真剣でKUKIに恋しなさい! (chemi)
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1話『九鬼家』

九鬼もキャラが多くなってきていいね!


 

 九鬼極東本部のある一室で、2人の男が向かい合って座っている。

 部屋の片隅には何かのガラクタが積み上げられており、その隣にはボードに貼り付けられた設計図が数枚。それらをよく見ると、卵型、人型、さらに腕の部分のみを拡大したものが載っており、端々に走り書きが残されている。そして、一際大きな棚には辞典ほどの厚みがあるファイルがずらっと並んでいた。

 デスクの上の紙に何かを書きつけているメガネの男は、シャツの上に白衣、髪型はあまり頓着していないのかボサボサである。その風貌から研究者のように見えた。しかし、気難しそうな雰囲気を感じさせないのは、彼の温和な顔のおかげであろう。

 その一方で、もう一人の男――というよりも青年は、かなり目を引く容貌だった。

 それは青みがかった短い銀髪や切れ長の瞳、時々前髪で見え隠れしている額の傷もそうであるが、それよりも真っ先に目につくのが彼の左腕であった。上半身はタンクトップ一枚のため、両腕とも肩までむき出しになっている。だからこそ異様さが際立っていた。

 夕日が部屋全体を真っ赤に染める中、彼の左腕はその光を反射して鈍く輝いている。日の光を反射する人間の腕など存在するはずがない。肩の部分から指先に至るまで、全てが金属で構成されている――義手であった。

 青年は右手で拳をつくると、左手首の下あたりを軽く叩く。

 響く音は、肌がぶつかり合ったときのような柔らかいものではなく、ひどく冷たい金属音だった。

 青年が口元を緩める。その仕上がりがお気に召しているようだ。

 メガネの男が動かしていたペンを止め、青年に声をかける。

 

「他に気になるところなどはないでしょうか?」

「ああ、海経を含め技術部門の連中には、感謝せねばならないな」

 

 メガネの男――津軽海経(つがる・うみのり)は、持っているペンの頭でカリカリと頭を掻く。

 

「征士郎様から頂いたデータは、私達の研究にも大いに役に立っています。感謝を表したいのは私達の方ですよ。これでクッキーもさらなる改良が加えられるでしょう」

 

 クッキーとは海経が開発し、完成させた自律式のロボットを指す。その機能は多岐にわたり、会話を交わすことはもちろん、洗濯や掃除などもこなすことができ、さらに変形することで戦闘をこなしたり、飛行が可能になったりする。まさに万能型ロボと言って良い。

 海経はこのクッキーを心のそこから愛しており、実の娘のように可愛がっている。いや、実際に彼の腕が生み出されたのだから、娘といっても過言ではないのだろう。

 

「相変わらず、海経の頭の中は娘の事でいっぱいなのだな」

 

 青年――九鬼征士郎(くき・せいしろう)は、カラカラと笑った。

 九鬼征士郎――名の通り、世界に名を轟かす九鬼家に生まれついた長男である。上に姉、下に弟と妹をもち、自身は現在川神学園の生徒であり、この春より最高学年へと進級したばかり。クラスは選ばれた者のみが所属するSクラス。他にA~Fクラスがあり、これは成績順に振り分けられるのだが、彼の成績は学年2位のため当然の結果であった。

 ちなみに学年トップは最上姫子(もがみ・ひめこ)という女生徒であり、毎回征士郎とトップ争いを繰り広げ、その争いが賭けの対象となるほどである。

 征士郎がさらに言葉を続ける。

 

「娘の事で夢中になるのは良いが、不摂生を続けて体を壊すことがないようにな」

「気をつけようとは思っているのですが、どうもこの事になると、歯止めがきかないようでして……」

 

 海経は、この後早速データの分析に入るつもりだったようで、自分がデスクに突っ伏している姿が容易に想像できたらしい。アハハと乾いた笑みをつくった。

 

「あとで、従者から差し入れを持って来させよう」

「そ、そんな! わざわざそこまでして頂くようなことはありません。これは私が好きでやっていること。征士郎様が気になさる必要などありませんよ」

「俺に新たな腕を授けてくれたのは、海経……お前ではないか。改良に改良を重ね、戦闘を行えるほどの強度、そして武器ともなった」

 

 征士郎は、右手と機械仕掛けの左手で同時に握りこぶしを作った。小指から折り曲げ、次いで薬指、中指、人差し指と順々に曲げて行くが、左手は滑らかな動きであり右手に遅れることもない。

 そのシンプルな外見の裏には様々なギミックが仕込まれている。戦闘で使う場合も想定してあり、その威力は強力無比である。

 さらに、と征士郎は続ける。そこには既にメタリックな左腕は存在しない。

 

「変形させれば人の腕となんら遜色がない。初めて見た者がこれを機械だと見抜くことはできないだろう。自身の研究で忙しい最中、ここまで仕上げくれたのだ。むしろ、それくらいさせろ」

 

 そこで、チラリと時間を確認した征士郎は、「邪魔をしたな」と一言放ち、手早く衣服を身につけると席を立つ。同時に海経も立ちあがった。ドアまで見送るつもりなのであろう。

 

「御好意ありがたく頂いておきます。また何かありましたらすぐにご連絡ください」

「そうさせてもうおう。ではな」

 

 海経は背を向けて歩いていく征士郎に一礼し、2人は別れた。

 

 

 ◇

 

 

 征士郎は、極東本部の中を自室に戻るため歩いていく。

 極東本部は広い。さらに征士郎は研究所の方まで足を伸ばしていたため、移動だけでもそれなりに時間を要した。すれ違う研究員たちが彼へと会釈して通り過ぎて行く。彼もここを訪れるのが常となっているので、顔馴染みのものも多いのだ。

 黒のスラックスに、アイロンの行き届いた白のシャツ。その上に手触りが良さそうな黒のベスト、その胸元には金細工のブローチがあしらっている。ネクタイはしていない。

 磨き上げられたエナメルのシューズが、カツカツと小気味良く音を奏でる。

 すると前から見知ったというか、久しぶりに見る顔ぶれが集まっていた。

 無造作に伸ばした銀髪、その銀髪から見える複数の髪留め、一際大きな額のバツ印、鋭い眼光。さらに遠くからでも目立つ赤のジャケットを着たその男は、両脇に2人の老執事を従えている。肩で風を切るように歩いており、すれ違う従者たちはその顔を見るなり、慌てて頭を下げていたりする。

 そんな彼らに対して、男は「おう!」やら「そんなにびびんな」やら、気軽に声をかけていた。そして、征士郎の姿を見つけると一際笑みを大きくする。

 

「局! ……かと思ったら、征士郎じゃねえか」

「父さん、今はまだ中東にいるんじゃなかったの?」

 

 九鬼帝。世界最高とも呼ばれる企業へと成長させた風雲児であり、征士郎の父親でもある。

 

「おーい、久々の父親の言葉をスルーかよ」

「いや、帰って来る度、それ言われても反応のしようがないから」

「そんぐらいお前は局に似てんだよ。家に帰ってきたなーって思えるわ」

 

 帝は腕を組んで、うんうんと一人で頷いた。

 帝が言った「局」とは、征士郎の母親であり帝の妻の名である。老いを感じさせず、今でも健康的な美しさを保っている女性で、女従者たちは彼女のようになりたいと憧れを抱いているものも多い。

 その者たちから見ても、征士郎の母親似の事に同意らしく、彼もこれを素直に喜んでいた。

 

「それは母さんに言ってやるべきでは?」

「もちろん局に会ったら言う。あと中東にいたのは1週間前までだ。その後、北欧に飛んでカナダって感じだな」

 

 息子であっても父親の捕捉は困難らしい。まさに神出鬼没。

 

「じゃあ母さんは父さんが帰って来ること知らないの?」

 

 帝は「サプライズだ!」などとの口にしていたが、後ろで控えていた2人の執事の内の一人が口を挟む。

 

「帝様のお帰りは、既に私の方から局様にご連絡させていただきました。夕食は局様自ら腕を振るうと伝言を預かっております」

 

 彼の名はクラウディオ・ネエロ。整えられた白髪に磨かれたメガネ、きっちりと着こなされた燕尾服。誰が見ても執事であると断言できそうな姿である。

 クラウディオの言葉に、征士郎はほっと息をつく。

 

「そうか。父に代わって礼を言うぞ、クラウディオ」

「いえいえ、簡単な事でございます」

 

 これは、クラウディオの口癖であった。加えて、彼は本当にあらゆることを簡単にやってのけてしまうので、完璧執事とも呼ばれている。

 帝は既に、局の手料理が食べられるとあって浮かれ気味である。クラウディオが連絡を入れることも分かっていたのか、それとも入れなければ入れないで、局の驚き喜ぶ顔が見られると楽しみにしていたのか。

 征士郎はもう一人の従者へと目を向けた。

 

「ヒュームは……紋の護衛はいいのか?」

 

 ヒューム・ヘルシング。1000人からなる九鬼従者部隊において、番外とも呼べる零の位に立つ男である。その戦闘力は最強と言ってよい実力を誇っており、現在、彼に勝てる人間は存在しないと噂されているほどだった。

 百獣の王とでも言えそうな見た目は、金髪に睨みで人が殺せそうな金色の瞳、鍛え抜かれた体に加え、体から溢れ出ている威圧感が半端ではない。

 クラウディオも序列3位だけあり鍛え上げられているが、ヒュームと並ぶとどうしても印象が薄れてしまう。もっとも、主である帝に勝るとも劣らない存在感は、どうなのだろうかと疑問が湧かないでもなかった。

 ヒュームとクラウディオは九鬼の双璧とも呼ばれる2人である。従者の多くが必要以上に緊張したのは、何も帝がいたからだけではないのかもしれない。

 そのヒュームが口を開く。

 

「現在、紋様は自室にて勉学の最中です。外に護衛2人、加えて、この九鬼内部でなら瞬時に向かうことができます。私も本来であれば紋様のお近くにいるつもりでしたが、帝様が戻られたとあれば放っておくわけにも参りません。そして何より――」

 

 言葉を続けようとしたところで、征士郎の背後から嬉しそうな声が響いた。

 

「兄上ー!」

 

 振り向いた征士郎に、たたたっと駆け寄って来る美少女。その容貌は未だ幼さを残している。そして、両手を広げた征士郎の元へ、彼女は飛び込んできた。

 

「紋! 勉強は終わったのか?」

「はい! 今しがた! 父上も帰って来られるとのことでしたので、一刻も早くお会いしたく張り切ってしまいました」

 

 九鬼紋白(くき・もんしろ)。九鬼家に名を連ね、征士郎含め上の3人が愛してやまない妹である。

 長く伸びた銀髪は天使の輪ができるほど美しく、兄妹の中でも一際大きな瞳が愛らしさに拍車をかけている。しかし、その裏には彼女特有の悩みもあり、自身でつけた額のバツ印がその証でもあった。

 袴姿の凛々しいものも、征士郎に抱きつき笑顔を見せるそれは、兄に甘える妹でしかない。彼に一番懐いているのは、単純に多くの時間を過ごしてきたからであろう。

 

「天使と見間違うほどの愛らしさだ」

「フッハハ。我も日々成長していますゆえ!」

 

 たまらず帝が声をあげる。

 

「紋! その待ちに待った父親が今ここにいるぞ!」

 

 帝もばっと手を広げた。

 

「おお! 父上、おかえりなさいませ!」

 

 紋白は聡い娘である。帝へとお帰りのハグを行った。戸惑いなくスキンシップを行えるようになったのは、征士郎の存在も少なからず影響があった。

 その様子を見る征士郎は少し思い悩む。

 

(母さんとのことをなんとかしてやりたい)

 

 局と紋白の仲は表面上うまくいっているが、親子とは言い難い。それは紋白が妾腹であるからだった。

 征士郎たちと、いくら好いた男とはいえ他の女との間にできた娘を同じように可愛がるというのは、やはり難しいのだろう。局と言えど、感情で整理のつかない部分があってもおかしくない。彼女もまた一人の人間であるからだ。

 そこにクラウディオが声をかけてくる。

 

「大丈夫ですよ。少しずつではありますが、お二方の距離は縮まりつつあります。このままゆっくりと時間をかけて参りましょう」

「人の心を読まないでほしいな。しかし……そうだな、焦っても仕方がないか」

「私達もできる限りサポートをしていきますゆえ」

「よろしく頼む」

「お任せください、征士郎様」

 

 クラウディオは一礼すると、また後ろへと下がった。

 ちょうどそのタイミングで、帝と会話していた紋白から話しかけられる。

 

「兄上! 見てください! 父上が我にプレゼントを!」

 

 その手に握られていたのは、手のひらサイズの細長いもの。しかし、それには巧みな彫刻がなされており色合いも豊かである。

 帝がそれの説明をする。

 

「トーテムポールの置物だ。いやぁちょっと色々見て回ってたらよ。なんか、これすげぇ良い感じに思えたから思わず買っちまった。できれば実寸大が良かったが、さすがに家には置けねえだろ」

「そのうち、紋白の部屋が父さんの土産でいっぱいになりそうで心配だな。まぁ部屋を大きくすることなど造作もないが」

 

 かく言う征士郎も、紋白が寂しくないようにと彼女の身長と変わらないほどのぬいぐるみ(ペンギン)をプレゼントしていたりする。

 姉がこの場にいれば、ツッコミの一つでも入ったかもしれないが生憎この場にいない。

 紋白が嬉しそうに声をあげる。

 

「我の部屋であればまだまだ容量がありますから、大丈夫です! 父上、ありがとうございます!」

 

 その一言に喜んだ帝は、紋白を抱えあげる。

 

「高いですぞ、父上! 世界が違って見えます! フハハハー」

 

 紋白の快活な笑い声が廊下に響き、和やかな空気が辺り一帯を包み込んだ。彼女の笑顔は、周りをも笑顔にするという不思議な魅力を持っていた。

 

 




A-3もよかった!
ただ、久信さんの駄目人間ぶりを再確認してしまった。
ストックも少しあります。


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2話『九鬼従者』

 

「悪いな、あずみ。休憩時間にも関わらず付き合わせてしまって」

 

 先頭を歩いていた征士郎が、その少し後ろを歩く従者の一人に詫びた。

 場所はなんてことはない九鬼極東支部へとつながっている地下通路である。しかし、今は日も暮れ、蛍光灯に照らされた通路は少し不気味であった。

 4人――征士郎が目的の場所へと迷いなく歩を進め、その後ろを他3人がついて来ている。彼ら以外に人影はない。時折流れるアナウンスが通路全体に響いている。

 

「いえ、緊急の用件と李からは伺っていたので構いません」

 

 忍足あずみ(おしたり・あずみ)。九鬼従者部隊の序列1位。現在の九鬼は若手育成に舵をきっているため、他の一桁台に席を置く者――老人らを差し置いて、彼女が据えられていた。加えて、征士郎の弟である英雄の専属従者でもある。

 茶髪のショートボブをセンターで分け、武器に小太刀を使う風魔忍者。傭兵をしていた頃、ある事件を切っ掛けに九鬼従者部隊に入り現在に至る。

 そこで別の従者が声をあげる。

 

「征士郎様、一体どこへ向かっているのですか?」

 

 李静初(りー・じんちゅう)。短い黒髪に涼やかな瞳の元暗殺者。序列14位。あずみの部下でもあり、クラウディオに鍛えられ頭角を現している若手の一人である。全身に仕込まれた暗器を使い、戦闘をこなす。

 同時に征士郎の専属従者である。元暗殺者――過去に九鬼帝を狙った者という前科があるため専属にすることは局を始め多くの反対があったが、働きぶりとその性格から判断した征士郎は李を指名したという経緯がある。

 李の隣を歩いていたもう一人の従者が、それに相槌を入れる。

 

「ただの散歩なら李一人で十分ですもんね。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?」

 

 

 ステイシー・コナー。オレンジのウェーブがかった髪をツインでまとめ、クリクリとした青い瞳が陽気さを感じさせるが、彼女の経歴も他2人に負けず劣らず、『血まみれステイシー』の呼び名で戦場を駆け回っていた元傭兵である。

 序列は李の一つ下で15位。李とは同期であり上司は同じくあずみ。彼女を九鬼へ引き入れたのはヒュームであり、それ以降彼のシゴキを受け続けている。悪態をつきながらも着実に力を伸ばしている従者の一人である。

 そうこうしている間に、征士郎が警報装置の前で止まった。赤いランプの下にはカバーがかけられたボタンが設置されている。押せばたちまち甲高い音が鳴ることは、容易に想像できた。

 しかし、征士郎は気に留める様子もなくカバーを開き――。

 

「ステイシー風に言うなら――」

 

 その警報装置のボタンを押しこう続けた。

 

 

 

 ロックな殴りこみだ――。

 

 

 

 警報が鳴ることはなく、代わりにその傍の壁が音もなく開いた。偽装されていた扉――どうやら、そのブザーが合図になっているらしい。

 入口から中を覗くと、階段が地下深くまで続いているようでまるで先が見えなかった。

 

 

 □

 

 

「な……なんだこりゃ?」

 

 その異様な光景に声をあげたのはステイシーだった。

 4人がようやくたどり着いた先は、ほの暗い一室。そこには緑色に発色している液体で満たされた容器――それが数えられるだけでも十数本並んでいる。サイズにして大人がすっぽりと入れるほどである。またゴポゴポと不気味な音ともに、容器の下から上へと気泡が昇っていた。

 その容器の奥では何らかの機械が稼働しているのか、電子音が微かに聞こえている

 注意深く辺りを探る中、あずみがその容器に取り付けられたラベルを読みあげる。

 

「平清盛、足利尊氏、北条政子……?」

「こちらは武田信玄、明智光秀……豊臣秀吉と書かれています」

 

 李の見ていた場所は戦国時代の武将の名が並んでいた。

 征士郎はそれらの名を聞きながら、少し考えをまとめているようだ。彼の後ろにはステイシーが立ち護衛に勤めている。その両手には銃が握られており、先ほどまでのお気楽な様子は微塵もない。

 ウィン――。

 唾を呑みこむ音も聞こえそうな静寂を破る扉の開く音。

 それに反応したあずみと李は観察をやめ、征士郎の前へと立ち盾の役目を果たす。あずみは小太刀を抜き、李は飛刀を指へと挟みこんだ。従者たちの瞳がすぅっと細くなり、それにともない空気が張り詰めた。

 

「武器を下ろしな、ガールたち。戦闘をする気はこちらにはないよ」

 

 暗がりの先からしゃがれた声が聞こえ、次いでその声の主が姿を現した。

 あずみはそれでも武器を下げることなく声を荒げる。

 

「マープル! なぜお前がこんな所にいる?」

「おや? ここの事に気づいたから、足を踏み入れたんじゃないのかい?」

 

 マープル。九鬼従者部隊序列2位にして、星の図書館と称されるほどの知識を有している老女である。まるで葬式に出席するような黒のドレスに、顔を隠してしまいそうなツバの大きな黒帽子、そして、その手には黒の日傘が握られている。その姿は物語に登場する魔女に陰気な雰囲気を纏っていた。

 その後ろには笑みを浮かべたままの桐山鯉――青髪の青年が控えている。彼もここにいる者たちと同じ従者部隊の一員であり、序列42位。従者の間ではマザコンとして有名な男である。

 征士郎は盾となっている二人の肩を叩くと、そのまま前へ進み出た。

 

「この場所に気付いたのは俺だ、マープル。まぁ……何が行われているのかは知らなかったが、とりあえず危険はなさそうだったから最低限の人数で踏み込んだまでだ」

「これはこれは征士郎様。貴方様は揚羽様ほど頑丈ではないんですから、危険はなさそうなどという曖昧な感覚でほいほい飛びだされては、護衛する身としては困りますがね。そういうのは帝様お一人で十分ですよ」

「確かに一理ある……が、生憎俺はそこらの一般人と同程度の感覚ではないんでな。なんなら、今俺達が立っている下の仕掛けを作動させてさらに地下深くまで落としてみるか?」

 

 征士郎はカンカンと足を鳴らした。落とされることなど微塵も考えていないらしい。

 マープルはその言葉を聞いてニヤリと笑う。

 

「恐ろしいお方だね」

 

 一呼吸おきマープルがさらに喋り出す。

 

「私の負けです。まさか征士郎様を傷つけようなんて、これっぽっちも考えていないさ。しかし、帝様の仰られたことは正しかったか……ガールたち、いい加減その物騒な殺気を仕舞いな」

「その口ぶりだと父さんはここの存在を黙認していたんだな。ヒュームとクラウディオあたりはもちろん承知の上か……」

「ええ。あの二人が最初にここの場を探り当てましたからね。そして、当然帝様へと報告がいき――」

 

 マープルは何の抵抗をするでもなく、この施設がなんであるのか、そして何を計画していたのかなど洗いざらい全て話し始めた。日本の現状。さらには将来に希望が持てないこと。若者の頼りなさ。それを阻止するためのクローン技術による偉人復活。そして、その偉人による日本統治。

 この計画の総称は『武士道プラン』。

 征士郎は、その話に口を挟むことなく静かに聞き入っていた。

 しかし、九鬼を乗っ取ることも辞さないと聞いたとき、征士郎の後ろに控えていた3人の雰囲気が強張る。忠誠を誓う者にとってその話は聞き捨てならなかったようだ。

 しかし、マープルがそれを気にした様子はない。

 

「帝様にはこう言われたよ『おもしろい。やれるものならやってみろ。そして、成功したなら、そのときはお前の好きにしたら良い』と」

「我が父ながら豪胆というか何というか」

 

 マープルはそのときのことを思い出したのか、くっくと喉を鳴らす。

 

「その場にいたヒュームもあのクラウディオも一瞬呆気にとられていたよ。もちろん、私もだがね。そして、最後にこう付けくわえられた『俺の子供たちは手強いぞ。少しでも手抜いたら、喉元に噛みつくからな』と」

 

(これくらいに対処できないなら、全てを統べる九鬼も任せられないか……)

 

 征士郎は軽くため息を吐いた。信頼してもらえるのは嬉しいが、賭けられているチップが九鬼財閥というぶっ飛びようである。

 マープルはそんな彼を見ながら、言葉を重ねる。

 

「加えてこうも仰られた。『特に征士郎には注意しときな』と」

「俺に、ねぇ……」

「それに反して、征士郎様は何の動きも見せることはなかった。計画は順調そのもの。そして、私の予測ではここが露見するのは計画が発動してからのはずだった。そのときにはもう手遅れの状態でね。それがどうだい? 征士郎様は何かを調査したわけでもなく、ここを探り当てられた。序列1位、14位、15位といった若手筆頭を引き連れて。いっそ清々しいほどだ。こりゃあ、征士郎様の目の黒いうちは悪いことはできないね」

「少なくとも、悪いこと企むなら俺の目の届かないところがいいかもな」

「それは世界の裏側でしょうか? それとも……」

「星の図書館と呼ばれるほどだ。どうせなら、地球にこだわることを止めたらどうだ?」

 

 マープルの笑みは深くなる。

 

「そうですね。覚えておきますよ」

 

 マープルは自身の計画が上手くいかなかったにもかかわらず、どこか満足げであり遂には声を出して笑いだした。その後ろで、桐山はこの世の終わりだとでも言わんばかりの表情を作っていたが。

 征士郎が口を開く。

 

「とりあえずは、その九鬼家分裂の危機を未然に防げたってことでいいんだな?」

「ここがばれた以上、私は何かをしようとは思っていません。どのような処分が下ろうと甘んじて受けましょう」

「それについてはとりあえず父さんとも話し合わないとな。ただし、九鬼から追放するなんてことはしない。その頭脳、これからも九鬼のため、民のために活かしてもらう。加えて、この事は他言無用だ。余計な混乱を起こしたくないからな。マープル、お前に加担した者にはお前から全てを伝え、最後にこう付けくわえておけ」

 

 

 

 『納得できない者がいるならば、九鬼征士郎がいつでも相手になろう』

 

 

 

 マープルは静かにその頭を垂れた。

 

 

 ◇

 

 

 場所は打って変わって、征士郎の自室。

 マープルの計画を阻止したあと、征士郎は彼女から提出された資料に目を通していた。

 

「父さんは隠れて、こんな面白……んん、興味深い計画を進めていたとは。川神を掃除していたのは、紋が俺達と同じ学園に通うからという理由だけではなかったのか」

「帝様なら、それだけの理由でも掃除をなされた可能性はありますが」

 

 李が相槌をうった。

 

「あり得るな。まぁ父さんがやらなければ俺が直々にやっていたかもしれんが」

「征士郎様は紋様のことを大切に思われているのですね」

「妹を守るのは兄として当然だ。それにきな臭い場所も早々に何とかしておきたかったしな。今回の件は俺にとっても渡りに船だった」

 

 征士郎は資料をめくり、目を見張った。そこには武士道プランによって生み出されたクローンの簡単なプロフィールが載っている。

 

「おいおい……源義経、武蔵坊弁慶、那須与一は俺の一つ年下で、葉桜清楚にいたっては同い年だと? どれだけ長丁場で計画が練られていたんだ? マープルめ、さすが最古参の一人といったところか」

「征士郎様、こちらは片付いたので反対をお向きください」

 

 李の声が征士郎の頭上から降ってきた。それに反応して、彼は手に持っていた資料をテーブルで置く。

 

「うむ。こんなことまでしてもらってすまないな、李」

「いえ、好きでやっていますので」

 

 征士郎は体を反転させると、また李の太腿へと頭を置いた。現在、耳掃除の真っ最中。

 顔は李の方へと向いているため、征士郎は目を閉じ、じっとしている。甘い香りが鼻孔をくすぐり、ともするとまどろんでしまいそうでもあった。

 テーブルの上には李特製のアロマが置いてあり、征士郎のリラックスに一役買っていた。しかし、その大半は彼女の膝枕にあるのかもしれない。

 李は傷つけないように、慎重に耳かきを動かす。

 

「しかし驚きました。マープル様があのようなお考えを持っていたなんて」

「だな。若造が信用できないか……いつか、ぎゃふんと言わせたいもんだ。いや言わせる。でも何事もなく片がつきそうでよかったよ。仮に計画が上手くいってたら、川神を巻き込んだ騒動になってただろうしな」

「征士郎様もよくお気づきになられましたね」

「……まぁあれだ。俺の中の何かが囁いてきたんだよ、ここに何かあるってな。あとは俺の左腕で辺りの構造を解析したら――」

「あの場所を発見したと?」

「技術を持っているのは何もマープルだけではない。今の俺なら007の真似ごとくらいできるさ」

 

 この左腕もあるしな、征士郎はそう付け加えた。

 

「御冗談を……そのような任務は従者である我々におまかせください。無茶をなされば局様が悲しまれます」

「そう言われると弱いな。……このあとの予定は?」

「21時よりヒューム様による鍛錬。22時より座学。23時30分よりインドのシン氏との会談が組まれております」

「ふむ。強くなるチャンスが早速きたな」

「私の話を聞いていてくださいましたか?」

「もちろんだ。しかし力はあるに越したことはない。いざというときの選択肢は多くなければ」

「そのような状況に陥らせないための私達ですが?」

「む? そう拗ねるな。もちろんお前たちのことは信頼している。だが、いつ何が起こるかはわからないものだろう? 豪運の持ち主と呼ばれる父ですら3回誘拐されたことがあるのだからな」

 

 しかし、その3回の誘拐も難なく切り抜け笑い話にするあたり、さすが帝である。

 征士郎もそのときの話を面白おかしく聞かされたことがあった。そして、一度ぐらいは誘拐も経験しとけと息子である彼に薦めてくる始末。それを聞いた局は割と本気で怒り、帝がアタフタしていたのを覚えている。

 

「帝様は、その……なんと言いますか……ある意味、超越された存在ですね」

 

 李の優しく包まれた言葉に、征士郎はたまらず笑い声をあげた。

 

「母曰く、未だ宝探しに夢中な目の離せない人……らしいがな」

 

 耳掃除を終えた李が、立ち上がった征士郎にコップを差し出す。彼はそれを受け取ると一気に飲み干した。

 

「今日はまた少し味が違うな?」

「征士郎様の体調管理も私の大事なお役目ですので」

「俺に合わせて調合し直してくれたというわけか。真剣な目つきで俺を見ていたのは、反応が気になったからか?」

 

 征士郎は空になったコップを差し出した。それを受け取りながら、李は先の言葉に少し慌てる。

 

「その……私の方でも味見をしていたのですが、お口に合うかどうか気になったもので」

「良薬口に苦しというが、これに限って言えば十分旨いぞ。おかげで俺は日々健やかに過ごせている」

「その感謝はあずみ汁を教えてくれたあずみにお伝えください」

「元は確かにあずみ汁だろう。しかし今では、英雄の飲んでいる物とは全く別物であると俺は認識しているぞ」

 

 征士郎の言葉通り、これは一番近くで彼を見てきた李が、彼女の得意分野でもある漢方を織り交ぜ作りだしたもので、言わば征士郎専用のものである。

 最初の頃は失敗も多かったが、あずみやクラウディオ等に意見をもらい、現在では征士郎の体調に合わせなんなく作れるようになった。

 褒めてほしかったわけではない。しかし、主である征士郎に違いが分かってもらえていたことが、嬉しかった。

 李の瞳が一際大きく見開かれた。征士郎は笑みを浮かべながら、言葉を続ける。

 

「感謝している。では行ってくる」

 

 征士郎は固まっている自身の従者の頭をポンと撫でると、颯爽と部屋を出て行った。

 

「勿体ないお言葉です……」

 

 誰にも聞こえることのないか細い声が、静けさの中に溶けて行った。

 九鬼帝の命を狙った身でありながら、今ではその息子である征士郎の傍に立つことを許されている。我ながら数奇な運命を辿っていると李は思った。

 優秀ならばと自身の命を狙った者さえ雇い入れる帝も帝だが、息子も息子で変わっているのだろうか。

 少しの間、李は過去へと思いを馳せる。

 

 




李の序列14位は、専属になったことで、主により相応しくと頑張った結果です。

6.21 修正


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3話『過去』

過去の李の容姿を少し変えています。


 

 李が征士郎と初めて会ったのは更生プログラムを終え、正式に九鬼で働き始めて2日目であった。

 その日、李は鍛錬場で待機するように言われ待っていると、クラウディオが征士郎と揚羽の2人を連れてきたのだ。こんなに早く会うことになるとは思ってもみなかった彼女は硬直した。

 九鬼揚羽(くき・あげは)。九鬼家の長女であり第一子である。紋白同様、美しい銀髪は今のように長くなく肩にふれない程度で切り揃えられていた。前髪はカチューシャで留められているため、額のバツ印もしっかり見えている。可愛さも残っているが、どちらかというと美しく活発な印象があった。さらに闘気が満ち溢れており、気を抜けば圧倒されそうなほどである。

 その隣にいた征士郎は局似の中性的な顔立ちであり、成長期に入ったとはいえ揚羽よりも背が低いため、ともすると姉妹のようにも見えた。

 クラウディオが固まっている李を2人に紹介する。

 

「こちらが李静初でございます」

「初めまして……李静初です。よろしくお願いします」

 

 何とか基本の挨拶は行えたものの、変な間が空いてしまい沈黙。

 もう少し意気込みやら何やら語った方がよかったかもと心の中では後悔したが、元々饒舌ではないためどうすることもできなかった。

 すると、じっと観察していた揚羽が口を開く。

 

「ふむ、確かにクラウディオの言う通り腕がたちそうだな。李よ、我と少し手合わせをしよう。武器は好きなものを使って良い」

 

 構えをとる揚羽に対して、征士郎は鍛錬場の壁の位置まで下がって行った。

 ヒュームの弟子にあたる揚羽は、九鬼の従者と言えども容易にのしてしまう程に実力をつけており、真っ向からの手合わせでは終始李が圧倒され続けた。

 暗殺でこそ本領発揮できるとはいえ、クラウディオに続き揚羽にもこの様である。決して驕っていたわけではないが、世界の広さというものを見せつけられた気がした。

 そして、手合わせが終わると揚羽が李を抱擁する。ここでもまたいきなりのことに体を硬直させた彼女であったが、不思議と受け入れられたという思いが強かった。

 

「これからはその力、九鬼のために役立ててくれ。お前の力に期待しているぞ!」

 

 後から聞いた話では、揚羽は新しく入って来る女従者に対してこのように抱擁することにしているとのことだった。それを真似するようになったのがもう一人の弟の英雄であり、彼は男従者をそのようにして歓迎するようになっていく。

 征士郎はその一部始終を見守っているだけであり、去り際に一言。

 

「あまり気を落とすことはないぞ。姉さんの実力はこの九鬼においても群を抜いている。これから大変だろうがよろしく頼む。李静初」

 

 これが李と征士郎の出会いだった。

 

 

 ◇

 

 

 それからというもの、李は征士郎の世話をやくことが多くなった。それは征士郎自身が専属を決めていなかったことなどが原因である。

 しかし、もっとも大きな理由は征士郎自身が李を自分の目で確かめたかったからだ。

 帝の命を狙ったことは既に帝自身が不問しているため、征士郎がとやかく言えることではなかったし、何よりクラウディオが弟子にした者というのが興味を惹かれるところだった。他にも注目していた人物はヒュームの引っ張ってきたステイシー、ゾズマが育てるシェイラなどである。

 これは決して女だからという理由ではない。次代を担う候補たちを確かめておく必要があると考えていたからだ。もちろん若手の中で実力のある連中は色々とチェックしていた。

 ジョナサン、チェ、ソフィア、レナート、桐山、ウィリアム、陳などなど、時には局の意見なども聞きながら同時に専属選びも兼ねていた。

 その中で李の真面目さ、周囲に対する配慮、何でもこなせる器用さ他、彼女がその有能ぶりを発揮し、それゆえに征士郎が徐々に重用し始めたのも必然だったのかもしれない。

 そして、征士郎が李を専属に決める出来事が起きた。

 

 

 □

 

 

 征士郎が座学を終えたときのことだった。李は彼の様子に微かな違和感を感じ、そのことについて尋ねてみたのだ。

 そのときの征士郎は一瞬驚きの表情を見せ、ついで笑顔をみせた。

 

「心配させてしまったか……ときどきな、痛むのだ。とっくに失くした腕なのにおかしなものだ。しかし家族や一部の従者を除いて、俺の様子に気づいたのはお前が初めてだぞ」

 

 さすが観察眼に優れている。そう言って征士郎は服の上から労わるように左腕をそっと撫でた。左手には黒の手袋をはめていた。わざわざ見せびらかせるものでもないからだ。

 征士郎の受けている痛みは所謂幻肢痛と呼ばれるもので、腕や足などを切断したにも関わらず、なくした部分に痛みを感じることである。

 征士郎が腕を失くしているのは、従者の間では周知の事実であった。李自身も英雄に仕えるあずみよりその事を聞いて既に知っている。

 海外でのパーティへ出かけたときに起きたテロ事件。生きているのが奇跡とまで言われた大惨事は、当時連日のように世間を騒がせた。そのビルにいた人間のほぼ全員が死亡。少なくとも100人はいた中で生き残ったのは片手で数えられる程度――当然その中に征士郎と英雄の名があった。しかし、彼らについていた従者たちの名はなかった。

 ひどいもんだったと語るあずみはその現場に居合わせた人間であり、彼女の語るときの表情がそれを物語っていた。

 征士郎の腕は英雄とその彼が守っていた子供をかばった時に失った。

 

「気休めにしかならないかもしれませんが、こちらを」

 

 李は緑茶を湯のみに注ぎ差し出した。征士郎が自分の淹れるお茶を好んでいたからだ。同時にこれくらいのことしかできないことを恨めしく思った。

 それでも征士郎は礼を述べながら、笑って受け取ってくれた。

 

 

 ◇

 

 

 そして、その日は突然やってきた。

 

「私を……征士郎様の専属従者に、ですか?」

 

 李は、目の前に立つ征士郎に対してそう聞き返した。

 

「ああ。俺もそろそろ専属を決めようと思ってな。だからお前を指名する」

「す、少しお待ちくださいませ! 私は……私には、征士郎様の専属になる資格などありません。依頼であったとはいえ、貴方様のお父上である帝様のお命を狙ったのです。それに何より……私の手は汚れております。そんな私が征士郎様のお傍にいては、征士郎様の品格が問われてしまいます。征士郎様にはもっとふさわしい方がいるかと」

 

 こうして声をおかけ下さっただけで私には十分です。李が感謝を示すために、頭を下げた。暗殺者時代から伸ばしていた長い黒髪がさらりと流れる。

 静まりかえる部屋。今ここには彼ら2人しかいない。

李は、征士郎から声がかかるまで頭をあげる気配がない。

 

「俺の専属は嫌か?」

「そのようなことは決して!!」

 

 李は慌てて頭をあげ返答した。征士郎の凛々しい瞳と目があう。

 

「ならば良いだろう?」

 

 真っ直ぐとした瞳に李はたじろぎ視線をはずす。

 闇の中にどっぷりと浸かっていた自分とはあまりに違う。そして、そんな自分に自信がもてないでいた。

 九鬼に推薦してくれたクラウディオのため、持てる力を尽くしてきた。それはこんな自分をも評価してくれた感謝からだった。

 そして手に入れた普通の生活。憧れていた生活は忙しくも充実したものだった。

厳しくも面倒みの良い上司であるあずみ。陽気で何かと気にかけてくれる同僚のステイシー。優しく見守ってくれる師のクラウディオ。加えて、目の前にいる主の一人である征士郎。

 才能だけでなく、その性格もぶっ飛んだ者が多い九鬼一族において比較的落ち着いており、それが逆に彼を目立たせているとも言えた。領土を広げるが如く巨大企業へと成長させていった帝が乱世の王であるならば、征士郎はそれをよく治めさらに富ませる治世の王となると期待されている。

 しかし、将来のことなどわからないと李は自身の経験から思う。そして同時に、そんな中で彼を支えていくのが、自分たち従者の役割なのだと認識していた。

 期待してしまうという気持ちも李にはよくわかる。征士郎の成長を近くで見ていると、期待せずにはいられないのだ。言葉では表しづらいが、引き寄せられ巻き込まれるような、しかしそれが決して不快ではない。むしろ力になりたいと思わせる何かが彼にはあった。

 そんな征士郎に初めて褒めてもらったのは、緊張しながら入れたお茶である。そのときのことを今でもよく覚えている。真剣な表情がふっと緩み「旨い」と笑みを浮かべてくれたのだ。

 

 これ以上を望むなどおこがましい――。

 

 彼の専属になりたいと思っている者は多いだろう。その実力を兼ね備えた者もまた――多い。

 あずみが英雄を燦然と輝く太陽だと称えていたが、征士郎もまた同じ。

 あの凄惨な日々の中よく空を見上げたことがあった。路地裏のビルの隙間からでも青空は見え、時折太陽の光が目にしみた。

 

 温かい光。

 

 そのときだけは全てを忘れられた。そして、また前方の闇へと視線を戻す。以前よりも濃い闇が目の前に広がっている気がするのは、ただの身体の反応であるのか。

 怖いのかもしれない。李はふと思った。眩しすぎるこの人を見ているのが。

 

『どうせ九鬼が合わなくなる』

 

 同業者の別れ際の言葉だった。呪いのように今も心の片隅に残り耳の奥で響く。

 心のどこかでまた自分はあの場所へ戻ってしまうのではないか。だから、これ以上光のあたるところへ進むのをためらっているのでは。

 クラウディオに説得されたあの日、全てを割りきれたと思っていたが、心はそう簡単なものではないらしい。

 

「征士郎様は帝様のお命を狙った私が憎くはないのですか?」

 

 李は以前から気になっていたことを聞いてみた。

 

「憎くはある……お前にそのような依頼をした人間がな。そして、父の命を狙ったのは許せないことだ。だが、父は存命でその父はお前を許している。だから俺はこの目でお前を判断することにした」

 

 征士郎の言葉は続く。

 

「結果、信ずるに値すると判断した。それに少し興味があった。クラウディオの罠に嵌ったとはいえ、父の眼前まで迫った李静初という凄腕の持ち主に。……綺麗な瞳を持っていると思ったよ。あとは氷のようだとも。だが感情が死んでいるわけではない」

 

 征士郎は李へ一歩近づいた。成長期に差しかかっている彼は、彼女とほぼ同じ身長である。

 今度は、李は征士郎から目を離すことができなかった。

 

「民を幸せにしてこその九鬼。なればこそ、そこに仕える者たちもまた幸せでなければならん。俺について来い、李静初。これまで見られなかった分も合わせて、お前に見たこともない素晴らしい景色を見せてやる」

 

 踏み出すことを躊躇う自分にこうして手を差し伸べてくれる方がいる。命を狙ったというのに、彼にとって大切な人の。自分がその立場であったら、今のような行動をとれるだろうか。無理だろう――少なくとも幸せにしてやろうなどとは思えない。

 感情が死んでいるわけではない、その証拠に心が揺れた。見てみたいと。この方が創る世界の景色を。

 一度そのような思いが湧きでると、止めることなどできようはずもなく溢れるがまま。

 どうして断ることができようか。いや最初から心は決まっていたのだろう。他の者達がそう思うのと同じように、自分自身もできれば――このお方の。

 李がゆっくりと口を開く。緊張のためか喉が渇いていた。

 

「私は無愛想です……」

「構わん。俺が笑顔にしてみせよう」

「元、暗殺者です……」

「傭兵、忍者、用心棒、果てはどこかの闇闘技場の王者もいる九鬼だ。今さら、そんなもの気にはせん」

「望んでも、よいのでしょうか……?」

「俺が許してやろう。好きにするがいい」

 

 尊大な物言い、しかし堂に入っている。

 李は征士郎の前に片膝をつき、頭を垂れた。さながらそれは王に忠誠を誓う騎士だ。

 

「九鬼征士郎様の専属、ありがたく承ります」

「うむ。よろしく頼むぞ、李静初」

 

 

 ◇

 

 

「ふむ? 髪を切るのか?」

 

 征士郎は、専属従者の言葉に疑問をもった。その視線は李の長髪へ向かっている。

 

「はい。厚かましい申し出だと思いますが、ぜひ征士郎様の手によって、切っていただきたいのです」

 

 李なりの過去に対するけじめでもあった。彼女は膝をついたまま、恭しく両手で短刀を差し出した。

 征士郎はそれを察したのか短刀を受け取る。だいぶ使いこまれているため、持ち手の木材部分が独特の風合いを醸している。しかし、刃の部分は磨きあげられ照明の光をギラリと反射していた。

 

「よかろう。お前が俺の専属となる日だ。儀式めいているのも面白い」

 

 征士郎はその短刀をクルクルと弄ぶと、右手でしっかりと握った。そして、李の正面から頭を抱え込むようにして左手で彼女の後ろ髪を束にする。

 

「李静初、今日この日を持ってお前を我が専属とする。お前の働きには大いに期待しているぞ。俺に尽くせ」

 

 その言葉は、左耳からすぅっと入り心に留まり、そこから全身に染み渡るようだった。

 

刃が一際煌めき、黒髪が宙を舞った。

 




李の昔の容姿は、原作と変えています。このときに、初めて原作の髪型となりました。

6.22 修正


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4話『クローンとの出会い』

 

 ヘリが一機、海の上を横断していた。その側面にはKUKIの文字が見える。

 天気は快晴。雲一つない空はともすると海と同化しそうな青一色である。

 ヘリの向かう先は、小笠原諸島の一つで九鬼の所有する島――クローンたちが育てられている場所だった。

 計画が発覚してから1週間、ようやく帝との連絡がとれた征士郎は、クローンとの顔合わせを希望し、それが叶ったのが今日である。ついでにマープルの処遇も降格とそれに合わせた減給に決まったのだった。

 隠居するならその頭に詰まった知識を受け継がせてからと言い放った帝。彼自身もその才能を手放す気はなかったようだ。

 ヘリは無事着陸し、征士郎は島へと上陸した。先に連絡いっていたのか、数名の研究員と10人の従者たちが待機している。

 征士郎の前に一人の従者が進み出る。その顔は見覚えのあるものだった。

 

「ようこそおいでくださいました、征士郎様。不肖、この桐山鯉が貴方様の案内役を務めさせていただきます」

 

 ペコリと頭をさげる桐山。それに対して、一緒に同行していたステイシーがあからさまに嫌な顔をした。彼女がそういう態度を表したのは訳がある。

 桐山は、若手主導の体制に不満を抱いている九鬼従者の老人たちの手先であり、同じ若手でありながらその矛先を同僚たちに向ける急先鋒だからである。事あるごとにどんな些細なことも指摘し、さらには余計なひと言まで付け加え、従来の体制に戻すべきと主張する嫌な奴と若手従者の中では認識されているのだ。

 しかし、九鬼を第一に考えているのも事実である。細かい指摘もその九鬼を思えばこそ。当然その指摘も的確であった。

 同時に序列1位を狙う野心家でもあり、以前は征士郎の専属も狙っていたことがある。

 

「よろしく頼む。すぐにでも会えるのか?」

「もちろんでございます。全員、既に同じ場所へ集めております」

 

 桐山はすぐ近くに止めてあった車の後部座席の扉を開ける。ここからは車での移動ということらしい。

 桐山が運転席、助手席にステイシー。後部座席に李と征士郎が乗り込んだ。

 しばらく景色を眺めていた征士郎だが、ふいに桐山に声をかける。

 

「桐山は序列を落とさずにすんだらしいな」

 

 計画の関係者の多くがそれなりに降格をくらっている中、お咎めなしであったのはこの桐山だけであった。

 

「はい。マープルが私の事を庇ってくださいました。あのときのマープルはまさに我が母そのものでした」

「ハッ! どうせならお前も998位からやり直せばよかったのによー。マザコン野郎」

 

 ステイシーが歯に衣着せぬ物言いをした。ちなみにマープルが1000位、揚羽の専属従者が999位である。

 しかし、桐山は慣れているのかいつもの笑みを崩さない。

 

「マザコンは私にとって褒め言葉です。マープルが守ってくださったこの序列、期待に応えるためにも私はさらに精進していきますよ。とりあえず、ステイシーさんは征士郎様の前なのですから、その口調をどうにかした方がよろしいかと」

「征士郎様からはちゃんと許しを頂いてるよ。それに他人が聞いてるわけじゃねえんだ。堅苦しいのは嫌いなんだよ……征士郎様はそこらへんを分かってくれるロックなご主人様だぜ」

 

 李が会話に混ざる。

 

「ステイシーは、征士郎様の専属なら楽しくやれそうだと言っていたくらいですからね」

「まあな。どうです、征士郎様? 今からでも全然ありですよ!」

 

 ステイシーが後ろを振り返り、そんなことを口走った。

 「ステイシー!?」李の語気が強くなる。さらに、それに追随する者も現れた。

 

「それなら私も立候補させてもらってもよろしいでしょうか? 我が母は言いました。バットは振らなければ当たらないと」

「桐山まで!? 何を言ってるんですか! 征士郎様の専属は既に私がいるんですよ!」

 

 アタフタする李はどこか小動物のような可愛げがある。ニシシと笑うステイシーはどうやらからかっているようだ。桐山も笑っているが、こちらは案外本気で言っている可能性もある。

 征士郎は賑やかな様子を見守っていたが、専属従者が暴走すると困るので助け舟を出す。

 

「ハハハッ、お前たちの気持ちはありがたいが、李は俺の従者をよくやってくれている。それにステイシー……あまり同僚をからかってやるな。桐山もお前は紋白の専属を狙っているのだろう? そちらに専念しておけ」

「了解でーす」

「かしこまりました」

 

 その言葉にほっと溜息をついた李。次いで、ステイシーが紋白の専属を狙っていることに対して桐山につっかかっていた。

 賑やかな車は林の間に整備された道をどんどん奥へと進んでいく。

 

 

 □

 

 

 車が行き着いた先は学校であった。コンクリートの白い建物だが、長年の風雨の影響もあってか、所々侵食が起こっている。その背後には林、いや森が広がっていた。海が近いため強い潮の香りがする。そして、少し歩けば砂浜もあるようだ。今は春休み、よって他の生徒たちの姿もない。というよりも学生はおろか一般人の姿が、征士郎たち以外に見当たらない。

 

「自然以外になんもねーんだな。退屈しそうだぜ」

 

 ステイシーがキョロキョロと辺りを見渡しながら呟いた。

 同じように周囲を観察していた李が答える。

 

「世間の目にさらせないという点では都合が良いのではないですか? それに都会では良くも悪くも影響が大きいでしょうし」

 

 そこへ一匹の犬が走り寄って来る。ステイシーがそいつを両手で抱えあげた。

 

「第一村人発見だぜ」

「人ではありませんが……迷子でしょうか? 迷子の犬を発見、ふふっ」

 

 パタパタと尻尾をふる犬。人に慣れているところを見るに飼い犬のようだ。征士郎が顎をくすぐってやると気持ち良さそうに目を細めた。

 桐山が李の疑問に答える。

 

「その子は漁師の柴田様の飼い犬ですね。名は確か……権六。漁に出られる際、港につなげておかれるのですがこうして脱走を繰り返しているのです。そのまま放置しておいてもよろしいかと、時間になればまた帰って行きます」

「クローンたちをのびのび育てるのには打ってつけの場所だな」

 

 征士郎は、海の方向へと視線を向けた。海面が日の光を反射してキラキラと輝いている。

 資料によると、生まれてからこのかた一般人となんら変わらない生活を送ってきたと書かれている。それでも、要所要所では自身が何者であるか、どういう振る舞いをするべきかを説かれてきたようだ。

 もちろん、武士道計画という名のとおり4人とも武術の鍛錬が早くから組み込まれていた。

 経過は良好。しかし、途中である研究員が口を滑らせたことによって、一人の精神に変化が生じたと注意書きもあった。マープルは、このクローンたちにとって母親代わりでもあったようだ。

 ステイシーが犬を放すと、犬はそのままどこかへ走り去って行った。

 

 

 ◇

 

 

 征士郎は従者らを引き連れ、桐山に案内されるまま学校の応接室へ向かう。

 そして、扉が開かれた先には4人のクローンたちが集まっていた。

 最初に勢いよく立ちあがったのは源義経(みなもと・よしつね)。黒髪のポニーテールに人懐っこそうな大きな瞳。腰には愛用している刀、銘は薄緑。一目で真面目そうな雰囲気が伝わって来る。実際九鬼の息子に会うというので緊張しているのだろう。顔が若干強張っていないでもない。

 その隣にいた武蔵坊弁慶(むさしぼう・べんけい)が義経の様子を見て、やれやれと息をついている。こちらは義経と打って変わって、妖艶な空気を醸し出している。ウェーブがかった黒髪に切れ長の瞳、自己主張の強い肢体。その手には朱色の瓢箪が握られていた。

 その弁慶とほぼ同時に立ちあがったもう一人の女性は葉桜清楚(はざくら・せいそ)。義経に似た顔立ちだが、一年上だけありより女性らしさが全面に出ている。オレンジの髪飾りが黒髪に映えていた。彼女の雰囲気は名前そのものといえる。

 そして、最後にのっそりと立ち上がったのが那須与一(なすのよいち)。灰色の髪に鷹のように鋭い目。その顔からは、わざわざ呼び出してくれるなといった感情が読み取れる。それも弁慶の睨みで吹き飛んだが。

 義経らが順々に自己紹介を終えた後、征士郎が口を開く。

 

「わざわざ集まってもらってすまないな。もう聞いていると思うが俺は九鬼征士郎だ。川神学園3年、生徒会長をやっている。お前たちが我が学園に転入すると聞いてな。様子を見に来た」

 

 自己紹介が終わったところで全員が席についた。従者たちは征士郎の後ろに立っている。幼い頃から人を従えることに慣れているからだろう。征士郎の姿は堂々としており、常々人を率いることを意識している義経にとっては、模範となりうる人物に映っていた。

 話はクローン組の今後の予定である。6月の頭に転入し、九鬼紋白もそのとき一緒に転入する手はずが整っていた。武士道プランの発表もそれに合わせて大々的に行われる。

 そして現在、従者部隊の中では紋白が登場するときの踏み台を誰がやるかという人選が、既に始まっていた。そのときのBGMはとある有名な楽団にお願い済み。

 派手好きとでも言えばよいのか。征士郎のときも、従者たちが剣を掲げその間を通って登場やら。メイドを両側に並ばせバラの花びらをまくやら。色んな案が出されたが、そんなことをしている暇があったら仕事しろという彼の一言で、却下されてしまったという従者たちの深い悲しみがあった。

 ちなみに英雄の入学式では剣を掲げるという前者の案が採用され、そのときの人選も2,3か月かかったのだから大変なものである。

 その裏では密かに、征士郎様の卒業式は盛大にと意気込んでいる従者たちが多くいることを彼はまだ知らない。

 その征士郎も今回の妹の転入が大々的に行われることには賛成であった。

 可愛い妹にはそれ相応の演出が不可欠。ましてや自身が生徒会長を務めている間に入って来るのだ。半端なものをやらせるわけにはいかないとお兄ちゃん的に張り切っていた。

 当然、踏み台候補のオーディションには面接官として立ち会ったこともある。そのとき、面接官の中に父の姿があったのには驚きを隠せなかったが、親では兄妹とはまた違った愛しさがあるのだろうと納得していた。

 大まかに予定が説明されたあと、義経が質問する。

 

「義経たちは学園でうまくやっていけるだろうか?」

 

 今まで少人数の島の学校で生活してきたのだ。いきなり都会の――さらには有名な川神学園でやっていけるか不安があったのだろう。と言っても征士郎が見たところ、そんな不安を抱えているのは義経だけのようにも見えた。

 

「そう不安がることもない。3年には俺と専属従者の李が、2年には英雄とその従者あずみがいる。1年にも俺の妹が転入しその護衛に一人九鬼の人間がつく。それなりにサポートはできるだろう。それにお前たちに興味をもつ人間は多々いるだろう、特にあそこは色んな意味で変わっているからな。むしろ簡単に馴染むはずだ」

 

 それを聞いて安心したのか、義経はほっと一息ついた。

 次いで弁慶が尋ねる。

 

「学園では川神水を飲むことは許してもらえる?」

「そこらへんは学長の川神鉄心殿と話し合う必要があるな。例えば、学年トップをとるなど我がままを通すだけの実力を示せれば、許可もおりやすいだろう」

 

 ただし、それは英雄の友である葵冬馬と並ぶ――つまり全教科満点をとるという離れ業を成し遂げる必要があった。

 

「生徒会長のお力を貸していただくわけには?」

「甘えるな。自分の力で何とかしろ。それぐらいの実力はあるのだろう? それとも……自信がないか、武蔵坊弁慶?」

「楽ができるなら楽をしたいと思っただけ。まぁ自信がないこともないしね」

 

 その言葉を聞いて征士郎は頷いた。

 

「話くらいは通しておいてやる。あとは力を示せ」

「はいはーい」

 

 弁慶は軽い返事をし徳利に川神水を注ぎ始めた。それに慌てたのは義経。どちらが主か分からないが、それでも弁慶がそんな義経を気に入っていることが一目でわかった。

 

「私も質問いいですか?」

 

 清楚が少し遠慮がちに問いかけてきた。

 

「構わん。なんだ?」

「貴方は私の正体について何か知っていますか?」

 

 葉桜清楚。源義経など他2人はその名の通り誰のクローンなのかはっきりしている中、自身の正体だけは秘匿されておりずっと気になっているのだった。

 25歳になったとき教える。それが清楚の質問に対するマープルの常の回答だった。

 そして、これに対する答えを征士郎は既に決めていた。

 

「項羽だ」

「え?」

 

 突然聞かされた自身の正体。まさか、いきなり答えを知れるとは思っていなかった清楚は、目を丸くしている。それは他のクローンたちも同様であった。弁慶が手を止めたため徳利の中の川神水が揺れる。

 清楚を一言で表すなら文学少女である。読書する姿がよく似合い本人も読書好き。清楚自身の予想では清少納言か紫式部であり、その意見に義経らも同意していたくらいだ。どこからどう見ても猛将として名を馳せ、苛烈な性格をしていたクローンには見えない。

 場の空気が乱れる中、征士郎はお茶をすする。香りがよく気分を落ちつけてくれるのに一役買ってくれる。もっとも彼は取り乱してはおらず、むしろ目の前の人物が落ち着きを失っていた。

 混乱する清楚は言葉に出して理解しようとする。

 

「コーウ? そ、そんな文化人はいないはず……私の知らない人? ごめんなさい、私もまだまだ勉強不足のようでその人物に心当たりがありません」

「一人ぐらいはいるだろう? 現代においても知られている項羽が」

 

 清楚の頭の中をよぎる偉大なる人物。それはあまりにも想像からかけ離れている存在だった。

 

「え……でも、そんな……私が、あの西楚と呼ばれた……覇王?」

「そうだ。マープルから聞かされたときは多少驚いたがな。お前の中には覇王が眠っている」

 

 清楚が自身を両手で抱え込み、義経がその背中を撫でている。

 そして、征士郎の言葉に弁慶が反応した。

 

「眠っているっていうのはどういうことです?」

「仮にも覇王と呼ばれる存在だ。その力は並はずれたものがある。マープルの予想では、実力は武神、川神百代にも匹敵するとのことだ」

 

 それはつまり壁越えの実力を持っているということ。

 征士郎は続ける。

 

「力のみを持った存在を野放しにしてはいずれ暴走する可能性があった。だから封じ込め知識教養を身に着けさせた上で、精神が成熟したときにその正体を明かす予定だったのだ」

 

 マープルは項羽を頂点とした偉人による統治を望んでいた。彼らにはその真の目的も知らされてはおらず、計画が発動したときに初めて伝えられることになっていたのだ。

 征士郎はそこまで口にすることはしない。既に潰えた計画であるからだった。

 

「それ今教えちゃっても大丈夫なの?」

「項羽を目覚めさせるキーワードがある。それを清楚に教えない限り心配ない。今は……な」

 

 そこで李が征士郎に耳打ちした。彼はそれに頷くと義経たちに問いかける。

 

「お前たちに問う。清楚は大事か?」

 

 

 □

 

 

 征士郎たちが向かった先には層々たるメンバーが集められていた。

 ヒューム、クラウディオ、マープルに加え、揚羽。そして30名近くの従者たちである。揚羽と彼女の専属である小十郎を除いて、全て武士道プランにかかわっていた者たちだった。

 これから行うのは項羽の解放。それに伴う戦闘。これによって武士道プランの問題に決着をつける腹積もりであった。

 清楚の正体が謎のままでは、遅かれ早かれ彼女自身あるいは誰かの手を借りて、それを知る可能性があった。そして、そのとき項羽がどのような行動にでるかわからない。それならばいっそ準備を整えたところで解放し、清楚に項羽と上手く付き合っていってもらう他ない。

 マープルにしても、計画があったからこそ項羽の存在を秘しておきたかったが、今ではその必要もない。

 征士郎は揚羽のもとへと歩みよる。

 

「姉さん、我がままを聞いてくれてありがとう」

「フハハハ! 可愛い弟の頼みだ。それに我も体が鈍らんよう鍛錬しておきたかったところだしな。事情はヒュームから聞いた。任せておけ」

 

 揚羽は征士郎の頭をグリグリと撫でる。

 実際は、項羽の解放を聞いたヒュームが揚羽のストレス発散にもちょうど良いと提案したからだった。ここ最近の老獪な人物とのやりとりは、いかに揚羽といえど精神的にくるものがあるらしい。

 そこへ揚羽の専属従者が話しかけてくる。

 

「お久しぶりです! 征士郎様!」

 

 声が大きいこの人物の名を武田小十郎。赤い鉢巻がトレードマークの見るからに熱血そうな男であり、事実そうであった。

 

「久しぶりだな、小十郎。元気にしているか?」

「もちろんです! 毎日のように、揚羽様ァ! に喝を入れられています!」

 

 それくらいに元気だと言いたかったのであろうが、それは同時に失敗も多いということであり、現に揚羽からは、「喝を入れられんように精進せんかぁ!」と殴り飛ばされていた。

 そして、この光景に驚いたのはクローン組のみ。九鬼に仕える者であれば一度は見たことがあるからだ。与一だけは同類を見るような目をしていたが。

 揚羽が征士郎の傍に控える李を見る。

 

「あれでも一応進歩しているのだがな……少しは、お前の専属である李を見習わせたいものだ。李も久しぶりだな」

「お久しぶりです、揚羽様。お元気そうで何よりです」

「我は生まれてこの方、元気で満ち溢れているからな! しばらく見ないうちに李はまた腕をあげたな?」

「征士郎様をお守りする盾として精進しています」

「フハハハッ! 良い心がけだ。これからも征士郎をよろしく頼むぞ!」

「お任せください」

 

 既に辺り一帯に結界が張られている。これは項羽が目覚めたときの対策であった。強い者と戦いたいと飢えているどこかの武神が、その気を感じとり文字通り飛んでやって来ないとも限らない。

 話がちょうど途切れたところで、征士郎が皆に声をかける。

 

「これから清楚の中の項羽を解き放つ。各自、どのような事態にでも対応できるよう備えておけ!」

 

 どこまでも通りそうな声だった。征士郎の号令を切っ掛けに、ピリピリとした空気が辺り一帯を占めていく。

 見るからに弱っている清楚だったが、マープルの手によって結界の中央へと導かれていく。その間、何を話しているかはわからない。ただ清楚の儚い笑みと一瞬見せたマープルの憂いの顔が印象的だった。

 義経と弁慶は不安に駆られているようでそれが表情に表れている。それに気づいた与一は人知れず舌打ちをした。

 マープルが清楚の元を離れ、揚羽のみが前へと進み出る。最初に彼女が相手をするということだろう。その後ろにヒューム、マープル、クラウディオが立ち、李は征士郎の前へ。他の従者は清楚を取り囲むように配置されている。

 征士郎のすぐ隣に立っていた義経が何かを言おうとしたが――。

 

「征士郎! 初めて構わんぞ!」

 

 揚羽の声によって遮られた。肌をうつのは彼女の闘気、同時に従者たちが一斉に武器を構える。

 そして、征士郎が垓下の歌を高らかに歌い上げる。

 

 




目覚めた瞬間、四面楚歌な項羽さん。

6.22 修正


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5話『出会いの春』

 戦闘を楽しみにしていた方が多かったみたいで。でも学園に早く行きたかったんだ!


 

 

 項羽の解放はひとまずうまくいった。現在はマープルが、これからのことについて粘り強く説得している最中である。

 転入までの時間もまだ残されている。

 

(マープルならばうまくやるだろう)

 

 征士郎は漠然とそんな予感がしていた。

 

「川神百代に匹敵するか……早めに手を打っておいてよかったな」

 

 故意に人を傷つけるような性格ではなさそうだったが、その力は目覚めたばかりであっても相当であった。あのヒュームが赤子ではないと凶暴な笑みを見せながら表現した程なのだ。

 もし川神百代とぶつかりでもしていたら、川神市半壊などというシャレにならない事態も容易に予想ができた。

 しかし同時に、百代と対等に渡り合える相手ができたと思えば、それはそれで幸運でもある。姉である揚羽が武から離れてしまったせいで欲求不満を抱え込んでいた武神だ。喜んで歓迎してくれるだろう。

 李が征士郎の言葉を拾う。

 

「項羽は目覚めたばかり。それに加え武器がなかった分、こちらに有利でした」

「目覚めた瞬間、姉さん、ヒューム、クラウディオ、さらにメフィストフェレスを使用したマープルに、義経らクローン組が構えている四面楚歌だったからな。怯みながらもよく戦っていた」

 

 暴れる項羽に対してヒュームが四面楚歌云々と呟いたとき、涙目になっているように見えたのは気のせいだったのだろうか。どちらにせよ学園に通う際には、出来る限りフォローしてやろうと征士郎は思った。

 そして、新しい出会いとなる始業式が明日に迫っていた。

 

 

 ◇

 

 

 一台の黒塗りの車がゆったりと川神学園へ向けて進んでいた。

 4月。高校3年になる征士郎にとっては新入生を迎える出会いの春である。

 窓から通り過ぎる桜の木が見えた。まるでこれからのことを祝福しているかのように、淡いピンクの花びらを満開に咲かせている。その傍を歩くグループは2年生だろう。仲良さそうに談笑をしながら歩いていた。

 そしてその前を歩くのはおそらく1年生。遠くから川神学園へ入学してきたのかもしれない。その顔は不安と期待の両方が混じり合っている。

 

(思い出に残る学園生活を送らせてやらねば)

 

 征士郎はその姿を見て決意を新たにする。彼の服装は黒のスーツに、ワインレッドのネクタイ、そして胸ポケットには純白のポケットチーフがあしらってあった。

 身だしなみは完璧である。なぜなら征士郎以上に張り切っていた局や李が10分以上もかけ、隅々までチェックを行ったからだ。生徒会長としての晴れ舞台でもある。無様な姿をさらさせるわけにはいかないということらしい。

 専属に反対していた局も今では李を評価し、信頼もしている。だからこそ、着替えの際には2人で征士郎の周りをぐるぐると見回り、鏡越しに彼を見たりと――とにかく、その表情は真剣であったのだ。

 

(主役はこれから迎える新入生なのだが……)

 

 征士郎はそう思っていたが口には出さない。つい先日にあった卒業式の日に同じことがあり、そのことを口に出してえらい目にあったからだ。母にとってはいつまでも子が主役であるのだろう。

 加えて李に聞いたところによると、征士郎は黒という他の小物と合わせやすい色であるため、ネクタイにシャツ、ポケットチーフなど選び甲斐があり、それが楽しいらしい。

 ちなみに英雄の服装チェックは征士郎の前に完了済みであった。

 

(母さんと李が仲良いのは見ていて嬉しいものだ)

 

 だが、さすがに最終チェックの段階で納得いかないという表情を作り始めたのには、征士郎も焦った。

 話を戻して車内。その李はというといつも通りのメイド服である。

 

「李も川神学園の制服を着たらどうだ? きっと似合うと思うぞ」

 

 征士郎は窓から目を離し、隣に座る李へと話をふった。20代に突入したとはいえ間違いなく似合うだろう。

 しかし、李は自分の制服姿を想像して、顔を赤くしながら答える。

 

「恥ずかしくて今更着られません。似合っているとも思えませんし、こう見えても20歳を超えているのですよ?」

「李なら大抵の服を着こなせられると思うがな。なぁクラウディオ?」

 

 征士郎は運転手を務めているクラウディオに声をかけた。

 クラウディオはこうやって、時々登下校の運転手をかってでるときがある。李は少し恐縮していたが、彼自身短い時間でも年若い主人や弟子と会話するのが楽しみでもあった。

 そのクラウディオは温和な笑みを浮かべ、ハンドルを緩やかにきる。

 

「もちろんです。若いうちにしかできない服装もありますからね。李ももし着る気が起きたなら、私が用意してさしあげますよ」

「クラウ爺まで……でも着ません」

 

 李は相当抵抗があるらしい。

 しかし抵抗されると、さらに見てみたくなるのが人の性。

 

「だが真面目な我が従者は、俺が命令すれば必ず着る」

「もちろんです。しかし、征士郎様は嫌がっている従者にそのようなことをなさる方ではありません」

 

 きっぱりとそう言いきった李。

 全くその通りであった。そのため、征士郎はふむと頷くだけで言い返すことができなかった。

 そのやりとりを聞いていたクラウディオが笑う。

 

「征士郎様の負けですね」

「俺も父さんくらいの強引さを持つべきか?」

「征士郎様はそのままでも十分魅力的かと。……あちらに川神百代への挑戦者がいるようです。見物なされますか?」

 

 車は多馬大橋に差しかかったところであった。

 川神百代(かわかみ・ももよ)。征士郎と同じ川神学園3年で、クラスはF。上を目指せる頭はあるが、本人はそれよりも気楽な方を選びそのクラスにいる。

 長い黒髪に挑発的な瞳。グラマラスな肉体。美少女として一級品であるが、その強さゆえに男からは敬遠されている。その結果、女に走る傾向がある。

 学園一の人気者で有名人。征士郎とは揚羽を通じて知り合い、それ以来交流が続いていた。しかし、高校に入ってからはより絡んでくるようになった。その理由も分かっている。

 

「よい。どうせあとから教室にでも来るだろう。李に会いにな」

 

 高校一年時から、李は征士郎の専属として入学したため百代に目を付けられたのだ。と言っても別に悪い意味ではない。

 百代は強くて可愛い李と仲良くなりたいだけであり、それは李にとっても有難いことであった。なぜなら百代を通して多くの友人ができたからである。

 車がその傍を通り過ぎる頃には挑戦者は星と化していた。同時に周りの野次馬が歓声をあげる。

 

 

 □

 

 

 車が川神学園の近くで止まる。その停車も征士郎に僅かの揺れも感じさせない見事なものだった。クラウディオが先に車を降りすぐさま扉を開く。

 

「いってらっしゃいませ」

「ご苦労、行ってくる」

 

 征士郎はカバンを受け取り、ぐるりと周りを見渡す。登校してきた1年生の中には、執事の存在を初めて見たのか目を丸くしている。

 その隣を通り過ぎる在校生が征士郎に挨拶し、その者が通り過ぎるとまた別の生徒が彼に声を掛け、その後も続く挨拶の連続に全て応えながら下駄箱を目指す。その間、李は静かに3歩後ろを歩いていた。

 そんな李も、彼女に挨拶を行ってくる生徒にはしっかりと挨拶を返している。

 向かう先はもちろん3-S。李の期末の成績は京極と並んでの3位。この征士郎、李という並びは、1年のときから1度も変わりがない。

 京極彦一(きょうごく・ひこいち)。文学硬派で知られるイケメンで言霊を扱えるという変わった技能の持ち主である。服装はいつも和服で、小学からの付き合いがある征士郎ですら洋服を着ているところを見たことがない。

 また本人はどうでもいいと思っているが、エレガンテ・クアットロと呼ばれる川神学園のイケメン四天王の一人とされている。

 余談だが、征士郎は生徒会長になった時点でそこから脱退させられた。そして、繰り上がりで源忠勝という下級生の一人が選出。征士郎には生徒会長という一種の特別枠でくくった方がよい、というのが女生徒たちの意見であった。

 Sクラスに荷物を置き級友に挨拶を告げると、征士郎は李を伴いまた外へ出る。

 新入生は勝手がわからないことも多いため、生徒の何人かに有志として入学係を任せていたのでその様子見であった。

 

「天から美少女登場―!」

 

 先を歩く征士郎の頭上からそんな声が響いてきた。そして文字通り、美少女が天から降ってくる。登校している生徒たちもこの奇抜な登場にざわめいた。こんなことができるのは学園広しと言えど百代だけだ。正確に言えばあと2人いるが今は省く。

 征士郎が軽くため息をつく。

 

「お前はもう少し普通に登場できんのか? いや……これがお前の普通か」

「おいおい……随分な言い草だな、征士郎。そして李さん、おはよう。会いたかった」

 

 百代はムッとした表情をつくったかと思えば、すぐさまニッコリと笑って李の手をとった。

 李も既に2年の付き合いになるため、その対応に慣れたものである。

 

「おはようございます、百代。そして征士郎様にもご挨拶を」

「セイシロウクン、オハヨー」

「なんだ、その機械じみた抑揚のない挨拶は。だがまぁ……おはよう百代」

 

 しっかりと挨拶を返されるとさすがの百代もそのままにしておけないのか、もう一度挨拶をし直した。

 それを李が褒めると百代は彼女に頬ずりする。

 

「征士郎、私に李さんくれないか?」

「お前のところには鉄心殿の門下生がいるだろう。それをお付きにでもしろ」

「アホ! 私は美少女のメイドさんが欲しいんだよ!」

「ならば、弟分を女装でもさせて侍らせてはどうだ?」

 

 百代の弟分とは直江大和のことである。学園内に留まらず外にまで人脈をもつ顔の広い男であり、知略に長けていることから軍師の渾名で呼ばれることもある。

 その顔は征士郎と同じく母親似で、女装がよく似合いそうであった。

 

「それも……アリだ! だがそれはそれ! これはこれ! ……李さんは罪な女だ。私を狂わせる」

「お前が勝手に狂ってるだけだから安心しろ。腕利きの医者を紹介してやる」

「冷静にツッコむなよ! 今良い所なんだから! って李さんに笑われたじゃないか!」

 

 見れば、李はクスリと笑っている。

 征士郎はその姿を見て内心嬉しく思っていたし、百代に感謝もしていた。

 

「そう騒ぐな。飴をやるからさっさと教室へ行け」

 

 征士郎はそう言うと李が取りだした飴玉を百代へ差し出す。

 

「私は子供か! まぁもらっておくが。そしていつか李さんももらっていく」

「毎度毎度懲りない奴だ。だが目の付けどころは素晴らしいな。李はやらんが飴玉はもう一つやろう」

 

 李が飴玉を転がす百代に話しかける。

 

「百代、また後ほどお話しましょう」

「もちろんだとも! それじゃあまたあとで、李さん! 征士郎はいなくてもいいぞ」

 

 それだけ言い残すと、百代は前を歩く女生徒にちょっかいをかけていた。

 征士郎はその姿を見て、百代の将来が心配になった。

 

「落ち着きがない奴だ」

「ああいうところも百代の良いところかと」

「そうかもしれないな。あれにも一応感謝はしているさ」

 

 征士郎の言葉に李は首をかしげたが、さっさと歩いていく主にその意味を尋ねることができなかった。

 

 

 ◇

 

 

「直江、そいつは国から直々に帯刀許可をもらっている奴だ。だから警備員を呼ぶ必要はない」

 

 征士郎は携帯を取り出した大和にそう言い放ち、一人でテンパる新入生に声をかける。

 

「ようこそ川神学園へ。君が黛由紀江だな?」

「ど……どどっどどど、どうして……わた、わたわたたたたたっ」

 

 今にも百に及ぶ突きを放ってきそうな掛け声である。

 

「俺はここの生徒会長、九鬼征士郎だ。新入生の顔と名前、簡単なプロフィールくらい頭に入ってる」

「せい、せせ生徒会長!? ははは、はじめましゅて……ああ、わたわたたわたし――」

「李。とりあえずこの子を落ち着かせてあげてくれ」

 

 ショート寸前といった様子の新入生に同性である李をあてがう。

 黛由紀江(まゆずみ・ゆきえ)。黒髪をうなじ辺りで2つに束ね、物静かな印象をうける。その所作は美しく、見る者が見ればすぐにわかる気品も備えていた。父は剣聖と呼ばれ、娘である彼女もその才能を受け継いでおり、九鬼の情報によれば武道四天王の一人を倒したともある。彼女の扱う武器は、今も大事そうに抱えられている刀である。

 大和が2人の様子を見ていた征士郎に問いかける。

 

「生徒会長、彼女ってもしかして凄い子?」

 

 大和の目がきらりと光った。もしそうなら、知り合っておいた方がいいとでも考えているのだろう。

 

「剣聖黛十一段の名くらい知ってるだろ? 彼女はそこの娘だ。俺が見たところ今年の1年の中では2番目に凄いだろうな」

「マジ!? ですか?」

 

 同時に大和は思う。剣聖の娘で2番なら、1番の子はどれだけ凄いのかと。

 

「信じる信じないはお前の自由だ」

「そんな子がどうしてあんな態度を……」

 

 大和も少し離れた場所にいる2人を見る。一応話がついたのか彼女らが戻って来る。

 

「李、ご苦労」

「いえ私はいくつかギャグを言っただけです」

「そうか。お前のギャグには沈静効果もあるということだな。わかった」

「全然嬉しくありません!」

 

 李は明らかにテンションが下がっていた。

 ギャグに沈静効果、本来とは逆の効果を発揮しているのではないだろうか。

 しかし、李は打たれ強いとでも言えばいいのか。ギャグと逆で何か閃いたらしく、またテンションが回復していた。

 征士郎はそんな可愛い従者に癒されていると、どこからともなくツッコミが入る。

 

『まずギャグで笑いとろうとするのが、至難の業だと思うんよー』

 

 その声の方向には由紀江が一人いるだけ。

 大和がおもむろ口を開く。

 

「って普通に喋れるんかい!」

『いやいや。これまゆっちが喋ってるんじゃなくてオイラだから』

「は?」

 

 視線の先には、由紀江の掌に乗った馬のストラップ。意匠も凝っており、作り手の真心が感じられる一品だった。

 

『オラの名前は松風。職業九十九神、兼まゆっちの友達。以後よろしく』

 

 それに続いて由紀江がブツブツと喋っていたが、聞き取れない。大和は突然の出来事に、反応に困っているようだ。

 そして由紀江の呟きが終わったところで、彼女は正面に立つ3人を見渡し――。

 

「生徒会長、対象がなんかプルプル震えてます」

「人間の体はあそこまで小刻みに震えられるものなのか」

「声をかけてあげてはいかがでしょう?」

 

 それも束の間、由紀江はガバリと頭を下げ謝罪すると目にも止らぬスピードで姿を消す。それに合わせて征士郎が声を張り上げる。

 

「李!」

「御意!」

 

 まさに阿吽の呼吸。李も姿をくらましたかと思えば、由紀江を抱えて征士郎の前へと姿を現した。

 由紀江は未だ混乱の中のようで、「あわわ、あわわ」と目を回している。そんな彼女の頭を李がなだめるようによしよしと撫でた。

 

「黛、そう慌てるな。俺はお前がストラップと会話しようが、その松風とやらに神が宿っていようが気にはせん。大事なのはお前が有能だということだ」

 

 九鬼の情報網は甘くない。この程度のことなら既にわかっていたことだ。

 征士郎の言葉に由紀江は驚くと、今度はドスの利いた表情を作った。傍から見れば彼を思い切り睨みつけているようだった。

 

「わ、わた私が有能なんて! とと、とんでもない。友達一人作れない私が、有能なんてありえません。むしろ私なんて……私なんて……」

『まゆっち、そんな卑屈になるなよ! まゆっちは有能だぜ! 炊事洗濯掃除は完璧。一家に一人とは、まゆっちのことだ!』

 

 また一人コントを始める由紀江。

 

「俺が指摘したのはその部分ではないが……まぁできるに越したことはない。そこでだ、黛」

 

 真剣な声色。由紀江は自然と黙り込んだ。怖がることも不気味に思うこともなく、かといって侮ることもなく、ただ一人の人間として黛由紀江を、自分を見ている――そう思った。そして、この先に続く言葉を聞けば何かが変わってしまう気がした。

 変えたくて、変わりたくて、あの場所を飛びだしてきた。しかし現実はそう簡単ではなく、他人と上手くコミュニケーションをとることができない。気づけばいつものように松風と会話しているだけ。

 由紀江は昨日島津寮へ入ったものの。1日は引っ越しの粗品を渡すシミュレーションをやっていたら夜が来てしまい、粗品は結局各自の部屋の前に置くに留まり、しっかりと挨拶できたのは寮母のみ。それもテンパリ気味で自身も何を言ったのか覚えていない。ただ寮母の困った顔だけが印象に残っている。

 入学式の朝も寮の誰とも会話することがなかった。入学係の腕章をつけた先輩は同じ寮であるにも関わらず、自分のことを知らなかった。顔すら会わせてないから当然である。

 

(やっぱり駄目です)

 

 何度そう考えたかわからない。その度に自身を叱咤してきた。変わると決めたのだからと。

 明るい希望はいつの間にか消え去り、代わりに暗闇に自分しかいないイメージが湧きたつ。後ろを振り返れば、幼い自分がぽつんと立っていた。

 それを振り払おうとした由紀江に再度声が掛けられる。

 

「黛! そんな暗い顔をするな。そして俺の話を聞け」

 

 自信に満ち溢れている生徒会長。そして混乱している自分を今もなだめようとしてくれている李と呼ばれるメイド。

 ばっと桜の花びらが舞う。征士郎の銀髪が風に揺れ、九鬼の証であるバツ印が由紀江の目に止る。その姿は堂々としており、まるで一枚の絵画にできそうな光景だった。

 

 九鬼へ来い――。

 

 肌が泡立つような感覚が走った。たったその一言でだ。

 九鬼の噂は実家のある北陸でもよく聞いていたし、ニュースにもなっていた。そして実際にその一人と会ってわかったことがあった。

 魅せられるのだ。その声に。瞳に。笑みに。態度に。雰囲気に。

 征士郎がチラリと視線を移動してまた笑う。

 

「黛の固い表情はどこかの誰かを思い起こさせるな」

「こほん。征士郎様、今そのお話はどうでもよいかと」

 

 李がわざとらしく咳払いをし、征士郎は苦笑した。

 

「あ、ああの……」

「おっと、すまんな。で、どうだ? お前の力を民のために役立てるつもりはないか?」

「お、お話が大きすぎて……」

 

 由紀江はただ友達がほしいだけだった。それがいきなり民のためにと言われても反応しづらい。

 李が由紀江のフォローへ回る。

 

「征士郎様、会っていきなりそれでは、大抵の方はこうなるかと」

「ふむ。確かにそうだな……許せ黛。だが、それだけの力がお前にはあるということは覚えておけ」

 

 由紀江ははいと返事をするが、その声に力はない。そんな彼女を放っておけない人がいる。

 

「もし……何かお困りがあるようでしたら、打ち明けてみてはどうでしょう? 九鬼と関係なく、征士郎様は生徒会長でもあらせられます。相談するのも悪くないと思いますが?」

 

 生徒会長。それは生徒の長を指す。つまり学園の頂点であり生徒からの人気も高いということだ。思い起こせば中学の生徒会長も気さくで人気が高く、友達も多かったことを由紀江は覚えている。

 しかし、そんな生徒会長ですら由紀江に対してはとても遠慮していた。

 

(でもこの人なら、もしかすると……)

 

 由紀江はごくりと唾を飲み込み、意を決して思いを言葉にする。

 

 




 まゆっちって、九鬼のメイド服似合うと思う。束ねた髪を解いてもらって、その手には刀を常備で。

6.23 修正


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6話『小さくも偉大なる一歩』

 

 

『もしお前が自然と笑えるようになったことを感謝しているなら、次はお前が誰かを笑顔にしてやるといい』

 

 李は征士郎の言葉を思い出していた。今もまだ表情が固いことも多いが、昔に比べるとはるかに良くなった。それは同僚にも上司にも言われようやく実感できたことだった。

 それを征士郎に伝え感謝の言葉を述べると上記のように返されたのだ。加えて、俺の力だけではないからなと苦笑された。

 

(次は私の番です)

 

 由紀江の悩みは友達を作りたいというありふれたもの。しかし本人にとっては深刻なものだった。

 友達作りのためまずは会話をと思うのだが、普通に接しようとすればするほど緊張して顔が強張り、口調にもそれが顕著に表れてしまうという。そしてぼっちがピークに達したとき松風という神が降臨し、現在まで彼と二人三脚で人生を歩んできたらしい。

 松風曰く、オイラはまゆっちのマブだからそこのところ夜露死苦、だそうだ。

 聞けば聞くほど他人事とは思えない。李はそこに自分を重ね合わせていた。

 だからであろう。

 

「黛様……いえ由紀江。ではまず私と友達になりましょう」

 

 こんなド直球な申し出をしてしまったのだ。

 由紀江の目も点になっている。

 

『アーユーマイフレンズ?』

 

 松風も突然のことに驚いたのか英語で聞き返した。李も「yes」と律儀に英語で答える。

 由紀江がまたも震えだす中、征士郎が待ったをかけた。

 

「いくらなんでも軽すぎないか? ……いやこれを機に仲を深めれば、それでいいのか」

「そういうことです。由紀江、まずはメアドの交換をしておきましょう」

 

 李はどこからともなく携帯を取り出した。それに合わせて由紀江がのっそりと行動を起こす。どうやら李の言葉によって意識が半分どこかへ飛んでいるらしい。

 しかし、その行動も携帯を開いたところで止った。赤外線のやり方がわからないのだ。それを察した李は優しく丁寧に教えてやり、由紀江もそれに従っている。

 そして無事メアドの交換が済んだところで、由紀江は電話帳を確認し硬直した。

 沙也佳。

 父上。

 母上。

 李静初。

 

「ま、ままままま松風。大変です!! わ、わわ私の電話帳に知らない方のお名前が!!!」

『まゆっち、落ち着け! それは目の前のメイドさんのアドレスだ! たった今、メアド交換という神聖な儀式が行われたんだ!』

「…………ハッ! そそそそうでした。あまりにも簡単にいきすぎて、私はまた妄想の中にいるのかと。……って、すいませんすいません! 一人で勝手に盛り上がってしまって」

 

 またもや目を回す由紀江を李が落ち着かせようとする。

 

(見ていて退屈しない奴だ)

 

 征士郎がそんな風に由紀江を見ていると、落ち着いた彼女もなぜだかこちらを睨んでいることに気がついた。

 

「もしや俺もメアド交換してくれるんじゃないかと期待してるのか?」

『さ、さすが生徒会長。生徒の気持ちを察してる……そこに痺れる憧れるぜ』

「ふむ。……まぁいいだろ。お前なら悪用したりしないだろうしな」

 

 今度は由紀江が一人で赤外線の操作を行うようだ。その手はどこぞの中毒者のように震えているが、確実に赤外線送信へと進んでいった。

 

