまり、彼は自分の髪を切り、使っていた髪紐を渡してくれた?

 彼の笑みとその声音に、思わず涙が溢れそうになった私は、必死にそれを堪えながら声を出す。

 

「…あ、あの、斥候さん……?」

 

「どうかしたか?」

 

「私のせいで、あなたは━━」

 

「死にかけたが、こうして生きてる。問題あるか」

 

 大したことのないように言う彼に、ついに私は涙を溢れさせた。

 怒ってもいいのに、それが普通なのに、彼は何も気にせず、許してくれたのだ。

 彼の優しさに当てられてか、あるいはそんな彼に甘えてしまう自分が悔しくて、目から溢れる涙が毛布を濡らして、点々と跡を残していく。

 

「でも、私……」

 

 私はどうにか食い下がろうとするが、彼は困ったように肩を竦めて、何だか凄い迫力を放ちながら更に逃げ道を塞いできた。

 

「気にするなと言ったんだがな。俺としては、必死になって這い出たのに、肝心のおまえらがいなくて驚いたぞ」

 

「……うん」

 

 彼の言葉に素直に頷いて、とりあえず涙を止めようとするけど、こういう時に限って止まってくれない。

 ぐすぐすと嗚咽混じりに泣いていると、不意に彼の手が伸ばされ、優しく涙を拭ってくれた。

 そして困ったように笑うと、絶えず流れる涙を拭ってくれる。

 何だか子供扱いされているようで複雑だけど、抵抗もせずに甘えてしまう私は、まだまだ子供なのだろう。

 

「あー、お二人さん?」

 

 彼と私のやり取りは、戦士さんが声をかけてくるまで続いた。

 私は恥ずかしくなってすぐに俯いてしまったけど、斥候さんは気にもせずに戦士さんと話し始めてしまう。

 ただ話している斥候さんの表情には強烈なまでの疲労が残っていて、返す言葉もどこか気が抜けている。

 生き埋めになった挙げ句に私たちを追いかけて走り続けて、そのまま戦ったのだから当然だ。私なら途中で倒れているに違いない。

 そんな事を思っている内に彼の身体が揺れ始めて、そのまま倒れてしまう。

 

「斥候さん!?」

 

 私は慌てて彼の身体を抱き止めて、ゆっくりと地面に寝かせた。

 眠った、というよりは気絶したっていう方が正しいのかな。凄い硬い顔のまま寝てる。

 私はホッと息を吐いて、そっと彼の頬に手を触れた。

 

「ありがとうございました……」

 

 眠ってしまった彼にお礼を言って、私たちは装備を整えるべく盗賊団の野営地を走り回った。

 その間も、結局彼は目を覚まさなかった──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こうやって思い出してみると、私たちって初仕事から盗賊に絡まれてるんだよね」

 

「いくつか俺も知らない情報があったんだが、まあ、確かにそうだな」

 

 陽が照りつける街道を進みながら、銀髪武闘家は可笑しそうに笑いながら告げて、隣を歩く斥候──ローグハンターと呼ばれるようになった彼もまた苦笑を漏らした。

 二人にとって出会いの話をするとなると、やはりこの戦いは外すことは出来ない。

 全くもって遺憾ではあるがあれが出会いなわけだし、何より二人での初仕事の話だ。

 

「それで、お前の村まではあとどれくらいかかるんだ?」

 

「うん。2,3日も歩けばすぐだよ」

 

「そうか……」

 

 銀髪武闘家の言葉にローグハンターは真剣な面持ちで頷き、青空を見上げた。

 雲一つないことはいいことだが、照りつける陽の光は確実に体力を奪っていく。

 

「まあ、のんびり行こう」

 

「せっかくのお休みだからね」

 

 ローグハンターは額の汗を拭いながらそう言うと、銀髪武闘家は嬉しそうに笑いながら頷いた。

 仕事抜きで彼と二人きりで出かけるなど、偉く久しぶりに思えて仕方がなく、余計に気分が上がってしまう。

 

「でも、大丈夫かな?私、喧嘩して出てきたようなもんだよ?」

 

「まあ、大丈夫じゃあないか?」

 

 銀髪武闘家の質問に、ローグハンターはどこか適当に返すと、天高く舞う鷲に目を向けた。

 

「人生、わからないものだな……」

 

「そうだね~」

 

 あの時出会った二人は、今や仲間を通り越して男女の仲で、今から彼女の両親に会いに行くのだ。

 

 

 

 

 

 これは、二人がここに至るまでの物語。

 

 盤の外から転がり込んだ一人のテンプル騎士と、彼と添い遂げると誓った一人の女性が、結ばれるまでの物語。

 

 ──後に世界を救う、二人の英雄の始まりの物語だ。

 

 

 

 

 

 SLAYER'S CREED 追憶

 

 Episode1 冒険の始まり

 

 




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Memory02 出会いは割りと最悪で

「ふぃー……。つ、っかれたぁ……」

 

 冒険者ギルドの裏手、食料やその他備品の搬入口の近くで、一人の少女が樽に腰掛けていた。

 汗で濡れ、肌にべたりと張り付く襟を広げてぱたぱたと扇いで風を入れ、僅かだが火照った身体を冷やそうとする。

 時間からして夕暮れも近く、吹き抜ける冷えた風は心地よく、思いの外涼しいため居心地もよい。

 風に吹かれて短い赤い髪が揺れて、呼吸の度に豊かな胸が僅かに揺れる。

 赤髪の少女はうなじの辺りを撫でる髪の感覚に身動ぎしながら、視線を開いた窓越しに見えるギルドの中へと向けた。

 今から仕事に行くのか、あるいは帰って来たのか、仲間たちと共に豪勢な食事をしている者。

 依頼掲示板(クエストボード)を前に、仲間たちとあれやこれやと話し合っている者。

 あるいは受付で依頼を受ける者。そして、依頼を出しに村から出てきた者。

 様々な格好の、様々な種族の人たちが交流し、夕暮れ時でも昼間さながらの喧騒に包まれている。

 赤髪の少女はとある人物を探して目を凝らすが、見つけられずにため息を漏らした。

 角の折れた安物の兜を被り、言い方が悪いが薄汚れた格好をした人物がいれば、悪い意味で目立つ事だろう。

 そしてその人物がいないと見るや、赤髪の少女は壁に寄りかかり、再びため息を吐いた。

 わかってはいた。彼が帰ってくるのはいつも夜明け頃だし、出ていくのも朝早くだ。

 今日だって朝早くにいつの間にか出ていってしまったし、帰ってくるのも自分が眠ってからに違いない。

 それに、万が一早くに帰ってきても、彼がどこに行くのかも想像出来ないのも事実だ。

 

「なあ、そういえばよ」

 

「どうした」

 

「おまえ、ゴブリン(・・・・)スレイヤー(・・・・・)と一党組んでたよな?」

 

「ああ」

 

 さっさと帰ろうと樽から降りようとした矢先、探していた彼の話題が耳に飛び込み、慌てて座り直して耳をそばだてた。

 ちらりと窓枠から顔を出して中を覗いてみれば、只人の男性二人と、森人と獣人の男性が一人ずつという、見るからに冒険者の一党と思われる人たちが、同じ卓を囲んでいた。

 見たところ只人の一人は若い戦士、森人は見覚えのある錫杖を持っているから地母神神官、獣人は杖を持っているから魔術師のようだが、もう一人は何だろうか。

 見るからに上等な黒い衣装を着ていて、目の前に置かれた料理を黙々と食している。

 戦士にしては軽装だから斥候かななんて、全く知識がないにも関わらず当たりをつけて、とりあえず話に集中しようと意識を切り替える。

 

「むむ、オルクボルグの仲間だったのか」

 

「オル──なんだ?」

 

「オルクボルグ。私たち森人に伝わる、小鬼殺しの魔剣の銘だ。只人には馴染みがないだろうな」

 

「種族によって様々な伝承、お伽噺がありますから、同じものを意味していても、名前が全く違うことは多々あることです」

 

「なるほど」

 

 森人司祭、獣人魔術師の解説に斥候が頷くが、赤髪の少女はその話を半ば聞き流していた。聞きたい情報はそこではない。

 男戦士が咳払いをして「話を戻していいか?」と問いかけた。

 赤髪の少女は待ってましたと言わんばかりに頷くと、斥候の声で「ああ、すまん」と一言謝り、「で、なんだ」と問いかけてサラダを一口頬張る。

 

「で、ゴブリンスレイヤーなんだが、最近川沿いの小屋に通ってるらしい……」

 

「川沿いの小屋……?」

 

「そんな所に小屋などあったか?」

 

「私もこの街に来たばかりですから」

 

 男戦士の言葉に三人が似たような反応を示すと、彼は「とりあえず、あるんだよ!」と無理矢理にでも話題を進めることを選んだ。

 

「変わり者の賢者(セージ)だか魔術師(メイジ)だかがいて、なんかよくわからん研究をしているんだと」

 

「研究……」

 

「その者は、女か?種族は?」

 

「その研究とやらには興味があります」

 

 斥候と獣人魔術師は真剣に、森人司祭だけはその魔術師に個人的な興味を抱きながら問うと、男戦士は「只人の女だと」と一言でそれを返した。

「なるほどそうか!」と一人盛り上がる森人司祭を他所に、赤髪の少女は息を呑み、ぎゅっと胸元を押さえた。

 最近帰りが遅い彼が、女性の下に通っている。それはつまり──。

 そこまで考えて、赤髪の少女は首を振った。

 決めつけるにはまだ早い。もっと話を聞いてからでもおそくはないだろう。

 

「あいつ、なんでそんな所に……?」

 

 斥候が首を傾げながら問うと、男戦士は「わからん」と返し、ついでに質問も投げ掛ける。

 

「あいつから、一党を組んだとか聞いてないか?その、同期として、気になってよ……」

 

 男戦士はばつが悪そうに頬を掻きながら言うと、斥候は間髪いれずに即答した。

 

「いや、そもそも最近会えていない。だが、そうか。その魔術師に特徴は?」

 

友人(ダチ)から聞いただけだが、それでいいか?」

 

「構わん」

 

 斥候の返答に、赤髪の少女は心の中で『よし!』とガッツポーズをしながら頷いた。

 そこが聞きたかったのだ。その情報を聞き終えるまで、何があっても動かないと決めてその場に留まる。

 

「小汚ないローブを着て、ごみ溜めみたいな部屋に住んでるんだと。薬だかの変な匂いもするとか言ってたな」

 

「……それは、魔術師よりも錬金術師なるものじゃないのか?」

 

「俺もそう思うんだが、一応は魔術師で通してるらしい」

 

 男戦士と斥候が話を進めていると、獣人魔術師は顎に手をやり、「なるほど」と何やら興味深そうな声を漏らした。

 

「なにが『なるほど』なのだ、術師よ」

 

 自慢の長耳でそれを聞き取った森人司祭が問うと、獣人魔術師は「なんてことはありません」と前置きをしてから続ける。

 

「他からの視線を気にせず、己が決めた正装のみを着続ける。なにかを極めんとしている、あるいはなにかを為そうとしているのでしょう」

 

「なにかを極め、なにかを為す、か……」

 

 斥候は彼の言葉を己に言い聞かせるように反芻すると、そこにゴブリンスレイヤーの姿を重ね、「ある意味では、お似合いか……」と呟いた。

 他人の目を、評価を気にせず、ゴブリン殺しの術を極め、彼らを絶滅を為そうとしている。

 その魔術師とは、そういう意味ではお似合いだろう。

 

「え」

 

 そんな事を思慮していた斥候の耳に、聞き覚えのない声が届いた。

 彼の言葉に思わず声を出してしまった赤髪の少女は慌てて身を隠して口を押さえると、一瞬遅れて彼の蒼い瞳が窓に向けられた。

 

「どうした?」

 

 男戦士は突然振り向き、窓を睨み始めた斥候の姿に首を傾げると、「いや、手洗いに行ってくる」と告げて席を後にした。

「おうよ」と彼を見送った男戦士は、残された二人に次なる話題を投げ掛けた。

 やれ女給の可愛い店を見つけただの、そこに行くには依頼を受けねばとか、なら何を受けようかなど、話題はどんどんと仕事の方へと向かっていく。

 

「お、何の話をしているんです?」

 

 そこに割り込んだのは銀色の髪を高い位置で括った一人の少女だ。

 只人で、背が高く、胸元が放漫で、脚も長く、筋肉の透ける体躯は幼い頃から意図して鍛えている人のそれだ。

 

 ──私もあんな感じになるのかな……?

 

 牧場仕事の手伝いで最近腕が筋肉質になっているのだから、もう何年かしたらあんな風になるのかもしれないと苦笑を漏らす。

 少女は「お待たせしました!」と太陽のような笑顔と共に卓につくと、男戦士が「お疲れさん」と肩を叩いた。

 

「いや~、事情聴取?って、面倒ですねぇ」

 

「それだと私たちが犯罪者のように聞こえてしまうのが癪だが、事実あれは事情聴取だからな……」

 

 銀髪の武闘家の言葉に森人司祭が不服そうに言うと、腕を組みながら「不正も嘘もしていないというのに」と鼻を鳴らして憤りを露にした。

 それでも優雅に見えるのは、森人が持つ気品のお陰か。

 隣の獣人魔術師はその時の事を思い出しているのか、目を細めて喉を奥を鳴らした。

 

「まあ、やったことがやったことです。私たちはただ見ているだけでしたが」

 

「それはそうですけど……。ところで、あの人は?」

 

 銀髪の武闘家は不在の斥候を探して、キョロキョロと辺りを見渡しながら問うと、「厠にいきました」と獣人魔術師が告げた。

 

「じゃあ、すぐに戻って来ますね」

 

 銀髪の武闘家がポンと手を叩きながら言うと、「お仕事どうしましょう」と話題を元に戻す。

 ここまで来れば彼の話題になることはないだろうと判断した赤髪の少女は、さっさと帰ろうと樽から降りようとすると、

 

「俺になにか用か」

 

 不意に肩に手を置かれ、耳元でどすの効いた低い声が放たれた。

「ひっ」と喉の奥から悲鳴を漏らし、壊れた絡繰人形のようにギギギと音をたてて振り向くと、そこには無表情の斥候の姿があった。

 蒼い双眸には絶対零度の冷たさが宿り、ぶれることなくじっと睨むつけてくる。

 

「あ……ぃ……」

 

 彼から放たれる重圧に息が出来ず、赤髪の少女は意味のない音を漏らしながら首を横に振った。

 

「俺たちの話を盗み聞いていたろ」

 

 そんな彼女に疑いの念を抱いているのだろう。斥候は彼女を追及しようと視線を鋭くさせると、「何が目的だ」と肩に置いた手に力を入れた。

 ぎしぎしと骨が軋む音が漏れ、赤髪の少女の瞳には大粒の涙が滲む。

 

「あの……わた、私っ……!」

 

 少女はなけなしの根性を振り絞って彼に返すと、「なんだ」と余計に視線が鋭くなった。

 相手を人として見ているのか疑問に思えるほどに蒼い瞳は冷たく、本能が逃げろと叫んでいるのがわかる。

 額には脂汗が浮かび、奥歯がぶつかり合ってカチカチと音が漏れ、焦点が定まらずに視界が霞む。

 少女が知るよしもないのだが、今の彼女は彼の殺意を全身で受け止めているようなものだ。

 父や師から受け継いだテンプル騎士としての使命──アサシンとの戦いで培った殺意は、戦いを知らない少女が受け止めるにはあまりにも重い。

 呼吸が細くなり、酸素が足りずに頭が痛くなり始め、視界が点滅し始めた頃になって、ようやく助け船がきた。

 

「あ、うぇ!?斥候さん!?」

 

 何かを感じたのか、銀髪の武闘家が窓から顔を出し、惨状に気付いて声をあげたのだ。

「む」と声を漏らして殺気を抑えた斥候は、「どうした」と変わらず淡々とした──けれど決定的に違う──声音で問うと、銀髪の武闘家は困ったように肩を落とした。

 

「斥候さんの番ですよ。上の階で、色んな人が待ってます」

 

「ああ、そんな時間か」

 

 彼女の言葉に失念していたように返すと、ちらりと赤髪の少女に目を向けた。

 怯える子供のように──事実そうなのだが──ぷるぷると震えている彼女を一瞥し、すぐに興味を失ったように視線を外す。

 彼としては彼女が密偵ではないと判断してのことなのだが、それをされた少女としては堪ったものではない。

 呼吸も落ち着いて、同時に思考も落ち着いてくると、赤髪の少女はきっと彼を睨み付けた。

 

「あ、あの……っ!」

 

「すまん。少し警戒し過ぎたようだ」

 

 そして一言申してやろうとすると、間髪入れずに謝罪の言葉が放たれた。

 僅かに目を向けるだけで、目を合わせてこないのは減点だが、何も言わずに立ち去られるよりはましだというもの。

 あくまで、だが。

 

「頼んでもいいか」

 

 そんな風に、今度はやり場のない怒りで身体を震わせていると、斥候は銀髪の武闘家に目を向けて一言告げた。

「え?」と首を傾げる彼女を他所に、斥候はその場を後にして、そのまま裏口を通ってギルドの中に戻ってしまう。

 

「「………」」

 

 取り残された二人は言葉もなく見つめ合うと、銀髪の武闘家は困ったように苦笑を漏らした。

 その笑みにつられて赤髪の少女もまた笑みをこぼすが、肝心の言葉が出てこずに「えっと……」とすぐに詰まらせる。

 考えてみれば、特に理由もなく見知らぬ誰かと一対一で会話をするなど久しぶりだ。

 書類関係で受付さんや、何を持っていくかで伯父と話す機会は増えてはきたものの、共通の話題もなく何かを話せと放置されるのは初めてだ。

 

「と、とりあえず、そっちに行きますね」

 

 一向に話が進まないと見た銀髪の武闘家は身を乗り出し、そのまま窓枠を越えて外に出てくると、赤髪の少女の隣に腰を下ろした。

 

「それで、大丈夫ですか……?」

 

「あ、はい。何とか……」

 

 そして初対面にも関わらず、心底心配そうな面持ちで声をかけられ、赤髪の少女は頷いた。

 彼女からは先程の彼とは正反対の、なんとも温かい雰囲気が漏れており、不思議と気分が落ち着いていく。

 ようやく呼吸も落ち着いて、汗も引っ込み始めると、銀髪の武闘家が頭を下げた。

 

「その、ごめんなさい。前の仕事のせいでピリピリしてまして」

 

「い、いいえ。その、冒険者の人たちも、大変なんですね……」

 

「あはは……」

 

 赤髪の少女の言葉に銀髪の武闘家は乾いた笑みで返し、「大変でした……」と遠い目をしながら呟いた。

 冒険者は今日を無事に終えても、明日も無事に終えられるかがわからない。文字通り明日をも知れぬ身だ。

 依頼先で何かがあってピリついてしても、仕方がないのかもしれない。

 

 ──それにしたって、怖かったけど……。

 

 なんだかそれだけではない気がするが、赤髪の少女は努めて先程の事を忘れようも心掛けた。

 

「そう言えば、あなたはどんな理由でここにいるんですか?」

 

 そんな少女の意志に気付いたのか、銀髪の武闘家が苦笑混じりに問うと、赤髪の少女は数瞬考えてから返す。

 

「えっと、街の外に牧場があるのはわかりますか?」

 

「はい、街に来た時にも見ました!」

 

 ようやく共通の話題が見つかったと、パッと表情を明るくした銀髪の武闘家に、赤髪の少女はつられて笑みをこぼした。

 

「私、そこに住んでいるんです」

 

「えっと、住み込みで働いているとかです?」

 

「いいえ。私の伯父が、牧場主なので」

 

「ああ、なるほど。親戚の方が」

 

 銀髪の武闘家は「なるほどなるほど」と呟きながら頷くが、何故伯父の下に身を寄せているかを聞きはしなかった。

 自分とて家を飛び出してきているのだ、彼女にも何かしらの事情があるのだろう。

 

「牧場で働いているということは、毎日動物と触れあっているんですよね」

 

「そ、そうですけど……?」

 

 ずいっと前のめりになりながら問いかけてくる銀髪の武闘家の圧に押され、僅かに身体を後ろに逸らせた赤髪の少女が頷くと、「ふーん」となにを考えているのか顎に手をやった。

 

「やっぱり、可愛いですよね……」

 

 そして放たれたのは、予想に反して気の抜けた声だった。

「え?」と思わず聞き返した赤髪の少女を他所に、銀髪の武闘家は捲し立てる。

 

「だって牛ですよ!?鶏ですよ!?あと、豚です……よ?ともかく、可愛いじゃあないですか!」

 

「えっと、可愛い……」

 

 彼女の言葉に赤髪の少女は困り顔になり、口許に指を当てながら思慮した。

 牛は毎日のんびりと過ごしていて、確かに触れれば温かいし、鶏も卵を産んでくれて、時々見つける雛は可愛いものだ。

 豚は、まあ、うん……。いつか出荷するわけだし……。

 

「あんまり、そういうことは考えないかなぁ……」

 

「むぅ。そういうものですか」

 

「そういうものですね」

 

 二人はそう言葉を交わして、お互いの顔を見つめあった。

 お互いに無駄に真剣な顔になっていて、そこが妙に可笑しい。

「ぷっ」と銀髪の武闘家が吹き出し、そのまま笑い始めれば、赤髪の少女もまた笑い始める。

 女性が何人か揃えば姦しいとはよく言ったもので、同年代の二人が少しでも意気投合すれば、後はもう一直線だ。

 冒険者は大変ですか。そりゃあ大変ですよ。あれはどうするんですか。ああやればいいんです。

 様々な話題で言葉を交わし、少しずつ親睦を深めていく。

 夕暮れ時の街の片隅に、二人の少女の笑い声が木霊していた。

 

 

 

 

 

 ギルド二階、応接室。

 冒険者の等級があがる際の審査や、問題を起こした冒険者へと追及などに使われるその一室に、斥候の姿があった。

 

「──何度説明させる気だ。俺が、一人で、壊滅させた。何度聞かれてもそれは変わらない」

 

 もはや何度目になったかもわからない質問に答え、深々とため息を吐いた。

 彼の話を聞いていたギルドの支部長と、隣で『看破(センス・ライ)』の奇跡を使っている監督官が、困り顔で顔を見合わせた。

 彼は白磁等級の駆け出し冒険者だ。そんな彼が、都でも有名な盗賊団を、ほぼ単独で壊滅させたという。

 本来なら今までの貢献度を含めて昇給してもいいような戦果ではあるが、いまだに信じていない職員もいる。

 一党全員を相手に奇跡を使ってまで裏を取っているのだから、今さら「嘘を言うな!」と弾劾する事も出来ないのに、そんな新人がいるかと

 支部長は自慢の口髭を指で撫でると、すっと一枚の書類を取り出した。

 

「なんだ」

 

 不機嫌そうに眉を寄せながらそれを受け取った斥候は、ざっと目を通して更に眉間の皺を濃くした。

 

妖術師(ワーロック)の討伐……?」

 

「はい。あなたの昇給がかかった、大切な依頼です」

 

「昇給。俺は冒険者になってあまり経っていないが」

 

「それが問題なのです。今までの貢献度からすれば、まだ白磁等級なのですが……」

 

「件の盗賊を壊滅させて充分になった。だが、本当に強さが伴っているかが不明だと?俺を昇給させるために、あいつらが話を盛っていると?」

 

 彼のかなりの怒気が込められた確認の言葉に、支部長は額に汗を滲ませながら重々しく頷くと、斥候はため息を吐いた。

 別に彼を非難するつもりはない。上に立つ者には、それ相応の苦労があるし、それは自分が頑張っても助けようがないのだ。

 彼としては仲間を助けるために少々の無理をしただけだ。それが支部長に面倒をかけた挙げ句、来年だろうなと思っていた昇給を手繰り寄せることになるとは……。

 

「まあ、受けるさ。そっちだって、受けて貰った方が楽だろう」

 

 肩を竦めながらそう告げた彼は、「あいつら──一党に相談しても?」と問いかけた。

 

「勿論です。一党の皆さんにも、是非相談を」

 

「言われなくても。明日になったら受けるかを連絡する」

 

 斥候は一方的にそう告げると、依頼書を片手に部屋を後にした。

 一応、退室の間際に「失礼する」と言っておく辺り、最低限の礼節を弁えてはいるのだろう。

 取り残された支部長と監督官は顔を見合わせてため息を吐くと、監督官は疲労感のままに机に突っ伏した。

 支部長はそれを咎めることなく手拭いで額の汗を拭うと、再びため息を吐いた。

 

「才能ある新人は喜ばしいが、それ以上に大変だな……」

 

 まさか彼が白金等級かなんて事を夢想して、いや流石にないだろうと首を振った。

 この街の冒険者が白金等級になってくれるのは喜ばしいが、それを諸々と処理するこちらの苦労は計り知れない。

 

「だがそれで人が救えるのなら、剣を握れぬ我々は、代わりにペンを握るのだ」

 

 久しぶりに弱気になった自分を奮い立たせるようにそう口にした支部長は、先程の彼と、彼が属する一党に関する書類に目を通した。

 黒曜等級の戦士を除いて、それ以外全員が白磁等級だ。

 他の四人よりも早く冒険者になり、様々な修羅場を潜り抜けた只人の戦士。

 文字通り故郷から飛び出してきた只人の武闘家。

 講師を辞して、冒険者としての余生を選んだ獣人の魔術師。

 様々な縁にめぐまれ、地母神への信仰に目覚めた森人。

 そして、海の向こうの国から一攫千金を求めて冒険者になった只人の斥候。

 ──と、挙げてみれば冒険者になった動機もよく聞くものだし、前衛後衛のバランスもいいだろう。

 だが、と支部長は椅子の背もたれに寄りかかりながら天井を見上げた。

 

 ──斥候の彼には、金以外の目的が隠されているような気がする……。

 

 様々な冒険者の成長を目撃し、時には終わりを見せつけられた支部長の目は、下手な冒険者以上に人を見る目がある。

 その彼は斥候と対面する度に何か違和感を感じ、年不相応の迫力に気圧されてしまう。

 支部長が再びため息を吐くと、ゆらりと身体を起こした監督官が「戻ってよろしいでしょうか……?」と声を絞り出した。

 

「あ、ああ。構わない。いつもすまないな、面倒をかけて」

 

「これも仕事ですから」

 

 監督官はしゅっと姿勢を正しながらそう返すと、疲労を感じさせない足取りで部屋を後にする。

 一人残された支部長は懐から煙管を取り出すと、それに愛用の刻み煙草を詰め込み、火を入れてホッと紫煙を吐いた。

 仕事終わりには少し早いが、意識を切り替えるという意味でも大事なことだ。

 

「さて、もう一踏ん張りするか」

 

 充分に煙草の味を堪能した支部長はかん!と景気のいい音と共に灰皿に灰を落とすと、さっさと自室へと戻っていった。

 その足取りは軽く、表情にも支部長としての覇気が満ちている。

 それこそ冒険者よりも堂々と、自信に満ちた足取りで、彼は明かりの灯ったギルドの奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 支部長と同じくギルドの廊下を進んでいる斥候は突然足を止めると、再び依頼書に目を落とし、深々とため息を吐いた。

 

 ──妖術師とは、なんだ……。

 

 この男、剣と剣による対人戦闘においては絶対の自信があるが、そこに魔術なり奇跡が絡んでくると訳が違ってくる。

 

「……まあ、やるしかないか」

 

 そうとなれば彼らに相談せねばと再び歩き出すと、ふと視界の端に赤と銀が映った。

 窓の向こう、ギルド裏の端っこで赤髪の少女と銀髪の武闘家がいまだに何かを話しており、お互いに笑顔を浮かべているのだ。

 自分が彼女たちと同い年の頃、それこそ十五の頃は、どんなだっただろうかと思慮して、すぐに止めた。

 過去を振り返ることを無意味だとは思わないが、今はやるべき時ではないと判断したのだ。

 今は目下の依頼をどうするかを考え、一党に相談することが最優先。

 もっとも、思い出した所で意味はない。幼い頃に母を殺され、父を失った彼は、人生の大半を復讐に費やし、真っ当な人生と呼べるものから遠ざかり過ぎた。

 同年代の友人などおらず、先生たちがいたから必要だとも思わなかった。

 だがそれでも、時々考えてしまう。

 

 ──俺に、真っ当な人生を送る事が出来たのだろうか……。

 

 胸中で湧いた疑問は考える間もなくすぐに消え去り、彼は再び歩き出した。

 

 ──目下の依頼をこなし、等級をあげ、遺跡や洞窟を調査し、元の世界に戻る。

 

 それこそが彼の目的。金を稼ぐのはその足掛かりだ。

 全ては騎士団のため、恩人たちの下に帰り、アサシンを塵殺するため。

 

 ──今は冒険者に殉じよう。自由を享受しよう。そして、経験を力に変えよう。

 

 生涯の目的(復讐)のために、走り(飛び)続けよう。

 斥候はただ一人で覚悟を決めると、夕暮れで薄暗いギルドの廊下を進み続けた。

 二人の少女の声はもう、彼には届いていなかった。

 

 

 




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Memory03 妖術師(ワーロック)を探せ

 翌日、ギルドの待合所。

 いくつかある卓の一つを占拠する形で、斥候、男戦士、獣人魔術師、森人司祭、銀髪の武闘家が集っていた。

 彼ら全員に見えるように置かれているのは、一枚の依頼書だ。

 曰く、家畜の動物たちが臓物だけを抜かれて殺された。

 曰く、そこには獣ではなく、人のそれに近い何かの足跡があった。

 曰く、直視も絶えない姿をした謎の人物が、家畜の臓物を盗んでいった。

 曰く、それからというもの作物の育ちが悪い。

 曰く、村近くの木々が腐り、獣や家畜たちも病にかかってしまった。

 などなど、件の妖術師(ワーロック)の仕業と思しき被害が書きつられており、最後に今回の依頼の概要が書かれていた。

 

 ──このままでは村の者にまで手を出されると、皆が不安があっている。どうかその犯人を討伐して欲しい。

 

 ギルド職員が書き直したものではあるが、そこに込められた想いは確かに受け取った斥候が、他の四人に問う。

 

支部長(うえ)からの推薦だが、どうする。嫌なら俺一人でも行くが」

 

「勿論受けますよ。相手は妖術師、術には術で対抗するのが常。──とまでは言いませんが、確実です」

 

 彼の言葉にいの一番に応じたのは獣人魔術師だ。

 顎に手を当てながら、「個人的に気になる事もありますし」と少々強めの好奇心を覗かせながら言うと、隣の森人司祭も「私も行こう」と続いた。

 

「慈悲深き地母神の信徒として、見過ごせん」

 

 目に確かな意志を込め、いつもの気軽さはどこに行ったのか、真剣な面持ちで告げた。

 男戦士が脇を小突きつつ「で、本音は」と問うと、森人司祭は赤面しながら咳払いをした。

 

「ある人に贈り物をしたくてな、金が入り用なのだ」

 

「もしかして、あの店の女給か……?」

 

「ち、違う!世話になった同僚の誕生日なのだ!」

 

 男戦士の問いかけに顔を真っ赤にして否定すると、言われた彼は頬を掻いた。

 

「まあ、そういうことにしとくとして。──俺も行くさ」

 

 森人司祭を一通りからかい終えたからか、今度は男戦士が真剣な面持ちとなりながら告げて、斥候の肩を叩いた。

 

「お前一人じゃあ、なにをしでかすのか不安だからな」

 

 また倒れられたら事だと付け加え、再び依頼書に目を落とした。

 もっとも文字は読めないのだ。何を書いてあるかは、文字が読める斥候と獣人魔術師、森人司祭の三人の言葉を信じる他ない。

 と、そこまで考えて、なんとも静かな銀髪の武闘家に目を向けた。

 彼女も依頼書に目を落としてはいるが、頭から煙を噴いている。

 

「あー、行くかどうかだけ聞かせてくれ」

 

「行きますっ!」

 

 気を利かせた男戦士の問いかけに、銀髪の武闘家は思考停止していた事を誤魔化すように勢いよく言うと、「全会一致ですね」と獣人魔術師は満足そうに頷いた。

 四人の意見を確認した斥候も頷くと、「なら、受領してくる」と告げて席を立つ。

 今は受けるかを保留にしていたのだ、正式に受ける旨を受付で言わなければならない。

 ざっと見て空いていた受付へと足を進めて、姿勢を正したまま待ち構えていた受付嬢の前に立つ。

 

「おはようございます」

 

 それに合わせて受付嬢がにこりと微笑んで頭を下げると、三つ編みに結われた髪がゆらりと揺れた。

 その笑みはあくまで仕事ととして浮かべているものではあるが、新人だからかどこかぎこちない。

 

「ああ、おはよう。依頼を受けたい。手続きを頼む」

 

 もっともそれは、長年人と対峙してきた斥候だからこそ気付けるもので、他の者が見ても違和感を感じることはないだろう。

 だがそんなものを気にするほど、この男は繊細ではない。彼女と自分とでは為すべき事が違うとわかっているのだ。

 

「かしこまりました」

 

 受付嬢は依頼書を受け取り、必要箇所にペンを走らせると確かにと頷いた。

 

「では、お気をつけて」

 

「わかっているとも」

 

 受付嬢の気遣いに素早く切り返すと、「また来る」と続けて背を向けた。

 彼の背を見送った受付嬢は僅かばかり心配そうな面持ちとなるが、斥候に気付いた様子はない。

 むしろ彼はなぜか睨み付けてくる槍を担いだ同業者に一瞬目を向けて、すぐに視線を外した。

 道が交わるかもわからない相手を気にしていては、いちいち仕事をやってはいられない。

 足早に待合所に戻った斥候は仲間たちに「行けるぞ」と一言告げて、彼らは各々の声で彼に応じた。

 

「だが色々と買い物は必要だろう。とりあえずは準備だな」

 

 続けてされた指示にもそれぞれ応じ、何が必要かと話し合いを始めた。

 水薬(ポーション)はあるか、食料は、その他物資は足りているか。

 冒険者は命懸けではあるが、上手くやれば一攫千金を得られると、世間的には思われている。

 だが事実は違う。受け取った報酬の大半は次の仕事の準備に消えて、手元に残るのはほんの僅かだ。

 贅沢がしたいと予算をけちって準備を怠れば、そのつけを自分の命で払うことになり、結果金は無駄になる。

 

 ──ままならんな……。

 

 斥候は顎に手をやりながら目を細め、ため息を漏らした。

 どうにかして故郷に戻りたいが、どうすれば帰れるかわからない以上、最低限の衣食住を確保しなければならない。

 それが出来なければ、そこらの道端で無様にもの垂れ死ぬことだろう。

 そうなる訳にはいかないが、果たして依頼の先から無事に帰れるかと問われれば首を傾げる他にない。

 この世界はあまりにも未知だ。故郷での技がどこまで通じるかなぞ、わかるものか。

 そういう意味でも、今回の依頼は渡りに船というもの。

 術師相手にどこまでやれるかを知るという意味でも、何かあれば対応できる術師が後ろにいるという意味でも、仲間たちがいて頭数が多いという意味でも、これ以上の場はあるまい。

 

「準備が終わり次第出発するぞ。各々、不足がないように」

 

 斥候はその言葉をもって会話を終了とし、一党の面々は蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの準備に取りかかる。

 天上で神々が見ているのだ。下手な姿は見せられまい。

 それに、と斥候は目を伏した。

 

 ──こんな場所で、死にたくはないからな。

 

 死ぬのなら戦場で。仇敵(アサシン)を一人でも多く道連れにして、だ。

 その為ならば、どんな障害であろうと越えてやろう。

 

「運は自分で掴むもの。だよな、先生」

 

 ほんの僅かに頬を緩めながら、誰に言うわけでもなく呟く。

 世界を越えようと、敵が訳もわからない異形になろうと、その言葉の重さは変わらない。

 彼はそれを噛み締めながら、準備に取りかかる。

 準備も不十分なのに運を掴めることなど、ありはしないのだから──。

 

 

 

 

 

 辺境の街を出てはや三日。

 途中で夜営を挟みながら移動し、どうにか依頼を出した村にたどり着いた一行は、目の前に広がる村を見つめながら唖然としていた。

 

「……想像していた以上に、逼迫(ひっぱく)していないか」

 

 男戦士が頬に汗を流しながら言うと、街を出てから四六時中目深くフードを被っている斥候が頷いた。

 まだ入り口なのだが、村の空気が淀んでいるのを肌で感じるし、何かを焼いているのかあちこちから煙が立っている。

 

「長居しない方が良さそうです。手早く行きましょう」

 

 獣人魔術師が口許を布で覆いながら言うと、一党全員が同意を示した。

 同時に斥候が歩き出して門を潜ると、それに続いて冒険者たちも門を潜って村に入る。

 辺境の街の周囲にもある開拓村の一つ。建物はどれも木造だし、村を囲う塀も素人が苦戦しながらも作ったというのが目に見えてわかる。

 村を行き交う人たちに覇気はなく、不安と恐怖に蝕まれている。

 

「……なんだか、嫌な雰囲気ですね」

 

 村を進みながら辺りを見渡していた銀髪の武闘家が言うと、森人司祭が悲痛な面持ちになりながら返す。

 

「何年か前、旅の途中で見かけた村を思い出す。流行り病に呑まれ、いつか来る終わりを信じ、ただ堪え忍ぶしかなかった村に。あの頃は地母神の教えを受けていなかったから癒す術もなく、何もできなかった」

 

「そんな、ことが……」

 

 触れてはいえない場所に触れてしまったと、申し訳なさそうにする彼女に、森人司祭は「いや、気にしないでくれ」と苦笑を漏らす。

 

「森人にとっての何年か前だ。只人で言えば何十、何百年も前のこと」

 

「だが、覚えてはいるんだな」

 

 話を聞いていたのか、不意に振り向いた斥候がそう問うと、森人司祭は優雅に肩を竦めた。

 

「何年経とうとも、忘れられないことはあるさ。お前とて、そうだろう?」

 

「……そう、だな」

 

 彼の言葉に何かを思慮してから頷いた斥候は正面に向き直ると、村でも一際大きな家に目を向けた。

 村長の家というのは他の家に比べて一回りは大きい。初見でも見つけるのは楽だ。

 その家の玄関前に立ち止まり、手入れはされているもののそれなりの年期を感じるノッカーを手に取り、数度叩く。

 

「依頼を受けてきた。村長はいるか」

 

「はい、おりますとも。お待ちくだされ」

 

 斥候の呼び掛けに応じたのは、酷く疲弊してやつれた声だった。

 がちゃりと音をたてて玄関が開き、顔を出したのは杖をついた初老の男性。

 所々ほつれた服を着てはいるが肉付きが悪く、僅かに骨ばっているようにさえ見える。

 

「冒険者の方々、ですかな……?」

 

「ああ。問題解決を依頼された」

 

 ぜえぜえと喘ぎながら放たれた村長の問いに斥候は即答し、「俺を含めて五人だ」と付け加える。

 言われた村長がちらりと冒険者らに視線を送り、「ありがとうございます……」と頭を下げた。

 それに各々が小さく礼を返すなか、斥候が単刀直入に問いかけた。

 

「さっそくだが、件の妖術師の居場所はわかるか」

 

「いいえ。申し訳、ございませんが……」

 

 村長はゆらゆらと首を振りながら返すと、「どこか、村の近くに、いることは確かなのです」と切羽詰まった声音で返す。

 そんな彼の心情を察してか、斥候は村長に「落ち着け」と一言告げてから言葉を続けた。

 

「別に途中で投げ出すつもりはない。だが、探す分時間はかかるぞ」

 

「かしこまり、ました。どこか、宿を身繕いますが……」

 

「それはありがたいが、詳しくは後だ。上手くやればすぐに終わるかもしれん」

 

 斥候は村長の厚意を受け取りながらも、やんわりと断りを入れて、一党の方に目を向けた。

 

「村を回って妖術師の情報を集めてくれるか。俺も調べてはみるが、限界はある」

 

「では、私は森を見に行こう。枯れた木々が気になる」

 

「ならば、私は殺された家畜の検死を。なにかわかるかもしれません」

 

「なら俺は──」

 

 森人司祭が森に、獣人魔術師が家畜を調べると宣言すると、勢いのままに口を開いた男戦士は何をするかと悩み、同じく悩み顔の銀髪の武闘家に目を向けた。

 

「こいつと一緒に、妖術師を見たって人に聞き込みでもしてみる。見知らぬ男一人よりはいいだろ」

 

「わ、わかりました!」

 

 銀髪の武闘家が彼からの提案に驚き半分で応じると、斥候は四人を見渡しながら「頼んだ」と告げ、村長の方に視線を戻した。

 

「俺は足跡を調べよう。場所はどこだ」

 

「では、順を追って、案内いたします」

 

 彼らの方針を認めたのか、村長は杖をつきながら歩き出す。

 農作業で意図せず鍛えられてはいたのだろう。杖こそついているが足取りは確かなもので、冒険者たちは目配りの後にその後ろに続く。

 ともかく目標(ターゲット)の発見が急務だ。一刻もはやく村を救わねば、犠牲者が出てしまう。

 

 

 

 

 

「さて、ここか……」

 

 家畜を育てる為に確保されたであろう広場に立ちながら、斥候は目を細めた。

 依頼が出されてから、自分たちがここに来るまではどの程度なのかはわからないが、おそらく一週間前後。

 

 ──視えるだろうか……。

 

 斥候は僅かな懸念を脳裏に持ちながら、目を閉じると共に一度深呼吸。

 そうして意識を研ぎ澄ませながらゆっくりと目を開き、タカの眼を発動した。

 父親譲りの、あるいは先祖譲りの、誰かが残した痕跡や、敵意、殺意の関知を可能とする謎の力。

 幼い頃から使えるのが当たり前で、自然に鍛えられたその力は、まだまだ伝説(アルタイル)最強(エツィオ)のそれには遠く及ばないが、四方世界においては破格の力だ。

 奇跡ではないため使用回数に限界がなく、魔術でもないため疲れることもない。

 まあ便利な反面、使用中は視界が暗くなることや、音が聞きづらくなるなど、デメリットもあるのだが、ここでは問題にはならない。

 暗くなった視界に浮かび上がるのは、金色に輝くいくつかの足跡と、柵の一角だ。

 斥候は足跡に近寄ると側で片膝をついて座り、消えかけの足跡を撫でた。

 

 ──古い足跡だ。ここに何かきたのはやはり一週間は前だろう。それに、なんだこの形は。人のそれに近いが、まるで骨が歩いたようだ。

 

 そこまで思慮した斥候は立ち上がり、次は柵に手を置いた。

 

 ──この柵だけ妙に新しい。妖術師が壊したものを直したのか。なら、奴の拠点はこの方角か。

 

 斥候は柵の外に広がる枯れた森に目を向けて、低く唸った。

 森には森人司祭がいた筈。彼の意見を仰いだ方が良いだろう。

 そう思うが早く、斥候は柵を乗り越えると森へと歩き出した。

 周囲の森に比べて木々が枯れ果てており、足元には枝や葉が大量に落ちている。

 一歩を踏み出す度に枝を踏んでしまい、パキパキと乾いた音が漏れてしまう。

 こればかりはどうしようもないと斥候はため息を漏らし、一際大きな木の前に立つ森人司祭に声をかけた。

 枯れた森の中に立つ彼の背中には哀愁が漂い、天を仰いでいるのは祈りを捧げているようだ。

 森人の森に生き、森で死ぬのが常であり、森とは家族のようなもの。

 それが寿命や落雷などの自然災害以外で枯らされるのは、いたく気に入らないのだろう。

 

「──どうだ」

 

 そんな彼に少々遠慮しながらも問いかけると、森人司祭は振り向き様に言う。

 

「可哀想に。あと何百、何千年もあった寿命を吸いとられたのだろう。根も腐っている。これでは強風が吹くだけでも倒れてしまう」

 

「自然に枯れた、可能性はないか」

 

「ああ、これは誰かが作為的に枯らせたものだ。森人の末端に籍を置くものとして、それだけは断言できる」

 

 斥候の問いかけに少々の怒気を込めて返すと、「度しがたい悪党めが……っ!」と整端な顔立ちを怒りで歪ませる。

 

「どこが拠点かはわかるか」

 

「どうだろうな。拠点から帯のように伸びているのならまだしも、枯れているのはこの一帯だけだ。絞りこむのは難しい」

 

 強烈な怒りを覚えながらも、それでも冷静さを失わない森人司祭だが、それでも苛立ちを隠せずに腕を組ながら言うと、斥候は「そうか」と返した。

 

「俺は一度村に戻る。何かあればすぐに連絡してくれ」

 

「ああ。一人で挑む愚は犯さん」

 

 斥候の言葉に森人司祭は真剣な面持ちで頷くと、斥候は彼に背を向けて村へと足を向けた。

 パキパキと音をたてて枝や枯れ葉を踏み抜きながら、斥候は顎に手を当てて思慮を深めていた。

 

 ──森を枯らす理由はなんだ。あいつは吸いとられたと言っていたが、何のために……。

 

 物事には必ず理由があり、それは人の行いにも当てはまる。つまりは動機があるわけだ。

 

「……わからんな」

 

 だが、相手は未知の妖術師。自分にとっての常識では測れない。考えようにも全くわからないのだ。

 むぅと低く唸った斥候は、先程乗り越えた柵を通って村に戻り、その足で獣人魔術師の下を目指した。

 彼は殺された家畜の検死をしている筈だと、広場からいくらか行った場所にある建物に入った。

 牛か、馬でも入れていたのか、仕切りで分かれた部屋がいくつも並んでおり、街外れの牧場ほどではないが中々の大きさだ。

 きっと村の発展に貢献していたであろうその場所も、今では死体の腐った臭いと家畜たちの糞尿の臭いが混ざりあい、嗅覚を破壊しつくし、目にも染みてくる悪臭にみちみちていた。

 

 ──なんて臭いだ!あまり長居はしたくない……。

 

 流石の斥候も表情を歪め、目を潤ませながら慌てて口許を布で覆った。

 

「おい、いるか!」

 

「ええ、こちらに」

 

 臭いにやられて探すのも億劫になった斥候が声を出すと、部屋のひとつから毛に覆われた腕が伸び、ぶんぶんと振られた。

 斥候は小走りでそちらに駆け寄ると、その部屋を覗きこみ、「どうだ」と問いかけた。

 獣人魔術師は放置された牛の死骸──腹を裂かれた上に、目玉をくりぬかれている──を前に、メモを取りながら情報を纏めている。

 

「ええ。多少ならわかりましたよ」

 

 彼はそう言いながら振り返り、口許を布で覆い、目元も何やら手製のゴーグルで覆っている顔を斥候に向けた。

 

「臓物を抜いてそれ以外を捨て置いたのは、何かの術に必要なのは臓器だけだからでしょう。悪魔の召喚か、自身になにかしらの術をかけたいのか、ともかく何かをしようとしています」

 

「止めるなら、急いだ方が良さそうだな」

 

「ええ、村人の限界もあります。私も多少なら予想していましたが、村の現状はそれ以上に悪いです」

 

「ああ。見ればわかる」

 

 獣人魔術師の言葉に村の現状を思い出すと蒼い双眸を細め、重々しく頷いた。

 やはり今回の依頼はスピード勝負だ。一刻もはやい解決──妖術師の討伐が必要のようだ。

 

「他に何かわかったか」

 

「いいえ。牛や馬、鶏と、殺された動物の種類はともかくとして、その数に法則が見つかりません。見つけ次第殺している可能性が高いです」

 

「そうか。ありがとう」

 

「お気になさらず。我々は仲間なのですから」

 

 笑みを浮かべながら告げられた言葉に、斥候は小さく頷くと「また後で」と返した。

「ええ、また」と手短に返した獣人魔術師は再び死骸に目を戻し、作業に戻る。

 斥候は邪魔をしないように足音を立てずにその場を離れ、建物から外に出ると、口許の布を退かして深呼吸をした。

 淀んでいる筈の空気でもまだマシに思える辺り、建物内の臭いは相当に厳しいものだ。

 

 ──今度、何か奢ろう……。

 

 彼は心中で獣人魔術師に感謝と共に、それを形にする算段をたてながら、男戦士と銀髪の武闘家が聞き込みをしている家に向けて歩き出した。

 途中ですれ違う村民たちが妙に慌てて離れていくことに気付いた彼は、裾に顔を寄せて臭いを嗅いだ。

 

 ──これは、駄目だな……。行く順番を間違えた。

 

 滞在こそ短時間だったものの、やはり臭いがこびりついてしまったようだ。

 彼は深々とため息を吐くと、霞を払うようにローブの裾を払う。

 まあその程度で臭いが落ちるわけもなく、本当に気分だけなのだが、なにもしないよりは良いだろう。

 そんな事をした彼は再びため息を吐き、件の家が目前に迫った頃、件の家から慌てた様子の男戦士と銀髪の武闘家が飛び出してきた。

 

「……?どうした」

 

「せ、斥候さん!?その、えと、た、大変なんです!」

 

 突然の事態に首を傾げた斥候を他所に、銀髪の武闘家は慌てながら説明をしようとするが、言葉が出ずにただ手を振り回すのみ。

 

「だから、どうしたんだ」

 

 とりあえず話ができそうな男戦士に目を向けて問うと、彼は「息子さんがいないって、騒ぎになっちまったんだよ!」と怒鳴り付けるように声を張り上げた。

 

「息子。容姿はわかるか」

 

「あーと、五歳くらいの男の子。何でも隠れ家に行くって出ていったきり、帰ってこない。止めたらしいんだが──」

 

「それが分かれば十分だ」

 

 斥候は男戦士の言葉を断ち切る形で告げると、瞬き一つでタカの眼を発動し、その少年の痕跡を探し始める。

 子供というからには小さい足跡。加えて、子供が駆けていったのなら歩幅もそれなりだろう。

 ざっくばらんな情報しかないが、それだけあれば本当に十分なのだ。

 彼の眼はすぐさま情報を処理し、件の少年のものと思しき痕跡を浮かび上がらせた。

 村の道を通ったそれは、枯れた森の方へと伸びていっている。

 

「面倒なことになりそうだな。二人は他の二人と合流してくれ」

 

 彼は囁くような声で悪態をつくと、痕跡を追って走り出す。

 突然走り出した彼に、男戦士と銀髪の武闘家は思わず狼狽えるが、その背中を追いかけて走り始める。

 何が見えているのかはわからないが、彼の足取りに迷いはなく、流れるような動作で柵を飛び越えて森へと突ていった。

 

「何やら騒がしいですが、何事です」

 

 村の騒ぎが気になったのか、獣人魔術師が建物から出てくると、男戦士が「問題発生だ!」と告げて目の前を横切っていく。

 

「なるほど、余裕はなさそうです」

 

 同時に重大なことが起きたと判断した獣人魔術師が二人の背中を追いかけ、種族的な差ですぐに追い付き、三人揃って森に突入。

 途中で彼らが駆ける音に誘われた森人司祭も合流し、四人で遠くに見える彼の背を追いかける。

 

「──って、差が埋まらないんですけど!?」

 

「一切の無駄なく走っていますからね。当然かと」

 

「むぅ、同胞の動きに似ている。只人にしては軽やかだ」

 

「誉めてる場合じゃ──って、止まった?」

 

 倒木を一跳びで越えたり、スライディングで潜り抜けたりと、見るからに忙しい彼の動き(フリーラン)に各々が驚いたり、冷静に解析したり、唸っていたりしていると、不意に立ち止まり、後続の自分たちに向けて手を振った。

 顔を合わせて彼の下まで駆け寄ると、当の彼は枯れた木の根本に開いた大穴の前にしゃがみこんでいた。

 ちらりと穴の中に目を向けて見れば、なにかに怯えて震えている男の子がいるのが見える。

 件の息子さんだろうかと思慮する銀髪の武闘家を他所に、斥候は「大丈夫か」と問いかけながら手を伸ばす。

「ひっ」と悲鳴をあげて身体を強張らせる男の子に対して、斥候はフードを脱ぎ去ると優しく微笑み、「もう大丈夫だ」と告げて、改めて手を伸ばした。

 

「帰ろう。お母さんが待ってる」

 

「化け物、怖い化け物がいる!みんな、殺されちゃう!」

 

 そんな彼の手を掴んだ男の子は、切羽詰まったような声音で捲し立てると、斥候は「わかってる」と答えて一度頷いた。

 

「その化け物を殺しにきた。どこにいるかだけ、教えてくれ」

 

「む、向こうの洞窟。お兄さんたち、なんなの……?」

 

 彼の言葉に落ち着いたのか、あるいは彼に敵意がないことを知って安心したのか、男の子は斥候たちを見上げながら問いかけた。

 

「俺たちは冒険者だ。化け物退治なら任せろ」

 

 男の子を助けお越しながら斥候が言うと、獣人魔術師が、森人司祭が、男戦士が、銀髪の武闘家が頷いた。

 彼らは冒険者。祈る者(プレイヤー)を守り、祈らぬ者(ノンプレイヤー)を倒す者だ。

 

 

 

 

 




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Memory04 未知に挑め

 双子の月に照らされた、枯れた森。

 葉が一枚もついておらず、枝も幹も白く痩せ細った木々の影は不気味なもので、風に吹かれて揺れればさながら亡霊のようだ。

 そんな踊る木の影に身を潜めた斥候はちらりと辺りに目を配り、ふっと短く息を吐いた。

 森に入ってしまった男の子を村まで送り届けてすぐ、彼が言っていた洞窟を捜索。

 発見と同時に件の妖術師が残した痕跡を発見し、ここが奴の拠点であると判断した斥候と、彼の指示に従った冒険者たちは一旦村に戻って体勢を整え、再び洞窟に訪れたのだ。

 各々が木の影に身を潜めて息を殺し、奴が出てくる瞬間を待ち構える。

 飛び込んで襲いかかってもいいが、罠が仕掛けられているとも限らない。物理的な罠ならともかく、術的な罠の発見が出来るのかは未知数だ。無駄な危険は侵せない。

 ならばとこうして待ち伏せているのだが、果たして出て来てくれるのだろうか……。

 そんな不安が脳裏を過ぎたと同時に雲が双子の月を隠し、辺り一面を黒一色に塗りつぶした。

 夜目が効く森人司祭と獣人魔術師は余念なくそれぞれの得物を握り直し、斥候は目を細めると同時にタカの眼を発動。相手が漏らす敵意を探ろうと目を凝らす。

 一寸先も見えない完全な暗闇に、男戦士と銀髪の武闘家は不安げな表情となるが、幸いにもその表情が見えることはない。

 暗闇とは様々なものを隠してくれる有難い一面、本来なら見えるものを見えなくする最悪な一面もある。

 そんな暗闇の中に突然放り込まれたのだ。不安に思わない三人が慣れすぎているだけで、二人の反応の方が正しいというもの。

 暗闇の先に朧気に揺れる二つの炎があるのなら、なおさらというものだ。

 

「~!」

 

 その手のものが苦手なのか、銀髪の武闘家が声もなく悲鳴をあげると、雲の隙間から緑の月が顔を出し、二つの炎を月光の下に晒した。

 そこにいたのはまさに人の骨だった。襤褸布同然の黒いローブに身体を隠してはいるものの、剥き出しの頭蓋骨には一切の肉がついておらず、眼窩の奥には青い炎が揺れ、歯ぎしりをしてガチガチと音をたてている。

 

 ──あれだな。

 

 斥候は仲間たちに目配せして頷きあい、最後に僅かに怯えの色を滲ませている銀髪の武闘家に目を向けた。

 見つめられている事に気付いてか、彼女は彼の蒼い瞳を見つめ返すと、こくりと頷いて表情を引き締めた。

 ここまで来たらやるしかないのだ。臆せば死ぬのは世界の常だ。

 彼女が拳を握り締めて気合いを入れると、斥候はホルスターからフリントロックピストルを引き抜いた。

 術師との戦いでは、相手に詠唱させないことが定石(テンプレート)。させても途中で遮る勇気が必要なのだ。

 遠距離から叩けるという意味でも、ピストルは理想的であり、最悪仕留め損ねても予備の一挺と、森人司祭がもつ発条(ばね)仕掛けの投射器(ダートガン)がある。

 初手は最大でも三手かと思慮をし、まさに飛び出そうとした矢先だ。

 僅かに顔を出した斥候と、妖術師の視線が交錯した。

 背筋を冷たいものが駆けると共に、反射的に「備えろ!」と声を張り上げる。

 

『《グラキエス()……テンペスタス()》』

 

 その直後、地の底から響いたような低い声が辺りに木霊し、真に力ある言葉により発生した超自然の力が掲げた手に集う。

 冒険者たちが木の影に身を隠した同時に、妖術師は手を降ろした。

 

『《……オリエンス(発生)》』

 

 瞬間、超自然の力により発生した冷気の濁流──『吹雪(ブリザード)』の術が森を駆け抜けた。

 その冷気が冒険者たちを包み込もうとした刹那、

 

「《マグナ(魔術)レモラ(阻害)レスティンギトゥル(消失)》!!」

 

 獣人魔術師が素早く真に力ある言葉を紡ぎ、杖を掲げた。

 瞬間、冒険者たちの回りを不可視の力場が覆い、骨の髄まで凍てつかせる絶対零度の冷気が、睫毛が凍る程度のものにまで抑えられる。

 

「くぅ!」

 

「ぬぅ!」

 

 銀髪の武闘家と森人司祭が身体を強張らせて唸る中、獣人魔術師は歯を食い縛って力場を維持し続け、妖術師の『吹雪』を受け止め続けた。

 

「ちぃ!初手から飛ばしてくるな!」

 

「寒いのに慣れているが、これは中々……!」

 

 この中で唯一黒曜等級として修羅場を潜ってきた男戦士と、訳あって寒さに慣れている斥候は顔を庇いながら軽口を叩くと、ようやく『吹雪』の術が止んだ。

 だが超自然の冷気はすぐに霧散するわけもなく、辺りはさながら雪が降ったように白く染まり、吐き出す息も白く色がついている。

 ざりと雪を踏みしめながら足を踏ん張った男戦士は、ホッと息を吐く獣人魔術師に目を向けた。

 

「先生、無事か!」

 

「ええ、このくらいなら。ですが、防げてもあと二度が限度です。短期決戦を推奨します」

 

「最初からそのつもりだ」

 

 彼の言葉に斥候は表情を険しくしながら応じると、腰に下げていた中途半端な剣(バスタードソード)と短剣を抜き放った。

 

「そっちは行けるか」

 

 同時に森人司祭と銀髪の武闘家の方にちらりと目を向ければ、森人司祭は「何のこれしき!」と眉毛についた氷を払い、銀髪の武闘家は「な、なんともないですっ!」と寒さにぷるぷると身体を揺るわせながらも拳を構えた。

 先程どうして見つかっただとか、また魔術を使われたらどうするとか、考えるべきことは多いが、

 

「仕掛ける。合わせろ!」

 

 まずはここを越えてからと無駄な思慮を捨てて、走り出す。

 失敗を考えるのは場を乗り気ってからだ。考えながらなぞ戦えるものか。

 彼の突撃に銀髪の武闘家と剣を抜き放った男戦士が続き、一直線に駆けて間合いを詰めにかかる。

 

「離れすぎても私の術の範囲から出てしまいます!間合いにはお気をつけて!」

 

 背後から聞こえる声に頷きのみで応じると、妖術師が動き出す。

 

『《ファルサ(偽り)……ウンドラ()……ユビキタス(偏在)》』

 

 再び真に力ある言葉を紡がれ、世界の(ことわり)を改竄、妖術師の体がぶれ、捻れ、湾曲していく。

 

「な、なんですか!?」

 

 異常を察した三人が立ち止まり、銀髪の武闘家が思わず叫ぶと、妖術師の体が2つに分裂し、さらに4つ、8つと別れ、その数はおよそ16にまで膨れ上がる。

 

「こ、これは!?」

 

 流石の斥候も突然の事態に狼狽え、珍しく切羽詰まったようた声をあげると、獣人魔術師が声を張り上げた。

 

「『分影(セルフビジョン)』……!15体の分身は(デコイ)、術を使えるのも、痛痒を与えられるのも本体だけです!」

 

 その声に平静を取り戻した斥候はすぐにタカの眼を発動。本物をあぶり出そうと妖術師たちを睨むが、その全てが赤く染まって見える。

 

「初見じゃあ、どうにもならないか……!」

 

 いまだに伝説(アルタイル)の域に届かず、加えて魔術という未知のものを前にしているのだ。流石のタカの眼とて見えないものもある。

 

 ──去る世界とはいえ、早めに慣らしが必要だな……。

 

 早めに元の世界に戻りたいが、それまではこの世界で生きていかねばならないのだ。馴染まなければ死ぬだろう。

 とりあえずグレネードで一掃するかと、剣と短剣を腰に戻し、背中の長筒──空気圧でものを飛ばす投射銃(エアライフル)を構えようとするが、

 

「片っ端から殴り倒します!」

 

 そんな思慮をしている彼の脇を、銀髪の武闘家が駆け抜けていった。

 一瞬狼狽えて間の抜けた表情になる斥候だが、まだ二度目の依頼だ、足並みが揃わないのは仕方がないと自分に言い聞かせて意識を切り替える。

 そんな彼の事を知るよしもなく、銀髪の武闘家は長い髪を尾のように引きながら突撃。手頃な妖術師の顔面を殴り付けた。

 だが致命傷(クリティカル)の快音はおろか、痛痒(ダメージ)を与えた鈍い音さえもせず、殴られた筈の妖術師は霞のように消えていく。

 渾身の打撃が空を殴ったため、「ふぉ!?」と変な声を漏らして体勢を崩すが、その合間を埋めるように銀色の煌めきが走った。

 ちらりと背後に目を向けてみれば、右手を振り抜いて何かを放った体勢になっている斥候の姿があり、左手には投げナイフが握られている。

 おそらく右手でナイフを放り、援護をしてくれたのだろう。

 銀髪の武闘家がお礼を言おう口を動かすが、それが声になる前に再びナイフが放たれ、先程のと合わせて二体の分身が掻き消えた。

 

「うっ、だらぁ!!」

 

 そして追い付いてきた男戦士が渾身の振り下ろしを叩き込むが、それもまた分身。霞のように消えていく。

 

「本体含めてあと12!踏ん張れ!」

 

「はいっ!」

 

 剣を構え直して突貫した斥候の叫びに銀髪の武闘家が真っ先に応じ、男戦士と一瞬の目配せ。

 本物がわからない以上。一刻もはやく分身を蹴散らし、本体を倒さなければならない。

 

「シッ!」

 

「らぁ!」

 

 斥候と戦士は剣を振り回して次々と分身を打ち払い、森人司祭が援護をしてくれているのか、時折飛んで来る投射針(ダート)も合わさって分身の数はみるみる内に減っていく。

 

 ──本物。本物はどこ!?

 

 分身の数が四体になった頃。本物を見つけ出さんと銀髪の武闘家が目を凝らしてみれば、分身の一体が不自然に手を構えた。

 

「あれです!」

 

 銀髪の武闘家が叫べば、斥候と男戦士、森人司祭がそれ以外の三体を素早く処理し、彼女に迷いを与えない。

 

「おし、やっちまえ!」

 

 この状況に興奮したのか、男戦士の声が彼女の背を押し、銀髪の武闘家は更に加速。

 その勢いの全てを乗せて前に跳び、渾身の延髄蹴りを妖術師に叩き込み、

 

「……あれ?」

 

 その一撃が空を切った。

 正確には打ち込んだ筈の妖術師が霞のように消え、空振りに終わったのだ。

 

「な!?じゃあ、本体は──」

 

 男戦士が狼狽え反射的に辺りを見渡した瞬間、目を剥いた。

 跳び蹴りの着地で無防備になった銀髪の武闘家の影が蠢き、そこから妖術師が現れたのだ。

 彼の手には氷が形作られた剣が握られており、既に振り上げられている。たかが氷とはいえ、あれを振り下ろされれば銀髪の武闘家の頭の中身をぶちまける事になるだろう。

 

「あ……」

 

 振り向きながらそれに気付いた彼女は気の抜けた声を漏らし、振り下ろさせる剣をギリギリまで見つめ、当たると確信した瞬間に目をぎゅっと瞑り、迫る痛痒に備えるが、響いたのは頭蓋が割れる音でも、肉が裂ける音でもなかった。

 ガキン!と鋭い金属音が響き、溶けた氷の水滴がうなじに垂れた。

 その冷たさに身体を跳ねさせ、ゆっくりと目を開けてみれば、そこには斥候の背中があり、彼の中途半端な剣が氷の刃を受け止め、競り合っている。

 

「……っ!」

 

「ぐっ、おおおおおお!」

 

 何も告げずに眼窩の炎をたぎらせて押し込まんとする妖術師と、咆哮をあげながら押し返さんとする斥候。

 ぎゃりぎゃりと音をたててお互いの得物が擦れあい、水飛沫混じりの火花を散らせながら、押しつ押されつを繰り返す。

 斥候も鍛練を怠っていたわけではない。こちらに転がり込んでからも、昔と変わらずに身体を鍛えてはいる。

 だが、人を捨てた妖術師の膂力は彼と互角。骨しかないというのに、その力は大人のそれよりも遥かに強い。

 加えて、妖術師には絶対的な優位性(アドバンテージ)があった。

 

『《グラキエス()……テンペスタス()》』

 

 紡ぐのは真に力ある言葉。武器を振るうしか脳がない戦士には出来ない、回避不可の超至近距離での魔術。

 斥候は妖術師と競り合う為に剣を両手持ちしているため防ぐ手はなく、森人司祭は次弾を装填中、獣人魔術師は少しでも『抗魔』の力を強めるために二人に接近し、男戦士も駆けているが、全員ともに間に合うかは微妙な所。

 妖術師が勝利を確信して眼窩の炎を強め、最後の一節を口にした。

 

『《……オリエ(発せ)──!?』

 

 瞬間、快音のともに凄まじい衝撃が顎を打ち上げ、強引に口を閉ざされた。

 驚愕に炎を揺らす妖術師は、ゆらりと首を回して原因を探り、すぐに見つめた。

 倒れていた筈の武闘家がいつの間にか懐に飛び込んでおり、拳を掲げていたのだ。

 顎を打ち抜いた衝撃からアッパーでもされたのだろうと判断した妖術師は、そこまで痛痒がないことを良いことに着地すると、すぐに詠唱を再開しようとするが、

 

「イィィィヤッ!」

 

 怪鳥音と共に銀髪の武闘家が更に踏み込み、右足を思い切り地面に打ち付けると、それを軸に体の回転。その勢いを乗せた回し蹴りで頭を蹴り抜いた。

 

「っ!!」

 

 様々な知識が詰められているとはいえ、その衝撃を耐える術を持たなかった妖術師はたたらを踏んで数歩下がると、銀髪の武闘家は更にもう一回転。

 

 ──また彼に守られた。助けられてしまった。だったら、今度こそ私が助ける!

 

「でりゃぁあああああああああ!!!」

 

 気合い一閃と共に回転の力を乗せ、先程よりも鋭くなった回し蹴りを放つが、流石に見切られて片手で止められてしまう。

 妖術師は嘲笑うように眼窩の炎を強めると、今度は背後からの攻撃が襲いかかる。

 

「おおおおおおおおっ!」

 

 ようやくたどり着いた男戦士が妖術師の背中に飛びかかり、大上段に構えた剣を振り下ろす。

 妖術師は軽く首を巡らせて彼の動きを捉えると、氷の刃を背に回して男戦士の一撃を防御。

 妖術師は怒気を込めて低く唸ると、そのまま男戦士を弾き飛ばし、先の打撃で僅かにひびが入った顎を開き、一切の肉が失われた喉を震わせる。

 

『《グラキエス()》──』

 

 二人を道連れにせんとしたのか、あるいはまた別の狙いがあるのか、妖術師は再び真に力ある言葉を口にした。

 

「させん!」

 

 直後、発条が弾ける音と共に鋭い風切り音が辺りに響き、妖術師のこめかみに投射針(ダート)が突き刺さった。

 投射銃(ダートガン)を構える森人司祭は得意気に鼻を慣らし、「やはり只人の道具も面白いものだ」と笑みを浮かべた。

 堅牢な頭蓋骨に包まれた、知恵の貯蔵庫たる脳みそを傷つけられた妖術師は身体をよろめかせ、防御に使っていた腕から力が抜ける。

 その瞬間、武闘家の目が光る。妖術師の掌中で、彼女の足がぐるりと回る。

 

「イィイイィィィィ、ヤアァアアアアッ!」

 

 怪鳥音と共に繰り出されるのは、相手の手を踏み台にした空中蹴りだ。

 さながら独楽のように身体を回転しながら放たれた蹴りは、こめかみに突き刺さる投射針(ダート)に打ち込まれた。

 半ばまで刺さっていた投射針(ダート)を、金槌で釘を打ち込む要領で更に深く突き刺し、頭蓋骨にはそこを基点にひびが広がっていく。

 

『お……お……おおおおおっ!』

 

 妖術師は大きく身体をぐらつかせて体勢を崩すが、眼窩の炎をたぎらせて銀髪の武闘家に襲いかからんと手を伸ばした。

 

「《武器(アルマ)インフラマラエ(点火)オッフェーロ(付与)!!」

 

 その直後、獣人魔術師の詠唱が辺りに響き渡り、轟!と炎が揺れる音がその後に続く。

 彼の言葉が意味していたのは『炎与(エンチャント・ファイア)』。武器に炎を纏わせる魔術だ。

 詠唱した彼は武器を持ってはおらず、他の三人にも変化はない。

 

『──っ!!』

 

 妖術師が眼窩の炎を揺らし、視線を向けた頃にはもう遅い。

 剣に炎を纏わせた斥候が瞳に殺意をみなぎらせ、銀髪の武闘家を飛び越える形でぶち当たり、そのまま押し倒してきたのだ。

 妖術師が最後の足掻きに何かを詠唱しようとするが、それよりも速く斥候の剣が眼窩に突き立てられた。

 

『っ!』

 

 ビクンと身体を跳ねさせた妖術師は、斥候の首に手をかけようと手を伸ばすが、彼は立ち上がりながら剣を引き抜き、柄頭に手を添えて、再び眼窩に深々と差し込んだ。

 

『っ──……』

 

 同時に剣が纏っていた炎が消え、妖術師の眼窩の奥に燃えていた炎も消え、伸ばされていた両手が地面に落ちる。

 ホッと息を吐いた斥候は剣を引き抜き、腰に戻すと、妖術師の体が塵へと変わり、吹き抜けた風に拐われて霧散していく。

 月明かりに照らされてキラキラと輝くそれを見つめながら、斥候は静かに口を開いた。

 

「汝の罪は罰されり。眠れ、安らかに」

 

 善き人も悪しき人も、死ねば皆同じ物言わぬ屍だ。

 ならばこそその死を悼んでやるのは道理で、祈りを欠けばただの殺人鬼と変わらない。

 自分勝手な偽善だとは思う。神官でもない自分の祈りに意味はないとも思う。

 けれどこれが彼の(よすが)なのだ。

 祈りこそが、自分はまだ壊れていないと言い聞かせる寄り辺なのだ。

 

「えっと、お疲れ様です!」

 

 そんな祈りを終え、静かに月を見上げている彼の背に向けて、銀髪の武闘家が勢いよく頭を下げた。

 斥候はすぐに表情を取り繕って微笑みを浮かべると振り返り、「ああ、お疲れさん」と彼女に告げた。

 

「うむ。私の投射銃(ダートガン)も大活躍だったな」

 

「一発いくらするんだ……?」

 

「……………」

 

 向こうでは森人司祭が得意気な顔をして胸を張っていたが、男戦士の指摘を受けて気まずそうに視線を反らし、獣人魔術師は残されたローブを漁っていた。

 灰が張り付いたそれは動かす度に煙を吐くが、彼は気にもとめずにローブを探る。

 

「やはり、ありました」

 

 そして何かを見つけたのか、紙切れを取り出す。

 

「どうかしたのか」

 

 視界の端で彼の行動を見ていた斥候が問うと、「これを」と告げて紙切れを差し出す。

 何を書いてあるかはわからないが、何かしらの意味が込められたであろう絵文字。

 どこかで見覚えがあると思慮した斥候は、ふといつかの坑道で遭遇したゴブリンが持っていたものを思い出す。

 

「あの時のものに似ている……」

 

「ええ。おそらく、この妖術師が指示したのでしょう」

 

「前に見つけたのは『指示を待て』だったが、これは?」

 

「『贄はまだか』でしょうか。ともかく、あのゴブリンたちに何かを指示していたのでしょう」

 

 斥候と獣人魔術師があれやこれやと話していると、隣で頭から煙を吹いている銀髪の武闘家がぼそりと呟いた。

 

「……それを潰したせいで、この村が狙われたなんてことは?」

 

「「……」」

 

 その言葉に二人は表情を険しくさせながら彼女に目を向けると、「ひっ!ごめんなさい!忘れてください!」と目に涙を浮かべながらまだ話に混ざれそうな男戦士と森人司祭の下へと駆けていった。

 その背中を見送った二人は顔を見合せ、斥候が「実際どうなんだ」と問うた。

 

「わかりません。ですが、調べるしかないかと」

 

 獣人魔術師は妖術師が根城ていた洞窟に目を向けて、「どうします?」と問いかけた。

 斥候は深々とため息を吐くと、「調べるしかないだろう」と肩を竦めた。

 

「なら、手早く行きましょう」

 

「ああ」

 

 獣人魔術師の言葉に同意を示した頷き、男戦士の方に目を向ければ、

 

「いてっ!なんだこの蝙蝠、噛みやがったぞ!?」

 

「この!逃げるなっ!えいや!」

 

「小さすぎて狙えんなぁ……」

 

 男戦士、銀髪の武闘家、森人司祭が小型の蝙蝠に襲われており、騒がしくしていた。

「……なんだ、あれは」と驚愕を隠せない斥候を他所に、獣人魔術師は顎を撫でながら「使い魔、でしょうか」と首を傾げた。

 

「使い魔……?」

 

「時には己の目に、時には手になる動物だと思えばいいと思います」

 

「だから見つかったのか……」

 

「だと思います」

 

 発見された理由にようやく合点がいった斥候の確認に獣人魔術師は頷くと、「とりあえず、助けましょう」と告げた。

 三人はいまだに蝙蝠に襲われており、小さな獣に手玉に取られて飛んだり跳ねたり転んだりと、てんやわんやしている。

 斥候は再びため息を吐くと歩き出し、剣の一閃でもって蝙蝠を叩き落とした。

 地面に落ちて悶える蝙蝠をいっそ残酷なまでに踏み潰し、「行くぞ」と告げて洞窟を顎で示した。

 敵だとわかれば何にでも容赦ない彼に多少は狼狽えつつ三人は頷き、歩き出した彼の背中を追いかける。

 まあ主は倒したのだ、大きな障害は残ってはいないだろう。

 

 

 

 

 

 それから幾日か。洞窟や村近辺の調査を終えた冒険者たちは、ようやくの帰路についていた。

 洞窟で見つけた妖術師の杖を肩に担いだ斥候が、だいぶ小さくなった村を眺め、少々不満げに目を細める。

 

「元凶を叩いたはいいが、巻き返せるのか……?」

 

 斥候の問いに答えるものは居らず、それぞれが不安そうな表情になるのみ。

 それなりに迅速な解決は出来たのだろうが、それまでに多くの木々が枯れ、家畜を含めた多くの動物も死んだ。

 失ったものを補填し、かつての活気が戻るのはいつ頃か。あるいは村を捨てて他の場所に移る可能性もあるだろう。

 だが、それでも。

 

「犠牲者が出なかったのが救いか……」

 

「ええ。言い方が悪いですが、生きていれば次があります。死んでしまえばそこまでですが、命があれば、ある程度やり直すことができます」

 

 斥候が誰に言うわけでもなく漏らした呟きに、獣人魔術師が頷きながら応じた。

「まあ、そうだな」と男戦士が何かを思い出したのか、空を見上げながら染々と呟くと、森人司祭が静かに聖印を切った。

 

「でも、きっと大丈夫だと思います」

 

 男連中が少々後ろ向きな思考になっていると、不意に銀髪の武闘家が声を出した。

 彼女は強がっているわけでもなく、励ますわけでもなく、ただ自分が思ったことを口にしたのだろう。

 そう言った彼女は駆け出すと、突然くるりと振り返り、太陽のような笑みを浮かべた。

 

「村の人たちは笑ってました。だから、大丈夫です!」

 

 彼女の笑みを見つめた男連中は顔を見合せ、森人司祭が真っ先に噴き出し、笑い始めた。

「む、何ですか!」と不満そうにする彼女を他所に、彼には つられるように男戦士が、獣人魔術師も笑い始め、銀髪の武闘家は「むー!!」と不満そうに唇を尖らせた。

 自分をだしに笑われているのだから、不機嫌になるのは当然のことだ。

 そして最後まで堪えていた斥候がわざとらしいまでに噴き出すと、銀髪の武闘家は「もういいですぅ!」とやけくそになりながらも走り出した。

「おい待て、危ないぞ」「転ぶなよ」「あまり行きすぎないでくださいね」と、一党の面々は対して気にした様子もなく彼女を見送ると、斥候は笑みを押さえながら肩を竦めた。

 

「ともかく、彼女が言った通りだ。きっと、大丈夫」

 

 何の根拠もなく、ただの希望的憶測でしかない。

 それでも彼はそう信じることにした。この世界は神々が振った骰子の目で様々なことが決まるのだ。

 

 ──奇跡(クリティカル)が起きたって、いいんじゃあないか。

 

 斥候は静かに照りつける陽を見上げ、僅かに笑んだ。

 憎たらしいまでに照りつける陽の光はいつもと変わらず、ただ世界を平等に照らし続けていた。

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory05 次の冒険へ

 煌々と輝く陽に照らされる辺境の街。

 斥候は妖術師のねぐらから回収した杖を肩に担いだ担ぎながら、街の外れを目指していた。

 いつぞやに男戦士が言っていた、一人で何かを研究している女の魔術師。彼女に杖の鑑定を頼もうとしているのだ。

 杖を担いで黙々と歩を進める彼の隣、銀色の髪を尾のように揺らしながら歩いている武闘家は、目を泳がせながらちらちらと彼の様子を伺い、困ったようにため息を吐いた。

 杖を手に入れたが、一党で唯一杖を振るう獣人魔術師が「使わないので鑑定を頼みましょうか」と言い出し、それを受けた斥候が「そうか」と返してさっさと出ていこうとしたため、思わずその後ろに付いてきてしまったのだが──。

 

 ──わ、話題がないよ……。

 

 武闘家はうんうんと唸りながら首を傾げ、顎に手を当てて本格的に何かを思慮し始める。

 うーんと声を出してふと空を見上げ、雲一つない青空を見上げた。

 夏特有の底抜けに明るい青い空は、見ているだけで気持ちがいいし、何より綺麗だ。

 

「すごいですね……」

 

「ん?ああ、そうだな」

 

 無意識に吐いた呟きは、恥ずかしながら斥候にも届いたようで、彼は振り向きながら疑問符を浮かべると、彼女の視線を追って空を見上げた。

 雲一つない青空に一つだけ残る黒い点は、天高く飛ぶ鷹か何かだろうか。

 故郷では頻繁に目にする機会があったが、こちらに来てからはあまり見た覚えはない。

 

「「……」」

 

 そんな事を思う彼を他所に、武闘家は次の話題を探して思考を巡らせていた。

 杖のことに関しては専門外だし、今から向かう場所もいまいちよくわかってはいない。

 ちらりと脇を流れる小川に目を向けて、ついでに耳を済ませた。

 回りには自分たちしか居らず、街の喧騒ははるか向こうから聞こえているようにさえ思える。

 頬を撫でる風は冷たく、照りつける陽の温かさも相まって心地がよい。

 武闘家は風に揺れる髪を押さえながら、斥候の背中に言葉を投げた。

 

「静か、ですね……」

 

「ああ」

 

 彼女としては必死に絞り出した言葉も、その一言で切り捨てられてしまう。

 だが負けじと「こういう場所は、好きですか?」と重て問うと、斥候は突然足を止め、僅かに考えるように空を見上げた。

 天高く舞う鷹を蒼い瞳で追いかけると感傷に浸るように目を閉じ、吹き抜ける風の優しさに頬を緩める。

 

「好きか嫌いかで言えば、好きだ。不思議と落ち着ける」

 

「そうなんですね。確かに、なんだか落ち着きます」

 

 ようやく話が続いたと喜ぶ武闘家は、にこにこと上機嫌に笑った。

 なるほど彼は静かな場所が好きなのかと記憶しつつ、ふとある疑問が頭に浮かぶ。

 

 ──私、邪魔だった……?

 

 そんな彼が一人で出てきたのだ、もしかしたらここの静けさを知っていたとすれば、自分はそれをぶち壊す邪魔者でしかないのではなかろうか。

 そう思い始めてしまえばあとは単純で、武闘家は彼の邪魔をしないように口を閉じて、黙ってその後ろに続く。

 二人の足音と風の音、揺れる草の音、あるいは二人の息遣いのみが発せられ、確かにこれは心地がよい。

 武闘家が彼の言った事に納得しながら三十秒ほど黙っていると、不意に斥候が振り返り、口を開いた。

 

「……どうかしたのか?」

 

「え?あ、いいえ?」

 

 彼の問いかけに深く考えずに首を振ると、彼は「そうか」と呟いて正面に向き直る。

 突然の行動に首を傾げる武闘家を他所に、斥候は「あれか」と告げて、杖で目的地を示した。

 杖が向けられた先に目を向ければ、そこには一件のあばら家があった。

 小川の脇にぽつんと置かれた小さな家。ぎぃぎぃと音をたてて回る水車はともかく、煙突から煙を吐いているから誰かいるのだろう。

 斥候は僅かに歩調を早めてあばら家に近づき、年期が入った扉の前に立った。

 ノッカーだけは真鍮製でぴかぴかとしており、何だか不釣り合いに映るが、そんなものを気にする彼ではない。

 ノッカーを掴んだ彼は無遠慮に扉を叩き、家人を呼び出しにかかる。

 

「鑑定を依頼したいんだが、誰かいるか」

 

 反応はない。

 斥候は数秒待ってから改めてノッカーを叩き、「鑑定を、依頼、したいんだが!」と子供に言い聞かせるように言葉を区切り、念のため声を大きくした。

 若い女性と聞いていたから、耳が遠くて聞こえないなんてことはないだろうが、念のためだ。

 

「ああ、開いている。開いているから上がってくれたまえ」

 

 そうして帰って来たのは、面倒臭さを隠そうともしない気だるげな声だった。

 武闘家は彼にムッとするものの、斥候は一切気にした様子はなく扉を開けた。

 それと同時に「うへぇ~」と声を出した武闘家を他所に、斥候はそのままあばら家に足を踏み入れる。

 もっとも、これはどこを歩けばいいと思いながら、だが。

 言ってしまえば、あばら家の中は埋め尽くされていた。

 古書が積まれ、がらくたが点在し、食べ滓を載せた皿が放置されている。

 天井には網を張り巡らせた上に洗濯物が吊るされてはいるものの、どれも同じに見えるのは気のせいではあるまい。

 そんな部谷の一番奥。かろうじて確保されている空間に、何やら旅の準備をしているのか、右往左往している金髪の女性がいた。

 あれはどこだったか、これはいらないなと呟きながら、客人を前にしても準備を止める様子はなく、むしろそれを取ってくれと手が差し出される始末。

 斥候はため息混じりにその示された物──彼には何に使うのかもわからない物だ──を彼女に渡しながら「鑑定を」と言いかけると、「まあ待ってくれたまえ」と笑顔ではぐらかされる。

 

「どこか旅にでも出るのか」

 

「そんなところさ。それで──」

 

「ゴブリンスレイヤーを連れて、か?」

 

 突然放たれた斥候の言葉に、魔術師はようやく真面目な面持ちとなり、じっと彼の事を見つめた。

 眼鏡の奥で揺れる緑色の瞳で蒼い瞳を睨み、何かに気づいたのかぱちくりと瞬きを繰り返す。

 そして何かを言いかけると、彼の背後で進むのに苦戦している武闘家の存在に気付き、ふっと可笑しそうな笑みを浮かべた。

 

「そうか、そうか。キミが彼が言っていた友人か」

 

「旅に関しては否定はしないんだな。それに、あいつが友人を紹介するイメージはないが」

 

 魔術師の言葉に斥候は肩を竦め、「それで、鑑定を頼めるか」と杖を差し出した。

 

「おや、聞かないのかい?これからキミの友人を危険に晒すんだぜ?」

 

「聞かない。あいつが付いていくのなら、それはゴブリン退治の話なんだろう」

 

「まあ、そうなるだろうね」

 

「ならいい。それならあいつの物語(シナリオ)だ。途中から首を突っ込む真似はしない」

 

「それは助かるよ。それで、この杖を鑑定するんだな?」

 

「ああ」

 

 斥候が頷いて更に杖を差し出すと、魔術師はそれをぶんどるように受け取ると、うんうんと頷きながらざっと一瞥。そして「なんだ、簡単じゃあないか」と告げて杖を突き返す。

 胸板に叩きつけられた杖を受け取った斥候は「どうなんだ」と問うと、魔術師は無邪気な笑みを浮かべた。

 

「杖なんだから、使い方はわかるだろう?」

 

 

 

 

 

「信じられないです!何ですか、あの人は!」

 

 魔術師の家からの帰り道。不機嫌さを隠すつもりもないのか、一歩一歩に力が入っている武闘家は聞こえていない事をいいことに声を張り上げた。

 

「『杖なんだから、突いて歩けば転ばない』。そんなもの見ればわかりますよぉ!」

 

「落ち着け。呪いが掛かっていないとわかれば、店に売れる」

 

「そうですよ!そうですけどね!」

 

 むーと唸ってだいぶ小さくなったあばら家を睨む武闘家に苦笑を漏らしつつ、斥候は杖を肩に担ぎ直す。

 

「とにかく俺には予定がある。少し急ぐぞ」

 

 彼はそう告げると返事を待たずに走り出し、武闘家が「あ、待ってください!」と慌ててその背中を追いかける。

 そんな二人の背中をあばら家から見送った魔術師は、目を細めて「いいものを見れた」と誰に言うわけでもなく呟く。

 彼の瞳にあった弱々しい蒼い輝きは、おそらくこの世界のものではない。きっと盤の外に由来する力の一つ。

 

「まあ、それを確かめるっていうのもあるんだけどね」

 

 魔術師は再び独り言を漏らすと、愛用の机に置かれた本を手に取った。

 表紙には何も描かれておらず、開いてみても何も書かれていない。

 それでも指で撫でれば筆を走らせた痕跡を感じられるし、何かを書いたことは確かなのだろう。

 誰のために書いたのか、一体誰が残したのかは気になるが……。

 

「『この世界に流れ着いた同胞へ』、か。書いた人に会ってみたいもんだね」

 

 彼女が目指すは盤の外。たどり着けるかもわからない、そもそも本当にあるのかもわからない、世界の外側だ。

 あるかもわからない、だからといって目指すのだ。

 何があるのかもわからない、だから見に行くのだ。

 孤電の術師(アークメイジ)は決意を新たに、準備に取り掛かる。

 出発まではあまり時間はない。時間は有限なのだから急がねば。

 外を目指すという目的は変わらない。

 片や故郷に帰るため。片や未知に挑むため。

 それでも二人の道は交わらず、そのまま誰も知ることはなく終わりを告げた。

 これが二人が出会った最初で最後の出来事。数年もすれば忘れてしまう、下らない日常の一幕なのだ。

 

 

 

 

 

 数時間後。冒険者ギルドの二階、応接室。

 ギルド支部長、監督官、そして組合代表の立会人──先達の冒険者だ──を前にして、一切気圧される様子のない斥候は、蒼い瞳を細めていた。

 その視線にはどこか相手を威圧するような迫力に満ちているが、それが向けられているのは自分の手元。

 自分の手に乗った、黒曜石の輝きを放つ認識票を見下ろしながら、何やら不服そうにしているのだ。

 

「あー、白金等級でもない限り、飛び級とかはないぞ……?」

 

 立会人は彼の不服の原因に辺りをつけて声をかけたが、当の彼は「それはいいんだが……」と呟いて支部長に目を向けた。

 

「上がったのは俺だけか。あいつらがいなかったら、俺はここにいないぞ」

 

 しれっと仲間たちの等級も心配するあたり、きっと悪い人ではないなと思いながら、支部長はあくまで冷静に返す。

 

「今回はあなただけです。他の方々はまだ貢献度が足りません」

 

「むぅ……。それなら、仕方ないか……」

 

 抜け駆けしている事が気にくわないのか、あるいは仲間たちに遠慮しているのか、斥候は渋りながらも頷き、新たな認識票を首に下げた。

 

「とにかく受け取った。もう行ってもいいか」

 

「え、ええ。では、更なるご健闘をお祈りします」

 

 何やら急いでいる様子の斥候に多少狼狽えながら、支部長は才気ある若手の武運を祈った。

 

「──運は自分で掴むもの」

 

 直後に放たれた囁きは聞き取れなかったが、多分前向きな言葉であろうと決めつけて言及はしない。

 

「それじゃあ、失礼する」

 

 そうやって愛想笑いを浮かべていると、斥候はさっさと部屋を出ていってしまい、取り残された三人は顔を見合せた。

 

「……話には聞いていたが、将来有望な奴が多いな」

 

 槍を使う戦士しかり、肉感的な肢体を持つ魔女しかり、だんびらを担ぐ戦士しかり、聖騎士志望の騎士しかり、先程の彼しかり、最近入ってきた冒険者たちは妙に腕がいい。いわゆる豊作というやつだ。

 

「五年後が楽しみだ」

 

 立会人は腕を組みながら豪快に笑い、支部長は頷いてそれを肯定。そして監督官は、

 

 ──その人たちの依頼を捌くの、私たちですよね?

 

 強烈な不安に駆られ、額に脂汗を浮かべた。

 優秀な冒険者を支えるのは、優秀な文官であるなど、誰が言い出したのだろうか。

 監督官は二人に気付かれないようにため息を漏らし、そっと汗をぬぐった。

 彼らが大成するかはまだわからないのだ。とりあえず目の前の仕事に集中しよう。

 彼女は怯える自分にそう言い聞かせ、一度深呼吸した。

 立会人の予想はプラスで何人かされる形で裏切られ、予想以上に忙しくなるのは、知るよしもないのだ──。

 

 

 

 

 

 ギルド二階から一階待合室に続く階段を降りながら、斥候は待合室を俯瞰していた。

 相変わらずゴブリンスレイヤーの姿はなく、彼が居座っている端の席には誰もいない。

 彼が小さくため息を吐き、待合室に戻ってきたと同時に、「あ、戻ってきましたよ!」と快活な声が耳に届いた。

 声の主の方に目を向ければ、満面の笑みを浮かべた武闘家が手を振っており、仲間たちも今か今かと待ちわびている。

 斥候は小さくため息を吐いてから口許を笑ませると、彼らの方に歩き出す。

 一歩一歩を確かに踏み出し、十歩もしないうちに彼らが取っていた卓に合流、空いている席に腰を降ろす。

 

「それで、どうだ!?」

 

 卓に手を突いてずいっと身体を乗り出した森人司祭の問いかけに、黒曜等級の認識票を見せることで応じる。

「お~」と感嘆の息が漏れる中で、斥候は気恥ずかしそうに頬を掻き、仲間たちに問いかけた。

 

「それで、次の仕事はどうする」

 

 そこにあるのは一人の冒険者の姿。

 どこに行こうがある程度の信頼を得るために等級をあげるという、動機こそは不純ではあるものの、それもある意味で冒険者の姿に相違ない。

 

「ここのところ戦い通しでしたから、休息がてら薬草採取なんてどうでしょう?」

 

「黒曜等級が二人だぞ?多少難しい依頼でも──」

 

「無理は禁物。無難なものにしようぜ……」

 

「私は皆さんと一緒なら何でもいいです!」

 

 獣人魔術師、森人司祭、男戦士、武闘家が続き、斥候は肩を竦めた。

 

「遺跡の探索はないか?また生き埋めはごめんだが、興味はある」

 

 そこにそっと自分の意見と、ついでに皮肉を添えてやれば、会議はどんどんとヒートアップしていく。

 それは冒険者たちにとっては当たり前の一幕。冒険者にとっては当然の、毎日のように行われて当然のものだ。

 だが、斥候と武闘家にとっては貴重な、思い出の一つとして確かに刻まれたものだ。

 二人が歩むはまともな冒険者の道からは外れた、一歩でも間違えれば自身さえも破滅させる修羅の道。

 ならず者殺し(ローグハンター)がそう呼ばれるようになるのは、これからもうしばらく経ってからの事だった──。

 

 

 




早いですがEpisode1はこれにて終了。
次回からEpisode2に入る予定です。

感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Episode2 ならず者殺し
Memory01 二人きりの初仕事


 辺境の街。

 開拓の拠点、周囲の村を支える交通の要たるその街には、人為的に造られた地下空間──下水道が蟻の巣のように張り巡らされており、人知れず街の清潔に一役買っている。

 だが街の真下にあるとはいえ、あまり人が寄り付かないその場所には害獣の類いが住み着き、時折街に出て被害が出るなんてこともあるのだ。

 そしてそれを間引くのは冒険者。特に新米の冒険者たちがよく行う簡単な(・・・)仕事でもある。

 まあ下水道という場所の都合上、鼻が曲がり、しばらく使い物にならなくなる程に臭いが凄まじく、好きで受ける者も滅多にいないのだが……。

 

「でぇぇりゃあぁぁぁああああああ!!」

 

 汚水が流れる音を掻き消し、下水道全体に響くほどの気合い一閃が響き渡り、ついでぐちゃりと肉の潰れる音が響く。

 

「GYURI!?」

 

 直後に上がった悲鳴は人間のものではない。

 丸々と太った巨大鼠(ジャイアント・ラット)が、壁に叩きつけられ、泡を噴きながらピクピクと身体を痙攣させる。

 

「っ!こんのぉ!!」

 

 そんな自身の体長程もありそうな鼠を、下水道の瘴気を切り裂く蹴りの一撃で伸した銀髪の武闘家は、まだ生きていると見るや飛びかかり、その顔面を踏み潰した。

 

「~~~!?!?」

 

 肉を貫き、骨を砕き、脳髄を潰す感覚に慣れない武闘家は背筋を震わせて、「ひゅっ」と喉の奥から妙な声を漏らすが、背後で二つ続けて巨大鼠の断末魔が響けばすぐに意識を切り替え、くるりと振り向く。

 

「これで五つ。ノルマにはもう少し必要だな」

 

 松明を左手に、片手半剣(バスタードソード)を右手に構えた斥候が、剣に血払いをくれながらそう呟いた。

 

「そ、そうですね」

 

 うんうんと頷いて同意を示すなか、彼は黙々と討伐の証たる巨大鼠の耳を削ぎ落とし、そのまま毛皮と骨に至るまでばらばらに解体してしまう。

 な、慣れてるなぁと困惑半分、相手が鼠とははいえ背中を任せてくれるという嬉しさ半分で、武闘家はぎこちなく笑みを浮かべ、直後にむせた。

 一応彼の助言通り、口許を布で覆ってはいるものの、それだけで気分が悪くなる腐臭を防ぎきれる訳もなく、妙に慣れている斥候はともかくとして、彼女は時折けほけほと咳をしているのだ。

 それを指摘しないのは彼の優しさなのか、あるいは諦められて放置されているのか……。

 

「とにかく、あと五匹も倒せば十分ですかね?」

 

「とりあえずは、それでいい筈だ」

 

 耳を削ぎ終えた斥候は立ち上がり、武闘家が踏み潰した巨大鼠に近付き、側に落ちていた耳を回収した。彼女が殺したからか解体はせず、こちらは放置だ。

 そもそもとして、斥候と武闘家の二人が一党の三人と別れて下水道に潜っている理由があるのだが、単純な理由が一つである。

 

「ごめんなさい、付き合わせてしまって……」

 

「気にするな。金は必要だ」

 

 単純に武闘家が軽い金欠を起こしただけのこと。

 何でも朝起きた時には財布はあったそうなのだが、街に繰り出してしばらくした頃にはなくなっていたのだという。

 今日は休みにしようと決めていた一閃面々はそれぞれのやりたい事をして過ごす中、どうにかしようと駆け込んだギルドにいた斥候──休みに何をすべきかわからなかったからだ──を連れ出す形で、こうして下水道にいるのだ。

 

「本当に、どこで落としたのかなぁ……」

 

「落としたものは仕方がない。次からは気を付けろ」

 

 肩を落とした武闘家を励ましながら、「次があれば、だが」と肩を竦めた。

 

「こ、怖いことを言わないでください!」

 

 と、彼の言葉に自分の身体を抱きながら返す武闘家の表情は真剣そのものだ。

 相手が鼠と聞けばそれまでかもしれないが、その鼠は只人の子供よりも大きいのだ。腕をかじられれば痛いでは済まないし、そのまま押し倒された挙げ句、数で押されればどうなるか。

 

「この人だって、こんなところで死んじゃうなんて思っていなかった筈です……」

 

 それは二人の足元に転がる、まだ肉がこびりつき、ある程度の形を保った人骨が教えてくれる。

 襤褸布に包まれたそれの手元には僅かに血がついた短剣が握られてはいるものの、顔はもう識別できない。

 食い千切られたのか眼窩にはあるべきものがなく、頬は裂かれ、喉も食い千切られている。致命傷はそれだろうか。

 

「……背後から押し倒されて、そのまま首を噛みきられたか。まあ、損傷が酷すぎて実際にはわからないが」

 

 斥候は冷静に死体を検分しながら言うと、その隣に片膝をつき、首にかけられた認識票を引きちぎった。

 松明で照らして文字を確認し、とりあえず男性──少年と言うべきか──であることを確認した。

 冒険者になり、短剣だけ買って飛び出してきたのか、あるいは仲間を見つけられずに自棄を起こしたのか、それも定かではない。

 

「せめてその魂に平穏があらんことを。安らかに、眠れ」

 

 認識票を胸の前でぎゅっと握りしめ、祈るような姿勢になりながら冥福を祈ると、それを懐に確かにしまい、ゆっくりと立ち上がり、松明で闇を奥を照らした。

 隣で彼を真似るように手を組んで祈っていた武闘家は、誘われるようにそちらに目を向ければ、松明の光を反射してぎらぎらと輝く鼠の眼光が三対程。

 仲間の悲鳴に誘われたのか、あるいは彼女の声に惹かれたのか、血の臭いに導かれてか、寄ってきたのだろう。

 念のためタカの眼を発動し、松明でも照らしきれない範囲も確認する。

 

「敵影なし。やれるか」

 

「大丈夫です!やっと臭いにもなれてきました!」

 

 鼠ごときに負けてなるものか。足元に転がる誰かの敵討ちだと、様々な理由で己を鼓舞した武闘家が構えると、斥候はふっと小さく笑んだ。

 

「ようやくか。もう終わりそうだが」

 

「そういうのは言わないでくださいっ!」

 

 やる気になった途端にそれをへし折りに来る謎のスタイルを取る斥候に困り顔になりながら、武闘家はやる気を維持したまま彼に怒鳴った。

 その声は下水道に響き渡り、迫る三匹以外にも、奥から鼠の鳴き声がいくつか聞こえてくる。

 

「……呼び寄せてどうする」

 

「ご、ごめんなさいっ……!」

 

 じと目で睨んできた斥候に反射的に謝ると、先頭を走っていた巨大鼠が「GYU!!」と鳴きながら飛びかかってくる。

 

「シッ!」

 

 その瞬間、斥候が前に飛び出し、すれ違い様に右腕が閃いた。

 剣で巨大鼠の首を掻き切り、噴き出した鮮血が彼の衣装を赤く汚す。

 運悪く巻き沿いを喰らった武闘家は、頬に張り付いた生ぬるい液体の感覚に身体を跳ねさせるが、そんな隙をついて巨大鼠が飛びかかる。

 愚直に正面から踊りかかってきた巨大鼠の姿にハッとした武闘家は素早く意識を切り替えると、ぬめる足場を踏みしめて強引に踏ん張ると、右拳を引いた。

 

「イィィィヤッ!!」

 

 怪鳥音と共に放たれた正拳突きで巨大鼠の鼻先を打ち据えて撃墜し、背中から倒れて痛みに悶えるその腹に踵落としを叩き込む。

 ぱきっと骨の砕ける乾いたを響かせ、踵に感じる肉を潰し、骨を砕き、内蔵を破壊した嫌な感覚に耐えるように歯を食い縛り、倒れた鼠を蹴り飛ばした。

 壁に叩きつけられた巨大鼠の身体からは砕けた骨が飛び出し、見るも無惨な死体が出来上がった。

 その横で鼠の頭を踏みつけながら剣で脳天を貫いた斥候は、素早く剣を引き抜きながら視線を鋭くする。

 

「あと四つ。油断するな」

 

「わかってます!」

 

 打てば響く返事をした武闘家は拳を構え、本能のままに挑んでくる巨大鼠を迎撃する。

 完全武装した冒険者が、真正面なら油断もなく挑んでくるのだ。巨大に育ったとはいえ、たかが鼠に負ける道理はなし。

 下水道には巨大鼠の断末魔が響き渡り、人の悲鳴があがることはなかった。

 

 

 

 

 

「これで三十。いくつか余計に集まったが、多少上乗せしてくれるかもしれん」

 

 目の前に広がる巨大鼠の骸の残骸を一瞥しながら、斥候はホッと息を吐いた。

 あのあと何故か巨大鼠が殺到し、冒険者二人に対して十数匹の巨大鼠との大混戦となったのだ。

 表情に多少の疲労を滲ませながら汗をぬぐい、口許を覆う布を退かした。

 甘ったるいような腐臭は長時間吸いたくはないが、如何せん息苦しくて堪らない。多少の臭いは我慢する。

 

「うぅ……臭い……汚い……べたべたする……」

 

 そんな彼の隣にへたりこ込んでいるのは、巨大鼠の返り血で銀色の髪をはじめ全身を黒く汚し、すすり泣いている武闘家だ。

 戦闘の途中で口許の布がずれてしまい、後半からは強烈な臭いに泣きべそをかきながら応戦していたように見える。

 

「大丈夫か……?」

 

「大丈夫じゃないですぅぅ……」

 

 彼女の惨状に目を向けた斥候が手拭いを差し出しながら問うと、武闘家は顔に張り付いた返り血をその手拭いで拭いながら返し、「後で返します……」と告げて背嚢に押し込んだ。

 

「まあ、ノルマは終わった。早く出よう」

 

 いつも元気な彼女の疲弊した様子に、流石に困り顔となった斥候はそう告げると、雑嚢から替えの松明を取りだし、鈍器代わりに酷使された松明の炎を移す。

 これなら角灯(ランタン)でも良かったかと思いつつ、とりあえず帰ってから考えようと頭の片隅に追いやる。

 

「立てるか」

 

「大丈夫です……」

 

 引き上げようと彼女に声をかけると、疲労からか酷く弱々しい声で返された。

 やれやれと首を振った斥候は「ほら」と告げながら手を差し出した。

 武闘家が「ありがとうございます」と笑み頭を下げて、彼の手を掴もうとした矢先だ。

 

 ──がさり……。

 

「「……?」」

 

 あまり聞き馴染みのない音が聞こえ、動きを止めた。

 その音は斥候にも聞こえていたのだろう、彼は闇の奥を鋭く睨んでおり、松明をそちらに向けた。

 

 ──がさ。がさ。

 

 同時に彼の目が有らん限りに見開かれ、武闘家は恐る恐る彼の視線を追い、振り返った。

 

 ──がさがさがさがさ!!!

