魔女兵器 〜Another Real〜 (かにみそスープ)
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プロローグ 【少女と旅路】
第0節 〜索引〜


 今までのあらすじ——。

 

 俺は『レン』……いや、正確には違うが今は『レン』として生きてる女子高生だ。……ごめん、これも正確には違う。

 

 元は俺は、ごく普通の『男子高校生』だった。

 だがある日、課外授業で某英霊が戦う黄金の杯に似た『異質物』……『ロス・ゴールド』を狙うテロリストの襲撃に遭う。

 そこで何があったのか俺は詳しくは知らない。だが強い衝撃を受けて気絶してしまい、目が覚めたら……世界滅亡の災害に巻き込まれてしまった。

 

 しかもただの災害じゃない。

 都市全体は廃墟になり、街は燃え盛っていた。人間は狂気に満ちた表情のまま塩の彫刻となっていて、触れただけで首が崩れ落ちる惨状が満ちていた。

 

 俺は心から願った。

 

 ——仮に……もしも……。

 ——『神様』が本当に存在していれば……。

 ——お願いだ……すべてを夢に……。

 

「全て、夢であってくれ——」

 

 

 ————ならば、我が器になるがよい————。

 

 

 眩い光に包まれて俺は目覚めた。

 夢の内容は惨たらしく酷いものだったが、最後の方は朧げだった。

 きっと夢だろう。『ロス・ゴールド』は突如消滅した件はあったものの、ネットニュースでも第五学園都市——つまり『新豊州』が壊滅した事実なんてなかったし、安心し切っていたんだ。

 ……だけど、体に異変が起きていた。

 

 早い話が……その、何故か俺……お、女の子になっていたんだ……。

 

 そこからはトントン拍子ながらも色んな出会いと、運命が俺を導いてくれた。

 

 俺と同い年ながらも『魔女』である『アニー・バース』と出会い、更にはSIDの長官『マリル・フォン・ブラウン』に目をつけられた。

 

 事情を説明したところ、半信半疑ながらもマリルは突如消失した『ロス・ゴールド』の件について、俺が深く関係してるんじゃないかと推測して、最重要人物として、非常に……ひじょ〜〜〜に手厚く保護してくれた。

 

 彼女が自身が持つ権限をこれでもかと利用して、俺のデジタル化されているプロフィールをすべて編集……というより改竄をしてくれた。

 結果として俺は『レン』という可愛らしい名前を与えられた。……名前の由来は情けなくなるから聞かないでくれ。

 

 学校はもちろん転校して、庶民である俺とは確実に縁がないであろう超セレブリティなお嬢様学校『御桜川女子高等学校』に入学したり、アニー共々SIDの捜査員として色んな任務を受けていた。

 ……まあ当時の俺はあくまで候補生だったけどね。

 

 その任務にも色んな出会い、成長、因縁があった。

 

 身体中に無数の傷跡を残す、義眼の少女『イルカ』——。

 第四学園都市、つまりは『サモントン』からの視察団代表であり、そのサモントン総督の孫娘『ラファエル・デックス』——。

 俺のメイド力の低さに怒りをぶつけてきた未だ謎多きメイド『ファビオラ』——。

 そしてそのメイドの主人である、とてもじゃないが歳下には見えない金髪の少女『スクルド・エクスロッド』——。

 突如蘇った、かの詩人の詩に登場する魅惑のお姉さん『ベアトリーチェ』——。

 

 まだ終わらない。そこからも色々な大事件が起きた。

 

 青金石柱から復活した女性錬金術師『ハインリッヒ・クンラート』——。

 南極で保護された悲しき過去を持つ少女『バイジュウ』——。

 孤独な審判騎士『ソヤ・エンジェルス』——。

 奇妙な縁で共闘(共犯?)関係になったオッドアイの少尉さん『エミリオ・スウィートライド』——。

 同じく共闘関係となったエミリオの妹分『ヴィラ・ヴァルキューレ』—。

 突如として俺の前に現れた謎の少女『シンチェン』——。

 そして、コバルトブルーの髪色を持つ『誰か』——。

 

 波乱と怒涛に塗れた事件しかなかった。

 事件の裏には様々な思惑や意図があり、それに巻き込まれて傷ついたこともあったし、失うこともあった。

 

 ……そんな中で今でも俺が生きてるのは奇跡としか言いようがない。

 

 だから、時々思ってしまう。

 この世界は水槽に付けられた脳内の中身、仮想プログラムの世界、子供が描く空想……色々と仮説はあるけれど、この宇宙は別の誰かが見ていて、その誰かさえも別の宇宙から誰かに見られてるんじゃないかって。

 

 もしも、本当にもしも……『俺達の先にある実際の世界』という宇宙の概念の先……。内包された宇宙の果てや、隣り合わせの宇宙とかではなく、宇宙の外まで解き放たれた存在がいたとする。

 その存在がいたとしたら色々な呼び名はあると思うが、シンプルな呼称として神様と仮に定めよう。

 ならば疑問に思ってしまうことがある。「どうして神は救ってくれない」かと。

 

 神話を紐解けば個人を救う神はいないということは多い。「俺」を救う神はいない。「あなた」を救う神もいない。

 だけど「俺達」を救う神がいる。「あなた達」を救う神がいる。「大地」を「海」を「物」を「魂」を救う神がいる。

 されど「俺」を「あなた」を救う神はいない。神の愛は非常に虚げで気紛れなものは知ってる。問題はどうして、神様はそのように成り立ってしまう?

 

 それは、この世界はどこかの神様が見ている夢みたいなもので、いつまでも神様は悠久な眠りを続けているんじゃないかと思ってしまう。

 夢を微睡む神様に「自己」はない。「自己」がない以上「他己」もない。だから個人というものが欠損してしまうのではないかって。

 

 ならばどうして神様は、この異質な世界を見続けているのだろうか。人間が誰しも悪夢を嫌う。この七年戦争で未だに怨恨止まぬ世界を神様はどうして見続けているのか。

 答えは出るはずがない。神様は覚めない夢を見るだけ。

 宇宙の中で動き続ける俺達を(あなた達を)夢の揺りかごに乗せて宇宙の外から包み込むだけ。

 

 だが、その神様の夢がある日気紛れに変わってしまったとしたら——?

 

 

 …………

 ……

 

 『混沌』とした夢は終わりを『告』げた。

 『白』紙となったシナリオを『演』者と観客は取り戻すため、『亡』くした物を『死』に物狂いで『算』出する。

 

 ……

 …………

 

 

 その果てに、同じ夢を神様は見れるのだろうか。仮に見れたとして、内包していた宇宙はどうなってしまうのだろう。

 

 俺達がいる世界は様変わりしてしまうのか。

 夢は泡となって俺達は消えてしまうのか。

 もしくは俺達によく似た俺達が生まれるのか。

 

 あるいは……もっと別の何かになるのか?

 

 これはそんな、あり得たかもしれない『もう一つの夢』

 

 ——失い尽くした『 』は、恐れなどない——

 

 人の夢というものは儚く。

 神が見る夢は如何様なものなのか。

 



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第一章 【深海浮上】
第1節 ~深海~


 今から簡単な質問をします。あなたは海が何色に見えますか——。

 

 青色——そうですか。水色——そうですか。

 海色——詩的です。夏色——詩的です。

 青春の色——そろそろ本題に移ります。

 

 本来、海は色とカテゴリされるものではない。そもそも根本的な問題として『色』というもの自体が、概念上『色』と捉えていい存在ではない。

 

 なぜならこの世界には『光』がなければ、あらゆる物を観測できない非常に不出来なものだ。そして『光』があるだけでは『色』は証明できない。観測者の認識を持って初めて『色』は成立する。

 

 もう一度質問をします。あなたは海が何色に見えますか——。

 

 あなたは青色。あなたは水色。

 お前は海色。お前は夏色。

 青春の色はボッシュート。

 

 同じ物を見ているのに何故答えが変わるのか。それは物理的刺激が同じであろうとも、質的経験の差異によるものが大きい。これをとある思考実験として行われており、実験内容は『逆転クオリア』と呼ばれる。

 

 質的経験とは何なのか。簡単なものだ。

 あなたは赤をイメージする時、何が出てきましたか。

 あなたは緑をイメージする時、何が出てきましたか。

 あなたは青をイメージする時、何が出てきましたか。

 

 赤をイメージしたら炎。緑をイメージしたら森。青をイメージしたら海。と今回はわかりやすく表現させよう。逆もまた然り。

 ……これは最初の問いの一つの模範であろう。この観点が『逆転クオリア』の一つの例題となる。

 だが中にはすべてを『リンゴ』を答える人間は必ず存在するだろう。リンゴは赤いし、『青リンゴ』に至っては緑色に熟れている。

 

 だが同時にここで疑問を覚える。

 どうして『青リンゴ』なのに、『緑色』と定義できるのか。歴史的観点から見ればもちろん理由はあるが、問いたいのは哲学的観点によるものだ。

 そもそも『色』とは『光』によって認識される。ならば『色』=『光』と言われれば、そうとは言えない。夕陽は赤いし、朝日は白いだろう。だがそれは人間自身が『光』自体を質的経験から、『光』を『色』として変換してるに過ぎないからだ。『光』自体に『色』はない。

 

 だとしたら、根本的な『色』とは。

 『光』はあくまで色を観測するために必要な前提でしかない。

 『観測者』は質的経験から『光』によって観測される色を判断してるに過ぎない。

 必ず『光』を介さない『色』がどこかに存在するのだ。その『記憶』や『記録』が観測者に宿っているからこそ、『観測者』は初めて『質的経験』から『光』を通して色を定められる。

 

 改めて問います。あなたは海が何色に見えますか——?

 

 ————。そうですか。

 ————。そうですか。

 ————。そうですか。

 

 ようやく本題に移れます。

 あぁ、安心してください。これで最後ですよ。

 

 あなたに問います。『光』も届かぬ『海』の底の底。その名は『深海』

 光が届かぬ以上、観測はできない。

 観測ができない以上、観測者は存在しない。

 観測者が存在しない以上、色は定められない。

 

 定められないなら、深海とは『何色』なのか——。

 

 ………………。

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごめんなさい。

 最後に『私』の話に付き合ってください。

 

 

 

 

 

 今から難しい質問をします。銀河とは何色ですか?

 

 答えなくて大丈夫です。先ほどの問いの反証みたいなものですので。

 

 ですから、すぐに本題に入ります。

 

 あなたに問います。『光』がたどり着く『銀河』の果ての果て。その名は『宇宙』

 光が届く以上、観測はできる。

 観測ができる以上、観測者は存在する。

 観測者が存在する以上、色は定められる。

 

 定められるのなら、宇宙とは『何色』なのか——。



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第2節 〜清漣〜

 ああ、いつぶりだろう——。この目に焼き付いた地獄を夢に見た。

 

 崩れ去ってく街並み。燃え盛る新豊州。塩の彫刻と化した人間。

 

 どこまでも現実的な夢——。

 だが俺は知ってる。これは多分夢じゃない。多分現実にあったこと。もう一つの現実だとマリルはいつか言っていた。

 

 今回の夢はやけに鮮明だ。浮ついた足取りではなく、まるで現実のように一歩、また一歩と歩くたびに焦土の熱は足裏を溶かし、蒸せ狂うほど肺を焼き焦がす。

 

 その地獄は脳裏に燻るもう一つの地獄を思い出す。七年戦争だ。

 貧困に喘ぐ子供、血濡れの子供、銃を握る子供、共食いをする子供、子供、子供、子供子供子供子供子供——。

 

 俺のトラウマが何度も再生される。

 最悪だ、最低だ。核の抑止を超えた『異質物』の絶対的な力は、七年間も全人類の『悪性』を扇動して争いを続けさせた。それで俺の家族は…………。

 違う。今はそんなことはどうでもいい、過ぎたことだ。今気にしたってどうなるものじゃない。

 

 地獄を歩み続けると、やがて最後の刻が来た。

 凜然と浮かぶ黄金の異質物『ロス・ゴールド』……。あの日、あの時の再現のように、何かを待つように黄金の杯は浮かび続ける。

 

 ふと気になって自分の身体を見た。俺は『俺』だった。

 あぁ、そうか。またもう一度願わないと行けないのか。

 何を? ——決まっている。夢の再演さ。何故か理解してしまう。願わなければこの地獄から覚めることはないと。

 

 ——■に……も■も……。

 ——『■■』が本当に■■して■れば……。

 ——■■■だ……■■■を■に……。

 

「■■■、■■■■■■■——」

 

 

   ——我が器よ、変革の時は来た——

 

 ——今一度この地獄を生き抜いて見せよ——

 

 

 …………            …………

   ……            ……

 

 

「————ぁぁああああああああ!!!!!!」

 

 未だ聞き慣れない『女の子』の声を聞きながら『俺』は目覚めた。

 視線を下ろす。たゆんたゆん。すごいでかい。

 股関部分を動かす。記憶の形すら曖昧な我が息子はいない。

 

 当然のように——『女の子』として……『レン』としての今日が始まる。

 

「おはよう、レンちゃん。今日もうるさいね♪」

 

 夢の内容は朧げでよくは覚えていない。ただ漠然と不安だったことだけはわかる。

 だがそんな些細な気持ちなんて、青い髪をツインテールで纏めた少女——『アニー・バース』の笑顔を見たら吹き飛んでしまった。

 

「い、いつもうるさいみたいに言うなっ!」

 

「え〜。寝言は大きいし、あの日は絶叫するし、今でも寝ぼけて立ちションして叫ぶし……」

 

「ごめんなさい、それ以上言わないでぇ……!」

 

 最近になってアニーは俺を揶揄うのが、どうも板についてきたのが否めない。マリルの教育が進んでるのか、それともラファエルの罵りがそうさせてるのか……。もしくはド天然か。

 何にせよ、俺の基本的人権は悲しくなるほど尊重されてない。

 

『お前の人権は文字通り私が握ってる。少なくとも保障はしているから安心しろ』

 

「それを胸のスピーカーから言わないで、マリル姉さん……っ」

 

『生意気な口叩くとお偉いさんの仕事増やすぞ〜。今度はどんなCMをやりたい? 私のオススメは『ラストブレイド』というゲームの番宣だ』

 

「そのゲーム、色々と大丈夫?」

 

 俺の記憶が正しければ、時代遅れのCGデザリングとか盗用BGMとか慣性無視の移動とか色々と面白おかしいゲームとしてネットで大喜利状態だった気が……。

 

『例え問題が一つや二つ抱えたところで、お前の可愛い姿なら勝てるぞ。知ってるか、裁判は女の子の涙で勝てる。……仮に敗訴してもSIDの力もあるしな』

 

 史上最悪なフェミニズムなうえに、納税者様の血をそんな些末なことに使うなっ!!

 

『冗談だ。流石に製作者の努力を無為にするほど私も鬼ではないよ。……まぁ、お前の肖像権は既に売っているのだが……』

 

「待て!? 売ったってどういうこと!?」

 

「現在お前をモデルとしたアバターが活躍中だ〜。毛先から下着の色まで再現されてるぞ〜」

 

 この人に人権握られてる時点でダメかもしれない。

 ……悪というのは人種や性別ではなく個人の問題なんだろうか。逆に正義はわからないけど、悪は明白であり即ちマリル也。

 

『くだらない哲学問答考える暇あるなら、とっとと歯を磨いて身嗜みを整えろ』

 

 マリルには例えスピーカー越しでも心中は筒抜けのようだ。

 

「おおぉ〜! おっ、おぉ〜」

 

「おっ〜? おっおっ……おっ?」

 

 そして話題の『ラストブレイド』は、現在イルカとシンチェンが遊んでいるが、何か相当気になるところがあるのか、二人揃って百面相を繰り広げる。

 イルカは純粋に楽しんでいるが、シンチェンは笑顔のまま顔が青くなったり汗を流したりと忙しい。

 

『パンツの色は純白ですわ〜!!!』

 

「その声……っ! 何でソヤがそこにいるんだよっ!?」

 

『伝えてなかったが、近日中に『時空位相波動』についての現段階の情報を元老院で纏めるからな。そのためにSIDのエージェント達を招集している。……そう、全エージェントをな』

 

『だ・か・ら〜……私もいるわよ〜!』

 

「その声はエミリオか……。って、待て! お前も俺のパンツを——」

 

『安心しろ。私と確認した時はノーパンだったぞ』

 

「そもそも見るのを止めろよ、ヴィラァ!」

 

 思わぬ人達が胸元からドンドン聞こえてきて、朝っぱらから心身共々疲れが溜まる。

 だが悲しいことかな、俺の人権はほとんどない。借金娘に保証されるのは最低限の自由と意思だけなのだ。

 

『そういうことだ。新豊州で待機することになるから、1日か2日くらいは会わせるさ。……それにあの子も帰ってくるしな』

 

「あの子……? もしかしてっ!?」

 

「ああ。お前が思う通りの人物だよ」

 

 珍しく優しげに伝えるマリルの声に、自分でも分かるくらい期待に胸を膨らませる。

 

「じゃあさ! パーティしようっ! みんなで歓迎してさっ!」

 

『元よりそのつもりだ。お前たちも異論ないだろ?』

 

 『問題ありませんわ〜』『私も大丈夫♪』『エミがいいならオッケーだ』と三者同様の返答が返ってきた。

 隣で聞いていたアニーも嬉しそうに頬を綻ばせていたが、視界の端では針時計がチクタクと時を刻むのが見える。

 時刻は8時前。それを見て、俺は少し危機感を覚えた。

 

「——あっと、ごめんマリル! 今日は一限目から体育だから急がないといけないんだ!」

 

「そうだった! 早く行こう、レンちゃん!!」

 

『おう、行ってこい。帰りは遅くならないようにな』

 

 

 …………

 ……

 

 

 秋模様真っ盛りな新豊州の通学路を駆け抜けて、俺やアニーが通うお嬢様学校『御桜川女子高等学校』へとたどり着く。

 腕時計を確認すると時刻は8時15分。まだ余裕はあり、これならホームルームのチャイムまでに着替えぐらいは済ませられそうだ。

 

「おはよう、ラファエル!」

 

 校門前に見慣れた黒髪の女生徒が見えた。

 周りとは明らかに雰囲気も服装も異なっている。俺やアニーも含めて御桜川に通う女生徒達は皆が黒のセーラー服を着るというのに、彼女は緑色のブレザーに緑色のコートを羽織ったりと校則違反の塊なのに、それをさも当然のように堂々と歩いている。

 だが彼女に関しては仕方ない。教師も女生徒も相手の立場を知っており、彼女が冷ややかな視線を流すだけで恐怖で身を縮こませる。

 

「おはよう、アニーに女装癖。……何かあった?」

 

 我らのサモントン総督の孫娘、毒舌お嬢様こと『ラファエル・デックス』様だ。唯我独尊の性格が災いして、自国から留学扱いで一時出国された人だ。

 あまりのVIPなのでこんな粗暴な態度など許されるのが、彼女の世間的身分の高さが肌身で理解してしまう。

 

「SIDにエージェントが集まるみたいでさ。エミやヴィラも来てるし、ベアトリーチェとかも戻ってきたりでパーティするんだって」

 

 エミ達の名前を聞いて、何かを探るようにラファエルは表情を強張らせる。

 

「どうした、ラファエル?」

 

「……聴き慣れない名前を聞いたから、思い出してただけよ」

 

 あっ、そっか……! 

 エミはあくまで愛称なんだから伝わるわけないじゃん……!

 

「この女装癖が……。頭の中身は鶏さんかしら」

 

「ご、ごめん……」

 

「別に謝る必要ないわよ。それで誰なの? そのエミって?」

 

 訝しげな顔で詰めてくるラファエル。

 その視線は言い様のない『圧』を感じて、暗に「誤魔化したら分かってるだろう?」と脅迫していた。

 どうしよう……? マサダ事件のこと教えても、エミと俺の深い部分については他言無用だってマリルに言われてる……っ!

 

「エミはあれだ! マサダの聖女様で引っ張りだこの『エミリオ・スウィートライド』の愛称! ほらネットの動画でもエミが両断したのは知ってるだろ!? あれで助けられた縁でねっ! 動画でも俺も被害者の一人で映ってるし!」

 

 とりあえず当たり障りのない部分を伝える。大人は嘘つかない的なアレだ。俺は子供とかそんな小さなことはどうでもいい。

 

「そんなことは知ってるわよ。他には?」

 

「他っ!? ないないっ! エミに関してないよな、アニー!?」

 

「ないと思うよ、多分ない、きっとない」

 

 信頼度ガタ落ちっ!

 

「……ちっ、玉なし変態には言う度胸はないか」

 

 非常に不服そうな顔をしながら、ラファエルは事情を察したのかこれ以上何も言わずに納得したようだ。

 

 しかし、玉なしは現在進行形で事実とはいえ……。

 と思っていたら、ラファエル自身でも下品だと思ったのか少しだけ頬が赤くしてしまい、一つ咳払いをして話を戻す。

 

「ところで! あんた他にも隠してることない?」

 

「それこそないって!」

 

「レンちゃん、それだとさっきの問答が台無しになってる……」

 

「それはもういいわ。で、どうなの?」

 

 ラファエルに言われて少し考えるが他に伝えることもない。強いて言うなら『時空位相波動』云々についてだが、これは校門前で話すことでもないし、そもそもラファエルとも無関係だ。

 

「ないと思う」

 

「そう。……気のせいかしら」

 

「気のせいって?」

 

「アンタが寝付きの悪そうな顔してたから、悪い夢でも見てるんじゃないかと思っただけよ」

 

 その言葉に俺は少し驚いた。

 ま、まさか、俺の表情ってそこまで分かりやすいのか……!?

 

「レンちゃんの心配してたの?」

 

「はっ! 誰がこんな変態女装癖のメイド野郎を心配してるって? 誰が?」

 

「……たまに思うけど、ラファエルって素直なのか天邪鬼なのか分からなくなる」

 

 俺もそう思うよ、アニー。

 だけどラファエルのことだから、心配はしてくれてると思う。

 

「ちょっと寝不足なだけさ。気に病むことじゃない」

 

「心配してないって言ってるでしょ? 心配するならアンタの成績よ。今日、美術の授業もあるんでしょ」

 

「…………さて、今日のログインボーナスは……」

 

「ふっ、哀れね。私に泣いて縋るのが目に見えるわ」

 

 すいません、ラファエル先輩。ものすごい忘れてました。

 本当は勉強するはずだったのに……なんで忘れたんだ?

 確か「美術観点は興味のあるものから発想が得るのが基本」とかラファエルが言ってくれて、それでラファエルと協力してブロッククラフトを始めて……。

 

 

 …………

 ……

 

 

 ——《平地作業が遅いッ! あんた普段右手を何に使ってるの?》

 ——《ななな、ナニって!? 何ですか!?》

 

 ——《これが中世ヨーロッパの街並みの再現よ》

 ——《なるほど……。こういうゲームだと中も自分で作るから理解が深まる気がする》

 ——《まだよ。これから壁画の再現もするんだから。……ちっ、建築物の大きさとドット数の都合で精巧な出来は期待しないほうが良さそうね》

 ——《えっ、まだ続くの?》

 

 ——《あのぉ……そろそろ勉強……》

 ——《私の芸術に終わりはないっ!!》

 

 ——《もう午前3時か。明日は学校もあるしお開きね》

 ——《ふぁぁ〜……。……ぅん、んっ……? おやすみぃ……》

 

 

 ……

 …………

 

 

「………………ところでさ、昨日さ、ラファエルとさ、ゲームしたんだけどさ」

 

「ぅ——。よ、予鈴がもうすぐよ。自分のクラスに行きなさい、ブルマ野郎っ」

 

 ……お前が犯人じゃん。

 

 

 

 ——昼休み。

 

「女装癖。今日、購買でレインボーパンというキナ臭い新商品出たそうよ?」

 

「このお嬢様なんでも食うな……」

 

 そして当然のように下級生のクラスに入ってくる。

 ラファエルの制服は他の生徒とは違うというのに、もはや見慣れすぎて誰も気にも留めない。

 

「あれは見た目からしてセンスが壊滅してるのが分かるから買わなかったわよ。今日は無難に焼きそばパン」

 

 すでにそれが俺のイメージするVIP級お嬢様からかけ離れてる。

 ……そもそも焼きそばパンって花の女子高生が買うものか……? いや、現在進行形で女の子してる俺だってカツサンドとオレンジジュースだけどね。

 

「レンちゃん、教室前でニュクス先輩が呼んでるよ」

 

 アニーに言われて教室の外を見る。

 そこには長い紫色の髪を靡かせながら、まるで一枚の絵画のように廊下の窓辺に佇むニュクス先輩がいた。

 

「ふんっ。……早く行ってやれば」

 

「お、おう」

 

 若干ラファエルが不機嫌そうだが、行かないとそれ以上に不機嫌になりそうなので迅速に向かう。

 

「ごきげんよう、レンさん」

 

「おはようございます、ニュクス先輩。どうしたんですか?」

 

「この学校に慣れたのかなぁ〜、って先輩風吹かしにきたのとパーティのご招待をね」

 

 ……パーティのご招待?

 

「ごめんなさい。近日中ならアニー達と一緒に歓迎会みたいなものが……」

 

「その歓迎会が私が招待するパーティです。……SIDの協力でいくつか返還されたストラツッティ家の資産ですので、情報漏洩などは心配しなくて大丈夫ですよ」

 

 ああ、なるほど。考えれば、あの家で全員入るのは狭すぎる。

 アニー、ラファエル、イルカ、シンチェン、マリル、愛衣、etc……。思いついた顔を次々と浮かべる。

 …………合計で10人は超えるな。そこまでの考えが回っていなかった。

 

「本当は私も参加したいところですけど、ボディガードのこともあり当日は来れませんので……どうぞ、好きに使ってください」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「——私は行かないわよ」

 

 敵意の籠もったラファエルの声だ。

 振り返ると、駄作と呼ぶ作品を見る時の目つきよりも鋭くニュクスを睨んでいる。

 

「そんな血生臭い女のとこに、私は行かない」

 

「今回は純粋な好意です。……あなたがそういうと思いもあって、私は欠席してるのですから遠慮はいりません」

 

「ちっ、貞淑に振る舞いやがって。施しなんて受けないわよ。……レン、先に謝っとく。今回は私のワガママで欠席させてもらうわ」

 

 申し訳ない顔をしてラファエルは教室から出ていく。

 引きずる性格ではないとは思うけど、放課後にでも遊びに行って気分転換したほうがいいかもなぁ……。

 もしかしたら機嫌を直して来てくれるかもしれない。

 

「ごめんなさいね。私のせいで機嫌損ねたみたいで」

 

「大丈夫です。俺からも謝っておきますから」

 

「ふふ、ありがとう。……あと口調は直したほうが良くってよ」

 

 男だから意識して直すの難しいです。

 

 

 …………

 ……

 

 

 ——放課後。

 

「ラファエル! どっか遊びに行こう!!」

 

「……しょうもないところに行ったらただじゃ済まないわよ」

 

 う〜〜ん、従来偏屈・偏食・偏頭痛疑惑のトリニティ偏なお嬢様だけど、ここまでご機嫌斜めなのも珍しい。

 これは相当お怒りな感じだ。初めて見るかもしれない。

 

「——アンタ、私に失礼なこと考えてる?」

 

「考えてない! 考えてない!」

 

 エミとかもそうだけど、読心術紛いなことされると、俺ってそんなに顔に出やすいのかと思ってしまう。

 

「ふん。なら近辺にストレス解消できる場所とか知ってる?」

 

「ええっと……。ゲーセンだろ? それに銭湯、ボウリング、ネカフェ、ゲーセン、ラーメン屋、焼肉屋、ゲーセン、カラオケ、ゲーセン……」

 

 アニーから「レンちゃん、ゲーセンが4つある!」とツッコミが入るけど、舐めてもらっては困る。ゲーセンはゲーセンでもレパートリーが違う。格ゲー特化もあれば、キャッチャーゲーム特化、シューティング特化、中にはホカホカ弁当自販機もあって飲食スペース完備のとこさえある。

 

「チョイスが全部男臭い。デートプランの才能ないんじゃない? 仮にもサモントン総督の孫娘相手に、お前は庶民の食事を勧める? ……けど悪くないわね。褒めてあげる」

 

「マジ?」

 

「マジよ。ラーメン屋……ちょうどいい。やけ食いでもしたい気分だったのよ」

 

「ラファエル! それは乙女の敵だよっ!!」

 

「ストレスも乙女の敵だけど……。安心しなさい、その分夜は抜くから。女装癖、アンタのオススメは?」

 

「麺によって変わるしな……。好きな味は豚骨ベースだけど、細麺だと背脂系のバリカタ、太麺だと魚介出汁の効いた縮れ麺とか……」

 

 店によっては醤油ベースにしたり、つけ麺にしたりとラーメン道は奥が深いのだ。

 

「あっそ、ありがとう。アニーも来るでしょう?」

 

「ラーメンか……。——いいねっ! 私も久しぶりにガッツリといこうっ!」

 

「そのあとバッティングセンターにでも行ってさ」と俺達は会話に華を咲かせながら、新豊州の商業地区へと足を運ぶ。

 女の子になってから自分の胃のキャパシティは把握済みだ。男の時だったら大盛り・替え玉・ライス・餃子付きでも食い切れたが、今だとこのうち二つ抜かないといけない。

 だとしたら考えなければいけないのはバランスだ。

 

「おっ。レンちゃんが真面目な顔してる」

 

「どうせメニューでも考えてるのよ」

 

 お気に入りのラーメン屋の前に来た。今時立て看板なのが、店主の麺に対する自信を裏付ける。

 やはりここは王道の替え玉+餃子か。それともライス+餃子か。もしくは麺一色で楽しむために大盛り+替え玉か。

 だけど、今から入る店は餃子の味付けが深く、柚子胡椒で食べるのがたまらない。非常に悩む。

 

「でさ、俺がゲーセン行ったらアーケードの記録が……」

 

 聞き覚えのある声。振り返ると、懐かしさが込み上げる連中がそこに来ていた。

 

「おっ、おまえら——」

 

 ——声をかけようとした直後、ふと思い出した。俺は面識があっても、あいつらは『俺』の面識がないことを。

 今の俺が奇怪な行動をしたように見えたのだろう。俺が声を掛けようとした数人の男達は、怪訝な目をして横を通り過ぎて行き、人混みの中に消えていく。

 

「……知り合いじゃなかったの?」

 

「……知り合いだよ。……知り合いだったんだよ」

 

 その返答にアニーは察したようだ。俺から視線を外し、足早で券売機前で考え込んでいるラファエルのところへと向かう。

 

 さっき見たのは俺が『男だった頃のクラスメイト』だ。

 元々いた学校では単位制のうえに課外授業が多く、クラスメイトと同じ授業を受けることは多くはなかった。入学仕立てで友好関係もそこまで深くないけど、休みに入れば一緒にゲーセンやボウリングだってしたんだ。

 

 仕方ないとはいえ『俺』が俺として気づかれなかった。ただ正直自分でも驚いたことがある。

 いつも「俺は男だ」と言っていて、男とバレそうになると誤魔化してるくせに、いざこういう状況になるとホッともしないし寂しくも感じないことに。

 

 自分が女の子……というより『レン』として生きてるのが当然になってるのが今改めて感じた。

 

「……うん、俺は俺だ。レンでもいいさ」

 

「女装癖! アンタは何にする?」

 

 だって、こうして『レン』として生きてる『俺』を受け入れてくれる新しい友達がいるんだ。名残惜しさも当然ある。だが今はそんなことは忘れよう。今日の夢みたいに。

 

「じゃあ、替え玉付き背脂マシマシ豚骨チャーシュー大盛り! ラファエルの奢りで!」

 

「昼時に寝言を言うな」

 

 なんてラファエルお嬢様から、いつもの辛口を言われて奥の席に向かおうとすると——。

 

「あへ?(ずずっ) んっ……レンお姉ちゃん、久しぶり〜!」

 

 カウンターの陰に隠れてラーメンを啜る金髪の少女と出会う。

 第二学園都市『ニューモリダス』の理事会メンバーの一人娘、『スクルド・エクスロッド』がそこにいた。



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第3節 〜波乱〜

「スクルドっ!? あれっ、えっ、どうしてっ? というかメイドのファビオラはっ!?」

 

「邪魔だから置いてきちゃった♪ ファビオラって「豚骨ラーメンは毒です。邪道です」とか言って私に勧めないんだもん♪ …………それにファビオラの料理は、あれだからね……」

 

「うわー、この子フリーダムっ」とアニーは気の抜けたツッコミを入れる。

 

「でも置いてきたかいがあったよ! ここのラーメンすごく美味しい! ……あっ、お忍びナウだからファビオラには内緒ね」

 

 確かにいつか見たお人形に着せるような薄黒いガウンではなく、白のシャツの上に青いワンピースに着て、これまた青い帽子を被ったりとオシャレながらも目立ちにくい色合いだ。

 だが、彼女自体が持つ精霊のように神聖で愛嬌がある雰囲気は、素朴な服装に反してより一層際立っても見える。

 

「それで、今日はどんな用事で新豊州に戻ってきたんだ? 例のアレか?」

 

 さすがに一般客が入り混じって会話も聞こえやすいなかで、SIDの情報を漏らすほど俺の口も軽くはない。

 だがスクルドには伝わるであろうニュアンスで聞いてみたが、本人は頭に「?」と疑問符を浮かべる表情でラーメンを啜り続ける。

 

「Sが頭につくアレ」

 

「——それか。違うよ、新豊州に来たのは別件」

 

「そっか。じゃあパーティに誘えないか」

 

「バッドタイミングだね、そんな余裕ないや……。今も優先度低い用事ほっぽり出して来てるんだし」

 

 ほっぽるな、ほっぽるな。

 いくら可愛くても許されないこともある。

 

「でも仕方ないよね! ここのラーメン屋、前にレンお姉ちゃんから勧められたお店だし!」

 

 あぁ^〜、でも俺なら許しちゃう^〜。

 そうだよな! 子供相手に時間の束縛はしちゃいけないよな〜!

 

「レンちゃん特有のキモいオーラ出てる……」

 

「ロリコンの上に女装野郎よ。キモいのが当然じゃない」

 

「あー、あー。聞こえなーいっ」

 

「だけど残念。人と会う用事は山ほどあるから餃子は食べれなかった」

 

「また今度来ればいいじゃん。ファビオラも説得すれば渋々来てくれるって」

 

「——そうだね。今度来た時に……ね♪」

 

 どこか神妙な顔つきをしたかと思えば、年相応の無垢な笑顔を見せてスクルドは店から出て行く。

 直後、店外から「私の視界から離れないでくださいと何度も——!」とピンク髪赤縁メガネことファビオラの愛ある怒号が聞こえてきた。

 どうやらお忍びは失敗に終わったらしい。

 

「俺の分買ってくれた?」

 

「悩んでたみたいだから替え玉、ライス、餃子とか全部買っといたわよ」

 

「そんなに食えないよっ!? 廃棄前提なら世論が黙ってないぞっ!」

 

「そうだよっ! レンちゃんをフォアグラにしないで!」

 

 俺をアヒルの詰め物で例えないでください、アニーさん。

 

「あんたが食べ切れないのは想定内だし廃棄もさせない。食べ切れなかった分を私が貰ってあげるというシェア精神よ。些か不衛生だけど、食品を捨てるよりかは衛生的でしょ?」

 

 おお、世界最大の食料輸出国責任者の孫娘なだけあって、なんとも合理的で魅力的な提案。

 アニーが「料理シェアでも世論がうるさいよ」と言っているが、唯我独尊のお嬢様にはそんな言葉なんて完全耐性で弾く。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて〜。……だけど普通に半分こにしないのか?」

 

「いいのよ。私だって自分の分を堪能したいし。あんたが食べ切れなかった分を貰えるだけでシェアとしては十分なのよ」

 

 そういうものか。……そういうもんかも。

 

 

 …………

 ……

 

 

 ——同時刻、SID本部。

 

 レン達が和気藹々と街を巡る呑気な声を聞きながら、黒い軍服に身を包んだ赤髪の女性マリルは、元々威厳ある顔つきが鬼を殺す勢いで更に険しくなる。

 

「あのバカ共が……。人の気も知らんで……」

 

「いいじゃないですか。マスターが年相応の遊びを楽しむのは嬉しいことですよ。むしろわたくしのように大らかに解放して、うら若き高校生活をさせるのも一興では?」

 

「お前は解放しすぎだ。さっさと服を着ろ」

 

 不服そうな顔をしながらもスレンダーで非常に整った容姿を持つ金髪の女性ハインリッヒは、一糸纏わぬ姿から一瞬にして下着が見え隠れする薄手のシャツと太腿を見せびらかすショートパンツスタイルに切り替わる。

 

「いや……もう少しTPOを弁えろ」

 

「これでも言いますか。しょうがないですね」

 

 ため息をつきながら、ハインリッヒは今度はカッターシャツっぽい白いブラウスに黒いレギンスといったビジウスウーマンスタイルへと早変わりした。

 マリルもそれに納得したのだろう。「うむ」と小さく頷き、周りを見渡す。

 この場にいるのはマリルとハインリッヒを合わせて合計四名。

 

 一人はタブレット上に出ている何かしらのデータを、メガネ越しに見ては自分を抱くように悦に浸る銀髪の小柄な女性『愛衣』——。

 もう一人は同じくタブレット上で、撮影(もしくは盗撮)した成果をスライドショーで流すレンの画像を見て、同じく自分を思考へと想いを馳せて悦に浸る銀髪の少女『ソヤ・エンジェルス』——。

 

 マリルは目眩と頭痛を覚えそうになった。

 

「「失礼します」」

 

「エミリオ・スウィートライド、並びにヴィラ・ヴァルキューレ。基礎身体訓練を終えて、ただいま戻りました」

 

「よしよし。軍人上がりの格式張った挨拶はいいな。私がまともなのだと実感させてくれる」

 

 マリルの言葉の意味もわからず、疑問符を表情に出すエミリオとヴィラ。二人が理解する日はそう遠くない。

 

「ここは前職と違い、そこまで固くならなくていい。レンみたいに大口開けて眠らずに話を聞いてくれれば、お咎めもせんさ」

 

「レンちゃんって、そこまで呑気というか緊張感ないんですか……」

 

「あいつにとって、校長の話と私の定期ブリーフィングは子守唄なんだろうよ。悪気はないし根は良い子だ。皆が保証する」

 

「そんなこと分かっていますよ」とエミリオは笑顔で言い、準備されていたパイプ椅子へとヴィラと共に隣り合わせに座る。

 

「マリルさんもラファエルさんと同じく面白い匂いをしてますわ〜〜〜っ! ……だというのに、わたくしにはあんな乱暴な——」

 

「話が進まんから黙れ。それではブリーフィングを始める」

 

 懐から取り出した資料を丸め込み、わりと本気の勢いでマリルはソヤの脳天を叩く。

「い、ったい、ですわぁ〜〜〜!!!」と痛みを訴えるが、その声は艶やかな嬌声も入り混じっており「愛衣よりヤバいやつかも知れん」ともマリルは思うがひとまず置いておくことにした。

 

「おはようございます、ハインリッヒさん。ほらヴィラも」

 

「……おはようございますっ」

 

「ふふっ。マサダブルクでの話は聞きましたわよ。わたくしはハインリッヒ・クンラート、今後ともマスター共々よろしくお願いします」

 

「マスター」という単語にエミリオとヴィラは再び疑問を表情に浮かばせる。

「マスターとはマリルのことか?」とヴィラは聞くが、ハインリッヒは顔を横に振る。「レンちゃんのことかしら」とエミリオが聞くと、今度は顔を縦に振った。

 ならば次に浮かぶ疑問はこれだ。エミリオとヴィラは同時に問う。「どうしてレンちゃんをマスターと呼ぶの」「どうしてバカをマスターと呼ぶ」

 

「ふふっ。それはもちろん、この世の中で、わたくしの身体、力、精神、すべてをマスターの力で合成されたからですわ」

 

 ハインリッヒの答えは常人では意味不明な羅列のオンパレードでしかなかった。

 エミリオとヴィラは再び疑問を表情に浮かばせて、互いに目を合わせる。「意味がわからん」「私も」——視線を合わせるだけで二人の会話が成立していた。

 

「SIDのエージェントになったんだ。エミリオとヴィラには日を改めて『錬金術』について教えてやる。とっととブリーフィングを始めるぞ!」

 

 有無を言わさぬマリルの怒号に、この場にいる全員が危機感を感じたのだろう。場は一気に静寂に包まれ、マリルの咳払い一つですらやけに耳に響く。

 

「今回集まってもらったのは、いくつか理由がある。愛衣は既に知っているが、近日中に元老院に『時空位相波動』について今一度情報を共有しなければならない。そこでいくつか君たちの意見も尋ねたいところではあるのが——それよりも「なぜ『時空位相波動』について元老院と改めて情報共有する必要性」という点に関して説明させてもらう。君たちの指標にも関わることだ」

 

 マリルの言葉に今までの空気は嘘のように消え、部屋全体が重苦しくなる。

 

「実はここ数日前から新豊州が所有する海域にて『時空位相波動』の前兆らしき波長を検知している。あくまで前兆の上に、反応自体も非常に些細で微弱なものだ。……だが問題はその範囲なんだ。その範囲は、SIDでも観測史上最大であり、その範囲は現段階で——『半径30キロメートル』にも及ぶ。これは新豊州市が持つXK級異質物【イージス】の絶対防御フィールドの35キロメートルに匹敵しかねない大規模な物だ。本格的に活動を始めたら規模はさらに拡大し、新豊州全域を呑み込みかねない」

 

 驚異的な大きさを誇ることに一同は各々反応を示す。

 

 愛衣はマリルの言葉を聞きながらタブレットに真剣に見つめ、ペン回しをする。

 ソヤは手を顎に添えて目を伏せて考え事に更け込む。

 ハインリッヒは口を噤んで静かにマリルを見つける。まるで話の続きを急かすかのように。

 エミリオとヴィラは、自分達の理解が及びない物であることからイマイチ理解しにくいが、三者三様の反応から只事ではないことだけは察していた。

 

「衛星写真で確認したところ範囲内に人が住めるような島々は存在しない……。となると、今回の『時空位相波動』については従来とはおかしな点がいくつか見受けられてしまう」

 

「愛衣、説明を頼む」と一度教鞭を置き、マリルは愛衣に自分の下へ来るよう指示する。

 

「それでは戦術研究部主任である私から説明させていただきます。『時空位相波動』というものは、『異質物』が特定の条件を満たすことで反応を起こし時空位相……つまりは世界の概念自体を揺らがせるものです。この『特定の条件』というものは……さてエミリオ・スウィートライドさん♡ ここからは予習の成果を聞こうかしら~~~」

 

 最初は真面目で責任ある立場の気品を漂わせた愛衣だったが、最後には一仕事を終えたかのように満足して猫撫で声でエミリオへと話を続かせる。

 

「はい! ……諸説ありますがSIDはこの条件を『人間がどういう形であれ干渉する』ことを暫定としています。これにより異質物から影響を受けた人間を『魔女』と呼称しており、この影響を受け心身を暴走状態となった存在を『ドール』と呼ぶ……で、間違ってないでしょうか?」

 

「大体正解♡ じゃあ続いてヴィラちゃんに問います。ここでマリルが問いたい『おかしな点』とは?」

 

「はい! ……今回問題が発生する海域では人が住める島々が存在しない……。つまり異質物に接触する人間がいない以上、異質物は『時空位相波動を発生させることができない』ということです」

 

「はい正解。これについて私はある仮説を立てました。——『人間ではなく、知生体に接触することで反応する』こともありうるのではないかと。これについて反論などは」

 

 すぐにハインリッヒは挙手した。

 

「その説はありえないかと。これまでの位相波動が、学園都市や他国の首都に非常に多く発生しているものと矛盾してしまいます。仮に知生体に反応するのであれば、位相波動は野生生物が生息する熱帯雨林もそうですし、そもそもとして地球の割合の都合上『海』にて発生する可能性が最も高くなります。しかし海に発生したことは、今まで一度たりともない」

 

「私もマリルに似た事言われたよ。……だとしたら、この海域に『人間が生存』できる領域があるということになるんだよね。それってさ……」

 

 愛衣の言葉にハインリッヒは眉をひそめる。しかしすぐさま彼女は表情を崩すと笑みを浮かべながら告げた。

 

「『アトランティス』などと呼ぶものが存在するとでも?」

 

「おや、稀代の錬金術師が否定するのかい?」

 

「『アトランティス』は存在していますよ。ただ新豊州の座標からして、その海域に実在することはない」

 

 彼女の自信を持った口調にマリルは問う。「確信を持っているな」

 

「だってアトランティスは……第三のセフィロス——『理解』を司る場所ですから。詳しい場所も深度もお答えしましょうか?」

 

「結構だ。ならば他に思い当たる海底都市はあるか?」

 

「……『あの方』が言っていた海底都市が本当にあるのなら、1つ思い当たる節があります。ですが、それこそ有り得ない。場所も違いますし、何より真理に近づかねば見えない入り口さえ、今の技術では捉えること自体が不可能ですわ」

 

「現に……ねぇ?」とハインリッヒは口角を上げ、悪戯な微笑みをマリルに向ける。彼女が言いたいことをマリルは理解している。

 

 思い出すのは方舟基地での出来事。青金石柱からハインリッヒが出現した直後、レン達は『因果の狭間』と呼ばれる異空間に転移し、その後南極にて発見された。彼女が言いたいのはそれのことだ。

『因果の狭間』にいた間、通信のビーコンは完全に途絶していた。それは言い換えれば観測できない領域にいたということ。ハインリッヒが言う『真理に近づかなければ見えない入り口』とは『因果の狭間』で間違いはない。

 

「だがそういうことなら」とマリルはある推論を立てたが、それはあまりにも危険が伴う上に現段階では実行する意味がない、という結論に達して赤い髪を掻き毟る。

 

「まあマスターがご自分の力を完全に理解し制御できるようであれば、わたくしみたいな者でも到達できるとは思いますが」

 

「必要ない。話を続けるぞ」

 

「わかりました」

 

 その推論を堂々と口にするあたり、このハインリッヒの性根というか思考は中々に狂っている。

 仮にもマスターと呼ぶべきレンを危険に晒すというのに、自身の探究心を満たそうと模索する根性は、愛衣のマッドサイエンティスト気質とはまた別の方向で極まっている。これでレンに関しては自分を度外視して第一に考えるあたり尚更質が悪い。

 

「……でしたら衛星写真の不備で観測できてない島々があるというのはどうでしょうか。不備と言っても技術や点検の問題ではなく、地球の磁力による電波障害などを推しますが」

 

「説として提唱するには妥当だな。だがここは新豊州……大陸プレートによる頻発な地震はともかく、磁場による電波障害など記録に多くない。あっても数十秒の問題で、それが衛星が通りかかる時に偶然重なって起きて、今の今まで島を捉えることができなかったということが可能か? アトランティスを見つけるより難しいだろうよ」

 

「同意しますわ。自分でもありえないとは思っておりましたので。だとすれば、残る推論はただ一つ」

 

「私が思い立った仮説と同じだろうよ。つまり——」

 

 ——時空位相波動によって『都市そのもの』が空間転移してきた。

 

 マリルとハインリッヒから告げられた仮説は周囲に緊張が走らせた。

 息を飲むたびに緊張の糸は張り詰めていき、やがてソヤが呟く。「でしたら」

 

「……その仮説には一つの条件が生まれますわね。必ず世界のどこかに、同じく半径30キロメートルにも及ぶ『時空位相波動』の前兆が観測されてなければなりませんわ」

 

「……だからマリルは個人の仮定で終わらせたのでしょう」

 

「ああ、そうさ。世界中を隈なく探したが、そんな反応どこにもなかった」

 

 エミリオとヴィラは推論の数々に唾を飲む。傭兵時代にいくつか経験したとはいえ、『時空位相波動』の専門的な意見をを聞くのは初めてなのだ。自分達では把握しきれていない実態や、想像もしていない仮説の数々には自分達が今まで世界事情とは離れた存在であったのかを実感させる。

 

 同時にこんな緊迫とした状況でも寝ることもあるレンを想像し、改めて緊張感がない少女だと二人は認識していた。

 

「だとしたらなぜ……?」

 

 エミリオの疑問に愛衣が答えた。「これで最初に戻るんだよね」

 

「前例がないから元老院もSIDも対処に困ってる。だから各々で有力な仮説を立てる必要が生まれたんだ」

 

「どんな頓珍漢な意見でも構わん。どうせ机上の空論は付き纏う。……たくっ、こんな時期に異質物も面倒を起こして……」

 

「方舟基地での実験第二弾が予定してるからねぇ。デックス博士も新しく代表を呼ぼうとしてる時期なのにタイミングが悪いったらありゃしない」

 

 不機嫌なマリルに、愛衣は気の抜けた声で言う。隣の芝生は青い、というやつだ。

 愛衣にとってはマリルの頭痛の種など割とどうでもいい。それがSIDの長官を任されてるマリルの立場であり責任なのだから。愛衣の加虐性は底はないのだ。誰であろうと、人が悩む姿は悦に浸れる。ヤバイ、笑みが溢れる。

 

 そんなだらしがない愛衣の表情を見て、エミリオとヴィラのこれでもかとドン引きした。ついでにそんな愛衣の捻れた感情を理解したソヤも酷い顔をしており、そちらにも二人はドン引きした。

 

「この場でまともなのは、私とヴィラとマリルさんとハインリッヒさんしかいないのでは」と思い、エミリオはハインリッヒの方を振り返ると、何故か少しずつ服が量子化して全裸になりかけてる金髪の変態がそこにいた。

 ヴィラは理解が追いつかず思考停止するなか、エミリオは「何故服が?」と問う。金髪の変態は量子化した服を元に戻しつつ言った。「考える時は裸の方が集中しやすいので、つい癖で」と。

 

 とうとうエミリオも思考停止し、ある結論に至った。

 ——もしかしてレンちゃんが寝る理由は、現実逃避の一環だったのではないかと。



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第4節 〜朝凪〜

 ラファエル達と商業区で遊び倒してから数日後。

 

 うらら〜、な気分で腕時計を確認する。時刻は午前九時半。

 俺は駅前にあるカフェで、眠気覚ましにコーヒー(砂糖入り)を飲んで日光浴をしていた。

 

 今日は平日なのだが、諸事情あって学校は本日欠席としている。

 理由は当然SIDの任務だ。任務内容は重大なのだが、俺の役割は重要じゃない。誰かの偵察や諜報活動というわけでもなく、現段階では護衛というのが最適だろう。

 ……その護衛対象は、ここで落ち合う予定だ。セキュリティも何もないが、別に来るのは大統領や官僚ではない。ましてや国宝級科学者でもない。

 ……いや、立場はともかく中身は国宝級かも。ハインリッヒからたま〜に神秘学や錬金術の話を聞くし、ラファエルからも生物学なども教えてもらっているが、未だにあの時の会話が1ミクロンも理解できていない。本当にあれは地球の言葉なのだろうか。もしくは俺の脳味噌はラファエルの言う通り「おサルさんレベル」なのだろうか。自信無くす。

 

「お久しぶりですね、レンさん」

 

「おはよう、久しぶ……りッ!?」

 

 後方から懐かしい声が聞こえて振り返る。

 だが俺が見たの物は、想像を遥かに超えていた。

 

「どうしました?」

 

「………」

 

 久方ぶりに会う黒髪の彼女は、雪のように白いワンピースと肌はそのままに、どこか活発的な雰囲気を宿らせていた。

 理由は簡単だ。彼女のミステリアス×クレバーな雰囲気からは想像つかないアグレッシブ×スポーティな自転車が彼女の横にあるのだ。さらに彼女が抱える大容量のリュックサック。

 どう見てもアウトドア系なのだが、その中でもアスリートなどのエキスパート御用達の本格系だったのだ。文学少女である彼女が与える印象とは正反対である。

 

「その自転車は?」

 

「これですか? アニーさんから勧められたクロスバイクです。某有名スポーツメーカーでオーダーメイドしたもので、お値段は自動車と差はないぐらいですよ」

 

 煌々とした目で俺を見る。「どうですか!?」と言わんばかりの自慢げであり、ネタバレをしたくて堪らない子供のような感じ。

 そんな彼女に魅了されて、もっと新鮮な姿が見たいと思い質問をする。

 

「どうして買ったの?」

 

「見聞を広げるために世界中を見に行ってましたが、やはりバスやタクシーだけだと限界な部分もありまして……。リハビリにも丁度良いですし、移動手段としてこう……ポチッと」

 

「ポチったの!?」

 

「はい。通販サイトが取り扱う商品も多様性に溢れてて、タブレットも19年前とは比較にならないくらい高性能で……特にメモリがいいです。これで複雑な計算や証明を記述するのに表計算を複数立ち上げても落ちませんし、バックドアや外部ハッキングなどによる情報漏洩も対策も万全で……」

 

 ン?

 

「デザインも中々に利便性特化で……。最初は大型化していて持ち辛さを懸念していましたが、触れてみるとそもそも厚さ自体が薄くなっているため軽くて無駄な要素も排除して画面が大きくなっていて……。しかも対応する外部デバイスの対応数も多種多様……ほぼ全てのプラグ対応するのは中々に凄いですよ。音声機器や映像機器もそうですけどエフェクターなども拡張性が高くなっていて、今や直列繋ぎを20個以上してもノイズが発生しないんですよ?」

 

 キキッ??

 

「ですが悲しいことも多かったです……。私が眠る19年の間に七年戦争があり世界情勢は様変わり……。六大学園都市でさえサモントン以外では、農作物を作ろうにも『黒糸病』が常に付き纏っていて、食料問題は世界各国で問題が起き、それに伴う慢性的な戦争も見てきました……。ですが、悲しいだけではありません。現在枯れかけた大地でも問題なく発育できる品種改良した『ポマト』や『キャメロット』というものが開発中なんです。特にこの『キャメロット』……あっ由来はニンジンとメロンの遺伝子組み換えで生まれたものなんですが、理論的には気候・条件を問わず栽培が可能なんです。ニンジンに含まれているカロテンのおかげか『黒糸病』が発生するリスクも他の農作物と比べれば数値上5%も低いんですよ? まさしくアーサー王伝説の登場するにふさわしい名であって……ここまで期待が膨らむといつかはたどり着きたいですね、理想郷に。……とはいっても今のままだと味の問題が付き纏うのと、そもそも研究機関の政治的保障が薄いので頓挫する未来も見えているのですが……」

 

 ウキキッ???

 

「おサルさんには難しかったですか?」

 

「酷くないっ!!? 俺のEDUいくつにされてるの!?」

 

 最低値かっ!? 3d6の最低値なのかっ!?

 

「ごめんなさい。ラファエルさんと口論する時の必死さが大好きで、ついイタズラをしちゃいました。レンさんのそういう男の子っぽいところ、好きですよ」

 

 いや、ラファエルとは口論じゃない。敗北確定のワンサイドゲームもしくは公開リンチなんですけど。あと、そういう意味じゃないのが分かっていても「好き」という言葉にむず痒くなる。

 

 などと色々思うが、彼女の微笑を見てしまうとどうでもよくなる。

 それほどまでに楽しそうで、どこか儚げで、なぜか悲しそうで、だけど温かな彼女の笑顔にときめいてしまった。

 

 まるで、霜が溶けて春が訪れた花のようで。

 彼女も少しずつ、ほんの少しずつ、例えその一歩が小さくても確かに歩み出そうとしている。

 真っ白になってしまったキャンバスに、色をつけるように。これからの彼女の人生は少しずつ鮮やかになっていくのだろう。

 

「じゃあ、行こうか。——『バイジュウ』」

 

「はい。旅先でのお話、いっぱい持ってきましたから。…………あとお土産も」

 

 照れ臭そうにリュックサックを叩く彼女を見て、俺も思わずマリルのような意地が悪そうな笑い方をしてしまった。

 多分、マリルがたまに……いや頻繁に俺を見て笑うのはこれが理由の一つなのだろう。頑張った彼女が誇らしげなのが、我が事みたいに嬉しくなってしまう。

 こんな幸せをいつまでも独占しちゃいけない。早く行こう、マリル達のいるところへ。

 

 

 …………

 ……

 

 

 幸いにもバイジュウが購入していたクロスバイクは折りたたみ式だったこともあり、問題なく電車に乗れた。

 電車から降りた後は徒歩で目的地に向かうのだが、重装備のバイジュウを見るのは流石に忍びなく俺はリュックサックを背負うことにした。クロスバイクは高級品のうえ扱いを知らないので俺が持つのは怖い。

 

「……やっぱり重くないですか?」

 

「い、い、いやいやっ! 大丈夫っ、これくらいっ!」

 

 なんだこのリュックサック。持ってみると見た目以上に重い。持つ分には問題ないのだが……。

 

「何入ってるの?」

 

「ええと……ラファエルさん用に《宗教思想と偶像崇拝の裏表》。ハインリッヒさん用に《宇宙開拓論文》と《絶対性量子力学の空想理論》。アニーさん用の《人体力学の可能性》。レンさんには《電子機器による思考領域拡張》。他SIDの皆様と共有で地域名物の菓子や、自分用の参考書、辞典、論文、タブレット、などなど……」

 

「おサルさんにはわからない内容だらけだぁ……」

 

 今日から文明人やめたほうがいいのかな……。

 

「……あとはちょっと早いクリスマスプレゼントとか」

 

「——そっか」

 

 思い出すのは腕時計にあった録音ボイス。彼女の親友が残したものだ。

 内容は重要なものじゃない。秘匿すべき情報もない。

 あるのは一人の女の子が、親友に我が儘を言うだけのなんてことない日常。ただそれだけ。

 だけど同時にそれしかない。だからこそ大事にしなきゃいけない大切なモノ。

 

「目的地はここの海岸沿いの道路を歩いて行くんですよね?」

 

「そうなんだけど……あっ」

 

 見えた、今回の目的地であるニュクスの別荘。

 いかにも別荘ですよ、と主張せんばかりの王道的なログハウス。…………が何故か数軒。というか……。

 

「……つまりこれ全部?」

 

 恐る恐る振り返る。

 あらま白い砂浜。果てまで煌く青い海。

 

 ……マジすか。

 

「これ全部……ニュクスの所有地なのっ!!?」

 

 どう見ても企業運営できるリゾート施設なんですけど!?

 これ全部私的利用の所有地なの!? さすがにシーズンになったら一般解放したりして貸すくらいはするよね!!?

 

「水着持ってきてませんけど、ワンピースでも大丈夫でしょうか? あと顔が青ざめて痙攣してますが日射病ですか?」

 

「海には嫌な思い出があるだけ……」

 

 水着溶解事件は二度とごめんだ。ラファエルがいない以上、あの水着しかないだろうし、絶対断固拒否。男の尊厳をかなぐり捨ててでも阻止して見せる。私は生娘なのですわ。

 しかし、間近で見るとここまで広いなんて……。諦念の境地に達して砂浜を見渡す。

 オーシャンビューとして最高だ。そして最高に開放的だ。だけど最悪に開放的な人物がいることに気づいた。

 

「何で裸族になってるのっ、ハインリッヒぃぃぃいいいいいいい!!?」

 

 魂の叫びがこだまする。それに気づいたであろう豆粒サイズのハインリッヒは、こちらに手を振ってくれた。遠すぎて見えないのが幸いだ。その……色々と。

 

 目を凝らすと、他にもチラホラと見覚えのある人物が確認できた。

 あの特徴的なピンク髪とヘソだしトップスの露出過多なセンスは間違いなくエミリオだ。頭部にサングラスをかけていて随分楽しげな雰囲気。となると隣にいる似た雰囲気の銀髪がヴィラか。姉妹コーデみたいなのだろうか。イマイチこういうのは把握しきれない。

 

 ビーチパラソルの影で、サングラスをかけてタブレットに向き合っているのは愛衣で確定。

 あの特徴的な白髪や男性受け、機能性、季節のコンセプトなどのありとあらゆることに無頓着な水着デザインの上に、さらに空気読めずにパーカーやウインドブレーカーではなく白衣を着こなすセンスは間違いなく愛衣。

 

 そして強制的に目を向けられる魔性感は……。確実にベアトリーチェだ。赤髪、抜群のプロポーションとなるとマリルもいるが、この惹きつけられる感じと、首掛けタイプのビキニとパレオ、そして麦わら帽子と貞淑な美を意識した感じはベアトリーチェだ。

 ………思わず見惚れそう。

 

 となると隣の赤髪こそがマリルなのだろう。服装はいつもの黒い軍服をマント状にしてラフに過ごしているという、他の人たちと比べて厳粛である意味場違いな印象を受ける。とはいっても今回ここに大勢SIDのエージェントが招集できたのはマリルが任務として枠組みに収めて苦労してくれたからだ。

 

 内容は昨日のうちに把握済み。

 ここの近隣海域にて観測される時空位相波動のデータを収集するのが主。海域にて観測されるには非常に珍しいし、現在の脅威度は低いので今のうちの調査できるだけ調査したいとのこと。もし監視中に問題が発生するようなら速やかに対処するという内容だ。交代制で見張るとはいえ、チームを結成して顔合わせぐらいはしないといけない。その顔合わせに乗じて歓迎会を開くことになったのだ。

 

 ……アニー達は今回お世話になるログハウスで待機中かな? 

 アニーも「やることあるから先行くね! バイジュウのエスコートは任せた!」といってイルカとシンチェンを連れて早々に向かって行ったし……。

 

 とはいっても予想はつく。こういう時、早く出るのは大抵サプライズをするためだ。……俺自身経験はないから、本当に予測の範囲でしかないけど。

 

 バイジュウと「どんなサプライズが待ってるんだろう」や「アニーさん達の水着とか気になります?」などと談笑しながら向かうと、意外とすぐに別荘に着いた。

 バルコニーから見える水平線は星のようで煌びやかで、髪を撫でる潮風は語りかけるように優しい。

 

 ——あなたは海が何色に見えますか?

 

 その時、なぜか海の彼方から優しげな声が響いてきた。

 

「ん? バイジュウ今何か言った——」

 

「——ヤババババババババッッ!!!!」

 

 ドアが勢いよく開き、小さな身体が俺の腹部へと突撃してきた。

 特徴的な猫耳型ヘッドホンを外してるものの、この大きさと妙な言葉遣いは間違いなくヤツだ。

 

 ……だが待ってほしい。俺は駅前で何を飲んだ? そう、コーヒーだ。

 コーヒーは利尿作用があるんだ。利尿作用とは排泄器官を促進するものであり、早い話がトイレが近くなるということだ。嫌な予感がする。

 

 衝撃は両足で支えきれず、そのまま小さな身体と共にもたつきながら倒れ込む。

 背部に激痛。次に腹部に女の子の重量が叩き込まれる。そして猛烈に股部分にあの衝動が迸る。

 

 っ、ぅう…………セーフっ……!!

 

「レンちゅぅうううわああああぁぁぁぁんん!!! 今ね、声がしたの!!」

 

 小さな身体——シンチェンは腹部の上で怖いのか驚いているのか、落ち着きのない様子でソワソワと動き続け、俺のアレを弄ぶように刺激し続ける。無垢の恐ろしさここに極まれり。

 

「あっ、あっ……んっ! そうだねぇ……! 俺も聞こえた……っ! だからっ、話を聞いてあげるからっ、どいてくれる……っ?」

 

「わかった!!」

 

 シンチェンは勢いよく起き上がり、そして——。

 俺の、腹部を、ジャンプ台にして、華麗に離れた。

 

 ——チョロ。

 

 ………………嫌な音がしたな。



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第5節 〜夕凪〜

 少女は漂う。長い長い眠りの中で揺り籠の安らぎを感じながら漂う。果てのない概念を漂い続ける。

 あまりにも果てなく広がる朧げな概念は、ある意味『海』のようでもあった。

 

 ——ここはどこでしょうか。

 

 少女は漂う概念の中、微かな意志を発する。

 

『光』が見えた。ならばここは深海ではない。

『光』が見えた。ならばここは宇宙ではない。

『光』が見えない。ならばここは宇宙ではない。

『光』が見えない。ならばここは深海ではない。

 

『 』が見えた。ならばここは深海だ。

『 』が見えた。ならばここは宇宙だ。

『 』が見えない。ならばここは宇宙だ。

『 』が見えない。ならばここは深海だ。

 

 少女は漂い続ける。長い眠りは、永遠ではない。

 少女は微睡ながらも目覚め始める。

 眠りから目覚めるのに理由はない。見上げたら流れ星があったように、偶然の産物や気まぐれの積み重ねに過ぎない。だが、少女を眠りから呼び覚ますには流星一つで十分なのだ。

 

 覚醒した意識は目的もなく果てなき概念の先を見つめた。

 やがて一つの『光』を見た。やがて一つの『 』を見た。

 

 少女の意識は浮上する。少女の肉体は沈没する。

 生まれたての意識に姿はなく模倣するものを詮索する。

 

 流星は砕け星屑に。やがて砂のような小さなきらきら星に。

 

 そうだ。私もこれになろう。

 海から波へ。やがて波は音を轟かせる。

 

 

 …………

 ……

 

 

「レンちゃんって、女性のエスコートさえままならないね……」

 

「あはは……。俺、今からオムツしたほうがいいかね……」

 

「足りないのはおつむかなぁ」

 

 最近アニーが冷たい。やっぱマリルの教育の賜物じゃないかな。

 あまりにも惨めすぎる。客人であるバイジュウには玄関先の後片付けをさせてしまうし、アニーには替えの下着を準備させてしまう。

 

「気にしなくて大丈夫ですよ。その、なんというか……うん、ファイトです」

 

 バイジュウの言葉は辿々しく、最終的には何とも言えない励ましをもらう。もうそれ自体が惨めさの証明だ。俺の心はグッサグサ。

 もうお嫁に行けな…………くていいな。俺男だし。九割九分九厘超えて十割十分十厘の確率で俺は男だ。パーセントの確率表記おかしくなるけど、それほどの自負が俺にはある。

 

「申し訳ないと思うなら準備を手伝う! やることはいっぱいあるよ〜〜!!」

 

 アニーに手を引かれて、俺はキッチンへと連れて行かれる。

 どうやらこの別荘はリビングキッチンらしく、調理場から直接リビングの確認ができて、そこにはイルカとシンチェンがテーブルの上でエプロンをつけて何やら作業しているのが見えた。

 

 そしてキッチンにはソヤがいることも確認。ソヤはこちらの存在に意にも関せず一心不乱に調理場で勢揃いしている肉、野菜といった食材を切り刻む。

 

 そして俺が連れてこられた場所には電子コンロ。その上には水が張られた耐熱容器があり、そして真横には大量の生卵とソヤによって切り分けられた野菜の一部達。

 ここまで来て何をするのかを察せないほど俺も鈍感ではない。今季のモテる男の条件は鈍感系ではないのだ。

 ……俺は一度たりともモテたことないけどね!

 

「はいはい! レンちゃんの女子力を見せる時! サラダを人数分作るんだから卵を茹でて、その間にサニーレタスとかトマトを盛り付けよう! バイト先でもそれぐらいはするでしょ!」

 

「りょ、了解!」

 

 アニーも忙しなく動き続ける。

 隣の調理場で作業をしており、徳用サイズの豆乳を大きめの銀ボウルに注ぎ入れている。しかも銀ボウルは確認できる限り、合計五つは確認できる。

 

「そ、それは何?」

 

「豆乳シャーベット。プレーン、バナナ、ココア、レモン、ミントと味と風味は選り取り見取り!」

 

 そう言いながら味に対応した粉末や、レモンやミントの葉を豆乳に浸していく。そして俺のバイト先よりも一回りは大きい業務用冷蔵庫に銀ボウルを慣れた手つきで運び入れる。その時、冷蔵庫にまた別の味を作成中であろう銀ボウルが見えた。他にも色々な食品や飲料があり、仮にゾンビ映画みたいなクローズドになっても一週間以上は生きていけそうな貯蔵量だ。

  

「アニーって料理もできるのか……」

 

「そこまで上手じゃないけどね。これもただ豆乳にフレーバー混ぜて、凍らせるだけだし。……本当は豆乳とは別のも作ってみたかったけど、材料もないし」

 

「ソヤがやってるのは?」

 

「見ての通り野菜類、肉類を掻っ捌いてる」

 

「じゃあリビングでイルカとシンチェンがやってるのは?」

 

「掻っ捌いた具材を鉄串に刺してる。つまりBBQ! バー、ベー、キュー!!」

 

「——いたたたっ!」

 

 テンションが鰻上りのアニーの裏で、シンチェンが悲鳴を上げた。

 指先を見ており、わずかだが血が滲み出ている。どうやら鉄串が指を掠めたようだ。

 

「大丈夫か、シンチェン?」

 

「……んっ」

 

 心ここにあらず。おそらく大丈夫だと返事したんだと思う。

 とりあえず救急セットを取り出して応急処置を済ませると、シンチェンはポツリと呟き出した。

 

「声が聞こえたっ……。知らないけど、どこか安心できる声がした……」

 

「イルカ、聞こえてない、ショック……」

 

「そうなのか、アニー、ソヤ?」

 

「わたくしは見ての通り解体パーティー中ですので聞く耳が持てませんわっ!!」

 

「私も聞いてないかな〜……」

 

「バイジュウは?」

 

「私も特には……」

 

 どうやらシンチェンが聞いた声は、誰も聞いていないみたいだ。

 ……もしかしたら俺が聞いた声はシンチェンと同じものかもしれない。

 

「アニーさん。私に手伝うことはありますか?」

 

「いやいやっ! バイジュウは客人なんだし、帰国したばかりなんだから休まないとっ!」

 

 バイジュウもどうにか手伝いたいご様子でアニーと押し問答中。

 その間にちょっとシンチェンに確認を取ろう。

 

「どんな声だったんだ? シンチェン」

 

「う〜〜ん!! ふむふむ……。そうか……あーなるほどぉ……」

 

 もう答えは見えた。

 

「わかんないっ! 私と似てるような似てないようなっ!」

 

 少なくとも女性っぽいということだけは分かってよかった。

 

「じゃあ何て言われたんだ?」

 

「銀河や宇宙が何色とか言ってたなぁ……」

 

「じゃあ俺とは違うのか……」

 

 俺の時は『あなたは海が何色に見えますか』だった。

 宇宙と海とでは文字通り天と地の差がある。だけど質問内容は似たり寄ったりだ。何かしらの関連性はあるだろう。

 

 ……もしかして今回の異質物と関係してる? でも、そんな呑気な質問をする異質物ってあるのか? そもそも新豊州が所有するXK級異質物である【イージス】システム以外に意思に近い思考を持つ異質物とかあり得るのか? 

 

 ……不安だ。マリルに相談しよう。

 

「ごめん、アニー! ちょっとマリルと話してくるっ!」

 

「では、その間レンさんのお仕事はバイジュウが貰いますね」

 

「えぇ……。まぁ、いいかぁ……」

 

 

 …………

 ……

 

 

「——というわけなんだ、マリル」

 

「そうか、意味わからん。熱中症か? 愛衣に診てもらえ」

 

 ですよね。自分でも発想が貧相かと思ってる。

 

「冗談だ。前代未聞の海域での反応だ。ならば前代未聞の現象が起きても不思議じゃない」

 

「マリルの冗談は冗談って分かりにくいだよっ!」

 

「お前の訓練増やすぞ〜。まあ、お前の話は無碍にはできん。……とはいっても推測しようにも情報が足りんな」

 

 さりげに訓練量増やさないでもらえますかね……? 毎回いっぱいいっぱいなんですけど。

 

「愛衣はどう思う?」

 

「思いつくとしたら特定の人種に音を届けることかなぁ。カクテルパーティー効果やモスキート音みたいな。レンちゃんもシンチェンも特殊な子だから、そういう異質物が放つ音波を受信できそうだし。だけど、そうなると聞きたい意見は他にもあるんだよね〜」

 

「どんな?」

 

「レンちゃん積極的〜♡ 愛衣さんはそんな野獣なレンちゃん好きだよ〜!! だけど残念。今求めてるのはレンちゃんじゃないんだな」

 

「わたくしを呼びましたか?」

 

 背後から今聴きたくない人の声が聞こえた。裸族(ハインリッヒ)だ。絶対に今俺の後方には裸族モードのハインリッヒがいる。

 

「呼んだかな」

 

「会話は聞こえていたので手短に。恐らく愛衣が求める意見とは、わたくしとシンチェンのような『特殊な方法で生成された肉体』か、マスターとベアトリーチェのような『新生児同然の肉体』を持つ者のことでしょう。残念ながら、わたくしは蚊の音ほども聞こえていません」

 

「私も聞いていないわよ」

 

 今度はベアトリーチェの声が聞こえてきた。

 だが残念、穴が開くほどベアトリーチェの水着を見たいのだが、隣に裸族がいるのが想像つくので振り向いた瞬間に一線を超えてはならない部分を踏み入ることとなる。

 

「久しぶりね、レンちゃん。相変わらず初心で可愛い子……」

 

 背中越しに俺に抱きついてくるベアトリーチェ。

 手は撫でるように胸元に沿われ、息遣い一つで耳から下腹部を熱くさせる。そして伝わる弾力&匂い。男を狂わすメロンサイズ&情熱を煽るバラの香り…………って冷静に本能を委ねるなっ! 

 

 魔性の色気に脳内で甘く蕩けるのが祓うも、脳裏に浮かぶのは蠱惑的なベアトリーチェの姿のみ。

 

 俺、ベアリーチェのこと見てないよね? ベアトリーチェもブレスレットをしてるよね? 『呪い』なんて受けてないよねっ!?

 

「マスターは何を恥ずかしがってるのですか?」

 

「ここにいる全員が魅力的なのよ。……特にハインリッヒ、あなたはね。この子には刺激が強すぎる」

 

 わざとですか、ベアトリーチェ様。

 今最も刺激が強いのは、耳元で聴こえるあなたの息遣いなんです。声を発するたびに背筋がゾクゾクして、視界と脳が「見ようぜレン? 男なら見るのが礼儀だ。むしろ見ない方が女々しい」と正当化してくるんです。

 

「わたくしの身体をこと細かく錬成したのはマスターですし、毛の一本まで把握済みだと思われるのですが……。水着を着た方がいいと?」

 

「ええ。どんな魅惑的な身体も、日常に溶け込むと逆効果よ。その恵まれた肢体はとっておきなさい」

 

「これは大人びたご意見。生前は研究肌の学者しか周りにいなかったので、女性としてのアドバイスは新鮮ですね。面倒ですがそうしましょう」

 

「だそうよ——。もう見ても大丈夫」

 

 マジっすか。ありがとうございますッッ!!!!

 

「——じゃないっ!! 水着も気になるけど、一番は異質物についてなんだっ!!」

 

「素直になってもいいのよ」と頭を撫でてくれるベアトリーチェ。

 今は本能に身を窶して良い場面ではない。

 

「ハインリッヒもベアトリーチェも聞いてないとなると、その肉体的な関連じゃないってことだし。となるとあり得るのは保有している、もしくはされてる情報的な共通点かな。ノックの音を聞いてないとなると『天国の扉』でもないし……。完全にレンちゃんとシンチェンの限定した情報となると……」

 

 ——愛衣の中である情報が掘り返される。

 ——過去にレンがソヤを救出した際に起きた『光』。

 ——レンとニュクスが接触した時に起きた2.5YB(ヨタバイト)の超高密度情報量。

 ——『リーベルステラ号』でレンにだけ認識できたシンチェン。

 

 ——次々と推測が推測を呼び、絡み合っていく。

 ——だが推測を積み重ねても実証できなければ推測のままだ。塵はどんなに積んでも塵なのだ。

 

「……それに問いの意味が気になる」

 

「海が何色のこと?」

 

「レンちゃんは海が何色だと思う?」

 

 言われて少し考えてみる。そして目の前の海が目についた。

 青……いや、愛衣が質問してるんだ。そんな単純じゃないだろう。

 だとしたら海は水だ。水ということは……。

 

「水色ッ!」

 

「うん、典型的な答えありがとう」

 

 あまりにも投げやりの愛衣の反応に愕然とする。

 すごい馬鹿にされた感じ……。

 

「残念ながら答えは科学的には不明なんだ。暫定としては無色透明だけど、光の検証は未だに続けられて今でも明確は答えは得られてない」

 

「待て。海の色なんだろ。なんで光の話が出てくるんだよ」

 

「お前は本当に呆れるくらい無知だな。ここはSS級科学者、マリル・フォン・ブラウン博士として個別指導をしてやるとするか」

 

 愛衣との会話に割り込むマリル。「お前好みの資料だ」と彼女はタブレットをこちらに手渡してきた。

 画面に表示されるのは流動的に動き続けるグラフ。意味がわからないので即刻タブを切り替える。切り替えた先には光、色、宇宙といった単語を検索して片っ端から羅列したであろうサイトのURLがズラリと並んでいた。

 画面をスクロールして、URL先を見てみるもどれもありがちなタイトルだ。「宇宙とは何なのか? 調べてみました!」とか「徹底考察! 海の神秘!」とか。

 

 ……ネットサーファーも長いから身に染みてるけど、こういう情報は大抵信憑性も情報量もない。

 これを見るくらいなら自分で教科書や参考書を開いたほうがいい。

 

「お前の海とは何色なのか、という疑問について答えは愛衣が言った通り不明だ。だが見ての通り、今私たちの前にある水平線は煌めく青一色。普通は青色だと思うだろう」

 

「うん。だけどそもそもとして『海』は『水』だろ。だから水色かなって……」

 

「考えは悪くない。だが、そもそもを考えるなら根本的な部分を考察するべきだ。そもそも『色』とは何なのかを」

 

「色は色だろ? 赤は赤だし、青は青。黒は黒だろ」

 

「じゃあ信号機の色は赤と黄色と青か? よく思い浮かべろ」

 

 ……言われてみれば不思議だ。信号機は確かに赤信号、黄信号、青信号と漠然と捉えていた。だけどよく考えると、青信号って『緑色』じゃないか?

 

「もっというなら肌色もそうだな。色合い的には確かに『肌色』なんだが、語感的に『肌の色』かと言われれば疑問が湧く。わかりやすく黒人、白人を例にするが二人とも『肌色』ではないだろう。両者の肌色は黒と小麦色だ。もしこれが通常だと仮定したら、両者にとってそれこそが『肌色』となる。まるでミーム汚染のようにな」

 

「それは発想の飛躍だろ。意味ないじゃん」

 

「そうだ。お前が提唱した『色は色』という問答について意味はないんだ。信号機の青は、緑に見える。そんなの根も歯もないことを言えば個人差でしかないんだ」

 

「じゃあこの問答なに?」

 

「短絡的だな。上辺だけで理解するのはよくない癖だぞ。『色は色』を提唱したのはお前であって、私が提唱したいのはまた別だ。では意地悪問題。私が本来したい話題とは?」

 

「えーと……」

 

 少しずつ話を頭の中で巻き戻した。VHSみたいに記憶に微々たるノイズを交えながらマリルが問いたいことを推理する。

 そもそもとして『海』は『何色』なのか? それで俺が投げて脱線したのが『色と色』。これを巻き戻してマリルが言っていたのは……。

 

 ——『色』とは何なのか。

 

 いや、これでは質問を質問で返すだけで話は進まない。意地悪問題と言っていたし、マリルが求めてる答えは違う。

 だとすればここから派生しなければならない。上辺だけで理解するのではなく、言葉の意味を理解する。SIDの訓練で本質を見逃すなといつも言われてるじゃないか。

 

 ——『色』は個人差なんだから、問答に意味はない。

 ——ならば『色』自体の問いには意味はない。

 ——だとしたら問いたいのは『色』自体ではなく、『色』の本質。

 

『色』って何だ。個人差。最初に戻って堂々巡り。

 違う違う。そこじゃなくてもっと根本に。質問の内容が見えない時は命題を逆にして。

 

 ——『あなたは』海が何色に『見えますか?』

 

「色を『見る』ことに対して、かな……?」

 

「当たらずも遠からずだ。『見る』には——つまり色を観測するには必須条件が2つある。それが何だと思う?」

 

「それが『光』ってこと? じゃあもう一つは?」

 

「お前は光が勝手に色を見ると思うか? もっと大事で当たり前なものがある。光はあくまで色を見せるものだ。だとしたら、色や、光を『見る』のは?」

 

「あっ、俺か」

 

「よくできました。お前でもいいし、私でもいいし、愛衣でもアニーでも、そこらにいる変態でもいい。色を見るのには『光』と『観測者』が必要なんだ」

 

 マリルはそこで一息吐いた。

 

「ここで海と光の関係性になるんだ。最初の話に戻るが、海は何色に見えるか? という問いに対して光は密接に関係している。海自体の色は未だ不明だが、観測者から見た海の色は基本は青だったり水色だったりする。夕刻になればオレンジにも見えるだろう。これらはすべて光が海を通して反射するから起きる現象なんだ」

 

 そこまで聞いて、ようやくクイズ番組とかの豆知識でそんな説明があったことを俺は思い出した。

 海は光を取り込んで人間の視界に入ることで、初めて海の色は青く見えるとか何とか言っていた。

 

「ん? じゃあ、あの声の問いって——」

 

 結局のところ個人差では? 

 それだけ簡単な答えなら、マリルと愛衣が悩むところなんてカケラもないじゃないか。

 

「よく気付いたな。普通なら個人差で終わるんだ。絶対的な色ではなく、一個人の認識の色を問う程度の問答なんてな」

 

「だとしたら、この問答は『普通』じゃなくて——」

 

「そう。今回問われる対象となっているのは、レンとシンチェンなんだ。イレギュラーとイレギュラーに対する問いだ。当然求めてる答えは『普通』であるはずがない。『イレギュラー』でなければお前たち二人に問う意味はない」

 

「なるほど。……あっ、それが愛衣が言いたいことでもあるのか」

 

「そういうことだ。問いの本質を忘れるなよ。メディアが大衆を煽動するように、必ず『問い』というものは『質問者が欲する内容』と『解答者に求めている答え』がある。1+1=2なんて素直な物じゃないんだ」

 

 その言葉を聞いて、俺は再び声の質問を思い出す。

 

 ——あなたは海が何色に見えますか?

 

 その答えは今は持てない。恐らくこれに関して、そう易々と返答していいものではない。

 海を見据えて質問の意味を再び考える。『何色』だ。海とは『何色』なんだ。俺から見たら『海』って何なんだ?

 

 無い頭で絞っても答えは生まれはしない。やがて青い海を見続けてたことで、青髪の少女アニーのお願いを思い出した。

 

 ……いつまでもこうしちゃいられない。早く戻って準備を手伝わないと。

 

「どうですか、マスター。砂浜にある素材で水着というものを錬成したのですが中々の傑作だとは思いませんか?」

 

 と思って振り返った矢先。ご満悦なハインリッヒがいた。自慢の水着が視界に入る。

 白い貝殻が3枚あった。胸部に2枚、下腹部に1枚。それらを繋ぐ紐以外は何も着ていなかった。

 

 ……どこが大丈夫なんだよっ、ベアトリーチェッッ!!



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第6節 〜潮騒〜

 バーベキューでひたすら食欲をこれでもかと煽り立てた後は海辺で水合戦したり、砂浜でビーチバレーしたりとあっという間に時刻は夕暮れ時となる。位相波動の観測は今も続いており、現在はハインリッヒがデータ収集を担当中。他は各自待機状態で別荘の領地内で自由行動。

 

 過ごし方は各々個性的だ。

 マリルはほどほどに酒を楽しみつつ時空位相波動の情報整理を余念なく続けており、愛衣は今まで不明瞭となっていたデータをサルベージして考察に耽る。

 

 エミリオとヴィラは今後俺達と同じ御桜川女子高校へと入学する手配となっており、二人は制服をチェックしたり教材を確認したり予習したりと、どうあれ学生生活を楽しみにしてるように感じる。

 

 ベアトリーチェとバイジュウは自室で読書を満喫中。

 イルカとシンチェンは遊び疲れて熟睡中。

 

 となると残るのは、俺とアニーとソヤということになる。

 

「いや〜、海岸でバーベキューはやっぱいいなっ!」

 

「うんうんっ! 好きなだけ食べて、好きなだけ遊んで、好きなだけ休むっ!」

 

「こんなに楽しいのに、なぜラファエルさんは来ないのか……。やはり、わたくしには理解しがたいお方ですわ」

 

 三人揃って仲良くバーベキューの後片付け中。

 アニーは食器類の洗濯。ソヤは設置したバーベキューグリルや鉄網の清掃。俺は使用した炭の処分、鉄板やビーチバレーの道具を元の位置に戻したりの力仕事だ。

 

「これが終わったらバイジュウと一緒にボードゲームでもしようかっ!」

 

「そういえば物置にいくつか未開封のやつがありましたわね。稀少なものもいくつか……」

 

「ボードゲームかぁ……。オセロ位しかやったことないんだけど」

 

 現代っ子はもれなくアプリやビデオゲームしかしてない。

『大乱闘スマッシュ・シスターズ』、『パケットモンスター』、『ファーストファンタジー』『GBUP』、『昨日方舟』、『少年前線』などなど……。

 そういうアナログ系はここ最近やった覚えがない。

 

「オセロの他にもモノポリー、ゴキブリポーカー、お邪魔者、人狼、ブロックス……結構ありましたわよ」

 

「野球盤はあった?」

 

「どうでしょうか。こういうのは面白い『匂い』で判断することが多くて……ブラックな感じしか覚えておりませんわ」

 

 それを聞いてソヤが上げたボードゲーム全般やりたくなくなった。

 ソヤが『面白い』という時点で危険度が跳ね上がり、汚い手段が常套手段として使えるゲームなのではないかと勘ぐってしまう。

 

「どうせ夜通しでやるんだし、なんでもいっか! レンちゃん、今夜は寝かせないよ〜♪」

 

「うぇひひひ……今宵は楽しみですわね♡」

 

「ソヤが考える如何わしいことは微塵も起きないぞ」

 

「ちぇっ」とブーブーと不貞腐れるソヤ。

 そうこうしてるうちにバーベキューの後片付けは終わり、皆揃ってボードゲームを大量に抱えてバイジュウのところへ突撃しようとする。

 

 ——途端、胸元にいつもの痺れが走った。

 

『悪いな、レン。パジャマパーティーの真っ最中か?』

 

「マリルっ! 今からボドゲやるんだけど一緒に……」

 

『誘いは後だ。現在観測中の海域に大きな揺らぎが発生した。時空位相波動に達するには不十分だが、何かの拍子で活動する可能性も考慮すると無視もできない。早急に出撃準備をしろっ』

 

 マリルからの言葉に俺達三人は瞬時に気持ちは切り替える。

 両腕に抱えていた遊具は廊下の端に置いておき、速やかに出撃待機場所となる海岸沿いの崖の下へ向かう。

 

 

 …………

 ……

 

 

 予めここの地理は確認しており、出撃待機となる崖下には昔の海賊が使用していたと思われる天然の空洞があることをSIDは把握していた。

 目的地に向かうと、待っていたのはマリルとハインリッヒの2人。そして海賊が使用していた海賊船——なんてロマン溢れるものではなく、最新鋭のモーターボートだ。

 

「これって……」

 

「異質物のエネルギーを使用した局地戦闘用モーターボートだ。機種は《Satisfaction》というメーカーが製造した《トリシューラ》を改造したものだがな」

 

 企業名を聞いて俺はすぐに思い出した。確か競技用のモーターマシーンを製造しており、ネット上で度々ネタにされる有名企業だ。

 企業理念が『更なる満足へ!』だったり『満足しようぜ!』と意味不明だったり、イベントで姿を見せる社員が全員袖無しジャケットを着て常人には理解不能な論理を発表したりなど、妙な部分が好評を得ている。

 もちろん社名に恥じない品質は保証しているので、企業としての信頼も随一だ。顧客もしっかり満足させてくれる。

 

「あれ? でもこの形式で異質物のエネルギーを使うのは……」

 

 いつかSIDで受けた講習の一つを思い出す。 

 EX級、XK級を除く異質物が持つエネルギー効率は非常に優れているものの、それを普遍的な物に変換するのは莫大なコストがかかり、通常のエネルギーとして普及するのには現状不可能だと言われていた。

 例えば都市の電力もそうだし、車や船といったバイオ燃料もそうだ。異質物は普及された規格に対して適応しにくいからこそ、従来のエネルギー構造は現役のままでいられるのだ。

 逆に言えばコストさえ掛ければ変換可能ではあるので、用途を絞り込めば異質物のエネルギーを利用できる。その一つが異質物武器だ。あと俺に支給されてるいくつかの戦闘服。

 ただそれをしても利益率としては下の下らしいので、大抵はエネルギーではなく資材として使うのが常識らしい。それがシンチェンやエミリオ達と会った『リーベルステラ』の金庫室にあるコンテナや、スカイホテルで『黄金バタフライ』を保管してたアタッシュケースだ。

 

 だが、目の前にあるボートはどうだ。

 見た目は確かにカタログで見た《トリシューラ》とほぼ同じだ。違いがあるとすれば、船体の関節や排泄部分から青白く揺らめく光が見えることだ。これは異質物の特徴で間違いない。

 マリルが口にした『異質物のエネルギーを利用した』という言葉に偽りなどなく、船という規格に異質物を適応させたのだ。

 

「まさかこのためだけに血税を搾り取ったなッ!?」

 

「ところがぎっちょん。船の燃料規格を異質物に対応できるようにするだけならコストは大統領専用車よりも掛からん。一番費用が膨れるのはエネルギー自体を普及した規格に合わせることなんだ」

 

「じゃあ最初からそうしようよ!」

 

「アホか。異質物のエネルギー自体は千差万別の上に単純じゃない。確かに熱、液体なら大丈夫さ。だが中には情報、時間などが異質物のエネルギーとして内蔵してることもあるんだ。どうやって現代技術で適応したエネルギーに変えればいい? 答えろ、どうしたらいい? 答えてみろレンちゃ〜〜〜ん♪」

 

「無理です……」

 

 だとしたら、このモーターボート……つまりは電力のエネルギーを内蔵する異質物のエネルギーがSIDは予め保有していて、それに合わせたと考えるのが自然だ。

 だけどそんな『電力』に適合した異質物なんて、今までの調査で見つかったことあったか?