「と、届け私の想い!!」

「この行為一つとっても、お前の中でどれだけ深刻な悩みだったのかがわかるな。無事受け取った」

 

 そうして由紀江の電話帳に新たな人物の名が追加された。

 余談だが、征士郎の私用アドレスを知っている人間は学園の中でもそう多くない。現に学園内に広い人脈をもつ大和の電話帳にも登録されていないのだ。九鬼という看板に加え、多くの場合は李や九鬼のメイドがくっついている。そのため彼に「アドレス教えてー」などと軽々しく聞くことができないのである。それを成し遂げた由紀江はある意味凄い子であった。

 

「す、凄いです……入学当日から、お二人ものアドレスをゲットしちゃいました。これはやはり、妄想の中なのでは?」

『まゆっち、これは妄想でも夢でもなく、リアル!』

「よかったですね、由紀江。征士郎様にはあまり頻繁にメールなどされては困りますが、その分、私が相手しますので、これから友達の輪を一緒に広げていきましょう」

 

 由紀江の瞳はウルウルしており、ふとした拍子に滴がこぼれおちそうだった。

 

『李さんは、オイラが恋したコノハナノサクヤビメのようなお人やね』

「褒められているのかはわかりませんが、松風もよろしくお願いします」

『オフッ……この丁寧な感じにクールなところ、ますます彼女を思い出すぜ。長らく会ってないけどアイツ元気にしてっかな』

 

 征士郎はしばらく2人と1匹を観察していたが、ちょうど目に留まった人物へと声をかける。由紀江の友達作りは未だ始まったばかり。この調子では同期の中で友を作るのも至難の業であろう。そこで一つ切っ掛けを与えておこうと思ったのだ。

 

「1-C大和田伊予! ちょうどいいところに来た! そうだ! お前だ! ちょっとこっちに来い!」

 

 大和田伊予(おおわだ・いよ)。黒髪をアップでまとめており、おとなしそうな女生徒である。今も急に呼び止められてびくびくとしていた。

 

「あ、あのー……なんでしょうか?」

「急に呼び止めてすまなかったな。俺は生徒会長の九鬼だ。新入生の一人と話していたら、お前が通りかかったんでな。声をかけさせてもらった」

 

 どうやら伊予は征士郎のことを知っているらしい。話を聞くと、川神学園のHPを見たときに彼の写真と名前も一緒に載っていたからだという。

 

「それで、その……私に何の用でしょう?」

「ああ。この新入生、黛由紀江もお前と同じCクラスの人間なのだ。地方から出てきたばかりでな、友がいない。付き添ってやってはくれないか?」

「あ、はい」

 

 伊予は市外から川神学園へと進学した人間で知り合いがこの学園にいなかった。さらに少し寝坊をしてしまい、このままではクラスの中で先にグループができ彼女の入りこめる所がなくなる可能性があった。突然の提案に驚きはしたがこれは彼女にとっても有難いものだった。

 早速、伊予は由紀江のほうに顔を向け自己紹介をした。そして由紀江も挨拶しようとするのだが――。

 

「ま、ま黛! 由紀江ッです!」

 

 思い切り緊張していた。睨みも最高に利いており、口角は上がっているものの間違いなく笑顔ではない。本人はそのつもりであろうが。

 その証拠に伊予の体がびくりと跳ねた。それを見た由紀江は笑顔を作ろうとする中、瞳が悲しそうであった。傍でオロオロと見つめる李はさながら妹を見守る姉である。

 征士郎は由紀江の頭に左手を置く。

 

「大和田、これでもコイツは笑おうと必死なんだ。少し話せばわかると思うが悪い奴ではない。ここで会ったのも何かの縁だ。仲良くしてくれると生徒会長は嬉しい」

 

 そして、征士郎には2人の仲は深まると確信めいたものがあった。

 伊予が頷くのを確認した征士郎は新入生2人の背を押した。

 

「ようこそ川神学園へ。お前たちの学園生活が最高のものになることを祈っている」

 

 大和はそんな光景を見ながら思った。

 

 俺、忘れられてる――。

 

 

 

 □

 

 

 由紀江はよしと気合を入れた。せっかくもらったチャンスなのだ。これを活かすも殺すも自分次第。そしてもう一度喝を入れ直すと同時に、震える携帯に「ひゃっ!」と奇声をあげ伊予に心配をかけてしまったが、そこには2通のメールが届いていた。征士郎と李からである。

 

『飛びだすのは怖いかもしれん。が、案外飛びだしてみればどうということもないかもしれん。踏み出せ。この世にお前を受け入れてくれる人間は必ずいる。だから自信を、勇気をもて。もし自分が信じられないなら、お前を認めているこの九鬼征士郎を信じろ。黛の前途が光で照らされていることを願う』

 

 李の文面も似たりよったりで要は激励であった。文章を打つのが早い。さすがだと変なところを気にしていたりする由紀江。

 チラチラと様子を窺う伊予に、その文面を見せ由紀江は勇気を振り絞る。

 

「あ、ああの……私と、その……おお、お友達になってくれませんか?」

 

 

 ◇

 

 

「申し訳ありませんでした、征士郎様」

 

 2人を見送ったあと李は謝罪の言葉を口にした。主を巻き込み時間をとらせてしまったことについてだろう。

 

「謝る必要などない。李が言った通り俺はここの生徒会長でもある。生徒の学園生活をより良くするのも俺の仕事だ。これで黛が九鬼にも来てくれるなら言うことはないがな」

 

 由紀江は黛流の後継者でもある。そう簡単にいくとも思っていなかった。

 征士郎はさらに言葉を続ける。

 

「それに李が入れ込むのも珍しい。世話を焼いてやりたくもなる。気にするな」

 

 征士郎は大和へと向き直る。

 

「直江もご苦労だったな。時間も迫っている。教室に戻っていいぞ」

「あ、俺の存在覚えておいてくれたんですね?」

「当たり前だ。それから拗ねるなら年上の女性の前ででもやれ。俺にやられても何とも思わん」

「ここには李さんがおられますが?」

 

 大和が李を見つめ征士郎も彼女を見た。

 しかし李は首をかしげるだけだった。

 

「無反応……」

 

 予想外の返しであった。大和はしょんぼりと肩をおとす。

 

 

 □

 

 

 暗がりで2人の男女が顔を寄せ合っていた。それは傍から見ると口づけを交わしているようだった。

 

「ん……征士郎様動かないで下さい」

 

 李が吐息をもらすように囁いた。

 そこは体育館の舞台袖。秘め事にはもってこいの場所であるが、彼らはもちろんやましい事をしているわけではない。

 良く見ると李が征士郎のネクタイに両手を添え位置を調整していた。

 入学式も佳境を迎えもうすぐ征士郎の生徒代表としての挨拶がある。そのために李がこうして傍についていたのだ。

 

「そう細かくやらなくても大丈夫じゃないか?」

 

 征士郎はその両手を回せば抱きしめることもできるほど近づいている李に言った。

 李はネクタイから征士郎へと視線を移す。専属になった頃より数年経過し、彼はどんどん身長が伸び今では頭一つ分ほどの違いがある。

 

「いけません。征士郎様は癖ですぐにネクタイを緩めようとされるのですから」

「父の影響かもしれないな……」

「都合が悪くなると帝様を持ちだすのも良くありませんよ」

 

 まるで帝のせいと言わんばかりに困った表情をつくる征士郎に、李は相好を崩す。

 しかし影響がないかと言われると怪しいものであった。なんせ帝は大事な場では弁えるが、一歩外へ出ればネクタイがその役割を果たしていることはなくなっているからである。

 子は親の姿を見ているというが、こんなところにも少なからず影響を受けているのかもしれない。

 そして李の発言にあった通り征士郎の癖は学園においても出てしまい、気づいたときには彼女が今のように直したりすることがある。その姿は当然ネクタイ着用の生徒たちにも見られているわけで、どこかの筋肉マンやらカメラ小僧を筆頭に男子生徒がわざとネクタイを緩めた状態で彼女の近くをウロウロするという怪現象が起きたことがあった。

 露骨な人間などその状態をわざわざ口に出していたりしたが――。

 

『気づいておられるなら直された方がよろしいかと』

 

 と冷静に諭されていた。だがそれはまだ運が良い方である。

 運の悪い連中は、その言葉を聞いた女性の心を持つ男達やヤマンバ等に「な・お・し・て・あ・げ・る」と迫られたり人気のない場所へ拉致されていたりした。

そして、そんな男共の魂胆に気づいている女子たちは呆れた冷たい視線を送っていた。

 

「完璧です」

 

 李は両手をネクタイから離すと同時に、右手でネクタイの結び目をポンと叩いた。

 

「助かった、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ、ご主人様」

 

 征士郎はいつもと違った呼び方にきょとんした表情を見せ、ついで微笑んだ。

 

 

 ◇

 

 

 征士郎は舞台袖から壇上へとあがり、そこから緊張している新入生たちの顔を見渡した。その後方には保護者の顔が並び、左手には来賓、右手に教師らが座っている。

 

(後輩たちの姿もあるな)

 

 新入生は征士郎の出身中学の者から黛、武蔵、花京院、九条、葛城といった家格の高い者まで様々である。

 それでも去年の1年――つまり英雄たちの入学時よりかは大人しい。あのときは九鬼の息子に、川神の娘、不死川の娘を筆頭に、風間、椎名、葵の子といった粒揃いの年であり前生徒会長は何かと苦労していたことを覚えている。

 

『大学行ったら、静かに生活するよ』

 

 まるで隠居前の老人の言葉だがそれも無理はない。なぜなら、彼がまとめようとしていたのは英雄らだけでなく、その一つ上つまり征士郎の世代も含まれていたからだ。英雄らの世代をその顔ぶれの多さからカオスと呼ぶなら、征士郎らの世代は突出した2人のいる双璧であった。

 

 片や、川神学園学長の孫であり川神流正統後継者。歩く天災こと川神百代。

 

 片や、世界を手中に収めんとする超巨大企業の御曹司である九鬼征士郎。

 

 気を遣うなという方が無理であった。そこに加えてのカオス世代である。

 その彼が全ての業務をやり終え、征士郎に引き継ぎを完了させたときに流した一筋の涙。そこには万感の思いが詰まっていたことだろう。

 

(今年は一体どんな年になるのか……)

 

 この2年間も騒がしくも思い出深い日々であったが、これから過ごす1年はそれに負けない程波乱に満ちたものになるという予感があった。

 




6.29 修正


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7話『学園訪問』

 

 入学式から数日が経過した。

 その日、授業が終わった征士郎はその足で学長室を訪れていた。なんでも学長から話しておきたいことがあるらしい。

 何度か訪れたことがある学長室は落ち着いた重厚ある雰囲気が保たれている。扉を開けてまず目に入るのが、奥に鎮座しているずっしりとした机と黒の革張りの椅子。その背後には大きな窓。そしてその窓の右手にある置時計である。反対側には本棚があった。

 壁には学長直筆で「切磋琢磨」の力強い文字が飾られている。応接のために設けられたテーブルと4つの一人掛けソファは扉から一番手前――つまり征士郎らが入ってすぐのところにあった。

 征士郎はその一つに腰掛け対面には学長が座る。李はお茶の準備を進め、それが出来次第彼らの前へと差し出した。

 

「儂にも李ちゃんみたいなメイドさんが欲しいのう」

 

 川神鉄心(かわかみ・てっしん)。この川神学園の学長であり川神流総代として世界に名を轟かす人物。袴につるりとした頭。シワの入った目元。ふっさりとした白い顎髭とその姿は好々爺そのものであるが、かつてはヒュームのライバルであり、現役を退いた今でもそこいらの武人100人程度なら軽く一捻りできる実力を有する。そして言動からも察することができるように百代の祖父にあたる。

 鉄心は茶を用意してくれた李に礼を述べると早速口をつけた。その彼女も準備が終わると征士郎の隣へと腰を下ろす。鉄心が座るように促し征士郎もそれに同意したからである。

 

「学長にはルー先生がおられるのでは?」

 

 ルー・イー。川神流師範代で鉄心が信頼をよせる中国拳法の使い手である。七三分けにジャージ着用。いつも変なポーズをとっており、それによってなんでも気の流れがよくなるらしい。川神学園では体育を担当している。

 

「征士郎よ。儂は美人なメイドさんが良いのじゃ」

 

 どこかで同じやりとりを行った気がする。

 

「そういうことはあまり生徒の前では言われない方がよろしいかと。学長の威厳が損なわれます」

「大丈夫じゃ。儂クラスになるとむしろ己を曝け出さんと皆が畏れるばかりになる」

 

 鉄心は気づいているだろうか。女生徒の大半がエロ爺と思っていることを。

 いやむしろ鉄心の思惑通り、それは身近な存在として認識されているということなのだろうか。例えそれが悪い方向であったとしてもだ。

 征士郎はドヤ顔で語る鉄心に頷く。

 

「ならば、私から言うことは何もありません」

「うむ。で、なんじゃが……」

 

 鉄心は征士郎から李へと視線を移す。

 

「メイドさんはやっぱりガーターベルトとか付けるのかの?」

 

 学長室の空気が凍る。征士郎の瞳は細くなり盛大なため息を吐いた。言葉は何も発さないがそれが余計に恐ろしくもある。

 置時計の時を刻む音がやけに大きく響く。

 

(血は争えないというやつか)

 

 この質問は既に百代がしたことあるのだ。しかし彼女はまだ女性だから許されよう。

 そして、その隣では李がこれは答えるべきなのかどうなのか迷っていたりする。全く真面目な専属であった。

 征士郎も思わず「おいジジイ」と言いかけるところだったが、寸前でその言葉を飲みこんだ。

 

「学長……」

「じ、冗談じゃ。学長ジョーク、じゃからそのゴミを見るような目つきはやめてくれんか?」

「ならば私が次に言いたいこともお分かりになりますね?」

 

 ちなみに李はガーターも着けている。ロングスカートのため中は見えないが、黒のストッキングも履いているのでそれがずれないようにだ。そして下着もそれに合わせて色は統一してある。

 その色は「決して征士郎が好んで着用するとある色に合わせているわけではない」というのが、ステイシーにからかわれたときの本人の言であった。真実は闇の中である。

 征士郎は茶で喉を潤すと、呼び出された用件について尋ねた。

 

「それなんじゃが3週間後くらいに転入生が一人入って来る予定でな。その親御さんが今日学園に来るんじゃ」

「転入生ですか……入学式に合わせればよかったものを、というのはこの学園で言っても仕方がありませんね。わかりました。それで私はどうすれば?」

「いや、その親御さんが学園をまとめるお主にも会っておきたいと言ってきての。こうしてお主を招いたわけじゃ」

 

 そこで李が「席を外した方がよいか」と問いかけた。

 鉄心が首を横にふる。

 

「いや、李ちゃんはおっても良いぞい。というか、この場所に男3人だけとか儂耐えられんし」

 

 征士郎からも「好きにしていい」と言われた李は立ち上がり、彼の後ろへとたった。

 

「では従者としてお傍に控えております」

 

 「メイドさんいいのう」と呟いた鉄心を征士郎は無視した。

その後ヒュームの様子や百代のこと、既に2カ月をきったクローン組の転入などについて会話を交わす。

 それから10分と経たずして学長室の扉がノックされる。

 

 

 ◇

 

 

 ルーが連れてきたのは2人のドイツ人であった。前を歩く男性は勲章のついた軍服に身を包んでおり、厳めしい顔つきにメガネをかけている。厳格な雰囲気はいかにも軍人らしいものである。

 その後ろに付き従う女性もまた似たような空気を持っていた。血を連想させる深紅の髪に瞳。その左目には黒の眼帯を付けている。軍服こそ地味だが元の容姿が彼女を際立たせていた。

 征士郎は彼らの容姿を見てすぐに誰なのか予想がついた。

 男の名をフランク・フリードリヒ。ドイツ軍中将にして稀代の名将とも謳われるその人。

 女の名をマルギッテ・エーベルバッハ。欧州の神童または猟犬の異名を持つ軍人。

 そのマルギッテだが、征士郎の後ろに立っている李を見た瞬間、瞳を一瞬鋭くさせる。

 

(随分好戦的な性格をしているな)

 

 征士郎はその様子を見て思った。あれは百代が時折覗かせる感情であると。

 互いに自己紹介を済ませ席についた。

 まず口火をきったのはフランクであった。

 

「活気があって良い学園ですね。入って来る情報でも分かってはいましたが、実際に生徒たちの目を見てそれがよくわかりました。ここなら娘のクリスも十分満足するでしょう」

 

 鉄心がそれに答える。

 

「気に入ってもらえたようで良かったわい。中でもこの1年は例年とはまた一味違った年になるからの。娘さんはこの時期に来れてラッキーじゃったと思うぞい」

 

 武神である川神百代。九鬼財閥後継である九鬼征士郎。この2人を筆頭に2年1年と生徒の質から言っても文句なしに高い。互いを磨き合うには絶好の機会でもあった。

 さらにクローン組の転入もあり、それに伴って征士郎からの提案により模擬戦が行われる予定となっている。しかし、今はまだ鉄心の心の内に留められていた。

 その鉄心の力強い言葉に全貌を知らないフランクではあったが、娘の成長につながることを喜んでいるようだった。

 その後征士郎自身の話題にもいくつか触れたが、生徒をあまり拘束するのも悪いとフランクが発言し、最後にマルギッテを少し案内してやってもらえないかと頼んできた。

 征士郎を自身の目で確かめておきたかったというのが本音だったのだろう。

 そして解放された3人だが、学長室から離れたところで征士郎が口を開く。

 

「そうギラついた目をするな、マルギッテ・エーベルバッハ。そんなに李が気になるか?」

「かなり腕がたつと見ました。私と勝負しなさい、李静初」

 

 立ち止ったマルギッテと征士郎らとの間に距離ができる。窓からは夕日が差し込み彼らの横顔を照らした。

 やる気十分のマルギッテだが、李はそれに応える様子はない。

 

「マルギッテ様と勝負する理由がありません」

「逃げるのですか? 九鬼従者の名が泣きますよ?」

「どう捉えていただいても構いません。ただしそれは九鬼従者ではなく、私個人のことですので」

「ならば……」

 

 マルギッテはそれだけ呟くと右足に力を込めた。

 そこで待ったをかけたのは征士郎であった。相手は九鬼従者とはいえ、一方的に攻撃をしかけるというのは九鬼に弓引く行為と同じ。その場合こちらもそれ相応の態度を示すことになると。

 しかし、マルギッテの戦闘衝動は収まらないようだった。事情は理解したが、これをぶつけることができないことに酷く不快感を抱いているらしい。

 

「合意があれば構わんのだ。李、お前の力を俺に見せてくれないか? 序列も上げさらに強くなったと聞いている。どうだ?」

 

 李はすぐさま了承した。今なお磨き続けている武は、全て征士郎という御身を守るためのもの。九鬼には序列という分かりやすい指標があるが、戦闘以外のものによってもその評価が変わるため、自身が強くなっているという証明にはなりにくい。

 しかし、目の前にいるマルギッテは猟犬の名が示す通り数々の戦場を駆け抜けてきた強者である。加えて、李はあずみからその名を聞いたことがあった。

 自らの武を進んで誇示しようとは思わないが、主に評価されるならこれ以上の幸福はない。

 

(少し自分を試してみたい)

 

 そういう気持ちがないと言えば嘘になる。九鬼従者部隊における高みはまだまだ上だ。その頂点に立つのはヒュームであるのだから当然であるが、自分が今どの辺りにいるのか。どれほど通用するのか。主を守り切るだけの力がついたのか。確かめてみたかった。

 

「お相手致しましょう」

 

 李は左足を前へ出すと半身になった。

 

 

 ◇

 

 

 征士郎は目の前で繰り広げられる戦いに感心していた。自身の専属が負けることなど微塵も考えなかったが、まさか圧倒するほどとは思わなかったのである。

 鈍い音が数度征士郎の耳に届く。李の放った突きがマルギッテに刺さっていた。

 両者が再び距離をとったとき、マルギッテが一瞬顔をしかめた。それとは対照的に李は普段通りの涼しい顔のまま。しかしその双眸は相手の一挙手一投足を見逃すまいと見つめたままである。

 マルギッテが激しく吠える。

 

「ふざけているのですか!? 貴様の動きを見れば分かる。獲物を使うのでしょう! なぜ使わない!?」

「それはあなたもでしょう? その腕に仕込まれたトンファー。使いたければ存分にどうぞ」

「Hasen Jagd!!」

 

 再び吠えるマルギッテは両腕からトンファーを取り出しその柄を握った。低い姿勢から接近する彼女はまるで赤い蛇のよう。そして、その鋭い牙を相手に突き刺そうと大口を開ける。

 フェイントを挟み、それゆえに彼女の髪が大きくうねる。李はピクリとも動かない。

 とった。マルギッテがそう感じた瞬間であった。左腕を振り切り、李の首元にトンファーが入ったはずだったのだ。避けることなどできない距離。そのはずだった。

 

 まるで亡霊――。

 

 数えきれない人数を沈めてきたトンファーは、李の体をすり抜け空を切る。その威力を物語るように風切り音がうなった。だがそれははずしたという何よりの証拠。

 マルギッテの瞳が大きく見開かれた。何が起こったのかと。目の前にいたはずの李は既に消え去り、跡形もなくなっている。その気配さえ感じられない。

 そんなマルギッテの左耳に李の静かな声が届く。

 

「私の武器は大っぴらに使うものではありませんので……」

 

 そのときになってようやく李の存在を再認識できた。彼女の手にあるのは匕首。

 一瞬だった。そこから李は突きだされたマルギッテの左腕を背中へとねじり上げ、同時にそれを首元へと押しあてたのだ。このまま滑らせればそこに血のシャワーを降らせることができる。勝敗は決した。

 硬直する2人。いや、この場合マルギッテが硬直せずにはいられなかったという方が正しい。

 

「見事だ、李!!」

 

 征士郎の声が響くやいなや、李は暗器をしまいマルギッテの拘束を解いた。彼は言葉を続ける。

 

「そしてマルギッテよ……これで少しは満足できたか? ちょうどお迎えも来たらしい。いつから覗いておられたのか……まぁいい。もう会うこともないかもしれんがさらばだ」

「失礼致します、マルギッテ様」

 

 2人はそう言い残しマルギッテに背を向ける。彼らは歩きながらも先の戦いに対する褒美について話していた。征士郎が「何が良いか」と問い、李は「お褒めの言葉だけ十分です」と返している。主従関係は至って良さそうである。

 結局、征士郎に押し切られた李は小声で何やらお願いしていたが、彼は怪訝な表情を見せ「そんなことで良いのか」と聞き直していた。「十分です」と答えた彼女の頬は少し赤みを帯びていたようだが、マルギッテに見えるはずもなく、また征士郎でも夕日のせいでそれが分からなかった。

 

「お見苦しいところを見せてしまいました。申し訳ありません」

 

 マルギッテは現れたフランクに向かって謝罪した。

 

「勝敗は兵家の常という。これも一つの経験だ、マルギッテ。君ならこれを糧にさらなる成長を遂げてくれると私は信じているよ」

「ありがとうございます。必ずや!」

 

 マルギッテ自身かなりの負けず嫌いである。必ずリベンジを果たすと心に誓っていた。

 

「しかし相手も強かったな。李静初……だったか?」

「はい。さらに中将閣下もお気づきであると思われますが、あの者の本領が発揮されるのは暗殺でしょう。しかしこの私と真正面から拳を合わせてきた……こちらもかなりの修練を積んできたと思われます」

 

 マルギッテの予測通り、李は専属となった頃よりたびたびヒュームの下で近接格闘における実戦経験を積みあげてきたのだ。数年かけて取り入れられるもの全てを吸収すると言わんばかりの集中は、確実に実を結び始めていた。それを可能にしたのは李の才能と呼べる異常なまでの集中力と器用さであった。

 加えて、そんな相棒の姿を見てステイシーが触発されないはずがない。負けていられないと対抗心を燃やして日々鍛錬に励んでおり、ヒュームもそれを歓迎しているとのことだった。以上、余談である。

 果たして暗殺を仕掛けられたとき、自身はそれを防ぐことができるのか。マルギッテはそう考えたとき背筋に冷たいものが走る。それと同時にふつふつとマグマのように湧きあがって来る何か。

 

(李静初、貴方を認めましょう)

 

 マルギッテには分かる。李がどうしてあそこまで力を伸ばすことができたのか。自身にも必ずや守り通すと決めた人がいるからだ。それが彼女にとっては九鬼征士郎なのだろう。

 どういう経緯を辿ったのかは知らないが彼女もまた良い主に巡り合えたということだ。

 

(李静初、その主の九鬼征士郎……そして川神学園か)

 

 マルギッテは再度征士郎らが姿を消した廊下の先へと目を向ける。それを見ていたフランクは何か考え込んでいるようだった。

 それから2日後、学長の口より「転入生は1人から2人になった」と征士郎は聞かされることとなる。

 

 




原作とは色々変えています。

7.6 修正



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8話『夢の続き』

 

 

 マルギッテと別れた後、征士郎らを校門近くで待っていたのはステイシーであった。

 

「おかえりなさいませ、征士郎様。少しお時間がかかったみたいですけど何かあったんですか?」

 

 ステイシーが後部座席の扉を開きながら問いかけてきた。

 転入生の親がフランク中将であったこと。その付き添いに欧州の猟犬がいたこと。そして李が彼女と手合わせをしたこと。征士郎はそれらをかいつまんで説明した。

 運転席に乗り込んだステイシーはエンジンをかけるためキーを回す。

 

「へぇー猟犬ですか。その名前をここで聞くとは思いませんでした。……で、李はきっちり勝ってきたんだろうな?」

「征士郎様の前で無様を晒すなどありえません」

 

 きっぱりと言い切った李の言葉に、ステイシーは笑みをこぼす。やはり相棒の勝利は嬉しいらしい。

 

「へへっ、それでこそ私の相棒だぜ。でもこれから大変かもな。猟犬は執念深いことでも有名だ。再戦申し込まれるかもしれないぜ?」

「どうでしょう? こちらは日本、あちらはドイツ。今回は付き添いで来られただけのようですし会う機会もそうないのでは?」

 

 李が首をかしげた。それに対してステイシーは数度舌を打ち、首を横に振る。

 

「甘いな、李。まるで炭酸の抜けたコーラのように甘いぜ。フランク中将と言えば親バカでも有名なんだよ。なんせ娘の誕生日に軍を動かして祝うようなクレイジーっぷりだ。その何よりも大切にしている娘を日本に一人置く……放っておくと思うか?」

「なるほど」

「さらにだ、猟犬もそれに影響されてか知らないがその娘を宝のように扱ってる」

 

 もしかしたら猟犬をそのまま一緒に転入させてきたりしてな。ステイシーはそう言ってニシシと笑う。征士郎はそれを中々面白い予想だと褒め、李はまさかという表情を作っていたが結局軽い冗談だとして流していた。

 話はそこからフランクの強さへと及び、彼の率いる部隊のことにまで至った。

 フランクに関係する話が一段落ついたところで征士郎はあることを思い出す。

 

「そういえば、李は最近マープルにも教えを請うているらしいな」

「はい。マープル様の知識や経験は有用なものが多いですから。計画が露見してから数名ではありますが、若手従者との交流もされるようになりました。そのときに私からお願いを」

 

 それを聞いたステイシーは、「よくやるぜ」と呟いた。彼女にとっては、老人達の中でも頭脳派であるマープルとは特に馬が合わないらしい。

 

「それならまだヒュームの爺と殴り合う方が数倍マシだ」

 

 征士郎がその言葉に感心する。

 

「あれだけ絞られながらもまだヒュームの方がマシか。頼もしい奴だ。ヒュームがそれを聞いたら喜ぶぞ」

「あのー征士郎様……今の聞かなかったことにしてくれません?」

 

 それに答えたのは李であり「では毎日ギャグ10個聞いてください」と対価を示した。

 

「てめぇには頼んでないだろ!! しかもギャグ10個って……笑えねえギャグを聞くこっちの身にもなれや!」

「今度のものは自信があります」

「李、その言葉……私に言ったの何回目か覚えてるか?」

「覚えてません」

「そうだろうな! それくらい何回も言ってんだよ! その度にお前は打ちのめされてきたってのに……」

「めげない所も私の良い所だと征士郎様は褒めてくださいました」

 

 えへんと李は少し胸を張る。もっともその姿はステイシーには見えていなかったが。

 

「征士郎様ぁー!! 言っちゃなんですけど余計なこと言わないでくださいよー!! 被害受けるの大概私なんですから!」

 

 うがーっと吠えるステイシー。そして征士郎へと助けを求める。

 征士郎は苦笑しながらもそれに応えてやることにした。

 

「李、ここで一つギャグを言って俺かステイシー……どちらかを笑わせたら、そうだな、俺も毎日聞いてやろう。その代わりに駄目だったら今回は諦めろ」

 

 あっさりと頷いた李は本当に自信があるようで既に準備は万端だった。対するステイシーは何がなんでも笑うつもりはないのだろう。「よし、こい!」と気合十分である。ハンドルを握る手も力が入っていた。

 

(面白い従者たちだ)

 

 征士郎自身、従者の中でもこの2人を特に気に入っていた。なんだかんだ言いつつ仲の良い2人であるため、見ているだけでも楽しくまた癒されるのだ。

 李は咳払いを一つして「いきます」と真剣な顔を作る。先のマルギッテとの戦いを彷彿とさせるような緊迫した空気が車内を包む。

 

「今日はビールをあびーるほど飲みましょう」

 

 ビールをチョイスしたのはドイツつながりだからだろう。

遠くからパトカーのサイレン音が聞こえた。どこかで事件が起こったのかもしれない。

 ステイシーが「この街で警察官見た事ありますか」と征士郎に問う。彼は「存在は聞いたことがある」と答えた。先の張り詰めた空気はどこへやら、いつの間にか日常会話へと移行していた。

 李も辛抱強く笑いを待っていたが、そのときが訪れることはないと悟りしゅんとしていた。

 今回の件、見送りが決まった瞬間であった。

 

 

 ◇

 

 

 その夜、征士郎が書類を片づけて部屋を出ると声がかかった。

 

「兄上、ただいま戻りました!」

 

 その声は可愛いものではなく低い男のもの。

 

「おかえり、英雄」

 

 征士郎の振り向いた先には弟が立っていた。

 九鬼英雄(くき・ひでお)。逆立てた短い銀髪に力強い瞳。額にバツ印があるのはもちろんだが、彼は他の兄妹に比べ肌が日焼けしており黒い。おそらく常時日光のあたる場所にいるからだろう。

 征士郎はちょうど夕食をとるところであったため英雄を誘う。

 

「おお、いいですな! 兄上とともに夕食など久しぶりです」

「そういえばそうだったな。お前は練習漬け。俺は俺でご飯時が不規則だからな」

 

 中学で全国制覇をも成し遂げたスーパールーキーは、強豪校からの誘いがあったにも関わらず「一から甲子園を制覇してくれる」と豪語し、兄のいるこの川神学園へと入学してきたのだ。武道で知られている川神学園だが、スポーツ関連の部活動もそれなりに結果を残している。しかし野球部に関して言えばお世辞にも強いとは言えなかった。

 そこへ乗り込んできた英雄は、当然1年生ながら投手で4番を務め、その夏、地区大会の準決勝まで駒を進める立役者となった。もちろんそれは英雄の力だけではない。彼の女房役である山田、熱血漢で怪力自慢の荒木、俊足のお調子者である丸井といった小学あるいは中学からの仲間が、彼のもとへと集ったことも大きな原因であった。

 1年生の多くが活躍し地区大会に旋風を巻き起こしたことで、川神は一時期大いに湧き地方紙でも取り上げられたほどである。

 そして今年、春季大会への出場キップを手に入れた川神学園は、学園創設以来初めてとなる甲子園出場を果たし優勝を狙いに行くところであった。

 もちろん全てが順風満帆だったわけではない。部内でも問題が起こったこともあった。

 しかしここ川神学園には、他の学校にはない決闘というシステムがあったことが幸いした。

 文句があるなら野球において勝負する。敗者に文句を言う資格はないということであった。これによって先輩後輩の対立など一気に解消し、納得のいかない者はそのまま去っていった――こういう具合である。

 実力を示せば認められる。それにしても英雄などは彼の個性とも言える超絶俺様主義がさく裂していたが、そこは昔からの仲間もフォローがあり、何より勝利という結果を出し続けたのが大きかった。

 加えて英雄のカリスマ性もあったのだろう。時に鼓舞し時に叱咤し、常にチームの先頭をきる彼の姿に惹かれるものがあったと思われる。

 そんな英雄の下に残ったメンバーたちは、今年の夏に本気で全国制覇を目指している。

 征士郎と英雄は隣同士に座り、あずみと李がそれぞれの主へと配膳していく。

 

「やはり、こうやって家族と夕食を囲むというのは良いものですな」

 

 英雄の表情は明るい。征士郎も似たように柔らかい表情をつくっている。

 2人とも育ちざかりの高校生のため、夕食もどんどん平らげていった。

 

「父さん、母さん、姉さんは忙しいし、俺も時間が中々合わないからな。紋も一緒に食べられるとよかったのだが……」

「今頃は京都でしょうか」

「多分な。ところで英雄はどうなんだ? 気の早い新入生などは練習に参加していると聞くが?」

「はい。即戦力となりそうな者が2人ほど、あとの者も鍛えれば十分に戦力となりうるかと。選抜も近いです。我は今からまだ見ぬ強者との戦いに胸が躍るばかりですぞ、兄上!」

 

 浮かれてケガしないようにしろ。征士郎は爛々とした瞳で語る英雄を諌めた。

 力強く返事をした英雄が問いかける。

 

「兄上のほうはいかがです? 腕のお加減は?」

 

 英雄は時々こうやって征士郎の体に気を遣う。いや気を遣わないことなどできるはずもないのだろう。英雄らを守った代償が征士郎の片腕であったのだから。

 もちろん征士郎は英雄に言った。気を遣う必要はないと。

 そしてそれは紛れもなく本心であった。なぜなら征士郎は成長した今になって思う事があったからだ。それは腕を失くしたことで、大切なことに気づくことができたということだった。

 征士郎に腕を授けてくれた海経。その腕の製作に関わった数十人に及ぶ技術者。見守ってくれた家族。支えてくれた従者。命を繋いでくれた医師。病室での看護を行ってくれた看護師。何度も見舞いに来てくれた友。果てはリハビリ中応援してくれた老婆など。

 多くの人間が征士郎に関わり、それによって生かされているということ。

 事件が起きる前までは、ただ漠然と将来九鬼を継ぐのだと征士郎は思っていた。彼自身、それでいいと思っていたし多くの従者を連れて歩く父の姿をカッコイイと憧れていたからだ。そのまま成長していてもその地位は与えられたかもしれない。

 

 しかし征士郎はその気付きを経て、自らの意思で九鬼の後継となることを決意した。

 

 今度は自身が多くの人間と関わりその者達を活かしていく。

 そのことが何か違いを生むのかどうかわからない。評価できる者がいるとしたら、子や孫またはその子孫たちだろう。

 腕一本で英雄と幼子の命。そしてその決意を手にすることができたのだ。

 

(安いものだ)

 

 だから、征士郎はいつものように笑って答えることができる。

 

「問題ないよ」

 

 英雄はその言葉に大きく頷いた。

 普段より賑やかな食事が続く。

 

 

 ◇

 

 

 英雄は鏡の前でフォームのチェックを行っていた。

 片足を上げ、軸足一本でしっかりと姿勢を正し、腕を振り抜くときは腕を引きすぎないように注意する。そして踏み出した足と同時にスムーズに前方へと体重を移動させ、その間に腕を振り抜く。

 利き腕に握られたタオルがパンッと乾いた音を鳴らした。最後までフォームを崩さないよう意識を集中させる。

 基本に忠実に――それを何度も何度も繰り返す。

 

(まずは春の選抜。……見ていてください、兄上)

 

 自分はプロへと進みメジャーを制する。

 幼い頃、英雄は自身の夢を征士郎へ話したことがあった。兄である彼は笑ってその夢を応援し――。

 

 そして文字通り身を挺して、それを守ってくれたのだった。

 

 感謝している英雄だったが一つ知ってしまったことがある。それは征士郎が自身の腕を失くしたことで、英雄を野球へと縛ってしまっているのではないかと不安を抱いていることだった。

 

『英雄は楽しんで野球ができているかな? 俺のせいでやりたい事がやらなければならない事になっていないかな?』

 

 入院中の征士郎が、局と会話している中でポツリと呟いた言葉である。征士郎がそのことを口にしたのはたった一度きりである。英雄はそれを偶然聞いてしまったに過ぎない。

 征士郎に言わせれば、英雄には他にも無数の道が開かれており、それこそ九鬼を背負い繁栄に導く未来も可能性もあった。だが不幸にも、あの事件が英雄の道を一本に絞ってしまったのではないか。

 征士郎は助けられたことを安堵しながらも、心の片隅にはそんな後悔があった。

 それを聞いた局は優しく諭すように「英雄は心から楽しんで野球をやっている。母の言葉を信じ、今まで通りあの子の夢を応援してあげなさい」と元気づけた。

 そのときに飛びだして気持ちを伝えておけばよかったが、英雄は兄がそんなことを考えていたなんて知らなかったためその場に固まってしまったのだ。

 自分のことよりも他を気にかける。大変なのは腕を失ってしまった征士郎のはずなのに、この期に及んでも弟である英雄の心配である。

 それ以来、英雄の心にはそのことがまるで小さな棘のように刺さったままだった。

 

(テロが起こったあの日、兄上が身を挺してくれなければ、我はこの場にいなかったかもしれない)

 

 英雄はタオルの握られている右手を見つめる。あの日征士郎が抱いた気持ちも助かった今だからこそ考えられることだった。

 英雄はあの地獄を今でも鮮明に覚えている。いや忘れようにも忘れられない。そして忘れるわけにはいかなった。

 炎があちこちで燃え上がり、息を吸い込もうにも煙が邪魔をして上手に呼吸ができない。揺れる足元に、自身の腕の中で泣き震える幼子。そして倒れ伏し身じろぎ一つしない人々。華やかなパーティ会場は一瞬にして様変わりしていた。

 英雄は爆風で吹き飛ばされあちこちに擦り傷を負っていた。傍についていた従者の姿は見えない。そして何より気がかりだったのは、自分のために料理を取りに行ってくれた兄の安否であった。

 大丈夫だ。英雄が幼子に繰り返すその言葉は自身に言い聞かせ、さらには奮い立たそうとするために呟いていたのかもしれない。

 そして運命の瞬間が訪れた。天井の崩落である。無傷であった征士郎はそれにいち早く気づき駈け出していた。彼もまた英雄を探していたのだ。

 英雄が兄の声を聞いたとき、彼は既に突き飛ばされていた。英雄の瞳に映ったのは兄のほっとした笑顔。だが、その笑顔が一瞬にして灰色に塗りつぶされた。

 

 征士郎が助けに入らずとも英雄と幼子は無傷であったかもしれない。父譲りの豪運があるのだから。

 

 もしくは英雄自身が身を挺して幼子を守りきったかもしれない。たとえ何かを犠牲にしてでも。

 

 しかし、これらは全て仮定の話である。

 あの瞬間、征士郎は2人を突き飛ばし、その結果彼の左腕の上に天井の分厚いコンクリートの塊とともに吊り下げられていたシャンデリアが落下した。

 たった数センチ。その数センチずれていたら征士郎の命はその場で消えていた。この辺り、九鬼の豪運とも呼べるものが作用したのかもしれない。

しかしそれでも、うめき声をあげる征士郎は重体であった。生々しいどす黒い血が床を染め上げ、あちこちで燻ぶる炎が照明となりテラテラとそれを妖しく反射させる。

 このままでは兄が死ぬ。そう思った瞬間、英雄の体は動きだしていた。自身で助けることができるのはせいぜい抱えている幼子のみ。非力だった。助けを呼ぶ以外に方法がない。

 それも仕方がないだろう。なぜなら英雄もまた未だ子供といって差し支えない年齢だったのだから。

 意識のある者はいないか。大声を出す英雄は、せめて生存者がいないかを確かめながら歩を進める。

 その声も無人と化した空間の中に空しく響くだけだった。さらに声を張り上げようと息を吸い込めば、たちまち煙が喉へと張り付き咳き込んでしまう。しかし声をあげるのをやめない。

 気を抜けばぼやける視界。耳に届くのはパチパチと爆ぜる音。腕に感じるものは生命の重み。

 

 この子と兄を助けられるのは自分のみ。

 

 ともするとそこへ座り込み休みたくなる。そんな自分を叱咤し、声をあげ意識を保とうとした。

 今になって思えば、出口へと辿りつく頃にはほぼ意識がなくなりかけていたようだ。ただ眩い光が灯る方向へ足を進めていた。そこに希望がある、なんとかなると信じて。

 そして、最後に見た光景は黒い人影。

 

「我は無事である。兄上を……そして民や部下を助けてやってくれ!」

 

 それだけ伝えると英雄の意識は闇へと落ちていった。

 次に英雄が気がついたのは病院のベッドの上。飛び起きると同時に傍にいた人間に兄のいる病室を聞き、すぐさま駆けだした。起きてすぐの全力疾走ですぐに息があがるがそれに構っている暇はない。

 辿りついた病室の前には局と揚羽が座っており、そのドアには面会謝絶の立て札がかかっている。英雄の心臓は酸素を巡らそうと大きく跳ねあがり、息は荒々しくなっていた。そんな彼に息が整うのを待つ余裕はない。一刻も早く兄の姿が見たかった、その笑顔が。一度唾を飲み込みドアへと手をかける。後ろから母の声が聞こえたが無視をした。

 心のどこかではわかっていた。立て札を見た瞬間にも尋常ならざる事態なんだと。しかし、どうしても希望を捨て切れなかった。自慢の兄は憧れであり無敵だと信じていたから。

 

 それら全てを打ち砕くかのように、その扉の向こうには無数の管につながれた兄の姿があった。

 

 手術は成功したが予断は許さず、あとは本人の気力次第。背後から掛けられる姉の言葉がどこか遠くに聞こえていた。

 病室の中が暗い。今は夜なのだと英雄はそのとき初めて気がついた。ひんやりとした感触が足元から感じられる。スリッパを履いていないせいであった。乱れていた呼吸が次第に静まって来る。

 後ろを振り返れば、うろたえた姿を見せたことがない母が両手で顔を覆っている。湧き上がる感情をどうしても押しとどめることができないのだろう。すすり泣く声が漏れていた。

 周囲に広がる暗闇はまるで英雄らの心を表しているかのようである。

 

「我の兄上がこの程度死んでたまるか!! 兄上は死などに屈さぬ!!」

 

 英雄は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。纏わりつく不安を吹き飛ばしたかったのだ。

 静まりかえった病室。そして廊下へと英雄の声が響き渡る。だが無情にも、それすら闇が吸い込んでしまったかのようにまた静寂が場を支配した。

 

「ああ……ああ。その通りだとも。征士郎は……必ず勝つ。我の自慢の弟だ」

 

 英雄の背がふいに温かくなった。姉が自分を抱きしめているのだと思った。その声は震えていた。

 英雄は拳を強く握りしめ、唇を噛んだ。そうでもしないと瞳からこぼれおちそうだったから。もう戻って来てくれないと思う気持ちを認めてしまいそうだったから。ただの意地だ。

 

「フハハハッ! 我は……信じておりますぞ!! 再びお元気な姿を見せてくださると!! だから母上泣かれるな!! 兄上なら大丈夫ですぞ!!」

 

 英雄は母に向かって無理矢理つくった笑顔をみせる。

いつの間にこんなに人が集まっていたのか。集まった従者たちで廊下が埋め尽くされていた。彼らの多くは顔を歪ませ、中には涙する者もいる。

 愛する者達を置いて行ってしまうような人ではない。英雄はその光景を見てより強く思う。

 

「皆の者も心配するな! そのような顔をしていては兄上に笑われるぞ!」

 

 後で聞いた話だが、父である帝は征士郎と英雄の病室を見舞ったあと、その事件の首謀者であったテログループの掃討にとりかかっていたらしい。

 それに随伴した従者が語る。「あのような帝様は初めて見た。味方であるはずの自分ですら背筋が凍ったようだった」と。

 

(それから2週間後、兄上が目を覚まされた……)

 

 専属となったあずみからの報告を聞いて急いで病院へと向かった。征士郎は山場を越え病状が安定したところで、日本の葵紋病院へと移送されていたのだ。

 病室の前に待機していたヒュームが、英雄の姿を見るなりゆっくりと扉を開ける。彼の耳に懐かしい笑い声が届く。たった2週間、されど久々に聞こえたその声に心底安堵した。

 日の光が差し込む病室のベッドの上で、征士郎が微笑んでいた。傍には揚羽と局の姿がある。皆が笑顔であった。

 

「おう、英雄。無事でよかった」

 

 それはこちらの台詞だ。英雄はそう怒鳴りたかったが言葉にならなかった。

 2週間――これほど時を長く感じたことはない。医者の言葉を信じていないわけではなかったが、日々なんの変化も見せない兄。その隣に設置されたバイタルサインだけが、正常だと、生きていると示している状態だったのだ。

 

「兄上も……ご無事で何より!」

 

 英雄は笑いながら泣いた。成長してからこのかた涙を流したことなどなかった彼が。

 そんな英雄に局が慌てて駆け寄り、揚羽はいつものように豪快に笑う。

それから間を置かず帝が余裕綽々といった様子で訪ねてきた。しかし、その額には汗が浮かんでいた。

 皆が集まったところで征士郎のなくなった腕について話し合われる。そして、それについてはすぐに決着がついた。

 

「いい機会ですから義手の開発を海経に頼みたいと思います。クッキーの改良にも役立つでしょうし、俺が付ければフィードバックも容易いです」

 

 帝は征士郎の提案を許可した。義手の開発が進めば低コストでの実現も可能となるだろう。ひいては手足を失った人々にも提供しやすくなる。

 嬉しそうに笑う帝が少し乱暴に征士郎の頭を撫で、局がそれを注意する。

 英雄は改めて征士郎へと感謝を告げた。もっとも征士郎は――。

 

(弟を守るのは当然だと一笑されてしまったが)

 

 自身がどれだけ感謝しているか。

 

(示してみせます……)

 

 自身が好きな野球をやれて今どれだけ幸せか。

 

(そのためにまず優勝旗をこの手に)

 

 そして優勝旗を手にした上で兄に伝えたいのだ。

 

(我が好きな野球を続けられたのは……ここに今立てているのは兄上のおかげだと)

 

 あの日のことを知らない征士郎はきっと大げさだと笑うだろう。お前が頑張ったからこそ、そこに立つことができたのだと。

 それでいい。だが有り余るほどの感謝を伝えておきたいのだ。尊敬する兄へ。命を救ってくれた恩人である兄へ。どこまでも優しい兄へ。それこそ全国放送、さらには世界中の放送を通して。これはただの自己満足。

 プロそしてメジャーを目指し、末は野球を含めスポーツ振興に尽力していく。

 英雄が野球へとのめり込んだのは打者との真剣勝負、勝つことの楽しさ、負けることの悔しさ、優勝旗を手にしたときの達成感などいろいろあるが、何より自身のプレーが笑顔を生むことができると知ったからだ。

 小学生の頃、草野球での試合。兄と姉が応援に来てくれたその日、英雄は初めてノーヒットノーランを達成し、2人が弾けるような笑顔をして自身を褒めてくれたことがあった。他の観客も湧いていたが、英雄の覚えていたのはその多くが笑顔だったことである。

 

(兄上が守って下さった夢を通して、民を笑顔にしていく)

 

 英雄の夢は続いている。

 

 




高校球児、九鬼英雄。
ひとまずの通過点は甲子園優勝。

7.12 修正


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9話『九鬼従者2』

 

 

「よし、終わった」

 

 征士郎はパソコンに打ち込む手を止めるとぐっと背伸びをした。そして、なんとか日付が変わる前に終わらせることができたことに安堵する。気の緩みからか小さな欠伸が出た。

 

「休憩はこちらでなさいますか?」

 

 李はお盆にのせた湯のみを持ったまま征士郎に問いかけた。こちらというのはソファのことだ。

 征士郎はそれに頷くとソファへと移動し、豪快に座り込んだ。それを優しく受け止めるソファは黒の革張りであり、照明の光を受けてツヤめいている。その手前にはガラステーブルがあり汚れどころか指紋ひとつ付いていない。下には少しの毛の長いグレーのラグが敷いてある。

 征士郎の部屋は、九鬼本部に設けられている客室に良く似たモダンな雰囲気でまとめられていた。しかし、そこよりかは幾分広い造りとなっている。

 壁に掛けられたテレビの右上に時計。それらの下には収納棚がある。寝室はまた別に区切られているためこの場所からベッドなどは見えない。当然、風呂やキッチン、トイレなども完備されている。

 ぐでっとしただらしない姿の征士郎は、李から湯のみを受け取りずずっと啜る。このように一息つく彼の姿を見られるのは家族を除けば李だけであった。

 24時間365日気を抜かないでいられる人間など存在しない。そういう意味では、リラックスした表情を気兼ねなく見せてくれる主を李は嬉しく思っている。

 

「お茶がこぼれてしまいますよ?」

 

 しかし一応注意もしておく。それを聞いた征士郎が左手に湯のみを持つ。すると間をおかずして手首から先――つまり湯のみを持っている部分のみが伸びた。それは機械の左腕だからこそ行える芸当である。

 きっと初めて見た者がいればぎょっとするに違いない光景。しかし李はそれに小さくため息を吐いただけであった。それだけ何度も目にしたシーンであるということだった。

 

「改良が進むにつれて、俺がどんどんダメ人間になっていく可能性を孕んでいるな」

 

 テーブルに湯のみを置いたところで、征士郎はむむっと眉を顰めるとそんなことを言った。

 

「そのときは私が責任をもって矯正いたします」

「頼もしいな、李」

「お任せください。そういう類の道具も扱えますので」

「さすがだな……そして、それらをどう使うのか怖くて聞けん」

 

 征士郎は体を起こすと湯のみを掴むために右腕を伸ばす。次は横着をしない。

 

「大丈夫です。痛みもなくそのときのことも覚えてはいないでしょうから」

「横着をしないよう、今から俺に脅しをかけているのか?」

「まさか。これも征士郎様のためを思えばこそ……決して高性能な左腕を怠けるために使うなんて、などと考えたりしていません」

「後半本音だな。だがそんな毒あるセリフを吐けるくらいお前と俺の距離は近いということだ。悪くない」

 

 征士郎は嬉しそうに笑った。それに対して李は困った顔をする。どう反応してよいかわからなかったからだ。

 征士郎はそこで李のお願いがあったことを思い出し立ち上がった。彼女は突然立ち上がった主に「どうかされましたか」と問う。

 

「お前の願い事を叶えておこうと思ってな。あやうく忘れるところだった」

 

 その言葉を聞いた李はあっと声を出す。本人もその事を言われて思い出したらしい。

 

「このタイミングで、ですか?」

「うむ。別に変ではなかろう?」

「確かに……そうですが。やはり改めてしてもらうというのはなんだか気恥かしいというか」

 

 正面に立った征士郎を前に李はソワソワし始める。そんな従者の気持ちを無視して、彼は願いを叶えるため動いた。

 李は再度あっと声を漏らす。それと同時に硬直し目の前で微笑む征士郎をじっと見つめた。

 

「今日は見事だったぞ。さすが俺の専属。それに随分実力をあげたのだな。並大抵のことじゃなかったはずだ。俺のため、と少し自惚れているがこれからも我が身を頼む」

 

 征士郎はじっと見つめてくる李の視線から目を外すことなくそう伝えた。彼の右手は彼女の頭にあり慈しむように撫でる。

 李の願い。それはいつか何の気なしに征士郎が彼女の頭を撫でたことがあった。それをもう一度してほしいと言ったのだ。あのとき急かされたため、パッと思いついたのがこれであった。

 もう少しなにかあったのでは。同時に、李は自身が口走った言葉で羞恥の念にかられた。しかし、今となってはそんなことどうでも良くなっている。

 しばらくぼーっとしていた李だが、征士郎の呼びかけによって意識が覚醒した。

 李は征士郎から一歩離れ「すいません」と慌てて頭を下げる。そのスピードたるや残像を残さんとするほどだった。そして顔は赤く染まっていたようだ。鏡で確認したわけではないが頬に火照りを感じる。いつからそうなっていたのか自身でもわからない。

 昔、英雄に褒められたあずみを見て、どうしてあんなに喜べるんだろうと不思議に思っていたが、今の自身を思い返せば到底他人のことを言えた義理ではない。

 

(さすがに、きゃるーん……とは言いませんが)

 

 突然李がこの単語を口にすれば征士郎は一体どんな反応をするだろうか。見てみたくもあったが、反応が予想できないだけに怖くてやれない。

 芸人としては勇気が足りないと言ったところでしょうか。李は内心悔んだ。

 火照りが治まったところで李が頭をあげる。

 

「わざわざ願いを叶えてくださってありがとうございます」

 

 そして李はまた頭を下げようとしたが、それを征士郎に制止される。

 

「そんなに頭を下げるな。これくらい容易いものだ。というかこれで本当によかったのか?」

「十分です……」

「そうか。しかし、李は頭が撫でられるのが好きだったのか。また一つお前のことが知れたぞ」

 

 ふふんと満足げな征士郎。李は再度恥ずかしさがこみ上げてきたのか、湯のみを片づけると言って彼に背をむけた。

キッチンへ向かう足取りが軽かったのはただの気のせいだろうか。

 穏やかな夜がゆっくりと更けていく。

 

 

 ◇

 

 

 2人の従者が九鬼本部の廊下を歩いていた。

 前を行く男従者はコーンロウと呼ばれる髪を編みあげた珍しいヘアスタイルに、黒い肌をしている。身長は185センチと高く、その風貌はそこにいるだけで周りの人間を威圧しそうであった。

 そしてその後ろを歩く女従者は男従者以上に目立つ姿をしていた。それは目立つというより浮いているといっても過言ではない。まるでどこぞの喫茶店からそのまま抜け出してきたような格好である。

 丈の短いスカート。どこから出ているのかわからないピンクの尻尾。猫耳を模したような髪型。その髪色もピンクと派手である。そして胸元には大き目のリボン。靴も専用にカスタムしているようで羽の飾りがついている。従者としてそのようなファッションは咎められそうなものであるが、誰も注意することがないところを見るに上から許可がおりているのだろう。

 女従者は男のあとを追いながらも本部内をキョロキョロと見まわしていた。

 そして2人は鍛錬場へと行き着いた。扉を開いた男従者が中にいた人間に向かって声をかける。

 

「俺達が最後のようだな」

 

 その姿を横目で確認したヒュームが答える。

 

「もうすぐ征士郎様がお戻りになられる。さっさと用件をすませるぞ、ゾズマ」

 

 男の名をゾズマ・ベルフェゴール。九鬼従者部隊序列4位にして、アフリカの指揮を任せられている従者部隊の中でも屈指の実力者だ。

 

「わかっている。シェイラ、そちらへ並べ」

 

 女の名をシェイラ・コロンボ。九鬼従者部隊序列184位。彼女はゾズマが見出した若手の一人である。

 シェイラは「はーい」と軽い返事をしながら、他にも集まっていた若い従者たちの横へと移動した。彼らの表情は固い。緊張しているのだろう。

 ヒュームはそんな彼らを鼻で笑う。

 

「お前たちがここ、九鬼極東本部に召集されたのはその働きが認められかつ将来性を買われたからだ。喜べ赤子共栄転だぞ」

 

 それにゾズマが続く。

 

「ここにはお前たち以外にも若手が多くいる。その者達と共に切磋琢磨しろ、ということだ。既に知っているだろうがこれは征士郎様のご意向だ。つまりお前たちに期待を寄せているということ……その意味がわかるな?」

 

 期待を裏切るような真似をするなよ。そう忠告しているのだ。

 従者たちがごくりと唾を呑む。期待されているということは裏を返せば相当なプレッシャーでもあった。しかしそこは選ばれた者たち、望むところだと言わんばかりの瞳をしている。

 そこへ再度扉の開く音が響いた。両側の扉を開いたのは李とステイシー。

 奥から征士郎が姿を現した。

 

「久しぶりだな、ゾズマ。しばらくこちらにいると聞いた。またアフリカの話を聞かせてくれ。奥方の話は程々でいいからな」

「お久しぶりです、征士郎様。前にお会いした時よりもさらに成長なされたご様子……何よりです。加えてアフリカでの話をするならば、ワイフの存在は欠かせません。存分にお聞かせしましょう」

 

 ニヤリと笑うゾズマに、征士郎は苦笑する。重苦しい空気も既に霧散していた。

 征士郎は並んでいる従者たち一人一人に声をかける。元気にしていたか。北欧はどうだったか。こちらではやっていけそうか等々。彼らの名前を呼び、2,3の会話をしていく。そしてシェイラの番となる。

 

「お前のパフォーマンスみせてもらった。歌って踊れるメイドとは中々斬新で面白い。父が気に入るわけだ。これからも九鬼を盛り上げてくれ」

「はーい! シェイラにズバッとお任せあれ、です!」

 

 ちなみに征士郎がその動画を見る機会を作ったのは父である帝だった。

 ネットにあげられているそれは1位にランキングされるほどのものであり、面白いものや新しいもの好きな帝がそれをほっとくわけもなかったというわけだ。

 それ以前にも学園の級友に「これって九鬼の従者の制服?」と聞かれたこともあった。

 そして征士郎は全ての従者に声をかけ終わると、最後に若手をぐるりと見渡し、皆よろしく頼むと激励の言葉を送った。

 

 

 □

 

 

 ゾズマとシェイラはまた2人で元来た道を歩いていた。

 

「どうだった? 久々に会った憎き相手は?」

 

 先を歩くゾズマがそう切り出した。シェイラにとっての憎き相手とはステイシーのことを指す。シェイラもステイシー同様昔は傭兵をやっており、敵同士でかちあったとき背中をナイフで刺されたという屈辱を味わっていた。彼女は今でもその事を根にもっており、その恨みを晴らしたいと思っているのだ。

 しかしそれは危害を加えるなどでなく、序列を上げステイシーをこき使ってやろうというもの。

 九鬼も因縁のある者同士をぶつからせるわけにもいかないため、シェイラにはステイシーに危害を加えないという念書を書かせ、それを破った場合どうなるかをきちんと体に教え込んでいた。

 先の場でそのシェイラがステイシーに絡まなかったのは征士郎の存在があったからだろう。

 そのシェイラはゾズマの言葉に唸った。

 

「久々に会いましたけど強くなっていますね。噂では聞いていましたけど風格? みたいなものがあったというか」

「あれも若手の筆頭候補だ。相棒の李に触発されたのか、鍛錬に対する意欲も中々だ。フラッシュバックも徐々にではあるが治まりを見せているからな。李を始めステイシーと桐山、この3人は良い従者となるだろう」

 

 ステイシーのフラッシュバックは従者の間でも有名である。それが彼女の評価を下げている要因でもあったが、時をかけ徐々にマシになってきていた。

 しかしその原因は詳しくわかっていない。傍についていた李やあずみの存在が大きかったとも言われているし、ステイシー自身が受け入れ乗り越える力をもっていたのだと主張する者もいた。または、そんなステイシーを必要とした征士郎の存在があったからだと九鬼に心酔する者の言もある。

 だが未だ完治したとは言えないため、フラッシュバックが起きたときは従者の業務から離れることもあった。

 ゾズマがこのような発言をしたのは、シェイラを煽りさらに成長させようと目論んでいるからだろう。

 そんな思惑を知ってか知らずか、シェイラはふふっと笑い「やってやりますよ」と息まいている。

 

「俺もしばらくはお前の面倒をみることができる。良い機会だ。みっちりと鍛え上げ征士郎様の期待に応えられる従者にしてやろう」

 

 それを聞いたシェイラが先の意気込みをどこへやったのか、へっと素っ頓狂な声を出す。そして口早に言葉を紡ぎ出した。

 

「い、いえいえいえいえ! ゾズマさんもお忙しいんですから、たまに……たまーに私の面倒を見てくれれば十分です。ほら、ここって若手も多いとのことですし、私はその方たちと磨き合おうかなぁなんて……」

「遠慮することはない。ステイシーも今頃ヒュームにぼろ雑巾の如く絞られているだろう。このままでは差を開けられる一方だぞ」

 

 鍛錬場に集まったとき、ステイシーが顔をゆがめたのはヒュームがそこにいたからである。シェイラは今納得がいった。

 そして、今現在も時折感じるこの僅かな振動の意味も同時に悟った。

 

(零番、まじハンパねえです……)

 

 加えて、目の前にいる人物も零番に負けず劣らず武力に突出した男である。

 シェイラは右手で拳をつくり左の掌にぽんとのっける。

 

「あ! 忘れてました。私、今から次の動画の撮影しとかな――」

「ならば、ほんの2時間程度にしといてやる。征士郎様がその動画をご覧になる可能性もあるからな。下手なものをお見せするわけにはいかん」

 

 ゾズマは既にシェイラの首根っこを掴んでいた。おかしい。目の前にいたはずの人間がいつ間にか背後へ回っていた。そのままズルズルと引っ張られていく。

 

「ゾズマさん、やだなぁ。日本語の使い方がおかしいですよ? ほんのって言ってるのに2時間って……あははは。冗談ですよね?」

「どれほど腕をあげたのか。それによって多少の時間の延長も考慮しておかねばなるまい。だが安心しろ……伸びた分は別の日に振り替えで休みをとれるよう取り計らってやる」

「なんかもう伸びること前提でお話が進んじゃってますよね!?」

 

 ゾズマは大きな笑い声をあげながらずんずんと廊下を進む。

 この日、2人の若手従者の叫び声が鍛錬場から響いてくることとなる。しかし、他の若手たちはその扉の奥を見る勇気がなかった。開けたら最後、立って帰って来ることは不可能だとわかっているのだ。

 その頃李は、

 

「抜群のマイクパフォーマンス……シェイラ、侮れません」

 

 シェイラの動画を繰り返し再生し、改めて彼女の恐ろしさを認識していた。

 九鬼極東本部は更なる若手の加入により一層活気が増すこととなる。

 

 




シェイラもいいキャラしてて好きです。
むしろ、九鬼従者部隊の全容を知りたい!
学園の話に辿りつけない。

7.28 修正


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10話『転入生』

 

 

 シェイラが九鬼極東本部へ移ってから約2週間が経過した。その間、彼女はステイシーに絡んだり、ゾズマに扱かれたり、序列9位の鷲見に扱かれたり、路上ライブを行ったり、鍛錬場の鏡の前で振り付けを考えてみたり――とにかく忙しい日々を過ごしていた。

 もちろん本業の方もしっかりとこなしている。

 

「征士郎様、私の新作ご覧になってくださいましたか?」

 

 新作動画もアップするなり軽く数十万ヒットし、今も着々と再生数を伸ばしているという。アイドル活動も順調そのもの。川神市内でも新規のファンを獲得しているらしい。

 そんなシェイラが今同行しているのは征士郎の登校であった。そして彼の乗っている車の前後には護衛のための車がついている。いつもと違う物々しい雰囲気だが、それとは裏腹に車内は至って和やかだった。

 このような事態に発展したのは、昨夜九鬼に対して襲撃があったためである。もちろん、その襲撃犯は九鬼の人間を一目見るどころか、その私有地にすら足を踏み込めないで捕縛されてしまったが、一応念のために征士郎には警護が数日つけられることになっていた。無論、先に学園で練習に励む英雄も同様である。

 その警護の一人としてシェイラも選ばれていたのだった。彼女は助手席、後ろに李と征士郎が乗り、運転は序列11位のドミンゲスが務めている。

 チェ・ドミンゲス。若手の中で最も序列の高い男である。無造作に伸ばした髪と黒のサングラスに浅黒い肌。そして何よりも目立つのは2メートルに届こうかというその体であり、鎧の如く身に纏っている筋肉と相まって山のようである。

 しかし征士郎の言によると、サングラスをはずせばかなりのイケメンらしい。

 さらに征士郎や李とセットでいることが多いステイシーだが、今日に限っては前の車に乗っておりここにはいない。それはシェイラとのジャンケンに負けたという情けない理由からであった。

主人を守るのにそれでよいのかとも思うが、それで譲ったステイシーもシェイラの力を認めているからこそだった。加えて言うなればドミンゲスと李もいるからだろう。

 シェイラの質問に征士郎が感想を述べる。

 

「可愛らしくてよかったぞ。このままいけば西の納豆小町と張り合うことになるかもな」

 

 納豆小町。関西に現れた自家ブランドの納豆を全面に押し出したアピールを行う高校生のことである。未だ関東ではあまり知られていないが、西以降ではかなりの知名度を誇っている。

 その納豆小町の歌う『I Love ねばねばーらいふ』も動画アップされており、ネットの中では西の小町と東のメイドで盛り上がっていた。

 征士郎も一応動画を見たが無性に納豆が欲しくなったのを覚えている。さらにこの納豆小町の名を松永燕というが武術をたしなんでおり、軽く情報を集めただけでもその経歴に傷一つない。つまり無敗であった。

 またこの松永という名に征士郎は聞き覚えがあった。それは九鬼の技術者の中で聞いたもので、松永久信という腕のいい技術屋がいるという話であった。

 興味をもった征士郎はさらに調べを進め面白いことを知る。この松永燕が切り札としている平蜘蛛という武器。それを製作したのが久信だということ。しかしそれが使用されたことはないらしく、完成に至っているのかどうかはわからなかった。

 しかし会ってみるだけの価値はありそうだと考えていた。その娘の燕にもだ。

 

「納豆小町ですか……あれはシェイラ的にも中々の強敵ですね。曲もアップテンポでのりやすいですし、あの耳に残る歌詞。そして何よりこの私に並ぶほどの美少女さんですから!」

 

 でも負けません。シェイラはそう付け加えた。

 

「うむ。それでこそ九鬼の従者よ」

 

 そこへ李が割り込む。

 

「シェイラ、そちらに熱中するのもいいですが、今は護衛としての仕事をしっかりと果たして下さい」

「わかってますって、李ちゃん」

 

 シェイラはウィンクを李に飛ばし再び前を向いた。彼女は従者仲間の大半をこの「ちゃん」付けで呼ぶ。そして時にはゾズマのこともそう呼び叱られたりしているのだ。

 先頭車両が川神学園前の道路で停まり、ついで征士郎の乗る車両もスピードを落としていった。

 

 

 ◇

 

 

「いってらっしゃいませ、征士郎様」

 

 ドミンゲスの渋い声だった。

 征士郎がドミンゲスからカバンを受け取ったところで、車から学園の門の前までメイドが両脇に並ぶ。征士郎とドミンゲスを除けば、他の護衛は全て女従者だった。

 ドミンゲスの言葉に続いて、並んでいるメイドたちが一斉に頭を下げ主人を送り出す。一糸乱れぬその挙動は洗練されており美しいとも言えた。この光景を見る者がいればそれだけでため息をもらしたかもしれない。

 

『いってらっしゃいませ、征士郎様』

「ご苦労、いってくる」

 

 征士郎は李を伴い学園の門をくぐろうとする。ステイシーとシェイラはメイドらの一番端、その門に一番近いところに立っていた。もちろん隣同士ではなく左右両側に分かれてである。

 

「ステイシー、後のことを任せる」

 

 ドミンゲスはこのあと本部に戻るため、学園周辺の警護の責任者はステイシーとなっていた。シェイラはそれに不満もあっただろうが仕事と割り切っているようだ。

 ステイシーも征士郎の言葉に「了解しました」と頭を下げる。

 そこへあずみを従えた英雄が近寄って来る。

 

「兄上、学園に無事辿りつかれたようで何よりです!」

 

 もうまもなくHRも始まろうという時間であるのに、グラウンドには英雄らだけではなく1年から3年まで多くの生徒が出てきており、征士郎らに注目していた。

 中にはシェイラの姿を目敏く発見したカメラ小僧や、鼻の下を伸ばしたマッスルガイもいる。シェイラはこの年代から特に人気があるようで他の男子生徒もざわめいていた。

しかし騒ぐのみで近寄って来ないのは、その背後にいるメイドの集団のせいだろう。それも美人揃いのため、近寄りがたい雰囲気が自然と溢れ出ているのだ。

 マッスルガイの興奮した声が聞こえてくる。

 

「シェイラだよ! おい、ヨンパチィ! 生のシェイラだぜ!! メイド服の丈みじけぇ……風でも吹いてくんねえかなぁ」

 

 煩悩と筋肉で頭の中が一杯のこの男、島津岳人という。

 そして、ヨンパチと呼ばれたカメラ小僧の名を福本育郎。彼のテンションも既にマックスであった。

 

「シェイラのパンチラとか、か、考えただけでもやべぇ……はぁはぁ。想像したら勃っちまった!! う、動けねぇ、一歩でも動いちまったら……あっ」

 

 育郎は情けない声を出すと、びくりと一度体を震わせその場に固まった。

 当のシェイラも騒がれているのに気づいているが過剰なアピールをしない。主人達の手前、勝手な行動をしすぎないよう自重しているのだろう。しかしパンチラ発言は聞こえたようで「メイドのスカートは鉄壁です」と誇らしげにしていた。

 英雄の言葉に征士郎が苦笑する。

 

「大げさだな、英雄。しかし、これだけの生徒がこの時間に外にいるとなると――」

 

 決闘が行われたのだろうとすぐに判断できた。金髪をなびかせるドイツ人はレイピアを、茶髪のポニーテールの女生徒は薙刀を握っている。

 前者の名をクリスティアーネ・フリードリヒ。後者の名を川神一子。

 

(そういえば今日は転入生の来る日だったな)

 

 クリスがその転入生の一人である。大方、彼女に対する歓迎の意味も込めての決闘だったのだろう。周囲の状況から言ってその決闘も終わった直後のようだ。

 バンダナをつけた生徒の周りでは、決闘の賭けに対する分配を求めて人が集まっている。彼も学園では名が知られている男であり、風間翔一という。その傍に大和と青い髪の小柄な女生徒、椎名京がいた。

 征士郎は英雄の顔をじっと見て言葉を続ける。

 

「で、お前の顔を見るに川神一子は敗北したのか」

「はい……一子殿の鋭い一撃は避けられ、隙ができたところをレイピアで突かれてしまい……」

 

 一子へ片思いしている英雄にとっては、彼女の敗北は自身のことのように悔しいようだ。

 

「しかし、最初から全力を出さないのは頂けないな」

 

 征士郎の言葉通り、一子は重りをつけたままクリスと勝負していたのであり、今はそれをはずして再挑戦しようとしたところで鉄心に止められていた。

 英雄もそれを見て苦い表情をしている。そんな彼に対して征士郎はくっくと笑い「お前をいじめたいわけではない」と言って一子の方を指さす。

 

「あの子のいい所は俺もそれなりに知っているつもりだ」

 

 再度の決闘ができなかった一子だが負けは負けとして認め、クリスを笑顔で歓迎しておりそこへクラスメイトが集まっていた。一子はその天真爛漫な性格から友達が多く、その彼女が認めた相手とあって彼らにも受け入れられたようだ。

 その光景を見た英雄も満足げに頷く。

そんな征士郎らの元へ近づいてくる人物がいた。

 

「これは驚きの組み合わせですね。女王蜂に血まみれステイシー、さらには毒蜘蛛まで」

 

 それはマルギッテであった。渾名で呼ばれたステイシーはそれが気に入らないようで「普通に名前で呼べ」と言い返した。シェイラも同様である。

 傭兵と軍人。戦場で生きていた彼女たちの世界は意外と狭いのかもしれない。

 そのマルギッテはシェイラの服装に驚き、あずみに「これでいいのか」と尋ねていた。あずみも許可が下りていると微妙な顔をしたが、それでもマルギッテは認めがたいらしく「不必要な装飾ははずしなさい」と命令する。しかしシェイラはどこ吹く風で「これは必要な装飾なんです」と何度も繰り返した。

 その言い争いも征士郎がマルギッテに声をかけることで治まる。

 

「ようこそ、川神学園へ。もう会わないと思っていたが、こんなに早く再会することになるとはな。しかもわざわざ3-Sに」

「標的は近くにいる方がいいと理解しなさい」

 

 マルギッテの視線は征士郎の傍に控える李へと突き刺さる。それを見たステイシーが「お前モテモテだな」と笑いながらからかった。その話題が気になったシェイラは、興味津津といった様子で目を輝かせている。一方、あずみはその様子にため息をつきたかったが、主の前であるため笑顔を保っていた。

 そうこうしている間に、決闘の熱が冷めてきた生徒たちの視線も征士郎らへと注がれることとなる。クリスと同様マルギッテも転入生であり、彼女も誰かとやり合うのかと期待しているようだった。

 それを察した英雄が一声発する。

 

「あずみ! このマルギッテの相手をしてやれ。我は久々にお前の剣舞が見たい!」

「お任せください、英雄様ぁ!! マルギッテさん、そういうことなので少しお時間よろしいでしょうか?」

 

 笑顔を浮かべたあずみがマルギッテへと問いかけた。

 マルギッテの本心を述べるなら李との再戦を望んでいたが、戦場で何度も顔を合わせたあずみの現在の実力も気になっていた。従者となってから腕が鈍ったのではないかと。そのため、あずみからの申し出にすんなりと許可を出す。

 立ち会いはクリスと一子の決闘を仕切った鉄心が、引き続き行ってくれるとのこと。

 ただし授業まで時間がないので5分間という制限が設けられた。マルギッテはクリスから声をかけられ、あずみは英雄からの一言でやる気十分となっている。

 マルギッテがトンファーを構えあずみが小太刀を抜き、両者がグラウンドの中央で構えると周囲の空気が一変した。それはクリスと一子の決闘のときとは明らかに違うもの。

 それを敏感に感じ取ったステイシーは「懐かしいぜ」と楽しげに呟き、シェイラも「あのころを思い出しますね」と相槌をうった。

 静まりかえるグラウンドに一陣の風が吹く。それに巻き上げられる砂埃。

 鉄心の気迫のこもった掛け声と同時に戦場の強者がぶつかりあった。

 

 

 

 

 その戦いの最中、ある男たちの視線は激しい戦闘ではなく、別の場所へ釘付けとなっていた。

 育郎がぐぬぬと唸る。

 

「なんで九鬼兄弟の周りに美女が集まってるんだ……羨ましいぞ、コンチクショー!!」

 

 それに同意する岳人も恨みがましい視線を送っている。

 

「李さんを始め、モモ先輩に矢場先輩。そしてシェイラちゃんにステイシーさん!! 俺様の好みの女ばっかりじゃねえか!」

 

 そこへさらに由紀江が李へと挨拶に近づき、虎子が百代たちの輪へ加わる。

 それを一緒に見ていたおとなしそうな男子生徒、師岡卓也が呟く。

 

「さらに人数が増えたね。僕だったらあの場にいることに耐えられそうにないや」

 

 右を見ても左を見ても美女である。卓也はその場にいる自分を想像して乾いた笑みを浮かべた。岳人は見てもらえるはずもないのに、無駄な筋肉アピールを行っている。

 その間、育郎は真剣な目つきで女達を眺めていた。

 

「生徒会長はまだ許す! だが、九鬼英雄はそういうキャラじゃねえだろうが! 俺も生徒会長の弟に生まれていたらなぁ……今頃、シェイラちゃんと、でへ……でへへへ」

 

 そしてそのまま妄想の世界へと旅立ったようだ。

 あずみとマルギッテの戦闘は結局時間いっぱいとなり引き分け。それでも観戦していた生徒にとっては、満足のいくものだったようで歓声がおこっていた。

 手荒い歓迎を経て川神学園にまた新たな仲間が加わった。

 

 




ねばねばーらいふ、久々に聞いた。

8.11 修正


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11話『興味と疑惑』

 

「それで、私に何か用ですか?」

 

 マルギッテは、自身の斜め右前に座る征士郎に問いかけた。

 転入生が加わったSクラスではあったが、そこで特に何かが起こったわけでもなく、授業は淡々と進み、今は昼食時となっている。

 教室は、食堂へ向かう生徒も多いので、少しがらんとしていた。

 そんな中で、征士郎と李、マルギッテは机を寄せ合っている。というのも、彼がマルギッテを昼食に誘ったからであった。傍から見ると、黒スーツの男、メイド、軍人の集まりというアンバランスなもの。これが廃墟などの荒んだ場所であれば、何かしらの取引を行っているようにも見えたことだろう。生憎、ここは教室で、その手元にあるのは弁当であった。

 

「特に急な用事があったわけじゃない。しかし、マルギッテも今日来たばかり、一人で食事……というのも味気ないだろう?」

 

 そういうことを気にする性格でもないかもしれんが。征士郎はそう言いつつ、出し巻きを口へと運ぶ。

 

「随分と周りを気にかけるのですね。この学園で、あなた程忙しい人もそういないと思いますが?」

「性分という奴かもな。それに、この程度で忙しいなどと口にはできん。身近にはもっと凄い人間がいて、今こうしている間にも世界を飛び回っている」

 

 帝のことを指しているのだろう。

 征士郎が言葉を続ける。

 

「そういえば、お前の指揮している狩猟部隊も街の監視にあたると、フランク中将から聞いている」

 

 今朝の決闘が終わり、教室に帰ろうとしていた征士郎に、フランクが声をかけてきたのだ。どうやら、彼はわざわざクリスのために、再度来日していたらしい。

 会話はごく短いもので、クリスがこれから世話になる、そして、マルギッテをよろしく頼むとも。その間に、狩猟部隊が九鬼従者と連携し、街の監視にあたることが伝えられた。

 征士郎もこれについては、事前に聞かされていたので、了承の言葉を返し、その場で別れた。

 マルギッテが、言葉を付け加える。

 

「正確に言うならば、クリスお嬢様の護衛のために、だ」

 

 狩猟部隊。ドイツ軍の中でも精鋭が集う特殊部隊である。そんな彼らに下された任務は、日本におけるクリスの安全の確保。彼女の身に何か起こらないとも限らないが、それにしても大げさな対応である。しかし、裏を返せば、それだけ彼女が大事であり、フランク自身が、それを容易く行えるほどの力を有しているとも言える。

 

「大袈裟だと思う気持ちもあるが、それを俺が言う資格はないな」

 

 現に、傍には専属がおり、今日から数日にわたっては、厳重な警護もついているからだ。そして、街には監視の目が行き届いている。もっとも、征士郎には狙われた過去なども存在するわけだが。

 しかし、と征士郎が尋ねる。

 

「それだけ大事にしている存在をよく国外に出そうと思ったな?」

「クリスお嬢様は、日本が大好きであり、ずっと憧れてもおられた。加えて、中将も元々日本の、特にサムライの考え方に敬意を表されていたのです。良い機会だとお考えになられたのでしょう」

「なるほど。しかし、最初はクリス一人の転入だったはず……どうして、マルギッテまでも? 来るなら、狩猟部隊と同様の方法でもよかったのではないか?」

 

 マルギッテは、そこで少し間をとった。

 

「……おそらく、私の心情を汲み取ってくださったのでしょう。3-Sへの転入もそのせいかと」

 

 クリス程ではないにしても、フランクにとっては、マルギッテも娘のような存在であった。ドイツの星と呼称するほどである。彼女に刺激を与えてくれる者がいる場所へ送り出したかったのかもしれない。それが、彼女の成長にも繋がると信じて。

 その刺激を与えてくれる者、李はというと、征士郎とマルギッテの会話を聞くだけであり、その間、一言も喋っていない。食べ方の一つ一つはとても上品であり、時に、征士郎へお茶を差し出し、従者としての仕事もしっかりとこなしていた。

 そんな彼女が初めて発した言葉は「マルギッテ様も飲まれますか?」だった。

 マルギッテは、もらってあげてもいい、と頷きながら続ける。

 

「それから、様付けなど不要です」

「わかりました、マルギッテ。征士郎様、食後のデザートもご用意してあります」

 

 ごそごそと包みの中を漁る李、それをマルギッテが観察していた。

 その様子を見ていた征士郎は、思わず笑みをこぼす。それに合わせて、マルギッテの視線が彼へと向かう。なにがおかしい、とその目が語っていた。

 

「そんなにジロジロと見てやるな。李が嫌がっているぞ」

 

 征士郎の言葉に、マルギッテは疑問をもった。見たところ、李に変化はないからだ。表情、態度など些細なものであっても、何かあれば、マルギッテは気づくことができる。

 冗談の類か。マルギッテはそう判断し、会話を続ける。

 

「興味をもつな、という方が無理だと思いなさい」

 

 あの廊下でのやり取り、眼帯を取っていなかったとはいえ、あの一瞬の攻防は心に焼き付いているのだ。美しさすらも孕んだその洗練された動き、思い出すだけで闘争心に火がつくというもの。

 しかし、李は何事もなかったかのように、お目当てものを机の中央へ広げる。

 

「この栗の大きさに、びっくりしないように」

 

 マルギッテの視線が再び征士郎へ向かう。どう反応すればよいのだ、と。

 征士郎は一つ甘栗をつまみ、口へ放りこんだ。実がほろほろと崩れゆく中、程良い甘さが広がる。

 

「おもしろかったら、笑って褒めてやれ。おもしろくないなら、正直に言ってやれ。これから、付き合っていく中で、こういう機会は多くなるからな」

「おもしろくないと知りなさい。チョイスが無難すぎます」

 

 きっぱり言い切るマルギッテの言葉が、李の心にクリティカルといった様子であった。

 

(まるで別人のようだ)

 

 落ち込む李を見て、マルギッテは思った。同時に、毒気が抜かれる。これが、あの『龍』なのかと。

 マルギッテは、敗れた日以来、李のことを調べてみた。そして、この名に行き着いたのだ。アジアを中心に長く暗躍し、その依頼達成率は99.9%。龍が人に転生したのが彼女だと囁かれるほどの強さであったという。マルギッテも、それには同意せざるをえないと思った。裏の世界では、未だにその名を恐れる者もいるらしい。

 しかし、李が九鬼へと入ることになった経緯は分からなかった。勧誘があったと考えるのが普通である。なんせ、あの九鬼なのだ。有能な者であれば、前歴がどうであれ関係ない。その言葉通り、裏で名を馳せた人物が、いつの間にか、九鬼で従者をやっているなんてこともあるのだ。マルギッテの知る限りでも、そういう人間が数人、九鬼に入っている。

 そんな人間を容易に取りこむ九鬼従者部隊は、それこそカオスである。特に、10位以上の従者は魑魅魍魎の類とすら噂されるほど。その中において、若くして序列14位にまでのし上がった実力は、まぎれもなく本物だ。

 

(そして、龍は、多くの場合、王の象徴として描かれるもの。九鬼征士郎は、その龍の名を冠する者を傍に置いている)

 

 偶然なのか、はたまた必然なのか。なんにせよ、面白い組み合わせであった。

 マルギッテの瞳には、主に励まされる従者の姿が映っている。

 

(その九鬼征士郎は、暗殺者と知りながら、李静初を専属とした)

 

 弟の英雄も、女王蜂と呼ばれたあずみを専属としている。

 有能な者を深く愛するが故なのかとも思えるが、ならば姉である揚羽の専属はどうなのかと疑問も湧く。

 共通点は、異性を専属としていることだ。そこから導かれる答えは――。

 

(単純に気に入ったものを傍に置く)

 

 しかし、そう考えても元暗殺者を従者に、しかも専属となれば2人きりになる機会がほとんどだろう。そこにあるのは、確かな信頼だ。

 そこまで思い至り、マルギッテは先の征士郎の言葉を思い出す。

 李が嫌がっていたのは、冗談ではなく本当であり、征士郎は彼女を一目見て、それがわかったということ。

 長い年月を共にしてきたからこそ、わかることもある。マルギッテにとってのクリスがそうであるように。もっとも、クリスの場合、感情のほぼ全てが顔に表れるので、他人が見たとしても気づいてしまうかもしれない。マルギッテにしてみれば、そんな所も愛しく思うわけだが。

 

(ほんの僅かだが……興味が惹かれますね)

 

 自身を破った李が、主人として仰ぐ男。

 気づけば、話のペースを握られていたようだ。マルギッテは、時計へと目をやった。昼休みもあと半分をきっている。彼女は急ぎ準備を整えると、クリスの様子見に行くため、席を立った。その背後から、征士郎の声がかかる。

 

「マルギッテ、気が向いたら、九鬼へ来い」

 

 まるで、遊びにでも誘うかのような口調であった。征士郎は、もちろんマルギッテのことをそれなりに調べているはずである。そして、彼女がフランクを尊敬し、ドイツ軍人であることを誇りに思っていることなども百も承知のはず。

 普段のマルギッテなら、ここで怒りを表しかもしれない。しかし、彼女の表情にあったのは笑みであった。

 

「私がドイツ軍から離れるとき、それは死以外にありえないと心得なさい」

 

 九鬼へ来いという言葉は、言うなれば、最高の褒め言葉にあたるのかもしれない。言い換えれば、お前は有能だ、ということである。

 褒められて悪い気はしない。マルギッテの笑みはそこから来ていた。

 征士郎は肩をすくめ、残念だ、と軽く流していた。本人も一言で来てくれるなどとは、毛頭考えていなかったようだ。しかし、その言葉は心の片隅に残ってしまう。

 

(軍を離れるなど考えたこともない……)

 

 マルギッテにとっては、それが全てであり、そのことに満足もしていた。フランクに仕え、クリスを見守り、ゆくゆくはそのクリスへ。そして、これからもこの思いが変わることはない。自身の立つべき場所はここである、と再度確認できた。

 マルギッテは満たされた思いがした。その切っ掛けを与えたのは征士郎の言葉。

 面白い男。それが、征士郎にもったマルギッテの印象だった。

 

 

 □

 

 

 数日が過ぎ、世の中はゴールデンウィークに浮かれる中、九鬼極東本部でも同じように浮かれている人間がいた。見るからにテンションが高く、今にも鼻歌を歌いだしそうな雰囲気である。

 その人物は、将棋盤を両手に抱えている。

 

「兄上! 将棋で勝負しましょう!」

 

 末っ子の紋白であった。彼女の目の前にいるのは征士郎。

 時刻は8時を回り、天気予報の伝えていた通り、雨がぱらつき始めていた。窓をポツポツと濡らすそれは、一足早く梅雨の到来を告げるかのようである。

 彼らのいる場所は、本部の上層階にある一室。そこは家族のためのリビングルームといってよい場所であった。この同じ階に、征士郎らの個室もある。

 征士郎と紋白が座っているのは、優に3人は腰掛けられる白のソファ。それが、真ん中にある木のテーブルを囲むようにして、右手にもう一つあり、左手の窓際には一人掛けの同色のソファが2つ。そして、彼らのソファの正面には薄型テレビが設置されている。そのテレビの幅は、ともすると紋白の身長と並ぶほどであった。

 床は板張り、壁面と天井はベージュで統一され、それらを照らしだす照明は多くが間接となっている。しかし、それで暗さを感じないのは、計算され尽くした配置のおかげであろう。

 安らげるように。そういうコンセプトが一目で伝わって来るようだった。

 紋白は将棋盤をソファの上へと置き、駒の入った箱を盤の上で逆さまにする。2人はそこから駒を配置させていった。

 紋白は女の子座りで、征士郎は足を組んで座っている。

 

(我ももう少し身長があれば……)

 

 紋白は、様になっている兄を見ながら思った。身長は未だ伸び続けているものの、足を組んでという所までは、今しばらく時間が必要である。

 紋白が先に駒を進めたところで、征士郎が口を開く。

 

「初めて会ったクローンはどうだった?」

 

 学園に通うまでの時間、紋白は比較的自由な時間を過ごすことができていた。その間、ちょっとした気分転換も兼ねて、クローン達がいる小笠原諸島に行ってみてはどうか、と征士郎が薦めたのだった。

 九鬼4兄弟の中で、人材について一際関心のある紋白である。過去の英雄であるクローンの存在を聞いて、ぜひと間髪いれずに返事した。

 

「皆、おもしろい者達でした」

 

 紋白はそのまま、クローンの印象を語る。

 義経は真面目な性格であり、模範となろうという意識があり、会う者に好印象を与える。また、人懐っこい。しかし、自身が英雄だということに、幾分こだわりすぎているかとも思われる。

 その辺を弁慶が上手く調節しているようにも見えるが、彼女は彼女で、義経にかなり依存しているようだった。その弁慶であるが、頭の回転が早く、クローン組の中でも随一。怠けようとはするものの、主である義経に常に配慮しており、篤い忠誠心を持っている。

 一方、よくわからないのが与一。というのも、彼とは多く語ることができなかったから。感じたのは弁慶に対する恐怖と、何事もつまらないといった風な言動。それでも義経に対しては、気にかけるところもあるらしい。ほんの僅かしか感じ取れなかったが。

 そして、次に清楚の番になったところで、紋白は一つの事を思い出した。

 

「そういえば、清楚から伝言を預かっております」

 

 その言葉に、征士郎は首をかしげる。思い当たる節と言えば、項羽解放時のことであろう。

 

「どういうものだ?」

「はい。正確に言えば、項羽が混ざった状態の清楚なのですが、『次に会う時は覚えていろ』とのことです」

 

 征士郎はそれを聞いて納得した。解放時の四面楚歌が余程堪えたのだと。

 そうか、と征士郎は短く答え、伝言役の紋白へ礼を述べた。

 紋白も、その清楚から、解放時のことを聞いていたので、伝言の意味もわかっている。しかし、一体何をするつもりなのか検討もつかない。

 征士郎が笑いかける。

 

「別に何かされるというわけでもないと思うぞ。心配いらん」

「顔に出ていましたか?」

 

 紋白はペタペタと顔を触った。

 

「眉が寄っていたからな」

 

 征士郎は自身の眉間を人差し指で叩くと、また笑みをこぼした。

 

(兄上の笑顔は、本当に母上によく似ている)

 

 紋白の好きな表情の一つである。しかし、それはただ局に似ているからという理由ではない。その瞬間、凛とした雰囲気が、ふわりと和らぐのだ。他の誰かに見せる笑顔とも少し違う。征士郎の奥にある優しさが溢れるような笑み。紋白にとっては、それがたまらなく嬉しいのである。

 紋白は、もちろん家族全員が大好きである。そこに優劣をつけることなどできるわけもない。しかし、憧れの姉である揚羽、自慢の兄である英雄、という風に考えていくと、征士郎の場合、何になるのか。

 

 大好きな兄。

 

 これが一番しっくりくるのである。それでは、自慢ではないのかと問われれば、当然、自慢の兄であることは間違いないと断言できる。憧れも同様であった。

 しかし、言葉で表すなら、どう考えてもこれである。

 

(兄上には叱られたこともあったが……)

 

 やんちゃにしていた頃、その大半をヒュームに叱られていたが、征士郎にも数度叱られたことがあった。

 そして、ヒュームに叱られるときは、従者の言う事など聞かんわ、と反発しまくっていた紋白だが、征士郎に行われたときは、泣いたほどである。

 これは何も征士郎が、非道を尽くしたとかそういうわけではない。可愛がってくれる兄が怒るということに、底知れない恐怖を感じたからであった。普段、穏やかな兄だったからこそ、余計にだった。

 それでも、紋白が征士郎を避けなかったのは、楽しかったからであろう。今、思い返しても、よく遊んでもらった思い出が多い。

紋白が将棋やチェスを覚えてからは、今のようにそれをしながら、話をよく聞いてくれたのだ。

 時には揚羽や英雄も交えて遊んだ。テレビゲームの人生ゲームを初めてやったのもこのときである。兄妹4人、熾烈な1位争いをした記憶があった。

 そんな兄に対して、紋白は疑問に思う事がある。

 

(なぜ、兄上には恋人がいないのか?)