 

 そこには、松明に照らされて黒光りする甲蟲の姿があった。

 てらてらと油を塗りたくったかのようなそれが、床と壁、天井を覆い尽くさんまでの数で、こちらを喰らわんと顎を全開に広げて迫ってきている。

 武闘家は下半身に生ぬるい感覚を覚えながら「ひっ!」と小さく悲鳴を漏らした瞬間、強烈な力でもって身体を引き起こされ、手を引かれるがままに走り出す。

 自分の手を掴んでくれた安堵と、地図も見ずに迷路のような下水道を突っ切る彼の度胸、そして思わず失禁してしまった情けなさに涙を流しながら、転ばないように必死になって足を回す。

 転べば最後、背後から迫る巨大な甲蟲──大黒蟲(ジャイアント・ローチ)の昼食にされるのが目に見えているからだ。

 ドラゴンだのに挑んで負けるなら、まだ冒険者としての矜持が保たれるだろう。だが、あんな蟲畜生に喰われたのなら、きっと嗤われてしまう。

 冒険者とはいえ夢がある。せめて己がやりたい事をして死にたいのだ──。

 

 

 

 

 

 辺境の街を流れる小川の脇。いつからかそこにあり、いつの間にか放置された廃屋の前に、日差しから逃れるように目深くフードを被った斥候の姿があった。

 風雨に曝されて腐りかけた玄関の脇に寄りかかり、空を流れていく雲を眺めてボケッと気を抜いているのだ。

 まあ本人としては気を抜いているつもりでも、並の人が気を抜くそれとは段違いに意識は研ぎ澄まされており、下手に近づくだけで戦闘体勢に入るのが目に見えている。

 

「うぅ、お待たせしました……」

 

 そうして、文字通り対して意味のない休憩をしていた彼に、僅かに開いた玄関の隙間から声がかけられた。

 顔を耳まで真っ赤にした武闘家が、気持ち悪いのか、落ち着かないのか、もじもじと太ももを擦り付けて内股になりながら出てきたのだ。

 

「気にするな。まあ、気持ちはわからなくもない」

 

 彼女に一応のフォローの入れた斥候は、「俺も危なかった」と少々真剣な面持ちになりながら肩を竦めた。

 

「報酬を受け取り次第、帰るぞ。はっきり言って疲れた」

 

「そうですね、早く帰りましょう……」

 

 斥候は大きめのため息を漏らして呟いた彼の言葉に、武闘家もまたため息を吐いて頷いた。

 そして二人は並んで歩き出し、冒険者ギルドを目指す。

 ほとんどなかった人通りが少しずつ増えていき、やがてあちこちから活気に満ちた声が聞こえ始める。

 

「あー、帰ってこれました……」

 

「街の外には出ていないがな」

 

 腕を大きく広げてわざとらしく身体を伸ばす彼女を見つめながら、斥候は再び肩を竦めた。

 まるで大仕事を終えた帰りのように見えるが、二人はずっと街の地下にいたのだ。囲いの外に出たかと問われれば答えは否だ。

 

「……」

 

 そうして思い切り気を抜いている彼女の隣で斥候はフードの下で突然目を細めると、じっと正面から近づいてくる男を睨んだ。

 にやにやと下賎な笑みを浮かべながら、不自然なまでに辺りを見渡しており、何かを狙っているのは明白だ。

 さらに言えば、その足取りは人混みの中でもしっかりとしており、歩き慣れている節さえ見える。

 瞬きと共にタカの眼を発動し、改めて凝視した。

 金色の輝きを放つそれは、何かしら重要な事に関わっている証拠。

 

 ──ああ、そうか……。

 

 同時に納得した斥候はわざとらしく気を抜いたふりをすると、武闘家に顔を向けて口を開いた。

 

「とりあえず、今日だけでもだいぶ稼げた」

 

「……?そうですね?」

 

 わざとらしくご機嫌な笑みを張り付け、わざとらしく声を張り上げ、わざとらしく懐を叩きながら告げた彼に、武闘家は可愛らしく首を傾げた。

 彼がこんな役者じみたことをするのはこれが始めてだ。まあ、彼の事を何から何まで知るほど長い付き合いでもないが。

 同時に斥候は張り付けた笑みをそのままに、先程の男に目を向けた。

 辺りを見渡していた視線がこちらに定まり、笑みを深めながら人混みに混ざってこちらに近づいてくる。

 同時に斥候も歩き出し、その背中を追って武闘家も歩き出した。

 男との距離が詰まっていき、さらに一歩、二歩と縮まり、斥候と男の肩がぶつかった。

 

 ──瞬間、男の体が浮き上がり、背中から石畳に叩きつけられた。

 

「が!?」

 

「ひぇ!?」

 

 男の悲鳴と武闘家の悲鳴が同時に漏れて、回りを歩いていた人たちの視線が一気に集中する。

 斥候は男の片腕を掴むと、そのまま捻りながら身体を転がし、肩を極めながらうつ伏せに転がした。

 

「いでででででででっ!な、なんなんだよ、この野郎!!」

 

「──俺の財布に何か用か。ついでに、その脇に転がってる財布群は誰のものだ」

 

 ぎちぎちと嫌な音をたてながら腕を捻られる男は、足を振り回しながら悲鳴をあげるが、斥候は絶対零度の冷たさを込められた声で告げた。

 彼の言葉を合図に、石畳の上に転がる複数個の財布に覚えがある人たちが懐を探り、「それ俺のじゃねぇか!」「わ、私の財布!?」などの声が上がり始める。

 

「……あ!わ、私の財布!」

 

 そして武闘家もまた覚えがあったようで、何かの紋様が刺繍された財布を手に取り、胸に抱きながらホッと息を吐いた。

 それを合図に他の人たちも財布を回収し、怒気がこもった視線が男に集中していく。

「う……っ」と居心地悪そうに身動ぎする男を他所に、斥候は淡々とした口調で告げた。

 

「大人しくお縄につくか、それとも死ぬか。選べ」

 

「へっ、殺れるもんなら──」

 

 彼の脅しを言葉だけと受け取った男が鼻で嗤うが、斥候は腰から短剣を抜いて男の肩に突き刺した。

 

「ぎ!?」

 

「死ぬのがお好みか」

 

 斥候は冷たく男を見下ろしながら告げると、ついに彼が本気だとわかったのか、男は負けを認めるように声を張り上げた。

 

「わ、わかった!番兵でも何でも呼んでくれ!抵抗はしない、逃げねぇから!」

 

「最初からそう言え」

 

 斥候は相変わらず淡々とした口調で告げると、短剣を引き抜いた。

「ぎっ!」と悲鳴をあげる男を他所に、斥候は変わらず腕を極め続け、番兵の到着を待ち続ける。

 

「あ、あの……?」

 

 武闘家は不動で腕を極める斥候の肩を叩くと、彼は振り向きもせずに「どうした」と問うた。

 

「いえ、どうしてわかったんですか?」

 

「……視ただけだ」

 

「ほぇ?」

 

「ただ、視ただけだ」

 

 彼女の問いかけに斥候は一言で返すと、騒ぎを聞き付けた警羅の番兵たちが駆けつけ、斥候から件の男を受け取る形で連行していった。

 罵詈雑言を吐きながら連れていかれる男の背を見送った斥候は肩を回すと、ごきごきと首を鳴らした。

 

「帰るぞ。報酬がまだだ」

 

「あ、はい。そうですね」

 

 そしてどことなく口調を柔らかくしながら呟き、武闘家がそれに応じて頷き、もう目の前にまで迫っていた冒険者ギルドに駆け込んだ。

 そのまま足早に受付に直行し、「依頼が終わった」と告げて袋を受付の上に置いた。

 

「お疲れ様でした。外が騒がしかったのは、いったい?」

 

 そんな二人を笑顔で迎え入れた受付嬢が問うと、斥候は「すりが捕まっただけだ」と返して袋を押した。

 早く確認してくれ。早く報酬をくれと、彼の目が語りかけてくる。

 受付嬢は「かしこまりました」と言いながら袋を開き──、

 

「ひぁ!?」

 

 身体を跳ねさせながら悲鳴をあげた。

 ギルドに響く甲高い声は冒険者や同僚たちの視線を一気に集め、余多の視線に晒された受付嬢は赤面しながら顔を俯けた。

 袋一杯に詰められた鼠の耳を見て、悲鳴をあげない人などいるだろうか。詰め込んだ本人はともかく、初見なら悲鳴をあげる筈だ。

 だから恥じることではないと自分に言い聞かせ、とりあえず落ち着いた受付嬢は再び笑顔を取り戻し、袋を閉めて抱えあげた。

 

「で、では報酬をお持ちしますので、少々お待ち下さい」

 

 受付嬢は抱き上げたそれの気持ち悪さに全身に鳥肌をたてながら、足早に奥へと消えていった。

 二人残された斥候と武闘家は顔を見合わせ、同時に肩を竦めた。

 自分たちが何をしでかしたのかは、やらかした本人にはあまり自覚がないのだ。

 これが鼠狩り歴代最高記録として、ひっそりと帳簿に残される事に、この時の二人は気付いてもいなかったのだ──。

 

 

 

 

 

 

 双子の月に照らされる草原。

 適当に草を苅って即席の夜営場所にしたその場所に、ローグハンターと銀髪武闘家の姿があった。

 ローグハンターはタカの眼を発動しながら辺りを警戒し、銀髪武闘家は即席のテントの中で眠る──ふりをして隙間から覗く彼の背中を眺めていた。

 これから両親に会いに行く為か、ここ最近は昔の夢ばかりを見てしまい、寝付きが良くないのだ。

 そして今見た夢は、とても懐かしい、彼と初めて二人で行った冒険──今思えば冒険なのだろうか──の記憶。

 この頃はまだ頼れるけど、ちょっと怖い人かな程度にしか思っていなかった。

 けれど、(斥候)(ローグハンター)になる切っ掛けがあったのは、本当の意味で彼を知ることになったのはこの直後。

 彼と、そして自分の運命を決めたき出来事があったのは、確かあの頃だった筈だ。

 

 

 

 

 

 SLAYER'S CREED 追憶

 

 Episode2 ならず者殺し(ローグハンター)

 




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Memory02 始まりの前日

 私は忘れない。

 壊された柵。燃える村。誰かの悲鳴。誰かの嘲笑。鉄のような血の臭い。人の焼ける臭い。

 村人か、この村を襲った野盗たちか、夕日に照らされて赤一色に塗り潰されたその場所に立つのは、血にまみれた彼の姿。

 蒼い瞳は怒りと哀しみに塗り潰されて淀んで、表情は一切の感情が消えて、いつも見せているものが偽物だったと知らされるようで。

 淡々と野盗を斬り伏せていく彼の姿を、何者も寄せ付けない彼の強さを。

 助けなどいらないと言わんばかりに、お前たちは見ていろと言わんばかりに、たった独りで数十にもなる野盗たちを討ち取った彼の姿を。

 彼が見せた、本当の彼の姿を。

 私は生涯、忘れることはないだろう……。

 

 

 

 

 

 辺境の街、冒険者ギルドの待合室。

 

「……遺跡の調査、ですか?」

 

 朝食を頬張っていた武闘家が差し出された依頼書──読めないのだが──を見つめながら、首を傾げた。

 それを差し出した張本人たる斥候は「そうだ」と頷いて、そのまま仲間たちを見渡しながら問いかけた。

 

「あいつと一緒にゴブリン退治もいいが、たまにはこういうのも一興だろう」

 

「ぶっ……!」

 

 何ともなしに告げられた言葉に、武闘家は口に含んでいた水を豪快に噴き出し、対面に座っていた斥候の顔面に振りかかる。

 

「にゃぁぁ!?ご、ごめんなさい!!」

 

「……いや、大丈夫だ。食事中にする話題じゃあなかったな」

 

 慌てて頭を下げて手拭いを差し出す武闘家を他所に、斥候は懐から取り出した襤褸布──雑巾だろうか──で顔を乱暴に拭うと、獣人魔術師は「そうですね」と彼の言葉を肯定した。

 

「いきなりゴブリンの臓物を塗りたくられた話は、食事中には適しませんよ」

 

「悲鳴に反応してゴブリンが飛び出してくるとは思わなんだ」

 

「おかげで広い場所でやりあえたけどな」

 

 彼の言葉に森人司祭、男戦士が続くと、武闘家は恥ずかしそうに赤面しながら身を縮みこませ、「ほ、掘り返さないでください……」と消え入りそうな声で囁いた。

 斥候は顎に手をやりながら頭をあげて、その光景を思い出す。

 先日、ゴブリンスレイヤーに便乗する形でゴブリン退治に赴いた時のことだ。

 

『あ、あの、ゴブリンスレイヤーさん……?』

 

 森人司祭の投射銃(ダートガン)で眼窩を撃ち抜かれたゴブリンの死体、その腹を開くゴブリンスレイヤーに向けて、武闘家が恐る恐る声をかけたことが始まりだ。

 彼は雑嚢に入れていた襤褸布で取り出した臓物を丁寧に包むと、さながら果実を搾るようにように思い切り絞り上げる。

 そうしながら、彼は淡々とした口調で彼女に告げる。

 

『奴等は臭いに敏感だ。女の臭いには、特に反応する』

 

『そ、そうなんですか?それで、何を……?』

 

『これを塗りたくる』

 

『……ふぇ!?あ、あの!?ま、待って、こ、来ないで……!だ、誰か──』

 

 ゴブリンの血に濡れた雑巾を片手に近づいてくるゴブリンスレイヤーから逃げようとするが、背後に立っていた斥候の手で取り押されられる。

 まあ肩に手を置かれただけなので、逃げようと思えば逃げられるのだろうが、今の彼女は冷静ではなかった。

 助かったとぱっと表情を明るくしたが、背後に控えている仲間たちの表情は一様に同情するようなもの。

 

『安全第一だ』

 

『なるほど、ゴブリンとは嗅覚が鋭いのですね』

 

『小鬼畜生に不意打ちはごめんだ』

 

『奴等の本拠地、だからなぁ……』

 

 斥候、獣人魔術師、森人司祭、男戦士にそれぞれ見捨てられ、ゴブリンスレイヤーのゴブリンの血に濡れた手はもう目の前まで迫ってきている。

 

『え、嘘!?や、待って!せ、せめて心の準備を!!』

 

『時間が惜しい』

 

 なおも食い下がろうとする武闘家に、有無を言わせない迫力と共に告げたゴブリンスレイヤーは、そのまま彼女にゴブリンの血を浴びせた。

 だが結果的に言えば、その時に発せられた甲高い悲鳴に誘われて巣穴のゴブリンたちが飛び出し、そのまま戦闘に突入した。

 まあその後は危なげもなくゴブリンを掃討し、巣穴を攻略し、子供ゴブリンも塵殺し、帰還と報告を済ませて報酬を山分けして解散した。

 戦闘自体に問題はなかったが、武闘家が翌日の朝になっても元気がなかったは問題と言えば問題だろう。

 それから何日かして復活したので、とりあえず依頼を受けようとという事で今日この場に集合したのだ。

 

「それで、遺跡の調査か」

 

 男戦士の言葉で意識を戻した斥候は「嫌なら別のものを探すが」と告げ、再び依頼書に目を落とした。

 

『村の近くに、先日まではなかった筈の遺跡を見つけた。何かあるかもしれない、調べて欲しい』

 

 依頼の内容をかいつまんで言えばそんな所。

 先日まではなかった筈という、異世界から転がり込んだ斥候にとっては聞き捨てならない内容が目に留まり、勢いのままに千切ってきたのだ。

 ふむと声を漏らした獣人魔術師は再び依頼書に目を落とし、「いいではありませんか」と笑みを浮かべた。

 

「我々は冒険者。未知の遺跡に挑んでこそでしょう」

 

「確かに一理ある。それに、財宝が見つかれば一攫千金も夢では……」

 

「し、神官なのにお金にがめつい……」

 

「賭け事に負けて野垂れ死にそうになった所を、助けられて神官になったらしいからな」

 

「ふぐ!?」

 

 そして真面目なのは獣人魔術師だけなのか、乗り気な森人司祭に武闘家が苦笑し、男戦士が横槍を入れる。

 わざとらしく胸を押さえながら身体をうずめた森人司祭を他所に、男戦士は「俺も賛成だ」と軽く右手をあげた。

 

「久しぶりに冒険ができそうだしな」

 

「妖術師と戦ってからゴブリン退治でしたり、下水道探索でしたり、手頃な依頼ばかりでしたからね」

 

 ご機嫌そうに笑う男戦士の隣で、獣人魔術師も笑みを浮かべた。

 

「何が出るかはわかりませんが、いちいち怯えていては冒険者を名乗れません」

 

「そう言うわけだ。私たちは行くぞ」

 

 そうしてようやく復活した森人司祭が髪をかきあげ、ニヒルに笑みながら続くと、武闘家も「私もいきます!」とガッツポーズをした。

 銀色の瞳はいつになく輝き、にこにこと上機嫌な笑みを浮かべている。

 前回ゴブリンの血を被ったのだ。今回はそれがないと思っているのか、変にテンションが上がっているのだろう。

 

「全員一致だな、感謝する。それじゃあ、準備に入るぞ」

 

 仲間たちからの好意的な反応を受け、斥候は素直に礼を述べると、いつものように指示を出した。

 水薬(ポーション)を補充から、食料の準備と、冒険者たちは準備に余念はない。

 自分たちの命がかかっているのだから、何に対しても手を抜かないのは当然だ。

 相手が未知の遺跡だというのなら、尚更に──。

 

 

 

 

 

 辺境の街を経って数日。空も橙色に染まり始めた夕刻。

 夕日に照らされた目的の遺跡近くの村に、冒険者たちの姿があった。

 旅人用の宿の大部屋を借り受け、その中央に円を描くように座り込み、村の外の地図を見下ろしていた。

 

「遺跡が現れたのはここ。大雨の後に見つかったらしいから、土砂崩れでもあったのかもしれない」

 

 近くの山の一角を指差しながら告げた斥候に、獣人魔術師が頷いた。

 

「何かの拍子に埋まってしまった遺跡が、これまた偶然に掘り出された例は多々ありますから。今回もそれでしょう」

 

 実際に見ていないことには、と付け加えた彼は顎を擦り、小さく唸った。

 

「今のところ村に異常はなく、何やら呪詛を振り撒かれている様子もない。今のところはただの遺跡ですが……」

 

「山間部にある遺跡だ。もしかすれば、私の同胞たち、あるいは鉱人(ドワーフ)が遺したものかもしれんな」

 

 彼の言葉に真剣な面持ちの森人司祭が続き、「同胞の遺したものなら厄介だ」と呟いた。

 

「ど、どうしてですか?」

 

 いつになく真剣な彼の様子に当てられてか、武闘家が少々不安そうになりなが、問いかけると、森人司祭は瞑目しながら眉を寄せた。

 

「こんな場所にある遺跡だとすれば、それはおそらく砦だ。当時の罠がいまだに動く可能性もある」

 

「森人手製の罠か。ぞっとしないな……」

 

「感知なら任せろ。絶対に見逃さない」

 

 男戦士がわざとらしく身震いすると、斥候は彼の肩を叩きながら得意気に笑った。

 彼の眼にかかれば、かなり巧妙に隠さない限り見破ることは可能だ。古い遺跡だから痕跡が見えにくいかもしれないが、古代の罠なぞたかが知れている。最大限に警戒すれば問題ないだろう。

 

「とりあえず、今日一日は村に滞在して英気を養う。明日になったら、攻略開始だ」

 

 斥候は遺跡の場所を示す円を指で叩きながら告げて、「それでいいか」と一党に問いかけた。

 彼の提案に否を出す者はおらず、返ってくるのは肯定を示す言葉のみ。

 

「それじゃあ、今日は解散しよう。だが、俺たちはよそ者だ。迷惑をかけるなよ」

 

 斥候は表情こそ微笑んではいるものの、真剣な声音で告げて、一党の面々は一斉に頷いた。

 冒険者とは本来無頼漢なのだ。国が認めている職業とはいえ、彼らを守る後ろ楯はないと言えるし、何よりもギルドの運営資金は国民が払う税金から落とされている。彼らに余計な迷惑をかけられまい。

 仲間たちの反応に頷き返した斥候は手早く地図を畳んで懐にしまうと、ちらりと部屋に取り付けられた窓に目を向けた。

 宿とはいえ建物自体は一階建てで、少し広めの民家程度だ。窓に鎧戸を落としていないから、見ようと思えば誰であれ覗くことは出来る。

 彼の視線を受けて「ひゃ!」と小さく悲鳴をあげて散っていったのは、そこから部屋の中を覗きこんでいた村の子供たちだ。

 見慣れない冒険者たちと、そんな彼らが行う会合が気になり覗いていたのだろう。

 そんな子供たちの姿に、村に置いてきた妹──血の繋がりはなく、向こうがいきなりお兄ちゃんと呼んできたのだが──を思い出した斥候は苦笑混じりに立ち上がり、「ちょっと行ってくる」と仲間たちに告げて部屋を後にした。

 そのまま足音を殺しながら廊下を通って宿を出ると、フードを目深く被って意味もなく歩き出す。

 まあ食料を買うなり、もう少し情報を集めるなり、やっておいて損はないことも多いのだが──。

 斥候は不意に足を止めて、頬を緩めながらちらりと振り返り、家屋や木の影に視線を向けた。

 そこには必死になって隠れているつもりの子供たちが顔を覗かせており、じっと自分の背中を見つめてきている。

 さてどうしたものかと一瞬思慮した斥候は、わざと気付いていないふりをして正面に向き直ると、だいぶ歩調を緩めて歩き出した。

 同時に背後からいくつもの足音が聞こえ、少しずつ大きくなっていく。

 子供のそれは大人のものと比べてばたばたと慌ただしく、耳を澄まさずとも聞こえてしまう。

 

 ──三、いや四人か……。

 

 足音の多さからぼんやりと相手の人数を推理した斥候は、足音が限界まで大きくなった瞬間──。

 

「っ!」

 

 ぐるりとテンプル騎士の制服の裾を翻しながら反転、幼い追跡者たちの方に顔を向けた。

 突然彼が振り向いたことで、裾を掴もうとしていた四人の子供たちは目を真ん丸に見開きながら身体を固め、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 

「……悪い、驚かせたか?」

 

 思いの外弱い反応に斥候は首を傾げると、地面に片膝をついて子供たちに視線を合わせ、「それで、どうかしたたか?」と微笑みながら問いかけた。

 彼の問いかけに子供たちは無反応だったが、正面にいた男の子がハッとして彼の手を掴んだ。

 

「ぼーけんしゃさん、すごい!なんでわかったの!?」

 

「鍛えているからな」

 

「きたえれば、ぼくにもできる!?」

 

「たぶんな」

 

 ぐいぐいと前のめりになってくる男の子に苦笑混じりに返した斥候は、小さく肩を竦めた。

 自分を見た影響でこの子たちが冒険者を志すなんてこともあるかもしれないし、想い出の一つとしてすぐに忘れまうかもしれない。

 どちらにせよ、彼らがぞんざいに扱っていい訳はないい。子供の頃に経験したことは、大人になる過程でとても大切な意味を持つものだ。

 

 ──この子たちには、俺みたいになって欲しくはない……。

 

 幼い頃に母を殺され、父を失い、多くの恩人(テンプル騎士)を失い、文字通り()()()()()()()()()()()自分のように、正されることなく歪な形に育って欲しくない。

 まあ、こんな政争とは無縁の開拓村で人が死ぬなんてことは、余程運がない限りないだろう。

 村を囲う柵はしっかりしているし、一応ざっと見回ったがゴブリンの痕跡はなかった。直近で襲撃されるなんてことはないだろう。

 

「あ、あの、ぼーけんしゃさん」

 

 子供たちに気付かれないように瞳だけ真剣なものにした斥候に、女の子が声をかけた。

「ん?」と声を漏らしながらその子に目を向けた斥候は、瞳を含めて優しげな笑みを浮かべながら「どうかしたのか?」と問いかけた。

 だが彼の蒼い瞳を覗いた少女は身体を跳ねさせると、照れたように頬を真っ赤にしながら斥候に言った。

 

「えっと、おしごと、がんばってください……っ!」

 

「ああ。任せてくれ」

 

 そんな少女の反応を気にも止めず、斥候は得意気な表情で頷き、そっと頭を撫でた。

「ひゅい!」と喉の奥から息が吹き抜ける変な音を漏らした少女は、顔を真っ赤にしながら彼に背を向けると、そのまま彼の手を振り切って走り出した。

 途中で斥候を追いかけてきた武闘家とすれ違うが、そんな事を気にもせずに家に駆け込んでしまう。

 

「……何がいけなかった」

 

 武闘家は少女の撫でていた手を見つめながら神妙な面持ちになっている斥候と、何か変なものを見たように驚いた表情をしている子供たちの姿に苦笑を浮かべ、「子供が好きなんですか?」と問いかけた。

 

「好きかと聞かれれば、好きだとは思う。見ていて飽きないし、何よりこちらも元気になる」

 

 斥候が子供たちを優しく見つめながら返すと、武闘家は微笑みながら「そうですね」と告げて、じっと見つめてくる子供たちの視線に気付いた。

 

「……?どうかしたの?」

 

 伸ばした膝をそのままに上体だけを倒し、中腰になりながら問うと、彼女の真ん前にいた男の子が顔を真っ赤にしながらじっと彼女の豊満な胸に視線を向けていた。

 まだまだ子供とはいえ、彼らも男だ。そういうものにも多少は興味があるのだろう。

 そんな少年たちの思いを知らずに武闘家は首を傾げ、斥候も突然黙りこんだ少年たちの反応に首を傾げた。

 

「どうかしたのか」

 

 問いかけながら彼らの視線を追いかけ、彼女の胸にぶち当たった。

 同年代の女性に比べればだいぶ大きいそれは、普通の男なら一目見て思わず二度見をするだろし、性根が腐りかけているなら卑しい事を考えもするだろう。

 

「……?」

 

 だが生憎と、斥候はその普通にも当てはまらないし、性根が腐っているわけでもない。

 少年たちが彼女の胸を凝視しながら固まったという事実しかわからず、なぜ気にするのかがわからないのだ。

 

「……っ!!」

 

 そして、男連中四人の視線を一身に浴びていた武闘家は、ようやく彼らの視線が行き着く先に気付き、慌てて体勢を整え、両手で胸を隠しながら身体を反転させた。

 

「ど、どこを見ているんですか!?」

 

「「「ご、ごめんなさい!!」」」

 

「……?謝ることなのか?」

 

 彼女が指を突きつけながらの追及に少年たちは慌てて謝るが、斥候は訳もわからず首を傾げた。

 ただ身体を見ていただけだ。そこに何の問題がある。

 

「お、男の人は皆そうです!村の人たちも、あなたも!!」

 

「……?」

 

 瞳に怒りを込めての言葉を受け止めながら、斥候は疑問符を浮かべた。

 なぜ自分は怒られているのだ。ただ身体を見ていただけなのに。

 

「これだって、こんなに大きいと邪魔なんですよ!?軽く身体を動かしただけで揺れて、相手にいやらしい目を向けられるんです!」

 

 武闘家が見せつけるように胸を張りながら怒鳴ると、斥候は「……すまん」と何に対して謝っているかもわからないままに深々と頭を下げた。

 なぜ謝っているのだ。身体を見ていただけなのに。

 

「うぅ、そんなに謝られるこっちも困ります……」

 

 彼の形だけ謝罪を受けた武闘家は、とりあえず彼がわかってくれたと思ったのか語気を弱めると、一言「次からは気をつけてください!」と告げた。

 

「あ、ああ……」

 

 本人もよくわからないまま頷いた斥候は、とりあえず彼女を視界に入れないように明々後日の方向に視線を向けながら顔をあげた。

 なぜ怒られたのかわからないのだ。この際極力視界に納めないようにすればいい。

 

「……」

 

 だが武闘家には、顔をあげた途端に拗ねたように目を合わせてくれなくなったように見える彼の態度に多少不機嫌になりつつ、少年たちに目を向けるが、

 

「あれ?」

 

 そこにいた筈の少年たちは既におらず、見えるのは蜘蛛の子を散らすように別々の方向に逃げていく彼らの背中のみ。

 

「むぅぅぅ!話は、終わってない!!」

 

 その背中に怒りに任せて怒鳴るのだが、当の彼らは止まる様子もなくそれぞれの家に駆け込んでいった。

 彼女の声に気付いて、なんだなんだと村人たちの視線が集まるが、一部始終を見ていたのであろう少年たちの親たちは申し訳なさそうに小さく頭を下げた。

 

「ぐぅ!それをされてしまうと、何も言えない……っ」

 

 悔しそうに歯を食い縛りながら地団駄を踏む武闘家を他所に、斥候は額を押さえながら深々とため息を吐いた。

 

 ──迷惑をかけるなと、言ったんだがな……。

 

 どうにも自分は問題が振りかかってくる体質のようだと肩を竦め、武闘家に告げた。

 

「落ち着いたのなら戻るぞ。騒ぎすぎた」

 

「そ、それもそうですね。って、どうしてこっちを見てくれないんです?」

 

 不自然に視線を逸らしている斥候の横顔に向けて問うと、「見たら怒るのだろう?」と至極真面目な声音で返された。

 

「いや、目を見てくるくらいなら気にしませんけど」

 

 武闘家は無駄に思えるほどに真面目な彼の姿勢に苦笑を漏らすと、斥候は「そうか……?」と呟いて彼女の方に目を向けた。

 夜空を閉じ込めた蒼い瞳は、じっと見ていると吸い込まれそうになってしまう。

 

「……」

 

「どうかしたのか」

 

 そうして彼の瞳から逃げられずに見つめていると、斥候が小さく首を傾げながら声をかけ、武闘家はびくっと身体を跳ねさせた。

 

「……大丈夫か?」

 

 そんな彼女の反応に狼狽えたのか、単に気味悪がったのか、僅かに間を開けてから問うと、武闘家は「大丈夫、大丈夫です!」と拳を握りながら答え、斥候は「そうか」と短く返した。

 相手が大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。もし大丈夫ではなく、何かしらの問題が起きたのなら、上手くフォローするのが仲間というもの。

 

「とにかく、今日は早めに休もう。明日の朝一に出発だ」

 

「そうですね。頑張って早起きしないと……」

 

 斥候が立ち上がりながら言うと、武闘家は笑み混じりに答えると、彼から顔を背けて真剣な面持ちになりながら呟いた。

 その声は彼には聞こえなかったようで、「何か言ったか?」と問いかけるが、「なんでもないです」と即答された。

 

「ならいいんだが、何かあれば言ってくれ」

 

「はい。何かあれば、相談します」

 

 彼女の返答に頷いた斥候は、彼女を連れ立って歩き始める。

 運が良ければ今回で全てが終わり、元の世界に帰ることも叶うだろう。そうすれば、いつものようにアサシンを追いかける日々が始まり、戦いに身を置ける。

 いつもなら「運は自分で掴むものだ」と言うのだが、如何せん今回ばかりはどうにもならない。

 彼にとってこの世界はあまりにも未知で、何が起こるのかはわからない。

 様々な経験をしてきた彼だとしても、何が起こるのかは、神々が振るった骰子(さいころ)の目が何を示すのかは、わからないのだ──。

 

 

 




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Memory03 始まりの日

 夜が明け、山の輪郭が白く染まり始めた頃。

 朝一どころか、まだ陽が顔を出すよりも早く村を出た冒険者たちは、件の遺跡が見える森の中にいた。

 大雨により被さっていた土が流されたのか、あるいは中にいる何者かが吹き飛ばしたのか、崩れた山の一角から入り口が口を開き、挑むものを呑み込まんとしている。

 木々や岩の影に身を隠しながらタカの眼を使ってそれを凝視していた斥候は、とりあえず最近何かが出入りした様子がないことを確認してホッと息を吐いた。

 何かが入り込んでいたのなら、普段以上の警戒心をもって挑まなければならなかった。幸運ではあるだろう。

 

「さて、今回は埋まりたくないからな。気を引き締めていこう」

 

 木の影から顔を出していた斥候は苦笑混じりに近くの茂みに目を向けながら言うと、がさりと音を立てて茂みが揺れた。

 草の緑から銀色の髪の毛が飛び出し、「むー!」と持ち主の唸り声が聞こえてくる。

 

「あ、あんまりからかってやるなよ……」

 

 そんな斥候の隣。その場にしゃがみこんで周囲を警戒していた男戦士が肩を竦めながら言うと、斥候は「からかっているつもりもないが」と真剣な声音で告げた。

 

「どちらにせよ、埋まるのはごめんだ」

 

 一度生き埋めになったことが余程トラウマなのか、斥候は変わらず真剣な表情のまま告げると、ちらりと森人司祭と獣人魔術師の方に目を向けた。

 二人はそれぞれの得物を握り直しながら頷くと、それぞれ深呼吸。

 未知の遺跡に挑む高揚はあるが、如何せん前の廃坑では酷い目に遭ったのだ。前回にも増して意識を研ぎ澄まして挑まなければならない。

 

「出てきてもゴブリン程度なら良いんだが、悪魔(デーモン)の類いが出れば即離脱だ。俺たちの手に余る」

 

「それはそうでしょう。負けるつもりはありませんが、勝てると断言は出来ません」

 

 彼の言葉に、一党では一番知識に明るい獣人魔術師が応じ、森人司祭は残念そうに眉を寄せた。

 

「ここで一つ武功でもと思ったんだが、私の奇跡をもってしても悪魔の相手は出来んな」

 

「地母神の奇跡には攻撃に関するものがないと聞く。万が一の時は回復を頼む」

 

「それが本職なのだが……」

 

 唐突に放たれた斥候の一言に、森人司祭は目を丸くしながら呟き、それを受けた斥候は「そうだったな」と苦笑を漏らした。

 森人司祭は投射銃(ダートガン)を使った援護の場面が多い。一党で怪我をすることがあまりないこともあり、彼が神官である事を忘れていたのだろう。

 勿論それは空気を和ませる為の冗談だし、森人司祭もそれを重々承知なのだが、この中で一番緊張している武闘家はそうでもないのか、「し、失礼ですよ……!」と指を向けた。

 男四人は二人のやり取りが冗談の軽口であることに気付いているため、四つの怪訝な視線が彼女に集中し、武闘家は「……あれ?」と首を傾げた。

 

「あ、あの?私、変なこと言いました?」

 

 おろおろしながら仲間たちを見渡す武闘家を他所に、男戦士は口許を隠しながら忍び笑い、獣人魔術師は愉快そうに目を細め、森人司祭は小さく優雅に笑った。

 斥候は真剣な瞳だけはそのままに、フッと鼻を鳴らしながら肩を竦め「何もおかしくはない」と告げ、遺跡の入り口に視線を戻す。

 後ろから「そ、そうですよね!」とどこか安堵した声が聞こえてくるが、斥候は気にも止めずにじっと目を細めた。

 口を開けて待ち受けるその先は一寸先も見えない闇に包まれ、中の様子を伺うことは出来ない。

 だが風を吸い込んでいるのか、笛を吹いているようなひゅうひゅうと甲高い音が微かに聞こえてくる。

 何かあるのかはわからない。何がいるのかもわからない。それを知るためにここに来たのだ。

 

「いい加減行くぞ。警戒を緩めるなよ」

 

 斥候が雑嚢から松明を取り出しながら言うと、一党の面々は一斉に頷いた。

 彼らの返事を見つめながら、斥候は小さく息を吐いた。

 もしここで故郷に帰る術が見つかれば、彼らには悪いがそちらを優先することになる。

 

 ──まあ、別れはいつか来るものか……。

 

 遅いか早いかの違いはあるだろうが、生きている限り別れはある。その一つが来るだけのことだ。

 もっともそれは、目の前にある遺跡に帰るヒントがあればの話だし、言ってしまえばない可能性の方が高い。

 それでも行くしかないのだ。どうせないだろうと決めつけて行かないのは、それこそ愚者がすることだ。

 自分が賢いかどうかは別として、未知に挑むというのは個人的に興味はある。

 一度深々と深呼吸をした斥候は「よし」と呟いて気合いを入れた斥候は歩き出し、仲間たちがその後ろに続く。

 かの死の迷宮(ダンジョン・オブ・ザ・デッド)には遠く及ばずとも、長年未踏になっている遺跡であることには変わりはない。

 斥候が火打ち石を打って松明に火をつけた事を合図に冒険者たちは表情を引き締め、闇の奥へと足を踏み入れた。

 道を照らすのは松明の明かりのみ。それでも彼らは恐れることなく一歩を踏み出す。

 次に出す一歩で落とし穴にはまるかもしれない。その次で罠を作動させるかもしれない。だが恐れてはいけない。

 彼らは冒険者。自ら望んで危険を冒す者。一歩を踏み出すことに躊躇っていれば、それこそ恐怖に喰われてしまう。

 だからこそ彼らは進む。己を鼓舞するために、己を越えるために、彼らは闇に挑むのだ。

 

 

 

 

 

 冒険者たちが遺跡に踏み入れたのとほぼ同じ頃。

 農作業に勤しむ大人たちを尻目に、つい昨日、斥候と武闘家と言葉を交わした少年少女らが村の入り口近くの木陰に集まっていた。

 

「ぼーけんしゃさんたち、いっちゃったね……」

 

 少女が斥候に頭を撫でられた事を思い出して赤面しているのを他所に、年長者の少年はちぇーとわざとらしく舌打ちしながら小石を蹴り「もっとは話したかったなー」と愚痴をこぼす。

 

「とうちゃんたちは、あんまりは話すなっていったけどさ、あんまりわるい人には見えなかったし」

 

「きれいだった!」

 

「お、おっきかった……っ!」

 

 年長の少年に続いてその子分たちが声を出すが、最後の一人に一斉に視線が向けられた。

 何がとは言っていないし、誰のとも言っていないから、もしかしたら身長の話かもしれないが……。

 

「うぅ……」

 

 言ってしまったと恥ずかしがりながら俯く様子からして、武闘家の胸に関して言ったのは明白だろう。

「まあ、確かに……?」と年長の少年が赤くなった頬を掻きながら言うと、もう一人の少年も「な!」と同意を示す。

 

「……ばか」

 

 この中での紅一点。斥候に思いをふけっていた少女はとりあえず思い付いた悪口を吐くと、ぷいとそっぽを向いた。

 これだから男子は嫌なのだ。思ったことをすぐに口にしてと、頭の中で愚痴りながら、ふと斥候の事を思い出す。

 友達たちとも違う。お父さんや隣のお兄ちゃんたちとも違う、なんだか不思議な雰囲気の人。

 彼らがしてくれるように頭を撫でられただけなのに、不思議と胸がもやもやして、思わず走り出してしまった。

 悪いことしちゃったな、帰ってきたら謝らないとななんて事を思いながら、少女はため息を吐く。

 

「ん……?」

 

 同時に、ふと何かに気付いて首を傾げた。

 村を見下ろすように鎮座する山の中腹。そこでキラキラと何かが光っているのだ。

 

 ──なんだろう……?

 

 それはその場から動かずに不規則に点滅を繰り返し、じっと見ていると目が痛くなってしまう。

「うう」と唸ってぱちぱちと瞬きを繰り返した少女が再びそちらに目を向けると、先程まで光っていた何かは消えており、どこにいたのかもわからなくなってしまう。

 

「どした?」

 

 一人でじっと山を睨んでいた少女の肩を揺らした年長の少年が、少女の視界に入り込む。

「鳥でも見てんの?」と同じく山の方に目を向けるが、それらしきものは見つからずに首を傾げる。

 

「うんん。なんでもない」

 

 少女は首を振り、にこりと微笑んだ。

 

「きょうはなにをしてあそぼっか」

 

 そうして少年たちに問いかけて、わいわいと騒ぎ始める。

 彼らにとっては当たり前の、昨日も変わらず、きっと明日も変わらない、日常なのだ──。

 少女は少年たちの姿に笑みを浮かべながら、ちらりと先ほど光った辺りに目を向けた。

 ここからでは何もわからないが、きっと悪いものではないだろう。

「おい、行こうぜ!」と呼ばれた事を合図に少女は村の中に駆けていく。

 その直後、再びきらりと何かが光った。

 誰もそれに気付かず、いつも通りの日常が流れていく。

 子供たちが笑ってはしゃぎ、大人たちはそれを気にしながらも農作業に勤しむ。

 きっとこれからも変わらない日常が、今日もまた緩やかに流れていくのだ──。

 

 

 

 

 

 じっとこちらを見つめていた少女が離れていくと、男はほっと息を吐いた。

 切る間もないのか乱雑に伸びた無精髭をそのままに、ほつれや汚れの目立つ戦闘衣装を身に纏ってはいるものの、その眼光は獣のようにぎらついている。

 彼は手にしていた単眼鏡を再び覗き、活気に溢れている村を見下ろした。

 

「ボス、あの村ですかい?」

 

 じっと村を監視しながら投げられた問いかけに応じたのは、背後にある洞窟から顔を出した、血のように赤い短髪をした女だった。

 顔立ちは貴族の娘さながらに整ってはいるが、上半身はほぼ裸で、健康的に焼けた肌を惜し気もなく晒し、豊かな胸はさらしを巻いてあるのみ。

 下半身は返り血による斑模様が浮かんだ長い腰布に隠れてはいるものの、スリットからは汚れの目立つ革製の具足が覗いており、腰には一振りの剣が下げられている。

 だがその剣もただの剣ではなく、刃がさながら炎のように波打っている、所謂フランベルジュと呼ばれるそれだ。

 その持ち主たる女は品の欠片もなく大口をあけて欠伸を漏らすと、ぶんどるように男から単眼鏡を奪い、それを覗いてじっと村を眺めながら「そうだな~」と気の抜けた声を漏らした。

 

「村自体のでかさと、住民の数的には、まあ一晩で落とせるだろ。捕まえた女と奪った食料で宴を開いて、まあ三日もすれば飽きるだろ?そしたら得物を探してまた移動してだな」

 

 女はそう言いながら背後の洞窟に目を向けると、ぐへへと下品な笑い声が返ってくる。

 炎のように爛々と輝くのは、彼女の部下たちの眼光だ。

 あまりカリスマ性はないと自負してはいるが、彼女が彼らを纏めあげられている理由は、彼女が一番の腕利きであることも確かにそうだが──。

 

「本当、男というのは単純でいい。ご褒美を用意するだけで働いてくれる」

 

 彼女は誰にも聞こえないようにそう呟くと、くるりと振り向き、誘うように己の肉体を撫でた。

 豊かな胸を潰すように撫でて、括れた腰を見せつけるように揺らし、極上の餌を前にした時のように舌舐めずり。

 

「一番の働き手には勿論、私を報酬として差し出そう。気張れよ、お前ら」

 

『おお!!』

 

 彼女の声に男たちは一斉に(とき)の声を出すが、女はチッと盛大に舌打ちをすると、絶殺の殺意を込めた視線で部下たちを睨み付けた。

 

「静かにしろ……」

 

『へ、へい……っ』

 

 身も凍るその声を受けた部下たちは、声を抑えながら頷き、それぞれの得物を手に取った。

 襲撃は夜だが、如何せん村には冒険者が滞在していた。

 十中八九彼らとは戦闘になるだろう。遠目から見た感じ、相手はまだ駆け出しと言った様子に見えたが油断は出来ない。

 

「準備は万全に、な。あの黒装束の男、只者じゃあない。あれからは、私たちと同じ臭いがした……」

 

 彼女が警戒している相手はただ一人。

 自分たちと同じ、人を殺すことに対して躊躇も恐れもない眼をしていた、黒衣装の男(斥候)だ。

 彼の相手を勤めるとなると、一筋縄にはいかないだろう。

 

「まあ、負けるわけもないけれど」

 

 女はふふと妖しい笑みを浮かべると、腰のマントを翻して洞窟の中に戻っていく。

 事が起こすのは今夜。奇襲をかけて終わらせ、冒険者たちが来るのなら蹴散らす。

 いつも通り。そういつも通りの押し込み強盗(ハック・アンド・スラッシュ)だ。何を恐れる必要がある。

 女は洞窟の中に消えていき、不気味な薄ら笑いが微かに響く。

 今夜は祭りだ。ならば今のうちに身体を休めておかねば。

 

「楽しみ、楽しみだ。悲鳴が、血の温もりが、臓物の残り香が、今から楽しみでしょうがない……っ!」

 

 口に出してしまったためか、余計に昂る己の身体を抱き寄せ、女は恍惚の表情を浮かべながら熱のこもった吐息を漏らした。

 

 

 

 

 

 双子の月が輝き、優しげな月明かりに大地が包まれた頃。

 冒険者たちは遺跡の探索を終え、久しぶりにさえ思える外に顔を出した。

 

「結局、何にもありませんでしたねぇ……」

 

 んーっ!と唸りながら身体を伸ばしながら、武闘家は疲れを滲ませた声でそう告げて、後続の仲間たちに目を向けた。

 

「宝箱すらないとは、神々にさえ嫌われたか」

 

「まあ、運がなかったのでしょう」

 

「骨折り損だったな……」

 

 森人司祭が嘆くように天を仰ぎながら愚痴り、獣人魔術師が目を瞼越しに解しながら続き、男戦士が革鎧についた汚れを払う。

 そして殿を勤めていた斥候は遺跡から出てくると、大きめのため息を漏らした。

 

「罠があったわりには本当に何もないとは。古い石板の一つや二つあってもいいだろうに……」

 

 同時に不満そうに目を細めながら愚痴をこぼし、「あー」と気の抜けた声を漏らしながら肩を回した。

 

「とりあえず、村に戻って休むか」

 

 そこまで言葉にした彼はその方角に目を向けると、すぐに怪訝な面持ちとなり、じっとそちらを睨み付けた。

 異様な彼の様子に気付いた仲間たちは、彼の視線を追ってそちらに目を向けると、暗くなった森の向こうに不自然な明るさがあり、夜空に向かって黒い煙が昇っていっている。

 

「っ!」

 

 それを視認した瞬間、斥候は走り出していた。

 背後から聞こえる仲間たちの声を振り切り、そのまま森の中に突入。

 細い枝で衣装は肌が切れることをお構いなしに、全速力で森の中を駆け抜ける(スプリント)

 倒木を飛び越え、岩を乗り越え、低い位置に生えた枝の舌を潜り抜け、さらに加速。

 行きでは迂回した急斜面の崖の上にたどり着いた斥候は、ぜぇぜぇと揺らして喘ぎながらフードの下で忌々しそうに眉を寄せて、舌打ちを漏らした。

 

「くそ……っ!くそっ!くそ!!」

 

 怒りで歯を食い縛り、年甲斐もなく地団駄を踏んだ斥候は、急いで急斜面を滑り落ちていく。

 崖の下では、燃える村が夜の闇を照らしていた。

 

 

 

 

 

 人の悲鳴。木の焼ける臭い。人の焼ける臭い。血の臭い。

 静かな夜が訪れる筈だった村には死が溢れ返り、まさに混沌の様相となっていた。

 村の柵を破壊した野盗たちは村に雪崩れ込み、そのまま片っ端から家屋に火をつけ、慌てて飛び出してきた村人を叩き斬る。

 人の悲鳴と肉と骨が断たれる音が木霊すれば、野盗たちは愉快そうに嗤う。

 ただ悦しそうに、ただ愉しそうに、逃げ惑うしかない人々に襲いかかり、思い思いの方法でその命を刈り取る。

 だが命が奪われるだけで済むのなら、まだましかもしれない。

 

「あ……ぅ……あ……」

 

 まだ火がつけられていない家の中で、野盗の手により裸に剥かれ、豊かな胸や肉付きのいい臀部をさらけ出した若い女性が、裸にした本人の手で陵辱されていた。

 彼女の隣には夫、あるいは恋人だったのであろう男性の亡骸が転がされ、女性の感情の消えた目からは絶えず涙が流れ出る。

 

「おいおい、反応わりぃな。もっと愉しもうぜぇ?」

 

 ほれほれと腰を振り、己の分身で彼女の胎内を汚す野盗は、飽きたようにため息を吐くと欲望を解放し、白濁液を吐き出した。

 

「うっ……!と、まあ、良かったぜ」

 

 愉しむだけ愉しんだ野盗が腰から短剣を引き抜くと、陵辱していた女性にとどめを刺そうと振り上げ、心臓目掛けて振り下ろそうとした瞬間。

 突然背後から口を押さえられ、そのまま何者かに首を掻き斬られた。

 

「~!?!?!?」

 

 驚愕に目を見開きながら大量の血を噴き出す野盗を他所に、左手首から血に濡れた仕込み刀(アサシンブレード)を構えている斥候が吐き捨てる。

 

「地獄に直行しろ、くそ野郎が……っ!」

 

 その一言と同時に乱暴に野盗の死体を横に押し倒した斥候は、先程まで男の相手をさせられていた女性に目を向けた。

 豊かな胸が上下しているから生きてはいる。肉体的には、という一文が途中で挟まる以外は問題なしだ。

 斥候は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、雑嚢から毛布を取り出して彼女にかけてやる。

 そして隣に倒れていた村人の亡骸の、怒りと憎悪に見開かれた瞳を閉じてやり、「安らかに眠れ」と祈りの言葉を口にしようとするが、

 

「ぎゃあ!?」

 

「ぐぁあああああああ!!!?」

 

「いだい!痛いよぉ……」

 

「腕が……!俺の腕がぁぁああああああ!?」

 

 それを遮るように村人たちの悲鳴と断末魔が彼の鼓膜を揺さぶり、それさえも許してくれない。

 怒りのままに血が滲むほどに拳を握り締めた彼は立ち上がり、腰に下げた剣を小さな布擦れの音と共に引き抜く。

 

「……ふぅぅぅぅぅぅ」

 

 同時に目を閉じると何かを切り替える深く息を吐き、握りしめていた拳をゆっくりと開き、短剣を引き抜いてしっかりと握る。

 そして目を開くと同時に扉を蹴り破り、ずかずかと無造作な足取りで通りに身体を出した。

 そこはまさに血の海だった。昨日まで色々とよくしてくれた村の人たちが物言わぬ屍となり、一目見た限り五体満足であるものは少ない。

 

「ん?おい、まだ活きのいいのがいやがるぞ!!」

 

 そして村人の亡骸に意味もなく短剣を突き立てていた野盗が斥候の存在に気付き、近場の仲間たちに呼び掛けた。

「ああ?」だの「どうした」だのと反応して顔を出したのは二人。呼び掛けた本人を含めて三人だ。

 彼らは一人立ち尽くす斥候の姿を認めると、彼が持っている剣に目を向けてにやりと笑んだ。

 

「いい剣じゃあねぇか。寄越せ!」

 

 そして手柄欲しさに一人が飛びだすと、突撃の勢いのままに両手斧を振り下ろした。

 頭に当たれば頭蓋が砕け、そのまま即死させられる一振りではあるが、

 

「──」

 

 斥候は素早く前転して脇を抜けるようにその一撃を避けると、剣を逆手に持ちかえ、振り向きもせずに野盗の背中に刃を突き立てた。

「ぎっ!?」と不快な声が聞こえてきたが、それを無視して刃を引き抜く。

 その勢いで背中から倒れた野盗の腹に短剣を突き立てて、内蔵を掻き回すようにうねる。

 

「っ!」

 

 もはや悲鳴もなく身体を跳ねさせた野盗が大量の血を吐きだすと、短剣を引き抜き、噴水のように噴き出した血をそのまま放置。降り注ぐ血で黒い衣装を真っ赤に染めながら、残る二人に向けて走り出す。

 

「ちっ!舐めんじゃねぇ!!」

 

 それに合わせて一人の野盗が迎え撃たんと剣を構え、彼の接近に合わせて突きを放った。

 相手の腹を目掛けて放たれたそれに対して、斥候は突撃の勢いを緩めずに短剣を差し出し、小さな刀身を突き立てられた刃の腹に添えた。

 そのまま絶妙な力を加えつつ身体の外へ外へと押していき、野盗渾身の一突きを受け流す。

 

「まじか!?」

 

 鍔同士がぶつかり合うキン!と甲高い金切り音と共に剣を弾かれた野盗が驚きを声をあげると、その腹に斥候の一閃が叩き込まれた。

 内蔵を傷つけるように深々と斬りつけられ、傷口からは大量の血と共に臓物がこぼれ、野盗はがぼがぼと血の泡を噴きながらその場に倒れた。

 

「ひっ!ひぃぃ!」

 

 残された一人は情けない悲鳴をあげながら、この場から逃げようと背を向けるが、

 

「──っ!」

 

 目を見開いてその背を睨み付けた斥候は鋭く息を吐きながら、懐から捕縛用のフックがついた縄(ロープダート)を取り出すと共にそれを投じ、逃げ出した野盗の足に絡ませた。

 不意に足を取られた野盗は頭から地面に倒れ、「へぶ!」と情けない声を漏らした。

 同時にその場を跳んでいた斥候は無防備な背に膝から落ち、全体重を込めた跳び膝蹴りで男の脊椎を砕いた。

 膝に感じる骨を砕いた感覚に何も思うことなく、想像を絶する痛みに「ぎっ!」と声を漏らすと共に失神した男のうなじに短剣を突き立て、とどめを刺す。

 びくんと身体を跳ねさせた直後、ぐるりと白眼を剥いて絶命した野盗から短剣を引き抜きながら立ち上がった斥候はじっと燃える村を睨み付ける。

 まだ生存者がいるかもしれない。なら榴弾(グレネード)は使えない。

 ただその情報だけを理解すると、斥候は走り出す。

 まだ野盗はのさばっている。それらを皆殺しにしなければならない。

 

「な、なんだおま──!?」

 

 建物の影から無用心に飛び出してきた男に対して、走りの勢いを殺さずに剣と短剣を突き立てて殺害(ダッシュ・アサシン)し、そのまま押し倒す。

 血脂で滑ってきた剣の感覚に眉を寄せると、瞬き一つの間に逆手に持ちかえ、偶然見えた野盗の背中に向けて投射。

 矢のごとく空気を切り裂いて飛翔したそれは、寸分の狂いなく野盗の背中を貫き、切っ先が腹から顔を出した。

 

「お、ぁ……」

 

 腹を貫かれた野盗は小さく唸りながら血の塊を吐き出し、膝から崩れ落ちた。

 細めた瞳でそれを一瞥した斥候は先程刺し殺した野盗の手を踏み砕くと手斧を奪い取り、具合を確かめるように一度空を斬る。

 

「五つ」

 

 同時に殺した人数を口にした彼は、タカの眼を発動して辺りを見渡す。

 金色に輝く足跡が痕跡として浮かび上がり、それは村の奥へと伸びていっている。

 

「……」

 

 彼は無表情でそれを目で追うと、それを追って走り出す。

 村中に火がつき、ぱちぱちと手拍子のような音が辺りから漏れ続けているのだ。足音の一つや二つ気にはなるまい。

 ふと仲間たちの姿が脳裏によぎったが、首を振ってすぐに気持ちを切り替えた。

 彼らなら追いかけてくるかもしれないが、来ようと来まいとやることは変わらない。

 

「……皆殺しだ」

 

 秩序の下に生きる、弱き人々を守る。

 それが彼の役目(ロール)だ。

 

 

 

 

 

 村を見下ろす事のできる崖の上。

 数分前には斥候がいたその場所に、ようやく彼の仲間たちがたどり着いていた。

 

「そんな、村が……っ!」

 

 武闘家が口元を押さえて目に涙を溜めながら言うと、冒険者たちは顔を見合せ、一斉に頷きあった。

 斥候の性格からして見捨てることはない。一人で突貫し、そのまま戦闘を開始することだろう。

 

「行くぞ!あいつも、村の人たちも、助け出すッ!」

 

 男戦士が拳を握り締めながら宣言すると、獣人魔術師と森人司祭は即断で頷き、武闘家は涙を拭って「私も行きます!」と表情を引き締めた。

 同時に彼らは走り出し、燃える村を目指す。

 一人でも助けられる命があるのなら、それに全力をとす。

 彼に助けられた自分たちができるほんの僅かな恩返しの為、祈る者(プレイヤー)としての矜持として、彼らは夜の森を走り抜けた。

 

 

 

 

 

「ボス!ボス!大変です!!」

 

「あぁ?おい、邪魔しないでくれるか」

 

 村の最奥。村長の住まう屋敷に、野盗の一人が血相を変えて駆け込んだ。

 同時に部屋の中の様子に目を見開き、思わず吐きそうになって口を押さえた。

 

「ん?あ、お前は初めてか。慣れないとなぁ」

 

 そんな彼の様子にくすくすと鈴を転がすように笑いながら、頭目の女は壁に張り付けにした四人の村人に目を向けた。

 彼らの表情は恐怖一色に支配され、猿轡がつけられた口からはふーっふーっと息が漏れている。

 

「もう少し愉しみたかったんだが……」

 

 頬についた返り血を舐め取った彼女は、手に握られるフランベルジュに血払いをくれた。

 刃についた血液がびちゃりと湿った音を立てて落ちたのは、彼女の足元に転がっている誰かの足の上だ。

 

「じゃあ、帰ってきたら続きをしようか。まあ、何人かはもう死にそうだけど」

 

 彼女は満面の笑みを浮かべながらそう言うと、壁に張り付けにした村人たちの姿を一瞥した。

 片足を失い痛みにもがく者、臓物を引きずり出されて死んだ者、眼を抉られた拍子に気を失った者、そして幸運にもまだ無傷でいた者。

 

「ボ、ボス、早く!あいつが来ます!」

 

「わかった。誰かは想像できるが」

 

 急かしてくる新人の声を多少うざったく思いつつ、頭目の女が屋敷から出ると、

 

「ぎやぁ!?」

 

「ぅお!?ぎぃ!!」

 

「このやろ──……」

 

 三人の野盗を瞬く間に斬り伏せた、黒衣装の男──斥候がいた。

 血に濡れた手斧で一人目の頭蓋を砕き、二人目は短剣で剣撃を受け流しから手斧で腕を落とて放置。三人目はすれ違い様に手斧で腹を開いて臓物をぶちまけさせる。

 人を人と思っていない機械的なまでのそれは、見るものに恐怖を抱かせるには十分なものだが──。

 

「ふふっ。いい、実にいい……!」

 

 人はあくまで玩具と思っている自分とは違うが、心の奥底が既に壊れている者特有の雰囲気を感じ取った頭目の女は獰猛な笑みを浮かべ、彼に向けて歩き出した。

 その間に腕を落とした野盗にとどめを刺した斥候は、幽鬼のようにゆらりと頭目の女の方に振り向き、濁った蒼い瞳で彼女を射抜く。

 彼女は恍惚の表情を浮かべながら、彼を囲むように身構えている部下たちに向けて告げた。

 

「邪魔するな、邪魔してくれるなよ!誰だろうが、邪魔をしたら殺すぞ!」

 

 その宣言を受けた部下たちは恐怖に身を縮こませ、斥候と頭目の両名を警戒しながらそそくさとその場から離れた。

 頭目の女は獰猛な笑みをそのままに、フランベルジュの切っ先を斥候に向けた。

 炎を模して波打つように鍛えられた刃が本物の炎に照らされ、不気味な輝きを放つ。

 

「さあ、()ろう!存分に殺し合おうじゃあないか!人として壊れ、人であることを捨て、人であることを忘れた同族よ!!!」

 

「っ!……」

 

 彼女の言葉に斥候は一瞬目を見開くが、すぐに平静を取り戻すと、静かな殺意を放ちながら、血に濡れた斧を構える。

 彼の殺気に当てられた頭目は産毛を逆立てながら恍惚の表情を浮かべると、身を凍らせる絶対零度の殺意を放ちながらフランベルジュを両手持ちで構えた。

 彼女の部下たちは二人の殺意に当てられて身体を強張らせ、何人かに関しては情けなく失禁してしまうが、誰もその場から動くことは出来ない。

 先程まで人の悲鳴と怒号、嘲笑に支配されていた村は不自然なまでの静寂に包まれ、吹き抜ける夜風の音と炎が燃える音だけが木霊する。

 そして、始まりは突然だった。

 二人の近くにあった家屋が炎により柱を失い、凄まじい音を立てて倒壊したのだ。

 

「「っ!!」」

 

 それを合図に二人は駆け出し、各々の得物を叩きつけ、甲高い金属音を響かせる。

 満点の星と、双子の月が見守る中、壊れた二人の戦いが始まった──。

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory04 血と踊れ

 夜の闇を照らす大きな炎。

 だがそれは篝火や灯火のように人々を支え、守るような優しいものではなく、全てを呑み込む業火に他ならない。

 材木が燃え、そこに住む人が燃え、そこにあった何かが燃える音と臭いに包まれたその場所は、先程まで活気に溢れていた村だと誰が信じるだろうか。

 かつての姿を失った村を支配しているのは、人の焼ける臭いと、血の臭い。鉄同士がぶつかり合う甲高い金属音、そして、

 

「「──」」

 

 村を襲撃した野盗の女頭目と、彼女と相対している斥候の放つ殺意だ。

 二人は無言で相手のことを睨みつつ、女頭目は獰猛な笑みを浮かべ、斥候は一切の感情が消えた無表情。

 表情こそ正反対ではあるものの、放つ殺意はほぼ同程度。鋭さで言えば斥候の方が上かもしれないが、荒々しさならば女頭目の方が上。

 二人は額に浮かんだ汗をそのままに短く息を吐くと、

 

「ほらほら、行くぞ!!!」

 

「っ!!」

 

 彼女はフランベルジュを片手に咆哮をあげ、両足を踏ん張りながら腰を低く身構える。

 対する斥候は息を深く吐き出すと、刃の欠けた手斧を握り直し、短剣を逆手に持ちかえた。

 女とはいえ、山暮らしゆえに自然と鍛えられ、さらに人為的に鍛えられた脚力を舐めてはいけない。

 踏ん張りを効かせた両足の筋肉が血管が浮かぶほどに膨張、女頭目は血が滲むほどに歯を食い縛る。

 斥候がタカの眼を発動し、全神経を瞳に集中させて次の一手を読まんとした瞬間、女頭目の足元が爆ぜた。

 凄まじいまでの力が込められた踏み込みにより、十歩分は開いていた間合いが瞬き一つの間もなく縮まり、フランベルジュの刺突が斥候の喉に向けられて放たれる。

 

「っ!」

 

 全開にしたタカの眼を持ってしても見切れず、防御を許さない速度に目を見張った斥候は、反射的に首を横に倒した。

 その刹那、首を掠める形でフランベルジュの刃が通りすぎ、波打つ歪な刃が薄皮一枚を切り、僅かに血が滲む。

 風圧に剥がされたフードをそのままに、逆手に持った短剣を振り上げて女頭目の右目を狙うが、

 

「おっと!?」

 

 それを読んでいたのか、余裕で上体を逸らすことで避け、空いている拳を斥候の顔面に打ち込む。

 斥候は腕を畳んで盾にすることで拳を防ぐが、凄まじい膂力に押されて地面を滑るように後退、そこに追撃が迫る。

 嬉々とした笑みを浮かべた女頭目が、地面を蹴りつけることで跳び、開いた間合いを瞬時に詰めたのだ。

 斥候は小さく舌打ちを漏らすと、接近に合わせて手斧を振り抜いた。

 

「っ!」

 

 彼の動きを見切った女頭目は片足を地面に突き刺して急停止。彼女の動きに合わせて振るわれた斧が空を斬る。

 

「シッ!」

 

 地面に突き刺した足を軸に身体を回転。勢いのままに回し蹴りを放つ。

 彼女の反応に小さく目を見開いた斥候は蹴りの軌道を読み、頭部を守るように防御の姿勢に入るが、女頭目はニヤリと口を三日月状に歪めた。

 その瞬間。彼女の蹴りが軌道を変え、無防備に晒されていた斥候の脇腹を打ち据えた。

 

「お゛ぁっ!!」

 

 腹部に叩きつけられた衝撃と、内蔵が歪む鈍い痛み、同時に胃の内容物が逆流していく気持ち悪さに表情を歪めるが、脇腹にめり込む彼女の足を脇に抱えて捕らえる。

「おっと」とわざとらしく声を漏らした女頭目は、フランベルジュを大上段から振り下ろして今度こそ彼の頭蓋を砕きにかかった。

 

「っ!」

 

 直後、斥候の判断は速かった。

 頭上から迫る波打つ刃に斧を叩きつけ、柄が半ばから折れる事を条件に弾き返した(パリィ)

 斧は肝心の刃を失ったものの、ただの木の棒に成り果てた柄は断面が歪に尖り、最低限の痛痒(ダメージ)を与えるには事足りる。

 斥候は尖った柄の断面を女頭目のふくらはぎに叩きつけ、歪な穂先が防具を貫いて彼女の筋肉質な足を貫き、貫通して反対側から飛び出した。

 

「ぎ!?」

 

 女頭目は鋭い痛みに一瞬の悲鳴を漏らすと、すぐに好戦的な笑みを浮かべてその場を跳躍。

 斥候に捕らわれた足を軸に回転。彼の頭部に蹴りを見舞う。

 斥候は素早く斧の柄を手放して防御せんと腕を閃かせたが、純粋な速度は彼女の方が上。

 彼の防御が完成する前に彼女の蹴りが頭部を捉え、快音を響かせて彼の身体を吹き飛ばした。

 蹴り飛ばされた斥候は勢いのままに地面を転がるが、すぐに両手足をついて勢いを殺し、頭の鈍痛を無視して短剣を片手に身構える。

 だが先程の蹴りで割れてしまったのか、蹴られた側頭部からは血が垂れており、耳や肩を赤く汚す。

 

「いっつぅ……!久しぶりだ、怪我をしたのは……」

 

 対する女頭目は自身の足に突き刺さる棒切れに目を向けると、それに手を添え、「ふん!」と気合い一閃と共に引き抜いた。

 自身の血で真っ赤に染まった棒切れを舐めた彼女は、大量の血が滴る足をそのままに獰猛な笑みを浮かべた。

 

「もっと、もっとだ!もっと私を愉しませろ!!!」

 

 天に向かって、そして斥候に向かって吼えた女頭目は、残る片足に全力を込めて地面を蹴った。

 再び地面が爆ぜ、数メートル分の間合いが瞬時に零に。

 

「シャ!!」

 

 瞬きする間も与えられずに目の前に現れた女頭目は、血を撒き散らしながら両足をつき、波打つ刃が振り下ろす。

 対する斥候は冷静に右足を引いて半身になりながらそれを回避、先程風穴を開けた足に向けて蹴りを見舞う。

 スパン!と鋭い音が漏れたあと思えば、一拍おいてびちゃりと湿った音が響いて血が噴き出すと、女頭目は血が滲むほどに歯を食い縛り、声を抑えた。

 出来立ての傷を蹴られたのだ。その痛みは想像も出来ない。

 その表情はこれ以上ないほどの──悦びに歪んだ。

 

「いひひっ!」

 

 女頭目はその感情が抑えきれずに笑い声を漏らすと、斥候の胸ぐらを掴むが、その顔面に彼の拳が突き刺さる。

 ぐちゃりと肉の潰れる湿った音が響かせながら、女頭目は歪んだ鼻からは血が噴き出る。

 だが見た目の割に痛痒は少ないのか、彼女は上体を逸らすことで勢いを殺し、反動で起き上がりながら頭突きを放つ。

 ゴッと重々しく、硬い音が村中に響き渡り、打たれた側も打った側もたたらを踏んで数歩下がった。

 

「~っ!!」

 

 斥候は額を押さえながら痛みに目を剥き、女頭目は顔を汚す鼻血を乱暴に拭いながら歯を見せるようにニッと笑った。

 

「痛い。痛い、痛い!痛い!!痛い!!!痛い!!!!あー、最高だ!あんた!!!」

 

 彼女は斥候に向けて吼えると、拭った血をフランベルジュの刃に塗りたくり、戦化粧を施すように筋肉質な四肢と、豊満な胸をはじめとした身体のあちこちに塗っていく。

 

「もっと、もっとだ!もっと痛みを──生きる実感をくれ!!」

 

 生き生きとした表情をしながら見開かれた瞳には、危険で妖しげな光が灯り、吐き出す息は熱がこもって白く濁る。

 胎の奥底に熱がこもり、女として本能が目の前の男に対して反応を示す。

 彼こそが(つがい)だと。長年探し続けた、己を残酷なまでに冷酷に、何も感じず、考えず、淡々と殺してくれる男だと。

 だが、一方的に殺されてやるつもりはない。全力を出しきり、それでもなお越えられ、無惨に殺されなければ、意味がないのだ。

 一方的な狩りではつまらない。殺し殺されの、殺しあいでなければ意味がない。

 生きているとは、言えない。

 

「異常者が……っ」

 

 彼女の反応をその一言で吐き捨てた斥候に向けて、女頭目は両腕を広げてその肢体を見せつけながら声を張り上げた。

 

「ああ!壊れているとも、異常だとも!だが、人を殺して嬉々としている者と、何も思わない者、一体どちらの方が壊れていると思う!?」

 

「──っ!」

 

 女頭目が興奮のままに投げ掛けた問いかけ。

 それを受けた斥候は目を見開き、身体を強張らせた。

 だがそれも一瞬のこと。一度深呼吸をした頃には平静を取り戻し、視線が元の鋭さを取り戻す。

 自分が壊れているなぞ、昔から知っていることだ。何を今さらになって狼狽えているのだと内心で嘲笑う。

 昂る女頭目を他所に冷静になっていく斥候は、何か武器を探して視線のみを辺りに向ける。

 いるのは怯えて震えている野盗たちと、女頭目が捨てた斧の柄と、彼女が持っているフランベルジュ程度。

 野盗たちの方に駆けていったとしても女頭目に背中を斬られて終わり、彼女と相対するには武器が必要だ。

 ならばどうすると思慮を深める斥候を他所に、女頭目は興奮のままに腰を落とし、まともに使える片足に力を溜めた。

 

「来ないならこっちから行くぞ!死んでくれるなよ!!」

 

「っ!」

 

 女頭目は宣言と共に爆音を響かせて飛翔。放たれた矢のごとく、一直線に斥候に迫る。

 先程までとは比にならない速度に目を剥いた斥候は、もはや無駄な思考を捨てて左手の小指を動かした。

 同時に僅かな金属音と共に左手首に取り付けられた仕込み刀(アサシン・ブレード)を抜刀。深く息を吐いて全身から力を抜く。

 

「シャッ!!」

 

 女頭目が両手持ちにしたフランベルジュを突き出した瞬間、斥候の両手が閃いた。

 自身の喉を貫かんと放たれた刃の切っ先に短剣を添え、突かれる速度をそのままに身体を捻って受け流す。

 耳障りな金属同士が擦れあう音を聞きながら、斥候は殺意を全開にして蒼い瞳を細め、女頭目を睨み付ける。

 

「~!!」

 

 彼の殺意に当てられ、恐怖ではなく興奮に背筋を震わせ、「あはぁ……」と声を漏らしながら恍惚の笑みを浮かべた。

 その刹那、斥候の左掌平(しょうてい)──同時に展開されているアサシンブレードが彼女の腹に叩きつけられた。

 内蔵を潰す凄まじい衝撃の後に感じるのは、内蔵を直に傷つける鋭い痛みだ。

 しかも、貫かれたのは肝臓。体内が大量の血で満ちていく感覚が、命が消えていく薄ら寒い感覚の筈なのに、不思議と心地がよい。

 

「かはっ……!はっ、はは……!」

 

 口から微量の血を吐いた女頭目はフランベルジュを取りこぼすが、それでも笑い続け、目と鼻の先にある斥候の瞳に目を向けた。

 絶殺の意志のみが閉じ込められた瞳はまっすぐに自分を睨み付け、外れることはない。

 その蒼い眼光に笑みを返しながら、女頭目は自身の腹を叩きつけられた彼の手を取り、逃がすまいと力の限り掴む。

 斥候はそれが気にくわなかったのか、短剣を彼女の左脇腹に突き刺した。

 下から突き上げた刃はあばら骨を回避するように彼女の体内に入り込むと、そのまま脈動していた心臓を貫いた。

 

「がは!?……いい。最高だよ、あんた……」

 

 吐き出した血を斥候の顔に浴びせながら、女頭目はその言葉を投げ掛けた。

 斥候は顔についた血も、彼女の言葉も気にもせずに両腕を抜くと、傷口からも大量の血が噴き出し、二人の足元に広がる血溜まりにその身体を沈めた。

 びしゃりと響く水音と、撒き散らされた鉄臭さを気にせず、斥候は深呼吸をした。

 僅かに乱れた呼吸を落ち着かせ、血にまみれた短剣を腰に戻し、代わりに足元に転がるフランベルジュを手に取り、ゆっくりと野盗たちの方に振り向く。

 頭目が敗れた彼らは、彼の双眸に睨まれた途端に情けのない声を漏らすが、それでも最低限の矜持を保たんとしたのか各々の武器を構えた。

 同時に斥候が走り出す。フランベルジュの切っ先を地面に擦らせながら、逃げることも出来ない野盗たちに接近。

 

「う、うわぁぁあああああああああ!!!」

 

 絶叫と共に振り下ろされた剣をフランベルジュで受けた斥候は、そのまま刃を倒して受け流し、柄頭で無防備に晒された顎先を打ち据えた。

 ぱきりと骨が砕ける乾いた音を漏らした野盗は、脳が揺れたのか全身から力が抜けて両膝をつく。

「あ……ぎ……」と痛みに喘ぐ野盗を冷酷に見下ろした斥候は、フランベルジュの波打つ刃を相手の首に当てた。

 

「ま、待ってく──」

 

 野盗が命乞いをしようとした矢先に、斥候は思い切りフランベルジュを引いた。

 波打つ刃はさながら鋸のように首の肉を削り落とし、大量の肉片を撒き散らしながら野盗の命を刈り取る。

 

「かっ……!おっ……ぁ……」

 

 動脈を傷つけたのか大量の血が噴き出し、野盗は反射的に首を押さえながらも血の泡を吹きながら崩れ落ちた。

 

「ぬぅおっ!!」

 

 フランベルジュについた血をそのままに、その様子を見つめていた斥候の背後から、一人の巨漢が襲いかかる。

 体躯の差にものを言わせた、技術も何もない戦鎚の一振り。

 完全なる死角からの攻撃だが、斥候はそちらに一瞥もくれずに横に転がることで回避。

 振り下ろされた戦鎚は地面にめり込み、持ち主たる巨漢は慌てて引き抜こうと長柄を両手で握るが、伸びきった両腕にフランベルジュの刃が叩きつけられた。

 斥候が立ち上がりながら体勢を整え、無慈悲に刃を振り下ろしたのだ。

 加えて、彼の攻撃は終わっていない。

 両腕の骨にまで達した波打つ刃を一気に引き抜き、肉と骨を削り落とした。

 

「がっ!?あああっ!──ぇ゛……」

 

 両腕から噴水のように血が噴き出た巨漢が痛みから声をあげるが、それさえも許さない斥候のアサシンブレードで喉を掻き切られ、文字通り沈黙した。

 それと同時に斥候はタカの眼を発動し、辺りを見渡して残敵を確認。

 怯えて逃げようとしているのが三人。動けずにいるのが二人。死んだふりでもしているのか、倒れているのが一人。

 斥候は彼らを睨みながら短く息を吐くと、フランベルジュを両手で握ると肩で担ぐように構え、歯を食い縛りながら大きく身体を引き絞って力を溜める。

 それが最大まで溜まった瞬間、

 

「るぅあああっ!!」

 

 目を見開くと同時に獣じみた唸り声をあげながらフランベルジュを投射。波打つ刃が炎に照らされて不気味に輝きながら、彼に背を向けて逃げていた野盗の背に突き刺さる。

 もはや断末魔の声さえも聞かず、斥候は腰に下げたホルスターから二挺のフリントロックピストルを取り出すと、それぞれを野盗の背に向け、同時に発砲。

 放たれた弾丸の一発は頭に当たり即死(ヘッドショット)、もう一発は背中に当たるに留まった。

 貴重な一発を外した斥候は忌々しそうに舌打ちを漏らすと、ずかずかと無造作な足取りで歩き出す。

 残された野盗たちがどうなったかなど、もはや言うまでもない。逃げる気力もなく、抗う気力もないのだ。

 ただ一つ幸運だったのは、斥候が一思いに一撃で仕留められたことだろう。

 必要以上に痛め付けず、遺体を蔑ろにしないよう、病に倒れて余命幾ばくもない父から、厳しく言われていたからだ。

 それを止めてしまえば、憎むべきならず者(ローグ)と同等にまで墜ちる。それだけは駄目だと言い聞かせられた。

 もはや何もかもを諦めたのか、怯えて引きつった表情のまま、抵抗ひとつせずに頭をかち割られた。

 

「──眠れ、安らかに。恐怖に怯えながら、永遠に……っ!」

 

 そんな死体に向けて、呪詛のように怒りが込められた言葉を吐いた。

 死に行く者には敬意を払えとも言われたが、今回ばかりは駄目だ。彼らには敬意の払いようがない。

 斥候は血に濡れたフランベルジュを捨てると、唯一無事である村長の家に足を向けた。

 一歩を踏み出す度にべちゃべちゃと湿った音は、彼が生み出した血溜まりを進んでいるからに他ならない。

 足元に感じる湿り気と、何か──おそらく肉片──を踏んだ異物感と、強烈な血の臭いを感じながらも、斥候は顔色一つ変えない。

 彼にとっては目の前で誰かが死ぬことが日常で、それが敵であるか味方であるか、あるいは名も知らない誰かであるかの違いでしかない。

 血溜まりを抜けて村長の家の玄関を潜った彼は、濃縮された血の臭いに表情をしかめ、それでも足を止めずに家の中に踏み込んだ。

 壁に絵画のように貼り付けにされた、村の中ですれ違った記憶のある人たちの遺体の前で足を止めた。

 彼はそれを見上げながら、怒りを抑えるように歯を食い縛りながら壁から降ろしてやり、それを肩に担いで家を出ると、それを火の手が届かない裏庭に寝かしてやる。

 恐怖から自分の舌を噛み切り、それを喉に詰まらせて死んだのか、苦悶に満ちた表情で死んでいる者、生きたまま解体されたのか、恐怖に満ちた表情で死んでいる者、あるいは即死させられたのか、何も理解していないであろう表情で死んだ者の遺体を順々に運びだし、再び家の中へ。

 その仮定で黒い衣装はより赤く、濃密な死の臭いを纏いながら、斥候は自己嫌悪に陥っていた。

 

 ──故郷に帰るという目的のために、あるかもわからない方法を探して、目の前にある命を助けられなかった俺が憎い。

 

 廊下の端に無造作に捨てられた遺体を担ぎ上げ、それを裏庭へと運び出す。

 

 ──何が騎士だ。無辜の人々を守れずに、何が新世界の旗手だ。

 

 ばらばらに解体された遺体を、部位の一つ一つを集めてやり、裏庭で元の形に戻してやる。

 それでもいくつか足りずに再び家の中に足を向けて、それらしき物を探して軽くさ迷い歩く。

 

 ──何のために力をつけた。何のために技術を磨いた。何のために戦った。

 

 タカの眼を使ってでもそれらを見つけ、僅かでも元の姿を取り戻すように努める。

 それが彼なりの贖罪であり、行き場のない怒りを散らす方法だからだ。

 そうして何度も家と裏庭を往復し、一番奥の部屋に入りこんだ瞬間、

 

「──っ」

 

 斥候は小さく目を見開き、血が滲むほどに歯を食い縛った。

 そしてゆっくりとそれに近づくと両膝をついた。

 そこにあったのは、やはり村人の遺体だ。だが大人に比べればどれもあまりにも小さい──いや、幼い。

 そんな子供だと思われる遺体が、合計四つ。

 いや、もしかすればもっと多いかもしれない。どれもばらばらに解体され、それらが無造作に転がされているのだ。

 どれが誰の腕なのか、足なのか、目なのか、大きさも似通ったそれらはまったく判別がつかない。

 斥候は一番近くにあった子供の腕に手を伸ばし、その小さな手を握りしめた。

 もう残り香さえもなく、血の通わない冷たさのみをがあり、殺されてからだいぶ時間が経っていることだろう。

 彼らがどうやって殺されたかも、なぜ彼らが狙われたかもわからないが、今彼の胸中にある問いかけはただ一つ。

 

 ──なぜ、守ってやれなかった……っ!

 

 自分がこの場にいれば救えた筈だ。

 自分が遺跡になど挑まずこの村に残っていれば、彼らを守れた筈だ。

 なぜ自分は肝心な時にいつもいない。あの時もそうだ。大佐が殺された時も、自分はあの場にいなかった。行けなかった。

 

 ──俺は、どうしてっ!

 

「あああああああああああああああ!!!」

 

 斥候は子供の腕を抱きながら慟哭の声をあげた。

 血で染まった顔に一筋の涙が流れ、血の海に数滴落ちる。

 その程度で部屋が綺麗になるわけもなく、臭いが消えるわけもなく、子供たちの遺体を前に涙を流す青年がいるだけだ。

 数秒か、あるいは数分か、ひとしきり涙を流した斥候は乱暴に顔を拭うと、子供たちの遺体を抱えて裏庭を目指して歩き出した。

 蒼い瞳はどろりと濁り、光が消えたそれには凄まじいまでの覚悟が滲む。

 子供たちの遺体を抱えているのにその足取りは力強く、迷いはない。

 裏庭まで運び、パズルのようにそれらを組み合わせ終えると、斥候はふと思い出したように立ち上がった。

 生存者がいた。一人だけだが、村の外れの家屋に一人だけ。

 肝心なものを最後まで忘れている自分の情けなさに怒りを覚えつつ、斥候は裏庭から村の大通りに足を向けた。

 もう誰の血かもわからないもので身体中を汚し、一歩を踏み出す度に靴に染み込んだ血が溢れて気持ちが悪い。

 それでも彼は足を止めず、その誰かの下を目指すが、

 

「おいおい。村が燃えてると思ったら、いるのは冒険者だけかよ……」

 

 その途中、見るからにみすぼらし格好をした連中と出くわした。

 火事場泥棒でもしようとしていたのか、あるいは野盗たちの仲間に加わろうとしたのか、理由はともかく。

 

「まあいい。お前ら、さっさと殺して持っていけそうなもんを全部奪うぞ!燃えちまってるが、家の中も探せよ!」

 

 彼らの頭目だと思われる男が、十人以上はいる部下たちに号令すると、斥候は小さく口を動かした。

 

「──も、こい──も──」

 

「あ?なんか言ったか、ごら!」

 

 そんな彼の様子が気にくわなかったのか、頭目の男が怒鳴りつけると、斥候はぎろりと彼らを睨み付けながら、抑揚のない声で再び告げた。

 

「どいつもこいつも、屑どもが……っ!」

 

 淀んだ蒼い瞳に絶対零度の殺意と憤怒を込もり、変わりに顔からは表情が消える。

 それを真正面から受けたみすぼらし男たちは多少狼狽えるものの、数で勝っているとわかればすぐに余裕を取り戻した。

 

「お前ら、殺れ!」

 

『おおおおおおお!!!!』

 

 頭目の指示で部下たちが走り出し、斥候に殺到していく。

 気合いとやる気に満ちる彼らを無表情で見つめる彼は、背中のエアライフルを取り出して構え、下部に取り付けられたグレネードランチャーに手を添えた。

 同時に炸裂弾(グレネード)を放ち、放物線を描いて飛んだそれはみすぼらし男たちの先頭集団に直撃。夜の森にけたたましい爆音と断末魔の叫びを響かせ、数人の命を一瞬で奪う。

 訳もわからない内に仲間たちが死んだみすぼらし男たちは狼狽えている隙に、エアライフルを背に戻した斥候は両手首のアサシンブレードを抜刀し、彼らに近づいていく。

 

「眠れ、永遠に!地獄の底で……っ!」

 

 本来なら祈るべき時に、呪詛を吐きながら。

 

 

 

 

 

 冒険者たちが村にたどり着いた頃には、全てが終わっていた。正確には終わりかけていた。

 十人近い野盗に囲まれながら、一人一人の急所を正確に突いて即死させ、噴き出した返り血に全身を汚しながら、それでも無表情を保つ斥候が暴れまわっているのだ。

 

「……な、何者なんだよ、あいつ……」

 

 無意識に言葉を溢したのは男戦士だ。冒険者歴としては彼が上だが、その技量(スキル)力量(レベル)も全てが斥候の方が上だ。

 いや、それ自体はなんとなく察してはいた。だが、今まで見せていたあれが嘘にしか思えないほどに、今の斥候は極まっていた。

 死角からの不意討ちにさえも反撃(カウンター)し、二人同時の攻撃にさえも余裕で対処してしまう。

 

「斥候さん……!」

 

 武闘家が助太刀しようと駆け出そうとするが、意志に反して足が震えてしまい、駆け出すことが出来ない。

 初めて見る彼の姿に恐怖し、彼に近づくことさえも出来ないのだ。

 仲間だから大丈夫なのはわかっている。彼なら間違っても自分たちを切らないのはわかっている。それなのに、足が動いてくれない。

 それは他の冒険者たちも同じなのか、一様に彼の大立ち回りを見つめ、手出しすることはない。

 助けなければならないのはわかっている。だが今の彼にはそれさえも不用だとわかるほどに、圧倒的なのだ。

 仲間たちが息を呑んだと同時に最後の一人を討ち取った斥候は、深々と深呼吸をすると、ようやく彼らの存在に気付いたのか、びちゃびちゃと湿った音をたてながら屍を踏み越えて彼らの下に。

 

「だ、大丈夫なのですか……?」

 

 彼を包む死の臭いに目を細めた獣人魔術師が問うと、「ああ」と掠れた声で返される。

 斥候はそのまま森人司祭に目を向けて、「鎮魂を頼めるか」と酷く気の抜けた声で頼んだ。

 

「あ、ああ。任せてくれ」

 

「穴を掘るなら言ってくれ。ほとんど俺がやったことだ」

 

 彼は死体の山を見つめながら言うと、酷く面倒臭そうにため息を吐いた。

 

「……村人はともかく、こいつらも鎮魂しなければいけないのか」

 

黄泉返り(ゾンビ)になられても困る。どんな相手であれ、祈りは必要だ」

 

 彼の呟きに少々の怒気を込めた声で森人司祭は返し「神官の前でそれは言うなよ」と釘を指した。

「そうか」と一言で返した斥候は男戦士に目を向け、問いかけた。

 

「生存者を見たか。少なくとも一人はいた筈だ」

 

「……いや、俺たちも今ついたばかりだ」

 

「そうか、なら──」

 

「お前は休んでろ。後は俺たちがやる」

 

 疲労も溜まっているだろうに、それでもまだ動こうとする斥候の肩を掴み、男戦士は彼の顔を真正面から見据えながら告げた。

 どろりと濁った瞳が鋭く睨み返してくるが、先輩としての維持で目を逸らすことはない。

 その言葉と、ぶれない視線を受けた斥候はため息を吐き、「あっちだ」と村の外れの方に指を向けた。

 

「燃えてない家に、一人だけ生きている奴がいる。確保してくれ」

 

「わかった。見てくる」

 

 男戦士は彼が示した方向を見ながら頷くと、一人おろおろとしている武闘家に「こいつと、一緒にいてやってくれ」と頼み、返事も聞かずに走り出した。

「一人は危険です」と獣人魔術師がその背を追いかけると、斥候はすぐに二人の背中から視線を外し、武闘家に目を向けた。

 

「覚悟だけはしておけ」

 

 そして一言だけ彼女に告げると、歩く度にびちゃびちゃと血が滲み出る靴をそのままに裏庭を目指す。

 森人司祭と武闘家は顔を見合わせると、彼の後に続いて歩き出す。

 いつも通りに迎える筈だった夜は訪れず、いつも通りに終わる筈だった冒険が血にまみれ、優しげな双子の月だけがいつもと変わらずに大地を見下ろしていた──。

 

 

 

 

 

 翌朝、村の一角。

 多くの遺体が埋められ、いくつもの小山が並ぶその場所にフードを目深に被った斥候がいた。

 憎たらしいまでに照りつけてくる陽の光を一身に浴びながら、守れなかった人たちの姿を、救える筈だった人たちの姿を記憶に焼き付け、自分の手が届く範囲では二度とこんな悲劇を起こさせないと誓いを立てる。

 

「斥候さん……」

 

 そんな彼の背中に武闘家が声をかけた。

 先ほどまで泣いていたのか目元が赤く腫れ、頬にはいくつもの涙の痕が残されている。

 結局の所、村人は誰一人として助からなかった。斥候が生きていると言っていた人も、自ら命を絶ってしまったのか、胸に短剣が突き刺さった状態で見つかったのだ。

 

「どうした」

 

 振り向いてくれない彼がどんな表情をしているかはわからず、何と声をかければいいかもわからない武闘家は、もはや無意識の内に彼の手をとった。

 彼は寝ることもなく、一晩中ここにいたのだ。血に濡れた身体も、衣装もそのままに、森人司祭の祈りが終わっても、そこに居続けた。

 武闘家はぎゅっと手を握る力を強めながら、彼の背に告げた。

 

「帰りましょう。皆、待ってます」

 

「ああ。わかった」

 

 斥候は短くそう返すと一度深呼吸をして武闘家の手を離し、手近な小山に手を置いた。

 

「汝らの眠りを妨げるものは何もない。眠れ、ここで、安らかに……」

 

 ほんの僅かに声が震え、よく見なければわからないが肩が揺れ、自由な片手は握り締められている。

 彼が泣いているだろうことはわかっても、励ます術を知らない武闘家が顔を伏せた。

 村の人たちと一緒にいた時間は短い。一日二日程度の、顔馴染みとも呼べない関係だ。

 だが一緒にいた事実は変わらず、子供たちと戯れていた事実は消えない。

 彼らの笑顔がもう見えないことを、声が聞けないことを、今さらになって意識してしまって涙が溢れる。

 血が染み込んだ地面にぽつぽつと涙を落とす彼女に気づいてか、斥候は音もなく立ち上がった。

 そのまま彼女の脇を抜けて行くと、それに気づいた様子のない武闘家に向けて「行かないのか」と呟いた。

 

「……行き……ます……っ」

 

 彼の言葉に涙を拭った武闘家は顔をあげると、いつの間にか小さくなっていた彼の背中を追いかけた。

 二人が今日という日を忘れることはない。

 斥候が今日という日を繰り返すことはない。

 濁った瞳に強烈な覚悟を込めた彼は、もう止まることはない。

 

 ──あるかもわからない帰還方法を探すのなら、目の前にいる無辜の人々を守ろう。

 

 全ては悲劇を繰り返さないために、この村の人たちのよう弱き人々を守るために、

 

 ──俺の命を、持てる全てを懸けて、ならず者(ローグ)どもを逃がしはしない。

 

 斥候は一人、覚悟を決めた。

 その背を見つめる武闘家の、どこか悲哀の色がこもった視線にも気付くこともなく。

 

 

 




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Memory05 孤独な使命

 辺境の街。冒険者ギルド。

 朝一番の貼り出しが間近ということもあり、様々な冒険者たちが集まるその場所は、祭りさながらの喧騒に包まれていた。

 そんな冒険者ギルドの端。酒場兼待合所であるその場所には、一人の冒険者がいた。

 黒い衣装に身を包み、仕事先でもないのに目深に被ったフードの影には、どろりと淀んだ一対の蒼い輝きが揺れていた。

 周囲のギルド職員はおろか、冒険者たちですらもたじろぐ程の圧を放つ彼──斥候に、近づいていく勇気のある者は誰一人としていない。

 かつて(・・・)一党を組んでいた四人は、気にしてはいるものの話しかけ辛いと言った様子で顔を見合わせていた。

 あの村での一件以来、彼は人が変わってしまった。

 

『……しばらく、一人にしてくれ』

 

 依頼を終え、何かを考え込んでいた彼は街に戻るなりそう告げると、翌日から本当に単独(ソロ)で活動するようになってしまったのだ。

 下らない話で笑ったり、時には冗談なのに真剣に受け取ったりと、多少ずれてはいたものの、人付き合いをしっかりとしていたのが嘘のように、今の彼には近寄り難い雰囲気が醸し出されている。

 正確には雰囲気どころか、明確に近づくなという無言の迫力が滲み出ているため、隙を見て一党から引き抜こうとしていた先輩冒険者たちでさえ尻込みしてしまっているのだ。

 そんなものお構い無し──実際に関係ないのだが──に騒ぐ冒険者たちもいるにはいるが、そこと比べて彼の周辺は静かなものだ。

 酒場の端の一人用の卓を陣取る彼は、朝食を摂るわけでも、酒を飲むわけでもなく、淡々と道具類を確認し、依頼が貼り出されるタイミングを待っている。

 それは彼の反対側の端を陣取っているゴブリンスレイヤーにも言えることなのだが、向こうは外見以外に無駄な迫力がないため、周りを緊張させないからか、いつも通りの喧騒に包まれていた。

 斥候の周りの冒険者たちはそちら側に寄るなり、ついには慣れて談笑を始めるなりをする頃には、斥候の作業も一段落。

 簡単に解体して整備していたピストルを元の形に戻すと、製作していたダート、グレネード類を脇に置いていた雑嚢に押し込み、水薬(ポーション)を入れるスペースを確保しておく。

 依頼を受けると同時に補充し、そのまま出発するつもりなのだろう。昨日もそうだったのだから、今日もきっとそうだ。

 そうしている内にギルド職員が依頼を貼り始め、冒険者たちが待ってましたと声に出しながら依頼掲示板(クエストボード)に殺到していく。

 そんな彼らを眺めた斥候はゆっくりと立ち上がり、ピストルをホルスターに押し込み、雑嚢を腰帯に取り付けると、人混みに紛れて掲示板へと足を向けた。

 そのまま上手く人混みの合間を縫って掲示板にたどり着いた彼は、ざっと見て一枚の依頼書を剥がした。

 依頼の内容を端的に纏めれば、街道を封鎖し、通行人から不当に金をせしめ、荷物を奪う盗賊たちを何とかして欲しいと言ったもの。

 いくつかの開拓村やこの街とを繋ぐ場所を押さえられてしまい、商人たちも商売が出来ずに困っているらしい。

 依頼人もそんな商人の一人なのだろう。依頼書の端には複雑な紋様の判が押されている。

 斥候は歩きながらそれを確認すると、そのままの足取りで受付へと向かい、受付嬢の前に立った。

 

「手続きと、水薬(ポーション)を一本頼む」

 

 ゴブリンスレイヤーと組んでいた時から世話になっているからなのか、基本的に彼女を頼ることが多い。

 毎回生きて帰ってきてくれるとと思えば喜ぶべきだが、一人で依頼に向かう彼を心配なのは事実。

 そして等級不相応に強く、一人でもどうにかしてしまうほどに強いことも事実だ。

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 彼の言葉に頷き、依頼書に目を落とした受付嬢は、書類にいくつかサインをすると、棚から水薬を取り出して彼に差し出した。

 同時に斥候が出した金貨を受け取り、お釣りの銀貨数枚を返す。

 

「あの……」

 

 同時に、お節介だとは思いながらも斥候に声をかけた。

 淀んだ蒼い瞳がじっと彼女を見つめながら「なんだ」と問うと、受付嬢はごくりと唾を飲んで喉を湿らせてから問いかけた。

 

「今日も、お一人ですか?」

 

 ちらりと彼が所属していた一党に目を向けながら問うと、当の斥候は「ああ」の一言で返すのみ。

 一切仲間たちに一瞥もくれない辺り、本当に気にしていないのだろう。

 

「何か問題があるのか」

 

 そうして続けて放たれた言葉には、僅かばかりの怒気が込められていた。

 一刻も早く出発したいのだろう。蒼い瞳は鋭く細められ、水薬(ポーション)を握る手には無意識だろうか、力がこもっていく。

 見るからに不機嫌になった彼の様子に、受付嬢は三つ編みの髪を揺らしながら身震いするが、それを見た斥候はため息と同時に目を閉じ、身体から力を抜く共に目を開ける。

 

「すまない。どうにも機嫌が悪い」

 

 彼は小さく頭を下げながら謝罪すると、水薬(ポーション)を雑嚢に押し込んだ。

 そして話は終わりだと言わんばかりに踵を返し、ギルドの喧騒の中へと消えていった。

 途中まで見えていた彼の背中も、人混みに紛れると同時に見えなくなり、自由扉を潜る姿すら見ることが出来ない。

 武運を祈る言葉も言えず、無事を祈る言葉も言えず、斥候は言ってしまった。

 受付嬢は仕方ないとため息を吐くと、すぐににこやかな笑顔(営業スマイル)を貼り付けて次々と現れる冒険者たちを捌いていく。

 そこにかつて彼が所属していた一党も来たのはしばらく経ってから、彼らが依頼に出たのを見送ったのは、更に時間が経ってからだった。

 

 

 

 

 

 憎たらしいまでに照ってくる陽の日差しをフードで遮りながら、斥候は黙々と足を動かしていた。

 一歩を踏み出し、すぐに次の一歩を踏み出せば、やがて目的地には着くのだ。時には止まることも大切ではあるが、今はその時ではないと自分に言い聞かせる。

 一刻も早く現場にたどり着き、無辜の人々への被害を最小限にして奴等を屠る。その為だけに足を動かす。

 馬車を使うという選択肢もあるが、使うには金がいるし、何より奪われたらことだ。

 その時は自分は死んでいるだろうから責任は取れないし、相手に余計な機動力を与える愚を犯したくない。

 歩きながら水袋をあおって水分を補充し、干肉を噛んで空腹を紛らわし、ふと空を見上げた。

 白い雲が流れていく青い空は、生まれ故郷と何も変わらない。むしろ遮るものがなく、回りに人もいない為、気にせず見上げられて、何割か増しで綺麗に見える程だ。

 流れていく雲を蒼い瞳で見送った彼は、すぐに顔を下ろして歩くことに集中する。

 今は感動している場合ではない。状況は一刻も争うのだ。急がねばならない。

 斥候は深々とため息を吐いてフードを被り直すと、辺りを警戒しながらも歩調を速めた。

 体力も有限ではあるが、時間もまた有限。

 休む時間は最低限に、進む距離は最大限に。疲れすぎず、かといって遅すぎず、そのギリギリの速度を保ちながら一歩を踏み出す。

 たった独りで、どこまでも続いているようにさえ思う道を、進み続けた。

 

 

 

 

 

「……斥候さん、大丈夫ですかね」

 

 彼とは別の場所を進む銀髪の武闘家は、空を見上げながらぼそりと呟いた。

 いつもは前を歩いている影が一つ少なく、言葉にはしづらいが何となく寂しさがある。

 彼女の声に反応したのは、隣を歩いていた獣人魔術師だ。

 彼は長い顎を擦ると、喉の奥で小さく唸った。

 

「彼の腕があれば、余程のことがなければ帰ってはくるでしょう。事実昨日はそうでした」

 

 彼は不安を解消させるようにそう言うが、「しかし」と言葉を続けてため息を漏らした。

 

「あの目は、既に──」

 

「既に……?」

 

 途中で言葉を区切った事を疑問に思ってか、武闘家が首を傾げながら問うと、獣人魔術師は「いえ、忘れてください」と返して言葉を濁した。

 斥候の目は既に何かを決め、命を懸けてやり遂げると誓いを立てた者のそれだ。

 言い方を悪くすれば、たがが外れた、あるいは壊れた人の瞳とも言える。

 長年教師として人と向き合ってきたのだ、目を見れば何を考えているかはわかる。それが若者であれば尚更に。

 何より、そんな目をした者には会ったことがある。

 その最期はあまり語るものでもないが、良い終わり方ではなかったとは断言できる。

 

「……彼なら、大丈夫でしょう」

 

 獣人魔術師は一人そう呟くと、深々とため息を吐いた。

 武闘家は「そう、ですよね……」と不安そうな面持ちで頷くと、頬を叩いて気合いをいれた。

 彼の心配をするのもそうだが、とりあえず目の前の依頼をこなさなければ会うことさえも出来ないのだ。

 

 

 

 

 

 黙々と歩き続けて数時間。天高くあった陽は既に傾き、青かった空は橙色へと変わり、山の方は青紫になり始めている。

 

「……流石に危険か」

 

 斥候は顎に手をやりながらフードの下で目を細めると、小さくため息を漏らした。

 半日かけて歩いたのだが、やはりたどり着くには遠かったようだ。歩調が遅かっただろうかと僅かに反省。

 だが夜通し歩くのは危険だし、自分がの垂れ死んだら誰が依頼を完遂するのだと思考を切り替えた。

 それと同時に辺りを見回し、宿か廃屋か何かがないかを探す。

 街に向かう道ならともかく、各地の村に続いている申し訳程度に整備された獣道同然の街道に、宿なんて御大層なものはない。

 わかりきっていた結果に小さく肩を竦めると、適当にそこらの木をよじ登り始めた。

 ある程度の高さまで登ると適当に枝に腰掛け、幹に背中を預けて休息の体勢を取る。

 火を起こしてもいいが、別に夜が冷える訳でもなく、何より盗賊団の根城に近付いているのだ。炎というわかりやすい目印を用意してやる意味はあるまい。

 だがそうなると、野犬や狼に襲われる可能性が出てくるわけだが、犬は大概木登りが苦手らしい。

 前の世界で出会い、度々世話になったとある人物(先住民)から聞いた知識だが、彼らが自然界において間違えることはないだろう。

 地面に寝転ぶよりは安全だし、火を起こさない分見つかる可能性も低い。何より何かが来ても上から奇襲が出来るし、好き好んで上を警戒する奴もいない。

 それこそアサシンやテンプル騎士のように、上からの奇襲をするのもされるのも慣れていない限りは、いちいち夜の森で木の上を見る奴なんていないだろう。

 斥候は僅かに衣装の留め具を緩めて身体から力を抜くと、片目だけを閉じた。

 ゴブリンスレイヤーに倣う形にもなるが、片方ずつでも身体を休められるならそれでいいのだ。朝を迎えた時に体力が回復していれば、それでいい。

 

 

 

 

 

 ぱちぱちと手拍子にも似た音を漏らしながら、不規則に揺れる焚き火が夜の闇を照らす。

 それに照らされた冒険者たちの影は焚き火の動きに合わせて揺らめき、橙色の明かりに照らされ、火の番をしている男戦士の顔が浮かび上がる。

 彼の表情は不安そのもので、気を紛らわせるように薪をつついて掻き回す。

 

「あいつ、どうしちまったんだ……」

 

 もちろん不安の原因は斥候の突然の離脱で、一党を組んでいた以上気になるというもの。

 自分とて仲間を失った後はしばらく塞ぎ込んで一人でいたが、今の斥候は見るからに違う。

 生きる気力を失った訳でもない、むしろ力をみなぎらせているくらいだが、素人目でも何やら危ない雰囲気を放っているのはわかる。

 

「つっても、どうすりゃいいんだよ……」

 

 相談に乗ってやろうにも口を利いてくれず、そもそも近付くことすら困難で、向こうがこちらに合わせる気もない為、明日会えるかもわからない。

 がしがしと乱暴に頭を掻くと、だぁとだらしなくため息を吐いて地面に寝転ぶと、満天の星空を見上げて目を細めた。

 

「……俺って、なんでいつもこうなるんだ」

 

 冒険者になってから、あまり良いことがないなと自嘲するが、まあなったのだから後には退けないと気合いを入れて身体を起こす。

 

「あいつ、どうするつもりなんだよ」

 

 だが不安が消えた訳ではなく、男戦士は再び深々とため息を吐いた。

 そしてぱちっと焚き火が弾ける音を合図に、見張りの交代の時間かと、森人司祭を起こしに向かう。

 ともかく目の前の依頼だ。斥候に関してはそれを終わらせてから考えようと、心に決める。

 

「でも、心配なんだよな」

 

「ええい、喧しいぞ。もう起きた」

 

 身体を揺らして起こされた挙げ句、目の前で盛大なため息を吐かれた森人司祭は、心底鬱陶しそうに眉を寄せながら身体を起こし、森人が生まれもった優雅さで立ち上がった。

 

「何を心配しているかはわかるが、あいつはあいつで考えがあるのだろう。今は一人にしてやるのも手だと思うが」

 

「そうかもしれないが……」

 

「まあ、私は森人。あいつは只人。考え方も、考える時間も違う。袋小路に嵌まっていれば、助けてやればいいさ」

 

「むぅ……」

 

 森人司祭が微笑みながら、さながら詩を詠むように放った言葉に、男戦士は困り顔で唸った。

 只人の中でも悩み事への対処の仕方は違うのだ。そこにずかずかと土足で踏み込んで、余計な刺激を与えない方がいいのかとも思う。

 だが、それを聞いて「はい、そうですか」と引き下がれる程、斥候に何も思っていないわけでもない。

 

「ん~……」

 

「とりあえず寝たらどうだ。見張りはわかせてくれ」

 

 腕を組んで余計な思考に陥る男戦士に向けて、森人司祭はため息混じりにそう告げて焚き火の方へと向かった。

 森人と火はあまり接点はないにせよ、仲間の為なら扱ってみせようとは彼の弁だ。

 不慣れそうにしながらも、時折薪を掻いたり、追加したりして火を絶やさないように心掛ける。

 だがしかし、

 

「むぅ。存外に難しいな……」

 

 何事にも慣れというものが必要なのだろう。

 火の番をすることも、人と話すことも、数をこなさなければ完璧に出来ようがない。

 森人司祭は小さくため息を漏らすと、その吐息に吹かれて焚き火が揺れる。

 

「存外に、難しいものだ」

 

 揺れる炎を見つめながら、森人司祭は独り言を呟いた。

 それは火の番に対しての愚痴か、あるいはここにはいない仲間への愚痴か、それを知るのは彼のみだ。

 

 

 

 

 

 翌晩、とある森の中。

 街道を見下ろせる丘の麓に広がる森には、いくつもの炎の輝きがあり、それを中心にして即席のテントや調理場など、人が生活するには事足りる設備が揃っていた。

 そこにいるのは動物の毛皮や、木材を適当に見繕ったものを着ている男たち。

 垢まみれの身体に無精髭を蓄え、見るからに不衛生ではあるのだが、飲んでいる酒や食料は上等なものだ。

 

「ほらほら、飲め食え歌──うのはなしだ!男どもの歌なんざ聞きたくねぇ!とにかく、腹を満たした明日に備えろ!!」

 

『おおっ!』

 

 そして一人だけ見るからに立派な杯を傾けていた頭目が、ぼりぼりとでっぷりと膨らんだ腹を掻きながら言うと、部下たちは一斉に応じて食事に集中し始める。

 彼らが街道を通る人々を襲い始めて、もうすぐ一週間が経とうとしていた。

 移動するなら頃合いだが、如何せん自分たちのことを知らずに通る商人だと、旅人だのが多いのだ。もう少し粘っても構わないだろう。

 

「へへっ。次は泉が近場にある場所を選ぶとするか。男臭くてしょうがねぇ」

 

 自分の腕を顔に寄せ、数度臭いを嗅いだ頭目はわざとらしくえづきながら言うと、部下たちも真似て似たような反応を示した。

 

「しっかし、旦那。柵までこさえたのに、もう移動するんですかい?」

 

 部下の一人が酒精に酔いながら問うと、頭目は首を巡らせて辺りを見渡した。

 商人から奪った材木でこさえた柵だが、材料が良かった為か中々にいい出来栄えだ。

 野営地を囲う木製の柵を越えるには、門を開けるか壊すしかない。そして、そのどちらかが起きれば仲間たちが跳ね起き、迎撃態勢に入れる。

 まさに難攻不落の砦──とまではいかなくとも、そう易々とは攻め落とせない拠点ではあるだろう。

 次に拠点を作るときは、今回を参考にしようと思いながらも、焼いた肉を頬張り、溢れ出す肉汁に舌鼓を打つ。

 

「まあ、後一つか二つだ。それを済ませたらいど──」

 

 そして部下たちに指示を出そうとした瞬間、頭目の姿が消えた。

 何か強烈な力で持ち上げられ、頭の上にあった太めの枝まで持ち上げられる。

 そして変わりに現れたのは、黒い衣装の男。

 彼は手にしていた綱の端を地面に突き立て、フード越しに木に吊るされた頭目に目を向けた。

 首にフックがかけられ、さながら絞首刑のように木に吊るされた頭目は、じたばたと暴れているが、その力もすがに弱まって動かなくなる。

 

「な、何事!?」

 

 部下の一人が慌てて立ち上がりながら武器を構えると、フードを被った男──斥候が振り返った。

 絶殺の意志がこもった蒼い瞳が盗賊たちを睨み付け、先ほど頭目を吊るした道具──ロープダートを最低限の予備動作から放つ。

 放たれたロープダートのフックは寸分の狂いなく盗賊の首根っこに絡み付き、締め上げて呼吸を妨害。

 声にならない呻き声をあげる盗賊を他所に、斥候は無慈悲に、一息に巻き取った。

 強烈な力で引かれた盗賊は足を地面に擦りながら斥候の方へと引かれていき、間合いへと入った瞬間に顔面への膝蹴りが叩き込まれる。

 引っ張られた勢いのまま、斥候の優れた身体能力から放たれた膝蹴りは、文字通り盗賊の顔面を砕き、夜の森に骨が砕ける乾いた音が響き渡る。

 鼻から、目から、耳からと、頭の穴という穴から血を噴き出して崩れ落ちた。

 残された仲間たち──もっとも二人しかいないが──が小さく悲鳴をあげるのを他所に、斥候は腰に下げた片手半剣(バスタードソード)と短剣を引き抜き、走り出す。

 

「こ、こんにゃろがぁぁあああああああっ!!!」

 

 迫り来る斥候に向けて、盗賊の一人が自棄になりながら山刀を振り下ろすが、斥候はそれに合わせて剣と短剣を交差させ、山刀を真正面から受け止める。

 ギン!と鋭い金属音が鳴り響かせながら火花が散り、フードに隠された斥候の表情を一瞬だけ照らす。

 その顔には何の表情もなく、人を殺すことに関しては何も感じてはいまい。

 盗賊が自分たちよりも冷酷な冒険者を目の前に、喉を奥から絞り出すような悲鳴を漏らすとほんの一瞬腕から力が抜けた。

 その隙を見逃さず、斥候は腕力にものを言わせた両腕を振り抜いて山刀を弾きあげ(パリィ)、その勢いのままに右手を左へ、左手を右へと振り抜き、二つの刃が盗賊の首を苅る。

 数打ちの剣とはいえ、工房長が真摯に鍛えた刃の切れ味は業物と言って相違ない。

 鎧も盾もない人の身体を断つ程度、造作もないのだ。

 二つの鋭い銀光が首を通りすぎると、一拍開けてから首が飛び、噴き出した血が雨のように降り注ぐ。

 斥候はそれを一身に浴びながら、背を向けて逃げようとしている残る一人を睨み付けた。

 それを認めた瞬間、斥候は短剣を逆手に持ち替え、左足を半歩下げながら振りかぶり、全力をもってそれを投じた。

 

「ぎぃ!?」

 

 矢の如く放たれた短剣は盗賊の背に突き刺さり、背に熱と鋭い痛みを感じた盗賊は汚い悲鳴混じりにつんのめり、そのまま無様に転倒した。

 それでも這いずって逃げようとするが、すぐに追い付いた斥候は盗賊の髪の毛を掴み、無理やり頭を上げさせる。

 そのまま剣の刃を喉仏に押し当て、僅かに切れたのか血が滲む。

 

「い、嫌だ、死にたく──」

 

 命乞いをしようと口を動かした矢先に、剣が一気に引かれた。

 瞬間、僅かな傷口から滲み出ていた血液が出口を見つめ、大量の血が地面にぶちまけられる。

 剣越しに感じる皮膚を裂き、肉を断つ感覚に──人を殺めた感覚に何も感じず、斥候は深々とため息を吐いた。

 足元でビクビクと痙攣している盗賊の頭に剣を突き立ててトドメを差し、ついでに顔面を蹴り砕いた男にも念のために一刺し。

 それで終わりだった。たった五人の小規模な盗賊団とはいえ、無辜の人々にとっての脅威であることに変わりはない。

 それを大惨事が起こる前に抹殺できたのだ。むしろ胸を張るべきだろうと、自分を奮い立たせるように、褒めるように言い聞かせる。

 

「──夜の闇に包まれ眠れ。汝らの魂に、正当なる罰が与えられんことを」

 

 そして祈りの言葉を口にした斥候は、野営地の各所に威力を抑えた炸裂弾(グレネード)を仕掛けると、手頃なテントを足場にして侵入した時と同じように木によじ登り、そのまま枝伝いにその場を後にした。

 彼がその場を後にして数秒後、野営地を中心とした爆発が巻き起こり、柵を、テントを、彼らがいた痕跡を僅かに残して全てを吹き飛ばす。

 今後こそそれでおしまいだ。他の盗賊たちが住み着きそうな場所を破壊しておけば、次に同じ場所に現れても面倒は減る。

 その場を片付けることも大切だが、次に備えて多少の労力を割くことも忘れない。

 斥候にとってはそれが普通で、彼の日常だ。

 他の誰にも理解されずとも、これが、これだけが、彼が人を救える方法だった。

 

 

 

 

 