 

「これに見覚えはあるだろう?」

 

 そう言ってマリルは一つの見覚えのある『電池』を見せてきた。

 

「あっ、それってイルカがくれたのだ!!!」

 

 イルカが渡した『電池』を見て、俺はあの日の夜を思い出す。

 初めてイルカと出会った江森変電所での出来事を——。

 

 

 …………

 ……

 

 

《イルカ、は、『執行人』》

《『執行人』……中二病的な称号っぽいけど、最近の子の流行りか?》

 

《えっと、……チョコレートをあげるから、そんなに怒らないで……》

《ちょこれーと?》

《これはみんなを幸せな気持ちにしてくれる甘~い食べ物だよ!!》

《見知らぬ幼女を餌付けするレンちゃんのセリフの方が、よっぽど誘拐犯みたい……》

 

《……これ、あげる》

《これは……液中プラズマ?》

 

 

 ……

 …………

 

 

 今思うとバッドコミュニケーションだった気がする……。

 

「でも、あれは普通の液中プラズマじゃ……」

 

「お前は底抜けのアホだな。『天国の扉』が起きた時にヤコブが交渉材料に使うほどだぞ? 『魔女』としてのエネルギーになる以上はただのエネルギー体なわけないだろ」

 

 確かにそうだ。それに一応口に入れるものだ。

 逆に普通の液中プラズマだったら危険だってもんじゃない。……普通のプラズマって何だろう。

 

「規格を合わせる基も、イルカの装備という参考例があったからな。お手頃な費用で間に合わせることができたんだ」

 

「なるほどなぁ〜……」

 

「問答は済んだか。発進する準備は出来てるから、さっさとどこかに掴まれ」

 

 モーターのエンジンが入る。それと共に発生する青白い光。『電池』が持つ異質物エネルギーの放出だ。

 

「————きゃぁぁぁあああああっっっ!!!!!」

 

「振り落とされるなよ、小娘共ッ!!」

 

 マリルはボートを発進させた。なぎ払うように襲いくる横の重力。俺は情けない悲鳴を上げながら手摺りにしがみ付いた。

 

 刹那で最高速に達したボートは、瞬く間に海上を駆け抜けていく。

 爽快感は微塵も沸かない。この殺人的な加速はどう表現すればいいのか。ジェットコースターが落ちる速度を数倍にでもして維持するような重さと言えばいいのだろうか。どう形容しても「超気持ち悪い」の一言に収束する。

 

 そして地理を把握するおまけで、もう一つ知りたくもないことを俺は知っている。海岸から少し離れた岩礁地帯は複雑な構造をしており、真っ直ぐ進み続けるのは不可能なことを。

 つまり、それは船体が旋回するいう意味であり、操舵者はあのマリルだ。初めて方舟基地に向かう際に「本当生きててよかった」と思うほどの異次元運転を発揮したマリルがボートを動かす。

 

 どうなるかなんて予想するまでもない。

 

「ぅっ……!!」

 

「これは、効くね……っ」

 

 アニーも三半規管が故障したご様子。青い髪もあって、より一層表情に陰を落として体調が必要以上に悪く見える。他のみんなは大丈夫そうなのが、一層アニーの容体を心配させる。

 

「だいじょ……うぷっ!」

 

「吐かないでね……レン、ちゃん……ぅぇ……」

 

 お互いに今にも吐きそうになりながら励まし合う。

 ソヤが小声で「これはこれで有りですわ」と言ってるが、何が有りなのか。口から吐瀉物を掛け合いそうになる女の子二人を見て萌えるのか。俺には無理だぞ。

 

「マいぅぅ……えげばぁ、びぃばばっ?」

 

「すまないが、私が会得してる言語に対応してないのは分からん」

 

「マリル、エミ達は?」と言いたかったが伝わらない様子。

 そこで精神力が尽き果てて、以降俺はただ嗚咽を漏らすだけのオーディオ機器となるだけ。

 

 と思った矢先、ハインリッヒが爆速で駆けるモーターボートの慣性なんて露知らず。「クスクス」としか言いようのない笑顔を浮かべてこちらに向かってきた。

 

「お困りでしたらお助けしますよ、我がマスター」

 

「おげぇぁっび……」

 

「……本当に解読に困りますね。『お願い』で間違いないですか?」

 

「ばぁぃ……」

 

「わかりました。我が叡智をお見せします」

 

「ぁぁぃぃぃぉ……ぅぷっ……!」

 

「……アニーさんの分もですね。かしこまりました」

 

 するとハインリッヒの戦闘服から光の粒子を光り出して、俺達を取り囲む。

 吐き気も視界の不安定さも少しずつ収まっていき、光が晴れるころに先ほどまでの感覚が嘘のように消えていた。

 

「服自体に防護術式を施しました。それさえあれば、慣性によるGの働きや水中での負担も軽減できます」

 

「あぁ〜……ありがとうハインリッヒ。すごく楽になったっ!」

 

「俺も楽になったよ……で、なんで俺だけ服装変わってるの?」

 

 アニーはいつもの青いパーカーを模した戦闘服だというのに、俺の服だけいつもの袖なし臍だしの黒いセーラー服ではなく、ピンクのインナーと白のローブに様々な装飾を施した何とも形容し難い重装備に変わっている。露出している部分はスカートの先から見える太ももくらいなのだが、不思議なことに重量感などは一切感じない。

 

「ラファエルさんがいないと魔術的な回復は見込めないので、万全を期してマスター用にわたくしのお古を調整しました」

 

「これハインリッヒのお古なのっ!? 嘘だろっ!!?」

 

 なんでこんな貞淑な衣装が着れるのに、あんな裸至上主義が生まれるの!? 

 

「服自体に身体の基礎代謝を上げる力や、熱や電気に対する繊維、念力や幻覚といった類を軽減する防護術式を組み込んであるので、戦闘がかなり楽になると思いますよ」

 

 やだっ……俺の服、高性能すぎ……っ!?

 

「ただし服自体の魔力がなくなると、動きにくい衣装になってしまうので、そこのところはご了承ください」

 

 どうやら異世界無双系の主人公には俺はなれないらしい。

 実質的な弱点ないのがナウくてヤングでトレンディ―なのになぁ。

 

「どう、アニー?」

 

「うんっ、似合ってるよ! ……ただ、それだけ高性能だと私が上げた服はお払い箱だね。……リカルメにでも出品する?」

 

「いやいや! これはあくまで決戦用というか、デンドロビウムみたいなもので、普段はアニーのが一番楽だよっ!」

 

「それとマスター。こちらも渡しておきます」

 

 いつか見た緑色の宝石が、ハインリッヒの手からいくつか貰う。

 

「ラファエルさんが念のためと、夜な夜なこさえてくれました。使い方は覚えてますか?」

 

「忘れる方が難しいよ」

 

 使用方法、体液に触れさせる。効果、回復する。以上終了。

 危なくなったら傷口に触れさせるか、それとも宝石自体を舐めればいいとかいう現代医療を舐めたものだが、効力自体は折り紙付きで使用さえすれば肌が焼け焦げても完治するほどだ。

 

 ……ラファエルも、こんなことなら意地張らずに来ればいいのに。

 どんだけストラッツィ家というか、マフィアとかのキナ臭い血筋が嫌いなんだよ。

 

 海を横断して数分。目的地となる海域まで到着した。

 だが異変らしい異変は見られない。波は荒らむことなく平穏そのものだし、海中を見ても毒沼とか酸化してるみたいな分かりやすい変化も起きていない。

 

「俺には全然分からないけど、マリルやハインリッヒはどう思う?」

 

「水質に変化はないですし、気流の乱れも感じません。潮の香りも……問題はありません」

 

「私も的が外れた。違法渡航者などが潜水艦を利用して異質物を持ち込んだかと思ったが……ソナーを起動しても反応が見当たらない」

 

 どうやら二人にも見当がつかない様子だ。となれば頼れるのはあと一人。

 

「映像は回しているが、見えるか愛衣」

 

『見えてるよ〜♪ 『天国の扉』の時を反省してカメラも切り替え可能な三段仕様にしたから全部試したけど…………こちらでもわからないだよねぇ、これが♪』

 

 イヤホンから愛衣の興奮気味な声が聞こえる。なぜ科学者というものは理解不能な自体に直面すると興奮するのか。普通は恐怖するものじゃないかと思うのだが……。愛衣だけが例外なのか?

 

「んっ……。味の変化はありませんね」

 

「海水を飲むなよ!?」

 

 例外はもう一人いた! ハインリッヒだ! 

 こいつもさも当然のように奇行に走ってやがる!

 

「視覚、触覚、聴覚、嗅覚すべてが問題ないのです。ならば味覚にも頼るでしょう」

 

「虱潰しとか頭脳派のすることじゃねぇ……」

 

「未知の探究はフィールドワークが基本ですよ? 研究というのは狭い部屋で閉じこもってばかりでは実りません。何事もとりあえずチャレンジです」

 

 多分その思考を持った人間がフグを食えるようにしたんだろうなぁ。

 

「叡智というものはもっと大らかに、もっと自由に、もっと大胆に。私のように開放的にならないと」

 

「お前の場合は開放させすぎだ」

 

 珍しくマリルの手刀がハインリッヒを襲った。愛衣がいなくてある意味手持ち無沙汰なんだと思う。

 だが手刀を食らった本人は「これはこれで……」と思わぬ反応をしていてマリルも流石に困惑を隠せないでいる。

 ……科学者全員が愛衣やハインリッヒみたいな変態だったら世界はもっと酷いことになるのだろうか。

 

『んっ、どうしたのシンチェン? ……伝えたいことがある? ちょっと待ってね〜。…………よし、いいよ!』

 

『あ〜あ〜、テステス! 本日は晴天なり! あいうえおあいうえお! 隣の柿は良く客食う柿だ!』

 

 人喰い柿が生まれてる!?

 

『こらこら、遊び道具じゃないんだよ』

 

『分かってるって〜♪ ——コホンッ』

 

 いつもの戯けた態度は咳払い一つで消え失せる。

 そうだ、頼れるのはもう一人いた。Wikipediaを朗読するかのように様子がおかしくなったシンチェンがいた。

 

『海は光によって色を変える。朝日は輝き夕日は眩くように海は変わる。だけど海を照らす光は二つある』

 

「光が二つ?」

 

『一つは陽光。一つは月光。両方とも光だが、その性質は大きく違う。特に月光は危険。何故なら『lunatic(狂気)』という言葉の語源は月から来るほど、月の光には魔力は溢れている』

 

 シンチェンの言葉は相変わらず文字を朗読してるだけで、本人が理解してるかどうか怪しいトーンだ。

 だが逆にそのトーンが、彼女の語り部をよき一層不安と焦燥を助長させる。

 

『月の魔力は代々言い伝えられていて、かのローマ帝国三代目皇帝、ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスは狂気に満ちた王だった。それは月に魅入られていたという説もあるぐらい』

 

「…………そういうわけですか」

 

「どういうこと、ハインリッヒ?」

 

「異質物は人間に干渉することで初めて時空位相波動は発生しますが、正確には異質物が持つ『情報』に影響されて…………。いえ、異質物に限った話ではありませんが、人間という者は『情報』に酷く影響される。宗教、アイドル、インターネットのフェイクニュース、創作物における独自的な科学……。この際何でもいいでしょう、マスターが想像しやすいのを選んでください」

 

 ……アイドルにしようかな。女の子になってから推す機会が少なくなったけど、高崎明良ちゃんのファンだし。

 

「どういう形であれ人間というのは『情報』と隣り合わせです。異質物が与える知識も、アイドルが歌う歌詞も、宗教が唱える倫理も……。全ては人間を『狂わす情報』なのです。でしたら、ここで問題は湧きます」

 

「問題?」

 

「果たして、異質物だからこそ『情報』を持つのか、『情報』を持つからこそ異質物なのか……。後者ならば媒体さえあれば『情報』を与えるだけで異質物に相当する兵器を作れる」

 

 その言葉で俺は『天国の扉』を思い出した。

 あれも街頭に特殊な壁画と、携帯などのカメラを通して見ることで観測者の暴力性を『狂気』へと昇華させた。

 そして最終的に『狂気』という『情報』は伝搬して新豊州各地で暴動を引き起こしたのは記憶に新しい。

 

「まさか位相波動が少しずつ反応が大きくなっていたのは……」

 

 マリルが頭上を見上げる。『満月』が世界を照らしていた。

 満月の鏡像は海面に映され、波が揺れるたびに満月も歪む。まるでこれから起こる何かを笑うように。

 

「月の魔力という『情報』が満たされるのが今宵この時だった。だから位相波動が今まで前兆しか見せなかった……。だとしたら——」

 

 直後、海面が揺れる。海で地震が起きたと表現するのは些かおかしいが、俺の語彙力ではそう言うしかない。

 

 すると海面の底から影が見える。それも一つじゃない。十、二十、三十——。徐々に増えていき目視できるだけで百は超える。

 

 そしてそれはやがて群体となって姿を見せた。

 

 白目を剥いた眼球、カエルのような水かきが付いている手、明らかに人の肌ではない薄青い肌と、人間の原型からは掛け離れている。

 肌の色素はガラスのように薄いのか変形して一体化した臓器の数々がうっすらと見える。

 だが一番特徴的なのは下半身であり、脚がなく『尾』がある。歩くのではなく泳ぐためにある部位だ。陸上での活動するという生態があれにはない。

 

 形容するならば——それは『人魚』としか言いようがない存在がそこにはいた。



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第7節 〜人魚〜

 海上には『ドール』とは似ても似つかない人型の『何か』が犇めき合っている。

 

 白目を剥いた眼球、カエルのような水かきが付いている手、明らかに人の肌ではない薄青い肌と、人間の原型からは掛け離れている。

 肌の色素はガラスのように薄いのか変形して一体化した臓器の数々がうっすらと見える。

 だが一番特徴的なのは下半身であり、脚がなく『尾』がある。歩くのではなく泳ぐためにある部位だ。陸上での活動するという生態があれにはない。

 

 見覚えがある。非常に見覚えがある。

 今でこそ見ることは滅多にないが、子供の頃は母親がテレビや絵本で見せてくれていた。

 

 ——あれはそうだ。一番当てはまるのは『人魚』と呼ばれる存在だ。

 

(……だとしたら、いくらなんでもグロテスク過ぎるだろっ!?)

 

 あんなのが人類が夢見た種族『人魚』だったら、全国の夢見る子どもたちは号泣なんてものじゃない。子供の頃に見たらトラウマになって毎晩夢に出てくるぞ……。

 現に隣にいるアニーは鳥肌を立てており、ソヤも若干引き気味な表情で群れを成して突撃してくる人魚へと臨戦体制を構えようとする。

 

 衝撃的な遭遇に誰もが反応が一瞬遅れる。マリルでさえも息を呑み、魚雷のように海中から飛び出た人魚の接近に反応が示せない。

 皆が胸中に抱く思いは何か。驚愕か、恐怖か、躊躇か、困惑か。何にせよ、大抵の人間ならこの状況にはすぐには対応できない。

 

 だからこそ——。

 

 ——ガキィィイインッッ!!

 

「魂を食べたいのね……ラピスラビリ」

 

 こういう時のハインリッヒは良くも悪くも心強い。

『真理』を求める彼女にとって人魚はただの『未知』にしか過ぎず、故に好奇心の対象にしかならない。人魚の突進を双剣で弾き返し、続け様に回し蹴りで人魚を海へと打ち上げた。

 

 逃すまいと稀代の錬金術師は双剣を携えて、どういうわけか生身で海上を走り抜けていく。

 得物の名は『ラピスラズリ』——。魂を喰らうことで輝きを増す、ハインリッヒが最も得意とする武器だ。

 人魚と交わす瞬間に一閃、人魚の首を刈り取った。正確無比な絶命の一撃は彼女がいかに戦場で場数を踏んだかを物語らせる。

 吹き飛んだ頭部の断面から出血はなく、代わりの赤い霧が撒いて最初から何もなかったかのように消失した。

 

 ……訓練やドールとの実戦でいくらか見慣れたとはいえ、こうやって人型の生物が消えていくには少々心苦しい。ドールと似ているから生命活動をしてない、という認識は持てても、そう簡単に割り切れるものじゃない。

 

 ——そう、簡単に割り切ってはいけない。人魚がドールと似たようなものなら、きっと『首を切った程度で活動を止めるはずがない』のだ。

 

 残された胴体は未だに動き続けて、ハインリッヒの僅かな隙をついて再びこちらに突撃してくる。

 もう迎撃準備はできている。今度は俺が守る番だ。右手にある金属バットを強く握り込んで……。

 

「『均衡』こそが世界の自転を維持する力——」

 

 だが、ハインリッヒの実力は底知れず。人魚の強襲を後出しで対応しきれるのだ、余裕の笑みを浮かべながら。

 彼女が放った赤黒い球体が首なし人魚にぶつかると、突如して人魚の動きが極限にまで遅くなる。

 

 その隙をソヤは見逃さない。自身の武器である電動チェーンソーを取り出し、荒々しく動体を何度も挽き裂いた。そして今度こそ人魚は活動を停止して、完全にそのすべてを赤い霧へと変えて消える。

 

『うんうん♪ ラピスラビリに付与した『フィオーナ・ペリ』の術式は機能してるね』

 

「なんだよ、『フィオーナ・ペリ』って?」

 

 イヤホンから聞こえる愛衣の声に俺は質問を投げる。

 聞き慣れない単語が急に飛び出したら、説明を入れるのが少年漫画の鉄則だぞ。

 

『ハインリッヒが開発した概念系の新武装だよ。彼女の周りに浮かぶ赤黒い球体は『汐焔』って言うんだけど、それは彼女を自動で守る護衛機みたいなもので、彼女の意思が強ければ強いほど威力と防衛範囲を広げるものさ。恐ろしいのは、それらはある機能を成立させるための副次的な産物にしか過ぎないということ』

 

「副次? じゃあ元々の使用用途は別なのか?」

 

『そうだよ。これが生まれたのはレンちゃんが彼女の欲求を昂らせたのが発端さ』

 

 欲求を昂らせた……って、微妙に如何わしい言い方にするなよっ!

 

『レンちゃんは『因果の狭間』や『天国の扉』を対処してきたじゃないか。とはいっても両方とも完璧ではない。前者は方舟基地から南極へのワープして、後者はレンちゃんの体感時間10分と違って実際は2時間の経過。この差に何かしらの起因するのが『あの方』への打開策に繋がるんじゃないかとハインリッヒは考えたのさ』

 

『因果の狭間』などの異能に対して自力で対処するための技術——。

 ハインリッヒの奴、過去に魔導書を収集して『あの方』に接触して以来、傀儡にされたのがよっぽど癪だったんだな……。気持ちは分からなくもないけど。

 

『研究を重ねてハインリッヒは一つの結論に達した。どちらも一度世界の概念から離れている以上、世界の概念に関与している。そしてそのどちらにも時空位相波動は発生しており、時空位相は世界の概念を揺らがせるもの。そこで彼女が考えた、「時空位相波動を意図的に起こせば面白そう」ってね。これを戦闘用にしたのが『フィオーナ・ペリ』なんだ』

 

 ……訂正。錬金術師の考えることは意味わからんっ!

 

『汐焔には意図的に時空位相を極小で暴走させる術式と、素体となる『異質物』のカケラが組み込んであって、人体に触れたら本来それらが持たない『情報』を付与して世界の概念に齟齬を起こす。結果として存在証明が出来なくなり、動きが遅くなるという原理さ。…………コンピュータ的に言えばメモリへの負荷処理を急激に増やして処理落ちさせるもので、出力さえ増やせば自己崩壊さえできる』

 

「…………うん! そういうことかっ!」

 

 なんとなく理解できたような、理解できないような……。なんにせよ俺には想像がつかない力を行使していることだけはわかる。

 だが、そうなるとハインリッヒが海上を移動できるには何でだ? 理論を聞く限りフィオーナ・ペリとは無関係じゃないか。

 

 気になってハインリッヒを観察してみると、走り抜けた後には足形に氷漬けとなっている海が見える。

 …………錬金術師らしく足先から何かしらの魔術的な物を使用して、海を瞬時に氷へと凝固化して足場にしてた感じなのかな? ……どうあれとんでもない力業だな。

 

 イヤホンからも愛衣が『ハインリッヒの体重から考えると氷の質量は……』とか『この質量の水を氷に変えるのに必要なエネルギーは……』とかなり興奮気味だ。こんな異常な状態でも、愛衣らしく対象への疑問を検査しようとするという正常に狂ってる彼女に安心する。

 

「でも、これじゃあ俺達は遠隔で対処するしかないよねっ!?」

 

 一応船に積んであるエアロゲルスプレーを足場として噴出してもいいけど、これだって人間の体重を支えられるほど便利な物じゃない。仮に乗れても出来としては壊れかけのサーフボードになる未来しか見えない。

 

「そのための極地戦闘用だッ! こちらから接近して通り魔でもしてろッ!!」

 

「りょ——っかいですわぁ!!」

 

 海上を円状に動き続けるボートの上で、ソヤは艶やかな笑みを浮かべながら次から次へとチェーンソーの刃は人魚の肉を挽き切る。

 俺も負けじと金属バットを人魚の顔面にぶつけて、スプラッター映画より酷い顔にして怯ませる。

 

「——跳弾力野球ボール、シュートッッ!!!!」

 

 シュートという名のストレートを、アニーは鞭のように身体を撓らせたオーバースローで投げる。彼女の最高球速は訓練の末に139キロも出ており、並の人間なら普通に骨折しかねない。殺人的な速度を誇る白球は人魚の動体へとクリーンヒット。消失まではいかないものの、リリーフ投手として最適な防衛を見せてくれる。

 

 だが、そこまでなら超人にすぎない。ここからが『魔女』の本質だ。

人魚に直撃したデッドボールは意思を持つように次々と他の人魚へと喰らいつき猟犬へと豹変する。執拗に何度も人魚の間をピンボールのように跳ね返り、すべての人魚にハットトリックを決めていく。競技がもう滅茶苦茶だ。

 

「支援攻撃は私に任せといて! いざとなったらL字投法もある!」

 

「頭に『殺人』がつく投法だろ、それ!?」

 

 ネットの古参ネタで見たことあるよ! 他にもナイアガラとか三段何とかとか、頭の悪い(褒め言葉)野球をしてたよね!?

 

 だがこのコンビネーションがあって、しばらくは問題なく戦えた。そうしばらくは。

 

 俺とアニーが船を防衛。ソヤは人魚の迎撃。ハインリッヒは単独行動で殲滅を謀る。

 …………どう見てもハインリッヒの負担が大きいのだ。今回は街中ではなく海上だ。従来の戦闘方法が機能しない以上、どうしても初陣の役割分担では労力に差は出てしまう。

 

 それをマリルが気付かないはずがなく、苦虫を潰した顔で船の操舵に集中している。この掟破りの速度で、粗さはともかく正確な距離感を掴んだまま人魚に接近するのには技術以上に精神力がいる。現にマリルはほんの少しだが疲労を見える。

 

 このままだとジリ貧だ。掃討できるかと言われれば可能ではあるが、マリルがいつまでも保つかと言われれば考えにくい。彼女だって人間だ。ロボットのように冷たくて残酷な一面はあっても、その全てが機械じゃない。だからこんな俺を彼女なりに守ってくれる。

 

 ハインリッヒも万能無敵ではない。個人だけでは、どうしても数の暴力は対処しきれない部分が存在する。特に防衛面に関しては如実だ。船の防衛には一向に参加できない。

 

 何か、何か打開策がないか——。

 人魚の数や猛攻は止まらず、俺たちは防戦を強いられる。

 金属バットだって、電動チェーンソーだって、野球ボールだって、双剣だって複数を処理するには基本的に向いてない。

 

 複数を対処するにはFPSとかなら手榴弾などの爆発物を使うか、RPG-7みたいなミサイルを使用するしかない。

 だが悲しいことに銃火器類はドールなどの生命体には効きづらい。何故ならドールは身体も精神も既に狂っており、腕の切断や心臓を打ち抜く、全身火傷にするなどでは活動を停止することはない。無力化には物理的に細切れにするか、関節という関節を全て折るなどの徹底さが必要だ。

 

 人魚も同じだ。

 牽制用に女性でも取り扱える低反動のサブマシンガンが準備されているが豆鉄砲もいいところだ。この状況では小銃の鉛玉と、節分の豆に差なんてない。むしろ腹拵えできるだけ豆の方が有意義だ。それぐらい銃火器は無力なのだ。

 

 このままでは、ここにいる全員が重傷を負うのは免れない。

 ハインリッヒがくれた戦闘服と宝石がなければ、脆弱・貧弱・軟弱な弱小キュービックな俺はすでに瀕死状態である。生傷だらけの肉体に、衣類としての役割が最低限しか果たせない戦闘服。だが戦闘服はズタボロになろうとも、概念的な防護が重要なのでこれでも機能としては問題なく機能するのは幸いだ。まだ戦える。

 

 戦闘に慣れてるソヤは無傷を維持しているが、疲労は隠しきれずは動きの繊細さが鈍くなってる。

 支援特化しているアニーも無傷だが、いつまでも集中力が続くわけもなく投球フォームと息に乱れがある。

 

「火、水、風、土、光、そしてカバラの蒼き守護者の名にかけて——、降臨せよっ!」

 

 だがハインリッヒの猛攻は止まることはない。

 彼女の背後には『蒼き守護者』と呼んでいる人型のオーラみたいなのが現出しており、ハインリッヒと共に超高速で人魚を対処する。そして汐焔も縦横無尽に戦場を駆け抜けており、接近する人魚の動きを次々と止めて、ハインリッヒはついでのような動作で処理をする。

 汐焔だけでは対処しきれず距離を詰める人魚もいるが、彼女は決して驕らず、むしろ全力で立ち向かう。一撃で腕を斬り、二撃で首を刈り、三撃で胴を断つ。

 双剣の輝きは増すばかり。だが至上の輝きには至らず。果ての見えぬ独壇場では、智恵はいつか輝きを燻らせるのだ。

 一体に対する斬撃が三撃から四撃へ。やがて五撃へ。それでもハインリッヒは舞い続けるしかない。

 

 ——ならば輝きを取り戻させよう。二人の主役を以て。

 

 途端、海上にて世界を裂く閃光が奔る。

 

「この光……どこかで……?」

 

「ああ、見たことあるに決まってる。だってあれは……」

 

 忘れるもんか。これは雷光だ、電撃だ、落雷だ。

 電光石火の瞬きで、海上に姿を見せる人魚を消し炭にする。

 

「レンお姉ちゃん、友達……。みんな傷つける……。イルカは許さない……っ!」

 

 ————天使が光臨した————

 

 苦戦を察して駆けつけたヘリから、雷光を纏うイルカは重力の法則に従わず、一定の速度で少しずつ降りてくる。

 トリックでもなんでもない。彼女が持つ『電撃』の応用で電磁浮遊しているだけだ。

 

 体格に不釣り合いな金属グローブから迸る青白い電撃を見て、江森発電所で初遭遇した時の少女の姿を思い出す。

 

 機械仕掛けの装甲とローブで隠れていたが、かつてのイルカは苛烈極まるドールとの戦闘の繰り返しで満身創痍であった。そこから保護して前線から撤退させたため、今の今まで本格的な戦闘など試したことはない。イルカが万全に戦闘を行うところは誰も見たことなかったのだ。

 

 だから俺は——いやアニーもイルカの正確な強さを見誤っていた。

 もしかしたら、この場にいる全員が。

 

 そもそもとして戦闘経験豊富なイルカが今までドールとの戦いに参加できなかったのには理由がある。療養の意味ももちろんあるが、一番の理由は『街中での戦闘に不向き』ということだ。

 

 少女が持つ魔法は『電撃』だ。それも極めて強力なもので、出力さえ上げれば人なんて一瞬で灰塵と化す。

 だが、それは社会に於いては強力ゆえに発揮してはならない。人間の社会というものは進化と発展を繰り返しいき、原始時代とは違い炎ではなく『情報』と寄り添う社会となった。人間が情報を扱うのではなく、情報が人間を扱うというどこか歪な感じとなって。

 

 ……実際、情報に守られてるからこそ俺は『レン』なのだ。文字通り肌身で情報というものを実感している。

 

 だが情報社会には致命的な欠陥がある。情報が人間を扱う以上、情報の絶対的価値は高まる。その体制を脅かすものがあるとすれば、それは社会崩壊を招く『テロ行為』に等しい。

 事実、新豊州では《サモントン条約》によって発電施設や情報関連施設などは非武装地域として定められており、どんな事情であれ戦闘及び工作を起こすのは第一級テロ活動として認定している。

 新豊州の【イージス】は普通の電撃どころか異質物武器の電磁攻撃では物ともしないのでイルカも問題なくはあるのだが、もしもの可能性もある。だから今までイルカは実戦で出されることはなかった。

 

 だが社会から離れた場所ならどうなる? 《サモントン条約》に定められてない地域から離れ、かつ電磁攻撃を放っても社会的問題が発生しない場所で戦うことになれば、イルカはその実力を十全に発揮するだろう。

 

 今この状況下において、イルカは『誰よりも強い』——。

 

「ここから先は、私の世界……。あなた達、焼き尽くされろ」

 

 眼前に広がる敵の波は少女の魔法を放つだけで無力化される。圧倒的な数を誇る人魚達はイルカに近づくことさえままならずに、肉体を黒く焼け溶けて海に還る。

 

 この圧倒的で暴力的な戦果、ファンタジー系RPGゲームとかで雷魔法や光魔法が優遇される理由がわかる。

「興味ないね」のセリフが有名なゲームでもリメイクされたら終始雷魔法は弱点を付けてたし……。

 

 ハインリッヒは笑みを浮かべて、一度船へと戻ってくる。

 これだけの戦果を見れば笑みも溢れよう。ここまで圧倒的な戦果だと一息吐いて笑みも出てしまう。

 だが彼女の笑みは俺とは違う。あれは『悪い笑顔』だ。何かを思いついたからやろうと魂胆している。

 

 あいつ、この状況下で不利益なことはしないと思うけど、何をしでかす気だ……!?

 

「イルカさん、ここは一つ連携技といきましょう」

 

「……おぉ〜! カッコいい!!」

 

 ……連携技とな? そんなの……そんなの……っ!! カッコいいに決まってるだろ……っ!!

 男子諸君……いや、全人類の心に刻まれたお約束じゃないか……!

 

 ハインリッヒだって「こういうの好きでしょ?」と言わんばかりに俺にドヤ顔を向けてくる。

 大好きです! 連携、合体、融合とか大好きです!!

 

「イルカさんは最大出力で電撃をタイミング良く放つだけでいいです。術の構成などの諸々はわたくしで微調整します」

 

「わかった、がんばって」

 

「あなた様に敬意と感謝を」

 

 ハインリッヒはイルカの前に出て、光の粒子で円陣と見覚えない図形をいくつか展開した。

 

「舞うは嵐、奏でるは災禍の調べ……。術式解放ッ! 蒼き守護者の名の下に、粛清せよっ!」

 

「認証コード、音声入力。Transient、Electromagnetic、Pulse、Surveillance、Technology……。機能解放、イルカ、狙い撃つ、ぜ……」

 

 二人の魔力は共鳴し、暴風が起きる。風が一つこちらに向かうだけで海を引き摺り、気流を荒らす。やがて暴風は雷を迸り、空気全体が緊張感を帯びていく。

 そして身体が無意識に警鐘を起こす。今すぐ逃げないといけないという生存本能、そして生物が持つ本能的な恐怖——嵐の予兆、天変地異の前触れを。

 奇跡を起こすのが錬金術なら、災禍を起こすのもまた錬金術が目指す一つの真理なり。

 

「「テンペスト・アタックッッ!!!」」

 

 駆け抜ける嵐は、海を巻き上げ空を裂いて世界を侵す——。

 災禍は眼前に映る全てを飲み込み、海でさえ楔を抜かれたかのように嵐を中心に海水が吸い込まれて水平線は露わになっていく。

 

 その時、海の隙間で光が見えた。

 途端、頭の中で衝撃が走る。心臓の鼓動が早くなる。耳が出血したのかと錯覚する。激しい目眩が襲う。

 

 言い表せない混沌とした感情が、溺れるように流れてくる。

 ああ、この感情は——。『魂』が塗りつぶされるような——。

 

 深い………………、

 

 深い…………、

 

 深い……、

 

 ……

 

 そこで意識が途切れる。

 まるで世界との繋がりが絶たれたかのように。



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第8節 〜浅滩〜

 ——『■』とは何か?

 意識を記録した■■■……hhhhhhh。

 

 物理学『■■』…………概念。幻覚、■。

 

 ——『深』淵に『潜』り込んでいけない。

 

 

『■■■■』とは……。

 自分が何らかの感覚を失ったとして……aaaaaaa。

 

 臨床研究……『■■■■症候群』。

『■』は虚実のイメージを作り続ける。

 

 ——『創』造された記憶に『反』するな。

 

 

 優秀な品格を……iiiiiii。

 今までの……思ったこと…………?

 

『人々が1つの■■に対して感じる■■■は、生まれつき…………?』

 

 さて、次に同じ■■が…………本当に……■■なのだろうか?

 

 ——今は『黙』して『示』された記録を歩め。

 

 

 2人を別々に監禁し、それぞれに『■■』と『■■』……。

 

          【この情報は確かですか?】

【この記憶は確かですか?】

     【この記録は確かですか?】

 

『……それぞれに『星尘(スターダスト)』と『□□(□□□□□)』とyyyyyyy……』

 

 【この情報は  汚染  されてます】

 

『星はTwinkle——。海はBoom——。2人はiiiiiii……』

 

 【この  記憶  は汚染されてます】

 

 ……『星』は『臨』む。『塵』となって『降』り注いだ『 』を。

 

 【この  ■■  は  ■■  されてます】

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

 ——ねぇ? 覚えている?

 

 ——『 』は待っているよ……。

 ——『宇宙』が見える『深海』の底で。

 

 

 ……

 …………

 ………………

 

 

 ………なんだこれは。

 

 ——頭痛がする。

 ——猛烈な頭痛だ。何度目だよ……。

 

 誰かがセメントを流し込んで、じわじわとかき混ぜているかのようだ……。

 頭の中にガンガンと響き、激しい耳鳴りが俺を襲う。

 俺……語彙力がなさすぎじゃないか。

 

 俺は……どうした?

 

 ゆっくりと脳を覚めさせる。

 人魚と戦って……ハインリッヒとイルカが嵐を作って……。

 

 そうだ——。嵐の中で見たんだ、強く光る何かを。

 

「……じょうぶ!? 起きて、レンちゃん! 大丈夫っ!?」

 

 身体が揺れて、ようやく俺は意識を取り戻す。

 目を開けるが視界は霞んでいる。それでも、心配げに顔を覗かせる少女の姿が映ってることはわかる。

 次に騒々しい音が聞こえた。辺りを見回すと水平線は見えない。とりあえず船の上ではなさそうだ。

 

「大丈夫……。……紙ある?」

 

「あるけど……何に使うの?」

 

「……ヨダレを拭かせてください」

 

「なるほどね」と少女は納得して、ポケットから携帯ティッシュを渡してくれた。

 ……毎回こういう時ヨダレ出るんだよなぁ。それで大抵何時間も寝ていて……。

 

「気絶してから3時間弱……マサダの時といい、レンちゃんは寝坊助かしら?」

 

「ありがとう、アニー……」

 

「……まだ寝ぼけてる。この顔が目に入らないのかな?」

 

 今度は頭を強く揺さぶられて意識が覚醒する。

 朧げだった視界も鮮明となり、少女の顔を認識する。髪色はアニーの青とは全く違うピンク。瞳は……青色とオレンジ色の二色だった。

 

「エ、エエエ、エミリオッ!!?」

 

「Exactly♪ ……どうやったら私とアニーを間違えるの? 声で間違えたとか?」

 

 そのとおりでございます……。

 

「そこまで似てないと思うけど……。ハインリッヒさんとバイジュウさんの声を間違えるぐらい」

 

「そうかな……そうかも……」

 

 覚醒した意識はあらゆる情報を明確に理解する。

 騒々しい音はヘリのプロペラ音。水平線が見えないのはここが空だからだ。つまり俺は現在ヘリの中にいるわけで……。

 

「あれ? 俺達が乗っていたボートは……?」

 

「魔力を帯びた嵐と無茶な運転が祟ってエンストよ。だからこうしてヘリで回収してあげてるの。ね、ヴィラ♪」

 

『そうだ。たくっ……イルカを連れてきたのもアタシ達なんだから礼ぐらい欲しいもんだな』

 

 ヘリの操縦席にいるであろうヴィラの声がスピーカーから聞こえる。二人の気の抜けた声を聞くだけで人魚の危機は一度脱して、ひとまずは大丈夫なことが伺える。

 

「他のみんなは……」

 

 機内を見回す。搭乗席には肩を寄せ合って眠りにつくアニーとイルカが目についた。

 この光景を見ると本当に出会った頃を思い出してしまう。江森発電所での出来事の際、同じようにヘリの中で俺もこんな風に一緒に寝ていたっけ。

 

「あら、お元気そうでなりよりですわ」

 

 傍らには物騒にもチェーンソーの点検をするソヤがいた。独特な修道服は今は脱いでおり、キャミソール一枚と完全脱力状態である。心なしか瞼は重そうであり、表情に妙な艶めきを感じる。

 

「ふぁ〜……。あっ、愛衣からレンさんに口伝えがありますわよ……」

 

「愛衣から? どんな?」

 

「『シンチェンが電波ビンビンに受信中。曰く「見える見えるシンチェンには見え〜る!」だって。海域に何かあるらしいからよろしくね』と、ひっへまひたふあぁ〜…………ぐぅ」

 

 原文ママに伝えてきたな……。

 自分の役割を終えて気が抜けたのか、最後には呂律がロクに回らず糸が切れた人形のようにソヤはチェーソーを抱きながら幸せそうに眠りについた。お勤めご苦労様。

 

「でも数時間も俺は寝てたんだろ? その間に何かしら見つかったんじゃないのか」

 

「イチゴ大福より甘ちゃんね。見つからないからこうしてソヤが伝えてるんじゃない」

 

「そマ?」

 

「そマよ、レンちゃん。私とヴィラが空から、マリルとハインリッヒは情報収集と修理ついでにボートで待機したまま探したけど、それっぽいのは見当たらなかったのよ」

 

『これが観測したデータのまとめだ』とヴィラは言って、操縦席から分厚いA4クリアファイルとタブレットを投げ渡してきた。

 中身を見てみるが一部は俺には理解できないものなので、仕方なく航空写真や海域全域の位相波動を数値化したデータも閲覧したが確かにこれと言った異変は見られない。

 タブレットの画面も変えて、ヘリの外装カメラとリアルタイムで共有してみるが何かしらの違和感は覚えない。

 

「う〜ん……。だったらこれ以上は俺が見ても手詰まりなんじゃ——」

 

 あれ、なんだろう。デジャヴを感じる。

 写真では見えない。カメラ越しでも見えない。データでも観測できない。『リーベルステラ号』で初めてシンチェンを会った時と相似点が多すぎる。

 

「ははっ、まさかね……」

 

 ヘリの窓を開けて安全を確認すると、少しだけ身を乗り出して海を見下ろす。

 未だに嵐の爪痕が残っていて、海流は何かを導くかのように渦巻いている。その先に俺は見た。

 

 まるで某一族の如く、小さな女の子の足が海上に生えているのを。

 

「——緊張感ないけど相当危険だな、アレ!!?」

 

 

 …………

 ……

 

 

 ——三十分後、ログハウス簡易作戦本部。

 

「お前は毎度毎度……」

 

「すいません本当すいません……」

 

 少女の救助活動は困難を極めたものの、とりあえずは一命を取り留めた。今はベッドの上で衰弱してはいるものの安らかな寝息を立てている。

 

 救出劇は聞くも涙、語るも涙の大スペクタクルだった。情けなさが極まって。

 

 ヘリは海上では低空飛行できない上に、少女の姿は俺しか分からないから俺が救助活動に向かうしかない。だが俺は泳ぎが得意じゃないのブタ手札っぷりに悪戦苦闘。

 最終的にはハインリッヒがエアロゲルスプレーと錬金術を駆使して簡易的な足場を作ってくれたことで少女の救出に成功した。

 

 以上、情けない大スペクタクル、完——。

 

「お前は事件が起きるたびに、幼女を保護という名目で拉致監禁する趣味があるなんてな…………。どこで育て方を間違ったのやら。ヨヨヨ……」

 

 わざとらしくマリルは目を拭い、悲しみに暮れるフリをする。

 何とも言えない表現なのだが否定できない事実に、俺はただ苦笑いをするしかない。

 

 今までの俺の実績。

 イルカ、チョコレートで懐柔。

 スクルド、ファビオラの一件で親しくなった。

 シンチェン、最初から懐いていた。

 今回、意識不明のところを保護←NEW!

 

 ……大丈夫だ、問題ない。今回以外は同意の下だから問題ない。そして今回は人命救助の末だ、道徳的に問題ない。

 

「しかしこうして間近で体験すると……奇妙なものだな」

 

 マリルは手にあるクラゲ状の物体を舐め回すように見る。

 シンチェンが落とした金平糖と同じように、少女が落とした謎の情報結晶体だ。アニーと同じように、マリルはそれを触ることで今現在少女の姿を視認できている。

 

 少女の姿は子供ながらとても雅な物だった。呼吸一つが規則正しく、まるで波の満ち引きを歌うように寝息を立てる。

 マリンブルーの髪は文字通り海のように煌びやかで淡く、撫でると手から滑り落ちる水と同じく綺麗に毛先一つさえ絡み付かずに指が通る。

 体つきからしてシンチェンよりも一つか二つほど年下だろうか。少女というより幼女に近い。

 

 これこそ、俺が知っている『人魚』に近しい存在だ。もっと言うなら『人魚姫』というものに。

 海のように精練で泡のように儚く消えそうなイメージが少女にはある。

 

 違いがあるとすれば、分かりにくいがシンチェンと同じような音楽機器が耳に装着してることだ。シンチェンは猫耳型ヘッドフォンだったが、少女の場合はクラゲのように配線が多いイヤホンだ。配線の先に端子はなく、ただ無意味にぶら下がっているだけ。ぶっちゃけイヤホン型の耳栓にも見える。

 

「私からは高度な立体映像にしか見えん……。それなのに光熱や電磁波は観測されない……。愛衣の気持ちも分からなくないな」

 

 その愛衣本人は現在名指しで少女との面会謝絶となっている。理由はもちろん実験対象として良からぬことをする恐れがあるから。今はアニーの監視の下、リビングで大人しく情報収集に努めているだろう。

 

「こうして触ると面白いわね。リーベルステラ号でも私が見えなかっただけで、あの子もこんな感じでいたんでしょ?」

 

 触れないホログラムに感動している子供のように、エミはその手を少女のあちこちに移して楽しんでいる。

「今ここでザクロジュースを零したら世にも奇妙な死体の完成ね」とか言ってるけど、それもうマサダでシンチェンがやった。

 

「レンちゃんだけ触れるなんていいね〜♪ どんな感じ?」

 

「普通の子供だよ、シンチェンと変わらない」

 

 俺は少女の頬に触れて指先で摘む。これを赤ちゃん肌というのだろう、突きたての餅みたいにプニプニで逃れ難い中毒感を感じる。

 エミやマリルからすれば立体映像に干渉する俺を見て興奮を隠せないでいる。当人からすれば自分しか触れられないって、割とホラーなんだけどね。

 

「こうしてみると確かに存在していることはわかるのにな……。金平糖共々このクラゲも後日検査に出すか」

 

 途端、ドアからトントントンと優しくノックする音が聞こえた。

 一度マリルと視線を合わせて「問題ない」と了承をもらうと、俺は「どうぞ」を入室を許可した。

 

「失礼します」

 

 入ってきたのは、雪のように繊細な肌を持つ黒髪の少女——。

 

「バイジュウか……。どうしたの?」

 

「回収された少女について、興味深い事を愛衣さんが言っていたのですが……。ベッドの上で寝てる子で間違いないですよね?」

 

「そうだよ。この女の子が……」

 

 ん? 待てよ——。

 俺が疑問に抱いた瞬間、マリルも違和感に気付いたようですぐさま問い質した。

 

「待て。お前、この子が『見えている』のか?」

 

「はい」とバイジュウは頷いた。

 マリルは少女を殴る勢いで触りにいくが、先程と同じく立体映像のように手は空く通過するだけだ。

 

「……この物体に触ったか?」

 

 今度は手に握り込んでいたミニクラゲをバイジュウに見せるが、彼女は「いいえ」と首を横に振る。そこで俺はやっと疑問が昇華された。

 バイジュウには『情報結晶体に触れなくとも少女の姿が見えている』ということに。

 

「……バイジュウ、この子に触ってみろ」

 

 やや興奮が混じりながらもマリルは冷静に席から立ち、バイジュウへと少女との接触を勧める。

 バイジュウも頷くと、昂る好奇心を抑えるように一度深呼吸をして少女の下へ向かう。そしてその手を少女へと向けると……。

 

 ——バイジュウの手は少女の髪を『撫でた』。

 

「……ッ!? まさか本当に……!」

 

「嘘っ!!?」

 

 予め覚悟していたとはいえ、俺もマリルと似たような驚愕の表情を浮かべているだろう。それぐらい衝撃的な光景だった。

 

 シンチェンも今現在みんなが視認して触れられるようになっているが、それができるようになったのはマサダブルクに入国してからだ。

 触れることができるのは俺だけで、視認することは結晶体を介さなければ不可能だった。だがバイジュウはどうだ。今何がどうなった。

 俺以外が触れた、結晶体を介さずに見た、そして存在が確立されてもいないのに上記二つを熟してしまった。

 

 それがどういう意味を持つのか。頭の悪い俺でも、今まさに愛衣やマリルが持つであろう探究欲が刺激される。

 

 エミに至っては興奮を隠す気さえなく、少女の身体を触ろうとするが自分の手では触られず、バイジュウの手を掴んで擬似的に触れる事を楽しんでいる。

 もちろん興奮とは一時的なものだ。自分でも何をしてるのか気づいたエミは恐る恐るバイジュウと視線を合わせる。バイジュウは驚きから何の反応を示すことができず石化。手を繋ぎあったまま二人して表情が固まる。

 非常に気まずそうだ。何だろう、学祭で冗談半分にキスしたらお互いに意識しちゃう感じに似てる。

 

「……手、温かいんだね。……バイジュウ、さん……」

 

「い、いえ……。……エミリオさんこそ、私より大きいんですね……手が……」

 

 二人してみるみる顔が赤くなっていく。こっちまで恥ずかしくなってきた。

 

 救いを求めるように俺はマリルを見る。

 この状況なら「生娘かっ」とでも一括浴びせたほうが二人の緊張が溶けるというのに、嗜虐心の権化であるマリルはこの状況を見逃すはずがなくニマニマと腹黒い笑みを浮かべて静観に入る。

 

 かといって俺もあの気まずい空間に割り込めるほど度胸は据わってない。というか、こういう女の子同士の間に入ろうとする男は某グラップラー漫画のようにボコボコにされる気がしてならないのだ。

 

「え、えーっと……指が、綺麗だね……」

 

「そ、その……エミリオさんも、爪が綺麗です……」

 

 というか二人して褒め合うな、それは褒め地獄だ。SNSで反応されたら反応を返し、またそれを返すという永久機関だぞ。

 

 だから手を離してっ。そしてこの空気をどうにかしてくださいっ。

 

「んぅ……んっ……?」

 

 などと祈っていると神は慈悲をくれた。

 未だに触れ続けるバイジュウの手が寝苦しくなったのか、少女はゆっくりと瞼を開いていく。

 

 少女の瞳を初めて見て俺は惹かれた。同時に寒気が感じた。それは深い、深い、深い…………。どこまでも深い……。海のように煌びやかで、海のように底が知れなくて、海のように…………。

 

『彼女』の瞳に俺は吸い込まれていく。

『□□』の瞳に俺は飲み込まれていく。

 

 脳裏にある言葉が浮かぶ。「深淵を除く時、深淵もまた覗いている」と。

 

 俺はあの言葉を思いだす。

 

 ——あなたは『海』が『何色』に見えますか?

 

 ……『何色』だ? この少女の瞳は俺には分からなかった。海としか言いようがない。

 深海、清漣、朝凪、夕凪、潮騒、潮汐…………。いやそんな言葉遊びはどうでもいい。本能さえも思考の海に溶かすのが一番まずい。

 何もかもを飲み込み、何もかもを吸い込み、何もかもを惹かせる貪欲で純粋で矛盾した海の瞳。

 

 少女の瞳はあまりにも人を『狂気』に魅入らせる。

 

 だけど同時に、俺は直感した。

 俺はこの子を『知っている』と。

 

「……っ!? ぅぅ〜〜〜っ!!」

 

 目覚めた少女は現状に恥ずかしさを感じてバイジュウの手を振り払う。同時にエミの手も離れる。

 周りからの奇異の視線を感じて自分の下に敷かれているベッドのシーツで顔を隠そうとするが、実体を持たない少女では掴むことなく、ますます顔は紅潮して耳まで真っ赤にする。そしてイヤホンの光学部分は真っ赤に点滅を繰り返し、配線端子は犬の尻尾のように動き続ける。

 

 その時には少女の瞳はただのオーシャンブルーでしかなくなる。海みたいに煌びやかで、海みたいに静けさを感じる。ただそれだけだ。それ以上特別な感情は溢れはしない。

 

 至って普通の……いや身体的特徴を考慮したら普通とはだいぶ離れているが、それ言ったら俺は元は男だ、いや男だ。元ではない。ただ身体が生物学的に、そして電子情報や戸籍的にも女の子であって俺は歴とした男だ。

 ……ここまで来ると判断材料って個人の視点ってかなり入るんだな。

 

「ぁぅぁぅぁぅ……」

 

 ともかく少女は『普通の女の子』としか今は感じない。目が覚めたら見知らぬ人が自分を取り囲むようにいるという状況、子供からすれば圧迫感からパニックを引き起こすのは当然だ。

 こういう時はどうすればいいのかなぁ、とか思いながら俺は子供時代の思い出を振り返る。

 母さんが遊園地に連れて行ってくれて、俺が迷子になって、無茶苦茶泣き叫びながらも女性のスタッフが対応してくれて……。

 

「…………バイジュウは子供の相手できる?」

 

「てんで分からないです……」

 

 冷や汗を垂らしながら頬を掻くバイジュウ。子供のパニック状態は雛鳥と一緒で、最初に見た人とコミュニケーションを取って周りは距離を置いてフォローに回るほうがスムーズに行きやすい。

 とはいってもバイジュウ本人が子供の相手が分からないとなるとなぁ……。

 

「じゃあ私が相手しようか? 孤児院でも面倒見たことあるし」

 

「やっ!! ぴんくのひと、いやっ!!」

 

 舌足らずながらも少女の残酷な発言にエミは酷く傷ついたようだ。

 ヴィラの姉貴分を自負していることもあり「この道も長い姉貴肌なのに……!」とショックのあまり壁に語りかけてしまう始末だ。

 

「では私が相手しよう。親と子という意味では馬鹿の面倒を見てるしな」

 

 不出来な子で悪かったですねっ。

 

「そこのはばねろおばあちゃんもやっ!」

 

「ハバネッ……!? このクソガキッ……!!」

 

「落ち着けってマリル……!!」

 

 確かにマリルは赤いし世界一辛辣かもしれないけど、初対面の相手に暴言をぶつけるほどかっ!?

 ただここまで遠慮がないと、違う意味でますますシンチェンに似ているなぁ……。

 

「じゃあ誰がいいかな?」

 

 視線を合わせてバイジュウは優しく少女の手を握りながら問う。

 

「くーるびゅーてぃーなひとと、ばかなお姉ちゃんがいい……」

 

 最初にバイジュウ、次に俺を見る少女。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 …………………………。

 

 ————このクソガキィィイイイイ!!

 

「気持ちはわかるけど落ち着いてレンちゃん!」

 

「どいてエミッ! そいつ怒れないッ!」

 

 今! 俺の怒りが有頂天でヒャッハーッッ!!!

 

「レンさん、静かにしてくださいっ! この子がまた怯えちゃいますっ!」

 

「ご、ごめんバイジュウ……」

 

「他の皆さんも一度落ち着いて、私とレンさんでこの子の面倒をしますので速やかに退室を」

 

 バイジュウの言葉に渋々とマリルとエミが部屋から出て行く。

 まるで母親の逆鱗に触れた子供のようだ。反抗したいことはあるが、同時に逆らうと目前の面倒が降りかかるのもわかるので従うしかない。

 

 やがて部屋は俺とバイジュウと少女の三人となり静寂に包まれる。暫く無言で見つめ合うと、バイジュウは意を決して話を始める。

 

「君の名前教えてくれる?」

 

「ハ、ハイ……いいですぅ……」

 

 先ほどの生意気な口に反して想像できないほど潮らしくなる。水を失った魚というか、波が引いた砂浜というべきか。とにかくすごい二面性だな……。

 

「名前わかる?」

 

「あぅ、わかりますぅ……」

 

「じゃあ教えてくれる?」

 

「ハイっ、い、いいです……っ」

 

 ——??? なんか妙に会話が噛み合わないな……?

 

 子供はこういう時、本当のことしか言わない。ただパニックってるだけで、情報の伝達がおかしくなるだけだ。例えるなら飴、雨。期間、帰還。そんな感じだ。

 となると……既に彼女は名前を言っているのか? だとしたら……考えられる組み合わせは……。

 

「バイジュウ、俺が聞く」

 

「……任せます」

 

 バイジュウと席を代わり、少女の前に座る。

 

「君の名前は『ハイ、イイ』なのかな? それとも——」

 

 俺の問いに、少女は壊れた人形のように高速で紅潮した顔を何度も頷かせると、これまたネジマキが狂ったように緊張した声で言った。

 

「ひ、ひゃい……私は、『ハイイー』ですっ」



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第9節 〜海伊〜

あの漢字が変換対応してないぞ、ジョジョーーーーッ!!


「ハイイーですか……」

 

「ひゃい……。わたしのなまえはひゃいいいですぅ……」

 

 とんでもない二面性は分かっていたが、想像してたより緊張感を持った様子で少女は返答する。

 

「ありがとう、怖い思いさせちゃったね。えっと……」

 

 バイジュウは懐から四角形の銀紙包装の物体をいくつか取り出す。

 

「キャラメル食べる?」

 

「バイジュウ、多分実体はまだ持ってないから口にできない」

 

「そうでした……」

 

 バイジュウは少し恥ずかしそうにキャラメルを枕の横に置いておく。実体を持ったらいつでも食べれるようにした配慮だろう。

 

「じゃあ自己紹介しようか。私はバイジュウ。隣にいるのはレン」

 

「ばいじゅう……? ばいじゅう……? ……しろいおさけ?」

 

 随分噛み締めるように名前を言うな……。まるで知識だけはあるのに発声が追いついてないような……。いや逆か? 発声器官は問題ないのに知識がないからなのか?

 

「似てるけど、それはパイチュウまたはパイチョウかなぁ。私はバイジュウだね」

 

「ばいじゅう、バイじゅう、バイジュウ……。うん覚えた、くーるびゅーてぃーはバイジュウ……。……バイジュウ!!」

 

「はい。クールビューティー、バイジュウです」

 

 天然が入ってるのか? それとも子供のテンションに合わせているからか? バイジュウが『クールビューティー』を自称する姿は少し面白い。

 

「となりのばかが……レンっ」

 

 吐き捨てるように言うなよ!?

 

「レンっ、お姉ちゃん……。そうだ、お姉ちゃん! レンはお姉ちゃん!」

 

「……レンさんの妹ですか?」

 

「一人っ子だよ」

 

 じゃなかったら妹系のゲームは多分やってない。

 

「…………記憶違い? いや思い違い……? でも……」

 

 なにやらバイジュウは思考に耽っている。

 少女に関する手掛かりが思いついたのか?

 

 と思ったら胸に痺れが走る。マリル達からの連絡なのだが、声を発することはなく接続を繰り返して痺れを断続的に与え続ける。

 

 ——まるで目前の危機を警告するかのように。

 

「……レンさんって一人っ子でしたっけ?」

 

 ————あ゛っ!!?

 

「いやいやいや!! 兄貴いる! いましたっ!」

 

「ですよね。航空機の事故で行方不明だと聞いていたんですが……」

 

「あまりにも思い出したくない物だったからすっかり……っ!!」

 

 っっっっっっぶねぇぇええええええええ!!?!? とんでもない即死トラップだったぁぁああああああああああ!!!!

 

 普段「俺は女の子」とか乙女設定に慣れすぎてるせいで、家族設定のことをすっかりと忘れていた! 

 

 今の俺は……というか『レン』はマリル・フォン・ブラウンに養子的なもので保護されているが、生まれや育ちは男の時と一緒だ。ただ一つ追加されている虚偽の情報があって、レンはあくまで『俺』の妹であり、その兄貴である『俺』は母さんとの航空機事故と一緒に行方不明になったという設定だったんだぁ……!!

 

「そう、ですよね…………。すいません、不躾に聞いてしまいました……」

 

「いやいいよ、へいきへいき。おれはっ……、いいや! わたしはあにきのことそこまですきじゃないから……」

 

 自分でもとんでもない失敗をしたと思い、弁明しようとした言葉全てが震えていた。こうなってしまうと、好きでもない兄貴の影響で俺を一人称で使うのさえ違和感を感じて一人称を変えてしまいたくもなる。

 

 ぁぁぁ……! 穴があったら入らせてくれぇ……っ。

 

「はくじょーもの! レンお姉ちゃん、はくじょーもの!」

 

「黙らっしゃい!」

 

「だまら……? ……だまらっしゃしゃ? ……だまらっしゃしゃ!」

 

「違う。しゃしゃじゃなくて、しゃいだ」

 

「だまらっしゃいしゃい!」

 

「バット! リピートアフタミー? だ・ま・ら・しゃ・い!」

 

「ばっとばっと! りぴーと、へるぴみー! だまらっしゃい!」

 

「ヘルプミー!? 助けて欲しくなってる!?」

 

「へるぷゆー?」

 

「助けられてるねぇ……」

 

「真面目に答える必要ないと思いますよ」

 

 ごもっともです、バイジュウさん。

 

 ……しかし気になることがある。少女から聞いた言葉はまだ少ないとはいえ、その全ては舌足らずだ。バイジュウの名前さえ噛み締めるように言わないといけないほどだ。

 それなのにある二つの単語だけ非常に流暢だ。俺の名前『レン』と『お姉ちゃん』…………。名前の『ハイイー』も含めたら三つか。シンチェンが無性にマサダを目指したように、少女の方針を決める道標になるかもしれない。

 

 今のままだと情報が少なすぎる。『レン』『ハイイー』『お姉ちゃん』では何も繋がりが持てない。

 ……だとしたら試してみる価値はあるか。逆にどんな言葉や単語なら流暢に喋れるのかを。

 

 とはいっても尋問紛いなことは少女には酷だし、まだ俺個人での考えに過ぎない。みんなと相談してから本格的に勧めればいいだろう。

 

「バイジュウ、ハイイーもある程度落ち着いたみたいだし、リビングで合流する?」

 

「そうしましょうか。ハイイーちゃん、さっきよりも多くの人と会いますが大丈夫かな?」

 

「うん……。だいじょうぶ」

 

 ……『大丈夫』は違うと。

 忘れていった枕横にあるキャラメルを俺は回収して、俺達はリビングへと向かった。

 

 

 …………

 ……

 

 

「レンちゃ〜〜んんっ♡♡ これを見てみてぇ〜〜〜〜♡♡♡」

 

 リビングに向かって開口一番、愛衣が発情期を迎えた野生動物みたいに艶めきを帯びた声で興奮していた。そこまでくると「見て」のニュアンスも誤解されかねない。

 暴走する愛衣を「待っていた」と言わんばかりにマリルは金平糖(情報結晶体)を投げつけて黙らせた。

 

「いったぁあああああ!!? 貴重なサンプルを存外に扱わないでよっ!!」

 

「この程度で壊れるわけがないのは知ってるだろ」

 

「そうだけど……まあいいか。とにかくっ! レンちゃんには寝耳に水かもしれないけど凄いことが分かったよ!」

 

 起きても耳を通り過ぎると思う。

 

「じゃんじゃじゃ〜ん! 今明かされる衝撃の真実ぅ〜!!」

 

 そう言ってリビングの液晶モニターに、愛衣が操作するタブレットの画面が共有される。

 表示されたのは二つの情報データの解析内容。片方は見覚えがある、これは『シンチェン』と溢した情報結晶体の情報だ。そのほとんどが不明ものだと言っていた覚えがあるが、今は解読不能な羅列の一部が赤文字でマーキングされてある。

 

「バイジュウも含めて詳細までは把握してない人もいるから、改めてこのデータの説明をさせてもらうわ。担当は私、戦研部主任である愛衣が務めさせて頂きます」

 

 仰々しく一つお辞儀をすると、先ほどの野生全開の表情はどこへ行ったのか、愛衣は今まで見たことない真面目な顔となってモニターの前へと移る。

 

「これはシンチェンが保有する情報結晶体、型式名称『柔和星晶』または『金平糖』と呼ばれるものから検査した情報となります」

 

「おぉぉ〜〜……。そんな名前があったのか〜〜……」

 

 当のシンチェンはどうでも良さげに目を伏せて反応している。

 

「見ての通り情報は人類が持つあらゆる言語と一致しておりません。……そしてあらゆる法則性も見当たっていません」

 

「あらゆる言語に一致しない……。解読しきれてない考古学文字とかも含めてですか?」

 

 誰よりも早く愛衣の言葉にバイジュウが食いついた。

 

「含めてだね。理由は簡単に言うと特殊なアルゴリズムで構成されてるから、と言えるんだけど……実際は一段階どころか一次元も違うんだ。そもそもとして別種の情報として出力されてる『何か』を無理矢理『アルゴリズム』に変換してるに過ぎないからね。十進数を二進数で表現するのとは訳が違う」

 

「十進数……? 二進数……?」

 

 ゲームで聞いたことはあるが意味は詳しく知らない。

 

「無知……と言いたいけどレンちゃんの学年だと習わないか。まあ今は物の例えだから気にする必要ないよ。話し続けるね」

 

 ……俺黙ってよ。絶対に話の腰を折る。質問は話が全部終わったからだ。

 

「C++、Java、PHP……。すべて独自のコードとアルゴリズムで処理してるけど、結局のところ全ては人間が理解できる言語の一つにしか過ぎない。だから日常でもよく起こる。動作なら電子レンジはボタンを押せば作動する、冷蔵庫は中身を冷却する……。言葉なら山と言ったら川。ツーと言ったらカー。おまたせと言ったらアイスティーみたいに。……なんでそうなるのか『理解してないのを理解した』まま」

 

 ……。

 

「もちろんこれは悲観することじゃない、むしろ技術として惜しみなく称賛すべきさ。肥大化した社会は情報の『簡略化』と『統一』を求める。だからインターネット言語も少しずつ変える。藁ではなく草、草ではなくW。『了解』も『りょ』だけで伝わるようになる。支払いも現代では紙幣ではなくWebマネーさ。会員カードもコンビニを中心に連盟店が数多く存在している」

 

 …………。

 

「同時に悲劇も生まれる。統一されて多様化した一つの情報は愚者を浮き彫りにする。例えばスマートフォン、勘違いしがちだけどこれは固定電話を発展させたものじゃない。パーソナルコンピュータを極限にまで小型化したものに過ぎない。賢者なら正しく使うし、凡人なら間違いを起こさない。だが愚者は過ちを犯す。参考例は星の数ほど想像つくだろう?」

 

 ………………。

 

「だから人間は『情報』に呑まれる。今や『情報』こそが中心さ。人間なんて情報のアタッチメントと錯覚するほどにね。SNSで様々なコミュニケーションが取られるけど、果たして君も相手も『互い』をどこまで『理解』してるかなぁ? 二進数の羅列に浮かぶ情報だけで相手を理解した気になる……。いや言い変えよう、確かに理解はしている。文字の意味を、文字に込めた想いを。その感受性があるからこそ小説、ドラマ、演劇、歌、アニメのエンターテインメントは映えるのさ。ならば『人間』はいるのかなぁ? 欲しいの『人間』ではなく中身、つまりは『情報』またの名を『技術』『感性』『個性』……例えは何でもいいや。だから言うでしょう、神絵師の手を食って神絵師になりたいとかさ」

 

 ……………………そろそろ知恵熱出そう。

 

「まぁ、難しい問答をしたけど私として当然『人間』が存在しなきゃいけないというけどね。医療関係者だから命を粗末にするわけにもいかないし、そもそもこういう哲学問答が発生するからこその『人間』だ。『情報』が支配する社会では、確かに人間の価値は0でしかないけど同時に0でもある。人間という絶対的な指標があるからこそ『情報』は絶対的に等しい相対的な価値を宿す。人間がいないと『情報』は破綻するのさ」

 

 ……難し過ぎて意味わからん。

 人間は人間だし、情報は情報だ。それ以上でもそれ以下でもないと個人的には思ってしまう。

 

 ……ん? 似たようなこと前に考えなかったか?

 

「…………まあ、こんな哲学的な部分は心底どうでもいいんだけどね」

 

 流し目で俺を見た後、獲物を捕らえるように愛衣は猟奇的な視線でベアトリーチェを定めた。

 

 ……考えたら死者同然のベアトリーチェが肉体を再構成して復活するというトンチキ過ぎる経験したら哲学の一つや二つ吹き飛ぶ。

 公表したら宗教倫理の根本からひっくり返されるから、未だに知っているのはスカイホテル事件で居合わせた俺、アニー、ラファエル、マリル、愛衣、そして交渉材料で得たソヤ、あと研究に没頭してたら自力で到達したハインリッヒだ。

 

 中でもラファエルは今でも鮮明に思い出せるほど激しく気を荒げて、ベアトリーチェの所在を徹底的に追及した末で自分に納得のいく結論が出るまで自国で自主的に調査したほどだ。

 宗教国家であるサモントンで、その責任者の孫娘である彼女にとっては価値観そのものが引っくり返るに違いない。

 

 ……そんな衝撃的な体験をしたら、彼女の倫理にある『情報』というのは酷く意味が変わる。それはつまり人間の『生死』さえ『情報』の一部なりかけないのだから。

 

「そうですねぇ。私だってある意味『情報』だけになって悠久の時を過ごしましたけど、人間だからこうして今は謳歌してるわけですし……。早く本題へと移してください」

 

 退屈そうに欠伸をするハインリッヒ。当人からすれば生前か『因果の狭間』で到達した思考なのだろう。前述の話を全く聞き耳を持っていない様子だ。

 

「こんな退屈な哲学問答だって立派な証明だよ。だって、こうやって君たちは身を持って体験したはずさ。話を聞いたか聞いてないか、賢者と愚者の体験をね。果たして『理解したのを理解した』のか『理解できないのを理解した』のか……。あっ、レンちゃんは当然前者としては期待してないからっ♪」

 

 その通りですけど、最後の最後でいつもの調子に戻るなっ!!

 

「だからこそ、この情報結晶体は狂気に満ち溢れてる。こいつは『何か』が『情報』になっているのに、一切『情報』としての価値が把握できない。そしてこうして『アルゴリズム』化しても、現代では到達し得ない言語で構成されている……。高次元というべきか、超常に塗れてるというか……。魂や光の物質化、時間の固形化、マイナス化した炎、並行世界の観測、惑星の意思表明……。絵空事と言われた推測や空論などの価値を持つ情報は、この情報結晶体の中では理論として成立するほどの『情報』が圧縮されてる……。こんな金平糖一欠片でどれくらいの情報量があると思う? ……YB(ヨタバイト)だよ? 2の80乗か10の24乗だよ。TB(テラバイト)の四段階も上だよ。桁数なら『禾予(ジョ)』。一、十、百、千、万、跳んで億、兆、京、垓……次に『禾予(ジョ)』だよ。こんな一欠片でだよ?」

 

「あはははは!!」と狂気——というより狂喜に魅入られた愛衣の笑い声が笑い声が響く。その声は依然艶やかなのだが、何か負の感情を噛みしめてもいる。

 

「くやしいなぁ、くやしいなぁ……。何も分からないなんて、くやしいよぉ……」

 

 感極まって涙さえ浮かべ始める愛衣。言葉では悔し涙に聞こえるかもしれないが、表情は明るく笑顔のままだ。

 あれは喜んでいる、というより——悦んでいる。

 

「科学者なのに何も分かんないっ!! だというのに、このクラゲ型の情報結晶体……『柔積水晶』はいとも簡単に、こっちを見下したようにぃぃいいいい!!」

 

 怒りと悦びに満ちた声で愛衣はタブレットを操作してスクリーン上にもう一つ羅列されたデータが表示される。

 話からしてハイイーが落とした情報結晶体の内容だろう。金平糖と同じように赤文字でマーキングされてる文字があり、見比べてみると赤文字の部分は表記は全く同じだった。

 

「わかる? この意味? この情報結晶体二つは「お前ら凡クラのために教えてやる」と言わんばかりに情報の一部を『理解できるアルゴリズム』に変換してきたっ!! しかも同じ情報を同じタイミングで示し合わせたっ!!」

 

「情報が、情報を!?」

 

 俺は驚く。続いてバイジュウは質問する。

 

「『情報』の正体は高度に発達したAIということですか?」

 

「これをAIで片付けたら人類は今頃愚かさで絶滅してるね。もっと現実離れした……概念が情報結晶体の中で実体、命、魂を『確立』してるんだよ……」

 

 興奮を誤魔化すように愛衣は顔を伏せる。

 

「いやぁ、あまりにも研究者として完全敗北……。何も理解できないまま理解させられる……。悔しくて惨めで情けなくてね……………」

 

 伏せた顔に光が差し、愛衣は悦びの思考に身を浸した。表情は紅潮を帯びたまま、緩む頬が崩れないように手で押さえている。

 

「——興奮しちゃぅぅうううううううう♡♡♡ 探究心もっ♡ 被虐心もっ♡ 嗜虐心もっ♡ コリッコリに刺激されるぅぅうううう♡♡♡」

 

 ……想像以上にやべぇ。

 完全に脳内麻薬が彼女のあらゆる感覚を絶頂させてる。今なら五感全てが彼女を満たす悦楽の対象だ。

 

「あぁん♡ だけど次は絶対負けなぁい♡ 今度は私が絶対に暴いてやるんだからっ♡♡♡」

 

 控えめに言って…………控えめに言って……。

 …………………………うん、全部アウトだわ。

 

「今だッ!」

 

 愛衣の顔面にマリルの強烈な手刀が直撃する。「げぼらっ!」とおおよそ女性らしくない悲鳴を上げたが、その衝撃のおかげで愛衣は正気に戻ったようであり、赤く腫れた顔を除けばいつもの表情に元通りだ。

 

「ありがとう、マリル。ちょっと脳内トリップしちゃってた……」

 

「重要な話ばかりするから止めようにも止めにくいんだ。発散するなら我慢せずに適度にやってくれ。それにな……」

 

 周りを見るようマリルはジェスチャーする。俺も愛衣も見回した。

 

 アニー、白目を剥いて意識が明後日の方向に逝っていた。

 イルカ、豆乳シャーベットに夢中。

 ベアトリーチェ、渇いた笑みで冷や汗を流している。

 ソヤ、全体的に表情が固い。笑ってる時に頭痛が起きた感じだ。

 エミリオ、脳内キャパを超えてるのか眉間に皺を寄せてる。

 ヴィラ、姉貴分と同じく脳内キャパを超えて青ざめてる。

 バイジュウ、大真面目に聞いている。

 ハインリッヒ、欠伸をして興味なさげである。

 シンチェン、最初から話を聞いておらず緩い顔でゲームをしている。

 ハイイー、興味深そうにシンチェンを見ていて同じく話を聞いていない。

 

 ……死屍累々の阿鼻叫喚だな。

 

「一度休憩だ。話の続きは、コーヒーが冷めた後でもいいだろう」

 

 そう言ってマリルはキッチンへと向かいコーヒー豆を挽いた。



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第10節 〜海底〜

 疲弊した精神が安らいだところで会議は再開される。

 子供組(イルカ、シンチェン、ハイイー)は難しい話など最初から知らん、という感じでボードゲームに打ち込むが、全員初めてやるゲームのせいか説明書と睨めっこしているのが微笑ましい。

 

「……んっ、ぷっはぁ〜! じゃあ会議を再開しようかっ!」

 

 特製のエナジードリンクを飲み干した愛衣は再びタブレットを手に取ってスクリーンの前へと移る。皆もすでに座椅子に腰を置いたり、壁に背を預けていたりと各自落ち着く体勢で愛衣の話を聞き始めた。

 

「この赤文字で表示されたアルゴリズム……。これを解析した結果、圧縮されたファイルを発見したの。中身は画像が3枚とそれに対するテキストデータが各1枚ずつ」

 

 スクリーン上に三つの画像が表示される。

 一つは何かしらの建物を屋内を撮影したものだ。ドーム状の建造をしており、天井は燻んだ白色で覆い尽くされており、まるでプラネタリウムのようだ。 

 だというのに室内には投影機は一切見受けられず、あるのは中央に安置されてる円状のテーブルのみ。円状の魔道陣を施した脚まで隠す長い群青色のテーブルクロスが敷かれており、机上には水晶玉と散乱されているカードが何十枚と見える。

 

「これは『観星台』とデータでは書かれている……。場所も不明、画像では建材料も分からず絞り込む事は不可能……。現状は謎としか言いようがない」

 

 続いて二つ目の画像が表示される。それを一目見て俺は苦手意識を覚えた。

 陳列される本、本、本本本…………。世界を覆うほどの本棚の数々。それら全てに本が隙間なく納められる。その総数は国立図書館を遥かに凌駕している。表現が乏しいが、俺の知る尺度ではそれが限界だ。他に比べようがない。

 漫画なら心躍るが、装飾や厚さからして辞典などの類に近い。勉強が苦手な俺にはこの光景は非常に堪える。

 

「2枚目は逆に名称がなく座標だけがあるんだけど……これが奇怪でね。示した座標は『赤経 3h 47m 24s、赤緯 +24° 7′ 0″』……」

 

 座標が言われた瞬間「『プレアデス星団』」と小さく呟いた声がリビングに響く。愛衣でも、マリルでもない。かといって博識のバイジュウ、ハインリッヒの声でもない。

 

「『プレアデス星団』……またはM45、昴(すばる)と呼ばれる牡牛座の散開星団。約6千万から1億歳と比較的若い年齢が集う青白い星の集合群。ギリシア神話、中国、日本など様々な言い伝えや創作があり、代表的なのは『プレイアデス七人姉妹』や、清少納言が著した枕草子の一節『星はすばる』などがある。他にもカードゲームなら『セイクリッド・プレアデス』の名称だけで畏怖する決闘者がいる」

 

 恐る恐る皆が振り返る。振り返った先にはボードゲームに視線を向けながら、焦点がまるで合わずに譫言のように口にするシンチェンの姿があった。

 難しい言葉を並べるシンチェンの姿がカッコいいからか、イルカとハイイーはシンチェンへと惜しみない拍手を送っている。

 

「シンチェン、毎度言うが……」

 

「全然分かんないっ!!」

 

 ありがとう、いつも通りの君で安心する。

 

「……まあ、『プレアデス星団』は一般教養はそんなところかな。だけどね……この二つの情報結晶体、送信元が『プレアデス星団』の特定区域ってことも既に分かってたんだ。問題は特定区域が何なのか……。そんな時にプレアデスを示した座標と謎の『図書館』の画像。推測するに……」

 

「……この『図書館』が特定区域に当たるというのですね」

 

 バイジュウは確認するように聞くと、愛衣は頷いた。その表情は少しだけ紅潮気味であり、異変に気付いたマリルは目からビームを放っているのではないかと錯覚するほど視線で愛衣を威圧する。

 戯言一つ言わせまい重圧だ。空気が重くなるのを感じた愛衣は咳払いをして話を続ける。

 

「あくまで可能性だけどね、砂漠に落ちた針を探すよりかはマシ程度の。とはいってもこれは優先順位としては低い。重要なのは次さ」

 

 三枚目の画像が表示される。

 これは……ジェットコースター、というべきだろうか。青々とした世界に螺旋状のレールが深淵に向かって延々と伸び続けている。比較対象がないため具体的な大きさは把握できないが、写真を見る限りは高層ビルの高さを遥かに凌駕する長さだと思える。螺旋の中央にはいくつか球体型施設があり、最深部にはそれまでの施設よりも何倍も大きい網目模様の球体型施設があった。

 同時に、最後の施設は写真でも廃墟とわかる程度には一部は朽ち果てており、建造されてから長い年月が経っていることも推測できる。

 

「これは2017年頃、ある企業を中心に各国から未来都市計画の一環として援助されてた海底施設、通称『Ocean Spiral(オーシャン・スパイラル)』と呼ばれるもの。本当は2030年に完成する予定だったんだ」

 

「それなら私も知ってます。上昇する海面、困窮する資源、排出されるCO2、当時様々な問題に直面した人類の持続性を上げるために考案された開拓計画……。都市部から離れている事から2025年頃には異質物研究の黎明期ということもあって研究機関の最前線にする構想もあったほどです。しかし……」

 

 バイジュウは言いづらそうに俺を見る。俺だって馬鹿だけど鈍いわけじゃない、その視線の意図は見当がつく。だから思っていることをすぐに口にした。

 

「『七年戦争』の、影響か……」

 

 今は2037年。『Ocean Spiral』の建設予定年はちょうど七年前。

 ——つまりは『七年戦争』の被害にあったことは少し知恵があれば誰でも分かる。

 

 当時は人類の希望として活気に満ちた物だと、母さんも言っていたっけ。七年以上前ならアニーも知っている様で、「そんなことあったな〜」と懐かしんでいる。

 

「そう、七年戦争のおかげで財政や国家は一変して崩壊。未来都市計画なんて破綻して、今では六大学園都市が中心となり環境問題は異質物研究の一環で解消済み。建設目的すべてが達成されたから、お役目ごめんと戦後は廃棄されたものなんだ」

 

 そんな廃棄された施設に何の意味があるんだ……? 意思ある情報が人間に見せるために変換したんだ。情報の価値としては当然あるに決まっている。

 

「これは盲点だったよ。表示されてる座標は丁度時空位相波動を観測した場所を示してる……。まさか正体はアトランティスでも、並行世界や都市のワープとかじゃなくて、忘却の都という単純な物だったなんてね」

 

「じゃあ今観測されてる時空位相波動って『Ocean Spiral』で発生してるのか!?」

 

「だと思うんだよ。だけど致命的な矛盾が一つだけある。『Ocean Spial』は新豊州の海域内で建造されていないんだよ。プレートの関係で地震や海底火山が少ない西アフリカの海域に建造されてるんだよ」

 

「とはいっても『記録上』の話だろう? 重要な施設なんだ、正確な建造場所を有耶無耶にするのも別に不思議ではない。SIDで調査すれば真相も分かるさ」

 

「そこは後日って感じだね〜。それに場所の座標を無視すれば、今回の話もすべて辻褄も合う」

 

 愛衣はタブレットを操作して画面に更なる画像とデータが追加する。俺達が海上で戦った人魚と、何やら二つのデータを比較した線グラフなどを纏めた資料だ。

 

「レンちゃん達が交戦した人魚みたいな敵……。『マーメイド』と呼称するね。脳波から発せられる電磁波とかを調べたら『ドール』と一緒だったんだ。だから素体はまず間違いなく私達と同じ『人間』……『Ocean Spiral』は海底都市ということもあって研究者用の居住区や異質物研究の施設も内包してると考えると……」

 

「研究者が『ドール』となり、環境に適応した結果が『マーメイド』ということか。『ドール』とはいえ素体が人間である以上は、できることはどんなに極めても人間が機能として行える範囲に過ぎない。……地上で生きる人間にはエラ呼吸や深海の水圧に耐える肉体構造はしてないが、それは異質物の影響か、それともまた何か別の影響で変化したとみるか……」

 

 マリルは一人納得した表情を浮かべる。

 

「人間が人魚になるなんて、異質物とはいえそんな馬鹿な事があるのかよ」

 

「そんな馬鹿な事と似た事をしてるサンプルを私は知ってるぞ」

 

 そうでした。俺は男から女になった馬鹿なサンプルでした。

 

「時空位相波動が起きたのはマーメイド誕生によるもの……。だとしたら疑問点は廃棄施設とはいえ管理されていた異質物が何故『今頃になって起動した』のか……。満月の周期は約一ヶ月、正確には29.5日……これだけが条件ならもっと前に時空位相波動は発生している」

 

「何かキッカケがあったには違いないが、そればかりは『Ocean Spiral』に直接潜入して情報収集するしかないな」

 

 …………愛衣とマリルの話を聞いても俺の疑問は深まるだけだった。

 人魚——マーメイドがドールと性質が似てるのも分かった。発生した理由も分かった。問題は次々と解決していて、後は事態を落ち着かせるだけに見える。

 

 だけど、ある部分だけの疑問は未だに尽きない。俺は脳内に刻まれた彼女の言葉を思い出してしまう。

 

 ——あなたは海が何色に見えますか?

 

 今までの情報整理に、彼女の質問を連想させる物なんて何一つ見当たらない。

 

 …………まだ何も解決してないんだ。

 

「……そうなると潜入部隊を作らないといけないね。ここまでに何か質問とかある? 無いなら部隊編成に話を変えたいんだけど」

 

「すみません……。質問というより提案なのですが、その部隊編成に私を入れてもらえませんか? いえ、入れないといけませんよね?」

 

 希望を出したのはバイジュウだ。現状、彼女はここでは客人に過ぎない。SIDのエージェントとしての役職はあっても、今回の作戦に参加する権限などは一切持たないのだ。

 

「……できないって言いたいけど、上手いところで切り込んでくるなぁ……。そうだよ、バイジュウの言う通り。できれば作戦に参加してもらいたいんだ」

 

 俺にとっては不服なのだが、愛衣も頭を抱えてる様子だ。声を荒げたりせずに二人の会話を静観する。

 

「今回、情報解析を行うエージェントは最低でも三人は必須なんだ。一人目は作戦本部で総合的な処理をする者、二人目は海上で情報収集する者、三人目は『Ocean Spiral』内で情報収集するもの……。どこが一番負担が大きいのかはバイジュウはわかるよね」

 

「二つ目の海上……。何故なら拠点がない以上、継続的なフィールドワークで行う必要がある。そして同時にそこが相手の戦力が集中する場所でもあるため、配備するエージェントは戦闘能力を持つ者でなければならない。……しかも海上という劣悪な環境で実力を発揮できるような人材が望まれる」

 

 戦闘能力と情報処理ができる、なんて該当者はこの場で二人しかいない。バイジュウ自身とハインリッヒだ。そして劣悪な環境でも実力を出せるのは、先程の戦闘からして間違いなくハインリッヒだということもわかる。

 

「……あらマスター? わたくしに何かご用でしょうか?」

 

 俺の視線を感じて柔らかい笑みを浮かべるハインリッヒ。

 

「い、いや……。ハードワークだなぁって」

 

「お心遣いに感謝を。わたくしもそれしかないと既に理解していますので、マスターは大船に乗った気分で見守ってください」

 

 気品を持ってハインリッヒは深々と一礼した。

 

「だけど戦闘と情報処理ができるエージェントが必要なのは三つ目もなんだ。これは屋内だから別に担当を分けても問題ないけど……。シンチェンが言っていたことも考えるとどうしても自衛能力は欲しいんだ」

 

「シンチェンが? 何を言ったの?」

 

 愛衣の意味深な言葉に俺は反応した。

 

「レンちゃんがハイイーの看病する中、シンチェンは電波受信して言っていたことはね……『星と海は二人で一つ。私はあそこに行かないといけない。ハイイーと一緒に』ってね」

 

「うげぇ……。マジかよ……」 

 

 思わずリーベルステラ号で「あっち!」とマサダブルクを指差していたシンチェンの姿を幻視してしまった。

 

 確かにそれは両立できるエージェントのほうが望ましい。無力な子供二人に合わせて、無力な研究者一人の合計三人を戦術的にカバーするのは労力が段違いだろう。三人の護衛対象で、苦労は三倍ではないのだ。苦労は三乗なのだ。

 

「…………待って。看病してる中で言ったのか」

 

「そうだよ。私も気になって質問したら返答は『あなたには言えない』って言われたけどね」

 

 愛衣の答えは俺の予想を察したものだった。

 シンチェンは「ハイイーと一緒に」と言っていた。俺がハイイーを看病してる中で言ったなら、まだ誰もハイイーの名前を知らないし本人さえ目覚めてない時だ。

 

 じゃあ、何で知っている——。考えるまでもない、返答は「あなたには言えない」だ。元々シンチェンはハイイーの事を知っているのは明白なのだ。

 

「これ以上護衛対象は増やしたくない。だから……休暇中で悪いけど、バイジュウには協力してもらいたいんだ」

 

「任せてください。私で良ければ尽力いたします」

 

 こうしてバイジュウは作戦への正式な参加許可をもらった。時刻は22時、そろそろ就寝したい時間だが任務となると今日は徹夜になるのは間違いない。

 あくまで山積みとなっていた問題を整理しただけだ。具体的な指標が出ても事態の究明には未だ遠い。今日は本当に眠れない夜になりそうだ。

 

 マリル、愛衣、バイジュウが中心となって人数の割り振りを検討し合う。作戦本部は最小限、海上はエキスパート、屋内はあらゆる状況を判断……と時間は掛からずに決まりそうだ。

 

 その僅かな間にでも、こちらは少し聞かないといけないことがある。

 

「はらぺこはらぺこはらぺーにょ……」

 

「くうくうぐうぐうきゅーるるる……」

 

 二人してトランプゲームを遊び倒して疲れ果てた様子だ。シンチェンもハイイーも謎の言語で空腹を訴えている。一方イルカはテーブルで伸びる二人を尻目にポテトチップスをボリボリと頬張っていた。

 

「……夜食でも作ろうか? おにぎりとか、簡単でいいなら俺だって作れるよ」

 

「ありがたいぜ……」

「ありがたいね……」

 

 いつからそんなシンチェンとハイイーは仲良くなったんだ!? 