 

 紋白からしてみると、不思議でならないことであった。それは揚羽に対しても同様。

 見合いの申し込みも多いと聞く。英雄の場合は、川神一子という片思い中の相手がいるため、断るのもよくわかるが。

 

(だがまぁ、我としては、兄上とこうしていられるから嬉しいが……)

 

 そこで紋白の脳裏に閃光が走る。

 

(もしや……わ、我はブラコンというものかもしれぬ)

 

 弁慶のことを依存しているなどと、どの口が言うのか。紋白は一人打ちひしがれる。もし、ここが彼女の私室であったなら、彼女はベッドの上で転がったかもしれない。

 その様子を見た征士郎が声をかけてくる。

 

「どうしたんだ? 笑ったり、困った顔したり、何か思い出したのか?」

「いえ、我は今、隠された我の内面を知ってしまっただけです」

 

 ほうと、征士郎は興味深そうな顔をする。それに対して、紋白が慌てて話題を変える。

 

「と、ところで兄上! 学園には転入生も入ったと聞きます。いかがですか?」

 

(いや、我が兄上を慕うのはただの家族愛であって、決して、恋人にしたいとかそういうわけでは断じてない! 兄上に恋人ができれば、確かに寂しいと思うが、それで兄上が幸せならば、我はそれを喜んで祝福するぞ! ただし、兄上の恋人となる者が現れたら、我が直々にチェックしてやらなければ。最終的には、兄上の気持ち次第ではあるが、もし下心のある者が近づいてきたら良くない。兄上は、父上に似て甘い所があるからな。目下、怪しい者といえば……川神百代。李の話では、1年の頃から急に近づいてくるようになったとか。くっ! またしても百代か。姉上に続き、兄上をもどうにかしようとしているのかもしれない! そして、次なる人物は清楚か? 兄上に対しての執念、あれがいつ変化するとも限らない。弁慶は……ないだろう。懐きはするかもしれないが、兄上の近くでダラダラなどできようはずもない。とすると、義経だが、あやつも大丈夫な気がするな。そして、他にも、下級生には多く兄上を慕う者がいるようだ。それは今年のバレンタインで証明済み。生徒会長として、いつもお世話になっているお礼という名目で、渡しやすかったのだろう。全てを食べきった兄上には、我のみならず従者の多くも感動したものだ。朝一で、李とともに食べておいてもらってよかったと心底思った。……っ! 忘れていた、我は既に松永燕を呼んでしまっている。百代に対する相手として申し分ないことと、その父である久信の技術は、兄上の腕の開発にも役立てられると喜んでしまっていた! 燕は我が目を付けたほどの優秀な奴だ。兄上もきっと気に入るに違いない。……いやいや、我は一体、何を焦っておるのだ?)

 

 この間、僅か数秒。紋白の中に新たな悩みが誕生していた。

 妹も色々と悩みが多い年頃のようだ。征士郎は百面相を見せる紋白を見て、そんなことを考えていた。

 

 




もうすぐだ。もうすぐ学園に、皆が揃う。


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12話『初体験』

 

 

「誘われるまま来てしまいました……」

 

 由紀江は、高くそびえる九鬼極東本部のビルを見上げながら呟く。左手に刀、右手に紙袋。その中身は、ここへ来る前に買っておいた仲吉の葛餅である。

 

『てか、やべぇ……ここ、ラスボス級の闘気が渦巻いてるべ』

 

 立ち止った反動で、ポケットから出ているストラップの松風がブラブラと揺れている。由紀江の服装は学生服ではなく、私服――なぜなら、今日は学生にとっての休息日、日曜だからである。

 昨夜、由紀江が父宛の手紙をしたためている途中、携帯が震えだしたのだ。恐る恐る開いて、画面を確認すると、そこには李静初からのメール。

 内容は、もし明日時間があれば、私の所へ遊びに来ないか、というものだった。

 風間ファミリーとは、ゴールデンウィークに旅行。そして、その次の週にはこのお誘いである。

 隕石が落下してくるかもしれない、私の頭の上に。由紀江は、画面に映る本文を読みながら思ったものだった。

 

『サクヤヒメも大胆な提案してくれるよなー。極東本部に来いなんて……初の友達の家がこことか、色んな意味でやばい気がするのはオイラだけ?』

「ですが、せっかくのお誘い! 友達0だった私が断れるでしょうか!? いえ、断れません!!」

 

 由紀江は一人力説する。わざわざ反語まで用いていた。

 そして、何気に『0だった』という部分に感激する北陸娘。友達の数は、征士郎と李、そして伊予に加え、風間ファミリーの8人で、大台であった二桁にのっている。

 電話帳を開けば、それを何度でも確認でき、あまりに順調すぎて怖いぐらいであった。

 しかし、彼女の目標は壮大である。何しろ、友達100人だからだ。

 今までの由紀江なら、その目標はただの夢に近いものだった。だが、ここに立つ彼女は、僅かだが達成できるかもしれないという希望を持ち始めていた。

 

『まゆっち、お前ならできるさ……会長の言葉を思い出すんだ』

 

 松風も由紀江を応援する。

 

「はい、松風! それでは、黛――」

 

 由紀江推して参ります、と続けようとしたところで、声がかかった。

 

「おーい! そこの不審人物。本部前で、あんま一人でぶつくさ言ってると、問答無用で連行していくぞ!」

 

 由紀江の肩がびくりと震え、ゆっくりと声のする方へと顔を向ける。

 

(笑顔、笑顔で接しなければ……)

 

 由紀江の頭の中に、笑顔の文字が次から次へと溢れ出て来る。

 

「ヘイ! んなメンチ切ることないぜ……お前が黛由紀江だな? 李から話は聞いてる」

 

 ステイシーが自身の名を語り、由紀江へと握手を求める。無邪気さを感じさせる笑顔だった。

 由紀江は慌てて荷物を左手に持ち替え、右手を差し出す。そこからは、ステイシーが勝手に手をとり、力強い握手が成り立った。

 そして、握手を交わしながらも、由紀江は自然と相手の力量を測ってしまう。

 さすが九鬼の従者だ、と心の中で思った。このレベルに達する人間はそういないからだった。

 相手も同じことを考えていたのか、ステイシーが笑みをこぼす。

 

「やっぱ、征士郎様がお声をかけるだけはあるな。黛……あー、面倒だから由紀江でいいか? 由紀江、まじ半端なく強いのな」

 

 由紀江の了承を得ることなく、名前で呼ぶことを決めるステイシー。もちろん、由紀江がそれを不快に思うこともない。むしろ、なんてフレンドリーな人、と友達候補へとリストアップしていた。

 ヒュームの爺も褒めるわけだ。ステイシーはそう言い放って、ケタケタ笑う。そこに一陣の風が吹いた。由紀江は思わず、反応してしまう。それはただの風ではなかったからだ。

 それに続くようにして、先ほどまで笑顔だったステイシーの顔が歪む。それはもう苦虫を口いっぱいに放り込まれたような表情であった。

 2人の視線の先には、ヒュームがいた。

 

「ステイシー……客人の前で、なんだその態度は?」

 

 この言葉に、ステイシーは少し安堵した。爺という部分で絞られることはなさそうだと判断したのだ。そんなに甘い男であるはずがないと、骨身に沁みてわかっているはずなのに。李がいれば、そんなステイシーを見て、ため息をもらしたに違いない。

 ヒュームは一旦、ステイシーから目を離し、由紀江を見る。

 由紀江は反射のように、体を90度折り曲げる。ステイシーとの対面で、しっかりと挨拶ができていなかったのを悔いていたからだ。

 

「あ、あのあの……本日はお招き下さりありがとうございます! 川神学園1-C、黛由紀江です!!」

 

 まるで、彼女の家に初めて行った彼氏のようである。ヒュームの役どころは、彼女の父親といったところだろうか。

 

「ヒューム・ヘルシングだ。ヒュームさんでも伯爵様でも好きに呼んでいいぞ」

 

 由紀江もまさかこの目の前の人物が、1ヶ月後、自身の同級生になるなど夢にも思うまい。

 ヒュームはステイシーに視線を移し、さらに続ける。

 

「さっさと客人を案内して差し上げろ」

 

 それだけ言い残すと、再度その場から消え去った。ステイシーは辺りをキョロキョロと見回し、よしと頷くと、ひそひそと由紀江に話しかける。

 

「おっかないだろ? あれがウチのトップ、序列0番だ」

 

 それだけ伝えると、ステイシーは、ついてきな、と由紀江を本部の中へと案内する。

 由紀江は生唾をごくりと飲み、意を決して本部へと足を進めた。彼女の初体験にして、憧れだった一つ――友達の家訪問が今始まる。

 

 

 ◇

 

 

 ヒュームはステイシーの前から姿を消し、どこへ向かったかというと征士郎のいる鍛錬場である。あと数分もすれば、彼の鍛錬時間となるのだ。

 征士郎は既にそこにおり、体をほぐしている途中だった。

 ヒュームが告げる。

 

「黛由紀江が本部へと到着しました」

「ああ……李が呼んだのか」

 

 征士郎は開脚して、上半身を床へとべったりつけた。今日は終日、李に休みが与えてある。というのも、彼の予定が急遽キャンセルとなったためであった。

 征士郎は体を起こし、どうだった、とヒュームへ問いかける。

 

「やはり良いですね。素質は言わずもがな、自己鍛練もかかしておりません。動作の一つ一つも洗練されている、その辺りも叩きこまれているのでしょう」

「ヒュームにして、その評価か。欲しいな……」

 

 九鬼に、ということである。征士郎が続ける。

 

「今一度、大成殿にも挨拶へ行っておいてもよいかもしれんな」

 

 黛大成。由紀江の父であり、剣聖と呼ばれ、国から帯刀許可をもらっている人間国宝。

 征士郎自身、大成には何度か会ったことがあった。それは三大名家である不死川や綾小路の主催するパーティであったり、現総理の誕生会であったり。

 決して親しいとは言えないが、由紀江が川神学園に入学する以前に、娘が入るからよろしく頼むと声をかけられる程度の仲ではあった。

 ちなみに、そのパーティ等でよく会う人物に、川神学園の生徒がいる。

 名を不死川心。名前の通り、不死川家の令嬢であり、英雄のクラスメイトである。京極同様、和服にこだわりがあるらしく、学園へも毎日着てきている。

 幼い頃からの教育により、征士郎に対しても威張ろうとするが、母の言葉である『九鬼と川神にだけはぶつかってはならない』という教えから、それもどうも中途半端になりがち。そして、征士郎が生徒会長になってからは、ようやく対等であるという扱いだった。

 話は戻り、ヒュームが口を開く。

 

「その際は、ぜひステイシーを同行させてやってください」

 

 人格者としても有名な大成である。言葉は交わせずとも、その場で感じることも多いだろう。加えて、ステイシーに多くの人物と関わらせることで、彼女の目を養わせたいという思惑もあるようだ。

 

「ステイシーも愛されているな」

 

 征士郎の言葉に、ヒュームは何も言わなかった。クラウディオ然り、ゾズマ然り、弟子を持っている者達は、彼らなりに愛着をもっているようだ。

 2人は鍛錬のため向かい合った。

 

 

 □

 

 

 由紀江は、途中までステイシーに案内されていたが、迎えにきた李によって、そのあとを引き継がれる。去り際、ステイシーは、仕事上がったらそっちに行く、と一言添えて、颯爽と元来た道を歩いて行った。

 その後ろ姿を見送ったあと、2人は李の私室へ向かった。彼女も休日のため、メイド服ではなく私服である。

 

「迎えが遅くなってしまって、すいません。由紀江」

「い、いえいえ。私が早く来てしまっただけですから! それより、今日はお誘いくださってありがとうございます!」

 

 つまらないものですが。由紀江はそう言いつつ、右手にあった葛餅を李に手渡す。

 

「ありがとうございます。お茶を入れるので、一緒にいただきましょう」

 

 李はそれを受け取ると、由紀江に着席を促し、自身はキッチンのほうへと足を進めた。

 由紀江は、その間、部屋を見渡す。李は物を多く置かないのだろう、シンプルなコーディネートであった。そんな中で、特に目につくのが、収納棚の上に置かれているものである。

 ガラスケースに入ったクリスタルのパンダが2頭。その隣には、アンティーク調の置時計、そして飾り立てに入れられた写真が数枚。

 一つはどこかの旅行先で撮ったもの。左にいるステイシーがとびきり笑顔で、中央にあずみ、右に李がおり、李は串焼きか何かを頬張っていた。写真が少し傾いているのは、ステイシーが自身を入れながら、シャッターをきったからであろう。

 一つは親子で撮ったと思われるもの。初老のメガネをかけた執事服の男性と李が写っている。男性は穏やかに笑っているが、それと対照的に李は固い表情である。

 一つはごく最近のもの。征士郎が腕を組み、その隣で李が柔らかい笑みを浮かべている。背景に桜の並木道が写っていた。

 一つは古いもの。そこに写っている人たちが今より幼い。征士郎と同じ髪色の女の子が2人と男の子が1人。そして、李とステイシー、あずみ、それともう2人執事服の男性がいる。

 由紀江がそれを熱心に見ていると、その背後から声がかけられる。

 

「この真ん中に立たれているのが、紋白様。征士郎様の妹君になります」

 

 紋白は腰に手をあて、仁王立ちしている。

 李が指を指しながら、続けて人物を紹介していった。

 紋白の背後に並ぶのが、左から英雄、揚羽、征士郎。英雄は腕を組み、揚羽と征士郎は紋白の肩に片手を置いている。

 英雄の左隣にあずみ、征士郎の右隣に李。揚羽らの後ろに、桐山と小十郎、ステイシーが並んでいる。

 区切りがついたところで、由紀江は李に礼を言って、再び席についた。

 風間ファミリーとの旅行。征士郎の供で向かったマレーシア。伊予のこと。百代やマルギッテのこと。同じ学園に通っていることもあってか、話す事は尽きそうにない。

 また、李は征士郎の弁当を作るため、料理の勉強もしていたので、そういう面でも会話に花が咲いた。由紀江も得意分野といえるものなので、饒舌だった。

 会話の途中には、李自身もうまく笑顔をつくることができなかったことを由紀江に伝え、彼女に驚かれたりした。

 由紀江があまり緊張せずに会話を楽しめたのは、学園で話したり、メールで遣り取りをしたり、他にも風間ファミリーや伊予らとの交流のおかげであろう。

 お茶がなくなれば、由紀江が、次は自分がと席を立った。

 時間が経つと、仕事を終えたステイシーが加わって来て、賑やかさも増す。李は学園でどんな様子なのか。刀を見せてくれないか。どんな鍛錬を行っているのか。他にも、アルバムを勝手に引っ張りだしたりした。

 由紀江の初体験は、とてもいい思い出になった。

 

 

 ◇

 

 

(……と思ってたんですけど、一体、なぜこんなことになってしまったのでしょう?)

 

 由紀江は、目の前で自身を褒めてくる征士郎と固まっている紋白を見て思う。

 今の由紀江の格好は、ここへ来る前と全く違っていた。束ねていた髪を解き、櫛を通して整え、その頭上にはホワイトブリム、紺色のシャツとロングスカートを着用し、その上に真っ白なエプロンを身に着けている。つまり、九鬼従者の制服を着ていたのだ。

 着せ替え人形と化した由紀江。それもこれも、後ろで笑みをこぼしているステイシーと李のせいである。比率で言えば、7対3くらいになるであろう。

 征士郎は一しきり褒めたあと、紋白の肩に手を置いた。

 

「黛……こいつは俺の妹で紋白という」

 

 それに合わせて、紋白が自己紹介を行った。ついで、由紀江も同様に名を名乗った。

 先に動いたのは紋白。

 

「すいませんが、兄上。我は黛と少し話をしてみたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

 征士郎は了承したが、李たちの意見も聞け、と促した。それに彼女らも別に構わないと答えたのを確認し、紋白は由紀江を連れ出す。部屋は李の所からほど近いステイシーの所を借りるようだ。

 先を行く紋白に、静かについて行く由紀江。傍から見れば、完璧なる主とメイドである。

 そんな2人を見送ったのち、李が、ご休憩ですか、と征士郎に問う。

 

「ああ……で、時間もあったからな。紋白ももうすぐ学園入りだろう? 紹介しておいてやろうと思ったのだ」

「にしても、紋様……由紀江見た瞬間、固まっていましたね」

 

 ステイシーが、先の様子を述べた。

 

「そうだな。少し珍しいものを見た。ただ驚いただけじゃないか? 知らない人間がメイド服を着て、李の部屋から出てきたんだ、無理もないと思うが」

 

 ステイシーも征士郎の言葉に納得したようだった。

 立ち話もなんですから、と李が自室へと征士郎を招く。彼はマナーとして、入って良いのか、と一度確認したが、彼女としては見られて困るものもないため、すんなりと許可を出した。

 征士郎が席についたところで、ステイシーが李に耳打ちする。

 

「もしかして、私邪魔者か?」

 

 李は、ステイシーの背中を激しく叩くことで答えた。

 

 

 □

 

 

 一方の紋白と由紀江である。

 ステイシーから借りた鍵で部屋へ入り、2人は向き合った。

 紋白が一度深呼吸をしてから、尋ねたかったことを口に出す。

 

「黛……お前、兄上のことをどう思っているのだ?」

 

 由紀江は、質問の意味がわからないのか、固まったままだ。

 そこで、はっとした紋白。再度、深呼吸を行ったところで、ようやく本来の彼女が戻ってきた。同時に、張り詰めていた空気が弛緩する。

 一度謝罪の言葉を口にして、紋白は言葉を選びながら、問いかける。

 

「黛は……その、兄上と親しいのか?」

『いや、親しいというか一方的に面倒みてもらってるだけです、はい』

 

 由紀江の心の代弁者、松風が答えた。たとえメイド服に着替えようとも、松風は手放さなかったらしい。もちろん、刀もしっかりと持っている。

 しかし、紋白の気迫に圧倒されているのか、松風も従順であった。そして、紋白も会話が、由紀江の腹話術で成り立っていようとあまり関係なさそうだった。

 

「ふむ。つまり……先輩後輩というだけか?」

『Yes,ma’am』

「黛から見て、兄上はどういう人だ?」

『絵に描いたような生徒会長やね。まゆっちを気遣ってくれるし』

 

 そこで、由紀江が恐る恐る疑問を投げかける。

 

「も、もしかして……その、間違ってたら申し訳ないのですが、私が先輩に気があるかどうか、を気にしているんですか?」

 

 ぴくっと紋白の体が反応した。それを由紀江が見落とすはずもなく。

 

(九鬼の方たちは、もっと泰然とされていると思っていましたけど……)

 

 接する機会があったのは、主に征士郎であり、英雄のほうは遠目から見るだけであった。

 近寄りがたい雰囲気があるのは確かである。今でこそ征士郎とも普通に話すが、始業式での一件がなければ、会話をする機会があったかどうかも怪しい。

 そういう意味では、由紀江も伊予と同じく、運がよかったと思っている。征士郎がどういう人間か知ることができたからだ。それでも、英雄に対しては、易々と話しかけることなどできそうにない。

 しかし、由紀江は少し見直す必要があると考え始めた。九鬼一族も人の子なのである。それを目の前にいる紋白が教えてくれた。

 由紀江が持った思いは、何も紋白を貶しているわけではない。

 

(紋白ちゃんは、お兄さんである士郎先輩が好きなんだ)

 

 親しみがもてると思ったのだ。

 ちなみに、征士郎は、学内では士郎先輩で通っていた。語呂がよく、言いやすいため、会長や九鬼先輩と呼ばれる以外はこれである。

 少し間があいたが、紋白は正直に頷いた。その顔には、やってしまったという表情が浮かんでいる。

 笑ったり、泣いたり、怒ったり、嫉妬したり。由紀江らと変わらない一人の女の子がそこにはいた。

 

「あまりに、その……兄上が黛を褒めていたからな。正直、妬いていた」

 

 紋白は既に切り替え、開き直った。そして、話を聞くと、どうやら、征士郎は由紀江と会う前に、紋白へ彼女のことを色々伝えていたらしい。

 由紀江は、今、自身が微笑んでいることに気づいているだろうか。

 

「心配いりません。確かに、私は士郎先輩にお世話になっていますけど、そういう関係にはならないと思います」

 

 その言葉に、紋白は、なぜだ、と首をかしげた。

 

「士郎先輩は立派な方です。憧れの存在って言えばいいんでしょうか?」

 

 由紀江自身、征士郎と恋をするなんて考えられなかった。むしろ、紋白に言われて初めて、それについて考えたと言って良い。

 それでも、そういう関係にはならないと断言できた。既に憧れてしまっているからだ。ある種、最も遠い場所に征士郎を置いているから、そのような感情が生まれてこない。

 それを聞いた紋白が、再度、先の態度について由紀江に謝罪した。

 

「紋白ちゃんの気持ち分かる気がします。私にも、あんなお兄さんがいたら、同じ気持ちになっていても不思議ではありませんから」

「変ではないだろうか?」

 

 紋白は結構気にしているらしい。

 

「私には妹がいるんですが、私も妹大好きですよ」

 

 そこからは、お互いの兄弟の話に移った。そして、由紀江は、紋白が兄や姉をどれほど尊敬し、好きであるかを知る。知れば知るほど、九鬼紋白という人間が身近に思えた。

 成長すれば、彼らの力になりたいのだ、と目を輝かせて言う紋白。

 嬉しそうな紋白を見ながら、由紀江は離れて暮らす妹のことを思った。

 そんな2人が距離を縮めるのに、然程時間はかからなかった。

 

「フッハハ! では、由紀江よ。また遊びに来るとよいぞ!」

 

 別れ際、紋白がそう述べるほどであった。それに対して、またお喋りしましょう、と淀みなく返した由紀江、そんな2人の親密具合に驚かせられた征士郎達であった。

 

「一体、何を話していたんだ?」

 

 征士郎の質問に、紋白は、女同士の秘密です、と笑って答えた。

 

 




紋白のイメージが壊れてないか心配。
私の中ではまだ大丈夫なんだが!!


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13話『東西交流戦』

 東西交流戦を行う。朝会で壇上に上がった鉄心は、ずらりと並んだ生徒たちを前にして、そう宣言した。6月に入ってすぐのことであった。

 東西交流戦と名付けられたそれは、天神館と川神学園の学校ぐるみでの決闘のことである。その内容は、学年対抗であり、各学年200人を選出しての集団戦。敵大将を倒せば勝利という至って分かりやすい勝敗の決し方だった。ルール無用の実戦による3本勝負で行われるとのこと。

 上にでてきた天神館とは、鉄心の高弟である鍋島正(なべしま・ただし)が創設した学校を指す。博多の天神に設立したから、天神館。なんとも分かりやすい名である。

 西日本から人材を多く募っており、近年では、西の天神、東の川神と呼ばれるほどの知名度を獲得しつつある。

 しかし、依然として、川神学園には及ばないという世間の風評もあり、天神館の生徒達は鬱憤がたまっていた。加えて、鍋島は、自身の生徒たちの強さを鉄心に披露したいとの思いがあり、わざわざ修学旅行にかこつけて、川神学園に決闘を申し込んできたというのが、経緯であった。

 征士郎は、資料に目を通す。そこに並んでいる名は、天神館の象徴とも言える十傑、西方十勇士であった。川神学園と同じく、天神館の2年は粒揃いであり、その中でも特に文武に優れた10人が、その名で呼ばれている。

 そのとき、部屋の扉がノックされ、征士郎の許可とともに開かれた。李である。

 

「皆さまが到着されたとの報告がありました」

「そうか……久しぶりの再会だな。すぐに向かう」

 

 征士郎は資料をデスクの上に置いた。長宗我部、鉢屋、毛利などの名が見える。

 今日は、その東西交流戦の前夜であった。

 

 

 ◇

 

 

「ここであったが100年目ぇーー!!」

 

 征士郎が、出迎えた一行の中から、そんなことを叫びながら突撃をかましてくる人物がいた。闘気の爆発に加え、その速度は常人をはるかに超えるもの。

 正直、征士郎には、それに反応することなど不可能であった。しかし、彼に慌てる素振りはない。ここは九鬼の本拠地であり、傍には専属、そして、その周りには頼もしすぎる従者たちが存在しているからだ。

 事実、突撃してきた人間、項羽は征士郎を射程に収める前に制止させられていた。

 見ると、項羽の体には無数の糸が絡みついている。細い糸であるが、それが帯状となるほどの量で、しっかりと視認できた。李、そして、いつ間にか姿を現していたクラウディオの仕業である。長時間の拘束はできないが、2人でなら、一瞬の足止めは可能であった。

 それだけではない。

 

「ヘイ! 元気がいいのはロックだが……征士郎様に害をなそうってのはロックじゃねえ」

 

 ステイシーが、鈍く輝く銃口を項羽のこめかみへ当てていた。それはいつもの自動小銃ではなく、ハンドガンである。だが、これも彼女専用に改良が加えられた特別製。小銃のように弾丸をばら撒くことはできないが、その一発一発を必殺の域にまで高めた、言わば量より質にこだわった結果である。

 年月をかけて、弾丸に自身の気を馴染ませる。そのために数を確保することが難しい。しかし、それだけのことをやる価値があった。

 体の芯を凍らせるような感覚。普段なら、恐れる必要すらない玩具のようなもの。だが、これは違う。項羽にもそれがわかったらしい。彼女の整った顔が歪んでいる。

 その項羽の首元には、首の全てを覆ってしまうのではないかと思えるほどの巨大な手。ドミンゲスのものだった。そのまま、力を込めていけば、彼女の首は容易く折れてしまいそうである。しかし、それをしないのは、征士郎の声を待っているからだ。

 同時に、項羽自身、気による頑強さがあるのだろう。それでも、苦しそうにはしているため、ドミンゲスの力も相当だ。

 そして、まだ手を出していない従者が、征士郎の両隣にいた。ヒュームとゾズマである。

 ヒュームが口を開く。

 

「運が良いぞ、清楚。もし、ステイシーらが止めず、あと一歩踏み込んでいたら、俺とゾズマがお前を強制的に抑え込んでいただろうからな」

 

 無論、武力による制圧である。

 口角を釣り上げるゾズマがそれに続く。

 

「お前ほどの実力者だ。手加減などしない……2週間ほど動けないだろうが、傷跡が残ることはないから安心しろ」

 

 これには、項羽もぶわりと嫌な汗をかいた。2人が冗談で言っているのではないと、その闘気が知らせてくれるからだ。

 2人だけではない、現時点で動いている4人も含めて、6人である。

 他のクローン組も固まっている。下手に動けば、巻き添えを食らわないとも限らないのだ。それでも、義経はなんとかしたいのだろう、そわそわしている。

 そこでようやく、征士郎が言葉を発した。

 

「よく来たな! 歓迎するぞ」

 

 堂々とした口調は、主として客人を迎えるにふさわしいものであった。

 征士郎は動けない項羽を横目に、後ろにいたクローンたちの元へ近寄る。それに合わせて、ヒュームとゾズマも移動する。

 

「義経、弁慶、与一……元気にしていたか?」

 

 義経はこくこくと頷き、弁慶は「ええ、まぁそれなりに」と答えた。与一も一応返事をしてくる。

 義経の瞳には、項羽をなんとかしてやってほしい、という懇願がありありと見てとれた。

 ここでようやく、項羽が声を発した。

 

「征士郎! 暢気に挨拶していないで、俺を助けろ!!」

 

 問答無用で襲いかかった人間の言葉とは思えないものである。さらに求めるのではなく、命令口調というところが、項羽らしいと言えばらしい。

 征士郎は、また項羽の眼前へと移動した。

 

「なぜ、襲ってきた相手を助けなければならんのだ?」

「くっ! お、鬼――!! 貴様には血も涙もないのか!?」

 

 目の前にいる項羽と歴史上の項羽。生まれ育った環境が違うため、2人はもはや別人物と言って良い。しかし、歴史上、二十万人を生き埋めにしたと謂われている項羽の言葉だと思うと、ブーメランのように跳ね返りそうなものである。

 そして、喚く項羽に、冷静にツッコむ征士郎。

 

「いや、両方ともある。人間だからな」

 

 征士郎は、一旦間をとると。

 

「お前、今の状況わかっているのか?」

 

 また四面楚歌だぞ。要はそう言いたいのである。しかも、この前より、状況が悪化しているとも言える。むしろ、処刑寸前。

 

「うわああぁ! それ以上口にするな!」

 

 項羽の瞳がうるっとしている。しかし、謝罪の言葉はない。いや、もうしばらく待てば、その口から漏れてきそうであるが、その前に彼女の瞳が決壊するかもしれない。加えて、征士郎には次の予定もある。

 解放してやれ。征士郎の一言で、全ての警戒が解かれた。義経が項羽へと近寄り、その背をさすってやる。弁慶はそんな優しい主に、ご満悦の様子。

 息を整えた項羽は、鋭い視線を征士郎へ送った。

 

「貴様は……俺にとっての劉邦だ! くそ、覚えていろよ! ば、バーカ! バーカ!」

 

 それだけ口にすると、項羽の雰囲気が一変した。どうやら、項羽は奥へと引っ込み、代わりに清楚が表となったようだ。本部を揺るがすような闘気は収まり、乱れていた服装も清楚の手によって、きっちりと直された。

 そして、清楚が頭を下げようとしたのを止める。

 

(折り合いはつけられているようだな……)

 

 征士郎はその様子を見ながら思った。これならば、学園でもなんとかなるだろうと。自身に向かってくるのは、何かと面倒だが、二度の危機的状況によって、手を出せばどうなるのか、それなりに理解したはずである。

 ヒュームは、やれやれとため息をついている。そして、にやりと笑うゾズマが、征士郎に声をかけた。

 

「劉邦ですか……この際、九鬼王朝でも作られますか?」

「そして酒に耽り、女を囲うのか?」

「征士郎様であれば、それも可能かと思われますが……」

 

 そこへ割り込んできたのは弁慶。酒という単語に反応したのだろう。

 

「もしや、そこに加われば、お酒が飲み放題になると?」

 

 義経が、何を言ってるんだ弁慶、と注意しながら、肩を揺さぶった。

 征士郎はそんな考えを笑って吹き飛ばす。

 

「ありえんな。それに……そんなことしようものなら、どこから鉄拳が飛んでくるかわかったものではない。周りには、頼もしい従者ばかりいるからな」

 

 征士郎は、その場に立つ従者全員の顔を見た。ヒュームは薄く笑みを浮かべ、ゾズマも同様。クラウディオも笑みを絶やさず、ドミンゲスは相変わらずの固い表情。ステイシーは、どっちに転んでもおもしろそうだと歯を見せており、李は冷静に征士郎を見つめるだけだった。

 

 

 □

 

 

 東西交流戦一日目は、1年生の対決であった。そのあとにすぐ2年であり、3年は翌日の夜に行われる。

 征士郎はこの戦いを通して、新たな人材を見つけることができるかもしれないと期待し、戦いの行われる工場へと足を運んでいた。

 それぞれのプロフィールには目を通しているが、書類上だけではわからないことも多くあるからだ。200人に応募してきた者たちは、皆、それなりに武術に長けているはず。それに何より、力の未知数な者が多い分、伸びる原石を見つける楽しみもある。

 そして、征士郎の一番目にかけている由紀江の存在。

 

(剣聖の娘……どれほどの腕前か見せてもらうぞ)

 

 武道四天王の一人を破った腕前である。ワクワクするなというほうが無理であった。

 1年生の大将を務めるのは、武蔵小杉(むさし・こすぎ)。Sクラス所属のブルマ娘。入学するやいなや、片っぱしから決闘をしかけ勝利し、瞬く間に1年を掌握してみせたのだ。聞くところによると、学園の制圧も目論んでいるらしい。

 

(元気があって良い。その気概も見事だ)

 

 ただ、2,3年の壁は相当分厚いと思われる。というよりも、3年に至っては武神がいるため、不可能と断言できる。もし、小杉が狙うとすれば、百代らが抜けたあとであろう。それでも、その頃には義経らの存在もある。近々、妹の紋白もその1年に入る。

 

 従うか、抗うか――。

 

 そこで、小杉という人物がどういうものか知ることができよう。しかし、征士郎は彼女のことを既にそれなりに把握している。

 なぜなら、1年を掌握してから間をおかずして、自ら挑戦状を叩きつけてきたからだ。武神は無理でも、生徒会長を倒せば、その制圧をしたも同じと考えたのか。

 その征士郎は滅多なことでもない限り、決闘を受けることはしない。時間も限られているからだ。ただし、学年を掌握した者、年度の最初に決闘を挑んでくる者のみ、無条件で闘うことを周知していた。

 よって、小杉の挑戦は受け入れられた。決闘の方法は、戦闘。どちらかが負けを認めるか、意識を失うかで勝敗を決することになった。

 その結果、小杉は敗北した。ヒュームに鍛えられている征士郎は、李やステイシーには及ばないものの、それなりの戦闘力を有しているのだ。

 そして、小杉は、見事なまでの掌返しを行って見せた。征士郎のカバン持ちまで行おうとしたほどである。もっとも、傍には李がいるため、その視線だけで黙ってしまったが。

 表では服従を選んでいるが、裏では色々と考えているらしい。しかし、征士郎からしてみれば、それも可愛いものだと思えた。負けん気の強いところなど紋白に似ているため、妹のようであり、憎めない奴という認識である。

 

(だからこそ、心配である)

 

 自らが戦功欲しさに飛びだす可能性があるのだ。小杉も1年を掌握してみせただけの実力はもっている。しかし、それは1対1という状況だったからこそ、勝利を重ねることができたのだ。囲まれれば、それを打ち破るのは困難であろうというのが、征士郎の予想である。

 そこで、機器をいじっていた李が報告を入れてくる。

 

「映像の感度は良好です」

 

 征士郎は、モニターを自身の目でも確認した。眼下に集まっている生徒たちの顔も、一人一人認識できる。もうしばらく扱いたかったが、李が、百代の接近を知らせてきたため、映像を切らせた。機器は手早くまとめ、他の従者たちに運ばせる。

 それから時を置かずして、百代が現れ、ついでマルギッテも姿を見せる。

 百代は西方十勇士に興味があり、加えて、昨夜の闘気についても質問を飛ばしてきた。マルギッテはクリスの応援と下見に来たらしい。

 征士郎を始め、李、百代、マルギッテの存在は、多くの人間の目を引いていた。屋上から見下ろしてくる4人は、ゲームのラスボスに匹敵する雰囲気があった。

 由紀江も、そして小杉も、無様な戦いはできないと心に誓っている。他の川神学園の生徒も同じだったかもしれない。なんせ、生徒会長が見物しているのである。士気は自然と向上していた。

 しかし、小杉の場合、征士郎が見ている前で、活躍するぞという意気込みであった。

 

 

 ◇

 

 

「大将が、わざわざ敵陣に突っ込んでいくとは、救いようがありませんね」

 

 天神館の勝鬨があがる中、マルギッテは呆れているようだった。

 誰もその言葉に反論しない。皆が同じ気持ちであった。結果は征士郎の予想通り、小杉が突撃をかけ、囲まれてジエンド。

 由紀江の活躍が見られる以前に勝負がついたのだから、早すぎる決着である。

 負けた1年生達の足取りは重い。特に小杉など、見ていられないほどだった。

 征士郎は大きく息を吸い込んだ。

 

「顔を上げろ! 負けて悔しいのは分かるが、それを糧とし前へ進め! いずれまた勝負できる日が来よう! その日のために、今日の敗北を忘れず励め!! 我が学び舎の校訓を忘れたか!?」

 

 小杉が突っ込んでいったことが敗因だったとはいえ、1年生は各々が好き勝手に動きすぎていたというのが大きかった。なんせ、小杉の周りに護衛すらいなかったのだ。

 それに比べると、天神館は1年生ながら、それなりの統率を見せていた。急ごしらえながらも、作戦を立てていたのだろう。

 征士郎の方へと顔を向ける1年生。言葉を続ける。

 

「次に勝つのはどちらだッ!?」

 

 数人の生徒が何かを言ったが、風で掻き消される。

 征士郎がもう一度問う。

 私達です。それに、一際大きく答えたのは小杉だった。

 

「声が小さいな! どちらが勝つのだッ!?」

 

 川神です、と声を張り上げる生徒たち。再度、征士郎は、声が小さい、と言い放つ。

 1年生たちは、先の勝鬨に負けぬほどの声をあげる。声を上げる度、彼らの心が昂揚する。

 

「それでこそ、我が自慢の生徒達だ! お前達の成長に期待しているぞ!」

 

 力強く頷いた征士郎に、1年生たちが雄たけびをあげた。まるで自身を奮い立たせるかのように。どんよりとしていた空気は霧散し、代わりに、熱気が戻ってきた。

 その声を聞いていたのは、1年生だけではない。これより戦いに臨む川神、天神の2年生たちも聞いていた。これを聞き、熱くならないはずはない。

 体の芯がじわりと熱を持ち、それはやがて全体へと広がっていく。周りを見渡せば、皆その瞳に闘志を燃やしている。自然と、武器を持つ手に力が入った。体の震えは、これから始まる戦いに対する武者震い。

 2年の大将である英雄が、高らかに笑う。笑わずにはいられないといった感じである。

 

「フハハハッ! お前達も聞いたであろう!! 後輩の尻拭いも先輩の役目よ! 何より、我らが長の前で無様を見せるわけにはいかんッ! 学び舎の名を高めるか!? 辱めるか!? 選べ、お前達!!」

 

 その声に、参加している2年の生徒たちが追随する。我らが勝つと。地を揺るがすような叫びであった。

 それに対する天神館も負けてはいない。

 刀を腰にさした黒髪の男が、前へ出る。名を石田三郎(いしだ・さぶろう)という。天神館2年の大将を務める。

 

「ほざいてくれるわ。何度、勝負しようが同じ事。勝つのは、俺率いる天神館よ」

 

 賛同する多く者が天に向かって、武器を掲げ、川神の咆哮に負けじと声をあげる。その声は木霊し、反響し合い、川神の空へと響いていく。耳をつんざくそれは、聞く者の心に訴える。勝利をこの手にと。

 それを聞く鉄心やルー、鍋島ら教育者は実に楽しげであった。

 その空気に中てられてか、百代がウキウキした様子で、柵へと手をかけた。

 

「いいなー! 私もこの中で戦いたいなぁ!」

「同感です。さぞ快感でしょう」

 

 マルギッテは眼下の生徒達を見下ろした。吸い込む空気が熱く感じるのは気のせいだろうか。

 2年の対決が、まさに今始まろうとしていた。

 

 




対決の順番などは変更しています。
項羽ちゃん、再び四面楚歌。


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14話『東西交流戦2』

 

 工場内に轟く爆音。それとともに、粉塵が吹きあげている。これでもう何度目となるか、数えるのも億劫になるほどであった。

 2年同士の対決は、既に始まっている。各所で突撃の号令がかかり、威勢の良い掛け声が木霊していた。

 戦況はやや天神館リードといった様相。しかし、十勇士相手に一歩もひかない川神学園は、その士気の高さゆえであろう。倒れるときは前のめりと言わんばかりに、天神館生徒へと襲いかかっている。

勇敢なる者へ続け。それに後押しされるように、一人一人が負傷を恐れず、さらに前へ進む。

戦場の空気は伝播していく。気圧される天神館の生徒達だが、それでも依然優勢を保つあたり、各々の能力の高さを感じさせる。

 そのとき、一際大きな歓声が響いた。

 

「やるじゃないか、島津岳人」

 

 征士郎は報告を聞いて、岳人の評価を高める。十勇士が一人、大友焔(おおとも・ほむら)の火薬による広範囲の攻撃を自らの体で受け止め、彼の背に隠れていた一子が、次の一撃を受ける前に撃破したという。ファミリーならではの息のあったコンビネーション。

 大友の攻撃により、多数の負傷者が出ていたが、十勇士の一角撃破の報に、川神の気勢がさらに増す。

 百代もファミリーの活躍に満足そうであった。特に、一子が将の一人を討ち取ったのが嬉しいのだろう。

 そして、岳人は未だ戦闘続行を望んでいるようで、一子を先に行かせ、自らの足で立ち上がっているらしい。

 その姿を見た生徒たちは、それを見て、何も感じないだろうか。

 

(否……これで熱くならない者もそういまい)

 

 頑丈な体躯に、強い精神力。無類の女好きはご愛嬌。

 

(本人が望むのなら、従者入りも悪くないな)

 

 征士郎は一人微笑んだ。従者部隊には20を超えている者がほとんどで、その上、美形が揃っていることでも有名である。年上好きの岳人である、最高の環境と言えるだろう。その分、クセの強い者も多いが、そこは相性にもよる。

そこへまたしても報告が入る。椎名京による毛利元親(もうり・もとちか)の撃破。

どうも、大友撃破とほぼ同時のタイミングだったらしい。

 天下五弓同士の戦いは、京へと軍配が上がった。立て続けによる十勇士の脱落。

 ここが勝負所であろう。

 

 食い止めるか、食い破られるか。

 

 大将である石田がどうでるのか、注目されるところであった。彼の実力は、2年の中でもトップクラスと言っても良い。ここでの一手で、彼の考えや性格など見えてくるものもある。

 厳しい目つきで戦場を見渡すマルギッテが呟く。

 

「川神学園が押し返したようですね……」

 

 軍人の嗅覚あるいは勘とも言うべきなのか、戦場の空気を敏感に感じ取っているようだった。

 クリス隊30人撃破、なおも進軍。次に来た知らせである。

クリス率いる部隊は、敵軍の一割強を削り、学内での撃破数もトップを独走中である。最前線を駆け抜ける少女は、既に軍人としての資質を開花させつつあるようだ。

 このままいけば、敵大将に遭遇するのはクリスである。マルギッテは嬉しさを隠しきれないようで、口元が笑っていた。それも百代に指摘されたことで、引き締まってしまったが。

 李が、征士郎に声をかける。

 

「あずみが、十勇士の一人、鉢屋を撃破しました」

 

 鉢屋壱助(はちや・いっすけ)。様々な依頼をこなす忍であった。

 この戦においては、単独で大将の首を狙いに行ったようだが、それをあずみに感づかれ、敗れたらしい。

 続いて、心が宇喜多秀美(うきた・ひでみ)を討ち取ったとの報告。華麗なる投げ技一つで、相手をのした。

 

「不死川もやるじゃないか」

 

 征士郎の前では、よく「にょわにょわ」言っているが、やるときはやるらしい。

 この言葉を聞いていれば、ここぞとばかりに自慢しただろうが、生憎、征士郎の声が戦場に届くこともない。

 十勇士もこれで約半数が落ちた。そのとき、戦場に響く悲痛な叫びが、征士郎らのもとまで聞こえた。神を呪うような声色だ。

 百代が呆れたような声を出す。

 

「あれは……ハゲだな。大方、ロリ絡みでなんかあったんじゃないか?」

 

 その予想通り、井上準(いのうえ・じゅん)が、十勇士の一人である尼子晴(あまご・はる)を女だと間違えて、未だ幼さを残したこんな子すらも、戦場に立つという悲しさを嘆いたらしい。そして、保護しようと抱きしめたところ、これが男であることが判明し、容赦なく気絶させたようだ。

 ちなみに、尼子の率いる隊は屈強で知られていたが、準が全てを片づけていた。

 そこからは、川神学園の快進撃。榊原小雪(さかきばら・こゆき)が長宗我部宗男(ちょうそかべ・むねお)を倒し、羽黒黒子(はぐろ・くろこ)が龍造寺隆正(りゅうぞうじ・たかまさ)を押し倒した。後者はまさに言葉通りである。その後、2人は物陰へと消えて行方知れず。

 加えて、大村ヨシツグも体調不良でそのまま戦線離脱。これで十勇士も残り2人となってしまっていた。

 天神館の生徒たちの間には、動揺が広がっていた。それに引き換え、川神学園の者たちは、ここぞとばかりに攻勢を強めている。その間、残りの石田と副将の島右近(しま・うこん)の名は、どこからも聞こえてはこない。

 

(時間切れを狙っての引き分けか?)

 

 マルギッテも征士郎と同じ事を考えていたようで、そう口にした。

 次の戦いは、武神のいる3年である。相手の人数は1200人、一体どこから連れてきたのかわからないが、百代と大将である征士郎が許可を出したため、200対1200の戦いとなる。

 それでも天神館の苦戦は必至だろう。ならば、この2年の戦いで勝ちをとっておきたいはず。

 

(自身の率いる学年が負けなければ良い……そういうことか)

 

 ここで引き分けても、天神館は1勝1分で優勢。その次に控える3年が勝てばよし。負けても、学校対抗として考えれば、引き分けという形で収まる。しかし、啖呵を切った割には、というのが正直な感想であった。

 しかし、勝負はまだ終わっていなかった。

 直江大和、敵大将と副将に遭遇。援軍で現れた川神一子が、副将島と戦闘状態へ移行。矢継ぎ早に知らせが入る。

 意外な人物の名が出てきたことに、征士郎は興味を惹かれた。マルギッテも同様である。

 唯一、百代だけは、大和の考えがなんとなく分かるらしい。にやりと笑みを見せている。

 大和はどう見ても戦闘タイプではない。征士郎の見たところ、その回避能力だけは一級品だが、相手を打ち倒すだけの武力は皆無である。

 そこに更なる報が飛びこんでくる。

 

 背後より、クリス隊が敵大将を急襲。

 

 それを聞いたマルギッテは相好を崩したが、すぐに悔しげな表情になった。百代が、どうした、と尋ねる。

 

「クリスお嬢様の勇姿をこの目で見ることができないのが、残念でなりません」

 

 見物できる場所は指定されており、ヘリでも使わない限り、全ての戦場を見ることは敵わない。仮に、隠れて見ようとしても、ここを監視しているのが鉄心やルーといった壁越えの者たちである。その目を掻い潜るのは困難であったし、最悪の場合、この勝負そのものに何らかの影響を与えかねない。

 

「副将、川神一子が討ち取ったわぁー!!」

 

 征士郎らの所までその声が届いた。それに続く声があがる。

 

「敵総大将、クリスティアーネ・フリードリヒが討ち取ったッ!!」

 

 クリスのかけた急襲から、間髪入れずして、追撃となる風間翔一(かざま・しょういち)の奇襲。京の弓による援護。とどめが、再度クリスによる至近距離からの刺突。息もつかせぬ猛攻で、石田に何かをする余裕を与えなかったのが勝因であった。

 翔一は捨て身の攻撃であったため、反撃をくらい軽傷とのことだった。

 無類の活躍を見せた一子とクリスが、声を合わせて、勝鬨を上げる。それは他の川神学園の生徒たちにも伝わり、どんどん歓声が大きくなった。

 

 

 □

 

 

 翌日の夜、最後の大一番が始まろうとしていた。

 武器を片手に並んだ生徒たちは、未だ緊張感が足りていない様子で、ざわざわとざわめきたっている。

 そんな彼らの前には、総大将のために用意された背の高い椅子が、壇上の上に鎮座していた。その四方には篝火。椅子の傍らには川神学園の校旗があり、それが風ではためいている。

 そこに、一人の男が姿を見せるなり、そのざわめきは一気に静まった。

 3年の総大将、九鬼征士郎である。彼の姿が篝火で照らされる。その後ろに控えるのは、当然、李である。

 そして壇上の下でも、彼と同じく生徒たちと向かい合う者達がいる。今回の戦で、将として選ばれた者達だ。

 川神百代。マルギッテ・エーベルバッハ。南条・M・虎子。矢場弓子。

 静寂の中、篝火が賑やかに爆ぜ、校旗のはためく音が、皆の耳に届く。

 

 戦が始まる――。

 

 先ほどまでの弛緩した雰囲気は霧散し、肌をうつような緊張感が場を支配する。

 

「戦績は1勝1敗である。1年は今回の敗北で己の未熟さを知り、克服していくだろう。2年は勝利を掴み、自らの歩んできた道を誇るだろう。そして、我ら3年はどうするか……」

 

 征士郎の声が響き渡る。しんと静まる中、生徒たちの何人かが声をあげる。勝ちを、勝利しかないと。追随する者も現れる。求めるは勝利のみ。

 

 勝利。勝利。勝利――。

 

 それはやがて、大きな合唱へとつながる。手に持つ武器で、持たぬ者は自身の足で地を叩き、その言葉を叫ぶ。

 砂煙が足元に広がるのも無視して、地を鳴らし続ける。

 ボルテージが徐々に上がっていく。それを証明するかのように、声はより盛大に、地の揺れはより大きくなっていった。ノリの良い川神学園の生徒達である、熱くなる空気はたちまち川神陣営を覆っていく。

 さらに、征士郎ら3年にとっては、この1年が皆で過ごせる最後の年である。他の学年にはない思い入れがあるからこそ、より一層力が入るというもの。

 百代とマルギッテは獰猛な笑みを見せ、虎子は共に楽しげな声をあげ、弓子は涼しく笑った。

 征士郎が右手をすっと挙げ、それを合図に大合唱が止んだ。そして、天を掴むようにして、握りこぶしをつくる。

 

「その通りだ! 圧倒的勝利をもって、この戦いを終わらせるッ! ねじ伏せろッ! 我が学び舎こそ、最高にして頂点だと、その行動をもって示してやれ!!」

 

 征士郎は挙げた右手を振り払い、間を置かずに、さらに言葉を続ける。

 

「百代、並いる敵を蹴散らせ」

「まかしておけ! ワクワクするなー」

 

 振り返った百代は、征士郎へとウインクを飛ばすと、腕をぐるぐると回す。

 

「マルギッテ、主力部隊はお前に預ける。敵大将の首、あげてみせろ」

「容易いと知りなさい。猟犬の名が、伊達でないことを見せてあげましょう」

 

 踵を返したマルギッテが、征士郎に向けて、力強く頷いた。

 

「虎子、敵のかく乱はお前の役目だ」

「オマカセッ!」

 

 虎子は握った右手を空へと突きあげる。加えて、テンション高く雄たけびをあげた。

 

「弓子、主力の援護はまかせたぞ」

「了解で候!」

 

 弓子は右拳を左の掌にあて、答えた。

 征士郎はそこで一度頷くと、再度、生徒達へと視線を向ける。そして、再度、右拳を天にかざす。

 

 勝利を求めよ、勝利を我が手に――。

 

 征士郎に続き、生徒達が各々の武器を天へと掲げ、同意を示す咆哮をあげる。

 どんな相手が来ようとも、今の自分たちなら負けはしない。隣を見れば、共に吠える仲間の顔。それだけで心が奮い立つ。

 何より楽しいのだ。この一体感、一つのことに一致団結し、立ち向かうこの瞬間が。

 あと何度、この感覚を味わえるのか。そう考えるともったいなく思えてしまうほどに。

 しかし、今は大事な一戦の前である。そんな考えを掻き消すように、さらに声を張り上げる。

 そこに響く将からの号令。それに従って、生徒達が動き出す。

 東西交流戦を締めくくる最後の戦いが、今始まろうとしている。

 

 

 ◇

 

 

 最初に声をあげたのは、百代だった。その声は、待ってましたと言わんばかりの喜色に溢れている。

 

「来たぞ来たぞ。一体、何人こっちに向かってきたんだ? 数えきれないぞ」

 

 征士郎のいる壇上より、はるか先方に百代は立っていた。周りに、他の生徒たちの姿はない。守りを固める彼らは皆、征士郎の壇上近くにいるからだ。その指揮をとるのは、李の役目である。

 天神館の生徒たちも、百代の姿を視認したのだろう。空気が張り詰める。

 天神館の1000人は、ほぼ百代に対しての相手である。そのまま、彼女にぶつけてくる。

 

 そう思われていた――。

 

「狙うは総大将の首一つッ!! 仲間の屍を踏み越えてでも、突破せよッ!!」

 

 天神館の将の一人であろう。そう声をあげ、突撃の号令をかける。そして、掛け声とともに、一斉に攻めてきた彼らは、地鳴りがするほどの数であった。その威圧感たるや、滅多にお目にかかれるものではない。

 砂煙が乱暴に巻き上げられ、百代の眼前は、まるで戦争のワンシーンのようである。しかし、彼女がその程度でひるむこともない。

 百代は鼻で笑って呟く。

 

「楽しませてもらおうか。簡単に通れると思うなよ……」

 

 百代が一歩踏み込んだ。

 先頭を走っていた敵は、さぞや自身の目を疑ったであろう。何せ、姿を消した百代が、瞬きをする間に、目の前にいたのだから。彼の意識はそこで途切れた。

 

「ほらほら! どうした、どうしたぁ!!」

 

 20人を5秒と言わずに倒した百代が声をあげる。と同時に、地面へと掌をくっつけた。

 次の瞬間、辺り一帯を氷漬けにして、景色を一変させてしまう。当然、その範囲にいた人間も同様であった。軽く50体以上もの氷像の完成である。

 氷像の顔は、皆、何が起こったのか理解できていないといった風であった。

しかし、そんな光景を見せられてもなお、天神館の生徒たちは、目標を目指す。命令が徹底されている上、生徒の一人一人の覚悟が並々ならぬものである。

百代が地面から手を離すと、氷も一気に割れ、巻き込まれた人間が膝から崩れ落ちた。だが、その中でも彼女へと食らいつこうとする者が数人いた。

 先へ進む仲間のために、自身が犠牲となろうというのだ。百代を四方から囲もうとする。

 

「その気概、見事だッ!」

 

 百代はそう言い放ち、その者達を地へ沈める。その彼女の視界が、戦いを避け、通り抜けようとする集団を捉えた。それもわざわざ左右を分けてである。少しでも犠牲を減らしながら、より多くの仲間を敵大将である征士郎の元へと送り出すためであった。

 人数が多くなる分だけ、大将を討てる可能性もあがるからだ。

 しかし、それはあっけなく潰される。百代がやったこと、それは両足を交互に振り抜いただけであった。

 天神館に襲いかかったのは、飛ぶ斬撃とでも言えばよいのか、ともかく彼女の足から放たれた闘気だったのだ。もろにその一撃を喰らった者、ガードした者、それら全てを呑みこんで吹き飛ばした。

 その攻撃の一瞬を、天神館の弓兵らが狙う。放たれた矢は空の一部を覆わんとするほどの量である。

 

「万物流転……」

 

 百代の口から、その単語が漏れた。膨大な弓矢は、放った主達向けて、その牙を突きたてようとしていた。要は、反射したのである。

 天神館サイドから悲鳴があがるが、百代は既に次のターゲットへと移っていた。

 

 

 □

 

 

 そんな百代の様子を椅子に腰かけた征士郎が、眺めている。

 

「歩く天災とはよく言ったものだ。あれでも、ヒュームから言わせれば、足りない所が多いというのだから、武の頂きとはかくも高き所にあるのだな」

 

 征士郎にしてみれば、百代に足りないのは、せいぜい精神的なものぐらいである。

 隣で立っている李も、その百代から目を離さない。こんなときでも、吸収できるものはしておきたいらしい。

 

「鍛えれば鍛えるほど、頂きが遠のく気がするほどです。百代も、そのことにいずれ気がつくことでしょう」

 

 どん、という地響きとともに、天神館の生徒たちが空中へと舞い上がる。それも一人や二人ではない、十の単位で起こっているのだ。

 

「究めようとすればするほど、己の未熟さを知るか……」

 

 そこで、李が征士郎へと呼びかける。新手が来ましたと。

 

「ほう。さすがに正面だけなく、別ルートからも人を送って来ていたか……だが、それもばれていては意味がない」

 

 任せる。征士郎はその一言を李へと告げる。

 李はそれに短く答えると、守備についていた生徒たちの配置を変える。それと同時に、守備隊にいた彦一が言霊を発動させた。それを聞いていた皆の雰囲気が変わる。

 

(言霊か……)

 

 征士郎は、昔に彦一より、お前の言葉にもそれが宿っている、と言われたことを思い出していた。もっとも、それはある一定のものに働きかけるだけであって、彦一のように、身体能力を上げたり、痛みを誤魔化したりと応用が利くものではなかったが。

 そして、姿を現した敵に対して、李自ら先制を行った。川神、天神、両生徒の間にふわりと降り立つと、両手を軽く動かす。その仕草は、まるで楽団を操る指揮者のようであった。美しい旋律を奏でる代わりに、無数の糸が敵へと絡みつく。

 李が右薬指で一本の糸を弾いた。5人の生徒が崩れ落ちる。左人差し指で弾く。7人の生徒が上空へと釣りあげられる。中指で同時に弾く。10人の生徒が武器を一斉に失う。

 あとは任せます。李は、守備にあたっていた生徒達に声をかけた。彼女はそのまま戦場から姿を消す。

 

「誰かいたのか?」

 

 10秒にも満たない間であったが、征士郎の傍からも離れていた李に問う。

 

「鉢屋と同じく、影から征士郎様を狙う輩がおりましたので、その始末を」

「何人だ?」

 

 7名です。李は答えた。2年よりも数が多いのは、質を量でカバーしようとしたのであろう。しかし、それにしても相手が悪かった。

 隠密を成し遂げるのは、技術も経験も、あまりに違いすぎたのだ。李にとって、そのような相手は、赤子の手を捻るよりも容易であった。

 それから間を置かずして、守備にあたっていた生徒から、敵の全滅を確認との報告が入る。

 百代の方も、あとは時間の問題であった。

 

「さて、マルギッテ……あとはお前が首をあげて、フィナーレだ」

 

 征士郎は、彼女らが向かった先に視線を向ける。

 

 

 ◇

 

 

 そのマルギッテは、視界に敵本陣を捉えていた。歩兵に加え、弓兵もしっかりと配置されている。敵は、予想以上に守備にも人数を割いていたようだ。

 どうします、とすぐ後ろを走る生徒の一人が、マルギッテへ声をかけた。

 

「皆、私の背だけを追いかけなさい! 本陣を駆け抜け、一気に大将を落としますッ!」

 

 応、と力強い返事のみを返してくる仲間に、マルギッテは笑みをこぼす。軍ほどの統率は図れないが、それでも満足のいくレベルであった。

 敵はすぐさま弓を引き始めた。あと数拍もせずうちに、放たれるであろう矢。しかし、後ろを走る川神の生徒達に怯える様子はない。

 そこへ横撃をしかける隊があった。虎子の率いる隊である。最短ルートを駆け抜けてきたらしい。それも、人数の限られた隊だからこその結果。にもかかわらず、マルギッテの率いる主力も僅差で迫っていたのだから、彼女の行軍スピードは並ではない。

 

「キルゼムオールッ!!」

 

 虎子が、縦横無尽に敵陣を駆け回る。彼女の派手な白い被り物は、遠目でもその位置をはっきりと知らせてくれるのだ。乱された敵弓隊に、迷いが生じていた。

飛び膝蹴り、ひじ打ち、素早い攻撃で手数を増やし、時に飛びはね、時に地に伏せ、虎子の予測不能の動きは、翔一を彷彿とさせる。

 マルギッテは、トンファーを握りしめる。

 

「さぁ、野兎狩りの始まりですッ!」

 

 目の前の相手を同時に3人仕留め、敵陣に風穴をあけた。そこから、板に釘を刺すかのように、一直線。敵大将へと進む、そのスピードが落ちることはない。

 それに合わせて、両サイドから弓が放たれた。敵ではない。

 

「確実に、一人一人狙っていくで候!」

 

 高所へと配置をとった弓子率いる弓隊であった。マルギッテの主力の最後尾から、敵が見えたところで別行動をとっていたのだ。

 降り注ぐ矢の雨が、マルギッテ隊によって、分かたれた左右の敵へと襲いかかる。

 

「貴方達は敵の背後より、展開し包囲しなさい! あとは、私一人で十分です!」

 

 敵陣を貫いたところで、主力部隊とマルギッテが別れた。

 そこで、マルギッテのスピードがさらに上がる。生徒たちの行軍に合わせていたためだ。

 敵大将の後ろには、数人の弓兵を備えていたらしい。マルギッテに向かって、矢が放たれた。しかし、それが彼女に当たることはない。トンファーで弾き、残ったものは紙一重で避ける。

 敵も大将を名乗るだけあり、武にそれなりの自信があるようだ。槍と下段に構え、迎撃するつもりらしい。

 面白い。マルギッテの笑みが深くなった。やれるものなら、やってみろとその表情が語っている。

 先に動いたのは、射程の広い敵大将。

 

「腕は悪くない。それでも――」

 

 マルギッテは、振るわれた槍を受け流すと、懐へもぐりこんだ。

 

「私の敵ではありません」

 

 既に攻撃を終えたマルギッテは、敵大将の背後を軽い足取りで歩いていた。数人の弓兵も、次が打たれる前に、弓子が仕留めたらしい。弓道部部長を背負うだけの実力はある。

 地に伏した敵大将を確認し、マルギッテが声をあげる。

 

「敵大将、マルギッテ・エーベルバッハが狩りました。決着だと知りなさい」

 

 奇しくも、大将を倒すという大金星をあげたのは、新しく加わった仲間であった。

 真っ先に勝鬨をあげたのは、まだまだ元気の有り余っている様子の虎子。それに続いて、川神学園の生徒たちが、喜びの声をあげる。

 有終の美と言って良い完勝。この勝利によって、東西交流戦の勝者は川神学園に決定した。

 

 




原作とは所々変えています。
Sでの3年総大将は百代だったのかな? 今頃になって、疑問が湧いた。
ちなみに、義経とか暴れたい項羽ちゃんとかは、本部で御留守番。


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15話『転入生2』

 

 東西交流戦が終わった次の日、朝のニュースでは早速、偉人達のクローンについて、大々的に発表された。源義経、武蔵坊弁慶、那須与一の源氏一派。そして、項羽である葉桜清楚。テレビの司会者が、彼らの経歴などをざっと紹介しながら、過去どういう人物であったかを説明していた。

 加えて、彼らは、今日より川神学園に編入されることも伝えられており、生徒達の多くがそれに驚いていたりする。

 そして、場所はその川神学園へ。

 

「皆も既に知っておるじゃろうが、川神学園に、また新たな仲間が増えることになったぞい」

 

 皆が集まった朝会、壇上へと登った鉄心がそう口にした。

 紹介される順番は、清楚、義経、弁慶、与一。その中でも皆の驚きが大きかったのは、清楚と弁慶であった。それも仕方がないことだろう。なんせ清楚は、中国一とも謳われた猛将の空気など微塵も感じさせない女性であり、弁慶も挿絵などで見られるむさ苦しい男とは、正反対の妖艶なる女性だったのだから。

 男子生徒たちのテンションはウナギ登りであり、結婚を申し込む者、交際を申し込む者、ただ好きだと伝える者、彼女募集中だとアピールする者などなど、とにかく場は騒然としていた。

 当然ながら、生徒の中からは、清楚が本当に項羽のクローンなのか、と疑問を持つ者も多かった。それについては、全員の紹介が終わったあと証拠を見せる、と鉄心が答えたことによって、一旦その場は収まった。

 対して、義経は男女とも好意的な反応であり、挨拶がちゃんとできたことを弁慶に報告するも、首元に付けていたマイクが入ったままで、その内容を聞かれていたという少し抜けた所も披露し、一層親しみをもたれていた。

 最後に、与一だが、彼は結局壇上に姿を現すことがなく、クローン組唯一の男と楽しみにしていた女子生徒達からは、不満の声があがっていたりする。

 征士郎の後ろに控えている李も、彼の一言があれば、すぐにでも屋上へいる与一を引っ張って来るつもりなのであろう。微動だにしていないが、空気で何となくそれを察することができた。

 

(といっても、どうこう言うつもりもないからな……)

 

 余程の逸脱した行為をしない限り、こちらから何かを言うこともない。与一もそれは十分に承知しているはず、その証拠として、悪態をついてはいるが学園にも来ている。

 ちらりと源氏の頭領を見やる征士郎。相変わらず、そわそわしていた。その隣で、あとでシメとくから、と心配そうな主を慰める臣下だが、その手には徳利が持たれている。

 ちなみに、弁慶の川神水の件は、テストで4位以下に落ちた場合、即退学。逆に、上位3位までをキープする限り、それを許すということに決定していた。それはつまり、Sクラスの中でも、冬馬と英雄以外なら勝てると判断したわけであり、鉄心の口より、これが伝えられた瞬間、Sクラスの空気が変わったのも当然と言える。中でも、不死川を筆頭とした大半の生徒は、舐められていると怒りを露わにしていた。

 逆に、それを気にしない生徒も数名おり、英雄などは、弁慶の啖呵を気に入った様子ですらあった。

 そこで、突如としてBGMが鳴り響く。その原因は、正装した某音楽団だった。心を揺さぶられるような音色に、数えきれないほどの九鬼従者の登場。

 その従者達は壇上までの長い行列を2列作ると、合図もなしに一斉に向かい合い、頭と肩をがっしりと組んで、その上を歩く九鬼の末姫のための道となった。

 

「我、顕現であるッ!」

 

 ばばん、と効果音でもつきそうな登場をした紋白。

唖然とする生徒達の中から、英雄が笑い声をあげると共に、妹であることを喧伝している。

 そして、1-Sへ編入されることになったことが伝えられた。それに伴うヒュームのこともである。またもや場は騒がしくなったが、それも一時のことで、何でもありの川神学園なら、とほとんどの生徒がそれを受け入れていた。

 

(こうして、川神学園の生徒ができるのだな……)

 

 普通ではありえないような事が平然と起き、始めは驚く新入生達もこれらの出来事を経て、慣れていくのである。それを証明するかのように、3年生の多くは、むしろ面白がっていた。

 立派な川神学園の生徒の出来上がりである。

 転入生全員の紹介が終わったところで、壇上に立つ人間が鉄心から征士郎へと変わる。

 

「皆が疑問に思ったことに対する答えを示そう……これより、清楚の実力を見せる」

 

 征士郎の指示により、生徒達が移動して、グラウンドの中央が空けられ、鉄心、ヒューム、ルー、クラウディオといった実力者が四方へ散る。

 清楚、前へ出ろ。征士郎の言葉に、彼女は静かにその場から歩を進める。彼女の正体を知っていても、自然と心配してしまうのは、その雰囲気のせいであろう。教師からの注意もないため、生徒達はざわめき立っていた。

 それがピークに達したのは、次の一言である。

 

「清楚の相手は……3年F組川神百代」

 

 さすがに騒ぎが大きくなりすぎたのか、一度、教師達から注意が入った。しかし、それでもなお、完全に静まることはない。それだけ、驚きが大きいからだった。

 だが、指名された百代は違ったようだ。

 

「だと思ったぞ!」

 

 群衆の中より、ひとっ飛びして現れた百代が、そう言った。分かっていたのだ。清楚を見た瞬間、その秘められた実力が如何程であるのか。綺麗な花には棘があるとはよく言うが、清楚の場合、棘などでは到底収まらない。ヒュームや鉄心の存在がなければ、と悔んだほどである。

 しかし、その機会がわざわざ用意されていたのだ。百代は子供のようにはしゃいでいた。

 征士郎が言葉を続ける。

 

「では始めるぞ。清楚、相手としては申し分ないであろう」

 

 にやりと笑った項羽は、言葉ではなく闘気で応えた。肌を刺すような気の爆発。空気が緩んでいた分、その反動もより大きかった。四方に張られた結界を通したとは言え、間近での事象。生徒達の大半は武をかじっている者であり、反射的に身構えるのも当然であった。

 周囲への影響すら鑑みない圧倒的暴威である。彼らの視線は、荒々しい空気を纏う項羽へと釘付けとなっていた。

 

「んはッ! 交流戦の代わりに用意してくれたのが百代とは……悪くないぞ。征士郎、褒めてつかわす!」

 

 整っていた服装は乱れ、目つきは猛禽類のように鋭くなっている。口調も先の面影を失くし、あれほど騒いでいた男子生徒も今やだんまりであった。

 

 武神が2人になった――。

 

 それが男達の共通の思いであった。

 それとは反対に、笑みを隠しきれていない生徒が一人。既に構えをとっている百代だ。

 

「さっきの清楚ちゃんも可愛かったけど、今の清楚ちゃんも、とってもチャーミングだぞ」

「おい、無礼者め。俺の事は覇王と呼べ、百代」

 

 空間が軋む。お互いが発する闘気によって、本人達が手を合わせる前の前哨戦と言ったところだろうか。

 百代が笑う。まるで探し求めていた相手に出逢えたかのように、喜びによって、全身を震わせていた。

 そして、どちらともなく、距離を詰める。その動きですら、この場にいる多くの人間には追い切れない。彼らに見えたのは、彼女達の立っていた場所に砂煙があがったこと。2人が互いに射程圏内に相手を入れたことだけ。

後者も、百代と項羽が一瞬止まったからこそ、見えたものである。

 そして、その後の光景を一体、何人の者が信じられただろうか。

 

 校庭に立っているのは項羽ただ一人。

 

「この程度で武神とは笑わせるッ! 征士郎、どうだ! 俺の力を思い知ったか!!」

 

 項羽は腰に左手を持っていき、右人差し指でビシッと征士郎を差した。本来であれば、対戦者に向けるべき言葉であるが、彼女の場合、仮に対戦者がいたとしても、それを無視して彼に、この言葉を投げかけたと思われる。

 項羽と百代の決着は、皆が思っているより、呆気なくついた。百代が正拳突きを繰り出したタイミングに合わせ、項羽がカウンターを放ち、もはや百代の定番ともなっていた対戦相手を星と化す、まさにそれを項羽にやられてしまったのである。

 自身と対等にやり合えると本能で悟った百代が、戦いを楽しもうとしないはずがなかった。少しでも長くやり合うために、力を抑制する。それに伴う負傷は、瞬間回復といった荒技で治すことができる。むしろ、負傷するということは、相手がそれだけ強いということであり、さらに楽しめる要因でしかない。

 一方で、項羽にしてみれば、最強と名高い武神との対戦。天下をとる意味でも、まず自身の武を示しておくほうが良いと考えていた。加えて、勝手にライバル認定した征士郎の手前でもある、ここは一つ派手に勝ちを納めておくのが得策と判断したからだった。

 

(マープルにも、まずは川神学園を支配下においてみろと言われたからな)

 

 天下をとるためには、どうすればよいか。項羽は、それをマープルに問うた際、上の答えが返ってきたのだ。よって、勉強は清楚に任せ、自身は学園制圧に取り組む。

 

(本部での一件は遅れをとったが……)

 

 自身には、武神すらも圧倒できる実力がある。あのときは偶々、タイミングが悪かった。本部という征士郎のホーム、いや聖地と言っても良いあの場所での襲撃はまずかった。激情に駆られたとは言え、あとで清楚にも指摘されたことである。

 しかし、今後用意されている舞台においては、正々堂々打ち負かすことができる。

 

(今から、俺の武力に恐れ戦くが良いわ!)

 

 ふふん、と自慢げな態度の項羽。それはまるで、子供が一等賞をとったときに、見せびらかせるようなものであった。

 その征士郎はというと。

 

「このように……あの武神と呼ばれる百代が星と化した。これで、清楚の実力もそれなりに理解できたであろう。だが、必要以上に怖がる必要はない。清楚も学生であり、お前達も学生である。礼を失しなければ、競うことも友情を育むことも自由である。もちろん、恋に落ちるのも構わん。ただ、その際はそれなりに覚悟して挑めよ……以上だ」

 

 淡々と生徒達に語りかけていた。恋愛OKと征士郎の口から出たところでは、静かだった男女ともに盛り上がり、歓声を上げる者もいた。その歓声は次第に、項羽に対しての賞賛へと変わり、校庭は打って変わって、明るい雰囲気になる。

 また、百代が星になったことについても、皆心配はしていない。この程度でどうにかなるのなら、彼女が武神などと呼ばれることもなかったからだ。

 項羽は征士郎へと詰め寄ろうかとも思ったが、飛んでくる賞賛の声に気分が良くなったため、この場は矛を納めておくことに――。

 

「って、聞いているのか、征士郎!? 俺を無視するとは無礼だぞ!」

 

 できないのが、項羽の性格である。

 征士郎は皆に向けていた視線を項羽へと移した。その瞬間、彼女が怯んだのは、これまでの彼の行いのせいだろうか。

 

「なんだ? 褒めてほしいのか?」

「そんなわけあるかッ! というか、なんだ、その素っ気ない反応は!?」

 

 そう言われても、征士郎にしてみれば、この結果も予想の一つであったため、驚くようなことでもなかった。

 

「お前の実力は、前もって知っていたのだ。この程度、できてもおかしくはない。むしろ、一撃で終わらせてしまったから、持ち時間が余ってしまったぞ」

 

 そこで、征士郎は生徒たちに質問を投げかける。項羽について聞きたいことでもあるかと。

 無視するなと騒ぐ項羽は、源氏組によって宥められている最中である。

 そこからは覇王様に対する質問タイムとなった。高圧的な項羽に恐れていた生徒達も、征士郎との遣り取りの中で、それが緩和されたようだった。

 そして、一部の生徒達が、覇王様弄ってみたいと思ったのも、征士郎が原因といえるだろう。もっとも、圧倒的な戦闘能力を有しているため、それを遂行するためには、命を賭す覚悟が必要であり、そんな機会が訪れることは生涯ないだろうと悟っていたが。

 終始騒がしい朝会となった。ちなみに、飛ばされた百代だが、何とか1限目の授業に間に合っていた。

 

 

 ◇

 

 

 授業が終わり、放課後となる。

 征士郎は珍しく屋上へと足を運んでいた。その目的は花を愛でるためではなく、それらを世話している人物に、時間を作ってほしいと頼まれたからであった。

 

「それで話しておきたいこととは何だ?」

 

 征士郎が清楚へと声をかけた。

 屋上に備えてある花壇には、広いスペースが与えられており、赤青黄といった原色から藤色、浅葱色、山吹色などの多くの彩りが、見る者の目を楽しませてくれる。

 清楚は、この花壇の世話を買って出ていた。普段から世話をしている鉄心が、その申し出を喜ばないはずもなく、すんなりと許可が出されたのである。

 

「うん……その、ありがとう」

 

 清楚は少し言いよどみながらも、はっきりと感謝を示した。

 

「項羽のことか?」

 

 清楚から感謝されるとすれば、それ以外に思い当たることがない。事実、その通りであり、彼女が頷いた。今の今まで、しっかりとお礼が言えていなかったのが、彼女としてはひっかかっていたのだ。

 

「本当に驚いたけど……でも、やっぱり知ってよかったと思ってる。これからは知識を蓄えるのと同時に、鍛錬の時間も増やしてもらったんだ」

 

 項羽の力は絶大であるが、その分、荒削りである。これも目覚めたばかりであるため、仕方がないことであるが、それはこれから磨いて行けばいいだけのこと。

 正体を知ることで自身の方向性が明確になり、迷いがなくなっていた。

 清楚が少し意地悪な笑みを作る。

 

「征士郎君にも勝ちたいからね」

 

 小悪魔的な魅力がそこにはあった。征士郎を負かしたいという気持ちを清楚も応援しているのだろう。

 

「俺に勝つ、か。楽しみにしている」

「うー……なんか、余裕しか感じられない」

 

 征士郎の平然とした態度に、清楚は口を尖らせた。何かしら違った反応を見せてくれるのではないかと思っていたのだ。

 倒し甲斐のある相手であろう。征士郎が笑った。

 

「征士郎君の弱点とか教えてくれないかな?」

「清楚にとっての四面楚歌と言ったようなか?」

 

 その単語を聞いた清楚は、あう、と顔をしかめた。そして、すぐに頬をふくらませる。どうやら、項羽との混じりによって、清楚にとってもこの単語は嫌らしい。

 

「その単語、今後禁止! 絶対楽しんでるよね!?」

「許せ。どうも、お前と話していると弄りたくなってしまうのだ」

 

 項羽の名残かもしれないとは言わない。言った瞬間、項羽が殴りかかってきそうな予感があった。

 ぶっちゃける征士郎に、清楚はため息をついた。

 

「一度だけ許してあげる。覇王様の慈悲に感謝せよ……なんてね」

 

 にっこりと笑う清楚だが、やがて声をあげて笑いだした。と言っても、口元に手をやって、くすくすと笑う上品なものであったが。

 この台詞を項羽が言っていれば、尊大な物言いに感じただろうが、清楚の場合、多分に茶目っ気があり、可愛らしく感じるものだった。

 そんな清楚に、征士郎は首をかしげた。そこまで面白いことがあったのかと。

 

「なんていうのかな、私……こんな風に会話するの初めてだったから。楽しくって」

 

 クローン組の中では、常にお姉さんという立ち位置であり、普段の生活の中でも、纏う雰囲気のせいか、弄られるなどという経験もなかった。だから、このやりとりが新鮮で面白く感じたのだ。

 

「その調子で、肩の力を抜いて学園生活を楽しめ。1年はあっという間だからな」

「うん……まぁ、征士郎君とはその後も付き合いが途切れることはないだろうけど」

「まぁな。退屈しないで済みそうだ……俺がな」

「なんかすっごく悪い顔に見えるのは、気のせいかな?」

 

 この日、清楚は征士郎の新たな一面を見た気がした。

 

 




 清楚ちゃんまで弄ってしまった。


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16話『恋』

 

 征士郎は移動教室のため、彦一らと廊下を歩いていた。傍には李と清楚の姿もある。

 この4人、揃いも揃って美形、しかも、同じ学校であるにも関わらず、服装が全員違うので、共に行動しているととても目立つ存在であった。と言っても、清楚は学園指定の制服のため、その原因は周りの3人である。

 清楚は、周りから飛んでくる視線が気になるようだった。他の3人は慣れであろう、特別気にする様子もない。

 その彦一と清楚だが、2人は征士郎を介して知り合い、読書という共通の趣味もあったため、1日という短時間でも、ある程度うち解けていた。さらに、彦一にとって、清楚と項羽が共存しているという事象は珍しいらしく、よく気にかけているのである。それはもちろん、観察対象としてのようだが。

 自然と空けられる廊下の真ん中を進む4人。そこへ少し力の籠もった声が響いてくる。

 

「ひかえい、ひかえい、ひかえおろう!」

 

 女の少し高い声。

 

「紋様のおなーりー!」

 

 そして、男の低い声。

 4人とは反対方向から、これまた廊下の真ん中を通る3人組がいた。城中を歩く殿の道をつくる家来が如く、小杉と準が声を張り上げていた。殿とは、もちろん紋白のことである。

 征士郎は、紋白が転校初日に1年S組を掌握したと聞いていたため、あの2人がそのような態度をとっていても不思議はなかった。

 

(小杉はいつも通り、裏で寝首をかいてやる、くらいは思ってそうだな)

 

 しかし、寝首をかこうとすれば、九鬼の双璧を乗り越える必要があるのだ。考えるだけなら容易いが、実行に移すとなれば、小杉では不可能と言わざるを得ない。もしかすると、考えただけでも、あらかじめ釘を刺されかねない。それだけクラウディオの読心術は、生半可ではないからだ。

そして、紋白には人を惹きつけてやまない魅力がある。そんな彼女と間近で接していれば、あるいは本当の忠誠を誓う日が来るかもしれない。

 それはそれで面白い。征士郎はそう思っている。小杉の能力は、S組を掌握できるほど高く、向上心もありすぎるくらいである。性格にクセがあったとしても、その資質は十分従者になるための条件を満たしていた。

年の近い従者というのも、貴重な存在である。特に、紋白は、家族に迷惑をかけるような行動を極端に嫌う。いや、恐れていると言っていい。それは、比較的マシではあるが、征士郎に対しても同様である。

だからこそ、年の近い従者ができ、その者にだけでも、気を遣わずに接することができれば、と征士郎は考えている。

 

(できることなら、この学園に通う間に、そういう人物に巡り合えればよいのだが……)

 

こればかりは、征士郎が誰か人を立てて、といったような方法で行うことはできない。紋白自身が気に入り、この者ならばと自然に思える人物を見出す。まさに、運を天に任せるほかない。

歯がゆいと思う一方、大丈夫だと自信をもっている自分もいた。不思議な感覚ではあるが、これが馬鹿にできないものであるのは、征士郎も身を持って知っている。

それが誰であるのかはわからない。しかし、紋白を今以上に笑顔にできる人物がいるならば、とても嬉しい反面妬けもする。加えて、楽しみでもあった。

一つわかっているのは、その人物は準ではないということだろうか。これは断言できた。

 

「兄上!」

 

 紋白の兄センサーが発動したのか、その家来たちよりも早く征士郎の姿に気づき、たたっと駆け寄って来る。征士郎がそんなことを考えているなど知らない彼女は、ただただ笑顔を向けてくる。

ここが本部であれば、紋白はそのまま抱きついたであろう。いや、一瞬その行動に入ろうとして、ここがどこで、誰が見ているのか思い出したようだ。征士郎の目の前で、何とか踏みとどまっていた。

 

「早速、配下がつくとは、さすが俺の妹だ」

 

 征士郎はポンと紋白の頭に手をのせる。彼女の笑顔がより一層輝いた。

 

「フハハッ! 我としても嬉しい限りです」

 

 その光景を和やかに見守る一行の中に、異質な視線を向ける者が一人。

 

(あぁー士郎先輩が羨ましいぜ。俺も紋様をなでなでーってやりてぇなぁ。愛のこもった声で、兄上―とか呼ばれてみてー。それだけで、俺なら天に昇れる気がするぜ。しかも、さっき絶対抱きつこうとしてたよ紋様。俺には動きを見ただけでわかる。人目があるから我慢したんだろうなぁ……そういう所も一々キュンとくるぜ。お兄ちゃん大好きーってか、うおおお萌えるぜ。士郎先輩と一日でいい、体を入れ替えてもらいてぇ。そして、一緒に風呂入って、洗いっこする……ハッ!」

 

 途中から駄々漏れになっていた準は、そこでようやく自身の危機を察知した。彼を取り囲むのはヒューム、クラウディオ、李の3人。紋白の姿は遥か先方、先ほどまであんなに近くにいたというのに。

 空気が重く、息をするのもしんどく感じるのは気のせいであろうか。

 李が静かに口を開く。

 

「紋様の安全のためにも、ここは治療を施した方がよろしいかと」

 

 李の手には、準の見たこともない器具が握られている。それは先端が細く、耳の穴からでも入りそうであった。

それを見てしまった準は、治療とはなんなのか、と問いただしたいが、答えを聞くのが怖い。希望があるとすれば、李はギャグを言うので、これが冗談の類かもしれないということ。その彼女は真顔ではあったが、彼は希望を捨てない。

 それを止めたのは、意外なことにヒュームであった。

 

「手を加えるのは簡単だが、そこに副作用がでんとも限らん。征士郎様も紋様もそれをお望みではない。ここはやはり、物理による――」

 

 止めたのではなく、代案が提示されただけであった。後半を聞く限り、物騒な未来しか思い描くことができない。確かに副作用はないかもしれないが、そのとき、体は通常の機能を残しているのか甚だ疑問である。

 準は言葉を発することなく、最後の良心であろうクラウディオを見る。

 

「まぁまぁ李もヒュームも落ち着きなさい。彼はただ妄想に耽っていただけではありませんか。現実には起きえないと彼自身わかっていますよ。ただ紋様のお耳に入れるわけには参りませんので、隔離させていただきました」

 

 もし、先の準の独り言が、紋白の耳に届いていたならば、赤面は免れぬであっただろう。それはそれで、このロリコンは歓喜しただろうが。

 とにかく、何かされるわけではないとわかった準は、ほっと息をついた。

そして、目の前には、愛しい紋白がいた。どうやら、先ほどの場所から戻されたらしい。ほんの一瞬の出来事であった。

 

(いや、先のことはただの錯覚やもしれん)

 

 幻である。周りを見渡しても、ヒュームの姿もなく、クラウディオの姿もないのだ。李は清楚と会話をしており、手に持っているのは筆記用具とノートのみ。あの名状しがたい器具もない。

 紋白の転入に喜びすぎて、昨夜眠れなかったのが祟った。疲れているのかもしれない。そう結論づけた準が、征士郎へと声をかけようとした。

そのときに見えてしまった、いやもしかしたら、見せつけられたのか。李の袖からのぞくそれは、不吉な予感しか感じさせない。気づいているのは、準一人だけ。

 そんな準に、征士郎の方から声をかけられる。

 

「準、紋のことよろしく頼んだぞ」

「お任せください、お義兄さん!」

 

 準は、自身の失態に気付いた。勢いにのって答えてしまったのだ。

 

「お兄さん? お前に兄と呼ばれる筋合いはないな。そうだろう?」

 

 征士郎からの何気ない確認。しかし、準の本能が、これでもかと警鐘を鳴らしていた。ここで答えを間違えれば、自身の中の何かが消されてしまうと。

 準の背後に人は立っていなかったはず。にもかかわらず、気を抜けば吹き飛ばされそうな威圧感を感じた。そして、肩に置かれた手と声によって、その正体を知る。

 

「征士郎様からの問いかけだ。さっさと答えんか、赤子」

「井上様がなんとお答えになるのか、興味深いものがありますね」

 

 ヒューム、そしてクラウディオもいたらしい。逃げられないことは、既にわかっている。

 準はそっと瞳を閉じ、これまでの半生を思い出していた。家族同然の冬馬、小雪。もう弁当を作ってやることも叶わないかもしれない。髪を剃らせてやることも、紙芝居に対する感想を述べてやることもできないかもしれない。

 

(それでも、俺は俺の信じる道をいく!)