 数日後。辺境の街、早朝。

 日の出と共に商人たちが騒ぎだし、それを合図に住民たちが目を覚まし、冒険者たちも目を覚ます。

 それは斥候とて同じ事。安宿故に壁が薄く、隣の部屋の冒険者たちの声が丸聞こえで、それを合図にゆっくりと目を開いた。

 彼がいるのはベッドの上──ではなく、傷が目立つ年期のはいったタンスの影になる場所だ。

 彼はベッドでは眠らず、壁に背を預けながら片膝を立てて座り、片手半剣(バスタードソード)を肩に立て掛けながら眠る。

 彼なりに一番落ち着ける方法で寝ているのだが、やはりたまにはベッドを使うべきだろうかと思慮し、まあどうでも良いかとすぐに止めた。

 二時間でも眠れれば良いのだ。最低限の疲れを取る程度ならそれで問題はない。

 両手で頬を叩いて気合いを入れた斥候は剣を壁に立て掛けると立ち上がり、身体を捻って腰を鳴らした。

 前の依頼から戻ってきてから十分な休息がとれた。いい加減次の依頼に出なければならない。

 彼は小さくため息を漏らし、ベッドの下に隠していた長筒(エア・ライフル)とホルスターに納められた二挺の短筒(ピストル)、盾代わりの短剣を取りだすと、それぞれを簡単に点検し、長筒を背中のベルトに、短筒と短剣を腰帯に吊るした。

 最後に両手首のアサシンブレードの抜納刀に不具合がないかを確かめ、とりあえずは問題なしと小さく頷いた。

 多少の整備なら出来る長筒や短筒ならまだしも、アサシンブレードは壊れたら最後直しようがないのだ。

 父から継いだ、一際思い入れのある大事なもの。そう簡単に壊してなるものかと、無駄だとは思いつつも余計に気合いも入る。

 最後に壁に立て掛けた剣を回収して腰帯に吊るし、最後に若干曇っている鏡の前に立った。

 身嗜みを気にする性格でもなく、別にこだわりはないが──。

 

「……」

 

 彼は無言で鏡に映る自分を見つめれば、濁った蒼い瞳が見つめ返してくる。

 何も救えなかった自分(無能)の姿を睨みつければ、その無能(自分)からも睨み返される。

 それから逃げるように目を閉じ、怒りをぶつけるように壁を殴り付けた。

 壁の向こうから『うるせぇぞ!』と怒鳴りつけられるが、斥候の耳には届いていない。

 閉じた瞼に映るのはあの日の村の惨劇しかない。

 無念のままに死んでいった彼らの顔が、恐怖の中で殺された彼らの表情が消えず、彼らを殺した奴等の声が、炎の音が、耳から離れない。

 

「──」

 

 深く深呼吸をした斥候はゆっくりと目を開き、壁から拳を離した。

 

 ──今日は仕事(殺し)だ。今日も依頼(殺し)だ。今日も、抹殺(仕事)だ……。

 

 軋むように痛む拳をそのままに、無表情の斥候はそれを隠すようにフードを目深に被ると、足早に部屋を後にする。

 この安い部屋を拠点にして、およそ一週間。

 彼は熟睡することはなく淡々と毎日を生きていた。

 誰とも組まず、たった独りで、毎日を生きていた。

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory06 本当の始まり

 斥候が単独(ソロ)で活動するようになり早一ヶ月。

 彼は盗賊が出ればそれを追いかけ、出なければ装備の点検に務め、来るべき依頼に備えるという生活を続けていた。

 

「はぁ……」

 

 そんな彼と毎日のようにすれ違い、その度に半ば無視されている武闘家は、ギルド待合室の端の席でため息を吐いた。

 そのまま小さく唸りながら卓に突っ伏せば、豊かな胸が潰れて形を歪め、回りの同業者たち──特に男どもから──の視線が向けられる。

 視線という曖昧模糊なものを感じられる程、武闘家の力量(レベル)は高くないし、どんな名人でもそれを感じるのは中々に難しいだろう。

 それでも何だか気持ちが悪いものを感じた武闘家はため息混じりに身体を起こし、背凭れに身体を預けて天井を見上げた。

 昨日の依頼で案外お金が入った為、昨日の内から今日は休みにしようと決めていたのだが、意味もなくギルドに顔を出したのは自分だし、当の彼は昨日から依頼に出て、まだ帰ってきていないのは知っている。

 だからここにいるのは本当に無意味なことで、こうしているのは酒場の人たちから見れば冷やかしに他ならないだろう。

 だが武闘家は動く気になれなかった。もしかしたら彼が帰ってくるかもしれないし、そうしたら話しかけられるかもしれない。

 話しかけてしまえば、あとはどうにかして悩みを聞き出せばいいのだ。その『どうにかして』の肝心な部分が何も考えられていないのだが、まあそこは勢いのままよ。

 いつからかそうやって彼と話そうとしているのだが、それが行動に移せないのが問題なのだ。

 何より何を話せばいいのかもわからず、彼がどんな悩みを抱えているのかもわからない。

 あの村での出来事は確かに悲しいことで、多くの人が亡くなったのは事実だ。

 自分だってあれを気にしていない訳ではない。目を閉じれば鮮明に思い出せる、きっと一生かけても消えないものだ。

 それを言えば彼は話を聞いてくれるだろうか、また一緒に頑張りましょうと言えば、一党に戻ってくれるだろうか。

 

 ──何より、休んでくれるかな……。

 

 彼はほぼ休みなく依頼を受け、二、三日で帰ってはすぐに次の依頼に出ていってしまう。

 休む時は休んでいるのだろうが、それでも足りないほどに身体を酷使している筈だ。

 自分も武闘家の端くれ、身体を虐める時も休ませる時のメリハリの大切さは、父から耳に蛸が出来るほどに言われ続けたことだ。

 それを他人に強制するのはあまりよろしくはないだろうが、斥候ははっきり言えば働きすぎだ。あのゴブリンスレイヤーですら、時には休みを挟むというのに。

 

「でも、何て声をかければいいんだろ……」

 

 結局、問題はそこなのだ。

 今考えているのは彼が足を止めてくれて、そのまま話を聞いてくれる前提だ。

 まず話しかけなければいけないし、狙い目は仕事から帰って来た時。依頼を受ける前では話を聞いてはくれないだろう。

 だが、何と言って話しかければいい。

 

「ホント、どうしよう……」

 

 元々考えるのが苦手な彼女にとって、他人が何を思って行動しているのか、それを一時的に止めるにはどうすればいいのかなど、考えようがない。

 何より経験が足りない。彼のことを知らない。彼のことが、わからない。

 

「あー、もう……っ!」

 

 再び机に突っ伏しながら、視界の端に写った銀色の髪を弄ぶ。

 くるくると指に巻き付けるようにしてみたり、軽く引っ張ってみたり。

 母そっくりの髪色は大好きだし、母を真似て伸ばしてみてはいるものの、やはり長すぎても邪魔だ。この際切ってしまおうかと僅かに思慮。

 

『この髪型のほうが似合っている』

 

 同時に彼に言われたことを思い出し、すぐに思い留まった。

 折角彼との話題になりそうなものを、自分から手放すわけにはいかない。切り口は多い方がいいのは周知の事実だ。

 だが、髪の毛がその役割を果たすのかははだはだ疑問だ。

 

「……あー、もうどうしよう」

 

「どう、した……の?」

 

 そうしてまた机に突っ伏しながら悩んでいると、不意に女性の声が投げかけられた。

「ふぇ?」の気の抜けた声を漏らしながら顔をあげれば、いつの間にか対面の席に腰かけていた女性が微笑みを向けてくれる。

 

「えっと……?」

 

 武闘家が首を傾げるのも無理はない。目の前の女性とは初対面だ。その、筈だ。

 肢体の線が露な衣装を纏い、帽子を被った女性。

 それなりに大きいと思っている自分の胸よりも大きいもの、隠す気もないのか胸元が丸見えで、どこからか取り出した煙管(きせる)を吹かしている様は、同性ながらに大人の色気というものを感じて目眩がする。

 単純に煙管の臭いに慣れていないからかもしれないが、それを込みにしたって彼女の方がやはり大人なのだろう。

 そしてよく見てみれば、首から下げた認識票は黒曜の輝きを放っており、冒険者としても自分より上だという事実を教えてくれる。

 

「なにか、悩み、ごと……?」

 

 そんな風にじっと見ていると、目の前の女性──魔女は肉感的な肢体を揺らしながらそう問いかけた。

 

「え?あ、はい……」

 

 そして半ば無意識で頷いた武闘家を他所に、魔女は「そう」と僅かに睫毛を伏せながら頷き、煙管を吹かす。

 甘ったるい煙がふわりと広がり、慣れない臭いにけほけほと小さくむせる。

 

「あ、ら……ごめん、な、さい」

 

 武闘家のそのようすに困ったように笑いながら謝ると、武闘家は「だ、大丈夫です……」と強がって笑いながら応えた。

 

「やっと、笑って、くれた、わ、ね」

 

 魔女はそんな武闘家の笑んだ頬に触れながら薄く微笑み、「それ、で。どうした、の?」と改めて問いかけた。

 

「あの……っ!いえ、その……」

 

 問われた武闘家は思わず言ってしまいそうになるが、これは人に相談することなのだろうかと僅かに思慮。

 考えることは苦手ではあるが、他人に頼りきりというのも駄目だとは思う。答えを教えてくれるのは大変助かりはするが。

 そうして指を弄りながら俯いてしまった武闘家の頭を撫でた魔女は、「無理に、言わなくても、いい、わ」と首を横に振った。

「ごめんなさい」と囁くような声で謝ると「気に、しない、で」という言葉が返される。

 

「た、だ──」

 

「……?」

 

 魔女が手を離して何かを言いかけると、武闘家はゆっくりと顔をあげて、彼女の表情を見つめた。

 どこか憂いを帯びたように見える表情を浮かべながら、魔女は武闘家に告げた。

 

「誰、だって。一人で、悩む、の、大変、ね。あなたも、彼も、それは、同じ、よ」

 

「……っ!」

 

「それに。また、会える、か、わからない、わよ?」

 

「──」

 

 魔女の言葉は不思議と悩んでいた武闘家の心に入り込み、がんじがらめに絡まっていた糸を解いていく。

 

 ──そうだよ、何をここでうじうじと悩んでいるの。

 

 ──私たちは冒険者。今日会えたって、明日も会える保証はないのに。

 

 ──こうしている間にも、彼は一人で悩んで(戦って)いるのに。

 

 武闘家は深く、深く深呼吸をすると気合いを入れるように自分の頬を叩き、赤くなった保証はないそのままに魔女に向けて頭を下げた。

 

「ありがとうございます!えっと、頑張ってみます!」

 

「そ……」

 

 魔女は彼女の返答に満足そうに笑うと、「おう、どうした」の魔女の背後に一人の方へと男が現れた。

 すらりと背丈の高い、槍を担いだ美丈夫。首から吊るされた認識票を見る限り等級は黒曜。自分よりも長く冒険者をやっているのだろう。

 その美丈夫はちらりと武闘家に目を向けると、白磁の認識票を見つけて目を細め、「勧誘でもしてたのか?」と魔女に問いかけた。

 魔女は「い、え」と返しながらゆらゆらと首を振ると、「た、だ。相談、していた、だけ、よ」と付け加えた。

 

「そうかい。んじゃ、行くぞ」

 

「ええ。それじゃあ、ね」

 

 槍を担いだ美丈夫はそう言うと、魔女はゆっくりと頷いてしゃなりと肉感的な肢体を揺らして立ち上がった。

 そしてにこりと微笑むと、武闘家に向けて告げた。

 

「これから、冒険(デート)、なの。あなたも、頑張って、ね」

 

「はい!あ、あのっ!頑張ってください!」

 

 武闘家は二人の背中に応援の言葉を投げると、槍を担いだ美丈夫はぐっと握った拳を掲げ、魔女はひらひらと小さく手を振った。

 二人の背中が自由扉の向こうに消えていくまで見つめた武闘家は、改めて気合いを入れるように頬を叩いた。

 彼がいつ帰ってくるかはわからないが、その内帰ってくるのは間違いない。

 

『それに。また、会える、か、わからない、わよ?』

 

 ……間違いない、筈だ。

 脳裏によぎった魔女の言葉を振り切るように首を振り、武闘家は短くフッと息を吐いた。

 とにかく待とう。今は彼を信じて待つしかないのだ。

 

 

 

 

 

 だがしかし、待つと言っても彼がいつ帰ってくるかもわからず、かれこれ一時間くらいは経った頃だろうか。

 

「だぁ……。全然、帰ってこない……」

 

 ただ待つだけなのに酷く疲れた武闘家は気の抜けた声を漏らしながら卓に突っ伏し、深々とため息を吐いた。

 待つと決めていたとはいえ、そろそろ動かねば他の人にも迷惑がかかるだろう。

 また明日か、一旦離れてまた戻ってきて、受付嬢に聞いてみればいいかなんて適当なことを考える。

 そして思うが早いか、席を立った彼女はとたとたと軽やかな足音をたててギルドの自由扉を潜ろうとすると、ギルドに入ろうとした誰かにぶつかった。

 

「わわ!?」

 

 不意にぶつかった武闘家はその勢いのままに弾かれ、床に倒れそうになるが、ぶつかった誰かに腕を掴まれてそれは阻止された。

 武器を握り続けた為か、あるいは男性故か、硬く、力強い腕に支えられる武闘家はぱちぱちと瞬きを繰り返し、ちらりと相手の表情を伺う。

 

「……大丈夫か」

 

 同時に発せられた声は酷く掠れ、聞くからに疲労が溜まり、覇気に欠けているものだった。

 だが、その声には聞き覚えがあった。何より待ち望んでいたあの人の声だ。

 武闘家は銀色の瞳を見開き、自分の腕を掴む手を視線で追い、フードに隠された彼の表情をじっと見つめた。

 声色から察せたように酷く疲れているのか、蒼い瞳は力なく揺れており、頬や額には乾いた血が付着している。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 とりあえずそれを無視してお礼を言うと、言われた彼──武闘家の待ち人である斥候は首を横に振ってぼそりと呟く。

 

「……いや、俺も気を抜いていた。もういいか」

 

 そして彼女がしっかり体勢を整えた頃を見計らってそう言うと、返事を待たずに手を離して受付の方へと向かってしまう。

 

「あの……!」

 

 その背中に慌てて声をかけると、斥候は足を止め、ゆっくりと振り向いて「なんだ」と問いかける。

 彼が無視して行ってしまうという、最悪な結果だけは回避できた武闘家は内心でガッツポーズをしながら、どうにか舌を回して言葉を放つ。

 

「あ、えと、そのっ……。お話いいですか……?」

 

 変に緊張して声が上擦り、しどろもどろになりながらも取っ掛かりを作ろうとすると、斥候は小さく首を傾げながらも、「ああ」と肯定的な一言で返された。

 それを言い終えた彼は「報告を終えたらな」と告げて正面に向き直ると、いつもの受付嬢の下へと進んでいった。

 

「とりあえず、第一関門は、突破……?」

 

 そんな彼にも聞こえないように、酷く不安げな声で呟いた。

 如何せん彼のことは何もわからないのだ。これから歩み寄るにしても、どんな話題でいくべきか。

 彼女はまたそれで悩みながら、先程まで座っていた席を目指して歩き出した。

 一時間もしないうちに戻ってくるとは、自分も、あの席も思いはすまい。

 彼女はぽふんと軽い音をたてながら席につくと、じっと受付嬢に報告する斥候の姿を見つめる。

 そしてそれを済ませた彼はギルド内を見渡すと、すぐに武闘家を見つけた。

 彼女の銀色の瞳と、彼の蒼い瞳が見つめあい、武闘家は照れたように赤面しながら視線を逸らした。

 彼の顔は整っているし、彼は目が合うと何故か逸らしてくれないのだ。真正面から見つめられれば、余計に照れてしまう。

 そんな武闘家の反応にフードの中で首を傾げた斥候は、足音を立てることなく彼女の下を目指して歩き出し、対面の席に腰を下ろした。

 それすらも音が出ないのは、ひとえに彼の癖故だろう。

 故郷での戦いの相手は玄人(ベテラン)のアサシンたちだ。僅かな音ですらこちらを察知してくるのだから、音をたてないようにするのが癖になるのは当然のことだ。

 そうして席についた彼は小さく息を吐くと、雑嚢から取り出した手拭いで適当に顔を拭い、貼り付いた返り血を剥がしていく。

 パリパリと音をたて、拭うというよりは乱暴に削り落とすように顔を拭き終えた彼は、再びため息を漏らした。

 

「それで、話とはなんだ」

 

 同時に表情を引き締めながら投げ掛けられた声は、酷く無機質で形式めいた何かを感じられた。

 あくまで聞きたくて聞いているわけではなく、そう教えられたからそうしているのだと言わんばかりだ。

 それを理解してか、あるいは単純に話を聞いてくれたことが嬉しかったのか、武闘家も表情を引き締めながら問いかけた。

 

「あの、ちゃんと休んでますか……?」

 

「毎日寝てはいる」

 

 武闘家の問いかけに斥候は即答するが、彼女は畳み掛けるようにさらに問いを投げる。

 

「ちゃんと、眠れてますか?」

 

「……ああ」

 

 その問いに斥候が僅かに間を開けてから答えると、武闘家はフードに隠された彼の表情をじっと見つめ、「嘘、ですよね……」と自信なさげに呟いた。

 今の彼はただ強がっているようにしか見えず、最初の冒険を──あの盗賊たちとの戦いを終えた直後の彼と重なって見えるのだ。

 その言葉に斥候は肯定も否定もせず、僅かに俯いて長く息を吐いた。

 

「それで、何の用なんだ」

 

 そしてすぐに顔をあげ、蒼い双眸を細めながらそう告げた。

 僅かに語気を強め、早く話題を終わらせようとしているのが素人目でもわかる。

 武闘家は彼の反応に多少なりとも狼狽えるが、負けてなるものかと自分を奮い立たせる。

 幸先よくここまで来たのだ。このチャンスを逃がすわけにはいかない。

 

「休みましょう」

 

「……?」

 

 そうして単刀直入に告げられた言葉に、斥候は眉を寄せながら首を傾げた。

 何を言っているんだこいつはと、口には出してはいないものの、その表情がありありとその言葉を表している。

 

「──何が言いたい」

 

 だがそれでも抑えきれなかったのか、僅かに怒りが込められた一言が放たれた。

 

「ですから、明日はお休みにしましょう」

 

 それでも武闘家は怯むことなく、彼に言うべきことを真正面から告げた。

 その言葉に斥候は深々とため息を吐くと、「断る」の一言で断じた。

 それで話は終わりだと言わんばかりに席を立ち、踵を返して歩き出すが、武闘家は慌てて立ち上がって彼の手を取った。

 

「明日だけでもいいんです!ちゃんと休みましょう!」

 

「そんな暇はない。明日も仕事だ」

 

「な……っ。そんな状態でも行くつもりなんですか!?」

 

 必死になって出した武闘家の声は嫌にギルド内に響き渡り、それを合図に静まり返った。

 同時に回りの視線が二人に──多くは斥候に集中する。

 どこか気持ちが悪いものを見るような、なんか変なのものを見るかのような、あまり向けられていい視線ではない。

 それを集めた斥候は小さく舌打ちを漏らすと、彼女の手を振り払い、逆に掴み返しながら「来い」と告げて歩き出し、ギルドを出る。

 

「わわ!?ちょ、あの?!」

 

 腕を掴まれた武闘家は、引かれるがままギルドを後にした。

 二人がいなくなったギルド内にはすぐに喧騒が戻り、活気に満ちていく。

 どうせ自分たちとは関わりを持たない。気にするだけ疲れるだけだ。

 駆け出しの癖にならず者とはいえ、人ばかりを殺しているヤバい奴だ。関わらない方が身のためだ。

 

 

 

 

 

「あ、あの、斥候さん!?」

 

 そうして引っ張られること数分。

 ギルドを出てしばらく歩いた斥候が路地裏に入り込み、引かれるがままその後を追う武闘家が声をかけると、彼は足を止めた手を離した。

 無意識だろうかかなり力が入っていた為、手首には僅かに跡が残ってしまったが、まあ気にする程でもあるまい。

 

「お──は──したいんだ……」

 

「……はい?」

 

 そうやって手首に意識を向けていたせいか、彼が何かを言ったことを聞き逃すと、斥候はフードを脱ぎ払って彼女の方へと振り向いた。

 黒い髪の一部が血によって僅かに赤く染まっており、額には相変わらず乾いた血が張り付いている。

 

「お前は、何がしたいんだ……っ!」

 

 そして怒りで表情を歪めながら、彼は武闘家の肩に掴みかかり、勢いのままに壁に押さえつけた。

 力がこもっている為か手には血管が浮かび上がり、額にも青筋が浮かんでいる。

 かなり怒っているのが目に見えてわかるし、骨が軋むような痛みに武闘家は表情を歪めた。

 

「あ、あの……っ!」

 

「俺にはやらなければいけないことがある。やると決めたことがある。守らなければいけない人たちがいる」

 

「休んでいる暇はない。寝ている時間さえも惜しい。こうしている時間でさえも、無駄だと思えて仕方がない。こうしている間にも、奴等は彼らを狙っている」

 

「だから殺す。悲劇が起こる前に、惨劇が始まる前に、何もかも終わらせる(全員殺す)。そうすれば、全員助けられる。救えるんだよ」

 

 まるで呪詛のように、宣誓のように、彼は怒りの表情に対して淡々とした声音で言葉を放った。

 彼が戦う理由。彼が無理をする理由。彼がしようとしていることさえも理解できる、言葉の濁流が。

 

「教えてくれ。お前は、何がしたいんだ」

 

 蒼い瞳はどろりと濁り、怒りの表情さえも掻き消え無表情になると同時に、彼はそう問いかけた。

 それら全てを正面から受け止めた武闘家が怯えたように声を漏らすと、斥候はそっと彼女の肩から手を離し、「邪魔をしないでくれ」と告げた。

 それだけ言うと斥候は彼女に背を向けて、黒い髪を尾のように揺らしながら路地裏の更に奥を目指して歩き出す。

 通りの喧騒の届かない、陽の光さえも届かない、昼間なのに真っ暗な闇の中に一人入り込もうとして、

 

「待ってください!」

 

 その背中に、武闘家が飛び付いた。

 恥も外聞もないと開き直ってか、彼の腰に腕を巻き付け、豊かな胸を押し付けるように身体を抱き締める。

 

「俺の邪魔を──」

 

 腰に巻き付く彼女の腕を掴み、剥がそうとしながらそう口にすると、武闘家は更に力強く彼のことを抱き締めながら叫んだ。

 

「確かに、あなたなら助けられる人がいます!あなたにしか出来ないこともあります!」

 

「そうだ、その通りだ。他の奴等は魔物を殺し、遺跡を踏破し、時には(・・・)野盗を殺すともあるだろう。だが、それでは足りない」

 

「小鬼畜生どもと同じだ。奴等はどこにでも、吐いて捨てるほどにいる。『時には』では駄目だ。毎日欠かさず、奴等を殺しきる誰かが必要だ」

 

「だから俺はそれをやる。元より死ぬ筈だった命だ。他の誰かの為に、誰もやらないことを。無辜の人たちを守るために、俺の命を使う」

 

「俺が助けている村の人たちは、世界に生きる小さな一人にすぎないだろう。彼らを助けたところで、世界を救えない。だが、彼らには自由がある。冒険者になるか、そのまま村に残って子孫を育むのか、進む道を選べるだろう」

 

「だからこそ、俺は野盗を狩る。狩り尽くす。その道を理不尽に奪う者を、『誰かの未来を奪うという選択をした者』を、許すわけにはいかない」

 

 斥候は武闘家の細い腕を掴みながら淡々とそう告げた。

 母に救われたあの日、自分は死ぬ筈だった。

 船から投げ出されたあの日、自分は死ぬ筈だった。

 何よりアサシンとの戦いで、自分は死ぬ筈だった。

 それでも生き延び、様々な選択を経て今があるのだ。

 誰かに生かされた分を、誰かを生かすために使うのは間違いではない筈だ。

 自分が選んだ道を突き進み、誰かを助けることは間違いではない筈だ。

 斥候の覚悟は固く、何があっても揺らぐことはないだろう。

 

「でも、あなたが倒れてしまったら何にもなりません!」

 

 それでも彼女は叫んだ。

 彼に何があったのかはわからない。

 彼が何を考えているのかもわからない。

 それでも──、

 

「あなたが誰かを助けようとしているのはわかります!あなたが必死になっているのもわかります!それでも、身体を休めてください!このままだと、大事な時に壊れてしまいます!」

 

 武闘家は目に涙を浮かべながら叫び、離されまいと両腕に力を入れる。

 離したしまえばどこかに行ってしまうそうで、消えてしまいそうで恐ろしいのだ。

 それでも彼は止まろうとしない。何がなんでも彼女を剥がし、前に進もうとしている。

 

「ここまで言っても聞いてくれないのなら──」

 

 そこまで言った彼女は一瞬だけ彼を解放すると、素早く彼の前に回り込んだ。

 もはや訳もわからず流れた涙をそのままに彼の顔を見上げ、そして告げた。

 

「私も一緒に行きます!あなたに助けられた命なんですから、今度は私があなたを助けます!」

 

 じっと濁った彼の瞳を覗きこみながら、感情のままに言葉を吐き出した。

 斥候は僅かに目を剥いて驚きを露にすると、「何を言い出す」と告げて彼女の肩を押して退かそうとする。

 だが彼女は両足を踏ん張って動かず、彼の前に立ちはだかった。

 

「私だって、あの村のことを忘れたことはありません!あの人たちには生きていて欲しかった、あの子達にも、きっといい未来があった筈です!それを奪ったあの人たちは、あんな連中は許せません、憎くてしょうがないです!」

 

「でも、あなたには無理をしないで欲しいんですっ。あなたは私の命の恩人です。冒険者になって、初めて出来た仲間なんです。だから、もっと頼ってください」

 

「何度でも言います。あなたが頷くまで言い続けます。私も一緒に行きます。今度は、私があなたを助けます」

 

 そうやって感情を爆発させた武闘家の言葉を受けた斥候は言葉を失い、そしてゆっくりと目を閉じた。

 仲間、仲間かと胸の中で反芻し、先生たちも一人で何かをしようとすることはなかったなと僅かに昔のことを思い出す。

 

「さ、先に言いますけど、頷いてくれるまで、離しませんからね!」

 

 そんな彼に向けて、今思い付いたように言いながら更に身体を密着させる武闘家。

 斥候は深々とため息を吐くと、まるで独り言でも呟くような声音で彼女に告げた。

 

「無理に付き合う必要はない。こんな事をするのは、俺だけで十分だ」

 

 その一言に思わずムッとした武闘家はわざとらしく頬を膨らませ、身長の都合上、彼の顔を上目遣いになりながら睨み付けた。

 同時に目を剥いて驚きを露にし、溢れそうになった涙を堪えようと唇を噛み締める。

 きっと彼は笑っているつもりなのだろう。どうにかして自分を剥がそうとして、無理に笑っているのだろう。

 だが、それは見るに耐えない、文字通り壊れたような笑みだった。

 唇は歪に歪み、頬は引きつり、細まっている瞳は一切笑っていない。

 そんな顔をされて、はいわかりましたと言える者などいるわけがない。

 

「無理はしてません!むしろ、あなたに無理をして欲しくないから一緒に行くんです!」

 

 武闘家はごり押すようにそう言うと、斥候は今度こそ諦めたようにため息を漏らした。

 今の彼女の姿を、戦線に出すように無理を言った過去の自分と重ねて見たのだろう。こうなったら最後、頷かなければ止まってくれない。

 

「……わかった。わかったから、離してくれ」

 

「ホントですか?」

 

「本当だとも」

 

 念を押すように放たれた問いかけに斥候は確かに頷くと、武闘家は警戒するようにゆっくりと彼の身体から離れ、彼が動かないと見るやホッと胸を撫で下ろした。

 

「それじゃあ、明日はよろしくお願いします」

 

 同時に微笑みながら頭を下げると、「それはいいんだが」と何とも曖昧な言葉で返される。

 

「……?」

 

 予想に反した彼の反応に首を傾げると、斥候は額を押さえながら「あいつらにはどう説明する」と言葉を続けた。

 

「あ……」

 

 そこまで言われることで、ようやく彼の言わんとしていることを理解した武闘家は、ハッとしながら間の抜けた声を漏らした。

 彼と行動するということは、彼ら三人と一時的に別れることになってしまう。

 それを説明しなければ、彼らにも迷惑をかけてしまう。

 

「……」

 

 彼女の反応を受けた斥候は、腕を組みながら僅かに困惑するように目を細めた。

 明らかに引いている。その目には僅かな軽蔑の色さえもある。そして自分も人のことを言えないなと僅かに自嘲する。

 

「あ、いえ、大丈夫です!どうにかしますから!」

 

 そんな彼に向けて、武闘家は身振り手振りを交えながら必死になって言うと、斥候は本日何度目かのため息を吐いた。

 もうどうとでもなれと言わんばかりに、どうしてこうなったと言わんばかりに──。

 

 

 

 

 

 翌日。冒険者ギルド。

 

「それじゃあ、行ってきます!」

 

 正式に斥候の仲間となった武闘家は、銀色の髪を尾のように揺らして頭を下げると、受付嬢は笑みを浮かべながら「お気をつけて」と小さく頭を下げる。

「はい!」と元気よく返事をした武闘家は走りだし、出入り口の脇で待機していた斥候に合流すると、そのまま自由扉を潜って依頼へと出てしまう。

 その背を見送った受付嬢は、どこか安堵したように息を吐いた。

 斥候が何かしら思い詰めていたのも知っているし、彼女が切っ掛けで何かしら解決することを期待しているのだろう。

 

「……あいつと組むなんて、あの娘もとんだ物好きだな」

 

 そんな彼女の耳に、どこからか囁くような声が届いた。

 正した姿勢をそのままに、ちらりと声の主の方へと目を向ければ、何人かの冒険者──件の二人よりも等級は上だ──が、揺れている自由扉を見ながら顔を合わせている。

 

「毎日、毎日、飽きもせずならず者を殺しまくる奴の仲間って、物好き通り越してヤバい奴なんじゃあないのか?」

 

「この街にはゴブリンスレイヤー(何か変なの)がいるってのに、それがもう二人、ね」

 

 聞くからに二人のことを虚仮にしている、あるいは侮蔑しているような内容に思わず唇の端がひきつるが、冒険者たちはやれやれと首を振りながら、困ったようにため息を漏らした。

 

「なんならゴブリンスレイヤーみたく名前でも話し合ってみるかい?」

 

「知らないのか、それはもう決まっているぞ」

 

「え、ちょ、いつの間に……」

 

「知らないなら教えてやろう。娘の方は知らないが、あの男の渾名は──」

 

 

 

 

 

ならず者殺し(ローグハンター)、ですか……」

 

 黙々と街道を進む斥候の背を追っていた武闘家は、不意にギルド内で聞こえてしまった言葉を口にした。

 おそらく目の前の彼のことを呼ぶ渾名のようなもの、だと思うが、少々物騒に過ぎないだろうかと思う。

 当の彼は気にした様子もなく、もしかしたら聞いていなかった可能性もあるが、

 

「それのことか」

 

 しっかりと把握はしていたようで、彼は足を止めずに顔の前に手を挙げて力の限り握り締め、濁った蒼い瞳に冷たいものを宿しながら告げた。

 

「上等な呼び名だ。俺もそうなることを望んでいる」

 

 その声に込められた覚悟のほどを、この頃の武闘家には計ることは出来なかった。

 その渾名が生涯彼に付きまとうものになるなぞ、それが自分のことも意味するようになることなぞ、この頃の武闘家には考えることも出来なかった──。

 

 

 




いきなりですが、Episode2はこれにて終了。
次回からEpisode3、むしろメインである二人の馴れ初めに入っていく予定です。

感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Episode2 比翼連理
Memory01 二人の一幕


某p◯xivで、I字バランスをする銀髪武闘家のイラストを発見して変な声が出た作者です。
題名からして海外ニキですが、マジ感謝。





 本来あるべき双子の月も、分厚い雲に覆われてしまえばその光が地上に注ぐことはない。

 ただですら光源の少ない夜の森は、月が隠れてしまえば文字通り一寸先さえも見えない闇に覆われる。

 生い茂る草木により足場も悪く、吹き抜ける冷たい夜風が緊張により噴き出た汗を舐めとり、体温が下がっていく。

 それが体力を無駄に消耗させ、余計に息が乱れてしまう。

 

「ふぅぅぅぅ──……」

 

 それを落ち着かせようと深く息を吐きながら身震いをしたのは、銀色の髪を揺らす武闘家だ。

 森に侵入してもう一時間は経っている。おかげで目は慣れてはきた。

 彼女がじっと見つめる先には、彼女の仲間である斥候──ならず者殺し(ローグハンター)と呼ばれるようになった青年の背中が見えているが、その気配は希薄で、目を凝らしていなければすぐにでも見失ってしまう。

 まあ時折足を止めて待ってくれる辺り、置いていくつもりがないという、多少変わっても根っこの部分にある彼の優しさなのだろう。

 そして不意に足を止めるとその場にしゃがみ、手振りで武闘家のことを呼ぶ。

 それに慌てて反応して走り出そうとするが、足元の枝を踏んだ音に驚き肩を跳ねさせた。

 声を出さなかっただけまだましだろうが、前でしゃがんでいたローグハンターは勢いよく振り返り、鋭く彼女のことを睨み付ける。

 フードの奥で輝く蒼い瞳は「何をしている」と怒鳴らんばかりの迫力がこもっており、武闘家はぶるりと背筋を震わせた。

 そして今度は音をたてないように細心の注意を払いながら彼の下を目指し、その隣にしゃがみこんだ。

 その間も彼の視線が向けられており、戦々恐々といった様子だが、しゃがむ頃には正面に戻る。

 二人が身を隠した茂みの向こう、更に数十メートル先には誰かが夜営しているのか、焚き火の炎が揺れている。

 その炎に照らされて浮かび上がっているのは複数の人影と、彼らが夕食として捕らえてきた獣の影だ。

 鼻に意識を傾ければ、僅かに肉の焼ける臭いが風にのって漂い、武闘家の空腹感に訴えかけてくる。

 横で小さくあうあうと喘ぐ彼女を他所に、ローグハンターは焚き火の明かりを睨みながら口を開いた。

 

「もう少し近づかなければわからないが、奴等が今回の目標(ターゲット)だ。何をしでかしたのかはわからないが、依頼が出ている以上、確実に殺る」

 

「りょ、了解です……っ」

 

 彼の淡々とした声での指示に、武闘家は震える拳を握りながら頷いた。

 彼と一緒に依頼に出るのは何度目だろうかと自問し、それだけこなしているのに震える手をを抑えようと深呼吸を一度。

 

「行けるか」

 

 そんなことをしていると、ローグハンターは得物を確かめながら問いかけた。

 仕事に出る度にいつも聞かれることだが、それにすぐに答えられないのは己の未熟さ故だ。

 

「大丈夫です……っ!」

 

 たっぷり数呼吸分の間を開けてから答えると、ローグハンターは一度小さく頷き、「行くぞ」と呟いてしゃがんだまま(スニーク状態で)歩き出す。

 武闘家は見よう見まねでしゃがみながらその後ろに続き、がさがさと茂みが揺れる音が森の闇から漏れる。

 それは風に吹かれて出ているのか、あるいは二人が茂みを揺らして出ているのかはわからない。

 それさえもわからないほどの暗闇の中を、二人の冒険者は黙々と進んでいった。

 

 

 

 

 

 夜営地の中央。この周辺を縄張りとしている野盗たちは、自分たちでこしらえた焚き火の炎に照らされながら、軽い談笑の時間を過ごしていた。

 やれ前に襲った村は大変だっただの、やれその時襲った女の泣き声といったらだの、内容はあまり真っ当なものとは言えない。

 だがそれが彼らにとっては普通のことで、何よりそれが生き甲斐なのだ。

 だがしかし、それを決して許さない者の接近に誰も気付かず、近くの茂みから伸びる長筒(エア・ライフル)の銃口にも気付くことはない。

 それを構えるローグハンターはゆっくりと吸い込む、止めた。

 その狙いは六人いるうちの一人に向けられており、後は銃爪(トリガー)を引くだけで一人を無力化できる。

 それをよく知るローグハンターは一切の躊躇なく銃爪を引くと、ピュン!と聞き方によってはひどく滑稽に思える音を漏らしながら、赤い飾り羽が取り付けられた──彼の故郷では『バーサークダート』と呼ばれる、相手を異常なまでの興奮状態にする薬品が塗られた投射針(ダート)が放たれた。

 それは寸分の狂いなく野盗の背中に突き刺さり、投射針(ダート)に仕込まれた薬品が体内に注入される。

 

「っ!?おおおおおおおおおっ!!!!」

 

 撃たれた野盗はびくんと身体を跳ねさせると突然叫び声をあげ、腰に下げた鉈を取り出し、目についた仲間に飛びかかった。

 

「お、おい!?どうし──」

 

 飛びかかられた男が驚き、声をあげた瞬間、鉈がその頭蓋に振り下ろされた。

 錆び付き、所々欠けた肉厚の刃はまさに叩き斬る用途にしか使えない代物だが、命を奪うにはそれで事足りる。

 鉈の一撃は防御の為に差し出された錆びた剣を叩き折り、その勢いのままに頭蓋骨を砕いて脳髄を辺りにぶちまけた。

 肉片が焚き火に入ったのか、ただですら強かった肉が焼ける臭いが強まり、下手をすれば辺りの獣たちも寄って来そうな程だ。

 理性の欠片のない咆哮をあげ、仲間の死体に鉈を振り下ろしてばらばらに解体していくのを他所に、ローグハンターと武闘家の二人は茂みを掻き分けて位置を変更する。

 狂ったように吼えながら死体を解体する野盗と、彼に目を奪われて立ち尽くす他の野盗たちの背後、二人が位置取ったのはその位置だ。

 二人は顔を見合わせて頷きあうと、ローグハンターは指を三本立ててそれを一本ずつ曲げていく。

 三本だった指が二本になった。

 武闘家は深呼吸をして意識を集中した。

 二本だった指が一本になった。

 武闘家は狙いの一人に目を向け、拳を握りしめた。

 一本だった指が零に。

 瞬間、ローグハンターが矢のごとく茂みから飛びだし、両手首のアサシンブレードを抜刀。

 突撃の勢いのままに、気付かずに立ち尽くしていた二人の野盗の間に滑り込み、そのうなじに極小の刃を叩きつけた。

 喉仏から切っ先が飛び出した二人は驚愕に目を見開き、声も出ないのにパクパクと口を開閉させていると、ローグハンターは小指を曲げて絡繰りを動作させ、アサシンブレードを納刀と同時に引き抜いた。

 喉を貫かれた二人は白眼を剥きながら崩れ落ちると、その音を合図に他の野盗が振り向いた。

 

「な、なんだてめぇ!」

 

 仲間の死体を解体する男をそのままに、野盗は慌てて錆の目立つ剣を構えようとするが、

 

「いぃぃぃぃやっ!!」

 

 それよりも前に武闘家が懐に飛び込み、顔面に拳を叩き込んだ。

 ごっと鈍い音を響かせるが、あくまで少女が放った拳だ。安物の籠手に包まれているとはいえ、その威力はたかが知れている。

 事実顔面を殴られた野盗は、血を噴き出す鼻を押さえながらたたらを踏むのみで、絶命するには程遠い。

 

「でぇぇぇりゃぁぁあああ!!!」

 

 ならば何度でも撃ち込むまでと、怪鳥音を放ちながら鳩尾に拳を撃ち込む。

 ごっ!と固いものがぶつかり合う音が漏れ、武闘家は拳全体が痺れるような痛みに唸るのと、野盗が鳩尾を殴られたことで一時的に呼吸が止まるのはほぼ同時。

 相手の動きが止まった隙を見逃さず、武闘家は肺一杯に空気を吸い込みながら、高々と右足を掲げる。

 

「こんのぉっ!!!」

 

 気合いの咆哮と共に、無防備に晒された野盗の後頭部に向け、脚半に包まれた踵を撃ち据えた。

 野盗の頭はその勢いのままに地面に叩きつけられ、伸びた身体はピクピクと痙攣を繰り返す。

 

「っ!」

 

 それを視認した瞬間、武闘家はもはや無意識の内に追撃へと意識を向けていた。

 膝を曲げたまま足をあげ、全体重を乗せた踏みつけ(ストンプ)を頭に落とした。

 ぐちゃりと湿った音が漏れ、足の裏には何か固いものと、柔らかいものを踏み潰した感覚と、安物故か脚半の隙間からは生温かい液体が滲み、足を濡らす。

 

「っ!!」

 

 その感覚に背筋を震わせると、悲痛な表情を浮かべながらぎゅっと目を閉じた。

 相手は祈らぬ者(ノンプレイヤー)、根絶すべき、自分たち祈る者(プレイヤー)の敵だ。

 彼らを殺さなければ誰かが犠牲になるし、顔も知らない誰かが涙を流すだろう。

 それはわかっている。わかっているのだが、やはり人を殺すというのは──。

 

「ぅ……っ」

 

 そうして考えていると、鼻を鉄臭い血の臭いが抜けていき、思わず吐き気を覚えて口を押さえた。

 まだ戦闘中なのに目に涙が浮かび、足から力が抜けてその場に膝をつきそうになる。

 

「おおぉぉぉああああっ!!!」

 

 そんな彼女の背後から、先程まで仲間の死体を解体していた野盗が躍りかかった。

 仲間の死体はもはや原型を留めておらず、小さな肉片や骨片が血の海に浮いている。

 だが武闘家にそれを見る余裕も、背後からの奇襲に反応する余裕もなく、振り返り様に押し倒され、馬乗りになられて身動きを封じられた。

 武闘家は鼻先を撫でる血の臭いが混ざった生臭い呼気に、思わず身体を強張らせながら目を見開いた。

 振り上げられた鉈は血に濡れ、滴るそれには間もなく彼女のものが上塗りされるだろう。

 ぎらつく瞳はまっすぐと彼女の瞳を見下ろしており、そこには一切の慈悲の念はない。

 ローグハンターの放ったバーサークダートの効果もあるだろうが、元より相手は敵──祈らぬ者(ノンプレイヤー)だ。

 相手からすれば加減する道理はないし、何より今の状態では加減も出来ないだろう。

 急速に近づいてくる死の気配。たった一つ、ほんの一瞬の気の緩み(ファンブル)が、容易く彼女の命を終わらせようとしていた。

 

「おおおおああああああっ!!!」

 

 野盗は獣じみた咆哮をあげながら鉈を振り下ろさんとした瞬間、横合いから飛び付いた何者かによって押し飛ばされた。

 飛び付いたのは黒い衣装を返り血で彩ったローグハンターで、彼は暴れ馬のようにじたばたともがく野盗の腹の上に馬乗りになると、短剣で喉を貫いた。

 

「かっ!ぉ……ぇ……」

 

 その痛みに目を見開いた野盗は口からがぼがぼと血の泡を噴きながら身体を痙攣させると、霞む意識の中でローグハンターの胸ぐらを掴んだ。

 その手を掴み返したローグハンターはそれを引き剥がすと、突き刺したままの短剣を振って喉を裂いた。

 

「おぁ゛……っ」

 

 身体をびくんと跳ねさせながら、断末魔をあげた野盗は白眼を剥き、がくりと首を倒した。

 その死体を見下ろしながらホッと息を吐いたローグハンターは、野盗の目を閉じてやると、ゆっくりと立ち上がって短剣を腰帯に吊るした。

 片手半剣だけは手に握ったまま、額に空いている手をやりながら天を仰いだ。

 いつもなら夜を照らしてくれる双子の月も、鮮やかに煌めく星々も、厚い雲に覆われて見ることは叶わず、黒一色の空が見えるのみ。

 雨でも降るだろうかと僅かに思慮をしたローグハンターは、その体勢のまま疲労を吐き出すように息を吐くと、ちらりと振り向いて地面に倒れている武闘家に目を向けた。

 相変わらず足音を一切たてずに彼女に近づきながら、血に濡れた手を衣装の裾で適当に拭うと、彼女に向けてそっと差し出した。

 武闘家は「ありがとうございます……」と覇気に欠けた声で礼を言いながらその手を取ると、ローグハンターは力強く手を握りしめ、軽く彼女の身体を引き上げた。

 どうにか両足を踏ん張って立ってはいるものの、一度覚えてしまった吐き気はなかなか治まるものではなく、何もしていないのに息が切れてしまう。

 

「大丈夫か」

 

 そんな彼女に水袋を差し出しながら問うと、彼女はそれを受け取りながら「なんとか」と力なく笑ってみせた。

 そして「いただきます」と呟いてから一口あおると、けほけほと噎せながら口を離した。

 口の端から垂れる水を拭いながら夜営地の端に目を向ければ、あの後も自分が一人倒す間に彼は二人も倒したのか、二つの死体が転がっており、あのタイミングでの救援もなかなかにギリギリだったことは明白だった。

 

 ──また、足引っ張っちゃったな……。

 

 武闘家は小さくため息を吐くと、ローグハンターは疑問符混じりに首を傾げ、「どうかしたのか」と問いを投げた。

 

「あ、いえ。何でも、ないです……」

 

 純粋に心配してくれているのだろう。

 真っ直ぐ見つめられながら放たれた問いかけに、武闘家は思わず滲んだ涙を隠すように彼に背を向けながら応じた。

 いきなり背を向けられたローグハンターは余計に疑問符を浮かべるが、「なら、いいんだが」ととりあえず納得することにした。

 やることはやったのだ。後は帰って報告を済ませるのみ。

 なら、帰るかと言おうとした矢先、パチンと何かが弾ける音が肩から発せられた。

 だが何かが突き刺さったような鋭く痛みや、殴られたような鈍い痛みはなく、むしろ何も感じないのだから不思議なもの。

 

「……?」

 

 ローグハンターは一切臆することなく肩に触れると、そこには確かな湿り気を感じた。

 

「どうかしたんですか?」

 

 とりあえず涙を拭い、振り向いた武闘家は、何やら肩の辺りを探っているローグハンターの姿に目を丸くすると、彼は小さく舌打ちを漏らした。

 そしておもむろに雑嚢に手を突っ込むと、大きめの布を引っ張り出した。

 同時にごろごろと雷電龍が喉を鳴らし始め、やがて音をたてて雨が降り始めた。

 冷たい雨粒が二人と、辺りに転がる死体たちに降り注ぎ、大地を汚す血を、二人を彩る返り血を落としてくれる。

 それはありがたいのだが、流石に夜の雨は冷たいもので、慌てて木陰に入ろうとする武闘家を他所に、フードで雨粒を防いでいるローグハンターは、取り出した布を広げ、外套代わりに彼女の身体に被せてやった。

 耳元でぱらぱらと音をたてて雨粒が弾け、静かな夜にささやかな騒がしさを与えてくれる。

 彼が被せてくれた外套の襟をぎゅっと掴んで押さえながら、「ありがとうございます」と雨音に消されてしまいそうなほどのか細い声で礼を言った。

 だがその言葉は確かに届いたようで、ローグハンターは相変わらず無表情なまま「気にするな」と一言で返した。

 そして雨が降り注ぐ空を見上げながら、僅かに目を細めた。

 見る限り雲も厚く、風もあまりない。今晩中に止む可能性は低いように見える。

 

「明日になれば止むだろう。どこかで雨宿りをしてから、街に戻る」

 

 彼は経験則からそう提案すると、武闘家はこくりと頷いた。

 

「はい、わかりました。流石に寒いですからね」

 

 そう言うと「くしゅん!」と可愛いらしいくしゃみを漏らし、ぶるりと一度身震いした。

 彼女の反応にローグハンターが「寒いからな」と気を遣ったように肩を竦めると、武闘家は外套を目深く被って赤面した顔を隠しながら、勢いよく背を向けた。

 またかとは思いつつも、二度目ともなればもはや気にもとめなくなったローグハンターは、辺りに転がる死体たちを一瞥すると、小さく息を吐き、フードを深く被り直した。

 

「死は冷たく恐ろしいものなれど、その先にあるは永き平穏なり。眠れ、安らかに」

 

 同時に紡いだのは祈りの言葉。

 神官でもない彼の祈りに意味があるかはわからないが、やらずに黄泉帰り(ゾンビ)になられるよりは、一応やっておくべきだろう。

 何より尊敬する父の教えだ。どんなに憎い相手でも、どんなに憎悪を向けていても、せめて死ぬ瞬間だけは優しくあれと。

 

 ──まだまだ、未熟だな……。

 

 だがそれも忘れて呪詛を吐いたことは確かだ。それを未熟と言わずに何と言う。

 

「さて、近場に洞窟でもあればいいんだが……」

 

 そんな意識を切り替えながら、ローグハンターは踵を返して歩き出した。

 夜の森を、雨の中を進まなければならないのだ。気を引き締めなければならない。

 

「が、頑張って探しましょう……っ!」

 

 そんな彼の苦労を知ってか知らずか、武闘家はぐっと拳を握りながら言うと、ちらりと転がる死体たちに目を向けた。

 そして悲痛な表情を浮かべると、謝罪のつもりか、あるいは武闘家としての礼儀か、その場で姿勢を正して一礼した。

 それを済ませるとくるりと振り返り、足を止めて待っていてくれたローグハンターの背中を目指して走り出す。

 雨足は強まるばかり。二人がそこにいた痕跡と、野盗たちがそこにいた痕跡は、朝になる頃には洗い流され、それでも残された死体は獣たちの餌になるだろう。

 そうやって円環(サークル)に巡り、また何かしらの形で産まれ、新たな生を全うする。

 それがこの世界の在り方であり、万物が必ず通る道だ。

 だが盤の外からきたローグハンターが死ねばどうなるかはわからない。

 天上から見つめる神々にも、わからないことはあるのだ。

 

 

 

 

 

 森の外れにあったとある廃屋。

 かつては村があったのか、あるいは猟師たちが使っていたものが捨てられたのか、ともかく雨風を凌ぐには丁度いいものがあった。

 埃っぽいし、少々かび臭く、窓も割れてはいるが、家としての形は残っているし、壁と天井の作りはしっかりとしている。

 割れた窓には布を被せて雨を防ぎながら明かりが漏れないように細工を済ませれば、松明用の棒切れで暖炉に火を入れて暖を取り、冷えてしまった身体を温める。

 グショグショに湿った靴は脱ぎ、水を吸って重くなった靴下と合わせて紐で吊るし、暖炉に当てて乾かす。

 そんな暖炉の前、一番温かいであろう場所には、ローグハンターと武闘家の姿があった。

 ローグハンターの黒い髪と、武闘家の銀色の髪が橙色の炎に照らされてきらきらと輝き、壁に浮かび上がる二人の影がゆらゆらと揺れる。

 ローグハンターは雨で濡れて重くなった衣装を脱いでインナー姿になっており、隣の武闘家はあまり濡れなかったからかいつもの格好ではあるが、その顔は赤い。

 いつも着込んでいる為よくわからなかったが、インナーという薄着一枚になれば話は違う。

 僅かに湿っているのか、彼の筋肉がわかるほどにぴたりと貼り付き、それは年頃の乙女が見るには刺激が強すぎる。

 顔を真っ赤にしたまま緊張してぷるぷると震える彼女を他所に、ローグハンターはこきこきと首を鳴らすと、蒼い瞳に揺れる炎を映した。

 炎はあまり好きではない。見ているとあの日を、大恩人(モンロー大佐)が死んだ日を思い出すからだ。

 どんなに力をつけても、どんなにアサシンを殺しても、あの日の戦いを、あの日の敗北を、忘れられない。

 

「あ、あの……?」

 

 炎を見つめながら思い耽っていたローグハンターの耳に、すぐ隣から声をかけられた。

 ローグハンターは無意識に血が滲むほどに握りしめていた拳を開きながら「どうした」と問いかけた。

 

「大丈夫、ですか……?」

 

「問題ない」

 

 心配そうに顔を覗き込みながら投げられた質問に、ローグハンターはただの一言で返すと、彼女の顔を見つめ返しながら口を開いた。

 

「……辛いか」

 

 放たれたのは、たったの一言。

 まるで独り言のように紡がれた言葉だが、その一言は確かに武闘家の耳には届いていた。

 彼女はその言葉に答えることは出来ず、背筋を冷たいものが走ったのを感じて身体を強張らせていると、ローグハンターは「だよな」と呟いた。

 

「人が死ぬのを見るのも、人を殺すのも、本当は辛い筈だ。あと何十年もある筈の誰かの一生を、力にものを言わせてそこで終わらせて、その後の人生を何も感じずにのうのうと生きていける奴なんて、いるわけがない」

 

 いたとしてら、そいつは人間として壊れているな。

 珍しく悲しげな表情を浮かべながらそう言うと、彼は優しく武闘家の頬に触れ、うっすらと残る涙の跡を指で拭った。

 

「だから、無理はしなくていい。これは俺の役目(ロール)だ。俺がやるべきことだ。お前にはお前の役目(ロール)がある筈だ」

 

 彼はそう告げながら形だけの笑みを浮かべると、彼女の銀色の髪に手を触れた。

 指触りのいい髪だが、やはりと云うべきか多少は解れたり絡まったりと、割かし指が引っ掛かる。

 

「辛ければ降りていい。あいつらの所に戻れ。ならず者殺し(こんなこと)をするのは、俺だけでいい」

 

 決して足手まといだとは言わない。

 

 ──お前がいない方が、仕事が楽だと言われればそれで済むのに。

 

 決して無理強いはしない。

 

 ──辛いなら辞めろと強めに言ってくれれば、それでいいのに。

 

 あくまで相手の意志を尊重し、どうするかを提示するだけで、どうするかは相手に選ばせる。

 それが彼の優しさなのだろう。

 逃げたいと言えば逃がしてくれるし、帰りたいと言えば帰してくれもする。そこに口を挟むことなく、相手の意志を第一にしてくれるのだから。

 同時に、それは彼の怖いところでもあるだろう。

 最後の、人生が左右されるほどに大切な部分を相手に選ばせ、その選択が間違っていたとしても何も言わないのだから。

 武闘家は両膝を抱えながら小さく呻くと、ローグハンターは濁った蒼い瞳に彼女を映しながら告げた。

 

「辛いのもわかる。苦しいのもわかる。人を殺して何も思わない異常者になったら、人間として終わりだ。お前は、まだ戻れる」

 

 ローグハンターは出来るだけ声音を優しく──それこそ妹に言い聞かせるようにそう言うと、武闘家はぼそりと囁いた。

 

「あな、たは……?」

 

「──」

 

 無意識の内に放たれたその一言は、無意識故かローグハンターの心の隙を突き、彼から言葉を奪い去った。

 彼は驚いたように僅かに目を見開きながら身動き一つせずにいると、武闘家は「あの……?」と声を漏らしながら小首を傾げた。

 彼は「お前は──」と呟いてからたっぷり数呼吸分の間を開けると、フッと僅かに口の端を歪めて笑みをこぼした。

 

「優しい奴だな。俺が知る、誰よりも」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 彼からの賞賛の声と、貼り付けたものとはいえ微笑を浮かべた姿に思わず赤面した武闘家は、とりあえず礼を口にすると、ローグハンターはいきなり真剣な面持ちになりながら彼女に告げた。

 

「だから、もう一度言う。無理はするな」

 

 彼は淡々とした口調でそう言うと、話は終わりだと言わんばかりに「俺が見張る。もう寝ろ」と続けて話題を断ち切った。

 

「え……?あ、あの……?」

 

 突撃の終了に狼狽える武闘家を横目に、ローグハンターは気を張って辺りを警戒しながら告げる。

 

「考えるのは帰ってからにしろ。今は仕事中だ」

 

「あ、はい……」

 

 彼の言葉にとりあえず頷いた武闘家は、暖炉の火に当たりながら毛布にくるまった。

 安物のそれは解れたり、破けていたりするが、まあ暖を取れるのなら構いはすまい。

 そうして武闘家が目を閉じれば、ローグハンターがその場から離れて割れた窓に被せた布を退かし、外の様子に目を向けた。

 雨足はまだ強く、夜の内に止むかすらも定かではない。

 

「朝までに止むといいが」

 

 誰に言う訳でもなくそう呟くと、ローグハンターはため息を吐いて布を被せ直すと、使えそうな椅子に腰掛けた。

 自分の背中を、薄く目を開けて見つめている武闘家にも気付かずに。

 

 

 

 

 

 翌朝。雨はあがったものの、変わらず厚い雲に覆われた森の中は暗い。

 それでも夜に比べて僅かに明るい為、街を目指すには問題はないだろう。

 

「行けるか」

 

 暖炉の火で乾かした装備類を回収し、いつもの格好になったローグハンターはそう告げると、さっさと廃屋から出てしまう。

 急いで装備を着込んでいた武闘家は、それを終えると慌てて彼の後ろを追いかけ、廃屋から飛び出す。

 

「今から行けば、夜になるまでには街に帰れるだろう。途中で休憩を挟んだらわからないが、とりあえず進めるだけ進むぞ」

 

 そう言いながら振り向いたローグハンターは目を細め、「お前、ちゃんと寝たのか」と少々責めるような声音で問いかけた。

 言われた彼女は目の下の隈を指で触れながら、「全然寝れませんでした」と素直に返した。

 

「……寝込みは俺に任せられないか」

 

「違います」

 

「……ベッドがなければ眠れないか」

 

「違います」

 

「……じゃあ、何をしていた」

 

 ローグハンターがどんどんと不機嫌になりながら問うと、武闘家は一度深呼吸をして、朝一番の冷たい空気を肺一杯に吸い込むと、口を開いた。

 

「考えていました。一晩中、これからのことを」

 

「それは帰ってからにしろと──」

 

「そして、決めました」

 

 彼の非難の言葉を遮り、武闘家は凛とした瞳に彼を映しながら告げた。

 

「私はあなたと一緒に行きますっ!」

 

 朝一番の森に響く少女の宣言。

 近くで羽を休めていた鳥たちは慌てて飛び上がり、木々が揺れる音があちこちから聞こえてくる。

 彼女の宣言にローグハンターは僅かに驚いたように目を剥くと、今度は身体ごと彼女の方に振り向き、問いかけた。

 

「俺が冒険に出ることはないと思う」

 

「わかってます」

 

「あの村よりも、もっと惨い場所に飛び込むことになる」

 

「わかってます」

 

「大勢の人を、殺すことになる」

 

「それでも、たくさんの人を助けられますよね?」

 

 彼女の覚悟を確かめるように言葉を続けていたローグハンターに、不意打ちで問いを投げ掛けた。

 

「これからたくさんの人を傷つけて、たくさんの血を流すと思います。それでも、きっと、たくさんの人を助けられると思います」

 

 胸の前で握りしめた自分の拳を見つめながら、武闘家は笑みを浮かべた。

 

「流した血と同じ分だけ泣くと思います。悲鳴の代わりに弱音も吐くと思います。それに足を引っ張ると思います。それでも私は、あなたと一緒に行きたいんです」

 

 子供が強がるように、涙を堪えて声を震わせながら紡がれた言葉に、理解が追い付かないローグハンターは首を振りながら「何故だ」と問いかけた。

 人を殺す辛さも知った筈。

 死が間近に迫る怖さも知った筈。

 これは自分の役目(ロール)ではないと、痛感した筈。

 なのに、彼女はなおも自分についてこようとしている。

 もはや驚愕を通り越して困惑しているローグハンターに向けて、武闘家はにこりと笑いながら彼に告げた。

 

「だって、放っておけないですから、あなた」

 

 一人だけで、どこまでも行ってしまいそうで。

 一人だけで、どことも知れない場所で死んでしまいそうで。

 一人だけで、壊れても進み続けてしまいそうで。

 

「だから、私も一緒に行きます」

 

 そしたらいつか、あなたの、心からの笑顔が見られると思うから。

 武闘家はその言葉を口には出さず、代わりに満面の笑みを浮かべると、ローグハンターは小さくため息を漏らし、肩を竦めた。

 人生は何が起こるのかはわからない。

 人間である自分自身はともかくとして、天上から見守る神々にさえ、明日のことはわからないのだ。

 

 

 

 

 

「あ、見えてきたよ!」

 

 優しげな昼の日差しを一身に受け止めながら、とある丘の上に登った銀髪武闘家は、そこから見下ろせる村を指差しながら元気溌剌な声をあげた。

 遅れて丘を登り終えたローグハンターは、彼女が示した村をじっと見つめ、「あれが、そうなのか」と感慨深そうに頷きながら声を漏らした。

 

「うん!あそこが私の故郷なの!」

 

 久しぶりだなーと気の抜けた声を漏らしてはいるが、村を指差す手は震えており、今の元気な様子は無理やり自分を鼓舞する空元気なのは明白だった。

 冒険者になるため、半ば喧嘩別れの形で家を飛び出して来たのだ。そこに今から帰ろうと言うのだから、不安になったって仕方がない。

 ローグハンターは肩を竦めながらため息を漏らすと、震える彼女の手を優しく握りしめた。

 

「俺も一緒だ。それでも不安か?」

 

「っ!ううん。大丈夫」

 

 その問いかけに一瞬驚きながら、すぐにいつもの笑みを浮かべて彼の手を優しく握り返した。

 そうだ。何も一人で帰って来たわけではない。ちょっと喧嘩した両親に、ちょっとした報告をしに来ただけだ。恋人という爆弾を引き連れて。

 

 ──大丈夫。きっと、多分、大丈夫……。

 

 深呼吸を繰り返す彼女が覚悟を決めるまで待ちながら、ローグハンターは目を細めてタカの眼を発動して村を見下ろした。

 見えるのはどれも青い人影で、赤い敵影が見えないのは重畳だ。

 

「よしっ!覚悟出来た!」

 

 そうやって安堵の表情を浮かべているローグハンターの手を引いて、銀髪武闘家は歩き出した。

 引かれるがまま歩き出したローグハンターはフッと笑みをこぼし、尾のように揺れる銀色の髪を視界に納めた。

 優しい陽の煌めきを反射し、きらきらと輝く銀色の髪は見ていて飽きるものではなく、むしろ落ち着きを取り戻すには丁度よい。

 そう、彼とて緊張しているのだ。恋人の両親に会うなど、二十年以上生きておいて初めてのことだ。

 そんな緊張で内心ガチガチの二人を見下ろしながら、一羽の鷲が悠々と空を飛んでいった。

 そのまま二人が目指す村のとある家屋に停まると、キィ!と鋭く一声。

 その鳴き声につられるように、洗濯物を干していた妙齢の女性が、銀色の髪を風に揺らしながら憎たらしいまでの青空を見上げ、優しく微笑んだ。

 

「今日もいい天気ね」

 

 どこかで生きているであろうあの娘も、同じ事を思っているだろうかと思いながら余計に笑みをこぼし、すぐに洗濯物に意識を戻す。

 遠くから聞こえる夫と、その弟子たちが放つ怪鳥音を聞きながら、洗濯物を干し終えた女性はせっせと家の中へと戻っていく。

 

 ──この直後、愛する娘が帰ってくることを知るよしもなく。

 

 

 

 SLAYER'S CREED 追憶

 

 

 

 Episode3 比翼連理

 

 

 




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Memory02 新居へ

 ローグハンターと武闘家が一党を組み始め、もうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。

 多少の休息を挟みつつも、連日ならず者退治(ローグハント)を敢行する二人は、曲者揃いの冒険者ギルドでも浮いた存在になり始めていた。

 そして、その片割れたる武闘家は──。

 

「うぇぇぇ……」

 

 顔を真っ青にしながら、もはや定位置となった卓に突っ伏していた。

 卓の上には料理ではなく、何やら複雑怪奇な記号が大量に書かた砂盆が置かれ、それと向き合っていたであろうことは確実。

 彼女の対面。砂が敷かれた盆に描かれたその記号──今しがた教えた文字を見つめていたローグハントは、ふむと小さく唸る。

 

「……解読不能の象形文字」

 

「で、ですよね……」

 

 そして言い難そうに、けれど素直に告げられた評価に、武闘家は引きつった笑みを浮かべると、どっとため息を吐いた。

 珍しくならず者退治の依頼がなかった為、休日がてら彼に文字を教えてくれと頼んだのは自分だし、それを了承されて跳ねるほど喜んだのは自分だ。

 そして軽く朝食を済ませ、昼前までの時間を全て使って教えて貰ったわけだが……。

 

 ──この、のたうち回る長虫みたいなものが、文字……?

 

 自分で書いておいてなんだが、お世辞にも何を書いているかもわからないこれが、文字なのだろうかと疑問に思ってしまう。

 彼が描くそれに比べれば稚拙に過ぎて、何だか見られるのが恥ずかしく思える程。

 そもそもこれが何を意味する言葉なのかがわからない。

 目の前の彼にはわかっているようだが、自分にはさっぱりなのだ。

 

「あう~」

 

 ぐるぐると目を回しながら呻く武闘家を他所に、ローグハンターは砂盆に指を這わせて文字を書く。

 思えば最近は読んでばかりだ。たまには書く方も練習しなければ下手にもなろう。

 黙々と砂盆に指を走らせる彼の姿を見つめながら、武闘家は銀色の瞳を瞬かせた。

 いきなり何かを書き始めたかと思えば、それはえらく達筆で、何年もかけて練習したように見えて仕方がない。

 

「貴族さんとかじゃあ、ないんですよね……?」

 

 そして、幼い頃から文字と親しむのは貴族たちくらいのもの。

 村でも村長などの上役の人たちが読めたが、子供の頃から教えられて、かつ覚えている人なんて極少数だ。ほとんどは忘れてしまうし、そもそも覚えようとしない。

 少なくとも自分はそうだった。

 それなのに、目の前の彼は──意味はわからずとも──読みやすく、見ていても綺麗だと思わせる文字を書いているのだ。

 彼女の一言を受けたローグハンターは一瞬手を止めると、文字の出来栄えを見ながら「貴族じゃない」と返した。

 

「適当に旅をしていた、ただの無頼漢だ。今は冒険者だが」

 

 彼は淡々とそう告げると、最後の一文字を書き終えてホッと息を吐いた。

 そして改めて出来栄えを確認し、「下手くそだな」と不満げに目を細めながら、手厳しい評価をつけた。

 その姿勢に武闘家は苦笑を浮かべると、これを機に多少踏み込んでやろうと口を開く。

 

「あなたの故郷って、どんな場所なんですか」

 

「この街と大差ない。まあ、只人しかいなかったが……」

 

「じゃあ、森人だったりを見たのはこの街に来てからなんです?」

 

「そうだな」

 

 彼女の質問に相変わらず淡々とした口調で返すと、ローグハンターは砂盆を撫でて書いた文字を消し、手本の文字を書き直して彼女の方に差し出した。

 

「さあ、続きだ。まだ昼までは時間があるからな」

 

「あぅ……」

 

 そして無慈悲に放たれた言葉に、武闘家はがくりと首を倒した。

 文字の読み書きが出来るのは良いことだし、出来れば今後も頼りになるだろう。

 だが、その使いこなすまでが大変なのだ。むしろ途中で心折れる可能性の方が高い。

 

「お前がやりたいと言い出したんだ。逃げるなよ」

 

「……はい」

 

 それを見越してだろうか、無慈悲に放たれた言葉に武闘家は渋々頷き、小さくため息を漏らした。

 だが次の瞬間には砂盆に向かう辺り、多少なりとも覚悟は出来ているのだろう。

 その点は評価しながら、真剣な面持ちで砂盆に向き合う彼女の顔を見つめながら、ちらりと窓の外に目を向けた。

 道は行き交う人々の活気に満ちていて、食堂や外から僅かに香る臭いはおそらく昼食の準備ているからだ。

 そんな臭いにつられてか、武闘家の腹の虫がぐぅと鳴って存在を主張し、それを聞いたローグハンターが振り向けば、彼女は顔を真っ赤にしながら目を背けた。

 珍しく流れていく緩やかな時間に、ローグハンターは座席の背もたれに寄りかかりながら深々と息を吐いた。

 

「……まあ、たまにはいいか」

 

 誰に言うわけでもなく、そんな事を呟きながら。

 

 

 

 

 

「──」

 

 それから更に一時間と少し。

 ひたすらに砂盆と向き合い、文字の練習をしていた武闘家は椅子に座ったまま、魂が抜けたように白くなっていた。

 時折ピクピクと指先が震えたり、「長虫、のたくった長虫が……」と取り憑かれたように呟いているから、生きてはいるようだ。

 そんな彼女を他所に、彼女が書いた文字を見つめていたローグハンターはふむとどこか嬉しそうに唸った。

 

「及第点は越えたな」

 

「ぁりがとう、ござぃますぅ……」

 

 率直に告げられた誉め言葉にも反応するのも面倒なのか、気の抜けた声を漏らした武闘家は、じっと砂盆を見つめて深々とため息を吐いた。

 

「つ、疲れましたぁ……」

 

 そうぼやきながら卓に突っ伏すと、豊かな胸が潰れて柔らかく形を歪め、彼女の身体をクッション代わりに受け止める。

 邪魔臭いと思っていた胸も、こうなってしまえばあっても良かったなどとは、

 

 ──思わないかな……。

 

 普段は重いし肩も凝るのだ。こんな一時だけ楽になるのと、常時苦しめられるとでは、後者の方が重要視されるのは当然のこと。

 ローグハンターは彼女が書いた文字を消すと、何やら文字を書き直し、「おい」と声をかけて砂盆を差し出す。

 

「ふぇ……?」

 

 そんな彼の行動に気の抜けた声を漏らすと、ローグハンターは不思議そうに首を傾げながら問いかけた。

 

「書けても読めなければ駄目だろう。これは何と書いてある」

 

「──っ!」

 

 まだまだやる気のローグハンターが浮かべる真剣な面持ちに、武闘家は顔を青ざめると声もなく悲鳴をあげ、頭から煙を噴きながら卓に突っ伏した。

 回りの冒険者たちは多少の同情はしつつも助け船を出すことはなく、すぐに仲間たちとの会話に意識を切り替える。

 自分たちには関係人ないことなのだ、当然だろう。

 

「あまり根を詰めても、逆効果ですよ?」

 

 だが、助け船を出す人物がいた。

 その人物は武闘家の背後から砂盆に見下ろすと、書かれている言葉を答えていく。

 もっともそれは『あいうえお』程度のことで、深い意味なんてものはない文字の羅列だ。

 そしてにこりと微笑むと、フードの下で優しげに揺れる目を細めた。

 

「お久しぶりです、お二人とも」

 

「なんだ、お前か」

 

 同時にその顔を見つめたローグハンターは、どこか意外そうに目を丸めながら呟いた。

 只人のそれと違い、毛に覆われた顔。そこから伸びる鼻は長く、笑っている為か覗く犬歯は鋭く光る。

 二人の元一党である獣人魔術師が、ちょうどよく依頼から帰って来たのだろう。報告を男戦士に任せ、二人に声をかけてきたのだ。

 

「文字の練習ですか。良い心掛けです」

 

 そして元教師らしく、知恵熱を出して卓に突っ伏す武闘家の背を撫でてやりながら誉めてやると、「ふへへ」とだらしない笑みをこぼした。

 

「二時間に一度は休息を挟むことをおすすめします。只人に関わらず、集中していられる時間は限られていますから」

 

「むぅ……。そうか……」

 

 その指摘にローグハンターは顎に手をやりながら唸ると、得心したように頷いた。

 如何せん、自分は学ぶべきことが多すぎた為、寝る間も惜しんで鍛練に励み、学を培ってきた。

 それに一日かけたことだってあったし、文字通り寝る間も惜しんで訓練していたのだ。

 それを目の前の少女にも期待するのは、少々筋違いというものだろう。

 

「少し遅いが昼食にしよう」

 

 ぱんと手を叩いてそう言うと、武闘家は「やった~」と椅子の背もたれに寄りかかりながら身体を伸ばし、気持ち良さそうに目を細めた。

 位置と体勢の都合上、ローグハンターの正面で豊かな胸が突き出される格好になるが、当の彼は一切の興味がないように酒場のメニュー表に手を伸ばすが、

 

「お二人がよろしければ、ご一緒しませんか」

 

 彼の手を制しながら、獣人魔術師がそう提案した。

 言われた二人が顔を見合わせると、彼は微笑み混じりに二人に告げた。

 

「最近話題の宿──その一階が酒場だそうで、一度行ってみようと話していたんです」

 

「話題の宿……?」

 

 獣人魔術師の言葉に武闘家が首を傾げ、確かめるようにローグハンターに視線を向けるが、彼もまたわからないようで肩を竦めた。

 

「ならばどうです。昼食だけでもご一緒に」

 

 獣人魔術師がここぞとばかりに改めて提案すると、武闘家は「私は良いですよ」と返し、ローグハンターに「あなたはどうします?」と問いかけた。

 ローグハンターは反射的に『俺はいい』と言いそうになったが、獣人魔術師と武闘家からの視線を感じ、小さくため息を吐いた。

 

「わかった。たまには羽を伸ばそう」

 

 そしてフードを被りながらそう言うと、武闘家は「やった」と小さくガッツポーズ、獣人魔術師は安堵したように頬を緩め、ローブの下で嬉しそうに尻尾を振り回した。

 

「では、二人を呼んできます」

 

 彼はそう言うと、報告を終えた男戦士、その後ろでこちらを見つめて落ち着きなくそわそわしていた森人司祭の方へと足を向けた。

 その背を見送ったローグハンターは一切の音をたてずに立ち上がると砂盆を持ち上げた。

 

「俺はこれを片付ける。あいつらと待っていてくれ」

 

「わかりました」

 

 言われた武闘家は頷くと、「よいしょ」と声を漏らしながら立ち上がった。

 その時にぎしりと椅子が軋む音が出たのは、まだまだ彼女の技量が足りない故だろう。

 その事に不満そうに唸った武闘家は、自分の身体を見つめてぱちぱちと瞬きを数度。

 

 ──もう少し、細い方が良いのかな……?

 

 それなりに肉付きのいい──もっとも筋肉だが──身体だが、筋肉だろうと贅肉だろうと付けすぎは良くないだろう。

 

 ──だからって、細くなりすぎるのも良くないんだよなぁ……。

 

 父からも耳に蛸ができる程に言われたことだが、只人には最も動きやすい重さというものがあるらしい。

 それを見つけ、保つようには言われているが、如何せん見つかっていないのだ。越えているのか、足りていないのかもわからない。

 自分の身体を見ながらうんうんと唸る彼女を置いて、ローグハンターはギルドの裏庭を目指して歩き出した。

 一人残された武闘家は彼の背を目で追うと、獣人魔術師に肩を叩かれた。

 

「では、彼が戻り次第向かいましょうか」

 

「ひゃい……っ!」

 

 それに驚いた武闘家は、思わず上擦った声を漏らしながら返事をすると、男戦士、森人司祭、獣人魔術師の三人は可笑しそうに苦笑を漏らした。

 

「な!?わ、笑わないでくださいよぉ!」

 

 そんな彼らにぷんぷんと可愛らしく怒りながら声を出すが、如何せん成人したての少女では恐ろしさよりも

 可愛さが上回ってしまう。

 そのせいで余計に三人は笑ってしまい、さらに武闘家の機嫌が悪くなるのだが、

 

「どうかしたのか……」

 

 そんな四人に向けて、どこか呆れたように見つめるローグハンターが戻ってくることで一旦の落ち着きを取り戻した。

 

「うむ、この五人が揃うのも久しぶりだ。いざ行かん!」

 

 そして何故か森人司祭が音頭を取り、一足先にギルドから出ていってしまう。

 

「……何かあったのか」

 

 見ない内に何かあったのか、あるいは行き先である件の宿屋が楽しみなのか、随分と受かれているように見える。

 

「まあ、あいつが一番楽しみにしているのは確かだろうな」

 

 ローグハンターの呟きに、男戦士がため息混じりに頭を掻きながら言うと、ローグハンターはむうと唸って顎に手をやった。

 

「行けばわかるか」

 

 そして考えたほんの一瞬。

 彼はほぼ即断でそう告げると、獣人魔術師に目を向けた。

 

「案内を頼めるか。どこだかわからないからな」

 

「ええ、任せてください。こちらです」

 

 

 

 

 

 ギルドから歩くこと数分。

 ローグハンターをはじめとした四人の冒険者は、例の宿屋の前に来ていた。

 鎖で吊るされた丸くなって眠る狐の看板が風に揺れ、優しげな文字で宿の名前が書かれている。

 

「……ね……ねむ……きつ……つ……?」

 

「『眠る狐亭』だ。まあ、何文字か読めたのはいいぞ」

 

 目を細めて看板を凝視し、どうにか読み解こうした武闘家に、ローグハンターは素早く助け船を出した。

 多少の無礼を承知で窓から中を覗いてみれば、中々に賑わっているようで、昼間から飲んだくれたちで一杯になっている。

 

「席はとれるのか?」

 

 一握の不安を口にして、ローグハンターはちらりと獣人魔術師に確かめるように目を向けた。

 彼の視線を受け止めた獣人魔術師は、「大丈夫ですよ」と笑いながら頷いた。

 

「あそこです。見てください」

 

 そう言いながら顎で店内を差すと、いち早くたどり着いていた森人司祭が座席を確保しており、仲間たちの到着を今か今かと待ちわびている。

 

「そのようだな。ここで立ち止まるのも迷惑だろう。さっさと入ろう」

 

 ローグハンターはそう言うや否や、眠る狐亭の自由扉を押し開き、店内へと入り込んだ。

 からんからんと扉の上に下げられた鈴が鳴るが、店内の喧騒に呑まれてしまい、それが響くことはない。

 だがカウンターの向こうにいる、黄色い頭巾を被った店主と思しき男性には聞こえていたのか、紫色の瞳がローグハンターに向けられた。

 それを無意識の内ににらみ返すと、店主は驚いたように僅かに目を剥くが、すぐに意識を外して客への応対に戻っていった。

 

「──」

 

 店主の動きを追ったローグハンターは背筋をくすぐる気持ち悪さと違和感に目を細め、小さく息を吐いた。

 酒場と店主にしては洗練された、それこそ影に生きる者(アサシン)が纏う独特な気配を感じたのだ。

 

「あの、どうかしました?」

 

 武闘家はそんな神妙な彼の表情を覗きながら問うと、彼は「何でもない」の一言で返し、こちらに手を振る森人司祭に目を向けた。

 

「とりあえず食事だ。流石に腹が減った」

 

 彼はそう言いながら腹を擦りながら、顔に苦笑を貼りつけた。

 だが彼の視線は既に森人司祭から外れており、何かを探すようにきょろきょろと酒場を見渡している。

 

「……?森人さんはあそこですよ」

 

 それを森人司祭を探していると判断したのか、武闘家が無遠慮に彼を指差しながら告げると、ローグハンターは「いや、そうじゃあない」と返して不思議そうに首を傾げた。

 

「初めて来た酒場だと、狙われたように喧嘩を売られるんだが……」

 

「……?」

 

 彼の言葉に今度は武闘家が首を傾げ、二人はその体勢のまま数秒ほど見つめあった。

 

「あー、お二人さん……?」

 

 そんな二人の姿を見つめながら男戦士は気まずそうに頬を掻き、「そろそろいいか」と問いかけた。

 ローグハンターは彼に目を向けると「構わない」とだけ呟き、武闘家も照れたように赤く上気した顔を背けながら「い、行きましょう!」と勢いよく声を出す。

 冒険者ギルドなら嫌に響くその声も、昼の喧騒に包まれる酒場では響くわけもなく、彼女の声を気にする者もいない。

 彼らは喧騒を掻き分けながら森人司祭が確保した奥の卓へと向かい、適当な順番で席に腰を降ろした。

 

「さて、何を頼もうか」

 

 そして全員が揃うと、森人司祭がメニューを卓上に広げながら問うた。

 ローグハンターと文字の読める獣人魔術師は揃ってそれを見下ろすが、いまだに文字が読めない男戦士と武闘家の二人は困り顔で額に汗を浮かべた。

 武闘家はせっかく習ったのだからと気合いを入れるのだが、如何せんまだ勉強も始めたばかりだ。読めるものもあれば、読めないものもある。

 

「あー、えっと……うんと……」

 

「無理そうなら、食べたいものを言ってくれ。それらしいものを俺から頼む」

 

 そして見かねたローグハンターがそう告げると、武闘家は「あ、はい……」と僅かにしゅんと顔を俯かせ、見るからに落ち込みながら頷いた。

 

「じゃあ、お肉料理をお願いします……」

 

 そして小さく手を挙げながらそう言うと、ローグハンターはメニューに目を落とした。

 

「肉料理と一言で言ってもな……」

 

「ここの料理はどれも絶品と聞きます。何を頼んでも大丈夫だと思いますよ」

 

 獣人魔術師はむぅと唸って目を細めるローグハンターにそう告げると、男戦士に何を頼むかと問いかける。

 如何せん全員が初めて来る場所なのだ。どんなものがあるかなど、皆目見当もつかない。

 

「あの、美味しければ何でも良いですけど」

 

 そうやって悩む男性二人に向けて、武闘家は困ったように笑いながら言うと、二人は余計に神妙な面持ちとなった。

 

「何でも……」

 

「選択肢が多すぎますね」

 

「……ごめんなさい」

 

 余計に思考の土坪に填まった二人に謝ると、森人司祭は「ええい、このままでは話が進まん!」と少々苛立った様子で整った顔立ちを歪めながら怒鳴った。

 

「とりあえず当たってみるのが冒険者だろう。頼めるだけ頼め!」

 

 何が彼をそうさせるのか、普段の格好つけた様子もなく、切羽詰まった者が見せる気迫を放ちながら告げた。

 それを受けた四人はぱちぱちと瞬きすると、ローグハンターが「それも、そう、だな……?」と歯切れ悪く呟きながら頷き、メニューに目を向けた。

 

「さて、まずは──」

 

 せっかく初めての店に来たのだ。下手な料理を食わされたとて、後悔はしない。冒険せずして何が冒険者か。

 彼が決め始めた事を合図に、他の面々も続いて料理を決めていき、その流れに任せた武闘家も、ローグハンターに助言を貰いながら料理を決めていく。

 

 ──早く読めるようにはならないとな。

 

 彼と肩が触れあうほどに身を寄せあい、二人で同じメニュー表を見ながら、武闘家はそんな事を思っていた。

 彼を助けるために一党に入れてもらったのに、何でもかんでもおんぶに抱っこでは面目が立たない。

 でも、と心中で呟いた彼女は、目の前にある彼の蒼い瞳に目を向けた。

 いつもは濁っているように見えるそれも、心なしか清らかで、光って見える。

 そんな彼の瞳に魅入りながら、武闘家は小さく笑みをこぼした。

 彼も楽しい時は生き生きとする歴とした人間なのだ。それがわかって、何だか嬉しくなる。

 

「どうかしたのか」

 

 そうやってじっと見つめていた為か、ローグハンターが少々不満そうな声を漏らしながらちらりと武闘家に目を向けると、二人の視線が交わった。

 ローグハンターの蒼い瞳に武闘家の顔が映り、一切逸れることなくじっと見つめられた武闘家は、

 

「~っ!!」

 

 ぼん!と音をたてて頭から煙を噴きながら、慌てて顔を背けた。

 

「……本当にどうした」

 

「いえ!何でもないですっ!」

 

 背後から聞こえる問いかけに、上擦った声でどうにか返した武闘家は、一人であわあわと口を動かした。

 多少の憧れや、尊敬の念はあるものの、別に彼に対してそういった感情を持っているわけでもない。ない筈なのだが。

 

 ──あんな目の前で見つめられたら、照れるに決まっているでしょーっ!!!

 

 ローグハンターはあまり気にしてはいないが、彼の顔立ちはそれなり以上に整っており、年頃の娘が間近で見るには刺激が強すぎる。

 卓の下でじたばたと足を振りながら、彼女は必死になって弁明していた。

 まあ心の中でしか言っていないので肝心のローグハンターに届くわけもなく、いきなり背を向けられた彼は困惑したように首を傾げた。

 

「とにかく、料理は決まったな。給仕はどこだ」

 

 そしてとりあえず彼女から意識を外したローグハンターは店内を見渡し、忙しなく駆け回る女給に向けて手を振った。

 そう、彼らは食事をしに来たのだ。それをせずに駄弁り続けるなど、他の客や席を取れずに歯噛みしている後続たちにも失礼というものだろう。

 

 

 

 

 

 それから数十分が経った頃。

 卓の上には空になった皿が詰まれ、座席に腰を降ろした冒険者たちは満足げに背もたれに寄りかかり、いまだに食事を取っている武闘家に目を向けていた。

 

「あー、満腹ですぅ」

 

 そして出された料理を食べ終えた武闘家は満面の笑みを浮かべながらそう言うと、「けぷっ」と思わずげっぷを漏らしてしまう。

 途端にかぁと顔が真っ赤になるが、冒険者たちは思わず噴き出して笑い飛ばす。

 ローグハンターだけは思いの外口にあったシチューの皿を見つめながらだが、僅かに口角が上がっているから笑ってはいるのだろう。

 それが心からなのか、表面上だけなのかは、彼のみにしかわからないが、それを視界の端に捉えた武闘家は赤面したまま笑みを浮かべた。

 

「さて、私は用事があるのだ。失礼する」

 

 森人司祭が早口で言いながら席を立つが、皿から意識を戻したローグハンターが問いかける。

 

「む、どこに行くんだ」

 

「気になるか?」

 

 そして返って来たのは、何やら意味深な笑みと問いかけだ。

 ローグハンターは「ああ」と即答すると、森人司祭は「ならば来いっ!」と言うや否や彼の腕を掴んで酒場の奥へと消えていく。

 その向こうには『賭博場』と書かれた看板が天井から下がっており、そこを目指しているのは明白だ。

 引っ張られるがまま人混みに消えていったローグハンターの背を見送った武闘家は、はふっと気の抜けた声を漏らして卓に突っ伏した。

 

「それで、そっちはどうなんだ?」

 

 男戦士は卓に頬杖をつき、身体から力を抜きながらそう問うた。

 問われた武闘家は「あはは」と乾いた笑みを浮かべると、「大変です……」と率直な感想を口にした。

 ほぼ毎日にならず者(ローグ)相手に命のやり取りをしているのだ、その精神的な疲労度(ストレス)は他の冒険者とは段違いだろう。

 獣人魔術師は杯に注がれた水をあおると、「彼は、どうですか?」と今しがたローグハンターが消えていった方向に目を向けながら問いかけた。

 

「異名通り、相手に容赦がないです」

 

「あの日から相変わらずですか?」

 

 獣人魔術師が問うと武闘家は身体を起こし、こくりと一度頷いた。

 しかし彼女は「でも」と呟くと、にこりと微笑んだ。

 

「とても優しい人です。私に文字を教えてくれましたし、色々な人を助けています。何より、私に気を遣ってくれます」

 

「そうですか……」

 

 彼女の言葉に優しげに笑みながら頷いた獣人魔術師は、「ですが」と続けて彼女に告げた。

 

「何かあればすぐに相談を。元とはいえ教師ですから、何かしらの助けにはなれます」

 

「はい」

 

 表情同様に、その声色もまた優しげで、まるで父と話しているような感覚を覚えた武闘家は、照れたように頬を赤くしながら頷いた。

 そしてそれとほぼ同時に、あれほどうるさかった酒場の喧騒が消え、しんと静まり返った。

 

「「「……?」」」

 

 状況を全く理解できない三人が顔を見合わせるのと、酒場の片隅にある賭博場から割れんばかりの歓声と、怨嗟混じりの怒号があがった。

 

「な、ななな、何事ですか!?」

 

 こんなことの経験はない武闘家が慌てる一方、獣人魔術師は賭博場の方に目を向けながら目を細め、男戦士は人混みに混ざる見覚えのある女騎士と、その横で額を押さえる重戦士の姿に、思わずため息を吐く。

 あの二人はこんなところで何をしているんだという呆れと、一体何事だという好奇心から、無駄に胸の鼓動が激しくなる。

 

「た、大変だ!大変なことになった!!」

 

 そこに顔面蒼白な森人司祭が駆け戻ってくると、賭博場の方を震える指で示しながら言葉を続けた。

 

「あ、あいつが、しょしょしょ、勝負をしたんだが、だが……た、大変なことにっ!」

 

 思うように舌が回らないのか、言葉を詰まらせながら言う森人司祭だが、言っていることに要領を得ない。

 

「あー、もう!落ち着けって!何があった!?」

 

 男戦士が我慢できずに怒鳴り付けると、武闘家はローグハンターに何かがあったということだけは把握できたのか、「ごめんなさいっ!」と謝りながら賭博場に向けて駆け出した。

 歓喜に震える利用者の壁を掻き分けて、賭けが行われていたスペースにたどり着き、視界に飛び込んできたのは──。

 

「?……?……」

 

「──」

 

 状況を理解できていないのか、頭の上に疑問符を浮かべながら店の裏に連れていかれるローグハンターと、椅子に深々と腰掛け、真っ白になって放心しているディーラーの姿だった。

 賭けが行われていたであろう卓の上では大量のコインが山となっており、その大半がディーラーの対面──彼が腰かけていたであろう場所に集まっている。

 

「一体、何が……?」

 

 訳のわからない状況になっている賭博場を見ながら呟くと、不意に隣にいた女騎士が「見ていなかったのか!?」と心底驚いたように声をあげた。

 そして相手が武闘家だとわかったからか、「あいつの連れか」と僅かに落ち着きを取り戻しながら問うた。

 見れば首から黒曜の輝きを放つ認識票が下がっており、彼女が同業者、もっと言うと先達であることがわかる。

 それを見て武闘家も落ち着いたのか、深呼吸をしてから頷く。

 

「はい……。目を離したら、連れていかれたんですけど……」

 

「言ってしまえば勝ちすぎ(・・・・)だな。いや、勝ったのは一度何だが……」

 

 女騎士は罰が悪そうに頬を掻きながら言うと、どこか嫉妬混じりの視線をコインの山に向けた。

 

「有り金全てを賭けて、何倍、下手をすれば何十倍にもしたわけだからな。いや、調子に乗った挙げ句、本日の取り分全てで勝負を受けたディーラー側にも問題があるが……」

 

「お金、全部……!?」

 

 女騎士から伝えられた言葉をオウム返ししながら、思わず目眩を起こしてふらつく武闘家を横目に、女騎士はむぅと唸って顎に手をやった。

 

「だが、大丈夫だろうか。あの男も、あのディーラーも」

 

 奥に連れていかれたローグハンターはともかく、目の前のディーラーは無事では済むまい。

 店にかなりの損害を出したのだ、首にされるか、物理的に首を飛ばされるか……。

 

「まあ、わたしには関係のないことだ」

 

「うぇ!?あの、今からどうにかする事は──」

 

「一党からは目を離さないことだ。運が悪いと、いや、運が良すぎるとこうなる」

 

「アドバイスになってませんよ!?」

 

「隙をみて何枚かいただけないだろうか……」

 

「あの、聞いてますか?!」

 

 頼れる先輩かと思えば、まさかの丸投げである。むしろおこぼれに預かろうとしているではないか。

 武闘家が再び慌て始めると、奥から店主に連れられたローグハンターが戻り、武闘家の前で足を止めた。

 同時に力尽きていたディーラーが奥に連れていかれ、多くの利用者が静かに祈りを捧げた。

 そしてそれを見送ったローグハンターは困り果てたようにため息を吐き、手短に告げた。

 

「宿に戻って、荷物を纏めて来てくれ」

 

「あの、何があったんですか……?」

 

 めずらしく疲弊した様子の彼に恐る恐る問いかけると、ローグハンターは横目で店主を睨みながら答えた。

 

「引っ越しだ」

 

 

 

 

 

 そんなやり取りから数時間。

 双子の月が輝き、夜の闇を照らし始めた頃。

 

「「………」」

 

 ローグハンターと武闘家の二人は、眠る狐亭の一室で立ち尽くしていた。

 二つ並んだベッドは見たこともない程に上等なものだし、部屋の端に置かれた机や、その上に乗る小物類も見るからに高価な物。

 二人がいるのは最高級(ロイヤル・スイート)──一歩手前の、冒険者が泊まるには上等に過ぎる部屋だった。

 裏に連れていかれたローグハンターは店主と話し合い、取りすぎた金を宿に戻すという名目で、ある程度の期間部屋を借りることになったのだ。

 その話を聞かされた武闘家は驚きはしたものの、いきなりこんな高価な部屋に放り込まれることになった為、寝るだけなのに無駄に緊張してしまっている。

 そして何よりも彼女の緊張感を高めているのは、

 

「──」

 

 無言で圧を放つ、ローグハンターだ。

 店主と話してからというもの、妙に機嫌が悪い。一応の応答はしてくれるが、いつも以上に感情がこもっていない。

 

「あ、あの~?」

 

 そんな彼の表情を伺いながら、武闘家は恐る恐る声をかけた。

 相変わらず「なんだ」の一言で返され、そこから先に何かを言ってくれる訳ではない。

 ようやく数歩進んだのに、振り出しに戻されたような気がして気が遠くなる武闘家を他所に、ローグハンターはため息を吐いた。

 

「こっちにもアサシンがいるのか?それとも、俺と同じ……」

 

「……?どうかしました?」

 

 同時に呟かれた言葉を聞き取れなかった武闘家が聞き返すと、ローグハンターは「何でもない」と返して頬を掻いた。

 

「俺と同室で良かったのか?」

 

 そして放たれた質問は、いつも通りこちらを気遣うようなもの。

 武闘家はくすりと笑うと、荷物を入れた袋を部屋の隅に置いた。

 

「大丈夫です。二人で部屋を取るより、安く済みますから」

 

「助かる。どれだけ稼いだのかもいまいちわからないからな……」

 

 明日聞いてみると続けた彼は窓側のベッドに腰を降ろし、窓から見える双子の月を睨み付けた。

 

「今回ばかりは、神々に遊ばれたか……」

 

 初めてやった賭け事で、ここまで上手くいくわけがない。神々が振るった骰子(さいころ)が荒ぶったに違いない。

 憎々しげ──と言うよりは楽しそうに、そしてどこか嬉しそうに呟くと、ようやく籠手と脚絆を外し終えた武闘家がベッドに飛び込んだ音が背後から漏れた。

 

「あ~、これは癖になります~」

 

 だらしない顔になりながらベッドに大の字で寝転んだ武闘家がそう言うと、「長居出来るように頑張らないとな」とローグハンターから激励の言葉が飛ぶ。

 

「そうですね~──……」

 

 武闘家は気の抜けた声でそう返すと、返答も待たずにすやすやと寝息をたて始める。

 それに気付いたローグハンターは驚きながら振り向くと、額を押さえながらため息を吐いた。

 そして音もなく立ち上がると、武闘家にシーツを被せてやり、自分もまた衣装を脱ぎにかかる。

 この時の二人は予想も出来ないが、ここが冒険者を引退するまでの拠点となり、五年以上も居着くことになる大切な部屋になることになる。

 

 ──彼が稼いだのは、文字通り年単位で泊まれる程の額であることを、二人はまだ知らないのだ。

 

 

 

 

 

 余談になるが、この翌日から賭博場を仕切る人物が変わることになり、消えた前任者はそのまま行方不明になったとか、ならなかったとか、様々な憶測が飛び交うことになるのだが、真実を知るのは店の関係者のみ。

 

 ──世の中には、知らない方がいいこともあるのだ。

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory03 冒険者としての一歩

 真昼時の冒険者ギルド。

 多くの冒険者が出払い、朝一番の騒がしさに比べれば静かな時間帯なのだが、

 

「でりゃああああああっ!!!」

 

 そこに武闘家の気合い一閃が響き渡った。

 先程から聞こえているため、受付嬢や昼食を取っている冒険者たちは気にも止めないが、その直後に「ぎゃあああ!?」と悲鳴が続くのだから多少の心配はしてしまうというもの。

 そして声の発生源たるギルドの裏庭。そこには土埃で自慢の銀色の髪と身体中を汚した武闘家と、汚れひとつない黒い衣装を纏ったローグハンターが相対していた。

 武闘家は肩を揺らして荒れた呼吸を繰り返しながら、彼女なりに油断なく拳を構えているのだが、ローグハンターは身体から脱力し、両腕をだらりと垂らしている。

 ふーっと深く息を吐いた武闘家は、だっと音をたてながら地面を蹴り、ローグハンターへと肉薄。

 

「はっ!」

 

 踏み込んだ勢いのままに縦拳を鳩尾へと打ち込むが、ローグハンターは持ち前の反射神経で拳を掴むと、そのまま身体を反転させながら沈め、彼女の脇を肩に担ぐように密着。

 肩に担いだ彼女を腕を下に押し込みながら、身体を上げて彼女の脇を押し上げる。

 ふわりと身体が浮き上がった武闘家は思わず「わわ!?」と声を漏らしたが、すぐさま意識を集中した。

 抵抗も許さぬ浮遊感に襲われ、本来動かない筈の空と地面が入れ替わった直後、凄まじい衝撃が背中を殴り付けた。

 瞬時に両手で地面を叩き、その衝撃を分散させんとしたが、

 

「かっ!」

 

 それだけでは分散しきれず、肺の空気を吐き出した。

 今日だけで何度も味わうことになった衝撃なのだが、何度されても慣れることはなく、対処もしきれない。

 鈍い痛みが背中から全身に伝播し、骨が軋む感覚に表情を歪める。

 

 ──ま、また投げられた……っ!