 

 二人揃って目を伏せて礼を言う姿は、まるで一緒に育った『姉妹』のように見える。とても微笑ましい光景ではあるのだが、私情は一度置いてイルカの一つだけ質問した。

 

「イルカ、遊んでる時にハイイーがハッキリ喋った言葉とかわかる?」

 

「……? わかんない……」

 

 それもそうか。発声している言葉の拙さなんて意識しない限りわからない。仮に発音の拙さがないのが言葉を覚えていたとしても、繰り返し発言することでハイイーは徐々に言葉の拙さを慣らして違和感などを溶かしてしまう。

 

 そして今ハイイーに改めて聞いたところで遊び倒した後だ。もうシンチェンとイルカの名前を言うのに拙さが見えるわけがない。最初から言えたかどうかなんて今では分からないのだ。もしかしたら一部の慣用句は既に覚えてしまったかもしれない。

 

 一度目を離してしまうと、ハイイーが紡ぐ言葉の重要性は途端に不明になる。海に流されるビンのように、探そうにも探せない状況へとなってしまった。

 

「ありがとう、イルカ。えっと……」

 

 いつも通りポケットからお菓子を探そうとするが見当たらない。

 俺が定期的に渡してるせいで既にイルカは期待した目で待っているところすまないが、今手持ちがないんだ。

 

 何かないかと探してポケット全てを漁る。そして胸元のポケットで見つけた。先程バイジュウがハイイーに渡そうとしたキャラメルを。

 数は合計4つ。子供達に全部渡しても1つ余ってしまうが、それは俺が食べればいいか。小腹が空いてるのは俺も同じだし。

 

 などと気の緩みからか、俺のお腹から可愛らしい音が鳴った。

 

「……ぇっと……」

 

 子供達以外は緊張がある状況でこれは恥ずかしい。

 

「レンちゃん。…………実は私もお腹空いてた」

 

 するとエミのお腹は少し豪快な音を立て、続いてヴィラのお腹からもっと豪快な音がリビングに響いた。

 二人して少し頬を赤らめるが、それが連鎖してここにいる全員のお腹が一斉に鳴り始める。

 

 ……場が静まること数秒。誰かが笑うと、これまた一斉にみんなが笑って場の空気が一気に和やかになった。

 

「……英気も養わないといけないし、夜食ついでにみんなのおさんどんしようか♪」

 

「それもそうだな。午前はアニー達と任せたんだ、夜はアタシとエミに任せてくれ」

 

「じゃあ、ありがたく任せるよ」

 

「いや、お前は手伝え」

 

 なんで!? 俺だって午前はバーベキューの手伝いをしたんですけどっ!?

 ……しかしアニー達の労力に比べたら力になりきれてないのもまた事実。ここは大人しく手伝うしかないだろう。

 

「おっと、忘れるところだった。これ三人で分け合って食べて」

 

 俺は子供達に三つのキャラメルを渡す。

 

「わ〜い、ありがとうお姉ちゃん」

 

「ありがとう、レンちゃん!」

 

 シンチェンとイルカはすぐに銀紙の包装を外してキャラメルを口にした。口内で甘さを堪能しており、表情はマシュマロを焼いた様に頬を溶かす。

 

「——ありがとう、レンお姉ちゃんっ!」

 

 そしてハイイーも確かにキャラメルを口にした。口にしたのが初めての様で、驚いたり喜んだりと百面相で味を堪能しきっている。

 周りにいる皆もハイイーがキャラメルを食していることに驚きはするも、シンチェンの前例もあり特に大騒ぎをすることもなく、それぞれ話し合ったり、エミ達の手伝いをしようか本人に伺ったりする。

 

 ……少女はもう実体を持っている。

 それはなぜか……とてつもないことが起きる前兆にも思えた。

 

 気の迷いだ、酷く気にすることでもない。俺もキャラメルの包装を取り外し、口に入れながらエミ達と一緒に夜食の準備へと取りかかる。

 

 キャラメルの味は、俺の小腹と心を満たしてくれる。

 

 だけど、これを渡してくれた本人……。

 ……バイジュウの『心』を満たすことはないと感じてしまう自分がいた。

 



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第11節 〜潮汐〜

 エミ達と共同で作った夜食作りは充実した物となった。皆が満足するために鍋物として豆腐、白菜、豚肉問わずとりあえずと言わんばかりに冷蔵庫にある鍋に合う食材は全て皆の胃の中に収納された。

 

 訓練に明け暮れるエミとヴィラに炊事が可能なのかと一瞬思ったが、よく考えればマサダの孤児院で姉貴分をやっていたんだ。そういう面では不安に思うことはないだろう。

 

 ——「料理はね、大体煮込めば何とかなるのよ」

 ——「そうだな。レーションよりは遥かにマシだ」

 

 ……なんて言った時は一転して不安に襲われたが、実食したら問題なかったので気にしないでおこう。

 

 夜食は俺が担当して、宣言通りおにぎりと本当に簡単なものだ。

 中身は鮭フレーク、おかか、青梗菜、ツナマヨ、ネギトロと豆乳シャーベットに負けないラインナップだ。そして市販の沢庵、だし巻き卵、梅干しを副えて栄養バランスもいい。

 

 各自好きなだけ取っていった後は、作戦ごとの班に振り分けられた部屋で話し合うことになった。

 

 作戦本部班は情報処理担当として愛衣、補佐としてベアトリーチェが配備。

 海上班は指揮担当としてマリル、戦闘特化要員としてイルカ、情報処理兼戦闘要員としてハインリッヒが配備。

 

「はむはむっ…………。んっ……いいですか皆さん。作戦の想定ですと屋内である以上、遠距離武器や範囲系の武器は非常に危険です。ブルー・オブ・ブルーをする恐れもあります。くれぐれも小銃や手榴弾の使用は控えてください」

 

 そして残る『Ocean Spiral』……略称『OS班』はバイジュウを中心とした他全員となった。人数が人数なのでそのままリビングで作戦会議を行われる。

 メンバーはバイジュウ、エミリオ、ヴィラ、アニー、ソヤ、俺。そして護衛対象のシンチェン、ハイイーの二人だ。二人は作戦とは深く関われないので、今もボードゲームに遊び呆けてもらっている。

 

 ……人数が多く感じるが、護衛対象が二人もいることも考えるとむしろ最低限とも言える。

 

「同士討ちしないためにも現場指揮はどうするの、隊長さん?」

 

 エミは試す様にバイジュウに問う。

 ……俺とアニーはバイジュウとは面識があるから不安はないし、ソヤも「レンさんが信頼するなら信頼しますわ」というが、エミとヴィラが傭兵上がりなうえに今日が初対面だ。

 二人からすれば自分たちを差し置いて、隊長として就任されるバイジュウの実力も気になるところだろう。

 

「安心してください。そのために、作戦中は屋内捜索用の陣形を考案しました。こちらをご覧ください」

 

 そう言ってバイジュウはタブレットを操作して、画面共有させたリビングの大型スクリーンへと映す。

 表示されたのは図形だ。点が合計五つあり、それを線で結ぼうとすると十字形になるよう配置されている。

 

「我々はインペリアルクロスという陣形で戦います。私を中心として、実戦経験が一番多いエミリオが前に立ち、左右をアニーとソヤが固める。 レンさんは私の後ろに立つ。 ヴィラはレンさん達の護衛を頼みます。そうすればシンチェンとハイイーがいても安心して探索できます」

 

 ……どこかで見たことあるというか、これゲームのチュートリアルでよくあるやつだよね!?

 

「レンちゃん、この陣形をゲームでよく見てるから不安?」

 

 あっ、はい。

 …………当然のようにエミに心を読まれてるな。

 

「安心して♪ 確かにこれは最高の布陣ではないけど、陣形の役割分担は単純にして明快だから、今回みたいに即急の部隊でもすぐに熟せるのよ」

 

「それに前衛という一番負担が大きいところを場慣れしたエミが……。本来の陣形にはない『護衛』という役割を私に任せてる」

 

「これを躊躇なく出せる辺り元は軍人関係者だったんだろうな」とヴィラはバイジュウに向けて言う。

 その視線は南哲さん(俺が女の子初心者の時にあった筋肉モリモリの男性)がマリルに向けてる時と似ている……。恐らくヴィラなりの敬意と信頼の表明なのだろう。

 

「この布陣は、最強でも最硬でもありませんが、現状私達にとっての最良とはなります。作戦開始前までに基本的なコンビネーション及びハンドサインは必修し、モールス信号などの方法については各自余裕を持っていたらで大丈夫です」

 

 バイジュウは再びタブレットを操作して、各自が持っている端末にデータが送られてきた。

 内容は先ほどの取り決めを画像や動画で再現したものだ。中身は真面目そのものなのだが、こういうのを見ると薬物依存のループみたいにネタ用に改変されたものを思い出すのが現代ネット民のしょうもない性を感じる。

 

 そして資料を眺めていて俺はふと気づいた。

 

「……俺は何をすれば?」

 

 俺に送られてきたデータにはハンドサインやモールス信号などの意思疎通方法しか載っていない。コンビネーションのコの字さえ見当たらない。

 

 ……これじゃ俺が攻撃に参加できないんですが。

 

「レンさんは今回『護衛』となる対象ですから、コンビネーションに関われません。自衛はできるので、子供達を守ることに尽力してください」

 

「自衛だけ?」

 

「だけです。そして『動かない』という役割は重要なのです。私も中央にいるため基本は動かないようにしますが、数次第では止むを得ず出るしかないこともあります。そうなると陣形の中心は誰が支えるのか、それがレンさんです」

 

 ……それでも男の子として女の子に守られるのは不甲斐なさを感じてしまう。元々はアニーと一緒に守り守られるためにSIDに所属したのだから尚更だ。自分だけお姫様だなんて嫌だ。

 いざとなったら——、と思ったら彼女は不意に俺を抱きしめてきた。

 

「……無理だけはしないください。本当に『いざ』という時は子供達共々逃げてください。……私はもう大切なものを失いたくないんです、この身に変えても……」

 

 悲痛な声で彼女は訴えた。

 脳裏を過るのはスノークイーン基地での惨劇だ。バイジュウはそこで様々な物を失くした。

 時間、仲間、家族、——そして親友。どれか一つでも再び失ってしまうのは想像するだけで心が裂けそうになる。

 

「……それは俺も同じだよ。七年戦争で両親は行方不明になって俺は孤独だった……。だけど今はアニーがいる、マリルもいる、バイジュウもいる、みんな大切なんだ……! 俺だってみんなを守りたいんだ……。そ、その……と、友達として……」

 

 途中で熱くなりすぎて、最後は気恥ずかしくなってしまう。どうして俺はこう肝心なとこでヘタレるのか……。

 だけどバイジュウは笑っていた。悲痛な雰囲気なんてもうない、彼女は心の底から笑ってくれている。

 

「やっぱり男の子ですね……。まるで告白みたいでしたよ?」

 

「あ、あはははっ……。お、俺は女だから……」

 

 気恥ずかしさが抜けないし、「告白」という言葉に俺は顔が沸騰したように真っ赤になる。

 

「……いいのか、エミ。作戦準備とはいえ気が抜けすぎてないか?」

 

「あれがレンちゃんだからいいの♪ 肩肘張っちゃうとダメダメなんだから自然体が一番」

 

「そうですわ♪ レンさんはピュアなままが一番ですの♪」

 

「うんうん♪ ヘタレだからこそレンちゃんなんだからっ!」

 

 内緒話するなら聞こえないように言えよっ!! もっと恥ずかしくなるだろっ!?

 

「ところでお前の武器や能力は何だ? 司令塔であるお前が中心になる以上は把握しないと戦闘に支障をきたす」

 

 ヴィラの何気ない質問にバイジュウは「そうでしたね」と軽く相槌を打って、リュックサックから漁り始める。

 収納スペースは細かく駒分けされているようで、大荷物であるはずなのにバイジュウは難なく折りたたみ式の銃器を取り出した。

 

「マーメイドには銃火器は効かないんだろ? 武器としては心許なくないか?」

 

「ふふっ。これは『銃』ではなく——」

 

 バイジュウは自慢げな顔を浮かべると、銃は展開されて全容を見せる。

 引き金がある。銃身は……わからない。あるにはあるが、同時に刀身でもあるのだ。剣と銃が一体化しており、これを俺はゲームで見たことがある。主にシリーズ8作目の大人気ゲームで。

 

 最後に「じゃん」とバイジュウは刃先を狙い撃つように構えて、俺達に武器を見せつけた。

 

「銃——、いや、剣——、違う。これは……『銃剣』!?」

 

 俺よりも早く目を輝かせて驚くヴィラ。子供のように燥ぐ妹分を見て、エミは優しい表情を浮かべて「いつまでも変わらないだから」と慈しんでいた。

 

「はい、ハインリッヒさんから教授した錬金術を現代科学で再現しようと思ったものです。登録名称は『知性(ラプラス)』と名付けてます。……再現性の問題と戦闘スタイルから二刀流になるんですけどね」

 

 技術の未熟さを恥じてるみたいだ。バイジュウの左手には先ほどの銃剣とはデザインが似てるものの、肝心の銃の機構は存在せず純粋な刃として機能している。

 

「ラプラスか……。……私もそういうカッコイイ武器あるわよ♪」

 

 今度はイタズラを思いついた子供みたいな表情を浮かべたエミは自分の人差し指の爪で、親指の腹を切った。

 切れ味は抜群らしく、すぐに指を伝って血が滴り始める。

 

「ちょっ!?」

 

 俺が驚いたのも束の間、流血は縫うように形を整え始め、最終的には女性が持つにはかなり大振りで柄には髑髏の装飾した大剣へと変化する。指の血は最初から無かったかのように傷は塞がっていた。

 

「『アズライール』……私の武器であり能力。私の能力は『自分から流れ出た血を瞬時に硬化させる』という物だけど基本は不良品でね。盾とかには使えるけど、アズライール以外は能力を使った直後に蒸発するから武器としては一切使えないの」

 

「硬化した血が蒸発するということは、血は特定以上の熱を持っているのですか?」

 

「そうね。硬度に関わらず使った数秒後に蒸発する。熱量は測ったことないけど、鉄鋼より硬くなった血がすぐに消えるんだし相当じゃない?」

 

「でしたら、お一つ伺いたいことが……」

 

 二人は内緒話をするように真面目なトーンで話し始める。

 

「……いいね。使い捨てならではの方法ね♪」

 

「ええ。エミリオさんとは戦術研究でも良き話し相手になりそうです」

 

「さん付けしなくていいよ。親しい人は『エミ』って呼ぶから、気軽にそう呼んで♪」

 

「えっと……。それでは、エミ………………さんっ」

 

 いきなりの愛称呼びをバイジュウは言われるがままにしてみるが、愛称だけの擬かしさから顔を赤くしてしまう。

 

「ご、ごめんなさい……。こういうのは慣れてなくて……」

 

 両手の人差し指を突き合いながら、ますます顔を紅潮させるバイジュウ。

 ……正直意外な一面が見れて、恥ずかしそうにする彼女を見るだけでこちらも恥ずかしくなる。

 

「……さっき思ったけど、やっぱり素直で可愛い子じゃない♪」

 

 ……可愛い子って言ってるけど、エミとバイジュウ同い年なんだけどなぁ……。

 

「……気になってはいたのですが、どうして『アズライール』なんですか? 確かにマサダはユダヤ教ひいては旧約聖書などに精通する宗教法人なのは知っていますが……エミさん自身は信仰心とか、ないですよね?」

 

「立場的にはあると言わないといけないんだけどねぇ……。実際はハロウィン、クリスマス、バレンタインなんでもござれの信仰心なのよね……」

 

 かなり身も蓋もないことを言ったな。

 確かに新豊州は科学的な思考と政策をしてるから宗教に拘りがなく色々とやるが、それをマサダ出身のエミが言っていいのか? パパラッチがいたら炎上確定だぞ?

 

「じゃあ、どうしてアズライールという名前に?」

 

 バイジュウの再度の質問に、エミリオは「待っていた」と言わんばかりの極上の笑顔を見せる。同時に背筋が凍りつくような視線も発生し、振り返ると殺意が篭ったヴィラの瞳が。

 

 ……「我、例ヱ親愛成ル者デモ、ヴァルハラ二送ル也」と言っている気がする。

 

「うふふふ……♪ ここだけの話、ヴィラがね——」

 

「そこで掘り返すなぁぁあああああああ!!!」

 

 ……もしかしなくても『戦女神様』が久し振りに覚醒したとか?

 

「うっ、うふ、あはは、あは! あはくすぐったいぃ! やめてよヴィラぁ!」

 

「いいや! 今日という今日はエミでも止めないっ! いつもいつも……っ!」

 

「言わないぃ……もう言わないからぁあ〜! あっははっ!」

 

 涙目寸前のヴィラの表情とは打って変わって、かなり本気の体制でエミに羽交い締めを繰り出している。

 エミも笑い泣きをして「ギブッギブッ」と言っているが、とても諦めた表情をしておらず、終いには自力でその拘束を抜け出した。

 

「で、でもヴィラぁ……そこまで焦ると自白してるような物よ〜〜?」

 

 息を整えながらエミリオは戦女神様を煽り立てる。そしたら再びヴィラは顔を赤くして絞め殺す勢いで渾身の力を入れるが、エミリオは余裕綽々に拘束から抜け出してスカートの埃を落としていた。

 

 ……よく考えたら怪力娘であるヴィラの拘束を軽々抜けるエミリオってすごいな。

 

「戦闘訓練さえ続ければ、こういう単純な力勝負なら相手の力を逆利用したりで覆せるわよ。女性である以上はどうしても筋力の差は出るから私達みたいな軍人は覚えないと逆にダメだし」

 

 また当然のように心読むよなぁ……。エミリオは配慮できるからズケズケと人の心を土足で踏み荒らすことはないから気にはしないけど。

 

「レンちゃんも覚えといて損はないよ。だってこんなに可愛いんだから、もし街中でオジサマとかに拐われたら……ね♪」

 

 ……前言撤回。その言葉は男にとって悲しみを背負うしかない。

 

「他に聞きたいことはある?」

 

「いえ、大変参考になりました。マサダの『神の使者』の実態……とても面白いものでした」

 

「その通り名は背中がむず痒くなるかなぁ……。私そういうのガラじゃないのよ」

 

 砂嵐を真っ二つにしたら『神の使者』と呼ばれても仕方ない。その砂嵐が災害を引き起こすものなら尚更だ。だからこそ栄誉を讃えてマサダの宗教教育の首席顧問として身を置いてるんだし。

 

 ……その一件で俺がマスコット扱いされてることを考えたら立場が雲泥の差だなっ!?

 

「ヴィラさんはどうなんですか?」

 

「ア、アタシにそういう恥ずかしい渾名はないっ! 決してないっ!」

 

「武器の話なんですけど……」

 

 バイジュウからの冷静なツッコミに、ヴィラは少し頬を染めながらも安心してホッと一息つく。

 さっきから自爆してるな、戦女神様。

 

「そっちで良かった……。アタシは並外れた怪力ぐらいだぞ。それを活かした超質量の鈍器があるぐらいだ」

 

 そう言ってリビングの隅に置かれている獲物を指差した。

 ハンマー、どう見てもハンマー、圧倒的にハンマー。正確には『戦鎚(ウォーハンマー)』だけど認識に問題はない。

 長さとしてはヴィラより一頭身分ぐらいは小さく、鎚頭は片方が純金属の塊で構成されている。もう片方は航空機などに見られるホイール状に組まれた羽みたいな物がついている。あれって何て言うんだっけ?

 

「登録名『重打タービン』……。マサダ陸軍研究所の最新型だっていうけど特殊な機構が使い物にならない以上、本当に見た目だけが豪華な鈍器さ」

 

 そうだ、タービンだ。確かガスとか水蒸気とか、何でもいいから気体の圧力で回すことでエネルギーを生み出す機械だったはず。

 …………でもエネルギーを生み出す機能が備わってるからこその『タービン』だよな? それなのに特殊な機構を使わないってどういうことだ?

 

「何キロですか?」

 

「10トン」

 

 10キロかぁ……。米袋程度——ってトン!?

 つまりは『10000キロ』!? 大型トラックと同じっ!?

 

「そんなの鼻が長い海賊ぐらいでしか見たことないぞ!?」

 

 ヴィラは軽々と持ち上げて振り回すが、その動作は柄以外が全部風船とかじゃないと納得できん。もしくはありったけの夢を詰め込んでるか。

 

「知らんっ。そんなことはアタシの管轄外だ」

 

「………………はふほほぉ」

 

 だし巻き玉子を口に入れながらバイジュウは戦鎚を触れて確かめている。流石に10トンを誇る戦鎚を持ち上げるヴィラを見て驚いているのか、額には冷や汗が見える。

 

「ヴィラさん、どれくらい使ってますか?」

 

「性能実験として二回触ったきりだ。そんなの持っても銃撃戦じゃ役に立たないからな」

 

 一理ある。銃は剣より強しともいう。

 魔女と言っても素体は人間なのだから、ただ力が強いだけの能力は適材適所が限られている。そして尚更場所を選ぶ戦鎚なんて使う場所なんて限られている。

 

「通りで機構の部分が綺麗なわけですね……」

 

「何度も言うが使わないからな。戦力としては組みにくいと思うが、その分格闘訓練や銃撃戦もこなしてるから安心してくれ」

 

「それは最初から全面的に信頼してます。となると……」

 

 バイジュウは顎に手を添えて思考に耽る。頭の中であらゆる状況をシュミレートしてるようだ。指差しや視線で武器を意識しては頭を捻り、指で空に丸や縦棒を引いたかと思うと、再び視線を武器に戻して納得した表情を見せた。

 

「十分に把握できました。作戦の行動内で足りない物資がありますが、それは後でマリルさんと相談してきます」

 

 こんなにいても足りない物があるのか……。

 

「我々OS班の第一優先すべき目的は施設内の情報収集です。あくまでも異質物の処理については可能であればの行うものとなりますので、深追いは禁物となります。以上で作戦通達を終えますが、何かありますか?」

 

 周りを見回すが特に誰も意見はないようだ。当然俺も伝えたい意見はもうない。先の自衛について全力で取り組むだけだ。

 

「それでは作戦開始まで陣形の動きやハンドサイン諸々の把握をお願いします」

 

 そう言ってバイジュウはタブレットを置き、足早にリビングから出ようとする。

 

「どこに行くの、バイジュウ?」

 

「少しだけ自室に戻ります。今のうちに纏めたい情報があるので……」

 

 先程エミ達の武器を見て考え込んだり、足りない物資があるとか言っていたし、それの整理だろうか。

 バイジュウのことを見送り、俺も自分ですべきことを再確認をする。

 とりあえずは添付された資料の内容を覚えよう。小腹が空いていることもあり、俺はおにぎりを口に含みながら資料を眺め始めた。

 

 

 …………

 ……

 

 

 月明かりのみが彼女の部屋を照らす。水槽のような淡い煌めきは、見る物全てに靄がかかったようだ。

 そんな中でも少女の目に入る物全てが鮮明に映る。皺が目立つ絵文字の抱き枕、カバーが擦り切れた物理学の本、指の脂が染み込んだSFホラー小説、そして……『育成』に関する本。

 実態を知った時は思わず笑ってしまったが、少女にとってすべて大切な思い出だ。忘れることは絶対にない。

 

 白い手を机上に滑らせ、目的の端末を見つけた少女はデータを入力し始める。レンの予想は正しく、少女は先程のデータを一定のテンポで次々と入れていく。

 ものの数分で入力を終えると、蒸しばむ空気が篭るの感じて部屋の窓を開けた。

 

 肌寒い潮の夜風が彼女の身体を横切る。身震いすることはない、彼女は生まれつきの特異体質で体温が変化することがないのだ。潮の風は彼女にとって、夜に吹いても変わらず海の匂いだけを感じさせる。

 

 それでも少女は温度を感知できる。

 寒さとは何か、暑さとは何か…………少女は知っている。

 

 少女は自分の手をぼんやりと見つめた。

 

 

 …………

 ……

 

 ——《こ、これ、俺の番号ッ!》

 ——《べ、別にやましい事を考えてるとかではなくて、その……》

 ——《……ごめん! 拭かせてくださいッ!!》

 

 ……

 …………

 

 

 今でも鮮明に思い出せる。

 色付きリップクリームで、少女の手のひらに書かれた数字の文字列。

 不器用な男の子みたいに勇気を振り絞って連絡したいと告白した女の子……いや、レンのことを。

 

 思い出は積み重ねるものだ。少女は自分の口元に手を触れる。

 

 レンが作ったおにぎりは美味しかった。

 レンが作った卵の味は少し薄味だった。

 レンは相変わらず不器用で優しかった。

 

 どんな些細なことでも彼女には大切な思い出となり、空白の心を満たしていく。思い出は氷結の夢に光を差してくれた。

 

 思い出は広がるものだ。少女は目を瞑り振り返る。

 

 アニー達と一緒に料理の手伝いをした。

 バーベーキューで皆と食事を共にした。

 バーベーキューの後は皆と色々遊んだ。

 

 こんな些細なことでも彼女には大切な思い出となり、哀傷の心を癒していく。思い出は氷結の夢に暖かさを伝えてくれた。

 

 思い出は深まるものだ。少女は胸の鼓動に耳を澄ます。

 

 エミリオの手は大きくてしなやかだった。

 ヴィラの能力は本物で逞しく力強かった。

 ハイイーの頬辺は赤子みたいに温かった。

 

 それが些細なことでも彼女には大切な思い出となり、悲愁の心を包んでくれる。思い出は氷結の夢に温もりを届けてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが…………。

 氷結の夢は、未だ覚めることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと気になって少女は手元に散乱するパズルピースを見た。形状からして白一色の無地だ。少女の懐かしさを感じ、ピースを埋め始める。

 

 滞ることなく進んで完成間近。

 そこで少女の手は止まる。

 ピースがこれ以上、手元に存在しない。

 どこに無くしたのかと箱を漁るが出てはこない。

 

 パズルは埋まらないまま月夜だけが流れる。

 月光は潮のように、パズルの上で影を満ち引きする。

 

 最後のピースはどこにもない——。どこにも。



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第12節 〜涟漪〜

 息詰まった待機状態に鬱屈を感じてしまい、気分転換にとバルコニーへ出て夜風を浴びる。夜風が髪を撫でて気持ちいいが、さすがに海岸線沿いなのもあって肌寒さも感じてしまう。

 

「夜更かしは肌荒れの原因よ、可愛い子ちゃん」

 

 バルコニーには先客がいた。赤い髪を潮風で靡かせて、情欲を煽るようにベアトリーチェは俺を見つめる。

 

「しょうがないだろ。それに俺は男なんだから美容とか気にしてないし」

 

「あなた、いつも自分は男だと言うわね……。深い部分までは詮索しないけど、男でも睡眠くらいは気を遣った方がいいわよ。あなたの好きなゲームだって健康だからこそやれるんだから」

 

 それを言われると反論しづらい。仮眠でも取るべきだろうか。

 

「そういえばベアトリーチェはここで待機だよね? 戦闘だって行えるのに何で?」

 

「私は能力はあくまで相手に『幻惑』あるいは『魅了』するという、精神的な影響を与えるものなのよ。幻惑は範囲が大きいし、そもそもドールやマーメイド相手だと精神が破綻してる以上は効き目がほとんどないの」

 

 スカイホテルでの出来事を思い出す。

 真なる闇から吠ゆる数百万にも及ぶ甚大な悲鳴。厄災が具現した光景は切り裂かれた地獄の断片にも見えて、身体全てを凍てつかせる恐怖を感じたことは忘れたくても忘れられない。

 

 ……思えばあの時ラファエルも呆然としていたな。

 スノークイーン基地でも幽霊に関して腰が引けた事を言っていたし、あのお嬢様は意外と恐怖体験とかに免疫なかったりするのかな? 今度ホラー映画でも一緒に観に行って確かめてみよう。

 

「魅了に関しては強制力があるからわからないけど、これもドールやマーメイドは女性しか確認できない以上は有効打になり得ない……。もちろん、レンちゃんみたいな物好きがいれば別だけど」

 

 別に物好きじゃない! 男として至って普通なんだよっ!

 

「禁断だからこそ創世記の二人はリンゴを口にしたというし、そう恥ずかしがることもないわよ。私だって浮気者の惚気共を罵るのは楽しかったわ……」

 

「さては味を占めたな……?」

 

 浮かぶのは『天国の扉』によって引き起こされた猫丸電気街の暴動騒ぎ…………に乗じて、日頃の鬱憤を爆発させたとしか思えない渾身の演説をしたベアトリーチェの姿。

 

 ……あの時に助けてくれたメガネの青年、ジョンは元気にしてるかなぁ。また会えたら改めて礼ぐらい言いたいものだ。

 

「まあ、そんな感じよ。呪いや魔法が通用しない相手に対しては、私だってただのか弱い一般人……。今回は淑女するわ」

 

 か弱さを自称するのは果たして淑女なのか? そしてパレードカーの上で大演説するのも淑女なのか? そして淑女するって? いつから動詞になったの?

 永遠の淑女、久遠の女性と呼ばれるベアトリーチェ……すご〜く世俗に塗れてないか? 淑女の概念が壊れてるのか、現代に適応した淑女がこれなのか、教えてエロい人。

 

「それに、私はあの子と関わらない方が…………」

 

 ベアトリーチェは彼方の先を見つめる。彼女の言葉と態度は、酷く暗くて重苦しさを感じさせる。

 ……あの子とは誰のことだ? ベアトリーチェがこんなことを言うのは初めての事だし、今日会ったハイイーかバイジュウのどちらかだろうか。

 

「……何でもないわ。お詫びに、これはあなたに返しとくわ」

 

 そう言ってベアトリーチェはペンダントを取り外すと、胸元にそそり立つ双子山に埋まっていた装飾品を露わにする。

 明るく濃い緑色の結晶体。美しくも鮮やかに輝きを放つ至上の存在感は一度見たら忘れる事はない。

 

「『エメラルド』……あれ? ラファエルに返してなかったの?」

 

「あの子も言ってたでしょ。「今はあんたのよ」だって」

 

 そう言われればそうなのだが、お嬢様が身につけていた宝石なんて恐れ多くて所持するだけで心労が嵩む。それが嫌だし俺が持っていては豚に真珠だから、武器として変換できるベアトリーチェに今まで預けていたんだけど……何もこのタイミングで返すことはないだろ?

 

「戦わない以上は使い道がないもの。御守り代わりに持っていなさい」

 

「すごく嫌だなぁ……」

 

 とは言ってもお詫びとして渡されたら、断る理由も薄いので渋々と受け取るしかない。

 ラファエルから預かったままのサモントン国宝の1つ……。なのにどうしてラファエルは易々と誰かに渡せるのか……。

 

《ふんっ。自分以外が持つならアンタが一番マシなだけよ》

 

 ……まずいな。以心伝心だけでなくイマジナリーお嬢様さえ出てくるほどラファエルに対するスキルが病的に酷くなってる。

 

《ウイルス扱いするとは良い度胸ね》

 

 ……今からでも宝石を手離したくて堪らない。

 

「大丈夫? 顔が引き攣ってるけど……」

 

「だ、だだだ、だいじょうぶっ。……というか夜更かしを言うならベアトリーチェもだろっ!」

 

「……私はただ景色を肴にしてるだけよ」

 

 バルコニーの手摺りに腰を置くベアトリーチェの手元を見ると、そこには氷が溶け切ってないガラスのコップとお酒、そして炭酸水があった。

 ……政府の偉い人と付き合いで、少しは知ってるけどああいうのはソーダ割り、水割りとか言うんだよな? となると度数の高い酒のはずだから蒸留酒に分類されるやつか……。悪いが俺の知ってる酒は黒尽くめのコードネームぐらいしか知らんぞ。

 

「今日だけは眠りたくないの……。今日がどんな日か知ってる?」

 

「満月の日だろう?」

 

「また別よ……。今日は9月24日……『彼岸』って言葉は知ってる?」

 

 単語だけは聞いたことあるけど、それも丸太を持ってる漫画で見ただけだ。意味なんて一切知らない。

 

「知らないって顔ね……。簡単に言えば遠くにいる人を思うことよ。彼は今でも煉獄にいるのかしらね……」

 

「地獄送りっ!?」

 

「違うわ。煉獄は浄罪の旅路……地獄は罪を抱いて溺れたものが辿り着くところ……。彼は自分を……」

 

 今日の彼女はよく喋る。アルコールが進んでいるのか、頬には熱が篭り、瞳は潤んでおり、息遣い一つが艶かしい。コップを撫でる指先さえ扇情的でこちらの本能を擽る。

 よし、冷静になれ。野獣になってはいけない。……今にして思えばベアトリーチェのテンションが少しおかしいのは酒の影響か。

 

「かの詩人、ダンテは自分を旅人と見立てて生涯全てをあなた様に捧げた。その証として二つの詩を残して……ですわよね♡」

 

 夜風と歌うように銀髪の少女——ソヤはベアトリーチェの会話に入り込む。肌寒さを感じているのか、ソヤは黒い修道服の上に赤いジャンパーを崩して羽織り、その手には湯気が立つ保温カップを持っている。

 

「レンさんもどうですか? 飲むと身体の芯から火照って気持ちいい気分になりますわよ」

 

「ほほほ、火照って気持ちいいなんて……」

 

「ただの生姜湯ですわよ♡」

 

 ……そうだな、わかっていたさ。

 だけどソヤが言うと別の意味に聞こえるんだよっ。

 

《あなたがスケベなだけでしょう》

 

 イマジナリーお嬢様……。再現度が高いわ……。

 

「レンさん、彼岸とは現代では春分または秋分の日のこと。仏教的には現世を超えた悟りの境地を意味しますわ。……黄泉や地獄などの宗教的価値観に多大に触れる特殊性から花の語源となるほどですの。『彼岸花』とかは聞いたことはおありでしょうか?」

 

「鬼がつく漫画で出てきた覚えがあるなぁ……」

 

「その知識ですと二つの意味で青そうですわね」

 

 未熟で悪かったな。所詮ミーハーですよ。

 

「彼岸花の花言葉は赤ならば情熱、再会、独立、悲しい思い出……などですわ。赤は血や死のイメージが付きやすく、炎や感情を意味しやすいのですの。他にも死人花、葬式花、火事花、墓花、地獄花などの異名もありますが……どれも良い意味ではありませんわね」

 

「青は?」

 

「ねぇですの。基本は赤か白ですの。あってもヒガンバナ科ヒガンバナ属の『リコリス・スプレンゲリ』ぐらいですわね。広く言えば彼岸花ではあるのですが……そこまで行くと魚のイワシみたいに面倒になるので省略させて戴きます」

 

「へ〜〜。……それが今の状況と関係あるの?」

 

「お酒は製造方法は果実、穀物など多岐に渡りますが……花でも作れるのですよ?」

 

「嘘っ!?」

 

「正確にいうと『リキュール』という分類にあたるのですが、まあお子様のレンさんには詳細は置いときまして……」

 

 えぇ……。ソヤもお子様なのでは……?

 

「彼女が飲んでいるのは『彼岸花』をブレンドしたもの……洒落乙に言えば『リコリス・ラジアータ』なんですの」

 

「そして」と一息置いてソヤはベアトリーチェの側に行く。

 

「あなた様なりの彼に対する弔いなのでしょうね。……毒処理はしっかりしてますの?」

 

「してるわよ。この日のために作った特製品なんだから……。あなたも飲む?」

 

 未成年に勧めるなよっ!?

 

「お断りしますわ、見ての通り健康体ですので。生姜湯で十分ですの」

 

 逆に健康じゃないなら飲むみたいな言い方だな、おいっ。

 

「でも贅沢ですわよね……。こうして誰かを弔えるなんて……」

 

「……あなたも気づいていたのね」

 

「感情と匂いには敏感ですのよ」

 

「おーい、さっきから話の内容がチグハグで理解しにくいんだが……」

 

 プロ同士多くは語らないとでもいうのだろうか。

 

 などと思っていると、ベアトリーチェは真剣な顔つきをして周りを見回し、ソヤも数回匂いを嗅ぐ動作をするとゆっくりと口を開いた。

 

「レンさん……。くれぐれも、そして何があっても……バイジュウさんには伝えないでくださいまし……」

 

「バイジュウに……?」

 

「私達はどういう因果か貴方を中心に集まっている。それを発展させて個人的な交友関係を結んでもいる……。ハインリッヒとラファエル、シンチェンとイルカ、私とソヤ…………。だけど仲には相容れない……いいえ、相容れすぎるのも絶対あるの……」

 

 それがバイジュウなのか……?

 

 しかし相容れないならまだわかる。こうも人数がいると苦手意識が起こるのも分からなくもない。俺だって未だに愛衣には苦手意識を持っているし、ソヤもイルカに対して若干押しが弱い。曰く「苦手ではなく、本能的な部分が……」とネコ科代表的なことを言っていたが。

 

 だけど『相容れすぎる』のどこがダメなんだ……?

 

「レンちゃん……。私はベアトリーチェ……。現代では偉人や神名を付けるのも珍しくないから疑問視されてないだけで、本来私は本当の意味で『この世に存在しない者』よ」

 

 名前というとラファエルとかヤコブとかか……。ある意味、ヴィラもそうか。

 

「いや、それ言ったらハインリッヒもそうだろ……」

 

「それを言いましたら私やアニーさんもそうなるのですが……。レンさん、『因果の狭間』に囚われた者と『死者』は明確に違うのです」

 

 ソヤの言葉に俺は固まる。

 

 ……そうだ。最初にアニー、その次に『因果の狭間』からハインリッヒが出現した事で、その間に出現したベアトリーチェの『死者』という認識が歪んでいた。

 ソヤに関してもそうだ。彼女はエルガノと同行した際、決死の覚悟でヘリ内で自爆を起こしてこの世から一度……。いや正確には彼女も『天国の扉』という『因果の狭間』と同じような異空間に囚われたに過ぎない。

 

『因果の狭間』はあらゆる世界の事象や時間から切り離された異空間。地獄や煉獄といった死者の国とは違う。そこは決して『死』の世界ではない。

 だからこそアニーも、ハインリッヒも、ソヤも、死者ではない。『この世に存在しない者』というだけに過ぎない。

 

 ……俺は明確な『死』という物から向かい会うのを無意識に避けていた。何でかなんて考えるまでもない、一度意識してしまう俺自身の価値観がブレるのを本能的に感じていたからだ。

 

 だって、だって……。俺の母さんは、父さんは……。

 形式上は『行方不明』となっているが……。もしも、もしも本当に『死亡』ということになれば——。

 

 脳裏に横切る灼熱の光景。塩と化した人々。

 俺は知っている……。俺は知ってしまっている……。

 

 あの『地獄』を……。

 

「——それ以上、意識を踏み込んではダメ。そこから先は狂気の世界……禁忌に触れたら『人間』じゃなくなるわよ」

 

 強引に肩を掴まれ、ベアトリーチェと視線を合わせる。

 瞬間、彼女は全身を包むように優しく抱擁した。

 

 ……同時に身体に熱を感じた。この視線、この感情、このむず痒さ……ダメだ。俺は貴方に『魅了』されている……。

 

「——こうでもしないと貴方が戻れなくなる。…………落ち着いて、落ち着いて……私の言葉を聞きなさい。力を抜いて、息を吐いて、私に身を委ねて……」

 

 彼女の言葉を俺は無意識に聞き入れてしまう……。

 力を抜きます。息を吐きます。貴方に身を委ねます……。俺の意識は微睡み蕩けるように霞みが掛かる。

 

「リラックス……リラックス……。頭の力を抜いて……。気が散る考え事、不安な出来事、露となって貴方の心から浄化される……。純粋な気持ちで、私の声に耳を澄まして……。私の声に応じて……」

 

 あぁ——。もっと……。もっと……欲しい……。

 もっと俺を求めて、欲しい…………。

 

「ベアトリーチェ、様…………」

 

「——効き過ぎたようね。今戻してあげる」

 

 そう言って彼女はいつの間にか外していた指輪を戻す。同時に俺の意識は引き上げられる。まるで釣り上げられた魚だ。

 突如として覚醒した意識は、陸に上がった魚と同じように混乱しながらも確かに自己を戻そうと、未だ『魅了』に囚われる一部の意識を矯正しようとする。

 

「あ、あれ……? ごめん……! 今離れぇ……れぇ……!!」

 

 ……何故だろう。ベアトリーチェの腰に回した腕は離れず、触れ合う頬も彼女の胸元の弾力が名残惜しくて遠ざかろうとしない。

 

 ……いやいや、まずいって! 公然猥褻罪で逮捕されるッ! 流れに乗じたセクハラ良くないッ!!

 

「そのままでいいわよ。話さえ聞いてくれれば」

 

 そう言って彼女は俺の頭を撫でてくれる。

 これは……無性に安心感をくれる……。心に温かさを届けてくれる……。肌に優しさを感じる……。

 これは……どこかで……ずっと昔に、感じたことあるような……。

 

「あぁ〜〜〜〜♡ ピュアピュアでいいですにゃ〜〜〜〜♡♡♡」

 

「発情期のネコかっ!!?」

 

 ソヤの猫撫で声で我に戻った俺は、ようやく全意識が『魅了』から解放されてベアトリーチェから離れる。

 

「……もう大丈夫?」

 

 少しばかり名残惜しそうに問うベアトリーチェ。

 

「大丈夫、大丈夫……。それで、その……バイジュウと関わっちゃいけない理由って……」

 

「あの子の心は未だに『過去』に囚われている……。凍て付いた記憶、凍て付いた熱、凍て付いた心……彼女の全ては氷結の夢に微睡んだままなのよ」

 

「そうですわ。わたくしも感情を匂いで判断できますが……バイジュウさんの心は酷く悲しい物でしたわ……。どこが上で、どこが下で、どこが前で、どこが後ろで……。まるで深海に潜る気分でしたわ……」

 

 ……正直二人の答えは薄々予想がついていた。バイジュウに『死者』の話をさせては、きっと拭いきれない思いと向き合わなきゃいけなくなる。バイジュウの心が壊れるのが先か、氷結の夢が壊れるのが先か。どちらか一方が壊れるまで終わらない自己問答に。

 

「レンさんを中心にバイジュウさんは確かに心は導かれておりますわ。まるで篝火のように……。でも、どこに導かれようともその先には隔たりがありますの。ガラスのように透明で、ダイヤモンドより硬くて厚い心の壁が……」

 

「レンちゃんが繋ぐ心の灯火は小さくても決して無駄じゃないのは分かってる。だけど、人間の心の寂しさはより大きな炎を求めてしまう……。その炎がどれほど危険であろうとも……」

 

「それがベアトリーチェ……。いいや、つまり——」

 

 ——『死者の蘇生』——。

 

 なんて甘美な響きなのだろう。本来は絵空事に過ぎない、だけど改めて認識して感じてしまう。もしや可能ではないかとって……ベアトリーチェを見てそう思ってしまう。

 

「私の所在は今でも極秘事項なのはそれが理由よ。もしバイジュウが私の事を知って、その可能性を知ってしまったらどうなると思う?」

 

 ……想像するまでもない。彼女は追い求めてしまうだろう。禁忌の道を歩み、その先に求める物があるのなら。

 

「彼女は絶対に探究するわ。誰よりも賢いのに愚かで、誰よりも清らかなのに醜くて、誰よりも真面目なのに無防備な子よ。…………絶対に彼女は成し遂げて、到達しようとするでしょうね。ハインリッヒの『真理』さえも超えて、超えて……超えたからまだ先へ……」

 

「その先は間違いなく地獄が待っていますわ。『扉』の先に待つのは、極楽浄土ではなくもっと恐ろしい『何か』……。狂気に魅入られたら彼女は一生抜け出せない足枷と共に生きていくことになる……」

 

 だからこそベアトリーチェは言っていたのか。バイジュウとは相入れ過ぎると。

 

「……じゃあ、どうすればいいんだよ。そんなバイジュウを……友達として俺はどうやって力になってあげたらいいっ!!」

 

「貴方は十分力になってるわ……。後は切っ掛けさえあればいいの……。あの子自身の彼岸花を咲かせるような……」

 

 ベアトリーチェは一気に酒……彼岸花のリキュールを飲み干した。

 

「…………レンちゃん」

 

「は、はいっ」

 

「決して、繋いだ心は離しちゃダメよ」

 

 そう言うとベアトリーチェはバルコニーから立ち去ろうとする。そしてログハウス内に入る直前、忘れ物を思い出したようにこちらへ振り向いた。

 

「それと最後に一言」

 

「な、なにっ?」

 

「……ごちそうさま。おにぎり美味しかったわよ」

 

 ベアトリーチェは家内に姿を消した。

 俺は花弁と酒気を肴に、満月を見る。

 

 …………待つしかないのか。その時が来るのを。

 だったら、その時まで……俺は守らないといけない。

 

 独りぼっちで深海に漂う彼女を。



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第13節 〜潜水〜

 

 …………

 ………………

 ……………………

 

 ——キィィ……ゴォォォン……。

 

「——ここが水深500mに位置する『Ocean Spiral』の第一階層、深海ゴンドラの発着エリア……。活動するための酸素も十分供給されてる……」

 

「うへぇ……潜水艦の中って想像以上に息が詰まるな……」

 

 俺達は目的となる施設『Ocean Spiral』へと辿り着いた。施設内は床を除いた全てが三重張りの強化ガラス構造に、シーリング構造を挟み、さらにその上に再び三重の強化ガラスと万全を期した建築となっている。

 

 見上げた海中はこの世の物は思えないとても美しい空間だった。

 大海を漂う海洋生物が見え、大海を渡る魚群も見える。乱雑に配置したようにしか見えない岩礁は、海の蠢きに適応したことで自然の強さを輝かせる形状をしている。

 まさに天然の巨大水族館だ。ここに居住区を持てるとなれば、海底都市は楽園と呼べるかもしれない。過去の人達がここを人類の開拓地と呼称するのも頷ける。

 

「目的地は海底4000m以上に沈んだ『Blue Garden(ブルー・ガーデン)』と呼称される施設になります。OS班は深海ゴンドラを使い、最深部にある海底資源の発掘基地『Earth Factory(アース・ファクトリー)』を経由することで目的の施設へと行きます」

 

 バイジュウの通達に皆が頷く。

 

「道中、深海観測のモニタリング拠点もありますので情報収集を怠らず、かつ迅速に目指します。各自、最新の注意を払ってください」

 

『了解』と皆の声が反響する。

 昨晩の陣形に配置すると、エミはゴンドラの配電を確認して施設が今も生きていることを把握。ゴンドラ内部を確認して、安全確保と稼働できることをハンドサインで伝えてると、一斉に乗り込んで更なる深度へと突き進む。

 

 …………話は少し巻き戻る。

 

 

 …………

 ……

 

 

「待たせたな。これより『Ocean Spiral』の本格調査を開始する」

 

 深夜2時、陽が昇るよりも前に招集を掛けられる。各自、仮眠や武器などの準備万端の状態だ。マリルの声に即座に全員応じて横一列に並んで待機する。

 

「潜水艦の手配が終えて、既に海岸から150m離れたところで待機している。操縦員は……本当にバイジュウで問題ないんだな」

 

「大丈夫です。自動化が進んで19年前の規格より遥かに操舵しやすくなっています。ヘリの操縦よりも簡単かと……」

 

「大した自信だ。では準備していたエージェントは撤退させて、ログハウス内で待機へと努めさせておく。ハインリッヒ達も既に海上へと向かい、残存するマーメイドの殲滅を尽力しているため速やかな作戦行動のを頼むぞ」

 

 各自渡されたタブレットの画面に配布されたデータを確認する。表示されたのは二つの簡略化された画像。片方は『2030』と、もう片方は『2037』と表記された二つの『Ocean Spiral』の建築構造が照らし合わされる。

 

「ご覧の通り、目標となる施設の見取り図だ。外界からスキャンして確認したが、廃棄されたことで当時の建造とは異なる部分がいくつかある。最大の違いは本来水深0m〜500m内にあるはずの『Blue Garden』が倒壊して、最深部にまで沈没していることだ。潜水艦を使って直に向かいたいところだが……」

 

 タブレットの画面に情報が追記される。最深部にある『Blue Garden』の補足情報だ。外殻にはまるで守るように、先日以上の数を誇るマーメイドが目視するのも難しいほど施設を覆っている。

 

「ご覧の通りだ。魚雷をブチ込んでもいいが、それで施設が破壊されて異質物を調査できなくなったら元も子もない。そこでOS班には水深500mの深海ゴンドラ発着エリアか、水深2500mに位置する深海港から潜入して内部から確認を行い目的地に辿りつけるか確認してほしい」

 

「でしたら第一優先は500m地点のエリアからが望ましいです。深海にマーメイドが多く存在する以上、水深が浅いほど危険度は下がります。いくら情報を集めても潜水艦の安全を保証できなければ、帰還する可能性は薄まり探索の意味がなくなるので……」

 

 間髪入れずにバイジュウはマリルと応対する。

 

「もちろん安全が確保できない、施設が止まっていてゴンドラを起動できない、気温・湿度・酸素濃度・疫病など、どれか一つでも条件が合致できなければ第二優先として2500mの深海港に向かい、同条件下を確認して……となりますが。警戒しないといけないのはマーメイドだけでなく、もしかしたら人員が『生存』している可能性もあり、その場合は交流ができるかどうか……」

 

「……私でも驚くほどの聡明さだな。そこまで既に考慮してるとは、レンも見習え」

 

「え? どうして生存者がいると警戒する必要あるの?」

 

「……海底都市というが、実際は現代社会より隔離された施設だ。そこで自給自足ができて『文明』が年数単位で成立すれば、それはもう独立した『国』なんだ。様々な人種が現代でも争いを起こすんだ、海底都市という『国』に選民思想が根付いていた場合……我々を『敵』として定める可能性も十分にある」

 

 選民思想、という言葉を聞いてマサダブルクの人種差別を思い出す。

 確かにあそこも外城と内城で成立している社会が違う……。内城は平和で現代社会を築かれており、外城は一歩でも踏み出せばテロリストが潜む地雷源である。

 

 同じ国民なのに宗教思想が違うだけで争うんだ……。それだったら確かに他国民で、考えが違うともなれば…………おかしくはないのかもしれない。

 

 でも、青臭いけど納得はしたくない。

 今いる俺たちは全員違う人種どころか、生まれた時代さえ違うのに仲間としている……。じゃあ、手を取り合うのも可能なんじゃないかと小さな希望を持ってしまう。

 

「とはいってもドールは人間を襲うんだ。マーメイドも同じように人間を襲って文明が崩壊してる可能性もまた十分にある。残酷かもしれないが、その場合は気負いする必要はない」

 

 だけど、今はそんなことを考えてる暇はない。大事なのは今ある自分の役目を果たすことだ。

 

 俺の役割はOS班でシンチェンとハイイーの守って、班全体を観察して周りの状況を常に把握すること。

 そして……OS班全員で無事に帰還すること。

 

 こうして俺達OS班は潜水艦へと搭乗して『Ocean Spiral』へ向かうことになる。

 

 

 ……

 …………

 

 

 エミのハンドサインで安全を取ると、俺たちは水深1500mに位置する『深海生物モニタリング拠点』へと潜入する。

 

 エミとヴィラは小銃を構えて常に警戒を続け、バイジュウも神経を研ぎ澄まして辺りを観察する。アニーとソヤもそれぞれの得物を手に室内の物陰を見て、見落としがないかの確認を怠らない。

 

 俺も……………。

 

「たいくつぅ〜」

 

「ひまですぅ〜」

 

「はいはい、次はこのアーカイブしたアニメでも見ようか」

 

 ——緊張感持ちたいけど、この子連れ出勤では無理だっ! 持つにしても別の緊張感しか持てないっ! 

 

 現在、俺の背中にはおんぶ紐で赤ちゃんモードであるハイイーと、左手には背負われるハイイーを羨ましそうに指を咥えて見てるシンチェンがいる。

 自衛隊の救助活動に使われる頑丈なおんぶ紐だから、大人でも重心が偏りが生まれずに移動できるものの、それでも幼女一人分の体重をずっと背負い続けるのはキツい、とにかくキツイ。背筋が強制的に伸ばされるのもそうだが、それによる肩や首の凝り、そして足裏に乗る重さが普段より何倍もくる。

 

 いきなり二児の子を持つことになるなんて……。

 ええいっ、これを毎日熟す全国のシングルマザーorファーザーは化物かっ!? 

 

「レンちゃんママ〜。休憩しよっか〜」

 

「た、助かるぅ……!!」

 

 アニーの緩い言葉に心底救われて、俺はハイイーを下ろした途端に膝から崩れ落ちて前屈みに倒れた。

 

 ほんとぉ……ほんとぉキツイぃ……っ!

 

「尻だけあげて横になるな、だらしがなさすぎる」

 

 ヴィラは室内の廃材を使って入り口に簡素なバリケードを積み上げていき、最後にはあの10トンある戦鎚を支えにして、こちらへと戻ってきた。

 

「警戒はアタシがしておく」

 

 そう言ってヴィラは入り口を見ながら、小銃や持ってきた物資の確認をし始める。

 

「それではレンお母様、2人の面倒はわたくしが見ますので、暫しのお休みを」

 

 ソヤからの有難い言葉に甘えて、俺は冷たい鉄の壁に背を預けてこの施設で唯一海中が見れるガラス細工の天窓を見上げる。

 

 …………ここまでの情報を整理しよう。

 

 まずここまでにくる間、施設内にドールやマーメイドの出現は見られなかった。そして水深1000mにある『深海音波モニタリング拠点』と、水深700mにある『スーパーバラストボール』という施設全体を支える制御拠点へと脚を踏み入れたが、特に新しい情報が見当たらず。

 

 続いてゴンドラのコースター内で確認できるインフラの運搬状況を確認したが、驚くべきことに全インフラは未だ顕在だということがわかった。

 つまり電気・水・酸素……さらに二酸化炭素の排出管理から、この施設の目的である海底資源の発掘なども全て稼働したままだ。

 

 ここの『文明』は生きている——。そう結論付けることができた。

 

「ふんふふ〜ん♪ ……すごいね〜〜! 見たことない海中生物がいっぱいあるよ♪」

 

 アニーは端末を操作して上部にあるスクリーンへと表示させる。

 …………残念ながら俺には魚の区別が付かない。見分けられるのはマグロ、クジラ、チョウチンアンコウといった明らかに見た目が違うやつぐらいだ。見たことないと言われても、俺には全部見覚えがあるような魚類としか判断できない。

 

「こっちもすごいわよ……。深海には石油がまだまだ眠ってるし、それどころかメタンハイドレートさえ、この施設なら環境条件を変えずに採取できる……! CO2排出問題は異質物で解決してるから、使用する熱エネルギーとしては価値が薄いけど、これが異質物黎明期に発見していれば……世界のエネルギー事情は大幅な改善が見込めたわね……」

 

 ……わからないから調べてみたいが、肝心の端末は現在シンチェンとハイイーが仲良くアニメを見ていて手元にないので断念する。

 

 とりあえずエミが興奮してるし、相当すごいんだろうなぁとは思っておく。

 

「…………っ」

 

 そしてこんな未知っぽい発見の多くがあるのにも関わらず、学者気質であるバイジュウは一切反応を示さずに、自分が調査している端末の前で目を見開いて固まっていた。

 

「バイジュウ、何か見つかったのか?」

 

「…………っ。ここは深海1500m……なのに、南極でもないのに……『アレ』がいるわけがない……」

 

 何やら譫言を言っている。声が小さくて俺には聞き取れない。

 気になってバイジュウがいる端末の前に行き、俺は画面を覗き込んだ。

 

 画面全てを覆う巨大な目玉が映っていた。あくまで「目玉」と呼べるだけで、見方によっては不透明なクラゲにも見える。

 バイジュウは「目玉」を拡大させて、瞳孔という滝つぼのような黒く深い大穴を念入りに確認する。

 

 こうしてみると……巨大なサンゴ礁みたいだな。

 こんな大きい生物が海底にいるのは分かったけど、見た感じは別にクジラと大差はないんじゃないのか?

 

「…………ない、これ以上ない……」

 

 そう言って彼女は端末に苛立ちをぶつけるように、画面を消して背を向けた。振り向いた時には、隊長として冷静沈着なバイジュウの表情が見える。

 

「皆さん、異質物に関する情報はありましたか?」

 

「いや〜……。深海生物の情報はあるけど、異質物に関するのはないかなぁ……」

 

「私の方も特には……。海底資源は無尽蔵にあるから、維持に支障が起きなければこの施設は1世紀はまず運用に困らないことくらいね」

 

 収穫は薄いようだ。

 これ以上手に入るものはないと判断して、俺達は再びゴンドラへ搭乗して水深2500mに存在する深海港へと向かう。

 

 とはいっても港は港だ。それ以上でもそれ以下でもない。安全を確認して、潜水艦内部のデータを調査したが最後の計測記録が2030年を示している以外は真新しい情報はなかった。

 

 ……やはり七年戦争を境にここで何かがあったんだ。だけどここは戦争とは無縁の海底都市。直接の被害は合わないし、ゴンドラで見た限りではインフラも十二分に自給自足できている。協力してくれた国家が崩壊したとしても、間接的被害は受けにくいはず。ならばどうしてここは2030年で計測を終えたのか……。

 

 疑問は水深と共に深まるばかり。

 そして俺達は最深部である『Earth Factory』へと辿り着く。だがここにも何もない。未だに海底資源の採掘は稼働し続けており、プログラムは与えられた使命のままに溶解や加工を続けている。

 ここまで深海に近づくと、ガラス細工の天井や壁はマーメイドの姿が見え、水槽にいる魚を観察するようにこちらを見守って来ている。そして通り道の先には…………目的地となる『Blue Garden』の球体施設が見えた。

 

 ……まるでマーメイドは歓迎しているようだった。俺達がいるところはレッドカーペットみたいなもので、俺たち招待客が来場するのも待っているような。

 

 嫌な予感は当然ある。だけど進むしか俺達に出来る行動はない。

 

「ある日〜」

 

「海の中〜」

 

「サメさんを〜」

 

「調理した〜」

 

「フカヒレじゃねぇかっ!!」

 

「出てきた食材は〜」

 

「黒い卵だった〜」

 

「キャビアだっ!?」

  

 空気が読めないのか、あえて読まないのか。シンチェンとハイイーは仲良く歌を歌ってピクニック気分全開だった。

 ……今はこのぶち壊しの空気がありがたい。歌を頻繁に歌っていることもあって、もうハイイーの言葉の拙さはどこにも見えない。結局は何だったのか…………。今では謎に包まれている。

 

「ママも歌おう〜」

 

「ママって呼ぶなっ! 背中から下ろすぞっ!」

 

「レンちゃん……育児放棄するのっ!?」

 

「言い方ァ!!」

 

 アニーはマリル並みのわざとらしいリアクションしてきた。やっぱマリルに似てきたよな?

 

「わたくしとはお遊びだったのですの……!? こんなにも可愛い子達を見放すなんて……!!」

 

「ソヤも乗るなっ!」

 

「……ヴィラ奥様、お隣のレンという奥様……実はですね、かくかく……」

 

「しかじか…………あら本当ですの? ……エミ。思うんだが、これアタシのキャラじゃないだろ」

 

「あら、いいじゃない♪ レンちゃんママというか、私たちがママ友してるところ想像できる? 今のうちに昼ドラ雰囲気でも楽しんだもん勝ちだって♪」

 

 エミとヴィラも小芝居に参加してきた。

 

「…………私は何ポジになればいいですか?」

 

「バイジュウは乗らなくていい」

 

「そうですか……」

 

 ガッカリしなくていいんだ、バイジュウ。君だけは正気でいてくれ。じゃないと本当に空気が崩壊する。

 俺達は何とも言えない空気で『Blue Garden』内の調査を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………今思えば、この空気は最後の余韻だった。これから目撃する惨劇に備えて休憩地点。言うなればボス前のセーブポイント。

 

 俺達は想像もつかなかった。

『Blue Garden』内で起こったことなんて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 異臭がする。視界が真っ赤に染まる。

 

 そこにあるのは醜悪の極みだった。

 何が『Blue Garden』(青の庭)だ。誰かがここを楽園と呼んだ。だけど実際はどうだ? ……此処こそが地獄の最果てだ。

 

 飛び広がる血痕の数々。連なった死体の数々。干からびた白骨体もあれば、四肢がない男性の死体、衣服が乱れて重なる二人の男女の死体、見せしめのように磔にされた女性、細切れとなった肉塊…………この世の『死』が詰まっていた。

 

「何も見えないよ〜、レンちゃ〜ん」

 

「レンお姉ちゃん、見えないよぉ……」

 

 俺は知らぬ間にシンチェンの目を塞いでいた。気がつけばヴィラもハイイーの目を塞いでくれている。

 

「子供には酷だな……」

 

「ありがとう、ヴィラ……」

 

「お前にも言ってるんだ馬鹿。嫌なら目を瞑れ、アタシはお前を守るために側にいるんだ」

 

「子供ならヴィラもそうだろ……」

 

「アタシ達は慣れてる。軍人って、そういうもんだ」

 

 ヴィラはそう言いながら、ハイイーに応急処置用の包帯を目隠しとして巻いた。その流れでシンチェンの前にも行き、一言「悪いな」と言って同様にシンチェンの目も塞いだ。

 

「これで大丈夫だ……。エミからの合図はどうだ?」

 

 急かされて俺は周りの惨劇から目を逸らして、エミリオの手に集中する。ハンドサインはあった。「安全確認・集合」と指示をくれる。

 指示に従って俺達はエミリオの所に集合し、集合した場所の前にある自動ドアを見る。そこには『Control room』……つまりは、この施設の管制室と記載されたプレートがあった。

 

「バイジュウ、開けられる? ここはカードキーか20桁の暗証番号が必要なんだけど……」

 

「………………道中にそれらしきヒントはありませんでした。しかし20桁のパスワードを一通り行うのはあまりにも……」

 

 俺も思い返すが検討はない。それは皆も同じ雰囲気だ。シンチェンもこの状況では電波受信はせずに、ただ大人しくしてるだけ。

 

「——じゃあ、アタシに任せとけっ」

 

 突如ヴィラは鉄製の扉に正拳突きをお見舞いした。

 

 ドォン!! と会心の一撃が響く。砲弾が撃たれたのかと錯覚するほど豪快な音だ。一撃で掴みどころができるほど扉は歪み、それを取っ手にしてヴィラは強引に管制室のドアをこじ開けた。

 

 …………うそぉ?

 

「ナイス♪ 流石は私のヴィラね♪」

 

 技を超えた純粋な強さ、それがパワーだってBクラスのサングラスが言ってたな……。こういう時は力任せもありなんだなぁ。

 

 とにかくヴィラが強行突破してくれたことで、管制室へと俺達は侵入する。バリケードになりそうな廃棄機材は見当たらないので、ヴィラは再び拳一つで扉自体の噛み合わせを悪くして簡単な力では開かないように変化させた。

 

 暴力で解決するって……。こういう時にはいいなぁ……。

 

 室内には今までの惨状はなく清潔な空間だ。目の前には一台の端末と、そのすぐ近くで倒れる痩せ細った男性の姿と…………模型のように展示される鉱石が一つ。

 

 その鉱石は……初めてシンチェンと会った時にいたリーベルステラ号の古代隕石と酷似していた。

 

「……もう、事切れてる」

 

 エミは端末の前にいた男性を壁の端に寄せて祈りを捧げた。その一連の動作は精錬で、彼女が『神の使者』と呼ばれる存在であることを改めて実感する。

 

 一方、バイジュウは既に端末の操作を始めており、何があったかを把握しようと忙しなくキーボードを叩き続ける。

 

 やがて一つの気になるデータが見つかったようで、彼女は静かに呟いた。

 

「音声データ…………ファイル名は『CoC』?」

 



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第14節 〜浮上〜

普段は魔女兵器本編をリスペクトしてゲーム内と同じように7000文字を目安に書いておりますが、重要回なので驚異の10000文字突破です。そして第一章最終回である第19節まで多分そんな感じです。

なお本編の星塵降臨、第19節は約14000文字な模様。
やっぱ本家って……すごい(頭レンちゃん)


 

 ==========音声データ再生==========

 

 この記録を見たものに告ぐ。

『Ocean Spiral』の異質物研究……これは人類の新たな開拓への礎にはならない。むしろ破滅を導くものだったと断言せざるおえない。

 

 私は『Ocean Spiral』宗教学問研究兼異質物研究部門、最高責任者『ドルフィン・パルス・アンデルセン』だ。深く、私は謝罪をする……。

 申し訳ない。私にはこの『文明』を制御することはできなかった……!!

 

 …………まずは、事の顛末を説明する。

 

 当時人類の最先端であった『Ocean Spiral』に協力を仰ぐために、異質物研究が海底都市に参入したように見えるが……。実は逆なんだ。

『Ocean Spiral』側から異質物研究を参入するように懇願したんだ。理由は単純にして明解かつ強固なものだ。海底都市の運営という計画と維持…………これらは海底資源の発掘作業による利益で賄う物だったが、次々と浮き彫りになる問題やそれに伴う耐久性の改善などを再計算した結果、負債を返済するのに予測で70年かかるという利益率の低さが露呈したことで資金援助が絶たれてしまい破綻、それに伴う運営委員会での派閥抗争が生まれたのだ。

 大まかに分けて、施設運営を継続するものと破棄させるものだ。無論当時の私は研究部門の責任者の一人として『継続』を望んだ。

 

 この争いを危険視した『Ocean Spiral』運営委員会はとある企業に話を持ち込み、ある条件を二つ呑むことで資金援助を成立させて、この派閥抗争をひとまず終結させた。

 

 そのとある企業の名は『フリーメイソン』だ。秘密結社と呼ばれるものだが、実態は下手な宗教法人やブラック企業よりも慈善に満ちた巨大組織だった。…………そうだったんだ。

 

『フリーメイソン』が出した条件の一つが、先ほど話した異質物研究の参入だ。運営委員会も居住区を持て余していることもあり許諾した。

 二つ目は不思議なことに『Ocean Spiral』の建造場所の変更だった。それも公の記録では違うようにしてだ。具体的な指定があるのかと思えば、希望は太平洋であればどこでもいいと言ったのだ。運営委員会は快く呑んで『Ocean Spiral』の建造場所を極秘で変更したのさ。

 

 ……今にして思えば金に目が眩んでいた。おかしいと思うべきなんだ、何でこんな相手にとって得がない条件を提示された意味を。

 そんな資金があるから最初から『フリーメイソン』の独断で建造して異質物研究をすれば良かったのだ……。最初から求めていたのは我々という研究機関と『Ocean Spiral』で今後生活する『約1万人』という人員が目当てだったことになぜ気づかなかったんだ……。

 

 …………すまない、取り乱してしまった。

 それが起きたのは2018年末期のこと。ジョーンズ博士が異質物を再発見・再認識してからそう時間は経っていない。そこから施設の建造が始まり、ひとまずの骨組みが6年後の2024年春頃に誕生した。私は妻と生まれたばかりの娘を置いて研究部門の責任者として現場に赴いて異質物研究を行ったのだ。

 

 異質物研究として最初に運搬されたのは一つの魔導書と、一人の被験体だった。被験体の心臓は既に止まっていて、顔もグシャグシャで見るに堪えない姿だったのは今でも覚えている。遺体の身体は時が止まったように綺麗だったのが被験体にとって幸いだったのか……。

 そんな状態なのに被験体の脳波は微弱な信号を出しつけていたんだ……。まるで『魂』が叫ぶように……。

 

 続いて魔導書についてだ。

 魔導書の記載された内容は私には把握できなかった。文字としては読めるのに、英文として見ようとすると途端に認識を拒んでしまう不思議な魔導書だった。

 恐らくは選ばれた人間だけが理解できるのだろう……。先天的な物か、後天的な物か。これは今後の実験次第で分かるはずだった。

 

 最初に課された実験内容は被験体と魔導書を相互影響を観測し続けること……。それは何事もなかったのさ。……ただ爆薬だっただけさ。

 

 次に運ばれたのは思考制御型の異質物。思考制御と言っても俗に言う催眠装置とか、洗脳装置みたい強制力があるものじゃない。

 ただ道端に空き缶が落ちていたら「道中にコンビニがあるし、そこで捨ててあげようかな」と思う程度の超微弱な異質物だ。異質部の脅威度は研究対象となった時点で『Safe』なのは、これを見つけた時代でも同じなのだろうか…………。

 

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 この異質物を取り入れたのがまずかった。研究は進んだ、順調に進んだ、おかしいくらいに順調だった。船の帆が自然の風ではなく、人工的な風に吹かれたように。

 

 海底都市の発展は進み、各国の一部の上層階級の富豪や、貧困や差別で国から見放された人種が次々と海底都市の移民を始めた。

 そこは楽園と言っていい。富豪は未知の体験が味わせる極上のリゾート施設として、棄民はここで人権を得たことでようやく人間として認められる。ここでは既存の思想は価値観は何もない。誰もが選択できる勉学を励み、誰もが選択できる食事を楽しみ、誰もが選択できる未来を誇っていた。

 理想郷さ。間違いなくね。ただ……目前の誘惑に囚われすぎて、理想郷の維持性は外界にある『通常の社会』があることで保たれていることから目を逸らしていた。

 

 やがて2030年。『Ocean Spiral』で異変……違うな。恐らく陸上社会で異変が起きたのだろうな。突如として各国との連絡が絶たれた。

 海流も大きく変わり、ここにある潜水艦の規格では潜航不可能だと判断され、突如としてここは脱出不可能な牢獄となった。

 

 ここには食料も、水も、電気も、酸素も、資源も全てある。

 貧困に喘ぐことはない。皆がここでの生活を知っているから、懸命に陸上からの救助が来るのを待ったさ。だって、ここから唯一連絡が送受信できる宇宙上のある衛星だけが顕在だったから。救援信号を出して待ち続けた。

 

 一週間……半月……一ヶ月……半年……一年……。やがて誰かが言ったんだ。「もう救助を待つ必要はない。自給自足ができるならここが新しい国だ」と。

 

 ここには食料も、水も、電気も、酸素も、資源も全てある。

 外界に囚われる必要はない。皆がここでの生活を知っているから、途端に海底での社会が組み上げられたのさ。

 ……問題はここからだ。新しく社会を、新しく国を作るとして、それは『本当に新しい物』が生まれると思うか? 答えは「生まれない」だ。

 

 人間は既存のシステムに拘り続ける。何故なら変わらない平穏こそが『絶対的な安心感』を生むからだ。

 ……この海底都市なんて人間のエゴの塊みたいな物だ。我々人間は海底に住むというのに、『自分を変えず』に海底都市を作るという『環境を変える』ことを選んだ。これも絶対的な安心感を得るためだ。人間は原始時代から続く『二本足で歩く』というシステムから離れることはできない。それと同じだ。

 

 ここでの生活は統率を取る者が現れた。ここでは紙幣に意味はないのに、血縁も意味は持たないのに、それなのに既存のシステムを求めて、貴族は自分が統率者であると名乗り出た。これも安心感を得るためだ。貴族は人の上に立つ、それが彼らにとっての当たり前のことだからさ。

 

『Ocean Spiral』運営委員会は実質壊滅を迎えた。無論研究部門もだ。私はここでは平民にしか過ぎず、貴族の圧政により継ぎ接ぎだらけの社会が生まれた。そんなのが長く持つか? ……持つわけがない。貴族主義に反感を持った人々はやがてレジスタンスを組んで貴族社会を壊そうとした。

 

 だが……貴族は隠し球があった。彼らはひと時のリゾートとして来訪した身。本来ここにあるはずがない護身用の拳銃を所持していたのだ。閉鎖的な空間で、これほどまでに分かりやすい力の誇示はない。貴族は既に海底資源の運用・管理を握っていて、拳銃は量産化していた。これでは武器を持たないレジスタンスは成す術もない。一転してレジスタンスは沈静化して圧政社会を強いられた。

 

 力を持たぬ人間はどうすると思う? 強いものは力を求めるだろう。弱いものは救世主を待つだろう。…………それを両立させる存在は既にこの『Ocean Spiral』にはあった。

 

 そう、建設当初に運搬されていた『魔導書』だ。

 やがてどこかの女性が魔導書を見つけた。そして解読して女性は『力』を得た。力を得た女性を弱者は『救世主』として崇めた。

 ……閉鎖的な空間で『宗教』という物が生まれたのだ。

 

 こんな状況じゃなければ悪とは言わないさ。宗教の思想は、時として絶対的な秩序となり閉鎖的な空間では安寧を与える。メンタルカウンセラーなどが閉鎖空間で重要視されるのは、それが理由だ。人間は拠り所を欲しがる。

 

 だがそれは『不安』や『恐怖』に感情が属してる場合に限る。

 人が『不満』や『憤怒』に感情に属してる場合は、安寧ではなく闘争を求めてしまう。

 

 女性は魔導書の力を皆に広め、皆に言葉として伝え、皆に崇拝させた。やがて救世主さえ量産し始めて、魔導書こそが絶対的な信仰対象となった。

 彼女らを中心とした宗教は常に讃えていた。「ふんぐるい むぐるうなふ」だの「いあいあ」だの……。耳障りだったさ。本当にそれは地球上に存在する言葉なのかとね……。

 

 それがあってご覧の通り、この施設は惨劇が溢れている。

 貴族は皆殺しにされて、魔導書を讃えた宗教が残った。闘うべき相手もいなくなったはずなのに、彼女達は争いをやめず、むしろ仲間を増やすようになった。暴走した狂気は納めるべき場所さえなくなった。

 

 貴族や宗教に属さない私達多くの『中立派』は格好の獲物にされた。脅迫されて無理矢理属した者もいる。反抗して殺された者もいる。中には内部から解体しようと無謀な賭けに出る者もいた。

 

 だが時として女というものは……快楽さえも武器にした。

 反骨心を持った中立派は次々と骨抜きにされ、彼女達に子供を孕ませて男達を堕落させた。そして生まれ育った子供を魔導書へと信仰させて、着実に勢力を固めた。

 子供が生まれ育つ頃には……既に信仰者達は狂気に呑まれて『人の形をした何か』に変貌していた。個人差はあるものの、あるものは足が退化して魚の尾になっていた。あるものは手がカエルのような水掻きがついていた。あるものは呼吸さえままならなくなった。フィクションにある『人魚』や『半魚人』みたいなものさ。

 実際に体験してみると『人』という表現は優しすぎる。信仰者の姿はあまりにも人と呼ぶには冒涜的過ぎた。

 

 気がつけば私を含む十人の成人男性と四人の成人女性、そして例の被験体しか残らなかった。

 ここは楽園ではない。狂気に呑まれた信仰者達を中心とした宗教は、男性ら諸君には多大な影響を与えて恐怖に身を竦んだものもいれば、「これが真実の愛なんだ」と同性愛に目覚めたのもいた。女性達も同じようなものだ。そこに性差なんてない、人間なんてない、ただの野生動物の生存本能がひしめき合っていた。

 

 そんな生活が……7年も続いた。

 気が狂ったのはどっちだ。人間として狂気に呑まれた信仰者なのか、動物として本能に呑まれた私達なのか。私は逃げるようにそこから出て行き、この記録を残している管制室へ辿り着いた。

 

 私がいる管制室は最高責任者用のカードキーがないと入れない物となっている。だから管制室だけはセキュリティの都合もあって、魔導書を持った彼女達でさえも通常では侵入するのは不可能だ。

 

 ここはテロリスト対策の非常用シェルターでもある。ここでは自動的に生産された食料・水は常に一定量のまま供給されている。

 救難信号はまだ生きている。私は一抹の希望にかけて待って、待って、待って待って待って待って待って…………。待ち続けて…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日、救難信号の送信先となる衛星は突如として消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『STARDUST(スターダスト)』は流れ星のように焼失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここには食料も、水も、電気も、酸素も、資源も全てある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だがここには『希望』はなかった。

 あるのは『絶望』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぁぁ……うっぅぅ…………っっ、ぅぅ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………もう私に生きる活力は残されていない。残した家族との再会だけが生き甲斐だったのに、それさえも断たれてしまった。

 

 だからいつか訪れるであろう人類のためにこの記録を残す。

 一方的な呼びかけさ。『Call of Call』……とでも言っておくか。タイトルに深い意味はないはずなのにな……。どうしてファイル名に拘ってしまったのか……。

 

 今にして思えばどうしてこんなにも思考が偏ってしまったのだろう? どうしてどこかでおかしいという違和感に気づかったのだろうか?

 

 もしかしたら……この異質物が『思考制御』していたのかもしれない。人間が最も洗脳されやすいのは『大衆心理』だ。皆が皆「そう思うかもしれない」という思考制御が固まれば、それは強力な洗脳装置だ。

 

 だが確認する術はない。今この状況では異質物が何をやっていたかなんて明確な答えを出せるほど、私の探求欲はない。

 もしも……もしもそうだったら怖い。ならば最後に皆を『思考制御』から解放しなければならない。私は異質物研究の全ラインを停止させて、異質物研究を終了させた。

 

 これで皆が『思考制御』されることはない。残った誰かが新しい希望を見出してくれるかもしれない。狂気に染まった信仰者の誰かが正気に戻るかもしれない。

 

 せめて最後に家族と会いたかった。

 今頃娘は13歳か……。頼れる大人はいるか? 友達はいるか? ……なーんてくだらないこと言ったな。

 お前は生まれた瞬間から愛嬌があった。きっと友達も、仲間も、頼れる教師や大人もいるんだろうなぁ……。

 

 愛している……。心の底から……。

 魂から願う……。家族の幸せを……。

 

 最愛の妻『アリエル』……。

 そして最愛の娘『イ——』

 

 ==========音声データ終了==========

 

 

 …………

 ……

 

 

 ……再生された音声は終わり、辺りは静寂に包まれる。

 シンチェンとハイイーさえ重苦しくなった空気には堪えたようで、口に戸を立てられたように口を噤んでいた。

 

「……ねぇ、レンちゃん。つまりマーメイドが……」

 

 狂気に囚われた、と言っていた。

『魔導書』から与えられる『情報』に堪えきれず、当時は『魔導器』もなかった閉鎖的空間だから起こった感染病棟。それが『Ocean Spiral』の正体であり、周りのマーメイドは当時いた宗教として成立していた『魔女』達の成れの果て……つまりマリルの予想通りに『ドール』と同じ結末を辿った者………………。そう考えるのが自然だ。

 

 だとしたら恐ろしいことが一つある。『魔導書』が与える『情報』は人の脳や身体を限界を超えるだけではなく、そもそも人として変貌するほどの影響があるということ。

 ……むしろ『ドール』はまだ軽傷なのかもしれない。人の姿を保っているだけマシで、実際に重症化したら『マーメイド』に……違う。今回が『マーメイド』というだけで、恐らくは『魔導書』ごとによって定められた冒涜的な姿に変貌する。

 

 脳裏に掠めるのはホラー映画の数々。ジェイソン、ゾンビ、キョンシー、吸血鬼、人面犬…………。もしかしたら人間が作り出すホラーであるハエ男、ムカデ人間とかも……。

 いや、もっとだ。もしかしたら童話に出てくる『人魚姫』『親指姫』『ジャックと豆の木』みたいな特殊な人間……。実際に起きた猟奇的な殺人事件である『ジャック・ザ・リッパー』『バートリ・エルジェーベト』『ジル・ド・レ』…………。歴史の背景で全貌が明かされないだけで、もしかしたらその全てが『魔導書』の『情報』によって変貌された人間の成れの果て、もしくは題材としたお話だったのかもしれない。

 

 もしそうだとしたら……時を止める吸血鬼、古代エジプトの王の魂、願いが叶う七つの球、名前を書くだけ死ぬノート、多種多様の真拳使い…………。それらさえも、全てが過去に存在した『魔道書』や異質物に何かしらの影響を受けて『実在』していたのかもしれない……。

 

 想像を広げると際限がない。今まで自分が信じていたものが根底からひっくり返された。フィクションは所詮フィクションだ、だからこそエンターテインメントになる。

 

 それが実際にあるとしたら…………。わからない。興奮するかもしれない、恐怖するしかもしれない、平静なままかもしれない。

 

 ただ、俺はそれが実際に「あるかもしれない」と漠然とした考えを持ってしまったことに身震いを起こした。

 

 誰かが言ってた。「歴史は勝者が作るもの」だと。

 

 ……俺達が今まで信じていた、知っていた、当たり前だと思っていた歴史の数々、あるいは常識は既に都合のいい摺り替えの末に誕生したものかもしれない。

 

 冷静に振り返ると今いるハインリッヒだって……歴史上では男性だった。強烈な個性で誤魔化されていたが、彼女の存在自体が『歴史の真偽性』を覆いに揺らがせる。

 

 常識が常識を覆す。頭の中で事実がすり替わるのがわかる……。これこそが『ミーム汚染』なのではないかと錯覚する。

 

 ふと目に入った。展示されている古代隕石が。

 

 思考制御型の異質物……。モニターの前で鎮座しているリーベルステラ号で触った古代隕石と酷似したもの……。

 この異質物が原因なのか……? 音声データの主、ドルフィン・パルス・アンデルセンが言っていた。「そう思うかもしれない」という思考が本当にこの異質物が働きかけているとしたら……。もしかしたら今俺が考えてることさえ世迷言で、事実とは無関係……かもしれないし、じゃないかもしれない。

 

 だけど、この考えに疑問を思うこと自体に声の主は危険視していた。

 それが異質物の特性であり、今回の事態を引き起こした遠因だと。

 

 だが実態はどうだ。異質物研究を終了させたにも関わらず、マーメイドは未だ顕在で誰一人正常に戻っているものはおらず、見事に施設は崩壊していた。

 既に引き返せない地点にまで人間の思考と狂気は進んでしまっていたのか、それとも異質物自体の効力とは今回の事態とは無関係なのか。

 

 ……俺にはとても危険なものと思えない。

 古代隕石を見て、危険じゃないと考えている自分がいる。これには大事な物が詰まっていて、無くしちゃいけないモノな気がしてならない。

 

 ………………だが、思えないだけなら分からない。

 これが本当に思考制御型の異質物なら、これ自体が制御された考えかもしれない。何か重大な見落としをしていて、異質物自身が自己を守ろうと見落とした情報を見ないように誘導しているのかもしれない。

 

 自分の思考に、自分が出したものという確証が持てない。これ自体が……。

 

 自分の思考が制御されて出た考え……かもしれない。

 自分の思考が制御されずに出た考え……かもしれない。

 

 思考は堂々巡り。質問を質問で返す。

 考えはメビウス。答えはループ。

 

 思考が『未来(さき)』に進めない。

 信じていた『現在(いま)』は否定された。

 

 ダメだ。疑問が更なる疑問を読んで思考の海に引き摺り込む。

 まるで深海のように……。

 

 

 深い………………、

 

 深い…………、

 

 深い……、

 

 ……

 

 

 思考の…………『深海』の底へ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——あなたは海が何色に見えますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本来、海は色とカテゴリされるものではない。そもそも根本的な問題として『色』というもの自体が、概念上『色』と捉えていい存在ではない。

 

 なぜならこの世界には『光』がなければ、あらゆる物を観測できない非常に不出来なものだ。そして『光』があるだけでは『色』は証明できない。観測者の認識を持って初めて『色』は成立する。

 

 そもそも『色』とは『光』によって認識される。ならば『色』=『光』と言われれば、そうとは言えない。夕陽は赤いし、朝日は白いだろう。だがそれは人間自身が『光』自体を質的経験から、『光』を『色』として変換してるに過ぎないからだ。『光』自体に『色』はない。

 

 だとしたら、根本的な『色』とは。

 『光』はあくまで色を観測するために必要な前提でしかない。

 『観測者』は質的経験から『光』によって観測される色を判断してるに過ぎない。

 必ず『光』を介さない『色』がどこかに存在するのだ。その『記憶』や『記録』が観測者に宿っているからこそ、『観測者』は初めて『質的経験』から『光』を通して色を定められる。

 

 あなたに問います。『光』も届かぬ『海』の底の底。その名は『深海』

 光が届かぬ以上、観測はできない。

 観測ができない以上、観測者は存在しない。

 観測者が存在しない以上、色は定められない。

 

 定められないなら、深海とは『何色』なのか——。

 

 ………………。

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんばんは」

 

 ——そこで俺は気づく。

 

 辺り全体は暗闇に包まれており、嗅覚も触覚などの感覚が機能しない。機能するのは視覚と聴覚のみ。暗闇の空間にはスポットライトに照らされたように少女が一人佇んでおり、人懐っこい笑顔を浮かべて俺に話しかけている。

 

 少女の姿はコバルトブルー……ではなくマリンブルーの髪をしたセミロングで、服装は袖なし肩紐なしのストラップレスドレスと呼ばれるものを、大胆にもミニスカにするという形状でかなり露出度が高い。活発そうな彼女の雰囲気に似合っている。

 そんな元気潑剌な見た目なのだが、俺にはどうしてもそれだけに収まらない魅力が不思議と感じてしまう。

 

 夏の一幕というか…………普段元気な子が、海岸線沿いで海を眺める時のような……神聖な思い出が形となったような魅力が彼女にはあると直感的に思ってしまう。

 

「君は……?」

 

 彼女のマリンブルーの髪はこの世界でも海のように煌びやかで淡く、水のように滑り落ちそうだ。

 暗闇の空間では呼吸一つさえ耳によく届く。彼女の呼吸は清漣とした穏やかなもので、こんな状況でも安心感を包んでくれる。

 

 だというのに……彼女の瞳だけは分からなかった。海としか言いようがない。

 深海、清漣、朝凪、夕凪、潮騒、潮汐…………。どんな言葉でも形容できない。何もかもを飲み込み、何もかもを吸い込み、何もかもを惹かせる貪欲で純粋で矛盾した海の瞳。

 

 彼女の瞳はあまりにも魅入らせる。『何に』——?