 

 心の中で、冬馬――若に謝罪する。右腕として、生涯尽くすと決めていたのだ。だが、ここで自身を偽ってしまえば、それは自分ではなくなってしまう。ロリコンでない自分など、一体何の価値があるのだろうかと。ここで偽って、果たして若の隣に堂々と立つことができるのか。否――。

 準は、真っ直ぐと征士郎を見た。言葉の一つ一つを噛みしめるように口にする。

 

「俺は紋様に忠誠を誓っています。それ以上に、一人の少女として紋様に……恋してしまったんです。付き合うことはできないと分かっています! だからどうか! どうか……一度でいいので、紋様とお風呂に入らせて下さい! お義兄さん!」

 

 悔いはない。準は清々しい気持ちであった。汚い世界だと思っていた。しかし、目の前に広がるのは、それを掻き消すほどに色鮮やかな美しい光景である。その中心には紋白がいる。

 準は、手を出さず、最後まで聞いてくれた従者たちにも感謝していた。

 

井上準は確かにここに存在したのだ。その存在を曲げることなく。

 

征士郎は、声を上げて笑う。

 

「最後まで自分を貫くか。よく言った! だが、お前のセリフは色々危ないと知れ! 今回は、その気概に免じて、極道レベルでの仕置きで許してやる!」

「サー! ありがとうございますッ!」

 

 ちなみに、紋白の耳は、李の両手によって塞がれていた。紋白は突然のことながら、李の顔を見つめ、首をかしげるが、彼女が行うのなら必要なのだろうと判断した。李はそんな可愛い主に笑顔を返すのみ。

 そして、彦一と清楚は、こんな何気ない一幕でさえ、騒がしくなることに苦笑し、小杉は準のロリコンの酷さに身を震わせていた。偶然通りかかった男子生徒は、自分を貫く準に心打たれる部分があったらしい、生きて戻れとエールを送る。一方、女子生徒は絶対零度の視線を送っていた。

 準の悲鳴が木霊する。彼の存在を知っている者はこう思うだろう。

 

 ロリコンが何かやらかした――。

 

 こうして、川神学園の昼休みが過ぎていく。

 

 

 ◇

 

 

 放課後。一際気合の入った掛け声が、グラウンドから響いていた。義経の決闘に対する野次馬たちの騒々しさを掻き消すほどの音量である。

 征士郎は、その方面へと足を向けた。彼の傍に、李の姿はない。専属だからといって、何も四六時中一緒というわけではなかった。当然、自由な時間もある。護衛はクラウディオに引き継がれていた。

征士郎の視界には、1ヶ月後に地区大会を控えた野球部の練習風景が、広がっている。今年の期待は、とてつもなく大きい。

それを証明するかのように、野球部のグラウンドのすぐ側に通る歩道には、見物人がチラホラいるのである。腕を組み、練習を食い入るように見つめ、まるで監督のような雰囲気を出している。そして、時折、共に見物に来ていた者と会話を交わす。その顔は明るく、大会が待ち遠しいといった様子であった。

 彼らも昔は高校球児だったのかもしれない。あるいは、川神学園の卒業生か。とにかく、彼らの夢は、必死で練習に取り組む部員達に、託されているに違いなかった。

 学園の敷地内にも、見慣れない外部の人間が数人いる。これらは全て野球関係者であった。1年生でありながら、去年の大会で旋風を巻き起こした世代が、今年、主力となって夏の舞台にやってくるのだから、チェックしないわけにはいかないのだろう。

 彼らの身元は、学園側が調べているが、同時に九鬼も動いていた。万が一が起こってからでは遅いからである。これを期に、警備態勢も一新され、監視カメラ等の導入も行われていた。

 征士郎は、帰りの挨拶を述べながら通り過ぎる生徒達に、声を返していく。そんな中で目についたのは、茶髪のポニーテール。

 

「一子か、珍しいな。野球部の練習を見ているなんて」

 

 川神一子(かわかみ・かずこ)。上の外見に合わせて、くりっとした瞳に、感情豊かな彼女は、ワンコの通称で皆から愛されている。姉の力となるため、日夜、鍛錬に励んでおり、そのひたむきな努力と天真爛漫な笑顔に、英雄は惚れてしまったらしい。

 その一子がびくりと肩を動かした。そして、声をかけてきたのが誰なのか分かり、少しほっとした様子である。

 

「あ、士郎先輩……じゃなかったわ、会長。押忍ッ!」

 

 体育会系の挨拶をかます一子に、征士郎は、士郎先輩で構わない、と笑みをこぼす。彼にこのような挨拶をするのは、学園広しと言えど、彼女くらいなのである。それが、妙に雰囲気とマッチしていて、可愛らしい。

 

「で、練習を見ているなんて珍しいな」

 

 そこで、一子は妙な間をとる。視線は右上で、明らかに何か言い訳を考えている。

 

「義経の決闘を見ていたんです!」

「嘘だろう?」

 

 間髪いれずに、征士郎は聞き返した。彼が確信を持っていると、一子も悟ったらしい。咄嗟に体を90度折り曲げた。

 

「嘘つきました、すいません!」

「うむ、素直に謝ったから許してやろう」

「ありがとうございます!」

 

 百代を通して、一子と知り合って以来、征士郎も彼女の真っ直ぐな性格を気に入っていた。

 そして、征士郎は再度、同じ質問を聞き直した。

 一子はむむっと唸る。片思いされている身としては、その者の兄に話すという行為に戸惑いがあった。本当なら、すぐその場を離れるつもりであったが、他人の懸命な姿を見るのも、一子は嫌いでなく、むしろ、それに元気をもらえるくらいであった。

 甲子園に出て優勝する。以前、英雄からそう聞かされたことがある。

 一子が日課のように続けるランニング。そのとき、偶然、トレーニングに励む英雄と出くわしたことがあった。猛烈なアタックを受け始めて、間もなくの頃の話である。

 一子は、どう対応しようか迷ってしまった。英雄のことは嫌いではないが、押しの強さがどうにも合わない。沈黙は気まずい空気を作り、夕日が照らし出す河原というシチュエーションも、何の効果も発揮しなかった。

 

『すまなかった』

 

その空気を打ち破ったのは、英雄の謝罪であった。

話を聞くに、どうやら英雄は、一子とうまく関係を築くにはどうすれば良いか、と兄に相談したらしい。

 兄である征士郎も、それに快く応じてくれ、話は英雄がどういうアプローチをかけているのかというものへ移る。最初は頷きながら聞いていた征士郎だが、押しの一手をひたすら繰り返す弟に、さすがに声を大きくせざるをえなかった。

 征士郎は、英雄と一子のことは耳にしていたし、2人が会話をしているところも見たことがある。そして、傍から見ると、明らかに、一子が英雄のテンションについていけていないのだ。

 

『英雄……正直言って、お前怖がられてるぞ』

 

 英雄にとって、これほど衝撃を受けた言葉もなかったであろう。彼は、恋を成就させたいという思いがあったにせよ、友好をより深めるために話しかけていたのに、まさかその行為自体が、逆効果をもたらしていたという事実。

 しかし、英雄はお返しにもらった手紙の内容の一部に、気持ちは嬉しいと書かれていると抗弁する。それもバッサリと切り捨てるのは、兄弟だからこそ行えることだった。

 落ち込む英雄を前に、征士郎も放置しておく気は更々ない。弟の恋路である、できれば成就してほしいと願っていた。それ故に、現実をしっかりと認識させておかなければならないと思ったのだ。

 と言っても、征士郎自身、そういう経験がないため、的確なアドバイスなどできるわけもなく、英雄から聞いた話を客観的に判断し、やんわりとアドバイスする程度であった。

 話は、英雄と一子の所に戻る。

 

『我は舞い上がっておりました。一子殿が、我をどう見ているかなど気付かず……』

 

 だから、と英雄は言葉を続ける。もう一度、ここからやり直させてほしいと。

 

『一子殿……我は貴方のひたむきな努力を尊敬している。道は違えど、我も勝負の世界に身を置いている。頂きを目指す者同士です。故に、我の……友となってはくれまいか?』

 

 いきなり恋人というのが無理ならば、友達から始めようというのである。

 一子は、恋人などは考えもよらないが、友達になりたいと言われれば、断る理由もない。彼女も英雄の練習に打ち込む姿を度々見ることがあり、その姿勢、態度は尊敬できると思っていたのだ。

 よろしく、と手を差し伸べる一子。英雄にとっては、忘れることのできない光景だった。

 それからは、一子は手紙を送られることもなくなり、あの気圧されるようなテンションも鳴りを潜め、代わりに少しだけ会話をする機会が増える。約1年前の話。

 一子は、ピッチャーマウンドで投球モーションに入った英雄を見る。

 

「英雄君、1ヶ月後には地区大会だって聞いてたから、一応様子を見ておこうかなって」

 

 九鬼は英雄が入学した時点で、2人となっていたため、一子は友人となったときに、まぎらわしいからと、英雄を君付けで呼ぶようになっていた。

 バッターのフルスイングは空を切り、ボールはミットへと吸い込まれていく。征士郎が見る限りでも、英雄の調子は良さそうであった。

 そうか。征士郎は短く相槌をうった。次のバッターがボックスに入り、バットを構える。

野球部員の掛け声に、他の部活の活気溢れる騒がしさ、これでブラスバンドの演奏でも聞こえれば、絵に描いたような青春の1ページである。

 

「今年は、甲子園行けるかしら?」

 

 一子がぽつりとつぶやいた。甲子園は夏こそが、その集大成をぶつける舞台と言える。

 

「どうだろうな」

 

 征士郎の声が、一子の耳に届いたのだろう。彼女はムッとした表情を作っていた。ここは行けると断言するところではないかと、突き刺すような視線を送って来る。

 だが、征士郎の言葉もそこで終わりではなかった。

 

「優勝するんじゃないか? 俺の弟は、やると言ったらやる漢だからな」

 

 兄のためにも。一子は、いつか、英雄からそんな台詞を聞いたことを思い出した。将来の話をしていたときである。

 一子は姉の補佐をするために、川神院師範代へ。

英雄はより多くの民を笑顔にしていくために、メジャーへ。その過程で自身を救ってくれた兄に、感謝を示したいのだと語ったのだった。

 一方は姉に、一方は兄に。なんだか似ているわ、と笑った一子に、英雄が惚れ直したのは内緒である。

 一子はそれに笑顔で頷くと、両手を胸の前で握りしめる。

 

「よーし! 私も頑張るわッ! それじゃあ、士郎先輩お先です!」

「気を付けてな」

 

 押忍、とまた気合の入った言葉を残して、一子は校門のほうへと走って行った。

 

「一子様は見ているだけで、こちらが元気になりますね」

 

 征士郎の傍には、いつの間にか、クラウディオが控えていた。彼が帰るのを察したのだろう。

 

「ああ。恋か……俺もいつかできるだろうか」

「できるできないではなく、気がついたら、してしまっているのではないでしょうか?」

「そういうものか?」

 

 征士郎が歩きだしてしばらく、背後より声がかかる。彼がそれに振り向くと、そこには李がいた。

 

「どうした、李? 何か俺に用事でもあったか?」

「いえ、私も帰るところなので、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 

 李は、てっきり百代たちと過ごしてくると思っていたのだ。自由時間である。好きな場所に、好きな人と、好きなことを、それらを選ぶ権利は全て彼女にあった。

 そして、帰るべき場所は同じである。

 

「当たり前だ。では帰ろうか」

 

 はい、と李が答え、歩き出した征士郎に並ぶため、小走りで近づいた。

 そんな主従を瞳に映す老執事、彼は一体何を思っているのか。ただ、その表情はいつも以上に優しげであった。

 

 

 




一子と会話してたら、なんか青春やってる雰囲気が凄い。気のせい?


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17話『歴史は繰り返される』

 

「……歓迎会、ですか?」

 

 由紀江は目の前に置かれた葛餅パフェに差し入れた手をとめ、紋白からの言葉を繰り返した。

 2人がいる場所は仲見世通りの「仲吉」と呼ばれる老舗の葛餅屋であり、放課後になるなり紋白が由紀江を誘って連れてきたのである。

 オウム返しされた言葉に紋白が頷く。

 

『つまり、義経達が未だ学園になじめていないから、紋白が一肌脱いで歓迎会ぶち上げる。義経達の誕生日兼ねてみんなで祝う。祭り事大好きな生徒も盛り上がる。みんなで楽しくなる。みんな仲良しになる。でも日数足りない。ついでに人数も足りてないって感じでOK?』

 

 松風が要約し、それを紋白が肯定した。

 由紀江は咄嗟に出てかかった「お兄さん達に頼むという方法もあるのでは」という言葉を呑みこむ。それをしたくないから、自分のところに相談を持ちかけてきたのであろうと察したからだった。しかし、ここで大きな問題にぶち当たる。

 

(私にはこの問題を解決できる人脈がない……)

 

 強烈なボディブローを喰らったような気がした。がくっと膝から崩れ落ちそうになる感覚。もっとも、既に座っている由紀江が膝から崩れ落ちる心配などないのだが。

 由紀江は腹に力を込める。

 

(いえいえ! ここで弱気になってはいけません黛由紀江。しっかりしないと! せっかく『友』となれた紋ちゃんからの相談事です。力にならずして、どうして『友』を名乗れましょうか!? )

(そうだぜ、まゆっち! 紋白は『友』であるまゆっちを頼ってきてんだ。ここで女を見せないで何が黛流か!? 人類が手に入れた最強の武器、今こそそのTI・Eを絞るとき! やれ、やるんだまゆっち! お前ならできるさ、真理の扉を開くんだ!)

 

 わかっています松風。由紀江は心の中で呟くと短く息を吐き呼吸を整える。それは真剣試合さながら、紋白もそのいきなりの迫力に置いてけぼりをくらっていた。

 紋白にしてみれば、学園で気軽に接することができる数少ない人物であり、少し話を聞いてもらえればという軽い気持ちで相談したつもりだったのだ。そして、他人に話すことで気分転換にもなり、頭の中を整理できればと考えていた。ついでに何かしら意見をもらえれば上々といった感じである。

 うんうんと唸る由紀江に、紋白は図らずも心が温かくなる。

 

(兄上の事で失態を見せてしまったがその相手が由紀江でよかった)

 

 偶然ではあるが、こうして由紀江という存在も恵まれたからだ。あの件がなければ、由紀江との付き合い方も今とは全く異なっていたに違いない。

 紋白も幼いながらに多くの人物をこの目で見てきた。そのため、由紀江と松風のやりとりなど可愛いものだと思う程度である。さらに言えば、九鬼従者あるいは九鬼関係者にはこれ以上の猛者など吐いて捨てるほどいるのだ。

 能力においては非凡。人柄は清らかであり懐も深く、慈愛に満ちている。実際に短い付き合いではあるが、それを感じ取れる場面は随所にあった。人を見る目はあると自負している紋白からしても、これほどの人材を九鬼として放っておきたくない。もちろん友としてもだ。

 もう少しこの百面相を見物しておこうか。由紀江には悪いが、紋白はそんな気分になっていた。

 

「あれ? まゆっち?」

 

 しかし、それは背後からかけられた声によって阻まれた。

 

 

 □

 

 

 大和とクリスが同席することになったため、4人は外に設置された席へと移動した。それを見守る従者の姿があった。

 ステイシーは周りへと細かく指示を出した後、心の中で愚痴る。

 

(ファック! 護衛は数えきれないほどやってきたってのに、この瞬間だけは気に入らねー。そりゃ相手は紋様だし、何か起こってからじゃ遅いってのもわかる……だが!)

 

 ステイシーがそっと周囲へ気配を配ると、そこには良く知った気配を感じることできる。

 

(なんでそのお目付け役がヒュームの爺なんだよ!)

 

 答えは簡単でステイシーの師であり、紋白の主な護衛を務めているからである。 そして、ステイシーが現在置かれている状況は、要人警護のための実地訓練でその監督役がヒュームなのだ。ともすると自身を見抜かれるような錯覚を覚える。

 李が羨ましい。今は日本を離れ遥か上空にいるであろう相棒を思う。

 その理由はもちろん征士郎絡みである。彼は今日から学園を休みオーストラリアへと旅立っていた。その目的はそこから西方――インド洋において建設中のとある施設を訪れるためである。専属の李はそれに同行し、彼の隣で給仕をしているだろう。護衛も兼ねて。

 

(征士郎様とどっか行く時はいつもよりテンション高めだからな)

 

 表情が豊かになったとはいえ、そういうことがわかるのは付き合いの長いステイシーならではである。

 

(そのときの李をからかうのが一番面白いんだよなぁ)

 

 しかし、やりすぎてはいけない。以前、李へ色々と吹きこんだことが原因で、征士郎より彼女に何かあったのかと疑問をもたれたことがあったのだ。それを聞かされたステイシーは、慌てて李の元へ走り事情を問いただすと、問答無用で襲いかかれた。匕首を片手にである。その顔は真っ赤であったが、斬撃は紙一重で軌跡を描き、冷や汗をかかされたのも記憶に新しい。だから、それを言いふらす勇気までは持ち合わせていない。想像するだけで首元がひんやりとしてくるからだった。

 

(っと……集中集中)

 

 ステイシーは少し濃くなった気配に気づき、頭をふって雑念を外へと追いやった。そして、観察対象を紋白の傍の人間へと向ける。

 

(直江大和……川神学園2年。川神百代の弟分で内外に顔が広い。注意すべきは、上の老人達が一時期騒いでいた直江景清の息子という点か。母親も川神では名の知れた暴走族の頭を務めていたって話だし、死ぬ気でやれば案外何か開花するかもな)

 

 そこから視線を移動させる。

 

(クリスティアーネ・フリードリヒ。ドイツの名将の一人娘、こっちは特に気になる情報はないな)

 

 そこでヒュームが4人の間へ現れ会話に混ざっていた。

 

(あの爺、あれでただ早く動いているだけとか反則だろ。完全に動きを追えるようになるのはまだ先か……ファック! もし私が婆になった頃とかだったらどうすんだ? あーというか、その頃も今と同じ容貌を保ってそうで考えるのが怖くなってきた……)

 

 そんな事を考えていると紋白が席を立った。他の3人はまだ残るようで座っている。その彼らは携帯を片手に何か操作を行っていた。

 

「紋様のお帰りだ。家に着くまで気を抜くな。橘、サイ、ヒルダは先行――」

 

 ステイシーは矢継ぎ早に指示を飛ばしていった。

 

 

 ◇

 

 

『おお、無事着いたみたいだな』

 

 ステイシーの声とともに画面越しに彼女の顔が映り、李は笑顔を見せた。

 

「ええ。ステイシーのほうは何か変わりはありませんでしたか?」

『まぁいつも通りだな。ヒュームからいくつか小言もらって、鍛錬でぶちのめされて、さっきようやくあがれたところだ。征士郎様は今一緒じゃないのか?』

「変わりないのなら良かったです。征士郎様は入浴中ですよ」

『入浴……背中流しに行かないのか?』

「で……できるわけないでしょう! 誘われたならともかく……」

 

 李はごにょごにょと喋ったため、ステイシーには聞きとることができなかった。

 しかし、そんなことはどうでも良い。ステイシーはしばらく李を弄ってストレス解消を行おうと画策していた。

 

『いや! 男なら絶対喜ぶって! 私には敵わないけどお前は誰から見ても美女だ。その美女がタオル一枚で顔を赤らめながら、背中……流します、なんて言われて喜ばねー男はいないだろ! というか喜ばない奴、そいつはゲイだ!』

「征士郎様はゲイではありません!」

『そこは問題じゃ……いやもしそうだったら問題だが! 子孫を残してもらうという意味でな! ……じゃなくて、お前が行けば征士郎様は喜ぶだろうって話だよ!』

「そんなこと……今できるならとっくの昔にやっています! それに……」

『それに?』

 

 李は言おうか言わまいか迷っているようで、妙な沈黙が2人の間に流れる。しかし、彼女は意を決して口にする。

 

「妙なことして嫌われたら立ち直れません」

 

 今にも消えそうな声はかろうじてステイシーに届いた。

 乙女か。ステイシーはそう叫びそうになったが、考えてみれば李は恋する乙女なのでおかしくはない。

 

『でも征士郎様も高校生だぞ。昂ぶるものがないわけないだろうし、専属としてさ……ほら、その、そういうことも何とかしてやらないといけなくもないんじゃないかなぁと』

「専属はそこまで求められていません」

『ふーん、じゃあ征士郎様が求めてきたら?』

「求めてくるって……そんな言い方……」

『李……想像しろ。征士郎様がバスローブ一枚でこう仰るんだ。李、俺が良いと言うまで喋ることも動くことも禁じる。死体の真似が上手いんだ、できるな? ただ死体と違うのは立ったままというところだが――』

 

 素直というか真面目というか渋々ではあるものの、李はその状況を想像していく。

 場所は今いるスイートルーム。明かりは間接照明のみで、部屋をほのかに照らしだしている。李は突然の命令に驚きながらもすぐさま従った。それを確認した征士郎は優しく彼女を抱きしめた。

 

『お前はどうすることもできないだろう。そりゃそうだ。征士郎様がそんな行動とるなんて考えられないからな。でも、そんな感情抱いていないなんて誰が断言できる? 征士郎様はそのまま李の髪を撫で――』

 

 ステイシーの誘導は続く。

 ブリムをはずした手で髪を梳かれ、そのままメイド服をするりと脱がされる。李は声をあげそうになるが、咄嗟に押しとどめた。しかし、突如耳を攻められたのには対応できず、あっと声が漏れる。

 

『お前は叱責されると思うだろうが逆だ。「可愛い声がでるんだな」と褒められる』

 

 目を閉じた李は少し恥ずかしげにしながらも、ふんふんと頷く。

 首筋から胸元へかけて主の愛撫が続く。辿った場所はじんわりと熱をもち、ゆるい快感が走る。李は思わず愛しい主の名を囁きたい衝動に駆られた。しかし、言いつけを守らないわけにもいかない。

 こんな自分にじれったさを感じたのとほぼ同時、心臓にキスをするかのように強く吸われた。また吐息が漏れ、でも止めてほしくないがため口を閉じる。白い柔肌にくっきりと跡が残る。まるでそれは所有権を表す刻印のようである。

 

『そして……』

 

 ステイシーはそこから言葉を続けようとして固まった。なぜなら李の背後の扉が開き、征士郎が頭を拭きながら出てきたからだった。幸い、李のいる場所からその扉までは距離があるため、先ほどの部分は聞こえていないだろう。問題は目の前に映し出されている乙女である。

 ステイシーからの声がないことも疑問に感じていないらしい。その様子から見るに征士郎の姿にも気づいていない。

 ステイシーは、そんなにのめり込んでいたのかとツッコんでやりたかったが、この状況で征士郎に疑われるわけにもいかない。さりとて、この状況もマズい。

 そうしている間にも征士郎がどんどん李へと近づいている。そして、遂に李を名前で呼び始めた。しかし、妄想乙女はそれすらも自身の世界が生み出した声と勘違いしている。

 

「はい、征士郎様」

 

 答えは淀みないが、声色は若干艶っぽい。そして瞳は未だ閉じられたままである。普段の李であれば、主の声に顔をむけないで答えるなどありえないだろう。ステイシーは「ヤバい」という単語を画面の中から連呼している。

 征士郎は李に手の届く範囲まで近づくと、「おい」の呼びかけとともに専属従者の頭へとチョップした。

 

「きゃっ……あれ? 征士郎……さ、ま……」

 

 乙女から李へと戻ってきた。目をぱちぱち、頭をキョロキョロ。PCからは自身の名を呼ぶ相棒の声。

 

「そうだ。お前の主、征士郎だ。どうした? 長時間のフライトで疲れたか?」

 

 征士郎は李の頭を優しく撫でると、心配そうに彼女の顔を覗きこんだ。彼女が上の空でいるところなど見たことがなかったからだ。

 しかし、その行為が李にとっては逆効果であり、征士郎の瞳とばっちり目があうなり顔をみるみるうちに赤く染めていく。ようやく状況の把握ができたようだ。

 それとは逆に、征士郎にとってはもはや何がなんだかわからない。

 李は目が回りそうな展開に耐え、必死に答える。

 

「だ、大丈夫です! 私もお風呂をいただいてよろしいでしょうか? 何かありましたら、すぐにお申し付けください。あの……えっと、その……失礼致します!」

 

 とにかく一刻も早くこの場を離脱しなければ、その思いだけであった。

 李は頭にのせられていた征士郎の右手を両手で包むとゆっくり離し、すぐさま立ち上がる。そして、彼に一礼しそのまま浴室のある方へ姿を消した。

 ちなみに少し冷静になったあとで、主の部屋の浴室を使うつもりなのかと壁に頭を打ちつけたくなった李の姿がそこにはあった。

 李が浴室へと行ったのを見届けた征士郎は、当然ステイシーへと問いかける。

 

「李は何かあったのか? 話をしているときも辛そうだったとか……」

『いやー……その……』

 

 ステイシーは口ごもった。まさか正直に、征士郎様のことを妄想させてたらああなったなどと言えるはずもない。それを言った日には死のカウントダウンが始まるだろう。

 しかし、征士郎を心配させたままではまずい。なにせ李はすこぶる元気なのだから。

 

『李は元気ですよ。征士郎様の心配には及びません。さっきのは……あれです、そう……さ、催眠術!』

 

 我ながらナイスだ。ステイシーは自画自賛した。

 なぜなら、九鬼従者の中にも術者がいるからだ。格は低いため、ステイシー達のレベルになると全く効果がないが、珍しい物好きな帝は自身の体を使って試してみろと言って、実際に術をかけさせたことがあった。そのときは体が一切動かないというものを身に受け、帝は棒のようになった体に爆笑したのだった。しかし、征士郎はその光景を信じず自分にもかけてみろと言い、そして本当に動けないことを確認した。

 それに調子にのった帝は、女従者らがいる中でモテモテにしろと命令。この命令は、術者である従者が術をかけようとして失神したことで終わったが、その後1日彼は使いものにならず動くことすらできなかった。九鬼のトップと後継者、この2人に術をかけるという行為そのものが相当なプレッシャーだったに違いない。

 とにかく催眠術は存在し、征士郎はその効果を身をもって知っている。

 

「催眠術?」

『そうです! 物は試しにやってみるとこれが上手い具合にいってしまって……』

「それが李のあの状態を引き起こしたと? しかし、李がかかるほど強烈なものか。興味本位だったのだろうが、あんな無防備になるようでは危険だぞ。今後は控えよ」

『はい……気をつけます。申し訳ありませんっ!!』

 

 ステイシーはついでに心の中でも征士郎に謝る。心が痛むというのはこういうことを言うのだろう。彼は疑いなく彼女の言を聞き入れてくれたのだ。それは信頼しているから。誰も傷つけたくないが故の嘘、優しい嘘である。

 しかしよくよく考えてみると、事の発端となったのはステイシーの画策であったことを忘れてはならない。

 

「ところで李は風呂へ行ったし、ステイシーもその様子では仕事を終えているのだろう。特に報告することもないのなら、この通話を切るが?」

 

 要はゆっくり休めと言いたいのである。しかし、ステイシーはある事を思い出したため、待ったをかけた。

 

『その前に、今日のことで一つお伝えしておきたいことがあります。明後日に紋様が義経達の歓迎会を行いたいらしく実行に移しておられます。幹事は直江大和が引き受けました。いかがなさいますか?』

 

 征士郎によって号令をかけることも裏から手を貸すこともできるのだ。生徒会長という肩書を使えば楽に行えることである。

 

「俺に声をかけなかったということは、自分達でやり遂げることができるということだろう。好きにやらせよ」

『紋様は征士郎様のお手を煩わせたくなかったのでは……と』

 

 ステイシーは少し早口に紋白の意図を伝えた。征士郎はその言葉に大きく頷く。

 

「わかっている。紋は未だ遠慮が抜けないからな。俺もそんなことは気にしないし、紋も俺が気にしないことを分かっているはずだ。分かっていても難しいのだろう。こればかりは紋自身の問題である。見守ってやるだけだ」

『余計な気遣いでした。申し訳ありません』

「余計などと言うな。その心、これからも失うことなく仕えてくれ。俺が帰る場所をよろしく頼むぞ」

『お任せを。それと……李のことなんですが』

「珍しい姿を見られてラッキーだったよ。お前は帰ったあとの李に対して気を揉んでおけ」

 

 征士郎は軽い冗談のつもりで口にしたが、ステイシーの顔は大いにひきつった。やりすぎてはいけない。分かっていたのにやってしまったのだ。

 

(いや、今回のは李が私の予想の遥か上をいく集中を見せたせいじゃないか? つまり半分は李のせいでもある。50:50だな)

 

 後日、帰国した李がステイシーを見るなり襲いかかる姿が目撃されることとなる。

 




更新お待たせしました。読んでくれている方いるでしょうか?


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18話『S(征士郎の)クラス』

 

 

「それじゃあ、歓迎会のときの様子を聞かせてくれないか?」

 

 征士郎は隣に座った紋白へ話を振った。李を含めた3人は車にて登校している最中である。ヒュームは寄るところがあるらしく朝の時点で本部に姿はなかった。

 

「はい、兄上!」

 

 紋白は歓迎会が大成功に終わったことを嬉しそうに話し始める。中でも限られた時間内で八方手を尽くし、幹事として立派に仕事を成し遂げた大和への感謝が大きかったようだ。

 由紀江は会を彩る料理にてその腕前を振るい、クリスは参加者の声掛けに尽力してくれたとのこと。

 

「風間ファミリー者達も積極的に動いてくれていました」

 

 歓迎会のことを聞きつけた英雄は、紋白を立てながらもSクラスの人間を動かし、同じクローン組の清楚の他彦一、マルギッテ等が3年生に働きかけてくれたおかげで盛大に祝うことができた。

 それを聞いた征士郎はあとで礼を述べておこうと心に留める。

 

「そうか。しかし、あの与一が歓迎会に素直に出たとは驚きだな」

「いえ、素直にというか……会場に現れない与一を直江大和がどうにか説得して連れて来てくれたのです」

「ほう。与一を説得とは直江もやるな」

「今回の件で我は直江大和に感謝しっぱなしです。この恩にはまた別の機会に報いるつもりですが、それとは別に少し考えていることがあります……」

 

 紋白は他の誰にも明かしていない考えをこっそり兄に打ち明ける。

 紋白が征士郎へと耳打ちする場面を李は静かに見守っていた。

 

 

 ◇

 

 

 学園に着いた征士郎は、紋白とともに朝練を行っていた英雄の様子を少し見学してから別れた。その際気づけばヒュームの姿があり、征士郎に挨拶をしたのち紋白の後ろを歩いていった。

 そして、征士郎がSクラスへ着いてからしばらくして、新たな仲間が加わったことが判明する。より正確に言うならば、加わっていることはわかっていたという方が正しい。

 

「おはようございます、委員長殿」

 

 その新たなクラスメイトは少しばかり茶目っ気を見せながら、征士郎へと挨拶をしてきた。黒髪にくりっとした紫の瞳。腰には黒のポーチをいくつかぶら下げ、そのうちの一つを開けると納豆のカップを彼の席に置く。

 

「これはお近づきの印。よかったらどうぞ」

「ありがたく頂戴しておこう、松永燕。それとも納豆小町と呼んだほうがいいか?」

 

 関西では納豆小町というアイドル的存在であり、また武闘家としては公式戦無敗を更新し続ける実力を持つ燕。彼女とその父親である久信は、征士郎が海外へ旅立った当日川神入りを果たしていたため、ちょうど入れ違いとなっていた。

 本来であれば燕はFクラスに入る予定だったが、結局編入試験を受けるタイミングでSクラス入りを希望したのである。その理由は百代の敗北と好奇心。

 前者は、真剣試合とは言わないまでも非公式の項羽対百代の戦いで、その百代が敗れてしまった先日のあれである。当然本気であれば結果も違っていただろうが、燕の予測ではこの敗北が百代の慢心を払拭する可能性があり、それはずばり的中していたと分かったのは川神到着後に集めた情報からだった。

 一方で百代打倒という依頼が、長期のものになるという仮説もたてていた。その場合、Sクラスに入るのも楽しそうだと考えていた。なぜなら、そこには九鬼の次期当主となる征士郎やクローンとして世間を騒がせた項羽、欧州きっての神童マルギッテといった大物が揃っているからである。

 その中でも一番の興味の対象は征士郎であり、その原因をつくったのは紋白。

 というのも、営業に慣れている燕は聞き上手でもあり、紋白と会話する中では家族の話題が多かった。そこで、知らず知らずのうちに紋白がブラコンを発揮し、「征兄上」という単語を何度聞いたか分からない。ちなみに征兄上は征士郎、英兄上は英雄を指す。両方とも頭文字をとって「せい」「えい」であり、2人が同時にいるときに紋白が使う兄の呼び名である。

 そして、編入する際に目的が長期化する可能性を示唆し、紋白へSクラス入りの理由を述べた。

 

『紋ちゃんがお兄さんの事いっぱい話すから、少し興味湧いちゃったんだよね』

 

 この言葉は紋白を悶絶させるに十分だった。そのときの彼女はとても可愛かったというのが燕の感想である。

 さらに言えば紋白との繋がりも大事であるが、九鬼へのパイプはより太くなるならそれに越したことはない。征士郎の左腕についても燕は聞いていた。ここに久信が関わることができたなら、それは大きな実績となるだろう。平蜘蛛の改良にもつながるかもしれない。

また依頼を抜きにして家名を上げるならば、項羽を倒すという選択肢もある。話題性や与し易さからしても、今の彼女はやりやすい相手とも言えるからだ。問題は九鬼に所属している項羽を公での場で倒す機会を作るのが難しいということだが、それも同じクラスで過ごせば機会を作れる。実際に彼女と接してみて煽り耐性に弱いことは分かっていた。

その征士郎を前にして、燕は思う。

 

(予想とはちょっと違ってたかな……)

 

 征士郎は九鬼の溌剌とした気配よりも静謐さが勝っている。紋白とも、最近会った揚羽や英雄とも違っていた。しかし、がっかりしたわけではない。

 

(うん。でもやっぱり九鬼だね)

 

 燕は征士郎のいなかった先週と今のクラスの雰囲気に差があることに気がついた。おそらく、それを感じ取るものは少ないだろう。なんせここにいる者達の大半が、1年の頃より征士郎とともに同じクラスで時間を過ごしてきたのである。無意識的に反応しているようだ。

 しかし、それは緊張感というよりもむしろより落ち着いた雰囲気である。

 

(2年生のSクラスとはまた全然空気が違うんだよね。あっちはより互いを攻撃的に意識している感じだったし)

 

 狼の群れはリーダーの気質によって、その雰囲気を一変させるという。クラスは一つの群れと考えられなくもない。

 燕は紋白に征士郎の人柄を尋ねたときのことを思い出す。

 

(会えば分かる、か……紋ちゃんはこのクラスの空気もひっくるめて征士郎君と言いたかったのかな)

 

「お好きな方でどうぞ……って言いたいところだけど、さすがに小町を連呼されたりしたら恥ずかしいから普通に名前で呼んでくれたらいいよん」

「そうか。俺のことは好きに呼んでくれて構わない」

「ほうほう。なら、王とお呼びしても?」

 

 からかい半分の渾名であるが、もう半分は燕の感想から来ていた。

 その掛け合いに反応したのはジャソプを読んでいた覇王様。

 

「おおい!! 王は俺一人で十分だろ! 2人も王がいたらまぎらわしいわ!」

「だそうだ松永。王以外にしてくれ。駄々をこねる奴がいる」

「征士郎……貴様はいつかケチョンケチョンしてやるからな。今は、続きが気になるジャソプの面白さに感謝しろ!」

 

 そう吐き捨てた項羽は、またジャソプの世界にのめり込んでいった。その様子を見ていた燕はくっくと喉を鳴らせる。

 

「本当に征士郎君とやり合う清楚は印象が全然違うね。聞いていた通りだよ。うんうん、あれなら怖がる人が少なくなるのもわかる。もしかして狙ってやってたり?」

「これが俺の素だが?」

 

 燕はふーんと一応納得した様子を見せ、そのまま李へと話しかける。

 

「李さんもよろしくお願いします。私のことは気軽に燕って呼んでください」

「こちらこそよろしくお願いします、燕。話し方はかしこまる必要はありませんよ」

「了解。で、李さんにもお近づきの印に松永納豆をどーぞ」

「ありがとうございます」

 

 燕は李と握手をしながら、従者部隊ってこのレベルがゴロゴロいるのと内心冷や汗をかいていた。彼女の出会った従者はヒューム、クラウディオ、ゾズマ、鷲見、ステイシー、桐山といった面々である。

 そこへ新たな人物が窓から飛び込んでくる。

 

「窓から美少女登場!」

 

 そして、入って来るなり征士郎の前へ立ち、彼の机を両手でばんっと叩いた。

 

「征士郎! 説明してもらおうか!!」

 

 百代の鬼気迫る迫力に、Sクラスの全員が征士郎のもとへと視線を送る。彼女が李や清楚に目をくれることもなく、彼に話しかけるなど滅多にないことなのだ。一体何があったというのか。

 この場にマルギッテがいれば間違いなく「静かにしなさい」と注意するだろうが、その彼女は現在任務で学園を休んでいた。

 征士郎はあくまで落ち着いており、百代が次の言葉を切りだすのを待っている。

 

「金の力か? それとも何か権力を使ったのか!? 汚いぞっ!!」

「盛り上がっているところ悪いが、一体何の話だ?」

「しらばっくれるのか!? 李さんに! マルさんに! 清楚に! 挙句の果てには燕まで!!」

「もういい、わかった。それ以上口にするな。お前の頭の中が残念すぎるのを失念していた」

「可愛い女の子が揃いも揃ってSクラス入りとかどう考えてもおかしいだろっ!!」

 

 百代の叫びがSクラスに木霊した。そして、その場にいた多くの人間が盛大なため息をついて、各々征士郎の方から視線をはずしていく。

 

「お前も学長の孫なら知っているだろう。Sクラスに入るには金も権力も関係ない。求められるのは一発勝負の試験のみ。そして、その結果だけだ。それに仮にだ、百歩譲って俺が彼女たちをSクラスにねじ込んで何の得がある?」

「カワイ子ちゃんとの接点が増えるだろ!!」

「それは正論だ」

「わかってくれたのならそれでいい……」

 

 百代はよしと頷くと征士郎と見つめあった。その間沈黙。ちょうど良いタイミングで、項羽の吹き出し笑いが耳に届く。近くにいた燕は李との会話に興じていた。

 征士郎は埒があかないと思ったのか、一つの解決方法を提案する。

 

「そんなに彼女たちと接点を作りたいなら、お前もSクラス入りすればいいだろう」

 

 期末試験まで約1カ月である。

 

「征士郎、私があと1カ月でSクラスに入れると思うのか?」

「お前は頭が悪いわけではないだろう。死ぬ気でやれ集中しろ。瞬間回復も使えるんだ。死ぬことはない」

「さっき頭が残念とかどうとか聞いた覚えがあるが?」

「考えていることが残念な奴だが頭は悪くない。だから頑張れ」

「勉強とか面倒くさいだもーん」

 

 百代はぶーぶーと文句を垂れた。しかし、征士郎は遂に無視して本を読み始める。

 

「李さーん! 征士郎が私を無視するよー」

 

 すぐに諦めた百代は泣き真似をしながら、そのまま李へとピッタリくっついた。

 

「先ほどのは百代が悪いかと。面倒だと言われてしまえば話はそこで終わってしまうでしょう」

「でも勉強が面倒なのは本当だ!」

「私はあまりそう思いませんが。勉強できる時間があるというのはとても貴重なことです」

「私にとっては遊ぶ時間も大事ですしおすし」

「ふふっ。確かにその時間も大事ですね。でも目標があってそれを成し遂げたいと思うのなら、時間を管理することも必要です」

「李さんが毎日個人レッスンしてくれたら、私は頑張れる気がする」

 

 キリッとした表情で訴える百代。しかし、その訴えはにべもなく断られる。

 

「私は征士郎様の専属ですから。空いている時間なら教えることも可能ですが……申し訳ありません」

 

 誠実に答えを返してくれる李に、百代は少し慌てる。

 

「いやいや! 今のはほんの冗談だから。李さんが忙しいのはこの2年間でもよくわかっているし……でも、こういうところでも真面目に答えてくれる李さんカワユイなぁ」

「征士郎様のお言葉を借りますが、百代も真剣にやればSクラスを狙えないことはないと思いますよ? 私も百代と同じクラスになれると嬉しいですし」

 

 その言葉に百代は体をフルフルと震わせる。

 

「うー……李さんは人たらしの才能があるやもしれない。そんなこと言われたら頑張りたくなる! つくづく征士郎の従者とは思えない」

 

 そこへ燕が混ざる。彼女は転校初日に百代とも打ち解けていた。

 

「モモちゃん、そこは頑張りたくなる……じゃなくて頑張るでしょ。私もモモちゃんがSクラスに来るのは賛成だよ! 短い学生生活をより楽しく過ごしたいしね」

「美少女2人からの熱いお誘い……これは百代Sクラスルートが開くやもしれない」

「だから開くやもじゃなくてガッツリ開こうよ。勉強だったら私が見てあげるからさ」

「なん……だとっ。納豆女神が降臨した……とりあえず揉んでおこう」

「そんな褒められても納豆しかだせないよっ! それからお触りは禁忌です」

 

 今のは褒め言葉なのだろうかと李は疑問に感じたが、とりあえず静観。そこへもう一人の美少女が加わる。

 

「みんなおはようっ!」

 

 清涼なる風が吹き込んだかのような爽やかな笑顔の清楚だった。その笑顔にほんわかするSクラス男子。李のクールな視線にしゃきっとして、燕の陽気さに元気をもらい、清楚の笑顔に癒される彼らは幸せそうである。

どうやら、ジャソプを読み終わった項羽は引っ込んだらしい。清楚も今では切り替えをスムーズに行えるようになっていた。その彼女が3人の顔を順に見回しながら問いかける。

 

「それでなんのお話をしていたの?」

「モモちゃんもSクラスに入ればいいのにって話だよ」

 

 燕は近くの席の男子に声をかけてから、その椅子を引っ張りだし座った。

 

「うんうん。モモちゃんも来てくれると私も嬉しいな。クラスに女の子も増えるし大歓迎」

 

 ちなみにSクラスは男子の方が人数が多い。といっても女子の肩身が狭いわけではなく、むしろ少ない女子達を男子は尊重していた。稀少な動物を手厚く保護するかの如くである。

 3人の美少女からの笑顔に、百代もいよいよ腹を括る必要がでてきた。

 

「ちょっと待って……これ真剣と書いてマジと読むって感じの、真剣でSクラス狙うの?」

「百代ならできますよ」

「モモちゃん、ファイッ!」

「私もできる限り力になるから」

 

(百代です……征士郎を弄る目的で突っ込んだら、いつの間にかSクラス入りを目指すことになりました。誰か……なぜこうなったのか説明してください)

 

 そんなガールズトークを聞いていたSクラスの男子勢は、密かに百代を応援していた。なぜなら彼女がSクラスに加われば、3年全体の高嶺の花がここに揃うからだ。選ばれた者のみが過ごせる楽園――それがSクラスとなるのである。とりあえずは水上体育祭で目の保養ができるのは決定事項だった。

 少し遅れて登校してきた彦一が、征士郎へと声をかける。

 

「どうやら武神がSクラス入りを目指すようだぞ」

「いいんじゃないか。李たちも嬉しそうだし」

「ふむ……一番困惑しているのが川神百代というのが面白いな」

 

 征士郎は本から目を離し、華やかに盛り上がるそこをちらりと盗み見た。

 

「百代はこれまで勉強に力を入れたことなどない。もし実現すれば学園……いや川神市に衝撃が走るんじゃないか」

「まず間違いなく学園周辺では噂になるだろうな」

 

 観察対象が同じクラスになるのもまた一興。彦一は緩む口元を扇子で隠しながら席へついた。それとともに征士郎は読書を再開させようとしたが、燕の声に中断される。

 

「というか征士郎君さ……ちょっと私が指さす順に名前呼んでみて」

 

 李、清楚、百代、彦一、松永と名前を呼ぶ征士郎。燕は自身を指さしながら問う。

 

「なんで私だけ名字?」

「李もだから松永だけではないがな……。それに会って間もない男に名前で呼び捨てとか嫌だろう?」

 

 清楚が征士郎の読んでいる本を気にしながら混ざってきた。

 

「私は最初から呼び捨てだった気がするけど……?」

「清楚の場合は九鬼の関係者でもあったからな」

 

 なら私は、と言えるほど李は前に出る事ができない。その間、燕はよよよっと目元を隠しながら鼻をすする。

 

「なーんか仲間はずれな気分がするなー。スワローちゃん悲しい」

 

 そんな燕を抱きしめながら、百代が征士郎を責める。

 

「生徒会長が生徒を仲間はずれにするとかサイテー」

「お前は俺に何か恨みでもあるのか?」

「カワイ子ちゃんを一人占めにしているだろ!」

「コイツは本当にブレないな。静初、あとで医者の手配をしておけ」

「え……あの……」

 

 突然の征士郎の名前呼びに、さすがの静初も戸惑いを隠せない。昔から皆に李と呼ばれてきて、今まで特にそこを意識したことはなかった。しかし、燕の言を聞き一度意識してしまうと気にせずにはいられない。

 

「コイツ……李さんをさらっと呼び捨て、だとッ!?」

 

 百代の驚愕も今の静初には聞こえていない。長い年月を過ごしてきた者同士が、改めて呼び名を変えるのは気恥ずかしいものがあったりするものだが、征士郎には関係ないらしい。

 燕のように素直に言えたらと思っていた矢先の征士郎の呼びかけ。静初としては嬉しくないわけがなかった。しかしどう反応していいかもわからない。ただ胸の鼓動だけはいつもより早くなっていた。

 征士郎は再度静初に声をかける。

 

「燕の言うこともわからんではない。良い機会だ。これから名前で呼ぼうかと思うが、静初が嫌であれば今まで通り名字で呼ぼう」

「な、名前で!」

 

 思いのほか大きな声が出た静初は、尻すぼみになりながら言葉を続ける。

 

「名前で呼んでいただけると……」

 

 嬉しいです。最後はほぼ聞き取れない声量であった。しかし、征士郎にはしっかり伝わったようで大きく頷いてくれた。教室内、しかも皆がいる前でほんわかムードをつくる主従。

 その空気を打ち破るように、燕が2度手を叩く。

 

「はーい。その切っ掛けを作った私を無視しなーい。本当に泣いちゃうよー……って征士郎君もう一回私の名を呼んでみて」

 

 あまりにも自然に名前を呼ばれたので燕もスルーしてしまうところだった。

 

「燕と呼んでよいのだろう。というか、お前達そろそろ席につけ。そして百代はクラスへ戻れ」

 

 こうして、新たな仲間がSクラスに加わった。

 

 




私の作品では、百代の頭は悪くないが、勉強とか面倒くさいからやらないという設定でいきます。
何気ない会話を書くのが楽しい。そして燕登場。
そして思ったんだけど、京極君初めてのセリフかもしれない。

6.25 修正
私の馬鹿野郎! 李、李とずっと呼んでたからそれが普通になってた! なんてことだっ!!!
ご指摘くださった方ありがとう!! 後半部分変更しました。


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19話『特別』

18話の最後部分を変更しているので、よろしければそちらを読んでから19話をお楽しみ下さい(6.25 18話修正)。


 全ての業務を片づけたとき、気づくと時計の針は既に0時を超えていた。

 静初は征士郎に別れの挨拶を行ったのち、自室へと戻ってきていた。そのまま浴室へと向かいそこに設置されているボタンを操作して、バスタブにお湯を張っていく。その間に下からあげられてきた報告書に目を通していった。

 ピピッという電子音が、十分にお湯が溜まったことを知らせてくれる。報告書は残り最後の一枚。驚異的なスピードのように見えるが、これが静初の普通であった。

 

「ふぅ……」

 

 メイド服を脱ぐと同時に緊張が解ける。薄いピンク地に黒の刺繍の入った下着をはずし、湯気でこもった浴室へと入っていく。そして、軽くシャワーを浴びたところで湯船に浸かった。少し熱めの湯が一日の疲れを溶かしていくようである。

 

「静初……か」

 

 静初は肩まで浸かりきると自身の名を呼んだ。今日の出来事を思い出して嬉しさがこみ上げる。そして、それは小さな笑いとなって浴室に響いた。

 この名を呼ぶのは征士郎だけ。結局他のメンバーが自身の名を呼ばなかったのは、年上ということで遠慮したのかもしれない。または他に理由があったのか。

 静初自身が皆にも薦めれば、きっと呼んでくれたに違いない。しかし彼女はそれをしなかった。

 

「征士郎様だけに……呼んでほしい」

 

 これはただの我がままであるが、欲張りだろうか。自分自身に問いかけるが、答えがあるわけではない。バスタブのへりに腕をついて、その上に頬を乗っける。

 

(ただ呼び方が変わっただけなのに)

 

 李も静初もどちらも自身を指す呼び名である。しかし、それが静初になっただけでこうも受け取り方が違う。

 

「それともやっぱり……その相手が征士郎様だから?」

 

 両方かも。静初はそう心の中で呟く。

 離れていても結局は征士郎のことを考えている。よくよく考えてみれば、静初の生活の9割は彼が絡んでいるといっても過言ではないだろう。言い換えれば、彼がいる生活こそが静初の普通となっていた。

 

「あずみのことを笑えません……」

 

 静初はへりから体を離すと湯の中に沈み、さらに口すらもお湯の中に浸けてしまう。ぷくぷくと空気を吐き出しながら、征士郎のことを思う。

 きっと今頃授業の復習をしているだろう。

 静初とおやすみと言って別れたはずなのに、征士郎のおやすみはまだまだ先である。

 

(おやすみと言ったのは私を休ませるため)

 

 本当なら征士郎が起きている間は、その傍で控えていたいというのが本心である。しかし、彼はそれを望まないし、その気遣いを無駄にすることもできない。

 こっそりと調合しておいたあずみ汁は冷蔵庫に入れて、一緒にメモ書きも貼っておいてある。欲を言えば、寝る直前の征士郎に合わせて作りたかったが仕方がない。

 今自分にできるのは明日の朝元気な顔を見せることだけだ。

 よしと気合を入れ、気持ちを切り替えると同時に体を起こした。

 

「早く寝ましょう」

 

 長湯をするつもりはないため、ある程度汗をかけば十分である。バスタブから出た。

 シャンプーで髪を洗いコンディショナーを馴染ませるとタオルでまとめて浸透させる。 その間に泡だてたボディソープを手にとり、体を滑らせていく。肌が綺麗だと征士郎に言われたことは静初の密かな自慢であり、ケアも念入りである。

 

(そうは言っても征士郎様から触れられることはあまりないのが……)

 

 そこまで考えてその思考を打ち切った。なぜなら、それではまるで触ってほしいと思っているみたいではないかと恥ずかしくなったからだ。

 一緒に流れてしまえと言わんばかりの水圧で全てを洗い流し、最後に洗顔を終えると浴室から出ていった。

 

 

 ◇

 

 

『自分がどういった人間か自覚したら臆病に生きろ』

 

 今は亡き父が静初に向かって言ってきた。

 これは夢だ。静初はすぐさまそのことを理解した。遠い昔の出来事に感じるのは、現在が恵まれすぎているからだろうか。捨て子であった自身を育ててくれた父には感謝している。たとえそれが闇の道を進む原因であったとしてもだ。

 

『それじゃあ静初、行ってくる』

 

 その父が最後に見せた笑顔が目の前に映し出される。その後は闇と血で染まる光景ばかり。

 もうすぐ目が覚める。静初の見るこの夢はこれの繰り返しである。そして、起きた時には寝汗と気だるい感覚が纏わりついているのが常だった。だから、この夢はあまり好きではない。

 しかし、今日はそこで途切れない。場所は変わって明るい川神学園の教室。

 

『おう、李。聞いてくれよ、またヒュームの爺が私に』

 

 ステイシーが現れるとともにいつもの愚痴が響く。次に現れたのはあずみ。

 

『英雄様が李のこと褒めてたぜ。征士郎様にはお前がお似合いだとよ。よかったな』

『最近困ったことはありませんか? ギャグで笑いがとれない? おかしいですね……では私と一緒に新しいギャグを考えましょう。なに簡単なことですよ』

 

 クラウディオの姿も見えた。それに続く揚羽や英雄、紋白にヒュームらといった従者部隊の面々。

 その九鬼の全員の前に立つのは帝と局。

 

『征士郎はお前を選んだか! さすが俺の息子、見る目があるねぇ』

『李、征士郎のことをくれぐれもよろしく頼むぞ』

 

 帝の言葉は征士郎とともに報告へ言った時のものだ。逆に、局のそれは専属となってから働きを認めてくれたときに受け取ったものである。どちらも嬉しかったことをよく覚えている。

 そして、彼らが消えると同時に背後から声がした。

 

『李さーん、おはよう! そして恒例のスキンシーップ!』

 

 百代である。その隣には彼女が最初に紹介してくれた友達の弓子。

 

『おはようで候。李も嫌ならちゃんと言ったほうが良いで候』

 

 虎子に彦一、清楚や燕の姿も現れた。さらに2年間で知り合いになった同級生たち。

 

『つまらない物ですが、実家から送られてきたので皆さんで食べていただければ』

『どもることなくお友達にお裾分けとか、成長したまゆっちにオラ感動!!』

 

 いつぞやの由紀江と松風である。今では風間ファミリーに紋白や伊予といった理解者も増え、笑顔でいるところを見かけることがあった。その風間ファミリーも由紀江の後ろに立っている。

 しかし、肝心な人物が登場していない。静初はどこにいるんだろうと周りを見渡す。

 

『どうした?』

 

 声を聞いただけで安堵してしまう自分がいる。静初が振り返ると、そこには日の光に照らされる主の姿があった。その主が苦笑交じりに話しかけてくる。

 

『肩の力を抜け。いつもそれでは……ってそれがお前の常か。真面目な所もお前の長所だが気張りすぎるなよ。お前は一人じゃないからな』

 

 征士郎は静初に近づくと頭を撫でた。はいと返したいのに声が出ないのは夢だからだろうか。そのうち彼の手が自身の目を覆っていく。

 

『ゆっくり休め……おやすみ、静初』

 

 今日が終わったときに征士郎と交わした挨拶とシンクロしていた。この夢を見たのは名前を呼ばれたことが、強く印象に残っていたからかもしれない。

 静初はそう思いながら、征士郎の手をすんなりと受け入れていく。不思議と恐れはなく、逆に安心すらできそうであった。夢はそこで終わる。

 

「征士郎……さま。あぃ……て……」

 

 静初の寝顔はとても安らいでいる。すぅすぅと小さな寝息だけが聞こえていた。

 

 

 □

 

 

 服装を整えた静初は本部内の廊下を歩いて行く。体が軽く感じられるのはよく眠れたからであろう。夢の内容はよく覚えていないが、何か良いものを見たという曖昧な感覚だけがあった。だから思い出したいと思うのだが、そのことを思えば思うほど消えていってしまう。

 

(残念です……)

 

 静初はそっと息を吐いた。

 従者たちの多くは既に動き出しており、静初は彼らに挨拶をしながら征士郎の部屋を目指す。その中にあずみの姿が見えた。

 

「おはようございます、あずみ」

「おはよう、李。今から征士郎様を起こしに行くのか?」

「はい。あずみはそろそろ出発ですか?」

 

 静初の問いかけに、あずみはそうだと答えた。野球部である英雄は朝練があるからだ。

 

「征士郎様も英雄様に期待されております。英雄様の調子はどうなのですか?」

「絶好調としか言い様がねぇよ。去年は川神を騒がしただけだが、今年は間違いなく全国を騒がせると思うぜ。優勝の2文字でな」

 

 あずみは主の活躍を確信しているのか不敵に笑う。

 春季大会では準決勝で当たった和歌山の紅陽高校に僅差で敗北。十分に全国で戦える実力を見せつけたが欲しいのはただ一つ。それを今年の夏奪いに行くのである。

 そして噂をしていたらなんとやら、その本人が登場した。

 

「李ではないか! おはようっ! 今日も清々しい朝であるな!!」

「おはようございます、英雄様。絶好の練習日よりかと」

「うむうむ。我の体は早く野球がしたくて疼いておる。……して、こんなところに立ち止ってどうしたのだ?」

 

 英雄の疑問に、あずみが即座に反応する。

 

「はいっ! 李はこれから征士郎様を起こしに行く途中なのですっ!」

「なに!? そうか……兄上は未だ夢の中か。何かとお忙しい身であられるからな。睡眠は大事である」

 

 英雄は腕を組んで大げさに頷いていたかと思うと、かっと瞳を見開いた。何かを思いついたらしい。

 

「ようし、せっかくだ! あずみ、我も李に同行し兄上を起こしに行くぞッ!!」

「了解しました英雄様ぁぁ!!」

「そうと決まればさっさと行くぞ! 兄上に爽快な朝の目覚めをお届けにッ!!」

 

 英雄は高らかに笑い声をあげながら、征士郎の部屋へと歩みを進めていった。

 

 

 ◇

 

 

 こっそりと入る必要があったかどうかは別として、3人は征士郎に気づかれることなく部屋へと侵入することに成功していた。部屋をあけられたのは専属の静初がいるからだ。

 そして、英雄は位置について静初へと開始の合図を出す。あずみがカーテンを目一杯開くとともに静初が声を発する。

 

「征士郎様、朝でございます。起きてください」

 

 そして征士郎の体をゆさぶるのは英雄。これは彼が思いついたちょっとした悪戯である。穏やかな日常にはサプライズも必要とのことだった。

 

「征士郎様、征士郎様」

 

 静初の声に合わせて、英雄が征士郎の体をゆさぶる。日の光に声、そして体への刺激で、征士郎の意識が徐々に覚醒していった。

 遂に征士郎の瞳が開く。

 

「征士郎様、おはようございます」

 

 声は静初のもの。でも目の前にいるのはドアップの英雄。

 ゆっくりと3つ数えるくらいの間、寝ぼけ眼の征士郎はその英雄を見つめていたが、やがてまた目を閉じた。

 

「静初が英雄になって……喋っている。これはなんの悪夢だ……」

 

 征士郎はそれだけ言うと、そのままもぞもぞと布団を持ち上げ頭まですっぽりとかぶっていった。

 あずみはその行動に思わず可愛いと思ってしまう。これがあの征士郎様なのかと。彼女は寝起きの彼を知らなかったのだ。

 そこでようやく英雄が喋り出す。

 

「フハハハッ! 悪夢などではありませんぞ、兄上。我です! 弟の英雄が兄上を起こしに参ったのですよ。さあ起きてください! 今日も良い天気です。まるで我ら九鬼を祝福しているようではありませんかッ!」

 

 征士郎はまた布団から顔を出すと、今度は10数える間英雄の顔を見ていた。

 

「なんだ……英雄か。お前、朝練はどうした?」

「これから向かうところです。ちょうど李が兄上を起こしに行くというので、我も同行した次第」

「起こしに来てくれるのは有難いが……起きて早々、お前のドアップとか心臓に悪いんだが?」

「フハハハッ! 弟からの粋なサプライズです!」

「今度からはその役目を紋にしておいてくれ。そして、英雄にはヒュームを宛がってやる」

「それは中々刺激のある朝となりそうですな!」

 

 兄弟が仲良く会話している中、あずみはある事に気がついてこっそりと静初に話しかける。

 

「あれ? 征士郎様って今、李のことを静初って……」

「はい。昨日からですが――」

 

 静初は少し照れくさそうに昨日学園であったことをあずみに伝える。その間、あずみはニヤニヤとしたままであり、それがより静初の羞恥心を煽った。別に恥ずかしいことではないにも関わらずだ。

 あずみは全容を聞き終わると大袈裟に頷いた。

 

「なるほどねぇ……そういや李は今日早上がりだろ? 夜ちょっと付き合えや」

「あずみ、もしかしなくても私を弄る気でしょう?」

「おう。ついでにステイシーも呼んでな」

 

 隠すことなくキッパリと答えるあずみ。彼女の誘いを断る理由もないが、静初は気がのらない。ステイシーまで来るということは2倍の弄りが待っているのだ。

 

「しかもステイシーまで……」

「いいじゃねぇか。付き合いの長い3人でな。あー今日は旨い酒が飲めそうだ。それにどうせすぐに九鬼全体に広まるんだからよ。征士郎様『だけ』が李を静初って呼んでいるって」

 

 あずみはわざわざ「だけ」の部分を強調した。当然、彼女は静初の想いを知っている。知っているが故に可愛い部下をからかってしまうのだった。

 

「別に……普通のことでしょう。名前で呼ぶなど」

「おやおや? その割には顔がうっすら赤くなっているように見えるな?」

「今日は良い天気ですからね。少し暑いくらいです」

「そうだなー今日暑いもんなー今の温度は……おっと20度かーそりゃ顔も赤くなるわーこっちまで暑くなりそうだしなー」

 

 暑い暑いと言いながら、あずみはパタパタと手で仰ぐ仕草をとった。

 

「あずみ、もしかして以前に英雄様のことで相談したときの対応根に持っていますか?」

「李が何を言ってるのかわからねーな」

 

 そこへ英雄から声がかかる。

 

「あずみ! 兄上を起こすという目標も達成された! 我はすぐさま学園へ向かうぞッ!!」

「了解ですッ! すぐに人力車の準備を始めます!!」

 

 相変わらず変わり身の早いあずみである。2人は征士郎と静初に別れを告げると元気よく部屋を飛び出して行った。

 外から鳥の囀りが聞こえ、しばらくあとに英雄とあずみの声が征士郎らの耳に届いた。

 征士郎は体を伸ばすと大きな欠伸をする。

 

「あの2人は朝から元気一杯だな」

「そのようで。おはようございます、征士郎様」

「おはよう、静初」

 

 はいと静初は微笑みを返した。しかし、征士郎は眉を寄せて苦悶の表情を浮かべる。

 

「目が覚めたらニコッとした英雄の顔。それが頭から焼き付いて離れん」

「英雄様とても楽しそうでした」

 

 征士郎はそれ以降受け答えをせず、じっと静初を見つめる。それを不思議に思った彼女であるが、首をかしげるばかり。しかしそれが長くなってくると、見つめられているという事実がじわじわと彼女の意識を刺激してくる。

 最初は視線をそらして床を見たり、次に両手を前で重ね合わせて少しもじもじしたり、そして遂に声をあげる。

 

「あの! 征士郎様! そんなに見つめられると……」

「よし! 英雄の顔は消え去ったぞ。礼を言う」

「いえ……」

 

 静初は頭にハテナが浮かんでいたが、征士郎はそれで納得できたようなので良しとした。彼が顔を洗いに行っている間に、今日着ていく服装の準備を行っていく。シャコシャコと小気味よい音が聞こえてくるのは歯磨きも一緒にやっているからだ。

 静初はクローゼットの小物類が入っている引き出しを開ける。色とりどりのそれらから、配色などを考えて組み合わせるのは彼女の役目であった。選び終える頃には、征士郎が戻って来るので彼の意見も聞きながら調整し、等身大の鏡の前で身支度を整えていく。

 最後はいつものように髪型をチェックして準備完了である。

 

「うむ、完璧だ」

「よくお似合いです」

「静初のおかげだな。さてご飯を食べに行くとしよう」

「今日から松永納豆を朝食でお出しすることに決まったようです」

「燕は早々に売り込んでいたというわけか。抜け目のない奴だ」

 

 主従は部屋を出て廊下を歩いて行く。静初はカラカラと笑う主を見ながら思う。

 

 今日もいい日になりそうだと――。

 




これからは本文中の李の表記を静初でいきます。今まで李できたのでそちらに慣れているかもしれませんが、よろしくお願いします。

英雄の日常的な部分書くのも楽しい。あずみに李を弄らせるのも楽しい。


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20話『恋せよ乙女!』

 

 賑やかだった学園も放課後を迎えると静けさが戻って来る。そんな中で未だ人気を残している教室があった。

 先ほどまで頭を悩ましていた百代は、忙しなく動かしていたペンを放りだしてぐっと背を伸ばす。彼女が書いた答案は隣に座っていた燕が確認している。その百代の正面には机をくっつけ対面している清楚の姿もあった。

 

「あー、もう無理ッ! 休憩しよう! なっ! なっ!」

 

 百代は燕と清楚の顔を見ながら訴えかけた。燕は答案から目を離し苦笑する。

 

「しょーがないなぁ……まぁでもモモちゃんにしてはもったほうかな?」

「酷い言われようだ」

 

 百代はぶーたれながらも鞄を漁り、中からお菓子を取り出した。

 清楚もきりが良い所までいったのかノートを閉じる。そして疑問に思っていたことを尋ねた。

 

「でもモモちゃんって、本当にどうしてSクラスに入ってなかったの?」

「えっ!? どういう意味?」

 

 清楚は燕の顔を見たが、燕もどうやら同様の感想を抱いたらしい。燕が口を開く。

 

「いや征士郎君の言ってた意味がよくわかったってこと。モモちゃんが全然自信なさそうだったからどんなものかと思ったけど、1カ月前でこれなら期末まで地道に続ければSクラス入りもできるよん」

「1カ月もこれを続ける……だとッ!?」

「あーその反応でなんでSクラス入りができなかったのか分かった。それでもFクラスにいるのは不思議だけど……」

「あそこ居心地いいからな。皆勉強とか二の次三の次だから、私も好きなこと優先できるんだ。ほら……放課後って私を慕う女の子とも遊ばなくちゃいけないし、鍛錬もしないといけないし、弟もいじらないといけないしで忙しくて、それで気づいたら期末前日とかになってるから」

「計画とか立てないんだ?」

「自由を愛する女だからな」

「うん、自慢することじゃないね」

 

 燕は百代をバッサリと切り捨て机の上に広げられた納豆ポテチに手を伸ばした。もちろん燕の自前である。

 

「だから今回頑張ってるんじゃないかッ! 今度の私は一味違うッ! あ……清楚ちゃん、それ私にも一本くれ」

 

 清楚が持ち出したのはポッキーの苺味。彼女がお菓子を持ちこむのに違和感を感じるが、項羽が持ち込んだと思うとすんなり納得できるのは日頃の行いのせいであろうか。

 項羽が持ち込んだ物の中にはポッキーの他にカラムーチョがあった。他にも色々持ってきていたようだが、項羽自身が放課後までに全て食べ尽くしていた。

 

「でも本当にこの調子でいけばモモちゃんに順位抜かれるかもしれないし、私も気合入れて頑張らないといけないかな?」

 

 清楚はポッキーを一本取り出し百代へと餌付けし始めた。

 

「いやいや、さすがにそれは言いすぎだ。私はとりあえず50位以内を目指すだけ。というか、燕も清楚も私の勉強みていて平気なのか? 私としては有難いがそれでお前達の成績が下がったら嫌だぞ? 言っとくがSクラスの30位以上のメンバーって1年の頃からほぼ固定だからな? その中で変動があるだけで。私は勉強した結果Sクラス入りができなかったとしても問題ないが、お前達は困るだろ?」

「人に教えることで理解が深まるし私としては問題ないよ。清楚は?」

「私も特に問題ないかな。今までの分は復習も終わってるし、私としては皆とこうして過ごす時間を今は大切にしたいと思ってるから」

「おぉー二人とも余裕発言だな」

 

 そこへ意外な人物が顔を出す。

 

「残って勉強とは感心ですね。褒めてあげましょう」

 

 先日任務より帰国し、また学園に通い始めたマルギッテである。

 

「マルギッテさんもこの時間に残ってるなんて珍しいな」

「私はお嬢様と共に茶道部へとお邪魔していました。お嬢様はもうしばらく茶道部で過ごされるようなので、私は待機です」

「じゃあちょうど良い! 一緒にお話しよう。お菓子もあるから」

「いいでしょう。ここには興味深いメンツが揃っている。私からも差しいれをあげます。感謝しなさい」

 

 マルギッテはそう言って手持ちの袋から和菓子を取り出した。どうやら余った分をお裾分けしてもらえたようだ。それを見た燕がポツリと呟く。

 

「これ飲み物ないときつくない?」

 

 清楚は鞄の中を見たが、そこにあったのは残り僅かとなった項羽の飲みかけコーラだけだった。

 

 

 ◇

 

 

 飲み物を揃えた4人はそれぞれ席へつく。マルギッテはそれを買いに行く間に百代が勉強している理由を聞いた。

 

「その李は早々に帰っていましたね」

「征士郎の予定だろう? 毎度のことだが忙しそうだよな。あれで学年3位なんだから恐ろしい」

 

 百代はわざとらしく体を震わせる。それに応えたのは燕。

 

「それを言うなら征士郎君もじゃない? 学年2位でしょ」

「良く知ってるな、燕。その前はトップもとってたしな」

「そりゃうちの親の勤め先の息子さんですから。世界トップを走る九鬼財閥の御曹司で次期当主、学園では生徒会長、選抜クラスでは委員長。成績優秀、眉目秀麗。こうやって並べるとまるで少女漫画に登場する王子様だね」

「性格がSなところもそっくりだな」

「そう聞くと欠点らしい欠点がないように見えますが……」

 

 マルギッテも征士郎に興味があるらしい。

 百代はうーんと再度頭を悩ませる。

 

「……えっと、戦闘能力が低い?」

「それを補うための従者であり、戦闘能力が低いといっても一般人よりは十分上でしょう」

 

 マルギッテはやれやれといった様子でため息を吐いた。しかし、欠点と言われて最初に戦闘に関しての評価が出る辺り百代らしいと言える。

 

「……じゃあ、あれだ。彼女いない=年齢だ」

「征士郎君にそれを当てはめるのもどうなのって気がするけど……実際選び放題の立場にいる気がするし。そういうモモちゃんは彼氏いたことあるの?」

 

 燕が質問した。

 

「いやいない。というか私と対等に接することができる男が少なすぎる」

「大和君は?」

「大和は舎弟であってそういう対象にはならないな。あとファミリーの男も対象外。大事な仲間であって付き合うとか微塵も想像できないからな」

「ふーん……じゃあ征士郎君くらい? 百代ちゃんのお眼鏡に適うのって」

「は!? いやないないッ!! 確かに対等でいられる相手だがアイツは勘弁。肩書とか重すぎるだろ!?」

 

 つまりその肩書がなければと考えてしまうのも当然であった。しかし、燕はそこを追求せずマルギッテへ振る。

 

「九鬼征士郎がどうこうということはなく、私は軍に身を捧げるつもりですから」

 

 動揺一つみせないいつもの態度でピシャリと言いきった。

 百代は固いなと苦笑する。

 

「じゃあ清楚ちゃんはどうなんだ? 同じ屋根の下で暮らしてるんだ。少し意識しちゃったりとか」

「征士郎君とお喋りするのは楽しいよ。異性でいうなら一番素がだせる相手かも。ただ弄られちゃうから、それはちょっと悔しいかな」

「征士郎が清楚ちゃんを弄るのか……うらやまけしからん」

 

 弄られて悔しいともう一度呟く百代に、燕がじとっとした視線を送る。

 

「モモちゃんが言うとエッチっぽく聞こえるから不思議。と言うのは置いといて、征士郎君って学園ではどうなの? やっぱりモテモテ?」

「モテると言えばモテるが……征士郎のことで盛り上がる子達はアイドルに対してのそれに近いんじゃないか? 憧れであって、彼氏にできないことがわかってるから遠慮なく騒げるみたいな」

「なるほどなるほど……清楚やったね! これでライバルはほとんどいないことが判明したよ!」

 

 燕は清楚に対して親指をぐっと立てた。その清楚はというと驚きで一杯の様子である。

 それに待ったをかけたのはマルギッテだった。

 

「しかしライバルがいないわけでもないしょう? 彼の専属である李などどうなのです?」

「李さんは間違いなく征士郎のこと好きだろうな。1年のときから見てきているけど、そして癪だけど……本当に癪だけど、それは認めなければならない。男ってこういう感情に疎いのか? それとも九鬼特有のもの? 九鬼英雄もあずみさんの好意に気づいていないみたいだし」

「九鬼英雄は貴方の妹である川神一子に夢中なだけで周りが見えていないのでしょう。まぁあずみもそんな九鬼英雄だからこそと言えるかもしれませんが……」

「鈍感な相手とか苦労しそうだな。というか、燕の答えも聞かせてもらおうか? 人にはさんざん聞いておいて今更逃げるなんてしないよな?」

 

 清楚も百代の言葉に力強く頷いた。そして3対の瞳が燕へと集中する。

 

「私は気になってるってのが正直なところかな。まだ会って数日だし、これからもっと色々知っていきたいと思ってる。だから今日も征士郎君のこと話題にもしてみたんだよね」

「情報収集ですか……気になるというならクラスメイトのよしみとして協力してやってもいい」

「い、言っておくけど! 私は楽しくお喋りできる相手だってだけでその、好きとか……そういうのじゃないから! 燕ちゃん誤解しないでね」

 

 清楚は慌てたように早口で捲し立てた。その様子にからかいが過ぎたと思った燕は素直に謝罪する。

 

「ごめんごめん。さっきのは私も冗談だから……それから清楚のその口ぶりからすると、私が征士郎君のこと狙ってるみたいに聞こえるから……」

「燕、李さんと一騎打ちか。どちらも大事だから私はただ見守ることしかできない。許してくれ」

「だーかーらぁー! モモちゃんもそういう言い方しないのッ!」

 

 がーっと吠える燕。予期せぬところから弄られる立場へとおちていた。さらに猟犬が追いこんでいく。

 

「しかし、燕は征士郎のことが気になっているのでしょう? それが恋に発展しないと言いきれるのですか?」

「そりゃ……言いきることはできないけど……って、マルギッテさんもそういう方向に話をもっていくのやめてくれません?」

「征士郎は私の目からみても悪い男ではないと判断した。世界有数の優良物件と言えるでしょう」

「ほほう。つまりマルギッテさんも軍に所属していなかったら狙っちゃうほどの男だと?」

 

 一転して燕が攻勢に出た。

 

「それはあくまで仮定の話で私が軍を離れることはあり得ません。よって無意味だと知りなさい」

「仮定の話だから面白いんですよ。仮に……そうだな、征士郎君はマルギッテさんの好みに合ってないなら、大和君! 大和君が付き合ってほしいって言ってきたら?」

「おい燕! どうしてそこで弟の名を出すんだ?」

「いや、ただ何となく。私達に関わりがある男子で征士郎君とはタイプの違う男の子ってことで大和君」

「そういえば、その大和君今日紋ちゃんと一緒にいるところ見かけたよ」

「モンプチと? 弟の奴、遂にハゲの同類と化したか……」

「そっかー。大和君って年上好きかと思ってたけどなー。マルギッテさん残念だったね」

「仮定の話を持ち上げておいて、私を勝手にフラレた扱いするのはやめなさい」

「マルギッテさん元気だして! ポッキー最後の一本あげるからっ!」

「モモちゃん、それ私が持ってきたやつだから。あ、カラムーチョもあるけど食べる?」

 

 結局、ガールズトークはマルギッテが席を立つまで続いた。

 

 

 □

 

 

 カタカタとPCを操作する音だけが征士郎の部屋で鳴っている。征士郎と静初がそれぞれPCの画面に向かい作業を行っていた。学園から戻るなりかれこれ2時間ほど経過している。その間征士郎はくしゃみを二度ほどして、静初に心配されることがあった。

 そろそろ休憩をはさみましょう。静初がそう言おうとした矢先、ノックとともに外から征士郎を呼ぶ声が聞こえた。九鬼内部で彼を呼び捨てにできる人間となれば自然と限られてくる。

 静初がチラリと征士郎を窺えば、彼は一つ頷きを返した。それを確認した彼女がすぐさま扉を開ける。

 

「揚羽様、おかえりなさいませ」

 

 静初は扉を開けるなり深く頭を下げた。彼女の後ろより征士郎の声も聞こえる。

 部屋へと招き入れられた揚羽はソファへと腰を下ろした。その専属である小十郎は揚羽と征士郎にお茶へ入れるつもりのようで、静初の案内のもとキッチンのほうへと足を運んでいく。

 姉の来訪に征士郎は作業を止め対面のソファへと座る。

 

「予定より早かったね」

「うむ。特に問題もなかったからな。で、皆の顔を見たいがため早く帰ってきたのだが……」

「母さんは講演会。英雄と紋白はまだ学園。父さんは……まぁ地球のどこかだと」

「そういうことだ。揃って食事でもできればと思っていたのだがな」

 

 揚羽は小さくため息をついた。こればかりは九鬼の豪運で何とかできるものではなかった。これが帝の場合だと予定が早まろうが遅くなろうが、結局は家族が揃っているときに帰って来るのだから、九鬼の中でもまた別格と言える。

 

「まぁそういうときもあるよ。俺が付き合ってあげるから我慢しなって」

「征士郎ならばそう言ってくれると思ってここに来たのだ。我はお姉ちゃん思いの弟をもてて幸せだぞ! フハハハッ!」

 

 そこへ小十郎がお茶を持って歩み寄って来る。その表情は真剣そのもの。征士郎の手前でもあるため、より一層気合が入っているのだろう。しかし、やっていることはただお茶を運ぶという簡単なもの。

 落ち着け落ち着けと自身に言い聞かせる小十郎。しかし、それとは反対にお盆の上のお茶は水面を大きく揺らしている。

 

「うわっ!!」

 

 小十郎の声とともに宙を舞うお茶。もはやお約束の展開であった。

 しかし、そこに控える従者は一人ではない。静初は小十郎が自分で運ぶと申し出てから、スタンバイをしていたのだろう。淀みない動きで滴の一滴もこぼすことなく湯のみを掴むと、くるりと一回転し静かにテーブルへと湯のみを差し出した。そのスタイリッシュなお茶の出し方に、ミスをした小十郎は感嘆の声をあげる。

 そんな彼へと間髪いれずに飛んでくる鉄拳があった。

 

「感心している場合かッ!! 元はと言えば貴様のせいであろうがッ!!」

「もっ……申し訳ありません、揚羽様ぁ!!」

 