 

 文字の勉強ついでに手合わせもお願いしたのだが、こうも実力に差があるとはと舌を巻く。

 拳を放ったのはこちらだが、それを的確に受け止め、流れのままに投げ飛ばすなぞ、長年の修行なしではできはしまい。

 幼い頃から父に鍛えられてはいたのだが、彼もまたそうなのだろうかと疑問が沸き、

 

「シッ!」

 

 間抜けにも立ち上がろうともしなかった彼女の顔面に、ローグハンターの拳が振り下ろされた。

 勿論当たる間際、それこそ鼻先に当たる直前で止められた為、痛痒(ダメージ)になることはないのだが、放たれた拳圧で前髪が揺れる。

 目の前にある拳を見つめながらぱちぱちと瞬きを繰り返していると、ローグハンターは不満そうに眉をハの字にしながら目を細めた。

 

「気を抜くな」

 

 そして鋭くそう告げると、拳を開いて「立てるか?」と問いかけた。

「大丈夫です」と真剣な面持ちで返した武闘家は自力で立ち上がると、服についた汚れを適当に叩いて落とすと、そのまま自分の頬を叩いた。

 

「もう一回お願いします!」

 

 そして緩んだ意識を引き締めた武闘家がそう告げると、ローグハンターは間髪入れずに頷いた。

 

「わかった。だが時間が時間だから、これで最後だ」

 

 相変わらずの淡々とした口調でそう告げると、武闘家に背を向けて数歩下がる。

 ふとその背中に殴りかかろうかとも思い、摺り足で半歩前に出てしまったが、それは自分を信じて背中を向けている彼と、真っ向勝負を教えてくれた父への侮辱に他なるまい。

 まあ仕事中は不意討ち上等なのだが、あれは命のやり取りだ。手段を選んではいられないから、そこら辺の教えは考えないものとする。

 豊かな胸に手を当てて思い切り息を吸い、その分を全力で吐き出すと、その場で構えを取った。

 背後で聞こえる呼吸音、砂が擦れる音を聞きながら、ローグハンターは深呼吸を一つ。

 そしてゆっくりと振り向くと、身体から力を抜いた。

 自然体で構えるローグハンターと、重心を落としてどっしりと構える武闘家。

 蒼い瞳と銀色の瞳がそれぞれ相手の姿を映し、静かな裏庭を支配するのは二人の吐息の音と、吹きつける風の音のみ。

 ばらばらだった二人の呼吸が少しずつ重なり、それが完璧に重なりあった瞬間、武闘家が動いた。

 

「でりゃあっ!」

 

 おおよそ十メートル分の間合いを、一呼吸で行われた数歩分の踏み込みで詰めると、踏み出した足を軸に蹴りを放つ。

 素人には残像しか見えない一閃だが、ローグハンターは軽く上体を後ろに倒すことで避けると、体勢を戻しながら拳打を放つ。

 

「っ!」

 

 蹴りを放った直後、足を振り抜いた姿勢で彼の行動を視認した武闘家は無理やり身体を捻り、腕を折り畳んで盾代わりに拳を受け止めた。

 ゴン!と鈍い音が響き、武闘家は歯を食い縛って痛みを堪え、空いている片手で彼の顎を打ち上げんとするが、ローグハンターの蒼い瞳が彼女の拳を捉え、既に片腕が動いていた。

 武闘家が拳を放った直後。ローグハンターの手が閃き、放たれた直後の拳の側面を叩いた。

 軽く小突かれた程度の力なのだが、それでも力の向きを変えるには十分で、拳があらぬ方向に弾かれ、大きく体勢を崩した。

 刹那、ローグハンターの掌底を腹部に叩き込まれ、武闘家は有らん限りに目を見開きながら「かはっ」と肺の空気を吐き出した。

 そのまま息を吸えなくなった彼女は、陸に揚がった魚のように口をぱくぱくと開閉させながらその場に崩れ落ち、それを見たローグハンターがホッと息を吐き、戦闘体勢を解いた瞬間、

 

「──っ!!」

 

 武闘家は声にならない雄叫びをあげながら、ローグハンターの身体に飛び付いた。

 彼の腰に両腕を巻き付け、体当たりの勢いのままに押し倒す。

 彼女の最後の反撃に目を剥いたローグハンターに馬乗りになった武闘家は、喉の奥からひゅうひゅうと変な音を出しながらどうにか呼吸を整えると、にっと歯を見せながら笑った。

 

「……気を……抜いちゃ、駄目……ですよ……?」

 

 腹を殴られた為か、息も絶え絶えで顔色も悪くなっているが、それでも彼女の戦意は折れていなかったのだ。

 先ほど言ったばかりなのに、事実気を抜いた自分を内心で自嘲していると、顔面に向けて拳を振り下ろされた。

 自分の腕をさながら金槌の如く真っ直ぐに、ローグハンターの頭を潰すつもりの全力で、思い切り振り下ろしたのだ。

 最後の最後で勝てたと思っただろう。武闘家は笑みを貼り付け、寸止めすることも忘れてとどめを刺そうとするが、ローグハンターは両腕を交差させ、顔面に打ち降ろされた拳を受け止めた。

 ローグハンターは腕、武闘家は拳の骨が軋む痛みに表情を歪めながら、それでも次の一手への行動は始めなければならない。

 武闘家は彼の腕に止められた拳を再度振り上げんとするが、やはり技量の差が出たのか、彼がその手を掴む方が一瞬速い。

 

「っ!」

 

 少しの反応の遅さに舌打ちを漏らした武闘家だが、ローグハンターの空いていた手に頭を掴まれた事で意識を戻した。

 直後、ぐるりと視界が回転し、見えていたものが彼と地面から、彼と青空の二つへと変わる。

 彼女の頭を横に振りながら片足をついて身体を回し、馬乗りになっていた彼女をその体勢のまま倒されることになった。

 それに驚く間もなく、先程の彼女と全く同じ形でローグハンターの拳が振り下ろされる。

 片手は彼に捕まれて動きを封じられた武闘家は、残る片手で眼前に迫る拳を防いだ。

 受け止めたまではいい。だが今の自分に押し返すまでの力はなく、耐えるのみで精一杯だ。

 

「く……っ!」

 

 その悔しさに目を細めながら腕に力を込めるが、押し返せない。捕まれている手を解放しようにも、そちらにも万力のような力で押さえられ、まともに動かすことも出来ない。

 

「うぅぅっ!!」

 

 それでもどうにか現状を打破しようと、低く唸りながら両腕に力を入れる。

 まだ細く、筋肉も薄い両腕の血管が浮かび上がり、額にも青筋が浮かぶ。

 

「んぁああああっ!!!」

 

 気合いの雄叫びをあげ、ありったけの力を振り絞って両腕を持ち上げんとした。

 

「む……」

 

 相変わらずの無表情で両手に力を入れていたローグハンターは小さく唸ると、少しずつ手が押し返され始める。

 

「ぐぬぬぬぬぬ……!」

 

 押し倒されていた身体を起こしながら、鼻先に据えられた彼の拳を、自分の手首を掴んで離さぬ彼の手を、もろともに押し返す。

 ローグハンターが僅かに目を細めて押し戻さんとするが、今度は武闘家の力に押されて動くことはない。

 そしてその体勢のまま睨みあい、お互いに次の一手を模索していると、

 

「あ、あの~」

 

 横合いから、声がかけられた。

 武闘家は「ほえ?」と気の抜けた声を漏らし、同時に両腕の力を抜くと、ローグハンターの押していた力に押され再び押し倒された。

 勢いよく地面に叩きつけられた武闘家は、背中と後頭部の鈍痛に表情をしかめると、ついでにローグハンターがその豊かな胸に飛び込んできた。

 押し返してくれていた彼女が力を抜いた為、前につんのめる形で体勢を崩し、彼女の胸に飛び込んでしまったのだ。

 

「──」

 

 だがそんなものを露知らず、赤面しながら突然の事態に言葉を失った武闘家と、謎の柔らかさに包まれて身動きを止めたローグハンターを見つめながら、二人に声をかけた人物──受付嬢は三つ編みに纏めた髪の毛先を弄りながら、顔に笑顔を貼り付けて「お話を、いいでしょうか?」と問いかけた。

 そしてようやく彼女の胸から離れて身体を持ち上げたローグハンターが「何だ」と問い返すと、受付嬢は何故か赤面しながら顔を背けた。

 

「その前に、立ってもらえませんか……」

 

「……?」

 

 何故か言いにくそうに告げられた言葉にローグハンターは首を傾げ、改めて自分と武闘家の体勢に目を向けた。

 馬乗りの体勢を無理やり返した為、大きく広げられた彼女の両足の間に自分の体が納まっており、倒れる彼女の疲労からか顔には大量の汗が浮かび、肌もほんのりと赤く上気し、戦闘後ゆえに呼吸も荒い。

 先程まで彼女の両手を押さえていたから余計に密着していたが、気になるものは特になかった。

 

「どうかしたのか」

 

 なのでそう問いながら立ち上がり、いまだに動かない武闘家に手を伸ばす。

 彼の手が近づいてきたことにようやくハッとした武闘家は、顔を変わらず真っ赤に染めたまま彼の手をとって立ち上がると、両腕で胸を隠しながらそっぽを向いた。

 

「……?」

 

 その反応に再び首を傾げるローグハンターに対して、受付嬢は額を押さえながらため息を漏らすが、すぐに表情を引き締めて二人に対して告げた。

 

「お二人に、重要なお話があります」

 

 真剣な表情と、硬い声音。一目で大事であることがわかる。

 黒い衣装の埃を軽く叩いて落としたローグハンターは表情を引き締め、「何事だ」とただの一言で問いかけた。

 横の武闘家もぱんぱんと自分の身体を叩いて汚れを落としながら、「よし!」と頷いて気合いを入れ直す。

 

「……」

 

 だがローグハンターは不服なのか、汚れが目立つ彼女の顔を見つめながら目を細めると、懐からハンカチを取り出した。

 そのままぐりぐりと押し付けるように彼女の顔を拭いながら、流石に落としきれない汚れの頑固さに小さく唸る。

 ぐりぐりぐりぐりと、少しずつ力を強めながら顔を拭ってくれる彼の優しさに喜ぶべきか、多少の文句を言ってやるべきか悩むところだが……。

 

「あ、あの~?」

 

 話が進まないと業を煮やしてか、受付嬢が貼り付けた笑みに少々の凄味を含ませながら二人に声をかけた。

 だがそんなものに怯むローグハンターではなく、むしろ汚れを落とそうと意地になっている節さえも見てとれる。

 

「ちょっ、ストップ。あの……っ!」

 

 武闘家は押し付けられる彼の手を掴み、そのまま押し返して無理やりにでも止めることにした。

 彼としては単純な善意からの行動だったのだが、流石に迷惑だったかと僅かに反省。

 ひりひりと痛む顔を揉みほぐしながら「あうあう~」と気の抜けた声を漏らす彼女を他所に、ハンカチを懐に戻したローグハンターが「それで、なんだ」と問いかけた。

 彼のせいで話が進んでいないのに、当の彼はさして気にしていない辺り、見た目真面目なのに意外と抜けているのかと、受付嬢は内心で苦笑を漏らす。

 

「とにかく、ギルド二階の応接室までお願いします」

 

 だがそれを表情には出さず、いつも通りの真面目な表情でそう告げると、ローグハンターは今度こそ頷き、武闘家も「ふぁい」と相変わらず気の抜けた声を返した。

 

 

 

 

 

 冒険者ギルド二階、応接室。

 一階の酒場や受付とは違う、入るだけで重苦しい雰囲気を感じるその部屋は、多くの冒険者や職員、時には依頼人が集まり、様々な用事で話し合う為の部屋だ。

 そしてそこに集まっているのは三人の冒険者と、二人のギルド職員。

 冒険者三人の内、二人はローグハンターと武闘家だが、残りの一人はあまり見覚えのない冒険者だ。

 種族は只人、性別は男、年は二十過ぎといったところ。

 瞳と髪は黒いが、極東の生まれという顔立ちではない。

 大小様々な傷が目立つ重厚な鎧を纏う姿は迫力に満ちており、脇に置かれた兜にも大きな傷がついている。

 顔にも同様に大きな傷痕が残っているが、それが纏う覇気に拍車をかける。

 いわゆる鎧を着ていたから無事で済んだという手合いの冒険者なのだろうが、着ていたが故に死にかけた部類の冒険者でもあるのだろう。

 そして、首から下がる認識票の輝きは銅色のそれで、二人よりも遥かに格上であることを知らしめる。

 装備的な意味でも、等級的な意味でも、自分とは真逆の冒険者をじっと見ていたローグハンターは、ほんの僅かに目を細め、口の中で小さく唸る。

 

 ──こいつ、強いな。

 

 戦闘体勢でもないのに放たれる気迫と、じっとこちらを見つめてくる黒い瞳の鋭さ、そしてただの直感が彼にそう思わせた。

 横の武闘家も何となく同じ事を思っているのか、いつもは柔らかな表情がどことなく硬い。

 そしてそんな二人の視線を集めていたことに気付いたのか、その冒険者はふっと笑うと表情を和らげた。

 

「俺のことは気にしないでくれ。ただの立会人だ」

 

「立会人……?」

 

 自分の言葉に首を傾げた武闘家を見つめながら、銅等級冒険者は「ああ」と頷き、受付嬢と監督官の二人を手で示した。

 

「詳しくは二人から。何もしなければ、俺も座っているだけで終わりだ」

 

 楽な仕事だと笑うと、受付嬢に目を向けた。

 視線だけで「話を始めてくれ」と伝えた彼は、両腕を組んで背もたれに身を預けた。

 一件寛いでいるようにも見えるが、その視線はしっかりと二人を捉えて離さず、油断の色もない。

 武闘家は流石だなと思いながら、緊張の面持ちで受付嬢と監督官の二人に視線を向ける。

 額には大量の汗が浮かび、握り締めた拳にも汗が滲む。

 隣のローグハンターは対して気にした様子もなく、いつもの無表情なのは、こういった緊張に慣れているのだろう。

 受付嬢はそんな対照的な二人の姿と手元の資料を見つめながら、「では、私から」と口を開いた。

 武闘家は一言一句聞き逃すまいと緊張の面持ちで頷き、ローグハンターは銅等級冒険者を見ていた蒼い瞳を受付嬢へと向けた。

 受付嬢はゆっくりと息を吸うと、二人にとって重要なことを伝える。

 それを聞いた二人の反応は様々で、ローグハンターは静かに瞑目、武闘家は「ええええええええ!?」と叫びながら勢いよく立ち上がり、がたん!と音をたてて椅子が倒れる。

 始めの態度といい、反応といい、相変わらず対照的な二人の姿に銅等級冒険者は可笑しそうに笑みをこぼし、受付嬢も口許を隠しながら苦笑、監督官もまた同じような反応を示した。

 

 

 

 

 

「それにしても、ならず者殺し(ローグハンター)。噂通りの堅物かと思ったが、あれは堅いのではなく無関心というべきかもな」

 

 二人に伝えることを伝え、渡すべきものを渡し終え、僅かに弛緩した空気が流れる応接室。

 銅等級冒険者は部屋から出ていった二人の姿を思い浮かべながら、ローグハンターのことをそう評した。

 今回の話題を投げられれば、大概の冒険者は妙に浮かれるか、命がけの冒険さながらに緊張するものだが、あの青年はどちらもしていなかったように見えた。

 銅等級冒険者の言葉に受付嬢は頷くと、彼が遂行した依頼に関する書類に目を落とした。

 ならず者退治に始まり、次もならず者退治。そのまた次もならず者退治、次も、次もならず者退治かと思えば、最後の書類にたどり着いてしまう。

 

「冒険者になってからその大半をならず者退治に費やす、か。いや、他人の生き方にどうこう言うつもりもないが──」

 

 銅等級冒険者はそう呟くと肩を竦め、「冒険者らしくない後輩だな」と率直な感想を述べた。

 一般的な冒険者は、洞窟だの遺跡に潜り、そこに住まう魔物に挑み、宝を手に入れるというのがだいたいの流れだ。

 いまだに駆け出しの域を出ないにしても、遺跡に挑むことくらいはあるだろうに。

 

「ですが、お二人の人格的にも、街への貢献度的にも、問題はありません」

 

「わかってはいるとも。辺りの治安維持にも一役買っているだろうからな」

 

 銅等級冒険者は受付嬢の言葉にそう返すと、兜を脇に抱えて立ち上がった。

 

「では、報酬は後程。俺も仕事がある」

 

「は、はい。ありがとうございました」

 

 そんな彼を見上げながら謝辞を述べた受付嬢と、隣でぺこりと頭を下げた監督官に一瞥くれながら、銅等級冒険者は歩き出し、応接室を後にした。

 後ろ手で扉を閉め、絨毯の敷かれた廊下を歩きながらニヤリと鮫のように獰猛な笑みを浮かべた。

 

「──あの男、いい眼をしていた」

 

 同時に思い浮かべるは先程の青年、ローグハンターだ。

 濁った蒼い瞳には静かな殺意が宿り、見る者全てを威圧する力が込められていた。

 あれが黒曜等級だったのかと嗤い、存外に面白そうだと笑みを深める。

 

 ──だが、まだだ。

 

 無意識に力がこもっていた拳を開きながら、銅等級冒険者は心中でそう呟いた。

 まだ駆け出しの域を出ていないのだ、挑むにも、挑まれるにも早すぎる。

 

「しかし、冒険者をやるのも飽きてきたからな……」

 

 彼はそう告げると悩ましそうにため息を吐き、目を細めた。

 あの男が自分と同じ等級になるのに、そう何十年とはかかるまい。早くて三年、遅くても四年。

 

「楽しみだな、ならず者殺し(ローグハンター)。お前に挑まれるからには、俺もまたならず者(ローグ)になるとしよう」

 

 冒険者の、人の皮を被った怪物。

 眠り続けていた魔物が、野に放たれようとしていた。

 

 

 

 

 

 冒険者ギルド一階。待合室に併設された酒場。

 その端にある少人数用の卓に、ローグハンターと武闘家の姿があった。

 

「ふへへ。やりましたよ、ついに私も黒曜等級ですっ!」

 

 そしてふにゃりと蕩けた笑みを浮かべていた武闘家が、ローグハンターに見せつけるように黒曜の輝きを放つ認識票を差し出した。

 ローグハンターはそれを見ながら「良かったな」と表情に笑みを貼り付けながら呟くが、彼の首に下がる認識票は鋼鉄の輝きを放っている。

 

「二人揃っての昇格。この調子なら銀等級もあっという間ですよ!」

 

「だと良いんだが……」

 

 黒曜等級に上がって浮かれている武闘家を横目に、ローグハンターは先程の銅等級冒険者の姿を思い出し、目を細めた。

 あの獲物を狙うような、品定めをするような視線は、胸につかえて何とも気持ちの悪いものが残る。

 

「とにかく、お仕事しましょう!えっと、何に行きます?」

 

 そしてその浮かれた調子のまま武闘家が問うと、ローグハンターは「決まっている」と返して意識を切り替えた。

 

「──ならず者退治だ」

 

 等級が変わり、仲間が増えたとしても、彼の役目(ロール)は変わらない。

 彼はローグハンター。ならず者を殺すのが、彼の役目だ。

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory04 寒空の下へ

 ローグハンターと武闘家。それぞれの等級があがり、少しずつ駆け出しから中堅へとなっていく。

 だがローグハンターが鋼鉄等級になっても、武闘家が黒曜等級になっても、二人がやることは変わらない。

 

「ひぃぃいいいっ!寒いぃぃいいいい!」

 

 ──のだが、今回はいつもと様子が違った。

 動物の毛皮で織られたのか、見るからに防寒性の高そうなもこもことした外套を被った武闘家が、吹き付ける風に悲鳴をあげ、ずるりと鼻水をすすった。

 その隣、いつもの黒い衣装に身を包んだローグハンターは白い息を吐くと、フードの下で目を細めた。

 確かに吹き抜ける風は冷たいし、僅かに露出した顔は冷たいを通り越して僅かに痛みを感じる程だ。

 

「……雪山、か」

 

 そして目の前に聳え立つ雪を被った山を見上げながら、再び白い息を吐いた。

 いつもの依頼なら街道の近くや森の中といった、それなりに人通りがあったり、少なくとも動物の気配がするような場所だったが、今回は違う。

 人の手があまり入っていないどころか、前人未到と言っても過言ではない程、人の気配がない。

 現に二人がいるのは麓の森の中で、足元には薄く雪が積もっている。

 まだ登ってもいないのにこれだとすれば、山の中はかなり積もっていることだろう。それこそ、行動が阻害される程に。

 ローグハンターが悩ましげに唸ると、ぷるぷると震えながら木陰に隠れて風をやり過ごしている武闘家に目を向けた。

 

「行けるか」

 

「ひゃ、ひゃいっ!だ、大丈夫です!」

 

 そしていつも通りに淡々とした声音での問いかけに、武闘家は目に涙を浮かべながらガッツポーズをして応じた。

 もっとも、直後に吹き付けた風に悲鳴をあげて身体を丸めるのだから、説得力は皆無と言って良い。

 風でずれたフードを被り直しながら、ローグハンターは深々とため息を吐いた。

 もうすぐ冬だ。本来なら冒険者、ならず者問わず、この寒さに参って宿に籠るか身を潜める時期だというのに、冬場に好んで行動する連中がいるとは思わなんだ。

 その討伐の依頼を申し訳なさそうに教えてくれた受付嬢の顔を思い出し、再びため息を漏らした。

 

 

 

 

 

 時間を巻き戻し、数日前の辺境の街。

 

「うぅ……。寒い……」

 

 眠る狐亭の一室で、シーツと毛布にくるまった武闘家が弱々しく声を絞り出した。

 顔だけを出して結露が貼った窓を見つめ、「外はもっと寒いんだろうな……」とため息混じりに呟き、余計に覇気を無くす。

 

「……そこまでか」

 

 そんな彼女を見つめながら装備を整えていたローグハンターはふむと唸ると、ちらりと窓の外に目を向けた。

 確かに肌寒くはあるが、毛布にくるまって過ごす程だろうかと考え、小さく首を傾げた。

 そもそもとして、彼は自分が寒さに慣れすぎているという事に気付いていないのだ。

 氷が貼っている海に飛び込み、陸にあがるなり暖も取らずにすぐさま戦闘を開始する命知らずは、彼と彼の師匠程度しか居わすまい。

 そんな他人との感覚のずれを気づきもせず、ローグハンターは顎に手を当てながら武闘家に目を向けた。

 彼女とて開拓村出身だろうから、それなりに寒いのには慣れているだろうとも思いながら、ちらりと彼女の装備類に目を向けた。

 出会ったばかりの頃から使っている籠手や脚絆には大小様々な傷の目立ち、いつも服の上からつけている安物の胴鎧も傷だらけだ。

 彼の視線の向きに気付いてか、武闘家もまた自分の装備に目を向ける中、ローグハンターは良いことを思い付いたと言わんばかりに手を叩いた。

 

「冬用の装備を新調しよう。本格的に寒くなったら面倒だ」

 

「冬用の、装備……?」

 

 もはや考えるのも億劫なのか、武闘家はもじもじと身じろぎして身体を温めながら問うた。

 それに間髪いれずに頷いたローグハンターは、相変わらず足音をたてることなく部屋の中を歩くと、彼女の装備を手に取った。

 冒険者になって一年も経っていないが、ほぼ毎日のようにならず者と打ち合う彼女の装備は見るからに限界だ。

 

「ちょうどいいから、これも変えるか。善は急げだ、準備しろ」

 

 一度言い出したら、余程のトラブルがない限り最後までやり遂げることをぜったいとしている彼のことだ、こので渋っても無理やりにでも連れ出されることだろう。

 

「うぅ……。わかりました……」

 

 それを最近理解してきた武闘家は渋々頷くと、毛布にくふまったままベッドを降り、装備類の方に──つまり彼の隣に──向けて歩き出す。

 

「……」

 

 そして衣装に手を伸ばした彼女の手を見つめていたローグハンターは、不意に彼女の手を取った。

 

「ひゃ!?」

 

 武闘家は突然手を掴まれたことに悲鳴をあげるが、彼の手の温もりに気付き、強張っていた表情を僅かに緩める。

 

「本当に冷たくなってるな……」

 

 そんな彼女を他所に、ローグハンターは想像していた以上に冷たい彼女の体温に驚きながら、彼女の顔を覗きこんだ。

 彼の蒼い瞳と、凛とした──けれどどこか心配したような──表情で間近に迫られた武闘家は、ほんのりと頬を赤く染めながら顔を反らし、そっと彼の肩を押した。

 もちろん踏ん張っていなかったローグハンターは数歩横にずれると、武闘家は消え入りそうな声音で彼に告げた。

 

「……あの、今から着替えますから、外で待っていてください」

 

「ああ、そうだな。それじゃあ、下にいるぞ」

 

 その一言にハッとしたローグハンターは足音をたてずに歩き出し、そのまま扉を潜って廊下へと出ていった。

 

「……」

 

 彼の背中を見送った武闘家はホッと息を吐くと、豊かな胸に手を当てて深呼吸を繰り返した。

 ドクンドクンと喧しいまでに心臓が鼓動し、寒い筈なのに体温が高くなっていくことがわかる。

 目を閉じると瞼の裏に浮かび上がるのは、先程の彼の顔だ。

 ここ数ヶ月である程度彼の表情を読めるようになった彼女だからこそわかる、無表情に見えてそうではない、ほんの僅かに覗いた人らしい表情。

 

 ──あんな顔も、出来るんだ……。

 

 いつも無表情で、蒼い瞳は濁っているように見えるけれど、さっきは普通の男の人のように見えた。

 そう思うだけで、冷たかった体も温かくなるような気も──。

 

「いやいや何を考えてるのよ、私は……っ!」

 

 そこまで考えていた彼女は、ぶんぶんと首を振って意識を切り替えた。

 ともかく早く着替えよう。彼を待たせてしまっている。

 武闘家は小さく息を吐くと毛布を退かし、自分の装備へと手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 眠る狐亭、一階の酒場。

 なかなか降りてこない相棒を待つローグハンターは、一人カウンター席に腰かけていた。

 朝一番の喧騒に包まれる酒場を横目に、彼は店主と対峙しながら、薄味のスープに口をつける。

 半透明のそれは見た目通りに味は薄いが、身体の芯まで温まり、寝起きの身体を叩き起こしてくれる。

 

「……」

 

 普通であれば表情を綻ばせてもいいものだが、ローグハンターの視線は鋭いもので、目の前に立つ男の警戒しているようにさえ見えた。

 彼の視線を一身に受ける店主もまた彼のことを警戒しているようだが、一応客だからか彼の注文を無下にすることなく、頼まれたスープを出した訳だが。

 

「「………」」

 

 片やスープを啜る冒険者。片やそれを出した店主と、言ってしまえばそれだけなのに、二人の間に流れる空気は重いものだ。

 だが、そんなものを気にもしないのが酒場の客たちと店員たちで、二人の間にある張り詰めた空気は喧騒に埋もれて回りに迷惑をかけることはない。

 そして、先に根をあげたのは店主だった。わざとらしくため息を吐いた彼は、「俺に何かようでもあるのか?」と問うた。

 ローグハンターは「いや」と一言で返すと、目を細めながら店主に告げる。

 

「知り合いに雰囲気が似ているだけだ。深い意味はない」

 

「知り合い、ね……」

 

 彼の言葉に店主は意味深に笑いながら頷くと、とりあえず納得したのか僅かに肩から力を抜いた。

 

「それにしても賭博で大儲けした冒険者様が、随分と質素な朝食だことで」

 

「朝から豪勢なものなぞ食えるか。身体が重くなる」

 

 残り少なくなったスープの水面を見下ろしながら、ローグハンターはそう告げた。

 空腹で動けなくなるのも恐ろしいが、腹に入りすぎでうごきが鈍くなって死ぬなど、それこそお笑い草になってしまう。

 ローグハンターは残ったスープを一口で飲み干すと、ホッと息を吐いた。

 それと同時、どたどたと騒がしい足音が階段から聞こえてくる。

 

「お待たせしました!」

 

 そこから現れたのは、銀色の髪を頭の高い位置(ポニーテール)で纏めた武闘家だ。

 空元気なのか、部屋で丸くなっていた時とはうって変わり、いつもの活発な様子に人懐こい笑みを浮かべている。

 

「ああ、来たか」

 

 そして彼女を待ちわびていたローグハンターは軽く手を挙げ、武闘家はとたとたと軽い足取りで彼に近寄ると、そのまま肉付きのいい尻を椅子にのせた。

 店主が「おはよう」と言うと、武闘家は「おはようございます」と返し、店主は上機嫌に笑って見せた。

 

「それで、何か食っていくか?」

 

「あ、はい。えっと……」

 

 店主からの問いかけに頷いた武闘家は、ようやく一人で読めるようになってきたメニューを睨み、最終的に彼と同じものを頼んだ。

 薄い味だが温かい、とても優しい味がするスープを。

 

 

 

 

 

 冒険者ギルドの朝は騒がしく、職員や冒険者、依頼人たちがあちらへこちらへと右往左往を繰り返し、様々な手続きが進められていく。

 その喧騒が遠くに聞こえるが、確かに冒険者ギルドの施設である工房には、さながら鉱人(ドワーフ)のような老年の男がいた。

 種族はおそらく只人(ヒューム)だが、長年鉄を鍛え続けた腕は筋骨隆々で、肉体を支える足もまた岩のようにごつごつとしている。

 そして鍛冶師の性か、火を見続けた瞳は焼けてしまったのか、片目は眼帯に隠されており、その分もう片方の目はぎょろりと見開かれたいる。

 見た目からして恐ろしそうな老人ではあるが、様々な冒険者の装備を見繕う都合上、様々な冒険者との面識があり、彼を信頼する者は多い。

 そんな彼は、目の前で装備を見繕っている少女を見つめながら、小さく鼻を鳴らした。

 聞いた限りでは、ローグハンターの相棒をしている内に黒曜等級にあがったそうだが、何もくっついて行くだけのお荷物ではないだろう。

 

「……で、どうだ」

 

 そして、片手半剣(バスタードソード)や短剣を見ていたローグハンターが背中越しに問うと、武闘家は具合を確かめていた脚絆の爪先でとんとんと床を叩くと、締めと言わんばかりに籠手を打ち付けあった。

 

「んー。これならいい感じです」

 

 がきゃん!と奇妙な金属音を響かせた彼女に「よし」と返したローグハンターは、「外套は」と問いかけて辺りを見渡した。

 工房の一角では冬場用の装備が纏められており、防寒用の外套もいくらかある。

 動物の毛皮で造られたそれは見るからに暖かそうで、武闘家はその中の一枚をふん掴んだ。

 試しに羽織ってみれば、ものの見事にぴったりだ。

 

「うん。これで大丈夫そうです」

 

 その場でくるりと回ってみた武闘家を見ていたローグハンターは、ふむと唸ると「似合っているぞ」と告げた。

 それが世辞なのか本音なのかはわからないが、武闘家は照れたように頬を赤くしながら外套のフードを被った。

 工房長は二人を見ながらため息を漏らすと、「買うのか?」と問いかけた。

 目の前でいつまでもイチャイチャされていたら、商売にならない。現に遠慮して入り口で足を止めている冒険者の影が見えている。

 

「はい、これにします!」

 

 そんな事に気付いてもいない武闘家が、カウンターの上に一旦脱いだ外套と籠手、脚絆を置くと、隣に立ったローグハンターが「弾をくれ」と注文を追加。

 工房長は手早く算盤を弾いて値段を出すと、ローグハンターは懐から出した財布から必要分の金貨や銀貨を差し出した。

 きっかり釣りなく出してくれる辺り、彼の生真面目さを感じられるが、冒険者にしては固すぎるようにも思える。

 

 ──それは最初からだがな。

 

 初対面でも夢を語ることなく、目標を感じさせることもなく、淡々と必要なものを必要な分だけを買っていった男だ。

 ゴブリンスレイヤーと呼ばれるあの青年とも似ているが、根本的な部分が違う、冒険者の異端とも違う異端者。

 それが工房長が思うローグハンターの姿だ。

 

 ──まあ、それに付き合うあの嬢ちゃんもそっちの部類だよな。

 

 装備を改めてウキウキと上機嫌になっている武闘家を見ながら、工房長は二人に気付かれないように小さくため息を漏らした。

 どんな人物であれ、どんな冒険者であれ、無事に帰ってくればそれでいい。

 工房長は金槌で肩を叩きながら、ちらりとローグハンターの方に目を向けた。

 いつも無表情なのに、蒼い瞳に彼女の姿を映している彼の顔はどこか穏やかだ。

 それなりに彼との付き合いがある工房長はそんな事を思いながら、再びため息を漏らす。

 

「そろそろ行ってくれんか」

 

「ああ、そうだな」

 

 工房長のうんざりしたような声音に、ローグハンターは工房の入り口で立ち止まっている同業者たちにようやく気付いた。

 

「それじゃあ、また来る」

 

 そして購入した物を受け取りながら返すと、ローグハンターは雑嚢に弾を入れた袋を押し込み、隣の武闘家は装備一式と外套を受け取り、手早くそれらを着ていく。

 

「よし、行きましょう。ありがとうございましたっ!」

 

 武闘家が勢いよく頭を下げながらお礼を言うと、ローグハンターも小さく頭を下げるだけすると、踵を返して歩き出した。

 足音をたてずに歩く彼と、とたとたと足音をたてる武闘家。

 まだまだ力量(レベル)にも技量(スキル)にも差が大きい二人だが、並んで歩く姿は何ともしっくり来る。

 

「ま、気張るこった」

 

 工房長は二人の背中に聞こえない前提で言葉を投げると、交代で入ってきた客の相手を始めた。

 とにかく仕事はしなければ。こちらにも生活があるし、あちらも命懸けで仕事にいくのだ。適当な接客は出来ない。

 命懸けの冒険者の、命を預かる武器や防具。それを鍛える自分。

 運が悪くて死ぬのはしらんが、装備のせいで死んだなんて言い訳はさせない。

 中途半端な仕事なぞ、絶対にしてやるものか。

 

 

 

 

 

 工房から廊下を進み、酒場へと出てきた二人は、そのままいつもの待合室端の席を目指して歩き出した。

 朝一の混雑時は過ぎたのか、ある程度人が減ったギルド内は歩きやすく、その分目立つ中で受付前を横切れば、

 

「あ、ローグハンターさん!」

 

 声をかけられるのは、ある意味で当然の事だろう。

 ようやく手の空いた受付嬢は目の前を通りすぎた彼を呼び止めると、ローグハンターは武闘家を先に行かせて受付へと目的地を変更した。

 そのままいつものように受付の前に立った彼は、いつもと変わらない淡々とした声で「どうかしたのか」と問うた。

 問われた受付嬢は何だか申し訳なさそうな顔をしながら、「実は──」と一枚の書類を取り出しながら彼に告げた。

 

「最近、とある山を中心に、近隣の村や通りかかった行商人、時には冒険者が襲っているそうです。情報によれば、犯人は盗賊だったと」

 

「そうか、なら受けよう」

 

 そして情報に目を通していたローグハンターは即答するが、「雪山、か」と渋い表情を浮かべた。

 

「やはり、厳しいですか……?」

 

 珍しく見せるその表情に不安になる受付嬢の問いかけに、ローグハンターは小さく頷いた。

 

「準備をしなければならない。対応に少し時間をくれ」

 

「それは構いませんが、依頼をお受けするんですか」

 

「……?ああ、受けない理由もない」

 

 何故か不安そうな表情の受付嬢の言葉に、不思議そうに首を傾げたローグハンターはそう言うと、いつもの席から心配そうにこちらを見ている武闘家に目を向けた。

 

「とにかく相談してくる。俺一人か、あいつと二人かは後で」

 

 彼は一方的にそう言うと、書類片手に待合室の端へと進んでいった。

「あ、お帰りなさい」と笑顔で迎えてくれた彼女に「ああ」と手短に返すと、件の依頼書を卓の上に乗せた。

 

「依頼だ。目標はいつも通りだが、アジトの場所はわかっていない。それを探しだし、殲滅する」

 

「わかりました。一緒に行きます」

 

 彼の言葉に武闘家が考える間もなく応じると、ローグハンターは「大丈夫なのか」と僅かに心配そうに問いかけた。

 

「……何がですか?」

 

「依頼先は山だ。この時期は雪が積もるし、ここよりも寒いぞ」

 

「そ、それは、その、頑張ります……」

 

 武闘家は彼の言葉に意気消沈しながら頷くと、ローグハンターはぽりぽりと頬を掻き、「まあ、来るなら来い」と相変わらず相手に選ばせる事に落ち着く。

 

「防寒具はさっき買ったが、食料と縄、水薬(ポーション)も買い換えておくか。あとは──」

 

 そして独り言のように用意するものを口にしながら、卓に指を這わせて頭に叩き込んでいく。

 どこにあるかもわからない拠点を探すのだ、どれほどの時間がかかるかもわからない。

 食料は多めに用意するとして、やはり少量でも力になる乾いた果物辺りが良いのだろうかと諸々を考える。

 そうして真剣な表情で物思いにふける彼を見つめながら、武闘家はほんのりと頬を赤くした。

 如何せん彼の顔は森人さながらに整っており、いつもの無表情でも形になるというのに、戦闘中や何かを考えている時のような真剣な表情は、それとは似ているのにまた違った表情のように見える。

 そして彼をじっと見ていると、ドクンの心臓が跳ねたような気がして、豊かな胸にゆっくりと手を触れた。

 いつにも増してうるさい鼓動を掌に感じながら、武闘家は深呼吸をひとつ。

 

「……大丈夫か」

 

 そんな彼女の様子を怪訝に思ってか、思慮を終えたローグハンターが声をかけた。

 それにハッとして顔を上げた彼女は「大丈夫です!」と笑みを浮かべながら応じると、ローグハンターは「ならいい」と答え、立ち上がった。

 

「とにかく買い物だ。準備するぞ」

 

「わかりました」

 

 

 

 

 

 二人がこのやり取りを行ったのが数日前。

 そして現在は──。

 

「さ、寒いぃぃいいいい!」

 

「わかったから、静かにしてくれ……」

 

 雪山を登りながら悲鳴をあげる武闘家と、それに苦言を呈するローグハンターの姿があった。

 風で外套の裾を靡かせながら、雪山に足跡を残して進む二人は、さながら雪山で遭難してしまった哀れな旅人のようにさえ見えるが、二人は望んでここにいるのだから、哀れな旅人という訳でもない。

 ローグハンターは後ろで悲鳴をあげる武闘家にため息を吐きながら、瞬きを合図にタカの眼を発動。

 僅かに残された討伐目標(ターゲット)の痕跡を追いかける。

 痕跡が消えやすい雪山故に見つけ辛く、見つけてもすぐに見失ってしまいそうになるが、気を抜かなければどうとでもなる。

 そして、見つけた。二人がいる崖から見下ろせる位置にある、雪を被った古い砦。

 ローグハンターは素早くその場に膝をついてしゃがむと、口に一掴み分の雪を含んだ。

 口内を冷やすことで息が白くなる事を防ぐのが目的だ。白い息というのは自分が思っている以上に目立ってしまう。

 そして口内の冷たさに耐えながら目を凝らしてみれば、人影と思しき黒い斑点が雪の白の上にいくらか見える。

 

「あれだな。拠点」

 

 まだ形を保っている外壁の上にも見張りがおり、崩れた一角もご丁寧に木材で補強され、砦内にも警羅がいることだろう。

 

 ──傭兵崩れの盗賊か……?

 

 妙に統率の取れた行動に眉を寄せ、相手の出所をそう推理したローグハンターの隣では、武闘家がひょこりと崖から顔を出し、彼を真似て雪を口に含んだ。

 その冷たさに身震いする彼女を他所に、ローグハンターは口内に溜まった雪解け水を吐き出すと、彼女に告げた。

 

「夜を待って、仕掛けるぞ。今回は手こずりそうだ」

 

「わ、わかりました。頑張りましょう……っ!」

 

 彼の言葉に武闘家は寒さに震えながら応じると、ローグハンターはごきごきと首を鳴らし、瞳に絶対の殺意を込めた。

 砦の攻略はいつぶりだろうかと自問し、別れて久しい師の背中を思い出す。

 あの人のようには出来ないと、わかっている。

 あの人のようにはなれないとも、わかっている。

 だが、やれるだけやろう。あの人の弟子として、恥じないように。

 

 ──何よりも、俺はならず者殺し(ローグハンター)なのだから。

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。


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Memory05 強敵

 双子の月も雲に隠れ、一寸先も見えない夜の闇と、それでも白く見える雪に覆われた山岳地帯。

 一面白一色に覆われたその場所に、ぽつんと置かれた古い砦。

 いつ頃からこの場所にあり、いつ頃に放棄されたのかすらわからないそこに、幾人かの人影があった。

 

「あ~、寒いな畜生」

 

 砦をぐるりと囲う外壁の上、松明を掲げて巡回をしていた一人の男が、身体を震わせながら白い息と共に愚痴を吐いた。

 ただですら冬が近づいてきて寒さが凄いというのに、団長は相変わらず巡回を休ませることはなく、不運にも自分の属する班に順番が回ってきてしまった。

 

 ──サボったって構わねぇかな……?

 

 夜になって一際強くなった寒さにやられてか、あるいは砦の窓からこぼれている明かりと、仲間たちの談笑の声にやられてか、男は露骨に肩を落とした。

 サボりたいが、サボったら後が怖い。罰せられるのが自分だけならともなく、班員全員が罰を受けるとなれば、話は変わってくる。

 自分のせいで食事を抜かれたり、鞭打ちをされたとなれば、恨みのままに殺されかねない。

 

 ──死にたくはねぇしな……。

 

 死ぬばそこまで。生きてさえいれば、ある程度のやり直しはきく。

 まあ失敗しないに越したことはないが、何事も上手くやれる人間なぞ多くはあるまい。何年か前に世界を救った六人の冒険者たちでさえ、多くの失敗をしていたときく。

 

 ──まあ、俺たちは汚い盗賊団だが……。

 

 盗賊と冒険者。二つの違いなぞ、国の組織に──書類上だけだとしても──属しているかいないか程度のこと。

 生まれも育ちもどこだかわからない無頼漢という意味では、盗賊も冒険者も変わりはすまい。

 

 ──だからって、冒険者になる気もねぇし。

 

 世のため人のために命を賭けるなぞ、自分の柄ではない。自分と仲間たちの十数人で、今日を生きるだけで精一杯だ。

 

「はぁ、くそ寒いな……」

 

 酒を飲んでいないからか、あるいは寒空の下に一人でいるからか、後ろ向きになっている思考を打ち切るようにそう呟くと、ごきごきと首を鳴らして再び歩き出した瞬間。

 ヒュンと鋭い風切り音が鳴ったかと思えば、首に何やら違和感を感じで足を止めた。

 ゆっくりと下を向いて首に目を向ければ、そこには何かが突き刺さり、外壁の縁に向かって紐が伸びている。

 

「え゛……あ゛……っ」

 

 それを知覚したと同時に首が異常な熱を持ち、男は掠れた声を漏らした。

 何かはわからない。わからないが、確実に何かが首に刺さっているのだ。

 こんな罠を仕掛けた記憶はないし、報告も受けていない。つまり、敵襲。

 

「だ……れ、か……っ!」

 

 精一杯に声を張り上げようにも、出てくるのは死にかけの老人が出したような掠れた声。

 視界の奥、反対側の外壁に揺れる松明の炎に手を伸ばすが、届かずに虚空を掴む。

 そして、その行動は紐を掴む誰かにとっては酷く気を害したらしい。

 僅かに垂れてゆとりを持っていた紐がピンと張ると、首に突き刺さっていた何かが勢いよく引き抜かれた。

 自分の首からぶちりと肉が絶たれる音が漏れたかと思えば、男の身体は引かれるがまま横向きに倒れ、視界の端には血に濡れた鋸状の刃が見える。

 それで首を貫かれ、文字通り肉を削がれたのだろう。

 男が倒れた直後に、びちゃびちゃと音をたてて肉片と噴き出した血が雪の上に落ち、点々と赤い染みを残していく。

 

「──っ──っ」

 

 微かに意識が残っていた男がぱくぱくと口を開閉させ、どうにか異常を仲間たちに伝えようとしていると、黒い影が縁を乗り越え、外壁の上に立った。

 消え行く意識の中で、目だけでその影を見上げれば、一対の蒼い瞳が冷たく見下ろしてくる。

 

 ──ああ、畜生……。

 

 男は声にならない愚痴を漏らしながら、ついに意識を手放した。

 完全に意識が消える間際、「安らかに眠れ」と静かな祈りの言葉が聞こえた、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 今しがた無力化した男を見下ろしてローグハンターは、足元に転がる松明に雪を被せて鎮火すると、むぅと小さく唸りながら男の身体を改めた。

 髭が生えている訳でもなく整えられており、手や足には垢がこびりついている様子もない。

 纏う鎧には傷が目立つものの点検や修繕はこまめにされているようで、錆びたり歪んでいる感じもない。

 試しに鎧をずらして身体を見てみれば、見事なまでの筋肉質で、自然についたと言うよりは意識して着けたようにも見える。

 相手はただのならず者ではなく、壊滅した傭兵団の生き残りか、兵士崩れだろうかと目星をつけ、再び小さく唸る。

 

 ──やはり一筋縄ではいかなそうだな。

 

 相手が正式な訓練を施された玄人(ベテラン)となると、気を引き締めなければならない。

 これから起こることを予想してため息を漏らしたローグハンターは、雑嚢に手を突っ込むと縄を取り出し、片方の端を腰帯に巻き付けると、外壁の外へと放った。

 直後に数度引かれる感覚があったかと思えば、僅かに縁の方に引かれる感覚を感じて両足を踏ん張ると、縄を手繰り寄せ始める。

 辺りを警戒しながらそのまま待つこと数十秒。外壁の縁を籠手に包まれた手が掴むと、ローグハンターは素早くそれを手に取り、引っ張り上げた。

 

「ありがとうございます」

 

 そうして外壁の上にたどり着いた武闘家は彼に礼を言うが、「気にするな」の一言で返された。

 言葉少なに油断なく辺りを警戒している様子から、今回は危険──いつも危険ではあるのだが──なのだと教えてくれる。

 縄を纏め、再び雑嚢に押し込んだローグハンターは、足元に転がる男の身体を担ぎ上げると、重いそれを外壁の外へと投げ落とした。

 ぼふっと降り積もった雪に重いものが落ちた音が微かに聞こえるが、幸いにも周囲に敵影はない。

 

「まずは外壁上を片付ける。誰も逃がしたくはないからな」

 

 そしてタカの眼で外壁上を動く赤い人影を睨みながらそう言うと、武闘家は「わかりました」と小さく抑えた声で応じた。

 彼女の返事に小さく頷いたローグハンターは、一度深呼吸をして意識を集中させる。

 

「よし、やるぞ」

 

 蒼い瞳に静かな殺意を込めながらの言葉に、武闘家はこくりと頷いた。

 同時に二人は同じ方向に走り出し、夜の闇に紛れて消える。

 目の前にある彼の背中を追いかけながら、武闘家は拳を握った。

 今回は足を引っ張らないように。彼の背中を守れるように、頑張ろう。

 彼に気付かれないように声には出さず、念のため心の中でも静かに、けれど確かに気合いを入れる。

 今さっきの男が死んだように、自分たちも今日この場所で死ぬかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

「おぁ゛……!?」

 

 砦内の喧騒が僅かに聞こえる外壁上に、男の断末魔が静かに響いた。

 ローグハンターに後ろから組み付かれ、勢いのままにアサシンブレードで首を貫かれた為か、呼吸をしようにもがぼがぼと血の泡を噴くばかりで、ついには力尽きて暴れていた手足から力が抜けていく。

 相手の絶命を確認したローグハンターはアサシンブレードを引き抜くと共に男の身体を外壁の外へと落とし、その場にしゃがみながら勢いよく振り向いた。

 

「はっ!」

 

 いつもよりは控え目の気合いの声と共に、敵の喉に拳を打ち込んで声を封じた武闘家が、相手の頭を掴んで外壁の縁に思い切り叩きつける。

 固いもの同士がぶつかり合う重い音と、骨が砕ける乾いた音が微かに聞こえ、割れた男の頭からは大量の血が滲み出た。

 そのまま相手の足を掴んだ武闘家は全身の力を使って男の身体を持ち上げ、滑り落とすように男を捨てる。

 これで五人目。外壁上にいた敵はこれで全員。あとは中央に鎮座する本丸の中だろう。

 肝心の人数までは把握しきれていないが、今までの経験から十人前後だろうかと予想を立てる。

 大きさや、外の警備の人数からして、流石に二十人越えの大所帯とまではいくまい。いたとすれば、もっと警備に人員を割く筈だ。

 そうして顎に手をやって思慮をしていると、不意に建物の扉が開き、三人の男が姿を現した。

 一人は身長二メートル近い巨漢だが、もう二人は盗賊にしては細い印象を受ける。

 ぎょっと目を見開いた武闘家を他所に、ローグハンターは小さく舌打ちを漏らした。

 

 ──時間をかけすぎた。交代要員が出てきたか。

 

 ローグハンターが這いつくばる程に姿勢を低くしながら雪を口に含むと、武闘家が慌ててその隣に這いつくばり、彼を真似て雪を口に含んだ。

 豊かな胸が潰れて柔らかく形を歪めるが、そんな事に構っている余裕はない。

 

「おい、お前らどこ行った!あんまり大声出させるなよ!」

 

 男の一人が不機嫌そうに松明を振り回しながら声を張り上げると、両脇にいた二人が同時に手を挙げ、思い切り頭を叩いた。

 ぴしゃりと乾いた音がローグハンターと武闘家の二人にも聞こえ、「(いて)っ!?」と男の悲鳴があがる。

 

「なにしやがる!?」

 

「雪崩でも起こしたいのか、お前は……っ!」

 

「あいつらが戻って来ないのは、敵襲の可能性もある。警戒しろ」

 

 一人目の男とは対照的に残りの二人は冷静なようで、辺りを警戒しながら視線を鋭くさせた。

 ローグハンターは更に舌打ちを漏らすと、ちらりと武闘家に目を向けた。

 

「あれで中には入れるが、あの三人はどうにかしなければならない。やれるか」

 

「やります。やってやります!」

 

 彼からの問いかけに、武闘家は這いつくばったまま頷いた。

 ではどうするかとという話になるのだが、あの三人は先程の巡回と違って警戒しているし、いるのは庭のど真ん中だ。隠れて近づいていくのにも限界がある。

 やはり正面切っての戦闘しかないだろうかと思考を纏めた瞬間、ローグハンターはふと違和感を感じてタカの眼越しに先程の三人へと目を向けた。

 身長は只人のそれに近いが、一人は遠目からでも妙に細く見える。それに立ち姿も他の二人のそれとは違い、妙な気品のようなものさえも──。

 ローグハンターが目を細めて更に警戒を強めた瞬間、空を覆っていた雲の隙間から、月明かりが差し込んだ。

 昼間の太陽さながらに大地を照らす優しき光は、皮肉にも今まで闇に紛れていた二人の姿を映し出した。

 二人が同時に危険を察した頃にはもう遅い。先程からローグハンターが気にしていた男は、()()()()()()()()()()()()()をピクリと揺らすと、弾かせるように二人の方に目を向けた。

 

森人(エルフ)──いや、闇人(ダークエルフ)か……っ!」

 

 もう気付かれたからか、ローグハンターはその相手を睨みながら毒づくと、その男──闇人盗賊は人差し指と薬指を咥えると、思い切り息を吐いてピィーッ!と甲高い音を吹き鳴らした。

 指笛による合図だということは、ローグハンターと武闘家の二人はすぐに察した。

 同時に闇人盗賊は砦の中に駆け込んでいき、残された二人は外壁の上にいる侵入者を睨みながらそれぞれ両手斧と突剣を構えた。

 ローグハンターと武闘家は顔を見合わせるとほぼ同時に立ち上がり、外壁を滑るようにして降りて中庭へ。

 

「迷い込んだ旅人って感じでもないな。冒険者か」

 

「我々にも討伐依頼が出されたか。少々派手にやり過ぎたようだ」

 

 両手斧を構えた男が好戦的な笑みを浮かべながら言うと、突剣を構えた男は至極冷静にため息を吐いた。

 ローグハンターは腰帯に吊るした片手半剣(バスタードソード)と短剣を抜くと、武闘家は拳を開閉させて籠手の具合を確かめる。

 同時に砦の中から八人の盗賊たちがどたどたと慌てて駆け出してくると、先程からいる二人の脇について身構えた。

 

「合わせて十。やるぞ」

 

「わかりましたっ!」

 

 ガキャン!と甲高い音を立てて籠手を打ち付けあいながら応じると、ローグハンターはこくりと頷いて深呼吸をひとつ。

 

「たかがガキ二人だ!殺るぞ、てめぇら!!」

 

 巨漢が両手斧を掲げると、部下たちが各々剣を掲げながら小さめの声で吼えた。

 足音一つでも雪崩になりかねないのだ、あの巨漢のように下手に大声は出せない。

 突剣を構えた男がやれやれとため息混じりに首を振っているのを他所に、盗賊たちは冒険者の二人に向けて突撃していく。

 始まってしまったものは仕方がない。誰も逃がさないように、確実にやろうと思慮しながら、ローグハンターは向かってきた盗賊に向けて刃を振るった。

 

 

 

 

 

 砦の最奥。他の部屋に比べて一際大きなその場所は、まさに古代の将軍が使っていたであろう一室だ。

 そこに駆け込んできた闇人盗賊は、外の戦闘音に気を散らしながら、豪快にいびきをかいて寝ている頭目の頭を叩いた。

「ふご!?」と情けない声を漏らしながら目を開けた頭目は、ぼりぼりと禿げ上がった頭を掻きながら身体を起こすと、「どうした、畜生」と毒づく。

 

「起こして申し訳ないが敵襲だ。冒険者が二人、伏兵がいるかもしれん」

 

「冒険者、ね……」

 

 ごきごきと首を鳴らした頭目は酒臭い息を吐くと、ぱきぱきと指を鳴らした。

 

「捻り潰してやるよ。で、今どこだ」

 

「外で相手している。まあ、ここまでは来ないだろう」

 

 何とも好戦的な頭目の様子に、闇人盗賊がため息を吐きながらそう告げると、頭目はふと思い出したかのように問うた。

 

「女は」

 

「いた」

 

 その問いに間髪入れずに応じると、頭目は下卑た笑みを浮かべながら、机に刺さっていた短剣を引き抜いた。

 

「それは、楽しみだ……」

 

 ぺろりと舌舐めずりをする頭目を見つめながら、闇人盗賊は額を押さえながら本日何度目かのため息を吐いた。

 どの組織にも、自由な上司や部下に振り回される苦労人がいるものだ。

 この盗賊団では彼がそれに当たるのだろう。

 鈍い頭痛を堪えながら唸った瞬間、扉が破られる凄まじい音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 砕け散った正面玄関。その破片を踏み締めながら立ち上がったローグハンターは、外れたフードをそのままに相手を睨み付ける。

 

「おいおい冒険者さんよ。その程度じゃあ、ないよな?」

 

 両手斧を肩に担いだ巨漢が獰猛な笑みを浮かべながら煽ると、ローグハンターは蒼い瞳を細めて警戒心を最大にまで引き上げた。

 手に握られている片手半剣の刃はひしゃげ、大きなひびまで入っている。

 雑魚を処理している最中に放たれた不意討ちだ。流石に反応しきれなかった。

 まだまだ未熟だなと胸中で自嘲しながら、とりあえず防げただけでも良しとしようと思考を切り替える。

 いつまでも失敗を引きずっていては、次の瞬間には死んでしまう。反省するのは無事に帰ってからだ。

 そう考えながらもはや使い物にならなくなった剣を捨てて、短剣を右手に写して逆手に構えた。

 アサシンブレードは出さない。これは切り札だ、まだ切るべきではない。

 

「オラッ!」

 

 そうして動きを止めていたローグハンターを目掛け、だん!と音を立てて踏み込んだ巨漢は、大上段から両手斧を振り下ろす。

 小さく舌打ちを漏らしたローグハンターが右に転がる事でそれを避けると、空を切った両手斧は石畳を叩く──、

 

「おっと、おらよ!」

 

 ことはなく腕力に物を言わせてピタリと停止。そのまま振り上げ、回避したローグハンターに向けて両手斧を振るう。

 彼の腕力に小さく目を剥いたローグハンターがその場に深くしゃがめば、頭があった位置に肉厚の刃が通りすぎていく。

 

「シッ!」

 

 そして刃が返される前に、ローグハンターが動いた。

 転がった分開いた間合いを大きく踏み込むことで詰め、振り抜いた姿勢故に晒された短剣で脇腹を貫く。

 上手く防具の隙間を縫ったのか、ずぶりと音を立てて肉を貫き、内臓を傷つける感覚に手応えありと目を細めるが、巨漢は怯むことなく彼の頭に裏拳を放つ。

 頭を揺らした凄まじい衝撃に怯み、勢いに押されて片膝をつけば、今度は顔面に両手斧の刃と柄の付け根──斧頭による殴打が打ち込まれた。

 ごっ!と鈍い音が広間に響き、ローグハンターが崩れ落ちる音が続いた。

 

「こっ……あっ……ぇ……」

 

 口元の傷跡が開き、鼻からも大量の血が噴き出し、顔を真っ赤に染めたローグハンターは、焦点の合わない瞳を揺らしながら僅かに鉄の臭いが混ざった喘ぎ声を漏らす。

 無様な彼の姿を見下ろしながら脇腹に刺さった短剣を引き抜いた巨漢は、それをごみを捨てるように適当に放ると、ニヤリと歯を見せながら嗤った。

 両手斧を振り上げ、倒れて動かない彼の頭に狙いを定める。

 

「あばよ、冒険者。仲間たちによろしく言っといてくれ」

 

 巨漢はそう告げて、両手斧を振り下ろした──。

 

 

 

 

 

 見えていた月が再び雲に姿を隠し、降雪も激しくなり始めた中庭。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 身体に様々な傷を刻まれた武闘家は、新品の装備を赤く染めながら、呼吸を繰り返していた。

 吸い込む空気は痛いほどに冷たく、全身を襲う寒さが鎖のように動きの繊細さを奪い取る。

 普段なら避けられたかもしれない攻撃も貰い、防げたかもしれない攻撃を通される。

 回りの手下を倒して身体を温めたが、そんなものすぐに冷えてしまうのが雪山の辛いところだ。

 

「辛そうだな、冒険者」

 

 対する突剣を構えた男は、いまだに余裕な表情を崩さず、ヒュンヒュンと音を立てて極細の刃をしならせ、空を切った。

 ピチャリと音を立てて白い雪に赤い点がついた辺り、単に血払いをくれただけなのだろう。

 武闘家は全身に残る痛みを落ち着かせようとふーっと深く息を吐き、冷たい空気を思い切り吸い込んだ。

 瞬間、男が動く。

 雪上という踏ん張りも利きにくい足場にも関わらず、しっかりと地面を踏みしめた踏み込み。

 

「っ!」

 

 武闘家が意識を集中し、腰を落としてどっしりと身構えた頃には、既に間合いは詰まっている。

 瞬きする間もなく刺突が放たれ、武闘家はその切っ先を拳で弾いて防御するが、

 

「チッ!」

 

 男が舌打ちと共に手首を捻れば、弾かれた刃がしなった勢いのままに彼女の元に戻り、頬に傷をつけた。

 鞭で叩かれたような痛みに喘ぐ間もなく、体勢を整えた男は突剣を構え直すと思い切り息を吸い込み、そして止めた。

 

「っ!!!!」

 

 直後放たれるのは、残像を残すほどの速さを発揮する連続の刺突だ。

 無呼吸故に息継ぎによる速さが緩むタイミングがなく、それを防ぐ武闘家は極限の集中を強いられる。

 だがまだまだ途上の彼女にとって、その集中が続くのはほんの数秒にも満たない。

 二手、三手と防げたとしても、その後に無数に続く四手、五手を防ぎきれず、一度でも崩れてしまえばあとは容易い。

 人を斬れるなんて思えぬ極細の刃が、次々と彼女の肉を断ち、穿ち、鋼鉄で鍛えられた装備にも傷を残していく。

 

「~っ!!」

 

 次々と傷を刻まれ、その痛みに悲鳴をあげることさえも出来ない武闘家は、咄嗟に籠手に包まれた両腕を縦に並べて即席の盾とするが、

 

「っ!!」

 

 突剣の柄に設けられた護拳による殴打により、力任せに剥がされる。

 細い割に凄まじい力が込められた拳打に目を剥く武闘家に向けて、男は目を細めて不敵に笑むと、無防備になった彼女に向けて突剣の連撃を再開した。

 体勢を崩した状態からの攻勢に、武闘家は反応することも出来ず、その身体に次々と傷が刻まれていく。

 

「くっ!うぅ……っ」

 

 全身に絶えず叩きつけられる鋭く痛みと、噴き出した血による異常なまでの熱さに喘ぎ、堪らず片膝をついた瞬間、突剣の切っ先が閃いた。

 鋭く銀光が下がった彼女の防御を掻い潜り、纏う鎧の隙間さえも掻い潜り、彼女の腹部を貫いた。

 

「ぇ……あ……」

 

 自分の腹に突き刺さる突剣を見下ろした武闘家は、細い刃を伝う赤い液体と、それが垂れて雪の上に点々と残る血痕を見つめ、口からは気の抜けた声を漏らす。

 彼女の冷たく見つめていた男が突剣を引き抜けば、彼女の衣装に赤い染みが広がっていき、どさりと音を立てて身体が倒れる。

 

「相手にならん。さて、あの脳筋の手助けにでも行くか」

 

 そして途端に興味を失ったようにそう言うと踵を返し、無呼吸状態の疲労を回復しようと深呼吸をしながら歩き出す。

 霞む視界にその背中を映していた武闘家は、急激に体温が奪われていく感覚を感じながら、微かに口を動かした。

 

「……お父……さん……お……母……さん……」

 

 脳裏に過ったのは、半ば喧嘩をして別れる事になってしまった両親の顔だった。

 

 

 

 

 

 せい!はっ!と気合い一閃と共に拳を繰り出す父の背中を見るのが、()は大好きだった。

 そうして見ていればすぐにこっちに気付いて、様々なことを教えてくれることを知っていたからだ。

 何より父が一番格好いいと思える瞬間でもあったから。

 

只人(ヒューム)の身体というのは馬鹿なんだ。他の種族に勝てる物をもっていないのに、全力を出せないようになってる。身体が壊れちゃうからだって』

 

 様々な型を見せてくれながら、父はそんな事をぼやいていた。

『なーにそれ?』と訳もわからずに問うた自分に、お父さんは豪快に笑いながら頭を撫でてくれた。

 そして、見せてくれた。

 

『お父さんのじい様のそのまたじい様の、それまたじい様?あれ、もう何個か前のじい様だったか……?まあ、ご先祖が知り合いと一緒に考えたらしいんだけど、それはどうでもいいや』

 

 いつもは優しげな瞳に凛とした力のある光が灯り、父が抱きついても腕を回しきれない程の大木の前に立った。

 そして深呼吸をして手刀を振り上げると、この頃の私には見えなかった速度で振り抜いた。

 直後、直立していた大木が音を立てて倒れ、砂煙がお父さんの姿を覆い隠してしまった。

 そんな煙の中から、お父さんの快活な声が響いた。

 

『自分の中で決めておくんだ。こうすれば本気を出せるっていう合図(スイッチ)を。短時間だけでいい。数秒だって構わない。全力の全力を出せるようにしておきなさい。でも強制はしない。大事な時に思い出してくれるのなら、忘れてくれたって構わない』

 

 そう言いながら煙から出てきたお父さんは、がしがしと乱暴に私の頭を撫でながら満面の笑みを浮かべた。

 

『これ覚えると、妙に腹が空くんだよな……』

 

 

 

 

 

 

「なん……で、今、更……」

 

 消えかけた意識を気合いが繋ぎ止め、地面に拳を叩きつけた武闘家がふらふらと揺れながら立ち上がると、銀色の瞳に鋭く光が灯る。

 全身が痛いし、手足には力が入らないし、頭も重いしと、状態は最悪なのだが、それでも立ち上がるしかないだろう。

 あの男を行かせれば、間違いなく彼の命に関わる問題になる。

 

「立つのか。まあいい」

 

 彼女が立ち上がった事に気付いた男が振り向き、突剣をかまえると、武闘家は痛む身体に鞭を打って深呼吸をした。

 冷たい空気を肺一杯に吸い込み、霞む意識を無理やり隆起させる。

 父の言葉を思い出してことには、何か意味があるのだろうかと考えるが、すぐにそれを止めた。

 今は目の前の相手に集中する。それだけを考えればいい。

 きっと銀色の瞳を細め、相手の動きに意識を向ける。

 限界まで死に近づいたせいで、たがが外れてしまったのか、まだ生きようという意志が消えていないのか、それは定かではないが。

 視界の奥にいる男は既に走り出し、最後に大きく一歩踏み込んでいる。

 その勢いのままに突剣を突き出し、彼女の心臓を貫かんとするが、

 

「っ!?」

 

 直後、男の表情が驚愕に染まり、双眸が有らん限りに見開かれた。

 先程と変わらないどころか、それ以上の速度をもって突いた。突いた筈だ。

 なのに、放った一撃はピタリと動きを止めて、彼女の身体には届いていない。

 理由は単純。極細の刃が鍔のぎりぎりで彼女の左手に掴み取られ、動きを封じられたのだ。

 

「はぁぁぁぁ──……」

 

 同時に武闘家は深く息を吐くと右手で手刀を作り、右足を大きく下げると共に引いた。

 危険を察して男が突剣を放棄して逃げようとした瞬間、それを読んでいたかのように彼女の左手が閃き、男の手首を掴む。

 

「っ?!」

 

 先程とは段違いの反応速度に、骨が軋み、みしみしと悲鳴をあげるほどの握力。

 まるで別人になったかのような変化に狼狽え、ほんの一瞬身体を強張らせた瞬間、男の身体を一気に引き寄せ、

 

「いぃぃぃぃぃぃやっ!!!」

 

 怪鳥音を響かせながら、手刀を放った。

 その一撃はさながら槍の如く男の胸に突き刺さり、文字通り彼の心臓を穿つ。

 

「ごふ……っ!」

 

 口から大量の血を吐いた男と、その血で顔を汚した武闘家は睨みあうと、彼女は彼の肩に手を置き、胸に突き刺さった自分の拳を引き抜いた。

 胸から大量の血を噴き出しながら背中から倒れた男は、がくがくと身体を痙攣させると、ぐるりと白眼を剥いて力尽きた。

 同時にぷつんと何かが切れる音がすると共に、武闘家はその場に尻餅をつく。

 乱れた息をどうにか落ち着かせようと呼吸を繰り返すが、落ち着く様子はなくドクンドクンと心臓の音が嫌にうるさい。

 

「でも、もうちょっと、頑張らないと……っ」

 

 それでも痛む身体に鞭を打って立ち上がり、よろよろと覚束ない足取りで砦を目指す。

 彼女が歩いた後には足跡だけでなく点々と血痕が残り、その量は踏み出す度に多くなっているようにさえ見える。

 だが彼女は止まる様子を見せずに歩を進め、吹き飛ばされた彼が突き破った砦の正面玄関を潜った。

 その直後、バン!と鋭い炸裂音が砦中に響き渡り、カランと何かが落ちる乾いた音がその後に続いた。

 霞む視界をどうにか凝らしてみれば、倒れたローグハンターがピストルを構えており、巨漢が何かを振り上げた体勢で固まっている。

 彼の足元には肉厚の刃が取り付けられた両手斧が落ちており、先程の音はそれが落ちた音なのだろう。

 苦しそうに唸りながら寝返りをうったローグハンターは、両手を床について立ち上がると、巨漢の肩を押した。

 すると巨漢の身体がゆっくりと倒れ、重々しい音が響いた。

 はぁはぁと乱れた呼吸をそのままに、アサシンブレードを抜刀した彼は、念のためと言わんばかりに巨漢の眼球に突き立てた。

 だが返ってくる反応はなく、巨漢が絶命したことは確かだった。

 もっとも、先の超至近距離で放たれた銃弾により頭の半分を吹き飛ばされているのだから確かめる必要もないのだが、念には念を押しておくべきだろう。

 そうして相手の死亡を確認したローグハンターはホッと息を吐くと、気配を感じて正面玄関へと目を向けた。

 

「……大……丈夫、ですか……?」

 

 彼の視線に気付いた武闘家が、顔色を悪くしながらも気丈に笑みながら問いかけると、ローグハンターはぎょっと目を見開いて走り出す。

 壁に寄りかかっていた武闘家だが、それでも耐えきれずに倒れそうになった間際、ローグハンターが彼女の身体を受け止めた。

 瞬間、自分の手にへばりついた生温い液体の感覚に、さっと背筋を凍らせる。

 

「ちょっと、無理……しすぎちゃいました……」

 

 あははと乾いた笑みをこぼす彼女を他所に、ローグハンターは彼女を横抱きで持ち上げると、吹き込む風から逃れるように柱の影に退避。

「すまん」と一言断りを入れてから彼女の服をめくり、傷口の具合を確かめた。

 腹に小さな穴が開き、そこから絶えず血が溢れ出ている様子を確かめ、ローグハンターは隠す気もなく舌打ちを漏らした。

 そのまま自分と彼女の雑嚢をひっくり返し、水薬(ポーション)と布、包帯を取り出す。

 無理やり顔を上げさせて水薬(ポーション)を流し込むと、もう一本を取り出し、こちらは布に染み込ませる。

 

「染みる──いや、痛いぞ」

 

「はぃ……」

 

 彼の言葉に覇気の欠けた声で応じると、水薬(ポーション)を染み込ませた布を傷口にあてがった。

「うぅ……!」と痛みに喘ぐ彼女は無意識に彼の腕を掴むが、彼は一切手を止めることなく包帯を彼女の腹に巻いていく。

 

「縫合してやりたいが、今はこれが限界だ。しばらく動くな、死ぬぞ」

 

 切羽詰まったように早口で告げられた彼の言葉に武闘家は小さく頷くと、ローグハンターは「大丈夫だ」と励ましながら彼女の頬を撫でた。

 

「大丈夫だ、お前を死なせはしない。死なせてたまるか」

 

 ローグハンターは蒼い瞳に絶大な覚悟を込めながら告げた。

 彼の脳裏に過るのは、師との二人がかりでも護りきれなかった大恩人の姿。目の前で死にかける彼女の姿が、嫌でもあの日のことを思い出してしまう。

 必死になって余った包帯や軟膏で止血をしている彼の顔を見つめながら、武闘家は彼に気付かれないように小さく笑んだ。

 周りには怖がられているが、彼は優しい人だ。自分の負傷もそっちのけで、誰かのことを助けようとしてしまうくらいに、優しい人なのだ。

 

「そっちは、大丈夫、ですか……?」

 

「ああ、このくらい何ともない。お前の方が重症だろう」

 

 痛みに表情を歪め、額に球のような汗を滲ませながら、ローグハンターはそう返すと、ぎゅっと強めに包帯を巻く。

「いっ……!」と歯を食い縛りながら悲鳴を漏らした彼女を他所に、ローグハンターは何かを感じて柱の影から顔を出した。

 がつがつと無造作な足音が砦の二階から響き、こちらに近づいて来ているのだ。

 

「……っ」

 

 どんどんと近づいてくる足音に、ローグハンターは緊張の面持ちを隠す余裕もなく柱の影に身を隠すと、彼の背を武闘家が叩いた。

 

「私は……大丈夫……です……から…」

 

 そして気丈に笑いながら言うと、ローグハンターは数瞬迷うような素振りを見せるが、「すまん……っ」と苦虫を噛み潰したような表情になりながら言うと、影から飛び出した。

 同時に足音の主が姿を現す。

 現れたのは長い顎髭を蓄えた、先程の巨漢にも引けを取らない大男。

 彼はローグハンターを視界に納めると、フッと鼻で嗤った。

 

「随分とぼろぼろじゃあねぇか。可愛がって貰えたか、ガキ」

 

「ガキと言われるほど子供でもないんだが……」

 

 顔についた血を拭いながら頭目の言葉に切り返すと、頭目は階段を降りながらぱきぱきと指を鳴らす。

 

「女がいるって聞いたが、ああ、そこで寝てやがるのか」

 

 そして柱の影から溢れている武闘家の手と銀色の髪を見つけた頭目が言うと、彼女を守るように頭目と彼女の間に割り込む。

 彼の行動に頭目は間の抜けた表情になるが、はっ!と笑い飛ばした。

 

「なんだ、恋人か?それとも妹か?まあいいぜ」

 

 頭目が広間にたどり着き、動物の毛皮で作られた長靴の爪先で床を叩きながらローグハンターに告げた。

 

「てめぇが死ねば、その嬢ちゃんは俺の玩具だ。守りたきゃ、俺を殺しな」

 

「元からそのつもりだ」

 

 頭目の挑発にローグハンターが鋭く返すと足元に転がる両手斧を持ち上げ、肩に担いだ。

 頭目は彼を睨みながら、背後で控える闇人盗賊に向けて言う。

 

「邪魔するんじゃあねぇぞ。あの嬢ちゃんにも、ガキにも手出しはするな、いいな!」

 

 彼の言葉を受けた闇人盗賊は肩を竦めると、役目を失った短剣を弄びながら頷いた。

 

「おーし!やるぞ、ガキ!せいぜい俺を楽しませろ!!」

 

 頭目がバキバキと指を鳴らしながら拳を構えると、ローグハンターは鋭く息を吐いて両手斧を構えた。

 身体は重く、節々からは鈍い痛みが広がってくるが、その程度で彼の戦意は折れはしない。

 仲間を護るためならば、ならず者(ローグ)を塵殺するためならば、彼は何度でも立ち上がる。

 それが彼の役目(ロール)。成すべきことを成すのが、今するべき事なのだ。

 

 

 

 




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Memory06 護るために

 雪に覆われた砦。大広間。

 

「でりゃあ!!」

 

 頭の半分を失い、血の海に沈んだ巨漢の死体を踏みつけながら、頭目は自慢の豪腕を振り下ろした。

 ローグハンターはその場を飛び退くことでそれを避けるが、振り下ろされた拳は勢いのままに床を粉砕。

 本来であれば剣でさえも弾く石材が、細かな破片となって辺りに飛び散る。

 コツコツと小石がぶつかるような感覚に目を細めたローグハンターは、体勢を整えてフッと短く息を吐きだし、指が柄を歪める程の力を込め、両手斧を振り抜いた。

 疲弊した身体で振るうには重すぎるそれは、身体の重心を持っていかれる程の遠心力を生み、当たれば魔物すら叩き潰す一撃だろう。

 だが、仲間が使っていたが故にそれを熟知している頭目にとって、そんな武器に振り回されている一撃なぞ恐れるに足りず。

 床にめり込んでいた拳を力任せに引き抜き、半歩下がることで肉厚の刃を紙一重で回避。

 斧を振り抜き、体勢を整えきれていない彼の脇腹に向けて、「らっ!」と気合いの声と共に、真っ直ぐに足を突き出した。

 回避も防衛もする間もなかったローグハンターの脇腹に、さながら槍の一突のような蹴りが突き刺さり、蒼い瞳が揺らぎ、表情も痛みに歪む。

 肺の奥から「かはっ!」と僅かに鉄臭い──血の臭いがする息を吐き出した彼は、蹴られた勢いのままに弾き飛ばされ、床の上を転がる。

 

「ぉ……う゛……おおっ!」

 

 脇腹を押さえながら苦しそうに嗚咽を漏らすが、視界の端に倒れる武闘家の姿を捉え、気合いを入れる。

 両手斧を杖代わりに立ち上がり、ぺっと口の中に溜まった血を吐き出す。

 殺すつもりで蹴りを入れたのだが、それでも殺意をみなぎらせて立ち上がった彼の姿に、頭目はニヤリと嗤うと、「いいねぇ、いいねぇ!」とこきこきと指を鳴らした。

 

「一撃で沈むんじゃあ、つまらねぇ!まだまだ行くぞごらぁ!」

 

 そして猛ったように吼えると、ローグハンターに向けて走り出す。

 一歩踏み出す度に砦が揺れているようにさえ思えるが、それは自分が臆している証拠だと、人が走った程度で砦が揺れるわけないだろうと、震える膝を叩いて渇を入れる。

 その直後、頭目は助走の勢いのままにローグハンターの顔面に向けて拳を放ち、迎え撃つ彼は短く息を吐き、上体を僅かに反らして拳を避けた。

 耳のすぐ横を拳が通りすぎる音が抜けていき、その力強さにぞわりと背筋が震え上がる。

 だが、ローグハンターはそれを──恐怖をすぐに振り払うと、両手斧を短く持ち直し、拳を打ち抜いた体勢故に、無防備に晒されている頭目の脇腹に刃を叩きつけた。

 ──が、感じたのは肉を断つ感触ではなく、岩でも殴り付けたような固い感触と、甲高い金属音だった。

 簡単に鎧を砕き、人体を破壊する斧をもってしても、頭目が纏う鎧を突破出来なかったのだ。

 下っ端が纏う安物、急造物とは訳が違う、長年使い込んだ──盗賊に身をやつす前から使っていた、上物なのだろう。

 ローグハンターが小さく舌打ちを漏らし、後方に飛ぶように身を避ければ、彼がいた場所に鉄拳が振り下ろされる。

 空を切った拳は床に当たる寸前で止まるものの、巻き起こった風圧で頭目の髪が揺れ、ニヤリと不気味な笑みを深めた。

 

「まだまだだ、ガキ!逃がさねぇぞ!」

 

「元より逃げるつもりはないが」

 

 頭目の言葉に両手斧を持ち直しながら返すと、じっと目を細めて相手を睨み付ける。

 先の一撃で鎧の脇腹は僅かに歪む程度で、肉を傷つけるには程遠い。狙うなら鎧がない部分、関節や頭を狙うべきだろう。

 それさえ決まってしまえばやるのみだと、今度はローグハンターから仕掛けた。

 刃が床に擦れるほどに下段に構え、ぎゃりぎゃりと音を立てながら矢のごとく鋭く突貫。

 途中で投げナイフを投じて牽制を挟むと、頭目はそれを裏拳で迎撃し、ローグハンターの次の一手に備えて身構えた。

 最後に思い切り踏み込むと、下段から一気に振り上げる。

 その勢いのままに身体が延びきり、斧の重さに引かれて軽く浮き上がるが、所詮は武器に振り回された一撃。

 頭目は右に半歩ずれる事で避け、がら空きの胴に蹴りを叩き込んだ。

 肉が潰れる鈍い音が砦内に響き渡り、ローグハンターも先程と同じように吹き飛ばされるが、頭目は笑みではなく不可思議な表情を浮かべ、僅かに感じた違和感に眉を寄せ、蹴りを放った自分の足に目を向けた。

 切り裂かれた膝裏から多量の血が噴き出し、冬に備えて毛皮で造った長襦袢(ズボン)や長靴が赤く染まっていく。

 

 ──斬られた?蹴りを貰う覚悟で、反撃してきやがったのか……。

 

 ぎろりと床に倒れるローグハンターに目を向ければ、いつの間にか血に濡れた短剣が握られている。

 

 ──あの投げ物。牽制ではなくあれを拾う瞬間を見させない為に投げたのか……。

 

 相手の行動を冷静に分析しながら毛皮の外套の端を破き、包帯代わりに膝に巻く。

 少し動きにくくなるが、いいハンデだと笑い飛ばす。

 

「嫌いじゃあねぇ。だが、これを続けても俺が死ぬよりもお前がくたばる方が早いぜ」

 

「ぁあ゛……くそ……っ。その……通り、だよ……っ」

 

 蹴られた腹を押さえながら悶えるローグハンターは、頭目の言葉に唸るような声音で返すと、血脂にまみれ、もはや使い物にならなくなった短剣を捨てた。

 そして血に濡れた右袖を(・・・・・・・・)隠すように手をつき、両手斧を杖代わりに立ち上がる。

 ぜぇぜぇと痛みに喘ぎ、足に力が入らなくなってきてはいふものの、歯を食い縛って倒れることだけはしない。

 痛いのには慣れているし、苦しいのにも慣れているが、やはり痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。

 だが倒れる訳にはいかない。倒れたら、彼女が今以上に苦しむことになる。

 視界の端に映る武闘家を一瞬見つめた彼は、目を閉じて意識を切り替え、ふーっと長く息を吐いた。

 それだけでも脇を中心とした痛みが全身に広がっていき、骨折したかもなと他人事のように思う。

 だがそれも一瞬のこと。既に頭目は走り出しており、それへの対処を考えなければならない。

 

「でりゃあ!!」

 

 助走の勢いのままに放たれた飛び蹴りを横に転がることで避ければ、頭目の巨体が床に落ちる。

 だが彼は素早く身を転がして仰向けになると、身体を跳ね上がらせて素早く立ち上がり、同時に立ち上がったローグハンターに追撃を狙う。

 シュ!シュ!シュ!と風を切る音を纏った拳の乱打を放ち、それを一身に受けるローグハンターは自分が鍛えてきた反射神経を全開にして避けていく。

 真っ直ぐ放たれた拳は身体を傾け、身体の側面を狙った拳は両手斧の柄で弾き、脳天を割らんと振り下ろされた拳は一歩下がることで避ける。

 それを瞬きする間もなく数十秒も繰り返せば、目が乾いて勝手に涙が浮かぶ。

 それさえを気合いで引っ込めさせたローグハンターは、放たれた拳を弾いた瞬間に、力任せに斧を振り下ろした。

 

「っ!」

 

 頭目は防戦一方だったローグハンターの突然の反撃に目を剥くが、あくまで冷静に腕を交差させると、太い手首を寸分の狂いなく斧の柄に当てて受け止めた。

 肉厚な刃が頭目の額まであと僅かの所まで迫ったが、そこで止まって進むことが出来なくなった。

 押し込もうにも膂力で劣るローグハンターではどうする事も出来ず、頭目は歯を見せつけるように鮫のように嗤った。

 ローグハンターが勝ちの目が見えずに斧を引こうとした瞬間、それよりも速く頭目の蹴りが放たれた。

 真っ直ぐに放たれた蹴りはローグハンターの腹部を強かに打ち込み、斧を手放す程の衝撃を彼に与えた。

 本日何度目かの浮遊感に襲われたローグハンターは、痛みに表情を歪めながらも受け身を取って床を転がると、すぐに立ち上がった。

 だが、足から力が抜けて片膝をつくと、これは好機だと両手斧を構えた頭目は走り出し、腕力にものを言わせて横一閃に斧を振るった。

 どうにか避けようとするが、足に力が入らないローグハンターは舌打ちを漏らすと、足元に転がっていた巨漢の身体を持ち上げ、盾代わりにして構えた。

 その直後、放たれた斧の一閃が巨漢が纏う鎧にぶち当たるが、頭目はお構いなしに斧を振り抜き、巨漢と、その影に隠れるローグハンターを吹き飛ばした。

 揃いも揃って吹き飛ばされた二人は、破られた正面玄関を通って中庭へと出されてしまい、ローグハンターは雪の上を転がった。

 げほげほとむせながら、手にしていた巨漢の身体を眺めたローグハンターはぎょっと目を見開き、申し訳なさそうに視線を外した。

 自分の代わりに上半身と下半身が泣き別れした巨漢の上半身を投げ捨てると、ふらつく足を叩いて気合いを入れ、立ち上がる。

 転がりすぎて黒い衣装は埃と雪、血にまみれて不思議な斑模様が浮かび上がり、元の色が残っている場所は少なくなっていた。

 着なれている筈なのに重く感じるのは、雪を吸ったからか、そこまで消耗してしまったからか、あるいはその両方か。

 肩を揺らしながら、押さえきれずに血を吐き出した彼は、朧気に揺れる蒼い瞳に頭目の姿を映した。

 両手斧を肩に担ぎ、相変わらずの不敵な笑みを浮かべた頭目は、中庭のほぼ中央に立つローグハンターを睨みながら、髭を蓄えた顎を擦る。

 

「まだまだ踊れるだろ、ガキ」

 

 挑発するように手招きし、両手斧を軽々と片手で振って血払いをくれると、刃をローグハンターに向けた。

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

 対するローグハンターは一歩を踏み出そうとした瞬間、がぼっと血を吐き出して両膝をついた。

 口から垂れる血が赤い点を点々と白い雪の上に落とし、だらりと垂れた両腕は雪に埋まってしまっている。

 頭目は肩を竦めると歩き出し、中庭に足跡を残しながら肩を竦めた。

 

「やれやれ、仲間はほぼ全滅。生き残ったのは、あいつと俺だけ、か」

 

 どーすっかなぁと悩ましそうに唸った彼は、じっとローグハンターを睨んだ。

 僅かに肩が上下しているから、とりあえず生きてはいるが、気力が尽きたのか、あるいは力量の差に絶望でもしたのか、動く気配はない。

 だが、どんな理由であれ生かしておく理由もない。さっさと殺してお愉しみといこうと、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「あの嬢ちゃんはどのくらい持つかな。知ってるか、女を抱く最高の方法をよ」

 

 勝ちを確信した頭目は笑いながらそう問いかけるが、肝心のローグハンターは応える様子もなく俯いたままだ。

 

「どうせ知らねぇだろうよ。むしろ女の味すら知らねぇだろ」

 

 そんな彼の反応がお気に召さなかったようで、頭目は彼を煽るようにそう言うが、相変わらず彼は動かない。

 気絶でもしたのかと思ったが、どっちでもいいとして話を続ける。

 

「あの世への土産だ、覚えとけよ」

 

 ローグハンターの目の前で足を止めた頭目は、これから行う事を想ってか、唇を歪に歪め、目を細めながら嗤った。

 

()れながら刺すんだよ。腹でも、胸でも、腕でもいい。この短剣で、女の柔らかな身体を痛め付けてやれば身体が強張ってな、思い切り締め付けてくれるんだよ。あれは癖になるぜぇ」

 

 腰に下げていた短剣を抜き、見せびらかすように──ローグハンターは俯いたままだが──振り回しながら告げると、ふと思い付いたように告げた。

 

「そういや、随分と怪我してたよな。その傷を抉ってやってもいいか。ああ、愉しみだぜ!」

 

 そう言いながら豪快に笑うが、ローグハンターは反応を返さない。

 そしてついに興味が失せた頭目がため息を吐くと、ゆっくりと斧を振り上げた。

 

「あばよ、ガキ。しばらくしたら、あの嬢ちゃんも送ってやる」

 

 先程とは打って変わり、静かな声音で告げた頭目は、項垂れるローグハンターの頭に向けて斧を振り下ろした瞬間、彼の手が閃いた。

 直後、冷たさを感じた瞬間に視界が白く染まり、突然の事態に身体を強張らせるが、すぐに斧を振り下ろす。

 だが感じたのは固い地面を叩いた感覚。骨を砕き、肉を断った感覚はない。

 頭を振り、目元を乱暴に拭った頭目は、手の甲の湿り気に舌打ちを漏らした。

 

 ──雪による目潰し……。舐めた真似を……っ!

 

 苛立ちに表情を歪め、ざっと雪を踏み締める音がした方向に目を向ければ、ふらつきながらも立っているローグハンターの姿があった。

 彼は腰のホルスターに手を伸ばすと、流れるような動作で短筒(ピストル)を取り出し、構えた。

 今回狙うのは頭を撃ち抜いた確殺(ヘッドショット)ではなく、確実に痛痒(ダメージ)を与えること。

 狙いを相手の胴に定め、銃爪(トリガー)を弾いた。

 山に炸裂音が轟き、銃口からは硝煙が噴き上がる。

 そして放たれた銃弾は──。

 

「舐めるなっ!!」

 

 頭目が素早く身を翻すことで、避けられた。

 驚愕に目を剥くローグハンターを他所に、頭目は駆け出しながら吐き捨てた。

 

「そいつは何度も見たことがある!避け方も心得てるんだよ!」

 

 その言葉を聞いてか聞かずか、短筒を捨てたローグハンターが、切り札である背中の長筒(エア・ライフル)に手を伸ばす。

 

「うおらっ!」

 

 それよりも速く間合いを詰めた頭目が拳を振るえば、ローグハンターはその脇を抜けるように転がることで避ける。

 

「狙った方向しか弾はこない。何よりも、構えさせなければ問題ねぇ!」

 

 そのまま体勢を整える間を与えずに、開いた間合いを瞬時に詰めて拳を振るう。

 二手、三手は避けられるものの、消耗した身体では動きについていけず、避けられた筈の攻撃が頬を掠め始め、もう三手を放った頃にはには顔面に突き刺さった。

 快音を響かせて吹き飛ばされたローグハンターは、雪の上で背中を擦りながら減速していき、数メートル滑ることでようやく止まる。

 

「かっ……ぉ……んぅ゛……っ」

 

 ようやく止まり始めていた鼻血と、口許の傷口からの出血が再開され、顔を真っ赤に染め上げた。

 痛みに唸り、どうにか立ち上がろうともがくローグハンターだが、ずかずかとこちらに近付いてくる足音に思考を乱される。

 どうすれば勝てるのか、どうすれば倒せるのかを考えるが、本当にどうすると思慮を深めるが、凄まじいまでの痛みに全く集中出来ない。

 とりあえず立ち上がるしかないと両手をついた瞬間、その手に何かが当たる感触に目を細めた。

 顔を横に向ければ、武闘家が倒したであろう盗賊の死体が転がっており、手に当たっているのはその男が使っていた武器なのだろうと目星をつける。

 あとはそれを悟らせないようにと意識を戻した瞬間、鳩尾を踏みつけられた。

 

「ごっ……!」

 

「余所見すんじゃねぇ。まだ終わってねぇんだよっ!」

 

 ぐりぐりと踏みにじりながら告げると、ローグハンターは痛みに耐えるように歯を縛りながら、両手で頭目の足首を掴んだ。

 直後、頭目が再び足を振り上げ、全く同じ場所を踏み抜いた。

 骨が砕ける音が中庭に響き、ローグハンターは声もなく悲鳴をあげた。

 口から血の泡を噴き出したローグハンターは虚ろな視線をさ迷わせ、雲に覆われた空を見上げる。

 星も月も見えないが、代わりに嗤い顔の頭目が顔を覗かせた。

 

「今度こそ終いだ、ガキ」

 

 そして笑みを浮かべたまま告げると斧を投げ捨て、ローグハンターの身体に馬乗りになると、彼の首を両手で掴んだ。

 さながら万力のように力を込めていき、彼の首を締め上げていく。

 

「かっ……!え……っ。ぅ……」

 

 血の流れが滞り始めたローグハンターの顔が赤く染まり始め、酸素を求めて無意識に口がだらしなく口が開く。

 その表情を見下ろしながら、頭目は勝ち誇ったように嗤いながら告げた。

 

「さっきの続きだが、女に手前のナニを挿れながら、こうやって首を締めてやるんだよ。そしたら肉が締まって気持ちが──」

 

 その言葉を遮る形で、ローグハンターが最後の意地を見せた。

 先程掴んだ武器を掴み、頭目の側頭部に叩きつけた。

 ガンッ!と固い音が響いたかと思えば、頭目の巨体が吹き飛んでいき、ローグハンターは念願の呼吸が再開するが、げほげほとむせかえる。

 

「──いってぇな、畜生!糞ガキが!」

 

 そんな彼を他所に、割れた頭から噴き出した血で顔を真っ赤にした頭目が吼えると、ローグハンターは手にしていた武器──血に濡れ、形が歪んだ金槌を眺めると、ごみのようにそれを捨てた。

 

「ああ、くそが!いてぇ、いてぇよ……」

 

 割れた頭を押さえながら痛みに悶える頭目だが、立ち上がった彼の姿を見つけると立ち上がり、そして彼が無手であることを確認した瞬間、

 

「うおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 獣じみた咆哮をあげ、ローグハンターに向けて駆け出した。

 武器はいらない。腕力に物を言わせて押し倒し、首を折ってやればそれで終わりだ。

 ローグハンターはどうにか避けようと足に力を入れるが、すぐに力が抜けて片膝をついた。

 勝ちを確信した頭目が笑みを深め、そのままローグハンターの身体に正面から激突し、凄まじい衝撃と共に押し倒した瞬間、決着がついた。

 

「がはっ……」

 

 大量の血を吐き出したのは、頭目だ。

 訳もわからずに目を見開く彼を他所に、気を失いかけているローグハンターの目は虚ろだ。

 だが、彼の右手は真っ直ぐ横から頭目の首に、左手は僅かに角度を着け、斜め下から脇に当てられていた。

 そこから伸びる刃は、一切の音もなく確実に相手の喉と、心臓を貫いたのだ。

 声を出す事もできず、身体に力も入らない頭目を他所に、どうにか意識を繋ぎ止めたローグハンターは両手首のアサシンブレードを納めると、自分に覆い被さる頭目の身体を押し退けた。

 どさりと音をたてて雪の上を転がった頭目だが、まだかろうじて息はあるようで、驚愕に見開かれた目でローグハンターを睨んでいる。

 それに冷たく睨み返すことで応じたローグハンターは、頭目の腰から下がる短剣を奪い取ると逆手に構えながら頭目に馬乗りになった。

 

「何だった、か……」

 

 喉を締め上げられた為か、酷くがさついた声を漏らしたローグハンターは、短剣の切っ先を頭目の瞳に向けながら、告げた。

 

「腹でも、胸でも、腕でもいいから刺せだったな。だが、そんな事はどうでもいい」

 

 頭目が展開した持論を「どうでもいい」の一言で断じたローグハンターは短剣を振り上げ、無慈悲にそれを振り下ろした。

 短剣は眼球を貫くと、その勢いのままに脳へと達し、人間が最も傷つけられてはいけない脳みそを掻き回した。

 頭目の身体はビクン!と一度跳ねて強張ると、すぐに弛緩していき、残された片方の瞳はぐるりと白眼を剥いた。

 

「──汝の欲望が永遠に満たされぬことを。静寂の中で眠るがいい」

 

 そして細やかな祈りの言葉を口にすると、突き刺さった短剣を引き抜き、開かれたままの両目を閉じてやる。

 

「あぁ……」

 

 同時に力が抜けたローグハンターは横に倒れて頭目の上から退くが、立ち上がる気力が出ずに雲に覆われた空を見上げた。

 星も月も見えず、厚い雲からは次々と雪が落とされ、肌に触れたものから溶けて水へと変わっていく。

 疲労に苛まれてか、強敵を撃破して気が抜けてしまったのか、強烈な眠気に襲われるが、まだ終わっていないと身体に鞭を打って立ち上がろうとした間際。

 

「ふむ。頭目を殺したか、なかなかどうしてやるものだな」

 

 霞む視界に闇人盗賊が現れ、まるで他人事のようにそんな事を呟いた。

 恨み言でも言ってやろうと口を動かすが、肝心の言葉が出ずにローグハンターはため息を吐いた。

 こんな所で死ぬことになるとは、情けないと胸中で自嘲しながら、再会が叶わなかった恩師たちに謝罪する。

 自分がいなくとも大丈夫だとは思うが、側に居られないことへと謝罪と、自分なんかを育ててくれたことへの感謝。

 それを胸に抱き、最期に思ったのは武闘家への感謝と謝罪だった。

 自分なんかに付き添ってくれたことへの感謝と、本来歩むべきだった道から外してしまったことへの謝罪。

 そして、護ってやれなかったことへの謝罪。

 本当に、自分は使えない奴だと自嘲し、闇人盗賊の攻撃を待っていると、何かが顔の横に落とされた。

 ローグハンターが首を傾けてそれに目を向けた途端、彼の表情は驚愕に染まった。

 彼の顔の脇に落とされているのは、水薬(ポーション)の入れられた硝子瓶だ。中身が透けて見えるため、まだ入っている事もわかる。

 驚愕するローグハンターを他所に、同じ形の硝子瓶がもう一つ落とされ、ぶつかり合ってカツンと高い音が鳴った。

 

「なんの……つもりだ……」

 

「む?勝者に敬意を払うのは当然だろう。何より、私の仕事を果たしてくれた礼だ」

 

「……?」

 

 要領を得ない言葉に疑問符を浮かべるローグハンターを他所に、闇人盗賊は優雅に笑いながら彼に告げた。

 

「元よりこの盗賊団を潰そうとはしていたんだが、そこにキミたちが来てしまったからな、面倒なので任せることにした。まあ、楽をさせてもらったよ」

 

 闇人盗賊はそう言うと腰に下げた剣を鞘から引き抜き、頭目の太い首へと振り下ろした。

 一刀でもって首を落とせたのは、彼の技量か武器の性能によるものか。

 それを視界の端で見ていたローグハンターが、訳もわからずに困惑するのを他所に、頭目の首を袋に詰めた闇人盗賊が告げた。

 

「なに、同胞(はらから)に傘下に加われと誘われてな。報酬の払いもいいし、何よりもまともな街に住めるというのがいい」

 

「さっきから、何を……」

 

「今のキミには関係のない、あるいは一生関係のない話だ。灰を被った新たな女王への手土産に、ボスの首を差し出すだけのこと」

 

「……?」

 

 意識も混濁し、闇人盗賊が何を言っているのかも判別が付かない中、ローグハンターは彼に向けて手を伸ばすが、それが届くことはない。

 

「その瓶の中身を毒と判断して、あの少女諸とも死ぬのもよし。見ず知らずの、敵であった私を信じて飲むもよし。その後に彼女を放って下山するもよし。好きにしたまえ」

 

 それに気付いていながらも無視し、笑みを浮かべた闇人盗賊はそう言うと、さながら舞踏のようにくるりと踵を返すと、歩き出した。

 

「さらばだ、ならず者殺し(ローグハンター)よ。次に会うときも敵でない事を祈るよ」

 

 そのまま足跡さえも残さずに砦から出ていった彼の背を眺めていたローグハンターは悔しさに歯を縛りながら、顔の横に置かれた水薬(ポーション)の瓶へと目を向けた。

 毒かもしれないし、何より敵からの情けをかけられたなど業腹だが。

 

 ──下らない俺の自尊心(プライド)の為に、あいつを巻き込む訳にはいかない。

 

 自分一人なら飲まずにの垂れ死んでも構わないが、今の自分は一人ではないのだ。

 そう考えてしまえば、彼の行動は速かった。

 見逃された怒りと、ならず者(ローグ)に助けられる屈辱を気合いに変換して身体を起こし、水薬(ポーション)の硝子瓶をふん掴む。

 そして蓋を指で弾くように飛ばして開けると、一瞬の躊躇いもなく中身を呷った。

 それと同時に地平線に望む山の輪郭が白みががり、陽が顔を出し始めると、空を覆っていた雲が晴れ始めた。

 戦いが終わり、新たな一日が幕を開けたのだ。

 今日という一日を乗り越えられるかは、これからの行動次第だが──。

 

 

 

 




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Memory07 自覚

私事ですが、ようやくダイ・カタナの中巻を読了したんです。

読んでいる人ならわかると思いますが、若き日の王様がちょっと気になる台詞を吐いたんですよ。
まさか、ね……?


 ローグハンターは全身に重りでも付けられているかのように重い身体を気合いで動かして、戦闘な最中に落とした短筒(ピストル)と、盗賊の死体から適当に武器を回収した。

 その足でこの短時間で何度も通ることになった──まともな形で通ったのは初めてだが──正面玄関を潜り、そのまま柱の影に倒れている武闘家の下を目指す。

 とりあえず呼吸はしているが酷く乱れていて、額には玉のような脂汗が滲み、顔色も悪い。

 脱力感に任せて両膝をつき、彼女の頬に触れた。

 血を流し過ぎたことと、雪が染み込んで冷たくなった衣装を着たまま、凍えるように寒い砦内に放置された為か、異様なまでに冷たい。

 ローグハンターは痛む身体に鞭を打ち、彼女の身体を横抱きに抱き上げると、砦の奥を目指して歩き出す。

 朝日が出ていたのは先ほど確認したから、朝の日差しが当たる位置を予想しながら、片っ端に部屋を探していく。

 武闘家を抱いている以上両手が塞がっている為、扉に関しては蹴破るしかない。

 そして何部屋か確認すると、大きめの窓から朝日が差し込む、お誂え向きの部屋を見つけた。

 あの盗賊たちが寝室として使っていたのか、いくつか毛皮で作られたベッドが複数置かれており、暖炉には始末を忘れたのか炎が灯ったままだ。

 ローグハンターは満足いったのか小さく頷くと、彼女をそっとベッドに寝かせた。

 彼女の雑嚢をひっくり返して包帯を取り出すと、手早く古い包帯と取り変えてやり、額に手を触れた。

 相変わらず冷たい所か、先程よりも冷たくなっているようにさえ思える。

 

「……」

 

 ローグハンターは眉を寄せると、少々焦ったように視線を泳がせると、びちゃびちゃに湿り、裾の方が凍っているようにさえ見える彼女の衣装に目を向けた。

 それが体温を奪っているのは目に見えているし、乾かすにしても時間がかかるだろう。

 

「……」

 

 数瞬迷うように瞑目した彼は、すぐにそれを捨てて彼女の衣装に手をかけた。

 謝るのは後で、謝るためには彼女が生きていなければ出来ないことだ。

 異性の服を脱がすなど初めての経験だが、どうにかするしかあるまい。

 変な場所に触ってしまっても、それは仕方がない。

 初めてやることを上手くやるなぞ、そんな事が出来る者は誰一人としていはしないのだから。

 

 

 

 

 

 日が当たる場所に彼女の衣装を引っ掛けておき、毛布代わりの毛皮ごと暖炉の前に武闘家を動かしたローグハンターは、自分もまた雪や血を吸って重くなった衣装を脱ぎ捨て、負傷箇所に包帯を巻いていた。

 骨にひびが入っているのか、もしくは折れているのか、動かす度に酷く痛むし、出来ることなら誰かに任せて巻いて欲しいものだが、運悪くまともに動けるのは自分だけだ。

 

「う゛……っ、くっ……」

 

 包帯を巻こうと身体を捩る度に激痛が走り、低く唸りながらどうにかこうにか包帯を巻き終えた彼は、脇腹を押さえながらベッドに身を投げ出すと、深く息を吐いた。

 とりあえずは大丈夫。これで死にはしないだろうと自分を落ち着かせる。

 このまま眠気に任せて寝てしまいたいが、生憎とまだ眠るわけにはいかないと身体を起こした。

 蹴破った扉を閉じ、ベッドをバリケード代わりに立て掛けて固定し、何かが来ても装備を整える時間は稼げるだろう。

 それを終えたローグハンターは脇腹から滲むように広がってくる痛みに耐えながら、暖炉の前で寝ている武闘家の横に膝をついた。

 呼吸はだいぶ落ち着いてはきたが、顔色は悪く、身体は相変わらず冷たい。

 

「……」

 

 自分や先生が氷が張っている川に落ちた時、だいたいはそのまま上がって戦闘をしていたが、それ以外の時はどうしていただろうかと思案し、そして思い出した。

 人を手っ取り早く温める方法は、文字通り一緒に寝ることだと。

 何も道具を使わず、一人でも仲間がいてくれればそれでいいこの方法は、なるほどこの場では最善ではあるだろう。

 同時に怒られそうだなと思いながら深々とため息を吐くと、余った毛布を羽織り、彼女の隣に寝転んだ。

 彼女を起こさないように細心の注意を払いながら毛布をめくり、彼女の身体に直接寄り添い、背中からそっと抱き寄せてやる。

 隙間なく密着させると同時に、自分の胸にすっぽりと納まる体格の違いと、自分とは違う柔らかな感触、想像以上の冷たさに驚くが、すぐにいつもの表情に戻り、懐かしい記憶を思い出して苦笑を漏らす。

 強烈な寒さを凌ぐために男連中で団子になっていた経験はあるが、女性と一対一で密着することになるのは初めてだ。

 彼女には何と説明してやるべきかと考えながら、ローグハンターは重くなってきた瞼をそのまま閉じた。

 心臓の鼓動が妙にうるさいのは、きっと怪我をした後も無理をし過ぎたせいだと、何の疑いもなく判断を下しながら──。

 

 

 

 

 

 ぱちぱちと、手拍子にも似た木が弾ける音で、武闘家は目を覚ました。

 鉛のように重い瞼を持ち上げて、ボヤける視界に揺らめく炎を映す。

 橙色のそれは薪を燃料に煌々と燃え盛り、毛布越しに感じる心地のよい温かさと、背中に感じる程よい温かさに目を細めた。

 視線が低い為、床に寝かせれているようだが、感じるのは冷たい石材の感覚ではなく、暖かな動物の毛皮の柔らかさだ。

 温かなそれは寝心地がよく、上等な絨毯さながらに身体を受け止めてくれる。

 その心地よさと、戦闘による疲労感、出血のし過ぎによる倦怠感にぼけっとしながら、ふと違和感を感じて毛布を捲った。

 同時に視界に飛び込んでくるのは、包帯と下着に包まれた自分の身体で、包帯には僅かに血が滲んでいる。

 それはいい。きっと彼が治療してくれたのだろうとわかるし、素人目から見ても丁寧で、痛くはないがしっかりと締め付けてくれている。

 問題は、自分の腹に誰かの腕が巻き付けられていることと、後頭部の辺りに誰かの吐息がかかっていることだ。

 相手を起こさないように腕の拘束を緩め、ゆっくりと寝返りをうってみれば、見覚えのある男──ローグハンターの寝顔が間近にあり、静かな寝息が鼻先をくすぐる。

 それならば良かっただろう。同じ部屋で過ごしているのだから、寝顔を見るのは……。

 

 ──初めてだ……。

 

 いつも自分よりも遅く寝て、早く起きる彼の寝顔を見るのは、これが初めてかもしれないと思い至った。

 気絶した顔なら見たことがあるが、あんな苦しそうな顔に比べれば、今の穏やかな顔の方が何倍も素敵なものだ。

 そうしてじっと彼の顔を見ていた武闘家は、彼が小さく唸った事を合図にハッとして、何だかいけないことをしているような気がして顔を俯けた。

 そこに問題があったとすれば、ローグハンターが毛布を羽織っているだけで上半身裸になっており、その鍛え抜かれた身体を惜しげもなく晒していることだろう。

 

「~っ!?」

 

 そして、いまだに耐性が皆無の武闘家にとってそれは刺激が強すぎる代物だった。

 彼女は顔を真っ赤にしながら声にならない悲鳴をあげ、とりあえず距離を取ろうと後ずさろうとした。

 ──が、距離を取るよりも速く身体に巻き付いた彼の腕に力がこもり、余計に身体が密着することになる。

 先程のように彼に寄りかかる形ではなく、振り向いたが故に真正面から抱き締めあう形になってしまったのは、きっと神々の悪戯に違いない。

 豊かな胸が彼の胸板に潰されて形を歪め、思わず着いてしまった手が彼の胸に当たり、力強い心臓の鼓動が伝わってきた。

 

「~~~っ!!!……?」

 

 彼の温もりと、しっかりと抱き寄せてくる力強さにまた声にならない悲鳴をあげるが、途中であることに気付き、首を傾げた。

 身体に数々の傷痕があるのはともかくとして、首を覆うように残された痣のような跡。

 よく見ればそれは人の手の形をしていて、彼が凄まじい力で首を締められたことがわかる。

 それだけではない。身体のあちこちに包帯を巻いているが、内出血と腫れが隠しきれておらず、白い肌が異様なまでに青くなっているのが見て取れた。

 自分は途中で気を失ってしまったが、きっとあれからも戦いが続いていたのだ。

 彼は一人でそれを乗り越え、ぼろぼろの身体に鞭を打って治療をしてくれた。

 彼の性格──というよりは、何ヵ月か一緒にいた経験──からして、おそらくの自分の治療は後回しにして、だ。

 

「……」

 

 いつもなら起きているであろう状況にも関わらず起きないのは、それほどまでに疲弊しているからか、あるいは気を許してくれているからか。

 きっと前者だろうと思いながら、武闘家は恐る恐る彼の頬に触れ、労うようにそっと撫でた。

 こうして彼に触れるなど滅多になく、見た目の割に柔らかいななんて下らない事を思う。

 いつもは固い表情をしているが、寝顔に関しては気が抜けているのか何とも可愛いらしく、他の人と何も変わらない。

 当然ではあるが肩幅も自分よりもあるし、身体は自分よりも筋肉質だが、寝ているからか触れてみれば不思議と柔らかい。

 

 ──男の人、なんだよね……。

 

 いつもは隣だったり、後ろだったりを歩くばかりで、こうして身を寄せあって眠ることや、彼の身体をまじまじと見たり触れたりする機会はなかった。

 触れれば触れるほど自分との違いがわかり、見れば見るほどわかる古傷が、彼が自分と出会う前から戦っていたのだろうということが教えてくれる。

 そのまま首に残された圧迫痕に手を触れようとした矢先に、いつの間にか伸びてきた手に、手首を掴まれた。

 驚いて身体を跳ねさせた彼女を他所に、ローグハンターはゆっくりと目が開くと、蒼い瞳に武闘家の姿を映した。

 寝惚けているのか気の抜けた表情をしているが、すぐにいつもの凛とした表情に戻り、捕まえている彼女の手首と、彼女の表情を交互に見つめ、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 

「……すまん」

 

 そして数秒をかけて状況を理解してか、謝罪しながら彼女の腰を押さえていた腕と、彼女の手首を掴んでいた手を離すと身体を起こし、そのまま尻を滑らせて数歩分距離を取った。

 

「だ、大丈夫です……」

 

 今さらになって恥ずかしくなった武闘家は、はだけた毛布を被り直しながら身体を起こすと、赤面したまま顔を背けた。

 本当に今さらだが、自分は何をしていたのだと自問する。

 一党に属する同業者。その中でも信頼に値する仲間だとはいえ、寝ている人の顔を眺めたり、触れたりと、冷静に考えれば酷く失礼に当たるのではなかろうか。

 

「その、こちらこそ、ごめんなさい……」

 

 そして何も言われてもないのに頭を下げて謝罪してしまうのは、一重に彼女の性格の良さからだろう。

 訳もわからずに突然の謝罪を受けたローグハンターは疑問符を浮かべると、毛布に包まれた彼女の身体に目を向けた。

 あった物を使っただけなのだが、見た目通りにやはり防寒性は良かったのだろう。彼女の肌には僅かに汗ばんでいるようにさえ見える。

 

「身体の具合はどうだ」

 

 そして念のために問いかけると、武闘家は顔の前に持ち上げた拳を開閉したり、肩を回してみたりと身体を動かし、「大丈夫そうです」と微笑んだ。

「そうか」と呟いて頷いたローグハンターは、痛みを堪えるように低く唸りながら立ち上がるが、額を押さえながら僅かにふらついた。

 すぐに体勢を整えるが、一晩寝ても快復しきれなかったのか、焦点が合わずにボヤける視界に舌打ちを漏らし、目元を押さえながら頭を振った。

 確かに無理をしたという自覚もあるし、軽く死にかけたことも自覚しているが、ここまでの倦怠感が残るのかとため息を漏らす。

 

「……」

 

 そんな彼を見上げていた武闘家は、すぐに彼の不調に気付くと、装備の方に足を進めようとしているローグハンターの手を取った。

 

「……?」

 

 後ろ手に引かれたローグハンターは振り向くと、視線を落として武闘家に目を向け、「どうした」と問いかけた。

 

「──」

 

 だが、それは彼女にとっても予想外の行動だったのか、目を泳がせながら口をパクパクと開閉させると、一度咳払いをして彼に告げた。

 

「もう少し寝ていて下さい。まだ疲れているみたいですし……?」

 

 少々の不安からか、不思議と疑問形になってしまったのを恥じながら俯く武闘家を他所に、ローグハンターは迷うように彼女と装備の方に視線を往復させる。

 だが彼にしては珍しく迷っているという事実に手応えを感じた武闘家は、もじもじと身動ぎしながら言葉を続ける。

 

「その、これから山を降りなきゃですし……。えと、万全にしてからの方が、いいと思うんです……」

 

 途中で言葉につまり、しどろもどろになりながらどうにか口にされた言葉に、ローグハンターは迷うように目を伏せると、自分の体調を確かめるように胸の前で拳を開閉させた。

 それだけでも身体の節々に僅かな痛みが走り、骨が軋むように開閉がしにくい。

 それに頭も痛むし、身体も重いのも事実だ。

 ローグハンターは目を閉じると小さくため息を漏らし、「そうだな」と頷いた。

 そのまま彼女の隣に腰を降ろすと身体を暖炉の方に向けながらごろりと寝転び、毛布を被り直した。

 先程まで被っていた為か、まだ温もりが残っていて温かく、疲れた身体はすぐさま眠ろうとしてしまう。

 ゆっくりと瞼を閉じ、すぐに寝息をたて始めた彼を見つめていた武闘家は「……あれ?」と声を漏らした。

 さも当然のように隣に寝転んだため気にしていなかったが、何故自分の隣なのだろうか。

 

 ──温かいの、かな……?

 

 暖炉の目の前だし、毛皮は温かいし、窓からの朝日がいい具合に差し込んできてそれもまた温かい。

 確かにこれは眠くなるというもの。疲れていれば尚更だろう。

 その疲れた理由が、自分が気絶したせいで残りの盗賊を一人で相手したから、だとは思う。

 

「……」

 

 武闘家はぽりぽりと頬を掻くと、何を思ってか彼の隣に寝転んだ。

 彼の寝顔を真正面から見つめた武闘家は、はふっと気の抜けた吐息を漏らすと、ローグハンターは薄く目を開けて、目の前にある彼女の顔を見つめた。

 

「どうかしたのか……」

 

 本気で寝ようとしていたのか、ローグハンターは気の抜けた声で問いかけると、武闘家は「あ、いえ……」と言葉を濁して顔を俯けるが、すぐに顔をあげて彼に言う。

 

「ごめんなさい。私、また──」

 

「気にするな」

 

 そして、また迷惑をかけてしまったと謝罪しようとした矢先に、ローグハンターが言葉を被せてきた。

 彼は疲労を吐き出すように小さくため息を漏らすとそっと彼女の頬に触れ、その温かさに僅か口許を笑ませた。

 

「お前がいてくれたから、俺はこうして生きている。お前が頑張ってくれたから、俺はあいつを殺すことが出来た。むしろ、俺が感謝するべきだ」

 

 そこまで言い切った彼はありがとうと呟くと、不器用ながらに笑って見せた。

 口の端が引きつり、目もあまり笑ってはいないけれど、前に見せてくれた笑顔に比べればだいぶましだというもの。

 形だけの笑顔よりは、どうにかして笑おうとしている今の顔の方が、何倍も素敵ななのだ。

 

「……っ」

 

 そして、彼の笑顔に魅入っていた武闘家は赤面しながら目を背けると、毛布の中で指を弄り始めるが、すぐに表情を引き締めて彼に告げた。

 

「お、お礼は確かに受けとりました。けど、あまり無茶はしないでください。あなたに何かあったら、私は泣きます」

 

「無茶した覚えは……ある……」

 

 彼女の苦言にローグハンターは言葉を詰まらせながらそう返すと、また痛み始めた脇腹を押さえながら僅かに眉を寄せた。

 格上との戦いというのには慣れてはいたが、あれほどの筋力を持つ相手は初めてだった。

 力任せに投げ飛ばされることならともかく、腕力頼みの打撃のみで身体を飛ばされるなど、あまり経験がない事だ。

 それを貰い続けたのだから、痛痒(ダメージ)の蓄積は自分が予想している以上なのかもしれない。

 まあ、身体の調子に関しては置いておくとして。

 

 ──泣いて、くれるのか……。

 

 ローグハンターの思慮は、彼女の言葉の方に向いていた。

 故郷での自分は、騎士団の剣であり、無辜の人々を守る盾でもあった。

 自分も仲間たちも戦いの中で死ぬのが当然で、悲しみはすれども泣きはすまい。

 事実自分がそうだった。多くの仲間の死を見送っても、一滴たりとも涙は出なかった。

 泣いている余裕もなかったというのが、正確かもしれないが……。

 

「……お前は」

 

 瞑目し、過去の戦いを思い返しながらそんな事を思っていると、無意識に口が動いていた。

 彼の一言は武闘家にも聞こえていたようで、首を傾げて疑問符を浮かべている。

 彼女の反応で、ようやく言葉にしていた事を自覚したローグハンターは小さく唸ると、「お前は」と言い直して彼女に告げた。

 

「本当に優しいな」

 

「……うぇ!?」

 

 突然の称賛に武闘家が身体を跳ねさせて驚くのを他所に、ローグハンターは自分の腕を枕代わりにしながら頭の位置を調整すると、睡魔に押されて瞼が落ちていく。

 

「誰かを思いやれる優しさを持ちながら、そう簡単に折れない程に心が強く、誰かを守れる程に腕っぷしもある」

 

「~!!」

 

 眠いからなのか、あるいは気を抜きすぎているのか、いつになく彼女の事を褒めると、武闘家は顔を真っ赤にしながら頭から煙が噴き出した。

 ばくばくとうるさい心臓の鼓動を落ち着かせようと深呼吸するが、その気配はなくむしろ余計にうるさくなるばかり。

 ローグハンターの薄く開いた瞳では彼女の変化が見えていないようだが、けれどはっきりと見える銀色の髪を見つめながら呟いた。

 

「それに……綺麗だ……」

 

 同時に力が抜けたのか、いつもの固い笑みとは違う、ふにゃりと柔らかな笑みを浮かべた。

 限界まで強くなった睡魔が見せた、貼り付けるだけの笑顔ではなく、僅かに心がこもった笑顔だ。

 

「~っ!」

 

 それがドドメの一撃(クリティカル)となり、胸の苦しさが限界を超えた武闘家は声にならない悲鳴をあげると寝返りをうち、彼に背中を向けた。

 彼の顔を直視できない。これ以上見つめたら、本当に気絶してしまう。

 両手で真っ赤になった顔を覆う武闘家を他所に、いよいよ睡魔に捕まったローグハンターは、半分意識を落とし、寝言のように最後に一言。

 

「今……まで……会った……誰よりも……綺麗だ……」

 

 その一言を最後に眠りに落ちたローグハンターは極端に静かな寝息をたて始めた。

 対象的にばくばくとうるさい心臓の音で眠る事が出来ない武闘家は、顔を覆ったままあうあうと呻いていると、ようやく彼が寝たことに気付いたのか、再び寝返りをうって彼の方へと向き直った。

 寝顔とはいえ直視できずに目を泳がせているが、ちらちらと彼の寝顔を伺うと、もじもじと身体をくねらせた。

 

「き、綺麗だとか、や、やさ、優しいだとか、あぅ……」

 

 照れながら思わず素の口調になった彼女の呟きは、肝心のローグハンターには聞こえていない。

 それを良いことに豊かな胸に胸の前で両手の指をつんつんと合わせた武闘家は、彼が被るめくり、彼の身体に目を向けた。

 数多くの傷痕が刻まれ、彼が今まで歩んできた人生の一部を教えてくれるが、それだけで語り切れるほどの人生を歩んではいまい。

 

「……」

 

 贅肉とは無縁の、戦うために鍛えられ、戦うために作り上げられた肉体は、ある意味で自分が目指しているものだ。

 それには確実に邪魔になるたわわな果実が二つもあるのだが、さてどうしたものか。

 

「うぅ……」

 

 自分の豊かな胸に触れて思慮に耽っていると、ローグハンターは表情を曇らせ、寒そうに身震いすると、武闘家はハッとして身体を強張らせた。

 そりゃ毛布をめくられれば寒いだろうし、それが数秒も続けば温まった身体も冷えてしまうだろう。

 慌てて毛布を被せ直すが、彼は小刻みに震え続けており、落ち着いていた空気も乱れて不規則だ。

 突然の不調に慌てる武闘家は、「えと」だの「うんと」だのと声を漏らしながら、故郷の冬を乗り越えた時の事を思い出す。

 寒いと喚く自分を、父と母が抱き締めて寝てくれたのだ。あの温もりは今でも覚えているし、時々恋しくもなる。

 先程までその温もりに包まれていたような気もするが、それはそれ、これはこれだ。

 

「よ、よし……っ!」

 

 小さくガッツポーズをして気合いを入れた彼女は、彼を起こさないように細心の注意を払いながら身を寄せて、彼の背中に腕を回すと、豊かな胸を彼の固い胸板に押し付ける形で身体を密着。

 させたはいいのだが、寝ている筈のローグハンターが彼女を抱き寄せて、更に密着させた。

 

「~~~!!!」

 

 武闘家は真っ赤になった顔を耳まで赤くしながら、もはや何度目かわからない悲鳴をあげる。

 備えていない状況に放り込まれたこともそうだが、暴れたら彼を起こしてしまうだろうし、何より怪我人に追い討ちをかけるようで気が引ける。

 そもそも彼女も怪我人ではあるのだが、それを棚にあげての思慮なのだが、今の彼女にそこまで考える余裕はなかった。

 ただでさえうるさかった心臓の鼓動が余計にうるさくなり、彼に聞こえてしまっていないかと心配になる。

 恐る恐る彼の表情を伺えば、先程よりはだいぶましになった寝顔をそのままに、すやすやと寝息をたてていた。

 武闘家はホッと安堵の息を漏らすと、こうなっては仕方がないと彼に身を寄せた。

 そして寝ようと目を閉じるのだが、いまだに眠る気のない頭に過るのは──、

 

『お前は、本当に優しいな』

 

『誰かを思いやれる優しさを持ちながら、そう簡単に折れない程に心が強く、誰かを守れる程に腕っぷしもある』

 

『それに……綺麗だ……』

 

 彼が言ってくれた称賛の声と、彼が見せてくれた柔らかな笑顔。

 

 ──む、無理ぃぃいいいいいいっ!!!