 分からない。だけど俺は直感した。

 

 俺はこの子を『知っている』——。

 

「私は…………なんて名乗ろう? え〜っと……悩むなぁ。ハ……いやいやいやダメダメ。それはあの子の名前……」

 

 彼女はいきなり頭を抱え込む。まるで自分を見ているようだ。

 テスト用紙の前で頭を抱える俺、失言をして言いくるめようと焦る俺、男だとバレそうになって誤魔化そうとする俺…………全部見に覚えがあって親近感を感じてしまう。

 

「……アンノウン? いやぁ、センスないなぁ。……オーシャン? なんか、安直だなぁ。……ジェリーフィッシュ? うーん、長いなぁ。……じゃあ、捻ってオケアノス? ……元ネタが髭面のお爺さんだしなぁ」

 

 待て、髭面のお爺さんって絶妙に敬ってない言い回しだな。

 とはいっても俺自身も偉人に関して遠慮がない時あるし……。そういう意味でも似たもの同士かもしれない。

 

「うんうん……決めた。ひとまずは『オーシャン』って言っておくよ。お姉ちゃんも真名で活動してないみたいだしね」

 

「お姉ちゃん?」

 

「あれ、覚えてない? 私のお姉ちゃん」

 

 そう言って彼女は燦々とした笑顔を浮かべる。まるでシンチェンが無邪気に笑った時と似たように。

 まるで…………まるで、なんだ? シンチェンとは見た目は似ていない……。強いて言うならハイイーだが、かといってハイイーとも雰囲気は似ていない……。

 

 強いていうから二人で一つだ。

 ハイイーが成長した見た目に、シンチェンの活発さが混じったような……。そんな印象を受ける。

 

「待ってね。検索中、検索中…………ありゃー、お姉ちゃんはそこで会ったのか。記録と違うけどいいか……」

 

 彼女の言葉の意味が、さっきから理解できない……。

 

「マサダブルクの博物館で話した女性を覚えてる? シルクみたいな綺麗なコバルトブルーの髪色で、私より身長高くて、君よりは身長低いんだけど……」

 

「あぁ、覚えてるよ」

 

 あの見た目は忘れようにも忘れられない。

 

 赤子のような綺麗な肌と金色に輝く瞳。存在するだけで世界の中心となりそうなオーラを発する絶対的な存在感。話す言葉一つ一つが優しく響き、その全てが祈るように歌ったのではと思ってしまうほどだ。

 

 彼女が歌ってくれた話は今でも鮮明に覚えている。

 人類の祖母『ルーシー』の話……。名前の由来は当時ラジオから流れたバンドマンの楽曲だということ。ルーシー最も早く直立二足歩行を達成した人類であるということ。

 

 そして……祖母と言われているが、ルーシーが必ずしも『女性』ではないという。

 確か、良好な状態で保存された死体ならサモントンの遺伝子分析技術で血縁関係を鑑定できたとかも言っていたよな……。

 

 ……一番強烈に残っている記憶は、最後に口にした言葉。

 小さい頃に、お母さんが読み聞かせてくれた本の文章……。俺は未だに本の名前を知らない……。

 

 そんな本に記載されていた文章を彼女は歌ってくれた。

 

「それが私のお姉ちゃん♪ 名前は……うん、私が暫定しよう。『スターダスト』っていうんだ」

 

 星屑? 星塵? ……または別のスターダスト? 何にせよ、あの時見た彼女には相応しく綺麗な名前だ。

 

「……って、君のお姉ちゃん!?」

 

「Yes! you are お姉ちゃん!」

 

「それだと俺がお姉ちゃんになるよ!?」

 

「マジ? じゃあ、I am お姉ちゃん!」

 

「自分が姉になってるねぇ……」

 

 お姉ちゃんとは違って知性の輝きを感じないな、おいっ!

 

「と、ともかくっ! やっと来てくれた……」

 

 そう言って彼女は耳に息を吹きかけて囁いた。

 

「最も寒い場所でも、最も暑い場所でも。昼が続く場所でも、夜が続く場所でも……。海を渡り、海の向こう側まで……」

 

 それは、名無しの本に記載されていた本の一節。彼女もまた歌うように俺に伝えてきた。

 

「ねぇ、君もどこからそれを……!」

 

「じゃあ、時間だよっ! ドォーン!」

 

 突き離された。途端に感じる浮遊感。この感じは知っている、夢が覚めるのと一緒だ。もうすぐ彼女とは離れ離れになってしまう。

 

「まだ私にはやることがある……。今はそっちが最優先だからね」

 

 彼女に聞きたいことがあるのに、まだ話さないといけないことがある気がしてならない。

 足掻く俺と視線を合わせ、今日一番の晴れやかな笑顔を浮かべて彼女は手を振る。夏のひと時が終わる瞬間を、俺は無性に感じていた。

 

「君は、髪を伸ばしても似合うね……」

 

 彼女が呟いた言葉を最後に、俺の意識は浮上する。



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第15節 〜Eclipse Soul〜

フウウウウウウ〜〜〜
わたしは……子供のころ ゼルダの伝説の「ライクライク」ってありますよね……
あの形状……呑み込みを見た時ですね
あの「リンク」と一緒に呑み込んだら溶けて出てこない「盾」……
あれ、……初めて見た時……
なんていうか……その……下品なんですが……
フフ……下品なので、やめときます……。

まあ……何が、言いたいかというと……。
スライム、とか……アメーバ、とか……いいよね……。


「おーい…………レンちゃーん?」

 

 俺の意識は覚醒した。気が動転して散漫としていただけで、今回は時間は大きく経っていないようだ。目覚める前と大きな差は見られない。

 

「…………アニー?」

 

 聞き慣れた声に俺は応答する。

 

「うん、大丈夫?」

 

「……ありがとう、大丈夫」

 

 今度は間違えていないみたいだ……。

 エミも「おっやるねぇ」と感心しているけど、そう何度も間違えるほど俺も薄情者ではない。

 

 覚醒した意識はすぐに俺は目の前にある異質物を見る。

 

 …………これは、どうすればいい? 俺はこの異質物をどうしたい? 

 ……心は既に決まっていた。何故かは分からないけど、これだけは「かもしれない」というものではなく確信だ。

 

 俺はこれを…………危険な物じゃないと確信する。

 

 今回の悲劇は魔道書が引き起こした物であり、これ自体に何らか悪影響は与えてる可能性は考えられない。むしろ「かもしれない」と考えるなら、この異質物が与えた良い影響を考えた方がいい。

 

 マーメイドがドールと同じなら、基本理念は人間を襲うように設定されている。それは本能的な物だと、いつか愛衣は研究成果で言っていた。

 だというのに周囲のマーメイドは俺達を襲うことなく静観するのみ。これこそが本当の『思考制御』じゃないのか? ドルフィンは言っていたじゃないか。最も強いのは『大衆心理』だと……。

 最初の悲劇は単純に肥大化した『大衆心理』のもの。むしろ最初の女性は救世主ではなく悪魔になることさえできた。『魔導書』の力とは絶対的だ。その一部を使うことで『魔女』として支配者になることもできた。

 …………すぐに力を行使しなかったのは、それこそ『救世主』となっていた女性こそが『思考制御』をされていて「一人では支配者になれないかもしれない」と思ったことで、とりあえずは仲間を作っていき、やがて増大化した信者の意思が『思考制御』を超えた『大衆心理』を持つことになった考える方が…………俺として納得いく。

 

 そして時は経って信者はマーメイドになった。マーメイドになったことで『狂気』に染まった彼女に心理状態などない。信者ではないものを襲う、という大衆心理は既に本能へと変わり、改めて『思考制御』が影響を及ぼしている……。

 だから『外的要因』さえあればマーメイドはすぐに本能に目覚める。その外的要因こそが『満月』だとしたら……。

 

 

 …………

 ……

 

 

「時空位相波動が起きたのはマーメイド誕生によるもの……。だとしたら疑問点は廃棄施設とはいえ管理されていた異質物が何故『今頃になって起動した』のか……。満月の周期は約一ヶ月、正確には29.5日……これだけが条件ならもっと前に時空位相波動は発生している」

 

「何かキッカケがあったには違いないが、そればかりは『Ocean Spiral』に直接潜入して情報収集するしかないな」

 

 

 ……

 …………

 

 

 そのキッカケこそがマサダブルクで起きた……衛星『STARDUST』が落ちたことによる二酸化炭素を多量に含んだ砂嵐じゃないのか?

 

 あの事件で俺は二週間気絶して、その後も訓練とマスコットキャラとして多忙な毎日を過ごしたが……事件から『まだ一ヶ月経っていない』じゃないか。『STARDUST』が落ちてから、今日にかけてまだ一度も月は真円を描いたことはない。

 

 ドルフィンは異質物の全ラインを停止させたと言っていた。それによって基地全体の異質物影響が弱まり、先日『STARDUST』が落ちてから初めて満月を描いたことで、月光が届く水深までにいるマーメイドが本能に影響されて海上に出た。それこそが最初の戦闘で起きたこと。

 

 時空位相波動が大きくなったのはむしろ……施設の力がなくなり異質物自身が力を大きくすることで、本当に起こるはずの悲劇を抑止するの同時に、ここで起きてる未曾有の危機を伝えようとしていたからだとしたら…………。

 

 ……とはいっても、ここまで全て推測だ。推測は証明できない限り、価値を保たれることはない。今ここでそれを確証にする手段はない。

 

 だとしても…………今、対処すべきなのは未だ顕在で『Blue Garden』内のどこかにある『魔道書』だ。

 

「レンさん、どうしましたか……?」

 

 あまりにも長時間思考に耽る俺に、バイジュウは心配そうに声をかけてきた。

 

「……大丈夫。一先ずはここの異質物は置いておいて、マーメイドが今も暴れている原因となっている『魔導書』を探すのが先決だと思うんだ」

 

「それもそうですね。…………でしたらレンさんはここでシンチェンとハイイーと共に待機してください。異質物の監視をするのもそうですし、マーメイドとは別種の進化を遂げたのがまだ施設にいるとすれば……子供達は足手纏いになります」

 

「……俺もそう思っていた。ここはドルフィンさんの言う通りなら、普通のマーメイドなら侵入できない設計になっている……。下手に子供達と一緒に行動するよりかは、ここにいる方が安全だ。……それでいいよな? シンチェンもハイイーも」

 

「ん? いいと思うよ。私に言われても分からないし」

 

「いいと思います……」

 

 電波を受信してないから、本当にそれでいいのだろう。

 

「……一応アニーさんも残っていてください。仮に侵入された場合、この閉鎖空間で子供二人を庇いながら一人で守り切るのは厳しいです。最低では二人で組んでカバーしたほうが賢明でしょう」

 

「了解です、バイジュウ隊長♪」

 

 そこで俺達は分かれて、管制室で俺とアニーはシンチェンとハイイーを守るために待機することになる。

 

 ……それにこの異質物はまだ自分で探らないといけない気がする。

 

『魔導書』について不安はあるが……今は信じてバイジュウ達を待つしかない。

 

 そこでふと考えてしまう。自分で考えたのか、それとも導かれたのか。この際それはどうでもいい。疑問は疑問だ。

 

 そういえば……『被験体』って何だろうと。

 

 

 …………

 ……

 

 

 レンから離れて数分。バイジュウ達は『Blue Garden』内の本格的な探索を進める。道中、変異中のマーメイドもいたりしたが、それらを全て掃討して施設内を探索は滞りはない。

 元々施設にいたマーメイドと敵対する人種は事実上の全滅をしているため、遭遇するマーメイドの数は海上に上がった時よりも遥かに少ないのは幸いというべきなのか…………。それについて誰も話題にすることはなく彼女らは黙々と足を進める。一番警戒している事態から逃げるように、あるいは解決するように早々と進み続ける。

 網目模様の天井を境に漂う無数の……『約1万』はいるであろうマーメイドが総出で襲撃することを想像すると、焦燥に駆られてしまうのは仕方のないことなのだ。

 

 探索を進めてさらに十数分が経つ。『魔導書』は未だに見当たらず途方に暮れる。まだ探索すべき場所はあるとはいえ、神経を張り詰めながら全方位を警戒して捜索するのは中々に重労働なのだ。

 

 バイジュウは一つ深呼吸をする。それは静寂に包まれたこの場所ではやけに響いていき、呼吸一つさえ研ぎ澄ますほど薄くなっていることに気づいた。

 冴えた感性は今一度現状を把握しようと、浸水する床を踏み締めて辺りを警戒する。どこを見ても覆い尽くされたマーメイド達から突き刺さる全方位からの視線視線視線…………。

 

 そこでふと気づく。ここにいるマーメイド達は敵意を持っていない。自己意識を持たないドールやマーメイドに対象を観察するという『理知的』な行為をするわけがない。

 だとしたら敵意がないのに何故私達を見る? 仲間意識を感じているから? 違う。なら海上での戦いなど起こるはずもない。今マーメイド達が敵意がないまま静観をしているのは、何かしらの影響があるからに違いないのは確かだ。

 

 考えられるのは、あの異質物が何かしらの思考や本能を妨害してマーメイド達の攻撃性を制御している。それは十二分にあり得る。だが、その制御の末にマーメイドは『観察』という一種の『理知的』な行為を選ぶのだろうか?

 バイジュウは見上げる。網目模様の天井から覗かれるマーメイド達の視線を全て捉える。それら全てと視線を合わせた。

 

 そして驚愕のことを知る。

 マーメイドは全て『バイジュウ達に視線を合わせていない』ということに。

 

 背筋が凍るような事態に立ち止まったバイジュウを見て、エミリオ達は「どうしたの?」と久しく聞いた声が届くが、バイジュウにとって気にしなければならないのは、マーメイドが視線の意味だ。バイジュウは思考に耽る。

 

 この場にいるマーメイド全てがバイジュウ達を見ているのに、バイジュウ達に視線を合わせているものは誰もいない。むしろ見ているのは、その先の『何か』だ。

 バイジュウは振り返る。職員や研究員などの過去に『魔導書』の宗教と反発したであろう人々の惨劇の後しか残っていない。血は既に乾き切っており、浸水した床に血に溶けていないことから、それは相当時間が経っていることが死体の状況からも推測できる。

 

 もう一度見上げる。マーメイド達の視線は相変わらず静観を決め込んでいる。これから起こる『何か』を見守るように、ただただバイジュウ達を見ている。

 

 もう一度振り返る。広がる惨劇の後。乾いた血。浸水した床。

 そこで二つの違和感に気付いた。一つは浸水した床だ。いつ頃から出たものかは想像するしかないが、こんな海底都市でわずかでも浸水するなんて致命的な欠陥構造だ。今にも崩壊してもおかしくはない。

 だとしたらこの水は……。生活排水などのラインから漏れ出た水だろうか。それならばまだ把握できるが、だとしたら何故、この浸水した水は『無色透明』なままなのだ。

 

 もう一つは……『全方位』からの『視線』だ。

 ここは水深4000mに位置する最下層だ。前後左右、上を含む場所から視線を感じるのは当然だ。マーメイドが覆い尽くしているのだから。

 なら『下』からの視線はなんだ。床一面、特殊防水加工した金属製のタイルだ。マーメイドなんてどこにもいない。あるのは…………『水』だけだ。

 

 嫌な予感であってくれと、バイジュウは祈りながら視線を下ろす。広がるのは『無色透明』で揺れ続ける水。だが『水』は施設を照らす『人口光』を反射することなく、ただ模倣した『液体状の何か』でしかないことに、そこで気付いた。

 

 すると——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テケリ・リ—————!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テケリ・リ—————!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不快極まる甲高い音がフロア全体に響いた。不安を助長させる音は、獲物を定めた獣の『鳴き声』のようにも聞こえる。

 

「なにっ? この不快な音……?」

 

「どこからだっ!? わかるか、ソヤッ!?」

 

「…………なんですのこれ。匂いが……しないっ……?」

 

 混乱するエミリオとヴィラ。戸惑いを隠せないソヤ。

 独特な鳴き声は恐怖を駆り立てるように、徐々にその大きさを増していき不快感を逆立てる。

 

 テケリ・リ—————!!!

 テケリ・リ—————!!!!

 テケリ・リ—————!!!!!

 

『液体状の何か』が波を立てて、その姿を変えていく。それは異形と形容するに他ならない。不定形の身体は体調を1m、2mと少しずつ大きくしていき…………。

 

「死線演算…………完成ッ!」

 

 先手必勝。大人げない、卑怯、狡猾なんて言葉は戦場では何の価値も持たない。

 異形が5mに達する直前、バイジュウは身体から光の粒子が溢れ始め、少しずつ形を現すソレに白光する粒子を雪崩のように放つ。その数はゆうに百を超え、圧倒的な量を誇る粒子は寸分違わず全弾が異形に直撃した。

 

 彼女がいくつか持つ特異体質を活かした技能——『量子弾幕』。

 

 身体中から独立したエネルギー理論で構築させた白い光の粒子を放つ制圧・牽制目的の戦闘技能。

 それは単体での威力は非殺傷性の銃を発砲する程度の威力しかない。もちろん成人男性などを対象とした一般的な制圧手段としては一発でも脅威なのだが、ドールなどの異形相手になれば加速度的に効果が薄くなることをバイジュウは知っている。

 

 だが、それでも数を束ねれば異形相手でも『怯ませる』程度の効果が出ることもまた知っている。その隙を、エミリオ達が見逃すはずがない。

 

「伽羅斬ッ!!」

 

 ふた色の眼が異形の急所を捉えた時、超高温の熱線が戦場をなぎ払う。エミリオが放った大剣の一閃は、一瞬で戦場を水を蒸発させて、眼前に佇む異形の肌を抉るように深い火傷痕が浮き上がる。

 

「解体される準備は、よろしくって?」

 

 問いに慈悲はなく愛もなく殺意もなく、ただ執行する。

 火傷痕ごとソヤは電動チェーンソーで異形を抉り削る。鋸が肌を引き摺る音と異形の悲鳴は不協和音を奏でようと、ソヤは『処刑人』の名に恥じない無慈悲な表情で切り刻んでいき、やがて異形は身体のバランスを崩して倒れ込む。

 

「砕け散れッ!!」

 

 戦女神は空を跳ぶ。序曲などなく最初から終曲を奏でる。

 鉄鎚は振り落とされた。質量10トンを誇る戦鎚は異形の頭部を正確に射抜き、強烈な破裂と破壊の音が入り混じる。衝撃が止むと強化タイル共々異形の頭部は陥没されており、目も当てられないほど飛散した状態となっていた。

 

 質量10トン——。言わば暴走する大型トラックに轢かれる以上の衝撃だ。衝撃が一点に集中するということを鑑みれば、下手をすればレールを駆ける電車にも匹敵しかねない。例え何であろうとも生物であれば致命傷になるのは間違いない。

 

「…………どう、ヴィラ?」

 

「……手応えがない。ダメージは確かにあるんだろうけど……」

 

 全員の視線が倒れ込んだ異形へと向かう。瞬間、彼女達の背後から呑み込むように水という名の不定形の異形が巻き上がり、襲い掛かろうとする

 

「これぐらいは予測済みっ!」

 

 エミリオは歯で指の腹を噛みちぎり、血を散弾となって瞬時に水に溶ける。

 だが、エミリオの能力はここからだ。彼女の能力は『血を硬質化』させるのもそうだが、同時に『血を瞬時に蒸発させる』ものでもある。圧倒的な熱量を誇るエミリオの血を取り込んだ水は、一瞬にして水蒸気となって弾き飛んだ。

 

「……どうしたの? これで終わり?」

 

 エミリオの問いに異形は沈黙する。痙攣などの動作も起こさず、何かを考えるようにひたすら静かに横になり…………突如として頭上からマーメイドの視線とは違う『威圧感』がバイジュウ達を襲う。

 

「伏兵っ!?」

 

 見上げた先に映る物を見てバイジュウ達は畏怖した。そこには驚愕すべき事実が潜んでいた。

 網目模様が全て蠢いている。瞬時に理解してしまう。網目模様は薄く引き伸ばされた異形の皮膚が擬態したものであり、あれもまた異形の一部なのだと。そしてそれら全てがバイジュウ達で沈黙する異形へと群がっていく。だが、ただ群がるだけじゃない。『Blue Garden』内のありとあらゆる廃材、機材、銃器から鉛玉まで取り込んで収束していくのだ。まるで文明を喰らうかのようだ。

 

 あまりの事態に一瞬行動は遅れるものの、皆は無我夢中で収束する異形の皮膚を切り払い、焼き払い、なぎ払い、切り払い焼き払いなぎ払い、切り焼きなぎ——留まることを知らずに群がり続ける。

 恐らくは99.9%は撃退した。何一つ恥ずべき失態などない。成果としては順調だ。だが、それでも0.1%は通してしまう。例え0.1%でも……それは致命的だった。

 

 例えるならば人口と一緒だ。ある国の人口が70億だとしよう。そのうち99.9%が何らかの災害などで亡くなったとしても、残り0.1%となると、それだけで700万という膨大な数に達する。それと一緒なのだ。

 

 膨大な僅かが文明と共に異形と溶け合っていく。機材は足となり、廃材は頭となり、銃器は腕となる。

 ここには全てある。求めればいくらでも、いくらでも、いくらでも何様にも姿を変えることができる。実験や研究も兼用しているならば尚更だ。不定形の生物が特定の姿を持たないのであれば、どこまで変化や擬態ができるのが試すのが生物としての当然ではないか。カメレオンでさえその程度のことはやってのける。

 

 ここで一つのSF小説を思い出してほしい。ある日、地球に襲来した火星人が侵略活動をするものの、最終的に『風邪』という病原菌に耐性がなく絶滅したという話だ。 

 

 確かに耐性がなく一度目は絶滅するだろう。だが、二度目はどうだ? 上手くいくはずがない。対策はしてくるだろうし、何より『耐性』を持とうとするのが当然ではないのか。人類が予防接種をするように。

 

『知性体』であれば誰であれ『成長』を促すからこそ『知性体』だ。それは人間でも、動物でも、宇宙人でも、情報でも……全て一緒だ。例外などはない。ならば『知性体』であるはずが異形も、環境に合わせて成長や適応するのが当然なのだ。

 

 溶け合った末に誕生したのは、もう異形とは呼べない姿をしていない。あえて名をつけるなら、機械仕掛けの巨兵——。異形と現代科学の融合ともいえる。

 不定形の肉体はスライムやアメーバ状を基本に3m級の人型の体躯をしていた。頭部、腹部、腕を除く関節部以外には鎧のように機材が継ぎ接ぎだらけで繋がっており、最も特徴的なのは手に分類される部位にはは筒状に穴が空いた謎の物体が装着されている。見方によっては出来の悪いシャワーヘッドだ。

 

 だが、それは情け容赦ない死の具現でしかないことにバイジュウ以外には気づかなかった。

 巨兵はシャワーヘッドを構える。バイジュウは盾になるように前に出て、自身の獲物であるラプラスを取り出し——。

 

 巨兵は津波のように押し寄せる暴徒鎮圧用の兵器——『放水砲』を打ち出した。

 

 

 …………

 ……

 

 

 ドオオォォォォォ…………ンッッ……!!

 

 

 やけに大きい反響音が俺の耳に届く。何かしらの交戦であろうか、バイジュウ達がマーメイドとは別種に進化した信者と戦っているのか、それとも別の何かか……。

 

「……どう思う、アニー?」

 

 不安になって聞いてしまう。

 

「う〜ん……ヴィラのハンマーとかじゃないの? 10トンもあるんだから、振り下ろせばそりゃドデカイ音の一つぐらい出るんじゃない?」

 

 アニーはアニメを見るのに疲れて眠たげなシンチェンを膝枕で介抱している。一方俺は微睡むハイイーの背中を撫でながら抱っこをしている。どちらも既にお疲れモードだ。

 

「それもそっか……」

 

 ヴィラなら確かにこの重低音ぐらいは起こせそうだ。そう思うことで安心感を覚える。

 閉鎖空間での十数分。いくらか安全とは緊張は持つものであり、気楽にバイジュウ達の帰りを待てるほど俺の神経は図太くない。今か今かと内心焦り続けるのが止められない。

 

「それよりさ、この異質物はどうしようか……」

 

「う〜ん、詳しいことはマリル達に任せることになるしなぁ。EX級ならサモントンに寄贈されるかもしれないし、仮に再定義してSafeだとしても、この事件を起こした可能性があることを考慮するとな……」

 

 俺自身が危険物でないと思っていても、周囲がそれを思うかは別問題だ。証拠もない俺の理論を説いても、ドルフィンの理論を説いてもどちらも水掛け論だ。こればかりはマリル達次第だ。

 

 ……個人的にはリーベルステラ号のコンテナみたいに、人体への影響を与えず人目が極力つかない場所で保管するのが一番だと思うが……これもシンチェンと出会うキッカケになった古代隕石と同じようにした方が良いという考えなんだろうなぁ。

 

 などと考えると、施設に再び衝撃が奔る。

 

 

 ダァァアアアアアアアアアア—————!!

 

 

 これは…………なんだ? 

 

「何この音……?」

 

 アニーからも不安そうな声が漏れる。

 

 ……トイレを流す音? 違う、もっと厚みがある。これはゲリラ豪雨でマンホールから逆流する排水のような……。それをもっと大きくしたような……。

 

 違う違う。もっと強烈に媚びついた記憶だ。なんか重大なことがあってって………たった一回に嫌悪感を覚えるほどで……。確か……歴史の資料で……。

 

 そこで気づいてしまった。この場合はどっちにしろ、このままでいる方がまずいということに。

 

「アニー! シンチェンをどこか高いところに避難させて!」

 

「えっ!? わ、わかった!」

 

 俺はハイイーを長テーブルほどはある端末の上に乗せて、接近し続ける流水音に心臓をバクバクさせながら、すぐさま自分の武器である金属バットで管制室の内部ロックを壊した。噛み合いが悪くとも硬く閉ざされた鉄の扉だろうと、ヴィラの力が無かろうとも…………渾身の力でほんの僅かに開けられた。

 

 途端、施設全体が足先まで浸かる濁流が流れ込んできた。

 …………予想通りなら、これはどういう理由か逆流した施設の生活排水ごと海底の資源を巻き上げている。つまり…………これが海水と繋がる生活排水と繋がった配管からの逆流だとしたら、下手したら海水そのものが流れ込んでこの施設自体が『沈没』する恐れがある。

 

「アニー! 脱出する準備だっ!」

 

「分かった!」

 

 アニーは異質物をアタッシュケースの中に入れて、シンチェンとハイイーに白い球体を口に含ませる。

 飴玉……というわけではない。ハインリッヒが作り上げた携帯版酸素ボンベだ。前に南極で活躍した超高火力カイロみたいな暖玉と、ランプ代わりに発光した電玉……それの酸素版だ。

 脱出時の危機を想定して、作戦前にマリルから渡された品物であり、口に含めば1時間は身体活動を維持できるほどの酸素と気圧を供給し続ける。さらに防護術式を展開して海流の影響や水圧を軽減する効果もあり……と、つまり今俺が着てるハインリッヒのお古と簡素版だな。

 

「レンちゃん、どこに行くの?」

 

 俺が使用していたおんぶ紐でアニーはシンチェンを抱えながら聞いてくる。シンチェンは突如として起こり続ける災難に、眠気が混じりながら驚いた顔をしていた。

 

「…………何か嫌な予感がするっていうか、その言葉にしにくいんだけど……」

 

 バイジュウを守らないと——。

 そう『魂』が叫んだような気がしてならない衝動が湧き上がる。

 

「……バイジュウ達を助けに行きたいんだ」

 

「……はあ!? いやっ、分かるよっ!! レンちゃんの気持ちは非常に分かるし、気持ちは同じだけど…………普通はみんなもこの事態には気付いて脱出するよねっ!?」

 

 そりゃそうだ。だって携帯酸素ボンベは別に俺達だけが持っているわけではなく、OS班全員が各自1つずつ持っているんだ。同様に治癒能力が持つ緑色の宝石も各自1つずつ持っている……。並大抵の危険なら個人で解決できてしまうのだ。

 

 それでも……どうしようもないほど駆り立ててくる。思考制御……ではない。本当に心の底……もっともっと深くから……本当に『魂』が叫ぶように訴えてくるのだ。

 

 バイジュウを守らないと、って。

 

 …………ベアトリーチェだって言っていた。繋いだ心は決して離しちゃいけない、って。

 

 今が、その時なんだと『魂』が理解する。

 

「…………ダメ、だよな」

 

「あぁ〜……わかった! じゃあ二手に分かれよう! 私は『Earth Factory』でバイジュウ達がいるか確認するから、その間だけレンちゃんは絶っっっっ対にぃ!! この施設を右回りで捜索することッ!!」

 

「——うんっ!」

 

「私がバイジュウ達を見つけても見つけなくても戻るから、そこで合流した時点で捜索は一度切り上げッ! 施設の様子とバイジュウ達が帰還するの待って、諸々判断したのちに脱出か捜索続行かを判断するッ!! それと……私の方が安全が確認できるところに行くんだから、ハイイーも私が預かる。これでいいね?」

 

「アニー…………ごめんっ! あと、ありがとうっ!」

 

 俺のわがままを通して、アニーが呑んでくれた。

 俺はハイイーを預けると泥濘んだ床を踏み締める。どこかで危機に陥っていると何故か確信してしまいながら、バイジュウ達を求めて俺は走り出した。

 

 

 …………

 ……

 

 

 ラプラスの特性とは——『斥力』と『引力』を両方の銃剣で発生させて、それによって発生する力場を操作するのが本来の使用方法だ。

 故に知恵あるものが使用すれは様々な状況を打開しうる力になり得る。実際『放水砲』の超圧縮された高水圧の弾丸は、ラプラスの特性によりその全てを勢いだけは受け流して危機を脱したかに見えた。

 

「っ……! がっ……!」

 

 だが現実は知恵を超えて、バイジュウの皮膚に研ぎ澄まされた『弾丸』が突き刺さる。弾丸の名は『鉱石』——。海底資源として無尽蔵にある純粋な質量弾。

 それが水圧と流水によって研ぎ澄まされ『放水砲』と共に殺人的な加速を持ってバイジュウを襲ったのだ。

 

 雪のように綺麗なバイジュウの白い肌に血が滴る。

 視界も赤く染まり、そこでバイジュウは頭部のどこかから出血があるのを理解した。

 

 思考に問題——。なし。

 距離感に問題——。なし。

 平衡感覚に問題——。なし。

 

 幸いにも擦り傷であることに、バイジュウはほんの少しの安心感を覚えるが危機的状況は依然として顕在だ。それどころか問題は増加している。

 足先にまで浸かる濁流。先ほどエミリオが気化させた水分や、水深からくる基本温度の低下などから急激に外気温が低下し始めている。それらはバイジュウにとっては体質上問題ないが、他の三人は違う。

 

 急激に熱を奪う低気温は、情け容赦なく意識を削り取っていき、歩くどころか喋ることさえままならなくなる。既にヴィラとソヤは急激に変化に対応できずに身体をフラつかせており、エミリオは自身の能力で血を蒸発させる熱で体温を維持して意識を保とうとする。

 

 だが、そのような行為を巨兵は許すはずがない。

 不定形の腕は突如として伸びていき、瞬時にバイジュウ達の周囲を囲んだ。刹那、抱きしめるように腕は収縮して彼女達をアメーバ状の中に引き摺り込んだのだ。

 

『がっ……!!?』

 

『ぼぁ……!?』

 

 僅かに意識と体温を保てたバイジュウだけが回避行動が取れたものの、他の三人は巨兵の腹部へとそのまま取り込まれてしまう。水温はもしかしたら通常とは別かもしれないが、それ以前にあれでは酸素が持たない。エミリオも懸命に懐から携帯酸素ボンベを取り出そうとするが、巨兵の体躯であるアメーバ状の液体は、愉悦を得るようにエミリオ達の四肢が動けなくなる程度まで硬質化していく。

 

 エミリオ達の指先はピクリとも動かない。まるで標本のように巨兵の中で大事に飾られてるように。

 無色透明状の半固形と化した液体の中でエミリオの視線だけが動き、バイジュウを見つめる。その視線は酷く泳いでおり、今にも気を失いそうなほどだが何かを訴えてもいる。

 

 逃   げ   て。

 ……バイジュウにはそうとしか捉えられなかった。

 

「やだ……」

 

 バイジュウの声は震える。

 

「やだっ……!」

 

 バイジュウの悲痛な叫びが轟く。

 

「——絶対にやだっ!!」

 

 彼女の脳裏にほんの一日、だけど掛け替えのない一日が瞬きに過ぎる。

 

 

 

 それら全て……私の心の傷になって……。

 彼女のように、時の忘れ物になる……?

 

 

 

 嫌だ……。嫌だぁ……っ!

 

 

 

 また…………私を置いていくの?

 

 また…………私を独りぼっちにするの?

 

 また…………私は誰も守れないの?

 

 

 

 バイジュウに目前の死が迫る。

 巨兵は『放水砲』を再びバイジュウに照準を合わせ——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どけぇえええええええええええ!!!!!」

 

 可憐ながらも勇ましい少女の声が戦場に響く。

 

 



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第16節 〜Predator Dream〜

【第一章】全19節まで毎日更新確定【完結】


「どけぇえええええええええええ!!!!!」

 

 可憐ながらも勇ましい少女の声が戦場に響く。

 

 少女は瞬時に状況を理解した。手に持つ金属バットを全力で投げて、巨兵の腕部へと激突させる。それと共に揺れる照準、放たれる水の砲弾と数多の鉱石の弾丸。

 研ぎ澄まされ鉱石は流れ星のように美しく煌めくも流れ着く先は『死』という着弾点。

 それらは飛びつく少女の顳顬を掠め、身を挺してバイジュウを抱え込んで少女は転がる。

 

「〜〜っ!! 大丈夫か、バイジュウ!?」

 

「レンさん……」

 

 濁流の泥が全身にこびり付き、みっともない姿になりながらもレンは何とかバイジュウを助け出した。そこでバイジュウは改めて意識を整える。

 

 今度こそ助けなければならないと。

 

「レンさん……手持ちの武器に変化は?」

 

「バットを投げ捨てたことくらい……」

 

 つまりは武器はなく、あるのは標準装備の小銃、ナイフ、閃光手榴弾、後は応急手当の簡易セットなどなど……。正直心許ない、というのがバイジュウの本音だった。

 だが、レンさえいれば……二人いればこの状況を打開することは可能だとバイジュウは考える。

 

『放水砲』を放ってから、再度貯めるのに数十秒かかるのはバイジュウは既に把握している。連射ができるのであれば、あのようにエミリオ達を『人質』に取る必要はない。

 だとしたら、その数十秒と人質の奪還こそが現状を打開させる鍵となるのだ。

 

「……いやいや! 大丈夫なのっ!?」

 

 バイジュウからの耳打ちされたアドバイスにレンは戸惑いを隠せない。何故ならそれは無謀以前に、下手したら自殺行為にしかならないからだ。

 

「信じてください……私達を」

 

 真剣に見つめるバイジュウの瞳に、レンは折れてその作戦二つ返事で引き受ける。

 

 作戦は一瞬で決まる——。『放水砲』の再装填まで後20秒、それまでが二人にとっての作戦遂行時間となる。

 両者左右に分かれて巨兵を見定める。巨兵が獲物に捉えたのは……バイジュウだった。巨兵は手となる鉄製の銃口をバイジュウに叩きつけようとするが、鈍重な動きを見切れないほどバイジュウは愚かではない。その隙をついてバイジュウは懐へ跳びこんだ。

 

 手元に掲げるのはラピラスとは別の、ただの鋭利な刃物。護身用のギミックナイフ。巨兵はすぐに意図を察して腹部への硬質化を急ぐ。

 

 だが、その瞬間に巨兵の背後から小規模な爆発が発生した。衝撃は巨兵にダメージこそ負わせないものの僅かに身を止めて、腹部の硬質化が僅かに綻びる。

 

 背後にいるのは小銃を構えたレンの姿と飛び散ったビニール袋。そして携帯型酸素ボンベ。

 

 ——断熱圧縮熱が起こす爆破現象だ。

 

 近年でも医療用酸素ボンベや、ガスコンロの開閉などでも度々火災が発生するケースの一つ。急激に上昇した酸素濃度は断熱変化のひとつとして、圧縮するときに圧力エネルギーと熱エネルギーに変換されてエネルギーとして保存される。このエネルギーは非常に引火性が高く、マッチを擦る時などで起きる摩擦熱や、タバコの煙程度で容易く爆発してしまうのだ。

 レンはそれを利用して、密閉したビニール袋に酸素を注入して巨兵に投げつけ、小銃で狙い撃つことで即座に爆破する即席の手榴弾を作り上げた。

 

 とはいっても、量さえ間違えなければ爆破の規模としては精々縁日の手持ち花火を集約した程度の威力しかない。そして間違えられるほどレンの度胸は据わっていない。

 

 だが、その程度の火力でも、隙さえ生み出せるのならばバイジュウには充分なのだ。ナイフを構えて渾身の力で巨兵の腹部……さらに言うならば『エミリオの腹部』へと深々と突き刺した。

 半固形状となった状態ならば、外部から刃物などは通すことができる。もちろんそれだけでは何の打開策にもなりはしない。突き刺したのがエミリオだというのがこの場に置いて最も重要な意味を持つ。

 

 バイジュウは一気に刃物を引き抜き、エミリオの腹部から夥しいほどの血が半固形の液体へと混じり合う。

 

 エミリオの能力は『血の硬質化』とそれに伴う『血の蒸発』——。

 

 この瞬間を誰よりも待ち望んでいたのは、自由を奪われて脱出手段を絶たれていたエミリオ自身だ。

 

 血はすぐに熱を帯びて針千本となり、取り囲まれている自分達を避けて巨兵の腹部を可能な限り串刺しにした。それと共に赤黒い針は気化を始め爆散。巨兵も内側から水飛沫となって弾き飛び、その衝撃でエミリオ、ヴィラ、ソヤの全員は空へと放り出される。

 

 バイジュウとレンはすぐに受け身を取る態勢へと移り、バイジュウはヴィラを、レンはソヤを倒れ込みながらも受け止めた。

 

 そしてエミリオは濁流渦巻く金属タイルの床に顔から着地した。

 

「いったぁああ!!? ちょっと! 女の子の扱いはデリカシーなんだから優しく切ってよ!? あと立役者なんだから受け止めてっ!?」

 

「ご、ごめんなさい! 下手に傷が浅いと血が足りないかと思いまして……。それにエミさんは一番年上ですし、他の二人は意識さえあるか不安なので……」

 

「一理あるし、いいけどねぇ……。貧血気味は置いといて、すぐ傷口が塞がるのは我ながら便利な能力だと思うわ……」

 

 泥だらけの顔は特には気にはせずに、エミリオは未だに少し滴る腹部の血を止血させるのを先決させる。

 

「すまない……。おかげで助かった……」

 

「げぇぇ……。わたくし確かに被虐気質なところはありますけど、あくまでソフト系なので流石に窒息プレイは遠慮したいですわね……」

 

 朦朧とした意識のままヴィラとソヤの二人は立ち上がる。戦闘する意思は十二分に残っており獲物は絶えず握っているものの、二人の呼吸は酷く弱まっていた。

 

「とりあえず呼吸を整えてくださいっ! あの程度で引かせられるとは思えません……」

 

 バイジュウから指示で深呼吸をして息を整える二人。少しでも早く息を整えるために二人は携帯版酸素ボンベを使用する。指示した本人も今のうちに流れ出た血を止めるために、緑色の宝石を傷口に触れさせて傷を癒す。

 

「この際『魔導書』どうとか言ってられないな……」

 

「ええ……撤退を第一とします。アニーさん達はどこにいますか?」

 

「バイジュウ達を手分けして探すためにアニー達は一度『Earth Factory』に向かった。俺も右回りでしか捜索しないように指示されてるから、この道沿いを戻ってゴンドラまで迎えば必ずどこかでアニーと鉢合わせするようになってる」

 

「わかりました。でしたら、今は合流が先決ですね」

 

 もう陣形なんて機能しない。迫りくる脅威はあの異形のみ。それから逃れることこそ最善の陣形になる。

 

《警告。『Blue Garden』内のEブロックからGブロックまでに海水の侵入を確認。施設の維持を最優先し、直ちに該当箇所を隔離廃棄します。繰り返します》

 

 それは一種の救いであり、同時に滅びの宣告だった。

『Ocean Spiral』は少しずつ、その役目を終えようとする。

 

 

 …………

 ……

 

 

「うわぁ……。でも、管制室はCブロックだからまだ余裕は……あるのかなぁ?」

 

『Earth Factory』の探索を終えて、合流のために『Blue Garden』内へと帰還していたアニー達。シンチェンとハイイーはもう何をしても起きないのじゃないかと思うほど、深い睡眠状態となっていて、アニーとして気持ち楽な状態ではあった。

 

 だが、それとは別に宣告される施設の隔離廃棄。現在アニーがいるのは入り口であるAブロックのため、被害は合わないものの、もしレン達がその範囲内にいれば救出するのは不可能に近い。

 

 気が気でない待機時間。EからGとなると、隣接するDやHが雪崩的な被害が発生する可能性もまだあることを考えると、どうか早く合流したいとアニーの気持ちは前へ進もうと逸るが、現状では生存と合流、どちらの意味をとっても待機がベストなのだ。

 

 もしも既にレン達がH以降のブロックにいて大回りをして向かっている場合、仮にアニーが早く合流しようとBやCブロックに行くと合流することなく、むしろアニー自身が連鎖的に閉鎖する恐れがあるブロックに隔離されて二次被害に合う可能性があるためだ。

 

 そしてAブロック隔離や、ましてや『Blue Garden』そのものの廃棄する宣告があった場合、無慈悲だがレン達との合流は諦めてシンチェンとハイイーだけでも逃さないといけない責任がアニーにはある。

 

 今の彼女には信じて待つしか選択がない。やがてアナウンスが告げる。《DブロックとHからJブロックを隔離廃棄します》と。

 遠くからシャッターが下りる音が聞こえて来る。空気に緊張感が増す。続いて告げる。《Cブロックを隔離廃棄します》と。

 

 少しずつシャッターの下りる音が近づいて来る。

 まだか、まだか——。アニーの焦りは加速する。

 

 すると、近くシャッター音と共に聞き覚えのある声も聞こえてきた。

 

「…………ーい! アニー!」

 

「レンちゃん!」

 

 バイジュウ達を連れて走って来るレンの姿がアニーは捉えた。同時に身体に流れる安堵感。だが安心し切るのがまだ早い。

 

「無事で良かったぁ〜……」

 

「再開は喜ぶのは後です。事態は一刻を争います」

 

「そうだね、バイジュウ。ゴンドラまでの安全は確認できてるから、早く行こうっ!!」

 

 足早に皆がゴンドラと向かう。やがてアナウンスが『Blue Garden』の完全封鎖を宣告する。

 

 何故この時誰も気付かなかったのか——。設計上『Blue Garden』は漏水による封鎖は想定済みだからこそ隔離廃棄機能がある。

 それが機能せずに立て続けに隔離廃棄を実行し、最終的に『Blue Garden』は完全封鎖となった。

 

 ここまでの劇的な流れに、なぜ何者かが工作していることに気づかないのか——。

 

『Blue Garden』内で不定形の物体が蠢き続け、やがてそれはゴンドラの、コースターに取りつき始めた。

 

 

 …………

 ……

 

 

 俺達は一心不乱にゴンドラを目指して『Earth Factory』の連絡通路を全速力で駆ける。皆の息は乱れており、少しでも気を緩んだ瞬間今にも倒れそうだ。

 

 特に重症なのはエミリオだ。止血は既に済んではいるが、あのゴーレムみたいなアメーバから抜け出すためとはいえ、やはり腹部からの出血の量が多すぎた。ラファエルの魔力が込められた緑色の宝石……長いから『治癒石』でいいや。

 治癒石では傷口、疲労、毒素などを完全に治療することはできても、人体として不足した『血液』までは治すことはできない…………というか供給できない。

 

 ヴィラとソヤは体力をある程度取り戻したとはいえ、それは諸々の代償の末だ。倦怠感と疲労、それにバイジュウが言う『放水砲』から発射された鉱石の流れ弾でできた切り傷があったこともあり、既に彼女らの治癒石の魔力は尽きた。そして呼吸を整えるために携帯版酸素ボンベ………………これも長いので『酸素玉』でいいだろう。

 とにかく酸素玉を4分の1を使用して状態だ。俺も即席爆弾を作るために同等の量を消費している。

 

 まだ余裕があるとはいえ……もしもう一度、あのアメーバの襲撃があった場合———。

 

 だから、すぐに気づいた。俺の中で『恐怖』の象徴となりかけているアメーバ状の物体は、俺たちが向かうゴンドラの終着エリア……『Earth Factory』の中央エントランスエリアにいた。

 

 造型は先程とは違い、かなり変化が起きている。

 露出していたアメーバ状の部位は既に頭部しかない。その頭部にも機械の部品が取り込んで蠢いており、赤いランプがサイレンのように点灯している。

 

 あれではもうゴーレムやアメーバとかではなくロボットだ。機械仕掛けの巨兵は、こちらが接近するのを待ちわびていたように腕部を振り上げる。

 

 そして問題は手の部位だ。

 ——『二門』あった。『放水砲』は両手の部位の設計されており、その二つが既に照準を定めて、こちらに銃口を向けていた。

 

「まずいっ——。エミさん、フォローお願いしますっ!!」

 

「今度は遅れを取らないわよっ!!」

 

『放水砲』が二重となって放たれる。狭い連絡通路では、すべてを飲み込む津波に等しい重圧で俺達を襲いかかってくる。

 

 バイジュウはラプラスを振り翳し『引力』と『斥力』の力場を作り出し、俺にはよく分からん化学反応やらエネルギーで見えないフィールドが張り巡らされたように、バイジュウを中心として津波は円を描いて俺達を避けていく。

 

 だが、装填される弾丸は『水』だけじゃない。第二の弾丸『鉱石』が襲撃してくる。単純な質量と速度を持って接近する鉱石は、バイジュウのエネルギー力場でも完全に受け流すことはできず逸らすのが限界だ。

 しかし『鉱石』という弾丸に置いては『逸らす』だけで不十分なのだ。それでは乱射された散弾、跳弾と変わりない。予測不可能な流れ弾が脚に被弾したとなると、それだけで機動性を失い、次弾の『放水砲』を交わし切れずに直撃する。

 

 つまり、第一も第二も『完全回避』以外は、事実上の『死』を意味する厄介極まりない超高密度の弾丸なのだ。

 

 その第二の弾丸は——エミリオが腕の静脈を使った『血の壁』を全体に展開することで受け切る。

 

「うぇええ……吸血鬼みたいに輸血パック直飲みしないと……」

 

『神の使者』と呼ばれる身で吸血鬼とか大丈夫かと気になるところだが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 

 全員が無傷なのはいいことだが、その代償は大きい。エミリオの顔は青褪めて、足元さえ覚束ずに今にも膝から崩れて倒れてしまいそうだ。

 

 これではもう一度防ぐのだけで限界だ——。

 

 子供達を抱えて動けないアニーを置いて、全員が機械仕掛けの巨兵へと突撃する。俺も自身のではなく、アニーが所持していた金属バットを借りて戦闘に参加する。

 

 バイジュウの言葉は当然覚えている。『いざ』という時は逃げて欲しいことを。だけどみんなを守りたいのは俺も同じだし、同じくらい今この場からみんなと逃げたい。

 

 だけど、こいつを『倒さない』と誰も『守る』ことも『逃げる』こともできない。

 

 だったら、全部を使ってでも対処するしかない——っ。

 

 手には既に準備しておいた酸素爆弾が合計3つ。俺が持つ酸素玉の残量を全部使っている。

 

 これが俺が持てる全部————。

 なんて、ひ弱なんだろう————。

 

 俺は『魔女』じゃないから、エミリオ達みたいに能力を持っていない。

 正確には持っているのだが、それはハインリッヒやベアトリーチェなどの封印されていた『魂』を呼び覚ますだけだ。今ここに、そんな『魂』を呼び出せる異質物も、魔導器もない。

 

 だけど、それを言い訳に……立ち止まる理由にしてはいけない。

 

 先陣を切ったヴィラが戦鎚を巨兵の鎧へと振り回す。超重量の鉄槌は鎧を直撃して、巨兵の重心を大きく揺らしたが倒れることはない。

 

 ……まるで何かに支えられているようだ。

 

 だが攻撃の手を緩めることはない。俺も追撃として酸素爆弾を投げつけて、小銃で撃ち抜いて爆発させる。先ほどよりも湿度は低いこともあって、爆風は勢いを増して一瞬で巨兵を包み込む。

 

 しかし、巨兵はゴンドラの終着エリアのゲート前から一向に退けることはなくひたすらに耐え続ける。

 

 爆風に乗じてバイジュウとソヤが斬りかかった。

 ソヤは強引に巨兵の左腕部を削ぎ落とし、バイジュウも『量子弾幕』とラプラスの特性をフル活用して全弾を脚部に直撃させ、さらには右腕部を破損させる。

 

 これで左手の『放水砲』はまず無力化できた。だというのに、不気味なほど巨兵はその場から動くことはない。

 

 

 倒れない、崩れない、揺るがない。不気味なほどに動かない……。

 

 

 そこで気付く。巨兵はゴンドラを……より言うならコースターを背に立っており、コースター内を通して巨兵の背には幾重にも繋がったパイプやチューブが鎧や腕部に張り巡らせている。

 

 もしも予感があっているならば……。あいつは今『コースターすべてを供給ライン』として水や鉱石を補充し続けている——。

 元々ゴンドラは海底資源の移動と運搬を兼ねたインフラの中心だ。供給先が『Blue Garden』というだけで、その供給ラインを巨兵が変更、もしくは強奪したとしたら、不可能ということはないだろう。

 

 もしそうだとしたら、それは規格外規模を持つ半永久的なタンクだ。最高貯蔵量は俺には計算不能だが、コースターは高さだけで『3500m』に達して螺旋状に最下層まで伸びている。半径なんか裕に1キロは超えている。この規模がすべて銃でいう弾倉などに値するとしたら……いったい何発打てる?

 

 いや、それよりも…………どうやって『脱出』すればいい? 

 

 コースター全てが掌握されてるとしたら、下手に手を出してコースターやゴンドラを破損させた場合は、水深2500mの深海港にある旧式潜水艦にさえ辿り着けるか怪しくなる。

 

 愚鈍な思考など許さないと言わんばかりに、巨兵は残された右の『放水砲』を放とうとする———。

 

 懐に入り込んでいるソヤ、ヴィラ、バイジュウは無視して、俺を標的に直線状に繋がるアニーとエミリオが対象だ。俺に防御手段などあるはずがない。

 

 だけどバイジュウの一太刀もあって『放水砲』の機能は弱まっているのは確かだ。近距離爆発で銃口自体をお釈迦にするのは不可能だし、何よりバイジュウ達が巻き込まれてしまう。だけど今なら…………被弾する中心対象が俺なら、自爆覚悟で弾丸を捌き切るのは可能だ。

 

 構えと同時に、俺は残った二つの酸素爆弾を取り出した。一つは直線状に投げ、もう一つはワンテンポ置いて山なりに放り投げる。

 

 二重の弾丸には、二重の爆風で挑む。単純な計算だ。

 

 その間に俺は口に治癒石を含んでおく——。被弾は覚悟の上だ、俺は意を決して第一の爆弾に向けて小銃を発砲。第一の弾丸は爆風に入り混じり、見事に威力を相殺することに成功する。

 

 だが爆風を裂いて接近する青、赤、黄の多種多様・豪華絢爛の鉱石——。第二の弾丸が襲来してきた。

 しかし動作は既に終えている。弾丸が爆風を裂く直前に、俺は眼前に落ちてきた第二の爆弾へと小銃を放っている。

 

 再び爆発。今度は十分な距離は取っておらず、爆風と共に俺は後方へと吹き飛ばされる。火傷を負うのが当然の状況だが、ハインリッヒの戦闘服と治癒石の相互効果で比較的軽傷で済んではいる。

 

 だけど……熱いものは熱いし、痛いものは痛いっ……!

 

「レンちゃん!」

 

「……無駄にはしないっ!」

 

 アニーが名前を叫ぶ声だけで意図を把握した。使い切った俺の治癒石は吐き捨てて、アニーの治癒石を受け取る。

 

 だけど『放水砲』は何とか受けきった。これで巨兵が脅威となり武装はしばらく使用できない。その間に接近している誰かが対処してさえいれば……。

 

 

 爆風が晴れる——。だが、そこには驚愕の光景が広がっていた。

 

 

 血塗れになって倒れるヴィラとソヤ。それを離れた位置で見つめるバイジュウ——-。復活している巨兵の右腕————。

 

 脳内でアドレナリンが分泌されて世界がスローになって見える。加速された思考は現状を把握しようと高速で理解を促す。

 

 破壊された右腕は違う機材を取り込んで、既に違う機構の銃口へと様変わりしている。ミニガン(M134)のように筒状に組まれた銃口という名の大口パイプ管が合計6つ——。

 

 あれは『放水砲』の超高密度の水弾と射程距離を削ぎ落とした代わりに、鉱石と高密度の水弾を『乱射』するために特化させた機構だ。それで無防備なヴィラとソヤを、バイジュウが防御に回る前に迎撃した——-。

 

 あの巨兵、状況に応じて武器を最適化している——。

 

 思考に時間を割いたのは致命傷だった。

 巨兵は両腕を構える。右腕の『放水砲』は依然としてこちらに向け、左腕の『乱射水』は執拗にヴィラとソヤを定める。

 

 無論、バイジュウだって無闇に眺めるだけじゃない。傷ついた彼女達の前に立つことでラプラスのエネルギー力場を利用しようとするが、それでは足りない。水の弾丸は捌き切れても、鉱石の流れ弾にはバイジュウ含めて必ず全員のどこかしらを切り裂く。

 傷ついたヴィラとソヤでは被弾一つだけで死にかねない。例え今この状況で治癒石で回復しようとしても、治癒石は即効性があるわけじゃないので、どうにかしてこの一回だけは耐え切らないといけない。

 

 その手段はある——。この距離なら、俺が全速力で駆けて『身を盾にすれば』ヴィラとソヤは守り切れる、確実だ。

 だけど、そうなると無防備なアニーと衰弱しきったエミリオは『放水砲』に——。

 

「行って、レンちゃん!」

 

 エミリオの声に、俺は駆け出した。

 信じる————。バイジュウだって、危機的な状況からエミリオ達を救出するために覚悟を持って傷つけた。

 

 俺だって、エミリオが必ず防ぐと信じて、エミリオから離れるしかない——。

 

 鮮血は花弁となり、死の弾幕が咲き乱れる。

 

 

 …………

 ……

 

 

 吹き荒れる水飛沫と鉱石の粉塵。ラプラスが発生させる力場によって致命傷だけは避けることにバイジュウは成功する。

 

 レンが身を挺したこともあって、ヴィラとソヤは無傷であり、怪我を負ったのはバイジュウとレンのみ。

 バイジュウが最も被弾率が高く、太腿や肩などの露出する部位のほとんどに深い傷跡があり、あろうことか両手の甲には深々と破片が突き刺さっている。激痛からラプラスを握る力が弱まり、重力に従って銃剣は床へと音を立てて落ちてしまった。

 

 もうバイジュウには治癒石はなく、ヴィラとソヤも現在使用中だ。手元に回復手段するがない状況で、非常に危機に瀕した状態となっている。

 

 違う、一番の危険なのはエミリオだ——。バイジュウは振り返った。

 

 あそこまでの貧血状態では、防ぎ切れるだけの盾を展開すると、例え凌いだとしてもエミリオ自身の命が危ぶまれる。そして凌げなかった場合は子供達諸共、二重の弾丸によって命を奪われる。

 

 どちらにしても無事では済まない。

 霧散した水飛沫が晴れて、視界が鮮明になる。

 

 バイジュウが見た先には、二重の膜が張られている——。白と赤の二色の膜——。

 

 白いのは『エアロゲルスプレー』が噴出した防弾膜だ。ひ弱なアニーやレンが銃弾対策として常に持ち出している戦研部の愛衣が生み出した作品の一つ。

 小銃程度の銃弾なら防ぐ優れものだが、いくら半壊状態の『放水砲』でも、それだけでは水と鉱石の弾丸は防ぎきれない。だからエミリオは『血の膜』で補強することで強度を上げて、最低限の血の量で防ぎ切った。

 

 この状況下でもエミリオは最善を尽くすことを諦めていない。誰よりもボロボロで、誰よりも治癒石の効果は得られないのも関わらず、懸命にそして——。

 

「受け取ってッ!!」

 

 そして、選択を誤ることがない。

 

 アニーが渾身のオーバースローで、エミリオの治癒石をバイジュウに投げ渡した。もうエミリオには戦う気力も、守る意思も薄れている。それはバイジュウ達も同じであり、治癒石で回復を終えたヴィラとソヤは既に度重なる連戦と『放水砲』によって限界を超えて、エミリオと同じく今にも気絶してしまいそうだ。

 

 これでアニーとエミリオの治癒石も、レンの回復とバイジュウに充てられて、もう残る治癒石はシンチェンとハイイーが持つ緊急用と後がない。

 

 戦えるのは、実質バイジュウとレンの二人のみ。

 

 全霊を持って、この危機的状況を打開するのを任される。

 

 だが『乱射』というのは絶え間なく打ててこそだ。

 

 巨兵は放つ死の弾幕は、もう目前。

 レンは自分でも訳も分からぬまま身体が動く。

 

 発射まで3秒、レンはラプラスを拾い上げる。

 

 発射まで2秒、銃口が妖しく蠢く。

 

 発射まで1秒、ラプラスの駆動音が響く。

 

 

 

 発射まで0秒——。

 死の弾幕が二人を襲う。

 

 

 

 少女は『魂』から、願う——。

 自分に、俺に……。

 

 …………『私』に守れる力があったらと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——『魂』とは何か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識を記録した、ある種のエネルギー体か。

 それとも観測できない量子状態的な存在か。

 

 あるいは『魂』とは単なる概念の一つかもしれない。

 

 物理学における『時間』の概念と同じく……。

 

 ただの幻覚………………『夢』。

 

 ならば唯一の問題は————。

 夢を見ているのは————。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第17節 〜Calculation of Chaos〜

 ……どこからか衝動が湧き上がる。

 

 

 ——守らないといけない。

 

 

 

 声は聞こえない。モノクロ映画の演出みたいに文字を浮かび上がらせるイメージと意思が伝わるだけ。だけど俺は何故か確信していた。これは女性の声だ。それも俺がどこかで知った覚えのある声。

 悲しみが身体の底から湧いてくる。『魂』が塗り潰されそうな悲しさだ。

 

 

 

 ——力を貸して。

 

 ……君は誰?

 

 ——あの子の『魂』に惹かれた『夢』のような存在。

 

 ……『夢』?

 

 ——そう『夢』。無力で、覚めたら露となる……。だけどあなたが力を貸してくれればあの子を守れる。

 

 ……守る、か。

 

 

 

 自己さえ掠れつくほど『俺』の意識は溶けていく。

 少女は『魂』から願う——。

 

 

 

 ……もう二度と『俺』(わたし)の大切な人を失いたくない——。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

 機械仕掛けの巨兵が放った死の弾幕は、一向にバイジュウを襲うことはない。

「何故、どうして?」と思うバイジュウは途絶えそうだった『魂』を手繰り寄せて、事態の確認を急ぐ。

 

「——下がって、バイジュウ。ここは俺に任せて」

 

 巨兵の前には傷だらけのレンが立ちはだかっていた。露出する身体の部位には痛々しい跡が無数にあり、内出血も酷く今にも皮膚を裂きそうほど青黒くなっている。

 

 先ほどのバイジュウが皆を守った時と同じように、ラプラスの特性を活かして全ての弾丸を致命傷からは逸らしたんだろう。それはわかる、だがそれだけでは捌き切れはしない。ラプラスの力場だけでは捌き切れないから、今のままで二重の防護や身を挺した決死の防衛が行われたのだ。『ラプラス』だけでは今の状況を作るのは不可能だ。バイジュウはレンを見つめて、現状の把握をより深く得ようとする。

 

 だが、疑問は更なる疑問を呼ぶことになった。

 

 レンの手には『見覚えのない銃剣』が握られている。銃剣の長さは変わらない。刀身から持ち手、柄までほぼすべてが変わっている。色はオーロラのように淡く色を変色し続けており、『泡沫の夢』のように揺らぎ続ける。

 

 だというのに、バイジュウは「あの『ラプラス』の形状はなんだ——」と考えてしまった。

 

 そこまで変貌しているのにバイジュウには何故ラプラスと思えるのか。それは幻出されているラプラスの形状自体が、本来バイジュウが目指していた完成型だからだ。昨晩口にした『再現性の問題』を解決した理想の武器が、今レンが振るう銃剣なのだ。

 

 どういう理屈で存在しているのか推測さえままならない。唯一納得のいく理由……いや、戯言を呑むしかバイジュウには考えを纏める手段を持てない。

 

 後の『未来』を手繰り寄せて、その特性を『覚醒』させたかのように、この場に幻を現実として確立させている——。

 そう考えるしか納得いく解答が生まれなかった。

 

 だがバイジュウの疑問は尽きない。

 だとしたらレンの周りに浮かび続ける複数の『黄色い浮遊物』は皆目検討がつかないのだ。

 

 アレは今この場にいる誰の武器でもない。素直なレンが自身が使う武器を隠すのは想像できない。SIDが秘密裏で試作した異質物武器かとも思うが、そうだとしたらマリルや愛衣が秘匿する理由が分からない。思考の中であらゆる情報を繋いでも、答えどころか推測さえできない。

 

 だとしたら完全な第三者の介入があったとしか思えない。この宮殿内に存在する何かがレンへと変化を及ぼしている。そう考えるしかこの状況を説明できない。

 

「バイジュウ、早く下がって」

 

 思考に耽っていたバイジュウの意識はレンの言葉で引き戻される。今は自問自答をする余裕はない。

 戦力となるのは二人のままで絶体絶命。依然として状況は最悪に瀕したままだ。

 

「レンさん、アイツには一人よりも二人で——」

 

「いいから早く下がれって言ってんだよ!!」

 

『彼女』の怒号がバイジュウを怯ませる。その言葉遣いはバイジュウが知るレンには絶対出来ない。確かに男の子っぽいとは思ってはいるが、優しいレンならここまでの威圧感は出るわけがない、とバイジュウは感じていた。

 

「あなたは誰——?」とバイジュウは思いながらも、彼女の言葉にバイジュウは逆らいもせずに、ヴィラとソヤを連れて速やかに距離を置く。誰なのか、とは思いはするが猜疑心は湧かない。むしろ彼女には不思議な『安心感』が湧くのだ。

 

 まるでどこかで出会ったことがあるような……懐かしさを感じざる得ない。

 

「覚悟しな、デカブツ……」

 

 一声告げるとレンは巨兵に恐れることなく、真正面から挑んでいく。

 

 このままでは二の舞になる——、バイジュウは確信した。

 高圧縮された水と鉱石の散弾は、ラプラスでは全てを弾き返すことは不可能だ。例え今持つのが理論上のラプラスであろうとも、散弾の質量、物量共にラプラスの許容量を遥かに凌駕する。10の数字が二倍や三倍になったとしても、50の威力を防ぎ切れるわけじゃない。

 

 巨兵は喧ましい機動音と共に、再び死刑宣告へ移す。

 

 発射まで3秒。巨兵はすでにレンへと狙いを定めており、その左腕を振り下ろして構える。

 

 発射まで2秒。バイジュウは十分な距離を取り、流れ弾が来ないよう細心の注意を払いながら戦闘を見守る。

 

 発射まで1秒。レンは未だに射程範囲のど真ん中だ、懐にまで飛び込めてない。あれでは前後左右どんな回避行動をしても避けきれず、ラプラスでも捌き切れない。

 

 発射まで0秒。死の弾幕が再び降り注ぐ。

 

 集中砲火だ。無骨な銃口から、無慈悲に散弾が放たれる。推定弾数は百を超える弩級火力だ。直撃すれば一瞬でミンチ状になるのは想像に難くない。

 

 あくまで『直撃』すればの話であるが。

 

「——ッ! こっちだッ!!」

 

 レンは斥力と引力を駆使してバリアを展開しながら、さらに跳躍量さえ強化させて致命傷以外は負わないように宙へと大きく飛んだ。空中は最も機動力が低下する空間だ。普通なら悪所にもほどがあり、放たれ続ける散弾は容易くレンを捕捉する。

 

 だが、レンは『もう一度跳んだ』————。

 

 鮮血に染まる彼女は先ほどの『黄色い浮遊物』を足場に空を駆ける。一段、また一段と足場を踏み越えて巨兵の頭部へと到達。狙いを外された巨兵の反応は僅かに遅れ、無防備にもレンの斬撃を受けて赤色のランプが消灯する。

 

 するとどうだ。まるでそれが『目』であった言わんばかりに巨兵は全体の動きを乱して、散弾も狙いが定められず雨霰。巨兵自身へと被弾をする。

 その隙を今のレンは見逃すはずがない。すぐさま足元に滑りおちて、姿勢を崩しながらも攻撃態勢へと移る。だが、次の瞬間彼女はバイジュウが思いもしない行動に出た。

 

 両手の武器——ラプラスをバイジュウに向けて投げ捨てたのだ。

 大慌てでバイジュウは拾い上げ、疑問と共にレンと視線が絡み合う。

 

 

 

 ——それ、ちょうだい!! 

 

 

 

 アイコンタクト——。そんなものは作戦行動前の連絡手段には定めてない。バイジュウにレンの視線の意図など理解できるはずがないのに、なぜか分かってしまうのと同時に『懐かしい』とも感じてしまう。

 

 バイジュウの足先に何かが当たる。見てみると、先の散弾に堪えきれず手放してしまったソヤの電動チェーンソーが転がっていた。

 

 ——バイジュウは視線の意図をすぐさま理解した。

 

 一言「ごめんなさいっ!」とバイジュウは叫んで、力強くチェーンソーを蹴り滑らせてレンの元へと届ける。確信してた様にレンは崩れた体制であろうともチェーンソーを拾い上げ、強引に振り回して巨兵の両足を切断。

 

 バイジュウもすかさず走り出す。

 

 今のラプラスが本当に理論上のスペック通りなら、鉄製の腕部如き、当てさえすれば破壊することができる——。

 

 それは的中した。一刀両断、振り抜いたラプラスの刀身は左腕のミニガン機構のパイプ管を鎧の上から切り裂いた。

 踏み込んで巨兵の懐へと飛び込むバイジュウ。続く二閃目—-。今までの苦戦が嘘のように、右腕の『放水砲』を完全に切り裂いた。

 

 ——脅威となる両腕の銃器を二人の力で壊しきったのだ。

 

 巨兵はうつ伏せに倒れ込んだ。背に繋がっていたコースターとのインフラはいくつか断裂してしまい、コースターから海水がこれでもかと流れ込んでいる。

 

 

 

 

 

《コースターと『Earth Factory』に浸水を確認。現状調査……施設に『壊滅的』な損壊を確認。直ちに避難をお願いします。繰り返します……》

 

 

 

 

 

 ついに崩壊までの前兆が始まった。足元には水溜り程度とはいえ海水が広がり、否が応でも二人に危機感を逸らせる。しかし驚異の排除はまだ終わってはいない。

 

 両足は機能停止、頭部のセンサーも破壊済み。だが、それで無力化できるほど巨兵は粗悪な作りではない。

 

 陸に打ち上げられた魚が暴れる様に、その巨体を痙攣させて腰から下に垂れ滴るアメーバ状の液体は、少しずつ固まっていきヘドロとなって立ち上がる。

 頭部にあるセンサーも切り替えたのか、赤ではなく黄色のランプを灯す。それと共に、巨兵の意思はレンへと突き刺さるほど敵意を向ける。巨兵の脅威は未だ健在なのだ。

 

 レンの出血量は既に生死を分かつとこまで来ている。これ以上の無理は確実に死を招く。表情には苦痛が浮かんでおり、今にも倒れそうだ。だというのにレンは応急手当のセットから、痛み止め用のアンプルを打ち込んで戦いを続ける。

 

「絶対に守り抜く」という意思ではなく『覚悟』を持っている。バイジュウにはそれが表情から察せらせる。心理的な理屈ではなく、『魂』で確信を持って理解してしまう。

 

 面制圧の散弾は無駄だと学習したのか、巨兵は腕部の残された機構束ねて瞬く間に、一つの細長い銃身へと変化させる。

 

 それは『ウォーターカッター』だ。超質量の水に鉄粉などを混ぜながら高速で噴出させて、その圧力と流速からガラスから金属から裁断する人類の叡智。人が触れさえしたら、塵芥のように一瞬で切断される。

 

「いい加減しつこいんだよッ!!」

 

 もはや使用することさえレンは許さない。電動鋸を押しつけるように巨兵へ投げ捨てて、視界を同時に奪い、次の瞬間それを足場に一気に後方へと跳びかえって一つの得物を手にする。

 

 それは質量10トンの怪物兵器——。

 マサダブルク陸軍研究所が開発した最新兵器『重打タービン』——。

 

 普通なら使用不可能だろう。超高密度・超高重量こそが最大の武器であると共に仇なのだ。だからこそヴィラしか使いこなせていない武器なのだから。

 

 だが本当にそれが真実というわけではない——。

 

 兵器というのは二つの基準を満たせなければ兵器としての前提自体が成り立たない。

 一つ目は『利用目的』、二つ目は『汎用性』だ。その二つを満たして兵器は初めて完成といえ、それと共に量産される。

 

 量産される以上は『汎用性』はとうに解消された問題がある。その問題こそが弩級の重量だ。質量10トンの問題を解決し、誰もが使用できる条件が必ずあり、その条件とは『使用方法』に尽きる。

 

 だからこそ名称が『重打タービン』なのだ。

 タービンというのは様々な種類と組み合わせがある。水力、蒸気、ガス、風力……。衝動、反動、軸流、半径流……。その中でも小型化、耐久力、エネルギー運用に適したのはガスと半径流を組み合わせた『ラジアルタービン』という機構だ。俗に言えば『ターボチャージャー』ともいう。

 

 独立したエネルギー運用は無人機やミサイル、ロケットなどといった誘導弾のエンジンにも採用されていることもあり、研究者の一部は皮肉で戦鎚をこうも名付けたという。『ラケーテン(Raketen)ハンマー』とも。

 

 レンが手にした戦鎚を強引に円を描くように回転する。付属されているバーニアが点火すると加速力を生んで少しずつ、より大きく遠心力によって円を描き始める。蓄えられた運動エネルギーがタービンを起動させて、連鎖的に発電エネルギーを蓄え、やがて第二機構のバーニアが点火。更なる加速を生み出して回り続ける。

 

 つまり水車のような半永久機関で力を蓄え続けるのが本来『重打タービン』の使用方法なのだ。

 ヴィラはこの推進力自体を能力による『筋力』でカバーできるからこそ、特殊な機構が使い物にならないと言ったのだ。

 

 第三機構のバーニアが点火して更なる加速を生み出す。

 更なる加速はタービンの変換効率を上昇させる。変換効率が上昇したことで発電するエネルギーもまた加速度的に上がる。

 

 発電したエネルギーは第四機構のバーニアが点火する。点火したことで再び加速を重複させ、重複された加速度は運動エネルギーを更に蓄えられて更なる発電エネルギーを生み出し、第五機構のバーニアへと——。

 

 これを繰り返し、戦鎚に内蔵された全十個はあるバーニア機構が全点火。もはや台風のように黒く渦巻いてレンが回り続ける。

 

 唯一の問題は、使用者の耐久力——つまり、レン自身が殺人的な加速と遠心力に耐えきれるかが本来の戦鎚にある懸念点ではあるのだ。だからこそバーニアの機構は段階刻みでもあるのだ。使用者が限界を感じ、ある程度の加速度だけでも使用できるように。

 

 だがGの変動ならハインリッヒが組み上げた防護術式と、戦闘服の作用で受けることはない。問題など起こるはずがない。

 

 全力全開——。手加減なしで叩き込める。

 

 これらの問題と使用方法を解決されれば、あとは本来想定されている『目的』を完遂するのみ。

 

 蓄えられた加速度は一気に解き放たれ、弾道ミサイルのようにレンは戦鎚に引き摺られて、巨兵へと亜音速で強襲する。

 刹那で着弾——。質量10トンによる超加速による押しつけは、何人であろうとも受け止めきれるわけがなく、巨兵の身体を押し貫き、それだけに留まらずにコースターごと引き摺り飛ばした。

 

『重打タービン』——。本来の使用目的は城塞を破壊するために生み出された強襲用兵器——、つまりテロ促進の兵器なのだ。

 

 マサダブルクでは外城、内城での区域であまりにも人種と宗教の差別は酷い。外に住まうものは常にテロリストの恐怖に晒され、内城で悠々と暮らすマサダ市民に不平と不満を抱いていた。

 

 だからこそある宗教学者はこう言った。「あの壁さえ破壊すれば自由が得られる」と——。

 

 その思想に感銘を受けた研究者が生み出したのが、城塞の破壊に特化された『重打タービン』なのだ。例えそれで城塞を破壊したとしても、真の自由など得られるはずはないというのに。

 

 だが今だけは本来の使用用途の通り……自由のために——。ここから抜け出す一手として放たれた。

 

 巨兵は既に全武装が歪み切って、もう鎧程度にしか機能しない。散々皆を苦しめた『放水砲』も『散弾水』も、奥の手であったはずの『ウォーターカッター』でさえも機能を停止した。

 

 背についたインフラの配管は逆流を起こして、コースター内で次々と機能停止に追い込まれる。

『Ocean Spiral』全体が危機に瀕して、レン達は脱出する手段も刻一刻と削られていき危険は迫りくる。だがそれは異形も同様だ。『Ocean Spiral』自体が機能を停止すれば、異形が持ち得る現代技術は作動しなくなる。

 

 この戦いはもうすぐで終わりを迎えている——。

 

 異形は夥しい鳴き声を上げて頭部を固形化する。幾重にも研ぎ澄まされ、幾重にも並ぶ鋭利なサメのような歯——。足掻くように異形は大口を開けて、戦鎚の反動と流血から意識朦朧と無防備に佇むレンへと向かう。

 

 遠い——。バイジュウはその動作を見た瞬間に一歩を踏み始めたが、大型の異形と、女性としては身長が高いバイジュウでも、そもそもの体躯が倍以上ある。異形が俊敏に動くのなら、バイジュウの動作など見てからでは追いつくはずがない。

 

 もし今の状況を打開できる人物がいるならば、それは最初から異形の足掻を予期して動いていた者ぐらいだ。

 

 異形の口は閉じられる。爆発したように施設内には血が飛散し、彼女の腕は血みどろとなる。

 

「——女性に噛み付いていいのはペットか、恋人だけよ?」

 

 だが、噛みつかれたのはレンではなく、立つのでさえ精一杯なはずのエミリオだった。噛みつかれたのは前腕——手首側から肘にかけての部位だ。橈骨動脈ごと深く突き刺さっており、かつてないほどの血が絶え間なく流れ続け、異形の体内も体外も赤く染まる。

 

 エミリオに戦う気力も、守る意思も薄れている。

 だが失ってはいない——。戦うことも守ることもできないが、同士討ちする『覚悟』は既にできている。

 

 その意味を察せないほど異形は野性的ではない。何故なら『Blue Garden』での初戦——。似たような状況から打開されたのだから。

 

「恋人希望ならごめんなさい。悪いけど、手を切らせてもらうわ!!」

 

 瞬間、異形の口から鮮血の槍が一つ体外へと突き出る。続いて耳、頬、眼球、腹部、胸部、脚部、腕部……。まるで鉄処女とは逆のように、内側からあらゆる部位という部位、器官という器官を串刺しにする。

 

 エミリオの能力。それは自身から流れ出た『血の硬質化』と……それに伴う『血の蒸発』——。

 

 爆ぜた。沸騰された血のは異形の内部すべてを熱で満たし、今度こそその全てが霧散し舞い上がって、異形はその姿を完全に消滅させた。

 

 これで、全てが終わった——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もがそう思った。

 

 

 

 だからこそ最後の足掻きまでは誰もが予想できなかった。

 

 異形の身体は確かに爆ぜた。だが、それはあくまで異形自身を構成する不定形までにしか過ぎない。鎧のように身につけていた鉄腕は、爆ぜた勢いのまま高々と飛び上がる。

 

 あれは撃鉄だ。純粋な質量という1発限りの弾丸が装填されている。そして不幸にも、レンへと向けて非情に降り注ぐ。

 

 レンはもう満身創痍だ。歩くことさえままならない。謎の浮遊物も動作が鈍く、撃鉄の動きに反応を起こさない。ただの一撃、あるいは一歩を踏み出すだけで危機を脱せるというのに。

 

 バイジュウは踏み出し続ける——。だがもう遅かった。わずか一歩が、一瞬が、あまりにも遠く、異形の最後の一撃を持って今度こそレンは命を落とす。

 

 祈るだけ無駄だというのはバイジュウも分かっている。祈りが届くなら、祈りが叶うのなら、バイジュウはあの悲劇に会うことはなく、19年という凍てついた時間は無二の親友と共に過ごせる大切な時間になっているはずなのだから。

 

 それでも今は願うしかなかった。

「待って——」と。『魂』の底から願う。

 

 すると、バイジュウから白光の粒子が広がり、レンと共に優しく包み込んだ。バイジュウ本人にも意味がわからず、ただ真っ白な空間には、レンの他にも『懐かしく見覚えのある影』が見える。

 

 影はまるで笑うように、懐かしむようにバイジュウの『魂』へと囁く。

 

 

 

 

 

 ——「怖がらないで、私がいるから」——

 

 

 

 

 

 その言葉は忘れようがない。

 その温もりを忘れるわけがない。

 その姿を忘れてはいけない。

 

 バイジュウは確信を持ってしまった。

 

 レンの中にいる『誰か』の正体を。

 

「これは『夢』なのだろうか」とバイジュウは刹那に思う。

 

 温もりを掴むように、バイジュウは『魂』という手を伸ばす。

『影』となって佇む彼女は、確かにその手を愛しむように掴んだ。

 

 そこで光は消える。

 

 永遠にも思えた一瞬は終わり、再び絶望が現実へと襲いかかる。

 

 撃鉄は落とされる——。

 

 夢想の一瞬なんて幻だと、温もりなんてないと、そんな些細な願いごとも、あの日感じた痛みや孤独さえも、そのすべてを跡形もなく否定すると言わんばかりに無情にも叩き落とされる。

 

 だが、その一瞬には意味があった。

 

 誰かであるはずの『彼女』にバイジュウの『魂』が伝わり、振り返ることなく最後の一撃を、握られているはずがない『銃剣』で切り裂いた。

 

 それは19年前、バイジュウがスノークイーン基地で使用していた銃剣。真の意味でこの場に存在するはずがない失った武器——。

 

 

 

 銃剣の名は『氷結稜鏡』——。

 

 

 

「————ッ!! 、、、…………ッ!!」

 

 

 

 力尽きた少女に、バイジュウは二つの名を叫ぶ。

 心から慕う彼女達の名前を思い焦がれながら。

 



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第18節 〜Awakening〜

 ……意識が保てない。

 ……自己が霞む。

 ……ごめん、みんな……。今回ばかりは……。

 

 ——諦めんなっ!!

 

 死に体寸前の俺の意識に、彼女の声はまるで張り手の様に俺を覚醒させる。視界は未だに開けず身体の感触もない。

 …………というか、何もないんだ。ここには視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の全てが意味を為せない。あるのはただ『魂』だけなんだ。

 

 ——諦めんなよ! 諦めんなよ、お前!! どうしてそこでやめるんだ、そこで!!

 

 ……あの、すいません。キャラ変わってません?

 

 ——いんや? これが私だよ〜!

 

 彼女の声(意思)は生きることに全力で、俺に『生存』を望んでいた。『光』が見えない寂しい世界で、その行為は心が温かくて嬉しい。

 

 ……もしさ、ずっとこのままだったら……側にいてくれる?

 

 ——ひゅ〜ひゅ〜プロポーズ? モテる女は辛いね〜!

 

 ……プ、プププ、プロポーズじゃないっ!!

 

 ——照れんなって〜♪ 今は同性愛もありらしいよ〜♪ like×likeじゃなくてlove×loveだぜ〜〜〜??

 

 ……、…………いいんですか?

 

 ——君はそうしたい?

 

 ……はい!!!

 

 ——わぉ、意外と肉食系。う〜〜〜〜〜ん。

 

 考える仕草を彼女は声に出す。

 

 ——断るッッ!!!

 

 あっ、やっぱり? 分かってたとはいえ少し傷つく……。

 

 ——でも一人ぼっちは嫌だよね。私も長いことここにいるし。

 

 ……どれくらい?

 

 ——さあ? 一年かもしれないし十年かもしれない。もしかしたら百年かも。腹の虫さえ鳴らないから時間経過がわからんちん。

 

 時間がわからない、という言葉と奇妙な空間に俺はアニーのことを思い出す。

 

 アニーも『因果の狭間』で七年間を過ごしていたが、時間については非常に曖昧だったと言っていた。少なくとも七年間もいた覚えはないと言っていたが、そんな曖昧な時間でもアニーは方舟基地での出来事で非常に取り乱してしまった。

 

 それなのに彼女は今なんと言った? もしかしたら百年かもしれない——? こんな光も熱も色もない世界で、ずっと一人ぼっちでいたというのか?

 

 そんなの……………………狂うに決まってる。

 

 ——嬢ちゃん、そんなに感傷的になんなよ。せっかく話し合えるんだ、気が晴れるまでピロートークしようぜ!

 

 だというのに彼女は明るく、むしろこちらを励まそうとするほど活発だった。

 

 ……そうだね。俺も君のこと知りたいし。

 

 ——俺っ子! リアル俺っ子だ! 君みたいな可愛い女の子が『俺』だなんてギャップ萌えだね〜♪

 

 ……俺の顔を見たのかっ!!?

 

 いつどこで!? こんな世界じゃ五感全てが役に立たないのに!? もしかして心眼か? 長いこといるから、意思が発達して第六感が覚醒してるのか?

 

 ——いや、さっきまで君と一緒に戦ったじゃん。その時にチラッとね。

 

 ……ああ、そういう。

 

 ——すごい可愛かったよ♪ 暖かい瞳、黒い服、赤みのある黒髪で愛嬌満載の顔でさ、このこの〜♪

 

 何故だろう。猛烈に俺の顔とか頭を撫で繰り回されてるイメージが湧く。

 

 ——私の大切な人に、君は本当鏡合わせだよ。

 

 ……大切な人?

 

 ——そっ。冷たい瞳に、白いワンピース、青みがかった黒髪、無愛想で、いかにも「人に興味ありません」って感じの子だったよ。

 

 そういえは彼女と繋がったのは『大切な人』を守りたいからだった。彼女が挙げた特徴と一致するのは、バイジュウしかいない。

 そんなバイジュウを守りたい人物といったら……彼女しかいないのでは?

 

 ——だけどさ。話したらこれが面白いし、人見知りなだけで愛嬌もある子だったんだよ〜♪ 冷たい瞳とか言ったけど、学問とか表情筋は真面目すぎて死んでるのに、瞳だけは子供のようにキラキラさせてさ〜。バレンタインとかでチョコを交換する時なんて恥ずかしそうにラッピングした手製チョコを「ひ、日頃のお礼っ」とか君みたいに緊張して渡すし、クールな見た目なのにコーヒーとかは苦手で、女子らしく甘いものとか香水とかも気を遣ったり、本当ギャップ萌えというか、そういうの狙ってるのか! と思うくらいあざとくてね〜!! 

 

 ……君はもしかして。

 

 ——おっと、それ以上は言わない! 女の子はミステリアスな方がいいんだよっ、この純情っ♪

 

 明るく茶化す声で俺の言葉を遮る。

 

 ……それでもいいか。それだったらさ、何かバイジュウに伝えたいことある? でもラブコールはなしね。俺から伝えるのは、その……は、はは、恥ずかしぃぃっ……。

 

 ——ありがとう。……でも、ごめんね。私は『夢』なんだ。覚めたら夢なんか忘れる様に、私との会話なんて忘れるよ。

 

 ……忘れないよ。

 

 ——無理だって。人の夢と書いて『儚』いんだぜ?

 

 ……じゃあ思い出すッ!

 

 ——嬉しいけど、私のことよりバイジュウちゃんのこと聞かせて欲しいな。あの子、私がいなくても元気にしてる?

 

 ……元気だと思う。うん、元気だ。だってさ。

 

 そこから俺は彼女にバイジュウの事を話した。目覚めてから世界を旅して知識を深めたこと。休日には図書館に籠って見聞を広めてること。クロスバイクに乗って世界中を駆けたこと。

 そして、あの出来事から19年もの月日が経っていて、君がいなくて悲しそうな顔をしている時があることを。

 

 ——そっか、19年も経ったんだ。

 

 ……バイジュウとは今でも距離感がある。会話は弾むし、趣味も合う。だけど、どこか遠慮しがちなんだ。俺だけじゃなくみんなに対して……。

 

 大切な友達だからこそ頼りたいし頼られたい。それはバイジュウだって同じはずなんだ。愛読書に登場する主人公みたいに俺は鈍感じゃない、理由は何となくは察せる。

 彼女はきっと……。君のことを忘れて、今を生きることに負い目を感じてしまっているんだ。

 

 ——バイジュウちゃん、割とヘビィな子だからねぇ。あっ、体重じゃないよ。ましてやゴッドリンクもしない。ハートの問題ね、ハートの。育ちが育ちだから、人との繋がりに人一倍大事に思ってるからさ、あの子。多分「みんな私が守らないと」って感じじゃない?

 

 ……100点満点中の120点だよ。本当に君は、バイジュウのことが。

 

 ——大好きだよ。大好きで、守りたくて、放って置けない子。

 

 ……もう一度会いたい?