 威力は部屋の中ということもあり抑えられていたのか天井へ突き刺さることはなかった。せいぜい小十郎の頭が天井をかすめた程度である。

 湯のみを手にとった征士郎が口を開く。

 

「小十郎、俺の前でそこまで緊張することはないだろう。まぁ母さんの前でこれをやらかすのはさすがにマズイがな」

「申し訳ありません、征士郎様。うまくやろうとすれば、なぜか……」

 

 静初がアドバイスを送る。

 

「小十郎は手元に集中しすぎなのです。体が強張っているのも問題ですね」

「真面目な男だからな。少しはステイシーを見習ったらどうだ?」

 

 征士郎の言葉を聞いた小十郎は、握りこぶしをつくりいきなり叫ぶ。

 

「ロオオオッッック!」

「征士郎が言いたかったのは余裕をもてということだ。馬鹿者があぁっ!」

 

 相変わらず仲の良い揚羽主従に、征士郎は相好を崩した。

 

 

 ◇

 

 

 小十郎への制裁が終わったところで、揚羽が提案する。

 

「これからすぐに出かけようと思っているが、征士郎は何が食べたい?」

「とか言いつつ、姉さん食べたい物とか決まってるんじゃないの?」

「ほう……理由を聞こうか」

「いや何となく。強いて言うなら俺の勘」

「ならば、我が今食べたい物まで当てられるかな?」

「いやいや、そこまでいけば超能力でしょ。うーん……」

 

 そう言いながらも征士郎は揚羽を見ながら顎に手を当てた。姉は楽しそうである。

 

「ヒントをやろうか?」

「いやそれじゃあ面白くない。まず俺の勘で答えを書いておく。その後にヒントをもらおうか」

「良かろう。当たっていれば褒美に一品加えてやる」

 

 征士郎は静初より紙とペンを受け取り、さらさらと答えを書いていく。そのペンが止った所で、揚羽がヒントを出した。

 

「鱗があり、生のままでは硬いものだ」

 

 小十郎は揚羽の顔をじっと見て考え込んでいる。専属であれば主の気持ちを察せるほどでなくてはとでも思っていそうだった。

 

 

 □

 

 

「しかし、本当に我の食べたい物を当ててしまうとは……」

 

 揚羽は唸った。それは呆れているのか感心しているのか判断が難しいものだった。征士郎は偶然だと笑うばかり。彼女の食べたかったものは鰻。それを小十郎が最後に答えたとき、紙をめくればそこには鰻の文字があったのだ。

 彼らを乗せた車は夕焼けの中を走っていく。その車中にはさらに人数が追加されていた。ちょうど帰宅してきたところで彼らと出くわした義経と弁慶である。

 

「揚羽さん、本当に義経たちもいいんですか?」

「構わん。お前達のことは征士郎らに任せきりであったからな。旨い物でも食べながら、学園での様子を聞かせてくれ」

 

 義経と揚羽が会話する中、弁慶は鰻だ鰻だとご機嫌である。川神水にピッタリな御馳走にありつけるからだろう。この2人を加えた6人で、揚羽の行きつけの店へ行くことになっている。

 車もいつもの車種では手狭であるため、後部座席に6人まで座れるリムジンである。

 弁慶は座席の横についているクーラーを開け、上目遣いながら揚羽を見た。

 

「揚羽さん?」

「それは弁慶へのプレゼントだ。好きにするが良い」

 

 クローン組はつい最近誕生日を迎えたばかりである。彼女らが同行することがわかった揚羽は、買っておいたプレゼントを先に車へと運ばせておいたのだった。

 弁慶はそのプレゼントを手にとってすぐさまこう言った。

 

「一生ついて行きます!」

 

 川神水の中でも特別とされる大吟醸・蓬莱。年間5本限定で市場に出回らない一本である。

 弁慶はそれを大切に抱きしめキスをする。まだ飲んでもいないのに表情は蕩けており、まるで猫にまたたびといった様子だった。

 弁慶の喜びようから余程の一品だと推測した義経は、未だ自分が贈られてもいないのに恐縮しっぱなしであり弁慶とは対照的な態度である。

 それに気づいた征士郎が口を開く。

 

「姉さんの気持ちだ。弁慶のように素直に喜べばいい」

 

 その弁慶はというと一升ビンを拝み、いまようやく封を切ろうとしているところだった。ここまで喜んでもらえると贈った側も嬉しくなるだろう。

 弁慶が小十郎へ話しかける。

 

「小十郎、今からチョー安全運転で頼む。これがこぼれたりしたら私は死ぬ」

「えっ!? 死ぬって何がです!?」

「その前にお前を殺すッ!」

「ちょ!? 意味が分からないんですがッ!」

「とにかく徐行を心がけて! お願いします!!」

 

 高圧的にでたかと思うと最後は懇願する弁慶。目の前の一品に未だ気が落ち着かないらしい。

 揚羽はそんな弁慶に嬉しそうである。

 

「フハハハッ! 小十郎、弁慶の言う通りにしてやれ。店は逃げん」

 

 小十郎はそれに返事し、同時に車はそのスピードを下げていった。

その遣り取りをオロオロしながら見守っていた義経だが、ふいに征士郎と目が合う。彼はただ静かに頷くだけだった。

 しかし、義経には征士郎が何を伝えたいのかハッキリとわかっていた。

 

 

 ◇

 

 

 弁慶は自分の杯に川神水を注ぐと、時間をかけてゆっくりと飲みほした。そしてその余韻もあますところなく味わう。その瞳は閉じられており、全神経を味わうことに費やしているようだった。

 義経も見た事がないほど真剣な雰囲気にごくりと生唾を飲み込む。

 やがて瞳を開けた弁慶は軽く息を吐いた。

 

「……私はこれを味わうために生まれてきたんだ」

「弁慶が何かを悟ってしまった」

「主も飲んでみるといい。いや! 飲むべきだッ! この感動を私一人だけ味わうなんて……許されない」

 

 揚羽は試飲したときのことを思い出し、弁慶の言に納得している。

 弁慶はずいっと杯を差し出した。義経はそれを両手で受け取ると、とくとくと軽快で清らかな音とともに器を透き通った液体が満たしていく。紅色の杯に満たされたそれは夕日を浴びて輝きを放っている。あの弁慶があれ程の態度を示す川神水。義経は恐る恐る小さな唇を宛がった。その間、弁慶は揚羽と征士郎にもお酌をする。こちらはクーラーに備え付けのロックグラスであった。

 

「はふぅ……」

 

 全てを飲み干した義経はふにゃりと緩んだ顔とともに息を吐いた。今なら弁慶の言っていた気持ちがわかる。飲んでもらわないとこの味と気分を共有することはできない。

 弁慶は主の表情だけで満足らしい。そこに言葉は必要ないといった感じだ。

 続いて義経にもプレゼントが贈られる。桐の箱に入れられたそれに彼女はピンときた様子であった。

 義経は揚羽に一言断りを入れ、ゆっくりと箱を開ける。隣からそれを覗きこむ弁慶が先に「おおっ」と声をあげた。

 

「神楽笛……」

「うむ。絵画などでもよかったが、趣味が合わなくては飾ることもできんと思ってな。笛にしておいたのだ」

「ありがとう、揚羽さん。義経は大切にする!」

 

 義経は大事そうにそれを抱え笑顔になった。

 その後、鰻をしっかりと堪能した彼らだった。同じ時刻、金柳街の梅屋にて強盗の押し入りがあったことも、偶々そこに壁を越えた者たちが集まっていたことも彼らはまだ知らない。

 

 




ふー林沖のシナリオ楽しみ(HPより
あんなの見たら林沖放りこみたくなる!!
林沖可愛いよ林沖。

今回の話は原作で大和が紋白へ人材紹介を行っている裏側。そして梅屋に強盗が押し入る裏側を書いてみました。
4人の会話を書くの大変。今回はまだ喋り方に特徴あるから何とかなった……と思いたい。これ誰の台詞とかありましたら遠慮なくご指摘下さい。地の文入れて修正します。


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21話『未来』

 

 夕日に照らされる河原で一人の女が舞っていた。引き立て役は屈強な男たち。その中を女は時に華麗に時に荒々しく舞い続ける。片手を振るうごとに一人。片足を進めるごとに一人。男達は次々と地へ沈んでいく。

 女――百代の舞いは最後の一人が倒れるまで止らない。

 その男達はクローン組に挑むため、世界中から川神を訪れていた武闘家たちであった。しかしその人数が多いため全てを相手しているときりがない。そこで事前に武神である百代が認めた者のみに挑戦権を与えるとともに、百代に対しての生贄――もとい戦闘衝動緩和のための相手をしてもらっているのだった。

 その百代の動きにはほんの小さな違いがあった。それは先日の項羽との一件が関係している。たった一度の攻防。お遊びに近い一撃であったが、それが百代の慢心を取り払ったのだった。加えて直感が百代に訴えかけていた。待ち望んでいた相手だと。

 項羽との私闘は学園から禁止されているが、対決の場は用意してやると征士郎から言質をとっている。

 

『項羽はようやく歩き出した幼子にすぎない。そして幼子は成長する。お前の全てを受け止められる存在にな』

 

 項羽を幼子と言い切り、より高みへと上り詰めると断じたのだ。そしてその言葉を保証したのはヒュームである。

 全てを受け止められる存在。百代は笑わずにはいられなかった。それはあり得ないという嘲笑ではなく、心の底から湧き出る歓喜であった。その影響からルーチンワークのようになっていた鍛錬にも今一度身をいれるようになっていた。

 橋の上から見物していた燕がたまらず声をあげる。

 

「あそこにいるのはモモちゃんじゃなく、MOMOYO(覚醒モード)だ。契約期間を定めなくて本当に助かったよん……」

 

 燕は欄干に腕をつき小さくため息をはく。未だ倒すための糸口は見つかっていない。しかし、これより先時間をかければかけるほど困難になっていくのではないかと考えてしまう。人はちょっとした切っ掛けで変わるというが、何も今変わらなくてもとさすがの燕も愚痴りたくなった

 その燕の後ろに一台の車が止まった。そこから降りてきたのは征士郎と静初。

 

「燕じゃないか。こんなところで百代の見物か?」

「まぁね……征士郎君は今帰り? 先に教室出ていってたからとっくに帰ってると思ってた」

「学長と今後のことでちょっとな」

「征士郎君って本当に高校生? 理事長と今後のこと話すって明らかにおかしく感じるのは私だけ?」

 

 前に通っていた高校でも、生徒会長が校長と話している場面すら見た事がないのだ。

 

「細かいことは気にするな。これも皆が楽しめるために必要なのだ」

「生徒会長さんは大変だねー。私もなんかお手伝いしようか?」

「それは有難い申し出だが何か欲しいものでもあるのか?」

「まるで私が御褒美目当てで言いだしたみたいに聞こえるね」

「大抵の物はいけるぞ。クルーザーか? それとも島か?」

「それは既に御褒美とかそういうレベルじゃないよね!? 一体私はなんのお手伝いをさせられるの!? 怖いよ! 逆に怖くなってきた!」

「冗談だ。なら身近にあるもので……静初のギャグを毎日10個聞ける権利はどうだ?」

「後ろで李さんが嬉しそうに私を見てきてる。とりあえずそれが御褒美にあたるかどうか聞いてから判断したいね」

 

 静初は一歩前へ進み出て咳払いを一つした。

 

「多馬川にはよく人が集まる……だってここはたまリバー。李静初です」

「これが御褒美?」

「最近ステイシー……静初の同僚の反応が冷たいらしくてな。新しい聞き手を募集中だそうだ」

「李さんの期待のこもった視線が痛い。そして、どう反応していいかわかんないよ。征士郎君パス!」

「静初、今回は縁がなかったらしい」

「うう……というか私達一体なんの話してるの?」

 

 燕は落ち込む静初の姿に胸を痛めながら呻いた。

 

「燕のその気持ちだけ受け取っておく。ありがとう」

 

 征士郎はそんな燕にカラカラ笑いながら礼を言った。

 

 

 ◇

 

 

 2人が立ち直ったところで征士郎が口火を切る。

 

「それで燕は百代の見物してどうしたんだ?」

「いやーどうやったらモモちゃん倒せるかなって考えてたんだよね」

 

 軽い調子で答える燕。契約については紋白と結んでいるため征士郎にも話してはいないが、燕も武闘家の端くれであるからこの考え自体おかしなことではない。

 

「ほう……やはり燕も武闘家なのだな。百代を倒すか……それはまた難しい問題だ」

「でしょでしょ。それに私ってか弱いスワローちゃんじゃない?」

「か弱いというのは形容詞一つで、弱弱しいの意味を指す。あの『か弱い』のことで合ってるか?」

「合ってるよ」

 

 一瞬の間ができた。

 

「うむ。続けろ」

「うん。そんな私が武神に勝つ方法を探るなら、どんな小さな事でも見逃すわけにはいかないからね。こういう見物できる場は利用しようかなって」

「無敗の女か……少し燕のことがわかった気がするよ」

 

 燕は征士郎の言葉にふふっと軽い笑いで応えた。そのときちょうど百代の方も戦いが終わったようである。百代が地に伏せった挑戦者に対して礼を述べていた。そこへ近寄って行くのはその場を取り仕切っていた桐山である。

 

「百代は確かに強いが、清楚に燕、義経そして由紀江には特に期待している」

「征士郎君に期待されるなんて光栄だね」

「父である久信の実力も確認させてもらった。申し分ないものだ。そこでだ……宇宙開発部門で進んでいるプロジェクトに加わってもらおうかと思っている。正式な通達は後日行うつもりだが……そこで得られる情報は平蜘蛛の改良にも役立つのではないか?」

 

 燕は征士郎の瞳を見てもしやと考える。そしてそれは正解であった。

 

「九鬼がスポンサーとなったのだ。俺が知る事ができないわけがないだろう? 加えて宇宙は俺の受け持つところでもあり、そこで何が行われているのか知っておく必要があるのだ。発想がでかくて中々気に入ったぞ。だが、あれは必殺と言える反面欠点も多い」

「それは使ってる私が一番よくわかってる」

「しかし、その欠点を克服できるとしたら?」

 

 燕は言葉に詰まる。

 

「詳細を伝えることはできんが、宇宙という空間は人類など塵芥だと思えるほど広大無辺であり過酷な場所だ。しかしだからこそ、そこに挑むことで俺達の技術をさらに進歩する。将来、その場で久信やその他腕のたつ技術屋の力が必要となるだろう」

「私のことはテストケースとしてデータをとりたい?」

「燕は適正が群を抜いているそうだ。その見返りとして……」

「それらの技術提供。私の力として扱っていいんだね?」

「ああ。まぁそれを受け入れるときは燕も九鬼の一員となってもらう必要があるがな」

「考えさせてもらうよ。悪い話ではなさそうだし」

「久信からも軽く話は聞けるかもしれんが、職務上言えないこともあるだろう。もし興味があるなら、ジーノ・ハノタ・ノネの論文を見てみろ。英語は読めるか?」

「まぁそれなりに。ジーノって……確かパワードスーツの更なる進化を提唱していた人だったような。おとんがそれを知って凄い興奮していたのを覚えてる」

「その通りだ。稀代の天才科学者にして世界一の変人。今は九鬼の宇宙開発部門で働いている」

 

 その際彼女が提示してきた条件は、金ではなく彼女の関係者全てに安全な場所を提供することだった。この条件は大袈裟に思えるかもしれないが、帝はそれをあっさりと承諾した。つまり、それだけの価値があるという証明でもあった。関係者は全員で3人と少数だったのも関係があったのかもしれない。

 

「……思い出した!」

 

 燕はそのときの記憶をたぐり寄せ思わず叫んだ。宇宙活動におけるパワードスーツ。武器の量子化。エネルギー増幅装置。自己進化を行う意識あるコア。久信の言っていた単語である。その他にも技術転用するには半世紀はかかるとされるものまであったが、そこまで詳しくは覚えていなかった。

 しかし重要なところは思いだせた。燕は思いをめぐらす。パワードスーツからの転用で武器の強化ができれば。そして武器の量子化で平蜘蛛を僅かなタイムラグで展開可能となれば。最終決戦兵器にエネルギー増幅が可能となれば。挙句の果てには自己進化を行うコアを埋め込まれた武器となれば、一体どうなるのか。

 征士郎は慢心のなくなった百代を倒すことは難しい問題だと言ったが、決して不可能だとは言わなかった。そして燕に期待しているとも。

 松永燕が扱うのは機械の力。燕自身も実力者であるが、彼女が扱う機械そのものがレベルアップすれば掛け算された力はどれほどのものとなるか。それは武神の領域へと踏み込めるものなのか。

 燕の背筋をぞくりとした感覚が走り抜ける。

 

「ごめん……今、すっっっごいワクワクしてる自分がいるんだけど」

「未来が待ち遠しいだろう。久信の件もそうだが、燕にしても早めに返事がもらえると助かる」

「ずるいよ……こんな話聞いちゃったら後に退けないってわかってたはず」

「そう思ったから話をしたのだ」

 

 征士郎はうーっと唸る燕に意地の悪い笑みを返した。その日の夜、彼の携帯に燕から着信があった。

 

 

 □

 

 

 次の日の放課後、大和は一人仲吉でパフェを食べていた。先ほどまで学園外の知り合いの一人とお茶をしていたのだが、急用が入ったらしく慌てて出ていってしまったのである。大和は仕方がないのでパフェをつつきつつ、片手で携帯を弄り続けていた。

 そこへ見覚えのある顔がやってくる。

 

「んはっ! 大和ではないか? お前が一人とは珍しいな。大抵は女の一人や二人連れているのに」

「せ……覇王様!?」

「おう! 覇王様だぞ! 好きなだけ敬え!」

 

 そして項羽は一人ではなかった。その後ろから征士郎と静初が入って来る。

 

「会長まで!? なんか意外な組み合わせですね……」

「こいつは今日俺の財布だ! なんでも好きな物を食わせてくれるという! 日頃の行いを悔い改めようというその心意気を汲んで、こうして付き合ってやっているのだ」

 

 大和は胸を張って高笑いをする項羽から征士郎のほうへと視線を向ける。

 

「清楚の言葉はスルーでいい。ところで直江、同席しても構わんか?」

「え……あ、はい。どうぞどうぞ」

 

 大和は携帯を急いで閉じると鞄を寄せ、3人が座れるスペースをつくった。その隣に項羽はどっかりと座り、征士郎と静初は対面の席へついた。

 清楚はメニューを見るなりオススメ商品を上から5つ注文する。どうやらここの支払いが征士郎持ちというのは本当らしい。「早く頼む」と店員を急かす項羽の一声に静初が注意をいれる。

 注文を終えた征士郎が大和へ声をかける。

 

「直江、とりあえずSクラス入りおめでとう」

 

 先日Sクラスに欠員が一人でたため臨時の選抜試験が行われていた。その際妨害などもあったが見事大和がその座を射止め、明日からクラスを入れ替わることになっている。

 

「ありがとうございます」

「それから……紋のことでも色々相談にのってくれているらいしな。その件も礼を言っておく。紋は嬉しそうにお前のことを話していたぞ」

「いえ、俺は後輩が困っているのを見捨てておけなかっただけです。でも紋様が喜んでくれたのなら俺も頑張った甲斐がありました」

「困っているからと人材紹介までやる奴もいないだろう。人が集まるのは俺としても喜ばしいことだ。聞けば面白い人材が集まっているとも聞く。中々大変であろう?」

「その分、遣り甲斐があります」

 

 大和は紋白と関わることで自身をより高めていくことに楽しさを覚え始めていた。そして彼女に仕えることにも。

 そこで3つ目の商品に手をつけようとしていた項羽が口を開く。

 

「大和はあれか……ロリコンというやつか?」

「なんでそうなるんですか!? 俺はただ紋様の喜ぶ顔が好きなだけですよ!」

「ほれ……その台詞からもそこはかとなくロリコン臭が」

「しねぇよ! なに勝手に新しいキャラ付けしようとしてるんですか!」

 

 大和が言葉を荒げたのも目の前にいる征士郎の存在故である。

 その征士郎によってロリコンが公開処刑されたのも記憶に新しい。それは思いだすだけでも冷や汗ものである。

 

「図星をつかれたからといって焦るな。人にはそれぞれ業というものがあるとクラウディオからも習っている。俺は大和がロリコンでも受け入れてやるぞ。んはっ! 器のでかい王であろう!」

「だからなんでロリコンという前提で話を進めるんですか! 覇王様は俺になんか恨みでもあるんっすか! 黙ってパフェ食べといて下さい!」

「おい、大和! 覇王に命令するとは無礼だぞ!」

「アンタも大概無礼だよ!!」

 

 その言い方に項羽は言い返そうとしたが、

 

「お前達静かにしろ」

 

 と征士郎の一言が遮った。それは特別大きな声で言われたわけでもないが、店内の全員に聞こえたかと思うほど冷え切った声だった。

 店は水を打ったように静まり返る。征士郎が息を吐き出すとともに空気が和らいだ。

 

「客は俺達だけではない。元気がいいのは結構だが、それ以上騒ぐのならば外でやれ。いいな?」

「す……すいません」

「征士郎の癖に俺に指図す……いやなんでもない。店員よ、悪かったな」

 

 静初はこういう状況にも慣れているのか、ここは自分が空気を良くしなければと温めておいたギャグを放つ。

 

「あのソーダ、うまそーだ」

「静初やりたいことはわかるが……」

「ダメ……だったでしょうか?」

「また清楚からどこが面白いのかと小一時間問い詰められても平気なのか?」

 

 征士郎はこの話をステイシーから聞き、項羽はそのときのことを思い出したのか身を乗り出す。

 

「もうあんな真似はせんわ! だから李もう泣くなよ!?」

「っ!? 泣いてません! 清楚、征士郎様の前で変な事言わないで下さい」

 

 そのとき征士郎の携帯が震えだした。そして彼はメールを確認するなり席を立つ。それに合わせて静初が会計をしにレジへ向かった。アタフタしていたにも関わらず、こういうところはさすが専属と言えた。

 

「直江、悪いが先に帰らせてもらう。清楚はそれを味わってからにすればいい。あまり遅くなってマープルに怒られんようにな」

「はい。お気をつけて」

「俺を子供扱いするな! 覇王だぞ! 偉いんだぞ!」

 

 征士郎のあとに従っていた静初だが、その場に立ち止まると大和を見つめる。

 

「九鬼は面白いですよ」

 

 そう一言伝えた静初はまた征士郎を追っていく。その言葉は確かに大和の心に刻み込まれていた。

 ちなみに大和達が帰る際、仲吉の店員からお代は既にもらっていることが伝えられ、それに加えて手土産を渡される。これは店で騒いだ迷惑料と大和が住んでいる寮生に振舞うために用意された土産であった。それは当然清楚側の分もあり、土産の量からいってクローン組の3人ともう1人分あった。その1人分を自分の物と考えた項羽とマープルへの土産だとツッコんだ清楚がいたとかいなかったとか。

 そして車に戻った征士郎であるが、静初と二人きりになるなり、

 

「私は泣いてませんから」

 

 と念を押されるのだった。

 最後にその手土産だが一番喜んだのはクリスであり、マープルは項羽が土産を買ってきたことに驚きながらも嬉しそうだったらしい。

 



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22話『水上体育祭1』

 

 6月末日の今日、予定通り川神学園の行事が海辺にて行われようとしていた。砂浜は水着に着替えた生徒達で溢れており皆一様にテンションが高くなっている。

今日の最高気温は30度を超すとも言われており、その予報通り空は快晴、何一つ遮られることのない太陽は輝きをより一層増して降り注いでいるようにも見える。外回りに出かけるサラリーマンには気の毒なこの天候も生徒達にとってはなんら気にする必要もなく、むしろ歓迎すべきものであった。

 その浜辺では男子生徒の大半が鼻息を荒くさせながら女生徒達に熱視線を送っており、そういう視線に敏感な彼女たちは罵声を浴びるかと思いきや、意外と堂々としていたりする。また一部のクラスでは男子生徒が男子生徒にねっとりとした視線を浴びせたりもしているが、これは例外であろう。

 しかし健全な男子生徒であればボディラインの強調される水着に反応するなというほうが酷であろう。体育でも既にプールの授業が行われていたが、当然男子と女子は別々でありこういう機会でもない限り彼女達の水着姿を拝む事はできない。貴重なこの機会を逃してなるものか。それが男子生徒の想いであった。そしてこの機会を授けてくれた学長に感謝するのである。逆に女子生徒からはエロジジイと心の中で罵られる。

 それがこの欲望渦巻く水上体育祭である。そして、それを表す1シーンが早速始まっていた。

 

「ちょっと島津ッ! アタイの方じっと見るのやめてくんない系!!」

「誰がヤマンバなんぞ見るかッ! 俺様はお姉様方を見てたんだよ! そしたらお前が視界に入ってきたんだろうがッ! 早くそこをどけ! 俺様の目が汚れるわ!」

「ちょ……この筋肉ゴリラまじ失礼しちゃう系なんですけど! そう言いながら粗末なアレおったててるのが見え見えなんですけどッ!」

「お前なんか見てたらいつも元気なマイサンもひなびるわ! って、あれは清楚先輩ッ!?」

 

 という岳人と羽黒の言い合いがあったり、

 

「(ウヒヒ……ダミーのカメラは没収されたがこれは予想済み。本命は水中に隠してあるほうだ。これで女子達のあられもない姿を収めまくってやるぜ! 狙うはポロリ! 今年の学園女子のレベルは過去最高。特に3年は次々に入ってきた転入生でヤバいからな。高3ともなれば大人の体と大差ねぇ。あのたわわに実った果実がポロリ、そこに滴る海水で瑞々しさが……う、あー、~~~ッふん…………やべぇやべぇ想像だけでいっちまうとこだった。んでんで、タメで言えば弁慶の写真は絶対だろ! 欲しがる奴は山のようにいる。でも九鬼の目が怖いんだよなー。紋様の写真とかはアイツが買い占めるから数を確保しておきたいけど、どっちも会長の関係者だからな。下手したら魍魎の宴の存続すら危ぶまれる。まぁだからってイモひけねぇ! 俺はアイツらに最高のズリネタをやらなきゃいけねえんだ! それが……そう! この童帝たる俺の使命! 学園の皇帝にだって屈しやしねぇ! ……多分、きっと……そうあってほしい。……会長もなんか欲しい物とかねぇのかな? あの人を引き込めれば学園を取り込んだも同じとなり、そうなりゃ女子更衣室だろうがどこだろうが俺の好きにできるのに! いや待てよ……次の選挙で俺が生徒会長になれば……ふむふむ、ぐへへ、これはやるしかねえ)」

「征士郎様、水中より3台のカメラを没収してまいりました。いかがないさますか?」

「ヒュームか、ご苦労。持ち主がわかっているならそのまま返してやれ。ついでに脅すことも忘れるな。撮っていいのは皆にとって良い思い出となるものだけだ。行事が終わったのち確認させてもらうとも伝えておけ」

 

 と気づかないうちに計画が潰えていたり、

 

「ヘイ、李! お前なんでスクール水着? この前買い物行った時水着新調したじゃん」

「体育祭は動き回るんですからビキニでは色々危険でしょう」

「なんだよーせっかく色気ムンムンのやつ一緒に探してやったのに……着ねえんじゃ意味ねーだろ」

「それはそうですが……」

「(まぁ布面積のかなり少ないものを選んでやったからな。いつかは着る機会もあるだろ……そんときが楽しみだな)」

 

 と静初がステイシーの玩具にされたり、

 

「紋様あぁ―ッ!! くそっ紋様の御姿が見えん。どこにおられるんだ?」

「おい」

「うるさいッ! 俺は今紋様のすくーる水着姿を拝むことに忙しいんだ。あとにしてくれ!」

「ほぅ……紋様のお姿ねぇ。ハゲ、てめえの罪を数える時間だぜ」

「ッ!!? あずみがなぜここに!? 英雄は何してるんだ!」

「英雄様は柔軟してるところだよ。それからお前の目的である紋様は征士郎様と一緒だ」

「くっ……入れ違いだとッ! 探しに来たことが仇になったか!」

「さあてお前はしばらくアタイに付き合ってもらうぜ」

「おい……その手にあるものはなんだ? おい、近寄るな! 俺は紋様をこの目に焼き付けねばならんのだ!」

 

 とロリコンが捕らわれたりしていた。

 開会式まではまだ少し時間があるようである。それまでは海へ入り一足先に夏を味わう者、どこから持ってきたのかビーチボールで遊ぶ者など各自が思い思いの時間を過ごしていた。

 征士郎はそんな生徒達を木陰に設置されたビーチチェアに腰をおろしながら眺めている。その彼の後ろでは紋白とステイシー、シェイラがいた。紋白はスクール水着。ステイシーとシェイラはビキニを着用している。

 

「く、くすぐったいぞ」

「紋様我慢ですよ、我慢―。ちゃんと日焼け止め塗っておかないと後が大変なんですから」

「そうですよー。せっかくこんなきめ細かい肌してるんですからケアしておかないと。にしても羨ましいです。こんなスベスベ肌―」

 

 紋白は遂にくすぐったさが限界にきたのか笑い声をあげた。2人は従者であるが、ケアをするその姿は妹を可愛がる姉のようでもある。どこぞのロリコンが見ていれば歓喜の雄たけびをあげていたかもしれないが、今はあずみに拉致されその姿は確認できない。

 そして静初はというと座っている征士郎の隣に立ち、先ほどドリンクを運んできたときに使ったお盆を両手で抱えていた。メイド服であればその姿も似合っていただろうが、今は頭のブリムも外した水着姿であるため違和感がある。しかし、そのアンバランス感が夏を感じさせてもいた。

 

「征士郎様も日焼け止めをお塗りしますね」

「俺は特に気にしないんだがな……」

「いけません。どうぞ楽にしていてください」

 

 征士郎はその言葉に素直に従う。静初はクリームを手にとるとそれを少し温めて、彼の体へと塗っていった。そしてその彼女の手が彼の顔へと向かう。その手つきは慣れたもので彼も目を閉じてそれが終わるのをじっと待っていた。

 そちらを見つめる者達がいる。そのうちの一人、燕が百代へ話しかけた。

 

「ああいうところ見ちゃうと征士郎君も良いとこのお坊ちゃんだなって思っちゃうね」

「とまどう様子なく李さんのそれを受け入れてるからな。私だったら絶対イタズラしたくなるな」

「意図的に日焼け止め塗らないとことか作って文字にしたり?」

「単純に○とかでも征士郎がそうなってると思うと間抜けで笑えないか?」

「ふふっ確かに。でもその前にモモちゃんがメイドさんってのが想像できないね」

「そんなことないだろっ! ご主人様に尽くしちゃうにゃん」

 

 その他にも2年の男子達がいた。岳人が思いの丈をぶちまける。

 

「紋様と替わりたい! あのお姉様二人に挟まれて俺様もぬりぬりされたい! あれ絶対胸あたってるだろ!? あぁ! あんなに密着されて……なんで俺様は九鬼の人間じゃねぇんだ」

 

 そんな岳人の隣にいた友人は険しい顔をしたまま。その友人の名を大串スグルといい二次元命を公言している男である。

 

「惑わされるな。三次元なぞ所詮クソだ。あんな派手なビキニを着る女共などビッチに違いないだろ」

「馬鹿野郎! たとえそうだったとしても関係ねえ。あの胸を好き勝手できるならな! でももしもだ! もしもあの容姿でビッチでなかったらどうだ!? 反則じゃねぇか! 俺様はそれを知って優しくリードできる自信がねえ」

「心配するな。お前がその立場に立てる可能性は限りなく0に近い」

「つまり0じゃねえってことか!?」

「どれだけポジティブなんだお前は……」

 

 

 ◇

 

 

 開会式が無事終わり、生徒達は競技を進めるべく移動を始める。そんな中、Sクラスに入ったばかりの大和は義経と弁慶に声を掛けていた。

 

「これからよろしくね」

「こちらこそよろしく頼む」

「既にだらけ部でよろしくしてるけど、こっちでもよろしく」

 

 大和はSクラスに入ってまだ2日目であるが中々馴染んでいた。そこで彼は義経が妙に嬉しそうにしていることに気づく。チラリと弁慶の方へと視線を飛ばした。

 それに気付いた弁慶がこっそり耳打ちをする。

 

「与一がちゃんと行事に参加してくれてることが主は嬉しいんだ」

「ああ、なるほど。与一ってこういう行事もなんか理由つけて休みそうだもんな」

「休むなんて言ったら力づくでも連れてくるつもりだったけど意外にね。大和も一肌脱いでくれたんだって? 与一が兄貴兄貴って妙に慕ってたよ? 何したの?」

「い、いや特には……というかベン・ケーさん? そんなに近寄られると困るんですが」

「ふふっ主をご機嫌にしてくれたお礼だよ。これより先はもっと好感度を上げる必要があります」

「あれだけ餌付けしてるのにまだ足りないと?」

 

 その義経はというと与一の姿を見つけて駆け寄っていた。彼はうざったそうにしながらも彼女の会話の相手となっている。どうやら体育祭優勝しようと発破をかけているらしい。

 

「義経って本当に与一のことを気にかけてるんだな」

「手のかかる子ほど可愛いって言うじゃないか。あれだよあれ」

「なるほど……」

 

 大和は弁慶の言葉に納得しながら、身近にいる手のかかる子を想像した。姉さん、キャップ、ワン子、京、岳人、クリスとよく考えたら、風間ファミリーのほとんどが手のかかる子という事実に気づく。ツッコミ担当の常識人であるモロはいいとしても、まゆっちも改善されつつあるとはいえ相当である。

 その中でも天然お嬢様であるクリスは群を抜いており、京らと一緒に甘やかしてしまうのもそのせいかと納得した。

 そして大和は同時に思うところがあった。弁慶もその手のかかる子に該当するのではと。

 弁慶は少し凸凹感のある主従を見ながらふと口を開く。

 

「そういえば大和ってロリコンなの?」

「話が唐突すぎるだろ。そして答えはNOだ。というかそれ……誰から聞いた?」

「あそこでおしとやかに談笑している先輩」

 

 弁慶はそう言って人差し指をある方向へと向けた。そこには燕と会話する清楚の姿があった。大和はそれを見て瞬時に悟る。あの仲吉でのことを弁慶に話したのかと。

 

「あの馬鹿王様かッ! って今は清楚先輩の方だから怒るに怒れない! でもこれ機会逃すとそのままうやむやになる気がする」

 

 そこへ現れる同志。

 

「ロリコニアへようこそッ!! 歓迎するぜ大和」

「どっから湧いて出たんだ井上。あと俺はノーと言ったはずだが?」

「照れんなよ。俺達はただ無垢なる存在を愛でたいだけ。そうだろブラザー?」

「川神って人の話を聞かない人間が多すぎると思うんだ」

「年増のスクール水着は目に毒だ。女神はここに降臨してる。探そうぜ俺達のユートピア」

 

 弁慶は一つため息をつく。

 

「井上はさっきまであずみに絞られてたのに懲りないなぁ。大和も将来こうなると思うと心配だ……」

「だから俺はノーだと言ってるだろ! そして肩を組もうとするな井上! 同類だと思われるだろうが!」

「分かるぜ。最初は確かに抵抗があるかもしれん。だが案ずるな……お前には仲間がいる。そう! 俺だ!」

「なに少年漫画風にカッコよく言ってんだよ! 中身がめちゃくちゃカッコ悪いんだよ!」

 

 そこへ中途半端に会話を聞いていた与一がやってきた。その後ろには義経もいる。

 

「どうしたんだ兄貴? ッ! もしや組織の連中が動き出したのか!? フッ水臭いぜ。兄貴と俺はもはや一蓮托生。俺には奴らから与えられた力がある。普通に生きてえと願ってもそれを許さないのがこの力だ。だったらこの忌み嫌われた力、兄貴に向かう悪意を払いのけるために使うぜ! 兄貴は俺に一言言ってくれりゃあいい。敵を……滅せよとな」

「与一は時々何を言ってるかよく分からない。でも! 与一が直江君のことを慕っているのはよくわかった。直江君は凄い。義経は尊敬する!」

 

 いよいよカオスとなり始めた空間で、弁慶は川神水を飲み始めた。それにツッコむ大和。

 

「この状況で人を肴にして川神水を飲むな! そして井上は肩組もうとするなって言ってんだろ! 与一も敵はいないからそのゴツイ弓をしまえ! 義経は……義経はうん、ありがとう」

 

 そんな大和を救いだしたのは女神の一声。振り向いたその先には紋白の姿があった。彼は一刻も早くその場を離れたいがため走り寄っていったが、その行動がさらなるロリコン疑惑を深める要因ともなる。ちなみに真性のロリコンは紋白の姿を拝むことはできたが近づくことはできなかった。なぜなら、気づいたときには首から下が砂浜に埋まっていたからだった。そしてハゲの生首となった状態ではあったが、準は紋白のスクール水着を見れたことで感無量といった様子である。

 その後、皆が散り散りとなり生首状態で放置された準は退屈していた小雪に発見された。しかし安堵したのは束の間、彼女は何を思ったかスイカの代わりとしてロリコン割りを始め、準は盛大に肝を冷やすことになった。

 水上体育祭は未だ始まったばかりである。

 




HPの方で人気投票始まりましたね。誰に入れたらいいんだあああ!
迷う……というか改めてみるとヒロインの数が凄いことに。1位はiPhoneステッカーや抱き枕になるみたいだけど、美しい麗子さんがとっちゃったら誰得? 熟女好き? いや、クラウディオかっ!?
私も投票するんで誰が1位の座を射止めるのか皆さんで楽しみましょう。

というわけで季節的にもピッタリな熱闘川神夏の陣始めます。


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23話『水上体育祭2』

 

『大遠投3年女子の部優勝は……3-S葉桜清楚です!』

 

 アナウンスが流れるとともにわっと歓声がわいた。2年では弁慶が優勝したので、これでSクラスが2人とったことになる。

 覇王様マジ西楚という賞賛に、項羽はまんざらでもなさそうでありその高笑いも一段と大きく感じられた。

 この大遠投は海に向かってバレーボールを投げその距離を競う単純なものであったが、優勝を勝ち取った項羽はボールを星と化し測定不能という結果であった。またそれは弁慶にも言えることで改めてクローン組の凄さを確認できたのだった。

一方の男子部門では測定可能の範囲で競い合いが行われており、女子に比べるとどうしても一歩見劣りするものであった。東では女が強いという噂はこういうところからも端を発しているのかもしれない。

 かと言ってその男子が女子に虐げられているというわけでもない。

 意気揚々とSクラスに帰還した覇王は皆からの丁寧な賛辞に片手で応えている。そして一人の男を見つけるやいなや挑発的な笑みを浮かべた。

 

「んはっ! どうだ、征士郎? 俺様のパワーその目でしかと見届けたか!?」

「ああ。さすが覇王と呼ばれるだけはある。見事だ」

「この程度俺にかかれば朝飯前よ。妹分とも言える弁慶が結果を残したのだ。俺も負けるわけにはいかん」

 

 ふふんと鼻を鳴らす項羽は征士郎の言葉によってさらに機嫌を急上昇させていく。彼女は目的を達成したのか満足げに彼の下を離れていった。どうやら弁慶にも労いの言葉を送ってやるらしい。上から目線で褒める項羽の姿が目に浮かぶ。

 その後ろ姿を見送る征士郎の隣で静初が呟く。

 

「まるで親に褒められた子のようなはしゃぎようですね」

「可愛らしいではないか。マープルはあの性格を直させたいらしいが、俺は素直で良いと思えるがな。清楚が大人しい分、項羽はあれくらい元気があったほうが良い。もちろん悪さをすれば叱る必要もでてくるだろうが」

「マープル様もあれはあれで清楚達を可愛がっているのです。だから何かと口うるさく言ってしまわれるのではないでしょうか?」

「親の心子知らず……か。いや清楚などは理解しているのかもしれないな」

「親……」

 

 征士郎は静初の口から漏れたその言葉を聞き逃しはしなかった。

 

「会ってみたいか……生みの親に」

「どうでしょうか……会った所でその方を親と認識できるかどうか。私にとっての親は育ててくれたあの人だけですから」

 

 征士郎は静初の生まれのことを彼女の口から聞いていた。彼はそうかと短く答えただけで2人の間に沈黙が流れる。彼らの見つめる先では生徒達が競技に励んでおり、対照的な賑やかさであった。

 征士郎が静初の様子を窺うと彼女はその光景を優しげに見つめている。彼は彼女の名を呼ぶと少し荒っぽくその頭を撫でた。その突然の行動に彼女が慌てふためく。

 

「しんみりさせてしまったな……だが心配するな。たとえお前に何があろうとお前の帰るべき場所はここだ。一生俺の傍にいろ。退屈させんぞ」

 

 征士郎と瞳を合わせた静初は一度瞬きをしてふぅと息を吐く。

 

「退屈しないのは専属になったときからの経験で既にわかっていますから御心配なく」

「ははっ。言うじゃないか我が専属は。頼もしい限りだな」

「ありがとうございます。では、そろそろ昼食の準備にとりかかります」

 

 静初はそう言うと征士郎の手をそっと両手でとり頭から離す。その手つきはまるで宝物を扱うように慈しみに溢れていた。

 その後一礼したのち征士郎のもとを離れる静初であったが、その顔は少し赤みがかっていたようだった。それが照りつける太陽のせいなのか、それとも他に原因があったのか。それを知るのは彼女のみである。

 

 

 ◇

 

 

「あうー負けちゃったわ……」

 

 一子はがっくりと肩をおとして呟いた。彼女も2―Fの代表として大遠投に臨んだのだが、弁慶が測定不能という結果でそれまで首位を守っていた記録を抜かれてしまったのである。

 それでも順位は2位であり上出来といえる結果であったが、一子も負けず嫌いであるため納得しがたいようであった。

 これで午前の競技も終わりこれから昼ごはんである。一子はそれまでの時間を少しブラブラして過ごしていた。一時は魚でも獲ってクラスメイトの食マスターである熊飼満の手料理に華を添えようかと考えたが、それはまた後でもできると思い直して浜辺のこの賑やかな雰囲気を楽しもうと思ったのだった。

 

(体育祭が始まる前に貝もたくさん獲っておいたし)

 

 魚に関しても、熊飼があるルートより仕入れたものを準備していると聞いていた。

 先ほどまで一緒にいた京やクリスには少し歩いてくると言伝もしてある。その際、迷子にならないようにと京から冗談なのか本気なのかわからない一言をもらっていた。

 

「全くこんな場所で迷うわけないじゃない」

 

 一子はキョロキョロしながら浜辺を歩く。子供じゃないんだからとわざとらしく肩をすくめた。

 その間海上から数機のヘリが飛んできて、梯子をおろしたかと思うと多数のメイドたちが降下してきていた。そしてそのまま生徒達が開いていた海の家に向かっている。

 

(あれは……九鬼のメイドさんたちかしら?)

 

 一子は男子達の歓声を聞きながら思った。水着姿のメイドたちは皆美形であり、クール系キュート系パッション系と各種オールジャンルを網羅しているかと思われるほどである。まるで餌に釣られる魚影の如く、男たちはその海の家に群がって行った。

 一子はそんな彼女らのある一部に視線を送る。

 

(やっぱり大人の女性だわ。私も牛乳欠かさず飲んでいるのに……)

 

 メイドたちの揺れるそれと慎ましい自分のそれを交互に見て一つため息。しかしすぐに一子は首をブンブンと横にふって、そのマイナス思考を追いだそうとする。

 

(大丈夫よ! 私だって成長期! まだ望みはあるわ!)

 

 そこで以前京より伝え聞いたことを思い出した。

 曰く、揉んでもらうと大きくなるというあれである。

 

(あれは迷信よ。胸はほとんどが脂肪でできているんだから、やたらに揉んでも脂肪の燃焼を手助けするだけで意味がないのよ。もしこれ以上……)

 

 その先を考えて膝と両手をつきたくなる一子。そんな彼女の頭にテニスボールが勢いよく直撃した。

 

「ふぎゃ!」

 

 気の抜けていた一子の口から思わず変な声が漏れた。当たったボールは跳ね返りそのまま地面に落ちる。それを拾い上げた彼女はそれがテニスボールと少し違うことに気付いた。テニスボールより柔らかく、色合いもオレンジとイエローの組み合わせでカラフルなのである。

 ふにふにとそれを握っていた一子のもとへ、それの持ち主が駆け寄ってきた。

 

「ぬあっ! 当たったのは一子殿でありましたか! まことに申し訳ない!」

 

 英雄であった。彼はボールそっちのけで一子にケガはないかと心配する。その態度は普段の堂々とした姿とは対照的である。

 

「大丈夫大丈夫。ボールも柔らかかったし、私のほうもちょっと気が抜けてただけだから……」

 

 苦笑する一子は頭をさすりながら答えた。実際飛んできたボールも豪速球というわけでもなかったため、ほとんど威力はなく痛みもなかった。英雄はその様子にほっとすると同時に打った相手に声を荒げる。

 

「兄上! ノーコンにも限度がありますぞ! おかげで一子殿の頭に直撃したではありませんかッ!!」

 

 一子もつられてそちらへ視線を移動させる。そこにはラケットを振り抜いた征士郎の姿があった。そしてその横には百代がおり、一子に当たったところを見て征士郎の頭を叩いている。

 征士郎もそれを避けることなく甘んじて受けていた。

 

「すまないな、一子。英雄を狙ったつもりがあらぬ方向へ飛んでしまった」

「あ、いえ平気です。痛みもないですし。それよりお姉様も集まって何を?」

 

 百代はすぐに一子の頭を撫でに近寄る。同時に何か思いついたらしい。

 

「ワンコ今時間あるか? 征士郎がビーチテニスで勝ったら飯を奢ってくれるって言うんだ。どうだ、少し力を貸してくれないか?」

 

 実際は昼飯を持たない百代が、豪華そうだからという曖昧な理由で征士郎のもとへと集りに来たのであり、征士郎もただで食わせるのも面白くないため一つ勝負をしないかと持ちかけたのである。その勝負がビーチテニスであった。

 このビーチテニスは簡単にいうとテニスとビーチバレーを掛け合わせたスポーツで、基本はダブルス(2人組)で行う。使用するのはボールと専用のラケット。そしてネット越しでそのボールを落とさず打ち合うものである。

 なぜそのビーチテニスをこの場で行っているかというとマイナースポーツの普及のためであった。川神学園の水上体育祭は例年テレビ中継されており、これが中々の視聴率を持っているためそれを行うにはピッタリと言えた。そして、今年はとある企業と協会からの要請があり、ビーチバレーの代わりにこのビーチテニスを行うことに決めたのだった。

 征士郎が聞いたところによるとビーチテニスはオリンピックの公開競技化を進めているらしく、昨今特に力を入れているとのことだった。

 しかし、生徒達の大半はこのスポーツをよく知らないため、その模擬戦として征士郎が行うことになっており、ぶっちゃけると百代はそれに巻き込まれたというわけである。

 その征士郎と百代は最高学年としてもそうだが、学園では双璧と呼ばれるほどの有名人であり、その2人が勝負するとなると人目を集めるのも楽という理由もある。

 この状況にタイミングよく現れた英雄は征士郎に一声かけられパートナーに、一子も彼と同じ事が起こっていた。

 そして、一子が百代の頼みを断るはずもなく快諾する。感謝の気持ちを表す百代はさらに一子を猫可愛がりした。

 英雄は仲の良いこの姉妹の雰囲気にとても嬉しそうである。だが一方で好きな相手と争うことに少々の不満があるらしい。どうせ2対2での勝負を行うなら好きな相手と組みたいというのが本音であった。

 しかし、英雄も切り替えの早い男である。一子と視線が合うと勝ち気な笑みを浮かべた。

 

「フハハハッ! 一子殿、偶然とはいえ争うからにはこの九鬼英雄全力を持って相手させていただきます! 御覚悟はよろしいですかな?」

 

 一子はその挑発に嬉々として受けて立つ。

 

「望むところよ、英雄君! 川神姉妹の珍妙なコンビネーションを味あわせてあげるわっ!」

「それほど珍しいコンビネーションを我に!? これは我も心してかからねばなりませんな!」

「ええ! …………って、あれっ?」

 

 そこへコートの準備ができたとの報告が入った。その場所は海の家の近くで、最も人目を集めやすい場所。アナウンスが流され、午後の競技にビーチテニスが行われることと模擬戦のことが伝えられた。

 九鬼兄弟VS川神姉妹。今までありそうでなかった好カードの戦いが始まろうとしていた。

 

 

 □

 

 

 関係者の女性よりビーチテニスのルールを解説してもらい、征士郎たちはそれに慣れるためしばらく軽い打ち合いを行う。征士郎はこの競技を取り入れるかどうかのとき一度プレーしていたので慣れていたが、他の3人は今日が初めてである。にもかかわらず、すぐに順応し軽快なプレーを見せ始めたのは元々運動神経が良いからだろう。

 足場の悪さを物ともしないそのプレーは日頃の鍛錬や練習の賜物と言えた。

 コートの周りには既に生徒たちが群がっており、この日のためだけに設置された特大モニターにもその様子が映し出されている。

 実況席には学内ラジオパーソナリティでおなじみの準。

 

『さぁというわけで突如勃発した双璧の争い! 夢の対戦カードが今ここに! お前達はどちらを応援するかもう決めたかっ!? 俺はパーソナリティという立場上中立だが、心の中では紋様の兄上様にあたる英雄と会長を応援します!! ……おお、外野からのブーイングが心地いいぜぇ。しかし試合はしっかりと盛り上げていくんでそこんとこ4649!! 解説には協会よりお越しいただきました越前さん。そしてゲストに――』

『はいはーい。納豆小町こと松永燕でーす! プレーヤーの皆には松永納豆のように粘り強いプレーを期待したいですね。そして最後まであきらめないねばーギブアップ精神で試合を盛り上げてもらいたい! そうそうネバーと言えば――』

『はい、ストーップ! 強引な宣伝はこの場では控えてください。もうまもなく試合が始まります!!』

 

 

 ◇

 

 

 4人はそれぞれ固い握手を交わすとポジションについた。サーブは百代から始まる。

 左手で宙へボールを放り投げると右腕を振りかぶった。そしてボールが最も高くなったところで思い切り振り抜く。

 パンッと弾けるような音とともにボールが征士郎と英雄のちょうど真ん中へ襲いかかる。彼らは反射的にラケットをそこへ持って行った。返したのは英雄。直線的だった行きのボールとは逆にふわりと山なりの軌道を描く。

 一子がそれに反応し飛びあがっていた。

 

「はぁっ!!」

 

 気合のこもった掛け声と同時にボールを打ちぬく。それはコート前方を抉るような鋭いコース。しかしそれを拾いあげる征士郎はしなやかなボール捌きで、一子の後方へとボールを返す。

 ここで攻守が逆転する。百代から戻ってきた山なりのボールを英雄が捉えた。

 速球に身構える一子は一歩足を引く。突き刺さって来るであろうボールを拾うつもりであった。しかしその引いた態勢が悲劇をもたらす。

 

「ふぎゃ!」

 

 今日二度目となる一子の悲鳴。真芯で捉えた英雄の速球が見事なまでに額を直撃していた。ボールはそのままコートへと落ち九鬼の得点となる。

 

「ぬあっ! 一子殿大丈夫ですかっ!?」

 

 こちらも二度目となる英雄の驚きの声。そこに解説が入る。

 

『川神一子さんが当たってしまったのは、態勢が逃げてしまってたからですね。ビーチテニスの基本は前。高い位置でボールをとることですから』

『なるほど。落としちゃいけないんだから後ろで待つより前へ出て拾うことを心掛けろってことですか』

「なるほど……そういうことね」

 

 一子は実況からの声を聞き納得した。声をかけてくる英雄には大丈夫と返し、再びラケットを握る。

 

(前へ出る意識……それなら私の得意分野だわ!)

 

 スピードのあるボールを受けたが痛みはない。声が出てしまったのは驚きが大きかったからである。

 

「ワンコ、次は取り返すぞ」

「もちろんよお姉様」

 

 2人はともに頷くと銀髪の兄弟を真っ直ぐに見つめる。

 

 

 □

 

 

「嘘だ……征士郎に負けた? 私のご飯……」

 

 まさか負けるとは微塵も考えていなかったのだろう。百代は打ちひしがれていた。

 勝負は接戦につぐ接戦で、最終セットでは相手に2ポイント差をつけるまで延長が続いていたが、結局拾いに拾った九鬼兄弟がゲームを制した。

 攻撃ではダイナミックさを魅せつけた川神姉妹と神懸かり的と言っても過言ではない粘りをみせた九鬼兄弟。観客すらも唖然とさせたボール予測を勘の一言で片づけてしまうところに九鬼の恐ろしさを垣間見たのだった。

 しかしその分模擬戦は大いに盛り上がり、征士郎は目的を十分に果たすことができたのだった。

 

「百代、ご苦労だったな。昼の準備は既に整っている。ついて来い」

「えっ……でも私負けたぞ?」

「ん? 俺は勝負をしないかと言っただけで勝ったらとは一言も言ってないはずだが?」

「え……うーん、そうだっけ?」

「まぁいらんのなら別に良い」

「いるいるいるっ! いります! というかくれるんなら最初からそう言えよ!」

「勘違いしたのは貴様だろう」

「まぎらわしい言い方するからだろ。というか、ちょっと待ってくれ。その――」

 

 百代は言葉を続けようとしたが、征士郎がその上から遮った。

 

「一子なら英雄に誘わせている。それとも別の件か?」

「いや……それならいい。というかわざと英雄にワンコを誘わせたな?」

「どうとってもらっても構わない。アイツも野球同様、一子のことは本気だからな。手を貸してやりたいと思うのはおかしいことではないだろう」

「その前に自分の心配したらどうだ?」

 

 征士郎は百代の言葉に笑い声をあげる。

 

「確かにその通りだな。だがそれを言うならお前も同様だ」

「うるさいなー。むぅ、この話は藪蛇だったか……。まぁワンコのことは構わないさ。人の恋路を邪魔する者はなんとやらっていうしな。あの子を幸せにしてくれるなら私に文句はない」

「姉らしいことを言うじゃないか」

「姉らしいってなんだらしいって!? 正真正銘姉だろッ!?」

 

 吠える百代と受け流す征士郎は昼食の用意されている場所を目指す。

 水上体育祭は昼食を挟み午後の部へと続く。

 

 

 

 



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24話『水上体育祭3』

 

 体育祭の競技も残すところあとわずかとなっていた。順位に関しても既に決着がついており、征士郎のいるSクラスは他を寄せ付けない力で優勝し、それに続くかのように2年1年のSクラスも優勝を勝ち取っていた。

 そして次の競技は「怪物退治」。これは今回の特別カリキュラムで、一体の怪物にくっついている川神水晶を獲り合う。参加者は全校生徒であり、要は早い者勝ちである。景品は名誉とマリンスポーツグッズだった。

 全ての説明を終えた鉄心が沖の方を指さす。

 

「その怪物とはあれじゃ!」

 

 そこにはまさに怪物級のサイズをしたクジラが泳いでいた。それを目の当たりにした生徒たちは唖然としている。このクジラの中身は川神院の修行僧らしく、どうやら天神館の生徒達が東西交流戦の帰り際に見せてくれた天神合体を見て血が騒いだとのこと。

 少し以前にさかのぼるが、東西交流戦のとき仮に百代が総大将であったなら、天神館の1000人を超す皆が一丸となり彼女に挑む予定だったのだが、その目論見は征士郎が総大将であったことで潰えてしまった。しかし、せっかく会得したものを見せられないというのも悲しいので、征士郎ら3年達と見物に来ていた下級生たちの前でその天神合体を披露してくれたのであった。

 

「でははじめぃ!」

 

 鉄心の号令に呆然としていた生徒達が一気に覚醒し、気合のこもった掛け声をあげながらその怪物に挑んでいく。水際は激しく音を立て、それに合わせて飛沫が躍る。

 しかし、それとは逆に参加しない生徒も少なからず存在した。

 征士郎もその一人で威勢よく挑む生徒達を眺めている。そんな彼が座っている白い椅子は籐で編まれたもので、座面には柔らかそうなクッションもひいてあった。その隣にはサイドテーブルが置かれ、上にはトロピカルジュースがのっている。南国の空を想起させる爽やかなブルーに、パインオレンジチェリーそして紫のハイビスカスが彩り豊かに飾ってあり、気分はまさにリゾートといった様子である。彼の後ろにはクラウディオが静かに立っている。

 そして、その周りには静初、百代、燕、清楚という面々がそれぞれくつろいでいた。

 静初は最初征士郎の世話をしようとしたのだが、この時間くらいはゆっくりしていろと言われビーチチェアに座って観戦。彼女の隣に座る清楚は項羽が引っ込んだため、無理に参加する必要もなく休憩に入っていた。そこへ燕を連れた百代が現れたという次第である。

 征士郎は元より参加するつもりもなく、それは静初も同じであった。項羽が引っ込んだ理由は百代たちが参加しないならつまらんというもので、加えて体育祭全体を通して活躍できたことに満足したからである。その百代はというと周りの空気を読んで参加を見送り、燕は武器等を晒すわけにはいかないとの理由で参加しなかった。

 

「あーちょっとリッチな気分だな」

 

 百代は全員に配られたトロビカルジュースに口をつけた。これらを用意したのはもちろんクラウディオだが、まるで予測していたかのように素早い対応だった。

 隣に座っていた燕がそれに苦笑で応える。わざわざクラウディオに飲み物まで準備させてしまったのが申し訳ないといった様子である。もっともクラウディオにとってはこの程度造作もないことであった。

 彼らの見つめる先では今にもクジラに飛びかかろうとする生徒たちの姿があった。

 そのとき鉄心より一つの指示が飛ぶ。それに反応したクジラは自身の周りに巨大なうず潮をいくつも発生させていった。それは容赦なくボートごと生徒達を呑みこんでいく。悲鳴が木霊し、沖はパニックに陥っている。

 その様子を見ていた征士郎らの間に何とも言えない空気が蔓延する。それは生徒達を沈めて嬉々とした様子の鉄心に対してであった。しかし、沈んでいった生徒達の救助はしっかりと行われているので事故が起こる心配はなさそうである。

 その空気を払拭しようと試みたのは義経であった。彼女は少し遠い場所からふわりと体を宙に舞いあげクジラの背へと乗ることに成功した。その勢いのまま彼女が水晶を獲るかと思われたが、それも鉄心の一声に応じたクジラの潮吹きによって阻まれる。

 しかしそれに勇気づけられたのか、怯んでいた生徒たちも果敢にクジラへと向かっていく。次に取り付くことができたのは翔一。彼は義経ほど華麗にとはいかなかったが、揺れるクジラの巨体をものともせず時に振り落とされそうになりながらも目標へ向かって進んでいく。

 その様子はさながらロッククライミングのようであった。だがそれも長くは続かず、クジラが潜行した際の水流に押し流される。

 さらにクジラの猛威は続く。水中から飛び出すと同時にボートを吹き飛ばすのである。その巻き添えを喰らったのは金髪の女生徒であったようだ。彼女を受け止めたのは赤髪の女生徒でそのまま二人とも海へ落ちた。

 それを見ていた燕が百代へ話しかける。

 

「あの怪物やりたい放題だねぇ」

「ジジイがあの通りノリノリだからな」

「生徒が沈んでいく様を嬉しそうに眺める学長……」

「それだけ聞いたらただの外道だな」

 

 そこへ現れたのは教師の宇佐美巨人であった。巡回中の宇佐美はワイシャツを肘までまくり上げ、持参した団扇でパタパタと煽いでいる。いつもはジャケットも着用しているのだが、さすがにこの気温で着る気は起きなかったらしい。

 

「おお……お前らビーチパラソルの下で優雅なひと時とか羨ましいねー。ちょっとおじさんと交代してくんない?」

 

 生徒に対してもフランクであるため、教師の中でも最も親しみやすい先生といえる。ついでにいうと、征士郎が1年2年のとき宇佐美がSクラスを担当していたので、征士郎とはそれなりの付き合いがあった。

 その宇佐美の言だが、征士郎のSクラスを担当していたときが一番平穏であったらしい。出会った当初はそれこそ腫れものを扱うが如くであったが、時を過ごすうちに征士郎の人柄を知り今のような対応をとるようになった。

 そのとき百代が叫ぶ。

 

「あ、梅先生!」

「いえ違うんですよ、小島先生。今のは単なるジョークと言いますか……生徒とのコミュニケーションを図ろうとしただけなんです」

 

 キリッとした宇佐美はすぐさま振り向くと早口でそう述べた。しかしそこに人影はない。

 征士郎が固まる宇佐美に対して声をかける。

 

「毎回思うんですが、宇佐美先生は小島先生のことになると過敏に反応しすぎでは?」

「惚れた女にはいいとこ見せたいと思うのは当然でしょうが」

「それでしたら普段の行いから改善したほうが良いと思いますが……」

「結構痛いとこついてくるのね。でも人間さぁ余裕をもつことも大事だろ? あ、どうも」

 

 宇佐美はクラウディオから渡された麦茶をぐいと飲み干した。そのクラウディオは陰に入っているとはいえ、燕尾服を着崩すことなく穏やかな笑みを浮かべる。その額に汗一つかいていない。完璧執事はここでも隙一つない。

 キンキンに冷えた麦茶はまるで染み渡るかのように旨かったが、できればビールをというのが宇佐美の本音であったろう。立ち止っていても汗をかいてしまうこの暑さであののどごしを味わうことができたなら言う事はない。

 燕が宇佐美に尋ねる。

 

「それでその肝心の梅先生とは一緒に回れなかったの?」

「いやー俺も誘ってみたんだけど、二人で回るより一人ずつ見回ったほうが効率いいってにべもなく断られた」

 

 転校してきてまだ1カ月経っていない燕でさえ距離の近さを窺わせる。もっともこれは彼女の陽気さが成せる業かもしれない。

 

「ありゃま……納豆あげるから頑張って、ウサミン」

「誰がウサミンか。だが納豆はもらっとくわ。サンキューな松永」

 

 カップ納豆を受け取った宇佐美は征士郎のほうへと向き直る。

 

「なぁ征士郎の力で小島先生を何とか俺とくっつけてくんない? この2年で俺がどんだけ頑張ってるか知ってるでしょ、征士郎は」

「この教師……遂に征士郎に頼り始めたぞ。駄目だ早く何とかしないと」

「というか先生からくっつけてくれって頼まれる征士郎君も大概だよね。信頼されすぎでしょ」

 

 百代と燕は呆れている一方で、征士郎が答える。

 

「もちろん知ってます。しかしいくら九鬼と言えど、人の心まで支配することはできませんよ。それができるなら世界すらとっくに九鬼が手に入れているでしょう。だからこそ面白いとも思いますが……よって俺に頼るより女子の意見を参考にしたほうが有益では?」

「お前は相変わらずだねー。それじゃあその意見を聞かせてもらおうか女子諸君」

 

 宇佐美は征士郎の周りに侍る女子生徒を見まわした。こういう所も相変わらずだなと心の内で嘆息。キャバクラで金を払えば俺だってこのぐらいはと強がってみたが、空しくなるだけなのでやめた。

 そして最初に意見したのは百代。

 

「まずヨレヨレのスーツをどうにかする! 梅先生ってだらしない奴嫌いでしょ」

「あーそういえばスーツの事言われたことあるな」

 

 次に燕。

 

「暑苦しい髭もどうにかしたほうがいいんじゃないかな? 無造作って言えば聞こえはいいけど、ただ手入れしてないだけだよね」

「松永も案外容赦ねぇな」

 

 続いて静初。

 

「できればタバコもおやめになるとよろしいかと。タバコの臭いを不快に感じる方も多いですし、健康にもよろしくありません」

「俺を思ってくれるのは嬉しいんだけど、少ない楽しみの一つを取り上げられるのはなぁ」

 

 最後に清楚。

 

「えーっと……ね、猫背を直す! 自信なさげに見えます」

「え、俺ってそんなに猫背!? ていうか、お前らの意見をまとめるとまず外見を整えろってことか……」

 

 宇佐美ははぁとため息をつくが、それを見ていた征士郎が注意する。

 

「外見は一番変えやすくて見る人にとって分かりやすいものですからね。効果的なのでは?」

「外見かぁ……俺がビシッとしたスーツ来てネクタイ閉めて髭剃って、おまけにタバコの香りもさせず姿勢正しく……って想像できねぇ」

「確かに。今の宇佐美先生はこれはこれで味があるとも思いますよ。小島先生が振り向くかどうかは別ですが……」

「いや駄目じゃん。お前に褒められても小島先生に褒められねぇと意味ねえだろ」

 

 それに反応したのは静初で涼やかな瞳を宇佐美に向ける。

 

「征士郎様に褒められることが価値のないことだと仰るのですか?」

「いやあのね……李」

「冗談です」

「うん、だいぶフランクに接してくれるのはおじさんも嬉しいんだけど、できればもう少しこう分かりやすい冗談にしてくれると助かるなぁって。生徒に怯える教師とかカッコつかないでしょ?」

 

 ある部類の人たちには御褒美の視線であったとしても、生憎宇佐美にそのような性癖はない。美女からの冷たい視線は妙に迫力があり、ただ恐怖を感じるだけである。

 

(李もこの2年で随分と雰囲気が変わったな。良い事なんだけど時々冗談なのか本気なのか判別つかねぇときがあるから厄介だ。気付かず地雷踏むとかそんなのおじさん御免だからね)

 

 そのとき一際気迫のこもった声が沖から聞こえてきた。どうやら満を持して英雄が動き出したらしい。

 

「そういえば英雄はSクラスでどうですか?」

「いやまぁそれなりにやってくれてるよ。さすがお前の弟というか九鬼というか……あの濃いメンツをよくまとめあげてると思うぞ。それでもSの担任は疲れるけどな」

「学長が宇佐美先生を信頼している証ですよ」

「だったらその分給料あげてくれって学長に伝えておいてくれ。万年金欠なんだ……」

「伝えるくらいは構いませんが、なんなら代行屋のお仕事をいくつか回しましょうか?」

「それは嬉しいが何分人手不足でな……仕事もらってもこなせそうにないんだ」

「ああ、でしたら義経と与一を加えてもらえないですか? クローン組はこれから社会見学の一環でアルバイトさせることが決まっているのでちょうどいいです」

 

 ちなみに弁慶は大扇島近くのバーで働くことが既に決まっており、清楚もいくつかの候補から絞り込む段階にある。

 

「いいのか? 義経と与一なら実力もあるし申し分ないが……」

「義経は特に問題もないですが、与一はあの性格ですから少しダークなイメージのある代行屋の仕事に興味をもつでしょう。クラウディオどうだ?」

「はい、私もその案に賛成です。代行屋のアルバイトは元々一つの候補としてあがっておりましたし、宇佐美様が取り仕切ってくださるのならばこちらも安心してお任せできるかと」

「というわけで、宇佐美先生どうだろうか?」

「即決か。いや、こちらとしてはぜひお願いしたいがな」

「ではこちらから義経達には事情を説明して、改めてそちらの事務所へ出向かせます。仕事の斡旋は……シェイラにやらせるか、監督役も兼ねて」

 

 それを聞いた静初が自分のほうから後で伝えておきますと応えた。

 さらにある人物が目に留まった征士郎は話題を変える。

 

「それから直江大和がSクラス入りしましたが、彼は馴染めそうですか?」

「意外だな……征士郎が直江のことを気にかけるなんて。とはいっても、アイツは心配いらないと思うぞ。まだ数日しか経ってねえけど超速で馴染んでるから。今日だって弁慶と義経と一緒に二人三脚でてたし」

「そうですか。まぁ俺というより俺の妹が直江大和に興味を持っているようなんでね」

「ほう。九鬼紋白に目つけられるとは直江も隅におけねえな」

 

 その大和は心と由紀江、そして与一と協力して水晶を狙いに行くようだった。ボートに乗った3人はクジラの暴れる沖へ漕ぎ出していく。与一は砂浜に残っていた。

 

「宇佐美先生、引き留めておいて何ですがそろそろ巡回に戻られては? 小島先生にさぼってるなんて思われたくないでしょう」

「おっと確かに気をつけないとな。んじゃあ代行屋の件よろしく頼むわ。代わりといっちゃあおかしいけど英雄や直江含めてSの奴らはそれなりに面倒みるからよ。なんかあったら連絡も入れる」

「ありがとうございます。それから……小島先生は今海の家近くを見回っているようですよ」

「ははっ、気を回しすぎだっつーの。でも急いで行ってくるわ!」

 

 宇佐美はそれだけ言い残し、わき目も振らず海の家の方向へ足早と去って行った。

 それからすぐに川神水晶をゲットしたのが心だというアナウンスが流れる。大和は与一に水晶を狙い撃つように指示し、水晶がクジラからはずれたところを由紀江によって放り投げられた心がキャッチしたとのこと。その後、海中に沈んだ心を大和が引きずり上げ「怪物退治」は終了となった。

 

 

 □

 

 

 日が沈みかけた夕方、人気のない学園内の掲示板に一枚の張り紙が貼ってあった。

 そこには大きな文字で「模擬戦の復活」という見出しがついており、以下に箇条書きで大まかなルールが書かれていた。

 休み明けに登校した生徒達はこの張り紙を見る事になるだろう。

 嵐の前の静けさ。ひっそりとした廊下を赤い日の光が照らし出している。

 川神に熱い夏が到来しようとしていた。

 

 




ほとんどヒゲ先生との会話に。しかし誰一人としてヒゲ先生とは呼ばなかった。
ヒゲ先生って女子とかにもからかわれるイメージが簡単に想像できるね。
今気付いたけど水上体育祭なのにほとんど運動せずに終わった。京極君も水着で頑張ってたのに。

バトル回が近い。


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25話『準備期間』

 

 

 休日が明けた月曜日、模擬戦の復活は瞬く間に生徒達へと広がっていった。

 模擬戦に名乗りをあげた大将は6人。征士郎、清楚、燕、義経、育郎、小杉。それぞれが個性溢れる大将であった。その中でも最大勢力を誇ると目されているのが九鬼軍を擁する征士郎である。

 

「静初、俺の最初の一人はお前だ。ついてこい」

 

 チームへの勧誘は16時からであるが、最初に1人については時間関係なく自由に誘うことができる。

 そして征士郎が選んだのは人物。これは誰しもが予想できた結果であろう。彼の隣にいる人と問われれば真っ先に名があがる人、それが静初である。川神学園では既に常識と言っても過言ではない。

 

「征士郎様の御心のままに」

 

 その静初が頭を垂れ、なんなく征士郎の一人目が決定した。

 

 

 ◇

 

 

 他の大将も一人目の勧誘を着々と進めていた。今回の模擬戦の中心と言える義経は弁慶と与一のどちらを選ぶか迷い、小杉は由紀江を勧誘することに成功する。その一方で目論見がはずれた者がいた。それは意外にも燕であった。

 燕が狙ったのは百代。燕の策略と百代の武力、これらの組み合わせをもって模擬戦を制しに行こうと考えていたが、その百代は残念なことに模擬戦を欠場。夏休みは揚羽との山籠りが決定していた。

 そして大将最後の一人、清楚もまた動き始めていた。場所は屋上。そこである人物を待っている。

 

「清楚先輩……お待たせしました」

 

 そこへ現れたのは大和であった。彼もここに呼ばれた意味はなんとなく察しがついている。

 

「ごめんね。わざわざ来てもらっちゃって」

「いえ構いませんよ。清楚先輩からのお誘いなら喜んでお付き合いします」

「ありがとう」

 

 清楚は人懐こい笑みを浮かべると早速本題へ入る。

 

「大和君には私達覇王軍の軍師をお願いしたいの」

「俺に、ですか?」

「そう。これは項羽からのお願いでもあるの。軍師だってことはモモちゃんから聞いてるし、大和君は学園で顔が広いでしょ? その頭脳と人脈、私達にはそれが必要だから」

 

 大和は少し迷っていた。なぜなら彼の心には九鬼軍へ入るという選択肢もあったからだ。しかし、この清楚の勧誘に心が惹かれたのも確かである。

 

(清楚先輩は本気で会長を倒したいと以前言っていた……)

 

 それは仲吉での出来事。征士郎らが去ったあと、大和は項羽と話をする機会に恵まれたのであった。そのとき項羽の口より、

 

『征士郎はいつかぎゃふんと言わせる! 百代? 確かにアイツも気になる相手だが、勝負をする機会はいずれ正式に作られるから問題ない。それより征士郎の方が問題だ。アレと同じ土俵に立ってやり合える機会は滅多にない。1対1の戦闘でなら俺が圧勝できるだろうが、そんなものでアイツに勝ったとは到底言えん。俺が欲しいのはそんなものではない』

 

 大和はさらに尋ねた。どうしてそこまで気にするのかと。

 

『出会いが強烈だったからではないか? いや、もしくは俺の血が反応しているのやもしれんな。奴は俺にとっての劉邦……どうしても勝ちたいんだ』

 

 大和はその気持ちが分からないでもなかった。彼にとっては葵冬馬がそういう存在と言えるからだ。Sクラスに入ってからは余計にその思いが強くなったかもしれない。もっとも冬馬が大和のことをそういう対象――言わばライバルとして見てくれているかはわからない。確実に言えるのは好意を寄せられているということだが、大和にそっちの気はさらさらないので勘弁してほしかった。

 

(葵は会長にところに入るはず)

 

 同じSクラスであり、征士郎とも親交のある冬馬である。そして大会の近い英雄は参加を見送ると思われるので、冬馬を戦力として征士郎のもとへと送り出すだろう。

 一大勢力を築くであろう九鬼軍に立ち向かうは項羽率いる覇王軍。やり方次第では勝てる可能性も十分ある。

 そして項羽の言葉、征士郎と勝負できるこの機会は貴重だということ。

 九鬼軍相手に自分がどこまでやれるのか試してみたい。大和の中にそんな熱い思いが膨れ上がって来る。

 

「わかりました! 直江大和、覇王軍軍師拝命します」

「んはっ! そうか! よろしく頼んだぞ!」

 

 余程嬉しかったのか、項羽が大和の言葉に応えた。勧誘開始時刻は刻一刻と迫っている。彼は頭の中で候補となる人間のピックアップを始めていた。

 

 

 □

 

 

 放課後、征士郎は体育館の奥にある舞台に腰掛け、続々と集まって来る生徒たちを眺めていた。

 舞台下に立っている彦一が征士郎を見上げる。

 

「この調子でいけばすぐに定員オーバーとなるだろうな」

「ふふっやはり嬉しいものだ。こうやって集ってくれる者達が多くいるというのは」

「ただ勝ち馬に乗りたいだけ……と言う者もいると思うが?」

「それはそれで構わんさ。俺についていけばと思わせ続けることができるなら、簡単に裏切ることもないだろう」

「相変わらず大した自信だな。まぁその余裕も大将には必要か」

 

 そこへまた新たなメンバーが加わる。英雄が肩で風を切るようにずんずんと歩みを進めてきた。その後ろからは冬馬と小雪を含めた2-Sの生徒達がいる。

 

「兄上! 我が手勢、必ずや九鬼の勝利へと貢献してくれるでしょう! お好きなようにお使いください!」

「礼を言う、英雄。期待しているぞ」

 

 英雄は九鬼軍に名を連ねてはいるが、夏休み中は大会があるため参加できない。よって後の事を友である冬馬に託す。

 その冬馬が一歩前へ出た。

 

「士郎先輩のために身も心も捧げる覚悟です。よろしくお願いします」

「それは頼もしい。お前の知略を存分に振るうがいい。もちろん小雪もな」

 

 さらりと流された冬馬ではあったがその対応にも慣れているのか微笑みを返し、小雪は「うぇい!」の掛け声とともにVサインをビシッと返してきた。

そこで征士郎が一人かけていることに気づく。

 

「珍しいな。準がお前達の傍を離れるなんて……別のチームに入ったのか?」

「ええ、どうやら福本軍に加わるようで。普段世話になっている恩義がどうとか……」

 

 征士郎はその言葉でピンときた。

 

(魍魎の宴か……てっきり紋のいるここに入ると思っていたが、さてどうなることか)

 

 冬馬が言葉を続ける。

 

「時には別のチームも面白いと思いますよ」

「つまり遠慮なく叩き潰しても問題ないということだな?」

「もちろんです。ユキもやる気満々ですからね」

「ロリコン潰しには定評があるのだ。遠慮なくぷちっといくよー!」

 

 そのとき体育館の入り口付近でざわめきがおきる。皆の視線を集めたのは紋白であった。彼女はSクラスのほぼ全員を引き連れて現れたのである。その姿はまさに威風堂々。上級生が集まる中を臆することなく征士郎の下まで歩いてくる。

 

「兄上! こちらも戦力となる者を集めて参りました」

「うむ。心強い加勢だ。感謝するぞ」

 

 紋白らが最後の加勢となり、大方のメンバーが揃ったようだ。控えていた静初からの報告によるとその数220人。ここにいる生徒だけで1学年をつくれるほどである。

 そして模擬戦に参加できるのは150人。その定員は180人であり、彦一の言っていた通り軽く定員を超す結果となった。他のチームでは100人前後が多い中圧倒的な人気を誇っていることが、この人数からも読み取ることができる。

 征士郎は舞台の上に立ち、そこから皆を見下ろした。

 

「皆よく集まってくれた! 総大将の九鬼征士郎である!」

 

 

 ◇

 

 

 時を少しばかり遡る。

 先頭を歩く紋白についていく集団の中にはSクラス以外の生徒も少なからず混じっている。そのうちの一人であった長谷川は、少し不安げになりながら遅れずについて行っていた。彼の所属はDクラス、剣道部に入部しており剣の扱いにはそれなりの自信がある。

 その長谷川が九鬼軍を選んだのはぶっちゃけ優勝する可能性が一番高そうだったからである。

 しかし、長谷川は体育館に入った瞬間少し帰りたくなっていた。

 

(な……なんだよ、この人数! いくらなんでも集まりすぎだろ! 俺が目立てねえだろ。どっか別のチーム移れよ! ってか先輩方こええよ。後輩に威圧してくるとかどうなの!? それ先輩としてどうなの!!)

 

 これはあくまで長谷川の主観であり、先に集まっていた者達は別に威圧も何もしていない。そんな彼をよそに紋白が兄目指して歩いて行く。当然、それに従っていた1年もついていった。

 紋白が歩く先は自然と道が譲られる。彼女はそれをなんとも思っていなかったが、長谷川は違う。

 

(うおおぉ……めっちゃ睨んできてる。別に偉そうにしてるわけじゃないんです。紋様が先に行くんで仕方なくついて行ってるだけなんです。てか待って……なんか会長の傍にいる男の先輩方、あれ絶対人何人かやっちゃってるでしょ)

 

 長谷川が見ていたのは征士郎のクラスメイトで亜門と土門の双子、石多、我妻の4人である。全員が180㎝を超え、石多に限っては190㎝に届く巨人であった。

 

(あの一番でっかいの、あれ絶対石多先輩だわ。制服の上からでも筋肉の分厚い鎧があるのわかるわ。ちょっと動いたら全部破けそう……ああーあれはあかん。竜生会に乗りこんで潰したとか、目合わせたら病院送りにされるとか、女子供でも半殺しにするとか……そのこめかみに走ってる傷、どう見てもそのときのやつですね。わかりやすい目印ありがとうございます。一生目合わせないようにしておこう)

 

 そんな彼らと談笑しているのが彦一。

 

(あのイケメン、浮きすぎにも程がある。傍から見たら囲まれているとしか思えない。いやイケメンはその振る舞いもイケメンらしいからな。きっと荒くれ者にも普段と変わらない態度で接してるんだろう。すげぇなイケメン。爆発しろってずっと思ってたけど見直した。生きてて良し!)

 

 その反対側には静初と弓子の姿があった。弓子は武蔵軍に入るか迷っていたが結局九鬼軍に入ることにしたようだ。そのとき「イケメンが3人いるから?」と同じ弓道部の部員に問われたが、それは必死に否定していた。もっともその部員も揃って九鬼軍に入っているが、彼女らは素直に「あの3人がいるから」と断言し弓子を閉口させた。

 

(大人っぽいなー。俺も付き合うなら李先輩や矢場先輩みたいな静かで優しそうな人がいいなあ。甘えたい。抱きしめるんじゃなくて抱きしめられたい。めっちゃいい匂いしそう。あとちょっと虐められたい。SMとか全然興味ないけど李先輩にならやってもらいたい。そういえば魍魎の宴に李先輩に関するものとか一つもないんだよな。いや偶々かな? でもこの2カ月ないとなると凄いレア度高そう。競争率も高そうだし……この前も紋様の写真(牛乳を勇ましく飲んでいる姿)で激しい競争の中、20万とかふざけた値段で競り落とした真性の変態がいたぐらいだからな。李先輩の熱狂的なファンがいてもおかしくない。にしてもメイド服姿いいわー。丈の短い学園の制服もいいけど、ロングスカートっていうのも中々乙ですな。徐々に捲りあげられたりしたらたまらん!)