 

 それを思い出してしまった瞬間、武闘家は彼の胸の辺りに顔を埋めながら悶絶していた。

 何なのだ、普段ならまず言わないような言葉は。

 何なのだ、普段なら絶対に見せないあの表情は。

 何よりも何なのだ、この身体を押さえつけてくる腕は……っ!

 ついでに何なのだ、彼の臭いを嫌と思えない……っ!!

 様々なことを叫ぼうがそれは声にはならず、胸の中で反芻して自分に返ってくるのみ。

 おかげで心臓の鼓動は喧しくなる一方で、眠ろうとしていた意識とは裏腹に覚醒していく。

 

「うぅ……。うぅ……っ!!」

 

 それをどうにか発散しようにも身体を動かすわけにはいかず、意味もなく唸り声をあげるのみ。

 そんな事をしていると、ローグハンターは表情を強張らせながら呻き声を漏らすと、もごもごと口を動かした。

 何か言うのかと武闘家は再び彼に意識を向けると、背中に巻かれていた腕に力がこもり、更に身体を密着させてきた。

 

「ひぅ……っ!」

 

 彼の口に意識を向けていた武闘家は思わぬ不意打ちに小さく声を漏らすが、すぐさま放たれた言葉に身体を強張らせた。

 

「無事で……よかった……」

 

 さながら兄のように、あるいは父のような優しい口調で呟かれた一言は、果たして武闘家に向けられた言葉なのだろうか。

 彼に兄弟姉妹がいるという話は聞いていないから、故郷での仲間や、もしかしたら恋人に向けたものかもしれない。

 武闘家は不思議と感じた胸の奥の痛みに俯くと、ローグハンターは再び口を開く。

 

「本当に……無事で……よかった……」

 

 けれど彼は珍しく上擦り、今にも泣きそうな声で繰り返し呟くと、ぼそりと武闘家の名を呼んだ。

 念のためと教えあったお互いの名は、その書き方に至るまで把握している。

 突然名を呼ばれたことで驚いた武闘家を他所に、ローグハンターは変わらず彼女を抱き寄せた。

 

「……」

 

 武闘家はぱちぱちと瞬きをすると、照れ臭くなったのか頬を朱色に染めながら視線を反らし、彼を抱き寄せる力を僅かに強めた。

 全身に感じる彼の温もりと、胸の奥の温かさに笑みを浮かべた武闘家は、彼の胸元に顔を埋めた。

 今なら眠れるだろう。身体だけでなく、心まで温まったのだ。眠れないわけがない。

 

「おやすみなさい」

 

 武闘家は眠るローグハンターに向けてそう告げると、ゆっくりと目を閉じた。

 彼の温もりを忘れないように、今日この瞬間に抱いた想いを忘れないように──。

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。

次回からイチャイチャ(一方通行)できるといいな……。


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Memory08 乙女たちの密談

 雪山での戦いから幾日か経った頃。

 あの雪山ほどではないにしろ、外に出るのが億劫な程の寒さに包まれる辺境の街。

 その一角に鎮座する冒険者ギルドの裏庭に、武闘家の姿があった。

 街に帰還後に念のためと神殿で治療をしてもらい、ローグハンターとの話し合いの末に何日か休養も取ることにしたのだが、それを無視する形で訓練をしようと、ギルドに赴いたのだ。

 

「ふぅ──……」

 

 僅かに感じる肌寒さを気にも止めず、目を閉じたまま構えを取り、深く息を吐く。

 瞼の裏に映るのは砦での一戦。あの突剣使いとの戦いで感じた不思議な感覚を思い出そうと、あの瞬間を可能な限りで再現していく。

 突剣の刺突を払い、突かれ、防御を固めた瞬間には防御を崩され、また突かれ。

 あの時の痛みと、急速に体温が下がっていく感覚は今でも覚えている。

 正確には忘れたくとも忘れられないのだが、覚えているのならいいと割りきることにした。

 そうでもしなけらば前に進めず、強くはなれないからだ。

 あの時と同じように身体を動かし、時にはあの時できなかった反撃を挟みつつ、あの男ならどうするかを考えて次の行動に移る。

 それでも崩され、突剣で貫かれるイメージしか浮かんでこないのは、どうにか倒した現在でもあの男の方が強い事を理解していることと、

 

 ──お父さんが、助けてくれたから……。

 

 男に敗れ、地面に倒れた時に垣間見た父との思い出と、父からの教え。それがなければ立ち上がることすらも出来なかったからだろう。

 自分の力で勝ったとは思えず、そんな思考ではやる気があっても身体の調子は上がらない。

 イメージの中でも二、三回敗れた彼女は「あー……」と気の抜けた声を漏らすと地面に大の字に寝転がり、澄んだ青空を見上げた。

 さながら葉っぱが川を流れていくように、白い雲が視界の端から反対側へと進んでいき、終いには視界の外へと消えていく。

 それを銀色の瞳で追いかけた武闘家は目を閉じると、父の教えを思い出す。

 

『自分の中で決めておくんだ。こうすれば本気を出せるっていう合図(スイッチ)を。短時間だけでいい。数秒だって構わない。全力の全力を出せるようにしておきなさい。でも強制はしない。大事な時に思い出してくれるのなら、忘れてくれたって構わない』

 

「……合図(スイッチ)、か」

 

 呟きながら目を開いた武闘家は開いた拳を掲げると、指の間から透かして空を見つめる。

 父からはそう言われていたが、結局父は何を合図(スイッチ)にしていたかを思い出せず、結局は手探りでやっていくしかないのだ。

 

「はぁ……」

 

 小さくため息を漏らした武闘家は寝転んだ姿勢から跳ね起きると、ぱんぱんと身体を叩いて埃を落とす。

 深呼吸を挟んで頬を叩いで気合いを入れた武闘家は「よし!」と声を出して意識を切り替え、再び身構えた。

 目を閉じて集中。あの砦での戦いを思い出そうとした矢先、ひゅうと音をたてて一際冷たい風が吹き抜けた。

「ひゃっ!?」と可愛いらしい悲鳴をあげた彼女は一旦構えを解くと、両手で身体を抱きながら身震いした。

 

「さ、寒い……」

 

 そして随分と今更な事を呟いた。

 あの戦いでぼろぼろにになった外套は彼がどこかに持っていってしまったし、外である都合上寒さを凌ぐ手段がない。

 こんなことなら替えの外套を用意しておけば良かったと僅かに反省しつつ、あの雪山での寒さに比べれば平気かと強がってもみる。

 だが、そんな彼女の意志に反し、くぅと鳴いたのは彼女の腹だ。

 彼女は誰もいないのに照れたように頬を朱色に染めながら、腹を擦ってため息を吐いた。

 今ので完全に集中が切れてしまったのか、赤くなった頬を掻きながら再び空を見上げる。

 陽の高さからして昼までは時間がありそうだが、どうにも小腹が空いてしまって仕方がない。

 

「何か食べよ」

 

 誰に言うわけでもなく告げた彼女は、そのままの足でギルドを目指す。

 朝一に出ていってしまったローグハンターがどこにいるかわからない都合上、昼食は一人で摂ることになるだろう。

 随分と久しぶりに思いつつも、別にこんな久しぶりは嬉しくないなと気分が落ち込んでしまう。

 何よりも彼はどこに行ったのだ。割りと早起きを出来た記憶があるのだが、その時には彼の姿はなかった。

 

「もう、どこに──」

 

 そしてどうせ誰もいないだろうからと悪態をついた瞬間、入れ替わりでギルドから出てきた誰かとぶつかった。

 

「わ!?」

 

 気を抜いていたからか、あるいは思いの外疲労が溜まっていたのか、踏ん張ることもできずに尻餅をついた彼女は、「ごめんなさい……っ」と慌てて謝りながら顔をあげると、

 

「いや、俺も気を抜いていた。すまん」

 

 ぶつかった誰か──何やら荷物を抱えたローグハンターは、僅かに申し訳なさそうな声音で返すと、荷物を脇に置いて手を差し伸べた。

 武闘家は「ありがとうございます」と返しながらその手を取り、立ち上がった。

 そしてその意識は彼が置いた荷物へと向けられており、それを注視しながら首を傾げた。

 商店で買ってきたのか、布や針などの裁縫道具が詰め込まれており、なんの意図かはわからないが何かをしようとしているのは理解できる。

 

「あ、あの、これは……?」

 

「……」

 

 考えても仕方がないと単刀直入に問いかけるが、ローグハンターは珍しいことにそれを無視する形で黙りこんだ。

 

「……あの?」

 

 武闘家が視線をローグハンターへと戻しながら問いかけると、彼の視線は手元──いまだに繋がれたままの手に向けられている。

 さながら向かい合って握手をしているように見える体勢で、お互いに手袋の類いを着けていなかった都合上、相手の体温を直に感じ取れる。

 外にいて冷えきっている自分の手とは違い、彼の手はなんとも温かく、その温もりがじわじわと身体の中に染み込んでくる。

 そう、さながらあの砦での一晩のように──。

 

「~~!?」

 

 そして、あの日の事を思い出してしまった武闘家は声もなく悲鳴をあげると、慌てて彼の手を離して数歩分後ろに下がった。

 

「いやっ!あの、これは……その……っ!」

 

 そして手を振り、目を上下左右に慌ただしく泳がせながら説明しようとするが、肝心の言葉が出てこずに詰まってしまう。

 当のローグハンターは掴むものがなくなった自分の手を見つめると、ゆっくりと降ろした。

 彼として随分と冷えているなと彼女の事を心配しているだけなのだが、それを見ていた武闘家は、

 

 ──な、なんで名残惜しそうなの!?

 

 少しばかり的外れな事を胸中で宣いながら、余計に顔を赤くしていた。

 別に彼はそんな事を露も思っておらずとも、軽度の混乱状態に陥っている今の彼女にはまともな判断を下すことは出来ず、ローグハンターが何もしていないのに赤くなっていく。

 

「あ……その、えっと……」

 

 俯いた頭からふしゅ~と音をたてて煙を噴く彼女を他所に、ローグハンターは困り顔で頬を掻くと、足音をたてずに彼女に近寄った。

 武闘家が「んぅ?」と声を漏らして顔をあげると、彼は両手で両手で彼女の頬を包み込み、じっと彼女の顔を見つめた。

 

「ぇ……あ……の……?」

 

 蒼い瞳に映る自分の顔を見つめながら困惑する彼女を他所に、ローグハンターはじっと彼女を見つめながら目を細めた。

 

「あまり無理をするな。お互いに神殿の世話になったばかりだ」

 

 その言葉に込められたのは、彼女を心配する優しさと僅かな非難だ。

 休みなのだからしっかり休んでいろと言いたいのだろうが、訓練自体は悪いものではないからはっきりとは言えないのだろう。

 何となく彼の不器用なところを垣間見た武闘家だが、笑う余裕は一切ない。

 頬を包む温かさと、間近にある彼の顔。その二つはさながらあの砦での出来事を再現したようで、彼女の心臓はばくばくと音をたてている。

 

「あ、あの……」

 

「訓練は大事だ。二、三日動かないだけで身体も鈍る。あの戦いの後だ、いつも以上にやりたい気持ちもわかる」

 

「ち、近い……っ」

 

「だが、体力も戻りきっていないのにこの寒空の下で訓練は逆効果だろう。やるならせめて暖が取れるようにしておけ」

 

「はいっ。その、わかりましたから、えと、離れてくださいっ!」

 

 そして続けて言葉を放ちながら、どんどんと近づいてくるローグハンターに向けて返事をした武闘家は、ついに耐えきれずに彼の肩を押した。

 持ち前の体幹で踏ん張り、転倒することはなかったローグハンターは困惑したように数度瞬きをすると、「すまん」と一言で謝った。

 本当に反省しているかも、なぜ押されたのかを理解しているのかも怪しいところではあるが、彼は考える間もなく脇に置いていた荷物を持ち上げた。

 

「とにかく、あまりやり過ぎるなよ。風邪を引かれたらことだ」

 

 そう言った彼は踵を返し、「しっかり休めよ」と念を押すように付け加えた。

 その声音は先程は違うこちらへの親切心にのみで告げられた言葉に、それを何となく理解した武闘家は照れたように笑いながら「はい」と頷くと、彼は背中越しに頷いた。

 そしてローグハンターが歩き出そうとした瞬間、我慢していた武闘家の腹の虫がくぅと鳴いた。

 

「「………」」

 

 一歩目を踏み出した体勢で止まったローグハンターはゆっくりと振り向き、自分のお腹を押さえた武闘家は真っ赤になった顔をゆっくりと背ける。

 そしてそのまま黙秘を貫こうとした矢先に、またくぅと腹の虫が鳴って存在の主張する。

 あまりの羞恥心に「はぅ……」と悲鳴を漏らす武闘家を見つめながら、ローグハンターは肩をすくめた。

 

「あー、昼食にするか……?」

 

「……はい」

 

 気まずそうにため息を漏らしたローグハンターが提案すると、恥ずかしそうに両手で顔を隠しながら頷いた。

 

 

 

 

 

 ギルドに隣接する酒場の片隅。

 あれやこれかと頼む内に卓は一杯になるが、武闘家は並んだ料理を次々と口に放り込んでいき、空皿を積み上げていく。

 

「……」

 

 自分の分の昼食を口にしながら横目でそれを見ていたローグハンターは困惑したように数度瞬きをすると、念のために財布を確認した。

 食べるだけ食べて金がないなどと嘆くのは、冒険者どころか一人の人間としてあまりにも格好がつかない。

 そして財布の重さから、ある程度だが中身の量を割り出したローグハンターはとりあえず心配はないなと安堵の息を漏らす。

 

「──っんぐ。あれ、食べないんですか?」

 

 口に含んでいた肉を飲み込んだ武闘家は、小皿の野菜をつついてばかりのローグハンターに問いかけるが、問われた彼は「いや、食べてはいるんだが……」と肩をすくめた。

 元から少食の部類に入るのだからあまり食べないのは当然であるし、何よりも彼女と出会った頃から食べる量自体は変わっていない。

 武闘家が異様に食べるようになり、そんな自分と比較してあまり食べていないように思っているだけなのだ。

 そんな事を露知らず「そうですか?」と首を傾げた武闘家は水を呷ると、けぷっと可愛いらしいげっぷを漏らした。

 同時にハッとした武闘家は顔を真っ赤にしながら、聞いていたかを確かめるようにローグハンターに目を向けると、彼はそっと視線を反らしてサラダを頬張るばかり。

 

「な、何か言ってくださいよ……っ」

 

 それはそれで恥ずかしい武闘家が頬を膨らませながら言うと、ローグハンターは僅かに言葉に迷うように口を開いたまま固まると、最後のミニトマトを口に放り込んだ。

 奥歯で潰してやればぷちゅりと中身が溢れだし、独特の酸味が口内を駆け巡る。

 それを楽しむように何度も咀嚼してから飲み込んだ彼は、椅子の上で身体を回して彼女の方へと身体を向けた。

 そして蒼い瞳でじっと彼女を見つめながら、とりあえず笑顔を貼り付ける。

 

「食べる姿を含めて、まるで小動物のようだったぞ。隣で見ている分には嫌な気分にならないとも」

 

 そして嘘偽りなく、思ったことを口にした瞬間。

 

「~!!!?」

 

 武闘家は顔を耳まで真っ赤にしながら声にならない悲鳴をあげて、そのまま顔を隠すように卓に突っ伏した。

 卓に押し付けられた豊かな胸が潰れて柔らかく形を歪め、クッション代わりに彼女の身体を受け止める。

 彼が意識して言っているわけでも、気を遣っているわけでもないのは何となくわかる。

 だが、そうとわかっていたとしても言われたら狼狽えるというもの。

 先日の一件で多少なりとも気になるようになってしまったのだ、不意打ちは心臓に悪い。

 

「……どうした」

 

 そんな彼女の胸中を知るよしもないローグハンターは、突拍子もなく彼女の肩に手を置いた。

 びくりと肩を跳ねさせて驚きを露にした武闘家を他所に、彼は「食べ過ぎたか?」と的外れな心配をしつつ背中を擦り始める。

 その強くもなく弱くもない力加減と、摩擦による熱が気持ちよく、武闘家は突っ伏したまま身体から力を抜いた。

 まるで父親に撫でられているような感覚に表情が緩み、このまま寝てしまいたくなる程に心地がいい。

 そのまま眠気に負けて瞼が閉じ、視界が真っ黒になった瞬間、

 

「……って、駄目駄目!」

 

 慌てて身体を起こし、思い切り頬を叩いた。

 相棒が行った突然の奇行に驚いたローグハンターだが、とりあえず大丈夫そうだと判断して彼女の背中から手を離す。

「寝ちゃ駄目、寝ちゃ駄目」と呟きながらぐにぐにと頬を解す武闘家を見つめながら、ローグハンターは水を一口呷った。

 身体の芯に感じる冷たさに眉を寄せつつ、ちらりと窓の外に目を向けた。

 まだ陽は出ているものの、きっと寒いだろうなとため息を漏らした。

 別に寒さが苦手という訳ではないのだが、如何せん隣の相棒が寒さを苦手としているのだ。多少なりとも気にするのは仕方があるまい。

 

「少し、いいだろうか」

 

 外を眺めて険しい表情を浮かべていたローグハンターの背後から、何やら聞き覚えのない女性の声が発せられた。

 どうしてこう背後に甘いのだろうかと自分を戒めつつ振り向いたローグハンターは、その声の主に目を向けた。

 そこにいたのは鎧姿の女性だ。金色の髪を肩にかかるほど伸ばされ、片手には大盾、腰には鞘に納まった剣がぶら下がっている。

 首から下がる認識票は青玉の輝きを放ち、等級だけを見れば自分よりも上であることを確認。

 同時に年齢は自分よりは下だろうかと、女性相手なら考えるべきではないようなことを平然と考えていた。

 その女性──女騎士を見つめながら思慮していたローグハンターは、結局のところ誰だったかと目を細め、隣の武闘家は思い出したのかハッとして「お久しぶりです」と軽く頭を下げた。

 

「ああ、久しいな。こうして話すのはあの賭博場以来か」

 

「そう……ですね。はい。あの日以来です」

 

 女騎士の言葉に武闘家が頷くと、ローグハンターは話に着いていけずにそっぽを向いた。

 その視線の先には女騎士が属する一党の頭目である重戦士がおり、申し訳なさそうな視線をローグハンターに向けている。

 それでも頭を抱えてため息を吐いている辺り、相当彼女に振り回されているのだろう。

 ローグハンターは僅かに同情するように目を細め、すぐに武闘家と女騎士の方へと視線を戻した。

 

「今晩、私の同期と飲みに行くんだが、二人ではどうにも味気なくてな。良ければ加わってくれないか」

 

「うぇ!?でも、私は後輩ですよ……?」

 

 そんな彼女の言葉にもっともな事を言うと、女騎士は首を傾げて「それがどうした」と笑い飛ばした。

 

「たかが半年か一年程度ではないか。誤差だ誤差」

 

「いや、だいぶ違うと思いますけど……」

 

 そんな女騎士に武闘家も困ったように苦笑しながら指摘するが、言われた彼女は気にせずに武闘家の肩を叩いた。

 

「もう理由なんてどうでもいいじゃあないか。飲みに行こう、飲みに」

 

 ずいっと身体を前のめりにしながら告げられた言葉に、武闘家は身体を後ろに倒しながら、助けを求めて隣に座るローグハンターに目を向けた。

 彼女の視線に気付いた彼は、手元で弄んでいた杯から意識を外し、女騎士と武闘家に交互に視線を配ると、とりあえずの笑顔を貼り付ける。

 

「行ってくればいいだろう。俺も用事がある」

 

 脇に置いた荷物を叩きながらそう告げると、「金が必要か?」と懐に手を入れた。

 

「ああ、いえ、大丈夫です」

 

 そんな彼を手で制しながら「お金ならあります」と雑嚢越しに財布を叩いた。

 その反応に頷いたローグハンターは、武闘家の肩に手を置きながら告げる。

 

「久しぶりの休日だ。たまには羽を伸ばしてこい」

 

「そこまで言うなら、わかりました」

 

 彼の気遣いは嬉しいような、それはそれで寂しいような、何とも曖昧なことを思いながらも頷いた武闘家は、女騎士の方へと向き直る。

 

「──と、いうことなので、ご一緒させてもらいます」

 

 

 

 

 

 双子の月に照らされながら、本日最後の賑わいを見せる辺境の街。

 冒険者や旅行客など、様々な人々で産み出された混雑に呑まれながら、武闘家はどうにかこうにか足を進めていた。

 彼に言われた通り財布をすられないように警戒しつつ、すれ違う人の足を踏まないようにも気をかける。

 彼はいつもさも当然のようにしていることではあるが、まだまだ未熟な武闘家が何もかもを気にかけるのは大変な苦労だ。

 

「ぷぁ!」

 

 さながら壁のようになっていた混雑からどうにか飛び出した武闘家は、その拍子に何とも曖昧な可愛らしい声を漏らし、僅かに乱れた髪や服、襤褸の外套──砦の一よりも前から使っているものだ──を整える。

 念のためと財布を確認し、問題がなければ目の前の酒場に目を向けた。

 女騎士に指定されたその酒場の看板を睨み付け、懐から取り出した紙切れと交互に吟味する。

 

「『親しき友の斧亭』。うん、ここだ」

 

 そして御使いに来た子供のように書かれた内容を復唱した彼女は、恐る恐ると言った様子で自由扉を押し開けた。

 途端に彼女を包み込んだのは、耳に響く喧騒と、多くの人が集まることで出来た熱気だった。

 外とは比べ物にならないほどに温かく、外套を羽織ったままでは額に汗が滲むほど。

 額の汗を拭い、外套を脱いで脇に抱えた武闘家は、てんないをぐるりと見渡した。

 ランプがもたらす橙色の光に満たされた店内は広いが、客の入りもいいのか並んだ円卓に空きはなく、実際よりもだいぶ狭いようにさえ見えてしまうほど。

 そんな満員の酒場から目当ての人物を探すというのは苦労することではあるが、

 

「お、来たな。こっちだ!」

 

 向こうから見つけてくれれば楽だというもの。

 戸口に突っ立っていた武闘家に向けて、力強い声が飛んできた。

 その声に誘われて顔を向けてみれば、酒場の片隅の円卓に、件の女騎士がいるではないか。

 流石に鎧姿ではないにしろ、傍らに剣を立て掛けている辺り、警戒していないわけではないようだ。

 ようやく見つけた見知った顔に表情を和らげた武闘家は、とたとたと足音をたてながらそちらに向かいながら、ようやく女騎士の隣に座る女性に気付いた。

「あ、ら」と声を漏らした女性は肉感的な肢体を揺らして武闘家に目を向けると、にこりと微笑んで煙管を吹かした。

 その笑みに武闘家が同じく笑顔で返すと、女騎士が二人の間に割り込んだ。

 

「こっちが私の同期だ。あー、知り合いか?」

 

「はい。えっと、少し前に相談に乗ってもらいました」

 

 あの時はありがとうございましたと頭を下げると、紫髪の女性──魔女は「気に、しない、で」と笑いながら足を組み直した。

 それだけなのだが、ただの立ち振舞いですら大人の魅力を振り撒く魔女がそれをすれば、同性の武闘家ですら照れるというもの。

 

「……えっと、とりあえず失礼しますね」

 

 こほんと咳払いをして意識を切り替えた武闘家が、とりあえず空いている席に腰を降ろせば、女騎士も元の席についた。

 

「では早速飲もう。ついでに情報交換でもしようではないか」

 

「……じょーほーこうかん?」

 

 そして主催者ということで女騎士が音頭を取ると、思わぬ言葉を聞くことになった武闘家は首を傾げた。

 ここに集まった三人で共有することなどあっただろうかと思慮し、別にないよねと答えにたどり着く。

 

「情報、交換、ね……」

 

 だが魔女には心当たりがあるのか、何やら意味深な笑みを浮かべて武闘家に視線を送っている。

 

「え、えっと……」

 

 全く状況を把握できない武闘家が一人おろおろとしていると、女騎士が「まずは酒だ!」と給仕の女性を呼び止めた。

 酒が入れば口が軽くなる。口が軽くなれば、不意に何かを漏らすかもしれない。そうなれば後は煮るなり焼くなり好きにするだけだ。

 

「とりあえず、麦酒でいいよな」

 

「エール……じゃ、駄、目……?」

 

「駄目だ!まずは麦酒、次も麦酒に決まっているだろう!」

 

「むぅ……」

 

 謎の拘りを発揮する女騎士と、どうにかエールで食い下がろうとする魔女がやり取りをしている横で、

 

「お酒飲むの、初めてだ」

 

 まだ酒の味を知らない(・・・・・・・・)武闘家が、期待を込めた瞳でメニュー票を睨んでいた。

 

 

 

 

 

 顔もよく、スタイルも抜群の女性が三人だけで飲んでいれば、飢えた男の一人や二人が声をかけてもよさそうだが、なぜかそんなことは起きずに三人で飲んでいた。

 いや、それでは誤りがある。現実は、

 

「な~にが『綺麗だ』よ!な~にが『無理するな』よ!な~にが『小動物のよう』よ!もう、もう……っ!」

 

 一人酩酊状態になった武闘家が、ご機嫌に笑いながら空っぽになった杯を振り回していた。

 

「格好いいし、強いし、頼れるし、格好いいし、優しいし、凄いし、格好いいし。ふへ、ふへへ」

 

 かと思えば、急に卓に突っ伏しながら指折りで誰かの魅力を言い始め──何度か同じ事を言っているが──終いにはだらしのない笑顔を浮かべ始める。

 

「「……」」

 

 横でここまで酔われてしまうと、こちらとしては酔うこともできないと、女騎士と魔女の二人は顔を見合せ、どうしたものかと思慮を巡らせる。

 そうしている間にも武闘家は何杯目かの麦酒を呷っており、酒精の混ざった息を吐き出した。

 

「あとね、あとね~。かれってね、すっごいあったかいの~。ふひひ、まいにちくっついてねたーい!」

 

 何かをねだる子供のように手足をばたばたと振り回しながら、そんな事をぶっちゃけていた。

 

「あ、ああ。わかったから、一旦水を──」

 

「やーでーすーっ!」

 

 このままではいかんと女騎士が止めようとするが、武闘家は卓に置いてあった麦酒入りの杯をぶんどり、ぐびぐびと喉を鳴らしながら一気飲みしてしまう。

 

「ぶへぇ~。かれってば、かっこいいんれすよ~?とってもやさしくて、つよくて、もじをおしえてくれるんれす!えへへ、いいでしょ、いいでしょ!!」

 

 もはや呂律が回らなくなりながらも彼の事を誉めちぎり、絞めに杯を勢いよく卓に叩きつけた武闘家は、見るからに退いている女騎士と魔女の二人に詰め寄った。

 強烈な酒臭さに眉を寄せた女騎士はそっと水を差し出すと、強張る表情筋に気合いを入れて微笑んだ。

 

「ああ、そうだな。羨ましいよ」

 

「そう、ね」

 

 女騎士の言葉に魔女が素早く同意を示すと、武闘家は「ふひひ……」とだらしのない笑顔を浮かべたまま卓に突っ伏した。

「あー」だの「うー」だの唸ったかと思えば、今度は「ひくっ!ぐすっ!」と嗚咽を漏らし始める。

 

「うう……。じぇったいわたしのこと、おんなとしてみてくれてにゃい……」

 

「そうなのか?」

 

 そして放たれた割りと真剣な悩みに、女騎士は思わず応えてしまった。

 直後武闘家が素早く女騎士に詰め寄り、彼女の両手を取りながらこくこくと何度も頷いた。

 

「そーれすよ!おんなじへやでねてりゅのに、いっしょのへやできがえてりゅのに、なーんにもしてこないんれすよ!?」

 

 武闘家は目尻から大粒の涙を流しながら言うと女騎士の胸に飛び込み、「なんででしゅかー!!」と絶叫しながら問いかけた。

 対する女騎士は「そうかー、かわいそうだなー」と棒読みになりながらも彼女の頭を撫でてやり、困り果てたようにため息を吐いた。

 

「もっとこう、女として意識されるような事をすればいいんじゃあないか?」

 

「おんにゃとして……?」

 

「ああ。お前にはこんな見事な武器があるだろう」

 

 女騎士は腹部に押し付けられているたわわな果実を示しながら言うと、武闘家は「むぅ」と唸りながら女騎士から身体を離した。

 

「これが……ぶき……れすか……?」

 

 そして何を思ってか自分の胸を揉みながら首を傾げ、「まっさか~」と助言を切り捨てながら笑みを浮かべた。

 

「女として、見て、欲しいん、で、しょ?」

 

 その笑顔を見つめながらエールに舐めるように口にした魔女が問うと、武闘家は「ふにゅ~」と気の抜けた声を漏らし、再び自分の胸に視線を落とした。

 

「……」

 

 そのまま無言でいること数秒。

 突然ニヤリと笑った彼女は、「それも、そうですね~」と呟くと、卓の上に財布を叩きつけた。

 

「では~、ま~た、こんど~」

 

 そして一方的告げるとふらふらと立ち上がり、千鳥足で酒場の外へと出ていってしまう。

 途中で人とぶつかったり、転びそうになったりと、見ていて危なっかしいが、それでもどうにか自由扉を潜っていき、夜の街へと消えていった。

 

「「……」」

 

 その背中を見送った二人は顔を見合せると、女騎士が「飲み直すか?」と問いかけ、魔女は無言で頷いた。

 武闘家が座っていた席に、彼女の外套が置かれたままなことに気付くのは、二人もそれなりに酔いが回ってからのことだ。

 

 

 

 

 

 人通りもなくなり、夜の静けさに包まれた大通り。

 

「♪~♪~♪~」

 

 身体を右に左に揺らしながら鼻唄混じりに歩いていた武闘家は、「ひくっ」としゃっくりも漏らした。

 酒精が回った身体はぽかぽかと温かく、夜の寒さをほとんど感じない程だ。

 逆に言えばそれが危険な状態であるのだが、酔いが回っている武闘家がそれに気付く様子はない。

 

「んぁ?あ~れ~?」

 

 そして、すぐに限界が訪れた。

 先程までとは比べ物にならない程に身体がふらついたかと思うと、そのまま誰かの家の壁にぶつかり、その場にへたり込んでしまう。

 

「……?……?」

 

 ぐわんぐわんと歪む視界と強烈な眠気。

 その二つに襲われる彼女は困惑したように瞬きを繰り返すと、立ち上がろうと壁に手を着くが。

 

「ありぇ……」

 

 足に踏ん張りが利かず、立ち上がろうにも身体に力が入らない。

 んーと唸りながら立ち上がろとするが、結局立ち上がれずにため息を吐いた。

 そのまま壁に背を預け、両足を投げ出して夜空を見上げて、ご機嫌や鼻唄を歌い始める。

 よく母親が歌ってくれた子守唄を、音程もくそもない下手くそな鼻唄を、夜空から見守っている神々に向けて。

 まあ神官でもない彼女の唄が届くかは微妙なところではあるのだが、地上にいる誰かには届いたようだ。

 それが彼女を探していた人物なら、尚更だろう。

 

「随分とご機嫌だな」

 

「んぇ……?」

 

 突然声をかけられた武闘家が顔をあげてみれば、そこには脇に何かを抱えたローグハンターが立っていた。

 彼は武闘家の惨状を確認すると、頭を抱えてため息を漏らし、脇に抱えていた布を彼女に被せた。

「わー」とわざとらしく悲鳴をあげた彼女はそれを掴んで確認すると、僅かに目を細めた。

 

「にゃ……?こりぇって……」

 

「直しておいた。新品同然とは言わないが、まあ使えるだろう」

 

 そんな彼女の向け、ローグハンターが指先を弄りながらそう返す。

 あの砦での戦いで傷だらけになった彼女の外套を、何時間かかけて黙々と修繕していたのだ。

 先程から指先を弄っているのは、指を何度か刺してしまったからだろうか。

 

「ぁりがとー……ございましゅ……」

 

 酔ってはいるものの、彼の優しさを感じた武闘家は外套を抱き締めながらお礼を言うと、ローグハンターは小さく肩を竦めた。

 

「とにかく、こんな所で寝ていたら風邪を引くぞ」

 

 立てるかと問いかけながら伸ばされた手を見つけながら、武闘家はもじもじと身体を離した捩って外套を羽織ると、彼の手を掴んだ。

 直後に凄まじい力で身体を引き起こされて、自力では立ち上がれなかったのにすぐに立ち上がることが出来た。

 それでも身体が前後左右に揺れている辺り、まだ酔いが覚めたわけではないようだが。

 

『もっとこう、女として意識されるような事をすればいいんじゃあないか?』

 

 武闘家は女騎士からの助言を思い出し、悪戯を思い付いた子供のように笑顔を浮かべた。

 そのままいまだに掴んだままだった彼の手を離すと、今度は彼の腕を掴んで身体を密着させた。

 豊かな胸を彼の腕に押し付け、彼の手を太ももで挟み込む。

 突然の行動に肩を跳ねさせて驚きを露にしたローグハンターは弾かれるように彼女に目を向けた。

 そこにあるのは酒精により蕩けた彼女の表情と、腕を挟むように存在しているたわわな果実。

 右手を包むこむ冷たくも柔らかな感触と、小鹿のようにがくがくと震えている足だ。

 

「……」

 

 彼女を見つめたまま固まったローグハンターは数度瞬きすると、状況を把握しようと「どうかしたのか?」と問いかけた。

 だが武闘家からの返答は「えへへ~」と声を漏らしながらの笑顔であり、言葉による説明はないもない。

 

「だいぶ酔っているみたいだな」

 

「よってないれすよ~」

 

「立っているのもやっとに見えるが?」

 

「だいじょーぶれす!ひとりでたてましゅ!」

 

「じゃあ、離れてくれるか」

 

「やれす!」

 

 とにかく離れてもらおうと言葉を投げたローグハンターだが、対する武闘家の返事は否定の一言。

 困り果てたようにため息を吐いたローグハンターは、ええいままよと彼女に抱きつかれたまま歩こうとするが、

 

「わにゃ!?」

 

 肝心の武闘家が一歩も踏み出すことがなく、むしろ足から力が抜けたのは悲鳴をあげて彼の腕にしがみつく。

 そこまで重くはないにしても、彼女の全体重を片腕で支えることになったローグハンターは表情を強張らせると、面倒になったのは彼女の身体を乱暴に振り払った。

 悲鳴をあげて尻餅をついた彼女は、彼に振り払われたという事実を突きつけられて思わず泣きそうになるが、目の前に彼の背中が現れたことで涙を引っ込めた。

 

「……ふぇ?」

 

「歩けないなら背負う。早く乗れ」

 

 背中越しに告げられた言葉と、急かすように向けられた蒼い瞳を見つめ返すことで、ようやく状況を把握した。

 彼がしゃがみ、自分が乗るのを待ってくれているのだ。

 いつもなら躊躇い、無理にでも立ち上がって一人で歩き出すところではあるが、生憎と今の彼女はそのいつもならには程遠い状態だ。

 

「……」

 

 彼女は何も言わずに両腕を彼の首に回し、身体を密着させた。

 いくぞと静かに問われ、こくりと頷くことで応じると、彼は重さなぞ感じていないようにひょいと立ち上がった。

 そのまま両足のももに彼の腕が添えられ、しっかりと身体を支えてくれる。

 それに安堵の息を吐いたのも束の間、衣装越しに感じる彼の体温に心地良さそうに目を細め、ついでに感じる彼の臭いを堪能するようにうなじの辺りに顔を埋めた。

 彼はくすぐったそうに身動ぎするものの、構うことなく歩き出した。

 武闘家のことを気遣いゆっくりと、けれど確かに一歩ずつ。寝泊まりしている宿を目指す。

 いつもより僅かに高い視界。

 僅かに聞こえる彼の息遣い。

 そして、僅かに感じる彼の体温。

 その全てが彼女にとっては心地よく、どこかに行った筈の眠気が再び込み上げてくる。

 

「寝ていていいぞ」

 

 そんな彼女の様子に気付いてか、ローグハンターは前を向いたままそう告げた。

 もはや返す気力もない武闘家は、無言で彼を抱き締めることで応じた。

 対するローグハンターも何も言わず、彼女の寝息に合わせて歩を進め、少しでも安眠が出来るように気を遣う。

 夜の街を進む二人を見守るのは、双子の月と夜空に浮かぶ星々のみ。

 二人にとっては久しぶりの、とても平和で、欠伸が出るほどに緩やかな時間が、過ぎ去っていった──。

 

 

 

 

 

 余談だが、武闘家はこの夜のやり取りをほとんど覚えていない。

 初めて飲んだ酒の味も、何の情報を交換したのかも、ローグハンターとのやり取りも、何も覚えていないのだ。

 だが確かなのは、女騎士と魔女が彼女を飲みに誘っても酒を振る舞うことを自重するようになったこと。

 ついでに二人が頻繁にローグハンターとの関係を茶化すようになったことだろう。

 ローグハンターが酒を飲んだ彼女に痛い目を遭わされるのは、もう少し時が経ってからだ。

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory09 変えたい日常

 寒さもだいぶ弱まり、少しずつ草木に彩りが戻り始めた頃。

 春の訪れを知らせる風が吹き、優しげな月明かりに照らされるとある森の中。

 

「いぃぃぃぃぃやっ!!」

 

「お゛!?」

 

 鋭い怪鳥音と、肉が潰れ、骨が砕ける音、最後に断末魔が漏れ、声の主はごぼごぼと血の泡を噴きながら崩れ落ちた。

 ふっ!と短く息を吐きながら構えを取って残心を決めたのは、月明かりに銀色の髪を揺らす武闘家だ。

 拳に残る命を奪った感覚を素早く振り払い、姿勢を低くしながら右足を軸に回転。

 背後から振り下ろされた刃を紙一重で避け、お返しに足払いを食らわせる。

「おわ!?」と間抜けな声をあげ、身体を横向きに転倒させたならず者(ローグ)は受け身もままならずに身体を地面に打ち付けた。

 唸るような悲鳴を漏らした彼は素早く立ち上がろうとするが、次の行動(アクション)は武闘家の方が数秒速い。

 

「でりゃあ!!」

 

 立ち上がった勢いのままに足を振り上げた彼女は、気合い一閃と共にならず者の頭に向けて踵落としを打ち込んだ。

 ぐちゃりと肉の潰れる湿った音が森に響き、足を伝って全身に広がっていく不快感に背筋を震わせた武闘家は、そっと足を退けた。

 割れた頭蓋骨から漏れ出た血と、粘度の高い脳汁で糸が伸び、彼女の踵とならず者の頭を繋ぐ。

「うぇ……」と露骨に気持ち悪そうに声を漏らしながら、ちらりと潰した頭に目を向けてみれば、本来丸い筈の頭が谷のように抉れ、押し出されたのか目玉が飛び出し、地面に転がっている。

 

「……」

 

 見なきゃよかったと顔色を悪くしながら後悔する武闘家は、気分を切り替える為にも焚き火の向こうで戦っている相棒──ローグハンターへと目を向けた。

 

「シッ!」

 

 鋭く息を吐きながら振るわれた片手半剣(バスタードソード)の刃が、斧を大上段に構えながら突っ込んできたならず者の腹を裂き、逆の手で握られた短剣がその傷を抉じ開けるように一閃。

 一瞬の間を開け、傷口から臓物を溢れさせて崩れるならず者を他所に、ローグハンターは次なる行動(アクション)に移る。

 懐に手を入れ、目的の物を掴んだ瞬間に勢いよく腕を振り抜く。

 同時に放たれた捕縛用のフックが(ロープ)取り付けられた縄(ダート)は、逃げようと背を向けたならず者の背嚢に引っ掛かる。

 同時に力の限り引っ張ってやれば、ならず者は背中から地面に倒れ、それでも逃げようと地面を這い始めた。

 だがローグハンターの歩みの方が遥かに速く、彼はならず者の背を踏みつけ、ロープダートのフックを背中にめり込ませる。

 痛みに喘ぎ、苦悶の表情を浮かべるならず者に対し、ローグハンターは残酷なまでに無表情を貫いた。

 その表情のまま剣を逆手に持ち変え、後頭部にその切っ先を突き立てた。

 

「げっ!?」

 

 後頭部から眉間までを貫いた瞬間、ならず者から短い断末魔の声が漏れ、身体から力が抜けていく。

 ぐったりと大の字になって地面に倒れたならず者を見下ろしながら、ローグハンターは剣を引いた。

 切っ先が僅かに地面に刺さりはしたものの、まだ抜く分には問題はなかったらしく、するりと抜けた鋼の刃が月明かりの下に晒される。

 刃の半分程が赤く染まり、血脂に塗れた刃は怪しくテカり、見るものに恐怖を与える代物になっていた。

 それに怯み、身体を強張らせた生き残り三人は顔を見合せ、じりじりと摺り足で彼から離れていくが、生憎と彼らの相手はローグハンターだけではない。

 

「おぉりゃあぁぁぁああ!!」

 

 気合いの雄叫びと共に飛び出した武闘家が、一番後方にいたならず者のこめかみに飛び蹴りを叩き込んだ。

 凄まじい快音と共にならず者は吹き飛び、大量の血を撒き散らしながら地面を転がっていく。

 

「「っ!?」」

 

 突然の横槍に狼狽え、二人同時に弾かれるように後方に振り向いた瞬間、今度はローグハンターが動いた。

 見た目こそ恐ろしいものの、剣としてはもはや使い物にならないそれを逆手に持ち替え、振りかぶり、投射。

 寸分の狂いなく後ろを向いていたならず者の頭部を貫き、剣は最後の役目を果たした。

 剣に貫かれたならず者は頭から倒れ、地面に突き立った刃に支えられて頭部が地面に落ちることはない。

 滲み出た血が刃を伝って地面に垂れ、小さな血溜まりを作り始めた。

 

「っ?!」

 

 そして最後に取り残された一人は目に涙を溜めながら前方と後方に交互に顔を向け、どうするべきかを必死になって考える。

 だがその僅かな時間が、自分の命を奪うとは考えもしなかったのだろう。

 

「はっ!」

 

 無防備な背中に向けて武闘家の拳が打ち込まれ、弾かれるがままにローグハンターの方へと押し出された。

 直後、短剣を逆手に構えた彼は前へと駆け出し、すれ違い様にならず者の首を掻き切った。

 ぶつんと肉を断ち切る感触と、「おぁ……」と覇気の欠片もない断末魔の声を聞きながら、武闘家のすぐ隣で停止。

 短剣に血払いくれて、タカの眼を発動しながら辺りに目を向ける。

 月明かりさえも感じなくなるほどに暗くなった視界に浮かび上がるのは、味方を示す青い影のみ。

 数度辺りを見渡してそれを確認したローグハンターは瞬きと共にタカの眼を解除すると、隣で油断なく身構えている武闘家に告げた。

 

「……殲滅完了だ」

 

「わかりました」

 

 彼の言葉を受けた武闘家は拳を払ってついた血を飛ばすと、ゆっくりと息を吐いて張り詰めていた意識を緩める。

 いつも通りの、数人規模のならず者たちの拠点制圧。

 いや、拠点というには程遠い、適当に囲いを造り、適当に草を刈っただけの、野営地とも呼べない簡易的な森の空き地。

 そこに居座る、まだ年若い──それこそ自分たちよりも僅かに年を行ったばかりの──ならず者たちを殲滅する。

 静かな森に染む込んでいく赤い血と鉄の臭い。

 それに慣れ始めている自分に多少なりとも嫌悪感を抱きながら、武闘家はちらりとローグハンターに目を向けた。

 せっせとならず者たちの死体を一ヶ所に集めていく姿は、無表情かつ黒装束なのも相まって、物語に出てくる墓守りのようにさえ見える。

 

「……どうした」

 

 その作業を終えて、一人一人の瞼を閉じる行程に移った彼は、ふと視線を感じて武闘家の方に目を向けた。

 突然彼と目があった武闘家は僅かに頬を朱色に染めながら「何でもないです」と顔の前で手を振ると、「そうか」と頷いて最後の一人の目を閉じた。

 

「法司りし神の元に行け。汝らの罪を罰するはかの者なり」

 

 静かに告げられたその祈りは、果たして法司る無名神──至高神に届いたのだろうか。

 それを知るのは天上から見守る神々のみで、盤の上を生きるローグハンターには知るよしもないことだ。

 

 

 

 

 

 ならず者たちの野営地から離れ、ローグハンターが用意した夜営地に戻ってきた二人。

 ならず者たちから奪った戦利品を適当に整理しながら「おお」だの「お……?」だの何やら声を漏らしている武闘家を横目に、ローグハンターは倒木を椅子代わりにして焚き火を眺めていた。

 意味もなく拳の開閉を繰り返し、アサシンブレードの抜納刀する様を眺めていた。

 極小の刃が鞘を往復する度にこぼれる布擦れ音は、耳を澄まさなければ聞き取れないものではあるが、静かな夜では嫌に響く。

 極小の刃は月明かりを浴びて鋭い銀の輝きを放ち、角度を変えて焚き火の橙色の明かりを透かして見れば、どこか不気味な輝きを放つ。

 この刃で、何人のならず者を殺めてきたのかも定かでもない。そして、何人を救ったのかも定かではない。

 ただひとつ言えるのは、首から下がる認識票の色が変わり、青玉になったことだ。

 等級が上がっている以上、それに伴う実績があるということでもあるのだが、実感というのはやはり薄い。

 大手を広げ、名指しされながら称賛されたいというわけでもないのだが、本当に助けられているのかと不安になることだ。

 

「と、隣、失礼します……」

 

 そうやって考えながら黙々とアサシンブレードを抜納刀するローグハンターの隣に、遠慮がちに声をかけた武闘家が腰を降ろした。

 

「「………」」

 

 と、ここまでは良かったが、二人の間に流れるのは痛いほどの静寂だった。

 時折吹く風で揺れる木々の音や、弾ける薪の音がなる程度で、二人が何かしらの声を出すことはない。

 どうするかと考えながら目を泳がせた武闘家は、いまだにカシャカシャと仕掛けが動く音を漏らしている彼の右手首に目を向けた。

 拳を何度も開閉し、その度に出入りを繰り返す小さな刃は、それでも人一人を殺めるには充分な物なのだ。

 じっとそれを眺めていると、いい加減飽きたのかローグハンターが拳を閉じてアサシンブレードを納刀し、手を下げた。

 つられる形で視線を下げた武闘家は、「あの」と問いかけながら顔をあげた。

 

「なんだ」

 

 それの返しはいつも通り淡々としたもので、蒼い瞳に彼女を映したローグハンターは無表情のまま首を傾げた。

 

「あ、いえ。えっと……」

 

 そしてあまり考えてもいなかった武闘家は、じっと彼の瞳を見つめ返すが、すぐに赤面して顔を背けた。

 それにあわせて結んだ銀色の髪が尾のように揺れて、月明かりを反射して星のようにきらきらと輝く。

 一瞬、それこそ瞬きする間よりも短い時間でそれに魅入ったローグハンターは首を振って意識を切り替えると、彼女の質問を待った。

 数秒、あるいは数分ほど彼女の言葉を待ったローグハンターは、彼女との初対面を思い出して内心で苦笑。

 だが今回先に口を開いたのは武闘家だった。

 

「えっと、今日も冷えますね……?」

 

「そうか?」

 

 そうした投げ掛けられた問いかけにローグハンターは曖昧な返事をすると、息を吐いて白くなっていることを確認。

「まあ、寒いほうではあるか」と彼女の意見に賛同しながら、「で、どうした」と問いかけた。

 

「あっ、その、えーと……」

 

 その問いに即答できず、気まずそうに視線を逸らした武闘家は、ここまで来たら勢いのみと自分を奮い立たせる。

 何故か酒を飲ませてくれなくなった女騎士に言われたではないか、とりあえず突っ込めと。

 その言葉を信じた彼女が取った行動は、実に単純にして明快だった。

 

「えい!」

 

 可愛いらしく掛け声を出しながら、彼の腕に抱きついたのだ。

 自慢ではない、むしろ邪魔な程に大きな胸の谷間に彼の腕を挟み込み、二の腕に両腕を巻き付けてぎゅっと抱き締める。

 

「──」

 

 僅かに目を見開いたローグハンターは、無言のまま彼女を見つめ、視線を落として自分の腕を見つめた。

 柔らかな果実に包まれ、服越しに僅かな温もりを感じられるが、果たしてこの行動に意味はあるのだろうかと考え始める。

 

「……」

 

 彼が自分の胸を見つめているという状況に頬を赤らめる武闘家は、僅かに力を入れて彼の腕を抱き締めてみるが、彼は無言を貫いた。

 ゆっくりと視線をあげ、赤くなった彼女の顔を正面から凝視する。

 顔色を伺って何を考えているかを読み取ろうとしたのだろうが、一党になってまだ一年にも満たないのだ。彼女が何を考え、なぜ行動に移したのかまではわからない。

 

「──」

 

 故に彼は無言になるほかなく、どうするべきかと目で訴えるように、ぱちぱちと瞬きを繰り返すのみだ。

 

「うぅ……」

 

 何かしらの反応を求めていた武闘家にとって、ほぼ無反応というのは中々に酷なものだった。

 からかってやろうにも彼が照れている様子はなく、離れようにも時機を逃がしたようにしか思えない。

 そして勢いが失われてしまえば、来るのは強烈なまでの羞恥心だ。

 それから逃れようともじもじと身動ぎしてみれば、それに合わせて豊かな胸が形を歪めて彼の腕を包み込む。

 

「──」

 

 腕に感じたことのない柔らかさを感じつつ、けれど無表情のまま困惑するローグハンターは、彼女の顔と自分の腕を交互に見る。

 赤らんだまま瞳を潤ませ、時々身動ぎしながら身を寄せてくる彼女は、果たして何をしてほしいのか。

 

「……」

 

 無言で思慮を続けた彼は、ふと冬が始まったばかりの頃を思い出す。

 彼女はひどく寒さに弱いようで、朝は毛布にくるまったまま震えていたのを覚えている。

 そこに加えて先程の会話。あの頃よりはましだとは思うが、寒さを気にしているような素振りをしていた。

 

 ──つまり、寒がっている……?

 

 ようやく合点がいった彼は表情を引き締めると、少々乱暴に腕に抱きつく武闘家を振り払う。

「あ……」と声を漏らして残念そうに目を伏した彼女だが、次の瞬間に肩を掴まれたかと思えば、地面の方に引き落とされた。

 地面に尻餅をついて「きゃ!?」と小さく悲鳴をあげた直後、背後から誰かに抱き締められ、武骨な両手が腹に添えられた。

 

「え……あ……うぇ……?」

 

 何事かと困惑する武闘家を他所に、同じく地面に尻をつけ、豪快に開いた両足の間に彼女を納めたローグハンターは、彼女の耳元で「これでいいか?」と問いかけた。

 風を自分の背中で遮り、焚き火の熱が彼女の全身に当たるようにしたわけだが、果たしてこれで良かったのだろうかと小さく唸る。

 

「~!!?」

 

 そんな彼の意志を知るよしもない武闘家は、顔を耳まで赤く染めながら声にならない悲鳴をあげると、とりあえず彼の手に自分の手を重ねてみた。

 自分に比べて温かい彼の体温を感じると、無意識に頬が緩んでしまう。

 そのまま彼に寄りかかってみれば、何も言わずにしっかりと受け止めてくれた。

 

「~っ!」

 

 それが堪らなく嬉しくかった武闘家が、真っ赤になった顔を見られないように伏せると、ローグハンターは小首を傾げた。

 まだ寒いのだろうかと的はずれな事を思い、脇に置いていた雑嚢から毛布を引っ張り出し、腹に抱えた彼女諸ともに被る。

 

「今のうちに寝ておけ。見張りは俺がやる」

 

 武闘家の腹を擦りながらそう告げた彼は、瞬きと共にタカの眼を発動し、辺りを警戒し始める。

 

「それくらい私が」

 

 首だけで振り向いて肩越しに彼の顔を見た武闘家は、間近にある凛とした表情──もっとも無表情だが──に照れてしまい、すぐに顔を前に向けた。

 彼は黙々と腹を擦り、摩擦により生まれた温かさが眠気を誘う。

 

「見張りは、交代、こうたい……ですよ……?」

 

「考えておく」

 

「おこ、して……ください……ね……?」

 

「わかった。早く寝ろ」

 

「うぅ……」

 

 いつも見張りを変わることがない彼に、今度こそはと念を押すように言うが、返ってくるのは気のない返事。

 重くなる瞼をどうにかあげようとするが、思いに反して身体は起きてくれず、そのまま視界が暗くなっていく。

 かくりと首が倒れたかと思えば、すぐにすぅすぅと寝息をたて始める。

 

「……」

 

 彼女の後頭部を無言でじっと見つめたローグハンターは、彼女を起こさないようにそっぽを向いてからため息を漏らした。

 何とも無防備に感じることではあるが、それなりに信頼してくれていると思えば嬉しい気もする。

 

 ──なら、いいことではあるか……。

 

 誰かを信じること。誰かに信じられること。

 それはどちらも難しいことではあるが、成し遂げることができれば何よりも嬉しいことだ。

 ローグハンターは蒼い瞳で焚き火を見つめると、ついで星空を見上げた。

 故郷とは繋がっていない、恩人たちが見上げるであろう空とはまったく違う空。

 一人孤独に、夜の寒さに包まれている筈なのに、感じるのは彼女の温もりと息遣いで、心臓の鼓動が不思議と跳ねる。

 一度深呼吸をして心臓を落ち着かせ、僅かに抱き締める力を強めてから改めて周囲を警戒。

 タカの眼により暗くなった視界に映るのは、真っ黒に塗りつぶされた中、微かに浮かび上がる輪郭(ワイヤーフレーム)と、目の前で寝ている武闘家(青い影)のみ。

 おかけで彼が気付くことはなかった。武闘家の耳が真っ赤に染まり、何かを耐えるような表情になっていることに──。

 

 

 

 

 

「──で、結局何も起きずに一晩中寝ていたと」

 

 辺境の街。親しき友の斧亭の片隅で、麦酒を呷った女騎士が目の前で突っ伏している武闘家にそう告げた。

 言われた武闘家は卓に突っ伏したままこくこくと頷くと、顔をあげて「もう、何なんですか~」と気弱な声を漏らす。

 

「抱きついても反応なくて、逆に抱き締められたんですよ?もう、この、あー、好きぃ……」

 

「ついに酒なしでも惚け話をし始めたな……」

 

 ばんばんと卓を叩きながら放たれた言葉に、女騎士は酒精混じりのため息を吐くと、優雅にエールを飲んでいる魔女へと目を向けた。

 聞いているのかいないのか、時折肉感的な肢体を揺らしつつほっと息を吐き、ぺろりと唇を舐めた。

 嫌に色っぽい魔女の挙動に一瞬魅入ってしまった女騎士は、杯一杯に注がれた麦酒を呷って無理やり意識を戻すと、物欲しそうに見つめてくる武闘家を鼻で笑った。

 その反応が気に食わなかったようで、武闘家は頬を膨らませて不満を露にした。

 

「ぶー。なんでお酒飲んじゃ駄目なんですか」

 

 足をぷらぷらと振りながら頬を膨らませる彼女の姿は、年相応──成人したての女の子に他ならない。

 これであの冷酷なるならず者殺し(ローグハンター)の相棒なのだから、世の中わからないものである。

 

「酒を入れたら大惨事になるだろうが。飲んでも全く覚えていないのだから質が悪い」

 

「……?何を言ってるんです?」

 

 額に手をやりながら呟いた言葉は、肝心の武闘家には届いていなかったようで、首を傾げた彼女に対して女騎士は「何でもない」と頬杖をついた。

 隣の魔女は相変わらずエールを飲んでいたが、何を思ってか武闘家の髪を指で梳き始めた。

 気持ちよさそうに目を細める武闘家と、そんな彼女を見ながら頬を緩める魔女という構図に困惑する女騎士は、とりあえずつまみの料理を頬張る。

 

「だが、あれだな。ここまでして反応なしだと、男色の可能性も──」

 

「それはないですよ!」

 

 それなりに酒に強い筈の女騎士も酔いが回り始めれば、思考が落ち着かずに適当な事を言い始めるが、誰でもない武闘家によって遮られた。

 いまだに髪を梳いている魔女の手をそのままに、だん!と卓を叩いてから力説する。

 

「確かに反応はないですけど、別に男の人を見ていたりとか、抱き締めたりはしていないです!だから、きっと、たぶん、その、大丈夫です!」

 

 根拠も何もない、ただの希望論。

 彼女の言葉をそう断じても構わないのだろうが、女騎士と魔女はそこまで残酷にはなれなかった。

 

「そうだな」

 

「そう、ね」

 

 二人は同時に頷くと、レモネードを頼んで武闘家の前に置いた。

 

「今更だが、改めて乾杯といこう。まあ、何にするかは各々に任せるとして」

 

 乾杯!と三人の声が重なり、かつんと杯がぶつかり合う音が続く。

 武闘家はレモネード。魔女はエール。女騎士は麦酒。

 飲むものはそれぞれバラバラだが、胸中にある悩みはほぼ同じ。

 ぷはぁと息を漏らして真っ先に杯を置いた武闘家は、口内を支配するレモンと蜂蜜が混ざった甘酸っぱさに眉を寄せながら、二人に問いかけた。

 

「──それで、毎回私の話ばかりですけど、お二人はどうなんですか?」

 

「「………」」

 

 その問いかけに、二人はゆっくりと顔を背けた。

 額には僅かに汗が滲み、再びそれぞれの杯を呷る。

 

「ちょっと、聞いてます?おーい」

 

 身を乗り出して無理やり女騎士の視界に入り込んでみるが、すぐに視線を逸らされる。

 ならばと魔女の方にも行ってみるが、反応としてはほぼ同じ。

 

「むぅ。気になるじゃないですか、話してくださいよ!」

 

 彼女の元気溌剌な声も、親しき友の斧亭の熱気と喧騒に呑まれて消えていく。

 恋する乙女たちの恋話だ。元より見ず知らずの男どもが入る隙はない。

 耳を澄ませて聞いてみれば、聞いているこちらが羞恥心に苛まれるような内容なのに、内一人は素面で話しているのだから恐ろしい。

 まあ元より冒険者とは命知らずの無頼漢。この程度の修羅場など、越えられずしてどうするのだ──。

 

 

 

 

 

 一方その頃。眠る狐亭の賭博場。

 武闘家がいる親しき友の斧亭とも似て非なる喧騒に包まれていたその場所も、今では痛いほどの静けさに包まれていた。

 

「……おい」

 

 誰も口を開かない状況で声を出したのは、この宿の店主である男性だ。

 頭巾を被ったその男は、相手を威圧する低い声で問題を起こした男の肩を叩く。

 

「なんだ」

 

 叩かれた男──ローグハンターは無表情のまま振り向くと、店主を睨み付けるように目を細める。

 僅かどころか確実な殺意が混ざっている蒼い瞳に、並の酒場の店主ならまず閉口するのだろうが、この店主は一味違う。

 額に手を当ててため息を漏らすと、ローグハンターに向けて言う。

 

「頼むから、手加減してくれ……」

 

「運の勝負に加減もなにもないだろう」

 

 店主のゴマをするような言葉を無情にも切り捨て、参加した時から倍近くになったコインの一枚をつまんで掌の中で弄ぶ。

 

「おまえ、連れはどうした。別れたのか?」

 

「友人と飲みに行った」

 

「部屋で大人しくしていたらどうだ?」

 

 投げられた問いかけに淡々とした声で返すと、店主の口からもっともな言葉が放たれた。

 誰もいないのなら、一人でのんびりしていればいいものを。装備の点検やらなにやらと、冒険者としてやることも多いだろうに。

 

「──」

 

 その言葉にローグハンターは僅かな間口を紡ぐと、ぼそりと呟いた。

 

「どうにも落ち着かなくてな……」

 

 そう言いながら再びコインを賭け、両肘を卓について顔の前で両手を握る。

 

「一人の方が気楽だと思っていたんだが、どうにも落ち着かない」

 

 背もたれに寄りかかり、天井の染みを数えながら言葉を続け、フッと自嘲的な笑みをこぼした。

 

「また酔い潰れることもないだろうに、何を心配しているんだろうな」

 

 渡された札を確認し、一枚交換。

 ディーラーが額に汗を滲ませる中、自分の札を捲って場に出した。

 描かれた札を統合すれば、『稲妻(ライトニング)』の術が完成する。

 隣の客たちは札が悪かったようで、術が完成しなかった者や、弱い術の者ばかり。

 各々が悲鳴をあげて札を放る中、ローグハンターは自分の札を卓に叩きつけた。

 

「『核撃(フュージョン・ブラスト)』。俺の勝ちだな」

 

 運は自分で掴むものとは言うけれど、賭け事に関してはただの(ラック)次第だ。

 集まったコインは開始時の数倍。金貨に変換すれば、仕事をせずとも冬は越えられるどころか、今から夏越えまで出来そうな量だ。

 それを宿泊だけに回すなら、一、二年は問題はあるまい。

 

「また宿泊代に回しておいてくれ」

 

 それを理解している──前回の大勝ちの時に説明されたからだ──ローグハンターは店主に向けてそう告げた。

 そのままコインの一角を崩して掴み、金貨にする為に交換所へ。

 

「──いつまでただ泊まるするつもりだ!?」

 

 柄にもなく思考停止に陥っていた店主は、復活と同時に彼の背中にそう叫ぶと、肝心の彼は足早と二階──というよりは自室だろう──へと消えていった。

 このままでは金庫を空にされると冷や汗をかきながら、どうするかと思慮を巡らせる。

 不正(ずる)はしない主義だが、この際そんなプライドは捨てるべきかと本気で自問する。

 店主は頭を抱えてため息を吐き、おこぼれに預かろうと伸びてきた手を叩き落とした。

 

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory10 横槍を入れてみる

ガンガンオンラインで、『ゴブリンスレイヤーイヤーワン』の最新話を読んだのですが、武闘家可愛すぎかよ状態となっております。

先生が気を操るとかいう、中々に凄い人だということがわかりましたが気にせずにいきます。
この作品じゃほとんどオリキャラになってますからね。

前々から言っておりますが、彼女がヒロインの二次創作増えないかな~。



 温かな春の日差しに照らされ、爽やかな春の風が吹き抜けるギルドの裏庭。

 様々な冒険者たちが出入りする入り口と、待合室の喧騒から壁で隔てられ、四方を塀で囲われたその場所は、多くの冒険者にとってはあまり馴染みのない訓練場としての側面もある。

 そのから微かに聞こえる風切り音と時折響く快音から、誰かが戦っているのは確実だった。

 裏庭の片隅。木製の仕切りで四角く囲まれたその場所は、安上がりな闘技場のようであり、内側に入った者は誰かが止めるか、お互いに手を止めるまで戦うことになる。

 

「いぃぃぃぃやっ!!」

 

 そんな中を、武闘家が銀色の軌跡を残して駆け出した。

 腰を落として力を溜め、一気に解放。放たれた矢の如く一直線に、相対する相手に向けて距離を詰める。

 待ち受けるローグハンターは短く息を吐くと僅かに腰を落とし、飛び込んできた彼女を真正面から迎え撃つ構えを取った。

 彼の後手に回るのはいつもの事だと、嫌な慣れをしてしまった武闘家は内心で自嘲しつつ、間合いを詰めた勢いのままに拳を振るう。

 鳩尾を狙った縦拳。あっさりと払われた。

 払った手で拳が作られ、予備動作なしで放たれる。空いている手で防御。無理やり払う。

 脇腹を狙ったブロー。身体をくの字に曲げ、腹部を引っ込めることで避けられた。

 反撃の隙を与えずに頭を狙って上段回り蹴り。上半身を逸らして避けられる。

 振り抜いた足を素早く地面につけ、摺り足で元の位置に戻しつつ、放たれた拳を払い、反撃に顎を蹴り上げる。

 対するローグハンターはバク転の要領でそれを避け、それを数度繰り返して間合いを開く。

 十秒足らずの間に行われた数手の打ち合いに、武闘家は思わず笑みを浮かべた。

 昔なら最初に払われた後の反撃でやられていたのに、今なら完璧とは言わずとも対応できる。

 深く息を吐きながら構え直す武闘家に対し、ローグハンターは衣装の裾を払うと、フッと小さく笑んだ。

 毎日のように隣にいる彼女が、少しずつでも成長しているのは喜ばしいことだ。

 まあ、それはそれとしてと意識を切り替えて表情を引き締めると、今度は彼の方から仕掛けた。

 一歩、二歩、三歩と細かく、不規則な踏み込み(ステップ)で間合いを調整しつつ、彼女を射程に捉えた瞬間に「シッ!」と鋭く息を吐きながら拳を放つ。

 

「っ!」

 

 真正面からの、愚直な突き。

 けれどこちらを舐めているわけでもなく、加減しているわけでもない。

 集中しなければ視認を許さない、凄まじいまでの速度を誇る拳だ。

 彼がそこに到達するまで、どれ程の歳月をかけたかはわからない。けれど、確実に言えることは一つ。

 

 ──私だって、強くなっているんですっ!

 

 それを証明するため、彼の隣に立ち続けるため、ついでに彼の心を占める割合を少しでも増やすため、ここで退くわけにはいかなかった。

 武闘家は全身から力を抜きながら深呼吸を一つ。

『カチリ』の頭の奥から音が響き、彼以外の音が、動きが霞んで見えるほどに、彼への挙動に意識が集中していく。

 途端に柔らかな表情が引き締まり、普段は人懐こい瞳に凛とした銀光が宿る。

 同時に彼の拳がゆっくりと(・・・・・)迫るなか(・・・・)身体を傾け、頬を掠める形で拳を避けた。

 耳朶を揺らす拳圧にも怯まず、伸びきった彼の腕を掴みながら身体を反転。

 

「ぬぅああああああっ!」

 

 力の限りで彼を引き寄せて背中に担ぎ、気合いの雄叫びと共に身体を丸めた勢いに乗せてぶん投げる。

 形もまだまだだが気合いは十分の背負い投げに、ローグハンターは僅かに目を見開き、いつぞやの砦で嫌になるほど感じた浮遊感と、視界が回る感覚に身体を強張らせた。

 直後彼の身体が地面に叩きつけられ、「がっ」と小さな呻き声が口から漏れる。

 

「でりゃああああああ!」

 

 その隙を見逃さず、武闘家は渾身の鉄槌を彼の顔面を狙って撃ち降ろした。

 下手をしなくとも物理的に鼻が曲がる一撃ではあるが、ローグハンターの反応の方が一瞬速い。

 彼は反射的に横に転がることで鉄槌を避け、素早く立ち上がると、ぎょっと目を見開いた。

 

「いつっ……。ちょっと、加減間違えたかな……?」

 

 先程まで自分の頭があった位置を中心に、地面に蜘蛛の巣状のひびがひろがっており、それを産み出した武闘家は赤くなった拳を振って首を傾げていた。

 

「……加減を、間違えた……」

 

 回避が遅れれば、頭を潰されていたであろうローグハンターは、何故か詳細にその姿を想像してしまい、背筋を凍らせた。

 あくまで潰される瞬間を主観で見るものではなく、客観的に見た場面ではあるが、自分が死んだ想像であることに違いはあるまい。

 僅かに怯える意識を切り替えようと一度咳払いをしたローグハンター、拳を構えながら「続きだ」と呟いた。

 その表情は先ほど以上に引き締まり、さながらならず者(ローグ)を前にした時のようだ。

 

「はい、ここからです!」

 

 そんな彼の心情を知るよしもない武闘家は、瞳に宿る鋭い銀光をそのままに頷くと、ゆっくりと構えをとった。

 開いた左拳と左足を前にして半身になりつつ、右拳と右足を後ろに流す。

 対するローグハンターは右足を前、左足を半歩後ろにしながら腰を落とし、いつでも踏み込めるように左足は爪先立ち。

 開いた両手は彼女に向けつつ、いつでも、どちらでも攻防に使えるように脱力。

 

「いきますよっ!」

 

「ああ、来い……っ」

 

 嬉しそうに笑いながらの宣言に、ローグハンターが無意識に力が入った声で返した瞬間、武闘家が動いた。

 矢ではなく、もはや弾丸の如き速度で間合いを詰めた武闘家と、それに驚くこともなく対処するローグハンター。

 ギルド裏の訓練場。いつもは比較的静かなその場所も、今日に限って数時間に渡り、気迫に満ちた二人の掛け声と凄まじい打撃音に支配され、さながら戦場のような雰囲気が放たれる。

 二人の訓練(死闘)は見るに見かねた受付嬢が待ったをかけるまで続き、訓練場の地面にはひびや何かが擦れた跡が残されることになった。

 

 

 

 

 

 冒険者ギルド二階。応接室前の廊下。

 

「あそこまで言わなくてもいいじゃないですか!私たちも必死だったことは認めますけどね!」

 

「仕方がないだろう。ギルドの中にも聞こえるほどに喧しかったなら、依頼人や同業者を怖がらせる」

 

 応接室から出てきたローグハンターと武闘家は並んで歩きながら、先程までギルド職員との面談──というよりは説教──に対する愚痴をこぼしていた。

 二人は真面目に、それこそ命のやり取り一歩手前になるほどに真剣に、お互いの全力で戦っていたにすぎない。

 問題があるとすれば、人の往来が多い冒険者ギルドの裏でそれをやっていたことだが、二人はそこに気付く様子はない。

 

「もう、お腹すいちゃいました!おかげで遅くなっちゃいましたけど、お昼にしましょう!」

 

 ぷんぷんと表情こそ怒っているものの、その内容はこれからしたいことへの願望。事実、説教中も彼女の腹の虫は鳴いていた。

 その事を思い出して僅かに苦笑したローグハンターは「そうだな」と頷いて彼女に告げた。

 

「俺も腹が減った。少し贅沢するか」

 

「はいっ!そうしましょう!」

 

「何が旬なのかは知らないが、まあ料理長に任せれば問題はあるまい」

 

「そうです、そうです!」

 

「ついでに読み書きの勉強もするぞ」

 

「わかりました!……あれ?」

 

 珍しく食事に関して話題を広げた彼の態度に、先程までの不機嫌さはどこにやったのか、上機嫌に笑い始めた武闘は、最後に放たれた言葉に首を傾げた。

 確かめるようにローグハンターの表情を覗き込むが、彼は普段の無表情に戻っており、先程の発言を撤回するつもりはなさそうだ。

 

「……お、お手柔らかにお願いします」

 

 ならばと頭を下げる武闘家だが、ローグハンターは「どうするかな」と肩を竦めるのみ。

 

「あの、本当にお願いします……」

 

 彼の反応に対して、武闘家は更に真剣な声音になりながら彼に頼んだ。

 彼女としては、文字を覚えるよりも身体を動かす方が好きだし、何ならもう一度彼と模擬戦をしたいとも思っている。

 彼との戦いで感じた感覚。身体が軽くなり、限界まで集中するあの感覚を、忘れない内にもう一度体感しておきたいのだ。

 だが悲しいかな。ローグハンターは座学をやる気満々であるし、何なら先の模擬戦でかなり疲れている。しっかりと休息を取りたいのが本音である。

 

「勉強は大事だ。文字を読めると楽だぞ」

 

 それを隠すように紡いだ言葉に武闘家は項垂れるが、「頑張ります……っ!」と声に出して気合いを入れた。

 

 

 

 

 

「……」

 

 依頼の話や、下らない雑談をする冒険者たちが一望できる酒場の片隅。

 そこで卓に頬杖をついている男戦士は、酒場の反対側の卓を選挙している元一党の二人を眺めていた。

 食事をしながら談笑しつつ──笑っているのは武闘家だけだが──時折黒板に向かうその姿は、話に聞く教師と生徒のそれでだ。

 

「気になるか」

 

 見ている分には平和そのものな二人を、訳もなくボケッと眺めていた男戦士の肩を叩き、彼の隣に腰を下ろしたのは森人司祭だ。

 男戦士の視線を追って二人に目を向けると、「ふむ」と唸って顎に手を当てた。

 食事をしつつ談笑していたかと思えば、急に授業が始まり、中断ついでにまた食事。

 森人司祭は目を閉じながら長耳を揺らし、うんうんと頷きながら僅かに笑んだ。

 

「何とも下らない、雑談以外の何でもない会話をしているようだ」

 

「そうなのか?って、盗み聞きしなくてもいいだろうが……」

 

 男戦士は頭を掻きながら森人司祭の行動を咎めるが、「で、内容は?」と身体を前のめりにしながら続きを急かした。

 

「好きな食べ物や、組み手をした反省。あとはまあ愚痴を少々」

 

「本当に雑談って感じだな」

 

「本当に雑談だとも」

 

 うんうんと頷く森人司祭は卓に置かれた野菜の盛り合わせにフォークを突き立て、偶然にも突き刺さった野菜を口にする。

 

「盗み聞きとは、感心しませんよ」

 

 そんな仲間たちに苦言を呈したのは、この一党でのある意味で常識人枠に納まっている獣人魔術師だ。

 やれやれと額に手をやりながらため息を漏らし、けれど意識を向けるのは件の二人。

 あの一件で一党を離脱してしまったとはいえ、気にかけるべき仲間であることに変わりはない。

 

「『鳩尾に一発入れてから、顎に拳から肘打ち。最後に飛び膝蹴りで相手をふっ飛ばすんです!』」

 

「『鳩尾に一撃入れてから、頭を掴んで顔面に膝でいいだろう』」

 

「『……そ、そうですかねぇ』」

 

「『で、この文字はなんと読む』」

 

「『うぇ!?えっと』……だそうだ」

 

 森人司祭の似ていない声真似による解説に、男戦士は「物騒な話だな」とひきつった苦笑を漏らし、獣人魔術師は「ですから、盗み聞きは感心しません」と僅かに怒気のこもった声を放った。

 だが一応は聞いているようで、時折揺れる耳と鋭い瞳は、交互に森人司祭と彼ら二人の方に向いている。

 

「この前よりは、随分と柔らかくなりましたね」

 

 そして口許に優しげな笑みを浮かべながら告げた言葉に、男戦士と森人司祭は一瞬間の抜けた表情になるが、すぐに合点がいって微笑み混じりに頷いた。

 遠目からではあるが、確かに武闘家と話すローグハンターの表情は僅かに笑っているように見えるし、今まであった鬼気迫った迫力というのも薄れている印象がある。

 それが偶然機嫌がいいからなのか、仕事中ではないからなのかはわからないが、その話は置いておくとしよう。

 三人が気になったのは、ローグハンターよりも武闘家の方だ。

 隙あらば彼の手を握ったり、触れ合うほどに顔を寄せたりと、見ない内に随分と距離感が近づいているように思える。

 まあ、何をするにも武闘家からなので、距離を詰めようとしていると言った方が正しいのかもしれない。

 

「……あれは、どう見る」

 

 男戦士が勢いよく振り向きながら問うと、森人司祭は目を細めながら問い返す。

 

「逆に、あれをみてどう見えているのだ。私の答えは一つしかないが」

 

「だよな」

 

 顔を見合わせて頷きあう二人を横目に、獣人魔術師は顎を擦りながら小さくふむと唸った。

 

「意中の相手の気を惹こうと、あの手この手と必死になっていた学生を思い出します」

 

 かつて教師だった頃を思い出したのか、懐かしむように笑みながらの言葉に、だよなと男戦士と森人司祭の言葉が重なる。

 

「つまりは、そういうことでいいんだよな」

 

「そうだろうとも。賭けてもいい」

 

「そうでしょうね。間違いなく」

 

 そして三人が出した答えは、『あいつ、惚れたな』というものだった。

 二人の間に何があったのかはわからないし、二人がお互いのことをどう思っているのかもわからないが、めでたいことに変わりはあるまい。

 そして、そこまでわかってしまえばやることは変わってくる。

 三人は顔を突き合わせると、回りには聞こえないように小声で話し始める。

 

「で、どうする」

 

「どうと言っても、今は様子を見るしかあるまい」

 

「そうですね。下手に介入して関係を悪化させるのは避けるべきでしょう」

 

「とは言っても、あの感じじゃ脈はなさそうだぞ?」

 

「むぅ。確かに、そう見えるが……」

 

「一月ほど様子を見ましょう。話はそれからです」

 

 

 

 

 

 そんな会話から一ヶ月が経った頃。自分たちも等級があがり、まだまだこれからだと勢いがついてくる頃合い。

 だが二人は変わらず酒場の端で談笑しているようで、距離が縮まった様子はない。

 とりあえず忙しくなるため様子見を選択。きっと複雑な時期なのだろう。

 

 

 

 

 

 更に一ヶ月が経過。そろそろ二人が出会って一年が経つ頃だ。

 武闘家の等級が青玉にあがり、豪華な料理を囲んでお祝いしているようだが、それでも仲間同士といった距離感。

 少々不安になりながら、依頼があった為とりあえずギルドを出る。

 その道中でもう少し様子を見ることを決定。

 

 

 

 

 

 

 更に一ヶ月。

 二人の様子は変わらず、笑いながら言葉をかける武闘家にローグハンターは一二言の塩対応。

 それでも彼女は構わないのか、にこにこと上機嫌な笑みは変わらず、頼んだ料理に舌鼓を打っている。

 とりあえず、今月も様子見を──。

 

「してる場合じゃねぇだろ!?」

 

 男戦士はだん!と両手で卓を叩きながら立ち上がると、周囲の冒険者たちの視線が一斉に集まる。

 奇異なものを見るような、どこか憐れむような、小馬鹿にしたような視線が彼の身一つに集中する。

 

「あ、その、ははは……」

 

 身から出た錆とはいえ、嫌な注目を集めた彼は乾いた笑みを浮かべながら腰を降ろし、ゆっくりと顔を伏せた。

 はぁとため息を漏らした彼は僅かに顔をあげれば、ローグハンターと武闘家の二人が揃って首を傾げている。

 それなりの信頼を置いている友人の奇行に驚いたのか、武闘家は口に肉を咥えたまま、ローグハンターは片手に杯を持ったままだ。

 そんな友人たちからの視線に頭を抱えて「ぐぉぉっ!」と低い声で呻く彼を他所に、森人司祭と獣人魔術師は神妙な面持ちで顔を見合わせた。

 

「だが予想外であることに違いはあるまい。二人とも臆病というわけでもあるまい」

 

「戦いと恋路は別物ですよ。どんな戦場にも勇んで向かう勇士とて、愛する人に想いを告げるのに長年かけたのは有名です」

 

「むぅ。只人の生は短いというのに」

 

 森人司祭が整端な顔立ちを僅かに歪めながやため息を吐くと、復活した男戦士が「ここまで来たら、行動に移すぞ」と二人に告げた。

 

「だが二人を呼び出して聞き出すのも可笑しい話だろう。一人ずつ呼ぶのも、それはそれで可笑しいものだが……」

 

 森人司祭は前髪を弄りながら言うと、「どうする軍師どの?」と試すような声音で獣人魔術師に問いかけた。

 問われた彼は喉の奥を鳴らして獣じみた唸り声を漏らすと、ちらりとローグハンターと武闘家の方に目を向ける。

 同時に「おや」と声を漏らし、じっと目を凝らす。

 見慣れぬ金髪の女冒険者が武闘家に声をかけ、何やら話し込んでいるのだ。

 

「『今晩飲みにいかないか。面子はいつもの通りだ』」

 

「『はい、喜んで!行ってきても大丈夫ですよね……?』」

 

「『ああ、構わん』……だそうだ」

 

 すかさず森人司祭が長耳を立てて盗聴し、今回に限っては獣人魔術師は「上出来です」と思わず親指を立てた。

 

「なら俺たちからも誘うか。噂に聞く女子会改め、男子会といこう」

 

 

 

 

 

 眠る狐亭一階。酒場の隅にある円卓に、冒険者たちが集っていた。

 窓から差し込む月明かりに照らされて、並々に注がれたエールの水面がきらきらと輝き、飲むことすら億劫に思えるほどだ。

 時間は夜。男三人衆が男子会──と言うには平均年齢が高めだが──を開催し、ローグハンターを半ば無理やり参加させたのだ。

 

「……で、何を話せばいいんだ」

 

 エールが入った杯を見下ろし、その水面に映る自分の顔を見下ろしていたローグハンターは、開口一番にそう問うた。

 男子会というのも初めてだし、何より友人と酒を飲むことすら初めてだ。故郷では師に連れられて酒場に行くことはあれど、情報を貰いにいくことが目的だった。あの状況で酒を飲む暇もありはすまい。

 彼の問いかけに応じたのは男戦士だ。

 ぽりぽりと頬を掻きながら、歯切れ悪く問う。

 

「あー、その、なんだ。とりあえず、最近どうだ?」

 

「何とも言えん。ほぼ毎日狩ってはいるが、ならず者(ローグ)が消える気配はない」

 

 男戦士の問いにローグハンターは淡々とした返答をし、「そちらはどうだ」と問い返す。

 

「こちらも順調ですよ。先日、等級も上がりました」

 

「それはめでたい。おめでとう」

 

 獣人魔術師が犬歯を見せながら柔らかな笑みを浮かべると、ローグハンターは素直に賞賛の声をあげた。

「なんなら奢るが」と提案するが、「いや、大丈夫だ」と男戦士がすぐに制した。

 ちびちびとエールを舐めていた森人司祭は、僅かに赤ら顔になりながら「そちらの等級はどうだ?あがりそうか?」と問いかける。

 

「どうなるにしても、ギルドの判断だ」

 

「……相変わらず固いな、お前は」

 

 森人司祭は森人元来の優雅さの乗せてふっと鼻で笑いながら、ローグハンターとばんばんと肩を叩く。

「酔っているな」と半目になりながらの指摘に、森人司祭は「気にするな!」と鋭く返す。

 

「それで、彼女の方はどうですか?」

 

 豪快に肉を噛み千切った獣人魔術師が問うと、ローグハンターは「どう、とは?」と首を傾げ、一口エールを呷る。

 ホッと酒精混じりの息を吐きながら、僅かに据わった瞳で杯を睨む。

 

「腕も良くなってきた。覚悟も固くなった。俺には不釣り合いな、いい冒険者だ」

 

 目を細め、声に僅かな後悔の色を滲ませながら呟いた彼は、くびりとエールを呷る。

 結果的にとはいえ、彼女が歩むべき道から踏み外させ、血に染まった自分の道へと引きずり込んだのだ。今でも後悔はあるし、今後も後悔するだろう。

 見るからに落ち込んでいる彼の反応に、獣人魔術師は小さく息を吐くと告げた。

 

「彼女が、あなたと共に歩むと決めたのです。誰でもないあなたが、それを否定してはいけません」

 

「……」

 

 できの悪い生徒に助言するように言われた言葉に、ローグハンターは目を閉じて黙り込むと、「そう、だな」と

 小さく頷き、エールを呷る。

 酒が入った途端に、普段はしないようなことをやらかす人は多いが、彼の場合は思考が後ろ向きになるのだろうか。

 

「ええい!聞きたいのはそんな事ではない!」

 

 そんな彼の肩をぶっ叩き、鼻先が触れ合うほどに顔を近づけたのは森人司祭だ。

 見ない内に空の杯が並んでおり、香る酒精の臭いは強烈なものへと変わっている。

 思わず顔をしかめて彼の肩を押したローグハンターを他所に、森人司祭は彼と肩を組みながら問うた。

 

「彼女のことを、どう思う!」

 

「「っ!?」」

 

 本当に聞きたかったことを単刀直入にぶつけた森人司祭に、男戦士と獣人魔術師は弾かれるように目を向けた。

 二人とも目を有らん限りに見開き、大口を開けている様は滑稽としか言いようがない。

 一人黙々とエールを飲んでいたローグハンターは、そんな二人の顔に困惑気味に数度瞬きすると、「どう、とは」と森人司祭に問い返した。

 

「常日頃から共にいるのだ。何とも思わないのか?」

 

「……?」

 

 重ねられた質問に首を傾げると、男戦士、森人司祭、獣人魔術師は顔を見合わせてため息を吐いた。

 三人の反応に何かしてしまったかと、無表情のまま狼狽えるローグハンターを他所に、代表して獣人魔術師が告げた。

 

「彼女を異性とした見ていないのか?彼女に惚れていないのか?──と、彼は聞いたのですよ」

 

「……異性として、惚れていないか……」

 

 彼の言葉を反芻したローグハンターは目を細め、自分の胸に手を当てた。

 いつもと変わらない心臓の鼓動を手のひら越しに感じながら、ゆっくりと目を閉じる。

 こんな時、先生(シェイ)なら何と言うだろうか。

 嘘は言わないだろう。それは間違いない。

 冗談を交えながら、女性遍歴を自慢するだろう。あの人ならやりかねない。

 

 ──だが、俺はあの人じゃない。

 

 尊敬はすれど愛する人と出会ったことはあらず、誰かに愛されたという記憶も遠い過去のものだ。

 街の女性に声をかけて一晩だけの付き合いをしたりだとか、誰かの恋路に耳を傾けたりだとか、そんな経験もない。

 

 ──愛とは、好きになるとは、どういうことなんだ?

 

 幼い頃に両親を失い、数年かけて戦いに備え、その終了と共に実戦に身を投じた彼にとって、誰かから殺意や敵意を向けられることはあれど、愛情を向けられることは皆無だった。

 

「……」

 

 神妙な面持ちで黙り込んだ彼の様子に、問いかけた側の三人は顔を見合わせてしまう。

 触れてはいけないものに触れたのではと、後悔の念を顔に出して『どうする?』と目配せすると、ローグハンターは目を開けた。

 

「……俺には……よく……わからない……」

 

 そして蒼い瞳を不安げに揺らしながら、どうにか絞り出した言葉は、三人を余計に困らせるものだった。

 彼は自棄を起こしたようにエールを呷ると、「どうすれば、わかるんだろうな……」と力なく呟き、卓に突っ伏した。

「あー」だの「うー」だの無意味に唸る彼は、もうまともな問答は出来ないだろう。

 

「……これは、重症だな」

 

「重病、かもしれませんよ?」

 

 森人司祭が眉を寄せて告げた言葉に、獣人魔術師はローグハンターの背を擦りながら言い返した。

 心の問題を怪我とするか病とするかは、個人にもよるだろう。

 何より自分たちは彼の過去を知らないのだ。それを取り除こうと踏み込めば、逆に心を砕いてしまうかもしれない。

 じっと彼の黒い髪を眺めていた男戦士は酒精混じりのため息を吐くと、「どうすっかなぁ」とぼやいてぼりぼりと頭を掻く。

 これは下手に首を突っ込むべきではなかったと後悔しながらも、ここまで来ては最後までやるしかあるまいと、自分を奮い立たせるためにもエールを呷った。

 

「……とりあえず、誰がこいつを運ぶよ」

 

 目下の問題は、目の前で酔い潰れているローグハンターをどうするかだろう。

 男三人は顔を見合わせて、ゆっくりと各々の拳を掲げ、

 

「「「せーの!じゃんけん──!」」」

 

 一斉に振り下ろした。

 三人で運ぶという結論には、至らなかったようだ──。

 

 

 

 

 

 一方その頃。親しき友の斧亭。

 

「もう一年。一年も経ったのに、どうして、うぅ……」

 

 酒も飲んでいないのに、飲んだくれのように涙を流しながら卓に突っ伏す武闘家を見ながら、女騎士と魔女の二人はどうしたものかと顔を見合わせた。

 とりあえず魔女は頭を撫でてやるが、「どうしろって言うんですかぁ!」と余計に泣き始めてしまう。

 

「……一年経っても関係は変わらず、か。押しが弱いんじゃあないのか?」

 

「押してますよ!もう恥ずかしくなるくらいに、ぐいぐい行ってます!」

 

「そうかそうか。だがまだ足りていないのだろうよ」

 

「うぅ……」

 

 無慈悲な女騎士の言葉に項垂れる武闘家は、自分の重さで潰れているたわわな果実を見下ろし、ため息を吐いた。

 昔は邪魔だったこれにも、ようやく武器になるかと思ったが、やはりただのお荷物だろうかと考えを改める。

 

「今度、は……」

 

 そんな彼女に、不意に声をかけたのは魔女だ。

 肉感的な肢体を揺らし、エールで唇を濡らすその姿は妖艶で、辺りの男たちからの視線が集まっているように見える。

 彼女もそれに気付いてはいるのだろう。杯片手に優雅に笑いながら、彼女は告げた。

 

「彼と……二人だけで、飲んで、みた……ら……?」

 

「彼と二人だけで?」

 

 魔女の提案に武闘家が首を傾げると、魔女は「そう、よ」と頷いた。

 

「お仕事、抜きで、一党の、仲間として、ではなくて、ね」

 

「……つまり?」

 

「一人の男の人、一人の女の人として、ね……」

 

「……」

 

 彼女の言葉に武闘家は黙り込むと、レモネードの水面に映る自分を見下ろした。

 鏡に映る、もはや見飽きるほどに見続けてきた自分の顔だ。

 彼の瞳には、自分はどう映っているのだろうか。

 彼は、自分をどう思っているのだろうか。

 

 ──彼にとって、私はなんなんだろう?

 

 不意に湧いてきたその疑問は心の片隅に留まり、彼女の脳に刻み込まれる。

 そしてその疑問を解消しようと、考えるよりも速く口と身体が動いた。

 

「わかりました。今度は、彼と飲みに来ます!」

 

「ああ、そうするといい。頑張れよ」

 

「頑張って、ね?」

 

 ぎゅっと拳を握って気合いを入れ直す武闘家の肩を叩き、女騎士と魔女の二人は優しく笑んだ。

 窓から差し込む月明かりは、いつもと変わらない優しさに満ちていた──。

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory11 酒場で会おう

よ、ようやくアサシンクリードヴァルハラのストーリーが終わりました……。
寄り道したり、のんびりやっていたとはいえ、プレイ時間100時間でようやく一周ってヤバいですね。
あと、ファンサービス多過ぎてヤバかったです。


「こ、この後、の、飲みに行きませんか?」

 

 簡単な依頼(ローグハント)を終え、ギルドに戻り気を抜いて早々に、武闘家がそう話を切り出した。

 緊張しているのか声は上擦り、銀色の瞳は慌ただしく左右に泳ぎ、指も胸の前でもじもじと絡み合っている。

 

「……」

 

 そんな彼女の言葉と動作に面食らったのか、ローグハンターは背もたれに寄りかかったまま瞬きを繰り返した。

 飲みに行くといっても、食事は普段から二人で摂っている。今さら誘わなくともこのまま食べるつもりだったのだが。

 

「……何か話があるのか?」

 

 特別なことでもあるのかと無駄に深読みした彼が問うと、「いや、別に何にもないんですけど……」と呟き、にこりと微笑む。

 

「何にもないから、二人で飲みに行きたいんです」

 

 彼女の微笑み混じりの言葉に、その意味を探ろうとしたローグハンターは数瞬黙るが、結局わからずに「わかった」と頷いた。

 

「……で、どこだ。ここか、眠る狐亭か」

 

 そのままローグハンターは言葉を続け、肝心の場所について問いかける。

 この街についてはある程度の知識はあるが、流石に全ての酒場を把握している程ではない。

 とりあえず思い付いた二ヶ所を口に出してはみたものの、武闘家は首を横に振った。

 

「えっと、最近行きつけの酒場があるんです」

 

 ちらりと女騎士や魔女に目を向けながら告げると、ローグハンターは「そうか」と頷いた。

 そう言えば彼女は最近になって女友達と飲みにいく機会が増えた。その中でどこかしらの酒場を利用していたのだろう。

 

「一旦荷物を置いてからにしましょう。私も着替えたいですし」

 

 ポンと手を叩いた彼女は、僅かに返り血や土埃がついた衣装に目を向けて、苦笑混じりにそう告げた。

 ローグハンターもつられて自分の格好を見下ろし、目を細めた。

 黒い衣装は血に汚れて不気味な斑模様が浮かび上がり、腰に下げている剣も敵から奪った粗悪品。

 こんな格好で酒場に行けば、店にも迷惑がかかりかねない。貴族の集まりに参加するわけではないが、身だしなみは大事だ。

 

「報告を済ませたら、宿に荷物を降ろす。そうしたら、案内してくれ」

 

「はい、任せてください!」

 

 彼の言葉に武闘家は胸を叩きながら応じると、「じゃあ、先に戻ってます!」と声を弾ませて駆け出してしまう。

 

「──」

 

 止める間もなく行ってしまった相棒の背中を見送ったローグハンターは独りため息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。

 そのままの足で受付へと向かい、いつもの受付嬢に手早く報告を済ませて踵を返す。

 

「……?」

 

 だが、不意にギルド中央で足を止めると、ゆっくりと辺りを見渡した。

 いるのは様々な冒険者で、そのほとんどが彼の事を気にも止めずに話し込んでいる。

 だがその中でも何人か、片手で事足りる人数だけが彼へと目を向けていた。

 男戦士、森人司祭、獣人魔術師はともかくとして、女騎士と魔女は何故なのだろうか。

 それに何故か、微笑ましいものを見るような視線な事も気になってしまう。

 

「何なんだ、まったく」

 

 居心地悪さからか口調が僅かに荒っぽくなった彼は、彼らの視線から逃れるようにフードを目深く被り、足音もなく歩き出した。

 装備を降ろすにしても、最低限の帯剣しておくべきだろうし、アサシンブレードを外すなんて選択肢はない。

 短筒(ピストル)長筒(エア・ライフル)は、流石に邪魔になるだろうかと思慮し、それよりも大事な問題にいきついた。

 

 ──着替え、か。

 

 いかんせん持っている服はいつもの格好(テンプル騎士の制服)くらいなもので、平服に関してはまともなものがあった記憶はない。

 

「……まあ、適当でいいだろう」

 

 着替えくらい買っておけと過去の自分を嘲りながら、とりあえずある物で間に合わせるしかないとため息を吐いた。

 基本的に同じ格好をしていた人たちに囲まれていた為か、彼の美的感覚というのは酷く可笑しな方向に向いている。

 服なんて着られればいいと本気で思い、大きさがあった服を適当に買うような男なのだ。

 そんな彼に、あと三十分足らずでお洒落をしろなどというのは無茶ぶりにも程がある。

 

「むぅ……」

 

 彼は困り果てた表情のまま小さく唸ると、ギルドの自由扉を押して外へと出た。

 彼の背中を見送った男戦士、森人司祭、獣人魔術師は顔を見合わせて頷きあい、女騎士と魔女はそれぞれの一党に断りを入れてから立ち上がる。

 友人が勇気を出して飲みに誘ったのだ。過保護か、少々捻くれているようにも思われるかもしれないが、これを様子を見に行かない手はない。

 彼女の会話からして、飲みに行くのは親しき友の斧亭だろう。

 流石に尾行をすれば気付かれるだろう。先回りしておいて観察するのが好手か。

 一党こそ違えど、ほとんど同じ事を考えていた五人は揃って歩き出し、ギルドの自由扉の前で鉢合わせた。

 見つめあった彼らは何か通じるものがあったのか、無言で頷きあうとギルドを出た。

 その背を見送った重戦士の一党と槍使いは、訳もわからずに首を傾げるが、まあ悪いことにはならないだろうと任せることにした。

 森人司祭と獣人魔術師はわからないが、男戦士とは共闘をした仲だ。おかしな奴でないことは知っている。

 まあ、酒が入ったらどうなるかまではわからないが、そこは彼らに任せるしかあるまい。

 

 

 

 

 

「♪~♪~♪~」

 

 眠る狐亭の正面にあるちょっとした空き地。

 誰の所有地でもないそこは昼間は子供達の遊び場であり、夜は星を眺めるにはうってつけの場所になる。

 そこにある申し訳程度に設けられた柵に腰をかけ、ぷらぷらと足を降りながら鼻唄を歌っているのは、平服姿の武闘家だ。

 夜風に揺れる銀色の髪は、双子の月の明かりを反射して幻想的に輝き、銀色の瞳には満天の星空が映っている。

 端から見ても上機嫌なことがわかる程に表情が緩んでおり、通りを通っていく通行人たちも、どこか生暖かい目で彼女を見ていた。

 そんな彼女に声をかけようとする輩も多少なりともいるものの、彼女が首から下げている青玉の認識票を見た途端に距離を取る。

 まだまだ駆け出しを卒業したばかりの冒険者だ。酒を飲んだ後に、何をされるかわかったものではない。

 駆け出しの冒険者と晩酌し、そのまま飲み潰された後、有り金全てを持っていかれた話だってあるのだ。

 等級の低い冒険者は、そこらの無頼漢と何ら変わらないのだから。

 だが、そんな空気を物ともせずに彼女に近づいていく人物がいた。

 金色の髪に、整った顔立ち。武器の類いは持っていないが、首から下がる翠玉の認識票からして冒険者だ。

 

「なあなあそこの人、暇なら飲みに行かないか?」

 

 へらへらと笑いながら気安く声をかけてきたその男に、武闘家は怪訝そうな視線を向けるが、男は構わずに彼女の隣に腰掛け、肩に手を置いた。

 

「こんな夜中に一人きりなんて、退屈しているんだろう?」

 

「いや、私は人を待っているだけでして」

 

「えー、いいじゃないか。君を待たせるような奴、ほっときなよ」

 

 男はあくまで自分は紳士的に、穏やかな表情で話しかけていると思っているのだろう。だが彼の視線は武闘家の豊かな胸や、肉付きのいい太腿に注がれており、その眼光も欲望にまみれている。

 その視線に危機感を感じた武闘家は数歩分横にずれるが、男は構わずに距離を詰めて彼女の肩を抱いた。

「ひっ」と小さく悲鳴を漏らして身体を強張らせると、男は耳元で囁いた。

 

「春になったとはいえ夜は冷えるんだから、酒を飲んで、その後も一緒に温めあわないか?」

 

「~っ!!」

 

 耳朶を撫でた男の呼気に背筋を震わせ、声にならない悲鳴をあげた直後だ。

 

「……ひとつ、いいか」

 

 武闘家は聞き慣れた、というよりも待ち望んでいた声に、パッと表情を明るくした。

 だが彼女が何かを言い出す前に、男が舌打ちを漏らしてから告げた。

 

「何かな、僕はこれからこの娘と飲みに行くんだけど?」

 

「悪いが、そいつとは約束がある。他を当たれ」

 

 いつにも増して蒼い瞳に鋭い輝きを放ち、腕を組んでいる姿は相手を圧倒する気迫に満ちていた。

 男を威圧しているのは、勿論ローグハンターだ。白いワイシャツの上から黒い外套を羽織っただけの『臨時の衣装』と言っていい格好だが、腰には油断なく剣を帯びている。

 視線だけで人を殺めてしまいそうな迫力に男はたじろぐものの、首から下がる認識票が青玉──つまり格下であることを確認して不敵に笑んだ。

 

「はっ!青玉か。駆け出しを卒業して、調子に乗らないでくれるかい?」

 

「他を、当たれと、言っている」

 

 そんな男の言葉に怯むどころか、言葉に更に迫力を込めたローグハンターは、ざっと音をたてて一歩を踏み出した。

 蒼い瞳には冷たい輝きが宿り、右手は怒りを堪えるように力の限り握り締められている。

 瞳には殺意が宿ってはいるが、理性が歯止めを欠けているのだ。街中での殺しは後で面倒な事になる。

 だが、男はその姿を自分を奮い立たせているという風に見たのか、再び鼻で笑う。

 

「怖がることはない。さっさと諦めたまえよっ!」

 

 同時に拳を振るった瞬間、ローグハンターと武闘家は同時に目を見開いた。

 相手の事を舐め腐り、軽く振るっただけの拳だ。

 だが、それを抜きにしても──。

 

 ──遅いな(遅くない?)