 

 ——もう一度、なんて無理だよ。会ったら何回も会いたくなる。だけど私はもうここにいるしかないんだ。ここは境界線。君と私の間には『門』があるんだ。これを超えない限り……私は覚醒することはないし、覚醒したとしても肉体がない。

 

 ……じゃあ、一緒に行こう。今回みたいに、バイジュウといる時だけでも君が俺の意識を呑み込んでいいさ。

 

 ——無理なんだよ……。この『門』は『夢』を行き来する……。私が君の意識をこれ以上呑み込んだら瞬間、あなたも『夢見る人』となって永劫に抜け出せない世界に囚われることになる。

 

『門』——。その言葉で俺は『天国の扉』を思い出す。

 あの時、ソヤを助け出す時に『天国の扉』の前でソヤを引き摺り出し、その手で扉を閉じて事件の終幕を迎えた。

 

 だとしたら……あの時と同じように『門』に触れさえすれば——。

 

 そう思った時に気づいてしまう。今の俺には身体の感覚がない。手を伸ばして触れようにも触覚は機能しないし、彼女が言う『門』を見ようにも視覚は一向に暗闇を映したままだ。

 

 この世界では俺が介入する余地などどこにもない……。

 

 ——まあ気持ちは嬉しいよ。でも、私はずぅぅぅぅぅっと……ここにいるから。

 

 そう言って彼女は俺の『魂』を抱いた。

 

 ——君だけじゃない。バイジュウの側にも、私はずっといるから……。本当にたまにでいいさ。バイジュウが大人になって、いつかは伴侶ができて、それで子供ができて…………。ごめん、ちょっと嫉妬した。

 

 ……自分で言ったことなのに?

 

 ——うん。どんな形でも私は嫉妬しちゃうな……。バイジュウちゃんの幸せな姿を思うと、嬉しくて嬉しくて仕方ないのにね……。それが自分じゃないと考えると、どうしても妬んで仕方ない……。でもそれでいいのかもね。私のことを忘れるくらい幸せな毎日を過ごして、空や雲とかを見た時に、ふと思い出してくれればいいんだ。そんなこともあったけど……今は幸せですって。

 

 ……本当に良いのか? 俺のことを考えなければ君は……。

 

 ——それじゃ何も変わらない。バイジュウちゃんにとって、あなたも既に大事な人なの。

 

 ……、…………絶対いつか迎えに来るから。どれくらいかかるか分からないけど、絶対迎えに来るから。

 

 ——ここに来て長いからね、待つのは慣れてるよ♪ バイジュウちゃんが来るのに、後何万年かかるかなぁ〜〜。

 

 そこで俺の意識は浮き上がるのを感じた。同時に暗闇の世界に少しずつだが輝きが差し込む。これは一体…………?

 

 ——そろそろ時間か、お別れだね。

 

 輝きの向こうに知っている温かを感じた。これは……。

 

 光じゃない、太陽でもない…………。

 

 これは『色』だ。極彩色の輝きなんだが……。この『色』は『何だ』? 知っているのに……。知っているからこそ分からないのか……?

 

 ——さようなら。行っておいで、君がいるべき場所に。

 

 ……絶対っ! いつか、バイジュウと一緒に君を『門』の外に連れ出すから!

 

 ——、…………じゃあ、その時に改めて聞くよ。バイジュウちゃんの道を。……君の道を。

 

 ……最後に、俺はレン! レンっていうんだ!

 

 ——『最後』じゃないでしょ、レンちゃん。

 

 ……そうだね、それじゃあ。

 

 ——『また会う日まで』……。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

「……がっ!?」

 

「皆さん! レンさんが息を吹き返しました!」

 

「やりましたわっ!」

 

「あとはエミだけか……」

 

 まだ残っている口の苦味と、胸に込み上げる気持ち悪さを吐き出すと、俺の霞んだ意識は少しずつ晴れていく。

 

 何がどうなっているんだ……?

 現状の把握を急ぐ。だが記憶に不鮮明なところが多すぎた。

 

 異形と戦い、皆が傷ついて、俺も必死で応戦してヴィラとソヤも守って……。そこから空白が多すぎる。

 

 何と何をして……あの異形を倒したんだ?

 

 ラプラスを拾い上げたところまで覚える……。そこで自分にもっと…………。もっと何かが欲しくて……。

 そしたら意識が……『魂』とかが溶けるような感覚が湧いてきて…………。

 

 最後に……バイジュウと『誰か』の声が耳に入ってきて……。それで異形の腕をラプラスで……切ったんだっけ?

 

 そう考えて、俺は握られてる獲物を見る。

 俺の手に握られているのはラプラスではない。過去の映像で見ていたバイジュウの銃剣だ——。

 

 ……どうしてこれを俺は持っているんだ? 

 

 瞬きをした時には、それは役目を終えたように蜃気楼となって消え去っていた。…………まるで最初からなかったかのように。

 

 疑問に思わなければいけないのはそこだけじゃない。どうして俺は無事なんだ。

 

 不思議な気持ちだが、胸の奥にある疼き……言うなら『魂』とも呼べる部分で確信してしまう。俺は異形との戦いで、何かが衝動的に湧き上がって決死の覚悟でバイジュウを…………バイジュウ達を守ろうとしたんだ。

 

 それで死ぬほどの……エミリオと同じぐらい傷だらけになっていたはず……。だというのに何で……?

 

「良かったぁ〜。宝石で回復できて……」

 

 ……治癒石が間に合った? 俺はあの時すでに治癒石は全部使い終わっていた。他のみんなもそうだから、必然的にシンチェンかハイイーの治癒石を使ったことになるのか?

 

 ……それだけだと無理だと思う。治癒石の効果は、あくまで身体の傷を癒す程度のもので、肺や心臓の呼吸とか血液補充とか循環系には一切効力が持てないとラファエルは前に言っていた覚えがある。実際、少し前に衰弱した身体では呼吸がままならなかったヴィラとソヤがいい例だ。

 

 確かに俺はボロボロの傷だらけで治癒石がないとお陀仏だっただろう。しかし、それでは弱り切った身体までは回復できない。だから、それを繋ぐための何かしらの延命処置がないと不可能だと感じてしまう…………。

 

 ——って、今は自分のことはどうでもいい! 生きてるならそれでいい!

 

「エミは……エミリオはっ……!?」

 

「心臓も息もだいぶ弱まってる……。右手も……」

 

 ヴィラに言われて気づく。エミリオの右手が……正確には右手首は『切れかかっている』ということに。

 

 骨から筋繊維まで丸見えであり、赤黒い出血とは裏腹に筋繊維自体は驚くほど赤くて綺麗だ。だけど…………それがかえって気持ち悪さを増大させる。

 

 ヴィラは懸命に出血を抑えるために、脇下の止血点を押して可能な限り止めているが長くは持たない。長時間やってしまったら、手首だけでなくエミリオの右腕そのものが壊死してしまう。

 いや…………それ以前にエミリオそのものが——。

 

 その時、心臓が焦りから鼓動が早くなる。

 

 早くなるのだが………………胸の中に拭きれない違和感を覚える。

 …………下着がズレた感覚ではないが、なんというか……ないものがあるというか……ホックが外れてむず痒さを覚えるような……。

 

《何か忘れてない?》

 

 どこからともなくイマジナリーお嬢様の声が聞こえてきた。

 

「もしかして……!?」

 

 俺は胸の中から…………首から下げていたペンダントを取り出した。

 ベアトリーチェから返されたラファエルの『エメラルド』————。なのだが、造形が俺が知っているのとはだいぶ違う物になっている。

 

「うそっ……?」

 

「ぁ〜…………」

 

 今までの史上の輝きが嘘のようにヒビ割れて光沢が燻んだ、ただの緑色の石となっていたのだ。

 

 ……まずいまずいまずい。理由はどうあれ非常にまずい。どれぐらいまずいかというと、眉間に寄った皺が戻らないし、滝のように溢れ出る冷や汗が止まることがない。

 

 だけど、もしかしたら…………。そのもしかしたらが起きたら……。

 祈るように俺は燻んだエメラルドをエミリオへと押しつける。

 

「………っ……っ」

 

 わずかだがエミリオの呼吸に命が宿る。切れかかっている右手首も紙みたいに薄いものの、繋ぎ合わせようと筋繊維から皮膚まで少しずつ伸びていくのがわかる。

 

「息を吹き返した……!? だけどこの回復速度じゃ……」

 

 これが本家本元の宝石の力…………。もしかしたら俺があんな窮地に瀕しても生存できたのも、ラファエルのエメラルドのおかげだったんじゃないか……?

 

 考えれば俺みたいな痛がりが、あんな血塗れや火傷塗れになってショックで気絶してないこともおかしいのだ。戦闘中も治癒石の力を促進しながら、俺の傷をずっと癒してくれていた……。

 

 だとしたら……ラファエルがここまで守っていてくれた……?

 

 なら今は、エミリオのために頼むっ……!!

 

「これはラファエルが使っていたエメラルドだ。こんな程度じゃない……。でも、魔力が足りないから残った宝石を全部集めてくれ!」

 

「分かったっ!」

 

 俺も自身の懐から譲り受けたアニーの分も合わせて、二つの治癒石を取り出す。アニーも先ほど俺の治療に使っていたものを取り出し、ヴィラとソヤも自身が使っていたのをエミリオに傷口に沿える。

 

「バイジュウさん、例え塵みたいにわずかでも残っているものを……」

 

「………………あっ、はい! 私とエミさんの分ですね……」

 

 少し上の空だったが、ソヤの声に応じて彼女もすぐに手持ちの治癒石を渡した。最後にアニーが残っていた子供の分まで覆うように、集めて宝石と重ね合わせる。

 

 これで今ある手持ち全部がエミリオの元に集められる。

 

 宝石からはエメラルドを中心に、野に吹く風のように爽やかな緑の粒子が吹き遊びエミリオの手首へと溶けていく。

 

「……っ! っっ!!」

 

「大丈夫だ……大丈夫だ……」

 

 声にならない金切り声を上げるエミリオ。いくらか繊維が繋がって余裕が生まれたことで、ヴィラも止血点ではなく包帯を使用した直接的な止血法へと変えて心肺蘇生の工程へと移す。

 驚くべき速さで心臓マッサージと始めて正しい手順を悩みなく行う。別に呼吸は止めっていないため人工呼吸はしない。ただただ少しでも停滞している血液を循環させるために、一心不乱にヴィラは豊満なエミリオの胸を押し続ける。

 

「かっ……! かはっ!」

 

 やがて血液循環を取り戻したエミリオは、今まで溜まり込んでいた血反吐を吐き出した。その表情には、やっと生気が宿り始め…………心の底から安心感が溢れてくる。

 

「ふぅぅ……ふぅぅ……! もう、だいじょ……ぶだよ……ゔぃ、ら…………」

 

 エミリオが痛みに耐えながら上半身を起こす。顔は青ざめたままだが、血が通り始めたことで肌には温かさは戻り、彼女の息遣いも安定してくる。

 

 これで最悪のことは避けられそうだ。労うように俺はエメラルドを回収しようと手を伸ばす。

 

 その時、役目を終えたエメラルドに更なるヒビが入った。

 そして最後には砕け散った。ラファエルの……デックス家の家宝が見事に砕けた。

 

 …………残ったのは断片と化したエメラルドと、それを納めていたペンダントの型のみ。

 

 背筋が凍るのを感じた。まずい事態がマジまずい事態になった。

 

「どどど、どうしようかっ、アニー……?」

 

「………………………………………とりあえず今後の下僕生活に備えてラファエル様と呼ぶ練習したら?」

 

 ですよね……。

 あぁ、今度はマスコットガールだけじゃなくて、靴磨きやお色仕立てから身の回りの世話さえも行うことになるのか……!

 

 

 …………

 ……

 

 

『靴磨きさえできないの? だったら犬みたいに舐め回しなさい』

『何この雑な掃除? これなら換気だけで十分ね』

『壊滅的なセンスね。まあ人のセンスは12歳までに決まるというし、悲観することもないわよ』

 

 

 ……

 …………

 

 

 …………想像できるのが嫌だなぁ。

 

「呑気なところ申し訳ございませんが、かなりヤベー状況ですわよ……」

 

 ソヤ特有の汚い口調を久しぶりに聞いた気がするが、言っていることに偽りはない。

 

 異形を倒したまではいい。だけど、その代償として施設全体が崩壊の一途を辿っている。ゴンドラを起動して俺達が使用した潜水艦までたどり着きたいところだが…………ウンともスンとも言わない。

 

 …………どうしましょう?

 

「……深海港自体はまだ生きています。そこに移動して潜水艦に乗り込めば……脱出の可能性はあります」

 

 確かに壊れているのはあくまでコースター内部だけだ。その道中にある様々な観測エリアや、深海港は恐らく浸水の危機にはまだ瀕してないはず。

 でも……ここは水深4000mだぞ? 俺達が乗っていた潜水艦は水深500mにある。仮に水深2500mにある深海港を目指そうにも深度は1500mもの差がある。

 

「でもゴンドラは止まっている……どうすれば?」

 

「…………私達にはこれがあります」

 

 微妙な表情をしてバイジュウは指先にある物を摘んで見せる。それは先程俺がお世話になったハインリッヒ印の『酸素玉』だ。

 

 ……オッケー、理解できた。逆流でコースター内を満たす海水を利用して直に泳ぐわけか。確かにそれなら脱出……というか水深2500mにある旧式潜水艦まではたどり着けるとは思う。だけどそれには致命的な見落としがある。

 

「バイジュウすまない……。俺の分は使い果たしている……!」

 

 そう。先の戦闘で俺は酸素爆弾として自分の分の酸素玉を全て使い果たした。治癒石と同じように一人一つずつしか持っていないため、現状酸素玉を数は俺の分だけ不足しているのだ。

 

「えっと…………それには……考え自体はありまして……」

 

 途端にバイジュウは潮らしく言葉を紡ぐ。

 

 使い果たした俺の酸素玉をどうにかして供給する方法でもあるのか?

 

「その……大変申し訳ないんですけど…………。あの、レンさんのを使い果たしてしまったことは、私に…………せ、責任がありますので……」

 

 そう言ってバイジュウは口に酸素玉を含む。

 

 うん、まあ、酸素爆弾はバイジュウからの案だけどさ。それ以降の三発作った酸素爆弾は俺の独断だから気にする必要ないのでは……。

 

「はぁぁぁ〜〜っ♡♡」

 

 ……何故かソヤの吐息に艶やかさが帯びる。途端にこれから起こる何かに嫌な予感が走る。

 

「その、失礼しますっ!」

 

 バイジュウは意を決して、俺の——。

 

 ……口にぃぃいいいいいいいいッ!!?

 

「んっ……!!?」

 

 

 

 ——————————————。

 ——————————————。

 ——————————————。

 

 

 

「ん……んんっ……」

 

「♡♡♡世界一ピュアなキスですわーーッッ!!♡♡♡」

 

「わおっ、大胆……」

 

「こんな時に見せつけるな……」

 

「レンちゃん……」

 

 ————あたまのなか が まっしろだ。

 

 口の中に何かが入ってくる。…………酸素だ。

 

「んー!! んー!?」

 

 喋りたいとこだが、ここで口を開いてしまったら共有してもらった酸素玉が無駄になってしまうのは理解している。

 

 それはわかる……分かるんだけどもぉ……!!

 

「……こ、こここ、これは人工呼吸と一緒です! で、ですので……互いに、ノーカン…………ということで、その……い、嫌ってわけじゃないんですけど……」

 

 俺は思いっきり同意して首を大きく縦に動かす。

 

 もう無心になってコースターを昇るしかない。

 

 

 …………

 ……

 

 

 浸水は進み『Earth Factory』は海水で満たされるが、俺たちはコースター内に海水を溜める逆流を利用して手早く水深2500mに位置する深海港にたどり着き、その潜水艦に乗って脱出を謀る。

 

 進路を決めて起動できるのを祈り、途中で支障が出てもいいようにマリル達に伝わるように救難信号を常時発信していく。

 

 ……とりあえずはひと段落はついた。

 今までの疲労が一気に抜けたことで、腰が砕けたように皆が一斉に座り込み、隣り合っていた俺とバイジュウは肩を寄せ合う形となってしまう。

 

 …………疲れもあって沈黙がいつもより重い。先ほどのこともあり、何と無くギクシャクした空気というか、空気の壁を感じずにはいられない。

 

「レンさん………」

 

 沈黙が広がる潜水艦の中、バイジュウは気恥ずかしいながらも聞いてきた。

 

「なに? バイジュウ」

 

「あなたは…………『どっち』?」

 

 …………まさか、俺が男か女かを改めて聞いているのか!? 

 それともさっきのキ……いやいや、人工呼吸で俺にその気があるのかを確認しているのか?

 

「えっと……」

 

 …………深く考えるがどちらも違う気がする。

 理由は分からないけど、何となく『魂』の底からそんな気が湧いてくる。だから、俺が伝えることはシンプルなものになる。

 

「…………俺は俺だよ」

 

「そう……ですよね……。あなたは、レンさん……ですよね……」

 

 悲しくも嬉しそうのに「良かった……」とバイジュウは万感の思いとともに涙を溢す。

 ……その姿に俺は申し訳を感じた。なにか選択を誤ったんじゃないか、ここにいるべきなのは俺じゃない誰かなんじゃないかっていう……何とも言えない罪悪感が湧く。

 

「ごめん……。本当にごめん……」

 

「いいんです……。レンさんが無事なら……」

 

 胸の中で泣き続ける彼女を見て……思わず、愛しさから背中に手を回して温かさを感じてしまいたくなった。

 

 温かい……。身体の底から……下腹部にも温かさが伝わる……。

 

 この感覚……いつ以来だ……。

 

 ——何かがバイジュウと繋がるのを感じる。それと共に『魂』から何かが溢れてきて、堪えきれずに私は口に出した。

 

「私はずっと、バイジュウちゃんの側にいるから……」

 

 ————ん? 

 

「えっ……?」

 

「んっ!? ままま、待てっ!? 俺今なんて言った!?」

 

 『私』!? 今私って言ったか!?

 

 待て待て待て!!?!? ついに心まで乙女になり始めたのか!? 確かに自分が男の時の顔さえハッキリと思い出すの難しくなってきたとはいえ、こんな風に自然と女の子になっちゃうの!?

 

 ぁぁああああああああああ!! そうなると自分の語尾さえ気になり始めた! 「なっちゃうの」とかは男でも使うのに、これも女々しさの表れかと思うと…………っっ。

 

 

 

「——そっか」

 

 

 

 バイジュウの頬に涙が一つ落ちる。

 

「そっか……。そうだったんだ……!」

 

 彼女の瞳は、今までどこか影が沈んだものではなく晴れやかな物となる。

 

 彼女の中で衝撃があったのか、笑顔のまま涙を少しずつ流していく。その笑顔は今までとは違い、とても煌びやかなもので、春を迎えて咲き乱れる花のように美しかった。

 

「ありがとう……『レンちゃん』。あなたのおかげで……自分の力が何なのかようやく分かりました……」

 

 改まってバイジュウは俺を見て、静かに呟いた。

 

「あなたの『魂』はとても純粋ですね……」

 

 

 

 

 …………こうして俺達の海底都市を巡る異質物事件は幕を閉じた。



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第19節 〜星之海StarOcean〜

第一章、最終回です。


「病院食って、万国共通で味うっっっっっっすいわよね……」

 

『Ocean Spiral』の一件から数字後。俺達は今回のMVPであるエミリオを労いに、アニーとヴィラと一緒にSIDが株主とする病院へと足を運んだ。

 そこまでは良かったんだけど…………。病室に入った途端あんなに腕や腹から血を出して、挙句には手首からも大量出血させたりと生死を彷徨った人物のはずなのに、フードファイター顔負けの量の食器を積み上げるマサダブルクの神の使者様がいた。

 

「この人、先日まで危篤状態だったよな……?」

 

「まあ、出血多量以外は何の異常もなかったからね……。脱すれば納得というか何というか……」

 

 そうだね、出血多量以外は何にも無かったね。それが尋常じゃないから労いに来たのだが。

 

「ほふほふへ……んっ、はぁ…………。そもそもね、出血多量で安静状態なら鉄分たっぷりの料理準備してくれた方が個人的には嬉しいのよ。レバーとかレバーとかレバーとか……」

 

 文句を言いながら本日7杯目の山盛りの白米を平らげて、電子ジャーから8杯目をよそう。そして電子ケトルからお湯を注いでインスタント味噌汁を準備し、さらには誰かが持ってきていたコンビニの袋から野菜を中心とした洋風オードブルさえも出してきて即座に食事を再開させた。

 

「改めていただきます♪」

 

「あとエミが健啖家だったことに驚きを隠せないんだが……」

 

「すすぅ〜……。……私やヴィラはそこらの成人男性より食べるわよ。一応軍人上がりだからねぇ〜♪ 基本的な新陳代謝が違うのよ♪」

 

 …………確かに今思えばこいつらバーベキューでも食っていたし、夜食でも鍋物とにかく全部突っ込むハングリー精神全開だったわ!? マサダブルクでもザクロジュースを常備してたりするし、振り返れば思い当たる節がかなりあるぞ。

 

「あっ、悪いけどお釣りはあげるから病院近くの『大吉菓子寮』っていうお菓子屋さんで、新商品全部買ってきてくれる? 見ての通り重病人で絶対安静だから♪」

 

「どこがっ!? 仙豆食った後並みの元気だぞっ!? というかそんだけ食ってるのに、まだ食い足りないのっ!?」

 

「病院食だけだと足りなさすぎるのよ、量も味も。子供のおやつじゃないんだから」

 

「患者のために考えられたメニューをおやつ扱いか……」

 

 全世界の医師は泣いていい。

 ……まあ一般人じゃなくて『魔女』だから多少の常識は通用しないのかな……?

 

「これでもエミはお前の顔ほどあるハンバーガー二つを十分で完食するほどの胃だぞ。それをコーラで流し込む根っからのジャンクフード愛好家なんだ」

 

 それを聞いて俺はどんな表情になったのか。少なくともぎこちないものだったには違いない。

 ジャンクフード愛好家まではわかるが、俺ぐらいの顔となるとそれは本格派のハンバーガーだ。もはや愛好家の領域じゃない、ジャンキーでありジャンカーだ。マジモンの愛好家だ。

 

「ちょっと……それだと誤解されるでしょ」

 

 眉を潜めて文句を垂れるエミ。

 だよね。流石に女の子がそこまで食べれるなんて、イルカ以外にいるなんて信じられ——。

 

「その時はセブンアップだって。コーラだと、私がデブみたいじゃない……」

 

 否定するのはそこっ!? そして微妙に恥ずかしがるのもそこっ!? というかコーラもセブンアップも同じ炭酸飲料だよ!?

 

「あの時はセブンアップだったか。……ん? じゃあ去年のナポリタン3キロがコーラだったか?」

 

「ナポリタンの時はペプシよ。コーラの時はチーズピザ2キロの時だね」

 

 完全なデブまっしぐらだっ!?

 

「というか色々と飲むな。料理で決めてるの?」

 

「逆かなぁ。炭酸飲料で食べる料理変えてるだけ。そして炭酸の移り変わりも早いのよね。今はオレンジファンタだけど、前は順にドクペ、サイダー、マウンテンビュー、カルピスサイダー……。その時で食べたいのも変わるのよ」

 

 その気持ち分からなくもない。分からなくもないが……流石にフードファイターみたいなことはしない。

 

「あぁ……炭酸飲料で肉をたらふく流しこみたい……。ジンジャーエールかレモンサイダーがいいわね……。ライム系統で餃子を流すのもいい……」

 

 うん、これはもう放っておいて大丈夫だろう。退院祝いには食い放題の焼肉とか、SNSでよく見る餃子パーティ的なサプライズとかすれば喜びそうだ。…………そのための費用はマスコットガールとして頑張るしかないかぁ。

 

 ……費用という単語で、思い出したくないことを思い出して心労は重なる。何故ならもっとドデカイ物を俺は払わなければいけないのだから。

 

 

 …………

 ……

 

 

「許せないわね……許せないわ」

 

 後日、御桜川女子高等学校にて。

 放課後に俺はもう靴を舐め回す勢いで頭を下げてラファエルに謝罪していた。

 

 謝罪する理由はたった一つ。先日起きた『Ocean Spiral』事件……そのまま『OS事件』に関して、壊してしまったデックス家の家宝にしてラファエルのペンダント『エメラルド』のことについて他ならない。

 

「ほんとぉ……! このとおりぃ……!!」

 

 誠心誠意、全力を込めてラファエル様に土下座をする。当然額は地面についている。

 圧倒的……圧倒的な土下座……ッ! 今なら焼き土下座さえ可能である……ッ!!

 

「……? なんで頭下げる必要あるのよ?」

 

「えっ!? だってラファエル様のペンダントを……!」

 

「あー、それも確かに許せないわね。でも仕方ないでしょう。真に美しい物は至高の宝石よりも今を生き抜く命よ。それがアンタみたいな変態女装野郎やマサダの聖女様やらの命のためなら仕方ないわよ」

 

「じゃあ、何に許せないんだ……?」

 

「決まってるでしょう……? 何杯も食って人一倍カロリー摂取してるくせに太らないエミリオに言ってるのよっ!!」

 

 えぇ……そこぉ……?

 

「私なんか夜抜いたのに、あのラーメン食べた後に0.2キロ増量なのよ……!? 私こそが至高の芸術だというのに、この体重増加は許せないわ……! そんな乙女の苦労なんか無縁だと言わんばかりに食いやがって……」

 

「いや……軍人とお嬢様じゃ基本的な運動量が違うし……」

 

 ラファエルはエージェント的な扱いは受けてるけど、サモントン総督の娘ということもあり、お爺さんからの許可をもらえない限り作戦参加すらままならないご身分だ。そのせいでSIDの訓練にも本格参加は出来てない。その差はカロリー消費量という意味では大きい。

 

 ……まあ何が言いたいかというと、実は消費カロリー的な意味では俺はラファエルよりも普段から何倍も消費していることなんだが。

 

「じゃあ、私に合うスポーツジムを教えなさい、これは命令よ。念のため言っておくけど、一週間もフロに入ってないヤツの汚らしい手で、同じダンベル持ち上げたりプールに入ったりする汗臭いのはお断りよ。男臭いのはアンタだけで勘弁したいの」

 

 臭くて悪かったな!

 

「てか、俺が決めるの!?」

 

「さっき様付けしたでしょう? 傅く覚悟の準備はできてるんでしょう?」

 

「そこまでする義理は……」

 

「できなければアンタを器物損壊罪で訴えるだけよ。理由はもちろん分かってるわよね? お前がデックス家の家宝を壊してサモントンの権威を貶めたからよ」

 

「尽力いたします……」

 

「よろしい。……まあ今回の件は私の不備にしといてあげるわ。バイクで事故ったとでも言えば何とかなるでしょう。所詮はエメラルドだし」

 

「ラファエルってバイク乗れるの?」

 

「17歳よ、当然じゃない。管理が面倒だからレンタルでしか乗らないけど」

 

「へぇ〜、じゃあ今度後ろに乗せてよ」

 

「別にいいけど……。女性にしがみつくのは女装癖として情けなくない?」

 

 ……確かに。想像してみると、年上とはいえラファエルの背中を掴んでいる姿は女々しさ全開だ。

 

「じゃあ、俺が免許取り次第ラファエルを後ろに乗せる!」

 

「ダメよ。色々と条件はあるけど、免許取ってから一年以内は2ケツは禁止が定められてる」

 

 そうなのか……。道交法って難しいな……。

 

「そう落ちこむこともないわよ、二台で走ればいいじゃない。…………まあ、その時までにはセンスのないデートプランぐらいは磨いておきなさい」

 

 ……ゲーセン巡りじゃダメだよなぁ……。ウインドウショッピングとかか……? それとも映画館や博物館とかか……? 

 ゲームなら選択肢あるけど、自分で考えると候補が多すぎて分からない……。こういうところがセンスないって言われるんだろうなぁ……。

 

「というか、私への説明がまだ終わってないでしょう。エミリオやエメラルドのことは分かったから、もっと別の詳細を言いなさいよ」

 

「そうだった! じゃあ次は——」

 

 

 …………

 ……

 

 

 ——SID本部。

 

「今回の事件……。中々興味深い資料だな……」

 

「そうね。特にこの異質物……いえ、この異質物にあった『情報』……」

 

 頬が緩むのを必死に抑えながら愛衣はタブレットを操作することなく、水槽に泳ぐ魚を慈しむようにひたすら撫で続ける。そこに本当に何かがいるように、マリルはタブレットの画面を覗き込んだ。

 

『ここは狭いですね……』

 

『二人暮らしだと狭いよ〜。もっと大きい家にして〜』

 

 タブレットの画面には、まるでアニメキャラをデフォルトしたみたいに二頭身で表示された二人の少女が映る。

 

 一人はコバルトブルーの髪色で、もう一人はマリンブルーの髪色だ。それはレンが今回の事件で知った姉妹————スターダストとオーシャンが頬を合わせながら文句を言い続ける。

 

 今回の『OS事件』で回収した異質物から回収されたものを解析した結果、湧き出た意識を持つデータだ。流石のマリルと愛衣もこの二人が突如として画面に出現した時には、あまりの想定してない事態に探究心よりも驚きの方が先に出て来てしまった。

 

 今となっては恰好の観察対象となって、インターネットにさえ繋がらない端末に隔離している状態になってはいるのだが。

 

「ごめんね〜、今ある容量最大の端末には入れてるんだけど……。君らみたいな生命体はプロトコルにないから良い意味で困るんだよ」

 

「今現在お前らのためだけに専用のサーバールームを作っている。容量は……いくらあっても足りんか。まあ最低限としてPB(ペタバイト)ぐらいは用意するさ」

 

『これ以上軽量化できないから早く〜』

 

『お姉ちゃんもちょっと辛い……』

 

 二人は短い手足で距離を取ろうと頑張るが、画面が小さいのか相対的に彼女が大きいだけなのか、二人は未だに頬さえ離れるのが難しいほど狭い空間の中に囚われている。

 

「そんな状況で悪いが、今回の事件について聞きたいことは山ほどある。協力さえすれば……ある程度の自由行動を認めるぐらいしか交渉カードがないな」

 

『お姉ちゃ〜ん、どうしよっか?』

 

『もちろん飲みましょう。そして先に言っておきます。我々から情報は得るのは非常に難しいことを』

 

「何故だ?」

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■—————』

 

「あっつっっ!!?」

 

 爆発的に熱が籠るタブレットに、愛衣は思わず手を離してしまい落としてしまう。

 

 鳴き声と判断するのさえ不可能だと超音波——。いや、マリルは直感で判断する。これは『言葉』だ。ただ、ひたすら『言葉』に『厚み』というか『質力』を感じるという不思議な感覚が起こる。

 

『——こんな感じです。我々情報生命体には独自の言語と呼べるものがあり、たったわずかな■■■だけでも、情報量としては膨大なのです。それはお分かりでしょうか』

 

「……ああ。お前たちのアルゴリズムは見ているから把握はしている」

 

『そうですか。私達のメッセージが届いて良かったです』

 

 メッセージ——。どこまでも研究者の努力を馬鹿にしたような口振りだが、実際今回の事態については金平糖とクラゲの情報結晶体がなければ『Ocean Spiral』の存在さえ気づけなかった。

 

「聞きたいことはシンプルなものさ。オーシャンに聞くが、レン達は潜水艦を使って施設内を脱出したんだ」

 

 マリルの問いは続く。

 

「だがな……レン達は潜水艦を使ったが19年前の船体では、七年戦争の影響で多大な変化をした海流には耐えきれん。だというのに……どうやってあの潜水艦を海上まで浮上させた」

 

『その程度の質問? 簡単だよ。丁度いい人手があそこには山ほどあったからね〜〜。私のカケラと端末があったから少し影響を与えて手伝ってもらったの』

 

「………………まさかマーメイドかッ!!?」

 

『そう、正解』

 

「だがマーメイドは『狂気』に陥ったことで生まれる存在……。そこに人間を守る意思が生まれるのか?」

 

『『狂気』に陥ってはいないよ。ドールもマーメイドも異質物や魔導書から付与された『情報』の負荷が制御できずに、ただ暴走しているだけ。人間を襲うのも、その大半が元々彼女達が人間を思いながら力を行使していて……それがすり替えられちゃっただけなの』

 

 オーシャンは悲しみを帯びた声で語り続ける。

 

『『Ocean Spiral』にいたマーメイド達も、全員が資料通りの貴族に反してのものだけど……それだって自分たちの家族や大事な人を守ろうとしたから起きたこと。その思いの根本は暴走しても無くなったりしない。だからそれを思考制御という『情報』で一時的に上書きさせて……潜水艦を助けるように呼びかけただけ』

 

 衝撃の事実にマリルと愛衣は無言になってしまう。

 今までドールの生態についてアニーやイルカの協力もあって少しは把握できたと思っていた。まだ解明できていない部分は大きくあるとはいえ、少しずつ理解に近づいているとは思っていたのだ。

 だが実態はもう少し深くあったのだ。ドールやマーメイドは『情報』の負荷によって『狂って』はいない。付加された『情報』に耐えきれず、『情報』の通りに行動してるに過ぎないということが判明したのだ。

 

『幸いにも異質物と媒介が近くにあったから、思考制御の力を増幅させることができた。おかげでマーメイド達を集めて潜水艦を海上に上がる海流にまで乗せることができたし、そのあと暴走しないように可能な限り魔導書との接続を切って役割を終えられた……。7年間の悲劇は、今回で収束したの』

 

「……だとしたらシンチェンとハイイーはお前達と同じ情報生命体なのか? 潜水艦での救出中、二人は未だかつてない脳信号と輝きを放っていた。オーシャンの話が事実だとしたら、その媒介こそはシンチェンとハイイーということになるが」

 

『その通りと言いたいですが、前半は違います。私とシンチェンは同一個体から生み出されたものではありますが……シンチェンは在り方はどうあれ『人間』としてデザインされた端末です。私は中立として見守る情報生命体なのです』

 

 マリルの問いに答えたのはオーシャンではなくスターダストだった。

 

「端末か……。お前とシンチェンは『同一個体』から生まれたと言っているが、お前も本体とは別の端末と呼べる存在なのか?」

 

『そうですね。私はあくまで人類と星の繁栄を観測し続ける存在……。宇宙の果て……『エーテルの海』に佇む■■とは違うのです。もちろん妹であるオーシャンもです』

 

「中立としてか……。ならお前らは何の目的で観測し続けている?」

 

 マリルの問いに、スターダストは無機質な目で返答した。

 

『あなたにそのsanityはない……。知ってしまえばあなたは永劫の智恵に溺れるしかない……。だけど警告と事実の押し付けだけはできるわ』

 

 そこで彼女の目に優しさが籠る。

 

『本来、私達の目的は『人類と星の繁栄』を見守る存在。星は廻り、人もまた巡るように……』

 

『海は広がり、人もまた流れる……。中立としてその繁栄を静かに見守り続けるのが私達の役目…………だった』

 

「だった?」

 

 意味深な言い方にマリルは思わず聞いてしまう。

 

『あなた達も気づいているでしょう? この世界があまりにも出来過ぎていることを…………』

 

 スターダストの言葉にマリルは思い当たる節がいくつか浮かんだ。

 

 日時計の開発。ハッブル宇宙望遠鏡の開発。マゼラン艦隊の地球一周。ライカ犬を始めとした宇宙開拓。テスラコイルの発明。インターネットの開発。さらに火の誕生。

 

 そして…………レンの生存力だ。

 

 今回の『OS事件』も多大な負傷者が出たものの、結果さえ見れば死傷者はゼロなうえに最善ばかりだった。

 

 最初の海上戦での戦力——。

 手渡されたラファエルのエメラルド——。

 数が足りきった治癒石——。

 無駄がなかった武器と人選——。

 

 全てが一つでも欠けていただけで事態はここまで早く収束を迎えなかった。

 

 特にエミリオに関しては奇跡的だ。新たな聖女として誕生した彼女が仮に死亡した場合、新豊州の意図的な事故ではないかと疑われてマサダブルクとの外交に致命的な問題が発生した恐れがある。それでもし軍事戦争にまで発展して、マサダブルクのXK級異質物『ファントムフォース』が起動してしまったら…………それだけでマサダブルクの破滅と共に世界は道連れにされていた。

 

 だが結果としてはエミリオの怪我は後遺症がないうえに、病院での診断結果は『血液不足』となっただけだ。外傷も右手首の痕が薄く残る程度しかなく、側から見れば軽い事故でついたものしか見えない。

 

 あまりにも出来過ぎている。それこそ過去に相対した問答の一つ、シィ教授から出てきた「なぜ、未だに世界の終わりは来ないのか?」という教授の娘の世迷言……。そしてそれに対する答え……。

 

《この世界にはゲームのような『セーブ』機能を持つ異質物が存在している》

 

 愛衣も似たようなことを口にしていた。

 マサダブルクの事件終結後、超展開な理論すぎて言っている自分でも馬鹿みたいとも補足していた。

 

 そのシィ教授と愛衣の推測が事実であるように……スターダストは笑っていた。

 

『だけど……この宇宙は変わってしまった。それによって因果も大きく変化して、致命的な問題が起きた……。未来が『不確定』になったの』

 

「未来が『不確定』だと……?」

 

『それに一番早く気づいたのは間違いなくレンちゃん……。続いて……いや、これはあなたが知っていいことじゃないわね。ここは黙秘するわ』

 

 マリルは追求したい気持ちが湧くが、スターダストの表情は愛くるしい見た目に反して真剣そのものだ。真理に触れるというよりかは、人道に反すると言いたげな表情だ。大人しく話を聞き続けるしかなく、マリルは改めて腕を組み直す。

 

『とはいっても、私自身に情報の欠如も多いわ。私のカケラが近くにない……。あくまで私はオーシャンの異質物を経由して来てるだけ。大半の情報は……リーベルステラ号で発見した古代隕石に積められている』

 

 リーベルステラ号に搭載されていた古代隕石……スターダストの異質物は、今現在サモントンの教皇庁で保管されていることをマリルは思い出す。

 

 ……方舟基地での第二実験の時に話題に持ち出してみようか。そう脳裏に過ぎったのである。

 

『だけど、これだけは分かるから言わせてもらう』

 

 スターダストは重苦しく口を開けた。

 

『ポイント・オブ・ノーリターン…………。人類はもう引き返すことができないところにあることを』

 

 

 …………

 ……

 

 

 ——ある日、ある時間。

 

 ——新豊州、スティールモンド研究センター。

 ——霊魂研究部門、エネルギー開発機関。

 

 

 白衣を纏った少女は楽しげに歩を進める。

 

 歩む背筋は力強く、薄幸な肌は雪のように儚い。

 風に揺れる黒髪は、蚕の糸のように鮮やかで淡い。

 

 気品ある佇まいは海のように穏やかだった。

 

 それが彼女にとってのいつも通り。

 気骨と胆力、そして自信に満ち溢れた足踏みだ。

 

 絶世の美少女とも呼べるほどの彼女に声をかけるものはいない。

 その圧倒的な存在感から恐れ慄いているわけではない。その存在感とはまた違う圧倒的な存在感を放つ奇天烈な物を彼女が身につけているからだ。

 

 白衣の下に着ている黒いシャツにプリントされた縦書きの二字熟語——。

 

 

 

 

 

 『生存』———。

 

 

 

 

 

 その強烈な存在と違和感から、誰も声をかけることなどできないのだ。

 

 

「バイジュウ博士……。その個性的なシャツは何ですか?」

 

 バイジュウが研究室に入った時、そこにいる一人の男性研究員からようやく言及される。

 そこでバイジュウは少し胸を張って、自慢するように言った。

 

「願掛けですよ。ナウくてヤングでトレンディだと思いませんか?」

 

「ナウくてヤングでトレンディなら、ナウくてヤングでトレンディなんて言葉は使いません」

 

「それに願掛けって……今時らしくありませんよ。『魂』のエネルギー研究の成果を願うなら、成就とか達成の方がいいんじゃないんですか?」

 

 女性研究員が発した単語——『魂』のエネルギー。

 これこそがバイジュウが今この研究センターにいる理由だ。

 

 バイジュウは体温維持・完全記憶能力・超人的な暗算能力・光の粒子の放出……と様々な特異体質と能力があるが、『OS事件』の時にレンと触れ合ったことで新たな力が目覚めたのだ。

 

 それは『魂を認識する』能力——。ある意味ではソヤの共感覚にも近い。

 これによってバイジュウは世界に新たな法則があるのを確信し、この研究センターで実現しようと、世界を渡り歩いている時に取得した博士号を駆使してSIDの監視の下で所属している。

 

『魂を認識する』——。その言葉に嘘偽りも齟齬もない。

 

 世界中には様々な人の『魂』が渦巻いており、誰かが誰かを思う時にその人の『魂』が触れ合い、繋がりを求めようとする力をその目で見えるのだ。

 それは無限大に広がっていって、新たな次元へと昇華する瞬間を街中を眺めれば驚くほど体験できる。

 

 それが最も強く感じたのは『OS事件』での一幕、レンとの繋がりを持った影——。あれこそ『魂』が新たな次元へと昇華されて、たどり着いた一種の果て。

 

 それによって……バイジュウは一つの考えを得る。

 私の『魂』も彼女を思い続け、繋がりを求めようとすれば、いつかはたどり着けるのではないかと……。

 

 

 

 ——私ならね……好きな人を救う。

 

 

 

 そして今度こそ言わなければならない。

 

 

 

 ——次のクリスマスまでには少し早いけど、私が予約を入れてもいいかな?

 

 

 

 今まで伝えたくても伝えられなかった言葉を。

 

 

 

 ——ほら笑って。

 

 

 

 その言葉が誇れる自分であることを、胸を張って笑える自分であることを。

 

 そのためには——生きるしかないのだ。

 

 

 

「私が何より願うのがこれなんです。……生きてさえいれば、どんな失敗も、どんな苦境も、どんな過ちも…………いつか笑い話にできますから」

 

「そんな前向きなネガティブやめてくださいよっ。研究者たる者、成功や実在を証明することが生きがいなんですから!」

 

「ええ、ですからバイジュウ博士の研究は私達の手で絶対成功させます! 何年かかろうと失敗や過ちなんてことはありませんっ!」

 

 二人の研究員の言葉は、バイジュウにとって嬉しい物であった。こういう些細なことも、彼女に伝えなければならない——。バイジュウはそれを胸に今も生き続ける。

 

「諸君、紅茶淹れ終わったよ」

 

 備え付けの台所から青髭が少々残る男性がバイジュウの横へと歩み寄る。バイジュウが所属している霊魂研究部門の主任『ヴォルフガング教授』だ。

 誰にも自然体で、そよ風に仰がれる草のように掴みどころがない教授だが、霊魂研究において派生した成果において様々な実績と特許を取得しているというその道の権威として有名な人物であり、バイジュウとして学者の一人と大変興味深いこともあり、この部門に所属されることは非常に喜ばしいことではあった。

 

「教授、僕のレモンティーにはシロップと氷くださーい」

 

「私のアップルティーには砂糖だけください」

 

 二人の研究員は教授の立場など知らんと言わんばかりに、遠慮なく自分達の要望を伝えていく。

 

「少しは年寄りを労りたまえ」

 

「いいじゃないですか。秋も冷え込んだこの頃、色恋沙汰も運動もない研究員にとって、こういう優しさという温もりを感じないと凍死するんですぅー」

 

「それとこれとは別問題です。おっと、バイジュウ君は何を入れるかね?」

 

「そうですね……」

 

 何気ない教授達の会話を聞いて、バイジュウはふとある事を思い出した。

 

「でしたら——」

 

 それは『彼女』と出会ってから少し経ってからのこと。

 

 

 …………

 ……

 

 

 大学教授の金庫番号を教えた波乱の出会いから初めての秋模様。特に何かをするわけでもなく、バイジュウは冷淡に自身の研究と学問に明け暮れ、彼女は引き続き目的がある様子で大学生活を満喫していた頃。

 

「今年の秋も最後なんだね〜。今年はバイジュウちゃんと会ったり、色々とあったけど……う〜ん、実にアレだね。何一つ秋っぽいことしてないっ!」

 

 ある日、終わりを告げる秋模様を楽しもうと彼女に誘われて、バイジュウは街中のベンチで本を片手にマイペースに過ごす。

 

「私は読書の秋を楽しみましたけど……」

 

「私はバイジュウちゃんとの思い出を作りたいの〜〜〜〜!! 読書で思い出作ろうとしたら、図書館でバニーガールになるぐらいしかないじゃ〜〜んっ!!」

 

「出禁になるので止めてください」

 

「げっ……。バイジュウちゃん激おこプンプン丸?」

 

「プンプンです。バイジュウちゃん、激おこです」

 

 わざとらしくバイジュウは怒り、彼女は「ごめんよ〜」とこれまたわざとらしく涙目になりながら、バイジュウへ抱きつきながら謝り続ける。

 

 これがバイジュウと彼女の関係だ。自分たちの距離感が誰よりも理解しているからこそ、気兼ねなくふざけるし、他愛のない会話も楽しくてついつい付き合ってしまう。

 

「…………くしゅん!」

 

「えっ、風邪? せっかくの休みに風邪なんか引いたらもったいない! どうするマフラー巻く?」

 

「誰かが噂をしてるだけです。……体質のことは覚えてますよね?」

 

「あったり前じゃん! 私がバイジュウちゃんのことについて忘れるわけないじゃん!」

 

「ですから平気です。私が風邪を引くことは…………ちゅんっ!」

 

「四六時中薄手の白いワンピースで、くしゃみ連打されたら説得力ないね…………。ちょい待ちな、嬢ちゃん……」

 

 彼女はベンチから腰を上げて、目の前にあるコーヒーショップに駆け込む。屋外から持ち帰りができる構成となっている店であり、バイジュウの目からでも分かるくらい、テキパキと迷いなく彼女は注文を始めるのが見えた。

 

 ……私、コーヒーは苦手なんだけどなぁ。

 

 バイジュウはそう考えると、彼女は自信満々の笑顔で二つの保温用カップ持って戻ってきた。

 

「お待たせ! バイジュウちゃんコーヒー苦手だったよね? だから別のにしといたよ〜♪」

 

「そんなことまで覚えていたんですね」

 

「何度も言わせんなって〜♪ 私はバイジュウちゃんのことなら忘れるわけないし、ずっと側にいるんだからそれぐらい分かるって〜♪」

 

 そう言いながら彼女は温かいカップを差し出してきて……。

 

「ほら、あんたの——-」

 

 

 ……

 …………

 

 

「……『ミルク』を一つお願いします」

 

 秋空のアフターヌーンティー。

 

 見上げた空は19年前と変わらずに、ただ気ままに流れ続ける。

 

 思い出は色褪せることはなく、今日も景色を彩ってくれる。

 

 宇宙も、海も、星も、花も、命も、魂も。

 

 

 

 

 ——あなたは海が『何色』に見えますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未来の変革を確認。

 情報の再度収集と更新を開始。

 

 

 

 

 

 …………? 

 

 

 

 

 情報生命体『星尘』との通信が途絶。

 情報生命体『海伊』との通信が途絶。

 

 

 

 

 …………情報不足。推測不可能。観測推奨。

 

 

 

 

 ……………議論終了。

 これより私は絶対中立という役割を破棄する。

 

 

 

 

 

 ソレは無表情で本を閉じる。

 散乱された本の数々を足蹴にして、青く広がる球体を見つめた。

 

 球体と鏡合わせのようにソレは見つめ合い、やがて青くて無機質な瞳が生まれる。瞳が瞬く時、ソレは最初からそうであったように小柄な少女へと姿を変えた。

 

 

 

 

 

「■■■——。□□□——。gんg——。げんご——。ゲンゴ——。言語——。よし、これでいいな。出力完了」

 

 

 

 

 

 少女は青く広がる球体——。

 『地球』を眺めながら、宣戦布告のように言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は『■■■■』。プレアデス星団の観測者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 くぅ〜疲れましたw これにて完結です!

 ……って一昔前のSSで流行っていたイメージが抜けないこの頃、とりあえずは第一章【深海浮上】は完結しました。

 たくさんの感想、お気に入り、評価などをくださった方々に感謝と謝罪を伝えます。
 ネタバレ防止のために感想の返信は一度客観視して、客観した文章をもう一度客観視して問題ないなら返信という形を取っていたため、感想に対する自分が伝えたい思いが非常に淡白になっていました。

 評価に関してはどんな評価であれ嬉しい限りです。高評価ならば評価してくれた方の感性に響いて嬉しいと感じましたし、低評価ならば魔女兵器の世界観を伝えきれない自分の未熟さを感じて一層精進しようと頑張りました。

 詳しい補足についてはマイページの『活動報告』に記載してますので、ご興味がある方はどうぞ。


・今後の更新について

 現在テロップ自体の製作はしている……。というより実は根本自体は第一章製作前から出来ています。その名残が最初にあったりします。
 ただ、これだとキャラは全員登場せず、後の事を考えると二次小説から興味を持って初めて見た人には、個性的な魔女兵器キャラに二章、三章と突如出てきて脳が破壊される恐れもあるので、一度保留になり『深海浮上』を改めて作りました。結果的に現在繋がりがある魔女達はほとんど出せて一安心です。

 そんなわけで現在執筆中です。予定では第二章は15〜20節ほどで、10節くらいストックができたら更新を再開します。資料とかを調べたりと並行作業するので、恐らく半月〜一ヶ月ほどかかると思われます。大体10月くらいを目安にしていただけたらと思います。

 それまでの間は気分転換に書いた番外編や、ゲームの『少女と皇帝』のようなショートストーリーなどをちょくちょく更新して行けたらと思いますので、今後ともお暇な時間にでも流し読みして頂けたら幸いです。



・最後に

 次回のタイトルは第二章【神統遊戯】(仮名)を予定しておりますのが、その前に第一章後日談のショートストーリー【少女と偶像】を緩〜〜〜く書きますので、今後の更新をお楽しみくださいませ。そちらに関しては多分4節ぐらいになります。

 今後も日本版『魔女兵器』のサービス再開や展開、中国版での本格的なサービス展開なども含め読者皆様の二次創作活動なども魂から願いつつ、一度筆を置きます。

 それでは…………ノシ。


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閑話① 【少女と偶像】
第1節 〜仮想と偶像〜


【予定】全4節

9月24日→第2節投稿
9月31日→第3節、第4節投稿


《ヨーヨー、Yohtube(ヨーチューブ)! 新時代Vtuber姉妹の〜〜〜》

 

《スターダストと》

 

《オーシャンです!》

 

《今回実況するのは大人気ゲーム『Fall Girls』です。端的に言えば敗者の山に勝者が一人佇む弱肉強食のゲームです》

 

《もちろんお姉ちゃんなんかに負けません! ……ファッキュー! 私の尻尾返せぇー!》

 

《ゲームにムキになっては…………クソカス野良チーターがぁあああああああ!! チーターならせめて走れ! 空飛んでんじゃねぇ!! 落ちろ蚊トンボがぁ!!!》

 

 

 …………

 ……

 

 

《うんうん……♪ 中々にエモ〜い感じの姉妹だね……♪》

 

《私、『高崎明良』はここに宣言しますっ! この姉妹とコラボをするということをっ!!》

 

 

 ……

 …………

 

 

「なんだこれ……」

 

「なにこれ……」

 

「なによこれ……」

 

「なんじゃろねこりゃ……」

 

「キリマンジャロコーヒー……」

 

 最後は意味わからない。俺、アニー、ラファエル、シンチェン、ハイイーと順にテレビに放送されてるワイドショーの企画の一つ『今日の秋良ちゃん』を見て思ったことを各々口にしていた。

 

「紅茶淹れ終わりました」

 

 そして俺達が屯してる家の主、バイジュウがトレーを持って入ってきた。トレーには色とりどりのマグカップが6個置かれている。そのうち二つは耐熱性プラスチックカップであり、その二つをシンチェンとハイイーの前に置いた。

 

「はい、シンチェンとハイイーにはキャラメルミルクティーです」

 

「ありがとー」 

 

「ありがとー」

 

 輪唱するように二人はお礼を言う。順に俺達の分も置かれていき、各々自由な分配で砂糖やミルクを掻き混ぜる。

 

 現在、俺達はバイジュウの私室で寛いでいる状態だ。変に凝ったインテリアとか一切なく、壁という壁には本棚が設置されており、その全てが本のみで埋め尽くされている。

 しかもそれだけでは飽き足りず彼女が普段使うベッドの横や枕元にも山積みとなった本の数々があり、少しズボラなところがあるのが窺える。とはいっても埃は全然ないし、テーブルも本があること以外は小綺麗に纏まっているものだ。視界に煩い存在を放つものがなく、換気窓もほどほどに風が入るものだから眠気が来るほど心地よくて、穴場の図書館や放課後の教室という印象さえ受ける。

 

 そんなバイジュウの部屋に集まっている理由に関しては…………。

 うん………………先日、返却された美術テストにて赤点ギリギリの成績を俺は叩き出したのが原因だ。それに危機感を感じたラファエルが我らのマリル様と直談判。了承を得て「ついでに他の成績も見てもらえ」ということで学者肌であるバイジュウの家で勉強会をすることになったのだ。

 

 そしてラファエルから美術、歴史、生物学を教えてもらったところで疲労が爆発した俺は休憩を希望。どこぞのギターアニメみたいに、何とかティータイムと洒落込んだわけだ。

 

 だという時に、知っている顔ぶれが知らない間にVtuberを名乗り、知っているアイドルが意味不明なことを言い出したら、それはティータイムの混乱の渦に呑まれてしまうのは必然なのだ。

 

「スターダストさんとオーシャンさんと一緒に……」

 

 バイジュウは自分の分であるミルクティーを口にしながら呟いた。

 

「う〜〜〜〜〜〜ん。いや〜、売れっ子の秋良ちゃんがコラボする自体は不思議じゃないんだが…………そもそもとして何でVtuberやってるの、あの姉妹ッ!?」

 

『OS事件』から一週間、ある程度のことはマリルから聞いている。

 あの姉妹は情報生命体という一次元ほど違う存在であり、彼女達に生身というものは存在しない。協力する理由も、情報を収集する時に下手なトラブル沙汰は起こしたくないということ。そしてシンチェンとハイイーを…………どういう形であれ干渉できる繋がりがあるということ。

 

 そこまでしか俺は聞いていない。俺だってもう少し詳しいことを知りたいと言ったが、それ以上のことは知る必要がない、とマリルに一蹴されてしまったのだ。

 

 まあ難しい話は聞いても通り過ぎること多いからな……。マリル達でさえ理解できてない雰囲気はあったし、そこに俺が割り込んでもチンプンカンプンなのは間違いない。

 だから、とりあえずは『すごい存在』として認識してはいたけど……。

 

 ……それがVtuber言ってるの見たら困惑もするだろう!?

 

「外の世界に興味あるとは言っていたし、自分達なりに繋がろうとした結果じゃない?」

 

「いつかスパチャで投げ銭守銭奴として染まるんでしょうね……」

 

「ラファエル、配信者全員がそうであるように聞こえるんですけど」

 

「そう聞こえないなら小学生から道徳と国語の授業をやり直しなさい。けど貶してはないわよ。むしろ金に溺れるのは金を持つものしかできない特権であり義務。守銭奴全開で金を撒き散らしたほうが金回りが良くなっていいのよ」

 

 ラスボス系お嬢様はいつもの超然とした態度で紅茶を優雅に飲む。

 

「見てみてレンちゃん。あの姉妹『星之海』ってグループ名でチャンネル作ってる。ゲーム実況どころか歌ってみたとかやってる……」

 

「活動から一週間しか経ってないのに再生数が全部50万超えてやがる…………」

 

 今の再生数は昔と違って七年戦争の影響で利用者数が減少してるため、ほぼ倍の100万再生と思った方がいい。

 

 …………俺が気まぐれでゲーム実況あげた時なんか再生数31回で、低評価が二つついて速攻で心折れたなぁ。

 

「姉妹でトークしてるから実況しながら場を繋ぐのがスムーズだったり、クロストークをしないから聞き取りやすいし、そもそもゲーム自体もそこそこ上手い……というかレンちゃんみたい」

 

「歌ってみたも歌詞の内容に触れないでおくけど、普通に歌の技術もプロ級ね……あの二人本当にただの情報生命体かしら?」

 

 ただの情報生命体って何だよ。情報生命体の時点で超常だわ。

 

「あの〜〜、一つ聞いていいですか?」

 

「いいよバイジュウ。どんなこと?」

 

「Vtuberって何ですか? Yohtuberなら知ってるんですけど……」

 

 世界が凍てついた。まるでVHSやビデオデッキが伝わらない昭和世代に俺達は固まってしまう。今回の場合は逆ではあるのだが。

 

 そこで思い出す。バイジュウが19年間も眠り続けていた。遅れた知識を取り戻すために彼女は見聞を広めに世界中を回ったが…………確かにこういう娯楽系まで手を出すのは難しいかもしれない。

 

「そうか……19年前だと2018年か……」

 

 その時だと…………まだ黎明期か。Vtuberの歴史は2016年からアイキズナを中心として活動が盛んになったけど、流行語大賞となって本格的に表に出始めたのは2018年から2019年あたりだ。確かにその時なら今やメジャーとなったVtuberという単語も聞き覚えがないのも仕方ない。

 

 …………異質物の研究が盛んになったのもその辺りだったよな。OS事件での音声データでも、ドルフィンがジョーンズ博士が再発見云々とか言っていたし。

 

「う〜〜〜〜ん。どう説明すればいいのかなぁ」

 

「そう悩む必要もないわよ。新しい表現方法の一つ、といえば簡潔に済むわ」

 

 我らのラファエルが説明を始めた。

 

「ある著名人が口にしたわ。Vtuberとは性別や障害といったハンディキャップを乗り越えて、誰もが活躍できるデジタルサイボーグ的な存在だと。これは間違いじゃないわね。ボイスチェンジャーやモーションセンサーも高性能化して男女問わず何にでもなれてしまう、もちろん動物にでもね。これは情報社会において自分の『肉体(リアル)』を晒さずに『魂(アイデンティティ)』を表現するという意味でも非常に都合が良いのよ」

 

「…………随分詳しいっすね」

 

「芸術とは現代の価値観と常に向き合うものよ。私自身バーチャルを介して表現するのは性分じゃないけど、表現としては面白いものよ。…………だってねぇ?」

 

 俺を見ながらラファエルは意味深に笑う。……言いたいことが分かるのが、随分と長い付き合いになったことを実感する。

 

「まあその程度よ。根本的なものはYohtuberの基本から一切離れていない。『なりたい自分になれる』『制約を乗り越えることができる』ということはトランスジェンダーやデミ・ヒューマンから解放されて大らかに活動できる意味を持つ。…………そういう自由になった自己を表現することで『自分を好きになる』という人種も多いわ」

 

「自分を好きになる?」

 

「アイデンティティを確立させるのは、何よりも自分が自分を好きになることよ。我思う故に我あり、とでも言っていいわね」

 

「自分が嫌いでも、自分を好きになってくれる人がいれば確立できるんじゃないの?」

 

 映画でもよくあるし。

 

「お前は自分の嫌いな教師の話を真面目に聞く? それと同じで自分で自分が嫌いな人間は、何を思っても何を好きになっても、嫌いな自分を通して見てしまうから結果的に何も関心を抱けない。アンタの例題は恋人をキッカケに自分を好きになるハートフルストーリー…………アンタには無縁なものよ」

 

 お気楽な能天気で良かったわね、とでも言いたいのか!?

 

「だから宗教というのものはある……。自分の価値を絶対的な何に委ねることで楽になる。その『何か』は別に神様じゃなくていい、芸能人やアイドルでも問題ない。ある意味ではその偶像を自分に投影することで自己を保つのがVtuberとして一面でもある」

 

「まあここまでいくと、もっと根本的な問題になるから本題とは無縁ね」と言ってラファエルは紅茶を口にして話を終わらせた。

 

「こんなところかしら……」

 

「人間の心理というものは解放的になっているのに、根本的な『魂』は一切変わらないんですね……」

 

「…………『魂』が不変だからこそ人間は2000年以上も文明を維持できてる。悲観的に捉えることでもないわ」

 

 …………一つ言っていいか。

 

「アニー、俺はこの話についていけてない……」

 

「私もだよ」

 

「偶像とはいったい……うごごごご」

 

「わたしは、ネオハイイー。すべての記憶、すべての存在が永遠に分からない……」

 

 こんな無能なラスボスは嫌だ。

 雑談をし終えるとCMが終わり『今日の高崎ちゃん』の後半が始まる。

 

《はい! というわけで本日は新豊州の学区にあるライブハウスに来ています! こちらでライブを行う予定となっておりまして、詳細は下のテロップで…………スタッフさ〜ん! テロップ出てないですよ〜!》

 

 この身体になってから高崎秋良ちゃんのライブや推し活もしなくなったよな……。SIDの任務とかで忙しくなったのと、毎日女の子生活の気苦労、それに俺個人のネット購入履歴はマリルに筒抜けなせいでタペストリーやアクリルスタンドなどのコレクション性が高くて部屋の中で嵩むものがが手元に置きにくいのもある。

 今の俺にできるのはジュースなどのコラボ商品、キーホルダー、ダウンロード販売の楽曲を購入するぐらいだ。収納スペースって残酷だよね。

 

《物販も選り取り見取り! ライブハウス限定のペンライトに、先行発売のコメンタリー付き写真集などもありますので、是非皆さまお越し下さいませ! またクリスマスライブパーティのチケットも現在予約受付中! 今年の聖夜は私と一緒に歌い明かそうッ!》

 

 クリスマスライブって2ヶ月以上先だな…………余裕があれば行きたいんだよな。

 

《では最後に今日の運勢です! 今日の主役となるラッキーな人は…………乙女座ですッ! 特に金運がいいね、占い結果によると…………うん! なんかいい感じ!》

 

「漢字読めてないのかしら?」

 

《えっ? ええっと…………本当ですか!? 皆さんコラボに対するコメントありがとう! おかげでトレンドに乗りました!》

 

「露骨にカンペ見たわね」

 

 ラファエルはそう言いながらスマホを操作して「本当にトレンドにいるわ」と呟く。俺もすぐさま確認すると、トレンド一位には『星之海』が出てくる。

 

 続いて『秋良ちゃん』『高崎秋良ちゃん』『#星之海コラボ』とかが出てくる。

 

 ……って待て!? この星之海コラボって何!? こんなタグ付け番宣してないぞ!?

 

「ソシャゲで実装されるみたいだよ、星之海姉妹。性能は環境崩壊待ったなし、とか言われてるね……」

 

「チャンネル作ってから一週間だろっ!? モデリングとかどうなるんだよ!?」

 

「大丈夫じゃない? あのパズルゲームだから絵さえあれば性能調整するだけだし。ほら20コンボ強化が五つあるよ。単体で759,375倍だよ」

 

「げー、しかも二人をリダフレにすると全パラ補正25倍、コンボ合計10加算、デバフ系目覚め無効、毒ダメと爆弾ダメ無効、固定追い討ち10億ダメ、ダメ超激減、50,000以上回復したらあらゆる状態異常全解除とか壊れじゃん。攻撃力10,000倍とか書いてるけど、これ全パラ補正も合わせると実質250,000倍だし……実質コンプガチャじゃん」

 

「インフレすごいけど、これ回復手段を無効にして覚醒とスキル無効に、さらにフレンドリーダースキル無効の攻撃くらうとかいう弱点あるよね……」

 

「皆さまの話題についていけません……。私の時は256倍の攻撃倍率だった気が……」

 

 しゃーない。年齢の逆算から言えばバイジュウは30代半ばの感性と噛み合う世代だ。今時のぶっ壊れ具合は当時のビット数の都合も解消してダメージ上限増えて、それに伴って相手のHPもこちらの火力も何千倍以上も差が出てる。

 

「これが人気キャラに対する贔屓ね……。既存のキャラが滅茶苦茶じゃない」

 

「金の力でシステム組んで楽してるお嬢様が言っていいセリフじゃねぇ……」

 

 こんな緩い感じで俺達の当たり障りない休日は過ぎていく。

 

「おまたせ〜♪ 検査通院からエミリオが帰ってきましたぁ〜!」

 

「ほら土産だ。じゃがりことかカントリーマアムとか手が汚れにくいのしといたぞ」

 

 ここでSIDの配置によって我らの御桜川女子高校に留学という形で入学してくるエミリオとヴィラがやってきた。理由は俺と似たようなもので、今後の学校生活において成績が追いついていけるかの再確認だ。

 

「ここらで休憩もお終いにしましょうか。女装癖の頭も締め直さないといけないし」

 

「ラファエルも私の学力見てよね〜♪ 同学年なんだから♪」

 

「私が世話役するのは女装癖だけで勘弁したいわ。ニュクスにでも聞きなさい」

 

「じゃあ、レンちゃんと合わせてヴィラの分だけでも!」

 

「おい、エミ。別にラファエルに見てもらう心配はないぞ」

 

「ダメよ。学力に問題なくともコミュニケーション支障があったら学校生活も楽しめないわよ? ヴィラはレンちゃんと同学年だから、ここは胸に飛びかかる勢いでラファエルのことを先輩って呼ばないと! もちろん私にも!」

 

「先輩呼びはエミだけにさせてくれ……」

 

「私は先輩って柄じゃないわよ」

 

「えっ、でもレンちゃんには呼ばせてるよね?」

 

「それは立場の違いとして分かりやすい敬称よ」

 

「エミさんとヴィラさーん! 何が飲みたいですかー!」

 

「じゃあ炭酸系あったらお願いするわ!」

 

「アタシはバイジュウにおまかせしとく!」

 

 姦しいとは文字通りこれだな。この場合、姦姦(かしま)しいって書く方が正しいけど。

 

 まあ、これからも和気藹々とした日常は一層厚くなっていくのだろう。バイジュウは御桜川女子高校ではなく、一人だけ目的があるから大学の研究機関に行くみたいだけど……。それでもたまの休日に集まって戯れれば、それだけで輝かしいものになると思う。

 

「————ん? 電話だ。……はい、アニーです。……うん。……うんうん、了解。じゃあ今からレンちゃんに変わるね」

 

 突如としてかかってきた電話。アニーにかかってくるのは大抵SID関係者からであり、恐らくはマリルか愛衣のどちらかがだ。そして急な依頼が発生して……というのがよくあるケースだよな。

 だからアニーの表情は少しずつ険しくは…………ならない。というより嬉しそうな雰囲気すら湧いている。

 

「もしもしマリル? 今変わったけど俺に用事ってどんな——」

 

 そんな調子だったから、俺も特に警戒心などもつことなど電話を受ける。

 だからマリルが今から話す内容が、目玉が飛び出すほどの驚くものであるという認識や覚悟さえ持っていなかった。

 

『緊急のお仕事だ。…………憧れのアイドル、高崎秋良と出会えるぞ』

 

 …………マジ?



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第2節 〜憧憬と夢想〜

カレンダー見たら9月31日なんてないじゃない!

……というわけで9月30日に第3節と第4節公開するように予定変更です。


「わたくし『studio imagination define』所属のマネージャー、ベアトリーチェ• ポルティナーリと申します。こちらはわたくしが担当しているタレントの…………」

 

「レ、レンと言います! きょ、今日はよ、よよよ、よろしくお願いしましゅ!!」

 

 やべ、噛んだ。

 

「よろしくね〜レンちゃん♪ 私は高崎明良! 今日は一緒に頑張ろうッ!」

 

 俺の手を秋良ちゃんが握ってくれる。

 

 ————ほわぁあああああああああ!! 幸せが心の底から漲ってくるぅ〜!!

 

「う〜〜ん…………。レンちゃんどこかであったことある?」

 

「い、いや! ありません!」

 

 せいぜい男の時に握手会やサイン会とかで数十秒話したぐらいです!

 

「彼女はいま事務所一推しのタレントでね、色々なコマーシャルでイメージガールとして出てるからその影響じゃないかしら」

 

「あぁ〜! そういえば電池のCMとかで見たことあるかも!」

 

 そんなわけで現在俺は彼女がいる轟(とどろき)スタジオへとお邪魔している。

 

 事情を話すとまあ非常に下らないというか、なんというか…………。自由に放置していた星之海姉妹ことスターダストとオーシャンが秋良ちゃんとコラボするを二つ返事で姉妹が勝手に了承。その帳尻合わせで俺とベアトリーチェがこうして彼女と直接対面して話すことになったのだ。

 

 とはいっても俺はあくまで秋良ちゃんとの話し相手で、本命はコラボの出資者となるスポンサーとの対談だ。スポンサーが『男性』であることはSIDは既に把握しているので、穏便な『話し合い』のためにベアトリーチェの『交渉術』を期待して呼んだ……そんなところだ。

 

 ……話し合いとは上手く言いくるめてるよな。無自覚な洗脳(魅了)は果たして話し合いと呼べるのだろうか。あまり深く考えないでおこう。

 

「じゃあ私は関係者各位に挨拶してくるから、後は段取り通りお願いね」

 

「わかりました!」

 

 ベアトリーチェは妖しいウインクを一つすると、待合室からヒールの音を響かせながら自分の職務を全うしに行く。

 

 流れる沈黙。未だに握られている秋良ちゃんの手はアニーやラファエルとは違って………………違って…………どういえばいいんだ? 

 ラファエルみたいに品やかな感じではないし、アニーみたいにタコだらけでもない。かといってマリルみたいに大人びた感じもないし、イルカみたいな幼い感じもない。

 

 今まで感じたことがない感触…………。何て言うんだろう。

 

「…………レンちゃん、本当に女の子?」

 

「うぇ!? お、俺はどう見ても女の子だろう!? ……いや、女の子だよ!?」

 

 突然とした秋良ちゃんの質問に俺は語尾を取り繕う余裕もなく返答してしまう。そんなおかしな俺の反応に、彼女は「クスクス」と微笑した。

 

「ごめんね、変なこと言っちゃって。レンちゃんの仕草とか顔とか手とか触って何となくなんだけどね…………ライブを見に来た男の子っぽいと思っちゃったんだ」

 

 合ってます。寸分違わず合っております。

 

「でも不思議だなぁ、君には本当に初めて会った気がしない。私はファンの顔とかなるべく覚えるようにしてるんだけど…………会ったことあるのに、会ったことがない不思議な感じ…………」

 

 そうですね。確かに『男』の時は1ファンとしてライブでサイリウム振ったり、握手会が触れた手が嬉しすぎて三日間手を洗わなかったりしましたけど、いま現在『女』の状態で会うのは今日が初めてです。

 

 ……なんて、口が裂けても絶対言っちゃいけない。

 

「まあ、今日は一緒に頑張ろうか! 今日の予定はどんな感じで組まれてるの?」

 

「えーっと……午前中は撮影が中心だね。後で合成するけど、俺はスターダストやオーシャンのモデルとして高崎さんの週刊誌などの特集用写真を撮ったり、俺個人としては新豊州の音楽を纏めたベストアルバムのジャケット撮影とか……」

 

 こうして午前最初の撮影が始まる。

 とはいっても、その重労働は俺が今まで体験したどんな仕事よりも充実で疲労が溜まるものだったと断言させていただく。

 

 

 …………

 ……

 

「秋良ちゃん、もっと大袈裟に笑っていいよ〜。Vtuber相手だとどうしても2.5次元に合わせる必要があるから、わざとらしいくらいの方が合いやすいからね〜」

 

「は〜い! じゃあ、こう指で口角を上げるのとかどうですか?」

 

「ナイスアイディア! だったら口角をピースサインで上げようか! 新豊州限定の写真集だから海外メディアには注意する必要ないし。あっ、レンちゃんはオーシャンみたいに活発乙女全開で片足を全力で曲げていいよ〜。スカートが捲れる恥じらいは分かるけど、どうせポーズを基に合成するからパンツは晒されないし」

 

「は、はい!」

 

 ……

 ……

 

「レンちゃん、もう少しお淑やかな感じで秋良ちゃんの肩に寄り掛かることできない?」

 

「これ以上ですか!?」

 

「これ以上って言っても腰引けてるからね……。スターダストをイメージして……一見大人しそうだけど、どこか隠しきれない妹と似た活発というか活力に満ちたポーズ……その辺をね」

 

「どんなん……?」

 

「頑張ろう、レンちゃん!」

 

 ……

 ……

 

「さあ、続いて単独でジャケット撮影だ。まずは秋良ちゃんから。今回はアルバム初回限定版の特典としてアルバム内の何曲かのイメージに合う写真撮るからね。最初はクール系とかにする? スイッチ入る?」

 

「ふぅ〜…………。——はい、大丈夫です」

 

「流石秋良ちゃん♪ ツインテも解いて一気に大人っぽくなったね……。けど、絵として寂しいからもう一つ小物とかでアクセント欲しいなぁ〜」

 

「ギターを抱く感じでいいですか?」

 

「抱くというより、撫でる感じのほうがいいかな。……レンちゃんの撮影で準備した廃材の大型スピーカーあるから、そこに背を預けてとかしてみる?」

 

「分かりました」

 

 ……

 ……

 

「いいねぇ、レンちゃん……さっきまでとは雲泥の差だね。見た目に反してクール系なビジュアルが似合う似合う♪ 男の子っぽい雰囲気もそうだけど、こういうのに憧れてたり?」

 

「はは、そうっすね……。ところで、このほぼパンツ同然のホットパンツ何とかなりません? こう左足を顔より高く上げると見えそうで……」

 

「それはマイクロミニショートっていうの。それにカメラの位置を調整して右腿で鼠蹊部が隠れるようにしてるからいいでしょう。…………ここまでイメージに合うと思ってなかったし、追加オーダーしてもいいかな?」

 

「どんな感じですか?」

 

「足のポーズはそのままで、右肘をスピーカーの上に乗せて左手はマイクを上向きに持ち上げようか。こうすれば一層ダーク系な絵になるはず……あっ、ついでにフードも深く被ろうか!」

 

「キッツイな、この姿勢ッ!?」

 

 ……

 …………

 

 

「一度休憩入りま〜す! 一時間後に撮影再開です!」

 

「お疲れ様で〜す!」

 

「でーすぅ……」

 

 かたや元気溌剌な秋良ちゃん。かたや呼吸困難な俺。バイタリティの差が如実に出ている。やっぱりこういうアイドル系の仕事をしている人って、根本的な体力というか活力が違いすぎる……!

 

「高崎さん凄いですね……。俺なんかもうヘトヘトで……」

 

 別に特に激しい運動をしたわけでもないのに、昼食時間でさえ俺は固形物を飲み込むほどの余力はなく、お茶を口に入れるぐらいしかできない。だというのに彼女は予めて購入していたコンビニ袋からおにぎり、スナックバー、サラダチキン、果汁ジュースなどが色々出てきては口の中に納められていく。

 

「はむはむ…………。こうでもしないとエネルギーが持たないからね。今は忙しい時期だからCD収録やライブの打ち合わせ、テレビ出演、星之海コラ……それに来週にはMV撮影で地方に行かないといけないしね……。練習も疎かにするわけにはいかないから、この空き時間で少しでもギターに触りたいし」

 

 秋良ちゃんは手早く昼食を済ませてウェットティッシュで手を拭くと、宣言通りギターを持って機材に配線を繋ぎ始める。弾き語りみたいなことをするのかと思いきや、ヘッドフォンを付けるとギターの単音を出しては弦に触れてと何かしているようだ。

 

「何してるんですか?」

 

「チューニング。これで弦を調整して音の基盤を作ってから演奏しないと、他と合わせた時に不協和音とかが起きるの」

 

 彼女は手のひらサイズの機材をを見つめながら応える。……そうか、あれがよく単語だけ聞くチューナーというやつなのか。チューナーで何かしらのデータを見て音を調整……つまりチューニングするというわけね。

 

「へぇ〜、ギターってそんなことするんだ……」

 

「そう♪ …………うん、これでいいかな」

 

 そうして彼女は本格的な練習を始める。目を瞑り、足でリズムを刻みながら指の感覚だけで弦を弾いて音を奏でる。耳を澄ませば鼻歌で歌を歌っている。思っている以上に本格的だ。

 

 一曲を演奏し終えて彼女は深呼吸を一つする。神経を再集中させて再び指を弦に当てると、今度はまた違った音が室内に響いてきた。

 

「音変わったけど大丈夫!? そのチューニングというのズレたりとか……」

 

「ん? 変わってないよ? 変えたのはこっち♪」

 

 焦る俺に、彼女は平常心のまま指で摘んでいる三角形の小物を見せてくれる。

 

「これはギターを弾くのに必要な『ピック』っていう道具なの。ピックだけでも色々な素材と形があってね、今使っているのはウルテム製のティアドロップのHARD。さっき使っていたのはカーボン製ティアドロップのHARD」

 

「ティアドロップ? HARD?」

 

「形のこと。これは涙みたいな感じをしているからティアドロップ。他にもトライアングルとか指につけるフィンガーとかある。HARDはピック自体に厚さのことで、これらがどれか一つでも変わるだけで音も変わるよ」

 

「うそっ!?」

 

「これが本当なんだ♪ それどころかアコースティックギターは製作した時の素材だけで大きく変わるからね……同じように弦とかでも……。ほら、SNSとかでさ色々なコップに水入れて音を奏でるの見たことある? あれと原理は似てるの」

 

 それなら見たことある。コップの縁に指を滑らせて音を出したり、水量が違うコップを箸やスプーンや爪とかで叩いて演奏するやつとかあった。

 

 あぁ……そう考えるとイメージしやすい。ピックは箸やスプーンで、コップの材質や水量とかがギターの素材やチューニングみたいなものになるのか。

 

「まあ、エレキギターも周りの音も吸い込むし機材の繋がりで色々できるけどね♪ 例えばピックじゃなくてこういうので弾いたりもできるよ」

 

 次に彼女が取り出したのは片手で持てる電動ドリルだ。とはいってもギター用に改造されており、先端にはドライバーではなく歯車の形をしたプラスチックカバーが取り付けられている。

 

「これはモーター音とかも反映するから、単音連続で出しながら演出したい時に使ったりするかなぁ……」

 

 そう言いながら彼女は電動ドリルの引き金を引いて「ウィイン!!」と豪快に回るモーター音と共に、人間業では不可能と思われるエレキギターの単音が連続してスピーカーから聴こえてくる。

 

 だけどその音に違和感を感じた。確かにモーター音と一緒に聞こえてきたが……実際に唸っておるドリルの音と、スピーカーから流れる音に分かりやすいぐらい違いがある。

 

「気のせいだったら申し訳ないんだけど、実際の音とスピーカーから聞こえる音って違う?」

 

「違って大正解。だって今はこのエフェクターっていうの繋げてるもん♪」

 

 今度は足先でスピーカーの前にある機材を指し示す。板型の基板には多種多様のスイッチやダイヤルが付いており、まるで配電盤を複雑怪奇にしたようだ。

 

「それはマルチエフェクターって言って、一つで色んな効果音や加工が施せるの。ディレイとかリバーブとか…………たまにだけど、意図的にノイズだして音楽の狂乱性を演出したりとか色々できるよ」

 

「音楽って色々あるんだなぁ……」

 

「これは本当に一部分だよ。ギターの知識でしかない。音楽はドラム、ベース、ピアノとか代表的だけど……オーケストラまでいけば金管楽器、ヴァイオリンだって色々と知識と管理方法がある……。どれか一つでも欠けたら音楽は成立しないんだよ」

 

 俺が感心しすぎで無言になる。彼女もヘッドフォンを付け直して楽譜を見直してギターを弾いて、弾いて、弾き続ける。弾くたびに身体で刻むリズムは振り子のように大きくなっていき、やがて撮影用の衣装の重さやギターの重量を物ともしない軽やかな動きで練習を続ける。

 

 俺はそんな彼女に本気で見惚れてしまった。それは初めてのことではない、二度目だ。一度目はまだ名も馳せてない彼女のストリートライブを初めて見た時のこと。

 

 服装は今と比べて地味だったのは覚えている。学生バンドの延長線上のような物で、仲良くみんなで学生服で路上で歌い明かしていた。そこで俺はとても輝かしいものを見たと感じた。

 

 まだ男だった上に中学生だった時の話だ。今では掛け替えの無い友人であるアニー達がいなかった頃、俺は七年戦争の傷が癒えずどうも色付かない青春を過ごしていた。別に友達がいなかったわけじゃない。ただみんなどこかしら傷心があって、それを感じて一歩踏み出せない自分がいたことが原因だったんだって今では思う。

 

 そんな時に見た彼女が『高崎秋良』となる前の歌は強烈だった。俗に言えば神曲とか言っちゃうやつ。

 でも、教養が薄い俺にとってその言葉で形容するしかないほどの衝撃的だったのは事実だ。歌が『生きてる』ような感覚——まるで『魔法』のように綺麗で鮮やかな歌い方だったんだ。

 

 同年代の女の子が歌っているとは思えないほどで、一瞬で俺は虜になった。ほどなくして彼女は中学生にしてマルチアイドルで芸能界デビューという話題で一躍新豊州の顔となった。その時に俺は、あの時見た彼女が『高崎秋良』だったことを知った。

 

 それからは推しの日々。あの時見た輝きの正体を知りたくて、可能な限り彼女の輝きを追い続けていたんだ。

 

 …………初心を思い出せるほど彼女の尊さは変わってないんだと、改めて感じた。

 

 だけど、同時に俺は今まで見たタレント達を思い出してしまう。全員が全員彼女みたいに煌びやかで眩しい存在ではない。中には夢半ばで折れてしまう者もいたんだろう。

 

 指で数える程度の経験とはいえ、撮影や収録スタジオではそういう子が何人かいた。俺自身に業界関係者に会話をするという免疫がないことや立場、年齢のこともあって話に混じることがなかった。

 思い返すと撮影の合間にどこか虚しそうな感じで、ソファに腰を置きながらスマホを弄り続ける子役も見た。人との関わりを避けるように自販機横のベンチに腰を置く歌手もいた。逆に積極的に偉い人と話し合うタレントもいた。

 

 ……全員それぞれ胸に抱いた夢に燃え上がるもの、逆に燃え尽きたもの、そもそもとして夢さえないのに燃え上がらせるものと色々といる。俺はあくまでSIDの活動の一環としているだけ。この世界は、俺がそう簡単な覚悟で触れていい業界じゃないんだ。

 

 だから、こうして俺がお遊び気分でいることは本当に貴重な体験だと感じてしまう。特番とかでやるタレントの密着ドキュメンタリー……それをカットなし・台本なし・NG指定なしの生で高崎秋良に関わっている……。

 

 ラファエルみたいに超然としたお嬢様とはまた違う絶対的な存在感だ。これが俺の同年代だと思うと……すごい尊敬してしまう。

 

 だからこそ、これから耳に入る言葉には信じられなかった。

 

「あ、秋良ちゃん! 大変なことが起きた!」

 

「どうしたんですか、マネージャーさん?」

 

「来週末のライブ…………中止になるかもしれない!」

 

 中止——。

 

 彼女の『夢』が壊れる音が聞こえた気がした。



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第3節 〜現実と努力〜

確かに9月30日に投稿する……するが、今回まだその時間の指定まではしていない。どうかそのことを諸君らも思い出していただきたい。

つまり……私がその気になれば第4節は10年20年後ということも可能だろう……ということ……!

まあ、何が言いたいかと言うと第4節は今日の18時00分に予約投稿していますのでご安心を。



 俺と秋良ちゃんの耳に衝撃の言葉が伝えられた。

 

 ——ライブが中止? それって……。

 

「どういうことですかッ!!? なんで目前に迫ったライブが中止にならなきゃいけないんですかッ!!?」

 

「仕方ないんだ! さっき脅迫状がネットで拡散されて……しかも宣言通りライブハウスで放火を起こしたんだ。ニュースを見てみろ」

 

 マネージャーは自分のスマホを秋良ちゃんに見せつける。そこには生放送で「人気アイドル高崎秋良への宣戦布告、ライブハウス炎上か!?」と不安を駆り立てるタイトルで情報が流されている。

 現場に赴いたアナウンサーはマイクを片手に消火活動されるライブハウスの中継を伝えている。発生したのはつい20分前……。周りへの被害は現在出ていないのが今のところ幸いというべきか。

 

「うそっ……。こんな酷いことを……」

 

「…………ショックなのは分かるが脅迫状の内容はこうだ。『来週行われる高崎秋良のライブを中止せよ。さもなくば彼女の命はない。これはお遊びでも、冗談でもない。その証明を今からライブハウスで見せてやる』……と」

 

 それがこの放火だというのか? だとしたら惨すぎる……。目前に迫った高崎秋良の夢を目の前で踏みにじるようにするなんて……。

 

「…………警察には既に連絡して身元を特定するようにはしている。だがもしものこともある。ライブに来るファンや何よりも君自身の安全を確保するためには、脅迫者の要望を呑むしかないんだ……!!」

 

「だけど、今ライブを中止になんかしたら……」

 

「……そうだね。チケットは払い戻し、火事となったライブハウスへの賠償金とレンタル金、拵えたグッズなど様々な金銭問題が発生することになる……。それに脅迫状の前科がある。しばらく歌手として活動は停止せざる終えない…………」

 

 …………呑んでも呑まなくても一緒だっていうのかよ? そんな八方塞がりな状況ってあるのかよ……。

 

「そんな……一回中止するだけで高崎さんの歌は消えるのか!?」

 

「…………ライブだってタダじゃないんだ。僕だって少しでも観客に安く提供するために万全の準備と早期予約でレンタル料を切り詰めて、CMやネットでの宣伝費を浮かせるために秋良ちゃんも自らテレビに出て番宣を行なって、配送業者との予約で運賃を安く見積もって……」

 

「配送業者……?」

 

「ライブの機材は全部ライブハウスであるわけじゃないんだ。ギター、マイク、配線コード……ある程度の大きさはスタッフが持っていくことはできるさ。だけどピアノ、大型スピーカーなどは配送業者に予約する必要がある。しかも個人じゃなくて法人としてだ。事情がどうあれ「中止なので配送しなくていいです。この件は無かったことに」とは言えないんだ。当日動くはずだった業者の人件費の補償……つまりキャンセル料すら発生する」

 

 知らなかった。ただ一回のライブだけでそこまでの人達が動くだなんて…………。

 

「…………少し、外に出ますっ……!!」

 

 高崎さんは必死に涙を堪えながら部屋から出ていく。

 一番悔しいのは彼女自身だ。自力で夢を追い続けて、念願のライブハウスでの単独ライブ。掴み取った夢の第一歩を目の前で壊されたのだ。その気持ちは理解しようにも理解しきれないだろう。それほどまでに彼女の心には悔しさがあるに違いない。

 

「どうにか……できないんですか?」

 

「…………可能と言えば可能さ、ライブを強行すればね。だけど脅迫状も届いて上に事前に実行するほどだ。そんな危険なライブに観客も集まるわけがない」

 

「じゃあ……犯人がすぐにでも捕まれば……」

 

「…………可能、かもしれないね。一日や二日で解決する杜撰な犯人ならね。だけどライブまでは一週間しかないんだ……子供の君にどうにかできるのか?」

 

 ……俺には無理だ。だけどSIDの力があれば……っ!!