 

 ぼけっとしていた長谷川だが、征士郎の声に気を引き締める。それは周りにいた1年生も同じだったようだ。その顔は少し強張っている。

 

(九鬼軍に入って活躍するって豪語してしまったからな。俺も男だ。今更あとには退けない)

 

 空気に呑まれそうになっていた長谷川はもう一度自身に喝を入れた。

 

 

 □

 

 

 生徒達が模擬戦のために準備をしている間、裏方である教師の一人がある個人的な目的のために動きだしていた。

 

「九鬼九鬼九鬼……一体いつからこの学園は九鬼がのさばるようになったのか、の。ただの成り上がりが偉そうに。生徒は生徒らしく教師の言う事を聞いていれば良いのでおじゃる。特に九鬼征士郎、あれは名家を敬う心をもっておらぬ。皆からチヤホヤされ良い気になっているのでおじゃる。言うてみれば、自分が世界の中心と言わんばかりの傲慢さだ、の」

 

 教師は体育館入口から征士郎の演説を聞いていた。館内は盛り上がりをみせ、その中心には征士郎がいる。

教師はふんと鼻をならした。あの傲慢さを正すのも教師の役目。そう自らに言い聞かせ小さく呟く。

 

「どうにか九鬼征士郎に恥をかかせてやりたい、の。優勝できなければあやつの信頼も地に落ちていく、の。失敗から学ぶことも多いでおじゃる。その手伝いをしてやるのだから感謝してほしい、の」

 

 しかしその方法をどうやるか。露骨に動けばすぐに察知されてしまうだろう。

 

「全く忌々しいでおじゃる。この日の本をつくりあげたのは一体誰だと思っておるのか、の。その高貴なる血をひく麻呂がコソコソしなければならない……それもこれも九鬼の傍若無人な振る舞いのせいだ、の」

 

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。九鬼に関係する全てにジリジリと焦げ付くような怒りを覚える。教師は一度深呼吸を行い、自らを落ちつけようとした。

 そのとき教師はあることを思いつく。

 

「ほほっ。ほほほほほっ。良い考えを思いついたでおじゃる。これなら九鬼を貶めつつ結果として名家の名も上がる。ほほほほほっ麻呂は天才だ、の」

 

 教師は先ほどまでとは打って変わって上機嫌になっていく。目じりにシワをつくり、にやける口元を隠すように扇子を広げた。

 

「早速家の者に頼むとするか、の。つまらない行事だと思っていたが存外楽しめそうでおじゃる。せいぜい今の天下を楽しんでいるとよい、九鬼征士郎。そなたの顔が歪むところを想像すると何とも心地よい、の。ほほほほほっ」

 

 誰も聞いていないはずだった。教師は扇子を閉じその場から離れていく。

 そのすぐ側の陰から出てきたのは甘粕真与。2-Fの委員長を務める女生徒である。彼女の体は小刻みに震えていた。

 そして教師の名を綾小路麻呂という。日本三大名家の一つであり、その影響力は一般人では計り知れない。綾小路、その名は言わば印籠のようなものであり、それを前に出されるとほぼ全て者達は口をつぐむことになるのだ。ただし”ほぼ”であり、中にはその名に屈しない者もいる。不死川然り、九鬼然り。

 しかし真与は本当にただの一般人であり、綾小路のことについては大和から軽く聞いている程度であった。それでも余程の事がない限り、口答えなどはしないほうがいいと大和から忠告されていては気にしないわけにもいかない。だが放置することもできないのが彼女の性格であった。

 真与は震える足を前へ進める。

 

 

 ◇

 

 

 場所は征士郎の車へと移り、車内に征士郎と真与の姿があった。外ではステイシーと静初が立っており、車に近づける者はいない。

 征士郎は真与から先の話を聞くと穏やかな笑みを浮かべる。

 

「わざわざ知らせてくれたのか。綾小路の名は恐ろしかっただろうに」

「で、でも同じ学園の生徒が何かされるのを黙っているわけにはいきません。私にもっと勇気があれば、あ……あの場で言い返すこともできたんですが」

 

 すいません。真与は小声で謝った。

 

「甘粕、それはお前の謝ることではない。そして、俺はお前の勇気に感謝し敬意を示す。ありがとう。たとえ綾小路が何をしようともお前に累が及ぶことはないと九鬼に誓おう。お前は安心して学園生活を楽しむといい」

 

 その後征士郎は家まで送ろうと提案したが、真与はそれを申し訳なさそうに断った。何でもそのような姿を親兄弟が見れば腰を抜かしかねないからと。

 車を降りた真与は征士郎にもう一度お辞儀するとそのまま帰って行った。

 征士郎の隣に立つ静初が口を開く。

 

「綾小路……いっそ潰しますか?」

 

 その声は一段と冷え切っており、夕日の照りつける場所だというのに寒気すら感じさせるかのようだった。

 実は麻呂の呟きは真与からの告白がなくとも征士郎は既に知っていたのだ。体育館に近づく気配を察知した静初がその全てを聞いてすぐに報告していたからだった。

 静初にしては珍しい過激な発言に、征士郎は苦笑を漏らす。さらに同じく事情を知ったステイシーが「一生逆らえないように恐怖を味あわせて脅しましょう」と爽やかな笑みで提案した。

 

「お前達は少し落ち着け。綾小路先生のことなど些細なことだ。危険と判断されない限り遊ばしておけ。いざとなれば大麻呂殿に話を持ちかければ全ては終わる。それに名家の一つを瑣末なことで潰したとあれば、他の者が恐れて余計な反発を招きかねない」

 

 それより。征士郎は獰猛な笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「一体どんな手を打つのか楽しみにしておこう。模擬戦をあちらから盛り上げてくれるというのだ。綾小路先生の望み通り感謝しようではないか」

「あんなもやしヤローに征士郎様が感謝する必要もないですよ! 何が世界の中心だよ!! あのファッキンヤローこそそう思ってるに違いねぇだろ!」

「ステイシー、言葉が汚いです」

「そういう李こそ潰すなんて言葉が過激だぜ?」

「そ、それは……咄嗟に出てしまったというか、反省しています」

「いいじゃんいいじゃん。もちろん相手がいるとこで言っちゃ駄目だろうけど、なかなか様になってたぜ。ロック!」

 

 征士郎はじゃれあう従者に真与の処遇を伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数年後、九鬼で働くピンクの髪の女性がいた。髪は肩口で揃えたボブカットで髪飾りはつけていない。そして身長は相変わらず伸びないままで、クラスから職場へと移っても可愛がられているようだった。その彼女が今でも不思議に思っているのが、どうして九鬼のような大会社で働けているのかということだった。

 しかし、そのおかげで下の弟達は大学まで進学が可能となり、生活は未だ裕福とは言い難いが、幸せかと聞かれれば間違いなく肯定できた。

 

『九鬼征士郎はあの優しさと勇気ある恩に報いなければならない』

 

 彼女がこのことを知る事は一生ないだろう。

 

 




麻呂を雇ったのって鉄心ですよね?
人を見る目はありそうなのに、なんであんなの雇ったのか不思議でならない。しかも平安時代しか授業しないって問題にならないのか!? Sクラスの人間とかちゃんと授業しろやってキレそうなのに……やはり綾小路の看板か?
真与ちゃんは幸せになって下さい。


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26話『忍び寄る闇』

 

 九鬼研究所第四実験場。天井も床も壁も白で統一された空間の中に2人の男女がいた。

 彼らは手合わせをしているようである。壁の上方にはガラスで仕切られている所があり、そこから海経が数人の部下に指示をしつつ戦況を見守っていた。

 現在行われているのは、征士郎の左腕の調整と戦闘データの採取であった。その左腕は征士郎の体に合わせて微調整が繰り返されており、今回も彼の成長に合わせて調整されるにあたって新たな改良も加えられたため、そのデータ取りを行っている最中であった。

 征士郎の相手を務めるのは静初。専属であるからという理由もあるが、2人の実力差ははっきりしているため彼にケガを負わせる心配がないというのも彼女が相手を務める大きな理由の一つである。

 しかし、そうと分かっていても納得しづらい部分が征士郎にはあるようだった。

 

(一発たりとも入らんか)

 

 思わず舌打ちをしたくなるような展開。繰り出す拳は空をきるか逸らされるかのどちらか。これでも静初は本気から程遠い。もし本気であればそれこそ一瞬で終わっているであろう。

 征士郎が本気で戦えるギリギリのところを上手く引き出しながらの戦闘。静初の行っていることはこれである。だから征士郎が一瞬でも気を抜けば容赦なく一撃を入れる。

 

「征士郎様、焦りから攻撃が雑になっています」

 

 静初はそう言うとともに征士郎の右腕を弾き、ガラ空きとなった脇腹に蹴りを放つ。当然加減はしてあるが、それでも一撃が入れば痛みが体を駆け抜ける。

 征士郎の体が左方向へと飛ばされ、その勢いのまま一回二回と転がった。しかし彼に休む暇はない。顔をあげれば静初の追撃が始まっていた。

 その場から起きることも許されず、征士郎は転がるように避ける。そしてそれを追いかけてくる静初にカウンターを仕掛ける。下段の払いのけるような蹴り。それすらも彼女は予測済みだったのだろう。ジャンプしてかわすでもなくトップスピードから急停止。それも彼の攻撃範囲ギリギリの場所で止まりまた肉薄してくる。ひょっとするとかすっているのではないかと思えるほど、まさに紙一重での避け方。

 しかし征士郎も負けてはいない。持ち前の勘が働いたのか、繰り出していた左足を強引に引き留め飛び跳ねるようにして静初へ突っ込んでいく。

 2人は互いに拳が届く範囲に入った。征士郎と静初の視線が交錯する。喰らいつこうと猛った笑みを浮かべる征士郎。そして、そんな彼の全てを受け止められることに喜びを感じている静初。それが余裕を感じさせる笑みへと繋がっている。

 秒にも満たない間に互いの拳が繰り出される。そして次の瞬間には静初が主導権を握っていた。

 静初の瞳が征士郎の苦い顔を映す。彼もまずいと気付いているようだった。それでも彼は諦めることなく拳をつきだす。後ろに退こうものならその時が最後だと頭の中で警鐘がなっていた。しかしどちらにしても悪手。そこからは泥沼に嵌ったようにもがけばもがくほど追い詰められていく。

 そして遂に征士郎は完全な隙を作りだされてしまった。直後、ブザー音が鳴り響きそれが終了の合図となる。静初が時間ピッタリにこの態勢にもっていったのは偶然とは言い難い。

 動きの止まった征士郎は短い呼吸を行い、やがて大きくゆっくりとしたものへと変わっていく。汗がどっと噴き出し、玉となったそれが地へと落ちた。

 征士郎は一度右腕でそれを拭う。

 

「毎度思うが一発も入れられんというのはどうなんだ?」

「逆に一発でも入れられたなら私の存在意義が危うくなりますが?」

 

 静初には征士郎のサポートの他にその身を守るという大事な役目がある。揚羽は別格であるが、彼に攻撃をもらうようではその役目を果たすことはできない。彼がより強くなりたいと願うように、彼女もまたその彼を守れるぐらい強くありたいと望んでいるのだから。

 

「いやその程度揺らぐはずがないだろ。しかし一発決まれば……それはそれで手を抜いたかと思いそうでもあるな」

「では……私はどうすれば……よいのでしょうか?」

 

 静初は少し考えて首をこてんと傾げる。主の要望には応えたいがどちらに転んでもあまり変わりがない。どちらの結果も喜ばれそうにないからだ。

 征士郎は真面目な専属に笑みを返す。

 

「やはりこのままでいい。俺が悔しいと思うのは俺に力がないからだ。悪いな静初。余計なことで煩わせてしまった」

「征士郎様に武力は必要ありません。傍に私達従者が控えておりますから……というのでは納得できないのでしょうか?」

 

 征士郎にできないことはできる奴に任せる。その代わり彼にしかできないことは全力もって成し遂げる。そういうことである。

 

「もちろんそれはわかっている。しかし、こう……なんというか、力に憧れを持ってしまうんだよ。俺も男だからな」

「そうなのですか……」

「そうなのだ。面倒な生き物だろう?」

 

 その言葉に静初はしばし考えたのち、

 

「可愛い生き物だと思いますが」

 

 そう言って征士郎を笑わせた。どうやら彼の想像の斜め右をいっていたようだ。

 

「それじゃあ可愛い生き物にも立派な牙があるというところを見せねばな」

「征士郎様にはその牙が既に揃っています」

「ははっその鋭い牙は周りを取り囲んでくれている者たちのものだろう?」

 

 征士郎は静初から距離をとって再び対峙した。そして鈍く輝く左腕の調子を確かめるように肩を中心に一度ぐるりと回し、海経に準備が整ったことを伝える。二度目となる戦闘が開始されようとしていた。

 

 

 ◇

 

 

 戦闘を終えた征士郎は着替えるために更衣室へと向かっていた。

 

「シャワーののちマッサージを行います」

「ああ、助かる。正直体が重くてたまらん」

 

 先の戦闘において時間が経つほどに征士郎の勘が冴えていき、その度に静初は速度を上げていった。どれだけ先が分かろうともそれに体がついていかなければ意味がない。結果、征士郎は最初の戦闘と同じような展開を繰り広げることとなり、しかし体への負担は倍増するという厳しい状況に立たされることとなった。やればやるほどに深みに嵌っていく。それが二度三度と続いていくのだから、最終的に喋る事も困難となった彼を責めることはできない。

 静初はそんな征士郎を心配しながらも一方でまだやれると判断を下す冷静な自分がおり、彼もそれがわかっているため優しい言葉をかけるわけにはいかなかった。だから彼女にできることといえば戦闘後の体のケアくらいである。

 今の征士郎は他人から見れば分からない程度に注意散漫となっている。近くに他の人間がいないことも相まっているのだろう。

 静初はその大きく成長した主の背中に、昔の彼の小さな背中を重ね懐かしく思った。

 

(あの頃はまだしなやかさが目立っていました)

 

 それが今や男性特有のゴツゴツとした体形へと変わっている。しかしそれとは別に変わらないものもあった。

 

(脇が弱いのは相変わらずですが)

 

 征士郎の弱点とも言えるのがそこであり、静初も初めてマッサージを行ったときそれを知ったのだった。笑い声を抑える事のできない彼は身をよじり、それではマッサージが進まないと彼女はそれを阻止しようとする謎の攻防を繰り広げたのも懐かしい思い出である。

 その頃の征士郎は反撃にくすぐりを行ったが、びくともしない静初に敗北を悟った。もっともそのときは脇や脇腹をくすぐった程度で、念入りにいたぶったりしたわけではないということを注記しておく。

 以来、征士郎は我慢するようになり多少なりとも慣れてきたらしいが、未だにくすぐったいらしい。時折ぴくりと震えるのがその証拠である。

 一方で、今の静初が反撃に出た征士郎のくすぐりに耐えられるかどうかは甚だ疑問である。それはくすぐったいからというより別の感覚で耐えられないといった意味でであった。

 時は色々なものを変化させていくのである。

 2人は実験場近くにある更衣室へ辿りついた。征士郎はドアの傍にある機器へ指を持っていき、ちょうどカードを通すところに爪先から1㎝ほど伸びた金属板を通す。普通はカードを通してロックを解除するのだが、わざわざカード持ち歩かなくともこの左手でどうにかできるのではという考えのもと加えられた機能の一つであった。無駄機能というべきかマスターキーの一つを減らすことができたと喜ぶべきか判断に困るところである。

 機器は征士郎を認識して赤のランプが緑へと変わった。同時に扉が空気を吐き出しながら開いた。

 

 

 □

 

 

 次の日の夕方は生憎の雨模様であり、いつもなら明るい時間帯である現在も薄暗く出かけるのが億劫になる。

 しかし、静初は傘をさし外へ出た。早上がりの今日はシューマイを食べに中華街へ出かけることを決めていたのだ。雨はそこまで強くはないがしとしとと降り続けている。

 この雨も悪い事ばかりではない。うだるような暑さを和らげ過ごしやすい温度となっている。

 静初は電車を乗り継ぎ中華街へとついた。こんな天候だが夕飯時ということもあって、そこは雑多なにぎわいを見せている。雨特有の香りにまざり食欲をそそるいい匂いが辺りに漂っていた。

 静初はいつも回る店の一件目で早速シューマイを購入し食した。暗殺者をやっていたときはその香りから気付かれる可能性があったため食べられなかったが、九鬼の従者となってからはそのことを気にせず食べられるようになっていた。その事に感謝しながらも食べ終わったあとはブレスケアもしっかりしておくよう心がけている。それに加えて食べ過ぎないこともであった。

 征士郎に近づくことも頻繁にある中でニンニクやニラの臭いをさせるなどありえない。

 もしそれを征士郎から指摘されでもしたら、静初はある意味死ねる。であれば食べなければいいのではと考えるところだが、食べられる状況にあって食べるのを我慢し続けることができないところにシューマイの魅力があった。

 

(罪深い料理です……)

 

 静初は2件目で買ったシューマイを頬張りながら思う。幸い、征士郎も彼女がオススメするシューマイを好んで食べてくれる。現に「中華街行くなら買ってきてくれ」と頼まれていた。これがもしシューマイ嫌いであれば、静初は一体どんな選択肢を選んでいただろうか。

 しかしその事で一つ悩みが発生していた。それはどの店のものを買って帰るかというもので、できれば全ての店のものを味わってもらいたいところだが、夕食後にそれを食すということを考えればせいぜい2軒ほどである。

 

(この間は清風楼のものでしたね)

 

 まずは有名所――海員閣や安楽園、重慶飯店のものなどの皆に人気のものが良いだろう。

 静初はうんうんと悩みながら通りを歩いて行く。そんなときある光景が目に入り、迷うことなくそちらへと足を向ける。

 

「どうかされましたか?」

 

 静初はとりあえず英語で話しかけた。話しかけた相手は同い年か少し上の女性。その手にはガイドブックを持っており、肩にバッグ。静初が声をかける前はキョロキョロと周りを見渡していたのだ。観光客がどこか店を探しているのだろうと思い、その手助けをするつもりであった。

 話しかけられた女は少し早口に喋り出した。言語は中国語であった。

 静初は久しぶりに使う中国語で会話を続ける。女はそれに安心したようで笑みを浮かべ、ゆっくりと話しだした。どうやら行きたい料理店があるらしい。

 

「誰かに聞こうと思ったけど中々勇気がでなくて……助かりました」

「お安いご用です。そのお店は……こちらですね」

 

 静初はこの中華街を知りつくしていると言っても過言ではなく、その店もすぐにどこにあるか検討がついた。あとは行き交う人にぶつからないように女を案内していくだけだ。

 女とはそこまで多くのことを話したわけではない。日本に何をしに来たのか。一人で来たのか。日本はどうであるかなど差し触りのないものばかりである。

 静初は元々多くを喋るほうではなかったし、女も周りに興味を示していたため多くの会話を必要としなかった。あとは時折聞かれることに答えながら歩いて行く。

 店の看板が見えたところで静初が指を差した。女はそれを見て一層嬉しそうにして、静初に深々と頭を下げる。そのとき肩口からチラリと刺青のようなものが見えた。しかしそれは一瞬、女が頭を上げると同時に見えなくなった。

 静初も別に刺青をどうこう言う気もないし、出会ったばかりの人に問うものでもなかったので無視をする。

 女は少し離れると振り返って手を振り、最後は店に入る直前でもう一度同様の行動をとった。静初もそれに手を振り返していたが、女が最後に言った言葉は雨に遮られ聞こえなかった。

 笑顔の女はこう言っていた。

 

「今度はお迎えに上がります、お嬢様」

 

 上空はさらに分厚い雲が広がり、これからさらに雨脚が強まりそうであった。

 

 

 ◇

 

 

 ある一室に先ほどの女がいた。持っていた荷物は無造作に床に置かれ、代わりに黒の大きなバッグが近くにあった。そのバッグの口から白い仮面がのぞいている。

 

「まさかあちらから声をかけてくれるとはね。仕事ついでに探せって言われたときはどうしようかと思ったけど案外楽勝だった。それにしても、昔のそれは随分雰囲気が違うから信じられなかったけど、なるほど……確かに似てる」

 

 女は2枚の写真を弄びやがてそのうちの1枚を端から燃やし始めた。そこに映る静初は鋭い目つきと無表情である。長い髪をしていることからも昔の写真だということがわかった。しかしそれもチリチリと広がる炎に焼かれ灰となった。もう1枚の方も同じように燃やされていく。

 

「実力は……私じゃ測れなかった。でももしやり合ったら殺されるな。そんな感じがする」

 

 女はバッグから仮面を取ろうとする。その拍子にタンクトップの紐がずれ肩口が露わになった。そこに彫られているのは動物かあるいは怪物か。しかし確かなことは不吉さを感じさせる刺青であることだった。

 女は仮面を取り、ずれた紐を直した。

 

「ま、今回は見てこいってだけだし気にしても仕方ない。それよりこっちは期限も迫ってるし、ちゃちゃっと標的殺して帰るかな」

 

 女は黒を纏い仮面を付けた。時刻は零時を迎えようとしている。依然、外は雨が降ったまま。

 女の姿は既に消えていた。荷物も何かも全て――まるで霧が見せたまやかしであったように。

 

 

 翌日、製薬会社社長がビルから投身自殺を行ったという報道が流れる。しかし、そこにはもっともらしい理由がいくつもあげられるだけであった。ニュースキャスターはお決まりの文句を述べさっさと次の話題へ移る。

 そして、その夜にまたもや九鬼に襲撃があった。あまりにもお粗末なものであったが襲撃は襲撃であり、それを依頼した人間の特定が急がれていた。

 




実は更衣室であるラッキースケベを起こそうとしたが無理だった。無念だ。
でも諦めない。


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27話『星に願いを』

 仲見世通りにいくつかの竹が並び、それらを彩る色鮮やかな短冊が結ばれている。店頭では商品を買ってくれた客に好きな願い事を書いてもらってそれを吊るしているようだ。今も母親の手に引かれていた子供が一生懸命願いごとを書いている。その字は覚えたてなのか少し頼りなさげだが、はみ出さんばかりの大きさが子供らしさを感じさせた。

 風が吹き抜ける度にそれらがふわりふわりとそよいでいる。いつもより人通りが多く感じるのはこれらのせいであろう。普段は足早に通り過ぎていく地元住民もこのときはふと足をとめたり、空を見上げる者もいたりする。

 同時にちりんちりんと涼やかな音色が少し遠くから聞こえた。軒先や2階のベランダにある風鈴がその音色を奏でているようだ。まるで夏のおとずれを告げるかのように鳴り響いている。

 明日は七夕。彦星と織姫が一年に一度出会う日である。

 そして九鬼極東本部でもその準備が行われていた。そこは従業員達の共有スペース。簡易のカフェが併設されており、休憩がてらお茶をしたり談笑をしたりできる場所である。本部内の無料で使えるカフェの一つで、他にも食事をメインしたところや本格的なコーヒーや紅茶を味わえるところなどもある。

 そこで準備をしているのは紋白を中心とした従者達であった。そしてそこには珍しく征士郎の姿もあった。予定を調整してわざわざ空けたらしい。

 征士郎は紋白とともに折り鶴を折っている。

 

「ふむ、では直江を雇うことに決めたのか」

 

 話題は紋白の相談役として迎え入れることが決定した大和のことであった。期間は夏休みの間ということになっており、約2週間後から働き始めることになっている。その間の序列も既に用意されており、空き番号であった777番があてがわれる。

 基本、従者が九鬼入りした場合は最も低い位からスタートするのだが、大和の場合は仮のものであり客分という意味もあってのこの位からであった。

 

「しかし直江は覇王軍に入ったらしいな」

「はい。大和は自身の力が我らにどれくらい通用するのか試したいらしく覇王軍入りを決意したと言っていました」

 

 紋白は大和の口から直接その事を聞いていた。それも覇王軍へ入ることを決めた当日のうちにである。そのとき彼は彼女に向かって堂々と宣言しており、その気合の入りようがよくわかるものだった。

 

「紋はそれで良いのか?」

「はい、兄上。確かに共に戦えれば……とも思わなくもないですが、力を試したいという気概は大いに気に入りました。ここで大和が覇王軍を盛りたて、我らと競い合うことになれば今後のことを考えてもプラスとなりましょう。我はそれを楽しみにしております!」

「そうか、ならば良い。直江が上手く覇王のかじ取りができるかどうか……見物だな」

「フッハハ。大和なら必ずや成し遂げてくれるでしょう!」

 

 そう言ってのけた紋白の瞳は確信に満ちている。

 いざとなればこちらに引きぬくこともと考えた征士郎であるが、紋白へ宣言したことも踏まえるとそれは無理かと思い直した。そして、その程度でほいほい靡くようでは紋白の従者として相応しくない。適当かどうかは彼女が決めることであるが、できればそのようなことはしてほしくないというのが彼の本音であった。

 なぜなら有言実行できなければその言葉は軽くなるからである。それは少なからず紋白へも跳ね返るであろう。

 

(さて紋の期待に応えられるかどうか……見せてもらおうか、直江大和)

 

 これでまた模擬戦に対する楽しみが一つ増えたといえる。征士郎は生徒会長としても九鬼としてもこの一大行事を大いに盛りたてるつもりであった。その準備だけは怠っていない。もしそれが行われたならばきっと生徒達全員が最後まで盛り上がれるものとなる。

 折り鶴を終えた紋白は征士郎の傍から離れ、今度は静初やステイシーの元で新たな飾りを作っている。他にもクラウディオや鬼怒川、陳、パラシオなどその他10名ほどの従者がいた。その様子を見た他の従者も時折混ざって来る。

 征士郎は短冊を手に取ると竹の枝へと結び付けていく。願い事は英語を始め中国語やドイツ語、スペイン語と続き果てはウルドゥー語と多種多様であった。こんなところにも九鬼の特徴が色濃く反映されていた。

 家族の健康。出世。自己の成長。出会い。平和。お金。成功。結婚。

 征士郎が見たものだけでも色々な願いがあった。

 そこへ静初が近寄って来る。どうやら主が一人でその作業を行っていたことが気になったらしい。

 

「征士郎様は何をお願いされたのですか?」

 

 九鬼一族はともすると「天に頼らずとも己の力のみで全てを叶える」と言いかねない。現に英雄は「天は頼らん」と断言していた。しかし、紋白が企画したこれを無碍に扱うこともできないので「紋の願いを叶えよ」という命令文を短冊に力強く綴っている。

 一方、発案者の紋白の願いは「家族皆と仲良く健康に暮らせますように」という一見よくあるものだったが、家族――とりわけ母である局とより良い関係を望んでいるようにも感じられた。

 そして、静初は征士郎の手より明かされた彼の願いを見る。

 

「静初のギャグがうけますように……って征士郎様!?」

「こればかりは俺の手に余りそうなのでな」

 

 それはあまりにも平凡な願い。静初の予想では考えもつかない壮大な願いが書かれていると思っていたので、色んな意味で驚かされていた。

 征士郎がくっくと笑う隣で、静初が口早にそれを否定する。

 

「そ、そんなことありません。今からでも征士郎様を笑わせることができます」

「ほう……ではそれができなければ俺の命令を何でも一つ聞いてもらおうか」

 

 何でも一つ。静初にしてみればその程度造作もないことである。というよりもいつでも言ってくれて構わないとすら思っている。よって望むところであった。

 

「わかりました。では早速いきます……織姫から時折悲鳴が!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彦星の非行防止!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さ、笹に吊るすささやかな願い!」

 

 ぴくりとも反応してくれない征士郎に対して、静初はギャグ3連発で対抗した。有言実行できなければその言葉は軽くなる――静初の場合、ギャグ全般において全く信用できないのであった。しかし、それ以外は完璧であるためそこが可愛い所と言えなくもない。

 

「では命令を聞いてもらおうか」

 

 無情にも言い渡される征士郎の言葉。静初はがっくりと肩を落としながらも命令を待った。そして征士郎に言われるがまま白ブリムをはずしてカチューシャをつけ、両手は丸くして肩の辺りへあげる。

 そのポーズのまま一言。

 

「何でも言う事聞きますにゃん」

 

 パシャという音とともに征士郎の携帯が静初のその一瞬を切り取った。首を少し傾けているところがポイントとなっている。

 静初の黒髪からまさに生えているかのようなケモノ耳。それは黒の猫耳らしくぴょこんと立っている。しかも音に反応して耳が自動で動くという無駄クオリティ。ピクピクと動く耳は征士郎の小さな拍手に反応して正面を向いた。

 

「あの……征士郎様、これは一体?」

「これであなたも猫娘。ケモミミシリーズvol.1だそうだ」

 

 これは研究所に開発の進捗状況を確かめに行った際、ジーノよりプレゼントされたものであった。何でも余っていた材料を見ていたら創作意欲が湧いてきたらしい。ジーノ自身はもっとメカニックな黒ウサミミを装着しているのだが、こちらはどこまでも本物を意識した一品となっている。

 征士郎は紋白を呼んで、袋の中から虎耳(vol.2)を取り出して彼女に付けた。がおーっと吠える真似をする紋白は虎というより獅子であり、しかし百獣の王というには威厳が足りずその代わりに子ライオンのような可愛さがある。言うなれば威厳に振り分けるポイントを可愛さに全て突っ込んだ結果が紋白という存在であり、征士郎が思わず彼女を高い高いしてしまったのもやむを得ない。

 逆にその紋白は袋の中から征士郎に似合いそうな耳を取りだした。

 

「兄上! しゃがんでください」

 

 しゃがんだ征士郎に付けられたのは狼の耳(vol.3)。そしてステイシーには黒兎の耳(vol.4)がそれぞれ装着された。狼の耳は犬猫と大差ないように見えるが、説明書には「これであなたも狼少年。嘘をつくのはほどほどに。ケモミミシリーズvol.3」となっているので製作者にとってはそういうことなのだろう。

 狼の耳にあったように他の耳にも全て一言がくっついており、征士郎は言わなかったが猫耳は「思う存分ご主人様に甘えよう」、虎耳は「好きに相手を食べちゃおう」、兎耳は「私を寂しくさせないで」とある。意味ありげなひと言は製作者の遊び心なのか。

 

「すごいですね! これ……無駄にすごいリアルですよ!」

 

 文字通りバニーガールと化したステイシーが静初の頭を撫でると立っていた耳は伏せられている。それはまさに猫がとる仕草であった。こちらはカチューシャ部分が感触を察知している仕組みとなっていた。

 ちなみにクラウディオも着ける気でいたようだが、シリーズは4までとなっており空きがなかった。

 ステイシーと紋白はそのまま作業へ戻っていき、征士郎と静初は再び作業へとりかかる。

 

「それで静初は何をお願いしたんだ?」

「私は……その……」

 

 静初は少し見せるのが恥ずかしいのか、猫耳をつけたときとは違ってソワソワする。

 

(猫耳がひっきりなしに動いていてまるで感情と連動しているようだな……)

 

 それはいくらなんでも考えすぎかと征士郎は思ったが、清楚のスイスイ号には感情値を読み取る機能もあるため、あり得なくもないと思い直した。

 その間、静初は決心がついたようである。

 

「こちらです」

「……ほう、これは中々ロマンチックじゃないか」

 

 感嘆の声を漏らす征士郎。その手にあった短冊には「彦星と織姫が無事出会えますように」と綺麗な文字で書かれてあった。

 

「申し訳ありません。征士郎様は私のことを願ってくださったのに……」

「そんな細かいことを気にするな。それにこれは俺のためでもある」

「それはどういうことですか?」

 

 もしやギャグを聞いてもらっていることが負担になっているのではと不安になる。

 

「お前がギャグを言ってウケたとする。そのときお前はどう思う?」

「おそらくですが……嬉しいと思います。この上なく」

「だろうな。そしてそんなお前を見て俺も嬉しくなるだろう。俺も得をするというわけだ」

 

 征士郎はそう言いながら静初の猫耳を指先でいじる。どうやら動くそれが気になるらしい。

 ケモミミを付け仲良く会話する主従。案外ノリがいい。それを見ていた紋白が我も大和と兄上達のような主従関係を築いていこうと決意していたりする。

 征士郎は言葉を続ける。

 

「ああ、だからと言って世辞などで面白いなどとは言わない。たとえギャグで笑いをとるのが難しかろうがだ。だから精進を続けろ」

「もちろんです、征士郎様。そしていつか……いつか征士郎様を笑わせてみせます」

「おう。楽しみにしている。まぁ今のままでは難しいがな」

 

 征士郎はそう言ってニヤリと笑う。凛々しい狼の耳がどこかSっぽさを醸し出しているようにも見えた。

 

「猫が寝転んだ。どうやら病(猫)魔に侵されているらしい。にゃんだって」

「静初、残りの短冊を渡してくれ」

「……はい」

 

 笑いの神の降臨とでも願えばよかったかもしれない。静初の笑いの道は険しい。

 余談だがケモミミはそのまま彼女達にプレゼントされた。征士郎が持っていても仕方がないし、ジーノからも好きにしてくださいと伝えられていたからである。

 それがあとになってあんな使われ方をしようとはこのときの征士郎には知る由もなかった。

 

 

 ◇

 

 

 遂にその日が訪れた。いつもの倍――いや3倍の生徒達がこれから張り出される結果について一目見ようと集まっている。張り詰めていた緊張感がここにきてピークに達していた。

 長いようで短かった期末テストまでの10日間。それから採点に数日が費やされ、待ちに待った結果発表が今行われようとしていた。

 ここに名前が載っていればすなわちSクラス入り確定となり、それは楽園への招待状となる。3年にとってはこれが最後の学生生活であり、そこをできれば可愛い女の子と一緒に過ごしたいと思うのも無理はない。それも学園トップクラスの女子達である。秋には文化祭もあり、もしかしたらそのときに盛り上がってと男達は数少ないチャンスを求めて今まで死力を尽くしてきたのだった。

 しかし、それに反して大きな問題が起こらなかったのは征士郎の存在があったからだろう。同じ3年間を過ごしてきた彼らにとって、征士郎は最も頼れる存在であると同時に怒らせてはいけない存在、すなわち武神と同格かそれ以上であった。

 もっとも征士郎が武神のような過激な行動をとったことはなかったのだが、温厚な人間ほどキレたときはやばいという噂と相まって、無茶はしないよう彼らは自主的に抑えていただけである。

 実際、2年のSクラス選抜試験のとき問題が起こったが征士郎が動く事はなく、解決は生徒自身に任されていた。だからと言って今回何か事が起きたとき、征士郎が動かないとも限らない。実力で勝負できるところでわざわざ征士郎の怒りを買うリスクを負うこともないのである。

 廊下の先から現れた二人の教師が道を譲るよう声を上げる。いよいよ生徒達のざわめきが大きくなっていく。今更になって祈る者もいたが、それによって結果が変わるわけでもない。それでも祈ってしまうのが人間なのかもしれないが。

 教師の片方が紙の端を押さえ、もう片方が勢いよく紙を広げていった。

 

 1位 九鬼征士郎。

 2位 李静初。同着で最上姫子。

 3位 マルギッテ・エーベルバッハ。

 4位 松永燕。

 5位 京極彦一。

 6位 葉桜清楚。

 

 僅差での勝負を制したのは征士郎であった。そして今回もしっかりとそのあとにつけている静初。特に今回は最上姫子が1点差であったため、当然静初も征士郎と1点差である。

 あと1点多ければ征士郎と並んでおり、1点少なければ彼のあとにつくことはできなかった。これらは全て仮定の話で現実にはちゃんと後ろにつけているのだが、この結果を見た誰もが専属従者って何者だと驚愕していた。

 そして、あとになって興味本位でこの結果を見に来た弁慶などは「私の幸運は2年に入れたことだ」と自信満々に告げるほど期末のレベルは高かった。

 紙はようやく最後まで広げられ50位までの名前が現れる。

 

「あ、あった……」

 

 自身の名を見つけた百代はただ一言そう呟いた。生まれてこの方これほど根を詰めて勉強をしたのは初めてだった。きっと一人で行っていてはまた放り出していただろう。

 

「いぇーい! ももちゃん、おめでとうっ!! 君の頑張りに私は感動したっ!」

 

 燕が立ち尽くしていた百代にがばりと抱きついた。教師役として手伝ってくれた一人である。そして教師役を買って出てくれた者達が集まってきた。

 

「ももちゃん、これで夏休みが明けたら同じクラスだね」

 

 清楚は改めてよろしくと握手した。

 

「これで落ちているようならさらなる課題を与えたのですが……今はこの結果を褒めてあげましょう。今後も怠らないよう精進しなさい」

 

 厳しい言葉をかけながらもなんだかんだで面倒を見てくれたマルギッテ。教師達の中では最もスパルタな先生であった。

 

「百代と同じクラスになるのは3年間で初めてですね。私も嬉しく思います」

 

 忙しい中でも手を貸してくれた静初。これらの教師役が百代のために時間を割いてくれたとあっては、さすがの彼女も途中で放り出すわけにはいかなかった。

 周りでは男子生徒たちが盛大な拍手を送っている。それは全員Sクラス入りが決まった者たちだった。百代は武神と言えど美少女に違いなく傍から見ている分には十分目の保養となる。また気さくな性格でもあるので話しかけやすい人物でもあり、それは大いに歓迎すべきことであった。

 その様子を見守っていた征士郎と鉄心。

 

「むぅ……まさかあのモモが本当にSクラス入りするとはのう。さすがは儂の孫じゃ」

「と言いながらトトカルチョでは百代の落ちる方に賭けたとか」

「ま、まさか教育者である儂が賭け事を……それも孫のことに対して行うわけないじゃろ」

「まぁそういうことにしておきましょうか。その分勝った者の配当が増えたわけですし」

「おっほん! それで征士郎は何か儂にお願いでもあるのかの?」

「あからさまですね」

「えーなんじゃい? 儂はただ日頃頑張っている生徒会長の願いでも叶えてやろうかと思い立っただけじゃが? 決して借りとか作っておいたら後が怖いとか思ってないぞい?」

「別に貸し借りなど考えていません。学長には日々我がままを聞いていただいていますから」

「本当にお主は百代と同い年か? なんなら儂の秘蔵本でも良いのじゃぞ?」

「この3年間で学長のイメージが根底から覆りました。やはりどんな人でも会って話してみなければわかりませんね」

「気さくな爺で驚いたじゃろ? まぁお主もまた特別じゃからのう。これからも良い付き合いをしていきたいと思っておるぞい?」

「こちらもです。しかしだからと言って色々とオープンすぎるとも思いますが……」

 

 期末テストも無事終わり、いよいよ夏休みへと突入する。

 

 




意外と長くなってしまった日常回。次回はいよいよ模擬戦。
あとケモミミは前作でも使ったけど、マジ恋Aの紋白のラフ絵が可愛いから思わず……がおーってやってる紋白が可愛い。


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28話『模擬戦1』

 

 拡張工事を終えた校庭はさらに一回り大きくなっている。しかし今はそれでも少し狭いと感じられるのは、整然と並んだ参加者達とスポンサーである各企業の代表者、見物人に加え宣伝のために集められたマスコミなどが一斉に会しているからだろう。

 先だって大々的に発表された模擬戦はその注目の高さから海外からも多くの見物人やマスコミが詰めかけていた。

 整列している生徒達の先頭には総大将がそれぞれ立っている。義経は初戦を飾る事もあってか緊張しているらしい。しきりに深呼吸を繰り返している。それに対して悪目立ちしている大将が育郎であった。彼の視線は際どい服装のアナウンサーへと向かっており、鼻息を荒くさせついでに鼻の下を伸ばしている。それは大将のみならず福本軍のメンバーの多くも同じであった。

 ざわついていた集団もスピーカーから開会式の始まりが告げられると同時に静かになっていった。

 

 

 ◇

 

 

 第1試合は源氏軍対武蔵軍。前者は義経弁慶与一といった3本柱を中心としたバランスの良いチームであり、それに対して後者は実力が未知数の1年生の集まりだが、勢いに乗ればどう化けるかわからない怖さがあるチームであった。

 試合開始直前、小杉は皆を前にして声を張り上げる。

 

「皆今日までついて来てくれてありがとう! そして協力してくれた先輩方にも感謝を! あとはやってきた事を信じて戦うだけよッ! 相手はあの義経率いる源氏軍……大方が彼女達の勝利だと高をくくっていると思うわ。でも私は負けたくない。だから皆……私に力を貸して! そして私達で勝利を掴みに行きましょう! 武蔵軍、最初から全力全開よ!!」

 

 応という掛け声とともに武蔵軍が配置につく。その間、旗の近くにいた小杉は由紀江へと声をかける。

 

「黛さん、1年生の私達は未だ戦い慣れていないわ。だから初戦の空気に呑まれるかもしれない。私にそれを打破できる力はないわ……口惜しいけど。それで貴方に負担を押し付けることになるけど、勢いをつけるため一番槍として先頭を走ってもらいたいの。私達には自分達でもやれるという自信が必要……頼めるかしら?」

 

 ただのかませで終わるつもりなどさらさらない。屈辱的な敗北を味わった小杉に、もう一度ついてきてくれた仲間のためにもやれることは全てやる。たとえ自分が目立てなかろうが、勝利につながるのなら我慢する。

 

(会長の言葉は今も忘れていないわ……)

 

 成長した姿を見てもらおう。あの日一番に声をあげたのは誰よりも悔しかったから。そして誰よりも不甲斐なさを感じたから。

 

(目指すは優勝! たとえそれが会長や紋様率いる九鬼軍だろうが、目の前の壁となるなら乗り越えるのみ!)

 

 小杉の瞳には強い意志が宿っている。それを感じた由紀江も快諾した。

 

「わかりました。不肖、この黛由紀江……武蔵軍一番槍を務めさせていただきます」

『総大将は後ろで構えてまゆっち無双をその目でしかと見届けな』

 

 さきほどまでオドオドしていた由紀江も一気に戦闘モードへと切り替わったようだ。それは素人目から見ても明らかな変化であった。

 由紀江の様子に気づいた小杉も強気の笑みを返す。

 

「ありがとう黛さん。期待しているわ」

「おまかせください」

 

 由紀江は小杉に一礼してその場をあとにする。

 

『まゆっち、そのまま敵の旗ぶち折っちまおうぜ!』

「はい。そのつもりで参りましょう」

『ムサコッスもしっかり大将やってるし、どうにかして勝利をプレゼントしてあげたいよね』

 

 由紀江は一度後ろを振り返った。小杉は旗の下に立っている黒髪の女と言葉を交わしている。外部助っ人の一人として加わった彼女だがその実力は確認済み。由紀江がこうして前線へ向かうことができるのも彼女の加入があってこそだった。

 女の名を林沖(りんちゅう)という。その手には槍を持っているがそれはレプリカであり、感触を確かめるため軽く振るっていた。その扱い方を見るだけでも彼女が並の使い手でないと分かる。

 友達になれるだろうか。一瞬いつもの癖でその考えが由紀江の脳裏をよぎる。しかし今は試合直前。余計な思考を追い払うかのように大きく頭を左右に振った。

 その由紀江は最前線へと足を進める。そこには心の姿もあった。

 

「ひゅほほ、珍しいの。お主自らこの最前線へと出てくるとは」

「心さんも姿が見えないと思ったらこちらにいらしてたんですね」

「健気に頑張っている後輩に力を貸してやるのも先輩の役目故な。なーに、此方に任せておけばたとえ義経だろうとちょちょいのちょいじゃ。イージス艦に乗ったつもりで、黛もあまり気負い過ぎずに頑張ると良いぞ」

『フラグ立ってるようにしか聞こえないぜ』

 

 高貴なる笑い声をあげる心。それに対して松風がぽつりとつぶやいた。

 由紀江と心は大和からの紹介で知り合い仲良くなっていた。そしてこの模擬戦を介して後輩達と接する機会が増えた心は「先輩」と敬われることが気持ちいいらしく、何かと後輩を気にかけるいい先輩となりつつあった。

 初戦の審判を務める鉄心が両軍に合図を送る。それぞれが手に持つ武器に力を込めた。

 由紀江は一度目を閉じてゆっくりと息を吸い込んだ。周りのざわめきが遠のき、渦巻くような闘気をその肌に感じる。そして息吐きだすとともに瞳を開けた。

 同時に戦闘開始のホラ貝が鳴り響く。

 

 

 □

 

 

 義経の命令とともに源氏軍の先鋒隊が武蔵軍に襲いかかろうとする。先手必勝。初っ端から試合の流れを一気にたぐり寄せようという魂胆らしい。その先鋒を任されていたのは一子である。ムードメーカーの彼女に一番槍を任せれば勢いが増すことを義経もわかっていたのだろう。

 一子は自らを鼓舞するように叫ぶと部隊の先頭をきって走る。しかし、その突出した部隊が逆に仇となる。

 

「武蔵軍先鋒、黛由紀江……推して参りますッ!!」

 

 由紀江は名乗りを上げ右足で地を蹴りあげた。地がきしみ砂埃が舞い上がる。

 源氏軍先鋒隊15名。由紀江はその間を縫うように駆け抜ける。その動きは直角というより流れるように滑らかなもの。陽光に煌めく銀閃がその合間からキラキラと光って見えた。

 突撃を敢行した一子が由紀江に気づいたときには防御に徹するのが精いっぱいだった。しかもその一撃が重い。薙刀を持つ手が痺れているのが何よりの証拠であった。そして次に顔を上げた一子の瞳に映ったのは壊滅させられた先鋒隊の姿。

 由紀江という一陣の風が暴風となり、障壁をなぎ払い通り道を作りあげていた。

 その由紀江は刀を下段に構えたまま源氏軍に睨みをきかす。そこに一部の隙もなく源氏軍は気圧される。それに続けと武蔵軍が地鳴りをあげ彼女のあとを追って来た。先手をとったのは意外にも武蔵軍であった。

 しかし、一子もやられっぱなしで終わる女ではない。すぐに態勢を立て直すと攻撃の中心となっている由紀江へと襲いかかろうとする。

 

「犬っころ! 此方を前によそ見とは余裕じゃのう!!」

 

 突如現れた心は一子の服の裾を握った。柔道の心得がある彼女にとって近距離こそ自分の間合い。そこから巻き込むように手首をひねり、一歩出遅れていた助っ人に命令する。

 

「宇喜多! お主は黛とともに旗を目指せ!」

「わーっとるで。雇われたからにはしっかり仕事をこなすから安心しとき!」

 

 そのすぐ側を通り過ぎるのは西方十勇士が一人、宇喜多秀美であった。交流戦では敵同士としてやり合った相手だが、今回の模擬戦では心に雇われ参戦しているらしい。

 ドスドスと決して移動速度は速くないが、それを補ってあまりあるのが巨体を活かしたパワーである。

 

「どっせーいッ!!」

 

 宇喜多は掛け声とともにハンマーを一振り。ぶおんと唸る音、巻き起こる風圧。それをモロにくらった源氏軍の一人が軽々と宙を舞い観客席へと飛ばされる。悲鳴をあげたのはぶつかりそうになった観客。しかしその辺の安全措置はきっちりととられており、飛ばされた彼は張り巡らされた糸にキャッチされていた。

 両手を顔面に持っていき衝撃に備えていた観客数名も唖然である。

 

「どんどんいくでぇー!!」

 

 倒した敵を一顧だにせず宇喜多は前へ出る。そんな彼女の図太い声に武蔵軍が呼応する。武蔵軍の陣形は魚鱗――言うなれば三角形の陣で動揺から足の止まった源氏軍へ逆に食いかかった。その突撃はまるで板に穴を開ける錐のよう。その先端――最も尖った部分を受け持つのが由紀江であった。

 しかしそう簡単に事は進まない。それを食い止めるべく動き出した人物がいた。

 

「これ以上好きにはさせない!!」

 

 義経が由紀江と真っ向から刀を交える。押さえるべきところをしっかりと押さえ進行を遅らせた。

 義経はその状態から矢継ぎ早に指示を飛ばし態勢を立て直させる。そしてその隙を見逃す由紀江ではない。

 片や剣聖十一段の娘、片や義経のクローン。そのどちらもが壁越えの実力をもつ。獲物は両者ともに刀。それは古来より戦で活躍してきた日本特有の武器である。観客の歓声が一段と大きくなるのも無理はないだろう。加えて海外のマスコミもテンション高く何かを叫んでいる。

 しかし刃を交える2人にその歓声すら届いていないのかもしれない。彼女達は刀越しに互いの瞳を見た。しかしそれも一瞬。どちらともなく刀を引きまた一閃が振るわれる。この時点で並の人間が立ち入ることはできない不可侵の戦場が出来上がった。息つく暇もない金属音が急くように20、30と奏でられる。その戦いは両軍がしばし目を奪われるほど圧倒的で美しいもの。戦場の華が咲き誇っていた。

 宇喜多が叫ぶ。

 

「ここはあの子に任せて、ウチらは旗目指して突っ込むでー!!」

 

 宇喜多は大きく振りかぶったハンマーで守備を固める源氏軍をなぎ払う。穴を開ければそこへなだれ込むように突撃する武蔵の軍勢。源氏軍は後手の対応、さらに悪い事に戦場を見渡し指示を出す義経が由紀江の対応にかかりきりであったことだった。

 それでもこの戦況をひっくり返そうと動く第二陣があった。

 

 

 □

 

 

「一気に旗を仕留めるぞ!」

 

 源氏軍、源忠勝が率いる隊も旗に向かって一直線に進んでいた。由紀江の先鋒隊撃破からすぐに義経より指示が飛んでいたのだ。

 それは鶴翼の陣。鶴が羽を伸ばしたように軍を左右に広げ、突進してくる武蔵軍を包み込むように展開する形であった。その両端を担っていたのが忠勝と剣道部主将の北畠。

 この2人が外側から一気に旗を倒そうと攻撃を仕掛けに出る。

 

「旗には近づけさせない……」

 

 林沖は小さくそう呟いた。多勢の軍相手にも一歩も気後れしている様子はない。

 

 

 ◇

 

 

 戦場を見物していた征士郎が笑う。それは喜びから来る笑みのようだった。

 

「黛の突破に加え、武蔵は支援に徹して後方から指示を飛ばすか。武蔵軍は初撃の勢いで余裕が持てた事が大きいな。逆に源氏は義経の指示が止まって動きが鈍い。それでも個々がきっちりと役目を果たしているところを見るに軍の性格が表れているな」

 

 征士郎は初戦から手に汗にぎる戦いを繰り広げる両者に満足していた。

 宇喜多は遂に弁慶との一騎打ちへと入る。パワー勝負を挑むつもりらしい。今一度校庭に響く掛け声が発せられた。しかし、その彼女の手勢は見るからに減っている。与一の精確な射撃のためだった。どの弓兵よりも射程の長い彼を捉えられる者はいない。よって彼は集中を乱されることなく淡々と武蔵軍を打ちぬいていた。

 

「静初、あの女は確か梁山泊の者だな?」

「はい。最近の梁山泊は頭首が代替わりし表舞台へも積極的に顔を出す方針に切り替わったようです。あの槍捌きと容姿から言って、あれが梁山泊きっての実力者林沖で間違いないでしょう」

 

 まさに一蹴という言葉がふさわしい活躍をする林沖。多方向から一斉に攻めかかってくる源氏軍を物ともしない。その間、武蔵軍の援軍が到着し乱戦となる。

 

「どの程度だ?」

「おそらく私やステイシーに匹敵するかと」

「それほどか。面白い」

「面白い……ではありません。もし狙われたらどうするんですか?」

 

 梁山泊は表へと進出してきたものの傭兵集団に違いがない。依頼があり契約が結ばれれば誰であろうと狙うだろう。たとえそれが九鬼であろうと。

 しかし征士郎に怯えた様子はまるでない。いつものと変わらぬ笑みであった。

 

「どうもしない。俺にはお前がいるからな」

「そういう問題では……」

 

 そう言いつつも静初は若干嬉しそうであった。

 

 

 □

 

 

 与一は荒れる戦場を静かに見下ろしながらため息をつく。

 

「予想以上の損害がでてるな。いや予想なんてもんはいつだって当てにならないもんか。全くこれじゃあ源氏がいい笑い物だぜ。そうなりゃあ義経も……」

 

 そこまで言いかけて言葉を打ち切った。義経の心配など弁慶一人に任せておけば良い。自分が心配する必要などないのだ。

 与一は自分に対して鼻で笑う。

 

「まあでもきっちり仕事はしとかねえと姉御がうるせえからな。指揮官らしい奴は大方打ち抜いた。あとは……戦いに水差す真似になるが一発で仕留めさせてもらうぜ」

 

 与一は残り少なくなった弓矢の一本を番える。彼の瞳は義経相手に一歩もひかない由紀江を映していた。常人では追うとこすらできない戦いでも、集中した彼にはコマ送りされる映像のように見る事ができる。それは一体何百分の一、あるいは何千分の一の世界なのか。

 2,3の斬撃が行きかったあと、与一はふっと息をとめた。

 由紀江と義経の刀がぶつかり、そして離れる。その間を与一は狙い撃とうとしていた。火花すらもその目に収めようとするかの如く、一瞬いや刹那たりとも見逃さない。

 限界まで引き絞られた弓。そこから放たれる矢はまるで吸い寄せられるように由紀江へと向かって飛んでいく。与一のこめかみを汗が流れおちる。その一矢にどれほどの集中力を擁したのか計り知れない。

 悪いな義経。与一はそう言おうとしたがその言葉は喉元で止まっていた。なぜなら驚くべき瞬間を目撃してしまったからだった。

 

 

 ◇

 

 

 その瞬間、由紀江の集中はピークを迎えていた。刀を交えるごとに研ぎ澄まされていく感覚。それは義経も同じ思いであったろう。自分と同格かそれ以上の相手、しかし決して手の届かない相手ではない。刀という共通の武器を扱い、その鋭さを増していく。

 そこへ突如として差しこまれる異物。それにいち早く気づけたのも普段の鍛錬の賜物であった。

 

「はああぁっ!!」

 

 由紀江は迫りくる矢を刃でそっと受け流しながら体をひねる。その最小限の動きは次の義経の攻撃に備えるためであった。

 今まで交わされた剣戟の中でも一際大きな金属音が木霊する。与一の放った矢は由紀江の後方の地面に深く刺さっていた。

 つばぜり合いをしながら義経が目を丸くする。なにせ与一の矢を防ぎながらも先ほどと変わらない速度で義経に合わせてきたからであった。驚くべき速度での斬り返し。たった一瞬、しかもそれがわかった者もごく少数だろう。多くの者は近くを矢がかすめたと誤解するかもしれない。それほどの速度だった。

 義経が気合を入れ直したところでホラ貝が鳴らされ第1試合は終わった。参戦していた者達は緊張が解け、どっと疲れが押し寄せたのか肩で息をしている者がほとんどである。

 しかしその目は審判である鉄心の方へと向けている。

 

「勝者源氏軍!!」

 

 静まった校庭に鉄心の声が響いた。両者とも旗を倒されることはなく、勝負は判定へともつれ込んだ。その結果、損害がより激しい方――つまり武蔵軍の敗北となった。途中まではよく攻めていた武蔵軍だが、囲まれた上に部隊長とも言える人間が討たれたことで足並みが乱れ、じわじわと損害を増やしていったのが敗因であった。

 しかしそれは僅差での勝敗である。仮に旗ではなく最初から判定勝ちを狙い源氏軍を削っていれば、武蔵軍の勝利もありえたのだった。

 パラパラと鳴らされる拍手はやがて盛大なものへと変化し、激闘を演じた生徒達への賛辞となる。指笛が吹かれ、歓声が上がり、労いの言葉がかけられ、惜しみない拍手が長く送られた。

 小杉はその中で一瞬顔をしかめたものの、すぐに気持ちを切り替えた。

 

「源氏軍相手にここまでやれたのよ! 胸を張って去りましょう! まだ戦いは続くわ。これで終わりじゃない!!」

 

 小杉はそれだけ伝えると動けない仲間へと肩を貸した。最年少の大将を先頭に武蔵軍が戦場をあとにする。その一団の横顔からは次こそは勝つという意志が見て取れた。

 




ムサコッス軍もバリバリ活躍。大型加入で戦力が一気にアップ!

不死川? 見えない斬撃が行き交う中に飛びこめる勇気を持ってるはずないでしょう。


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29話『模擬戦2』

 

 第2試合目の九鬼軍対松永軍の戦いは既に始まっていた。

 大将である征士郎は旗の下に陣取っており、その周りには静初、ステイシーに加え参謀を務める冬馬の姿もある。

 

「燕のことだから何か仕掛けてくるかと思ったが何もないな……」

 

 戦況を見守っていた冬馬がそれに応える。

 

「まだ初戦ですからね。もっと長い目で見ているのでは?」

「なるほど……一匹狼の多い松永軍、自由にやっていては勝てないという事実をもって引きしめるつもりか」

「でしょうね。私達の軍以外であれば、松永軍に勝たせて目論見をおじゃんにするという方策もとれたでしょうけど」

「だな。まあそれも数試合の効果だ……捨て置く。それよりも勝てる試合ならば損害を最小限にしつつ相手の損耗を最大限にだ。冬馬?」

「お任せ下さい、総大将」

 

 冬馬は一礼しその場をあとにする。そのときステイシーを借り受けたいとの申し出に、征士郎は許可を出した。派手に暴れ回る松永軍の助っ人、板垣3姉妹を抑えるつもりなのだろう。先ほど突っ走って行った小十郎も間を置かずして撃破されたという報告を受けていた。しかし練度の高い九鬼軍は未だ壁を崩されることなく、一兵たりとも大将の足下へと通してはいない。慌てることなく人数の多さを活かして2対1、3対1の状況をつくり丁寧に潰していっていた。

 さらに冬馬にくっついていた小雪も彼の指示を受け敵陣へと突っ込んでいった。「きーん」とまるで遊びに行くかのような掛け声とは裏腹に、その脚力を存分に活かしたスピードは脅威であり九鬼軍にしてみれば頼もしい戦力である。走る彼女は九鬼の壁をすり抜けていくことなどせず、左足で大地を蹴りあげるとそのまま天高く舞い上がった。風になびく白髪は上空から獲物を狙う鳥を思わせるほど美しく、一見派手なパフォーマンスに歓声が上がる。

 弓兵に討たれることを恐れていないのか、それともそれすら考慮に入っていないのか。ともかく一矢も飛ばされることなく小雪は敵陣へと姿を消した。

 征士郎の後ろに侍っていた静初が口を開く。

 

「第2軍が少し前に出ているようです」

「ふむ……長谷川! 伝令だ。足並みを揃えよと」

 

 1年の長谷川は「はいッ!」と良い返事をして走っていく。

 第2軍は彦一の混ざっているところでもあり、彼の言霊の影響が強いと考えられる。前へ出ることができるということは、それだけ敵を押しこむ力が大きいということであった。

 冬馬が指示を出してから数分、松永軍のエース級を抑える事に成功との一報が届く。数人を瞬く間に狩ったステイシーは現在板垣姉妹の次女辰子と交戦中、戦況優勢とのことだった。

 

「辰子は覚醒すると厄介だからな。抑え込むだけ十分だ」

「ステイシーもそれを分かっているのでしょう」

「見回りの警備で雇った際、それなりのことは分かっているからな。おっとりとした性格しかし一線を越えれば苛烈さを極める。あれで鍛錬に熱心であればと思わなくもないが、本人も今が幸せそうであるから無理強いはできん」

「しかし勤務中に居眠りは感心しません」

「もっともだ。それは姉にきつく言ってある」

 

 姉の名を板垣亜巳(いたがき・あみ)。紫の髪につり上がった眼。服装は男の情欲をそそりそうな露出高めのもの。趣味は人をいたぶることであり職としているSMクラブの女王がピッタリの女である。下に妹が2人と弟がいる。

 そしてその妹の一人が辰子(たつこ)である。こちらは姉と正反対の穏やかな顔つきであり、蒼い髪も長く伸ばしている。身長は高めの178㎝。その体つきは外国人顔負けであった。武力も姉妹の中で随一であり、鉄心ら実力者からは原石と目されているほどである。加えて辰子は双子であり、弟の名を竜兵(りゅうへい)といい、末妹の名は天使(えんじぇる)という。

 このうち亜巳と辰子の2人はその戦力を買われて時折バイトとして九鬼周辺の見回りを請け負っているのだった。

 

「師である釈迦堂も何とかウチに欲しいところだが……」

「征士郎様のお誘いも断られましたね。梅屋とはそんなにも働き心地が良いのでしょうか?」

 

 九鬼と梅屋。待遇なども丸っきり違うことは明らかであり、この2つの選択肢であればほぼ全ての人間が九鬼を選ぶだろう。その“ほぼ”に該当しない人物、それが釈迦堂刑部(しゃかどう・ぎょうぶ)である。

 ザンバラ頭に無精ひげ。それによれたシャツと冴えない風貌をしているが、以前は川神院師範代をも務めた男であり、その実力は折り紙つき。百代の師匠でもあった。現在はその川神院を破門され、無職を経て梅屋の店員となっている。そして店員として働く合間に板垣姉妹の面倒を見ているらしい。

 

「肌に合うのが梅屋だったのだろう。好きな物も近くにあるしな」

 

 好きな物、釈迦堂の場合は梅屋の豚丼である。そして静初の場合は物ではなく人であったが、なるほどと一人納得していた。

 征士郎はちらりと時間を見て掲げた右手を軽くふる。とどめを刺せの合図である。

 次の瞬間、九鬼軍が生き物のように動いた。一旦後ろへ下がると、突っ込んでくる敵に対して弓が放たれ、ひるんだところを猛烈に攻め抜いた。

 勝敗は明らかとなった。

 

 

 ◇

 

 

 今日最後となる第3試合の対戦カードは覇王軍対福本軍である。

 その試合開始直後、征士郎はため息をもらした。

 

「あの阿呆。今までの試合を見てなかったのか?」

 

 征士郎の眼下では項羽が一人戦線をも無視して飛び出していた。それはまるで主人公さながら、並いる敵を吹き飛ばしにいくシーンにも見える。覇王無双の始まり――そう言いたいところであるが、勝利条件の一つには敵の旗を倒すというものがある。つまり、いくら項羽が強くとも先に自陣の旗を倒されれば意味がない。

 だから先の戦いでも武蔵軍は林沖、源氏軍は弁慶、九鬼軍は静初、松永軍は燕といった実力者が旗の下にいたのだ。そしてそこに守護者がいなければ一発逆転が簡単に起きてしまう。油断が手痛い一敗に繋がるのである。逆に言えば弱いチームでもやり方と時機を見極めれば勝利が拾える可能性が広がる。

 大和が項羽へと声をかけているが、彼女はそれを一蹴する。全て俺に任せろ。それだけ言うとまた前を向いて走りだした。それに遅れてクリスとマルギッテの軍が続く。

 征士郎の前で窓から顔を出す紋白がそれを見て感心していた。

 

「あの二人の軍は見事ですね。一糸乱れぬ行軍美しいです!」

「うむ。交流戦のときもこれが行われていたということか。侮れんな」

「あっ! 兄上! 古知が清楚へと向かっていきます」

 

 紋白が指さす先に、人材紹介によって九鬼入りが決まっている古知がいた。

 

「古知や岳人では清楚の相手は荷が重いな。というか」

 

 征士郎はまたもやため息をつきたくなった。岳人らの後に続いた相撲アメフト部員らを項羽が派手に弾き飛ばしたのだが、それがあまりにも無鉄砲で四方八方へと飛ばしていたのだ。飛ばされる彼らはそのまま恐ろしい速度で迫る肉壁へと変貌し、敵を巻き込むだけでなく味方であるクリスやマルギッテの隊へとぶつかってしまう。

 

「清楚は敵を倒しますが味方も一緒に倒しますね」

 

 さすがの紋白も呆れが声に混じっていた。

 

「全く大将のやることではないな。やられる可能性がないことは示したが、やりたい放題の大将など下が迷惑を被るだけだ」

 

 それでも項羽は着実に福本軍の旗へと辿りついていた。そこに立っていたのは2人いたマントマンの内の1人。

 

「あれが米国より送られてきた兵士なのでしょうか?」

「スーパーソルジャー計画、戦闘特化の人間らしいが九鬼のクローンを倒したとあれば、すぐにでもその存在を公表するつもりであろうな。アメリカからのマスコミが多いのもそういった理由だろう」

「フッハハ。油断をすればいつでも食いかかって来る。世界は真に面白いですね!」

「そうだな……だが、そう簡単に倒れぬからこその九鬼よ」

 

 征士郎ははしゃぐ紋白を撫でながら笑みをこぼした。

 その言葉通り、項羽は攻撃を避けるマントマンを一笑したかと思えば、さらに速度をあげ思い切り蹴り飛ばした。彼はそれきり立ち上がる様子はない。敵軍の旗は目前、辺りに敵の姿はなし。

 

「あ、勝負がつきました」

 

 紋白の声に続いて福本軍の勝利が告げられる。項羽がマントマンの相手をしている間に、その片割れが単騎突撃を敢行。それが見事に功を奏し、旗を倒す事に成功していた。

 紋白はむむっと眉を潜め言葉を続ける。

 

「あの者、天下五弓の率いる弓兵の攻撃をあっさりと……」

 

 天下五弓とはその弓の腕を認められた者に送られる称号であり、覇王軍にはその内の2人――京と毛利が入っていた。統率のとれるクリスにマルギッテ、遠距離を制する天下五弓、それに加え個人の武で圧倒できる項羽、他にもクッキーや長宗我部といった臨機応変に使える人材が揃っている覇王軍は傍から見れば隙なしの布陣である。

 しかしその軍も項羽の出鱈目さに振り回されていた。

 

「次から次へとまだ見ぬ強者が湧いてくるな。あのマントの奴、どうやって軍へ引き入れたのやら。予期せぬことが起きると心が躍るな」

「兄上が楽しそうで何よりですッ! 我も英兄上の分まで頑張ります故!!」

「ははっ頼もしい妹よ」

 

 そこへ届いたのは項羽の怒声。どうやら旗を倒されたことに腹を立てているようだった。そして口答えしたクッキーに対して蹴りをお見舞いする。その後の大和の言葉も聞き入れる様子はなく、マルギッテが忠言しようとしたがそれを止めたのはクリスであった。項羽の様子から察するにこれ以上火に油を注いでは取り返しがつかないと判断したようだ。クリスも戦いに関しては頭が冴え空気が読めるらしい。それでも軍に重苦しい空気が漂っていた。

 先ほどまで笑っていた紋白も今は天を仰ぐ大和をじっと見つめている。

 

(直江、項羽の行動もお前も観察されていることを忘れるな。付け入る隙を見逃してくれるほど甘い連中ばかりではないぞ。それはこれから入る九鬼も同じこと)

 

 征士郎は紋白を気遣うように今度はぽんぽんと軽く撫でた。

 

(項羽自身にもこれを機に成長してほしいところだが……)

 

 あの様子では余程手痛い目を見ない限り望めそうもない。大和の苦難は未だ始まったばかりと言えそうだった。

 模擬戦1日目はこれにて終了。

 

 

 □

 

 

 夏休みに入り、大和は予定通り紋白の相談役として九鬼で働き始めていた。それから1週間が過ぎ、模擬戦では源氏軍が九鬼軍相手に勝利を得たり、武蔵軍が覇王軍を破ったりと面白い展開になっていた。

 そんな中、大和は上司となったあずみと静初に連れられて大扇島のとあるバーへと足を運んでいた。

 店に着くなりその大和を真ん中にして、右にあずみ左に静初が座る。大和は未成年であるから川神水を頼み、あずみはマンハッタン、静初はキールロワイヤルをそれぞれ頼んだ。

 3人はグラスを持ち軽く乾杯する。最初の話題はもちろん九鬼入りした大和のこと。それから知らぬところで努力を惜しまぬ英雄や征士郎のこと。そして九鬼従者部隊のこと。

 

「やっぱり序列1位って大変なんですか?」

 

 大和の問いに、あずみの顔が歪む。

 

「大変なんてもんじゃねーぞ。本来私は10番台、それでも優遇されてたほうなんだ……それが老人達をさしおいて1位。どうなるかわかるか?」

「ご老人達が騒ぎそうですね」

「あーもうそりゃうるせえったらないぜ。こっちの揚げ足ばっかとりやがるからな……それでも今は李やステイシー、ドミンゲスと若手筆頭が着実に力付けてきてるからな、随分とマシになったもんだよ」

 

 あずみは大和越しに李へと視線を送る。その李はくぴくぴと酒を味わっていた。

 

「あとは……あれだな、征士郎様が若手主導に本腰を入れられたのも大きいな」

 

 加えてマープルの降格騒動などもあったせいだが、入ったばかりの新人へ教えることでもないので口にはしなかった。

 

「やっぱ違うもんなんですか?」

「征士郎様のお眼鏡にかなった奴は今50位以内に15人以上いる。そいつら全員20代だ……つまり征士郎様が次期当主になった際の中核を成すメンバーになるだろうな。さらにちょっと前にも世界中から若手の有望株がここに集められた。その新しい風が乱気流よろしく吹き荒れてんだ。勢力っていう言い方を征士郎様は好まれないけど、その老人達に対して若手の多くは自分達こそがって気持ちが強いんだろうよ。ま、気持ちは分からなくもねえけどな」

 

 時は過ぎゆくもの。今は盤石である九鬼もいずれやってくる世代交代の波には逆らえない。その流れの中、老人達が長年培ってきた経験と若手ならではの勢い――その2つを上手く融合することで九鬼のさらなる繁栄に与しつつ新たなる時代に備える。それが征士郎の目指している所でもある。

 

「年一つしか違わないのに……会長凄いんですね」

「おう。何といっても英雄様の兄君だからな。それとこれからはちゃんと征士郎様って呼べよ? じゃなきゃ左隣の奴に仕置きされるぜ?」

 

 静初が口を開く。

 

「征士郎様は大和の先輩でもあるのでため口で喋る心配はないと思いますが……口が滑ったなどという言い訳も一回として許しませんので」

「き、肝に銘じておきます」

 

 静初のお仕置き。気になる内容ではあるが、ピシャリと言い放った様子から想像しているような甘いものではないことが明らかであり、大和は少し固い笑みを浮かべた。

 ところで、とあずみは話題を変える。

 

「お前、紋様とはどうなんだ?」

「どう……とは?」

「お前は異性の付き人として紋様に選ばれたんだぞ? つまりだな……」

 

 あずみは遠回しに男女の関係をもっているのかと聞こうとしたが、それより先に言葉を発したのは静初であった。

 

「紋様と関係をもったのですか?」

「随分直球ですね……でもなんでそんなことを?」

「それは、私が……征士郎様を……その……」

「李の照れる場所がよく分からんけど、アタイらは専属だろ? んで、まぁ私も李もそれぞれ仕える主を慕ってる……もちろん女としてな。そこに入ってきた新しい専属、同じ立場として進み具合とか気になるんだよ」

「ああ……やっぱりそういうことですか」

 

 大和は最初から全てを分かっていたらしいが、あえてその事を本人から聞きだしていた。もっとも静初は口にしなかったわけだが。

 あずみはそれに気づいて大和の脇をクナイでチクチクといたぶる。

 

「てめぇ良い度胸じゃねぇか。あぁん? 上司からわざわざ言わせるなんてよ?」

「す、すいません。だから両方から攻撃するの止めてください」

 

 何気に静初も攻撃に参加していた。

 大和は両側からの責めを止めてもらうと正直に告白した。風呂は一緒に入ったがそれだけ。仲良くやってはいるが男女の関係にはなっていないと。

このことも別に紋白から口止めされているわけでもなく、同じ立場の2人に打ち明けても問題ないと思ったからだ。

 それを聞いたあずみがそうかと頷く。ほっとしたような、残念がっているようなどちらともとれない表情であった。

 

「でも、風呂には一緒に入ってんだよなぁ」

「羨ましいです……」

 

 あずみと静初の2人ははぁとため息を漏らす。

 大和はそんな2人に背中を流したりしないのかと尋ねる。あずみはその提案を断られ、静初に至っては提案すらできていないらしい。

 

「李には前からずっと言ってんだけどな。提案するくらい主への奉仕なんだから気にすることないって」

「それはそうですが……こう、ここ一番で勇気が出ないというか。大和のときは紋様から言われたんですよね?」

 

 もしこれが大和からの提案だとすれば、かなり危険な香りが漂うことになる。

 

「ええ。俺はもう一度確認したんですけど、主従の間に隠し事はなしだと言われて……」

「揚羽様と小十郎も私達と同じみたいだし、一番進んでんのは大和ってことか」

「なんか釈然としません。マスターおかわりをもらえますか? 大和の分もお願いします」

「おいおい、李はあんま飲み過ぎんなよ? それで二日酔いなんて洒落にならないからな」

 

 あずみはそう言いながらも自分の分のおかわりも注文した。専属たちだけの飲み会はまだもう少し続きそうである。

 

 

 ◇

 

 

 その頃、九鬼極東本部の廊下で2人の男従者が会話していた。

 

「えっ! じゃあ李さんって朝わざわざ直江起こしに行ってるわけ?」

「らしいぜ。まぁ一応直属の部下、専属同士のよしみってことで可愛がってるんだろうけど羨ましいよなぁ」

 

 それももちろん事実であったが、その裏には起こすのを手伝ってあげるから代わりにギャグを聞くことという取り決めが静初によって勝手になされていた。大和は部下であり、ギャグを聞いてくれる存在としてロックオンされたというわけである。

 

「てか李さんがそうやって仲良くなるのって珍しくないか? 征士郎様は別として従者の間でそんな遣り取りなかったろ?」

「言われてみれば……え! なにっ!? もしかして李さん、直江に気があるとか!?」

「それだとショックだよなぁ。もう望みなしってことじゃね?」

「まじかよー。李さんって直江みたいのが好みだったのかぁ……誰だよ、野獣のような男が好みだとか法螺吹いた奴、おかげで俺の体重何キロ増えたと思ってんだよ。服のサイズやら何やら全て変わったんだぞ」

「あーそれでお前なんかワイルド系目指し始めたわけね。1年がかりでの肉体改造お疲れー」

 

 それを偶然耳にした一人の技術者がいた。青い作業着のポケットに両手を突っ込んで満足げに頷く。

 

(若いっていいねぇ……それにしてもあの美人な従者の李さんに男の影か。征士郎様と面会したときいつも一緒だから覚えちゃったんだよね。相手の名前は直江か、直江……直江……どっかで聞いた名前だけど、どこだっけ?)

 

 その技術者は頭をひねっていたが、横目に入った時計に慌てる。

 

「っとやばいやばい! 征士郎様に報告行かないと!!」

 

(征士郎様なら何か知ってるかもしれないな。時間あったら聞いてみるか)

 

 静初の預かり知らぬところで小さな波紋が起ころうとしていた。

 

 




林沖√で出てくるであろう新キャラ武松も可愛い。
というか炎を操るとか……火拳とかできちゃったりするのかな!? 
ラフの饅頭銜えてるやつ何気に好き。うーん楽しみだ。


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30話『芽生え』

 

「それ以上は駄目ッ!!」

 

 清楚は自分を抑え込むように体を両腕で抱え込み、悲痛な叫び声をあげた。周りに集まっていた覇王軍の生徒達、見物人等も突然の出来事にざわついている。

 模擬戦は今日で3日目。そして、覇王軍としては今度こそという意気込みで臨んだ福本軍との戦いだった。助っ人の一人を欠き、けが人も出し始めた福本軍は6チーム中でも最も与しやすい相手のはずであり、項羽もこれまでの戦いを反省して攻めることを我慢し、全てを皆に任せるつもりであった。

 しかし、それがまたしてもできなかった。旗の守護を担う項羽に向かって飛ばされる福本軍総出の挑発。アホだの馬鹿だのといった子供じみたものから臆病者、猛将の名はハッタリかといったそれはもう多種多様の言葉の数々が投げかけられる。

 沸点が低いのは既によく知られていた項羽の弱点を上手く突いた一手。それはもう見事にひっかかってくれた彼女に対して、健在であったマントマンがまたしても単騎突撃を行う。しかし、彼女もそれを二度喰らうほど甘くなく防ごうとしたが、あと一歩届かず覇王軍の旗は無情にもポッキリと折られてしまった。

 肩を震わせる項羽に詰め寄るのは攻め上がっていた生徒達だった。今回は任せてくれるって言ったのに。あんな挑発にのるなんて。相手の目的は見え透いてたじゃん。これで3連敗ですよ。

 口ぐちに不平を漏らす生徒達はさすがに我慢の限界に達していた。マルギッテは言葉にもならない様子で大きく息を吐き出すのみ、その隣でクリスは頭を抱えている。毛利と長宗我部は助っ人という立場からか沈黙し、京は心配そうに大和を見つめていた。

 その大和は詰め寄る生徒達と項羽の間に割って入ろうとしていたが、そこで項羽もまた爆発した。お前達が弱すぎる。臨機応変に動けない癖に口答えするなと一喝する。

 ぎょっとしたのは皆を押しとどめていた大和であった。その先に続く言葉が予想できたからだ。

 

「覇王について来れない――」

 

 そこで冒頭の清楚の台詞へと戻る。

 小さなざわめきが起こる校庭で、清楚は即座に次の行動へとうつった。ゆっくりと皆へと下げられる頭。ツヤめいた黒髪が重力に負けてさらりと肩から流れ落ちる。

 

「皆……ごめんなさい」

 

 大きな声で言われたわけでもない謝罪の言葉。しかし誰の心にも届く心のこもった謝罪であった。それを受けて熱くなっていた生徒達も我に返ったようだった。

 いつまでも上がらない清楚の頭。微動だにせぬその姿勢に皆の方が圧倒されていた。

 

「清楚先輩、ですよね? まずは頭を上げてください。ここじゃなんですから場所を移しましょう。皆も少し時間をくれないか? 頼む」

 

 大和はそう言って清楚に頭を上げさせると今度は自分が頭を下げた。この機会を逃せば軍の空中分解は避けられない。軍師としてもそれをさせるわけにはいかなかった。

 生徒達が戸惑いを見せる中、マルギッテら幹部がいち早くその提案にのる。それに皆が続き覇王軍は未だざわつく校庭を速やかに去っていった。

 見物人が最後に見たのは校舎へと姿を消す前の清楚の丁寧なお辞儀だった。

 征士郎は共に見物していた冬馬を横目で見る。

 

「覇王軍の瓦解は起きそうにないな。しかし福本軍の助っ人は潰れた。冬馬の策は半分当たり半分はずれといったところか?」

「人格の切り替えがあの土壇場で行えるとは思いもよりませんでしたから。もっともあのような真似ができるなら、なぜもっと早くから行わなかったのか疑問が残りますね」

「あの切り替えには集中が必要なのは事実だ。少なくともこれまでの清楚を見ている限りではな」

 

 また清楚自身からも感情が高ぶっていると切り替えができないと聞いていた。

 

「葉桜先輩がわざわざそんな嘘をつくとも思えませんし、今回のことは偶然でしょうか?」

「かもしれん。しかし項羽は当分大将を務めることはできんな。今日の出来事で完全に信頼が地に落ちた」

「ですが覇王軍は元より優秀な駒が揃っていますから油断なりませんよ」

「もちろんだ。指揮権は完全に直江へと移るだろう。冬馬としてはその方が楽しめるのではないか?」

「ふふっ……大和君からは時折熱い視線を送られる仲ですから。楽しみではありますね。そういう士郎先輩こそ楽しそうに見えますよ?」

「冬馬や燕の裏の行動をとやかく言うわけではないが、策にかかり潰れて終了ではさすがに味気ないだろう? ここからどういった巻き返しを図ってくれるのかと思ってな」

「いいですね、士郎先輩のその顔……ゾクゾクします」

「お前は本当にどうしようもない奴だな」

 

 征士郎は冬馬を引き連れその場を後にした。

 

 

 ◇

 

 

 昼間の暑さの余韻を残した夕暮れ。英雄は川の流れる音を聞きながらランニングを行っていた。うっすらと汗をかいているものの、昨日の昼の暑さに比べれば大分マシであり楽である。昨日行われた地区大会決勝、そこで見事勝利を手にした川神学園は夏の甲子園への切符を手に入れた。その立役者となったのはもちろん英雄、それに加え2本のホームランで彼を援護した山田である。英雄の陰に隠れがちだが、この山田という男も攻守に定評がありスカウトから目を付けられたりしていた。躍進を続ける野球部で有名となっていくのは何も英雄だけではない。

 試合の翌日ということもあってか、英雄はこのランニングが終わればあとは帰ってゆっくりとストレッチを行うのみであった。

 その英雄の後ろより何かを引きずる音が近づいてくる。

 

「あれ? 英雄君?」

 

 英雄が振り返るより先に掛けられた声。彼の振り向いた先にいたのは一子であった。

 英雄は足を止め一子へと向き直る。

 

「これは一子殿。こんなところで出会うなど奇遇ですな。鍛錬ですかな?」

「うん。英雄君こそ、昨日試合があったのに走っていたの?」

「ええ。試合翌日は毎回ランニングと決まっていますので、肩への負担もこれならかかりません」

「あ……そうなんだ」

 

 2人の間に少し沈黙が流れた。それを破ったのは英雄。

 

「一子殿さえ良ければですが……少し話をしませんか?」

 

 

 ◇

 

 

 2人は揃って河川敷の土手へと腰を下ろした。

 

「ちょっと遅れちゃったけど、英雄君甲子園出場おめでとう。ご褒美って言ったらなんだけど、はいこれ」

 

 一子が英雄に手渡したのはスポーツドリンク。英雄からの誘いに待ったをかけたのはこれを買いに行っていたからだった。

 礼を述べる英雄に、一子は苦笑する。

 

「こんな安っぽいものでごめんね」

「いえ、そのお気持ちだけで十分です。我にとっては何よりの褒美ですからな」

「相変わらず大袈裟ね、英雄君は。でも、これで目標に一歩近づけたのよね?」

「ええ。今年こそは全国の頂点に立ち、優勝旗を川神学園に持ち帰る所存」

「応援しているわ。頑張ってね」

 

 一子は両手をぐっと握り英雄を見る。「もちろんです」と彼もガッツポーズで応えた。

 

「それよりも一子殿こそ模擬戦では随分活躍なさっているご様子。我は直に拝見することは叶いませんでしたが、その活躍ぶり聞き及んでおります」

「そうかな……」

 

 それに応えた一子の声は少し元気がなかった。

 

「一子殿?」

「あははは……ごめんね。試合には勝ってるんだけど私的にはあんまり納得がいってなくって……」

「そうでしたか。我で良ければ話してみてはくれませんか? 心の内にため込むというのも精神上良くないでしょう」

「うーん……でも英雄君に悪いわ。せっかく優勝を決めて甲子園に乗り込むっていうのに、なんだか暗いお話するっていうのも」

「フッハハハ。一子殿が悩まれたままの方が我は気になります。なに、遠慮は無用。どうぞ存分に思いの丈を述べられよ」

 

 それでも悩む一子に英雄は続ける。

 

「ではこういうのはどうですかな? 先ほど頂いたスポーツドリンクのお礼として貴方は我に話を聞いてもらうというのは」

「そ、そんなつもりじゃ……」

「無論わかっております。とにかく我は貴方の力になりたいのです。こういう理由を付けてでも。お聞かせ願えないでしょうか、一子殿」

 

 一子はようやく観念したのかぽつりぽつりと理由を口にする。

 武蔵軍との戦いで由紀江との力量の差を見せつけられたこと。その由紀江と互角で戦い続けた義経のこと。その義経に決闘で負けた自分のこと。そしてもう一つの大きな理由は林沖と矛を交え敗北したことだった。

 源氏軍対武蔵軍の二回目となる試合。模擬戦はクジで対戦相手が決まるので早い段階で同じチームとやり合うことが可能であった。

 その試合で一子は隊を率いて旗を取りに行ったが、全員まとめてかかったにも関わらず旗を倒すことは叶わず逆に多くの負傷者を出す始末となった。そのとき一子も多勢の中攻撃を仕掛けるも林沖にいなされ強烈な一撃をもらい膝をつく。決闘であればこの時点で勝負は決していただろう。多対1の状況でもこの体たらく。

 

「皆強いわ。私もそうなるために鍛錬を積んできた。これだけはどんなときでも手を抜かずにやってきたの……なのに」

 

 勝てない。諦めていないからこそこの言葉だけは、一子の口から出てくることはなかった。英雄はそれを何となく感じ取っており、ただ静かに彼女の思いを受け止めていた。

 

「英雄君は着実に目標に近づいているのに、私はあの日から全然変わってない」

 

 一子はそこまで語ると一転、いつもの無邪気な笑みで言い放つ。

 

「……って別に諦めたわけじゃないんだけどね。これからもガンガン修行していくのみよ! 遠い道のりだってことはこの道目指すって決めたときに爺ちゃんからも言われているし、私もそれを承知で進んだんだから!」

「光灯る街に背を向け、我が歩むは果て無き荒野……」

 

 英雄の紡ぐ言葉に一子が反応する。

 

「奇跡も無く標も無く、ただ夜が広がるのみ」

「揺るぎない意志を糧として、闇の旅を進んでいく」

「勇往邁進ッ!! うん。これからもひたすら前進あるのみよ!! ありがとう話を聞いてくれて」

 

 一子は眩しいくらいの笑顔を英雄へ向けた。

 

「構いませぬ。元はと言えば我がお願いしたこと故。そういえば話は変わりますが……4日後、剣聖黛大成殿が川神に来られるらしいのです」

「えっ!? それって確かまゆっちのお父さんよね?」

「まゆ……ああ、黛由紀江ですな。そうです。こちらで何泊かされる予定になっているので、稽古をつけてもらうのも良い機会となるのでは?」

「ほうほう。確かに……剣聖と呼ばれるほどの人だもの。ぜひ稽古をつけてもらいたいわ! ありがとう、英雄君。帰ったら爺ちゃんにも聞いてみる」

「なんのこれしき。一子殿のお力になれたのなら、この九鬼英雄望外の喜びです」

 

 太陽はもう間もなく姿を消そうとしている。

 英雄は立ち上がってそれを見つめた。その隣で一子はきょとんとしていたが、もう別れるのかと思い自身の土手から腰をあげる。

 

「一子殿!」

「どうしたの、英雄君?」

 

 2人は向き合う。燃えるような赤が彼らの横顔を照らし、土手に影を伸ばした。

 一子は相変わらず不思議そうな顔をしているが、対照的に英雄は少し緊張しているようだった。

 

「今年、我は甲子園で優勝します! 必ず! ですので……その瞬間を見ていてはくださいませんかッ!? 決勝の行われる甲子園、我の応援に来ていただきたいのですッ!!」

「もちろんよッ! 英雄君の活躍する姿、ばっちりとこの目に焼き付けるわッ!」

 

 一瞬変な間が漂った。英雄は珍しく瞳を瞬いている。その顔にはこんなに簡単に了承が得られていいのかと書かれていた。考えた末の返答がくるかと思いきやの即答。

 一方の一子も何か変なこと言ったかしらと首をかしげている。

 そしてようやく我に返った英雄が口を開く。

 

「よ、よろしいのですか?」

「うん! 皆で応援に駆け付けるわッ!」

 

 皆でかと思わなくもないが、英雄にとっては一子が来てくれることこそが重要であった。

 

「フハハハ! これで我に怖いものなどありませぬ! 鬼に金棒とはまさにこの事!」

「英雄君は九鬼だからピッタリね」

「おお、さすが一子殿……まさにその通りですな。これで優勝はもらったも同然!」

「油断大敵よ! どの相手も代表として集まって来るんだから」

 

 一子はますます意気軒高となる英雄をたしなめた。

 

「もちろんです。うーむ、しかしこの気持ちの高ぶり……今からでも投げ込みを行いたいところですが」

「ダメよ! 肩に負担をかけちゃ駄目だって英雄君が言ったんじゃない」

「えーい! ならば今からランニングの距離を倍にして……」

「だからちゃんと休まなきゃダメでしょ。ただでさえこれからの日程が厳しいんだから」

 

 一子が言えた義理ではないが、英雄にとっては無視できない言葉である。

 英雄は逸る気持ちを抑えるのに苦労したようだがやがてそれにも成功して、一子に別れの言葉を告げ去っていった。その際送る送らないという話になりそうなものだが、これに関してはとっくの昔に決着がついており、英雄もそれに言及することはない。それでも一子が家に着くまで数名の人影がついていたりするのだが、これは英雄が差し向けたのではなく征士郎の命であった。

 なぜなら英雄の想い人であるということから狙われる可能性があるからである。そしてもし狙われたなら接触する前に潰す。それは狙ったなら容赦はしないという警告と英雄に余計な心配させないという配慮からであった。

 一子はランニングを再開させた英雄の背中を見送った。

 

「あんなに喜ぶなんて……」

 

(皆が応援に来てくれることそんなに嬉しかったのかしら?)