 

 ローグハンターは迫る拳を軽く受け止め、予想以上の軽さに数度瞬きして驚くと、ちらりと男に目を向けた。

 男は驚愕に目を見開き、ぱくぱくと口だけが動いて声が出ていない。

 とりあえず、彼の口から言えることは一つ。

 

「先に手を出したのはお前だ」

 

 彼はそう告げながら受け止めた拳を力任せに握ると、みしみしと骨が軋む音が微かに漏れる。

 

「いぃ!?ちょ、ちょっと待て!?」

 

 空いている手を振って制止せんとするが、今のローグハンターは酷く機嫌が悪い。

 

「警告はした。無視したのは、お前だ……っ!」

 

 隠す気もない怒気を込めて吼えた瞬間、彼の拳が放たれる。

 先程のローグハンターを真似て、男も拳を受け止めようとするが、彼の拳は速く、重い。

 男が防御を固める前にローグハンターの拳が男の顔面に突き刺さり、快音を響かせて身体を吹き飛ばした。

 空き地のほぼ中央にまで飛ばされた男は、数度転がることで空き地の中央までたどり着き、白眼を向いて気を失った。

 ふんと鼻を鳴らして拳を鳴らしたローグハンターは、柵に腰掛けたまま困惑の表情を浮かべる武闘家に目を向けた。

 

「怪我はないな」

 

「あ、はい。大丈夫です……」

 

 いつもの淡々とした声音での問いかけに頷くと、ローグハンターは僅かに表情を緩めて安堵の息を吐く。

 

「それで、飲みに行くんだろう?」

 

 空き地の中央で伸びている男に一瞥くれると、辺りを見渡しながらそう問いかけ、「あっちか?」と通りの向こうを指差しながら首を傾げた。

 先程までの凛々しさと怖さはどこに行ったのか、見た目の割に子供っぽい動作に思わず噴き出した武闘家は、口許を隠しながら鈴を転がしたように笑った。

 ローグハンターは「むっ」と不満そうに声を漏らすが、彼女が大丈夫ならそれでいいかと、すぐにいつもの無表情に戻る。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

 笑顔をそのままにひょいと柵から飛び降りた彼女は、彼を先導して歩き出す。

 ローグハンターは何も言わずに彼女の後ろを付いていき、目の前で尻尾のように揺れる彼女の髪で目で追った。

 月明かりを反射する銀色の髪は、いつもと変わらない美しさを宿し、彼の視界に彩りを加える。

 だがローグハンターは何も思うことはなく、ただ彼女の後ろを付いて歩く。

 ただ普段とは逆の状況と、誰かの後ろにただ付いていくという懐かしい状況に、ほんの僅かに頬を緩めた。

 前を歩く武闘家が、それに気付くことはなかったが──。

 

 

 

 

 

 親しき友の斧亭。

 常日頃から活気に満ちているその酒場は、今日も例外なく客で一杯となっていた。

 そんな酒場の一角、数人がけの円卓を囲む形で居座る五人の冒険者は、ようやく入ってきた目的の人物にさりげなく目を向けた。

 いつもよりは楽そうな格好をしたローグハンターと、籠手や脚絆もつけていない武闘家。

 雰囲気こそいつもの通りだが、格好は冒険者らしくないものだ。

 まあ油断なく帯剣している辺り、そこまで気を抜いている訳ではないようだが。

 

「あんな……格好も……するんだな……」

 

 二人に気付かれないように気をつけながら、男戦士は気だるそうにぼやいた。

 何も飲まずに長居するのも目立つだろうからと、待っている間に酒を入れたのだが、おかげで頭は痛いし視界が揺れる。

「飲みすぎですよ……」と苦言を呈する獣人魔術師を横目に、森人司祭は魔女の晩酌で鼻の下を伸ばしていた。

 麦酒片手に肉を頬張っていた女騎士は酒精混じりのため息を吐くと、「気を引き締めろ」と仲間たちに告げた。

 親しき友人、可愛い後輩の恋路だ。ここまで付き合ったのなら、最後まで見守ってやらねば。

 

「盗み聞きは任せたぞ」

 

「任せたまえよ。森人の聴力を舐めるな」

 

 彼女の言葉に表情を引き締めた森人司祭は、長耳を揺らしながら得意気に頷くと、魔女が「任せた、わ」と彼の肩を細指で撫でた。

 ただそれだけなのだが、魔女の色香から放たれるそれは男の戦意を限りなく高めるものだ。

「おう!」と覇気の込もった返事をした同時に、ローグハンターと武闘家の席に料理が出始めた。

 

 

 

 

 

「ということで、乾杯です!」

 

「ああ、乾杯」

 

 武闘家が差し出した杯に自分の杯をぶつけたローグハンターは、揺れるエールの水面に映る自分に一瞥くれて、一気に呷った。

 隣の武闘家は何故かレモネードを飲んでいるが、楽しく飲めるならそれでいいだろう。

 

「それで、話とはなんだ」

 

 一杯程度なら問題なく、しっかりとした口調で問いかけたが、肝心の武闘家は「まあまあ、飲みましょう」と次のエールが卓の上に並ぶ。

 

「……」

 

 無言でそれを見つめたローグハンターはとりあえずそれを一口呷り、小さく唸った。

 やはり酒は苦手だ。飲む度に気分は良くなっていくが、頭が重く、身体が怠くなっていく。

 二杯目を飲み干した頃には身体が左右に揺れ始め、いつもは鋭い蒼い瞳も、だんだんと虚ろになっていく。

 そろそろいいかなと判断した武闘家は、椅子をずらして肩が触れあうほどに距離を詰めると、卓の上にあった彼の手を握った。

「む?」と声を漏らして彼女の顔に目を向けると、武闘家は僅かに不安そうな表情になり、「えっと……」と言葉を詰まらせた。

 ここまで来たのはいいが、やはり一歩を踏み出すのは難しいことだ。

 

「あの、その、もう一杯どうぞ」

 

 とりあえず沈黙は不味いと彼にエールを差し出すと、彼は無言でそれを呷った。

 都合三杯目だが、既に目が据わり始めた彼にとってはもう何杯飲もうと違いはあるまい。

 

「……で、話はなんだ」

 

 それでも辛うじて意識はあるようで、ローグハンターは再び問うた。

 その問いかけに武闘家は身体を強張らせて口を紡ぐが、ここまで来て逃げるわけにはと自分を奮い立たせる。

 

「あの、あなたは──」

 

「見つけたぞッ!」

 

 勇気を振り絞って武闘家が口を開いた瞬間、バン!と凄まじい音をたてて酒場の自由扉が蹴り開けられた。

 周囲の客の視線が一斉に集まる中で登場したのは、金色の髪をした男。

 鼻の辺りに布を当てて、額に青筋を浮かべた鬼の形相。

 誰かを追いかけてここまで来たのは、何もわからない部外者でもわかる。

 見覚えがあるどころか、つい先程会ったばかりのナンパ男の出現に「あっ」と声を漏らした武闘家を他所に、ほろ酔い状態のローグハンターは気だるそうに唸った。

 それでも二人を見つめた男は、ずかずかと大股で二人に詰め寄ると、

 

「ふん!」

 

 怒りのままにローグハンターの顔面に拳を打ち付けた。

 ゴッと鈍い音が辺りに響き、喧嘩に慣れない旅行客たちの口から悲鳴があがり、武闘家は唖然として固まり、冒険者たちからは侮蔑の視線が集まっていく。

 なぜ気持ちよく酒を飲んでいる所で、下らない喧嘩を見なければいけないのだ。

 冒険者ギルドでならともかく、ここは街の人々も利用する酒場だ。冒険者の品位が疑われてしまう。

 ありゃ、後で監督官交えての査問会だな。なんて他人事のように思っていると、問題の男が声を張り上げた。

 

「僕の邪魔をした挙げ句、顔に傷をつけた。これは当然の報いだ!」

 

 まるで自分は正しいことをしたと言わんばかりの言葉に、冒険者たちは面倒臭そうにため息を吐いた。

 同時にそう言えば、他の街から流れてきた問題児がいるとかなんとかと噂になっていた気がすると思い出し、あいつの事かと再び視線が集まる。

 

「む。あいつ、私にも声をかけてきたぞ」

 

「私、にも、ね」

 

「……手癖の悪い奴だな」

 

 酒場の端では女騎士、魔女、男戦士がその男に対して何やら言っていると、件の男がローグハンターの胸ぐらを掴み、無理やり立ち上がらせた。

 顔面にもろに拳をもらった為か口許の傷痕が開き、本来の痛痒(ダメージ)以上に血が出てしまい、酒場の卓と床に赤い染みが残る。

 

「キミよりも僕の方が優れている!キミよりも、僕の方が彼女に相応しい!それがわからないのかい!?」

 

「──」

 

「何か言いたまえよ。ごめんなさいと、申し訳ないと、彼女はあなたにこそ相応しいと、さあ!」

 

 酩酊状態の男を不意打ちで殴っておきながらの物言いに、ようやく復活した武闘家が掴みかからんとするが、もごもごとローグハンターの口が動いた。

 

「……お前がこいつに相応しい?笑わせる」

 

 くつくつと低く喉を鳴らすように嗤ったローグハンターは、蒼い瞳に絶対零度の殺意を込めながら、胸ぐらを掴む男の手首を掴み返す。

 

「俺の知る誰よりも優しく、頑張り屋で、覚悟を決めたら俺なんかよりも強いこいつが、俺なんかにいつも笑いかけてくれるこいつが、お前に相応しい訳がないだろうが……っ!」

 

 この一年で鮮明に甦る程に身近になった武闘家の姿を思い浮かべながら、ローグハンターは怒りで表情を歪め、両手に力を入れた。

 みしみしと骨が軋み、怒りに染まっていた男の表情が痛みに歪み始める。

 突然誉めちぎられた武闘家が、赤面しながら顔を背けた瞬間、凄まじい快音が酒場に響き渡り、自由扉からは軋むような悲鳴が漏れた。

 

『──』

 

 あれだけ騒がしかった酒場が静まり返り、通りを歩いていた人たちでさえ足を止める。

 酒場の端には拳を振り抜いた体勢のローグハンターがおり、酒場の外──自由扉の向こう側には、身体を海老のように逸らせたまま地面に接吻している男の姿があった。

 ゆっくりと構えを解き、拳を鳴らしながら元の席に腰を降ろしたローグハンターは、気だるそうにため息を吐く。

 

「……先に手を出したのはお前だ。反撃に備えておけよ、素人(ヌーブ)が」

 

 直後、酒場は歓声に包まれた。

 端から見れば、しつこく付きまとわれている恋人(・・)を、その鉄拳でもって救った彼氏(・・)のように見えるだろう。

 事実、歓声の何割からは二人を煽るような言葉であるし、誰かが盛り上げようとひゅうひゅうと指笛を吹いている始末。

 

「酔いが醒めたな、くそ……」

 

 痛みで酔いが覚醒めたローグハンターは、舌打ち混じりに口許の血を拭い始めるが、隣の武闘家は冷静にいられる訳もなく、回りからの視線から逃れるように杯を呷った。

 それがローグハンターに飲ませる(の口を軽くする)用のエールだったことが、ここから始まる悲劇──と言うよりかは喜劇の始まりだった。

 

 

 




思いの外伸びてしまったので、今回はここまでです。

感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory12 酔いどれ冒険者





 武闘家の口から「ひっく」と可愛いらしいしゃっくりが漏れたかと思えば、とろんと蕩けた瞳にローグハンターを映し、ふにゃりと力の抜けた笑顔を向けた。

 

「……どうした」

 

「なーんでも、なーいですっ!」

 

 痛みで酔いが醒めたローグハンターと逆に、一杯どころか一口で酔いが回った武闘家は、もたれかかるように彼に抱きつき、豊かな胸を押し付ける。

 

「すごーく、かっこよかったですよ~」

 

 そのままご機嫌に声を跳ねさせながら言うと、何を思ってか彼の頭を撫で始めた。

 

「っ。……」

 

 突然の行動に身体を強張らせたのも束の間、その優しげな手つきと気持ち良さに、僅かに力を抜く。

 思えば、頭を撫でられるなどいつぶりだろうか……。

 

「あれ~?どうしたんですか~?」

 

 そうやってされるがままになっている彼に、武闘家は浮かべた笑顔をそのままにそう問いかけた。

「いや、何でもない」と首を振ると、先の男のせいで放置していた飲みかけのエールに手を伸ばすが、それよりも速く動いた武闘家に奪われる。

 それをぐびぐびと喉を鳴らして呷った武闘家は「ふへぇ」と酒臭い息を吐き、彼の腕を抱き締めた。

 豊かな胸の谷間に彼の腕を挟み込み、逃げられないように足を絡める。

 

「わたし、うれしかったれす。あんなふうに、わらしのことをおもっへくれてるなんへ」

 

 ふひひとだらしのない笑みを浮かべる彼女を他所に、ローグハンターはとりあえず現状を把握しようと思考を巡らせていた。

 彼女に抱きつかれているうえ、足を絡まれている都合上、身動きが取れない。

 ついでに彼女も酷いが、自分とて多少は酔っている。戦闘行動はしにくいだろう。

 

「どーしたんれすか?もっと、のみまひょう!」

 

 そう言ってエールを進めてくる武闘家だが、ローグハンターはそれを断った。

 このまま二人して酔い潰れてたら、後でどうなるかわからない。見ず知らずの誰かに財布を持っていかれるかもしれないし、それよりも酷い目に合うこともあるだろう。

 それを避けるためには、彼女がこうなってしまった以上、自分だけは抑えなければならないのだ。

 

「のまらいなら、わたしがもらっちゃいましゅ!すいませーん、おかわりくらはーい!」

 

 通りかかった女給を呼び止め、元気溌剌におかわりを注文した彼女は、ふへへと楽しそうに笑いながら彼の手を握った。

 お互いの体温を深く感じられるように指を絡み合わせ、彼の武骨な指を優しく撫でる。

 武器を握り続けた彼の手は固いが、感じる体温はいつもとは変わらない。

 

「ふひひ……」

 

 彼の手を握りしめながら笑う彼女は、空いている片手でエールを呷り、酒精混じりの吐息で彼の耳朶を揺らした。

 

「っ!?」

 

 突然のくすぐったさに肩を跳ねさせた彼は、弾かれたように彼女に顔を向けた。

 僅かに目を見開いて狼狽えている様は、滅多なことでは見られないものだ。

 それで余計にご機嫌になった武闘家は、笑顔をそのままに彼の腕を抱き締めて、豊かな胸を押し付ける。

 

「ふへへ。ろーれすかぁ?きもちーれすかぁ?」

 

 ねえねえと問いながら身体を密着させ、今度は彼の肩に頬擦りを始めた。

 頬を擦りつける都合上、それに合わせて身体が揺れる訳だが、その度に豊かな胸が形を歪めて彼の腕を包むこむ。

 料理に手を伸ばしたまま固まったローグハンターは、小さく息を吐いてどうしたものかと思考を巡らせる。

 腕を包む柔らかさは今までに感じた何よりも柔らかく、温かく、頬が勝手に緩みそうになる。

 そうやって不自然に無言を貫いていた為か、武闘家は彼に抱きついたまま耳元で問いかけた。

 

「……きいてましゅ?ねーねー、きいてましゅか~?」

 

 ぺちぺちと頬を叩きながら笑う彼女を横目に、ローグハンターは故郷で酔っ払った上司たちに絡まれた時を思い出し、再びため息を吐いた。

 流石にここまで酷くはなかったが、絡み酒というのはやられる側は大変な迷惑だ。

 やった側は大概覚えていないのだから、余計にたちが悪い。

 

「少し離れろ」

 

「やれす!」

 

 言葉に僅かな怒気を込めて、いまだに頬擦りしてくる武闘家を押し返すが、彼女は自棄を起こしたように彼に抱きつく力を強め、余計に密着してしまう。

 声には出さずに低く唸ったローグハンターは諦めたように肩を竦め、空いている手で料理をつつき始める。

 

「……」

 

 料理を口に含み、咀嚼し、飲みこむ度に上下する喉仏を無言で見つめていた武闘家は、「ん~」とねだる子供のように彼の肩に額を押し付け始めた。

 何事だと目を向けてみれば、物欲しそうな表情で卓に並ぶ料理を見つめており、口の端からは涎が垂れている。

 

「……なんだ」

 

「あー」

 

 ローグハンターの問いかけに、武闘家は間抜けに大口を開けることで応じた。

 無言で彼女の口内を見つめたローグハンターは、疑問符を浮かべて首を傾げた。

 

「あーっ!」

 

 すると余計に顎が外れそうな程に大口を開けて、何かを待ちわびるようにしてその姿勢を保つ。

 綺麗な歯並びや、健康的で血色のいい舌など、普段なら見られないような場所までをさらけ出しているのは、ある意味で信頼してくれているのかと嬉しくはなるのだが──。

 

「何をして欲しいんだ……?」

 

 訳もわからないローグハンターは明確な答えを期待して問いかけるが、武闘家は「あーっ!!」と声を出すことで応じた。

 何をどうして欲しいのか皆目見当もつかないローグハンターは、額に薄く青筋を浮かべた。

 普段なら気にしない彼女の間の抜けた表情に、今ばかりは多少なりとも苛立ち、この際指でも突っ込んでやろうかと、的外れなことを思い始める。

 だがそれはいけないと自制し、何かしらの答えかヒントを求めて酒場を見渡した。

 しかしこの珍妙な状況が他にも繰り広げられている訳もなく、そんな簡単にヒントが転がっている訳が──、

 

「は、い。あーん」

 

「て、照れ臭いな、こ、これは……」

 

 あった。あってしまった。

 酒場の端で見覚えのある冒険者二人(魔女と男戦士)が、男女逆とはいえ自分と似たような状況になっている事に気付いたのだ。

 二人がどんな関係なのかはどうでもいいとして、とりあえずあれをやれば良いのかと適当な肉料理にフォークを突き刺した。

 それをゆっくりと武闘家の方へと持っていき、大きく開かれた口へと押し込んだ。

 ぱくりと一口でそれを頬張った武闘家は、じっくりと味わうゆっくりと咀嚼しながら愉快そうに目を細める。

 

「……美味いか」

 

「おいひーれふ!」

 

 ローグハンターの問いに武闘家は満面の笑みを浮かべて答えると、「そうか」とふっと口許に微笑を浮かべながら頷いた。

 ここまで来てしまえば、それこそあの村で別れた妹と変わらない。そう思えば可愛いものではないか。

 その思いのまま彼女の頭を撫でてやれば、武闘家は一瞬驚いたように目を見開くが、すぐに「ん~♪」とご機嫌な声を漏らした。

 そしてごくんと喉を鳴らして嚥下(えんか)した武闘家は、再び「あー」と声を出しながら大口を開ける。

 やることさえわかれば後は容易い。ローグハンターは適当に残っている料理をフォークで突き刺し、それを武闘家に食べさせていく。

 勿論途中で自分も食事に手を伸ばすのだが、とても大事な事には気付いていまい。

 先程から、()()()()()()()使()()()()()()()

 

「……」

 

 それに気付いたのだろうか、据わった瞳でフォークの動きを追った武闘家は、再び大口を開けた。

「ん」と僅かに声を漏らしながら差し出された肉塊にかじりつき、はむはむと咀嚼を繰り返す。

 そして頃合いを見たローグハンターがフォークを引き抜こうとした瞬間、武闘家はぴたりと口を閉じた。

 

「……おい」

 

 先程同様に引き抜こうとしたローグハンターは思わぬ抵抗に声を出すが、力任せに引き抜くことはしない。

 下手に引き抜いて口の中に傷を付けようものなら、彼女の食事に支障をきたしてしまう。

 食事とは大切なものだ。その日の生きる活力を得ることができるし、その日に使った体力を回復することもできる。

 そんな彼の気遣いに便乗した武闘家の口内では、世話しなく動く舌でフォークを舐めており、肉の残り香と彼との間接キスを堪能していた。

 片やフォークを握ったまま、じっと武闘家を見つめ、片やフォークを咥えたまま、じっとローグハンターを見つめる。

 夜空を思わせる蒼い瞳と、星を思わせる銀の瞳が不思議と交錯し、お互いにぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 その様が可笑しくて、武闘家はフォークを咥えたまま笑みをこぼすと、つられてローグハンターも苦笑を漏らした。

 だいぶ醒めているとはいえ、まだ微かに酔ってはいるのだ。普段なら見せないような表情になってしまうのも、仕方があるまい。

 

「とりあえず、離せ」

 

「んぁ~」

 

 そして二度目の声かけに応じた武闘家が口を開けると、半透明の糸がフォークと彼女の舌先を繋ぎ、極細の橋をかける。

 それも一瞬のことで、すぐに自分の分を取ろうとフォークを振ればプツリと切れた。

 金属だからとはいえ、酒場の照明の明かりで異様にテカるフォークを見つめたローグハンターは、さして気にした様子もなくそのフォークで料理をつつく。

 

「ふひひ……」

 

 そのまま料理を頬張ると、隣の武闘家は何やら愉しそうに妖しげな笑みを浮かべ、エールを呷った。

 けぷと酒臭いげっぷを漏らすと、ローグハンターが気にした様子もないのに誤魔化す為に満面の笑みを浮かべる。

 

「もっと~、キミも~、のもうよ~」

 

 彼の身体に寄りかかり、ぷにぷにと頬をつつきながら、だいぶ砕けた口調でそう告げた。

「駄目だ」と鋭い声で返すが、彼女の指を止めることはなく、好き勝手に彼女につつかれているのだが、その力がだんだんと弱くなっていく事に気付く。

 

「どうした」

 

 顔を動かして変な位置に指が突き刺さる事を危惧してか、瞳だけで彼女の方に目を向けながら問うた。

 だが返事はなく、指も止まったので顔ごとそちらに向いてみれば、

 

「すぅ……くぅ……ふにゃ……っ」

 

 武闘家が自分に寄りかかったまま、柔らかな笑みを浮かべながら寝息をたてており、どうやら酔い潰れたようだった。

 

「……」

 

 突然眠りに落ちた彼女に驚きながらも、何だかんだで全ての料理を平らげた事実に小さくため息を漏らし、通りすがりの女給を呼び止めて勘定を頼んだ。

 

「……結局、何の話がしたかったんだ?」

 

 金貨や銀貨を混ぜ合わせ、料金ぴったりを払った彼は、優しく武闘家の髪を撫でながら問いかけた。

 だが答えが返ってくることはなく、ふひひと楽しげな笑みを浮かべるだけだった。

 

 

 

 

 

 酔い潰れた武闘家を背負い、店を後にしたローグハンターの背を見送った男戦士を中心とした面々は、顔を見合わせながら唸った。

 

「あ、あれは、どうなんだ……?」

 

「ただ酒癖の悪さが露呈しただけかと……」

 

「むぅ。あれで嫌われなければいいが……」

 

 男戦士、獣人魔術師、森人司祭が厳しい意見を漏らす中で、魔女と女騎士はどことなく嬉しそうな表情だ。

 

「で、も。彼の、本音は、聞けた、わ、ね……?」

 

「ああ、そこだけは素面のまま聞いたからな。とりあえず目的は果たしただろう」

 

 腕を組みながらうんうんと頷く女騎士を他所に、男三人の表情は少々曇っている。

 あそこまで見事に乱れられた挙げ句、散々絡まれたとなれば、多少距離を取られても仕方がない気もするが。

 

「大、丈夫、よ」

 

 そんな彼らに向けて、煙管を吹かした魔女がそう告げた。

 

「彼、だって、笑ってた、わ」

 

 先の二人のやり取りを思い出しながら微笑み、魔女は三角帽子を手に取った。

「もう行くのか?」と女騎士が問えば、「ええ」とゆらりと頷いた。

 

「明日、も、冒険(デート)、なの」

 

「そうか。気を付けろよ」

 

「そっちも……ね?」

 

 ひらひらと手を振りながらその場を後にすると、男戦士はため息混じりに背もたれに寄りかかった。

 二人を援護するためとはいえ、彼女に晩酌してもらうというのは中々にいい夜ではなかろうか。

 

「俺たちも、帰るか……」

 

 そのままぼそりと呟くと、森人司祭と獣人魔術師の二人は頷き、女騎士は驚愕の表情を浮かべた。

 

「もう解散か!?」

 

「俺たちも仕事なんだよ」

 

 彼女の反応に額に手を当てながら嘆息すると、女騎士は「むぅ」と不満そうに唇を尖らせる。

 

「また今度。次はそちらの一党と卓を囲みましょう」

 

 すかさず獣人魔術師がフォローを入れると、女騎士は「それなら、いい」ととりあえず納得の言葉を口にして最後の一杯を呷った。

 

「では、これにて解散だ!」

 

 だん!と空になった杯を卓に叩きつけると、声を張り上げた。

 なんだなんだと辺りの視線が集まるが、まあいいかとすぐに散っていく。

 何だかいつも以上に騒がしかった親しき友の斧亭も、少しずついつもの喧騒へと戻り始める。

 外で海老ぞりで気絶している冒険者は、いまだに放置されたままだったが──。

 

 

 

 

 

 所変わり、眠る狐亭。

 酔い潰れた武闘家を背負ったまま、どうにか自室まで戻ってきたローグハンターは、彼女をベッドに寝かしつけるとホッと息を吐いた。

 行きと酒場では面倒に巻き込まれたが、帰りは何とも静かなものだった。

 まあ、皆が寝静まっているからと言われればそうなのだが、平和であればなんでもいい。

 酒を飲んだからか僅かに残る倦怠感にため息を吐き、さっさと着替えようと外套を脱ぎ捨てると、

 

「んぁ?」

 

 何を合図にしてか武闘家が目を覚まし、身体を起こした。

 数度瞬きすると蕩けた瞳で辺りを見渡し、ワイシャツ姿のローグハンターを発見してへにゃりと力の抜けた笑みを浮かべた。

 そして何をして欲しいのか彼に向けて両手を伸ばし、無言で彼を見つめている。

 

「……」

 

 無言の訴えというのは理解するのが酷く難しいもので、ローグハンターは彼女の要求を理解しようと頭を捻る。

 部屋にいるのだからまた運んで欲しいわけではあるまいとか、もっと酒が飲みたいというわけではあるまいとか、的外れな事が浮かんでは消える。

 

「わたしも……きがえましゅ……っ!」

 

 無言で困っていたローグハンターに向けて、武闘家はそう告げた。

「そうか」と頷いたローグハンターは、彼女に気を遣って背を向けるが、「こっちむいてくらは~い」と言われ、ため息混じりに振り向いた。

 変わらず両手を伸ばす彼女を視界に納め、「どうかしたのか」と問うた。

 

「てつらってくらはいっ!」

 

「……一人で出来るだろう」

 

「できないんれすー!!」

 

 愚図る子供のように手足をじたばたと振り回す彼女の姿に、思わず妹の姿を重ねたローグハンターは額に手をやった。

「はやく~、はやく~」と急かしてくる武闘家に多少苛立ちつつ、彼女の前に跪いた。

 

「ほら、手を挙げろ」

 

「ばんざーい!」

 

 彼の言葉に素直に両手を挙げると、ローグハンターはそっと彼女の上着の裾に手をかけた。

 彼女の身体に触れないように気を付けながら服をめくり上げ、柔らかそうな腹筋や、豊かな胸を通過して、伸ばされた両手を通して脱がしてやる。

 そのまま彼女の脇に丁寧に畳んでやってから置くと、次はズボンに目を向けた。

 

「……そっちは自分でやってくれ」

 

「いいらないれすか!まえにも、ぬがしてまひたよね?」

 

「あの時は緊急事態だったからだ」

 

「いいらないれすか!てがぷるぷるするんれす!」

 

 どうにか食い下がろうとするローグハンターに、武闘家は小刻みに震える手を見せながら告げて、「ぬがしてくらはい!」とぱたぱたと足を振った。

 ついに諦めたのか、ローグハンターは盛大にため息を吐き、ズボンの留め具を外しにかかる。

 無心で何かをすることには慣れているし、彼女も気にはしないだろうと自分に言い聞かせ、黙々と彼女のズボンを脱がしていく。

 安産型の尻を通りすぎて、太腿を通過。そのまま彼女に触れないように気をかけながら、ゆっくりと脱がす。

 静かな室内に発せられるのは、布擦れの音と彼女の息遣い。

 謎の緊張に襲われながらズボンを脱がせたローグハンターは、下着姿になった武闘家を見ないようにしつつ、ズボンを丁寧に畳んでいく。

 

「で、着替えは──」

 

 そして春先とはいえ、下着姿のまま放置はいけないだろうと気を遣い、彼女の寝巻きを探そうとした時だ。

 突如として胸ぐらを掴まれて、ベッドに引き倒された。

 

「っ!?」

 

 ローグハンターが突然の事態に目を剥いた瞬間、彼の身体はベッドに叩きつけられ、武闘家がすぐさま馬乗りになる。

 潤んだ瞳に、火照ったように赤らんだ頬。口からははあはあと熱のこもった吐息が漏れ、白い肌も僅かに上気しているように見える。

 

「ど、どうした……」

 

 ベッドの上という都合上、投げられた事に対する痛痒(ダメージ)はないのだが、この状況は初めてなのだ。狼狽えるのも仕方がないというもの。

 髪紐を解いていつも結んでいる髪を下ろす、酷く不安そうな表情になりながら彼へと問うた。

 

「わらしって、しょんなにみりょくないれすか……?」

 

「……?」

 

 突然の問いに首を傾げるローグハンターを見下ろしながら、武闘家は目元に涙を溜めながら告げた。

 

「まじょしゃんみたいにおとなじゃないれすし、きししゃんみたいにつよくないれすし……」

 

「お、おい、どうした」

 

「でも、あなたといっしょにいられて、まいにちたいへんれすけど、とってもたのしいんれす!」

 

「そ、そうか。それは、良かった」

 

 普段ならしてこないような感情の吐露に困惑するローグハンターだが、武闘家は両目から大粒の涙を流し始めた。

 

「でも、でも……っ!」

 

 ぽつぽつと流れ落ちる涙が彼の胸板へと落ち、それを目で追ったローグハンターはそれを拭ってやろうと手を伸ばす。

 だが逆に武闘家が彼の手を取り、自分の胸へと触れさせた。

 

「っ!??」

 

 手のひらに感じる柔らかさと、どくどくと喧しい心臓の鼓動に目を見開くローグハンターを他所に、武闘家は彼に告げる。

 

「まいにち、まーいにち、つらいんれふ!くるしいんれす!わかりましゅか、こーんなにどきどているんれす!」

 

「ああ、そうみたいだな……」

 

 もはや訳もわかない状況に困惑するローグハンターに、いつの間にか涙が止まった武闘家が今度は怒りの表情を浮かべながら告げた。

 

「わかりましゅか?!わかりましぇんよね!?わたしは、わたしは──……」

 

 そして何かを言おうとした瞬間に、ぱたりと彼の身体に倒れた。

 仕方がないとはいえ、彼女の頭突きをくらったローグハンターは「う゛」と低く呻くが、そんな事はどうでもいいと武闘家の様子を伺った。

 どうやら再び寝てしまったようで、規則正しく呼吸を繰り返している。

 

「……」

 

 結局何が言いたかったのかを考えるが、やはり彼女にしかわからないものだ。

 とりあえず自分のベッドに戻ろうと身動ぎした瞬間、武闘家が彼の腰に手を回して抱きつき、ぎゅっと抱き締めた。

 

「だいしゅき。だいしゅきなんれす……」

 

 ぼそりと呟かれた寝言にローグハンターはびくりと肩を跳ねさせると、再び彼女の様子を伺った。

 相変わらず穏やかな寝息をたてており、やはり寝言のようではあるが……。

 

「──」

 

 ローグハンターはただ無言で彼女の髪を撫でてやり、天井へと目を向けた。

 いつもと変わらない、もはや見慣れた天井ではあるが、慣れないのは身体に乗っている彼女の重さと温もりだ。

 

『彼女のことを、どう思う!』

 

『常日頃から共にいるのだ。何とも思わないのか?』

 

『彼女を異性とした見ていないのか?彼女に惚れていないのか?──と、彼は聞いたのですよ』

 

 いつかに友人たちから言われた言葉を思い出し、ローグハンターは低く唸りながら額に手をやった。

 

 ──誰かを愛することも、誰かに愛されることも、よくわからない……。

 

「俺は、どうすればいいんだ……?」

 

 不安に苛まれた、酷く弱々しい声音で、彼は記憶の中にいる恩人たちに問いかけた。

 頼れる先人たちも、今の自分を作ってくれた恩人たちも、誰一人として答えを示してはくれず、曖昧な表情を浮かべるのみだ。

 当たり前だ。自分は戦い方しか教わっていないのだから。

 当たり前だ。自分は戦いにしか興味がなかったのだから。

 

「どうすればいいんだ……」

 

 彼の呟きは誰にも届かず、誰からの返事もない。

 この答えは自分一人で考える他なく、他人から貰えるのは答えではなく助言のみ。

 ただそれすらもわからない青年にとって、この問題は解くにはあまりに難しく、道のりはあまりに長い。

 

 ──彼女が自分に向けている想い(■■)を理解し、自分が彼女に向けている想い(■■)を理解し、お互いの想いを共有しなければならない。

 

 答えにたどり着けるのか、たどり着いたところでどうするのか、考えるべきことは多いが。

 

「……」

 

 とりあえず下着姿の武闘家に自分の外套を毛布代わりにかけてやり、その体勢のまま眠ることにした。

 別に砦での一件でも密着して寝たのだ、今さら一晩寝ることなぞ何だというのだ。

 

 

 

 

 

 チュンチュンと小鳥のさえずる声を耳にして、武闘家は目を覚ました。

 欠伸を噛み殺しながら身体を起こして、肩に羽織っていた上着に袖を通すが──。

 

「……おっきい」

 

 大きさが合わずに、袖から腕が出ない結果となった。

 そもそも肩幅も合っておらず、一回りも二回りも大きい代物だ。

 

「……起きたなら、退いてくれ」

 

「……?うぇ!?」

 

 手を振り回して具合を確かめていると、不意に下から声がかけられ、慌てて顔を下げた武闘家の目に飛び込んできたのは、

 

「……だ、大丈夫ですか?」

 

「ああ。問題ない」

 

 目の下を真っ黒な隈で覆ったローグハンターがそこにいた。

 一睡も出来なかったのか、一周回って目が冴えており、蒼い瞳は異常なまでの迫力に満ちている。

 

「あの、何か、ありました……?」

 

 彼の様子と、自分が下着姿なことに不安を抱いた武闘家が問うと「何も、なかった」と掠れた声で返された。

 

「えっと……?」

 

 とりあえず昨晩の事を思い出そうと頭を捻るが、あの冒険者に絡まれた直後から記憶が欠けており、何一つとして思い出せない。

 

「とりあえず、退いてくれ」

 

「ああ、はい。ごめんなさい」

 

 何とも嫌な形ではあるが、また新しい一日が始まったのだ。

 

「今日もよろしくお願いします!」

 

「よろしく頼む。だから退いてくれ」

 

 武闘家はにこやかに笑いながら告げると、ローグハンターは酷くくたびれた様子で頷いた。

 彼が愛させることを、愛することを知るのは、もうしばらく経ってから。

 それまではいつも通り、どこにでもいる、悩める冒険者(男女)の物語だ──。

 

 

 

 




ギリギリになってしまいましたが、今年ラストの投稿です。
来年は今年以上に不定期な投稿になると思いますが、よろしくお願いします。

感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory13 それは鎧か否か

遅れながら、明けましておめでとうございます。
不定期な更新になると思いますが、完結を目指して頑張ります。
今年もよろしくお願いします。


 バン!と空に響く炸裂音と、吹き上がる硝煙。

 場所はギルド裏の簡易演習場。いるのは陽射しを嫌ってフードを目深く被っているローグハンターだ。

 風穴の空いた的を眺めたローグハンターは、手にしている短筒(ピストル)をジャグリングくるりと回し、ふむと頷いた。

 整備明けの一発目。無事に的に当たったのは喜ばしいことだ。

 自分は戦士(ファイター)であって、整備士(スミス)ではない。一応の手順は覚えているが、やはり本職の足元には及ぶまい。

 かといって整備もせずに酷使し続け、いざという時に暴発して指を失うなど、それこそ末代までの笑い話だ。

 硝煙立ち上る銃口に棒を突っ込んで煤を取り除き、火の秘薬(火薬)と弾丸を詰め込み、撃鉄を起こし、構え、引鉄を引いて発砲。

 反動で弾き上がる腕をそのままに、蒼い瞳が向いているのは的だ。

 弾丸は頭に見立てた位置を穿ち、後ろの壁に小さな傷をつけた。

 いつかの武闘家との組み手後の説教を気にしてか、しまったと眉を寄せるが、まあ誰も気にしないかと開き直る。

 現に自分の回りには誰もいないのだ。誰にも知られていなければ、それはやっていないのとほぼ同義。

 極論バレなければいいのだ。故郷でもその理論で、先生たちと暴れまわった記憶もある。

 あの頃はそうしなければならない状況だったが、今はそうなのだろうかと自問して、どうでもいいかとすぐにぶん投げる。

 そして短筒をホルスターに押し込み、利き手とは逆の手でもう一挺を取り出して構え、狙いを定める。

 いつも行っているその動作に一切の淀みはなく、最低限の動作で射撃体勢に入った彼は、素早く引鉄を引いて発砲。

 放たれた弾丸は真っ直ぐに的に当たるかと思いきや、僅かにそれて壁に傷をつけた。

 

「──」

 

 その結果に僅かに目を剥いて驚きを露にしたローグハンターは、短筒を肩に担ぎながら顎を擦り、むぅと小さく唸る。

 整備不良か、利き手ではなかったからか、ともかく外れたのは大問題だ。実戦なら命を落としているかもしれない。

 

「調整するしかないな……」

 

 悩んでいても仕方がない。悩んでいるなら火薬を使うのは、大恩人(モンロー大佐)からの教えだ。

 まあ、今回に関しては悩みの種も火の秘薬(火薬)だし、解決する手段も火の秘薬(火薬)なのだから、深く考える必要もない。

 

「それにしても……」

 

 悩みかと呟いた彼は、ふと青空を見上げた。

 武闘家が泥酔した一件からはや二ヶ月。あの絡んできた冒険者はいつの間にか消えたり、自分と彼女の等級がそれぞれ翠玉に上がったりと、様々な出来事があったが。

 

 ──好きとは、どんな感情なんだ……?

 

 彼女の寝言を皮切りに考えるようになったその疑問は、二ヶ月考えても答えが見出だせず、延々と悩む日々が続いている。

 

「……」

 

 流れていく雲を無言で見つめ、雲の隙間から差し込む陽射しに目を細める。

 衣装が黒い都合上、立っているだけでも余計に温かくなるのだが、そろそろ夏が近づくこの季節には辛いものがある。

 

「……今更だな」

 

 季節の移ろいなど、天上の神々でさえも操作は出来ないだろう。

 それに対して一人の人間が愚痴るなど、畏れ多いにも程がある。

 それよりも彼女のことだ。自分が彼女をどう思っているのか、彼女が自分をどう思っているのか、それを考えなければならない。

 

「……」

 

 無言のまま顔を下げ、的を見つめ、照準を合わせ、引鉄を引く。

 狙いは大きく逸れて、再び壁に傷をつける結果になる。

 短筒を握る手をじっと見下ろし、ゆっくりと目を閉じた。

 

 ──悩みがあるなら火薬を使え、か……。

 

 目を閉じたまま次弾を装填し、目を開けて問題がないのを確認。

 再び的を狙うが、今度はすぐには撃たず、じっくりと狙いを定める。

 実戦では致命的なまでの時間をかけて狙いを定め、ゆっくりと息を吐いて、吸い込み、止め、引鉄を引く。

 バン!と乾いた炸裂音が辺りに響き、ローグハンターは目を細めた。

 的の中央に小さな風穴が開き、壁にも小さな傷が残る。

 だが彼は酷く不満そうな表情で唸ると、次弾を装填し始めた。

 今のをより速く、正確に──否、確実に行えるようにしなければ、自分と彼女の命に関わる。

 

 ──当たった(まぐれ)では駄目だ。絶対に当てる。

 

 蒼い瞳に鋭い眼光を宿し、弾を込めた短筒を構える。

 運は自分で掴むものと教えられてはいるものの、やはり自分の力で勝てるのならそれが一番だ。

 最期の瞬間まで足掻けば、それこそ運よく勝ちを掴めることもあろうが、そもそも追い込まれないことが大事。

 その為には訓練だ。頭を空っぽにするのではなく、余計なことを考えず、必要最低限の動作と思考(ダイスロール)最適解(クリティカル)へとたどり着く。

 そう自分に言い聞かせ、訓練に集中しようとした瞬間、脳裏を武闘家の姿が掠めていった。

 それに驚いてか、気が抜けたのか、思わず引鉄を引いてしまい、あらぬ方向に弾丸が飛んでいった。

 

「集中だ、集中……」

 

 ガンガンと短筒の銃把(グリップ)で自分のこめかみを軽く殴る。

 痛みで無理やり意識を切り替え、両足を肩幅に開いてどしりと大地を踏みしめ、再び短筒を構える。

 何事も繰り返しだ。出来るようになるまで、出来るようになってからも、身体が覚えて、決して忘れないようになるまで、ひたすら練習を繰り返す。

 バン!バン!と乾いた炸裂音と、時折何かを殴り付ける乾いた音が、冒険者ギルドの裏から響き続ける。

 何かに没頭すると周りを気にしなくなるのは、やはり人間の(さが)と呼ぶべきなのだろうか。

 陽が空の天辺を通りすぎるよりも前。

 朝一とは言わずとも、まだ朝早い冒険者ギルドの裏でやるには少々音が大きすぎる事を、ローグハンターは一切気にしていなかった。

 

 

 

 

 

「え……?あ、なに、これ……?」

 

 ギルドに併設された工房。

 留め具が外れかけていた籠手の具合を見てもらおうとそこに赴いた武闘家は、目を真ん丸に見開いて目の前にあるものを凝視していた。

 彼女の目の前には、武骨な武器が立ち並ぶ工房には不釣り合いな、下着があった。

 いや正確には下着ではない。下着の如き鎧が、彼女の前に鎮座しているのだ。

 一揃えになった胸当、脚絆だけの鎧。一応の種類で言えば、軽装となる。

 動きやすさに特化したと言われれば、確かにそうなのだろう。

 鎖帷子のように各関節を守るような物が、何一つとしてないのだから、動きやすいのは当然だ。

 少ない装甲自体も、女性の身体に合わせてか滑らかな曲線を描き、手で触れてみれば金属のひんやりとした冷たさを感じられる。

 だが、彼女はそれを買おうだとか、使ってみようだとかは思わない。これを着るのなら、多少動き難くとも鎧を着る方がましだ。

 何しろこの鎧と呼んでいいのかもわからないこれは、胸部──正確には乳房と、下腹部をにした装甲がない。

 申し訳程度に肩当てがあるが、そこに着けるのなら腹にも一枚板金をくれと思うのが普通だろう。

 

「──」

 

 武闘家は困惑の表情を浮かべたまま、ちらりと工房長に目を向けた。

 筋骨隆々な体躯に、口許を覆う髭、長年炎を見つめ続けたが故に閉じられた片目。

 一見鉱人(ドワーフ)に見えるけれど、話を聞く限りでは只人(ヒューム)の男性。

 あまり話す機会もないが、装備を整えようと尋ねた時には、帳場(カウンター)を挟んで真摯に向き合ってくれるあの人が、こんなとち狂った物を産み出したのかと、混乱が広がっていく。

 

「あ、あの……?」

 

 武闘家は小鳥のさえずりのようなか細い声で、工房長へと声をかけた。

 彼女の籠手を弄っていた工房長が「なんじゃい」とぶっきらぼうな声で返すと、武闘家は「何ですか、これ……?」と問いかける。

 

「……」

 

 工房長は彼女が示した物を、下着の如き鎧に視線を向けて、不満そうに目を細めた。

 

「……鎧だ」

 

 そしてぼそりと一言呟いて、口を閉じた。

 こんな物を説明したくないのか、説明するのも億劫なのか、あまり情報を引き出せそうにはなさそうだ。

 だが気になるものは気になるものだ。この人のことだから、聞けば教えてくれるかもしれない。

 

「下に、何か着たりとかは……?」

 

「しない」

 

「上から羽織るとか?」

 

「しないな。それはそれで完成しとる」

 

「えー……」

 

 ──と、二三やり取りをした武闘家は、再び困惑の表情を浮かべて下着型鎧(ビキニアーマー)を手に取った。

 見た目同様に軽いが、確かに金属で造られたのだろう。冷たさと重さを兼ね備えた感覚が、じんわりと手のひらを伝わってくる。

 前から見て、胸が納まる曲線を撫でて、ひっくり返して裏を見る。

 胸当てはそれでいいのだが、問題は下腹部を守る装甲だ。

 下手な下着以上に急角度なそれは、何がとは言わないが見えてしまいかねない。全身を使って動き回る前衛職なら尚更だ。

 

「──」

 

 思わずこれを着た自分の姿を想像して赤面した武闘家は、再び工房長へと目を向けた。

 

 ──本当に、何なんですか、これ……?

 

 銀色の瞳を真っ直ぐに彼へと向けて、視線だけでそう問いかける。

 彼女の助けを求めるような視線に根を上げたのか、工房長は金槌で肩を叩きながら溜め息を吐いた。

 

「まあ、あれだな。アピール用と言えば、その通りの代物だ」

 

「あ、アピール用……?」

 

「惚れた男の気を惹きたい女冒険者が、着る」

 

「……!?」

 

 その言葉に、武闘家はさながら『稲妻(ライトニング)』の術を受けたような衝撃を受けた。

 これを初めて造り上げた誰かは、こんな見るからに危険な代物を着て、好きな異性の前に出ていけと言うのか。

 そんな勇気があれば、その好意を口にすることの方が容易いだろう。こんな物を着てみろ、一体どうなるか。

 

「……」

 

 ──と、そこまで考えた武闘家は、ちらりと下着型鎧(ビキニアーマー)へと視線を落とした。

 

 ──好きな男性(ヒト)に、女として見てもらう為の、鎧。

 

 ──好きな異性(ローグハンター)に、相棒としてではなく、女として、見てもらう為の、鎧。

 

「……」

 

 武闘家は迷うように視線をさ迷わせて、飾り棚にある『試着可能』と書かれた──彼に教わったのだ──張り紙に目を向けた。

 ドクドクと心臓の鼓動がどんどんと速くなり、少しずつ体温が上がっていく事がわかる。

 

「あ、あの……っ!」

 

 武闘家は身体を小刻みに震わせて、緊張の面持ちになりながら、下着型鎧(ビキニアーマー)を差し出した。

 工房長は困ったように目を細めながら、「好きにしろ」とひらひらと手を振る。

 その返答を受けた武闘家は店内に誰もいない事を確認すると、急いで試着室へと飛び込んだ。

 工房長はだいぶ広くなった額に手をやると、天井を仰ぎ見ながら溜め息を漏らす。

 どうしてこう、冒険者の男女仲というのは全く進まないのだろうか。

 冒険者としての成功は応援してやるが、個人的な関係まで応援してやるのは業務外だ。

 

 ──さて、どうしたもんかね……。

 

 ごそごそと布の擦れる音が漏れている試着室を眺めた工房長は、再び溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 ──何してるんだろ、私……。

 

 仕切りで囲まれた試着室。

 壁に取り付けられた姿見に映る自分の姿を見つめた武闘家は、自嘲的な笑みをこぼした。

 いつも着ている衣装は脇に置かれて、纏っているのは豊かな乳房と下腹部を覆う板金のみ。

 最近筋が入り始めた腹筋や、筋肉質になってきた四肢を惜しげもなく曝し、胸元も丸見えだ。

 むしろ胸当てに押さえつけられて、谷間が余計に強調されているようにさえ思う。

 

 ──本当に、何してるんだろ……。

 

 これを着ようとした過去の自分と、これを着てしまった過去の自分を恨みながら、赤くなった顔を俯ける。

 首から下がる翠玉の認識票が、胸の谷間から出たり入ったりを繰り返し、ひんやりとした冷たさを感じて身震い一つ。

 とりあえず籠手を返してもらって、さっさと着替えるとしよう。

 シャッ!と音をたてて仕切りのカーテンを開けた彼女は、工房長を探してひょこりと顔だけを出した。

 

「……あれ?」

 

 いつもそこにいる筈の帳場には誰も居らず、代わりに奥の工房からは鉄を打つ甲高い音が聞こえてくる。

 まさか、このまま放置されるのではと冷や汗を流した武闘家は、きょろきょろと工房内を見渡して誰もいない事を確認。

 さながら盗人のように気配を殺し、忍び歩きで帳場の方へ。

 

「あ、あの~?すいませーん?」

 

 工房の奥の方に目を向けて、恐る恐る声をかけた。

 だが返答はなく、カンカンと鉄を叩く音がするだけだ。

 

「すいませーん!お会計お願いしまーす!!」

 

 ならば負けじと声を張り上げれば、ようやく鉄を打つ音が止まり、足音がこちらに近づいてくる。

 ようやく届いたとホッと安堵の息を吐いたのも束の間、自分の格好を思い出して慌てて試着室へと戻ろうと慌てて踵を返した。

 だが今日という日に限って、彼女は運がなかった。

 

「店主。いる、か……」

 

 聞き馴染んだ声と共に工房入り口の自由扉が開けられ、チリンチリンと呼び鈴が鳴った。

 声の主は入店早々に足を止めると、蒼い瞳を見開きながら下着型鎧(ビキニアーマー)を着ている武闘家を見つめ、そのまま声を失った。

 健康的に肉付きのいい肢体と、瀉血いらずの白い肌、豊かな胸と、森人にも負けない愛くるしい顔立ち。

 その全てを惜しげもなく晒した格好をした相棒に、思わず()()()()()()()立ち尽くすローグハンターは、珍しい事に間抜けにもぽかんとしている。

 

「あ、この、これは、えと、ちょ……」

 

 そんな彼の異常にも気付く余裕もない武闘家は、何かしらの弁明をしようと口を開くが、肝心の言葉が出てこずに詰まってしまう。

 むしろ緊張と羞恥心により白い肌が赤らんでいき、嫌な汗が滲む。

 

「──」

 

 無言で彼女の身体を見つめたローグハンターは、申し訳なさそうにゆっくりと視線を逸らすと、慎重に言葉を選ぶように熟考してから口を開いた。

 

「……ま、まあ、そんな格好したくなる日も、あるん、だろう、な……?」

 

 だが出てきた言葉は酷く曖昧なもので、むしろ彼女の恥態を肯定するようなものだった。

 何と言うべきか。知りたくはなかった相棒の一面を知ってしまったと言わんばかりの、申し訳なさそうな声音だ。

 

「~~~~!?!??」

 

 そんな彼の一言に、声にならない悲鳴を上げた武闘家は慌てて試着室に飛び込み、仕切りのカーテンを閉めた。

 自分に変な(露出)趣味があると思われたのではないかと、見せたがりのヤバい奴だと思われたのではないかと、様々な不安が脳裏を過っていく。

 

「~~!?~っ!!──っ?!」

 

 試着室の中で顔を両手で覆いながら身体を丸め、声にならない悲鳴を次々と吐き出す。

 

「何の騒ぎだ。って、お前か。弾の補充か?」

 

 そんな騒ぎが終わった頃になって顔を出した工房長は、ぎょろりと見開いた隻眼で入り口で立ち尽くすローグハンターを捉えた。

 同時に珍しい物でも見たかのように、ほぅと感嘆にも似た声を漏らす。

 表情はいつもと変わらない仏頂面ではあるのだが、耳が赤くなっているのだ。

 いくら表情を装う事が得意な人物でも、血の流れだけは制御は出来まい。

 つまり、何かしらに対して耳が赤くなる程度には、心を掻き乱されているいるという事だ。

 工房長の視線に気付いてか、彼は慌ててフードを被って顔を隠すと、「弾をくれ。火の秘薬もだ」といつも通りの声音で注文を口にした。

 

「ちょっと待ってろ」

 

 彼の注文に頷いた工房長は再び奥に引っ込むと、用意していた弾丸を詰めた袋を探し始める。

 その背を見送ったローグハンターは、武闘家が飛び込んでいった試着室の前まで足を進め、何か声をかけようと口を開くが、言葉が出てこずに僅かに唸るのみ。

 

「ほれ。金額はいつも通りだ」

 

 そんな彼に向けて、二つの袋を手に戻ってきた工房長はそう告げ、ローグハンターも懐から財布を取り出し、金貨を数枚摘まみ出す。

 それを帳場の上に並べ、工房長に枚数を確認させると、弾丸と火の秘薬を手に取り、腰帯に取り付けられた弾入れに押し込んだ。

 

「また来る」

 

 それを済ませるとローグハンターは踵を返して歩き出し、試着室の前で足を止めた。

 足音一つなく、気配も稀薄なのだから、武闘家は彼が前にいることにすら気付いてはいまい。

 彼は数瞬迷うように口を動かすが、結局何も言えずにその場を後にした。

 自由扉の開閉に合わせてかチリンチリンと鈴が鳴り、彼が立ち去った事を武闘家にも教えてくれる。

 数分すると、いつもの格好になった武闘家が試着室から出てくると、気まずそうに黙ったまま代金を払い、修理に出していた籠手を受け取った。

 

「ありがとう……ございました……」

 

 武闘家は酷く疲れたような声音で礼の言葉を口にしながら頭を下げ、とことこと軽い足音をたてながら工房を後にした。

 異様に濃い数十分を経験することになった工房長は、深々と溜め息を吐いて件の下着型鎧(ビキニアーマー)に目を向けた。

 彼女にはアピール用とは言ったが、一応戦女神を信ずる女神官も買っていくのだ。

 戦女神は人から無名神となった女性であり、そんな彼女は下着型鎧(ビキニアーマー)で戦っていたなんて言われている。

 詰まる所の験担ぎ。信ずる女神の姿を真似て、戦いに赴く為の装備でもあるのだ。

 

 ──こっちで言ってやるべきだったな。

 

 今さらになってそれに気付いた工房長は、髭を扱いてからやれやれと嘆息混じりに首を振った。

 やはり人の色恋沙汰に首を突っ込むのはしょうに合わないと、金槌で凝り固まった肩を叩く。

 その時自由扉が開けられ、チリンチリンと呼び鈴の音色がが工房内に響く。

 開かれた隻眼で客に目を向けた工房長は、今日は苦労が続くなと不満げに鼻を鳴らす。

 街中だというのに兜を被り、薄汚れた鎧を着た冒険者は、彼の反応に僅かな違和感を感じたのか、警戒するように兜を巡らせた。

 

「……ゴブリンか?」

 

「違うわ、まったく……」

 

 あの騒ぎの後に、安物しか買わない癖に、異様に注文の多いこの冒険者を相手するのかと、工房長は彼に気付かれないように溜め息を漏らした。

 

 

 

 

 

 冒険者ギルド待合室の片隅。

 そこを定位置としているローグハンターと武闘家は、

 

「「………」」

 

 お互いに一言も発することなく、顔を背けていた。

 羞恥心に苛まれて頬を赤く染めたまま無言で俯く武闘家に対し、フードを被ったままのローグハンターは彼女に背を向けており、詳しい事情は知らずとも、何かしらの問題が起きたことは目に見えてわかる。

 何か言ってくれないだろうかと、お互いに相手の様子を探り合う中で、先に口を開いたのはローグハンターだった。

 小さく溜め息を漏らした彼は武闘家に目を向け、蒼い瞳を僅かに細める。

 

「お前は、今日は休め」

 

「……うぇ?!えっと、な、何ですか!?」

 

 彼の一言に驚き、弾かれるように顔をあげた武闘家は、真正面から自分を見つめてくる蒼い双眸の輝きに圧され、「うぐ……」と僅かに狼狽える。

 その隙に彼女の肩に手を置くと、それこそ愚図る妹か娘に言い聞かせるように言葉を続けた。

 

「今日は、休め」

 

「あの、だから、何でですか?」

 

「休め」

 

「あの──」

 

「いいから、休め」

 

 彼らしくない、短い単語によるごり押し。

 少しずつ言葉にも圧が込められ、瞳の輝きも鋭く冷たいものになっていく。

 

「わかったか」

 

「はい、わかりました」

 

 そして念を押すように告げられた言葉に武闘家がコクコクと頷くと、ローグハンターは一度だけ頷き返す。

 

「俺は──」

 

 そして何かを言いかけると、視界の端に捉えたゴブリンスレイヤーの方へと駆けていき、何やら話し込み始めた。

 僅かに兜が揺れてこちらに向くが、ローグハンターは気にするなと言わんばかりに肩を竦めた。

 ゴブリンスレイヤーは武闘家に向けて小さく頭を下げると、彼女は「あはは……」と乾いた笑みと共に手を振ってやり、ある程度の事情を察する。

 

 ──これ、置いていかれるやつだよね……。

 

 おそらく、と言うか確実に、ローグハンターはゴブリンスレイヤーと共に仕事に行くのだろう。

 文字通り自分をここに置いていき、顔馴染みの男友達と二人だけで。

 彼女の推理は大正解で、二人はさっさと受け付けに行くと、足早にギルドを後にしてしまった。

 今日に限って魔女や女騎士、男戦士の一党が不在で、彼女やローグハンターにフォローしてくれる者が誰一人としていない。

 

「……」

 

 ぽつんと一人取り残された武闘家は、目元の熱さを誤魔化すように、無言でギルドの天井を仰いだ。

 

 

 

 

 

「あ、あの、大丈夫?」

 

 その姿勢のまま動かなかったからか、誰かが武闘家に声をかけた。

 赤い短髪に、豊満な胸を持ち合わせた、街外れの牧場で働く少女。

 顔を下げた武闘家は牛飼娘の姿を認め、「あ、どうも」と力なく笑った。

 これは一大事だと、友人の異変を察した牛飼娘は彼女の隣に腰を下ろすと、「何があったの?」と問うた。

 

「……」

 

 その問いに武闘家は俯くと、目元に集まる熱をそのままに口を開いた。

 

「……──ちゃったかも」

 

「え……?」

 

 虫が囁いたような小さな声に、牛飼娘は首を傾げた。

 酷く小さく、覇気に欠けたその声は、只人の耳で聞き取るにはあまりにも小さすぎる。

 だがもう一回言ってと頼める雰囲気ではなく、困り顔で髪を「えっと……」と声を漏らすと、武闘家はゆっくりと顔を上げた。

 同時に一筋の涙がこぼれ、頬を伝っていく。

 

「……彼に、嫌われちゃったかも……」

 

 恋する乙女にとっては何よりも重要で、世界の危機の比にもならない重大な問題が、降りかかっていた。

 

 

 

 

 

 同日の夜。とある洞窟の中。

 

「……どうすれば良かったんだろうな」

 

 数十にも及ぶゴブリンの死骸が転がる大広間の中央で、ローグハンターはそんな事を呟いた。

 思わず彼女を一方的に捩じ伏せるような態度を取ってしまった事もそうだが、まともに向き合わずにここにいるというのも問題なような気がしてならない。

「どう思う」とゴブリンの死体を調べていたゴブリンスレイヤーに問うが、肝心の返答は無言のみ。

 彼が黙るのは大概が返事に困った時だ。

 ゴブリンへの対処を優先しているということもあるだろうが、その手が止まっている辺り、考えてくれているのだろう。

 

「……わからん」

 

 そしてたっぷり時間をかけての返答は、やはり期待通りのもの。

「だろうな」と肩を竦めると、「俺もだ」と自嘲的に笑う。

 生憎とここにいるのは、冒険者の中でも異端者扱いされる二人だ。

 ゴブリンに関する話なら、戦い方に関する話なら、いくらでも語り合える自信はある。

 他の冒険者なら、また違っただろう。

 もっと人生経験があれば、また違っただろう。

 だが、如何せん今まで異性に対する問題に関わりがなかった二人にとって、これは無理難題となるのだ。

 

「だが──」

 

 不意に口を開いたのは、ゴブリンスレイヤーだ。

 彼は兜を巡らせてローグハンターに目を向けると、捻り出した解決策を口にした。

 

 

 

 

 

「お祭り……?」

 

 ぐしぐしと涙を拭いながら問うた武闘家に、牛飼娘は「うん」と頷いた。

 

「もうすぐお祭りがあるのは、知ってるよね?」

 

「……?」

 

 そして確認を取るように投げられた言葉に、武闘家は首を傾げる。

 夏の終わり頃にお祭りなど、あっただろうか。

 そんな彼女の反応に苦笑した牛飼娘は、「とにかく、あるんだよ」ととりあえず話を進めることにした。

 

「仲直りしたいんだったら、誘ってみたら?」

 

「……」

 

 つまり喧嘩した──と、彼女は思っている──相手を、逢い引き(デート)に誘えと、目の前の少女は言っているのだ。

「む、無理だよぉ……」と力なく項垂れるが、牛飼娘は励ますように武闘家の頭を撫でた。

 

「喧嘩しちゃったら、仲直りしないと、ね」

 

 その言葉はどこか武闘家にだけでなく、自分自身にさえ言い聞かせているようでいて、武闘家は顔だけを上げて牛飼娘に目を向けた。

 先程まで笑っていたのに、その表情はどこか悲しげで、強い後悔の色が見てとれる。

 武闘家は「そう、だよね」と表情を引き締めると、勢いよく身体を起こした。

 

「とりあえず、帰ってきたら話してみる!」

 

「うん。頑張ってね」

 

「うん、やるだけやってみる!」

 

 それで何かあったら、会いに行っていい?と不安げに問われると、牛飼娘は「いいよ」と笑みを浮かべた。

 何事もやってみなれけばわからない。それで失敗したのなら、慰めてやるのが友人の務めというもの。

 

 ──一の目出たら、慰めたげるって言うからね。

 

 誰かが歌った詩の一節を思い出して、小さく苦笑を漏らす。

 だが彼女が知るよしもない。幼馴染み(ゴブリンスレイヤー)その友人(ローグハンター)に、全く同じ事を言うことなど、どうやったってわかる筈もないのだ。

 

 

 

 

 




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Memory14 天灯を見上げて

 ぼぉん、ぼぉんと、気の抜けた破裂音と共に、朝空に色とりどりの煙が弾けて消える。

 雇われの魔術師が花火でも上げているのか、鮮やかな色彩の火花は見る人を魅了する。

 回りの旅行客に混ざりそれを見上げていた武闘家は、感嘆の息を吐くと、視線を落として周囲を見渡した。

 行き交う人々の表情は期待と興奮で笑顔がこぼれており、そんな彼らを捕まえようと出店の店主たちが同じく笑顔で声を張り上げる。

 くぅと鳴く腹の虫の催促に応じ、そのまま駆け出してしまいたくなるが、今はまだ我慢と自制した。

 今日は彼との逢い引き(デート)なのだ──と、肝心の彼は同じ事を思っているのだろうか。 多分あの出来事と、その後の対応への謝罪の代わり、という可能性も高い。

 けれど、そうは思っても、武闘家は笑みを隠せなかった。

 過程や理由はどうであれ、彼から逢い引き(デート)に誘ってくれたのだ。それだけで今日という日が特別なものになるし、特別なハレの日がより特別なものになる。

 くるくると髪を弄りながら「えへへ」とだらしのない笑みをこぼした彼女は、改めて自分の格好に視線を落とした。

 今日に備えて買っておいた服──動きやすさを重視した──は、軽くてしなやかで、多少無理な動きをしても破れはすまい。

 ついでに下着も新調したが、果たして役にたつのだろうかと自問して、すぐに止めた。

 役にたつように、上手いこと立ち回る必要がある。考えるとべきなのはそこなのだ。

 

「うん。今日は頑張らないと」

 

「何を頑張るんだ?」

 

「それは勿論、今日のデートですよ!」

 

 拳を握って気合いを入れ直した途端に投げられた質問に、考える間もなく反射的に答えた武闘家は、その後になってからハッとその相手に目を向けた。

 口元の傷痕を込みにしても整った顔立ちに、夜空を閉じ込めた蒼い瞳。そして纏うはいつもよりは軽装な黒い(臨時の)衣装。

 腰に帯剣し、手首をよく見れば仕込み刀(アサシンブレード)が見えているけれど、いつも身に付けている短筒(ピストル)長筒(エアライフル)はない。

 

「……?」

 

 ローグハンターは彼女の返答に首を傾げると、武闘家の顔がだんだんと赤く染まっていき、ゆっくりと顔を背けた。

 

「頑張るのはいいが、今日くらい気を抜いてもいいと思うが……」

 

 ほんの僅かにだが非難的に目を細めたローグハンターは、そっと彼女の頭を撫でた。

 

「今日の為にこの一週間頑張ったんだ。肩の力を抜け」

 

「……はい。そうします」

 

 彼の優しげな手付きに頬を緩めた武闘家は小さくこくりと頷き、「えへへ」と上機嫌な笑みをこぼす。

 そう、祭りに向けてこの一週間。死ぬほど頑張ったのだ。

 旅行客を狙う野盗を片っ端から蹴散らし、時には祭りに参加する商人の護衛を行い、最後はやはり野盗を蹴散らし──。

 とにかく、今までとは段違いの密度で依頼に出ていたのだ。懐はだいぶ温まったし、これだけやれば野盗たちも大人しくなるだろう。

 頭を撫でるローグハンターと、撫でられて喜ぶ武闘家。

 その姿はどちらかと言えば兄妹のようであり、見る人を和ませる。

 

「──って、駄目です!」

 

 そうしてしばらく撫でられていた武闘家は、不意にそう口に出して頭を振った。

 半ば振り払われる形で手を引っ込めたローグハンターは「どうした」と問うと、武闘家は彼を指差しながら告げた。

 

「今日は頑張らないといけないんです!むしろ、今日こそ頑張る日なんです!」

 

「……?」

 

 謎の宣言に首を傾げるローグハンターを他所に、武闘家は自分の頬を叩いて緩んだ意識を引き締める。

 このままでは『妹』で終わってしまう。自分が目指すのは『女』として見られることと、あわよくば『恋人』になることだ。

 その為には彼に可愛がられるだけではいけない。たまには彼の事を引っ張っていかなければ。

 

「さあ、行きましょう!時間は有限ですから!」

 

 そして彼の手をとって歩き出そうとした矢先の事だ。

 くぅと、誰かの腹の虫がなった。

 

「「……」」

 

 二人は無言で立ち止まるとくぅと再び腹の虫が鳴き、それが二度三度と続く頃には、武闘家の耳が少しずつ赤く染まっていった。

 

「とりあえず、朝食にしよう」

 

「……はい」

 

 小さく肩を竦めながら告げられた言葉に、武闘家は多少気落ちしながら頷いた。

 確かに時間は有限だ。出来ることは限られているし、やりたいことは数多いのだが、腹が減っていては何も出来まい。

 繋がった手はそのままに、ローグハンターは武闘家を追い越し、近くの出店の方へと足を向けた。

 彼に引かれるがまま歩き出した武闘家は、彼の背後で彼に気付かれないように溜め息を漏らした。

 初手は失敗。だが次があると自分を奮い立たせる。

 今日はハレの日。これからの収穫を祝い、来る秋を祝う、祭りの日。

 それだけでも胸が踊るし、気持ちも高揚する。

 それを利用するわけではないが、今日こそやれるかもしれない。

 

 ──彼にもっと近づいてみせる!!

 

 せめて戦友としてではなく女性として見られるように。

 あわよくば彼と、恋人になれるように──。

 

 

 

 

 

 目の前を歩くローグハンターの背を追いかけながら、屋台で買ったサンドイッチを頬張った。

 厚めのベーコンと、しゃきしゃき食感の野菜、ついでにふわふわのパン生地と、食べれば食べるほど次の一口に行きたくなる。

 勿論食べれば無くなってしまうのだが、切なさよりも幸福感の方が強い。作り手の腕前が違うのだろうか。

 舌を火傷しないように気を付けながら、少し遅めの朝食を平らげる。

 前を歩く彼は既に食べ終えて、甘味欲しさに買ったリンゴを囓っており、しゃりしゃりと咀嚼音が聞こえてくる。

 そう言えば彼の好物は何だったのだろうかと自問して、そこまで入り込んだ話をしたことがあっただろうかと更に問うた。

 

「どうかしたのか」

 

 そうしてじっと後頭部を見つめていた為か、不意にローグハンターは肩越しに振り向いた。

 リンゴの果汁に濡れた唇をそのままに、手には芯だけになったリンゴがある。

 

「いや、何でもないです」

 

 武闘家は慌てて顔を背けて返事を濁すと、その先にあった露店に目を止めた。

 そのまま好奇心に引かれるがまま近づいて、前のめりになって露店を覗く。

 

「おお、いらっしゃい!見ていってくれ!」

 

 露店の店主は気前よく笑いながらそう告げて、商品の方に目を向けた。

 銀細工の指輪や腕輪。何かの羽があしらわれた耳飾りと、いわゆる装飾品が並べられている。

 村にいた頃は見たことはなかったが、こうして冒険者になってからはよく見かけるようになった、女性を着飾る為の物。

 真贋はともかく、子供が欲しがりそうな物から、大人でも買ってしまいそうな物まで、種類は様々だ。

 そんな装飾品を眺めていると、視界の端に蒼い輝きを見つけてそちらを向いた。

「あ……」と漏れた彼女の声に、聞き耳を立てていた店主は素早く反応。

 

「お、これが気になるのか!」

 

 そう言って武闘家に差し出したのは、蒼い宝石があしらわれた首飾りだ。

 陽の光を反射して不思議な輝きを放つそれは、おそらく本物の宝石を使っているのだろう。

 値段も他のに比べれば高く、手にしている店主の表情もどことなく固い。

 

 ──落としたらどうしようとか、考えてそうだな……。

 

 ここ一年と少しで人を見る目が鍛えられた武闘家は、内心で苦笑を漏らしながら小さく唸ると、その宝石に手を触れた。

 陽に当たっている為か仄かに温かいそれは、人肌にも似て心地がよい。

 買ってくれるかと期待を滲ませる店主を他所に、武闘家はそれなりに悩んでいた。

 確かに綺麗ではあるし、お高いが買えなくもないが、

 

「どうかしたのか」

 

 うんうんと唸る武闘家の肩から、ようやく彼女の元にたどり着いたローグハンターの顔が飛び出し、彼女が見つめている首飾りに目を向けた。

 次いでその値段に目を向けて、そのまま蒼い瞳を店主に向ける。

 その迫力に怯む店主だが、同時に瞳と宝石を交互に見て苦笑を漏らす。

 

「ま、お嬢ちゃんの好きにしな」

 

 その一言に、売り込みに来ると読んでいたローグハンターは「む」と不思議そうに唸ると、店主はパンと手を打った。

 ビクンと肩を跳ねさせて驚きを露にした武闘家が店主に目を向けると、彼はニヤリと意味深な笑みを浮かべる。

 

「蒼い宝石は一つじゃないってな。近くにある物を大事にしないと、後で後悔するぜ」

 

「……。っ!?」

 

 その言葉を僅かに時間をかけてから理解した武闘家は、途端に顔を真っ赤にしてローグハンターの方を向いた。

 

「……?」

 

 言葉の意味を理解していないローグハンターは首を傾げているが、相変わらず蒼い瞳は店主の方を向いている。

 その対照的な反応に、武闘家に対して僅かに同情するような視線を向けた店主は、「大変そうだなぁ」と気の抜けた声を漏らす。

 

「~!!」

 

「……?」

 

 見知らぬ人にまで心配させた武闘家は、羞恥心からか頭から煙を噴き始め、ローグハンターはそんな彼女の反応に疑問符を浮かべる。

 

「とりあえず、何か買っていってくれよ!」

 

 と、そこまでのやり取りを見終えた店主は、再び二人に向けてそう告げた。

 言われた二人は顔を見合わせると、律儀にも再び商品へと視線を落とした。

 二人揃って装備品を見合う二人の姿は、さながら恋人同士のようではあるが、現状そんな関係ではない。

 片方はなろうと努力し、もう片方はまず好意について考えている真っ最中なのだ。

 

 

 

 

 

「──って、押しきられるまま買っちゃいましたね」

 

 ちりんと澄んだ音を鳴らす鈴のついた腕輪を見つめた武闘家は、手を振ってその音色を楽しみながら苦笑を漏らした。

 

「まあ、祭りの日くらい良いだろう」

 

 そんな彼女を横目に肩を竦めたローグハンターは、不意に辺りを見渡した。

 どこを見ても笑顔を咲かせる人々が闊歩し、並ぶ露店の店員たちも生き生きとしている。

 あまり人の多い場所は好きではないのだが、ハレの日と思えば我慢は出来る。

 

 ──そもそも狙われる理由もないが……。

 

 故郷ではアサシンの刺客に四六時中狙われていたが、ここにはアサシンが一人としておらず、自分が騎士である事を知る者もいない。

 隣を歩く彼女でさえも、自分の過去を何ひとつとして知りはしないのだ。

 

「綺麗な音ですね」

 

 ちりんちりんと新しい玩具で遊ぶ子供のように鈴を鳴らし続ける武闘家を横目に、ローグハンターは低く唸った。

 胸中で何を今さらな事を考えているのだと自虐的に笑い、目の前のことに集中しろと喝を入れる。

 

「ああ。綺麗な音だ」

 

 耳を澄ませて鈴の音を聞いたローグハンターは微笑みを貼り付けると、指で鈴を小突いてリンと音を鳴らした。

 

「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!都で話題の新商品だ!」

 

「焼きたて、焼きたてだよ!ちょいと早い昼食にはぴったりだ!」

 

「一回銀貨五枚!さあ、挑戦者はいないか!」

 

 辺りは祭りの喧騒に包まれて、そんな小さな音は聞こえない筈なのに、不思議とその鈴の音はローグハンターと武闘家の耳に届いた。

 武闘家は楽しげに笑い、ローグハンターは釣られて苦笑。

 

「そこのお二人さん。何か買っていっておくれよって、あら、あなたたちは」

 

 そんな二人に声をかけた女商人は、件の一週間で護衛をした人物だ。

「お久しぶりです」と笑いかけた武闘家に、女商人は「あの時はありがとうね」と笑みを返す。

 

「あんたも助かったよ。最近は物騒だからね」

 

 その笑みを浮かべたままローグハンターに目を向けると、当の彼は困惑したように首を傾げた。

 依頼として彼女を護衛し、道中で出くわした盗賊たちは一人残さず塵殺(スレイ)したが、それに特別なことなどあっただろうか。

 

「なんだい、私は『ありがとう』って言ってるだけだよ?」

 

「……ああ、そうか」

 

 女商人の言葉にローグハンターはようやく納得したように頷くと、ばつが悪そうに頬を掻いた。

 

 ──仲間でも何でもない第三者に感謝されるのは、いつぶりだろうな……。

 

 故郷ではどんなに頑張っても、無辜の人々からは侮蔑と非難の声が飛び、時には石を投げられることもあった。

 あの頃は何とも思わず、本来味方の衛兵から逃げ回る日々だった。

 けれど、あの頃とほとんど同じ事をしている筈なのに、目の前の人は感謝をしてくれている。

 

「まるで褒められ慣れてないって顔だね、まったく」

 

 ローグハンターの曖昧な表情に女商人は歯を見せて笑い、ばんばんと肩を叩いた。

 見た目のわりに存外力強いその腕力に低く唸ると、蒼い瞳を女商人に向けた。

 非難している訳でも、批判しているわけでもなく、なんと言えばいいのかと悩んでいるのだろう。

 僅かに開いた口から漏れるのは微かな吐息のみで、肝心の言葉が何ひとつして出てこない。

 

「──ありがとう」

 

 ようやく出てきた言葉は、その一言だった。

「おうとも!」と女商人は快活な笑みを浮かべ、隣の武闘家も嬉しそうに笑った。

 

「で、まけてあげるから、何か買っていってよ」

 

「「……え」」

 

 彼女の言葉にローグハンターと武闘家の二人は揃って声を漏らし、慌てて商品へと視線を落とす。

 

 ──この二人、大丈夫かしら……。

 

 仕事に対して誠実で、関係も良好そうではあるが。

 

 ──二人して真面目すぎるね。

 

 女商人は腕を組んで嘆息し、商品を吟味している二人をじっと見つめる。

 商人として、粗悪な商品を並べてはいないが、その分お値段は高めだ。

 勢いに乗った冒険者は、駆け出し商人並に金を持っているのだ、買えなくはないだろう。

 

「ま、じっくり選んどくれよ」

 

 店を見せつけるように両腕を広げると、冒険者(お客)二人は低く唸って前のめりになっていく。

 ふとした拍子に指や肩が触れる度に武闘家が声もなく悲鳴をあげ、顔がどんどんと赤くなる。

 見ていて飽きないねぇと内心で呟いた女商人は、頭の中で算盤を弾いていく。

 お礼と応援(・・)の意味も込めて、多少余計に割り引いてやろうと思えば、どの程度まで行けるかを考えるのが商人の仕事。

 やりすぎず、やらなさすぎず、こっちも黒字を取らねばならない。

 

 ──まあ、何を買うかにもよるけどね。

 

 商品を睨む二人に気付かれないように、女商人は小さく鼻を鳴らした。

 お互いに玄人(ベテラン)、手加減はなしだ。

 

 

 

 

 

 その後も護衛した商人に絡まれたり、様々な出店を見たり、時には顔馴染みの冒険者と談笑したりと、普段の生活とは程遠い、何とも気の抜けた一日を過ごした結果、早くも辺りが暗くなり始めていた。

 夏が終わり、秋も過ぎ去ろうとするこの頃は、夜となるとやはり寒くなってくる。

 両手に抱えてる程になった荷物を眠る狐亭に置き、代わりに外套を回収した二人がいるのは、無人の冒険者ギルドの前だった。

 祭りの中心である街の中央から遠く離れたその場所には誰も居らず、ハレの日ということで鍵もかかっている。

 

「あ、あの、ここに何の用があるんです……?」

 

 言われるがまま着いてきた武闘家が、無言でギルドを見上げているローグハンターの背に問うと、彼は小さく振り向いた。

 

「登る」

 

「……はい?」

 

「これを登る」

 

「──」

 

 突然彼が変なことを言い出すのは稀にあることだが、まさか今日という日に出てくるとは思わなかった武闘家は、ギルドを見上げながら目を見開いた。

 

 ──の、登る?この、見るからに高そうな建物を……?

 

 一階は冒険者ギルド待合室。二階は応接室などの施設。三階以上は宿屋。

 五、六階はあるであろうその建物を、彼は登るというのか。

 

「登攀の練習はしていただろう」

 

「あ、いや、まあ、そうですけど」

 

 怯えている事を見透かしたのか、ローグハンターは励ましとも、ただ事務的な確認とも取れる声音で問うと、武闘家は曖昧に頷いた。

 彼を真似て登攀や走り方(スプリント)の練習はしているが、彼のものに比べればまだまだお粗末だ。

 

「でも、何で──」

 

 その前にと、肝心の理由を聞こうと顔をあげると、そこにローグハンターの姿がなかった。

「あれ?」と声を漏らして辺りを見渡してみても、彼の姿はない。

 

 ──まさか……。

 

 嫌な予感がした武闘家が、額に汗を滲ませながらゆっくりと上を見ると、ギルドの外壁に張り付いている人影があった。

 

「そこにいた?!」

 

「っ!?」

 

 反射的に彼を指差して声を張り上げると、それに驚いたのか、ローグハンターが足を踏み外して体勢が崩れる。

 ぎょっと目を見開く武闘家だが、ローグハンターの方は努めて冷静に窓枠に足を引っかけ、体勢を整えた。

 武闘家はホッと安堵の息を吐くと、「だ、大丈夫ですかー?」と彼に向けて声をかけた。

「問題ない」と返されれば他に言うことはなく、彼は黙々と外壁を登っていった。

 窓枠に手をかけ、足をかけ、時には思い切り飛び上がりながら、どんどんと上に向かっていく。

 

 ──お、追いかけないと、駄目だよね……。

 

 見ているだけでは駄目だと、自分を奮い立たせた武闘家は、彼を真似て窓枠に掴まり、そこを起点に登り始めた。

 武闘家として鍛えているから、身体を引き上げたり支えたりに関しては何の問題もない。

 彼よりも何倍も時間をかけて、彼の半分の距離を登り、さらに倍の時間をかけて、さらにもう半分の距離を登る。

 少しずつ、少しずつ、けれど確実に。落ちれば怪我では済まないのだ。

 十分か、二十分か、あるいはたったの五分か。

 時間の感覚が曖昧になるほどに壁と向かい合った武闘家の視界に、不意に誰かの手が差し出された。

 

「ふぇ?」

 

 気の抜けた声と共に手を掴んでみれば、ぐいと引き上げられてギルドの屋根の上にたどり着いた。

 最後の最後でローグハンターが助けてくれたようで、彼は「大丈夫か」と手を握ったまま問いかけた。

 

「は、はい。何とか、大丈夫でした」

 

 何となく身を乗り出して下を覗き込んで、想像以上の高さに思わず目眩を起こしてしまう。

 ふらついた身体はしっかりとローグハンターが抱き止めてくれから、落ちる心配はないのだが、登ったからには降りなければならないのが心配だ。

 

「とりあえず、ここなら問題ないだろう」

 

「な、何がですか……?」

 

 要領を得ない彼の言葉に首を傾げると、「すぐにわかる」と肩を竦められた。

 そのままくるりと回って踵を返すと、屋根の中央辺りまで歩を進めて腰を降ろし、脇に置いた雑嚢に手を突っ込み始めた。

 

「……?」

 

 訳もわからず話が進んでいる気がしてならない武闘家は、とりあえず流れに身を任せて彼の隣に腰を降ろした。

「ほら」と差し出されたのは、非常食用の干し肉だ。

 それを受け取った武闘家は「ありがとう、ございます……」と頭を下げるが、相変わらず要領を得ずにうんうんと唸った。

 とりあえずそれを頬張り、冷たいが肉厚な食感を堪能する。

 

「……話を聞いただけなんだが」

 

 隣で同じく干し肉を囓っていたローグハンターが不意にそう呟くと、武闘家は首を傾げて「何ですか?」と続きを催促。

 

「これから、街中で天灯(てんとう)をあげるらしい」

 

「てんとう?」

 

「ああ、天灯だ」

 

 細くしなやかな竹ひごに、色とりどり薄手の紙に、油紙。

 竹で籠を作り、その上に紙で作った傘をかぶせるだけという、構造としては単純なものだ。

 後は油紙に火を着けて、手を離せば──。

 

「浮くんです?」

 

「らしい。俺も見たことはない」

 

 どこか自慢げに天灯について語っていたローグハンターは、武闘家の問いかけに曖昧な言葉で返し、蒼い瞳に騒がしい街並みを映した。

 昼間は喧しく思うほどだった街も、少しずつだが静かになってきく。

 

「あ、あの……!」

 

 だんだんと暗くなっていく視界に不安になってか、武闘家は彼の肩を叩いた。

「どうした」と問いながら顔を向けると、彼女は迷うように視線を泳がせ、どうにか笑みを浮かべた。

 

「その、続きを聞かせてください。てんとうって、何なんですか?」

 

「ああ、そうだな。だが、見た方が早い」

 

 彼の言葉を合図にして、太陽が山の陰へと落ちていった。

 陽が沈めば多少なりとも騒ぎが落ち着き、街の明かりも消えていく。

 代わりに夜空には星々が輝き始め、双子の月が空を昇り始めた。

 それだけでも感動に値する光景。彼はこれが見せたかったのかと、表情を耀かせながらローグハンターの方を向くが、彼は無言で街を見下ろすのみ。

 

「……?」

 

 釣られて街に目を向けて見れば、闇に沈んだ街の中に灯火がひとつ灯った。

 ひとつがふたつに。ふたつがみっつに。みっつがよっつに。

 どうにかその灯りを数えていた武闘家だが、ついには諦めてその光景に食い入った。

 暗く沈んだ街の中、あちら、こちら、灯がつき、揺らめき、煌めいて。

 やがて赤く暖かな光が、蛍のように宙へと浮かび上がった。

 それは空への昇っていく雪のようでいて、けれど雪とは違って暖かなそれは、見るものを魅了してやまない。

 

「あ、あれが天灯、ですか……?」

 

「ああ。あれが天灯だ」

 

 武闘家が興奮を押し込めながら確かめるように問うと、ローグハンターは間髪入れずに頷いた。

 理屈は簡単だ。熱せられたくうきが軽くなるから、あれは浮かんでいくだけなのだと。

 魔法だとか奇跡だとかは関係なく、やろうと思えば誰でも出来る、とても簡単なことだと、ローグハンターはよく知っている。

 騎士団の資料でとあるアサシン(エツィオ)がそれを利用して防衛網を突破したという話を、垣間見た記憶がある。

 

「わわ!すごい、すごい綺麗ですね!!」

 

 だがそんなつまらない話を、我慢できずに楽しそうに笑い始めた彼女にするのは、酷なものだろう。

 

「善き魂を導き、悪しき魂を放逐し、死した者たちの魂が迷わずに天上に至れるようにと願う。らしい」

 

「へぇ。何だか、とっても優しい始まり方ですね」

 

「優しい、か……」

 

 彼女の返事に力なく笑うと、ローグハンターは不意に立ち上がった。

 その内、地母神の神官による祈祷が行われ、この祭りも終わりを告げるだろう。

 天灯に照らされる街並みを見下ろしながら、ローグハンターはゆっくりと目を閉じ、そして開いた。

 タカの眼に映るのは、無害を示す白い輝きと、協力者を示す青い輝きばかり。

 

 ──この街に、どれだけの人がいるのだろうか。

 

 数えるのも馬鹿に思えるほどに人がいるのは確かだ。

 そのほとんどを知らないし、今後知ることにもならないだろう。

 

 ──その人たちの中に、幸せに生きている人はどれほどいるのだろうか。

 

 恩人(モンロー大佐)は雨風凌げる家に住み、真っ当な仕事をしていれば、人は幸せになれると言っていたが。

 

 ──この中に、その幸せを奪う輩がどれほどいるのだろうか。

 

 人とは、さらに上を求める生き物だ。

 その過程で誰かから大切なものを奪うことも(いと)わず、自分だけが幸せになろうと足掻き続ける。

 そんな輩から、無辜の人たちを守るのが自分の役目(ロール)だ。

 今日というハレの日を、一人でも多くの人がまた迎えられるように、歯を食い縛るのが自分の役割(ロール)だ。

 優しげな輝きが灯っていた瞳に、少しずつ冷たい炎が灯り始め、無意識に骨が軋むほどに拳を握り締める。

 だが、その拳を、誰かの手がやさしく包み込んだ。

 

「……?」

 

 ちらりと目を向けてみれば、武闘家が両手で自分の拳を包み込み、豊かな胸を腕に押し付ける形で寄り添ってくる。

 

「ね、ねぇ。ひとつ、いい?」

 

「……どうした」

 

 いつもとは違う砕けた口調の問いかけに、僅かに面食らいながら問い返すと、武闘家は深呼吸をしてから告げた。

 

「これからは、こんな感じで話してもいい、かな?」

 

「それは構わないが、どう──」

 

「それと!」

 

 彼の言葉を遮る形で身を乗り出すと、彼の瞳を真正面から見据え、照れたように赤面しながらも言う。

 

「あんまり一人で背負わないで。私も一緒に背負うから」

 

 銀色の瞳に固い決意を滲ませながらの言葉に、ローグハンターは小さく笑みをこぼした。

 この道に引きずり込んだのは自分だが、ここまで正面から言われると流石に照れるというもの。

 

「一党なんだから、これからも一緒に頑張ろ?」

 

 にこりと微笑んで告げられた言葉に、ローグハンターは頷いた。

 だが武闘家はむず痒そうに身体を捩ると、「あはは」と誤魔化すように笑みをこぼしながら頬を掻いた。

 

「な、何だか慣れないね……」

 

「そう……だな……」

 

 対するローグハンターも困惑気味に苦笑を漏らすと、再び天灯に目を向けた。

 双子の月を目指してゆっくりと昇っていく暖かな光は、いまだに増え続けている。

 

「どうかその御霊が、天上の神々まで届かんことを」

 

 ささやかな祈りの言葉と共に武闘家の手を握り返すと、彼女もまたぎゅっと彼の拳を握った。

 その祈りは果たして誰の為のものなのか考えて、脳裏に過った人数があまりにも多過ぎて堪らず目を閉じた。

 そんな彼らの事も、救えなかった人たちの事を、そして殺めた人たちの事を彼と共に背負い、生きていかねばならないと、先程の言葉の重みを痛感する。

 けど彼と一緒ならと覚悟を改めた武闘家は、けれどゆっくりと顔を伏せて、ぽつりと呟く。

 

「でも、一党として、なんだよね……」

 

 自分で言い出したことではあるのだが、どこか残念そうに呟かれた言葉は、時機(タイミング)悪く吹き抜けた風に拐われ、ローグハンターの耳には届かない。

 彼は自身の拳を包む温もりを感じながら、双子の月と天灯を見上げていた。

 

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory15 予想外の仕事

 先の祭りから日は流れ、ローグハンターと一党を組んでから二度目の冬が訪れた。

 朝一番の寒さは文字通り刺すように厳しく、いつもなら聞こえる鳥の囀ずりもあまり聞こえず、通行人の喧騒も遠くに思えるほどだ。

 

「さ、寒い……」

 

 眠る狐亭の一室。毛布にくるまったままプルプルと小刻みに震えていた武闘家は、白い息を吐きながらそう呟いた。

「寒いの駄目だ……っ」と毛布の中で吐き捨てた彼女は、寒さを気にせずに黙々と装備を整えるローグハンターに目を向けた。

 

「今日も、仕事だよね?」

 

「ああ。あいつらに季節は関係ないからな」

 

 装備を整え、最後に片手半剣(バスタードソード)を腰帯に下げたローグハンターが言うと、武闘家は「そうだよね……」と腕を擦りながら頷いた。

 冬を越える為に金が必要なのは、冒険者もならず者も変わらない。むしろ街に住まないならず者たちの方が食料などの問題が多いだろう。

 それを冬眠する動物を狩ったり、木の実をかき集めたりで対応できればいいのだが、彼らはそんな面倒はことはしない。

 目の前に自分たちよりも弱い人たちが集まる村があり、そこに若い女性がいれば、彼らは狙うことを躊躇わない。

 この時期の村には大量の食料が貯蔵されているし、若い女性というのは──大変遺憾ではあるが──高く売れるのだ。

 実際売られそうになったのだから、これは間違いない。

 食料と一緒に今後の活動資金、あるいは退屈凌ぎが手に入るのだから、狙うのは当然のこと。

 それを未然に防ぐか、あるいは売り飛ばされる前に助けに行くことが、この時期の依頼内容の大半だ。

 

「準備が出来たら、降りてこい」

 

 背中に長筒(エアライフル)を背負い、腰に短筒(ピストル)入りの拳銃嚢(ホルスター)を取り付けたローグハンターが言うと、武闘家は「わかった」と頷く。

 背中越しでもその動作は伝わったようで、ローグハンターは何も言わずに部屋を後にしてしまう。

 

「……」

 

 彼を見送った武闘家は溜め息を吐くと毛布にくるまったままベッドを降り、素足だから感じる床の冷たさに小さく悲鳴を漏らした。

 だがおかげで目が覚めたと前向きに考えることにしつつ、ゆっくりとした足取りで姿見の前に。

「えい」と声を漏らして毛布を投げ捨て、勢いのままに寝巻きを脱ぎ払う。

 姿見に映るのは下着姿の見慣れた自分で、最近僅かな違和感を感じるようになった胸に触れた。

 昔は邪魔でしょうがなかったものだったが、今は大事な武器だ。効き目があるかどうかはわからないが、大切な武器の筈なのだ。

 まあ、それはどうでもいいとして。

 

 ──やっぱり、キツくなってる……?

 

 下着越しに胸を持ち上げてみて、僅かに重くなっている気がして小さく唸った。

 下着を変えるにしても休みを貰わなければならないし、その為には金が必要だ。

 そこまで逼迫している訳ではないが、たかが下着の為に時間と金を使うのはどうなのだろう。

 

 ──なんて思うから、振り向いて貰えないのかな……。

 

 昔から周りの女子たちからずれているような気がしていたが、普通の女子なら迷わずに買いに行くなり、むしろ喜ぶなりするのだろうかと自問する。

 

「うーん。どうしたもんかなぁ」

 

 ゆさゆさと胸を揺らしながら独り言を漏らし、姿見に映る自分を見つけた。

 一人黙々と胸を揺らしている自分の姿は、何だか見ていて情けなくなる。

 はぁ……と小さく溜め息を漏らした武闘家は、自分用の長持ちに向けて歩き出した。

 長持に隠していた鍵を取り出し、慣れた手付きで錠を外す。

 いつもの籠手と冒険用の衣装を取り出し、手早くそれらを纏う。

 仕上げに母譲りの銀色の髪を頭の高い位置で結い、後ろに垂らす。

 昔は邪魔な髪を纏めていただけだったが、彼に似合っていると言われてからは気にするようにしているのだが、やはり伸びてくると気になって仕方がない。

 前髪くらい短くしようかと弄ってみるが、とりあえず明日でいいかと手を離した。

 姿見の前でくるりと回れば、銀色の髪が尾のように揺れて、窓から差し込む朝陽に照らされてきらきらと輝く。

 最後にぴたりと止まり、服の乱れを直して準備は完了。

 

「よし、行ってきます!」

 

 誰もいないことは承知だが、何事に対しても挨拶が大事なのは常識だ。

 部屋を飛び出し、鍵を締め、小走りで廊下を進む。

 さあ今日も仕事だ。誰かの幸福を守るため、ちょいとばかり血に濡れるだけのこと。

 

 ──って、慣れちゃ駄目だよね……。

 

 彼にも言われたことだ。

 人を殺めることに慣れるな、血に酔うなと、耳にたこが出来る程に言われたのだ。

 もし人を殺めることに快感を見出だしたら、それは人としての終わりだと。

 酷く切なそうに、哀しそうに告げられたあの言葉は、決して忘れることはない。

 階段を降りきり、眠る狐亭の酒場に顔を出すと、いつものカウンター席にローグハンターの姿があった。

 一人で薄口のスープを啜り、ホッと一息ついている姿は、見た目以上に幼く見える。

 

 ──もし私がその一線を越えちゃったら、彼はどうするんだろう。

 

 絶対に越えないと誓うが、もし本当に自分が自分でなくなった時は。

 

 ──キミは、泣いてくれるかな……?

 

 

 

 

 

 陽が山の影に隠れ始め、空が不気味な青紫色に染まり始めた夕暮れ時。

 微かに輝き始めた双子の月と、幾千の星々が見下ろす丘陵地帯。

 いくつかある丘の頂上に身を潜めているローグハンターと武闘家は、眼下に広がる拠点に目を向け、顔を見合わせた。

 

「……え、あれに飛び込むの?」

 

「そうだな……」

 

 目深く被ったフードの下で嘆息したローグハンターは、改めて眼下にある拠点を睨んだ。

 複数ある丘に囲まれた窪地。その中央に鎮座するのは、四方を塀で囲まれた野盗の拠点だ。

 柵は木製であるものの、内側が見えないように隙間なく詰められており、よじ登ろうにも継ぎ目すら見つからないのは如何なものか。

 

「さて、どうするか」

 

「正面突破!──は、無理だよね、うん……」

 

 隣の武闘家が元気溌剌にそう告げるが、すぐに消沈して再び拠点へと視線を落とす。

 同時にローグハンターは雑嚢に手を突っ込み、何かを探しながら告げた。

 

「死に場所を間違えた自覚はあるが、死にたいとは思っていない」

 

「……死に場所の(くだり)は冗談だよね?」

 

「どうだろうな」

 

 武闘家の問いかけにローグハンターは肩を竦め、雑嚢から引っ張り出した単眼鏡を構えた。

 月明かりを反射しないように気を付けながら覗きこみ、見張りの位置や巡回の道順(ルート)を見定める。

 

「塀の上には見張りの弓兵。中にも兵士が多数。装備も整っている。面倒だな」

 

 そう言いながら単眼鏡を武闘家に差し出し、それを受け取った彼女はそれを覗きながら首を傾げた。

 

「あれ、本当に盗賊?なんか、訓練やってない?」

 

 拠点の片隅。手製の案山子に向けて矢を放っている一段を見つけ、「うへぇ……」と心底嫌そうな表情になる。

 そもそもをして、ローグハンター曰く今回の依頼からしてどうにもきな臭いらしいのだ。

 

「……拐われた娘を助け出してくれ、か」

 

 ローグハンターがぼそりと依頼内容を反芻し、単眼鏡を求めて手を差し出す。

 

「うわー、家まであるよ。あれじゃあ村だよ、村」

 

 だが武闘家は観察に夢中なのか気付いておらず、拠点にいくらかある木造の家屋を見つめてぼやいている。

 仕方がないと溜め息を吐いたローグハンターは、目を細めて拠点を観察し、茂みや物影を確認する。

 あの拠点を二人で攻め落とすのは無理だ。ならば素早く侵入し、こそこそと潜入していく(スニークする)しかあるまい。

 

「檻は見当たらないから、その娘さんがいるのは建物の中かな?」

 

「恐らく。地下に何かあるのなら話は変わるが、一件ずつしらみ潰しに行くしかない」

 

 はぁと溜め息混じりに面倒臭そうに額に手をやったローグハンターは、いい加減返して欲しいのか彼女の肩を叩いた。

 武闘家は肩を跳ねさせて驚きながら単眼鏡から目を離し、そこでようやく彼の手が伸びていることに気付く。

「ああ、ごめん」と謝りながら単眼鏡が差し出し、受け取ったローグハンターは改めて単眼鏡を覗く。

 拠点の水源確保の為か近くに小さな湖があるが、塀の外にある以上侵入路にはなり得ない。

 

「どこから切り崩すか」

 

 拠点を囲う塀と、内側の各所にある櫓には弓兵が控え、警羅の兵士も多い。

 ならず者は殲滅すべきという考えを持ってはいるが、流石に二人だけでやるには大規模すぎる。

 

 ──大砲がいるな……。

 

 半ば自棄になりながらそんな事を考え、頭を振って思考を冷静に戻す。

 大砲なんて御大層なものがここにあるわけがない。あるのは爆薬(グレネード)がいくらか程度のもの。

 塀に穴を開けるくらいなら出来そうなものだが、それをすれば間違いなく気付かれる。

 

 ──脱出路を確保するならそれでいいか。

 

 対象を確保し、塀を爆破。そこからは何を使って脱出するかだが……。

 じっと蒼い瞳を細め、単眼鏡で拡大している拠点の一角を注視した。

 拠点の出入口の近くにある馬小屋。二三頭の馬がいるから、それを利用しても良いだろう。

 幸い乗馬の経験はある。余程の暴れ馬でなければ問題はない。

 

 ──こいつは乗れないだろうが……。

 

 ちらりと武闘家に目を向け、彼女に気付かれないように溜め息を漏らす。

 流石に乗馬まで教える義理はないだろうと思っていたが、こんな事態になるとは思うまい。

 

「一つ聞いてもいいか」

 

「どうかした?」

 

 拠点の観察に集中しながらの問いかけに、武闘家は気にした様子もなく言葉を返すと、ローグハンターは低く唸った。

 

「馬に乗ったことは」

 

「あるよ。村にいたから」

 

「ないだろうな──って、なに?」

 

 間髪入れずに告げられた言葉に、ローグハンターは一瞬気付かずに話を続けようとしたが、すぐに彼女の言葉を把握して単眼鏡から顔を離した。

『嘘だろう』と目で訴えるが、武闘家は不機嫌そうに頬を膨らませ、「本当だもん」と言いながらそっぽを向いた。

 

「なら、問題ないか」

 

「……何かするの?」

 

 武闘家は少し不機嫌そうな声音で問いながら、ぶんどるように単眼鏡を受け取ると、彼が見ていたであろう位置を確認した。

 そこにあるのは馬小屋で、何頭かいる馬が黙々と干し草を頬張っている。

 

「あれを使って、逃げる感じ?」

 

「予定では、な。俺とお前。護衛対象の三人。俺が護衛対象を運ぶにしても、最低二頭だ」

 

「振り回されるあの子達も、可愛そうだけどね……」

 

「……それに関しては仕方がない」

 

 こちらの都合に振り回せる馬たちには同情するが、どこかの牧場かギルドに買い取ってもらえれば、危険な仕事に連れ出されることもなくなる。

 最悪殺して美味しくいただく事になるが、とりあえず夕食に困ることはなくなるのでどちらにせよ安心ではある。

 

「問題は侵入路だ。どこかに入り込む隙はないか」

 

「一旦ぐるっと回ってみる?何か見つかるかもよ?」

 

「そうだな。どこかに通り抜けられる隙間──有り体に言えば穴が開いていれば、そこから入れるんだが……」

 

 単眼鏡から顔を離し、目を細めるローグハンターの横顔に向けて言葉を投げてみれば、彼は神妙な面持ちのまま頷いた。

 二人とも自分は一般人に比べればだいぶ強いという自覚はあるが、一騎当千の英雄には程遠いことも知っている。

 一歩ずつとは言わなくとも、半歩ずつでもいい。

 相手の弱点を探り、見つけ、そこを突く。自分たちに出来るのはそれだけで、その精度を高めることしか出来ない。

 

蛇の目(ファンブル)が出なければそれでいいが、万全を期するに越したことはない。行くぞ」

 

「了解。こそこそと行きますか」

 

 ローグハンターがずれたフードを直しながら言うと、武闘家はこくりと頷いて外套のフードを被った。

 目立つ銀色の髪を影に隠し、潜入(スニーク)能力に多少ながらの補助(バフ)を掛ける。

 彼を真似るという意味合いもあるが、余計な危険(リスク)を犯したくないもいう意味合いの方が強い。

 自分の人生が、誰かの人生が懸かっているのだ。あちらにどんな理由があるにしても、負ける訳にはいかない。

 

「行くぞ」

 

 ローグハンターは低く冷たい声音でそう告げて、夜の闇に紛れながら走り出す。

 武闘家もその後に続き、影の中をひた走る。

 目的地は見つけた。帰りの道も目星がついた。

 後は忍び込むのみだ。

 

 

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時。

 いよいよをもって辺りが黒く塗り潰され、大地を照らすのは優しげな月明かりのみ。

 拠点の塀の上から辺りを見渡していた弓兵は、いつもと変わらない退屈さに欠伸を漏らし、いかんいかんと目に浮かんだ涙を拭った。

 頭目たちと一緒にとある辺境貴族の令嬢を拐ったのだが、警戒すべきはここからなのだ。気は抜けない。

 そう、彼女を取り返しに冒険者が来るかもしれないのだ、気を抜いていいわけがない。

 

「ふぁ~。だが、(ねむ)い……」

 

 そうは思っても、睡魔には勝てずに意識がどんどんと鈍化していく。

 令嬢の誘拐から働き続けているのだ、人手が足りないのは承知だが身体が言うことを聞いてくれない。

 自分の真下で、ローグハンターが塀の壁に小さな穴を開け、そこに爆薬(グレネード)を詰めている事にも、気付く様子はない。

 真上から聞こえる人の吐息に冷や汗を流しながら、淡々と作業を続ける。

 都合三ヶ所目の細工だが、現状気付かれた様子はない。

 予定通り。後は内側から炸裂弾(グレネード)を撃ち込めば、誘爆して脱出路を確保できる。

 塀への爆薬の設置を完了したと同時に、足音もなく走り出す。

 草木を踏む音もなく、掻き分ける音すらもなく、武闘家に見張らせている侵入路を目指す。

 弓兵たちの死角を突くため、塀のギリギリ。肩が擦れる程の距離を保ち、けれど全速力を保って走り抜ける。

 四方を囲う塀をちょうど半周したと同時にタカの眼を発動。茂みの中に蠢く青い人影を確認し、そこに向けて滑り込む。

 がさりと微かに茂みが揺れる音が漏れはするものの、見張りが聞くにはあまりにも小さいそれに、気付く者はいない。

 はぁはぁと肩を揺らして乱れる呼吸を繰り返すローグハンターは、「用意が出来たぞ」と黒い外套を羽織る武闘家に告げた。

 

「その前に、これ飲んで」

 

 彼女はそう告げて水袋を差し出すと、ローグハンターは黙ってそれを受け取り、一口呷った。

 ぐびりと水を嚥下する度に動く喉仏を見つめた武闘家は、僅かに照れたように赤面しながら顔を背けた。

 

「行けそう?」

 

「問題ない」

 

 それを誤魔化すように問うと、返事はいつも通り淡々としたもの。

 なら大丈夫だと、彼の心配を止めて目を閉じた。

 胸に手を当てながら深呼吸をして意識を集中。彼が立てた作戦を頭の中で復唱する。

 

 ──出来るだけ戦闘を避けて、対象を確保次第即離脱。

 

 いつもの押し込み強盗(ハック・アンド・スラッシュ)とは違う、撤退と撹乱を中心とした作戦。

 彼らしくないと言えばそうだが、今回ばかりは相手が悪い。

 こそ泥に徹しなければならないのは業腹だが、冒険者として依頼の完遂は絶対だ。

 多少の無茶はしなければならない。一応冒険者なのだし。

 

「よし、行くぞ」

 

 ゆっくりと呼吸を整えたローグハンターは、そっと武闘家の肩に手を置いた。

 武闘家がこくりと頷くと、ローグハンターも頷き返す。

 二人は音を消し、気配を殺しながら、ゆっくりと茂みから出ると塀に貼りつき、足元に開く穴に目を向けた。

 地面に這いつくばれば辛うじて通れるそれは、何のためにあるのかはわからない。

 何かの拍子に地面が歪んで開いてしまったのか、あるいはここが占拠された時に備えての隠し通路のつもりだったのか、ともかく使えるのなら使うしかあるまい。

 音をたてずに匍匐の体勢に入ったローグハンターは、ゆっくりと穴に頭を突っ込み辺りを確認。

 幸いにして、穴の回りにも背の高い雑草が生い茂っており、入り込んだ瞬間に見つかることはなさそうだ。

 ローグハンターはそのまま拠点に入り込み、穴から手だけを出して武闘家に合図を送る。

 そっとその手を握られた事を合図に手を引っ込め、彼女が通り抜けるのを待つ。

 フードに包まれた頭が入り、前に出された腕と肩が通り、そのまま腰に行くかと思いきや、

 

「っ!?」

 

 武闘家はぎょっと目を見開いて、その動きを止めた。

 辺りを警戒しながら「どうした!」と小声で問うと、武闘家は微かに涙目になりながら告げた。

 

「引っ掛かっちゃった……」

 

「……は?」

 

 どうにか出ようとじたばたと手足を暴れさせるが、豊かな胸が程よく地面に嵌まってしまったようで、びくともしない。

 

「……」

 

 流石のローグハンターもこれには呆れ顔になり、武闘家は申し訳なさそうに乾いた笑みを浮かべながら顔を背けた。

 

 ──やっぱり邪魔でしかないよ……っ!

 

 同時にこの状況を作り出した邪魔物(自分の胸)に悪態をつく。

 むー!と唸りながら両手を地面につき、身体を引っ張り出そうとするが、身体は動いてくれない。

 ローグハンターは額に手をやって溜め息を吐くと、そっと突っかかっている彼女の胸の辺りの地面に触れた。

 

「……少し掘る。待ってろ」

 

「ごめん……」

 

「いや、もう少し考えるべきだった」

 

 一回り身体が小さい彼女なら平気だろうと高を括っていたローグハンターは、目を細めながら溜め息を漏らす。

 女の身体というのは存外に身体の起伏があるのだなと、見ればわかりそうな事を今さらになって実感する。

 

「……触ったらすまん」

 

 いつぞやに酔った彼女に迫られ、流されるがまま鷲掴んだ時の感触を思い出してしまったローグハンターは、一応の断りを入れた。

 

「だ、大丈夫。元は私のせいだし……」

 

 音を立てないように細心の注意を払いながら少しずつ地面を削っていく。

 幸いにもあまり硬くはないからあまり時間はかからないだろうと安堵しつつも、時折辺りを警戒することも忘れない。

 見つかっても自分ならどうにかなるが、今の彼女は見つかれば終わりだ。

 額に滲む汗を拭うことも忘れ、ローグハンターは黙々と地面を掘り続ける。

 そんな彼の顔を、武闘家は心底申し訳なさそうな面持ちで見つめていた──。

 

 

 

 

 

 ローグハンターたちが思わぬ問題(アクシデント)に直面する少し前。

 拠点内の一際大きな建物の中。

 その一室に、見目麗しい一人の乙女がいた。

 濡れ羽色の神を背中に流し、同じく濡れ羽色の瞳は不安と期待が入り交ざり、部屋の照明の光に当てられ怪しく揺れている。

「はぁ…」と物憂げに溜め息を漏らした彼女は窓に越しに見える集落(……)の様子を眺め、再び溜め息を漏らす。

 

「何か、心配事ですか?」

 

 そんな彼女に声を掛けたのは、一人の美丈夫だ。

 年は二十辺り。顔に幼さが残っているため、もう少し下の可能性もある。

 特徴といえば僅かにくすんだ金色の短髪と、穢れを知らない碧眼。纏う鎧もそれなりに上等なもので、腰に帯びる剣もまた同じ。

 貴族の嫡子だと言われても誰しもが納得する気品を持ち合わせ、柔らかな笑みを浮かべる彼が、この拠点の頭目だとは誰も思うまい。

 貴族令嬢は彼に目を向けると、すぐに視線を落とした。

 

「父が、何もしない筈がありません……」

 

 そうして絞り出した言葉に、頭目の青年は頷いた。

 

「冒険者か、影に生きる者(シャドウランナー)か、刺客が放たれるでしょう」

 

 彼は神妙な面持ちで言うと、貴族令嬢の前に跪いた。

 彼の行動に驚いてか、貴族令嬢は顔を上げて青年の顔を見つめる。

 青年は彼女を励まそうと微笑みをこぼし、そっと頬を撫でた。

 

「ですが、安心してください。幼き日に約束した通り(・・・・・・・・・・)あなたは私が守ります」

 

 青年はそれだけを言うと立ち上がり、踵を返して部屋を後にした。

 彼の背に向けて手を伸ばした貴族令嬢だが、扉が閉まると同時に手を引くと、震える身体を抱きしめた。

 

 ──もう少し。もう少しで自由になれるのに……!

 

 厳格と言えば聞こえはいいが、己の子を政治の道具程度にしか思っていないあの父親(悪魔)の手から、ようやく彼が助け出してくれたのだ。

 何の説明もなくいつの間にかいなくなってしまった、幼い頃から恋焦がれていたあの人が。

 父が「一族もろともに死んだ」と言っていたあの人が、助けてくれたのだ。

 

「どうか、無事でいてください」

 

 額の前で両手を組み、思いつく限りの神々に祈りを捧げる。

 愛しい人の帰還を。愛しい人との未来を。

 

 

 

 

 

「どうにかなるものだな」

 

 額に滲んだ汗を拭ったローグハンターがホッと息を吐くと、ようやく穴から脱出した武闘家が相変わら申し訳なさそうな面持ちで「ありがとう」と呟いた。

 二人の衣装は戦闘前にも関わらず土に汚れ、一切戦闘していないのに変に息が上がっている。

 拠点の端の茂みの中で肩を寄せ合う二人は呼吸を整えながら、顔を見合わせて頷きあう。

 そのまま緩んだ意識を研ぎ澄まし、息を合わせて茂みの中を進み始める。

 目指すは拠点内で一番大きな建物。

 敵の首領がいるのならそこだと、何かしらの情報があるのならそこだと、タカの眼が建物全体を金色に強調することで教えてくれる。

 故に他の建物には目もくれず、そこを目指して進み続ける。

 

 ──辺境のどこかにある屋敷の中で、善い報告を待ちわびる者(依頼人)が嘲笑っていることにも気付かずに。

 

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory16 行動開始

 がさがさと微かに草が揺れる音を漏らしながら、ローグハンターと武闘家の二人は拠点内を進んでいた。

 遠くから聞こえる号令や、茂みの目の前から聞こえる武具がぶつかり合う摩擦音に多少なりとも威圧されつつも、出来うる限りで気配を殺す。

 付かず離れずの距離でローグハンターの背を追いかけていた武闘家は、額に滲む汗を拭い、小さく息を吐く。

 こそこそするのはいつもの事ではあるが、ここまで長時間の緊張を強いられるのは初めてなのだ。

 いつもは相手の背を取り、先制を取るために隠れているのであって、こうやって拠点内に忍び込むのはこれが初。

 慣れないことを、ほぼぶっつけ本番で行うことになった武闘家の精神的な疲労は無視できるものではなく、ただ隠れているだけなのに息が切れてしまう。

 それを落ち着かせようとゆっくりと呼吸をするけれど、けれど速度を緩めることは許されない。

 ローグハンターも多少は気を使ってくれているようだが、やはり周辺への警戒の方に意識は割かれているらしく、いつものように待ってくれる様子はない。

 

 ──頑張ら、ないと……っ!