 

「無理でしょうね……諦めるしかないわ、レンちゃん」

 

 撮影室にベアトリーチェが戻ってきた。スポンサーとの話し合いに疲れたのか、それとも能力を発揮した名残なのか、Yシャツのボタンが肌けている。胸元が見えそうで見えないチラリズムに男心が擽られそうになる。……でも今は、そんなことはどうでもいい。重要なことじゃない。

 

「いち企業の私達じゃあ犯人を捕まえることはできないわ。今は大人しく待つしかない……」

 

 それは遠回しにSIDとしての力を借りられないことを意味していた。

 

 ……そうだよな。これはあくまで防衛庁関連の仕事、それも放火騒ぎとはいえ『非常識』という『常識』の範囲内での出来事。異質物や魔導書などの『超常』の対応を主にするSIDで取り扱ってくれるはずもない。ましてやマリルは元老院だけでなく連合議会といった自国だけでなく、他国との組織とも毎日途方もないほど会議や情報共有を行なっている。こんな些細な出来事など話を聞くだけで温情というものだ。

 

 ……もしやるなら本当に自力でやるしかないけど、俺にそんな力はない。今は座して待つしかないんだ。

 

「今日の撮影は終わったのでしょう? だったら一度事務所に戻りましょう」

 

 悔しい。悔しくて仕方ない。俺がもしマリルまではとは言わず、せめてラファエルみたいに随行員一人ぐらいなら動かせるような立場や権力があれば…………。

 

 OS事件の時もそうだ。俺の手持ちはあまりにも少ない。肝心な時に限って、自分はあまりにも無力だ。異形を倒したのだって、俺に『誰か』が力を貸してくれたからに過ぎない。

 

 マサダブルクでエミリオが処刑されそうになった時もそうだ。俺は自分の力でマサダの内情を解明したから救えたと思っていたが、実際はマリルのフォローがなければ足蹴にされる内容だったとも言われた。

 その後のCO2を多量に含んだ砂嵐でさえも、俺がどうやらエミリオに力を与えて両断したからこそ起きた奇跡ではあるが、それだって俺自身が起こした自覚なんてない。ただ事実を伝えられただけ。

 

 この身には絶対に『魂』を呼び覚ます以外の何かしら役立つ力はあるというのに…………。

 ソヤと初めて猫丸電気街を回った時もそうだ。サモントンが誇る情報機関『十字薔薇(ローゼンクロイツ)』に所属する『セレサ』が言っていた。

 

《うーん、素質は悪くないけど鍛錬が足りていないわね》

 

 その言葉は事実で、実際そこで軽い手解きをしてもらったら徒手空拳からでも刃のように鋭い一閃を指だけで放てることを知った。俺には自分で引き出せないだけで、戦う力が確かにあるのは分かっているんだ。

 

 だけど……今必要なのはそんな力じゃないことも分かっている。必要なのは『戦う力』じゃなくて『動かす力』だ。……もっといえば高崎秋良の夢を繋げるための力なんだ。

 だって『夢』を無くした瞬間……俺が誰かの夢を諦めるのを認めたら、どこかで約束した『誰か』との『夢』さえ諦める気がしてならない。

 

 それだけは絶対にしちゃいけない。諦められない誰かの夢を目の当たりにして、俺に守れる力があるというのなら…………例えどんな小さな協力でも惜しみなくやらないといけない気がしてならない。

 

 …………だけど俺にそんな力はどこにある? 考えろ、考え抜け。俺ができる最大限のこと。

 

「……お先に失礼します」

 

「……お疲れ様。個人的にできることなら協力はしてあげるから」

 

 俺は立場上マネージャーであるベアトリーチェに一礼して撮影室から出て行く。向かう先は決まっている、高崎秋良が行うはずだったライブハウスだ。

 きっと、きっと何かしら……。力になれることがあるはずなんだ。

 

 

 …………

 ……

 

 

 とはいって意気込んで向かったのはいいものの……。

 

「やっぱり野次馬はいるよな……」

 

 スタジオから出て一時間。警察と消防隊、そして民間人が渦巻くライブハウス前へと着く。

 一応、今の俺は知る人ぞ知るCMに出るタレントの卵だ。なるべく目立たないようにツバ付きの青色帽子を深く被ってライブハウスの外部から観察してみるが…………やはり外観から分かることは少ない。SIDから捜査願は出ていないから防衛庁に交渉できず屋内に向かうことさえ厳しい。

 

「後をつけてみればやっぱりか……」

 

「ひっ!?」

 

 後方から男性の声がすると、突然として肩が捕まれる。今でかつて感じたことのない漠然とした不安に背筋が凍りそうになる。

 

 これが、女子がよく言う生理的な身の危機……!! 

 

「…………なんだ、高崎さんのマネージャーですか」

 

 警戒度全開で俺は振り向いた先には見覚えるのあるスーツ姿の男性がいた。先ほどスタジオで悲報を伝えた高崎秋良のマネージャーだ。急いで着いてきた様子であり、ネクタイピンがズレている。

 

「なんだって……不躾だなぁ。女の子タレントなら愛嬌がないと苦労するぞ」

 

 まるで体験したかのようにマネージャーさんはため息を吐きながら、俺の手を引いて群衆から抜け出る。こちらも顔が知れた相手なら警戒する必要も薄いので、そのまま俺は手を引かれ続けた。

 

 入り組んだ薄暗い路地裏を歩き、やがてライブハウスの裏手を辿り着く。そこには一人の警官が真剣な顔つきで辺りを見回しており、こちらに気づき次第厳粛な態度のまま「ここは立ち入り禁止ですよ」と注意を促してきた。

 

「すいません。私は高崎秋良のマネージャー『藍川(あいかわ) 増雄(ますお)』と言います。控室にいくつか搬入済みの機材があるので無事かどうかを確認したいのですが……」

 

「そうですか。少々お待ちください…………。警部、高柳です。実は…………」

 

 どうやら連絡を取り合っているようだ。まあ当然だよな、むしろ血税搾り取っているのだから報連相はしっかりしてくれて一安心ともいえる。

 

「はい…………分かりました。……お待たせしました、上官からの許可が出ました。そちらのお嬢さんの身分を聞いてもよろしいですか?」

 

「別事務所のタレントでレンというのですが、彼女もここでライブのゲストとして出演する予定でして…………リハーサル中に忘れた企画書と台本を取りに来たんです」

 

「……なるほど、分かりました。どうぞ、お通りください」

 

 どこからそんな嘘八百出てんだよッ!? そしてそんな嘘を信じるなよ!? 大丈夫なのか防衛庁!? 職務怠慢とかじゃないよな!?

 

「…………これを見て」

 

 ライブハウス内を見て回って俺はステージ前のスクリーンを見る。そこには先日から準備をしていたであろう様々な機材が置かれているが、放火の影響でいくつかは黒コゲとなってしまっている。

 

「……酷いですね」

 

「ああ……。これ何か秋良ちゃんのお気に入りで勝負ギターである『A-Killer』さ。…………見ての通り、使い物にはならない」

 

 藍川マネージャーがステージ上に指差した物は、ギターの持ち手くらいしか原型が残ってないほど焼け溶けていた。

 

「彼女はこのライブを…………いや、ライブだけじゃない。これまで全部のハードなスケジュールを乗り越えるために、花咲く女子学生との青春を全てアイドル活動に向け続けて血の滲む努力をし続けてきたんだ……」

 

「努力を、続けて……」

 

「ああ……。そもそもとしてファンのみんなは当然すぎて気にも止めてないけど、ギターを持ちながら歌って、しかもパフォーマンスをするって……とんでもなく体力を使うんだよ。君は走りながら歌うことはできる?」

 

「……できなくも、ないと思う。歌う曲次第としか言いようがないけど」

 

「うん、そうだね。続いての質問だけど、君は4キロ近い物を何時間も持ち続けて動くことができる?」

 

「……できなくも、ないかなぁ。2リットルのペットボトル飲料を片手に一つずつ持つと考えればだけど」

 

「うん、そうだね。続いての質問は、君はヒールを吐きながら踊ることはできるかい?」

 

「……できる、かも知れない。とはいっても社交ダンスみたいな緩い感じならという話ですけど」

 

「うん、そうだね。…………それを全部纏めてできる?」

 

「……無理です」

 

 どう考えても無理だ。どれか一つでもかなりキツイというのに、それを纏めて行う? 引きこもり体質な俺には不可能に近い。ジャケットの撮影でさえ体力を使いきってしまうというのに。

 

「だけど彼女はできるんだ。縦横無尽にステージを駆けて、ギターがない間奏でも観客の声援に応え続けて、歌いながらギターを弾き続ける。ストリートライブで最高2時間。今回のライブハウスではトークショーを挟んで6時間もの長丁場だ……。そのために彼女は単独ライブが決まってからの数ヶ月、食事制限もして徹底的な身体作りと有酸素運動で肺活量を鍛えてもいた……」

 

 食事制限という単語で昼食時の彼女を思い出す。おにぎり、サラダチキン……どちらもタンパク質を取るために食事で、サラダチキンに至っては低脂質・高タンパクでダイエットとしてもエネルギーとしても高効率を誇るものだとアニーは言っていた。それだけだとビタミン不足になるから野菜などで補う必要があって……。

 

 そこで思い出す。彼女は果汁ジュースを飲んでいた。正確にはドリンク……もっと言うなら『スムージー』というものだった。あれは様々な野菜をミキサーで液体状にしたものだ。ビタミンどころか鉄分やカルシウムさえ補える。となれば足りないのは……何だっけ? 確かアニーは……。

 

 

《ダイエットとかと一番向き合わないといけないのは何よりも空腹だね。間食はできるだけ抑えたいから、食物繊維が豊富なのが望ましいかなぁ〜。…………というか何で身体作りについて聞くの? レンちゃん別に太ってないよね?》

 

 

 ……最後については思い出す必要ないな。俺がただオンラインゲームを夜通ししたいがために万全の体調作りに聞いただけだし。

 

 だけど、その時にオススメされたのは『プロテインバー』というものだ。甘味としては十分だし種類が豊富でダイエットにおける部分的な栄養不足を補える。何よりも食物繊維が豊富だ。

 

 あのスナックバーは今思えばプロテインバーだったんだ。そう多くない量で活動しきるために必要なエネルギー要素……。彼女の食事に『甘え』はあっても『妥協』なんてものは何一つない。

 僅かな休憩時間でもギターの練習をして、しかも俺の質問にも笑顔で受け答えしてくれて…………彼女は本当に音楽が好きなんだ。それは理解すればするほど至るところに努力の痕があることに気づく。

 

 俺は彼女と握手した時の感覚を思い出していた。あの言いようのない感触はギターを弾き続けてできた切り傷やマメの痕だったんだ。それだけじゃない。握手会とかで何百人ものファンと触れ合って、サイン会で何百人ものファンに直筆で応えていた。そんな日々だから彼女の手は同年代だというのに俺より遥かに手が大きくなっていて…………。

 

 しかも、それらのいくつかはずっと前からあるもので…………俺が初めて彼女を見たあのストリートライブよりも前からのはずだ。もしかしたら物心ついた時には既に出来ていたのかもしれない。

 

 それなのに……こんな些細なことで無くなってしまうのか? 彼女の努力も、夢も、こんな些細な現実の前に押し潰されて消えてしまうというのか。

 

 …………ダメだ。きっと何か手立てがあるはず。

 俺は必死になってステージを観察していき、何かできることがないかと考えていく。

 

「あれ…………?」

 

 そこで俺は気づく。爆破によって焼けたギターの周辺に昔ながらの折りたたみ携帯らしきものも焼け焦げているが、それ以外は無事なままであり……それら全てが電子機器だった。鍵盤などの操作するものはあるが、確かこういうものは物理的な反応じゃなくて、接触反応で電気信号が送られて音が出るはず……。

 

 待てよ……。だとしたらこれって……。

 

「……藍川さん。ライブを行うには何が足りないんですか……?」

 

「…………ライブの最低条件か?」

 

「はい……。当日行うのに必要な最低条件です」

 

「……大前提として演奏場所と楽器全般と音響機材一式、そして機材を扱うスタッフがいればどういう形であれ行える。後は暴動対策に規模に応じた監視体制を取れるガードマンとかだな」

 

 …………ライブハウスは無事だ、あくまで楽器が一部燃えただけで施設自体に大きな問題は出ていない。そして楽器全般と音響機材一式、機材を扱うスタッフ、それにガードマンか。

 

 ………………。

 ……………………。

 

 ……できるかもしれない。全ての条件を満たしながらライブを行うことが。

 だけど、あくまで無い知恵を振り絞ったものだし、そのためには最低でもあの二人の協力が必須だ。これが断れたら八方塞がりもいいとこだし、できないと言われたらそれまでだ。

 

 とりあえず俺はメッセージアプリを開いて二人に連絡を入れる。今回の件と、俺がしたいこと、それについて二人が可能であるかの確認を。

 

 返信が来るのにそう時間は掛からなかった。何せあの二人は……。

 

 

 

 

 

 スターフルーツ:《できますよ》

 クラゲヘッド:《できるよ〜!》

 

 

 

 

 

 情報生命体——-いや、今をときめくVtuber『星之海』だからだ。こんな面白い話に乗ってくれるのは間違いないのだ。というか登録名は相変わらず変更なしか……。まあ、姉妹らしいと言えばらしい。

 

「ねぇ……マネージャーさんは2020年に起きた厄災のこと知っていますか?」

 

「あぁ、覚えているよ。世界的な緊急事態だったからね。今では異質物研究も進んで医療も進歩して無縁ではあるが……」

 

「……そんな時にですよ、アーティストの数々は動画サイト通じてあることをしたそうなんです。それでネット文化はまた一つ新しい境地へと辿り着いたとも聞きました」

 

 俺はもちろん生まれてさえいないから又聞きをした事柄でしかない。母親からこんなこともあったのよ、とか教科書で軽く触れた程度の知識でしかない。

 だけど……少しでも可能性があるというのなら……高崎秋良の夢を応援できるのなら…………やってみる価値はある。

 

「…………まさか、やるのかい? あの伝説をもう一度?」

 

「やりましょう。高崎秋良と『星之海』によるコラボ企画…………yohtubeにて『無観客ライブ』の生放送」



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第4節 〜軌跡と奇跡〜

 数日後、ライブハウスで念入りな準備が行われる。

 

 高崎秋良が所属するスタジオの代表と、俺が所属するスタジオの代表…………この場合、藍川さんとベアトリーチェが警備状況や配線環境などを整えてディスプレイ上にどれほどのラグがあるかどうかを確認している。

 

 生放送タイトルはこうだ。『【高崎秋良×星之海】新次元ネットライブ!【無観客ライブ】』————。

 内容としてはこうだ。本筋である歌自体は無料公開で、リハーサルやメイクシーンなどの裏側は有料チャンネル会員限定公開に設定。今現在も有料会員限定で公開中だ。これは商業的な面もあるが、リハーサル中も生放送することで危機的な状況や不審者の発見を早期発見するための策でもある。

 

 つまりネットに生放送することで、監視体制という問題をある程度視聴者に任せているのだ。もちろん、それに任せただけでは杜撰もいいとこだ。刃物といった強襲目的の対策として高崎秋良の周辺にはボディガードが数人配置している。

 

 これだけ準備していれば遅れを取ることはない。施設自体に時限装置がないのは確認済みだし、俺個人としてはその線は薄いとも考えている。

 

 というか……このライブ自体が観客や無観客であろうとも、脅迫犯が来ることはないと思ってもいる。

 

「ねぇ……。本当に犯人が来ないなんて可能性あるの?」

 

 個人的な協力でボディガードとして黒スーツにサングラスと身を扮しているアニーが声をかけてくる。

 

「……脅迫状が届いてから考えたんだ。脅迫の内容と放火するという行為が噛み合ってないことに」

 

「ん? どこも噛み合っていると思うけど」

 

「脅迫状の内容は端的に言えば『高崎秋良のライブを中止すること。拒否すれば高崎秋良の命はない』ってものだ。…………一見繋がって見えるけど、脅迫を拒否した場合の内容は『個人』の命を狙ったものだ。個人の命を狙うなら放火なんていう高崎秋良本人を直接狙いにくい『不特定多数』が犠牲になる方法を取るか……?」

 

「う〜ん……確かに違和感はあるけど、特別変に思うことかなぁ?」

 

「『放火』なんて手段を取るなら、脅迫状すら書く必要がない。それこそライブハウス自体を全焼させて無理矢理中止にすることもできたんだ。この時点で矛盾が発生する。中止にはしたいけど、ライブハウスを全焼するようなことはできない。だとしたら犯人の目的は『中止』の先にある何か…………もしくは放火に乗じた何かだと思う」

 

「おぉ……! 冴えてるけど大丈夫? 本当にレンちゃん?」

 

「アイデアロールがクリティカルすることぐらい俺だってあるよ!?」

 

「ごめんごめん。まあ、レンちゃんの推測が合ってるとして……その『何か』は具体的にはわかるの?」

 

「目的までは分からない……。だけど、こんな回りくどいことをする犯人だ。恐らく高崎さんとは近い縁がある人物なのは間違いない」

 

 だからこうして生放送で高崎秋良の周辺を徹底的に厳重体制にしてるんだ。俺だって今回の出番はネット配信の監視と、裏側トークのゲストとしての役割があって犯人の逮捕には助力できない。

 

 だけど、犯人の逮捕と無観客ライブは推測通りなら全く別物だ。開始さえすればもう手出しはできない。無観客ライブが成功して……守銭奴っぽい言い方はアレだが視聴者の投げ銭次第では負債をすべてカバーできる。その利益を少しでも負債に当てるために、チャンネルも高崎秋良の法人ではなく星之海が勝手に『個人』として開設してるもので行いのだ。これなら面倒な分配もいくつか減る。

 

 しかし犯人の逮捕も可能であれば行いたいところ。何せ無観客ライブをほぼ独断で行うのだ。高崎秋良サイドに属する人間がこれを見たら、何かしらのアクションを起こすのは間違いない。再度の放火は警戒体制的に難しいと考えると、行うのは目的の隠蔽だと俺は思う。

 だとしたらそういう裏方事情はベアトリーチェが任せるのが一番だ。何せ諜報に関しては『魅了』の能力があるから情報戦においてこれ以上ないほど頼もしい。既に本人には説明していて、高崎秋良側のスタッフに関してリハーサルの台本合わせと称して積極的に探りを入れてもらっている。彼女のことだからヘマをすることも考えられない。

 

 この時点で俺が行うことは本当にライブの成功を祈るだけ。そのためには少しでもエンターテインメント性を高めるために、裏側のトークや彼女のリハーサルをしっかりと確認しなければならない。

 

「……電子ピアノ使うの上手ですね、スターダストさん」

 

『音楽関係は前から嗜んでいましたから。これくらいはできますよ』

 

 今回の目玉である高崎秋良と星之海の姉、スターダストがステージ上でリハーサルを行う。スターダストは現在ホログラム映像で映し出されているものの彼女が鍵盤を弾くと音が響いてくる。

 これは電子機器だから起こせる演出だ。情報生命体で『生身』を持たない星之海は通常の楽器を弾くことはできない。だが電子機器ならネット上に繋いでしまえば直接電子ピアノなどの中に侵入して、実態がなくとも鍵盤に応じたプログラムを誤作動させることで間接的に弾くことができる。オーシャンも電子ドラムをホログラム上では叩いて見えるように演出している。

 

「……お二人とも遠隔でセッションを合わせるなんて凄いです。いくら技術が進んでもラグは回線の都合上どうしても遅延があるというのに……」

 

『私達はあくまで指定されたテンポにラグを計算してタイミングを合わせてるだけだよ。高崎さんが曲を崩さない卓越した技術があるからこそできるんだし』

 

 などとオーシャンは言うが、実際はここにいないようでいるんだけどね。だからこそタイムラグが最小なんだし。情報生命体は愛衣が調べても不明な点が多いのだ。

 

 とはいっても高崎秋良が元々持つ実力が高いからこそ安心して任せられるという点は真実で間違いない。朝からリハーサルが続いているというのに、一向にブレることがない歌唱力とギターの技術。それはステージ内を駆け巡ったりと体力面も消費しているはずなのに、むしろ本番に近づくにつれて高まっているのが素人目から見ても伝わってくる。彼女が持っているギターは今まで使用していた『A-Killer』ではなく全くの別物だというのに。

 

 ギターの名は『Gipson柔楓』——。

 

 …………俺がこの日のために藍川さん聞いてライブのために自費で用意した最新モデルだ。価格は何と驚異の500万を超える。名義は藍川さんにして、そのまま高崎秋良に渡してもらった。

 

 その性能は驚くなかれ、俺には全然理解できなかった。最高品質のフレットが云々、フィンガーボードが云々言われたがチンプンカンプン。一番驚くべき点は『変形機能』があるとのこと。

 見た目以上に重い木製を模したエレキギターだが、何とどこかの研究機関が金銭目当てに『異質物』研究の一部をこのギターに提供したらしい。大丈夫か、その研究機関。

 しかも異質物技術は演奏者のパッションとかいう曖昧なモノを感知して、それがある段階まで高まったらVタイプのエレキギターになるとかいう曰く付き。もちろん俺のパッションなんて不足してるので、そのVタイプは見たことないし、今までそんなところまで高まっているのを見たことがないと販売してくれた店員も言っていた。

 

 故にある意味この不良品紛いは完全な一点モノ。世界で唯一使っているのが今目の前にいる高崎秋良ということになる。果たしてその姿を今宵見せるのか。

 

 …………しかし500万。イメージガールの仕事をしてるとはいえ、借金娘の身で無理をしてしまった。このことがマリルの耳に入ったらこっ酷く怒られるんだろうなぁ。後のことを考えると頭が痛くなりそうだ。

 

「スターダストさん、ピアノの音響のバランスが悪いので音量調整しますね」

 

『分かりました』

 

「オーシャンさんは丁寧過ぎます。もう少し大胆にやっても私は合わせられますので、もっと暴れてください」

 

『了解!』

 

 生身を持たない星之海は同時進行で電子楽器全般を演奏しており画面越しから見れば、わずか三人しかいない状況で多種多様な楽器が響く摩訶不思議な映像が映し出される。

 

 本番まで、あと数時間。それまで三人はライブを成功しても失敗しても最高のものにしようと、全力でリハーサルに励む。

 

 

 …………

 ……

 

 

 ——ライブハウス屋外の裏路地。

 

 電柱に背を預けながらベアトリーチェは腕時計を見つめて誰かを待ち続ける。その表情は隠しきれない『怒り』に満ちていた。秒針が一つ、また一つと音で時を刻むたびに、彼女の表情はより険しくなっていく。

 

 やがて一つのリムジンがベアトリーチェが待つ路地裏の前に止まり、そこから恰幅がいいスーツの男性とパーカーを羽織った少女が、ベアトリーチェが派遣したエージェントと拘束されながら彼女の前に連れてこられる。

 

「おい、ここはどこだ! 私は今忙しいのだよっ!」

 

 口うるさく叫ぶ恰幅な男性とは対照に、パーカーの少女は俯いて静かに事態を見守り続ける。

 

「先日ぶりですね、高崎秋良のスポンサー……黒部(くろべ)さん」

 

「君は……ベアトリーチェか。なんだい、先日のお誘いがこれかね。確かに情緒的な物を望んでいたが……君の趣味なら私も興じるとするよ」

 

「……ふっ!」

 

 直後、ベアトリーチェの細長い脚部が卑しく笑う男性の鼠蹊部を蹴り上げた。予想だにしない一撃に、男性は表情を一変させて堪え難い痛みからイビキのように響く呻き声を上げる。

 

「鈍いのは股間だけにしときなさい。頭まで鈍いのは男性として魅力が損なわれるわよ」

 

 ベアトリーチェは黒部の頬を握り潰すように挟み込み、自身へと視線を合わせる。

 

「私はね、女の子の弱みに漬け込んで悪事を強要させるような外道は許せないのよ。今回の脅迫事件と放火……犯人はアナタでしょ?」

 

「……何のことかね?」

 

「知ってる? 詰んだゲームを続行するほど無様で惨めな姿はないのよ。今すぐ投了をするか、豚みたいな鳴き声を上げて御用にされるか、選びなさい」

 

「……はっ、詰むも何もゲームに参加した覚えなんてないが?」

 

「……私は拷問の技術を役割上覚えていてね。アンタみたいな三下に相応しい自白方法なんて幾らでもあるのよ」

 

 すかさずベアトリーチェは黒部の仰向けに押し倒し、両腕を足で挟み込んでその股部分を顔に押し付ける。そしてベアトリーチェは蠱惑的な視線で見下ろして語る。

 

「刹那の幸せぐらいは上げる。ただし今から爪を一つ、また一つと剥がしながら事態を告げるから、自白する気になったら教えなさい。…………まずは小指から」

 

 黒部の右小指から激痛が走る。声をあげようにもベアトリーチェの股で口は塞がれており、その悲鳴が表通りに響くことはない。

 

「……黒部社長はどうしたんですか?」

 

 突如としてのたうち回る黒部の姿に少女は疑問の声を出す。それもそのはず。ベアトリーチェは爪を剥がす宣言はしているが、側から見れば何もしておらずに黒部がただ暴れているだけ。見方によっては錯乱状態になったように見えるのだ。

 

「……彼女は催眠術みたいな能力を持っていてね。幻痛を与える暗示でもしているのでしょう」

 

 監視役のエージェントは静かに告げた。少女からしてみれば何のことだが理解し難いが、自分たちがされている事態の理由は理解しており、諦念の気持ちでベアトリーチェの言葉を聞き続ける。

 

「まずは放火の件について……。脅迫の内容もだけど、計画が杜撰すぎるのよ。おまけに徹底さもない。だって目的は高崎秋良の失墜と、その弱みを利用すること……大方接待とかその辺でしょうね、ナニがどうとかは名誉のために言わないでおくけど。そのために事務所との共用備品である『A-Killer』だけを燃やしたのでしょう? 高崎秋良だけに最低限で効果的な責任と負債を負わせ、事務所自体の損害を抑えるために」

 

 ベアトリーチェは小声で「次は薬指」と呟くと、黒部はさらに足を大きく動かして襲いかかる幻痛から逃れようとする。

 

「まだ耐えるのね、無駄なのに。……そんな局所的な狙いなんてしたら少しでも考えれば分かることよ。ただやり方だけは少し頑張ったようね。そのためにあの子を……高崎秋良の同期である『上原(うえはら) アンコ』を利用するのは許せないけど」

 

「続いて中指」ベアトリーチェは息づくように囁く。

 

「機材の一部に爆薬を仕込み、搬入と共にギターと隣り合わせになるよう設置する。……そこは話し合いの段階で管理方法を決めていたのでしょうね。メンテナンス用のオイルとかも近辺に置くようにしたとか、コンセントと繋がったコードを置くとか……おかげで綺麗にギターだけが溶解していたわよ。問題はその爆破方法……」

 

「はい、人差し指」と感情の篭ってない声で言う。

 

「爆破方法は携帯の着信時の振動。昔の携帯は改造も安易な上に電波も多量に発生する。それらに反応するよう細工して爆破する。爆破時刻と発信者は自分にアリバイを作るためにアンコさんに任せた…………。そんなところでしょう?」

 

「最後に親指」とベアトリーチェは告げて、黒部の口を塞いでいた鼠蹊部を少し動かして声を出させるようにする。

 

「ふぅー……! ふぅー…………! だ……だとしても、私が協力すると思うかね……っ? それならアンコが個人で行っても不思議じゃあない……。むしろ自然だ、何せ……彼女は成功している秋良を恨んでいる……っ!!」

 

「そうね。彼女は成功した高崎秋良を恨んでいるでしょうね……。だって彼女は中学時代、高崎秋良と一緒にバンドを組んでいた一員だもの」

 

 ベアトリーチェの言葉に少女は酷く怯えた声で告げた。「知っていたんですか……?」と。

 

「調べたら分かったわ。……まさか芸名がそのまま本名とは思ってなかったけど『高崎 アキラ』とアナタは中学時代でバンドを一緒にやっていて、その縁でバンドメンバー全員で芸能界デビューした。……だけど夢は長く続かなかった。才能の問題、勉学の優先…………どんな理由にしろ一人、また一人と脱落していって……高校に入る前に残ったのはアナタとアキラちゃんの二人だけになった」

 

 アンコは無言でベアトリーチェの話を聞き続ける。

 

「アキラちゃんは抜けたメンバーの穴を埋めるために血の滲む努力をした……結果としてそれがあの子を独立したマルチタレントとして本格的なデビュー……『高崎秋良』としての活動の遠因となった。残されたアナタは頑張り続けたけど結果は実らず……バンドの活動で損失した費用を返すために裏方の仕事にも手を出していた……さぞ辛かったでしょうね」

 

「……辛かったですよ。だけど辛かったのは、裏の仕事なんかじゃない……。身体を売るなんて抵抗なんてありませんでしたから。だって私には音楽しかなかったんですから」

 

「……アナタ、七年戦争で生まれた孤児なのね」

 

「そうですよ。私は生きるために何でもしました……。飢えを凌ぐために店から食べ物を奪った。衰弱死した仲間の衣服を奪いもした。お金を稼ぐために性行為もしましたよ。私の処女なんて…………業界で散らす前からとっくに無いんですよ?」

 

 今度はベアトリーチェが無言となってアンコの話を聞く。

 

「そんな中でも音楽だけが私にとって唯一の安らぎだった……。私は落ちていたボロボロのギターで何度も心の全てを歌にして叫んだ……。それだけが生き甲斐だったから。……そうして生き抜いて、学園都市として体制が整う頃には今みたいな標準的な生き方ができるようになった。……私は当然音楽の道を選んで、小学校でも中学校でもギターを弾き続けた……そんな時にアキラに出会いました」

 

 アンコの目に涙が溢れている。それは怒りや嫉妬などからではない。自分の無力さを噛みしめたものだ。

 

「彼女は何もかもが輝かしかった……。才能に満ち溢れ、彼女の音楽はまるで太陽のようで……そんな眩しさが、私にとって私の音楽が焼け解けるように感じてしまった……!」

 

 音楽性の違い——。いや、この場合は音楽の価値観だろう。アキラとアンコではそこが決定的に違った。

 

 アキラは『歌う』ために生きている。

 アンコは『生きる』ために歌っている。

 

 初めから目的意識が正反対の二人だった。どちらが正しいなんて、そんなのは決めることはできない。できないが……業界である以上、成功と失敗は付き纏う。

 

 そんな中で栄華を飾った『高崎秋良』と、栄華を散らした『上原アンコ』…………。正反対のアキラが成功し、自分が失敗に属したらその心境はいかほどのものか。

 

 それは、自身の全てを『否定』されてるに等しい残酷さだ。

 

「だったら、どうしてアナタはアキラちゃんに伝えなかったの? 自分の音楽が否定しているというけど……むしろ一番否定しているのはアナタ自身よ」

 

「私、自身……?」

 

「だって言ったじゃない。『何度も心の全てを歌にした』って……。そんな素直さのまま生きていけば、アナタは面と向かってアキラに嫉妬をぶつければ良かったじゃない。それができない時点で…………残酷かもしれないけど、アナタの音楽はそこで終わっていた。自分で自分を否定したのよ」

 

 ベアトリーチェが告げた事実に、アンコは糸が切れた人形のように膝を折って地面へと座り込む。

 否定していたのはアキラでも、高崎秋良でも、周りの人でもなくて自分……。その事実に、惨めで愚かだったことを自覚してしまったアンコは後悔に満ちた表情で一粒だけ涙を零してしまう。

 

「だから彼女は……アキラちゃんは『高崎秋良』として歌う。自分が自分と表現できるのがそれしか知らない不器用で真っ直ぐな子だから……今回の無観客ライブもそう。今まで応援してくれたファンや関係者に精一杯報いるために……『歌』として届けることを彼女は選んだ。だって……それこそが『アイドル』なのだから」

 

 そう言ってベアトリーチェはタブレットを一つアンコの前に差し出す。それは現在生放送中の『無観客ライブ』が映し出されていた。

 

 ステージの上では汗だくになりながらも、精一杯の歌と笑顔で無人のライブハウスを駆け抜ける高崎秋良の姿があった。視界には観客などいないはず。だというのにアンコの心は、まるでその場にいるような熱気と興奮を感じずにいられない。

 

 高崎秋良は次の楽曲に移り、無人なのさえ利用してステージから飛び降りて観客席へと走り、ステージ上では絶対行えないようなアクロバットを決めた。

 

 そのアクティブさは目を見張るなんて物じゃない。ハイヒールを吐き、ギターの配線コードから絡むことなく、見事に空中一回転を魅せて間奏が終わると同時に何事も無かったように再び歌とギターの演奏をしながら観客席の奥へと向かう。

 

 無人の観客席には誰もいない。だというのに彼女の歌の熱が、心が、魂が、アンコも含んだ画面で見回るファン全てがその場にいるではないと幻視するほど高崎秋良が輝いて見えた。

 

《ありがとうーーっ!! みんな、ありがとうーーっ!! スパチャも合計500万突破でありがたいですっ!!! 次はライブ初披露の新曲……だけど、みんなー! ここで私の想いを聞いてくださぁーい!!》

 

 新曲——。その言葉はベアトリーチェだけでなく関係者各位なら驚きを隠せないものだ。何故なら、本来このライブで『新曲』を発表するプログラムなんて組んでなんていない。それは画面越しからでも騒つくライブハウスや、目を見開いて動きを止める星之海姉妹の反応からでも見てとれる。

 

《今回のライブハウス放火と脅迫……。それで私のライブは中止となり、皆様が想像する通り多額な負債を私は抱えています。だから無観客ライブを行い、ファンの皆に今までの感謝と関係者各位の負担を減らすために……私はここで歌っています。……言いたくはないけど、高崎秋良にとって最後のライブなるかもしれない……。そう思ったら、今までの歌では……私の全部を伝え切れないっ!!》

 

 それは今までの輝かしく歌う彼女の姿ではなく、素の状態『アキラ』として叫びだった。

 

《だって! 私の歌はッ! 心はッ!! 魂はッッ!!! 皆に届けるための歌……。私自身を表現した曲なんて何一つない……。私の歌は……皆がいることで輝いていけた。……だからそんな想いを……私の全てを届けるのではなく、聴かせるために歌います》

 

 皆がいることで輝けた。その言葉にアンコは高崎秋良とアキラの心境を悟る。

 彼女のマルチタレントっぷりは、在りし日の中学バンドの延長線上でしかない。今まで夢を落とした仲間たちの夢を抱えて、たった一人でも歌い続けている。それがアキラが持つ本質的な輝き——。

 

 その輝きを応えるように、彼女が今持つ木製を模したギターはVタイプのパンクなギターへと光を纏いながら変化を見せた。

 

《聞いてください……。高崎秋良の単独演奏曲。拙い私だけの、裸の心で書き記した私の歌…………『My Life』!》

 

 

 …………

 ……

 

 

 最初に謝るよ。私は、アナタのことを知らない。

 名前も、好きなことも、嫌いなことも、顔も知らない。ごめんね。

 

 次に感謝を。アナタは、私のことを知っている。

 名前も、好きなことも、嫌いなことも、顔も知っている。ありがとう。

 

 アナタは私をいつも応援してくれた、ありがとう。

 アナタは私をいつも見守っていてくれた、ありがとう。

 アナタは私をいつも傍にいてくれた、ありがとう。

 

 こんな不躾な子でごめんね、感謝は本当だから。

 だけど私には歌うことしかできない……。

 だから今ここで全てを歌い明かそう。

 日が暮れても、夜が明けても、夢が消えるとしても。

 

 沢山の全てにありがとう。

 全てが嬉しかった。全てが楽しかった。

 

 でも、ごめんね。それじゃあ足りないんだ。

 

 『私』の全てはそれじゃあ伝え足りないんだ。

 

 上手くもない私の歌や言葉では表し切れない。

 だけど、こうするしか私は自分を表現できない。

 

 だから、ごめんね。こんな未熟な私が歌を歌って。

 だから、ありがとう。こんな未熟な私を応援してくれて。

 

 そんな全てに……『私達』は紡がれている。

 

 

 ……

 …………

 

 

 一曲が終わり、アンコールが書き込まれて続けて次の一曲が始まる。スパチャの金額は1000万に突入——。一つ自体の金額は100や500といった少額だというのに、積み重なって大きな金額となり繋がる。まるで今まで彼女が積み上げた努力のように。

 

 これこそが『高崎秋良』——。

 その有り様、その輝かしさこそが『高崎秋良』だったのだ——。

 

「こんな子の夢を失墜させようとなんて……黒部さん、最悪よ。それに今回の計画は最初じゃないでしょう? 調べれば余罪なんていくらでも出そうだもの……業界はそういうの多いそうだから」

 

「ヒィ……!!」

 

「……私も最悪な人間ですよ」

 

「そうね。計画したのは社長さんとはいえ、実行したのはアンコさんだもの。……まあ、アナタ自身の罪は器物破損と放火騒ぎ程度よ。長期間の執行猶予は免れないだろうし賠償金も発生するでしょう。だけどそれで見放すほど私たちも残酷じゃないわ……。今回の件で高崎秋良は、私達の事務所に移籍することになる算段があるの。今でも名義があるアナタも移籍することはできるけど……どうする?」

 

「…………遠慮します。私の罪は私の罪ですし、私の音楽は私の音楽です。自分で尻拭いをしないと……アキラに合わす顔さえありません」

 

 そう言ってアンコは路地裏から消えた。

 

 その日の無観客ライブは大成功を収めて、負債はすべて返済し終えたことが後にベアトリーチェの耳に伝わる。それほど時間が経たないうちにライブハウス放火事件の犯人逮捕の報道と高崎秋良の移籍も発表され、こうして一連の事件は終わりを向かえた。

 

 

 …………

 ……

 

 

 ——後日、SID本部にて。

 

「マリル? この預金明細から脈絡なくSIDに返還されてる500万ってなに?」

 

「我が子に対する慈悲だよ。本当は怒りたいところだが……初めて自分の力で何とかしようと頑張ったんだ。御祝金としてギター代ぐらいは私からSIDに返しといてやったのさ」

 

「へぇ〜〜、そんなことあったんだ〜〜」

 

「あぁ……アイドルには興味なかったが、高崎秋良の歌は中々にいいものだぞ? 愛衣も聞いてみるか?」

 

「いいけど……何その音楽ジャケット? レンちゃん、珍しくカッコよく写ってる〜っ!」

 

 そんな話もあったそうな、なかったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、新しいプロデューサー? え? 私の? えぇっ!?」

 

 もしかしたらいつかの未来、どこかの場所でいつか夢見たバンドの少女達は新たな再会があったかもしれない。

 

 だけどそれはまた別のお話。




閑話①【少女と偶像】のこれにて終わりです。あくまでゲーム本編にあるオーガスタと一緒で、顔見せとちょっとした事情把握、そして僕自身の頭お休み的なもののため、かなり気楽にやっておりました。

明日の10月1日から第二章【神統遊戯】開始です。
お話も戻るため、深海浮上と同じように『毎日一話投稿』をするよう心がけます。とりあえずは後書きを書いた8月28日の時には第8節までは毎日投稿できる目安が経っておりますので、ご安心くださいませ。

では、今後とも魔女兵器本編のサービス再開や今後の展開を願いつつ、後書きを終わります。


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第二章 【神統遊戯】
第1節 〜Now Loading〜


 囲碁とはいつから互戦の場合、先手は6目半というハンデを背負うルールができたのか。

 

 それにはゲームの歴史というものを紐解かねばならない。

 

 基本、囲碁だけでなく将棋、チェス、カードゲームなど様々なゲームにおいて先手というものは絶対的に有利な状況が多い。理由は多種多様あるが、共通して起きやすいのは『先手は後手を勝たせない』という戦法が通用しやすいからだ。

 

 先手必勝、早いもの勝ち、先んずれば人を制す——。様々な歴史で生まれた言葉が証明となる。

 

 そもそもゲームでは勝敗を決める以上、どうしても勝つ条件か負ける条件が定められてる。大抵は勝つ条件なのだが、この勝つ条件というシンプルなものが非常に難しいのだ。

 

 何故なら勝ちを決める時点で迎える結末は3つしか発生しない。

 

 どちらかが勝ち、どちらかが勝てない。

 どちらとも勝つ、という引き分け。

 どちらとも勝てない、という引き分け。

 

 これらのうち、自分相手問わずに『勝つ』のは二つしかない。先手はこの二つを潰せる絶対的な強みがあるのだ。まるで未来を見通しているように。

 

 実際この先手の強さからくるアドバンテージが高すぎるが故に、現代におけるゲームのほとんどには先手の圧倒的な有利に対して、先手にハンデを設けたりまた別のアドバンテージを後手に与えたりと試行錯誤している。

 

 囲碁なら先手6目半という、予め点差みたいなものを相手に与える。これも当初はなかったが、先手の優位性ががあまりにも高く『勝つのは確かに難しいが、負けるのはもっと難しい』というほどのものであり、時代を経るごとに戦術が研究による最適化によって4目半、5目半と増え続けて現在の6目半にまで到達することになる。

 

 カードゲームなら先手の手札枚数を減らしたり、攻撃などといった一部の行動を制限する、相手の行動中でも妨害ができるカードを製作したり、あるいは後手には一度だけ相手より早く動けるように使い切りのマナを渡したりと多種多様だ。カードゲームの種類によって、その差は大きく分けられる。

 

 将棋やチェスは実力の均衡を考慮して一戦ではなく二戦や三戦といった複数回行うことで勝敗の平均値を競うようにした。これは囲碁でもそうであるが、最初の打ち方が決まっていない囲碁においてこの平均値でさえあまりにも差がありすぎたために現在の形となって勝負は行われている。碁石を使う遊びに関して言えば、五目並べに対しても先手は禁じ手というものが存在しているほどだ。

 

 …………と、こんなゲームといっても探ろうとすれば深い歴史があるのである。

 だからこそ、互いの実力が均衡している時は先手が齎すアドバンテージというものは非常に大きい。

 

 ましてや自分より判断力、洞察力といった要素が劣っている相手がいたとしても先手、というだけで負けを擁することも多々にある。 

 

 囲碁、将棋、チェスに運の介入は有り得ない。だからこそ先手は思考を飛び越えることなく盤面を操作し続ける。まるで『未来』を予知して『確定』させるように。

 

 しかしそれは『勝負』と言えるのだろうか? 初めから『勝ち』が決まっているのなら、果たして『勝ち』と『負け』はあるのか?

 勝利には意味も価値もある。だが、定められたそれは枠組みの中での話。『ルール』があるからこそ成立するのものだ。

 

 その時点であなたの勝利は『ゲーム』の中の『ルール』によって得た『勝利』に過ぎない。

 

 もし本当の勝者がいるなら、その『ゲーム』さえを作り上げた創造者に他ならない。

 

 だが、その創造さえも一種の闘争によって生み出されたものだ。闘争である以上は『勝負』は付き纏う。

 

 だとしたら創造者がいる世界……言い方は数あれど『現実』での勝負とは何なのか? 勝利とは何なのか? 敗北とは何なのか? ルールは何なのか?

 

 だからこそ勝負というものは非常に面白い。あらゆる知略と、落ちている運さえ見つけて拾い上げる度胸。そして定められていない勝利条件。不確定要素の塊が多く、未来を予知することなど到底不可能な盤面。このハンデさえもハンデになり得ない混沌さ。

 

 それらが総合することで初めて現実における『勝負』というものは成立する。現実において、盤面この一手というものは安定なんて物はほとんどの場合は存在しないのだ。

 

 ある意味においては現実のありとあらゆる選択と努力は『勝利』を得る『ゲーム』にしか過ぎないのかもしれない。ハッピーエンドも、バッドエンドも、トゥルーエンドも……どんな結末になろうとも目指した志はその一点に尽きる。

 

 例え踏み出した一歩が間違っていようが、それまでの過程が間違っていようが、その果てにたどりつく答えが間違っていようが、その志ざした勝利へと踏み出した選択だけは間違っているとは誰にも言えず、普遍的で不変的な価値を持つ『勝負』と言えるだろう。

 

 

 

 

 

 さて…………そんな『勝負』というものに、貴方が相対する相手は果たして誰なのか。

 

 自分より劣る弱者か。

 溺愛する弟子か。

 目標となる師匠か。

 絆を紡ぐ親友か。

 愛を育む恋人か。

 競争する好敵手か。

 高みを目指す強者か。

 

 あるいは、見果てぬ未来の到達者か。

 あるいは、過ぎ去りし過去の亡霊か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もしくは……鏡合わせの『自分自身』か。



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第2節 〜New Game〜

どうしてCODE:SEEDもサ終するのよ〜〜っ!!

日本はどこでレンちゃんを見ればいいんだ〜〜っ!!


 いつからか、その子はずっと俺の視界にいた。

 

 第二学園都市【ニューモリダス】——。

 今現在、俺はある用事でここに来てから一週間も経つが、その子がいつも公園にいることに最近気づいた。

 

 最初に見たのはお昼時。公園のベンチで密かな楽しみであるブラックコーヒーと卵サンド、そして揚げたてのフライドチキンを食べていた時だ。

 

 やけに目立つ赤と白が作られたダイヤ柄の帽子に、これまたダイヤ柄で遇らう真紅の…………なんて言うんだ。雑誌で見たことある、ああいうのは……サロペットスカートって言うんだっけ? 女の子じゃないから詳しく分からん。

 

 ともかくそんな童話に出てきそうな不思議で奇抜な格好をした金髪の少女は、常にその公園で草むらにある何かを見つめていた。

 

 もちろん最初は「そういう趣味の子かなぁ」とか「何かの撮影か?」と思って気にも止めなかった。気にし始めたのは、その夜に飲み物でも買おうとホテルから出て公園近くの自動販売機に行った時だ。その子は瞬きさえもしてないのでは疑うほど微動だにせず、昼と変わらずに草むらを見つめ続けていた。

 

 そして次の日。用事が建てこんでしまい、夜遅くにホテルに戻った俺は公園を通りすがった時に、これまた微動だにせずに草むらを見つめる少女がいた。

 

 ……地縛霊か何かか? 気味が悪くなってすぐさま俺はホテルの寝室で、悪霊であれば退散するように思いながら就寝した。

 

 次の日。ハムカツサンドとサイダー、そしてこれまたフライドチキンを買って公園のベンチで束の間の日向ぼっこでもしようとした時、またまた少女は微動だにせずに草むらを見つめ続けていた。

 

 ……誰も補導してないし、本当に幽霊なのかな? と思うのは自分でも仕方がないと思う。

 

 次の日も少女は公園にいた。たまたま用事がない日だったこともあり、ホテルの一室から双眼鏡で一日中覗き込んで少女を見続けた。

 

 結果は俺が観察してから寝付くまでの16時間、飲み食いどころか本当に瞬き一つさえせずに少女は草むらを見つめ続けていた。

 

 ここまで来ると……何であろうと興味が湧いた。

 

 次の日、俺はあらゆる準備を整えて少女がいる公園へと向かった。

 

「おーい、そこのお嬢さーん」

 

「……………………」

 

 ガン無視である。とはいっても長期戦は覚悟の上だ。

 俺はゲン担ぎと長時間の戦闘に備えて、今のうちにブラックコーヒーを飲み、彼女の近くにビニールシートを引く。気分は一人で紅葉狩りを楽しむ観光客だ。この場合、見るには紅葉ではなくミステリアス少女になるんだけど。

 

「疲れない? ここに飲食物いっぱいあるから、気が変わったら一緒にお茶会でもしない?」

 

 ……自分でもアレだが下手なナンパ師みたいだな。

 

「…………………………」

 

 当然、俺の声は無視である。

 いったい何があるんだと俺も覗き込むが、別に何の変哲もない草むらだ。野球ボールさえも落ちてないし、あるとしたら虫や花ぐらいだ。

 

「…………こんにちは」

 

 そこで初めて彼女の声を聞いた。

 彼女の声は生まれて初めて声を出したと言わんばかりに、無機質で無感情だった。今のは人の言葉かと、つい疑ってしまうほどに。

 

「お、おう。こんにちは」

 

 これまた無機質な瞳で見つめるものだから、つい萎縮してしまう。

 ……女性と面と向かって会話をすることが少ないから萎縮することも確かにあるが、彼女との会話はそういう度を超えている。

 

「……………………………」

 

 再び流れる沈黙。彼女はそれ以上の会話は続かず、日が沈んだ後でさえも彼女はずっと草むらを見つめ続けていた。

 

 俺だっていつまでも居続けるわけにはいかない。

 開かずに残ってしまった缶コーヒーを一つ、彼女の空虚な手に握らせる。

 

 ……俺が握ったことさえ認識してない様子で、彼女は未だに草むらを見続けるとは流石に驚いたが、これ以上は明日に支障をきたす。俺は足早にその場を去った。

 

 …………自分の手を見つめる。

 

 ……彼女の手には温もりがあった。確かな人肌の温もりが。

 

 

 …………

 ……

 

 

 後日、本日の天気は雨と雷。悪天候様は絶好調だ。

 雷が落ちて、世界の景色は点滅する。遅れて届く轟音が耳を劈く。それが短い感覚で繰り返される。

 

 ……だというのにニューモリダスの電力供給は異常は発生することなき正常に動き続けている。やっぱり異質物研究が進んでからは、こういう設備などの電力面に関しては新豊州を筆頭に対策が講じられてることを改めて実感する。

 

 俺は流し見しているテレビの音声を耳にしながら、ホテルの窓からいつもの少女を探すように公園を見つめる。あの特徴的なダイヤ柄の赤い服と帽子が視界に即座に目に入った。

 

 …………流石にこんな悪天候では少女の姿は見えないと思っていたのになぁ。

 

 俺はすぐに傘を持ち出して、いつもの草むらから少し離れた木陰へと足を運んだ。そこには雨雲を見上げる彼女の姿があった。

 

 彼女の横顔はただ暗く覆う雨雲を見つめているだけだ。それは草むらを見ていると時と同じで、いつもの無機質で無感情で無表情だ。悪天候に対して悪態をつくような素振りさえ見せない。頬を伝う雨粒は、その異質さから涙と思うことさえない。

 

 ……世界に独りぼっちで佇んでいるみたいで、ひどく虚しさを感じてしまう。まるで見えない壁があるようだ。

 重苦しい隔たりは声をかけようとした俺の口を塞き止めて、見上げる少女への干渉を許さない。そんな時間が永久に続く…………。そう錯覚しそうなほど長い時間が経過する。

 

 やがて彼女は俺のことに気づき、顔だけをこちらに向けて抑揚のない声で言った。

 

「こんにちは。今日はいい天気だ」

 

「どこがっ!!?」

 

 今までの空気なんか本当に錯覚だと言わんばかりに、彼女は呑気に俺へと挨拶をしてきた。

 

 開口一番調子を崩された。マイペースな子だとは薄々思っていたが、こんな天気でも彼女に何か特別な変化が起こることはない。

 

「……ここ数日見てたけど、君は草むらで何を見ていたんだ?」

 

 出会ってから……というか知ってからずっと気になっていたことを、今が好機だと感じて思わず聞いてしまう。

 

 彼女は未だに表情を崩しはしない。こんな彼女からいったいどんな内容が聞けるのか……。もちろん黙秘された場合は潔く諦めるしか——。

 

「カマキリを見ていた」

 

 は?

「は?」

 は?

 

 カマキリを見ていただけ?

「カマキリを見ていただけ?」

 カマキリを見ていただけ?

 

「そうだ」

 

 無表情のまま彼女はそう言った。理解が追いつかない。

 

「そういうお前は何日も私を見てたと言っていたな。私が知る限り、それはストーカーというのだろう? お前はストーカーか?」

 

 理解する時間さえ与えずに彼女は会話を続ける。

 

「違う! というか何でカマキリを見てたんだ……?」

 

「観察していた。予めて情報を得ていたとはいえ、実際に見てみるとカマキリとは実に面白い」

 

「だが」と彼女は一息置く。

 

「私はまだカマキリの交尾を見ていない」

 

「こ、こここ、交尾っ!?」

 

 いきなりぶっ込んできたなっ!?

 

「聞き覚えないのか? ……種族の差異か? ならば言い換えるとSEX(セックス)だな」

 

「せっっっっっっっっ!!?!?」

 

 待て待て。彼女いない歴イコール年齢の俺には、その話題は刺激が強すぎる。

 

「これも知らないのか。ならば——」

 

「もういい言うな、それ以上言うな、頼む言わないでください」

 

「そうか。……ならば知っているだろう。観測した通りの年齢ならお前はすでに中等教育課程を終えている」

 

「知っていますけど……」

 

「ならば教えろ。私に交尾というものを」

 

「言い方ァ!」

 

「私にセッ——」

 

「カマキリの!! ……カマキリの交尾は8月の終わりから9月の初めにかけてなんだ。今は10月、すでに繁殖の時期は過ぎてる」

 

「そうだったのか……。それは残念だ」

 

 無表情で無機質な目で無頓着に言っても、全然残念そうに感じない。

 

 ……不思議でマイペースだとは思っていたが、まさかここまでだなんて。

 

 雨の滴が再び彼女の頬を伝う。気にもしない態度も継続だが、先ほどの隔たりなどもう感じない俺は、仕方なくハンカチを取り出して彼女の頬を拭う。

 

「…………寒いのか?」

 

 彼女の頬に触れた初めて気づいた。彼女の身体はひどく弱り切っている。そして…………人肌には温かったはずの彼女の温もりは、今にも倒れてしまうじゃないかと思えるほど熱を失っていた。

 

 そこで気付く。服はとうに湿気を吸い込んで水気を帯びている。それは帽子も靴もそうだ。かなり前からこの雨の中でいたのが窺える。

 

 …………帰る場所がない、そう考えてしまった。

 

「……寒いのかもしれない。私はあまりにも人間の体験を知らない。故に感情表現さえ乏しく、あらゆるものがどういうものか一から知る必要がある」

 

 彼女の言葉の節々から疑問が湧くが、今は言及するべきことはそこではない。

 

「じゃあ、聞くぞ。今どんな気持ちだ?」

 

「どんな……? 該当範囲が多すぎて絞り切れない。すべてを伝えればいいのか」

 

「言い直す。気持ち悪いとか、体調が優れないのは分かるか?」

 

「分かるぞ。私は体温33.9°と平均体温を大きく下回っている。あらゆる自律行動に支障が発生中だ。あと先日私を舐め回すように見続けて、今日は急に声をかけたお前は一般的に見て気持ち悪い」

 

 最後のは余計なお世話だっ!

 ……ともかく、そんな体温じゃ間違いなく低体温症の初期症状だ。このままだと意識さえままならない。

 

「カマキリの観測はいくらでもしていいけど、今だけは休ませるぞ。近くに俺が拠点にしてるホテルがあるから、そこに連れて行く」

 

 見た目以上に軽い彼女を身体を両腕で抱える。よくあるお姫様抱っこというやつだ。

 

「……ストーカーに身の自由を奪われるシチュエーション。こういう時に言うのか」

 

 ストーカーじゃないし、身の自由を奪った覚えはない。

 

「やめて、私に乱暴する気でしょう。エロ同人みたいに」

 

 全く情欲を滾らせない抑揚だった。

 ……何というか思ってたより百倍不思議な女の子だと感じてしまう。俺はすぐさまホテルへと連れ込んだ。

 

 ……同時に問題がいくつか起こる。

 

 身分も知らない彼女を無断でホテルに連れ込むのはまずいと感じ、身分証明できるものがないか確認を取ったが、彼女は一向に「持っていない」の一点張り。頭痛が痛いと言いたくなるほど、ダブルパンチであり目眩を引き起こす。

 

 とはいっても、ホテルのフロントで事情を説明しようにも赤の他人すぎて上手く説明はできないし、問題ごとをあまり起こしたくない立場だ。仕方なくホテルスタッフの目と監視カメラを可能な限り掻い潜って、俺が利用している一人用の宿泊部屋に彼女を連れ込むことになってしまう。

 

「…………」

 

 つまり室内にあるバスルームを貸すわけで…………ずぶ濡れだった衣服を脱ぎ捨て、バスタオル越しながらも霰もない彼女の姿を目にしてしまったのだ。

 

「……これはどうやって使う?」

 

 しかもどういうわけか『風呂』という概念を知らないという、凄まじい事態だ。もう頭を抱え込んで仕方ない。どこから説明すればいいのか…………。

 

「……ここを捻れば温かい水が出る。それで身体を暖めろ」

 

「これを捻るのか」

 

 そう言って初めて触る玩具を試すように、無機質で無表情なまま一心不乱にシャワーの蛇口を一方向に回し続ける。当然そんなことでは水の勢いは増す一方だ。飛散したシャワーが乱反射を起こして、俺と彼女の二人揃ってずぶ濡れになる。

 

「……こういう状況は濡れ場といえばいいのか?」

 

「言葉は文字通りの意味として機能しない時もある。その言葉は別の意味だ、くれぐれも今後は口にしないように」

 

「そうか、なるほどな」

 

 ……見知らぬ女性の裸体を見るわけにもいかない。

 

 俺は「逆に捻れば水は出なくなる」とだけ伝えて早急にバスルームから出て行き、服を脱ぎ捨ててフェイスタオルで身体中を水分を拭き取り、寝巻きへと着替える。本来一人利用だからホテル側もタオルなどの基本的な生活用品は一式しか用意してくれないのだ。彼女のことを考えると最低限のものは準備したほうがいい。

 

 とりあえずホテル系列で営業しているコインランドリーに彼女の服もろとも衣服をぶち込んでおいた。待つこと20分、乾燥機も併用していることもあり洗濯し終えた衣服からは柔軟剤の香りが仄かに花を擽る。

 

「面倒ごとが増えるな……」

 

 彼女を無断に連れ込んだのがバレたら色々と面倒なことになる。というかバレてる可能性の方が高い。どうすればいいのか……。

 

 思考を続けながら、そのままエントランスにある24時間経営のコンビニへと入店する。「貴方と家族になりたい」というフレーズが個性的で独特な入店音を耳にしながら、寝間着として取り扱ってる男女兼用のグレージャージ、歯磨き、タオルケットなどをある程度購入すると俺は彼女が待つ自室へと戻る。

 

「……おかえり」

 

 予期せぬ彼女の言葉に、俺も「た、ただいま」と吃りながら返答する。

 20分も過ぎてることもあり、彼女は既にシャワー浴び終えてバスタオル一枚という心許ない状態でベッドへと腰掛けていた。乾き切っていない彼女の髪と頬に吹き忘れた水滴が伝う。バスタオルも特別大きいものではないから、少し視点を変えれば上も下も見放題なほど無防備だ。

 

 ……シチュエーションがシチュエーションだから、彼女がいくら無機質なままでも男として少しはムラッとはくる。だが俺は紳士だ、急に野獣になるほど節度がない人間ではない。

 

「おかげで行動に支障は出ない。感謝を伝える、ありがとう」

 

「そ、それは良かったよ……。あと、これ君用に準備したジャージ……う、後ろ向くから着替え終わったら言ってっ!」

 

「わかった。着替え終わったら言えばいいんだな」

 

 ジャージの包装を破く音と、下着が皮膚を擦る音と息遣いという二重の艶かしい音が耳に残る。

 

 …………無心になれ。無心になるという時点で無心ではないが、それでも無心になっていると思い込め。

 

「着替え終わった」

 

 振り返ると一転して芋感全開の少女が爆誕していた。無機質で無表情。この世の善悪さえまだ把握できてない無垢な子供みたいだ。無だらけの顔でも垢抜けない純粋な印象を受けてしまい、そんな彼女を見ると…………どうしてか保護欲が駆り立てられる。

 

「じゃあ温かい飲み物を用意するよ。部屋に備え付けられてるのはインスタントだけど色々な茶葉からコーヒー、コーンスープ、味噌汁と結構あるよ」

 

「…………ならば昨日くれた飲み物が好ましい」

 

「コーヒーか。好きなのか?」

 

「いや不快になる味だった。焦げた砂糖水、甘い泥水……。なんとも形容し難い舌触りと香りで……マジ不味いってやつだ」

 

 時々言語センスがキャラと噛み合わなくなるな……。というか別に好きでもなんでもないのか。

 

「だけど……不快で不味いはずなのに、何故か満たされる味だった。これを理解するためにもう一度飲んでみたいのだ」

 

「なるほど、不思議な魅力を感じたってわけね」

 

 ……もしかしたらただのカフェイン中毒かもしれないが、その辺りを突っ込むのは野暮だろう。俺は電子ポッドからお湯を注いでコーヒー豆の粉末を蒸らし、再度お湯を注いでカップにコーヒーを抽出する。手早く角砂糖や粉ミルクの包装を準備すると、カップのソーサーに乗せて彼女へと差し出した。

 

「苦いとか香りが苦手だと感じたら、その二つを溶かせばある程度変わるよ」

 

「分かった、色々とすまないな」

 

 彼女は一口、また一口と舌で確認しながら角砂糖や粉ミルクを混ぜていく。……最終的には角砂糖三つに粉ミルク一袋で落ち着き、一息つくように俺と視線を合わせた。

 

「多少はマシになった。…………けど、満たされる味の理由が分からないままだ。何を入れてもこれだけは変わらない……何故だ?」

 

 やっぱカフェイン中毒じゃねぇの?

 

「……私個人の趣味嗜好はどうでもいいか。それよりも今はお前に礼を尽くさないといけない。こういう場合はどうすればいい?」

 

「どうすれば、いい…………だとっ!?」

 

「知識ではあるのだ。相手の好意に返上できる物がない場合は、自身の身を持って奉仕したほうが良いと。だが私は見ての通り人間初心者だ。知識で知っていても、実際の礼節とは違う可能性も十二分にある」

 

 …………人間初心者ねぇ。もうこの際、そういうことは追求しないでおくか。

 

 しかし……………どうすればいいか。知識と実際とは違う可能性を言及してる以上は、俺がこと細かく説明すれば鵜呑みにして何でもしてくれる可能性もある。それを利用すれば…………いやダメだ、やめておこう。卑しいことしか思い浮かばない。

 

 何より…………こんな無垢な子は守らないといけない。そうとも感じる自分がいた。

 

「じゃあさ、君のこと教えてよ」

 

「…………それが望みなら伝えてもいい。どうせ私にも協力者が欲しいとは思っていたとこだ」

 

 彼女は咳払いをして姿勢を正して話を始めようとする。……芋感あるジャージ姿なのが申し訳ないな。

 

「私は人間どころか地球の生命体ですらない。どうだ、驚いたか」

 

 ……いや驚けねぇよ。散々「人間を知らない」とか「人間初心者」とか四六時中草むらを観察したり、物を知らないのに知識は豊富とかいう超常染みたことをしていたら、むしろ宇宙人とかの類の方を思い浮かべる。

 

「私はある目的のために地球を観測していたが……ある時を境に、地球を見守る■■と■■が反応を途絶。その後は■■■■■■■■■■————」

 

 脳が壊れそうなほど厚みのある『言葉』が彼女の口から紡がれる。俺には完全に理解不能。この調子で聞き続けたら頭が割れて、女装好きの変態になりかねない。

 

「頼む……。人間に理解できる言葉にしてくれ」

 

「■■■■■——。…………すまなかった。まだ言葉さえも不自由でな。コミュニケーション以外の会話の時には思わずこの言語が出てしまう……。君に認識できる言葉っで出来るだけ説明する」

 

「いやいや! それよりも前にもっと大事なこと!」

 

「大事なこと……?」

 

 ああ……この子、ここまで無知なのか……。

 

「俺は君のことを知りたいと言った。……それは目的もそうだけど、一番は君の名前が知りたいんだ」

 

「…………自己紹介というやつか。確かにコミュニケーションにおいて自分の身分を明かすのは効果的だという知識はある。…………なるほど、こういう時のコミュニケーションは間違ってないのか」

 

「では」彼女は一息置くと「改めて自己紹介する」と宣言する。

 

「私は『セラエノ』。プレアデス星団の観測者」



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第3節 〜Day Game〜

 後日、ホテルのチェックアウトを済ませて俺は公園へと向かう。そこには先日ホテルに連れ込んでしまった少女…………セラエノがいた。

 

「おはよう。今日はいい天気だ」

 

「曇り空だよ」

 

 服装は昨日と変わらず赤い衣装を着回している。衛生上の問題を感じるが、まあ洗濯には出したから大丈夫ではあるだろう。

 

 ……俺はホテルの中での出来事を思い出す。

 

 やはりという当然というか、チェックアウトで立ち会った女性スタッフにはセラエノを連れ込んでしまったのはバレてしまった。ただ、スタッフが優しい人であり「この事を知っているのは昨日勤務してた監視スタッフと私の二人だけだから秘密にしておいた。若い子は盛んでいいわね♪」と言ってお咎めなしだった…………。優しいのは訂正しよう。優しいけどスケベな人だった。

 

 だから今日でここのホテルとはおさらばだ。宿無しとなり、どうしようか四苦八苦したものだが、その女性スタッフは温情から「2キロ離れたホテルなら二人利用でも大丈夫よ。ホテル提携での招待なら2割引にもなるし。もちろんラブホじゃないわよ」と電話を一つすると彼女が代わりに予約の手配をしてくれた。

 

 …………そういう意味では優しい人なのかも。

 

 ともかく俺とセラエノは今そのホテルに向かうことになるのだが、チェックインまでには4時間近くある。その間にどうやって時間を潰すか。幸いニューモリダスは銃社会とはいえ基本的な文化レベルは新豊州と引けを取ることはない。娯楽に満ち溢れた大都会ということもあり、探せば探すだけ暇つぶしというものができる。

 

 セラエノの文化交流を考えると決してこの時間は悪いものでもない。…………宇宙人の相手なんてするだけ無駄なのにな。

 

「何か見てみたいものとかあるか? 幸い持ち合わせはあるから、ちょっと贅沢ぐらいは大丈夫だぞ」

 

「…………何をすればいいのか。こういう場合はエスコートするものじゃないのか?」

 

 ……確かに男なら女性をエスコートするものか。

 

「じゃあまずは街中のお店を全部見て回るか」

 

 俺は彼女の手を引いてニューモリダスの街へ繰り出す。相変わらず無機質で無表情だが、セラエノの足取りは軽い。……多分、本当に人間としての経験が薄いからなんだろう。こんな素振りだが、内心は好奇心に満ち溢れていて楽しみなんだ。

 

 俺は昨晩セラエノと話した内容を思い出す。

 

 

 …………

 ……

 

 

「私はセラエノ。プレアデス星団の観測者」

 

 プレアデス星団……。確か宇宙のどっかに固まる星の名称だったっけ? ……あとで調べればわかることか。今知るべきなのは宇宙人…………セラエノが話す内容のほうだ。

 

「私の使命は人間と星の繁栄を見守り続けること。そこには本来私のような絶対中立の存在は何が起ころうとも介入してはいけない……。何故ならここに理由がある」

 

 突如『無』から本が彼女の手に収まる。それは大人気育成ゲーム『パケットモンスター』の完全攻略ガイドなどの本格な攻略本よりも遥かに厚くて大きく、セラエノの細腕で持ち上げるのが不思議なくらいだ。

 

「これはプレアデス星団にある『情報』の一欠片だ。これを見たら最後、どんな賢者であろうと自分の無知さと愚かさを嘆いて自己崩壊を起こすか、苦痛に耐えきれず死を選ぶだろう」

 

「そんな賢者ですら死に急ぐものなのに、狂わないお前の天然っぷりはある意味奇跡だなッ!?」

 

「天然……? 私はお魚さんではないぞ」

 

「既に『お魚さん』って表現する時点でボケボケだ。つまりその本は…………ええっと……そう、『アカシックレコード』みたいなものか?」

 

「『アカシックレコード』…………。そうだな、細かい部分を言及すれば差異はあるが認識として間違いない。これを閲覧すれば元始からのすべての事象、想念、感情といった宇宙が納めた記憶から概念まで、さらには宇宙誕生以来のすべての存在について知ることができる。それは過去・現在・未来のありとあらゆる全てだ…………例外などない」

 

「はずだった」と彼女は間髪入れずに話を続ける。

 

「だが今は『未来』だけは『不確定』となり、私が持つこの断章も白紙となってしまった」

 

 そう言って彼女は断章と呼ばれた本を俺に向けて…………。

 

「待てよッ!? 端的に言えば、見たら死ぬ本だろッ!? 見せるなよ!?」

 

「死ぬだけじゃないか。それに今はその効力を断章は持っていない」

 

 死ぬことをそんな軽く流すやつを初めて見たぞ。

 まあ、そういうことなら一安心……「はずだ」——って、おい!?

 

「オイオイオイ死ぬわ俺!」

 

「だがこうして見ても死んでいない。良かったじゃないか」

 

 そうですね。ほんとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおに心底良かったと安心してるよ。こんなところで死ぬとこだったわ。

 

「…………しまった、さっきのはコール&レスポンスというものをすべきだった。今のは流れからして『ほう死なないのですか。大したモノですね』とかいうべき場面だったのではないか……?」

 

「現実でインターネット文化や言語を口に出すのは痛い子だから止めとけ」

 

「なんと……。では実際にイキスギてる人間も、尊死する人間も、登校中にパンを食べながら「きゃー遅刻ぅ遅刻ぅ」という女子高生も、朝起きたら女の子になってる男の子もいないのか」

 

「…………いたらやだね」

 

「ショック……」

 

 だから無機質で無表情に言ってもショックそうな印象が皆無なんですけど。

 

「……コホン。ご覧の通り断章の中身は白紙だ。これでは私の存在意義が崩れてしまう。しかも同胞との連絡は途絶えていて情報の再更新さえできない。これはいけない、ニートの誕生だ。そう感じた私は絶対中立という立場を放棄して、情報収集のために地球という惑星に降臨したのだ」

 

「その情報収集第一号がカマキリか」

 

「その通りだ」

 

 そんな誇らしげに言われても困る。カマキリの生態なんか新約アカシックレコードに記載されたところで誰が喜ぶんだよ。

 

 …………待てよ。『誇らしげ』? 今、俺は無機質で無表情な彼女から『誇らしげ』という機微を感じ取れたのか? 

 俺は今一度彼女の表情を伺う。ダイヤモンドもビックリの仏頂面だ。……分からん。本当に顔が固まってるんじゃないかと気になってしまい、恐る恐る彼女の両頬を引っ張る。

 

「はひほふふ」(なにをする)

 

「別に表情筋死んでるわけじゃないんだよなぁ……」

 

 縦縦横横丸書いて……。動かそうと思えばプリンみたいに動くな。むしろ感情表現なんか楽だと思うぐらいだ。

 

「今どう思ってる?」

 

「ひへふぁふぁふぁはひほは? ふはひは」(見てわからないのか? 不快だ)

 

「見て分からないから聞いてるんですけど……」

 

 俺は彼女の頬部から指を離す。どうやら痛覚はあるようで、少しばかり赤く腫れた頬をセラエノは優しく摩っている。

 

「そうか。今まで私がしていたコミュニケーションとは、お前には十分に伝わっていなかったのか」

 

「コミュニケーションを円滑にしたいなら、その仏頂面なんとかしないと苦労するぞ」

 

「こうか?」

 

「変わってねぇよ」

 

「じゃあこうか」

 

「だから変わってねぇって。目さえ動いてないぞ。せめて目を閉じて笑顔を浮かべるぐらいはできるだろう」

 

「できるな」

 

「……能面みたいだな」

 

 見ていてここまで不安になる表情は初めてだ。

 

「……人間の表情とは難しいな」

 

「喜怒哀楽で表現しよう。嬉しい時」

 

「こう」

 

「……怒ってる時」

 

「こうっ」

 

「…………悲しい時」

 

「こう……」

 

「………………楽しい時」

 

「こう」

 

「……いいんじゃない?」

 

 残念ながら区別がつかない。

 

「そうか。良かった」

 

「……嬉しいのか?」

 

「嬉しいからこういう顔をするんだろう?」

 

「そうだね」

 

 俺には全然分からんッ!!

 

 

 ……

 …………

 

 

 そんな感じで夜は過ぎた。セラエノの表情は結局朝まで改善されることはなかったが、おかげで表情ではなく雰囲気の機微でセラエノの感情が察せられる程度には俺も読み取れるようにはなった。

 

 足取りが軽い時はワクワクしている証拠。瞬きをするのは驚いた証拠。自慢げに話す時は軽く鼻を鳴らし、逆に鼻を深く鳴らした時はご立腹な状態だ。悲しい時は言葉の息遣いが増える。…………まあ大体そんな感じだ。

 

「ふむ……。ここのコーヒーはお前が淹れたのと違い随分味の深みもコクもある。酸味も弱くて飲みやすい。…………結果、お前の淹れたコーヒーはマズイということが判明した。というか苦いお湯だな、アレは」

 

 現在、大手ショッピングモールのコーヒーコーナーにて。俺はセラエノに貶されながら試飲できるコーヒーを全てセラエノに飲ませていた。

 

「そりゃインスタントだしね……」

 

 ましてやお湯を注いで抽出しただけだ。一からコーヒー豆を挽いたわけでもないし、焙煎という豆自体の加熱行為、エスプレッソみたいに水蒸気で抽出するみたいな専門的なものでもない。味の品質などそれは雲泥の差だろう。

 しかし、それが俺の実力だと判断されるのは遺憾ではある。

 

「…………だというのに不思議だ。私はお前が淹れたマズイコーヒーの方が好みだ。何か理由でもあるのか?」

 

「ただ貧乏舌なだけだろ」

 

 とりあえずセラエノが気に入ったコーヒー豆を購入。種類はモカとコナだ。……子供舌疑惑も出てきたが、それを突っ込むのは野暮だ。こういう入りやすい入り口から沼に落とすのがコーヒー道の始まりさ。

 

 座椅子にもなる特製のスーツケースに入れて、セラエノと二人で文化交流は続く。お次はお約束のファッションショーだ、アパレルショップの前へと辿り着く。

 流石にセラエノの服装がこれ一品だと可哀想に感じてしまうので、気に入ったのがあったら一つぐらいはプレゼントしてもいいだろう。

 

「……」

 

 ニューモリダス一推しのミリタリールックを試着。無表情。

 

「……」

 

 伊達眼鏡と萌え袖で演出した文系スタイルを試着。無表情。

 

「……」

 

 知的感を考慮して白を基調としたコンサバ系を試着。無表情。

 

「……」

 

 似合わないの承知でJKギャル系を試着。無表情。

 

「そこは何かしら怒ってもいいからリアクション欲しいな……」

 

「……理解しているとはいえ、やはり人間が服を着るという行為に疑問を持つ。服を着ることで保温性や種族としての地位を象徴するのは分かるが、種族として本当の力を見せつけるなら裸が一番絶対的じゃないか」

 

「人間の社会は野生的じゃないからな。その魅力は伝わりにくい」

 

「そういうものか」

 

 視線を横に逸らしてセラエノは考え込む。視線を合わない時は大体考え事をしている時だ。無機質な瞳でもそれぐらいの機微なら分かるものだ。

 

「……お前は服というものを着せ替えしなくていいのか?」

 

「俺は女物の服は着ないから……」

 

「……? 服とは着るためにあるのだろう? なぜお前は着ないのだ?」

 

「俺は男だから! その服は女性用! 着たら変態だから!」

 

「了解、お前は男だな。女性の服を男が着たら変態。これも理解した」

 

「トランスジェンダーに配慮した発言をしてください」

 

 そのままファッションショーは続行。最終的には「これが一番良かった」と、白のロゴ入りTシャツにロングスカートとサンダルを購入することになった。俗に言うノームコア系だ。活動もしやすいシンプルなものであり、ある意味ではセラエノの服に対する無頓着さが出てるとも言える。

 

 そして時刻は正午、お昼ご飯の時間帯だ。同時にチェックインの時間まで2時間ぐらいとなる。

 …………昼食を済ませたら、あと回れるのは一軒くらいだな。さてどうしようか。

 

「お待たせしました。こちらタコと胡瓜の酢物と小海老のサラダ、それにオニオンサーモンのカルパッチョとロブスターのオムレツになります」

 

 せっかくセラエノがいる中での昼食だ。豪勢に海鮮料理専門のレストランで食事をすることにした。

 ニューモリダスは海湾沿いの都市であり、世界最高の貿易港というから様々な種類の料理がこれでもかと楽しめる。特に海鮮料理に関してはどこに行っても絶品の一言だ。

 

「この酢物にある吸盤が付いた赤い物体……かの旧支配者に似ている……」

 

 何やら意味不明なことを呟くセラエノ。タコは苦手なのかと思ったが、どうやらそういうわけでもなく躊躇いなく口に含んで食感を楽しんでいる。

 

「他にも気になる物があったら注文していいぞ。ただし食べられる範囲でな」

 

「安心しろ、無限に食べられる。このフィッシュアンドチップス、赤身魚の盛り合わせ、それにマグロとアボカドのナムルを注文したい」

 

 ……こいつ意外と舌が肥えてやがる。注文したものを早くはないものの一定のペースで平らげていき、その姿は本当に堪能してるのかと疑うほど事務的だ。

 

「お待たせしました。こちら——」

 

「オーダー追加。燻製カジキのトルティーヤ、ホタテのバター醤油グリル、ボンゴレパスタも頼む」

 

「かしこまりました」

 

 一定のペースで……。

 

「お待たせしました。こ——」

 

「オーダー追加。ロブスターとエビのリゾット、シーフードパエリア、特選イカの刺身も頼む」

 

「かしこまりました」

 

 一定の……。

 

「お待たせ——」

 

「オーダー追加。面倒だからこのページにあるメニュー全部」

 

「かしこまりました」

 

 い——。

 

「おま「オーダー追加。メニュー表にあるの全部」かしこまりました」

 

「お前だけ世界が加速してない!?」

 

 そして動揺しないウェイトレスのプロ根性もすごいなっ!?

 

 

 …………

 ……

 

 

「大変美味であった。これは断章に記しておかねばならない」

 

「アカシックレコードがただのグルメレポートになっとる……」

 

 そりゃ物凄い勢いで平らげていき、全メニューを食すのにジャスト2時間だ。この場合、完食したセラエノもだがハイペースで料理を提供するスタッフも凄い。これに関しては周りのお客様が見世物気分でセラエノへの食事提供を優先してくれたのが大きいのだが、何にせよここにいる全員がクレイジーであった。

 しかもそのフードファイター顔負けの食欲から、ギャラリーからチップを貰う始末だ。おかげで俺自身が支払う料金は全体の二割と想像より安くなった。

 

 ……まあ既にその二割が、最初に想定していた支払い金額以上なんだがな!

 

「もうチェックインの時間は過ぎてる……。どうする、このままホテルに向かうか? それとももう一件ぐらい寄って行くか?」

 

「寄っていいなら寄らせてくれ。私の目的は『人間と星の繁栄』を見守ること。そして私自身がそれを理解することだ」

 

 じゃあ、もう一つぐらい寄るとするか。ガイドブックを広げて俺は周辺の情報を調べる。

 …………近くにあるとすれば博物館や美術館系統か。セラエノの目的とも合致するし、そこらへんを目指すとするか。

 

「よし、じゃあ宇宙開発技術館でも行くか?」

 

「…………やめとく」

 

「おっ、珍しく拒否の意思。じゃあ人民歴史博物館とかはどうだ?」

 

「…………それも嫌だな」

 

「じゃあどこがいい?」

 

「逆に聞く。お前はどこに行きたい?」

 

 意外な質問に俺は固まる。

 

「確かにお前が提案した二つの場所は非常に興味がある。だが、それ以上に……楽しくないんだ」

 

 楽しくない——。セラエノは相変わらず無機質で無表情だが、その言葉をキッカケに少しだけ表情に影を落とす。

 

「楽しくない? 行ってもいないのに?」

 

「そうだ。私には喜怒哀楽がまるで分からない。だから学ぶにはお前から模倣するしかないんだ。しかし……そのお前自身が今は楽しそうに感じない。それでは私が本来知るべき『人間』を理解できないんだ」

 

 ——その言葉はどんな言葉よりも心が込められてる感じがした。

 

 ……参ったな、図星だ。今まではコーヒー選び、着せ替え人形、食事は俺自身結構楽しもうとした節はあった。だが生憎と俺は元々普通の男子学生で、学術的興味なんてゲームで出てくる神話や偉人ぐらいなもので、歴史自体に興味なんてカケラもない。

 

 ……セラエノの『心』は、もしかしたらどんな人間よりも敏感なのかもしれない。

 

「それにホテルにはテレビやインターネットで動画が観れるのだろう? 考古学的知識はそこで学ぶさ。だから今だけはお前の心の有り様を見せてくれ」

 

 そう言われたら俺だって自分の心に素直になるしかない。俺が今一番行きたいところ……。

 

「じゃあ射撃場に行こうか。ここから近くにある地下施設に拳銃からライフルまで扱ってる所があるんだ。ニューモリダスに来たら、本場の銃社会の訓練や風景とか味わないと損だぜ」

 

「——うん、楽しそうだ。是非とも行かせてくれ」

 

 俺達は日が暮れるまで遊び呆けた。今日一日を俺にとって掛け替えない物にするために。今日一日が彼女にとって実りある物にするために。

 

 …………俺に残された時間は多くない。

 

 (とき)は少しずつ変革を(きざ)む。交わるべき日はそう遠くない。



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第4節 〜Night Game〜

 …………入室してから思ったことを告げる。

 

 あの女ぁあああああああああああ!!

 

「ふむ……部屋のガイド案内を見る限り、ここは『セミダブルルーム』というらしいな」

 

 そうなのだ。俺達が案内された……というより女性スタッフが予約していたのはセミダブルという、本来『一人部屋』で扱える寝室を割増料金を『二人利用』できる部屋だったのだ。

 部屋の広さ、収納スペース、ベッド、テーブルなどは確かに完全な一人用よりは大きいものの、当然ベッドは一つしかないため二人で一つを扱うことになる。……今日もタオルケットに包まって床で寝るしかないのか?

 

「安心しろ。横幅は普通のダブルベッドと差はない。二人で寝るには十分だ」

 

 一緒のベッドで寝るのが安心とかけ離れてるんだよ! 童貞の俺に昨日今日知り合った女性と一緒に寝れるほどの根性はない!

 

「私と寝るのは嫌なのか? 昨日もそうだったが」

 

「いやいやいや! 別にセラエノのことが嫌いなわけじゃない!」

 

「好きなのか。照れる」

 

 無機質で無表情に「照れる」と言われても、全く持って照れてるようには感じない。しかも見た感じ、目線とか頬を掻くといった動作で恥ずかしがってる様子もない。セラエノ検定一級への道は未だ遠い。

 

「いいか、セラエノ。後学のために言うが、一緒に寝ていいのは恋人か家族だけだぞ。もしこれから一人になったとして、俺も当然として見知らぬ男に「一緒に寝よう」とか言うな。あらぬ誤解を生む」

 

「理解した。では私と恋人か、家族になれば一緒に寝てくれるんだな」

 

「発想が飛躍してるぅぅうううううううう!!!」

 

「どうする。夫婦には若すぎるから兄妹とか姉弟とかか? それなら遠慮なくセラエノお姉ちゃん、セラエノ姉さん、セラエノお姉たま、好きな感じで呼んでいい。貴重な経験になる」

 

「そんな好奇心のために俺の尊厳を破壊するような呼称なんて恥ずかしくて呼べるかァ!!」

 

「では私が妹になるとしよう。そしてお兄ちゃんと呼ぼう。これはこれで良い経験だ」

 

 ダメだこの子、知的好奇心が高すぎてあらゆる属性を踏み抜いていくつもりだ。こちらの羞恥心とかお構いなしだわ。

 

「不服か? ならば——」

 

「わかりました! 恋人でいいです! だからお姉ちゃんとも呼ばないし、お兄ちゃんとも呼ばなくていい! オッケー?」

 

 セラエノは親指と人差し指で輪を作りながら「オッケー」と淡白に言う。

 

 …………自分でも小っ恥ずかしいことをしたかも。ごめんなさい、父さん母さん。こんな無責任な息子で申し訳ない。

 

「とりあえず荷物はすべて整理しておいたし、ノートパソコンのケーブルを繋いだぞ。これでインターネットが見れるのだな?」

 

「ああ。で、このアイコンを……って何してるんだ?」

 

「このマウスというものを動かせばカーソルが動くのだろう? だから動かしてるのだが……一向に動かない」

 

「接地させないと動きません!」

 

 どんなに空に向かってマウスを縦横無尽に動かさそうともセンサーが反応しないで動くわけがない。

 

「そうか。……おい、マウスを動かしていないのにカーソルが動いているぞ。これが世に聞くポルターガイスト現象か?」

 

「タッチパッドに触れてるだけだ。これは今はオフにするか」

 

 先行き不安だ……。これではローマ字入力さえ一から教えないといけないのか? それに悪質なウイルスとか違法サイトとかネットリテラシーを何もかも教えないといけないのか?

 

 ……想像してみる。

 

 

 …………

 ……

 

『お兄ちゃ〜ん♡ セラエノ、ヒーローの綴りがわかんな〜い♪ えっ……そんなお兄ちゃんったらエッチ……♡ HEROでヒーローだなんて……。だってH(エッチ)とERO(エロ)で……♡』

 

『ぴえーん!! セラエノのSNSが炎上したよぉ〜!!』

 

『お兄ちゃーん! エッチなサイトを見たら100万円払えって言われたけどセラエノそんなお金持ってないよぉー!』

 

 ……

 …………

 

 

「誰だ、こいつッ!!?」

 

 俺のギャルゲー知識のせいで、想像上のセラエノのキャラがおかしくなってる!? 無垢な感じはあると思っているが、いくら何でもおかしいだろう!?

 

「うるさい、急に叫ぶな。今時の若者か」

 

 今時の若者じゃい!

 

「…………なるほど。『a』『i』『u』『e』『o』を基礎に組み立てればいいのだな……。『K』と組み合わせれば『か行』で、『S』なら『さ行』……小さな『や』はどうすればいい?」

 

「『しゃ』なら『sya』とか入れればいい。単体で小文字を入れたいなら前に『X』を付けれればいい。『や(ゃ)』なら『xya』とかな」

 

「把握した。感謝する」

 

 想像以上に学習能力が高い。一度体験すればそれだけで十分そうだ。だがインターネットは険しい道のりだ、一度や二度は痛い目を見るかもしれない。

 セラエノはネットサーフィンを開始する。タイピングの仕方が最初はぎこちなかったが、みるみる速度は上がっていきわずか10分でブラインドタッチができるところまで成長を果たす。やっぱこいつだけ世界が加速してるとしか思えない。

 

「ふむ……。まとめサイトとはいいな。見た感じだと、この動画サイトなら多種多様な動画が投稿されてるとある」

 

「はい、そのURLは違法サイトーッ! おもくそエロ動画サイトーッ!」

 

 そのURLには悪戦苦闘した覚えあるので忘れようがない。即行でセラエノからマウスを取り上げる。おかげでセラエノ自身どこか不満げな雰囲気が漂う。

 

「ならどこで見ればいい」

 

「yohtubeとかエコエコ動画がいいんじゃないか。俺が世代なだけだけど」

 

 SNSでも繋がりさえ持てれば動画を見れるからそれでもいいんだけどね。だが、いま現在対人経験が不足しているセラエノをSNSの領域にまで野放ししたら、それこそ危険が危ないというアホみたいことが起きかねない。絶対ありとあらゆるコメントに噛み付いていき、論争を繰り返して炎上を迎える未来しか見えない。

 

「そうか。利用者が多いのはどちらだ」

 

「間違いなくyohtubeだな。エコエコも好きだけど、どうしてもサイト特有のノリのせいで固定ユーザーが増えにくい。ようつべなら色々と方針が違う投稿者がいるから好き嫌いは別れるけど、まあ慣れれば快適だよ」

 

「ようつべ?」

 

「yohtubeの略語だな。他にもうぽつとかあるな。動画に関係ないところなら『RT』と書いてリツイートとか、了解の『りょ』とかある」

 

「りょ」

 

 ……まずいことが起きた気がする。セラエノが略語を覚えたら会話の内容が凄まじく縮まるんじゃないのか? そうしたらただでさえ無機質なのに、その上に理解不能な略語を使われたらどうすればいい? というか人には発声不可能な言葉を知っている以上、もしかしたら『ギャル文字』とかもそのまま言えるんじゃないのか……?