 

 心の中でそう呟いたが本当はわかっているのだ。自分が応援に来てくれることを喜んでくれているのだと。

 1年近く経って英雄のことも色々と知ることができた。さらに尊敬できる部分も知ったし、逆に少し子供っぽいところがあるところも知った。そして唯一変わらないのが一子に対する真摯な態度である。

 一子はしばらく英雄が去っていった方向へ視線を向けていた。

 

 

 □

 

 

 それから数日後、征士郎の部屋にて。

 

「征士郎様、遂に見ちゃいましたよ。決定的瞬間を!」

 

 定期的な連絡のため訪れるようになった技術者、松永久信(まつなが・ひさのぶ)は報告を終えたところでこう切り出した。

 以前は静初が大和に気があるという噂を聞いたと征士郎に伝えていた。

 

「ほう……今度は聞いたのではなく見たのか」

「ええ!! 李さんが仲良さそうに直江君とバーで飲んでいる姿を!!」

 

 それは久信が仕事を終えて久しぶりに一杯ひっかけて帰ろうとバーに寄ったときのこと。一杯で帰るつもりがズルズルと杯を重ねていき、気づけば隅でぐでんぐでんになっていた。そのときには既に静初と大和の姿がカウンターにあったという。

 2人はこそこそと何かを話しあい親密な様子であり、別居してから長い久信にとっては見せつけられているようなものだったと憤慨する。

 実はその場所にステイシーも同行していたのだが、彼女は早々に酔いつぶれカウンターに突っ伏していた。故に久信の視界に入らず見落としてしまっていたというオチである。加えて酔っていた久信の記憶は切り取られた写真のように断片的なものでもあった。

 そんなあやふや状態であったときのことを久信は自信満々に語る。

 

「あれは間違いなくできてますよ。僕の勘がそう囁いていますから」

「ふむ。しかし、俺は静初から直江と交際していると聞いた覚えはないが?」

「そんなの当然じゃないですかッ! あの主想いで有名な李さんが征士郎様に先んじて恋人ができました……なんて報告すると思いますか?」

「つまり俺に遠慮していると?」

「そうです!! でも好きになった気持ちは止められない! それが恋ですからねッ! 僕もミサゴ……ああ僕の妻なんですけど、と出会ったときは一目で恋に落ちて、そこからは男らしく猛アタックのしまくりでしたから!」

 

 征士郎はそう語る久信の瞳をじっと見る。

 

「いえ、すいません。ちょっと見栄張りました。男らしく猛アタックするつもりだったんですけど、そのときは一発やらせてもらえませんかって懇願までしました」

「まぁそれほどまでに魅力があったということか」

「ええ、そりゃもう!! いつか……そういつか、征士郎様にもご紹介したいです。本当に……っとすいません脱線しました。それで僕が何を言いたいかと言いますと、李さんと直江君の雰囲気はまさに僕のときと瓜二つだったわけです、はい」

「そうか……」

「あれ? 征士郎様あんまり嬉しそうじゃないですね」

「いや、静初もそろそろ結婚を視野に入れ始めてもおかしくない年齢なのだと思ってな。時の流れの早さに驚いていた」

「李さんは従者の間だけでなく研究所の方でも人気ありますから」

 

 本当に綺麗な人だと久信は一人納得してうんうんと首を縦に振った。

 

「おっと……もうそろそろ時間です。僕も戻りますね」

「ああ。ご苦労」

 

 久信は扉の前で一度頭を下げ出ていった。その後ろ姿を見送った征士郎はそのまま扉を見つめ続ける。

 

「静初に恋人か……いても不思議はないな」

 

 征士郎は静初の幸せを願っている。その想いは誰よりも強いと言えるかもしれない。その彼女に好きな人ができた。当然祝福してやるのが主としての務めである。

 

(なのに……なぜだろうな。俺に恋人がいないからといって、知らず知らずのうちに静初もいないと決めつけていたのか?)

 

 征士郎は椅子に全体重を乗せ天井を見上げた。

 

(遠慮か……確かに静初ならありえそうな話だ)

 

 何事においても主である征士郎を優先する。それを専属になってからずっと続けてきたのだ。その姿勢に征士郎は感謝こそすれど疑問をもったりしたことはない。

 そして知らない内に恋人がいないという前提に立っていたためだろうか。不思議なことに思い返してみれば好きな人が云々という会話すらした覚えがない。

 

(静初のことだ。恋人ができ、やがて結婚して子を成しても専属は続けるだろう。俺もそのときには結婚し家庭を築いているはずだ。俺達の間の関係は何も変わりがない。そして俺の子を静初らの子と引き合わせ、願わくば専属として……)

 

 幼い頃より共に過ごし、同じものを見て感じて育っていけば、自分達よりも強い絆で結ばれた主従となるだろう。

 

(直江か……紋が見出した男だ。信用はできるだろう)

 

 いつ頃から付き合い始めていたのだろうか。出会ったのは高校からのはず。関わる機会はほとんどなく、可能となったのは紋白から入って来てからくらいだろう。そんな短い期間で成立するのか。

 

(いやしかし久信の言っていた通り、恋はどんな風に始まるかなど人それぞれだろう。父さんも一目ぼれだったと聞いているし……そもそも本当に付き合ってるのかどうかもわからない)

 

 久信の言っていることは勘であり、確かなことは分からないのである。しかしもし本当ならと考えてしまう。

 

「民を幸せにしてこその九鬼。ならば仕える者も幸せでなければならない。そして静初は幸せを掴もうとしている。ならば余計な遠慮をさせるわけにはいかん、か……」

 

 征士郎はそう言葉にするが、心の中ではうっすらとした靄がかかっている。もし静初に恋人がいるとして、それを紹介されたとき自分は素直に祝えるだろうか。そんな疑問が湧いてくるが、そう考えてしまうこと自体おかしい気がした。

 

(自分の物が取られそうになって焦っているのか?)

 

「不思議だな。自分の気持ちがよく分からんとは……」

 

 征士郎の呟きは誰にも届くことなく静寂へと吸い込まれていった。

 

 




英雄の口調とか大丈夫かな。あまり喋らせていないキャラを急に喋らせるとなんか不安定になる。


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31話『無言の答え』

 

 静初がその変化に確信をもったのは週に1度行っていた耳かきを断られたときだった。その日の作業を終えたあと、いつものように準備を整え征士郎に声をかけたのだが、彼からワンテンポ遅れて返ってきた答えが、

 

「いや、今日は構わん」

 

 という一言だった。

 微妙な空気――いや雰囲気だろうか。ともかく静初は征士郎から放たれているそれに敏感であった。昨日までは何ら変わりなかったのに、夜が過ぎ朝を迎えたときには何かが違っていた。そして一日を過ごしそれが確信へと変わる。しかしそれを上手く説明することはできない。

 だから、これをステイシーらに相談したとしても「気のせいだろ」の一言で済ませられるだろう。それほど些細なものであった。

 

「あ、あの征士郎様?」

「ん、どうした?」

 

 征士郎は静初へと振り向くが、彼女は言葉が続かない。

 

「あ、いえ……なんでもありません。申し訳ありません」

「どうしたんだ? 今日の静初は様子がおかしいな? 何かあったのか?」

「私というよりも……」

 

 静初は意を決して尋ねることにした。

 

「征士郎様の方こそご様子がおかしいです。何かあったのですか?」

 

 征士郎はその問いかけに驚いたようだったが、やがて柔らかい笑みを見せた。しかし、静初にはその理由が分からず思わず首をひねる。

 

「いや懐かしいと思ってな。昔、お前が俺の腕の不調を見抜いたときがあったろう?」

 

 それは征士郎が静初を専属にすることを決めたときのことである。もう何年も昔、静初の髪も長く無表情であった頃のことだ。

 静初も征士郎の言葉で瞬時に理解し小さく頷いた。今となってはあのときの自分を褒めてあげたかった。なぜならあれが決め手となり、自分は彼の専属となることができたからである。

 征士郎は顎へと手をやり苦笑する。

 

「これでは静初に対して隠し事ができんな」

「むしろ隠し事などされると寂しいです。私は征士郎様の専属、貴方様のことはできるうる限り知っておきたいのです」

「寂しい、か……」

 

 征士郎はそう呟いて少し黙った。その間、時計が時を刻む度カチコチと音を鳴らす。

 

「うむ、回りくどいことは好かん。故に真正面から尋ねる」

 

 征士郎は静初の様子をかたときも見逃すまいとしっかりと瞳を捉える。彼女はまだ聞かれる内容について検討もついていない。それも当然、彼が彼女の恋について悩んでいるなど想像すらできていないのだ。

 しかし、次に発せられる言葉に静初は固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「静初……お前、好いている人間がいるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさにド直球の質問。征士郎にしてみれば、そこのところをハッキリさせないわけには先に進む事ができなかった。

 一方、静初はまさかこの状況で尋ねられるとは予想だにしていなかったため、危うく征士郎の前だというのに気の抜けた声が出そうになっていた。それを何とか我慢したあとに訪れたのは史上空前のパニックである。

 好いている人間がいるのか。スイテイルニンゲンガイルノカ。透いている人間がいるのか。すいて炒るいんげんがいるのか。すいているにんげんがいるのか。

 静初の集中力は戦いの最中でもないのにフルパワーで稼働し、脳内では緊急会議が行われていた。議題は「征士郎様の問いに対して的確な答えを出せ」である。

 天使の輪っかと羽を付けた静初(以下、天使)が最初に発言する。

 

『ここはもちろん征士郎様と答えるべきではないでしょうか? 今まで長年想い続けてきた相手に告白するには絶好の機会だと思います』

 

 それに対して悪魔の角と尻尾をはやした静初(以下、悪魔)が意見を述べる。

 

『こんなところで告白すると? 征士郎様がどう思われているかも分からないのに? 告白してバッサリ切り捨てられたらどうするんです? 貴方正気ですか? 死にたいんですか?』

 

 悪魔の容姿だが喋り方は丁寧だった。それを聞いた天使はうっと言葉に詰まる。

 

『た、確かに。ならば、好いている人間などいないと答えるのですか? 征士郎様に嘘をつくと? 専属にまで取り上げてくださった我が主に、愛しい主に偽りを伝えるのですか? そんなの耐えられるわけがありません!!』

『別に嘘をつく必要はないでしょう。今はただ好いている人間がいるのかと問われているだけ。ならばイエスかノーで答えればいいのです。ならば人物を特定されずに済みます』

 

 悪魔は取り出したイエスノー枕のイエスを全面に押し出した。

 それを見た天使はだんっと机を叩く。

 

『貴方は李静初のくせにアホですか? この状況で誰だと聞かれないわけないでしょう! 好きな人いるの。はい。へぇそう……で話が終わる雰囲気ですか!?』

『そんなこと百も承知です。だから誰だと問われれば、ひ・み・つと答えればオーケーでしょう。ちょっとミステリアスな李静初の完成です』

『貴方、本体が口にしたことをお忘れですか? 隠し事をされると寂しいと言っていた人間が率先して隠し事してどうするんですか!?』

 

 その言葉は悪魔の胸にぐさりと突き刺さった。悪魔は致命傷を受けながらも何とか体を起こし、天使へと縋るような視線を送る。

 

『え、じゃあ……どうするんですか?』

『それを今話し合ってるんです!!』

 

 バンバンと机を叩く天使と呆然とする悪魔。しかし悪魔が咄嗟に一つの案を出す。

 

『押し倒しちゃいましょう』

 

 語尾にハートマークが付くほどの甘い声。それは悪魔の意地か開き直りか。天使はどこから持ち出したのかハリセンを思い切り振りかぶった。

 しかしどうやら時間をかけすぎたらしい。征士郎が言葉を続ける。

 

「いるんだな……」

 

 沈黙は答えているも同じ。静初は未だ正常な働きをしない脳に体を支配されている。バクバクとまるで全身が一つの心臓であるかのように鳴り響き、そこから勢いよく流れる血液は濁流の如く体を駆け巡っている。もし今体の末端であっても切り傷をつけられれば、噴水よろしく血が噴き出すのではないだろうか。そう思えるほどの感覚である。

 征士郎も傍目からでは分かりにくいが若干緊張があるらしい。落ち着くために一度深呼吸を行った。

 

「俺は今まで共に過ごしてきた中で気づくことができなかった。一番近くにいたお前の変化にすら……」

 

 それもそのはず。これは矛盾する答えとなるが、静初は征士郎に対してずっと想いを隠し通してきたのだから。誰がこの主従という関係の上で想いを打ち明けることができよう。それも相手は世界でトップを走る企業の次期当主である。帝からは主従の恋が許されているとはいえ、身分を気にしないでいられるだろうか。

 傍にいられるだけでいい。そう思っていたのにいつしかそれ以上を求めるようになった自身のあさましさ。欲深さ。そんな自分が征士郎様と結ばれようなどと傲慢にもほどがある。

 それでもこの気持ちを消せはしなかった。自分に向けられる笑顔や優しい言葉、そしてほんの少し甘えてくれる態度。それらに接する度に消すどころか、どんどん膨れ上がるばかりであった。

 どうしようもない気持ちだった。きっと芽生えてしまった時点で、あのとき刈り取らなかった時点でこうなってしまうことが決まっていたのだろう。

 同時に想いを持ち続ける以上、いつかこんな日が来ることも心の片隅ではわかっていた。しかし怖くて考えたくなかった。何もしなければ答えを得ることもできないが、この心地よい関係も崩さずに済むからである。

 だがそれも今日で終わりになるのだろうか。征士郎から発せられる言葉が怖いと静初は初めて思った。

 征士郎は話が長くなると思い場所をソファへと移す。自分は奥に座り静初にも対面へ座るよう命じた。

 

「さて……正直何から話したものか。俺はこの手の話をしたことがないからな」

 

 征士郎はそう言って眉を顰めた。

 

「無遠慮となるかもしれないが許せ。我が専属が幸せになるというのなら、俺も全力で応援するのみだ」

 

 征士郎は未だ心の整理ができていなかったが、結局は静初が幸せになるのならという結論で半ば強引に自分を納得させようとしていた。

 

『素晴らしい景色を見せてやる』

 

 主従の関係になった際そう誓ったが、その役目は静初の思い人へと譲ることになるだろう。好きな人と見る景色に勝ることなどできようか。つまらない景色であってもそれを誰と見るかで内容は大きく変わる。大事なのは誰と過ごすかということだからだ。

 そしていよいよ核心へと迫る問いが征士郎によってなされる。

 

「それで静初……お前が好きなのは――」

 

 静初は知らず知らずのうちに両拳に力が入る。この気持ちを知られてしまうという焦り。知ってもらえるという少しの安堵。そしてこれからに対する不安。征士郎の反応に対する興味。ありとあらゆる思いが湧きでては混ざり合っていく。それはミキサーでごちゃ混ぜにされたようにもう何がどれなのか判別することはできない。しかし、それに名前を付けるなら『征士郎様への恋心』となるだろう。

 

「直江なのか?」

 

 静初は今度こそ「へっ?」と間抜けな声を出した。その反応に征士郎も困惑する。

 

「む? 直江ではないのか?」

 

 征士郎は思わず再度尋ねた。

 

「や、大和は確かに可愛い後輩ですが、その……女として好きとかそういう感情は一切ありません」

 

 一切という単語のところが一層強調されていたのは気のせいではないだろう。この場は2人きりであるが、もし大和がこの台詞を聞いていたら例え恋などしていなくともダメージを受けたに違いない。

 

「なんだ、そうなのか」

 

 征士郎はそれを聞いてほっとしている自分に気が付いた。しかし、まだ問題が片付いたわけではない。では大和でないなら一体誰なのか。

 九鬼関係者あるいは学園の生徒。静初の行動範囲から言ってもこのどちらかに絞られると征士郎は推理する。

 まず出てくるのは3年間共に同じクラスで過ごしてきた彦一だが、彼はないと断言できた。もし付き合っているならその時点で征士郎にも報告してくるはずだからだ。もっとも今のところそのお眼鏡に適う人物は現れていない。

 ではその繋がりからエレガンテクワットロなどどうだろうか。女子生徒達にも人気が高い男達である。最初に除外されるのは翔一。まず女っ気というものがまるでない。次に忠勝、こちらも騒がれるのを迷惑がっている様子でそもそも静初と接点がない。最後に冬馬であるがこれもなさそうである。なぜなら初対面で口説いてきた彼に対して、静初はきっぱりと断りを入れていたし、その後も全くといっていいほど興味を示したような様子はない。

 

(クラスメイトにしても誰かと特別仲良くしている様子はない)

 

 一瞬百代の姿が脳裏に浮かんだがすぐに抹消した。

 では九鬼関係者、とりわけ従者のうちの誰かなのか。それを考えていた征士郎に静初から声がかかる。

 

「あの……征士郎様はなぜ私が大和を好きだと誤解なされたのですか?」

 

 静初にしてみれば迷惑甚だしいというやつである。目の前にいる思い人に誤解され、こうして問われなければ誤解のまま変な方向へ話が進んでいった可能性もあったのだ。

 

「そういう話を小耳にはさんだのだ」

「誰からですか?」

 

 征士郎がわざわざ静初の周辺を探るとは思えない。では誰かが彼に告げたということになる。ステイシーやあずみなどはありえない。なぜなら静初が本気であることを十二分に理解しているからだ。静初自身をそのネタで弄ることはあっても、人の恋路を邪魔するような真似をする彼女達ではない。

 

「久信だ」

 

 松永久信、どう始末をつけてくれようか。静初は「そうですか」と平然と答えながらも心中穏やかではなかった。ちなみにそのとき久信は言い様のない悪寒に襲われたらしい。

 

「しかしアイツを責めてやるな。久信も良かれと思って俺に報告を入れてきたのだ」

 

 静初もそう言われてしまうと何もできなくなってしまう。頭に浮かんだあれやこれといった方法も全部消去した。

 

「しかし……直江でないとすれば一体誰なのだ? 色々と思い浮かべてみたがピンとくるような人物がいないのだが……」

 

 静初はここにきて「ああ、やっぱり」と肩の力が抜けた。

 征士郎はこれまで人気のあった男ではあるが告白されたことは一度もない。小学中学高校と常にトップに君臨し続けた彼は高嶺の花のさらに上をいくような存在として扱われてきた。いつか女のヒエラルキートップにいた有力者の娘などが彼に熱をあげたこともあったらしいが結局想いを伝えるには至らず、そんな経緯があれば他の女子がそれを差し置いて告白をすることなどできるはずもない。

 大きすぎる看板は成長するとともに皆が理解するようになり、高校ともなればテレビに映るアイドルのように騒がれるだけで誰もが付き合える対象だと見ることはなかった。さらに静初が傍にいたことも大きいかったのだろう。大抵の女子はまず彼女と勝手に比較して勝手に諦めていくからだ。

 バレンタインで多くのチョコをもらうのも同じこと。もらってもらえるだけで満足しているような状況だった。

 むしろ告白の回数でいえば、現在絶賛活躍中の高校球児である英雄の方が多いくらいである。

 しかしそんな征士郎でも世界が相手となれば話は違う。九鬼に釣り合うとまではいかないまでも十分な資産をもった大富豪や王族といった世界60億人の中の一握りしかいない人間達が存在する。彼らは娘達を気に入ってもらおうと見合いを持ちかけるのだ。

 だが征士郎にとってのそれはただ九鬼の名が欲しいからこそ送られてくるものであって、自分よりもその後ろで輝く九鬼財閥という看板が集めているという認識であった。もちろん見合いを否定するわけではない。そこから仲の良い夫婦となり家庭を築いて行くことも可能であろう。出会いをつくるという意味ではその方法も一つであるが、征士郎としては仲良い両親のように恋愛から結婚をという考えができていたりする。

 と言ってもその恋愛がよく分かっていないのだから初っ端から躓いているわけだが、それも何とかなるだろうと楽観していた。それこそ最終的には見合いという手段を使うかもしれないが、それは最後で良いと思っていた。

 しかしそれを使うときが案外早く訪れるかもしれないと思わせられたのが、今回の件で静初に好きな人がいると判明したためである。

 

「その人は……み、身近にいます」

 

 静初は今にも消えそうなか細い声で答えた。落ち着き始めていた鼓動がまたもや激しく鳴り始める。ここまでくればもう隠し通すことはできないと判断したらしい。

 

「ということは、やはり従者の中の誰かか……」

「いえ、その……で、ですから」

 

 静初は顔を赤らめながらも言葉を紡ごうとする。「さぁ言え」とファンファーレを鳴らす天使と「言っちゃうの。失敗するかも」と囁く悪魔。しかし、彼女にもう止まることなどできそうにない。

 

 好きです。大好きです。愛しています。もうずっと前から――。

 

 そんな気持ちが先走ってばかりで肝心の言葉が出て来ない。そして今の静初に征士郎の顔を見る勇気はない。目が合えばとても正気を保っていられる自信がなかったからだ。

 戦闘の方が余程楽だ。静初はこんなときにふとそんなことを思った。そこから一歩前へ出るイメージで勝負を決めにかかる。あとは勢いのみ。出たとこ勝負である。

 

「そ、それは――」

「おーい! 征士郎! いるんだろ?」

 

 緊張していた空気をぶち壊す遠慮のないノックと叫び声。その声の主は項羽であるらしい。「おーい」を連呼しながらノックノックノック――とにかくやめない。気あるいは気配で中にいるのはわかっているのだ。

 静初はまるで逃げだすかのように立ち上がり扉の方へと向かおうとするが、それを止めたのは征士郎であった。彼女の左腕を掴み、強引に自分のほうへと向ける。

 静初の潤んだ瞳と紅潮した顔。2人の視線が絡み合った。静初は征士郎の瞳が好きだった。いつも真っ直ぐで力強く輝いているから。その彼の瞳の中に自分がくっきりと映っている。

 主の制止をふりほどくこともできず、静初は体を固まらせる。しかし顔を反らせない、いや反らせたくないのかもしれない。「早く開けろ」と騒ぐ項羽を無視して、征士郎が小さく囁いた。

 

「もしかして……俺、なのか?」

 

 かあっとさらに頬を赤くさせる静初は明確に答えを語っているようなものだった。そして、問いかけた征士郎にしても幾分勇気のいる答えだった。これで外れていれば恥ずかしいことこの上ないのだ。しかし、今回はその心配もなさそうだ。

 征士郎のゆるんだ手から逃れた静初はすぐに背を向け扉を開ける。

 

「征士郎様は中におられます」

 

 静初はそれだけ項羽に伝え部屋を出ていった。征士郎もそれを止めることはできず呆然としている。

 事情を知らない項羽はずかずかと歩み寄って来る。

 

「なんか李の様子がおかしかったが何かあったのか?」

「……いや、なんでもない」

 

 征士郎はソファへ腰掛け背もたれに全体重をかける。やがてひじ掛けにもたれかかり片手で顔を覆った。

 

「お前もどうしたんだ? おい」

「疲れが溜まっていただけだ。それでどうした?」

 

 征士郎は項羽に問いかけながらも、先ほどのことで頭が一杯であった。

 

(静初は俺のことが……)

 

 項羽の話は少しも頭に入って来ない。ただ先に見せた静初の顔だけがやけに鮮明に思い浮かんでいた。

 

 




項羽がなんかクリスポジへとシフトしているぞ。おかしいな。


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32話『長い夜』

 

 征士郎は項羽を視界に入れながらも、考えていることといえば先ほどの静初との事であった。専属の気持ち一つ察することができなかったことを不甲斐なく思う一方、別の感情が湧きあがってくるのを感じてもいる。それは喜びであった。

 自分ではない誰か――他人から好意を向けられて喜ばない人間はいないだろう。それも美しい女性とあらばなおさらである。

 ツヤめく黒髪に透き通った白い肌。まるで水晶を思わせる冷たさと美しさを孕んだ瞳。その佇まいは凛としており、そこから醸し出されるは清らかな雰囲気。そして時折見せるようになった微笑みは見る者を虜にするほどである。征士郎にとっても静初は自慢のメイドであり、その美しさを褒められることも珍しくない。

 また他の人間には見せない一面――小さな事にムキになったり、自然とギャグを挟み様子を盗み見たり、恥ずかしさから顔を赤く染めたりと可愛さを覗かせることも多い。

 

(俺はそんな静初のことをどう思っているのか)

 

 大和との噂に心を乱された自分。その彼に対してなんら含むところがなかったことに安堵した自分。そして今素直に喜んでいる自分。

 突然のことに対処できなかったことも少し時間がたつと冷静になり、色々と見えなかったものが見えてくる。加えてクラウディオや英雄の言葉が思い出された。

 

『気が付いたらしてしまっているのではないでしょうか?』

『この我ですらコントロールがきかんのです。他の男と楽しそうに話をしている姿を見たくない。我の隣で微笑んでいてほしいと思わずにいられない……あの方と共に歩めたならと考えてしまいます』

 

 征士郎はそこで一つの答えへと辿りつく。

 

(つまり……俺は、恋をしていた?)

 

 未だ確信を得たわけではない。疑問符がつくのも体験したことがないからである。

 静初のことは専属だから誰よりも大事にしてきた。征士郎はずっとそう思っていた。しかしそれは違ったのかもしれない。いつからかは分からないが、ただの専属というだけでなく一人の異性としても彼女を見ていたのだ。心を許せる相手故、彼女がより近づきたいと思い始めたのと同様に征士郎もまた彼女を手に入れたいと無意識に考えていた。だから大和との話がでてきたとき、どうにもならない感情が征士郎の中に生まれたのではないか。

 

(俺は静初を他の男に渡したくなかったのか)

 

 単純なことだった。今まで征士郎と静初の関係を脅かす人間がおらず、それ故征士郎は自然と彼女を独占できていた。つまり手に入れていたと勘違いして満足している状態にあったのである。そして時が経つにつれ、そうあることがさも当然であるかのように思いこんでいた。しかしそれは所詮仮初であり、彼らの関係はただの主従であると今回の件で思い知らされたのだ。

 この主従という関係は薄い膜のように存在し、彼らを必要以上に離れさせもしなければその逆にある一定以上彼らを近づけることもなかった。しかしそれは外部からの影響で皹が入り、最終的には粉々に砕け散った。最早彼らを遮っていたものは何も存在しない。

 

(これが恋なのかはわからない。が、静初を他の誰かに渡すことは到底許容できん)

 

 一時は自分を納得させようと試みたが、今となってはどう転んでも受け入れることはできない。それこそ静初から拒絶されない限り、この思いにけじめをつけることもできないだろう。

 はっきりさせなければならない。征士郎は自分がどうしたいのかようやく分かった。

 

「清楚、悪いが俺は行く所ができた。話はまた明日聞く」

 

 征士郎はそう告げて席を立つ。それに対して項羽は何か言いたげであったが、以前のように騒ぐことはなく「わかった」と一言述べわざとらしくため息をついた。

 

「何か決心がついたんだな。全く……覇王である俺の話を上の空で聞くなど無礼にもほどがあるぞ。お詫びに明日は茶菓子くらい用意しとけ」

 

 征士郎はその意外な態度に驚き、項羽はそんな彼にドヤ顔をしながら少し胸を張った。

 

「俺は自分のことばかりで人を見ていなかった。それが今回の模擬戦でよく分かった。故に許そう。どうやら俺が訪れたときは間が悪かったようだしな」

「お前……本当にあの項羽か?」

 

 征士郎が疑いたくなる気持ちも分かる。それほどに項羽はあの一戦より多くを学んだということなのだろう。

 

「ふふん。俺とて日々成長しているのだ。征士郎を追い抜く日も近いぞ」

「楽しみにしていよう」

 

 征士郎はそう言って項羽の頭を撫でた。その姿は夢を語る子供を見守る親のようであ

る。

 

「その余裕を見せていられるのも今の内だからな! ……というかッ、覇王の頭を気安く撫でるな! 俺は覇王なんだぞ! 偉いんだぞ!」

「うむうむ、そうだな」

「くそっ! 何を言い返しても今のコイツには通じる気がせん……」

 

 項羽は埒が明かないと見て自分から征士郎と距離をとった。そしてそのまま部屋をあとにしようとする。その背中に向かって征士郎が声をかけた。

 

「清楚、先ほど言っていた静初の話だが広めるようなことはするな。静初は直江とできてなどいない」

「なんだ、ちゃんと話を聞いていたのか? しかし小十郎が大声で話していたぞ?」

「小十郎までもか……とにかくそれは間違いだ。静初に聞いてみてもいいが――」

 

 征士郎はそこまで口にしたが、もし静初本人に問いかけ彼女がその話の発信源が小十郎だと知ったらまずいと思った。同じ従者同士、共に過ごした年月も長い分互いに遠慮も少ないだろう。つまり静初もあまりブレーキをかけない可能性が高いのだ。

 

「いや静初に聞くより直江に聞いてみろ。きっと面白い反応を返してくれるはずだ」

 

 もう既にその耳に入っているかもしれないが、入っているならいるで火消しにも人一倍頑張ってくれているはずである。

 征士郎は項羽に続いて部屋を出ると、静初がいそうな場所を予想して歩き出した。

 

 

 ◇

 

 

 その頃、大和はシェイラよりある話を聞いて危うく卒倒するところであった。

 曰く、李静初は直江大和に気がある。

 曰く、いつも朝を起こしてもらうほどの仲である。

 曰く、密かに交際を始めている。

 このほかにも小さなものから到底信じられないような大きなものまで尾ひれ背びれのついた噂が出回っていた。その中には事実も含まれているため性質が悪い。

 まずははしゃぐシェイラの誤解を解く事に専念し、そのあとはすぐに噂を消すため行動を開始する。

 

「おい、大和。これも李と話していた策の一つなのか!?」

 

 廊下を早足で歩いていた大和の背後からあずみの声が飛んでくる。バーで飲んで以来、大和はあずみや静初の恋を応援することにしており、数度の飲み会を「従者の恋を応援する会」と称して開催していた。会員は大和、あずみ、静初、ステイシーの4名である。

 

「あずみさん、良い所に! やっぱり噂聞いたんですか!?」

「その様子だと寝耳に水だったようだな。ああ、アタイの耳にもいくつか入って来ている」

 

 静初に近しい人間だっただけに噂が入って来るまでタイムロスが生じていたらしい。

 さらにその話題の中心が若手筆頭である静初と新人の大和というのも良くなかった。特に大和などは紋白からの抜擢によって九鬼へ招かれた人間として、タイムリーで話題にのぼっていたのである。その話題が冷めやらぬ内にこの噂であり、従者間で爆発的に広まったのも頷けるというもの。もしこれが一介の従者同士であればここまでの広がり方を見せなかったはずである。

 そこへ勢いよく乱入してきた従者が一人。ステイシーは大和の脇腹へ笑顔で膝を入れた。

 

「ヘイ! 大和―! なんでお前が李と恋仲になってるなんて噂が出回ってんだ?」

 

 ステイシーも噂を聞いた一人であり、間違いだと皆に伝えている途中に大和を見つけたのだった。出会いがしらに彼の脇腹に一発入れたのも厄介事を起こした罰らしい。もっとも彼も好きで起こしたわけではないのだが、ステイシーには関係なかった。

 

「そ、それは……俺が聞きたいくらいです」

 

 大和は涙目になりながら答えた。そこへさらなる登場人物が現れる。

 

「あれー? 今話題の直江君じゃないか!」

「久信さん……」

 

 久信は相変わらず平和そうな笑顔を浮かべながら3人の下へと歩み寄って来た。そして近づくや否や興味津津といった態度を隠そうともせず、大和へとすり寄った。

 

「そろそろ本当のところ聞きたいんだけど……その、どうなの? 李さんとはもうやっちゃったり?」

 

 メイドとはいえ他の女性がいる前で、久信は躊躇うことなくそう口にした。一応大和の耳元で囁いてはいるが、あずみやステイシーにとってこの距離での内緒話など筒抜けである。ステイシーなどは良く見ると青筋がうっすらと浮いていた。

 大和は目敏くそれを発見し、久信を彼女らから遠ざけ事情を説明する。久信も最初はニヤニヤしていたのだが、話が進むにつれ真顔になり遂には顔面蒼白となった。ここでようやく全てが勘違いであったことに気付いたようだった。

 話していた大和もさすがに久信の態度がおかしすぎたため問い詰める。

 

「もう驚くことはないですから……久信さんも何を言ったのかあるいは聞いたのか全て話してくれませんか?」

 

 大和は事態の収拾に向けて全力で取り組むことを決意していた。万が一、これが静初の思い人である征士郎の耳にまで入っていたら事である。その前に食い止めるしかない。

 

「そうかい? いやー……僕、てっきり直江君が李さんと付き合ってると思って征士郎様に自信満々に伝えちゃったんだよね」

 

 目論見はほんの1秒で崩れ去った。てへへと笑顔で誤魔化そうとする久信を前にして、大和は一瞬目の前が真っ暗となり両手両膝を床につけ、あずみとステイシーはその久信の首を持って締め上げる。メイド2人から締め上げられる作業服の男、傍から見るとギョッとする光景であった。

 あずみがすぐ横にいるステイシーへと話しかける。

 

「とりあえずステイシーは李の所へこのことを伝えに行け。征士郎様のお耳に入っているなら李も何らかの行動をとるより他はねえ」

「了解。ああ、くっそ……おら、大和さっさと立て! 起こっちまったことはしょうがねえ。今はこのファックな事態を納めるだけだ」

 

 ステイシーは大和を励ましその場から姿を消した。その後を追って彼も走りだす。

 場に残ったのはあずみと白目を剥いた久信だけ。あずみは冷たい視線を久信へ向け、今までに見せたことがないほど盛大なため息をついた。

 

 

 □

 

 

 知られてしまった――。

 

 静初は慌てて部屋の扉を閉めるとすぐに鍵をかけた。そのまま扉に背を預けずるずると腰を下ろす。どうしようという単語が頭の中でグルグルと円を描き、それは1秒ごとに増加していった。

 未だ顔の火照りはやんでいない。心臓も落ち着いていない。頭の中も整理ができていない。今の静初はないない尽くしであった。

 

「あ、征士郎様に断りもなく出てきてしまいました……」

 

 それでもこんなことをすぐに考える辺りがいかにも静初らしい。

 作業後のお茶も出していない。あずみ汁の準備もしていない。おやすみの挨拶も交わしていない。

 さらに項羽が訪ねてきたのにお茶の一つも用意していない。もしかしたら征士郎にその準備をさせてしまっているかもしれない。茶菓子はキッチンの上の戸棚にいくつか入っている物があるから大丈夫なはず。冷蔵庫にもいくつか冷菓が入っている。

 

「って、征士郎様に用意させること自体駄目じゃないですか!」

 

 自分にツッコミを入れてさらに凹む。

 しかし今更どんな顔をして征士郎に会いに行けばよいのかわからない。ああもうと一人唸る静初の姿がそこにはあった。

 目に見えない速度で準備だけして去る。そんなことを本気で考える始末であった。

 

「申し訳ありません、征士郎様。私は駄目なメイドです……」

 

 静初は体育座りのまま顔を足に埋める。それから石のように固まっていたが、何を思ったか再度部屋から出ていってしまった。

 その後間を置かずしてステイシーが部屋を訪れたが、静初が不在と知るや否やすぐにその場をあとにした。

 

 

 ◇

 

 

 静初が向かった先は征士郎の部屋であった。近づくにつれまた心臓の高鳴りを抑えられずにいたが、彼がいないことを知ってほっとすると同時にこれからの指針を失ってしまっていた。

 とりあえず部屋へ入ってあずみ汁の準備だけ行っておくことにした。誰もいないことは分かっているが、一応「失礼致します」と断りを入れてから入室する。これは何年も続けてきた行為であり、この部屋に一人でいることも慣れている――はずだったが、今は妙に落ち着かない気分であった。

 入ってすぐ横の壁に目がいく。そこで征士郎に手首を掴まれ問いかけられたのがつい先ほどのこと。

 少し強く握られた程度で決して痛みなどはないはずなのに、そこがじんわりと熱を持っているように感じられた。

 

「あのまま……清楚が来なければ」

 

 自分はどう答えていたのだろう。いや言葉にすることができたのだろうか。征士郎様はどんな言葉をかけてくれたのだろう。喜んでくれたのだろうか。それともただ驚くだけだっただろうか。もしくは拒絶されただろうか。

 

「それでも期待せずにいられない私は馬鹿ですね……」

 

 本当はぎゅっと抱きしめて欲しかった。彼の温もりを全身で受け止めたかった。そんな思いを捨てられずにいる。答えを知りたいけど知りたくない。会いたいけど会いたくない。矛盾するこの気持ちをどう処理してよいのか分からなかった。

 静初はキッチンで手早くあずみ汁を作り終えるとそれを冷蔵庫へと冷やしておく。そこで一つの冷菓に目がいく。それは今日一緒に食べようと冷やしておいた物があった。

 

「一緒に食べられないことは残念ですが」

 

 静初はデスクの上のメモ帳に短く言伝を残しておいた。それからベッドシーツにヨレがないか、夜着の準備が整っているかなどを確認して部屋をあとにする。

 

「それにしても……どこへ行かれたんでしょう」

 

 顔を合わすことがなくほっとしていたはずが、いざその姿が見えないと不安になる。

 

「全く、我ながらどうしようもありません」

 

 好きだから仕方ない。静初は自分の中でそう開き直っていた。そして、征士郎様を少し探してみようかと思い立つ。結果を聞くのは怖いが、このままでは夜一睡もできぬまま過ごしてしまいそうでもあったからだ。

 

「こっちでしょうか」

 

 静初もまた征士郎の寄りそうな場所を推測して歩き出した。

 

 

 □

 

 

 征士郎は結局静初を見つけることなく自室へと戻っていた。

 

「こういうとき父さんなら一発で母さんを探し当てたりするんだが……」

 

 自身の気持ちを知り、その相手を即座に見つけ告白する。そんなプランを立てていたのだが、現実は勘に頼るまま歩き回って時間を浪費しただけであった。珍しくカッコのつかない事態へと陥っている。

 そこで先ほど静初が残していった書置きを見つけた。

 

(ということはついさっきまでここにいたのか)

 

 征士郎はその書置き通りあずみ汁や冷菓の存在を確認すると再度部屋を出た。

 

「顔ぐらい見せればいいものを……」

 

 そうすれば気持ちを伝えることもできるのだ。そのとき静初はどんな顔をするだろうか。そう考えると逸る気持ちを抑えらない。とにかく一刻も早く会いたかった。

 

(なるほど……確かに離れている時間がもどかしく感じるな)

 

 その気持ちに気付いたのはちょっと前であるのに、それだけのことで征士郎の中の色々が変わっていた。それは確かに厄介な物に違いなかった。以前ならどんと構えて待っていることもできたはずなのに、今はそれができずにいる。愚かになったのだろうか。しかしそれを楽しんでいる自分もいた。

 もうすっかり世界が変わっていた。征士郎にとってこの何気ない時間でさえ新鮮に感じるのだ。

 

「見た事もない景色を見せるはずが逆に見せられてしまうとは……」

 

 征士郎はこみ上げ来る笑みを抑える事ができなかった。彼は来た道とは逆方向へと歩を進める。その足取りは力強くまた楽しげであった。

 

 

 ◇

 

 

 ある意味似た者同士というべきか、主従は互いに相手を求めて彷徨う。

 

「うーん、本当にどこにおられるのでしょう?」

 

 静初はエントランスで首を傾げる。

 

「ここでもないか……」

 

 征士郎は鍛錬場の扉を閉めた。

 

「征士郎様―?」

 

 静初は積み上げられていた段ボールの一つを開けた。そこには細々とした部品が入っている。

 

「ふむ……こういうときは本部が広すぎて困るな」

 

 征士郎は吹き抜けになっている場所で一息ついた。

 

「もうそろそろお部屋に戻られているでしょうか」

 

 静初は屋上から空を見上げた。

 

「探せば探すほど見つからんな。簡単に見つかると思っていたが甘く見過ぎた」

 

 征士郎はようやく自力では無理だと悟って呼び出しをかけた。静初ならば1分とかからずやって来るだろう。その間、征士郎は備え付けのソファへと腰を下ろした。後ろはガラス張りとなっており、街明かりが煌めいている風景を一望できる。

 

(いやしかし、今から告白しようという相手を1分以内に来るよう呼び出すというのも変な感じだな)

 

 そしてまもなく30秒をきるというところで静初は姿を現した。夏の夜はまだ続く。

 

 




李さんが本気になれば征士郎も簡単に探し出せたけど、今回はそんな切羽詰まった状況でもなかったのですれ違いが起こりました。

あと決して引き延ばしたわけじゃない!! 書きたいシーンを書いていたらこうなっただけだから。これも李さんが可愛すぎるからいけないんや。
そして項羽がますますクリ吉化しているような……まぁいい、愛でよう。


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33話『恋人はご主人様』

 

 

 静初は征士郎の姿を確認して胸を撫で下ろすと同時に、この場に2人きりであるという現状を理解し固まった。周りには人気がなく、横をみればガラス張りの窓から輝く夜景が目に飛び込んでくる。心なしか雰囲気もいつもと違う気がするのは彼女の気のせいだろうか。

 

「探したぞ静初」

 

 征士郎はそう言ってソファから立ち上がった。

しかし静初にはその言葉の意味が正しく把握できなかった。なぜなら彼が静初を探し回っていたことを知らないからだ。

 

「もしかして、私を探すために部屋を出られていたのですか?」

「ああ。先ほどの答えを伝えておこうと思ってな」

 

 静初はその言葉に体をさらに固くした。いざそのときが来るとどうしても緊張せずにはいられない。「もしかしたら」という淡い期待と「いややっぱり」という否定がせめぎ合う。

 征士郎は柔らかく微笑み静初を手招いた。

 

「もっと近くに来い」

 

 その言葉に静初の体がぴくりと反応し、先ほどまで固まっていた体がスムーズに前へと動き出す。彼の命令には素直に反応する体。自分の言う事を聞かないのにと静初は苦笑せざる得ない。一歩二歩と進んでいき征士郎の前に立った。

 そのとき一瞬視線が交錯するも静初は恥ずかしさからそらしてしまう。

 

「もっとだ」

 

 静初はさらに一歩前へ進み、手を伸ばせば征士郎に触れられる距離まで近づいた。

 征士郎は満足げに頷き、合わせて彼の右手が静初の左手を優しく握った。彼はそのまま静初の手を引き寄せていく。静初はその引かれるがままの手を見送るばかりで反応をとることができない。そして腕が完全に伸びきってもまだ彼の引き寄せる力は止まない。

 とうとう静初の体まで征士郎の方へと傾いて行く。さすがにぶつかると思ったのか静初は半歩前に出た右足に力を込めたが、彼がそれに構うことはなかった。

 

「あ、あの征――」

 

 静初は慌てて呼びかけようとするが、それよりも早く征士郎の体とぶつかる。いや正確に言うならば、ぶつかったのではなく彼によって抱きとめられたというべきだろう。

 静初の顔はぽふりと征士郎の胸元に埋まり、彼女のつながれていない右手は申し訳程度に彼の胸へと添えられている。

一方、征士郎はつないだ手はそのままに空いている左腕は静初の背中へと回されていた。

 抱きしめられている。その事実を認識した瞬間、静初は息を吸うのも忘れてしまう。彼女の心はまずこれまでにない驚きを感じ、次に嬉しくなり、最後にどうしたらという困惑へと至った。

 征士郎の胸に添えていた右手がとくんとくんと鼓動を感じ取っていることに気づき、このまま置いておいていいのか、それとも同じように背中へと回したほうがよいのか迷ってしまう。しかしそれも些細な問題、なぜならその手はおろか指先一本に至るまで動かせそうになかったからだった。

 

「嫌なら……突き放してくれて良い」

 

 耳元から聞こえてくる征士郎の囁き声。これまで共に生活をしてきた中でこれほど密着して声を掛けられた事はなかった。そして、何といってもその声色に違いがあった。それは全校生徒を前にして凛々しく放っていた声とも、各々の生徒や従者に語りかける声とも、からかい混じりの楽しげな声とも違う。今までに聞いたことすらない甘く蕩けてしまいそうな声だった。

 主はこんな声を出す事もできたのかと思う一方、もう他の誰にもこれを聞かせなくないと思わずにはいられなかった。なぜなら、それを独占したいという気持ちと誰彼構わずやられて主に落とされてはたまらないという危機感を抱いたからだ。

 

 男は目で恋をし、女は耳で恋におちる――。

 

 世間にも広く知られている名言だが、確かにそうかもしれないと静初は納得した。ただでさえ主の声には人を惹きつける力があるのだ。それをこんな耳元でただ一人のために想いを込めて囁かれてはどうしようもない。もっとも静初の場合、既に恋に落ちているためさらなる深みへと落ちていくといったところだろう。

 これを振りほどくことができる人間などこの世に存在するだろうか。本気でそう思えるほどだった。

 さらにショート寸前まで追い込まれていた静初の脳は、これを切っ掛けにポンと音を立てて壊れた。征士郎に抱きしめられているため、顔を見られる事がないのは不幸中の幸いである。その顔は真っ赤に染め上げられていた。

 

「あの、え……えっと、そ、その……」

 

 静初は何か喋ろうとしているようだが、出てくるのはぶつ切りにされた言葉ばかり。 九鬼従者随一の才媛とまで呼ばれた彼女も今はその面影を一片も残してはいない。

 それを遮って征士郎がゆっくりと話しだす。

 

「一生俺の傍にいろ……体育祭のとき俺がそう言ったのを覚えているか?」

 

 忘れるはずがないと静初は心の中で思いながら強く頷いた。征士郎との思い出はその全てを記憶していると言っても過言ではなかった。それにドキリとさせられた言葉だけに忘れようにも忘れることができない。

 

「今一度言おう。これは専属としてという意味だけではない。一人の女性として――」

 

 征士郎は静初から体を離し、両手を彼女の両肩へと持っていく。必然、2人は向き合う形となり視線が重なり合った。ここまで聞けば、いくら鈍感な人間であろうとこの後に続く言葉に気づくことができるだろう。

 静初もそれを予想して胸が苦しくなった。湧き上がる歓喜を抑える事などできようはずがない。

 

「李静初、一生俺の傍にいろ。俺がお前を幸せにする」

「それはつまり……」

「その先を言うな。お前が先に気持ちを示してくれたのだ。だからせめて言葉にするのは俺に先を譲ってくれないか? 男としても面目を保ちたい」

 

 静初はぽうっと熱に浮かされたような顔であったが黙っていた。征士郎もそれを了承ととり言葉を続ける。

 

 お前が好きだ――。

 

 静初は確かにその言葉を聞いた。しかし心のどこかでは「これは夢ではないか」と思ってもいた。いつかこうなれば良いと思い続けていた自分が見せる夢あるいは幻想。でなければ夜景の見渡せる絶好のロケーションで、ずっと慕い続けていた主から一番欲しかった言葉を贈られるなどあるはずがない。

 キラキラと輝いて見える征士郎を中心とした光景が瞳には映っている。

 頬を抓ってみようかとも思ったが、夢の中とは言えさすがに面と向かっているこの状態で行うのは恥ずかしいため手の甲をこっそりと抓る。痛みがある。

 

「夢じゃ、ないです……」

「そうだ、これは夢ではない」

 

 独り言を拾われた静初はあっという顔をしたが既に遅く、征士郎は苦笑でそう答えた。

 胸の苦しみは翡翠色の瞳を潤わせていきやがて眦へと溜まっていく。

 

「私などで良いのですか?」

「お前が良いのだ」

 

 征士郎はそう言って穏やかな笑みを浮かべ、静初の瞳から零れそうになった涙を指で優しく拭う。

 

「暗殺者だったんです……」

「知っている。その業、俺も背負おう」

「望んでも、よいのでしょうか……」

 

 征士郎は再度静初を抱き寄せた。静初の手は依然としてどこへやろうか迷いがあり、それは今の彼女の気持ちを表しているかのようだった。

 征士郎はそれに何となく気づいたらしい。

 

「何を迷っている。お前は……どうしたいのだ? 過去や自分の置かれている状況などそういうものを全てとっぱらった李静初はどうなりたいのだ?」

 

 征士郎の胸の中で一粒の水滴が静かに頬をつたう。光の糸を曳くそれははっとするほど美しい。

 

「征士郎様と共に歩きたいです。これからもずっと……お傍に在りたい。好きです、征士郎様のことが。もう他に何もいらないと思えるほどに」

「その言葉が聞きたかった」

 

 静初は素直な気持ちを伝えたことで、片隅にあった不安についても吐露していた。

 

「私は……怖いのです。私の過去が征士郎様にいつ襲いかかるかと考えると」

 

 静初は初めて征士郎の背へと腕を回しぎゅっと力を込めた。彼の温かさが安らぎを与えてくれるような、勇気を与えてくれるような気がしたからだった。

 静初の名は裏の世界で有名になりすぎた。「龍」は生きている。彼女が引き継いだ暗殺集団は九鬼襲撃失敗とともに解散となったが、その団員たちは今も闇で生きている者もいるだろう。その彼らが何らかの接触を図って来ないとは言い切れないのだ。自分に向かってくるのならまだいいが、それが征士郎へと向かうことに静初は耐えられそうになかった。

 

「過去に縛られ続けるな。危険が潜んでいるなど九鬼にとっては既に日常だ。お前の過去に関係なく襲いかかって来る敵はいる。そして降りかかる火の粉は払うのみ。今更その火の粉が少し増えるくらいどうということはない。心配いらん」

「はい……」

 

 静初はそう答えると同時にクスリと笑みをこぼした。そして征士郎の胸に頬を寄せる。直に響いてくる鼓動は力強く安心感を与えてくれる。

 征士郎はそれに応えるかのように静初を優しく包み込んだ。

 

「征士郎様らしいです」

 

 いつだって威風堂々としておりその態度を崩すことがない。それは周りへと伝播して、こちらまで大丈夫だと自信が持ててしまう。

 

「そういうお前こそな。結局は俺の身を案じている」

「当然です。私は征士郎様の専属で――」

 

 静初はそこで一旦間をとり、

 

「……こ、恋人……ですので……」

 

 今にも消え入りそうな声でそう呟いた。静初は全ての気持ちを告白したことで少し大胆になっているようだ。しかし言ったあとでその台詞に恥ずかしさがこみ上げ、その顔を見られまいとしていたが赤くなった耳を隠す事までは意識がいっていなかった。

 

「うむ。改めてよろしく頼むぞ」

「はい」

 

 静初はようやく平静を取り戻してきたようで、征士郎へと顔を向ける。

 

「というか、征士郎様は全然態度がお変わりになりませんね」

 

 その言い方にはなぜ自分ばかりアタフタしているのかといった不平が混じっていた。

 征士郎は涙の跡に気づいてハンカチで消してやる。

 

「静初がコロコロと表情を変えるのでな。俺はそれを見るのに忙しかったのだ。お前は本当に変わったな」

「少し……皮肉に聞こえます」

「ははっ可愛くなったと言っているのだ」

 

 その何気ない一言がまたもや静初の心を揺さぶり、それが顔へと表れる。

 もう嫌だ。静初は自分の振り回され具合に呆れてしまう。感情が表へと出るようになったはいいが、今でこれではこれから先が思いやられるというもの。自分の方がいくらか年上でもあるのにという思いもある。同時にへこたれてはいけないと決意を新たにしていたりもした。

 

 

 ◇

 

 

 2人が仲を深めていた頃、同じ階には捜索を続けていたステイシーと大和の姿があった。しかし彼らはその現場を覗いてもいなければ聞いてもいない。

 その階に辿りついたステイシーは征士郎と静初の気配をすぐに感じ取り、これ以上近づいては駄目だと大和を制止したのだった。そこで何が起こっているかは分からないが邪魔をしていい雰囲気ではないだろうという推測からである。

 それに大和も納得する。しかし内心気が気ではない。

 

「ステイシーさん……短い間でしたけど、ありがとうございました」

「なんでそこまで悲観的になってんだよ。元気だせって! 噂の中には李のせいのものもあるんだし、お前が悪いってわけじゃねえだろ? 相談にのってやってたってのも事実なんだし」

「でもあの噂のせいで、李さんが会長に振られでもしたら……」

「会長じゃなくて征士郎様な。他の奴らに聞かれたら学園気分が抜けてねえって言われかねないぞ。ま、今は客人待遇だから平気だと思うけどよ」

 

 ステイシーは腕組みをすると壁に背を預ける。そしてちょうどこの階を訪れた関係者に今は通行禁止だと伝えた。

 

「すいません……」

「んな落ち込むなって。松永のおっさんはまぁどうなるかわからんけど、お前のことはちゃんと私の方からも説明してやるからよ」

「ステイシーさん……姉御とお呼びしても?」

「全っ然嬉しくねえからやめろ。というか案外余裕あるじゃねえか」

 

 意地悪な笑みを浮かべるステイシーは大和をいじりながら時間を潰していた。

 

 

 □

 

 

 場面はまた征士郎と静初のところへと戻る。彼らは既にステイシーらの元に向かって歩き出していた。というのも静初が2人の気配をここにきてようやく察知したからである。

 それを聞いた征士郎はとりあえず2人のもとへ向かうことを決定し、そのあと自室へ戻るから共に来いと伝えた。しかし、静初は何を勘違いしたのか急に慌てだす。

 

「せ、征士郎様っ! それはまだ早いのでは!?」

「ん? 早いとは何がだ?」

 

 静初は征士郎の隣を歩きながら早口でまくしたてる。

 

「その、私達は確かに恋人同士となりましたがその初日からというのは私も心の準備ができていないと言いますか女には色々と準備が必要と言いますかもちろん嫌というわけではないんですむしろ嬉しいくらいで……ってちょっと待って下さい。私何を」

 

 征士郎はテンパる静初とその言動で何を想像したのかわかったようだ。

 

「ああ、もちろんお前を頂くが今日のところは風呂の供をしろ」

 

 その一言も静初をさらなる混乱に陥らせるには十分であった。

 

「え、あ……お風呂…………ですか?」

「うむ」

「お背中を流すということですよね?」

「そうだ」

「か、かしこまりました」

「おい、大丈夫か? 声が裏返ってるぞ」

「じぇ、全然平気です」

「噛んだな?」

「噛んでません。ええ、噛むわけありません」

 

 和やかに会話を交わす2人のもとへ大和が走ってきた。どうやら征士郎らの姿が見えるや否や全速力を出したらしい。その後ろからステイシーがやれやれといった態度でゆっくり追ってきた。

 

「李さん、ごめんなさい!!」

 

 大和は2人の前へ立つなり、体を直角に折り曲げそう叫んだ。頭を下げる大和を前にして彼らは顔を見合わせる。そして事情を察した静初が口を開いた。

 

「大和、頭を上げてください。噂のことでしたら貴方のせいではありません。それにもう解決しましたから」

 

 大和は体を折り曲げたまま顔だけ上にあげた。なんとも間抜けな格好であるが、今の彼にそれを気にしている余裕はないらしい。その表情は真剣そのものであった。

 その後ろで弁解しようとしていたステイシーだが静初の顔を見て何か気付いたようで、普段のようにニシシと笑うと黙って次の言葉を待つ。

 静初は一度征士郎をチラリと見た。言ってもいいですよね。その視線にはそんな意味合いが含まれていた。彼が頷くのを確認し一つ咳払い。ここにステイシー、相棒がいるのも運が良いと思いながら伝える。一番に知らせたい相手でもあったからだった。

 

「征士郎様とお付き合いすることになりました」

 

 静初は気に掛けてくれた2人に向かってペコリと頭を下げた。

 それを聞いた大和はへっと気の抜けた表情をつくり、ステイシーは相棒の幸せにニヤニヤするのみ。征士郎は静初の言葉を裏付けるかのように笑顔を見せ、彼女の頭にぽんと手をのせた。

 大和はしばらくその光景をぼーっと見ていたが、全てを理解した瞬間安堵からしゃがみこんで「よかった」を連呼する。

 

 

 その夜、征士郎と静初の交際は瞬く間に九鬼全体へと伝わり多くの者に衝撃を与えることとなる。

 

 




原作で大和は迎える形をとったが、征士郎様は引っ張りこむスタイル!!
こうすれば逃げられないでしょ。ということでヒロインは李静初です。皆さん既にお分かりだったでしょうが一応。

なんか李さんが暴走気味のような気もするんですが大丈夫かな? 清楚なイメージ壊れてない? 
そして次回「紋様のブラコン発動! 李さんの身や如何に!?」多分。
あ、お風呂シーンはR指定と戦いながら上手く書ければいれます。


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34話『気になる2人』

従者らの昔については勝手に妄想してます。マープルとヒュームは元恋人だったということでよろしくお願いします。


 

 共用スペースの一つである談話室に3人の従者の姿があった。木の丸テーブルを囲む彼らの前には紅茶の注がれたカップが置いてあり、湯気の立つ様を見るに淹れたてであることがわかる。

 その内の一人であるマープルはカップを手に取りまず香りを楽しんだ。波紋をつくる水面は天井のレトロな照明の光を柔らかく反射している。それからゆっくりとカップへと口をつけた。

 紅茶は淹れる者によって味が変わる繊細なものだが、さすがクラウディオと言うべきかその旨さを余すことなく引き出している。

 昔は紅茶の味でも負けなかったが、今のクラウディオに勝てるとしたら知識くらいかね。マープルはそれを懐かしく思った。何をやらせても軽々とこなし、いつからか完璧執事などと呼ばれるようになったクラウディオだが、若き頃は自分も負けず劣らずの力を見せていたのだ。穏やかな性格は相変わらずで、恋人だったヒュームの愚痴も色々と聞いてもらったものだった。

 横目にその元恋人を見れば「中々だな」と辛口コメントをしているが、お前は自分とクラウディオから紅茶の淹れ方を学んだ口だろうと言いたい。

 ロンドンでの生活から行き着いた先は日本。場所は変わっても、こうして3人一緒でいるのも腐れ縁というものだろうか。熱く鮮烈な日々は今も瞳を閉じれば容易に思い出すことができる。それは燃えるような恋をしていたのも関係しているだろう。

 征士郎と静初の交際。既にマープルら3人のもとにもその情報は届いていた。

 ヒュームが口を開く。

 

「しかし、李と征士郎様が交際とはな……」

「不思議ではないでしょう。李は以前からずっと征士郎様のことを慕っていたのですから。まさかこんな早く事が進むとは思いませんでしたが」

 

 そう言うクラウディオの表情は喜びが隠しきれないようで目じりのシワも一段と深い。

 弟子であり娘のような感覚でもあるのだろう。マープルは2人の関係をそう見ていた。3人とも既に結婚という年齢ではない。それでもクラウディオには静初がいるように、ヒュームにはステイシー、そして自分には桐山鯉という弟子がいる。感覚的に大変不本意であるが息子あるいは孫がいればこんな感じなのかもしれないと思ったこともあるのだ。マザコンの変態であるという部分を除けば可愛いものである。

 それに静初と接する機会が増えた中で彼女のことをより知ったが、純粋で向上心が強く礼儀を弁えているため好感を持ちやすい。クラウディオがより思い入れが強くなるのも頷けるというもの。

 そしてその相棒と称しているステイシーはじゃじゃ馬ではあるが、あれはあれで可愛げがある。手のかかる子ほどというやつで、ヒュームがしごくのも気に入っているが故であろう。

 そのヒュームがクラウディオへと視線を向けた。

 

「お前は知っていたのか、李が征士郎様を好きだったと?」

「もちろんです。李は私の弟子ですよ? それに征士郎様を見ていてもいつかこういう時が来るのではと思っていました」

 

 それを受けてマープルが問いかける。

 

「なんだい? それじゃあれかい? 征士郎様も李のことを好きだったって言いたいのかい?」

「ええ。まぁマープルが気づかないのも当然です。征士郎様もご自分でお気づきなっていなかったでしょうが、李が傍にいるときといないときでは少し違うのですよ」

 

 クラウディオのメガネがキラリと光る。

 観察眼も超一級。執事になるために生まれてきた男。マープルの脳裏にそんな考えが浮かぶ。それに反してため息をつきたくなるのがヒュームの言葉。

 

「李が忠誠を誓っているのは承知しているが、恋心を抱いていたとはな」

 

 この元恋人は色々と突き抜けた超人であるが、色恋沙汰だけはそこらの凡人にも劣るのではないかというのがマープルの偽りなき本心である。鈍感なところがあり、そのことが原因で激しく衝突したことも数えきれない。その度にクラウディオが間にたってヨリを戻すというのがパターン化していた。

 2人の間で起こる口喧嘩では、さすがに世界最強と謂われたヒュームであってもマープルには敵わなかった。若い頃のヒュームは今よりも断然凶暴さが全面に出ており、そこらの人間では言葉を交わす前にその雰囲気に呑まれてしまうのだが、マープルはそれに怯えたことは一度としてなく真正面からぶつかる女性であった。そしてヒュームもなんの理由もなく暴力を振るう人間ではなかったため、お互いがぶつかるときは口が物を言うのだが、その土俵ではマープルのほうが一枚も二枚も上だったのだ。

 マープルが冷たく言い放ちヒュームが言葉に詰まる。そんな光景を今の従者達が見ればどう思うだろう。そう考えると意地悪な笑みを隠せないマープルであった。

 

「いや李のことはあたしも分かっていたが、まさか征士郎様がねえ……」

 

 その事実を知って、なぜクラウディオが征士郎の見合いについてあまり話題に出さなかったのかも納得がいった。完璧執事は征士郎本人も気づいていない気持ちを感じ取っていたのだから。

 かゆいところまで手の届く細やかな気遣いのできる男。そのため彼に想いを寄せる女も数多く、それこそモデルや女優といった世界のトップを走るような者もその中にはいた。しかし彼の「ふくよかな女性が好き」という性癖がそれらの煌めく女達をことごとくシャットアウトしてきたのだ。逆にその好みに合致した女性がいたこともあったが、こちらはクラウディオの容姿にコンプレックスを抱くようで彼の恋は一筋縄ではいかなかった。

 

「アンタもつくづく恐ろしい男だ」

「マープルに褒めて頂けるとは長生きはするものですね」

「別に褒めてはいないよ」

 

 そこへヒュームが口を挟む。

 

「おい、マープルも李のことを知っていたのか?」

「当たり前だろ。アンタと一緒にしないでおくれ」

「まぁまぁ、ヒュームも紅茶のおかわりはいかがです?」

 

 ヒュームは出鼻をくじかれたのか憮然とした表情で「もらおう」と短く言った。

 

「でもつい最近、紋様の専属……直江とか言ったね? それとできてるって噂を耳に挟んでいたけど、あれは何だったんだい?」

「人から人へ話が伝わるとともに変わっていったのではないでしょうか?」

「あのボーイも入って早々大変だねえ。李の仮初の相手にされたと思ったら、競い相手は征士郎様ときたもんだ」

「どうやら先ほどもその事で走りまわっていたようですよ」

 

 そんな事まで把握しているのか驚くところであるが、マープルなどは既に慣れている。

 

「で、アンタがそれをフォローしてやったのかい?」

「大した事はしていませんよ」

 

 クラウディオはいつもと変わらぬ笑みを浮かべた。彼が動いたということはその出鱈目な噂も明日には根も葉もないものだと知れ渡り、やがて完全に消え去るだろう。

 

「物好きだねえ」

 

 マープルはそう言いながらもクラウディオが動いた理由も察しがついていた。そこに静初も関わっていたからだろう。噂はどこで変化するかわからないため、早めに処理できるに越したことはないのだ。

 

「直江大和は巻き込まれただけですからね。それにこういうことの処理は慣れていますので」

 

 誰の事でとは明言しなかったが、マープルはこれ以上は藪蛇だと判断した。ヒュームも心なしか気まずげに紅茶を飲んでいる。

 噂は噂と割り切っていても、それが愛する人の事でさらに浮気に関する事とあれば見過ごすわけにもいかない。マープルの同期であったジェームズはクラウディオの取り成しがなければ地獄を見せられていたかもしれない。金髪の不良も見た目に反して理性の人であったが、恋では自制が利きにくかったと見える。

 

「ま、ともかくこれで九鬼の次世代にも目途がついたってもんだ。あとは早いとこ婚約あるいは結婚してもらって子を成してもらえれば言うことないね」

 

 長女の揚羽に未だ恋人がおらず結婚の予定もないため、征士郎らの交際は喜ぶべきものであった。今まで長女長男とも見合いもせず恋愛もせず、行うことといえば武術あるいは経営でそれはそれで良いことではあるが、老従者達は何かと気を揉んでいたのも確かである。

 

「マープルも気が早いですね。恋人同士になったばかりだというのに……」

「しかしクラウディオ、マープルの言っていることも一理あるぞ。婚約者あるいは妻という立場になれば李にも専属を与えることができ、より身の安全を図れるというもの。今の状態でもある程度はカバーできるが万全を期しておくほうが良い」

 

 征士郎の身分は九鬼の次期当主。その恋人とあらば狙われる可能性は一気に高くなる。静初自身高い戦闘能力をもっているとは言え、従者達からすればリスクは最小限にしておきたいのだ。

 

「その気持ちは分かりますが、こればかりは征士郎様と李が決めることでしょう。それまでは私達が見守ってあげればよいのでは? 幸い、若手の者達も多くこちらに滞在しているのです。それで十分カバーが可能でしょう」

 

 ヒュームは顎髭を一撫でする。

 

「ふむ。ならばステイシーの下に付ける者を少し増やすか……」

「それなら桐山のところからも持っていくといい。最近清楚も落ち着いてきたと報告にもあるし、街の浄化の成果も上々。多少の余裕ができているからね」

 

 マープルは序列を落とされたとはいえ集まる情報は以前とあまり変わりなく、それは桐山の献身のおかげでもあった。この場で即座に決断を下すことはできないが、それは代わりにヒュームやクラウディオがやればいいだけのこと。

 マープルは背もたれに背を預ける。

 

「征士郎様が恋人を持たれる、か……。英雄様が恋をしていると知ったときも思ったが、時間がたつのは早いねえ」

 

 揚羽の後ろを付いて回る小さな男の子だったのが、今では見上げるほど大きくなり恋を知る年齢となった。幼い頃から見てきた者としては感慨深いものがある。

 帝と共に世界を駆け巡り、荒々しく世を渡ってきたことが遠い昔に思えた。

 そしてどうやらヒュームも似たようなことを考えていたらしい。

 

「赤子であった征士郎様を抱かせてもらったときがついこの前のように思えるな」

 

 局の出産時、彼らは帝とともに揃って病院に出向いていた。そのとき生まれたばかりの征士郎をその腕に抱かせてもらったことがあった。

 クラウディオも少し遠い目をしながら当時を思い返す。

 

「最初の男の子ということもあって皆の喜びようも一入でしたね。揚羽様がそれを見て拗ねられて……」

「そんなこともあったねえ。その後に英雄様がお生まれになられて……」

「紋様のことが発覚したときは驚いたものです――」

 

 3人の老従者たちはしばらく思い出話に花を咲かせる。

 過去にもロンドンの老舗カフェにて、彼らは共にこうして会話を交わしていた。若かりし頃のヒュームは髭もなく絶世の美男といった容貌でありながら、人を寄せ付けないオーラを纏っていた。クラウディオも負けず劣らずの眉目秀麗、その頃からメガネをかけていたが鋭い目つきと相まって氷のような冷たさを印象付けることもしばしばあった。その2人の間にいたマープルは十人中十人が振り返る麗人であり、ミスロンドンにも選ばれるほどであった。

 時は流れても、昔と変わらない3人の姿がそこにはあった。

 

 

 ◇

 

 

 一方、別の場所でも征士郎らの交際は伝わっていた。

 

「なんだとッ!? 兄上と李が!?」

 

 紋白は大和からその報告を受け、勢いよくソファから飛びあがった。その勢いが強すぎたのか、前に置かれたテーブルの角で脛をぶつけてしまう。

 

「――――ッ」

 

 紋白は突如襲いかかる激痛に顔を真っ赤にして固まった。それを見た大和も慌てて彼女に駆け寄るが、それ以上どうすることもなくオロオロするばかり。

 

「へ、平気だ。しかし一体どういう経緯でそうなったのだ?」

 

 目をウルウルさせる紋白はぶつけた脛をさすりながら大和に先を促した。しかしそれに対する確かな回答を彼自身持ち合わせていなかったため言葉に詰まる。

 紋白もそんな大和の態度を察したようで、むむっと眉にシワを作ると沈黙した。と思ったらすぐに顔を上げ、

 

「分からないならば直接聞くまで!」

 

 そう言って部屋を飛び出した。後ろから大和の声が飛んでくるがそれはひとまず後である。

 

(うーむ。まさか李の奴が兄上の恋人になるとは……我が直々に評価してやろうと思っていたが)

 

 器量良し。性格良し。顔も良し。おまけに専属として兄の傍に仕え、もしかせずとも自分以上に兄のことを知りつくしている。バレンタインのときもその情報を元にチョコレートを作ったのも記憶に新しい。

 そこで紋白はある事に気付いた。

 

(そうだ、バレンタイン! あのとき李はやたら気合の入ったチョコを毎年作っていたではないか!)

 

 その出来栄えに紋白も感嘆し絶賛したのだ。これをもらえる兄上は幸せ者だと。

 専属として、また紋白の手前でもあったため下手なものを渡すわけにはいかないから、あそこまでの熱の入れようだと思っていた。

 

(あの出来栄えになるのも当たり前だ。何せ自分の想い人へと渡す品なのだから)

 

 もし自分がその立場ならと考えると同じようにしただろう。そこにありったけの気持ちを込めて。

 

「李も嬉しかっただろうな。兄上の笑顔と賞賛の言葉をもらえて」

 

 紋白はそれに加えて頭を撫でてもらったのを覚えている。誕生日のときも同様、静初は紋白がプレゼントに悩むであろうと考え、事前にこっそりと情報収集をしてくれたこともあった。

 早足だった紋白は一旦その足をとめた。そして妹アイによる観察から得た膨大なデータを妹分析器にかけ、今までのところを総合的に評価する。その結果、

 

「文句のつけ所がないッ!?」

 

 妹目線からの辛口チェックを容易にクリアしていた。というかほぼ満点である。それは兄だけでなくその周囲に対するきめ細かい対応なども含めてだった。

 また、どこからどう考えても静初が征士郎をしっかりと支える姿以外思い浮かべることができない。改めて思い直すと李静初という女性は恋人としても、また妻としても死角というものが存在しない。唯一ギャグが寒いという点があるとはいえ、これは死角と呼べるほどのものではないだろう。

 自分が男であったらと仮定しても、静初を恋人に選んでしまいそうな気がする。主をたてるその姿はまさに日本人男性が憧れる大和撫子そのものである。

 そして考えれば考えるほど兄にふさわしい女性なのではと思えてくるのであった。

 そうこうしている内に征士郎の部屋の前に着いていた。

 

 

 □

 

 

「なるほど。我が鍛錬に励んでいる間にそんなことが……」

 

 紋白は征士郎の口より一通りの経緯を聞きだし頷いた。紋白が訪れた際、彼らはソファに座ってゼリーを食べているところだったので、話を聞くついでにご相伴に預かっていた。

 居ても立ってもいられず飛び出した紋白であったが、ノックしてしまってから急に押しかけては迷惑だったかもと一抹の不安を抱いていたため、くつろいでいる征士郎を見たときはほっとしていた。

 その紋白が座っている場所は征士郎の隣。これは彼女が進んでそこに座ったわけではなく、征士郎が手招いたからであった。恋云々には疎いようだが、妹の機微にはそれなりに敏感らしい。

 静初も征士郎の隣。そしてテーブルを挟んだ向かい側には大和の姿もある。紋白を追いかけてきたからだった。傍から見れば3対1という人の配置的にバランスが悪いと思えるが、今はこれがベストなのだと彼も分かっていた。

 大和はゼリーにぱくつきながらチラリと静初を盗み見る。経緯を赤裸々に告白された彼女はうっすらと朱がさしており、紋白からの質問にも「はい」「いいえ」と言ったような短い回答を行うのみ。

 クールな上司の意外な一面は可愛らしいとしか言えない。そして次に思ったのは自分の姉貴分とはえらく違うということであった。見習ったほうが良いのではと思うが、こんなことを口走ろうものなら何をされるか分かったものではない。

 

(それにしても紋様の容赦ない質問が李さんを追い詰めていく)

 

 我が主はコイバナに夢中になっているようで、キラキラとした瞳で静初に質問攻めを行っている。廊下を歩いているときは何やら難しい顔をしてブツブツと呟いていたが、それもどうやら解消されたらしい。

 

(さすがと言うか、紋様を一瞥しただけで「俺はこれからもお前の兄に変わりない故、いつでも甘えに来い」だもんなぁ)

 

 紋白は静初を認めてはいたが、寂しさまで消すことはできなかったのだろう。その一言が彼女を安心させたことは間違いない。今も無意識かどうかわからないが征士郎にべったりである。

 ちなみに、その台詞を共に聞いていた静初は征士郎の優しさに微笑みながらも、ちょっぴり嫉妬してしまっていた。これは彼女だけの秘密である。

 紋白は征士郎の腿に手をつきながら身を乗り出し、その分静初は背を反らせた。その間にいる征士郎も当事者であるのだが、余程図太い神経をしているのか恥ずかしがる仕草が一切ない。今もゼリーを口へと運んでいる。

 

(妹と彼女から好かれて……ってなんかこんなエロゲをヨンパチが話してた気がするなぁ)

 

 その内容は妹と彼女が対立しており主人公はその板挟み。そして妹は義理の妹だと発覚したことでなんとか保たれていた一線は崩壊し、淫慾の日々へと堕ちていくというものだった気がする。

大和も男である以上、目の前に広がる光景を羨ましいと思わずにはいられなかった。

 そこへ新たなる客人が訪れる。

 

「も……申し訳ありませんでしたあぁぁぁ!」

 

 その客人、久信は静初が扉を開けるなり見事なジャンピング土下座を披露してみせた。猫のようにしなやかな身のこなしは一介の技術者とは思えないほどだ。

 ごっと鈍い音を立てる久信はどうやら着地に失敗し、頭を激しく床にぶつけたらしい。

 しかし久信も余程切羽詰まっているのだろう。その痛みを気にすることなく土下座を続ける。

 征士郎がすぐさま声をかけた。

 

「久信、面をあげよ。大和、久信を起こせ」

 

 はいと良い返事をした大和は久信の肩を掴むと強引に体を起こさせた。

余談だが、ここを訪れた際に征士郎が大和を直江と呼ぶことが紋白には気になったらしい。それ故呼び方が改められていた。

 名字で呼ばれることと名前で呼ばれること。気にしない人間も中にはいるだろうが、大和は人脈形成に力を入れる人間だけあって他人との距離間が気になるタイプであった。

 どちらも大和を指しているが、ずっと名字呼びだったのが気がかりでもあったため紋白の一言には感謝していた。まさか「できれば名前で呼んでほしい」と男に、しかも目上の人に向かって言うわけにもいかなかったからだ。可愛い女の子から言われるならまだしも、男が男になど気味悪がられるのがオチである。

 話は戻って、立ち上がらせた久信は大和の隣の椅子へと導かれ腰を下ろした。

 

「今回の一件について、俺はお前を責めるつもりはない」

「でも……」

「確かにお前の勘違いによってイザコザが起きたが、別の面から見ればお前は俺と静初をくっつける切っ掛けとなったと言えるだろう。もちろんこれは結果が良いほうに出たからこそ言えることだ」

 

 もしこれが静初の恋の終わりを告げていたら、彼女は久信を許しただろうか。そこに葛藤はあっただろうがきっと許しただろう。いつかはこうなると分かっていた。それが早まっただけだと自分に言い聞かせて。彼女はそういう女性なのだ。それから持ち直すことに時間はかかろうとも主従の関係を続けたはずだ。

 だがこれは仮定の話であり、征士郎は自信満々の笑みを浮かべる。

 

「しかし俺は何度生まれ変わってどのような状況であってもこの結果を選び取る。だから気にするな」

 

 さらりとなんでもないように放たれた言葉。それは誰が聞いてもノロケにしか聞こえない。

 ぽかんとする3人とは反対に1人かあっと顔を赤くする静初の姿がそこにはあった。どんな状況であろうとお前を迎えにいくと宣言されたのだから当然の反応であろう。

 責められることがないとわかって安堵した久信だが、その一言と仲睦まじい様子の2人が地味に大きなダメージを与えていたことを征士郎は知らない。

 




長くなったので区切ります。お風呂回希望してた方申し訳ない。
それと活動報告のほうで皆さまのお力を借りたいことがあるので一度目を通していただけると幸いです。お風呂回に関係あることなのでぜひよろしくお願いします。

今回老従者達の過去書いたけど、ヒュームとかクラウディオも若い頃滅茶苦茶男前だったんだろうな。ヒュームは黄金の獣殿の如く(ゲームの内容は詳しく知らないけどあくまでイメージ)。クラウディオは誰だろう?でもこの3人がいる光景は絶対絵になったと思う。
あとブラコンを発揮した紋白が認めざるを得ない李さんの嫁力に驚いた。
最後に征士郎様と李さんが結ばれたことを喜んでくださった従者達(読者の皆さま)が多くてびっくりと嬉しさでいっぱいでした。宴じゃー!!