 

 現状で自分を励ませられるのは自分だけと、武闘家は無言のまま気合いを入れ直し、黙々と足を動かす。

 そうして一歩目を踏み出した瞬間、前を歩いていたローグハンターが不意に立ち止まり、手を横に伸ばして停止の指示を出してきた。

 反射的に足を止めた武闘家が草を揺らさないように気を付けながら辺りを警戒すると、ローグハンターが手招きする。

 呼ばれるがまま彼の隣に進んだ彼女は、「どうしたの?」と囁くような声で彼に問うた。

 ローグハンターは険しい表情を浮かべたまま「見ろ」と前方を指差し、忌々しそうに舌打ちを漏らした。

 促されるがまま彼が示した方向に目を向けた武闘家は、予想外の光景に「え……」と声を漏らし、慌てて彼に顔を向けた。

「くそ……っ!」と悪態をついた彼は蒼い瞳に狼狽の色を滲ませ、「やはり、受けるべきではなかった」と過去の選択を後悔した。

 二人の視線の先。偵察場所からの死角となっていたその場所に、適当に草を刈って整えられた、大きめの広場があったのだ。

 おかげで二人が身を隠している茂みが途切れているのもそうだが、最大の問題はそこではない。最大の問題は、その広場を占拠している小さな人影たちだ。

 夜中に関わらずきゃいきゃいと楽しそうにはしゃぎ、一人が棒切れ片手に走り回り、彼から逃げるように広場を駆け回っているのが複数人。

 

「な、なんで子供がこんな場所に……!?」

 

 武闘家が目の前の光景を信じられずに声を漏らすと、ローグハンターは返答代わりに低く唸った。

 二人の前に広がる広場で、数人の子供が追いかけっこを繰り広げているのだ。

 どこかから拐われてきたと言うには元気溌剌で、表情に陰りはない。

「あんまり遊びすぎないでね~」と見張り──というよりは保護者役だろうか──の女兵士もにこにこと微笑みながら子供たちの行動に気をかけており、子供たちも一旦立ち止まって「はーい!」と一斉に返事が返す。

 そのまま再び走り出す辺り、あの兵士の話を聞いているのかいないのか。

 

「「………」」

 

 ローグハンターと武闘家の二人は顔を見合わせ、困惑を隠しきれずに小さく唸った。

 依頼人からは、『盗賊に拐われた娘を救い出して欲しい』とだけ言われている。

 殲滅できれば追加の報酬もあるそうだが、まさかあの子達もまた対象ではあるまいか。

 

「……きな臭いな」

 

 目を細めながら神妙な面持ちで呟いた彼は、武闘家の肩を叩いた。

 

「目的の令嬢を確保する。ついでに、ここの頭目にも会いに行くぞ」

 

「わかった。でも、会ってどうするの?」

 

 殺るのか、殺らないのか。それを確認しようと、その問いを投げた。

 問われたローグハンターは額に手をやると、溜め息を吐いて「わからん」と力なく呟いた。

 

「だが、あの子達は殺さない」

 

 けれど、月明かりに照らされながら遊んでいる子供たちを眺めながら発した言葉には、絶対の意志が込められていた。

 その表情に見惚れながらもすぐに気を持ち直し、「うん」と力強く頷いた武闘家はそっと辺りを見渡す。

 

「う、迂回できるかな……?」

 

「多少警戒されてもいい。行くぞ」

 

 不安そうに問われた言葉にローグハンターは即答し、タカの眼を発動しながら辺りを見渡す。

 

「とりあえず来た道を戻る。目的地はそのままだ、いいな」

 

「わかった。ついてくからね」

 

 彼の提案に武闘家が頷くと、ローグハンターは踵を返して言葉の通りに来た道を戻り始める。

 武闘家は横目ですぐ隣を抜けていったローグハンターを見送ると、再び子供たちに目を向けた。

 月明かりの下で楽しそうに笑う彼らと、彼らを見守る人たちはいつも相手をしているならず者(ローグ)たちとは全く違う雰囲気があるし、何より子供を殺したくはない。

 そうして子供たちを眺めていると、不意に背中を叩かれた。

 慌てて振り向いてみれば、相変わらず固い表情を浮かべるローグハンターがそこにいた。

 

「何してる。行くぞ」

 

「ああ、ごめん。すぐ行く」

 

 鋭く放たれた言葉に、武闘家は曖昧な表情を浮かべて頷いた。

 覚悟は出来ているのだが、その覚悟が揺らいでしまっているのだろう。

 それを察してか、ローグハンターは小さく溜め息を漏らすと彼女に告げた。

 

「今回は皆殺し(スレイ)なしだ。出来るだけ穏便に済ませて、ギルドに戻る。それから、依頼人に話を聞く」

 

「そうだね。うん、それがいいよ」

 

 これからの事を手短に説明し、武闘家はこくりと頷いて同意を示す。

 慣れない説得をしなければならないのかと、ローグハンターは内心で舌打ちを漏らすが、やらなければならない。

 

 ──罪のない子供を殺すようなことになれば、それこそ俺が忌み嫌う奴等となにも変わらない。

 

 自分は奴等とは違うと、何より武闘家を巻き込むわけにはいかないと、自分に言い聞かせる。

 

 ──本来なら汚れ役は俺だけで十分。これ以上、彼女に負担をかけるわけにはいかない。

 

 ローグハンターは蒼い瞳に静かに、そして冷たい光を灯しながら、一人覚悟を決めた。

 双子の月は相変わらず、全てを優しく照らす明かりを放っていた。

 

 

 

 

 

 拠点内で最大の大きさを誇る建物の、大広間。

 普段なら宴に使われるそこにはいくつもの長机が並び、その上には空になった皿や杯が並んでいる。

 壁にかけられた松明や、卓の上に置かれた蝋燭などで夜中にも関わらず明るく、身を隠せる暗闇はない。

 そんな広間から一段あがった上座ともいえる場所には、他の椅子よりも僅かに着飾られた玉座と呼ぶべきそれに腰掛けるのは、頭目の青年だ。

 彼の部下たちが用意した、形だけでもと用意したものという他になく、そこに腰掛ける青年の表情は物憂いげだ。

 部下たちは皆各々の家に帰るか、警羅の任務についていることだろう。

 

「……父上」

 

 頭目の青年は背もたれに身体を預け、ぼんやりと天井を見上げながら死んだ父の事を思っていた。

 ある日突然病に倒れ、そのまま亡くなってしまった父の背中は、もう随分と曖昧になってしまった。

 幼き日に亡くなった母の姿はもはや影すらも思い出せず、幼少期の思い出はあの()と一緒に遊んだ日々だけ。

 彼女を救うためなら、たとて悪人として葬られたとしても後悔はない。

 もうすぐ来るであろう刺客との戦いを乗り越え、自分や部下たちが野盗に身をやつす切っ掛けとなった全ての元凶を討つ。

 それを成せたとしても、自分は悪人として討たれるだろう。彼女と添い遂げることは、叶うまい。

 そもそも誘拐犯と、拐われた貴族令嬢の恋物語。

 当事者である筈なのに気持ち悪くて身震いがする。

 彼女との恋は叶わずとも、彼女が自由に生きられるのならそれでいい。自分にとって、彼女は全てだ。

 そうして思慮をしていた青年はゆっくりと顔を落とし、フッと自嘲するような笑みを浮かべた。

 

「……あなたが私を討ちに来た刺客ですか?」

 

 広間の入口たる場所に、影のような男が立っていた。

 目深く被ったフードの影から一対の蒼い炎が揺れ、手には鋼の輝きを放つ無骨な片手半剣(バスタードソード)が握られている。

 頭目の青年はゆっくりと立ち上がり、玉座に立て掛けていた剣を手に掴む。

 

「せめて、お互い名乗りませんか?」

 

 青年は剣の切っ先を相手に向けると、向けられた男はゆっくりと大広間に入り込み、警戒するように辺りを見渡す。

 

「見なくとも誰もいませんよ。ここには私と、あなただけです」

 

 頭目の青年は微笑み混じりにそう告げると、侵入者の男は剣の切っ先を青年に向けた。

 

「──ならず者殺し(ローグハンター)。今はそう呼ばれている」

 

「っ!ああ、なるほど。あなたが……」

 

 侵入者──ローグハンターの名乗りに頭目の青年は一瞬目を見開いて驚愕を露にすると、何かを悟ったように目を細めた。

 

 ──あの男は、そこまでして私を殺したいのか……。

 

 あるいは、彼女を人形にしたいのかと、青年は瞳に僅かな殺意を滾らせる。

 湧き出た殺意をそのままにゆっくりと剣を構え、じっと相手を見据える。

 

「お互い、嫌な運命(シナリオ)に巻き込まれたものですね」

 

「俺は、俺の成すべき事を成すだけだ」

 

 対するローグハンターは一言でもって切り捨て、腰に提げたままの短剣を抜き、息を吐くと同時に脱力しながら両手剣の構えをとる。

 数秒の沈黙。二人は互いに冷たい殺意を込めた視線を相手に送り、ほんの僅かな隙を探りあう。

 そして先に動いたのは頭目の青年だった。

 床板が砕ける程の勢いでその場を飛び、大広間のほぼ中央に立つローグハンターに斬りかかる。

 ローグハンターは脱力したまま剣を振りかぶり、渾身の力を込めて一閃。

 直後甲高い金属音が大広間に響き渡り、放たれた剣圧で蝋燭の火が消える。

 光源が壁の松明のみになるが、明るさは大して違わない。

 

「おおおぉぉぉぉおおおおおっ!!!」

 

「っ!!」

 

 頭目の青年は気合いの咆哮と共にローグハンターに挑み、受け止めるローグハンターはその気迫に表情を歪める。

 青年は愛する人を護るため。

 ローグハンターは己が目的を果たすため。

 誰にも知られず、誰にも気付かれることなく、最初で最後の決戦が始まった。

 

 

 

 

 

 ──少し、騒がしいような……。

 

 二人の戦いが始まったのと時を同じくして、貴族令嬢は壁越しに聞こえてくる物音に気付き、窓から眺めていた景色から意識を外した。

 濡れ羽色の瞳を巡らせて扉に目を向けるが、誰かが入ってくる様子はない。

 

「……?」

 

 気のせいだろうかと小首を傾げるものの、気になってしまってかそっと窓際から離れ、扉に耳を当てた。

 キン!キン!と鋭く甲高い音が微かに聞こえ、男性のものと思われる怒号も聞こえてくる。

 

 ──まさ、か……!

 

 もう父からの刺客が放たれたのか。

 もう彼と戦い始めてしまったのか。

 それに気付いた貴族令嬢は慌てた様子で扉を開けようとするが、外から鍵が掛けられているのか、ガチャガチャと音をたててノブが回るだけで、開いてくれない。

 

「ど、どうして……」

 

 彼との約束で常に鍵は開いている筈なのにと、困惑を隠しきれない彼女は、「……まさか!」と何かに気付いたのか声を漏らした。

 彼は今日明日にも刺客が来る事を察していた。だから、鍵を掛けたのだろうかと、鍵の謎にたどり着いたのだ。

 助けに来た何者かが、鍵を掛けられていない部屋に、枷も付けられていない人質がいたとすれば、本当に拐われたのかと多少なりとも疑いを持つ可能性がある。

 それがギルドなりに報告されれば、今後の人生に多少なりとも影響を与える事だろう。

 

 ……彼は、それを見越して!

 

 貴族令嬢は彼の自分を守らんとする優しさと、己を切り捨てる残酷さに目に涙を浮かべながら、何か手立てを探して部屋を見渡す。

 と言ってもあるのは椅子や机、あとは夕食を乗せていた皿程度のもので、鍵付きの扉を破れるようなものはない。

 どうにか脱出し、彼を助けなければならないのにと、焦燥感のみが募っていく。

 そんな彼女に冷や水を浴びせるように、こんこんと窓ガラスが叩かれた。

 肩を跳ねさせて驚きながら、勢いよく窓の方に目を向けた彼女は、そこから覗いている銀色の何かに気付く。

 風に揺れているそれは、旗や布とは違う、もっと細い糸が纏まったのような何かだ。

 何だと注視してみれば、みょこりと顔が飛び出す。

 窓から部屋を覗いている人物は銀色の瞳を細めて貴族令嬢を凝視すると、翠玉の認識票を見せながら『開けてください』と口の動きだけで要求。

 

 ──ぼ、冒険者?まさか、私を助けに……?

 

 無言で困惑する貴族令嬢を他所に、その冒険者──銀髪の武闘家は首を傾げ、再び窓ガラスを叩く。

 その音にハッとした貴族令嬢は、これに賭けるしかないと表情を引き締め、こくりと頷いた。

 武闘家の要求通りに窓を開け、同時にあることに気付く。

 それを問おうとした直前に武闘家が室内に入り込み、そっと窓を閉じてカーテンを閉める。

 外からの視界を封じた武闘家は改めて貴族令嬢に身体を向け、「助けにきました」と告げてにこりと微笑んだ。

「は、はあ……」と気の抜けた返事をした貴族令嬢は、ちらりと窓に目を向けて、「あの……」と声を漏らす。

 

「ここ、建物の三階ですよね……?」

 

「?はい、三階ですね」

 

 貴族令嬢の問いかけに武闘家は不思議そうに首を傾げ、さも当然のように頷いた。

 

「どうやって、ここまで来たのですか……?」

 

「壁を登りました」

 

 重ねられた問いかけに、武闘家は再びさも当然のように頷き、「どうかしました?」と問い返す。

 

「──」

 

 彼女の言葉に天井を仰いだ貴族令嬢は、「これが、冒険者、ですか……」とまるで違う生物を見たかのように呟いた。

 一応だが、二人とも只人(ヒューム)の女性。

 そんな視線を向けられた武闘家が「心外です!」と言えば問題かもしれないが、当の彼女は何故か得意気に胸を張っており、表情もまた得意気だ。

 

「とにかく早く逃げましょう。退路も一応は確保してあります」

 

 と、告げられた言葉に貴族令嬢は「窓から降りるのは嫌です……!」と慌てて声を出した。

 その言葉と剣幕に面を食らった武闘家は、「高い所は苦手です?」と問うた。

 問われた貴族令嬢は僅かに口をまごつかせると、「はい……」と力なく頷いた。

 その返答に武闘家は小さく唸りながら窓を見つめ、「確かに高いですよね」と苦笑を漏らす。

 

「じゃあ、中を通っていきましょう。最初からそのつもりでしたし」

 

 ぽんと手を叩いて告げた彼女は、鍵の掛かった扉の前に進み、そっと手を触れた。

 

「中から?ですが、外から鍵が……」

 

「スピード勝負です。手を離さないでください」

 

 怪訝そうに問うてくる貴族令嬢に背中を向けたまま告げると、「ふーっ」と深く息を吐き、半歩足を下げる。

 

「あの、一体何を──」

 

「蹴り破ります!!」

 

 貴族令嬢の問いかけを遮る形で吼えた武闘家は、下げた足を前に突き出す勢いのままに扉を蹴り破り、盛大な破砕音が建物内を駆け抜けた。

 素早く体勢を整えた武闘家はぽかんと間の抜けた表情を浮かべる貴族令嬢の手を掴み、「行きます!」と声をかけて走り出した。

 

「え、あ、待っ──」

 

 訳もわからずに手を引かれるがまま走り出した貴族令嬢は、反射的に武闘家の手を力強く握りしめ、離さないように気を引き締める。

 

「おい、何ご──!?」

 

 音に気付き、飛び起きた誰かが部屋から顔を出すが、その瞬間に武闘家の拳で顔面を撃ち抜かれ、声は声とならずに消え、男の身体が膝から崩れる。

 

「大丈夫ですか?!速いですよね!?」

 

「あい……じょぶ……です……っ」

 

 全力疾走する武闘家に、半ば引きずられる形で追従する貴族令嬢は、顔色を悪くしながら気丈に頷いた。

 座学や手芸はやらされたが、ここまで全身を使った運動は滅多なことではやることはなかった。

 それなのに準備運動もなく全力疾走すれば、肺や身体が悲鳴をあげるのは当然のこと。

 経験のない痛みが走る脇腹を押さえながら懸命に走るが、額には玉のような汗が浮かび、息が乱れて落ち着かない。

 そんな貴族令嬢の様子に気付いた武闘家は、励ますように笑みを浮かべた。

 

「彼の方もそろそろ終わった筈ですから、大丈夫です!きっと帰れます!」

 

 ──彼って、誰のことですか……?

 

 呼吸が精一杯でその問いかけは言葉にはならず、ぱくぱくと口が動くのみ。

 ようやく見え始めた階段に向かいながら、階段手前で廊下両脇の扉が開きかけた事を視認した武闘家は、貴族令嬢から手を離し、加速。

 ほぼ同時に顔を出した二人の男に向けて跳躍。

 武闘家の突然の接近に身体を強張らせた瞬間に、男二人の頭をワシ掴み、突撃の勢いのままに押し倒し、後頭部を床が割れるほどの力を込めて叩きつける。

「がっ!?」「げぇ?!」と呻き声を漏らした男たちの頭から手を離し、それぞれの顎に向けて同時に裏拳。

 快音と共に顎先を撃ち抜かれ、脳を揺らされた男たちはぐるりと白眼を剥き、強張っていた身体を弛緩させる。

 本来は隠すべきなのだが、今は気にせずに前進を優先。

 

「よし、行きま……しょう……?」

 

 再び手を掴もうと貴族令嬢の方に振り向くが、肝心の彼女がいないことに気付いて「え……」と声を漏らす。

 慌てて廊下を見渡してみれば、来た道を引き返し、廊下の曲がり角に消えていく貴族令嬢の影を発見。

 

「……嘘でしょ!?」

 

 まさか救出対象から逃げられるとはと、予想外の事態に目を剥いた武闘家は、すぐに気を取り直して彼女の背を追いかけて走り出す。

 騒ぎが広がり、廊下のあちこちから装備を整える金擦音が聞こえてくる。

 

「あー、もう!何なの!!」

 

 一歩踏み出すごとに悪くなる状況に、武闘家は悪態をついた。

 視線の先を走っていた貴族令嬢の背中がもう一つの階段に消えていったのは、その直後だ。

 

 

 

 

 

 二、三階が騒がしくなっている頃。大広間。

 ローグハンターと頭目の青年の決闘は、いまだに続いていた。

 キン!キン!と鋭い金属音を響かせながら、二人の得物がぶつかり合い、舞い散る火花が鬼気迫る二人の表情を飾り付ける。

 

「ハッ!」

 

 頭目の青年が気合い一閃と共に剣を振り下ろし、ローグハンターは短剣と剣を交差させてそれを受け止める。

 同時に前蹴りで頭目の腹部を蹴り、鍔迫り合いを許さずに体勢を崩させる。

「かっ」と肺の空気を吐き出し、身体をくの字に曲げた頭目の青年に、ローグハンターは突撃をかました。

 くの字に曲がった腹部に身体を納め、勢いのままに柱に叩きつける。

 背中全体を殴られたような鈍い痛みに表情を歪めた頭目の青年は、剣の柄頭でローグハンターの脇腹を殴ろうとするが、それよりも速く離脱。

 剣の殴打が空を殴った瞬間にその場を跳躍し、頭目の青年の顔面に蹴りを放つ。

 

「っ!」

 

 ぎょっと目を見開いた頭目の青年は慌ててその場から転がった直後、ローグハンターの蹴りが柱に叩きつけられた。

 ガン!と乾いた音が柱から放たれ、着地と同時にローグハンターは歯を食い縛った。

 木材を思い切り蹴ったのだ。痺れが全身に広がり、気を抜くと変な声が漏れそうになる。

 ぶんぶんと首を振って痺れを振り払ったローグハンターは、体勢を整えた頭目の青年に斬りかかった。

 剣による大降りは連撃に、短剣により刺突を織り交ぜ、時には蹴りや拳を挟む。

 反撃をしようにもそれよりも速く放たれる次撃に、頭目の青年の表情が少しずつ焦っていく。

 剣を防いだ瞬間に短剣が鎧に傷をつけ、それに意識を割けば拳が腕を打ち込まれ、蹴り飛ばされて強引に間合いを開けられる。

 

「くっ!おおおおっ!!」

 

 だが、ここで折れるわけにはいかなかった。

 頭目の青年は獣のように吼えると、今度は自分から仕掛けた。

 追撃に動いていたローグハンターは僅かに面食らいつつも、すぐに身構えて防御の体勢に入った。

 頭目の青年は接近の速度を乗せ、切っ先が床に擦れるほどの低さから一気に切り上げ、軌跡が銀の三日月を形作る。

 それを半歩下がることで避けたローグハンターは、続けて放たれる振り下ろしを横に転がることで避ける。

 体勢を整えると同時に短剣を投擲。頭目の青年は剣でそれを斬り払うと、同時に目を剥いた。

 視線の先にいた筈のローグハンターがそこにはおらず、あるのは彼が握っていた剣のみで、動いた痕跡さえも見当たらない。

 

「どこにっ!?」

 

 警戒しながら辺りを見渡した瞬間、真下から伸びてきた両手で胸ぐらを掴まれる。

 凄まじい力で身体が引かれた瞬間、攻撃に備えて身体を強張らせると、次に感じたのは痛みではなく、足を払われた感触と浮遊感だった。

 

「ぉぉぉおおおおおっ!!!」

 

 ローグハンターが額に血管が浮かぶほどに踏ん張り、雄叫びをあげた。

 自分と大して変わらない体躯をした、全身に鎧を纏った男を背負い投げ、皿が並ぶ長卓に叩きつける。

 ガシャン!と音をたてて皿が宙を舞い、形を保ったまま元の位置に戻る音と、虚しくも割れてしまう音があちこちから発せられ、それに混ざって頭目の青年の口からも呻き声が漏れる。

 その直後に顔面にローグハンターの鉄槌が振り下ろされ、肉同士がぶつかり合い、鼻の骨が砕かれる鈍い音が木霊する。

 

「っ!!」

 

 だが痛みに喘ぐ余裕もない頭目の青年は、長卓に寝かされた体勢のままローグハンターの胸ぐらを掴み、彼の頭を引き寄せると同時に振り上げた自分の額を叩きつけた。

 ごっ!と鈍い音が鳴ったかと思えば、再び拳を振り上げていたローグハンターは思わず後退る。

 

「かっ……ぃ……」

 

 口元の傷跡から大量の血を流すローグハンターが低く唸ると、同じく鼻から大量の血を流している頭目の青年が、転がるように卓から降りた。

 剣を杖代わりに立ち上がり、痛みを振り払い、拳を構えたローグハンターを睨み付ける。

 蒼い双眸には絶殺の決意が滲み、それがぶれることはないだろう。

 

 ──やはり、斬るしかないようです……っ!

 

 相手は無手。先程のように投げてくる可能性もあるが、相手の間合いに入らなければ問題はない。

 懐に入られる可能性。避けられ、反撃される可能性。

 様々な結果と、それが起こった際の不安が脳裏を過る。

 だが頭目の青年は頭を振ってそれらを振り払うと、剣を両手に握り、半身になりながら剣が顔の横で床と水平になるように身構えた。

 

 ──最速最短で間合いを詰め、心臓を指し穿つ!

 

 己と、彼女の未来を賭け、次の一手で終わらせると、腰が引けていた自分に喝を入れる。

 

 ──ここで負ければ全てが終わり。

 

 自分は捕らえられ、今度こそこの首は跳ねられるだろう。

 仲間たちも同じ末路を巡るか、あるいは生きながらの地獄に落とされるかもしれない。

 

 ──ここで死ねば全てが終わり。

 

 彼女を守る約束も、彼女の未来も、こんな中途半端な場所で死んでしまえば何もかも終わりだ。

 故に全てを賭ける。次は考えない。目の前の敵を屠るためだけに、全神経を集中する。

 碧眼を細め、ローグハンターの挙動に目を向ける頭目の青年は、ふーっと深く息を吐きながら腰を落としながら力を溜めていく。

 それが最大まで溜まった瞬間、頭目の青年は動き出す。

 床板が砕け散る程の力を込めてその場から飛び出し、一気に肉薄。

 加速の勢いと、己の筋力、技量を全てを込めた|刺突|スティング》にを放った直後、体感時間が引き延ばされる。

 限界まで速くなった筈なのに、時間の流れが酷く緩やかで、相手の動きがよく見えた。

 そしてその相手──ローグハンターは冷静だった。

 僅かに身体を捻りながら左手を差し出し、僅かに小指を動かす。

 直後手首に仕込まれた極小の刃(アサシンブレード)が飛び出し、迫り来る剣の切っ先に触れた。

 強い力が込められれば容易く折られる刃だが、幼い頃から鍛えられたローグハンターの技量からすれば、立派な武器だ。

 アサシンブレードの刃で剣の切っ先を微かに反らし、突進の速度に合わせて身体を捻ることで刃同士を擦れ合わせ、聞くに耐えない金属音を鳴らしながら受け流す。

 

「……っ!」

 

 頭目の青年はその結果に瞠目し、広がった視界の端に振り上げられた右手を捉えた。

 左手には武器が仕込まれていた。ならば、右手には?

 脳裏を掠めた問いに答えるように、振り上げた右手からも極小の刃(アサシンブレード)が飛び出した。

 差し出されたその刃があるのは、受け流れた結果止まることも出来なくなった、自分の進路上だ。

 あと数秒も──正確には刹那的な時間だが──しないうちに、あの刃が自分の眼窩を貫く瞬間を幻視し、力なく笑った。

 

 ──ああ、ここまでですか……。

 

 思い残すとすれば、やはり彼女のこと。

 幼き日にした約束も守れず、彼女の未来さえも救えず、家族の無念さえも晴らせない。

 

 ──なんて、無意味な人生だ……。

 

 少しずつ迫る刃を見つめ、自嘲的な笑みを深めた頭目の青年はゆっくりと目を閉じた。

 

「待ってください!」

 

 聞こえる筈のない声が聞こえたのは、その直後だった。

 

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Memory17 遂行か、裏切りか(To be or not to be)

ゴブスレのアニメ二期製作決定と聞いて、やはり変な声を出した作者です。

このままイヤーワンもアニメ化してくれないだろうか。
動いて喋る武闘家ちゃんが見たいのじゃ。


「待ってください!」

 

 ローグハンターと頭目の青年の戦いが決着しようとした間際に、女性の声が木霊した。

 直後、頭目の青年に迫っていたアサシンブレードが鞘に引っ込み、代わりの掌底が顔面に打ち付けられた。

 その動作は始めからそうすると決めていなければ出来ないような、一切の淀みがないものだ。

 だが、そんな事を気付く様子もなく弾かれた頭目の青年は、飛ばされた勢いのままに長卓に突っ込み、木材が砕けるけたたましい破砕音が響き渡る。

 フッと短く息を吐いたローグハンターは構えを解くと、先ほど投棄した片手半剣(バスタードソード)と短剣を回収し、腰帯に吊るす。

 そして倒れる頭目の青年をそのままに、広間の入り口に立っている女性へと目を向けた。

 濡れ羽色の髪と瞳をした、自分よりもいくつか下のように思える、洒落たドレスを着た女性だ。

 額には玉のような汗が浮かび、乱れた呼吸に激しく肩が揺れている。

 状態はともかく、特徴は依頼書に載っていた通りだ。

 ローグハンターが確認を取ろうと口を開こうとした瞬間に背後から物音が聞こえ、溜め息混じりに振り向く。

 

「はぁ……はぁ……まだ、です……っ!」

 

 頭目の青年が取りこぼした剣を片手に、碧い瞳に折れぬ戦意を滾らせながらローグハンターを睨み付ける。

 対するローグハンターは無言で目を細め、剣に手をかけるが、慌てて貴族令嬢が「ま、待ってください!」と涙ながらに叫びながら走り出し、二人の間に割って入る。

 頭目の青年を背中に隠し、両腕を広げて彼を守る盾となり、目に涙を滲ませたままローグハンターを睨んだ。

 

「……」

 

 細めた目をそのままに剣を抜いたローグハンターは、低く唸りながら瞳だけを動かして辺りを見渡す。

 何か、あるいは誰かを探すような素振りに、貴族令嬢はハッとして彼に告げる。

 

「あ、あなたのお仲間さんは、もうすぐ来ると思います。とりあえず、ぶ、無事です」

 

 ローグハンターが無意識に滲み出している殺気に当てられながらも、懸命に舌を回して彼が探しているものに対しての説明をした。

 その直後、貴族令嬢が入ってきた入り口から武闘家が滑り込み、慌てて扉を閉め、鍵をかけた。

 

「お、お待たせ……」

 

 外から聞こえる『開けやがれ!』だの『他の入り口に行くぞ!』だのと聞こえてくるが、とりあえず時間は稼げるだろう。

 ローグハンターは武闘家の登場に小さく、けれど満足そうに頷くと、蒼い瞳を貴族令嬢──正確にはその後ろにいる頭目の青年に向けた。

 

「依頼はあんたの命じゃない。大人しく、この人を渡せ」

 

 抑揚のない冷たい声。

 聞くだけで背筋が凍り、呼吸さえも苦しくなるその声音は、相手を人間だと思っていない者のそれだ。

 頭目の青年と貴族令嬢は背中に冷や汗を流しつつ、ローグハンターと武闘家の挙動に注意を払う。

 彼らが本気になれば、貴族令嬢を退かし、頭目の青年を殺める程度雑作もない。

 今こうして睨みあっているのは、相手の気紛れに過ぎないのだろう。

 二人の視線を集めているローグハンターは、小さく息を吐いて二人に告げた。

 

「だがその前に、あんたらにいくつか聞きたいことがある。だが返答には気を付けろ」

 

 彼はそれ以上は何も言わず、蒼い瞳で二人を一瞥するのみ。

 目は口ほどに物を言うのいう言葉があるように、無表情な顔の代わりに瞳は饒舌だ。

 いや、饒舌というのは誤りだ。

 彼の瞳が告げているのはたったの一言。

 

 ──返答次第によっては殺す。

 

 声音同様に冷たい瞳に宿る輝きは刃物のように鋭く、下手な事を言えばすぐさま行動に移るだろう。

 貴族令嬢は震える足を懸命に踏ん張って彼の前に立ちはだかり、後ろの頭目の青年は笑う膝を懸命に支えて歯を食い縛る。

 言ってしまえば、状況は最悪だ。

 一連の流れで彼女がこちら側であることは、余程の間抜けでもなければ気付くだろうし、彼がその間抜けの部類に入るとは思えない。

 上手く言葉を選び、自分と彼女が仲間でない事を彼に伝えなければ、助け出された後の人生に傷をつけてしまう。

 頭目の青年は痛む頭を振り絞り、必死になって策を巡らせる中で、ローグハンターがぽつりと呟いた。

 

「まず一つ目。あの子供たちはどこから連れてきた」

 

「……拐ってきました。他所の村から、この女性と、同じように……っ!」

 

 痛みのせいで変に力んだ声を漏らしながら、頭目の青年はそう告げた。

 だがローグハンターは「嘘だな」と即答でそう断じると、剣の切っ先を床につき、意味もなく独楽のようにくるくると回しながら言葉を続ける。

 

「拐ってきた、は違うな。拐われた子供が、あんな無邪気に笑うわけがない」

 

 潜入する際に見かけた子供たちの事を思い返しながら、ローグハンターはそう告げた。

「本当のことを言え」と語気を強め、剣を握り直しながら頭目の青年を睨み付ける。

 頭目の青年は血が滲むほどに歯を食い縛り、爪が食い込むほどに拳を握りしめるが、すぐに手を開いて諦めたように息を吐いた。

 

「あの子たちは、ある奴隷商から私たちが助け出した。世話役の女たちも、その時だ」

 

 彼の返答に武闘家は僅かに驚いたような表情を浮かべるが、ローグハンターは冷静に「そうか」と頷いた。

 

「次。ここはなんだ。短時間で準備が出来るような場所じゃない。いつからここにある」

 

「随分と前、としか言えません。自分が幼い頃から、ここはあります」

 

「次。お前の部下たちはなんだ。随分と訓練を積んでいるようだが」

 

「……」

 

 淡々とした問いかけの連続に、頭目の青年は不意に口を閉じた。

 迷うように口をまごつかせると、ローグハンターが剣で空を斬り、武闘家が拳を構えた。

 二人が行った無言の脅迫に、頭目の青年は慌てて口を開く。

 

「これからの為に訓練をしているだけです!私たち、いいや、私にはしなければならないことがある!」

 

 声を荒げ、僅かに血の混ざった唾液を撒き散らしながら吼えた頭目の青年を見つめながら、ローグハンターは顎に手をやった。

 

「それと、この令嬢を拐ったことは関係があるのか」

 

「……っ」

 

 そして無意識に今回の騒動の核心をついた問いかけに、頭目の青年は目を見開いて動揺を露にし、それを隠すように俯いた。

 だが注視していたローグハンターが見のがす訳もなく、「そうか……」と呟いて貴族令嬢に目を向けた。

 

「ここからは冒険者としては失格の、依頼人の信頼を裏切ることをする。肩の力を抜け」

 

 声音を僅かに柔らかくしながら、緊張の面持ちで身体を強張らせていた貴族令嬢に告げて、武闘家も「大丈夫ですよ」と優しく肩を叩いた。

 

「ちょっと、今回の依頼はどうにも怪しくてですね……」

 

「ギルドに見つかったら確実に罰則をもらう越権行為だが、どうせここにいる奴しか知らない。問題ないだろう」

 

 ぽりぽりと頬を掻いて苦笑する武闘家と、嘆息混じりに肩を竦めるローグハンターと、先程まで張り詰めていた空気はどこにいったのか、二人の雰囲気は見るからに緩くなっている。

 

「「……」」

 

 訳もわからずに困惑する頭目の青年と貴族令嬢が顔を見合わせると、ローグハンターが貴族令嬢に告げる。

 

「今回の依頼はこうだ。『盗賊に拐われた娘を助け出して欲しい』。その娘というのは、まず間違いなくあんただ」

 

 特徴が一致しているからなと付け加えた彼は、「だが……」と告げて人差し指を立てた。

 

「ここで疑問が一つ。拐われた娘を助けて欲しいというのはわかる。が、『盗賊たちを殲滅してくれ』という指示はなかった」

 

「……それが、何か……?」

 

 彼の言葉に貴族令嬢が首を傾げると、ローグハンターは「そうだな……」と僅かに言葉に迷う素振りを見せてから告げた。

 

「例えば、自分の家族が拐われたとしよう。あんたなら、その犯人をどうする」

 

「捕らえて、正当なる罰を与えます」

 

「捕まえられなかったら?あるいは逃げ出されたら?」

 

「……報復を防ぐために、最終手段を取ります」

 

「つまり殺すんだろう」

 

「……」

 

 ローグハンターが放った単刀直入の言葉に、貴族令嬢は重々しく頷いた。

 罪人に罰を与えるのは、また同じ人にしか出来ないことではある。至高神の神官たちがいい例だ。

 だが彼らでも裁けぬ悪があるのなら、それを止めるために武器をとることにもなるだろう。

 そうならないようにするのが最善ではあるが、何事にも武器が必要になるのがこの世界だ。

 貴族令嬢の返事に頷き返したローグハンターは、再び口を開いた。

 

「俺なら『拐われた娘を助け出してくれ。そして拐った盗賊に仕返しをしてくれ』と依頼するが、今回は救出のみで殲滅は頼まれていない。むしろここは二人でどうにかするには大規模すぎる」

 

 彼は大広間を見渡しながら溜め息を漏らし、「やるには軍隊が必要だな」と肩を竦める。

 

「拐われた娘を取り返すのはいい。親なら、子供を救いたいと思うのは当然だ。だが、皆殺さなければ報復を止められない。それなのに、今回は助けるだけだ」

 

 蒼い瞳を細め、僅かな殺気を込めて頭目の青年に目を向け、「頭目だけでもとも言われていない」と眉を寄せた。

 

「つまり、依頼人は報復されるとは思っていない阿呆か、報復に来ても対処できると何かを持っているということだ。信頼を置ける私兵がいるのなら、見ず知らずの冒険者に頼るわけがない」

 

 だよなと相棒たる武闘家に声をかけるが、当の彼女は話に着いてくるだけでやっとなのか、頭から煙を噴いていた。

 そんな彼女の様子にじと目になりながら溜め息を吐くと、「話を簡単にしよう」と腕を組みながら告げた。

 

「今回のこれは誘拐か、わざと拐われたのか、どっちだ」

 

 今回の依頼の根本的な問題。

 助けるべき令嬢が、本当に拐われたのなら全力を賭して救出するが、彼女が自分の意志で拐われたのなら、無理に助け出す理由もあるまい。

 ローグハンターが放つ威圧感に冷や汗を流しながら、頭目の青年は微かに視線を逸らして貴族令嬢に目を向ける。

 自分の命と、彼女の未来。どちらが大切なのかは、天秤にかけるまでもない。

 

「私が──」

 

(わたくし)が、彼らに依頼しました」

 

 そして頭目の青年が口を開いた瞬間に、貴族令嬢が毅然とした様子で声を重ねた。

 一際鋭くした視線を彼女に向けたローグハンターは、腕を組んだまま「続けろ」と促す。

 彼女の発言に声も出せずに狼狽える頭目の青年を他所に、貴族令嬢は一度深呼吸をして心臓の鼓動を落ち着かせる。

 

「父に言われるがまま、父が用意したまま、そんな人生に嫌気が差した私は、彼らに依頼を出し、父が不在の隙に屋敷から連れ出してもらいました」

 

「ち、違う!私たちが、金を目当てに彼女が乗った馬車を襲ったのです!彼女に依頼など、されていない!!」

 

 彼女が静かに綴った言葉に、頭目の青年は声を荒げた。

 血走った瞳を大きく見開き、気合いだけで彼女の前に踏み出した彼は、震える手で剣を構えた。

 それはさながら令嬢を守る騎士のようでいて、ただ見ている分には違和感がない。

 だが、そうは言っても相手はならず者。事と次第によっては斬るほかない。

 

「ならず者殺し、ローグハンターよ!彼女を取り返しに来たと言うのなら、私の命もろともに持っていけ!」

 

 どこか芝居めいた、決めていた台詞に感情を込めただけのような言葉に、ローグハンターは小さく息を吐いた。

 

「お前には聞いていない。俺が話しているのは彼女だ」

 

 蒼い双眸で頭目の青年に一瞥くれて、その背後に立つ令嬢を睨み付ける。

 それが気に食わず、無理矢理にでも意識をこちらに向けようと頭目の青年は更に前に出ようとするが、空いている手を握られて踏み止まった。

 

「もう、大丈夫です。無理をしないでくださいな……」

 

 背後から弱々しく告げられた言葉に、頭目の青年は悔しさを滲ませて歯を食い縛る。

 そして彼と交代するように前に出た貴族令嬢は、恭しく頭を下げながら、ローグハンターに告げた。

 

「此度の騒動の発端は全て(わたくし)にあります。彼らをただ利用しただけ、自由を夢見た愚かな娘の、(はかりごと)です」

 

 どうなさいますかと彼に問うと、背後の青年を守るようにゆっくりと両手を広げ、儚げに微かな笑みを浮かべた。

 

「彼を斬るというのなら、どうぞ私ごと斬ってくださいな。事を起こした私の命をもって、解決とさせてください」

 

「え!?」

 

 彼女の言葉に驚愕の声をあげたのは武闘家だ。

 ほとんどの話を聞き流していたとはいえ、とりあえず彼女が一枚噛んでいることだけは把握し、あまつさえ命を投げ出そうとしているとわかれば、誰だろうと驚くものだ。

 どうするのと言わんばかりにローグハンターに目を向けると、肝心の彼は複雑な表情を浮かべていた。

 怒っているのか、困惑しているのか、悲しんでいるのか、様々な感情が入り混ざり、彼が何を思っているのかは判別できない。

 

「どうして……」

 

 そんな彼がようやく口を開いたかと思えば、酷く弱々しいか細い声が漏れた。

 

「どうしてだ……」

 

 珍しいを通り越して初めて聞いたようにも思えるその声は、やはりローグハンターの口から出たものだ。

 彼は忌々しい記憶を思い出したように、苦虫を噛み潰したような表情になると、剣の切っ先を貴族令嬢に向けた。

 その表情のまま、彼女の背後で立ち尽くしている頭目の青年を一瞥する。

 

「そいつに全ての責任を擦りつければ、お前は何の問題もなく今後の人生を送れた筈だ。何より、俺の前に立った所でそいつを守れないのはわかる筈だ」

 

 なのに、なぜ出てきたと、ローグハンターは悲痛な面持ちで問うた。

 彼は痛いほど理解している。勝てもしない相手の前に立ちはだかる事の恐ろしさを。

 何より、それを乗り越えるために振り絞る勇気の尊さを。

 それらを持ち合わせていれば、おそらく自分はここにはいない。

 母が殺されたあの日に、その勇気があれば。

 恩師が殺されたあの日に、その勇気があれば。

 きっと、自分は自分(ローグハンター)ではなかった筈なのだ。

 

「なぜ、ですか……?」

 

 そして問われた貴族令嬢はゆっくりと瞬きをすると、「簡単ですわ」と呟き、深呼吸を一度。

 

「彼を、愛しているからです」

 

 ただそう告げて、にこりと微笑んだ。

 

「──」

 

 その返答に目を見開いて驚愕を露にしたローグハンターは、「愛、か……」と呟いてちらりと武闘家に視線を送る。

 彼の視線に気付いた武闘家が不思議そうに首を傾げると、ローグハンターはゆっくりと視線を正面に戻した。

 そして何かを言おうと彼の口が動いた瞬間、バン!とけたたましい音をたてて広間の入口の扉が蹴破られた。

 

「大将、無事ですか!?」

 

「若、ご無事で?!」

 

「大丈夫ですか、怪我は!?」

 

 同時に部屋に流れ込んできた三人の部下は、ふらふらと頭目と、それを庇う令嬢。その二人に剣を向けている冒険者という構図に、武器を片手に慌てて走り出した。

 ローグハンターと武闘家はすぐさま臨戦態勢になるが、頭目の青年が「待て!」と三人で手で制した。

 言われた三人は反射的に足を止め、その場で(つまず)くように体勢を崩す。

 

「な、なんでだ大将!?そいつは、あんたを殺しに来たんでしょ?!」

 

 その中でも一番がたいのいい男が、怒鳴り付けるようにそう問うと、頭目の青年は「それでもだ!」と語気を強めた。

 そしてローグハンターを睨みながら、「どうしますか」と問いかける。

 

「私を殺し、彼らを殺し、彼女を救いだして依頼を完遂しますか!それとも──」

 

「私たちを見逃し、今後の出来事について傍観しますか、か?」

 

 彼の言葉を遮る形でローグハンターが問うと、頭目の青年はゆっくりと頷いた。

 

「……」

 

 ローグハンターは迷うように目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。

 今回の依頼はなんだ。

 ──目の前にいる令嬢を助け出すこと。

 その為に何をするべきだ。

 ──頭目、及びこの部屋にいる部下たちの排除。

 やろうと思えば簡単だ。いつも通りに叩き斬ればいい。

 

 ──だが……。

 

 ローグハンターの瞼の裏に映るのは、外で遊んでいた子供たちの笑顔や、先ほど貴族令嬢が見せた微笑み。

 あの笑顔は本物で、聞いた限りではあの子供たちも、目の前の貴族令嬢も訳ありだ。

 ある意味頭目たちは、自分たち(助け出す)側でもある訳だ。

 

 ──だが……。

 

 それらはあくまで偶然。今後どこかの村を襲い、略奪を行う可能性も捨てきれない。

 その時になって自分たちが殲滅に向かえばいいだろうが、失われた命は戻らない。

 

 ──どうする……。どうする……。どうする……!

 

 だが、だがと様々な考えが過っては消え、全くと言える程に答えが出てこなかった。

 剣を握る手が震え始め、呼吸も乱れ始める。

 見逃してやるべきか、ここで全てを終わらせるか、答えは二つに一つ。

 いいや、そうではない。

 

 ──これから起こる悲劇を避けるために、こいつらは殺すべきだ。

 

 ならず者殺し(ローグハンター)として選ぶべき答えは決まっている。心の奥底にある暗い炎が、()を寄越せと猛っているのが、嫌でもわかる。

 それなのに、何故か抹殺を選ぶことを躊躇い、剣を振るうことが出来ない。

 独りで悩み、迷い、勝手に追い詰められている彼の肩に、不意に誰かの手が置かれた。

 弾かれるように瞼が上がり、勢いよく振り向いてみれば、そこには真剣な面持ちの武闘家がいた。

 

「前にも言ったかもしれないけど、一人で考えすぎないで。私もいるんだから」

 

 そんなに頼りないかなと、不機嫌そうに笑いながら言うと、肩に置いた手に力を込めた。

 みしみしと骨が軋む音が肩から漏れて、聞いている五人がその握力に冷や汗を流す。

 対するローグハンターは、普通なら悲鳴をあげても良さそうなのだが、彼が抱いているのは感謝の気持ちだった。

 

 ──何を一人で悩んでいたんだろうな……。

 

 同時にうじうじと悩んでいた自分が馬鹿に思えてきて、小さく自嘲的な笑みをこぼす。

 そう、自分は一人ではない。普通なら離れていきそうなものなのにいつも隣には彼女がいて、ふとした拍子に助けてくれる。

 そう思うと猛っていた炎が落ち着き、仄かな暖かさが胸の奥に芽生えたのがわかる。

「そうだな……」と呟いたローグハンターは、肩に置かれた彼女の手に自分の手を重ねると、頭目の青年たちに目を向けた。

 

「こいつらを殺すべきか、殺さないべきか、かなり迷っている」

 

『っ!!』

 

 その言葉に頭目の青年たちは一斉に身構えるが、武闘家は顎に手をやって小さく唸る。

 するとすぐに答えは出たのか、「そんなの、決まってるでしょ」にこりと笑いながら告げた。

 ローグハンターから離れた武闘家は、頭目の青年たちを睨みながら、貴族令嬢に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 数日後、夕陽に照らされる辺境の街。

 冒険者ギルド二階。応接室。

 ギルド職員と長机を挟んで対面しているのは、ローグハンターと武闘家だ。

 顔が映りこむほどに研きあげられた机には一枚の書類が置かれており、職員の男性が一言一句違えずにそれを読み上げた。

 

「……依頼人死亡、だと……?」

 

 そしてローグハンターは二人にとって一番重要な部分を反芻しながら、眉を寄せた。

 彼の問いかけに頷いた職員は、「何者かに殺害されたそうです」と告げた。

 

「……」

 

 怪訝そうに目を細めるローグハンターと、驚きすぎて言葉も出ない武闘家は顔を見合わせた。

 そして「こちらからも一ついいか」と職員に告げて、「その依頼についてだ」と言葉を付け足す。

 

「なんでしょうか」

 

一言で言えば失敗(・・・・・・・・)。と言うよりは、依頼人に確認をしたかった」

 

「確認、と言いますと」

 

 彼のその一言に、職員の表情が険しくなる。

 依頼人から依頼を受け取り、それを精査するのが彼らの仕事だ。

 ローグハンターの言葉は、受け取りかた次第ではギルドに喧嘩を売るようなもの。

 それでも彼は毅然とした態度で職員に告げた。

 

「依頼人が指定した地域を一回りしたが、盗賊はいなかった。あったのは大きめの集落(・・・・・・)くらいだ」

 

「集落、ですか……?」

 

「ああ。子供が駆け回り、大人たちが万が一に備えて訓練し、若い棟梁が纏めあげる。調査ついでに一泊したが、怪しいものはなかった」

 

 いつも通りの淡々とした声音でそう告げ、「本当に拐われたのか、確認したかったんだがな……」と額に手をやりながら残念そうに息を吐く。

 

「依頼人死亡、か……」

 

「はい。同時に、今回の依頼は取り下げられました」

 

「……え」

 

 職員の言葉に思わず声を漏らしたのは武闘家だ。

「な、なんででしょうか」と恐る恐る問うと、職員は眼鏡の位置を直しながら嘆息した。

 

「件のご令嬢がご帰宅されたからです。何でも、この数日護衛を連れて(・・・・・・)森を散策していただけだとのこと。おかげで跡取りはご無事だったのは、かの家にとっては幸福でしょう」

 

「……傍迷惑なお嬢様だな」

 

 職員の言葉にローグハンターはそう吐き捨て、「骨折り損か」と頭を抱えて背もたれに寄りかかった。

「意外と遠かったんだぞ……」と呟いて、隣の武闘家も苦笑を漏らす。

 

「とにかく話は以上です。今後のご活躍をお祈りします」

 

「……運は自分で掴むものだぞ、職員殿」

 

 そうして事務的に告げられた言葉に、姿勢を正したローグハンターはそう返した。

 ついでに机に置かれた書類を手に取り、職員が読み上げなかった部分にも目を通す。

 

 ──死因。喉を斬られての失血。

 

 ──屋敷に在中していた護衛の兵士は全滅。争った形跡はなし。

 

「……」

 

 何とも見覚え、と言うよりは嫌な連中(アサシン)の犯行を思い出すような記述に表情を険しくするが、

 

 ──邪教徒と繋がっていたと思しき証拠数点。

 

 ──令嬢、及びその護衛をしていた私兵(・・)は全員無事。今後水の街にて取り調べる予定。

 

 と、その続きを読んで僅かに表情を和らげた。

 

「とにかく、無事ならそれでいいか」

 

「そうだね」

 

 彼の言葉に、隣から書類を覗いていた武闘家も柔らかな笑みを浮かべながら頷いた。

 手にしていた書類を礼と共に職員に返し、「どうか、内容についてはご内密に」と釘を刺されてから退室。

 二人は黙って一階に降り、そのままギルドを出ると、神妙な面持ちで顔を見合わせた。

 

「……随分と話が大きくなっていたな」

 

「……見逃してあげたのが、三日くらい前でしょ?そこから攻め込んだ……訳ないか」

 

「逃げる理由ならともかく、攻める理由がない。俺たちが街に戻るまでに、何が──」

 

 歩きながら小声でやり取りをした二人は、揃って唸りながら首を傾げた。

 

「……まあ、あの人たちが大丈夫そうならいっか」

 

 そして開き直るように武闘家が笑いながら言うと、ローグハンターは「そうだな」と頷いた。

 何があったのかは知らないが、ともかく彼女は取り調べが終われば自由になれるのだ。

 自分たちも、あの護衛たち(・・・・)も誰も死なず、死んだのは自分たちを振り回してくれた貴族とその腹心のみ。

 

「なら、何も語らずに明日に備えるか」

 

「そうだね」

 

 真実を知るのも自分たちだけなら、自分たちが何も言わなければ誰にも知られることはない。

 ローグハンターとしては失格かもしれないが、少しは先生に褒められるだろうかと僅かに笑みがこぼれる。

 そんな彼の横顔を見ながら武闘家も笑みを浮かべ、何ともなしに彼の腕に抱きついた。

 僅かに大きくなってきたたわわな果実で彼の二の腕を包み込み、ぎゅっと抱き寄せる。

 ローグハンターは僅かに顔を彼女に向けて、すぐに顔を背けた。

 その耳がほんの僅かに赤くなっているのは、きっと夕陽のせいだろう。きっと、そうだ──。

 

 

 

 

 

 三日前。西の辺境のとある場所にある、ある貴族の屋敷。

 広い庭、上質な絨毯が敷かれた廊下と、物資の乏しい辺境にしては豪華絢爛なその屋敷は、異様なまでの静けさに包まれていた。

 警備をしている兵士たちは皆一様に倒れており、ある者は首を折られ、またある者は首を斬られ、様々な形で絶命させられている。

 そして、その屋敷の一室。この屋敷の主である男は、目の前に立つ男を畏怖の念がこもった視線で睨んでいた。

 

「な、なんなのだ、おまえは……!?」

 

 自身が使役していた悪魔さえも一刀で切り伏せた目の前の男は、ただ無言で剣に血払いをくれると、髭に覆われた口許に人差し指を当てた。

 身振りで「静かにしろ」と告げられた貴族は口を紡ぐが、世話しなくぎょろぎょろと目玉が動き回っている。

 この状況を打開すれば、もうすぐ取り返された娘が帰ってくるのだ。あの娘さえ帰ってくれば、私は安泰なのだ。

 

「貴様に騙され、利用され、捨てられ、無惨にも死んでいった者たちの無念、ここに果たそう」

 

 地の底から響くような、掠れながらも威厳に溢れる低い声は、老人のものだろうか。

 目の前の老人はフードの奥に隠された鋭い双眸を細め、ゆっくりと剣を振り上げる。

 ただの鋼で鍛えられたそれは、言ってしまえば数打ちの雑多なもの。

 だが人を殺めるには十分な代物で、何より多く作られているがゆえに足が着きにくいのがいい。

 

「お、おい、待っ──」

 

「付けを払う日が来たのだ。安らかに眠れ」

 

 老人はそう告げると同時に剣を薙ぎ、貴族の喉笛を切り裂いた。

 振り抜いた直後、一瞬の間を開けてから首から血が噴き出し、がぼがぼと自分の血に溺れながら貴族は崩れ落ちた。

 

「──」

 

 老人は無感動に貴族を見下ろすと、懐から取り出した白い手拭い(ハンカチ)で首の血を拭き取ると、すぐに懐に戻す。

 

「やれやれ、我らが女王も人使いが荒いものだ」

 

 そんな老人の背後、部屋の入口に立っているのは闇人の男だ。

 いつぞやにローグハンターと対峙したあの闇人ではあるのだが、纏う衣装は闇に溶け込む黒いローブに変わっている。

 

「やはり人手が足りないな、ご老人」

 

「喧しい。撤収するぞ」

 

 闇人は苦笑混じりに老人を弄るが、軽く人を殺せそうな視線を向けられて肩を竦めた。

 

「悪事の証拠の書類は見つけやすいように隠した。あとは女王の指示通り、ご令嬢に接触するだけだ」

 

 今後の予定を呟きながら「二人でやる仕事ではないな」と再び肩を竦めるが、老人は違和感を拭うように左手首を手で擦っていた。

 

「……怪我でもしたか」

 

「いいや。あるべきものがないのは、やはり気になるものだな」

 

 真剣な声音での心配に、老人は首を横に振って答えた。

 何年の前にこの世界に転がり込んだ頃に武器を失い、ようやく同胞(はらから)と出会えたかと思えば、予備の物すらないとはどういうことなのか。

 

「……恨むぞ、狐よ」

 

「そう言うのは本人に言うことだ」

 

 嘆息混じりに呟いた言葉に、闇人が半目になりながら告げた。

 

「とにかく我らが女王の障害は排除し、辺境貴族に恩が一つ。結果は上々だ」

 

 ぱんと手を叩きながら告げた言葉に、老人はこくりと頷いた。

 

「どこにでも、許しがたい者たちはいるものだ」

 

 ──師よ、平和とは、難しいものですな……。

 

 脳裏に過るは、故郷(ローマ)を救ってくれた偉大なる大導師(エツィオ)の背中。

 その背はあまりにも大きく、何かを成し遂げる度にその大きさを痛感する。

 だが、やらねばならない。

 一人でも多くの無辜の人々を救い、ようやく掴みとった幸福を守るために。

 

 ──私は、この世界で生きようと思います。

 

 歴史には残らない、本当の意味で女王直属である最初のアサシン。

 彼はこれから始まる(五年後の)物語に関わることはなく、誰にも知られることはない。

 

「……だが、年には勝てんな」

 

 僅かに痛む腰を擦りながら、深々と息を吐く。

 彼が待ち望む若い芽が舞い込み、芽吹き始めるのは、ローグハンターが己の血と運命に決着をつけてから。

 それまでは、彼がたった一人の闇に生きる者(アサシン)なのだ──。

 

 




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Memory18 人の形をした悪魔

 貴族令嬢を巡る騒動から時は流れ、季節は春。

 暖かな陽射しが街を照らし、様々な実りが人々の生活を支え、一部の若者が新たな一歩を踏み出す季節。

 それは同時にそれからも溢れたならず者が増える時期でもあるのだが、武闘家にとって、それはとても些細な問題だった。

 いや、些細な問題で片付けていいものでもないのだが、今の彼女にとって一番の問題は、

 

 ──も、もうすぐ三年だよ……。

 

 彼との関係が進むことなく、まもなく三年が経とうとしているのだ。

 三年近く寝食を共にしているのに仲間以上の関係(恋人)になれる気配はなく、信頼を寄せる仲間止まり。

 まあ、ゆっくりと進展させればいいやと思っていたが、流石に何も起きなすぎて逆に笑えてしまう。

 

「どうしよっかな」

 

 眠る狐亭の一室。

 珍しく空が暗い内に目を覚ました武闘家は、彼が寝ていることをいいことにぼそりと独り言を呟いた。

 寝返りをうって隣のベッドに目を向ければ、こちらに背を向けて寝ている彼の姿がある。

 仰向けに天井を見上げて、微動だにせずに寝ているかと思っていたのだが、意外と寝返りをうったりをするのだなと彼の一面を知って笑みをこぼす。

 いや、そんな事はどうでもいいのだ。彼との距離を詰めるにはどうすべきかを考えなければならない。

 

「……」

 

 じっと銀色の瞳を細め、思慮を巡らせる。

 この二年で彼が強く、敵には容赦がない割に優しく、目の前の依頼だけを信じない思慮深さ──というよりは、用心深さだろうか──も持ち合わせている。

 顔も貴族のように整っているし、それでも顔の傷を隠す気もないのが彼らしい。

 相変わらず表情は固いが、何を考えているのかわかるようなってきたのは成長と呼べるのだろうか。

 そんな他人が聞けば下らないと切り捨てるような事を延々と考えながら、呼吸に合わせて揺れている彼の肩を見つめる。

 

「……」

 

 鋭くなっていた瞳がさらに鋭くなり、そっと自分の唇に触れる。

 この際強硬策に出てしまおうかと思慮して、本当にやってしまおうかと身体を起こした。

 前に依頼中の小休止で眠った彼を起こそうと触ったこともあるが、あの時は問答無用で投げ飛ばされた。

 あの頃は出会って間もなかったが、今なら大丈夫だろうかと一抹の不安が脳裏を過る。

 

 ──無理そうでもいくしかないか。

 

 と、内心で割りと焦りを感じている武闘家は、まともな思考を捨てて突撃せんとしていた。

 何事もやってみなければわからない。大事なのはとりあえずやってみることだろう。

 そそくさとベッドから降り、抜き足差し足で音をたてずに彼の元へと近づいた。

 窓とベッドの間の隙間に入り込み、寝息をたてている彼の顔をじっと見つめる。

 規則正しく呼吸を繰り返し、油断しているのか力の抜けた表情のまま眠っているのは、自分を信頼している証拠だろうか。

 それを今から裏切ろうとしている罪悪感に苛まれつつ、武闘家は一度深呼吸をした。

 目を細めて彼の寝顔を堪能し、僅かに上気した頬を両手で隠し、悩ましそうに溜め息を漏らす。

 いつもは凛としていて、何事に対しても真剣で、両親並みに信頼できる彼も、やはりこうして拠点で寝ている時は油断するのだ。

 

 ──よ、よし、やろう……!

 

 心の中でガッツポーズをして気合いを入れ、ゆっくりと彼のベッドに乗った。

 村にあった藁のベッドとは違い、羽毛が詰まっているらしいこれは、ついた両手両膝をしっかりと押し返してくれる。

 やはり店主の拘りなのだろうかと思慮するものの、今はそれどころかじゃないと自分に喝を入れた。

 物のことなんてどうでもいい、向かい合うべき問題は目の前の彼だ。

 彼は相変わらずすぅすぅと、虫の羽音のように静かな寝息をたてており、起きる気配はない。

 ここぞとばかりに彼の顔を凝視し、ごくりと生唾を飲み込む。

 整った顔立ちは言わずもがな、それと身体を繋ぐ首は顔に比べて傷一つなく、時々もごもごと動く唇は唾でも飲もうとしているのか。

 

「……」

 

 ただじっと彼の顔を見ていただけなのに、武闘家の瞳に少々危険な輝きが灯ったのはその時だ。

 銀色の瞳から捕食者の眼光を放ち、目の前で無防備に寝ている獲物に襲いかからんと気をうかがっている。

 このまま本能のままに行ってしまおうかと身体に力が入った瞬間、突然ローグハンターの寝息が止まった。

 

「……──……?」

 

 ぼんやりと開かれた蒼い瞳に武闘家を映したローグハンターは、気の抜けた寝ぼけ顔のまま頭の上に疑問符を浮かべた。

 二人の視線が交錯すること数秒。武闘家が謝ろうと口を動かそうとした瞬間に、彼の瞼がゆっくりと落ちていった。

 そのまま様子を見ていれば、再びすぅすぅと寝息をたて始め、二度寝を体勢に入ったのは一目瞭然。

 

「~っ!!?」

 

 その姿に強烈に胸を締め付けられた武闘家は、声にならない悲鳴をあげながらベッドから転がり落ちた。

 そのままベッドと壁の隙間に三角座りで納まると、両手で顔を覆って再び声にならない悲鳴をあげる。

 起きていながら無防備な彼の姿は滅多に見られない。そんなとても貴重な表情を、貴重な姿を、まさかこんな形で見られるとは。

 

「──っ!~っ!」

 

 真っ赤になった顔を両手で隠し、音を出さずに器用に足をばたつかせながら、武闘家は無音の悲鳴をあげる。

 いつもは大人びているのに、ふとした拍子に子供っぽい仕草や表情を見せるのは、本当に止めて欲しい。

 はっきり言って心臓に悪いし、破顔するのを堪えるだけでも一苦労なのだ。

 

「ふぅー……。ふぅー……。よ、よし」

 

 豊かな胸に手を当てて、数度深呼吸をしてぺちぺちと頬を叩いた。

 弛んだ意識に喝を入れ、ひょこりとベッドの端から顔を出す。

 割りと騒がしくしたように思えるが、彼は相変わらず眠っており、静かな寝息が聞こえる。

 

「……」

 

 それが信頼の証なのか、あるいはそれほどに疲れているのか、それは定かではないが。

 

 ──やるなら、今しかない……っ!

 

 ここが逃せない時機(タイミング)なのは、火を見るよりも明らかだ。

 今度は慎重に音をたてないようにベッドに登り、ゆっくりと彼の隣に寝転んだ。

 呼吸に合わせて僅かに揺れている彼の髪を撫でてみて、その手触りに頬を緩める。

 彼の方も僅かに笑みを浮かべる辺り、気持ちがいいのだろうか。

 とりあえず触っても起きないという第一関門を突破し、ホッと安堵の息を吐くが、大事なのはここからだ。

 髪を撫でていた手で頬に触れ、親指を動かして涙袋の辺りを撫でてやる。

 そこまでしても起きてこない為、なら大丈夫だよねと表情を引き締めた。

 そっと彼の顔に向けて、ゆっくりと自分の顔を近付けていく。

 微かに呼気を漏らす口に狙いを定め、命懸けの死闘の最中のようにじりじりと間合いを詰めていく。

 

 ──まず十センチ。

 

 起きる気配なし。そのまま前進。

 心臓の鼓動はいつも通り。

 

 ──次いで五センチ。

 

 起きる気配なし。少し速度を緩めつつ、前進。

 心臓の鼓動が僅かに速まる。

 

 ──ようやく三センチ。

 

 起きる気配なし。鼻先をくすぐる彼の寝息にこそばゆさを感じ、僅かに身動ぎ。

 ついでに心臓の鼓動がうるさくなってくる。

 

 ──ついに、一センチ。

 

 ばくばくと喧しい心臓を鼓動をそのままに、ついに彼の寝顔が視界を支配した。

 落ち着かせた筈の呼吸が乱れ、顔が再び赤くなり、緊張で嫌な汗が噴き出す。

 だがここまで来て退くわけにはいかず、震える身体を無理やり前進させた。

 そして二人の唇が触れあいそうになった瞬間、山から顔を出した陽の光が窓から差し込んだ。

 暗かった室内が明るくなり、閉じていたローグハンターの瞼が上がった。

 夜空を閉じ込めた蒼い瞳と、宝石のような銀色の瞳が間近で見つめあい、お互いの顔を映し出す。

 

「「………」」

 

 赤面し、目を見開いて驚愕している武闘家と、彼女を見つめるローグハンターは、何も言わずに見つめあう。

 ローグハンターからすればたかが数秒の、武闘家からすれば数分にも感じる時間が経った頃、ついにローグハンターの口が動いた。

 

「……何をしている」

 

「……えっと、あー、その、ね……?」

 

 言い訳は不要と言わんばかりに単刀直入に告げられた問いに、武闘家は忙しなく目を泳がせながら、誤魔化すようににこりと微笑んだ。

 

「……?」

 

 その笑みに僅かに批難するように目を細めた彼は、無言で身体を起こし、ごきごきと首を鳴らした。

 そのまま彼女に背を向ける形でベッドから足を投げ出し、音をたてずに立ち上がる。

 一気に遠くなった彼の顔を名残惜しく思いつつ、仕方ないと諦めて溜め息を一つ。

 寝転んだままぽりぽりと頬を掻き、寝返りをうって仰向けに。

 足を振り上げ、それを下ろす勢いに任せて身体を起こし、既に着替え始めている彼の背中を凝視する。

 贅肉とは無縁の、戦う為に鍛えられ、突き詰められたその肉体には、薄くだが多くの傷痕が浮いている。

 そんな彼の身体に見惚れていた武闘家は、「おい」と呼ばれて肩を跳ねさせた。

 

「俺は先に下に行く。すぐに来い」

 

 相変わらずの淡々とした声音。

 いや少し不機嫌なようにも聞こえるのは、あの寝起きのせいだろうか。

 なら、謝っておくに越したことはない。

 

「あの……」

 

 だが悲しいかな。ローグハンターはすぐに部屋を出てしまい、言いかけた言葉は誰にも届かない。

 

「……」

 

 武闘家は溜め息混じりに彼のベッドに座り込むと、そのまま身体を投げ出した。

 柔らかく形を歪めて自分を受け止めてくれるのは嬉しいし、窓から差し込む朝陽の暖かな日差しも相まって眠たくなってくるのが、生憎と寝てはいけないのだ。

 はぁと再び溜め息を吐いた彼女はころりと寝返りをうつと、何を思ってかシーツに顔を埋めた。

 僅かに鼻に意識を向けて思い切り息を吸ってみれば、微かにだが彼の臭いが鼻腔を抜けていく。

 

「……」

 

 落ち着いた筈の顔が僅かに赤くなり、瞳が潤み、無意識の内に太ももを擦り合わせ、吐息にも熱がこもる。

 すんすんと鼻を引くつかせて臭いを堪能する度に、胎の奥に熱が溜まっていくのがわかるが、これ以上はいけないと勢いよく起き上がった。

 乱れた呼吸を落ち着かせようと胸に手を当ててみるが、ばくばくと音をたてて暴れている心臓の鼓動に余計に顔を赤くする。

 

 ──着替えて、落ち着いてから降りよう……。

 

 今のまま彼の前に行けば、間違いなく何かしらのぼろが出ると、とりあえず冷静さを取り戻した武闘家はそう決めて、ちらりと自分用の長持に目を向けた。

 着替えて、準備を整え、依頼に出る。

 いつも通り、いつも通りと、自分に言い聞かせ、「よし!」と頬を叩いてベッドから降りた。

 彼なら下で朝食でも食べているのかなと、ご機嫌な笑みを浮かべながら。

 

 

 

 

 

 眠る狐亭。一階の酒場。

 旅行客から冒険者、あるいは建築ギルドをはじめとした様々なギルド職員でごった返すその場所は、朝一の喧騒に包まれていた。

 朝早くにも関わらず賭博場も騒がしいものだが、今のローグハンターにとっては全てがどうでもいいことだ。

 毎朝飲んでいる薄口のスープを見下ろしながら、不意に自分の頬に触れた。

 そこに感じるのは自分の体温だけの筈なのだが、心なしか温かく感じる。

 微かにだが、彼女の温もりが残っているからだろうか。

 彼女がベッドの回りを動き始めた辺りから、一応目を覚ましてはいたのだが、頭を撫でられた辺りから起きる事が億劫になってしまった。

 彼女に撫でられていただけなのだが、なぜだか不思議と心地がよく、もはや曖昧になってしまった母親の事を思い出したほどだ。

 まあ、それも既に消え去り、相変わらずの仏頂面を浮かべているのは彼らしいと言えるだろう。

 

「……」

 

 その仏頂面が僅かに綻んでいることに気付いたのは、やはりもう三年近くも彼を見てきた店主だ。

 彼はやれやれと嘆息混じりに首を振ると、「どうかしたのか?」とローグハンターに問うた。

「……あ?」と気の抜けた声を漏らしながら顔をあげたローグハンターは、「何でもない」と告げてスープに木匙(スプーン)を突っ込んだ。

 そのまま遅れた分を取り戻すようにスープをかっ込み、味わっているのかも定かではない速度で飲み干していく。

 そんな彼の姿を見つめながら、店主はフードの下で僅かに目を細めて彼の変化を観察した。

 出会ったばかりの頃に比べ、随分と柔らかくなったと思えるのだ。

 抜き身の刃のように尖っていた雰囲気が、微かに丸みが出てきたと言えばいいのか、鞘を見つけた──あるいは見つけようとしている──のかもしれない。

 とにかく、それは彼にとってはとてもいいことで、自分にとってもいいことだろう。

 

「何を笑っている」

 

 と、スープを飲み干したローグハンターに問われたことで、店主はようやく自分が笑っていたことに気付く。

 つり上がっていた口の端を顔の筋肉のみで押し下げ、いつもの上部だけ(営業用)の笑みに切り替える。

 

「何でもないさ。ただ常連が順調そうで、な」

 

 店主の言葉にローグハンターは「気持ち悪い」と言わんばかりに半目になりながら、カウンターに料理の代金を乗せた。

 

「味に関しては文句なしだ。それに、あんたには感謝している」

 

「感謝、ね」

 

 ローグハンターの言葉に怪訝そうに店主は眉を寄せるが、対する彼はいつも通り淡々とした声音で告げた。

 

「ここがあるから雨風を凌げる。あんたがいるから、ここの料理を食べられる。感謝はしておくべきだろう」

 

「……」

 

 その言葉を、こうして面と向かって言われるとは思いもしていなかった店主は、僅かに目を剥いて驚きを露にするが、小さく鼻を鳴らすといつもの笑みを浮かべた。

 

「感謝するならもっと金を落としてくれ。お前のおかげで金庫が寒いんだよ」

 

「……善処する」

 

 店主のふざけ半分にも聞こえる言葉に、ローグハンターはスープを飲み干すと同時にそう返した。

 ホッと口の中に残るスープの熱を吐き出し、静かに天井を仰ぎ見る。

 腹の奥にある余熱が、少しずつ全身に広がっていくのは気持ちがいいし、何より生きている感じがしていい。

 

 ──食事とは生きる糧、だったか……。

 

 どこかで見聞きした言葉が脳裏を過り、まあいいかと匙を投げる。

 そうしてぼんやりと、酒場の喧騒を聞き流しつつ、天井の染みを眺めていたローグハンターは、ゆっくりと目を閉じた。

 甦るのは朝の出来事。

 狸寝入りしている間に彼女に撫でられた髪や、触れられた頬に温もりを感じて、不思議と頬が緩んでしまう。

 

「……なんか気持ち悪い顔になっているぞ」

 

 そんな彼の顔を覗き見た店主は、半目になりながらそう告げて、ローグハンターは「……すまん」と返して両手で顔を覆った。

 二十を越えた大人が、顔を隠して天井を仰いでいる様は、それはそれでなんだかいけないような気もするが。

 顔を隠しながら溜め息を吐いた彼は、すぐにいつもの仏頂面を浮かべ、カウンターに片肘をついた。

 金貨を指の間で器用に転がし、照明に照らされてキラキラと輝く。

 

「そのまま一勝負、なんて言わないでくれよ」

 

「運に任せるほど、金に困っていない」

 

 店主の苦笑混じりの皮肉に、ローグハンターは真剣な面持ちでそう返し、ちらりと階段に目を向けた。

 だんだんと音をたてながら、誰かが降りてきたのだ。

 

「お、お待たせ……」

 

 降りてきた武闘家は申し訳なさそうな表情のまま彼の隣に腰を降ろし、「その、ごめん……」とローグハンターに向けて頭を下げた。

 対する彼は不思議そうに首を傾げ、問う。

 

「……何に対する謝罪だ」

 

「無理に、起こしちゃったことに対して」

 

「俺は気にしていないが」

 

 彼女の言葉に、ローグハンターは相変わらずの仏頂面で返すと、「え?」と気の抜けた声が続いた。

 その声の主である武闘家は、「あんな不機嫌そうだったのに……?」と問うた。

 

「不機嫌……」

 

 ローグハンターは彼女の言葉をおうむ返しすると、「そう見えたのなら、謝る」と今度は彼が頭を下げた。

「いや、こっちこそ」と武闘家も頭を下げるが、「いや、俺の方も」とローグハンターも頭を下げる。

 ぺこぺこと頭を下げあう二人は、さながら恋人のように見えなくもないが、残念ながら二人はただの同僚だ。

 店主は額に手をやりながら溜め息を漏らし、細めた瞳にローグハンターと武闘家をそれぞれ映す。

 

 ──本当、この二人は……。

 

 二人がこの宿を使い始め、そろそろ三年が経つだろうか。

 それほどの期間寝食を共にして、いまだにそこ止まりというのは、余計なお世話だとは思うが心配で仕方がない。

 ローグハンターの方はともかくとして、武闘家の方はだいぶ焦っているのではなかろうか。

 

「……いい加減、行こっか?」

 

「……そうだな」

 

 と、謝罪合戦を繰り広げていた二人は揃って溜め息を吐き、ようやく不毛な謝罪の応酬に区切りをつけたようだ。

 ローグハンターは「それじゃあ、行ってくる」と告げて、立ち上がると共に踵を返した。

 足音もなく立ち去る彼を追いかけようと、武闘家は「いってきます!」と元気溌剌に笑いながら告げて椅子を降りた。

 とたとたと軽い足音をたてて去っていく彼女の背中で、銀色の髪が尾のように揺れ動く。

 律儀にも宿の自由扉の前で待っていたローグハンターに追い付くと、二人は肩を並べて宿を後にした。

 若き冒険者の背を見送った店主は、顎を擦りながらカウンターに置かれた自分用の席に腰を下ろす。

 今日の稼ぎを想像し、明日の稼ぎを想像し、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 西の辺境のどこか。

 陽が山の影に隠れ、空が少しずつ青紫から蒼に変わり、不気味な色で大地を見下ろしていた。

 そして見下ろされる大地には、血の海が広がっていた。

 かつて村であったであろうその場所に生き物の気配はなく、蔓延するの死の気配のみ。

 ここに住んでいた村人。

 ここで畑を耕していた農民。

 偶然にも居合わせてしまった商人。

 そして、彼らを救わんと挑んだ冒険者たち。

 その全ての亡骸を詰みあげ、玉座のように座っているのは、血にまみれた黒い鎧を纏った何者かだった。

 大小様々な傷が目立つ鎧と兜。

 錆や欠けが目立つ武骨な大剣を身体に立て掛け、死んでいるかのように微動だにしないが、兜の面頬の奥には黒い瞳が揺れている。

 首から下がる認識票は彼が冒険者である証であり、その色は在野最高たる銀の煌めき。

 けれど男はそんな事をどうでもいいかのように、血を踏みしめる水音をたてながら立ち上がり、兜を巡らせて辺りを見渡す。

 破壊した家の残骸を、血に穢れた井戸の残骸を、打ち捨てられた人の残骸を。

 その全てを興味なさそうに一瞥し、溜め息を吐いた。

 思い切り吸い込んでみれば、肺を支配するのは鉄臭い血の香り。世界に溢れる死の臭いだ。

 彼は兜の奥で唇を歪に歪め、哄笑をあげた。

 

「死だ、死だ。死だ!ここには死が溢れているぞ!」

 

 両手を広げ、天上から見下ろす神々に己が存在を知らしめるように、男は嗤う。

 

悪魔(デーモン)でさえ俺を殺せず、神の信徒でさえ俺を赦せず、冒険者でさえ俺を討てぬ!ああ、神よ、神々よ!俺の死に場所はどこだ!?」

 

 狂ったように嗤い、屍の山に向けて大剣を振り下ろした。

 力任せに振るわれた一撃は、大地を叩くと同時に爆音を響かせて屍の山が四散させ、辺りに血と肉と骨の雨を降らせる。

 それを全身で浴びながら、男は嗤い続ける。

 数分か、数十分か、双子の月が輝き始めた頃になり、男はようやく嗤いを止めた。

 そしてゆっくりと大剣を背負うと、血の海を歩き始めた。

 

「俺を殺せるのは俺だけ。いいや、違う」

 

 誰にいうわけでもなく、誰に教えるわけでもなく、独白のように紡いだ言葉は、途中で止められた。

 くつくつと喉の奥を鳴らすように嗤い、兜に隠された黒い瞳を大きく見開く。

 

狂人()を殺せるのは、狂人(同類)だけだ」

 

 男の瞳に映るのは、蒼い瞳をした狂人(同類)

 あの日ギルドで出会い、昇格の場にも立ち会うことにもなったあの男の姿。

 

「もう我慢できん。殺しあうぞ、同族(ローグハンター)よ」

 

 村を飛び出して冒険者になり、死と隣り合わせの環境に居続けたことにより、いつ頃からか考えるようになった『死の感覚』。

 死んだ友は何を感じ、何を想いながら死んだのか。

 殺した悪魔は何を感じ、何を想いながら死んだのか。

 祈らぬ者は、本当に死の間際にも祈らずにいたのか。

 恐怖はあるのか。痛みはあるのか。憎しみ、怒り、悲しみ、憐れみ。

 何を感じ、何を想い、何に祈りながら逝ったのか。

 その疑問は強くなればなるほどに膨らみ続け、もはや歯止めは利かなくなってしまった。

 誰かを殺す瞬間に何を想うのかは、もはやいつかもわからない頃に頭に刻み込まれた。

 あるのは胸が弾むような達成感。

 酒を飲んだような酩酊感。

 血の温もりによる安堵。

 様々なものがありはするものの、誰かに殺される瞬間、その相手に何を想うのかだけは、いつまで経ってもわからない。

 それを知りたい気持ちもあるのだが、自死だけは駄目だ。

 誰かに殺され、自分を殺した者の表情を、心情を覗くことで、自分は完成する。

 彼はそう信じてやまず、その瞬間を求めてやまず。

 故に彼は進む。己を殺せる相手を迎える為に。

 故に彼は戦う。己の疑問に応じる相手を迎える為に。

 

ならず者()はここだ。ならず者(ローグハンター)殺しよ!!」

 

 

 

 

 




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Memory19 悪魔を追え

 冒険者ギルド二階。応接室。

 冒険者たちにとっては昇格の試験や、少々名の売れた人物からの依頼を斡旋してもらうという、様々な意味で入室するだけでも緊張する部屋でもある。

 そんな一室にいるのは、緊張の面持ちを浮かべた受付嬢と、ローグハンターと武闘家の三人だ。

 長机を挟んで受付嬢と対面する形で座る冒険者二人は、ローグハンターは相変わらずの仏頂面、武闘家は親に叱られる直前の子供のように額に冷や汗を浮かべていた。

 別に問題を起こした訳でもなく、受付嬢の表情からしてお説教というわけでもなさそうではあるが、この部屋にはあまり来たくはない。

 そんな一人で怯えている武闘家の隣。朝一番に呼ばれた為か、ある程度の緊急性を察したローグハンターは「それで、何事だ」と単刀直入に問うた。

 受付嬢は「まずは、こちらを」とそっと卓の上に書類を差し出す。

 ローグハンターと武闘家の二人は揃ってその書類を覗き込むと、二人同時に目を見開いた。

 

 ──とある村が壊滅。調査に向かった冒険者が全滅。

 

 ──隣村も壊滅。調査に向かった冒険者が一人として帰らず。

 

 ──一件目の村から少し離れた村が壊滅。銅等級を含めた討伐隊が全滅。

 

 ──村が壊滅、生存者なし。冒険者が調査に向かい、消息を断つ。

 

 ──村に物資を配っていた商隊が壊滅。護衛の冒険者が全滅。

 

 ──森の中にある知識神の寺院が壊滅。生存者なし。

 

 などなど、書類を捲れば捲るほど、何者かによる被害が綴られた報告が続く。

 

「な、なんですか、これ……!?」

 

 穴が空くほどに書類を睨むローグハンターを他所に、武闘家が驚愕の表情を浮かべながら顔をあげた。

 受付嬢も悲痛な面持ちで首を振り、「わかりません」とぽつりと呟いた。

 ローグハンターが見ている書類は既に十枚を越え、それだけ──下手をすれば数字以上に──無辜の人々が被害にあったのは明白。

 眉を寄せて書類を凝視するローグハンターの手には、紙がくしゃりと音をたてて形を歪めるほどに力がこもり、瞳には冷たい輝きが宿り始める。

 そんな彼の変化を察した武闘家は彼の肩に手を置き、「一回落ち着こ」と告げた。

「そう、だな……」と返したローグハンターは重々しく溜め息を吐き、皺が寄った書類を整えてから武闘家に渡す。

 ぺらぺらと紙を捲る音を耳に挟みながら、ローグハンターは目を細めた。

 

「これはなんだ。尋常じゃないのはわかるが」

 

 いつも通りの、感情を感じさせない淡々とした声音での問いかけ。

 書類上だけとはいえ、見るに耐えない惨状を知ってなお声が震えないのは、彼の胆力故か。

 それでも、蒼い瞳の奥には底冷えする冷たい輝きが宿っており、この惨状を産み出した相手に対して相当な殺意を抱いているのは明白だ。

 自分に向けられたものではないとわかっていながらも、受付嬢は背筋に薄ら寒いものを感じた。

 それでも表情には出さないのは、ひとえに彼女の仕事に対する意識の高さ故だろう。

 

「ここ最近、辺境一帯で何者かによる破壊活動が行われています。都から調査及び討伐の準備を進めているそうですが、事態は一刻を争います」

 

 いつになく真剣で、固い表情を浮かべながらそう告げた受付嬢は、脇に置いていた紙切れを二人に差し出した。

 ローグハンターは上等な羊皮紙に書かれた文字を見つめ、僅かに眉を寄せる。

 

『討伐隊の派遣を向け、現地の調査を依頼する』

 

 そこからは長々とこの惨状に対する意見が書かれているが、そんなものはどうでもいい。

 報酬に関してもどうでもいいとして、問題はそもそもの依頼に関してだ。

 

「……討伐ではなく調査だけなのか」

 

 おそらく都から出されたであろう依頼書には、その何者かに対しては見つけても刺激せず、そのまま尾行し、塒を探れ程度しか書かれていない。

 ローグハンター個人の意見では、見つけ次第抹殺すべきだとは思うが、何か裏があるのか。

 そんなことを思慮している彼の隣で、書類の中に故郷の村の名前がなかったと、喜ぶべき状況ではないけれど安堵の息を吐いた武闘家は、受付嬢に問うた。

 

「……私たちじゃ、無理ってことですか?」

 

 彼と肩が触れあうほどに身を寄せながら、銀色の瞳を細めて依頼書を眺めていた武闘家は、小さく首を傾げる。

 二人とも等級は紅玉。上から数えれば五つ目の、そろそろ玄人(ベテラン)と言われてもいい頃合いだ。

 それも対人においては、自慢ではないがそこらの銅等級冒険者にも負けることはないと自負している。

 それでも戦闘を避けろと言われるのは、腕前を否定されているようでなんともむかっ腹が立つ。

 不満そうにむぅと唸る彼女を他所に、ローグハンターは壁に飾られた辺境一帯を描いた地図に目を向けた。

 立ち上がると同時に書類の山を手に取り、「画鋲はないか」と受付嬢に問う。

 受付嬢が「少々お待ちください」と席を立ち、部屋を後にすると、ローグハンターは書類を睨みながら地図に指を這わせる。

 彼が何をする気かを察した武闘家が「手伝うよ」と声を出しながら立ち上がり、ローグハンターから書類の山を受け取った。

 

「この村は」

 

「ここだ」

 

「こっちの村は」

 

「ここだな」

 

「商隊が襲われたのは、ここかな……」

 

「知識神の寺院は、この辺りか」

 

 二人は書類と地図とを交互に睨みながら、どこで何があったのかを整理していく。

 十件を越え、二十件を越え、三十件を越えても、いまだに書類は残っている。

 

「戻りました」

 

 画鋲が入った小箱を手に戻ってきた受付嬢は、地図と向き合う二人の姿を認め、感嘆にも似た息を漏らした。

 書類片手に地図に指を置き、様々な情報のやり取りをする二人は、冒険者というよりは探偵や密偵のようでもある。

 

「あの、どうぞ」

 

「……ああ、助かる」

 

 そんな二人の背中に声をかけて、そっと小箱を差し出す。

 話すことに夢中だったのか、僅かに反応が遅れたローグハンターだが、一言礼を言いながらそれを受け取った。

 そっと画鋲をつまみ上げて、武闘家と確認した被害場所に射し込んでいく。

 とある村があった場所に。

 とある寺院があった場所に。

 とある商隊が通った場所に。

 とある冒険者が散った場所に。

 辺境の各地に点々と画鋲を射し込み、改めて被害の甚大さに目を見張る。

 少なく見積もったとしても、被害者は三桁に及んでいる。

 これほどまでの被害が出るまで、自分たちは気づけなかったのかと、自分の未熟さと不甲斐なさを呪い、次は防ぐと意気込む。

 まあ、上の人物は止めるのではなく、その支援を求めているのだが、討伐隊の到着を待っている余裕はないだろう。

 

「……これで全てか」

 

 一通りの場所を確認したローグハンターは、腕を組みながら溜め息を吐いた。

 ただ書類を見ながら画鋲を刺しただけだが、それだけでも意外に疲れるのだ。

 ふぃーと息を吐きながら汗を拭う武闘家と、改めて被害の多さを見せつけられ、表情を強張らせる受付嬢を横目に、ローグハンターは数歩下がって地図全体を観察する。

 襲撃場所の規則性を探り、次の出現場所を予測するためだ。

 数分かけて場所を確認したローグハンターは、おもむろに雑嚢に手を突っ込むと、裁縫用の糸を取り出した。

 それを画鋲に引っ掛け、一件目と二件目の間を繋ぐ。

 二件目から三件目を繋ぎ、三件目と四件目を繋ぎ、それを延々と繰り返し、糸を地図に張り巡らせる。

 何かの模様を描いているわけではなく、わかるのは文字通り適当に選んでいることだけだ。

 

「……」

 

 糸を張り終え、再び地図全体を見始めたローグハンターは、顎に手をやりながら低く唸ると、深々と溜め息を吐いた。

 

 ──わからん……。

 

 辺境と一言で言っても、二人で走り回るにはあまりにも広い。

 どこにいるかもわからない相手を探して走り回るのは、無駄に疲れるのみで意味はあるまい。

 只人(ヒューム)に限らず、体力が無限な生物などいるわけがないのだ。

 

「……それは相手も同じか」

 

 相手が何かはわからないが、おそらく生物であることは間違いない。

 ならばどこで身体を休めるのかを予測し、その地点(ポイント)に印をつける。

 湖の近く。人里離れた森。神代の砦跡地。あるいは棄てられた村。

 冒険者(追っ手)を誘っているのなら、襲撃場所にも留まるだろうが、それも数日。冒険者を蹴散らせば、すぐに次の襲撃に向かう筈。

 だがどこかで身体を休め、武具を整える時機(タイミング)がどこかにある。

 結局は次の場所を予測しなければならないわけだが、先程よりは場所を絞りやすい。

 既に襲われた場所の周辺は一旦除外。過去の被害に目を向けるのは大事なことではあるが、今回は次を止めなければならない。

 

「……」

 

 むぅと唸り、見当もつかない相手の次の手を読み取ろうと頭を捻る。

 種族が何かはともかくとして、相手も生物だ。

 空を飛ぶ可能性もあるし、地中を進む可能性もあるが、そんな事を考え始めればきりがなくなる。

 そもそも相手はこちらの常識が通じる相手なのかと、根本的な疑問にぶち当たってしまえば、思考が一時的に止まってしまう。

 

 ──致命的に、情報が足りない。

 

 いや、情報はあるのだ。

 相手が恐ろしい程に強く、無慈悲で、血に酔っている。

 わかっているのはそれだけだ。

 相手の種族。武装。性格。外見。

 知りたい情報を上げればきりがないが、無い物ねだりをしても意味はない。

 いまこの場にある情報で、どうにか推理するしかない。

 

「最後に襲われた場所が、ここだよね……」

 

 と、思考停止に陥っていたローグハンターの耳に、武闘家の少し焦っているような声が届いた。

 彼女は自分の故郷と、被害場所を順々に見つめながら、不安そうに目を伏せる。

 そんな彼女の背を見つめたローグハンターは、眉に出来た深い皺を指で広げると、足音もなく彼女の隣に並んだ。

 

「お前の、故郷はどの辺りだ」

 

 僅かに躊躇しがちに投げられた問いに、武闘家は「え?」と声を漏らしながら彼の方を向き、「この辺」と地図を指差した。

 そこは幸運にも他の被害地からも遠く、まだ被害が出ていない地域に属している。

 だがそれは、これから被害が出るかもしれない地域だということでもある。

 

「……」

 

 こういった、次がどこになるかもわからない状況において、私情を挟むべきではない。

 個人の事情を介入させ、偏った地域ばかり警戒すべきではない。

 その私情のせいで、流さなくてもいい血を流すことになると、頭ではわかっている。

 

 ──だが……。

 

 同時に脳裏に過るのは、母を盗人(アサシン)に殺され、父を病気で亡くし、部屋の隅で丸くなり、食事もせずに塞ぎ込んでいた過去の自分の姿だ。

 彼女がもし自分と同じような目に遭えば、どんな事になってしまうのだろうかと、出過ぎた事だとは思えど、心配で堪らなくなる。

 あの頃の自分には助けてくれる大人たちがいたが、今回の犯人は村を諸とも潰すことだろう。

 頼れる人物もなく、天涯孤独になるなど、考えたくもない。

 

「……」

 

 ローグハンターは無言で地図に触れながら、小さく息を吐いた。

 やりたいことと、やるべきことを、履き違える訳にはいかないと、目標(ターゲット)抹殺を第一にすべきだとわかってはいる。

 だが心の片隅では、彼女の事が心配で仕方がないし、何より彼女を自分と同じ目に遭わせたくない。

 

 ──たまには効率とかは考えず、心に従ってみたらどうだ?

 

 不意に脳裏を過るのは、苦笑混じりに投げられた先生の言葉だった。

 物事を指示された通りに、無駄なく、迅速にこなすべき最低限の目標として掲げていた自分に向けて、豪快に頭を撫でながらぶつけた言葉だ。

 

「……行くぞ」

 

 その言葉を鮮明に思い出した瞬間、ローグハンターの口は無意識に動いていた。

 驚いて目を剥いた武闘家は、弾かれるように彼に目を向けて、「ど、どこに……?」と困惑しながら問うた。

 

「こうして考えているだけじゃ埒が明かない。お前の故郷の辺り、見に行くぞ」

 

「ふぇ!?あ、いや、でも、私喧嘩して──」

 

「別に村に顔を出すわけじゃない」

 

 目を泳がせながら、露骨に嫌そうな態度をする武闘家にそう切り返すと、彼女の故郷の辺りに印をつける。

 

「どこにいるかもわからない相手だ。この際、まだ手付かずの場所に網を張るべきだろう」

 

「でも、なんで私の村に……?」

 

 適当にそれらしい事を言ったローグハンターに、武闘家は小さく首を傾げた。

 彼のことだから、確実な証拠や確証を得てから行動に移しそうなものだが、今回はそんなものはない。

 それでも自分の故郷周辺に網を張るというのは、何かしらの理由がある筈だ。

 

「──」

 

 だが彼は突然口を閉じると、ばつが悪そうに頬を掻いた。

 そして照れ臭そうに目を逸らすと、ぼそりと呟く。

 

「……何となくだ。とにかく行動に移したい」

 

「……わかった」

 

 何かを隠しているような素振りに、多少怪訝に思いつつも、武闘家は笑みを浮かべながら頷いた。

「何かわかれば連絡する」と、背後で待っていた受付嬢に告げて、ローグハンターは武闘家を連れて部屋を後にする。

 扉を閉める間際、「どうか、ご無事で」と頭を下げてきた受付嬢に、二人は扉の隙間から同時に頭を下げる。

 

「相手はおそらく格上。油断したら、死ぬ」

 

 並んで廊下を歩きながら、ローグハンターはいつにも増して真剣な声音でそう告げた。

 隣を歩く武闘家は緊張の面持ちを浮かべながら頷き、額に滲んだ汗を拭う。

 彼はいつも似たような事を言うが、今回は被害からして相手が人間ではない可能性もある。

 対人系の依頼ばかりを受ける自分たちにとって、悪魔の類いは専門外もいいところ。苦戦は必至だろう。

 依頼上は偵察、調査のみだけだが、被害も甚大である以上、彼は命懸けで止めるつもりだ。

 

 ──そんな事、させたくない。

 

 彼が自分の命を軽く見ていることや、無辜の人たちの命を最優先に動くことは、出会ったばかりの頃から知っている。

 それを口先だけと笑い飛ばすことが出来れば簡単だが、彼の場合はそれが当然のように行動さえしてしまう。

 どうにかして彼を助けなければ、彼を守らなければと、気合いを入れ直す。

 二人して真剣な面持ちで階段を降り、ギルドの出入口にたどり着いた瞬間だった。

 ローグハンターは自由扉を押そうと伸ばした手を引っ込め、素早く後ろに飛び退いた。

 

「……え?」

 

 武闘家が突然の彼の行動に声を漏らした直後、凄まじい音をたてて自由扉が開かれ、彼女の顔面に直撃した。

 

「ぎゃ!?」

 

 ガン!と乾いた衝撃音がギルドに響き、冒険者や職員たちの視線が一気に集中する。

「いった……」と額を押さえて(うずくま)る武闘家の脇を抜け、ギルドに飛び込んできた人物は、目の前に立ち尽くしているローグハンターの足にしがみつく。

 

「たす、助けて、ください……っ!」

 

 ぐずぐずに潤んだ瞳で、上擦った情けのない声で助けを求めた若い男性は、ぼさぼさになった髪をそのままに、ローグハンターに向けて叫んだ。

 

「どうか、彼らを助けてください!!」

 

 

 

 

 

 彼にとって今日という日は、いつもと変わらないのどかなものだった。

 ようやく親から商売の手伝いを許され、幼い頃から父に雇われている顔馴染みたちや、頼れる兄と共に、近隣の村に立ち寄り、商品の売買を行う。

 食料や流行りの服、あるいは雑貨品と、商品の種類は様々で、それを乗せた荷車を引くのは数頭の馬だ。

 小さな子馬の頃から世話をして、こうして一人前──馬だが──になってくれたのは嬉しくて堪らないし、何より仕事のやる気もあがるというもの。

 御者台で手綱を握りながら下手くそな鼻歌混じりに空を見上げ、隊列を吹き抜ける風を感じて欠伸を漏らし、隣の兄に小突かれる。

 そんな日々が続き、ようやく仕事に慣れ始めたというのに。

 

 ──気づけば、地面に寝転んで空を見上げていた。

 

 身体を起こそうと力を入れれば、全身の骨が軋むような激痛に悲鳴をあげ、頬を撫でる鉄臭い風と、肺を満たす木材や生物が焼ける臭いに数度むせる。

 どうにか身体を転がし、四つん這いになりながら顔をあげると、そこには地獄が広がっていた。

 凄まじい力で破壊された荷車の残骸や、その積み荷が辺り一面に散らばっているだけなら、仕方がないと、運がなかったと多少の諦めもついただろう。

 だが、今回地面一杯にぶちまけられているのは、それだけではない。

 先程まで荷車を引いていた馬が、内蔵をぶちまけながら地面に倒れ。

 先程まで談笑していた友人たちが、四肢をなくした姿で地面に倒れ。

 何かしらの理由で燃える荷車には、誰かの影が見え隠れし。

 上半身だけになった兄が、目の前に倒れていた。

 右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても、そこには死があり、視角で、嗅覚で、触覚で、死を感じ取れてしまう。

 そして、その死の中心には、一人の悪魔がいた。

 黒い鎧で身を固め、頭がすっぽりと納まる兜を被り、手にしているのは血に染まった武骨な大剣。

 その悪魔は護衛に雇った冒険者を、片手で振るった大剣で叩き斬り、叩き潰し、時には拳で頭蓋を砕く。

 太陽を見上げながら嘲笑し、挑みかかる冒険者を千切っては投げ、千切っては投げ、放たれる魔術すらも大剣で斬り伏せる。

 

「どうした、冒険者よ!貴様らの力は、その程度か!!」

 

 最近は物騒だからと、父の忠告を聞いて護衛に雇ったのは三つの冒険者の一党。

 それなりに名が売れていて、腕もよく、仕事に真面目で、人柄もよし。

 なんなら今後もお世話になろうと、兄と相談もしていたというのに。

 

「うぅおらぁああああっ!!」

 

 大盾を構えて突撃した全身鎧の男は、その盾諸ともに叩き斬られた。

 

「このっ!」

 

 後方から放たれた矢を、突き刺さる直前に掴んで止め、腕力に任せて投げ返すことで撃ち返す。

 放たれた矢は冒険者の眼窩に滑り込み、相手を即死させた。

 

「《サジタ()……インフラマラエ(点火)……ラディウス(射出)》!!」

 

 ならばと、『火矢(ファイアボルト)』の魔術が放たれるが、大剣の一振りで払われる。

 

「弱い。弱い、弱い!弱い弱い弱い弱い弱い弱い!!弱すぎるぞッ!!!」

 

 悪魔は大剣を肩に担ぎ、猛った獣のように冒険者らに向けて吼える。

 その圧力に気圧されるものの、彼等の瞳は死んではいなかった。

 その中の一人。一党の頭目を務める青年が、愕然と戦闘を見つめていた商人に目を向けた。

 

 ──逃げろ。

 

 口の動きのみでそう告げた彼は両手に唾を吐き、両手剣の柄を手に馴染ませる。

 自分たちがここで足止めをするから、増援を呼んでこいという意味なのか、依頼を完遂せんとする冒険者としての矜持(プライド)なのか、どちらなのかはわからない。

 わからないが、これが彼からの最期の指示なのだ。

 

「……っ」

 

 商人は歯を食い縛りながら立ち上がると、ぶるると馬の嘶きが耳に届いた。

 倒れていた馬が起き上がり、乗れと言わんばかりに自分の前で足を止めたのだ。

 

「ごめんなさい……!」

 

 商人は冒険者たちに謝りながら馬の背に飛び乗り、そのまま走り出させる。

 背後からは冒険者たちの怒号と、悪魔の雄叫び。そして凄まじい破壊音が、響き渡った。

 

 

 

 

 

「──で、それはどの辺りだ」

 

 涙ながらにすり寄ってきた商人を担ぎ上げ、二階の応接室まで運んだローグハンターは、先程まで使っていた地図の前で、そう問うた。

 商人は担がれたまま、「ここ、ここですっ!」ととある街道を示すと、ローグハンターと武闘家、そして書類を片付けようと部屋に残っていた受付嬢は、同時に目を見張った。

 商人が示したのは、ローグハンターが最後に印をつけた辺り。

 武闘家の生まれ故郷のすぐ近くなのだ。

 最も危惧し、防ごうとしていた事態が、今目の前で起きようとしている。

 

「……馬を借りられるか」

 

 ローグハンターは乱暴に商人を降ろすと、受付嬢に問いかけた。

 問われた受付嬢は、「だ、大丈夫だとは思いますが……」と曖昧な返事をするが、彼は既に部屋を後にしようとしている。

 武闘家もその後に続き、「二頭借りますね!」としゅびっ!と勢いよく指を立てながら告げた。

 

「よろしく、お願いします……っ!」

 

 そんな二人に向けて、商人は両手をつきながら、床に擦れるまでに頭を下げた。

 

「任せろ」「任せてください!」

 

 二人は同時に返すと、ばたん!と勢いよく扉を閉めた。

 取り残された受付嬢と商人は、二人と、今この瞬間にも足止めをしている冒険者たちの無事を祈った。

 冒険者は命懸けで、何もかもが自己責任ではあるけれど、彼らの死を無駄だと嗤う者は居ない。

 時には彼らが街を救い、村を救い、果てには世界を救ってしまうのだ。

 そんな彼らの命を、全てを懸けて危険を冒す者たちを嗤う者など、居てたまるか。

 

「どうか、ご無事で……っ」

 

 受付嬢は胸の前で両手を組んで、静かに祈りを捧げた。

 

 二人の無事を、冒険者たちの無事を、彼らの勝利を、どうか……!