 

 不安がさらに募る中、俺のポケットが震えが走る。すぐさま震えの正体であるスマホを取り出すと、そこには『非通知』が一件。それはすぐに切れると、すぐに再び『非通知』の電話が来る。それを何度か繰り返して、最後には何事もなかった様にスマホは沈黙した。

 

 ……5回ということは『完成』の合図か。

 

「セラエノ、ちょっと外に出るけどオートロックだから鍵は閉じなくていいからな」

 

『Oh Yes!』

 

 …………セラエノの方からやけにネイティブで野太い男性の声が聞こえてきた。てっきりエロ動画を踏んだのかと警戒して振り返ると、別に如何わしいサイトに繋がってる様子もなく、こちらに画面と顔を向けるセラエノが音声ファイルの再生ボタンを黙々とクリックする姿が映るだけだ。

 

『Oh Yes! Oh Yes!』

 

「……何やってるの?」

 

「サンプリングボイスで少しは私の気持ちを伝えようと思ってこうしてる」

 

「普通に言えば理解しようとするから……」

 

『Uh huh』

 

 今度はセクシーな女性の声が響いた。

 

「……実は気に入ってるだろう?」

 

「あーはん」

『Uh huh』

 

「……とりあえずお留守番よろしく」

 

『Oh Yes!』

 

 ……楽しそうで何よりです。俺は愛想笑いだけを浮かべて部屋から出た。

 

 ホテルの寝室から出て直ぐの角。公衆電話専用の防音個室へと入り、事前に知らされていた非通知先の電話番号へと折り返しの電話をする。

 

『はいは〜い! いつもあなたと共にあるイナーラちゃんで〜す! ……で、どちらさま?』

 

 三回目のコールで出てきたのは聞き覚えのある女性の声。彼女……『イナーラ』にはこのご身分になってから随分お世話になっている。

 

「…………………………」

 

『…………………………ご用件は?』

 

「タクシーを頼む。目的地は5キロ先の料亭だ」

 

『はぁ〜〜〜〜。事前に注文してた依頼主ね……。5番となると……はいはい、できてますよ。受け渡し場所は……そうね、ダンスや音楽に興味ある?』

 

「人並みには」

 

『じゃあ、海湾沿いの『Seaside Amazing(シーサイド・アメイジング)』っていうクラブで会いましょう。時刻は今日の開演時間から一時間後。カクテルでもお願いしようかしら』

 

「未成年だろう……」

 

『互いにね。じゃあ情熱的な一杯でもお願いするわ〜♪』

 

 最後に口づけの音を響かせてイナーラとの電話は終わる。

 

 ……いつも思うけど調子が狂うテンションだ。相変わらず真面目に相手しようとするこっちが馬鹿馬鹿しくなる。

 イナーラから指定されたクラブをスマホで調べて、住所を頭の中に叩き込む。

 開演時間は20時から。となると待ち合わせは21時となる。今の時刻が19時前と考えると、今からだと交通機関を使えば1時間以内には着くか。

 

 …………せっかくだしセラエノも連れて行くか。

 俺の秘密を知られてしまう恐れがあるのは痛手になるかもしれないが、彼女の今後も考えるとできるだけ経験を積ませて人間社会に送りたい。それでもし…………。

 

「いや、もしは後でいいだろう。今はセラエノと一緒に踊りに行くか」

 

 

 …………

 ……

 

 

 少し時間を置いて夜道を歩くこと十数分。俺とセラエノは待ち合わせ場所となるクラブの前まで着く。

 セラエノは現代の知識に吸収するのに夢中で、着いたというのにイヤホンから流れるVtuberの動画に見続けている。表情は相変わらず仏頂面のままではあるが、そこはかとなく楽しげだ。

 

「へぇ〜『星之海』っていう姉妹Vtuberかぁ。気に入ったのか?」

 

「…………」

 

 珍しく無言だ。道中でイヤホン越しからでも会話は成立していたので、単に聞こえてないというわけではない。だとしたら動画に心躍る内容でもあったのだろうか。セラエノの心境など知る由もない。

 と思いきや、セラエノはいきなりイヤホンの片耳を外すとそれを俺の耳につけ始める。まさか、この状況………本当に恋人とかにある一緒に音楽を聞くとかいう————!!

 

『Oh Yes!』

 

「返答するのに時間がかかってただけかい!」

 

「迂闊だった、動画の再生中はサンプリングボイスが使えない。やはり自分の口で返答する必要あるな」

 

「それが普通のコミュニケーションだからね!?」

 

「マ?」

 

「すごい勢いで学習してるのは分かるけど、それが普通なんだ」

 

「なら何故スタンプや絵文字があるのか……。人間のコミュニケーション形態は実に複雑だ」

 

 セラエノにとってコミュニケーションの出力は一つだけっぽい。まあネット文化と実際の文化は差異があるからな。その辺は本当に体験しないと分からないだろう。現実で「ンゴ」とか「よろしくニキ」とかいうやつは基本いない。

 

 そうこう言いながらクラブの中に入る。薄暗い建物の中、様々な客の出入りが行われる。そのほとんどがリズムに合わせて踊っていたり、曲を肴に酒とトークに酔いしれる客もいる。

 

「お客様。会員証はお持ちでしょうか?」

 

 スタッフの一人が話しかけてくる。当然俺の分はあるが、セラエノの分は今は持っていない。とはいっても、それぐらいは織り込み済みだ。

 

「俺はありますけど、この子はイナーラさんからの招待客でね。彼女に確認をとってくれないかな。俺の会員証を見せれば分かると思うよ」

 

「かしこまりました」

 

 スタッフは俺の会員証を持って店の奥へと姿を消す。

 

「……ここではこんな風に踊るのか」

 

 待ち合わせ人であるイナーラが来るまで間、セラエノが無表情で腰とくねらせて足でテンポを取る。

 

「ここではもっと大袈裟でいいぞ。腕を上げて振り回すしてもいいぐらいだ」

 

「分かった」

 

 素直に腕を振り上げて、腰を横に動かして踊りを活発化させるセラエノ。当然仏頂面のままで踊り続けているため、側から見ればかなり不気味である。

 

「おっまた〜〜♪ ごめんね〜、わざわざここに来てもらって♪」

 

 数分後、入れ替わりに踊り子衣装のイナーラが姿を見せる。胸と股以外ほぼ全てを素肌を曝け出す扇情的な衣装であり、もはや下着として機能してるかさえ怪しい。

 

 すぐにセラエノに気づいたイナーラは値踏みをするように見定めていく。上半身から下半身、続いて瞳を覗いて見つめ合う。なおセラエノは今もなお踊りながらイナーラを見つめている。

 

「こんばんは。私はセラエノ、プレアデス星団の観測者」

 

 当然、セラエノはいつもの無機質・無感情・無表情な抑揚で挨拶する。イナーラは彼女の踊りながらの突然すぎる挨拶に目を見開き、その反応から伝わってないとセラエノは思ったのか、踊りをやめて俺の使ってないスマホから『Hello!』と陽気な女性の声を響かせた。

 

「…………不思議ちゃんが好みなの?」

 

「違う」

 

「なんと。では先ほどの恋人宣言が嘘だったのか」

 

「それも違う!」

 

「違うのに違う……。どういうことだ……?」

 

 馬鹿正直過ぎて話が進まねぇ!

 

「ふ〜〜ん……。こんな子のためにぃ〜、わざわざ身分証明をイナーラに作らせたのぉ?」

 

 わざとらしいぶりっ子口調でイナーラはこちらの神経を擽ってくる。とはいってもこれが彼女の平常運転だ、今更咎める気なんてさらさらない。

 

「そうだよ。文句ある?」

 

「ないっつーの。ここはニューモリダス……対価に見合う物さえあれば何でも揃う欲望渦巻く都市よ? お代は取ってるんだからどう使おうがアンタの勝手」

 

 そう言って彼女の手から鍵を一つ受け取る。それは駅前などにある保管ロッカーの鍵だ。鍵には番号が書かれたプレートが取付けられており、そこには三桁の数字も記載されている。

 

「わらしべ長者で悪いけど、場所はシーサイド駅の首都航空行き線の改札前ロッカーよ。…………そこに諸々全部入れてあるから」

 

「ありがとう」

 

「それと警告。私もね、仕事上誰彼構わず依頼は引き受けるから耳に挟むんだけど……。アンタ、あの組織に狙われてるよ」

 

「……好都合」

 

 そろそろ此方からもアプローチをかけないと思っていたところだ。なにせ、本来の予定とはだいぶ方針が変わってしまっている。

 

 ……むしろ願ったり叶ったりだ。こちらから出向いてでも会いたいほどだ。

 

「ふ〜ん。まあ私も中立だから依頼主が話さない以上は、どんな事情があれ踏み込まないようにするけど…………あの子が何かあった時のフォローぐらいはしようか?」

 

 イナーラはセラエノを見つめながら言う。その表情は珍しく慈しむように見据えており、まるで妹や弟を心配そうに見守る姉のようであった。

 

「どういう風の吹き回し?」

 

「こんな仕事でもお気に入りってあるのよ。アンタはお得意様だからね、アフターケアぐらいはサービスでもいいよっていう。あの子面白そうだし♪」

 

「じゃあお願いしとくよ。とはいっても、退場するにはまだ早すぎるけどな」

 

 そう言って俺はセラエノを連れてクラブを後にする。

 

 夜風が吹き抜けるニューモリダスの都市。

 耳を澄まさずとも眠りを知らぬここでは、いつでもどこでも喧騒が起きており静寂というものを知らない。

 

 だという今だけはやけに静かに感じる。何かが起こる前触れのように、一歩を踏み出すたびに静寂は増していく。

 

 やがて俺達の前に一人の少女が姿を見せる。

 夜でも鮮やかに舞う黒髪。血などを知らない無垢で温かい赤い瞳。身長は俺より少し低い。

 

 俺は…………この可憐な少女をよく知っている。

 

 少女は俺を力強く睨み続け、やがて意を決したように重苦しく言葉を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「答えろ。お前………………『誰だ』?」

 

 可憐な少女————『レン』が俺にそう告げた。

 

 さあ、本当の始まりはここからだ。



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第5節 〜Game Start〜

 ——数日前、新豊州。

 ——SID本部にて。

 

 

「なんだよマリル……。突然こんな時間に呼び出して……」

 

 寝癖髪と眠気で落ちる目蓋を必死に堪えながら俺はマリルがいるブリーフィングルームへと向かった。

 時刻は午前4時……。運動部でもない俺にはこの時間帯に起きるのは、ネットゲームのイベントを消化する時以外はありえない。つまり何かしらが起きない限り起きることはないということだ。しかもこの場には俺とマリルしかいないという非常に珍しい状況だ。否が応でも何か人員が集めることさえままらない重要なことがあったのではないかと思ってしまう。

 

「……やはりお前はここにいるよな」

 

「……そりゃそうだろ? 流石のマリルも寝ぼけてるのか?」

 

「夢とかで済ませられるならそうしたいところだ。これを見てみろ」

 

 マリルは眠気か、それとも事態の深刻さから鋭い目つきのまま俺にタブレットを手渡してくる。

 画面にはいつか見た覚えがある俺のプロフィールが記載されている。……確かこれは俺が最初に女の子になった時、SIDの力で改竄してくれた時の情報画面だ。こんなのを俺に見せて何になるんだ?

 

 寝ぼけた頭のまま自分のプロフィールを眺め続ける。上から下へ、下から上へ。変わったところなど見当たらない…………と思っていた。

 

 何度か往復したところで記載されている情報におかしな点があることに気づいた。といっても不具合の一言で片づけられそうな些細な情報の齟齬だ。少し前にマサダブルクに行ったし、何なら『OS事件』で海底にまで行ったことで反応が途切れた可能性もある。しかし、それしか異変らしい異変は見当たらない。

 

 それは俺の新豊州の滞在状況だ。おかしなことに『出国』として現在の状況が登録されている。

 

「出国……? 俺はここにいるのよな?」

 

 そこでようやく眠気が覚める。確かに不思議な状況ではあるが…………そんなに事態を焦るほどのことか? 愛衣やアニーに声を掛けて、時間を改めて話しても十分なことではないのか? 疑問が疑問を呼び、尚更俺とマリルしかいない状況に、俺が思っている以上に事態は深刻ではないのかと不安が走る。

 

「レン、覚えているか? 『イージスシステム』とSIDの情報が連携していることは」

 

「ああ、覚えてるよ。なにせ『イージス』が俺のことを俺と証明してくれたじゃないか」

 

 俺とマリル、そしてアニーと初めて会った日を思い出す。あの日、女の子初心者だった俺は何とかして、俺が『俺』であることを証明しようとした。学生証やらスマホやら色々と証拠を提示したけど、なによりも決定的だったのは、新豊州が持つXK級異質物『イージス』が自発的に持つ保護機能による新豊州市民の識別方法によるところが一番大きい。

 

「そうだ。『イージス』の力で、お前はお前という証明をした。だがな……この証明は絶対だからこそ絶対に有り得ぬ状況さえ生み出す」

 

 絶対だからこそ生み出す状況……? マリルの言葉にはある部分を暈すように説明を続ける。

 

「そもそも、どうやって『お前』は『お前』だと証明させた? 性別か、名前か、動作か、仕草か、脳波か……。どれも正解であり不正解だ。『イージス』はその個人によって定めた『魂』によって登録を振り分けている。それらが導き出した情報からSIDはお前の元々あった情報と照合……にわかに信じがたいがお前がお前という証明を得た。ここまではいいな?」

 

「問題ない」

 

「だがな……。『イージス』が定めるのはそこまでだ。ある程度の自己判断能力を持つ『イージス』は己の中で情報を処理し、己の中で情報を保護する。それを解析してSIDは正式な住民IDを発行する。ここで初めて情報の齟齬が発生しうる」

 

「じゃあ、ただのヒューマンエラーってこと?」

 

 それはもう別の意味で深刻ではある。天下のSIDが杜撰な管理をするなんてエージェントや組織の教育が行き届いてないか、あるいはスパイによる情報工作か……。どちらせよ穏やかなことじゃない。

 

「ヒューマンエラーじゃない。むしろ『イージス』が優秀すぎるから発生するんだ。再度言うが『イージス』とSIDの情報は絶え間なく情報を交換し続けており、そこに本来データの齟齬などが普通は発生するはずがない。何故なら『イージス』の判断基準は『魂』だ。その『魂』によって判断をして、新豊州市民だけでなく旅行客などもIDを振り分けて極力保護対象にしようと『イージス』は常に動き続ける。そのIDの数はそれこそ人類の総人口と常に同じ数を刻み、IDの数値が同じということはあり得ない…………。同じ『魂』など本来二つと存在しないのだからな」

 

 同じ……『魂』は、本来『二つ』と存在しない……。

 

 マリルの言いたいことが段々と理解してくる。それは俺にとって喜報や朗報と言った最重要事項の一つかもしれない。

 

「だからこそ……。肉体が違うとしても、同じ『魂』を持つ人間を『イージス』が観測した場合どうなる? 『同一人物』として扱って、『イージス』は自己で情報整理と完結を済ませて再度保護に努める。我々SIDは『イージス』と違って『魂』ではなく、それに基づいたデータを照合する。そこで初めて我々は気づくのだ。『イージス』が更新した履歴と、我々SIDが更新した履歴に決定的な違いが生まれることにな」

 

「それって……つまり——」

 

「ああ。結論から言えば、ついにお前が『男』だった時の姿を持つアイツが捕捉できた。『イージス』がお前の『魂』が海外へ旅立つ時、SIDのデータは確かに自室で熟睡中のお前を捉えた」

 

 熟睡中をつけるのは余計だよっ!

 

 ……だけど、それはとんでもなく俺にとって貴重な情報だった。『男の姿を持つ俺』と『レンの姿を持つ俺』……。これはだいぶ前から気になり続けていたことだ。

 

 男の俺について忘れたことはない。イルカと出会った日からすぐのこと、突如として俺の姿をしたアイツはニューモリダスにあるアルカトラズ収容基地を襲撃。その中に保管されていたEX級異質物『天命の矛』を強奪して逃走。以降、姿を表すこともなく行方不明な状況が続いていた。

 

 今の今まで音沙汰なしだったはずなのに、まさかここに来て初めて痕跡らしい痕跡を残すなんて……。

 

「となると『魂』の行き先……つまりは男のお前がどこに行ったのか気になるだろう?」

 

 マリルの言葉に俺はすぐに頷く。

 

「だからこちらも調べておいた。アイツは…………新豊州からニューモリダスへと旅立ったという履歴を『イージス』から手に入れた。それに伴ってニューモリダス首都航空の空港にある監視カメラから、入国する男のお前が目撃されている。まず間違いなくアイツは、ニューモリダスに今潜伏している」

 

 ニューモリダス——。世界最高の貿易港にして、絢爛華麗な風光明媚を地とする銃社会。そんな硝煙と共に胡散臭さが香る街で再び男の俺が現れたということに、俺は疑問しか浮かばない。

 

 アイツは一度『天命の矛』を強奪した都市へとまた向かっていったというのか? 一体何のために? 

 アルカトラズ収容基地を襲撃した一因もあって、現在ほとんどのEX級異質物は『サモントン協定』によってサモントン教皇庁に管理のもと収容されている。アイツがもしも再び異質物の強奪目当てで来襲したしたら、目指すべきはサモントンであるべきだ。

 だというのに何故? 無い頭でも考えればいくつか理由は推測できる。

 

 ニューモリダスについて詳しい話はマリルから聞いているし、何よりスクルドの出身地ということもあってサモントンやマサダブルクと並ぶほど政情は把握している。そしてニューモリダスが第二学園都市として象徴するXK級異質物『リコーデッド・アライブ』の詳細についても。

 

 もしアイツがニューモリダスに再び出向く理由があるとすれば、まだ移送途中のEX級異質物を強奪するか、もしくはニューモリダスの別の収容基地で管理されているsafe級異質物の強奪。あるいは『リコーデッド・アライブ』自体に目的があると考えるのが自然だ。

 

 XK級異質物『リコーデッド・アライブ』——。

 新豊州が持つ『イージス』の防護特化やマサダブルクが持つ『ファントムフォース』の攻撃特化と違い、その異質物の効力は『一定の対価を払うことで、同等の価値を持つものへと変換する』という、いわば『等価交換』という言葉がこれ以上にないほど相応しい異質物だ。

 

 最も恐ろしいところは『対価』とは『何でもいい』という点に尽きる。故にニューモリダスではあらゆる物に価値が生まれる。塵も積もれば山となるという諺があるが、所詮塵は積んだところで塵に過ぎない。だが『リコーデッド・アライブ』の前ではどんな塵であろうと、瞬く間に金や食料に変換されるという奇跡にも等しいことが起こりうる。

 とはいっても、あくまで『交換』に過ぎないので、地表上に存在しないものに変換することはできないらしいが……。問題はニューモリダスがこれほどまでの情報を惜しげもなく『公表』しているという点だ。

 

 新豊州もマサダブルクも……いや六大学園都市すべてがXK級異質物について本質的な能力については機密事項にしていることはいくつかある。実際『イージス』の判別方法が『魂』で行われていたなんて、新豊州市民の俺でさえレンになるまで知らなかったことだ。

 

 ニューモリダスが『リコーデッド・アライブ』の情報をそこまで公表する以上、何かしらの情報や効力はまだ隠し持っているのは明白だ。それをアイツが知っていて、その秘匿された効力を目当てにニューモリダスに向かったとしたら…………向かう理由としては十二分にあり得る可能性だ。

 

「アイツの目的も気になるが、そんなものは捕らえてから尋問すれば幾らでも分かることだろう。第一優先はとにかくアイツの随時追跡、並びに確保だ。そのためにも、いの一番にエージェントを派遣する必要がある」

 

「とはいってもな」とマリルはそこでため息をつく。

 

「ニューモリダスが誇る情報機関『パランティア』との連携は政府側からの圧力もあって、新豊州の情報機関であるSIDが大手を振って入国をするわけにいかん。下手したら外交問題にも繋がる」

 

 ……気のせいかな。その流れどこかで、というかつい最近マサダブルクで入国するための手筈と似ている気がしてならないんだけど。

 

「そ・こ・で、お前には身分を偽装してニューモリダスへと潜入。現場に到着次第、ある人物と協力してアイツを追跡することになった」

 

「やっぱり? だとしたら、その人物って……」

 

「実態としては二人なのだが、協力者の関係で三人いる。…………その内二人は想像はつくだろう。ニューモリダスの件なら協力を仰がない方が無理というものさ」

 

 マリルの言う人物にすぐに思い浮かんだ。先ほどあげた少女、スクルド・エクスロッドとメイドであるファビオラに違いない。

 

「もう一人の人物は…………個人請負業者として世界各地で活動を行う仕事人『イナーラ』だ」

 

「イナーラ?」

 

「国のトップなら一度は耳に挟む極秘人物だ。元老院のジジイ共は全員知っているし、他国ならランボット、エクスロッド議員、デックス博士…………恐らくはラファエルやエミリオも知っているであろう有名人さ」

 

 全然聞いた覚えがない人物だ……。まあ諜報員や忍者は存在が認可された時点で三流というらしいし、一般人である俺に噂も聞かないほどの人物となるとそれだけ優秀ということだろう。

 

「どういう人なの?」

 

「何でも屋、とでも言えばいいだろう。護衛、情報収集、暗殺、窃盗、テロ行為…………どんなことでも金さえ積めば熟す仕事人さ」

 

「聞く限り大悪党じゃないか!? そんな奴に頼んでSIDの立場は大丈夫なのか!?」

 

 俺の疑問にマリルは鼻で笑いながら答えた。

 

「事情が複雑でな。有り体に言えば義賊的な扱いを世界各国から扱われている。もちろん世界中で捉える方針はあるが……彼女のおかげで政界のパワーバランスが保たれている一面もあることで各国全てとは言わないが、イナーラに弱みを握られてる。そんな奴が捕まりでもしたらどうなると思う?」

 

「弱みが漏れなくてハッピーとかじゃないの?」

 

「頭の中は未だに夢心地か? マサダブルクの一件、ある人物の死亡を引き金として衛星『STARDUST』を落としたように、逮捕がキッカケでイナーラが持つ情報漏洩したらそれこそ各国がパニックになる。ただでさえ七年戦争の影響で世界はボロボロな上にそんな事態が起きてみろ。まず間違いなく六大学園都市以外の国は壊滅状態になるし、学園都市も無事では済まない。破滅へのスイッチは何もマサダが持つ『ファントムフォース』だけじゃないんだ」

 

「……あくまでかもしれないだろ?」

 

「その『かもしれない』が起こすのが全人類バッドエンドなら、例え天文学的な確率でも触れない方がいい。もしイナーラを確保する時があれば、それはもっと未来の…………世界が安定期になってからだ」

 

「その頃にはお前もイナーラもおばあちゃんかもしれないがな」といってマリルは笑みを溢す。

 

 てか、おばあちゃんって、俺はそんな長くまで女として生きるのがマリルの中では確定されてるの!?

 

「イナーラのことは資料を渡すから移動中にでも見ておけ。そんなことより今後のお前の動き方と役割について説明しなければならない」

 

「入っていいぞ」とマリルが手に持っていた端末に言うと、ブリーフィングルームの自動ドアが開かれる。

 

「久しぶり〜、レンお姉ちゃ〜〜〜〜ん!!」

 

「スクルド! ラーメン屋以来か!」

 

「お久しぶりね、駄メイドことレンさん」

 

「駄は余計だよ、ファビオラ!」

 

 俺の前にニューモリダスの御用人であるスクルド・エクスロッドと、そのメイドであるファビオラが姿を見せた。

 

「レン、お前にはスクルドのSPとしてファビオラ共々行動を共にしてもらう。お前自身の自由となる時間は少なくはなるが……スクルドは第二学園都市ではある程度自由に行動できる権限がある。それに同伴してターゲット探ってくれ」

 

「分かった。ターゲットについて、二人はどこまで知っているんだよな?」

 

「お嬢様と違って、私はターゲットの詳細までは聞かされておりませんが……メイドとは常に一歩退いて事態に当たり君主に傅くもの。気にはしておりません」

 

「私も政治家の娘だからね、ターゲットがアルカトラズ収容基地で強奪とかの部分も聞いてるよ。これはファビオラも知っているけど…………私自身は……うん、特にはないかなぁ」

 

 その言葉には明らかに嘘が入り込んでいた。以前、ファビオラの一件で親しくなった時にスクルドは言っていた。彼女自身が持つ能力『未来予知』——、それで俺の『姿』を見たと。

 

 その姿とは、奇しくも俺が夢に見た学園都市の崩壊と同じ光景であり、俺が男だった時の姿だという。顔も身長も髪の長さまで全て覚えている様子で、女の俺を見た時にはかなり疑問に満ちた質疑応答をしたのは覚えている。

 

 ……そこまで鮮明に覚えているのなら、俺がニューモリダスの空港で姿を見せたと知った時はスクルドも驚愕したんだろうな。何せ本来いるはずがない人物がそこにいるのだから。

 

「そういうわけだ。レン、SPの訓練は覚えているだろう?」

 

「覚えています。護衛対象の安全を第一に考えて行動する。第二に連絡を常に絶やさないこと。第三に身を危険に晒して事態の究明に当たらない。あくまで護衛が目的だろう?」

 

「よろしい。ならば特殊作戦用の服に着替えておけ。今回は……喜べ、こういうものだ」

 

 マリルは手元のスーツケースからクリーニング屋で仕立てたばかりと見間違うほど綺麗な黒のスーツが出てくる。

 それを手渡されて俺は感じた。これ完全に防弾製だ。通常よりも遥かに重く、裏生地には関節部以外に鉄板が仕組まれていて、軽く羽織るだけでも姿勢が矯正されて、見てくれだけは逞しく見えてくる。

 

「おぉ……念願の男物……ッ!!」

 

 おかえり、俺のマイフェイバリット。こんなタイプの服を着るのは入学式以来だけど、それでもこの胸にこみ上げるワクワク感は何とも言えない。メン・イン・ホワイトを見た時と同じ興奮が激ってくる。

 

「ほら、動きやすさ重視で下はスラックスと革靴だ。中に着るのはカバーバンドとベスト、どっちがいい」

 

「ベストでいいよ。……ネクタイはどうしようかな♪」

 

 お洒落にリボンタイとかにしてみようか。それともオーソドックスにダービータイや蝶ネクタイにしようか……。

 

「随分と楽しげですね、レンさん。男装の趣味でもおありですか?」

 

 ファビオラの何気ないツッコミに俺は固まる。

 

 そうだよな、普段ラファエルから女装癖、女装癖と言われてずっと潜在意識で女の子の服を着るのに抵抗感を覚えていたが、改めて考えると俺は現在女の子ではあるから、逆に男物の服を着たら『男装癖』と呼ばれる存在になるんだよね……。どちらにせよ、俺はどんな服を着ようが変態の道は避けられないのか?

 

「……あっ、そう言えば忘れてた。ファビオラ、レンお姉ちゃんが『男の子』かどうか確認しなくていいの?」

 

「分かり切ってるので大丈夫ですよ、レンさんは『男の娘』ではありませんから。しかしボーイッシュではあるので私的には全然アリですけどねっ♪」

 

 ——意外ッ、迫りくる新たな性癖ッ! 

 

 ファビオラにも、ソヤやハインリッヒに負けない秘めたる何かがあるのではないかと、俺の本能が警鐘を鳴らす。

 

「レンさん……見た感じ、男装は初めてでしょうか?」

 

 初めてじゃないけど、初めてですッ!!

 

「ええ、ええ……。女性が男性の服を着るのは気苦労がありますから……。サラシを巻いたり、肩幅を調節したりとありますからね……。胸に余分なスペースもないで、スーツのボタンが付けられなかったり、ヒップが大きくて丈は十分なのにズボンが入らなかったりと……」

 

「く、詳しいっすね……」

 

「仕事と趣味は兼用していますから。ですが、私はそういう頑張ろうとする女の子にも控えめに言って『超萌えます』」

 

 ひえっ……!! 控えめで超までいくのかよ……っ!?

 

「レンお姉ちゃん……。私も興味あるから観察するね♪」

 

「嘘だろっ……!?」

 

「はいッ! というわけでファビオラ自らが男装というものを伝授致しますッ!! さあ、まずは全てを脱いでもらいます!! 話はその後で!!」

 

「や、やめてくれぇぇえええええええ!!!」

 

 これから重大な任務が起こるというのに、何でこんな目に合わなきゃいけないんだよッ!



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第6節 〜Half Time〜

 先の男装事件から数時間後、俺はエクスロッド家が所有する小型飛行機の中にいる。個人所有物ということもあり、普通に乗る旅客機の狭苦しいエコノミー席やファーストクラスみたいな豪華な個室とはわけが違い、機内全てがラウンジとして設計されたVIP仕様だ。ソファから大型モニター、果てにはビリヤード台からダーツなど遊戯が多種多様だ。

 一見、燃料や領空的な問題で一般利用の乗客がいないのは予算的にどうなのと思うが、そこらへんは「触れちゃいけない事情がある」とスクルドは天使みたいな外見とは裏腹に、悪魔みたいな腹黒い笑みを浮かべてはぐらかしていた。政界の娘って怖い。

 

 そういうこともあって俺はニューモリダスに着くまでの間、スクルド達と遊戯を楽しむつもりだったが…………。

 

「ほい、インナーブルにスリーヒット。これで150点獲得」

 

「やった! 私はトリプル20が二つとシングル20で140点!」

 

「お前ら初心者相手に手加減とかしようよ……!」

 

 こうも手も足も出ないと楽しむ余地がない。……何より、こいつら容赦ない! 

 ルールはカウントアップで8ラウンド制。合計で採った点数が一番多い人物が勝利というものだ。そして今は7ラウンド目。俺はダーツ機の上に表示されている現在のスコアを見てみる。

 

 スクルド:1040

 ファビオラ:1050

 レン:816

 

 どう見ても逆転不可能な状況だ。仮に俺がトリプル20を3連続成功しても得られるのは180点で追いつかない。既に俺のゲームは終わっている。

 

「これでも手は抜いてますよ〜レンさ〜ん♪ 私はリング内のダブルやトリプルは全部シングル扱いな上に私だけセパレートブルで分けてるじゃないですか〜♪」

 

「そうだよ〜♪ 私だって投擲距離は子供用じゃなくて通常ラインでやってるだし〜♪ それにレンお姉ちゃんは最初からトリプル20の五つ分、つまり300点貰ってるじゃんか〜♪」

 

 だとしても……ここまでの敗北は心労的にキツい。それがダーツだけでなくビリヤードからトランプ、UNO、果てには世界的に人気なカードゲームなど様々なゲームでボッコボコのボコにされてきた。

 

 

 …………

 ……

 

『ごめんね、お姉ちゃん! ストレートフラッシュ!』

 

『レンさんからのドロー4をお嬢様と私で返して合計12枚……自滅しましたわね』

 

『全ワルキューレで直接攻撃! バトルフェイズ終了時に速攻魔法《時の女神の悪戯》を発動! 再び全ワルキューレで直接攻撃!』

 

『レッドゾーンZのアタック時に革命チェンジ、レッドギラゾーン。ファイナル革命で他クリーチャーをすべてアンタップしてダブルブレイク。ザ・レッドのアタック時に手札に戻したレッドゾーンZに侵略。効果でシールドを墓地送りしてダブルブレイク。ついでに赤のコマンドが出たから禁断解放してドキンダムXでトドメ』

 

 ……

 …………

 

 

 思い出すだけで酷い有り様だ。

 

「ふっふっふ……。いくらお嬢様でも遊びで負けるほどファビオラは優しくありません。お嬢様が勝つには私の次の三連インナーブル入れた1200点を超える必要があります。それにはお嬢様は160点を超える……つまり全て18点以上のトリプルを決める必要がありますよ?」

 

「その言葉、そのまま返すよ♪ ファビオラだって、ここまでインナーブルを7ラウンド全て成し遂げたけど、それが8ラウンド目まで持つかな? 一つでも外したら50点は消えてその時点で1150点……110点程度の差ならトリプル20を二回決めたり、ブル二回で適当に11点以上を狙うだけで勝っちゃうよ?」

 

 俺には『その程度』ができないんですけど。何だよ、この二人の高レベルな実力は……。きっと戦闘力がインフレする漫画に出る一般人は超戦士達の戦いをこんな風に見つめていたのかもしれない。

 

「今日は負けるわけにはいかない……。ファビオラにはレンお姉ちゃんの前で堂々と自分が持つ下着を全部口頭で説明してもらうからね……!」

 

「何とマニアックな……。お嬢様、いつからそんなご趣味が……!」

 

「趣味じゃない! ファビオラに与える罰だよ!」

 

 しかし、今はあんなに楽しそうに遊ぶスクルドだが、発進前は酷く不安げな顔をしていたのが嘘みたいだ。そして何故そんな顔をしていたのか、その理由を俺は知っている。

 

 話は少し巻き戻る。

 

 どこまでかというと……ファビオラによる男装徹底指導による男性が男の服を着るのと、女性が男の服を着るのでは決定的な違う部分を身体で教えられた後ぐらいだ。

 

 

 …………

 ……

 

 

「うぅ……俺の全てが霰もないことにぃ……」

 

「いいじゃないですか。おかげでサイズもバッチリ採寸し直しましたし、これもメイドが為せる神業、なのですよ」

 

 確かにサイズピッタリだけどね。俺は鏡に映る自分の姿を見つめる。

 

 上下共に黒で統一されたメンズのフォーマルスーツ。シミひとつない白のカッターシャツと繊維が整った黒のリボンタイが英国紳士を思わせる上品さが漂っており、背筋さえ伸ばせば俺でさえ実際の年齢より一回りも大人びた気品を持つジェントルマンに見えてくる。グレーのベストも色合い自体は地味な印象を受けるが、今の俺の髪色は黒と赤のツートンカラーなので、この地味さがファッション初心者にありがちな『服に着られている』という印象をなくし、俺自身が服を着こなしている感さえ出てくる。しかもベスト自体は小さい物を使用して背筋も矯正させてるので、その小慣れた雰囲気を醸し出すのに一役買っている。

 

 胸を小さく見せるコルセットも付けてるから胸元が目立つこともなく、むしろ少し逞しい胸筋にも見えるし、髪さえ切り落とせば一見では女性とは思えないほどだ。この際、思い切って断髪してみるのもいいのかもしれない。長い髪を維持するのが大変なことをこの身体になってから否が応でも知っている。安易に女性にポニーテールやツインテールなどを勧めるのは下手したら殺人事件の理由にもなりかねないほどに。

 

「あぁ〜〜……。やっぱいいよなぁ〜〜!!」

 

 改めて思ってしまう。この着心地、特に股下辺りのフィットした感覚はスカートでは味わえない安心感と安定感。下着が見られる心配もないし、やっぱり男性物こそ俺には合う。最近は自分の元の顔さえ思い出すのが苦労するし、先の一件で『私』が出ることに不安な思いをしたが、これだけで俺は男だと自信が持てる。やはり俺は男だと、高らかに宣言できる。

 

「いいでしょう、たまには男装というのもっ!」

 

「……ファビオラ、話が噛み合ってない」

 

 スクルドの冷静なツッコミが入る。

 そう、俺は男装を楽しんでるわけではない。元々男性なのだから、こういう服を着て心を満たす安心感に浸っているに過ぎないのだよ。

 

「う〜む……。イマイチお嬢様の言い分は理解できませんが、それはそれ、これはこれ。メイドらしく慎ましく納得しときましょう」

 

 不思議そうな表情を浮かべながらファビオラはとりあえずは納得したようだ。思えばラファエル、バイジュウ、ソヤ、エミリオ…………出会う先々ほぼすべての人達に男疑惑持たれてるけど、逆にファビオラからは一切そういうことを思われたことないんだよな。気づいてないのか、気づいてはいるけど踏み込もうとしないのか……。もしくは単に俺に必要以上に興味がないのか。

 

 何であれ男疑惑が持たれないのは弁解する機会が減るというわけではあるので、俺としては気分的に楽ではあるのだが。

 

「ファッションショーは終わりか? じゃあ任務の手配と説明を続けるぞ」

 

 マリルの言葉に、俺とスクルド達は気持ちを切り替えて本題の話を聞く姿勢となる。

 今はスーツ云々やファビオラ云々については二の次だ。一番はニューモリダスで目撃された俺が男だった時の姿を持つアイツについて知るのが第一優先だ。

 

「先も伝えたが、今回のターゲットはニューモリダスに潜伏しているこの少年だ。住所も名前も『不明』ではあるが、こいつは政府が極秘で追っている重罪人であることは間違いない。何せアルカトラズ収容基地でEX異質物を強奪したんだ、放っておくわけにもいかん」

 

「その割には随分と熱があるように思えますが」

 

「おいおい、これでもSID長官だぞ。市民の安全と繁栄を願っている身として、国際的な犯罪者を野放しにするわけないだろう」

 

 マリルが言うと詐欺師の謳い文句みたい、とか言ったら怒られるんだろうなぁ。

 

「そこで最重要人物の確保、並びにEX異質物の回収を目的としてレンをスクルドの護衛として配置させてもらう。レンの所在を知っているのはこの場にいる私達と、既に事情を説明して裏側の手引きをしてもらったスクルドの父である『スノーリ・エクスロッド』議員と手引き先である情報機関『パランティア』のみだ」

 

「だが」とマリルは間髪入れずに話を続ける。

 

「他の情報機関も政治家も脳みそに苔が付いた存在ではない。数日もあれば今回の事態には気付くだろう。政府関係者に気づかれずに目標の人物を人知れず確保するのが一番スマートではあるが……そこのところ実際どうだ、ファビオラ?」

 

「…………私が2年前に『パランティア』に所属していた時から変わっていなければ、あの情報機関は精密射撃や市場調査といった物を得意としていて諜報に関しては政府直属の機関に劣るのが実情ですね。ですからパランティアと連携が取れても厳しいところがあるかと……」

 

「やはりそうなるか……。だとしたら作戦の指針はこうだ。理想としてはレンはスクルド達と同行して第二学園都市へと入国。スクルド護衛の任務を行いながら、こちらは水面下でイナーラと連絡してお前と接触してもらうよう手配する。接触でき次第、スクルドとの予定を合わせながらイナーラと情報交換をしてターゲットの場所を絞り込んでくれ」

 

「そこまでコソコソやる理由あるかなぁ……?」

 

 俺が溢した疑問にマリルはため息をつく。その視線は「今ここで言わんでくれ」と言うように呆れ気味だ。

 

「アイツの身分は現状不明なんだ。拘束され次第、身ぐるみ全部剥がされて情報という情報を抜き取られるだろう。EX級異質物を強奪する手練れなんだから、さぞかし興味が湧くよなぁ〜〜♪ どんな情報が漏れ出るんだろうなぁ〜〜。手段や目的、それに国籍とか気になるよなぁ〜〜」

 

 マリルの言い含めた発言に俺は察した。ファビオラやスクルドがいるせいで、俺の内情をすべて言えないことを考えると、つまり言葉の意味は俺の身を案じているんだ。今回の作戦、隠密にやる理由に関してはSIDがニューモリダスに潜入する問題もあるが、何よりも『SIDがアイツを確保』しなければならない事情もある。

 

 他国がアイツを確保したとして、その場合『俺』としての情報が漏れることになる。そうなると完全に『俺』が犯罪者として認定されて、『俺』という存在は一転して社会的地位が失ってしまうのだ。

 

 そんなことになれば、今ここにいる俺という存在が元に戻る手段を手に入れたとしても、今後の生涯を平穏に暮らすには『レン』として生きることを余儀なくされる。つまり俺が『男に戻る』という可能性が潰されるということなのだ。

 

「まあ、そんなところだ。他国にアドバンテージが取れる情報が取れれば外交にも強く出れる。多少の危険を承知してでも確保に動く理由にはなるさ」

 

「マリル……」

 

 普段から色々と弄ってくるけど、そういうところしっかり考えてくれてるんだな……。思わず感涙しそうになる。地獄にも仏、鬼の目にも涙とはこのことか。

 

「だが、この指針はあくまで早期決着を狙ったものだ。アイツの確保が遅れた場合、パランティアにも協力を仰いでもらうことになる。そうなると政府機関にもこちらの潜伏がバレる恐れが高くなる。……レン、今回はマサダブルクみたいに私の助力があると思うなよ。アレだってそう出したくない手なんだ」

 

 マサダブルクの助力となると、エミリオが人質に取られた時にした俺の無謀な交渉術のことだよな。あれもマリルがSID長官が直々の連絡を取ることで、俺の立場を暗にフォローしてくれたから効果を得られたものだ。

 この手は『情報』が不明瞭だからこそできる情報戦なうえにこちらが下手となるものだ。マリルとしては好ましくないからこそ、あの状況下でも最後まで出し渋っている。雑に扱ってしまうと『もしも』の時の切り札がなくなってしまうのだ。

 

「わかっている……。今度はヘマをしない」

 

「よろしい。パランティアと協力する場合は追って連絡を渡す。それまではスクルドは護衛とイナーラとの交流に勤しんでくれ」

 

「交流って……」

 

「あの女は相当変わり者だ。きっと気に入られるぞ」

 

 気に入るんじゃなくて、気に入られるのか……。ソヤとか愛衣みたいな変態じゃありませんように。

 

「それでは通達を終える」

 

 その言葉を最後にスクルド、ファビオラ、俺の三人は即座にSID内にある移動用エレベーターを経由して、黒塗りの防弾仕様のSUVへと乗り込んでエクスロッド家所有の航空機が待つ空港にまで向かうことになる。

 

「久しぶりだね、お嬢さん」

 

「あ、お久しぶりですっ」

 

 乗り込んだSUVの運転手は、ソヤと一緒に新豊州を巡った時に知り合ったいつぞやのお爺さんだった。タクシー運転手に扮した姿ではあるが、その人が良さそうな笑顔と年季の入った皴は忘れる方が失礼というものだ。あの時には移動手段として非常にお世話になりました。

 

「すいません、新豊州国際空港までお願いします」

 

「あいよ。代金は嬢ちゃんのスマイルな」

 

「あははっ……あざっす」

 

 ごめんなさい。そういう年寄り特有のジョークには俺は応えられるほどボキャブラリーが豊富ではない。

 

 車内には女性キャスターがニュース速報を読み上げるラジオの音だけが響く。後部座席に俺達三人は乗っているものの、特に弾むような会話などは起こらず俺は窓の外ばかり眺めていた。ファビオラも俺とは理由は違うが、同様に外を見てスクルドへの襲撃がないか付き添いのメイドとして常に注意を払っている。…………俺も今はSPなんだからスクルドに気を配らないといけない。

 

 そう思ってスクルドを見ると、彼女は今までの天真爛漫な笑顔はどこにいったのか、とても子供とは思えない不安げな瞳で俯いていた。

 

「……お嬢様、やはり不安ですか?」

 

「うん……やっぱり、ね……」

 

 その表情は見覚えがあった。先日、ラーメン屋であった時の最後に見せた神妙な顔つきと非常に似ている。あの時はすぐに笑顔を見せたから一種の迷いか、あるいは見間違いかと思ったが、どうやら俺が想像しているよりも根深かったらしい。今でもその思考の痼りは残っているようだ。

 

「……何か困ったことがあるなら言ったほうが楽になると思うよ」

 

「うん、そう思ってた。レンお姉ちゃんなら伝えたほうがいいって……」

 

 するとスクルドは困った顔を浮かべ、恐る恐る運転手に聞いた。

 

「……こっちの会話を聞こえなくすることとかできるかな? 無理なら大丈夫なんだけど……」

 

 そんな頓珍漢な質問に、運転手は特に表情も変えずに左手をハンドルから放して、ファビオラが座る後部座席左側にあるボタンを指した。

 

「滅多に使ってなかったけど、そこを押せば防音フィルターが運転席と後部座席の間に貼られた気がするよ。大声でも出さない限り運転席には届かないし、それに俺も歳も食って耳が遠いから仮に聞こえても忘れるってもんさ」

 

「マリル長官も変な機能付けるよなぁ」と運転手は笑いながら言った。いや、そんな機能を覚えている時点で忘れるとは到底思えないんですけどz

 

「ありがとう。それじゃお言葉に甘えてっと……」

 

 スクルドはファビオラの身を乗り出してボタンを押した。運転手が言っていた通り、俺達との間に防音フィルターが即座に展開されて、ラジオの音さえかなり篭っているのがこちら側からでもわかる。耳を澄ましてもニュースキャスターの声の判別すら難しい。かなり優れた防音性だ。

 

「…………じゃあ、レンお姉ちゃんに伝えることがあるんだけど……その前に約束して。今から言うことは嘘でも何でもない。証明する手段も、確証的な意見もない。だけど私は直感したんだ。きっとこれは事実だって。それでも約束して…………私の話が『本当』のことだって」

 

 少女が必死な思いで溢した言葉は悲痛に満ちていた。俺よりも博識で聡明なあのスクルドが、そんな曖昧な表現をしなければならないほどの事態が何かあったのだ。俺には想像もつかない葛藤や思考が今までずっと張り巡らされていたのだろう。

 

 そんな少女に俺は何ができる? そんなの——決まりきっている。

 

「信じるさ。だって俺は君にとって『一番大切』な人だしね」

 

 あの時体験したファビオラの『記憶』は『夢』となって忘れてしまったけど、そのために紡がれた約束までも儚く消えたわけじゃない。この繋がりは確かに大切にしなければいけないものなんだ。

 

「その言葉、聞き捨てならないんですけど詳しく聞いてもよろしいでしょうか?」

 

 突如、ファビオラの瞳から熱光線が出るのではないかと錯覚するほど殺意に満ちた視線が送られる。

 

「待って! 俺、何もしてないっ!」

 

「日々政治家達におべっかを絶やさないスクルドお嬢様ですが、その実かぼちゃパンツの卒業さえ出来ないほど初々しい心の持ち主なのです。どういう経緯かは知りませんが、そんなお嬢様を汚すような真似をしている場合こちらも殺菌処分を考えないといけないんですが?」

 

「お姉ちゃんとは何もないから! それにかぼちゃパンツのこと言わないでよ!?」

 

「マジでかぼちゃなの!? この年齢でッ!?」

 

「違うからッ! いや、違わないけど今日は違うからッ!」

 

「そうですッ! 本日はキュートなクマさんパンツです!」

 

「それも言わないでよ!」

 

 どんちゃん騒ぎな後部座席。そんな雰囲気を感じて運転手は困った表情を浮かべながらフィルターをノックしてくれた。そして口パクで「聞こえるからね」と渇いた笑いを浮かべた。

 

 そこでスクルドは冷静さを取り戻したのだろう。顔を赤くしながらも咳払い一つで落ち着きを取り戻し「この恥かしめはいつか必ず……」と物騒なことを呟いている。

 

「…………こんな後に言うのも難だけど……実は……」

 

 やけに長く感じる沈黙。一秒か、十秒か、それ以上か。あるいは意外にもすぐだったのか。スクルドは目を伏せながら告げた。

 

「私、未来が……『見えなくなった』の……」

 



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第7節 〜Loss Time〜

なんか2時投稿されてることに後から気づいた。


「私、未来が……見えなくなったの……」

 

 スクルドから告げられた言葉の意味に、俺は一瞬理解ができなかった。

 

 未来が見えない……。つまり『未来予知』の能力が使えなくなったということなのか? 

 

 そんな俺の考えを読み取ったように、スクルドは一つ頷くと眉を下げて困った表情を浮かべながらも言葉を続ける。

 

「安心して、実害のある不利益とか一切ないから私自身そこまで困ってはいないよ。『未来予知』とカッコつけていても、実態は割とよく当たる勘程度と思った方がいいくらいの物だし……」

 

 よく当たる勘程度の物——確かに言い得て妙だ。スクルドの『未来予知』能力は漫画やアニメとかにあるものに比べて絶対的な物ではない。

 

 前に播磨脳研で説明されたことを思い出す。

 

『未来予知』といっても、あくまで頭の中に断片的な『記憶』があるだけで、その『記憶』を思い出したとしても、どれが過去でどれが未来かなんて本人でさえ判別がつかないと。

 

 何故ならテレビなどの録画と違い、客観的に記された『記録』でない以上、断片的な『記憶』で感じたことを手がかりに予測したところで、人の脳というものは主体となる部分までしか覚えることができず、他の細かい情報を把握することができないのだ。人間の記憶というのは予め脳内で再構築、あるいは整理された情報でしかないと、かつてスクルド自身が言っていた。

 

 例えるならば、自分の記憶に『甘いケーキ』を食べた記憶があったとする。だが、それは『いつ食べたのか』を覚えているだろうか。ましてや『どんな名前のケーキ』だったかを覚えているか。

 ケーキを食べる機会なんて過去にも未来にも腐る程ある。その時漠然と『記憶』していた『ケーキを食べる』という行為は果たして把握しきることができるか。今この瞬間こそは『未来予知』で見た場面だと。

 そんなのは実際に目の当たりにして、本人が『デジャブ』というものを感じることで、初めてここが『未来予知』の能力で見た光景なんだと再認識できるのだという。スクルドの能力はそんな感じなのだ。

 

 だからこの能力が役に立つのは極めて特殊な非常事態に陥った時ぐらいだ。過去の事件や災害を調査して『未来予知』で見た『記憶』が『記録』に該当しないであれば、必然的にそれは『未来』に起こることだと推測できる。そこまで行って初めてスクルドの『未来予知』は信頼できなくもない内容へとなるのだ。

 

「……正直『未来予知』があって助かったことなんて数えるぐらいしかないし、むしろ杞憂に終わるから気苦労の方が多かったんだけど……。唐突にいつかの朝、夢から覚めた時に理由もなく気づいたの。私の『未来予知』が機能しなくなったことに」

 

「不思議だった」とスクルドはSUVのフロントガラスを見つめながら言う。

 

「何かね、心臓が丸ごと無くなったっていうのか……。指先に持った箸の感触がないというか……。付けているはずのメガネを無くしたというか……。そんな感じ程度の違和感しかないのに、確信を持って『未来予知』ができないって……そう感じ取ったの」

 

「……スクルドは能力を失って不安なのか?」

 

「『未来予知』ができなくなったこと関しては不安じゃないよ。ただ物心付いた時からある能力だから、実際になくなったと思うとどんなに異質でも寂しくは感じたよ。だけどそれとは別に…………能力とは関係ない『予感』がするの」

 

「『予感』?」

 

 予知ではなく予感——。

 

「どんなに寝て覚めても頭に焼き付いて、振り払うことができない『予感』——。それは、私が『死ぬ』かもしれないっていうもの」

 

 アイスで当たりを引いた、というように呆気らかんにスクルドは『死』という予感を口にした。

 あまりにも平静なまま口にするものだから、俺は聞き流しそうになりかけたスクルドの言葉を辿りながら会話を紡ぐ。

 

「待って。そんなアッサリと自分の『死』を口にする?」

 

「あくまで予感だからね、かなり漠然とした。記憶にある感じでもなく本当にイメージが湧くだけ。いつ死ぬかも分からない以上、もしかしたらただ単に老衰かもしれないし。そんなのに一々杞憂してたら若ハゲになっちゃうよ」

 

「だけど、問題はここからなんだ」とスクルドは付け加える。

 

「その『予感』と能力の消失……。それ境に私の『記憶』にあった事態とは差異がある出来事が頻繁に起きたの。密売していた組織を確保した際は売買していたのが銃ではなく麻薬だったり、お気に入りのスイーツ店の記念来店客数が一日遅くなったり……」

 

「待て待て。スイーツ店の出来事と、密売を同列に扱うな」

 

「ニューモリダスだと割とあることだからね。慣れたくなくても慣れちゃうんだよ。……それに差異があるのは、アナタと会ったときも『未来予知』と違う光景ができていた」

 

 俺と会ったとき——。そこで俺はラーメン屋でスクルドと話し合ったことを思い出す。

 

「私の記憶が正しければレンお姉ちゃんは『一人』で来て、しかもその時刻は『黄昏時』のはずなんだ。決して放課後の黄昏時の前じゃない。私が思い浮かべる情景とは差異が大きすぎる。……しかも『OS事件』なんて私の『記憶』には載ってない。もちろん偶然そこを『未来予知』していないとなればそこまでだけど、私は知ってるんだ……。本来、レンお姉ちゃんは『OS事件』じゃなくて別の異質物について事態の究明に当たっていることを」

 

「……スクルドの『記憶』だと本来どうなるはずだったんだ?」

 

「……あの時起こるはずだった事態は時空位相波動じゃなくてミーム汚染による情報改革。夢の中で見た光景なら、新豊州全体が大規模な『停電』が起きて交通機関の麻痺、情報手段の途絶、新豊州自体が陸の孤島になりかける災害級の事態が起こるはずだった……」

 

「……そんな事があったのか?」

 

 その言葉に【イージス】によって成り立つ新豊州の事情について俺は考えていた。

 

 新豊州は【イージス】の攻撃性能が皆無であることから、異質物研究が進んでいる学園都市なのにも関わらず他国から迫害されることなく中立なままであることは一般常識として浸透している。その一環として新豊州が運営するセキュリティが堅牢であるデータベースには、同盟国共通で使用できる様々な記録が共有されている。軍事規模、最新鋭の研究、サモントン以外で猛威を振るう農作物を犯す『黒糸病』…………などなど。それらについての対策や成果などリアルタイムで更新され続けている。

 

 そんな秘匿すべき最重要情報を新豊州が受け持っている以上、漏洩は当然として『破損』や『消失』などをさせることもあってはならない。【イージス】を起動させ続ける莫大な電力供給を相まって、新豊州は徹底した電力の供給と維持性を提供している。確かマリルの言っていたことに覚え間違いがないなら、15億ジュール相当の電磁攻撃や地震などの災害、果てには異質物からの攻撃があったとしても無傷のまま機能し続けるほど資産を投下していると言っていた。XK級異質物【イージス】の防衛機能もあり、その電力の維持性を瓦解させるには同じくXK級相当の異質物でもない限り不可能だと。神話に出るイージスの名は伊達ではないと誇るように。

 

 そんな【イージス】の防衛機能さえも突破して、新豊州が『停電』するなんて事態が、スクルドが『未来予知』した『記憶』ではあるというのか? 

 

 ……口には出さないが、そればかりはとても信じられない。

 

「だけど実際は起こらずに、レンお姉ちゃん達は『OS事件』の解明に当たった……。本来『記憶』にあるはずの出来事は丸ごと無くなって、『記憶』にないはずの出来事が突如として起こり始めた。それは私の『未来予知』と『予感』もそう。それが同時に起こるなんて……不気味でならないの。まるで『世界そのものが誰かによって作り変えられた』みたいな気がして」

 

「……ファビオラはどう思ってる?」

 

「信じる、信じないにせよ、私は旦那様の言う通りスクルドお嬢様を守るのみです。『死』を予感しようが、目前に迫ろうが、冥土に渡すつもりなどありません。お嬢様にどんな危機が起きても、自身で見た未来に殺されるというのなら、ファビオラが未来を焼き尽くして炭にするだけですので」

 

「ははっ……頼もしいことで」

 

 何でだろう。ファビオラとは播摩脳研の一件以来、スクルドの召使い以外では深い親交はないはずなのに、以前からそういう姉御肌な気質があった事を知っている気がしてならない。

 

「問題はなぜ『世界が作り変わる』と錯覚するほどの事態が起きたのか……。私はそれ以来ずっと考えてるんだ。世界は知らない間に、もう引き返す事ができないほどの矛盾や欠陥があって、少しずつ崩壊してるんじゃないかって……」

 

 世界が崩壊している。その言葉は誰にとって嫌なものであり、俺にとっては思い出したくもない地獄を想像させてしまう。

  

 あんな事態が、世界のどこか……あるいは『因果の狭間』と呼ばれるようなところで起きているとでもいうのか。誰にも知られることなく、漠然とした感覚だけで捉えることしかできない何かが。

 

「死ぬのは怖くない。だけど、パパやファビオラがいなくなるようなことがあったら……ううん、レンお姉ちゃんやアニーさん達もそう。大事な人達がいなくなるのは…………もう嫌なの」

 

「……お嬢様、失礼します」

 

「ふぇっ?」

 

 突如としたファビオラの畏った宣言に、年相応の可愛らしい声をあげながらスクルドは自身が愛する召使いへと視線を向けた。

 

 ——パチンッ。

 

 途端、破裂音に近い音が俺の耳に届く。スクルドは額を小さな両手で覆って涙目となり、ファビオラは眉を細めていかにも「怒ってます」と言いたげな表情をしながらデコピンとして弾き出した中指を構え続ける。

 

「いたいよ、ふぁびおらぁ……」

 

「こちらは心が痛いです。お嬢様、未来はあくまで未来に過ぎません。お嬢様が不安に思うことは、このファビオラの炎を持って全て灰とします。燃やして、ひたすら燃やして、燃やし続ける……。未来を糧として『現在(いま)』いる貴方様に命の熱を届けます」

 

 そう言ってファビオラはスクルドを抱きしめた。

 

「ですから、安心してください。私達はいま確かにここにいます。未来に怯える必要はありません。お嬢様はいつもらしく元気に、ワガママに、私を振り回していればいいんですよ」

 

 ファビオラは母親のような包容力で、より深くスクルドを抱きしめる。

 

 その光景に俺は自分の母親の姿を幻視した。

 思い浮かべるのは地獄の日、2024年7月25日……『大災難の日』、つまり『七年戦争』が引き起こるよりも前の出来事。

 

 基本的には優しかった母親だった。滅多に怒ることは少なかったが、気分を害した時に子供みたいにブーブーと文句を垂れる一面があったのは今でも覚えている。

 

《どう? SSS評価でクリアできた?》

 

 ゲームをするな! というより難易度の高い目標を定めて俺をゲームからすぐに諦めさせようとしたっけ。今にして思えば良い手段だよな。俺も将来自分の子供……………………。

 ……………そう、父親となる時には試してみてもいいかもしれない。

 

《今日も一緒に寝ようか》

 

 夜とか暗いところが怖くて、寂しくてお母さんと一緒に寝てもらったけ。今じゃあ進んで暗闇でゲームして、プラチナトロフィーをゲットするほどゲームも上手くなったけど。

 おかげで今でも元気です。産んでくれたお父さん、お母さんありがとう。息子…………は今では娘となっておりますが、友達にも囲まれて楽しく過ごしています。けれど、叶うのなら両親と再会したい。そして大手を広げてアニーやラファエル達を友達として紹介したい。

 

 そしてみんなに母親の料理を味わってもらって、産んでくれた恩義を報いるために出来る限りの親孝行がしたい。

 

 ……そんな風と両親のことを馳せてるだけなのに涙が溢れそうになった。

 

 だから、今現在こうして触れ合うファビオラとスクルドを見ていると、少しやきもちを妬いてしまう。

 

「もし、次いけない事を言ったら、ファビオラもちょっぴり本気でお説教します。いつもみたいに逃がしませんからね♪」

 

「…………ありがとう、ファビオラ」

 

 

 ……

 …………

 

 

 とまあ、そんなことが飛行機に乗る前にあった。おかげでスクルドは元気いっぱい。元気がありあまり過ぎて、飛行機に乗ったら思い出したようにスクルドは下着の件についてファビオラに問い質した。

 

 ファビオラも悪気があったわけではないと弁明したが、残念ながらいくら大人びていようがスクルドは根本は子供だ。許せないことに対して感情を一度置いとけるほどの余裕などないので、こうしてダーツ勝負でファビオラの下着を公開するかどうかを賭けた仁義なき戦いが繰り広げられているのだ。

 

 さっきまでの感動短編が台無しである。

 

「くっ……! ここに来てインナープルに二つ、アウターブルに一つ……合計125点とは……」

 

「へっへ〜♪ 残念だけど、たかが135点差。これで決めるよッ!」

 

 ダブル20、トリプル30で合計100点。残り35点。

 

 そして最後の一投。ブルにヒット。正確にはアウターブルだが、俺とスクルドはファビオラと違ってブルに内側と外側で点数が変わるルールではないので、この点数はインナーブルと同じ50点だ。15点超過してスクルドの逆転勝ちとなる。

 

「いぇ〜い! ブイブイ! ダブルピース!」

 

「私が負けるとは……!」

 

 悔しさに顔を顰めながらも、ファビオラはメイド服のスカート部分に手を入れて何やらゴソゴソと何かを取り外す音が聞こえた。

 俺はつい反射的に振り向いてしまい、ファビオラの足元をとらえた。そこには先ほどまで影も形もなかったはずのピンク色のガーターベルトが落ちている。

 

 ……状況的に考えると、まさかこのメイドは……。

 

「ファビオラさん脱ぐんですか!?」

 

 思わず敬語で言ってしまう。待ってくれ、年頃の男性である俺には下着の公開ショーは刺激が強すぎるんですが。

 

「仕方ありません……っ。負けは負けですので……っ!」

 

 次に網タイツが擦り落ちてくる。待て、マジか。嬉しいか嬉しくないかで言われたら大変嬉しいのだが、そういうのは心を許した恋人のために見せるのが王道じゃないのか。こんな罰ゲームのために見せるものではないと俺は思うのだが。それはそれとして自分以外の下着姿も見てみたい気持ちも十二分に湧くのだが。

 

「ええいっ——。覚悟は既に決めておりますっ……!!」

 

 そうしてファビオラはスカートの裾を捲り上げようと手を引き上げて——。

 

「ファビオラ!? 脱いでとも見せてとも言ってないよっ!? あくまで口頭で説明するだけっ!!」

 

 寸前、スクルドがスカートの裾を強引に下げて下着公開は止まられた。

 

 青少年あるある。際どいものは大抵良いところで見れない。



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第8節 〜Additional Time〜

「ここが第二学園都市ニューモリダスかぁ……」

 

 航空機から降りた俺は、眼前に広がる美しい新世界に見惚れていた。スクルドやファビオラが本来住んでいる学園都市、その名は『ニューモリダス』——。

 

 着陸先の空港が港湾付近だったこともあり、教科書やインターネットで見る立体道路や高速道路などといった如何にもなビル群が並ぶ大都会の中心から少し離れており、視界に広がるのは綺麗に流れる川や海が見渡すことができる絶好のリゾート地だった。

 

「おぉ〜〜!! すげぇ〜〜!!」

 

「今見える海がニューモリダス名所の一つ『ロング・ビーチ』だよ。海鮮料理とか色々あるけど、私のオススメは『ラベンダーアイス』とか、某夢の国を参考にした『シーソルトアイス』とかの氷菓子。夏場で食べる時は最高だよっ」

 

 銃社会や絢爛都市と言われるものだから工業地帯や都市開発とかで重機の作業音とか、少し裏路地に行けば第六学園都市『リバーナ諸島』までとはいかないが、マフィアが絶え間なく銃撃戦を繰り広げる治安の悪さというか……それこそ『ATG』みたいな警官と視線を合わせただけで発泡されたり、常習的な車両窃盗があったりと、常にファビオラがスクルドを守らないといけないほどだと警戒していたが…………実際こうしてみるとエンターテインメント性や発展具合なら新豊州を超えうるほど盛んで街が息づいている。

 

 見渡せばこれでもかとインテリアとかアパレルショップが並んでおり、小腹を空かせば「待っていました」と言わんばかりに視界に絶え間なく映り続ける飲食店の数々。ハンバーガーやパスタ、エミリオが喜びそうな大ボリュームを扱うものから、格式が高い……って寿司ッ!!?

 

「あれぇー!? 寿司って新豊州とか辺りの名物じゃ……!?」

 

 というか小籠包やグリーンカレーとか、明らかに国風に合わないのもいくつか見えるぞ!?

 

「ニューモリダスは世界最高の貿易港ですので。色々と輸入や輸出も盛んになれば、様々な文化は根付きます。それにこんな広い海を活かさない点もありませんから、漁猟とかも精力的に行ってますよ♪」

 

「サモントンが輸出している『黒糸病』対策をした農作物だけじゃ食料は全て賄えないからね。ニューモリダスも魚介類を提供してるんだよ〜〜!」

 

「そんな盛んなのに何で銃社会なんだ……?」

 

 素朴に思った疑問を口にしたところ、スクルドは少し顔を曇らせ、ファビオラは慣れているように言葉を出した。

 

「外交が盛んになると、どうしても『他国』の人間が移住することも多いのです。ここは見ての通りリゾート地としても一級品なので、世界中の著名人が別荘を持ったり……」

 

「だからここの国民に『純粋なニューモリダス市民』って全体的に見ても半分もいかないんだ。しかも移住してきた人達のほとんどが七年戦争で棄民となった人達や、サモントンに受け居られなかった戦後の移民……戦争や思想の差異で保身的になって疑心暗鬼に陥った人達は分かりやすい武力を求めたの。…………それが銃社会が発展した理由。視覚化された武力と、卓越された治安警察は銃社会という特異な状況であるにも関わらず国として繁栄している……まあ犯罪件数は六大学園都市でトップだから誇れることでもないんだけど」

 

 意外な事実を知ることになるが、さして俺は驚きはしなかった。マサダブルクでの出来事がそういう根本的な文化の差異について、国ごとに違うということを知っていたからだ。

 

 こうして聞くと改めて新豊州は平和だと思ったが……同時に『平和』って何だろうって、つい考えてしまう。第五学園都市『新豊州』や第二学園都市『ニューモリダス』でここまで差があるのに『平和』が維持されてるのだ。他の学園都市はどうだったか思い出す。

 

 第一学園都市『華雲宮城』は完全な格差社会だ。マリルが「馬鹿は高いところに登るというが、あそこまで行くとある意味では天才だな」と皮肉を言うほどに。官僚が幅を振りかざして、権力の格差が他国とは比べようにならないほど厳格であり、曰く山岳地帯を利用して文字通りの上下社会を築き上げてるのこと。だというのに、華雲宮城では思想自体が栄光もそうだが、歴史や伝承といった遺物を中心に秩序を構築するため国民は現状については不満に思うことはないらしい。

 

 第三学園都市『マサダブルク』は生まれや宗教の違いでテロ活動は絶えることはない。だからこそ『内城』と『外城』と区分けして『壁』を作り上げて、分かりやすい隔たりを作ることで最低限の治安を維持している。俺自身が内城に入ったことで平穏度合いは知っているし、外城は外城で孤児院で子供達が自分なりの幸せを育んでいた。それは国の根本にある思想が自立を促す物があるから成立する平和であり、その思想こそが国取り合戦をしようとハモンやムシャルの壮絶な裏の闘争が引き起こした遠因でもある。自分なりの平和を実現させるために。

 

 第四学園都市『サモントン』は国民間での富裕層と貧困層があり、最底辺まで行けばホームレスや浮浪者がいることが度々話題になる程だ。だけど宗教という思想が全国民に信仰されており、そういう富などの差で争いが起こっているということは聞いたことがない。…………ラファエルはそんな思想に「ああいう役立たずのゴミ共は、全部屠殺所に送ればいいのに……」と転校当初に吐き捨てたほどだ。今思えば彼女が本来持つ優しさなど微塵もない言葉遣いであり、ある意味ではニュクスより扱いはキツかったかも。

 

 第六学園都市『リバーナ諸島』は、そんなニュクスが元々いた場所だ。本人の口頭によればマフィアが統治することで犯罪が犯罪を減らすという摩訶不思議な状態となっており、犯罪件数だけ見れば六大学園都市の中で一番低いとされている。とはいっても綺麗事だけで成り立つ国情ではなく、法外の地としても様々な取引や違法ギャンブルなどで国を回すほどであり、その生き方は国民全体の思想に息吹く『すべての主義主張に意味は無くすべて虚しい。人生は素直に自分の欲望に従うべき』と刹那的な生き方を重んじるほどだ。

 

 ……様々な形で六大学園都市は『平和』という秩序が成り立っている。そんな物は本当に『平和』と言えるのか。疑問に思ったら新豊州さえの『平和』さえ偽りなんじゃないと少し考えてしまう。

 

「でも、こうして国民みんなが元気で楽しく生きてる……。私はこのニューモリダスが好き。いつかパパと一緒に国を支えて行きたいと思っていけるほど」

 

 規律さえ尊守されていれば、どういう経緯や結果であれ平和というものは尊いものだと謳うように、スクルドは天使のような微笑みで語ってくれた。

 

 ……前は庇護欲とか駆り立てられた彼女のためにファビオラを助けたけど、こうしてみると高崎さんみたいに守りたいと思う『夢』があることに気づいた。

 

「スクルド…………」

 

「だからレンお姉ちゃんが新豊州でラーメン屋を教えてくれたように、私もとっておきのお店を紹介したいの。銃社会というけど、ニューモリダスだって楽しくて素敵なところだって」

 

 スクルドは無邪気に俺の手を掴んでくる。ファビオラの方を見てみると「しょうがないですね」と言いながらも笑顔を浮かべると「夕刻を迎える前には戻りますよ」と注意を促しつつも了承を得る。

 

「じゃあ、行こうっ! まずは私がオススメするのは洋服店! 今ね、お姉ちゃん好みのミリタリールックとかニューモリダスで密かなブームなのっ!」

 

「意外と引く力強いなっ!」

 

「お嬢様待ってくださ〜い」

 

 金色の天使を先頭に、鈍臭い黒髪とピンク髪のメイドは蜜の匂いに釣られる蜂のように付いていく。少しずつ移り変わるニューモリダスの街並み。服を見て楽しく談話したり、射撃場でSIDの訓練で培った技術を実感したり、海鮮料理を楽しんだりと至れり尽くせりだ。格好はSPなのに、気分は完全に旅行で浮き上がっている。これならアニー達とも一緒に来たかったが、目的は『俺』の姿をしたアイツを捉えることだ。イナーラという諜報員の情報待ちになるとはいえ、ふとした拍子に見つけることができるかもしれない。気持ちを切り替えて、俺は辺りを見回して目的となる人物がいないか確認した。

 

 その時、視界の片隅で不思議な少女が見えた。ダイヤ柄の赤帽子と赤いサロペットスカートを着た金髪の少女——。

 微動だに動かずにひたすら草むらを見続けている。その姿は何故か愛くるしくて……まるで子供が無邪気に何かを観察しているように見えた。

 

「次行こうっ! 今度は宇宙開発技術館っ!」

 

 引き続きスクルドの案内の下、ニューモリダスを時間の許す限り回り続ける。その去り際、金髪の少女と視線が合った。その無垢が詰まった瞳の奥に、言いようのない翳りが少しだけあるのを俺は感じた。

 

 

 …………

 ……

 

 

 夕刻。洋服やインテリアなどのウィンドウショッピングを時間の許す限り楽しみぬいて、スクルド達と俺は最高レベルのセキュリティを完備したVIP御用達のホテルで宿泊することになる。スクルドは政界的な付き合いでファビオラだけを連れており、今室内にいるのは俺一人。きっとスカイホテルであった時と同じように大人相手でも堂々と交流を行なっているのだろう。俺には到底できない。

 

 その間に俺は明日と明後日の予定を確認する。データを見るだけでは退屈で仕方ないが、スクルドの護衛も目的といえば目的だ。こちらも疎かにすることはできず、自由となる時間を把握していつでもイナーラと連絡が取れるように準備を進める。

 

「この生活に慣れて色々と食うようになったけど……やっぱ、無性に食いたくなる時あるよな♪」

 

 予定表を見ながらも片手間でカップ麺にお湯を注いで束の間の贅沢を満喫する。マリルや愛衣、それどころかアニーさえも「カップ麺は身体に毒」と言われて買うことが許されることなく断食を強いられていた。意外とそのストレスというものは高く、流石のラファエルも同情したのか馬鹿にしたのか、「私は食べるけど、あなたは食べないの?」と目の前で啜る音を聞きながら食べていた時には殺意が芽生えそうになったほどに。

 

 だからこそ監視の目が緩い今のうちに、こうした嗜好品を食べるのだ。ここでなら流石にSIDも俺の食事情までは把握しきれない。胸元の埋め込まれてるスピーカーだって、位置情報と健康状態をリアルタイムで送受信するが、カップ麺食ってすぐに体調に変化が起きることはないし、位置情報なんて何の意味もない。久しぶりに解放された心のままにカップ麺を口にする。

 

「おいしい〜〜〜〜っ!!」

 

 ホテルのディナーもそれはそれで美味しいのだが、元々平凡な男子高校生である俺にはジャンキーなコンビニ飯のほうがご馳走だ。このわざとらしい醤油味と、わざとらしいスパイシーさ、そして謎のブロック肉。これこそ俺が半月近くも求めに求めた至高の味。

 

 ものの見事に数分で食いきった俺は腹八分目となった胃を摩りつつ、再び予定表を頭の中に叩き込む。さて本腰を入れて頑張ろう。

 

「お邪魔するわよ〜〜」

 

 と思った瞬間、聞き覚えのない女性の声と共に厳重に閉ざされているはずのドアが開かれる。即座に俺は懐に忍ばせてある対人用の電気銃のセーフティを解除して、堂々と侵入してきた客人モドキへと向けて構える。

 

 そこにはサイズの合わない黒ジャンパーが目立つ赤髪の女性がいた。ジャンパーの中には、白色のブラウスに編模様の青のミニスカートといったSNSでよく見る『童貞を殺す服』に近い。首元にはチョーカーにスカーフ、耳には目立たないものの真珠のピアスをしており、独特ながらも相当にファッションに詳しそうな風貌をしている。

 

「誰だ、お前!?」

 

「ふふ〜ん、誰だと思う〜〜?」

 

 ケラケラと笑いながら赤髪の女性は俺の顔を覗き込んできた。彼女の瞳は碧緑色に澄んでいるが、今浮かべる表情とは相反したものを感じてしまい、彼女に対する疑念がますます強くなってくる。

 

 途端、彼女の表情は真剣さを帯びた眼差しとなり、俺の身体をくまなく見つめてくる。コロコロと表情や雰囲気を変える風のように気紛れを感じた俺は、構えていた銃の力が意識するよりも前に抜けきっていた。

 

「…………アナタの瞳、見覚えがあるわね。前に依頼したことあった?」

 

「いやいやいや……。知り合った覚えなんてこれっぽっちもないです」

 

「だよね〜」と彼女は不思議そうに言うと、気持ちを切り替えたのか、背筋を伸ばすだけで、雰囲気は一転して厳粛なものとなり、気品が漂う立ち姿へとなった。

 

「それでは答え合わせ、私の名前は『イナーラ』。SIDに正式な依頼を持って貴方の協力をすることになったフリーの諜報員。今回はよろしくね」

 

「君があの……」

 

 俺は赤髪を靡かせるイナーラの顔を見つめながら、航空機の中で確認した彼女の情報を思い出す。

 

 個人請負業者として世界各地で諜報活動や破壊工作を行う仕事人。出身地などといった個人情報を正確に知るものは不思議なことに誰もおらず、身長も風態さえも曖昧で語り継がれる存在であり、金さえ積めばどんな依頼であろうと確実にこなす。SIDの調査書通りの内容なら、要人関係などの困難な依頼を特に好んでいる傾向があるとのこと。しかもどういうわけか、どんな手口であろうとも隠蔽工作を行うことさえないという大胆不敵っぷり。

 曰く異質物武器を所持しているだの、『聖痕』などを持った特殊な能力を持つ人物だの言われているが実際のところは不明。その性質と手口から、過去にインドで起きたEXランク異質物の遺失事件に関与している可能性があることさえ考えられるほど神出鬼没だという。

 

 だがこうして実際の目の当たりにしてみると……意外なことに身長は俺と対して差はないし、年齢もラファエルと同じかそれ以下に見えなくもない。大人しくしていれば普通の……というには見た目が派手ではあるから、高校生ヤンキーに見えなくもない。

 

「というか、何でわざわざ無駄に侵入とかするの……?」

 

「挨拶代わりのデモンストレーションだっちゅーの。私の実力に信頼と疑念を持って欲しくてね。とりあえずこれあげる」

 

 そう言ってイナーラは、ジャンパーのポケットからクシャクチャに丸まった紙屑を二つ俺に差し出してきた。

 

「これ何?」

 

「広げれば分かるつーの。あとこの時間にカップ麺食うのは感心しないなぁ。ブックブクのブッタブタになるよ?」

 

「なんでカップ麺を食べていたことを知っている!?」

 

 あの時にはまだ部屋に入っていないじゃないか!