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35話『初めてを貴方に』

 

 

 静初は落ち着けと念を込めるようにして右手を心臓の上に置く。その鼓動はまるで体が震えているのかと思えるほどの激しさだった。

 場所は浴室につながる脱衣所。右を見ればその浴室に入るための扉があり、曇りガラスには浴室からのボヤけた光を見ることができた。既に明かりがついていることからも分かるようにそこには先客がいる。言わずもがな征士郎である。

 

「こ、こういうときは人という字を……」

 

 静初は掌に人という字を3回書いて飲み込んだ。しかし所詮はどこで仕入れたか分からない言い伝え。劇的な効果どころか微々たるものすら発揮することなく、依然として鼓動は早鐘を打っている。

 大和が紋白と入浴していると聞いたとき羨ましいと思っていたが、いざ自分がその立場に立つと嬉しい気持ちより緊張の度合いが大きく、まだ風呂へ入る前ですらこんなにも苦労していた。

 しかし先に入っている征士郎をあまり待たせることもできず、ここで手間取っている時間もない。とりあえず簡単に脱げるものからとっていくことにして、頭に付けているブリムをはずしフリルのエプロンの結び目を解く。

 

(は、恥ずかしすぎます……)

 

 大和は紋白の前で裸体を晒すことに躊躇はなかったのだろうか。それともやはり男女では意識に違いがあるのだろうか。もしくは裸を見せる事に喜びを覚え――。

 自らの羞恥を掻き消そうと色々なことに考えをめぐらす。その中には若干大和に対する失礼なものも含まれていたが、それもこれも九鬼入り初日の着替えの時わざわざ全裸になったことが原因であった。

 もちろん静初はすぐに瞳を閉じ有無を言わせぬ物言いで大和に服を着るよう命じたが、随伴していたステイシーは彼の体を興味深く観察していた。

 

(もし大和に露出癖があるなら、先輩としても矯正してあげなければ……)

 

 あとからステイシーに聞いたところ、大和の体の一部は自己主張をしていたとのこと。そういう類の人間が多馬大橋にも出現しており、彼の将来が不安になる。

 そんなどうでもいい事を考えている内に下着姿にまで辿りついたが、最後の装甲をはずすことに手こずる。これをはずせば生まれたままの、ありままの自分を見せることになる。ゆっくりとブラのホックへと手が伸び、それが一度止まりまた伸びる。早くしなければと思いながらもそれは遅々として進まない。

 

(覚悟を決めるのです、李静初)

 

 ふうっと大きく息を吐く。どれだけ時間を先に延ばそうと意味はないのだ。それどころか主を待たせる時間が延びるのは非常にまずい。

 背中に伸びた両手は最後の距離を詰めるとホックを外すことに成功する。

 いつか触ってほしいと思っていた肌もケアを怠ったことはないため、滑らかさの中に果実のような瑞々しさを保っており、黒の下着はそのきめ細やかさを表すかのようにその上をスルスルと滑り落ちていった。

 静初の裸体が鏡越しに映っている。それは溶けてしまいそうな白い肌であった。触れてしまえば消えてしまうのではと心配になるが、触れてみたいという思いを抱かずにいられない。あわよくば自らの色に染め上げてやりたいと思わせるような無垢な白さ。

 その肢体からは傷跡なども見当たらず、激しい戦闘、訓練を潜りぬけてきたとは思えない。

 掌から少しはみ出るかどうかといった乳房は均等美を保ち、その頂きは肌の白さを混ぜ合わせた桜色に色づきツンと優しく尖りながら上向いていた。

 引き締まった腹は肉食獣を思わせるしなやかさを保ち、それでいて女性らしさを失っていない。そしてくびれた腰から足にかけて美しい流線を描き、最後はきゅっとした足首にて締めくくられている。

 彼女は気づいているだろうか。ただ立っているだけ、それだけで男の情欲をそそる色香を醸しているということに。

 しかしそれも一枚のバスタオルによって隠されてしまう。いやむしろその姿によって恥じらいがプラスされたと言うべきか。隠されているからこそ感じられる美というものもある。

 

(そう言えばタオルを巻けば大丈夫でした)

 

 たった一枚の布切れが今はとても頼もしく思えた。タオルは短くかろうじて全てを隠してくれてはいるものの、油断すればチラリと覗きかねない危うさもある。

静初は鏡を視界に入れると半ば反射的に前髪を弄る。これから風呂に入るというのに弄っても仕方がないのだが、そこはどんな場所であろうと美しく見てもらいたいという女心の表れであった。

 その一本一本が絹ような光沢を放っている黒髪は、静初の手が動く度にサラサラと揺れる。さらに鏡を見ている内に細かいところも気になってきたようで、眉や睫毛にも軽く触れる。最後に人よりも少し薄い唇を撫でた。

 そこまでしてようやく決戦の場へ赴く意思が固まったようだった。

 

「失礼致します」

 

 中から征士郎の声が聞こえ、静初は扉へと手をかけた。

 

 

 ◇

 

 

 扉を開けると中からムワリとした湯気が静初の方へと漂ってきた。

 じゃばじゃばと絶え間なく聞こえる水音は川神の土地から湧き出る温泉をわざわざ引っ張って来ているもので、これは『日本と言えば温泉。家にいるときぐらい好きなときに浸かりてえ』と帝の好みがそのまま反映されている。征士郎たちはその恩恵に与っているのであった。

 征士郎は既にその湯船の中におり、両腕を縁にのせ顔だけ静初の方へと向ける。

 

「お前も浸かるといい」

 

 いつもと髪型が違う。静初はそう思いながら返事した。征士郎はたっぷりと水気を含んだ前髪が鬱陶しかったのか、髪をかき上げオールバックのようにしている。そうしていると額にあるバツ印がよく目立ち、髪型と相まって男らしさが倍増していた。そんな普段見られない主の姿に小さな喜びを覚える。これも恋人にならなければ見ることが叶わなかったかもしれないからだ。

 静初は征士郎へと一歩近づくごとに緊張が高まっているように感じた。どんどん主の背中が大きくなっていく。

 縁近くにしゃがみこんだ静初は断りをいれて桶に湯をすくう。その際も片足を引いてゆっくりと膝をつき、その足に揃えるようにしてもう片方の足を引き両膝を合わせた。背筋も曲がる事のない凛とした姿勢を保ったままである。その座る仕草一つとっても美しく、それを眺めていた征士郎もほうと感嘆の声をもらす。

 しかし、静初はまた勘違いを発動したらしく、

 

「あ、あの征士郎様……やはりバスタオルを巻いたままではいけませんか?」

 

 湯船にタオルをつけるのは御法度。これはよく温泉などで見かけるものであるが、主もそれが気になっていると思ったらしい。

 しかし征士郎が少し首を傾げたことで静初もすぐに違ったと気付いた。

 

「いや、確かに公共の場では気を付けた方が良いかもしれんがここは個人の場。気にすることはない」

 

 静初はその言葉を聞いて安堵した。もちろん外せと言われれば外したのだが、そのときの恥ずかしさに耐えられるかどうか自分でも分からなかったのだ。このあとに征士郎の体を洗うことも考えると余計な所で気を遣っていてはいけない。主が無事気持ちよく風呂を上がるところまで見届けてからでないと倒れることは許されないのだ。

 

(いえ倒れたら倒れたで征士郎様にご迷惑がかかるのですから、自室に戻るまで力尽きてはいけません)

 

 使命を無事果たすまでは。そんな強い思いを新たにしていた。

 その静初は征士郎の右隣にそろそろと腰を下ろしていく。征士郎ら家族の風呂は当然従者達より広めの造りとなっており、何より温泉をそのまま引いているので気持ち良さがより一層大きい。2人で浸かっていても十分な広さがあり、足を伸ばしても反対側の壁につくことがない。また滝を連想させるが如く木霊する水音もリラックスに一役買っている。

 

「父さんは色々と俺達を振りまわすが、この温泉に関しては感謝せねばならん」

 

 征士郎はそう言ってカラカラと笑う。

 

「確かにいつまでも浸かっていたくなりますね」

「だろう? ついでに言うとここは大理石で造られているが、父さんの使うところは檜でできている。しかしほとんどここにいないため、そこを使うのは専ら母さんだ。もっともだからこそ有難みが身に沁みると父さんは言っていたけどな」

 

 それも多分負け惜しみである。その代わり、帝は世界中の珍しい温泉を制覇していたりする。それでも檜風呂はまた格別らしい。

 

「檜風呂ですか……そんなにいい物なのですか?」

「俺はそこまでこだわりはないがいい物だとは思う。祖母などはもう檜風呂でないと入らんというほどに入れ込んでいるしな。機会があれば今度入ってみるか?」

「よろしいのですか?」

「俺と一緒なら入れんこともない……というか、もう少し近くに来たらどうだ?」

 

 2人の間には微妙な距離が空いていた。それを指摘された静初は口ごもる。

 

「その、これ以上……近づくと、征士郎様の…………が見えてしまいます、から」

 

 水音に掻き消された部分もあったが、静初が何を言いたいのかは把握することができた。

 

「別に見られて減るものではないし、隠すほど恥ずかしいものでもないと思っている。近くに来い」

 

 どこまでも堂々とした姿である。そして来いと言われれば断ることもできず、静初は頬を上気させつつ出来る限りそちらへ目を向けないようにして傍へ寄った。

 しかしその努力もむなしく、肩が触れ合うほど近くに隣合うと視界の下にチラチラと映るのである。それが大きいのか小さいのか判断基準を静初は持っていなかったが、目測でも両手では収まらないのは確かであった。そしていつの間にかそちらを凝視してしまっていたらしい。

 征士郎に名を呼ばれ、自分が行っていたことに気が付いた。

 

「も、申し訳ありません!」

 

 静初は湯のせいで赤くなった顔をさらに紅潮させた。はしたないことをしてしまったと思ったのだ。

 

「いや別に構わん。俺もお前の体に興味がないと言えば嘘になるからな」

 

 征士郎は苦笑し静初の肩を引き寄せた。

 突然のことに身を固くした静初であったが、ゆるりと撫でられる肩から腕にかけてゾクリと快感が走り抜けたことですぐほぐれた。

 

「本当に滑らかなだな。雪のように白く……白磁のように繊細だ。できることならずっと触っていたいほどに」

 

 丁寧に、まるで舌の上で食材を味わうかのように、征士郎は静初の肌を優しく撫でる。そのまま二の腕を通り過ぎ、前腕を持ち上げながら滑らせていく。

 このまま溶けて湯気になるのでは。静初はその手を見つめたままとろりと熱い感情に身を任せていた。

 肩から回されていた腕は撫でられていくうちに静初の脇に差し込まれ、彼女は自然と征士郎の胸元へと頭を預ける格好をとる。

 

「手を……」

 

 征士郎がそう呟くより早く、静初は彼の手に自分の手を重ね合わせていた。征士郎のくすりといった笑いが静初の耳をくすぐる。

 征士郎は静初の手、さらには一本一本の指に至るまで丹念に感触を確かめていった。その逆に静初もまた彼の手を通して男と女の違いを知る。

 

「征士郎様の手はゴツゴツしています」

 

 血流が良くなっているため、骨ばった手の甲の上を静脈がぐりぐりとしている。

 

「それに……大きいです」

 

 征士郎の存在を表すかのような大きな手。そこには包み込まれる安心感がある。

 

「爪は細くて長い。手入れされていないですよね?」

「ああ。そういうお前も綺麗な指先だ」

 

 互いの戯れが終わると2人の指は再度絡み合い、最後に隙間なくギュッと固く繋がれた。繋がれた手は湯の中へと沈んでいくが離されることはない。

 どちらともなくそのまま口を閉じ、浴室には水の賑やかな音だけが反響する。互いにその心を確かめ合い晴れて恋人となり、他の邪魔が入らない風呂にて密な触れ合いをする。このような状況となって雰囲気が変わらないはずもなく、外の世界はとっくの昔に切り離され2人だけの世界へとなっていた。もし、そこに立ちこめる空気を色で見る事ができたなら淡いピンク色であっただろう。

 これは癖になってしまいそう。静初は征士郎と肌を合わせている部分、湯とは違う柔らかな温度を強く意識していた。まさかこんな風に密着し肌を重ね合わせることができるとは夢にも思わなかったのだ。主の指先すらも愛おしい。

 

「静初……」

 

 繋いでいた手を離した征士郎は名を呼び、再び静初の肩に手をやって彼女をこちらに振り向かせた。離された手を名残惜しむ余裕すら与えない。

 顔を合わせ、征士郎の左手が静初の顎を撫でた。それに従い彼女の顔が少し上を向く。

 距離が詰まってくるところで静初も何が行われようとしているか思い当たった。

 

「ま、待って下さい、征士郎様!」

 

 静初は浴室一杯に響き渡る音量で叫ぶと征士郎の口に片手をあてた。さらに矢継ぎ早に言葉を続ける。

 

「すいませんッ! 今ここでやってしまうと私はのぼせてしまいそうで……そうなるとお役目を果たすことなく無様な姿を晒してしまいます。ですので、これはあがってからに預けてもらえないでしょうか!?」

 

 征士郎にしてみればそういう姿を見せてくれても一向に構わなかったが、それでは静初の気が収まらない。従者としての自分と恋人としての自分。前者は上下関係にあるが後者は対等。今のような状況ではその境が曖昧であり、彼女としては先に与えられた役目をしっかりと果たしたいと考えてしまうようだ。

 真面目な従者であるが、そう言う所も征士郎は気に入っている。顎に当てていた手をそのままに静初の濡れた唇を親指で慈しむように撫でた。

 

「わかった」

 

 静初自身も残念で仕方がないと思っていた。あのまま感情が赴くままに唇を重ねたいという情意もあったからだ。気分を害していないだろうか。すぐにそんな不安が一気に膨れ上がって来る。

 しかしその心配も無用であった。

 

「ならばそのときを楽しみにしておく。お前の好きなタイミングでしてくれるか?」

 

 征士郎はそう口にしてにやりと笑った。

 一方で静初はその言葉を飲み込むのに多少時間を要した。

 

「それはつまり……私から行うということでしょうか?」

「うむ。理解が早くて助かる。楽しみにしているぞ」

「え……ええぇっ!!」

「年上として俺をリードしたくもあるだろう?」

「これはリードしているとは言わない気が……」

 

 征士郎は静初の文句を受け付けるつもりがないようで、さっさと湯船から出てしまう。

 

「さ、背を流してくれないか? あとの楽しみもできたことだしな」

 

 普段あまり聞かない情けない声で主の名を呼ぶ静初であったが、どうやらこの決定が覆ることはないようだった。

 

 

 ◇

 

 

 タイムリミットが一刻一刻と迫っていた。風呂をあがり軽い談笑をしたのち、マッサージを軽く行っている最中である。

 そしてマッサージでも最後の仕上げとして肩中心に揉みほぐす行程に入った。

静初は征士郎を前に座らせ彼の肩に手をやる。

 

(じ、静初です。もうすぐ征士郎様がおやすみになる時間なのですが、タイミングがイマイチ掴めていません)

 

 いくら役目があったとはいえ、こんなことならやはりあのとき流れのままにしておけばよかった。今更ながら後悔の念が大きくなる。

 しかし救いは征士郎よりいつでもして良いと言われていること。つまり決定権は自分にあるのだ。ということは無理に今日やろうとしなくともいいのではないか。そんな弱腰な思いが頭をもたげる。

 静初は軽く頭を振ってその思考を外へと追い出した。ここで逃げてはこれから先も逃げてしまう可能性がある。逃げて逃げて逃げて、その先には幸せな2人の姿があるだろうか。

 

(いえ、あるはずがありません)

 

 徐々に冷たい態度を取り始める主。最初は微々たるものだったが、それが露骨なものへと変わり始め遂にはその肌に触れることすら許されなくなる。固まる自分を横目に新しく入ったばかりのメイドがクスリと笑いながら主へとしな垂れかかる。

 恋人であるはずの自分を前にして、主はその行為を見咎めもしない。恋は冷めてしまった。そのときになって自分はようやくそのことに気づくのだ。

 静初はそこまで妄想して決意を固めた。

 

「せ、征士郎様!」

 

 その声に征士郎が首をひねる。それに合わせて、女は度胸とばかりに静初は身を乗り出した。

 その瞬間、征士郎の瞳に飛び込んできたのはツヤめく黒髪だった。

 1秒にも満たない口づけ。離れた途端に忘れてしまいそうなほど儚い感触。されどそれは脳の奥底、一番深いところに焼きつけられるほど熱かった。

 やってやったと満足気な静初だが、女から迫るということに対する恥じらいの色が顔に溢れていた。

 

「もう少ししてみないと分からんな」

 

 征士郎はそう言うと静初を引き寄せてその唇を奪い、2人は短いキスを幾度となく繰り返した。

 その後就寝時間がきたため2人は別れの言葉を交わしたのだが、その別れ際に静初が少し背伸びをして征士郎の唇を奪い返してみせた。

 

「おやすみなさいませ、征士郎様。良い夢を」

 

 静初は特に何かを意図して行ったわけではなく、ただそうしたかったからしただけ。しかし、征士郎の心はそんな何気ない行動一つでぐらりと揺さぶられていた。

 主従の恋は最初から飛ばし気味であったが、それこそ彼らにお似合いにも思える。

 静初は下手したら飛んで行ってしまうのでと思うほど軽い足取りで自室へと向かっていた。そんな彼女の頭には明日の学園でどんなことが待ち受けているのか一ミリたりとも想像できていない。その頭の全てを埋め尽くすのは最愛の主であり、他のことに気を回す余裕がなかった。

 

 

 □

 

 

 一方、場所は変わって紋白の部屋。専属である大和も部屋を去ったあとであるため、彼女は一人であった。

 しかし紋白は携帯を片手に楽しげな声で誰かと話しこんでいた。

 

「聞いて驚くな。なんと……我が兄上に恋人ができたのだ! 相手は誰だと思う?」

『――ッ!』

 

 電話越しの相手も大層驚いているようだった。

 ガールズトークに花が咲く。いつの時代もコイバナほど盛り上がるものもないらしい。

 

 

 ◇

 

 

 静初はベッドの横に飾ってある一枚の写真を見て微笑んだ。

 サイドテーブルに飾られていたのは、フォーク持って笑っている征士郎の写真であった。どうやら彼のバースデーを祝っているときのもののようだ。後ろには人の身長より遥かに高いケーキが映っている。

 灯りを消して瞳を閉じる。今日は今まで生きてきた中で最高の心地で眠れそうだった。

 そして明日を過ごしたのち思うことになる。嵐の前の静けさとはああいうものをいうのだと。

 

 




むずい。李さんの美しさを言葉にしきれない。でもできる限り頑張ったつもり。まさかお風呂回でほぼ一話丸々できると思わなかった。
というか征士郎様が手慣れ過ぎているような……これでもまだヨンパチと同じクラス(すなわちDT)だから。
次回はなんか久々の学園をお送りします。


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36話『恋人の実感』

 

 静初は身支度を整え、征士郎を起こすため彼の自室へと向かう。エレベーターに乗り、指紋認証を行ったのち専用の階へのボタンを押した。

 静初がエレベーターから降りると窓からの朝日が彼女の顔を照らす。夏の朝日は顔を出すのが早く、そのまぶしさに目が慣れると窓からの景色が見渡せた。

 目につくのは青々とした葉をつけた木々。それらはまるで生命力の豊かさを誇示するかのように生い茂っていた。そしてそこには夏を代表する虫、蝉が多く集まっているようでその鳴き声が合唱となって聞こえている。

 朝日をうけてより一層のきらめきを見せるその光景に、静初はしばし足をとめた。いつも見ているはずのそれが一段とキレイに思えたのだ。

 しかし、それもほんの束の間。廊下の奥にある曲がり角からやってくる2つの気配に気づいたからだった。それは英雄とあずみであった。英雄はジャージを身に着けており、これからランニングを兼ねて学園へ向かうようである。

 静初は2人のもとへ足を進め、英雄の前で頭を下げた。

 

「おはようございます、英雄様」

「うむ! 良い朝であるな! 天も兄上と李の慶事を祝っておるのだろう」

 

 英雄は一度窓の外へと目を向けた。空は抜けるように明るい。それから視線を戻し言葉を続ける。

 

「話はすでに聞いている。兄上とは恋人同士になったとな」

「あ……はい」

 

 静初は英雄の口から征士郎との関係を聞いて改めて実感が湧いてきていた。嬉しさが胸に広がり同時にあることが頭をよぎる。

 将来、英雄様が私の弟となるかもしれない。それが連想ゲームのように疑問へとつながる。もしそうなれば呼び捨てにするのだろうか。しかし、これまで仕える立場であったため、呼び捨てにするというのはハードルが高い。かといってあまり距離をつくるのもよろしくない。

 私は一体どうしたらいいのでしょうか。静初は一人困惑し始めた。まだ先の話であるのに、もしこれをステイシーにでも知られれば事あるごとにいじられかねないだろう。

 そんな静初を見て、英雄は勘違いしたらしい。

 

「2人のことは既に九鬼全体に広がっているからな。今日からは少々大変かもしれんぞ? なにせあの色恋沙汰に一切興味のなかった兄上を落としたのだからな! 我もあずみから聞かされたときは何かの間違いかと思ったぐらいだ! それにしても喜ばしいことよ!」

 

 一切興味がなかったという部分が強調されていたが、英雄からしてみればそれだけ不思議であったのかもしれない。とはいうものの、彼が恋心を知ったのが特別早かったわけでもない。

 それでも英雄の喜びようはまるで自分のことのようである。

 

「あ、ありがとうございます」

「兄上を公私ともに支えるのは大変だろうがよろしく頼む! もっとも李にはこんな言葉をかける必要もないかもしれんがな! フハハハッ!」

 

 征士郎を支える静初の献身は誰もが認めるところであった。

 英雄の温かい視線に気づき、静初は頬が少し熱くなるのを感じた。しかし、それよりも気になるのが彼の後ろで控えるあずみである。その表情は主人に見えていないことをいいことにニヤニヤとしたままで、それはまるで玩具を前にした猫のようである。

 それを無視しながら、静初は顔を引き締めしっかりと答えた。

 

「お任せください」

「うむうむ! 今はその兄上を起こしに行くところなのだな? 我も一緒に……と普段なら言うところだが、恋人同士水入らずの時間も必要よな!」

「いえそんな……ただ征士郎様を起こしに行くだけですので――」

 

 英雄様もご一緒に、と続けようとしたがそれを英雄が許さない。

 

「よいよい! 李よ皆まで言う必要はない! 限りある貴重な時間なのだ! 兄上にどんと甘えるがよい! 兄上は地球はおろか銀河すらも収めてしまうその器でお前のことを受け入れて下さる! ゆえに何の心配もいらんぞ! なぁあずみ?」

 

 振り向いた英雄の先には満面の笑顔をみせるあずみがいる。

 

「その通りです、英雄様ぁ! ですので李は自分が思うように甘えていいと思いますよ? ただし、時間を忘れて征士郎様の妨げになるようなことがないように限度を守ってくださいね?」

「フハハハッ! それはそれで仲睦まじくて良いことだ! 兄上は働きすぎであらせられる。ひと時の甘い時間も良いリフレッシュになるであろうよ」

 

 静初は何とか言葉をはさもうとするが、英雄はその隙を全く与えることなく別れの言葉を言い残してあずみとともに去って行った。彼の豪快な笑い声は廊下を木霊して、やがて蝉の鳴き声に取って代わられた。

 勢いにおされた静初はしばし呆然としていたが、やがて征士郎の起床時間が迫っていることに気づき足早に部屋へと歩を進めるのだった。

 

 

 ◇

 

 

 そんなやりとりもあったせいか、静初と征士郎の起床については特に何も起こらなかった。

 静初は征士郎の着替えを手伝いながら、先の英雄との会話のことを彼に話す。

 

「そうか。英雄がそんなことを……」

「はい。私はそういうつもりもなかったのですが、英雄様が勘違いをなされたままなので」

 

 英雄の気遣いはもちろん嬉しかったが、勘違いされたままというのも気になってしまう。

 しかし、それを聞いた征士郎は別のところに食いついた。

 

「英雄も気を利かせるということを覚えたのか。喜ばしいことだ」

「あの……征士郎様、そういうことではなくてですね」

 

 静初は自分が言いたかったことを説明しようとするが、征士郎がそれを押しとめた。

 

「わかっている。お前にはそんなつもりはなかったということだな? 俺を起こすのも仕事。そこに私情の一つも挟まれていない。わかっているとも」

 

 征士郎は大きく頷きを繰り返したが、それでは静初がただ機械のように彼に接しているようにも聞こえ即座に否定した。

 

「い、いえ。その私情がこれっぽっちもなかったわけではありません」

 

 そしてそんな本音をポロリとこぼした。

 

「ほう……では、どんな思いを抱いていたのだ?」

 

 この一瞬、征士郎の瞳を見ることができれば彼の思惑を知れただろうが、静初はあいにく彼のネクタイに目をやっていた。

 静初は真面目な従者である。それは小さな声であったが、しっかりとその思いを答えていた。しかし、征士郎は聞こえないふりをする。

 

「静初、よく聞こえなかったのだがもう一度言ってくれないか?」

「え……も、もう一度ですか?」

 

 静初は征士郎のネクタイを握ったままうつむくが、その耳は真っ赤に染まっていた。そんな可愛い反応を見せる彼女を放っておける男がこの世に存在するだろうか。少なくとも征士郎は放っておくことができなかった。

 征士郎は今にも頭を撫でたい欲求を抑え込み、ただじっと静初の言葉を待つ。

 自分の主がそんなほんわかとした気持ちでいるとはつゆ知らず、決意を固めた静初は深呼吸を行って真っ直ぐと彼を見つめ返した。

 そのときになってようやく静初も気がついた。開きかけた口を閉じて、用意していた言葉とは別の言葉を口から漏らす。

 

「ひどいです、征士郎様。私をもてあそぶだなんて……」

 

 静初は少し口をとがらせてついと瞳を横へそらせた。もちろんこれはただのポーズである。ただちょっと遊ばれたことが悔しかったのだ。

 しかし、このむくれた表情というのも珍しいため、征士郎は謝罪を口にしながらも微笑みを絶やさない。

 

「お前があんまりに可愛いからな。つい意地悪をしたくなった」

 

 征士郎は静初を抱き寄せて彼女の機嫌をとろうとした。

しかし、静初は一度征士郎の瞳を見ただけでまた視線をはずす。ずっと見つめているとつられて笑顔になりかねないからだった。

 

「そんな言葉には騙されません」

 

 言葉は拒絶を表しているが、体が抱き寄せられていることには不満はなく、征士郎の腕から逃れようともしない。むしろ彼の体に身を委ねるようにしている。ただ視線だけを合わせない。だが、その不機嫌なポーズも長く我慢できず、静初の口元はかすかに緩んでいる。

 英雄の勘違いという言葉は何だったのか。元は征士郎から始まったこととはいえ、静初も先ほど話していた内容など忘れてしまったかのように甘い時間を楽しんでいた。

 

「参ったな……俺は女性の機嫌をとったことなどないし」

 

 征士郎もうすうす感づいているのだろう。その声に深刻さはなく、逆に楽しげな空気さえ含んでいる。そんな雰囲気にあてられる静初も思わず笑顔になりそうになるが、ここで笑ってしまうと台無しである。

 征士郎は静初の顔を覗き込むようにして顔を傾ける。

 

「少しヒントをくれないか?」

「征士郎様、ここは女心を知るいい機会ではないでしょうか」

 

 それは自分の喜ぶことを考えてやってほしいという遠回しなアピールだった。

 

「おっと……確かにそうかもしれんな。ふむ……」

 

 静初は抱きしめられながらもチラリと時間を見た。朝食の時間まではあともう少し。つまりこの幸せな時間も残りわずかである。こんなことになるとは思っていなかったので、もともとの時間が圧倒的に短かった。

 無理だとわかっていても時間がとまればと思わずにいられない。しかし、時間が止まってしまえばこれから先の幸せな時間を味わうこともできない。願わくば両方をという都合のいい祈りを捧げる。

 欲張りでしょうかと静初は心の中で呟いた。

 そこへ征士郎の声が上から降ってくる。何やら思いついたらしい。

 

「俺が静初の一日執事をやるというのはどうだ?」

「へ?」

 

 静初はあまりにぶっ飛んだ回答を示した征士郎に間抜けな声がもれた。そらしていた顔も上へあげ、彼と顔をつき合わせる。

 静初の見た征士郎のその顔は誰かによく似ていた。子供のような、どうだ面白そうだろうといわんばかりのそれ――九鬼帝、征士郎の父だと思い当たった。

 

「いや静初の気持ちを知るにはまずその立場から知ろうかと思ってな。お前に一日仕え尽くすのだ!」

「せ、征士郎様! それはいくらなんでも畏れ多いです。あなた様は上に立つ御方として生まれ育てられたのですから。私の機嫌のためなどに冗談でもそのようなことは」

 

 しかし、征士郎はそれを遮る。

 

「それくらいお前のことが大事なのだ。一日で足りないなら何日でも尽くそう。お前が俺の隣で幸せに笑っていてくれさえすれば、俺は万事をなすことができるからな」

 

静初は征士郎の名を口にしながらぎゅっと彼を抱きしめ返した。こんな言葉を送られては機嫌のことなどどうでもよくなってしまう。きっと彼はそのことに気づいていないだろう。

 

「ずるいです。そんなことを言われたら言い返すこともできません」

「俺はずるくてひどい男だとずっと一緒にいて気づかなかったのか?」

「はい、全く。恋は盲目という言葉の意味を思い知らされました」

 

 征士郎は静初の言葉を聞いてくっくと笑った。

 

「それは残念だったな。お前はまんまと悪い男に引っかかってしまったというわけだ」

 

 そんなことを言う征士郎がおかしくて、静初も小さく笑う。そして、悪い男にひっかかった自分は最高に運がいいと思った。この人に巡り合えたことを信じたこともない神に感謝したいぐらいだった。

 

「そうとも知らず幸せを感じているなんて、私は貴方様に心底惚れてしまっているようです」

「つまり俺の思うつぼというわけだな」

「ふふ……そういうことになりますね」

 

 二人はしばらくクスクスと笑いあった。その直後に静初の意表をついて征士郎が彼女の唇を奪った。

 

「これで機嫌を直してくれると嬉しいのだが?」

「直りました。ありがとうございます」

 

 もっとも最初から機嫌が悪かったわけではないということも2人ともわかっている。ただこの時間を過ごす口実に使っていただけだ。彼らのほかに誰も知ることがない甘いひと時だった。

 

「英雄様の仰ったとおりになってしまいました」

「英雄がこの場にいればこうはなっていなかっただろうからな。あいつの気遣いに感謝しよう」

 

 静初は名残惜しいという気持ちにふたをして、征士郎の背に回した腕をほどいていく。そのとき、彼のささやきが耳をくすぐる。

 

「続きはまた今度だ」

 

 征士郎も同じ気持ちだったことが嬉しかった。

 静初は「はい」と返事するのが露骨に期待しているようで恥ずかしかったので、征士郎の目を見ながらこくんと頷いた。彼はそれを確認すると、愛しげに静初の横顔を一撫でした。

 「いこうか」という征士郎の掛け声に、静初も仕事モードへと切り替わる。

 そして、部屋を出たときには先の空気を微塵も感じさせてはいなかった。

 

 

 ◇

 

 

 朝食を済ませた征士郎は学園へ行くための準備を済ませ、車の用意されている表へと向かっていた。今日は模擬戦が行われ、そのあとにその模擬戦の拡充と甲子園行きを決めた野球部に関することなどで学長を含め関係者らと話すことになっている。

 その途中である人物の姿が目に入った。

 

「おう、征士郎に李じゃねえか。いいところで出会たぜ」

 

 にやつきながら近づいてくる帝に、征士郎は何を言われるか大体想像がついた。同時に昨日の今日でよくここまで話が広まったなと感心すらしてしまった。

 

「二人ともおめでとさん。いやぁ……このニブチンな息子と付き合うのが誰になるのか心配してたけど、収まるところに収まって良かった良かった」

 

 帝は豪快に笑いながら、征士郎と静初の肩を順にぽんぽんと叩いていく。

 

「祝福の言葉は受け取っておくよ、父さん」

 

 隣で頭を下げる静初を横目に、征士郎が言った。

 

「本当に心配してたんだぜ? こんな可愛い専属選ぶから手つけるのかと思ったらそうでもない……高校生の欲望丸出しの時期にも浮いた話一つない。そのくせ見合いとかも受けない。仕事一筋! まぁ俺も本人の好きにしたらいいってスタンスだけどよ、やっぱ心配になってくるわけよ。いい女がいたら飛びついちゃうのが男の性だろ?」

「それでほいほいついていった結果、どうなったかという点をお忘れですか?」

 

 征士郎の鋭い一突きに帝は言葉を詰まらせる。と思ったら矛先を変えた。

 

「ま、まぁ……それはさておき、李よ! 本当によくやった!」

「お許しをいただけるのですか?」

 

 びしっと親指をたてる帝。そのあまりの軽さに、静初も戸惑っていた。本人同士は認め合っていても、その親が認めてくれるかわからない。ましてや静初は帝の命を狙ったという過去もあったからだ。優秀な奴ならどんな経歴があろうがウェルカムの九鬼だが、それは働く人間に対してのことであり、恋人ともなればまた話は違ってくる。そう思っていた。

 しかし、帝は静初の言葉こそ理解ができないといった感じである。親指をたてたまま首をかしげた。

 

「ん? なんで俺の許可が必要なんだ? 本人同士が好きあってくっついたんだろ?」

 

 帝の視線が2人を交互に見て、それに合わせて征士郎が「もちろん」と返し静初が「はい」と肯定した。

 

「なら、なんの問題もねえよ。青春を謳歌しろよ? 時間は待ってくれないからな。あ、そうだ……恋愛年長者である俺からアドバイスやろうか?」

 

 帝は自信満々の顔であり、静初はそのアドバイスが気になるようだった。しかし、征士郎はあまり良くない予感がして彼女を背に隠す。

 

「それはまた時間ができたときにでもゆっくり教えてもらうから。ゾズマ、父さんを次のところへ連れていってくれ」

「いやいや李は気になるって顔してただろ?」

「いやしてないから。父さんの気のせい」

 

 しかし、帝は何とか静初の顔を見ようとする。

 

「いーやしてた! 李、気になるよな? 征士郎の父親からのアドバイスだぞ? 九鬼財閥総帥からのアドバイス」

「その名前を出すのは卑怯だろ。静初が困ってる」

「あれ? しかもなんだよ、名前でも呼んじゃって。あーくそ、時間があったらコイツいじって遊ぶのに! ゾズマ、なんとかなんない?」

 

 そんな帝の願いは届かず、ゾズマは首を横に振る。

 帝は心底残念といった表情を浮かべた。

 

「まじかよ……まぁ、ならしゃあないか」

 

 未だ静初を隠す征士郎をちらりと見て、帝は優しい笑みを浮かべた。そして息子の頭をくしゃくしゃと撫でる。

 

「仲良くやれよ。それから、李……征士郎のことで困ったことがあったら相談しにこい。あとコイツの弱みとか苦手なものとか教えてやる」

 

 帝はそのまま征士郎たちの隣を通り抜けていった。その姿を見送る征士郎と静初。

 

「愛されていますね、征士郎様」

「俺だけじゃない。お前もその一人だぞ?」

 

 征士郎は先に歩き出す。その背後から小さく「はい」と聞こえてきた。

 

 




久々に書いたので文章でおかしなところがあったら、ご指摘いただけると助かります。
そして長々と空いてしまって申し訳ありません。
引っ越ししたり絵に挑戦してみたり本にはまったり、いろんなことをやっていました。
こんな作者ですが、これからもお付き合いいただけると嬉しいです。

本当は学園行ってからのなんやかんやも書きたかったのに、2人の時間を書くのが楽しくて学園まで行けなかった……


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37話『学園狂騒曲』

 

 征士郎と静初が表へと出るとそこには既に車が準備されていた。ビル内ではある程度遮断されていた蝉の鳴き声も、外に出れば遮るものがないため騒がしい。しかし、夏特有の暑さについては朝ということもあってかさほど気にならなかった。

 征士郎は入口の両側に立っていた従者とも挨拶を交わし車へと近づいていく。

 今日の運転手を務めるのはステイシーらしく、後部座席の扉を開いて待っていた。

 

「おはようございます、征士郎様」

「おはよう。調子はどうだ?」

「絶好調です。そういえば、先ほど帝様がお帰りになられていました。征士郎様をお探しのご様子でしたが……」

「ああ。無事会えたよ。どうやら静初とのことを聞きつけたらしい」

 

 征士郎とは反対のドアから乗り込む静初を見ながら苦笑した。

 ステイシーは「なるほど」と相槌をうち笑った。そのときの様子が容易に想像できたのだろう。

 3人を乗せた車が門の前を通り抜け、その傍で警備についている従者の頭を下げる姿が後ろへと流れていく。

 

「面白いことにはすぐに飛びつかれますからね」

「その点については世界中にアンテナをはりめぐらしているからな。もし時間があったら、根掘り葉掘り聞いていじられるところだった」

「帝様なりの祝福じゃないですか?」

「嫌な祝福のされ方だな」

 

 征士郎はふうとため息をもらし、それがわかったステイシーが静初に声をかける。

 

「ヘイ、李! 我らが主様のテンションが下がってる! ここはお前のギャグの出番だ!」

「任せてください……んんっ」

 

 静初はギャグのフリに対して即座に反応できるらしい。

 征士郎はバックミラー越しにステイシーと目があった。その瞳にはからかいの色が見て取れる。彼女はまた少し笑みを深くして、いたずらがばれた子供のような表情であった。結果がどうなるかわかっていながらふっているのだ。

 このやり取りは数えきれないほどされており、そのたびに静初は若手芸人のようにこのチャンスを喜んで受け入れている。しかもその一回一回が真剣である。

 その様子がおかして、征士郎は口元が緩みそうになりそれを右手でさっと隠した。

 そのタイミングがちょうど静初がギャグを言い終わったときと重なったため、彼女の顔がぱあっと明るくなる。

 

「ステイシー! 征士郎様が私のギャグで笑顔になりました!」

「おいおい……いくら私が見てないからって嘘はダメだろ?」

「本当です! 私のギャグが征士郎様に通じました!」

 

 征士郎はキラキラと目を輝かせる静初と目を見開いたステイシーを交互に見て、笑い声も少しもれる。そうなると隠しようがなく、静初はますます舞い上がり、逆にステイシーは「まじかよ……」と理解不能といった様子であった。

 静初は得意げな顔で相棒へ言い放つ。

 

「ステイシーには今のギャグの面白さがわからないんです」

「お前……征士郎様が笑ったからって調子のりすぎだろ」

「これはクラウ爺にも報告しなければなりません」

「人の話を聞けや! おーい!」

 

 征士郎はそんなやり取りを続ける2人の声をBGMに外へと視線を移した。今更、静初の喜びに水を差すのも悪いと思ったのだ。もしここでギャグで笑ったのではないと否定したら、彼女はかなり落ち込むだろう。それはステイシーのよくやる「上げてから落とす」という手法と似ている。

 そして静初は勘違いして喜んでいた自分を恥じるはず。それならば、征士郎が笑ったということにしておいて構わない。これによってステイシーや級友たちにギャグを挟む頻度が増えるかもしれないがそれも一時的なもの。そのうち、やっぱりウケないということを再確認するだろう。

 それに千回に一回くらい報われても罰は当たらない。

 

「このギャグは一生忘れません……」

「お前が言うと冗談に聞こえねえよ」

「今日は調子がいいのかもしれません」

「いや、それはただ調子にのってるだけだから」

「ステイシー、私の相棒ならここは応援すべきでは?」

「だから相棒として、これ以上他に被害がでないように食い止めようとしてんだよ!」

 

 ステイシー頑張ってくれ。征士郎は他人事のように心の中で応援しつつ、流れていく朝の風景を楽しんでいた。

 

 

 ◇

 

 

 学園についた2人はステイシーと別れて下駄箱に向かう。

 その途中で目に入る校庭には、空いている観客席を求めて多くの人であふれていた。試合を重ねるごとに爆発的な勢いで知名度をあげていった模擬戦。その戦いを直に見ようとする観客も予想以上の人数となっており、その中には日本人だけではなく海外からの客も混じっている。

 さらに学長らが座る特別席にも外国人が10人程度、それぞれ国籍が違う人々が座っていた。年齢もバラバラでほとんどの人がラフな格好をしている。一見すると観光客と見間違えそうな彼らだが、その特別席を囲うように黒服のいかつい人間が立っており、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 その中の数人は征士郎も面識のある人物であり、今回の模擬戦を気に入り、さらに大規模な戦いを行えるよう大金を出してくれた富豪たちである。

 そして校庭の中央では第1試合を戦う福本軍と源氏軍の姿があった。試合開始まではまだ余裕があり、各自ウォームアップに励んでいるようだった。時折、義経や弁慶に太い声援がとび、それに気づいた義経が律儀に頭を下げて歓声があがっている。

 征士郎は最後にざっと見渡して校舎の中へと入っていった。

 

 

 ◇

 

 

 静初は征士郎が席をはずしている間、燕や清楚、マルギッテらと世間話をしていた。そのとき、急速に接近してくる気に皆が一瞬身を固くしたが、それが誰だかわかった途端力を抜いた。

 

「せーーーーぃーーーしろぉーーーーー!!」

 

 遠くから近づいてくる征士郎を呼ぶ声。その声の主は校庭に一旦足をつけて、静初らのいる教室めがけて飛び込んでくる。そして、そのまま天井すれすれでくるりと体を回転して降り立った。特徴のある長い黒髪がばさりと揺れ、その姿はまるで猛禽類が羽を広げたときのようである。

 

「征士郎! お前聞いたぞ!」

 

 百代は教室を見渡しながら叫んだ。その手には脱いだ靴がしっかりと握られている。

 校庭では鉄心が頭に手をやっており、観客は突如、空から降ってきた武神にどよめきたっていた。富豪も予想外の現れた方に目を丸くして感嘆の声をもらしている。

 しかし、百代にはそんなことどうでもよく、目的の人物がいないとわかるともう一人の当事者を直撃する。

 

「李さん! 征士郎と付き合い始めたって本当か!?」

 

 その一言で今度は教室の中がざわめいた。何人かの男子生徒は顔を覆い隠し、女子生徒は友達とのおしゃべりを止めている。教室にいる全員が静初と百代の会話に聞き耳を立てていた。それは傍にいた燕らも例外ではなく、清楚は既に知っているためニコニコしたままだが、燕とマルギッテは好奇心を大いに掻き立てられたらしい。

 征士郎と静初は阿吽の呼吸を見せてきた主従であったが、付き合っているという話は一度として出たことはなかった。中には疑っている者たちもいたが、日が経つにつれそんな雰囲気を微塵もみせない割り切った2人の間柄に関心をよせることもなくなっていった。

 そして、関心がなくなるのと反比例して静初へと好意をよせる男子生徒も現れ始めた。真面目で気が利き、クールな態度の合間にみせる微笑み。誰に対しても丁寧な姿勢であり、男にしてみればちょっとしたきっかけから恋に落ちてしまう。

 しかし、相手は世界に名だたる財閥の御曹司に仕える専属メイド。

 恋をした生徒にとって、静初の傍にいる征士郎の存在がどうしても比較対象となってしまうのだ。そこで気後れしてしまうものが大半。行動に移そうとしても甲斐甲斐しく征士郎へ尽くす姿が心を折りにかかってくる。そして勝手にふるいにかけられた結果、生き残った猛者もわずかに存在したが、告白は成功することなく敗れていったのだ。

 ふられた者たちはそのときの静初の対応から「やっぱり」と疑惑を確信へと変えていった者もいた。そのうちの一人がSクラスにも在籍しており、彼は友達と言葉を2,3交わして笑った。そこにはわずかな悔しさがにじんでいるようにも見える。

 しかし、行動を起こしていない他の男たちはただ淡い期待だけを心に残すことになっていた。何もしなければふられることもないが、先に進むこともできない。そうして時間だけが経ち、この日を迎えてしまっていた。両手で覆われた下の顔はどんな表情をしているのか。

 周りの注目が集まる中、静初がゆっくりと口を開く。

 

「はい。征士郎様とお付き合いしています」

 

 静初は改めて発表することに若干の照れがあった。小さめの声ではあったが、静かになっていた教室ではそれで十分だった。

 まず反応したのは女子生徒たち。わっと歓声をあげて、静初に詰め寄って祝福の言葉をかける。次に少し遅れて男子生徒たち。情けない声を口から漏らして脱力した。

 燕らもそれに続いて、静初の恋の成就を喜んだ。

 そして百代はというと静初の言葉を聞いて深く息を吐いた。しかし、それは落胆を表したものではないことが彼女の笑顔からもわかった。

 

「そっか……そっかぁ。よかったな、李さん。おめでとう、ようやく思いが通じたんだ。よかったぁ」

 

 いつもは静初を渡さないと征士郎に張り合う百代は心底安心したといった風であり、静初は予想と違った反応を見せる百代に一瞬戸惑った。しかし、百代のやさしさも3年間を通してよく知っていた静初はすぐに納得する。

 しかし、それと同時に一つの疑問が湧いて来た。「ようやく思いが通じた」という言葉。これではまるで百代が自分の気持ちを知っていたかのようではないか。

 静初は百代に感謝を述べながら問いかける。

 

「百代、ようやくというのは……もしや私の気持ちを知っていたんですか?」

「そりゃまぁ、学園の中で一番李さんと接してきた私が気づかないわけないじゃないか!」

 

 百代はなぜか男前な表情を作った。いつも女の子とデートしているときの顔である。

 ここに後輩の子たちがいれば黄色い歓声をあげたかもしれないが、あいにく彼女たちはおらず、静初にもその効き目はなかった。

 しかし、静初はそれとは別のことで顔を赤らめる。征士郎への想いがばれていたことに恥ずかしくなったのだった。

 

「お、表には出していないつもりでしたが……そうでしたか……」

「照れる李さんもかわゆいなぁ」

 

 百代は静初を抱きしめるといつものくせで頬ずりをした。

 ちなみに百代が征士郎と静初のことを知ったのは、共に山籠もりをしていた揚羽からの情報であった。昨日の時点でそれを知った揚羽は、百代にもそれを伝えて喜びをわかちあった。そしてそれを聞いた百代は居ても立っても居られなくなり、一日だけという条件付きで川神へと帰ってきていたのだ。もちろん揚羽も一緒である。

 その揚羽はというと教室の外で征士郎に会ってから、紋白の所へと足をのばしていた。

 祝福ムード漂う教室がさらなる人物の登場でより盛り上がった。百代と静初は視界にその人物をいれずとも誰なのかすぐにわかった。クラスメイトたちが口々に名を呼びながら祝っていたからだ。

 百代は静初を抱きしめたまま近づいてくる人の方へと向き直る。

 

「征士郎、やっぱり李さんは私がもらっていく!」

「誰がやるか、阿呆」

「あー! アホって言ったアホって! アホって言うほうがアホなんですぅ!」

「お前は子供か……」

 

 そこへ外からもでかい叫び声が聞こえてきた。皆がその声の正体を突き止めようと窓へと駈け寄る。どうやら福本軍が騒いでいるらしい。団子状態になって全身で悲しみを表している。

 

「李さんが……あの可憐な美人メイドさんに……恋人、だと!?」

「嘘だッ!! 李さんに彼氏……しかも相手は会長……勝ち目ねえじゃん!!」

「なんて日だッ!!」

「士郎先輩!! おめでとうございます!! 紋様のことはお任せください!!」

「こ、これは源氏軍の策略だ! 俺たちの心を揺さぶってきやがったんだ!!」

「な、なるほど! 良い子ちゃん集団かと思いきや、きたねえぞ! おら! 策略だろ!!」

「そうだ! でもなぁ俺たちは? 男友達とつるんでるほうが楽しいし? ほら女って金かかるだけじゃん? 全然、ぜんっぜん羨ましくないし!」

「童帝の言う通りだッ! 全然羨ましくねぇな! 女なんて面倒なだけだ!」

「源氏軍の策略は俺らにきかねえ! 策略なんだろ!? なぁおい! ウソでもいいから策略だって、このひと時だけでもいいから策略だって言ってくれよぉ!!」

「会長―! いや征士郎様―! 俺様にどうか従者部隊の美人さんを紹介してくださぁーい!! 俺様死ぬ気で働きますからぁー!!」

「おい、島津ずりぃぞ!! そんときは合コン開いてみんなにチャンスを与えるべきだろ!!」

「俺盛り上げ役とかチョー得意だから! 俺を呼んで損はさせないぜ!?」

 

 校庭で騒ぐ福本軍を見下ろす百代は大きくため息を吐いた。

 

「征士郎……川神学園の恥部が公に晒されているぞ」

「多様な人材が集まってこそ学園。格式ばっていないというアピールにもなるだろう」

「お前すごいポジティブだな」

「ところでそろそろ静初を離せ」

「いーやー。李さんは嫌がってないもーん」

 

 征士郎はまたすりすりと頬ずりする百代に頭を悩ますが、そこにさらなる頭痛の種が生まれる。

 

「ももちゃんだけ、ずるーい。私も私も!」

 

 そう言ってくっついたのは燕だった。百代の反対側から抱き付いてころころと笑う。

 

「おい……燕?」

「何かな、征士郎君?」

「俺の言葉を聞いていなかったのか?」

「聞いてたよん」

 

 そのやりとりの外では百代が清楚を誘っており、清楚がどうしようかと悩んでいる。

 征士郎はそれを目ざとく見つけ、清楚に声をかけようとしたときには時既に遅し。遠慮がちに静初へとくっついてしまった。そんなミノムシ状態になった美少女たちに、他の男たちは目の保養と傷ついた心を癒そうとしている。

 一人残ったマルギッテはさすがに混ざることはなかったが、微笑ましい表情で見守っていた。

 その中心、3人の抱き枕と化した静初はその間で少し眉を下げて征士郎を見た。どうしましょうと問いかけるような瞳である。

 校庭は九鬼征士郎の恋人発覚を知った観客まで盛り上がっている。これは川神市内の人間が多いからだろう。校舎内も校舎外も模擬戦が始まる前だというのに、既にお祭り騒ぎである。

 その後、第2試合に出場するため征士郎と静初が校庭に現れると、割れんばかりの盛大な拍手で迎えられることとなった。

 

 

 ◇

 

 

 黒塗りの車を夕日が照らし出している。お抱え運転手である西条は、人通りのほとんどなくなった学園の校門を見たまま、微動だにせず主の登場を待った。それから数分後、真っ白化粧を施した小柄な男の姿が見えた。

 西条はそれを確認するなり、後部座席の扉を開き迎える準備をする。それから主が車に乗り込むまでの間、ずっと頭を下げていた。

 乗り込んだことを確認し後部座席の扉を閉めたのち、自らも運転席に乗り込んだ。そうして密室となった車内で、すぐに主の小言が聞こえてきた。

 

「あの野蛮な成金の息子のどこがいいのか、の」

 

 西条はアクセルを踏みながら思った。またかと。西条の仕えている主――綾小路麻呂はいつも車に乗るたび、最低1個は誰かの悪態をつく。それは生徒のことであったり、同僚のことであったり、時には理事長すらも罵る。そして、ここ数年一番罵っているのが成金の息子、九鬼征士郎のことであった。

 西条はバックミラーを通して麻呂を見た。これはかなり機嫌が悪いとすぐにわかった。お付きの運転手を始めて6年。麻呂の顔色をうかがうことなど造作もなくなっていた。

 しかし、なぜそこまで機嫌を悪くしているのか聞いたりはしない。西条にとって麻呂の心情など知ったことではないのだ。

 麻呂が出かけるときの足になるのが西条の仕事。話かけられれば必要最低限のことは答えるが、わざわざ危険を冒して首を突っ込むこともない。そういうご機嫌取りは権力に群がる蟻たちが勝手にやるだろう。特にイライラしているときの麻呂はどこに地雷が潜んでいるのか分からない。

 西条の前に運転手を務めていた男は、口が災いして綾小路から姿を消したとも聞いていた。それが新人を脅すための冗談だったのか、あるいは本当だったのかはわからないが、これまでの経験を踏まえて考えると十分にありえる話だった。

 

「九鬼の小僧に恋人? なぜあの小僧にできて麻呂にできんのか、の?」

 

 西条の耳に飛び込んできた麻呂の疑問。

 これはまずい。西条はハンドルを強く握りしめた。麻呂は先日見合いを断られたばかりなのだ。相手は北陸の名家だったが、親同士が乗り気だっただけで相手の女性が嫌がったらしい。それでも麻呂好みの女性ということもあって、半ば強引に見合いの日取りが決められかけたが、相手方の親が川神に来たとき一転して断りを入れてきたとのこと。当然、麻呂は怒り心頭だったが、この世で唯一頭の上がらない存在である父の言葉には逆らうことができず泣き寝入りとなった。

 しかもその相手の年齢が中学生だったという。それを聞いたときは西条も驚かずにはいられなかった。いくら平安時代に憧れているからといってもそれはないだろうと。

 麻呂は早く身を固めたいとずっと思っているようだが、そんな気持ちとは裏腹に結婚は中々決まらない。そのイライラもあるのか、部下に恋人や婚約者ができることを許さない。その噂を聞きつけると必ず裏をとって露骨にいびり始めるのだ。

 綾小路家のNo.2に目を付けられれば即アウト。大麻呂は家を空けている日が多いので実質No.1のようなものだった。そして、いくら気骨のある人間でも最後は綾小路家を去っていくのだ。さらに悪いのが、このことを大麻呂に知られることがないように手を回していることだった。それは麻呂自身が行っているのではなく、周りに侍るイエスマンたちが勝手にやっているのだ。要するに麻呂に対する点数稼ぎ。彼らは麻呂の印象をよくするためなら大抵のことはやってのける。綾小路に迎えられるだけの才覚を持った者たちだが、それが悪い方向へと使われていた。

 苦言を呈することができるといえば大麻呂の側近たちだが、麻呂は話だけは聞くものの決して従ったりはしない。側近といえども身分は下だと判断しているからだ。それに加えて大麻呂の甘やかしもあり、手の付けられない状態である。

それは学園でも言えることだった。綾小路の燦然と輝く看板を振りかざし、生徒たちを従えようとする。

 しかし、それが九鬼征士郎の登場で揺らいだ。彼が生徒たちを統べる存在となったからだ。しかも生徒たちはそれを嫌がるどころか歓迎さえしていた。明るく挨拶を交わし笑顔を見せる。そんな対応の違いがますます憎く思えたのだろう。だが、それを今までのように綾小路の名によって押さえつけることができない。なぜなら、九鬼という存在を彼の後ろに見てしまうからだ。

 いくら嫌っていようと九鬼がどれほどの力を持っているのか、麻呂もわかっているのだ。

 しかしそうなると麻呂のストレスは溜まる一方である。なんせ今まで自分の思い通りにできていたところに、どうすることもできない存在が現れたのだ。

 九鬼征士郎はのびのびと学園生活を過ごし、麻呂は隅へと追いやられる。この事実を麻呂は認めることができないのだ。

そこにきて、この恋人の話題である。今日はいつもに増して機嫌をとるのが難しくなるだろう。

 西条はそう考えていたが意外にも麻呂は理性的だった。

 

「ま、その恋人は薄暗い過去を持つ女よ。両手を血で汚した女などあの小僧にはピッタリな相手だ、の」

 

 麻呂はくつくつ笑い声をあげ、西条はその異様な様子に寒気を感じた。さらに麻呂は珍しく西条へと声をかけてきた。

 

「西条。お主は暗殺を生業としていた女を伴侶にしたいと思うか、の?」

「いえ……無理でしょう」

「うむうむ、それが普通の反応でおじゃる! 人殺しを行っていた女など生きている価値さえない、の! もし生きるとしても、表ではなく裏でひっそりと売女でもしているのがせいぜいでおじゃる。まったく汚らわしい」

 

 そこまでは言っていない。西条は心の中だけで否定した。麻呂に逆らうなど百害あって一利なし。たてついた人間の悲惨な末路は噂でいくつも耳に届いている。その数々が部下たちを怯えさせ、麻呂に従順な人形を作っていくのだ。

 自分もその一体かもしれないと西条は自嘲した。

 麻呂は賛同を得られただけで満足らしく、饒舌に語りだす。

 

「しかし体つきだけは悪くないから、の。あの小僧はそれに惹かれたのやもしれぬ。もしくは既に身ごもっておるかもしれないでおじゃる。それならば何と幸運な売女であることか。今頃、ほくそ笑んでおるかもしれないでおじゃる。怖い怖い、ほほほほ」

 

 西条はただ黙って麻呂の笑い声を聞くだけ。

 

「成り上がりには相応の相手だ、の。雅な麻呂には理解できぬ……さすがは九鬼、鬼の文字を冠するだけあって野卑でおじゃる。九鬼の当主はなんとも思わないのか、の? ああ、当主も当主で粗野な男ゆえ気にもせんでおじゃるな。ほほほほ」

 

麻呂はどうしようもない人間だが、このときだけ我慢すれば高給をもらえるのだ。日本でここよりいい条件をだせる雇用先などそれこそ九鬼ぐらいだろうが、九鬼は実力主義ゆえ怠慢は許されない。西条は自身がそこまでの向上心を持ち合わせていないと理解していた。

 

「雑多な血筋はこれだから困る、の。綾小路が作り上げてきた日の本の印象が悪くなってしまうでおじゃる。のう西条?」

「仰る通りです」

 

 西条はお決まりのセリフを返し、麻呂はそれに大きく頷きまた声を出して笑った。

 自宅付近にまで帰ってきたことに気づいた西条はほっとしていた。これの続きは麻呂に気に入られたい連中が喜んで引き継いでくれるはずだ。

 綾小路の将来はどうなるのか。西条はふと思った。九鬼征士郎への憎悪は溜まる一方であり、今回のことでさらに悪化するだろう。そのせいで、そう遠くないうちに九鬼に対する越えてはいけない一線を見誤ってしまうのではないか。たとえ今はなんとか我慢できても、麻呂が綾小路の全権を手に入れたら、それが一気に噴出し取り返しのつかないことを犯してしまうのではないか。それとも、それすらも闇に葬ってしまえるのだろうか。

 西条はもう一度ミラー越しに麻呂を見た。そのとき、麻呂の線を引いたような細い目と視線がぶつかった。冷笑的な薄笑いのせいでさらに目が細くなっており、それが白塗りの顔と合わさって本当の能面のようである。

 ぞっとした西条は言葉を発さずすぐに目線をはずした。幸い、麻呂から声をかけられることはなかったが、西条は彼が車を降りていくまでうまく呼吸ができなかった。

 




麻呂を好きな人がいたらごめんなさい(棒読み


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38話『騒乱は海を越えて』

 

 今日の業務を終えた静初は主従関係から恋人関係へと変わり、征士郎の隣に座って会話に興じていた。日付はまだ変わっていない。そのため今日はいつもより多くの時間がとれそうであり、そのことを心の中で嬉しく思っていた。主の事を思うならここは早めの就寝をすすめるところだが、恋人としての心情は少しでも長く一緒の時を過ごしたい。

 最初はその葛藤が思い切り行動に出ており、ソワソワした動きを征士郎に指摘され笑われてしまったことがあった。

 そして、征士郎も静初がこのような思いを抱くことがわかっていたのだろう。だから征士郎が静初を誘う形で、時間に余裕があるときは二人の時間を楽しもうと提案したのだ。

 それからというもの業務が早く終わったときは同じ席につき、同じものを食べあるいは飲み、ゆっくりと二人の絆を深め合っている。静初もこの時間を楽しみにしており、そのせいか作業速度がまた一段と早くなっている自分に驚いたりもしていた。

 そして、2人の話題は今日の騒ぎともなった川神学園での自分たち二人のことである。

 

「静初は随分人気あったのだな。十分わかっているつもりであったが、今日で改めさせられた」

 

 征士郎は川神学園の男たちが悲鳴を上げていた様子を思い出していた。そしてそのあとの戦いのことも。源氏の策謀だなんやらと騒ぎ、そのままあっけなく敗北を帰すかと思いきや、意外にも負の感情を昇華させ源氏軍に対して大きく抗ってみせたのだ。がむしゃらな戦いに美しさなど微塵もなかったが、体全体から発していた気迫は見る者を熱くさせ、源氏目当てで来ていた観客の多くが気づけば彼らを応援していた。

 しかし、源氏軍は源氏軍で荒波のような集団をきっちりと抑え込み、これまた見事な戦いを貫いた。勝利は源氏軍であったが、童帝軍もしっかりとその存在を示した一戦となった。

 これまで童帝軍という名やそこに集う一癖も二癖もある男連中は、彼らの纏う雰囲気から敬遠されがちであったが、観客の中からは今日の試合で見直したとの声も聞こえており、「誰それがカッコよかった」と童帝軍の男どもが聞けばうれし涙を流しそうな感想も征士郎の耳には届いていた。

 また試合後にはネットの反応を逐一確認していた生徒が、その上々の結果を童帝軍に伝えたようで、征士郎率いる九鬼軍と入れ替わりに校舎へと向かう彼らは、これから祭りでも始まるのかと言わんばかりのテンションの上がりようだった。

 その後誰が話題に上り、誰がカッコいいと言われ、一番人気があがったのは誰だなど身内で醜い争いを起こしていたのだが、幸いという言うべきかそれは校内で行われていたので、生徒たちを除けば人の目に触れることはなかった。

 ただ、女生徒たちは先の健闘を称えようとしたところで、そんな光景を目にしたため声をかけずその場をあとにしたようだった。彼女達の後ろからはどうにかこのコメントを残している人間――彼らは女と信じて疑わない――を探し出して、お近づきなれないか問い詰める必死な声が響いていた。

 

「自分でも驚きました。百代たちに比べると愛想のない私に……彼らには申し訳ないですが少し嬉しかったです」

 

 それから二人は他愛無い会話を続け、軽いスキンシップをとりながら後の時間を過ごした。

 

 

 ◇

 

 

 幸せな時間はあっという間に過ぎ去り、あと少しだけという誘惑を何とか振り切った2人は互いに別れの言葉を交わし別れた。

 静初は一人廊下を歩きながら無意識にため息をつく。また明日になれば誰よりも早く会えると分かっているのだが、もう会いたいという気持ちが膨れ上がってくるのだ。先ほどまで触れ合っていた唇を一撫でして一度征士郎の部屋を見る。これまで感じたことのない感情が沸き起こる。

 

「ああ、これが……」

 

 寂しいという気持ちなのか。静初は胸の辺りをきゅっと握る。征士郎が好きだと自覚したときもこれは叶わぬ恋と割り切っていた。そして恋人になってすぐは色々と緊張しており、そんな気持ちが生まれる余裕さえなかった。

 しかしそれに慣れ、心に余裕ができるとその余白を埋めんとするかのごとく寂しさが顔を出してきた。それに気が付くと先ほどまで喜びでいっぱいだったはずの気持ちさえ、まるでオセロのようにくるりとひっくり返り、たちまち心全部を一つの気持ちが占拠してしまう。

 今すぐにでも行く先を変えて、征士郎様の胸に飛び込んで「寂しくなりました」と言うことができればいいのに。静初は静けさに満ちた外の風景を見た。朝の活気溢れる様は鳴りを潜め、人工物の灯りだけが等間隔に路面を照らしている。月は出ていない。

 世間で流行っている歌のワンフレーズが静初の頭にふと浮かぶ。昔は共感することすらできなかったこれも今なら分かる気がした。なぜ女の子たちがこの歌を支持しているのか。『手を振り笑顔で別れたはずなのにもう君に会いたくなる』切ないメロディーに乗せて歌われる恋の歌だった。

 周囲には誰もいない。静初は人気のない廊下を歩きながら小さく鼻歌を歌う。

少しだけ気持ちが和らいだ気がした。

 

 

 ◇

 

 

 静初が自らの部屋へ入ろうしたとき、無線からクラウディオの声が聞こえてきた。至急の呼び出し。すぐさま方向転換し足早に歩を進める。その顔は既に従者の顔となっていた。

 静初が呼び出された場所は世界中にある九鬼の情報が集まる一室だった。天井まで届くディスプレイには世界地図が表示され、その隣には大小様々なモニターで本部の監視、他にも文字の羅列や波長などが絶え間なく流れている。そして、整然と並ぶデスクにはそれぞれ3つから4つのパソコンが併設され、それが部屋のほとんどを占めている。今も従者たちが席につき、ヘッドセットを通して会話をしながらキーボードを叩いていた。

 そして、部屋の最後尾には一段高い場所にガラスで間仕切りされた広めの空間があった。静初は壁沿いにそこへ急ぐ。

 そこにはヒュームやクラウディオ、あずみの姿があった。その顔つきがそこまで険しくないため、呼び出された案件が深刻な事態に陥っているわけではなさそうだった。

早速クラウディオが口を開く。

 

「つい先ほど入った情報ですが、どうやら青龍堂(チンロンタン)のトップである王(ワン)が危篤状態にあるそうです」

 

 静初はその名を聞いて、なぜ自分がこの場に呼ばれたのか理解した。

青龍堂。それは裏社会におけるアジア地域で一大勢力を築き、傭兵組織の梁山泊と並んでよく名のあがる組織であった。そして、この組織をここまで大きくしたのが王という男である。

 ヒュームが静初を見る。

 

「今はその王の息子である天宇(テンユー)が代わりに取り仕切っている。目立った大きな混乱は見られていない……今はな。おそらく情報が伏せられているのだろう」

 

 その伏せられている情報を既に掴んでいる九鬼。ここに集まっているメンツから言っても、この情報は裏がとれているのだろう。

 静初はこのような場面に遭遇するたび、昔の自分が返り討ちにあったときのことを思い出す。この情報収集能力は某大国の機関にひけをとらない、あるいは超えていると言われても信じるだろう。

 テーブルには王の写真に加え、他にも数枚の男女の写真。それぞれ王の息子と娘たちである。

 あずみがその中の一枚を指差す。その写真には頬から首にかけて大きく刺青を入れた男が不適に笑っている。

 

「長男はこいつだろ? 実力的にも申し分なしと言われていたのに、トップはその弟?」

「聖依(シェンイー)は……確かに腕は一流ですが、数年前からその情報が得られていません。裏からの情報によると王がどこかに監禁しているとか……」

「おいおい。裏社会のボスがわざわざ監禁かよ……しかし殺しちゃいねえんだな?」

「王は子供たちを大事にしていたことで有名です。さすがに手をかけることを戸惑ったのかと」

「殺しはしないが野放しにはできない、か。やべえ臭いしかしねえな」

「聖依は版図を広げることに熱心だったようで、それが原因でロシアンマフィアと一触即発になったと昔聞いたことがあります」

「おいおい……できれば監禁の末、お陀仏しておいてもらいたい男だな」

「あずみ、そういうのはフラg」

「とにかく! 青龍堂の支配地域は東南アジア全域に及んでる……今までは静かだったが、これを機に他国のマフィアどもが掠め取ろうと動き出してもおかしくねぇ」

 

 その後しばらく対応策についての協議が続いた。

 地図には赤い点がいくつか点在し、それらを中心として大きく囲われた赤丸。それは不気味な模様のように見えた。

 

 

 

 

 九鬼で話し合いが行われていた頃、その赤い点の一つ――青龍堂の本拠地では大きく事態が動いていた。そこにあったのはガラス張りの豪奢なビル。その周りには極彩色のネオンが光り、その光を反射するそれは美しさとともにその街のカオスを表しているようだった。

 しかし、その内部は外部と打って変わって大きく荒れ果てていた。観葉植物はなぎ倒され、柱や床には銃痕があり、白い大理石は真っ赤な血によって染まっている。受付嬢は椅子に座ったまま絶命し、手に銃を持ったまま死人と化している黒服の人間たちが至る所に横たわっている。そして、物と化したそれらを雑に扱う者たちもまた黒服に身を包んでいた。

 そこへ一人の男が乗り込んでくる。体はやせ細り、周りの人間たちと比べると最もひ弱な印象を受けるその男は数人の男女を引き連れている。その顔には一目見れば忘れることはなさそうな刺青が彫ってあった。

 その男のもとへ部下が小走りで近寄ってくる。

 

「首尾は?」

 

 歩き続ける男は部下に目もくれない。部下はそのかすれ気味の低い声を聞くとびくりと体を震わせ、つかえながら言葉を発した。

 

「そ、それが……天宇の部下の多くは抹殺したのですが……」

 

 男は死体の山の前でピタリと足を止める。滴り落ちる血が床をゆっくりと浸食していく。その周りには鼻をつく刺激臭が漂い始めていた。

 

「雑魚をいくら殺そうと意味はない。それにここにいるのはその一部に過ぎない。無能が」

「聖――」

 

 男――聖依はそう吐き捨てると部下の言葉を待たず、その胸を貫いた。引きちぎられた心臓は血をまき散らしながら徐々にその鼓動を緩めていく。しかし、その出来事に動揺する人間はここにはいない。完全に止まったゴミを聖依は放り投げた。それを見た別の部下がどこからともなくタオルを持ち出し彼へと手渡す。

 聖依の後ろをついて歩いていた長身の男が口を開く。

 

「まさか足の不自由な妹君をかばいながらここから逃げおおせるとは、さすがは聖依様の弟君。同じ血をひくだけはありますな」

 

 聖依はそれに答えず鼻を鳴らす。

 

「まぁいい。探すのは手間だがそう遠くには逃げられまい」

 

 そのときエントランスの方がざわめいた。そちらを振り返った聖依は獰猛な笑みを浮かべる。

 

「久しぶりだな、張(チャン)。いや今は、俺の右腕と言えばいいのか?」

「おかえりなさい、新たな王。そうね……その認識でいいと思うわよ」

 

 紫の髪を腰まで伸ばした妙齢の女、張紅雷(チャン・ホンレイ)。彼女の着る深くスリットの入ったチャイナ服はその豊かな肢体を際立たせている。

 

「俺にとっては朗報だが、まさかあの父が倒れるとはな」

「組織をまとめるのは生半可なことではないということよ。荒くれ者が多いと特にね」

「それは俺の事か? 俺ならとっくに殺して憂いを取り除くさ」

「そんなことをしていては手が足りなくなるわよ?」

「足を引っ張るものなどいるだけ無駄だ。それに駒なら揃うさ。いくらでもな」

 

 聖依はにやりと笑い、先ほど殺した男へと目をやった。彼の瞳が一瞬ギラリと輝く。すると不思議なことに死んだはずの男が立ち上がっていた。その胸は穴が空いたままだが確かに立っており、虚ろな瞳を宙へと向けている。

 そして次の瞬間、聖依の後ろにいた長身の男へと襲い掛かった。その動きは死人とは全くかけ離れた洗練されたものだった。

 長身の男はそれを防ぎながらも笑顔を崩さない。それだけ実力差があるということなのだろう。死人は一旦距離をとるとまた空を見つめている。デモンストレーションは終わったようだった。

 紅雷がクスクスと笑う。

 

「相変わらず素晴らしい力ね。まさに死兵……実力はその持ち主に依存しちゃうけど、死を恐れぬ兵力ってのは便利よね」

「お前にだけは言われたくないな。魂を何世代にも渡って器に移し替える力を持つお前にはな」

「いいでしょう? 人間である限り老いには勝てない。それに男はどんな時代も若い女を欲するわ……老いた体なんて真っ平ごめんよ」

「お前や俺の力も見てもそうだが、これだけの力を持っていながら彼らがなぜ国を盗れなかったのか不思議に思う」

「力づくだけでは物事を上手く運べないのよ。昔の彼らは強引すぎたの」

 

 紅雷は聖依から目を離してどこか遠くを眺めた。そこへまた新たな人物が登場する。丸々太った低身長の男はまるで玉のようであり、押せばどこまで転がりそうだ。その彼は短い足で聖依の目の前までやってきた。急いできたのだろう。珠のような汗を額に浮かべ息をするのも苦しそうである。

 

「こ、これは……これは新たな王。ご機嫌麗しゅう。ふぅ……無事ご帰還されたこと、この辛明(シン・ミン)心より嬉しく思います……」

「ふふっ、心にも思っていないことを言うな。お前が幹部連中を主導して弟をトップに仕立て上げたことは既に知っているぞ」

「そ、それは! 貴方様の行方が分からなかったからでございまして……もしわかっておれば一目散にはせ参じ、貴方様に忠誠を誓いました。ええ、それはもう一番に! しかし、何分急なことでございまして、青龍堂は外に敵も多い。もし万が一、それらに王の不在が知られれば不味いことになりかねません。そこで心苦しくありましたが、その場に居合わせていた弟君を一時的に立てさせもらった次第でございます。決して! 決して貴方様をないがしろにしていたわけではありません! 貴方様こそが新たな王! それに異を唱える者がおれば私がそのそっ首を撥ね飛ばしてやりますとも、ええ!」

 

 玉のような男――辛明は身振り手振りをしながら必死に弁解する。それを聞く聖依は横目で紅雷をうかがった。

 

「その男の言ってることに間違いはないわ。なにせ、私でさえ貴方の行方を掴むのが難しかったのだから」

「紅雷の言う通りです! 王……前の王は貴方様の居所を厳重に秘されており、紅雷が貴方様の居所をつきとめたことも奇跡かと私は思っております。海の底に作られた施設など……」

「もういい、わかった。とにかくすぐに幹部を集めろ」

 

 紅雷と辛明は頭を下げその場を後にする。

 

「まずは体を元に戻さねば……」

 

 聖依は自らの骨ばった腕を見ながらつぶやいた。

 聖依の帰還。この情報が九鬼へ届くのは夜が明けてからだった。

 




毎度お待たせして申し訳ありません。
なぜかここが難産でした。これからも時間がかかることもあるかもしれませんが、お付き合いいただけると嬉しいです。
あとブログを始めまして、「きみとぼくの約束」の推敲したものをアップしています。アドレスはマイページに記載しているので興味があればご覧ください。一緒にその場面場面のイラストも掲載しています。
こんなことをするくらいなら新しい話を思われるかもしれませんが、興味が出てしまうと止まれません。申し訳ありません。


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39話『歩み続ける者』

30話の一子と英雄が会話する部分で、英雄の台詞を一部変更しました。内容はほぼ変わらないので心配いりません。


 

夕暮れ時、一子は島津寮へと足を運んでいた。そして洗濯物をたたむクッキーに挨拶をして早々、目的の人物がいるかどうか尋ねる。不在ならば待たせてもらおうと思っていたが、どうやら部屋にいるらしくそのまま彼女の部屋へと向かう。

 

「まゆっちー、開けてもいいかしら?」

 

 その呼びかけに数秒もせず扉が開く。由紀江は一子の気配に気づいていたようだ。

 

「皆さん、出かけていますけど……どうかされたんですか?」

「うん。今日はまゆっちにお願いがあって来たの」

 

 それを聞いた由紀江は一子を部屋の中へと招き入れた。整理の行き届いた部屋は誰がいつ来ても大丈夫なほど完璧である。由紀江は夏休みの課題をやっていたようで、机の上には教科書が開かれていた。

 一子もそれが目についたが、まだ夏休みは始まったばかりだから大丈夫と自分に言い聞かせる。それに今日はそれよりも重要な要件がある。

 由紀江は押入れから座布団を取り出し一子の座る場所へと置いた。

 

「それで、お願いとは何でしょうか?」

『まゆっちねー、ここ数日はスケジュール空きまくりだから、大抵のお願いは聞いちゃうぜ!』

 

 少し前までならこの言葉に悲壮さが漂っていたが、今の由紀江は違う。友達もでき充実した夏休みを満喫していた。こんなに幸せでいいのだろうかと日々感謝の心を忘れない由紀江。本人は気づいていないようだがリア充の仲間入りを果たしたと言える。

 

「えっとね……その英雄君から聞いたんだけど、まゆっちのお父さんが明日来るって」

「ええ。今週末は九鬼先輩……その英雄先輩のお誕生日があるのでそれに招待されたとか」

 

 英雄のみならず、九鬼の誕生会は毎年派手に行われている。ただしそれは子供のものだけ。帝は常に世界を飛び回っており、祝いは家族にしてもらえれば十分という考えだったし、局も似たような考えの持ち主であるのに加えて彼女は女性である。あまり派手に祝ってもらうのも複雑らしい。

しかし、それでは納得しなかったのが利益にあやかりたい人間たちだった。もちろん純粋に友好を深めたいという人も多かったが、とにかく接する機会を得たいために「では子供たちの祝いくらいは」と提案したのだ。

帝も自らのことには無頓着でも子供のこととなれば話は別。母である局はなおさらである。

よって、子供たちの誕生会は盛大にお祝いするのが恒例となった。そこには政財界の人間に加え、海外からもVIPが多数やって来る。さらに彼らは僅かなチャンスにかけようと息子娘を同行させる。一目惚れが無理でも何度も会っていたら恋に発展するのでは、という淡い希望をもってのことだ。

そして由紀江の父、黛大成もその招待客の一人であり、今回は初めての招待ということもあり征士郎が別個に招待状を出していた。それは一つ頼み事をしたかったからだ。

その頼みとは若手を中心とした従者に対する指導。これから九鬼の中核を担う彼らに多くの経験を積ませておきたいという目論見である。しかし大成は自らも門下生を抱えている立場であるため、簡単には道場を空けられない。

そこで今回の英雄の誕生会に合わせて都合がつけられないかと事前にアポをとっていたのだった。

その期間は1週間。そして、その間の宿や交通などの支払いは全て九鬼持ちとなっている。しかし、そこから得られるリターンは限りなく大きいと言えるため、これに指導料をつけると提案したのだが、大成は娘が世話になっているからとそれを受け取ることはしなかった。

 それを聞いた一子は意を決して口を開く。

 

「あのね……大成さんに時間を作ってもらうことって可能かしら?」

 

 不思議がる由紀江を前に、一子はその理由を説明する。そしてその目的も。

 自らの気持ちをさらけ出すのは勇気がいることである。しかし、ここで立ち止まっているわけにはいかなかった。チャンスは自ら掴みに行くしかないのだ。今の状況が打開できるのならば何だってする。一子はそんな心境であった。

 由紀江は一子の言葉を静かに聞いていた。そして全ての説明を聞き終えたのち大きくうなずいた。

 

「もちろん構いません。と言っても父本人にも了解を得る必要がありますが、できる限りご協力させていただきます」

『深刻な顔して話し出すからブルッちまったが、そういうことならオールオーケー! 悩んでるダチの力になるのに理由なんかいらねー……まぁしっかりと聞いちゃったけどね』

「ほ、本当!?」

 

 一子はがばりと身を乗り出した。

 

「もちろんです。一子さんの真剣なお気持ちも十分わかりましたし……」

『姉を補佐するために師範代目指すとか泣ける話やん? 妹にここまで思われてる姉とか……モモ先輩の果報者!』

「ありがとう、まゆっちー!」

 

 一子は身を乗り出した体をそのままに由紀江を抱きしめる。このように喜怒哀楽をストレートに表現できるところも一子の一つの長所だろう。

 由紀江は子供をあやすように一子の背をポンポンとたたく。

 

「いえいえ、このくらいお安いご用です」

『ああー寂しい休日を過ごしてきたオイラ達にこの温かさが沁みる』

 

 こうして一子は大成に会う切っ掛けを得たのだった。

 

 

 ◇

 

 

 その次の日、征士郎は川神駅へと出向いていた。その傍には紋白と静初、クラウディオ、大和。さらには由紀江と一子の姿があった。

 そして待つこと数分、袴姿の古風な男性が改札口に現れた。それに最初に気づいたのは娘の由紀江。

 由紀江は父を迎えるために小走りで近寄っていく。その姿を確認した父もどこかほっとした表情を浮かべている。

そしてよく見ると大成の傍にもう一人女の子が付き添っていた。

由紀江はその人物に驚きながらも親しそうに言葉を交わす。その人物とは由紀江の妹にあたる黛沙也佳であった。外見は由紀江を少し幼くしたもので2人はよく似ている。

由紀江が先導し、2人は征士郎らの元へと歩いて来た。

 

「大成殿、ようこそ川神へ。お元気そうでなによりです。この度は私の無理なご要望を受けてくださり感謝しています」

 

 征士郎は大成とがっちりと握手を交わした。由紀江が入学したことが切っ掛けで、ここ数か月黛家とのやり取りも増え、これは征士郎にとっても喜ぶべきことであった。

 

「私こそ招いてもらったことに感謝しているよ。こうして娘にも会えたからね」

「指導をしてくださるとき以外はご自由に動いてくださって構いません。もちろん、その間の費用は全てこちらでもちますので。観光されるなら案内役などもご用意します」

「それは有難い。実は私のもう一人の娘も一緒に付いてきてしまって……由紀江はまだこちらに不慣れだろうからどうしようかと思案していたところなのだ」

 

 しかし、これには由紀江も異議があるようで『ヘイ、ダディ! こう見えても川神近辺なら案内できるほど遊んでるんだぜ』と松風を通して主張した。

 征士郎がその意見を尊重する。

 

「ではご要望がありましたらお付きの従者に声をかけてください。家族のだんらんを邪魔するのも悪いですから」

「すまないね。心遣いに感謝する。……それから紹介が遅れて申し訳ない。こちらは由紀江の妹にあたる沙也佳です。沙也佳、ご挨拶を」

 

 沙也佳が征士郎に頭を下げる。

 

「は、初めまして。黛沙也佳です。あの……勝手に押しかけちゃってすいません」

「初めまして九鬼征士郎だ。1週間は短いかもしれないが存分に満喫するといい。もちろん鍛錬に付き合いたいなら歓迎しよう」

「あ、あわわ……さすがに私はお姉ちゃんのように強くはないので大人しく観光しています」

「そうか。筋は良さそうだから鍛えれば物になりそうだが……残念だ」

 

 大和はその発言から、できれば九鬼に誘いたいんだなと察した。ちらりと我が主を確認するとこちらも少し残念そうな顔をしている。似た者兄妹だなとほんわかした気持ちになる。

 続いて征士郎が紋白を紹介する。

 

「こちらが我が妹の紋白です。確かお会いになるのは初めてですよね?」

 

 紋白は物怖じしないいつものペースで自己紹介を行った。しかし、さすがに大成は微塵も揺るがない。

 

「ええ。しかし、由紀江の手紙ではその名を拝見していたよ。初めまして、由紀江が世話になっているようだね」

「それはお互い様だ。我こそ由紀江には世話になった。これからも末永い付き合いをしていきたいと思っている」

「それはよかった。……真っ直ぐな曇りなき良い目をしている。君のような友人に恵まれたことを親として嬉しく思うよ」

 

 その後ろでは何やら由紀江が感動している。その隣では、あの九鬼に友人扱いされている現実を目の当たりにした沙也佳が目を見開いていた。メールでのやりとりで関係は知っていたが、本人の口から聞くとまた違うらしい。

 それから続いて傍にいる従者たちの紹介が続く。大和に関しては同じ寮生ということもあって由紀江からも紹介がなされた。

 大成が静初へと目を向ける。

 

「では、征士郎君の恋人というのが……」

「もう大成殿のところまで話がいっているのですね。ええ、静初は私の恋人です」

 

 静初はそれに合わせて再度頭を下げた。

 

「ふむ……」

 

 大成はじっと静初の瞳を覗き込み、征士郎へと向き直る。

 

「私が言うのも筋違いだが、征士郎君は人を見る目があるようだ」

「ありがとうございます」

「それで……結婚の段取りはもう決まっているのかね?」

 

 この大成の踏み込んだ発言には娘たちから非難の声があがる。デリカシーがないと声を揃えて言う娘たちに、初めて大成が動揺した。

色々と気の早い大成。中学生の沙也佳に積極的に見合いを勧めた人物だけはある。

 征士郎はそれに苦笑し、静初は顔を赤くする。

 

「今は……まだ。恋人気分を満喫しているところです」

 

 その一言に静初の視線が征士郎へと突き刺さる。しかし、その視線に気づいたのは征士郎でなく紋白だった。静初と視線がぶつかった紋白がにこっと表情を崩した。静初は自らの心のうちが読まれたように感じてまた頬に熱を感じる。

 そんな2人に気づく様子がない征士郎らは会話を続ける。

 

「なるほど。どうも年をとってはいかんな。先を急いでしまうようだ」

「何を仰います。まだまだ十分お若いですよ」

「ありがとう。ところで……そちらのお嬢さんは川神の?」

 

 大成はそう言って、まだ紹介のされていない一子へと視線を移した。一子ははきはきと自己紹介を行ったが、その場ですぐにお願いするのもおかしな感じがして言葉につまる。

そこへ助け船をだしたのは征士郎だった。

 

「とりあえず立ち話もなんですので一旦本部へと参りましょう。一子の方はまた別個で大成殿にお話があるようなので、お時間を割いていただけると有難いです」

 

 その言葉に従って一同は車に乗り、九鬼本部へと移動する。ちなみに初めて乗るリムジンに沙也佳は写真を撮ってもいいかとはしゃぎ、由紀江が諌めるという姉妹らしい一面も垣間見られた。

 

 

 ◇

 

 

日をまたぎ、燕は大成から指導を受けている従者の様子を少し見学していた。そこにいる誰もが大成から何かを掴もうと熱心に聞き入っている。

あの向上心が従者部隊の質を保っているだろうと燕は思った。

それから、すぐに呼び出されている第4実験室へと向かう。

こちらにも興味はあるものの、明日由紀江が来ることになっているときに合わせて、指導へと混ぜてもらうことが決まっているので心配はない。黛の剣術を体験し、由紀江とも手合せができる貴重な時間である。

剣聖ともなれば武人である以上興味がわかないわけがない。それはクローン組も同じだったようで、先の鍛錬場にはその姿があった。特に刀という同じ武器を扱う義経は誰よりも真剣にその話を聞いていた。弁慶と与一は付き合わされた口だろう。義経と清楚の誘いを断ることはできなかったようだ。

燕の心情としては項羽に参加しないでいてほしかったが、それを言ってもどうしようもない。その項羽は最近ただやたらめったら武器を振り回すということが減っている。動きがより洗練されつつあるようだ。模擬戦の敗北で色々と意識の変化があったらしい。

 

「ももちゃんは揚羽さんと山籠もり。清楚は剣聖の指導に参加とか……」

 

 目標を乗り越えようとあがく燕の前で、その目標がどんどん高くなっているという事実。

 考えるだけでへこみそうになった燕は頭を左右に振った。悩む暇があるなら自らもそれに向かって高めるのみ。そこまで考えて、自分はこんな正々堂々を望む性格だったろうかとおかしくなった。

 いや正々堂々と挑まざるを得なくなったのだ。これまでの観察から小細工が通用しないという結論が出た。だから正面からあたるしかない。もちろん今後隙があるようならば逃しはしない。しかし、そこに期待するよりは実力をつける方がまだ可能性がある。

 百代と項羽は拳を交えたあの一件以来互いに意識している。しかし、そこでハブにされるのを我慢できるほど燕も大人しい女ではない。同世代だからこそ余計にだ。

 そして、そのためには新たな平蜘蛛を使いこなさなければならない。

 天才ジーノの頭脳を借り、久信が不眠不休で改められた燕専用の武器。

 

「よし!」

 

 燕は気合いを入れ直し、全面白に覆われた実験室へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

『ハロー。燕ちゃん、元気してたー?』

 

 そこに待っていたのは兎耳を生やした四足歩行のロボットだった。そしてそれを介して聞こえる声はジーノものである。滑らかな動きを見せるロボは瞬時に変形してボール型になって跳ねたり、ジェット噴射で空中を飛び回ったりした。

 その隣には大き目のジュラルミンケースが置かれている。

 

「もちろん。ジーノさんは相変わらずっぽいね」

『いやいやーそんなことないよ! 征士郎君にこき使われて大変なんだから! なのに、この前なんかどこの国が失敗したのかわかんないけど、そのデブリ(宇宙ゴミ)がさー私の住処にぶつかりそうになったし』

「一大事じゃん!?」

『ノープロブレム! それを華麗に処理できるのが私!』

「ちなみにどうやって?」

『武神の川神波、だっけ? あれの似たようなので消し去った。あれさぁ……時々地球から放たれて私たちにも見えるんだよね。あの子、本当に人間なの? 興味あるんだよねーあの子の体とか闘気とかさ』

 

 炎や氷、雷といった現象をも引き起こす闘気は謎が多く、それがジーノの好奇心を刺激していた。

 

「宇宙って凄いんだね……」

『地球も凄いと思うけどね。ま、燕ちゃんがおばあちゃんになるころまでには、軌道エレベーターも完成してるから簡単に来れちゃうよ。月に旅行だーとか火星を探検だーとか言う日も遠くないし……っと無駄話していると怒られちゃうね。それじゃあメインディッシュを開けてみようか!』

 

 そう言ってウサ耳ロボットがクルクルとケースの周りを走る。

 燕も改良型を目にするのは初めてである。ワクワクする気持ちを押さえながらケースへと手をかけた。

 その中にあったのは一対の小手。従来の平蜘蛛を小型化したものであった。重量も軽減し、これなら腕を振るうにも支障がなさそうである。それと一緒に入っていたのは燕が以前より着用していた黒いスーツ。こちらにも改良が加えられ身体能力の向上させてくれるというものだった。

 燕はそれを手にとりながら、ジーノの説明を聞いていく。

 聞けば聞くほどジーノの異常さがわかるものだったが、その彼女が父の発明を評価してくれたのは喜ばしいことだった。

 そしてこれらはまだ試作段階にあり、燕の戦闘データをもとにこれからの更なる開発に役立てていく。

 ちなみにこの説明を担当するはずだった久信はというと、連日の無理がたたって開発を終えると同時に従者によって運ばれていったらしい。燕は毎度のことに心配になったが、ここは世界の九鬼であることを思い出して胸をなでおろす。

 全ての説明を聞き終わった燕はそれらを持って、一度着替えに戻る。

 そしてまた戻って来たときには新たな人物が立っていた。緑の髪をツインテールにした少女。燕よりは年下に見えるその素顔は幼さが残っている。

 

『対戦相手は燕ちゃんの知り合いでもよかったんだけど、あんまり情報知られるのも嫌でしょ? だからこちらで用意しました! まだ世界に未公表の新たな自律型ロボット、クッキー4isちゃんでーす! パチパチパチー!』

「貴方が私の実験台となる松永燕ですか? どうぞよろしく」

 

 勝気な笑みを浮かべたクッキー4isはニコニコしている。こうしてみると可愛い女の子そのものでとてもロボットには見えない。

 

『この子はうーちゃん(海経)が作ったクッキーの後継にあたる子で、なんとその種類は108! それぞれが得意分野に特化した能力を持っているんだよ! このクッキー4is……長いからアイエスでいいか。うん、なんかアイエスって響き凄い良い感じ! これから君はアイエスだ! で、アイエスは人のお世話をすることに特化していて、炊事洗濯掃除何でもござれのメイドさんみたいなものだね』

「素敵なマイスター募集中です」

『あ、そんな子が戦えるのかって思った? だいじょうーぶっ!! アイエスは総合的な能力もアップしているし、燕ちゃんの相手をしてもらうときは私がちょちょっと手を加えるからね』

「今のアイエスは一味違います。ご要望とあれば仕方ありません。ぶっ飛ばしてしまっても構わないんですよね? ケタケタ」

 

 物騒なことを口にするアイエスはニコニコから一瞬ニヤニヤに表情を変えたが、燕はその瞬間を見逃さなかった。

 

『それじゃ……あとは若い者同士仲良くやり合ってもらって。燕ちゃん、健闘を祈る!』

 

 そう言ってジーノは退散していった。

 そして実験室に残る2人。海経もモニタールームにいたようで、アナウンスから声が聞こえてくる。最初の合図はあちらから出してくれるようだ。

 燕が平蜘蛛の位置を調整しながら声をかける。

 

「そんじゃ、アイエスちゃん……だっけ? 別に猫とか被る必要ないからよろしくね」

「な、なんのことですかねー? お淑やかなのが私の素なんで、貴方の言ってることがよくわかりませんねー?」

 

 コロコロと表情を変えるアイエスはまさに人間そのものである。

 

「それでアイエスちゃんは――」

 

 武器とか持たないの。燕はそう問いただそうとして言葉を失った。

 それはアイエスの身の回りに起きた劇的な変化が原因だった。空気がゆらりと揺らめき、次いで七色の煌めきを放つ。そしてひざ下からつま先にかけて、肩から手の先、極めつけは羽のようにメカニックなパーツの数々が展開されたのだ。それは変形ででてきたものではない。何も存在しなかったところから急に現れたのだ。

少女の纏う戦闘衣装は緑を基調としており、その姿は見る者を圧倒する。

 燕は目の前で起きた光景につばをのんだ。

 

「まさか……武器の量子化?」

「フッフッフ……驚くのはまだ早いですよ、松永燕。生まれ変わったアイエスの力、とくとその身で味わいなさいな!」

 

 生まれ変わったものなにも燕は今出会ったばかりであり、何がどう違うのかわからない。

ぽかんとする燕を前にして、アイエスはフワリと宙に浮かんだ。羽からは輝く粒子が溢れだし、その姿は天使のようにも見えた。

 

 




一気に書きあがった。


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