 

 

 

 

 

 天高く昇っていた太陽も、山の影に隠れ始めた頃。

 辺りには夜の闇が広がり始め、光源となるのは微かに輝き始めた月明かりと、篝火のように燃えている荷車だったもの程度。

 そんな視界も不十分で、足元に何があるかも曖昧になり始めてなお、冒険者たちは戦い続けていた。

 

「おぉぉぉおおおおっ!!」

 

 だらりと下がった左腕。切っ先が掠めて潰された右目。

 他にも身体中に傷が刻まれ、既に満身創痍。

 それでもなお、冒険者は下がらない。冒険者は倒れない。

 

「はははっ!存外に粘るものだな、冒険者!!」

 

 無傷の悪魔はそんな彼の気迫さえも嘲笑い、軽く振るった大剣の一振りで小石のように弾き飛ばす。

「がっ!?」と短く呻きながら飛ばされた冒険者だが、追撃はさせんと後方に控える魔術師が『力矢(マジックボルト)』を放ち、牽制。

 それを裏拳で相殺した悪魔は、「くはは……っ!」と喉の奥を鳴らし、地の底から響くような嗤い声をあげる。

 

「始めは十八人いたが、残り二人。なあ、どんな気持ちだ」

 

 折れかけた剣を杖代わりに立ち上がった男の戦士と、杖を構えながら肩で息をする女の魔術師を一瞥しながら、悪魔はさらに問うた。

 

「怖いか、恐ろしいか、憎いか、怒りを抱いているか、悲しみは、あるいは何も感じないか。なあ、今はどんな感情がその胸の中にある」

 

「「……っ」」

 

 その問いかけに、二人は表情を強張らせるのみで答えない。

 それが気に入らないのか、悪魔は額に手をやりながら芝居じみた動作で溜め息を漏らす。

 

「やはりお前たちでも駄目か。何度聞いても、誰も答えてはくれなんだ」

 

 血に染まった大剣を肩に担ぎ、返り血に汚れた兜の下で目を閉じる。

 

「夢を抱く冒険者でさえ。人と人を繋ぐ商人でさえ。毎日を懸命に生きる村人でさえ。神の信徒である神官でさえ。誰であっても、俺の質問には答えてはくれなかった」

 

 今まで殺めてきた無辜の人々の、死ぬ間際に見せた表情を思い出した悪魔は、ゆっくりと目を開ける。

 

「誰なら答えてくれようか。誰なら教えてくれようかと、毎日悩み続けていたんだが……」

 

 いまだにやる気の二人に目を向け、「お前たちでも駄目そうだな」と再び溜め息を漏らす。

 

「ならば死んでくれ。せめて何を思いながら死ぬのか、その死をもって教えてくれ」

 

 悪魔は静かにそう告げて、詠唱に入った魔術師を睨み付けた。

 戦士が間に入ろうと走り出すが、足が突っ張ってしまいその場に崩れ落ちる。

 それでも「逃げろ……っ!」と叫んだ直後、悪魔はその場から跳躍。詠唱が終わる直前の魔術師に向けて、大剣を振り下ろした。

 詠唱も間に合わず、回避さえも許されない魔術師は、眼前に迫る死を、涙ぐんだ瞳で睨み付けた。

 戦士が「止めろ!」と叫び、悪魔が嘲笑をあげるなか、炸裂音が辺りに木霊した。

 

「っ!」

 

 反射的に反応したのは、悪魔だ。

 振りかぶった大剣を引き寄せ、盾代わりに身体を隠す。

 直後、小さな衝撃が剣を駆け抜け、身体を硬直させた。

 その隙にその場を飛び退いた魔術師は、そのまま戦士の元へと駆け寄った。

 どさりと重々しい音をたてながら着地した悪魔は、ニヤリと口を三日月状に歪め、血走った瞳で乱入者を睨み付ける。

 そこには、影がいた。

 黒と赤を貴重にした衣装に身を包み、目の前にいる筈なのに気配が稀薄な不思議な男。

 目深く被ったフードで表情は伺えないが、その奥からこちらを覗いている蒼い瞳に、悪魔は壮絶な笑みを深めた。

 

「待っていた。この日を、この邂逅を待っていたぞ、ならず者殺し(ローグハンター)よ!!」

 

「……」

 

 対するローグハンターは、フードの下で無表情になりながら、目の前の悪魔──かつて出会った冒険者──を睨み、微かに視線を動かして生き残った二人の方に目を向けた。

 戦士を武闘家が担ぎ上げ、近くに止めてある馬の方へと運んでいるようだ。

 それだけを確認すると、深く息を吐きながら左手の短筒(ピストル)拳銃嚢(ホルスター)に押し込み、代わりに短剣を構える。

 右手に片手半剣(バスタードソード)、左手に短剣。

 いつものように脱力したように構え、蒼い瞳には絶殺の殺意を宿す。

 空が少し暗くなり始めた降魔が刻。

 悪魔(ローグハンター)悪魔(冒険者だった者)の決戦が、始まろうとしていた。

 

 

 




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Memory20 ならず者殺し(ローグハンター)

 双子の月に照らされる街道。

 普段なら虫の鳴き声や、風のそよぐ音に包まれ、静寂が支配する領域であるその場所には、死が撒き散らされていた。

 荷車の残骸。

 それを引いていた馬の亡骸。

 その馬を操っていた御者や商人、護衛の冒険者たちの遺体。

 緑の芝生が赤く染まり、風が吹いても充満する鉄の臭いが消えることはない。

 そんな常人であればその場に留まることを嫌い、すぐに逃げ出すような惨状の直中を駆け回るのは、二人の男だ。

 この景色を産み出した張本人たる、かつて冒険者だった男──人であることを捨てた悪魔──と、彼を止めんとこの場に駆けつけたローグハンター。

 相対した二人に、もはや和解の選択肢は残されておらず、あるのは殺し合う運命(シナリオ)のみ。

 

「おおっ!」

 

 悪魔は血に濡れた大剣を振り下ろし、ローグハンターは大袈裟にその場を飛び退くことで避ける。

 瞬間、彼がいた場所に鉄塊が叩きつけられ、その衝撃が大気を揺らす。

 地面には蜘蛛の巣状の(ひび)が入り、弾き上げられた血が辺りに飛び散る。

 それが目に入らないようにだけ意識を向けた彼は、着地と同時にその場を駆け出し、片手半剣(バスタードソード)の刺突を放つ。

 

「はっ!」

 

 だが、彼の行動(アクション)を鼻で笑った悪魔は、大剣を手放すと同時に足を上げ、ローグハンターの顔面に向けて足を突き出した。

 ごう!と空気が唸る音を放つそれは、只人の蹴りではあるが只の蹴りではない。

 

「っ!」

 

 危険を察知したローグハンターは素早く下半身のみを前に出し、地面を滑る要領(スライディング)の勢いで蹴りの下を潜り抜ける。

 地面が吸いきれない程の血に濡れている為か、その勢いは衰えることを知らず、ローグハンターの予想に反して間合いが開いてしまう。

 どうにか踏ん張ろうと両手両足をつくが、誰かの内臓を踏んでしまったのか、ぐちゃりと湿った嫌な感触が脳に届く。

 だがそれを振り払い、むしろそれを踏み潰すように両足に力を入れて立ち上がり、血の臭いを肺一杯に吸い込む。

 相対する二人にとっては慣れ親しんだ、本来なら決して慣れてはいえないその臭いは、だが肺を満たす分には問題はない。

 ならば考えるまでもないと、深呼吸をして呼吸を整えた。

 血の臭いを、死の気配を、その全てを呑み込み、ローグハンターは再び駆け出す。

 踏み出すごとにびちゃびちゃと湿った音が出るが、どうせ見つかっているのだからどうでもいい。

 誰かの骨を踏み砕き、何かの内臓を踏み潰し、それでも転ばないのは鍛えられた体幹故か。

 ふっと小さく笑みをこぼした悪魔は、大剣を肩に担いで構え、両足を地面にめり込ませるほどに踏ん張る。

 一歩、二歩と互いの間合いが詰まっていく中、悪魔は笑みを浮かべたまま、重心諸ともに大剣を振り抜いた。

 対するローグハンターはばしゃり!と湿った音をたてて跳躍し、振り抜かれた刃を飛び越える。

 ぶぉん!と空気が唸る重々しい音を飛び越えて、悪魔の兜に剣と短剣を振るい、ばつ字の斬撃を放つ。

 悪魔は半歩分すり足で下がり、上体を僅かに後ろに逸らして回避。

 同時に振り抜いた大剣を空中でぴたりと停止させ、振り抜いた軌跡をなぞるようにもう一閃。

 

「っ!」

 

 流石のローグハンターとて、空中で回避運動を取れる訳もなく、剣と短剣を盾代わりに差し出す。

 直後、大砲の弾が掠めた時のような、凄まじい衝撃に襲われたローグハンターは、目を剥きながら弾き飛ばされる。

 荷車の残骸に頭から突っ込み、乾いた破砕音を響かせながら地面を転がった。

 黒い衣装を真っ赤に染め、手にしていた剣と短剣には大きな罅が入っている。

 

「……」

 

 寝転んだまま両手を挙げてそれを確認したローグハンターは、無言で目を細めた。

 愛用──とまでは言わないが、工房長が毎度のように(こしら)えてくれた二振りだ。

 造られる度にその精度は段違いにあがっていたが、それをまさか一撃で砕かれるとは。

 

「……」

 

 ローグハンターは無言で溜め息を吐くと、その二振りを投げ捨てた。

 そのまま身体を丸めると、力を溜めて一息に跳ね起きる。

 衣装の裾を始め、背中が赤黒く染まり、僅かに重くなってはいるし、気持ちが悪いものの、とりあえずは問題ない。

 ふっと短く息を吐き、蒼い双眸で悪魔を睨む。

 律儀にも待っていた彼は大剣を肩に担ぎ直すと、挑発するようにくいくいと手招きを数度。

 無手のまま身構えたローグハンターは、意識を集中してタカの眼を発動した。

 赤く映る人影(悪魔)はともかく、必要なのは武器だ。

 二度三度打ち合った程度では折れず、あの鎧越しにも痛痒(ダメージ)を通せそうな、武器が。

 僅かに視線を動かして辺りを観察し、僅かに金色に光っている箇所を確認。

 被っている血のせいで何の武器かまでは判別出来ないが、武器があるのならそれでいい。

 瞬きと共にタカの眼を解除し、深く息を吸い込み、吐き出す。

 全身から力を抜き、必要な部分に、必要な瞬間だけ、力を込める。

 それが意識せずに出来れば苦労はないのだが、自分はいまだに未熟なのだと僅かに自嘲。

 だがそれも一瞬のこと。すぐに表情を引き締めたローグハンターは、僅かに重心を落とした直後、その場から駆け出した。

 足元の臓物や骨片を跳ねあげながら、血飛沫をあげながら直進。

 途中で転がっていた武器──今回は槍だ──を拾い上げ、走りながら血払いをくれる。

 対する悪魔は大剣を大上段に構えると、まだ間合いに入っていないにも関わらず、振り下ろした。

 凄まじい爆音を響かせて、彼を中心に血と臓物、骨が混ざった砂煙が舞う。

 

「……っ!」

 

 ローグハンターは彼の行動に目を剥くが、タカの眼を発動して相手の動きを観察。

 振り下ろした体勢で動きを止めている悪魔の死角に入ろうと、足音を殺すと共に砂煙に突入しながら大きく迂回。

 くるくると風車のように槍を振るい、柄の部分の血を簡単に飛ばすと、両手で握り直す。

 ざっと微かに地面を擦る音を漏らしながら急停止。ふーっと息を吐きながら悪魔の背に狙いを定める。

 相手に気付いた様子はないが、振り下ろしたまま動かないのは、こちらを迎え撃たんとしているからか。

 

 ──だが、行くしかない。

 

 タカの眼に映る赤い影を睨み付け、殺意を漏らさないように細心の注意を払う。

 漏れ出た殺意は囁き声となり、相手に自らの存在を教えてしまうのだ。

 せっかく生まれた──相手が生み出した、だが──不意討ち(アンブッシュ)時期(チャンス)を潰すわけにはいかない。

 深く息を吸い、槍を地面と水平に構えながら重心を落とす。

 両足に力を込めると同時にその場を飛び出し、放たれた矢のごとく悪魔に迫る。

 本来なら数十歩分の間合いを、十歩足らずで詰めた彼は、加速の勢いのままに砂煙を飛び出し、槍を突き出す。

 

「シャッ!」

 

 直後、鋭い吐息の声と共に悪魔は身体ごと振り向き、穂先を鎧に掠めさせながら避け、反転の勢いを乗せた裏拳をローグハンターに放った。

 攻撃を放った直後。生物が最も反応が遅れる瞬間を、寸分の狂いなく狙うのは、流石は銀等級の冒険者だろう。

 だがローグハンターとて、それなりの修羅場を潜ってきたのだ。

 槍を突き出したまま身体をうねり、放たれた拳を耳に掠める間一髪で避けた。

 普段ならこのまま地面を転がり、一度間合いを離すところだが、今の得物は槍だ。

 突き出した槍をくるりと回転させながら引き戻し、石突きで地面を叩く。

 地面に弾かれる勢いで体勢を整え、穂先を天を突くように掲げ、しなった勢いをそのままに振り下ろす。

 素人の冒険者たちは「槍とは貫くものだ」と口を揃えるが、槍とはそれだけの武器ではない。

 突くだけなら槍だが、薙げば剣、殴れば鎚と、用途次第ではいかなる戦況にも対応する武装だ。

 取り回しが悪いという弱点はあるが、ここは狭い洞窟ではないのだ。全力で振り回して何が悪い。

 

「フッ!」

 

 ぶん!と空気を切り裂く音と共に、遠心力が乗った穂先が悪魔の頭蓋を砕かんと振り下ろされた。

 

「おおっ!!」

 

 同時に振られるのは、悪魔が横凪ぎに振るった大剣だ。

 片腕で、己の体重を優に超える鉄塊を振るえるのは、鎧に包まれた筋骨隆々の肉体と、常人離れした体幹によるものか。

 迫る刃を視界の端に捉えたローグハンターは、攻撃は当たらないと判断。柄を盾代わりに刃と自身の間に挟み込んだ。

 直後来たのは、凄まじいまでの衝撃だ。

 両腕の骨まで響く衝撃を受けながら、歯を食い縛って声を漏らすことはない。

 それでも耐えるという選択肢は取れず、弾かれるがまま飛ばされた。

 空中で柄の中間から見事に折れた槍を一瞥し、それぞれの折れた断面を地面に突き立てて急停止。

 穂先側を逆手に握り、投擲した。

 下手や弓兵が放った矢よりも速く、低い弾道を描くそれは、悪魔の命を奪うよりも足を止めることを狙った牽制だ。

 

「はっ!」

 

 それをすぐに察知した悪魔は、機嫌良さそうに嗤いながら、蹴りの一撃でもって槍を迎撃。

 弾かれた穂先は弾丸となってローグハンターに迫るが、彼は石突きでそれを弾くと同時に、再び間合いを詰めにかかった。

 荷車の残骸に突き刺さった剣を、刃を折りながら無理やり引き抜き、右手に折れた剣、左手に戦鎚代わりの折れた槍を握り、走る。

 悪魔は嗤いながら大剣を正面に構え、血走った黒い瞳にローグハンターを映す。

 ジグザグに走りながら左右にフェイントを入れるローグハンターと、どっしりと両足をついて構える悪魔。

 視界の端から端に駆け回り、時には消える彼の姿を、身体の軸を合わせることで追従し、どこから来ようと迎撃が出来るように警戒を高める。

 高まったそれは決して下がることはなく、隙を探ろうと動き続けるローグハンターの額には汗が浮かぶ。

 このまま(いたずら)体力(スタミナ)を消耗するのなら、機を見て飛び込むしかあるまい。

 ローグハンターは微かに目を細めた事を合図に、横に動く線の動きから、一直線に動く点の動きに切り替える。

 悪魔は「むっ」と声を漏らして微かな驚きを露にするが、すぐにニヤリと嗤って彼の挙動に意識を向けた。

 馬鹿正直に突っ込んでくるのか、あえて横に逸れるのか、どう動いたとしても叩き潰すと瞳の奥に炎を灯す。

 一歩、二歩と踏み込み、大剣の間合いに入った瞬間、悪魔は無造作に大剣を振るった。

 相手を斬るよりも叩くことに特化させた、腕力に物を言わせた一閃。

 放たれたそれは、懐に飛び込まんとしたしたローグハンターの米神を強かに打ち付けるかと思いきや、空を斬るに留まった。

 

「っ!」

 

 寸分の狂いなく、我ながら完璧な反撃(カウンター)だったと、思わず笑みがこぼれそうなものではあったが、手応えがない。

 その疑問にほんの一瞬意識が向いた瞬間、鈍い衝撃が悪魔の頭を揺らした。

 低い呻き声と共にぎょろりと目玉を動かした彼は、折れた槍の石突きを振り抜いたローグハンターを睨み付けた。

 まず間違いなく、あの石突きで殴打されたことによる衝撃だろう。だが、どうやって避けたのだ。

 彼の脳裏にはその疑問が再び沸き上がるが、今はどうでもいいとローグハンターの顔面に蹴りを放つ。

 ローグハンターは折れた剣と石突きを交差させてそれを防ぐものの、勢いは殺せずに再び弾き飛ばされる。

 着地と同時に砕け散った石突きを放棄し、折れた剣を両手で構える。

 突きはともかく、かろうじて斬ることはできるそれは、まだ武器としての性能は十分だ。

 深く息を吸い込み、吐き出し、突撃。

 今度はフェイントも何もなく、真正面から悪魔へと挑んだ。

 対する悪魔は、額から口許まで垂れてきた血を舐めとり、目を細めて辺りを観察。

 先の一撃をまたされても困る。対策は完璧ではなくとも即時に見つめ、行動せねば命が足りぬ。

 そして、彼は足元に残るローグハンターの足跡を見つけ、微かに笑んだ。

 一歩二歩とこちらに迫ってくる足跡は、三歩目だけが歩幅がほんの僅かにだが小さい。

 途中で減速することで、相手の空振りを誘う技術なのだろうと目星をつけ、ならばと迫るローグハンターを睨む。

 一歩目、二歩目と踏み込んだ瞬間、今度はこちらから大きく一歩踏み出した。

 ローグハンターは僅かに目を見開くが、すぐに両足を揃えて跳躍。

 一拍遅れて振るわれた横薙ぎの一閃を、間一髪で飛び越えた。

 空中で身体を捻り、首を刈らんと折れた剣を一閃。

 だがそれを読んでいた悪魔は、大剣を振るった勢いで回転。

 遠心力を乗せた裏拳で剣を粉砕し、驚愕に染まるローグハンターの顔を尻目に大剣を地面に突き立て、それを軸に跳躍。彼の腹に両足蹴りを放った。

 

「ごっ……!」

 

 ローグハンターは僅かに血の混ざった呻き声を漏らしながら吹き飛ばされ、荷車の残骸に突っ込んだ。

 燃えていたそれは倒壊すると共に、血を被って鎮火され、焦げた臭いと鉄臭さが辺りに振り撒かせる。

 

「立て、ローグハンター。こんなものじゃあ、ないだろう」

 

 ごきごきと首を鳴らし、大剣を肩に担いだ悪魔は、倒壊した荷車に目をやりながらそう告げて、「ほら、どうした」と挑発的に笑みながら更に煽った。

 がらがらと音をたて、残骸を退かしながら立ち上がったローグハンターは、血が滲み出る額を押さえながら数度頭を振り、血の混ざった唾を吐いた。

 物理的に頭が割れる程の衝撃を受けながらも無事なのは、一重に運が良かっただけなのか。

 あるいは背中の長筒(エアライフル)のおかげなのか、まあどっちでもいいかと思考を投げる。

 ふっと嗤って身構える悪魔を他所に、ローグハンターは拳銃嚢(ホルスター)に手を伸ばし、引き抜きながら発砲(クイックドロー)

 放たれた拳で弾丸は大剣に阻まれるが、すぐさま長筒(エアライフル)を構え、銃口下部の太筒(グレネードランチャー)に手を触れた。

 

「む……」

 

 悪魔は見たこともない装備に僅かに興味を示すが、危険を察して大剣を地面に突き立て、大盾に見立てて構えた。

 直後、ローグハンターが引き金をひくと同時にポン!と間の抜けた音が発され、放たれた榴弾(りゅうだん)が山なりの軌道を描き、悪魔のすぐ背後に落下。

 中に仕込まれた爆薬が炸裂し、大量の鉄片が辺りに飛び散った。

 兜越しにそれを見ていた悪魔は、無言で目を剥いて驚愕を露にするが、今さら回避が間に合う筈もなく、爆発の衝撃と大量の鉄片に襲われた。

 熱を持ち、森人(エルフ)の矢さながらの速度で飛ぶそれは、重厚な鎧を貫くにはいささか威力不足ではあるが、細かな衝撃だけでも痛痒(ダメージ)にはなり得る。

 爆発が止むと同時に悪魔が「ぐぅ……」と呻きながら膝をつくと、ローグハンターは走り出す。

 端から見れば武器もない、素手で何をするつもりだと笑われそうなものだが、ローグハンターには常に身に付けている武器がある。

 彼の接近に気付いた悪魔は、痛む身体に鞭を打って立ち上がり、鎧や兜に食い込む鉄片をそのままに、地面に突き立てた大剣を引き抜く。

 同時に右足を下げて半身になると、両足を踏ん張って大剣を地面と水平に。

 

「おおっ!!」

 

 気合い一閃と共に刃を突き出せば、並大抵の相手ならば胴を穿つ一撃(スティング)だ。

 だが相手はその並大抵の一言で片付けられる男ではない。

 彼の行動を読んでいたローグハンターは、持ち前の反射神経で跳躍すると、足元を通過した大剣の刃を踏み台に前方に方向(ベクトル)を調整。

 空中で身体をよじり、左腕を振り上げながら左手の小指を僅かに動かし、袖に仕込まれた小刀(アサシンブレード)を抜刀。

 天高くから獲物を襲う鷹の如く悪魔を地面に押し倒し、抜刀したアサシンブレードで彼の眼窩を貫こうと振り下ろした。

 もう五年近く繰り返してきた、相手を短時間で苦しませることなく殺める技は、今日この日も遺憾無く発揮された。

 問題があるとすれば、相手と自分の力量(レベル)がそれなりに離れていたこと。

 それ故に、相手の反応速度を超えられなかったことだ。

 

「う゛ぅぅうう゛う゛う゛っ!!」

 

 獣のような唸り声をあげながら、悪魔は大剣を離して左手を差し出した。

 直後、アサシンブレードの極細の刃が悪魔の籠手の継ぎ目を貫き、手の甲から刃が飛び出す。

 だが、そこまでだ。肝心の眼窩には届かず、致命傷にはほど遠い。

 

「っ!おおおおおおっ!!」

 

 止められた自身の左腕を掴み、力任せに押し込まんとするが、悪魔は嗤うだけで力を入れた様子もないのにアサシンブレードはピクリとも動かない。

 小さく舌打ちを漏らしたローグハンターは、距離を取ろうとアサシンブレードの納刀させるが、その判断を下すには数瞬遅かった。

 

「っあ!」

 

 悪魔は一瞬の迷いもなく拳を振るい、ローグハンターの顔面を打ち据えたのだ。

 凄まじい快音と共にローグハンターの身体は弾き飛ばされ、無様に地面を転がった。

 

「が……っ……そが……っ!」

 

 彼らしくもなく感情に任せて悪態をつき、抉じ開けられた口許の傷跡と、鼻からから垂れる血をそのままに跳ね起きる。

 

「っ……!」

 

 直後、既に間合いを詰めていた悪魔の蹴りが放たれた。

 咄嗟に腕を交差させて防御の体勢に入るが、そんなものお構いなしに悪魔の蹴りが振り抜かれる。

 再びの快音と共にローグハンターは吹き飛ばされ、両足を地面に擦りながら歯を食い縛る。

 

「うぅぅぅ……っ!」

 

 両腕の骨が軋み、脳まで響く衝撃に唸りながら、痺れる両腕を見つめて細く息を吐く。

 

 ──重い。今までくらったどの攻撃よりも、重い!

 

 もはや遠い過去のように思える、雪山の砦での戦いで出くわした巨漢も凄まじいものだったが、彼はそれ以上だ。

 あの時もかなり苦労したが、やはりこういった手合いは苦手かと自分の弱点を分析。

 だがそれは負ける言い訳にはならないと、拳を握って構えを取った。

 もっとも相手は既に大剣を回収し、身構えているのだから、とりあえず武器が必要だなと辺りを見渡す。

 だが悪魔は大剣で地面を抉りながら、ローグハンターが装備を整える暇を与えんと走り出した。

 誰かの臓物を踏み締め、何かの骨を踏み砕き、血の海を進む水音をたてながら、一気に肉薄。

 下段から大剣を振り上げ、抉り出した地面を弾丸よろしくローグハンターに放つ。

 

「っ!」

 

 ローグハンターは反射的に地面に這いつくばり、左右に転がりながら放たれた岩石を潜り抜ける。

 岩石に紛れて前進した悪魔は、どうにか立ち上がったローグハンターに向けて大剣を振るった。

 左右上下に、縦横無尽に振るわれる暴力を、紙一重で避けていくが、額には異様なまでの汗が浮かぶ。

 一撃でも当たれば死が見えてくるのだから、それを避け続けることでの精神的な疲労は計り知れない。

 ぶぉん!ぶぉん!と空気が唸る音を間近で聞きながら、ローグハンターはひたすらに回避に徹する。

 あの鎧を拳や蹴りでは突破は不可能だ。武器が手に入るまでは、防戦一方になるほかない。

 

「そらそら、どうしたローグハンター!避けるだけでは勝てんぞ!」

 

「っ……!」

 

 そんな彼を悪魔は煽り、ローグハンターは僅かに表情を歪めた。

 言ってしまえば余裕がない。あと数分もすれば頭をかち割られると、逆の意味で謎の自信があるほどだ。

 

「おおっ!」

 

 僅かに焦りながら額に脂汗を浮かべるローグハンターを他所に、悪魔の攻勢は更に強まっていく。

 空を斬れば空気が唸り、地面を叩けば衝撃波が発せられ、舞い散る砂塵がローグハンターの視界を妨げる。

 タカの眼を発動し、煙越しでも相手の動きを把握出来るようにはしているが、それでも限界はあるのだ。

 長時間の使用は瞳への負担も大きく、集中力を異常に消耗する。

 それ故に、神が転がした骰の目に様々な不利効果(マイナス判定)が重なり、普段ならしないような失敗を招いてしまう。

 避けようと一歩足を下げた場所に、運悪く誰かの内蔵が転がっていたのだ。

 普段ならそのまま踏み潰し、問題もなく回避を続けるのだが、ずるりと音をたてて内蔵が地面を滑り、ローグハンターの足を取った。

 

「っ!」

 

 ローグハンターは驚愕に目を剥き、踏ん張る事も出来ずに片膝をつき、悪魔は彼を見下ろしながら嘲笑う。

 大剣を振り上げ、「さらばだ!」と告げて振り下ろす。

 当たれば頭蓋どころか身体が四散するのは確実。

 目の前に迫る死の気配を前に、ローグハンターは微かに笑みをこぼした。

 それが彼の最期の表情。何かに安堵し、いっそ勝ち誇っているようにさえ見えるそれは、死を受け入れる男がする表情ではない。

 悪魔は死に際にそんな表情をする者を知らず、多少狼狽えながらも大剣を振り抜かんとした直後。

 凄まじい快音が辺りに響き、悪魔の巨体が宙を舞った。

 ガチャガチャと金音をたてながら地面を転がった彼は、鈍い痛みに包まれる脇腹を押さえ、舌打ち混じりに立ち上がった。

 

「ちぃ……!誰だ!」

 

 ここ三年で楽しみにしていたローグハンターとの決闘を邪魔され、あまつさえそれがトドメの瞬間とあれば、余計に腹が立つというもの。

 彼の咆哮に合わせたように吹き抜けた夜風が砂塵を拐い、介入者の正体を露にする。

 月明かりに照らされて輝く銀色の髪。

 籠手と脚絆に包まれた四肢は、柔らかそうではあるが筋肉質で、呼吸の度に揺れる豊かな胸はおおよそ戦いに向いたものではない。

 だが、事実自分を殴り飛ばしたのは彼女(・・)だ。

 ふーっと深く息を吐きながら構えを解いた彼女は、拳の痺れを無視し、膝をついているローグハンターに手を伸ばす。

 

「大丈夫?立てそう?」

 

 真剣な面持ちでそう問いかけた武闘家に、ローグハンターはふっと笑みを浮かべ、「大丈夫だ」と返しながら一人で立ち上がった。

 

「何者……。いや、あの時の小娘か」

 

 悪魔はいつぞやの面接の際、ローグハンターの隣にいた女冒険者の姿を思い出し、合点がいったように頷く。

 単純な(パワー)ならローグハンターの上を行くかと、痛む脇腹を擦りながら小さく唸る。

 

「ね、ねえ、あの人って……」

 

「いつかに俺たちの面接に立ち会った冒険者だ。何があってああなったかは知らん」

 

「そっか。とりあえず、さっきの二人は馬に乗せて、街に向けて走らせたから、たぶん大丈夫だと思う」

 

「了解。なら、やることは一つだ」

 

 悪魔に視線を向けたままやり取りを終えた二人は、同時に構えを取った。

 

「……あいつを殺す。これ以上、被害を広げるわけにはいかない」

 

 ローグハンターは絶殺の意志を蒼い瞳に込め、顔から表情が消える。

 身体から余計な力が抜け、口許から垂れる血は止めどなく溢れているにも関わらず、それを感じさせぬ殺意に満ちる。

 

「絶対に倒す。この先には、行かせない……っ!」

 

 武闘家はそう宣言し、銀色の瞳に強靭な意志を込めて叫ぶ。

 同時に彼女の頭の奥から、カチリと何かが填まる音が聞こえ、不思議と身体が軽くなった。

 二人から放たれる殺意と闘気に当てられた悪魔は、兜の下で想像を絶するほどに表情を歪め、目と口を歪に歪ませながら笑みをこぼした。

 

「ああ良いぞ。純粋な殺意も、使命感から来るその覚悟も、お前たちは何もかもが美しい。だからこそ、見てみたい」

 

 ──お前たちが死ぬ時、どんな表情(かお)を見せてくれるのか……。

 

 悪魔は静かに呟くと、双子の月に向かって吼え、ローグハンターと武闘家は静かに構えを取った。

 天上の神々は、骰を片手に三人を見守るのみだ。

 

 

 




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Memory21 月下争乱

 まず先手を打ったのは武闘家だった。

 銀色の髪を尾のように揺らし、放たれた矢のごとく駆け出す。

 常人ではまず目で追えないその速度で間合いを詰め、懐に飛び込み、鎧の胸当てに正拳突き。

 力任せに鐘をついたような、耳障りな甲高い金属音を辺りに響かせるが、悪魔は大して効いた様子もなく、武闘家の脳天を割らんと拳を振り上げ、まっすぐ振り下ろした。

 ごうと空気が唸りをあげ、拳の残像さえも残す鉄槌を、武闘家は頭上で両腕を交差させるのことで受け止める。

 

「っ!?」

 

 その瞬間、凄まじい衝撃が彼女の全身に叩きつけられ、地面には踏ん張った両足を中心にした、蜘蛛の巣状の罅が入った。

 拳自体を直撃したわけでもないのに、その余波で鼻から血が噴き出し、痺れるような鈍痛が両腕を包み込むが、それがどうしたと言わんばかりに交差させた両腕を振り抜く。

 両腕で挟むように止めた悪魔の腕を弾きあげ、無防備に晒される胴に縦拳を一発。

 ガン!と固い物同士がぶつかり合う音を響かせるが、悪魔は相変わらず効いた様子を見せない。

 実際問題、彼は悪魔(デーモン)の爪さえを防ぐ鎧を纏っているのだ。いまだ紅玉等級冒険者止まりの拳打など、避ける理由はない。

 確かに力も、速さもあるが、不意打ちでもなければ致命傷(クリティカル)にはほど遠い。

 真正面から、どこに打ち込まれるかがわかる攻撃なぞ、多少踏ん張れば何の問題もないのだ。

 痺れる拳をそのままに舌打ちを漏らした武闘家は、怯みもしない悪魔を睨みながら跳躍。

「イィィィィヤッ!!」と怪鳥音を発しながら、兜に向けて回し蹴りを放つ。

 脚甲に包まれ、下手な剣撃よりも鋭く、速い一閃は、さながら斬撃のようだ。

 だがまだ遠い。斬撃と呼ぶには、まだ遅すぎるのだ。

 ギャン!と異音を発しながら蹴りを受け止めた兜は、僅かにずれるのみで蹴りの衝撃を大きく緩和し、大きな痛痒(ダメージ)にはならない。

 それでも額からは血が滲むのだが、元から出ていたのだからと気にも止めない。

 

「おぉぉおおおおっ!」

 

 悪魔は獣じみた咆哮をあげながら、空中の武闘家に向けて大剣を振るった。

 迫る凶刃を視界の端に捉えながら、兜に叩き込んだ脚を軸に、両手を振った勢いで身体を回転。

 肉厚の刃を紙一重で受け流し、お返しに踵落としを脳天に叩きつけた。

 結局はそれも意味をなさず、逆に反動で弾き飛ばされるのだが、交代で飛び込んだのはローグハンターだ。

 彼女が交戦している隙に回収した両手剣(ツーハンデッドソード)を肩に担ぎ、突貫。

 空中で体勢を整える武闘家の直下を通過し、突撃の勢いを乗せて大上段から振り下ろす。

 

「シッ!」

 

「おおっ!!」

 

 対する悪魔は横薙ぎに大剣を振るい、振り下ろされた刃を迎撃。

 鋭く甲高い音を鳴らしながら二振りの剣がぶつかり合い、火花を散らす。

 同時に二人は息を合わせたかのように息を吸うと、両目を有らん限りに見開き、ローグハンターは身の丈以上の長さを誇る刃を、悪魔の己の倍近い重さを誇る刃を、手足のように振り回す。

 空気が唸る轟音と、刃がぶつかり合う甲高い金属音。

 絶え間なく放たれる殺意に満ちた剣撃は、お互いに瞬きする隙さえもなく、見開かれた瞳が絶え間なく動き続ける。

 袈裟斬りを防ぎ、突きを受け流され、斬り上げを避け、横一文字に払われた一閃を止められ、柄頭で殴打し、拳を首を傾けて避ける。

 十秒にも満たない間に十数個の攻防が行われ、呼吸を整え、瞳に潤いを取り戻す暇もなく次の十秒に突入。

 二人の攻防は激しさを増し、得物を振るう速度が上がり続ける。

 二人の間に挟まれた空間が悲鳴をあげ、微かに軋んでいるようにさえ見える中、二人は咆哮をあげながら得物を振るった。

 全体重を乗せた、大振りの一閃は寸分の狂いなくお互いの得物とかち合い、金槌で力任せに金床を叩いたような、耳をつんざく異音が夜の闇に響き渡る。

 

「「……」」

 

 悪魔は兜の下で鮫のように獰猛に笑い、ローグハンターは変わらずの無表情。

 だがお互いの額には珠のような汗が浮かび、肩が上下するほどに息も上がっていた。

 たかが一分足らずの、だが命懸けの攻防は、その時間に比例して精神を大きく削る。

 何より素の力で劣るローグハンターにとって、その一分はあまりにも長いものだ。

 現に今もお互いに押し切らんと力を込めあい、剣が悲鳴をあげるほどに競り合っているのだから、休憩している訳でもない。

 二人は再び息を吸い込むと同時に剣を引き、身体を捩りながら振り上げ、再びの攻防に入ろうとした瞬間、ローグハンターが身を翻した。

 衣装の裾が外套(マント)のように舞い上がり、悪魔にほんの一瞬だが多くの死角をつくる。

 

「イィィイイイヤッ!!」

 

 その死角を利用して悪魔の懐に飛び込んだ武闘家は、両手の拳を同時に突き出し、彼の鳩尾と喉仏を狙う。

 

「ちぃ!」

 

 悪魔は舌打ちを漏らしながら喉仏を狙った拳を片手で止め、鳩尾の一撃は鎧の耐久力に任せて受ける。

 ガキャン!と鈍い衝突音を響かせ、衝撃に押された悪魔は半歩後退。

 だが武闘家の手を離さず、万力のような力を込めて彼女の拳を、籠手諸ともに握りつぶす。

 めきめきと骨が軋む音と、籠手に罅が入る異音が鼓膜を揺らし、武闘家の表情が痛みに歪み、拳からは血が滴り落ちる。

 ぴちゃりと血の海に新たな血液が補充された瞬間、武闘家が痛みを無視して半歩右に動いた。

 直後彼女の影からローグハンターが飛び出し、踏み込みの勢いを乗せた刺突を放った。

 彼女の意志に反して揺れる尾のように動く髪が、僅かに回避に遅れたことで髪を数本巻き込むが、武闘家は気にする素振りを見せずに蹴りを放った。

 

「っ!」

 

 悪魔は一歩間違えば彼女ごと貫きかねない一撃を、何の躊躇いもなく放つローグハンターの胆力と、それをさも当然のように受け入れ、追撃に動いた武闘家の反応に、僅かに目を剥いて驚愕を露にした。

 信頼とは違う、もっと濃密で確かな繋がりがなければ出来ない芸当を、こうも容易く目の前でされては、多少なりとも狼狽えるというもの。

 

「シッ!」「でりゃッ!」

 

 二人は鋭く声を漏らしながらそれぞれの攻撃を放ち、ローグハンターの刺突は悪魔の兜の額を捉え、一拍遅れた武闘家の蹴りが悪魔の顔面を打ち付けた。

 

「ごふ!?」

 

 金属に罅が入る異音と共に、兜の隙間から悪魔の呻き声が漏れ、武闘家の手を離した。

 衝撃に押され下がった悪魔は、頭を振ってぼやけた視界を落ち着かせるが、そこにローグハンターと武闘家の追撃が放たれる。

 

「おおっ!!」

 

「ヤッ!!」

 

 ローグハンターは怒号と共に両手剣を大上段から振り下ろし、武闘家は気合い一閃と共に掌底を放つ。

 舌打ち混じりに大剣を掲げてローグハンターの一撃を防ぐが、同時に放たれた掌底は胸に打ち付けられた。

 重く、鈍い音を響かせたそれは、衝撃を鎧の内側にまで届かせ、悪魔の表情が苦悶に満ち、さらに数歩下がる。

 女の細腕から放たれたとは思えない、大岩にぶつかったような凄まじい衝撃に、悪魔は困惑を隠せずに動きが鈍る。

 

「セイッ!」

 

 その隙を見逃さず、武闘家は追撃に再び掌底を放つが、今度は大剣の刃で受け止められ、その衝撃は本人には届かない。

 駄目だったと見るや武闘家は姿勢を低くすると、彼女の頭上をローグハンターが横薙ぎに振るった両手剣の刃が通りすぎ、盾代わりに差し出された大剣を弾く。

 

「イィィィィヤッ!」

 

 武闘家は両手を地面に着き、思い切り自分の身体を押し上げ、同時に両足を揃えながら勢いよく突き出し、悪魔の顎を下から打ち上げる。

 押し上げられるのではなく、頭を凄まじい力で後ろに引かれるような衝撃を受けた悪魔は、兜を弾き飛ばされながら血を吐き、更に後退。

 

「ディィィヤッ!!」

 

 空中で身を翻した武闘家は、悪魔の米神に回し蹴りを放ち、全体重をかけて一歩を踏み込んだローグハンターは、身体を回転させながら両手剣を悪魔の胴に向けて叩きつけた。

 まともな相手なら頭蓋が砕け、上半身と下半身が泣き別れになる状況だが、そうはならなかった。

 武闘家の蹴りが頭蓋を砕くよりも速く彼女の足が止められ、ローグハンターの一閃が悪魔の胴を割くよりも速く、大剣により阻まれる。

 必殺の一撃を止められた二人が、驚愕のままに同時に目を見開いた直後、悪魔は武闘家の身体を剣のように振り回し、ローグハンターに打ち付けた。

「かっ」と肺の空気を吐き出しながらローグハンターは飛ばされ、荷車の残骸に突っ込み、捕まったままの武闘家は子供が木の枝でそうするように地面に叩きつけられた。

 地面が砕ける破砕音を鳴らしながら、武闘家は「がはっ」と血の混ざった呻き声を漏らし、自分の脚を掴む悪魔を腕を蹴りつける。

 だが強烈な痛痒(ダメージ)直後なことに加え、不安定な体勢での攻撃では、拘束を振り払うほどの威力は出ない。

 二度、三度と蹴り続けるが、結果は変わらずに振り上げられ、再び地面に叩きつけられ、それを数度繰り返される。

 繰り返す内に痛みに喘ぐ声が出なくなり、瞳が濁り始めると、悪魔は彼女の脚を離し、地面に倒れる彼女の腹を踏みつけた(ストンプ)

 彼女を中心に蜘蛛の巣状に罅が入り、ごぼりと武闘家の口から血が溢れた。

 

「ぁ……ぅ……っ……」

 

 ピクピクと身体を痙攣させながら、意味のない声を漏らす武闘家を見下ろしながら、悪魔は顔の血を拭い、目と口を三日月に歪める歪な笑みを浮かべた。

 ぐりぐりと脚甲の踵で踏み締めてやれば、彼女の口からは呻き声と共にごぼりと血が溢れる。

 

「いい線までは行った。だが、まだ足りんな」

 

 血が滲む額を押さえながら、闇のように黒い髪をかき上げ、ギラギラと黒い炎が揺れる瞳は好奇の色が見て取れる。

 

「死は誰にでも訪れる。その死に追い付かれる間際、人は何を思うのか、俺はそれが知りたい」

 

「さあ、教えてくれ。何を感じる?怒りか、哀しみか、恨みか、冷たさか、あるいは血の温もりか。まだ口を利くことは出来るだろう?」

 

 さあ!と語気を強めながら脚を振り上げ、再び彼女の腹部を踏みつけた。

 内蔵が潰れる鈍い音が武闘家の身体から漏れ、痛みによって朧気に揺れる瞳に僅かに光が戻る。

 

「あ……ぎ……うぅ……」

 

 彼女は唸りながら悪魔の脚を掴み、どうにか押し退けようと力を入れるが、彼の脚は微動だにしない。

 悪魔は鼻を鳴らすと大剣を振り上げ、彼女の瞳を覗き込む。

 その瞳にあるのは、恐怖か、絶望か、諦観か。

 今まで殺めた奴等の瞳にはだいたいがそれで、時にはまだ諦めないと戦意を燃やす輩もいたが、すぐに諦観の色に染まってしまう。

 あまりにも見慣れたそれを、また見ることになるのかと、悪魔は小さく溜め息を漏らし、じっと彼女の瞳を見下ろした。

 銀色の輝きが宿るその瞳にあるのは、恐怖でも、絶望でも、諦観でもない。

 あるのは期待。この絶対絶命の状況で何に期待するのだと、悪魔は首を傾げた。

 彼女の様子からして死を望んでいるわけでもなければ、死に急いでいる様子でもなかった。

 ならば何をと自問した瞬間、ハッと目を見開いた。

 先程ローグハンターが突っ込んだ荷車の方に目を剥ければ、何かが飛び出したかのように残骸が散乱し、その周辺には足跡と、何かを引きずった跡が残っている。

 

「っ!」

 

 直後、鋭い殺気を感じとった悪魔は、その方向に向けて大剣を振るった。

 直後感じた手応えは、固いものを砕いた感触と、木材が砕ける乾いた音だった。

 事実、悪魔の視界を支配したのは破壊した木材の破片で、肝心のローグハンターが見当たらない。

 ざっ!と、微かに地面と靴が擦れる音がしたのは、悪魔の背後。

 彼は裏拳を放ちながら反転するが、拳は空を打った。

 確かに彼の読みは正しい。木材を囮に回り込んだローグハンターは悪魔の背後にいたし、放った拳も本来なら彼の頭を捉える位置だ。

 だが、ローグハンターは地面を這うように姿勢を低くしており、拳銃嚢(ホルスター)からは短筒(ピストル)が抜かれている。

 ローグハンターは銃口を悪魔の腹部に押し当てると、引き鉄を引いた。

 バン!と火の秘薬(火薬)が炸裂する音が木霊し、悪魔の身体が弾き飛ばされる。

 同時にローグハンターは懐から煙幕を取り出し、地面に叩きつけた。

 白い煙が撒き散らされ、ローグハンターと武闘家の身体を包み込む。

 地面を転がり受け身をとった悪魔は煙幕を睨み付け、大きく踏み込むと同時に大剣を振り下ろした。

 放たれた剣圧が煙幕を切り裂き、そこにいる二人の姿をさらけ出す筈だったが、そうはならなかった。

 

「……なに」

 

 二人の姿はどこにもなく、あるのは地面に残された罅程度。

 悪魔が舌打ち混じりに周囲を見渡している中で、ローグハンターと武闘家は近くの岩影にいた。

 ローグハンターは雑嚢から水薬(ポーション)を引っ張りだし、武闘家に飲ませてやる。

 

「大丈夫か」

 

「ごめん、ちょっと、しんどい……」

 

 腹部を押さえながらはあはあと息を乱す彼女は、ゆっくりと首を振ってそう言うと、ローグハンターは雑嚢に手を突っ込み、二本の瓶を差し出した。

 

「ここに水薬(ポーション)をもう一本と、強壮の水薬(スタミナ・ポーション)を置いておく。動けるようになれば、来い」

 

「……わかった」

 

 いつも通りの淡々とした口調でそう告げたローグハンターに、武闘家は差し出された二本の瓶を見つめながら頷いた。

 先程の攻防で、二人でなければ勝ち目がないことを痛感した。何がなんでも立たなければ、二人ともここで終わりだろう。

 

 ──もっと、頑張らないと……っ!

 

 神妙な面持ちで気合いを入れ、その瓶に手を伸ばす武闘家だが、不意にローグハンターが彼女の顔に手を伸ばした。

 伸ばされた手は口許に残った血を拭い、優しく頬を撫でてくる。

 

「……?」

 

 訳もわからずに疑問符を浮かべる彼女を他所に、ローグハンターは彼女と自分の額を合わせた。

 彼女の無事に安堵するように息を吐き、彼女の体温を感じるように目を閉じる。

 

「必ず来い。それまでは耐える」

 

「……!」

 

 彼から向けられる期待。

 それは怪我人に鞭を打つような言葉でもあるが、同時に自分の命を彼女に預けることと意味する言葉。

 武闘家が無言で頷くとローグハンターは立ち上がり、悪魔の死角をつくように岩から岩へと移動。

 途中で鞘と重なるように落ちていた曲剣(サーベル)を拾いあげる。

 鞘を投げ捨て、その音を囮に悪魔の注意を自分へと向けた。

 

「そこにいたか、ローグハンター……!」

 

 歓喜にうち震え、興奮に目を見開く悪魔を睨みながら、血に濡れた刃を曲げた肘の内側で拭い、構える。

 

「あの娘はどうした、死んだか?死んだのなら、どんな顔で逝った」

 

「……」

 

 悪魔の言葉に、ローグハンターは答えない。

 じっと悪魔を睨んだまま動かず、冷たい殺意を滲ませるのみだ。

「答えないのなら、いい」と肩を竦めた悪魔は、大剣を両手で握り直す。

 ローグハンターは深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 彼女の賦活(ふかつ)までの数分か、数時間、一人で凌がなければならない。

 身体のあちこちが酷く痛むし、瞼も重い。

 

 ──あいつよりはましか。

 

 先程まで殴られ続けた武闘家の痛痒(ダメージ)に比べれば、自分の状態は遥かに良いものだ。

 腕は上がるし、脚も動く。ならば、やれる。

 嘲笑う悪魔に向け、音もなく走り出す。

 確実に痛痒(ダメージ)は入っているのだ。ならば、殺せない道理はない。

 

「おおおおおおおっ!!!」

 

 ローグハンターは雄叫びをあげながら、待ち構える悪魔へと飛びかかった。

 

 

 

 

 

 身体が重い。身体中が痛い。もう動きたくない。

 頭を支配する怠さと後ろ暗い思考は、もはや気合いだけではどうにもならず、彼女は溜め息を吐いた。

 踏みつけられた腹部の痛みは止まず、呼吸するだけでも身体が痛む。

 彼が置いていった水薬(ポーション)の瓶を見下ろし、鉄塊を巻き付けられたかのように重くなった手を伸ばす。

 耳には彼の怒号と剣撃の音が届いており、彼がまだ戦っているのを教えてくれた。

 

『必ず来い。それまでは耐える』

 

 彼はそう言ったのだ。彼が言ったからには、それは確定事項であり、それに報いなければ冒険者として、彼の相棒としても名折れだ。

 ふぅ、ふぅ、と痛みを堪えながら呼吸を繰り返し、まず水薬(ポーション)を手に取った。

 蓋を外してそれを呷り、一息で飲み干す。

 

「けほっ!けほっ!……つ、次……!」

 

 身体の痛みがすぐに消えるわけではないが、ほんの僅かだが痛みが鈍る。

 水薬(ポーション)独特の味に数度噎せ、そこに僅かに血が混ざっていることは無視。

 痛みがぶり返す前に強壮の水薬(スタミナ・ポーション)を呷り、身体の芯から温まる感覚に心地よさそうに目を細めた。

 その温まりが消える前に数度深呼吸をして呼吸を整え、身を隠していた岩に手をついて立ち上がる。

 

「はぁ……はぁ……。すぅー、ふぅー……」

 

 肩幅に開いた足でしっかりと大地を踏み締めて、豊かな胸を上下させながら再びの深呼吸。

 先の攻撃で切れてしまった集中を研ぎ澄ます為、ゆっくりと目を閉じて深呼吸をもう一度。

 一人では立てなかっただろう。

 他の誰かとなら、きっと諦めていただろう。

 彼と出会わなければ、もっと早死にしていただろう。

 閉じた瞼の裏に映るのは、この三年で常に目で追っていた彼の姿だ。

 背中ばかりを見つめていたけれど、いつの間にか隣を歩くようになり、ついには頼られるようにもなったのだ。

 

 ──何のために立ち上がるのか。何のために戦うのか。

 

 昔なら強くなるためだとか、名前を売るためだとか、そんな普通の冒険者らしい(・・・・・・・・・)事を言ったかもしれないが、今は違う。

 自分はとっくに普通の冒険者(・・・・・・)からは逸脱し、異端の冒険者(・・・・・・)になっているのだから。

 痛みを堪えながら、胸の前で腕を交差させ、腹の方に下げながら息を吐く。

 

 ──なら、何のために立つのか。

 

 そんなものは簡単だ。

 他の冒険者から嗤われようと、蔑まれようと、戦う理由はただひとつ。

 

「……彼を守りたい……」

 

 無意識の内にぼそりと呟かれた言葉は、彼女の身体に力を取り戻させた。

 カチリと頭の中から彼女にだけ聞こえる音がして、鉛のように重い身体が僅かに軽くなる。

 普段通りの身体が戦闘態勢に入った感覚を感じた武闘家は、僅かに眉を寄せて表情を引き締めた。

 

 ──まだ、足りない……っ!

 

 父が言っていたのはこれではない。

 限界の限界を越えるそれは、こんなちっぽけなものではないと、彼女の直感がそう告げているのだ。

 武闘家は彼の姿を想い描き、彼を屠らんとする悪魔の姿を映し出し、それを打ち倒す自分を描く。

 倒すべき敵を定め、守りたい人を定め、自分がやるべき事を定める。

 

「すぅー、ふぅー……」

 

 目を閉じたまま、最後の深呼吸。

 不意に身体の奥の、そのまた奥から、ガチャリとまるで錠が外れるような音が聞こえた。

 身体中を支配していた痛みが消え、重かった身体が途端に軽くなった。

 ゆっくりと開いた瞳には凛とした銀色の輝きが宿り、歴然の戦士のように視線が鋭くなる。

 武闘家はこの感覚を忘れないように身体に刻み、岩を飛び越えた。

 着地と同時に戦場に目を向け、一人で戦い続けているローグハンターの元へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 空気が唸り、殺意に満ちた血塗れの刃が振るわれる。

 曲剣の刃でその一閃を受け流したローグハンターは、柄頭で悪魔の手を殴打。

 悪魔は僅かに唸るが、大剣を落とすことはなく力任せに振り回す。

 上から、右から、左から、下から、フェイントもブラフもない、全てに絶殺の念が込められたそれを、ローグハンターは紙一重で避け、時には受け流しながら、反撃の機会を伺う。

 

「おう!」

 

 その状況に業を煮やした悪魔は、奇っ怪な怒号と共に大剣の柄頭を突き出し、ローグハンターの腹部を殴打。

 刃にばかり気を向けていたローグハンターはそれを避けられず、拳のように形作られた柄頭が鳩尾を捉えた。

 

「……お゛っ!?」

 

 凄まじい衝撃に汚い悲鳴を漏らしたローグハンターは、息が出来なくなる感覚に表情を険しくさせ、振り下ろされる大剣を横に転がることで避ける。

 息が出来ず、酸素を求めた口は意味もなく開かれ、乾燥に耐えきれず溢れた唾液が地面に落ちる。

 

「……っ!」

 

 歯を食い縛り痛みを堪え、肺を締め付けられるような痛みを無視し、さらに横へ。

 彼がいた場所に肉厚の刃が振り下ろされ、その一閃が大地を砕く。

 嗤う悪魔を睨みながら、ローグハンターはゆっくりと深呼吸をして落ち着きを取り戻し、曲剣を構える。

 やはり決定打に欠けると舌打ちを漏らし、曲剣を握る手に力を入れた。

 一撃で鎧を砕くような一撃など、自分の腕力では無理だ。

 鎧の隙間、あるいは兜の外れた頭を狙うしか方法はないが、それを許してくれるほど甘くはあるまい。

 

 ──だが、やるしかない……。

 

 ローグハンターは目を細め、胸の痛みを無視して走り出す。

 血の海は大地に吸われ、足元にある感触は湿った地面のそれだ。

 多少足を取られるが、戦闘に関しては何の問題にもならない。

 

「フッ!」

 

 愚直に、真正面から挑んだローグハンターは、切っ先が地面に擦れる程の低さから刃を振るう。

 悪魔は大剣を盾代わりに差し出し、縦横無尽に振るわれる連撃の全てを防ぐ。

 大地に根を張る大樹の如く、悪魔は微動だにすることなく、甲高い金属音が続くばかり。

 

「ちっ!」

 

 ローグハンターはやはり無理かと舌打ちを漏らし、大剣に向けて両足蹴り(ドロップキック)を放った。

 勿論それで悪魔が体勢を崩すわけがなく、むしろローグハンターが飛ばされるのだが、間合いを開くと言う意味ではどちらでも同じだ。

 背中から着地したと同時に脚を振り上げ、勢いのままに後転。

 刃に罅が入り、歪に歪み始めた曲剣を投げ捨てると同時に、視界の端で動く銀色の影を見つけ、足元の斧と剣を手に取る。

 剣を右手、斧を左手に握り、走り出す。

 ニヤリと不気味に嗤った悪魔も走り出し、互いの間合いに入った瞬間、悪魔は大剣を振った。

 横薙ぎに振るわれた一閃に、ローグハンターは斧と剣を交差させてそれを防ぐが、その勢いは殺せずに弾き飛ばされる。

 地面を転がり受け身を取ると、即座に駆け出して再び接近。

 迎撃せんと大剣を振り上げた瞬間、凄まじい衝撃が悪魔の脇腹を殴った。

 

「かはっ!?」

 

 殴られた勢いのままに身体をくの字に曲げて弾き飛ばされた悪魔は、地面に両手両足をついて踏ん張り、新手を睨む。

 同時に驚愕に目を剥き、すぐに獰猛な笑みを浮かべた。

 

「小娘、生きていたか!ははっ!面白くなってきたな!」

 

 大剣を振ってぶぉんと空気を唸らせ、その勢いのまま肉厚な刃を肩に担いだ悪魔は、新手──纏う雰囲気が違う武闘家を手招きする。

 当の彼女は陽動に撤してくれたローグハンターに目を向けて、「遅れてごめん」と凛とした声音で謝った。

「あ、ああ」と困惑しながらも頷いたローグハンターは、改めて斧と剣を構える。

 

「攻撃を頼む。防御は任せろ」

 

「わかった。お願い」

 

 彼の言葉に武闘家は小さく頷くと、拳を構えた。

 そして二人は呼吸を合わせると同時に、悪魔に向けて突撃した。

 歩幅も、速度も完璧に同調(リンク)させた並走に、悪魔は獰猛な笑みをそのままに迎撃の体勢を取る。

 二人纏めて叩き斬らんと、真一文字に大剣を振るうが、すかさずローグハンターがその刃に向けて飛び込んだ。

 振り抜かれる直前、勢いが乗り切る前に大剣にぶち当たった彼は、両足が地面にめり込むほどに踏ん張り、その一撃を受け止めた。

 

「デリャ!!」

 

 その隙に武闘家の正拳突きが悪魔の胴を捉え、鐘を鳴らしたような音を夜に響かせる。

 先程と違う点をあげるなら、その一撃の重さと速さだ。

 ローグハンターですら残像でしか見えないそれは、悪魔の反応速度さえも越え、正面からの攻撃の筈なのに、さながら不意討ちのようだ。

 悪魔は「ごは!?」と血の混ざった唾液を吐き出し、満面の笑みを浮かべた。

 武闘家の頭蓋を砕かんと大剣を振り下ろす。

 ローグハンターが腕をもがれる覚悟で剣を滑り込ませ、肉厚の刃を巧みな技巧でもって受け流す。

 獲物を失った大剣は地面に叩きつけられ、そのまま地面にめり込んだ。

 

「セイッ!!」

 

 直後、武闘家の正拳突きが再び胴を捉え、悪魔は血の塊を吐き出す。

 べしゃりとそれを額で受けた武闘家は、それを拭うことなく更に一撃。

 ぴしりと今までとは違う音が、武闘家の籠手と悪魔の鎧から漏れ、目を凝らせば両者ともに罅が入っているのが見て取れた。

 様々な攻撃に耐え、自分を守り続けた鎧が、小娘の拳に砕かれんとしている事実に悪魔は目を剥き、彼女に目を向けた。

 

「ウリャ!」

 

 そんな物お構いなしに武闘家は拳を振るい、再び悪魔の胴を穿つ。

 鐘を鳴らしたような快音に、肉が潰れ、骨が割れる音が混じり始め、武闘家の籠手の罅からは血が滴り始める。

 それがなんだと、愚直に拳を叩きつけ、拳を撃ち込み続けた。

 合間に振るわれる大剣への対処はローグハンターに一任し、全ての力を拳に込める。

 振るう拳に既に痛みはなく、迫る死への恐怖もない。むしろ胸の内を支配しているのは多幸感だ。

 ここで終わったとしても満足だ。彼を守れるのなら、ついでに故郷も守れるのなら、それでいいではないか。

 踵をめり込ませて地面に踏ん張り、限界まで腰を捻って力を溜める。

 骨が折れ、肉が切れ、握るだけでも激痛が走る筈なのに、武闘家はそれを無視して拳を形作る。

 

「イィィィィィヤァァァァァァアアアアアア!!!!」

 

 今日一番の怪鳥音を発しながら、拳を放った。

 爆発の音にさえも聞こえる衝突音を夜空へと響かせ、武闘家の籠手と悪魔の鎧が同時に弾け飛ぶ。

 

「ごは……っ!!」

 

 骨が砕け、内臓が弾ける激痛に血を吐いた悪魔は、彼女の影から飛び出したローグハンターの姿を捉えるが、反応するのは不可能だった。

 

「おおおおおおおっ!!」

 

 獣のように吼えながら、肘に剣を突き立てた。

 籠手の隙間を縫う一刺し(スティング)は、悪魔の肘の正確に捉え、間接の隙間さえを貫く。

 肉穿ち、間接を砕く確かな手応えに好機を見出だしたローグハンターは目を見開き、斧を振り上げた。

 

「────!!!」

 

 もはや意味を持たぬ咆哮と共に振り下ろし、皮一枚で辛うじて繋がっていた悪魔の腕を両断。

 痛みに絶叫する悪魔を横目に、両手の武器を捨てると共に、断ち切った腕ごと地面に落ちた大剣を回収し、歯を食い縛って持ち上げる。

 そして渾身の力を込めて、がら空きになった悪魔の胴に向け、大剣を突き立てた。

 

 

 

 

 

 まず感じたのは、想像を絶する痛みだった。

 内臓を潰された挙げ句に、腕を落とされ、腹を貫かれたのだ。

 過去に例がない痛みが、()の身体を支配した。

 

 次に感じたのは、温もりだった。

 内臓から溢れた血が腹を満たし、腕を包み、それが与える温もりは、まるで母に抱かれているようで、笑みが溢れるほどに心地がよかった。

 

 次に感じたのは、冷たさだった。

 血が流れ出ているのだ。先程までの温もりが消え、身体の芯まで凍え、ピクリとも動かなくなる感覚は、恐怖なく受け入れることが出来た。

 

 次に感じた……、感じたのは無だった。

 いや、感じたのはではない。不意に何も感じなくなったのだ。

 手足の感覚もなく、視界も狭くなっていき、音も聞こえない。

 

 ──ああ、これが、死か……。

 

 消えかける心を支配したのは、幸福だった。

 今まで殺した者たちは、これを感じながら逝ったのか。

 あの表情の裏に、こんな多幸感を隠しながら逝ったのか。

 

 ──『死が、汝に祝福をもたらさんことを』

 

 最後に、聞こえない筈の耳に、誰かの祈りが届いた。

 祝福なら十分に受けた。もう、後悔はない。

 

 ──『安らかに眠れ、強き者よ』

 

 ああ、そうするとしよう。もう酷く眠い。

 ()は眠りにつく時のように穏やかに、目を閉じた。

 幸福に満ち、祈りまで捧げられるとは、中々にいい死に様ではないか。

 

 ──またどこかで会いたいものだ……。

 

 ()満たした(殺した)あの二人に、今度は敵ではなく友として、肩を並べたい。

 

 ──ああ、しまった……。

 

 死ぬ直前に後悔が産まれるとは。

 

 ──さい、あく……だ……。

 

 

 

 

 

「……」

 

 今この瞬間に息を引き取った悪魔の、何とも奇妙な死に顔を見下ろしたローグハンターは、小さく首を傾げた。

 満足げに逝ったかと思えば、途端に不機嫌そうになるとは、死ぬ瞬間に大切なものでも思い出したのだろうかと眉を寄せる。

 まあ思い出した所で全てが遅い。彼はもう死んでしまった。

 ローグハンターが溜め息混じりに立ち上がると、背後で咳き込む武闘家の声が耳に届いた。

 

「おい、大丈──」

 

「がは……!」

 

 声をかけながら振り向いた瞬間、武闘家は盛大に吐血しながら膝をつき、ひゅーひゅーと口から空気が抜ける音が漏れる。

 

「おい!大丈夫か、しっかりしろ!」

 

 ローグハンターは慌てて彼女に駆け寄り、肩を支えてやるが、口からだけでなく鼻からも血が垂れ始めていた。

 

「ごめ……ちょっと……むり……かも……」

 

 ぜえぜえと息を絶え絶えにしながら紡いだ言葉は、ローグハンターとしては聞きたくなかったものに他ならない。

 

「気をしっかり持て!寝るんじゃないぞ!」

 

 ぺちぺちと頬を叩きながら告げたローグハンターは、急いで武闘家を背負い、近くにいる筈の馬を目指して走り出す。

 頑張れ!頑張ってくれ!と、絶えず投げられる励ましの声を聞きながら、武闘家は小さく唸る。

 ようやく父が言っていた領域に手をかけたのに。

 ようやく彼を守れるだけの力が出せたのに。

 後悔は多く、今死んでしまえば間違いなく化けて出る自信があると、変に余裕のある冗談を思いながら、必死に走る彼の横顔を見つめる。

 

 ──こんなことなら、彼に……。

 

 残された力を振り絞り、僅かに口を動かし、舌を回す。

 

「大好きだよ……」

 

 酷く掠れ、虫の羽音のように微かな声は、不運にもローグハンターの耳には届かない。

「なんだ、何か言ったか!?」と慌てる彼に体重を預けて、襲いかかる眠気に任せて目を閉じた。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》!!!」

 

 聞き慣れない女性の声で、優しき地母神への祈りが聞こえたのは、その瞬間だった。

 

 

 

 




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Memory22 夜空に誓う

「……!」

 

 武闘家が目を覚ました時、まず目に飛び込んできたのは見たこともない天井だった。

 瞬きをしながら記憶を整理し、あの悪魔を倒した直後に気絶したことを思い出す。

 

「……」

 

 なら彼がここに運んでくれたのだろうかと推察し、ホッと一息。

 鉛のように重い右手を顔の前まで持ち上げて、「うわぁ……」と他人事のように気の抜けた声を漏らした。

 包帯ががんじがらめに固められ、もはや素肌が見えない。

 下手に拳を握ろうとすれば、まるで数十本の針で刺されるような激痛が走り、小さく呻く。

 

「しばらくは安静にって、ことか……」

 

 はぁと溜め息を吐きながら右手を降ろし、ベッドに落ちた衝撃で痛みがぶり返す。

「いっ!」と身体を力ませて悲鳴を抑えた武闘家は、目に浮かんだ涙を堪え、ぼんやりと天井を見つめた。

 窓から差し込む陽の光は大変心地よく、猛烈な眠気に襲われるのだが、ここはどこだという気持ちが先走る。

 目を閉じて音に集中してみても、鳥のさえずりや風に揺れる葉の音が聞こえるばかりで、所在を掴む手掛かりにはならない。

 

 ──歩き回る……のは、駄目だよねぇ……。

 

 とりあえずベッドに寝転んだままでも、左腕と足を動かす分には問題ない。

 問題ないが、今の状態では戦闘もままならない。ここが敵地である可能性は低いが、下手に動くのは悪手だろう。

 ならばどうするかと言うことになるのだが、ベッドはいつもの宿屋に比べれば質素なものの寝る分には問題なく、何より差し込む陽差しのおかげで身体がぽかぽかする。

 くぁと大口を開けて欠伸を漏らし、目に浮かんだ涙を拭う。

 身体の疲労も抜けきっておらず、むしろ痛痒(ダメージ)は蓄積されたままだ。

 とりあえず寝て、それなら考えようと決めれば、後は早い。

 ゆっくりと目を閉じ、深呼吸を数度。

 身体から余分な力が抜けていき、鮮明だった意識が急激にぼやけていく。

 深呼吸が少し浅くなり、規則正しい寝息に変わるのには時間はかからず、事実彼女は眠りに落ちていた。

 呼吸に合わせて豊かな胸が上下し、穏やかな寝顔は年頃の少女のそれだ。

 そうして彼女が眠りに落ちたのとほぼ同時。

 病室の扉が音もなく開き、これまた足音もなく誰かが入り込んできたのだ。

 見舞い用の花束を抱え、音をたてずに後ろ手で扉を閉めたその誰かは、相変わらず彼女が寝ている事を確認して悲しげに目を細めた。

 サイドテーブルに花束を置き、開きぱなしのカーテンを閉めてやる。

 陽の光は暖かいが、流石に眩しすぎると判断してのことだ。

 はぁと小さく溜め息を吐いたその人物は、ベッド脇の椅子に腰を降ろし、自分の顔に巻かれた包帯を鬱陶しそうに引っ張り始めた。

 それでも剥がさないのは、単に神官たちから言葉強めに言われたからに他ならない。

 自分とて街に到着して早々に気を失い、昨日になってようやく目を覚ましたのだ。

 表情にも疲労の色が濃く、髪の毛も適当に纏めただけで前髪の辺りはぼさぼさ。

 身嗜みもろくに整えるのことなくここにいるのも、誰の許可を貰わずに勝手に病室を抜け出したのも、彼女の様子を知るためだ。

 見つかれば説教は避けられず、下手をすればベッドに拘束される可能性もあるが、今の彼にとってそれはどうでもよかった。

 

「……」

 

 ただ相棒の無事を確かめたい。

 今の彼──ローグハンターの胸を支配しているのは、その想いだけだった。

 彼は眠る彼女の髪をそっと撫でてやり、体温を確かめるように頬を撫でた。

 陽の光に当たっていた為か仄かに温かく、軽く押してみれば柔らかく形を歪めて何とも言えない心地よさがある。

 ローグハンターはそうやって触れるだけでも溜まった疲労が抜けるような気がして、無言のままぷにぷにと彼女の頬を突ついた。

 多少唸ったり、顔を背けたりと、拒絶的なものでも構わないから何かしらの反応を求めているのだろうが、やはり武闘家は何の反応も示さない。

 

「……」

 

 ローグハンターは不満げに溜め息を吐くと、頬を突ついていた手を離し、ベッドに肘をついて頬杖をついた。

 失礼を承知でしばらくぼんやりと寝顔を眺め、再び溜め息。

 

「お前はあの時、何と言ったんだ……?」

 

 彼女が気絶する間際。虫の羽音のようなか細い声で、何かを言っていた気がする。

 それを聞き取れなかったのは自分の不覚だし、そんな余裕もなかったのも本音ではある。

 その言葉を知りたくて仕方がないのだが、寝ている相手に聞いても意味はない。

 いい加減部屋に戻るべきかと自問し、どうせやることもないと答えを出した。

 この際ここで仮眠するのもありかと思えてきたほどだ。

 ここでなら彼女が目覚めればすぐにわかるし、誰かが入ってきてもすぐにわかる。

 自分たちはならず者殺し(ローグハンター)。多方面から恨みを買っている自分たちにとって、いつ刺客が来るかもわからない。

 流石にここ──地母神の神殿にまで殺しに来る輩はいないだろうが、二人して弱りきっている今を狙われないとは言い切れない。

 警戒はいつでもするべきだし、結果何もなくとも少し疲れるだけだ。

 ローグハンターは鼻から息を吐くと、目を閉じて耳に意識を傾けた。

 鳥のさえずり、葉の揺れる音、誰かの祈りの声と、喧騒に包まれる街から少し離れた、神殿だからこそある静けさは、彼も好むものだ。

 活気に溢れる喧騒もいいが、たまには静かな場所で過ごすのもいいではないか。

 一人静かに微笑む彼の耳に、不意に誰かの足音が届いた。

 こつこつと靴底が石床を叩く音が近づき、扉の前で止まる。

 殺気の具現化でもある囁き声が聞こえる訳でもなく、扉を蹴破ってくるわけでもなく、扉の前で止まった誰かは、律儀にも扉を叩いてきた。

 

『あ~、入っても大丈夫?』

 

 随分と気の抜けた確認の声に面をくらいつつ、「ああ」と応じてやると、扉が開かれた。

 

「やっぱりここにいた。調子は良さそうだね」

 

 入室と同時にローグハンターの姿を見つめたその人物は安堵したように笑顔を見せ、ホッと小さめの胸を撫で下ろした。

 青い短髪に、地母神の神官の証たる白い法衣。

 首から下がる認識票は、在野最高の冒険者を示す銀の輝きを放つ。

「あんたか」と警戒するように目を細めながら呟いたローグハンターの姿に、青髪の女神官は苦笑混じりに「私よ」と頷いた。

 

「……一応キミたちの命の恩人だよ、私」

 

「それに関しては感謝している。で、帰らなくてもいいのか」

 

「……無愛想だね、まったく」

 

 やれやれと肩を竦めた青髪の女神官は、「ま、いいけれど」と笑みを浮かべた。

 

「他の負傷者の治療も終わったし、遺体の回収と、葬儀も終わった。そろそろ撤収かな」

 

 一本ずつ指を折りながらそう告げた彼女は、ちらりと武闘家へと目を向けて溜め息を漏らした。

 

「拳の骨が砕けて、内臓もぼろぼろ。私があの場にいなかったら確実に死んでいたよ?」

 

 なぜここまで無理をさせたと、言外に責められたローグハンターは無言で唸り、眠る彼女の顔を見つめた。

 彼女が気絶した直後、逃がした二人経由でたどり着いた『討伐隊』に拾われる形で一命をとりとめた訳だが、彼らの到着が僅かでも遅れていれば、少なくとも武闘家は死んでいただろう。

 

「……」

 

 自分の腕の中で、大切な誰かが死ぬ感覚は、出来るなら二度と味わいたくはない。

 無言で張り詰めた表情をするローグハンターに、青髪の女神官は言い過ぎたかと反省しつつ、彼に頭を下げた。

 

「いきなりどうした」

 

 視界の端で捉えた彼女の行動に驚いたローグハンターが問うと、彼女は「お礼を言わせて」と前置きをしてから告げた。

 

「キミたちは彼を止めてくれた。その事実に関しては、感謝して然るべきだ」

 

「……知り合いだったのか」

 

「袂を別った旧友のようなもの、かな。彼にしてみれば、だけど……」

 

 ローグハンターの問いかけに、彼女は僅かに目を逸らしながら意味深な表情で認識票を撫でた。

 儚げな笑みをこぼし、懐かしむように目を細めるのは、過去に彼と何かあった事を教えてくれるが、

 

「言いたくないのなら、無理に聞くつもりはない」

 

 言葉に詰まる彼女に気を遣ってか、ローグハンターは腕を組みながらそう告げた。

 語りたくない過去の一つや二つ、誰にだってあるものだ。

 それは他人に詮索されたくないものだろうし、自分の口からも言いたくはないだろう。

「ありがとう」と呟いた彼女は、涙が浮かぶ目元を拭うと笑みを浮かべた。

 

「想いは口にしないと伝わらない。言える時に言わないと、きっと後悔するよ」

 

「……」

 

 ローグハンターが彼女の言葉の意味を考え、口を閉じてだんまりすると、「それじゃあ、達者でね」と青髪の女神官は部屋を後にした。

 諸々の後処理は終わったとは言っていたが、まだやるべきことがあるのだろう。

 無言のまま彼女を見送ったローグハンターは腕を組みながら嘆息すると、武闘家へと目を向けた。

 相変わらず寝ているようだが、先程に比べて表情が固い。

 うるさくしてしまったから、眠りが浅くなってしまったのだろう。

 

「また来る」

 

 そう呟いて彼女の頬に触れた直後、ぴくりと武闘家の指が動いた。

 ゆっくりと目を開いた彼女は、驚いて目を見開いているローグハンターの姿を捉え、思わず苦笑してしまう。

 

「えっと、おはよう」

 

 とりあえず朝の挨拶をすると、ローグハンターは困惑気味に「ああ、おはよう」と返し、そっと両手を彼女の頬に添えた。

 そのまま自分の顔を寄せて、額同士をぶつけ合わせた。

 

「あー、と、その……?」

 

「……」

 

 困り顔で疑問符を浮かべる彼女を他所に、ローグハンターは無言で彼女の体温を確かめた。

 

「無事で、良かった」

 

 僅かに声を震わせて紡がれた言葉に、武闘家は少々の罪悪感を抱きながら「きみもね」と笑みを浮かべた。

 実際にはあの青髪の女神官が入ってきた辺りから、目を閉じていただけで起きてはいたのだ。

 起きる時機(タイミング)を見つかられなかったせいだが、おかげで彼の不安を余計に煽ってしまった。

 

「えっと、そろそろ放してくれない……?」

 

「……!ああ、すまん」

 

 じっと鼻先が触れ合う距離で見つめ合っていた二人だが、先に根をあげたのは武闘家だった。

 照れから顔を真っ赤にした彼女が目を背けた事を合図に、ローグハンターはハッとして手を離すと数歩下がる。

 真っ赤になった顔を両手で覆って隠そうとするが、耳まで赤くなっているのだから意味はあるまい。

 

「「……」」

 

 そして、二人の間には奇妙な静寂の時間が流れ始めた。

 お互いに何を言うべきか迷い、相手から切り出してくれないかと待ちの姿勢になってしまったからだ。

 その時間が数分ほど続くと、くぅと武闘家の腹の虫が鳴いた。

 

「~っ!?」

 

 武闘家は慌てて自分の腹を隠すが、隙間からくぅくぅと虫の鳴き声が続いており、ついに諦めた彼女は誤魔化すように「あはは」と乾いた笑みをこぼした。

 対するローグハンターは手で口許を隠しながら、くつくつと喉の奥を鳴らして笑い始めた。

 

「むぅ。笑わないでよ!」

 

 彼の反応に頬を膨らませて抗議するものの、ローグハンターは気にした様子もなく「何か食べに行くか」と問うた。

 

「そうだね。誰かに声をかけてから──」

 

 彼の提案に頷いた武闘家は自分の格好を目に向けて、赤面しながら彼に告げる。

 

「その前に、着替えていい?この格好じゃ、ね?」

 

 彼女が着ているのはゆったりとした患者服とも言えるもの。

「それもそうだな」と彼女を凝視しながら呟いたローグハンターは、部屋を見渡した。

 部屋の片隅に置かれた籠を見つけ、中身を確認。

 彼女が依頼に出る際に着る衣装が、防具を除いた状態で保管されており、畳まれ、折り重なっている。

 丁寧に洗われたそれは返り血も汚れもなく、神官たちが親切にも整えてくれたのだろう。

 顔も名も知らない神官たちに感謝しながら、「ここにあるようだな」と籠を示した。

 

「わかった。えっと、それじゃあ……」

 

「外にいる。何かあれば声をかけろ」

 

「うん」

 

 彼女の返事を受けたローグハンターは部屋を後にするが、そのまま扉の脇に寄りかかった。

 腕を組みながら窓の外を見つめ、荷物片手に走り回る神官たちを眺めた。

 

 ──守り、癒し、救え、だったか……。

 

 年齢も性別も違うが、地母神の教えに従い行動する彼らは、多くの冒険者たちからも感謝される存在だ。

 だがその多くは孤児であり、何かの都合で捨てられた、あるいは天涯孤独となった子供たちが拾われ、ああして生活をしているわけだが……。

 年長たちが年少組を手伝いながら、井戸から水を汲み上げて屋内へと運びこむ姿を見つめ、ローグハンターは苦笑を漏らした。

 

 ──あんないい子ではなかったな。

 

 自分があのくらいの頃は、勝手に塞ぎ込んで他人との関わりには一線を引いていたというのに。

 そんな一線を構わずに踏み込んできたのは尊敬する師匠(マスター・コーマック)くらいのものだったが、今は違う。

 

「お待たせ!」

 

 勢いよく扉を開け放ち、元気一杯に声を出した武闘家は、扉のすぐ脇に控えていた彼を見つけて首を傾げた。

 何やら神妙な面持ちで、自分の事をじっと見つめてくるのだ。不思議に思わずにはいられない。

 

「……ど、どうかした?」

 

「いや……。とりあえず神官長を探すぞ。礼くらいは言うべきだろう」

 

 彼女の問いかけを、ローグハンターは肩を竦めて誤魔化すと、さっさと歩き出してしまう。

「あ、待ってよ」と怪我をした腕を庇いながら後を追いかけた武闘家だが、その表情は真剣そのものだ。

 

『想いは口にしないと伝わらない。言える時に言わないと、きっと後悔するよ』

 

 脳裏に過るのは、寝たふりをしている時に青髪の女神官が言っていた言葉。

 あれは彼ではなく、おそらく自分に向けた言葉なのだと、何となくだが察することは出来た。

 きっと彼女は大切な想いを胸に秘めたまま、それを告げることが出来ずに別れてしまったのだろう。

 その結果が今回の騒動なら、過去の自分を殺したくなるほどに責めるに違いない。

 

「……」

 

 武闘家は自分の胸に手を当てて、心臓の鼓動に耳を傾けた。

 ドクドクと音をたてていつも通りに脈動しているそれは、下手をすれば止まっていたかもしれないものだ。

 そしてこれが止まった時、自分は物言わぬ肉塊になってしまう。

 この胸に秘めた想いも消えて、彼は彼のまま一人きりで戦い続けるのだろう。

 

「……それは、やだな」

 

「どうかしたのか」

 

 無意識に呟かれた言葉に、ローグハンターは振り向き様に反応を示したが、武闘家は「何でもない」の一言で返すと、小走りになって彼に追い付く。

 そしていつものように彼の腕に抱きつくと、にこりと笑いながら告げる。

 

「あの人と戦ってお互いに無事だったんだから、ちょっとだけ豪華にしない?」

 

「……そうだな。まあ、たまにはいいだろう」

 

「やった!なに食べようかな~」

 

 お肉もいいし、お魚もいいかなと、独り言を漏らしながら涎を拭う姿は、あの戦いで見せた凛々しさとは程遠い。

 だがローグハンターは彼女の表情を見ながら、小さく笑みをこぼした。

 彼女の知らなかった一面を知れたと思えば、不思議と胸の奥が温かくなる。

 何故なのかはわからないが、きっと良いことではあるのだろうと推察して、「何にするか」と彼女の話に合わせることにした。

 とりあえず食事にしよう。おそらく三日ぶりなのだ、多少豪勢でも構いはすまい。

 戦いの勝利を祝って馬鹿騒ぎするのは、古くから続く冒険者の伝統だ。

 異端と言えど冒険者なら、それをしたって誰にも怒られはしないだろう。

 二人は上機嫌そうに連れ添いながら、神官長を探して神殿を練り歩くのだった。

 

 

 

 

 

 それから数時間後。

 空も橙色に変わり、間もなく夜へと変わる夕刻。

 食事と、ギルドへの報告──と言っても生存報告のみだが──を済ませた二人は、辺境の街の片隅にいた。

 住宅地からも離れ、道も舗装されていないその場所は、天然の芝生が敷かれ、外壁の中にも関わらず静かだ。

 暗くなっていく空を、何の障害物もなく見ることができ、何より誰からも邪魔をされない、二人きりになるにはいい場所に違いない。

 

「話があるの」

 

 その一言で彼をここに誘った武闘家は、芝生の上に寝転びながら空を見上げていた。

 山の方から紫色に染まり始めた空は、目を凝らせば輝く星が見え始め、双子の月もそれぞれの色を放ち始めている。

 まもなく夜。人々が寝静まり、街が文字通りの静寂に包まれる時間。

 寝転んだまま首を巡らせてみれば、隣で寝転ぶローグハンターに目を向けた。

 彼の蒼い瞳は真っ直ぐに空を見つめ、時折瞬きをするのみであまり動くことはない。

 

「……」

 

 彼の横顔をじっと見つめ、しばらく見惚れていた武闘家は、ほんのりと赤くなった顔を誤魔化すように再び空を見上げた。

 陽が山の影に隠れ、微かだった星の輝きが強まれば、二人の視界を満たすのは満天の星空だ。

 雲が一つもなく、視界を遮る木々もなく、星の光を邪魔する光源すらもない。

 星空が自分だけのために広がっているのではと感じてしまうほどに、武闘家はその光景に圧倒されていた。

 

「……綺麗だ」

 

「……うん」

 

 ローグハンターがぽつりと呟いた言葉に武闘家は言葉少なに頷き、星空を見つめた。

 こうしてゆっくりと空を見上げるのが随分と久しぶりなような気がして、小さく溜め息を吐く。

 冒険者になり、彼と一党を組んで、もうすぐ三年だ。

 毎日が命懸けで、毎日が血塗れで、毎日憎しみを向けられて、それでもこうして星を見上げている。

 人生って不思議だね、なんて他人事のように思いながら、ちらりとローグハンターの横顔を見た。

 筈なのだが、こちらを見ていた彼と目が合い、「え……」と声を漏らした。

 夜空を閉じ込めた蒼い瞳がこちらを見つめ、顔に芝生が貼り付いているから、だいぶ前から見ていたのだろう。

 

「……」

 

 ローグハンターは誤魔化すように無言で夜空に視線を戻すが、武闘家は「ちょっと待って……!」と身体ごと彼の方を向いた。

 

「い、いつから見てたの?」

 

「お前の視線を感じてから、今までずっとだ」

 

 ──それはほとんど最初からでは……?

 

 武闘家はその疑問をとりあえず飲み込んで、「そっか」と呟いた。

 とりあえず向き合ったからにはと、二人は無言で見つめ合い、しばらく静寂を堪能することにした。

 鳥のさえずりは止み、あるのは風で芝生が揺れる音とお互いの呼吸音。

 話があると誘ったのは武闘家なのだから、話し始めるのは彼女だろうと、随分と前のように思えて、けれど鮮明に思い出せる彼女との出会った日と同じ事を思っていた。

 その時は待たずにこちらから切り出したが、今は時間があるのだからいくらでも待てる。

 優しい夜風に当たりながら、待つこと数分。

 ずっと見つめ合っていた為か、もじもじと身体をくねらせて照れ始めた武闘家は、一度咳払いをして身体を起こした。

 ぱんぱんと背中を叩き、乱れた髪を整えて、寝転ぶ彼に向き合うように座り直した。

 

「えっと、大事な話があるの」

 

 か細い声で呟かれた言葉を受けたローグハンターも身体を起こし、彼女と向き合う形で座り直す。

 続きを急かすことはなく、あくまで彼女が口を動かす事を待つ。

 彼女が大事な話と言ったのだ。何を言うのからわからないが、相談に乗ると決めたのは自分なのだから、聞かない道理はない。

 武闘家はただ黙って待ってくれているローグハンターを見つめながら、大きく深呼吸。

 朧気な記憶ながら、一度は言ったのだ。二度目がなんだと自分を奮い立たせ、自分の頬を叩いた。

 パン!と鳴った快音を合図にローグハンターも姿勢を正し、彼女の言葉に集中した。

 彼も待ってくれているのだ。なら、もう黙っているわけにはいかない。

 

「大好き……だよ……」

 

 彼女にしては一世一代の大勝負。

 その言葉は確かにローグハンターに届いたのだろう。

 彼は彼女の言葉に驚いたように僅かに目を見開くと、ゆっくりと目を閉じた。

 それが何を意味しているのか、武闘家にはわからないが、一分もしないうちに目を開き、ぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。

 

「俺は、人を好きになるということがよくわからない。故郷では色恋沙汰とは無縁だったし、あまり興味もなかったからな」

 

 瞳を儚げに揺らしながら、握り締めた自分の手を見つめた。

 

「世のため人のため、命懸けで走り回る。それが俺の使命だったし、他にやることもなかった。誰かを愛する気持ちなんて、理解する暇もなかった」

 

 彼はそう言うと握った手を開き、「だが……」と前置きをしてから彼女を見つめた。

 三年間寝食を共にした相棒が、覚悟を決めてその一言を言ったのだ。

 なら、素直になるべきだろう。

 ふっと柔らかな笑みを浮かべ、緊張の面持ちを浮かべる武闘家に告げる。

 

「お前に会えて、お前と一緒にいて、何と言えばいいのか、その……」

 

 珍しく言葉を詰まらせ、迷うように目を泳がせた彼は、深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、武闘家の顔を見つめた。

 

「お前と一緒にいると、こう、胸の奥の方が温かくなる。最近じゃ、お前とずっと一緒にいたいと、思うように、なってきて、その、だな……」

 

 あー、えーとと、言葉を続けられないローグハンターに業を煮やしてか、武闘家が彼の肩に手を置いた。

 

「細かいことはいいの!きみは、私の事をどう思ってるのかだけ、言えばいいの!」

 

「あ、お、そ、そうか……」

 

 ずいっと前のめりになりながら告げられた言葉に、ローグハンターは困ったように頷くと、自分の胸に手を当てた。

 

「お前は強い人だし、何より優しい人だ。俺が釣り合っているのかは不安でしかない、素晴らしい人だと思う」

 

「え、あ、ありがとう……。じゃなくて、そういうの良いから!」

 

 彼の言葉に照れ臭そうに頬を赤らめた武闘家だが、肝心の答えがない事に気付いて続きを催促。

 

「……そうか。なら、はっきり言おう」

 

 ローグハンターはそう言うと、口角が自然と上がり、優しげに目が細まった。

 

 ──それは誰が見ようと『心から笑っている』と評する、彼が始めて見せた心からの笑顔だ。

 

 武闘家がそれに見惚れ、言葉を失っている間に、ローグハンターは告げた。

 

「──お前を愛している」

 

 満面の笑みと共に贈られた言葉に、武闘家の目尻に熱が溜まり、つぅーと涙が流れた。

 それは嬉し涙だ。彼が笑ってくれたことが嬉しくて、彼が拒まなかったことが嬉しくて、悲しくもないのに涙が止まらなくなってしまう。

 それを知るよしもないローグハンターがぎょっと目を見開いて慌て始め、懐から手拭い(ハンカチ)を引っ張り出した瞬間、武闘家は彼の頭を押さえ、自分の顔を近づけた。

 その距離はすぐに零になり、二人の唇が重なるのはすぐのこと。

 ローグハンターは突然の口付けに驚くものの、すぐにそれを受け入れ、目の前にある武闘家を真似て目を閉じた。

 お互いの体温を感じながら、恋人(・・)として初めての触れあいを堪能する。

 だがそれもすぐに終わり、武闘家は顔を離すとにこりと笑った。

 が、すぐに照れ臭くなり、真っ赤になった顔を隠すように顔を背けた。

 ローグハンターは名残惜しく思いつつそれを受け入れ、彼女の余韻が残る唇に触れた。

 不思議な心地よさと、何とも言えない多幸感が身体に満ちて、表情が勝手に和らいでしまう。

 普段の彼を知る者なら、まず間違いなく二度見するだろうだらしのない表情。

 彼はそれを隠す気もなくさらしながら、「これからも、よろしく頼む」と喜色が孕んだ、跳ねるような声音で告げた。

 

「うん。よろしくね」

 

 相変わらず顔を背けていた武闘家は、とりあえず彼の方に目を向けながら微笑んで、お互いの笑顔を交換。

 双子の月と満天の星空の下で、後に世界を救う恋人(英雄)が、新たな一歩を踏み出したのだった。

 

 

 




次回からエピローグ――武闘家の両親との話(真のラスボス戦)に入る予定です。

感想等ありましたら、よろしくお願いします。


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Epilogue
Memory01 語らい


突然ですが、エピローグ一話目にして『SLAYER'S CREED 追憶 』最終回です。


 西の辺境の片隅。

 名前さえも定かではなく、数多くある開拓村の一つ程度の認識しかないその村には、老若男女様々な人々が生きている。

 子供たちが剣に見立てた棒切れを片手に走り回り、それを眺める大人たちの表情は穏やかなもの。

 風に揺れる洗濯物。

 大人たちの談笑の声。

 子供たちの笑い声。

 畑仕事をする男たちの掛け声。

 あるのはまさに平穏。多くの人が望み、そして手に入れるのに大変な苦労を伴うものが、この村には満ちていた。

 だがしかし、平穏というのはふとした切っ掛けで崩れてしまうものなのだ。

 パァァァァン!と村に響く快音が鳴ったかと思えば、とある民家の玄関が吹き飛び、中から鎧を纏った何かが飛び出してくる。

 飛び出した何かは、背中と地面を擦らせながら減速していき、停止と同時に勢いで振り上がった足が地面に倒れた。

 

「……?」

 

 その何かは目を真ん丸く見開きながら、困惑気味に空を見上げる。

 憎たらしいまでに輝く陽の光に目を細め、円を描いて飛ぶ鷲をぼんやりと眺めた。

 

 ──何を、間違えた……?

 

 なぜ自分が地面に転がっているのか。

 そもそもなぜ殴られたのか。

 二つの疑問が頭の中をぐるぐると回り、結局答えがわからずに低く唸った。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

 

 慌てて吹き飛んだ玄関を潜り、倒れる彼に駆け寄ったのは、銀色の髪を風に(なび)かせる女性だ。

 戦う為に鍛えられた肢体は、筋肉質でありながら触れれば柔らかく、一見細い指も拳を固めれば岩をも砕く鉄拳となる。

 何より目を引くのは、その整った顔立ちと、戦う際に邪魔になるであろう、たわわに実った二つの乳房(果実)だろう。

 事実彼女が家から飛び出してきただけで、何人かの若者が彼女に視線を向け、鼻の下が伸びているようにも見える。

 

「おーい、大丈夫ー?」

 

「……ああ、なんとか」

 

 隣でしゃがみこみ、つんつんと頬をつついてくる銀髪の武闘家の問いかけに、地面に転がるローグハンターは酷く困惑したまま頷いた。

 両手を地面について身体を起こし、ごきごきと首を鳴らす。

 細めた蒼い瞳を向けた先。玄関の奥、家の中で拳を突き出した体勢を取っている男を見つめ、「参ったな、これは……」と呟きながら立ち上がる。

 ぱんぱんと身体を叩いて砂埃を落とし、殴られた為か酷く痛む額を抱え、低く唸る。

 

「……いきなりあれはないと思うよ?」

 

 そんな彼の肩を叩いた銀髪武闘家は、珍しく彼を非難するような声音でそう告げた。

 ローグハンターは「そうなのか?」と首を傾げ、銀髪武闘家は溜め息混じりに天を仰いだ。

 彼が普通からだいぶずれているのはわかる。六年も一緒にいるのだから、それくらいはわかってはいるのだ。

 

「とりあえず、戻ろう」

 

「ああ。次は避ける」

 

「……」

 

 彼の背中を擦りながらの提案に、ローグハンターはこれまた的外れな事を言いながら頷き、銀髪武闘家は半目になりながら彼を睨んだ。

 彼女の目は『そこは殴られないようにしようよ』と告げているのだが、ローグハンターは額のたんこぶばかりを気にしており、彼女の視線に気付いた様子はない。

 彼は足音もなく吹き飛ばされた民家を目指し、もはやなくなってしまった玄関を潜り、拳を引っ込めた男性の前に腰を下ろした。

 その隣に銀髪武闘家も腰を下ろし、額には冷や汗が流れる。

 並んで座る二人と対面するように、戻ってくる二人を待ち構えるように座していたのは、二人の男女だった。

 銀色の髪と銀色の瞳をした妙齢の女性は心配そうにローグハンターを見つめ、座ったままではあるがちらちらと薬草が詰まった箱の方に目が向いている。

 対して隣の男性。彼は言ってしまえば不機嫌だった。

 額には青筋が浮かび上がり、膝の上で握られた拳は力んでいるためかぷるぷると震えている。

 

「さっきの言葉、もう一度言ってくれないか」

 

 声こそは冷静ではあるものの、そこに隠されているのは凄まじいまでの怒気だ。

 子供がいれば泣き出すような覇気に当てられながらも、ローグハンターは銀髪武闘家に目を向けると一度咳払いをし、改めて口を開いた。

 

「こいつを俺にくれ」

 

 直後、本日二度目の快音が、村に響き渡った。

 

 

 

 

 

「な、なにがいけないんだ……!?」

 

 額ではなく鼻先を殴られ、今度はたんこぶではなく鼻血を垂らす彼は、半ば怒鳴るようにして目の前の男性──武闘家の父親に向けて問いかけた。

 問われた父親は「あ゛」とどすの利いた声を漏らし、バキバキと拳を鳴らす。

 

「ちょ、二人とも一回落ち着こうよ、ね!」

 

「そうよ、あなた。もう、せっかくこの()が彼氏を連れてきたのに!」

 

「その彼氏が問題なんだろう!」

 

「俺は落ち着いている」

 

 彼に手拭いを差し出し、鼻を押さえつけた銀髪武闘家。

 夫の肩を掴んで止める彼女の母親。

 今にもローグハンターを殴ろうとする父親。

 彼女に鼻血を止めてもらっているローグハンター。

 と、順々に口を開き、その後一斉に溜め息を吐いた。

 熱せられた空気が僅かに落ち着き、銀髪武闘家の手から手拭いを受け取ったローグハンターは、「あー、くそ……」と悪態をつきながら出血が治まるのを待つ。

 とりあえずしばらくは静かになるだろうと見てか、銀髪武闘家は「えーと、ねぇ」と言葉に困りながら目を泳がせた。

 帰って来て早々に拳骨でもされるかと思ったが、むしろ温かく迎えてくれたのはとても嬉しかった。

 喧嘩別れをした娘が帰って来たのに、怒ることなく笑って迎えてくれたのは、緊張していた自分が馬鹿に思えた程だ。

 だが、問題が起こったのはここからだった。

 彼氏ということで紹介したローグハンターが、まず第一声に挨拶をして、その直後にこう言ったのだ。

 

『俺はこいつと付き合っている。出来ることなら、俺にくれ』

 

 何度も言うが、彼が普通と呼べる人からだいぶずれているのは承知の上だし、何ならどんな相手にも臆さずに突っ込んでいく気概を持ち合わせていることも知っている。

 

 ──それでも、あれは駄目でしょ……。

 

 最低限どころか、割りと奥まった礼儀作法さえも知っていそうな彼が、まさかあんなことを言うとは……。

 とりあえず第一印象は最悪。ここからどう盛り返すべきか。

 頭を抱えてうー、うー、と唸る銀髪武闘家を他所に、彼女の両親は顔を合わせた。

 愚直に思ったことを口にし、何事も勢い任せだったあの娘が、神妙な面持ちで考えを巡らせているのだ。

 見ない間に成長してくれたのは嬉しい限りではあるが、それを知る切っ掛けが礼儀知らずの恋人なのは残念で仕方がない。

 むぅと低く唸った父親は腕を組みながらローグハンターを睨み、母親は困り顔で苦笑しながらローグハンターと武闘家を見る。

 頭を抱える武闘家を心配そうにしながらも、とりあえず止血を優先しているのか口は閉じたままだ。

 何か言って欲しいものではあるが、怪我をしてしまっているだから仕方がないと一旦は放置。

 

「とりあえず」

 

 母親がぽんと手を叩くと、三人の視線が一斉に集まり、僅かに照れながらもこほんと咳払い。

 そして優しく笑いながら、銀髪武闘家とローグハンターに問いかけた。

 

「二人の話を聞かせてくれる?どこで出会って、どんなことがあって、どうしてここに来たのか。それがないと、私も、この人も、何とも言えないわ」

 

 ね?と肩に手を置かれた父親は、先程まで額に浮かんでいた青筋が薄くなり、憤怒の表情も和らぐ。

 僅かに目を細めたローグハンターは、そこからやればよかったのかと納得し、ちらりと銀髪武闘家へと目を向けた。

 彼女は気恥ずかしそうに朱色に染まった頬を掻くと、「どこから話そうかな……」と彼の瞳を見つめ返す。

 

「とりあえず、出会った日からでいいと思うが」

 

 ローグハンターは顎に手をやりながらそう言うと、ちらりと銀髪武闘家の両親に目を向けた。

 母親が「構いませんよ」と笑い、父親が無言で頷くと、ローグハンターと銀髪武闘家は顔を見合せ、同時に頷いた。

 そして先に口を開いたのは、銀髪武闘家だ。

 

「えっと、彼と出会ったのは私が冒険者になった日のことで──」

 

 彼女の口から語られるのは、二人の始まりの物語。

 二人が出会い、初めて行った冒険の話。

 彼と歩む切っ掛けになった冒険の話。

 彼に惹かれる切っ掛けになった冒険の話。

 二人が歩んだ六年間を、彼女の主観やローグハンターの解説を交え、誇張することもなく、けれど謙遜することもなく、真実のみを語る。

 その間、両親は一切口を挟んでは来なかった。

 娘が故郷を飛び出し、在野最高の銀等級まで登り詰めるまでの話だ。

 吟遊詩人が誇張混じりに歌うものとは訳が違う、血の通った物語(サーガ)

 盗賊団の殲滅戦や、雪山での戦い、不思議な盗賊と拐われた令嬢の話に、何年か前に話題にもなった、悪魔とまで呼ばれた男との死闘。

 本来なら言ってはならないような、割りと踏み込んだ話さえも含まれるそれは、聞いている二人が多少なりとも気を使うような内容でもある。

 それでも二人は包み隠さずに物語を語るのは、一重に両親に隠し事をしたくないからということと、両親には全てを知って欲しいという僅かな我が儘。

 両親も何となくそれを察してくれてはいるのか、聞きはすれど口は挟まず、けれど時折眉を寄せたり、小さく悲鳴を漏らしたりと、反応はしてくれるのだからありがたい。

 ──と、両親の反応を見ながら、一通りの冒険譚を語り終えると、銀髪武闘家が頬を赤く染めながら彼の脇をつつき始めた。

 

「それで最終的に私から告白して、それから一緒に寝たり、仕事関係なしに出掛けたりし始めて──」

 

「……ん?」

 

「好きな食べ物とかを話したり、好きな場所に一緒に行ったり、お祭りの日は街を見て回ったり、結構仲良くしてるの」

 

「あらあら……」

 

 銀髪武闘家の放つ言葉が、冒険のことから彼への惚気(のろけ)話に変わり始め、父親は再び眉を寄せ、母親は困り顔で頬に手を当てた。

 その頬が僅かに赤くなっており、娘の惚気に照れているのだろう。

 父親は何とも言えない表情でローグハンターに目を向けると、当の彼は顎に手をやりながら目を閉じ、何かを考え込んでいる様子だ。

 

「あー、何か言いたいのなら言ってくれ」

 

 そんな彼に父親は溜め息混じりにそう言うと、ローグハンターは目を開いて「むぅ……」と困ったように唸った。

 

「……どこから言えばいいのか」

 

「待て、何を語るつもりだ」

 

「こいつの好きな所だが」

 

「……」

 

 父親の問いかけに、ローグハンターはさも当然のように即答し、父親は助けを求めるように妻に目を向けた。

 

「それでね、彼って甘いのが好きなんだよ」

 

「へぇー、そうなの?そういえば、この前商人さんがあいすくりん?っていう食べ物を食べたの。甘くて、冷たくて、美味しかったわ」

 

「あ、私も知ってる!食べたこともあるよ」

 

「あら、そうなの?」

 

 だが、妻は久しぶりに会う娘との会話を楽しみ始めており、もはや恋人との馴れ初めとは関係のない話にまで進展していた。あの様子では助けてくれないだろう。

 父親はすぐに諦めてローグハンターに目を向け、待ち構えていた彼の蒼い瞳を睨み付けた。

 妻のように懐柔されるわけにはいかぬ。この男が、愛する我が子と釣り合う人物かを見定めなくてはならない。

 

「それで、この娘のどこが好きなんだ」

 

 強気の姿勢で語気を強め、相手を威圧するように腕を組む。

 その問いかけを受けたローグハンターは一度深呼吸をすると、ちらりと銀髪武闘家に目を向け、小さく微笑んだ。

 

「行ってしまえば何もかもが好きではあるんだが……」

 

 彼はそう前置きすると視線を父親に戻し、僅かに瞳を陰らせながら口を開いた。

 

「月明かりのように優しい銀色の髪も、いつでも俺を真っ直ぐに見つめてくる銀色の瞳も、聞いているだけで安心できる声も、美味い物を食べた時に見せる嬉しそうな顔も、誰かと話す時に見せる人懐こい顔も、ふとした拍子に見せる凛とした顔も、すらりと伸びた足も、鍛えているのに柔らかな腕も、時々俺を子供みたいに撫でてくる手も、あと本人に言えば怒るだろうが、抱き締めた時に受け止めてくれる胸の柔らかさも、彼女を彼女たらしめる何もかもが──って、聞いているか」

 

 淡々と彼女の好きな所を語っていたローグハンターは、何やら父親が(やつ)れている気がして声をかけた。

 

「あ、ああ。聞いていたとも、平気だ……」

 

 父親はふらつく身体に喝を入れつつ、頭を振って意識を戻した。

 いや、まあ、聞いたのはこちらだし、ある程度語って貰わねば再び拳を振るわなければならないとも思っていたのだが……。

 

「あとは人を思いやる優しさを持っていること、決めたことを最後まで貫く強さを持っていることも、時々心配になるほどに無用心になる所も──」

 

 ──平気だとは言ったとも。だがそれは、続けろという意味ではないんだが……。

 

 父親は再び話し始めたローグハンターを半目になりながら見つめ、彼に気付かれないように溜め息を漏らした。

 そんな父親の様子に気付いた様子もなく、ローグハンターは淡々と彼女の好きな所を呟き続けていた。

 そしてそれが聞こえているのだろう。隣の銀髪武闘家の顔が段々と赤くなり、煙が噴き始めている。

 聞いていて照れ始めた母親も「あらあら」と呟きながら頬を赤く染めて、愛娘と同じ銀色の瞳を細めた。

 愛娘の恋人は、想像以上に惚れ込んでいる──というよりは、依存しているようだ。

 彼なら愛娘を捨てたり、別れたりしないという安心感はあるのだが、娘と他の男性が話しているだけで、その男性に殺意を剥き出しにしそうな、不安があるのも事実。

 

 ──けど、悪い人ではないんでしょうね……。

 

 逆に言えば、彼は余程のことがなければ愛娘の味方であり続けてくれるだろうし、身体を出る目当てに言い寄ってくる馬鹿(害虫)どもを追い払ってくれるだろう。

 すっと細められた銀色の瞳にいまだに娘を語っている恋人の姿を映し、僅かに口角をつり上がる。

 隣の夫は「悪い顔になってるぞ」と言って苦笑しているが、別にいいではないか。

 

 ──そんな顔さえも美しいと言って口説いてきたのは、どこの誰だったかしら?

 

 にこりと微笑みながら夫の顔を見つめてやれば、彼は頬を赤らめながら顔を背ける。

 いつまで経っても笑顔に弱いのは、彼の数少ない欠点の一つだ。

 

「それで──』

 

 母親はその笑顔を変えずにローグハンターを見つめ、一つの疑問を彼へとぶつけた。

 

「孫の顔は見られるのかしら?」

 

「「っ!?」」

 

 その一言に驚愕し、彼女に揃って視線を向けたのは、銀髪武闘家と父親の二人だ。

 二人して顔を赤らめ、見開かれた瞳は何を言い出すんだと語っている。

 対するローグハンターは冷静なもので、さも当然のようにこう返した。

 

「頑張ってはいる」

 

 直後、本日三度目の快音が村に響き渡った。

 

 

 

 

 

「ここまで来ると、理不尽じゃあないか!?」

 

 凄まじい衝撃に口元の傷痕が抉じ開けられ、さながら吐血したように口の回りを真っ赤にしたローグハンターは、ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。

 蒼い瞳に殺意を滲ませ、額に青筋を浮かばせる。

 今にも飛び掛からんとする彼の衣装を掴んでいる銀髪武闘家は、両親に多少非難的な視線を向けつつ、困り顔で溜め息を一つ。

 愉しそうに笑う母親の隣。同じく困惑気味の父親は、放ってしまった拳をゆっくりと引っ込めた。

 

「す、すまん、つい反射的に……」

 

 申し訳なさそうに小さく頭を下げつつ、「だがな」と食い下がる。

 

「婚礼の前に、その、子作りに励むなど──」

 

「あら。私たちが結婚したのは、この娘が出来たからでしょう?」

 

「……」

 

 もっともらしいことを言って優位を取ろうとしたのだが、それは味方の筈だった妻により遮られ、父親は沈黙。

 手拭いで止血をしているローグハンターは、鈍痛に眉を寄せつつ溜め息を漏らし、「とにかく」と声を出した。

 

「俺はこいつと、仲間としてではなく男女として付き合っている。生活が安定しているが、明日も二人揃って無事にいられる保証もない」

 

 湧き出る怒りを避けられなかった自分のせいにすることで一旦は静め、「だが」と呟きながら両親に目を向けた。

 

「俺はこいつを、あんたたちの娘を愛している。この気持ちに嘘偽りはない」

 

 二人を真っ直ぐに見つめながら、静かで、けれど力強い声音で言葉を紡いだ。

 彼の言葉に応じるように、銀髪武闘家が彼の手を握り、二人は顔を合わせた。

 銀髪武闘家は彼への愛情と慈愛がこもった笑みを。

 ローグハンターは彼女への愛情と信頼がこもった瞳を。

 二人はそれぞれ頷き、両親に視線を戻す。

 

「俺に、彼女を任せてはくれないか。命に懸けて、必ず幸せにする」

 

『任せてくれ』ではなく、『任せてはくれないか』。

 言い切るわけではなく、あくまでも選択肢を残しての言葉には、彼の優しさが滲み出ている。

 問答無用に否を叩きつけられればどうするのかと疑問には思えど、彼の瞳を覗いた者でそう言える者はいないだろう。

 一切ぶれることなくこちらを見つめ続け、発した言葉を絶対に守ると決めた覚悟のこもった蒼い瞳を前に、彼を否定することは出来ない。

 

「私からもお願い。その、冒険者だからいつ死んじゃうかもわからないけど、どんな形で死んじゃうにしろ、その時まで彼と一緒にいたい」

 

 そして愛娘さえも、そんな表情をしながらこちらを見てくるのだ。

 昔はどこに行くにも後ろを追いかけてきて、ちょっとしたことで笑ったり泣いたりと、無邪気な少女だったあの娘が。

 

 ──立派になったな(立派になったわね)……。

 

 村を飛び出していったあの頃の面影を残しつつ、けれど確かに成長して帰って来た愛娘からの、おそらく最後のお願いだ。

 それを無下にするほど、武闘家の両親の愛情も弱くはない。

 父親は負けを認めるように溜め息混じりに項垂れ、母親は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「……わかった。この娘のことを、頼む」

 

 そして父親が呟くようにそう告げると、ローグハンターと銀髪武闘家の二人はぱっと表情を明るくした。

 銀髪武闘家は「やったー!」と身体を支配した喜びのまま彼に抱きつき、ローグハンターは血がつかないように気を付けながらも彼女を抱き止める。

 目の前で満面の笑みを浮かべながら抱きつく二人を、両親は一体どんな感情を抱いたのだろうか。

 単純に喜んだのか、あるいは安堵か、もしくは期待か、それら全てという可能性もある。

 だがそれを知るのは二人だけで、ローグハンターにも、銀髪武闘家にも、天上の神々にもそれは預かり知らぬこと。

 

「そういえば」

 

 ふと呟いたのは父親だ。

 彼は顎に手をやりながら、愛娘に押し倒されそうになっているローグハンターに向けて問うた。

 

「キミのご両親には、お話ししたのかい?」

 

「……」

 

 その質問を投げた瞬間、あれだけ笑っていたローグハンターの表情が陰り、蒼い瞳から僅かに覇気が失せた。

 やってしまったと思っても、もう遅い。発した言葉を飲み込むことは、誰にも出来はしないのだ。

 ローグハンターはゆっくりと銀髪武闘家を押し返し、改めて座り直すと、首を横に振った。

 

「故郷は遠く、そう簡単には帰れない。家族に手紙を出しても、読んでくれる相手がいないのでは意味がない」

 

 彼が告げた言葉はそれだけだった。

 ただ儚げな笑みを浮かべ、静かに事実だけを、けれど気を遣ってか直接的な言葉は使わずに、自分の状況を──天涯孤独であることを告げる。

「……すまない」と父親は謝罪するが、ローグハンターは「気にするな」の一言で返すのみ。

 先程まで緩んでいた空気が途端に重く、冷たいものとなり、全員の口が閉じてしまった。

 そんな雰囲気を変えようと咳払いをしたのは、銀髪武闘家の母親だ。

 彼女は優しい笑みを浮かべながら、愛娘と未来の義息子に告げる。

 

「とりあえず、今日は止まっていきなさい。自分の家だと思って、ね」

 

「は、はぁ……」

 

 その言葉に困惑気味に応じたのはローグハンターだ。

 確かに村に一泊する予定ではあったが、宿があるだろうからそこでいいと思っていたのだ。

 銀髪武闘家は久しぶりの実家ということで瞳が輝き始め、父親も自分のせいで落ち込ませてしまったのだからと渋々頷いた。

 

「あー、部屋はどうする。この娘の部屋はほとんど片付けてしまったが……」

 

「一応の夜営道具は揃っている。部屋さえあれば、うまく寝るさ」

 

 父親の言葉にローグハンターはそう返し、銀髪武闘家に「ゆっくりしろ」と告げて笑みを浮かべた。

 

「「「……え?」」」

 

 彼の言葉に三人が一斉に声を漏らし、ローグハンターは一人首を傾げる。

 

「いや、実家に帰って来たんだから、たまには両親とゆっくり過ごして──」

 

「あら、そういう意味ではないのよ?」

 

 首を傾げたローグハンターを真似て首を傾げた母親は、口元を隠しながら可笑しそうに笑い始めた。

 

「?」

 

 口を閉じたまま疑問符を浮かべるローグハンターだが、父親が彼の肩を叩いて「まあ、あれだ」と慎重に言葉を選びながら言う。

 

「その内お前は義理とはいえ息子になるわけだから、今のうちにこの家の雰囲気に慣れてくれってことだ」

 

「ああ、そうなのか……?」

 

 父親の言葉に納得半分疑問半分で応じたローグハンターは、助けを求めるように銀髪武闘家に目を向けた。

 彼女もまた母親のように笑いながら、「まあ、ゆっくりしよ」と提案。

 

「……お前が、そう言うなら」

 

 その提案にローグハンターは頷き、ふと家の中を見渡した。

 飾り気のない、言い方が悪いがどこにでもありそうな家ではあるが、不思議と落ち着くこの感覚はなんなのだろうか。

 

「……」

 

 ローグハンターは座った無言でおり、銀髪武闘家は母親に言って自分の部屋を見に行った。

 取り残されたローグハンターと父親は、ただ無言で見つめ合い、お互いに話題を探りあった。

 そして二人共通の話題など、決まっている。

 

「……二度目になるが、あの娘の話を聞かせてくれないか」

 

 父親は気恥ずかしそうに頬を掻きながら言うと、ローグハンターは「わかった」と即答で頷き、「どこから話そうか」と思案している様子。

 

「どこからでも構わないさ。あの娘の物語だ、父親として、知っておきたい」

 

 父親は真剣な声音で、けれど優しく笑みながらそう告げて、ローグハンターは「わかった」と頷いた。

 

「その変わりに、あいつの話を聞かせてくれ」

 

 同時にローグハンターもそう要求し、父親は「わかった」と破顔したまま頷き、姿勢を崩した。

 もう堅苦しい話はなしだ。ここからは愛する娘について語る父と、愛する女性を語る義息子の会話に他ならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 翌日。村と村を繋ぐ、ありふれた街道の一つ。

 そこを歩くローグハンターと銀髪武闘家は、晴れ渡る空を見上げながら、満面の笑みを浮かべていた。

 ようやく長年の約束でもあった両親の元に行き、お許しを得られたのだ。

「えへへ」と嬉しそうに笑う銀髪武闘家の隣で、ローグハンターもまた柔らかな笑みを浮かべる。

 ここ最近になって、雪崩に巻き込まれたり、ゴブリンに袋叩きにされたりと、よく死にかけるのだ。

 出来ることを出来る内にやらねば、死ぬに死ねない。

 いや死ぬつもりも毛頭ないが、後悔は出来るだけ少なくしておきたい。

 

「ね、ねぇ?」

 

「ん?」

 

「その、待ってるからね……」

 

「……ああ」

 

 彼女に告白され、彼女の想いを受け入れ、自分が抱いていた感情を知った後。

 彼女から出された、課題の一つ。

 

 ──次の告白は、きみからにしてね?

 

 その告白というのは、まず間違いなく恋人から次の関係へ──夫婦の関係へと進む為の告白だろう。

 それはわかっている。わかってはいるのだが、問題がある。

 

 ──俺をこの世界に招いた存在との対面。そして決着をつけなくてはならない……。

 

 こんなことなら去年の内に告白しておくべきだったと反省しつつ、逆に結婚してからあれを知っていたらどうなっていたのかと薄ら寒い物を感じる。

 遠い先祖(アルタイル)が残してくれた手掛かり(ヒント)を、彼が残してくれた武具(ちから)を、無駄にするわけにはいかない。

 

「もう少しだけ、待っていてくれ」

 

「待ってるけど、あんまり待たせないでね」

 

 覚悟を決めた表情をするローグハンターの隣で、銀髪武闘家は彼の肩を撫でながら笑んだ。

 何でもかんでも一人で背負い込もうとするのは、彼の悪い癖だ。

 

「でも、何かあれば私を頼ること。いい?」

 

 人差し指を立てながら、どこかお姉さん風を吹かしてそう言うと、ローグハンターは苦笑混じりに頷いた。

 

「ああ。何かあれば、その時は頼む」

 

「ふふっ。きみのためなら、例えこの世界の果てまでもってね」

 

「流石にそんな場所に行くつもりはないんだが……」

 

 彼女の冗談にローグハンターは困り顔で返し、「例え話だよ」と銀髪武闘家も可笑しそうに笑った。

 二人を見守るように天高く舞っていた鷲が、その存在を示すように「キィー!」甲高い鳴き声を発した。

 

 

 

 

 

 ──これはならず者殺し《ローグハンター》と呼ばれるようになった一人の青年と、その相棒となった一人の少女が歩んだ軌跡。

 

 ──誰も知ることのない、けれど後に世界を救う二人の物語。

 

 ──吟遊詩人たちも退屈だと笑い飛ばし、さっさと次の題目に移るような、どこにでもある、ありふれた恋愛譚。

 

 ──だが、それが何だと言うのだ。

 

 

 

 

 

 黒き英雄は神と相対し、銀の乙女は英雄と添い遂げる。

 これはそんな物語(本編)序章(プロローグ)

 後に脈々と続いていく長きに渡り続いていく英雄譚(サーガ)序章(プロローグ)

 

 

 これは始まりの物語。

 一人の異邦の青年と、一人の夢を追いかける少女が出会い、愛し合う物語だ──。

 

 

 




と、いうわけで、『SLAYER'S CREED アンケート企画第二段 追憶編』はここまでとなります。

本編及び、この作品をご高覧いただき、誠にありがとうございました。

第三段は主人公の息子たちの予定ですが、現状では形にするには少々不安な状態です。
ゴブスレの設定を借りた完全オリジナル作品となりますので、マジで考えるのがしんどいのです。

思い付かなかったら、原作もあって考えやすいIFルート『ダイ・カタナ編』を先に投稿するかもしれませんし、発作的にまたR-18に手を出すかもしれません。

どちらにせよ、また皆様に楽しんでいただけるように、不定期ながら更新していこうと思います。

長くなりましたが、これにて作者からの挨拶を終了いたします。

感想等ございましたら、よろしくお願いいたします。


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