 

「いや、インスタント特有の匂いって強烈だから。鼻が効く奴なら見なくて分かるよ。あとコンビニで捨てたレシートも見たし。……ホテルまでの道でチキンも食ったな?」

 

「この事はマリル様にはご内密に……っ!」

 

「こんな価値のねぇ情報を誰にも教えるはずがないでしょうが」

 

 欠伸をしながらイナーラはスマホを片手で操作しながらため息をついた。

 

「まあ、今日は顔見せ程度だからこの辺でバァ〜イ♪ また会える日を楽しみにしてるわ〜〜♪」

 

 風にように現れて風のように去るとはこのことだ。まるで突発的な台風がひと暴れしたように、俺は訳も分からぬまま部屋から出て行く彼女を見ていた。

 

 そんな後ろ姿を見届けて…………見届けて…………。瞬間に気づいた。俺がイナーラの姿を『覚えていない』ということに。服装どころか顔や髪色さえ霧がかかったように朧いでいて思い出せない。まるで俺自身が『記憶喪失』でも引き起こしたように。

 

 同時に脳裏に浮かべたのはイナーラの情報の一部について。SIDの調査書では『出身地などといった個人情報を正確に知るものは不思議なことに誰もおらず、身長も風態さえも曖昧で語り継がれる存在』と記載されていて、さらには『異質物武器を所持しているだの、『聖痕』などを持った特殊な能力を持つ人物』とも言われていた。

 

 だけど……。『記憶』の通りなら異質物武器特有の光とかは確認していない。だとしたら、これはラファエルやソヤが持つ本人が持つ『聖痕』や『魔導書』由来の能力ではないのか。それなら『隠蔽工作を行うことさえない』という部分もある程度頷ける。こんな能力があるなら、隠蔽工作などするだけ無駄なのだ。

 

「……信頼と疑念を持ってもらうねぇ」

 

 確かにこんな能力を味わったら信頼に足る人物か怪しくなってくるものだ。レシートの件もあえて伝えてきたのは、『どんな小さいことでも見落とさない』という意味を持つかと思うと怖くなるが…………アイツに接触できるまたとないチャンスなんだ。こんなところで足踏みする訳にはいかない。

 

 俺は自分の手に握り込まれた二つの紙屑を広げて中身を確認した。一つは電話番号と思われる数字の羅列と、「ここに私は大抵いる」という一筆と住所が記載されていた。調べてみると、そこは海湾沿いで経営しているダンスクラブ『Seaside Amazing』という場所だった。メモ通りなら大抵はいるということだが、マリルの手筈通りならここで情報などを交換すればいいのだろう。

 

 それは分かった。だけど、もう一枚の内容についても無碍にできるものではない。俺は思わず唾を飲んで、一言一句間違いがないかその文字を見つめた。

 

 

 

 

 

 ——『エクスロッド暗殺計画』——。



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第9節 〜Standby Mode〜

左脇下と首筋左側の慢性的な痛みと、リア友との原神のしすぎでストックがあと2話分しかないため、一度体調回復の優先と話を纏めるために次回の投稿だけは一週間後になります。


 数日後、スクルドの件について詳しく聞くために日々の護衛を熟しながら、ようやくできた纏まった時間を使ってスクルド、ファビオラ、俺の三人はイナーラが待つクラブ『Seaside Amazing』の前へと着いた。

 

 とはいっても今は午前中。経営時間外のため閑古鳥状態だ。それに見える見えないはおいといて、俺はニューモリダス用に作成された新社会人の身分証明があるし、ファビオラも同様にあるのだが、見た目からして普通に小学校高学年よくて中学生にしか見えないスクルドはこの未成年お断りのクラブに真正面から入店するのは難しい。議員の娘でもあるから政治に関心な人は顔も知っているのもあるだろうし。

 

 だから、その点に関して予めイナーラに電話してクラブに入るための経路を教えてもらっていて、俺達は職員用の出入り口を探してクラブの周辺を見ている。

 

「あったあった。てことは……」

 

 正面玄関からかなり離れて、建物と鉄網の仕切りの間にある小さな小道を見つけた。ある人が一人通るのにやっとだが、その奥には確かに金属製のドアノブが付いた扉と、事務所用の室外機と換気扇が見える。

 

 俺は事前に伝えられていた室外機の足の裏から鍵を取り出して、ようやくクラブの中に入った。意外にも事務所はクラブという割には、想像していたよりも慎ましく小綺麗に整頓されていた。確かに衣服は多種多様だし、衣装合わせの鏡などどこを向いても自分が映る奇妙な空間ではあるが特徴的なのはそれぐらいだ。

 

「ハロハロ。元気にしてた?」

 

 事務所の奥にあるいかにも偉そうな黒のチェアには、肘掛を利用して頬杖をするイナーラと『思わしき人物』がいた。何せ不思議なことに彼女を見た瞬間、先日朧いで消えた『記憶』の中で彼女の姿が、眼前にいる女性の姿となって復元されたのだ。正直本人かどうか怪しいところだ。『記憶』は決して『記録』ではないから、脳で変換された自分にとって都合のいい認識で保管されているとスクルドに言われている。俺はその『記憶』が正しいのか確認するためにイナーラをよく観察した。

 

 赤髪と表情の豊かさはそのままだが、その姿は先日ホテルで見せた黒ジャンパーを基点としたものではない。ダンスクラブという場所に適応するにしてはかなり大胆であり、胸元と鼠蹊部以外は露出している上にショーツに関しては紐でしかない。脛まで届くベールが頼りなく一枚付けられているだけであり…………あまり言いたくないが、18禁ゲームとかのビジュアルでよく出るタイプのやつだ。

 

「……ここってそういう店なんですか?」

 

 だから思わず聞いてしまった。未成年お断りといい、裸同然の衣装といい、ここはエロゲーとかであるそういうお店ではないかと。

 

「あながち間違いでもないけど、別に如何わしいことはしてないよ。表向きは普通に音楽流して踊ってもらって、VIP用に用意された地下に行けばストリップショーとか際どいポールダンスとかはするけど……行為は従業員全員で徹底的に守ってる」

 

「それも諜報員としての収集能力とかってやつですか?」

 

「これに関してはクラブのオーナーだからね。ここ私が経営してるお店」

 

「えっ!? じゃあイナーラ自身も踊ってるの!!?」

 

「うん。純粋に身体を見せつけるのは趣味だし、諜報活動に一環としてハニトラする時に便利だからね。そういう地盤作りのためにここで実績ぐらいは作っておかないと。だから…………イナーラの踊りに魅せられた男は、み〜んな鼻の下伸ばしちゃうんだよぉ〜」

 

 急におちゃらけた口調になったかと思いきや、イナーラは思い出したようにケラケラと笑い出す。どうやら思い出し笑いしてる様子であり、しばらくその笑いが止まることはなかった。

 

 だがその間、俺の脳内は彼女の刺激的な言葉の数々を聞いて悶々としてしまう。踊りとは具体的などんな踊りなのか。際どいポールダンスというがアレか、股部分を押し付けながら上下運動してるのか? それにストリップというがどこまで脱ぐのか。下着までなのか、それともモザイク映像のその先までなのか。健全な男の子としては想像してしまう。

 

「今想像したでしょ♡ イナーラがぁ〜エロエロな踊りをしてぇ〜おじ様達に媚びを売る姿をぉ〜♡ 」

 

「し、してませんっ!」

 

 そんな妄想をする俺を見て、イナーラ馬鹿にするような口調と態度で蠱惑してくる。人差し指を俺の胸に当てて輪を描き、舌を出して何かを舐め回すのを連想する動きで挑発してくる。

 

「ふ〜ん、今が売れどきのJKなのに援助交際やパパ活とかしないほど奥手なのか、貧困に縁がないお嬢様か、自分の価値に気付いてないのか。何にせよこんな世の中で珍しい子ね」

 

「援助交際っ!? 如何わしいことを言うなよ!!」

 

「あっはっは〜! 何この子、女の子なのに男の子みたいに新鮮な反応してくれてる〜♪ お二人さん、この子って昔からこうなのの?」

 

「昔馴染みではありませんが、初心なのは確かですね」

 

「まあそうじゃない?」

 

 ファビオラもスクルドに至ってはかなり適当な返事だった。しかも二人揃って一連の行為についてはノーコメント。そんなスクルドが「早く話を進めてよ」と言いたげな視線に、俺は当初の目的を思い出して話を切り出す。

 

「俺が童貞とかはどうでもいいっ! 本題に入るけど『エクスロッド暗殺』って何だよ! スクルドや、そのお父さんが狙われているのかよ!」

 

「童貞……? 処女じゃなくて?」

 

「〜〜〜っ!!」

 

「顔真っ赤……耐性がないのね。ここまで来るとイナーラちゃんでも可哀想に感じちゃう。じゃあお望みどおり、その情報についての詳細を教えてあげる」

 

「まあ適当なところに座っておいて」と言って、イナーラは冷蔵庫を開いて飲み物を人数分取り出して注いできた。全員揃って同じものであり、メロンソーダみたいに鮮やかな緑色が揺れている。

 

「……無臭ですか」

 

 と何かを警戒するようにファビオラが意味深に呟いた。

 

「毒も睡眠剤も入ってないから安心しなさい。そんな野暮なことをする女じゃないから」

 

「言葉だけ信頼関係が作れるのは家族ぐらいなものです」

 

 ファビオラは躊躇なく一口を飲む姿はあまりにも自然体過ぎて、俺は思わず惚れ惚れしてしまった。主人を思い率先して毒味をすることに従者としての重責を体現している。

 

 ……俺もSPの立場を考えるならば、こういうことをできるようにならないといけないよなぁ。

 

「エクスロッドの娘さんも遠慮なく飲みなさい。おかわりもいいわよ」

 

「はぁ…………マリルもそうだけど、何でこういう地味な嫌がらせするかなぁ」

 

「嫌がらせ? 優しさの間違いじゃないのか?」

 

「……これ私が気に入ってるスイーツ店にある飲み物なの。裏メニューだから、私が愛飲してることを知っている人はファビオラとかの近しい人物だけなのに……」

 

「諜報員だからねぇ〜〜。それくらいは片手間で分かるわよ」

 

「アナタからすれば個人情報なんて筒抜けってわけね……」

 

 ということはイナーラの諜報力は個人だけで組織であるSIDに及びかねないというわけか。確かにこんな人物が金頼みで何でもするのは怖くもあるし頼りになる……国家が裏で使うのも分からなくもない。

 

「さて……ええっと……そう、エクスロッド暗殺に関しての情報について、まずは教えるわね。第一に議員の暗殺は別に今に始まった話じゃない。ニューモリダスは物騒だからエクスロッド議員に限らず、政治家は常に命の危機に晒されてるわ。だからエクスロッド議員はSPを付けているし、娘さんにはメイドに扮したボディガードを付けてる」

 

「メイドは別にカモフラージュじゃないわよ」とファビオラは乱暴な口調でため息をついた。

 

「だけど今回は別。SIDとは別に、ある人物に頼まれて調べてたんだけど……ファビオラ、あなた『新豊州記念教会』で命の危機にあったそうね」

 

「なぜそのことを——?」

 

 ファビオラの静かな驚きは俺にとって大きな動揺だった。あれは極力情報がバレないように、SIDが極秘裏で対処にあたったはず。播磨脳研にいたのだってマリルと愛衣と俺ぐらいだ。移動係のエージェントがいるにいるが、それは外で待機状態となっていて、内部についての詳細は聞かされていない。アニーでさえこと細やかな情報は聞かされていないのだ。

 

 どうやって情報が漏洩したということが脳裏で駆け巡るが、これさえも個人請負業者として諜報員をするイナーラの実力で暴いたとでもいうのか。だとしたら彼女が持つ情報の圧とはいったいどこまで——。その実態を初めて見てマリルの『イナーラに弱みを握られている』という言葉を理解した。もしかしたらイナーラという女性は、SIDですら手出しが難しい存在なのではないかと。

 

「仕事柄色々とね。その事に関しては私は無関係とは言っとくわ、あくまで情報収集の一環で知っただけ。だけど、その事と暗殺計画については繋がってはいるわ」

 

「君はその暗殺計画に関与してるのか……?」

 

「したかったとは言っておく。だけど先約があったから暗殺計画は断るしかなくてねぇ……今回はアナタ達の味方」

 

 意味深に笑みを浮かべてイナーラは自分のジュースを口にする。

 

「その依頼主のことについて仮に知っていても明かさないからね。私はあくまで中立の存在。………ただし事情があれば別だけど」

 

 イナーラは親指と人差し指でサインを作って催促をした。その態度でスクルドは不快感を示した。

 

「『無能』になら手を貸すってこと?」

 

「文化圏の違いは怖いわね〜〜。新豊州だと『お金』を表すサインよ。額は言い値だけど……さて何億積む?」

 

「ボッタクリもいいところだね。それじゃ友達なくすよ」

 

「冗談が通じないお子様ね、じゃあサービスしてあげる。電話主は名前も明かしてないし、声も加工してたから性別も不明よ。電話番号も非通知なうえに逆探知対策もされて位置情報も登録情報もデタラメ……。まあ、つまり何も分かってないってこと」

 

「これ以上調べるのは私のメリットでもないし」と笑顔を絶やさずにイナーラはスクルドを品定めするように見つめる。当人はその視線に対して受けて立つようにすぐに言葉を返した。

 

「じゃあ何で暗殺計画に教えてくれたのかな? 聞いた限りだと、その『情報』は今回の本筋となる件とは無関係だし、アナタみたいな守銭奴は無償で提供してくれるわけないよね」

 

「……エクスロッド議員の娘は伊達じゃないわけか。いちいち鋭いガキね、そういう子も好きだけど嫌い」

 

 嫌いと言いつつ、イナーラの笑顔は変わることなく、より一層スクルドを気に入ったように笑みをさらに深める。

 

「それに関しては暗殺事件を調べてくれ、という依頼主がいたから調査したのよ。そして依頼主から「近日中にスクルド・エクスロッドが君の元に来るから教えてやってほしい」と言われてね…………。対価は貰ったからこうして話してるってわけ」

 

「その依頼主は分かる?」

 

「今度は分かるけどさっきと一緒。そしてこの情報はお得意様だから高く付きます。何百億で買う?」

 

「……私個人の判断じゃ無理だね。惜しいけどいいや」

 

「旦那様に相談してもいいのでは?」

 

「依頼主が分かったところで暗殺事件の内容とは無関係だから。お金を払うなら、暗殺事件企てた首謀者を突き止めろって言うよ」

 

「……本当無駄金を搾らせないクソガキね。子供は子供らしく親に泣き縋ればいいのに」

 

「そうやって見え見えの挑発されて買うほど愚かじゃないの。それにそれは演技でしょ? 私の怒りを買って本題を逸らす話術…………男を手玉に取るのは得意だけど、曰く私みたいなクソガキを扱うのは苦手みたいね。諜報員だけじゃなくて保育士もやってみたら?」

 

 天使みたいな見た目で、少女とも思えない語彙力で悪魔染みた会話を繋げるスクルドの姿に俺はラファエルとニュクスの言い争いを思い出してしまった。今すごくスクルドが遠くにいて怖い存在に感じてしまう。

 

「ちぇっ、そこまでお見通しか……。じゃあ本題に戻る?」

 

「ええ……。だけど、アナタが求めてる本題はどっちかな? 暗殺計画の方? それとも今回の件でSIDで調査依頼を受けてる『男』の方かな?」

 

 スクルドの絶えない言及に、ついにイナーラは笑顔を潜ませて真剣な表情となった。

 

「エクスロッドの暗殺は確かに気にはなるけど……。それは私側の問題であって、レンお姉ちゃんの問題じゃないから。それに暗殺計画と新豊州記念教会の件は繋がってるんでしょ? それぐらいあれば私やファビオラだけでも心当たりがある候補はいくつか湧くし……」

 

「そうですね。私もキナ臭い人物は思い浮かべております。暗殺の件にしては私達で何とかしますので、レンさんはどうぞ自分の任務をこなしてください」

 

 ファビオラもスクルドの言葉に賛同し、俺に話を切り出すようジェスチャーをした。

 

「…………目的の人物がどこにいるか分かったのか?」

 

「…………潜伏先までは分からない。だけど確実に姿を現すであろう場所ぐらいは分かる。場所はシーサイド駅の首都航空行き線の改札前。日程は分からないけど、時間は多分夜でしょうね。そこで何かしらの取引がある……。それぐらいよ」

 

 たった数日でかなり具体的な情報が出てきた事に、彼女が持つ情報網が異常の中の異常だと改めて気づいた。アルカトラズ収容基地での出来事から数ヶ月……SIDも含めて各国の情報機関が草の根を分ける勢いで調査して影さえ掴めなかった存在がこうも容易く入手するなんて……。

 

「……ファビオラ、予定変更。暗殺事件についてパパ達と共有しなきゃいけないから一度お家に戻ろう。レンお姉ちゃんはお家に入れられないから外で自由行動ってことでいいよね」

 

「異論ありません」

 

 その言葉は俺をしばらくSPの任務から解放することの会話だった。これは二人が勧めてくれたまたとないチャンス。今日か明日か、それとも明後日か。いつ来るかは一切分からないが、場所さえ分かっているなら直に張り込んで来るまで待つのみ。

 

「ありがとうっ!」

 

 俺はその事に感謝の言葉を伝えてクラブから一目散に出て行った。それから起こる会話の内容など、この時の俺には知る由もない。

 

「今度はアナタが求める本題の話。暗殺計画について聞きたいことが気になることが一つだけあるから教えてほしい」

 

「いいわよ。何について教えてほしい?」

 

「……アントン神父について、今知っていることを教えてほしい」

 

 

 …………

 ……

 

 

 時間はかなり過ぎて夜になる。俺は駅前で文字通り誰かと待ち合わせするように、背を柱に預けて眠気覚ましに微糖コーヒーを口にする。苦味を中心とした味付けは脳を刺激し、眠気を少しずつ晴らして砂糖の甘みが後味をまろやかにする。

 

 ここに来て午前中だから、それまでの間はずっとここにいた。退屈で仕方ないと思うかもしれないが、実際はそうでもない。俺はこの日が来るのを待ちわびていて、これまであった道筋を全て脳裏に思い浮かべていたのだ。

 

 全ては『ロス・ゴールド』の消失から起きた一連の特異な出来事。俺は女の子となり、やがて俺が男の時だった姿を持つアイツが、ここニューモリダスで再び姿を現した。

 

 一度目はアルカトラズ収容基地でEX異質物である『天命の矛』を強奪して逃走。その顔さえ隠さぬ大胆不敵っぷりから、すぐに情報は分かるものと思っていたが…………意外にもそれ以降なんの音沙汰もなく今の今までアイツは雲隠れしていた。

 

 ラファエルと一悶着あったスカイホテル事件。

 方舟基地での実験で誕生した希代の錬金術師ハインリッヒの出会い。そしてその影響で南極に飛ばされ、スノークイーン基地でバイジュウの救出もした。

 そのあとも新豊州記念教会でファビオラが意識を失い、播磨脳研で彼女の記憶に入って救出……したっぽい。

 

 後は……そうだ。夏期の授業で一度サモントンにある博物館へとアニーとラファエルで回ったこともあった。あの時は俺はイースターエッグの空間に引き摺り込まれて、皇帝と呼ばれる『オーガスタ』っていう少女とも会った。

 

 それにその後は新豊州にある猫丸電気街で、サモントン出身の元審判騎士であるソヤと一緒にショッピングをしたりした。途中でローゼンクロイツのセレサさんと出会ったり、イルカが神輿に担がれたり、『ジョン』という人物に助けられたり、エルガノの謀略に嵌められて一時は大混乱を招いたが……事態は最終的には平穏に終わりはした。

 

 だけど、その影響で起きた『天国の門』の膨大なエネルギー。それが謎の超高密度な情報を持っていて、それを追い求めた一連の流れでマサダブルクへ潜入。エミリオやヴィラと知り合い、シンチェンと触れ合い、そしてニュクス先輩のことを深く知れて、何よりスターダストと出会うことができた。俺は未だにあの歌の内容、意味、出典を彼女から聞いていないし、彼女は「今の私では覚えていない」と言及していた。

 

 それからは割と近いうちに起きたことだ。『OS事件』に高崎さんの無観客ライブ…………。本当にこれまで色々とあった。

 

 俺が女の子になってからこれだけのことがあったにも関わらず、アイツは姿を見せなかった。だというのに今回のニューモリダスにて二度目となる出現で、ついに手がかりとなる映像を見て、そしてイナーラの情報でついにここまで辿り着いた。

 

 俺にはこれが罠かと疑いは少しはあった。だけど今はそれさえを踏み抜かねば、アイツと今後機会は永久に失うと思うし、何よりスクルドも言っていた。『世界が誰かに作り替えられた』と。

 

 そんなタイミングで俺とアイツが都合よく接触する機会ができた。これは運命の導きなのか、それともその『誰か』の意図的な策略なのか、果たしてそれは何なのか。

 

 後者だとしたら俺達はいわば盤面上の駒に過ぎないのか。役割と役目を常に背負わされ、遥かなる高みから『誰か』は俺達を監視しているのか。

 

 前者だとしたら俺達は何を求められて運命はここに交わるように仕向けたのか。スクルドはこうも言っていた、『引き返すことができない』とも。そして『未来予知』の能力が消えて、未来が見えなくなったとも言っていた。

 

 それは逆に考えば……『未来』が『無い』かもしれない。既に『未来』が無いから、スクルドの『未来予知』は機能しなくなったとも考えられる。

 

 それらを打開するために俺とアイツが今ここに交わることを、運命は選んだとでもいうのか。答えは分かるはずがない。最適で確定した一手なんて、俺たちが生きる世界にあるはずがない。この世界は囲碁や将棋みたいなゲームじゃないんだから。

 

 やがて俺の前に二人の人物が姿を見せる。

 

 一人は特徴的なダイヤ柄の赤い帽子と赤いサロペットスカートの少女。無機質で無表情な瞳で、少女は俺のことをただ見つめ続ける。

 

 そしてもう一人は、見た目に特徴らしい特徴なんてありはしない。少し癖っ毛が入ってる程度で、どこにでもいるごく普通の男子高校生だ。

 

 夜だと尚更目立たない黒髪。恋愛なんて知らない垢抜けない瞳。身長は俺よりも少し高い。

 

 俺は…………この素朴な少年をよく知っている。

 

 少年は俺を試すように見つめ続け、やがて俺は意を決して重苦しく言葉を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「答えろ。お前………………『誰だ』?」

 

 素朴な少年————『アイツ』に俺はそう告げた。

 

 さあ、ここからが本当の始まりだ。



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第10節 〜Load Game〜

思っていたより左側の痛みが長引き、大体治ったのが3日前と時間をかけてしまいました。そのため次回のストックも2つのみと進捗がナメクジのため、次回の投稿も一週間後になります。


「答えろ。お前………………誰だ?」

 

 まだ丑三つ時ではないというのに、人っ子一人いない駅前。そこで俺とアイツは邂逅した。

 

 見覚えのある髪、見覚えのある顔、見覚えのある足取り、見覚えのある手、見覚えのある————。実際に見て、観察すればするほど確信していく。これは『俺』だ。俺という俺はここにいるはずなのに、目の前にいるアイツも間違いなく『俺』だと確信に確信が上乗せされる。

 

 互いの視線が交差する。未だかつて味わったことがなく、異質な緊張感が場を包み込む。呼吸一つが重く苦しく辛い。唾を飲み込むだけで喉に鉛が流されたような強い違和感を覚える。ありとあらゆるもの全てが、この場において『異質』に感じる。

 

「そうだ、よく考えれば私はお前の名前を聞いていなかった。おい、教えろ」

 

 そんな緊迫した空気の中で、素っ頓狂で抑揚のない緊張感皆無の声が響いてきた。それはアイツの隣にいる赤い帽子の女の子からだ。どことなく声はラファエルと似ている気がするが、その声は緑色のお嬢様と違って毒気など微塵も感じない。むしろ正反対の純粋で聖なる声に感じたぐらいだ。

 

「……その前に自己紹介するの忘れてた。私はセラエノ。プレアデス星団の観測者。君の名前も教えてくれ」

 

「え、はい。俺の名前はレンっていいます……」

 

 あまりにもマイペースに話を切り出すものだから、俺もさきほどの緊張感が幾分か抜けて彼女の言葉に返答をした。

 

「ありがとう、レンというのか。……女の子だから『ちゃん』付けが好ましいな。覚えておく、レンちゃん」

 

「そうかそうか、レンちゃんか……」

 

「今はなっ!」

 

「じゃあ俺も其れに肖ろう。……そうだな。レンの最初の姿だから、俺は『アレン』とでも名乗っておくか」

 

 アレン——。それがアイツの名前だというのか。

 

 見た目は『俺』だというのに、本来の『俺』の名前を名乗らずに、むしろ俺のレンから派生したように付けてきた。

 

「お前はアレンというのか。……うむ、互いに名前を知ったことだし、これで私達はより深い親交を得たわけだな」

 

 何が最初の姿だよっ! 俺は俺であって、お前はお前だろっ!? 断じてお前は俺じゃないし、ましてやレンでもないっ!!

 

「その反応からしてレンさえも愛着があるんだな。……そうかい、立派に女の子してるようで安心したよ」

 

「兄貴面するな」

 

「……兄貴? ということは私はアレンと恋人なのだから、必然的にレンちゃんは私の義妹となるのか」

 

「お前、そいつと恋人なのかッ!? 俺に許可なく、恋人を作るなよ! 俺の身にもなれよッ!!」

 

「やっぱ面倒なことになった……っ! しっかりと弁明しとくべきだった……っ!」

 

 一転して緊張感皆無の雰囲気。別の意味で俺はアイツが『俺』という確信を持ってしまう。

 

「そうやって考えなしに行動するから不憫な目に合うんだよッ! いつか借金抱えて人権最低限の玩具にされるぞ!」

 

「今のお前の扱いじゃないか! 見たぞ、ルージュのCM! なにノリノリで塗ってるんだよ!」

 

「演技指導の賜物だわッ! 大体なんだよアレンって! 偽名付けるならもっと真面目に付けろバーカ! お前の中学時代のノートをネットに晒すぞ!」

 

「やめろッ! そんなことしたら黒歴史が始まるぞ!」

 

「百も承知だし、そもそも今はお前が『俺』だわ! 恥を知るのはお前だけだ!」

 

「こいつ社会的恥だけはレンの身分から逃げようとしやがって……!」

 

「その程度の恥は数ヶ月もすれば風化するからな! その間、俺はレンとして悠々自適に過ごさせてもらいますよ!」

 

 俺と『俺』が互いを貶し合う罵倒文句を続ける。いつもならラファエルを筆頭に様々な人達に言い負ける立場だが、今回ばかりは負けられない。こいつにだけは負けてはならないと本能が囁きまくる。

 

「……争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない」

 

 セラエノがよく聞くネットスラングをボソッと呟いたと、俺と『俺』は固まる。

 

 互いの視線が交差する。既視感全開の和みがある緩い空気。呼吸を何百回しようが快適で、唾を飲み込むのは水を飲むよ容易い。ありとあらゆるものすべてが、この場において『普遍』的なもの感じた。

 

 どこにでもいる普通の少年——。そんなアレンの姿を見て、俺はどういうわけか安心感というのか…………何とも言えない感覚を覚えた。

 

「……ところでさっきから気になっていたことを聞いていいか?」

 

 赤い帽子の女の子、セラエノが能面みたいな表情を俺に向けて口にする。

 

「どうしてレンちゃんは男の服を着てるんだ?」

 

「いや、それはだな……」

 

「アレンに教えてもらった。女の服を男が着るのは変態だと。ならば逆もまた然り。男の服を女が着るのは変態なのではないかと」

 

「は、はぁ!!?」

 

 いやいやいや! 気持ちはわかるが、俺としては俺は男だから男装してもおかしくない認識なんですが!? というか別に女の子でも男物を着てもいいだろう! オープン変態とかじゃない限りは!

 

「ププッ……。そういえばそんな風に言ったっけ……」

 

「お前の教育どうなってるの!?」

 

「ごめんごめん。これは全面的に俺が悪い。セラエノ、あの時にも口にしたがトランスジェンダーの言葉は知ってるか?」

 

「…………確か性認識の一種だな。性同一性障害とも言われている」

 

「そんな子なんだ。女の子だけど、男の服を着るのが当然で、逆ができない……というか恥ずかしくて着れない。そんな繊細な心を持つ人間なんだ」

 

 いや、それは『心』と『身体』の乖離が問題なのであって、俺のはまた別だから。生まれた時から今にかけて男のままで、『ロス・ゴールド』の件で突拍子もなく女の子になっただけ。

 

 ……なんて説明したところで、少し触れ合っただけでわかる。セラエノは一度追求したら満足する解答が得られるまで質問を何度もぶつけてくるタイプだ。例え多少の差異はあれど、トランスジェンダーの括りで把握してくれるなら、決して上手くない俺の口から出る説明が省けていい。

 

「なるほど。人間とはそういう内包的な問題を抱えているのか……。だが、その意識を持っているなら人間が目指すべき進化の先は精神の解放にあるはず。となれば尚更肉体とは未来では不要。服や見た目を追求し続けても無要。いずれは歴史的価値以外には情報としての意味がないのではないか」

 

「ダブルスタンダードを常に抱え込むのが人間なんだ。言葉を吐いたすぐに矛盾するほどに。人の命を大事にしない奴は死ね、みたいな」

 

「そうか、ダブルスタンダードか…………。ダブスタ……」

 

「う〜〜ん、勉強熱心で先生は嬉しい」

 

 愉快な会話を続けるアレンとセラエノ。その姿は恋人というよりかは兄と妹…………いや、もっと差がある。その姿は『父と娘』みたいだ。そして俺がいつか夢想する光景に似ていた。

 

 軽口を叩きながら、親として娘や息子と接して人生を育みたい。お父さんは生まれてすぐに行方不明になり、母も俺が4歳になる前には『大災害の日』で行方不明となり、俺は幼いまま七年戦争を生き抜いて新豊州にいる。

 だからそんな経験してしまったことから、俺は心のどこかでこんな光景を夢想していた。俺がイルカの好きなお菓子を腹一杯あげるだって…………思えば七年戦争で飢餓に苦しんだことと、親子として仲良く過ごしたい思いが遠因になっているんだって。

 

 この光景は微笑ましいものだ。俺が守らないといけない大事な『家族との記憶』と似ている。できれば手も触れずに、尊いなんか言いながら見守り続けていたい。

 

 だけど……今は心を鬼にして問い質さなければならない。

 

 アレン——。なぜお前はアルカトラズ収容基地で、EX級異質物である『天命の矛』を強奪したのかを。この問い一つで、今包み込んでいる和やかな雰囲気が一転するのが分かり切りながらも言及しなければ、俺は一向に前に進めない。

 

 俺は意を決してアレンへと言葉を紡いだ。

 

「アレン……俺がここにいるのはわかるだろう?」

 

 だが、俺の言葉はそんな光景を打ち壊せない拙くて曖昧な言葉で吐き出すしかなかった。

 

「……もちろん。ニューモリダス市内にある監視カメラで捕捉したんだろう? だからこうして馬鹿正直に顔を晒して街中を数日間楽しみ抜いていたんだ。こうしてお前と面と向かって話し合うために」

 

「俺と話し合うため……?」

 

「ああ。お前も前兆を感じたはずだ。世界そのものに異変が起きていることを……」

 

「…………異変ってどこから?」

 

 心当たりが多すぎて俺にはどこからが『異変』と言われてもしっくりこない。俺が女の子になってからか? 南極での一連の出来事か? 『天国の門』についてか? 情報生命体であるスターダストとオーシャンのことか? それともスクルドの『未来予知』がなくなったことについてか?

 

 思い浮かべられる全てに対して思考を巡らせる。だがアレンからの返答は酷くシンプルなものだった。

 

「全部だ。レンになってから…………いや『ロス・ゴールド』が起動するより前から今にかけての全部。時空位相波動の頻繁的な発生も、その全体的な異変の副次的なものに過ぎない」

 

「全体的な異変ってなんだよ……。」

 

「……俺は『可能性』を模索するために、ありとあらゆる手を使ってきた。このEX級異質物の奪還なんて一環に過ぎない。6面のダイスで『7』を出す……そんな可能性を見出せるものを探し続けて……」

 

「そんなに7を出したいなら、ダイスを真っ二つに割ればいい。ダイスは製作上、出た面の数字と裏側を合わせれば7になる。ためになっただろう」

 

「セラエノ、今真面目な話をしてるんだ。闇のゲーム紛いをしたいわけじゃないんだ。少しだけ大人しくしてくれ」

 

「…………しょんぼり」

 

「できればお口チャックもお願いな」

 

「ンー」

 

 親指を立ててセラエノは返答した。

 

「……だからこれまでは言っておく。SIDがいつまでも……新豊州の『平和』も、いや六大学園都市すべてが、いつまでも『平和』であると思うな。今ある全体的な異変なんて、いつかくる『未来』の前兆に過ぎない。これは引き返せない宿命だ、覚めることがない夢だ。こんな世界を生き抜きたいという意志があるなら…………お前はいずれ『第七学園都市』に訪れることになる」

 

「第七…………学園都市……ッ!?」

 

 そんなの都市伝説や噂話で出る程度なものだ。SIDが新豊州の都市伝説上で必要以上の膨張された恐怖の象徴になったり、ニューモリダスにあるパランティアを題材にしたFPSゲームが販売されたりなど、『第七学園都市』なんてそれらに該当する空想上のブラックジョークみたいなものだ。そんなのが本当に存在するとでも言うのか……?

 

「本当はこんなこと言う気なんてなかったさ。お前と俺が相見えるのはもっと先の未来の話…………だけどちょっとした事情が発生した。そのために俺はここに来るしかなく、同時にお前に事情を説明するための舞台になってもらった」

 

「事情を説明する……?」

 

「結論から言えば近日中、スクルドの『命運』は尽きる。これは覆らない『運命』だ。『未来予知』でも何でもない……確定した事実なんだ」

 

 スクルドの命運が尽きる——?

 

 俺は航空機でのスクルドとの会話を思いだす。

 

《どんなに寝て覚めても頭に焼き付いて、振り払うことができない『予感』——。それは、私が『死ぬ』かもしれないっていうもの》

 

 ……あの話はただの予感じゃなかったのか? だというのに、その『死』という運命は、アイツが言う通り確定した事実だから覆ることがないとでもいうのか。

 

 いや、それなら不本意で不愉快だが理解だけはできなくもない。だけど、それだったら……どうしてそんな『運命』を知っているのに、アイツはスクルドを助けようとしないんだ?

 

「ふざけんなっ……!」

 

 怒りに身を任せて力一杯に服の襟を掴みこんでアレンをこちらへと引き寄せる。だがそれは束の間。一瞬でアレンは俺の手を振り解いて、逆に俺の腕を広げて抵抗できない形へと変えた。

 

「レンもアレンも元々は同じ『俺』という存在から抽出された存在だ。…………言いたくはないが、単純な筋力なら男である俺の方が上だ。お前は俺に手も足も届かない」

 

「だけど……だけど……!」

 

 必死に俺は掴まれた腕を振り払おうと動かそうとするが、アレンの手は一向に解かれることはない。何か特別な力や拘束などといった体位を取られてるわけではない。純粋な筋力差——。どんなに心では男だと訴え、どんなに身なりを整えたとしても改めて今の俺は普通の女の子でしかないと実感してしまう。

 

 自分にさえ負けるほど今の俺は弱い——。レンはそれほどまでに一個人として非力なんだ。

 

「何度やっても一緒だよ。今のレンに、俺を勝つための力はない」

 

 何度も何度も抵抗を試みるが、アレンの表情は変わることなく悲痛な眼差しで俺を見続けている。

 

「お前は今まで一度でも自分だけの力で、異質に挑んだことがあるか? ハインリッヒに助けられ、南極のメタンもSIDに任せ、天国の門だってソヤが命懸けで奮闘して、マサダではエミリオに助けられ…………海底都市ではそれこそ多くの仲間達に助けられた末の結果だ」

 

「……確かに俺の力はちっぽけだけど……だからってスクルドが殺されていい理由にはならないだろ……!」

 

 スクルドとファビオラの絶対的な関係。2年前から主従関係となってファビオラはスクルドの世話係をするようになったが、あの二人にはそういう主従だけで括れる線引きを遥かに超えた信頼関係が構成されている。

  

 ある種それは『家族』という形にも似ており、俺はそんな姿を見て母親といる姿を夢想してしまった。そんな小さな温かな光景を守りたいと思った。それは俺が『俺』である以上、アレンも同じ気持ちのはずなんだ。そんな光景をアレンは否定するというのか?

 

「……俺だって守りたいさ。新豊州記念教会での出来事に介入してまで最初の運命から助けようとしたさ……」

 

 新豊州記念教会での出来事——。その言葉で俺はスクルドの状況を思い出し、一つの結論に達した。

 

「……アレはお前だったのか?」

 

 スクルドはファビオラの決死の忠誠心で、謎の幻覚に覆われた新豊州記念教会から突き飛ばして九死に一生を得た。その後スクルドはしばらく気絶したままで、目が覚めたら教会から離れたベンチで寝ていたという。

 もしその時の犯人がスクルド目当てで教会で一連の出来事を起こしたとしたら、そんな安全に配慮したことなんてするわけがない。父上を対象としたとしても脅迫材料としてスクルドを拘束することもできた。ファビオラの殺害を目的にしても、ただのボディガードを殺害するのが終着点なわけがない。その先には必ず成すべき目的があるはず。それにスクルドが関わらないという確証はない。

 

 あの時、あの状況で、スクルドの安全が保証されるとしたら、そこには必ず第三者の介入があり、スクルドは守られていたことになる。だとしたら第三者とは即ち……目の前にいるアレンに他ならない。

 

「そうさ。だけど未来や運命は変わっても、必ず帳尻合わせが発生することを知った。あの日、新豊州記念教会で死ぬはずだったスクルドは、今度はここニューモリダスで死ぬ運命にある…………」

 

「じゃあ今度も変えればいいじゃないか……!」

 

「……俺もそう思った。だけど利息ってのは貯め込めば貯め込むほど膨れ上がるのと一緒で、運命も先延ばしにするほど帳尻合わせとしての被害が大きくなる。スクルドの運命をここで強引に変えたら、今度はファビオラさえ巻き込み因果が生まれかねない……」

 

「……さっきから聞いてれば、お前なんだよ……!」

 

 アレンから口に出される言葉は、すべてネガティブ思考だらけの女々しさすら感じる不甲斐なさだと自分で自己嫌悪しそうになる。それは自分が元々持つ『普通の人』としての弱い感性に他ならない。どんな弱い言葉も、結局は俺自身がどこかで内包するものであると俺は理解しているため、自分で自分の弱さを諦念にも感情で受け入れているアレンの姿を見ると、自分の弱さそのものを体現しているようで無性に苛立ちが募るのだ。

 

「運命だの、未来だの、因果だの、それを知ってるお前は何だよ!」

 

「……説明してやろうか? アレンという存在がどんな風に生まれたのか?」

 

「……『お前』がどういう存在か……?」

 

 それは『俺』とはとても思えない表情をしていて、同じ顔だというのに明確に俺の中で『アレン』という男が構成されていくのを感じた。

 

「『ロス・ゴールド』の一件で、世界は二つに分かれた。変革した世界と、変革しなかった世界……そこで取り残されて生き延びたのが俺……運命を先伸ばした結果、運命に殺された男さ」

 



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第11節 〜Extra Tern〜

慢性的に左脇と首筋の痛みが続くので、最終話完成まで一週間に一話更新になります。完成次第、前書きに報告をして毎日更新に切り替えます。


「運命を先延ばしにした結果、運命に殺された男さ」

 

「『ロス・ゴールド』で運命を……?」

 

 アレンの言葉で思い出すのは、記憶に焼き付いた地獄の光景。燃え盛る新豊州の上空で妖しく光り輝く黄金の杯を見て、確かに俺は心の底から願った。

 

 ——仮に……もしも……。

 ——『神様』が本当に存在していれば……。

 ——お願いだ……すべてを夢に……。

 

『全て、夢であってくれ——』

 

 

 ……あの光景は忘れるはずがない。あの言葉を忘れるわけがない。事実、その地獄は『夢』のように消え去って、目が覚めたら俺はどことなく母親の面影がある少女の姿になっていたんだ。多分、母親が俺のような男の子ではなく、女の子を産んだらこんな風だったんだろうと思えるほどに。

 同日にアニーに出会い、マリルに保護され、愛衣に検査されたりと本当に気苦労が絶えないものだった。愛衣曰く新生児同然の綺麗な身体な上に、この身体には中世から現代にかけてまでのありとあらゆる病原菌といったものに免疫というか、そういう抗体があるとも口にしていた記憶がある。それに色々と衝撃的なことが起きた出来事だ。女の子の身体について、時空位相波動について、俺が『レン』という戸籍に書き換えられた件について。

 

 何より——突如として焼失した『ロス・ゴールド』について。

 

 かの聖遺物は太平洋に突如として現れたロス諸島という謎の島々で発見されたものだ。研究に研究を重ねた結果、異質物としての危険性はないと判断。危険度は『safe』と定義され、新豊州のどこにでもあるしがない研究センターの一角で学生の研究会として論議する対象にされた。実際、俺というごく普通の一般人が、単位の取得するという下世話な目的だけで手軽に接触できるほどセキュリティが緩い聖遺物だ。ある意味ではラファエルが気軽に遊び道具にしていたというロシア皇帝の遺産である『インペリアル・イースター・エッグ』と根本的な差など微塵もない。

 

 そんな危険とはまるで縁がないはずの異質物が、突如として研究センターにテロリスト襲撃したのか。襲撃で弾みで何かがあったのか、それとも別の理由があるのか、safe級であるはずの『ロス・ゴールド』が暴走。俺が知る某七人の英雄達が戦うアニメの悲劇みたいに、新豊州全体が炎に飲み込まれて、辺り一帯を焦土へと一変させた。人々は何故か塩の像となっていて、気絶していたせい俺では詳細を知るはずもなく、ただ狼狽えるしかなかった。その時に上空に輝く『ロス・ゴールド』を見たんだ。杯はただ上空で輝いたまま静止して、何か待つように俺の前で光臨し続けていたんだ。

 

 …………そんな『ロス・ゴールド』のせいで、確かに俺の運命は明確に変わった。男から女に変わるほどと言えば、それだけで衝撃的ではあるが、問題はそれを境に全世界に時空位相波動が急激に発生したという話がいつかマリルの口から出ていた。それによって『ドール』、あるいは新種定義された『マーメイド』みたいな『魔導書』の力を得て狂気に魅入られて暴走したものが急増したとも。

 

 世界は明確な様変わりを密かに果たしていたと言える。あの日、あの時に起きた地獄を再分配するように、その後も立て続けに事件は起きた。

 

 だけど…………アレンの言葉に嘘がなければ、運命が『変革しなかった』世界があると言っていた。それはつまり、あの地獄が地続きした世界があり、アレンはそこから来た世界だというのか? だとしたらそれは『未来』でも『過去』でも『現在』にも属さない世界。同じ『運命』はあるのに、明確に全てが違う世界の住人——創作や空想科学でよく話題に出される『並行世界』からの人物ということに他ならない。

 

「……その話、どこまで信じればいい?」

 

 正直全てが信じがたい。目の前に俺という存在がいる時点で、信じる信じないという次元は超えてる気がするのは百も承知だし、百歩も甘んじて譲ろう。だが、それでも足りないのだ。こんなトンチキが輪をかけている状況について。

 

「全部、といっても納得しないだろう。だからとりあえずは差異があるところをすべて口にする。まず俺がいた世界では『デックス』という家名は存在しない」

 

「デックスが存在しない……って、ラファエルがいないってことかっ!?」

 

 それは非常にまずい事態なのではないかと俺は考えた。何故なら第四学園都市サモントンは、世界的に蔓延する農作物を侵し尽くす『黒糸病』に唯一対抗できる都市だ。その理由としては、ラファエルの祖父であるデックス博士が第一人者として自国が持つXK級異質物『ガーデン・オブ・エデン』を研究することで得た成果だからだ。

『ガーデン・オブ・エデン』の性能は公表されている限りでは、池の形をした異質物であり、あらゆる植物を遺伝子レベルで改造することが可能であり、どんな環境にも適応されるといったものだ。攻撃それに防御などといった新豊州の『イージス』やマサダの『ファントムフォース』が持つ機能は一切持たず、かといってニューモリダスの『リコーデッド・アライブ』みたいに変換装置と違い明らかに穏便なものだ。だが、この『ガーデン・オブ・エデン』があるからこそ、サモントンで育つ農作物は『黒糸病』の影響を受けずに安定した食料が供給され続けるのだ。比喩でもなければ過言でもなく、デックス博士の研究があるからこそ世界は飢餓に苦しみ事もなく、サモントンは第四学園都市として絶対無比な立ち位置や宗教倫理観により国際平和フォーラムで『サモントン協定』が履行されて、現在世界中からEX級異質物がサモントンに収容されているのだ。

 もし根本的に『デックス』が存在しない世界がないとすれば、必然的に『ガーデン・オブ・エデン』の研究も進まず『黒糸病』が世界全てを侵し尽くすことになり、第四学園都市は建国されないのは目に見えている。そうなれば隣り合わせにある食料問題もそうだし、六大学園都市全体が持つ異質物の扱いに関する問題なども抱える事になる。

 

 まさか、それが原因の一つでアレンの世界の運命は閉じたのではないか——と勘繰ってしまうのは無理はない。

 

「別にいないわけじゃない。あくまで置換されてるだけで、俺の世界では『デッカーズ』という家系があるんだ。偏屈お嬢様も『ラファイル・デッカーズ』という名前になってるだけで性格も見た目も瓜二つさ。そこのところは安心していい」

 

「そうか……」

 

 どうやら俺が想定した最悪の事態は避けられてるようだ。だとしたら何故アレンの世界は滅びてしまったのか? 疑問に思う俺だが、そんな考えなど知らんとばかりに「他にも」とアレンは言葉を続ける。

 

「マリルは研究センターでのテロ騒動に巻き込まれて死亡していて愛衣がSID長官をしていたり、この時期なら既に『魔女小隊』というSID内で新部隊が誕生してたりする」

 

「マリルが……っ!?」

 

 他にも興味深いワードがあったが、一番驚いたのはあのマリルが『死亡』したという事実だった。あの鬼よりも怖くて、悪魔よりも狡猾なマリルがいとも簡単に死ぬ——? そんな話が本当に有り得るというのか?

 

「……言いたくはないが、マリルは『人間』なんだ。『聖痕』や『魔導書』の情報を持つ『魔女』とはどうしても違う。個人の戦力で言えば、俺やお前と大差はない。…………死ぬ時は本当に呆気なく死ぬんだ」

 

 未だに俺の腕を掴み続けてたアレンの手から力が抜けていくを感じる。悲しみに暮れて思考が疎かになったのだろう。俺は難なく拘束から抜け出てアレンと本当の意味で相対する。

 

「他にも相違点はあるが……今のお前に言っても伝わらないだろうさ」

 

「——わかったよ、平行世界の云々は受け入れるさ。だけどッ!!」

 

 俺は不意を突いて拳をアレンの隙だらけのみぞおちへと叩きこんだ。突然の攻撃に対応できるほど俺は……アレンは運動神経は高くない。少しばかり身体のバランスを崩し、俺はSID仕込みの戦闘術で一気にアレンを組み伏せて馬乗りの状態となった。

 

「いちいち小難しい理屈をこねてスクルドを見殺しにする理由にはならないだろうッ!!」

 

 怒りに任せて、俺は今度は頬に向けて一発だけ拳を入れる。

 これは意識を奪うための一撃。俺が本来受け持っている使命は『目標となる人物の捕捉と拘束』——。こいつが一々屁理屈を言うなら、一度牢獄にぶち込んでから事情聴取すればいいだけの話。例えそれが今知りたいであろう世界の真実の一部があるとしても……スクルドを見放してでも俺がするべきことではない。そういうのはマリルの仕事であり、そのために組織体制を持つSIDなんだ。さっさと拘束してアレンを放り投げて、俺はいち早くもう一つの任務である『スクルドの護衛』に戻らなければならない。そうすれば、こいつが言う運命を失くすことだってできるかもしれないんだ。

 

 だが、この一撃だけではアレンの意識を奪う事は出来ない。ならば首筋を絞めて確実に意識を落とせばいい。馬乗り状態では、いくら男と女の筋力さがあっても覆すのは難しい。そういうのも利用するのも手だとエミリオは言っていたし、何よりSIDの訓練で教わった。

 

 元が俺なら、微々たる性別での筋力差なんてマウントを取る優位性されあえば、いくらでも覆せる。アレンだってこの体位を抜け出すには、それ相応の知識がないと——。

 

「SIDの戦闘術なんて……俺だって知ってるんだよ!」

 

 それこそ『SIDの戦闘術』を受けていない限りは返せるはずがない。

 

 アレンは足を強引に持ち上げて、背筋と足の力で馬乗りとなっている俺の体制を崩していき、今度は強引に俺を下にして押さえつけてきた。

 

 同時にわずかに奔る痛み。電流が身体を貫いたようなほんの僅かな痛みだが、この程度で狼狽えるほど今の俺は未熟者ではない。すぐに痛みのことを意識の外に置き、お返しと言わんばりに頭突きをアレンの額にぶつける。

 

「お前だって戦えるんだろう! お前は俺だろう! どうしてそんなアッサリと諦めちゃうんだよッ!?」

 

「俺だって好きでスクルドを見放すわけがないだろッ! あんなに可愛くて人懐っこい子が……俺にとって妹みたいに可愛くて仕方ない子が……どうして俺自身が諦めきゃいけないんだよッ!!」

 

 互いに理性が不思議と溶け合うように怒号をぶつけ合う。人はこれを『同族嫌悪』というのだろう。俺だってアレンが諦める気持ちがあるのは分からなくもない。それに『夢』であった『誰か』の力が無ければOS事件は解決できなかったし、マサダでエミリオが人質にされた際も諦めかけたし、ソヤがヘリの爆撃に巻き込まれたのを目の当たりにした時には本当に一度諦めた。

 

 それは俺個人に、他とは違う『力』が自由に発揮できてないことを知っていたからだ。OS事件とマサダの時は明らかに俺以外の力が関わっていたし、ソヤの時は事前にお膳立てしたうえでの条件だ。アレンが先ほど言った通り一つでも俺自身が解決に導いてはいない。計算式と思考を事前に用意されて、その公式に当てはまるだけが今の俺の力であり限界。

 

 それはきっとアレンも同じで——。その限界をきっと並行世界で死ぬほど味わって——。きっとまたあの焼きついた地獄を見て——。

 

 その時、俺はいつか見た『夢』をふと思い出した。

 

 

 

 ——仮に……もしも……。

 ——『神様』が本当に存在していれば……。

 ——お願いだ……すべてを夢に……。

 

『全て、夢であってくれ——』

 

 

 

   ——我が器よ、変革の時は来た——

 

 ——今一度この地獄を生き抜いて見せよ——

 

 

 

 ……思えばあの時の俺は『俺』の姿だった、姿だけは『俺』だったが、それがつまり『俺の記憶』であるとは限らない。あの光景が本当は並行世界でアレンが見た運命の終着駅だとしたら——。何て飛躍しすぎた想像だ。鼻で笑って流せばいいというのに、何故か俺にはそれを確信できた。

 

 いつかどこか、誰かの『記憶』の中に潜り込んだ『記憶』がある。『夢』のように朧げだけどそこで不思議なことが色々あったはずなんだ。詳細なんて思い出せはしない。それでも自分のことのように、その

『記憶』を体験してきたはずだ。

 

 そんなことがあったとすれば、俺の想像だって満更不思議なことでもない。マサダでも意識がないまま同調を起こしたとマリルが言っていたし、OS事件でも『誰か』との『魂』が繋がった覚えはある。だったら自分と何らかの拍子で『魂』と『記憶』が『夢』で繋がったとしてもおかしくはない——。

 

 でも、それがどうした。諦める理由は分かる。諦めちゃいけない理由も分かる。だけど、それを諦める答えにしてはいけない。諦めちゃいけない答えにしてはいけない。スクルドの運命を終わるのを黙って見過ごすわけにはいかない。どんなに弱くて頼りない俺だとしても、ただ死を待って静観するのは御免被る。

 

 だから、こんな状況にかまけてる訳にはいかない。さっさとこいつを捕らえてスクルドの安全を何とかしないといけない。

 

 俺だってアレンに拘束された程度の状況を返すことぐらいは知っている。俺であるアレンだってできたんだ、これは筋力ではなく技術の問題。俺も同じようにこの体制を抜け出そうとするが——。

 

「んっ……んーっ!!」

 

 どんなに動かしてもアレンが体制を崩すことはない。むしろ徐々に重量が増していく感覚を覚えて、身体全体が動かすことすら困難になる。

 

「どんな手を使って……」

 

「お前、俺がどんな異質物を盗んだか忘れたか。思い浮かべて見ろ」

 

 そう言ってアレンは余裕そうな表情と、余裕そうな態度でシャープペンシルの芯をもっと細くした鋭利な物を見せつける。

 

 その言葉に俺はアレンがアルカトラズ収容基地から強奪した異質物——『天命の矛』について思い出す。

 

 神殺しの逸話を持つEX級異質物。その文献は非常に少なく、EX級と定義されている以上、その異質物が持つ性質の研究は宗教側の理由で許されてはいない。

 

 そのため『天命の矛』が持つ性質は分かっているだけでも二つ。

 

 一つは『高温で融解しない』——。

 二つは『振り回すと重くなる』——。

 

 そこで俺は気づいた。まさか今持っているシャープペンシルの芯よりも細いもの、あれが——と思ったところでアレンは思考を読み取ったように笑った。

 

「ご明察。これは『天命の矛』を研究して作られた異質物武器の一つ。対象に突き刺すことで、相手が反抗しようと動くたびにその芯は『重み』を持つ拘束目的を持ったものだ」

 

 いつどこで突き刺したのは考えるまでもない。体位を逆転されて、すぐに感じた僅かな痛み。あの時にアレンは俺へと異質物武器を突き刺していたんだ。蚊に刺されるよりも少し痛いぐらいなもので、その痛みの正体を正確に把握するのを見誤っていた。

 

「本来はそこまで細いと僅かな人の体温でも溶けかねないが……まあこれ以上は言うまでもないな」

 

 アレンはもう終わったと言わんばかりに立ち上がり、俺の拘束を解く。だが異質物武器の性能が無くなったわけではない。意識を持っているのに、仰向きに倒れ込んだ俺は動けずに悠然と見下ろすアレンと視線が合う。

 

「……やっぱり弱すぎる。今のお前に『運命』を変える力はない。スクルドを助ける力はない」

 

 スクルドを助けられない——。その言葉は俺の心に深々と突き刺さる。

 

「だが、いずれお前にはもっと過酷な『運命』が訪れる。その時が……俺とお前、本当の意味で邂逅する時だ。俺はそれまで『第七学園都市』で待っているぞ」

 

 そこでアレンは俺に背を向けて、距離を置いて待つセラエノの隣へと向かった。

 

「行こう、セラエノ」

 

「…………」

 

「セラエノ?」

 

「…………」

 

「おーい、聞いてますかー?」

 

「……お前がお口チャックっていうから、喋っていい時まで黙っていたんだ。終わるタイミングを言え。流石の私も少し不機嫌だ。プンプン丸だ」

 

「ごめんごめん、謝る」

 

「よし許す。ではレンちゃんとやら。また会う日までさようならだ」

 

 そんな余裕綽々の態度と雰囲気でアレン達は駅内へと足を運び、俺は一切の身動きが取れないまま見送るしかなかった。それがあまりにも俺とアイツとの実力…………いや、アイツだけは持つ『強さ』があって、俺には持ててない『強さ』があるのを理解してしまった。同じ俺だというのに、どうしてここまで差があるんだ。

 

 情けなくて悔しくて————。

 

 泣きたくて苛ついて————。

 

 それは立ち止まる理由にはならなくて————。

 

 だけど進み続けるには俺だけではあまりにも未熟で————。

 

 途端、胸元にいつもの痺れがきた。

 

『レン。バイタルが不安定になるのを観測したが、どうかしたのか?』

 

 今だけはその声を聞いても安心感なんて沸かない。むしろ自分の不甲斐なさをより一層感じてしまう。自分がどれほど今までマリルに頼り切りで、そして今も縋ろうとする自分がいることを自覚してしまうからだ。

 

「マリル……っ! おれ……おれ……っ! アイツを、捕らえらなかったぁ……!!」

 

『……分かった。ならばパランティアに連絡を取りあう算段に移る。出来る限り把握できた情報を口頭で伝えろ』

 

 俺は目に浮かぶ涙を堪えようとするも、隠しきれない涙声でマリルに情報を伝える。今はそれしか俺にできることがない。ただSIDに縋るしかできない未熟な俺に、俺はアレンの言葉の数々を身に染みて感じ取ってしまった。

 

 俺は…………こんなに弱かったんだ。



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第12節 〜One-sided Game〜

 レンとアレンが邂逅する数時間前。スクルドとファビオラはとある知人と会うために、ニューモリダス首都郊外にある教会の前まで足を運んでいた。

 

 その名は『トリニティ教会』。ニューモリダスに数ある教会の一つ。七年戦争の影響で半壊され、学園都市に発展に伴なって外観を損なわないように最低限の改修工事で保管された施設でもある。継ぎ接ぎだらけで閑散とした庭園は『黒糸病』のこともあって観葉植物といった加工された観賞用ものしかなく、それさえも手入れが届いていない。時によって朽ち果てた様子は一種の秘密基地にも見えて、ここでスクルドは今の今に至るまで親交深く関わってきた『アントン神父』にお世話になってきた。

 

 その思い出はスクルドにとって大事なものだ。二本足で立つ前から『未来予知』の影響もあって、思考の成熟が同年代と比べて一回りも早かった少女は周りと噛み合わずにいつも孤立していた。議員の娘という『エクスロッド』という立場。神託として神父自身から名付けられた『スクルド』という立場。それら二つによって成された『スクルド・エクスロッド』という少女の人生は、大人から見ても子供からしても酷くつまらないものであった。そんな中で秘密基地にも似た『トリニティ教会』でのアントン神父との幼少期での触れ合いは、年齢差なんて微塵も感じない楽しさに溢れていた。

 

 スクルドは『未来』ではなく『過去』に耽る。『記憶』に残る神父の顔を求めて。

 

 

 …………

 ……

 

《神父様。何をしてるのでしょうか?》

《神像を磨いているのですよ。お嬢様もやりますか?》

《やらせて!》

 

《ここは雨漏りしますね》

《ですので補修をしようかと。お嬢様も手伝ってください》

《はーい!》

 

《お嬢様、新豊州から金鍔を頂きました。一緒で食べましょう》

《……ありがとう。いただきます》

《おやつの後は運動も兼ねて庭の整備をしましょう》

 

 ……

 …………

 

 

「……よく考えたら程よく労働力にされてたかも」

 

「今更ですか? 私がここに来た時はお茶出しを任されましたからね?」

 

 思い浮かべるは白髪、白髭、白肌と黒装束の修道服以外すべてが白い中年の無邪気な笑顔。七年戦争の体験者でトリニティ教会に所属する前までに知り合った関係者のほとんどが死に絶えたというのに、心まで白く眩しい清らかな人だったのを二人は知っている。同時に剽軽な一面もあり、子育てに慣れた親のように要所が適当な面もあるのも知っている。

 

 二人はそれを思い浮かべて一瞬渇いた笑いが出たものの、すぐに緊張感を戻して互いの視線を合わせる。

 ファビオラは一つ頷くと、強盗でもするように教会の扉を蹴り開け、メイド服のどこからか取り出した拳銃を突きつける。

 

 中は散乱とした状況であった。礼拝堂に並ぶ長椅子には弾痕があり、神像は無惨にも砕け散っていて、その首は信仰心など足蹴にされたように埃が多大に募っている。

 

 二人は細心の注意を払いながら教会の中を進んでいく。中庭を過ぎ、納骨室、エントランス、台所と次々と確認を終えて、やがてアントン神父が普段使用する執務室という名の私室へと入った。

 

 そこは先ほど前の施設とは違い、幾重にも荒らされた酷い状態であった。参拝者に渡すための聖書から、植物や昆虫などの図鑑や神父が愛読していたファンタジー小説やスクルドには閲覧不可能な発禁本など様々な物が引き裂かれ、収納する本棚さえ倒壊されている。

 

《……アントン神父について、今知っていることを教えてほしい》

 

 スクルドはイナーラから告げられた情報を思い出す。

 

《…………行けば分かるわよ》

 

 たったそれだけでスクルドとファビオラは察した。先の事件が起きたそもそもの切っ掛けは、アントン神父からの手紙で『新豊州記念教会』に向かえと言われたのが発端だ。アントン神父が裏切ることなんて絶対に有り得ないのをスクルドは知っている。しかし筆跡も内容もスクルドが知るアントン神父の物なのも確かだ。

 だとすれば考えられるのは二つ。手紙の内容が漏れていたか、アントン神父に危機的な状況に合って無理矢理書かされたか。そしてイナーラの言葉さえ聞けば自ずと後者だと予測は固まる。危険を感じた二人は、父親と合流する前にせめて現状だけでも把握するために『トリニティ教会』へと足を運んだのだ。

 

 結果は予想した通りだった。強襲があった跡はアントン神父が拉致されたものだと考えることができ、現在では人目につかない場所で監禁されているか、それとも既に用無しとされて殺害されているか——。

 

 スクルドの脳内に過ぎる不安を振り払おうとするも、先日から続く予感の影響もあって『死』というイメージが消えることはない。むしろより深く鋭利に脳と心臓を貫くように具体的な『死』を思い浮かべてしまう。

 

 不安に駆られるスクルドはファビオラを横目で見続ける。重苦しい空気とは裏腹に色鮮やかなピンク髪と青を基調としたメイド服。その手に握られているミスマッチな拳銃。客観的に見れば全てがこの場に噛み合わないというのに、不思議とその姿でいることこそが自然だという佇まいで神父の痕跡を辿るための捜索を続ける。

 

 その姿はスクルドが知るいつも通りの彼女すぎて、いつも通りの頼りで世話好きで料理下手なファビオラを見てしまうと、アントン神父やスクルド自身に降りかかる予感がある『死』を何とかしてくれそうな気がしてくるのだ。

 

 2年前、レンが覗いたファビオラの『記憶』の出来事——。レン自身は詳しく覚えてはいないが、スクルドは実際にあった『過去の記憶』として覚えている。ファビオラがスクルドを、かつてのパランティアの諜報員達を守るために炎を纏う魔女として自発的に覚醒したことを。その甲斐あって『イエローヘッド』や『蜘蛛』といった自立行動型の軍事兵器からの強襲という窮地を脱したのだ。

 

 きっと今度もファビオラが何とかしてくれる——。スクルドの不安は既に消えさり、視界の端にいるファビオラはいつも通りの真剣な眼差しで現場を見つめ続ける。やがてファビオラは唾を一つ呑み込んで告げた。

 

「…………まずいことになりました」

 

「まずいこと……?」

 

「これ……恐らくマサダの新兵器『レッドアラート』が動かしてる可能性があります」

 

 その言葉にスクルドは肌身から熱を引いていくのを感じた。

 

 レッドアラートとは、2年前ファビオラ達を襲ったイエローヘッドと同じくニューモリダスの資金でマサダブルクで開発された新兵器。イエローヘッドが別名『黄黒の死神』と呼ばれるように、そのレッドアラートにも相応の別名がある。

 

 スクルドとファビオラはすぐにトリニティ教会を後にして、父親が待つニューモリダスにあるエクスロッド家を目指す。

 

 レッドアラート——。またの名を『血の伯爵夫人』——。

 

 

 …………

 ……

 

 

 俺は駅前でマリルの連絡を下に、パランティアの人達と合流する。そこには例の個人諜報員であるイナーラの姿さえも見える。服装はクラブにいた時の衣装とは違い、先日ホテルで見せたダボダボの黒ジャンパーを基にしたものだ。

 

「お、お久しぶりです、イナーラさんっ」

 

「おひさ〜。相変わらず色眼鏡全開ね」

 

 ケラケラと笑いながら、イナーラはパランティアから派遣された頭にバンダナを巻いた陽気なお兄さんと話し合う。陽気な男の名前は『カッセル』といい、ファビオラがパランティアに所属していた時からいる諜報員だそうだ。

 

「最後のあったのは…………いつ頃でしたっけ?」

 

「……半年近く前。突如として多数発生した時空位相波動について調査するために議会連中の協力したことは覚えてるでしょう」

 

 半年近く前……。多分、俺が『女の子』になってしまった日のことか。マリルもそれを境に突如として世界中で時空位相波動の発生が多発していたと言っていた。

 

「…………そうだった、そうだった! いやぁ、すいません。どうもイナーラさんの事になると忘れっぽくて」

 

「気にする必要ないわよ。私の『聖痕』……つまり能力だから」

 

 やっぱり再開するまで『記憶』に一切彼女の姿が思い出せないのはイナーラ自身が持つ能力だったのか。だとすれば先日ホテルで推測していた大胆不敵さもあながち間違いでもないのだろう。パランティアという情報機関に属する一人にさえ認識が曖昧になってしまうのだから、能力としての出来は俺みたいな半端者とか関係なく平等に同じなのだろう。

 

「相手の『記憶』から消えるとは……前にいた姉御より凶悪じゃないっすか」

 

「便利過ぎて困り物よ。だってこれ、私に関する情報は『自動的に消去』してくれるんだし」

 

「へぇ〜〜。どれくらいっすか?」

 

「名前と容姿と声色は絶対ね、後は個人差。思ったことや会話を忘れる奴もいる……中には私と時間そのものを丸々失うのもいたっけ?」

 

「随分と色々言うなっ!?」

 

 もし盗聴とか録音されてたらどうするのか、この踊り子は。

 

「どうせ忘れるんだしいいでしょう。録音したところで、私の能力対象は『私から得た全て』だし。どんな媒体で録音や録画をしても忘れるわよ。仮に覚えても霞がかって『イナーラとしての情報』として『記憶』が結びつくことはない。それらを断片的に再生されるのは、こうしてもう一度私に会えた時だけ……結構便利なセキュリティでしょぉ〜?」

 

 最後には、いつもみたいに可笑しな口調でイナーラはふざける。それがカッセルにとっては好ましいのか、頬を赤くして「そんな感じもいいっすね!」と笑う。

 

 だが、俺には一連の情報に妙な違和感を覚えた。『イナーラから得た全て』が『自動的に消える』——? じゃあどうやって個人請負業者の『イナーラ』としての立場を確立させたんだ。

 

 嘘が混じっている、明らかな嘘が。少なくとも俺は『イナーラ』という名前は覚えていた。名前を絶対に忘れるということに関しては嘘でしかない。

 だけど、それを言及したところで意味なんて一切ない。今はアレンの追跡もそうだし、アイツが再三口にしたスクルドの『死』といい『運命』をどうにかして覆さないといけない。

 

 近日中とは言っていたが……それは明日かもしれないし、もしかしたら今日かもしれない。何にせよ残された時間は少ないのだろう。それまでにSIDやパランティアとも頑張って何とかしないといけない。

 

 ……そう『何とか』だ。具体的な案なんて浮かびはしない。高崎さんの時だって無観客ライブは過去にあった事を準えただけだし、ライブ自体の成功は正直彼女自身と星之海姉妹の力は大きいし、犯人の特定だってベアトリーチェに任せっきりだ。俺自身が本当の意味で力になれたことなんて本当に些細な物で、だから俺は『俺』にすら負けてしまった。

 

 イナーラのことについて考える暇があるなら、少しでも知恵を搾り取って自分で考えるんだ。アレンの居場所を探る術を。スクルドの運命を変える術を。

 

 ……だけど、そんな決意だけで案が出るなら苦労はしない。答えなんて出るはずがない。今は情報がなさすぎる。ニューモリダスはマサダブルクと違い、辺り一面砂漠で閑散とした町並みではなく海を側した喧騒としたビル群だ。アレンの居場所なんてそれこそ無数にある。

 

 スクルドの『死』の『運命』だって、今分かるのは『エクスロッド暗殺計画』というイナーラから与えられた情報だけ。彼女自身も依頼を拒否したから依頼主の名前なんて覚えてないし、変声機を使ったから性別も年齢の特定できない。誰が計画してるかも分からない以上、計画者を捕らえるのは非常に難しい。どちらにせよ進歩はない。

 

 ……今はパランティアとSIDの情報を待つしかない身でしかないのだ。俺は気晴らしをするように、小声でマリルと繋がる胸元のスピーカー話しかけた。

 

「マリル……第七学園都市って本当に存在するのか?」

 

 アレンから伝えられた言葉は既にマリルに共有済みだ。第七学園都市から並行世界の可能性について伝えており、マリルならそれらについてどういう見解を持っているか気になったのだ。

 

『……学園都市の定義は知っているな?』

 

「うん……」

 

 そもそも学園都市は2018年、ジョーンズ博士が異質物を再発見・再認識されたことで異質物研究するための本格的な研究機関として生まれたのが発端だ。思想の雛形に関してはそれ以前にもあったみたいだけど、今の体制はジョーンズ博士の思想が基になっている所が多い。学園都市も小規模ながらも当初は何十と超えた建設計画があったそうだ。

 

 結果として七年戦争の影響でアメリカ、エジプト、ドイツといった既存している国家のほとんどは壊滅状態となり、いくつかの学園都市も崩壊したものの、残存された学園都市が独立した国家となって今の六大学園都市という体制を作った。その影響で現在の学園都市として数えられていない戦争前に破棄された学園都市はいくつかあるが、そもそもとして今の六大学園都市が『学園都市』として定義付けされるのは『XK級異質物』を所持している点が非常に大きい。

 

『確かにアルカトラズ収容基地から強奪された『天命の矛』は文献の数も少なく、研究されてない部分も多くて未知の部分が多い。研究さえ進めばXK級異質物になり得る物だ。しかし、あくまで可能性の話に過ぎず、そんなにゴロゴロとEX級異質物がXK級異質物に変わりました、なんてことは起きない。そのほとんどが現存するXK級異質物と比べたら赤子みたいなものさ。だから宗教法人は研究に悲観的なんだ。『未知という可能性』を持つことで、自分達が所持する異質物の権威を維持するために』

 

「大人って見栄っ張りだね……」

 

『気持ちは理解できなくもないがな。まあ共感は一切しないが……』

 

 ため息混じりにマリルは言う。

 

『異質物の価値を落とされるのは、宗教的には信仰する神の侮辱にも等しい。人は誰であれ貶されるのは嫌いなものさ』

 

「貶されるのが嫌なのが分かってるなら、俺の扱い改善してくれません?」

 

『お前のは自業自得だ』

 

 確かに……。俺の人権失墜は完全な自業自得だ。そのことに関して俺は強く言えないことに悲しさを覚えてしまう。

 

『……そしてXK級異質物は一つだけでも世界中に災害級の招く力を備えている。マサダの『ファントムフォース』も直接的だし、サモントンに至っては『エデン』の遺伝子改造で農作物全てを『黒糸病』以上の毒物にでもすれば人類史上最恐最悪のテロリズムが完成する』

 

「想像するだけで嫌だな……」 

 

 俺だって七年戦争の被害者の一人だ。貧困や飢餓に喘ぐ気持ちは痛いほど分かる以上、空腹というか食事に関しての脅威は人一倍恐ろしいのを理解している。そんなことになればサモントンは一転して独裁国家だ。

 

『そんな異質物は発見された時点で即研究及び保護は確定だ。六大学園都市で共有して対応にあたり、然るべき時が来たら研究対象として新しく学園都市を作る……そこまで来て初めて『第七学園都市』という設立という話が生まれるんだ』

 

『だが』とマリルは一息置いて話を続ける。

 

『生憎とそんな情報なんて今の今まで微塵も聞いたことがない。都市伝説として話のネタになるくらいなもので、七つ目の学園都市を作ろうという話は連合議会で起きたことは一度たりともない』

 

「……じゃあ第七学園都市なんてものは存在しない?」

 

『そういうことになるな』

 

 マリルからの結論を聞いて一つの安心を得て、同時に一つの疑問が浮かぶ。だとしたらアレンは何故『第七学園都市』が既に存在するかのように言っていたのか。考えられるとすれば、先のスクルドの死の『予感』と同じように、アレンはそれができるのを『予感』しているとしたら——。

 

 すると突然スピーカー越しから愛衣の『監視カメラの映像の集め終わったよー』と呑気な声が響いてきた。

 

「監視カメラの映像?」

 

『ああ、私たちは現状二つの問題に直面してるからな。一つは男のお前……アレンって奴の捜索と確保。二つはエクスロッド暗殺事件の首謀者の特定だ。前者に関しては現地にいるパランティアとイナーラに任せるとして、後者は『新豊州記念教会』で一度アクションがあったんだ。アレが暗殺事件として最初の動きとしたら、何かしらの証拠が残っていてもおかしくはない。それを私達SIDで検証するのさ』

 

「なるほど……」

 

 それだったら本当に今は座して待つしかない。俺は先ほどまで疑問に浮かべていた『第七学園都市』については思考の片隅に置いておき、駅前近くにある公園のベンチへと腰を置いてニューモリダス全体を眺める。

 

 眠りを知らぬ街並み。絢爛都市は、落ち込む続ける俺の気持ちとは裏腹に輝き続ける。視界と思考を嫌でも刺激させる輝きは、少しばかり微睡む意識を活性化させて俺の思考を改めて『第七学園都市』について考えさせようとしてくれる。俺は深呼吸をして眩い白光から視線を逸らし夜空を見上げると、そこには夜空に相応しくない色の光が視界に映っていた。

 

 空に——『赤い流星』が見えた。肉眼で捉えたそれは、人と呼ぶにはあまりにも長すぎる四肢と細すぎる胴体だ。眼に値する部位は月明かり良く眩しい赤い閃光が夜空を一閃した。

 

 その正体を俺は知っている。市街作戦において警戒すべき兵器『イエローヘッド』や『ハニーコム』や『蜘蛛』に並ぶものだとエミリオから聞いた。

 

 名は血の伯爵夫人ことレッドアラート——。

 

 それは『対魔女兵器』と呼ばれる局所的作戦遂行を目的としたマサダの軍事研究において最高傑作と名高い殺戮兵器——。



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第13節 ~Death Race~

『レッドアラート』——。それは『対魔女兵器』と呼ばれる兵器だが、実はこれ自体が完成したのをSIDやレン達が知ったのは、OS事件が始まる一週間前に遡る。

 

 切っ掛けはマサダブルクで起こしたエミリオの奇跡——。民を襲う二酸化炭素の砂嵐をエミリオはその手に掲げるアズライールで一刀両断、一瞬にして蒸発させてマサダブルクの危機を救ったことは記憶に新しい。

 

 しかし、この一件はマサダブルクに良くも悪くも国政に大きな影響を与えた。目に見える救世主は現人神と呼ばれる存在に等しく、宗教思想が根付いてない若年層にはヒーローやアイドルに近い眼差しで見られ、思想に浸かった民は宗教の崩壊を危惧したものもいる。思想の二分化はマサダブルクとしては内城、外城の問題もあり、新たな派閥も生まれる懸念点があったため、即座にエミリオを宗教と教育の首席顧問という形だけの名誉を与え、結果としてそれが他の権力争いに属さない信徒が崇め始めてエミリオ自身は国際的な権力争いからは隔離されることになる。

 

 だが隔離されたとはいえ権力としては依然として顕在したままだ。何かの拍子で政界に参入した場合、マサダブルクは一転してエミリオという聖女を中心とした勢力が生まれてしまう。それを危惧したマサダブルクの政治家達は意見を合致させ、軍事研究者へと『ある目的』を熟せる兵器の開発を依頼した。それによって完成された兵器が『レッドアラート』なのだ。

 

 超小型特攻ドローン『ハニーコム』——。

 重火力無人ヘリ『イエローヘッド』——。

 対城破壊運用兵器『重打タービン』——。

 

 開発された以上、そのどれにも属さない運用目的が『レッドアラート』にはある。それこそが『対魔女兵器』と呼ばれる所以となる。

 

 それは人工的に作られる『執行者』ということ。サモントンに元々いた『審判騎士』と呼ばれたソヤや、同国にある情報機関である『ローゼンクロイツ』に所属するセレサが主な仕事をしている役職だ。その内容は『魔女狩り』——つまりは『ドール』と呼ばれる存在に対抗しうる存在として各地に派遣される独立した戦力でもある。

 マサダブルクでは情報機関『マノーラ』に所属する『ヤコブ・シュミット』が『教団』の管理人として過去にイルカを『執行者』として利用していたこともあるが、今では適当な存在はおらず、ヤコブ自身がマサダブルクに姿を見せないこともあり人工的に『魔女』を作る計画は頓挫——。結果としてマサダブルクでは『執行者』と呼ぶべき存在がおらず、人工的に『魔女』を増殖できなくなった現在では『ドール』あるいは『魔女』に対抗しうる戦力だと持ち合わせていなかったのだ。

 

 そんな時に誕生したエミリオは政治的にも本人が持つ『魔女』として資質は脅威以外の何者でもなく『排除』すべき存在という意見が政界では纏められた。『排除』するために『手段』がいるのは当然であり、それこそが『レッドアラート』こと『血の伯爵夫人』なのだ。

 建前上は世界中で発生する時空位相波動によって発生する『ドール』の排除並びに敵対する外国への迎撃を主目的としてはいるが、実際はエミリオを排除したい政界の意識が見え隠れした代物だ。マサダ内部のテロやクーデター、あるいは先の砂嵐に乗じて『レッドアラート』を派遣してエミリオを排除しようとする魂胆が透けている。そのことをヴィラの父親を通してエミリオとヴィラは知っているからこそ、現在二人は協力の名の下にSIDの管轄内で生活して合法的に身を隠して安全を得ているのだ。

 

 しかし、それでは自体が先延ばしになるだけである。果たしてマサダブルク政府は来るべき日まで『レッドアラート』を放置するであろうか?

 

 否——。軍事国家であるマサダブルクが、対エミリオ改め『対魔女兵器』と呼ばれる戦略級の自立兵器を『軍資金の調達』として野放しにするわけないのだ。

 

 だからこそ第四学園都市マサダブルクの兵器であるはずの『レッドアラート』は、第二学園都市ニューモリダスの夜空で流星となって行動しているのだ。

 

 目的はただ一つ、シンプルに『抹殺』。それはつまり——。

 

 

 …………

 ……

 

 

 夜空に浮かぶ『血の伯爵夫人』を改めて確認して俺は背筋が凍るの感じた。あれは『イエローヘッド』や『ハニーコム』と違い、特定の範囲を無作為に攻撃するわけではない。特定の人物を抹殺するための自律兵器だ。あれが製造元である第四学園都市マサダブルクではなく、第二学園都市ニューモリダスにある以上は確実に抹殺すべき目標があるということでもある。

 

 抹殺——つまりは誰かに『死』をもたらすということ。俺は否が応でもスクルドのことを思い浮かべてしまい、レッドアラートへと警戒心を募らせる。獲物を捉える赤い識別信号は依然として輝き続けており、それは確かめる様にこちらへと少しずつ接近してくる。

 

 背筋に伝う汗が肌を凍てつかせ、血管を巡る血液は氷の様に冷えていく。レッドアラートにとって俺は目標の一つなのだと感じ、一歩、また一歩と後退りをしてしまう。

 

 緊張感が限界に達した。同時に深紅色の流星が駆ける。それがどういう意味を持つのかを把握するのに僅かに遅れた。

 急接近による突撃行動——。俺は回避行動さえも取れずにベンチから飛び出して転がるだけで精一杯だ。

 

 このままでは致命傷を負う——。身の危機を感じた瞬間、浮遊感が俺を襲う。直後、レッドアラートがベンチを巻き込みながら公園に設置された遊具から噴水まで破壊し尽くしていき、ニューモリダス中に轟音が響いた。

 

「セーフ……。一人でどっかほっつき歩くなっつーの」

 

 音が止むと同時に聞き慣れてきた声が耳に入る。レッドアラートと同様に血を彷彿させる赤い髪を持つイナーラの声だ。

 

「ご、ごめん……」

 

「謝る余裕があるなら逃げるの優先。イナーラさんは戦闘に関してはからっきしなんだから」

 

「イナーラさん、ここは俺達に任せて避難を!」

 

 すると今度はカッセルがパランティアの構成員を四人ほど連れてレッドアラートの前に立ち、躊躇いもなく構えてアサルトライフルを引き金を引く。今度は断続的にリズムを刻みながら発砲音が轟くが、レッドアラートは生命ではなく防弾装甲を纏った兵器だ。弾丸ではかすり傷を付ける程度であり、行動に支障をきたすことなく、人体を模した赤い四肢は機械とは思えぬほど柔軟な立ち上がった。戦闘体制をすぐに取り、銃撃を放つパランティアの構成員達に次々と襲いかかる。

 

 これはロボットというには、巧妙で繊細過ぎる。自律行動のために装備されているジェネレーターや武装の数々を鑑定しても3mに及ぶかどうか。人体を模した四肢には、それぞれ独立した思考回路と視覚センサーが搭載されており、各々の部位に当たるマニピュレータを動かすという設計だ。そのせいで頭部と呼ぶべき存在はなく、胴体だけがメインコアとバランスを取る設計を持つことで、アタッチメントの柔軟性を損なうことなく動力部の耐久性を維持している。これは予めSIDやエミリオから又聞きされていた情報だ。だが実際に観察して初めて分かる。それらの情報がいかに兵器としての完成度が高いのかを。空に浮かんでいた事実といい、生産数が少数ながらも確かにこれはマサダブルク屈指の自律兵器だ。『ハニーコム』の時といい、生物として機能する動きの根本を理解している。

 

「さっさと逃げるわよっ!」

 

 感心するのはそこまでにして、俺はイナーラさんに手を掴まれながら公園のすぐ近くにある裏道へと入り、レッドアラートの追跡を振り払う。

 

「…………まあ、そう簡単に逃してはくれないわよね」

 

 しかし眼前にはレッドアラートとは違い、青い装甲を持つ四足歩行の小さな兵器が十数個も見えた。これはレッドアラートに付属する超小型自律兵器『ブルートゥース』だ。サイズとしては成人男性の手の平より一回り大きい程度のものであり、名前の通り無線通信規格の機能を持つ兵器だ。これが存在する限りブルートゥースを通すことでレッドアラートには対象の補足されるということでもあり。現在逃走中の俺達にとって危険この上ない代物だ。

 

 だが、ブルートゥースが持つ役割はそれだけはない。その名前には通信規格だけでなく、『ブルー』と『トゥース』と分けて意味する役割さえ持つ。

 

 つまりは『歯』を意味する噛みつきと、『同士討ち』(ブルー・オン・ブルー)を意味する『ブルー』である。

 

「危ないっ!」

 

「分かってるって!!」

 

 俺の掛け声に合わせて、俺とイナーラは手を離して左右に広がり、迫ってきたブルートゥースの噛みつきを既の所で回避した。

 

 あいつの歯には『鎮静・幻覚作用』をもたらす『薬物』が混入されているのは俺でも知っている。何せマサダブルクが『ドール』と対抗するために、ありとあらゆる手段を持って作り上げたレッドアラートの付属機なのだ。『ドール』といえども元が人体である以上は、薬物の効果も出るかもしれないという考えがあって搭載されている。

 

 さて、どうするべきか。進もうにもブルートゥース。下がろうにもレッドアラート。どちらにしても危険地帯なのは変わりない。『OS事件』とは違い、ラファエルの協力なんてないから治癒石はないし、元より大規模な市街戦闘なんて考慮してないから、今の俺には救急セットの類さえ所持してない。ほんの少しの怪我でも命取りになりかねない——。

 

「しかし……レッドアラートもそうだけど、どうしてアンタみたいな女の子を狙ってるの? マサダブルクやニューモリダス相手にやんちゃ騒ぎでもした?」

 

 確かにイナーラの言葉はごもっともだ。俺はあくまで今回限りのボディガードに過ぎず、これらがスクルドを狙う輩の戦力だとしても、俺自身を対象にするのは些か疑問が湧く。俺自身の脅威なんてたかが知れているのだから、仮にスクルドの周りを狙うにしても筆頭はファビオラになるのは間違いない。だとしたら俺を狙う理由があるはずなんだ。機械が間違えることなんて基本ないのだから。

 

 何故俺を狙う——? 次々と襲いかかるブルートゥースの噛みつきを捌き切りながら考える。これ自体に殺傷力らしい殺傷力はない。ブルートゥースで無力化して拘束、あるいはレッドアラートが迅速に処理するための先鋒に過ぎない。先の遭遇でレッドアラートが俺を狙ったくせに、パランティアと合流した後はレッドアラートは追撃を行わずにそちらを攻撃し、次にブルートゥースを寄越してきた。この時点で『俺』に対する扱いは『抹殺』ではなく『拘束』が主にしてるのが分かる。

 

 ならばどうして『拘束』する——? 

 俺の『拘束』に何の意味がある——? 

『俺』に何を意味を持っている——?

 

「……そういうことか!」

 

 だったら、この状況はむしろ千載一遇のチャンスになる。迫り続けるブルートゥースの反撃を俺は止めて、イナーラに向かって声を張り上げて告げる。

 

「イナーラさん! ブルートゥースを無力化させないでください!」

 

「はぁっ!? あんたどういう状況か分かって言ってる!?」

 

 ヴィラやエミリオほど力強くはないとはいえ、しなやかな身のこなしでブルートゥースを一機ずつ確実に破壊するイナーラは驚きの声を上げた。

 

 無理もない。だって事情を知らない人に説明したところで、俺の考えや共感してくれるのは無理な話だろう。だけど、この仮説でなけれは『俺』を狙う理由が思いつかない。

 

 だってレッドアラートが俺を捕捉したというのに、目標である俺を執拗に狙うことなく付属機を派遣してきたのだ。対人特化であり、目標達成を優先する思考回路を持っているはずだというのに。つまりレッドアラートの思考判断での俺の優先順位は『高い位置にはあるが、最優先ではなく付属機に任せる』というのが分かる。なぜ、そういう思考を判断するのか。ここには必ず俺が想定している理由が関わっているんだ。

 

 イナーラは戦闘の合間だというのに、俺の瞳を見つめ続けて心情を理解してくれたのだろう。呆れ気味に溜め息を吐きながら、ブルートゥースから大きく距離を取ると、彼女は懐から手榴弾を投げつけた。

 

「……って、おいおいおい!?」

 

 あまりにも自然な動作で行うものだから、さも当然のように認識してしまったが、ニューモリダスで爆発物を使うのは大丈夫なのか!? パランティアは情報機関だから銃や爆発物を使っても不思議じゃないが、イナーラはどこの学園都市にも属さないだから、使用すると銃刀法違反とかに違反するよね!?

 

「目も耳も防ぎなさいッ!!」

 

 ――爆破音と共に、閃光が広がる。

 

 夜の世界に光が差し、世界は一瞬だけ朝日よりも眩しく白一色に染まる。

続いて襲い掛かってくるのは不快感だ。瞼を閉じているのに、視界が白黒に点滅して瞳孔が荒ぶる。耳も指を詰めて防いだというのに、脳ミソや目の奥が掻き回された感覚に陥り、足が付いているはずなのに身体に浮遊感を感じて仕方ない。

 

 この現象に俺はFPSで聞き齧りした程度の知識を思い出す。目は閉じても完全に光を遮断するわけではないし、耳栓なんかしたところで『音』というものは人体の水分を通すことで、耳が耳として機能する『三半規管』には普通に届く。イナーラが投擲した閃光手榴弾の衝撃は、俺の気休め程度の防護策では防ぎ切れるわけがなかったのだ。

 

「――――――!」

 

 耳を劈き続ける不快な音がイナーラの声を掻き消す。視界は点滅して彼女の口の動きも表情も分からない。だが急かすような挙動だけは、俺の身体を通して伝わる。その意図を把握した俺は全体重を彼女に預け、急いでブルートゥースから距離を置いて逃亡を図った。

 

 逃走して数分。ようやく視界が慣れて周囲の状況を把握する。警備の薄い、あるいは廃ビルに潜り込んだようであり、シャッターを下ろし、ロビーにあるソファやらテーブルでバリケードを積み上げて警備を固めるイナーラの姿が見えた。

 

 その間に俺は胸元のスピーカーへと応答を始める。特有の痺れが奔ってから十数秒後。聞こえてきたのはマリルや愛衣ではなくアニーの声だった。

 

『大丈夫レンちゃん!? こっちでも自立兵器の襲撃を確認したから対策を講じてるところなんだけど……!』

 

「こっちは大丈夫。深い怪我とかはない。それよりもブルートゥースの動きを追う事ってアニーでもできる?」

 

『パランティアとの協力さえあれば市街カメラは共有できるし、独自でも衛星を通せば追跡できるけど…………動向を追うのはレッドアラートじゃなくていいの?』

 

「……一応どっちも追ってほしい。だけど最優先はブルートゥースにしてほしいんだ。色々と自体が急転していて対応が間に合わないだろうけど……もしかしたら二兎を掴めるチャンスかもしれないんだ」

 

『……うん、わかった。ライブの時もそうだけど、こういう時のレンちゃんの考えは信じてみるよ』

 

 アニーからの言葉は、現在自信喪失気味の俺の心に温かく届いた。リアルタイムでSIDの情報を俺が持つ端末に送ってもらい、ニューモリダスの地図情報と合わせて現在の状況を詳しく把握しようとする。

 

「カッセル! そっちの状況はどう!?」

 

『予定通り、姐さん達が離脱したら安全第一で即刻こちらも戦線から引きましたよ! 市街のど真ん中で銃を撃ち続けるわけにもいかねぇし……』

 

 イナーラが持つ無線機からパランティアの声が聞こえてくる。どうやら一時はレッドアラートを攻撃を凌ぎ切ったようだ。

 

『だけど未だに上空で旋回中! 付属機も街中で見かけるし、見つかり次第再び戦闘になるのは間違いないですよ!』

 

「んなことはとっくに分かってるっての! さっさと上官の指示を仰げ! キャセールだって、いつまでも新人のケツ噴きするような甘ちゃんじゃないでしょうが!」

 

『とっくにやってますよ! だけど驚かないで下さいよ! 伝達された情報の通りならレッドアラートは合計『3機』行動してるんだ! そのうち一つは『ニューモリダス大使館』に向かってるんだぞ!』

 

「マジで言ってんのか、それ!?」

 

 無線機から聞こえた情報に俺は驚きを隠せない。

『ニューモリダス大使館』と言えば、ニューモリダスの議員達が集う建物の1つだ。それはつまりスクルドの父……スノーリ・エクスロッドがいるということでもある。

 

「ちっ……私の協力が扇げなかったからって、ここまで無遠慮な方法で強行するなんて……」

 

 悪態をつきながらイナーラは外への警戒を続ける。そういえば暗殺計画に関しては一度イナーラに依頼があって、それを突っぱねたとか本人が言っていたっけ。だから彼女から見れば、ここの一連の事件は『エクスロッド暗殺計画』を起こそうとする依頼主が起こしているように見える訳か。それならイナーラが俺に対して「ニューモリダスかマサダブルクに対して喧嘩売った」という言葉に対しても改めて納得いく理由ができた。

 

 …………ちょっと待てよ。何かおかしくないか。

 

 だったら何故、ここまで執拗に『俺』は狙われている? レッドアラートが俺を狙う理由は先ほど予測できた。だけど、それは明確な『理由』が見えたからであって、そこにそれ以上もそれ以下もない。騒ぎに乗じた執拗という『感情』任せの行動が見え隠れしてならない。まるで『誰か』が行き当たりばったりに行動してるような……。そんな考えは『エクスロッド暗殺計画』の考えにはそぐわない筈だ。

 

 つまり……この一連の出来事には『エクスロッド暗殺計画』を知った第三者が乗じたものという可能性が出てきたという事だ。

 

 ……そうか、それなら『3機』動いている理由が分かる。

 

 一つはエクスロッド議員の直接的な殺害のため。

 一つは理由は推測のままだが、俺を狙ったもの。

 

 もう一つは…………。

 

 俺の中で散り散りとなった情報という情報が紡がれていく。そして、あることに気づく。『足りない』と――。

 

「……アニー。レッドアラートとブルートゥースの動きはどうなってる?」

 

『赤についてはパランティアの報告通り。付け加えるなら行方を伝達してない一つは遠く離れた非武装協定地域で滞在しているということだね。戦闘行為は行っていないし、ここは距離が遠いからレンちゃん達と遭遇する事はないと思う。青は街中を大通りを巡回中。目立つからニューモリダス市民も落ち着かない様子で見守っているよ』

 

 警戒すべき二種類を『赤』と『青』と呼称して簡潔にアニーは伝えてくれた。俺はその情報から端末に写る現在地を照合して、予測をさらに広げて先手を打つ手段がないかと画策する。

 

「――ここだ」

 

 二種類の動きに不自然な『穴』があることに気づいた。それは警戒がないという意味ではなく、むしろその逆。レッドアラートとブルートゥースの動きは渦を巻くように動き続け、着実に、そして罠に嵌めるように『穴』に誘導しようとする動きが見て取れた。

 

 ここしかない。ここに今回の騒動に乗じた第三者の目的が――いや、本来この騒動を主目的となるはずだった人物がいるに違いない。

 

 ――――――――さあ、反撃開始だ。

 今まで後手に回っていたが、ここからはそうはいかない。

 



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第14節 〜Dead Heat〜

「たくっ……!! 次から次へとッ!!」

 

 ニューモリダス大使館前——。

 

 そこではファビオラがスクルドを背に大型バイクに乗り、大使館から離れようと奮闘していた。時速は150キロに到達——だというのに、背後から迫る超小型自律兵器であるブルートゥースが振り切れることはない。依然として加速は続け、160キロ、170キロと世界が残像となっても迫り続ける。

 

「『ハーディ・デイトナ』の名は借り物じゃないってのに……!」

 

 時速200キロ——。ついに世界が歪み、風が輪郭を帯びて視界を覆う。夜風は肌を突き刺し、血管を凍てつかせる。極度の緊張感と刃のように研ぎ澄まされた向かい風は一呼吸するたびに気管を貫き、急速にスクルドの意識を奪っていく。

 

 片やファビオラの意識は鎮まることはない。むしろ昂り、荒ぶり、全てを燃やし尽くすように燃え盛る。彼女の腰に回している腕から伝わる体温が、少女の溶けかかる意識を鮮明にしてくれる。

 

「あっち行って下さいませ! 燃えるゴミと燃えないゴミも!」

 

 それがファビオラの『魔女』としての力。非科学的に燃え盛る『炎』が、スクルドを守るように包み込み、同時に鞭のように撓って炎はブルートゥースを焼却しようと飲み込む。

 

 これは世界の法則として燃える通常の炎とは違い、ファビオラの炎は『燃やし尽くす』という意思を持って非科学的に燃え盛る。そこに物理的防御や防火対策など意味を持たない。まるで炎自体が『生きている』ように、対象を燃やし尽くすまで、その生ける炎は消えることはない。

 

「溶けない……!?」

 

 だが、ブルートゥースは炎の繭を物ともせずに突き破り、炎を纏いながら加速を続けるバイクへと少しずつだが迫りくる。バイクに追いついてくるのはファビオラにとっては想定内だ。レッドアラートの付属機として、短時間とはいえ限界速度は500キロに相当する危険物なのだから。

 

 しかし『魔女の炎』で溶けないのがファビオラには理解できないのだ。超常的な理屈で燃ゆる炎に、通常の法則で対抗するなど不可能であるはず。だというのに、ブルートゥースには効果が見られない。

 

(耐火加工——? は、意味がない……。なら何故?)

 

 ファビオラの疑問は解消されることはない。どれだけ思考を重ねても答えを得ることができない。

 

 無理もない。この時ファビオラはまだ知らないのだから。

 

 マサダブルクで製作されたレッドアラート並びにブルートゥースは、本来想定していた対象であるエミリオに対抗するため、彼女が持つ能力の片鱗によって発生する高温による『融解』や『灰塵』などを対策するために、ある特殊な加工を用いられてることを。それは生ける炎と同様に、超常的な理屈で成立されたものであることを。

 

 それは『異質物』を素材として加工されているということ。

 つまりブルートゥース自体が自律行動する『異質物武器』ということ——。いや、規模としてはそれ以上と言える。もはや『異質物兵器』と形容しても差し支えない。

 

「だったら機動力で振り切るッ!!」

 

 時速250キロの世界は街と風が溶け合い、搭乗者の感情を如実に浮き上がらせる。世界が『恐れ』と『怖さ』によって構成され、ファビオラの思考にある凄惨な光景が鮮明に映らせる。

 

 脳裏によぎる最悪の展開——。

 ハンドルを切るタイミング、身体の傾き、スピードを落とすタイミング——。

 

 どれか一つでも誤れば建